ラヴクラフト全集〈2〉
H・P・ラヴクラフト/宇野利泰訳
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クトゥルフの呼び声 The Call of Cthulhu
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思うに、いまなおこの地球上のどこかには、想像を絶した巨大な力と形を持つ太古の生き残りが潜伏しているはずである……測り知れぬ悠遠の昔に、大自然の霊的な力が凝り固まって、何らかの形状をそなえるにいたった。その後それが、潮のように押し寄せる人類の進出に遭って、姿を隠してからすでに久しく……わずかに詩と伝説のみが、かすかな記憶のうちにその姿を捉えて、神、怪物、その他もろもろの神話中のものの名で呼び……
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[#地付き]アルジャーノン・ブラックウッド
1 粘土板の恐怖
思うに、神がわれわれに与えた最大の恩寵《おんちょう》は、物の関連性に思いあたる能力を、われわれ人類の心からとり除いたことであろう、人類は無限に広がる暗黒の海に浮かぶ〈無知〉の孤島に生きている。いうなれば、無明の海を乗り切って、彼岸にたどりつく道を閉ざされているのだ。諸科学はそれぞれの目的に向かって努力し、その成果が人類を傷つけるケースは、少なくともこれまでのところは多くなかった。だが、いつの日か、方面を異にしたこれらの知識が総合されて、真実の怖ろしい様相が明瞭になるときがくる。そのときこそ、われわれ人類は自己のおかれた戦慄すべき位置を知り、狂気に陥るのでなければ、死を秘めた光の世界から新しく始まる闇の時代へ逃避し、かりそめの平安を希《ねが》うことにならざるをえないはずだ。
見神論者が想定するように、宇宙は壮大きわまりない周期で循環を繰り返している。現時の人類の目に映るものは須臾《しゅゆ》の間の出来事にすぎず、かならずやこの世界のどこかに、前時代の生残者が潜伏している。見神論者もそれを示唆しているのだが、その言葉はオプティミズムに彩られて、あたりさわりのないものである。そうでないことには、われわれが血も凍る恐怖感に怯《おび》えるのを知っていたからであろう。ぼくは彼らの示唆によらずして、禁断の秘密を窺《うかが》い知った。考えるだけで戦慄し、夢見るだけで気が狂う恐怖の実相をだ。ぼくはこの宇宙の秘事を――真実の認識とはつねにそうしたものだが――個々別々の出来事と思われるものを、いわば偶然の機縁から関連して考えたとき、閃きのように悟得《ごとく》した。ぼくの場合、関連させたものは、古新聞に載った記事と死んだ老教授が遺《のこ》していった調査資料だった。しかし、現在のぼくは、これと同じ関連作業を、他の何人《なにびと》にも行なわせたくない。かりにぼくが、今後なお生きながらえることができれば、この忌《いま》わしい鎖の環が世人の目に触れぬように、処置してしまう考えでいる。老教授もまた、その知っていた内容に沈黙を守る考えでいたであろうし、突然の死に襲われることがなければ、調査資料をことごとく焼却したものと思われる。
ぼくがこの出来事に初めて関係したのは、一九二六年の冬だった。その冬、大伯父にあたるジョージ・ガムメル・エインジェルが死亡した。大伯父はロード・アイランド州プロヴィデンスのブラウン大学に、セム語の講座を持つ名誉教授であり、古代碑文字の権威者の名を広く世間に知られていた。世界各国の博物館長を始めとして、有名な学者たちの訪問を受けることもしばしばで、その年の冬、九十二歳の高齢で世を去ったことは、多くの人々の記憶に新しい。そして、とくにその地方では、死因があいまいだったことから、好奇心の対象にもなっていた。老教授の死は、ニューポートで船を降りて、家へ向かう途中で起きた。そこは海岸から故人の住居のあるウィリアム街への近道で、険しい坂になっている地点だが、目撃者の話によると、異様に暗い路地から出てきた海員らしい黒人に突きあたって、その場に昏倒したのだという。外傷は皆無だし、医師たちにも死因が確信をもって究明できなかったので、高齢の身で急坂をいそぎ足に登ってきたところに、人と衝突したことから、心臓に障害を起こしたとの診断で片付けられていた。ぼくもその時点では、医師たちの意見に反対する理由を見出せなかった。しかし、後日、思わぬ事件の成り行きで、それに疑念を――いや、疑念以上のものを――抱かざるを得なくなった。
大伯父は妻子のいない一人暮しで死亡したので、唯一の後継者であるぼくが、同時に遺言執行者でもあった。そこで、彼の書き残した書類に目を通す必要が生じ、ファイルや書類箱のたぐいを一括して、ぼくのボストンの家へ運んだ。研究資料の多くはぼくが整理しておいたので、いずれはアメリカ考古学会の手で出版される予定である。ただひとつ、ぼくが不審に思い、他人の目が触れるのを怖れた品があった。それは厳重に封印した一個の箱で、その鍵が見当たらなかった。だが、ふとした思いつきで、老教授がいつもポケットに入れて持ち歩いていた私物用の鍵束のうちから発見した。しかし、開けるのに成功したとはいうものの、いっそう厳重な障壁に行きあたったようなもので、箱のなかに見出したのは、粘土造りの奇妙な薄肉浮彫りのほか、とりとめのない文句をつらねた走り書きか、新聞記事の切り抜きのたぐいだった。こんながらくたに、どんな意味があるのだろうか。ぼくの大伯父も、晩年は高齢がわざわいして、子供だましの迷信にとり憑かれていたのだろうか。以上のような経過で、ぼくは善良な老人の心の平和を乱した異様な粘土板の作者を捜し出して、文句をいってやろうと肚《はら》をきめた。
その薄肉浮彫りは、厚さ一インチ弱、縦五インチに横六インチほどの大きさで、ほぼ長方形をしていたが、明らかに現代人の手になったものであった。それでいて、意匠のもたらす雰囲気が、あまりにも現代と隔絶していた。ぼくがいうまでもなく、キュービズムや未来派の現代絵画は、気紛れとも思われる奔放な構図を示しているが、有史以前の文字にひそむ謎めいた均整さまでを再現しようとは試みない。これらの意匠の大部分は、あきらかに古代文字の一種だった。それでいて、大伯父の収集した古代文字の記録に永年慣れ親しんだはずのぼくが、これと同種の、あるいは類縁関係にあるものを思い出すことができなかった。
象形文字らしい線の羅列のほかに、明らかに画像と思われるものがあるのだが、印象主義的手法が強烈すぎて、何を写し出すつもりであったのか、その本体を想定するのさえ不可能だった。おそらく、ある種の怪物、でなければ、そのシンボルなのであろうが、いずれにせよ、よほど病的な空想力の持主でないことには、思いつけるものでない醜怪な形状なのだ。ぼくもぼくなりに、想像力を最大に駆使してみて、その結果、章魚《たこ》と竜《ドラゴン》と人間のカリカチュアを一緒くたに表現するのが作者の意図だと感じとった。どうやらこの見方がこの物の本質を衝いているように、ぼく自身には考えられたのだ。鱗《うろこ》に覆われたグロテスクな胴体の上に、触手を具《そな》えたぶよぶよの顔が載っている。しかも胴体には退化した翼の痕跡が残っている奇怪な姿だが、何よりもショッキングな恐怖感を与えているのは、その全体の輪郭[#「全体の輪郭」に傍点]の凶悪さだった。そしてその背景には、太古の一眼巨人族の国の壮大な建築群らしいものがおぼろげに描いてあった。
この異様な品と一緒に箱に収めてあったのは、新聞記事の切り抜きを別にすれば、エインジェル教授のごく最近の筆と思われる草稿ばかりで、そのどれもが、文体を整えるのももどかしげに、性急な筆致で書きつづってあった。そのうち、中心と見られるのは分厚いノートで、表紙には『クトゥルフ教のこと[#「クトゥルフ教のこと」太字]』と、聞き慣れぬその名辞の誤読を避けるためか、きちんとした活字体で記してあった。内容は二部に分れていて、第一部の冒頭には、『一九二五年――ロング・アイランド州プロヴィデンス、トマス街七番地居住、H・A・ウィルコックスの夢と、その夢による作品』としてあり、第二部には、『一九〇八年――アメリカ考古学会の会合における、ルイジアナ州ニューオーリンズ、ピエンヴィル街一二一番地居住、ジョン・R・ルグラース警部の話。ならびに、上記の話についての註釈とウェッブ教授の説明』とあった。そのほかの草稿は簡単な心覚えのたぐいで、あるものは数名の人々の奇異な夢、あるものは見神論者の著書や紀要類からの引用(主としてW・スコット・エリォットの『アトランティス大陸と失われたレムリア大陸』)、そして残りは、今に生きながらえている秘密社会と隠れた宗教に関する資料と、フレイザーの『金枝篇』やミス・マレーの『西欧における魔女崇拝』のような神話学か人類学を扱った文献についてのコメント、そして新聞記事の切り抜きの大部分は、一九二五年の春に発生した強度の精神異常と集団的愚行ないし狂気の勃発《ぼっぱつ》を報道したものだった。
中心と見られる分厚いノートの前半には、きわめて異常な事件が語られていた。事件は一九二五年の三月一日に起きた。その日、突然、ぼくの大伯父エインジェル教授の家に、色の浅黒い、痩せぎすで、見るからに神経質な、激情家らしい青年が訪問してきた。異様な薄肉浮彫りの粘土板を持参しているが、出来あがったばかりのものらしくて、生乾《なまがわ》きの状態だった。名刺には、ヘンリー・アンソニー・ウィルコックスとしてある。大伯父はこの青年を知っていた。交際はなかったが、この地方では名を知られた名家の末子で、そのころ、ロード・アイランド美術研究所で彫刻を習学中と聞いていた。住居は両親の家でなく、研究所に近いフレール・ド・リス・アパートに部屋を借り受けて、一人暮しをしていたのである。神童と謳《うた》われたほど早熟で、才能こそ世間に認められていたものの、子供の頃から不思議な物語と奇異な夢に興味を持ち、自分から「心霊を感じとる超能力者」と称していたほどで、この古い商業都市の謹厳な人々からは、「風変わりな若者」と軽視される傾向にあった。そうした事情があってであろう、そのころの彼は年来の友人たちと交際を絶ち、社交上の集りにも顔を出さず、わずかに、ほかの土地から移ってきた唯美主義者の小グループに知られるだけの存在になっていた。プロヴィデンス美術家クラブにしても、保守主義の維持を信条とするだけあって、いまはまったく彼を見放しているのだった。
ぼくの大伯父のノートの記すところだと、ウィルコックス青年は面会するが早いか、老教授の該博な考古学上の知識で、薄肉浮彫り上の象形文字を解読してほしいと切り出したという。だが、その言い方が夢でも見ているように頼りなく、ポーズめいた気負いまでうかがわれたので、大伯父は簡単に納得できず、この粘土板は明らかに最近製作されたものであり、考古学の対象になりうる品でないと、鋭い口調で指摘した。ところが、その指摘に対する青年の応答が、大伯父に強い印象を与えた。青年の語ったところが、ほとんど逐語的にノートに記録してあるのも、理由はそこにあると思うのだが、青年は幻想的なまでに詩的な色合いのこもった口ぶりで答えた。実際、それが彼の会話の全部にみなぎる顕著な特徴だった。ぼくもまた――これは後日の話だが――ぼく自身の耳でそれを聞く機会があった。それはともかく、そのときの彼は次のような言葉で答えた。「たしかにこれは新しい品です。昨晩ぼくが、夢のなかで妖しい都を眺めながら作りあげたものですから。ですが夢に現われたその都は、霧に包まれた古代フェニキアの港テュロスよりも、あるいは瞑想するスフィンクスよりも、あるいはまた、花園をめぐらしたバビロンよりも、はるかに古いといえるのです」
