TITLE : ごはん
講談社電子文庫
ご は ん
『突撃! 隣の晩ごはん』は
あなたに幸福をもたらす!
ヨネスケ 著
ごはん●目次
前科二四〇四犯
ささいな一歩から番組は始まった
オレが晩ごはんにこだわるわけ
第一章 アポなしの悲劇
元祖アポなしと呼んでくれ!
入った家はヤクザさん
史上最低の突撃
田園調布の悪夢
第二章 しゃもじ男の告白
しゃもじは晩ごはんのシンボルだ!
開け、ゴマ!
突撃の瞬間
第三章 家族めぐり
炸裂! 老人パワー
父と娘の微妙な関係
男が先! 女は二の膳
日本の母、健在
バツイチ人生
イヤ〜! 困っちゃう!
親の愛は、何よりも大きい
第四章 晩ごはん特選メニュー
最北端の晩ごはん・最南端の晩ごはん
前代未聞の晩ごはん
牧場の晩ごはん
謎の晩ごはん
第五章 晩ごはん道
晩ごはん道
晩ごはん道七ヵ条
第六章 ハプニング番外編
ゆれる愛
ムコ殿募集
青春の街
新たな旅立ち
最後の晩ごはん〜二〇〇一年三月二十二日 木曜日 快晴
会いたい人
〈付録〉ヨネスケ感動のレシピ
ご は ん
前科二四〇四犯
ささいな一歩から番組は始まった
オレは、自分のおやじをただの一度も見たことがない。物心ついたときから、おやじは死んだと聞かされていた。
でも、高校に入学するとき、手続きのために、戸籍謄本を取り寄せて、初めて本当のことがわかったんだよね。
オレの戸籍は、父親の欄が空白になっていた。
つまり、オレのおふくろは、正式な結婚をせず、愛人という立場で、姉二人、兄、そしてオレという四人の子供を産んだということだ。
『突撃! 隣の晩ごはん』の本なのに、こんな話から始めたのにはわけがある。
オレは、「片親がいないからって、グレちゃいけない」ということで、おふくろや一番上の姉さんから、厳しくしつけられて育ってきた。もちろん、そのことは、とってもありがたいと思っている。
でも、「片親だから」というひと言は、幼心に突き刺さり、それだけでコンプレックスになっていたから、なおさら愛人の子だなんてことは、五十を過ぎるまで、人に話すことができなかった。
だけどオレは、番組を十六年間も続けてこられた最大の原因が、自分自身の生い立ちにあると思っている。
おやじがいなかったから、オレは、“家族”というものに対して、特別な思いがあるんだよね。
そして、その思いがとっても強かったから、十六年間息切れすることもなく、たくさんのご家庭を突撃して、大切なことをいろいろと教わってきたの。
おかげで、オレ、今は、生い立ちのことを平気で話すことができるし、『隣の晩ごはん』のことをわかってもらうには、そのことを話すのが先決だと思って、えいっ! とご披露しちゃったわけ。
この番組は、オレの人生を変えるくらい、大きな影響を与えてくれた。
『突撃! 隣の晩ごはん』(日本テレビ系『ルック ルック こんにちは』)が始まったのは一九八五年十月。
初めは、この企画が十六年も続くなんて、思ってもみなかった。
日本テレビが、オレに、出演の話をもってきたのは、たぶん、
「落語家だったら、『ま、シャレですから』なんて調子で、一般のご家庭にも、ズカズカ入っていって、ペラペラしゃべり倒してくれるから、テレビに慣れていない素人さん相手でも、十五分くらいのコーナーは成立するんじゃないの? それで、ダメだったら、また、そのとき考えよう」
くらいの、軽いノリだったからじゃないかと思うよ。
で、ベースボール落語なんて、野球をネタにした新作落語をやっている、ちょっと変わった落語家がいるから、使ってみるかってことになったんじゃないのかな?
一方、オレは、出演を引き受けたものの、いきなりテレビが押しかけるなんて、ムチャクチャだし、奥さんにとって、晩ごはんをのぞかれるということは、下着を見られるのと同じくらい恥ずかしいことだろうって思っていたから、本当にやっていけるのかどうかは、半信半疑だった。
だから、番組が終わるまでの十六年間、よそのご家庭の晩ごはんをのぞいて申し訳ないって思いは、片時も頭を離れなくて、正直な話、突撃を開始するまでの待ち時間は、一度も楽しいと思ったことはなかったね。
みんな、オレのこと、人の家にズカズカ入っていく、厚かましい人間だと思っているかもしれないけど、こう見えても、デリカシーの塊のような人間なのよ。
ところが、しばらくすると、オレたちは、『隣の晩ごはん』が、テレビを見ているみなさんに、とっても応援してもらっているという手応えを感じるようになっていた。半信半疑なんて、大きな間違いだったわけ。
もちろん、一般のご家庭の晩ごはんは、プロが作る料理に比べれば、パターンも限られているし、見栄えもよくない。だけど、その土地ならではの材料が使われていたり、独特の料理法があったりして、日本各地の味わいがにじみ出ているものなの。それに、カレーライスみたいな全国共通の晩ごはんでも、中の具や味つけなんかに、家庭の個性が出ることもある。
東京からは、「これがおいしいカレーライスの作り方です」なんて情報を、たくさん発信しているけれど、地方の家庭には、地方それぞれの風土や、家族の個性に合った食生活があるんだよね。
北海道では、ツブ貝やホタテを入れたカレーを食べさせてもらったことがある。
横浜では、カレーにコクを出すために、インスタントコーヒーを加えているご家庭があった。
京都出身のあるおとうさんは、「男の料理です」なんて言いながら、豆腐やコンニャク、ニンジン、ゴボウなんかを入れた和風カレーを作っていた。
ハンバーグだって、パン粉のかわりに豆腐を使っている家庭もあれば、ひき肉じゃなく、イワシのすり身で作っているところもある。
だから、奥さんたちは、『隣の晩ごはん』を見て、
「へえ〜、こんな料理もあるんだ!」
「今晩は、ウチもカレーにしよう」
「カレーはカレーでも、ウチとは全然違うのね」
って、いろいろな楽しみ方ができたんだと思う。
そのうえ、この番組には、もう一つ、“家族のドラマ”という大きな魅力があったのよ!
福島県のいわき市で、あるお宅に突撃した。
すると、家には、おばあちゃんと孫しかいなかった。
他の家族はまだ帰っていないという可能性もあったけど、オレ、家の中が、なんだかわびしい気がしたから、
「あれ、おかあさんは、留守なの?」
なんて、話のきっかけを作って、家庭の事情を、いろいろと聞いてみたの。
すると、おばあちゃんが、
「十一年前の火事で、連れ合い(=おじいちゃん)と息子を亡くしちゃって、今は、息子の嫁と孫の三人で暮らしているの。嫁は、働きに出ていて、まだ帰ってこれないから」
って、話してくれた。
中学生になるお孫さんは、火事以来、毎日必ず、二人の遺影に晩ごはんを供え、一日の出来事を報告しているんだって。
家に入れてくれただけでもありがたいのに、よくここまで話をしてくれたって、オレ、頭が下がったよ。
そのうえ、おばあちゃんは、オレにこんなことまで言ってくれた。
「ウチの家族には、これまであまりいいことはなかったけど、福の神が来てくれたんだから、これからはきっといいことがあるよ」
オレ、寸又峡《すまたきよう》に立て籠もった金嬉老《きんきろう》に間違われたことはあるけど、福の神だなんて、ご立派な人間として扱われたことは、それまでなかったから、ものすごくびっくりした。
そして、同時に、ありがたいって気持ちが込み上げてきたね。
人の家にズカズカ上がり込んで、晩ごはんをのぞくなんて失礼なことをやっているオレを暖かく迎え入れてくれている人がいるんだもん。
逆に、オレが、このおばあちゃんから、頑張れ! って、勇気を与えてもらったようなもんだよね。
オレ、もう、言葉も出なくなっちゃって、ただ、おばあちゃんの手を握りしめていた。
こういう出会いって、『隣の晩ごはん』をやっていなかったら、たぶん、一生体験できなかっただろうね。
しかも、オレが突撃した家庭のすべてで、うれしくなったり、胸打たれたりする、すてきな出会いがあったんだよね。
オレ、こんな機会を与えてもらえたのは、おふくろに育ててもらったおかげなのかもしれないなって思う時がある。
そのうえ、『突撃! 隣の晩ごはん』で突撃した家庭の誰とでも、昔からの知り合いのようにしゃべることができるのも、おふくろの教えのおかげってことなの。
おふくろの言葉は、オレにとって、片親だというコンプレックスにもなったけど、今思えば、人生最大の道標《みちしるべ》にもなってくれていたんだよね。
オレは、四人兄弟の末っ子だし、すぐ上の兄貴とでも九つ年が離れているから、一人っ子も同然なの。だから、ものすごく人見知りでもあるわけよ。
ところが、それを、おふくろがとっても心配してね、オレがガキの頃から、勉強しろとは一言も言わなかったくせに、ずうっとこう言い続けていた。
「おまえは、片親しかいないんだから、なおさら、人様にかわいがられる人間にならなくちゃいけないよ」
だから、オレも、人見知りだけど、知らない人に、積極的に話しかけるようにしてきたし、そのおかげで、小学生の頃から、友達もたくさんいた。
中学生になると、調子づいちゃって、弁論大会で、三年連続優勝したくらいだもん。これ、自慢!
で、その勢いだけで、落語家にもなっちゃった。
だけど、こう言っちゃなんだけど、オレの“情熱”ってやつも、忘れてもらっちゃ困るよ!
オレ、『隣の晩ごはん』を、十六年もやってこられたのは、もちろん、それぞれのお宅に、すばらしい発見や感動があったからなんだけど、さっきも言ったみたいに、それを、オレが切実に求めていたからだって思うのよ。
カミングアウトしちゃうと、オレ、そんな柄じゃないけど、本当は、ものすごく寂しがりやなの。
おやじがいない環境で育ったから、“家族”ってものに対する思いが人一倍強いし、憧れみたいなものがあるじゃない。
だから、愛嬌のない顔しているくせに、人を恋しく思う気持ちもメチャクチャ強い。
それに、当時のオレには、どうしても家族のことが知りたい理由がもうひとつあったの。
じつは、オレ、おやじが別の家庭をもっているってわかったとき、とっても複雑な気持ちだった。
小さい頃からずっと、おやじがいないせいで、おふくろが苦労している姿を見てきたから、おやじが別の家庭をもっているなんて裏切りだって、ものすごく腹が立った。だけど、オレ自身は、おふくろとオレたち兄弟だけの生活しか知らないもんだから、急に、おやじに出てこられても困っちゃう。
こうなったら、おやじに、アンタがいなくても、オレはちゃんとやっていけるって、見せつけてやるしかない! ……そう思って、落語家という道を選んだの。
だって、当時、落語家には、古今亭志ん生師匠や立川談志師匠など、錚々《そうそう》たる方々がいて、アイドルみたいな人気だったから、オレも、そうなれば、おやじを見返せるって思ったんだよね。
ところが、自分が結婚して、かみさんと暮らし始めたとき、いやというほど、おやじの存在というものを思い知らされたな。
旦那という存在が、外で働いて稼ぎを持って帰ってくるものだということはわかっていても、家でどうすればいいのかまではわからない。オレのおやじは家にいたことがないわけだし、身近にモデルになるような人もいなかったから、家でのおやじの役割なんて、さっぱり見当がつかなかった。
それで、正直言うと、家に帰るのがだんだんと気づまりになってきて、「落語家にゃ、遊びは芸の肥やし」なんて、自分に都合のいい言い訳をして、ほとんど毎晩飲み歩くようになってしまったの。
だけど、自分の気持ちをごまかすのにも限界がある。
子供が生まれたとき、オレ、本当に自分の無力さを痛感したね。父親としてどう振る舞えばいいのか、まったくわからなくて、かみさんが育児に追われているのを、ただ見ているだけだった。人間として失格なんじゃないか……。情けなかったし、悔しかった。
“もう、家庭の中にオレの居場所はない”
ここまで追いつめられれば、さすがのオレも、気がつくよ。
でも、そこで家族と正面から向き合えばいいものを、オレは、また逃げてしまった。
オレがなにかしたせいで、家庭が壊れてしまったらどうしようなんて、怖じ気づいてしまったんだよね。
……ちょうどそんなときだったの、『隣の晩ごはん』という番組に出会ったのは。
オレが、家族ってなにかまったくわからなくて、途方にくれていたとき、『隣の晩ごはん』で出会った家族のみなさんは、本当にいろんなことを教えてくれた。
かみさんが育児に悩んでいるのに、オレは励ましさえもできないでいるとき、鹿児島のおかあさんが、「子供は、人に育ててもらうんです。親は、稼いで食べさせるだけ」なんて言いながら、四人の息子をのびのびと育てているのを見て、ものすごく勇気づけられたことがある。
自分の息子に「おとうさんは勝手だ!」って言われて、どうしていいのかわからなかったときも、サラリーマンをやめて、農業を継いだ若者が、「まだまだ、父親にはかないません」って言ったのを聞いて、オレも子供に生き様を見せなきゃいけないんだって教わった。
テレビを見ている人たちも、オレみたいに、いろんなことを感じていたんじゃないのかな。
だから、こんなに長く番組を続けてこられたんだよね。
お邪魔したご家庭のみなさん、びっくりさせたにもかかわらず、快く取材に応じてくださって、本当にありがとうございました。
てなわけで、オレの家族を巡る旅は終わったんだけど、今思えば、よくもまあ、十六年間、知らない人の家に、ズカズカと上がり込んできたもんだ。スタッフが数えたら、二四〇四軒も侵入したんだって。
押し売りよりタチが悪いよね。前科二四〇四犯! なんちゃって。
オレは、日本一の不法侵入者だ!
でも、そんなオレが言うんだから間違いはない。日本の家庭には、それぞれかけがえのないドラマがある。
それを、オレ一人の胸にしまっておくのはもったいないから、ここで、あらいざらいぶちまけちゃおう!
だから、なにがなんでも、イヤだって言っても許さないから、絶対に、最後までお付き合いのほど、よろしくお願い致します。
オレが晩ごはんにこだわるわけ
オレ、息子が二人と娘が一人いるんだけど、全然いい父親じゃない。
子供になにか相談されても、オレに父親としてのいいアドバイスができるとは思えないから、家にいるときは、落語の勉強をするなんて大義名分を振りかざして、たいてい、自分の部屋に閉じ籠もっている。じつは、テレビを見てたり、ビデオで映画を見てたりするんだけどね。
で、たまに顔を合わせると、
「お、学校頑張ってるらしいね。風邪がはやってるから気をつけてな。おとうさん、この間、うっかりマスクして、サングラスもかけたまま、銀行に入ったら、みんなに怪しまれちゃったよ! ハハハハハ!」
なんて、一人でまくし立てて、「なに、この人」って思われたりしてしまう。
そのうえ、いったん仕事で外に出ると、一晩中飲み歩いたりして、子供と顔を合わせない日も多い。
それで、たまりかねたかみさんに、ある日とうとう、「朝の八時には、帰ってきてね!」って門限決められちゃったのよ。
だから、それ以来、どんなに酔っ払っていても、ちゃんと家に帰って、朝ごはんだけは、子供たちといっしょに食べてます。そりゃ、電車に乗ったはいいけど、寝過ごして、車庫まで連れていかれたってことはあるけどさ。
オレだけじゃなく、『隣の晩ごはん』で取材したご家庭でも、夜は遅くなるから、朝だけは必ず家族と食事をするというおとうさんは多かった。
ウィークデイにロケに行くと、サラリーマンのおとうさんはほとんど帰ってなくて、おかあさんが、言い訳のように、「でも、朝ごはんはいっしょに食べてます」って言うもんね。
だけど、そんなこと言われたって、オレは、晩ごはんの取材で行ってるわけだから、困っちゃうよね! もちろん、おとうさんたちは、オレと違って、一生懸命に仕事してるわけだから、こんなこと言えた義理じゃないけどさ。
でも、一言、言わせてもらえば、「朝ごはんを大切にしよう」「朝ごはんさえしっかり食べておけば、晩ごはんはいらない」なんていうのは大嘘よ。
朝なんて、おとうさんは会社、子供は学校へ行かなきゃならないし、おかあさんは、家族が遅刻しないように送り出すわけでしょ。バタバタ忙しいから、当然メニューなんか考えているヒマはない。朝ごはんっていうのは、家族の会話もほとんどないし、腹いっぱいになればいいって感じなのよ。
それにひきかえ、晩ごはんには、重みがあるよね。
ただ、腹を満たすためにあるものじゃなく、その日一日の総決算みたいなところがあるもんね。
もう何年前になるのかな? 秋の終わりに、『隣の晩ごはん』のロケで、仙台に行ったのよ。
仙台っていえば、名だたる米どころで、ひとめぼれとかササニシキなんて、おいしいお米がとれるじゃない。おまけに、塩竈《しおがま》という大きな漁港も近くにあるから、うまい魚が食べられるわけ。
その晩泊まるところが、ホテルじゃなくて、旅館だったから、旬の素材を使った豪華な料理がいっぱい並ぶんだろうなって、期待しまくり。行きの新幹線の中から、
「今が旬の魚って何だろうなぁ、やっぱり、刺身は、地元の名物が出てくるんだろうな」
「そういえば、カキも旬だよね。生もいいけど、鍋なんかついてるとうれしいな。米がうまいから、おじやでも作ったら、たまらないんじゃないの」
「気仙沼は、フカヒレが名物だけど、仙台でも食べられたっけ」
なんて、妄想がふくらむだけふくらんじゃった。もう、昼ごはんも抜いちゃったくらいよ!
で、仙台に着いて、あるお宅に突撃しました。
すると、そのご家庭の晩ごはんがすばらしかったのよ。
いや、メニューは、チャーハンとギョーザなんて、ラーメン屋で食べるようなものだったんだけど、家族の会話がものすごく弾んでいたの。
このご一家は、キャンプが趣味らしくて、今度の連休の計画を、おとうさんもおかあさんも、そして、二人の息子さんもみんな、夢中になって話しているわけ。
「今度は、お魚釣ったりできるの?」
「寒いから、ちゃんと暖かくしていかないとダメだけどね」
「バーベキューは、焼きそばも持っていこうよ!」
オレ、このご家族が、ものすごくうらやましくなっちゃって、たまには、オレも早くウチに帰ろうなんて、ちらっと反省したりした。
だけど、皮肉なことに、今夜は、スタッフと男ばっかりの晩ごはんなんだよね。
おまけに、その日は、このお宅の突撃に成功するまでに、五、六軒断られていたから、もうかなりクッタクタ。
だから、せめて、旨いもんでも食べて、パァッと明るくいかなきゃね、なんて、ますます晩ごはんが楽しみになってきた。
で、ようやく旅館に到着したのは、夜の九時半頃だったかな。
瓦屋根の門を入ると、中は、竹なんかが植えてあって、玉砂利まで敷いてある立派な前庭になっていた。玄関だって、白木を使った格子戸よ。これは、晩ごはんも期待できるなって思うよね。
だから、部屋に入ると、辛抱ももう限界で、「すぐめしにしてください」って頼みました。
そしたら、何が出てきたと思う?
しょうが焼き弁当ですよ。それも、コンビニで売ってるような、プラスチックかなんかの容器に入ったやつ!
そりゃ、普通の食事時間より遅く宿に着いたのは認めます。でも、オレは仕事してきたんだから、これは、あまりに殺生だ!!
ヤケになって酒をめいっぱいあおったら、次の日は二日酔いで、一日中頭が割れるようだった。あんまり悲惨で、トラウマになるかと思ったよ。
オレ、変?
みんなも、やっぱり、晩ごはんは楽しみだよね。
晩ごはんでおいしいものを食べて、家族と楽しく盛り上がろうって思うから、朝から仕事も頑張れるわけじゃない。
日本人にとって、晩ごはんは宝なの!
だから、この番組が、これだけ長く続けられたんだと思うよ。
番組が始まったとき、けっこう不思議がられたけどね。
だって、他のテレビ局は、朝だからって、さわやかな笑顔をふりまいて、さあ今日も一日がんばりましょう! ってやってるわけでしょ。そんな中、日テレだけは、オレみたいな、うさんくさいおやじが出てきて、日の暮れた町をうろうろ歩き回る映像を流してるんだから。不気味だって言われたこともあるよ。
でも、おかげさまで、オレ、今じゃ、『晩ごはんのヨネスケ』で通っているからね。
ずいぶん前、知り合いの放送作家が引っ越したって聞いたんで、お祝いを持って、自宅に遊びに行ったのよ。そこは、東京じゃ有名な大規模団地で、建物の前に、木なんかが植えてある、ちょっとしたスペースがあったわけ。
で、そこで、奥さんが三、四人、井戸端会議をしてたんだけど、オレが近くを通ると、さっといなくなっちゃった。
ドキッとしたねえ! 声をかけられることはあっても、さすがに逃げられたことはなかったからね。オレ、なにか悪いことでもしちゃったかと思ったよ。
でも、本当は人見知りする人間だから、知らない人と話さなくて済んで、ちょっとホッとしながら、知り合いの家にお邪魔して、そのまま何事もなく帰ってきた。
ところが、次の日、その放送作家から電話がかかってきて、
「ウチのやつが、買い物に行こうとしたら、近所の奥さんに呼び止められて、『昨日、“晩ごはん”来たでしょ?』って聞かれたらしいよ」
って言うの。
詳しく話を聞くと、どうも、近所の奥さんたちは、オレが知り合いの家に、『隣の晩ごはん』の打ち合わせでやってきたと勘違いしたみたい。それで、急いで家に帰って、晩ごはんの支度をして待ってたそうな。
冗談じゃないよ! オレが、本番前、一般の家庭とアポを取って、「じゃあ、お宅は、コロッケを手作りしてください。そして、次は、○○さんを紹介してもらって、そこでは、焼き肉にしてもらいますから」って打ち合わせをやっているように見える!?
この際、はっきり申し上げますが、『隣の晩ごはん』にアポはございません!
いまでも、しょっちゅう「本当に、アポなしでやってたんですか?」って、聞かれるんだけど、断じて、アポは取りませんでした。
アポを取ったら、どれだけ大変なことになると思う!?
じゃあ、まず、そこらへんの話から始めますか。
第一章 アポなしの悲劇
元祖アポなしと呼んでくれ!
よそのお宅を訪問するとき、普通だったら、晩ごはんどきは遠慮する。電話をかけることさえ、悪いと思ってやらないよね。それが礼儀というもんだ。
だのに、オレは、知らないお宅にいきなり上がり込んで、晩ごはんをのぞき見するなんてヒドイことを、十六年間もやってきた。
たいていの人は、自分の給料を人に知られるのはいやだと言うけれど、本当は、晩ごはんをのぞかれるってことの方が、もっと恥ずかしいことなんじゃないかと思うよ。
晩ごはんの食卓には、その家庭のさまざまな個性が現れる。メニューに個性があるだけじゃなく、ごはんを食べている家族の雰囲気、ごはんの食べ方、家族の服装、居間の様子など、すべてのシーンから、その家族の暮らしぶりがうかがえる。
だから、それだけでも見られると恥ずかしいのに、オレは、そこを糸口に、人の心にまで入っていき、秘めていた思いも、外にさらけ出させてしまうんだから、こりゃ相当タチが悪い。今からふり返ると、よくそんな無茶ができたもんだって驚いちゃう。
だけど、オレだって、もともとは、こんな厚かましい人間じゃなかったのよ。
アポなし取材だけで押し通すということは、番組がスタートするときに出くわした、ある出来事によって、避けられない運命となってしまったのだ!
