ラヴクラフト全集〈1〉
H・P・ラヴクラフト/大西尹明訳
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訳者あとがき
ラヴクラフトの人と作品に関する解説は、彼の弟子であり、彼の作品の厳密な校訂者であるオーガスト・ダーレスの筆になる文章を一級資料とするほかはないので、それを次に要約して、読者諸子への参考に供することとしよう。
ハワード・フィリップス・ラヴクラフト(一八九〇―一九三七)はロード・アイランド州のプロヴィデンスに生まれ、その全生涯をほとんどこの地ですごしたが、ただ例外は、北アメリカ大陸の東部のなかばをつつむ地域内にある古い都市――カナダのクェベック、セント・オーガスティン(フロリダ州北東部海岸にある保養地で米国最古の町)、およびニュー・オーリーンズに短期滞在したことだけであり、その旅行も、古い時代のこまかい事情を調査するのが目的であって、その成果は、彼の恐怖と超自然の物語のなかにおいてきわめて大きな役割を果たす要素として生かされている。が、こういう旅行はめったにしなかった。それというのも、ラヴクラフトはたえず病気につきまとわれていたので、ほぼ世捨て人に近い生涯を送っていたからである。
一人前に成長してからは、彼みずからはほとんど価値を認めていない他の作家の作品に手を入れて、その文章を磨《みが》きあげる仕事に自分の文才を使うことによって、彼はかろうじて暮しをたてていた。一九二二年になって、やっとラヴクラフト自身の作品が売れるようになり、その翌年に「ウィアド・テイルズ」という雑誌ができるにいたって、初めてラヴクラフトの記憶すべき小説が、かなり定期的に発表されるようになった。しかし、そのときでさえ、ラヴクラフトは自分の創造力に充分の自信を持ってはいなかったので、他人の作品に手を入れて文章を磨きあげるという骨の折れる仕事に相変わらず多大の時間を割《さ》いていた。さらに、それ以上の時間を、大ぜいの作家や読者との文通についやしていた――手紙のやりとりは、彼のような隠遁生活を送っているものにとっては、いわばひとつの補いとして必要なものであった。
ラヴクラフトの小説は、さっそく好意的な反応で歓迎され、たちまちイギリスの選集――クリスティーヌ・キャンベル・トムスンの編集する「夜ではない」シリーズ中に翻刻され、そのなかの数編は、その年度中の、故エドワード・J・オブライエンの最優秀小説集に二つ星および三つ星ランクに数えられ、O・ヘンリー記念選集にも収録された。ダシール・ハメットの「夜に這う」や、T・エヴレット・ハルの「日が暮れたら注意しろ」という選集は彼の小説を載せた。いろいろな出版社が、彼の原稿を一冊の本にまとめて売れるかどうかを調べてみたが、最終的な分析の結果、あまりにもゴシック・ロマンス的な性格の小説は本にして売れる自信が持てない、ということになった。
おかげで、ラヴクラフトが生前に出版した本は一冊しかない。「インスマウスの影」がそれで、一九三六年に彼の崇拝者が個人的に出版したものだが、ひどい印刷である。一九三九年にアーカム・ハウス出版社がウィスコンシン州のソーク・シティに設立された。発起人は、ラヴクラフトの手紙友達で、同業作家のオーガスト・ダーレスとドナルド・ウォンドレイで、H・P・ラヴクラフトの散文と詩とを出版するという特別の目的をもっていた。そのとき以来、この出版社はもっと手を拡げて同じジャンルに属する他の多くの作家の作品を出版しているが、一九三九年を皮切りとしてラヴクラフトの散文と詩の三つの大きな選集を出版し、そのうちの二つ――「アウトサイダーその他」と「眠りの壁を越えて、およびマージナリア」――は絶版であり、また、長編小説一つと合作小説一つ――「門口《かどぐち》に潜むもの」と「選文集」とは未刊である。
H・P・ラヴクラフトの作品はゴシック・ロマンスの伝統をひくものとして独創的である。彼がその伝統に達したのは、一方ではポオを、またもう一方ではダンセイニとマッケンを潜ったあげくのことであるが、系統的には両者と同じでも、作品の型としてはそのいずれにも属さない。「壁のなかの鼠」、「ダンウィッチの怪」(創元推理文庫「怪奇小説傑作集3」所収)、「インスマウスの影」のような作品は、現代の怪奇小説の最高のものである。H・P・ラヴクラフトは、当時のアメリカにおいて、他に匹敵するもののない怪奇文学の巨匠であったが、彼の作品が生前にもっと大ぜいの読者に迎えられなかったのは、超自然的な作品の売れる高級な市場がアメリカになかったという事実ひとつによる。彼みずからの好んだことばによれば、彼はその実生活においてもまた文学においても、その時代の「アウトサイダー」であった。
