ラヴクラフト全集〈3〉
H・P・ラヴクラフト/大瀧啓裕訳
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作品解題
[#地付き]大瀧啓裕
本書は全七巻が予定される『ラヴクラフト全集』の第三巻に相当する。本書を編集するにあたっては、既刊の収録作品を検討した結果、ラヴクラフトが創作にいそしんだ各時期を代表する作品を選ぶよう心がけた。ただしダンセイニ風の小品、ランドルフ・カーターものと呼ばれる一連の作品は、後続の巻にまとめるため割愛している。後続の巻はそれぞれ特定の性格をもたせた編集がおこなわれることになるが、とりあえず本書と既刊分をあわせれば、ラヴクラフトの活動期間の全幅がうかがえるだろう。なお『ラヴクラフト全集』翻訳のテキストとしては、さまざまな問題をはらんではいるが、現在ほかにかわるものがないため、アーカム・ハウス刊行の “The Dunwich Horror and Others, 1963” “At the Mountains of Madness and Other Novels, 1964” “Dagon and Other Macabre Tales, 1965” からなる作品集三巻をイギリス版と併用するとともに、 “Beyond the Wall of Sleep, 1943” “Marginalia, 1944” “Something About Cats and Other Pieces, 1949” “The Shuttered Room and Other Pieces, 1959” “Dreams and Fancies, 1962” “The Dark Brotherhood and Other Pieces, 1966” に目をとおし、可能なかぎり初出誌を参照することにしている。この点についてはニューヨークの古書籍商ファンタシー・アーカイヴズの店主エリック・クラマーに感謝しなければならない。作品解題を記すにあたって利用した資料は各巻末に記しておく。
〈挿絵:ラヴクラフトの作成した著作目録〉
『ダゴン』 Dagon
一九一七年七月に執筆され、同人誌〈ヴァグラント〉第十一号(一九一九年十一月)に発表された後、〈ウィアード・テイルズ〉一九二三年十月号に掲載された。ラヴクラフトの〈ウィアード・テイルズ〉デヴュー作である。なお〈ウィアード・テイルズ〉にはその後も二度にわたり、一九三六年の一月号と一九五一年の十一月号に再掲載されている。
ラヴクラフトは一九一七年に『納骨所』と『ダゴン』を執筆した後、前者を〈ブラック・マスク〉、後者を〈ブラック・キャット〉に送付したものの、いずれも不採用になっていた。一九二三年三月に〈ウィアード・テイルズ〉が創刊されると、ラヴクラフトは同誌を購読するようになり、C・A・スミス等の友人に勧められるまま、五月頃に『ダゴン』、『ランドルフ・カーターの陳述』、『アーサー・ジャーミン』、『ウルタールの猫』、『猟犬』からなる「ゴシック風の怪奇小説」五篇を送付することになる。ラヴクラフトが〈ウィアード・テイルズ〉の編集長に宛てた手紙は、同誌九月号の読者欄に掲載されているが、拒絶されるのを見こしたような筆致で意気込のほどを示し、掲載されるにしても「セミコロンやコンマにいたるまで原文通りに印刷されないなら、拒絶されたも」同然だと記しているものの、初代編集長ベアードは社主ヘネパーガーの希望をくみ、ダブル・スペースでタイプ打ちをすることを条件に、五篇すべての採用を決定した。ラヴクラフトはとりあえず『ダゴン』のみをタイプ打ちし、これが十月号に掲載されたわけである。
〈挿絵:『ダゴン』〉
『ダゴン』はごく初期の作品ではあるが、孤独な語り手による一人称独白、遙かな過去の暗示、偶発的な恐怖との遭遇等、後のラヴクラフトを特色づける諸要素があらわれている点で意味深い作品といえるだろう。語り手はきわめて理性的な人物であり、怪物に襲われたのではなく、ただ人間の知識を超える存在を知っただけで、類推によって狂気におちいっていく次第を見逃してはならない。
