地獄での一季節
アルチュール・ランボー/篠沢秀夫訳
目 次
地獄での一季節
悪い血
地獄の夜
錯乱 1
錯乱 2
不可能なこと
稲妻
朝
さらば
解説
ランボー略年譜
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地獄での一季節
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≪遠い昔、確かにそういう気がするのだが、日々の暮らしは祝宴で、人みな心を開き、葡萄酒という葡萄酒が流れ溢れていた。
一夜、この膝の上に美の女神を座らせたことがあった。――それが何とも苦々しい奴だった。――それで散々|罵倒《ばとう》してやった。
このわたしは正義に向かって刃向かったのだ。
わたしは逃げた。おゝ魔女どもよ、おゝ悲惨よ、おゝ憎しみよ、我が宝の託されしは汝らにこそ!
人間としての希望はすべて、我が精神の内で気絶させるに至った。あらゆる喜びというものに向かって、絞め殺してやろうと、猛獣さながら音も立てずに跳びかかってやった。
死刑執行人どもを呼び立てて、死に絶えながらも奴らの銃の台尻に噛みついてやった。責め苦を呼び込んで、砂で息を詰まらせた。不幸を神としていたのだ。泥の中に長々と身を横たえた。人殺しの罪の風に吹かれてこの身は干からび果てた。そしてうまうまと狂気に一杯食わしてやったのだ。
それから春が、白痴のぞっとする高笑いを持って来てしまったのだ。
ところがごく最近、あやうく最後の「ギャッ」という音《ね》をあげそうになったとき、ふと思いついた。昔の祝宴の鍵を探し求めてみよう、あの祝宴がまたできれば食欲を取り戻せるかも知れない。
神と隣人への愛の徳、これがその鍵である。――こんな思いつきは夢を見てたって証拠だね!
≪てめえはいつまでたってもハイエナさ、とかなんとか…≫と悪魔がいきりたつ。あんなに愛らしいヒナゲシの花で冠をかぶらせてくれたのに。≪死んじまえ、業欲とエゴイズムと七つの大罪全部しょいこんでさ。≫
あゝ、もうそれは戴き過ぎるほど戴きましたよ――ちょっとサタンさん、あんまりいらいらした目つきをしないでくださいよ! で、これからまだちょっとしたげびた振る舞いをいくつかするのを待つあいだ、なにしろ作家には描写力や教化力の無いのがお好きなんだから、あなたのためにこの地獄おちのノートからなる何枚かの醜いぺージを引き抜いて、ご覧に入れるといたしましょう。
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悪い血
ゴール人の御先祖様から戴いたのは、青、白の目玉、狭っくるしい脳味噌、戦いの下手さ。着る物だって連中のと同じくらい野蛮だ。まさか頭の毛にバターを塗りはしないけど。
ゴール人というのは、けだものの皮を剥いだり草を焼いたり、その時代で一番無能な奴らだった。
この連中からもらったものは、偶像礼拝、それから神を汚すことの好み、――ずばり全部の悪徳、怒り、淫乱、――すごいもんだ、淫乱ときたら!――そしてとりわけ嘘と怠惰。
手仕事というのは何でも大嫌いだ。親方だって職人だってみんな百姓だ、下司《げす》野郎だ。ペンを執る手だって鋤《すき》を持つ手だって、どっちもどっちだ。――何てこった! まるで手の時代だ!――絶対に手に職などつけるものか。それに、人に使われるのはあんまりにひどいことになるし、乞食の正直さは胸に痛い。犯罪者が嫌な感じなのは、去勢者とどっこいだ。わたしとしては手つかずのままなんです、まあどっちでもいいけれど。
それにしてもだ! 誰がわたしの言葉をこれほど二枚舌にしてしまったのか、今までわたしの怠惰を導き守ってきたほどに? 生きてゆくために体を使わずに、カエルよりもぶらぶらと、至るところで暮らしてきたのだ。ヨーロッパの家族でわたしが知らないのは一つもない。家族っていってるのはつまり、ぼくのうちみたいなののことで、すべてを人権宣言から受けているのです。――良家の子弟っていうのは全部ぼくの知り合いなんだ!
――――
フランスの歴史のどこか一ケ所にぼくの先例があったらなあ!
まあだめだね、全然。
自分でもはっきりしているが、いつでもずっと劣等人種だったのだ。反抗ということがわかっていないのだ。わたしの種族は略奪するため以外には決して立ち上がらなかった。まるで、自分たちが殺したわけではないけものに跳びかかるオオカミどもだ。
カトリック教会の長女たるフランスの歴史がまざまざと浮かぶ。或いは賎民として聖地への旅をしたのかも知れぬ。頭の中に、シュワーベンの平野の街道筋、ビザンチンの風景、エルサレムの城壁が見える。マリアヘの礼拝、磔刑《たっけい》のキリストヘの哀れみが、心の中で幾百の異教の幻影のあいだに目覚める。――太陽にやけただれた壁のもと、レプラにかかって、破れ壷のころがるイラクサのうえに座っている。――さらに時代を下り、銃騎傭兵となって、ドイツの夜空の下、何度も野営したかも知れぬ。
おっと、まだある。赤く映える森の中の空き地で魔女の踊りに狂うのです。老婆たちと子供たちといっしょに。
この土地とキリスト教より前のことは覚えが無い。この過去の中に切りなく自分の姿が見えてくる。けれどいつでも独りぼっちなのだ。家族が無い。それどころか、どんな言葉を話していたのだろうか? 自分の姿がキリストの会合の中には決して見えてこない。キリストの代表者たる殿様がたの会合の中にも見えない。
前世紀にはいったい何だったのだろうか……今日の自分しか見当たらないのだ。もう放浪者どもは終わりだ、あいまいな戦争も終わりだ。劣等人種がすべてを覆った――人民さ、よく言うようにね、つまり理性だよ。国民、それから科学だよ。
そうさ! 科学さ! 何もかも元どおりだよ。肉体のためにそして魂のために、――臨終の聖体拝領で逆転天国行きさ、――医学がありそして哲学がある、――おかみさんたちの特効薬、手直しした民謡さ。それから王侯の気晴らしと奴らがお留めにしていた遊びだ! 地理学、宇宙学、機械工学、化学!……
科学、これこそ新しい貴族だ! 進歩ってことさ。世界は進む! 何で廻らないんだい?
まあ、ピタゴラスの数《すう》の幻想だね。我々は「精霊」におもむくのである。とっても確かなんですよ、お告げですよ、今言っていることは。わかりましたよ、異教の言葉を使わずには気持ちが言えないんだから、もう黙るとしましょう。
――――
異教の血が戻ってくる! 精霊は近い。どうしてキリストは助けて下さらないのでしょうか、ぼくの魂に高貴さと自由を与えてくださってもいいでしょうに。悲しいかな! キリストの福音は過ぎ去った! 福音よ! 福音か。
わたしはがつがつと神を待っているのです。永遠にずっと劣等人種なのです。
今、ブルターニュの浜辺に来ています。日が暮れて町に灯がつくといい。わたしの仕事は終わりました。ヨーロッパを離れます。海の空気が肺を焼きましょう。遠い土地の風土が肌をなめすでしょう。泳ぎ、草を踏み砕き、狩りをし、とりわけ煙草を吸う。煮えたぎる金属のような強いアルコールを飲む、――あの懐かしい御先祖様が焚き火のまわりでしていたように。
帰って来るときには、手足は鉄のよう、肌は黒く、目は猛々しく、面魂《つらだましい》を見るだけで強い種族なのがわかるだろう。金持ちになってるんだ。だからもうひまで乱暴なもんだ。女たちというのは、熱帯帰りのこういう凶暴な不具者の面倒を見てくれるものだ。政治問題に首を突っ込むことになるだろう。救われるんだ。
今は、神に呪われている。祖国なんてぞっとするよ。一番いいのは、酔いつぶれて眠るのだ、砂浜で。
――――
出発はやめた。――ここの道を辿《たど》り直そう、自分の悪徳を担《にな》って。物心ついて以来この脇腹に苦しみの根を張った悪徳を――天まで上り、ぼくをたたき、ひっくり返し、引きずる悪徳を。
世間知らずも優柔不断もこれで最後だ。さあ済んだ。渡る世間にぼくの嫌悪と裏切りを持ち込まないこと。
さあ! 行進だ、重荷だ、荒野だ、倦怠と怒りだ。
誰に仕えよう? どんなけものを崇《あが》めるべきか? どんな聖像を攻撃するのか? どんな人々の心を打ち砕くのだろうか? どんな嘘をつくべきなのか?――どんな血の海の中を進むのか?
むしろ正義の手を警戒しよう。――人生ハ、キビシク、愚純化ハ、タヤスイ、――干からびた拳で棺桶のふたを押し上げ、座り、息を詰まらせる。かくのごとくして老いもなく危険もなし……恐怖はフランス的でないのです。
――あゝ! あまりにも見捨てられている! 何でもいいから神聖な画像に、完成への飛躍を捧げてしまいたい。
おゝ我が献身、おゝ素晴らしき我が慈悲よ! だけど下界なんだ!
『|イト深きトコロヨリ主ヨ《デ・プロフンディス・ドミネ》』なんて、馬鹿か、おれは!
