ノートルダム・ド・パリ(上)
ヴィクトル・ユゴー/辻昶・松下和則訳
目 次
著者の序文
第一編
第二編
第三編
第四編
第五編
第六編
第七編
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主な登場人物
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エスメラルダ
ジプシーの美少女。ノートルダム大聖堂の広場で踊っているところを、クロード・フロロに見られ、フロロは彼女によこしまな恋を抱いてカジモドに誘拐させようとしたが、彼女は王室射手隊長のフェビュスに救い出される。
クロード・フロロ
パリのノートルダム大聖堂の司教補佐(司祭)。エスメラルダの姿に魅せられて彼女を執拗に追いもとめる。エスメラルダの恋人フェビュスを刺し、彼女に無実の罪をきせ、その後彼女をさらってジプシーを憎む隠遁尼に彼女をあずける。しかしエスメラルダが処刑されるや、カジモドにノートルダム大聖堂の塔の上から突き落とされて死ぬ。
フェビュス・ド・シャトーペール
王室射手隊長の美男の士官。カジモドに誘拐されようとするエスメラルダを救い、彼女の恋人となる。のちに恋に狂ったクロード・フロロに刺される。
カジモド
クロード・フロロに拾われ育てられてきたノートルダム大聖堂の鐘番。背の曲がった醜怪な男だが、エスメラルダをさらおうとした罪で鞭《むち》打たれたとき、逆に彼女に情をかけられて、彼女に対して清らかな愛情を抱く。エスメラルダが絞首台で処刑されるや、クロード・フロロを殺して復讐し、エスメラルダの亡骸《なきがら》を抱きつつ死ぬ。
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著者の序文
五、六年まえのことだが、この物語の作者がノートルダム大聖堂を訪れたとき……いや、さぐりまわったときと言ったほうかいいかもしれないが……、作者は、塔の暗い片隅の壁に、つぎのようなことばが刻みつけられているのを見つけたのである。
ANAΓKH(宿命)
年を経て黒くなり、壁石にかなり深く彫りこまれたこのギリシア語の大文字、中世の人間が書いたことを示しているかのような、文字の形やたたずまいにみられるゴチックの筆法に特有ななんともいえぬ風格、ことにその文字が表わしている悲痛で不吉な意味、こうしたものに作者は激しく胸を打たれたのである。
私はいぶかった、解き当ててみようとつとめた、この古い聖堂のひたいに、罪悪か不幸かを表わすこのような烙印《らくいん》を残さずにはこの世を去っていけなかったほどの苦しみを味わったのは、いったいどんな人間だったのだろうか、と。
その後、あの壁は塗料をぬられるか、よごれをけずり落とされるかして(そのどちらだったか、私にももうわからないが)、あの文字も見えなくなってしまった。中世の素晴らしい教会はおよそ二百年以来、みなこんなふうに扱われてきたのである。毀損《きそん》の手は、内からも外からも、あらゆる方面から、こうした建物に襲いかかってくるのだ。聖職者が塗りたくり、建築家がけずり落とし、つぎには民衆が襲いかかって、打ちこわしてしまうのである。
こういうわけで、この物語の作者がここに捧げるはかない思い出のほかには、ノートルダムのあの暗い塔に刻まれていた不思議なことばにかかわりのあるもの、あのことばがあれほどわびしげにひとことで表わしていた見知らぬ人間の運命を物語るものは、いまはもう何ひとつ残っていない。あのことばをあの壁に書きつけた人間は、何世紀もまえに世代の波間に消えてしまったし、あのことばも、その後聖堂の壁から消え失せてしまった。聖堂そのものも、そのうちには、おそらくこの地上から消え去ることであろう。
この物語はあの不思議なことばから生まれたのである。
一八三一年三月
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第一編
一 大広間
いまから三四八年六カ月と十九日まえのことだが、パリの市民は|中の島《シテ》、大学区《ユニヴェルシテ》、市街区《ヴィル》をとりまく三重の城壁の中で、いっせいにガンガンと鳴りだした全市の鐘の音で夢を破られた。
だが、一四八二年一月六日というこの日は、何かとくに歴史に残るような事件が起こった日ではない。朝っぱらからパリじゅうの鐘や市民たちの心をこんなぐあいに揺りうごかした事件というのは、べつにたいしたことではなかったのである。ピカルディー人やブールゴーニュ人が押しよせてきたわけでもなく、聖遺物箱の行列がねり歩いたわけでもなく、ラースのブドウ園で学生が騒ぎだしたのでもなく、「まことに恐るべき国王陛下」〔フランス王ルイ十一世〕が入城されたのでもなく、パリ裁判所で男や女の泥棒どもをずらりと並べて絞首台にぶらさげるというふうなことでさえもなかった。十五世紀によくあったように、けばけばしい身なりをし、馬の頭に羽根飾りをつけたどこかの国の使節の一行がだしぬけにやってきたというのでもなかった。こうした種類の騎馬行列はつい二日まえにひとつ来たばかりだ。フランス王太子とフランドルのマルグリット姫との婚礼とり決めの役目をおびたフランドルの使節の一行がパリに入城したのである。
ブールボン枢機卿《すうききょう》は、やれやれ、やっかいなことだわい、と思いながらも、国王のご機嫌をとりむすぶために、フランドルの市長連からなるこのおのぼりさんの一団をもてなし、ブールボンの自邸で、「教訓劇、茶番、狂言などを存分に催して」彼らを楽しませなければならなかった。しのつく雨で、屋敷の戸口に張られた素晴らしいつづれ織《おり》が、ぐしょぬれになっているというのに。
