ラヴクラフト全集〈2〉
H・P・ラヴクラフト/宇野利泰訳
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訳者あとがき
ハワード・フィリップス・ラヴクラフト(一八九〇年―一九三七年)はアメリカに幻想文学の分野を根づかせた。いうなれば教祖的存在である。彼は一九三七年に死んだが、それまでのアメリカには、エドガー・アラン・ポオやアンブローズ・ビアースのような作家が出るには出たが、それもいわば文壇の垣の外に咲いた異質の花で、このジャンルの文学伝統は確立していなかった。一方、イギリス文学には古くから怪奇と恐怖を中心にしたロマンチシズムの色が濃く、ゴシック・ロマンやロマン派の詩はさておき、十九世紀から二十世紀にかけても、アーサー・マッケン、ウォルター・デ・ラ・メア、アルジャーノン・ブラックウッド、ダンセイニ卿、M・R・ジェイムズ、E・F・ペンスン、メイ・シンクレア、マージョリー・ボウエン、A・E・コッパード、ジョン・コリアー、H・R・ウェイクフィールド、レディ・シンスィア・アスキス、トマス・バーク、L・P・ハートリイ、ジョン・メトカーフ、マージェリー・ロレンスと、数えあげるにもたいへんな作家たちが旺盛な活動ぶりを示して、絢爛たる花園を展開していた。若き日のラヴクラフトは、イギリス本土の古い慣習の残るニューイングランドにあって、この成果を貪婪に吸収し、各作家それぞれの作風を自家薬籠中のものとし、生来虚弱なこともあって、ひとり黙々と(ただし彼は手紙魔ともいうべき男で、友人知己に手紙を書き送り、その数量はおびただしいものである)、比較的短いその一生を、幻想と怪奇の物語を書きつづけ、推敲に推敲を重ねることに(自作はもちろん、同じグループの作家の文章にまでも)費やした。
彼の生涯と作家活動については、第一集における大西尹明氏の解説に詳しいので、本集では収録作品それぞれの特質と、彼の作品系列における位置とを述べておく。
彼は一八九〇年から一九三七年までの比較的短い生涯に、五十数編の小説を書きあげ、いずれも幻想的な怪奇物語であるが、大別して、前期と後期の二つのグループに分類できる。前期にあっては、上述のように先蹤《せんしょう》作家たちの――とくに、ダンセイニ卿、アーサー・マッケン、アルジャーノン・ブラックウッド、エドガー・アラン・ポオの――影響が著しく、ニューイングランドを舞台にして、日常生活の背後にひそむ恐怖現象をひたすら追及した、いずれも短編であり、この期の代表作として知られる『壁のなかの鼠』(一九二三年)と『死体安置所にて』(一九二五年)は第一集に収めてある。
その後、後述のランドルフ・カーター物五編をあいだに置いて、後期に移る。
本集所載の『クトゥルフの呼び声』は一九二六年の作品で、この頃から彼のいわゆる後記の時代が始まる。その特徴は――当初作者にその意図があったとまでは断定しかねるが――まずもって、ギリシア、北欧、イスラム、インドのどれとも違ったラヴクラフト独自の壮大な神話体系を構築し、爾後の個々の作品はこの神話体系内の各領域の各時代における插話で、その全部が綜合して、華麗な幻想世界を現出することになる。ラヴクラフト自身もこの試みに大きな興味と自信を抱いて、同じグループの若い作家たちを勧誘した。参加して、クトゥルフ神話の神名や地名を用いて、それぞれの作品を書いた人々は、クラーク・アシュトン・スミス、フランク・ベルクナップ・ロング、ヘンリイ・カットナー、ロバート・ブロック、J・ラムジー・キャンベル、オーガスト・ダーレスと、後年アメリカの怪奇文学ジャンルでの代表選手となった顔ぶれである。いま、読者諸子の理解を容易にするために、ラヴクラフトが創始したクトゥルフ神話体系の構造を、彼の同志であり、弟子であり、作品の厳密な校訂者でもあったオーガスト・ダーレスの解説文によって記すと、次のようになる――大宇宙には、善神と悪神の両陣営が存在して、両者たがいに反撥している。