肉体の悪魔
ラディゲ作/江口清訳
目 次
レイモン・ラディゲ――ジャン・コクトー
肉体の悪魔
解説
あとがき
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レイモン・ラディゲ
――ジャン・コクトー
[#ここから1字下げ]
かれは美には何か欠けているのを知っていたので、やさしくびっこをひいていた
かれはあとでぼくらが知ることを、まずもって知っていた
かれは右も左も知らなかった
かれは美しい秘密の鳥の羽毛を黙々とむしっていた
かれは地上にしっかりと立っていられなかった、ああ! それはあきらかだ
マックスよ、きみは傷ついた獲物《えもの》のようにびっこをひいているかれを見た
フランスの歩道の上を、階段の上を
そのときかれは、その最も高い考えに在ったのだ
かれはマルヌの河岸や町を愛していた
かれは夏になると、そこで船底によこたわっていた
色々な本に書き込みをしたり、読み目を折ったりして
その頃だ、かれがマックス・ジャコブとジャン・コクトーを愛したのは
それからかれは、ぼくらの仲間に加わった
かれはシャンパーニュの薪小屋のいきいきした焔《ほのお》に見とれた
かれは驚くべき詩想の過剰を避けた
そうしてぼくを見守りながら神のもとへ立ち還った[#ここで字下げ終わり]
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肉体の悪魔
ぼくは多くの非難を受けるだろう。だが、ぼくはどうしたらいいんだ? 戦争のはじまる数か月前ぼくが十二歳だったというのは、それはぼくのせいなのかしら? いうまでもなく、あの非常時におけるぼくの心の動揺は、けっしてあの年頃では味わえるようなものではなかった。しかし外貌《がいぼう》はともかくとして、年齢には変りはないもので、子供のくせにぼくは、おとなでさえも当惑《とうわく》したような恋愛事件に巻きこまれたのだ。ぼくばかりではない、ぼくの友だちも、年長者とは異った思い出をあの時代にもったであろう。さて、ぼくのしたことを責める人々があるなら、戦争が多くの少年にいかに影響を及ぼしたか、それを考えてみるといい。つまりそれは、四年間の長い休暇であったのだ。
ぼくらは、マルヌ河のほとり、F…に住んでいた。
ぼくらの両親は、むしろ男女の交際を禁じていた。が、ぼくらとともに生れ、まだ盲目状態にある本能は、そうすることによって失われるどころか、かえって目覚《めざ》めてゆくばかりだった。
ぼくはけっして夢想家ではなかった。ぼくなどよりも物事を信じやすい人びとにとって夢として思われることも、ぼくにあってはガラスの覆《おお》いごしにチーズを眺めている猫のようなものであって、すべてが現実として映った。しかし覆いは存在するが。
覆いが壊《こわ》れると、猫はそれに乗じる。たとえそれを壊したのが主人であって、そのために手を傷つけたとしても。
十二歳まで、ぼくには恋愛らしいものはなかった。カルメンという少女に、年下の男の子を使って、手紙で自分の愛情を伝えたのを除いては。ぼくは、愛情を口実に逢引きをそそのかしたのだ。が、ぼくの手紙は、朝のうちに、かの女がまだクラスへ出ない前に届けられてしまった。ぼくは、かの女が身ぎれいにしているのと、ぼくが弟を連れて行くように、かの女も妹と一緒に学校へ通う点でぼくに似ているので、とくにこの少女に惹《ひ》かれたのだ。ぼくはこの二人の目撃者に内証にしてもらうために、いわば二人を一緒にしてやろうと思った。だから、手紙にも、まだ書けもしない弟からフォーヴェット嬢への便りを同封しておいたのだ。ぼくは弟に、ぼくの考えを、ちょうど年頃もひとしいこの姉妹にうまく出会った幸運を、またその洗礼名がどんなに変っているか〔フォーヴェットは頬白という意味から、快適な歌い手をも意味する〕などを話してやった。ぼくを甘やかし、けっしてぼくを叱ったことのない両親と一緒に昼飯をすましてからまたクラスへ出たとき、ぼくはカルメンのしつけのよさについて思い違いしていなかったと知って、すっかり憂欝《ゆううつ》になった。
級友たちが席へつくと……ぼくは級長だったので、階段教室の上のほうで身を屈《かが》め、戸棚からみんなの使う読本をだしていたが……そこへ校長がはいってきた。生徒は起立した。校長は一通の手紙を持っていた。ぼくの脚は震え、読本は手から滑《すべ》り落ちた。ぼくがそれを拾っているあいだに、校長は教師と話をしていた。そのときはすでに、前列の生徒らは、ぼくの名が囁《ささや》かれているのをきいて、奥の方で真赤になっているぼくの方をふり向いていた。とうとう校長は、ぼくを呼んだ。がおそらく、生徒らのあいだに悪い想像を起させまいとしたのだろう、遠まわしにぼくを罰するつもりか、この十二行の手紙をよく間違いなしに書いたといって、ぼくを誉《ほ》めてくれた。そうして、ほんとうに一人で書いたのかとただしてから、校長室へくるようにといった。しかしぼくらは、校長室へは行かなかった。かれは驟雨《しゅうう》に打たれながら、運動場でぼくを譴責《けんせき》したのだ。
それにしても、ぼくの道徳観をひどくぐらつかせたことは、若い娘を誘惑したことを(それは彼女の両親が、ぼくの恋文を校長のもとへ届けたからだ)、まるで、レター・パーパーを盗んだのと同じくらいにしか校長が考えなかったことだ。校長はその手紙を家へ送るぞと、ぼくを脅《おど》かした。それだけはしてくれるなと、ぼくは歎願した。かれも譲歩して、手紙は手もとへ置いておくが、再びこうしたことがあったら、そのときこそ、こんな悪い行《おこな》いは、そのままにしておくわけにはゆかないからといった。
大胆と臆病の混合が、家の者をごまかし欺《あざむ》いた。あたかも学校で、ぼくの器用さが、根が怠け者なのを秀才にみせかけていたように。
ぼくは教室へ戻った。教師は皮肉に、ぼくをドン・ファンと呼んだ。それがぼくを、すっかり有頂天《うちょうてん》にさせた。ことに、ぼくが知っていて、しかも友だちの知らない作品の名をつけてくれたのだから。
教師が、「ドン・ファン、おはよう」というと、ぼくがにが笑いをするので、それが級友らのぼくに対する見方を一変した。あるいはぼくが、下級生を使って、生徒たちがその乱暴な言葉でいっているような〈女の子〉に手紙をやったのが、みんなに知れわたっていたからかもしれない。この使いの名はメッサージェといったが、それは何もその名が〈お使い〉を意味するからといって、特に選んだのではなかった。が、それにしても、その名がぼくに信頼心を起させたのは事実だった。
ぼくは午後一時には、父に何もいってくれるなと校長に願っていたのに、四時になったら、すべてを父に話したくなった。話さなければならない理由はなにもなかった。告白することは、それだけぼくが正直だからだろう。ぼくは父が叱らないと知っていたので、つまりは自分の手柄話《てがらばなし》をしたくてならなかったのだ。
で、ぼくは打ち明けた。しかも校長が(おとなに対するように)、絶対に内証にしておくと約束したことを得意になっていったりした。父は、ぼくが手際《てぎわ》よく恋愛小説を作り上げたのではないかと、それを知りたいと思った。父は校長に会いに行った。訪問したとき話のきっかけを作って、ぼくのしたことを滑稽《こっけい》だといった。
「なんですって?」あきれかえり、すっかり感情を害した校長は「それでは、みんなしゃべったんですね。わたしには、こんなことがしれると殺されてしまうから、ぜひ黙っていてくれ、とあんなに頼んだくせに」と、いった。
この嘘は校長の立場を救ってくれたが、それはさらに、ぼくのおとなぶりたい気持を煽《あお》った。このためにぼくは、友だちの尊敬と教師の意味ありげな目とをかちえたのだ。校長はうらみを押し隠していた。しかもわるいことに校長は、ぼくのあらかじめ知っていたこと、つまりかれの態度に気をそこねた父が、この学年きりでぼくを学校から退学させようと思っているのに気づかなかったのだ。ちょうど今は六月の初めだ。だから今それをいい出すと、賞与や成績に影響すると考えたので、母は授与式まで思いとどまらした。
その日がきた。校長は自分の嘘の結果を心配していたので、そうした妙な関係から、クラスの中でぼくだけが、優等賞を得た者が当然もらう金メダルをもらった。何てへまな真似をしたもんだろう。おかげで学校は、優《すぐ》れた生徒を二人も失ったわけだ。というのは、優等賞をもらった生徒の父は、このことで子供を退校させてしまったからだ。つまりぼくらのような生徒は、多くの他の生徒を引き寄せる看板であったのだ。
母は、ぼくがアンリ四世校に通うには、まだすこし若すぎると思っていた。母にしてみれば、汽車に乗って通うには、という心配があったわけだ。そこでぼくは、二年間家で一人で勉強をすることにした。
ぼくは思うぞんぶん楽しめると思った。もとの学友が二日なければ終えない学課を、四時間もあればしてしまうので、あとの半日あまりは自由だったから。
ぼくはよくマルヌ河のほとりを一人で散歩した。妹たちはセーヌ河を眺めても「マルヌ河だわ」といったくらい、それほどこの河はぼくらに親しかった。ぼくはまた、禁じられているのに平気で父の舟に乗った。しかし漕《こ》ぎはしなかった。それは自分では気づかなかったが、父のいいつけに従わないのが恐しいのではなくて、ただたんに怖《こわ》かったからだ。ぼくは舟に寝転《ねころ》んで、本を読みふけった。一九一三年から一九一四年にかけて、二百冊の本がそこで読まれた。それらは普通いうような悪い本ではなく、むしろ良書のほうで、精神的な影響はともかくとして、すくなくとも読んでおいていい本だった。それからずっとたって、少年叢書を軽蔑する青春期になって、ぼくはその子供っぽい興味に惹かれたが、あの頃はそんなものなどてんで見向きもしなかった。
こうして勉強をしたかと思うと、すぐその反動で遊んでしまうので、なんのことはない、年中だらしのない休暇のようだった。このようにぼくの毎日の勉強はとるにたらないものだったが、他の人びとより机に向っている時間が少ないというので、その代りに休暇中にも勉強をした。このすこしずつの勉強は、猫が死ぬまでしっぽにコルクの栓《せん》をつけているのと同じで、猫にとっては、もちろん鍋を一か月間あてがわれたほうが、はるかに嬉しかったろう。
ほんとうの休暇がやってきても、どうせ始終同じであるぼくとしては、それはたいして変らなかった。あい変らず、猫はガラスの覆いを透してチーズを眺めていた。が、そこへ戦争がやってきた。それは、ガラスの覆いを粉砕してしまったのだ。主人どもは他の猫を鞭《むち》打っていたので、この猫はすっかり有頂天だった。
じっさい、フランスでは皆がいい気でいた。子供たちは賞与の本を小脇にかかえて、掲示板の前に駈けつけた。不良どもは、家庭の乱れているのにつけ込んだ。
ぼくらは毎日夕食をすますと、家から二キロ離れたJ…駅へ、軍用列車が通るのを見に行った。釣鐘草《つりがねそう》を持って行って、兵士どもに投げつけてやった。ブラウスを着た婦人連が、水筒に赤葡萄酒を注ごうとして、花を撒《ま》き散らした駅の構内に葡萄酒をこぼした。こうした光景は、ぼくに花火の思い出を与えた。いままでにこれほど多量の酒が浪費され、花が切られたことはなかった。ぼくたちは家の窓を国旗で飾らねばならなかった。
やがて、ぼくらはJ…駅に行かなくなった。弟や妹は戦争を嫌いだした。戦争が長びきすぎるというのだ。そのうえ戦争は子供らを海岸にやらせなかった。寝坊な習慣がついているのに、朝の六時から起されて新聞を買いにやらされた。なんてつまらないこったろう! だが八月二十日になって、この年若い怪物どもは希望を持ち直した。かれらはおとながぐずぐずしている食卓から去ろうとせずに、父が出発について話をするのを聞いていた。もちろん交通機関などはないのに違いない。そうとすれば自転車で遠くまで旅行をしなければならなかった。弟たちは小さい妹をからかう、「途中で置いてきぼりにされるよ」
その自転車の輪は、直径四十センチしかないのだ。妹はしくしく泣きだす始末。ともかくも、どんなに意気ごんで、自転車を磨《みが》いたことだろう! ぐずぐずしちゃいられないんだ。弟たちはぼくの自転車までも手入れをしてやろうという。そうして情報を知るために朝早くから目を覚《さ》ます。みんなは不思議がっていたが、ぼくはやっとこうした愛国心の動機がわかった。それは自転車旅行だ! 海へ、いつもの海より遥かに遠い、しかもずっと美しい海へ行くことだ。かれらはもっと早く出発しようとするためなら、パリさえ砲撃したであろう。ヨーロッパを脅《おびや》かすものが、かれらの唯一の望みとなったわけだ。
子供の利己心といっても、おとなのと、どれほどの相違があろうか? 夏、田舎《いなか》で、ぼくらは雨を呪《のろ》うのに、百姓たちは、雨が降るのを願うではないか。
ある変動が、何らかの前兆なくして生じることはまれである。オーストリア皇子の加害事件、カイヨー裁判の嵐〔一九一四年に蔵相カイヨー夫人がフィガロ主筆を射殺した〕は、とっぴなことがおこるのに好都合な、暗澹《あんたん》とした空気をかもしだした。したがって、ぼくのほんとうの戦争の思い出は、戦争前へさかのぼる。それはこうであった。
ぼくら兄弟は、隣りのマレショーという、頭巾帽《ずきんぼう》をかぶり白髯《しろひげ》をはやし、背の低い、見るからにおかしな町会議員を、ばかにしていた。みんなはかれを、マレショー爺さんと呼んでいた。かれはすぐ隣りのくせに、ぼくらが挨拶もろくにしないというので、たいへんおこっていた。ある日、道で行きあったとき、とうとう我慢がしきれなくなったとみえて、つかつかとぼくらのほうへ近寄ってきた。「なんだって、町会議員に挨拶しないのかね!」
ぼくらは逃げ去った。こうした横柄《おうへい》な仕打ちがあってからは、いっそう敵愾心《てきがいしん》がつのった。たかが町会議員のくせに、ぼくらに対して何ができるんだ? 弟は学校の往復に、かれの家の呼鈴《よびりん》を鳴らした。そこの飼犬はぼくと同じくらい年とっていてこわくないので、なおさら大胆《だいたん》にやってのけた。
一九一四年七月十四日の記念日の前日、弟たちを迎えに外へ出たぼくは、マレショー家の鉄門の前の人だかりを見てすっかり驚かされた。幾本かの菩提樹《ぼだいじゅ》があったが枝をおろしてあったので、庭の奥のしゃれた建物を隠せなかった。気が狂った若い女中が、午後の二時頃から屋根の上へ逃げだしたまま、どうしても降りてこないのだ。マレショー家では醜聞《しゅうぶん》をまきおこすことを恐れて、鎧戸《よろいど》を全部おろしてしまったが、それがかえって空き家のように見せるので、いっそう屋上の悲劇をきわだたせた。人びとは、この家の者たちが哀れな気違いを助けようともしないのを怒って、ののしり叫んでいた。女は瓦《かわら》の上を、別に酔ってもいないくせに、よろよろしていた。ぼくはいつまでもそこにいたかったのだが、母が勉強をしなければいけないと女中をよこした。勉強しないと、お祭りをとりあげられてしまうだろう。ぼくは心惜しくも立ち去った。父を停車場へ迎えに行くときまで、この女が屋上にとどまっているのを願いながら。
女は同じ場所にいた。が、パリから帰ってくるわずかな通行人も、食事をしてから踊りに行くのに忙がしくて、ほんの一瞥《いちべつ》しか与えなかった。
それに、この時までこの女は、多少は公開的な稽古をしていたのにすぎなかった。が、夜になって、いつもの祭の提灯《ちょうちん》がともされ、それが脚光の代りをし始めたので、かの女はいよいよ本舞台へ乗り出したわけだ。提灯は並木道にも、庭園にもつるされた。いかに居留守を使っても、家柄としてマレショー家でも、まさか奉祝をしないわけにはゆかなかった。罪ぶかい家を幻想のなかに見るように、その屋根の上には、ちょうど満艦飾《まんかんしょく》の船の上にでもいるような気で髪をふり乱した女が、この世の人の声ではない、鳥肌だたせるような甘ったるい、喉《のど》からでる声を張りあげて、よろめいていた。
この小さな町の消防隊は、〈有志の集り〉なので、一日中消防以外の他の仕事に従事していた。牛乳屋とか、ガラス屋とか、錠前屋とかがしているので、もし火事ひとりでに消えなかったなら、めいめいの仕事が終ってからようやく駈けつけるという始末だ。動員令が下ってからというもの、この消防隊は、警戒をしたり、訓練をしたり、夜警さえもする不思議な自警団になった。やっと、これらの勇ましい連中がかけつけて、群衆を押しのけた。
一人の女が進み出た。マレショーとは政敵の、ある町会議員の夫人で、さっきから煩《わずら》わしいほど気違い女に同情を寄せていた。かの女は消防長にいい含めた。
「やさしくいいきかして連れてきてくださいね。可哀そうにあの子は、この家では始終ぶたれどおしで、すこしもいたわってもらえなかったんですよ。それから、もし暇をだされて、雇《やと》い口のないのを気にしてるんでしたら、あたしのところで使ってもいいといってちょうだい、お給金は倍にしてあげるからって、よくいってくださいよ」
しかしこのおおげさな同情は、それほど群衆に効果を与えなかった。皆は夫人を見て、いやな顔をした。人びとはただ捕えることしか頭になかったのだ。六人の消防夫は、鉄門を乗り越え、家をとり囲んで、追い詰めるようにしてよじ登った。だが、そのうちの一人が、やっと屋根に現われると、ちょうど操《あやつ》り人形を見て夢中になっている子供のように、群衆はわいわいはやし立てながらそれを犠牲者にしらせはじめた。
「お黙りなさい!」と、夫人は叫んだ。それが群衆を「そら行ったぞ! そこに一人」と興がらせた。この叫び声をきいた気違い女は、瓦《かわら》を手に取って、やっと屋上にあがったばかりの消防夫の鉄かぶとに投げつけた。他の五人はすぐ降りてしまった。
役場の前の広場にある、射的屋《しゃてきや》や、木馬や、小屋掛けの連中が、こんなかきいれの晩に、みいりがないのをこぼしているのを尻目に、なかでもより抜きの腕白《わんぱく》連は、捕えるのを見ようとして、塀を乗り越え、芝生にかけつけていた。気違い女は、ぼくは何といったか忘れてしまったが、いかにも悲しげなあきらめきった声で、自分の思っていることが正しいのに、皆は誤解をしていると、さも確信ありげに嘆いていた。腕白連は見世物よりも、この方に興味を感じていたが、でもどちらにも未練があるらしかった。で、自分らのいないうちに、女は捕まってしまいはしないかと危ぶみながら、駈けて行って、急いで木馬をひと廻りしてやってきた。もっとおとなしい者は、菩提樹の枝につかまって、まるでヴァンセンヌの観兵式でも見ている気で、電気花火や爆竹《ばくちく》を鳴らしながら喜んでいた。
これらの物音や光のなかで、家にじっとしている、マレショー夫妻の苦しさを想ってみるがいい。
慈悲深い奥さんの夫である町会議員が、鉄柵になっている小さい塀に登って、この家の主の卑怯《ひきょう》な点を攻撃しはじめたので、みんなは拍手をした。
それを自分が拍手されたのだと思って、気違い女は消防夫の胄《かぶと》が光ったら投げつけてやろうと、瓦を両脇に抱えながらおじぎをした。かの女は人間ばなれのした声で、やっと皆が自分をわかってくれたといって感謝しているのだ。なぜかぼくには、それが沈みかかっている船に一人とり残された、海賊船の女船長のような気がしてならなかった。
やがて群衆は、すこしあきたとみえて散らばりかけた。ぼくは父と共にもっといたかったのだが、母は子供たちの、あの胸の悪くなるようなことをしたがる気持を満足させてやるために、弟たちを木馬から豆鉄道の方へ連れて行った。ぼくにしたって、そうした必要は弟たちよりもはげしく感じていた。ぼくは心臓の鼓動が、もっと早く、もっとめちゃめちゃになってくれればいいと思っていた。しかし深さのある詩に似た眼の前の光景のほうが、もっとぼくのそうした望みを満たしてくれたにちがいない。
「顔色が悪いよ」と母はいった。ぼくは電気花火のせいにして、そのために顔が青く見えるのだろうと答えた。
「あんまり、この子は興奮しすぎたんだわ」と、母は心配そうに父にいった。
「なあに、平気だよ。この子は何だって見ていられるんだ。兎の皮剥《かわは》ぎは別だがね」
こう父が返事をしてくれた。
父はぼくが残っていられるように、そういったのだ。が父にしても、この光景がぼくの心を混乱させているのを知っていた。ぼくもやはり、父がはらはらしているのを感じていた。ぼくは父に、よく見たいから肩車へ乗せてくれと頼んだ。打ち明けてしまえば、脚がふらついて、うっかりすると気絶しそうだったのだ。
その頃には、すでに二十人ぐらいしかいなかった。ラッパの音がきこえてきた。松明《たいまつ》行列の帰りなのだ。
とつぜん多くの松明が気違い女を照らした。それは脚光の穏やかな光のあとに、新しい人気女優を撮影するために、ぱっとマグネシュームをたいたようなものだ。すると女は、訣別《けつべつ》のしるしに手を振ったかと思うと、この世の最後がきたと信じたのか、それともただたんに人が自分を捕えにきたと見てとったのか、いきなり屋上から身を投げた。落ちたはずみに雨除《あまよけ》ガラスを壊し、大きな音を立てて石段の上に落ちてきた。このときまで、耳が鳴り心臓が止る思いをしながらも、どうやら気を張りつめていたぼくは、人びとが、「まだ生きている」と叫ぶのをきくと、気を失って父の肩から倒れ落ちてしまった。
ふと気づくと、父はぼくをマルヌの河岸へ連れて行ってくれたのだ。二人はそこで、いつまでも黙って、草の上によこたわっていた。
家に帰る途中、ぼくは鉄柵の後ろに白い人影を見て、どきりとした。女中の幽霊ではないか! がそれは、白い頭巾帽をかぶったマレショー爺さんだった。彼は雨除ガラスや、瓦や、芝生や、草むらや、血に染まった石段の損害や、それから地におちた自分の名声などを、じっと考えこんでいたのだ。
ぼくがこうした挿話を入れたのは、それは不思議な戦争時代を、この話が最もよく語っているのと、この事件が単なる叙景としてよりむしろ詩として、いかに僕の心を打ったかということを語りたかったからである。
大砲の音が聞えた。モー付近に戦いがあったのだ。ぼくの家から十五キロ離れたラニイの近くで、ドイツの槍騎兵《そうきへい》が捕虜になったという噂もあった。戦争がはじまると、すぐに庭のなかに柱時計と鰯《いわし》の罐詰《かんづめ》とを埋めて逃げのびた知りあいの一婦人のことを叔母が話したので、ぼくは父に古本を持って逃げる方法を尋ねた。何しろ僕としては、これ以上大事なものはないから。
いよいよ引揚げというはなになって、新聞がその不必要を報道した。
そこで妹らは負傷兵にやる梨の籠《かご》を持って、よくJ…駅へ行った。こうしてかの女たちは、たいしたことではなかったが、これでお流れになったすばらしい計画の埋め合せをしたわけだ。が、かの女たちがJ…駅へ着く頃には、ほとんど籠のなかはからっぽだった!
ぼくはアンリ四世校へ入学するはずだった。だが父は、もう一年ぼくを田舎《いなか》へ置きたがった。暗い冬の、唯一のぼくの楽しみは、新聞を売る店へ駈けつけて〈言葉〉を一部、確実に手に入れることだった。それはぼくの大好きな新聞で、土曜日毎に出るのだ。その日に限って、ぼくは決して寝坊をしなかった。
まもなく春が訪れた。その春は、はじめてぼくを浮きたたせた。ぼくはよく義捐金《ぎえんきん》を口実に、晴着を着て、右側に若い女と連れだってぶらついた。ぼくは寄付金箱を、女は徽章《きしょう》を入れた籠を持っていた。二度目の時に仲間が、若い女を腕にまかせられているこのような自由な日をいかに利用すべきか教えてくれた。
で、それからは午前中に精出して金を集め、正午にそれを発起人《ほっきにん》の奥さんに渡し、あとの半日はシュヌヴィエールの丘でふざけあった。ぼくにはじめて友人のできたのもそのときだ。ぼくはその妹と一緒に金を集めるのを好んだ。はじめてぼくは自分と同じような早熟な男の子と知り合った。ぼくはかれの、きれいな顔立ちとその大胆さに感嘆した。そのうえ、ぼくらと同年輩の者たちに対する共通の軽蔑が、いっそう二人を結びつけた。ぼくらだけが世事《せじ》に通じているような気がした。そしてぼくらだけが、女の相手になれると思っていた。つまりぼくらは、おとなぶっていたのだ。こんなふうに、二人は切っても切れぬ関係になった。
ルネはすでにアンリ四世校へ通っていて、ぼくはかれと同じく三年級へはいるはずだった。今までかれはギリシア語をやらなかったのが、ぼくのためにギリシア語をすると両親を説き伏せた。こうして二人は、いつも一緒だった。けれどもかれは一年遅れていたので、特別教授を受けねばならなかった。昨年はせがまれて、ギリシア語を止めるのに同意したのにと、ルネの両親にはさっぱりわけがわからなかった。とうとうそれは、ぼくのいい影響からだと思ったらしい。ほかの友だちには感心しなかったが、すくなくともぼくだけは認めたとみえる。
この年のはじめての休暇は、毎日退屈しなかった。思うに誰でも、それ相応の年輩は争えぬものだ。こうしたぼくの危険な軽蔑も、誰かが側にいてうまく導いてくれさえすれば、あたかも氷のようにひとりでに溶けてしまう。こうしてぼくらの共通の進歩が、傲慢《ごうまん》さで進もうとする道程を、半分に縮めてくれたわけだ。
新入学の日、ルネはぼくにとって、大事な案内役だった。かれのおかげで、ぼくにはすべてが楽しかった。ぼくは一人では一歩も人なかへ出られないくせに、毎日二回アンリ四世校とバスティユ駅とのあいだを歩くのが嬉しかった。ぼくらはそこから、汽車に乗った。
こうして三年たった。別に他に友もなく、木曜日のあそびを除いてはこれという希望もなかった。その日にはルネの両親が、息子の友だちと娘の友だちとを何の気もなく一緒にお茶に招いてくれたので、ぼくらは賭《かけ》遊びを口実に、こっそり可愛らしい愛を盗み合った。
よい季節になったので、父はぼくや弟を連れて遠出をするのを好んだ。わけてもぼくらの好きだったのは、オルメソンへ行ったり、モルブラ川に沿って歩くことだった。幅一メートルばかりのこの川は牧場を流れていて、そこには、名前は忘れてしまったが、よそでは見られない花が咲き乱れていた。水ぎわを歩くと、よく水菜や薄荷《はっか》の茂みを踏んだ。春が訪れると、川は数しれぬ白やばら色の花びらを運んだ。それらは山査子《さんざし》の花びらだった。
一九一七年の四月のある日曜、いつものようにぼくらはラ・ヴァレンヌまで汽車に乗り、そこから歩いてオルメソンへ行くことにした。父はラ・ヴァレンヌで、気持のいいグランジエ家の人たちと会うはずだと、ぼくに話した。ぼくもその一家のことは、いつか絵の展覧会の目録で、マルトという娘の名をみたので、すでに知っていた。またいつか、グランジエ氏が訪問しに来たのも、両親から聞いたことがある。そのときグランジエ氏は、十八歳になる娘の描いた絵をいっぱい入れたカルトンを持ってやってきた。マルトは病気だったのだ。かの女の父親は娘の水彩画を、ぼくの母が主催しているある慈善展覧会に出して、いきなり娘を驚かしてやろうと思っていたのだ。その絵は、あまりきどらない、いかにも研究所で舌をだしたり、画筆を舐《な》めたりしているまじめな生徒のものらしかった。
ラ・ヴァレンヌ駅のプラットフォームで、グランジエ家の人たちがぼくらを待っていた。グランジエ氏と夫人とは同年輩らしく、五十近くにみえた。だが夫人の方がふけていて、ひと目でかの女の俗っぽさと背の低いのがぼくを不愉快にした。
歩きながらかの女は眉《まゆ》をぴくぴくさせ、その度に額にしわを寄せるので、それが元どおりになるには一分ぐらいかかるのにぼくは気づいた。かの女がぼくのきらいになるあらゆる点をもっていたとはいえ、ぼくは自分が不公平だと心にとがめたくないので、かの女の話し方が思いきって下品であってくれればいいがと思っていた。が、その点ではかえってぼくを失望させた。
父親は、いかにも好人物らしい後備の下士官で、きっと部下に慕《した》われたほうだろう。それにしても、マルトはどうしたのかしら? こんな両親たちだけとの散歩じゃとてもやりきれないと、ぼくは思った。がマルトは、次の汽車でくることになっていたのだ。「もう十五分もしましたらきますわ」とグランジエ夫人が説明した。「支度《したく》がまに合いませんので、弟と一緒に参りますの」
汽車が構内へはいると、マルトは列車の入口に立っていた。「停ってから降りなさいよ」と母親が呼びかけた。このお転婆《てんば》がぼくの気にいった。
服装も帽子もあっさりしていて、知らない人なんかにはどう思われたっていっこう平気だ、といいたげな様子だった。かの女は、十一歳ぐらいの男の子の手をとっていた。青白い、髪に白子のできているこの弟は、病身なのを隠そうとしても隠しきれなかった。
途中では、ぼくとマルトが先に立った。ぼくの父はそのうしろで、グランジエ夫妻にはさまれて歩いた。
ぼくの弟は、新しいこの病身の友と一緒なのであくびをしていた。この子は走るのを止められていたのだ。
ぼくが水彩画のおせじをいったら、マルトはつつましやかに、あれは習作だといった。かの女はあんなものなんか、それほどに考えていなかったのだ。そうしてぼくに、もっとうまい〈本格的な〉花の絵を見せてあげようといった。見ないうちから、その花の絵の悪口なんかいわないほうがいいと、はじめてぼくは心のなかでそう思った。
帽子をかぶっているので、マルトにはよくぼくがわからなかった。がぼくは、すっかりかの女を観察した。
「お母さん似じゃありませんね」と、ぼくはいった。
これは恋い歌の始めである。
「ときどきそういわれますの。でも、こんど遊びにいらっしゃったら、若い頃のお母さんの写真をごらんにいれますわ。ずいぶん似てますのよ」
ぼくはこの返事にいやけがさした。ぼくは祈った、どうか母親と同じようになった頃のマルトなどは見なくてすむようにと。
ぼくはこうしたいやな気分を紛《まぎ》らすために、それにはうまい具合に、マルトがぼくと同じように母親をみていないので、ぼく自身のそうした気持を覚《さと》られないためにも、何とかいわねばならなかった。
「どうして、そんなへんな髪にするの、艶々《つやつや》した髪のほうが似合うのに」
ぼくはそういってから、はっとした。ぼくは今までに、こんなことを女のひとにいったことなんかなかったくせに。ぼくはまるで自分の髪のつもりでいるのだ。
「お母さんにきいて頂戴《ちょうだい》よ、(かの女はいかにも弁解らしく言うのだ!)いつもはこんなにおかしくないのよ。でもあたし、遅れてたもんだから、また次の車に乗りそこねてはと、そりゃ気が気じゃなかったのよ。それにあたし、帽子をとるつもりじゃなかったんですもの」
「なんていう娘なんだろう!」ぼくはそう思った。「髪のことなんかで、ぼくのような小僧といい争ったりして」
ぼくはマルトが、どんな文学上の趣味を持っているかを試してみた。嬉しかったことには、かの女がボードレールやヴェルレーヌを知っていたことだ。かの女の好きな理由は、ぼくの愛しかたとは違うが、ぼくにはやはりうれしかった。そこには反抗があると思った。マルトの両親は、やっとのことでかの女の趣味を許していた。マルトにしてみると、それはただ自分に対する愛情からだと思えた。かの女の婚約者《フィアンセ》は手紙で自分の読んだものについていってきたり、ある本は読めとすすめ、またある本は読んではいけないといったりするのだ。〈悪の華〉は読むのを禁じられていた。かの女にフィアンセがあるのを聞いて、いやな気もしたが、ボードレールを怖れているような、そんなばかげた兵隊のいうことには従わないというかの女を知ったので、それがかえってぼくには嬉しかった。きっとそんな男のことだから、マルトの愛情を害することもたびたびあるだろうと思ったからだ。
ぼくの最初の不快は男の狭い量見を聞いたのでなおったものの、かれも〈悪の華〉を知っている以上、かれらの新宅が〈恋人の死〉のようになりはしまいかと心配になっただけに、いっそう嬉しかった。しかし、それはよけいな心配だと、まもなくぼくは思い直した。
マルトのフィアンセは、かの女が絵の研究所へ行くことも禁じていた。ぼくはまだそんな所へは行ったこともないのだが、さもたびたび出かけるようなことをいって、こんどかの女をご案内しようといった。しかしすぐその後で、ぼくの嘘がばれるのを怖れて、このことは父に内証にしておいてくれと頼んだ。そうして父は、ぼくが体操の時間をずるけて、グランド・ショーミエールの研究所へ行くのを知らないのだ、とつけ加えた。それにはまた、何か裸かの女を見ることがいけないので、それで両親に研究所へ行くのを隠しているのだと、かの女に思われたくなかったからだ。ぼくは二人のあいだに、秘密のできたのが嬉しかった。そうして臆病なぼくは、もうすでにかの女に対して暴君のようにふるまっているのだとさえ思っていた。
ぼくはまた、かの女が田舎の風景よりも、ぼくのほうに気をとられているのをみて得意だった。ぼくらは、まわりの景色《けしき》などはどうでもよかったのだ。思い出したようにかの女の両親が声をかけた。
「マルト、右の方をごらん。シュヌヴィエールの丘がきれいだから」
またかの女の弟が側へやってきて、摘《つ》んできた花の名を尋ねることもあった。そうするとかの女は、うわの空の注意を向けたので、それでやっと彼らのいかりをとどめた。
ぼくらはオルメソンの牧場に腰をおろした。ぼくは無邪気にも、あまりやり過ぎたこと、それにせっかちであったことを後悔していた。
「あんなセンチメンタルな話でなく、もっとあたりまえな話のあとなら、この村の昔話でもして、マルトを喜ばせ、両親にも気にいっただろうに」と、ぼくは考えた。ぼくはそうしなかったのだ。それには、それ相応の理由があった。いままでこういうふうにしてきて、ここでぼくらの共通の不安にちっとも触れない話をするのは、せっかくの魅惑《みわく》をなくしてしまうと思ったから。そこにぼくは、何か重大なことがあったような気がした。
実際そうでもあったのだ。というのは、マルトもやはりぼくと同じような気持から、わざと話をそらせようとするのが、あとでわかったから。が、ぼくはそれに気づかなかったので、自分ではやはり意味ありげな話をつづけてしまった。ぼくは感じの鈍いひとに恋を打ち明けたようなものだとばかり、思いこんでいた。しかもぼくは、もしその気があったら、自分がマルトに話すことを、別に何というでもなしに、グランジエ夫妻が聞くことができたのを忘れていたのだ。そうと気づいていたら、かれらのいる前で、あんなことをマルトにいえたろうか?