一月六日、ジャン・ド・トロワが「パリの全市民が沸きたった日」と言っているこの日は、ずっと昔から御公現の祝日とらんちき祭り〔〈らんちき法王〉を選ぶなど、教会や教授をコケにする行事を行なった祭り〕とが、ちょうど重なりあうようにできている日だった。
この日には、グレーヴ広場でかがり火がたかれ、ブラック礼拝堂に五月柱が立てられ、パリ裁判所で聖史劇が上演される。まえの日になると、紫呉絽《むらさきごろ》の美しい陣羽織を着て、胸に大きな白い十字架をつけたパリ奉行《ぶぎょう》どのの役人たちが、辻々でらっぱを吹き鳴らして、祝日を触れまわったものだ。
というわけで、この日は、しもた屋も商家もしめっきりで、朝から男女の市民の群れがぞろぞろとあちらからもこちらからも現われて、催し物のある三つの場所のどれかへ向かっていった。誰もが思い思いにかがり火か、五月柱か、聖史劇へ出かけるのだ。なおこれは、物見高いパリっ子の昔からの分別のよさを誉《ほ》めることになるのだが、群集のおおかたは、ちょうど季節向きのかがり火か、裁判所の大広間で上演される聖史劇のほうへ足を向けたということを申し上げておかねばならない。裁判所といえば、なにしろしっかりした屋根があって、窓もドアもぴったりとしまるのだから。ろくに花もつけない五月柱はブラック礼拝堂の墓地で、一月の寒空の下にひとりみじめに震えながら、見物人からはいっせいにそっぽを向かれていた。
とりわけ裁判所へ向かう通りの人波がひどかった。というのも、二日まえにやってきたフランドルの使節の一行が聖史劇の上演と、やはり大広間で行なわれるばかりになっていた、らんちき法王の選挙に顔を出すはずだということが知れわたっていたからだ。
この大広間は、そのころ屋根のある場所としては大きさ世界一といわれたものだが(十七世紀の歴史家ソーヴァルが、モンタルジ城の大広間の広さをまだ測っていなかったのは事実だ)、この日は、そこへはいりこむのもなまやさしいことではなかった。人波がごったがえしている裁判所前の広場は、窓からながめているやじ馬連中の目には、まるで海みたいにみえた。広場に出る五つか六つの通りが、ちょうど川口のように、ひっきりなしに新しい人波を吐き出している。絶えまなくふくれあがっていく群集の波は、いびつな形をした海面みたいな広場の中へあちらこちらで岬のように出っぱっている家々のかどにぶつかっている。裁判所のゴチック式の高い正面のまん中を走っている大階段は、休みなく昇り降りする二重の人波の流れですっかりおおわれている。流れは階段の下にある踏み段の下でくずれ、大きな波となって左右の斜面に広がっている。ちょうど滝が湖に落ちこむように、大階段が絶えまなく広場の中へ流れこんでいる、とでも言えようか。
どなり声や、笑い声や、何千という群集が踏みたてる足音がまじりあって、ワンワンガンガンとなんともたいへんな騒がしさだ。ときどきこの騒がしさはいちだんと激しくなった。大階段へ向かう群集の流れが押しかえされ、ごちゃごちゃに乱れ、うずを巻くからなのだ。おまわりが人を乱暴にこづくか、裁判所づき警吏の乗馬が群集を整理するためにあと足をけあげるかしたせいだ。こうしたけっこうなやり口は、立派な伝統として、パリ裁判所から時代時代の憲兵隊へ、それから今日のパリ憲兵隊へと忠実にひき継がれてきているのだが。
戸口にも、窓にも、屋根窓にも、屋根の上にも、市民の、人のよさそうで、もの静かで、りちぎな、何千という顔が鈴なりになっている。どの顔も裁判所の建物や人ごみをながめ、それだけですっかり満足している。というのも、パリっ子というのは、たいてい見物人を見物するだけで満足するものなのだから。壁の向こう側で何かが起こっていると、その壁がもう、とてももの珍しいものに思えるのである。
もし、われわれ一八三〇年代の人間が、想像の中で、こうした十五世紀のパリっ子の群れに入り混じって、引っぱられたり、ひじでこづかれたり、倒されたりしながら、いっしょにパリ裁判所のこのだだっびろい広間(一四八二年一月六日の当日には、とても窮屈だったのだが)にはいっていけたとしたら、その場の光景はまんざら興味のないものでも、魅力のないものでもないはずだ。まわりに見えるのがひどく古めかしいものばかりだから、それだけかえって目新しく思えるに違いない。
読者のみなさんがご同意下さるならば、みなさんが私といっしょに裁判所の大広間の敷居をまたぎ、中世の外衣だの羽織だの長衣だのを着こんだこの群集の中におはいりになったとして、そのときお受けになるに違いない印象を、ここで想像して書いてみたいと思う。
まず、耳がガンガンなり、目がくらくらっとする。頭の上は、木彫をはめこみ、空色に塗りあげ、金のユリ模様をほどこした迫持形《せりもちがた》二重丸天井。足もとは白黒の大理石を互い違いにはめこんだ床。五、六歩離れたところにばかに大きな柱が一本。その先にまた一本。そのまた先にもう一本。広間の縦の線に沿ってこうした柱が全部で七本立っていて、横の線の中央で丸天井のせり上げをささえている。はじめの四本の柱のまわりには商人の陳列台が並んでいて、ガラスや安ぴか物でぴかぴか光っている。あとの三本の柱のまわりには、訴訟人の半ズボンや代訴人の法服でこすられて、てかてかになったカシワのベンチが置かれている。広間のぐるりには、高い壁に沿って、戸口と戸口とのあいだ、窓と窓とのあいだ、柱と柱とのあいだに、ファラモン王以来の歴代のフランス王の彫像がずらりと並んでいる。ものぐさ王たち〔メロヴィング王朝末期の諸王〕は両腕をだらりとたらして、目を伏せている。剛勇でいくさ好きな王たちは、大胆不敵な顔つきで、顔と両手を天のかなたにあげている。尖頭《せんとう》アーチ形の細長い窓には、色とりどりのステンドグラスがはめこまれ、広間の広い出入り口には、みごとな彫刻をほどこした、豪華なドアがとりつけられている。そして丸天井も、柱も、壁も、ドアや窓の枠《わく》も、羽目板も、ドアも、彫像も、上から下まで、すっかり目にもあざやかな青色と金色で塗りたてられている。