ラヴクラフトは一九二八年十一月二十日付エリザベス・トルドリッジ宛の書簡で、『ダゴン』についてふれ、「古いアトランティスやレムリアの伝説を基にした小説は、今日では目新しいものではありませんが、わたしは雰囲気に期待をかけ、新奇さに等しいものをもちだそうとしたのです」と記している。雰囲気の重視はラヴクラフトの特徴の一つだが、『ダゴン』においては軟泥の描写や谷に屹立する石柱の描写等が、かなりの効果をあげている。ラヴクラフトは一九二三年に『ダゴン』を気にいりの作品の一つに数えていたが、文体を洗練させてからは、描写が大げさでわざとらしいとして、評価をさげるにいたった。
〈挿絵:ダゴン〉
ダゴンは本来ペリシテ人の神性であり、旧約聖書『士師記』には「茲《ここ》にペリシテ人《びと》の群伯共《きみたちとも》にあつまりてその神《かみ》ダゴンに大《おほい》なる祭物《そなへもの》をささげて祝《いはい》をなさんとし」のくだりがある。顔と手は人間、体は魚という、魚の神だったらしい。ラヴクラフトは『ダゴン』に登場する生物が、後にペリシテ人の神として崇められるようになったと想定していたようだ。末尾に「手」があらわれるのは、旧約『サムエル前書』の「また翌朝夙《つぐあさはや》く興《お》きヱホバの櫃《はこ》のまへにダゴン俯伏《うつむき》に地《ち》にたふれるを見《み》るダゴンの頭《かしら》と其両手間閾《そのふたつのてしきゐ》のうへに断《た》ち切《き》れをり只《ただ》ダゴン体《からだ》のみのこれり」をふまえているのかもしれない。
なお『ダゴン』をはじめ、ラヴクラフトの作品ではよくピルトダウン人≠ェ言及されるが、ピルトダウン人が偽物であることが立証されたのは一九五三年であることを申しそえておく。
『家のなかの絵』 The Picture in the House
一九二〇年十二月に執筆され、同人誌〈ナショナル・アマチュア〉一九一九年七月号に発表された後、〈ウィアード・テイルズ〉一九二四年一月号に掲載された。〈ウィアード・テイルズ〉一九三七年三月号にも再掲載されている。
ニューイングランドを舞台にした一連の作品の第一作にあたり、アーカムが言及されるのもこの作品がはじめてである。ニューイングランドのプロヴィデンスで育ったラヴクラフトは、過去に魅せられた人物であり、アメリカで最も歴史のある地域ということから、ニューイングランドをことのほか愛し、現実にプロヴィデンスに住んで熟知していることから的確に描ききれるため、何度となく自作の舞台としたのだろう。一九三五年七月二日付C・L・ムーア宛書簡が興味深い事情を伝えている。
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『家のなかの絵』は、わたしが目にしているニューイングランド僻地《へきち》の特定の家々に充満する、神秘さと異質さという妙な雰囲気に対してわたしがおぼえる恐怖を表したものです。多くの人は、どうしてわたしが南部における伝統的な怪しさの要素――糸杉が鬱蒼《うっそう》と茂る沼地、崩壊する農園家屋、囁かれる黒人の伝説等――を利用しないのかと不思議に思っています。しかし事実をいえば、岩が散在し、氷に閉ざされた、楡が影を落とすニューイングランドの山腹で感じられるのと同じ、根深いゴシック風の恐怖が、気候が温暖な地域では感じられないのです。わたしにとっては、冷たいものはすべて凶《まが》まがしく、暖かいものはすべて健全で生気を与えてくれるものなのです。
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『家のなかの絵』は孤独な老人が食人をあつかった挿絵をながめているうちに精神に異常をきたしたことを伝え、食人による生命の延長をほのめかしている。コリン・ウィルスンは『純粋殺人者の世界』において、作中の倒錯≠ニいう言葉に目をつけ、性的な要素が自作に侵入するのを許さなかったピューリタンのラヴクラフトが「最も性的な要素に近づいた」作品だとしている。牢獄で性的な妄想にふけり、その後殺人を繰返したデュッセルドルフの殺人鬼、ペーター・キュルテンと同質のサディズムの指摘であり、やむにやまれぬ妄想は現実の裏づけがないかぎり心みたされることはなく、この事情は作中の老人に明瞭にうかがえるだろう。