ウィルコックス青年がこの奇怪な話を語りだしたのは、それからだった。そしてぼくの大伯父の眠っていた記憶を呼び起こして、強い関心を抱かせることになったのだ。たまたまその前夜、その地方を地震が襲った。微震程度のものではあったが、地震の少ないニューイングランドでは数年来のことなので、それがウィルコックス青年の想像力に鋭く作用したのは十分考えられる。そしてそれが原因となって、青年はふたたび眠りにつくと、これまでにない奇怪な夢を見たのだ。一眼巨人族の都市の夢である。巨石を積みあげた大建築と、空高く聳《そび》え立つ石柱の集団とが、緑色の粘液をしたたらせて、隠れた怪異を暗示する気配をみなぎらせていた。壁と柱一面に奇怪な象形文字が刻んであって、地下のどことも知れぬ個所から、声に似て声でない音が響いてくる。この錯乱した感覚を音に還元できるのは、幻想のほかにありえないが、幻想家をもって自認する青年は、敢《あ》えてこの困難な作業に取組んで、その結果、文字として書きつづったのが、ほとんど発音不能にちかい『クトゥルフ・フタグン』という言葉だった。
わけの判らぬこの言葉が、エインジェル老教授の遠い記憶を呼びさます鍵となった。老教授はいたく興奮して、心の動揺を隠そうともせずに、学究らしい綿密さで若い彫刻家に質問を浴びせかけ、提示された薄肉浮彫りを狂気じみた熱心さで調査し始めた。それは青年が奇怪な夢から戸惑いながらめざめると、寝間着姿で寒さに震えながらも、とり急ぎ夢に見た薄肉浮彫りを再現しておいたものだという。ぼくの大伯父はしばらくのあいだ、その象形文字の解読と、図柄の正体を突きとめるのに我を忘れていた。だが結局は――これは後日、ウィルコックス青年がぼくに語ったことだが――老いの目の力弱さを愚痴《ぐち》るだけで、思い諦めねばならなかった。老教授はつづいて質問に転じたが、その多くは訪問者を当惑させるだけに終わった。どうやら質問の狙いは、青年と特殊な宗教団体の結びつきを究明するにある様子で、そのように口を閉ざして沈黙を守るのは、全世界に拡がる謎の信仰団体に加盟を許された代償に、沈黙を約束させられたからであろうと問いつめた。しかし、ウィルコックス青年には、何のことやら理解できなかった。最後にはエインジェル教授も、若い彫刻家がそれらの秘密教義と謎の宗団に無知であるのを確信したとみえて、今後またこの種の夢を見たときは、その内容を詳しく報告するようにと申し入れて、その日の会見を打ち切った。その後はこの青年が毎日のように訪れて、前夜の夢に見た奇怪なイメージを報告し、大伯父がそれを詳しく記録することになった。どれもが断片的なものであったが、積もり積もって厖大な量になった。粘液をしたたらせる巨大な石材から成る巨人族の大都の光景。その地下から、単調な響きで聞こえてくる譫言《たわごと》としか受けとれぬ謎めいた声。なかに頻繁《ひんぱん》に繰り返される二つの音があって、それを文字に移しとると〈クトゥルフ〉、と〈ル・リエー〉の二語になるのだった。
ぼくの大伯父の記録はひきつづき、三月二十三日以降、ウィルコックス青年の訪問が止まったことを述べていた。ぼくの大伯父がさっそくその住所に問い合わせてみると、急に原因不明の高熱を発して、夜間に大声でわめき立て、アパートじゅうの同宿者をめざめさせ、叫びのあいだには昏睡状態がつづくので、ウォターマン街の両親の家に引きとってもらったという。大伯父は即刻、家族の者に電話をして、その後の模様を訊き、容態に変化があれば知らせてくれるように依頼し、その一方、主治医トビー医師のセイアー街の診療所まで足を運んだりして、症状を仔細に見守っていた。高熱の原因は、その譫言《うわごと》で判断したかぎりでは、夢のなかで奇異な事物に悩まされることにあるらしい。トビー医師も青年の口走る言葉を引用して、しきりに身慄いを繰り返していた。しかし、それが具体的にどんなものであるかは、昏睡状態からめざめたときの青年にも説明しかねる様子だったが、ただ、ときどき思い出すかのように洩らす言葉で、従来の夢の異様な光景に、また新しく、身長一マイルにも及ぶ巨大な怪物が加わり、どすんどすんとのし歩いているものと推察された。そしてエインジェル教授は、その怪物こそ、青年の手になった粘土板に描かれている正体不明の図柄の原形に相違ないと考えた。トビー医師はさらに付け加わえて、青年がその夢を見ると、あとにかならず昏睡状態がつづくことと、高熱といっても常温といちじるしい差があるわけでないのに、症状全体の印象が、精神機能の疾患《しっかん》というよりも、熱病の一種と見られるのが不思議だと語った。
四月二日の午後三時ごろ、ウィルコックス青年の病症が急に常態に復した。彼はベッドの上に起き直って、両親の家で寝ていることに、意外そうな表情を見せていた。事実、三月二十二日の夜以来の夢も、現実に彼の身に起きた出来事も、ひとつとして記憶していないのだ。そして、医師に回復したといわれて、三日後にはアパートに戻ったが、エインジェル教授にとっては、まったく無用の人間に変わっていた。熱が引くと同時に、奇怪な夢の徴候はすべて消失して、その後一週間ほど、ごくありふれた無意味に近い夢がつづくだけで、エインジェル老教授の夜の幻想の追及は終わりを告げた。
以上が大伯父の書き遺した主要ノートの前半だが、そのほかにも裏付けとなる資料が夥《おびただ》しく存在して、ぼくをこの問題の検討に駆り立てずにはおかなかった。実際、当時のぼくの思想の根幹を懐疑主義が占めていなかったら、ぼくまでが若い彫刻家の荒唐無稽な夢物語に振りまわされて、判断能力を喪失したことと思われる。大伯父はウィルコックス青年の奇異な報告を聞くと、即刻、問い合わせのメンバーのリストを作成したものらしい。それは各方面の知人のうちから、遠慮なしの質問を試みられる相手を選び出して、最近に、そしてまた、その少し以前に見た夢の内容を、日付とともに、詳しく知らせてほしいと依頼したのだ。もちろん、この風変わりな要求はさまざまな反応を惹き起こしたが、しかしまた、通常の人間では、秘書の手を借りぬことには処理しきれぬほど大量の返事を受けとったことも事実である。返事の原本は保存されていないが、大伯父のノートは詳細をきわめていて、ほぼ完全な要約といってよかった。ニューイングランドに伝統的な「地の塩」の社会人と実業家からは、だいたいにおいて否定的な答えが戻ってきたが、にもかかわらず、判然とした形こそとらぬにしても、不安を底に秘めた夜の感触が各所に見受けられて、それがみな三月二十三日から四月二日までのあいだ、つまりはウィルコックス青年が高熱に浮かされていた期間内に限られていた。一方、学者クラスの人々は、これといった影響を蒙《こうむ》った様子がなかった。しかし、それでもなかに四通だけ、漠然とではあるが、奇異な光景を垣間見たらしい描写を伝えて、そのうちひとつのケースには、奇怪な物の恐怖の姿が述べられていた。
結局、大伯父の調査の趣旨に適切な答えを返してよこしたのは、画家、彫刻家、詩人といった芸術家連中で、もしそのときの彼らに、各自の返事を見せあう機会があったら、彼ら自身が愕然《がくぜん》としたであろうと思われるものだった。実際のところ、返事の原本がないので判断の下しようがないが、その記録を読んだぼくには、大伯父の質問が誘導的なものではなかったか、あるいは、内心求めていたものだけを採りあげたのではないか、といった疑惑が残った。疑惑といえばもうひとつ、これは当初から感じていたことだが、ウィルコックス青年は何かの折りに、ぼくの大伯父の手許に保管されている古い資料(これが分厚いノートの後半だった)のことを聞き込んで、夢物語をでっちあげ、考古学界の権威者をペテンにかけたとの推測も成り立つのだった。それはそれとして、これら芸術至上主義者たちからの返事には、人心を動揺させずにはおかぬものが含まれていた。彼らもまた、二月二十八日から四月二日にかけて、怪異な夢をしきりと見て、しかもそれが、若い彫刻家ウィルコックスが昏睡状態にあった時点に、もっとも烈《はげ》しかったのである。それらの返事のうち四分の一を超《こ》えるものは、かなり具体的な叙述をしていて、それがやはり、緑色の粘液がしたたる石の都の光景と、声に似て声でない地下からの響きであり、最後の部分で巨大な怪物が出現するところまで似かよっていた。ほかにまた、大伯父のノートがとくに重視している悲劇的な事実があった。それは見神論とオカルティズムに関心の強かった建築家の悲惨な運命で、この著名な人物がウィルコックス青年の発病と日を同じくして、突然、精神錯乱の状態に陥った。そしてその後数ヵ月のあいだ、地獄を脱け出てきた魔物につかまえられる、救けてくれ、と叫びつづけたあげく、ついに息絶えたというのである。残念なことに、ぼくの大伯父はこれらの事実を収録するにあたって、番号を付けるだけにとどめ、夢を見た本人の氏名を記載しておかなかった。それが理由で、ぼくが調査を開始しても、わずか二、三名の者を除いては、被害者を突きとめる道が閉ざされていた。だが、面接に成功した少数者の証言だけでも、大伯父のノートの記述を十分に裏付けるものがあった。そしてぼくはその経験からして、大伯父の質問を受けた人々がいかに当惑したかを知るとともに、彼らには永久に、この質問の趣旨を伏せておくべきだと考えた。
そして最後が新聞記事の切り抜きであるが、これはすでにほのめかしておいたように、この特別の期間内に起きた恐怖、狂気、異常現象に関連したものばかりだった。しかもその量たるや尨大なもので、全世界の各地から集められていた。エインジェル老教授の完璧に近いこの収集は、依嘱《いしょく》を受けた通報サービス業者の功績というべきであろう。ロンドンでは、深夜の自殺事件が起きている。睡眠中の独身生活者が、突如、ショッキングな悲鳴をあげたあと、部屋の窓から飛び降りて自殺したのだ。南アメリカの某新聞社に舞い込んだ投書には、支離滅裂な文章で、狂人らしいその男が見た幻覚を基礎に、戦慄すべき地球の未来が詳述してあった。カリフォルニア州からの通信記事には、見神論者のグループが揃って白衣をまとい、実現するはずもない〈輝かしき日〉を迎えるために、集団的な祈りを捧げているとあるし、インドからのものには、二月から三月の末へかけて、土民たちのあいだに正体不明の不安が高まってきたと、控えめな筆致で記してある。ハイチでは、ヴードゥー教徒(西インド諸島などの黒人の間で信仰される多神教)の秘密祭儀が頻繁に行なわれ、アフリカの開拓者たちは、このところしきりと無気味な、囁《ささや》き声を耳にしている。フィリピン駐在のアメリカ軍将校から、原住民中の一種族が、近く異常な事件が起きるはずだと、恐慌状態に陥っているとの報告が届き、ニューヨークの警察官が、三月二十二日の夜半から未明にかけて、レバント人の暴徒に襲撃されて、多数の負傷者を出し、西アイルランドでは最近、不穏な動きを暗示する流言や風評が飛び交《か》っているという。そしてフランスでは、アルドワ・ボノという幻想派の画家が、冒涜《ぼうとく》的な絵画『夢の風景』を、一九二六年春のパリのサロンに出品した。さらにまたこの期間内には、全国各地の精神病院で、狂暴性患者の病状がいっせいに悪化している。その症例の夥《おびただ》しさは驚くばかりで、医師会がそこに関連性を認め、同一原因によるものとの結論を抽《ひ》き出さなかったのが、むしろ不思議といえるくらいである。