一九八五年。この年だけは忘れられない。
阪神タイガースが二十一年ぶりに優勝を決めて、巨人ファンのオレにとっちゃ、メチャクチャ悔しい思いをさせられた年だもん。
しかも、この年の九月二十四日は、『突撃! 隣の晩ごはん』の第一回めのロケだったから、忘れられるわけがない。
ロケの場所は、東京・新宿の戸山ハイツ。ちょうどバブルが始まった頃で、新宿も、ぼちぼち地上げが始まっていたけど、戸山は、ちょっと北にずれていたから、まだまだ昔ながらのこぢんまりした家がごちゃごちゃと建っていて、下町っぽい感じだった。
きっといつもは、夫婦喧嘩や、犬の鳴き声なんかがどこかから聞こえてくる、あけっぴろげな町なんだろうね。
でも、そのときは雨が降っていたから、外にはあんまり人もいなくて、なんだかしんとしていたな。
今だから告白するけど、『隣の晩ごはん』のロケの、記念すべき第一軒めだけは、じつは、スタッフが事前にアポを取ってあったのよ。
だって、いくらなんでも怖いじゃない! 今でこそ、アポなしを謳《うた》った番組はいっぱいあるけど、当時、そんな番組なんて見たこともなかったもん。前代未聞の突撃だから、いくら頑張っても、どこのお宅も、家に入れてくれない可能性の方がずっと大きかったんだから。
で、昔ながらの団地といった趣の戸山ハイツに出かけていって、薄暗くて狭い階段を上り、目的のお宅へたどり着いたら、突然胸がドッキドキ。こうなりゃままよと、思い切ってドアを開けたはいいけれど、今度は、あらまあってのけぞった。
着物の上に羽織まで着た、もう七十は越えてるだろうって感じのおばあちゃんが、三つ指ついて、
「いらっしゃいませ」
なんて言っている。
「一応突撃なのに、三つ指ついてはマズいだろう、これがほんとの拍子抜けっていうやつよ」
とは思いつつ、なにがなんでも収録することが先決だから、とりあえず、家の中へと突き進んだ。
ところが、居間へ行って、またびっくり! そこでは、やっぱり七十過ぎになる、まるで笠智衆《りゆうちしゆう》のようなおじいちゃんが、背広姿で、背筋を伸ばし、きちんと正座をして待っていたの。
そのうえ、食卓には、「いつもこんなもの敷いて、晩ごはんを食べているわけはないだろう!」というような、真っ白いレースのテーブルクロスがかけてあり、ピンクのバラまで飾ってある。
お茶碗や箸だって、このご夫婦の分だけじゃなく、オレたちスタッフの分まで用意してあったから、さすがにこれだけは片付けてもらわなきゃと思ったんだけど、すぐに、そんなことをしてもまったく無駄だと悟ったね。
だって、メニューがすごいんだもん。寿司、刺身、ステーキ、天ぷらなどなど、思いつくかぎりのごちそうが、食卓も見えないくらいびっしりと並んでいる。
おまけに、それがみんな乾いちゃってたんだよね。
きっと、おばあちゃんは、オレたちのために、一日がかりで料理を作ってくれたんだと思う。
でも、二人じゃそんな量、食べ切れるはずはないし、たとえ、何品かをはぶいて撮影したとしても、お年寄りは、そんなに脂っこいものって食べないから、テレビのためにわざわざ用意したって、一発でわかっちゃう。なにもかもがカラ回り……。
だから、記念すべき突撃第一号だったけど、このご家庭は、泣く泣くカットさせてもらいました。
おじいちゃん、おばあちゃん、あのときは本当にごめんなさい。改めて、おわび申し上げます。
とはいえ、ロケはできませんでしたじゃ済むわけがない! オンエアまで一週間しかなかったから、今日取材を終えないと、編集やなんかの作業が間に合わなくなるって、切羽詰まった状況だったの。
だから、オレも、やぶれかぶれになって、
「いいよ、いいよ。オレ、これから、どこかそこらへんの家、一か八かで当たってみるから」
って言っちゃったんだよね。
自慢じゃないけど、オレ、晴れ男だから、『隣の晩ごはん』のロケで、雨の日なんてあんまりなかったのに、このときは、だんだん雨足が強くなってきて、ずぶ濡れになりながら、近所のお宅を回ったの。
(ヨ) 「ごめんください」
いよいよ、オレのアポなし突撃が始まった。かなりビビッていたから、声が少しうわずっている。
アポなし第一号は、戦後すぐに建てたんじゃないかと思うくらい年季の入った一戸建て。鍵を開けて出てきたのは、その家よりさらに年季が入っているおばあちゃんだった。
(老母)「はい、どちら様ですか?」
『隣の晩ごはん』ってコーナーはまだ始まっていないけれど、『ルック ルック こんにちは』という番組自体は、すでに五年前からオンエアされていたから、番組名さえ出せば、話は早いんじゃないかと、てっきりオレは思ってた。
(ヨ) 「日本テレビの『ルック ルック こんにちは』という番組なんですが、ご存じですか?」
(老母)「いいえ」
ガクッときたけど、ここで怯んではいられない。なえた気持ちを奮い立たせて、あと一押しやってみた。
(ヨ) 「日本テレビで、朝にそういう番組をやっているんですが、じつは、今度、その中に、一般のご家庭の晩ごはんを見せてもらうというコーナーができたんです。それで、突然なんですが、お宅の晩ごはんを見せてもらえませんか?」
(老母)「ええっ、ウチの晩ごはんを!?」
(ヨ) 「お願いしますよ」
(老母)「ウチは、もう済みました」
(ヨ) 「でも、なにか残っているんじゃないですか?」
(老母)「そんな、残り物なんて見せられるわけないじゃないですか。よそ行ってくださいよ」
(ヨ) 「そこをなんとか……」
(老母)「どうぞお引き取りください」
初めての突撃だったから、これは相当グサッときたね。ディレクターには言わなかったけど、冗談抜きに、「こんな仕事、すぐに辞めてやる!」って、心の中では思ってた。
とはいえ、ここでやめたらプロじゃない(オレ、まだ突撃に関しちゃプロじゃないか!?)。使命に燃えて、次へゴー!
次に突撃したお宅も、やはり古い一戸建て。玄関に現れたのは、年の頃なら六十五、サザエさんの磯野波平に顔の似た、人のよさそうなおじいちゃんだった。
オレは、ラッキー! なんて、かなり期待して話を始める。
(ヨ) 「こんばんは。『ルック ルック こんにちは』です」
(老父)「こんにちは」
おじいちゃんは、オレに深々とお辞儀をしてくれた。
(ヨ) 「あ、これはどうもご丁寧にありがとうございます。ご存じですか、『ルック ルック こんにちは』?」
(老父)「こんにちは」
(ヨ) 「え!? ……ああ、おじいちゃん、そうじゃなくて、『ルック ルック こんにちは』という番組なの!」
(老父)「こんにちは」
おじいちゃんは、オレが「こんにちは」って挨拶していると思って、「こんにちは」と返してくれる。
(ヨ) 「日本テレビの『ルック ルック こんにちは』って知らない?」
(老父)「こんにちは」
いつまでたってもラチがあきそうにないので、このおじいちゃんの家もあきらめた。
一戸建てがダメならばというんで、次は、その近くにあった、二階建てのこぢんまりしたアパートに突入。一軒のドアをノックした。
出てきた四十代の奥さんは、警戒しているのか、最初からピリピリした雰囲気。そんななか、オレは、なんとか話を切り出した。
(ヨ) 「日本テレビの番組で、お宅を取材させてもらえませんか?」
(奥) 「今料理している最中で、忙しくて手が離せないの」
(ヨ) 「それを、そばで見せてもらうだけでいいんです。お願いしますよ」
(奥) 「突然来て、そんなこと言うなんて、ちょっと失礼じゃないですか」
断ったとたん、ガチャンとドアまで閉めちゃった。
この後のオレは、傷心しきり。この気持ち、わかってもらえるかな?
だけど、いったん引き受けた仕事に穴は空けられない。オレは、断られても断られても、家々を回り続けたの。
当時は、オレだって、若くて馬力があったしね。十六年前っていえば、三十七歳だったんだもん。
とはいえ、このキビシイ体験が、『突撃! 隣の晩ごはん』のスタートだったから、自分で言うのもなんだけど、よく続けてきたなって思うよね。
てなわけで、それからのオレの人生は、アポなし突撃一直線。北は北海道の宗谷岬から、南は沖縄県の島々まで、四十七都道府県すべてこの足で巡りました。会った人の数なんて、数えきれないね。
くどいようだけど、これ、みんなアポなしよ!
アポなしでやったから、ここまで長く番組が続いたんだと思ってる。もしも、アポを取ってしまったら、みんな戸山ハイツのお年寄り夫婦みたいな段取り芝居になっちゃって、見ているのもつらくなったんじゃないのかな。
ええい、控えおろう! このしゃもじが目に入らぬか。オレこそ、天下の元祖アポなし、ヨネスケなんだぞ! ってか!!
入った家はヤクザさん
オレ、断わられるのもショックだけど、番組のもっと苦い思い出は他にある。
それは、家に入れてもらったうえ、しっかり撮影までさせてくれたのに、後で断りの電話がきた時なのよ。
一般の人は、タレントじゃないから、テレビに映るとなると、フツーに話しているように見えても、やっぱり、どこか舞い上がっているんだろうね。一晩寝て冷静になって、いろいろ思い出してみると、こりゃマズいってことになっているみたいなの。
世間体を気にする人だと、コロッケを盛り付けるとき、菜箸じゃなくて、手でつかんでしまったから、放送しないでくれなんて言ってきたりするもんね。
いいじゃないの、それくらい! アンタの家の晩ごはんは、迎賓館の華麗な晩餐会じゃない。放送されたくらいで、世間を騒がすことはないから、そんなに心配しなさんな。
オレの奮闘が抹殺されちゃって、また一からやり直すのがいやだというのが、じつは本心。オレの人生見てみろ、いっぱいハジかいているけど、ちゃんと生きてるぞ、ってねぇ!
断る理由は、本当に千差万別だけど、いちばん多いのは、やっぱり嫁姑関係だね。
お姑さんの方が立場が強いならまだいいの。
ある日、下町の、二世帯が暮らす古いお宅にお邪魔して、お嫁さんに、
(ヨ) 「奥さん、得意料理はなんなの?」
って聞いたら、お姑さんが、すかさず口を挟んできた。
(姑) 「ハンバーグとか、油を使ったやつよね」
お嫁さんにしてみれば、相当手強い相手なんだろうけど、オレにとっては、よくしゃべってくれてウレシイなって感じ。
(ヨ) 「おばあちゃん、作ってもらってるのに、そんなこと言っちゃっていいの?」
てな具合に、ツッコミを入れやすいし、それでも全然へこたれなくて、
(姑) 「長生きしてるんだからいいんだよ! うっひゃひゃひゃひゃ!!」
って、平気で笑っているから。
お姑さんが、ここまであけっぴろげだと、後で断ってくることはまずないね。
ところが、お嫁さんの方が強い場合は、困ったことになってしまう。
たいていのお嫁さんは、
(嫁) 「煮物は、おばあちゃんにはかなわないから」
(嫁) 「漬物だけは、おばあちゃんでないとダメなの」
って、立てるところはうま〜く立てて、それなりに平和に暮らしている。
ただし要注意なのは、お姑さんが一人で食事をしている家庭。
(嫁) 「小さい子がちらかして食べるから、おばあちゃん、落ち着けないと悪いと思って」
これが、別々に食べる理由とされている。
そして、嫁姑がいっしょにいても、こんな光景を目にしたらさらに要注意。
(嫁) 「ほら、どうしても、子供って、ハンバーグとかスパゲティとかが好きじゃないですか。おばあちゃん、口に合わないって言うから、自分の好きなものを作ってもらっているんです」
なんて理由で、お姑さんが、自分の晩ごはんだけ、お嫁さんの横で一人で作っていたりする。
これらのケースにぶち当たったら、相当覚悟を決めておいた方がいいね。たいてい、NGになっちゃうもん。
なんでかって言うと、お姑さんの立場が弱いなんて見られると、かなり世間の風当たりが強くなるみたいで、お嫁さんたちがものすごく神経を使っているから。
ある家庭では、そのときたまたま、お姑さんが、包丁で手をケガしていたというだけで、取材を断ってきたもんね。
でも、そんなNGなんて、ハチに刺されたみたいなもんだって思うくらい、すごいことがあったのよ。
まあ、東京近郊のとある大都市の一角とだけ言っておこうかな。言葉を濁すのは、かなりワケありということだ。
古い住宅や新しい住宅、それにマンションなんかが並んでいる、どこででも見かけるような町だった。
突撃のターゲットは、そんな町並みの中にある、かなり年季の入った、レトロな感じのマンション。
いまどきの、窓が広くて、壁もカラフルな色という、明るい雰囲気のマンションじゃなくて、入り口なんかがちょっと薄暗い感じで、がっしり建ってるぞって威圧感のあるマンションがあるじゃない。そんな感じの建物だった。
ある階で、いつものようにチャイムを鳴らしたら、三十代前半くらいの奥さんが顔をのぞかせた。
その奥さんのファッションは、ピエロのイラストが真ん中に大きくプリントされたベージュのTシャツと、薄いピンクのスラックス。お化粧は濃くて、アイシャドウなんかもバッチリ入れているから、ファッションとメークが、ものすごくアンバランスだって気がしたな。
そのうえ、奥さんの応対にはまったくスキがない。
「ウチは、そういうのは、絶対にダメだから」
「今日は、お客さんも来ているし」
なんてね。でも、なぜか、絶えずソワソワしていたの。
だから、オレ、なんとなく、これは早めに引いた方がいいなと思って、話を切り上げようとしたんだけど、そしたら、突然、奥から、小学校低学年くらいの男の子が、バタバタバタッと走ってきて、
「あっ! “晩ごはん”!」
って叫んで、持っていたしゃもじを取りあげたうえ、オレをぐいぐい中へと引っ張っていった。
「○○、やめなさい!」
奥さんは怒ったけど、そのときはもう手遅れだったね。オレ、ちゃっかり靴を脱いじゃって、廊下を歩いていたんだもん。
そのまま子供に連れられて居間に入ると、マンションの中は外見と大違い。すんごい豪華なインテリアなの。
天井にはシャンデリアがぶら下がっているし、足元はふかふかの絨毯でしょ。おまけに本革張りのソファーまで置いてある。
それよりも、もっとびっくりしたのは、白いソフトスーツを着た、若いお兄さんが、入り口に立っていたこと。髪は、オールバックで、とにかく視線がものすごく強い。そのまなざしで、じいっとオレを睨んでいる。
本当なら、すぐに逃げ出したいところなんだけど、男の子が、しゃもじをぎゅっと抱きしめて、期待に目を輝かせながらオレのことを見つめている。
しょうがないから、顔を引きつらせながらも、お仕事を始めることにした。『隣の晩ごはん』史上初の、ヤクザさん突撃だ。
ただ、オレを見張っているお兄さんだけは、なにをしでかすかわからない雰囲気だったから、怖くて一言も口をきけなかったけど……。
というわけで、オレがインタビューを試みたのは、男の子が、うれしそうに、「パパ!」って指差した、ソファーでゆったり寛いでいる、ゴルフウエアを着た男性。入り口に立っているお兄さんとは違い、ピリピリした雰囲気はないんだけど、どっしりと貫禄があり、ぱっと見ただけで、組では幹部クラスに違いないとわかるお方だった。
こういう人は、下っぱの威勢のいいのとは違い、すぐにキレたりしないから、話しやすいといえば話しやすい。でも、怒らせると、いちばん怖い存在ではあるよね。
(ヨ) 「旦那さん、年いくつ?」
(旦那)「四十六」
(ヨ) 「あ、そう。貫禄あるね。お仕事は、なにをやってるの?」
(旦那)「まあ、飲食店と不動産関係かな」
(ヨ) 「手広くやってるんだねぇ!」
(旦那)「まあな」
旦那の目が、これ以上深く聞くなと言っているから、ここは、素直にお題変更。
(ヨ) 「奥さんとは、どこで出会ったの? ちょっと年が離れているみたいだけど」
(旦那)「それはいいよ」
これも、触れてはいけないらしい。目が全然笑っていない。
(ヨ) 「失礼な質問かもしれないけど……」
(旦那)「なに?」
旦那は、ただ聞き返しただけなのかもしれないけど、ドスのきいた声で切り返されると、それだけで、ビビってしまう。
(ヨ) 「あ、いや、いいのいいの!」
(旦那)「言ってみなよ」
(ヨ) 「あの……。お子さん、遅く生まれた子だからかわいいでしょ」
(旦那)「まあね」
旦那は、初めて微笑んだ。
でも、目は、相変わらず笑っていないんだけどね。
(ヨ) 「晩ごはんは、いつも何時頃?」
(旦那)「日によって違うなぁ」
(ヨ) 「今日はまだなの?」
(旦那)「今日は、事と次第によっちゃ、また出かけねぇといけないからなぁ」
なんだ? 事と次第によっちゃって!? また、目がこれ以上聞くなと言っている。
ひょっとして、出入りかなんかあったりして。まさかね、映画とは違うよね……!?
雰囲気的には、ここらで奥さんに話題を振った方が無難だと、矛先を変更した。
(ヨ) 「奥さん、晩ごはんはなんにするつもり?」
(奥) 「アンタ、なにがいい?」
おいおい、旦那に話を戻すなよ!
(旦那)「和食かな。アンタたちも、食べていくかい?」
(ヨ) 「いえ、ボクらは、このあとも収録がありますから……」
オレ、『オレ』が『ボク』になっちゃった! ふだん、自分のことをボクなんて、気持ち悪くて言ったこともないくせにね。
(旦那)「えっ? 食べていかないの?」
気のせいかもしれないけど、旦那の顔色がさっと変わったようだった。
(ヨ) 「いや、あの……」
なんとも言えない気まずい雰囲気。
誰か、助けてくれ! 心の中で叫んではみたものの、ディレクターは、ビビっちゃって、これまでになくおとなしい。カメラマンも、カメラを回し始めると、夢中になって、他のことにまで気が回らない。
この危機を脱出できるかどうかは、オレの話の持っていき方にかかっているってこと!?
(ヨ) 「晩ごはん、まだのようですし、お時間をとらせてもなんですから、我々はそろそろ……」
(旦那)「いや、すぐに用意させるよ! (奥さんに向かって)おい!」
旦那は、奥さんに晩ごはんの用意を命じた。この人、勝手に『隣の晩ごはん』は、オレが家族といっしょに晩ごはんを食べる番組だと決めつけている。
オレ、こんな状況でメシ食えないよ! って思ったけど、口から出た言葉は、
(ヨ) 「じゃあ、遠慮なく、ごちそうになりま〜す(……情けない)」
それから、晩ごはんができるまでの時間は、ものすごく長く感じたね。この旦那はほとんどしゃべらないし、ずっと立ったままのお兄さんも、相変わらず冷たい目でオレたちのことを見張っている。
オレ、沈黙がとっても怖くて、下らない話を一人でベラベラとしゃべっていた。
そして、これ以上緊張が続くと、ぶっ倒れるかもしれないと思ったとき、ようやく、晩ごはんの支度が整った。
だけど、この家の食事スタイルは、ソファーの前の床に座って、ローテーブルで食べるというパターンだった。
ふだんは、家族そろって、台所のテーブルで食べているらしいんだけど、オレとスタッフを合わせると五人も増えるわけだから、そこじゃ収まりきれないということらしい。
で、奥さんと子供は台所、旦那とオレたちは居間という具合に別れて、晩ごはんと相成った。
ローテーブルは狭いから、食器が落っこちそうになっている。もちろん、オレたちの座るスペースも狭苦しくて、箸を持つと、隣と肘がぶつかりそうだ。おまけに、オレの目の前に座っているのは、この家の旦那。
オレ、どちらかというと、台所で食べたかったんだけど、もちろん、一言も文句を言わず、ありがたくいただきました。
献立は、アジの塩焼き、大根下ろし、ホウレン草のおひたし、大豆とヒジキの煮物、卵の入った味噌汁と、そのスジにしては、案外質素。外でこってりしたものばっかり食べているから、家ではこういうものが食べたいのかもしれないな。
一斉に「いただきます」と食事をしたのは一生の思い出だけど、まったく味なんてわからない。視線の鋭いお兄さんは、晩ごはんも食べないで、立ったまま、オレたちのことを見つめているから、なおさら味わう余裕はない。
だけど、残して旦那の機嫌を損ねるとマズいから、オレ、とにかく必死で胃の中に詰め込んだ。
で、みんなが、そろそろごはんを食べ終わるというとき、いきなり旦那が奥さんに、
「おい、バター」
って、一声かけた。
いったいなにをするのかと思ったら、バターのかけらをごはんにのせ、醤油を少したらしたあと、ぐちゃぐちゃに混ぜて、おいしそうに食べ始めた。
あったかいごはんにトロトロのバター。オレも若い頃よくやったなぁ。
こわもての旦那でも、カワイイところがあるんだね。オレ、ほんの一ミリくらいは、この人のことを身近に感じられるようになったかも。
とはいえ、これ以上長居したいと思えるほど、親しみが持てたわけじゃない。晩ごはんが終わったとたん、丁寧にお礼を言いつつも、超特急で逃げ出した。
すると、玄関までついてきた奥さんが、子供には聞こえないよう、こうささやいた。
「主人、子供の前だったんで、機嫌よくしてましたけど、テレビは絶対ダメなんです。どこか他を当たってください」
ええ、ええ、そんなことは、とっくの昔からわかっていました。オレ、はっきり言って、取材のことなんか、もうどうでもよくなっています。あんなにズケズケ質問して、無事でいられたことだけで感謝したいくらいです。
それから一年ばかり、その町の近くへ行くたんび、オレ、かなりビクビクしてました。
史上最低の突撃
『隣の晩ごはん』は、手当たり次第に突撃するから、偶然、有名人のお宅に出くわしてしまうこともある。
あるとき、東京をぶらついて、たまたまあるお宅に突撃すると、そこは、舟木一夫さんの家だった。
オレたち、もちろん、舟木さんの事務所から許可なんてもらっているわけじゃない。だから、「スミマセン」って謝って、帰ろうとしたんだけど、奥さんは、てっきり許可が出ているもんだと勘違いして、家に入れてくれそうになる。
だまし討ちは礼儀に反するから、わけをちゃんと説明して、突撃せずにおいとました。
奥さんは、「こんな偶然もあるんですね!」って、かなりびっくりしていたな。
一方、北海道の襟裳岬に近い、広尾町《ひろおちよう》ってところに行ったときは、八角親方(=元横綱・北勝海《ほくとうみ》関)の親戚の家に入っちゃって、漁師のおやじさんに、
「もってけ!」
って、花咲ガニ、十杯以上もドド〜ンと渡された。
このカニは、地元じゃ『花咲ガニ』って呼んでいるけど、その正体は、タラバガニ。東京辺りじゃ、一杯一万円から一万五千円はする代物だ。
しかも、それが十数杯だから、オレ、ビビっちゃって、
「いいですよ!」
って、断ったんだけど、
「漁師がいったん出したものを引っこめられるか!」
なんて、威勢よく言ってくれたから、クール宅急便で、とっととウチに送ったよ。
おまけに、昆布も、鍋が一万回はできるんじゃないかと思うくらいくれたんだけど、これにしたって、さすが昆布の名産地・北海道だけあって、肉厚で、ものすごくでっかいものだった。
だから、クール宅急便の一箱は、昆布だけがぎゅうぎゅうに詰まっていて、かみさんが、箱を開けたとき、それがボワッて盛り上がってきたもんだから、とってもびっくりしたらしいよ。
あと、みんな知ってるかな?
黒岩彰さんって、スピードスケートで、オリンピックの銅メダルを取った選手がいるじゃない。サラエボオリンピックでは、日本中の期待を一身に背負うことになっちゃって、プレッシャーで体が動かず、メダル候補と言われながら、無念の惨敗。でも、次のカルガリーオリンピックでは、みごと銅メダルに輝き、雪辱を遂げた不屈の人だ。
その黒岩さんの、群馬にある実家に突撃して、カルガリーの銅メダルやなんかを見せてもらったことがある。
じつは、この後、黒岩さんご本人にばったり出くわした。
オレ、とっさに、
「ご実家に突然お邪魔してスミマセン」
ってあやまったの。
そしたら、なんと、
「親に聞きました。その節はありがとうございました」
なんて、黒岩さんが逆にお礼を言ってくれた。
『隣の晩ごはん』って不思議な番組だなぁ。ありがたいよね。
北海道の苫小牧では、札幌オリンピックで、アイスホッケーのゴールキーパーをやっていた大坪利満さんのお宅にお邪魔した。
日本のアイスホッケーは、はっきり言って、世界のトップクラスとはかなり力の差が開いている。だから、日本チームは、札幌オリンピックには、開催特別枠で出場したんだけど、大坪さんは、全試合一人でゴールを守り抜き、その必死の活躍が観客の胸を打った。
でもオレが、そんな大坪さんに、「奥さん、愛してる?」って聞いたら、顔を真っ赤にしながら、「勘弁してください」って言ったのには、笑っちゃった! すごく大きな体をしているのに、とってもテレ屋なんだよね。
埼玉へ行ったときは、ベテランオートレーサーの福田茂選手のお宅に突撃した。
福田さんは、オールスターオートレースとか、大きなレースで優勝している、その世界じゃ有名な選手。家中に、優勝トロフィーが飾ってあるし、オレがお邪魔した日も、レースで優勝して、賞金二百八十万円を獲得したって言っていた。
福田さんの奥さんは、喫茶店を経営しているからか、晩ごはんもハイカラだ。カニとイカの地中海風煮込み(=トマトソースで煮込んだやつ)、グラタン、ツブ貝の入ったサラダなんて、洋風のおかずが並んでいた。だけど、それに、味噌汁と切り干し大根の煮物がついているのを見て、さすがは日本人だ! って思ったな。
こう考えてみると、スポーツ関係の人の家に突撃したことって、けっこう多かったんだね。
でも、どんな有名人のお宅よりも、オレにとってはインパクトの強かった家がある。
それは、誰の家なのかって? ……それは、オレの家ですよ!
「オレがいないとき、かみさんたちは、一体なにを食べてるのかなぁ」なんて話を、ディレクターに漏らしたら、すごく乗り気になっちゃって、トントン拍子にことを進めてしまいやがった。
そして、あっという間にロケ当日。
「今日はどこで仕事?」
って、その日の朝、かみさんに聞かれて、オレ、もう心臓バクバクよ! ウソをつくと、すぐに顔が赤くなってしまったり、表情が強張ったりするもんだから、精一杯落ち着き払ったふりをする。
「今日も、浅草演芸ホールで寄席だから」
短いセリフを言うだけなのに、このときばかりは、エネルギーをものすごく消耗しちゃったね。
どうにかその場を切り抜けて、家を出たのはいいけれど、浅草演芸ホールの寄席をキャンセルしちゃったとなると、『隣の晩ごはん』のロケ時間まで、オレには、なにもすることがない。
かといって、オレは、どこかの喫茶店に一人で入って、ヒマ潰しできる性分でもない。
みんなは、オレが、突撃なんて過激なことをやっているくらいだから、ふだんも、知らない店にズカズカ入り込んでいけるだろうなんて思っているかもしれないね。でも、店のドアを開けたとき、中にいる人が一斉に振り向く、あの視線でさえ、オレにはとうてい耐えられないの。
人相は押し売りっぽいかもしれないけど、オレ、本当は、人見知りだって言ってるじゃない。だから、なじみの飲み屋ならいざ知らず、知らない店に一人で入って、しゃべりもしないでじいっとしているなんて、本当につらいだけ。
しかたがないから、まだ早過ぎるにもかかわらず、日テレへ直行して、控え室でテレビを見たり、出前してもらったざるそばを食べたりして、無意味な時間を過ごしていた。
いやあ、こういうときって、時間がたつのが、恐ろしく遅いよね。
ようやく、午後一時の出発時間になったときは、待ちくたびれて、身も心もすっかりだらけてしまっていた。
で、『隣の晩ごはん』のスタッフを引き連れ、当時オレが住んでいた千葉県の西船橋へと戻ったら、あとは、オープニングを撮影して、マイクの最終チェックをしてなんて、いつものように準備を進め、ようやく調子が戻ってきた。
そして、いよいよ運命のとき。マンションの四階にあるヨネスケ宅へ、いざ突撃!