「マルトはぼくを臆病にはしない」とぼくは、自分にいいきかした。「つまり、かの女の両親とぼくの父とが、かの女の襟元に接吻する邪魔をしているだけなんだ」
自分を深くつきつめると、もう一人の少年の自分が、こうした興覚めな人たちのいるのを喜んでいた。それはこう考えた。
「かの女と二人っきりでなくてよかった! なぜなら、そうすればなおさら接吻なんてできそうもないし、それに、そのいいわけにも困るだろう」
これは、臆病者のごまかしである。
みんなはシュシイ駅で汽車に乗った。発車までにたっぷり三十分もあったので、カフェのテラスで休んだ。ぼくはグランジエ夫人のおせじをがまんして聞いていなければならなかった。それはぼくとしては、屈辱《くつじょく》的な言葉だった。ぼくがまだリセの生徒で、来年大学入学の資格試験を受けることを、マルトに思いださせたからだ。マルトはシロップを飲みたがった。でぼくも、同じようにシロップを注文した。その朝まではシロップを男が飲むなどは恥じだといっていたのだ。父には、どうしたわけなのだか、さっぱりわからなかった。父はいつもぼくにアペリティフを飲ましてくれたのだ。ぼくは父が、ぼくの行儀のいいのをからかいやしないかとびくびくしていた。やはり父はそのことをからかった。でも父は、ぼくがマルトと同じようにするためにシロップを飲んでいるなんて、かの女にしらせるような、そんな気のきかない真似はしなかった。
F…に着いたので、ぼくらはグランジエ家の人たちと別れた。ぼくはマルトに、次の木曜日に〈言葉〉紙のコレクションと、〈地獄の季節〉とを届ける約束をした。
「これでまた、あのひとの好きそうな本の名がふえたわ!」
マルトは笑っていた。
「まあ、マルトったら!」
かの女の母は、いつも娘のこうした不遜《ふそん》な態度に出会うときまってするように、眉をひそめてたしなめた。
父も弟も退屈そうだった。が、かまうもんか! 幸福はエゴイストだ。
翌日学校でルネに会ったが、ぼくはなんにもいわなかった。今までぼくは、日曜日の出来事を何もかも打ち明けることにしていたのだ。それにはマルトをこっそり接吻しなかったのを、ルネに笑われるのが癪《しゃく》だったからだ。それにもうひとつ驚いたことは、今日に限って、ルネがほかの友だちと違わなかったことだ。
マルトに愛を感じはじめたぼくは、ルネにも、両親にも、それから妹らにも、なんらの愛情も感じなくなった。
ぼくは約束の日より前には会いに行くまいと、かたく決心していた。けれども火曜日の夜、とうとう我慢がしきれなくなって、夕食後、本と新聞とを持って行けるうまい口実を考えだした。ぼくのこんなに待ちきれないのを見たら、きっとマルトは、ぼくの愛情を察してくれるだろうと思ったからだ。もしもマルトがそう思ってくれないなら、無理にもそう思わせてやれるだろうと、ぼくは思っていた。
十五分間というもの、気が狂ったようになって、ぼくはかの女の家へ駈けつけた。それから、食事中の邪魔になりはしまいかと心配しながら、汗をかいたまま十分ばかり門の外に待っていた。そのあいだ、ぼくの胸の鼓動は止まるかと思われた。しかもそれは、ます一方だった。もうすこしで、ぼくは帰ろうとしかけた。だが、隣りの窓から一人の女が、さっきから不思議そうに、門の前にたたずんでいるぼくを、何をしているのかと眺めていた。その女が、ついにぼくを決心させた。ぼくは、呼鈴をならした。それから家へはいった。ぼくは女中に、奥さんはご在宅ですかと尋ねた。するとほとんど同時に、案内された小さな部屋へ、グランジエ夫人が姿を現した。ぼくは、どきりとした。というのは女中がぼくの訪問を、じつはお嬢さんに逢いにきたくせに便宜《べんぎ》上、奥さんを呼んだのだと思いはしまいかと察したので。
ぼくは顔を赤らめて、こんな時間に訪ねたことを、まるで夜中の一時にでも訪問したようにしきりに詫びた。そうして木曜日は都合が悪いので、今日約束の本と新聞を持ってお邪魔したのだといった。
「まあそれは、ちょうどよかったですわ」と、グランジエ夫人はぼくに答えた。「マルトはお会いできませんの。あの娘《こ》の婚約者の休暇が思ったより二週間早くなりまして、昨日帰ってまいりましたの。それでマルトは、今晩は義理の親のところへ、食事によばれているのです」
ぼくはすごすご帰らねばならなかった。もう再びマルトに逢う機会がないだろうから、かの女のことは決して考えまいと思い定めた。が、そう思うことは、とりもなおさず、かの女のことしか考えないことだった。
ところが、それから一か月たったある朝のこと、バスティユ駅で列車から飛び降りると、別の口からマルトの降りるのを見た。かの女は結婚の支度に、百貨店へいろいろなものを買いに行くところだった。ぼくはアンリ四世校まで一緒に行かないかと誘った。
「では」とかの女はいった。「来年あなたが二年になると、地理の先生はあたしの義理のお父さんよ」
あたかもぼくらの年頃では、学校のこと以外には話がないといったふうなので、気を腐らしたぼくは、それは不思議な縁ですねとひどくぶっきらぼうに答えた。
マルトは眉をしかめた。それがぼくに、かの女の母親を思わせた。
ぼくらはアンリ四世校へついた。が、あんな気を悪くするような話のままで別れたくなかったので、ぼくは一時間遅れて、図画の時間がすんでから教室へはいることにした。こうしたことを、マルトが分別くさく、意見をしたりしないのが、ぼくにはうれしかった。むしろかの女は、実際にはなんでもないのだが、そうした犠牲を払ったぼくに感謝をしていた。ぼくからみれば、かの女が買物に一緒に行ってくれなどといわずに、ぼくがかの女のために時間をさいたようにかの女のほうでぼくにつき合うために時間をさいてくれたのを感謝していたのだ。
ぼくらはリェクサンブール公園へ行った。上院の時計が九時をうった。ぼくは学校へ行くのを止めた。そのときぼくは奇蹟的にも、前の日、シャンゼリゼの入形芝居の後ろの切手市で、古切手の珍品を売り払ったので、普通の学生などが二年かかっても持てないほどの小遣銭《こづかいせん》をポケットに持っていた。
話をしているうちにぼくは、マルトがお昼の食事を義理の両親の家ですることを知ったので、なんとかして自分とつき合わせようと思った。九時半が鳴った。マルトは自分のためにひとが学業をおろそかにするなんてことには馴れていないので、びっくりして飛びあがった。しかし、公園の鉄の椅子へ平気で腰かけているぼくをみては、アンリ四世校の椅子へかけに行くべきことを、ぼくに思いださせるほどの勇気もなかった。
二人はじいっとしていた。幸福とはこうしたことだろう。一匹の犬が泉水から飛び出して身ぶるいをした。マルトは立ちあがった、あたかも午睡から目覚めた人のように、今だに夢みるごとくさめきらずに。かの女は腕を振って、体操の身ぶりをした。それがぼくに、まだ気持がしっくりしていないことを想わせた。
「なんて堅い椅子なんでしょう」と、マルトは立っているいいわけをするように、こういった。マルトは薄絹の服を着ていたが、それが腰かけているあいだにしわくちゃになった。ぼくは椅子の型が、かの女の肌につけた模様を想いみないわけにゆかなかった。
「じゃ、百貨店まで一緒にいらっしゃいな。どうせお休みときめたのなら」と、はじめてマルトは、ぼくがかの女のために学校を怠《なま》けたのを、意味ありげにいった。
ぼくはかの女のお伴をして、何軒かのきれじ屋へ行った。行く先ざきで、かの女の気にいったものがあってもぼく自身の気にいらないものは買わせなかった。例えば、ぼくはばら色がきらいだったので、かの女の大好きな色であったが、それもついに止めさせてしまった。
これらの勝利の次は、義理の両親のもとで、マルトに食事をさせないことだった。しかし、ただぼくと一緒にいる喜びだけでは嘘をつきそうにもみえなかったので、こうして道草をくっているうちにぼくの考えに従わさせてしまおうといろいろ考えた。かの女はいつかアメリカふうのバアに行ってみたいと思っていた。が、フィアンセにはそうしたことをいうわけにゆかなかった。それにあの男はバアなどは知らなかったのだ。ぼくはそれをいい口実に誘ってみた。ところがかの女は、いかにも残念そうにして拒《ことわ》ったので、ぼくには、やはり行きそうな気がしてならなかった。ものの三十分も、いろいろと誘ってみたが、ついに根《こん》負けがしてしまって、ぼくは一緒に義理の両親の所まで行くことになった。しかしそれは、死刑囚が、最後まで救いの手を期待しているようなものだった。こうして何ということもなしに、行く先に近づくと思っていたら、とつぜんマルトが郵便局の前で、ガラス窓を叩いて、タクシーの運転手に車を停めさせた。
かの女はいった。
「ちょっと待っててよ。あんまり遠くへきてしまったんで食事にまに合いそうもないって、おかあさんに電話をかけるから」
しばらくするうちに、ぼくはこらえかねて、花売り娘を呼び、ひとつひとつ、まっ赤なばらを選んで花束をこしらえさせた。それはマルトを喜ばせてやるためよりも、今晩両親に、誰からその花束を贈られたのか、それを弁明するために嘘をつかせてみたかったからだ。
最初二人が会ったときのぼくらの計画は、絵画研究所へ行くことだった。それと今晩、かの女が両親に繰り返すであろうところの電話の嘘と、それからこのばらについての嘘とは、ぼくとしては接吻などよりもはるかにうれしい愛のしるしであった。それというのは、今までぼくはたいした喜びもなしに、しばしば小さい娘らを接吻したが、心からかの女たちを愛していないくせにそうしたのだということを忘れていたので、それでマルトの唇にも少しも惹《ひ》きつけられなかったのだ。しかしながらこうした共犯者になるという気持は、今までけっしてなかったことだ。
最初の嘘をついてから、マルトはいっこう平気な顔をして郵便局から出てきた。ぼくはドオヌー街の酒場へと運転手に命じた。
白い服を着たバアテンが銀のシェーカーをふる腕まえや、コクテールの奇妙な、詩的な名前に、マルトはまるで寄宿舎の女生徒のように喜んだ。そして、ときどき匂いを嗅《か》いでいた、まっ赤なばらを、この日の思い出に水彩画に描いてくれると、ぼくに約束した。ぼくはフィアンセの写真をみせてくれと頼んだ。それはきれいな男だった。ぼくにはかの女がどんなにぼくの考えを重くみているかがよくわかっていたので、非常にきれいな人じゃないかと、それもほんとうのところは礼儀上そう言うのだとほのめかしながら、いってやった。それは、マルトの心に動揺を与えるだろうし、またかの女の感謝も得られるに違いなかった。
が、午後になったので、出かけてきた用たしのことを考えねばならなかった。かの女のフィアンセは自分の趣味を知っていると思ったので、家具の選択をマルトにすっかりまかせたのだ。それを母親が、でも自分も一緒に行こうというのを、マルトはけっしてばかなまねはしないからと押しきって、やっと一人で出てきたのだ。その日の買物は、寝室用の二、三の家具であった。ぼくはマルトのいうことはどんな話でも、極端な喜びや不快を現わさないようにしていたが、どうも心臓のリズムに伴わない緩《ゆる》やかな歩調で街路を歩かせられるのには、なかなかの努力を要した。
こうしたお伴をさせられるのは、ぼくとしてもあまりばつのいいものではない。何しろマルトと他の男との寝室の飾りに手伝わされるのでは! が、そうだ、マルトとぼくの部屋のつもりになればいいのだ。
ぼくはたちまち、かの女のフィアンセのことなどは忘れてしまったので、十五分も歩いているうちには、この部屋でかの女の側に別の男が寝るのだなどといわれたら、非常に驚いたであろう。かの女のフィアンセは、ルイ十五世式の趣味を持っていた。
マルトの趣味は、それとはちがって悪趣味だった。むしろかの女は、日本趣味の傾きがあった。したがってぼくは、そのどちらとも闘わねばならなかった。どちらが早くまねをするだろうか。マルトのちょっとした言葉尻から、かの女の趣味がわかったので、ぼくはどうかしてその反対のものを選んでやろうと思ったが、それはやはり、ぼくとしても気持のいいものではなかったので、表面ではかの女の気まぐれに譲歩をしたふりをしながらも、ぼくはその家具を棄てさせて、あまりかの女のいやがらない程度のものを選ばねばならなかった。
マルトは「あのひとったら、ばら色の部屋をひとつ欲しがっているのよ」と呟《つぶや》いていた。かの女は自分の趣味をぼくにいえないので、フィアンセにかこつけているのだ。こうしたことも、そのうちにぼくらの笑い話になるだろうと、ぼくは思った。
とはいえ、ぼくにはどうしても、このようなかの女の弱気がわからなかった。「もしもマルトが、ぼくを愛していないのなら」とぼくは考えた、「どうしてかの女の好みも、それからあの若い男の好きなものも、みんなぼくの好みに委《まか》せるのだろう?」ぼくにはその理由が呑みこめなかった。ごく控えめに考えて、かの女がぼくを愛しているせいだととれないこともなかったが、しかしぼくは、その逆を信じていた。
マルトはぼくにいった。「ばら色のカーテンだけでも、あのひとのいうとおりにしましょう」……『あのひとのいうとおりにしましょう!』この言葉を、聞いただけで、もうぼくはがっかりしてしまう。『ばら色のカーテンだけでも、あの男のいうにまかせる』ことは、とりもなおさず、すべてを譲歩することだった。ばら色の壁が、『ぼくたちの選んだ』あのさっぱりした家具をどんなにだいなしにしてしまうかということを、ぼくはマルトに想像させた。そうして憤慨《ふんがい》させはしまいかと尻ごみしながら、部屋の壁を石灰で塗ったらいいと、かの女にすすめた。
それはとどめのひと言だった。一日じゅういじめられどおしだったので、マルトは黙ってぼくのいいなりになってしまった。かの女はぼくにこういっただけだった。「そうね、あなたのいうとおりね」
ぼくはこの疲れた一日のあとで、よくもここまでこぎつけたものだと、自分ながら感心した。ぼくはこうして家具を変えさせることによって、かれらの恋愛結婚を、いなむしろ火あそび結婚を、理性の結婚に変えてしまったわけだ。しかしそれは何という理性結婚であろう! そこには、すこしも理性などはないのだ。お互いに恋愛結婚のもたらすいいところしかみていないくせに。その晩別れぎわに、これでもうマルトも今後は相談などをしないと思っていたのに、なおこれから先も家具を選ぶときは手伝ってもらいたいというのだ。ぼくはけっしてかの女のフィアンセには喋らないという条件で、それをひき受けた。なぜならジャックが本当にマルトを愛しているなら、すべてがかの女の好みによったのだと思うだろうし、そうしてそのうちには、かれ自身もそれらの家具に馴れてきて、やがては自分が選んだもののように思い込んでしまうに違いないと思ったから。
家に帰ったぼくは、父の眼をみて、すでに父がぼくの怠けたのを感づいているような気がした。実際のところ、なにも父などが知るはずはないのに。いったい、どうして、父が、そんなことを知ることができたであろうか?
「ええ、そのうちにジャックも、あの部屋に馴染《なじ》むでしょう」と、マルトはいったのだ。ぼくはベッドによこたわりながら、何度もくり返した。……たとえ眠る前に、マルトが結婚のことを思い浮べるにしても、今夜のかの女は、今までとは違った考えをもつだろうと。ぼくからみれば、この恋愛の結果はどうなろうとも、まえもってかの女のジャックに復讐されたようなものだった。ぼくは結婚の初夜を想っていた。冷やかなあの部屋、〈ぼくの〉部屋で!
翌朝、ぼくは欠席通知を持ってくる郵便配達を道で待ち伏せた。手紙の束を受けとると、ぼくは通知をポケットに入れ、ほかのは門の郵便箱に投げこんだ。きわめて簡単なことなので、よく行われる方法である。
学校を休むということは、ぼくの考えによれば、それだけマルトを想ってることだ。がそれは、ぼくの考え違いだったのだ。ぼくにとってマルトは、ずる休みをする口実にすぎなかった。その証拠は、マルトと一緒に歩いて自由の歓《よろこ》びを味わっても、ぼくは自分一人でそれを味わうことを望み、やがてみんなにもその歓びを味わわせてやりたくなった。自由とは、かえって三文売薬なのだ。
学年末が近づいたが、ぼくは怠け癖がついていたのに罰せられずにすみそうなので、それがかえって怖《おそろ》しかった。ぼくはむしろ学校から逐《お》われるのを望んでいたのだ。この一時代の結末を悲劇で終らせることによって。
常に変らぬ思いのうちに、ひたすらそれのみを思い、つきつめてゆくと、ついにはその望みの誤っていることさえも気づかなくなる。もちろんぼくは好んで心配を父にかけたくはなかった。
しかし事実は、そうなるのを望んでいたのだ。クラスはぼくにとって常に苦痛だった。マルトと自由とが、ぼくをどうにもならなくさせたのだ。ルネとの仲の悪くなったのも、それはただ、ルネが学校のことを思い出させるからだと、自分でもよく知っていた。ぼくは苦しんだ。こうした心配は、翌年になってばからしい連中のなかにいる自分を想像しただけで、ぼくを肉体上にも参らせるほどだった。
ルネとしては不幸なわけだが、ぼくはかれに、ぼくの悪癖を移してしまった。だから、ぼくより要領の悪いかれが、アンリ四世校を退校されたと聞いたとき、それがぼくには自分のような気がしてならなかった。しかしいつかはそれを、父にも知らさなければならない。途中で隠しとってしまうには重大な手紙でありすぎる。舎監の手紙のくる前に、ぼくの口から喋った方がはるかに父には嬉しいだろう。
それは、ある水曜日のことだ。その翌日、休みで父がパリへ出かけるのを待って、ぼくは母にすべてを打ち明けた。母は、それを聞いたことよりも、それがために四、五日のあいだ、家の中が揉《も》めるのをひどく怖れていた。それからぼくはマルヌの河岸へ出かけた。たぶんマルトがくるはずだったので。が、マルトはこなかった。かえってよかった。もし会ったとしたら、ぼくの感情はそれによっていっそうあおられ、続いて生じる父との争いが危ぶまれた。ぼくは、空虚な淋しい一日の後に襲ってくる嵐を思い、いかにもそれにふさわしいかのように、うなだれて家路を辿《たど》った。それも、父のいつも帰ってくる時間よりも少し遅れて。
父はすでに〈知っていた〉。ぼくは、父がぼくを呼ぶのを気にしながら、庭を歩いていた。妹らは静かに遊んでいた。何事か起るのを感づいているのだ。一人の弟がただならぬ空気に興奮して、父が部屋で横になって、ぼくを呼んでいると告げにきた。
どなったり脅《おど》かしたりしたら、ぼくも反抗したかもしれない。しかし、それよりもずっと悪かった。父は黙っているのだ。しかもおこるどころか、かえっていつもより優しい調子でいうのだ。
「いったい、これから、どうするつもりなんだね」
涙も眼から溢《あふ》れ出なかった。それは蜜蜂の群のように、頭のなかでぶんぶんしていた。意志の力で押えようとするなら、無力ながらも自分もそれに対抗することができるが、こうした優しさの前では黙っていうことを聞くよりほかに仕方かない。
「お父さんのいうとおりにしましょう」
「だめだ。またそんな嘘をついたって。わたしはいつも、おまえのいいようにさせておいた。やはりそれがいいんだ。おまえはきっと、我儘《わがまま》にさせておいたことを、わたしに後悔させるだろう」
まだ若いうちは、女のように、涙がすべてを償《つぐな》ってくれると思っていられる。父はその涙さえ、ぼくに求めなかった。そうした寛大さに対しては、現在はもちろん、将来までもぼくは恥じいる次第だ。つまり、父にはあんなふうにいったものの、それはみなぼくの嘘だったから。〈せめてこの嘘が、さらに新しい苦しみの種を作るまででも、父を慰め、力づけていてくれればいい〉そうもぼくは思うのだ。いや、そればかりではない。ぼくは自分さえも欺《あざむ》こうとしているのだ。ぼくの望みは勉強をすることだった。しかしそれは、散歩をすることよりも疲れずに、散歩と同じように、ぼくの頭にマルトのことを一分も忘れさせない自由を与えてくれるものでなければならない。で、ぼくは絵を習いたかったが、わざと遠慮をしていたんだというふりをした。今度も父はいけないとはいわなかった。ただ、学校で習うことを家で勉強さえ続けていれば、絵を習うくらいは何でもないというのだ。
まだ関係がしっかりしていないうちは、一度逢引きをすっぽかせば、わけなく縁が切れてしまう。ぼくはマルトのことをあまり考えていたので、次第にそうした想いから離れていった。ぼくの心は、部屋の壁紙を見つめている眼のように、あまり見つめ過ぎたので、ついには何も見えなくなってしまったのだ。
不思議なことだ! ぼくは勉強をする気になってきた。自分が怖れていたような嘘をつかなくてもすんだ。
ふとしたことから、マルトのことをすこし本気に想ってみるとき、ぼくには何らの愛情もなく、何かがうまく運んだらいいがと思う場合に味わう淋しさしかなかった。
「ちえっ! あんまり話がうますぎらあ。ベッドを選んだからといって、なにもそこで寝るとはかぎらないさ」とぼくは、心のなかで思った。
父を不思議がらせたことがひとつあった。舎監から手紙がこなかったことだ。このことで、はじめて父はぼくをどなりつけた。父は、ぼくが手紙を横どりしてしまって、後で自発的に知らせるふりをして、自分の不機嫌を和《やわ》らげようとしたのだと思い込んだのだった。ほんとうに、そんな手紙などこなかった。ぼくが退校されたと思ったのは、それはぼくの誤りだった。だから父は、夏休みのはじめになって、校長から手紙を受けとった時には、何やらさっぱりわからなかった。
校長は、病気だったのか、そうして来学年もひき続いて通学する気なのかどうかと、尋ねてよこしたのだ。
やがて、父に満足を与えた喜びが、ぼくの精神上の空虚をいくらか補ってくれた。なぜなら、ほくがよしマルトをもはや愛さなくなったと信じていたにせよ、すくなくともそれは、ぼくとして恥かしくない、唯一の恋愛だと考えていたから。それはつまり、ぼくがまだかの女を愛している証拠なのだ。
ぼくがそうした気持でいたところへ、ちょうど結婚披露のしらせがあって、一か月ほどたった十一月の末に、家へ帰るとマルトからこんな招待状が届いていた。
「どうかなさいましたの、ちっともお便りがないではありませんか? どうしてきてくださらないの? あたしたちの家具を選んでくださったのを、お忘れになったのでしょう……」
マルトはJ…に住んでいた。その家の前の道はマルヌ河までつづいていた。歩道の両側には、せいぜい十二ぐらいの別荘が建っていた。ぼくは、かの女の家があまり大きいので、ちょっと驚いた。マルトは、じつは二階だけに住んでいて、階下には家主の家族と、ある老夫婦とが住んでいたのだ。
ぼくがお茶に行った時には、|陽)《ひ》はすでに落ちていた。人影のない一つの窓に、火影がちらちらしていた。波のようにゆらめく焔《ほのお》に映しだされた窓を見やったとき、ぼくは火事になりかけているのではないかと思った。庭の鉄門は半ば開いていた。あまり投げやりなので、ぼくはあきれた。呼鈴を捜したが見あたらなかった。とうとうぼくは石段を三段ばかりあがって、内から人声がする階下の右手の窓ガラスをたたいた。老婆が入口を開けてくれた。ラコンブ夫人は(マルトの新しい姓である)どちらなんですかと、ぼくは尋ねた。「二階ですよ」。ぼくは、よろめいたり、ぶつかったり、何かありはしないかとびくびくしながら、階段を登った。ドアを叩いた。開けてくれたのはマルトだった。もうすこしでかの女の首に抱きつくところだった、あたかも難船から助けられて、やっと互いの顔のわかった人びとがするように。かの女はさっぱりわけがわからなかった。きっとぼくの態度を不審に思ったに違いない。なぜならいきなりぼくは「どうして火が燃えてるんです」と尋ねたから。
「あなたをお待ちしながら、サロンの暖炉《だんろ》でオリーブの薪《たきぎ》を焚いて、その光で本を読んでいましたの」
かの女がサロンに使っている部屋にはいると、そこには邪魔にならない程度に家具がおかれてあり、壁紙や、毛皮のように柔らかな厚みのある絨毯《じゅうたん》のせいで、箱のように小じんまりとしていた。それはちょうど、劇作家があとで自作の上演に多くの欠点をみいだすように、ぼくに幸福なような、また不幸なような気持を与えた。
マルトは暖炉の前にまた横になって、灰のなかへ黒いところを入れまいと用心しながら、あらたに燠《おき》をかきたてた。
「あなたは、オリーブの匂いがおきらいだったかしら? たくの両親が南仏の持ち山から送ってくれましたの」
マルトは、ぼくのつくったこの部屋に、こうしたかの女の考案になるものがあることを、いいわけするようだった。おそらくこれらはすべてを壊してしまうと思ったのだろう。それはしかし、かの女の思い違いだった。それどころか、その火はぼくを喜ばせた。しかもマルトがぼくと同じように、顔の一方が暖まると他の半面を向けたのを見たので。かの女の静かな端正な顔が、この野性の光に照されたこのときほど美しく見えたことはなかった。その光は、部屋一面に拡がらなかったにしても、じつにすばらしい力を持っていた。その側から離れれば真暗闇で、そこらの家具につまずいてしまう。
マルトは、かたくなに黙りこんでいるということがどういうものか、よく知らなかった。そうして、はしゃぎきっているときでも、まじめくさった顔をしていた。
かの女の側にいるうちに、ぼくの気持はだんだんぐらついていった。ぼくはまた別のマルトを見たのだ。それは、今までたしかに諦《あきら》めていたのに、またかの女を愛しはじめたからだ。打算だとか、策略だとか、これまで、いやこの瞬間まで、恋などは諦められるものだとばかり思っていたのに、なかなかどうして、そう容易にできるものではないことがわかった。ふと、いいことを思いついた。突然の変化が、ほかへ眼を向けさせたのだ。それは、ぼくをマルトの愛人だというふうにはとらずに、むしろぼくの愛情は失《う》せてしまい、その代りにきよい友情が生れたと思いこむことだ。が友情の将来を思うと、それからはずれた感情がどんなにか罪深く、かの女を愛する者をどれほど傷つけるかということを考えさせた。しかもかの女は、当然その男のものであり、その男は現在かの女のそばにいないのだ。
とはいえ、それとはちがったものが、またぼくのほんとうの気持を教えるのだ。数か月前、ぼくがマルトに会ったとき、ぼくは片思いのくせに平気でかの女を批判した。かの女が美しいというものは、多くの場合ぼくには醜《みにく》く見えたし、かの女の話すことは子供らしく思われた。しかし今では、マルトと同じように考えないと、ぼくのほうが間違っているような気がした。それは、最初の粗暴な欲望の後に、より深い優しみの情がぼくを欺いているからだった。かつて考えていたようなことをしようとする気は、まったくなくなってしまった。ぼくはマルトを尊敬しはじめた、なぜならかの女を愛しだしたから。
ぼくは毎晩かの女を訪ねた。ぼくは何も、かの女の部屋を見せてくれと頼まないし、ましてぼくの選んだ家具をジャックがどう思っているかなどと尋ねはしなかった。こうしてぼくは、永遠のフィアンセになることしか望まなかった。暖炉の前に屈《かが》んだぼくらのからだが、互いに触れ合うことがあると、ぼくはちょっとでもからだを動かしたら、せっかくの幸福を失いそうな気がして、できるだけ静かにしていた。
だが、同じ思いを味わったマルトは、自分一人だけが、それを味わったのだと思いこんでいたのだ。そうしてぼくの安易な幸福を、ぼくが無関心でいるからだとみてとった。かの女はそれをぼくが愛していないせいだと考えて、何か惹《ひ》きつけるようなことをしなかったら、やがてぼくが、この黙りこんだサロンに倦《あ》きてしまうだろうと思った。
二人は一言もいわなかった。しみじみぼくは幸福を感じた。
ぼくはマルトと、あまり寄り添いすぎているような気がした。ぼくらは同じときに同じことを考えているような気がしたので、改めてそれをいうのは一人で大声で喋るようで、それもばからしかった。この沈黙は、この可哀そうな若い女の上に覆いかぶさった。気持を通じ合うのにもっと微妙な方法がないことを歎いているぼくとしては、言葉とか動作とかいった俗っぽい方法にうったえたほうが賢明だったかもしれない。
こうしてぼくが、毎日だんだんと沈黙の喜びに浸ってゆくのを見て、マルトはいよいよぼくが退屈したのだと感じた。そうしてぼくを慰めるためなら、どんなことでもしようと思っていた。
かの女は髪をといて、火の傍で居眠りをするのが好きだった。というよりもぼくには、かの女が眠っているように見えたのだ。がこの居眠りは、ぼくの首を両腕で抱えるための見せかけにすぎなかった。マルトは目を覚ますと潤《うる》んだ眼で、淋しい夢をみたというのだ。そのくせ、それがどんな夢なのか、一度も話してくれたことはない。ぼくはこの嘘眠りにつけこんで、かの女の髪の毛や、襟首《えりくび》や、血色のいい頬などの匂いを嗅《か》ぎ、静かに起さないようにして、それらにふれてみるのだ。これらの愛撫は、よくいう愛の小だしというものではなくて、むしろ情熱のみが求め得られる、もっと稀《ま》れなものだ。ぼくとしても、それぐらいのことは、友情からでも許してもらえると思っていた。しかしまもなく、ぼくは心から絶望を感じだした。というのは、愛情だけが女の上に権利があるのだから。ぼくは愛情などはなくてもすませると思っていた。がマルトについては、ぼくは何の権利もないのだ。だからそれを得るためには、歎かわしいことと知りながらも、まず愛情を手に入れねばならなかった。ぼくはマルトを欲していたが、自分ではそのことがわからなかったのだ。
いつものようにかの女は眠りながら、頭をぼくの腕に凭《もた》せかけていたとき、焔で包まれたかの女の顔を覗きこもうとして、ぼくは身を屈《かが》めた。それは、火あそびだった。ある日、こうして覗きこむと、顔がかの女の顔に触れもしないのに、針がちょうど磁石《じしゃく》の危険地帯へ一ミリばかり行き過ぎたような気がした。いったいそれは、磁石のせいだろうか、それとも針のせいだろうか? こうしてぼくは、ぼくの唇に、かの女の唇を感じたのである。かの女はなお眼を閉じていたが、明らかに眠っていない人のようだ。ぼくは、自分の大胆に驚きながらも、マルトに接吻したのだ。
しかし、ぼくが顔を近づけたとき、ぼくの顔を唇へと引き寄せたのは、じつはかの女だったのだ。かの女の両手は、ぼくの襟首を抱き締めていた。難船のときだって、あんなに強く抱き締めることはあるまい。とすると、かの女はぼくに助けられるのを願っていたのか、それともかの女と一緒にぼくまで溺《おぼ》れるのを望んでいたのか、ぼくにはさっぱりわからなかった。
かの女は坐り直した。そうして、ぼくの頭を膝に載《の》せ、髪を撫でながら優しくいった。「あんた、お帰りなさいね、もういらっしゃっちゃだめよ」
ぼくは、かの女に馴《な》れなれしく話すことができなかった。そうかといって黙っているわけにもゆかず、ぼくはしばらくのあいだ、あんたなどと直接に呼びかけないでいい文句を考えていた。なぜなら、馴れなれしく話すことはできなかったが、そうかといって、ばか丁寧《ていねい》な言葉は尚更《なおさら》おかしかった。涙がにじみ出た。その一滴がマルトの手の上に落ちたら、かの女は叫ぶだろうと、ぼくはずっと待ちつづけていた。ぼくは、せっかくの気分をこわされたのが腹だたしかった。かの女こそぼくに口づけしたのに、それと気づかないで、おろかにもぼくは、かの女の唇に自分の唇を押しつけたのだ。「あんたお帰りなさいね、もういらっしゃっちゃだめよ」