怪奇文学に関する日本の権威者たる平井呈一氏は、「クートルー神話」を創案したラヴクラフトの業績を高く評価しておられるが、これは正当な御指摘であり、ラヴクラフトの愛読者ならば、彼のいくつかの作品中に、共通した地名、人名、怪物名が現われてくるのに気がつくはずだ。例えば「インスマウスの影」や「闇に囁くもの」の初めに、「マサチュセッツ州アーカムのミスカトニック大学」という名が見られるが、この「アーカム」も「ミスカトニック」も、ともに架空の名であって、前記「ダンウィッチの怪」(創元推理文庫「怪奇小説傑作集3」二六一項)にもこの名が書かれている。
フォークナーの「ヨクナパトーファ」、あるいはJ・B・キャベルの「ポワテム」のように、ラヴクラフトの「アーカム」は彼独自のミクロ・コスモスの土地の一つであり、その独特な物語圏を構成する要素の名前は、地名、人名、書名をひっくるめ、少し拾っただけでも――「ヨグ・ソトホート」、「クトゥルフ」、「ユッグゴトフ」、「ニャルラトホテプ」、「ネクロノミコン」、「デーモノラトリア」、「マグナム・イノミナンダム」、「ル・リエー」、「アザトホート」、「ハストゥル」、「ベトモオラ」、「ル・ムルーカトフロス」、「プラン」、「ヰイアン」等、おびただしい数に達し、しかもこれらはすべて架空の名であり、彼の純然たる創造物であるが、また、例えば「マジェラン星雲」、「球状星団」、「銀河系外宇宙」といった架空でない名辞も、彼独自のコスモスを構築するさいの、いわば小道具として使われている。この他に、他の小説ではあまりお目にかからないが、彼の作品ではしばしば愛用される語のジャンルに、次のような単語がある、――
familiar(「使い魔」、例えば日本の「稲荷の狐」)
cryptic(「神秘な。秘密の」)
dryad(「森の仙女」)
entiry(「実体」)
macabre(「ものすごい」)
bizarrerie(「グロテスクなもの」)
aeon(「霊体」)
ichor(ギリシャ、ローマ神話の神の体液で、人間の血液に相当するもの)
demented(「狂気の」)
cyclopean(「サイクロプス式の」)
rapport(「霊媒による霊感通信」)
fungoid(「菌類の」)
cormophyte(「茎葉植物」)
mutant(「突然変異体」、現代ではS・F・でおなじみになってしまったが)
celebramt(「祭の執行者、司祭」)
cadaverous(「死体の。青白くて物すごい」)
blight(「生物に害のある霞のこもった大気」)
conclave(「秘密会議」という意味で使用)
等――きりがないから、一応これくらいにしておくが、日常の市民生活ではあまり使用されない語を愛用する傾向が、彼にはかなり顕著に認められるといってよさそうだ。例えば、penulti-mate(「語尾(終わり)から二番目の」)という単語は稀語に近いといってもよいと思うが、こういう単語を用いているのもその一例である。
本書に収められた「闇に囁くもの」も、この彼の物語圏に属するものの一つであるが、その作風は「ダンウィッチの怪」とはかなりちがったものである。怪異をあつかうという点では同じであっても、問題の怪物が、その正体をいつ現わすか、いつ現わすかというサスペンスにひかれたあげく、その期待感の頂点で読者の目の前に物凄い姿を現わす、この行きかたの代表が「ダンウィッチの怪」であるとすれば、その逆の行きかたの一例がこの「闇に囁くもの」であるといってよかろう。なるほど理詰めな読者ならば、エイクリーはしょせん機械装置の蝋人形であって、ノイズがそれをあやつっていた、とお考えになるであろうし、また逆に、エイクリーとノイズとは同一人物であるという説も可能であろうし、さらに、エイクリーとノイズとは別人であって、エイクリーはやはり行方不明となっているという素朴な考えかたも可能であるが、いずれも唯一無二の決定的な論となりうるわけではなく、それらのいずれも可能であると同時に決定的ではないという、いわばもやもやとした怪しげな雰囲気のうちに、実体不在の疑惑を溶解してしまう行きかたの一つの代表がこの「闇に囁くもの」である。
だからこの作品について、実体が不明だからつまらないというのは、どだい野暮《やぼ》な話であって、むしろ、実体を最後まで隠しておきながら、どこまで怪異なる雰囲気を伝えうるか、その可能性を探ろうとするところに彼の野心があったと見るのが至当ではあるまいか。その野心を成立させるには、何よりもまず独特な文章の必要なことは当然で、それにふさわしいだけの個性的な文体が彼には備わっていた。ただし、それが、どの作品でも完璧かどうかという点では、いくぶん問題のないことはない。わたしの読んだかぎりでは、その行き届いた文章の完璧性という点ではポオの域に遙かにおよばないが、物語圏を組織的に創造したという点ではラヴクラフトにも独自性を認めてやらなばなるまい。また、「闇に囁くもの」にはスペース・ドラマを先《さき》どりしたような要素も認められるから、これを古典的なSFの一つと見る考えかたも可能であろう。
「インスマウスの影」は、実体の出現に関していえば、いまのべた二作のほぼ中間に位《くらい》する作品であって、幻想的でありながら、読後の印象には不思議に生々《なまなま》しい現実感があり、その魚のような顔をした怪しい生きものの影がいつまでも心に残る。