すべてが脅威を暗示するだけにおわり、天井の赤い染みもはたして何の血であるかはわからないが、ラヴクラフトは「六八年にエベネザー・ホールト大尉から手にいれたのですじゃ。あん人も戦死してしまいましたな」のくだりによって、重要な手がかりを残している。この話の出来事は一八九六年十一月におこったとされているので、戦死≠ニいう言葉から南北戦争を連想してしまいがちだが、南北戦争は一八六五年に終結しており、六八年以降に戦死することはありえない。つづく「独立戦争後のどんな記録にあたってものっていないのだ」の記述が決め手になる。独立戦争は一七七五年からはじまっており、独立戦争で戦死≠オたとすればつじつまがあう。すなわち、老人は百十八年まえに『コンゴ王国』を入手したのであって、脅威の暗示はここに実質を与えられたわけである。
〈挿絵:『コンゴ王国』第12図〉
なお作中に登場するピガフェッタの『コンゴ王国』は実在する書物であり、ラヴクラフトの描写は正確である。フィリポ・ピガフェッタ(一五三三―一六〇三)は一五七八年から八七年にかけてアフリカの各地を旅行し、ポルトガルの船員ドゥアルテ・ロペスと知りあい、教皇シクストゥス五世の提言により、ロペスの話を『コンゴ王国』にまとめたという。初版は一五九一年に刊行されているが、ド・ブロイ兄弟の挿絵が付されるようになったのは、ラヴクラフトの記す一五九八年のフランクフルト版からである。ラヴクラフトの蔵書のなかに『コンゴ王国』はなく、C・B・コンドラによれば、ラヴクラフトはトマス・ハックスリイの『自然界における人間の位置(一八六三年)』によって同書のことを知ったという。もっともS・T・ジョーサイとM・A・マイシャウドの作成した『ラヴクラフト蔵書目録』には、ハックスリイの著書は見あたらない。
『無名都市』 The Nameless City
一九二一年一月に執筆され、同年同人誌〈ウルヴァーリーン〉十一月号に発表、さらに同人誌〈ファンシフル・テイルズ〉創刊号(一九三六年秋季号)に掲載された後、〈ウィアード・テイルズ〉一九三八年十一月号に掲載された。
一九二一年付F・B・ロング宛書簡によれば、ダンセイニの『驚異の書』に記される「光を照りかえすこともない深淵の暗黒」の一節について、それが暗示するものに思いをはせた結果、その夜夢で見たものに基づいて執筆したという。「つのりゆく恐怖の連続に狙をつけ」、冒頭の部分を三度書き直したほか、結末も改めて現在の形にされた。闇のなかを単独で地底へむかう旅、異種族の歴史を表す壁画は、それぞれ『時間からの影』『狂気の山』でさらに詳細な描写で繰返されることになる。
「狂える詩人アブドゥル・アルハザード」の名前がはじめて登場するが、この段階では「不可解な二行聯句を謳《うた》った」とされるだけにとどまっている。ちなみにアブドゥル・アルハザードという名前は、ラヴクラフトが「『アラビアン・ナイト』を読んでアラブ人になりたくてたまらなかった五歳のときに、誰かおとなの人が(誰だったか思いだせません)わたしのためにつくりだしてくれたもの」だという。アルハザードを『ネクロノミコン』の著者と同定するのは、一九二二年に執筆された『猟犬』からである。
〈挿絵:ファンシフル・テイルズ〉
『ダゴン』においてダゴン、『家のなかの絵』においてアーカム、『無名都市』においてアルハザードというふうに、その後ラヴクラフトの諸作品で繰返し言及されるものが既に登場しているが、もちろんラヴクラフトがクトゥルー神話を想定していたわけではない。ラヴクラフトが目指したものは、早くも一九二七年に〈ウィアード・テイルズ〉の二代目編集長ファーンズワス・ライト宛の書簡で記しているように、「人間一般のならわし、主張、感情が、宏大な宇宙全体においては、何の意味も有効性ももたないという根本的な前提に基づ」き、天文学に親しんだことで培《つちか》われた宇宙観を駆動力に、さまざまな挿話を超越的な視点から織りあげることであり、最終的には『狂気の山』『時間からの影』において、ラヴクラフト宇宙観のシステム化をはかったのである。クトゥルー神話があくまでもラヴクラフトの死後に成立したものであることを見逃してはならない。
〈挿絵:ホーム・ブルー〉
『潜み棲む恐怖』 The Lurking Fear
一九二二年十一月に執筆され、〈ホーム・ブルー〉一九二三年一月号から四月号にわたり四回連載された後、〈ウィアード・テイルズ〉一九二八年六月号に掲載された。
