幸福の獲得について
バートランド・ラッセル/日高一輝訳
目 次
著者まえがき
第一部 幸福はどうして得られるか
1 幸福ははたして可能か
2 熱意
3 愛情
4 家族
5 仕事
6 努力と|まかせる境地《ヽヽヽヽヽヽ》と
7 幸福なひと
第二部 不幸の原因
1 何が人を不幸にするか
2 バイロン的不幸
3 競争
4 嫉妬
5 罪の意識
6 世間への恐怖
解説
ラッセルの幸福論
ラッセル小伝
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著者まえがき
この書は、学問のある人とか、あるいは、実際的な問題をただおしゃべりしていればいいぐらいにしか考えない人達のために、書いたものではない。
この本の中には、深遠な哲学とか深い学識などは、一つも書かれていない。
わたくしは、ただ、常識だと自分が考えているものでなされた評論のいくつかを、ここにならべようと思ったにすぎない。
ここで、読者に公開する幸福の秘訣について、わたくしが言い得るすべてのことは、それがことごとく、わたくし自身の経験と観察によって確かめられたものだということである。そして、わたくしが、その通りに実行した時には、いつでも、わたくし自身の幸福を増大してくれた、ということである。
そこで、わたくしはあえてこう思う――不幸のために苦しみ悩んでいる大勢《おおぜい》の男女の中には、この本を読むことによって、自分の不幸の実相がよくわかり、その不幸から脱《のが》れる方法を学びとる人達がたしかにあり得ると。そういえるのも、わたくしは、世の多くの不幸な人達が、この本を書いたわたくしの努力に導かれて、幸福になることができると確信しているからである。
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第一部 幸福はどうして得られるか
1 幸福ははたして可能か
わたくしはこの章で、わたくしの一生の間にめぐり会った幸福な人々について研究してみたいとおもう。
幸福には二つの種類がある――もっとも、その間《かん》に中間的なもののあることももちろんではあるが。
わたくしのいうこの二つの種類とは、現実的なものと空想的なもの、動物的なものと精神的なもの、情的なものと知的なものとに区別できよう。こうした相対する種類のどちらに属するかを決めるのは、もちろん、その決めようとする主題の性質いかんにかかっている。わたくしは、ここではそれをしないで、ただ叙述するだけにとどめようとおもう。こうした二種類の幸福の違いを叙述する最も単純な方法は、一方は、人間ならば誰でも得られる幸福であり、他方は、読み書きのできる知識人に限られていると言うことだろう。
わたくしは少年の頃、幸せでいっぱいという一人の人を知っていた。彼の仕事は井戸掘りだった。彼はとほうもなく背の高い人で、信じられないほどたくましい筋肉をしていた。彼は読み書きが全然できなかった。そして、一八八五年に国会議員の選挙権を持つようになったとき、初めてそのような制度のあることを知った。彼の幸福は知識に関係したものではなかった。彼の幸福は、自然の法則を信じるとか、種の安全性を信じるとか、公共施設の所有者が一般市民であることを信じるとか、「土曜日を安息日とするキリスト再臨論者」の最後の勝利を信じるとかいったような信条や、知識人たちが人生を楽しむのに必要だと考えているような信条などには全然関係のないものだった。彼の幸福は、その体力とか、仕事が十分にあるとか、どうにも手のつけられないほどではない岩石の形をした障害物を取り除くとか、そういうことにあったのである。
わたくしのところで仕事をしてもらっている植木屋の幸福も、こうした種類のものである。彼は、兎と年中絶え間なく戦っているわけであるが、彼がその話をするときは、ロンドン警視庁がボルシェヴィキについて話すのとちょうど同じような調子で話す。彼は、兎はこそこそしていて、陰険で、それに凶悪だと考えている。そこで、兎と同じくらい悪知恵をはたらかせなければ、とうてい兎には対抗できないという意見をもっている。ヴァルハラ〔北欧神話で、芸術・文化・戦争・死者などの神といわれるオーディン神の殿堂〕の英雄たちは、毎日々々野猪を一匹ずつ獲って暮らしていて、その野猪が毎晩々々殺されても、翌朝になると奇跡的に生き返ってきたといわれているが、その物語のように、この植木屋のばあいも、彼が翌日にはいなくなってしまいはしないかという心配をせずに敵を屠《ほふ》ることができるのである。
その植木屋は、七十歳をとっくに越しているけれども、一日中働きつづけ、仕事の往きかえりに、十六マイルの険しい坂道を自転車で通っている。それでも、彼の喜びの泉はつきることがない。そしてその喜びをあたえてくれるのが、「かれら、兎ども」なのである。
しかし、あなたがたはこう言うだろう――こんな単純な喜びでは、われわれのような優秀な人間には満足できない――兎のようなちっぽけな生きものと戦って、どれほどの喜びが得られるというのかと。そのような議論は、わたくしには全くつまらないものにおもえる。兎は、黄熱病のバチルス〔桿菌〕よりははるかに大きい。――しかも、普通より優れた人間が兎よりもちっぽけなバチルスと取り組んで幸福を見出すことができるのである。その情緒的な内容からいえば、最高の教育を受けた人でも、わたくしの植木屋の快楽とそっくりの快楽を味わうことができるのである。教育があることによって生ずる相違というのは、ただ、その快楽を得るための活動に関してだけにすぎないのである。ものごとを為し遂げるという喜びを味わうには、さまざまの困難を克服することが必要である。やがては成就するのが普通であっても、初めは、成功がおぼつかなそうにおもえるような困難である。それで、幸福の源とは、自分自身の力をあまり過大評価しないことであるともいえる。自分自身を低目《ひくめ》に評価する人は、成功することによって驚嘆するのがつねである。それと正反対に、自分を高目に評価しすぎる人は、こんどは失敗によって、驚愕するのがしばしばである。前者のような驚嘆なら喜びであるが、後者のような驚愕は不愉快である。だから、あまりに謙虚すぎて、何も企てられないというのは賢くないが、不当に自惚《うぬぼ》れすぎることも賢明ではないのである。
今日の社会にあって、より高い教育を受けた人達のうちで最も幸福なのは、科学者たちである。最も著名な科学者の多くは、感情的には単純であり、自分の仕事から非常に深い喜びをかち得るのである。そして食事や、結婚からも喜びを味わえるのである。芸術家や文筆家たちなら不幸な結婚を「芸術上の見地から必要なこと」と考えるのであるが、科学者は古風な家庭的な恵みにひたることのできる人がきわめて多い。そのわけは、かれらの高等な知性が、全部自分の仕事の方に吸収されてしまって、自分でやりおおせるだけの機能を全然持っていない領域の方までおよぼすことができないからである。
科学者たちにとっては、仕事をすることが幸福なのである。なぜならば、現代の世界においては、科学が進歩的であり、強い力を持っているからであり、また、科学の重要性を、自分ら自身はもちろん、一般の人達も疑わないからである。それからかれらは、複雑微妙な感情というものを必要としない――普通の人より単純なかれらの感情が、障害物にぶつかるなどということは一つもないからである。
感情の複雑さというものは、河の流れの水泡のようなものである。それはスムーズに流れている水の流れを妨げる障害物によってつくられる。しかしながら、生気にみちたエネルギーが妨げられないかぎりは、河面にはさざなみ一つ立たない。そしてその妨害の力も、注意してよく観察するのでなければ、はっきりとはわからないほどである。
科学者の生活の中には、幸福のあらゆる条件が実現されている。彼は、自分の能力をフルに発揮することのできる仕事をもっている。そして彼は、自分自身だけでなく、一般の人々にとっても、重要であるとおもわれるさまざまの業績を達成する――しかも一般の人々が、それを少しも理解し得ない時でさえもである。このようにして科学者というものは、芸術家よりもはるかに幸せなのである。
一般の人々は、絵やら詩やらがわからない時は、それを悪い絵であり、悪い詩であると結論する。ところが相対性理論を理解できない時には、自分のうけた教育が十分なものではなかったと結論する(全くその通りなのだが……)。その結果、一流の画家たちが、屋根裏で飢え死にするままにほっておかれている時に、アインシュタインは栄誉に輝き、画家たちが不幸であるときに、アインシュタインは幸福であり得るのである。
人類大衆のもっている懐疑主義に向って、絶えず自己を主張しつづけて生きなければならない人生では、本当に幸福であり得る人はほとんどいない――もし自分自身を、同じ仲間のなかに閉じこめてしまったり、冷たい外部の世界を忘れ去ってしまったりしないならばである。科学者には、そのような仲間というものが必要ではない――科学者というものは、自分の同僚をのぞいては、みんなから良く思われているからである。その反対に、芸術家は、世間から軽蔑されるか、それとも自ら卑屈になるか、そのどちらかを選ばなければならないつらい立場におかれている。もし彼の力量が第一級のものであるばあいはこうした不幸のどちらかをうけなければならない。すなわち、もし彼が自分の力量を発揮すれば世間から軽蔑されるし、そうしないでおれば卑屈にならざるをえなくなる。それにしても、いつでも、またどこででも、そうだったわけではない。優れた芸術家たちでさえも、たとえそれが若い人たちであっても、十分に尊敬された時代もあったのである。
ユリウス二世は、あるいはミケランジェロを良く待遇しなかったかもしれないが、ミケランジェロが絵のかけない人間だなどとは一度も想ったことはなかった。
ところが現代の百万長者たちは、もはや創作の力量を失ってしまった老齢の芸術家たちに、黄金の雨を降らせるかもしれないが、その芸術家たちの作品を、自分自身の事業ほど重要なものとは全然考えないのである。こうした事情が、芸術家が科学者ほど幸福でないという事実と何らかのつながりがあるようにおもわれる。
西洋諸国の最も知的な青年たちは、自分の最も優れた才能が認められ、それが発揮されるようには雇ってもらえないという不幸に陥りがちである――この事実は、認めないわけにはいかないとおもう。けれども、東洋諸国ではこのようなことはない。
今日の知的な青年たちが幸福なのは、世界中のどの国よりもロシアにおいてであろう。そこでは、かれらは創造すべき新しい世界をもっている。そしてまたそれを創造しようという熱烈な信仰をもっている。古い人達は処刑され、餓死させられ、追放され、もしくは他の何らかの方法で粛清されてしまった。そのために若者たちは、あらゆる西洋諸国におけるように、悪いことをするか、それとも何もしないか、そのどちらかを選ぶように古い人達から強制されることがもはやなくなっている。口うるさい西洋人にとって、若いロシア人たちの信仰は粗野に見えるかもしれない。けれども結局のところ、そうした信仰に対して反対の意見を言えるような何があるというのか。ロシアの青年たちは一つの新しい世界を創りつつある。この新しい世界は彼らの好みにあったものである。これが創造された暁には、一般のロシアはまちがいなく革命前よりも一層幸福になるだろう。その世界は、小理屈の多い西洋の知識人が幸福になれるような世界ではないかもしれない。しかもかれらがそこに住まなければならないことは少しもないのである。それで若いロシア人たちの信仰は、実際的などんなテストであれ、それによって正しいことが証明されるのである。それは粗野であると非難するのは全く当たらない――理論的な根拠にもとづくものでないかぎりは。
インドや中国や日本においては、政治的な性質をもっている外部的な事情が、若いインテリゲンチアの幸福を妨げている。しかし、西洋にあるような、若い彼らの幸福を妨げる内面的な事情というものは一つもない。そこには、青年たちにとって重要とおもわれるさまざまの活動がある。そして、そうした活動が成功するかぎりは、かれらは幸福である。かれらは、国民生活において演ずべき重要な役割をもっていると思っている。そして、たとえ困難ではあっても、実現不可能ではない目的をもっていて、それをどこまでも追求しなければならないと思っている。
西洋の最高教育をうけた若い男女の間にきわめて多く見られるシニシズム〔道徳的懐疑主義――社会の習慣や思想に対して冷笑的な立場をとり、皮肉な態度を見せる〕は、慰安にふける惰弱な気持ちと無力感とのコンビネーションから生まれている。無力感は人々をして、やるだけの値うちのあるものは一つもないと感じさせる。慰安だけが、こうした感情の苦痛に堪えさせてくれるのである。
東洋全般にわたって、大学生たちは、現代の西洋において大学生がもち得るよりも、はるかに大きい世論への影響力を望むことができる。それでいて、実質的収入を確保する点については、西洋よりもはるかに少い機会しか与えられていない。それでもかれらは、無力感にも陥らず、慰安にもふけらないで、社会改革者もしくは革命家になるのである。社会のことを冷笑的にみたり、皮肉な態度でながめるだけの人間にはならない。
社会改革者や革命家の幸福というものは、社会問題の経過がどのように辿るかにかかっている。しかしおそらくは、たとえかれが死刑を執行されつつある時ですらも、ただ慰安にふけっているだけの冷笑的な懐疑主義者よりも、はるかに大きい真実の幸福をもつであろう。
わたくしは、ある一人の若い中国人がわたくしの学校を訪れてきてくれたことを思い出す。彼は中国の反動的なある地方で、わたくしの学校と同じような学校を創立するために帰国するところであった。彼は、その結果は、首をはねられてしまうことになるだろうと予測していた。それにもかかわらず、彼は、わたくしが羨《うらや》ましくなるような静かな幸福を楽しんでいた。
しかしわたくしは、このように、高く舞い上がったような幸福だけが唯一の幸福であると言いたいわけではない。事実このような幸福は、ごく少数の人にしか開かれていないものだ。それには、ある種の能力と関心の広さというものが必要だからである。そしてそれは、普通一般に誰でも得られるようなものではないのである。
仕事を通して快楽を得られるのは、単に優秀な科学者ばかりではない。また、ある主張を鼓吹することによって楽しみを得られるのも、単に指導的な政治家だけとはかぎらない。仕事の歓びというものは、何らかの特殊の技能を発揮できる人なら誰でも味わえるのである――世間一般から拍手喝采されることを求めないで、その技倆を活かすことだけで満足し得るならばである。
わたくしは、幼少の時代に両脚をなくしてしまった一人の男を知っている。彼はその長い生涯を通じて本当に幸福であった。その幸福というのは、彼はバラの害虫に関する五冊の本を書くことでかち得ていたのである。バラの害虫に関しては、彼はたしかに一流の専門家であることを、わたくしはよく知っていた。
わたくしはこれまで、数多くの貝類学者とあまり親しく知り合いになったことがない。けれども、そのうちのわたくしの知っているごくわずかの人から推測して、貝の研究が、それにたずさわる人々に満足を与えるものだということをいつも知らされていた。
わたくしはかつて、世界で最優秀の植字工を知っていた。彼は、芸術的な活字を発明することに一生懸命になっているあらゆる人達から引っ張りだこだった。彼が喜びを見出していたのは、軽からず彼を尊敬していた人達のその純粋な尊敬心によってではなく、それよりも、自分の手練を現実に発揮することのできるその実際の喜びにあった――すなわち、優れたダンサーが、ダンスそのもののうちに見出す喜びとちょうど同じ喜びであった。
わたくしはまた、数字の活字や、ネストリウス教徒の字体や、楔形文字や、その他一風変わった、そしてなかなか難しい字形を作るエキスパートだった植字工たちを知っている。その人達の私生活が、はたして幸福であったかどうか、それはわからなかった。けれども、かれらが仕事をしているその時間中は、ものを作り上げようとするかれらのその本能は十分に満足させられていたのである。
今日のような機械時代にあっては、むかし職人達がその熟練した仕事をすることで喜びを味わっていたような喜びを、もはや味わう余地が少なくなった――普通そのように言われている。しかしわたくしはそれが本当だとはちっとも思わない。今日熟練工達が、中世のギルド(職人組合)の注意を引いていたような仕事とは、全然異なる仕事をしていることは事実である。けれども、かれらは、今日の機械経済の中にあっても、依然として非常に重要であり、どうしてもなくてはならない存在である。科学上の用具や、デリケートな機械類を作っている人々がある。設計家たちがある。航空機械工があり、運転手があり、その他、それを促進することにおいて、少しでも技能を発達させることができるような貿易を進めている人達もある。
農業労働者や、比較的原始的な社会の農民たちは、わたくしがこれまで観察し得たかぎりでは、いまどきの運転手や機関手ほど幸福ではない。自分の土地を耕作している農民たちが、さまざまの仕事をもっていることは事実である――耕やし、種を播き、刈入れをする。しかし農民たちは、地・水・火・風・空の自然力の恵みを受けているものであり、それに左右されるものであることを強く意識している。これに反して、近代的な機械の仕事をしているものは、力を意識し、人間が自然力の主人であって、奴隷ではないという感じをいだいている。
変化というものがほとんどなく、ある機械的作業を何度も何度も、くり返して行っているにすぎない大勢の単なる機械の番人たちには、仕事はきわめて興味ないものであることはもちろん事実である。だから、仕事が興味ないものであればあるほど、それを機械でやり遂げるということになる。機械生産の究極の目標は、あらゆる興味のない仕事は機械で行い、人間を変化と創意にみちた仕事ができるようにするところにある――われわれがまだまだこの目標から遠くかけはなれたところにあることは事実だが。そのような世界になれば、仕事は、農業が始まってからのどの時代よりもはるかに退屈が少なく、はるかに憂鬱にならずにすむであろう。農業を始めることになって人類は、飢餓の危険からまぬかれるために、単調さと退屈さとに服従することを決意したのだった。
人間が狩猟によって食物を獲得していた頃は、働くことが喜びであった。それは、金持ち連中が、今日なおもこの狩猟という祖先伝来の職業を、娯楽の方法として楽しんでいる事実を見てもわかるとおりである。
ところが、農業が始まるとともに人類は、くだらなさと、惨めさと、狂気ざたの長く続く時代に入ってしまったのだった。今日にいたってようやく機械の便利な働きのおかげで、そうした状態から解放されつつあるわけである。大地とのふれあいを語ったり、トマス・ハーディが描いたような哲学的情操をもった農夫の熟《う》れた知恵を云々《うんぬん》することなどは、センチメンタリストにとってはたいへん結構なことかもしれないが、田舎で暮らしているあらゆる若者達のたった一つの望みは、町に出て仕事を見つけることである。都会に出れば、風や気候にたいする隷属状態から脱し、暗い冬の夜の寂しさから逃げ出して、工場と映画がもっているところの何かしらたのもしい、そして人間的な雰囲気に入ることができるのである。
仲間をもつことと、協力しあうことは、普通一般の人間の幸福にたいして欠くことのできない本質的な要素である。そしてこの二つの要素は、農業におけるよりも、はるかに完全に、工業においてこそ得られるものなのである。
一つの主義主張を信奉することは、数多くの人々にとって幸福の源泉である。とはいってもわたくしは、圧迫されている国々の革命主義者や社会主義者や国家主義者といったような人達だけのことを指して言っているのではない。より卑近な信仰をも指して言っているのである。たとえば、かつてわたくしが知っていたことのある人達で、英国人はもはや滅び絶えてしまった十氏族の子孫であると信じていた人々は、だいたいにおいていつも幸福であった。一方、英国人はもともとイーフリアム氏族とマナセ氏族に他ならないと信じている人達も、その幸福は限りないものだった。
わたくしは、読者のみなさんもこのような信仰箇条をもつべきだ、などと言おうとしているのではない。なぜならばわたくしは、まちがった信仰だと思えてならないようなものに基づく幸福を、みなさんに勧めるわけにはいかないからである。これと同じ理由で、わたくしは、たとえそれが、不老長寿の食べ物であり、まちがいなく完全な幸福を約束するように思えるものであったとしても、人間はもっぱら胡桃《くるみ》や栗の実を常食として生きるべきだなどという説を信じるよう読者に勧めることはできない。
しかも、けっして空想的ではない何らかの主義主張や運動を見つけることは、いとやさしいことなのである。そして、そのような運動に真剣にたずさわっている人は、自分の暇な時を十分みたすにたるだけの仕事をもつことができるし、人生は空虚なりといった感情を完全に消してしまう解毒剤が与えられるのである。
わけのわからない主義を信奉しているのとそう大差ないのが、趣味や道楽に夢中になることである。現在存命中の数学者のうちで、最も著名なある数学者のごときは自分の時間をきちんと平等に数学と切手蒐集とに分けている。わたくしが想うに、彼は、数学と取り組んでいて行き詰った時に、切手蒐集が慰めになるのであろう。しかし、数の理論におけるいろいろな命題を証明する難しさというものは、たしかに大きな悲しみに相違ないが、それは切手蒐集だけが癒しうる悲しみというわけではないし、また蒐集できるのは切手だけしかないというものでもない。たとえば古い陶器、煙草入れ、ローマ帝国時代の貨幣、矢尻、それに火打石というふうに考えてくるとき、いかに広大な陶酔の世界が想像されることであろうか。
なるほど今日われわれの多くが、このような単純な快楽をよろこぶのにはあまりにも「高級」になりすぎているということは事実である。そのような単純な楽しみなどは、われわれが子供の頃、ことごとく経験してしまったことである。そして何かの理由から、そのような楽しみは大人が楽しみとすべきほどのものではないと考えていた。しかし、これは完全なまちがいである。他人に害を与えない快楽ならばどんなものでも楽しんでいい。
わたくし自身について言えば、わたくしは河が道楽である。わたくしはヴォルガ河を下り、揚子江を上ったことに快楽を見出した。そしていまだにアマゾン河やオリノコ河を見たことのないのが残念でならない。こうした感情はごく単純ではあるかもしれないが、わたくしはそれを恥とは思っていない。
もう一度、野球ファンの情熱的なあの歓喜を考えてみたらいい。彼はむさぼるように新聞にとびつき、ラジオはかれに最もきわどいスリルをあたえる。
わたくしは、アメリカの一流の文学者の一人と初めて会ったときのことを思い出す。わたくしはその人を、彼の書いた本から想像して憂愁にみたされている人だと思っていた。ところがこういうことがあった――わたくしが彼と会っているとき、最もはらはらさせるような野球の勝負がラジオで報道されていた。彼は、わたくしのことも、文学のことも、その他ありとあらゆるこの地上の生活の悲しみを忘れてしまった。そして、彼のひいきのチームが勝ったとき、喜びのあまり大声をあげて叫んだのである。このことがあってからというものわたくしは、彼の不幸な性格というものによって、気が滅入《めい》らされることもなく、彼の本を読めるようになった。
しかしながら、道楽や趣味は多くのばあい、いや、おそらくはほとんどのばあい、根本的な幸福の源ではなくて、現実からの逃避の手段であり、面と向かうにはあまりにも困難が大きすぎる何かの苦痛を、一時忘れるための手段にほかならない。根本的な幸福は、他のどんなことよりも、人と物にたいする好意的な関心と呼ばれるものに存するのである。
人にたいしてもつ好意的な関心というのは、一種の愛情のあらわれではあるが、貪欲であることや、所有していることや、相手からいつも強い反応を求めるようなものではない。この後者のようだと、よく不幸の源となる。幸福に役立つほどの関心というのは、人々をよく観察することを好んで、その一人びとりの特徴を見出すことを喜びとする種類のものである。そして、知り合うようになった人達を支配する権力を得たいとか、もしくはその人達から熱心に賞讃されたいとかを望むことなしに、かれらの関心や楽しみをさらに溌剌とさせてあげるような種類のものである。他人にたいして本当にこのような態度をとる人は、さまに幸福の源泉そのもののような人であり、他人からも親切をつくされる人である。かれの対人関係は、浅くても深くても、彼の関心と愛情の両方を満足させてくれるだろう――なぜならば、かれはそうした忘恩行為にあうようなことが滅多にないだろうし、またそんな目にあったとしても気がつかないだろうからである。他の人にとっては、その神経に障《さわ》って憤激させてしまうような特異体質の人でも、彼にとってはほのぼのとした楽しみの泉となるであろう、彼は、他の人なら長いこと努力したあげくのはてに、結局駄目だったということがわかるようなことでも、たいして努力もしないで成就することだろう。彼は、自分自身が幸福な人間なのだから、つきあうには楽しい仲間であろうし、そのことがまた、まわりまわって彼の幸福を一層増大するだろう。
しかし、すべてこれは本物でなければならない。義務感でもつようになった自己犠牲の観念から、湧き出るようなものであってはならない。義務感というのは、仕事のばあいは役立つけれども、人間の個人的関係においては不愉快なものである。人は、好かれることを望むものであって、人から仕方なくがまんされることを望みはしない。多くの人々をごく自然に、何らの特別の努力なしに好きになれるということは、人間としての幸福の源のうちで、おそらく最も最大のものであろう。
わたくしはさきほど、物ごとにたいする好意的な関心ということについて話した。この好意的な関心という言い方は、あるいは無理な表現のようにおもわれるかもしれない。物にたいして好意を感ずるなどということは、あり得ないことだと言われるかもしれない。しかしながら、地質学者が岩石にたいして感じ、考古学者が廃墟にたいして感じるような関心のもち方には、何かしら好意というものと似通《にかよ》っているものがある。そしてこのような関心こそが、各々の個人とか社会にたいする、われわれの態度の基本的な要素であるべきなのである。
また、好意的というよりは、むしろ敵意を感ずるような物にたいして、関心をもつということもあり得る。たとえば人は、蜘蛛《くも》がきらいで、蜘蛛のあまりいないところで暮らしたいとおもうがために、蜘蛛の習性に関する事実を集めるということがある。この種の関心は、地質学者が岩石から得るような満足を与えてくれはしないだろう。いずれにしても、人間でない物にたいする関心は、われわれ人間仲間にたいする友好的な態度よりも、日常生活における幸福の要素としては、それほど価値あるものではないかもしれないが、しかもきわめて重要なものである。
世界は広大である。そしてわれわれ自身の力には限りがある。たとえもしわれわれの幸福がことごとくわれわれの個人的な環境に完全に限られているとしても、人生が与え得る以上の幸福を、人生にたいして要求しないでいるということは難しいことである。そしてあまりに多くを要求しすぎるということは、与えられるものよりも少ししか得られないことになるのは確実である。
本当の興味、たとえばトレント会議とか、星の起源とかにたいする心からの興味によって、自分の心配事を忘れることのできる人は、彼が非人間界への旅から戻ってきた時、自分の心配事を最善の方法で処理できる平静さと、おだやかさを身につけていることを知るだろう。そしてともかくも、本当の幸福というものを経験していることであろう――たとえそれが一時的なものであろうとも。
幸福の秘訣はこうである――あなたがたの関心をできるだけ幅広いものにすることである。そして、あなたがたの関心をひくような物や人にたいするあなたがたの反応は、できるかぎり敵意をもってではなく、きわめて友好的なものにすることである。
ここで述べたことは幸福の可能性についての序論的な概観であるが、このあとの章においてはもっと詳しく述べることにしよう――それと共に、不幸の心理的な原因から遁《のが》れる方法を教えることとしよう。
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2 熱意
幸福な人たちの最も普遍的な特徴であり、彼ら特有の特徴でもある熱意《ヽヽ》といったものについて、この章では述べてみたいとおもう。
熱意ということばがいったい何を意味しているのか。それはおそらく、人が食卓についているときにするさまざまのふるまいについて考えてみればいちばん良くわかるとおもう。
食事が退屈でしかたがないとおもっている人達がいる――かれらは、その食べ物がどんなに美味なものであろうと、それには全然関心がない。かれらは、まえまえから、とても素晴らしい食事をしてきている――おそらくは、ほとんど食事ごとにおいしいものを食べてきているにちがいない。ひもじさがこうじて狂わんばかりの激情になるまで、食事なしでいるということが、いったいどんなことか――かれらはそれを全然知らない。食事ということは、単に、自分の住んでいる社交界の流行が、そうさせている習慣にすぎないとおもうようになっている。他のすべてにたいしてその調子だが、食事などはまさに退屈そのものだ。他にもっとましなものは何一つとしてないからといって、食事のことを大騒ぎしてみたところで、べつにどうということもない。
それから、一種の義務感から食事をしている病人がいる――体力をつけるために少しは栄養をとる必要があると、医者が言ったからというわけである。
それから、食道楽というのがある――きっとうまい料理だろうと思って食べ始めるのだが、期待したほどうまく料理されているものは一つもないということがわかる。
それから大食漢がある――彼はものすごい貪欲さで食べ物におそいかかる――食べすぎる――そして多血症となり、ぐうぐういびきをかく。
最後に、健康な食欲をもって食事を始め、その食べ物をよろこび、十分なだけ食べたらそこでやめる――そういう人達がいる。
人生という饗宴の席についている人々も、それが饗応してくれるいい物にたいして、それぞれここに述べたと同じような態度をとるのである。いま述べたさまざまの食事のとり方のうち、最後のばあいに相応するのが幸福な人間である。食物と空腹との関係は、ちょうど人生と熱意との関係にあたる。
自分の食事に退屈を感じる人は、バイロン風の不幸に苦悩している人にあたる。義務感で食事をしている病人は、禁欲主義者にあたる。大食漢は放蕩者にあたる。食道楽の者は、人生の快楽などはちっとも美的でないといってなかば非難するような気むずかし屋にあたる。まことに奇妙にも、このようなタイプの連中は、大食漢は別だろうが、ことごとくが健康な食欲をもっている人間を軽蔑し、自分らの方を優秀な人間だと思っている。あなたがたはお腹《なか》がすいたからといって食事をたのしみ、人生が種々さまざまな興味深い見ものをみせてくれ、びっくりするような経験を味わわしてくれるからといって人生をたのしむ――そのことが、かれらには卑しいことのようにおもわれるのである。かれらは、幻滅の高みから見下して、単純な人間どもよ、といって軽蔑しているのである。
わたくしとしては、このような見方に全然同調できない。わたくしからみれば、あらゆる幻滅は一種の病気である。それは事実、事情によっては避けられないかもしれないが、しかしそれでもやはり、ひたとびそれが起これば、できるだけ早く治療すべきであって、より高い知恵のあらわれなどとみなすべきものではない。
苺《いちご》が好きな人と、そうでないひとのばあいを考えてみよう。どんなわけで後者がより優れているといえるのか、苺がいいとか良くないとか言えるような抽象的な、そして客観的な証明は何もできない。苺の好きな人にとっては苺はよい物であり、嫌いな人にとっては決して良い物ではない。けれどもそれを好きな人間には、好きでない人のもたない喜びがある。そのかぎりでは、彼の人生はより楽しみにみちたものであり、両者ともが暮らしていなければならないこの世によりよく適応しているのである。
ここで例にあげたようなごくつまらない事柄で真実なことは、もっと重要な事柄でも同じく真実である。サッカーを見るのが好きな人は、その好きな程度だけ、そうでない人より優れているわけである。読書の好きな人は、そうでない人よりもずっと優れている――なぜならば、読書の機会は、サッカーを見る機会よりもはるかに多いからである。
興味を持つものが多ければ多いほど、幸福を得られる機会が多くなり、運命に翻弄《ほんろう》されることがそれだけ少なくなる――なぜならば、もし一つを失っても、もう一つがあるからである。あらゆるものに興味をもつのには、人生はあまりにも短すぎるけれども、われわれの日々の生活をみたすのに必要なだけの、たくさんのものに興味をもつのはいいことである。
われわれはみんな内向性の疾患にかかりやすい。内向性の人間は、自分の眼前に幾重にもかさなったこの世のスペクタクル(多彩な眺め)が展開されると目をそらしてしまい、ただひたすらに内なる空虚さだけをみつめるのである。それにしても、このような内向症の人間の不幸に、何か偉大なものがひそんでいると想像することはやめよう。
昔あるとき二つのソーセージの機械があった。豚肉をおいしいすてきなソーセージにする目的で、精巧につくられた機械であった。このうちの一つの機械は、豚にたいする非常な熱意をもっていて、無数のソーセージを製造した。ところがもう一方の機械は、こういうふうに言うのであった――「わしにとって豚なんぞなんだというのだ。わしの仕事は、豚なんぞよりはるかに面白く、はるかに素晴らしいんだ」と。その機械は豚を拒否して、自分の内部を研究する仕事を始めた。ところがその自然の食べ物が入って来なくなるとともに、その機械の内部は働くことを止めてしまった。それで、その内部を研究すればするほど、それが空っぽで、そしてばからしいものに見えてきた。それまで素晴らしい加工を行っている美味《おい》しいものをつくってきた精巧な装置もぴったりと止まってしまった。そして自分には何ができるのかを考えて途方にくれてしまった。
この第一のソーセージ機械の方は、熱意を持ちつづけている人間に似ているし、第二の機械の方は、熱意を失ってしまった人間に似ている。心というのはまことに不思議な機械であって、提供された材料を本当にびっくりするような方法で組合わせることができる。しかし外界からの材料がなければ無力である。それにソーセージ機械とちがって、そうした材料を自分で獲得しなければならない。なぜならばいろいろな出来事が、われわれがそれにたいしてもつ関心を通してのみ経験となるからである。もしわれわれがそれにたいして少しも関心をもたなければ、それはまったく無用なのである。
それで、内部にのみ注意を向けている人は特に注意にあたいするようなものは何ひとつ発見しない。それに反して、外部に注意を向けている人は、たまに自分の魂を調べてみる機会をえたとき、その内部に、最高の興味深くとりそろえられた多種多様な要素がきちんと分類され、美しいパターンに、あるいは世のために有益なパターンに再構成されているのを発見できる。
熱意のあらわれ方は無数にある。記憶している人もあるかと思うが、シャーロック・ホームズが、たまたま道におちいている帽子をみつけては、それを拾うという小説の筋がある。彼はしばらくその帽子を眺めてから、こう言うのである――その帽子の持ち主は酒の飲みすぎで身をもちくずした、それで彼の妻はもうむかしほど彼を愛さなくなっていると。このようなちょっとした偶然のことにも、これほど豊かな興味をもち得るような人にとっては、人生はすこしも退屈であるはずはない。
田舎道を歩いているとき、目につくいろいろのものを考えてみるがいい。あるものは鳥に関心をもつかもしれないし、あるものは植物に、あるものは地質に、しかしあるものは農業にといったぐあいに、それぞれことなったものに関心をもつことであろう。それらのうちのどれ一つでも、もしあなたがたの関心をひくならば、それはあなたがたにとって興味あるものなのである。ともかく、その他についてもこれと同様のことであって、そうしたもののうちのどれかに興味をおぼえた人は、全然そうでない人よりもはるかにこの世の生活に適合した人なのである。
それからまた、同じ人間仲間にたいする態度が、人によってどんなに異なるものであることか。ある人は長い汽車旅行の間に、たまたま一緒になった旅行者の誰かかれかを全然観察しないですぎてしまう――ところがその間に、別の人はその人達のだいたいを観察してしまい、その性格を分析し、その人達の境遇をするどく推量してしまい、おそらくはそのうちの何人かの人生の最も秘密にしているところさえ、つきとめてしまうかもしれない。
人々は、他人について、この人はこうだと断定する、そのしかたにおいて千差万別であると同じように、その感じ方も全然違うのである。ある者はほとんどすべての人をつまらないと思い、他の者は触れあう人達にすぐに親しみの感情をもつようになる――そうしてはならないというなにか特別の理由がないかぎりはである。
もういちど旅行のばあいを考えてみよう。ある者はたくさんの国々を旅し、いつも最高のホテルに泊まり、自分のうちで食べるのと全く同じ物を食べ、うちで会うのと同じ怠けものの金持ちと会い、自分のとこの食卓でかわす会話と同じ話題について語りあう。かれらが帰宅したあげくに感じることは、高い費用をかけた旅行の退屈さがすんで、やれやれと思う一種の開放感だけである。
ところが別の人達は、どこに行ってもそこの特色あるものを見る。そこの地方色を代表するような人々と知り合いになる。歴史的にしろ社会的にしろ面白いものならなんでも見る。その土地のものを食べる。そこのマナーと言葉をおぼえる。そして冬の夜に思い出して語れるような新鮮な楽しい思い出をたくさん仕入れて帰ってくる。
このようにすべての人々の事情は異なるのであるが、そのうちで、人生にたいする熱意をもっている人は、そうでない人よりもはるかに得である。たとえ不愉快な経験であっても彼にとっては何かの役に立つ。