だが、このあざやかな色調も、もうこの物語の時代には少しばかりつやを失っていたし、一五四九年のころには、もうほとんど、ほこりとクモの巣の下に隠れてしまっていた。この年にデュ・ブルール神父〔十六〜十七世紀のフランスの聖職者、考古学者〕がまだこれを称賛しているのは、ただ、慣例にしたがったまでなのだ。
さて、この巨大な長方形の広間のありさまを思い浮かべていただきたい。どんよりした一月の日の光に照らしだされた広間の中へ、思い思いのけばけばしい服を着た、騒々しい群集がどっと流れこみ、壁づたいに流れていって七本の柱のまわりに渦を巻いている。まずこれだけを思い浮かべていただけば、この場全体のだいたいのようすはおわかりになったことになるのだが、みなさんの興味をひきそうな細かいところを、もう少し、詳しくお話ししてみることにしよう。
たしかに、もしラヴァイヤックがアンリ四世を暗殺しなかったとしたら、ラヴァイヤックの訴訟書類が裁判所の書記課に保管されるということはなかったわけだ。この書類の隠滅を計ろうとする共犯者も現われなかったわけだ。したがって、裁判所に火をつけねばならないなどという事情も起こらなかったわけだ。つまり書類をなくしてしまうために、ほかにいい方法もないので、焼いてしまおうとし、そのために書記課を焼こうとし、書記課を焼くために裁判所を焼こうなどという企ては起こらなかったわけだ。だから結局、一六一八年の大火など起こらなかったはずだ。とすれば、古い裁判所は、あの古い大広間をかかえて、いまでも立っているはずだ。わたしは、あなたに、「見に行ってき給えよ」と言えば、それですむわけだ。そうすれば、ああだこうだという描写をわたしはやらなくてすむし、あなたは読まなくてすむ。両方とも大いに助かるのだが。……つぎのような新しい真理がこれで証明されたことになる。大事件というものは計り知れない結果をともなうということなのだ。
実を言えば、まずラヴァイヤックには共犯者などいなかった、また、ひょっとして、いたとしても、彼らは一六一八年のあの大火にはなんの関係もなかった、ということも大いにありうるのである。この火事については、ほかにふたつの、はなはだもっともらしい説明が行なわれている。ひとつは、さしわたし三十センチあまり、高さ五十センチほどの大きな燃えさかる星が、誰もが知っているように、三月七日の真夜中すぎに、大空から裁判所の上へ落ちたというのだ。もうひとつは、テオフィルのつぎの四行詩にうたわれている。
まことに、気の毒なことであった、
パリで、裁きの女神が
香辛料を食べすぎて、
口のなかをかっかとほてらされたのは。
一六一八年の裁判所の大火についての、こうした政治的、物理的、詩的な三方面からの説明を人がどう考えようと、とにかく火事があったという事実は残念ながら確かなのだ。この大災害がたたって、ことに、災害をまぬがれて残った部分につぎつぎと加えられていった、さまざまな修復作業がたたって、今日では、ルーヴル宮の兄に当たる、この最初のフランスの王宮も昔の姿はほとんどとどめていない。フィリップ・ル・ベル王の時代にさえ、もうとても古くなっていたので、人びとは、ロベール王が建設し、エルガルデュスが描写した、あの素晴らしい建物のおもかげをそこに探し求めたものなのだが。いまはほとんど何もかもなくなってしまった。
サン・ルイ王が「お床入りをされた」勅印の間《ま》はどうなってしまったのだろう?「呉絽《ごろ》の上衣に交織《こうしょく》の袖なし羽織、その上に黒檀《こくたん》色のマントを着、ジョワンヴィル〔サン・ルイ王の顧問官〕とともに敷物の上に横になって」裁判をされたあの庭はどうなってしまったのだろう? シジスモン皇帝の部屋はどこにあるのだろう? シャルル四世の部屋は? ジャン・サン・テール王の部屋は? シャルル六世が特赦《とくしゃ》令を発布された階段はどこにあるのだろう? マルセル〔十四世紀のパリ市長。民衆の指導者〕が王太子の面前でロベール・ド・クレルモンとシャンパーニュ元帥を殺した場所は? 対立法王ベネディクトゥスの教書が引き裂かれた小門は? 教書をもってきた使者たちが、祭服をつけ司教冠をかぶった姿をののしられながら、パリじゅうに公に謝罪するために出ていったあの小門は? 大広間は? 大広間のあざやかな金色《こんじき》や青色や、尖頭《せんとう》アーチや、彫像や、柱は? 彫刻を一面にほどこした巨大な丸天井は? 金色の間は? 頭をたれ、しっぽを両足のあいだに巻き、ソロモンの王座のライオンのように、正義のまえにひれ伏す力といった、へりくだった格好で、戸口に控えていた石のライオンは? あのみごとな数々の扉は? 美しいステンドグラスは? ビスコルネットにやる気を失わせてしまった数々の鉄細工は? デュ・アンシのデリケートな指物細工は?