いまにして思えば、これらの奇怪な報道記事が真相のすべてを語っていたのだ。あの頃のぼくは頑《かたくな》な合理主義思想の虜であったがために、この重大な事実を無視して省《かえり》みようとしなかった。いまはその迂闊《うかつ》さに恥じ入るばかりである。ただ、ひと言弁解させてもらうと、ぼくにはウィルコックス青年への先入観があって、彼はあらかじめ老教授の記録にある古い出来事を知っていたと思いこんでしまったので、そこにぼくの失敗の原因があったとみるのが至当であろう。
2 ルグラース警部の話
ぼくの大伯父が若い彫刻家の夢と薄肉浮彫りに重大な意味を感じとったのは、それに先立つ古い事件の記憶があったからで、大伯父の長文のノートの後半がその経過を語っている。エインジェル老教授がこのような名状しがたい異様な物を見せられて、地獄から現われた何かに出遭《であ》った気持に襲われたのは、初めての経験ではなかったのだ。あのときもやはり、未知の象形文字に頭を悩ましたし、〈クトゥルフ〉としか聞きとれぬ無気味な音節を聞きとった。そして、前後二つの経験が結びついて、怖ろしいまでに心を揺り動かされたので、老教授がウィルコックス青年に執拗《しつよう》な質問を浴びせかけ、明確な資料の提供を迫ったのも当然のことであった。
第一の経験というのは、老教授がウィルコックスの訪問を受けた日から十七年以前のことで、アメリカ考古学会の大会がセント・ルイスに開催されたときに起きた。大会におけるエインジェル老教授は、その学識と権威にふさわしく、討論のすべてに指導者的な役割を演じていた。したがって、この大会を機会に、つねづね疑問に思っているところを質問して、専門学者の教えを乞おうとする多くの部外者から、質疑の目標とされたのはもちろんのことである。
その質問を持ちこんだのは、いたって風采のあがらぬ中年男だったが、平凡な外見とは裏はらに、話の内容は奇怪をきわめていたので、たちまち大会出席者全員の関心の中心となった。彼はニューオーリンズの住人で、その土地では満足できる解答を得られぬことから、はるばるセント・ルイスまで出向いてきたので、名前をジョン・レイモンド・ルグラースという警部だった。そして、一見しただけで嘔吐を催すほどグロテスクな、明らかに太古の作と思われる小さな石像を持参していた。もちろんその出所は、彼自身には知りようのない品であった。
ルグラース警部がいささかなりとも考古学に興味を持っていたとは考えられず、その出張の趣旨はあくまで警察官としての職業意識に基づくものだった。持参した石像が邪教の礼拝物であるのは明白で、彼はその入手経路を次のように説明した。大会に先立つ数ヵ月前に、ルグラース警部の指揮による、大規模の捕物が行なわれた。場所はニューオーリンズの南方、樹林に囲まれた沼地で、そこにヴードゥー教徒が不法集会を秘密に開くとの聞き込みがあったことから、州当局はその検挙に、多数の警察官を出動させた。醜悪な石像をめぐっての暗い礼拝は、踏み込んだ警官隊もたじろいだほど凄絶《せいぜつ》をきわめ、アフリカ奥地のヴードゥー教集団のもっとも狂暴なそれよりも、さらにさらに悪魔的なものだった。しかも、この奇怪な宗教の由来については、逮捕した信徒たちの口から抽き出した常軌を逸した話のほか、何ひとつ具体的なことが明らかにされなかった。かくして警察当局は考古学者の助けを借り受け、恐怖の象徴の意味を探り、奇怪な祭儀の源泉を突きとめようと考えるにいたったのだ。
ルグラース警部は、彼の提出した石像が学者たちに、これほどの衝撃を与えるとは予想もしていなかった。学者たちはそれを一見しただけで、たちまち激しい興奮状態に陥って、全員が目を凝《こ》らして注視した。悠久《ゆうきゅう》の歳月を経《へ》てきた品であるのが明らかで、閉ざされた太古の世界を力強く語っている。彫刻史上、どのような流派も、このような恐怖の対象を創り出したことはないはずだが、それでいて、石質不明のこの物体の暗緑色の表面に、数世紀、いや、数十世紀の年代を見てとることができるのだった。
石像は学者たちの手から手に渡って、周到綿密な検討を経た。高さはおよそ七、八インチの、小ぶりながら優れた技術で刻まれた芸術品とも呼べるものだった。どこか人間臭さが漂っているものの、頭は章魚《たこ》にそっくり、何本かの触手が顔から伸び、鱗に蔽《おお》われた胴体に爪の長い前足と後足、そして背中には細長い翼。やや肥満ぎみの全身に凶悪な害意をみなぎらせて、正方形の台座に蹲《うずくま》っているのだが、その台座には判読不能の異様な文字が刻みつけてある。怪物は翼の先を台座のうしろ端に触れさせて、中央に尻を据え、両膝を立てた後足の鈎爪で台座の縁をしっかと掴み、長い爪の四分の一はさらに下方へと伸びている。そしてまた、頭足類を思わせる頭をやや前方に傾け、触手の先端は、立膝をした後足にあてがった前足の甲に触れさせ、その全体の印象が異様なほどの生々《なまなま》しさで迫り、由緒不明の偶像であるだけに、身の毛のよだつ無気味さなのだ。要するにそれは、測り知れぬ太古に作られたことと、われわれの知る文明社会の美術様式とはまったく類を異にしたものと知るだけであった。
材質もまた、大きな謎であった。黒緑色の表面のあちこちに斑点と筋目が金色に光り、地質学者にも鉱物学者にも初見のものであるし、台座に刻んだ象形文字が同様に謎であり、この大会には考古学の権威と目される人々のほぼ半数が参集していたのだが、一人として、これに僅かの類縁をもつ言語の指摘もできなかった。たしかにこの文字には、石像の形状と材質と同様に悠遠の昔を思わせ、吾人の認識のうちにある人類や世界の概念とまったく隔絶した宇宙の周期が存在している事実を示唆する何かがあった。
その場に集まった学者たちが全員揃って首を振り、警部の質問に答える力のないことを認めた。するとそのうちの一人がためらいがちに口を切って、この怪物めいた石像と台座に刻んだ不可解な文字を見て思い出したことがあると、忘れかけていた遠い過去の記憶について語りだした。これはウィリアム・チャニング・ウェッブ教授といって、すでに故人になっているが、当時はプリンストン大学に講座を持ち、古代遺跡の発掘に多大の功績を残した学究だった。
いまから四十八年以前のことになる。ウェッブ教授はグリーンランドとアイスランドのルーン文字碑を探査する遠征隊に参加して、本来の目的である発掘作業は失敗に終わったが、次のような珍しい経験をした。グリーンランド西部の海岸に近い丘陵地帯で、異様な種族を発見したのだ。人種としてはエスキモー族に属するが、現状は相当に退化していて、いまだに奇怪な悪魔崇拝をつづけ、その残忍非情な祭儀には、嫌悪感で戦慄させられるものがあった。彼らの信仰については、ほかのエスキモー族も詳しい知識を持たなくて、説明を求められても、身慄いを繰り返すばかりであり、地球の創成よりもはるか昔の、悠久の太古から伝わるものらしいと語るだけだった。しかし、この土地に古くから、人身御供《ひとみごくう》を伴う祭儀で〈トルナスク〉と呼ばれる大悪魔を礼拝する秘密宗教が存在し、世代から世代へと引き継がれてきたことはつとに知られていた。そこでウェッブ教授は、年老いた呪術僧アンゲコクから聞いた呪文を発音どおりに写しとって、可能なかぎり正確にローマ文字に転記した。だが、いまここでもっとも重要と思われるものは、この種族が崇め祭っている偶像で、氷壁上に高く極光《オーロラ》が輝くとき、彼らはこの偶像をめぐって踊り狂うのだという。そして教授の説明によると、それは原初的な手法で石塊に刻んだ薄肉浮彫りで、奇怪な画像と謎めいた文字が現われていて、この席上に提出された獣神像の外見と文字とに、本質的な類縁関係が見られるというのだった。
ウェッブ教授のこの報告は、大会の出席者全員に驚愕と緊張感をもたらした。ルグラース警部の興奮を倍加させたことは言うまでもない。警部はすぐさま、報告者の教授に質問を浴びせだした。彼の手帳には、警察が逮捕した沼地の狂信者たちの呪文が写しとってあったので、エスキモーの悪魔崇拝者の唱《とな》えた文句を音節どおりに思い出してほしいとせがむのである。そして、両者を細部にわたって徹底的に比較検討した結果、遠く離れた二つの国の地獄の祭儀に、同系統の言語の呪文が用いられていることは間違いなしと、学者グループと警察官の意見とが完全な一致を見た。その一瞬、怖ろしいまでの沈黙が、その席上を押し包んだ。エスキモーの呪術僧とルイジアナ州の沼地の狂信者が、同種の石像を礼拝し、同種の誓言を捧げていたとは、驚くべきことである。彼らが声高らかに唱えていた文句を、伝統的な分節に区切って書き記すと、次のようなものになる。
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フングルイ・ムグルウナフー・クトゥルフ・ル・リエー・ウガ=ナグル・フタグン[#「フングルイ・ムグルウナフー・クトゥルフ・ル・リエー・ウガ=ナグル・フタグン」太字]
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ルグラース警部には、ウェッブ教授に先んじた知識がひとつあった。それはこの呪文の意味の理解で、彼が逮捕した混血の狂信者のうちの何人かが、年老いた祭司から教わったといって、それを繰り返し説明したからである。それは次のように解釈されるものであった。
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死せるクトゥルフが、ル・リエーの家で、夢見ながら待っている。[#「死せるクトゥルフが、ル・リエーの家で、夢見ながら待っている。」太字]
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ルグラース警部は会員たちの熱心な質問に応じて、沼沢地の狂信者についての経験をこと細かに語った。ぼくの伯父がこの話に重大な意義を感じとったのは容易にうなずけることで、それは神話作者や見神論者の奔放な夢を思わせ、卑賤《ひせん》な下層民にこれほどまでの幻想力があるものかと驚くほど、壮大なイメージを示しているのだった。