階段を上りながら、オレは、「今回のロケは、こうだったらいいな」という、理想の展開をシミュレーションしてみたの。
「『隣の晩ごはん』だって言ったら、かみさんは、当然驚くわな。だけど、オレは、いつものように、家の中へ入っていく。で、食卓を見ると、せめてハンバーグか唐揚げくらいはあるだろう。三日前に金渡してあるんだから、それくらいは当然だ」
そんなイメージトレーニングをしていたら、あっという間に、オレの家にご到着。
しょうがないから、ピィ〜ンポンと、渋々インターホンを押す。
すると、かみさんのカン高い声が、モニター越しに響いてきた。
(奥) 「どなた〜!」
(ヨ) 「ただいま」
オレも、言葉を返したが、いつもの「こんばんは! 『隣の晩ごはん』です」という第一声とは感じが違い、なんだか気恥ずかしい、というよりはやりにくい。そこで、やっぱりふだんどおりにやってみた。
(ヨ) 「『隣の晩ごはん』です!」
ところが、これが大失敗。
(奥) 「いやだ〜! どうしてウチなのよ!」
って叫んだだけで、かみさんは、絶対にドアを開けようとしない。『隣の晩ごはん』って言葉は、やっぱり、ドアが開いてから言うべきだった。しかたがないから、オレ、自分で鍵を開けて入ったよ。
すると、中では、かみさんが、鬼のように顔を引きつらせ、当時一歳だった末の娘をおんぶしたまま逃げ惑っている。
ふだん、そんなことはしないのに、じつは、この日、かみさんは、妙なカンが働いて、浅草演芸ホールの楽屋に電話してみたそうな。
そしたら、「今日は、ヨネスケさん、お休みです」って、ホールのスタッフから返事され、
「これは、絶対、浮気じゃないの!」
と、確信をもっていたそうだ。
それが、こんな展開になるなんて、ウチのかみさん、二度目のびっくり。
最初のカンはよかったものの、浮気と考えるのは、まだまだ甘い。オレのかみさんなんだから、もうちょっと想像力を働かせてほしいもんだ。
(奥) 「え〜! ちょっと待ってよ! ヒドイじゃない!」
なにを言われようが夫を捨てて、勝手知ったる、ウチの居間へと突撃だ。
すると、そこには、娘のおしめや、息子のパンツといった洗濯物が、ところ狭しと干してあり、オモチャも、無残に散らかっている。
この頃は、長男六歳、次男三歳、そして娘はまだ一歳。
小さな子供のいる家庭なら、こんなものよと、自分をなぐさめ、今度は、台所に突進した。
そしたら、こちらでは息子二人が、晩ごはんを食べている真っ最中。
ところが、それにしては、テーブルの上がやけに寂しい。なんだか広く見える食卓に、箸と丼《どんぶり》くらいしか見当たらない。
だから、オレ、「部屋は散らかっているのに、いやにテーブルはきれいだな。もう、あらかた食事は済んだのかな」なんて、寂しい食卓のわけを考えながら、息子たちが食べているものをのぞいてみた。
息子たちは、箸を止め、ポカンと口を開けて、巨大しゃもじを持ったオレの姿を見上げている。
で、息子たちが一体なにを食べていたと思う!?
天丼でも、カツ丼でもないよ!
丼に入っていたのは……うどん。ゴボウ、ニンジンなんて、昨夜食べた炊き込みごはんの残り野菜が入っている “けんちんうどん”。晩ごはんが、これじゃあねぇ……。
しかも、食卓が寂しいのは、食事が終わりかけていたからじゃなかった。
“本当におかずは一切ない!”
オレ、どうしようかと思ったね。いくらなんでも、これはないよ、わが妻よ!
もう、頭の中が真っ白になっちゃって、テレビのことも顧みず、その場で、かみさんに八つ当たり。
(ヨ) 「おまえ、これじゃあ、ただの素うどんと同じだろう!」
(奥) 「そんなことないわよ」
(ヨ) 「オレ、もうちょっと金渡してるはずだぞ!」
(奥) 「アナタ、今日は遅くなるって言ってたから、たまたまうどんにしただけじゃない。そういうときに限って、みなさんを連れてくるんだから」
かみさんの、バカヤロ〜!!
十六年間の中で、最低の“晩ごはん”だった。
この悲惨な突撃で、よかったことは、たったの一つ、アポなしが証明されたこと。
「ステーキなんかのごちそうじゃなくて、あんな晩ごはんを見せるくらいだから、ヨネスケは、自分の家に突撃するときも、きっとアポを取っていなかったんだろうな。自分の家でさえそうなんだから、アポなしっていうのは、本当なんだろうね」
って、テレビを見ているみなさんが、思ってくれたんじゃないかな。
だけど、その逆、悲惨なことはたくさんある。
オレの恩師・米丸師匠の奥さんからは、
「ヨネスケさん、女房子供泣かすんじゃないよ! ちゃんと、かせぎ渡してるの!?」
って、お小言の電話をいただくし、オレのかみさんは、それ以来、オレがどんな仕事で出かけるときも、
「また、ウチに突撃するんじゃないでしょうね!?」
なんて疑ってかかるようになっちゃった。
そのうえ、子供たちにまで、
「バカじゃないの! おとうさんは!」
って、軽蔑されたもんだから、オレ、「しばらく放浪の旅に出ようか」なんて、真剣に悩んでしまいました。
田園調布の悪夢
その日は、確かに、いつもと雰囲気が違っていた。
オレもスタッフも、絶対勝つ見込みのない強敵に立ち向かう戦士のように、決死の悲壮感が漂っていたかもしれないな。
敵は、田園調布にあり!
人の背丈よりずっと高い、頑丈なコンクリート塀に、城みたいな門がついていて、まるで難攻不落の要塞といった趣の家が建ち並ぶ、そんな東京屈指の高級住宅街に、今夜、オレたちは突撃を敢行する。
失礼があってはいけないということで、オレは、タキシードをピシッと着て、本番に備えていた。
これまで二四〇四軒の不法侵入に成功した達人も、失敗は、山のように体験してきた。
突撃した家を十とするなら、成功八、失敗二ってところかな。
みんなは、「さすがヨネさん、そんなに入れたんだ!」って言ってくれるけど、オレは、
その“二”が重たいね。
テレビを見ていると、わりと楽に入っているように見えるかもしれないけど、どのお宅でも、相手が、オレの話にのってきて、終いには「ど〜んと来い!」って気分になれるよう、ものすごくエネルギーを使ってしゃべっている。
そう、全部のお宅に同じくらいエネルギーがいるよ。一軒めに突撃するときだけじゃなく、そこからの紹介でつながっていく二軒めや三軒めでも断られる場合があるから、必死で場を盛り上げなきゃいけないの。
だから、断られたときのショックは大きいのよ! 緊張の糸が切れ、ヘナヘナヘナってなってしまう。
で、そこからまた、いっぱいまでテンションを上げて、態勢を立て直して、次の家を探すわけでしょ。
田園調布みたいに、二十四軒も断られてみぃ、どれだけヘトヘトになっちゃうか。
午後六時過ぎ、いよいよ突撃開始。
ピィンポ〜ン! インターホンを押す。と、しばらくして、マイク越しに、年配の上品そうな女性の声が聞こえてきた。
(女) 「はい。どちら様でいらっしゃいますか?」
(ヨ) 「あ、夜分申し訳ありません。日本テレビのものですが」
やはり、相手は田園調布。この日ばかりは、さすがのオレも、腰が低くなっちゃった。
(女) 「どういったご用件でござぁましょうか?」
(ヨ) 「お宅の晩ごはんを、ちょっと見せていただきたいんですが……」
(女) 「宅は、もういただきましたのよ」
(ヨ) 「どんなものを食べたんですか?」
(女) 「まあ! オホホホホ! たいしたものじゃ、ござぁませんのよ」
ここでヨネスケ、いつものノリに戻そうとして、つい口がすべってしまう。
(ヨ) 「フォアグラとかキャビアとか食べてるんじゃないの?」
(女) 「ごめんあそばせ」
ガシャ! (インターホンが切れた)……ジ・エンド。
次いで、二軒め。
ピィンポ〜ン! ここらあたりは、どの家もみ〜んなインターホンだ。
(女) 「はい」
今度は若い女性の声。
(ヨ) 「あの〜、日本テレビの『突撃! 隣の晩ごはん』という番組なんですが」
(女) 「はい」
(ヨ) 「お宅の晩ごはんを見せてもらえませんか?」
(女) 「わたくし、留守を預かっているものですからわかりません。失礼致します」
ガシャ!
三軒め。
ピィンポ〜ン!
(女) 「はい」
(ヨ) 「『突撃! 隣の晩ごはん』という……」
(女) 「間に合ってます!」
ガシャ!
今度は、押し売りと間違われたのかぁ!?
インターホンは、最悪だね。味もそっけもありゃしない。顔が見えないから、けっこう大胆な断り方をされるし、取り付く島がないよね。
おまけに、田園調布は、家がでかいから、門から門までが遠くてさ、体力まで消耗しちゃったよ。
だけど、断られても断られても、入れてくれる家を探すのが、オレの使命。
ところが、誰が通報したのか、セキュリティの車がやって来て、つかず離れず、オレたちの後を付け回し始めたの。
もう、こうなったらしょうがない。あと一軒だけやってみて、ダメだったら、お屋敷じゃないところを探そうって話になった。
そしたら、うれしいじゃないの! 最後に突撃したお宅だけは、奥さんが、ちゃんと応対に出てきてくれた。
でも、なんとこれが、アメリカ人かイギリス人かわからないけど、外国人の奥さんだ。
オレがびっくりしていると、
「ニホンゴガ、ハナセマセン。ソーリー、ゴメンナサイ」
って言って、すぐにドアを閉めちゃった。
さすが田園調布。インターナショナルな方たちも、お暮らしになる土地柄なのねって感心したはいいけれど、結局、お屋敷の突撃は失敗に終わったってことなのね。
タキシードまで着たオレの立場は一体どうしてくれるのよ!
だけど、なにも田園調布だけが、特別ガードが堅いってわけじゃない。東京に暮らす人たちは、これが当たり前だと思っている。
オレが、家の中に入れてもらえるのは、下町や、田舎の方にロケに行くことが多いから。
東京なら渋谷や青山、地方だと県庁所在地なんてところだけ回っていたら、『隣の晩ごはん』は、断られる映像ばっかりになっちゃうよ。
第二章 しゃもじ男の告白
しゃもじは晩ごはんのシンボルだ!
地球がひっくり返ってもあり得ないことだけど、もし、オレが『晩ごはん党』を作って、選挙で立候補したら、シンボルはやっぱりしゃもじにするね。
あのしゃもじを欲しがる人、結構多いんだって。
セパ両リーグを通じ、三冠王を三度も取った、あの落合博満さんだって、番組に出演した記念にくれと言わしめた、『隣の晩ごはん』のトレードマーク! そのしゃもじとオレは、一心同体で、十六年間ずうっと歩いてきたわけさ。
落合さんの頼みをどうしたかって? もちろんあげましたよ、あの特大しゃもじ。それも、スペシャルで使った金色のやつ。まあ、金色でもなんでも、発泡スチロールでできたものだから、そんなに声を大にして言うほどのこともないんだけど。
じつは、あのしゃもじ、『隣の晩ごはん』の放送二回めまでは、本物の木だったの。
でもさ、木のやつは、三キロくらい目方があるから、ずっしりと重いじゃない。
しかも、右手にはマイクを持っているから、左手一本で、木のしゃもじを持つというのは、とうてい無理な話なのよ。
これはもう実際持ってみないとわからない。三分もたたないうちに、腕が痛くなってきて、プルプル、プルプル、けいれんが止まらなくなっちゃう。
その姿が、あまりにも情けないんで、ディレクターが見兼ねて、さっさと発泡スチロールにかえてくれたというわけよ。
だけど、広島県の宮島に行ったときは、発泡スチロールのしゃもじを持っていて怒られた。
“安芸の宮島”と言えば、知る人ぞ知る、しゃもじ、発祥の地。ここへ来ると、長さ八メートル、重さ二トンという、日本一のしゃもじが飾ってあるし、土産物屋は、どこでもしゃもじを売ってるの。
そんなしゃもじの町だから、オレがたまたま突撃したお宅も、おじいちゃんがしゃもじを作っている家だった。
二階の倉庫に案内してもらうと、長さ一・五メートル、重さ五キロなんて、オレの持っているやつより、ひとまわりでかい木のしゃもじから、一般のご家庭で使う普通サイズのしゃもじまで、じつにさまざまなものが並んでいたね。
で、オレが、木のでっかいしゃもじを持ってみて、
「こんなに重いと、『隣の晩ごはん』じゃ、使えないなぁ」
なんて、ポロッともらしたわけ。すると、そのおじいちゃんが一言、
「ニセモノを使っていると、今にバチが当たるよ」
って。
確かに、バチと言えるかもしれないな。オレ、『隣の晩ごはん』をやっているときは、突撃を断られたり、自分の家にまで突撃しなきゃいけなくなったり、痛い目にもあってきた。
だけど、二四〇四軒ものお宅にお邪魔して、いろんなご家族とふれあえたわけだから、かなりハッピーな十六年だったんじゃないのかな。
しゃもじが、ごはんだけじゃなく、人もかき集めてくれたんだよね。
まあ、それなりのご利益はあったわけだ。
ちなみに、落合さんにあげた、『隣の晩ごはん』特製しゃもじの行方はというと、和歌山県にある、自分の野球人生を紹介するために作った落合博満記念館に飾ってあるのよ。
この間見てきたら、なんと、玄関入ってすぐ左のところで、燦然《さんぜん》と輝いていたね、あの黄金のしゃもじが!
だけど、他に飾ってあるのが、ユニフォームとか、バットとか、トロフィーでしょ。偉大な記録の記念品に囲まれてるから、かなり場違いだったような……。
ガンバレ、黄金のしゃもじ! おまえは、日本の晩ごはんのシンボルだ!
開け、ゴマ!
『隣の晩ごはん』をやってみて、初めて気がついたんだけど、玄関に鍵をかけていない家って多いよね。
特に、地方の田舎の方は、もう百パーセント、フリーパスで入れちゃう。
テレビを見ていた人なら、わかるんじゃないかな。玄関で、チャイムを鳴らして、「はーい」とか「どなた?」とか応答があったら、オレは、すぐに扉を開けていた。
もちろん、これは地方の段取り。東京じゃ、こんなことできないでしょ?
おまけに、地方は、玄関がアルミサッシの引き戸になっているところが多いから、撮影にも大助かりよ。
だって、引き戸は、開口部が広いから、オレの後ろにいるカメラマンも、すっと中に入れちゃう。
まあ、これだけ“あけっぴろげ”でいられるのは、人情が厚くて、人の目が行き届いているからで、あんまりよく知らない人が隣り合わせに住んでいる大都会じゃ、ちょっとできないことだよね。
ところが、じつは、東京にも、鍵をかけていないってお宅があったのよ。それも、あのオシャレな住宅街・杉並区で。
そこに、何年か前に突撃したときは、三軒が三軒とも、鍵を閉めていなかった。
オレ、もうクセになっているから、「こんばんは!」って声をかけたあと、すぐにドアのノブを回したの。
でも、回してみてから驚いたね。すっと、ドアが開くじゃない!
「ええっ! こんなに人通りの多い場所なのに、ウソだろう!? ……まさか、ドロボウが入って、逃げていった後じゃないだろうね」
なんて、一人でうろたえて、またドアを閉めたりなんかしちゃったよ。
だけど、一軒めの奥さんが、次の家に連れていってくれたときも、当たり前というように、さっとドアを開けて、中に声をかけてたよ。
今は、ピッキングだなんだって、物騒な世の中になっているけど、きっとあの辺りじゃ、まだ鍵はかけていないんだろうな。
だって、井戸端会議仲間の結束は強そうだったもん。
『おでかけは、一声かけて、鍵かけない』ってか!
突撃の瞬間
『ルック ルック こんにちは』は、二十二年も前からずうっと続いていたから、まさか終わるなんて思ってもみなかった。
だから、番組もろとも、『隣の晩ごはん』が終わるって聞いたときは、オレ、ショックだった。
でも、決まっちゃったものは、もうどうしようもない。オレは、「精一杯頑張って、十六年間の恩返しをしなくちゃね!」って、なえる気持ちを奮い立たせた。
それで、ふと考えたのよ。『隣の晩ごはん』は、四十七都道府県、全部ロケに行ってるのかな? ってね。
で、早速調べてみたら、十六年もやってきたのに、なんと、宮崎県と滋賀県だけは、まだ一歩も足を踏み入れたことがなかったの。
だから、この二県の突撃を成功させ、有終の美を飾りたいと思って、予算をやりくりして出かけたわけ。
宮崎県では、『隣の晩ごはん』が放送されていなかったから、取材を何軒も断られたし、滋賀県では、言葉が関西弁だから、オレの東京弁に、ちょっと引いてしまう人もいたけど、
おかげさまで、ロケはバッチリ大成功。
ついに、オレたちは、全国制覇を果たすことができたのだ!
ね、オレだって、やるときはやるでしょ。これだけ、計画性をもって行動したのは、十六年間を通じて、初めてのことかもしれない。
じつを言うと、ふだんは、ロケの行き先なんか、本当に、いい加減に決めているの。
たとえば、こんな感じかな。
『隣の晩ごはん』が始まった頃は、ロケの日はバラバラだったけど、何年か前からは、木曜の『ルック ルック こんにちは』生出演が終わったその足で、ロケに出かけるというスケジュールが定着していた。
スタッフは、ディレクター、カメラマン、音声、照明兼ドライバーって四人と、もちろん、このヨネスケ。
で、みんなが集まったら、まず飛び出すのは、こんな話。
(ディ)「あ、師匠、おはようございます!」
有名だから、もうみんな知ってると思うけど、放送の世界では、朝でも昼でも夜でも、挨拶は、「おはようございます」って決まってる。
(ヨ) 「おはようございます。今日もひとつ、よろしくお願い致します。で、今日はどこへ行きましょうか?」
(ディ)「師匠、ご希望ありますか?」
(ヨ) 「いや、今日は別に用事もないんで、どこでもいいです」
(ディ)「じゃあ、カメラさんが免許の書き替えなんで、とりあえず府中(運転免許試験場)へ行って、その後、どこか近くで取材することにしましょう」
(ヨ) 「それじゃあ少し足をのばして秋川渓谷でも行きますか。あそこはニジマスがおいしいんですよ」
(ディ)「そうですね、旬のものでも味わいましょう」
ってな感じで、ロケ場所は、いい加減に決まる。
『隣の晩ごはん』のスタッフ一同は、アポなしどころか、行き当たりばったりが身上なの。
関東一円のロケなら、日帰りできるので、取材当日、行き先を決めてしまう。
地方へ行くときでも、飛行機や列車の切符とホテルだけを手配して、そこから先、○○市へ行ってみよう、あるいは、××村へ行くといった細かい場所設定は、やはりロケ当日の気分次第で決めている。
で、現地に入ると、クリーニング屋さんとか酒屋さんを探すわけ。
こういったお店の人たちは、御用聞きに回っているから、いろんな家庭の家族一人一人をよく知っているでしょ。だから、気さくな奥さんが多いのは、だいたいどの地区なのかなんて情報を、ちらっと仕入れたりするの。
『隣の晩ごはん』一行も、さすがにその程度の情報収集はやっているよ。そうでもしなきゃ、ずうっと撮影を断られ続けて、晩ごはんどきを逃してしまうことにもなりかねないもん。
それでなくても、オレたち、晩ごはんどきの六時から七時という短い時間の間に、あちらこちら飛び回ったりしなきゃいけないのよ。たとえば、一軒めに入ったお宅が、晩ごはんまで、まだかなり時間があって、支度をまったくなにもしていなかったら、とりあえず、材料の紹介とインタビューだけ先に撮って、次のお宅へ行き、最後に、また一軒めに戻り、完成したおかずを撮影させてもらうとかね。
だけど、クリーニング屋さんや酒屋さんに行ったら、現地の下見はおしまい。あとは、どこか少し離れた場所で、本番を待ってるだけ。だって、『隣の晩ごはん』が来てるって、ウワサになったりしたら、みんな警戒して、突撃がやりにくくなっちゃうもん。
ほんと、風まかせもいいとこだよね。
だから、オレも、
「今日はおふくろの命日で、墓参りしなきゃならないから、とりあえず千葉の姉崎《あねさき》へ行ってください」
「あ、今日は、歌丸師匠の家へお願いします!」
なんて、言いたい放題できるんだけどね。
じつは、『隣の晩ごはん』の一行は、年に二回、オレの兄弟子・歌丸師匠の、横浜・関内にあるお宅を訪問してから、横浜あたりでロケをするのが恒例となっている。というか、オレの希望で、そうすることになってるの。
なぜかって言うと、オレ、礼儀正しい人間だから、歌丸師匠にお中元・お歳暮をちゃんと届けているんだけど、師匠のお宅はオレの家からは、あまりにも遠すぎるのよ。
え、オレって、セコい? ……ほっといてよ! 行き当たりばったりには、それなりの理由がある。
でも、それを話す前に、みなさんにお願い!
歌丸師匠のお中元のことは、絶対に内緒にしておいてね。
師匠にバレたら、オレ、巨大な雷、落とされちゃう!
で、行き当たりばったりでいいと言うわけは、オレが突撃の瞬間に全神経を集中しているから。オレにとって重要なのは場所じゃない。そこに生活している人とふれあう瞬間が命なの。
だから突撃の三十分前は、緊張で体の震えが止まらなくなったことが何度かある。
知らない人と出会う不安や怖れだけじゃなく、心が通じあう喜びや感動も複雑に入り混じって、頭が爆発しそうになっちゃうんだ。
十六年間、一度たりともこの緊張に慣れることはなかったな。正直言って、逃げ出したくなることもたくさんあった。
だから、オレは、毎回まっさらな気持ちで、突撃にのぞむことができたんだよね。
ホント、行き当たりばったりは大切だね。
てなわけで、オレは、七月と十二月、関内の駅で買った文明堂のカステラを持って、いそいそと歌丸師匠の家に通い続けていたわけよ。
第三章 家族めぐり
炸裂! 老人パワー
お年寄りは、さすが、物も豊かでない大変な時代を生き抜いてきただけあって、たくましくて元気だね。
二四〇四軒ものお宅を見てきたオレが言うんだから間違いはない。お年寄りは偉大です!