こうした驚嘆すべきさまざまなものを、時間と人間とはどうしてしまったのだろうか? 失われた全ゴール史、全ゴチック芸術の代わりとして、われわれはいったい何を受けとったのだろうか? サン=ジェルヴェ教会の正面玄関をつくった、あの不器用な建築家ブロスどのの重くるしい平円アーチだ。これが芸術として与えられたものなのだ。歴史としては、パトリュ〔十七世紀の雄弁で知られた弁護士〕ばりのむだ話をまだ反響させている、あの大円柱に秘められたおしゃべりな思い出話だ。だが、こんなことは、たいした問題ではない。……ほんとうの昔の裁判所のほんとうの大広間に話を戻そう。
このだだっ広い平行四辺形の広間の一方の端には、有名な大理石の一枚岩が置いてある。長さといい、幅といい、厚さといい、いままで誰も見たことのないような大きなもので、古い土地台帳には、ガルガンチュア〔ラブレー作『ガルガンチュア物語』の中の同名の巨人〕が舌なめずりでもしそうな文句で、「こんな大きな大理石は世界じゅうどこにも見あたらない」と書いてあるやつだ。広間のもう一方の端には、ルイ十一世が、聖母マリアの前にひざまずいている自分の姿を刻ませた礼拝堂がある。ルイ十一世はまた、王像の列の中に二カ所ぽっかりとあきができるのもかまわずに、シャルルマーニュとサン・ルイ王の彫像をこの礼拝堂に移してしまった。このふたりこそ、フランス王の中でもたいそう神の信任が厚かった聖人なのだと思っていたからだ。まだ新しく、建てられてから六年たらずにしかならなかったこの礼拝堂は、わが国のゴチック末期の特徴となっているあの美しく魅惑的な趣味にぴったり合わせてつくられたもので、デリケートな構造をそなえ、驚くべきみごとな彫刻や、精巧で深みのある彫金作品で飾られていた。こうした好みは、十六世紀なかごろのルネサンスの夢幻的な幻想の中にまでずっと生きつづけたのである。正面玄関の上の小さな透かし円花窓《えんかそう》は、とくに繊細優雅な傑作で、まるで鉄細工の星みたいな感じがするのだった。
広間のまん中の、大戸口に向かいあったところの壁沿いに、金らんの幕を張った高壇《たかだん》がある。これには金色の間《ま》の廊下の窓を使って特別の入り口ができている。この高壇は聖史劇の上演に招かれたフランドルの使節や、そのほかのお偉がたのために、とくに設けられたものだ。
聖史劇はしきたりどおり、例の大理石の盤の上で演じられることになっていた。盤は朝早くからそのように準備されていた。みごとな大理石の表面は法律組合の連中のかかとですりへらされて筋だらけになっているが、その上にかなり高い木の枠組《わくぐみ》が立っている。枠組の上の面が広間のどこからでも見えるようになっていて、これが舞台になるのだ。つづれ織りで囲われた枠組の中が、俳優たちの楽屋の役をつとめる。外側に梯子《はしご》が一本あっさりと掛けてあるが、これは舞台と楽屋をつなぐ通路になるもので、俳優たちは登場にも退場にも、このけわしい段々のお世話になるのだ。だしぬけに人物が登場するときも、場面が急転回するときも、芝居が山場を迎えるときも、俳優たちはいちいちこの一本の梯子を昇り降りしなければならない。やり方といい、仕掛けといい、なんと罪のない、尊敬すべき幼稚さかげんだろう!
お仕置きの日にも、お祭りの日にも、いやおうなしに民衆の楽しみの番をさせられる裁判所の大法官づきの四人の警吏が、大理石の盤の四隅にしゃっちょこばってつっ立っている。
芝居は、裁判所の大時計が十二時を打ち終わってからはじまることになっていた。芝居をやる時間としてはたしかにだいぶ遅すぎるのだが、使節の都合に合わせて、こんな時間に決めなければならなかったのだ。
ところで、ここにいる大勢の群集は朝から待っていたのだ。この人のよい熱心な見物人はたいてい、夜がしらじら明けそめるころから裁判所の大階段の前でがたがた震えていたのだ。なかには、まっさきにとびこめるように大戸によっかかって夜明かしをやったんだ、などと真顔で言っている者もいた。人波は休みなくふくれあがっていって、ちょうど水が入れ物いっぱいになったときみたいに、壁ぎわで盛りあがったり、柱のまわりで山をつくったり、なげしや、軒じゃばらや、窓の下枠や、建物の出っ張りや、彫刻のせり出したところの上にところきらわず溢れ出しはじめた。だから、窮屈な思いや、じりじりする気持や、退屈や、厚かましさとらんちきさわぎがおおっぴらにまかり通るこの日の遠慮ご無用の雰囲気や、やれ、ひじでつついただの、やれ、びょうを打った靴で踏んづけただのと言って、やたらにおっぱじまる喧嘩沙汰や、長いあいだ待たされることからくる疲れや、そのほか何やかやで、使節が到着するまでにはまだまだ時間があるというのに、閉じこめられ、かこいこまれ、押しつけられ、押しつぶされ、息をふさがれたこの群集の騒がしさはますますかん高く、激しくなってゆくのだった。
聞こえてくるのは、フランドル人や、パリ市長や、ブールボン枢機卿や、大法官や、オーストリア(フランドル)のマルグリット姫や、警吏や、寒さや、暑さや、悪い気候や、パリ司教や、らんちき法王や、柱や、彫像や、あっちのしまったドアや、こっちのあけた窓、こうしたものに対する不平とのろいの声ばかり。