ワシントン・アーヴィングが物語の背景によく利用したキャッツキル地方を舞台にするこの作品は、ラヴクラフトが編集者の依頼に応じて執筆した数少ない作品の一つである。アマチュア・プレス協会の会員だったG・J・ハウテインが一九二二年一月に新しい商業誌〈ホーム・ブルー〉を創刊し、ラヴクラフトはハウテインの依頼に応じて創刊号から六号まで『死人使いハーバート・ウェスト』を連載したが、ハウテインはさらに連載を要請して、『潜み棲む恐怖』が生みだされることになった。連載であることを考慮して、毎回最後に恐怖を高める場面を置いたことにより、いささかわざとらしい、伝統的な恐怖小説の域にとどまっている点は否めないものの、孤立と近親相姦が堕落と退化に通じるという、『インスマウスの影』で頂点に達するテーマがはじめてもちだされている作品であることに注目すべきだろう。
〈挿絵:スミスの挿絵〉
ラヴクラフトが三歳のときに、父親が不全麻痺により精神に異常をきたし、プロヴィデンスのバーラー病院に収容され、五年後に他界したこともあって、ラヴクラフトは母の実家で育てられているが、母方のフィリップス家はプロヴィデンスの旧家で、かつては植民地としての孤立もあって、何度となく血縁結婚を繰返し、その弊害をかすかにたたえる家系だった。ラヴクラフトの母親が精神に異常をきたし、夫と同じバーラー病院に収容され、その二年後に他界したのは一九二一年五月二十四日のことだが、ラヴクラフトは母方の家系がどういうものであるか強く意識していたにちがいない。『履歴書』に明らかな民族の純血主義、小説に顕著な近親相姦による堕落は、母方のフィリップス家の血脈に根ざしていると見てさしつかえないだろう。なおラヴクラフトは『潜み棲む恐怖』を〈ホーム・ブルー〉に連載するにあたり、一九二二年から文通をはじめたC・A・スミスを挿絵画家として推選した。この結果、スミスの挿絵が毎回二点ずつ使用されたが、ラヴクラフトは墓場の情景をことのほか気にいっていたという。
『アウトサイダー』 The Outsider
一九二一年に執筆され、〈ウィアード・テイルズ〉一九二六年四月号に発表された後、同誌の一九三一年六・七月合併号に再掲載されたほか、後年〈フェイマス・ファンタスティック・ミステリズ〉一九五〇年六月号にフィンレイの挿絵を付して再録されている。
ラヴクラフトの代表作の一つであり、アンソロジーに収録される頻度もきわめて高い。一九二九年四月十五日付エリザベス・トルドリッジ宛書簡には、「もしも〈ウィアード・テイルズ〉が久しく企画にのぼっている作品集の出版を決定するなら、おそらく標題として選ばれるのはこれ(『アウトサイダー』)になるでしょう」という興味深い言及がある。ラヴクラフトの気にいりの作品であり、〈ウィアード・テイルズ〉の編集長ライトが惚れこんでいた作品でもあったわけだが、オーガスト・ダーレスがドナルド・ワンドリイとともにアーカム・ハウスを興《おこ》して刊行したラヴクラフトの作品集の標題が『アウトサイダー及びその他の物語』となったのは、奇しき偶然にしかすぎない。
〈挿絵:『アウトサイダー及びその他の物語』〉
『アウトサイダー』はポオの影響を最も濃密にたたえた作品である。ニューヨークの通りを歩いていた語り手が、通行人が自分を見て悲鳴をあげながら逃げだすのに驚き、鏡に姿をうつしてみれば屍衣をまとっていたという、ナサニエル・ホーソンの『孤独な男の日誌』から着想を得たのかもしれないが、それよりもポオの『赤死病の仮面』に刺激されたとみなすべきだろう。冒頭の部分はポオの『ベレニス』を思わせる。いずれにせよ、ポオさながらの雰囲気をたたえた名作であり、ダーレスは一九四五年にワールド・パブリッシングから刊行されたラヴクラフトの傑作集 “Best Supernatural Stories of H.P.Lovecraft” の序文で、「この『アウトサイダー』については、ポオの未発表の小説として提示されたなら、反論する者は誰もいないだろう」と記している。不肖の弟子もたまにはいいことをいうのである。もっともラヴクラフト自身は、後年しだいに自作に対する評価規準に厳しくなり、『アウトサイダー』執筆の十年後には、「あの頃はポオの精神を反映するとともに、ポオの癖をまねざるをえず」、「無意識とはいえ、ポオの摸倣が最高潮に達した」この『アウトサイダー』が、一本調子」であり、「大げさな言葉づかいはほとんど滑稽《こっけい》なほど」だとして、難色を示すようになっている。厳しすぎるほどの評価だが、完全主義者ラヴクラフトにしてみれば、厳しく自分を律することによって、新たなスタイルの模索をたえず自分に課していたのだろう。この姿勢が最終的に、『狂気の山』と『時間からの影』という、ラヴクラフト宇宙観のシステム化を生みだしたのである。