オレ、昔から、付き合いは狭くない方だけど、そう言ったって、たかが知れてる。
だけど、『隣の晩ごはん』をやるようになってからは、本当なら一生かかっても会えないようなたくさんの人と出会って、感動したり、冗談言って笑ったり、楽しいひとときを過ごしてきた。
なかでも、お年寄りと一緒にいるときは、ものすごく楽しかったな。忘れられない思い出が、全国にいっぱいある。
八王子にも、すんごいグレートなお年寄り夫婦がいた。
ユーミン言うところの『中央フリーウェイ』で、都心から一直線。
八王子までの道中は、昨夜の雪も溶け、快適なドライブだった。
オレ、車の暖房が心地好くて、うつらうつらしていたの。
ところが、目的地で起こされたとたん、顔色が変わったね。
「なに!? 雪、残ってんの!!」
同じ東京とはいえ、八王子は、高尾山のすぐ近くだから、都心とは違って、かなり気温が低いみたい。
それでも、雪の深さは、十センチあるかどうかなんだけど、オレは、極端な寒がりだから、相当のダメージになるんだよね。
かといって、いくらなんでも、今から現場を変えるわけにはいかない。
しかたがないから、予備に持っていたタイツを二枚重ねて穿いて、簡易カイロを張りつけたうえ、ありったけの防寒具を身にまとい、突撃を開始した。
(ヨ) 「こんばんは!」
門灯が消えた、薄暗い玄関のドアノブを回すと、ありがたいことに、すっと扉が開いた。東京のベッドタウンと言われる八王子も、まだまだのんびりした土地柄のようだ。
応対に出てきたのは、八十は越えている、少しボーッとした感じの、丸顔のおじいちゃん。
(ヨ) 「ルック ルック こんにちは」
(老父)「え?」
(ヨ) 「突撃! 隣の晩ごはん」
(老父)「え?」
(ヨ) 「突撃! 隣の晩ごはん」
(老父)「……え?」
(ヨ) 「晩ごはん、見にきたの!」
おじいちゃんは、どうも状況がよく飲み込めていないようで、いっこうに要領を得ない。すると、奥から、
「あるよ!」
という、威勢のいい声が飛んできた
(ヨ) 「ある? ある!?」
あるってなんだ!? 晩ごはん見せてで、「あるよ」じゃ、なんか、会話がずれている。
(ヨ) 「……あ、そう! じゃ、お邪魔しますよ」
オレ、相手がなにを言っているのか、よくわかってないくせに、靴を脱いで、とっとと玄関に上がり込む。
冷てえっ! 冬の玄関は、とてつもなく冷え込んでいる。
いくら便利な世の中になったとはいえ、玄関や廊下にまでエアコンを入れている家は、そうそうどこにもあるもんじゃない。東京だって、決して例外とは言えない。
靴下で廊下を歩くと、爪先が氷のようになっちゃうよ〜! これって、みんなわかるでしょ。だから、オレ、冬は一目散に、あったかい居間へと行くのがお約束となっている。
居間では、さっき威勢のいい声を出したおばあちゃんが、どてらを着た丸い背中をさらに丸め、こたつで暖をとっていた。
古い家だから、隙間から冷気が入り、部屋はかなり冷え込んでいる。
このお宅は、どうやらお年寄りが二人きりで暮らしているようで、贅沢を嫌って、部屋にも、エアコンなんか取り付けてはいなかった。
(ヨ) 「おばあちゃん、こんばんは」
(老母)「誰だい、アンタは?」
(ヨ) 「晩ごはん、見せてよ」
(老母)「いきなり上がり込んで、なに言ってんだ! 年寄りをバカにして!!」
(ヨ) 「いや、べつに……」
突然怒られたもんで、オレ、あわてて正座をしてかしこまった。
(ヨ) 「じつは、『隣の晩ごはん』という番組で……」
(老母)「ハンコはあるんだよ!」
(ヨ) 「えっ!? ……違う違う! ハンコじゃないよ、晩ごはん」
(老母)「なんだっていっしょだよ! ウチは間に合ってるよ!」
(ヨ) 「違うんだって!『隣の晩ごはん』」
(老母)「隣は、ハンコ屋じゃないよ」
(ヨ) 「そうじゃなくて、テレビなの!」
(老母)「テレビもあるよ!」
(ヨ) 「違うの。テレビの撮影にやって来たの! 『ルック ルック こんにちは』、『突撃! 隣の晩ごはん』」
(老母)「知らないよ!」
(ヨ) 「あ、おばあちゃん、この番組見たことない!?」
(老母)「いきなりテレビが来るの!?」
(ヨ) 「そう!」
(老母)「びっくりしちゃうよ! ありゃりゃりゃりゃ!」
(ヨ) 「じゃあ、おばあちゃん、オレのことなんだと思ってた?」
(老母)「アンタ、怖い顔してるから、ハンコの押し売りにきたと思ったよ!」
オレ、また押し売りと間違われちゃった。さっき、おばあちゃんが「あるよ!」って言ったのは、「間に合ってるよ!」という意味だったの。
こんなことは、オレにしてみれば、日常茶飯の出来事よ。
おばあちゃんたちは、ちょうど晩ごはんが終わったところのようで、こたつの上には、おかずの入ったお皿やタッパーが、いくつか置いたままだった。
お年寄りの二人暮らしだから、大皿なんて一つもなくて、小さな和風のお皿に、少しずつおかずがのっている。
一月の上旬ということもあり、おかずは、数の子、酢ダコ、伊達巻きなど、お節《せち》の残りが中心だ。
だけど、ほとんどが、出来合いのものじゃなく、ちゃんとおばあちゃんの手がかけられたものだよ!
酢ダコをいただいてみると、だしと酢に一度火を通してから、タコを漬けてあるようで、つんとしたいやな酸っぱさは、まったく感じられなかった。
そして、珍しかったのは、沢蟹の煮付け。足の長さまで入れても五センチ足らずの小さな蟹を、砂糖と醤油でじっくり煮込み、殻ごと食べてしまうという代物だ。
オレも試食させてもらったところ、だしの味は、あっさりしていておいしかったけれど、蟹自体は、殻ばっかりでほとんど身がなく、バリバリかみ砕くのが大変なだけだった。
おまけに、殻の一つが、歯の間に挟まって、なかなか取れないもんだから、どうにも気になってしかたがない。やっと、なにかの拍子に取れたときには、思わぬ快感を味わったね!
そして、おじいちゃんが、
「こりゃ、うめえんだ!」
と言ったのは、おばあちゃんお手製のたくあん漬け。
沢蟹といい、たくあんといい、このご夫婦、お年のわりに歯が丈夫なようだ。
(ヨ) 「おばあちゃん、年はいくつ?」
(老母)「八十一」
(ヨ) 「おじいちゃんは?」
(老父)「八十四」
最初、なにがなんだかわからずに、ぽかんとしていたおじいちゃんも、オレが悪いやつじゃないことがわかって、ずいぶん打ち解けて話すようになってきた。
「大晦日から元日まで、二升の酒浴びた!」
なんてことまで言っている。
お年寄りが、進んで年を答えるのは、その年に見えないだろう! 元気だろう! と、自慢に思っているからだ。
おまけに、男というものは単純だから、むちゃなことをして、長生きしたのが、勲章だとも思っている。
そして、この日三発めの驚きは、おじいちゃんが、伝統芸能を持ちネタとしていることだった。
(老父)「正月の余興でやったんだ」
なんて言いながら、黒い紙袋を持ってきたおじいちゃん。それで、なにをするのかと思ったら、
(老父)「自分で作ったの!」
って、頭にすっぽり被ってしまった。オレには、ただの紙袋にしか見えなかったけど、どうやら烏帽子に見立てているようだった。
で、それは、いきなり始まったの。
(老父)「ははーはーはー、笑って迎えるお正月、笑う門には福来ると申そや万歳《まんざい》! パンパン!(この合いの手は、おじいちゃんが手で太ももをたたいた音)はぁ、そこらにおります坊ちゃまや、ほらお嬢ちゃまや子守の衆……」
おじいちゃんの流れるような名調子は続く。
さっきまで、失礼だけど、間の抜けたようなボーッとした話し方だったのに、今はまったく違っていて、まるで別人を見ているようだ。
(老父)「……はあ、ひいや、ふうや、みいよっつ、よっつ世の中よいよい!」
これは、長くかかりそうだ。
『隣の晩ごはん』の取材は、一時間がタイムリミット。季節や地域によって多少違いはあるけれど、だいたい六時から七時ぐらいの間に、三、四軒のご家庭を回らないと、すっかり後片付けが済んでしまい、おいしそうな晩ごはんの画が撮れない。
ここで、オレが止めないと、一体どうなってしまうのか!?
だけど、おじいちゃんは、興がのってきて、とっても気持ちよさそうだ。
『このまま付き合うべきか、次へと向かうべきか』……オレは、まるでハムレットのような心境になってきた。
(老父)「……はは、めでたいではないかいな!」
パチパチパチ。切りのいいところで拍手してみたけど、おじいちゃんはまだ語り続けている。
しょうがないから、オレ、
(ヨ) 「おじいちゃん、珍しいね! 三河万歳、しっかり見せてもらったよ!」
って、強引に割って入った。
(ヨ) 「おじいちゃん、この万歳、どこで覚えたの?」
(老父)「自分で、子供の頃、門付《かどづ》け来たもんで……」
語りをやめてしまうと、とたんに元のおじいちゃんに戻るところがご愛嬌。
おじいちゃんの言葉を翻訳すると、「子供の頃、お正月になると、三河万歳の門付けが来て、それを聞いて、自然に覚えた」ということになる。
それにしても、すごいよ! 子供の頃楽しかったことは、いくつになっても忘れないもんなんだね。おじいちゃんの時代は、テレビもゲームもなくて、楽しみといってもそんなになかったから、よけい鮮明に覚えているんだろうね。
(ヨ) 「おじいちゃん、今の楽しみは何?」
(老父)「こういう風に、陽気に暮らすことだ」
(ヨ) 「元気で、長生きしてくださいよ!」
こうなると、オレも、寒かったことなんかすっかり忘れてしまっている。
いいお年寄りに会えたおかげで、調子はまさに鰻登りで、二軒め、三軒めの突撃にもすんなり成功して、意気揚々と引き揚げた。
でも、最後だけが、ちょっと誤算だったね。
暖かい車に乗っていると、足の小指がだんだんかゆくなってきて、しまいには、靴も履いていられないほどの大騒ぎ。雪の中を歩くなんぞ、めったにしなくなっていたから、霜焼けができちゃった。
でも、おかげで、それから長い間、オレは、足がかゆくなるたびに、八王子の出来事を鮮明に思い出すことができたわけ。
父と娘の微妙な関係
ロケ現場では、入り込んでいるからわからないけど、スタジオで、改めてVTRを見ると、そこでは、すでに視聴者と同じ目線に立っているから、わかってくることがあるよね。
まあ、たいていは、ヤバいことなんで、見て見ないふりをしているけど、それでも気づかないわけにはいかないことがいくつかある。たとえば、オレ、冬は、歩きながら、知らず知らずのうちに「寒い」って言葉を連発している。
それに、漁師町にロケに行く回数も多いよね。
漁師さんは、毎日朝早くから漁に出るため、晩ごはんも、午後五時から五時半と、早めの時間に食べている。夜、早く寝なくちゃいけないからね。
だけど、夏も冬も晩ごはんの時間は変わらないから、早めに食べるということさえ知っていれば、突撃はやりやすい。
一方、農家さんは、冬は作業があまりないから、やっぱり五時半前後と、早めに晩ごはんを食べている。
だけど夏は、その日やっておかなきゃいけない作業が終わるまで、晩ごはんも食べられないから、どうしても、食事時間は遅くなるし、日によってバラつきがある。だから、突撃のタイミングを計算するのが、ちょっとむずかしくなっちゃうよね。
それに、オレ、生まれが千葉の姉崎なもんだから、つい、漁師町に足を向ける回数が多くなるというわけ。あの、磯のかおりがプンとすると、懐かしさがこみ上げてくるしね。
だって、オレ、魚大好きなんだもん!
てなわけで、去年の六月、オレがいそいそと出かけていったのも、福島県のいわき市にある漁港の町・小名浜。暖流の魚も、寒流の魚も、両方たくさん揚がるということで、新鮮な魚介類を売る大きな観光センターまでできている。これはもう、たまらないね!
梅雨時だというのに、空は快晴。気分はウキウキ。
ただ、もう夕方なのに、全然暗くならなくて、しゃもじを持って、住宅街をウロウロしてたら、今なお根強い人気のルーズソックスを穿いた女子高生に笑われちゃった。
おじさんは、一生懸命お仕事をしているの。そんな、小バカにしたような目で見ないでよ!
女子高生といえば、ウチの末娘が同じ年頃。
オレの子供は、男二人に女一人なんだけど、息子たちは、男同士ということで、そんなにしゃべることはなくても、なんとなく理解しあえるし、放っておいてもそれほど心配しなくてすむ。
だけど、娘は別だね。いちばん下ということもあって、やっぱりかわいくてしょうがない。正直に言えば、嫁にやりたくないなんて思ってる。
ところが、この子といるときが、なんだかいちばんぎこちなかったりするんだよね。今は、ちょうど思春期のせいもあって、ものすごくよそよそしい。
だから、オレの方が、腫れ物にさわるみたいに娘に接したりしてるもん。
オレ、真剣に思うよ。「娘だけには、絶対に嫌われたくない!」
そんなわけで、似た年頃の女の子から、娘と同じような態度を取られると、オレ、ものすごく痛いんだよね。
おまけに、この日突撃したお宅でも、そのショックがさらに倍増するような出来事があったのだ!
ロケのすべりだしは、かなり順調だったのよ。
オレを迎えてくれたのは、
「あら! アハハハハッ!」
って、笑い声が、すご〜く豪快なおかあさん。
そして、モデルで女優のりょうさんにちょっと似た、茶髪の美人も出てきたんだけど、オレの顔を見たら、すぐにどこかへ逃げ込んじゃった。
構わず、オレは、居間へと突進!
すると、そこに、一度見たら、絶対に忘れられないおやじさんがいたの。
頭は、はやりの?スキンヘッド。顔は、まるで柳家金語楼師匠。体は、ちょっとした相撲取り並みという、ものすごい存在感で、あぐらをかいて座ってた。
おまけに、身につけているものといえば、緑と白の縦縞が入ったパンツ一丁だけ。それも、太鼓腹に隠れてほとんど見えなくなっている。
はっきり言えば、タコ入道か、『ゴースト・バスターズ』に出てきた、マシュマロのオバケみたい。
そんなお方が、ビールの二リットル缶をかたわらに置いて、焼き肉を食べていた。もう、かなりいい心持ちのようで、首から胸にかけてが薄桃色に染まっている。
これほど、キャラクターの濃いおやじさんも珍しいから、オレ、うれしくなってきちゃった。
“いいおとうさん”ばやりの、現代日本で、こんなおやじさんが堂々と生きているなんて、オレみたいな昔気質の人間にとっちゃ、本当に心強いよね。
おやじさんたちが晩ごはんを食べている居間は、十二畳くらいはあるでっかい和室で、その真ん中に、長方形の座卓が据えてある。
そして、おやじさんは、座卓の広い方の縁に座っていたんだけど、体が大きいから、それでもなんだか狭苦しそうに見える。
座卓の上は、油が飛んでもいいように、一面に新聞紙が敷いてあり、その上に、ホットプレートが置かれていて、焼き肉の材料がジュウジュウと焼けていた。
ホットプレートの周りには、白いパックにのったままの牛肉や、野菜の山盛りになったお皿が何枚も、所狭しと並んでいる。
(ヨ) 「キャベツ、ピーマン、カボチャ、オクラ、エビ。あとは、焼きそばの準備もしてあって……」
って、オレは、焼き肉の材料を説明し始めた。
そして、
(ヨ) 「この肉は、ロース?」
って、おやじさんに聞いたら、
(親父)「なんだかわからない。肉だ」
なんて、おおざっぱなことを言っている。
(ヨ) 「おとうさんは、漁師さんじゃないの?」
(親父)「陸船頭《おかせんどう》だ」
(ヨ) 「陸船頭って、いいセリフだね。運転手さんなの?」
おやじさん、太い首でうなずいた。
トラックの運転手を陸船頭なんて言う人も珍しいよね。
おやじさんの答え方はぶっきらぼうだけど、顔は、目が見えなくなるほどニコニコしていて、決して無愛想な感じではない。
今日は、埼玉までひとっ走りして、充実した一日だったみたい。
でも、家に上がったとき会った、気になる美人、あれは誰?
ふと、素朴な疑問がわいてきたから、オレ、隣にいた、五十過ぎには見えないふくよかなおかあさんに、家族関係を聞いてみた。
すると、
(母) 「ウチは、娘が三人だけど、なぜかいちばん下だけが先に嫁いじゃって、今は、上の娘二人と四人暮らし」
なんて言っている。ただし、二番めの娘さんは、「今日は飲み会に行って不在」ってことだった。
これで、さっきの美人は、この家の長女だってことはわかったぞ。
そこで、
(ヨ) 「今逃げた娘、ちょっと呼んできてよ」
って、ふくよかなおかあさんに頼んだら、やっぱり美人の、その娘さんが、テレ笑いを浮かべながら、ようやく姿を現した。
でも、オレが、ぶしつけかと思いつつ、年を聞いたら、
(娘) 「もう、いい年」
なんて、ごまかしている。
すると、おやじさんが、でっかい声で、
(親父)「二十四!」
って、でたらめな年齢を言ってフォローした。
それなのに、娘さんには、
(娘) 「ウソだ!」
なんて、すげなく否定されちゃうんだよね。
このおやじの存在感をもってしても、娘にはかなわないってことなのかね。
だけど、オレ、娘という立場にある人のことは、なんでも知りたいものだから、
(ヨ) 「ということは、もうちょっと上だな」
って、さらに年を追及する。
そしたら、おやじさん、今度は、
(親父)「まあ、一杯」
って、オレに、ビールのなみなみ入ったグラスを差し出して、話をそらしにかかった。
そこで、オレは、戦略を変え、今度はおかあさんを攻めてみる。
(ヨ) 「二番めの子はいくつ?」
(母) 「三十一」
(ヨ) 「ちょっと待って、それじゃあ、いちばん上は……」
すると、また、おやじさんが、
(親父)「二十四歳だって言ってるのに」
って、横槍を入れた。
この娘さん、本当は、三十四歳になるんだよね。
おやじさん、冗談ぽく混ぜ返していたけど、娘のことを密《ひそ》かに気にしているんだろうね。
それも、娘がまだ結婚していないということを気にしているんじゃなくて、そのことに対して、娘が引け目を感じたりしないようにって、気を遣っている感じ。
このおやじさん、娘が結婚しないで家にいるからうれしいのかな?
それとも、結婚しないことを心配しているのかな?
でも、娘が全員結婚したら、おやじさん、おかあさんと二人きりになっちゃう可能性もあるよね。
だから、この娘さんに聞いてみた。
(ヨ) 「でも、『やっぱり、私が家を継がなきゃ』っていう気持ちはあるんでしょ?」
すると、娘さん、こっくりとうなずいた。
(ヨ) 「うれしいね、おとうさん!」
(親父)「なんだかわからねぇ、そんなこと!」
暑いんだか、テレてるんだかわからないけど、おやじさん、バスタオルで、体の汗をふきながら答えた。
だけど、娘さんに、
(ヨ) 「いつも、おとうさんは、晩酌しながら、いろいろしゃべってくれる?」
って、聞いたら、
(娘) 「あんまりしゃべらない」
って。
男親と娘って難しいね。オレも、ずっと、娘とこんな感じで付き合っていかなきゃならないんだろうな。
微妙なこと、いろいろ考えなきゃならないから、頭痛くなりそうだね。オレ、そんなことができるくらいなら、もっとマシな人間になっていたよ。
(親父)「いやー、やっぱり、女としゃべるっていうのはね……、息子とならしゃべるけど」
(ヨ) 「おとうさんの息子さん?」
(親父)「だから、あっちの、娘が嫁に行ったところの息子とはしゃべるね。酒、飲むからよ」
やっぱり、オレも、酒の飲める男に娘をやって、飲みながら、娘についていろいろ教えてもらう道を選んだ方がいいのかね。
男が先! 女は二の膳
男だけが先にごはんを食べるという、いま時信じられない習慣のある家があった。
茨城の中でも、いちばん北、福島県との県境にある平潟漁港は、カツオ、タイなんて、とってもおいしい魚のとれる、うらやましいかぎりの漁師町。
オレ、勇んで突撃したら、なかの一軒がそうだった。
そのお宅は、トロールをやっている漁師さんの一家で、平潟でもいちばん裕福だと言われている。もちろん、家も、ものすごくでかい。いい木を使った、純和風の二階建てなんだけど、普通の家にしたら、二軒分か三軒分の広さはあるんじゃないのかな。
そのうえ、家の正面が、全部透明なガラスの引き戸になっているから、中が全部、丸見えだ。
台所に回って中をのぞくと、ちょうど晩ごはんの最中だった。
台所は、右手が調理場になっていて、突き当たりの壁は、皿がぎゅうぎゅうに詰め込まれた食器棚が据えてある。そして、左手の壁は、でかいツードア冷蔵庫の横が、すべて棚になっていて、ガラスコップなどの食器類、インスタント味噌汁などの乾物類、ティッシュペーパーの箱といった雑多なものが、所狭しと置かれている。
台所の中央にある、白いテーブルは、四人が楽に座れる広さだけれど、炊飯ジャーが二台もデーンと置いてあるし、湯沸かしポットや湯飲みといったお茶のセットもかなりの場所を占めている。
そんなテーブルに残された、かなり狭いスペースで、男たちは晩ごはんを食べていた。メンバーは、四人。
「タイミングよく来たもんだねぇ」
なんて言いながら迎えてくれたおじいちゃんとおとうさん、それに小学三、四年の男の子二人という顔ぶれだ。
一方、おばあちゃん、おかあさん、そして、小学一年の女の子は、男連中のすぐ後ろで、立ったまま、その様子を見守っている。
小一の娘さんは、上三人が息子だったから、両親が産み分けの本を見て、頑張って作った、かわいい末っ子。だけど、それでも、男連中といっしょには、ごはんを食べさせてもらえない。
おばあちゃんが、
「女は後から。二の膳なの」
って、ぴしっと言っていたもんね。まだ小さな子供なのに。
おまけに、この日のメニューは、小さな娘さんが見ているとよけいつらいんじゃないのと思うほど、すごく豪華なものだった。
まず、カツオの刺身にミョウガの千切りを添えたものが、テーブルの真ん中にデーンと鎮座ましましている。
その横にあるのは、同じくカツオなんだけど、大きな切り身を煮付けにしたもの。それが、ホウロウのボウルにい〜っぱい入っていた。
他には、イカの刺身、イカの煮付け、カツオとナスの味噌汁などなど。
もちろん、魚はみんな、その日とれたばっかりの新鮮なやつよ!
なかでも、圧巻だったのは、アワビとウニを入れて炊いた、豪華この上ない炊き込みごはん。
炊飯器を開けると、アワビのでっかい切り身やキモが、ゴロゴロと入っている。ウニだって、丸ごと入っているんだもんねぇ。
そんな、すごいごちそうを、男たちは、ゆったり、おいしそうに食べている。
一方、女の人たちは、動きもせず、ただじっと、それを後ろから見つめている。おかあさんは、たまに動くけど、それはごはんのお替わりなど、お給仕をするためだ。
これだけたくさんの料理があれば、男連中が腹一杯食べても、すっかりなくなってしまうことはない。
でも、だんだんお皿の上の食べ物が少なくなっていくのを見ているだけだと、自分の食べる分もなくなってしまったらどうしようなんて、心配になったりしないのかな?
このご家族に言わせると、「今日は、いっぱいもらい物があったから、こんなごちそうになっただけ。七月八月なんてこの時期は、トロールが休みだから、そんなにたいしたものは食べてない」ってことだった。
だったら、なおさら、女の人たちはつらいよね。本当に、食べるものがなくなったりして……。
でも、おじいちゃんの格好を見ると、たいしたものは食べてないなんて話は、とうてい信じられないね。
おじいちゃんが着ているのは、ただのランニングシャツだけど、首には太い金の鎖が光っている。指にも、(きっとダイヤモンドだと思われる)でっかい石の埋め込まれた金の指輪をしているし、腕時計も金ぴかの金!
儲かってしょうがないんじゃないの!? 本当は、いつもこんなごちそうを食べていたりするんじゃない?
それに、女の人たちをちゃんと食べさせることができなければ、こんな男尊女卑みたいなことをしてたら、きっとみんな逃げていってしまうよね。
このおじいちゃん、六十六歳になるんだけど、さすが、現役の漁師さんだけあって、ものすごく若い。髪は真っ黒だし、腕だって太いんだ!
おまけに、頼もしげな息子が後を継いでくれるから、ますます家は栄えそう。
孫だって、男の子が三人もいるわけだしね。
中二の長男は、もう晩ごはんを食べ終わって、奥の居間で、のんびりと寛いでいた。大切な跡継ぎだから、長男だけは、先に一人でごはんを食べることができたりして……。
まさか、そこまで、タテ社会は徹底していないよね。
だけど、男たちも、ただ食べっぱなしというわけじゃないよ!
大人も子供もみんな、食べ終わったら、それぞれ自分の食器を流しにちゃんと下げている。それは、食事をした人間の礼儀として、きちんとやる決まりになっているんだって。
あの金ぴかおじいちゃんも、殊勝な顔をして、
「ごちそうさまでした」
って言って、流しに食器を下げてたもんね。
オレは古臭い人間なのかもしれないけど、家族がそれぞれ自分の役割をきちんと果たしている姿はいいものだって思ったな。
だけど、これを自分の家でやれって言われたら、恐ろしくて、とてもじゃないけどできないね!
日本の母、健在
柳川は、福岡県の中でも、ずうっと南の方にあって、北九州市や福岡市とは、全然雰囲気が違うところ。昔ながらの城下町で、江戸時代っぽい建物や、明治の洋館なんかが、今でもちゃんと残っている。
そして、そんな町中を掘り割が縦横に走っているんだな。水際には柳が植えてあって、船頭さんが竿で操る小船に乗ると、顔に当たる風が気持ちいいんだ!
ウナギのセイロめしがおいしいところだと聞いて、ワクワクしながら、突撃を開始した。
だけど、ドアを開けて、「こんばんは」って言った瞬間、何事が起こったのかと思ったね。
どどどどどって、地響きみたいな足音と共に、小さい子供がうじゃうじゃと現れたのよ! しかも、真っ裸でちんちんもろ出しの子供まで二人ほどいる。
何人いるのか数えようと思ったら、またみんなで、どどどどどって、奥の方に引っ込んじゃった。
オレ、あっけにとられたけど、子供に負けてはいられないと、居間に上がって、三十一歳のおかあさんにインタビューを試みた。髪をボブヘアーにしていて丸顔だから、若く見えるし、なんとも言えずカワイイの。
でも、インタビューはさんざんよ。
まず、晩ごはんは、ほとんど何もできていなくて、こたつの上に、でっかい丼に入ったレンコンの煮物があるだけ。ま、それはよしとしよう。この番組じゃ、よくある出来事だ。
だけど、そのうえ、おかあさんに話を聞いてる間中、子供たちが、オレのしゃもじを取り上げて、ワーワーキャーキャー言いながら、頭をバシッバシッて、ひっぱたくのには参ったな。
攻撃を防御しながらのインタビューだから、子供は、七歳の女の子を頭に五人いて、おとうさんは仕事でまだ帰っていないということを聞き出すのに、どれだけ時間かかったか!