人ごみの中に散らばっていた学生たちと従僕どもの群れはこうした騒ぎをやたらにおもしろがり、みんなの不満の声の中へ冷やかしや、悪ふざけのことばをまき散らし、この場のいらいらした空気を、いわば、ちくちくつついて、なおさらひどくいらだたせていた。
なかでも、陽気ないたずら者の一団がとくに目についた。彼らは窓ガラスを一枚ぶちこわすと、人もなげに窓枠《まどわく》の上にどっかと腰をおちつけて、そこから内と外、つまり、広間の人波と広場の人波をかわるがわるながめては、やじをとばしはじめたのだ。彼らが物まねの身ぶりをやったり、ゲラゲラと大声で笑ったり、広間の端から端へ仲間同士でやじのやりとりをやっているところを見れば、このくちばしの黄色い書生どもが、ほかの見物人のように退屈も疲れもしていず、目の下に広がっているながめから、彼らなりにじゅうぶん胸のわくわくする見せ物としてのおもしろさを感じていて、本物の見せ物がはじまるのを、それほどじりじりして待ってはいないということが、すぐわかるのだった。
「やあ、おめえはたしかに『ジャン・フロロ・ド・モランディノ』だな!」と、ひとりの学生が金髪のちびっこに向かって叫んだ。呼ばれた相手は可愛らしい、いたずらっぽい顔つきをした男で、柱頭のアカンサスの葉飾りにしがみついている。「≪風車場のジャン≫たあ、いい名まえをもらったもんだなあ。だって、おめえの二本のおててと二本のあんよは、くるくるまわる風車の四つ羽そっくりだからよ。……いったいいつから、そこにひっかかってるんだい?」
「ありがてえことにゃ、もう四時間以上もまえからさ」と、ジャン・フロロが答えた。「この四時間は、どうでも、おれさまの煉獄《れんごく》の時間からさし引いてもらわなくちゃあ。なにしろ、シチーリア王の八人の聖歌隊員が、サント=シャペル礼拝堂で七時の大ミサのとっぱじめを歌いだすのを聞いたんだからな」
「たいへんな歌い屋どもだ。てめえたちのずきんの先よりとんがった声をしやがってさ! 王さまも聖ヨハネさまにミサをあげるまえによ、聖ヨハネさまがラテン語をプロヴァンスなまりでだらだらと唱《とな》えるのがお好きかどうか、きいとかなくちゃいけなかったんだ」と、一方がまた言う。
「あんなことをしたのも、シチーリア王のあのろくでもない聖歌うたいを雇うためなんだよ!」と、窓の下の人ごみの中にいたひとりのばあさんが、いやみたっぷりな口調で叫んだ。「まったく、あきれるじゃありませんか! ミサひとつにパリ金千リーヴルだなんて! しかも、今度もまたパリの魚市場からお召し上げだ!」
「お黙り! ばあさん。ミサはどうしてもあげねばならなかったのじゃ。まさか、王さまがまた病気になればいいなどと思っているのじゃあるまいな?」と、魚売りのばあさんのそばで鼻をつまんでいた、太ったきまじめなようすの男が言った。
「ごもっともでござる。国王御着用毛皮類製造親方ジル・ルコルニュどの!」と、柱頭にかじりついていたさっきのちびっこ学生がまぜっかえした。
哀れな国王御着用毛皮類製造人のこのあいにくな名まえが聞こえると、学生たちはいっせいにどっと笑い声をあげた。
「ルコルニュ! ジル・ルコルニュ!」と、いくたりかが唱える。
「角《つの》がはえた(コルヌトゥス)、毛むくじゃらの」と、ひとりが受ける。
「やい! いったいぜんたい、なにがおかしいんだい? ジル・ルコルニュどのは立派なおかただぞ。王家役人裁判長のジャン・ルコルニュ親方とはご兄弟のあいだがらで、ヴァンセンヌの森の一等門衛マイエ・ルコルニュ親方のご子息なんだ。みんなれっきとしたパリ市民で、先祖代々ちゃんと嫁さんももらってるんだぞ!」と、柱頭のちびが言いつづける。
陽気な騒ぎはここで、ひときわわっと盛りあがった。太った毛皮類製造人はひとことも返せず、四方八方から矢のように注がれるみんなの目を逃れようと一所懸命。だが、やたらに汗が流れ、息がきれるばかりで、ちょうど木に打ちこまれたくさびみたいに、いくらりきんでみても、くやしさと腹だたしさでまっかになった、卒中《そっちゅう》もちの平べったい顔を隣の人びとの肩と肩のあいだにぐいぐい突っこむよりほかに手はない。
とうとう、彼と同類の、太った、背の低い、押し出しの立派な男がすけだちに現われた。
「けしからん! 学生のくせに市民に向かってなんという無礼な! わしの若いころだったら、きさまのようなやつはそだ束でひっぱたかれて、そのそだで焼かれてしまうところなんだぞ」
学生の群れはいっせいにわめきだした。
「ヘッヘッヘー! くだらん寝言を言ってるのは誰だい? 縁起でもねえミミズク野郎め。いったいありゃなんなんだ?」
「おや、ありゃ見た顔だぞ。アンドリ・ミュニエ親方だ」と、ひとりが言った。
「知ってるはずさ。大学お出入りの四人の本屋のひとりだからなあ!」と、もうひとりが言う。
「あの大学屋にゃ何もかも四つずつありゃあがるんだ。民族も四つ、学部も四つ、祭りも四つ、監事も四人、選挙人も四人、本屋も四人だ」と、またべつのひとりが叫ぶ。
「そいじゃあ、そこで、≪よんちゃん≫騒ぎをやらなくちゃなるめえ」と、ジャン・フロロが言った。
「ミュニエ、おめえの本を焼いちまうぞ」
「ミュニエ、おめえの下男をひっぱたいちまうぞ」
「ミュニエ、おめえのかみさんの着ている着物をやぶいちゃうぞ」
「お人よしで、でぶちんのウダルドさんの着物をさ」