――――
まだほんの子供のころ、いつでもまた徒刑場に連れ戻される徒刑囚を賛美していた。その人が滞在したかも知れないと、神聖に思って、宿屋や貸し間を訪ねたものだった。「その人の考えでもって」、青い空を、野原に花咲く労働の成果を眺めたものだった。町から町へと、その人の運命を嗅ぎとるのだった。その人は聖人以上の力があり、旅人以上の知恵があった。――その人の栄光と分別のほどの証人としては、その人、その人がいるだけだった!
街道筋で、冬の幾夜、宿もなく、着る物もなく、パンもない、そういう凍りついたぼくの心を抱き締める一つの声があった。≪弱いか強いか、とにかくここにおまえはいる。それが強みだ。どこへ行くのか何故行くのか、おまえには分からないんだから、どこへでも入って何にでも答えてしまえ。誰もおまえを殺しはしないさ、もともと死体だったのと同然さ。≫朝になると、あまりに虚《うつ》ろな目をして顔色が死んだようなので、行き交う人々は、「たぶんぼくが目に入らなかったのだ」。
町に入るたびに泥が突然、赤と黒に見えてくるのだった、ちょうど隣室でランプが動いているときの鏡のように、森の中の宝物のように! 「ガンバレヨ!」とぼくはいつも叫んでやるのだった。そして天に見えるのは、炎と煙の大海原だった。そして左に、また右に、ありとあらゆる富が億万の雷のように火炎を吹きあげるのだった。
けれど乱痴気騒ざや女どもとの仲間づきあいは、ぼくには禁じられていた。男の相棒さえ一人もいなかった。独りで、激怒した群衆をまえにして、銃殺小隊の正面に立ち、その人たちがついに理解することのなかった不幸に泣きながら、そして、何と、許しを与えていたのだ!――まるでジャンヌ・ダルクだ!――≪聖職のかたがた、教授がた、親方がた、お間違いになっていますよ、わたしを司直の手に渡すなんて。わたしは一度もここの民の一人だったことは無いのです。キリスト教徒だったことは一度もないのです。わたしは処刑されるときに歌を歌っていた種族に属しています。法というものが分からないのです。道徳感覚が無いのです。けだものなのです。お間違いになっています…≫
そうです、わたしはあなたの光明に目を閉ざしています。わたしはけだものです、黒ん坊です。けれどわたしが救われることもありうるのです。おまえたちなんか、贋《にせ》の黒ん坊だ、偏執狂だ、けちだ。商人、おまえは黒ん坊だ。検事、おまえは黒ん坊だ。将軍、おまえは黒ん坊だ。皇帝、古い野望よ、おまえは黒ん坊だ。おまえは無税のアルコールを飲んだのだ。サタンの作った酒だ。――ここの民は熱に浮かされガンに冒されているのだ。不具者たちと老人たちは、自分から釜|茹《ゆ》でにして欲しいとたのむほどに、尊敬すべき人たちなのだ。――いちばん頭がいいのは、この大陸を離れることだ。こういうみじめな人達を人質にしようと、狂気がうろついているこの大陸を。ぼくは、ノアの次男、アフリカ人の先祖たるハムの王国そのものに入って行くのだ。
まだ自然が分かるだろうか? 自分で自分が分かるだろうか?――「もうごちゃごちゃ言うな」。死者たちはおれの腹の中に埋葬する。叫び、太鼓、ダンス、ダンス、ダンス、ダンス! 今に白人が上陸してきて、おれが虚無の中に落ち込むそのときというのは、思い描くこともできない!
飢え、渇き、叫び、ダンス、ダンス、ダンス、ダンス!
――――
白人が上陸する。砲声だ! 甘んじて洗礼を受け、身なりを整え、働かねばならぬ。
心臓に一発、神の恵みを食らってしまった。ああ、そればかりは思いもかけないことだった!
悪いことは何もしていないのです。これからの日々は軽やかに過ぎ、後悔などしないですみましょう。善には背を向けたも同然な魂が持つ苦脳は、わたしは味あわずにすむでしょう。そういう魂には葬式の灯明のような厳しい光りがさしてくる。つまりは良家の子弟の運命だ、透き通った涙に覆われた早すぎる棺桶だ。たしかに放蕩は愚だ、悪徳は愚だ、臭い物には蓋をしなければならない。けれど時計はもう、ただただ不幸の時刻しか打たないようになるわけではあるまい! ぼくは子供みたいに攫《さら》われて、不幸はすべて忘れて天国でもって遊ぶのだ!
早くしろっ! ほかにも人生はいろいろあるだろう?――富の中の眠りは不可能だ。富はつねに公共の利益であった。神の愛だけが科学を解く鍵を授けてくれるのです。自然とは善意に満ちた光景にほかならないと、わたしには思えるのです。さらば、さまざまの幻よ、理想よ、過ちよ。
天使たちの道理に満ちた歌声が救世船から立ち昇る。これが神の愛だ。――二つの愛よ! わたしは地上への愛に死に、また献身に死ぬこともできるのです。わたしがあとに残しました魂どもは、わたしの出発のせいで苦しみを増すことでございましょう! あなたはわたしを多くの難破者のあいだがらお選びになりましたが、残っている者たちはわたしの友達じゃあないんですか?
救ってやって下さい!
理性がわたしの心に芽生えました。この世は良いものです。わたしは人生を祝福します。同胞を愛します。これはもう子供の約束ではありません。老いと死を逃れようとする望みでもありません。神ワガ力ヲ成シ、ワレ神ヲ讃《たと》ウ。
――――
憂愁はもはや我が愛するところにあらず。激怒、放蕩、狂気――その高揚と荒廃をとことん知りつくした重荷は、今や下ろされた。眩暈《めまい》を起こさずに自分の無邪気な単純さの広がりを計ろう。
これではもう棒でボカボカ元気づけをお願いすることもできまい。イエス・キリストを義理のお父さんにして婚礼をやらかそうなんて、まさか。
ぼくは何も自分の理性のとりこではない。たしかに「神よ」と言いました。魂の救済において自由が欲しいんです。どうやってその自由を追い求めたものか? 気まぐれな好みの数々はもうぼくには過去のものです。献身も神の愛も必要ありません。感じやすい心の持ち主たちの時代を懐かしんだりはしない。誰にもそれなりの理性はある。侮蔑にせよ愛の徳にせよ。ぼくとしては、あの、ヤコブの夢見た天使の梯子《はしご》のてっぺんに席を予約しているんですよね、もっとも良識《ボン・サンス》の梯子だけど。
安定した幸福について申しませば、家庭的にせよそうでないにせよ……よせよ、そんなことはできないぜ。気が散り過ぎるし、弱虫だ。人生は働きありて花開きってね、昔からほんとのことだぜ。こちとらの人生はあまり重みがないもんで、ふらふらっと舞い上がって行動という奴のはるか上の方でふわふわ漂っているのさ、その、この世の中心という奴の上の方でさ。
まるっきり老嬢になつちまったもんだ、死を愛する勇気が無いなんて!
もし神が天上の、天空の静けさを、祈りをお与え下さるならば、――昔の聖人たちのように。――聖人だと! ありゃ強い人たちさ! 世捨て人なんて、ありゃもう用のない芸人どもさ!
切りの無い道化芝居だ! 自分の罪の無さに自分で泣けてくるよ。人生は皆で演じる道化芝居さ。
――――
もうよそう――罰はこれからはじまる。――「進軍だ!」
あゝ、肺が焼ける、こめかみがガンガン鳴る! 夜の闇が目の中に広がる、この日盛《ひざか》りの中で! 心臓が……手足が……
どこへ行くんだ? 戦いか? おれは弱いんだ! 他の奴らは進んで行く。仕事道具、武器……時が過ぎてゆく!……
撃て! 撃ってくれ! ほら! さもないと降参しちゃうぞ。――卑怯な奴らだ!
自殺しちゃうぞ! 軍馬のひづめの下に身を投げてしまうぞ!
アッ!……
――こんなことにもそのうち慣れるさ。
そうなったらもうフランス的生活だ、名誉への道一直線だ!
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地獄の夜
強烈な毒薬を一気に飲み干してしまった。――そこでやって来たお勧めの何と有り難いこと!――はらわたが焼けただれます。激しい毒で手足が捩《ねじ》れ体が曲がり、地べたにぶっ倒れる。のどが渇いて死にそうだ、息が詰まる、叫ぶにも声が出ない。これは地獄だ、永遠の責め苦だ! ほら、何と火が燃え盛ることか! 申し分なく焼かれているぜ。ざまあみろ、悪魔め!
以前、善と幸福への回心を垣間見たことがあった。つまり、魂の救済だ。その見たさまを今描き出せるだろうか、地獄の風は聖歌なぞ我慢しないからな! あれは幾百万といううっとりするような人々の集まりだった。甘美な宗教音楽会で、力と平和、もろもろの高貴な志、とかなんとか、いろいろあったもんだ。
もろもろの高貴な志か!