一九〇七年十一月一日のこと、ニューオーリンズの警察本部に、南方の沼沢地帯の住民たちから、常軌を逸した趣旨の出動依頼願いが届いた。その地域には前世紀の初めごろ、かつてこのあたりの海域を荒らしまわったフランス私掠船の船長ジャン・ラフィット(一七八〇―一八二六? メキシコ湾を根拠地にしたフランスの海賊。英軍を支援し、スペインの植民地を襲い、一八一五年のニューオーリンズ英米戦争ではアメリカ軍に見方する。南部の伝説的英雄)の部下たちが住みついて、現在では善良素朴なその子孫がつつましやかな生活を送っている。その住民がこのところ、夜毎に忍びよる正体不明の恐怖に脅かされて、ヴードゥー教徒の仕業とは察せられたが、住民たちの聞き知っている彼らとはちがって、ひどく狂暴な連中と思われた。それが証拠に、悪鬼が跳梁《ちょうりょう》するとの噂で近づく者もない暗黒の森林内に、無気味な太鼓《トム・トム》の音が聞こえ、同時に、村の女子供の行方が判らなくなる事件が頻発し始めた。そして深夜に、風に乗って流れてくるこの世のものならぬ絶叫とけたたましい悲鳴、魂を凍らす詠唱の声と踊り狂う悪魔の火、その恐怖に住民たちはこれ以上耐えられぬと、警官隊の出動を求める使いの者が、慄えおののきながら語るのだった。
以上のような経過で、その日の午後おそく、二輌の馬車と一台の自動車に満載された二十名の警官隊が、恐怖におののく開拓民を案内人として、ニューオーリンズを出発した。道が狭《せば》まって車馬の通行が妨げられると、警官隊は車を降りて、陽光の射しこむことのない糸杉の密林内を、ぬかるみの泥を跳ねあげながら、何マイルものあいだ行進した。錯綜する樹の根に足をとられ、執念ぶかく絡みつく宿り木の蔓に悩まされ、そしてときには、夜気に濡れた石材の堆積と崩れ落ちた石壁の残骸に出遭って、古代の人間はこのような場所に生息できたのかと驚き、醜悪な形の巨木と毒々しいキノコが作りだす暗澹《あんたん》たる気分のうちに、いよいよ深くのめりこんでゆくのだった。だが、ようやくにして前方が開け、開拓者の部落が見えだした。僅かばかりの掘立て小屋が疎《まば》らに散在しているのだが、角灯を手に行進してくる警官隊に気づくと、それぞれの小屋から男女の群れが、ヒステリックな歓声をあげて走り出てきた。ここまでくると、まだかなりの遠方ではあるが、おどろおどろしい太鼓の音が低く轟き、風向きが変わるたびに、身の毛もよだつばかりの奇怪な人声が聞こえ、夜の闇の涯までつづく下生えの隙間に赤い火の煌《かがや》きが見てとれた。警官隊の到着に、開拓部落の住民たちはひと安心といった表情だったが、邪神礼拝の現場へ案内を命じられると、頑強に首を振って、その方向へ一歩近づくのも拒むのだった。ルグラース警部と十九名の部下はしかたなしに、道案内もないままに、いまだかつて足を踏み入れた者のない恐怖の場所へ突き進まねばならなかった。
警官隊が目指した地域は、古来、悪霊の棲み家として怖れられていて、白人にとってはまったく未知の世界だった。伝説によると、そこには人間の目には見ることのできぬ湖があって、これまた巨大すぎて形状も判然としない、光輝を放つ目の白いヒドラが棲みついているという。深夜には、地下の洞窟からコウモリの翼を持つ悪霊が飛び出して、この水の怪物に祈りを捧げるとのことだ。そして、これもまた、開拓部落の住民がひそひそと語るところだが、怪物がこの湖底に棲みついたのは、ディベルヴィル(ピエル・ル・モワン・ディベルヴィル。一六六一―一七〇六。カナダ生まれのフランス海軍士官、ルイジアナに最初のフランス植民地を開いた。)よりも、ラ・サール(ルネ・ロペル・カヴリエ・ラ・サール。一六四三―八七。フランスの北米探険家。)よりも、インディアン土人よりも、さらには森林内の鳥と獣のどれよりも、はるかに遠い昔のことであり、夢魔にも似たその姿を見た者は、たちどころに死の運命に見舞われる。ただ、怪物みずから人間の夢に現われて、その恐怖を教えてくれたので、誰もが近づくべきでないと知ったのだそうだ。その夜、ヴードゥー教徒の狂宴が行なわれていた地点は、この呪われた禁断の場所の周辺にすぎなかったが、それでもなお危険な場所であったことに変わりはない。開拓民たちが道案内を拒んだのは、無気味な音に怯《おび》えたばかりでなく、場所そのものに畏怖を感じているのだった。
赤い火の煌《きら》めきと低く響く太鼓の音とを目標に、ルグラース警部の一行は湿地の黒い泥濘《でいねい》を踏んで突き進んだ。そのうちに、異様な人声がしだいに大きくなって、その文句を忠実に写しとれば、何かに憑かれた詩人か狂人のたわごとと受けとられるであろうし、音質からしては、人間の声のようでもあり、獣のそれとも聞きとれて、両者の特質を併せそなえているところが、恐怖感をいっそう呼び起こした。怒り狂う野獣の咆哮《ほうこう》と放埒な夜宴の叫喚《きょうかん》とが悪魔的|昂揚《こうよう》の域に達して、吼《ほ》えわめき、怒号し、地獄の深淵から吹きつける凶暴なあらしのように、夜の森を引き裂いて反響した。そしてときどき、咆哮が途切れると、かなりの習練を積んだと思われるしわがれ声が、低く歌うような調子で、例の奇妙な祈祷文句を唱えるのだった。
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フングルイ・ムグルウナフー・クトゥルフ・ル・リエー・ウガ=ナグル・フタグン[#「フングルイ・ムグルウナフー・クトゥルフ・ル・リエー・ウガ=ナグル・フタグン」太字]
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警官隊はさらに前進して、樹林が疎《まば》らな個所に近づくと、突然そこに、奇怪きわまる光景が展開した。その怖ろしさに、部下の二人はめまいがしてよろめき、一人は気を失って倒れ、そして二人が正気を失った悲鳴をあげた。折りよく、狂宴の叫喚が始まったところで、甲高い悲鳴を掻き消してくれた。ルグラース警部は失神した部下の顔に沼の水を浴びせて、意識を回復させた。しかし、全員はそこに立ち竦《すく》んで、身を慄わせているばかりだった。
沼沢地の一部に天然の空地があって、一エーカーほどの広さだが、樹木がなくて、土が乾いていた。いまそこに、シムかアンガローラの筆がなければ描き出せぬような、白人と黒人の混血と思われる異形の人間の群れが、輪形に並べた大かがり火をめぐって踊り狂っているのだ。一人残らず衣服を脱ぎ捨てた素裸で、何やら大声にわめきながら、身をくねらせて跳びはねている。ときどき、大かがり火の焔のカーテンに割れ目が生じて、その中央に、醜悪な形相の小偶像を載せた高さ八フィートあまりの石柱が見てとれる。大かがり火の外側には、同じく輪状に、十基の処刑柱が等間隔に並んでいて、そのおのおのに、無残に傷つけられた死骸が頭を下に吊るしてある。開拓者部落から姿を消した犠牲者とみてまちがいなかった。以上のような舞台装置――処刑柱と大かがり火の形作る二つの円陣のあいだで、全裸の邪教徒の一団が、人間の言葉とも思えぬ文句を大声にわめき、跳びはねるような左廻りの輪舞を、いつ果てるともなく繰り返しているのである。
これもあるいは警官たちが深夜の秘境に見た幻想だったのかも知れぬが、とにもかくにも、一行中でもとくべつ興奮しやすい性格のスペイン系の警官が、空地を囲む森林内の奥深いところ、太古の伝説と恐怖を秘めた闇の世界から、邪教徒たちの叫喚に応える異様な声が谺《こだま》するのを、たしかに聞いたと語った。もっともぼくは、その後ジョゼフ・D・ガルヴェスというこの警官に面会して、そのときの模様を聴取したが、彼が異常な空想癖の持主であるのは明らかで、次のようなことまで付け加えていた。そのとき、遠くかすかに、力強い羽撃《はばた》きの音がして、森林の奥に、らんらんと光る目と山のような白い巨体を見たというのである。ぼくが思うに、おそらく彼は開拓部落民の迷信じみた話をあまりにも多く聞きすぎて、あらぬ妄想の虜になっていたのであろう。
だが、警官隊が恐怖に打たれて立ち辣んでいたのも、時間としては比較的短かった。彼らの念頭には、何よりも先に職責があった。そこで決然と行動を起こし、銃器を手に、百人にちかい混血の信徒たちのただなかへと突進していった。たちまち祭儀の場所は叫喚の巷《ちまた》と変わり、それからの五分間、筆紙に尽しがたい死闘がくりひろげられた。そして、相手かまわぬ乱射乱撃の末、邪教徒の群れはついに四散して、逮捕された者は黒く濁った皮膚の四十七名をかぞえた。ルグラース警部は彼らに服を着るように命じ、二列縦隊の警察官のあいだに並ばせ、ニューオーリンズへ連行した。信徒の死亡者数は五名。重傷者は二名だったが、これは急ごしらえの担架で、囚人仲間に運ばせた。ルグラース警部が石柱上の小偶像を注意深く運び下ろして、持ち帰ったことは言うまでもない。
警官隊は極度の緊張感に疲れて、ようやくニューオーリンズに帰還したものの、すぐさま逮捕者の取調べを開始した。彼らは黒人でなければ白人と黒人の混血で、大部分が西インド諸島かケープ・ヴェルデ群島中のバルヴァ島から集まってきた下級船員であり、揃って知能が低く、しかも頭が狂っていた。この呪われた祭儀にヴードゥー教の色彩が濃いのは、彼らの出身地によるものと見たのは誤りでなかったが、なおも尋問をつづけるうちに、そこに黒人社会に特有な呪物崇拝以上の何か、底知れぬ太古の神秘がみなぎっているのが感じられてきた。すなわち彼らは、無知|蒙昧《もうまい》な退化人種の身でありながら、この呪われた邪教の核心である教義に、驚くべき一貫性をもって信仰を捧げているのだった。
警部の尋問に答えて、囚人たちは次のように語った。彼らの神々は、悠久の昔、人類誕生に先立って、大宇宙から若い地球の上に天降《あまくだ》ったもので、その名を〈偉大なる古き神々〉という。そしてやがて神々は死んで、大地の奥深く、あるいは海の底に身を隠したが、最初の人類が生まれてくると、その男の夢に姿を現わして神々の秘密を説き聞かせた。その教えがいまの世にまで伝わり、また、今後も永遠に滅び去ることがないのだが、この末世にあっては、人跡稀れな荒地か暗黒の場所に逼塞《ひっそく》して、星辰《せいしん》の座が正しい位置に復帰する時を待たなければならぬ。その輝かしき日が到来すれば、海底の大いなる都ル・リエーの隠れ家に眠るクトゥルフが立ちあがって、神々の言葉をもって信徒たちに呼びかけ、ふたたび地球の支配者となる。
囚人たちはそこまで語ると、口をつぐんで、これから先の秘密は、たとえ拷問を受けようと、洩らすわけにいかぬといいはった。この地上で知性を持つ生きものは人類だけでない。信仰心の深い少数者には、いまもときどき、暗い闇の奥から、精霊が訪れてくる。ただし、それは精霊であって、彼らの崇める〈偉大なる古き神々〉とはちがう。人間はいまだ、真の神々の姿を見ていないのだ。石を刻んだあの聖像にしても、大祭司クトゥルフを写しとったもので、それが神々の姿に似ているかどうかは知る由がない。そしてまた、いまの世には太古の文字の読める者が皆無なので、神々の秘密は口|伝《づ》てによって語り継がれている。それを大声に唱えるのは禁じられ、囁き声で告げるのを許されるだけであり、前夜の祭儀に声高らかに唱和された言葉も、ル・リエーの隠れ家でクトゥルフが、眠りながら時期の来るのを待つことを告げているにすぎぬというのだった。