わたくし自身は、中国人の群れと、シチリア島の村の匂いをかいだことを嬉しくおもっている――もっとも、その時のわたくしの嬉しさが、とても大きかったなどといいきってしまうことはできないけれども。冒険好きの人なら、船の難破、反乱、地震、大火災、その他あらゆる種類の不愉快な経験をたのしむ――健康をそこねるほどのところまで行きつかないですむならばである。たとえば、かれらは地震に遭遇したとき、こういうふうに独り言を言うだろう――「地震なんてこんなふうなものだったのか」と。そしてこの新しい事項について知ったことで、この世についての知識が一段と増えたことを喜ぶであろう。このような人達が、全然運命によって支配されないですむというのは、当たらないであろう――もしかれらが健康を失えば、同時にその熱意を失うことになるだろうからである。ただし、間違いなくそうなるとは言いきれないが。それにしてもわたくしは、何年もの間じわじわと苦しみつづけたあげく死んだ人で、そうした苦しみにもかかわらず最後の瞬間までほとんどその熱意を失わなかった人達を知っている。ある種の不健康は熱意を失わせるが、失わせないものもある。はたしてこの違いを生化学者たちが見分けられるかどうか、わたくしにはわからない。生化学がもっともっと進歩したら、そのときはおそらく、すべてのものにわれわれが興味をもてるようにしてくれる薬をのむことができるであろう。しかしその日が来るまでわれわれは、ある人々にすべてにたいして興味がもてるようにし、他の人々には何にたいしても興味をもてないようにしてしまうものは、いったい何なのかということを判断するのに、やはり常識的な人生観にたよるほかはないのである。
熱意というのは、時には一般のものに向けられ、時には特殊の対象にかぎられる。事実、ごく特別に限られたものだけに向けられることもある。
ボロウを読んだことのある人は、彼の作『ロマニー・ライ』に出てくるある人物のことをおぼえているだろう。彼は献身的に愛していた妻を失って、一時は人生が全く空虚に帰してしまったように感じた。しかし彼は、茶びんや茶箱に書いてある中国語の銘に興味をもつようになった。それで、それを解読する目的で先ずフランス語を勉強し、それから中仏語文法の助けをかりて、だんだんとその茶箱の文字を翻訳するようになった。もっとも彼はその中国語の知識をほかの目的には使わなかったけれども、ともかくそれによって彼の人生に新しい興味をもつようになった。
またわたくしは、グノーシス派の異教についてそのすべてを知ろうとして夢中になっていた人達を知っている。また、ボップスの原稿と初版本とを照し合わせてみることに、主として興味をそそいでいる人も知っている。あらかじめ何が人の興味をひくかを推量することは全く不可能である。しかしたいていの人は、何かに熱烈な興味をいだくことができるのである。そして、ひとたびそのような興味がよび起こされると、その人生は倦怠から解放されるようになる。しかしながら、ごく特別のものに限られた興味というのは、人生にたいする一般的な熱意ほどには幸福の源泉としては十分ではない。なぜならば、彼の時間の全部をそれでうめつくせるものではないし、その上、かれの趣味となったその事がらについては、その全部を知りつくしてしまうというおそれもつねに存在するからである。
わたくしは先に、ごちそうを前にしてわれわれのとるさまざまのタイプの中で、大食漢のあることを指摘したのであるが、それをおぼえているだろうとおもう。大食漢についてわれわれはあまりほめることをしなかった。だが、読者あるいは、われわれがこれまでほめてきた熱意ある人というのは、この大食漢とあまりちがいはしないんじゃないかと思うかもしれない。そこでこの両者がどんなに異なったタイプのものであるかということを、もっとはっきりと説明しなければならない段階にきたようだ。
誰もが知っているように、古《いにしえ》の人達はほどほどであるということを、本質的な美徳の一つと見なしていた。ところがこうした見方も、ロマンチシズムとフランス革命の影響で、多くの人々が捨ててしまい、人を圧倒するような情熱が讃美された――たとえそれが、バイロンの詩の主人公たちのように、破壊的で、反社会的な情熱であろうとも。しかし、古の人達はたしかに正しい。よい生活にあっては、さまざまの活動の間にバランスが保たれていなければならない。その中のどの一つも、他の活動を不可能にするところまでやってはならない。大食漢は、食べる快楽のために他の快楽をすべて犠牲にしてしまう。そしてそうすることによって、自分の人生の幸福の全部を減らしてしまう。
食べること以外のたくさんの情熱が、この大食漢と同じように度を超してしまうことがある。ジョセフィン皇后は着る物に関してまさに大食漢と同じであった。初めのうちはナポレオンは、彼女の仕立屋の勘定をいつも払ってやっていた――次第々々に強く文句を言うようにはなったけれども。ところがおしまいに彼は、本当にほどほどにすることをおぼえなければならない、と彼女に言った。そしてさらに、もうそれから先は、その勘定書の額がまあまあの額とおもえないようだったら、支払わないことにするからと彼女に言った。仕立屋からの次の勘定書が彼女に届けられたとき、彼女はしばし途方にくれた。けれどもたちまちに彼女は一計を案じた。彼女は陸軍大臣のとこに出かけていって、戦争のために用意してある資金の中からその勘定を支払うよう要求した。大臣は、彼女が彼を免職するだけの権力を持っていることを知っていたので、彼女の言うとおりにした。その結果、フランスはジェノアを失った。この話が実話であることをべつに証明できるわけではないが、すくなくとも幾つかの本にそう書かれている。この話がほんとうの話だろうが、それとも誇張だろうが、どちらにしても、女というものは、思いのままにできさえすれば、着る物への情熱がどんなにひどいものかということを示すのに役立つのであって、わたくしがここで言わんとするあくなき貪欲さのまさに適例である。
飲酒狂と色情狂も明らかにこれと同じ種類の例である。どのような原理からそうなるのかは、そうとうはっきりしている。
すべてわれわれの個々の嗜好《しこう》とか欲望とかは、人生の全般的な枠《わく》組みの中にはまるものでなければならない。もしそれが幸福の源泉となるべきものならば、それは、健康や、自分の愛する人達の愛情や、自分の暮らしている社会を重んじる心と両立するものでなければならない。情熱の中には、どんなに溺れてもこの限界を超えないものもあるし、越えてしまうものもある。たとえばチェスの愛好者を例にとってみよう。もし彼がたまたま独立して生計をたてている独身者であるばあいには、その情熱を少しも制限する必要がない。ところがもし彼が、妻子をもっていて、しかも独立の生計を保ち得ないような人であれば、その情熱を非常にきびしく制限しなければならないであろう。
飲酒狂や大食漢というのは、たとえかれらが社会と全然つながりがないとしても、自分を大切にするという観点からすればすこしも賢明ではない。どうしてかというと、そのように大酒《おおざけ》や大食《おおぐ》いに耽《ふけ》っては健康を害するし、わずか何分間の快楽の代償として何時間もの不幸がかえってくるからである。個々の情熱が不幸の源とならないためには、それがきちんとくみ入れられなければならない枠組みというものがある。それは何かというと、健康であること、普通一般の能力に欠けないこと、必要なものを買うのに困らないだけの収入があるということ、妻子にたいする義務のような、最も本質的な社会的義務をはたすこと、などである。チェスのためにこうしたことを犠牲にしてしまう人は、本質的には飲酒狂と同じくらい悪い。そのような人をわれわれがそうひどく責めないたった一つの理由というのは、そういう人はごく稀《まれ》であるということ、それから、多少なりともごく特別にすぐれた能力をもった人だけが、そうした知的なゲームに没頭するといったようになっているということである。
ギリシア流の中道というのも、やはりこのようなばあいを意味している。チェスが非常に好きで、夜にゲームをして遊ぶことを楽しみにしながら、昼間の仕事にうちこんでいる人は幸福である。けれども、一日中チェスをして遊ぶために、仕事をすててかえりみない人は、中道の美徳を失ってしまった人である。
伝えられるところによると、トルストイがまだ若くて、信仰がそう進んでいなかった時代に、戦場での勇敢な戦功によって十字勲章を授けられた。ところがその勲章がいよいよ授与される時が来たとき、彼はあまりにチェスのゲームに熱中しすぎていたために、その授与式に出席しないことにした。トルストイがこんなことをしたからといって、彼に悪いところは一つもないようにおもう。なぜならば、彼にとって勲章をもらうとかもらわないとかいうことは、どうでもいいことだったからである。けれども、普通の人間にとっては、そのようにせっかく授与される勲章をもらいに行かないなどということは、全く愚かなことに属するであろう。
これまで述べてきた論にも、ある限界がある――それは、次のばあいのあることを認めなければならないからである。すなわち、ある種の行為は、それを遂行するために、それ以外の一切のものを犠牲にしてもさしつかえないほど、本質的に高貴なものと考えられるときである。たとえば、国をまもるために自分の生命を失う人は、たとえその妻子がそのために一文なしで残されても非難されはしない。何か偉大な科学的発見や発明を考えて、その実験にたずさわっている人は、もしかれの努力が最後にすばらしい成功で飾られるとしたら、家族のものに辛抱させた貧困のために、あとから非難されるということはない。しかしながら、かれの目論《もくろ》んでいた発見なり発明なりがどうしても成功しなかったら、世間は変人といって非難する。しかしそれは当たらない――そのような企てをするばあい、あらかじめ成功まちがいないと断定できるものはいないのだから。キリスト再臨を待望する最初の千年の間、聖なる生活のために家族を捨てた人がほめ讃えられた――けれども今日では、家族のために生活のそなえをしてやるべきだったと考えられるだろう。
大食漢と健康な食欲の間には、ある根ぶかい心理的な相違がかならずあるようにおもう。ある一つの欲望に他の全部を犠牲にしてまで過度に耽溺する人は、たいていは心の底にある深く根ざした悩みがあって、何かの恐怖からのがれようとしている人である。飲酒狂のばあい、これははっきりしている。そういう人達は忘れるために飲むのである。もしかれらの人生におそれなどすこしもないとしたら、よっている方が|しらふ《ヽヽヽ》でいるより快適だなどとおもわないだろう。ある伝説上の中国人が、「俺は酒は飲むために飲むのではなく、酔っぱらうために飲むのだ」と言ったとおりである。これは、度を超して一方に走ってしまう情熱の典型的なものである。対象物そのものに喜びを求めるのではなく忘却を求めているのである。しかしながら、同じ忘却を求めるにしても、飲んだくれのやり方でするのと、望ましい自分の能力の発揮のうちに求めるのとでは、そこに非常に大きな相違がある。妻を亡くした悲しみに耐え得るようにと、独学で中国語を学んだボロウの友人は、たしかに忘却を求めていたけれども、彼はそれを何の害をもおよぼさない行為の中に求めた。しかもそれどころか彼は、それによって自分の知性と知識を向上させたのである。そのような逃避のし方にたいしては何も言うことはない。言わなければならないのは、酒を飲むことやギャンブル、その他無駄な興奮に忘却を求める人である。これと大同小異のばあいのあることも事実である。人生がいやになったからというので、飛行機やら山頂やらで狂気じみた冒険をする人については何と言ったらいいだろうか。もしその冒険がなにか公共のためになるのなら称讃してもさしつかえないだろう――けれどももしそうでないならば、賭博者や酔っぱらいよりほんの少しましなだけだと言わざるを得ないだろう。
忘却を求めるようなものでない本当の純粋な熱意は、それが不幸な境遇によっておしつぶされてしまわないかぎり、人間が本来もってうまれたものにほかならない。小さい子供たちは、見るもの聞くものすべてに興味をもつものである。かれらにとって世界は驚異にみちている。そしてたえず熱心に知識の探求をつづける――もちろんその知識は学者的な知識といったようなものではなくて、自分の注意をひく事物に親しむうちに得られるような知識である。
動物は成熟したあとでさえも、健康であるかぎりはその熱意を持続する。馴れない部屋に入れられた猫は、どこか鼠のにおいをかぎわけられるようなところはないかと、隅々《すみずみ》までかぎまわったあとでなければ坐ろうとしない。人間にしても、徹底的にうちひしがれてしまわないかぎり、外界にたいする生まれながらの興味をもちつづけてるであろう。そしてそれをもちつづける以上、かれの自由が不当に奪い取られてしまわないかぎり、人生を楽しいものとおもうであろう。
文明社会において熱意が失われているのは、われわれが生きていく上に欠くことのできない自由を制限されているということに、きわめて大きく由来しているのである。
野蛮人は空腹になると狩りをする――本能にしたがってそうするのである。毎朝決まった時間に仕事に出かける人は、根本的にはこの野蛮人と同じ衝動、すなわち生活のかてを得る必要から行動しているわけである――しかし彼のばあいはそうした衝動は直接、そして衝動を感じた瞬間にすぐはたらくわけではない。それは間接的に抽象、信仰、意欲を通してはたらくのである。彼は仕事に出かけるときに、べつに空腹を感じてはいない――ちょうど朝食をすませたばかりだからである。彼は、いずれ空腹になるだろうこと、そして仕事に出かけるのは、本来の空腹を満たす手段である、ということを知っているだけなのである。
本能の衝動は規則的ではない――ところが文明社会における習慣は、規則的でなければならない。野蛮人のあいだでは、集団的な企業であっても、すくなくともそういうものがあるとすれば、それは自然発生的であり、衝動的である。部族が戦争に赴こうとしている時には、太鼓が士気を鼓舞する。そして集団的な興奮が各個人を必要な行動にかりたてる。
現代の企業はこんなふうに行なうことはできない。決められた時間に列車を発車させなければならないときに、野蛮に音楽を奏でて、ポーターや機関士や信号手を動かすことは不可能である。かれらがそれぞれ自分の仕事をするのは、そうした仕事が為されなければならないからである。ただそれだけの理由にすぎない。かれらの動機はいわば間接的なのである。かれらはその行動にたいする衝動を持っているのではなくて、ただその行動によってえられる究極の報酬にたいする衝動をもっているだけなのである。
社会生活の大半もこれと同じ欠点をもっている。人々はたがいに話し合う――ただしそれは、そうしたいと欲しているからではなくて、協力しあうことによって引き出したいとおもう、何らかの究極的な利益のためなのである。文明人はつねに衝動の制限という垣根でとり囲まれてしまっている。たとえ彼がどんなに愉快な気分になっても、街頭で歌ったり、踊ったりしてはならない。その一方、たとえたまたま悲しくなっても、舗道に坐りこんで、泣きだしてはいけない――通行人の交通を妨げてはならないからである。
若い時は学校で自由が制限されるし、大人になってからの生活では、その勤務時間で自由が制限される。すべてこうしたことが熱意をもち続けることをより困難にしている――継続的に束縛されると、倦怠と退屈を生じやすいからである。
しかしながら、文明社会は、自然発生的な衝動に非常に大きな制限を加えなければ、たちゆかないのである。なぜならば自然発生的な衝動は、最も単純なかたちの社会的協同しか生み出さないのであって、現代の経済組織が要求している高度に複合したかたちのものを生み出しはしないからである。
熱意を妨げるこうした障害をのり越えるためには、健康とあふれるばかりのエネルギーをもつことが必要であり、その他また、運がよければ、仕事そのもののうちに興味を見出せるような、そのような仕事をもつことが必要である。健康の方は、統計の示すかぎりでは、ここ百年の間にあらゆる文明国でだんだんと良くなってきているが、エネルギーの方はそれよりもはるかに計るのが難しい。健康な時の体力が、昔ほど大きいかどうか、わたくしには疑わしい。こうした問題になると、これはかなり社会的な問題である――だからこれは本書では論じないことにする。
しかしながらこの問題は、個人的で、心理的な面をも持っている――そうした面は既に疲労との関連において論じた。
文明生活というハンデキャップにもかかわらず、熱意をもちつづけている人々がいる。しかし多くの人々は、自分のエネルギーの大部分が消耗させられている内的な心理的葛藤から解放されなければ、熱意をもちつづけることができないのである。熱意は、しなければならない仕事にたいして、必要以上のエネルギーを要求する。そしてその次は心理機構がスムーズにはたらくことを要求する。
どうしたらスムーズなはたらきを促進することができるか――この問題については、後の章でもっと詳しく述べることにする。
女のばあい、今日では昔ほどではないけれども、それでもまだ非常に、世間からよく思われようといったまちがった観念にとらわれて、強い熱意を示すということがおさえられている。これまで女は、男にたいしてあからさまに興味をもつことや、人前であまり活溌すぎることは、好ましくないと考えられていた。男にたいして興味をもたないように教えられたために、もう何にも興味をもたないようになってしまった。せいぜいある種の正しいふるまいに関してだけで、それ以外はともかく何ものにも興味を示さなかったのである。活動的でなくなることや、人生にたいして引っ込みじあんになることを教えるのは、あきらかに熱意をもつことをそこねる何かを教えることであり、ある種の自己没頭を奨励することになる――これは身分の高い女達の特徴である。その女達があまり教育をうけていないときはなおさらである。かの女達は、普通の男がもっているスポーツにたいする興味をもっていない。かの女達は政治にたいして全然無関心である。男にたいするかの女達の態度はというと、つんとお高くとまってすましこむ。同性にたいしては、自分以外の女は自分よりは大したことはないという確信をいだいて、それとなしに一種の敵意を持つ。かの女達は、一般の人と交際しないことを誇りとする――つまり、同じ人間仲間にたいして興味をもたないということが、かの女らには美徳のようにおもえるらしい。もちろん、かの女たちがそうだからといって責められはしない。かの女たちはただ、女に関して何千年もの間行われてきた道徳教育をうけいれているだけなのである。
しかしながらかの女たちは、その不当さについて何もしらず、一種の抑圧制度のあわれな犠牲者なのである。そのような女にとっては、不寛容はすべて善に見え、寛容はすべて悪に見える。かの女らの社交界においては、喜びを減殺《げんさい》するようなことを行ない、政治においては抑圧的な立法を好む。幸いにもこのようなタイプはだんだん減りつつあるが、それでもまだ、解放された世界に住んでいる人達が想像するよりも、その数ははるかに多い。こう言うことを疑う人は、下宿をさがしてあっちこっちの下宿屋まわりをしてみたらいい――そうして、さがしまわっている間に会う女主人たちをよく注意してみたらいい。そうしたら、かの女たちが女性の方が優れているという観念で生きていることを発見するだろう――この観念が実は、人生にたいする積極的な熱意を破壊する重大な役割を演じているのである。そうしてその結果として、かの女達の頭と心が萎縮してしまい、こちこちになっていることを発見するだろう。
男性が優れているの、女性が優れているのといっても、正しく考察すればその間に何の差異もあるわけはない。すくなくとも因襲があれこれあげつらうほどの差異は全然ないのである。男にとってと同じように女にとっても、積極的に熱意をもつということは、幸福と安らかな暮らしの秘訣である。
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3 愛情
熱意が欠けてくる主な原因の一つは、自分が愛されていないという感情である。ところがそれと反対に、愛されているという感情は、ほかの何ものにもまして熱意を促進する。
愛されていないという感情をもつようになる原因として、さまざまなものがある。自分を愛する人など一人もあり得ないほど、自分がいやな人間なんだと思いこむ人があるかもしれない。子供の頃、他の子供たちに注がれる愛情よりも、少ない愛情のわけまえでがまんしなければならなかった人があるかもしれない。あるいはまた、実際に誰からも愛されないような人なのかもしれない。しかし後者のばあいは、たぶんその原因は、幼い頃の不幸がもとで、自信を欠いてしまっていることにあるのだとおもう。
自分が愛されていないと感じる人は、その結果としてさまざまの態度をとることだろう。彼はたぶん、ちょっとみられないほどの特別の親切行為をすることによって、愛情をかちとろうとして必死の努力をするだろう。しかしながら、そんなことをしても十中八、九まで成功しないだろう――というのは、そうした親切の動機が、その親切をうけた人たちからやすやすと見破られているからである。それに人間性というものは、愛情をあまり要求していないように見える人にこそ、最もこころよく愛情をそそぐ構造になっているからである。だから、他人のために尽くすような行為をして、愛情をあがなおうとするような人は、人間の忘恩の経験をして幻滅の悲哀を感じることになる。またそのようなばあいは、彼があがなおうとしている愛情が、彼がそれを買いとる代価として与える物質的代償よりも、はるかに価値のあるものになるということは絶対にあり得ない。それなのに、彼にはあがなう愛情が価値のあるものだという感情が行動の根底にあるのである。
またこういう人もある――自分が愛されていないことを知って、戦争や革命をひきおこしたり、あるいは教区副監督ジョナサン・スウィフト〔『ガリバー旅行記』の作者〕のようにペンを遺恨にひたして、この世の中に復讐をはかろうとしたりする。これは不幸に対する英雄的な反動である――それをやるには全世界をあいてにして、自分を立向わせるだけの強い性格の力が必要である。その高さにまで自分をひき上げることのできる人はごく稀《まれ》である。男にしろ女にしろ大多数の人は、もし自分が愛されていないと感じると、気の弱い絶望の淵に沈んでしまい、たまに妬《ねた》んだり、意地悪をしたりして気をまぎらわすだけである。原則として、そのような人達の生活は、極端に自己中心的になる。そうして、愛されていないということが彼らに不安感を与える。そして彼らは、生活を全面的かつ完全に習慣にまかせることによって、この不安感から本能的に遁《のが》れようとするのである。きまりきった習慣の奴隷になってしまっている人達は、冷たい外界を恐れるからそうするのであり、また、それまでずっと自分の歩いて来た同じ道を歩いていさえすれば、そんな冷たい外界におちこまないですむとおもってそうするのである。
安心感をもって人生に直面している人達は、その安心感が不幸に導かないかぎり、不安感をもって生きている人よりも幸福である。それに、いつもそうだとはいえないが、非常に多くのばあい、安心感そのものが、他のひとなら屈服してしまうような危険から救ってくれるのである。あなたがたが、ある断崖の上に渡した狭い板の上を歩いていたとする――そのとき、もしあなたがたが恐いとおもったら、そう思わなかったときよりもずっと落ちる危険が大きくなる。
それと同じことが人生にもあてはまる。恐れをもたない人でも突如として災害におそわれることがあるのはもちろんである。ところが彼なら、臆病な人が悲嘆にくれてしまうようなたくさんの困難な状態でも、何ら痛手をうけないで通りすぎてしまうだろうとおもう。このようにいざというときに役に立つ自信にも、無数の形があるわけである。ある人は山に自信をもっている、ある人は海に、そしてある人は空に自信がある。しかし人生にたいする一般的な自信は、他の何ものにもまさって、正しい意味での愛情がふだん必要なだけ与えられていることから生れる。それでわたくしがこの章で述べたいとおもうのは、熱意の源と考えられるこうした心の習慣についてなのである。
この安心感をもたらしてくれるのは与える愛情ではなくて、与えられる愛情である――もちろんそれはほとんどが相互的な愛情から生ずるものではあるが。厳密にいえば、この安心感をもたせてくれるのは愛情ばかりではなく、また讃美もそうである。一般の称讃を得ることを仕事にしている人々、すなわち俳優、説教師、演説家、政治家のような人々は、この一般の人からの喝采にだんだんと大きく依存するようになる。かれらが一般の称讃という期待したとおりの報酬をうけると、かれらの人生はつよい熱意で満たされ、そうでないと不平不満を抱き、自己本位になる。両親に可愛がられている子供は、その親の愛を自然の法則としてうけとる。その愛がかれにとってはたいへんたいせつなものであるのに、あまり重んじようとしない。かれは世界のことを考える。ゆくてにある冒険や、さらにかれが大人になったとき出会うであろう、もっと素晴らしい冒険について考える。けれどもすべてこのような外界にたいする興味の背後には、いざというときには、両親の愛情によってまもってもらえるという気持ちがひそんでいるのである。だから、何かの理由で両親の愛情がとり去られたときに、子供は臆病になり、冒険心がなくなり、恐怖心にみたされ、自分が哀れにおもえてくる。そしてもはや陽気な冒険心でこの世にたちむかうことができなくなるようである。そのような子供は、おどろくほど幼い年頃で、人生とか死とか人間の運命について瞑想しはじめるようである。彼の心は内向し、初めのうちは憂鬱だが、最後にはある哲学やら神学やらの体系の中に非現実的な慰めを求めるようになる。
子供にとっての世界は、まさにてんやわんやのところで、楽しいことも不愉快なことも、ごちゃまぜにまざっている。だからこのような世界から誰にもはっきりとわかるような体系とか、型とかをつくり出したいとおもう欲求は、根底において恐怖の産物であり、実は一種の広場恐怖症、すなわち空間に対する恐怖感なのである。
臆病な学生は、自分の勉強部屋の四面の壁に囲まれたその内部でなら安全だと感じる。もし彼が宇宙もこの部屋と同じように整然としているのだ、と自分自身を納得させることができれば、彼は思いきって街頭に出ていかなければならない時でも、そこは部屋の中とほとんどかわらず、安全だと感じることができる。そのような人でも、もし、もっともっと愛情をうけていたら、この現実の世界をそれほど恐れなかっただろうし、それにとってかわる理想の世界を、自分の信仰の中で考え出すようなこともしないですんだであろう。
しかしながら、あらゆる愛情がこのように進取の気象を振い起こさせるのに効果があるわけではけっしてない。与えられる愛情は、臆病でおどおどしているよりも、むしろ逞《たくま》しくて強いものでなければならない。愛情をうける側が求めているのは、安全であるよりはむしろ素晴らしい愛情なのである――もっとも、安全性なんかどうでもいいというものでないことは勿論ではあるが。
災難がおこるかもしれないことをたえず子供たちに注意し、犬はどんな犬でも噛みつき、牛はどれでもみな牡牛だと考えているような臆病な母親や乳母は、自分たちと同じ臆病さを子供たちにうえつけるだろうし、いつも自分のすぐ側についているのでなければけっして安全ではないというように思わせることだろう。
不当に所有欲の強い母親にとっては、子供のこうした感情は快《こころよ》いかもしれない。彼女は、世界にたち向かっていく子供の力よりも、自分に頼ってくれる方を望むであろう。そのようなばあい、その子供はおそらく、最後には彼が彼女から少しも愛されなかったときよりも、一層だめになってしまうであろう。
幼年時代につくりあげられた心の習慣は一生の間つづくようである――「三つ子の魂百まで」である。
たくさんの人々が恋愛に陥るとき、そこに世界から遁《のが》れるささやかな安息所をもとめる――そこでは、自分がとくに称讃に値いしないときでも、讃美される確信がもてるし、ほめられるだけの価値がないときでもほめられる。
多くの人々にとって家庭は、現実の世界から避難してきて慰めを求めるところである。恐れをいだくものと臆病なものこそが伴侶を求めたがるし、伴侶を得てはじめて彼らのその恐れも臆病さもやわらぐ。彼らは、幼い頃に愚かな母親から得ていたものを自分の妻に求めるのである。しかも自分の妻が、自分を大きい子供とみなしたりするので、びっくりするのである。
最良の愛情とはどんな愛情か――それを言うのは必ずしも容易ではない。なぜならば、愛情というものの中には、明らかに何かを守るという要素がふくまれているからである。われわれは、自分の愛するものの苦しみに無関心ではありえない。ところが多くのばあい、それが所有欲のカモフラージュであることがある。そのばあいは、相手の心配ごとに乗じて、相手にたいする、より完璧な支配権を自分の手におさめられるようにと、心の中で望んでいる。これが、男が内気な女を好んできた理由の一つである。このようにして男は、女をまもってやることによって、自分のものにするようになった。
愛された時、その得た愛情は二重のはたらきをする。一つは安心感を得るということであって、それについてはこれまですでに述べてきた。ところが大人の生活においては、愛情は、もっと本質的な生物学的な目的さえもっている――すなわち親になるという本性である。
性愛に燃えることができないということは、どんな男や女にとっても大きな不幸である。それは、人生が与えなければならない最大の喜びを、その男からも女からも奪い去るからである。そうすると、おそかれ早かれ、積極的な熱意というものを失わせてしまい、内向性を生みだすことがほとんど確実だからである。
また、幼少時代の不幸が性格的欠陥を生じさせ、それが後になってから愛をかち得ることができなくなる原因であるばあいがきわめて多い。たぶんこれは、女に関してよりも男のばあいの方が多いようにおもう――どうしてかというと、概して女は、男の性格にひかれてその男を愛するようになりがちであるが、男は容貌にひかれて女を愛するようになりがちだからである。この点からいえば、男は女よりも劣っていると言わなければならない。男が女の中に好ましいとおもう性質は、概して、女が男の中に好ましいとおもう性質よりもあまり望ましからぬものなのである。
これまでわれわれは、人が与えられる愛情について語ってきた。わたくしはこんどは、人が与える愛情について話したいとおもう。これにもまた二つの種類がある――その一つは、人生にたいする積極的な熱意の最も重要な表現としての愛情であるとおもうし、いま一つは恐怖の表現としての愛情である。前者のほうはわたくしには全く讃美に値するようにおもわれるが、後者の方はせいぜい慰め程度のものでしかない。
あなたがたがある晴れた日に、船に乗って美しい海岸を見ながら航行しているとする。その時あなたがたは、海岸の美を讃え、そこに喜びを感じる。この喜びは全く外界を眺めていることから得られる喜びである。そして、あなたがた自身が必死になって求めるものとは何の関係もない。ところがこれに反して、あなたがたの船が難破して、その海岸に向かって泳ぐとする。そのときあなたがたはその海岸にたいしてある新しい種類の愛をおぼえる。そのときその海岸は、波浪からあなたがたの身をまもってくれる安全性を代表している。このときは、それが美しいか、醜《みにく》いかということは重要な問題ではなくなっているのである。良い方の愛情というのは、乗っている船が安全に航行しているときの人の感情に相当するし、それほど芳《かんば》しくない方の感情は、船が難破して岸に向かって泳いでいる人の感情に当たる。これら二種の愛情のうち最初の方は、安全だと感じているか、さもなければ、とにかく、自分にふりかかる危険に全然無頓着であるときに可能であるにすぎないのであって、その反対に後者の方は、不安の感情によってひき出されたものである。不安からひきおこされる感情は、もう一方のよりもはるかに主観的で、自己本位なのである――というのは、人を愛するとき、その人が何か役に立つからしてやるといった性質のものであって、その人本来の性質を愛してするというものではないからである。
しかしわたくしは、このような種類の愛情といえども、人生における正当な役割を何もはたしていないと言おうとはおもわない。事実、ほとんどすべての真の愛情が、何かこの二種の愛情が結合したものをもっているのである。そして、愛情が本当に不安感をなくしてくれたとき、危険や恐怖の瞬間にはうすれていたこの世にたいする興味を再び感じさせてくれるのである。
しかしながら、そのような愛情が人生においてはたさなければならない役割をそれなりに認めていながら、しかもなおそれがもう一つの愛情よりも芳《かんば》しくないと考えざるをえないのである――なぜかというと、それは恐れからおこってきており、恐怖は悪だからである。さらにまたそれは自己本位だからである。
最良の愛情は何かというと、古い不幸から逃れようとするよりも、むしろ新しい幸福を得ようと望むことである。
最も良いタイプの愛情は、たがいに生気をあたえあうものである。それぞれ愛されることを喜び、愛さないでいられなくて愛する。そしてたがいに、この愛しあうというおたがいの幸福があるがゆえに、全世界を一層楽しいものとおもう。そういう愛情である。
しかしながら、こういう愛情もある――それはけっして珍しいものではなくて、一人の人があいての生気を吸いつくしてしまう愛情である。あいてが与えるものはもらうが、そのおかえしとしてほとんど何も与えない、そうした愛情である。非常に精力的な人間のうちには、こうした吸血型の愛情に属しているものもある。そのような人間は、一人また一人と犠牲になったものから生気を吸いとる。かれらは栄え、生きることのおもしろさが一層大きくなるが、生気を吸いとられた人間はだんだんと顔が蒼ざめ、影がうすくなり、ぼけてくる。かれらは、自分の目的のために他を利用する。そして他の人達のために考えてやろうとはけっしてしない。根本的には、かれらはただ一時、愛しているようにおもうだけにすぎないのであって、本当に心から想っているのではないのである。明らかにこれは、かれらの性質の何らかの欠点からくるものである。けれどもそれは診断することも、治療することもなかなか簡単ではない。
二人の人間が相互に想いあう純粋な想いやりという意味での愛情、おたがいが単に自分の利益のために役に立つ手段としてではなくて、むしろ二人の幸福のための結合としての愛情、そうした愛情こそが、真の幸福のもっとも重要な要素なのである。そうして、自我というものが鋼鉄の壁の中にしっかりと囲まれていて、こうした愛情を大きく育むことが不可能な人は、人生が与えてくれる最良のものを得そこなってしまう――どんなにその経験において立身出世しようともである。
愛情を見失ってしまうほどの野心は、一般に、人類に対するある種の怒りや憎悪の結果である――それは、若いときの不幸、成人してから後の生活の不義不正、もしくは、被害妄想狂に導くような何かの原因によってつくられたものである。
あまりにも強大なエゴは、牢獄のようなものであって、もしこの世の楽しみを十分に得ようとすれば、そのエゴから脱け出さなければならない。純粋の愛情をもてる能力は、この自我という牢獄から脱け出した人の特質の一つである。
愛情をうけるだけでは十分ではない。愛情をうけたら、与えなければならない。うける愛情と、与える愛情とが同量あるばあいにだけ、愛情は最高にその良さを発揮するのである。
心理的にしろ、社会的にしろ、たがいに愛しあう愛情が開花しようとするときに邪魔をするのは重大な悪である。この世はいつもそれに苦しめられてきたし、いまも苦しんでいる。
道徳と世間的知恵の二つの名において警戒がなされる――その結果、愛情が通わされなければならないところで、寛容さも、また積極的な冒険心も妨げられてしまう。これはすべて人類にたいする臆病さと憎悪心を生じさせる。なぜかというと、たくさんの人々が、真に根本的に必要なものを一生涯見失ってしまい、十人中九人までが、この世において幸福かつ発展しゆく人生をおくるための必須条件をそなえることができなくなるからである。性的関係においては、真の愛情といえるものがほとんどないことがしばしばである。敵意が根底にあることすらめずらしくはない。どちらも、自分自身を与えようとはしない。どちらも根本的には孤独を保持しようとする。どちらももとのままなのだから、実は結ぶということもないわけである。
そのような経験には何の根本的な価値もない。
わたくしはこう言いたい――真の価値ある唯一の性的関係というのは、何の遠慮もなく行われるものであり、両者の全人格が融け合って一つの新しい集合的人格が生まれるような関係であると。
あらゆるかたちの用心とか警戒とかのうちで、愛における用心、警戒こそが、おそらく真の幸福にとって最も致命的なものであろう。
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4 家族
昔からわれわれに伝わってきているあらゆる制度のうちで、今日、家族ほど混乱し、脱線しているものはない。
子供にたいする両親の愛情と、両親にたいする子供の愛情は、幸福の最大の源泉となることができる。けれども事実、今日においては、親子の関係は、十のうち九つまで双方にとって不幸の源となっており、百のうち九十九まで、すくなくともどちらかの不幸の源となっている。
本来、家族があたえることのできるはずの根本的な満足を、家族が供給できないでいるということが、現代のどこにでもみられる不幸不満の最も根深い原因の一つである。
自分の子供たちと幸福な関係をもちたいとねがう大人たちや、子供たちの幸福な人生をもたせたいと思っている大人たちは、親らしくあるということについて深く反省しなければならない。そして、反省したら賢明に行動しなければならない。
家族という問題は、この本でとり扱うにはあまりにも大問題すぎるので、ここではわれわれがいまとりあつかっている特殊の問題、すなわち幸福の獲得という問題との関係においてのみあつかうことにする。しかし、この問題との関係においてといっても、社会構造の変革という大きな問題があるにはあるが、それにはふれず、ここではそれぞれの個人の力の範囲内でできる改善に関してだけあつかい得るのである。