怒りの涙が苦しみの涙とまじった。わなにかかった狼の怒りは、そのわなに劣らぬ害を狼に与える。もしもぼくが口を切ろうものなら、マルトを侮辱する言葉以外には出なかったであろう。ぼくの沈黙はかの女を不安にした。かの女はそこに、諦めを見てとったのだ。「どうせとり返しがつかないんだからいっそのこと、この人が苦しみ抜くまで愛してやろう」……こうかの女に考えさせたとぼくは不当にも思ったが、どうやらこれは当ったらしい、……ぼくはこんなに火があるのに身を顫《ふる》わせ、歯をがたがた鳴らしていた。ぼくを子供から脱却させた本当の苦しみに、さらに子供らしい感情が加わったのだ。それは、終りが面白くないので立ち去ろうとしない見物人に似ていた。ぼくはいった。「帰るもんですか、人をばかにして。あなたなんかに二度と会うもんか」
両親の家へ帰るのもいやだし、マルトにももう再び会いたいと思わなかった。ぼくとすれば、むしろマルトを、かの女の家から叩き出したかった! すると、かの女は啜《すす》り泣きをしはじめた。
「あんたってば、ほんとに子供ね。あんたに帰ってといったのは、ほんとうにあんたを愛しているからじゃないの。わからない?」
ぼくはにくにくしげに、マルトが妻としての務《つと》めがあること、また夫が戦争へ行っていることもよくわかっていると、かの女にいってやった。
かの女は頭をゆすぶった。「あなたを知らない前はあたし幸せだったわ。あの人を愛していたんですもの。あの人があたしをよく理解してくれなくっても、あたし、我慢してたわ。けれど、あたしが、ほんとうに夫を愛していないことを教えてくれたのは、あんたなのよ。あたしの務めなんて、あんたの思っているようなそんなもんじゃないことよ。夫には嘘をつかないこともないが、あんたには嘘なんていえないわ。お帰りなさい。あたしを意地悪だなんて思わないでね。そのうち、あたしのことなんか忘れてしまうわ。あたしは、あなたの一生を不幸にしたくはないんです。あたし、泣いてるの。だってあたし、あなたにはお婆さんすぎるんですもの」
この愛の言葉は、子供らしい尊いものだった。これから先、どんな情熱を感じることがあっても、けっして十九の娘がお婆さんだといって泣く、この純情ほどに心を動かされることはあるまい。
最初の接吻の味は、はじめて味わう果実のように、ぼくを失望させた。ぼくらが、より大きな喜びを感じるのは、それは新しいもののなかにはなくて、慣れたもののなかにあるのだ。数分後には、ぼくはマルトの唇にすっかり馴れたばかりでなく、もう止められなくなっていた。そうしたらマルトは、それを永久に止めようといいだした。
その晩、マルトはぼくを家まで送ってくれた。ぼくはかの女のそばにいることを感じたいために、かの女のケープの中にからだをいれ、かの女をしっかりと抱えた。もはやかの女は、二人が会ってはいけないなどとはいわなかった。それどころか、やがてぼくらが別れねばならないことを思って、見るからに淋しそうだった。かの女はぼくに、さまざまなくだらぬことを誓わせた。
両親の家の前まできたが、マルトを一人では帰してやれないので、またかの女の家までついて行った。こんな子供めいたことは、いつまでしていても、果てしがない。それでもまだかの女は、ぼくを送って行こうというのだ。ぼくは途中まで送ってもらうことにして、かの女の言葉に従った。
ぼくは、夕食に三十分遅れて帰った。こんなことははじめてだ。ぼくは汽車の都合で遅れたことにして、父はそれを信じるようなふりをしていた。
もはや何ものもぼくを押しつけるものはなかった。かるがると夢みるように、ぼくは街を歩いた。
今までぼくが望んでいたものは、みんなぼくが子供であるがために、どれもうまく達せられなかった。それにはまた、贈られた玩具《おもちゃ》にたいしてお礼をいうことが、ぼくの気持をそこねていたのだ、が、玩具が一人でにやって来たとしたら、子供としてはどんなにうれしかったろう! ぼくは情熱に酔っていた。マルトはぼくのものなのだ。しかもそれをいったのは、ぼくではなくてかの女なのだ。ぼくは、かの女の眼や腕に接吻したり、着物を着せたり、傷をつけたり、思うがままにした。興奮のあまり、マルトのあらわな肌を、かの女の母がかの女に情人でもできたのではないかと怪しむまでに噛《か》んだ。ぼくはそれへ、ぼくの頭文字を記してやりたかった。ぼくの子供らしい野獣性は、刺青《いれずみ》の古い意味を思いださせた。マルトはいった。「さあ、かんで頂戴、しるしをつけてよ。あたし、みんなにみせてやるわ」
ぼくはかの女の乳房を愛撫してやりたかった。求めさえすれば、唇と同じように何でもなく提供してくれるだろうとは思ったが、ぼくは別にそれをいわなかった。数日後には、かの女の唇ヘの接吻が習慣になって、ほかの快味などは考えなくなった。
ぼくらは暖炉のあかりで一緒に本を読んだ。マルトは毎日戦線から送ってくる夫からの手紙を、しばしばその中へ投げ入れた。手紙の不安にみちた様子から、次第にマルトの夫への愛が薄らぎ遠のいてゆくのが感じられた。ぼくはその手紙が燃えるのを見ると、いつもいやな気持になった。手紙に火がつくと、一瞬間ぱっと燃えあがった。要するにぼくは、はっきりとものが見えるのが怖しかったのだ。
今になってマルトは、初めて会った時からほんとうに自分が好きになったのか、それならなぜ結婚する前にいわなかったのかと、ときによるとぼくを咎《とが》めたりするのだ。そうしたら結婚なんかしなかったに違いないと。つまりかの女は婚約した初めにはジャックに一種の愛を感じていた、が、戦争のためにあまり長びいたので、心のなかの愛情がだんだんチえてしまったのだ。そうして結婚をしたときには、かの女はもうジャックを愛してはいなかったのだ。でもかの女はジャックに与えられた二週間の休暇が、あるいはかの女自身の気持を変えやしないかとも思っていた。
かれは不器用だった。愛している者は、かえって愛していないものをうるさがらせる。こうしてジャックは、よりいっそうかの女を愛するようになった。かれの手紙は、悩んでいる男の便りだった。しかもかれは、マルトに限って裏切りなどをするはずはないと、非常に高く買いかぶっていた。そうして、どんな不快なことを君にしたかそれを教えてくれと、ただ自分のみを責めていた。「きみの側にいると、ぼくは自分が、どんなに野暮《やぼ》にみえることだろう。きっとぼくは、何かきみの気にさわるようなことでもいったのに違いない」マルトはただあっさりと、それは思い違いで、何も咎《とが》めだてをするようなことはないと、かれにいってやった。
それは三月の初めだった。春はまだきざしたばかりだ。かの女は、ぼくと一緒にパリへ行かない日には、裸かのままで部屋着をまとい、あい変らず義理の両親から送られてくるオリーブを燃やした暖炉の前に横になって、ぼくが絵の稽古から帰ってくるのを待っていた。かの女は両親に、ひきつづき薪を送ってくれと頼んだ。ぼくはそれがどういう臆病だか知らないが、まだ経験をしたことのないものの前にのみ感じる臆病さが、ぼくを抑えていたのだ。ぼくはダフニスを思い浮べた。がここではクロエがいくらか手解《てほど》きを受けていたので、ダフニスは教えてくれとクロエにいいかねていたのだった。じつは、ぼくにしたって、マルトが結婚して二週間のあいだ、見ず知らずの男に身を任《まか》せ、その腕力で数回犯された処女だとは思いたくなかった。
夜、一人ベッドで、ぼくはマルトの名を呼んだ。かの女を求めながら、自分では一人前の男だと信じながらも、ぼくはかの女を自分のものにすることができないのを怨《うら》んでいた。毎日、かの女の家へ出かける度に、今度こそものにしなかったら帰るもんかと、心の中で誓うのだが。
一九一八年の三月、ぼくの十六歳の誕生日に、ぼくにしきりに怒ってはいけないといいながら、マルトはぼくに自分のと同じ部屋着を贈って、それをかの女の家で着てくれというのだ。うれしさのあまり、ぼくは今までについぞいったことのないだじゃれをいうところだった。着物は口実〔プレテクストには口実という意味と、古代ローマの身分ある家の青年が着た紫のへりのついた白衣の意がある〕だ! なぜなら、今までぼくの欲情を抑えていたのは、ばかばかしい怖れだったから。ぼくの方では着物を着ているのだと思っていたのに、かの女はそうでなかったのだ。まずぼくはさっそくこの日にこの贈物を着ようと思った。が、ふと、この贈物のなかに、ぼくを責める意味があるのに気づいて、思わずぼくは、あかくなっだ。
ぼくらの恋が生れたとき、マルトは思いがけない用で町に出かけたときでも、ぼくを庭に待たしておかないように、ぼくに部屋の鍵を渡してくれた。ぼくはこの鍵を、無邪気な気持でなくても使うことができたのだ。土曜日のことだ。明日昼飯にやってくると約束をして、ぼくは別れた。しかしその晩、できるだけ早く戻ってくる決心だった。
夕食のとき、明日ルネとセナールの森へ遠足をするからと、ぼくは両親に告げた。出発は朝の五時ということにした。その時刻なら、まだ家中が眠っているので、いつ抜け出したかわかろうはずもなく、したがって外泊してもいっこう平気だった。
ぼくがこの話をすると、母は途中のお弁当を籠いっぱいに詰めてくれようとした。ぼくはこの籠が、美しい夢と崇高な行いとを壊してしまうことを思って当惑した。自分が部屋へはいったときのマルトの驚きをすでに味わっていたのに、いまぼくは弁当をぶらさげたお伽噺《とぎばな》しの王子の現れるのを見て、かの女がふきだすさまを想い浮べねばならなかった。ぼくは母に、ルネが何でも持ってきてくれるのだと、しきりにいってみたが、母はすこしも本当にしないのだ。これ以上いい張ることは、母にも疑いを抱かせてしまう。
ある人たちにとっては不幸なことが、他の人たちにとっては幸福なのだ。母がお弁当をつくって、初めての恋の夜をぶち壊そうとしているとき、弟たちが羨《うらや》ましそうにそれを眺めているのに、ぼくは気づいた。ぼくは弁当をそっとかれらにやってしまおうと思ったが、やがてそれをすっかり食べてしまってから、後でお尻をぶたれる怖しさと、ぼくを困らせる面白さのために、何もかも喋ってしまいそうな気がしたので、そうするわけにもゆかなかった。
それに、安全な隠し場所もないので、隠して置くことも、やはり諦《あきら》めねばならなかった。
ぼくは両親がたしかに眠ったと信じられる真夜中までは、出かけないことにきめた。ぼくは本を読もうとした。が役場の鐘が十時を告げる頃になって、両親はさっきからベッドにはいっているのだと思うと、ぼくはとうとう待ちきれなくなってしまった。両親は二階で、ぼくは階下にいた。なるべくぼくはそっと塀を乗り越えられるように靴をはかなかった。ぼくは片手に靴を持ち、瓶《びん》のはいっている、取り扱いに注意を要する例の籠をもう一つの手に持って、あたりに気を配りながら勝手口の小さい扉を押した。
雨が降っていた。あつらえ向きだ! 雨が音を包んでくれた。でも、両親の部屋のあかりがまだ消えていないのに気づいたので、もう少しでぼくは、ベッドへ戻ろうとしかけた。がそのときはすでに、家の外にいたのだ。だからもう靴の心配などはしていられなかった。雨が降っているので、靴をはかねばならなかった。それから鉄門の鈴を鳴らさないようにして、塀を乗り越えねばならなかった。ぼくは塀に近づいた。塀の脇に、夕食のあとで容易に脱《ぬ》け出られるようにと、ぼくは庭椅子を寄せておいた。塀の上には瓦がおいてあった。それが雨で滑《すべ》りやすかった。ぼくがそこへつかまったら、一枚の瓦がふり落ちてきた。思わずどきっとして、ぼくにはその音が十倍にもきこえた。今が往来へ飛び降りるときだ。ぼくは籠を歯でくわえた。そうして水溜りに落ちた。ぼくはしばらくの間たちどまって、何かをみつけて動きだしはしないかと、両親の部屋の明るい窓を見上げていた。窓には何らの影も映らなかった。助かった!
マルトの家へ行くために、ぼくはマルヌ河に沿って歩いた。籠はそこらの茂みへ隠しておいて、翌日持って帰ることにした。しかしそれは、戦争のためになかなか危険だった。というのは籠を隠しておけそうな唯一の場所には、J…橋の見張り歩哨《ほしょう》が立っていたから。ぼくはダイナマイトを仕掛ける男よりも真青になって、かなり長いあいだためらっていた。ぼくはやっとの思いで、食料を隠すことができた。
マルトの家の鉄門は閉っていた。ぼくは、いつも郵便箱のなかに入れてある鍵を取りだした。ぼくは忍び足で小庭を横切り、それから階段をあがった。階段を登る前に、またぼくは靴を脱いだ。
マルトは神経質だ! 今頃ぼくが部屋へはいって行くと気絶しないとも限らない。ぼくは顫《ふる》えて、鍵の穴がみつからなかった。やがて静かに鍵をまわした、誰も目覚ませないために。ぼくは控え部屋の傘立につまずいた。呼鈴をスイッチと間違えやしないかと心配だった。で、手さぐりで部屋まで行った。ぼくは逃げだしたい気がして、思わず立ちすくんだ。あるいはマルトはぼくのきたことを許してくれないかもしれない。またはふとした拍子に、自分を裏切っているところをみつけないとも限らない。もしも他の男と一緒にいるようなことがあったら!
ぼくは扉をあけた。そうして小声で、
「マルト?」
かの女はそれに答えて、
「まあ、こんなにひとをびっくりさせるなら、明日の朝いらっしゃればいいのに。じゃ、休暇が一週間早くなったのね?」
マルトは、ぼくをジャックと思ったらしい!
これでジャックが帰ってきたら、どんなふうにマルトがかれを迎えるかがわかった。が同時にぼくは、何をかの女がぼくに隠していたかがわかった。つまりジャックは一週間後に帰ることになっていたのだ。
ぼくは、あかりをつけた。かの女は壁に背を向けていた。「ぼくだよ」といえばそれでよかった。それがぼくにはいえないのだ。ぼくはかの女の襟元に唇をもっていった。
「顔がすっかり濡れてるじゃないの、お拭きなさいったら」
ふりむきざまに、思わずかの女は、あっと叫んだ。
瞬間、マルトは態度を変えた。そうして真夜中に来たことなどは問いもしないで、
「まあ、風邪《かぜ》をひくわ! さあ、着物をお脱《ぬ》ぎなさいよ」
マルトはサロンに火を燃しに駈けて行った。部屋に戻ってくると、まだぼくが突っ立っているのをみて、かの女はいった。
「脱ぐのを手伝いましょうか?」
着物を脱ぐ場合のことを何よりも気にして億劫《おっくう》がっていたぼくには、雨こそ天の助けだった。おかげで母親に着物を脱がしてもらえるような気になれたから。マルトは、火酒に砂糖をいれた飲料が煮えたかどうかを見に行ったりきたりしていたが、しばらく台所へ行ったきりになった。まもなくかの女は、ぼくが裸かでベッドへもぐりこんで、半身を羽根蒲団にくるまっているのを見た。かの女はぼくを叱った、裸かのままでいるなんて、なんと間抜《まぬ》けだろうといって。で、ぼくの身体を化粧水で擦《こす》ってくれた。
それからマルトは衣裳箪笥をあけて、寝巻を抛《ほお》ってくれた。「まに合うでしょう」ジャックの寝巻だ。当然それを見てぼくは、やがていつかは帰ってくるこの兵隊のことを思った。マルトさえそれを信じているのだもの。
ぼくはベッドによこたわっていた。その脇へマルトがはいってきた。ぼくはかの女にあかりを消すようにといった。なぜならぼくは抱かれながらも、自分の臆病さに気おくれがしていたから。暗闇はぼくを勇気づけるかもしれない。マルトは優しく答えた。
「でもあたし、あんたのおやすみになるのが見たいのよ」
この優しみのこもった言葉に、ぼくは人知れぬ苦しみを感じた。ぼくはそこに、自分からぼくの女になろうとするマルトのこころを見た。ぼくの病的に近い臆病さも知らずに、かの女はぼくを側に眠《ね》させようとするのだ。しかもこの四か月というもの、口でこそかの女を愛するといってはきたが、ぼくはまだ大人たちのあの放縦な、しかし愛の代りをするような証拠を示したことはないのだ。ぼくはむりにあかりを消させた。
ぼくは今しがたマルトの家へはいろうとしたときと同じような困難をふたたび感じた。だが戸口で待つまと同じように、愛情の前で待っているのは、そう長くはかからないものだ。それにぼくの想像力は、とても想像の及びもつかぬ、情欲にばかり走っていたのだ。しかも今になって、はじめてぼくは、かの女の夫に似て、愛情の最初のときの悪い印象をかの女に与えやしないかと、それが気になってきたのだ。
つまり、かの女はぼくよりも幸福だった。しかしからみ合ったぼくらの身体がはなれた瞬間の、あのマルトのすばらしい瞳は、すっかりぼくの不安を掃《はら》いのけてくれた。
かの女の顔は変ってきた。ぼくは宗教画によく見る、はっきりとその顔を取り囲んでいる背光にどうしても触れることができないので、それが不思議でならなかった。
ひとつの怖れが掃いのけられると、またしても別の怖れがやってきた。
今まで自分の臆病さのためになし得なかったある行為の力がようやくわかったら、今度はマルトが自分で思っている以上に、しょせんは夫のものではなかろうかという考えがぼくを脅《おび》やかしはじめたのだ。
愛の愉《たの》しみは、一度だけの経験だけではわかろうはずはないもので、毎日すこしずつ味わってゆくべきだった。
やがて本物でない快楽は、男としてのほんとうの悩みをぼくにもたらした。それは嫉妬であった。
ぼくはマルトがうらめしかった。なぜならかの女の顔に感謝の色をみたので、肉体関係とはこうしたものだということがわかったから。ぼくは自分よりも先に、かの女のからだを目覚めさせた男を呪《のろ》った。そうしてマルトの中に処女を思いみていた自分の愚かさに気づいた。ほかの時代だったらかの女の夫の死を願うというようなことは、いかにも子供らしい空想であったかもしれないが、こんな時代にあってはこうした願いは、人を殺したのとほとんど等しく罪深いものだ。ぼくの幸福を生んだのは、それは戦争であった。ぼくはその大詰《おおづめ》も戦争に期待していた。あたかも見知らぬ人が、ぼくらの代りに罪を犯してくれるように、戦争がぼくの憎しみのために役立ってくれるのをのぞんでいたのだ。
今では、二人とも泣いていた。それは幸福すぎるからだ。マルトは、なぜ結婚をとめなかったのかとぼくを責める。『でも、結婚していなかったら、こうして自分の選んだベッドにぼくはいられたろうか? マルトは両親の家に住んでいたにちがいない。そうしたら二人は会われなかったろう。マルトにしたって、ジャックのものにもならなかったろうが、ぼくのものにもならなかったろう。ジャックという男がいなかったら、比較する相手がなくて、ただもっといい男を望み、きっと今頃はぼくと知ったことを残念がっていたかもしれない。ぼくはジャックをきらってはいない。ただぼくらが裏切るこの男に対しての、いっさいの義務の存在を厭《いと》うのだ。がぼくは、マルトを愛しすぎていたので、とてもぼくらの幸福が罪悪だなどとは考えられなかった』
ぼくらは一緒になって、何も持たないいわば子供であることを歎いた。マルトを奪う! かの女は誰のものでもない。ぼくのものなのだが、われわれの仲は割《さ》かれて、マルトはぼくから奪われるだろう。ぼくらは戦争の終りを思ってみる。そのときは、ぼくらの恋も終るのだ。それはよくわかっていた。マルトがすべてを棄ててぼくの後を追いかけてくると誓ったところでむだだった。ぼくは人に反抗できるような性質ではないし、かりにぼくがマルトの立場としても、こうまでばかげた真似までして別れたくはなかろう。マルトは、どうして自分が年寄りであるかを説明してくれた。十五年もたってから、やっとぼくの生活が始まる。その頃には、ちょうど今のマルトと同じくらいの女が、ぼくを愛するようになるだろう。「あたしは苦しむだけだわ」……かの女は話を続けて……「あなたがあたしを棄てたら、あたし、死んでしまうわ。でもあなたが、あたしと一緒にいても、それはあなたの弱さからなので、自分の幸福を犠牲にしているあなたを見ることは、なかなかつらいものよ」
この言葉にぼくは憤慨していたものの、そんなことはないとはっきり思っているように見えないので、自分ながら癪《しゃく》にさわった。しかしマルトは、そう思いこんでいるのだ。しかもぼくの最も悪い理屈が、かの女にはいいとされているのだ。かの女はいった。「そうよ、そんなことなんか考えてもいなかったわ。あなたは嘘なんていわないわね」
ぼくはマルトの不安を考えてみると、次第に自分が信じられなくなってきた。そうなると、慰めの言葉も怪しくなった。かの女にその誤りをいってやるのもお世辞のように思われてきた。ぼくはいった。
「なんてばかなことを、どうかしてるね」
ああ! ぼくはあまりに若すぎる。ぼくはやはり別れねばならないのかしら。マルトの若さが色あせると、ぼくの若さが芽ばえるなんて。
ぼくの恋は、しっかりした形をもっているようだが、じつは、あらづくりであったのだ。ちょっとしたさしさわりにもぐらつくのだもの。
その夜の気違いじみた振舞いは、身体よりも精神を疲れさせた。一つが他を静めているようにみえるが、じつは、それらは一緒になって、ぼくらを根限りにしてしまったのだ。多くの雄鶏《おんどり》がときをつくっていた。その数はだんだん増し、一晩中ときをつくっていた。ぼくは、雄鶏が暁にときをつくるという詩の誤りを発見した。こんなことは不思議がることはない。ただぼくらの年頃では、不眠症というものを知らなかったからだ。ところがマルトもまたそれに気づいて驚いたのをみると、かの女もはじめて気がついたのに違いなかった。かの女には、どうしてぼくがあんなに強く抱き締めたのか、さっぱりわからなかった。なぜならこうした驚きは、今までジャックと一唾もしないで夜を明かしたことなどなかった、何よりの証拠なのだ。
あまりの不安さにぼくは、ぼくらの恋愛を例外的なものだと考えた。恋愛は詩のようなものであり、どんなにつまらぬ者でも恋する人なら、皆こうした経験を持っているものだということも知らないで、このような悩みを感じるのは、ぼくらだけではないかと思ったのだ。ぼくは……そんなことなんか、ちっとも思っていないくせに……マルトにいってやった。「おまえだってぼくに飽《あ》きるだろう、今にほかの男がよくなるに違いないさ」
それはぼくがかの女の不安をも分かちもっていることを知らしたいためにだ。マルトは、そんなことはないといいきった。ぼくはぼくなりに、かの女の若さがなくなろうと自分には気力が無いから、ぼくらの幸福の永続性はかの女の熱意いかんによって保たれてゆくだろうと、次第に思いこむようになった。
眠りが、裸かの二人に訪れた。ぼくがふと目を覚ますと、かの女は蒲団を剥《は》いでいたので、風邪をひきはしないかと思った。ぼくはマルトの身体に触れてみた。燃えるようだ。その寝姿は、たまらなくぼくを駈り立てた。十分もたつうちに、情欲はどうにも押えきれなくなった。ぼくはマルトの肩に唇をあてた。かの女は眼を覚まさなかった。次のずっとみだらな口づけは、まるで目覚し時計のようにはげしく作用した。かの女は飛びおきた。そして眼をこすりながら、ぼくを接吻でおおった。あたかも、愛している人を死んだと夢みたのに、ベッドのなかで再び見出したときのように。むしろかの女は反対に、現実を夢だと思っていた。そうして目覚めたらぼくを再び見出したのだ。
もう十一時だった。ぼくらはチョコレートを飲んだ。ちょうどそのとき、呼鈴が鳴り響いた。ぼくはすぐジャックだと思った。「かれが武器を持っていてくれたら」。今しがたまで、死をあれほどまで恐れていたぼくが、それがすこしも恐しくなかった。それどころか、もしぼくら二人を殺してくれるなら、ジャックだって呼び入れたであろう。そのほかの解決はいっさいくだらなく思われた。
死を静かに見つめるのは、ただ一人の場合に限られる。二人して死ぬことは、神を信じない人びとにとってさえも、それはすでに死ではない。死をいとい悲しむのは、生と別れることではなくて、その意義と別れることだ。恋愛それ自身がぼくらの生命である以上、一緒に生きるということと、一緒に死ぬということとのあいだに、どれほどの相違があろうか。
ぼくには舞台の主役だと信じこむ余裕はなかった。なぜなら、ジャックはマルトを殺すか、それともぼくだけを殺すかわからなかったから。ぼくは、自分のエゴイズムを秤《はかり》にかけてみた。この二つの悲劇において、どちらが最も悪いか、ぼくはわかっていただろうか。
マルトがじっとしているので、ぼくは誰かが家主のもとを訪れたのを勘違いしたのではないかと思った。しかし呼鈴はまたしても鳴った。かの女は小声で、
「静かに、動いちゃだめよ! お母さんかもしれないわ。あたし、すっかり忘れてたわ、ミサのあとでお寄りになるってことを」
ぼくはマルトの犠牲の一つを目の前に見るのが嬉しかった。情人とか愛人とかが約束の時間に遅れたら、それは致命的だ。ぼくは、母に対して気づかう、そうしたマルトの不安を、じっと味わっていた。しかもそれは、みんなぼくのせいなのだ。
何か尋ねたあとで、再び鉄門の閉まるのをきいた。(あきらかにグランジエ夫人が、今朝娘を見かけたかどうかを階下できいたのだ)マルトは鎧戸《よろいど》の後ろから見送りながらいった。「やっぱりお母さんだったわ」
ぼくもいい気になって、どう考えてもおかしい娘の留守を気にしながらミサの本を手にして帰りかけたグランジエ夫人を見送った。夫人はもう一度閉ざされた鎧戸の方をふりむいた。
今では望ましいものは何もなかった。ぼくはだんだん我儘《わがまま》になっていった。ぼくとしては、マルトが平気で母親に嘘をつくのが気になった。そうしていい気になって、嘘をつくかの女を咎めた。しかしながら恋愛とは、二人の間のエゴイズムなのだから、自分のためには他を省《かえり》みる余裕などのありようはずもなく、ただ嘘のなかに生きるのだ。こうした意地悪さから、ぼくはまた、かの女が夫の帰りを隠しだてしていたのも責めた。今までぼくはマルトを支配するような権利はないと思っていたので、それで自分の我儘を抑《おさ》えつけていたのだ。がぼくの冷酷さにも小止みがあった。ぼくはぐちを並べた。「そのうちぼくなんかいやになるさ。なにしろ我儘なことをいいだしたら、あの人にだって負けないからね」
「うちの人は、おとなしいわよ」と、かの女は応じた。ぼくはいよいよ気を悪くしながら、「じゃ、あんたは二人とも裏切っているんだ。さあ、あの人が好きだって、いってごらんよ、それでご満足でしょう。どうせあんたは一週間たてば、あの男とぐるになって、ぼくを瞞《だま》すだろうから」
マルトは唇を噛みしめながら啜り泣いた。「何が気にいらなかったのよ? ねえ、お願いだから幸福の第一日をそんなふうにこわさないで頂戴よ」
「これが幸福の第一日なんだって、ずいぶん冷たい愛なんだね」
こうした厭味《いやみ》は、それをいったものを傷つけるものだ。ぼくは自分のいっていることなどはまるきし頭にないくせに、なぜかこんなことを口にしてしまうのだ。ぼくは自分の愛が次第に大きくなってゆくのを、どうしてもマルトに話せなかった。たしかにこれは、ぼくの恋愛が成長したせいらしい。そして、こうしたとげとげした厭味こそ、いわばそれだけ、愛情の現れが激しくなったからだ。ぼくは苦しくなった。そしてマルトに、ぼくの意地悪を忘れてくれと歎願した。
家主の女中が、ドアの下から手紙をさし入れた。マルトは手に取った。ジャックからのが二通あった。ぼくの疑惑に答えるように、「開けてごらんなさいよ、そのほうがいいわ」と、かの女はいった。ぼくは恥かしくなった。で、かの女に、手紙を自分で読んで、そっちで預っておいてくれと頼んだ。するとマルトはよく人をから元気にかり立てる反射作用の一つによって、いきなり一つの封筒をひき裂いた。ひき裂くのに困難なところをみると、手紙はよほど長かったらしい。こうした様子は、あらたにぼくにマルトを非難させる機会を与えた。こんな見え透いた態度はきらいなんだ。どうせマルトはあとで悔むに違いない。それでもぼくは自分を押えた、どうにかして二度目の手紙だけは破らせまいと、この場の空気から察して、そういえばマルトが悪さをすると思ったので、何もいわなかった。いわれるままにかの女は読んだ。最初の手紙は、妙なゆきがかりで破いてしまったが、次の手紙を読み終ったとき、思わずかの女は口走った。「まあ、破かなくてよかったわ。あの人の隊の休暇が取り止めになったんですって、それで一か月延びたのよ」
愛だけが、こうしたぶしつけを許すのだ。
ぼくは、かの女の夫のことが心配になってきた。側にいて、用心しなければならない場合よりも、よけいに気がかりだった。一通の手紙が、不意に幽霊のようにぼくを脅しはじめたのだ。ぼくらは昼飯をゆっくりすませた。それから五時ごろ、河べりへ散歩に出かけた。ぼくが歩哨《ほしょう》の眼の前で、草むらから弁当蘢をとりだすのを見て、マルトひどく驚いた。その由来は、とてもかの女を面白がらせた。しかしもうぼくは、こういうおかしさは気にかけないことにした。二人は寄り添って歩いた、そうした無作法などはすこしもかまわないで。ぼくらの指はからみあっていた。よく晴れた第一日曜なので、散歩者の頭は、雨後の筍《たけのこ》のように麦藁《むぎわら》帽子を載せていた。マルトをしっている人びとは、自分から挨拶をしかけなかった。が、そんなことに気づかないかの女は、平気で挨拶の言葉をかけた。かれらはそれを、虚勢だと思ったに違いない。マルトはぼくに、どうして家を脱け出てこられたかと尋ねた。かの女は笑ったが、すぐあとで顔を曇らした。それから力いっぱいぼくの指を握って、そんなにまで危険を冒《おか》して脱け出てきたのを感謝した。ぼくらは弁当の籠を置くためにマルトの家にたち寄った。じつをいうと、この冒険の終りを飾るために、ぼくは弁当籠を軍隊へ送ろうと思っていたが、どうもあまりきざっぽいので、これは自分の胸だけに秘めておくことにした。
マルトは、マルヌ河のほとりに沿って、ラ・ヴァレンヌまで行きたがっていた。ぼくらは〈愛の島〉を前にして夕食をとった。ぼくは、エキュ・ド・フランスの博物館を案内しようと、かの女に約束をした。それは幼い頃はじめて見た博物館で、心からぼくの眼を奪ったものだ。ぼくはその博物館のことを、かなり興味のあるもののように話した。だからあとで、それがまやかしものだとわかったときには、さすがに引っ込みがつかなかった。フュルベールの鋏《はさみ》〔中世の神学者アベラールは、女弟子のエロイーズと相愛の仲になったが、エロイーズの叔父フェルベールによって去勢された〕だって! いやはや! ぼくは実際そうと信じていたのだ。しかたがないのでマルトには、冗談をいってからかったのだといった。かの女は信じなかった。なぜならぼくは冗談などはほとんどいったことがないから。どちらにしても、この失敗はぼくを淋しくした。ぼくにしても、今あまりマルトの愛を信じすぎた結果は、エキュ・ド・フランスの博物館のように、子供だましになるのではなかろうか!