ラヴクラフトが生みだした小説のなかで、『アウトサイダー』ほど不思議な物語はない。異様な雰囲気に呑みこまれるばかりで、読めば読むほどわけがわからなくなってしまう。ダーク・W・モシグは『アウトサイダーの四つの顔』と題する評論で、四通りの解釈が成り立つとしている。ラヴクラフトの自伝としての解釈、ユングのいう個性化のような潜在意識の展開としての解釈、死後の生の諷刺としての解釈、機械論的な宇宙における人間の位置をあつかったものとしての解釈である。一方、ウィリアム・フルワイラーは『アウトサイダーの感想』において、巻頭のキーツの詩『聖アグネス前夜祭(一八一九)』に目をつけ、『アウトサイダー』の執筆された一九二一年がキーツの没後百年にあたることを指摘し、ラヴクラフトがキーツの追悼として『アウトサイダー』を執筆したのかもしれず、すべては『聖アグネス前夜祭』の男爵の夢として目論まれているのではないかと記している。いずれの解釈をとろうと、『アウトサイダー』が夢の論理の貫かれた作品であることはまちがいないだろう。
『戸口にあらわれたもの』 The Thing on the Doorstep
一九三三年八月に執筆され、〈ウィアード・テイルズ〉一九三七年一月号にフィンレイの挿絵を付して発表された。
〈挿絵:フィンレイの挿絵〉
四日間で書きあげられた作品であり、ラヴクラフトは必ずしも出来映に満足しておらず、一九三三年十二月十三日付C・A・スミス宛の書簡では、結末を変えることを考えてもいるし、ダービイが魔術を使う必要はないとも思うと記しているが、結局このままの形で発表された。ラヴクラフトにいわせれば、中くらいの出来で、「『闇をさまようもの』よりはましだけれども、『宇宙からの色』ほどではない」、この『戸口にあらわれたもの』は、冒頭で結末を明らかにする構成の妙が美事に生きており、ラヴクラフトの小説作法の確かさを証す典型的な作品といっていいだろう。精神交換のテーマは、翌年から執筆される『時間からの影』に結実することになる。
つけ加えるなら、『戸口にあらわれたもの』は登場人物が誰をモデルにしたものであるかという興味深い問題をはらんでいる。早熟で、個人教育をうけ、外にも出されず家のなかで大切に育てられたかぎりでのエドワード・ダービイは、ラヴクラフト本人と見てさしつかえない。ラヴクラフトも病弱で、母方の実家で家庭教師による教育をうけ、母親そして祖父母に溺愛されていた。母親が亡くなったときには、神経衰弱におちいり、自殺しかねないほどだった。この点において、エドワードが母親の死後「何か目に見えないきずなからいくらか脱けだしたかのように……」のくだりは意味深いものになる。しかし『戸口にあらわれたもの』がラヴクラフトの自伝的要素をかなり織りこんだ作品であることはまちがいないものの、ダービイをラヴクラフトに同定するのは早計にすぎるだろう。ラヴクラフトの友人のなかには、ラヴクラフトが「これまで会ったなかで最も聡明な知性の持主」と形容した、年下の友人アルフレッド・ガルピンがいた。神童≠ニいう言葉はガルピンにふさわしい。さらにC・A・スミスは十九歳で詩集『星を歩くもの』を出版し、後に自殺することになるジョージ・スターリングと親しくしていた。ダービイは十八歳で詩集『アザトホースその他の恐怖』を刊行し、精神病院で狂死したジャスティン・ジョフリイと文通していたとされている。またラヴクラフトの友人のなかには、きわめて感受性が強く、内気なサムエル・ラヴマンがいた。S・T・ジョーサイが『ラヴクラフトにおける自伝』で指摘するように、エドワード・ダービイはラヴクラフト自身、ガルピン、スミス、ラヴマンを融合させたものと見てさしつかえないだろう。アセナスについては、ラヴクラフトが短い結婚生活を送ったソニア・ハフト・グリーンと母親がモデルなのかもしれない。
なおアーカムのモデルであるセーレムには、旧家としてダービイ家が存在し、ピックマン家やウェイト家もあるほか、クラウニンシールド荘も実在する。
〈挿絵:クラウニンシールド荘〉
『闇をさまようもの』 The Haunter of the Dark
一九三五年十一月に執筆され、〈ウィアード・テイルズ〉一九三六年十二月号に発表された。ラヴクラフトの最後の作品である。