逮捕者四十七名のうち、絞首刑の意味を知るだけ正気であったのは僅か二名で、そのほかはみな、気が触れていた。これはそれぞれ、各所の収容施設に移されたが、全員が殺人行為を否認して、処刑柱の上の犠牲者は黒い翼の神々に殺されたのだと主張した。太古このかた、神秘の森の奥に、神々の集いの場所があるという。いずれにせよ、陳述者は狂人ばかりで、筋のとおった説明を聞き出すのは無理と思われた。ところが、たまたまカストロという老水夫が現われたことから、その証言によって、警察もこの邪教の概要を把握することができた。カストロはスペイン人とインディアンの混血で、若い頃に世界各地の名も知れぬ港を渡り歩いた経歴がある。それがあるとき、シナ大陸の山中で、不老不死の高僧たちに出会って、この教義の内容を聞かされたというのだ。
カストロ老人の記憶は断片にすぎなかったが、その伝承の奇怪さは、見神論者の考察をたじろがせ、人類とこの世界をまだ根が浅く、暫定的なものにすぎぬと思わせる何かがあった。人類誕生以前のこの地球は、星から渡ってきた〈あるもの〉が支配していて、彼らは各地に壮麗豪華な大都市を建設した。それがいまなお――不死の中国人僧の言葉によれば――太平洋上の島々に、巨石文化の遺跡として残存している。彼らは人類が生まれてくる以前に死に絶えたが、宇宙は永遠の周回を繰り返しているので、いつかまた、星座が正しい位置に復帰する日が訪れる。その日、彼らは、星から地球に降下するときに携えてきた聖像の力で甦《よみがえ》る。
カストロ老人は話をつづけた。偉大なる古き神々は血と肉から成っているのでない。もちろん、形は具えている。それは天上の星座を見れば判ることだ。だが、その形は物質によって作られたものでない。星辰が正しい位置にあったとき、神々は宇宙空間を星から星へ飛びまわることができたのだが、それがいったん星座の位置が狂ったとなると、もはや生きてはいられなくなった。とはいえ、生きていられぬにしても、死んだわけではない。神々は永遠に死ぬことがない。この時点でも、大祭司クトゥルフの呪文に護られて、海底の大いなる都ル・リエーの石の家に横たわり、星と地球が正しい位置に立ち戻る復活の日を待っている。しかし、その輝かしい日が到来したにしても、神々の死体を解き放つためには、外部からの働きかけが必要である。神々の死体を無傷のままに保存している呪文が、同時にまた、復活の日の最初の動きを妨げるからなのだ。神々はめざめたまま、闇のなかに横たわり、そして、考えつづける。かくして数百万年の歳月がすぎてゆくのだが、その間に生じた宇宙現象はすべて神々の知るところで、それが神々のあいだに取り交わされる会話の材料となる。いまも墓のなかで、神々は語りあっている。言葉による会話でなく、思考と思考がそのまま交換されるのだ。遠い昔、地上に人類が誕生したときも、神々は感受性のもっとも鋭い男を選んで、夢に姿を現わし、語りかけた。血と肉に包まれた人間の心に、神々の意向を伝えるには、それが唯一の方法であったのだ。
そしてこの最初の人類が――と、カストロ老人は声を低めていった――偉大なる古き神々から示されたいくつかの小聖像を中心に、彼らの教義を作りあげた。その聖像は、永劫の時間を経て、暗い星々から運び来たったものである。この宗教は、星の位置が正しくなるまで死滅することがない。高僧たちも、大祭司クトゥルフが墓から立ちあがって、使徒たちを甦《よみがえ》らせ、地球の支配力をふたたびとり戻すのに手を貸すはずである。その日はかならず到来する。そして〈偉大なる古き神々〉と同じ境地に達した人類は、善と悪とを超越した自由の世界を悦び、法も道徳もかなぐり捨てて、殺戮《さつりく》の歓楽を満喫する。つづいて、甦った古き神々が新しい殺戮の方法を教え、地上は大虐殺の焔に包まれ、自由の法悦を味わった信徒たちが狂喜乱舞する。その日の到来まで、神々復活の予言にかなった祭儀をつづけて、古き時代の記憶を維持しなければならぬのである。
かつては選ばれた人々に、墓所に閉じこもった神々との交信が夢のなかで許されていたのだが、その後そこに何ごとかが生じた。石の都ル・リエーが巨大な石柱と墓所ともども深海の底に沈んで、思考も透徹できぬ原初の謎にみちた波浪に蔽われたことから、夢のなかでの交感が断ち切られた。しかし、記憶は死に絶えることがなく、いつかかならず、星辰が正しい位置に戻り、ル・リェーの都がふたたび地上に浮かびあがる日がくると、高僧たちの予言があった。そしてときどき、かびくさい影に包まれた黒い大地の精霊が訪れては、深海の底の洞窟からの便りを言伝てるのだ。とはいえ、この精霊については、カストロ老人も多くを語ろうとはしなかった。急いで話を打ち切って、どう説得してみても、その方面のことは口にしようとしないのだった。いわゆる〈偉大なる古き神々〉についても、具体的な点に触れるのを奇妙なくらい避けた。ただ、教団に関しては、なおも説明をつづけて、径《みち》らしい径もないアラビア砂漠の中央、石柱の都イレムが昔のままに眠っているあたりに、その本部がおかれていること、西欧の魔女崇拝とはまったく無関係であり、信徒以外には事実上知られていないこと、この教義に言及した書物は一巻も残存していないことなどを明らかにした。そしてさらに、例の不死の中国人から教わったといって、この教団に加入を許された者が必読すべき、狂気のアラブ人アブドゥル・アルハザードの『死霊秘法《ネクロノミコン》』に、二とおりの解釈が論議されている詩句があると、次の二行を引用した。
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永遠《とわ》の憩《いこ》いにやすらぐを見て、死せる者と呼ぶなかれ[#「永遠《とわ》の憩《いこ》いにやすらぐを見て、死せる者と呼ぶなかれ」太字]
果て知らぬ時ののちには、死もまた死ぬる定《さだ》めなれば[#「果て知らぬ時ののちには、死もまた死ぬる定《さだ》めなれば」太字]
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ルグラース警部はこの証言を聞いて、強い感動を受けると同時に、少なからぬ当惑をおぼえた。それが彼の理解の埒外にある内容だったからで、とりあえずこの邪教の歴史的起源を探ってみたが、それもまた徒労に終わった。秘密は完全に保たれていると述べたカストロ老人の言葉に嘘はないのだった。トゥレイン大学の教授陣への問い合わせも結果は同じで、教義のことはもちろん、小石像についても、何の知識も与えてくれなかった。そこで、今次の考古学会の集まりには、全世界の最高権威者が顔を揃えると聞いて、早速駆けつけたわけなのだが、ここでもやはり、ウェッブ教授のグリーンランドでの経験談以上のことは聞き出すことができなかった。
しかし、証拠の石像を伴うルグラース警部の話は大会出席者全員の異常な興味をそそって、ひきつづき、学者たちのあいだに、文通によるこの問題の論議が行なわれた。それが世間一般に知られていないのは、学者たちは作り話を持ちこまれるケースが多く、その用心を最初に考えるために、学会の公式出版物での発表を差し控えたからだ。小石像はしばらくのあいだ、ウェッブ教授の手許においてあったが、教授の死亡によって、いまはルグラース警部の保管に復帰している。先日、ぼくはそれを一見する機会を得たが、たしかに恐怖感をみなぎらせた小石像で、ウィルコックス青年が夢の記憶によって製作したと称する作品と驚くばかり似かよっていた。
ぼくの大伯父のエインジェル教授が、若い彫刻家の夢の話に興奮状態に陥ったのは当然のことといえよう。感受性の鋭いこの青年は、ルグラース警部が沼沢地で入手した小石像と象形文字、さらにはグリーンランドの退化した種族が祀《まつ》っていた悪魔像とまったく同じものを夢に見た。いや、そればかりか、エスキモー族の悪魔礼拝者とルイジアナにおける混血の狂信者たちが誦唱していた三語の呪文を、やはりその夢のなかで聞きとったとあっては、ぼくの大伯父が烈しい驚きに襲われ、完全を期した調査を開始したのも不思議でない。ただ、ぼく自身はウィルコックス青年を疑っていた。彼はどこからかこの邪教の話を聞きこんで、一連の夢物語を創りあげることで怪奇性を盛りあげ、大伯父の金を巻きあげる計画を樹《た》てたのではなかろうか。いうまでもなく、その後に教授が収集した夢の報告と新聞記事の切り抜きは、ウィルコックス青年の話の真実性を裏付ける有力な証拠ではあった。しかし、ぼくの身についた合理主義に加えて、この話全体にみなぎる荒唐無稽なところが、ぼくをもっとも常識的な結論へ導いた。そこでぼくは青年の手記を読み直し、見神論的、人類学的なルグラース警部の覚え書を再検討したうえで、ロード・アイランド州のプロヴィデンスまで出向くことを決意した。若い彫刻家に面会して、老学究を欺いた大胆不敵な所業を問責するのが、ぼくの義務と考えたからである。
ウィルコックス青年は、トマス街にあるフレール・ド・リス館と呼ばれるアパートメント・ハウスの一室に、いまだに孤独な生活を送っていた。そこはこの古い町のもの静かな丘の上で、優美な家々が植民地時代当時のままに立ち並び、ジョージ王朝風の尖塔が繊麗《せんれい》な影を落とすという、まことに風情のある地域だが、一軒だけ、ヴィクトリア朝期に流行した擬似十七世紀フランス様式で、正面を化粧漆喰で塗り立てた醜悪な姿を見せている建物があった。それが青年の本拠である下宿屋だった。ぼくは彼の居間に通って、部屋いっぱいに散らばっている制作中の作品を見たとたんに、彼の才能が本物であり、天才と呼んでよいほど高度のものであるのを知った。いずれは頽唐《たいとう》派の彫刻家として名をあげ、世間に持てはやされるのも時間の問題であろう。アーサー・マッケンが散文で描き出し、クラーク・アシュトン・スミスが詩句と絵筆で表現した夢魔と幻想のかずかずが、ここでは見事に粘土に結晶して、やがてそのうち、大理石によって具現化されるものと思われた。
当の青年は見たところ暗い感じの、どこか弱々しく、髪に櫛を入れる手間もかけない様子だった。ぼくのノックに、ものうげに振り向くと、腰をあげないで、何か用かと訊いた。しかし、ぼくがどういう人間であるかを知ると、とたんに強い関心を示し始めた。ぼくの大伯父に徹底的に追及されたことが、その理由を聞いていないだけに、いまだに好奇心を刺激しているのであろうか。そこでぼくは、この神経質な青年には、できるだけ実情を伏せておくべきだと考え、話だけをそれとなく引き出すように気をつかった。