というのは、しばしばぼくは、マルトを疑っていたからだ。ときには、もしかすると、ただ時間つぶしの相手にされているのではないかとも思った。やがて別れることを承知の上の浮気心で、平和にでもなったら、また元の妻としての務めに帰るかもしれないと。
それにしても、とぼくは思い返すのだ。いわゆる、口と眼とが、どうしても嘘を吐《つ》けぬときがあるものだ。たしかに、ある。人は酔うと、普段はそんな気持なんかまるで無いくせに、誰かに遣《や》ろうとする時計や紙入れを、それを受け取らないからといって怒ったりする。それは、こうしたときにも、血管のなかには、かれらが素面《しらふ》のときと同様のまじめな血が流れているからだ。いったい人が偽りのできないときこそ、最も偽りをするときで、ことにそれが自分を偽る場合に多い。ある女の、〈嘘をつかない瞬間〉を信じることは、吝嗇家《りんしょくか》のにせの気まえのよさを買いかぶるのと同じわけだ。
ぼくの明察は、ぼくの世間知らずの最も危険な現れだった。ぼくが割合世間知らずでもないと思っていたときは、別のかたちで世間知らずだったのだ。いったい世間知らずには年齢の差別はないもので、老人にだってそれはあり得る。このひとりよがりの明察は、ぼくの心をすっかり暗くし、マルトを疑わしめた。というよりは、ぼくがかの女に値いしないものとして、ぼく自らを疑ったのだ。だから、かの女の愛の証拠をいくら握ったところで、ぼくはやはり不幸だった。
子供っぼくみえはしないかと思って愛しているひとに何もかも打ち明けられない秘密を、ぼくは知りすぎるくらいよく知っていたので、マルトの中にある、あの痛ましい羞恥心《しゅうちしん》が気にかかった。ぼくはかの女の心を捉《とら》え得られないのが、心苦しかった。
ぼくは九時半に家へ帰った。両親に遠足の模様をきかれた。ぼくは熱心にセナールの森の話をした。歯朶《しだ》を二倍も掛け値して、自分の高さぐらいもあったと語った。またぼくらが昼飯をとった、あの美しいブリュノワ村のことも話した。すると母が出し抜けに、あざけるようにぼくの話をさえぎった。
「それはそうと、ルネさんが午後の四時頃に見えたがね、あの人は自分も一緒のはずの遠足のことを聞いて、ひどくびっくりしていたよ」
ぼくはくやしさで真赤になった。この事件も、念をいれたつもりだったが、いつものようにやはりぼくなどにはごまかしきれないことを教えている。ぼくはいつも尻尾《しっぽ》を掴《つか》まれてしまうのだ。両親はそれっきり口をつぐんだ。かれらはそれとなしにぼくをやっつけたのだ。
とにかく父は、それとは気づかなかったにせよ、ぼくの初恋の共犯者であった。むしろ父はぼくを煽《あお》ったのだ、早熟のために、どうにか一人前になったのをいいことにして。それに父は、常にぼくが性《しょう》の悪い女にひっかかるのを気にしていたから。だからぼくが、気心のいい女に好かれているのをみて、安心していたのだ。父は、マルトが離婚を望んでいるときいて、はじめていきり立った。
母はぼくらの関係を、いい眼では見ていなかった。かの女は嫉《や》いているのだ。そうしてマルトを恋敵のように見ていた。どんな女でもぼくの恋の相手となれば、かの女にはそうなってしまうのだということをさとらずに、かの女はマルトに反感を抱いていた。それに母は、世間の噂を、父よりも遥《はる》かに気にしていた。だからマルトが、ぼくのようなこんな男と身を誤っているのをみると、どうも不思議でならなかった。それにはまた、母はF…で育ったせいもあった。これら郊外の小さな町では、労働者街からちょっと離れると、まるで田舎と同じように、ちょっとしたことにも夢中になって、待ちかねていたように噂が拡がってゆく。ことにパリ付近では、噂や当て推量の拡がるのがとても早い。誰でもそれについて、何とかいわねばならない。
こうしてぼくは、従軍している男の妻を寝とったために、それらの親達の命令で、次第に友だちを失っていった。友だちは、公証人の息子から植木屋の息子というふうに、その身分の順に離れていった。ぼくはかえって光栄だと思っていたが、母にはやはりそうしたことが苦労の種だった。母はこの色気違いの女のために、僕の一生がだいなしになってしまったのだと思いこんでいた。だから、ぼくをこんな女に近づけた動機を作りながら、今では見て見ぬふりをしている父をきっと責めているのに違いなかった。そうはいうものの何とかしなければならないはずの父が黙っているので、かの女もまた沈黙していることにしたのだ。
ぼくは毎晩マルトの家に泊った。晩の十時半頃に着いて、朝の五時か六時に帰った。もう塀などは飛び越えなかった。鍵で入口を開けさえすればよかった。しかし、いくらおおっぴらといっても、すこしは注意を要した。それは、呼鈴で人を呼び覚まさないように、夕方ベルのまわりを綿で包んでおいて、翌朝帰りしなに取りはずすことだ。
家では誰もぼくの留守に感づかなかった。がJ…ではそうはいかなかった。すでにだいぶ前から、家主の家族や老夫婦はいやな顔をみせていた。こちらが挨拶をしても、妙にそっけなかった。
朝の五時になると、なるべく音をたてないように、ぼくは靴を抱えて降りた。それを階下ではくためにだ。
ある朝、ぼくは階段で牛乳配達とすれ違った。かれは牛乳瓶を手にしていたし、ぼくは靴を持っていた。かれは変な笑いを浮べて、お早よう、といった。これでマルトも終りだ! かれはJ…の町中にいい触らすだろう。それよりもいっそうぼくを参らせたのは、自分の滑稽なすがただった。ぼくは牛乳配達に口止めをすればよかったのに、どうきりだしたらいいかわからなかったので、止めてしまった。
午後になっても、ぼくはマルトに何もいわなかった。それに、こんな事件がなくとも、すでにマルトの評判はひどいものだったのだから。ずいぶん前から噂はあったので、それによれば、二人がまだ関係しない前から、マルトはぼくの女になっていたのだ。ぼくらはそんなことはすこしもしらなかった。だが、それが、いよいよ明るみへ出されたのだ。
ある日、マルトがいやにがっかりしていた。それは家主が、この四日というもの明け方になると帰ってゆくぼくをみつけたと、かの女に話したからだ。家主もはじめは信じられなかったが、もう疑う余地もなかったのだ。それに、マルトのいるすぐ下の老夫婦の部屋では、夜昼騒がしくて困ると、文句をいってきた。マルトは気が弱くなって、引越すといいだした。ぼくらのあいびきに、もう少し気をつけようという話は、まるでしなかった。それは、とてもできないと思ったからだ。もう習慣になってしまったのだ。そうなるとマルトは、今まで不思議に思っていたことがようやくわかってきた。たった一人の仲善《なかよ》しであるスエーデンの娘からは、いくら手紙を出しても何の返事もこなかった。あとでわかったが、ある日ぼくらが汽車のなかで抱きあっていたところを、娘の保証人がみつけて、それ以来娘にマルトとの交際を禁じたのだそうだ。
ぼくはマルトに、もし問題が生じても、よしそれが両親の家であろうとも、ジャックとのあいだであろうとも、必ず堅い決心を示すようにと誓わせた。ぼくは家主の脅かしと、いやな噂を気にしながらも、それが元でマルトとジャックとのあいだがまずくなるのを、それとなしに望んでいた。
マルトは、ぼくのことはもう夫に話してあるのだから、休暇のあいだもときどき逢いにきてくれと頼んだ。がぼくは、自分の役割をわるく演じたり、女の側でやきもきしている男とマルトを見るのがいやなので、これは拒《ことわ》ることにした。休暇は十一日間だった。がおそらく何とかいって、もう二日間は留まるようにするだろう。ぼくは毎日手紙を書いてくれることを、マルトに誓わせた。そうして手紙をたしかに手に入れるために、三日もしてから局留《きょくどめ》郵便をもらいに行った。手紙はもう四通もきていた。それなのに渡してくれないのだ。必要な身分証明書の一つがたりなかったからだ。ぼくは満十八歳にならなければ局留を貰えない慣例を知っていたので、生れ月日の証明書をごまかしたのだが、内心ではやはり不安を感じていた。ぼくは女事務員が、手紙を持っているくせに渡してくれないので、むりにでも奪いとるために、女の眼に胡椒《こしょう》でも投げつけてやりたい衝動に駈られながら、受付で頑張っていた。ともかくも、ぼくの顔を郵便局でも知っていたのでもらえることにはなったが、わるいことに、手紙は翌朝家へ届けられることになってしまった。
一人前のおとなになるには、まだまだしなければならないことが、たくさんあった。ぼくは最初の手紙を開きながら、マルトが恋の手紙という離れ技《わざ》をどんなふうに演じるかに興味を感じた。ぼくは忘れていたのだ、こうした手紙にはただ愛さえあれば、書き方などはどうでもいいということを。ぼくはマルトの手紙にすっかり感心した。今まで読んだうちで最もすばらしい手紙だとさえ思った。そのくせ、そこには、ただありきたりのことと、ぼくと離れていることの苦しさしか書いてないのだ。
ぼくの嫉妬がそれほどひどくならなかったのは、むしろ不思議だった。ぼくはジャックを〈夫〉であると考えるようになっていた。だんだんとかれが若いことを忘れて、ぼくはかれを老いぼれのように思っていた。
ぼくはマルトに返事をやらなかった。それは、あまり危険だったからだ。が腹の底では、マルトに手紙をやらずにすんだのを、むしろ好都合だと思っていた。すべて新しいことに手をつける前に味わう、できそうもないという漠然とした不安から、ぼくには自分の手紙が、かの女の気にさわったり、子供らしくみえやしないかと、そうした気がかりがあったからだ。
だらしのないことに、それから二日ばかりして、たしかに机の上に置いたはずのマルトからの手紙が見えなくなってしまった。しかもそれが、翌日になって机の上にあったのだ。手紙がみつかったことは、ぼくの計画をめちゃめちゃにした。ぼくはジャックの休暇を利用し、しばらく家にひきこんでいることによって、家の者たちにマルトと手を切ったように見せかけようとしたのだ。なぜなら、初めのうちこそ、ぼくだって女があるのだと、両親にしらせたいから元気がなくもなかったが、やがて、そんな証拠などはつかませたくないものだと思うようになったから。こうしてぼくは、ぼくがおとなしくなった本当の理由を、父にしられてしまったのだ。
ぼくはこの暇を利用して、再び絵の研究所へ通いはじめた。ぼくはずっと前から、マルトをモデルにして裸体画を描いていた。父がそれを察したかどうか、それはぼくにはわからない。すくなくともどれもこれもモデルが同じことを、ぼくを赤面させたほど意味ありげに不思議がっていたのは事実だ。こうしてぼくは、再びグランド・ショーミエールへ通いはじめた。そこで、その年の習作を描きためておくために、せいを出して勉強をした。のこりは、この次かの女の夫が休暇で帰ってくるときにおぎなうことにしよう。
その頃ぼくは、アンリ四世校から退校されたルネに逢った。かれはルイ・ル・グラン校へ通っていた。毎晩ぼくはグランド・ショーミエールが終ると、かれを学校の前で待った。ぼくらは、こっそりと交際した。というのは、ルネがアンリ四世校から出されて、ぼくがマルトと問題を起すようになってから、今までぼくを善良な模範生だと思いこんでいたかれの両親も、それ以来ぼくとの交際を禁じていたから。
ルネは、恋したり恋されたりすることを、厄介《やっかい》な荷物のように思って、ぼくがマルトに夢中なのをからかったりした。ぼくも黙ってはいられないので、本当に恋してなんかいやしないのさと、心にもない嘘をかれにいってやった。ぼくに対する信用も今までは地に堕《お》ちていたが、どうやらこのことで取り返したようだ。
ぼくはマルトの愛撫に麻痺《まひ》しはじめていた。ことにぼくを悩ましたのは、官能の飢《うえ》だった。ぼくの弱り方は、ピアノのないピアニストか、煙草を持たない喫煙家のそれに似ていた。
ルネはぼくの心情を笑っていたくせに、そういうかれ自身は、愛情なしに愛しているのだといいながら、ある女に夢中になっていた。それは、可愛いブロンドのスペイン女で、うまく関節をはずしたりするところをみると、どうもどこかのサーカスあがりのようだった。ルネはあまり気にしないようでいながら、そのくせひどい焼餅《やきもち》やきだった。かれはなかば蒼《あお》くなり、なかば笑いながら、ぼくにおかしな役を頼んだ。それは、高校生の生活を知っているものなら誰でも知っている、高校生気質の現れであった。ルネは、その女が嘘をつくかどうか、それを知りたかったのだ。そのために、試してみる必要があったわけだ。
この役にはぼくも困った。それにぼくの臆病さは、いっそうそれをむずかしくした。しかしぼくは、できるだけ臆病さを現すまいとした。ところが女の方で、ぼくの困難を救ってくれたのだ。臆病というものは、あることをさせなかったり、または無理にさせてしまうもので、女のほうから早くいい寄ってきたために、ぼくの臆病さはルネにも、またマルトにも、敬意を欠くようなことをしてしまった。せめてそこに快楽ぐらいはみいだせるだろうと思ったのに、いつも飲みつけの煙草を吸う喫煙家のように、ぼくには結局、ルネを欺《あざむ》いた悔みしか残らなかった。ぼくはルネに、おまえの女はそんなことをする女ではないと、いってやった。
ぼくはマルトと顔を合せても、少しも悔みを感じなかった。しいてぼくは、後悔を感じようとした。もしマルトがぼくを裏切るようなことがあったら承知するものかと、いくら自分にいいきかしてみてもむだだった。ぼくにはどうにもならなかった。『男と女とでは違うさ』、ぼくはエゴイズムでなければできない俗っぽい弁解を口実にしていた。それはちょうど、ぼくからはマルトに手紙を書かないくせに、かの女が手紙をくれないと、もうぼくを愛してはいないのだと思い込むように。しかしながらこの軽い浮気沙汰は、かえってぼくの恋を深めた。
ジャックには妻の態度がさっぱりわからなかった。いつもお喋りのマルトが、あまり口をきかないのだ。「どうしたのさ」とジャックがきくと、「何でもないのよ」とマルトは答えた。
気の毒にもジャックは、グランジエ夫人からいろいろな叱言《こごと》をきかされた。夫人はジャックの娘に対する態度を非難するのだ。そうして、こんな男に娘をやったことを、悔んでいた。つまり、娘の性格が急に変ったのを、すべてジャックのせいにしたのだ。その結果娘をひきとろうといいだした。ジャックはいわれるままにするよりほかにしかたがなかった。かれは戦地から帰ってまもなく、マルトを母のもとへ連れて行った。マルトの母は、娘がぼくを思っていることなどはまるきし知らないで、かの女のつまらぬ気まぐれを甘やかしているのだ。マルトはその家で生れたのだ。だから、そこにあるすべてのものが、かつての楽しかった時代を偲《しの》ばせると、かの女はジャックにいった。マルトは娘時代の部屋で眠ることになった。ジャックとしては、せめてそこへ自分のベッドをいれてもらいたかった。それがマルトの神経をいっそういらいらさせた。かの女はこの娘時代の部屋を汚されるのを拒んだ。
グランジエ氏は、こんな恥かしがりはつまらぬことだと、いった。グランジエ夫人はそれをとらえて、夫と婿《むこ》にむかい、あんたたちには女の繊細な気持がわからないといった。夫人としては、娘の気持が、ごくわずかしかジャックにうつっていないのが嬉しかった。そうして、マルトがジャックにつれなくしているだけ、そのぶんの愛情を自分にまわしてもらえると思い込み、娘の我儘をすばらしいとさえ思った。なるほど、すばらしい。だがそれは、ぼくにとってだ。
マルトは気持が悪いという日でも、外へ出たがった。ジャックはそれが、自分と一緒に外出したいのではないことをよく知っていた。マルトはぼくへ手紙を出すのに誰も頼み手がないので、自分で投函《とうかん》しに行くのだ。
ぼくとしては、黙っていられるのを改めて喜んだ。なぜなら、マルトがジャックに与えている苦しみの話に返事をやるとすれば、当然犠牲者のためになんとかいわねばならなかったから。ときとしてぼくは、自分のために、こんなにまで人を苦しめたのかと思って、それが恐しくなった。またあるときは、ぼくから処女のマルトを奪った罪を責めて、マルトがいくらジャックを罰しても罰し足りることはあるまいと思ったりした。しかし、情熱はセンチメンタル以上のものであるから、けっきょくぼくは手紙が書けなくてかえってよかったので、そうすればいっそうかの女はジャックを悲しませるだろうから。
ジャックは、しょげかえって戦地へ帰った。
みんなは、二人のあいだの破れたのを、ただマルトがいらいらした孤独な生活を送ってきたせいにした。ぼくらの関係を知らなかったのは、マルトの両親と夫だけだ。家主の家族は軍服に対する尊敬からジャックに知らせるのをさし控えた。グランジエ夫人は、これで娘が結婚前のように家にいるのを見て喜んだ。だから、グランジエ一家にとっては、ジャックが戦地へ帰ったその翌日、マルトがJ…へ戻るといいだしたのには、さっぱりわけがわからなかった。
ぼくはマルトが戻ったその日に、J…でかの女と会った。すぐとぼくは、なぜジャックにあんなに冷たかったのかと、おだやかになじった。がぼくは、ジャックからきた最初の手紙を読むと、思わず恐怖に捉《とら》えられた。ジャックはマルトに棄てられるくらいなら、むしろ自殺をしたほうがましだ、といってきたのだ。
ぼくにはそれが、〈脅《おど》し〉であるかどうかわからなかった。ぼくはかつてジャックの死を願っていたことも忘れて、責任が自分のほうにあるような気さえするのだ。ぼくはいよいよ不可解な人物になり、わけがわからなくなった。どこから見ても傷だらけのぼくらだった。いかにマルトがもうこれ以上ジャックに希望をもたせないほうがまだしも人間味があると、いくら繰り返していっても、ぼくは無理に優しい返事を書けとすすめた。ぼくはかの女に、夫が今までもらったこともないような優しい文句の手抵を口述してやった。かの女は腹を立て、泣きながらそれを書いた。そうしなければぼくは、二度とこないだろうと脅した。それがために、はじめてジャックが喜びを味わえたとしたら、ぼくの悔恨もいくらか軽くなったであろう。
ぼくはジャックの自殺をするという気持が、ただ形式だけなのを知った。それはかれからきた〈ぼくら〉の手紙の返事のなかに、包みきれぬ喜びが溢れているのを見たから。
ぼくは、哀れなジャックに対してとった態度には、自分でも感心した。が、それは、ぼく自身のエゴイズムと、良心の責を感じての行為にすぎなかったのだ。
嬉しい日が、この劇的事件のあとにやってきた。が残念なことに、それも僅《わず》かしか続かなかった。それは、ぼくの若さと生まれつきの気弱さのせいだろう。ぼくは、自分さえマルトから遁《のが》れれば、自分のことなどは忘れられて、かの女も女の務めに帰ることができると思ったが、そうしたこともできず、ジャックを死のほうに押しやるというような気にもなれなかった。ぼくらの関係は、やがて平和がきて除隊になれば、すっかり変ってしまうのだ。もしジャックがマルトを追いだしたら、かの女はぼくのところへくるだろう。が、このままにしておいたら、ぼくにはマルトを奪い取るような元気はない。ぼくらの幸福は、いわば砂上の楼閣《ろうかく》に等しいのだ。それにしても、まだ満潮の時刻がはっきり定っていないのだから、なるべく満潮の遅れるのを望もう。
今ではジャックもいい気になって、マルトのJ…へ帰るのに反対な母を納得させているのだ。グランジエ夫人は、マルトの帰ることを、それには不快も手伝っていたが、いくらか疑いをもちはじめた。それに、もう一つおかしなことは、嫁入先はもとより実家の奨《すす》めも押しきって、マルトが女中をおかないことだ。だが、あらかじめマルトを通じて、ぼくらのいうなりになっているジャックに向っては、実家としても嫁入先としても、しいてというわけにゆかなかった。
J…の人びとがマルトを攻撃しだしたのは、その頃である。
家主の家族は、かの女に言葉さえ交さない。誰も、かの女に挨拶をしなくなった。ただ小売商人だけは、商売上さすがにそうした態度もとれなかった。だからマルトは、ときどき言葉を交したくなると、店先で立ち話をした。ぼくがいると、マルトは牛乳や菓子を買いに出かけたが、五分もして帰らないときには、もしや電車にでもひかれやしないかと、ぼくはいそいで牛乳屋や菓子屋へ飛んで行った。するとマルトは、かれらとお喋りをしているのだ。こんなことで、あんなに気をもんだのかと思うと、ぼくはむしょうに腹が立って、外へ出るなり頭ごなしに文句をいった。ぼくは、商人などと話をしたがるのは、卑しい趣味だとなじった。話の腰を折られたので、かれらはぼくに悪意をもった。
これが上流社会でなら、礼儀をもってすればこんなことは何でもない。だが、下層階級の礼儀ほど、わけのわからぬものはあるまい。かれらが敬意を示す標準はまず何より先に年齢だ。老公爵夫人がどこかの王子に礼儀を示すことほど、かれらにとって癪《しゃく》にさわることはない。だから、マルトと親しく話をしているところを、不意にぼくのような子供に邪魔されたのでは、菓子屋や牛乳屋にしても反感をもつのが当然であろう。こうして話しているうちに、かれらも大いにかの女を許してやる気になっただろうが。
家主のところに二十二歳になる息子がいた。かれは休暇で戦地から帰ってきたので、マルトはかれをお茶に招いた。
その夜ぼくらは、階下で大声で話をしているのを耳にした。家主が息子に、これからはマルトのような借家人と会ってはいけないといっているのだ。ぼくは自分の行いには、いっさい父の指図《さしず》を受けないことにしているので、このぼんくら息子のおとなしいのにはただ驚くよりほかはない。
その翌日、ぼくらが庭園を通ると、ちょうどその息子が畠《はたけ》を耕していた。きっと罰課なのだろう。さすがに気がとがめるものとみえて、かれは気がつかないふりをして顔をそむけた。
こうしたこづき方がマルトの心を痛めた。近所の蔭口などが、結局自分らの幸福をどうするものでもないとわかっている、理智に富み、情熱もあるかの女なのに、やはり多くの詩人のように世間を気にする。ほんとうの詩は、ともすると〈呪われた〉ものであるとよく知っているくせに、自信があっても、自分らの軽蔑している人気を考えているようなものだ。
町会議員は、いつもぼくらのぬれごとに役割を務める。J…の元の町会議員で、マルトの階下に住んでいるマラン氏は、ごま塩髯《しおひげ》を生やした、上品な風貌をもった老人であった。戦争前から引退していたが、機会さえあれば、何より国家に務めるのを誉《ほま》れとしていた。しかし今では、町政を非難するぐらいがせいぜいで、新年がまぢかに迫らない限りは客もなく、訪問もせず、細君と静かな生活をしていた。
この数日というもの、階下は何やら物騒がしく、それが手にとるように、ぼくらの部屋まで聞えた。床磨きがやってきた。女中は家主の女中の手を借りてまでして、庭で銀器を磨いたり、釣燭台の緑青《ろくしょう》を拭いたりしていた。牛乳屋からぼくらは、マラン家で奇抜《きばつ》な催しのある宴会が開かれることを知った。マラン夫人が、町長のところへ出席を願いに行ったついでに、牛乳を八リットルばかり特によこすように頼んだということだ。町長は牛乳屋にクリームをつくることを許可するのだろうか?