社会構造の変革にはふれないでと言っても、もちろんそれはきわめて大きな制限を付することになる。なぜならば、今日、家族の不幸の原因といっても、それには非常に多種多様な、たとえば心理的、経済的、社会的、教育的、それから政治的原因があるからである。
社会のうちでも裕福な階級では、女性が親となることを昔よりもはるかに重い負担と感じさせる原因が二つあって、それが密に結び合わさっているのである。この二つというのは、一つは独身の女性に職業の門がひらかれたことであり、いま一つは、女中奉公という制度が崩壊したことである。
昔は、未婚婦人にたいする生活の条件がとても耐えがたいものだったので、女性はどうしても結婚に追いやられざるを得なかった。未婚婦人は、経済的理由から家庭での生活に依存しなければならなかった――初めは父親に頼り、後には兄弟のうちの誰かに。その兄弟といってもあまりいい顔はしてくれない。彼女は日々の自分の生活をみたすだけの職業は、全然もっていなかったし、また、屋敷を囲っている塀の外で自分を楽しませる自由を得ることは全然許されなかった。彼女には、性的冒険を楽しむ機会は全然なかったし、またそのような傾向すらなかった。性的冒険などということは、結婚以外では忌《い》まわしい行為であると深く信じていた。厳重に警護されているにもかかわらず、誰か誘惑を仕組むものにだまされて処女を失ったとすれば、彼女の立場はとても気の毒なものとなった。
それはまさしく『ウェークフィールドの牧師』という詩のなかに描かれている――
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彼女の罪を覆いかくし、
彼女の恥をすべて人の目から隠し、
彼女の恋人を後悔させ、
彼の胸を苦しませる
たった一つの方法――
それは死ぬことである
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ところが現代の未婚婦人は、このようなばあいでも、死が必要だなどとはまったく考えていない。
もし彼女がよい教育をうけていれば、気楽な生活を営むのに少しも困らない。それで一々両親の許可をうける必要がない。両親は、娘たちを支配するだけの経済力を失ってしまっているのだから、道徳の上から娘たちを責めなければならないときでも、それを言うのに非常に遠慮がちになってきた。だまって叱られていたくないと思っている者を叱ってみてもあまり役にはたたない。
そこで若い未婚女性で職業をもっているものなら、子供を欲しいなどという気持ちさえおこさないでいれるならば、今日では、完全に自分の気にいる生活を楽しむことができるのである。
けれども、子供を欲しいとおもう気持が彼女を圧倒したら、彼女は結婚することを余儀なくされるし、まず間違いなく職を失うことになる。彼女は、これまで慣れてきた生活よりも、はるかに低い生活水準の楽しみでがまんしなければならなくなる。なぜかといえば、彼女の夫の収入は、彼女が前に得ていた収入ほど多いものではないだろうし、独身女性の一人暮らしだけではなく、今度は家族を扶養しなければならないからである。独立の生活を経験したあとでは、必要経費の一ペニーにいたるまで、他人に依存しなければならないということは、とてもいまいましくおもわれる。すべてこうした理由から、そのような女性は、母親となることをためらうのである。
それにもかかわらず、そうした境遇に飛びこむ女性は、前の世代の女性とくらべてみるとき、新しい、しかもぞっとするような問題にぶつかるのである――すんわち、女中が不足しているということと、その質が悪くなっているということである。その結果として彼女は家にしばりつけられ、彼女の能力やいままでうけた教育には、ちっともふさわしくないような数限りないつまらない仕事を自分でしなければならない。もしそれを自分でやらなければ、女中にやらせなければならなくなる。ところが女中ときたらそれをなおざりにしてしまう。そこでその女中を叱りつけるわけだが、それですっかり気分を害さざるをえないことになる。
限りない煩雑な仕事にうちひしがれて、彼女の魅力と、その知性の四分の三を失うようなことがなければ、本当に幸いである。単に日常なすべき仕事をきちんとやっているにすぎないのに、夫にとっては退屈な存在になり、子供たちにとっては厄介物になる――そうした女性があまりにも多い。夕方になって、夫が仕事から帰ってきたとき、自分の日中の苦労話をする女は、男をうんざりさせる女であるし、そうかといって、そうした話をしないような女はぼんやりものである。
子供との関係では、子供を生むためにはらった犠牲が、心の中であまりに生なましいのでつい、期待してもさしつかえない以上の報酬を要求するのはまずまちがいなかろう。それに、煩雑なことにつねに気を配っていなければならない習慣が、彼女をこうるさくさせ、小心者にするようになる。
このように、あらゆる不当なもののうちでも、最も悪性なものを彼女はうけ、それに悩まされなければならないのである。自分のなすべきつとめ、しかも自分の家族のものから課せられた義務をきちんとはたした結果が、家族のものから愛情をもたれなくなることになったわけである。ところがそれと反対に、もし彼女が家族のことなどてんでおかまいなしで、いつも陽気で、チャーミングであれば、おそらく家族のものたちは彼女をあいしたことだろう。
こうしたトラブルは、本質的には経済上の問題であるが、ところがこれとほとんど同じくらい重大な別の問題がある。わたくしが言わんとするのは、人口が大都市に集中することから起こってくる住宅問題である。
中世紀においては、都市はちょうど今日の田舎と同じくらい田舎だった。子供たちはいまでも次のような童謡を歌っている――
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セントポールのお寺の塔の上に一本木がそびえ
リンゴがいっぱいなっている
ロンドン町の子供たち
棒もておとしにやってくる
垣から垣へと駆けまわり
ロンドン・ブリッジに来てしまう
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セントポール寺院の尖塔はもうなくなった。わたくしは、セントポール寺院とロンドン・ブリッジの間の垣根が、いつなくなったかしらない。ロンドンの町の子供たちが、この童謡がうたっているような楽しみをもてた頃から何世紀もたっている。しかしそんな遠いむかしでなくとも、人々の多くは田舎に住んでいた。町々といってもそんなに大きくはなかった。町から出かけていくのはそんなに難しくはなかった。田舎にあるたくさんの家々に庭がついているのを見ることは、けっして珍しいことではなかった。今日英国では、田舎の人口にくらべて都会の人口がはるかに大きい。アメリカではこの差がまだわずかである。けれども非常に急速に増大しつつある。ロンドンやニューヨークのような都会はあまり大きすぎて、その外に出かけていくのに、そうとうに長い時間がかかる。都会に住む人達は通常、アパートで満足しなければならない。もちろんそのアパートには一平方インチの土もくっついてはいない。その中で普通程度の暮らしをしている人々が、最小限の空間で満足しなければならない。そこに小さい子供たちがいようものなら、アパート暮らしは難しい。子供たちの遊び場がない。そしてその親達には、子供たちの喧噪からのがれる逃げ場がない。その結果として、勤め人たちはだんだんと郊外で暮らすようになる。郊外で暮らすことは、子供たちの見地からみれば明らかに望ましい。けれども大人の生活の疲労をかなりふやすことになる。そして家庭ではたしうる役割を大いに減らしてしまう。
しかしながら、そのような経済的な大問題は、ここで論じようとおもっている事柄ではない。なぜならばそうした問題は、われわれがいま取り上げている問題、すなわち、一人々々がいま、ここで、幸福になるにはどうしたらいいかという問題からはずれるからである。
われわれが、どうしたら幸福になれるかというこの問題に近づこうとすれば、どうしても、今日親と子の間の関係に存在する難しい心理的な問題にふれなければならない。それはまさしく民主主義によってひき起こされた問題の一部にほかならない。
昔は主人と奴隷があった。何をなすべきかを決定するのは主人であり、概して主人は自分の奴隷を愛していた――奴隷は主人の幸福のために仕えていたからである。奴隷たちはあるいはその主人を憎んでいたかもしれない。けれども、民主主義理論がわれわれに想像させたほどには、一般的にそういう現象がおこることがなかった。もっとも奴隷たちがその主人を憎んだとしても、主人の方では全然その事実に気がつかなかったのである。とにかく主人の方では幸福だった。ところがこうしたこともすべて、民主主義理論が一般に普及するとともに変化してしまった。
親子の間の関係が変わったということも、民主主義が一般に普及したまさしくその実例である。親はその子供たちにたいする権利をもはや確信していない。子供の方では親にたいして尊敬をはらうべきだとはもはや思っていない。服従の美徳は、昔は問題なく強要されていたが、いまでは流行おくれになった。そしてそれが正しいのである。精神分析のおかげで親達は、自分らが何の気なしに子供たちにあたえる害についておそれをいだかされた。子供たちにキッスをしてやれば、エディプス・コンプレックス(息子が母親にたいしていだく無意識の性的思慕)を生みだすかもしれないし、もしキッスをやらなければ、烈しい嫉妬を生じさせるかもしれない。親は赤ん坊が親指をしゃぶっているのをみると、あらゆる種類の恐ろしい推理をたくましくする。それでもそれを止めさせるために、何をしたらいいかと考えると、全く途方に暮れてしまう。むかしは親たるものは、いたけだかになって権力を行使したものだが、いまではびくびくものになり、心配ごとが多く、どうしたらいいかといつも思い惑っている。
むかしの単純な喜びは失われた。そしていま、母は、母となることを決心するのに、むかしよりもはるかに多くのものを犠牲に供しなければならなくなっている――独身女性の方が新しい自由に恵まれているからである。こうした事情の中で、良心的な母親は子供たちに求めることがあまりにも少なすぎるし、良心的でない母親はあまりに多く求めすぎる。良心的な母親はその本来の愛情を抑制し、内気になる。良心的でない母親は、自分がさしひかえなければならなくなった喜びの償いを自分の子供たちに求めるのである。前の場合には子供たちは愛情に飢えるようになり、後の場合には刺激過剰になる。どちらのばあいでも、家族が最良の状態であたえることができた、単純で、自然な幸福はすこしもなくなってしまった。
すべてこのようなトラブルを考えてみるとき、出産率が低下したとしても何の不思議があろう。人口全体を見るとき、出産率の低下は人口がまもなく減少することを示すところまできている。裕福な階級にあっては、とっくのむかしからこのような状態であった。しかもそれは単に一国だけの現象ではなく、実際のところすべての最高文明国においてそうであった。裕福な階級の出産率に関して入手できる統計はあまりたくさんはない。けれども前にあげたジーン・エイリングの本から二つの事実を引用することができる。すなわち、ストックホルムでは、一九一九年から一九二二年までの間に職業婦人の妊娠率は、女性総人口の妊娠率のわずか三分の一にすぎなかった。一八九六年から一九一三年までの期間、米国、ウェルズリー・カレッジ(マサチューセッツ州ウェルズリーにある私立女子大学)の卒業生四千人のもった子供の総数は約三千人であった。ところで子孫の数が現実に減っていくのを防ぐためには、八千人の子供が必要であり、そのうち一人として若死にしないということが必要だった。白人によったもたらされた文明が、こうした奇妙な特徴をもっているということは疑いないことである。すなわち、男も女もこの文明を吸収すればするほど、不妊症になるということである。文明の最も進んだところでは最も不妊が多く、文明の最も遅れているところこそ最も多産である。そしてこの両者は段階的につながっているのである。現在、西洋の国々で最も知的な階級が亡びつつある。実に二、三年以内に、西洋の国々全体としてその数が減っていくだろう――文明の低い地方から移民がどんどんなされなければである。ところがその移民たちは、自分たちの入って来たこの新しい国の文明を身につけるやいなや、今度は自分たちが相対的に不妊になることであろう。
このような特徴をもつ文明が不安定であることは明らかである。それは、人口の数を増すように導かなければならない。そうでなければおそかれ早かれ、文明は死にたえてしまい、親になろうとする欲求が人口の減退を防ぐだけの強い力をそなえている、何か他の文明にとってかわられるにちがいない。
あらゆる西洋諸国のきまりきった道徳論者たちは、この問題を訓戒めいた言い方や感傷的なやり方であつかおうと努めた。一方においてはかれらは、神の欲し給う数だけ子供を生むのが、結婚した夫婦すべてのものの義務であると言う――その子供たちが健康と幸福をもちうるかどうかについては全然おかまいなしにである。もう一方においては、男の僧侶たちは母親になることは神聖な喜びだというふうにぬけぬけと喋《しゃべ》り、病気と貧困にうちひしがれた子供たちをもつ大家族が、いかにも幸福の泉であるかの如くまことしやかにのべたてる。国家は国家で、大砲の餌食《えじき》になるぐらいの相当の数の人間が必要だなどという論をひっさげてこの問題にちょっかいをかけてくる。もしそのように精巧で優秀な破壊兵器を殺人に使うほどの十分な人口が無いとすれば、一体どのようにしてその破壊兵器をはたらかすことができるのか。
奇妙にもひとりひとりの親は、こうした議論を他人に当てはまるものとして認めはするものの、自分にあてはまるものだという論になると全然耳をふさいでしまう。
今日のいろいろな事情から離れて、人間性そのものを考えてみたとき、親になるということは、人生が提供すべき最大の、そして最も長つづきする幸福を心理的に与えることができる――これは明白なことだとおもう。このことは疑いもなく男よりも女の方にあてはまる。しかしたいていの現代人が想像するよりは、男の方もそのとおりとおもってさしつかえない。そうしたことはむかしの文学ではほとんど全部といっていいほど当然のこととして扱われていた。ヘカベは、その夫プリアモスにたいしてよりも子供の方によけい心を配ったし、マクダフは、妻よりもその子供たちの方によけい気を配った。旧約聖書においては男女両方ともが子孫をのこすことに情熱的であったし、こうした態度は、中国や日本では今日までつづいている。子孫の繁栄をねがう気持ちは、祖先崇拝に由来しているというかもしれない。しかしわたくしはその逆だと思う。すなわち祖先崇拝は、人々が子孫の存続によせている関心の反映にほかならない。
すこし前に論じた職業婦人の問題にたちかえってみよう。彼女たちの子供をもちたいとおもう欲求は非常に強力である。そうでもなければ彼女たちは、その欲求をみたすために犠牲をはらうなどということを一人としてするものがあるまい。
わたくし個人のことについていえば、わたくしが経験した何ものにもまさって、親になることの幸福を発見したものだ。わたくしはこう信じる――事情が、男でも女でも、この幸福を放棄させるようなばあい、非常に深い欲求というものが満たされないままになる。それが理由の不確かな不満や無気力を生むのだと思う。
この世で幸福であるためには、とくに青年時代を過ぎてからは、まもなく一生が終わってしまう孤立した個人としてだけ自分をみるのではなく、生命創造の起源から遙かな未知の未来へと流れつづけている、生命の流れの一部として考えることが必要である。
何かしるしを後世にのこすような偉大な、そして顕著な業績をなし得る人は、この気持を仕事をとおして満たすことができる。しかし特別な才能に全然恵まれていない男女にとっては、それができる唯一の道は子供をとおしてだけなのである。
自分の生殖的衝動を萎縮するがままにしてきた人々は、自分自身の生命の流れから隔離してしまったわけである。そして、そうすることによってひからびてしまうような大変な危険をおかしてしまったのである。かれらにとっては、特に非人間的な存在でもないかぎりは、死がすべての最後である。自分のあとに来る世界は自分には関係ない。そのために、自分がどんなことをしても、それはいたってつまらなく、重要でないものに思われる。
子供や孫たちをもち、それを自然な愛情で愛している男女にとっては、ともかく生あるかぎりは未来はたいせつである。しかもそれは、道徳とか、想像の努力によってそうなのではなく、自然に、そして本能的にそうなのである。
家庭の主たる要素は何かというと、それはもちろん、両親がその子供たちにたいして特別の愛情を感じている――つまり、夫婦おたがいの間で感じあったり、他人の子供たちに対して感じるものとは異った愛情を感じているという事実である。親の中には親としての愛情をほとんど感じなかったり、全然もたなかったりしているものがあることは事実である。また、女の中には、自分自身の子供にたいするとほとんど同じくらい強い愛情を自分のでない子供たちに感じることのできるもののあることも事実である。しかしそれにもかかわらず、親の愛情というものは、普通の人間ならば、自分自身の子供たちにたいして経験する特殊の感情であって、自分の子供以外の他の人間にたいしては感じない特別の感情であることは、広く事実としてのこっている。この感情は、古の動物だった祖先からうけついでいるものである。この点に関しては、フロイドの見方は十分に生物学的でなかったようにおもわれる。なぜならば、子供をもっている動物の母親を観察すると、誰でも、子供たちにたいする彼女の行動が、性的関係をもっている雄《おす》にたいする行動とは、全く異なった型にしたがっているのを見ることができる。そしてこれと同じ型で、いくぶんやわらげられ、それほどはっきりした形ではないが本能的な型が人間にも存在するのである。
もし、こうした特殊の感情がないとすれば、一つの制度として家族について言うべきものはほとんど何もないことになろう。子供たちはみな同じように専門家にまかせていいことになろう。
しかし実情がそうであるように、親が子供にたいしてもつ特別の愛情は、その本能が萎縮してしまっていないかぎりは、両親自らと、子供たちの両方にたいしても価値がある。
子供にたいする親の愛情が価値があるというのは、主として、それが他のどんな愛情よりも信頼できるからである。友達が好きになってくれるのは長所を見てくれるからである。恋人が恋してくれるのはひきつけるだけの魅力があるからである。もしその長所が減ってくれば友は消え失せ、魅力が減退してしまえば恋人は消え失せてしまうかもしれない。しかし、親がもっとも頼りになるのは不幸に際してである――たとえば病気の時である。もし正しい親であれば、罪におちた時でさえもである。
親はわれわれを、自分の子供なるがゆえに愛する。これは変わることのない事実である。そのためにわれわれは、他の誰と一緒にいるよりも親と一緒にいる方が安全だと思う。成功で喜んでいるときは、これはたいして重要でなくおもえるかもしれない。しかし失敗で悲しんでいるときは、他のどこでも見出すことのできない慰めと安心感をあたえてくれる。
あらゆる人間関係において、一方だけ幸福を確かにするということはかなりたやすい。しかし、両方の側が確かにするということははるかに難しい。看守は囚人を見張っていることを楽しんでいるかもしれない。雇い主は使用人を叱りとばすことを楽しんでいるかもしれない。支配者は国民をがっちりと治めていることを楽しんでいるかもしれない。そのように、古風な父親が鞭《むち》を片手に徳を息子に強いることを楽しんでいたのは疑いないことである。
しかしこうした楽しみは一方的な楽しみである。当事者のもう一方の側にとっては、あまり楽しいものではない。われわれは、このような一方的な喜びに何かしら不十分なもののあることを感じるようになった。われわれは、よい人間関係というものは両方の側から満足のいくべきものであると信じている。このことは特に親と子供の関係にあてはまるし、一方、子供の方は親の許《もと》で苦しむということがずっと少なくなっている。つまり親はむかしよりも子供から喜びをうけることがずっと少なくなっている。しかし、これが今日の現状であることは疑いないのであるが、親が子供たちから以前ほど幸福を得てはならないという理由はないとおもう。
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5 仕事
仕事が幸福の原因としてかぞえられるべきか、もしくは不幸の原因としてかぞえられるべきか、これはおそらくむずかしい問題のようにおもわれるだろう。たしかに世の中にはとてもうんざりするような仕事がたくさんあるし、仕事が多すぎるということはとてもつらいものだ。しかしわたくしの考えでは、最も退屈な仕事でも、その分量が多すぎなければ、たいていの人にとっては仕事がなくてぶらぶらしているよりも苦痛ではない。
仕事にはさまざまあって、その性質や、仕事をする人の能力にしたがって、単なる退屈しのぎのものから、最も深い喜びをあたえる仕事まであらゆる程度の仕事がある。たいていの人がしなければならない仕事の大部分は、それ自体はあまり面白くないものだ。しかし、そうした仕事にも何かしら大きな利点がある。まず第一にそれは、とくに何をしようかとまよわないでも、一日のうちの相当の時間をつぶしてくれる。たいていの人は、自分の時間を好きなように使えといわれると、十分に楽しくもあり、するだけの価値のあることを考えつくのに困惑してしまう。そして、どんな事にせよ、一旦やるぞと決めてしまうと、今度は何かほかのことの方が、もっと楽しかったかもしれないと考えだして苦々しくおもうものである。
ひまな時間を気のきいたふうにすごすことができるようになったのは、ごく最近の文明がもたらした産物である。だからこのレベルにまで到達しえた人はごくまれにしかいない。それだけでなく、いったい何をしたらいいかという選択そのことがまことに面倒なことである。非常にすぐれたイニシアティヴ(率先して事をなす力――主導性)にめぐまれた人は別として、その日一日の為すべき時間割をあたえられるということは気持ちのいいことである――その命令があまり不愉快なものでなければ。
たいていの怠惰な金持ち連中は、骨の折れる仕事をしないでもいいかわりに、言いようもないほどの退屈に悩まされている。もちろん時々は、アフリカに猛獣狩りにいったり、飛行機で世界一周をしたりして気をまぎらわすことができる。しかしこうしたセンセーショナルな気晴らしにしても、それには限りがある――青年時代がすぎたあとではなおさらのことである。それでもっと賢明な金持ちの連中は、まるで貧乏人ででもあるかのようにせっせと働く。一方、金持ちの女は、自分では地をゆるがすほどの重大な仕事だと思いこんではいても、実はごくつまらない無数の仕事に追われて、自分を忙しくしているのである。
だから仕事は、まず何よりも退屈を予防する上から望ましいものである。あまりおもしろくなくとも、どうしてもやらなければならない仕事は、なるほど退屈なものであろうが、来る日も来る日も何一つする仕事がなくて感ずる退屈にくらべれば、なんでもないことである。
それから仕事のもたらすもう一つの利点がある――それは、仕事が、巡ってくる休日を非常に楽しいものにしてくれることである。すっかり体力を消耗してしまうほど、激しく働かなくともいいような仕事であれば、ひまな人よりもはるかに多くの楽しみをその休日の自由な時間に見出すことができよう。
仕事を楽しいものにしてくれる二つの要素がある。一つは技能、そしていま一つは建設である。
何か並はずれた技能を身につけた人は、それをらくらくと発揮し得るようになるまで、もしくは、これ以上進歩向上の余地なしといえるところまで、それを実地にはたらかすことを楽しみとするものである。このような行動にたいする動機は、幼年時代に芽生えるのである。たとえていうと、逆立ちできる少年は足で立つことがいやになる。多くの仕事が、ちょうど熟練した技能の競技によって与えられる喜びと同じ喜びをあたえてくれる。弁護士や政治家の仕事には、ちょうどトランプのブリッジ遊びからあたえられるのと同じような喜びがふくまれている――トランプ遊びよりははるかに愉快な仕事ではあるが。その中には、単に技能をはたらかせるというだけではなく、熟練した技能をもっている敵の裏をかくという喜びもふくまれていることはもちろんである。このような競争的な要素が全然ふくまれていないばあいでも、困難な離れわざをやってのけるということは愉快なことである。飛行機の曲乗りのできる男は、そのことに大きな喜びを見出せるので、そのために彼は喜んで生命の危険さえおかす。有能な外科医は、手術をするのに非常に難しい条件があるにもかかわらず、その手術を巧妙にしかも正確に行うことのうちに喜びを見出す。しかもこれと同じような喜びが、たとえそれほどには強烈なものでないにせよ、数多くのとるに足らないようなつまらない仕事からも、ひき出すことができるであろう。
幸いにもこの世の中には、さまざまの新しい事情が新しい技能を必要とし、人がともかく中年に達するまで、その技能の進行向上をつづけていける仕事がたくさんある。ある種の熟練した仕事、たとえば政治などにおいては、政治家がその技能を最高に発揮しうるのは、六十歳と七十歳の間であるように思われる。つまりこのような仕事では、他の人々のことについて、広く熟知していることが必要だからである。このような理由から、成功した政治家は、七十歳という年齢で、政治家でない他の同年齢の人達よりも幸福であることが多いのである。この点で政治家の唯一の競争相手は大実業家たちである。
ところで、非常にいい仕事にはもう一つの要素がある。そしてそれは幸福の源泉としては、技能を発揮することよりももっと重要なものである。すなわち建設という要素である。ある種の仕事は、大部分の仕事がそうだというわけにはいかないが、その仕事が完成されたあかつきに、永遠に記念碑として残るような何かが作り上げられるだろう。われわれは建設と破壊を次の基準で区別することができる。建設のばあいは、初めのうちはどういうものになるのかはっきりしなくとも、結局は一つの目的がちゃんと完成されているといった性質のものである。ところが破壊のばあいは、全くその逆である。すなわち最初の状態では一つの目的を示しているのに最終の状態ではでたらめになっている――つまり破壊が企図するところは、すべて一定の目的を示すことのないような事態をつくり出すことにほかならない。
こうした基準は、建築物の建設と破壊といったばあいに、全く文字どおりに、そして最も明白にあてはまる。一つのビルディングを建築するばあいは、あらかじめ作られた計画が実行にうつされる。ところがこれを破壊するばあいは、その破壊が完了したときに、材料をどういうふうに整頓するかなどということを誰もきめてはおるまい。破壊はもちろん次に来る建設のための準備として非常にしばしば必要である。そのばあいには、建設的な性格をもつ一つの全体の一部分なのである。ところが時として人は、そのあとにくる建設のことなど何も考えないで、破壊だけを目的とするような活動に従事することがある。このばあいその人は、おうおうにして、自分はただ新しく建設し直すために古いものを一掃しているにすぎないのだ、と自ら思いこむことによって自らをごまかそうとする。ところが、こういうことがもし単なるみせかけだけの口実にすぎないばあいには、それにつづく建設がどんなものかということをたずねることによって、その口実としている仮面をはぐことが普通は可能である。つまり、こういうふうにたずねてみると、彼は曖昧《あいまい》に、何らの熱意もみせずに話すことがはっきりするだろう――初め破壊に当っては、彼は明確に、また非常な意気込みをもって語ったのにである。
いまここに述べていることは、おそらくはすくなからぬ革命家、軍国主義者、その他の暴力の使徒たちにあてはまる。このような人達は、普通、自らは何も気づかずにただ憎悪によって駆りたてられている。つまり、かれらが憎悪しているものを破壊するのが目的である。そして、そのあとに来るべきものは何かという問題については比較的無関心である。
ところでわたくしとしても、建設という仕事と同じように、破壊という仕事の中にも、喜びがありうるということを否定できない。それはきわめて激しい喜びである。おそらく、ある瞬間には、非常に強烈な喜びであろう。しかしその喜びはあまり深い満足をあたえるようなものではない。なぜならば、破壊のもたらす結果は、あまり満足が見出せないようなものだからである。あなたがたを敵が殺したとする――その敵が死んでしまえばあなたの仕事も終わってしまう。そしてその勝利からくる満足も急速に消えていく。これに反して建設の仕事は、ひとたび成就すると、あらためて考えてみても楽しい。それだけでなく、もはやそれから先き、することが一つもなくなるほどに、完全に出来上ってしまうということはけっしてないものである。
最も大きな満足を与える目的とは、一つの成功からさらにまた次の成功へと、終ることなく無限に導いてくれる目的である。そしてこの点で、建設が破壊よりももっと大きな幸福の源泉であることがわかる。多分こういった方がもっと正確であるかもしれない――すなわち、建設の中に満足を見出す人は、破壊を愛する人が破壊の中に見出す満足よりも、はるかに大きな満足を見出すと。なぜならば、もしひとたび憎悪の念でみたされてしまえば、ほかの人が汲みとるような喜びを、建設の中からさえ汲みとることが容易でなくなるだろうからである。
同時にまた、何か重要な建設的な仕事に従事する機会ほど、憎悪の習慣を治すにあずかって力のあるものは他にはあまりあるまい。
大きな建設的な事業の成功によって得られる満足は、人生がもたらす満足のうちで最も実質的なものの一つである――残念ながらその最高のものとなると、ごくかぎられたわずかの特別の能力をもった人々に許されるだけであるけれども。けっきょくは、その仕事は悪い仕事だったという証拠ででもないかぎりは何か重要な仕事をうまくなし遂げたときの幸福を何ものも奪いとることができるものではない。そのような満足にもたくさんの種類がある。たとえば、ある灌漑の方法を用いて荒地にバラの花を咲かせることに成功した人は、最もあらわな形でその幸福をたのしむ。一つの組織をつくるという仕事もきわめて重要な仕事である。混沌としている中から秩序をつくり出すために、その生涯をささげた若干の政治家のばあいも、まさしくこのようなものだ。その最高の例をもとめるとすれば、まずレーニンをあげることができよう。さらにより明瞭な例として芸術家と科学者がある。シェイクスピアは自分の詩にたいしてこう言っている――「人間が呼吸しつづけるかぎり、その目がものを見ることのできるかぎり、この詩はいつまでも生き永らえよう」と。そしてこのような想いが彼の不幸を慰めたであろうことは疑いない。彼は自分の作った幾つかのソネット(短詩)の中で、友人のことを想ったとき、人生というものと和解できたと詩《うた》っているが、彼がその友人のためにささげたソネットそのものが、その友人よりもむしろ彼自身の不幸を慰めることに、より一層効果があったと考えざるをえない。
偉大な芸術家や科学者は、それ自体喜びに満ちた仕事をしている。事実、その仕事をつづけているかぎり、その仕事は、その人からの尊敬ならうけるだけの価値のある、そういう人達からの尊敬をちゃんと確実にしてくれる。しかも彼にたいするこのような尊敬は、最も本質的な力、すなわち人の思想や感情を支配する力をあたえてくれる。
このようにして最も偉大な芸術家や科学者は、自分自身を幸福者とおもう最も確かな理由をもっているわけである。
そこで、このように恵まれた条件が結びあわされば、それはどんな人々をも幸福にするに足るものだとおもうかもしれない。しかしそうとばかりもいえない。たとえば、ミケランジェロはとても不幸な人であった。そして彼はこう言った――もし自分が、貧乏な親類たちの借金を払わなければならないというようなことがなかったら、おそらく芸術作品をつくるなどという苦労をしなかっただろうと。もっともわたくしはこのことばが真実だとはおもわないが。偉大な芸術作品を生み出す力というものは、いつもそうだというわけではないが、非常にしばしば性格的な欠陥といった不幸と結びついている。しかもこの気質上の不幸というものは非常に強力なもので、もし芸術家がその仕事から喜びを得るということがなかったら、おそらくその不幸のために自殺においやられるかもしれない。だからこそ最も偉大な仕事だからといって、それが必ず人間を幸福にしないでおかないものだと言いきることはできない。われわれはただ、それがいくらかでも彼の不幸を少なくしてくれるにちがいないと言えるだけだ。
ところが科学者のばあいになると、それが気質上のことから不幸になるということは、芸術家のばあいよりもずっと少ない。それどころかたいていのばあい、科学上の偉大な仕事をしている人は幸福な人達である。かれらのこの幸福は元来かれらの仕事からわいて出てくるのである。
今日の知識人たちの間でみられる不幸の原因の一つは、かれらの多くが、特に文筆家としての技能のあるばあい、その才能を自由に発揮できる機会をもたないということである。それどころか、俗物に支配されている金持ちの集団に自らを賃貸ししなければならない。そしてその金持ちたちは、かれら知識人たちにとって有害で、ナンセンスにすぎないと思われるようなものを書けと迫るのである。こころみに英国でもアメリカでもいい、かりにそこの新聞記者たちに、自分の働いている新聞社の政策を心から支持しているかどうかをたずねてみたら、ほんの少数のものしか支持していないことがわかるとおもう。あとのものは、生計のために、自分では有害だと信じている目的のために、自分の技能を売って自らを汚しているのである。このようなことをしては、自分自身をいやおうなしにシニカル(冷笑的)な人間にしてしまい、ついにはどんなことからでも心から満足を得るということができなくなる。こんなことをしている人達でも、わたくしは非難するわけにはいかない――というのは、そういうことをしないために餓死するとなれば、それはあまりにも問題が深刻だからである。けれども、餓死する心配もなく、人間の建設的衝動を満足させるような仕事が可能であるばあいには、やるだけの値うちのない仕事のように自分ではおもいながらも、ただ給料が高いというだけで、そのような仕事をしないように、彼自身の幸福のために忠告する。
自尊心なくしては、真の幸福はまずありえない。そして、自分の仕事を恥じている人は、立派に自尊心をもてる見込みがまずない。
人生を、ばらばらではなく全体的に眺める習慣は、英知とその徳性の本質的な一部である。そしてそれは教育によって助長されなければならないものである。一貫した目標は、それだけでは人生を幸福にするのに十分とはいえないが、しかし幸福な人生の条件としてはまず不可欠な要件といっていい。一貫した目標というのは主として仕事の中に具現される。
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6 努力と|まかせる境地《ヽヽヽヽヽヽ》と
「中道」ということは、あまりひとびとがとびついてくれない教えである。わたくしはいまでも思い出すことができるが、若かった頃この教えを軽蔑と憤りをもって拒否したものである。そのころ讃美していたのは英雄的な極端さであったからである。しかしながら、真理というものはかならずしも面白いものだとはかぎらない。それなのに面白いからというので信奉されていることがたくさんある――実際はそれが、ためになるという証拠がたいしてないのにである。
中道という教えもこのいい例である。それはおもしろ味のない教えではあるかもしれないが、しかしきわめて多くのばあい、たしかに真理の教えである。
中道をまもることが必要だということは、ある点で、努力ということと、まかせる境地との間のバランスに関係しているのである。
これまでこの二つの信条には、それぞれその極端な主唱者があった。まかせる境地について説教してきたのは聖者や神秘主義者である。一方、努力主義を説いてきたのは、能率第一主義の専門家やマスキュラー・キリスト教徒たちであった。この相対立する両派は、それぞれ真理の一部をもっているものではあるが、真理の全部というわけではない。わたくしはこの章で、両者のバランスを得る方法を論じてみたい。
まず最初、努力をすすめる方の立場から始めることにしよう。
幸福は、非常にまれなばあいを除いては、単に幸福な境地にいるからといって、だまっていても、熟した果物が口の中におっこって来るようなものではない。だからこそわたくしはこの書を「The Conquest of Happeiness(幸福の獲得)」と名づけた。事実、この世は、避けられる不幸や避けられない不幸、それから病気や心理的な葛藤、さらには闘争、貧困や悪意――そういうもので満ちみちている。だから、幸福であろうとする男女は、おのおのに襲ってくるそれら無数の不幸の原因とたたかう方法を発見しなければならない。もちろんごくまれには、そうたいして大きな努力を必要としないこともある。たとえば十分な遺産をうけつぎ、単純な趣味をたのしみ、よい健康にめぐまれた、気楽なひとのいい人間であったら、人生を気分よく暮らし、よそであんなに悶着が多いのはどうしてなのか、と不思議におもうことだろう。あるいはまた、怠けもので器量のいい女も、もし彼女にあくせくはたらくことなど何も求めないような金持ちの男と結婚し、結婚後も脂肪ぶとりになることなど何とも気にしないようであれば、やはり怠惰な生活をけっこうたのしみながらのらりくらりとすごすことであろう――もっとも子供たちのことでも幸せであればであるが。しかしこのようなばあいはあくまでも例外である。
たいがいの人々は金持ちでもないし、生まれつき気のいい人達とはかぎらない。多くの人は、静かな、そして規律正しい生活をがまんのならないほど退屈なものと感じさせるような安らかならぬ情熱をもっている。健康にしたところでそれをいつも保てるとは誰にも保証できないめぐみでしかないし、結婚といっても、常に変わりなく幸福の源であるとはかぎらない。すべてこのような理由から、幸福は、たいがいの男女にとって、神からの贈物というよりは、むしろ努力して達成しなければならないものなのである。内面的にしろ外面的にしろ、その達成のためには努力が大きな役割をはたさなければならないのである。内面的な努力というと、必要となる諦めの努力もふくまれることになるので、さしあたってまず外面的な努力だけを考えてみることにしよう。