「死体安置所にて」は、いわば当世はやりのブラック・ユーモアのはしりのような話であり、作者の話術の巧みな組立てぶりが端的に現われた作品である。
「壁のなかの鼠」は、視覚と聴覚との双方に訴えかける怪奇な味わいを、綿密に計算してできあがったという趣《おもむ》きのある話であり、作者の文章のリズムに乗りきれない読者にはつまらない作品と思われようが、乗りきれた読者には、以後ラヴクラフトの作品のリズムは自分に身近なものと感じられるようになるにちがいない。恐怖という感情そのものが実体に対するものではなく、究極的には当人の想像力の働きに由来するものである以上、イメージを描く能力を豊富に持ちあわしている人ほどラヴクラフトの愛読者となる可能性が強いといって大きな誤りはあるまい。
わたし個人の印象としては、読んだあとまで、何となく心に残ったイメージの一つに、広い食堂の白い大きなテーブル・クロースを前にして、たった独《ひと》りで食事をする訪問客の姿がある。「闇に囁くもの」のなかで、客として遠路はるばる訪れたウィルマートが、エイクリーの邸宅の食堂に腰をおろしたときの姿がそれである。これは、遠来の客に対する正当なもてなしかたではない。ふつうの常識から見てまことに異常な客のもてなしかたである。が、ラヴクラフトは変人のエイクリーのもてなしかたとしてさらりと書いてあり、これをかならずしも異常と思わぬほどの孤独な影が彼の身についているように思えてならない。「幼いころ父に死なれ、病身の母と孤独な少年時代をおくった」(「怪奇小説傑作集3」の三九五頁の平井氏の言)という彼には、初めから、大ぜいでにぎやかに談笑しながら食卓を囲むという楽しさの経験が欠けていたのではなかろうか。遠来の客でさえ、たった独《ひと》りでぽつんと食卓の前に腰をおろさせる――この寒々しい食卓風景のうちに、ラヴクラフトの寂漠たる日常生活を読んではいけないであろうか? かならずしも読みすぎとはいえないと思うのだが。
家庭の団欒《だんらん》を少しでも知っているものには、人と人との温かい触れあい、和顔、談笑、心のかよいあうなにげないそぶり――こういう日常の人間らしい暮しの感覚は、食卓において最も端的に味わえるはずだから、複数の頭数《あたまかず》の揃《そろ》っている食卓の場面は、作中人物の性格や性癖を、それこそ日常茶飯事のうちに描くのにつごうのよい条件の整った舞台の一つであるはずだが、ラヴクラフトにはその意味での「食卓」がない。食卓はあっても、人間はたった独《ひと》りでぽつんと腰をおろし、白い大きなテーブル・クロースが目の前に拡がっている。いつも一人で話し相手もなく食事をする生活――これはあまりにもわびしすぎはしないか。そうだ、だから何かせずにはいられないのだ――何かを、それこそ、せめて相手に語りかけないまでも、何か語りかけるようなことばを文章で書いてみるというくらいのことをせずにはいられないのだ。ラヴクラフトは筆をとることにより、つまりは、その偏《かたよ》った空想にのめりこむことにより、一人には大きすぎるテーブル・クロースの圧倒的な空白感に連続するわびしさとの絶縁をくわだてたのではなかろうか。
終わりに、ラヴクラフトの創《つく》りだした架空の地名、人名、怪物名に対するわたしの日本語の表記法について申しあげると、例えば、
'CTHULHU'は「クトゥルフ」、また
'YOG-SOTHOTH'は「ヨグ・ソトホート」
としたが、これは無方針に表記したのではなく、原語に表記された文字に基づいて発音されると考えられる許容範囲内で(その最も不自然かつ佶屈《きっくつ》たる発音を選んだがためである。そのわけは、なるべく不自然で佶屈たる音のほうが、アンキャニーな効果があると思われたからであり、むろんこれは主観の問題である。だから、当然、別の意見もありうることは承知しているが、ともかく、わたしなりに一つの方針に基づいた表記法である点だけをひとことおことわりしておきたい。数種類のテクストのこまかい異同については、編集部の御指摘によって誤りを免れたところが数か所あった。記して感謝の意を表したい。
収録作品原題
The Shadows Over Innsmouth(1931)
The Rat in the Wall(1923)
In the Vault(1925)
The Whisperer in Darkness(1930)
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訳者紹介
1918年生まれ。早稲田大学英文科卒業。明治大学教授。主な訳書、セシル「メルトン先生の犯罪学演習」、ブラッドベリ「ウは宇宙船のウ」、ウィンダム「時間の種」他多数。
ラヴクラフト全集1
1974年12月23日 初版
1991年12月20日 31版
著 者 H・P・ラヴクラフト
訳 者 大西尹明〈おおにし・ただあき〉
発行所 株式会社 東京創元社