それにしてもまだ生きているんだ!――地獄落ちが永遠だとすれば! みずからの体を傷つけようとする人間はたしかに地獄に落ちているのだ、そうだろう? ワレ地獄ニアリト信ズ、ユエニワレ地獄ニアリ。教理問答の実践ですよ。ぼくは自分の洗礼の奴隷なんだ。お父さん、お母さん、あなたがたはぼくの不幸をつくり、また自分たちの不幸をつくったのですよ。気の毒な罪のないぼく!――地獄は異教徒を責めるわけがない。――生きているんだ、まだ! もっとあとになると、地獄落ちの快感はずっと深いはずだ。殺人を一丁、大急ぎ! そうすればぼくは虚無の中に真っさかさまに落ち込める、人間の法の名において。
黙れ、黙れったら!……恥なんだよ、非難なんだよ、ここにあるのは。サタンめ、火が汚らわしいとか、ぼくの怒りなんて、ぞっとするほど馬鹿げているとか言いやがって。――いい加減にしろ!……何だかんだ誤りを吹き込みおって、魔法だの、まがいものの香水だの、幼稚な音楽だの。なんと、ぼくが真理を手にしているだの、正義を目にしているだのときたもんだ、そうでしょうとも、健全できっぱりした判断力を備えているし、完成へ向かう用意がありますからね……思い上がりだ。――頭の皮が乾いてゆく。お憐れみを! 主よ、わたしは怖いのです。のどが渇いて渇いてたまりません!――あゝ! 子供時代、草、雨、小石の上の湖、「鐘楼が十二時打ちし月明かり」……悪魔が鐘楼にいるんだ、その時刻には。マリアさま! 聖処女さま!……――我が愚行のおぞましさよ。
おや、あそこにいるのはまっとうな人たちじゃないか、ぼくに良かれと願って下さるんだ――来て下さいよ……口が枕でふさがっているから、あの人たちには聞こえないんだ、あれは幽霊だもの。それに、誰だって他人のことなんか決して考えないもの。近寄らないでもらいたいね。きな臭いんだよね、ぼくは、間違いなく。
幻覚は数限りない。それこそぼくにはいつでもあったものだ。つまりもう歴史への信頼は捨て、あらゆる原理の忘却だ。言わないでおこう。これを言ったら詩人たちにも幻視者たちにも妬《ねた》まれてしまう。ぼくの方が千倍も豊かなのだから、海のように物惜しみしていよう。
何てこった! 生命の大時計はさっき止まってしまったのだ。ぼくはもうこの世にはいない。――神学に嘘はない。地獄は確かに「下の方」にあり、――天は上のほうにある。――火炎の住まいのさなかでの陶酔、悪夢、眠り。
野原の中をはったと見れば、何と多くの妖怪変化……野性の種といっしょに、うちの田舎でフェルディナンと呼んでいるサタンが走っている……茜《あかね》のイバラを撓《たわ》めずにその上をイエスが歩いている……イエスは逆まく波の上を歩いたのであった。ランタンの灯がその姿をぼくたちに見せた、エメラルド色の大波の横腹に白衣で栗色の編み毛を垂らしてすっくと立つその姿を……
ありとあらゆる神秘を解き明かしてみせましょう、宗教の神秘でも自然の神秘でも。死生、未来過去、宇宙のいわれ、虚無。わたしは幻術の大家ですぞ。
いいですかあ!……
何でもできるんですよ!――ここには誰もいない、それでいて誰かがいるんだ、せっかくの自分の宝を振りまくようなことはしたくないからね。――黒ん坊の歌がいいかね、イスラムの天女の舞がいいかな? ドロンドロンと消えて見せて欲しいかな、魔法の指輪を探しに水に潜って見せようか? どうかね? 金を作り出すし、秘薬も作っちゃうよ。
それゆえわたしを信じなさい。信仰は心を軽くし、導き、癒してくれます。皆さん、いらっしゃい、――お子さんがたもどうぞ、――わたしがあなたがたを慰めてあげましょう、あなたがたのために心を振り撒いてあげますよ、――素晴らしい心を!――哀れな者たちよ、働き手たちよ! わたしは祈りを求めはしません。あなたがたの信頼だけで、わたしは幸せなのです。
――ここで自分のことを考えるとしよう。まあ、それほどこの世に未練は無いね。もうこれ以上苦しまなくてもいいのはけっこうなことだ。我が人生はおだやかな狂気の発作ばかりなりき、それが残念です。
ばーか、思いつく限り、ありとあらゆる百面相をしてやろう。
どう考えても、今やこの世の外にいる。もう何の音もしない。持ち前の機知は消え失せた。あゝ! 我が城よ、我がザクセンの国よ、我が柳の森よ。夕暮れ、明け方、夜の闇、日の光り……この身は疲れ果てた。
こんなふうでは、怒りのために地獄へ行き、傲慢のために地獄へ行くことになろう、――それから愛撫の地獄なんてのもある、いろんな地獄の大合奏だ。
疲れ果てて死んでしまう。墓場行きだ、うじ虫どもに食いつくされてしまう、嫌だ、嫌だ! サタンよ、おどけ者め、おまえの魔力でおれをだめにするつもりだな。異議あり。異議あり! さすまたの一突き、火の一滴を要求する。
あゝ! 人生にまた戻る! 我々の醜さに目を向ける。そしてこの毒、千倍も呪われたこのくちづけ! ぼくの弱さ、この世の残酷さ! 神様、お憐れみを、わたしを隠して下さい、ちゃんとしていられないのです!――ぼくは隠されているし、また隠されていない。
火が地獄に落ちた者を包んで燃え上がる。
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錯乱 1
愚かな乙女
地獄の花婿
さあ、地獄の仲間の一人の告白を聴いて見ましょう。
≪おゝ神なる花婿、我が主よ、あなたの下女《はしため》のうちいちばん惨めな者の告解《こっかい》をお退けにならないで下さい。わたしは破滅です。わたしは酔っぱらってます。わたしは不純です。何という生活でしょう!
≪お許しを、神なる主よ、お許しを! あゝ! お許しを! 何と涙が出ることか! それに、あとになるとまた何と涙が出ることか、ありがたい、ありがたい!
≪あとになると、神なる夫に身を任すことになるのです! 「あの方」に従うように生まれついているのです。――今は、別な夫にぶたれていてもかまわないんです!
≪今のところは、この世のどん底にいるのです! おゝ、わたしの同類の女たちよ!……違うわ、あの人たちは違うわ……こんな錯乱や責め苦なんてありゃしない……ひどいもんだわ!
≪あゝ! 苦しいんです、叫んじゃう。ほんとうに苦しいんです。それでいて、わたしは何をしてもいいんです、最も軽蔑すべき心の持ち主たちの軽蔑を受けているんですから。
≪それでは、いよいよ打ち明け話をいたしましょう、のちのち何十回も繰り返すのは覚悟の上で、――何とも味気ない、つまらない話なんですけど!
≪わたしは地獄の花婿の女奴隷なのです。地獄の花婿というのは、あの愚かな乙女たちの身を滅ぼさせた奴です。花婿をちゃんと待っていられないで花嫁になりそこねたあの娘たちを。確かにあいつがその悪魔なのです。幻ではありません、幽霊ではありません。だけどわたしは分別をなくして地獄に落ちて世を捨てているのです、――だからいまさら殺されはしないのです!――あいつのことをどうあなたに説明したらいいでしょうか! もう話すこともできないのです。わたしは喪中なのです、泣き濡れています、怖いんです。ちょっとでいいですから爽やかさを下さい、主よ、お願いです、お願いですったら!
≪わたしは未亡人です……――未亡人でした……――そうですとも、これでずっと昔はとても真面目だったのですよ、骸骨みたいになるために生まれてきたのではありません!……――あのひとはほとんど子供みたいでした……あのひとの不思議な優しさに誘惑されてしまったのです。人の道の務めをすべて忘れて、あのひとについていってしまったのです。何という生活でしょう! ほんとうの生活が欠けているのです。わたしたちはこの世にいないのです。わたしはあのひとの行くところへ行きます、そうするほかはないのです。そしてよくあのひとはわたしに向かって腹をたてます、「可愛そうな魂のこのわたしに」。悪魔め!――あれは悪魔なんですよ、「人間じゃないんです」。
≪あのひとはこう言います、≪おれは女どもは好かないんだ。愛なんてものは改めて発明し直さなきゃだめなんだ、決まってるさ。女どもは保証のある立場を欲しがるだけさ。それしかもう能がないんだ。立場が手に入ると、優しさも美しさもどこへやら、冷たくツンとしているだけさ、そんなことで結婚生活は成り立っているんだ、今日このごろでは。そうかと思えば、いかにも幸せそうで、このおれがいい仲間にしてやれそうな女たちが、こともあろうに火刑台の薪《まき》の山みたいにすぐカッカとなる野蛮な奴らに食いつかれちまうのも、よくあることだ……≫
≪わたしは、あのひとの言うことのおぞましさを栄光に変え、残忍さを魅力に変えて聞いているのです。≪おれは遠い所から来た人種だ。おれの先祖はスカンディナヴィア人だった。自分たちの脇腹を刺しあって血を啜《すす》ったのだ。――おれは体じゅうに切り傷を作ってしまうんだ、入れ墨をしてしまうぞ、モンゴル人みたいに醜くなりたいのさ。見てろよ、通りを吠え立てながら歩き廻ってやるから。おれはほんとうに狂犬病にかかったみたいに怒り狂いたいんだ。決しておれに宝石なんか見せるなよ、もう、絨毯《じゅうたん》のうえに這いつくばって身をよじっちゃうから。おれの富というものはそこらじゅう血塗れなのがいいのさ。決しておれは働かないぞ……≫幾晩も、あのひとの悪魔がわたしを掴まえるもので、ごろごろ転がって組んずほぐれつ、わたしたちは揉《も》み合いました!――幾夜も、しょっちゅう、酔っぱらって、町なかだろうとよその家だろうと、とぐろを巻いて、わたしを死ぬほどびっくりさせるのです。――≪おれは今にほんとに首を切られるぜ、気味の悪い見物だろうぜ。≫ええもう、あのひとが人殺しでもしたような風で歩き廻りたがる日ときたら、ひどいものです!