「ありゃあ後家さんになったみてえに、ういういしくて、陽気な女だ」
「畜生、犬にでも食われちまえ!」と、アンドリ・ミュニエ親方がつぶやいた。
「アンドリ親方、静かにしろ。でないと頭の上へドシンといくぞ!」とジャンが、あいかわらず柱頭にぶらさがったまま言った。
アンドリ親方は上を見て、ちょっと柱の高さといたずら小僧の体重を計っているみたいだったが、あの体重に速度の二乗を掛けると、と、胸のうちで計算すると、ぴたりと口を閉じてしまった。
地の利を得たジャンは勝ちほこって、なおも言う。
「おれは司教補佐の弟だけど、そのくれえのこたあ、やってのけられるんだぞ!」
「諸君、大学の先生ってのは、なんてけちなやつばっかりなんだ! きょうみてえな日に、われわれの特権を尊重させようともしねえなんて! そうだろう、市街区《ヴィル》にゃ五月柱やかがり火があるし、|中の島《シテ》じゃ聖史劇やら、らんちき法王やらフランドルの使節が見られるってえのに、大学区《ユニヴェルシテ》にゃなんにもなしときやがるんだ!」
「モーベール広場はけっこう広いのになあ!」と、窓ぎわのテーブルの上に陣どった学生のひとりがつづけた。
「総長も、選挙人も、監事も、みんなやっつけろ!」とジャンが叫ぶ。
「今晩ガイヤール広場でかがり火をやろうじゃねえか。アンドリ親方の本を燃してよ」と、さっきの学生がつづける。
「書記の机もたいちまいな!」と、隣の学生が言う。
「守衛の警棒もだ!」
「学部長のたんつぼもだ!」
「監事の食器戸棚もだ!」
「選挙人のパン箱もだ!」
「総長の腰かけもだ!」
「やっつけろ!」と、ちびのジャンがひときわかん高い調子でどなる。「アンドリ親方も守衛も、書記どもも、みんなやっつけろ。神学者も、医学者も、教会法学者も、やっつけろ。監事も、選挙人も、総長も、やっつけちまえ!」
「やれやれ、世も終わりじゃ!」と、アンドリ親方は耳をふさいでつぶやいた。
「おいみんな、総長だぞ! ほら、広場を通ってくらあ」と、窓べにいるひとりが叫んだ。
みんなはわれがちに広場のほうを振り向いた。
「本当にわれらの尊敬すべき総長チボー先生かい?」と、≪風車場のジャン・フロロ≫がきいた。広間の中の柱にしがみついているので、外のことは見えなかったのだ。
「そうだ、そうだ、あいつだ、ちげえねえ、総長のチボー先生さまだ」とみんなが答えた。そのとおり、学生たちの目についたのは総長と大学のお偉い先生がただった。行列をつくってフランドルの使節を出迎えにゆく途中、ちょうど裁判所前の広場へさしかかったところだった。学生たちは窓ぎわにひしめきあい、いろいろなあてこすりや皮肉たっぷりな喝采《かっさい》を送って、一行の通過を迎えた。行列の先頭になってやってきた総長が、まず最初の一斉射撃を浴びせられた。遠慮もへったくれもあったものじゃない。
「総長先生、おはよう! おおい! おはようって言ってるんだ!」
「こんなところへのこのこ現われて、いったいどうしたってんだ、老いぼれのばくち打ちめ? もうさいころはお見捨てなさったのかね?」
「ラバに乗っかってよちよち歩きだ! ラバの耳のほうが、あいつの耳よりまだ短いぜ」
「おおい! おはよう、総長のチボー先生! ばくち打ちのチボー! ばかじじい! 老いぼれのばくち打ち!」
「どうだい! ゆうべはいい目が出たかい!」
「見ろ! あの老いぼれづらを。あんまりさいころをにらみつけたもんだから、青くなって骨ばっちまったぞ!」
「いったい、どこへいくつもりなんだ、さいころ振りのチボーどん。大学にゃ背なかを向け市街区《ヴィル》の方へちょこちょこ走《ばし》り?」
「チボートデ通りへばくち宿を探しにでもいくんだろう」と、≪風車場のジャン≫が叫んだ。
学生たちは、ワッといっせいに声をはりあげ、気が狂ったみたいに手を叩いて、この冷やかしを繰り返した。
「チボートデ通りへばくち宿を探しにいくんだな、総長先生、さいころ勝負の親分、なあ、そうだろう?」
今度はお偉い先生がたがやっつけられる番だ。
「守衛をやっつけろ! 権標《けんぴょう》持ちをやっつけろ!」
「おい、おい、ロバン・プースパン、あそこにやってくるやつあ誰だい?」
「ありゃジルベール・ド・シュイイ、ラテン呼びが『ギルベルトゥス・デ・ソリアコ』ってやつだ。オータン学院の書記長さ」
「おい、ほら、おれの靴だ。おめえ、おれより都合のいい場所にいるんだから、そいつをやつのつらに投げつけてくれ」
「ほら、サトゥルヌス祭のくるみを投げつけるぞ」
「白衣を着た六人の神学教授どももやっつけろ!」
「あいつらあ神学教授なんかい? おれはまた、サント=ジュヌヴィエーヴがローニ領からのみつぎ物としてパリ市に納めた六羽の白ガチョウだと思ってたよ」
「医学者どもをやっつけろ!」
「必須討論も選択討論もやっつけろ!」
「おい、サント=ジュヌヴィエーヴの丘の書記長、おれのシャッポをくれてやるぞ! てめえは、えこひいきをしやがったからな。……ほんとによ! あいつはノルマンディー組のおれの席次を、ブールジュ州出のアスカニオ・ファルザスパダのちびにくれちまいやがったんだ。つまりあいつがイタリア人だからよ」
「そいつあ不正行為ってやつだ。サント=ジュヌヴィエーヴの丘の書記長をやっつけろ!」と、学生たちは声をそろえて言う。