この作品が執筆された経緯がふるっている。一九三五年のはじめ、ラヴクラフトを師と仰ぎ、文通をつづけていた当時十八歳の若き作家ロバート・ブロックが、ラヴクラフトをモデルにした「ニューイングランドはプロヴィデンスの神秘的な夢想家」の登場する『星からの来訪者』を書きあげ、作中でその登場人物を殺す許可をラヴクラフトに願いでた。これに対してラヴクラフトは、一九三五年四月三十日付ブロック宛書簡で、ラヴクラフトをモデルにした登場人物を「描き、殺し、軽視し、分断し、美化し、変身させるほか、どうあつかってもよい」ことを許可する旨を伝えた。この書簡は証明書の体裁をとり、ラヴクラフトの署名のほかに、立会証人として、アブドゥル・アルハザード、ガスパール・ドゥ・ノール(『エイボンの書』の翻訳者)、フリードリヒ・フォン・ユンツト、レンのトゥチョ=トゥチョ人ラマ僧の署名も記されている。ラヴクラフトが親しい作家たちと仲間うちの遊びにふけっていたことの好例といえるだろう。さてブロックの『星からの訪問者』は〈ウィアード・テイルズ〉一九三五年九月号に掲載された。案にたがわず、ラヴクラフトをモデルにした登場人物は、無残な死目にあわされたのである。かくしてラヴクラフトは、この「お返しにブロックを殺す」ことに決め、『闇をさまようもの』が執筆された。
執筆の動機は遊びの精神によるものだが、その出来映は作家ラヴクラフトの一つの到達点を示す佳品になっている。主人公ロバート・ブレイクは、名前こそロバート・ブロックをもじっているものの、ラヴクラフト自身をモデルにしていることは明白である。舞台になっているのはラヴクラフトの住むプロヴィデンスであり、『履歴書』に明らかなように、ブレイクが借りた住居はカレッジ・ストリート66のラヴクラフトの住居、ブレイクの書斎はラヴクラフトの書斎をそのまま描写したものにほかならない。街の描写は入念におこなわれ、ラヴクラフトがいかにプロヴィデンスを愛していたかが切々と伝わってくる。フェデラル・ヒルの黒ぐろとした教会のモデルは、アトウェル街に建つ聖ヨハネ・カトリック教会であり、ラヴクラフトの書斎の窓からながめれば、まさしく「夕日に燃える空を背景にして、大きな塔や先細りの尖り屋根が黒ぐろとした姿をあらわ」していたという。もっとも現在では高層のホテルやビルが林立し、かつての面影は失われている。ちなみに一九七五年十月三十一日のハロウィーンに、現場に近いブラウン大学で、フリッツ・ライバーが『闇をさまようもの』を朗読している。ラヴクラフトが入学を断念したブラウン大学のジョン・ヘイ図書館には、ラヴクラフトの資料をそろえるラヴクラフト記念文庫がある。
〈挿絵:聖ヨハネ・カトリック教会〉
ラヴクラフトが『闇をさまようもの』を執筆するにあたって念頭に置いたのは、主人公が受身であることに説得力をもたせることだった。一九三七年二月二十日付アーサー・ワイドナー宛書簡では、『闇をさまようもの』についてふれ、「わたしは小説の中心人物が来たるべき恐怖をまえに無力であるように描くことを好みますが、それは真の悪夢を見ているあいだ、人がもっぱらそういう状態であるからです」と記している。ここにうかがえるのはラヴクラフトの小説作法の骨法である。ラヴクラフトは「悍《おぞ》ましい運命がせまっている主人公を無力で非活動的」な人物にすることほど、「現実の悪夢に似た恐怖小説を書く」うえで効果的なものはないといい、「事実、夢想文学の秘訣は、中心人物を受身にして(夢想家として象徴化して)、出来事を中心人物にはどうすることもできない超然とした状態で漂わせること」だと記している。中心人物≠人類≠ニ読みかえるなら、ラヴクラフトの全作品を貫く姿勢がはっきりとうかがえるだろう。
『闇をさまようもの』においては、主人公が受身であればこそ、悍ましい最期を迎えることになるのである。積極的な人物だったなら、停電の際にも懐中電燈を使ったり、暖炉に火をおこしたりして、身のまわりを照らしていただろう。しかし主人公は受身であり、また既に闇をさまようもの≠フ支配をうけていることが暗示されている。ラヴクラフト自身の評価はともかく、『闇をさまようもの』が最も首尾の整った作品の一つであることにかわりはない。