男にしろ女にしろ、生活のために働かなければならない人なら誰でも、このように努力が必要であるということは強調するまでもなく、あまりにも明らかなことである。なるほどインドの行者ならば、何の努力もなしにただ椀をさし出して信者の施しをもらうだけで生きていくことができる。しかし西欧諸国においては、この種の収入の得かたを当局は好ましいこととは思わない。その上、西欧の気候は、もっと暑く、そしてもっと乾燥した国々におけるほどは、乞食にとって快適なものではない。すくなくとも冬期になれば、暖房のきいた室内で働くよりも、戸外で怠けているのを好むという人はまずないだろう。だから西欧においては、あきらめだけが幸福への道ではないのである。
西洋の大多数の人達にとっては、幸福のためには単に食って生きていく以上のことが必要なのである。成功しているという感情を持ちたいからである。ある種の職業、たとえば科学研究などにおいては、大して収入のない人でも、この成功感を味わうことができる。ところが大多数の職業においては、収入が成功の尺度になっている。この点から、多くの人々のばあい、どんなあきらめの要素が望ましいかという問題にぶつかってくるのである。なぜならば、この競争のはげしい世の中では、成功ということは、ほんの少数の者だけが可能であるにすぎないからである。
結婚ということは、努力が必要であったり、なかったり、状況の如何による。男女どちらかの数が少ないばあいには、たとえば男の方が少ない英国や、女の方が少ないオーストラリアのばあいのように、少ない方の性に属する人間は、一般に、自分の望む相手と結婚するのにあまり努力を必要としない。ところがその性の反対の側にとっては事情が正反対である。
女の方が多いばあい、この点に関して女がどれほど頭をつかい、努力するかということは、婦人雑誌の広告をしらべてみれば明らかである。男の方が多数であるばあいには、もっと手っ取り早い方法、つまりピストルの技倆を使うような方法をとる。これは自然である――というのは、男というのは大多数、文明すれすれのところで野蛮なうちあいをするのがしょっちゅうだからである。
もし何か一方の性の数を激減させられるような疫病が発生して、男性の数だけが多くなったばあい、英国の男たちが何をやらかすものか、わたくしには見当もつかない。もしかすると、かれらはもう一度古代にもどって、女にでれでれする伊達《だて》男のやり方にかえるかもしれない。
まかせる境地ということも、また、幸福の獲得のためにある役割をうけもっている。しかもそれは、努力することが演ずる役割と同じくらい重要な役割である。賢明な人は、防止できるような不幸の下にわざわざ坐しているようなことはしないだろう。同時に、どうしても避けることのできない不幸のために時間を浪費し、気分を害するようなこともしないだろう。そして、不幸を避けるために必要とされる時間や労力が、ある非常に重要な目的を追求するのを妨げるようなばあいは、それ自体避けることのできるようなものであっても、あきらめてそれを甘受するであろう。
多くの人は、とても些細なことでも、それがうまくいかないと、いらいらしたり、怒ったりする。そして、もっと有益に使えたはずの莫大なエネルギーを無駄にしている。ほんとうに重要な目的を追求するばあいでも、あまりに深く感情的に熱中して、その結果、あるいは将来起こるかもしれないような失敗のことを考えすぎ、たえず心の平和を脅かすようになる。こういうのは賢明とはいい得ない。
キリスト教は神の意志にまかせることを教えた。この教義をうけいれることのできない人々にとっても、かれらの活動の全般にわたって、これと同じような考え方がしみわたることは必要である。実際的な仕事における能率は、われわれがその仕事にそそぎこむ感情に比例するものではない。それどころか感情はしばしば能率のじゃまをする障害ですらある。
必要な態度はどのような態度かというと、最善をつくして、そのあとは運命にまかせるということである。あきらめということには二つの種類がある。一つは絶望に根ざしたものであり、いま一つは抑えようとして抑えることのできない希望に根ざしたものである。前者の方は悪い。そして後者の方ならいい。
大切な業績を達成しようと望んでいるものが、その希望をすっかりなげ捨ててしまうほど根本的な失敗をなめた人は、絶望のためあきらめることを覚えるだろう。そしてひとたびそれを覚えると、一切のたいせつな活動を放棄してしまう。その絶望をカムフラージュするのに、宗教上の美辞麗句とか、瞑想こそ人生の真の目的だというような教義をもちだすかもしれない。しかしどんな変装で自分の内心の敗北をかくそうとも、けっきょくその根本においては、役に立たない人間であり、不幸な人間としてのこるだろう。
ところがもう一方の、抑えきることのできない希望の上にあきらめがもとづいている人は、全然異なった行動をとる。どうしても抑えきることのできない希望である以上、それは当然遠大で、そして無私の希望であるにちがいない。
わたくしの個人的な活動がどのようなものであるにせよ、わたくしは死によって、あるいは何かの病気でたおされるかもしれない。敵からやっつけられるかもしれない。とうてい成功にゆきつくことのないばかなコースに船出してしまっていることに気がつくかもしれない。純粋に個人的な希望がだめになるしかたというのは、何千と数えきれないほどあって、とても避けることのできないものであるかもしれない。しかしその個人的な目的が、人類のための非常に大きな希望の一部であったようなばあいは、たとえ失敗に帰するとしても、前のばあいのような完全な失敗というものではない。たとえば偉大な発見をしたいと望んでいる科学者にしたところが、やり損なうかもしれないし、あるいは頭を打撲してその仕事を放棄しなければならないかもしれない。しかしもし彼が、深く科学の進歩を望んでいるのであって、単にそれにたいする自分の個人的な功績というものだけを望んでいるのでないならば、ただひたすらに自分の利己的な動機で研究をしている人が感じると同じ絶望を感じることはないだろう。何か非常に必要とする改革のために働いている人が、戦争のためにその努力のすべてが棚あげにされてしまい、そのために、自分が尽力してきた目的が、自分の存命中にはとうてい実現されないことを認めざるをえないばあいもあるだろう。しかしそれでも、完全な絶望のどん底に沈みきってしまう必要はない――自分がそれに参加しているということのほかに、人類の未来に関心をもっているならばである。
ちょっとした小さなトラブルにも忍耐のできない人達がある――小さなといっても、もちろんその成りゆきによっては、人生の中の大きな部分をしめるようになるものでもあるが。
汽車に乗りそこねたといっては腹を立て、昼食の料理がまずいといっては怒り、煙突がけむたいといっては気が沈み、クリーニングに出した洗濯物が帰ってこないといっては産業組織の全体に文句をつける。こうした些細なトラブルに対して消耗するエネルギーは、もし賢明に使われればゆうに一国を興しもし、覆《くつがえ》しもするに足るほどのものであろう。賢人というものは、女中の責任でない塵ほこりや、コックの責任でない馬鈴薯や、煙突屋の責任でない煤《すす》などというものにあまり気をつかうものではない。賢人は、このような問題は感情をさしはさまないでするものだ。くよくよ思い悩んだり、不機嫌になったり、いらいらしたりすることは、何の目的にも役に立たない感情である。
くよくよと思い煩《わずら》うことから解放されている人は、いままで始終いらいらしていた時とくらべて、その生活がはるかに楽しいものになったことを発見するであろう。むかしだったら悲鳴をあげたいほといやだった知人たちの風変わりな奇癖も、いまは愉快なものにおもえてくる。A氏がその得意のティエラ・デル・フエゴ(南米南端の島)の僧正の逸話を三百四十七回も喋ったところで、それが何回目だったかを数えることで自ら興ずる。そしてその向うをはって自分自身の逸話をもち出そうなどとは思わなくなる。朝早く汽車に乗ろうと急いでいる途中で靴のひもが切れたとしても、適当な間投詞を吐いただけで、あとは、こんなことは宇宙の歴史からみればすこしも取るに足らないことだと考えてみる。さらにまた、たまたま求婚しているさい中に、気のきかない隣りのやつが訪ねてきて邪魔をされても、アダムは別として、いままであらゆる人類がこれと同じ災難に逢ってきたということ、そして彼自身でさえもやはりこれと同じ迷惑を蒙《こうむ》ったことがあるのだ、ということを考えてみる。このように類似した奇抜な話をならべて、瑣末《さまつ》な不幸を慰める方法を見出そうとすればとても際限がないだろう。
すべて文明人は男にしても女にしても、自分自身のイメージをもっているように想う。そしてそれがスポイルされるような事が何か起こると、いらいらしてくるのである。それにたいする一番よい治療法は、そうした自分自身のイメージというものを一つだけではなくたくさんもっていて、当面の出来事にふさわしい一つを選び出すことである。そのなかにすこしばかり滑稽なものがあればなおさらいい。一日じゅう自分自身を極端な悲劇の主人公に見たてるのは賢明ではない。といっても、自分のことをいつも喜劇の中の道化師と見なすべきだというのではない――そのようなことをすると、よけいいらいらしてくるものであるからだ。つまりその時々の事情にふさわしい役割を選びだす技術が必要なのである。もちろん自分自身のことを忘れることができて、なんの芝居も演じなくていいようになれば、それはすばらしいことである。しかしもし芝居を演ずることが第二の天性になっているとしたら、いくつかのレパートリーを演じて、単調さをさけるよう考えるべきである。
多くの活動的な人は、ほんのわずかばかりのあきらめやほんのかすかなユーモアでも、仕事をしていく原動力であるエネルギーや、仕事を成功させる上に必要だと信じている決意などを台なしにするものだという意見である。しかしその人たちは間違っているとわたくしは思う。やりがいのある仕事をやってのけることのできる人とは、その仕事のもつ重要性についても、またそうした仕事もたいして難しくなくできるものだということについて、思いちがいをしない人である。自分を欺かないでは仕事のできない人は、その仕事を職業として続けようとする前に、まず真実に堪《た》えることをまなばなければならない。なぜならば、神話によってささえられたいとおもうような心は、おそかれ早かれ、その仕事を有益なものとするどころか、有害なものとするだろうからである。有害なものとするくらいなら、何もしない方がましである。この世の有益な仕事の半分は、有害な仕事と闘うことである。事実を正しくみつめることを学ぶのに、少しばかりの時間を費やしたとて、それはけっして無駄ではない。そのあとで仕事をすれば、それは、エネルギーの刺激剤として、エゴをたえずふくらます必要のある人がなす仕事よりも、はるかに有害ではないのである。
まかせる境地というのは、自分自身について、真実に自ら進んで直面することのうちに存するのである。それは、初めのうちは苦痛であろうが、けっきょくは、真実に面と向おうとしないで自らを欺こうとする者が陥りやすい絶望やら幻滅やらから自分をまもることになるのである――実際のところ、これだけが、唯一の、まもってくれる道なのである。毎日々々、だんだんと信じられなくなる事柄を、毎日々々信じこもうとして努めることぐらい疲れることはない。そして長くつづけていくうち、こんどは癪《しゃく》にさわってくる。
こんなことをやめてしまうことこそ、確実な、そして永続きする幸福を得るために欠くことのできない条件である。
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7 幸福なひと
幸福はあきらかに一部は外的な事情に関係があり、一部は自分自身にかかっている。この書では、自分自身にかかわる部分をとりあげてきた。そしてわれわれは、この部分に関するかぎりでは、幸福になるための秘訣は実にシンプルなものであるという見解に到達した。
ところが多くの人は、多少とも宗教的な信条なしでは幸福は不可能だと考えている。また不幸になっている多くの人は、自分らの悲しみは、複雑で、高度の知的原因でそうなっていると考えている。しかしわたくしは、幸福にしろ不幸にしろ、そのようなものがほんとうの原因であるとは思わない。それは単なる徴候にすぎないと思う。
不幸な人はだいたい不幸な信条を選び、幸福な人は幸福な信条を選ぶだろう。そしておのおのが、その幸福や不幸をその信条の|せい《ヽヽ》にするだろう。しかしほんとうの原因は全く別のところにあるのである。
たいがいの人の幸福にとって、ごくかんたんなもので、欠くことのできないものがある。すなわち、食物と住居、健康、愛、仕事の成功、自分の仲間からの尊敬である。ある人々にとっては、親たることもまた必須条件である。これらを欠いては、幸福になれる人はごく例外的な人しかいない。これらのものを得ていながら、または、よく導かれた努力によって得ることができるのに、それでもなお不幸な人は何らかの心理的な故障をもっている人である。しかし普通のばあいなら患者自身が治せるものである――処置をあやまらなければであるが。
外的な事情が決定的に不幸なものでないばあいは、幸福を成就することができるものである――情熱と興味を内部へではなく、外部の方へ向けさえすればである。だからわれわれが、自分自身を外部の世界に適応させるような教育なり企てなりで努力すべきことは、自己中心的な情熱をさけるようにし、自分の考えをたえず自分自身の上に釘づけにさせておかないような、愛情なり興味なりを身をつけることを心がけることである。
牢獄の中にいながらしかも幸福だなどということは、普通の人の性質ではない。しかし、自分を自分自身の中に閉じこめてしまうような激情は最悪の牢獄をつくり上げているのと同じだ。そのような激情のうちで一番みんなに共通しているのは、恐怖、嫉妬、罪悪感、自己|憐憫《れんびん》、うぬぼれである。すべてこのような激情においては、われわれの欲望はわれわれ自身に集中される。外部の世界にたいする本当の興味というものはなくて、あるのはただ、自分をきずつけはしまいかとおそれたり、自分のエゴをとおせなくなりはしまいかと案ずる気がかりだけである。
なぜ人々が事実を認めたがらないか、なぜ神話の温かい衣にくるまっていたがるか、恐怖がその主な理由である。けれども、現実の茨《いばら》は温かい衣を引き裂き、冷たい風がその裂け目から吹きこまずにはいない。このようにしてこれまで神話の衣の温かさになじんできた人は、初めから現実の冷たい風にきたえられてきた人よりも、はるかにその風の冷たさを苦しく感じる。
さらにまた、自分自身を偽っている人は、普通、自分がそうしていることを心の底で知っている。そして、何か面倒なことが起こって、自分ではいやいやながらもいやおうなしにそれを自覚させられるのではないか、という不安な心境で暮らしている。
自己中心的な感情の最大の欠点の一つは、生活にあまり変化をもたらさないということである。自分だけを愛する人は、愛情の点で乱脈の非難をうけることはない――それは事実である。しかし、その献身的な愛情の対象がすこしも変わることなく、つねに同一のおのれ自身であるから、けっきょくは堪えがたい退屈さに悩まされることになる。
罪悪感に苦しめられている人は、いつも一種特別の自己愛に悩んでいる。この広大な宇宙の中で彼が一番たいせつなことと思っているのは、自分自身が道徳的でなければならないことである。ある種の伝統的な宗教が、このような自己没入を奨励してきたのは、その重大な欠陥である。
幸福な人とは、客観的な生き方をする人である。自由な愛情をもち、広きにわたって興味をもつ人である。そのような興味と愛情をとおして、それからまた、その興味と愛情がこんどは逆に自分自身を、他の多くの人から興味と愛情の対象とされるような人間にするという事実をとおして、自分の幸福を確かなものにする人である。
愛情をあたえられる人になるということは、幸福の有力な原因である。けれども、愛情を要求する人は、愛情を与えられる人ではない。愛情をもらえる人は、ひろく一般的にいって、ひとに愛情を与える人である。しかし、利息づきで金を貸すやり方で、計算ずくの愛情をあたえようと試みてもそれではだめである。なぜかというと、計算された愛情はほんものの愛情ではないし、また、その愛情をうける人もほんものの愛情とはおもわないからである。
幸福な人生というのは、道徳的な意味での良い人生というのとまさに同じである。これまで専門的道徳家たちは、自己否定ということにあまりにも重きをおきすぎた。しかも、自己否定を強調するのに、そのしどころを間違えてしまった。意識的な自己否定は、かえって人をして自己没入させ、かつて自分が犠牲にしたことのあるものを、まざまざと思い出させるのだ。その結果、自己否定は、その直接の目的である克己そのものに失敗することがしばしばであり、かならずといっていいほど、その究極の目的からはずれてしまう。必要なのは自己否定そのものではない。自分自身の徳の追求に専念している人が、意識的自己否定の方法でようやく為し遂げることのできる、それと同じことを、ごく自然になし得るよう外界への興味を導くことが必要なのである。
わたくしはこの書を一個のヒードニスト(快楽主義者)として、つまり幸福を善と見る者として書いてきたが、ヒードニストの立場から推奨する行為は、全体としては、普通の道徳家の推奨する行為と同じなのである。しかし道徳家は、もちろん全部がそうだというわけではないが、精神状態よりも行為の方を強調するきらいがある。一つの行為がその行為者におよぼす影響というものは、その人の、その時の精神状態にしたがって大きく異なる。
たとえば、もしいま水に溺れかけている子供をみて、助けたいとおもう直接的な衝動の結果として子供を助けたいのなら、道徳的に決して悪いことをしたのではない。けれどもこれに反して、「救いなきものを救うのは徳である。私は道徳的な人間になりたい。だからこの子供を救わなければならない」と独《ひと》り言《ごと》をいうとしたら、そういうことを言う前よりも、言ったあとの方がより悪い人間になるだろう。
これは極端な例であるが、これと同じことがこれほどはっきりしていない他の多くのばあいにもあてはまるのである。
わたくしがいままで推奨してきた人生態度と、伝統的な道徳家たちが推奨している人生態度の間には、以上述べたものの他に、もう少し微妙なものではあるが、もう一つの相違点がある。たとえば、伝統的な道徳家たちは、愛は非利己的でなければならないという。ある意味ではその通りである――すなわち愛はある程度以上に利己的であってはならない。しかし愛というものが、その愛を成功させることによって、その人自身の幸福を得られるような性質のものであるべきことはいうまでもない。
もしある男がある婦人にたいして、かれが熱烈に彼女の幸福を望んでいるからという理由で結婚の申し込みをし、しかもそれと同時に、彼女が彼に理想的な自己犠牲の機会をあたえてくれるだろうと考えたのだとしたら、彼女が本当に嬉しくおもうかどうか疑わしい。
たしかにわれわれは、自分の愛する人々の幸福を望むべきである。しかしわれわれ自身の幸福と引き替えにするのであってはいけない。事実、自分自身というものと自己以外の世界との対立は、それは自己否定の信条の中にふくまれているのであるが、われわれがわれわれ以外の人や物にほんとうの関心をもちはじめた瞬間に消え去るものである。このような関心をとおして、人は生命の流れの一部である自分自身を感じるようになるのである。撞球《ビリヤード》のボールのように一つ一つ堅く個別的な存在ではなくなるのである。撞球のボールのような存在であれば、衝突以外には、おのれと同じような他の存在との間には何らの関係も持つことができないわけである。
すべての不幸は、なんらかの分裂、すなわち、統合の欠如によるものである。意識している心と意識していない心との間の協同の欠如によって、自己内部の分裂がおこる。自己と社会とが客観的な興味と愛情の力で結び合わされていないと、両者の間の統合が欠如する。
幸福な人とは、このような統一の失敗などちっともない人である。そのパーソナリティ(人格)がそれ自身分裂することもなく、また、この世界と対立抗争するものでもない人である。
そのような人は自分自身を宇宙の市民と感じ、宇宙が見せてくれる景観を自由に楽しみ、宇宙があたえる喜びを自由に享受し、自分のあとから来る子孫と自分自身とが別物《べつもの》であるとは本当に感じてないから、死のことを考えて悩むこともない。
生命の流れとの、そのように深い本能的な結合にこそ、最大の歓喜が見出されるのである。
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第二部 不幸の原因
1 何が人を不幸にするか
動物は、健康で、食うだけのものが十分あるかぎり幸福である。人間もまたそうだろうと考えられている。けれども実のところ、近代世界においてはそうではない。少なくとも大多数のばあいそうではない。もしあなたがた自身が幸福ではないようなばあい、あなたがたもまた健康と十分な食べ物だけでは、幸福ではあり得ないということをおそらく認めるであろう。
もしあなたが幸福だとしたら、いったいどれくらい多くのあなたがたの友達が幸福であるかを考えてみたらいい。そして、あなたがたが自分の友達のことをよく考えてみるとき、人相をみて判断する術を身につけたらいい。また、日常生活の中で出会う人々のそのムードを敏感に読みとれるようにしたらいい。
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私が出会うすべての人々の顔の特徴、
弱々しさをあらわしている顔があり、
悲哀を示している顔がある
[#ここで字下げ終わり]
とブレイクは言っている。
その種類はいろいろ異なってはいるが、いたるところで不幸があなたがたに会いにきていることを知るだろう。あなたがたが、大都市のうちで最も典型的な近代都市であるニューヨークにいるものと想像してみよう。日中の勤務時間に人通りの多い街頭に立ってみるがいい。あるいは週末の繁華な大通りに立つか、一夜の舞踏会に行ってみるがいい。そして、自分自身についての考えを空《から》っぽにし、身のまわりにいる見知らぬ人達の個性について一人ずつよく見究めてみたらいい。そうしたら、それぞれ異なったものをもって群衆の一人々々が、おのおの自分の心配ごとをもっていることがわかるだろう。日中の勤務時間中の群衆が、心配そうにしていたり、過度に思いつめていたり、消化不良になっていたり、あくせく働く以外に何の興味も持っていなかったり、遊ぶことができなかったり、同じ人間仲間である他人のことは何も意識していなかったりしているのを見出すだろう。週末の大通りでは、男や女がみんな愉快そうにしていたり、それからとても金持ちの人達が享楽にふけったりしているのを見かけることだろう。
あるいはまた陽気な夜会に集まる人々をよくみつめるがいい。かれらはみんな幸福になろうと心に決めてやって来る。ちょうど、歯医者の椅子の上で泣き喚いたりはしまい、と心にきめてやってくる、あれと同じような悲壮な決意をもってである。酒を飲んでペッティングをしあうことは歓楽への入口だというふうに考えているので、みんなは早いこと酔っぱらってしまい、パートナーがどんなに嫌な思いをしていようが頓着しようとしない。思いきり飲んでしまうとこんどは泣きはじめる。そのつぎは、自分がいかに道徳的に母親の献身的な愛に値しない人間であるかを悲しみはじめる。つまり、すべてアルコールがかれのために為してくれることは、罪悪感から解放してくれることにほかならない――正気のときには理性が抑えてくれるその罪悪感からである。
このようなさまざまな不幸の原因は、もちろん一部は社会制度にあるが、一部は個人の心理そのもののうちに存在している――もっともその心理といっても、少なからず社会制度の産物にほかならないのだが。
わたくしは前に、幸福を増進するためには社会制度を変革しなければならないということを書いた。戦争や、経済的搾取や、残酷と恐怖の中での教育を廃《や》めることは必要であるが、そのことを語るのが本書の目的ではない。戦争を回避する方法を発見することは、人類の文明をまもるために絶対に必要なことではあるが、たがいに皆殺しにあうよりも、日々の辛苦の方がよりひどいとおもうほど不幸な人々がある間は、それはとてもおぼつかないことである。とにかく、機械生産の恩恵に浴することをすこしでも必要としている人々が存在しているかぎりは、その貧困を解決してやることが必要なのである。それにしても、もし、富めるものたち自身が不幸であるとしたら、誰でもかれでも金持ちにしてやることがはたして何の益になるというのだろうか。
また、残酷と恐怖の中での教育が悪いことはもちろんであって、それは廃《や》めなければならない。しかし、それ以外の教育が、残酷な、そして恐ろしい心をもっている連中からほどこされるわけはないのである。
このように考えてくると、われわれはおのずから、個人の問題に到達せざるをえない。すなわち、懐旧の念にかられずにおれない今日の社会にあって、男女一人々々が自分自身の幸福を達成するためには、いまここで、何をしたらいいかという問題なのである。
この問題を論ずるに当ってわたくしは、極端な外界の不幸という原因に、少しも左右されていない人々だけに限って言及することにしよう。食べ物と住居を確保することのできるだけの十分な収入と、それから日常の身体の活動を可能にし得るだけの十分な健康を念頭におくことにしよう。子供を全部亡くしてしまうとか、公の不名誉といったような大きな破局は取り上げまい。そうした問題については言うべきことも多いし、また重要なことでもあるが、それらは、わたくしがここで言いたいと思うこととは別の系列に属する問題なのである。わたくしの目的は、文明国のほとんどの人々が苦しんでいる日々の不幸、そして、はっきりした外部的な原因がないのに、どうにも逃《のが》れる術《すべ》のない、耐えがたい不幸にたいして、一つの救済方法を教えることにある。
わたくしの信じるところでは、こうした不幸は、大部分、間違った世界観、まちがった道徳論、まちがった生活習慣に起因しているのであって、それが、人間のであれ動物のであれ、あらゆる幸福が究極的に依存しているような事物にたいする欲求――それは当然の欲求であるが――をつぶしてしまうのである。こうした問題は、個人々々の力の範囲内に属することである。それでわたくしは、普通程度の幸運さえめぐまれておれば、一人々々の幸福が達成され得るような心の転換をこそ勧《すす》めたいとおもう。
わたくしがここで声を大にしてすすめたいとおもう人生哲学への最も良い手引きは、おそらくわたくし自身の自叙伝を二《ふた》こと、三《み》こと語ることであろう。
わたくしの出生は幸福なものではなかった。子供の頃、わたくしの愛唱した賛美歌は「この世に倦《う》み疲れ、おのが罪に悩み苦しみて」というのであった。五歳の年にわたくしは何度もこう考えたものだった――もし自分が七十歳まで生きるとしたら、自分はまだ、全生涯のたった十四分の一を辛抱してきたにすぎないではないかと。そして、未来に横たわっている長い長い退屈な人生をとうてい耐えがたいものと感じたのだった。青春期に入ってわたくしは人生を憎悪した。そして絶えず自殺の危険にさらされていた。しかしながら、もっと数学を究めたいという願望によってかろうじてそれを抑えていた。ところが今はその反対に人生をエンジョイしている。あるいはこうも言えるかもしれない――これから先き年を経るごとに、もっともっと人生をエンジョイするだろうと。それはなかば、自分が最も望んでいるものが何であるかを発見したからであり、その多くをつぎつきに獲得していったからである。それから、なかばは、ある種の欲望の対象物をどうしても本質的に獲得し得ないものとして、うまくとりはずしていったからでもある――たとえば、あれこれさまざまの事に関して、疑う余地のない絶対的知識を獲得するといったようなことをである。しかし大部分は、わたくし自身というものに自分自身があまりとらわれなくなったことによるものである。
もともとわたくしは、清教徒の教育をうけた他の人達と同じように、自分の罪や愚かさの欠点について思いをめぐらす習慣をもっていた。わたくしというものが、自分自身にさえ不幸の見本のように思えたのである――疑いもなくその通りだったのであるが。ところが次第に、自分というものと、自分の欠点について、無関心になることを学んだのである。わたくしは、だんだんと自分の注意を外界の事物に集中するようになった。すなわち、世界の情況とか、さまざまの部門の知識とか、わたくしが愛情をもっていたひとりひとりの人にたいしてであった。外界への関心が、それぞれその苦痛の可能性をもたらすことも事実である――たとえば、世界が戦争に突入しないともかぎらないし、ある方面の知識はなかなかに獲得しがたいかもしれないし、友人たちも死ぬかもしれないのである。しかしこのような種類の苦痛は、人生の根本的な性質を破壊してしまうことはないものである――自分自身にあいそうがつきたことから起こる苦痛ほどにはである。それに外界への関心というものは、すべて、その関心が生き生きとしているかぎり、『倦怠』を完全に防止する何らかの活動を促進するものである。
その反対に、自分自身への関心というものは、何か進歩的な性質をもつ活動に自分を導いてはくれないものである。けっきょくは、日記をつけるとか、精神分析をうけるとか、もしくは、僧侶になるとかするであろう。ところが僧侶になっても、僧院のきまりきった日常生活が、自分のたましいを忘れさせてくれないうちは、幸福にはなりえないだろう。かれが、宗教のおかげだといっているような幸福は、もしかれが道路掃除夫になるよりほかしかたないとしても、それからでも得られる程度のものなのである。あまりにも自分自身にとらわれすぎて、他の方法ではとうてい救いがたいほど深刻になりすぎているような不幸な人間にとっては、外界のことに打ち込むことが幸福への唯一の道なのである。
この自己没入といっても、それにはさまざまの種類がある。われわれは、きわめてありふれた三つのタイプとして、罪の意識にさいなまれる人、自己陶酔に陥る人、そして誇大妄想にとらわれる人をあげることができる。
わたくしが「罪人《つみびと》」というとき、それは現実に罪を犯した人のことをいうのではない。罪というのは、われわれが定義する言葉の意味にしたがって、みんなが犯しているということにもなるし、誰もが犯していないということにもなる。ここでわたくしのいう意味は、罪の意識にとらわれている人のことをいうのである。こういう人は、絶えず自己否定にとらわれていて、それから癒されることがない。そしてかれが、宗教を信奉している人であるばあいは、それを神の否認と解釈する。かれは、自分はこうあるべきだと考える自分自身のイメージをもっていて、それが、現実の自分自身を知っているその知識と絶えず衝突するのである。もし、かれが幼いころ母親の膝に抱かれて教えられた道徳上の教訓を、自分の意識の中では長い間捨てて顧みなかったとすれば、彼の罪悪感は、無意識の底深く埋没していて、酔っぱらった時とか、眠っているときだけ現われ出るのである。かれは、心の奥深いところで、幼児に教えこまれたあらゆる禁制をいまだに受けいれているのである。すなわち、神・聖書・剣などにかけて誓うのは悪いことだ、飲酒は悪いことだ、仕事の上で狡《ずる》いのは悪いことだ、何よりもかによりもセックスは悪いことだ等々の禁制である。
それでいてかれは、もちろん、こうした快楽のどの一つをも禁欲しはしない。しかも、すべてそれらが自分を堕落させると感じるからこそ、そのことごとくが毒されるのである。
かれが、全心全霊をかたむけて求めるたった一つの快楽は、愛情をこめて母から抱かれるという快楽である。かれは、子供のころ経験したその快楽を覚えている。しかし、いまはもはや味わえない。それで、どうにでもなれという気持になる。自分は、罪を犯すほかはないのだから、徹底的に罪を犯そうと心に決める。
かれが恋をするとき、求めるのは母親のやさしさである。ところが、そのやさしい母の愛をうけることができない。なぜかというと、かれは、あまりにも母のイメージを追うがために、性関係をもったどんな女性にたいしても尊敬の念をもてないからである。そこで、彼は失望して、残忍になる。残忍になったことを後悔する。そして、空想の中の罪と、現実の後悔との暗澹《あんたん》とした堂々めぐりをくり返し始める。これが頑《かたくな》に自己を責める堕落した人間の心理であって、きわめて多く見うけられる。かれらがこのように迷わされるのはどうしてかというと、幼年期に、愚かな道徳律をさんざん教えこまれたためもあるが、それと相まって、どんなに求めたところでとうてい遂げることのできない目的(母とか、母の代わりになるもの)を、あまりに求めすぎるからである。
幼年期にうえつけられた信仰と愛情の支配から解放されることこそ、いわゆる母の「美徳」の犠牲者にとって、幸福への第一歩である。
自己陶酔ということは、ある意味では、俗にいう罪悪感の裏返しにほかならない。それは自分自身を讃美し、人からも讃美されたいとおもう習慣性のものである。もちろんそれも、ある程度までは正常なものであって、非難されるほどのものではない。それが大きな禍《わざわい》となるのは、度が過ぎたばあいだけである。
多くの女性、特にそれが、上流社会の金持ち婦人といったようなばあいには、愛を感じる能力が完全に乾《ひ》上ってしまっており、あらゆる男性が、自分を愛してくれるべきだという強い願望にとって代わられているのである。そして、この種の婦人は、一人の男性が自分を愛しているという確信をいだくやいなや、もうその男性が無用になるのである。
それと同じことが、女性ほど頻繁ではないにしても、男性にも起こる。古典にあらわれたそのいい例が、あの著名な小説『危険な関係』(フランス革命直前のフランスの貴族たちの情事を描写している)の主人公である。虚栄心がここまで昂じてしまうと、他のどんな人間にたいしても真実こめて関心というものはもてなくなるし、したがってまた、愛から得られる真の満足というものも、全然ないのである。ましてや、他の興味などというものもなくなってしまう。それはもっと大きな不幸ですらある。
偉大な画家にたいする尊敬の念で感動にひたっている一人の自己陶酔者を例にとってみよう。かれは、美術研究生になるかもしれないが、かれにとって、絵は、目的のための単なる手段にすぎない。絵を描く技術などは、全然興味をそそらない。そして、どんな問題でも、自分に関係のないことなら、全然ふりむきもしない。その結果は、失敗であり、失望である。世間の阿諛追従《あゆついしょう》を期待していたのに、その代わりに愚弄があるだけである。
それと同じことが、自分の書く小説の中で、自分自身をつねにその主人公として理想化している小説家たちにもあてはまる。すべて創作上の真の成功は、その創作の素材に本気に興味を感じているかどうかにかかっている。
成功した政治家が、つぎからつぎと失脚していく悲劇の原因はどこにあるのか。それは、社会そのものと、自分がかかげる政策そのものにたいする真剣な関心にとって代わって、自己陶酔が次第に頭をもたげるからである。
自分のこと以外に関心をもたない人間は、称讃に値する人間ではない。また、ひとからも、称讃に値する人間とは思われない。だから、世の中のことにたいする唯一の関心事が、世間から称讃されることにあるような人間は、とうていその目的を達成しえないだろう。しかし、かりにその目的を達成しえたとしても、完全には幸福になりえないだろう。なぜならば、人間の本能は、完全に自己本位なものではないからである。こうして、自己陶酔者は、罪悪感で支配されている人間と全く同じように、自ら自分自身をせばめていくのである。
原始人たちは、狩猟の上手なことを誇りとしていたかもしれないが、しかし、狩猟で動きまわることを楽しんでいたことはたしかである。虚栄心というものは、ある一点を超えてしまうと、あらゆる活動そのものの楽しみを減殺してしまうのである。その結果、必然的に気のりがしなくなったり、退屈でどうしようもない気持になる。それは、自信のなさからくるばあいが多い。その治療法は、自尊心を育てることである。それができるのは、まず、ちゃんとした目的をさだめ、その目的にたいする熱意に鼓舞されて、いい結果がえられるような活動を展開することによってのみである。
誇大妄想狂というのは、チャーミングであることよりも強力であることを欲し、愛されるよりも畏怖されることを求める。したがって自己陶酔とは異なる。多くの精神病患者や偉大な歴史家のほとんどが、このタイプに属している。権力愛は、虚栄心と同じで、正常な人間のうちに非常に強力なものである。それ自体は咎《とが》められるべきものではない。ただ、それが度を越したり、現実的なセンスが不十分だったりした時、実に惨めなことになるのである。そうなったばあい、権力愛は、人を不幸にするか、愚かなものにしてしまう――たとえ同時にその両方にならないまでも。
自分を王冠にふさわしい人物であると思いこんでいる精神病者は、ある意味では幸福な人間かもしれない。しかし、その幸福は、正気の人間がすこしも羨ましがるような種類のものではない。アレキサンダー大王も、その心理状態はこうした精神病者と同じタイプであった――もっともかれは、そうした精神病者が見る夢を実現するだけの才能をもってはいた。それにしても、かれは、自分の夢をとことんまで実現することはできなかった。なぜならば、かれが成功すればするほど、その夢の規模がさらに大きくなっていったからである。かれは、自分が最大の征服者であることがはっきりした時、自分を神にしてしまった。はたしてかれは、幸福な人間だったろうか。かれが酔っぱらいだったこと、怒り狂う凶暴さ、女にたいする冷淡さ、自分を神聖絶対なりとする思い上がり――それらは、かれが幸福でなかったことを示唆している。