≪ときには心の和《なご》んだ田舎ことばみたいに話すのです、死は悔俊を誘うとか、不幸な人達は確かにいるものだとか、仕事は辛いとか、別れは心を引き裂くとか。わたしたちが酔っぱらう安居酒屋で、よくあのひとは、わたしたちのまわりの人たちのことを眺めては泣いていました、悲惨さに食われる家畜の群れだって。真っ暗けな道端で、よく酔っぱらいを起こしてあげていたのですよ。小さい子供たちには、意地悪な母親みたいなやりかたで優しくしていました。――公教要理の勉強に教会へ行く小さな女の子のように優しい様子で出掛けて行くのでした。――何にでも明るいという振りをしていました、商売でも、芸術でも、医学でも。――わたしはあのひとについて行きました、そうするほかはないのです!
≪わたしには、あのひとが心の中で自分を包んでいる装飾は見通しでした、衣類でも織物でも家具でも。わたしはあのひとに想像で武器を持たせました、別な姿にしてあげたのです。わたしはあのひとに係わることすべてを、あのひとが自分自身でそうしたいと思っているとおりの形で考えていたのです。気が沈んでいるように思えるときには、わたしはあのひとについて行ったのです、いろいろと複雑怪奇なことをするのを、良かろうと悪かろうと、ずっとついて行ったのです。といってもあのひとの世界には決して入ることにはならないと分かっていました。可愛いあのひとの体が眠り込んでいるわきで、幾夜長々と目を覚ましていたことか。どうしてあのひとがあれほど現実から逃げようとするのかと、思いめぐらしていたのです。人間がこのような願いを持ったことはかつてないでしょう。わたしは認めていたのです、――あのひとのために心配することもなく、――あのひとが社会の重大な危険になりかねないと。――もしかして「人生を変える」秘訣を知っているのかしら? そんなことはない、あのひとはそれを探しているだけなんだ、とわたしは自分に言い聞かすのでした。つまり、あのひとの隣人愛は魔力が掛かっていて、それがわたしを虜《とりこ》にしていたのです。わたしのほかにどんな魂も、あのひとの愛を受け入れるだけの力は、――絶望の力!――あのひとに守られるだけの力は、ありますまい。それに、あのひとがほかの魂といっしょにいるなんて、わたしには想像もできませんでした。誰だって自分の天使は見えるけど、ほかのひとの天使なんて決して見えない、――――と思います。わたしがあのひとの魂の中にいるってことは、まるで、そんな下劣な者は見ないで済むようにと、人払いをした宮殿の中にいるようなものでした。そういうわけなんですよ。どうしようもないんです! もうすっかりあのひと次第だったんですからねえ。だけどあのひとは、こんな無気力でだらしのない暮らしのわたしを、どうするつもりだったのでしょうか? あのひとはわたしを死なせはしないけれど、だからといって前より増しな者にしてくれるわけじゃなかったんですよ! 悲しく落胆して、わたしはあのひとにときどきこう言ったのです、≪あんたの気持ち分かるわ。≫あのひとは肩をすぼめるだけでした。
≪このように、苦労の種は切りがなく、我が目にも自分がますます狂乱して見え、――わたしに見向きをしようとしてくれる目があれば、すべての目にも同じように見えたでしょう、もしわたしが永遠にすべての人に忘れ去られる悲運ではないならば!――そうなるとますます、飢えたようにあのひとの好意が欲しいのでした。あのひとに口づけされるたび、優しく抱き締められるたび、それはもう天国でした。暗い天国で、そこへわたしは入って行くのでした。いっそそこに捨てられたままでいたかった、貧しく、耳も聞こえず、口もきけず、目も見えず。もうすっかり癖になってしまっていたのです。わたしにはわたしたちが二人の良い子に見えました、悲しみの天国の中を自由に歩き廻っているのです。わたしたちは睦《むつ》まじく暮らしていました。うっとりと、わたしたちはいっしょに仕事をしたものでした。けれど、深々としみいるように可愛いがってくれたあとで、あのひとはこう言うのでした、≪なんておまえには変ちくりんに思えるだろうなあ、おれがもういなくなったあとでよ、おまえの経験してきたことがさ。おまえがもうおれの腕を枕にすることもなく、おれの心臓の上で休むこともならず、こんなふうに瞼におれの唇を感じることもなくなったときの話だ。なぜかっていうとおれは出掛けなきゃならなくなる、ずっと遠く、いつかはな。それにほかの人たちの助けにならなきゃならん、それがおれの務めなんだ。あまり気乗りのする話じゃないけどな……、分かるかな、おまえ……≫たちまちわたしは自分の未来を感じました。あのひとが行ってしまうと、眩暈《めまい》に襲われて、この上なく恐ろしい暗闇の中に放りこまれてしまうのです。つまりそれは、死です。わたしのことを放り出したりしないでと、わたしはあのひとに約束させるのでした。あのひとは二十回も約束してくれました、でもそれは恋する男の約束というものです。わたしが≪あんたの気持ち分かるわ。≫と言っているのと同じくらい、たわいないものなのです。
≪いいえ、とんでもない、あのひとに焼き餅を焼いたなんてことは決してありません。あのひとがわたしと別れるなんてことはありはしません、と思いますわ。どう成るというのです? 知り合いが一人もいないのです、あのひとには。決して働きはしないでしょう。あのひとは夢遊病のように暮らしたいのです。ただあのひとの親切と隣人愛だけで、実社会で通用するでしょうか? ときにはわたしは自分の落ちている惨めなどん底を忘れてしまいます、あのひとはわたしを強くしてくれるんだわ、わたしたちは旅をするのよ、砂漠で狩りをするのよ、見知らぬ町々の舗道で眠るのよ、心配もなく、苦労もなく。こういうのもあるわ、わたしが目を覚ますと、法律も風俗もすっかり変わっていて、――あのひとの魔力のおかげなの、――この世は、同じままでいながら、わたしの欲しいままに、喜びでも呑気さでも、好き勝手にさせてくれるの。だってそうでしょう! あんなにわたしは苦しんだのだから、子供の本の中にある素晴らしい冒険の生涯を、ご褒美にくれてもいいでしょう? あのひとにはできないのです。あのひとの理想は知りません。あのひとなりに残念なことや望みがあるとは言っていました。けれどそういうことはわたしに関係ないというのです。あのひとは神に話すのでしょうか? たぶんわたしが神に呼び掛けるべきなのです。わたしは深い淵《ふち》のいちばん底にいて、もはや祈るすべを知らないのです。
≪あのひとが自分の悲しみを説明してくれたところで、わたしにはあのひとのあざけり以上に理解できたでしょうか? あのひとはわたしを責め、何時間もかけて、この世でわたしに関わりのあることすべてについて、わたしに恥をかかせるのです。それでわたしが泣くと怒るのです。
≪――ほら、上品な青年がいるだろう、閑静な豪邸に入って行く奴さ、ありゃデュヴァルとかデュフール、アルマンとかモーリスとか、何ていったっけ? 女が一人、そのろくでもない馬鹿を愛して身を捧げてしまってさ、女は死んだんだ、確かに天国で聖女になってるよ、今では。おまえはおれを死なすんだ、あの野郎があの女を死なしたようにな。それがおれたちの運命なんだ、慈悲深い心のおれたちのさ……≫あゝ! 日によっては、あのひとには、およそこの世で活動しているすべての人々が、奇妙な錯乱にもてあそばれていると思えてしまうのです、すると恐ろしい声で笑うのでした、長い長いあいだ。
それから、あのひとは持ち前の母親のような、愛されている姉のような様子に戻るのでした。あのひとがもう少し野蛮でなかったら、わたしたちは救われるのに! けれど、あのひとの優しさも命取りなのです。わたしはあのひとにお仕えしているのです。
あゝ! わたしは愚かです!
≪或る日きっとあのひとは不思議に姿を消してしまうのです。でもわたしにそれを分からせて欲しいんです。あのひとがどこかの天に昇ることになるのなら、わたしにだってちょっと、わたしのいいひとの昇天を見せて欲しいのです!≫
変な夫婦だ!
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錯乱 2
言葉の錬金術
さあ、ぼくの番だ。我が数多き愚行の一つの物語。
久しい以前からありとあらゆる風景を思うままにしていると誇って来たし、絵画と現代詩の有名人を取るにたらないとしていた。
くだらない絵が好きだったのだ。戸口の上にかかっている奴とか、舞台装置とか、サーカスの背景とか、看板とか、通俗本の彩色挿絵などだ。流行おくれの文学が好きだったのだ。教会のラテン語とか、綴りのあやしいエロ本とか、先祖の女衆《おんなしゅう》の好んだ物語とか、おとぎばなしとか、子供時代の小さな本とか、古いオペラ、まのぬけた繰り返し文句、素朴な歌などだ。
夢見ていたものは、十字軍の遠征、報告のない探検旅行、歴史なしの共和国、窒息させられた宗教戦争、風俗の革命、民族と大陸の移動。魅惑的なことは何でも本気にしていたのだ。
母音に色があると考えついたのだ!――Aは黒く、Eは白く、Iは赤く、Oは青く、Uは緑。――一つ一つの子音の形と動きを調整した。それに本能的なリズムを加えて、そのうちにすべての意味に達し得るような詩の言葉を考えつくのだと自負した。それを翻訳することは控えていたのだ。
まず習作であった。沈黙を書き、夜を書いたものだった。表現不能なものを書きしるしたのであった。眩暈《めまい》を固定するのであった。
――――
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鳥どもから、羊の群れから、村娘たちから遠く離れて、
わたしは何を飲んでいたのか、ハシバミの木々の
優しい森に囲まれたこの野イバラの原に膝まづいて、
午下がりの生温い緑の霧の中で?