しかし、いくらも話しあわぬうちに、その語り口からして、彼が誠実な人柄であり、夢の話も嘘でないのを確認した。夢と、夢が潜在意識に残したものとが、彼の芸術に強く影響しているのは明瞭だった。話なかばに、病的な感じの塑像を持ち出してきたが、その全体の輪郭に闇の力の凄まじさが滲み出ていて、ぼくは思わず慄然とした。いまの彼には、薄肉浮彫りが残されているだけで、夢そのものは思い出すことができなかった。それでいながら、無意識のうちに、この塑像を作り出した。これが、精神錯乱中に口走っていた巨大な物の姿を写しとったものであるのは疑いない。そしてまた、彼が秘められた邪教について、ぼくの大伯父が執拗な質問のあいだにうっかり洩らしたことのほかは、何ひとつ知っていないのも明瞭になった。にもかかわらず、かくも怪奇な幻想が彼を襲ったのは、何が原因であったのか。
ウィルコックスは夢の話をするにあたって、極度に詩的な表現を用いたので、緑色の石柱がねばねばした液体に濡れている巨人族の都を、眼前に見るような鮮烈さで感じとることができた。青年は付け加えて、あらゆる線と形が歪んでいた、完全に狂っていたと、不思議そうにいった。そしてその地下から、〈クトゥルフ・フタグン〉、〈クトゥルフ・フタグン〉と、恐怖と期待の入り混じった声が絶え間なく響いてくるのを、半意識のうちに聞いたというのである。
その呼び声こそ、怖ろしい祭儀の中心である呪文で、死んでル・リエーの石窟に横たわるクトゥルフを守護するためのものであるにちがいなかった。合理主義者を自認するぼくにしても、動揺しないではいられぬもので、ぼくはこうも考えた。おそらくウィルコックス青年は、何かの機会にこの邪教のことを耳にしたのではあるまいか。だが、あまりにも多くの怪奇文学を耽読し、つね日頃幻想に浸りつづけていたので、人伝てに聞いたことさえ忘れてしまった。しかし、その強烈な印象が意識の底に残り、やがて夢のなかに出現し、大伯父に示した薄肉浮彫りと、いまぼくの目の前にある塑像に結晶したのであろう。要するにこの青年には、故意にぼくの大伯父を欺く意図はなかったのだ。ぼくはもともと、彼のようなタイプの、いささか気障《きざ》で、いささか不作法な男を好まなかったが、その芸術的才能と誠実さを認めぬわけにいかなかった。以上のような経過で、その日のぼくは、彼が天分にふさわしい成功を収めるのを期待するといって、友好裡に別れを告げた。
その後もこの邪教がぼくの関心を惹きつけて、ときにはその起源と伝播の研究で、学者としての地位を獲得しようかとも考えるくらいだった。ニューオーリンズを訪れて、ルグラース警部や部下の警官たちに面会し、奇怪な小石像を見せてもらい、生き残っている混血の囚人たちへの質問まで試みた。残念ながらカストロ老人は、数年以前に死んでいた。このようにして、事件の内容を、直接目にし、耳にして、結局それがぼくの大伯父の書き残したものの確認にすぎなかったものの、興奮をまた薪たにすることになった。ぼくはまちがいなく、いまの世に生きながらえている太古の秘教のあとを追っているのだ。これを徹底的に調べあげれば、人類学の権威としての栄誉がぼくの頭上に輝くはずだ。もっとも、唯物主義者としての態度を崩したわけではない。これはぼくの終始変わらぬ信条なので、大伯父のエインジェル教授が収集した夢の記録と新聞記事の切り抜きについては、われながら不思議に思うほど頑なに、全面的な信頼を拒否しつづけるのだった。
そして、それと同時に、ぼくが疑いを深めたことがあった。いや、正確には、怖れを深めたというべきかもしれない。とにもかくにも、ぼくは大伯父の死因に疑念を抱き始めた。あれはとうてい、自然死と考えられるものでないのだ。大伯父は丘の上の狭い道で、黒人の水夫と誤って衝突し、転げ落ちて死亡した。丘の道は波止場に通じていて、そのあたりは言うまでもなく、外国人の船員どもがたむろする場所だった。ルイジアナ州の邪教信者に混血の船員が多かったことは記憶に新しいし、毒針による残忍な殺人方法が古代宗教とともに伝えられてきたこともぼくの知識のうちにあった。ルグラース警部と部下の警官たちが、その後は無事にすごしているのは事実だが、ノルウェーでは悪魔礼拝の場面を目撃した船員が死んでいる。ぼくの大伯父のエインジェル教授は、若い彫刻家の夢についての資料を入手すると、その調査に没入していったのだが、その噂が邪教の信者たちの耳に入ったのではなかろうか。この推測は間違っていないと思う。大伯父はあまりにも知りすぎた、あるいは、彼らの目にそのように映ったので、あの非運に見舞われたにちがいない。そして、ぼくもまた、大伯父と同様に多くを知りすぎた。前途に、同じ運命が待ち受けているかどうかは、神のみぞ知るであるが。
3 海からの狂気
いまぼくは、この忌わしい知識のすべてを、神の恩寵によって忘れ去りたいとねがっている。偶然と呼ぶにはあまりにも怖ろしい。紙屑同然の古新聞を目にしたばかりに、かくも奇怪な知識に悩まされる結果を招いた。それは一九二五年四月十八日付けの『シドニー・ブルティン』紙だった。オーストラリアの新聞が目に触れるのは、ぼくの日常生活ではめったにあることでなかった。ところがそれに、ウィルコックス事件の謎に絡んだ記事が大きく載っていた。発行当時、ぼくの大伯父から切り抜きと記事の収集を依嘱された専門業者でさえ見逃していたものなのだ。
その頃のぼくは、エインジェル老教授の命名にかかわる『クトゥルフ教』の究明に乗り出していたので、ニュージャージー州のパターソン市を訪れることが多かった。ぼくの旧友の著名な鉱物学者が同市の博物館長だったからだ。そしてある日、博物館の奥まったところにある保管室で、棚の上の標本類を調査していたところ、たまたま石の標本の下に敷いてある古新聞の写真が、ぼくの目を捉えた。それが上述の『シドニー・ブルティン』紙だった。友人の館長は交際範囲が広くて、海外にも知己が少なくないので、オーストラリアの新聞を入手したにしても不思議はないのだが、この古新聞の網版写真に醜悪な形の石像が写っていて、それがルグラース警部が沼沢池で発見した邪教の偶像とそっくりだったのである。
ぼくは貴重な内容を含むその記事に目を通して、詳細な知識を得た。完璧なニュースとはいえぬのが残念だったが、ともすれば停滞しがちなぼくの探究に、怖ろしいまでの重要性を持つことが明瞭だった。ぼくは丁寧にその記事を切り抜いた。内容は次のようなものである。
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謎の難破船発見さる[#「謎の難破船発見さる」太字]
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ヴィジラント号、ニュージーランド船籍の武装快速船を曳行《えいこう》して帰航。船内に生存者一名と死者一名。生存者は海上での死闘については黙して語らず。その所持品中に奇怪な偶像を発見。引続き尋問開始の予定。
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チリーのヴァルパライソへ向かったモリソン商船会社の貨物船ヴィジラント号が、今朝《けさ》、漂流船を曳行して、ダーリング港の埠頭に帰航した。同船はニュージーランドのダニーディンに船籍を持つ重装備の蒸気船アラート号で、航行力を失い、南緯三四度二一分、西経一五二度一七分の海上を、生存者一名死者一名を乗せて漂流中、四月十二日、ヴィジラント号によって発見された。
三月二十五日、ヴィジラント号はヴァルパライソを出航したが、四月二日に暴風と大波に襲われて、かなり南方まで押し流されたところ、四月十二日に、漂流中の難破船に遭遇した。当初は無人船と思われたが、乗船してみて、半狂乱の状態にある生存者一名と、明らかに死後一週間を経過した死体一個を発見した。
生存者は正体不明の小石像を握りしめていた。高さ一フィート余りの醜悪な形相をしたもので、シドニー大学、王立考古学会、カレッジ街の博物館の権威者たちにも、どの宗教に属するかの説明ができなかった。生存者はこれを、快速船のキャビンで、同じ様式の聖骨箱のなかに見出したと述べている。
この男は正気をとり戻すと、海賊船に襲われて全船員が虐殺されたと、きわめて異様な事件を語りだした。名前をグスタフ・ヨハンセンというノルウェー人で、いちおうの教養の持主であり、ニュージーランド、ノース・アイランドのオークランドで、二本マストのスクーナー船エンマ号に二等航海士として就職し、同船は二月二十日に、乗組員十一名でペルーのカヤオ港へ向けて出航した。
ヨハンセンの語るところだと、スクーナー船エンマ号は三月一日の大暴風雨によって針路を狂わせ、日程を大幅に遅延しながら、南方はるかの海域を航行していた。そして三月二十二日に、南緯四九度五一分、西経一二八度三四分の海上で、醜悪な容貌のカナカ族と欧亜混血の水夫たちが乗り組んだ武装快速船アラート号に遭遇した。アラート号は不法にも、すぐさま引っ返せと、強制的な命令を発した。コリンズ船長が拒絶すると、奇怪な水夫たちは理不尽にも、警告なしの砲撃を開始した。この武装快速船には、強力な真鍮砲が一門装備してあった。
エンマ号はただちに反撃した。生存者の話によると、すでにスクーナー船は喫水線《きっすいせん》の下に何発かの砲弾を受け、沈没寸前の状態にあったが、勇敢な船員たちはひるむ様子も見せず、スクーナー船を敵船に横付けにするや、即刻アラート号の甲板上で、獰猛《どうもう》なカナカ族の水夫たちとの格闘に移った。そして、人数においてわずかながら優る相手方を皆殺しにするのに成功した。敵の戦闘ぶりは拙劣だったが、容貌があまりにも醜悪なのに加えて、死にもの狂いで立ち向かってくるところが、こちらの恐怖感を招いたからだという。
エンマ号の戦死者は、コリンズ船長とグリーン一等航海士のほか一名だった。残りの八名はヨハンセン二等航海士の指揮下に、捕獲した武装快速船を操縦して、エンマ号の針路をそのまま進んだ。水夫たちが引っ返せと命令した理由がどこにあるかを探ってみたかったこともある。
その先は生存者の記憶もさだかでないが、どうやら彼らは、その翌日、海図にない小孤島を発見して、上陸したと思われる。そしてその島のどこかで、船員のうち六名が死亡したらしいのだが、話がそこまで進むと、ヨハンセンの口かずがおかしなほど少なくなり、その六人は岩の亀裂に落ちこんで死亡したと語るだけであった。
その後、ヨハンセンはもう一人の生き残り船員とともに快速船に戻り、なんとか舵輪を操りながら航行をつづけていたが、またしても四月二日の暴風に襲われた。
それから四月十二日に救助されるまでの経過は、ヨハンセン自身にも記憶がほとんどなくて、生き残り仲間のウィリアム・ブライドゥンの死亡した日さえ明瞭でない。死因もまた確認不能であるが、おそらくは過度の興奮状態の継続か日射病によるものであろう。
ダニーディン発電文によると、アラート号は同地でよく知られた島嶼《とうしょ》回航の貿易船だが、埠頭周辺での評判は悪い。所有者が欧亜混血の怪しげなグループであるうえに、彼らがしばしば集合して、深夜の森に出かけてゆくのが、港の人々の疑惑を誘っていた。三月一日の暴風と地震の直後に、同船が急遽出航したことも不審を招く理由だった。
一方、オークランド駐在の本紙記者の報告には、エンマ号とその乗務員の評判は良好で、とくにヨハンセン二等航海士は穏やかな性格の人格者だとある。