「おおい! ジョワシャン・ド・ラドオール先生! おいこら! ルイ・ダユイユ! やい! ランベール・オクトマン!」
「あんなドイツ組の監事なんざ、悪魔に首でも絞められちまえ!」
「それに、あの灰色の祭服を着た、サント=シャペルづきの司祭どももな!」
「ってより、毛でかざった服のよ!」
「おおい! 文学士の先生がた! きれいな黒マントの先生がた! きれいな赤マントの先生がた!」
「総長のあとにぞろぞろぞろぞろ、みごとなしっぽだ」
「ヴェネツィア公が海とのご婚礼にお出かけってところだなあ」
「なおおい、ジャン! サント=ジュヌヴィエーヴの参事会員どもがいくぞ!」
「参事会員なんてくそくらえだ!」
「クロード・ショワール神父! クロード・ショワール博士! マリ・ラ・ジファルドを探してるのかい?」
「あいつはグラチニ通りにいるぜ」
「娼婦取締り係のベッドを用意してますぜ」
「四ドニエの営業税を払っとりますぜ」
「でなきゃあ、客たちにおごらせてるぜ」
「おめえも払ってもらいてえのか?」
「おいみんな! ピカルディーの選挙人シモン・サンガン先生が、女房を馬のしりに乗っけていくぞ」
「騎士のうしろに黒き憂いがすわる」
「ずうずうしいぞ、シモン先生!」
「おはよう、選挙人どの!」
「おやすみ、選挙人の奥さん!」
「いいなあ、みんなはいろんなものが見られて」と、あいかわらず柱頭の葉飾りにしがみついていた≪ジャン・ド・モランディノ≫が溜息をつきながら言う。
下では大学お出入りの書籍商アンドリ・ミュニエ親方が、国王御着用毛皮類製造人ジル・ルコルニュ親方の首もとに口を近づけて、しゃべっている。
「いやはや、あなた、世も終わりですな。学生どものあんならんちき騒ぎは、生まれてこのかた見たこともありませんよ。近ごろのろくでもない発明とやらが、何もかもだいなしにしちまうんですよ。大砲だの、セルパンチーヌ砲だの、臼砲《きゅうほう》だの、とりわけドイツからはやりだしたあのやっかいな印刷術だの。もう写本もいらん、本もいらんってわけです。印刷術は本屋殺しですよ。いよいよ世も終わりですなあ」
「ビロード地もいい物ができるようになりましたからねえ、そのへんのところはよくわかりますよ」と毛皮屋は答える。
ちょうどそのとき、十二時が鳴った。
「あ、鳴った!……」と、群集は声をそろえて言った。学生たちもぱったり黙ってしまった。つづいてザワザワガタガタと大きな騒音が起こった。みんなの足や頭が大きく動く。大勢がせきをしたりチーンと鼻をかんだりする音が、あたりにとどろきわたる。みんながならんだり、自分の位置を決めたり、背伸びをしたり、仲間同士で集まったりする。それがすむと、あたりはシーンと静まった。みんな首を伸ばし、口をぽかんとあけ、大理石の盤のほうを見つめている。
ところが、なんにも現われ出ない。裁判所の四人の警吏は、あいかわらずしゃっちょこばって、身じろぎもせずにつっ立っている。まるで絵に描いた四つの彫像みたいに。みんなはフランドルの使節のために設けられた高壇《たかだん》のほうへ目を向けた。だが、ドアはしまったままだし、高壇はからっぽだ。この群集は朝から三つのものを待っていた。つまり正午と、フランドルの使節と、聖史劇とを。だが、時間どおりにきたのは正午だけだったのだ。
これでは、あんまりひどすぎる。
一分、二分、三分、五分、とうとう十五分待った。だが、なんにもはじまらない。高壇はからっぽのままだし、舞台もだんまりだ。じりじりしていた群集はそろそろおこりだしてきた。まだ小声ではあったが、いらだちのことばが、あっちからもこっちからも聞こえてくる。
「聖史劇はどうしたんだ! 聖史劇はどうしたんだ!」と、ぶつぶつ言う小声がもれてくる。みんな頭にきているのだ。まだゴロゴロいっているだけだが、あらしを帯びた雲がこの群集の上にただよっているのだ。そこから最初のぴかりという光をとびださせたのは、風車場のジャンだった。
「聖史劇をやれ。フランドル人なんか犬に食われちまえ!」と、柱頭のまわりでヘビみたいにからだをくねらせながら、ジャンは声をはりあげてどなった。
群集はいっせいに手を叩いた。
「聖史劇をやれ、フランドル人なんか犬に食われちまえ!」と、みんなは繰り返した。
「聖史劇をやれってんだ。とっととやれ。でないと、喜劇か教訓劇でやるみてえに大法官をぶらさげちまうぞ」とジャンがどなりつづける。
「そうだ、そうだ。とっぱじめに、そこの警吏をぶらさげちまおうよ」とみんなが叫ぶ。
大喝采がわき起こった。可哀そうに、四人の警吏は青くなって顔を見あわせはじめた。群集は警吏めがけて押しよせた。そして、警吏と群集とをへだてている弱そうな木の手すりが、人波に押されてミシミシとたわみ、ペこんとへこむのが四人の目に映った。
危機一髪。
「絞めちめえ! 絞めちめえ!」と、四方八方からどなり声があがった。
ちょうどこのとき、さきほど申し上げた楽屋のつづれ織がさっとあがって、ひとりの人物が現われ出た。それを見ると、群集はぴたりと騒ぎをやめた。かっかとのぼせあがっていたのが、まるでおまじないでもかけられたように、好奇心のかたまりみたいになってしまった。
「しいっ! しいっ!」