この若いオワーズ川から何を飲めただろうか、
――ニレの若木に声は無く、芝生に花無く、曇り空!――
この黄色いひょうたんから何を飲む、懐かしの埴生《はにゅう》の宿から
遠く離れて? 汗を掻かせる黄金のリキュールをちょっぴり。
わたしはまるで旅館のいかがわしい看板だった。
――嵐が来て空を追い払った。晩には
森の水が手つかずの砂の上に消えて行くのだった、
神の風が氷片を沼に投げ込むのであった、
泣きながら、黄金を目にして――そして飲めなかった。
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朝の四時、夏、
愛の眠りはまだ続いている。
緑陰に漂う、
祭りの夜の残り香。
あちらには広々とした仕事場で
ヘスペリデス三姉妹の楽園の黄金のリンゴの
太陽を浴びて――シャツ一枚で――もう立ち働く
「大工たち」
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彼らの苔《こけ》の「荒野」で、黙々と、
高価な羽目を彼らはしつらえ
そこに町が
贋《にせ》の空を描く予定。
おゝ、これら愛すべき職人たち、
バビロンの王の臣下たちのため、
ヴィナスよ! 魂に王冠を頂く「情夫たち」を
一瞬離れて来ておくれ。
おゝ「羊飼いたち」の女王よ、
働き手たちに強い酒をもって来い、
彼らの精力がしずまるように、
昼の海水浴を待つあいだ。
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詩の世界の月並みがぼくの言葉の錬金術にはかなりあった。
単純な幻覚には習熟した。とてもはっきり見えたのは、工場の代わりに回教寺院、天使たちが指導する太鼓の学校、天の街道を行き交う幌つき四輪馬車、湖底の客間、怪物、神秘。どたばた喜劇の題名がぼくの目の前に驚異を突きつけるのであった。
それから言葉の幻覚でもってぼくの魔術的詭弁を説明した!
ついには自らの精神の混乱を神聖と見るに到ったのだ。ひどい熱病におかされて、無為に過ごしていた。畜生めらの至福をうらやんでいたのであった、――毛虫は地獄の辺境の無垢を表し、モグラは童貞の眠りだ!
性格がとげとげしくなって行くのだった。恋歌《ロマンス》風の詩を書いてはこの世に別れを告げるのであった……
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最高塔の歌
あゝ、来たれ、来たれ、
陶酔の時よ。
忍耐のあまり
永遠に忘れ果てぬ。
恐れと苦しみは
天指して立ちぬ。
しかして悪しき渇きは
我が血管を暗くす。
あゝ、来たれ、来たれ、
陶酔の時よ。
まさに忘却に委ねられし草地、
拡大し、花盛りなるは
薫香と毒麦、
猛々しき唸《うな》りは
汚らわしき蝿ども。
あゝ、来たれ、来たれ、
陶酔の時よ。
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砂漠を好み、焼けた果樹園、しおたれた店、生ぬるい飲み物を愛した。悪臭漂う路地から路地へとうろつき、そして、目を閉じて、火の神太陽に身を差し出すのであった。
≪将軍、廃嘘と化した城壁の上に古いカノン砲が一門残っているなら、ぼくたちを砲撃してくれ、乾いた土の塊で。壮麗な店々のガラスにぶちこめ! 客間にぶちこめ! 町に自分の埃《ほこり》を食わしてやれ。雨樋怪物を錆つかせろ。閨房《けいぼう》という閨房をチロチロ燃えるルビーの粉でいっぱいにしろ……≫
あーあ、旅館の小便所で酔っぱらった羽虫だ、小便草《ルリジシャ》が大好きで、日の光りに当たるといっぺんで溶けてしまうのだ!
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空腹
食欲が出るとしたら
土と石くらいだ。
昼飯はいつも空気、
岩、石炭、鉄。
ぼくの空腹よ、廻れ。牧草を食《は》め、空腹よ、
ふすまの牧場で。
ヒルガオの陽気な毒を
引き寄せよ。
砕いた小石を食べろ、
教会の古い石だ。
昔の多くの洪水の砂利だ、
灰色の谷間に播いたパンだ。
――――
オオカミが葉蔭で叫んでいた、
食事にした鳥の
美しい羽根を吐き出しながら。
あいつ同様わたしは窶《やつ》れる。
サラダ菜も果物も
摘みとりを待つばかり。
けれど垣根のクモが食べるのは
スミレばかり。
眠りたい! 煮えたちたい、
ソロモンの祭壇で。
煮汁は錆《さび》の上を走り
最後の審判の場となるセドロン川に入る。
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ついに、おゝ幸福よ、おゝ理性よ、ぼくは空から紺碧を引き離した。紺碧とは暗黒の一種にほかならない。そしてぼくは、「なまの」光りの金のきらめきとなって生きた。喜びのあまり、できる限りおどけた突っ拍子もない表現法を選ぶのであった……
あった、あった!
何が? 永遠が。
太陽に混ざる
海なのさ。
我が永遠の魂よ、
神に捧げた誓いをまもれ、
孤独の夜にも
燃える昼間にも負けず。
故に汝は世の評判も
人並みの感動も
さらりと捨てる!
汝は翔《と》ぶ、ただただ……
――希望の徳などあるものか、
復活《オリエトゥール》の祈りも無駄さ。
学問に忍耐を重ねても
地獄の責め苦は確実さ。
明日という日はもはやない、
サテンの赤く燃える火よ、
おまえの熱気は
務めなのだ。
あった、あった!
――何が? ――永遠だ。
太陽に混ざった
海なのさ。
――――
ぼくは神秘的なオペラ劇場となった、すべての生き物に幸福の宿命みたいなものがあるのが分かった。つまり行動は人生ではなく、そうではなくて何かの力を駄目にする方法、一種のいらだちなのだ。モラルとは脳の弱さである。
どの存在にも、幾つかの「他の」生命がくっついていると、ぼくには思えるのだった。この紳士は自分のしていることが分かっていない、彼は天使なのです。この家族は一腹の犬の群れだ。何人もの人の前で、彼らの数多い生命の一つの或る一瞬を相手に、ぼくは声高にしゃべった。――このようにして、一匹のブタを愛したことがあります。
狂気の詭弁の数々のうち一つとして、――押し隠している狂気だ――、ぼくによって忘れられたものはない。もう一度言おうと思えばまたみんな言える、やりかたは分かっている。
健康状態が危なくなった。恐怖がやって来るのであった。何日も続く眠りに何度も落ち込み、そして起きてはこの上なく悲しい夢を見続けるのであった。他界へ向けて熟しているのであった。そして危険に満ちた道を通って、ぼくの衰弱は、ぼくをこの世と、あの暗闇と龍巻の|死者の国《シメリー》との境まで連れて行くのであった。
旅に出なければならなかった。脳にたかった魔法の数々を引き離す必要があったのだ。海……まるで或る種の汚れからぼくを洗い清めてくれるはずだというように、海は好きだった……その海の上に慰めの十字架が立ち上がるのを目にするのであった。虹によってぼくは地獄におとされていたのだった。「幸福」はぼくの宿命であった。ぼくの後悔、ぼくのうじ虫であった。つまり、ぼくの一生は、力と美に捧げつくすには常にあまりにも広大であろうに。「幸福」か! 奴の死ぬほど心地よい歯は、おんどりの歌声で、――アシタニ、という例の、キリスト ハ 来タマヘリ の祈りのとき、――ひどく暗い町々の中で、ぼくに警告してくれるのだった……
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あゝ、多くの季節、あゝ、多くの城!
どの魂が完全無欠なのか?
魔法の研究をしたものだ、
誰も逃げられぬあの幸福について。
奴に敬礼、ゴールのおんどりが
歌うそのたびに。
あーあ! もう欲が出ない、だって
奴がぼくの人生を引受けてしまったもの。
この魅惑は身も心もとりこにして
努力をみんな散らばした。
あゝ、多くの季節、あゝ、多くの城!
奴の逃亡の時こそが、悲しいかな!
死亡の時となる。
あゝ、多くの季節、あゝ、多くの城!
――――
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これはもう過ぎたことだ。今日ではぼくは美に敬意を表するすべを心得ている。
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不可能なこと
何ということだ、ぼくの子供時代のあの生活、どんな天候でも街道を行き、超自然なほどに小食、乞食たちの最良の者よりも無欲、祖国も親友も持たぬのを誇りとし、何たる愚行であったか。――しかもやっとそれに気付くとは!
――愛撫のチャンスは絶対に逃さないあのおっさんたちを軽蔑したのは、ぼくとしては正しかった。あいつらは我々の女どもの清潔と健康に食らいついてるんだ、今日このごろじゃ女どもと我々は全然うまくいっていないのにさ。
侮蔑ということにおいて、ぼくはすべて正しかったのだ、なにしろ脱出するんだから!
脱出するぞっ!