人間性のうち一つの要素を開発したところで、それ以外の一切の要素を犠牲にしたのでは、けっして究極の満足を得られるものではない。また、この世の一切を自我の偉大さを誇示するための材料とみなす考え方でも、けっして究極の満足は得られない。
普通、誇大妄想狂は、それが狂気からくるものであれ、一応は正気のものであれ、過度の卑屈感から生まれたものにほかならない。ナポレオンは、その学生時代、級友たちにたいする劣等感で苦しんだ。自分は一介の貧しい給費生にすぎなかったが、級友たちは富裕な貴族であった。それで、かれは、亡命していた貴族たちの帰国を許した時、かつての級友たちが、彼の前に額《ぬか》ずいているのを見て満足をおぼえたのだった。かれにとって、この上ない喜悦だった。ところがかれは、こんどはさらに、ロシア皇帝を犠牲にすることによってこれと同じ満足を味わいたいと願望するようになった。そしてその結果がセントヘレナ島幽閉となった。
人間は誰しもが全知全能ではありえないのだから、完全に権力愛によって支配された人生は、おそかれ早かれ、どうしても克服することのできない障害にぶつかって挫折するよりほかはなかろう。
不幸の原因のうちでも心理的な原因は、非常に多いし、またその性質も多種多様である。それはきわめて明瞭である。けれども、そのことごとくが何か共通なものをもっている。典型的な不幸な人は、青少年時代、ある正常な満足を奪い取られてしまったために、このたった一種類の満足を他のどんな満足より高く評価するようになる。それで、このたった一つの方向だけを彼の人生に与えてしまう。そして、それと関連のある仕事に反するような業績にたいしては、全く不当な評価しかあたえない人間になってしまう。
ところで今日では、この傾向が一段と強まっているし、きわめて一般化している。人は全然何もかもうまくいかないような感じに陥っているようである――それで、どんな形の満足にしろ、それを少しも求めようとしないで、ただ、乱痴気騒ぎと忘却にふけるだけである。こうしてかれは「快楽」に没頭するようになる。ということはすなわち、より活動的にならないことによって、人生を耐え得るものにしようとしていることなのである。酒に酔うことは一時的な自殺行為にほかならない。酒に酔うことによってもたらされる幸福は、単に消極的に過ぎないもので、不幸の瞬間的な休止にほかならない。
自己陶酔者と誇大妄想狂は、幸福を獲得できるものと信じている――それを達成する手段は間違っているかもしれないが。けれども、陶酔を求める人間は、どんな形の陶酔にせよ、忘却ということ以外、すべての希望を放棄してしまっている。この場合、まず第一にしなければならないことは、幸福は望ましいものだということを、彼に説得することである。
不幸な人間は、よく眠れない人のように、自分が不幸だということをいつも自慢している。それはちようど尻尾《しっぽ》を失くした狐の自慢と同じようなものである。もしこの狐のようなばあいなら、尾がない方がいいのだなどと自慢するかわりに、どうしたら新しい尾をはやすことができるかを教えてやることが、不幸をいやす道なのである。もし幸福になる方法がわかるとしたら、わざわざ不幸の方を選ぶ人などはほとんどおるまいと思う。そういう人もあることを、わたくしは否定しない。しかしその数はとるに足るほどではない。それで、わたくしは、この書の読者は、不幸であるよりもむしろ幸福を望んでいるものと考えるのである。そうした望みを遂げさせてあげるのに、わたくしがはたして役に立つかどうか、それはわからない。しかし、ともかくも、役立とうとしてもすこしも害になるわけはないと思う。
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2 バイロン的不幸
われわれのうちでも学問のある人たちは、初期の人類が熱心に信奉していたのはいったいどういうことであったかを、すっかり究《きわ》めつくしてしまっているし、また、この世には、生きるに値するようなものは何ひとつないものだということを知ってしまっている――こういう考え方は、世界の歴史を通じて多くの時代にあった考え方であるし、また、今日における普通一般の考え方である。
このような考えをいだく人は、ほんとうは不幸である。ところが、かれらは、むしろその不幸を誇りとする。しかも、かれらは、その不幸を宇宙の性質のせいだとしている。そして、そのような態度こそ、知識人のとるべき合理的な態度にほかならないと考える。けれども、そのように不幸を誇りとしているのをみると、より単純な人たちには、その不幸が、はたしてほんとうの不幸かどうか疑わしくおもえてくるのである。つまり、かれらはこう考える――不幸であることを楽しんでいる人は、実は不幸ではないのだ、と。しかし、こういうふうに考えるのは、あまりに単純すぎる。なるほど、不幸を誇りとしているような人たちがもっている優越感と洞察力には、わずかながら、失ったものをつぐなう何かがあることは確かである。けれども、失った、より単純な快楽をつぐなうに足るほどのものではない。わたくし自身は、不幸であることの中に、よりすぐれた合理性があるとはおもわない。
賢明な人ならば、事情のゆるすかぎり幸福になろうとするだろう。それで、もし、ある程度を越えて宇宙について瞑想することが苦痛であるとわかると、それをやめて、何かほかのことを考えるようになる。
それをわたくしは、この章で立証したいとおもう。
わたくしは、たとえどのような議論があるにせよ、理性が幸福を妨害することは断じてない、と読者に強調したい。いや、むしろわたくしはこう思う――ほんとうに心から、自分の悲しみを自分の宇宙観に帰している人たちは、馬車をひく人が、馬の前に車を置くのとちょうど同じように顛倒した考え方をしている、と。真実はこうである――かれらは、自分の気づいていない何かの理由から不幸なのであり、その不幸であることが、かれらをして、自分の住んでいるこの世界のあまり好ましくない方の特徴を強調させるのである。
現代のアメリカ人に関する見解で、わたくしがとりあげてみたいとおもうのは、ジョセフ・ウッド・クラッチ氏が、『モダーン・テンパー(現代|気質《かたぎ》)』という本で述べている見方である。
われわれの祖父の時代に関しては、詩人バイロンが詩《うた》ったし、古《いにしえ》からずっと各時代を通しては、旧約聖書『伝道の書』の作者が書いている。
クラッチ氏はこう言っている――「われわれの人生は、失敗に帰した。この自然界にわれわれの生存の場はない。にもかかわらず、われわれは、人間であることを悲しみとしない。われわれは、動物として生きるよりも、むしろ人間として死すべきである」と。
バイロンは詩《うた》った――
「古《いにしえ》の思想の輝き、現代の感情の頽廃とともに失われてゆくとき、
この世は、
その奪い去る喜びの如き喜びを、もはや再び与うるあたわず」と。
『伝道の書』の作者は言う――
「それゆえにわれ、なお生ける生者より、既に死せる死者をこそ讃《たた》う。
然り、この両者にましてさらに幸いなるは、未だ世にあらずして、日の下に行われつつある悪事を見ざる者なり」と。
これら三人の悲観論者は、三人とも、人生の快楽を十分に吟味した後に、このような陰気な結論に達したのである。クラッチ氏はニューヨークの最も知的なサークルの中で暮らしていた。バイロンはヘレンスポントを泳ぎわたって数かぎりない情事を重ねた。『伝道の書』の作者にいたっては、快楽を追求するのにより一層多様であった。彼は酒を試みた。彼は音楽を試みた。「その上あらゆる種類のもの」を試みた。彼はプールをつくって満々と水をたたえた。彼は男女の召使たちをもっていた。召使たちは彼の家で生まれたのだった。このような境遇にあって、しかも彼の知恵は、彼を見捨てはしなかった。それでいて彼は、一切が空《むな》しく、知恵ですらも空しいことを知っていた。
実をいえば、クラッチ氏が現代にたいして不平をもっているのは、この地上にあまりに新しいことが多すぎるからというのである。しかし、新奇なことが多かろうが少なかろうが、もし人の悩みにかわりないとすれば、そのどちらが絶望の真の原因であるかは、はっきりとは言えないわけである。いま一度、「河という河はことごとく海へ流れ入る――しかも海は満つることがない。河は、その流れ出た源へとふたたび帰りゆく」という『伝道の書』の一節を考えてみよう。これは、厭世論の根拠とみなされているが、そんなことでは、旅行など楽しくないものということになる。人々は、夏、避暑地に出かける――けれども、出て来た元の所に再び帰るわけである。だからといって、夏、保養地に行くことが無駄だということにはならない。もしも、その流れ行く水が感情をもっているとしたら、おそらくシェリーの詩の『雲』のように、冒険にみちた巡遊を楽しむことだろう。
いつも未来にばかり望みをつないで、現在のもつ意義は、すべて未来がもたらしてくれるものの中にあると考える習慣は、有害な習慣である。部分々々の中に価値がないならば、全体の中に価値があるわけはない。人生というものは、ヒーローとヒロインが、信じがたいほど大きな不幸をのりこえて、遂にハッピー・エンドで報われるメロドラマと同様に考えるべきものではない。わたくしは、生きて、自分の人生をもっている。わたくしの息子は、わたくしのあとをひき継ぎ、彼の人生をもっている。彼のあとは、今度は彼の息子がひき継ぐ。すべてこうしたことの中に、悲劇を生みだす何があるというのか。反対に、もしわたくしが永遠に生きるものとしたら、人生の歓喜は、最後には、まちがいなくその香気を失うことであろう。人生が永遠なものでないからこそ、その歓喜は、いつもいつも新鮮なのである。
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わたしは、生命《いのち》の火に両手をかざして温めた。
火は消える――それで、わたしは、いつも立ち去る用意をしている。
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こうした態度は、死を憤る態度と同じく全く合理的である。そこで、もし人間のもつムードが合理性によって決定されるものとすれば、絶望にたいするのと全く同様に、愉快さにたいする合理性もあるはずだ。
『伝道の書』は悲劇的であり、クラッチ氏の『現代気質』は厭世的である。クラッチ氏が、心の底で、悲しみに満ちているのは、古の中世期的な確信が崩壊してしまい、そしてまた、比較的近代的な確信も崩壊し去ったからである。
クラッチ氏は、多くの他の文筆家たちと同じように、科学はいままでのところその約束を十分に果たしていないという考えにとりつかれている。その科学の内容とはどんなものであったのか、彼はそれについては何も言わない。しかし、どうやら彼が考えているらしく思われるのは、六十年ほど前に、ダーウィンやハックスレーのような人たちが、科学に何かを期待していたということである。しかし、科学は、まだ、その期待にこたえてくれていない。
しかし、わたくしにいわせれば、これこそが、自分の個性を価値のないものと思いたがらない文筆家や聖職者たちが、固執している完全な妄想にほかならない。
現代の世界には、さまざまの厭世論者がいるのは事実である。これまで、たくさんの人々の収入が減ったとき、たくさんの厭世論者が出るのが常だった。もちろん、クラッチ氏はアメリカ人である。アメリカ人の収入は、全体的にみれば、第一次世界大戦後増加している。しかし、欧州全土にわたって、知識階級は、おそろしく苦難に喘いだ。大戦そのものが、すべての人に不安感をあたえた。こうした社会的な原因の方が、時代のムードにたいして、宇宙の本質論よりも、はるかに重大な影響をおよぼしている。
ところで、クラッチ氏がきわめて遺憾としていたような信仰は、かつて十三世紀頃、ローマ皇帝と二、三の偉大なイタリア貴族をのぞくすべての人が固く信じていた。しかも、その十三世紀ほど絶望的な時代は、他にほとんどなかったのである。
ロージャー・ベーコンが、次ぎのように言っている――
「過去のどの時代よりも、今日の方がより多くの罪悪に支配されている。罪悪は英知とは相いれない。われわれは、この世界のあらゆる条件を見究め、諸所方々の実情を真剣に考察してみよう。そうすれば、そこに限りない腐敗、なかんずく支配者の腐敗を見出すだろう……。姦淫が宮廷全体をけがしている。貪欲こそがすべての主である……。上に立つものがこのありさまでは、下々の民衆は、いったいどうであろうか。高僧たちを見よ――かれらがいかに金を追い求め、いかに魂の救済をなおざりにしているか……。宗教団体について考えてみよう――わたくしは、全然、歯に衣《きぬ》を着せずに言う。かれらは、そのあるべき状態からいかに堕落してしまっていることか。全部が全部、そのとおりである。また、修道僧たちの新しい僧院も、当初の尊厳はとうに失われて、おそろしく腐敗している。聖職にあるものことごとくが、自慢と、好色と、貪欲にうつつをぬかしている。パリやオックスフォードにおけるごとく、聖職者たちの集まるいたるところで、戦い、喧嘩、その他さまざまの悪徳が、俗人一般を憤慨させている……。ただおのおのが、そのあくなき欲望を満たすことができさえすれば、何をどうしようと全然意に介さない――手段のいかんを問わないのである」と。
彼はまた、古代異教徒の聖人たちについてこう言っている――
「かれらの生活は、その品位においても、世俗を蔑視した点においても、現代人の生活とは比較にならないほど勝《すぐ》れていた。また、歓喜にみたされ、富みに恵まれ、名誉に輝いていた。それは、アリストテレス、セネカ、キケロ、アヴィケンナ〔中世回教哲学、およびアラビア医学の完成者〕、アルファラビウス〔アラビアの哲学者〕、プラトン、ソクラテス等の著書を読めば誰にもわかる。それで、かれらは、知恵の秘奥をきわめ、あらゆる知識を発見したのだった」と。
ここに引用したロージャー・ベーコンの意見は、当時のあらゆる文人たちの意見でもあった。そして、かれらのうちの一人として、自分の生きている時代を好きだとおもうものはなかった。このような悲観主義が、何か形而上学的な論拠をもっていたとは、わたくしにはちょっと信じられない。その原因は、むしろ、戦争であり、貧困であり、暴力にほかならなかった。
クラッチ氏の著書の中で、最も感傷的な章は、恋愛問題をとり扱ったものである。われわれは、俗化した現代の傾向にわざわいされて、恋愛を低俗なものと見るようになったが、ヴィクトリア王朝時代の人々は、恋愛を非常に高く評価していたようである。
クラッチ氏はこう述べている――
「ヴィクトリア王朝時代の非常に懐疑主義的な人々にさえ、恋愛は、かれらがすでに見失ってしまっていた神の役目を、ある程度はたした。恋愛に直面したとき、最も頭のかたい人々でさえ、多くのものが、その瞬間、神秘主義者に早変わりした。かれらは、その時、自分の中に、他のものではできない何か一種の崇敬の念をおこさせるものを発見した。しかも、自分の胸奥のいちばん深いところでさえ、無条件に忠誠を誓うに値するものだと感じさせる何かを発見した。
かれらにとって、恋愛は、神のごとく、一切の犠牲を要求した。しかし、恋愛は、また、神と同じように、まだ分析しつくすことのできない貴い意義を、人生のあらゆる現象に付与することによって、恋愛を信じるものに報いた。
ところで、現代のわれわれは、ヴィクトリア王朝時代のかれらよりも、神のない宇宙になれてしまっている。しかし、われわれは、恋愛のない世界には、まだ馴れていない。そして、われわれは、恋愛のない世界に馴れるようになったとき、初めて、無神論が、真に何を意味するかがわかるであろう」と。
ヴィクトリア王朝時代に生きていた人々の目にその時代が映じたのと、現代の青年の目にヴィクトリア王朝時代が映じているのとがいかに異なっているか――これは全く奇妙なほどである。
わたくしは、そのヴィクトリア王朝時代のある面について典型的な二人の老嬢を思い出す。わたくしが若かった頃、よく知っていた人たちである。一人は清教徒で、いま一人はヴォルテール主義者であった。清教徒の方は、恋愛をとり扱っている詩が、あまりに多すぎるのを遺憾としていた。彼女は、恋愛問題などは、ちっとも興味がないとおもっていた。ところが、ヴォルテール主義者の方は、よくこう言っていた――
「どなただって、わたくしのいうことには反対させませんよ。わたしは、いつも言っているんですが、モーゼの十戒の七番目(あなたは姦淫をしてはならない)を破ることは、六番目(あなたは殺してはならない)を破るほど悪くはないってね。なぜなら、とにかく姦淫をするには相手の同意が要《い》るんですからね」と。
しかし、この二つの意見のどちらも、クラッチ氏が典型的なヴィクトリア調と言っているものとは、全く異なっている。彼の考え方は、明らかに、自分をとりまく周囲とは全然調和しなかった何人かの作家たちからひき出されたものである。その最適の例とおもわれるのは、あのロバート・ブラウニングである。
わたくしは、ブラウニングが詩《うた》ったように、恋愛には何か息づまるようなものがあるとの確信に反対することはできない。
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神に感謝す
その被造物の最も卑しき者すらたましいの二面を誇る
一はこの世に対すべき面
一は女を愛するとき彼女に見せるべき面
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このブラウニングの詩は、闘争心こそが世界全体にたいする唯一の可能な態度であることを語っている。何故か。それは、この世は残酷だから、とブラウニングはよく言っていた。しかし、われわれならこう言うべきだろう――この世は、あなたがたを、自分の評価どおりにはうけいれてくれないだろうから、と。
一組の男女は、ブラウニングが身をもって示したように、いわば、一つの相互称讃社会といったものをつくることができよう。ほめられるだけの値うちがあろうがなかろうが、ともかく、自分の仕事をまちがいなく称讃してくれる誰かを身近にもつことは、ほんとうに嬉しいことである。フィッツジェラルドがブラウニング夫人の代表詩『オーロラ・レイ』をあえて称讃しようとしなかった時、ブラウニングは、彼を不定型詩でやっつけたのであるが、そのとき、ブラウニングは、確かに自分を、立派な男らしい男と思ったにちがいない。ブラウニング夫妻が、両方とも、このように、おたがいの批判能力を完全にストップさせていることは、あまりほめられたことではないとおもう。かれら夫妻が、たがいに批評しあうことをしなかったのは、公平な批判の冷たい風に吹きさらされるのをおそれ、それを避けたいとおもったからである。これと同様の満足を、多くの年とった独身者は、自分|独《ひと》りきりの炉ばたでみつけることを学んでいる。わたくし自身はというと、クラッチ氏のいわゆる近代人としては、あまりにもヴィクトリア王朝時代に長々と暮らしすぎたようである。
わたくしは、恋愛を信じる自分の信念を、けっして失ってはいない。わたくしが信じる恋愛は、ヴィクトリア王朝時代の人々が称讃したようなものではない。それは、大胆で、しかも細心な恋愛である。それは、善についての知識をあたえてくれるが、同時に、悪を忘れさせようとはしないし、神聖なふりをする恋愛ではない。
神聖ということを、恋愛が讃美されるための必要な特質としたのは、セックスをタブーとした当然の帰結であった。ヴィクトリア王朝時代の人々は、セックスはだいたいにおいて悪だと信じていたので、恋愛を是認するためには、神聖という誇張した形容詞をつけなければならなかった。当時は、今日よりもはるかにセックスに飢えていた。それが、疑いもなく、ちょうど禁欲主義者がいつもそうしていたように、当時の人々をして、セックスの重要性を誇張させた原因にほかならなかった。
現在、われわれは、どちらかというと混乱の時期をくぐりぬけつつある。多くの人々は、すでに、古い基準を投げすててしまった。しかも、まだ新しいのを得ていない。そのため、人々は、いろいろな困難に陥っている。かれらは、新しい時代を迎えて古い基準を捨てはしたものの、無意識的には、いまだに古いのを信じているため、こうした困難に陥るとともに、そこから絶望と嫌悪とシニシズム(道徳的懐疑主義)が生まれるのである。わたくしは、こうした状態の民衆の数がそう大きいとはおもわない。だが、現代の口うるさい連中の大半がそうした人達である。もし誰かが、今日の裕福な階級の代表的な青年と、ヴィクトリア王朝時代の代表的な青年とをとりあげて比較したとすれば、恋愛に関しては、六十年前よりも今日の方がはるかに幸福であり、恋愛の価値についても、はるかに確信をもっていることがわかるだろう。
ある人達をこのシニシズムに導く理由は、古い時代の理想が、人間の無意識的な心理を支配することと関係がある。さらには、現代の人々が、自分の行動をコントロールし得る合理的な倫理をもっていないことと関係がある。それにたいする療法は、過去を悲しがったり、懐かしがったりすることにはなくて、現代のものの見方をもっと勇敢にうけ入れることと、表面上は否定されたはずの迷信を、その暗い隠れ場所から一掃してしまう決意をすることにある。
なぜ、人が愛を高く評価するかを簡単に説明するのは、容易ではない。だが、わたくしは、あえてそれをやってみようとおもう。
まず第一に、恋愛は、それ自体、歓喜の源泉として高く評価されるべきである――これは、恋愛の最大の価値ではないにしても、それ以外の価値にくらべれば、本質的な価値である。
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おお恋よ!
汝の甘美なるを、苦《にが》しとあしざまにそしる者あり
されど、汝の熟せる果実にまさりて甘美なるもの、世にあらめやも
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この詩を書いた匿名の作者は、無神論にたいする解決を求めたり、宇宙の神秘の扉を開く鍵を求めていたわけではない。彼は、ただ単に、自ら楽しんでいただけである。それに、恋愛は、単に歓喜の源泉であるばかりではない。恋愛のないことは、苦痛の源泉である。
ついで第二には、恋愛は、音楽とか、山頂の日の出とか、満月の下の海原のようなあらゆる最高の快楽を、さらに一段と大きくしてくれる。それだけに、恋愛は、高く評価されなければならない。
愛する女と一緒にいて、こうした数々の美しいものを一度も楽しんだことのない男は、それがあたえてくれる魔術的な力を、十分に経験したことのない男である。
また、恋愛は、エゴの固い殻《から》を破ることができる――なぜならば、恋愛は、一種の生物学的協力だからである。そのためには、おのおのが愛の感情に燃えることが、相手の本能的欲望を満たすのに必要である。
これまで、世界には、いろいろな時代に、さまざまの孤独な哲学者たちがいた――あるものは、非常に高潔であり、あるものは、それほどでもなかった。ストア学派の哲人たちと、初期のキリスト教徒たちは、人間は、自分の意志のみによって、すなわち、すくなくとも「人間」の援助をうけないで、最高の善を実現し得ると信じていた。ところが、他の哲学者たちは、力を人生の目標とみなしていた。そして、その他のものは、単なる個人的快楽を人生の目的とみなした。このような哲学者は、すべて、善が、単に、大なり小なり、人間の社会ばかりでなく、各自ひとりひとりの人間の中に実現されるものであるという意味において、孤独の哲学者である。わたくしの考えでは、このような見方は、ことごとく誤りである。単に、倫理上の理論としてまちがっているばかりでなく、われわれの本能のいい方の部分の表現としてもである。人間は、相互の協力に依存している。その上、人間は、生まれながらにして、ほんとうのところ、いささか未熟ではあるが、協力に必要な友情の湧き出る本能的な器官があたえられている。
恋愛は、協力をもたらす感情のうちで、最高のものであり、最も共通性にとんでいる。そして、少しでも恋愛を経験したことのある人なら、最高善を、自分の愛した人間と関係なく考えるような哲学では、満足しないであろう。
この点についていえば、子にたいする親の感情の方が、より強いけれども、その強い親の感情も、その最善の状態のものは、親同士の間の愛の結果にほかならない。
わたくしは、最高の形の愛が、普通一般に共通のものだ、と言おうとはおもわない。けれども、こう言うことを主張したい――最高の形の恋愛は、それがなかったばあい、知られないままになっているにちがいない人生の意義を、われわれに知らせてくれるし、それ自体、懐疑主義では説明のつかないほどの価値をもっている、と。恋愛することもできない懐疑論者は、その不能を、懐疑主義のせいにするかもしれないが、それはまちがいである。
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真実の愛は、永劫に燃えつづける火なれば
心の中、燃えつづけて消ゆることなし
病まず、死なず、冷めず
永遠に、変わることなし
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つぎに、クラッチ氏が、悲劇について言わんとしている点にふれてみよう。彼は、イプセンの戯曲『幽霊』は、シェイクスピアの『リア王』よりも劣っていると論じている。この点、わたくしは、彼に賛成せざるをえない。彼は言う――
「どんなに表現力を増したところで、またどんなに言葉を豊富にしたところで、イプセンをシェイクスピアに変えることはできなかったろう。シェイクスピアが、その創作の題材としたもの――すなわち、人間の尊厳についての概念、人間の情熱の重要性についての識見、人生の豊饒さについての洞察力――は、まさに、イプセンにはなかったものであった。また、同時に、イプセンの同時代の人々にもなかったし、たとえもとうとしても、もつことのできなかったものである。
『神』も『人間』も『自然』も、これらすべては、シェイクスピアからイプセンにいたる二、三世紀ばかりの間に、やや色|褪《あ》せてしまった。どうしてかというと、それは、近代芸術の写実主義が、われわれをして、平凡な人々を求めさせようとするからではなくて、われわれのもつヴィジョンを正しいものとする写実的芸術論を発達させたのと同じ方法で、平凡な人生のあり方が、われわれに押しつけられてきたためである」と。
たしかに、王子たちや、その悲しみを扱った昔風の悲劇は、われわれの時代には合わない。また、われわれが、愚昧なひとりの個人の悲しみを、同じ手法で扱おうとしても、その効果は同じではない。しかし、その理由は、われわれの人生観が、頽廃しているからではなくて、全くその反対なのである。つまり、われわれは、もはやある一個人を、この地上における最も偉大な人物とみなすようなことはできなくなっているからである。そのような人物のみが悲劇的情熱をもちうる権利があって、残りの全部が、この少数の偉大な人物をうみ出すために、あくせく働かなければならないなどとは、考えることができなくなっているためなのである。
シェイクスピアはこう言っている――
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乞食が死んでも彗星《すいせい》は現れない
王子の死にこそ天は自らを燃やすのだ
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シェイクスピアの時代には、このような感情が、たとえ文字通りには信じられないとしても、ともかく、かなり広く一般にゆきわたっていたものであり、またシェイクスピア自身が心深くうけいれていた見方であった。それで、詩人シンナ〔『ジュリアス・シーザー』〕中の人物〕の死が喜劇的であるのにひきかえ、シーザー、ブルータス、カシアスの死は、悲劇的なのである。一個人の死が、宇宙的な意味をもつなどということは、もはや、われわれの時代にはなくなってしまっている。なぜならば、われわれは外部的な形式においてだけでなく、心の奥の信念までも、すでに、民主主義になってしまっているからである。そのために、現代のほんとうの悲劇は、個人に関するものよりも、むしろ、社会に関係あるようなものでなくてはならない。
わたくしは、いま言っていることの実例として、エルンスト・トラーの『群衆』をあげよう。わたくしは、この作品が、過去の黄金時代に作られた最高の作品と同じくらい、いいものだとは言わないが、それと堂々と肩をならべるに足るものだと言いたい。それは、高貴で、深みがあり、かつ、現実的である。それは、英雄的行為をとり扱ったものであり、アリストテレスの言葉をかりれば、「まさに読むものの心を同情と畏怖によって浄化」せずにはおかないものである。このような類《たぐ》いの悲劇の実例は、今日いくらもない。なぜならば、古いテクニックと、古い伝統は当然すてさらなければならないとしても、それに代わるものが、さほど教養がなくて、陳腐なものしかないからである。悲劇を書くためには、悲劇を感じなければならない。悲劇を感じるためには、自分の生きている世界を、単に自分の|あたま《ヽヽヽ》ばかりでなく、血と肉をもってさとらなければならない。
クラッチ氏は、彼の著のいたるところで、絶望について語っている。そして、人は、彼が荒涼たる世界を英雄的にうけいれていることにたいして感激する。しかし、その荒涼というものがどこから出てくるかというと、彼をはじめ、ほとんどの文筆家たちが、昔風の情緒を、新しい刺激に応じながら感得するということを、まだ学んでいないからなのである。そうした刺激は、たしかに存在している。しかし、文人仲間のあいだにはない。文人仲間は、現実の社会生活と、生気に満ちた関係を持ってはいない。もし、人々の感情が、真実さと深さをもとうとするならば、そのような生気に満ちた関係こそが何よりも必要なのである。そこにこそ、悲劇もあるが、ほんとうの幸福も生まれるのだ。
この世には自分の為すべきことは何もないと考えて、ぶらぶらしている有能な青年たちみんなに向って、わたくしはこう言いたい――
「ものを書こうとするのはやめて、それよりも、書かないように努めてごらん。実社会に出ていくがいい。海賊にでも、ボルネオの王様にでも、ソヴィエト・ロシアの労働者にでもなるがいい。人間の最も原始的な、肉体的な要求が、あなたがたのエネルギーを、ことごとく吸いとってしまうような生活の中に飛びこむがいい」と。
わたくしは、こうした行動をとることを、すべての青年にすすめるのではなくて、ただ、クラッチ氏が診断したような疾患で悩んでいる青年たちにだけである。
わたくしはこう信じている――こうした生活を数年間つづけると、やがて、知的でない人間でも、もはやいやおうなしに、ものを書くのを抑えることができなくなっているのがわかろうし、ひとたび、その時が訪れると、書くことが、もはや自分には、すこしも無駄とは思われなくなるだろう、と。
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3 競争
アメリカで誰でもいいからきいてみる、英国の実業家だれでもいいからきいてみる、人生の楽しみをいちばん邪魔しているのは何かと。そうしたら、彼は答えるだろう――「生存競争である」と。彼はほんとうに真剣にこう言うだろうし、ある意味においてはこれは真実である。しかし、より重要な意味では、根本的にまちがっている。生きんがための闘いは、たしかに、どうでも起こってくる問題である。運が悪ければ、われわれの誰にでもおこってくる。
たとえば、コンラッドの小説に出てくる主人公フォークのばあいである。彼は遺棄された船の中にいた。船員たちは銃を所持していたが、そのうち二人だけが最後に残り、フォークはそのうちの一人だった。そして最後に、二人の間には、相手の一人のほかには何一つとして食うものが残っていなかった。彼等が仲良く最後の食べ物を食べつくしたあとで、本当の生存競争、すなわち生きんがための闘いが始まったのである。フォークが勝った。それ以来彼は菜食主義者になった。
しかし、ビジネスマンたちが「生存競争」という時、その意味するところは、今の話のような闘いの意味ではない。それは、ほんとうは些細なことにすぎないものに、威厳をもたせるためにつけた不正確なことばである。かれらはビジネス階級のもので、自分の知っている仲間のうち、飢えのためにいったい何人死んだかきいてみるがいい。さらにまた、その友人達が破産してしまった時、そのあとどうなったかをきいてみるがいい。だれでも知っていることではあるが、破産した実業家というものは、物質的な快楽に関するかぎりは、破産するだけの金を一度もつかんだことのない人よりも、ずっといい暮らしをしているものだ。だから、みんなが生存競争ということばは、実は、成功競争を意味しているにほかならないのである。このような競争をしているとき、みんながおそれることは、あすの朝食が食べられないことになるかもしれないということではなくて、下手をすると、隣近所の人達のまえで威張れなくなるかもしれないということなのである。
また、つぎのような人の生活について考えてみよう。彼は、チャーミングな住宅をもち、すてきな妻と、かわいい子供たちをもっている。彼は、朝早く、妻や子供たちが眠っているうちに起きて、オフィスにかけつける。事務所では、すぐれた執務力を示すのが彼の義務である。彼は、しっかりしたものの言い方、歯ぎれのいい話術、給仕以外のみんなに感銘をあたえるよう考慮された、聡明で、ひかえめな態度を身につける。彼は手紙を口述する。電話でいろいろな方面の重要な人たちと話をする。相場や商況を研究する。それから商売相手、もしくは、これから商売しようとおもっている人と昼食を共にする。同じようなことが午後もつづけられる。彼は疲れて帰宅する。ちょうど、晩餐会に出るために着替えをしなければならないぎりぎりの時間にである。晩餐会の席上では、彼や、ほかのくたびれた男達は、ちっともくたびれる機会などもったことのない婦人たちのお相手をすることを喜んでいるふりをしなければならない。このあわれな男がそこから逃げ出すのにいったい何時間かかるのか、さっぱり見当がつかない。そして、とうとう、眠りにつく時が来る。だが、ようやく二、三時間、緊張がほぐれるだけである。
この男の労働生活はとみると、その心理状態は百ヤード競走と同じである。しかし、この男が走っているレースは、墓場だけが唯一のゴールであるから、百ヤード競走に適当なこのようなエネルギーの集中も、彼のばあいだと最後には非常に過度のものとなってしまう。
いったい彼は、自分の子供たちについて何を知っているといえるのか。ウィークデーは、彼はオフィスにいる。日曜には、ゴルフリンクにいる。自分の妻についても、どれだけのことを知っているのか。彼が朝、家を出るときには、彼女はぐっすり寝入っている。夕食後の二人は、社交上のつきあいにいそがしくて、親密に話しあうこともできない。彼は、おおぜいの人に、自分がそうしてもらいたかったとおもうようなあたたかさであいそうよくするけれども、自分にとって大切な男の友達というものを一人ももっていない。春がきた、秋がきたということも、それが相場に関係があるから知っているだけである。外国も、多分は見たことはあるだろうが、それも、退屈でやりきれないという眼でみたであろう。書物などは、無益に思われるし、音楽は高尚すぎる。年とともに、彼は孤独になる。彼の注意はますます仕事に集中され、ビジネス以外の生活は、ますます乾《ひ》からびたものになってしまう。
わたくしは、かつてこうしたタイプの中年すぎのアメリカ人が、ヨーロッパで、その夫人と令嬢をつれて歩いているのをみたことがある。みたところ、かれの妻と娘が、いまこそ休暇をとってヨーロッパ見物をすべきだ、とこのあわれな男を説得したのは明らかだった。有頂天の妻と娘が、彼についている。そして珍しいものがあるたびに彼の注意をひこうとする。ところが、この家長は、まことにもの憂《う》げで、退屈でしかたがない。彼の考えているのは、いまごろオフィスでは、みんな何をしているだろうか、また、野球の方は、いまどうなっているだろうか、ということである。
彼のお供をしているこの女たちは、ついに彼をあきらめる。そして、男というものは、俗物にすぎないと結論する。妻と娘たちには、彼が彼女らの貪欲の犠牲になっているということが、全然わからない。それどころか、本当をいえば、ヒンズー教の妻の殉死が、ヨーロッパ人の見物人にわからないのとおなじである。おそらく、そのインドの殉死のばあいは、十中九まで、その未亡人は、それが光栄のためであり、また、宗教がそう定めているからというので、身を焼かれる覚悟をきめ、自ら進んで犠牲となったものであろう。
ビジネスマンのばあいは、その宗教と光栄は、彼に金をもうけることを要求する。それで彼は、ちょうどこのヒンズー教徒の未亡人のように、喜んで苦しみをうけるのである。
もし、アメリカのビジネスマンが、もっと幸福になるためには、まず第一に、その宗教を変えなければならない。彼が成功を望むだけでなく、成功を追うことこそが男たるものの義務であり、成功を追求しないような男はあわれな人間であると、心から信じこまされているかぎり、彼の人生は、幸福であるためには、あまりに精根をうちこみすぎ、あまりにあくせくしすぎることになる。
投資という簡単な事例について考えてみよう。ほとんど全部のアメリカ人は、安全な投資で四分もうけるよりは、危険をおかしても、手早く八分儲けるだろう。そのけっかは、しばしば、金をすってしまう。また、心配といらだちのたえまがない。わたくしが、金から得たいと望むのは、安定した閑暇である。ところが、典型的な現代人が望むのは、より多くの金である。それも、見せかけと、はなやかさと、いままでの仲間を顔色なからしめようとの考えからである。
アメリカ人の社会的地位は、きちんと定まっていなくて、たえず動揺している。その結果、紳士気どりの連中の感情は、社会秩序がきちんと定まっているところよりも一層、不安定である。
もちろん、金は、それ自体、人を崇高ならしめるためには十分ではないけれども、一文も持たないででは、威厳を保つことはむずかしい。そのうえ、どれほど金をつくったかということが、頭脳の程度をはかる公認の尺度とされている。金をたくさんもうけた男は、頭のいい男であり、もうけなかった男は、賢くないとされる。しかも、誰しもが、人からバカと思われたくない。だから、商況が難しい状態になると、人はちようど試験のときの青年たちと同じ気分になる。