許可が与えられ、その日(金曜日)になった。定刻に、町の有力者十五名ばかりが、夫人同伴でやってきた。これらの夫人連は、哺乳会、または負傷兵救済会の発起人で、一人が会長、他は賛助員をしていた。女主人は、〈改《あらた》まって〉客を戸口に出迎えた。ところがおかしな催しものをよい餌《えさ》に、宴会を持寄りの会合にしてしまった。夫人連は緊縮を宜伝したり、新しい料理を公開したりした。それゆえかの女たちは、いかにも子供っぽい、粉の入らないお菓子だとか、蘚苔《こけ》入りクリームを発明したりした。そしてどの新客も、「見かけによりませんものね、きっとおいしいでしょうよ」と、マラン夫人に向っていった。
マラン氏は、この宴会をきっかけに〈政界へ復帰する〉ことを考えていた。
ところが、奇襲の対象は、ぼくとマルトなのだ。町の有力者の息子で、かつて汽車のなかで知り合った一友人の、名士の息子が、この宴会なるものの理由を、こっそり打ち明けてくれた。マラン氏の計画というのは、タ方まで階下にじっとしていて、ぼくらのいちゃついているところをびっくりさせてやろうというのだから、それを知ったぼくの驚きを、まあ察してみるがいい。
きっとかれらはこういうことに興味を感じて、みんなにいい触らすに違いない。おそらくマラン家のようなまじめな人たちのことだから、この放埒《ほうらつ》な生活ぶりを道徳問題としてとりあげるだろう。かれらは、こうした非難を、町の立派な紳土がた諸君にわかとうとしているのだ。
客たちは席についた。マラン夫人は、ぼくがマルトのところにいるのを知っているので、わざと食卓を部屋の真下に設けた。かの女はしいて落ちつきを示していた。なんなら開場をしらせる舞台監督の杖が欲しかったであろう。ぼくらは若い者のよしみで、この家の人たちの悪企みを裏切って、こっそりしらせてくれたあの若者のおかげで、何もかも知っている以上、いっさい口をきかないことにした。がマルトには、別にこの持寄り宴会のほんとうの意味を話さなかった。そうしているうちに、ぼくはマラン夫人の、時計の針を気にしながら当惑している顔、それから客たちのじれきっている様子が眼に浮んできた。とうとう七時になったので、あてがはずれたご夫婦連は、こそこそとマラン一家を嘘つきだの、可哀そうにも七十歳のマラン氏を野心家だと罵《ののし》ったりして立ち去った。こういうわけで、未来の町会議員は、奇抜な計画を約束しておきながら、それを反古《ほご》にしたために、当選するわけにゆかなくなった。マラン夫人に対しては、菓子をもってこさせるためにこの宴会を思いついたのだと、夫人連は呟《つぶや》いた。町長も、個人的にほんのちょっと顔を出した。このちょっとした出席と、さらに牛乳八リットルとが、女教員をしているマラン嬢とのあいだに、妙な噂の種をまいた。マラン嬢の結婚は、かつて問題になったことがある。巡査と一緒になったことが、女教員としてふさわしくないというのだ。
ぼくはいたずら気を出して、マラン夫婦が客たちに聞かせたがっていたことを、わざと聞えよがしにやってみせた。マルトには、こんなに遅くなって夢中になる理由がわからなかった。ぼくはこれ以上隠しきれないし、あまりマルトを心配させるのも悪いと思ったので、さっきの宴会の真相を話してやった。ぼくらは涙の出るほど笑い合った。
マラン夫人にしても、すべてが計画どおりになったら、ぼくらにもう少しは寛大であったかもしれない。しかし失敗してしまったのでは、とうていぼくらをそのままにしておくものか。とはいえ、べつにこれという手段もなく、まさかに密告の手紙も書けないので、ついに泣寝入りになってしまった。
五月になった。ぼくはなるべくマルトと、かの女の家では会わないことにした。そうして家のてまえ、朝まで泊っていられる嘘がみつからない限りは、マルトの家に泊らなかった。それでも週に一度や二度は口実をみつけた。ぼくはそうした嘘が、割合長く続くのをむしろ不思議に思った。がじつをいうと、父もぼくを信用していないのだ。だから、寛大すぎると思われるまでに、黙って目をつぶっているのだ。ただ、弟や召使いどもには感づかれるなという条件らしかった。つまり、いつかのセナールの森への遠足のように、五時に家を脱け出せばいいのだ。もちろん、もう母は弁当はこさえなかった。
父はすべてを我慢していたが、やがて、ときどきむっとした顔で、ぼくのだらしなさを叱るようになった。しかしそうしたときのことはすぐに、波のように忘れられてしまうのだ。
恋ほど人の心を奪うものはない。ここでは怠惰《たいだ》ということはあり得ない。なぜなら、恋そのものが怠惰であるから。恋に陥《おちい》っている者を救いだす唯一のものが働くことであるとは、ぼくもおぼろげながら感じている。とはいうものの、恋はそれを敵視しているのだ。だから、働くことはやりきれなかった。しかしながら、恋はめぐみぶかい怠惰だ。あたかも慈雨が豊穣《ほうじょう》をもたらすように。
もしも青年時代がばからしく見えたとしたら、それは怠惰だったせいである。われわれの教育組織の欠点は、数の多い凡庸《ぼんよう》を基にしていることだ。ところが、常に進みつつある精神には、怠惰などはあり得ない。ぼくなどがそのいい例だ。ぼくは傍観者がいたら何もしていないと思われるときこそ、最も勉強をしていた。ちょうど成上り者が卓を前にして自分の動作に気を配っているように、ぼくは自分の未経験な心の動きをじっと見つめていた。
マルトの家に泊らないとき、それはほとんど毎日だが、夕食をすますと、ぼくらは十一時頃までマルヌ河に沿って歩いた。ぼくは父のボートをうかべた。マルトが漕《こ》いだ。ぼくは横になって、頭をかの女の膝の上に載せた。ぼくは邪魔をしていたのだ。不意に櫂《かい》の一漕ぎがぼくをはっとさせた。それはぼくに、こうした戯《たわむ》れも一生は続きそうもないことを思わせたからだ。
恋は幸福をともにしようとしたがる。例えば手紙を書いている最中に、急に冷たい性格の愛人が優しくなって、首に抱きついたり、さまざまな恋の手管《てくだ》を用いたりする。ぼくなども、マルトがぼくのことを忘れて仕事に精を出しているのを見ると、なぜか抱擁してみたくなったり、髪を結《ゆ》っているのを見ると、たまらなくその手に触れ、かの女の髪を解きたくなるのだ。ボートのなかでも、不意にぼくはマルトに飛びついて、そのために櫂を手ばなし、ボートが藻草や、赤や黄色の睡蓮《すいれん》のとりことなって岸を離れるまで、ぼくはかの女を接吻で埋めてしまうのだ。マルトは、そうしたことに、抑《おさ》え切れぬぼくの情欲の閃《ひら》めきを見た。そんなときのぼくは、妙にしつこくなり、駈りたてられるのだ。まもなくぼくらは、こんもりした茂みへ舟を着けた。みつかりはしまいか、転覆《てんぷく》しやしまいかと絶えず気をくばることが、いっそう二人の快楽を高めた。 こうしたわけで、マルトの家へ行くのをむずかしくした家主の反感などには、すこしもぼくは困らなかった。
ジャックなどが所有することのできないものを、すでにぼくは自分のものにしているという、そうしたぼくの自信というのは、ぼくの唇以外には誰にも触れさせないと約束をさせておいて、かの女の肌の一隅を接吻するという、そうした放縦《ほうじゅう》さなのだ。こんなことをする理由をいってみようか?
すべての恋愛には、青年期と壮年期と老年期とがある。つまりぼくらは、その最後の段階にいるのだろうか? そこではすでに何らかの趣向がなければ、愛情は満たされなかった。情欲が一般の場合と同じであっても、しいてそれを煽《あお》り、さかんにするために、いろいろなつまらぬものや、さまざまな習慣の変更をさがし求めた。こうして薬の分量が増してゆくと、それはたちまち致死点に達し、その中毒の結果は麻痺《まひ》状態に陥いり、一定の律動のもとに、あるいは時間をかえたり、あるいは何かとごまかすことによって、ますます人体の組織をこわしてしまう。
ぼくはマルヌ河の左岸が気にいっていたので、それを眺めるために、しばしばそれとはまるきし趣きの違った向う岸に舟を着けた。こちらは、左岸のように有閑階級のだらしなさは少しも見えず、野菜栽培者や耕作者が多く住んでいた。ぼくらはボートを樹にゆわえて、麦畠によこたわりに行った。島は夕べのそよ風にさらさらと鳴っていた。ぼくらのエゴイズムは、こうした隠れ場所のなかで、自分らの愛撫のために麦がそこなわれるということなどは、すっかり忘れていた。あたかもジャックを犠牲にしているのを何とも思っていないように。
かりそめの匂いが、ぼくの官能を刺激していた。行きずりの女と愛なしに関係するのにも似た、かなり獣的なといっていい喜びを味わいつくすと、他の快楽に興味がなくなる。
今ではぼくは新しい敷布に一人包まって、伸びのびとした浄《きよ》らかな眠りを望んでいた。ぼくはマルトのところへ泊らないための口実として、用心深くしているからだといった。かの女はぼくの自制心の強さに驚いていた。ぼくとしては、毎朝の目覚めに、あの世から洩《も》れてくるような、芝居じみた女の甘たれ声にあきあきしていたのだ。女という奴《やつ》は生れつきの役者で、毎朝べつの世界からやってきたといわんばかりにふるまうものだ。
一日中ぼくは、昔ほどマルトを愛しているかと深く自分に尋ねてみて、自分自身の批評癖やしらばくれた気持を譴責《けんせき》した。ぼくの愛は、あらゆることに詭弁《きべん》を弄《ろう》した。マルトのいったことを、もっと深い意味にとろうとして曲解したのと同じように、かの女の沈黙にも勝手な理屈をつけていた。しかしながら、いつもぼくは間違っていたのだろうか。たとえば、説明しがたいある種の衝動が、よくその急所に触れることを前もって知らせる。ぼくの快楽と苦悩とははなはだ強烈だった。マルトの側で寝ているときでも、ふとした瞬間、急に家へ帰って一人で寝たくなったり、同棲はとてもかなわないと思ったりした。そのくせいっぽうでは、マルトがなくては、とても生活する気はないとも考えていた。いまさらながらぼくは、不倫の罰をつくづく知るようになった。
ぼくは二人の恋の結ばれる前に、ぼくの考えに従ってジャックの家を装飾したことでマルトを憎んだ。というのは、それはジャックを不快にさせるためにしたので、自分のほんとうの趣味ではなかったから、今ではこの家具をみてさえいやな気がした。なぜマルト一人に選ばせなかったのか、ぼくはそれが残念でならなかった。あるいは初めのうちこそ気に喰わなかったかもしれないが、かの女に夢中になっているうちに、やがてそれに馴れたであろう。いつかぼくはこの特権をジャックに奪われるのだと思うと、それが妬《ねた》ましくてならなかった。
マルトがあの大きな無邪気な眼で、ぼくを見つめていたので、ぼくはにがにがしげにいってやった。「一緒に生活でもするようになったら、こんな家具は使わないことにしようね」。かの女はぼくのいうことなら何でも尊敬した。自分で見立てながら忘れてしまっている、とそう思いながらも、しいてそれをぼくに思い出させようともしないのだ。ただ人しれず、ぼくの忘れっぼいのを歎いていた。
六月の初め頃、マルトはジャックから一通の手紙を受けとった。それにはもう愛のことなどは書いてなかった。かれは病気で、ブウルジュの病院へ送られるのだ。ぼくにしても、病気だと聞くと、あまりいい気もしなかったが、何だかほっとした気にもなった。かれは翌日か、それとも次の日にかにJ…を通るから、駅のプラットフォームまできていてくれ、とマルトに頼んだのだ。マルトはその手紙をぼくにみせた。そうしてぼくの命令を待っていた。
恋はマルトを奴隷《どれい》にした。同時にぼくにしても、こんなに先廻りをしてこられると、行けとも行くなとも、どちらともいいにくかった。ぼくの気持として、黙っているのは、それは同意のしるしであった。かの女が夫にちょっと顔を合せるぐらいのことを、どうしてとめられようか? マルトも同じように黙っていた。で、この無言の会話に従って、翌日はかの女の家へ行かなかった。
その次の日の朝、使いの者が、ぼくに直接お渡ししたいといって、手紙を持って家へやってきた。マルトからだ。河岸で待っているから、もしまだ自分を愛しているなら、きてくれというのだ。
ぼくはマルトの待っているというベンチへ駈けつけた。ところが手紙とは打って変った挨拶を聞いて、思わずぼくははっとなった。かの女の気が変ったと思ったから。
それは一昨晩のぼくの沈黙を、マルトは反対の意味にとったからだ。まるきし無言の同意などとは思ってもいなかったのだ。死にでもしなければ、昨日ぼくが来られないなどということはないと思ったので、悩み苦しんだあげく、生きているかどうか、はっきりたしかめたくなったのだ。ぼくの驚きといったら、隠すこともできないくらいだ。ぼくはマルトに、病気のジャックに対しての女の務めを尊敬して、行くのを遠慮したのだと説明してやった。かの女は心底から信じなかった。ぼくは憤った。そうして危うく「こんどだけは嘘じゃないよ……」というところだった。二人は一緒になって泣いた。
しかし、こういった誤解は将棋《しょうぎ》の勝負と同じことで、もしぼくらのどちらかが、勝負をつけてしまわないかぎりは、いつまでたってもきりがなくて、お互いに疲れるばかりだ。結局、ジャックに対するマルトの態度は媚《こ》びたのではなかった。ぼくは、かの女を抱いて接吻して、「お互いに黙っていることはいけないね」といった。そうして、ぼくらは、これからはけっして、心の中を隠さないようにしよう、と誓った。それにしてもぼくは、そんなことができると思っているかの女がいささか気の毒になった。J…駅へきたとき、ジャックは目でマルトを捜し求めた。それから汽車がかれらの家の前を通ったときに、窓があけ放たれているのを見たのだ。かれは手紙で、どうか安心させてくれと、いってきた。ブウルジュへもきてくれ、といった。「そりゃ、行ったほうがいい」と、ぼくはこの短かい言葉にできるだけ非難を含ませないようにしていった。
「あなたも一緒にきてくださるなら、行ってもいいわ」と、マルトはいった。
それは余りにずうずうしすぎる。だが、こうした不愉快きわまる行為や動作も、みんな愛から出た言葉である以上、ぼくの怒りはまもなく消えてしまった。ぼくは腹が立ったが、すぐと平静を取り戻すことができた。そうしてかの女の純情に動かされて、やさしく話しだした。ぼくはお月様をせがむ子供のようにマルトを扱った。
ぼくはまた、ぼくと一緒に行くことが、どんなに不道徳であるかといってきかせた。ぼくはこの言葉が、侮辱された男の口から出たもののように、あらあらしく響かないように願いながら、思い切って口にしてしまった。はじめてマルトは、ぼくが〈道徳〉などという言葉をいったのを耳にした。実際、よくもこんなことがいえたものだ。きっと根が善良なかの女のことだから、ぼくと同じように、自分らの恋愛の道徳性について、疑いを抱くに違いない。だから、もしぼくが自分からこの言葉を口にしなかったとしたら、ブルジョア特有の偏見に反対しながらも、根がやはりブルジョア女であるかの女のこととて、おそらくぼくを不道徳な男だと思うであろう。だが、それはまったく反対で、今はじめてこのことを注意したぐらいなのだから、実際は今までに何も自分らは悪いことなんかしなかったのだと考えていた何よりの証拠だ。
このきわどい夫婦きどりの旅行ができないのを、マルトは残念がった。今ではそれがはっきり不可能だとわかったのだ。
「では」とかの女はいった。「あたしも行かなくっていいでしょう」
軽い意味でいった、この〈道徳〉という言葉は、かの女の良心を導く指針になった。ぼくはちょうど、新しい権力に酔った暴君のように、この言葉をやたらに使った。いったい権力というものは不正なことをする場合にしか使われるものではなかった。でぼくは、何もブウルジュへ行かなくたって悪いことはないと、かの女に答えた。ぼくはざまざまなかの女の納得のいく理由を考えてやった。旅行は疲れるとか、ジャックはもう恢復《かいふく》期にあるだろうとか。こうした理由は、ジャックの眼にはともかくも、少なくとも嫁ぎ先に対しては、罪を免がれ得るだろうから。
ぼくはマルトを、自分の都合のいいほうへ導びくために、すこしずつ自分の思うがままに慣らしていった。だからこそ自分を責めもしたし、ことさらにぼくらの幸福を壊すようなこともしたのだ。かの女がぼくに似ていること、しかもそうさせたのはぼくであること、そんなことがいっそうぼくを有頂天にし、同時に怒らせもした。そこに、ぼくら二人の理解点もあったし、また未来の不幸の原因もあった。実際こうして、ぼくはすこしずつ自分の不安をかの女に伝えていたので、おそらくいざという日になっても、かの女は決心がつかなかったであろう。ぼくにはマルトが、自分と同じようにふらついて見えた。あたかも、波が砂の上のお城を壊さないようにと望んでいるのに、しかも他の子供らは、はるか離れて同じものをつくっているのだ。
こういう精神上の類似が、やがて肉体の上にまでも及んできた。目つきといい、歩きぶりといい、知らない人たちは、よくぼくらを兄妹だといった。それは、ぼくらの間では、恋の育てかたが似ていたからである。ひとつの身ぶり、ひとつの声の抑揚までが、いくら用心ぶかくしていても、いつのまにか恋人同士であるとわかってしまう。
もしも人の心情が、理性のしらない理解力を持っているとしたら、それは理性の方が心情よりも無分別だからだといわなければならない。人は誰でもナルシスのように、その底に映る自分の姿を愛したり憎んだりしながら、それでいてほかのものにはいっさい無関心なのだ。われわれを生活のなかへ導いて、ある風景、ある女、ある詩人の前で「止れ!」と叫ばせるのは、こうした類似の本能だ。こうした衝動を感じないでも、ほかのものに感動することはできる。が類似の本能は、人本来の生活のなかでもっとも自然のものだ。だがこの社会で、道徳を犯さず、常に類型に従い得られる者は、多くの愚鈍な人たちばかりだ。それゆえある人びとは、最も深い意味での類似こそかえってより以上に神秘的な類似であると気づかないで、〈ブロンドの女〉に夢中になったりするのだ。
マルトはこの数日来、別に悲しげな様子もなしに、ただぼんやりしていた。それも、七月十五日が、マンシュの海岸で快方に向っているジャックとその家族に会うその日が近づいたので、それがつらくて煩悶《はんもん》しているのだというのなら、ぼくにもかの女の心配がわからぬこともない。それにしてもかの女は黙りこんでしまって、ちょっとしたぼくの声にも飛びあがるほどだ。マルトはとても堪《た》えられないもの、家族の訪問や、母親の侮辱や、いやみや、まさかと思いながらも好きな男でもいやしないかといぶかっている父親などを、一人で堪え忍んでいたのだ。
どうして、そうしたことを堪え忍んでいるのだろうか? ことごとに重大な意味をつけたり、つまらぬことに感動したりするかの女を、ぼくが責めたからであろうか? 見方によれば、マルトは前よりも幸福のようだ。しかしなっとくのゆかない幸福で、それは参っているように思われる。ぼくにしてみれば、そうした幸福を共に味わうことができないので、不愉快でならなかった。ぼくが黙りこんでいるとき、冷淡になった証拠だといったマルトを子供らしいと考えたぼくが、今度は、マルトの黙っているのを、自分を愛さなくなったからだと責めるようになった。
マルトは妊娠しでいるのをぼくにいえなかったのだ。
ぼくはこのことを聞いたとき、嬉しそうにしてみせたかった。が、それを耳にした瞬間、すっかり驚いてしまった。どんなことにでも責任なんかもてそうもないと思っていたのに、こうなってはどうにもならなかった。ぼくはこんなことはあたりまえだと思えるほどおとなになりきっていないのが、腹立たしかった。マルトはいいにくそうにもじもじしていた。かの女には、二人を結びつけるはずのこの瞬間が、かえって二人の仲を引き裂きはしないかと思われたのだ。がぼくが嬉しそうなふりをしてみせたので、かの女の懸念《けねん》は去った。心からブルジョアの道徳感を抱いていたマルトは、この子供にしても二人の愛に対して神から授けられたので、けっして罪の結果であるなどとは思わなかった。
もう妊娠した以上、けっしてぼくから棄てられることはないとマルトが考えているのに反して、ぼくはすっかり当惑していた。ぼくらぐらいの年輩で、この若さを束縛する子供を持つなんて、不可能でもあり、また間違ってもいると、ぼくには思われた。はじめてぼくは、物質上の心配が身にしみた。ぼくらは家の者から見棄てられるかもしれない。
もう今から子供に愛を抱いているのだ。つまり子供のできたの厭《いと》うのは、愛すればこそなのだ。ぼくはこの子の悲劇的な存在に対して責任をもちたくなかった。ぼく自身だってそんな生きかたはできなかったろう。
本能は、ぼくらの案内役だ。それはぼくらを滅ぼしてしまう。昨日までマルトは、妊娠がぼくらのあいだを裂きはしないかと疑っていたのに、今日では、かつてないほどぼくを愛していた。かの女は自分と同じように、ぼくの愛も大きくなってきたと信じているのだ。ぼくにしても、昨日は子供をきらっていたのに、今日では、マルトに対する愛を割《さ》いてまでも、この子を愛しはじめていた。あたかもぼくらの恋愛のはじめに、他人に対してもっていた愛情をすべてかの女に捧げたように。
今、マルトの腹に唇を押しあてているのは、それはかの女にではなくて、腹の子に対してであった。ああ、マルトはぼくの女ではなくて、一人の母親であったのだ。
ぼくはもう二人っきりのときのようにふるまわなかった。ぼくらの傍《かたわ》らには、いつもぼくらの動作を報告しなければならぬ証人がいるからだ。ぼくにはなかなか、この突然の変化がしっくりしなかった。これはみんな、マルトのせいだと思った。そのくせ、もしかの女がこのことを隠していたとしたら、ぼくはもっとかの女を責めたろうに。ときには、かの女が二人の恋をすこしでも長びかせようとして嘘をついたのではないかと思った。また、この子は自分の子ではないとも思った。
平静を得ようとする病人のように、ぼくはどうしていいかわからなかった。以前ほどぼくはマルトを愛していないようだし、この子をジャックの子だとしなければ、かえってこの子のためにならないだろうとも考えはじめた。こうしたいい抜けには自分でも驚いた。こんなことをすれば、しまいにはマルトまでも思い切らなければならないだろう。ぼくは、いくら自分を一人前のおとなであると思い込もうとしても、現在の状態があまり重大だったので、いくら虚勢をはってみても、こんなむちゃな生活(じつは自分ではしっかりした生活だと思っていたのだが)がつづけられようとは信じられなかった。
なぜなら、やがてジャックはもどってくるだろう。この非常時がすぎ、その特殊な環境のために欺《あざむ》かれた多くの兵士のように、かれが帰ってくると、そこには妻が、そこにはかつて犯した不倫の影さえみえない、もの悲しげな、やさしい妻がいるのだ。それにしても子供は、休暇中にマルトが夫と接しない限りはいいわけがたたなかった。ぼくは恥かしさを忍んで、それをかの女に頼んだ。
いろいろないざこざのなかでも今度のは、少なからず奇妙であり、かなりつらかった。ところが、それほど反対に会わなかったのは不思議だった。があとで、やっとその理由がわかった。マルトは最近の休暇のときにジャックに身をまかしたのが打ち明けられなかったのだ。そしてぼくの言葉に従ったふりをして、今度グランヴィルでは身体の調子が悪いといってジャックを拒《こば》むつもりだといった。こうしたこじれ方は、いっそう日どりを複雑にしたわけで、お産のときに月日が合わないために、みんなから疑われるのにきまっていた。ぼくはこう考えた。「かまうもんか! これからまだ日数もあることだし、マルトの両親が醜聞《しゅうぶん》の立つのを恐れて、きっとマルトを田舎へ連れて行き、子供が生れたことをしらせるのを延ばしてくれるだろうさ」
マルトの出発の日が近づいた。ぼくはこの留守をうまく使わなければならない。それは自分に対する一つの試みなのだ。ぼくはマルトから離れようと思った。もしそれができなかったら、ぼくの愛情がまだ醒めきらない何よりの証拠なのだから、また元のようにぼくを想っていてくれるマルトと逢うばかりだ、とぼくはきめていた。
マルトは七月十二日、朝の七時に出発した。ぼくはその前の晩からJ…に泊っていた。そこへ行く道すがら、ぼくは一晩じゅう眼を閉じまいと心に誓っていた。これから先の生涯にもうマルトを必要としないだけの愛撫のしだめをしておいてやろうと思って。
ところが、横になって十五分もしたら、ぼくは眠ってしまったのだ。
マルトがいると多くの場合、ぼくはよく眠れない。それなのに、今度に限って、ぼくはまるで一人のようにぐっすり寝いってしまったのだ。
目が覚めたら、マルトはもう起きていた。遠慮してぼくを起さなかったのだ。もう汽車が出るまでには三十分しかない。ぼくはマルトと共にすごすべき最後の時間を、寝すぎたために失ったのが腹立たしかった。かの女もまた別れるのを泣いていた。しかしぼくは、この最後の時を、涙を呑むよりほかのことに使いたかった。マルトは、ここへときどき来て、二人のことを思ったり、手紙を書いたりするようにと、ぼくに鍵を渡した。
ぼくは、パリまではついてゆくまいと決心した。それにしても唇の魅力には勝てなかった。卑怯にも、もうかの女を愛すまいと望んでいたぼくが、別れぎわに、あの〈最後の別れ〉にことよせて、こうした魅力にひかれていたのだ。かの女が望みもしない〈最後の別れ〉などありはしないと、自分でもその間違いを気づいているくせに。
マルトがジャックの両親と一緒になるはずのモンパルナスの駅で、ぼくは慎《つつ》しみもなくかの女に接吻した。ぼくはこのありさまをジャックの両親に見つけられたときの、抜きさしならぬ悲劇を予想して、そのいいわけまでも考えていたのだ。
今までマルトの家へ逢いに行くのを待ちこがれて暮していたF…へ帰ってから、ぼくはなんとかして気を紛《まぎ》らそうと努めた。庭いじりもしてみた。本も読もうとした。妹らと隠れん坊もした。それらはみな、この五年のあいだ、ぼくから忘れられていたものだ。夜になれば、妙だと疑いを起させないために、散歩をしなければならなかった。いつもなら、マルヌ河畔ぐらいまで行くのは何でもなかった。それがそうした晩は、小石に躓《つまず》いたり、息をきらしたりして歩いた。小舟の中によこたわって、ぼくははじめて死を願った。が、やはり、死ぬことも生きることもできないぼくは、誰かが親切気をおこしてぼくを殺してくれないかと、そんなことさえ思った。ぼくには人が退屈や苦悩のために死ねないのが、いかにも歎かわしかった。浴槽《よくそう》の栓を抜いたように、ぼくの頭は次第に空虚になっていった。最後の滴《しずく》がすうと吸いこまれると、ぼくの頭はすっかり何もなくなってしまった。ぼくは眠っていたのだ。
七月の夜明けの冷たさが、ぼくの眠りを呼びさました。ぼくは冷気を身に感じながら家へ帰った。家はあけはなたれていた。気むずかしげに父は、控えの間でぼくを迎えた。母がすこし具合がわるかったので、医者を呼びにやるために、召使いにぼくを起させたのだ。はしなくもぼくが家をあけたことがわかってしまった。
りっぱな裁判官が、多くの犯跡《はんせき》のなかから、一つでも潔白なところを見出して、犯人の罪を軽くしてやろうとするのにも似た、そうした父の本能からくる慈悲を感じながら、それはかなりむずかしいことではあったが、何ひとついいわけもせずに、じっと父の叱言《こごと》を聞いていた。ぼくは父の信ずるとおり、J…から戻ってきたことにしておいた。しかも、父が夕食後は外へ出るのを禁じるといったとき、ぼくはひそかに、こうしてぼくの罪を共に負ってくれ、しかも今までのように外出しないという口実をつけさせてくれた父を有難く思っていたのだ。