オレ、もうこれだけでヘトヘトに疲れちゃって、このお宅は早めに切り上げて、次へ行こうなんて考えていたんだけど、おかあさんは、子供たちがまとわりついてくるのをうまくあやしながら、晩ごはんの支度を始めたの。つまり、オレも、食事ができるのを待たなきゃいけなくなったわけだ。
しかたがないから、放心状態で、おかあさんの行動を見ていたら、知らないうちに、その手際の素早さに見とれちゃったね。
さっき、子供たちが裸でいたのは、順番にお風呂に入っていたからで、そのとき脱ぎ捨てた洋服や下着が、家中に散らばっている。それを、台所で料理をしつつ、手の空くわずかなスキに拾い集めて、風呂場の脱衣所に持って行き、洗濯機に放り込む。
家は、もちろん、大きなお屋敷じゃなく、少し狭い感じだったけど、これだけ動き回っていれば、歩く量だけでもかなりある。
おまけに、洗濯機だって、全自動じゃないよ。こういう大家族の場合は、水道代やなんかを節約するため、あえて二槽式のやつを使っている。
だから、脱水槽から洗濯物を取り出したり、洗濯槽から脱水槽に洗濯物を移し替えたり、手間が何倍にも増えるわけ。
で、その洗濯機を回しながら、近くの土手で取ってきたという青菜のおひたしをはじめ、できた料理を、大皿に山盛りにして、どんどん居間のこたつに並べていく。
すると、今度は、洗濯が次々とできあがるから、それを干していかなきゃならない。
毎日洗濯機を回していても、これだけの人数がいたら、一回の洗濯の量は、相当なもので、それを干すとなると、家中洗濯物だらけになってしまう。もちろん、干す手間だって、半端なものじゃない。
そして、その間にも、小さい子が、うまく着替えができなくて寄ってくるから、それを手伝ってやらなきゃいけないし、兄弟喧嘩が始まって、ワンワン泣き出した子はあやさなきゃいけないし……。
オレ、見ていただけなのに、終いには、目が回っちゃったよ!
あのホンワカしたおかあさんの、どこにそんなパワーがあるんだろう?
これじゃ、父親は、母親にはとうていかなわないって言われても、一言も反論できないね。
オレ、大変な目にもあったけど、このご家族には、もう一度会ってみたかった。
だから、番組の最終回スペシャルで取り上げようと、また取材に出かけたの。オレは千葉でロケをしていて、いっしょに行けなかったから、スタッフが、アポをとってお邪魔したんだけどね。
で、カメラが家に入っていくと、そこは前とは別世界。近所の人を呼んでパーティを開いてるとか言って、ちらし寿司とか鍋とか肉の唐揚げなんて、ごちそうがいっぱい並んでた。ね、アポを取るとこうなるんだって。
だけど、あれからもう十三年。このご家族の姿を見て、本当に年を感じたねぇ。
まず驚いたのは、当時五人だった子供が、二人増えて、七人になっていたこと。
そして、あのとき七歳だったいちばん上のおねえちゃんは、二十歳のきれいな娘さんになって、ちゃんとおとなしく座っていた。
ただ、あのときオレをしゃもじでたたいた弟たちが、進学で家を出て、その場にいなかったのは、残念だったな。写真を見ると、いまどきの小じゃれた若者になっていて、いれば、いろいろと話が聞けたはずなのにね。
おねえちゃんも、
「今じゃ、(兄弟が)バラバラになっているけど、あの頃はみんないっしょだったから、すごく懐かしい」
って言っていた。
あの偉大なるおかあさんも、こう言ってたよ!
「あのときは、男の子たちが裸でテレビに映っちゃったから、ご近所さんから、裸、裸って言われて、ずいぶん恥ずかしい思いをしたけど、晩ごはんを、家族みんなで囲んで食べたおかげで、子供たちは、のびのびすくすく育ってます」
バツイチ人生
『隣の晩ごはん』は、ただ晩ごはんを探してウロウロしているだけじゃないよ! 美人妻だって紹介しちゃうんだよ!!
なに? それは、おまえの個人的趣味だろうって?
違うよ! オレは、あくまでも視聴者のみなさまのためを思って、百回くらい「『美人妻特集』をやろう!」って叫んだのよ。
てなわけで、美人妻を探しに行った先は、品川区の武蔵小山商店街。
そこにある酒屋さんに飛び込んで、どこかに美人妻がいないか尋ねてみた。酒屋さんは、御用聞きに回っているから、いろんな家の家族一人一人のことまでよ〜く知っている。
で、紹介してもらったのが、お御輿《みこし》が好きなチャキチャキの江戸っ子だという奥さん。
小さい一戸建ての玄関を開けると、長い髪をソバージュにした、ちょっとエキゾチックな顔立ちのご本人が現れた。
(ヨ) 「美人の奥さんって、聞いてきたのよ、酒屋さんから」
(奥) 「えーっ、そうなんですか!? アッハッハッハ! ありがとうございます」
でも、この後が、さあ大変!
(ヨ) 「ご主人、もう帰ってる?」
(奥) 「いや、ご主人いないんです。独身になっちゃったんで。ハハハ!」
美人“妻”の特集だっていうのに、えらいことになっちゃった!
だけど、オレ、バツイチの女性って、話を聞いてみたいから、奥さんが、「もう、晩ごはん、済んでしまったし、どこかほかを紹介します」って言っているのに、「今回は、晩ごはんを見るのとは主旨が違うから構いません」なんて、わけのわからないことを言って、さっさと家に上がり込んだ。
すると、台所は、流しとテーブルがある、どこの家でも見かけるような光景だったんだけど、流しとテーブルの隙間に残された、板張りのわずかなスペースには、なぜか布団が一組敷いてあった。
(ヨ) 「奥さん、ここで寝てたの?」
(奥) 「そう、寝てたの、あたし」
(ヨ) 「なんで?」
(奥) 「え、仕事のやり過ぎで」
(ヨ) 「なんの仕事しているの?」
(奥) 「生命保険です」
この奥さんには、まだ九ヵ月になったばかりの幼い子供がいる。家事や育児だけでも大変なのに、それで働きに出ているなんて、かなりハードな生活を送っているに違いない。
それに、これから、その子が大きくなってくると、学費だのなんだの、ものすごくお金がかかるでしょ。貯金もしなければならないから、仕事も片手間というわけにはいかないしね。
これじゃ、ちょっとでも時間があれば寝転びたくなるわな。
でも、なにも、台所で寝なくてもいいのにね。
ここは奥さんの実家なんだけど、家族は、戻ってくるなんて思っていなかったから、奥さんの部屋を、物置だとか、別のことに使っていたのかもしれないな。
この奥さん、年は二十八歳。去年結婚して、去年子供が生まれて、そして、去年中にもう別れてしまったんだって。
すごいスピードでいろんなことをやっちゃったんだね。去年はきっと、一生忘れられない年になったんだろうな。
これなら、実家の方でも、まさか戻ってくるとは思わないよね。実家に戻ってきたら、部屋もなくなってるし、出戻りは大変だなぁ。
(ヨ) 「離婚の原因は?」
(奥) 「原因は……、性格の不一致ということで、エヘヘヘヘ」
(ヨ) 「なにがいちばんがまんならなかった?」
(奥) 「ていうか、独身時代とはやっぱり違いますよね」
(ヨ) 「独身時代は、夢だもんね。男はやさしいし。そういうのが結婚して変わった?」
(奥) 「付き合ってるときから、若干、見えていたんですけどね」
このカップル、結婚する前には三、四年の交際期間があって、奥さんには、旦那のいやなところも見えていた。
だけど、少々のことはがまんして、つい結婚しちゃったらしい。
オレが言うのもなんだけど、現実はキビシイよ。
この奥さんのおかあさんは留守にしていたんだけど、オレが奥さんと話をしていたら、ちょうど帰ってきたもんで、早速インタビューを試みた。
(ヨ) 「おかあさんの旦那さんは?」
(母) 「いないの」
(ヨ) 「別れたの?」
(母) 「うん」
(ヨ) 「……親子だねぇ」
(母) 「そうなんですよねぇ」
(ヨ) 「じゃ、娘が別れるときも反対はしなかった?」
(母) 「しないしない」
(ヨ) 「気持ちはわかってるから?」
(母) 「うん」
ということで、ここのお宅は、おばあちゃん、おかあさん、そして、この奥さんと幼い娘さんという、女ばっかりの四人家族。
その、家族全員の生活を、奥さんが一手に引き受けている。
だから、なんとしても、稼がなきゃいけないわけよ。
(奥) 「子供がいるというのがわかると、たぶん、仕事で支障があるんですよね」
(ヨ) 「あ、会社のみなさんには、独身だって言ってるんだ」
(奥) 「いや、会社はいいんですけど、お客さんのところを回るときには、一応、独身ですって言ってます」
まあ、本当に、独身といえば独身だけど……。
でも、子供がいることがバレても、この奥さんなら、そんなことには関係なく、みんな魅力を感じるんじゃないのかな。お御輿《みこし》担ぐのが大好きだと言うだけあって、明るくてはつらつとしているもの。
(ヨ) 「でも、奥さん、家族背負ってるのに暗くないね」
(奥) 「それだけが取り柄ですから!」
イヤ〜! 困っちゃう!
オレが漁師町によく行くのは、魚だけが目当てというわけじゃない。いや、ほんと!
オレ自身が千葉の海辺で育ったから、やっぱりなんとなく居心地がいいんだよね。
威勢がよくて、竹を割ったような性格で、負けず嫌いで、ちょいとばかり見栄っ張り。そんな人たちといっしょにいると、ナイーブな?オレだって、ゆったりした気分になれちゃう感じ。
特に、千葉弁の聞ける場所に行くと、ほっとするね。
だから、『隣の晩ごはん』のロケも、東京の次に、どうしても千葉が多くなっちゃうの。
行徳へ行ったときも、元気なおばあちゃんが、
「あにしてんだよ、おいでんねえよ!(=なにしてるの、いけないよ!)」
なんて、カメラを恥ずかしがりながらも、暖かく迎えてくれて、オレ、うれしくなっちゃった。
でも、じつは、番組を放送してしばらくたった頃、そのご家族から、一通の手紙をもらったの。
『番組、いつも拝見しております。
あのときは、あわててしまって、至らないところばかりで申し訳ありませんでした。
おかげさまで、母も大変喜んでおり、思い出深い一日となりました。
じつは、あの放送の三ヵ月後、突然、その母が亡くなりました。
今は、ビデオを見て、元気だった頃の母の姿を懐かしんでおります』
パワーあふれる人たちが住む町にも、その裏にいろいろな事情があったりする。
静岡県の伊東市に突撃したときもそうだった。
伊東市の富戸《ふと》は、伊豆半島のつけ根近くにある温暖な漁師町。干物が名物になっていて、魚屋さんの店先やなんかには、いろんな魚が干してある。
日も暮れかかった頃、海岸から坂道を上り、住宅街に入っていくと、大きな家があちらこちらに建っていた。ハイカラな洋風建築や古風な和風建築と、そのスタイルはさまざま。
オレがお邪魔したお宅は、和風で二階建ての、とても広い家だった。
玄関の引き戸を開けると、
「はーい!」
って、ちょっとよそ行きの高い声を出して、階段の上からおかあさんが顔を出す。
だけど、オレを見るなり、
「ウソーッ! 私、食事の支度、まだなにもしていない! イヤー! 困っちゃう!」
って言いながら、ドンドンドンって足踏みした後、また奥へと引っ込んじゃった。
ずっと、「イヤー! 困っちゃう!」って言い続けているおかあさんに、なんとか下へ降りてもらい、台所に侵入した。
少し落ち着いて、おかあさんをよく見ると、ショートカットのあんみつ姫って感じで、クマのアップリケがついたピンクのエプロンをつけている。
「カメラがなくて、おかあさんの頭に血が上っていない状態で、普通におしゃべりしてみたら、きっとオチャメな人なんだろうな」なんて、ふと思ったりもした。
(ヨ) 「おかあさん、今帰ってきたって、どこへ行ってたのよ?」
(母) 「いや、仕事」
(ヨ) 「どんな仕事?」
(母) 「魚屋さんだけど、イヤー! 困っちゃう!」
台所は、木製の食器戸棚以外、システムキッチンも、冷蔵庫も、テーブルにかけてあるクロスも、全部白に統一されていて、とっても明るい感じがした。
そして、その白いテーブルの上には、ポットや食パン、カルピスなんかの他に、ラップをかけた魚の煮物が置いてある。
(ヨ) 「さすが魚屋さんだ、イワシの……」
(母) 「これ、イワシ。イヤダー! おばあちゃんのおかず」
イワシの煮物は、おばあちゃんの好物らしいけど、残念ながら、お昼の残りということだ。
そこで、オレは、本当に、晩ごはんのおかずはないのか探るため、コンロに置いてある鍋の蓋を次々と開けてみた。
相変わらず、おかあさんは、「イヤー! 困っちゃう!」って叫び続けていたけどね。
鍋はどれも、長年使い込んである古びたもので、その中の一つ、大きめのアルミ鍋をのぞいてみると、カレーが、底の方に、ほんのちょっぴり残っていた。白いホウロウ鍋には、具の残っていない味噌汁。もうひとつのアルミ鍋には、テーブルにあったのと同じイワシの煮物が入っている。
鍋の中身は、やっぱり全部昼ごはんの残りで、晩ごはんの支度は、本当になにもしていなかった。
オレ、先が思いやられたね。
このおかあさん、いつになったら、おとなしく晩ごはんを見せてくれるのやら……。
(ヨ) 「で、今日はなんにするのよ?」
(母) 「今帰ってきたばっかりだから、ちょっとタイム、タイム!」
(ヨ) 「タイムって言ってもダメよ。もう来ちゃったんだから! 今日はじゃあ、冷蔵庫のもので作るの?」
(母) 「うん。ウチは買い物はしないから。……ちょっと今タイムなの!」
って、言われたけど、オレは、さっさと、冷蔵庫から、でっかいパックのお刺身を取り出した。
もう、なんでもいいから、晩ごはんを紹介して、一刻も早く、おかあさんのとてつもないパワーから解放されたい気分だった。
(ヨ) 「ここにほら、お刺身、ちゃんとあるじゃない」
(母) 「ダメ! ダメ! ダメ! ハアハアハア……」
おかあさんは、あんまり叫び過ぎて、息まで切れてしまったようだ。
(ヨ) 「この刺身は昨日の?」
(母) 「そそ、そおそおそお!」
ようやく、おかあさんも、オレが冷蔵庫から出したものとは別に、晩ごはんの支度のため、材料を取り出し始めた。だけど、腕に抱え込んで、絶対見せてくれそうにない。
いつまでたってもラチがあかないから、オレは、おかあさんから強引に、材料を奪い取る。
(ヨ) 「今日はじゃあ、このインゲンを使って?」
(母) 「ちょっと、野菜炒めでもしようと思って」
なんて言ったもんで、おかあさんは、晩ごはんの方にやっと意識が集中しだしたのか、はっと、炊飯器に気がついた。
(ヨ) 「あ、今、炊飯器のスイッチを入れました!」
(母) 「ハハハハハ……!」
おかあさんは、もうどうにでもなれって感じで、ついに、台所に倒れ込んでしまった。
オレがお邪魔してから、ここまでおよそ十五分。
あれだけ叫び続けるパワーは、一体どこから出てくるのかね。聞いているオレの方がくたびれちゃったよ。
(ヨ) 「おばあちゃんに、もう晩ごはん食べさせるの?」
(母) 「いや、おばあちゃん、まだ、ずっとおりこうさんで待ってるんです」
(ヨ) 「おばあちゃん、おいくつ?」
(母) 「七十七になります」
(ヨ) 「いる?」
(母) 「いますけど、おしゃべりできないんです、脳梗塞で」
(ヨ) 「でも、僕らを見たらわかるでしょ」
(母) 「ああ、わかります」
(ヨ) 「じゃあ、いっしょに話をしよう」
(母) 「いやだちょっと、○★△×……!」
なんて、おかあさんは、またあわてたけど、結局、オレたちをおばあちゃんの部屋へ案内してくれた。
おばあちゃんは、オレたちが行くと、布団から起き上がって、こっちを見ている。
(ヨ) 「おばあちゃん、テレビで来たのよ!」
って言うと、うなずいた。
(ヨ) 「顔色、すごくいいじゃない」
おばあちゃん、目で「そうかしら?」って、オレに言った。
(ヨ) 「うん。肌だってツヤツヤしてるよ」
おばあちゃんは、「ほんとかな?」って顔をしながらも、まんざらではなさそうだ。
(ヨ) 「昼、イワシ食べておいしかった?」
おばあちゃんの顔に笑みが広がり、うれしそうにうなずいた。
(ヨ) 「たくさん食べて、もっと元気出してね」
こっくりとうなずいた。
(ヨ) 「がんばってよ、おばあちゃん。ね、ほんとにね」
うっすら、涙が浮かんだ。
普通、テレビだったら、こういうシーンは避けるかもしれない。
だけど、オレは、許可さえもらえれば、当たり前のように、その人に会う。家族はやっぱり全員紹介したいからね。
オレの家は、おふくろが働いていたから、二十三歳年の離れた、いちばん上のねえさんが、母親がわりにオレの面倒をみてくれた。
じつは、そのねえさんが小児マヒで、すこし体が不自由だった。
だから、オレは、体にハンディキャップのある人に、妙な神経を使ったりしない。いろんな人と知り合える方が、やっぱり人生楽しいよね。
このおばあちゃんは、脳梗塞で倒れてから半年になるそうだ。
(ヨ) 「おかあさんのお姑さん?」
(母) 「そう。私、嫁です」
(ヨ) 「じゃあ、旦那さんは仕事、なにやってるの?」
(母) 「あ、おとうさんは、今あそこ」
って、おかあさんが指差した先には、おとうさんの遺影が飾ってあった。四十九歳で亡くなって、もう二年たつそうだ。
道理で、大きな家なのに、なんだかガランとしていたわけだ。
それで、おかあさんは、病気のお姑さんを抱えながら家事をこなして、しかも、一家の家計を支えている。あんなにパワーがあったのも当然だね。
(母) 「イヤ! 困っちゃったな! 今度は、○★△×……!」
しんみりした話をしていたのに、おかあさんがまたまた騒ぎ出した。
おとうさんに似た、やさしい笑顔の娘さんが帰ってきたから、とってもあわててしまったらしい。
家族のために急いで作った晩ごはんは、おばあちゃんの大好きなインゲンの入った、大盛りの野菜炒めだった。
親の愛は、何よりも大きい
『隣の晩ごはん』では、体にハンディキャップのある人たちとも出会ってきた。
オレのいちばん上のねえさんも、小児マヒだったから、オレは、そういう人たちとおしゃべりをするときでも、身構えずに、ふだんどおり接してきた。
長崎県の諫早《いさはや》市でお邪魔したお宅は、お子さんが二人とも、障害を持っていた。
そのお宅は、建てたばかりのようなピカピカの家だったけど、ちょっと不思議な構造になっていた。
玄関を入ってすぐ正面が、大きな引き戸になっていて、その先はもう居間になっている。この造りには深い理由があった。
居間の入り口そばの、木のテーブルでは、おじいちゃんとおばあちゃんが、二人で晩ごはんを食べている。
テーブルいっぱいに並べられたおかずは、どれも、オレ好みのシブいもの。
子ダイの煮付け、大きな丼に入ったレンコン、シメジ、ニンジン、糸コンニャクの煮物、おでん、おから、たくあん、そして、なぜか一つだけ洋風で、毛色の違うポテトサラダも加わっている。
味噌汁は、大根、ワカメ、豆腐、ネギが入った、信州味噌仕立て。
しかも、味噌は、おばあちゃんが作ったもので、地元の農業祭りで優等賞をもらったという、自信満々の逸品だ。自分の家用に、三十キロも仕込んであるから、味噌なんて買うことはないんだって。
張りのある声で、晩ごはん自慢をしてくれたおばあちゃんは、なんと御年八十歳。だけど、髪は黒いし、肌もツヤツヤでシワがないから、どう見ても六十代としか思えない。八十三歳になるダンディなおじいちゃんと、本当にお似合いのカップルだ。
そして、おとうさんも、お二人の息子だけあって、若々しくて、とても四十九歳には見えない。
おとうさんより五歳年下のおかあさんも、ファッションデザイナーの森英恵《もりはなえ》さんを童顔にした感じの、かわいらしい人だった。
で、そのおかあさんが、木のテーブルから少し奥に置いてあるこたつで、息子二人に晩ごはんを食べさせていた。
きっと、消化のよいものを別メニューで作っているから、おじいちゃんたちの晩ごはんがうらやましくなったりしないよう、別々の場所で食べさせているのだろう。
おにいちゃんは、十四歳になるそうだけど、七歳くらいの体格しかない。知恵の発達も遅れているようで、年を聞いても答えることはできなかった。
弟も、おにいちゃんと同じ病気だということだ。
だけど、この家の人たちは、誰もそのことを隠そうとはしない。
ご家族は、子供たちの将来を案じていると思うけど、みんな、はつらつとしていらっしゃる。たぶん、自分たちが子供のために頑張らなくてはという気持ちが、とても強いからだろう。
そして、子供たちを守るという目的のために、家族がみんな団結しているから、とても、家庭の雰囲気が暖かい。
そんなご家族の集う場が、もともとは郵便局だった建物をリフォームしたこの家だ。
元局舎だから、天井が高く、とても開放感がある。
子供たちは、お風呂やトイレがままならないから、もちろん構造はバリアフリー。
そして、内装も、白木と白壁が使われていて、とても明るい感じがする。
こぢんまりとしているけれど、家族の雰囲気にぴったり合った家だった。
第四章 晩ごはん特選メニュー
最北端の晩ごはん・最南端の晩ごはん
お邪魔したお宅の、居間の窓一面に、紺色のオホーツク海が、どぉ〜んと広がっていた。オレの座っているソファーにまで、波が押し寄せてきそうな迫力だ。
それだけじゃない。この日は、雲で隠れていたけど、いつもは、沖のまっすぐ正面に、樺太がはっきり見えると言う。
窓を両方開けると、海からの風が吹き抜ける。その風は、樺太からやって来たのかもしれない。
この家のおとうさんに聞いてみた。
「ここから樺太まで、どのくらい?」
「サハリンの港まで、四十キロちょっとですね」
去年、ついに、オレは、日本の最北端にまで行ってきた!
北海道、宗谷岬。イヤー、いいところだったねぇ。厳寒の冬じゃなく、夏だったからね。
八月の末だったけど、もう半袖じゃ寒いくらいで、東京の灼熱地獄がウソみたい。
オホーツク海に突き出した岬の先には、『日本最北端の地の碑』なんていうものが、ちゃーんと建っていましたよ。
宗谷は、やっぱり漁師さんの多く住んでいる町だった。そして、もちろん、晩ごはんには、海の幸がぜいたくに並んでいた。
最初のお宅の晩ごはんは、カレーライス。オレが突撃した二四〇四軒のお宅で、いちばん多い晩ごはんのメニューがこれだった。
『海の幸の晩ごはん』なんて言っておきながら、一体どういうことだって、怒らないでね。カレーはカレーでも、中身がちょっと違うんだから。
どんな具が入っていたと思う? ……正解は、ツブ貝とホタテ!
オレは、そんなカレー、食べたことがなかったから、ちょっと味見をさせてもらおうと思ったら、もう晩ごはんが終わった後に突撃しちゃったもんで、鍋をかき回せど、いっこうに貝が見つからない。
クソ〜ッ、全部食べられてしまったか! こうなったら、最悪ルーだけでも味わうぞ、なんて思った瞬間、鍋の底から、たった一つだけ、ツブ貝の小さなかけらが見つかった。
それを、落とさないよう、そおっと小皿に移し、ルーといっしょに口の中に流し込む。
ツブ貝をそのまま飲み込んでしまわないよう舌で受け止め、ゆっくり奥歯で噛んでみた。
新鮮で柔らかくて、ぷんと磯くさい、あのにおいもしない。ほんのり甘みさえも感じられる。ルーだって、貝のいいだしが出ていて、辛さの中に深い味わいが広がるって感じ。
刺身で食べられるものを、本当にぜいたくな使い方をしてるよね。
とはいえ、宗谷の人たちは、ちっともぜいたくだなんて思っちゃいない。自分たちでとってきたり、近所からもらったりできるから、海の幸はふんだんに食べられるでしょ。そのたんびに、今日もごちそうだったとか、普通は思わないもんだよね。
オレたちは、ふだんあまり食べられないから、ぜいたくだって思っちゃうわけ。
でも、二軒めのお宅へ行ったときも、オレ、また「ぜいたくだ」なんて思っちゃった。だって、ここのお宅は、魚尽くしのおかずだったんだもん。
まず、目についたのは、マスの煮付け。
オレなんかは、「北海道はシャケ」ってイメージがあったんだけど、ここらじゃ、どうもマスをよく食べてるらしい。
でも、マスというのは、シャケとすごくよく似た魚だ。オレには、どっちがどっちだか、よくわからない。そんなマスをだしと醤油で煮てあった。
食べると、甘辛い煮汁に混じって、シャケよりちょっと淡白だけど、そんな感じの味がする。ただ、赤い身だから、醤油で煮てあると、色のインパクトは強いよね。
他にあったおかずも、梅酢で漬けた真っ赤なイカ、キンキの糟漬け、カズノコで和えた糸こんにゃくと、海の幸のオンパレード。
おまけに、コンロには、昼の残りだというカジカの三平汁が置いてあった。
カジカって言っても、本州で川魚として知られている、あのカジカじゃないよ。白身の魚なんだけど、こっちは海の魚で、川のカジカに比べるとクセがない。それを、大根といっしょにすまし汁で煮てあった。
宗谷では、夏はカジカ、冬はタラで三平汁を作るんだって。
一方、『隣の晩ごはん』で突撃した最南端の地は、宮古島のすぐそばにある池間島だ。
日本の最南端って言うと、みんな「沖縄」と答えるけど、沖縄は、島が集まってできている県だから、沖縄本島の南にも、いくつもの島がある。
宮古島や池間島は、沖縄本島と台湾の中間ぐらいにある島だ。
宮古島は、五万人もの人口だけど、池間島は小さいから、九百人しか人がいなくて、のんびりとした島だった。
まだ二月始めだというのに、外を歩くのにコートなんていらないの。ほんと、薄手のセーター一枚で十分よ。後で聞いたら、その日は、気温が、二十度くらいあったんだって。
畑の中の一本道を歩いていると、ちょうど、サトウキビを収穫しているところに出くわした。冬なのに、今が収穫時期だっていうのもすごいよね。
サトウキビって、見た目は、トウモロコシの茎をすごく長くしたやつみたい。
皮をむくと、中には白い繊維がいっぱい詰まっていて、それを噛むと、なんだか竹みたいにガシガシしている。
だけど、苦労しながら噛んでいると、そのうち、甘〜い蜜がジワッと染み出してくるんだよね。ああ、南国の味って感じがしたな。顎は筋肉痛になったけど。
入り口にシーサーが鎮座している、沖縄独特の家とは違って、池間島には、普通の家が並んでいる。
そして、晩ごはんも、『沖縄料理は豚肉が多い』というオレのイメージとは、大幅に違っていた。
一軒めのお宅では、この地域ならではのお料理をたくさん見せてもらったよ!