破産したらどうなるだろうか。合理的ではないが、しかし本当に心配になる。そうした懸念が、しばしば、ビジネスマンの不安のたねになる。これは、どうも認めざるを得ないようにおもう。アーノルド・ベネットの作品に出てくるクレイハンガーは、どんなに金持ちになっても、いつも、養老院で死ぬのではなかろうかとおそれている。子供のころ、ひどく貧乏で苦しんだ人は、自分の子供も同じ苦しみを味わうのではなかろうかというおそれにとりつかれている。そして、この不幸を防ぐに足る防波堤として、何百万という金をつくろうとするが、それがどうも、できそうもないようにおもう。このようなおそれは、第一代の親にとっては、さけがたいものであろう。しかし、かつて一度もひどい貧乏を経験したことのない人達は、このような恐怖に悩まされることもあるまい。こうした恐怖は、かりにあったとしても大したものではないし、問題としてみても、例外的なものでしかない。
競争して成功することを、幸福の主な源泉として強調しすぎることは、災いの因《もと》になる。成功したという実感そのものが、人生を楽しく味わわせる――それは、わたくしも否定はしない。たとえば、青年時代を全然世間に知られないですごしてきた画家が、一度その才能が認められるやいなや、非常に幸福になる。また、金というものが、ある程度までは、幸福を増大するのに非常に役立つ――それも、否定はしない。しかし、その先が問題である。ある程度までは、というその程度をこえて、なおも金が、幸福を増大させる要素であるとは思えない。つまり、わたくしが言いたいのは、成功は、たしかに幸福のための一つの要素になり得るけれども、そのために、もし他のすべての要素が犠牲に供されるとすれば、その犠牲は、あまりに高価につきすぎはしまいかということである。
このようなトラブルの根源はどこにあるかというと、それは、実業界一般にひろまっている人生観にある。
ヨーロッパでは、実際、実業界以外にも、威光をはなっているサークルが幾つもある。ある国々には貴族がある。あらゆる国々に学者という知識階級がある。ごく少数の小国をのぞいて、すべての国に、陸海軍人が非常な尊敬をうけている。
職業が何であれ、ともかく成功ということのなかに競争的要素が含まれていることは、事実であるが、同時に、尊敬される対象は、ただ成功ということだけでなく、何であれ、ともかくその成功の因《もと》をなしたところの何かの卓越したものなのである。科学者は、金を作るかもしれないが、作らないかもしれない。金を作った方が、作らないよりも、よけい尊敬されるとはかぎらない。科学者が尊敬されるときは、金が対象ではない。
著名な陸軍の将軍や海軍の提督が、たとえ貧乏であったにしても、誰も驚かない。それどころか、そのような貧乏は、ある意味では、たしかに一つの名誉でさえある。
そういうわけで、ヨーロッパでは、金のためだけの競争は、ある種の社会だけにかぎられている。しかも、そのような社会は、最も有力で、最も尊敬される社会とはかぎらない。
アメリカでは事情が異なる。陸海空軍は、国民生活に影響をあたえるほどの役割をはたしていない。知的職業に関していえば、医者が、どれほど医学を知っているのか、また、弁護士は、どれほど法律を知っているのか、外部のものにはさっぱりわからない。だから、アメリカでは、こうした人々の価値を判断するには、かれらの生活程度から推量する収入の多寡《たか》によるのが早道なのである。教授たちに関していえば、かれらは実業家に雇われている使用人にすぎない。それで歴史の古い国々で尊敬されているほど、アメリカでは尊敬されていない。その結果として、アメリカでは、専門分野の人たちが、ことごとく実業家をまね、ヨーロッパのような独自のタイプをつくることをしない。だから、裕福なくらしをしている階級のどこをさがしても、経済的成功のためのむきだしの争いを緩和するものは何もないのである。
かなり幼い頃から、アメリカの子供たちは、金銭的成功こそ唯一の重大な事柄だとおもいこんでいる。そして、金銭的価値をもたない教育にわずらわされることを望まない。
本来、教育は、つねにエンジョイメント(楽しむこと)の能力を訓練することと、広く一般に考えられていた。ここでエンジョイメントというのは、教養のない人々には関係のないような、きわめてデリケートな快楽のことである。十八世紀においては、文学、絵画、音楽について、見識ある快楽をもつことが「紳士」たるものの資格の一つであった。今日、われわれは、そのような趣味はよろこばないかもしれないが、かつては、すくなくとも純粋なものであった。今日の金持ち連中は、全く異ったタイプの傾向を示している。本はけっして読まない。画廊を作るときは、名声をあげることが目的であって、どんな絵を選ぶかは専門家にまかせる。絵から得ようとするよろこびというのは、絵そのものを鑑賞する快楽ではなく、他の金持ち連中がその絵を所有するのをさまたげるよろこびなのである。音楽についてはどうか。もし、ユダヤ人だったとしたら、鑑賞力をもっているかもしれないが、そうでなかったら、他の芸術に関してと同じように、全然教養がないだろう。けっきょくどういうことになるかというと、レジャーをどう楽しんだらいいかわからないということである。だんだんと金持ちになっていくにつれて、金をつくることが容易になる。あげくのはてに、一日たった五分間仕事をするだけで、どうして使ったらいいかわからないほどの金をもうける。気の毒にも、成功の結果は、かえって途方《とほう》にくれてしまうことになる。成功ということが、人生の目的とみなされるかぎり、こうなることは、どうしてもさけられないケースである。成功したあとでどうするか、教えられないかぎり、成功したことが、必然的に、彼を退屈のえじきにしてしまうにちがいない。
いつも他人と競争しようとする心は、どうしても習慣性になって、本来、競争などというものの全然ない世界にまで、容易に入り込んでくる。たとえば、読書の問題をとりあげてみよう。本を読むのに、二つの動機がある――一つは、それを楽しむことであり、いま一つは、それを自慢することである。アメリカでは、婦人たちが、毎月数冊の本を読むこと――または、読んだふりをすること――が流行になっている。ある者は読みとおし、ある者は第一章だけ読み、ある者は書評を読む。しかし、その誰もが、これらの本を机の上においている。しかし、彼女らは、名作をひとつも読まない。『ハムレット』や『リア王』が、読書クラブから選ばれた月は、一度もなかった。ダンテについて知っていることが必要だった月も、一度もなかった。その結果、読まれるものといえば、すべて最新の、しかも二流の本であって、けっして名作ではない。こうしたことも、また、全部が悪いわけではなかろうが、たがいに張り合うことから生ずる結果なのである。というのは、問題の婦人たちの大部分は、名作も読まずに、それぞれ自由に放置されたら、彼女らの文学上の指導者や先生がたが選んでくれたものより、はるかに低級な本を読むだろうからである。
現代生活において、競争が強調されるのは、ちょうど、アウグストゥス大帝時代のあとで、ローマにおこったと同じような文化的水準の一般的低下と関係がある。男女とも、より知的なよろこびを味わうことができなくなったようにおもわれる。
たとえば、一般的に、会話の技術は、十八世紀のフランスのサロンで完成されたものであるが、四十年前には、まだ生きた伝統として活溌に行われていた。それは、非常に洗練された芸術であって、何か完全に消え去ろうとするもののために、最高の能力を発揮してくれていた。
しかし、現代、誰がこんな悠長なことに注意をむけるものがあろうか。中国では、十年前までは、完全に芸術が栄えていた。けれども、国家主義者たちの伝道者的な情熱が、完全にこの芸術を払拭し去ってしまったようにおもう。優れた文学についての知識は、五十年から百年前までは、教育のある人達の間にゆきわたっていたのであるが、今日では、少数の教授たちに限られてしまっている。すべて、静かに楽しみを味わうというようなことが、なくなってしまった。
ある年の春、数人のアメリカの学生たちが、大学の庭と境を接している森の中へ、わたくしを散歩につれていってくれたことがある。そこには、小さく、きれいな野生の花が、いっぱい咲いていた。しかし、わたくしを案内してくれた学生たちのだれ一人として、そのうちのたった一つの花の名前すら、知っているものがなかった。そんな知識がいったい何の役にたつのか――花の名前なぞ知ったところで、誰の収入をもふやしはしないだろう、というわけである。
問題は、単に、ひとりひとりの個人の問題だけではない。ひとりひとりの個人が、自分だけで問題を解決できるものではない。問題は、一般にうけいれられている人生観にある。つまり、人生はコンテスト、すなわち競争であり、尊敬は優勝者にのみはらわれる、という人生観である。
このような人生観は、感性と知性を犠牲にして、意志だけを不当に発達させる結果になる。もしかしたら、こういう言い方は、馬の前に車をつけた馬車、すなわち、前後倒錯の言い方かもしれない。清教徒の道徳家たちは、もともと、信仰に力点をおいていたのに、近代になると、つねに、意志を強調するようになった。清教の時代が、競争をさかんにして、意志だけを不当に発達させた。その一方、感性や知性を衰えさせてしまった。さらに、その競争が、清教の本質に最もよく適するものとして、競争の哲学を採用した。そうも言えるのである。
たとえそれがどのようなものであれ、とにかく、現代の恐竜ともいうべきこうした清教が、有史以前の恐竜の原型がそうだったように、知性よりも力を愛し、驚異的な成功をおさめた。そして、それを、広く一般に模倣させつつある。いたるところで、白人たちのパターンになってしまった。この現象は、今後百年間、ますます、盛んになっていくようにおもわれる。
しかしながら、このような流行にとらわれていない人達は、その恐竜も、最後には勝利をおさめはしなかった、ということを考えることによって、自らを慰めることができよう。かれら恐竜たちは、けっきょく、殺し合いをした。そして、知的な傍観者たちが、かれら恐竜の王国をうけ嗣《つ》いだのである。
今日の恐竜も、また、たがいに殺し合いをつづけている。それらにかれらは、平均、夫婦一組について二人の子供さえもっていない。かれらは、子供をもちたいとおもうほど、人生をエンジョイしてはいない。この点を考えると、かれらが清教徒の祖先からうけついだ激しい競争の哲学は、現代の世界には適応しないことがわかる。
その人生観が、もはや子供を生みたいと思わないほど、あまり幸福を感じさせなくなっている人達は、生物学的にのろわれているのである。しかし、近い将来には、かれらは、何かもっと楽しいにぎにぎしいものに、とってかわられなければならない。
人生の主要な目標としてかかげられる競争は、あまりにも冷酷、あまりにも執拗で、それに、あまりにも身体を酷使し、意志をはたらかせすぎるので、生活行動の基準としては、せいぜい世代が二世代ぐらいしかつづかないだろう。そのあとは、神経と疲労と、さまざまの逃避的現象を生みだし、仕事をすると同じくらい緊張して、仕事と同じわずらわしい快楽を追うこととなり(リラックスすることが不可能になったから)、けっきょくは、生殖不能になって、子孫が絶えてしまうにちがいない。
このように、競争の哲学によって毒されているのは、ただ単に仕事だけでなく、同様にレジャーもまた毒されている。静かで、そして神経の疲労を回復してくれるようなレジャーなどは、もう、退屈におもうようになっている。そこに、いやでもおうでもあらわれてくるのが、たえまないスピード化であり、その当然の結果、ゆきつくところが、薬であり、衰弱である。
それにたいする療法は、バランスのとれた人生の理想の中に、健全で、平和な快楽の役割を認めてやることである。
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4 嫉妬
不幸の最も大きな最大の原因の一つは、嫉妬であろう。嫉妬は、一般的に人間の感情の中に最も深く根ざしている感情の一つである。
嫉妬は、一歳になるかならぬかの乳幼児のうちにもみられる。そして、すべての教育者が、最もやさしい心づかいであつかわなければならない性質のものである。一人の子供ばかり可愛いがって、他の子供はあまりめんどうをみないということは、よくどこででも見られる現象であるが、それがうらまれる因《もと》をなしているのである。子供をもっているひとは、絶対的な、厳格な、そして一定の、公平な分配という原則を、まもらなければならない。子供というものは、その羨望や嫉妬――嫉妬は羨望の特別の一変形――を表現するにあたっては、おとなたちと同じように露骨である。もともとこの感情は、おとなにも、子供にも同じものなのである。
たとえば、うちの女中について考えてみよう。わたくしは、うちで使っていた女中の一人――彼女は既婚婦人であった――が妊娠したときのことをおぼえている。わたくしは、彼女に重いものを持ち上げなくともいいと言った。ところが、その結果がたちまちにしてあらわれた。他の女中が、誰ひとりとして重い物を持ち上げようとしなくなった。そのため、重い物を持ち上げなければならなくなったとき、わたくしたち自身でしなければならなかった。
羨望こそが、デモクラシーの基礎である。ヘラクレイトスは、エペソスの市民はことごとく絞首刑にされるべきだ、と言ったが、それはエペソスの市民たちが――「われわれのあいだでは、第一人者などというものはあってはならない」と言ったからである。この情熱によって、ギリシア諸都市のデモクラシー運動が全面的に鼓舞されたにちがいない。
これと同じことが現代のデモクラシーについてもいえる。
なるほど、デモクラシーこそが政治の最もよい形であると主張する理想主義的理論がある。この理論は正しいとわたくしも考える。しかし、理想主義的理論は、実際政治のどの分野においても、変革の原動力となるような力をもっていない。大きな変革が起こるときは、それをジァスティファイ(正当化)しようとする理論は、いつでも変革の情熱のカモフラージュにつかわれるのである。
民主主義の理論に原動力をあたえてきた情熱は、うたがいもなく羨望嫉妬の感情である。
ローラン夫人〔フランス革命時代の作家。ジャコバン党からにらまれ、断頭台で死ぬ〕の回想録を読んでみるがいい――彼女はしばしば、民衆のために身を献じた高貴の女性の代表にあげられる。彼女をあのように熱烈な民主主義者にしたのは何か。それは、彼女がたまたま貴族のシャトー(城)を訪れ、召使の部屋にとおされた時の経験であった。
普通、社会的地位のある婦人の間では、嫉妬が、非常に大きな役割をはたしている。地下鉄に乗っていて、一人の美しい服装をした女性が、たまたま、その車両のそばを通ったとする。その時の他の女達の視線をみるがいい。彼女らの一人々々が、いまの婦人と同じように美しく着飾っている女性は別として、いまの身なりのいい婦人にたいして敵意にみちた一べつをなげ、彼女の価値を傷つけるような何かの欠点を探しだそうと、やっきになっているのを見つけるだろう。
スキャンダルを好むというのも、このような一般的敵意のあらわれにほかならない。他の女性をけなすような悪口は、とるにたらないような証拠しかなくとも、たちまち信じられてしまう。
高尚な道徳というものも、これと同じような目的に役立てられる――道徳にそむくような機会に恵まれた女は嫉まれるし、またこの罪を罰するのが美徳であると考えられたりする。そういう特殊の形の美徳――つまり道徳にそむいたからみんなで罰を加えるといったような美徳は、そうすること自体が、彼女らにとって報酬でもあるのである。つまり、嫉妬心でかっかしている気持を慰めるのである。
けれども、これと全く同じことが、男達のあいだでも見うけられる。ただ、女のばあいは、ほかの女全部を競争相手とするのであるが、それと異なって男のばあいは、この感情を同じ職業の男たちに対してだけ向けるのである。
読者のみなさんは、いままで、ひとりの芸術家のことを、他の芸術家の前でほめそやすような軽率なことをしたことはないだろうか。ひとりの政治家を、その人と同じ政党に属する他の政治家の前でほめたことはないか。ひとりのエジプト学者を、他のエジプト学者の前でほめたことはないか。もしみなさんが、このようなことをしたとしたら、百のうち九十九まで、かれらの嫉妬が爆発したであろうことは明らかである。
ライプニッツとホイヘンスがとり交わした書簡の中に、ニュートンが気が狂ったという噂を悔《くや》む手紙がたくさんある。彼等は、たがいにこう書き送っている――「ニュートン氏のような比類のない天才が、理性を喪失して何もわからない状態になったとは、なんと悲しいことではないか」と。そして、この二人の優れた男達は、心のうちではあきらかにほっとしながら、たがいの手紙の中ではそら涙をながしあっていたのである。しかし、事実はどうだったかというと、なるほど二、三の風がわりな行為の噂がとんだだけで、この二人に偽善者的な涙を流させるような事件はなかったのである。
人間性のあらゆる特質の中で、嫉妬は最も不幸なものである。嫉《ねた》みぶかい人間は、ひとの不幸を望む。そのためには、罰せられることさえなければ、何でもしようとおもう。しかし、それは、それだけでおさまるものではない。嫉みそれ自体によって、自らを不幸にするのである。嫉むひとは、自分は、自分のもっているもので喜びを味わえなくてもいいから、ともかく他人からそのひとの利点――自分ももちたいとおもっているような利点――を奪いとろうとする。もし、こうした感情がやたらにはびこるようになれば、それは、あらゆる長所を失わせる結果になり、さらには、そのもっている特別の技術をすら、最も有意義に発揮させることを危うくすることになる。
労働者が、歩いて仕事に出かけていかなければならない時に、なぜ、医者が自動車で患者を診《み》にいくのか。ひとが、激しい風雨にさらされていなければならない時に、なぜ、科学の研究者たちが、暖い室内で時間を過ごすことを許されるのか。この世にとって大きな意義のある稀《まれ》な才能をもっている人なら、なぜ、自分の家の小面倒くさい家事をしないでもいいのか。嫉妬には、こうした質問にたいする答えが全然わからない。
しかし、幸いにも、人間性の中には、それを補ってくれる感情、すなわち、讃美の感情がある。だから、人間としての幸福を増大したいとおもう人は、讃美の感情を増進して、嫉妬を減らすようにしなければならない。
それでは、嫉妬にたいしてどんな治療法があるのだろうか。
聖者にとっては、無我という治療法がある。もっとも聖者といえども、他の聖者をぜったい嫉まないとはかぎらない。聖シメオン・スティリテスが、もし他の聖者が、自分よりもっと細い柱の上に、自分よりもっと長い年月立っていたということをきいたら、はたして、心から嬉しくおもったかどうか疑わしい。
しかし、こうした聖者のことはさておいて、普通の男女のばあい、嫉妬にたいする唯一の療法は、幸福であるということ以外にはない。ところが、嫉妬が、幸福そのものをじゃまする恐るべき障害であるというところに問題があるわけである。わたくしの考えでは、嫉妬は、幼い頃のさまざまの不幸によって非常に強められる。兄弟や姉妹が、自分の目の前で自分より可愛いがられるのを見ると、子供は嫉妬の習慣を身につける。そして、長じて世間に出ると、自分が子供のころ犠牲にされたと同じあの不公平な現象を発見する。そうした現象が実際におこれば、もちろんすぐにそれを看破するし、そうでないばあいでも、そういう現象を想像する。このような人間は不幸である。友人たちからはけぎらいされる。彼は、まず、誰もかれも自分を好いてはくれないと思い始め、最後には、自分の行動によって、ほんとうに好かれない人間になってしまう。
これと同じような結果をもたらす、いま一つの、子供の頃の不幸に、あまり親らしい感情をもたない両親をもったというばあいがある。子供は自分の家で、自分よりも不当に可愛いがられる兄弟や姉妹をもたなくても、よその家の子供が、自分の父親や母親から、自分よりもずっと可愛いがられているのに気づくことがある。これが他の子供たちと、それから自分の両親を憎む原因となり、他日、彼が成長したとき、自分自身をイシュマエル〔アブラハムが侍女のハガルに生ませた子で、正妻によって追放された…創世記〕とおもうようになる。
幸福というものは、人間だれしもがもって生まれた権利であって、それを奪いとられることは、いやおうなしに人間を偏屈にしたり、みじめにしたりするものである。
嫉妬ぶかい人はこう言うだろう――「嫉妬の療法は、幸福になることであるなどとわたしに言ってきかせたところで、それが何になろう。わたしが嫉妬の感情をもちつづけているかぎり、幸福をみつけることはできないし、わたしが幸福をみつけるまでは、嫉妬が止まらない。それだけのことじゃないか」と。
しかし、実際の生活というものは、けっしてこんなに論理的なものではない。自分の嫉妬深い感情の原因をさとるだけで、それを治すための長足の進歩となる。
何でも人のものと比較して考えるという習慣は、致命的な悪習でもある。自分には自分のゆき方、自分なりの人生の楽しみ方というものがある。愉快なことがあったら、精いっぱいそれを楽しめばいいのであって、ほかの誰かが味わっているかもしれない楽しみとくらべてみて、自分のはその人ほど楽しくないのではないか、などと想像すべきではないのである。
嫉妬深い人はこうも言うだろう――「たしかにそうかもしれない。しかし、ここでは天気は好いし、季節は春だし、鳥は歌っているし、花は咲いているが、シシリー島の春はこの何千倍も美しく、ヘリコンの森の小鳥たちは、ここよりももっとすばらしく歌い、シャロンのバラの花〔聖書の雅歌に出る〕は、うちの庭のどのバラよりきれいなんだ」と。ところがこんなことを想っているうちに、太陽はかげり、小鳥の歌は無意味なさえずりとなり、花は一顧にも値しないようになってくる。彼は、人生の他の楽しみについても、これと同じような考え方をする。
嫉妬深い男はさらにこうも独り言《ごと》をいう――「それはそうだろう――しかし、ぼくの恋人は美しいし、ぼくは彼女を愛しているし、彼女もぼくを愛してはいるが、シバの女王は、もっともっと何倍も美しかったにちがいない。ああ、ぼくに、もしソロモン王たるチャンスがあったとしたら!」と。
このような比較はすべて無意味であり、バカバカしい。不満のもとがシバの女王であるにせよ、隣の人であるにせよ、何もならないことでは同じだ。賢明な人は、自分のもっている楽しみをつねに楽しむ――ほかの人はほかの人で、自分なりの楽しみをもっているのだから。
嫉妬は、事実、なかば精神的欠陥、なかば知的な欠陥の一つのあらわれである。それは、物事をあるがままに見ないで、比較の関係でのみ見るときに出てくるのである。
かりに、わたくしがいま、自分の要求を十分にみたすだけのサラリーをもらっているとする。わたくしは、そのサラリーで満足すべきである。ところが、どう考えてもわたくしより優れていない人が、わたくしの倍のサラリーをもらっていることを耳にする。もし、わたくしが、嫉妬深い性質の人間なら、わたくしがいまもらっている額にたいする満足感は、たちまちにかすんでしまって、不公平だとおもう感じにとらえられはじめる。すべてこうした傾向に対する適切な療法は、精神の訓練ということである。つまり、役にたたないことは考えないという習慣を身につけることである。
けっきょくいって、何が嫉ましくなるかといって、人の幸福ほど嫉ましく思うものは他にない。もし、わたくしが、嫉妬を治すことができたら、幸福を獲得することができる。そして、人から羨ましがられるようになる。わたくしの二倍のサラリーをとっている人は、きっと誰かほかの人は自分の二倍のサラリーをとっているにちがいないという考えに苦しめられる。こうしたことが、どこまでもつづく。
もし、あなたがたが栄誉を望む人であれば、ナポレオンを羨ましくおもうであろう。しかし、ナポレオンは、シーザーを羨み、シーザーはアレキサンダーを羨望した。そして、おそらく、アレキサンダーは、ヘラクレスを羨望したにちがいない。しかも、ヘラクレスは実在しない人物だった。だから、あなたがたは、たとえ成功しても、それだけで、嫉妬をしないですむというわけにはいかない。歴史や伝説をみれば、あなたがた以上に成功している人が、いつも出てくるだろう。
あなたがたが、嫉妬から脱却し得る道は、自分の眼の前の楽しみをたのしみ、自分のしなければならない仕事をすることである。そして、自分よりもっと幸福だと勝手に想像する――おそらくは全く思いちがいである――人との無益な比較をやめることである。
不必要な謙遜も、また嫉妬と大いに関係がある。謙遜は一つの美徳と考えられているが、それが極端になると、はたして美徳に値いするかどうか、非常に疑わしい。
謙遜な人達は、大いに勇気をつけてやる必要がある。かれらは、自分の完遂できる仕事を、あえて試みようとしないことがしばしばである。謙遜な人達は、平常、自分が交際している人々に対して、とうていかれらには敵《かな》わないんだ、と信じこんでいる。そして、かれらは、ことさらに嫉妬深くなり、嫉妬することによって不幸になり、悪意をもつようになりがちである。
わたくしは、子供を育てるにあたっては、自分自身をすてきな人間だと思いこませるようにすることが、たいせつだとおもう。
どの孔雀も他の孔雀を羨むようになるとは思えない。なぜならば、孔雀はみんな自分の尾を世界中でいちばん美しい尾だと思いこんでいるからである。だから、孔雀は平和な鳥である。ところがもし、孔雀が、自分をよく思うのは悪徳だ、と教えこまれたとしたら、孔雀の生涯は、どんなに不幸なものであろうか。そのばあい、その孔雀は、他の孔雀が尻尾をひろげているのを見て、こう独り言《ごと》をいうだろう――
「ぼくの尻尾があいつのより美しいなどと、かりそめにも思ってはいけない。それは自惚《うぬぼ》れになる。だが、やっぱり、自分の尾の方が美しくあればいいと、どんなにねがっていることか。
あのいまいましいやつは、あんなに自分のりっぱな尾に自信をもっている。あいつの羽をすこしばかり引き抜いてやろうか。そうすれば、あいつといやな比較をしなくたってすむわけだ」と。
もしかしたらその孔雀は、その相手の孔雀に対してワナを仕掛けるかもしれない。あいつは孔雀らしからぬふるまいをしたといって、それを証拠だて、リーダー達の集まりにもち出して悪しざまに訴えるかもしれない。そうして、かれは、次第に、美しい尻尾をもっている孔雀は、まずまちがいなく悪い孔雀だという原則をつくりあげる。そして、この孔雀王国の賢明な統治者が、よごれた尻尾をほんの少ししかもたない品のない孔雀を捜し求めるように仕向ける。かれは、この原則をみんなに承認させることによって、最も美しかった孔雀どもをことごとく殺させてしまう。それで、最後には、ほんとうに美しい孔雀の羽などというものは、おぼろげな過去の思い出だけになってしまうだろう。これが、道徳の仮面をかぶった嫉妬の勝利である。
これに反して、すべての孔雀たちが、自分を他のいかなる孔雀よりも美しいと思っているばあいは、そのような弾圧はいっさい必要ではない。どの孔雀も、自分こそコンテストで一等賞を獲得すると思っている。そして、一等になったときは、自分の雌《めす》孔雀をたいせつにしているから一等になれたのだ、と信じる。
嫉妬は、もちろん、競争と密接な関係がある。われわれは、全然、手がとどかないとおもうような幸運を、ねたんだりはしないものだ。社会の階級制度が、きちんと定まっているような時代には、最下級のものは、けっして上流階級を羨むことをしない。富めるものと貧しいものとの差別は、神によって定められているとうけとっているからである。乞食は、自分よりもらいの多かった他の乞食を嫉むけれども、百万長者を嫉むことはしない。近代社会における社会的身分の不安定と、民主主義および社会主義の平等の理論が、羨望嫉妬の範囲を大きくひろげた。今のところ、これは悪いにちがいないが、しかし、より一層正しい社会組織に到達するためには忍ばなければならない悪である。
不平等ということが、合理的な考え方で考えられはじめると、何か卓越した功績にもとづくものでないかぎり、不平等は不当であると考えられるようになる。そして、ひとたび、不平等が不当と考えられるようになると、そこから生じる嫉妬は、その不当な不平等をなくさないかぎり、他に治療法は全然ない。こうして、われわれの時代は、嫉妬が大きな役割を演じている時代なのである。
貧しい人は富める人をねたみ、貧乏国は富裕国をねたみ、女は男をねたみ、道徳的な女は、不道徳なのにすこしも罰されない女たちをねたむ。
異なる階級やちがった国家間や、それから男女のあいだで、羨望嫉妬が、正義公平をもたらす主要な原動力をなしていることは事実である。けれども、同時に、正義公平のうちでも、嫉妬の結果として期待されるようなのは、最も悪質なものだろうということも事実である。すなわち、不運な人達の喜びを大きくしてあげることよりも、むしろ、幸福な人たちの幸せを減らすことになりやすい。
個人的な生活で破壊的な感情は、公的な生活でも破壊的である。嫉妬のような悪いものから、良い結果が生まれるとは考えられない。
すべて悪いことというものは、たがいに関連しあっている。それで、そのうちのどのひとつでも、他の悪の原因となりうる。とりわけ、疲労は、しばしば嫉妬の原因になる。
ある男が、自分を、自分のしなければならない仕事に向いていないことを感じたとする。その時、彼は、何事につけても不満を感じるようになり、自分よりももっと楽に仕事をしている人にたいして、嫉妬するようになりがちである。だから、嫉妬をへらす方法の一つは、疲労を少なくすることだ。
それはそれとして、最も重要なことは、本能を満足させることである。
一見したところ、純粋に仕事上での嫉妬とみえるものでも、実は性的な原因をもっているばあいが多い。結婚生活が幸福で、子供のことでも幸福な人は、自分の正しいと思う方法で子供を育てるだけの資力がありさえすれば、自分より金持ちであるとか、自分より成功しているからといって、やたら他の人達を嫉むようなことはしないものだ。
そもそも、人間の幸福の要素というものは単純なものだ。口達者な連中でさえも、ほんとうに自分たちの不足しているものを、これといっていいきれないくらい単純なものである。
それから、前に述べたように、美しく着飾った婦人を嫉妬の眼でみる女性たちのことであるが、彼女たちは、その本能的生活では幸福ではないとおもう。本能的な幸福は、英語を話す国々では、とりわけ女性たちのあいだでは、ごくまれになっている。この点で、今日の文明は、憎悪の嵐の中で一路崩壊していく危険がある。むかしは、嫉妬したのは近所の人達にたいしてだけであった。つまり、隣り近所以外には、知る人がほとんどなかったからである。ところが、今日では、教育と新聞をとおして、直接には一人の知己もいない広範な人類のさまざまの階級の人々についても、抽象的ながら、いろいろなことを知っているのである。人々は、また映画をとおして、金持ちがどんな生活をしているかを知っている。新聞をとおして、諸外国の数多くの不正を知っている。プロパガンダをとおして、自分とは皮膚の色のちがうあらゆる人々の極悪非道の行為を知っている。黄色人種は、白色人種を憎み、白人は黒人を嫌う。
こうした憎悪は、すべて宣伝《プロパガンダ》によって煽《あお》られている、とあなたがたはいうだろう。だが、それは少々あさはかな説明である。友情よりも憎悪をかき立てるプロパガンダの方が、ずっと効果的なのはどうしてか。その理由はきわめて明白で、現代文明がつくりあげた人間の心情は、友情よりも憎悪の方に傾きやすいからである。人間の心情が憎悪に傾きやすいのは、それが満たされていないからである。おそらく無意識的に、ついに人生の意義を見失ってしまった、とおもっているからである。さらには、人間がエンジョイするため、自然から与えられているさまざまのよいものを自分以外のものが、手に入れてしまった、とおもっているからである。
現代人の生活における快楽の総量は、より原始的な社会におけるより、はるかに大きい。しかし、こんなふうになり得たのに、とおもう意識は、もっともっと強烈になってしまっている。
かりに、あなたがたが、たまたま子供をつれて動物園に行ったとする。あなたがたは、おそらく、猿の眼の中に、体操の曲芸やクルミ割りの芸当をしていない時、何やら奇妙に緊張した悲しみの表情を見出すことだろう。その悲しげな眼をみて、こう想像することができよう――自分は人間になるはずだったのに、その秘密を発見することができなかった、と猿はおもっている、と。かれらは、進化の途中で道を見失ってしまった。かれらの従兄たちは、どんどん行進をつづけ、かれらは、とり残されてしまったのである。
これと同じような緊張と苦悩が、文明人の魂にはいってしまったようにおもわれる。彼は、自分よりもっといい何かが、自分の手の届くところにあることを知っている。しかも、それを、どこでどういうふうに見つけたらいいかわからない。彼は絶望のあまり、同じように道を見失い、同じように不幸にあえぐ、同じ人間仲間に向かって怒りを爆発させる。
われわれは、今日、進化の一つの段階に到達している。しかし、それは決して終局の段階ではない。われわれは、そこを急速に通りぬけなくてはならない。もし、そうしなければ、われわれの大半は、途中でつまずき、それ以外の者は、疑惑と恐怖の森の中に迷い込んでしまうだろうからである。
だから、嫉妬は、それがよからぬものであり、また、そのもたらす結果が恐るべきものであるとしても、全部が全部悪いものばかりとはいえない。
嫉妬は、部分的には英雄的な苦しみの表現である。それは、おそらく、より良い憩いの場所、すなわち、死と破滅に向って、盲目のままで、暗い夜道を歩いていくものの苦しみの表現である。この絶望からぬけ出る正しい道を見つけるためには、現代人は、かつて自分のあたま(mind)を向上させたと同じように、いまや心情(heart)を広くしなければならない。
自己を超越することを学ばなければならない。そして、そうすることによって、「宇宙」の自由を獲得することを学ばなければならない。
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5 罪の意識
罪の意識は、おとなの生活の不幸の底にひそむ心理的原因のもっとも重要なものの一つである。
世の中には、現代のどんな心理学者も、認めることのできない罪について伝統的、宗教心理がある。とくに、プロテスタント(新教徒)はこう信じている――自分がしようとする行為が罪深いものであるとき、どんな人間にも良心がひらめく、そして、そのような行為をおこなったあとで、つぎの二つの苦痛のどれかを経験するだろう。その一つは、良心の呵責《かしゃく》と呼ばれるものである。しかし、それだけでは何の価値もない。いま一つは、悔い改めと呼ばれるものである。これは、彼の罪を拭い去ることができる。プロテスタントの国々では、信仰を失った人たちでさえも、多くの者が、大なり小なり修正しながらではあるが、このオーソドックスな罪悪感を、一時、いだきつづけていた。
だが今日では、半ば精神分析のせいもあるが、これと正反対になっている。すなわち、非正統派の人たちが、罪悪に関する古い教義を否定しているだけでなく、いまだに自分を正統派と考えている多くの人々も、同じように否定しているのである。良心は、もはや、神秘的であるという理由で「神」の声とみなされるような、何か神秘的なものではなくなった。
われわれは、今日、良心が、異なる地域では異なった行動を命令することを知っている。一般的にいえば、あらゆるところで、そこの部族の習慣に一致するようになっている。
それでは、良心の呵責をうけているというのは、ほんとうは、どういうことなのだろうか。「良心」ということばの中には、事実、さまざまの意味がふくまれている。その中でいちばん単純なのは、みつかりはしないかというおそれである。読者のみなさんは、いうまでもなく、これまで、何ら恥ずることのない生活をおくってきているとおもう。しかし、あなたがたが、もし露見したら罰せられるような行為をした人を訪ねたとする。その時、あなたがたは、露見がさし迫っているようなばあい、その人が、その悪事を犯したことを後悔しているのを見出すだろう。しかし、これは、窃盗の常習犯にあてはまるとは言えない――かれは、その泥棒商売の冒険として、何年か投獄の覚悟をしているからである。そのような連中ではなく、社会的地位のある犯罪者に当てはまる――たとえば、金に窮して使いこみをした銀行の支配人とか、情熱にかられて性的な不法行為をおこなった牧師であるとかである。このような人達は、その犯罪が発覚する危険がないようにおもわれるときには、その犯罪を忘れることができる。けれども、その犯罪が露見してしまったとか、見つかる危険が大きいといったばあいは、もっと身を慎《つつ》しめばよかったと後悔する。この後悔が、かれらに、自分の犯した罪の極悪さを生々しく感じさせるのである。
こうした感情と同類なのが、みんなからのけものにされはしまいかという恐れである。トランプでインチキをする人とか、賭けの借りを払えなかったりする人は、それが見つかったとき、仲間の非難にたいして弁解の余地が全然ない。この点で、こうした人間は、宗教改革者とか、アナーキストとか、革命家などとは全然ちがう。この人達は、現在の運命はどうであれ、未来は自分のものであり、また、現在呪われている分だけ、未来には名誉が与えられると思っている。このような人達は、たとえみんなからは敵意をもってみられても、自分では罪があるとは思わない。
ところが、世間的な道徳に反する行為をしていながら、しかも、そうした道徳を全面的に認める人は、社会的地位を失ったとき、大きな不幸に苦しむのである。このような不幸にたいする恐怖、もしくは、そのような禍いが現実におこったばあいの苦痛が、自分のとった行動そのものを、罪深い行動と考えさせるのであろう。
しかし、罪の意識のうちでもっとも重要なものは、ずっと深いところに存在しているあるもの、すなわち、無意識的な心理の中に、深く根ざしているあるものである。それは、他の人から非難されることを恐れて、意識にはのぼらないのである。