説明する。
きのうまた、溜め息をついていたものだ。≪何と、天よ! 下界には我々地獄落ちがうようよしています! わたしはもう彼らの群れの中でたくさん時を過ごしました! 彼ら全部と顔見知りです。わたしたちはいつだってたがいにそれと分かるのです。たがいにうんざりしています。愛の徳はわたしたちには未知のものです。けれどわたしたちは礼儀正しい。世間とわたしたちの関係はきわめてまっとうなものです。≫驚くほどのことか? たかが世間さ! 商人どもさ、間抜けどもさ!――わたしたちは名誉を傷つけられたわけではない。――だけど、神に選ばれた人、そういう人たちはどんなふうにわたしたちを迎えてくれるのかな? ところで、邪険で陽気という人たちがいるもので、そういうのは贋の選ばれた人なんだな、なぜってそういう人たちに接するには、こちらとしては、ずうずうしくするか、さもなきゃ、ぺこぺこするしかないんだから。そういうのだけが選ばれた人たちなんだよ。にこにことおめでたい連中じゃないんだよね!
なけなしの理性が戻って来て――すぐになくなるさ!――分かったのだが、ぼくの不快感の原因は、我々は西洋にいるのだと、ぼくがもっと早く思いつかなかったせいなのだ。西洋の沼地って奴さ! 何も、光りが変質したとか、物の形が衰弱したとか、運動が狂ったとか思うわけではないけど……まあいい! つまりはぼくの精神は、東洋の終末このかた精神というものが受けて来た残酷な発達のすべてを、絶対に自分で引き受ける積もりである……怨みが積もってるんですよ、その点で、ぼくの精神は!
……なけなしの理性はお終いになりました!――精神は権威です、ぼくに西洋にいろと欲するのです。ぼくがしたがったように結論するには精神を黙らせねばなりますまい。
悪魔にくれてやったのさ、殉教者たちの栄誉のシュロの枝も、芸術の輝きも、発明家たちの誇りも、略奪者の血気も。戻ろうとしたのだ、東洋へ、最初で永遠の英知へ。――どうもこれは下賎《げせん》な怠惰の夢なのらしいぞ!
とはいえ、現代的苦悩を逃れる楽しみにはあまり思いおよばなかった。コーランの中間的英知は目に入らなかった。――だけど実際の責め苦があるのではなかろうか、あの科学宣言以来、つまりキリスト教以来、人間が「自分を演じている」ということに! 自分に対して自明の理を証明し、その証明を繰り返し言う快感でふくれあがり、そしてそういう風にだけ生きて行くということに! 拷問としては巧妙だが、くだらない。これがぼくの精神の彷徨《ほうこう》の原因なのだ。自然はうんざりしているよ! きっと! 石部金吉《プリュドム》殿は、実は、キリストとともに生まれたのです。
それというのも我々が霧を耕しているからではなかろうか! 我々は我々の水っぽい野菜といっしょに熱病を食らうのである。そして飲酒癖を! そしてタバコ! そして無知を! そして献身を!――これはみんな原初の祖国東洋の英知の思想からは、かなり遠いのではないか? なぜ近代世界などが必要なのか、このような多くの毒が作り出されるのなら!
教会の人たちは言うだろう、「分かります。けれどあなたはエデンの園について語ろうとしているのですよ。東洋の諸国民の歴史の中に、あなたに関わりのあることは何もありません。」――本当だ。ぼくが夢見ていたのはエデンの園なのだ! 何ということか、ぼくの夢、古代種族のこの純潔とは!
哲学者たちは言う、「世界には年齢などない。人類は移動する、ただそれだけだ。あなたは西洋にいる、しかしあなたの好きな東洋に住むことは自由だ、それがあなたにとってどれほど古くあって欲しいにしても、――しかもそこで具合よく住むことがね。負け犬になってはいかん」哲学者たちよ、あなたがたはお好きな西洋に属しているのですよ。
ぼくの精神よ、気をつけろ。乱暴な救済策はいかん。自分を鍛えろ――あゝ! 科学は我々にとってはちゃんと進歩しない!
――けれど今気がついたが、ぼくの精神は眠っている。
もしぼくの精神がこの瞬間からいつも目覚めているとしたら、我々はやがて真理に達するであろう。真理は多分その泣き濡れた天使たちで我々を取り囲んでくれるのだ!……――もしぼくの精神がこの瞬間に至るまで目覚めていたとしたら、ぼくは邪悪な本能に負けずにすんだろうに、太古の時代に!……――もしぼくの精神が常にしっかり目覚めていたら、ぼくは英知のまっただなかを航海しているだろうに!……
おゝ純潔よ! 純潔よ!
ぼくに純潔の幻を見せたのはこの一瞬の目覚めだ!――精神を通じて神に進むのだ!
心を引き裂く不幸せ!
――――
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稲妻
人間の労苦! それがわたしの深淵をときどき照らし出す爆発だ。
≪何物も虚《むな》しくはないぞ、科学へ向かって、前進だ!≫と現代の伝導者ソロモンは叫ぶ。つまり、「みんな」がだ。ところが悪人の死体と怠け者の死体がばたばたと他の人たちの心臓の上に倒れて来るのだ……あゝ! 早く、もうちょっと早く、向こうの方、夜のかなたに、あの未来の、永遠の報酬が……もらいそこねてしまうのか、我々は?……
――そのことでわたしに何ができようか? 労苦とは何か分かっているし、その一方、科学はあまりにもおそい。祈りよ、早駆けせよ、光明よ、唸《うな》れ……よく分かっているのだ。簡単すぎるよ、それにここは暑すぎる、ぼくは抜きにしてもらっていいよ。ぼくにはちゃんと自分の義務があるんだ、よくあるやりかただよ、自分の義務を自慢にするのさ、脇にどけておいてさ。
わたしの命は擦り減った。いいさ! 本心を隠そう、ぶらぶらして暮らそう、あゝ哀れなもんだ! そうして我々は、楽しみながら暮らすことにしよう、化け物じみた愛と幻想的な世界を夢見ながら、泣きごとを言いながら、この世のさまざまな姿に文句をつけながら暮らして行こう、大道芸人とか、乞食とか、芸術家とか、追いはぎとか、――坊主とか! 病院のベッドに寝ていると、お香の匂いがとても強くわたしに戻って来た、神聖香料の番人よ、聴罪《ちょうざい》司祭よ、殉教者よ……
そこのところが、ぼくの受けた子供時代の酷《ひど》い教育のせいだと思うよ。だからって何だい!……ほかの人たちが二十年生きるのなら、ぼくだって二十年生きよう……
だめだ! だめだ! 今やぼくは死に反抗するのだ! 労苦はぼくの自尊心には軽すぎるようだし、この世におけるぼくの反逆は責め苦としては足りなかろう。最後の瞬間が来たら、右に、左に襲いかかってやろう……
それでは、――何てことだ!――魂さん、可愛そうに、ひょっとする永遠の来世はぼくたちにとって失われてしまうのかも!
――――
[#改ページ]
朝
「かつて」一度、わたしは、愛すべき、英雄的、神話的な青春を、黄金の紙に物を書きつつ過ごしたのではないか、――運がよすぎた! いかなる罪により、いかなる過ちにより、現在の衰弱を招いてしまったのか? けだものは苦しみの啜り泣きを洩《も》らし、病人は絶望し、死人は悪い夢を見ると主張する者よ、我が転落と我が眠りを物語ってもみよ。わたしとしてはもはや、「パーテル」と「アヴェ・マリア」の祈りを繰り返すばかりの乞食ほどにも、みずからを語りえぬ。「もはや話すすべを知らぬ!」
しかしながら、今日、我が地獄についての物語をしおえたと信じる。それはまさしく地獄であった。昔の、人の子が門を開いた地獄であった。
同じ砂漠で、同じ夜に、ぼくの疲れた目は、いっでも銀の星で目覚めるのだ、いつでも、生命の王たち、三賢者、心と魂と精神が動き出すことはなく。いつ我々は砂地と山々を越えて、新しい労働の誕生、新しい知恵、専制君主と悪魔の退散、迷信の終わりに敬礼しに行くのであろうか、地上の降誕を――人々に先立って!――崇《あが》めに行くのであろうか!
天上からの歌声、諸国民の行進! 奴隷どもよ、人生を呪《のろ》うまいぞ。
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さらば
秋だ、もう!――しかしなぜ永遠の太陽を懐かしむのか、神聖な光明の発見に身を捧げる我等ではないか、――過ぎ行く多くの季節のままに死に行く人々から遠く離れて。
秋だ。不動の霧の中にそそり立つ我等の舟は、悲惨の港、火と泥によごれた空の下の巨大都市へと、向きを変える。あゝ! 腐ったぼろ着、雨にぬれたパン、泥酔、礫《はりつけ》の苦しみを味あわせてくれた幾千もの恋! それじゃあ、あいつは死に絶えることはないのか、あの人食い鬼女は! 幾百万の魂と肉体、「いつか裁かれる」死んだ幾百万の魂と肉体を支配する女王は! 自分の姿が見えて来る、肌は泥とペストにむしばまれ、髪と腋のしたはウジに満ち、心臓にはもっと大きいウジがいっぱい、年というものがなく感情もない知らない奴らのあいだに横たわり……あのまま死んでしまったかも知れないのだ……ぞっとする思い出だ! 悲惨な暮らしは大嫌いだ。
それなのに、コンフォートの季節だからといって冬が怖いとは!
――ときどき空に限りない浜辺が見え、喜び勇む白色の諸国民でいっぱいになる。黄金の大艦が一隻、頭の上で、朝のそよ風の中に多色の旗を何流もなびかせる。わたしは、ありとあらゆる祝祭を、ありとあらゆる戦勝式を、ありとあらゆる劇を創造したのだ。新しい花々、新しい星たち、新しい多くの肉体、新しい諸言語を発明しようと務めた。超自然のさまざまな能力を身につけたと信じた。それがどうだ! ぼくの空想力と多くの思い出を埋葬しなければならないのだ! 芸術家として語り手としての立派な栄光が奪い去られてしまった!