手初めは、モズク。これは、沖縄地方に来れば、当然見かける食材だ。
沖縄は、日本一のモズク生産地で、日本で食べているモズクのほとんどすべてを出荷している。
また、台所のコンロには、フライパンがかけてあって、蓋を開けると、湯気といっしょに、野菜の緑と卵の甘いにおいが、プーンと立ち上ってきた。
中身は、ニラ、タマネギ、牛肉を卵でとじたものなんだけど、ここらじゃチャンポンと言うらしい。このニラだって、オレには大根の葉っぱみたいに見えたけど、地元では、なぜかニラと呼んでいる。
味噌汁は、ノビルの天ぷらとホウレン草を入れたもの。
そして、アイゴの刺身なんてものも出てきたよ。白身の魚で、皮ごと細切りになっていて、ワサビ醤油で食べるんだって。
沖縄地方の人たちは、本州辺りではなかなか見られない、珍しい魚を食べている。なかでも広く食べられているのは、『タマン』『ミーバイ』と呼ばれる魚だ。
タマンというのは、緑色のカラフルな魚で、本州では、一般的にハマフエフキって呼ばれている。ミーバイは、茶色い斑点のある魚。どちらも、沖縄地方で、高級魚とされていて、みんな好んで食べている。
北海道なんかの海は、ちょっと緑っぽい色をしているけど、それは、プランクトンが多いから。プランクトンが多いと、魚は、それをたくさん食べて、脂ののったものになる。
一方、沖縄の海が、あんなに青く、透明に澄んでいるのは、プランクトンが少ないから。だから、沖縄の魚は、全般的に、脂が少なく、あっさりとした食感だ。
タマンもミーバイも、食べてみると、やっぱりあっさりしていて、ヒラメなんかによく似ているね。
この二種類の魚は、沖縄地方では、スーパーなんかでも売っているくらい、たくさんとれる魚なんだけど、それでも、最近は、だんだんとれなくなってきたらしい。だから、輸入もされるようになってきたということだ。
こんなきれいなところでも、海は、やっぱり、痛めつけられているんだね。日本は、ずっとお魚の国であってほしいもんだよね!
そして、次のお宅では、いよいよ豚を使った料理が登場した。豚骨とワカメを入れた野菜炒めだ。
オレなんか、豚骨といったら、ラーメンのだしにするくらいしか思いつかなくて、どうやって食べるのか聞いてみたら、骨を割って、中のゼラチンみたいなところを食べるって言っていた。
あとは、イシモチを使った魚汁というものもあったな。
イシモチは、体にグレーと黄色の縞がある、東京辺りでもよく見かける魚で、オレは、焼いて食べるのが、最高にうまくて好きだけど、このお宅では、ぶつ切りにして、すまし汁で煮てあった。
沖縄の人は長寿だというだけあって、この家のおばあちゃんも、八十七歳になるのに、豚骨やイシモチのアラを、平気で、もごもごと食べている。
そんなおばあちゃんからのメッセージがこれだ!
「ガンジュウヤヒウオラマティ(=元気でね)」
前代未聞の晩ごはん
山形県の東根市は、朝日山地と奥羽山脈なんて、巨大な山々に囲まれた盆地にある。
ほら、将棋の駒で有名な天童市ってところがあるじゃない。そのすぐ隣の市が、この東根市なのよ。
山形県は、全体的に、冬には雪がどっさり降るし、夏はとっても暑くなるけど、東根市は、典型的な盆地だから、県内でも、寒暖の差が最も激しい場所の一つなんじゃないのかな。
だけど、オレ、八年くらい前は、そんなこと知らなくてさ、冬、雪が多いんだから、夏は涼しいんじゃないか? なんて、単純に考えて、六月の半ばくらいに行ってみたの。
でも、東根市で収録した『隣の晩ごはん』は、じつは、オンエアされなかったんだよね。それには、深〜い事情があったのよ。
最初、山形のロケは、米沢市って牛肉の名産地と、東根市の二ヵ所で行うつもりだった。
で、米沢市で、無事取材を終え、うまい牛肉も食べた翌日、オレたちは、東根市に乗り込んだの。
そしたら、梅雨の時期なのに晴れていたのはいいんだけど、フェーン現象だかなんだかで、ものすごく暑いのよ。三十度を越えてるんだもん! おまけにムシムシしてるしさ。
オレ、極端な寒がりのうえに、極端な暑がりだから、ガマガエルみたいに、汗タラタラ流しながら、オープニングの撮影や、本番の準備をして、ついに、突撃を開始した。
だけど、これがまた、大変だったんだなぁ。
夕方になっても、全然涼しくならないからさ、あっちで断られ、こっちで断られって、住宅街をうろうろしてたら、なんだかバテバテになってきちゃった。
で、ようやく一軒の家に入れてもらったんだけど、「ああ、これで、クーラーのきいた部屋で涼める!」なんて思ったのも束の間、このお宅、クーラーをつけてなんかいなかった。
しかも、家の人は、この気候に慣れきっているもんだから、あんまり暑くもなさそうで、これからつけようってそぶりさえもまったくない。
かといって、厚かましく家に上がり込んだうえ、「クーラーつけてもらえませんか」とは、さすがに頼めるもんじゃない。
でも、それとなくは言ってみたんだよ、
「いやー、今日はいい天気ですね! こんなに暑くなるとは思いませんでした」
って。
そしたら、この家のおとうさんに、
「こんなの、まだまだですよ。真夏になると四十度近くまでいきますからね!」
って言われて、それでおしまい。
オレ、しかたがないから、暑いのをがまんして、晩ごはんはなんにするのか聞いてみた。
でも、その答えを聞いて、正直言って、失神しそうになっちゃったね。
いや、料理自体が驚くほどすごかったわけじゃないの。エビフライとカニコロッケだから。
だけど、揚げ物でしょ。おまけに、今からそれを揚げるところだって言うんだもん。
オレ、かなりバテてたから、想像しただけで、気持ちが悪くなりそうだった。
揚げ物をすると、きっと、油のにおいが台所に充満するじゃない。そのなかで、味見をするなんて、ちょっと耐えられそうにない。しかたがないから、
「じつは、昨日のロケで、ちょっと体調を崩してしまって、あんまり食欲がないものですから……」
なんて、バテているのを米沢ロケのせいにして、言い訳なんかしてみたの。
すると、おとうさんが、
「そういうときは、これがいいんですよ!」
って、作ってくれたのが、前代未聞の晩ごはんだった。
おとうさんは、重ねて、
「本当は、暑い日の昼間に食べると、もっとおいしいんですがね」
なんて言っているから、「今でも、十分暑いじゃないか!」って心の中で叫びながら、ものすごく期待して待っていた。
そしたら、おとうさんがなにをしたかというと、冷やめしを冷蔵庫から出して、ざるにあけ、水道の水で、シャバシャバ洗い始めたの。
そして、ごはんの粘りが取れ、サラサラになったところで、それをざるから茶碗に移し、一夜漬けの小ナスを二、三本上にのせて、また水道水をぶっかけた。
……それだけ。それで、この料理はできあがり。
オレだって、「えっ!」って思ったよ。「えっ! 水のお茶漬けかい!」って。
だけど、それを口に出しては言えないもんだから、オレ、おとなしくいただきました。
そしたら、これが意外とうまかったんだな!
まず、水が、都会とは違うでしょ。この辺りは、水道水だって、全然カルキ臭くない。
その水で、ごはんをサラサラっと流し込むと、ナスのほんのりした塩味と絶妙のコンビネーションで、しかも、冷たいもんだから、口の中がさっぱりして、生き返った! って感じなのよ。ナスの歯応えも、コリコリっとしてたまらないしね。
見た目とは全然違って、あまりにもおいしかったもんだから、感激もひとしお。
オレ、おとうさんに、
「さすが、男の料理は、大胆だけどおいしいですね」
なんて、ヨイショまでしちゃったよ。
だけど、この水茶漬けは、おとうさんのオリジナルじゃなくて、東根市の人たちだったら、当たり前に食べているものなんだって!
ところが、水茶漬けに感激した後で、オレ、ふと気がついたんだよね。
「これは珍しい料理だけど、おとうさんが、オレのためにわざわざ作ってくれたものだ。このお宅では、これから、エビフライやカニコロッケを食べるんだよな」って。
オレは、今の体調じゃ、それを紹介することができないから、悩んでるんじゃないか。こりゃ、元のもくあみだ!
おまけに、二軒めのお宅に突撃して、またこってりした晩ごはんが出てきたら、それを紹介する自信もない。
ということで、東根市のロケは中止せざるを得なかったの……。
東根市のおとうさん、せっかく水茶漬けを作ってくれたのにごめんなさい。
でも、オレ、飲んで夜中に帰ったとき、家族が寝静まって誰もいない台所で、密かに作って食べてます。
牧場の晩ごはん
農業の中でも、酪農をやっている人たちは大変だ。
牛という生き物を飼っているわけだから、正月だろうと、お盆だろうと、絶対に、乳搾りとエサやりは休めない。毎日の晩ごはんだって、まず牛にやってから、自分たちが食べている。
那須高原は、栃木県のいちばん北にある、大自然に囲まれたリゾート地。
緑の中に、美術館やテーマパークがあって、キャンプやゴルフ、テニスなんかもできるから、オレ、ルンルン気分で出かけたの。
だけど、牧場に突撃して、そこのみなさんの話を聞いたら、思わずシュンとなっちゃった。
でも、そんな酪農家さんだからこそ食べられるという、幻の味もある。
牛が子供を産んだ直後から、一週間めくらいまでの牛乳は、脂肪やたんぱく質の濃度が濃すぎて、定められた規格に合わないの。つまり、売り物にできないってことなのよ。
そんな牛乳のことを『初乳』というんだけど、せっかくとれたものだから、捨ててしまうのはしのびないでしょ。
そこで、牛乳豆腐というものを作るわけ。
初乳は、ドロッとしているから、酢やレモン汁を加えて暖め、布などで水分を絞って、よ〜く冷やすと、豆腐のように固まっちゃう。
その、冷えた牛乳豆腐に、生姜醤油をかけて食べると、なんともいえずおいしいんだな!
見た目は、ざる豆腐みたいだけれど、味はフレッシュチーズといった感じで、ほんのりミルクの香りがする。舌ざわりもなめらかで、好きな人は、絶対クセになっちゃう味なの。
酪農家さんたちは、いくら苦労して牛を育てても、初乳を売り物にはできない。
農家の人たちは、曲がったキュウリやキズのついたトマトといった作物を、味は変わらないのに、市場に出すことができない。
だけど、そういう人たちは、売り物にできない作物を、うまく料理に使っているよ。
自分たちが、長い月日、手塩にかけて育てたものだから、そりゃ、無駄にしたくないって思うよね。
謎の晩ごはん
読谷村《よみたんそん》は、沖縄本島の西側にある海辺の村だ。
だけど、オレが突撃したときに見た晩ごはんは、名物の豚を使った料理が多かった。
まず、汁物から紹介しようか。
『テビチ汁』というのは、豚足を入れた、こってりしたすまし汁だ。他には、大根、昆布といった具が入っている。
一方、豚肉、冬瓜、青菜、ジャガイモ、豆腐の入った味噌汁は『肉汁』と呼ばれていた。
そして、豚肉を使ったおかずでは、ポピュラーなところで言えば、トンカツがあった。
だけど、このトンカツは、出来合いのものじゃないよ。奥さんが、ちゃんと自分で衣をつけて揚げたもので、本当に、ワラジくらいの大きさがあった。
『スーチカと大根の煮付け』というのは、豚肉の塩漬けと大根を、だしで煮たものなんだけど、煮汁がまったく残っていなかったから、たぶん、炒め煮にしたんだと思う。
『スーチカ』というのは、もちろん、豚肉の塩漬けのことだ。
まあ、ここまでは、オレなんかでも、見たら、どんなものかは、ちゃんとわかる料理だよね。
だけど、ぱっと見ただけじゃ、いったいなんなのか、さっぱりわからない料理が、一つだけあった。
お皿の上に、焦げ茶色をした一口大の塊《かたまり》がのっている。
じつは、この塊は、豚の血なの。
沖縄では、豚の血に塩を加え、固めたものが、市販されているらしい。
その塊を買ってきて、炒め物や汁物に使ったりするそうだ。
法事のときの料理には、絶対欠かせない食材なんだって。
オレが、お邪魔したお宅では、その豚の血を大根といっしょに炒め物にしてあった。
試食させてもらったら、炒めたレバーと同じで、ちょっとクセのある味がする。舌ざわりも、クニャッというのか、プリッというのか、レバーと似たような感じだった。味つけは、薄い塩味だ。
豚の血の炒め物は、沖縄では、『チイリチー』とか『チイリチャー』とか呼ばれている。『チ』とは、まさしく血のことで、『イリチー』もしくは『イリチャー』は、炒め煮という意味だそうだ。
だけど、この『チイリチー』を、若い人はあまり食べなくなっているらしい。
今でも好んで食べるのは、お年寄りぐらいなものなんだって。
方言が標準語に取って代わられてきたように、食べ物も、だんだん、全国どこでも同じになっていくのかな!?
でも、沖縄の人たちは、地元ならではの料理を食べているから長寿なんだって言われているのに。
沖縄の若者よ、成人病には気をつけよう!
第五章 晩ごはん道
晩ごはん道
オレ、『隣の晩ごはん』の突撃では、本当に数え切れないくらい、押し売りに間違われてきた。
だけど、押し売りと大きく違うのは、人との血の通ったふれあいがないと、なにも始まらないということだ。
オレは、日本一の不法侵入者だけど、人の心にまで、土足で踏み込んだりはしていない。相手が心を開いてくれるよう、オレなりに努力をしてきたつもりだ。
お互いが心地よくコミュニケーションするためには、相手の気持ちを考えて話すことが大切だ。
だから、冗談で相手にツッコミを入れるのはいいけれど、絶対にケナすことはしちゃいけない。
たとえば、奥さんにとって、台所を見られるのは、下着を見られるのと同じくらい恥ずかしいことだから、そこに追い討ちをかけるように、「散らかってるね」なんて、言っちゃいけない。たとえ本当に散らかっていてもだ。
もし、なにか言いたいなら、
「あっ、お子さんのオモチャがいっぱいあるね!」
「家が広いから、物がいっぱい置けていいねぇ」
「帰ってきたところだったんだ」
という程度に、あいまいにしておくのが賢明だ。
もちろん、「おかずが少ないね」も、絶対に言っちゃダメ!
むこうから、「うちは、品数が少ないでしょ?」って聞かれても、
「いやいや、けっこうあるよ」
「いろいろと忙しいときは、そんなに作れるもんじゃないよ」
などと、やんわりと答える。
味の表現にも、細かい神経が必要だ。
「まずい!」という言葉は、最大のタブーだから、もちろん言うわけはないけれど、かといって「おいしい」と言ったらウソになる、そんなときは、
「ちょっと辛かったかな」
「ちょっと煮過ぎちゃったね」
という表現にとどめておくのが正解だ。
で、これは本当に内緒なんだけど、オレ、マジでまずかったときは、「なかなか」って言っていた。
お邪魔したお宅のすべてをさらけ出すのも大間違い。だから、ミスでドアを開けたとき以外、寝室はのぞかない。
洗濯物が家の中に干してあるときも、ブラジャーやパンティなどの下着が見えたら、なるべく映らないポジションに移動する。
もちろん、「洗濯物、干してあるね!」なんて、口が裂けても言わない。それだけで、奥さんは、「あ、ウチ、散らかってるんだ」って、神経質になってしまう。
ただし、男の人がお風呂に入っているとき、扉を開けてのぞくのはOK! 裸を見られて、テレているから、怖そうなおとうさんでも、愛想よく話をしてくれる。
ここまでは、わかってもらえたかな?
じゃあ、オレが十六年間培ってきた経験から打ち立てた、『晩ごはん道七ヵ条』を開陳しちゃおう!
晩ごはん道七ヵ条
その一 知らぬ子を見たら、女の子と思え
親にとって、子は宝。だから、両親に子供のことを聞くときは、子供をうまく立てながら、話を進めることが大切だ。
北海道のあるお宅に突撃したとき、なにかスポーツをやっている風の、ショートカットで、真っ黒に日焼けした子供が、忽然と現れた。
だけど、オレ、その子が男なのか女なのか、とっさには判断できなかった。
小学校の低学年くらいだったんで、体型では、まだ、男か女か見分けがつかない。それに、着ているものも、トレーナーにジーパンと、男か女かわからない洋服だった。
そんなときは、必ず、「女の子なの?」って聞かなくちゃいけない。
女の子に対して、「男の子なの?」って聞いちゃうと、親は、自分の子供が、女の子に見えないほど、骨っぽい顔つきで、きかなそうに見えるのかなって気分を悪くしてしまう。
逆に、男の子に「女の子なの?」って聞いた場合、親は、「ウチの子、女の子みたいな、きゃしゃな顔に見えるみたい。ひょっとしたら、キムタクみたいなイイ男に育ってくれるかもしれないな」と喜んでくれる。
だから、「女の子なの?」って聞いた方が、絶対に無難だというわけだ。
生まれて間もない赤ちゃんも、髪の毛がそんなにフサフサしてなくて、着ている服の色も白だったら、男か女かわからないことがあるので要注意。
その二 年寄りの昔言葉
たいていのお年寄りは、慣れてくると、よくしゃべってくれるけど、なんせ、ライトで照らされ、カメラに追いかけられ、という目にあっているわけだから、最初、かなり緊張している。
だから、肩や背中を触るというスキンシップを取ることが大切だ。
手のぬくもりが伝わると、安心するし、親しみをもってくれるようになる。
そして、インタビューをするときは、昔の言葉を織り込みながら話すのがポイント。
そうすると、お年寄りは、オレがタメ口をきける相手だとわかるので、リラックスして、口調もなめらかにしゃべってくれる。
千葉の、あるおばあちゃんも、はじめすごく緊張していて、なにを聞いても、「はい」と「いいえ」しか言わなかったが、オレが、
「この『おこうこ(=漬物)』、八丁味噌で漬けたものでしょ? おばあちゃんが漬けたの?」
「冷ややっこには、『ひね生姜』をすって、のっけるの?」
って、昔言葉を交えて話すと、
「アンタ、男のくせに、料理のこと、よく知ってるね!」
なんて、とたんに口数が増えだした。
他に、おみおつけ(=味噌汁)、ゴマよごし(=ゴマ和え)などの言葉も有効だ。
その三 仏壇の前にも参上
働いているおふくろのかわりに、オレの面倒をみてくれたのは、いちばん上のねえさんだった。そして、そのねえさんが、いつもこう言っていた。
「人を敬う気持ちが大切なのよ」
だから、オレは、十八で千葉の実家を出るまで、毎朝欠かさず、神棚と仏壇を掃除して、お水やごはんをあげていた。
オレにとっては、生きている人も、もう亡くなってしまった人も、同じ様に敬うのが当たり前のことだった。
だから、突撃したどのお宅でも、仏壇を目にしたら、自然に手を合わせていた。
すると、あるとき、無口で頑固そうなおじいちゃんが、
「ばあさん、挨拶してくれてるよ」
って、仏壇の写真に語りかけ、オレにまで、よくしゃべってくれるようになった。
それを見て、「亡くなった人も、家族の心の中で、今でもちゃんと生きている。家族といっしょに生活しているんだ」って、身に染みて感じたな。
だから、オレも、その方たちに、きちんと挨拶をするのが礼儀だと思っている。
その四 転ばぬ先のヨネスケ
『隣の晩ごはん』は、川口浩探検隊とは違い、オレ自身が、カメラよりも先に、家の中に突入する。だから、オレは、悪戦苦闘しながら、道を切り開いて前進することになる。
茨城のお宅に突撃したときは、小さい子供が四人もいたから、台所で、子供が落としたごはん粒を踏んづけるわ、居間では、散らかっていたオモチャを踏んづけるわ、かなりさんざんな目にあった。
しかし、それでも、決して顔に出すことはない。
そのうえ、スタッフにも、かなり細かく神経を使っている。カメラマンがケガをしないよう、ストーブの上のやかんを脇へどけたり、足元にある野菜かごを奥の方にしまったり……。
やっぱりプロはこうでなくっちゃ! ってか!
その五 食べてもダメなら、遠慮しな!
他のグルメ番組なら、リポーターは、必ず試食をして、「う〜ん、絶妙!」なんて感想を言うけど、オレは、味見をするときとしないときがあるって知ってた?
たとえば、山口県のあるお宅に突撃したときは、ご家族が、いまどき珍しく、おとうさんが帰ってくるまで、晩ごはんを食べないで待っていた。
当然、刺身や、ホウレン草のおひたしなどは、きれいに盛り付けられたまま、手付かずで置いてある。
そんなときは、オレが先に箸をつけると失礼になってしまうでしょ。
だから、オレは、家族がまだ晩ごはんに手を付けていないときは、決して味見をすることはない。
他にも、五人家族で串カツが五本しかない、あるいはハンバーグが五個しかないなど、家族の人数分しかおかずがないときは、やっぱり手をつけることはしない。
カレーライスのようなものだと、オレが一口食べただけで、あとに残された、そのお皿は、誰も手を出せなくなってしまうから、同じくこれも手をつけない。
ただし、「食べていってよ」と言われたときは、いただかないと、逆に気分を損ねてしまうから、積極的に手をつける。
その六 右利きになる
オレは、もともと左利きだ。そして、『隣の晩ごはん』の取材では、左手をうまく使えることが、とっても役に立っていた。
オレは、右手にマイクを持っている。だから、味見のとき、左手で箸を持って食べられると、マイクを持ち替える手間が省けるというわけだ。
だけど、あるとき、ふと気がついた。
落語では、扇子を箸に見立てて、そばなどを食べるしぐさをするが、そのときは、オレだって、右手で扇子を持って演じている。なぜかというと、落語は、伝統芸能で、右手で食べるということが、型として確立しているからだ。
だから、オレも、修業時代、扇子は右で持つよう練習した。
それなのに、『隣の晩ごはん』では、左手を使っていてもいいものか!?
嵐山光三郎さんが、「『隣の晩ごはん』は日本の文化だ」って言ってくれたように、そのときすでに、この番組は、昔から受け継がれてきた、日本の食文化を紹介する番組だなんて思ってくれる人が多くいた。まるで、『世界遺産』みたいだ。
……だったら、オレも、伝統にのっとって、ごはんを食べた方がいいんじゃないの?
というわけで、オレは、一念発起して、右利きになるよう、血のにじむような?努力をした。扇子を使うのと、実際箸を使うのとでは、やっぱり感覚が違うからね。
おかげで今は、右手できちんと箸を持って食べている。
ただし、里イモや豆などは、いまだにちょっと苦手だから、突撃したとき、それが出てくると、ドキドキ緊張してしまう。
その七 さわやかに、ありがとう!