ある種の行為は、よく反省してみても理由がわからないのに「罪悪」のレッテルがはられることがある。このような行為をおこなったときは、なぜかわからないながらも、一種不快なものを感じる。かれは、自分が罪だと思いこんでいることをしないですむ人間であればいいがとおもう。かれは、大なり小なり一種の悔恨というものが心の中にあって、聖人になることは自分にはむいていないということを認める。しかもそのばあい、かれの、聖人というものの概念は、おそらくは、日常生活では、とても実行できそうもない性質のものであろう。その結果、かれは一生のあいだ、この罪の意識をひきずって歩き、至高至善などということは、自分には無縁のことであり、自分にとって最高の瞬間は、懺悔《ざんげ》の涙にかきぬれたときだと思っている。
実際、すべてこうしたことのよって来る根拠は何かというと、まだ六歳にもならないうちに、母や乳母の手に抱かれながら受けた道徳の教えである。それはどんな教えだったかというと、ばち当たりなことを言うのは悪い、最も上品な言葉以外は使ってはいけない、酒を飲むのは悪い人にきまっている、喫煙は最高の美徳と両立しない、ということであった。また、人間は、けっして嘘をついてはいけないとも教えられた。そして、何よりもまず第一に、身体の中の性的な部分に興味をもつことは、最も忌《いま》わしいことだと教えられた。かれは、こうした教訓が母親の考え方であることを知っていたし、同時に、「造物主」の教えであると信じていた。
ところで、かれは、母親がそして母親があまりかまってくれなかったときはその乳母が、深い愛情をもって扱ってくれることを、人生の最大の喜びとしていた。しかも、このような喜びは、道徳律に背くことをまだ知らなかったときにのみ、獲得できる喜びであった。
そこで彼は、母親や乳母が非難するような行為に、漠然としながらも何かしら怖ろしいものをむすびつけるようになってしまった。かれは、だんだんと成長するにつれて、このような道徳律は、いったいどこからやって来たものか、そしてまた、それにしたがわなかったばあい、どのような罰を課されるのかを、すっかり忘れてしまっていた。それにもかかわらず、このような道徳律を捨て去ってはいなかったし、また、それに背《そむ》いたばあい、何かしら怖ろしいことが身の上におこるにちがいない、ということは忘れなかった。
ところで、このような幼児期の道徳的教訓の大部分は、全然、合理的な根拠をもたないものであり、普通の人々のごく普通の行為に当てはめることのできないものである。たとえば、いわゆる「きたない言葉」を使う人は、合理的見地からみて、それを使わない人よりも悪いとはいえないのに、事実は、ほとんどすべての人が、聖人について語るときは、悪いことばをつかわないことを本質的な要素だと考える。けれども、理性の光に照らして考えてみると、これはまことにばからしいことである。これと同じことが、アルコールについても、また、タバコについても言える。アルコールに関していえば、これはいけないことだといったような感情は、南方の国々では全然存在しない。それでいて実際は、アルコールをのむことを不信な行為だとする何かがまつわりついている。というのは、キリストも、また、十二使徒たちも、葡萄酒しか飲まなかったからである。タバコについていえば、それはすわないものという否定的な立場をとることが、もっともやさしい。なぜならば、最も偉大な聖者たちが生きていたのは、タバコの使用が知られる以前であったからである。
ここで、いかなる聖人も、けっしてタバコをすわないという見方は、つきつめていえば、結局、いかなる聖人も、単なる快楽だけの目的では、ぜったいに何ごともしないという見解にもとづいている。
ところで、日常の道徳におけるこのような禁欲的な要素は、いまやほとんど無意識的なものになっている。しかもそれが、あらゆる方法で、われわれの道徳律を不合理なものにするよう作用している。
合理的な倫理においては、誰かある人に、いや自分自身にたいしてすら、快楽をあたえることはいいことだ、といまにほめられるようになるだろう――ただし、それの代償としての苦痛を、人にも自分にもあたえないということを条件としてである。
理想的な有徳者というのは、われわれが、禁欲主義から脱却しているとき、あらゆるいいものを享受するのを許す人である――せっかく、その喜びを享受した結果として、より大きな悪いことが起こらないかぎりはである。
もう一度、嘘の問題についてふれてみよう。わたくは、この世に、あまりに多くの虚言が横行していることを否定はしない。さらにまた、真実が、いまよりもっとふえれば、われわれみんなが、いい人間になるだろうということも、もとより否定はしない。しかしながら、理性的な人ならだれでも、そう考えるにきまっているが、どんなばあいでも嘘をついてはならない、と言うべきものではなかろう。すくなくとも、わたくしはそう確信している。
こういうことがあった。わたくしが、かつて田舎道を散歩しているとき、疲れはてて死にそうになっている一匹の狐が、やっとのことで走っていくのを見た。それから五、六分もしてから、狩猟者の一行に逢った。かれらは、わたくしに狐を見なかったかときいた。わたくしは、見たと答えた。かれらは、狐がどっちの方へ逃げていったかときいた。そこでわたくしは、かれらに嘘をついた。ところで、もしわたくしが本当のことを言ったら、わたくしはより良い人間であったろうか――わたくしはけっしてそうは思わない。
幼年期の道徳教育は、特にセックスの領域において害が大きい。
もしも子供が、どちらかといえば厳しい両親や乳母によって因襲的な教育をされると、罪悪と生殖器とをむすびつける連想が、六歳にならないうちに非常に強く確立されてしまうので、一生それを解きほぐすことができなくなってしまう。それが、エディプス・コンプレックスによって一層強化されることはもちろんである。なぜならば、幼児のころ最も愛された女性は、一切の性的自由が不可能な女だからである。その結果、成人した男性たちは、女性はセックスによって堕落させられると感じる。そして、かれらの妻がセックスを嫌悪しないかぎり、妻を尊敬できなくなる。
ところが性的に冷たい妻をもっている男性は、本能にかりたてられ、どこか外で本能の満足を求めるようになる。
ところが彼の本能の満足は、たとえ瞬間的に得られたとしても、悪いことをしたという罪の意識で毒されるだろう。だから彼は、いまや、結婚と否とを問わず、女性との関係ではすこしも幸福になりえない。
女の側についてはどうか。もし彼女が以前、非常に強く「純潔」であるように教えこまれていたとすれば、やはり同じことである。彼女は、本能的に夫との性関係に、反射的にしりごみする。そして、性関係から何らかの快楽を得ることを恐れる。しかし、今日は、五十年前にくらべると、女の側にみられるこのような現象が非常に少なくなった。現在、教養ある人々のあいだでは、男性の性生活は、女性のそれよりも、罪の意識によってより大きく歪められ、そして、毒されているのである。
幼い子供たちにたいして、従来のような性教育をほどこすのが有害であることは、だんだんと広く一般に認識されるようになってきた――もちろん、関係筋はいまだに認識していないけれども。性教育に関する正しい法則は、ごく単純である。すなわち、こどもが思春期に達するまでは、いかなる形にせよ、性道徳をぜったいに教えてはならないということであり、身体の自然の機能を、いやらしくおもうような観念を、しみこませないよう深く注意することである。道徳教育をしなければならない時期がきたら、その教育はかならず合理的なものでなければならない。そして、性に関する話をきかせるばあいは、どんな点についても、十分な根拠を説明できるようなものであることが必要である。
罪の意識が、とくにつよく沸き上がってくるのは、疲労や病気や飲酒やその他の理由によって、意識的な意志が弱められたときである。このような時――飲酒のばあいを除いて――感じることを、人間は、あたかも、より高い自我からの啓示であるかのようにおもう。
「悪魔が病気にかかった。せっかく悪魔が聖者になろうとしていたのに――」
しかし、弱っているときの方が、力に満ちあふれている時より、洞察力がより鋭い、と思うのは道理に合わない。弱っているときには、幼児期にうえつけられた暗示に抵抗することは難しいものだ。けれども、そのような暗示を、全能力をフルに発揮できるおとなの信念より、はるかにまさると考えるべき理由は全然ない。それどころか、その反対に、人間が元気なときに、その全理性をはたらかして、慎重に考えることの方が、かれにとって、つねに、従うべき規準になるのだ。無意識の中にもっている幼児期の暗示を克服することは可能である。そしてまた、正しいテクニックを用いて、この無意識の内容を変えることも可能である。
理性では悪くないと思っている行為について、何となく悪いことをしたような後悔を感じはじめたときは、この後悔の感情の原因をよくしらべてみるといい。そして、それがまちがいであることをとことんまで確信しなさい。あなたがたの意識的な信念を、生き生きと強いものにしなさい。その信念が、幼児期に乳母や母親からうえつけられた印象と闘って十分に勝てるようにしなさい。そしてさらに、その信念があなたがたの無意識の上に一つの強い印象を刻印するようにしなさい。合理性と不合理性とを、ただ瞬間的に交替させることで満足してはいけない。不合理性を断じて尊敬しないという決意、そして、不合理性をして断じておのれを支配させないという決意をもって、その不合理性を詳細に検討しなさい。不合理性があなたがたの意識の中に、ばかげた思想や感情をおしこもうとしたら、いつでもそのような思想と感情を根こそぎ引きぬいてしまい、それを点検し、拒絶しなさい。なかば優柔不断な理性により、なかばは幼児期的な愚昧さによってふりまわされるような迷える存在たることをやめなさい。
自分の幼年時代を支配した思い出の人々にたいし非礼になりはしないかなどとおそれてはいけない。それらの人々が強く、そして賢くみえたのは、あなたがたが弱くて、かつ愚かだったからである。しかし、いまは、弱くもなければ、愚かでもないのだ。かつて、それらの人々がもっていたうわべだけの力と知恵をよく検討し、習慣の力によって、いまでもあなたがたがかれらにはらっている尊敬に、はたして値いする人々かどうかを考えてみること、それが現在のあなたがたの仕事である。
伝統的な道徳を青少年に教えることによって、はたして、この世の中がよくなるのかどうか、まじめに考えてみてほしい。いかに多くの幼児期的な迷信が、伝統的に高徳の士とされた人々の人格構造の中に入りこんでいるかをよく考察してみてほしい。そしてさらに、あらゆる種類の幻想的な道徳的危険が、信じがたいほどのばかげた抑制力で保護されているにもかかわらず、その一方、おとながさらされている道徳的危険の方は、全く無頓着に放置されている事実を反省すべきである。
普通の人々が誘惑を感じるような、ほんとうに有害な行為にはどんなものがあるか。まず、法によって罰せられない程度の狡猾な商行為、それから、使用人にたいする無慈悲、妻や子供にたいする無情な行い、競争者にたいする悪意、政治的闘争における残忍性等がある。これらの行為こそ、尊敬すべき、かつまた、実際に尊敬されている市民のあいだで、普通見うけられる、しかもほんとうに有害な罪悪なのである。これらの罪悪によってこそ人は、身近な周囲に不幸をまき散らし、文明の破壊にそれ相応の力をかしているのである。
だがしかし、かれは、このような悪徳を犯しながらも、病気になったとき、自分を、神の恩寵にあずかる一切の権利を失った人間の屑だ、と思ったりはしないのである。これらの悪徳をおかしていながらも、そのために夜中悪夢にうなされて、母親が自分を非難のまなざしで見下ろしている幻想を見ることもないのである。
いったいなぜ、かれの意識下の道徳律というものが、理性から離れてしまったのか。それは、いうまでもなく、幼少時代にかれの世話をみた人達の信奉していた倫理が、ばかげていたからである。そしてまた、その倫理が、社会にたいする個人の義務の研究からひきだされたものではなかったからである。さらにいえば、その倫理なるものが、むかし風な不合理なタブーのよせ集めからでき上がっていたからである。そして最後には、その倫理は、それ自身の中に、滅びゆくローマ帝国の精神的疾患から伝来した病的な要素を含有していたからなのである。
名目だけのわれわれのいわゆる道徳なるものは、僧侶と、それから精神的に奴隷化されていた女性たちによって形造られたものである。
いまや、この世の普通の生活において、正常な役割を受け持つべき人々が、この病的なナンセンスに対して反逆することを学ぶべき時が来た。
しかし、もし、この反乱が、個人々々それぞれに幸福をもたらすことに成功し、さらに、二つの基準の間をさまようことなく、一貫して一つの基準に立った人生をおくらせることに成功するためには、理性の命ずることをよく考え、深く理解することが必要である。
たいていの人は、幼年時代にふきこまれたさまざまの迷信を、表面的ながらも投げすててしまうと、もうそれでいいのだと思いがちである。これらの迷信が、なおも心の地下に潜伏して、密《ひそ》かに活動をつづけていることに気がつかない。
ひとたび、合理的信念に到達したら、その信念の上に立ち、そこからいろいろな結論をひき出し、その新しい信念と矛盾するような信仰がまだ生き残っていないかどうかを、徹底的に調べることが必要である。さらにまた、罪の意識が強くなるばあいは――時々そうなることもあろうとおもうが――それを天の啓示だとおもったり、より高い存在へと向上する使命を示す神の声だなとというふうにとり扱わないで、むしろ一つの疾患、一つの弱さとして考えることが必要である。もちろんそれが、合理的倫理が非難するような行為によって惹《ひ》き起こされないかぎりはである。
わたくしは、人間に道徳がいらないと言っているのではなく、迷信的道徳ならぜったいにもつべきではないと言っているのである。この二つは全然異なったものなのである。
しかし、人間が理性的な道徳を犯したばあいはどうだろうか。このようなばあいでも、罪の意識がはたしてより良い生き方への最善の方法であるかどうか。わたくしには疑問におもわれる。罪悪感には何かしら卑しげなもの、自尊心に欠けたところがある。
理性的な人間は、自分のやった望ましからぬ行為を、他人のそうした行為を考えるときと同じように、ある種の環境によって生み出されたものと考えるだろう。そして、そのような行為が望ましからぬ行為であることを一層よく知ることによって、あるいはもしできることなら、そのような行為を惹起させた環境を改造することによって、そのような行為の発生を避けることができるものと考える。
実際問題として、罪の意識は、良い生活ができる原因であるどころか、全くその逆である。それは人を不幸にし、劣等感をいだかせる。そして人間は、不幸であるとき、他の人々にたいして過大の要求をしやすいものであり、それが人間関係の幸福を妨げることになりがちである。さらにまた、人間は、劣等感をもっているとき、自分よりも優れているようにおもわれる人々にたいして敵意をもちやすい。自分より優れてみえる人をほめるのは難しく、憎むことが容易であることを発見するだろう。このようにしてかれは、一般からみて不愉快な人間になるし、ますます自分自身を孤独にしてしまうことになる。他人にたいしておおらかで、寛大な態度をもつことは、単にその人に幸福を与えるだけでなく、自分にとってもすばらしい幸福の源泉なのである。なぜならば、そうすることによってかれは、他人から好かれるようになるからである。
ところが、罪の意識にとりつかれた人にとっては、このような態度をとることは、ほとんど不可能である。このような寛大な態度は、バランスのとれた心と自主性から生まれる。それには、いわゆる精神的統一が必要である。この精神的統一ということばでわたくしが意味するのは、つまり、人間の意識的、意識下的、それから無意識的な性質の各層が、調和をたもちながら一緒にはたらき、相互の間で絶え間ない争闘など一切しない状態のことをいうのである。
そのような調和を生みだすのは、ほとんどのばあい、賢明な教育によって可能である。ところが、教育が賢明でなかったばあいは、もっと困難な過程をとらなければならなくなる。その過程というのは、すなわち、精神分析が試みている過程である。しかし、これは、たいてい、患者が自分でできる仕事であって、ごく極端なばあいだけ、専門家の援助を必要とするものとわたくしは信じる。
「そんな心理的な仕事にたずさわっている時間などは、わたしには全然無い。わたしの生活は、いろいろな仕事でつまっていて、とてもいそがしい。だからわたしは、無意識とやらいうものに、勝手にまかせておくほかない」というようなことは、けっして言わないでほしい。
自分自身に逆らって分裂している性格ほど、幸福と能率を減退させるものはない。一つの性格の中の各部分の間の調和をはかろうとして費やされた時間は、実は有効に使われた時間なのである。けっして無駄ではない。だからといって、自己反省のために、毎日一時間ずつの時間をさけといっているのではない。そうすることが最善の道だとは、わたくしは思っていない。なぜならば、それは、治療されるべき疾患の一部である自己没入を、さらに増大させるものであって、調和ある性格というのは、外界に向って眼をそそぐものだからである。
わたくしの言いたいことはこうである――合理的な確信を強調するよう固く決心しなければならないということである。そして、たとえ短期間にせよ、いやしくもそれに反するような不合理な信仰を、何らの抵抗もなくすらすらまかり通らせたり、または、その支配をゆるしてはならないということである。つまり、どうかしたはずみにも幼児期的な心にかえろうとする誘惑にかられたときに、理性をもって自分自身を説得することなのである。こうした説得は、合理性が十分強ければ、ごく短時間ですむだろう。だから、それに要する時間などは問題にしなくていい。
多くの人々は、合理性にたいする嫌悪感をもっている。そのような人々にとっては、わたくしがここで述べたことなどは、見当ちがいで、かつ重要でないとおもわれるだろう。
また、合理性というものは、これを自由に放置すると、一切の深い情緒を殺してしまうものでもある、と考える人達がある。こうした考え方は、人間生活における理性の役割について、全くまちがった考え方をしているようにおもう。もともと、感情を生み出すことが理性の仕事ではないのであって、人間の幸福に邪魔になるような感情を予防するための方法を発見するのが、理性の機能の一部なのである。憎悪とか嫉妬とかを少なくする方法を見つけだすことが、疑いもなく、合理的な心理の機能の一部なのである。
だからといって、憎悪や嫉妬の感情を小さくすることによって、理性が非としない感情をも、同時に弱めてしまうと想像するのはまちがいである。情熱的な恋、親としての愛情、友情、慈悲心、科学や芸術への専念等には、理性が減らしたいとおもうようなものは何もない。理性的な人は、いまあげたような感情のどれかでも、あるいはその全部をもつごとに、そのことを喜びとするだろう。そしてその力をすこしでも弱めるようなことはしないだろう。なぜならば、これらの感情は良い生活をもたらす――言いかえれば自分自身の生活も他人の生活も、幸福ならしめる役割をはたすものだからだ。そのような感情の中には不合理なものは一つも存在しない。そして、多くの不合理な人々が感じるのは、ほんの小さな、取るに足らない感情でしかない。自己を理性的にするからといって、自分の生活をつまらないものにしはしまいかとおそれる必要はない。それどころか、合理性なるものは、おもに内部的調和からなりたつものであるから、それを達成できる人は、内面的な闘争によっていつまでも妨げられる人よりも、この世のことについて思索するにも、また外部的目的を達成するにも、そのエネルギーの使い方が、はるかに自由なのである。自己の中に閉じこめられているほど憂鬱なことはなく、注意とエネルギーを外に向けるほど愉快なことはない。
これまでのわれわれの伝統的道徳は、不当に自己中心的であった。罪の意識とは、このような、自己にたいする愚かな自己集中の一部にほかならない。この誤った道徳によってつちかわれた主観性を一度も抜けきったことのない人にとっては、なるほど理性は不必要かもしれない。しかし、一度でもこの自己集中の疾患にかかったことのある人には、理性こそがそれを治癒するために必要である。
わたくしは、またこうも考えたい――理性の助けによってこの自己集中を乗り越え得た人は、まだ一度もこうした疾患をも、またその治療をも経験したことのない人よりは、一層高い水準に達した人なのである、と。
現代における理性にたいする憎悪は、大部分、理性のはたらきが、十分に、根本的に理解されていないところからくるのである。自己分裂の人間は、興奮と娯楽を求める。かれは強烈な情熱を愛する。それは、しっかりした理由があってするのではなく、しばらくの間でも、情熱によって自分を自分の外に連れ出してもらい、思想の苦痛からのがれさしてもらいたいからである。いかなる情熱も、かれにとっては、一種の陶酔である。かれは、根本的な幸福を考えることはとうていできないから、苦痛からのがれる道は、ただ陶酔という形によってのみ可能であるとおもうのである。しかし、これこそが、そもそも根深い疾患の徴候なのである。
こうした疾患が全然なくて、自己の能力を完全に発揮し生かしうるところに、最大の幸福がおとずれるのである。精神が最も溌剌としていて、最も些細なことを忘れておれるような時こそ、最も強烈な歓喜を経験することができる。これこそが、最もいい幸福の試金石である。
どんな種類のものであれ、ともかくも陶酔を必要とするような幸福は、まがいものであり、不十分な幸福である。
ほんとうにわれわれの心を満足させてくれるような幸福は、われわれの能力を十分に発揮させてくれる。そして、われわれの住むこの世のことについて十分に悟らせてくれるのである。
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6 世間への恐怖
概していえば、自分の生き方や世間にたいする考え方が、自分と社会生活の関係で緊密な間柄にある人々、とくに一緒に暮らしている人々から賛成されなければ、まずほとんど幸福にはなれないものである。
ところが、モラルや信仰が、根底から異なる幾つかのグループにわかれているのが、現代社会の一つの特徴である。このような状態は、宗教改革とともに始まったともいえるし、ルネッサンスから始まったともいえる。ともかく、その頃からだんだんと顕著になってきたのである。
プロテスタントとカトリック教徒は、神学においてだけでなく、実際的な多くの問題で意見を異にしていた。ブルジョアジーのあいだでは許されなかったいろいろの行為が、貴族階級のあいだでは許されていた。
またそこへ宗教的自由主義者や自由思想家たちがあらわれてきた。かれらは、いろいろの宗教的儀式を認めていなかった。
今日、ヨーロッパ大陸全体にわたって、社会主義者と、そうでないものとの間に深い対立がある。この対立は、単に政治だけでなく、生活のあらゆる分野にわたっている。英語を話す国々では、このような対立が多種多様にわたっている。
近代芸術であれば、なんでも尊敬するグループがあるかとおもえば、なんでも悪魔視する派もある。国家にたいする忠誠を、至高の善とする派があり、悪徳と考える派があり、愚かなことだといって軽蔑する派もある。
因襲にとらわれた人々は、姦通を最悪の犯罪の一つと考えているが、積極的にほめるまではいかなくとも、容認できないことではない、としている多数の人々がある。
カトリックではぜったいに離婚を禁じているが、ほとんどの非カトリックは、結婚の苦痛を緩和するために必要なことと認めている。
このように見解がいろいろと異なっているので、ある特定の趣味と確信をもった人間は、ある特定の社会で暮らしているときは、自分を人間の屑みたいに考えるのに、他の社会では、ごく正常な人間として受けいれられるのである。きわめて多くの不幸が、このようにしておこるのである――青年のあいだでは、特にそうである。
ある青年なり娘なりが、一般に普及しているある種の考えをいだくとする。ところが、この考えが、この青年男女が生活している特殊の環境では呪われたものであることを発見する。青年にとっては、自分の生きている環境だけが全世界であるとおもいやすい。だから、かれらは、全く邪悪な考え方としてうけとられるのを恐れて、あえて口に出して言おうとしないような思想も、異なった所や別の社会にいけば、現代のごくあたりまえの考え方として受けいれられるということを信じることができない。このように、広い世間を知らないということから、非常に多くの不必要な不幸にたえなければならないのである――ときには若い間だけですむが、一生涯そうであるばあいもしばしばである。
このように世間から孤立することは、単に苦痛の源泉であるばかりでなく、敵対的な周囲に抗して精神的独立を保とうとするため、非常に多くのエネルギーを浪費するのである。そして、百のうち九十九までは、自分自身の論理的結論にしたがうことをためらうようになる。
ブロンテ姉妹は、彼女たちの小説が出版されてしまうまでは、気の合った人達にめぐりあうことが一度もなかった。しかしこのことは、エミリー〔『嵐が丘』の作者〕には、たいして影響しなかった――彼女は英雄タイプで、それに卓抜な生き方をしていたからである。しかし、シャーロット〔『ジェイン・エア』の作者〕にたいしては、たしかに影響をあたえていた――彼女のものの見方というのはその卓越した才能にもかかわらず、つねに女家庭教師的レベルにとどまっていたのである。
ブレイクもまた、エミリー・ブロンテのように極端な精神的孤立の中に生きた。しかも、彼女と同じように、その悪い影響を克服できるほど偉大な人であった。彼は、自分が正しく、批評家たちの間違っていることを、疑ったことがなかった。
世論にたいする彼の態度は、つぎの数行の詩によくあらわれている――
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わたしにたいして、吐き気をもよおさせなかった、唯一の、わたしの知っている男
それはフセリだ――彼はトルコ人であり、ユダヤ人だ
では、クリスチャンの友よ、君たちはどうなんだ?
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しかし、これほどの力を内面生活にもちあわせている人は、そうたくさんはない。
ほとんどの人にとって、幸福のためには、同情的な環境が必要である。もちろん、大多数の人が同情的な環境に住んでいる。かれらは、そこに流通している偏見を若いうちにとりいれ、自分の周囲の信仰や習慣に本能的に適応していく。しかし、たいていのある特定の少数の者にとっては、このような忍従の態度をとることは不可能である。それには、知的、あるいは芸術的な業績をもっているもののことごとくが、事実上ふくまれる。
たとえば、田舎に生まれた人間は、幼少時代から、卓越した精神と知性をもつために必要とするすべての物にたいして、自分の周囲から敵意をそそがれていることを知る。まじめな本を読もうとすれば、他の子供たちが軽蔑する。先生からは、そんな本は、落着きをなくさせるからいけないといわれる。芸術に関心をもてば、同年輩の友達からは、男らしくないと軽蔑され、年長者たちからは、不道徳だと罵《ののし》られる。もしまた、自分のえらびたいと思う職業が、自分の所属している社会では、平凡でない職業のばあいは、それがどんなに立派なものであっても、それは自己陶酔だといわれ、親父のやったぐらいの仕事がちょうどいいのだと説教される。
もし、いささかでも、親の宗教上の信仰とか、政党を批判でもしようものなら、たちまちに深刻な苦境に立たされることになる。
すべてこうした理由のために、特別な才能をもった青年男女にとっては、青春時代はまことに不幸な時期なのである。もっと平凡な仲間の連中にとっては、青春期は陽気と享楽の時期であるかもしれない。だが、かれらにしたところで、たまたま自分が生まれることになった社会の中の、年長者の間にも、また同輩たちの間にも見られないようなもっと真剣な何かを求めているのである。
このような青年たちは、大学へいったとき、おそらくは、そこに気の合った心の友をみつけ、数年間の幸福な時代をたのしむ。もし運がよければ、大学を卒業してからも、気の合った友達をえらべる可能性のある職業につくことができる。たとえば、ロンドンやニューヨークのような大都市に住む知識人は、偽善や遠慮のいらない気の合った仲間を見つけることができるだろう。けれども、もし自分の仕事のために非常に小さな町に住まなければならないとしたら、しかも、その仕事が、普通一般の人からの尊敬を保たなければならないような、たとえば医師とか弁護士のばあいだったら、その一生を通して、自分のほんとうの趣味や信念を、日常つきあう大部分の人にたいして隠しつづけなければならないであろう。
こうしたことは、特にアメリカで多い。田舎が広すぎるからである。北部なり南部なり東部なり西部なりで、話し相手もなく、孤独でさびしく暮らしている誰かかれかに出会うことがある――かれらは、さびしく暮らさなくてもいい場所のあることを本で読んで知っている。しかし、そのような場所で暮らすチャンスは全然ないし、気の合った人との会話もほとんど望むことができない。このような環境で、しかもほんとうに幸福になれるのは、ブレイクやエミリー・ブロンテほど偉大になれない人々にとっては、不可能なことである。
もし、そういうところで、幸福を可能にしたいとおもうならば、世間というものの暴虐性をいくぶんでも弱めるか、または回避し得るような何らかの方法を見つけるか、あるいは、少数の知識人たちがたがいに知り合い、たがいの交際を楽しみ合える何らかの方法を見つけるかしなければならない。
非常に多くのばあい、必要以上のためらいや臆病さは、かえって事態を悪化させ、困難を一層増大させるものである。世間というものは、無関心な人よりも世間を恐れている人の方に、より暴虐になるものである。
犬は、怖《こわ》がる人に一層声高に吠えたて、たやすく噛みついてくるものだが、軽蔑しきってあしらうとそうではない。人間もこれと同じ性質をもっている。もし、あなたがたが、こわがっていることを見せたら、たちまちに絶好の餌食《えじき》にされてしまうし、その反対に無視してかかると、先方は、自分の力を疑いはじめる。そしてあなたがたにかまわなくなる。
もちろんわたくしは、極端に世間を無視することを考えているのではない。もしあなたがたが、ロシアの伝統的な考え方をもってケンジントンで振舞い、ケンジントンで昔から通用している考え方をもってロシアで行動するとすれば、当然その報いをうけなければならない。わたくしは、そう極端なことを言っているのではない。一般の慣例からほんのわずかはずれた程度のこと、つまり服装をきちんとしなかったとか、ある特定の教派に属さなかったとか、知的な本を読むことをさし控えることができなかったとかいったことについて、述べているだけである。
慣例からはずれるといっても、もし陽気に、何の気なしに、それからまた、挑戦的ではなく、ごく自然にすれば、最も因襲的な社会ででも、大目に見られるようになるものだ。そしてだんだんと、一般に変わり者として公認され、ほかのひとがやったら許されないようなことでも、ゆるされるようになるものだ。
これはだいたい、人のよさと、人なつこさの問題である。因襲的な人々が、世間一般の慣例からはずれることを怒るのは、主として、そうした行為をかれら自身に対する批判とうけとるからである。
非因襲性が許されるのは、十分に陽気さと人なつこさをもっていて、因襲的な人たちを批判しようなどとしていないことが、どんなバカな人間にでも、一目でわかるようなばあいである。
しかし、民衆の非難攻撃をのがれるこのような方法も、その趣味なり意見なりが、一般大衆の同情を失わせるような人にたいしては、多くのばあい役に立たない。大衆に同情されていないから、ますます不愉快になり、敵意ある態度をとるようになる――外見上いくらみんなに順応しようとし、いくらするどい論争を避けようとしてもである。そういうわけで、自分の所属している社会の慣例とうまく調和しない人は、自然にとげとげしくなり、不愉快になり、誰にでも機嫌が悪くなる。
ところで、これと同じ人間でも、その考え方が少しもへんだと思われないような別の社会に移れば、その性格が一変したようになる。深刻で、内気で、引っ込み思案であったのが、陽気で、自信たっぷりになる。角ばっていたのが、角がとれてとっつきやすくなる。自己中心的であったのが、社交的で、かつ外向性をもつようになる。
だから、自分の周囲とどうしても調和することができないと気づいた青年は、できるだけ、気の合った仲間をもつ機会があたえられるような職業を選ぶべきである。たとえそのために、収入が著しく減るようなことがあってもである。
ところが、それが可能だということを、青年たちは知っていないばあいが多い。世間についてのかれらの知識がきわめて限られているし、自分がこれまで自分の郷里でなじんできたさまざまの偏見が、世界中どこにでもひろがっているものだと思いやすいからである。これこそ、先輩が若い人達に手をかしてやれる問題なのである――少なからぬ人生経験が、欠くことのできないものだからである。
今日は、精神分析の流行時代である。だから、ある青年が環境としっくり調和していないばあい、その原因は、何らかの心理的混乱の中にあると普通考えられる。しかし、これは完全な誤りだとおもう。たとえば、その両親が進化論は不道徳な理論だと思いこんでいるある青年のばあい、その青年をして両親としっくりいかなくさせているのは、彼の知識そのものである。環境とうまく調和しないということは、もちろん不幸である。けれども、その不幸は、どんな犠牲をはらってでも避けなければならない不幸とはかぎらない。その環境の方が愚昧であるとか、偏見にとらわれているとしか、もしくは、残酷でさえあるばあいには、そんな環境とは調和しない方が美徳でさえある。このような特色は、ある程度は、どこの環境ででも見られる。
ガリレオとケプラーは、「危険思想」のもち主であった。今日の最高級の知識人たちもほとんどそれと同じ思想をもっている。ところで、そのような人々が、その環境がもつような社会感覚に強く影響されて、自分の意見が、自分にたいする社会の敵意を挑発するかもしれないことを怖れるとしたらどうだろうか――それはけっして望ましいことではない。望ましいのは、そのように社会から向けられる敵意を少なくする方法を発見することであり、たとえあっても、できるだけその敵意を効果的でなくする方法を発見することである。
今日、この世の中で、このような問題で最も重要なのは、青年の間に発生する。
もし、ある人が、ひとたび適当な職業につき、そして正しい環境にめぐまれたとすれば、かれはたいていのばあい社会的迫害をうけないですむ。ところが、かれがまだ若い青年であって、その長所がまだみんなにわかっていない間は、かれは、無知な人々からいいようにあしらわれがちである。しかも、この無知な連中は、何も知っていないのに正しい判断ができるつもりでいる。そして、こんな青二才が、世間の経験をよくつんでいる自分よりも、この青二才の方がはるかによく世間を知っていることがわかると怒りたけるのである。
このような無知の暴虐から、けっきょく逃げ出してきた多くの人々も、それまで非常に苦しい闘いをしてきたのである。そして、あまりに長い間圧迫されつづけてきたために、しまいには、どうしようもないほど悲惨にされてしまい、そのエネルギーも消耗させられてしまったのである。
世の中には、天才はつねにわが道を往くという、まことに爽快な理論がある。この理論は相当に有力で、おおぜいの人が、若者の才能を迫害したところで、それほど痛めつけることになるものではないと考えている。けれども、そのような理論を承認すべき根拠は全然ない。それは、人殺しはとどのつまりは露見するという理論によく似ている。たしかに、われわれが知っている殺人は、全部露見したものだ。ところが、知られなかった殺人がどれほどあったことか――それは誰にもわかるまい。
それと同様に、われわれがこれまで知っているすべての天才は、それぞれ逆境にうち勝ってきた人達であったけれども、若くしてだめにされた天才が一人もいなかったと想像する根拠は一つもない。
その上、こうした問題は、独り天才だけの問題でなく、天才と同じく社会にとって必要な才能ある人達の問題でもある。それから、また、単に、ともかくもそのような天才や才能ある人たちを出現させるという問題だけでなく、惨《みじ》めにさせることなく、そしてまた、そのエネルギーを害することなく、その能力を発揮させるという問題なのである。
すべてこのような理由から、青年の進路は、あまりにけわしすぎるものにされてはならない。
老人たちが若い人達の希望を、尊敬をもってとり上げるのは望ましいが、青年たちが老人の希望を尊敬をもってとり上げるのはあまり望ましいことではない。その理由は簡単だ。つまり、どちらのばあいにしろ、関心が払われるべきものは若い人達の生き方であって、年寄りの生き方ではないからである。青年が、たとえばやもめになった親の再婚に反対するように、年寄りの生活を規制しようとするのは、ちょうど老人たちが、青年の生活を制限しようとするのと同じに間違いである。老いも若きも同様に、思慮分別のつく年齢になったら、自分自身、選択の権利がある。ときによっては、まちがいをおかす権利すらあるわけである。
