ラヴクラフト全集〈3〉
H・P・ラヴクラフト/大瀧啓裕訳
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ダゴン Dagon
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わたしはそれとわかるほど神経をはりつめてこれを書いている。今日の夜までには、もうこの世にはいないだろうから。金もなく、生を耐えられるものにしてくれる唯一の薬もつきはてたからには、これ以上苦しみをしのぶことはできない。わたしはこの屋根裏部屋の窓から、眼下の汚らしい通りに身を投げだすことになるだろう。モルヒネの虜《とりこ》になっているからといって、腰抜けであるだの変質者であるだのと考えないでいただきたい。とり急ぎ記すこの書きつけを読んでもらえれば、十分に理解してもらうことこそかなわないにせよ、わたしが忘却をもたらしてくれるモルヒネ、さもなくば死を、どうあっても必要としなければならない理由を、あるいは察していただけるだろう。
わたしが船荷監督として乗船していた定期船がドイツの商船隊襲撃艇に拿捕《だほ》されたのは、広大な太平洋の、船舶の航行することきわめて稀《まれ》な、最も広びろとした海域でだった。その頃、大戦は火蓋が切られたばかりで、野蛮なドイツ海軍もまだ後の堕落におちいってはいなかったので、わたしたちの船は正当な捕獲財産とされながらも、わたしたち乗組員は、海の捕虜に当然はらわれるべき公正さと敬意でもってあつかわれた。ドイツの軍人の規律は実におおどかで、それが証拠に、拿捕されてから五日後に、わたしは小さなボートに相当期間もちこたえられる水と食糧を積みこみ、単身逃亡することができたのだった。
波間を漂い、ようやく自由になれたことを知ったとき、わたしは自分がどこにいるのやらさっぱりわからなかった。有能な航海長であるはずもないので、太陽と星によって、赤道の南のどこかにいるのだろうと、ぼんやり推測することしかできずにいた。経度については何もわからず、見渡すかぎり島も海岸線もない。晴天がつづぎ、幾日が経過したかもわからないまま、身をこがす太陽の下をあてもなく漂流したのだった。通りすがる船を待ったり、人の住む土地の海岸に流れつくのを夢見たりしながら。しかし船も陸地もいっかなあらわれることはなく、わたしはとぎれなくうねりつづける広大な青い海原で、孤独のあまり絶望しはじめていた。
眠っているあいだに変化がおこった。詳しいことはわからない。というのも、わたしのまどろみは、悩ましくも夢に騒がされるものだったが、中断することがなかったからだ。ようやく目を覚ましてみれば、見渡すかぎり単調にうねりながら広がっている、地獄めいた黒いぬるぬるした軟泥のなかにわたしの体は半分沈んでいて、ボートはすこし離れたところに座礁していた。
咄嗟《とっさ》におぼえた感情が、景色の不思議かつ予想外の変化に対する驚きだったと想像されるのも無理はないが、実際には、わたしは驚いたというより、身の毛のよだつ思いがした。大気中、そして饐《す》えた泥のなかに、骨の髄まで凍るような凶《まが》まがしさがこもっていたのだ。腐敗する魚の死体をはじめ、胸の悪くなるほど不潔な果しない泥から突出す、何ともいいようのないものの死体によって、あたり一面が腐れはて糜爛《びらん》していた。いやしかし、絶対の沈黙につつまれた広大な不毛の空間に巣食いうる、いいようもない悍《おぞ》ましさについては、おそらく単なる言葉で伝えられるなどと期待してはならないのだろう。耳と目のとどくかぎり、黒ぐろとした軟泥の広がり以外、何もなかった。けれども、静寂の完璧さそのものと景色の画一さからわたしが感じとったのは、実に忌《いま》わしい恐怖にほかならなかった。
空では太陽が燃えあがっていたが、わたしには、まるで足もとの漆黒の泥を映しているかのように、一片の雲とてない無慈悲さのなかで、ほとんど黒く見えたほどだった。座礁したボートに這いこんだとき、わたしは目下の境遇を説明づけるにはただ一つの仮説しかないことを知った。前例のない火山活動による隆起でもって、海底の一部が海面にまで押しあげられ、数百万年ものあいだ測り知れない深さの海底に隠されていたものが、あらわになったにちがいない。隆起した新しい陸地の広がりは途方もないもので、いくら耳をすましてみても、大洋の波うつ音はかすかにも聞こえなかった。死魚をついばむ海鳥もいない。
数時間、わたしはボートに坐って、考えこんだり、わが身の不運をくよくよ思いつめたりした。ボートは横倒しになっているので、太陽が空をよぎるにつれて、わずかな影を作ってくれた。時間がたつにつれ、泥はねばりけをいくぶんかなくし、短時間のうちに、その上を歩けるほど乾燥していくように思えた。その夜はほとんど眠らず、翌日は、消えた海と万に一つの救助を求める陸路の旅にそなえて、水と食糧を袋につめた。