番組がスタートする前、知り合いのプロデューサーに、今度こんな番組をやると、『隣の晩ごはん』の話をしたら、
「おまえ、帰るときやなんかに、ちゃんと挨拶してこないと、画面に出るぞ」
って、アドバイスをもらった。
オレは、そんなものなのかな? と半信半疑だったから、それ以来、一般のご家庭を訪問して、話を聞いたりなんかする、別の番組を注意して見るようにした。
すると、リポーターが、相手の人にきちんと挨拶をしているかどうかは、やっぱり、なんとなくわかってしまうことに気がついた。
心から挨拶をしていないと思われるリポーターは、いくら丁寧な言葉を使っていても、インタビューの合間に現れる態度が、どことなくぞんざいだったりする。
そして、『隣の晩ごはん』が始まり、オレ自身が似たような立場になると、別の番組のリポーターがちゃんと挨拶をしているかどうかは、ほぼ確実にわかるようになってしまった。
だから、『隣の晩ごはん』がスタートしたときから十六年間ずっと、オレたちは、突撃したお宅のみなさんに、「ありがとうございました」って心からお礼を言い続けてきた。
おかげで、二四〇四軒ものお宅にお邪魔できたと思っている。
第六章 ハプニング番外編
ゆれる愛
オレが突撃したとき、家に一人でも、番組を見てる人がいると助かるよ。
そうでなきゃ、「え〜、『ルック ルック こんにちは』という朝の番組で、『隣の晩ごはん』というのがあって……」って、ちゃんと説明しなきゃならないから、取材のタイムリミットが頭にちらついて、ものすごくあせっちゃう。
都内二十三区の某所に行ったときもそうだった。
『隣の晩ごはん』の取材は、どうしても、あけっぴろげで、気軽に家に入れてくれる下町が多くなっちゃう。でも、そればっかりじゃ能がないというんで、たまには、小じゃれたマンションだとか、新興住宅地だとか、山の手なんかにトライしてみることもあるわけよ。
このときも、真新しそうなマンションに突撃してみたんだけど、案の定、何軒やっても、断られてばっかりだった。
だから、「この家に当たってみて、ダメだったら、もう、ほかへ移動しよう」って決めて、最後のお宅にトライしたら、ちょっとばかり脈があった。
出てきた奥さんは、若くて、化粧もしていて、おまけに紺のスーツでびしっと決めた、絵に描いたようなキャリアウーマン。
当然、『隣の晩ごはん』のことは知らなくて、
「じつは、『ルック ルック こんにちは』という朝の番組で……」
って、オレが説明を始めると、
「困ります」
「今帰ってきたばっかりだから……」
「片付けもなにもしていないので」
なんて、断りの言葉を並べてくる。ディレクターの顔を見ると、かなりあきらめモードに入っていた。
だけど、オレは、もう少し粘ってみようと思ったの。
もちろん、オレだって、こりゃダメだって思ったときは、本当にあっさり引いちゃうよ。
でも、この人は、なんだか入れてくれそうな気がしたんだなぁ。
絶対に家に入れてくれない人は、「ダメ!! ダメ!! ダメ!!」って、言葉に強い意志が込められているか、「もー、昨日の晩、来てくれたらよかったのにぃ」なんて、さも残念そうに言いながら、目は「絶対入れないわよ!」光線を発している。
だけど、この奥さんは違ったんだよね。
(ヨ) 「今、帰ってきたところって、仕事だったの?」
(奥) 「そう」
(ヨ) 「旦那さんいるんでしょ。働いてるなんて偉いねぇ」
(奥) 「いや、仕事は辞めないって条件で結婚したから」
って、話にはのってくる。しばらく立ち話をしてから、
(ヨ) 「じゃ、お邪魔しますよ」
って、ドアを大きく開いたら、奥さんは、閉めようともしないで、すっと後ろに身を引いた。
オレ、待ってましたとばかりに家の中へ突進したね。
中は、細い廊下が奥まで続いていて、その両側に部屋やトイレなんかがあるという、マンションではよく見る間取りになっていた。そして、いちばん奥が、リビングダイニングって言うの? そういうやつになっている。
で、そのリビングダイニングに入って、辺りを見回すと、イタリアだかどこだか知らないけれど、外国製の、コッたデザインを施した、赤いソファーが置いてある。照明だって、普通の蛍光灯じゃなく、間接照明になっていて、床に置く背の高いスタンドが、やわらかい光を放っていた。
おまけに、ゴチャゴチャした日用雑貨は、うまくどこかにしまい込んであるらしく、部屋全体が、まるで家具のショールームのようだ。
これだけ、住んでいる人の生活臭がない部屋も珍しい。あまりにも、ピカピカ過ぎるから、オレ、居心地が悪いだけじゃなく、だんだん不気味になってきた。
でも、システムキッチンのコンロでは、やかんのお湯が沸いていて、シュウシュウと湯気が立っている。それを見たら、やっとひと心地ついたって感じ。
ただ、コンロの側にある棚の上には、スパイスの瓶がきちんと何本も並べてあるから、「この奥さん、きっと、オレなんかにはよくわからない、オシャレな洋食を作るんだろうな」なんて、新たな不安が湧いてきた。
オレ、魚とか野菜とか、和食の名前は、男にしてはよく知っているって言われるけど、洋食だけは、さっぱりダメ! トマトソースのラザニアとか言われても、どれがラザニアなのかがわからない。
テーブルの上には、ポプリとかいう、花びらの干からびたやつが入ったガラスの器と、買い物袋に入ったまんまの食材が、それだけポツンと置かれていた。
(ヨ) 「奥さん、この材料で晩ごはん作るんでしょ?」
(奥) 「そう」
(ヨ) 「なに作るの?」
って言いながら、オレは、袋から勝手に材料を取り出しちゃう。
(奥) 「あ、ちょっと待ってよ!」
(ヨ) 「シャケがあるじゃない。焼くの?」
(奥) 「そう、サーモンの香草焼き」
オレが、シャケって言ってるのに、サーモンときたもんだ!
(ヨ) 「香草って、タイ料理とかに入ってる?」
(奥) 「違う違う。ハーブ。自分で育ててるの」
(ヨ) 「えーっ、どこにあるの? 見せてよ」
(奥) 「外」
(ヨ) 「えっ、外? ……ああ、ベランダね!」
(奥) 「そう、テラス」
今度は、ベランダじゃなくてテラスときたかい!
オレが、そのテラスってやつに出てみると、いろんな草を植えた、でっかいお椀のような植木鉢がいくつかあって、白いデッキチェアも二組で〜んと置かれてた。
(ヨ) 「あっ、いいねえ! じゃ、休みの日なんかは、ここで旦那さんと一杯やったりするんだ」
(奥) 「昔はね」
もうちょっと、オレの真心込めた会話を受け止めてくれよ!
(ヨ) 「で、どれがハーブ?」
(奥) 「これみんな」
(ヨ) 「えっ、みんなそうなの?」
(奥) 「ミントでしょ。バジル、タイム、オレガノ……」
(ヨ) 「へぇ、すごいね! じゃ、これで早く晩ごはん作ってよ!」
この奥さん、自分の好きなことに関しちゃ、おしゃべりが止まらなくなっちゃうタイプみたい。
でも、そんなカタカナの言葉は、オレには、さっぱりわからねぇ! あわてて、話を脇へそらした。
すると、奥さんは、
(奥) 「ビール、飲む?」
なんて、おっしゃる!
(ヨ) 「えっ!? あ、いや、……じゃ、ちょっといただこうかな?」
杯をくみ交わせば、少しは気が緩んで、なにかしゃべってくれるかもしれない。
奥さんは、ビール片手に、フライパンでシャケを焼き始めた。
(ヨ) 「あれっ!? 一つしか焼かないの? 旦那さんの分は?」
(奥) 「作っても、どーせ食べないから」
(ヨ) 「じゃ、旦那さん、けっこう帰ってくるの遅いんだ」
(奥) 「もう慣れたけど」
え〜っ! 奥さんが一人きりでいる家に入っちゃったよ!!
そんなこと、もっと早く気づけって? 無理だよ。
『隣の晩ごはん』は、家に入れるか入れないかが、勝負の分かれ目だから、オレ、ものすごくそれに集中している。
だから、他のことは、頭の中から、ポーンと飛んじゃったりするわけよ。
ちょっと落ち着いてくるのは、突撃して、しばらくたってからだもん。特に、この日みたいに、いっぱい断られたときはそうなっちゃうね。
でも、じつは、オレ、前々から、看護婦さんの寮とか、女性が一人暮らししているところに入ってみたいと思ってたの。
べつに下心はないよ! でも、気になるじゃない、女性が一人のとき、どんな晩ごはんを食べているのかって。
だけど、いざそうなってみると、なんだか緊張しちゃうね!
(ヨ) 「でも、やっぱり寂しいんじゃない? 平日はずっと、奥さん一人で食べてるんでしょ?」
(奥) 「ウチの旦那、いてもマイペースな人だから、どうかな? あんまり、変わらないかも」
この人の旦那って、なんか、オレと似ている……。
(ヨ) 「旦那さん、全然構ってくれないんだ」
(奥) 「じつは、私、今それで悩んでて……」
え、そういう話なわけ?
(奥) 「なんかもう、別れちゃった方がいいのかなって」
えっ、ちょっと待って! “快傑熟女”じゃないんだからさ。
(奥) 「私、食品関係の会社で商品企画やってるんですけど、大きな仕事やらせてもらえるようになってきたし、これからは、もっと忙しくなると思うんですよね」
どうやら、この奥さんは、真剣な話になると、口調が敬語に変わるらしい。
(ヨ) 「じゃあ、大変だ。旦那とよく相談した方がいいね。旦那さんは、休みの日なんか、晩ごはん作ってくれるの?」
オレ、話をそらそうと思ってこう言ったんだけど……。
(奥) 「それがですね、彼も忙しいのはわかってるんですけど、休みの日も、疲れてるからって、なんにもしてくれないんですよ」
(ヨ) 「じゃ、家でゴロゴロしてるんだ」
(奥) 「彼は、パソコンやってます。私は、休みのときに、洗濯や掃除やっとかないと、月曜からは大変だから……」
(ヨ) 「旦那さん、パソコン関係の仕事なの?」
(奥) 「そうじゃないんです。仕事で必要だからって言ってますけど、車が趣味で、ほんとはホームページ見たりしてるんです」
ディレクターが、オレだけにわかるよう合図して、ちらっと腕時計を見た。
時間? わかってますよ。オレだって、一応プロです。だけど、どうしようもないでしょ! もう、話、止まらなくなっちゃってるもん。
(奥) 「今のままだと、私が大変なだけじゃないですか。私、家政婦じゃないですよ!」
(ヨ) 「いや、旦那さんだって、内心では、感謝してると思うよ」
(奥) 「でも、女が家事をやるのは当たり前だって言ってますよ。そうじゃなきゃ、仕事辞めろって……」
だんだん、妙な気分になってきた。この人の言ってることが、あまりにも、オレの痛いところを突いてくるもんで、かみさんに怒られてるような気がしてきちゃった。
だから、オレも、男の立場をかばうため、必死に反論しちゃったよ!
(ヨ) 「それは、旦那が、家族を食わせるのはオレの責任だって、真剣に考えてるからじゃないのかな? 仕事で一旗揚げようと思ったら、そんなに家庭のこと、構ってられないもんね」
(奥) 「じゃあ、私はどうなるんですか! 私だって、真剣に仕事してますよ」
(ヨ) 「それはそうだけど……、結婚するとき、ちゃんと話し合ったんじゃないの?」
(奥) 「……。だけど、二人でやっていこうって、言ってくれたんです! 男の人って、どうして、結婚すると、ガラッと変わっちゃうんですか!?」
(ヨ) 「それは……」
釣った魚にエサはやらないとは、口が裂けても言えないよ!
(ヨ) 「じゃあさ、もし、子供ができちゃったらどうすんの?」
(奥) 「働きながら、育てたいって思ってるから、悩んでるんじゃないですか。彼があのままだと不安だから、今は作らないようにしてるんです」
えっ!?
そんなことまで、オレに言っちゃうわけ!
(ヨ) 「でも、仕事も家庭もなにもかもっていうのは、ちょっとぜいたくなんじゃないの……」
(奥) 「えっ!? なに言ってるんですか! 信じらんない! 昔ならいざ知らず、今はそういう時代じゃないでしょ!!」
(ヨ) 「はぁ……」
(奥) 「男の人だけ、自分のやりたいようにやって、許されるんですか!?」
スミマセン。オレ、子供のことは、かみさんにまかせっぱなしで、マイペースで生きてきました。
家にいても、自分の部屋にこもってばっかりで、ごはんのときだけ出ていって、突然ワーワーしゃべったりします。
だから、子供たちにも「ウザッタイ」とか「お天気屋」だとか言われてます。
だけどね……、
(ヨ) 「まあ、男には、男の事情があるのよ」
(奥) 「なんですか、それ?」
オレ、母子家庭で育ったから、父親のモデルがいなかった。いや、モデルって言っても、別にいい父親じゃなくてもいいの。それならそれで反面教師にできるから。
だけど、父親がいないのが当たり前だったから、自分がその立場になったとき、どう振る舞えばいいのかなんて、まったくわからなかったんだよね。
(奥) 「まっ、いいか! しゃべったら、ちょっとすっきりしちゃった!」
あ、そう。オレは、すご〜く暗い気分になっちゃったよ。
(ヨ) 「それなら、よかったけど……」
結局、このお宅に一時間くらいはいたんじゃないかな。とうに、晩ごはんどきは過ぎちゃって、ロケを続けるのは無理だった。
このお宅の画をなんとかうまく編集して、一軒だけで放送するしかないのかな? 最初に、オレが何軒も断られているシーンをつければ、時間、もつかもしれないな。……大丈夫だよね!? って必死で考えてたら、最後に奥さんが言った。
「これ、モザイクかけてもらえるんですよね?」
『隣の晩ごはん』は、そういう番組じゃないんだ! それじゃ、テレビには出すなって言ってるのと同じじゃないか! 今日一日はなに!? オレの仕事は身の上相談じゃねぇ!!
ムコ殿募集
『隣の晩ごはん』を十六年もやっていれば、いろいろびっくりすることも起こるけど、なかでも、驚いたのは、番組が縁で結ばれたカップルがいたことだ。
縁結びのきっかけは、真壁町に住むおとうさんの一言だった。
茨城県の真壁町っていうのは、石材業が有名な町。そこかしこに石屋さんがあって、灯籠やお地蔵さんなんかが、店の広い敷地に並んでいる。
だのに、オレは、そのときなぜか、洋品店兼呉服屋さんという、全然別ジャンルのお店に突撃しちゃったの。
その日はちょうど夏のお祭りだったから、店の入り口には、紅白の幕が張ってあり、祭りの提灯が下がっている。
入り口の自動ドアを通り抜け、マネキン人形や、洋服の並んだ棚の間を歩いていくと、呉服を売る、奥の畳のスペースに、この家の家族がほとんどみんな勢揃いして、のんびりと座っていた。
お祭りということで、晩ごはんは手抜きをして、冷やし中華の出前を頼んだから、それを、みんなで、こうやって待っているということだ。
晩ごはん自体は、ちょっと寂しい画になっちゃうけど、なにもしなくても、家族の大半が、集まっていてくれるなんて、ものすごくラッキーだ。
早速、おとうさん、おかあさんと、順番にインタビューをしていった。
そして、次に、娘さんにマイクを向けたら、第一声がいきなり、
「独身です」
だったのよ。
この娘さん、三十三歳になるんだけど、体格がいいから、男性も背が高い人じゃないと合わなくて、これまで一人のままだったという。
ちなみに、相手はどんな人が希望なのかを聞いてみたら、
「希望なし」
って、言っている。
そして、横から、おとうさんが、
「誰でもいいのよ、いい人なら」
って、言っちゃったから、さあ大変!
番組を放送した直後から、日テレに、仙台、静岡、群馬なんて、七、八県から、問い合わせの電話がかかってきた。もちろん、娘さんについての問い合わせだよ!
そして、娘さんが店番をしている呉服屋さんも、ヤジ馬が押し寄せたりして、けっこう大騒ぎだったらしい。
だけど、日テレへの問い合わせの中で、娘さんより十歳年上で、愛知県に住んでいるという人が、とてもよさそうな感じだったから、試しに、東京でお見合いをしてみたんだって。
すると、思ったとおり性格がよくて、体格もがっしりしていたから、娘さんにぴったりだったというわけよ。
おまけに、この男性の家は、大きな材木屋さんをやっていて、ものすごい名士の一族だということだ。男性の住んでいる市では、この一家の名字を知らない人はいないとまで言われている。
で、一年くらいの交際期間を経て、二人は、めでたくゴールインと相成りました。
呉服屋さんの娘さんは、材木屋さんの奥さんになって、三千坪もの広〜い敷地に建つ家で、今も幸せに暮らしているということだ。めでたし、めでたし!
青春の街
去年の春、オレ、ぷらっと渋谷へ行ったのよ。
もう、三十年くらい前、内弟子修業が終わってすぐの頃、あそこに住んでいたことがあってさ、どうなってるのかなぁと思ってね。
今だと、渋谷は、高層ビルだらけで、マルキュー(「109」のことをヤングはこう言うんだよね! オレってナウい?)とか、マツキヨとかのイメージしかないけど、あの頃は、そんなものなにもなくて、こぢんまりとした、本当にフツーの町だった。信じられないでしょ!?
オレのアパートがあったのは、渋谷は渋谷でも、代官山近くの、鶯谷町ってところだったから、今なら、小じゃれたファッションタウンだって自慢できちゃうよね! ……あのころは、そんな店なんてなにもなくて、夜になると真っ暗になるような場所だったけどね。
JRのガードから猿楽町に向かって歩き、ひょいと路地を入った突き当たりのアパートが、当時のオレの城だった。
きたない四畳半でさ、いつも五、六人、友達がたむろしていて、まるでラッシュアワーのような混み具合だった。
みんな、金もなくって、ごはんにきな粉やマヨネーズをかけて食うような生活をしていたから、たまに、ごはんを、インスタントラーメンに入れて食べると、ぜいたくだなって、しあわせな気分になれたもんだ。
いつも腹を空かせていたくせに、とてつもなく元気だったのはなぜかな?
オレの部屋は広くもないのに、プロレスまでやっていたよ!
マージャンも毎晩だったから、そりゃもう、ドッタンバッタン、ジャラジャラガラガラって、大さわぎ。ハメを外し過ぎることも多かった。
すると、大家のおばあちゃんが、トントンとドアをたたいて、
「すいません。ラジオのボリューム、ちょっと小さくしてください」
って、声をかけるの。ドタドタうるさいとか、ストレートに言わないところが粋でしょ。
だけど、いつもは、マージャンをやっているそばで、一人本を読んでいるような、ちょいと真面目なやつがいて、
「近所迷惑だよ!」
って、文句をつけるから、パイを混ぜるとき、上に毛布をかけたりして、一応、気は遣っていた。
今思えば、そいつが小うるさかったおかげで、部屋をおん出されずに済んだのかもしれないね。
だけど、そいつ、ギターを弾いているやつには、一言も文句を言わなかったけどね。オレたちみんな、ビートルズが好きだったから、近所の人も好きなもんだと思い込んでいたのかな。
酒だって、なんとか知恵を絞って飲んでいたよ!
飲み屋でバイトをしているやつが、お客が残していった酒を、ウイスキーでも、ブランデーでも、いっしょくたに瓶に入れて持ってきてくれてさ、それを、みんなで、回し飲みしながら、ワイワイと騒いでいたの。そのせいかな、オレ、チャンポンで酒飲んで、悪酔いしたことはまだないね。
いい時代だったなぁ。オレの青春だよ。……結婚と同時に終わっちゃったけどね。
え、なに? 今でも同じようなことやってるじゃないかって?
誰に聞いたの!? かみさん?
誰でも知ってる?
わたくしは、記憶にございません。
まあ、とにかく、そういうわけで、オレの思い出の場所が、今どうなっているか知りたくて、一人で渋谷に出かけたの。
そしたら、覚悟はしていたけど、驚いたね。
まず、住んでいたアパートがどの辺りだったのか探すのが、メチャクチャ大変。町並みがまったく変わっているから、どこを歩いているのかさえも、わからなくなってきてしまう。
あっちでウロウロ、こっちでウロウロ探し回ったあげく、ようやく思い出の場所にたどり着いてみたら、……あったのよ、オレのアパートが!
あの頃より、もっとボロボロで、壁なんかも黒ずんでひび割れていたけど、なんだかあの頃の匂いがしたね。オレのまわりだけ、あの頃に戻ったような感じだった。
だけど、トントンってドアをたたいた、大家のおばあちゃんは亡くなっていたし、隣のパン屋さんだとか、オレが世話になった店もぜ〜んぶ、跡形もなく消えていた。
あ、あの店は? ……ない。
あっちにも店あったよな! ……ない。
オレ、だんだん寂しくなってきちゃって、ここに来たことを後悔したよ。
あの頃『隣の晩ごはん』があったらよかったのにね。
今の渋谷は、高級住宅や億ションだらけだから、入れてくれるところなんてどこにもないけど、当時だったら、楽しい番組ができたのにね。
みんなにも、直接オレの晴れ姿を見せて、あのときのお礼が言えたのに……。
「あっ! 『晩ごはん』だ〜!」
……ほんと、いきなりくるもんね。
オレが、たま〜に感傷にふけっているところなのに、邪魔するやつは誰だ! って、振り返ったら、ヤマンバギャルが群れをなして立っていた。
思い出の渋谷とのあまりのギャップに、オレ、一瞬ワケがわからなくなっちゃったよ。
(ヤ) 「なんだ、ウチワ持ってないじゃん!」
あれは、団扇じゃなくて、しゃもじだ!
(ヨ) 「今日は、プライベートだから……」
(ヤ) 「ギャハハハ! プライベートだって。なっまいき〜!」
なんで、ヤマンバに笑われなきゃいけないんだ! オレは、この三十四年というもの、血のにじむような思いをして、芸能界で生き抜いてきたんだぞ! 生意気なのはどっちだ!!
(ヨ) 「そんなこと言ったら、『隣の晩ごはん』で突撃するぞぉ!」
(ヤ) 「やだ〜! しんじらんな〜い!」
信じられないのは、アンタの顔だ!
(ヨ) 「ウチ、どこ?」
(ヤ) 「え〜、……埼玉。ほんとに来んのぉ〜」
(ヨ) 「行くかもしれないよ! 『隣の晩ごはん』よく見てるの?」
(ヤ) 「親が見てるしぃ」
(ヨ) 「おもしろい?」
(ヤ) 「うーん、なごむよねぇ」
『隣の晩ごはん』をやり始めて五年めくらいからかな、オレを見ると、みんな「晩ごはん」「晩ごはん」って言うようになったの。
今じゃもう、プライベートでただ歩いているだけでも、別の番組のロケに出かけても、「『晩ごはん』の取材ですか?」って言われるんだよね。
違う! って言ってるのに、最後まで『隣の晩ごはん』の取材だって、思い込んでる人までいるんだから。
でも、声をかけてくるのは、奥さんだとか、商店街のご主人だとか、あの時間、よくテレビを見ている人が多いよね。まさか、天下のヤマンバまで見ているとは思わなかったな。
朝っぱらから、あのメークで、『隣の晩ごはん』見ながら、家族といっしょにごはんを食べているのかなぁ。それはそれで不気味だね。
もし、オレがヤマンバの親なら、めしがまずくなりそうで、「どこか行って」って、お願いしちゃうかもしれないな。
新たな旅立ち
最後の晩ごはん〜二〇〇一年三月二十二日 木曜日 快晴
『突撃! 隣の晩ごはん』最終回のロケ。
これで最後ということで、わがままを言い、ロケ地を故郷《ふるさと》の千葉県にしてもらう。
現場は、九十九里の南端にある長生村《ちようせいむら》。真っ白な砂浜がどこまでも続き、太平洋は、日の光で、まぶしいくらい、きらきらと輝いている。……姉崎の海を思い出す。
子供の頃は、毎日姉崎の浜で遊んでいた。潮が引いていれば野球、潮が満ちるとハゼ釣り、いつもその繰り返しだったけれど、まったく飽きることはなかった。
潮が引き、何キロも先まで砂浜が現れると、早速、グラウンド作りが始まる。ベースは、そこらで拾ってきた板切れ。キャッチャーが海に向かいミットを構えたその後ろに、自転車を並べ、バックネットを作った。
しかし、ときには、ファウルボールが、自転車の間を抜け、遠くまで転々と転がっていくことがある。試合に熱中していたオレたちは、わずかな中断時間さえ惜しみ、チェーンが外れそうになるほど、自転車を目一杯こいで、ボールの後を追ったものだ。
ボールはゴムで、空気の抜けた代物だったが、貧しい時代、親には、そうそう新しいものを買う余裕はなかった。
乱暴者の突進に、穴からはい出し、ラジオ体操のように伸びをしていた小さなカニが、あわてふためいて飛び退いた。
あの頃は、友達といるだけで楽しく、あっという間に時間が過ぎていった。
今は、子供たちの歓声もなく、オレとスタッフだけがぽつんと浜にいる。聞こえるのは、春まだ浅い長生の海が作り出す、懐かしい波の音だけだ。
村の人に気づかれないうちに、番組のオープニングを撮影する。いつもと違い、挨拶から始めた。
「突撃したご家庭のみなさん、テレビをご覧いただいたみなさん、長い間、本当にありがとうございました」
浜から上がると、潮干狩りや海水浴に来る観光客相手の店が、時期はずれにひっそりとたたずみ、その先に、肩を寄せ合うように、家々が集まっている。そして、それを取り巻くように広がる、土がむき出しだったり、ビニールハウスに覆われていたりする畑。この国によくある半農半漁の村だが、それほど小さいものではなく、二千世帯くらいはありそうだ。
あと数時間もすれば、オレは、あの家のどこかにお邪魔している。いったいどんな家庭なのだろう?