このわたし! 道徳はすべて免除された魔術師とも天使とも自負していたぼくが、地上へ戻され、義務を求め、荒々しい現実を把握せねばならぬとは! 百姓だ!
騙《だま》されているのか? 愛の徳は死の妹なのだろうか、ぼくについては?
ともあれ、嘘で身を養って来たことの許しを乞うっもりです。まあね。
けれど友好の手など有りはしない! それにどこで救いを見つけるのだ?
――――
そうだ、この新しい時期は少なくとも極めて厳格だ。
というのは、勝利は我が手にありと言いうるからである。歯ぎしり、炎の唸り、悪臭のする溜め息は静まりつつある。すべての不浄な思い出は消えて行く。ぼくの最後にのこるいくつかの残念さも御退散だ、――つまりいろいろな羨望だ、乞食たち、山賊ども、死に神の仲間たち、あらゆる種類の落伍者たちそれぞれにたいする。――地獄に落ちた者たちよ、仕返しができるものならなあ!
絶対に現代的でなければならぬ。
賛歌は無しだ、それより獲得した地歩を碓保することだ。辛い夜! 血は乾いて面前に煙り、あとに従う何物もない、あの醜悪な灌木のほかには!……精神の戦いは生身の人間たちの戦闘と同じに凶暴だ。だが正義を見ることは神のみの楽しみなのだ。
だが今は不寝番だ。精気と真の優しさとの満ち満ちて来るのに任せよう。そして暁には、熱く燃える忍耐で武装して、我々は壮麗な多くの都市に入るのだ。
友好の手について何を言っていたのか! すてきな利点が一つある。古い虚偽の愛を笑い物にできることだ。ああいうカップルになった連中を恥入らしてやれることだ、――あちらでは女たちの地獄を見てきたのだ、――そうすれば、「一つの魂と一つの体の中で真理をものにするのは」、したいほうだいというわけだ。
一八七三年四月〜五月
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解説
『地獄での一季節』をめぐって
[ランボーと日本]
アルチュール・ランボー(一八五四〜九一)の、決して多数とは言えない作品のうち、最も名高く、最もよく読まれているのは、この散文詩編『地獄での一季節』であろう。日本でも小林秀雄氏の名訳『地獄の季節』が昭和五年(一九三〇年)白水社から刊行されて以来、戦前戦後を通じて、不安な青春の精神に強い衝撃を与える読み物として重きをなして来た。「日本の文学風土における『地獄での一季節』の受容史」を編めば大部の書物となろう。
しかし日本でのランボー流行の源は一九二〇年代のフランスの、シュールレアリスムへ向かう気運の中でのランボー・リバイバルにあるのは間違いない。ランボーが少年期の終わりに筆を折った一八七〇年代から半世紀あとである。普仏戦争敗戦後の時代と世界大戦勝利後の時代というへだたりがある。シュールレアリスト革命の熱気の中で、ランボーというイメージはなによりもそして終始一貫、反抗であり、アンチ・クリストであった。
その一方で詩人の六歳下の妹イザベルがランボー研究家ペリションと結婚したため、かなり年月が経ったとはいえ、多くの証言が活字となって残った。おりから一九世紀末以来、パリ大学文学部(ソルボンヌ)の学風は実証主義が主流である。細菌学や刑事裁判とおなじに証拠を重んじる。信仰の強いイザベルの、ランボーは臨終に良きキリスト教徒として信仰を告白してから死んだという証言は一部で重く用いられた。即ちこれは、カトリック信者の作家や評論家のランボー観のよりどころとなる。そのことは、ランボー問題を教会と反教会主義の綱引きの場にしてしまった。
キリスト教と構造的に無縁な我が国では、反教会主義だろうと無神論だろうと、何の痛みもなく受け入れることができるし、流行となり権威となることもたやすい。小林秀雄氏の『地獄の季節』の語り手は、常に「俺は…」「俺は…」と肩肘を張った強さが魅力的だったし、急に嘆き節になると絶望的な感じがすばらしかったが、終始一貫反キリスト教的反権威の態度を崩さない。私が少年時代に読んで強い影響を受けたのはその点であった。
[『地獄での一季節』の言語表現]
だが学生時代から原文に接するようになると、頭の中にある小林秀雄訳『地獄の季節』との奇妙なずれが気になった。原文はべらべらしゃべっている感じの箇所が多い。訳の方はそういう日常的なフランス語表現をそれと知らずに文字どおりに処理することが多いのをまず発見した。例えば「その他いろいろ」の意味の「ク・セ・ジュ」を直訳で「あゝ俺が何を知ろう」とする如きである。
カトリック信仰用語をそれと気付かず訳すこともあるようだった。神を頭においていう「あなたの」を、「貴様らの」とこの世の権威者たちのことにしてしまう如きである。聖書の引用やもじりとともに、信仰用語は我々非キリスト教世界の人間にとっては、最も見落としやすい。私自身、ランボーのこの『地獄での一季節』の一部の語り口との類似を確認するため、ボシュエ(一六二七〜一七〇四)の『王弟妃アンリエット・ダングルテールのための棺前説教』を教材として訳した際、「ユンヌ・ベル・ヴィー」を文字通りに「お美しい御生涯」としていたところ、心あるフランス人から間違いを指摘された。十七世紀の信仰用語では、これは「教会の戒律を守った生涯」という意味なのである。そこで「御立派な御生涯」と改めた。誰にとっても文学の翻訳は地雷原を進むに似る。けれども近年、文体学ゼミナールの分析対象として学生たちとランボーのこのテクストを細かく調べるうちに、小林訳及びその修正訳である鈴木信太郎・小林秀雄訳の最大の問題点は、原文の語りの口調の変化を認識していないことにあるのが感じられた。逆に言えば、『地獄での一季節』の最大の特徴は語り口がひらりひらりと変わる点にある。まさにボシュエの説教を思わせる信仰の炎のように語るかと思うと、卑語をまじえて教会を潮笑う。小屋掛けの見世物の呼び込みの口上でたたみかけているうちに、ありがたそうな神父様の口真似に変わり、自嘲し、真剣に絶望し、また希望に燃え、甘え、わがままを言う。つまりキリスト教は肉となり心に食い入った存在であり、それと戦うのは内なる自分と争うに等しいのだ。その心の揺れが極端から極端へ走る言語表現の転換に現れている。これを行を追って解説するには多大の紙数を要することになる。
[本書の成り立ち]
そのような作業を雑誌『ふらんす』(白水社)の紙面で二年間の連載で行ったが、テクストの約三分の一までしか扱えなかった(『「地獄の一季節」表層解釈の問題点』一九八四年四月号〜八六年三月号)。もちろん小林系の翻訳の誤訳指摘が目的なのではない。深読みをする前の字面の読みを普通のフランス語で正確に把握しようとしたのだ。この試みを全編について行うことに大修館書店の山本茂男氏が情熱を燃やし、これを受けて一年間試行錯誤を繰り返した結果、ランボーの口調の変化を示すには、行を追って解説しているのでは、十年もかかり七百頁を越えることになると判った。自らの訳を作るほかない。日本語の詩人として世に立ったことのない身である。いささかの洗練も自負して事を始めたわけではない。原文の口調の変化を追うことが主眼であった。一人称主語も「おれ」「ぼく」「私」「我」と使い分けた。
詩の訳を右開き縦書きとし、詩の原文とそして原文の表層解釈の注解を左開き横書きとした(*)。事項や故事の注解は最小限とし、むしろ訳の中に盛り込んだ。内容や象徴の解釈には足を踏み入れなかった。問題なのはもっぱら表層である。
* この形の完本は一九八九年に「地獄での一季節」という題名で大修館書店から刊行されている。
だからフランス人諸氏に意見を求めるにあたって、内容解釈と関係なく、前後関係において、普通のフランス語でどう読めるかについてうかがうようにした。フランスで出ている注解書はたちまち内容解釈に及ぶのが通例で、ある一つの文をどう読んでいるのかについては、当たり前すぎるのか、明示していないものである。外国人であるこちらが、頭をひねり、考えすぎになって、二通りに読めるのではないかと疑う場面でも、フランス人なら誰が読んでも一通りにしか読めないことが多く、逆にこちらが何も気がつかないところで、フランス人には別のことが必然的に連想されるということもある。
[原文テクストの確定]
『地獄での一季節』は一八七三年十月にブリュッセルのアリアンス・ティポグラフィックで印刷された。費用は著者負担である。五十四頁の小冊子で多くの白紙でふくらましてある。ランボーが放浪の末に繰り返し戻る根城は母の実家のアルデンヌ地方シャルルヴィルであり、近郊のロッシュ農園であった。この地方の方言はベルギー方言と共通する面があり、ブリュッセルには行き易い位置にある。十月二十四日、ランボーはブリュッセルで著者分の数部を受け取った。ヴェルレーヌを含む五名に献呈した分が世に残る。のちの一八八六年象徴派の雑誌『ラ・ヴォーグ』(第二巻八号〜十号)に発表され、栄光の第一歩となったのは、ヴェルレーヌに渡した本が元となったが、ランボーはすでに詩を捨てヨーロッパを去っていて、刊行は関知せず、多くの誤りを含む形が世に行われた。