三日目の朝、泥地がたやすく歩けるほどに乾燥していることがわかった。魚の腐臭は不快きわまりなかったが、さらに重大なことを案じるあまり、苦にはならず、わたしは大胆にも未知の目的地を目指して足を踏みだした。うねる泥地にあってひときわそびえる遠方の丘を目印に、終日たゆまず西に進みつづけ、その夜は野宿をした。翌日もまた丘にむかって足を進めたものの、はじめて目にしたときからすこしも近づいていないように思えた。四日目の夕方になってようやく麓《ふもと》にたどりついたが、遠くから見て思っていたよりも遙かに高かった。あいだにある谷が、ほかの地表から丘を鋭くへだてているのだった。疲れきったあまり、登ることはかなわないので、丘の蔭に入って眠った。
その夜、どうしてあれほど途方もない夢を見たのか、わたしにはわからない。けれど異様なまでに半円よりふくらんだ欠けゆく月が、東の平原の遙か高みに昇るまえ、わたしは冷汗をかいて目を覚まし、もうそれ以上眠らないことにした。わたしの見た夢は二度と耐えられるものではなかった。そして月の光を身にあびたわたしは、日中に歩きつづけたことがいかに愚かであったかを思い知った。ものみなを焼けこがすような太陽のぎらつく輝きがなければ、こうも体力が消耗することはなかったものを。事実、日没時にはあれほど忌《い》み嫌った登攀《とうはん》もいまならおこなえそうな気がして、わたしは袋を手にすると、丘の頂《いただき》を目指しはじめた。
うねる平原のうちつづく単調さが、わたしにとって漠然とした恐怖の源であったことは、既に記している。けれども、丘の頂上をきわめ、反対側を見おろしたとき、恐怖はさらに高まったようだ。丘のむこうがわには測り知れない窖《ピット》とも峡谷《キャニオン》ともつかないものがあって、その黒ぐろとした窪《くぼ》みは、空高く昇る月さえ照らせずにいた。丘の淵から、永遠の夜がつづく底の知れない混沌を見おろしていると、世界の涯《はて》にいるような気がしたほどだった。恐怖をひしひしと感じているうちに、『失楽園』のいくつかのくだりが妙に思いだされ、まだ形作られていない闇の諸領域を魔王セイタンが恐ろしくも登る場面が脳裡に甦ったものだ。
月がさらに高く昇るにつれ、谷の斜面が思っていたようなまったくの絶壁ではないことがわかりはじめた。岩棚や突出した岩がおりる際に恰好の足場となる一方、二、三百フィート下では、勾配がなだらかなものになっている。わたしは自分でも理解できない衝動に駆られ、苦労しながら岩場を這いおり、下方のなだらかな斜面に立つと、光がまださしこまない陰鬱な深みを覗きこんだ。
そうしていると、突然、反対側の斜面にある、巨大で風変わりなものに注意が惹《ひ》きつけられた。それは前方百ヤードくらいのところでけわしくそそり立ち、昇りゆく月の新たに広がる光をあびて、白く輝いていた。わたしはすぐに、単なる巨大な石にすぎないと自分にいい聞かせて、気を静めようとした。しかし形といい、位置といい、自然の作用によるものではないというはっきりした印象を、意識からぬぐい去ることはできなかった。目をこらしてながめているうちに、わたしの心はいいようもない感情でみたされた。途方もない大きさをし、また地球幼年期以来海底で大きく口を開けていた深淵に位置していたにもかかわらず、この不思議な物体が紛れもなく形のととのえられた独立石で、その重量感あふれる巨体が、思考能力のある生物の技量と、おそらくは崇拝を知っていたにちがいないことが、疑いようもなかったからだ。
目眩《めくるめ》き、おびえきったものの、科学者や考古学者のいだくような喜びもなくはなく、わたしはさらに詳しくあたりを調べた。いまやほぼ昇りつめている月が、深い割れ目をかこむ高くそびえる絶壁の上空で、不気味なほどあざやかに輝き、割れ目の底に広範囲にわたる水の流れがあることをあらわにしてくれた。流れの両端はうねって視界から消えている。斜面に立って流れを見ていると、足もとにまで水がひたひたと押し寄せてくるような気さえした。割れ目のむこうでは、小波が巨大な独立石の基部を洗っている。わたしは独立石の表面にある粗雑な彫刻と碑文とを輪郭によって見きわめることができた。文字はわたしの知らない系統の象形文字で、これまで本で目にしたどんなものとも似ていなく、大部分が魚、鰻《うなぎ》、蛸《たこ》、甲殻類、軟体動物、鯨《くじら》という、様式化された水棲動物のシンボルから構成されていた。いくつかの象形文字は、明らかに、現代の世界には知られていない海の生物を表していたが、わたしが海から隆起した泥の平原で目にしたものこそ、それらの腐敗する姿にほかならなかった。