日が暮れかかった頃、突撃開始。
一軒めは、ちょっと不思議な家だった。家が二軒、隙間もなく、ぴったりくっついて建っている。
敷地の真ん中にあるのは、白い壁と、窓のアルミサッシがピカピカと光っている、新築の洋風二階建て。そして、それにくっついているのは、年月がたち、相当ガタがきている古い平屋の家だった。
新築の家は、窓にまったく明かりがついていないため、古い平屋をのぞくと、五十代のご夫婦がいた。二人とも、声が大きくて、威勢がよく、似たもの夫婦という感じ。ふっくらとした体型まで同じだ。
(ヨ) 「隣は別の人の家なの?」
(旦那)「いや、ウチで建てたんだけど」
(ヨ) 「じゃ、ちょっと見せてよ」
(旦那)「ああ、いいよ」
ということで、新築の、天井が吹き抜けになった、十数畳はありそうなリビングに入れてもらった。今はやりの板張りで、やはり壁は真っ白だ。吹き抜けには、旦那さん自慢の、ケヤキの太い梁が一本通っている。このケヤキは、かなり値も張ったらしい。
じつは、この旦那さんは、建築をやっていて、家族で住むために、自分の手で丹精込めて、新しい家を建てたという。
が、それにしては、家の中がやけにがらんとしている。
(ヨ) 「二人は、ここに住まないの?」
(奥) 「おとうちゃんが、移るのいやだって言うからさぁ!」
(旦那)「オレ、あっちのボロ家がいいんだもん。落ち着くからさ」
家は人が住まないと傷んでしまうため、新しい家では、成人した二人の息子が、寝泊まりだけはしているらしい。
古い家は、あちらこちらミシミシと音がするうえ、テーブルには、読みかけの新聞、使い残しの野菜、余った味噌汁の入った鍋が置いてあるなど、家中ものがごちゃごちゃしていて、はっきり言って小汚い。
しかし、旦那さんは、お金を惜しまず、自分の思いのままに建てた家と天秤にかけても、古い家から離れられない。
住み慣れた家だから、家族の長年の思い出が染みついているのだろう。
家族と、どう向き合っていいのかわからず、風来坊のように生きてきたオレと、旦那さんは、正反対の人生を歩んできた気がする。
二軒めは、その旦那さんが請け負って家を建てているというお宅にお邪魔した。
行くと、新しい家は、まだ足場が組まれたままで、緑色のシートが張ってあり、その横に、プレハブの小さな仮住まいが建っていた。
仮住まいのドアを開けると、中は、台所と居間だけの狭い空間で、しかも、壁一面に段ボールが積み上げられているために、圧迫感は、相当なものだった。
しかし、その荷物の谷間に置かれたテーブルで、(この家の旦那さんは、まだ帰ってなかったが)奥さんと娘さん、それにお舅さんの三人が、平然と、晩ごはんを食べている。
メニューは、ちらし寿司、ワカメの味噌汁、野菜の煮物といった和食の定番ぽいもの。だが、そこに加えて、いなり寿司と巻き寿司まで用意されているのには驚いた。
奥さんは、一軒めの奥さんと同じようにふっくらとしているものの、キャラクターは対照的。細い目をさらに細くして、はにかみながらニコニコと笑っている。童顔で、中学の娘さんがいるようには、とうてい見えない。
(ヨ) 「奥さん、これ全部作ったの?」
(奥) 「私、料理、好きだから」
(ヨ) 「へー、たいしたもんだね」
すると、そこに、突然、おじいちゃんが割って入った。
(老父)「んだけど、ばあさんの方がうまかった」
おじいちゃんの顔をよく見ると、分厚い黒縁眼鏡の奥の目は笑っていて、刻まれている皺も、この人ずっと機嫌よく生きてきたんだろうなとわかる笑い皺。人のよさが、もう、その表情に現れている。
それなのに、鋭い突っ込みを入れたのは、自分がしゃべりたい一心からだ。
カメラが、あわてておじいちゃんを映す。
(老父)「(頭が光っているから)ハレーション起こすよ」
(ヨ) 「いやいやいや、おじいちゃん!」
一般の家庭に、突然入り込んできた得体の知れない男。そういう役回りのオレにとって、やはり、人懐こく話しかけてくれる人はありがたい。
だから、座布団を一枚もあげられないような冗談でも、少々おおげさに驚いて見せる。せっかく、会話のきっかけを作ってくれているのだから、そこに水をかけるようなことはしたくない。
(ヨ) 「つれあい、もう何年前に亡くなったの?」
(老父)「六年前」
部屋には仏壇があり、おばあちゃんの遺影が飾ってある。オレは、入った家でいつもやるように、手を合わせて頭を下げた。
(ヨ) 「おじいちゃん、何年連れ添ったの?」
(老父)「四十七、八年かな」
(ヨ) 「ああそう。じゃ、ちょっと寂しくなったときなんかは思い出すね」
(老父)「うーん、でも、最近もうダメだね。古くなったから思い出さなくなってきた」
(ヨ) 「夢の中にも出てこない?」
(老父)「出てこない。たまに早く来い、早く来いって言うけど。でも、早く来いって言われたって行かねえ。あと十年ぐれえ行かねえ」
(ヨ) 「今いくつ?」
(老父)「まだ八十二」
(ヨ) 「八十二、元気だわー!」
(老父)「元気いっぱい、腹いっぱい」
(ヨ) 「百ぐらいまで頑張るの?」
(老父)「きんさん、ぎんさんまで生きようと思って。長生き村だもん!」
……おあとがよろしいようで。
なんだか、冗談のような幕切れとなった。オレらしくていいのかもしれない。
『隣の晩ごはん』は、これで消滅してしまったわけじゃない。
突撃したお宅のご家族や、テレビを見ていたみなさんの心の中に、思い出として刻まれている。
そして、もちろん、オレも、絶対忘れることなんてあり得ない。
だから、「テレビには映らなくなったから」という理由だけで、しんみりとはしたくない。
会いたい人
十六年間を振り返っていると、あれもこれも全部、話したくなっちゃうね。
一人暮らしのおばあちゃんがいたり、五世代で同居している家族があったり、漫才を見ているようなご夫婦がいたり……。
だけど、そのなかで一人、会いたい人をどうしてもあげろって言われたら、やっぱり松山のおばあちゃんかな。
ちょうど去年の雛祭りの頃だった。オレ、あったかい地方へ行きたくなって、海を越え、四国の松山へ行ったのよ。
松山って言ったら、ものすごく大きな町で、瀬戸内海に面した平野に、ビルや住宅がずらっと並んでいるんだけど、お城があったり、目抜き通りにちんちん電車が走っていたり、懐かしい感じも漂っていたな。
町中の一角にある住宅街に、六時を過ぎて突撃した。
東京じゃ、もう日が暮れている頃合いなのに、外はまだずいぶんと明るかったね。
入る家を探しながら、プラプラ歩いていると、こぢんまりとした新築住宅の玄関先にある、バケツや空《から》の木箱を積んだリアカーが目にとまった。
リアカーのあるお宅の玄関を開けて、声をかけると、おじいちゃんとおばあちゃんが二人そろって顔を見せ、オレを中へと入れてくれる。
玄関を入ってすぐ左手が、もう、居間兼台所になっていて、入ると、こたつとテーブルで、部屋はほとんどいっぱいになっていた。あとは、人が一人やっと通れるくらいのスぺースしかない。
おまけに、そのスペースには、ティッシュペーパー、肩かけ毛布、それに、今では珍しい蠅帳なんかが置いてあるから、踏んづけないよう歩くのに、ものすごく気を使ったね。
このお宅は、ちょうど晩ごはんの最中だったようで、ピンクの花柄のクロスがかかったテーブルには、ホットプレートがセットしてあり、鳥肉、牛肉、ウインナー、野菜なんかが、いい色合いに焼けていた。
だけど、晩ごはんのメニューは、これだけじゃないよ!
大きな丼に入っているのは、タコ・イワシ・キュウリの酢の物、そして、焼いたトラハゼとタチウオの酢の物。バットにのっているのは、砂糖と醤油のたれで焼いた、山盛りのアナゴだった。これみんな、おばあちゃんが自分で作ったものなんだって。
そんな豪華なおかずをサカナに、おじいちゃん、おばあちゃん、そして五十二歳の長男と四十一歳の次男の四人がビールで晩酌をしていたの。
新鮮な魚がたくさん手に入るのは、おばあちゃんが魚の行商をしているからだ。
だから、家の前には、リアカーが置いてあったんだね。
おばあちゃんは、夜十時に起きて、十一時頃から市場に行って、朝の八時から、仕入れた魚を、いろんなところで売り歩く。
今日もこれから少し寝て、買い出しに行くらしい。
(ヨ) 「おばあちゃん、睡眠時間は、一日どのくらいなの?」
(老母)「寝るのは一時間半ぐらいかね」
(ヨ) 「一時間半から二時間くらい?」
(老母)「二時間も寝えへんね。もうそれ、慣れとります」
(ヨ) 「昼寝もしないの!?」
(老母)「はい」
行商というだけで重労働なのに、家に帰れば、おばあちゃんには、男三人の身の回りの世話も待っている。
おまけに、料理一つをとってみても、こんなに手間をかけるわけだし、漬物まで、何種類も漬けている。……そりゃ、寝る時間もなくなるな。
だけど、おばあちゃんにとっては、自家製の漬物が唯一の自慢らしくて、オレを、漬物樽の置いてある場所に案内し、漬け方について話しているときは、さっきまでの、ポツリポツリとした話し方が、うれしそうな、大きな声に変わっていた。
おばあちゃんは、家のことは、なに一つ人任せにできないうえ、手抜きもできない性分らしい。
せめてもの自分の愛情表現が家族の世話をすることだと思ってがんばっているんだろうね。
だけど、家族のために、そんなにまでしているおばあちゃんに、どうしてと思うような悲しい出来事がふりかかったりするんだよね……。
食卓を囲んでいた長男のお嫁さんが、つい最近亡くなった。
(老母)「嫁さんが亡くなってね。二、三日前」
(ヨ) 「あら……」
(老母)「まだ若いで亡くなってね。……四十九歳」
(ヨ) 「子供はいなかったの?」
(老母)「いえ、おるんです、二人」
(ヨ) 「二人? で、子供はどうしたの?」
(老母)「私が朝早いから、松山へ預けて、学校へ行かせてるんです」
(ヨ) 「あ、寮かなんかに入れて?」
(老母)「はい」
おばあちゃんは、孫のためにも働かなきゃいけないから、悲しみにくれてばかりもいられないんだね。
(ヨ) 「おかあさんの楽しみってなぁに?」
(老母)「孫の教育をするのが生きがい……まあ、子供や孫のためやねぇ」
これからも、このおばあちゃんは、家族のためを思って働き続けるんだろうね。
そんな姿が、オレのおふくろとダブるから、オレ、松山のおばあちゃんに会いたいって思う。
おふくろは、三年前に九十三歳で亡くなったんだけど、昔は、松山のおばあちゃんと同じように、魚の行商をやっていた。アジの干物やなんかを地元で仕入れ、東京まで運んで売ってたの。
そのうえ、家にいても、いつもなにか仕事をしていたから、オレ、やっぱり、おふくろが寝ている姿をほとんど見たことはなかった。
だけど、おふくろは、年の離れた末っ子のオレを、すごくかわいがってくれたよね。貧しい家だったから、なにか物を買ってもらったり、どこかへ連れて行ってもらったり、そんな特別なことをしてもらった覚えはないけど、時間を見つけては、オレのそばにいてくれた。
父親がいなかったから、オレにとって、おふくろは、すべてをゆだねられる、唯一の人だった。
オレが、ありのままの自分を全部さらけ出せた相手は、いまだにおふくろ一人かもしれないな。
おふくろは、もちろんオレの大切な母親だし、そして父親役でもあったんだ。
だから、小学校の図工の授業で、おとうさんの絵を描きなさいって言われたとき、オレ、画用紙を目一杯使って、おふくろが行商しているときの姿を自信を持って描いたんだもん。
オレにとって、片親しかいないことは、コンプレックスになっていたけど、だからと言って、おやじに会いたいと思ったことは一度もない。というより、いないのが当たり前だったから、意識すらしたことがなかった。
たったひとつ、オレの名前だけが、おやじの残したものかもしれない。
オレ、本名は、小野五六(オノゴロウ)って言うんだけど、こんな名前が付けられたのは、おやじが五十六歳のときに生まれたからなんだ。たったそれだけの理由でつけられたわけ。
オレ、この名前が嫌いでね。
変な名前だし、誰もちゃんと『ごろう』って呼べやしない。小学校で新しく担任になった先生が、「おまえの名前、三十って言うのか?」って聞いたとき、オレ、ものすごく悲しかった。先生に悪気はなかったと思うけど、五×六で三十なんて、シャレにもなにもならないよね。
いまだに、オレ、銀行やなんかで名前を呼ばれるとき、人がちゃんと『ごろう』って呼んでくれるか気になってドキドキする。それで『ごろく』さんなんて呼ばれちゃうと、本当に悲しくなるよ。
だから、おやじを恨みこそすれ、礼を言う気はさらさらない。
そんなオレでも、いざ自分が結婚して、父親になったとき、おやじの存在というものをいやと言うほど意識させられたんだよね。
自分の子供が生まれても、なついて甘えてくる赤ん坊に、オレ、どうしていいのか分からなかった。そのときに実感したね。ああ、オレはおやじの膝の上にものったことがなかったなぁって。もちろん思春期に、おやじとぶつかることで、親離れするなんてこともなかったから、ある意味ずっと、小野さんちの恥ずかしがり屋で、甘ったれの五六(ゴロウ)という子供のまんまだったんだと思う。
もちろん、オレと同じような環境に育って、いいおとうさんになった人だってたくさんいるだろうし、オレが甘えているだけだと思う。
だけど本音のところで、オレは父親がどういうものなのか、さっぱりわかっていなかった。そんなオレに父親の役がつとまるわけがない。
だからオレは、家族と真剣に向き合わず、むしろ家族から目を逸らし生きてきた。
ところが『隣の晩ごはん』で、いろいろな家族とふれあううちに、少しずつではあるけれど、自分が変わってきたような気がする。家庭というものを真剣に考えるようになっていたんだ。
それまで、かみさんにめしを作ってもらったり、子供に「おとうさん」って呼んでもらったり、そういうことが家族なら当然で、感謝することなんて考えもしなかった。
こうして振り返ってみると、自分以外の人を愛するってことがどんなに大切なことか、わかっていなかったんだ。
五十を過ぎて気づくなんて、まったくなさけないよな。
番組を通してではあるけれど、二四〇四軒のご家族のみなさんから、家族とはどうあるべきかをたっぷり教えていただいた。
今、ようやく人生のスタート地点に立てた、そんな気がしている。
まず、その第一歩として、当たり前のことだけど、自分の家族と向き合おうと思っている。
お邪魔した二四〇四軒のご家族のみなさんには、ただただ、感謝のひと言しかありません。
そして、頼りないオレを十六年間支えてくださった貝塚英岐ディレクターをはじめ、『突撃! 隣の晩ごはん』及び、日本テレビ『ルック ルック こんにちは』のスタッフの方々に、深くお礼申し上げます。
また、この本を執筆するにあたり、適切なアドバイスと暖かい励ましをくださった、講談社の谷雅志さん、厳しい読者でありながら、いつも力強い支えとなってくださった、古舘プロジェクトのスタッフのみなさん、ありがとうございました。
私の至らない文章を立て直すため、根気よく指摘を続けてくださった、稲葉淳子さん、川野孝弘さんにも感謝致します。
最後になりましたが、『突撃! 隣の晩ごはん』でお世話になった全国のご家族のみなさまに、なによりの感謝を込めて、この本を捧げます。
〈付録〉ヨネスケ感動のレシピ
北海道から沖縄まで、オレが十六年間で出会った各地の「旨いもの」はコレだ!
◆三平汁(北海道)
南部藩の家臣・斉藤三平が北海道・奥尻島に渡ったとき、塩鮭の頭と季節の野菜を煮込んだ温かい汁で客人をもてなしたってことが名前の由来らしいけど、諸説ふんぷんあるみたい。すまし汁で煮たものや、味噌風味など各地で少しずつ違いはある。とはいえ、素朴な味わいはどれも変わらない。最近は鮭の捕獲量が減って、ホッケや鱈を塩漬けにしたものを材料にしたりするが、これもまたうまいのよ。どの魚でも頭をふたつに割って、汁で豪快に煮ちゃうだけ。寒さの厳しい地域ならではの、身も心も温まるごちそうだ。
◆納豆汁(山形県)
正月の七草粥の代わりに食べられることもあるし、東北各県にかけてのまさに雪国料理だね。味噌汁に、すりおろした納豆と山芋、それに、キノコなどの野菜をふんだんに入れる、寒い冬にはもってこいのほかほか汁。昔はごはんに直接かけて食べたりはしなかったらしいけど、今じゃそれも当たり前。薬味として刻みネギや七味唐辛子、大葉なんか入れてもうまいの。母から娘、娘から孫へと受け継がれる伝統の家庭料理は最高だ!
◆だしと水茶漬け(山形県)
「だし」なんて変な名前のおかずがあるのは、山形の南部地方。夏の料理なんだけど、暑くて火を使いたくないときとっても便利な一品なの。キュウリ、ミョウガ、ナス、大葉、刻み昆布を細かく切って、醤油と七味唐辛子で和えるだけ。さっぱりした味で、食欲のない夏にはもってこい。ごはんにのせてもよし、冷奴の上にのせてもよし、もちろんそのままで酒の肴にしてもOK。水茶漬けは、色んな地方にあるらしいけど、これもオススメの一品だ。熱いごはんを流水で洗い、ヌメリをおとした後、冷水を注いで小ナスの漬物をのっければできあがり。盆地という、暑さの厳しい土地ならではの知恵が生かされた調理法だね。
◆いかにんじん(福島県)
福島の冬を思い出させてくれる料理として地元では定番の伝統料理。これが実にシンプルで簡単だけど、味付けは家庭によってさまざまで、そこが、おふくろの腕の見せどころとなっている。でもホント、やみつきになるおいしさだよ。にんじん、するめを細切りにして、酒、みりんの合わせ醤油に漬け込み冷蔵庫で一〜二晩寝かせたら、もうできあがりというお手軽さ。にんじんとするめの切り方によっても味が変わるから、まさにそれぞれの家庭の“おふくろの味”を演出してくれる一品なんだよね。
◆ナメロウとサンガ(千葉県)
アジを粘りが出るまで叩くと、皿にくっついて、最後まで食べられない。だから「皿までなめろヨ!」ってことから「ナメロウ」と言われるようになったのがこの料理。三枚におろしたアジをまな板にのせ、シソの葉と生姜、赤味噌を混ぜてたたくだけ。これがまたうまく生臭さを消してくれるから、これはもう絶品よ。大きなアジより小さなアジの方がうまいって言ってたな。家庭でも手軽に作れちゃうし、おとうさんなんかの酒のつまみにももってこい。そして、このナメロウをハンバーグみたいに焼いた物は「板サンガ」って言うんだけど、こちらは子供たちに大人気。同じ材料でもふた通りの楽しみ方ができるなんて、おかあさんの頼もしい味方だね。
◆深川丼(東京都)
郷土料理は、地方に多いってイメージがあるけど、東京にもちゃんとごちそうがあるんだよね。江戸時代、深川は、その名の通り、水辺の町で、アサリや海苔漁が盛んだったんで、生まれたのが深川丼というわけよ。もともとは、漁師が船の上での食事時間を短縮するために、アサリを剥き身にして海水と味噌でサッと煮てごはんにかける「ぶっかけめし」のことを言ったみたいだけど、今じゃ醤油が定番になっているし、食べ方だっていろいろで、アサリだけで食べるのが深川鍋、炊き込めば深川めし、ぶっかければ深川丼とまさに百花繚乱状態。半熟卵を丼に盛ってネギを入れればもう完璧だね。東京湾が埋め立てられてアサリも居場所を失う一方だけど、まだまだ昔ながらの下町の味はちゃんと生き残ってる。
◆のっぺ(新潟県)
新潟県じゃ、どこへ行ってもお目にかかれる、県を代表する煮物料理。中に入れる具は、里芋をはじめ、数え切れないほどたくさんの、新鮮な自然の幸。あの田中角栄元首相がこよなく愛したっていうのもわかる気がするな。冠婚葬祭では必ず食卓に上るけど、おもしろいのは祝事や仏事によって具の切り方を変えるところ。この地方の、昔ながらのしきたりだ。里芋をはじめニンジン、ゴボウ、シイタケ、貝柱、レンコンなど十種類以上の大地の恵みをグツグツと煮込み、鮭やイクラなど海の幸を加えるという、なんとも贅沢な汁物。仏事ではとろみはつけないけれど、祝事ではとろみをつけるんだって。夏場なんかは冷たくして食べるのが、おいしいよ。
◆あんもち雑煮(香川県)
オレ、全国をあちらこちら巡ったけど、変わり種料理って言ったら浮かんでくるのがこれ。讃岐人の思いが詰まったこだわりの正月料理だ。輪切り大根とニンジンをダシ汁で煮込み、白味噌を溶いて、あんもちを入れる。白味噌とあんもちがなんともまろやかで心まで温まる一品だ。昔は砂糖や白味噌は大変貴重だったんだけど、せめて正月くらいは晴れやかにと作られたのが始まり。家族円満を願い野菜は輪切りにするなど、それぞれの材料に意味があって、作る人のまごころを感じるね。他に白菜や豆腐、油揚げなどを入れることもありバリエーションが豊富なのもうれしいな。
◆男の雑煮(福岡県)
「九州男児」という言葉があるように九州では「男」の存在はある種特別なもの! そんな男たちのため、九州の女性が思いを込めて作る雑煮。雑煮の具には地方の特色が出るものだけど、福岡の家庭では、「ブリ」と「カツオ菜」が入ってた。見た目も豪快だし、ダシがしみててメチャうまい。正月には必ず食べるものなんだって。この具を入れる意味は、「男っぷり、羽ぶりが良くなって、勝負にも勝つ」!! おせちもなにも、日本の正月料理は、縁担ぎを大切にする。そうでなくっちゃ、めでたさも半減だ!
◆チョコ焼き(長崎県)
チョコと言ってもチョコレートとは無縁の料理。魚のすり身(白身の方が見た目はきれい)に卵、砂糖、塩、酒を混ぜ、たこ焼き機で焼くと、伊達巻か甘い厚焼き卵のような味がする。じゃあなんで「チョコ」なのか? 昔、たこ焼き機なんてシャレたものがない時代、酒を飲む「おちょこ」で型を取り、そのままおちょこを蓋にしてフライパンで焼いてたから。今ではそれが訛って「ちょく焼き」とも言う。名前の由来は、長崎のご家庭に突撃したとき、そこのおばあちゃんから教えてもらった。お嫁さんも初めて聞きましたって言ってたよ。
◆冷汁(宮崎県)
ジリジリと太陽が照りつける、九州は宮崎の郷土料理。宮崎平野や山間の農村では日常食になっているけど、日向灘の漁師たちが船上で食べていたのがルーツとも言われている。まあ簡単に言えば、冷たくした、濃いめの味噌汁をごはんにかけて食べるといった感じかな。ごまや小魚と味噌をすり合わせ、だし汁で溶いて冷やしておく。そこに輪切りのキュウリや千切りにした大葉を散らせば完成だ。温かいごはんや麦飯にかけて食べると夏バテ知らず。焼き豆腐や焼きナス、ミョウガを刻んで入れると、さらにうまくなることうけあいだ。食のすすまないときは本当に助かるよ。味噌の香りが、なんとなく、故郷を思い出させる一品だね。
◆かんころ団子(鹿児島県)
ぜんざいに入れるのは、白玉団子か餅が普通。でも九州地方の家庭ではサツマイモから作った「かんころ団子」を入れることが多いらしい。作り方は、スライスしたサツマイモを天日で干して、パリパリに乾いたら、臼でひき、小麦粉のような粉にする。この粉を、団子状に丸めればできあがり。見た目は真っ黒! でもサツマイモの甘みが出て、甘党にはたまらない!
また、「かんころ団子」にサツマイモで作った餡を入れると「かんころ饅頭」になる。餡は、サツマイモを蒸してペースト状にし、塩少々と砂糖を入れたもの。サツマイモをサツマイモでくるんだお菓子なんて、名産地九州ならではだよね。
◆チイリチー(沖縄県)
ズバリ「血イリチー」と書く! 「イリチー」とは、炒め煮という意味なんだって。つまり、この料理は、豚や牛の血を固めたものの炒め煮だ。こう書くとなんだか、ものすごい食べ物を想像しちゃうけど、食感はレバーみたいでうまいのよ。栄養もたっぷりなんだけど、今の若い人にはなじみが薄くなってきてるんだって。だけど法事にはかかせないものとしてちゃんと受け継がれてはいるみたい。
[著者略歴]
本名、小野五六(ごろう)。昭和二十三年千葉県市原市姉崎《あねさき》生まれ。高校卒業後、桂米丸師匠に弟子入り。昭和四十二年浅草演芸ホールでデビュー。昭和四十六年に二つ目、昭和五十六年に真打ち昇進。昭和五十七年、放送演芸大賞ホープ賞受賞。十六年間続けてきた『突撃! 隣の晩ごはん』によって、一躍、全国区の人気者となる。スポーツの知識(特に野球、相撲)では芸能界一といわれている。毎年恒例となっているトークライブ『単なる野球好き』は、ヨネスケならではの世界観を創りだし、話題となっている。
本作品は、二〇〇一年七月、小社より単行本として刊行されました。
ごはん
講談社電子文庫版PC
ヨネスケ(桂《かつら》 米助《よねすけ》) 著
Yonesuke 2001
二〇〇二年三月一二日発行(デコ)
発行者 野間省伸
発行所 株式会社 講談社
東京都文京区音羽二‐一二‐二一
〒112-8001
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