ぼくは郵便配達のくるのを待ちこがれていた。それはぼくの生命であった。ぼくには忘れてしまうなどという努力はできそうもなかった。
マルトは、自分からの手紙を開くときだけに使ってくれと念を押して、ぼくに一つのペーパー・ナイフをくれた。はたしてそれを使えるだろうか? ぼくは待ちに待っていた。だから封筒を引き裂《さ》いてしまうのだ。いつまでもぼくは、これではあまりみっともないと、しばらくのあいだ手紙の封を切らずにおこうと思っていた。そうしてそのうちには自制ができるようになり、手紙をそのままポケットにしまっておけるようになれるだろうと考えていた。が、いつもこの方法を明日まで延ばしてしまうのだ。
ある日、つくづく自分の弱さに愛想がつきて、腹だちまぎれに、ぼくは読まずに手紙を破いてしまった。が、きれぎれになった手紙を庭へ撒《ま》き散らしてしまってから、ぼくはあわてて手足をついて庭へ飛び降りた。手紙にはマルトの写真がはいってあったのだ。ひどいかつぎ屋でちょっとしたことでも大げさに考えたがるくせに、ぼくはマルトの顔を引き裂いてしまったのだ。ぼくはそこに天の啓示をみた。ぼくは不安に駈《か》られて、四時間もかかって手紙と写真とをうまくつなぎ合わした。今までこんなに苦心したことはなかった。マルトに何か不幸なことが起りはしないかという恐怖心が、眼も神経もぼんやりさせてしまうようなこんな愚かしい仕事を、ともかくもぼくにさせたのだ。
専門医はマルトに海水浴を奨《すす》めた。今までぼくは、自分の意地悪を責めながらも、他人にかの女の身体を見られるのがいやさに、マルトが海水浴をするのを禁じていた。
それにしても、どうせ一か月のあいだマルトがグランヴィルですごすとしたら、ジャックがいるほうが何かにつけてよかった。ぼくはいつか家具を買いに行った日、マルトが見せてくれたジャックの白い顔を思い出した。ぼくの何よりも怖れていたのは、海岸にいる若い男たちだ。ぼくは見もしないのにそれらの男たちが、ぼくなどよりもはるかに美しくて強くて、しかも垢抜《あかぬ》けがしていると思いこんでいたのだ。
ジャックがいれば、そうした男たちに対して、マルトを守ってくれるに違いない。
ときとして、誰にでも抱きつく酔っぱらいのようにほろりとした気になって、ぼくはジャックに手紙を書く自分を思い浮べた。自分がマルトの愛人であることを告白して、それにかこつけてかの女のことを頼もうというのだ。またあるときはジャックとぼくと二人から想われているマルトを妬《ねた》んだりした。ぼくらは一緒に、マルトの幸福を考えるのがほんとうではないのかしら? こうした考えをおこす自分は、じつに親切な恋人だと、いつもそうぼくは思った。ぼくはジャックと懇意《こんい》になりたかった。すべての事情を話して、なぜ二人はお互いに嫉妬しあってはいけないかと話したいとも思った。が、とつぜん憎しみの情が、この優しい気持をぐっと押しのけた。
マルトの手紙には、いつも留守宅を訪ねてくれと書いてあった。そのしつっこさは、信心にこった伯母が、祖母の墓|詣《まい》りをしないといってぼくを叱ったことを思わせた。だがぼくには、そんなお寺詣りをする気なんかないのだ。こうした退屈なお務めは、死や恋をある範囲に限ってしまう。
墓やその部屋に行かなければ、死人や留守の恋人を思うことはできないものかしら。しかしぼくは、そうしたことをマルトに説明しようとはしないで、ちょうどお墓詣りをしたと伯母にいったように、かの女には留守宅を訪ねていると書き送ってやった。ところが、どうしても奇妙な事情でマルトの部屋へ行かねばならないことがおきた。
ある日ぼくは汽車のなかで、保証人がマルトと会うのを禁じていたという、いつかのスエーデンの娘に出会った。淋しい折とて、ぼくはこの娘の子供らしさにひかれた。ぼくは明日こっそりJ…へお茶を飲みにいらっしゃいと誘った。かの女が恐れるといけないと思ったので、マルトのいないことは隠して、しかもマルトも逢えたらどんなに喜ぶだろうと、いってやった。ことわっておくが、そうしておいてぼくは何をすることもはっきりわかってはいないのだ。それはただ仲善しになって、驚かしごっこをする子供たちと同じだ。マルトが留守だというのを知ったときの、このスヴェアの純真な面《おもて》に現れる驚きや怒りがみたくてならなかったのだ。
そうだ、たしかにかの女をびっくりさせようという子供らしい興味からだった。ある種の異国情緒をもっているかの女は、ものいうごとにぼくを驚かすのに、そのぼくは何ひとつとしてかの女をびっくりさせるようなものを持たなかったからだ。まったく、親しめなかったもののあいだに急に親しみの情が湧くほどうれしいことはない。かの女は首に、青い七宝をちりばめた、小さい金の十字架をかけていた。が、その着物はあまりそぐわないので、ぼくは自分の頭のなかで、ぼくの趣味どおりにつくりかえていた。ほんとうに生きた人形のような娘だ。ぼくは客車のなかなどとは別な所でさし向いでいるのもまた別な味だと、そうした興味にひかれていた。
修道院の尼さんのようなかの女の様子を、すこしばかりだいなしにするのは、補習学校の生徒らしいところが見えることだ。それは一日に一時間ずつ、たいしてききめもないのに、フランス語とタイプライターを習っていたからだ。そのタイプライターの宿題を見せてくれたが、どの字も間違いだらけで、余白に先生から直されてあった。かの女は、あきらかに自分でつくったらしい、ひどい手提《てさげ》から、伯爵の紋章入りのシガレット・ケースをとり出して、ぼくに煙草を奨めた。かの女は、自分では煙草を吸わないくせに、かの女の友だちが吸うので、いつもケースをもっていた。それからかの女は、スエーデンの風習を、例えばサン・ジャンの夜とか、苔桃《こけもも》で造ったジャムだとか、そうした話をしだしたが、ぼくはよく知っているといった顔をしていた。またかの女はその手提から、昨日スエーデンから送ってきたばかりだといって、双生児《ふたご》の妹の写真を出してみせた。それは、真裸かで、馬に乗って、お祖父さんのシルクハットをかぶっていた。その妹があまりかの女と似ているので、かの女がぼくをからかったのではないかと思って、思わずぼくはあかくなった。ぼくは唇を噛んで、この無邪気な、いたずら娘に接吻したいのをじっとこらえていた。かの女が、身を守るような眼をしながら、恐《おそろ》しそうにしているのを見ると、よほどぼくは獣のようであったのに違いない。
翌日、かの女は四時にマルトの家へやってきた。ぼくは、マルトはパリへ行っているが、すぐに帰ってくるから、といった。そうして、自分の帰ってくるまで待っていてくれるようにと、マルトがいい残して行ったとつけ加えた。ぼくは、ぼくのいたずらを、しばらくしてから打ち明けるつもりだった。
都合のいいことに、かの女は大食いだった。ぼくの大食いは、公《おおやけ》にされないものだった。ぼくはサンドイッチや苺《いちご》クリームをみても、別に食べたいとも思わなかったが、かの女の口に触れるサンドイッチや苺クリームにはなりたいと思った。ぼくは口を歪《ゆが》めて思わず顔をしかめた。
ぼくがスヴェアを欲しているのは、放蕩《ほうとう》ではなくて、大食いのためだ。唇がいけなければ、ぼくは頬でもよかった。
ぼくはよくわかるように一句一句に注意をして話をした。こうした楽しいままごとに駈られて、ともすると黙りがちなぼくは、すらすらと話ができないのがもどかしくてならなかった。ぼくはお喋りや子供じみたひそひそ話がしたかったのだ。ぼくはかの女の口にぼくの耳を近づけた、かの女の話をよく聞き取るために。
ぼくはかの女に、無理にリキュールを一杯飲ませた。そうしたら、酔いつぶれた小鳥のようなかの女がいじらしくなった。
ぼくは酔いが、自分の思いどおりにしてくれることを望んだ。というのは、かの女が心から進んで唇を与えてくれようとくれまいと、そんなことはどうでもよかったからだ。マルトの家でこんなことをするのはよくないと思ったが、そうかといってマルトとの関係をどうするっていうのでもなしと、心のなかでくり返し考えた。ぼくはスヴェアを果物のように欲しているのだから、そうと知ったら、恋人だって嫉《や》くはずはあるまい。
ぼくはスヴェアの手を握った。ぼくの手は思いなしか不格好《ぶかっこう》に見えた。ぼくはかの女の服を脱がせて、愛撫してやりたかった。かの女は長椅子の上によこたわった。ぼくは立ち上って、かの女のまだ産毛《うぶげ》の、髪の生えぎわに身をかがめた。ぼくはかの女の黙っているのが、ぼくの愛撫を喜んでいるとしかとれなかった。しかし怒りつけるわけにもゆかないかの女としては、そうかといってフランス語では婉曲《えんきょく》にあしらうことができなかったのだ。ぼくはかの女の頬を噛みながら、桃のような甘い汁がほとばしり出るのを待っていた。
ついにぼくは接吻した。スヴェアは眼も唇もとじて、じっとされるがままにぼくの愛撫をうけていた、ただゆるく頭を左右に振ることによって抗《あらが》う様子をみせながら。ぼくは感ちがいしなかったが、ぼくの唇にはたしかにこたえがあったような気がした。ぼくはまるでマルトなどと一緒にいたことはなかったかのように、スヴェアの傍にじっとしていた。この手ごたえが、さらにぼくの大胆と懶惰《らんだ》を駈り立てた。まだまったく世間知らずのぼくは、こうした方法さえ使えば、たやすく女なんか手に入れることができると思ったくらいだ。
まだぼくは自分から進んで女の着物を脱がしたことはなかった。むしろぼくの方が女から裸かにさせられていたのだ。ぼくは不器用にかの女の靴と靴下を脱がせはじめた。そうして脚や爪先を接吻した。しかし、かの女のコルサアジュのホックをはずそうとすると、スヴェアは寝たくもないのに着物を脱がされるいたずら小僧のように逆らった。ぼくを蹴《け》とばしたのだ。ぼくは転がりながらかの女の足をつかんだ。しっかりと握って唇をつけた。しかしやがて、クリームや菓子を食べすぎたときのように、ぼくにも飽きがやってきた。どうしてもマルトが旅行に出ているといって、今までの嘘をしらさなければならなくなった。そうして、もしマルトに会っても、二人がこんなふうにして逢ったことはけっしていわないことをスヴェアに約束させた。さすがにぼくも、自分がマルトの恋人だとはいわなかったが、それとなしに感づかせたのだ。かの女もこうした隠れごとの愉しみがわかったとみえて、ぼくが心残りなく楽しみを味わいつくしてしまったものの、礼儀上またいつか会いましょう、というと、「では明日にでも」と答えた。
それからマルトの家へはぼくも行かなかった。スヴェアにしても、きっとあの閉めきった部屋を訪ねはしなかったであろう。ぼくは自分のしたことが、世間の道徳からいって、どんなに悪いことであるかということぐらいはよく知っていた。とはいうものの、それはたしかにあの場所が、スヴェアをいとしくみせたせいもある。もしあれがマルトの部屋でなかったとしたら、ぼくにしてもあんなことまで望まなかったであろう。
ぼくはしかし、すこしも悔《くや》んではいないのだ。ぼくがスエーデンの小娘を見限ったのは、それは何もマルトのことを考えたからではなくて、かの女からすっかり甘味を吸いつくしてしまったからだ。
数日して、ぼくはマルトから一通の手紙をもらった。それには家主の手紙が同封してあって、自分の家はつれこみ宿でないのに、ぼくが鍵を使って女を部屋へ連れこんだということが、書かれてあった。マルトはこれをぼくの裏切りの証拠だというのだ。そうして二度と会いたくないといってきた。それはもちろんかの女にとっては苦しみであったに違いない。だが欺《だま》されるくらいなら、いっそのこと苦しんだほうがまだましだったろう。
ぼくにはそれが、つまらないおどかしであるのがよくわかっていた。それを取り消させようと思えば、ちょっとした嘘を、たとえ事実であってもかまわないが、いってやりさえすればよかったのだ。ただ癪《しゃく》にさわったことは、こうした絶交の手紙のなかで、かの女が自殺のことにふれていないことだ。ぼくはその冷たさを責めるのだ。そうしてこんな手紙には返事をする必要もないと思った。もしぼくがマルトの立場にあったとしたら、自殺のことはともかくも、もうすこし頭のある責め方をしたであろう。とまれこうしたことを考えるのは、若げと高校生気質の抜けきらない何よりの証拠で、思うに嘘も場合によっては恋愛教典の命じるところでやむをえないことだと、ぼくは考えた。
恋の試練としての新しい仕事が生れた。それはマルトに対して自分の罪のないことをいい、なお家主ほどにもぼくを信じないかの女を責めることだった。ぼくはマランのような連中のやりかたが、どんなにずるいかということを説明してやった。そうしてほんとうのわけを話せば、ある日ぼくがおまえの家で手紙を書いていたら、そこへスヴェアがおまえに会いにやってきたのだ。ぼくは窓越しにあの娘のやってくるのを見て、それが無理におまえからひき離されている女だというのを知っていたし、おまえがいたらこのつらい別離のことでかの女をよそよそしく扱うようなことはしないだろうということを思わせてやりたかったので、ひとまず家へいれてやったのだ。それに、きっとスヴェアはこっそりと、しかも多くの危険をおかしてやってきたのに違いなかったから、とそうつけ加えた。
こうしてぼくは、スヴェアがマルトのことを心から慕《した》っていると知らしてやることができた。そのうえマルトの留守宅で、そのいちばん親しい友と心ゆくまでかの女の噂ができたうれしさを書いて手紙を結んだ。
こんなに気をつかわされると、ぼくはいやおうなしにお互いの行いを報告し合わねばならないような恋愛に、つくづく愛想がつきはじめた。ぼくは他人にはもちろん、自分に対しても報告などしなくて、恋愛をしたかった。
しかしながら、とぼくは考えてみた。誰でも恋のためにはそのすべての自由を捧げているのだから、恋愛はもっといいものを授けてくれねばならないはずだ。ぼくはいっそ恋愛などは打ち棄てて、すこしでも早く、より強くなりたかった。そうすれば自分の欲望はどれも犠牲にしなくてすむのだから。どちらも奴隷の身分だが、官能の奴隷になるよりも、愛情の奴隷になるほうが、はるかにいいことをぼくは知らなかったのだ。
蜂が蜜を集めて蜜房をみたすように……恋する者は歩きながらも、さまざまな欲望を想うことによって自らの恋を豊かにする。それで男はその愛人をよろこばせもするのだ。ぼくはまだ浮気な性質を身持がよいようにみせかけるということを知らなかったのだ。ある男がよその娘に恋をして、その熱情を自分の愛している女で満たそうとすると、かれの欲望は満たされないためにますます盛んになり、その愛人は今までこんなに愛されたことはないと思うようになるのだ。世間では女を欺《あざむ》いても、徳義だけは救われるという。こうした考えから、ますます放縦《ほうじゅう》になるのだ。だからある男たちが、自分の愛しきっている女を欺いたにしても、おいそれと責めてはならないし、浮気だと咎《とが》めてはいけない。かれらは、こんなごまかしはきらいだし、幸福と快楽とを別々に考えようとしているのだ。
マルトは、ぼくが何とかいうのを待っていた。かの女はつまらぬ咎めだてをしたといって詫びてきた。ぼくはいささかもったいぶって、それを許してやった。マルトは家主あてに、自分の留守中ぼくが自分の友だちの誰でも部屋にいれるのを許してやってほしいと、皮肉まじりの手紙を書いてよこした。
マルトは八月の末になって帰ってきたが、J…へは行かずに、別荘へ行って留守なのを幸い、両親の家に住むことにした。マルトが毎日住んでいたこの新しい背景は、ぼくにとって催情剤であった。官能の疲れや、一人で静かに眠りたいというひそかな望みは、すっかりなくなってしまった。ぼくは一晩だって家をあけないことはなかった。若死をする人びとが欲張ってものをするように、ぼくは燃えたち、苛立《いらだ》った。母親になることがかの女をだいなしにしてしまわないうちに、思いのままマルトを愛撫したかったのだ。
ジャックをよせつけなかった娘の頃の部屋が、ぼくらの部屋になった。ぼくは狭いベッドの上で、はじめて聖体を拝受したときのかの女のすがたを見るのを好んだ。ぼくらの子供が彼女に似るように、ぼくはマルトに、かの女の別身である幼なすがたをじっと見つめさせた。ぼくは有頂天になって、かの女が生まれ、そして成長したこの部屋のなかを歩きまわった。物置部屋でかの女の使ったという揺籃《ゆりかご》に触れてみて、ぼくはこれに二度の務めがさせてみたかった。ぼくはまた、おくるみや、小さいズボンや、グランジエ家に代々伝わるものなどを出さしてみた。
ぼくは、J…の部屋を名ごり惜しいとも思わないし、そこにある家具にしても、そこらの家にころがっている道具ほどの魅力さえなかった。それらは、ぼくに、何も教えてはくれなかったのだ。それなのにここでは、すべての家具がマルトを語っていた。幼い頃には、それらに蹟《つまず》いたりしたのだ。
こうしてぼくらは町会議員も家主もみずに、ほんとうに二人きりで暮らすことができた。まるで土人のように平気な顔をして、ほとんど裸かのままで、あたかも離れ小島のような庭のなかを歩きまわった。芝生の上に寝ころんでは、ウマノスズクサや、スイカズラや、マルバノホロシの青葉の下で愉《たのし》んだ。ぼくが拾ってきた、陽の光で熱くなって傷だらけの梅を、口と口を寄せて奪い合った。父がどうしてもぼくには、弟たちのように庭の手入れをさせることができなかったのに、マルトの家ではぼくは庭の世話などをするのだ。掃除をしたり、雑草をむしったりした。暑い一日の夕暮れに、ちょうど女の望みを満たしてやった男のような誇りを感じながら、渇《かわ》いた地面や、しおれた草に水をやった。ぼくにはいつでも親切などはばからしかった。それがようやくわかってきた。草花はぼくの世話で蕾《つぼみ》を開き、鶏はぼくの投げ与えた餌をついばんで木蔭に眠っている。なんて親切なのだろう……だが、なんというエゴイズムだ! もしも花が枯れ、鶏がやせたら、ぼくらの恋の小島にも悲しみが満つるであろう。水も餌も、花や鶏にやるというよりは、自分から出て、ぼく自身に帰ってくるのだ。
こうしてぼくの心に再び春がめぐってくると、ぼくはマルトの留守中にみいだした想いなど忘れて、しかもそれを軽蔑さえした。この家でこんなにしている放縦さ、それは最後のしおさめだった。八月の終りの一週間と九月いっぱいは、ぼくとしては唯一の、ほんとうに幸福な時期だった。ぼくはもう狡《ずる》いこともしなければ、自分を傷つけたりマルトを傷つけたりすることもしなかった。もはや邪魔するものとてはない。ぼくは人びとが老いて望む生活を、十六歳で思い描いていた。ぼくらは田舎で暮らそう。そしていつまでも若く生きてゆこう。
芝生でマルトのからだに頭をのせ、草の芽生でかの女の顔をなでながら、ぼくは静かにゆっくりと、これからの生活を語った。ここへきてからというもの、マルトはパリにぼくらの住む部屋を捜していた。だからぼくが田舎に住みたいというと、かの女は眼をうるませていった。
「あたし、あんたが、そんなことをいうとは思わなかったわ。きっと二人っきりでいるのにあきて、パリへ行きたがりやしないかと思ってたわ」
「そりゃぼくを勘違《かんちが》いしてるさ」とぼくは答えた。ぼくはいつかマルトと一緒に散歩に行ったことのある、ばらを栽培しているマンドルの近くに住みたかった。その後どうしたはずみか、マルトとパリで夕食をすませて終列車に乗ったら、ぼくはばらの匂いを嗅いだ。駅の構内で人夫たちが、たくさんの荷物をおろしていたが、その荷物から匂いがしてくるのだ。幼いころぼくは、ばらを積んだ不思議な汽車が、子供たちの眠っているうちに通るという話を聞いたことがあった。
マルトはいった。「ばらなんか季節もんだわ。時期が過ぎれば、マンドルなんて汚いところになるけど、それでもいいの? それより、たいして美しくはないけれど、あんまり変化のないところの方がよくはなくって?」
ぼくはこのことのなかに、はっきり自分というものを見たのだ。ばらの咲き匂う二か月の喜びが、残りの十か月を忘れさせていたのだ。このマンドルを選ぶということは、ぼくらの恋のはかなさを物語っていた。
散歩をするとか、招待されているからとか、いろいろな口実のもとに、F…ではほとんど夕食をせずに、ぼくはマルトの家へ止まっていた。
ある日の午後、マルトの家で、飛行服を着た若い男に逢った。かの女の従兄弟《いとこ》だ。ぼくが何となく打ちとけられずにいたので、マルトは立ちあがってぼくの首に接吻した。従兄は、ぼくのきまりわるそうにしているのをみて、頬笑《ほほえ》んでいた。
「ポールの前なら、何も気にかけなくっていいのよ」と、かの女はいった。「あたし、このひとに、何もかも話してしまったんだから」
ぼくは気まずく思いながらも、マルトが従兄にぼくを愛しているのを打ち明けてくれたのがうれしかった。自分の飛行服が制服でないことばかりを気にしている、この身ぎれいな浅薄な若者は、ぼくらの恋をみてすっかりいい気になっていた。かれはほくらのあいだを、飛行士ででもなければ酒場へなんか行かないと、かねがね軽蔑していたジャックに対していい笑い話だと思ったのだ。
ポールは、この庭で行われた子供時代のすべての遊びを思いださせてくれた。ぼくは、自分が知らなかった頃のマルトについての話をいろいろと尋ねながら、それらを貪《むさぼ》るように聞いた。しかし、それは同時にぼくを悲しませた。というのは、ぼくはまだ子供であったので、親たちの未知の遊びを忘れることができなかったからだ。おとなになりきってしまえばそうした遊びの追憶をすこしももたないか、またはそれが止むに止まれぬ病気だぐらいに考えるものだ。ぼくにはマルトの過去が妬《ねた》ましかった。
ぼくらは笑いながら、家主の悪感情や、マラン家の会合のことなどをポールに話したので、かれもまた調子に乗って、パリの自分の独身部屋を使うようにといってくれた。
ぼくはまだ、二人で一緒に生活をしようと思っていることを、かの女がポールに話してないのを知った。今でこそかれも、ぼくらの恋をけしかけてはいるが、やがてそれが明るみへ出れば、かれもまた多くの狼どもと一緒になって、ぼくらを誹謗《ひぼう》するのはわかりきっていたのだ。
マルトは食卓から離れて給仕をした。女中はみな、グランジエ夫人について田舎へ行ってしまった。マルトが用心深い考えから、ロビンソン・クルソーのように一人で生活をするほうがいいといい張ったからだ。両親はまるで夢のようなことばかりいっていると思ったが、こうしたひとにはあまり逆らわないほうがいいと考えたので、マルトを一人にして出かけたのである。
ぼくらはしばらくのあいだ食卓にいた。ポールはすばらしい酒を用意してきた。ぼくらは陽気になった。だがこの愉快さは、やがて後悔するにきまっている。このポールという男は、ありふれた不義ぐらいに考えて、妙に親身《しんみ》になっていたからだ。かれはいろいろとジャックをひやかした。ぼくは黙りこんだので、あやうく気のきかないかれの役割を気づかせるところだった。が、ぼくにしてみれば、こんな気のおけない従兄に恥をかかせるよりも、いっしょにジャックをひやかしてやりたかったのだ。
時間に気がついたら、パリ行きの終列車はもうなかった。マルトは泊ってゆけとすすめた。ポールは承諾した。ぼくがマルトに眼くばせしたので、「もちろん、あなたは泊ってゆくでしょう」といいたした。
ポールがぼくらの部屋の入口で、ぼくらにおやすみをいってから、ごくあたりまえに従妹のマルトを接吻したとき、ぼくは自分がマルトの夫で、妻の従兄を招待したような気がした。
九月の末になると、この家と別れることが、ほんとうに幸福とも別れることだという気がしだした。あと数か月はこのままで通るとしても、やがてはいっさいを告白するか、それともこの嘘をそのまま押し通すか、どちらかを選ばねばならなかった。どちらにしてもたやすいことではない。ともかくも、マルトが子供の生れる前に、両親から捨てられないようにしなければならないから、妊娠したことをグランジエ夫人に話したかどうかと、思いきってぼくはマルトに尋ねてみた。マルトは打ち明けたといった。しかもジャックにも話したといった。これで、今までにマルトがぼくに嘘をついていたこともわかった。というのは、五月にジャックが泊ってからは一度だってかれを寄せつけなかったと、ぼくに誓いまでもしたのだから。
夜がすこしずつ早めに訪れるようになった。夕暮れの冷気がぼくらの散歩をさまたげた。J…で逢うのはむずかしかった。二人の関係を明るみへ出さないためには、泥棒のように用心深くしながら、街路でマランや家主の留守を窺《うかが》わなければならなかった。
夜は寒いが、まだ火を焚《た》くほどでもないこの十月の哀愁が、ぼくらに五時頃からベッドへはいることを教えてくれた。両親のもとで日のあるうちに眠るのは、病気ででもなければありえないことだ。しかし今では五時から床へつくことがうれしいことなのだ。ぼくだって、誰でもまさかこんなことはしまいと思う。人びとが働いているというのに、ぼくだけがマルトと抱き合って寝ているのだ。裸かのマルト、ぼくはやっとの思いでかの女を見ることができた。いったい、ぼくは怖しい人間なのかしら? ぼくは男の最も尊い務めに対して良心の責めを感じていた。マルトの美をこわし、かの女の腹を大きくさせたのをみて、ぼくは自分でも乱暴な男だと思った。二人の恋のはじめに、ぼくがかの女の肌を噛んだとき、「あなたのしるしをつけて頂戴」と、かの女はいいはしなかったろうか? しかしぼくは、最も悪い方法で、ぼくのしるしをつけたのではなかったろうか?
今でこそマルトは、ぼくにとって最も愛しているもの、それは多くの愛人のなかで一番愛しているものという意味ではなくて、なくてはならないものになってしまった。ぼくは友だちのことなどは考えもしなかった。それどころか、かれらが、ぼくの生活を変えさせようとしているのを知っているので、避けているのだ。幸いにもかれらは情婦なんてやりきれない、ぼくたちにふさわしくないものと思っている。それで救われたというものだ。でなかったら、かれらの女たちが、それぞれ友だちの想い女にならぬとも限るまい。
父がそろそろ心配しだした。がいつも叔母や母に対してぼくをかばっていたので、いまさらそれを取り消すような態度もとれなかったが、しかしそうとは口には出していわないまでも、腹のなかでは、かの女らの考えをもっともだと思っていた。で父はぼくに、マルトとの関係を切らせるつもりだといった。そのうちかの女の両親や夫に事情を話して……。だが、翌日になると、父はもうぼくを自由にさせてくれた。
ぼくは父の弱みを知っていた。そうしてそれにつけこんだのだ。ぼくは平気で口答えもした。叔母や母が今になっては父親の権利を振りまわしても遅すぎるといって非難をするのと同じ意味で、ぼくもまた父をてこずらせた。父はかつて、ぼくがマルトと親しくなるのを望んでいたのではなかったろうか? こんどは父のほうがすっかり参ってしまった。とげとげした空気が家中にいっぱいになった。二人の弟らにとって、これは何というお手本であろう? 父はすでに、他日、弟らがこのお手本を盾《たて》にとって、自分らの不品行をもっともだとしても、あまり大きな声でいえないことを考えていたのだ。
今まで父にしてもほんの火あそびぐらいにしか考えていなかったのに、また新しく母に手紙を押さえられてしまったのだ。母はこの証拠を勝ち誇《ほこ》ったように父にみせた。その手紙にはしかも、マルトがぼくらの将来のことや、子供のことまでも書いてあったのだ!