そして太古の地球上には、現在の人類とはまったく異質の生物が棲みついていたが、黒い魔術を駆使したことが善神の怒りを買って、大宇宙の外へ追放された。しかし、その残党はなお海底の石都に潜伏していて、宇宙の外に逃亡した一族と相呼応して、ふたたび地球を奪還し、人類と代わってその支配者に復帰する機会をうかがっている。そこで当然、人類との闘争が継起して、人類はしばしば敗北寸前の状態に陥り、救援を善神の軍隊に求めるが、オリオン星座付近に平和を楽しんでいる神々は、重い腰をなかなかあげようとしないのである。
善神のグループは、最高神のノデンズを除くと、具体的な名称を与えられていないが、悪神とその輩下の精霊たちは、それぞれその受持ちの領域にしたがって、固有の名前で呼ばれている。どれもみな佶屈《きっくつ》異様な文字の羅列で、その発音は読者にまかせたかたちで、ラヴクラフト自身、読むためでなく、見るためのものと割り切っている。それがこの神話内での大地、深海、星間、空間、森林、眠り等々を支配する精霊たちにあてがわれて、なお不足している眷族《けんぞく》の名は、この試みに参加した若い作家たちが、その小説のうちで補充している。たとえばオーガスト・ダーレスにおける火の精霊である。
『チャールズ・ウォードの奇怪な事件』は一九二七年から二八年にかけて書きあげたもので、後期のうちでは比較的早い頃の作品だが、ラヴクラフトには珍しい長編であり、精緻な構成に意を用い、文章を丹念に練りあげたことと、舞台にニューイングランドの旧都プロヴィデンスを選んだことと相俟って(彼はこの都市に生れて、生涯ほとんど離れたことがなく、その古風なたたずまいをことのほか愛惜した)、作品への愛着が著しかったからか、生前はついに編集者の手に渡さなかった。したがって、『ウィアド・テイルズ』誌に抄録が掲載されたのが死後四年目の一九四一年であり、完全な形態で作品集に収められたのが一九四三年である。しかし、それと同時に名作の評判が高まり、イギリスで単独に刊行された。そして、これははるか後年の一九六三年のことだが、アメリカン・インターナショナル映画会社が映画化した。主演俳優はヴィンセント・プライス、監督はロジャー・コーマン、脚本はチャールズ・ボーモントである。ただし、ハリウッド人種の気紛れからか、題名が『エドガー・アラン・ポオの幽霊屋敷』というけばけばしいものに変えられた(日本での封切り名はいっそうえげつないもので、『怪談呪いの霊魂』である)。しかし、本来の作品の内容は高踏的にすぎるほどであり、古風な文体ではあるが、瑰麗《かいれい》な筆致で、怪奇と謎と恐怖を余すところなく描き尽している。彼のもうひとつの長編『At the Mountains of Madness』と並んで、ラヴクラフトの作品中の最高峰と目されているゆえんである。彼には長編が(より正確には中編の分量)三編あって、執筆の順序からいうと、『The Dream-Quest of Unknown Kadath』(一九二〇年)、『チャールズ・ウォードの奇怪な事件』、『At the Mountains of Madness』(一九三一年)となる。最初にあげた『The Dream-Quest of Unknown Kadath』は『The Statement of Randolf Carter』ほか三つの短編とともにランドルフ・カーター物を形成しているが、これは前にも述べたように、中間期の習作とみるべきである。
『クトゥルフの呼び声』はクトゥルフ神話の出発点として、その大綱を知るに欠くべからざる作品であり、『エーリッヒ・ツァンの音楽』は掌編ながら、前期の作風を純粋な形態で示し、愛好すべき佳品である。
収録作品原題
The Call of Cthulhu(1926)
The Music of Erich Zann(1921)
The Case of Charles Dexter Ward(1927〜28)