けれども、わたしが一番魅了されたのは、絵のような彫刻だった。途方もない大きさのため、水の流れをあいだにはさんでさえはっきり見えたものは、堂々とならぶ浅浮彫りで、その画題はドレほどの者さえ羨望させずにはおかないようなものだった。わたしはそれらの彫刻が人間、少なくともある種の人間を表していたように思う。もっともその生物は、魚のように海中の岩穴のなかでたわむれていたり、海中にあるらしい一枚岩から造られた石碑のようなものに、敬意をはらったりしているのだったが。顔と姿については、詳しくはふれまい。思いだすだけでも気が遠くなってしまう。ポオやブルワー=リットンの空想さえ遙かに超えるグロテスクさだった。水かきのついた手足、ぞっとするほど分厚くてたるんだ唇、突出するどんよりした目、そして思いだすのも不快な他の特徴。そんな姿をしているにもかかわらず、全体の輪郭はいまいましいほど人間に似ているのだった。奇妙にも、その生物は背景とひどくふつりあいに彫られているようだった。生物の一員が、自分よりほんのすこし大きい程度に表されている鯨を殺している場面があったからだ。わたしは生物のグロテスクさと異様な大きさに注目したが、すぐに太古の海洋部族――ピルトダウン人やネアンデルタール人の最初の祖先が誕生する遙かまえに最後の子孫が死にたえてしまった部族――の想像上の神々にすぎないのだと決めこんだ。最も大胆な考古学者の構想さえ超える過去を不意に覗きこんだことで、わたしは畏敬の念にかられ、ひそまりかえる水流に月が奇妙な影をなげかけるかたわら、じっと立ちつくして考えこんだ。
するうち、突然、わたしは見た。登ってくることを告げる波の騒ぎはごくわずかなまま、そいつは黒ぐろとした水面を一気にやぶって姿をあらわした。単眼巨人ポリュフェーモスを思わせるその忌《いま》わしい巨体は、悪夢にあらわれる途方もない怪物のように、独立石にむかって突進すると、鱗《うろこ》につつまれた巨大な腕を独立石に投げかけ、見るも恐ろしい頭をたれて、拍子のそろった音を発した。その瞬間、わたしは正気を失ったようだ。
血迷って斜面と絶壁を登ったこと、無我夢中で座礁したボートまでもどったことについては、ほとんど何もおぼえていない。歌をうたいつづけ、うたえなくなると莫迦《ばか》笑いしたような気がする。ボートにたどりついてしばらくしてから、大嵐のあったことは、かすかにおぼえている。ともかく、雷鳴と、自然が最も荒れ狂うときにだけ発する音を耳にしたことは知っている。
意識をとりもどしたとき、わたしはサンフランシスコの病院にいた。大洋の只中でわたしのボートを発見したアメリカ船の船長が、そこへ運びこんでくれたのだった。うなされてかなりのことを口にしていたが、そんな言葉はうわごととしてかたづけられ、ほとんど気にもかけられなかったらしい。太平洋に陸地が隆起したことについては、わたしを救助してくれた人たちは何も知らなかった。信じてもらえるはずのないことはわかっていたので、いいはっても無駄だと思った。一度、有名な民族学者を探しだし、古代ペリシテ人の伝説である海神ダゴンに関する特殊な質問をして面白がらせたが、すぐにその民族学者が絶望的なほど月並な人物であることがわかり、それ以上たずねるのはやめておいた。
わたしがあれを目にするのは夜、それも半円よりふくらんだ欠けていく月のでている夜だ。わたしはモルヒネをためしてみた。しかし一時的な忘却をもたらしてくれるだけのモルヒネによって、わたしは毒手につかまれ、救いようのない奴隷にされてしまった。だからこそ、わたしはいま、参考になるか嘲笑の種になるかはわからないが、十分な弁明をここに記しおえた後、何もかもにけりをつけようとしているのだ。すべてが純然たる幻だったのではないかと自問することがよくある。ドイツの襲撃艇から脱出した後、日をさえぎるもののないボートで日射病に倒れ、錯乱状態になっての、熱にうかされた幻覚ではなかったのかと。そう自問してみても、その答として、恐ろしいほどなまなましい光景が眼前に甦ってしまう。深い海のことを考えると、いまこの瞬間にも、ねばねばした海底を這いまわり、のたうちまわり、太古の石像を崇拝したり、水を吸った海中の花崗岩のオベリスクに自らの憎むべき似姿を彫りつけたりしているかもしれない、あの名前さえない生物がきまって思いだされ、全身がわなわなと震えてしまうわたしなのだ。わたしは夢に見る。やつらが海面にまで登ってきて、戦争に疲れた微弱な人類の生存者を、悪臭放つ鉤爪で海中にひきずりこむかもしれない日を。陸地が沈み、黒ぐろとした大洋の底が大変動のうちに隆起する日を。
そろそろけりをつけてしまおう。ドアが音をたてている。何かつるつるした巨大なものが体をぶつけているかのような音を。ドアを押し破ったところでわたしを見つけられはしない。いや、そんな! あの手は何だ! 窓に! 窓に!