ぼくなどはまだほんのねんねだと考えていた母にとって、孫息子か孫娘かができるなどということはあり得《う》べからざることだった。この年でおばあさんになるなどとは、信じることができなかった。こうしたわけで、母からみれば、この子がぼくの子供でないという何よりの証拠になったのだ。
正直さは、ごくあさはかな感情と結びがちだ。母としては、そのばか正直さから、妻が夫を裏切ることなどは許されないことだった。そうした行いは、恋がどうのこうのという余地のないほどそんなにも不倫きわまるものに考えられたのだ。だからぼくがマルトの恋人であるということは、かの女がまだほかにも多くの情人をもっていることを意味していた。父はこんな理屈がいかに間違っているかを、よく知っていながらも、これを利用してぼくの気持をぐらつかせ、マルトから離れさせようと思った。そうして、〈知らない〉のはぼくばかりだといった。がぼくは、皆がこんなふうにマルトを、ぼくに対する愛情ゆえに非難するのに対して抗議した。父はぼくがこの噂につけこむのを恐れて、こうした噂はぼくたちの関係する前から、いや、かの女の結婚前からあったのだといった。
今まで家の体面を保っていた父が、すっかり慎《つつ》しみを忘れてしまった。ぼくがしばらく家へ戻らなかったとき、女中にぼくあての手紙を持たせてマルトの家へよこした。すぐに帰るか、でなければ警察へ失踪届けを出してラコンブ夫人を未成年者|誘拐《ゆうかい》で告訴するとおどかした。
マルトは見かけだけはつくろいながらも、すっかり驚いてしまって、ぼくが見え次第この手紙は渡すからと女中にいった。それからしばらくしてから、ぼくは自分の年齢を呪《のろ》いながら帰った。ぼくは一人前の男ではなかったのだ。父も母も口をきかなかった。ぼくは六法全書をひっくりかえしてみたが、未成年者に関する項目はみつからなかった。ぼくはなるべくのん気にして、自分のしたことが感化院行きになるなどとは考えないことにした。六法全書をいくらくってみてもついにむだだったので、次はラルースの大辞典をひいてみた。そうして〈未成年者〉の項を十ぺんも読み返してみたが、やはりぼくの場合にあてはまるようなことは出ていなかった。
翌日になると、父はまた、ぼくをうっちゃらかした。
こうした父のわからぬ遣《や》り方に対して、その本当の気持を知ろうとする人びとに、ぼくはただ三行に縮めてみよう。父はぼくを勝手|気儘《きまま》にさせた。次に、自由にさせていたことを恥じ、ぼくに対してというよりも自分自身に向かっての腹立たしさから、ぼくをおどかしたのだ。が今では腹を立てたことを恥じて、手綱《たづな》をゆるめたわけだ。
グランジエ夫人は別荘から帰ると、近所の人たちからわなをかけるようにたずねられるので、そろそろ警戒をしはじめた。近所の者はぼくをジャックの弟だと思っていたといいながら、ぼくらのしていたことを夫人に告げた。いっぽうマルトもふとしたことからぼくの名前を口にしたり、ぼくのいったりしたことを喋ったので、母親にはまもなく、ジャックの兄弟が誰であるかがわかってしまった。
母親は、子供がジャックとのあいだにできたのだと思いこんでいたので、それでも生れればこの事件も片がつくと思い、ふかく咎《とが》めだてもしなかった。だが、知れればグランジエ氏は怒るにきまっているので、かれには何もいわなかった。そうしてこの用心深い処置を自分の温情のせいにして、マルトにそれを感謝させるために、この自分の気持だけは知らしておかなければならないと考えていた。こうして、自分は何でも知っているということを娘にみせるために、意地悪をいっては絶えずマルトを苛《いた》めつけた。しかもそのやり方があまりへたなので、グランジエ氏が妻と二人っきりのとき、可哀そうな罪もない娘をもうすこしやさしく扱って貰いたい、でないと、こんなふうにいつまでも邪推をしていると、しまいには娘の気持を変にしてしまうからと、頼んだくらいだ。するとグランジエ夫人は頬笑《ほほえ》んで、娘のほうで自分に何もかも打ち明けたんですよ、といわぬばかりの素振りをしてみせるのだ。
グランジエ夫人のこうした態度は、ことに前にジャックがはじめて泊ったときの態度からみて、夫人はマルトが悪いと思いながらも、ただ夫やジャックをやっつけていい気になりたいばかりに、さも自分のいうことが本当だとみんなに思わせるためにとっているのだ、とぼくは考えた。しかしじつをいうとグランジエ夫人は、自分の気が小さいために、あるは機会がなかったがために、とうてい自分ではできそうもなかった夫を欺《だま》すということを、平気でマルトがやっているのに感心していたのだ。意気地がないと思っていたことを、娘が代って仇をとってくれたわけだ。
それにしても、愚かな空想家であるグランジエ夫人には、何だってぼくのような、まだ〈女の気持〉などまるきし知りそうもない子供に娘が熱くなっているのか、それがどう考えてもわからなかった。
この頃になってマルトもいよいよ訪ねなくなったラコンブ家の人びとは、パリに住《すま》っていたので、別に何の疑いもおこさなかった。ただ相変わらずマルトが奇妙な女に思われ、だんだん気にいらなくなってきた。これから先のことが気になるのだ。これから数年して、この夫婦はいったいどうなるだろうと、そんなことを思っていた。多くの場合、母親というものは息子の結婚を望んでいるくせに、それでいて息子が選んだ嫁には何とかいいたがるものだ。ジャックの母も、こんな女をもらったといって不服をいいはじめた。ラコンブ家の娘が悪口をいう主な理由は、マルトが海岸ではじめてジャックと知り合ったあの夏、かなりふかまっていた初々しい想いを自分ひとりの胸に秘めて、自分らには何も話さなかったということからきていた。この小姑《こじゅうと》は、ひょっとするともうおこっているかもしれないが、いつかはマルトがジャックを裏切るだろうと、この夫婦の将来に暗い影を投げかけていたのだ。
マルトを愛している人のいいラコンブ氏は、あんまり妻や娘が悪《あ》しざまにいいだすと、しばしば食卓を離れてしまうのだった。そのつど母と娘とは意味ありげな視線をかわしていた。ラコンブ夫人の眼は語っていた。「ねえ、ごらん、ああいった女は男を迷わす術を知ってるもんだよ」
娘の眼はそれにこたえて、「あたしはマルトみたいじゃないから、だから嫁の口がないんだわ」。
実際、時代のせいだとか、結婚も昔のようにしていてはまとまらないとかいっているこの不幸な女は、それは口実で、自分でもまんざらでないくせにいつも夫を逃していたのだ。かの女の結婚の望みは海水浴のあいだだけ続いた。青年たちはパリへ帰ったらラコンブ嬢へ結婚を申込みに行くと約束をするのに、いまだにきたためしがない。だからやがて髪をサント・カトリーヌふうに結《ゆ》おうとしていたラコンブ嬢の悲しみの主なるものは、マルトがそんなにも早く夫をみつけたということであるらしい。かの女は、兄のような間抜けだからあんな女にひっかかったのだと思って、わずかに自分を慰めていた。
しかしながら、いくら家中の者が疑いの眼でマルトを見ていたにしても、マルトの腹の子がジャックのものではないと思うものは、誰一人としてなかった。ぼくとしては、これはあまりいい気持ではなかった。ときどきほんとうのことをいわないマルトを卑怯だといって責めもした。いずれにしても、自分からおきたことだと思わずにはいられないぼくとしては、どうせはじめからこの事件の外にあったのだから、せめてグランジエ夫人に終りまで手を出さずにいて貰いたかった。
嵐は近づいた。父はグランジエ夫人へ手紙を出すといっておどかした。ぼくとしては、むしろ父がこのおどかしを実行することを望んでいた。だがぼくは考え直してみた。グランジエ夫人はその手紙を夫に隠すに違いない。少なくとも、二人とも嵐がおこらないほうが都合がいいのだ。ぼくは息づまる思いだった。むしろ嵐を望んでいた。どうせやるくらいなら、いっそのこと、父が直接ジャックに手紙を送ってくれればいいと思った。
ある日、ついに父は怒って、もう手紙を出してしまったといった。ぼくは父の首に飛びつきたいほどだった。これでいいんだ! これでいいんだ! 父はぼくのために、ジャックが知っておかねばならぬことをしらしたのだ。ぼくは、ぼくの愛がそんなに弱いものだと思っている父をかわいそうに思った。それにこの手紙は、ジャックがマルトの腹の子に対してもっている愛情までも奪ってしまう。ぼくは興奮していたので、こんなことはあり得ないばかげたことだというのに気がつかなかったのだ。
やっと翌日になって、気持の柔《やわ》らいだ父が、ぼくを安心させるために、昨日のことは嘘だといったので……父はそれでぼくが安心したと思った……ようやくほんとうのことがわかった。父にしたって、こうしたことがどんなに不人情であるかを知っていたのだ。まったくそれに違いなかった。しかし、どこに人情と不人情の差別があるのだ?
ぼくは卑怯になったり、大胆になったり、一人前の情事とぼくの年齢とのさまざまな矛盾に疲れきって、神経をへとへとに使い果してしまった。
恋がマルト以外のことを考えさせなかった。もう父などが困ろうが、かまわなかった。ぼくはすべてのことを不当に卑しく考えていたので、しまいには父とぼくとのあいだに戦いが起るのだと思いさえした。ぼくが子としての務めを踏みつけるようになったのは、もはやマルトに対する恋愛からばかりではなくて、しいていえば復讐するような気で父に対していたからだ!
ぼくはもう、いくら父がマルトのところへ手紙を持たしてよこしても平気だった。かえってマルトが、なるべく家へ帰って、分別のあるようにしてくれと、ぼくに頼むくらいだ。するとぼくは、「かってにしろ、おまえまでがそんなことをいうのか」とあたりちらした。ぼくは歯をくいしばり、足をふみならした。マルトはぼくが数時間自分から引き離されるので、それでこんなふうにふるまうのだと、これを愛情のしるしだと見てとった。愛されているという確信が、かつて見たこともないほどの落着きをかの女に与えた。自分のことを考えているという確信を得たことが、ぼくを帰らせようとするのだ。
ぼくはどうしてマルトに、こうした勇気がわいたかがわかった。そこで戦術を変えることにした。かの女の心に従うふりをしてみせた。そうしたら、たちまちかの女の様子が変った。ぼくがこんなにおとなしく(あるいは軽率に)行動するのを見て、かの女はもうぼくから愛されていないのではないかしらという危惧《きぐ》に捉《とら》われだした。こんどは確信を得たいために、もっといてくれと、かの女の方で頼むのだ。
しかしあるとき、ことがちぐはぐになってしまった。三日間というもの、ぼくは家へ足踏みもしなかった。そのうえ、もう一晩泊まるとマルトにいった。かの女はなだめたりおどかしたりして、どうにかしてぼくの気持を変えさせようと試みた。そうしているうちに、今度はかの女が駈引きをのみこんでしまった。かの女は、もしぼくが両親の家へ帰らないなら、自分は実家へ行って泊るといいだした。
ぼくは、そんなみせかけをしたって、父はそれほどにも思やしないよと、かの女にいってやった。……そんなら、いい! かの女は実家へは行かないで、マルヌの河べりへでも行くからといった。そうしてそこで風邪をひいて死んでしまうだろうと。
やっとこれでマルトはぼくから救われるというものだ。でもかの女はいった。「子供をかわいそうだと思ってよ。この子まで自分たちの犠牲にしたくないわ」
マルトは、それでは自分の愛情をもてあそぶものだといい、すこしは程というものも考えてくれなくてはといって、ぼくを責めた。あまりしつっこくいうので、ぼくは父のいったことを思い出してしまった。それはかの女が誰とでもくっついて、ぼくを裏切っているということだった。誰が欺《だま》されるもんか。ぼくはつい口にしてしまった。「ぼくがいうことをきかないのは、こうしたわけからさ。おまえが今晩誰か好きな男をひっ張りこみやしないかと思ってね」
こんなばかげた邪推にどうして答えられようか? マルトはそっぽを向いてしまった。ぼくはこんなことをいわれても腹が立たないのかといってかの女を責めた。それからいろいろと説いたあげく、やっとマルトもぼくと一夜をすごすことに承知した。ただこの家ではいけないという条件つきで。明日ぼくの家から使いがきたとき、家主に昨晩はかの女も一緒だったといわれるのが、何よりもつらいというのだ。
どこで眠ったらいいのか?
ぼくらは椅子の上に立ち上っておとなよりも首だけ高いと威張っている子供のようなものだ。環境のせいで、ぼくらは背のびをしていたが、そういつまでも立ってはいられないのだ。未経験のために、実際ぼくらにとっては複雑なことが簡単にみえ、その反対に簡単なことが思わぬさしさわりになった。ぼくらはポールの独身部屋を思いきって利用する気に、とてもなれなかった。門番の手に銀貨を滑《すべ》らせて、またときどきくるからね、というようなことは、ぼくにはできそうもないことだった。
そこでホテルへ泊るよりほかに仕方がなかった。ぼくはしかし、まだホテルへ行ったことがなかった。敷居を跨《また》ぐことを考えてさえも、身震いがした。
子供は何かといい逃れを考える。いつも親たちにいいわけをさせられているので嘘をつくのは平気なのだ。
怪しげなホテルのボーイに向っても、ぼくは何かいいわけをしなければならないと考えていた。そこで着換えの下着や化粧道具がいるからといって、ぼくは無理にマルトにトランクを用意させた。ぼくたちは部屋を二つとろう。そうすれば誰でもぼくらを兄妹だと思うに違いない。ぼくはどうしても部屋を一つにすることはできなかった。この歳では(カジノからだっておっぱらわれる年齢ではないか)とんだ赤恥をかかぬとも限らなかった。
夜の十一時の旅行はじつに長かった。車内にはほかに二人いた。妻がその夫の大尉を東部の駅で見送りに行くのだ。汽車の中はうすら寒くて、あかりが暗かった。マルトは湿《しめ》っぽいガラスに頭をもたせかけていた。かの女は意地悪な少年の、気まぐれな思いのままになっていたのだ。いつもかの女にやさしいジャックのほうが、ぼくなどよりはるかに愛される資格があることを思うと、まったくぼくは恥かしくて心苦しかった。
ぼくは低い声で、いいわけをしないわけにはゆかなかった。マルトは頭を振った。「あたし、あのひとと幸福にしているより、やっぱりあなたと不幸な生活を送るほうがずっといいわ」と呟《つぶや》いた。何の意味もない、それでいてちょっといいにくい愛の言葉である。だが愛するものからこういわれると、誰でも酔わずにはいられない。ぼくにはマルトの言葉がよくわかった気がした。が、ほんとうはどんなことをいおうとしたのだろう? 愛さない者と一緒にいて、誰が幸福といえるだろうか?
ぼくは考えたこともあるし、今でもまだ考える、恋がぼくらに、おそらくは平凡な生涯を送るであろう女を、おだやかな生活から引き離す権力を与えたのか?「あたしは、あなたと不幸な生活を送るほうがずっといいわ……」
この言葉には無意識のうちに、非難がこめられていたのではないかしら? もちろんかの女はぼくを愛している以上、ぼくといるほうがジャックと一緒にいるときより、思いもかけない楽しいときを過し得たには違いないが、さりとてこの幸福なひとときのために、かの女を残酷なめにあわせてもいいという権利が、ぼくにあるだろうか?
ぼくらはバスティーユで汽車を降りた。ぼくがこのときまで何よりも清浄だと考えていた寒さは、駅の構内へはいったら港の暑熱よりも汚《きたな》らしくなった。しかもそこには、それにとってかわる溌剌《はつらつ》さがないのだ。マルトは痙攣《けいれん》を訴えた。ぼくの腕へしがみついた。美も若さも忘れて乞食の夫婦のように自分を恥じている、見るも哀れな二人づれだった!
マルトの腹の大きいのがおかしかったので、ぼくは眼を伏せて歩いた。ぼくは父親の誇りというような気持など、すこしも持てなかった。
ぼくらはバスティーユ駅とリヨン駅とのあいだを、冷たい雨にうたれながらさまよい歩いた。ホテルの前にさしかかると、はいるにのがいやさに、ぼくはつまらない口実をつくった。ぼくはマルトに、気持ちのいい旅行者の泊まるホテルを、いや旅行者だけしか泊まらないホテルを捜しているのだといった。
リヨン駅前の広場に来たときには、もうどうにもならなくなってしまった。マルトが、もうこれ以上ひっぱりまわされる苦しさに堪えられないというのだ。
マルトを外に待たしておいて、ぼくは何事かが突発することを願いながら、あるホテルの玄関へはいって行った。ボーイが部屋ですかと尋ねた。そうだ、というのは何でもなかった。実際わけないことなのに、それなのにぼくは、まるで見破られたホテル荒しのようにいいわけを考えて、ラコンブ夫人はいるかねと尋ねてしまったのだ。しかも真っ赤になって「冗談をいっちゃ困りますね、お若いかた。その人は外にいらっしゃるかたでしょう」といわれやしないかとびくびくしながら。
でもボーイは宿帳を調べてくれた。ぼくは、それでは番地が違っていたのだといって外へ出た。そうしてマルトには、ここには部屋がないし、もうこの街ではみつかりそうもないといった。ぼくはほっとした。それから逃げてゆく泥棒のように歩を速めた。
マルトをむりやりに連れこもうとしながらそのホテルからただ遁《のが》れることしか考えなかったぼくは、この時までまったくかの女のことを考える余裕がなかった。今になってやっとかの女を、この哀れな女を思い浮かべた。ぼくは涙を呑んだ。マルトがどこへ寝たらいいのかと聞いたので、ぼくは病人をわるく思わないでおとなしくJ…の家へ帰ってくれ、ぼくは両親の家で寝るからとかの女に頼んだ。病人! おとなしく! かの女はこの思いがない言葉に機械的な微笑を浮かべた。
恥ずかしさで帰り道はやりきれなかった。このようにひどい目にあったこととて、マルトもつい、「でも、あなたって、ずいぶんなひとね」といったものだ。それがぼくをいっそう怒らした。それではあまり思いやりがなさすぎる。しかし、そうはいうものの、もしかの女が黙っていて、そんなことなんか気づかないふりをしていたら、ぼくはマルトが、ぼくを病人か気違い扱いにしてそうしているのだろう、と心配したに違いない。こうなったらぼくは、かの女がけっしてぼくを忘れないというまでは、承知ができなかった。よしかの女がぼくを許してくれたにせよ、ぼくとしてはその寛大さにつけこむわけにはゆかなかった。もしこのままでずっと行ったとしたら、いつかはかの女もぼくのむごい仕打ちに堪えかねて、ついには疲れきってぼくから離れてしまうだろう、そうしてぼくは一人取り残されるのだ。このことを無理にマルトにいわせたとき、もちろんそんなおどかしなどは信じられなかったが、何か〈山すべり〉というような、いやもっと強い、はらはらする、だがこころよい悩みを味わった。ぼくはマルトに飛びついて、今までにないほど烈しく抱きしめた。
「さあ、ぼくを捨てると、何べんもいっておくれ」
息をはずませ、くだけるかと思われるまでにマルトをだきしめながら、ぼくはいった。こうされるとかの女は、奴隷にもできない、むしろ単なる媒介物にすぎないもののように、ただただぼくを喜ばすために、何のことかわからない言葉を繰り返しいうのだ。
ホテルを捜しまわったその夜こそ、運命を決するものだった。それにしても、どうしてあんなにいろいろと乱暴をしたのか、ぼくにはよくわからなかった。しかしぼくは、一生のうちにはこんなへまもするものだと思いもしたが、帰りの汽車のなかで、疲れて、がっかりして、歯をがたがたいわせていたかの女には〈すべてがよくわかって〉いたのだ。おそらくかの女は、一年の歳月が過ぎ去った今、狂気のように走るこの車のなかで、しょせんは死ぬより道がないということを思い浮べたのではなかったろうか。
翌日ぼくは、いつものようにベッドにいるマルトをみた。ぼくははいろうとした。するとかの女はやさしくこういいながら拒《ことわ》った。「すこし身体が変なの、帰ってくれない、そばへ寄らないで。風邪がうつるわよ」
マルトは熱があって、咳《せき》をしていた。そうしてぼくを非難していると思われないように、頬笑《ほほえ》みながら、昨晩風邪をひいたらしいといった。そのくせだいぶ苦しそうなのに、ぼくが医者を呼びに行くのをとめるのだ。「たいしたことはないわ、暖かくしてじっとしていればいいのよ」
じつをいうとマルトは、ぼくを使いにやったために、自分の家の古くからの友人関係であるその医者に変な眼で見られたくなかったからだ。不安に駈られていたぼくは、こうした断りを聞いたのでほっとした。しかしこの心配は前よりも強くなった。ぼくが食事に家へ帰ろうとしたとき、もし廻り道ができたら、医者へ寄って手紙をおいてきてくれと、かの女が頼んだからだ。
翌日マルトの家へ行ったら、階段のところで医者に逢った。ぼくは容態を聞くことはできなかたが、心配のあまり、かれの姿をじっとうち眺めた。かれの落ちついた様子は、ぼくの不安を払ってくれた。しかし、それは職業上からくる態度であったのだ。
ぼくはマルトの部屋へはいった。かの女はどこにいるのかしら? 部屋はからっぽだ。マルトは頭を蒲団のなかに隠して泣いていた。医者は分娩するまで部屋に閉じこもっているようにと命じたのだ。それに容態が看護を必要とするから、両親のもとへ帰ったほうがいいといった。とうとう二人は割《さ》かれてしまうのだ。
不幸はすこしも認められない。ただ幸福のみが当然のように思われる。こうして別に反抗もせずに引き離されたからといって、ぼくがしいて元気を出したわけではなかった。ほんとうのところをいってみれば、ぼくにはさっぱりわけがわからなかったのだ。犯人が判決文を聞くように、ぼくは茫然自失の態《てい》で医者の命令を耳にしたわけだ。これでもし被告が顔色を変えなかったら、「なんて勇気があるんだろう!」と人びとはいうに違いない。そんなことはあり得ない。それは想像する気力がなくなってしまったからだ。いざ刑の執行という間際《まぎわ》になって、はじめてかれは心からその判決を〈聞く〉のだ。同じようにぼくも、医者からよこした車が着いたといわれたとき、これでもうぼくらは逢えなくなるのだということがわかった。医者はマルトの要求に従って、誰にも知らせずに、前触れなしに、かの女を両親のもとへ連れて行こうとしたのだ。
ぼくはグランジエ家からすこし離れたところで車を停めさせた。三度目に馭者《ぎょしゃ》がふり向いたとき、ぼくらは降りた。この男は三度もぼくらの接吻を驚かしたと思っていたが、じつは絶えずぼくらを驚かし続けていたのだ。ぼくはマルトと、一時間もしたらまた会える人のように、ほとんど別れの挨拶もせずに、またこれからの便りの打ち合わせもしないでそのまま別れた。そのときにはもう、物見高い近所の人たちが窓ぎわに乗り出していた。
ぼくの眼が充血していると母はいった。妹たちは、ぼくが二回も続けざまにスプーンをスープのなかに落したといって笑った。床がぐらつきだした。ぼくは息苦しくて、船のように動揺する床の上を歩けなかった。少なくともこの心と魂の眩暈《めまい》は、船酔いよりほかにくらべるものがない。マルトのない生活、それは果てしれぬ航海だ。いつ、ぼくは着くのかしら? 船酔いをはじめて味わった者は、港へ着くことなどは信じられなくなり、その場で死んでしまいたいような気になる。ぼくは将来のことなどは、ほとんど考えなかった。数日してすこしは船酔いもおさまったので、ようやくぼくは陸地のことを考えるようになった。
マルトの両親は、だいたいのことを推測していた。かれらはぼくの手紙を奪うだけでは満足せずに、かの女の見ている前で暖炉に投げ入れて燃やしてしまった。かの女の手紙は鉛筆で書かれてあって、やっとのことで読めるくらいだ。かの女の弟が投函してくれたのだ。
もはやぼくも家の者からは何にもいわれなくなった。ぼくは夜になると、暖炉の前で、父といろいろな話をした。この一年間のぼくは、妹らの眼にはまるで人が変ったようにみえた。それがまた元のように、ぼくに馴れ、親しむようになった。ぼくは一番小さい妹を膝の上にのせ、うす暗がりを幸い、泣き笑いをして身をもがくほど強く抱き締めた。ぼくは自分の子のことを考えると、じつにやりきれなかった。ぼくには、子供に対して強い愛を抱くのが、不可能のように思われた。ぼくは自分の子が、弟や妹と違ってみえるほど成長していたであろうか?
父は気ばらしをするがいいと、ぼくに奨《すす》めた。それというのは、あまりぼくが静かにしていたからこういったのだ。もう何もすることがなくなったのに、いったいぼくは何をしたらいいんだろう? ぼくは呼鈴の音にも、道行く車にも震えあがった。ぼくは閉じこもって、分娩《ぶんべん》のしらせがあるのを待ちに待っていた。
何かのしらせがあるのを待っていたために、ある日、ぼくの耳は鐘の音を聴いた。それは休戦の鐘だった。
ぼくにとって、休戦はジャックの帰ってくるのを意味していた。すでにぼくは、かれがマルトの枕元にいるのを思い浮かべていた。がぼくには、どうすることもできなかった。ぼくは狂いそうだ。
父がパリから帰ってきた。そうしてぼくにも一緒に行かないかと奨めた。「こんなお祭り騒ぎを、見ないっていう奴があるかい」
ぼくは断りかねた。ぼくは人と変って見えることを怖れた。それに、結局のところ、不幸のために気がむしゃくしゃしているぼくにとっては、他人の喜んでいるのを見に行くことは不愉快ではなかった。
がそれも、たいしてぼくを羨《うらや》ませなかったことをいっておこう。ぼくは自分だけが群衆心理を知っているのだと思った。ぼくは愛国心を捜した。ぼくの誤りかも知れないが、ぼくがそこに見たのは、思いがけない休戦に対するらんちき騒ぎだけだった。カフェは、軍人が女を抱くために、夜遅くまであった。ぼくを悲しませるか、ぼくを嫉妬させるか、あるいはまた、ぼくにすばらしい感情を移し伝えてぼくを紛らしてくれるだろうかと思っていたこの光景は、サント・カトリーヌふうの髪をした未婚婦人のように、かえってぼくを憂鬱《ゆううつ》にした。
数日間、ぼくは手紙をもらわなかった。それが珍しくも雪のふるある午後、弟がグランジエ家の息子から手渡しされたといって持ってきた。それはグランジエ夫人の冷たい手紙だった。なるべく早くきてくれというのだ。いったい何の用があるのだろう? 直接ではないにしろ、マルトと接触できる機会だと思い、ぼくは不安を抑《おさ》えつけた。ぼくはグランジエ夫人から、マルトに会うことも手紙を出すことも禁じられて、ちょうど悪いことをした生徒のように、頭を垂れて夫人のいうことを聞いている自分を想い浮かべた。大声を出すことも、腹を立てることもできないぼくは、自分の憎しみを示すわけにもゆかなかったろう。ぼくがていねいにお辞儀《じぎ》をすると、かの女の家の扉は永久に閉ざされるであろう。そうかといって、口答えをしたり、いやな感情を露骨にだしたり、つっけんどんな言葉づかいをしたりすれば、娘の恋人であるぼくとして、いかにも罪を犯した高校生らしくもないといって、いっそう反感を受けるに違いない。ぼくはつぎつぎと、そのときの様子が想像された。
ぼくは小さな客間へ通されたとき、はじめて訪問したときのことがよみがえった気がした。今度の訪問はおそらく二度とマルトに逢えないことを意味しているのだ。
グランジエ夫人がはいってきた。そのちんちくりんな背恰好は、かの女のために歎かわしいことだ。というのは、かの女は威厳《いげん》を失うまいとみせかけていたからだった。かの女は何でもないことでぼくにわざわざきてもらったことを詫びた。そうして、手紙ではくわしくいえないようなこみいった事情を知りたかったので、あの手紙をあげたのだが、今ではもうわかったのでその必要もなくなったというのだ。こうしたわけのわからない話は、どんなつらいめにあうことよりも、ぼくを苦しませた。
マルヌ河の近くへさしかかったとき、ぼくは鉄柵によりかかっているグランジエの息子に出会った。かれは顔いっぱいに雪球をぶつけられて、泣きじゃくっていた。ぼくはかれをなだめすかして、マルトのことをきいた。姉さんがあなたに会いたがっていると、かれはいった。かの女の母親はなかなか承知しなかったが、父親が、「マルトもこんなに重態なんだから、いうことをきいてやれ」といったのだそうだ。
このことを聞いたので、ぼくはグランジエ夫人の、いかにもブルジョワ臭《くさ》い、おかしなやりかたがわかった。かの女は夫に対する思惑《おもわく》と、危篤《きとく》の病人に対してぼくを呼んだのだ。が、危篤状態が過ぎて、マルトがどうやら無事らしいので、またぼくを足止めしてしまったのだ。ぼくは喜びを味わえるはずだった。ぼくは自分が病人に逢うまで危険状態が続かなかったのが、いかにも残念でならなかった。
それから二日してぼくはマルトから手紙をもらった。それにはぼくの訪ねたことはすこしも書いてなかった。きっと家の者が隠していわなかったのに違いない。マルトはぼくらの将来のことを、いささかぼくを心配させるほど、特異な、冴《さ》えた、きよらかな調子で話していた。本当に恋とはエゴイズムの最も極端なかたちだ。というのは、自分の心配の理由を突きつめてみたら、それは子供に嫉妬をしているのがわかったから。この手紙によると、マルトは子供のことのほうを、ぼくのことよりもよけいに書いているのだ。
子供は三月に生れるはずだった。それが一月の金曜日のこと、弟らが息せき切って駈けつけて、グランジエ家の子供に甥《おい》ができたといってきた。ぼくには弟らの得意げな様子や、どうしてそんなに駈けてきたのかがわからなかった。かれらは、このしらせが、ぼくに特別な意味をもっているとは知らないはずだった。だが弟らは、叔父さんとは年をとった人たちばかりだと思っていた。それなのにグランジエ家の子供が叔父さんになったのだから不思議がったのも無理はあるまい。つまりこの驚きを家の者に伝えようと思って、駈けつけたわけだ。
人のいつも見つけているものは、少しでも場所を変えると、見わけるのがむずかしい。グランジエ家の甥といわれても、それがマルトの子……ぼくの子供だとは、ぼくにしても瞬間、頭に浮かばなかった。
公開の場所で電気がショートしたときの混乱状態を、ぼく自身感じたのだ。とつぜん、ぼくは真暗になった。その闇《やみ》のなかで、ぼくの感情は押し合った。ぼくは捜し求めた。ただもう夢中で正確な日どりを尋ねた。ぼくは指を折って、マルトが裏切ろうなどとはまだ思いもかけぬ頃、よくかの女がしたようにやってみた。しかし、それもむだだった。指の繰りようがなかった。三月に生れる子が一月に生れるなんて、それはいったいどうしたわけなんだ? ぼくはこの不合理に対して、いろいろ説明を求めた。ぼくの嫉妬がそうさせたのだ。まもなくぼくは、それがはっきりした。この子供はジャックのものだ。かれは九か月前に休暇で帰ってきたことがあったではないか? してみればそのときから、マルトはぼくを欺していたのだ。まずかの女は、この休暇のことでもぼくを欺したではないか! この呪《いま》わしい二週間のあいだ、ジャックを拒《こば》み続けていたと、はじめはぼくに誓っておきながら、かの女は後になって、何度もジャックに身を委《まか》せたことがあるといったではないか!
ぼくは今まで、この子がジャックのものであるとふかく考えたことはなかった。よしマルトが妊娠したはじめのころ、卑怯にもそれがジャックの子であることを願っていたにもせよ、ぼくはこの数か月の間、父親としての確信に慰められて、自分のでもないこの子を愛し続けていたことを、今となっては、白状しなければならない。それにしても、なぜこの子が自分のものでないとわかったこのときに、ぼくは父親の気持を味わわねばならないのか?