若い人達が、何か重大な事柄で、老人の圧迫に屈服するとしたら、かれらは思慮がないといわざるをえない。たとえば、あなたがたが、かりに舞台にあこがれ、ステージに上がることを目指して進もうとしている青年であるとする。そして、舞台は不道徳だという理由にしろ、あるいは社会的に身分が卑しいものだという理由にしろ、とにかく、あなたがたの両親が、あなたがたのこの希望に反対するとしよう。そのとき、両親は、あらゆる圧迫を、あなたがたに加えようとするだろう。もし命令をきかなければ、家から出すというかもしれない。二、三年のうちにはきっと後悔するにちがいない、と言うかもしれない。あるいは、誰のいうことにも耳をかさないで我《が》をとおしたはいいが、けっきょく悪い結果にしかならなかった若い人達の失敗の恐ろしい数々の実例を、一くさりきかせるかもしれない。両親が、舞台はあなたがたに向かない職業だと考えるのは、もちろん正しいのかもしれない。あなたがたは、あるいは、演劇の素質を少しももっていないのかもしれないし、もしくは、声が悪いかもしれない。けれども、もし、そのとおりだったら、あなたがたは、すぐにでも演劇関係の人から、そういう話をきかされるはずである。そして、別の職業をえらぶだけの十分な時間があるはずである。両親の議論は、計画を止めさせるだけの十分な論拠をもっているとはいえない。だから、両親がどう言おうと、あなたがたが、もしどこまでも初志を貫くならば、あなたがたや両親が想像するよりはるかに早く、両親はまもなく折れてくるであろう。
しかし、もし専門家の意見が、あまり芳しくないものであったら、事情は別である。専門家の意見は、初心者は、いつも、尊敬の念をもってきかなければならないからである。
わたくしがおもうに、一般に、専門家の意見は別として、大きな問題に関しても、小さな問題に関しても、あまりにも他人の意見を尊重しすぎる傾向がある。餓死を避けるためと、投獄をまぬがれるために必要なかぎりは、原則として、世間の意見を尊重しなければならないだろう。しかしながら、その線をこえて世間にしたがうということは、不必要な暴虐に屈服することであり、徹底的に、幸福を妨げられることを意味する。
たとえば、消費の問題を例にとってみよう。きわめて多くの人々が、自分の生来の趣味とは全く異なった楽しみに金をつかっている。その理由は、ただ単に、隣り近所の人から尊敬されるためには、立派な自動車をもっていることが必要であり、すばらしい晩餐会を催せるだけの力が必要だとおもうからである。実際問題として、明らかに自動車を買うだけの力があっても、それよりは旅行をしたり、立派な書斎をもったりする人の方が、普通一般の人と全く同じように振舞うよりも、けっきょくは、はるかに尊敬されることになろう。
もちろん、故意に世間のやり方を軽蔑したり、反抗したりする必要はない。故意に軽蔑したりすることは、かえってあべこべに、その風下《かざしも》に立つことを意味する。そうではなくて、ほんとうに世間に無関心であることは、強さを示すことになると同時に、幸福の源泉でもある。その上、因襲にたいして、あまりぺこぺこしない男女から成り立っている社会の方が、だれもかれも同じように振舞う社会よりも、ずっとおもしろい社会であるといえよう。各個人の性格が、それぞれ個性的に発揮されれば、いろいろ特色あるタイプが保存される。そうして、新しいタイプの人にあうのは価値あることである。なぜならば、新しいタイプの人間というものは、いままで出会った人達の複製ではないからである。
これが貴族たちの長所の一つであった。つまり、社会的身分が、出生のいかんによってきまったところでは、常軌を逸した振舞いであっても許されたからである。
今日の世の中においては、われわれは、このような社会的自由の源泉を失いつつある。だからこそ、画一性の危険をもっとしっかり覚る必要がある。わたくしは、人々がわざと風変わりになるべきだと言っているのではない。そういうのは、因襲的なものと同じに、いたってつまらないものである。わたくしのいう意味は、ただこういうことである――人々は自然であるべきだ、そして、それがはっきりと反社会的でないかぎり、自分の自発的な趣味に生きるべきだと。
今日の世の中では、交通機関の発達によって、地理的に最も近い隣人に、むかしほど依存しなくなった。車をもっている人間にとっては、二十マイル以内に住んでいる人は、みな、隣人とみなすことができる。このため、むかしよりもずっと自由に友達を選ぶことができるようになった。もしも、二十マイル以内に気の合う友達を見出すことができなければ、隣り近所の人口がどんなに多くとも、けっきょくは、きわめて不幸であるにちがいない。人は、すぐ近くの隣人を知っているべきだという考えは、人口の集中している大都市ではすでに死んでいるのに、小さな町や田舎ではまだ生き残っている。しかし、それはもうばかげた考え方になっている。なぜならば、今日では、社交づきあいのために、もはやすぐの隣人に頼る必要が、すこしもなくなったからである。
単に、近所に住んでいるからという理由だけでなく、気が合っているという理由で友達を選ぶことが、いよいよますます可能になってくる。
幸福というものは、趣味と意見を同じくしている人々との交際によって促進される。社交は、今後ますます、この線にそって発達するものと期待できる。そして、現在、きわめて多くの非因襲的な人々を悩ましている孤独感は、このような交際によって、だんだんと減少していき、しまいにはほとんど無くなってしまうだろうと考えられる。このような交際は、明らかにかれらの幸福を増大させるだろう。
しかも、今日の因襲的な人達が、因襲的でない人々を自分の支配下において、そしていじめて喜んでいるサディズム的快楽も、もちろん、消えて、やがてなくなるであろう。わたくしは、このような快楽は、保存すべく大いに気をつかう必要のある快楽だとは考えない。
世間の目をおそれる恐怖感も、他のすべての恐怖と同じように、圧制的であって、成長を阻害する。この種の恐怖が強力に作用しているあいだは、どんな偉大なことをも成就することは難しい。それに、真の幸福を成就させるために必要な、精神の自由を獲得することも不可能である。なぜかというと、われわれの生き方は、われわれ自身の深い衝動の中から生まれてくるべきものであって、たまたま隣人であったり、親類であったりする人達の偶然的な好き嫌いや、希望やらで決めるべきではないからである。これは、幸福にとって本質的な問題である。
すぐ近所の隣人を恐れるということは、たしかに、むかしほどではなくなった。しかし今度は新しい種類の恐怖が登場してきている。つまり、新聞が何を書き立てるかわからないという恐怖である。これはまさに、中世の魔女狩りと同じようにおそろしいことである。
新聞がたまたま、ほんとうに害のない人物をやりだまにあげて人身御供《ひとみごくう》にするとしたら、その結果はまことに戦慄すべきものであろう。さいわい今日では、ほとんどの人々が、社会的に無名なるがゆえに、こうした運命をのがれている。
ところが、その広報の方法がもっともっと完全になってくるにつれて、そうした新しい方法による社会的制裁の危険は、だんだんと増大していくことであろう。
このような危険は、その迫害の犠牲になった個人によって、軽蔑されるだけではすまされない、あまりにも深刻な問題である。
そして、報道の自由という大原則がどう考えられようと、いずれにしても、現在の名誉毀損罪によってなされているよりも、もっと厳しい方法が講じられなければならないとおもう。そして、何ら罪のない個人が、悪意のある発表をされることによって、評判をおとしてしまうようなことを、あるいは、実際に言ったとか、行ったとかが、たとえあったとしても、かれが生きてゆくことを堪えがたいものにするようなことは、断じて禁じなければならない。
しかし、このような悪を防ぐための唯一の、そして究極的な方法は世間一般が、もっともっと寛容さを増すことである。そして、この寛容さを増すための最善の方法は、真の幸福をたのしみとして、同じ人間仲間に苦痛をあたえることをたのしみとしないような個人々々を、数多く増《ふ》やすことである。
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解説
ラッセルの幸福論
人間だれしもが幸福でありたいとおもう。そして幸福への道をさぐる。
人生のスタートにあたって、若い人はあれこれと幸福へのコースについて思う。さまざまの人が、これこそが幸福への道だといって若い人たちに説く。中には、これだけが幸福になれる唯一の道だといって、実は誘惑しよう、利用しようとして迫るものもある。
若いときに、これこそはとおもって選んだ人生コースが、年老いてから、そのバランスシートをながめて、予想通りだったと喜ぶ人もあるし、あてがはずれたといって悲しむ人もある。あてがはずれても人生はやり直しがきかない。人生は一回勝負である。
それだけに人間は、その人生のスタートラインに立って、自分の生涯のコースを展望し、よくよく熟慮することが必要になってくる。
何が幸福か――そして幸福になるにはどうすればいいか。それについての見解は、人おのおのまちまちである。
本能のおもむくままに享楽することが人生の幸福だというものがある。しかし、そのような人は、人間にそなえられた他の幸福の条件を見落とし、人間の性能をスポイルし、やがては不幸に陥るだろうと説く者もある。
この世で名利を得ること、いわゆる立身出世をすることが、幸福なことだと勧めるものがある。しかし、人間が生きがいを感じるのは名利によってだけではない――愛に生きたいとねがい、仕事に意義を見出したいとおもう存在でもある、いくら名利を得ても、愛を失い、人生に空虚感をいだくようになれば、それは不幸である、と教えるものもある。
幸福はこの神だけを信仰することにあり、この教団に入会することだけにある、といって勧誘にくる宗教がある。その神はつくりごとだ、その説くことは迷信だ、その教団は企業でやっている、真の救いと幸福はこちらだけにある、と宣伝する別の宗教がやってくる。
さらには、幸福でありたいなどと望むその心が間違いである、幸福であろうなどということは神を冒涜《ぼうとく》する行為である、と説く哲学者、宗教家も存在する。
ともあれ、幸福論は百花繚乱である。古来、幸福についてほど論議がたたかわされ、言説が遺《のこ》された例は少ない。
それは、幸福が人間の本質にかかわるものであり、年齢、性別、人種を超えて、あらゆる階層にわたる共通普遍の問題だからである。
こうして、わたくしは、幸福についていろいろ思いめぐらすとき、バートランド・ラッセルの幸福論を知ることの価値が、いかに大きいかをおもうのである。
*
ラッセルは「真実を求め、真実に生き、真実を語る」ことを生涯のモットーとしていた。その語ることが真実でなければ、そこから学ぼうとする意味が無くなる。彼は真実を語るだけでなく、その日常の生活において自分を裏切らなかったし、自分の使命とする平和運動においても、投獄をも辞さない、権力の圧迫にも屈しない、どんな迫害をもものともしない、つねに生命をかけてという覚悟で挺身していた。
わたくしは、幸いに、ラッセルという人間にじかに触れる機会にめぐまれ、運動を共にし、導かれ、薫陶《くんとう》をうけることができた。一九五九年から六二年までのロンドン滞在を通じてであったが、その後も毎年のように渡欧するごとに、ロンドン、ハスカー・ストリート四十三番地のラッセル邸で、その謦咳《けいがい》に接して来た。ラッセルが、九十七歳でその生涯をとじる前年までつづいた。接すれば接するほど、知れば知るほど、一層その人間性の深さと偉大さを知らされるラッセルであった。
ラッセルから学ぶことの意義の大きいことを説いた人に、アインシュタイン博士がある。アインシュタインはこう言った――「われわれは、ラッセルを理解することができるようになるまで、われわれ自身の知性を高めなければならない。ラッセルはそれほど偉大な人類の英知である」と。ロンドン・タイムズ紙は、こうラッセルを讃えた――「ラッセルは、五百年に一人出るか出ないかといわれるほどの偉大な人物である。もし、かれを貶《けな》すものがあるとすれば、それはラッセルを知らないからである」と。ラッセルは、数学者としては、『プリンキピア・マテマティカ』の大著によってその権威が認められ、論理学者としては、その記号論理学の創始によって専門の学者たちに感謝され、科学者としては、その功績によって国連からカリンガ賞を贈られ、哲学者としては、その『西洋哲学史』や『西洋の知恵』等によって声価を高め、今世紀の英国哲学会の主流と仰がれた。さらには、その幸福、恋愛、結婚、道徳に関する緒論をはじめ、社会思想一般に関する論述の業績が評価されて、ノーベル文学賞を授与された。そのラッセルの説く幸福論が、いかに傾聴に値するかがわかろう。
しかも、ラッセルの言うことが、読む者、聴く者の胸に感動をおぼえさせ、万人にアピールするのは、彼の声が一人の「人間」としての叫びだからである。ラッセルはつねに語っていた――「わたくしは英国人として言うのではない。哲学者として言うのでもない。一箇のHuman-being(人間)としてHuman-beingに呼びかけるのである」と。ラッセルは英国人として、英国の伝統の中に生を享《う》けていながら、インドやジャマイカやアフリカの黒人たちとも、何のわけ隔てなく交わった。ベッドフォード公爵という英国一流の家門の出で、伯爵を継承した貴族でありながら、つねに弱い者、貧しい者、虐げられた者の味方となって、かれらのために献身的に力を尽くした。
ラッセルの主張と行動のモチーフは、ヒューマニズムにあった。しかもその内奥にもえているのが愛であった。彼は「愛がなければ何ものも人間の魂にふれることができない」と親友ギルバート・マレイに書いた。「世界が必要としているもの――それは愛である」と、米国コロンビア大学での講義の最後の結びとして言った。隣りの人を愛せよとキリストがいったような愛、慈悲の心と釈迦が説いたようなCompassion(慈悲)、生存のモチーフとしての愛、行動のガイドとしての愛、勇気の源泉としての愛、知的廉直のために絶対に必要な愛――そうした愛をこそまたなければならない、と説いた。「愛と創造こそが人間であることの本質であり、人間をつくる教育の最高原理でなければならない」と言った。
ラッセルはそれを実践した。彼が第一次世界大戦に際して、非戦論を唱え、青年たちが徴兵にとられることに反対して徴兵拒否の運動を展開し、ケンブリッジ大学の教壇を追放され、罰金刑に処され、海岸地帯への立入りを禁じられ、けっきょくは六カ月間の投獄となったのも「権力争奪のため仕組まれた戦争によって、青年たちが犠牲に供されないため」、「愛する若人の生命をまもるため」にであった。第二次世界大戦後に展開した「戦争放棄――世界政府」の運動も、その後の「核実験反対――核兵器撤廃」の運動も、「人間の生命を損なわないため」「人類を滅ぼさないために」にであった。「All humanity should have a Future.(全人類は未来を持つべきである――滅ぼしてはならない)」、さらにまた「It is not acceptance of war, but resistance to it, which is imperative if we are to survive.(もし、われわれが生きのびようとするならば、どうしてもしなければならないことは、戦争をうけいれることではなくて、それに抵抗することである)」が、生涯叫びつづけた彼のスローガンであった。
ラッセルは、自国の同胞をまもるためにという口実で、他国の同じ人間の生命を奪うことは許されない、と説いた。「たとえ国はちがっても、人間の生命を殺害したものが英雄として仰がれ、勲功あるものとして銅像にされ、神にも祀《まつ》られるのは間違いである。人間の生に歓喜をもたらし、人間の平和と創造の本性を発揚させる人こそ、感謝され、讃えられなければならない」とした。英国を例にとれば、賛美されるべき人は、ネルソンやウェリントンではなくて、シェイクスピアやダーウィンであるとした。ラッセルは、「輝く美と、すばらしい光栄の世界を創造する力を発揮する者、そして平和をもたらす力を発揮する者、すなわち、聖者、予言者、詩人、学者、作曲家、画家等こそが理想的人間像である」とした。
しかも、われわれは、ラッセルの所論もさることながら、波乱をきわめた彼の生涯そのもののうちから、幸福のあり方と、それを求める求め方を学びとることができるとおもう。そこにこそ、また、ラッセルの魅力があり、彼のライフの価値があるようにおもう。
彼は、英国の最盛期、ヴィクトリア王朝の総理大臣を二期勤めたジョーン・ラッセル伯を祖父として、幼少時代をその祖父母の許《もと》で何不自由なく育った。しかし、二歳にして母を、四歳にして父を亡《な》くした。それが、彼に人生の暗さと冷たさと悲哀をもたらす因となった。ケンブリッジ大学に入学する前、クラマー(速成塾)にやられていた頃、「黄昏《たそがれ》ちかくになると、ニューサウスゲートから野原に通じる一本道を歩いて、日没を見ながらよく自殺を考えていた」と自叙伝にあるように、事実、彼はいくたびか自殺しようとした。そのとき、彼を救ったのが、「もうすこし数学をやってみたい」という意欲であった。ラッセルは、こうした|何かにそそぐ熱意《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》というものが、幸福の扉を開く鍵であると言っている。
最初の妻アリスとの婚約中のことである。ラッセルは、これから迎える結婚生活と、やがて生まれてくるだろう子供のことなどを考えあわせたとき、癲癇《てんかん》だった父、発狂した叔父、自殺者を出した自分の血統について悩み、恐ろしい夢魔におそわれて、眠れない夜もしばしばだった。「秘密の日記」という表題の彼のノートには、こう記された――「何かしら不吉な運命が、わが家にのしかかっているのを感じる。遺伝の恐怖が、わたしの心を圧迫する。わが家の幽霊の怖ろしさにとり憑《つ》かれている。それが、眼に見えない、しっとりとした冷たい手でわたしを捉《とら》える。わたしが、こうした陰惨な伝統から遁《のが》れようとすると、それがやにわに復讐してくるようにおもわれる。ペンブローク・ロッジは、わたしにとって、狂える幽霊にとりつかれた地下納骨堂である……」と。そして、彼は、自殺によって自分を解放するほかはないと考えた。
『プリンキピア・マテマティカ』の大著と取り組んでいた頃も、難解な抽象理論を扱うのには力が衰えすぎたと感じ、苦吟し、悲観し、それに、アリスとの不和がかさなり、死を思いながら、深夜、鉄道の上の歩道橋に立ったりした。
そのラッセルをして、自殺を思いとどまらせたのは、「そのうちには、この『プリンキピア・マテマティカ』も完成できるかもしれない」という一|縷《る》の望みであった。ともかくこのように、|取り組む仕事《ヽヽヽヽヽヽ》があるということが救いになるものであり、そこに幸福のいとぐちがある、と彼は説く。
彼が、アリスとの別居生活中、オットーリーン夫人を心から愛し、それをアリスにうち明けた時、アリスは、嫉妬にかられて、スキャンダルとしてオットーリーン夫人の名を公表すると言い張った。ラッセルは、愛するオットーリーンに汚名を課したくない、彼女の名だけは出さないでほしい、とアリスに懇願した。それでも、アリスは聞き入れようとしなかった。その時、ラッセルは、最後にアリスにこう言った――「あなたがいくらオットーリーンの名を出して手続きをしようとしても、それは不可能になる。ぼくが自殺するからだ」と。ラッセルは、「あのときは、ほんとうに自殺するつもりだった」と日記に書いているし、アリスやオットーリーンも、もちろんそう信じたし、ラッセルと親しかったウェッブ夫妻(フェビアン協会創始者)も、ホワイトヘッド博士(『プリンキピア・マテマティカ』の共著者)夫妻も、「ラッセルはほんとうに自殺しただろう」と言っている。ラッセルは、たとえ、自分の命を失っても、愛する者の名を傷つけまいとすることに、幸福を見出していたわけである。
それと同様に、彼は、一瞬の幸福のために、全生涯をかけても惜しまないという、強い情熱をもった人間でさえあった。ラッセルは、「わたくしは何のために生きてきたのか」の一文中で、こう述べている――「最初わたしは愛をもとめた。愛の喜びがあまりにも大きいので、しばしば、わたしは、たった二、三時間の愛の歓喜のためにも、そのあとの全生涯を犠牲に供しようとしたほどである」と。
投獄されるということは、普通の人なら不名誉なことであると考えるし、獄中にある苦痛に耐えかねて、何としてでも早く釈放されたいと望む。ところがラッセルは、平和と正義の行動のためにという信念から、投獄を、少しも恥とも苦痛とも感じていなかったし、獄中にあっても、その生活態度は平常と変わりなかったし、資料や参考書の思うにまかせないところで、『数理哲学序論』の貴重な著述を完成し、『精神の分析』の執筆に着手した。それに、彼はきちんと日課をつくって、家庭にあるときと同じような几帳面《きちょうめん》な生活をつづけた。しかも、誰もが忌《い》み嫌う刑務所内の暮らしであるのに、それをかけがえのない自分の人生の一こまと思い、そこを仕事の場とし、同時に憩いの場ともし、そのなかに楽しみを見出したのである。彼は、兄フランクへの手紙にこう書いた――「ここでの生活は、ちょうど外国航路の定期船の中と同じです。神経と意志の休息は、まさに天国のようです。刑務所というところは、カトリックの教会よりも優《まさ》っています」と。そして、愛人オットーリーン夫人へは、こう書き送った――「牢獄にしても、いろいろの心象がおとずれてきます。早朝に、露の光のきらめく高原に牧草の芳香を放っているアルプス山中のイメージ。山から下りてきて最初に見えるガルダ湖。濃藍の海。そして雷雨の地中海。はるか彼方の空に、日光にはえてそそり立つコルシカの山々。日没のシチリア島。それらは、あまりにも魅惑的で、とてもこの世のものとも思えない。スコットランド西部のスカイ島のある沼のキンバイカの芳香。二十四年前、パリの街頭で、きれいな緑の朝鮮|薊《あざみ》を売っていた男の呼び売り声――それが、ちょうど昨日のことのようにぼくの耳に聞こえてくる。
このように心が自由であるのに、身体だけ獄中にしばりつけておいて何になろう。ぼくはこうしていても、心でチベットや中国やブラジルに行って来ている。
ぼくは自由だ。そして世界もいまに自由になろう」と。
普通の人から見れば、不幸の身の上として映ずるラッセルの獄中生活も、それが幸福でなかったとは誰にも言えないわけである。
ラッセルには、家庭的にも恵まれない寂しい人生の旅路がつづいた。アリス、ドーラ、パトリシアの三人の夫人とも、離婚の悲哀をくりかえさざるを得なかった。そして、晩年にいたるとともに、いよいよ悲愁が深まっていった。
「わたしの心の最も深い底にある感情は、いつも孤独のままだった。そして、ついぞ人間の世界に仲間を見いだすことができなかった。海、星、荒涼たる広野の夜風――そこに友を見出そうとしてさまよった」と彼は述懐した。そのラッセルも、齢《よわい》八十歳にして、美しくやさしいミス・エディスと恋愛し、やがて結婚した。彼の人生もやすらぎと幸福にめぐまれ、最後を全うすることができた。彼はエディス夫人に、次のことばを贈った――
「いま、老いて、そして人生の終わりにきて、わたしはあなたを知った。
そしてあなたを知って初めて、法悦と平和を見いだした。
あの長い寂しい年月を経て、
わたしは、いま、ようやく安らぎを得ている。
いま眠りにつくとすれば、
わたしは、心満たされて眠ることだろう」
*
ラッセルは、幸福は自ら求め、努力して獲得するものとした。けっして、たなぼた式に向うからころがりこんでくるものではないといった。ラッセルは、多くの人々が、幸福というものについて考え違いをしていたり、惑わされたりしているのを黙視することができないとして、幸福であるとはどういうことであるか、また幸福になるにはどうしたらいいか、つまり「幸福の秘訣」を説こうとした。それが一九三〇年に書かれた『The Conquest of Happiness(幸福の獲得)』であった。あえてここに Conquest (征服)ということばを用いたのは、努力してかちとるという意味を表わしたかったからであった。人間は、不幸、病気、心理的なさまざまの悩みにおそわれるし、この世の中は、闘争、貧困、悪意等に満ちているので、そうした悪条件を克服して幸福にいたる道を発見するために、努力しなければならないわけである。それにはどうしたらいいか。それを、ラッセルは、この書において、順序だてて論述しているのである。
その主なポイントをここにかかげてみよう――
まず、内向的、閉鎖的にならないで、できるだけ目を外界に向け、興味をできるだけ幅広いものにすることがたいせつである。そして、関心をもつ人や物にたいする反応を、敵対的でなく、友好的なものにしなければならない。さらには、すべてに積極的な熱意をもつことが必要である。それによって、自分の心をうちこむ対象をつかめるし、また、人生をかけるほどの進取の気象が生まれてくる。
愛し得る人、そしてひとから愛される人、すなわち、愛に生きることのできる人は幸福である。そこから、自信が生まれ、仕事へのはげみが湧き出てくる。その反対の人は、退嬰《たいえい》的になり、憂鬱症に陥り、やがて空間恐怖症にとりつかれる。その反動で、他に危害を及ぼすような凶悪犯罪をすら、おかすようになる。
創造的な活動をすること、そして、自分の仕事に喜びと意義を見出して、それに熱中することがたいせつである。幸福の泉がそこにある。そこに価値を発見したとき、貧困もいとわなければ、迫害も恐れない。芸術家の喜びもそこにある。革命家の献身も、こうして可能になる。
しかし、愛も献身も、計算されたもの、功利的なもの、目的が他にあるようなものであってはならない。それは、けっきょく自らを惨《みじ》めにするだけである。最後は不幸になる。
真実でなければならない。自分に真実であるとともに、他に真実でなければならない。真実のないところに幸福感は生まれないし、他を幸福にしないでおのれの幸福もない。真実をこめて他の幸福を想い、他を幸福にするところにこそ、真の幸福がある。
自分の生命の流れや、自分の住む環境を、わずか数十年の期間や、その期間に動く範囲だけに限ってはならない。幸福な人とは、自分の生命の流れを、自分の子からさらに子孫へつらなっているものとうけとり、悠久の過去から永遠の未来にわたって実在する宇宙をみつめることのできる人のことをいう。そして、住む世界を、小さな身辺、限られた国境にとらわれることなく、地球を単位とし、宇宙を舞台として生きることのできる人をいう。自分を宇宙の市民と感得し、その賦与する展望と喜びとを、自由にエンジョイすることのできる人のことをいう。そのためには、知的独立性とともに、創造的知性と世界的知性を培《つちか》わなければならない。
自分の生命を、普遍的生命の中へ融合させていけば、次第に、悩みにとらわれることからも、不安と無知の恐怖に苦しむことからも解放されるようになる。そして、さらには、人間の不幸を大きく支配している死の恐怖をも克服することができる。
人間は、自然の創造物である。自然を離れて、人生はあり得ない。自然を理解し、自然を愛するところに、幸福の源泉がある。自然の理に背くところから、公害が生まれる。文明を誇る大国の人々が、物質生活が豊かになったにもかかわらず、肉体的、心理的不幸に喘《あえ》いでいる原因は、そこにある。
人間は精神的存在であるばかりでなく、動物でもあるわけだから、生理的関係を無視したり、蔑視したりしてはならない。Vitality(生命力)が、すべての基礎であり、健康であることが幸福の第一義でなければならない。そして、本能的な健康、生理的な幸福を劣等視してはならない。また、人生の幸福の大きな部分を占めるものに、趣味と嗜好がある。その楽しみは、それをもたないものには理解ができないが、それを楽しむ人間にとっては、深い幸福感の泉である。
いたずらに、既成概念をおしつけたり、因襲的なモラルをふりかざして、生きた人間を支配してはならない。また、そのコンヴェンショナル(因襲的)なものに、盲従してもならない。たとえ、表面は成功したかに見えても、実際は不幸に悩み、厭世的自殺をはかったり、悪夢にうなされたりするものが、あとを絶たない。
家門や階級にとらわれて、幸福感をゆがめているものがある。哲学的思想の立場から、幸福を独断的に概念づけているものがある。
古《いにしえ》のストア学派のごときは、禁欲主義を説き、幸福を下品なものとして非難した、幸福を説いたエピクロスが、豚の哲学だといって攻撃されたりした。マルクス・アウレリウスは、幸福を説いたからという理由で、キリスト教徒を迫害した。ドイツ観念論を継承する哲学者たちの間にも、この傾向をもつものが少なくなかった。英国のカーライルにしても、その亜流となって幸福を軽蔑し、神に祝福されるためには幸福を否定すべきだとした。
一般に、倫理学者や道徳主義者は、幸福ということを、あまりに厳粛に考えすぎ、理論的に扱いすぎる。何か崇高な聖域のようなところを想定して、そこに到達しなければ幸福はあり得ないといった説き方をする。多分にドグマに陥りやすい。
宗教の独断も同じである。たとえば、回教は、神はアラーだけ、その住むところはメッカだけ、それ以外に神はないと説く。だから、地中海沿岸の信徒には、東方に向って拝礼させ、インドやインドネシアの信徒には、西方に向って拝礼させる。ユダヤでは、唯一の神ヤーベ(エホバ)だけであり、エルサレムの神殿だけにしかいないと説く。ユダヤ人だけが、神の選民である。この両方の教えを客観的に眺めると、たった一人しかいないはずの神が、二人いることになる。どちらかが間違っているのか、虚構ということになる。既成の宗教の多くは、こうしてドグマから発し、神をも、形式をも、制度をもつくり上げた。そして人々におしつけてきた。教団は、幸福はここだけにしかないと宣伝する。信徒も、幸福はそこだけにしかないと錯覚する。そして、そこにすがりつく。こうして、宗教企業が成り立つ。しかし、真の幸福は、そうした嘘と迷信と企業から解放され、自然の創造物としての人間の真実に生きるときに獲得できる。
それから、幸福のためには、個人の生理的、心理的要因のほかに、社会的要因も考慮しなければならない。すなわち、社会機構に関する問題、政治経済上の矛盾とその解決に関する問題、戦争と平和に関する問題等がある。その見地からすれば、人間の幸福にたいする障害となる経済的独占をくい止めることや、軍備拡張、侵略、戦争を止めさせることや、解決しなければならない具体的な問題がいろいろある。しかし、ラッセルの『幸福の獲得』においては、そうした社会的な要因は、一応別の論著にゆずって、もっぱら個人の心理、生理、生活の観点から幸福の追求が説かれている。
ラッセルが、The Conquest of Hapinessを書いたのは、五十八歳の時で、そのころラッセルは、教育の理想を実現しようとして、ビーコンヒル・スクールを経営していた。人間のあり方、幸福な人生への導き方、理想的人間像の形成に向って情熱を傾けていたのであるが、他面、その教育方針に対する世の中傷、非難とも闘わなければならなかった。教育に精根をつくしながらも、しかも同時に、その経営のための財政的困難とも闘わなければならなかった。彼は友人達に支援を懇請した。H・G・ウェルズに、無心の手紙を書いたのもこのころであった。
そうした事情もあって、ラッセルは、できるだけこの書をポピュラーなものにしたいと考えた。疑わしい概念や、学者的な用語は、つとめて避けた。誰もが読み、考え、理解することのできるものにしようとした。そして、年齢も教養も、階級も異なる一人一人の人間が、最も身近なところで幸福をつかむつかみ方を、わかりよく説こうとした。人間性の極致、愛と悲しみの深さ、社会の矛盾とその解決等、ありとあらゆる人生問題と取り組んで円熟の境地に達したラッセルが、誠実こめて、一人一人を幸福の門に導こうとした。しかも、ラッセルをしてそうさせずにおかなかったのは、モラルの混迷に喘ぐ大衆への同情であり、真実と幸福の人生を目指してスタートする若人たちへの深い想いやりであった。
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ラッセル小伝
バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル(Bertrand Arthur William Russell)は、一八七二年五月十八日午後五時四十五分、英国、ウェールズのワイ川畔トレレックで生まれた。愛称はバーティ。祖先は、英国一流の代表貴族、ベッドフォード公爵家。祖父は、ヴィクトリア王朝の総理大臣を二期勤めたジョーン・ラッセル伯。父母は、アンバーレイ子爵夫妻。二歳にして母を、四歳にして父を失った。そのため、祖父母の許で育てられた。
十八歳にしてケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学。数学を専攻した。二十二歳にして同大学卒業。パリ駐在英国大使館員となって赴任。アリス・ピアーサル・スミス嬢と初恋の後、結婚。
二十三歳(一八九五年)の年、二度、ドイツを訪問。翌年、その研究の成果である『ドイツ社会民主主義論』を処女出版。ロンドン大学経済学部講師に就任。三カ月間の訪米。
二十五歳にして『幾何学の基礎理論』を出版。二十七歳にしてケンブリッジ大学講師となり、ライプニッツ哲学の講義をする。
二十八歳(一九〇〇年)の年、『ライプニッツの哲学』を出版。『プリンキピア・マテマティカ』(数学原理)の大著に着手。つづいて、『数学基礎論』『叙述の理論』『記号の理論』等を出版。
三十五歳にして英国国会の下院議員に立候補し、落選。翌年、英国学士院会員に選ばれた。三十八歳の年に、ケンブリッジ大学で論理学と数学基礎論の講義を開始。この年、『プリンキピア・マテマティカ』第一巻、翌、翌々年とつづいて第二、三巻を出版。三十九歳の時、アリス夫人と別居(正式離婚は十年後)。四十二歳の年、渡米。ハーバード大学とボストン大学で講義。この年、第一次世界大戦の勃発とともに、反戦運動を展開した。
四十四歳の年に、反戦論と徴兵反対運動のために罰金刑に処され、ケンブリッジ大学の教壇を追放され、翌々年、六カ月間の投獄となった。
四十七歳(一九一九年)の年、ケンブリッジ大学に復帰。翌年、ロシア旅行。『ボルシェヴィズムの実際と理論』出版。中国に招待され、北京大学をはじめ各地で講演。肺炎に罹《かか》り、余病併発、危篤状態に陥り、その翌年、「ラッセル卿中国で病死す」の誤報が世界に流された。その夏、日本訪問。アメリカを経て帰国。正式にアリスと離婚、ドーラ・ブラック嬢と結婚。長男ジョーン・コンラッドが生まれた。
五十五歳(一九二七年)にして、ビーコンヒル・スクールを創設。五十八歳、『幸福の獲得』出版。五十九歳、兄の死去にともなって伯爵位を継承。六十三歳、ドーラ夫人と離婚、翌年、パトリシア・スペンス嬢と結婚。その翌年、次男コンラッドが生まれた。
六十六歳(一九三八年)の年、シカゴ大学客員教授として招聘され、家族と共に渡米。六年間のアメリカ生活。その間、有名な「バートランド・ラッセル事件」で苦難が続いた。『結婚と道徳』『宗教ははたして文明に有益な貢献をしてきたか』等の著述が問題になった。しかし、この間《かん》にラッセルの代表作の一つ『西洋哲学史』が生まれた。
七十一歳、第二次世界大戦終結の前年、帰英。翌年、ヒロシマ、ナガサキの原爆を契機として、人類の危機を警告しはじめた。その年十一月、国会の上院で演説し、熱核融合反応、すなわち水爆の登場を予言し、核戦争による人類の破滅を防止するため、世界政府の樹立を提唱した。
七十六歳、ノルウェーに向う途中、飛行機が北海に墜落、奇跡的に死を免れた。翌年、英国最高の栄誉であるメリット勲章をジョージ六世より授与された。その翌年、オーストラリアとアメリカへ講演旅行。その年、一九五〇年度ノーベル文学賞を受賞。
八十歳(一九五二年)、パトリシア夫人と離婚。ミス・エディス・フィンチと熱烈な恋愛の末、結婚。『変わりゆく世界への新しい希望』『自由とは何か』『民主主義とは何か』等出版。その後創作に着手し、『X嬢のコルシカ探検』『著名人の悪夢』等を発表し、翌年、短篇集『郊外の悪魔』を出版した。その翌年、『人類の危機』と題してBBCより放送、核兵器の危険とその撤廃を人類に訴えた。
八十三歳(一九五五年)の年、七月九日、全世界に大きな影響を与えた「ラッセル・アインシュタイン声明」を発し、核の危険について人類に訴えるため、世界科学者会議の開催を提唱、その翌年、第一回のパグウォッシュ世界科学者会議を開いた。それが、その後もつづいて、毎年開かれることになった。
八十六歳(一九五八年)の年、CND(核兵器撤廃運動)を展開、その総裁となり、翌年、『西洋の知恵』『常識と核戦争』の名著を出版した。さらに、その翌年には、「百人委員会」を組織し、政府の核軍備に反対する市民の不服従運動を展開した。
八十九歳(一九六一年)の年、二月十八日、五千人の平和行進の先頭に立ち、国防省玄関前に坐り込みデモ。八月六日には政府の禁をおかしてヒロシマ・デーの記念集会。その結果、九月十二日、ラッセル二度目の逮捕、投獄。十二月九日、英国全土の核基地と米軍基地への五万人の坐り込み抗議デモの指導。この年、ラッセル畢生の代表的論著と自薦する『Has Man a Future?(人類に未来はあるか)』を出版。翌年、キューバ危機に際して、その平和的解決のため、ケネディ大統領とフルシチョフ首相の間の調停に起ち上った。その後、中印武力衝突やイスラエル・アラブ紛争の平和解決のためにも尽力した。さらに、核兵器撤廃の促進をはかるため、ウ・タント国連事務総長と協議。その翌年、「バートランド・ラッセル平和財団」と「大西洋平和財団」を組織し、ヴェトナムにおける米国の侵略に対して、世界的抗議運動を展開した。『ヴェトナムにおける戦争と残虐行為』を出版。
九十四歳(一九六六年)、「ヴェトナム・ソリダリティ・キャンペーン」を組織し、その世界大会をロンドンで開催。翌年、ストックホルムで「ヴェトナム戦争犯罪国際裁判」を開いた。この年、『バートランド・ラッセル自叙伝』第一巻が生まれ、つづいて年を逐《お》って第二巻、第三巻が出版された。
九十六歳(一九六八年)の年、ソ連軍のチェコスロバキア侵入を非難して、ブレジネフ第一書記とコスイギン首相に抗議し、全世界の平和者、特に社会主義者、共産主義者に向って、抗議行動を要請した。そして翌年、ストックホルムとロンドンで、「ソ連のチェコ侵入に抗議する世界大会」を開催した。その年、ラッセルの齢、九十七歳に達した。
そして、ラッセルは、遂に、翌一九七〇年二月二日、英国、北ウェールズのプラスペンリン丘中腹の山荘で、ほぼ一世紀にわたる生涯をとじた。(日高一輝)