しかも妹イザベルが後年になって証言して、当時ランボーがロッシュの農園で大量の本を焼き捨てたとし、それがブリュッセル本の『地獄での一季節』であると考えられていた。またそれこそがランボーの文学への訣別と位置づけられもした。
しかるに一九〇一年、ベルギーの一愛書家がたまたまアリアンス・ティポグラフィックで約五百部の『地獄での一季節』を発見、破損のひどい約七十五部を廃棄し、残りを買い取った。ランボーが印刷代を払わないままに、製品は印刷所で二十八年間眠りつづけていたのである。この発見は一九一四年になって公表された。
さらに第二次世界大戦のあと、ブイヤンヌ・ド・ラコスト氏が筆跡等の検討から、ランボーの最後の作品は『地獄での一季節』ではなく、『イリュミナシオン』の一部は『地獄での一季節』執筆よりあとであるとした。このことも『地獄での一季節』の印刷本を焼き捨てて文学に別れを告げたというランボー伝説の解体に力があった。
このブリュッセル本は一九七九年ジュネーヴのスラットキン・リプリンツ社から復刻版が出ていて、その形を知ることがたやすくなった。
[題名の訳について]
Une saison en enferという表現には、その前に、「私は過ごした」J'ai passeを付けることが出来よう。つまり「私は地獄で一季節を過ごした」となる。それを踏まえて『地獄での一季節』とした。「一季節を地獄で」としたいところである。Des journees entieres dans les arbresはマルグリット・デュラスの一九五四年に出た短編集の題だが、『日がな一日木立の中で』とか、複数を配慮して、『来る日も来る日も木立の中で』となろう。これがランボーのこの作品の題と同じ構文である。『地獄の季節』という古くから行われた訳題は、座りがよいが、この日本語をフランス語に訳すと、les Saison de l'enfer「地獄の諸季節」つまり「地獄の四季」となる。または、地獄という語に冠詞の付かない形、すなわちUne saison d'enfer「地獄のような(つらい)季節」となりかねない。後者の意味は『地獄の一季節』と、一を入れても同じことになる。しかも『地獄の一季節』には、フランス語にすれば、Une des saison de l'enfer「地獄の諸季節の一つ」となる意味もあるのではないか。
さらには『地獄での一季節』という訳題を選ぶことには、この散文詩全体が「その季節は過ぎ去った」と語っているという認識を示すことになる。
[謝辞]
何国人であれ、相談にあずかって頂いた諸氏に、いちいち名を挙げないが、紙面を借りて感謝する。とりわけ、学習院大学文学部フランス文学科の同僚チエリ・マレ助教授(ユルム街高等師範学校卒業生)の貴重なご教示を特筆して謝意を表す。泉鏡花を原文で読むマレ氏は二つの言語を往復して文学テクストの表層の意味を確定するこの作業に多大の興味と共感を示してくださった。もちろん本書の最終的表現や意見はすべて筆者一人の責任にかかるものであるのは、言うまでもない。
平成元年五月三日 篠沢秀夫
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ランボー略年譜
〔『地獄での一季節』との関連を簡明に示すため、他の詩編の制作時期はすべて省いた〕
一八五四年一〇月二〇日
シャルルヴィルにて誕生。父フレデリックはたたきあげの歩兵大尉だが見聞記をしたためる文才があった。母ヴィタリー(旧姓キュイフ)は地元の農園主の娘で、兄弟が無能のため事実上の跡継ぎとなった信心家。一つ違いの兄フレデリックがある。
一八五七年 妹ヴィタリー誕生。三箇月で死亡。
一八五八年 妹ヴィタリー誕生(〜一八七五)。
一八六〇年 妹イザベル誕生(〜一九一七)。両親事実上の別離。父帰らず。
一八六二年 ロサ学院に入る。
一八六五年 シャルルヴィル高校に移る。
一八六九年 大学管区コンクール優等賞。修辞学級に進む。詩を新聞に発表。
一八七〇年
一月、新進の詩人ジョルジュ・イザンバールが修辞学級教授として着任、ランボーと親交を結び、文学書を貸す。七月、普仏戦争始まる。八月末、ベルギー経由でパリヘ。到着後逮捕、投獄される。九月初頭、スダンの敗北。皇帝退位。共和国宣言。ランボー釈放帰宅。十月初頭、ランボー再度家出。ブリュッセルなどを経て十一月初頭帰宅。
一八七一年
二月二五日、パリへ出発。高校授業再開予告を無視。三月十日、ランボー、シャルルヴィルにあり。四月一八日〜五月一二日、所在不明。パリ・コミューン参加の伝説。五月一三日、第一の「透視者の手紙」をシャルルヴィルで書く。五月一五日、第二の「透視者の手紙」。五月二八日、パリ・コミューン、正規軍による血の弾圧の中に崩壊。九月末、ヴェルレーヌの招きに応じてパリヘ(ランボーが送った韻文詩『酔いどれ船』をヴェルレーヌが高く評価した)。ヴェルレーヌは新婚で、無愛想なランボーは夫人に好感を与えず、しばらく滞在後、バンヴィル、クロスなど、ヴェルレーヌの友達の家に次々と移される。一部の詩人と喧嘩。
一八七二年
一月、一時カンパーニュ・プルミエール通りに住む(のちにリルケ、フジタ、辻邦生、篠沢秀夫が違う時代に住んだ)。一月末、ヴェルレーヌ酔って夫人と大喧嘩、暴力を振るう。ランボーとの特殊な友情は同性愛と見られている。四月初頭、ランボー、シャルルヴィルに帰る。五月初頭、ランボー、パリに戻る。七月七日、ヴェルレーヌとランボー家出。シャルルヴィル、ブリュッセルなど。途中、形だけヴェルレーヌ妻と和解。九月、ロンドンに住む。惨めな暮らし(二人とも金に詰まると頼るのは、支配的性格の母が持つ小金である)。一二月下旬、ランボー、シャルルヴィルに帰る。
一八七三年
一月初頭、ランボー、病気のヴェルレーヌに呼ばれて再びロンドンヘ。四月四日、ヴェルレーヌとランボー、ベルギーへ。ランボー、ロシュの農園に戻る。『地獄での一季節』になる作品にかかる。五月末、ランボー、ヴェルレーヌと合流。ロンドンヘ。七月三日、喧嘩。ヴェルレーヌ、ブリュツセルヘ。数日後ランボーも同地へ。七月十日、喧嘩。パリへ戻るというランボーをヴェルレーヌが拳銃で撃つ。手首に負傷。ヴェルレーヌの母のとりなしでランボー、パリへ向かうことになり、駅へ送る途中、ヴェルレーヌがポケットに手を入れ、ランボーはまた撃たれると思い、近くにいた警官に保護を依頼。ヴェルレーヌ逮捕。七月下旬、ランボー、ロシュの農園に帰着。『地獄での一季節』を続ける(末尾に「一八七三年四月〜八月」とある)。十月、『地獄での一季節』ブリュッセルで印刷完了。ランボー数部を受け取り、一冊をベルギーの監獄にいるヴェルレーヌに届ける。一九歳となる。
一八七四年
三月 ランボー、ジェルマン・ヌーヴォーとロンドンヘ。夏まで二人で、以後一人で英国滞在。年末シャルルヴィルに帰る。
一八七五年
二月 シュトゥットガルトでヴェルレーヌと最後に会う。五月ミラノ。六月マルセーユ。七月パリ。十月シャルルヴィルに帰る(のちにヴェルレーヌは『イリュミナシオン』について「一八七三年から一八七五年にわたって書かれた」と書いた。近年この証言の価値が高まっている。)
一八七六年
四月、ウィーン。警察に追われて帰国。五月、オランダ。同国外人部隊に六年契約で入隊。六月十日出航。八月一五日、バタヴィアで脱走。一二月シャルルヴィルに帰る。
一八七七年
五月、ブレーメン。六月、ストックホルム。秋マルセーユより出航、アレクサンドリアを目指すが病気となりチヴィタヴェッキアで下船、シャルルヴィルに帰る。
一八七八年
春、パリ。夏、ロシュの農園。十月スイスを経てジェノヴァ。十一月、アレクサンドリアへ出航。十二月、キプロス島で石切り場の現場監督として雇われる。
一八七九年五月 腸チフスにかかり、帰国。ロシュの農園に帰る。
一八八○年
三月、キプロス島へ再出発。仕事に戻る。七月、現住民労務者一名の死亡にからむ事件で辞職。八月、アデンでフランスの商社に雇われる。十一月、アフリカのハラール支店を任せられる。〔以下アフリカとアデンの往復や商業および探検の旅行については省略〕
一八八六年
五月〜六月、≪ラ・ヴォーグ≫誌に『イリュミナシオン』分載(五号〜九号)。(同誌主管のギュスターヴ・カーンが入手したランボー肉筆原稿をフェリックス・フェネオンが監修)。続いてヴェルレーヌの注意書きつきの単行本『イリュミナシオン』ラ・ヴォーグ社より刊行。九月、≪ラ・ヴォーグ≫誌に『地獄での一季節』分載(第二巻八号〜十号)。(ヴェルレーヌが所有するブリュッセル本をギュスターヴ・カーンに渡した)
一八九一年
二月、膝に激痛。四月、アデンに帰着。歩行不能。五月、マルセーユで入院。片脚切断。七月、ロシュの農園に帰る。八月末マルセーユの病院に戻る。十一月十日死亡。三十七歳。