ぼくは、自分でも信じられない、混乱のさなかにおちてしまった。真夜中に、泳ぎも知らずに身を投げたように、ぼくには何ものもわからなかった。わけてもぼくに理解できなかったのは、自分の嫡子《ちゃくし》にぼくの名をつけたマルトの大胆さだ。あるときそれは、ぼくの子供であることを望まない運命に対しての挑戦だとも思えた。またあるときは、いつもの欠点の一つであるかの女の気のきかなさからだとも思えた。がマルトからいえば、すべて愛情がそうさせたのだ。
ぼくは恨みの手紙を書きはじめた。ぼくは自分の立場からして、そうするのが当然だと思った! が、言葉がみつからなかった。つまりぼくの精神は、ほかのもっと高い所に在《あ》ったから。
ぼくは手紙を破いた。それからまた、自分の気持を伝えるために、あらたに書きだした。ぼくはマルトに許しをこうた。だが、何の謝罪だ? たしかにそれはジャックの子供に違いなかった。それでもぼくは、自分を愛してくれと、かの女に願ったのだ。
年のいかない男は、苦痛をいやがる動物と同じだ。こうなった以上、ぼくはまた別の運命を開こうとした。ぼくは他人の子供でも受けいれようと思っていた。がしかし、その手紙を書き終えないうちに、ぼくはマルトから、喜びで溢《あふ》れるばかりの手紙をもらった。……この子はあたしたちの子なのよ。ふた月早く生れたの。だから人工保育をしなくちゃ。「あたし、死にそうだったわ」とかの女はいってきた。この言葉は子供だましをいわれたようにぼくを喜ばせた。
ぼくには喜びしかなかった。ぼくは世界中にこの誕生をしらせたかった。弟たちに、おまえたちも叔父さんになったのだよと、いってやりたかった。喜びのあまりぼくは自分を蔑《さげす》みもした。
どうしてマルトを疑ったのか? 幸福感を伴ったこの悔恨《かいこん》の情は、今までになかったほど強く、マルトを、そうして子供を愛させた。支離滅裂な思いのうちに、ぼくはぼく自らの誤解を祝福した。結局のところ、ぼくはしばらくのあいだ、こうした悲しみを味わったのがかえってよかったのだ。すくなくともぼくは、そう信じていた。だが、あまり近くにあるものほど、それ自身からかけ離れているものはない。死にかけたことのある人は、死そのものを知っていると思っている。しかし、死がかれの前に現れたその瞬間、かれは死を見忘れているのだ。「これは死ではない」そういいながらその人は死んでゆくのだ。
マルトの手紙には、そのうえ、「坊やはあなたに似てるわ」と書いてあった。ぼくは、弟や妹の生れたのを見たことがあるので、ただ女の愛のみが、自分の望んでいる類似を見出すことができるのだということを知っていた。「眼はあたしにそっくり」そうマルトはいっていた。ぼくら二人を、ひとつの存在のなかに結びつけたいとするかの女の望みだけが、その眼をみわけさせたのだ。
グランジエ家の人たちには、もはや疑問の余地がなかった。マルトを憎らしく思いながらも、非難の〈とばっちり〉が自分ら一家にかからないように、マルトと共謀《きょうぼう》していたのだ。やはり共謀者である医者は、子供が月足らずで生れることは隠しておきながら、作り話をいって、かの女の夫に人工保育の必要なことを説き聞かせる役をひき受けた。
それからというものは、マルトが音沙汰《おとさた》なしにしていても、ぼくは何とも思わなかった。ジャックはかの女の傍にいるに違いなかった。〈自分の子供〉が生れるというのでジャックがもらってきた休暇も、ぼくにはすこしもつらくなかった。ぼくは子供らしく考えて、この休暇にしてもぼくのおかげではないかと、一人うすら笑いを浮かべていた。
ぼくの家は静かに息していた。
真の予感は、ぼくらの考えも及ばぬ深いところでかたちづくられる。それはだから、しばしばぼくらの思いもかけないことをしてしまうのだ。
ぼくは幸福のために、いっそう優しくなっていると思っていた。そうして、かつての楽しい思い出が神殿のように変えてしまったあの家にマルトがいるのかと考えると、嬉しくてならなかった。
死期が迫っている、が自分ではそれと気づかない、そうした不規律な生活をしていたある男が、急に自分の身のまわりを整頓しはじめる。かれの生活はまったく変る。書類を整理する。早起きをし、早寝をする。悪いことをしなくなる。まわりの人びとは喜ぶ。それだけに、その男のむごたらしい死は、だからいっそう不当に思われるのだ。|これから幸福に生きようとして《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》|いたのに《ヽヽヽヽ》。
同じように、ぼくの生活のあらたな静けさは、罪びとの粧《よそお》いに以ていた。ぼくは自分にも子供ができたのだから、両親に対してもこのうえない息子だと思っていた。しかもぼくの優しさは、父と母をぼくに親しませた。やがてはぼくにも息子の情愛が必要であろうということを、ぼくのなかの何ものかが知っていたから。
ある日の午後、弟らがマルトの死を叫びながら学校から帰ってきた。
人の上に落ちる雷《かみなり》は、苦しむまもないほど速いものだ。だが、傍らにいる者にとっては、じつに痛ましい光景だ。ぼくは何らの感動をも示さなかったのに、父の顔はさっと変った。父は弟らを追い払って、口ごもりながらいった。「さあ、行くんだ、ばか、ばか」
ぼくはとみれば、気持がこわばり、冷たくなり、茫然自失の態《てい》だ。それから、死にかけている者に、一瞬、生涯のあらゆる追憶が流れるように、この間違いのない事実が、ぼくの恋がいかに奇怪なものであったかを教えてくれた。父が泣いた。ぼくもむせび泣いた。母はぼくの手を取って、平気な顔で冷やかに、しかし優しげに、ちょうど猩紅熱《しょうこうねつ》に冒された患者を扱うようにぼくをなだめた。
初めのうちはぼくが卒倒したので、家中がしずまりかえっているのだと、弟らは思っていた。しかし、日がたつにつれて、弟らにはさっぱりわからなかった。かれらは騒がしい遊びを止められてはいなかった。それなのに弟らは黙ってしまった。それでも正午になって、かれらの足音が玄関の敷石にすると、その度毎にマルトの死を告げられるような気がして、ぼくは気を失ってしまうのだ。
マルト! ぼくの嫉妬は墓のなかまで付きまとった。ぼくは死んでからも、側に誰もいないのを望んでいた。愛していたひとが、自分のいないところで、人びとに取りかこまれながら騒いでいるのを見るのは、いかにも堪えられなかったからだ。ぼくはまだ、未来を考える年頃ではなかった。そうだ、ぼくがマルトに望んでいるのは、他日かの女と相見る次の世ではなくて、むしろただ、無そのものであった。
数か月して、ぼくは一度ジャックに会った。かれは父がマルトの描いた水彩画をもっているのを知っていたので、それを見たかったらしい。人は常に、自分の愛するひとにつながりのあるものを、そっと見たがるものだ。ぼくはマルトが結婚を許した男を見たかった。
息を殺し、忍び足で、なかば開かれたドアに近づいた。ぼくははっきりこういうのを聞いた。
「妻は子供の名を呼び続けて息を引き取りましたよ。かわいそうな子です! わたしにしたってあの子がいればこそ、まあ生きてる甲斐もあるというものです」
この感心な、落胆を押し隠している鰥夫《やもめ》を眺めて、ぼくはやはり物事は結局うまく納まるものだと思った。これでぼくは、マルトがぼくの名を呼びながら死んだことも、また子供が合理的な生活をして行かれることもわかったわけだ。 (完)
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解説
「肉体の悪魔」から生れた悲劇
レイモン・ラディゲの作品は、二十世紀初頭を飾る古典として扱われ、その短かい生涯はいろいろととり沙汰《ざた》されている。このようにして、かれの名を不朽たらしめたのは、やはり「肉体の悪魔」の声価を多としなければならない。すでに映画でもご承知の「肉体の悪魔」の原作は、ラディゲが十七歳のときの作品である。一人称で書かれ、迫力のあるこの小説は、早熟な作者と思いあわせ、ともすると作者自身の体験を描いたものだと思われがちだった。
それに対してラディゲは、「ぼくという一人称を使ったが、けっして著者と混同してはいけない。……これは偽りの自叙伝小説だ」と抗議し、またコクトーがみつけだした「日付のないノート」の中でも、同じようなことを述べている。「人はぼくの小説のなかに告白をみようとした。これは間違っている!……この小説ではすべてが虚構にぞくしているのであって、告白らしくみえるのは、『肉体の悪魔』に小説としての起伏を与え、主人公である一少年の心理を描こうとしたからだ」と。
わたしも、私小説が必ずしも作者自身を語るものではないという意味で、この小説を告白小説だとは思わなかったが、さりとて「すべてが虚構にぞくしている」とは信じられなかった。なぜならこの小説では、アリスという女教師がヒロイン「マルト」のモデルであり、かの女と作者の片身である「ぼく」との恋愛事件が、語られているとは、容易に想像されるところだからだ。ところがその後他界した、この小説のモデルである「妻を寝とられた夫」、すなわちアリスの夫ガストンにより意外な事実が明るみに出され、フランスのジャーナリズムを賑わしている。
ガストンによると、作中の事件の大部分は事実あったことだというのだ。しかもそれらはラディゲとアリスとの恋愛事実によったのではなく、かれ自身が妻宛に出した手紙およびアリスの日記をラディゲが盗みだして、それらに基づいてこの小説が書かれたのだというのだから、一驚に値するとともに、すくなからず興味をそそられる。小説ではジャックという名で、いかにもおひとよしに描かれているこの男は、最後まで妻のアリスに疑いをかけたわけだが、そのアリスが一九五二年末に死去した直後、ラディゲと反対の面から第一次大戦をあつかった好著「木の十字架」の作者ロラン・ドルジュレスを訪ねた。その後二年を経て一九五四年十一月九日に、ガストンは白血病で死んだ。死の三週間前にかれは、一通の書簡を、ドルジュレス宛に送った。その手紙の大意は……
「私はこの手紙を、私が愛し、またこの私を愛してくれた妻の思いをこめてお送りします。……妻は二年前に五十九歳で死にましたが、いまわのきわに、『あたし達について書かれたことは、みんな嘘です。あたしはあなたを騙《だま》しはしなかった。何も悪いことなどしなかった』と叫び続けて息をひきとったのでした。この言葉は、今日までに何回となく、私が暗い疑惑にさいなまれているとき妻の口から洩れたことか。今こそ私は、この何も本当のことを知らない、または知っていても知らないふりをしている意地のわるい世間の眼に、事実をありのままに示さねばなりません。
妻は根っからの教育家ともいうべき女でして、あの小説中の事件が起ったときは、二十四歳から二十五歳にかけてでした。(このことはラディゲの母親も肯定しているから事実であろう。ただどうしてガストンはこの場合事件という語を使ったのであろうか? これではラディゲとアリスのあいだに何かがあったことを、自ら暗示しているわけではないか)
ラディゲは十四歳から十五歳にかけての腕白小僧で、二人が知りあった動機というのは、当時かの女が陶器の色づけをしていたので、自分の作品を展覧会に出品するについて、ラディゲの父モーリスの知恵を借りようとしたのと、ラディゲの友イーヴ・クリエ(作中ではルネという男)にかの女が教えていたからでした。やがてラディゲにもかの女はフランス語を教えるようになりました。かの女はラディゲの文才を認めて、好意的に自分の日記をみせたのです。かの女は私が戦線へ赴いた一九一四年から日記をつける習慣をもっていました。ところが、その日記がなくなったのです! それが『肉体の悪魔』の素材として役立ったのでした。というのは、私とかの女とのあいだの生きた事実が、もちろん多少のずれはありましたが、この小説の中で再現されていていたからなのです。この小説が最初の部分は精《くわ》しく書かれていたのに、終りにゆくに従って筆が速められているのは、妻の日記が一九一八年の十月で終っているからなのです。……」と書いてあった。
また、ドルジュレスを訪れた、この見るからに小心《しょうしん》翼々《よくよく》たる男は、涙に濡れた眼でドルジュレスをみつめながら一冊の汚れた本を手渡した。それはほとんど各頁毎に、書きこみや貼紙のしてある小説「肉体の悪魔」であった。それには、「これは偽り。これは事実だが、ラディゲとアリスとのあいだに起ったことではない、自分とかの女とのことだ」といったふうに書かれてあった。それはかれの苦しみの三十年にわたる歴史でもあった、といえよう。次にその一部を抜書きする。
小説の主人公がある夜はじめてマルトの部屋を訪ねにゆく。かの女はまだかれの女になっていなかった。……部屋にはいったかれを、かの女はジャックと思い違えた。かれはあかりをつけた。かの女は壁の方を向いてよこたわっていた。かれはかの女の首筋に接吻した。「顔がすっかり濡れてるじゃないの、お拭きなさいったら」振りむきざまに、思わずかの女は、あっと叫んだ。瞬間かの女は態度を変えた。そして「まあ、風邪をひくわ! さあ着物をお脱ぎなさいな」
この頁の余白に次のように書いてある。
「一九一八年の六月、休暇がおくれて、とつぜん帰宅したときのこと」
マルトが啜《すす》り泣きをしながら、「あなたってばほんとに子供ね。あなたに帰ってくれといったのは、ほんとうにあなたを愛してるからじゃないの。それがわからない?」といったのに対し、この小説の主人公はにくにくしげに、マルトには妻としての務めがあること、また夫が戦争へ行っていることもよくわかっているといった。かの女は頭をゆすった。
「あたし、あなたを知らない前は幸せだったわ。あのひとを愛していたんですもの。あのひとがあたしをよく理解してくれなくても、あたし我慢してたわ。けれどもあたしがほんとうに夫を愛していないことを教えてくれたのは、それはあんたなのよ。夫には嘘をつかないこともないが、あんたには嘘なんていえないわ」
この情景は夫にとって、なんという残酷な言葉であろう! 頁の余白はインキで、それからもう一度エンピツで、「!」のしるしがついている。
それからマルトが愛撫を求めていう箇所、「さあ噛んで頂戴、しるしをつけてよ、あたし、皆にみせてやるわ」
ここでは頁の余白に、「この言葉はアリスが私にいった言葉だ」と書いてあった。
二人は暖炉のあかりで一緒に本を読んだ。マルトは毎日戦線から送ってくる夫からの手紙を、しばしばその中へ投げ入れた。不安にみちた手紙の様子から察して、しだいにマルトの夫への愛が薄らぎ遠のいてゆくのが感じられた。
この頁の余白に貼られた紙に、ガストンは事実を確かめてこう書いている。
「かれが盗んで行った手紙は別として、自分が戦線から出した手紙はみんなもっている」
二人が逢いびきに出かけたセナールの森については、ガストンはつぎのようなことを書いている。
「セナールの森の件は、われわれがまだ結婚する前にエクウアンの森に出かけたことがあるが、その追憶を使ったのだろう」と。
このセナールの森の遠出については、ラディゲの母親も知らないと言明しているので、ガストンの証言が当っているかもしれない。
……ぼくは九時半に家に帰った。両親に遠足の模様をきかれてぼくは、熱心にセナールの森の話をした。歯朶《しだ》を二倍にして、自分の高さぐらいもあったと語った。……すると母が出し抜けに、あざけるようにぼくの話をさえぎった。「それはそうと、ルネさんが午後の四時頃に見えたがね、あの人は自分も一緒のはずの遠足のことを聞いて、ひどくびっくりしていたよ」
その他、二人が芝生によこたわって一つの李《すもも》の実を食べあう箇所も、かつてガストンとアリスとがそうしたことがあるそうだ。
が、マルトが漕いで、主人公がよこたわって恋人の膝に頭をもたせていた箇所については、アリスは水遊びを嫌っていたし、ボートを漕ぐことも出来なかったので、これは想像力の豊かな作者の作りごとだろう、とガストンは書いている。またマルトがジャックのパジャマを主人公に着せたことについても、自分はパジャマなどもっていなかったと抗議している。しかしここらへくると、いかにも些細《ささい》なことを気にしているものだと、いささか滑稽な感じがしてくるではないか。
このようにしてガストンは、盗まれた手紙とアリスの日記をもとにしてこの小説の前半が書かれたというのだが、ガストンが戦線へ行っている留守中に、その深浅の度はわからぬにしても、アリスとラディゲとのあいだに関係が結ばれていたことは多くの人の証言するところであり、よしんば盗んだことが事実だとしても、それだけからこの恋愛物語が生れたとは思われない。このように素材の出場所を吟味し、詮議《せんぎ》することは、嫉妬に狂った夫のむなしいあがきを示していることになる。かれは小説中の事件をなんとかして事実あったことだと思いたくなかったに違いない。
ラディゲが犯した本当の大きな盗みは手紙や日記ではなくて、この夫妻の生活そのものを滅茶滅茶にしてしまったことだ。一人の作家がそのペンの力により、このようにして少しずつ、長いあいだに、第三者の幸福を奪った例は少ないだろうと思う。この小説の一行一行が、ガストンとアリスとの胸を傷めつけたのだ。激しい争い、それから争いよりももっと始末のわるい沈黙。やがて和解。しかし和解の接吻のあとの執念ぶかい疑心がまた頭をもたげてくる。かれらはすこしでも悪夢から遁《のが》れるために転々と居を移した。が、そのようなことでは、一時気がまぎれたにしても、根強く巣くった疑心は去らない。事実この小心な夫は、ときには手をふり上げて、哀れなアリスを打擲《ちょうちゃく》したこともあるという。一九四三年以来ガストンと関係があったと称する某夫人は、いかにかれが苦しんだか、かれが戦線から帰ってきた休暇の日どりについて、いかに救われない疑惑をもちつづけていたかを、述懐している。
さらに最も大きな犠牲は子供であった。読者はこの小説の最後で、ラディゲの残酷な筆に心打たれるであろう。
マルトが死んだ数カ月のち、主人公は一度ジャックに会う。息を殺し忍び足で、半ば開かれたドアに近づくと、内からジャックの声が聞える。「妻は子供の名を呼び続けて息をひきとりましたよ。かわいそうな子です! 私にしたって、あの子がいればこそ、まあ生きてる甲斐もあるというものです」
そしてこの感心な、落胆をおし隠している鰥夫《やもめ》を眺めて結局物事はうまく納まるものだと思い、これで自分の子が幸福に成長してゆかれることもわかったと感ずるが、果してこの子は幸福に成長したであろうか?
なるほどこの子供の名はレイモンではなかった。しかしこの子はその生れたときからして、父親の疑いの眼にさらされていたのだ。かれは生後すぐ、里子にやられ、母親の病気が治っても、そこに五歳まで留めおかれた。そして一旦両親の許にひきとられたが、またしても九歳のときに養い親の許に送り返されてしまった。しかも再度両親の許を離されて一年有余にして、この子は恐るべき脊椎《せきつい》カリエスに罹《かか》ってしまったのである。それなのに、一生を不具者として生きてゆかねばならぬかもしれぬこの宿命の子を、両親はあえてひきとろうとはしなかった。次に生れた娘には立派な教育を施したというのに。これこそ、小説「肉体の悪魔」が生んだ最大の犠牲者であるといえよう。
この犠牲者はしかし、一機械工として現存していた。一九五九年にラディゲ生誕五十年を祝して全集がグラッセから刊行された際に、その生地サン=モールを訪ね、かれの親族縁者に会い、またモデルと目されているガストンとアリスに会ったこともあるジルベール・ガンヌ氏が、この新事実が発表されると、いちはやくヴァンセンヌの某カフェで、この運命の子に会っている。かれはすでに三十五歳になっていたが、そのくたびれた服装といい、けっして生活の豊かであることを示してはいなかった。驚いたことには、かれは二週間前に初めてラディゲなるものの名前を知ったという。
その語る所によると、かれは父親のガストンが「肉体の悪魔」の修正をしている所など見たこともないといい、たしかに父は生前自分に対してつらく当ったと証言した。だが自分がラディゲの子であろうとなかろうと、そんなことはどうでもいいではないかと、半ばやけ気味に昂然《こうぜん》といい放ったという。
ラディゲがアリスとの醜聞を恐れて逃げだして以来、その奇跡的な生涯を終わるまでずっとその傍らにあったジャン・コクトーは、この「肉体の悪魔」に関する新事実について、どのような見解を抱いているであろうか? コクトーは、次のように語っている。かいつまんで伝えると、
ラディゲに子供があったかどうか、そんなことはどうだっていいじゃないか。また果してラディゲが盗んだ日記や手紙をもとにして、あの小説の前半を書いたかどうか、そんな詮議だても意味ないと思う。ただかれが、小説の終りの部分を四回にわたって書き直したことは事実だ。かれはけっして作中人物のモデルについてぼくらに語ったことはなかった。かれはただ、『作者というものは、作品のモデルについてはそれと識別できなくなるときがくるまで断じて近よらないほうがいい』といっていた。かれがあの小説の登場人物に接していた頃は、まだほんの子供だったのだから、アリスとの関係にしても、いわば高等中学生《リセアン》の火遊び程度を出なかったのではなかろうか? ぼくはこういうことをいいたい。『一つの本が人生を模倣することはほとんどないが、人生というものはいつも多くの本をはなはだ模倣するものである』と。この本のヒロインが実生活にあってはそれほどかれの生涯に重大な役割を演じていなかったことは、『肉体の悪魔』が書かれてからラディゲはかの女とただ一度しか会っていないことでもわかるだろう。しかもかの女は、かれに貸した五十フランばかりの金を貰いにきただけだ。そのときかれが、その場の情景を恐れて、ぼくに一緒に行ってくれと頼んだことは、かつて『屋上の牡牛』の中で述べたとおりだ。ぼくはラディゲの書き散らしたものはみんな持っているつもりだが、そのような日記があったことも、第一かの女の夫なる人物についても何も知っちゃいない。その男の提出した『修正』たるものはまったく取るにたらぬことだよ」と。
これではだいぶ違う。はたして二人の関係は単なる火遊びにすぎなかったのだろうか? もしそうだとすると世間の噂なるものは、あまりに非情であり、むごい悪戯《いたずら》を演じるものである。この呪われた女アリスは、ラディゲの死後三十年の歳月を、絶えず人の眼に追われ、夫に責め続けられながら過したのだ。もしそれが無実の罪だとすれば、かの女こそ悲劇のヒロインであろう。そのためにかつての美しい眸《ひとみ》は、落ち着きのないキョロキョロした怯《おび》えた目つきと変わり、夫ガストンとの、もしくは恋人ラディゲとの愉しかるべき思い出は悪夢となってかの女を責め、さいなんだのである。
それにしても、どうして妻を信じられなかった夫が、不貞の妻を棄て去らなかったのだろうか? 三十年の長いあいだ欺《あざむ》かれた夫としてすごすことができたことは、いかにも信じがたいことである。また一方それほどまでに疑いをかけられ、もしそれが無実の罪であればなおさらのこと、しかもなお小心翼々たる、それ程たいした男でもないと思われるガストンの許を離れ得なかったアリスの心境もやはり解しがたい。かれらのあいだにはなお愛情が存していたからか? それとも別離がさらにスキャンダルを大きくすることを怖れて、教師としての体面を重んじたためだろうか? もちろん歳月が忘却をもたらしはしたろう。たしかに第二次大戦が第一次大戦の追憶をはるか彼方に押しやったことは想像し得られる。これでやっと、この不幸な夫婦も平静な生活に浸れるかにみえた。じじつ小康は、ひととき、二人に訪れたに違いなかったが、またしても今次大戦後、とつぜん映画「肉体の悪魔」が現出したのである。現存するラディゲの兄弟の述懐するごとく、ジェラール・フィリップの好演技は、よく生前のかれの面影を再現したといわれる。世間はまたもや原作を、そしてモデルの夫妻の後ろ姿を指さしはじめた。かれらの心の中で、こんどは文字に代るスクリーンへの闘争が、ふたたび開始されたのである。それがアリスの死を早め、ガストンの死をも早めたといえよう。
臨終にのぞんで人は真実を告白するという。だがこれは一応の通説であって、死後まで責任を責う必要もないわけだから、稀《まれ》には偽りの告白もあり得るわけだ。「無実の罪」を訴えたアリスのいまわの際《きわ》の叫びは果して真実であったろうか! かの女の臨終に立ち会った唯一現存者である息子はいう。
「誰だって息をひきとるときにいった言葉なんてわかりゃしないさ。母は一人で死んだよ。前から甲状腺腫で具合が悪かったが、そこへもってきて黄疽《おうだん》に罹《かか》って入院したんだ。その翌日亡くなった。死に先立つ二時間前に、母は父に会いたがった。父もそうしたがったが、医者が許さなかったのでね……」
そうすると、このアリスの臨終の叫びを伝えたガストンの言葉そのものが嘘ということになる。では、どうしてかれは、このような虚言をはき、「肉体の悪魔」の「修正」を求めたのであろうか? 一説にはこの小説の声価に駆られて、それに乗じて名をなそうと誰かにそそのかされたという説もあるが、これはいかにも穿《うが》ちすぎた説であって、思うに生前その妻をあまりに虐待したのを後悔し、その名誉恢復のために、かつて嫉妬のあまり書き入れした一冊の「肉体の悪魔」を、戦争のために妻を寝とられた夫に同情を示しているドルジュレスの許に送りつけたのではなかろうか? アリスの息子がラディゲとの間にできた子か、それともガストンとの子か、それはラディゲとアリスとの情事がどの程度まで深入りしていたのか判明しない限り、たとえこの男がラディゲと似ているというものがあったにしても、依然として謎だ。ラディゲの友イーヴ・クリエはいう。
「アリスは最初、ラディゲの父モーリスとだいぶいちゃついていた。ラディゲは車中でモーリスの傍らにいたアリスを見て、ぞっこん惚れこんだのだ。おれがあの女を知ったのはラディゲを通じてなのだから、あの女の夫のいうことは違っているよ」
この言によっても、アリスが若いころ相当浮気であったことは是認されるし、またラディゲがいかに早熟であったかは、かれの死を看とった医者が、「この人は二十歳だというのに、からだのつくりは五十歳の人と同じだ」といったのと、奇《く》しくもコクトーの「レイモン・ラディゲは四十歳にして生誕した」という言を思い、一応|首肯《しゅこう》されるが、だからといって、この男がラディゲとアリスの子であると断定することはできないわけだ。それはアリスの臨終の叫びの真偽とともに、永久の疑問である。(訳者)
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あとがき
レイモン・ラディゲは一九〇三年六月十八日に、セーヌ県のマルヌ河に沿ったパルク・サン=モルで生れた。父はモーリスという漫画家で、レイモンはかなり自由に育てられたらしい。十五歳のとき、アンドレ・サルモン、マクス・ジャコブ、ジャン・コクトー等と知り合い、この「肉体の悪魔」により一躍有名となったが、もう一つの長篇「ドルジェル伯の舞踏会」を遺《のこ》して、一九二三年十二月十二日に、その二十歳という短かい生涯を終えた。「肉体の悪魔」は、一九一九年末から二二年の初めにかけて書かれ、二三年三月にグラッセから刊行された。第一次大戦中の混乱した世代に生きる一少年の恋愛心理を描いたこの小説は、その透徹した知性と心理解剖とによって、いまだに多くの読者を得ている。しかしその発表した当時はグラッセの誇大な広告とあいまって、じつに毀誉褒貶《きよほうへん》さまざまであった。それにたいしてラディゲは、「ぼくの処女小説肉体の悪魔」と題して自作を弁護しているので、その要旨を次にしるす。
「……著者としては、神童扱いされることはいささか迷惑だ。がこの誤りは、これが十七歳で書かれたという取るに足らぬ言葉から、それを奇怪だとはいわないまでも、何かそれを奇蹟のように思いこんでいる人びとにあるのではなかろうか。書くにはまず生活すべきだというのが、常套語《じょうとうご》である。それはゆるがせにできないひとつの真理でもある。しかしぼくの知りたいのは、それでは人はいったい何歳になったら、ほんとうに≪自分は生活した≫といいきれるかということだ。……一人の青年が小説を書いたからといって驚くのは、それこそ青年に対する侮辱といってよかろう。……
人びとはこの青春の書の中に、数年このかた流行していた、あの有名な≪不安≫を見ないからといって驚くであろうか? しかし「肉体の悪魔」の主人公にとっては、(ぼくという一人称を使ったが、けっして著者と混同してはいけない)かれの悲劇は、それ以外のものにあるのだ。この悲劇は、主人公自身よりも、むしろ環境から生れたものだ。そこには戦争からきた無為と放縦とがあり、青年はいい気になって一人の若い女を殺してしまう。このささやかな恋愛小説は、告白ではない、それが最もそうみえる場合にあってさえも。これは自らを責める者の誠実さしかみえない、はなはだ人間味に富んだ一癖《ひとくせ》ある物語だ。しかし小説というものは、人生に稀《まれ》にしかあり得ない起伏を必要とするものだ。でこれが、ほんとうらしさをもった、偽りの自叙伝小説だというわけである」
しかしいかに作者が、これは体験から生れたものではないと弁解し、じじつこれが、アリスの日記およびガストンのその妻に宛てた手紙を盗んで書かれたにせよ、それはあくまでも素材であるにとどまり、かれは自分のすごした背景を巧みに生かし、それらの素材を充分に咀嚼《そしゃく》して、かれのもつ知性と想像とが肉づけしたことを否定するものはあるまい。もちろんどのような作品でも多少の差はあれ、作者の生活の裏づけのない小説などはあり得ないわけで、そういった意味ではこの小説でも作者はしばしば顔をだしている。ことに箴言《しんげん》にも近い文中の短かい句のなかなどには、異常さを避け、すべての人に共通な感情を究《きわ》めていった作者の意図が、よくうかがい知られる。
ラディゲ自身も短評「大詩人への勧告」の中で、≪努めて平凡たれ≫と説いているが、じじつかれは、「見知らぬもの」よりも「見なれているもの」に余計に惹きつけられたのであって、かれの作品がわれわれを感動させるのは、われわれに共通した普通一般の感情の止揚によるのだといえよう。
かれは、仮面をつけていられるような人間ではなかった。真実を欺くことくらい、かれの嫌悪したものはなかった。かれの驚くべきほど透徹した精神は、こういうことを見抜いていた。「人が偽りのできないときこそ最も偽りをするときで、ことにそれが自分を偽る場合に多い」と。
このような特色からしても、かれのモラリストであることは認められるであろう。かれは人のもっている深い資質にたいして、とくに敏感であった。であればこそかれは、「恋愛とは、なんという微妙な研究であろう」と、いうことができたのである。かれにとって「未知」は、「習慣」ほどに魅力があるとは思えなかった。かれは、すべての現実がそれとはっきりいい現わすことのできないものを表現するのが芸術の本来の目的であることを、よく知っていたのである。このような人生探求の精神が、かれのような若さのうちに宿っていたとは、いかにかれがきらいであったとはいえ、神童という称呼をもって呼ばねばならないだろうし、
すくなくともかれを、おそろしく早熟な作家ということができるであろう。
〔訳者紹介〕
江口清(えぐち・きよし)
一九〇九年東京に生まれる。旧アテネ・フランセ卒業。日本ペンクラブ、日本フランス文学界会員。主要訳書メリメ「二重の誤解」「贋のドミートリイ」「カルメン」ヴェルヌ「八十日間世界一周」「ラディゲ全集」他多数。