末尾に近く、唐突に「ロデリック・アッシャーだ」と記されていることについて簡単にふれておく。もちろんロデリック・アッシャーはポオの『アッシャー家の崩壊』の主人公のことだが、ラヴクラフトは同人誌〈ファンタシー・ファン〉一九三四年十二月号に発表した『文学における超自然の恐怖』の第七章「エドガー・アラン・ポオ」で、『アッシャー家の崩壊』が、「長く孤立した家族の歴史の果に」、「兄、双子の妹、信じがたいほど古い屋敷が一つの魂を共有するとともに、一つに溶けこんでしまった三位一体を表している」と指摘している。すなわち「ロデリック・アッシャーだ」は「わたし(ロバート・ブレイク)はロデリック・アッシャーのようなものだ」という謂であって、ブレイクが闇をさまようもの≠ニ融合していることを暗示しているわけである。知っている者にはわかるという、ラヴクラフト得意の手にほかならない。
なお、『闇をさまようもの』では、ナイアルラトホテップ、アザトホース、ヨグ・ソトホースの名前が記されているが、本全集においてはダーレス創造のクトゥルー神話との混同を避けるため、ラヴクラフトが意図した表記に統一していることを、この機会におことわりしておく。クトゥルー神話はあくまでもダーレスがまとめあげたものであり、クトゥルー神話をあつかう場合はダーレスが提唱する表記にしたがわなければならないが、ラヴクラフトの作品を独立させてとりあげる場合にまでこれを広げれば、本末|顛倒《てんとう》以外の何物でもないだろう。クトゥルーは無論クルウルウと表記されることになる。
『時間からの影』 The Shadow out of Time
一九三四年十一月から翌年三月にかけて執筆され、〈アスタウンディング・ストーリイズ〉一九三六年六月号に発表された。
プロヴィデンスの冬は寒さが厳しく、ラヴクラフトは次のようなメモをもとに、『時間からの影』の執筆にとりかかった。
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オーストラリア西部……南緯二二度三分一四秒……東経一二五度〇分三九秒。グレート・サンデー砂漠のなか……一八七三年にワーバートンの通った道の西南、マクファースン山及び一八六一年にグレゴリーが通った道の東……ジョアンナ・スプリングの南東百マイル。ドライ・ソルト湖及びアムガス地区の北。セント・ジョージ地区、フィツロイ河及びキンバリー金鉱の南。ド・グレイ河及びピルバラ金鉱の東……ブルームからジョアンナ・スプリングまでは二百マイル。
ブダイにまつわる原住民の伝説。地中深くで腕を枕にして長いあいだ眠りつづける巨大な老人。いつか目を覚まし、世界を喰らいつくすという。
ナサニエル・ウィンゲイト・ピースリー、ジョナサン・ピースリーとハンナ(ウィンゲイト)・ピースリーの息子として、一八七一年ハヴァーヒルで誕生……一八八五年から一八九三年まで、ミスカトニック大学に在学、一八九三年から五年までハーヴァードに在学。一八九五年から一八九八年にかけてミスカトニック大学の政治経済学の講師。一八九六年ハーヴァード大学のM・アリス・キーザーと結婚。一八九八年にロバート・K、一九〇〇年にウィンゲイト、一九〇三年にハンナ誕生。一八九八年から一九〇二年にかけて準教授、一九〇二年から一九〇八年にかけて教授……一九〇八年(三十七歳)五月十四日から一九一三年(四十二歳)まで記憶喪失。不思議な夢や記憶喪失について調査一九一五年以降心理学を研究。一九二二年からミスカトニック大学で心理学の講師。一九三四年パースからオーストラリアの伝説を知らされる。オーストラリアを訪れる――一九三五年六月(北半球の十二月に相当)。一九三五年七月にクライマックス。六十四歳。十一時四十五分にキャンプを離れ、一時三十分に開口部に到着、三時三十分に開口部を離れ、四時三十分にキャンプにもどる。(三時三十分頃に風が吹きはじめる)(七月十六日の夜の体験――一九三五年七月十七日から十八日、水曜日から木曜日にかけて)……(一時間に二十マイル、一日で二百マイル)
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〈挿絵:アスタウンディング・ストーリイズ〉
若干細部は異なるが、ほとんどそのままに生かされていることがわかるだろう。ラヴクラフトは二月二十四日に書きあげたものの、出来映が気にいらず、結局三度にわたる全面改訂をおこないながら、なおも最終稿に不満をもっていたといわれる。ラヴクラフト自身の言葉をかりれば、「必要不可欠な効果を失うことなく、どうすればこれ以上短くできるのかわかりません。ふさわしい感情を準備することなく、奇怪な効果を書き記すことは、まったく何の価値もないことなのですから」(一九三五年三月十四付E・H・プライス宛書簡)ということになる。〈ウィアード・テイルズ〉の編集長ライトは『時間からの影』を採用せず、バーロウがタイプ打ちをした原稿は、ドナルド・ワンドリイによって〈アスタウンディング・ストーリイズ〉の編集長F・O・トラメインに送られ、同誌に掲載されることになった。