明朝から海事審判所の審理が開始されるが、事件全体の真相を明白にするには、いままで以上にヨハンセンの証言を引き出すことが必要であり、海事審判所もその努力を惜しまぬものと考えられる。
新聞記事は以上のような内容に、怪奇な石像の写真を添えたものであったが、これによってぼくの心が、なんとさまざまな思考の糸を紡《つむ》ぎ始めたことか! それは『クトゥルフ教』の新資料の宝庫であり、探究の領域は陸地だけにとどまらず、海洋もまたゆるがせにできぬことを証拠によって示している。混血の水夫たちがエンマ号の針路を命がけで妨げたのは何のためか? 彼らが航行中、醜悪な石像を携帯していたのも奇怪である。エンマ号の六人の乗組員が死亡し、ヨハンセン二等航海士がその話に触れたがらぬ孤島はどこにあるのか? 海事審判所の審理によって、どのような事実が引き出せたのか? ニュージーランドのダニーディン港周辺の邪教については、どこまでのことが究明されたのか? そしてとりわけぼくを驚かしたのは、オーストラリアの新聞記事にあらわれた事件の日付と、ぼくの大伯父が周到な用意の下に書き残した出来事のそれとが、符節を合わせるごとくに一致して、いまはそこに否定すべくもない重大な意味が看取できる点であった。
三月一日に――この日は国際日付変更線の規則で、アメリカでは二月二十八日になる――地震と暴風が南半球を襲った。するとニュージーランドのダニーディン港から、がらの悪い水夫たちを載せたアラート号が、緊急出動命令でも受けたかのような慌《あわただ》しさで出航していった。それと時を同じくして、地球のこちら側では、詩人と美術家たちが奇怪な夢を見るようになった。巨人族の造りあげた濡れた石の都の夢である。そして彼らの一人である若い彫刻家のウィルコックスが、夢のなかに見たものの姿を写して、クトゥルフの像を制作した。三月二十三日には、エンマ号の乗組員が名も知れぬ南海の小島に上陸して、六名が死亡した。それと同じ日のアメリカでは、感受性の鋭い芸術家たちの夢が鮮烈さの極に達して、巨大な怪物に追われる恐怖から、建築家の一人の気が狂い、若い彫刻家は錯乱状態に陥った。そしてその次が四月二日の暴風である。この日の到来とともに、濡れた石都の夢が残らず停止して、ウィルコックス青年の異常な高熱も嘘のように薄らいだ。この符合に、なんらかの理由が潜んでいるのでないか。カストロ老人がそれとなく口にした、星から渡来し、地球を支配したのち海底に沈み、いつかまた支配権をとり戻すという神々とは何か? それに忠実な信仰を捧げ、夢の力による支配権復活の日を待ち受ける邪教徒とは? そしてそのときは、このぼく自身までが、人間には抗拒《こうきょ》不能な大宇宙の力で恐怖の淵に転落する運命に見舞われるのでないか? しかし、そうであるにしても、その恐怖の淵は、われわれの心のなかにあるはずだ。怪しの物が人間の魂に及ぼした脅威のすべてが、四月二日を期して、いっせいに停止したからである。
電報を打ち、旅支度をととのえ、忙しいおもいの一日をすごしたあと、友人の博物館長に別れを告げるのもそこそこに、ぼくはその夜のうちに、サンフランシスコ行きの夜行列車に乗った。そして一ヵ月後には、ニュージーランドのダニーディン港にいた。しかし、いまはこの港町にも、波止場付近の安酒場に巣食っていた邪教徒の群れを記憶している者はほとんどいなかった。港町に混血のならず者が集まるのは珍しい現象ではないからである。ただ、彼らが夜間に、内陸の森林地帯に歩み入ると、遙かかなたの丘の上に、赤い焔がちらつき、太鼓の音が流れてきたとの噂だけが、漠然とだが残っていた。
ノース・アイランドのオークランドでは、グスタフ・ヨハンセンの調査を行なった。この調査は、彼がシドニーで開かれた形式だけの審問をすませて帰ってきたとき、黄色だった頭髪がすっかり白髪に変わっていたこと、そのあと彼がウェスト街の家を売り払って、細君ともども故郷のオスロへ旅立ってしまったこと、海上で経験した異常な出来事については、法廷で述べた以上のことは友人間でも口にしようとはしなかったことなどを聞き出しただけで、意味のあるニュースとしては、彼のオスロの現住所を突きとめたにすぎなかった。
それからぼくはシドニーに移って、船員たちや海事審判所の吏員と話しあったが、役立ちそうな情報は一つも得られなかった。しかし、アラート号を見る機会には恵まれた。現在では船主が変わって、ふつうの貿易仕事に使われているので、シドニー湾内のサーキュラー桟橋に係留されていたが、船体を見たかぎりでは、何の変哲もない商船にすぎなかった。次は例の奇怪な偶像だが、槍烏賊《やりいか》の頭に竜の胴体、鱗のある翼を持ち、象形文字を刻んだ台座に蹲《うずくま》った姿のそれが、ハイド・パークの博物館に保管してあった。ぼくは長い時間をかけて観察した。稀れに見る芸術家的手腕による作であることと、制作年代の測り知れぬ古さ、さらには素材の石が地上のものと完全に異質であるのが、ルグラース警部の手許にあるやや小型の石像とまったく同じだった。博物館長の語るところだと、調査にあたった地質学者の全員が、地球上にはこれに似た石はあり得ない、世紀の謎だとお手上げの状態だったという。それを聞いたぼくは慄然とするとともに、カストロ老人がルグラース警部に洩らした原初の偉大な神々についての言葉を思いだした。「彼らは星の世界から渡来したのだが、そのとき[#「そのとき」に傍点]自分たちの姿を写した石像を持ってきた」
ぼくはかつてない心の動揺を覚えて、これは是が非でもヨハンセン航海士をオスロに訪ねねばならぬと決心した。そして、とるものもとりあえずロンドンに渡り、乗り継ぐのもそうそうにノルウェーの首都に向かって、ある秋の日、エゲベルクの山影の下にある小規模ながら整然とした波止場に上陸した。
ヨハンセンの住所は造作なく突きとめられた。そこはハラルド・ハルダラーダ王が十一世紀に建設した旧市内のうちで、この都会がクリスチャニアと仮りの名で呼ばれていた数世紀のあいだも、オスロの名称を変えようとしなかったところである。タクシーを走らすと、いくらも経たぬうちに、建築年代こそ相当に古いが、正面を白漆喰いで塗った小ぎれいな家の前に到着した。躍る心を抑えてノックすると、黒衣をまとった婦人が哀しげな顔つきで現われて、ぼくを痛く失望させたことには、グスタフ・ヨハンセンはもはやこの世の人でないと告げるのだった。
細君の語るところだと、ヨハンセンはノルウェーへ帰国したあと、長くは生きていなかったそうだ。一九二五年に海上で遭遇した出来事が、彼の肉体と精神を予想外の烈しさで傷つけていたからである。彼はその生存中、シドニー海事審判所の尋問に答えた以外の事実は、細君にさえ語らなかったが、しかし、その死後、長文の手記が発見された。執筆中を見られると、航海上の〈技術的な事項〉に関するものだというだけで、内容を明かそうとしなかったし、細君に読まれるのを怖れてか、全文を英語で書きつづってあった。彼の死亡時の状況を問いただすと、ゴトゥンブルク・ドック付近の狭い道路を歩いていて、屋根裏部屋の窓から落下してきた大量の紙束に頭を打たれて昏倒したのだという。インド人の水夫が二名駆けよって、助け起こしはしたものの、救急車が到着したときは、すでに息が絶えていた。特別の死因も発見できないので、衰弱した肉体に思わぬショックを受け、心臓麻痺を起こしたものと診断された。
ぼくはまたしても、暗い恐怖感に悩まねばならなかった。このノルウェー人の海員にかぎらず、ぼく自身までが、最後の休息に憩う日がくるまで、怪しい偶然事故に怯えつづけるのではなかろうか。ヨハンセンの未亡人に、ぼくが彼女の亡夫と仕事の上で関係があり、手記を検討してみるのにふさわしい人間だと説明して、その貸与《たいよ》を承諾させた。ロンドンへの船内で、さっそくそれを読み始めたのはいうまでもないことである。
この長文の手記には、海員あがりの質朴な男のたどたどしい筆致で、彼の最後の航海の経過が、こと細かに書きつづってあった。爾後《じご》の日記に基づいて、日を追いながらすべての事実を書きとめようとする意図なので、筆がとかく枝道に入りがちであり、文意不明の個所や重複部分が目立って、とうてい逐語的に書き写せるものでないのだ。そこで要旨を記載するだけにとどめるが、これを卒読《そつどく》するだけでも、そのときの恐怖感、舷側を打つ波の音にも身を慄わせ、耳に栓をしないではいられなかったぼくの気持が理解してもらえると信じる。
手記を読んだかぎりでは、ヨハンセンは石の都と怪しの〈もの〉をその目で捉えはしたが、それが含む怖ろしい意味を少しも知っていなかったのが判る。それはしかし、彼にとっては幸いだったといえるであろう。ぼくは手記を読んだばかりに、二度と平和に眠ることができなくなった。われわれが日常生活を送る時間と空間の背後には、神を冒涜する恐怖の〈物〉が潜んでいる。それははるか昔、遠い星から渡来して、いまは海底深く眠ってはいるものの、次の地震によって彼らの石都が陽光と大気のなかに浮かびあがることになれば、それを機会にふたたび自由をとり戻して、夢魔のような狂信徒ともども、地球の支配者の地位を回復するのである。
ヨハンセンの航海は、彼が海事審判所に供述したとおりに行なわれた。エンマ号が底荷だけで、オークランドを出航したのが二月二十日で、当然のことながら、海洋上で地震に出会う羽目になった。地震がもたらした嵐をまともに受けて、海底が盛りあがる恐怖感に、船員たちは慄えおののいた。しかし、操舵の力をとり戻したあとのエンマ号は、またも順調な船足で航行をつづけていたが、三月二十二日にいたって、アラート号から停船を命ぜられた。砲撃されて沈んでゆくエンマ号の非運を、航海士の手記が哀惜のおもいをこめて書き記している。アラート号に乗り組んでいる混血の邪教徒たちについては、恐怖に怯える筆致で、この世のものとは思えぬその凶悪性を見ただけで、皆殺しにするのを人間の義務と考えるのが当然の成り行きだと書き、海事審判所で残虐行為の責めに問われたことに、むしろ率直に驚きを示していた。それからエンマ号の乗組員は、捕獲した快速船に乗り移って、ヨハンセン二等航海士の指揮の下に、好奇心に駆られながらの前進をつづけた。そして、南緯四七度九分、西経一二六度四三分の海上に、巨大な石柱が聳《そび》え立つのを発見することになった。近づいてみると、泥土と沈澱物の混ざりあった海岸線がつらなるところに、巨大な石造物が海草に蔽われて立ち並んでいた。これこそ、地球の内部に秘められた恐怖が凝集して、実体となって現出したものに相違ないと思われた。たしかにそれは、有史以前の遠い昔に、暗黒の星から降下した邪悪の〈もの〉が築きあげ、いままた芸術家たちが夢のうちに見た死の都ル・リエーであったのだ。そこの緑色の泥土に蔽われた石窟には、クトゥルフとその眷属《けんぞく》が身を横たえている。そして、測り知れぬ宇宙の周期が経過したいま、彼らは強力な思考波を放射し始めた。それが感受性の鋭い人間の夢に沁み入って恐怖感を与え、狂信徒の群れには解放と復権を願う巡礼に出よと、強圧的に呼びかけつつある。これらの事実はもちろん、ヨハンセンの知るところでなかったが、彼もまたその直後にこの恐怖を目撃することになったのだ!