幼い頃から天文学に興味を寄せ、宏大無辺な宇宙に目をむけることによって培《つちか》われた、一種諦観にも近しいラヴクラフトの宇宙観は、ラヴクラフトの全作品を貫く根本土台になっているが、『時間からの影』においては、その宇宙観に遙かな時の流れのヴィジョンが導入され、ある意味でラヴクラフト全作品の綜合化が目論まれている。時間旅行をあつかった小説のなかで、最も成功した小説の一つであるとともに、ラヴクラフトの総決算であるといっても、あながちいいすぎにはならないだろう。〈大いなる種族〉をかりて描写される、ラヴクラフトが心にいだく理想社会の姿には興味深いものがある。
なお訳文でもわかるとおり、『時間からの影』はテキストに問題をはらんでいる。ラヴクラフトはこういうこきざみな段落わけをする作家ではない。おそらく〈アスタウンディング・ストーリイズ〉掲載時に、編集者によってこういう形にされたのだろうが、原稿が失われているため、原稿の段落わけがどうなっていたのか、原稿と初出の異同がどうなのかは、推測する以外にないのである。現在流布する形のまま訳出したことをおことわりしておく。
『履歴書』
一九三四年二月十三日付F・リー・ボールドウィン宛書簡の一部を訳出した。ラヴクラフトが自らの経歴を語る興味深い資料といえるだろう。『履歴書』と題したのは訳者の独断であり、南方熊楠の矢吹義夫宛書簡が履歴書と呼ばれる頻[#「口+頻」、第3水準1-15-29]《ひそみ》に倣《なら》っている。
参考文献
Selected Letters 5Vols.
Lovecraft at Last by H.P.Lovecraft and W.Conover
Lovecraft by L.Sprague de Camp
Howard Phillips Lovecraft by F.B.Long
H.P.Lovecraft by S.T.Joshi
H.P.Lovecraft, His Life, His Work by K.W.Faig,Jr.
An Appreciation of H.P.Lovecraft by W.P.Cook
His Own Most Fantastic Creation by W.T.Scott
The Dweller in Darkness by D.Wandrei
The H.P.Lovecraft Companion by P.A.Shreffler
Lovecraft's Providence & Adjacent Parts by H.L.P.Beckwith,Jr.
The Dream Quest of H.P.Lovecraft by D.Schweitzer
Howard Phillips Lovecraft : A Bibliography by J.L.Chalker
H.P.Lovecraft : An Annotated Bibliography by S.T.Joshi
The Lovecraft “Books” by W.S.Home
Lovecraft and the Cosmic Quality in Fiction by R.L.Tiemy
Reflections on “The Outsider” by W.Fulwiler
The Four Faces of the Outsider by D.W.Mosig
Thirty Years of Arkham House by A.Derleth
The Sailor Lopez and Kindred Musings by C.B.Condra
Lovecraft's Libra, : A Catalogue by S.T.Joshi and M.A.Michaud
The Supernatural in Fiction by P.Penzoldt
Autobiography in Lovecraft by S.T.Joshi
Textual Problems in Lovecraft by S.T.Joshi