これはぼくの推測だが、彼らが実際に水面から聳え立つのを見たのは、偉大なるクトゥルフが埋葬されている石柱を頂く城砦の上層部だったのではあるまいか。その下層に広がっているはずの壮大な都の規模を思いやるだけで、ぼくはこのまま死ぬのがましと考えたくらいだった。ヨハンセンと部下の海員たちが、水を滴《したた》らせている太古の悪霊たちの居城を眺めて、宇宙的な壮麗さに驚歎し、なんら前提的な知識を持ちあわさぬことから、これはとうてい地球のものではない、およそ現実に存在する惑星のものではあり得ぬ、と考えたのも当然であろう。緑がかった石造物の信じられぬほどの巨大さと、彫刻をほどこした石柱の目くるめくばかりの高さに畏怖を感じて、そして同時に、そこに見られる巨人像の顔かたちが、アラート号の聖骨箱から見出した奇怪な偶像と、あまりにも似かよっているのに驚いた様子が、ヨハンセン航海士の恐怖に怯えた記述の一行ごとに現われていた。
ヨハンセンに未来派絵画の知識があったとは思えぬが、彼がこの石の都について語るところは、あの流派の画家たちが企図したものにきわめて類似していた。事実、手記の記述は個々の石造物を具体的に描いてみせるかわりに、その角度と面との桁はずれの広大さに驚嘆した模様に終始していた。地球人の観念とはあまりにもかけ離れ、偶像と象形文字の奇異な印象とあいまって、この世のものとは信じられなかったという。ぼくが角度と面についての記述をとりあげたのは、その部分を読んでいて、ウィルコックス青年の夢を思い出したからだ。若い彫刻家は怖ろしい夢を説明するにあたって、そこに現われた線と形が全部狂っており、われわれの世界のものとは別個の、非ユークリッド幾何学的な球体と次元を連想させられたと語った。そのような学識を欠いた船員たちにしても、この奇怪な現実を前にしたときには、まったく同じ印象を受けたものと思われる。
ヨハンセンと部下の海員は、巨大都市の堤防に上陸した。堤防と見たのは巨石を積みあげた城壁であり、傾斜がきついうえに滑りがちなので、これを梯子《はしご》としてよじ登るのは人間の能力を上まわっていた。海底から浮かびあがった倒錯の島であるのを示す瘴気《しょうき》が立ち昇り、それが偏光性を持つのであろうか、天空にかかる太陽の形も歪んで見えた。足場にしている積石も輪郭があいまいで、凹状と見た個所が次の瞬間には凸状に変わり、ねじくれた悪意がそこにひそんでいて、転落の危険を誘っているものとしか考えられなかった。
といったわけで、巨石と泥土と海草を見てとる前から、恐怖に似た何かが探険者全員の心を捉えていた。それでいて逃げだす者がいなかったのは、仲間に臆病者だと笑われるのを気遣ったからであろう。ただ、心の底には、記念に持ち帰る金目の品を仲間の者より先に見つけ出したい気持があったのは事実だが、それも結局は空望《からのぞ》みと知るだけに終わった。
真っ先に石柱の台座にたどりついたのはポルトガル人のルーズリーギッシュで、何を見出したものか、いきなり大声に叫んだ。全員がそのあとにつづくと、そこに大きな扉があって、いまは馴染みになった槍烏賊《やりいか》の頭に竜の胴体の怪物像が浮彫りになっている。誰もが目をみはって、不思議そうに眺めていたが、ヨハンセンの説明によると、物置小屋の入口を巨大にした感じのもので、装飾付きの嵋[#「木+眉」、第3水準1-85-86]石《まぐさいし》、敷居、抱き柱を備えているところからして、扉であることは間違いないのだが、揚蓋のように平面なのか、穴蔵の入口のように傾斜させてあるのか、判然としないのだった。ウィルコックス青年も語っていたが、ここでは幾何学が狂っているのである。実際、海面に目をやっても、それが地表と水平かどうかも確認できず、物と物との相対的位置が幻影のように変化を示すのだった。
プライドゥンがその各所を押してみたが、どうということもなかった。次に、ドノヴァンが慎重な手付きで、あちこちを入念に探りながら、奇怪な刳形《くりかた》の角《かど》をまわって、向う側まで歩いていった。この場所が平面でないとしたら、登り勾配に進んだはずであるが、どこまで行っても扉がつづいている。これほど大きな扉があり得るだろうか。すると、静かに、緩慢に、扉の上方の一エーカーもあるかと思われる部分が内側に動いて、そのまま平衡を保って静止した。
ドノヴァンはあわてて転がり落ちた。いや、自力で滑り降りたのかもしれぬが、とにかく、抱き柱を伝わって、仲間たちと合流し、全員揃って、巨大な入口が後退してゆく異様な動きを見守った。それはプリズムを透る光線のように斜《はす》かいに歪む変則的な動きで、物理法則と遠近法とを完全に無視したものだった。
入口が開いて隙間ができたが、内部の暗闇は質量的なもので、黒い物質が充満しているとしか考えられなかった。陽光がさし込むので、城壁が見えてよいはずなのに、事実はその反対に、永劫の時間を密閉されて過ごしてきた何かがようやく解放されて、煙のように湧出し、陽光を刎ねのけ、太陽自体も膜質の翼に叩かれては収縮した天空の奥深く逃げこむかに思われた。そしてまた、新しく開いた深みから立ち昇る臭気に耐えられぬものがあったが、しばらくすると、耳ざといホーキンズが、水の跳《は》ねるような無気味な物音を聞きつけて、全員が耳を澄ました。誰もが、動くこともできずに聞き入っていた。何かが歩いている。よほどの巨体のものが地響きを立てながら近づいてくる。と思うまに、突如、漆黒の空間を押し分けるようにして、膠質《こうしつ》で緑色の際限もなく巨大な物が、狂気に毒された都の汚染した外気のなかに現われ出た。
この部分を書き記すのに、哀れなヨハンセンの筆は力尽きたかにみえた。六人の船員はついに帰船できなかった。そのうち二人は、怪物が出現した呪われた瞬間に、恐怖のショックだけで死んでいった。怪物の姿の凄まじさは、ヨハンセンの描写力をはるかに超えていて、かくまで怖ろしい地獄の叫喚と永遠の狂気を語る言葉を人類は知っていない。船員たちがそれを見た瞬間に、全物質の力が激突し、宇宙の秩序が崩壊した。おお、神よ! 山が歩き、よろめいたのだ。そしてこの奇跡の出現が、全世界にテレパシー現象を起こし、高名な建築家が狂死し、哀れなウィルコックス青年が高熱に浮かされた。偶像が写し出していた太古の神、暗黒の星が産んだ緑色の怪物、いまやそれが目覚めて、おのれの権利を主張している。星辰がふたたび、正しい位置に戻ったのであろうか。太古以来、その信徒が幾度となく試みては失敗に終わっていた悲願が、何も知らぬ船員たちの手で成し遂げられたのだ。邪教徒たちの偉大な神クトゥルフが、数千兆年ののちに解放されて、いま、餌食を貪《むさぼ》り始めている……
逃げだそうとしたときはすでに遅く、船員の三名は軟質ながら巨大な爪に打ち潰された。神よ、彼らに安らぎを与えたまえ。この宇宙にも安らぎがあればであるが。この三人はドノヴァンとゲレラとアングストロームで、あとの三人は狂ったように、果てしなくつづくかと思われる岩山を乗り越えつつ、ボートを目指して走りに走ったが、途中で三人とも姿を消してしまった。ヨハンセンが目撃したのは、パーカーの最期の場面だけで、その死の様子が、目の狂いでないとの断《ことわ》り書つきで記載してあった。パーカーは石造物の角を曲がるとき、足をすべらして倒れた。鋭角に見えていたところが、急に鈍角に変わったからで、そのとたんに、彼の身体は石のなかに呑みこまれていった。かくして、ヨハンセンとブライドゥンの二人だけがボートにたどりつき、必死のおもいでアラート号へ漕ぎ戻った。その間、山とも見える巨体の怪物は、ぬるぬるした岩を踏んで海ぎわまで達したが、そこでやや躊《ためら》っていた。
全員が上陸して、留守にしていたにもかかわらず、アラート号の蒸気は冷えきっていなかった。二人が無我夢中で、操舵室と機関室のあいだを駆けまわると、エンジンが動きだし、船は言語を絶した恐怖の下におかれながらも、徐々に死の海を進行し始めた。岸辺では死人を呑みこむ奇怪な石造物の上で、暗黒の星から渡来した邪教の神が、逃れ行くオデュッセウスの船に呪いの声を吐きつけるポリュペーモスさながらに、口から泡をとばして何やらわめき立てていた。しかもこのクトゥルフは、伝説に残るこの一眼巨人キュクロプス族以上にしぶとくて、たちまちそのぬらぬらした巨体を海中に滑りこませ、宇宙的な力で波を引き裂き、凄まじい勢いで追跡してきた。振り返ってそれを見たブライドゥンは、その瞬間に気が狂った。そしてその後は、思い出したように笑い声をあげる状態がつづき、ある夜、これも同様に半狂乱のヨハンセンが甲板上をうろうろしているあいだに、船室内で死んでいった。
だが、ヨハンセンは屈しなかった。アラート号のエンジンが全能力を発揮せぬうちに、怪物に追いつかれるのが必然的とみたので、一かばちかの冒険に運命を賭ける決意をした。エンジンをフル・スピードにしておいて、電光のような素早さで甲板上を駆けぬけると、舵輪をいきなり逆回転させた。悪臭を放つ水面に渦が生じ、不潔な水沫《みなわ》が逆巻いた。そしてそこを、悪霊のガリオン船を思わせて、膠質の怪物が追跡してくる。エンジンを動かす蒸気力が最高の段階に達したとき、わが勇敢なノルウェー人は、アラート号の船首をジェリー状の怪物の巨体へ向けた。たちまち両者は接近して、いまや、武装快速船の舳に突き出た第一|斜檣《しゃしょう》が槍烏賊《やりいか》に似た怪物の頭から伸びた触手とすれすれになった。だが、ヨハンセンはひるむことなく、突進をつづけた。気胞のはじける破裂音、切り割ったマンボウが流すどろどろした汚物、あばかれた古塚から噴出する悪臭、それらすべてが千倍にも拡大されてそこにあって、どのような記録者であろうと、この凄まじさを紙上に表現できるとは考えられぬ。アラート号は一瞬のうちに、目を刺す緑の雲に包まれて、船尾だけが外に出ているにすぎぬのだが、そこもまた毒液が煮えたぎっていた。そしてしかも――おお、神よ! ――いったんは砕けて星雲状に変わった名も知れぬ暗黒の落とし子が、ふたたび元の形をとり戻しつつあるのだ。だが、アラート号は蒸気力を最高にして、フル・スピードの逃走に移り、一秒ごとにその距離を広げていった。
ヨハンセンの手記はそこで終わっていた。思うにその後の彼は、船室内に閉じこもったまま、偶像を前に物思いに沈み、ときどきは、自分と、そばで笑い声をあげている男との食糧に気をつかうだけで、舵輪を握る気持にもなれずにいたのであろう、果敢な行動のあとの反動で、彼の心のうちの何か大きなものが消失したのも無理からぬことである。やがて四月二日の嵐が襲来して、わずかに残っていた意識までが、濃密な雲に包まれてしまったらしい。おそらくは彼の周囲の無限に広がる闇のなかに、怪奇の物が渦を巻き、彼自身の身体は彗星の尾に載せられて、旋回する宇宙の目くるめくばかりの高所を飛翔し、地獄の底から月の世界へ、そしてふたたび月から地獄の底へと、狂気の突進を反復していたにちがいないのだ。そしてそのいたるところに、狂喜乱舞する古き神々と、緑色のコウモリの翼を持つ地霊たちの哄笑が聞こえていたものと推測される。
しかし、ヨハンセンはこの悪夢から救出された――ヴィジラント号、海事審判所の法廷、港町ダニーディン、そして長い航海を経て、彼はようやく、エゲベルクの山麓にある故郷の家に帰ることができた。とはいえ、その怖ろしい経験を人に語るわけにいかなかった。気が違ったと見られるからだった。そこで、死が訪れる前に、書き残しておくことにした。それも、妻に気づかれぬようにである。彼女には知られたくない。彼自身としても、死がこの記憶を拭い去ってくれたら、またとない神の恩寵と感謝すべきだと考えていたはずである。
以上がぼくの読んだ手記の概略なのだ。いまはそれが、ウィルコックス青年の薄肉浮彫りとエインジェル教授の資料と一緒に、錫の箱に収めてある。ぼくのこの記録も、それらの品と運命を同じくさせねばなるまい。ぼくはこの記録を、ぼく自身の正気のテストの意味で書きあげた。そのために、自分では関連させて考えたくない出来事も、敢えて結び付けて提示してあるのだが、それが狂気の証拠かどうかは、ぼくの判断の埒外にある。要するにぼくは、宇宙が恐怖を楯に守りぬこうとする秘密を知ってしまったのだ。これから先は、春の空も夏の花も、ぼくへの毒となることであろう。いずれにせよ、ぼくの生命は長くない。ぼくの大伯父が、そして、哀れなヨハンセンが死んでいったように、ぼくもまた死んでいかねばならぬ。宇宙の秘密を知りすぎたし、一方、あの忌わしい信仰が生きているからだ。
クトゥルフもやはり生きているものと、少なくともぼく自身は考えている。太陽が若かった頃から彼を庇護していた岩の割れ目に戻って、生きつづけるにちがいないのだ。彼の呪われた都も、ふたたび海底に沈んだ。四月の嵐のあと、ヴィジラント号がその海上を無事に航行できたのがその証拠だ。しかし、地上では彼の信徒たちが、今夜もまた、人里離れた深夜の森林内で、偶像を載せた石柱をめぐって、吠え立て、躍り狂い、殺戮を繰り返している。目下のところ、クトゥルフは海底の暗黒の深淵に捕えられたかたちで身を潜めている。そうでなければ、現在のこの地上は恐怖と狂乱の世界と変わって、われわれ人類は泣き叫んでいるはずである。いつかまた変化が生じる。浮かびあがったものが沈むように、沈んだものが浮かびあがってくる。げんにこの時点でも、醜悪な太古の神々が、海底で、機会の到来を夢見ながら待っているし、地上にあっては、都市の上に頽廃の影が広がり、人類の危機が接近しつつある。その時が、かならず襲来する――しかし、その日のことは考えるべきでない。考えるには怖ろしすぎる! そしてぼくの遺言執行者に、ぼくの死後、この記録を発見したときは、俗人どもの目に触れぬように慎重に処理してしまうことを依頼しておく。