現われ出た人物は、はなはだ心もとなげなようすで手足をぶるぶる震わせながら、大理石の盤のへりまで進み出た。はじめから、むやみやたらにお辞儀をしていたが、そのお辞儀は出るほどに進むほどに、だんだん深くなって、とうとう、ひざまずいてしまったようにみえた。
その間に、あたりはまた、だんだん静かになっていった。聞こえるものといっては、静かな人波からいつもきまってもれてくる、あのかすかなざわめきだけである。
「お集まりの市民のみなみなさま」と、彼はしゃべりだした。「かたじけなくも枢機卿《すうききょう》閣下のご臨場の栄を賜わり、われら一同、題して『聖母マリアの正しいおさばき』と申しまする、興味しんしんたる一場の教訓劇をご高覧に供しまする。ユピテルをあいつとめまするのは、このわたくしめにござりまする。枢機卿閣下におかせられましては、ただいまオーストリア公おん差し向けのご使節さまとご同道なされておりますが、ご使節さまご一行は、ちょうどボーデ門におきまして、大学総長どのよりご挨拶をお受けのところにござりまする。枢機卿閣下のご臨場を得しだい、さっそく開演の運びといたしまする」
もしこのときユピテルがまかり出なかったならば、裁判所の哀れな四人の警吏はとうてい命が助からなかったに違いない。この事件はちゃんとほんとうにあったことなのだが、もし私の創作だとお思いになったとしても、したがって、私がこの話について批判の女神に対し責任を負うべきだとお考えになったとしても、このさい、「やたらに神さまをもちこむな」という昔のいましめをもちだして、この私を責めることはおやめになっていただきたい。それにユピテル神の衣装はとてもみごとだったので、群集の目をすっかりひきつけて、彼らをおちつかせるのにおおいに役だったのである。
ユピテルは黒ビロード張りで金めっきの飾りびょうをつけた鎖帷子《くさりかたびら》を着こみ、頭には銀めっきの飾りボタンをつけたビコケ帽をかぶっていた。顔の上半分には紅を塗りたくり、下半分にはもじゃもじゃといっぱいひげをはやしていた。手には、ボール紙をまるめて金ぴかの縞《しま》を塗り、一面にぴかぴか光る細皮をさかだたせたものを持っていたが、これは芝居通が見れば、ああ、雷だな、とすぐわかるのだった。足は肉色に塗り、ギリシアふうにリボン飾りをしていた。だが、こうしたけばけばしい衣装なんか身につけていなかったら、彼の謹厳な態度は、ベリー侯の軍団にいるブルターニュ人の射手にも負けないと言えるほどだった。
二 ピエール・グランゴワール
だが、この男が口上を述べているうちに、ユピテルの衣装を見せられて満場にたちのぼった満足と賛嘆の熱気は、だんだん冷えていった。そして彼が「枢機卿《すうききょう》閣下のご臨場を得しだい、さっそく開演の運びといたしまする」というあいにくな結びの句にきたとたん、その声はゴーゴーと湧きあがったやじにかき消されてしまった。
「すぐにはじめろ! 聖史劇だ! 聖史劇をすぐやるんだ!」と、みんなはどなった。なかでもひときわ鋭く耳に響くのは≪ジャン・ド・モランディノ≫の声で、まるでニームのどんちゃん音楽の横笛みたいに、ざわめきの中をつんざいて走りまわっていた。
「すぐにはじめろ!」と、この学生はキーキー声《ごえ》をはりあげる。
「ユピテルとブールボン枢機卿をやっつけろ!」と、窓にとまっていたロバン・プースパンのグループががなりたてている。
「教訓劇をやるんだ! すぐやれ! いますぐやるんだ! でないと、役者も枢機卿もぶらんこさしちゃうぞ!」と、みんなは繰り返している。
可哀そうに、ユピテルは目を血走らせ、おろおろうろたえ、紅を塗った顔を青くし、思わず雷をとり落として、あわててビコケ帽を握りしめた。それからぴょこんとお辞儀をして、とぎれとぎれにしゃべりながら、ぶるぶる震えている。
「閣下は……ご使節さまご一行は……フランドルのマルグリットさまは……」
何をどうしゃべっていいのかわからないのだ。実のところ、縛り首にされるのがこわかったのである。
待てば民衆に縛り首にされる、待たねば枢機卿《すうききょう》に縛り首にされる。どっちを向いても地獄、つまりは絞首台だ。
運よくこのとき、彼をあぶないところから助けだし、しりぬぐいをしてやろうという男が現われた。
手すりのこちら側の、大理石の盤のまわりにできているあき間に、誰からもまだ気づかれないで、ひとりの男が立っていた。ひょろ長い体が、よっかかっていた柱の影にすっかり隠れていて、見物人のほうからはまるで見えなかったのだ。いま申し上げたように、この男は背の高い痩せっぽちで、また顔色はさえず、髪はブロンド、額や頬《ほお》にもうしわができているが、年はまだ若かった。目はきらきらと輝き、口もとはほほえみ、古くなってすり切れ、てらてらになった黒サージの服を着ている。この男が大理石の盤に進みよったかと思うと、群集の矢面《やおもて》にさらされている哀れなユピテルに合図をした。だが、相手はうろたえきっていて気がつかない。
進みよった男は、さらにもう一歩近よった。「ユピテル! おいユピテル君!」と、彼は呼びかけた。
これも相手の耳には届かない。
とうとう、のっぽのブロンドはじりじりしてきて、相手のすぐ鼻の下から呼びかけた。
「ミシェル・ジボルヌ!」
「誰だ、呼んだのは?」と、びっくりしてとび起きたみたいな顔つきでユピテルが言った。
「おれだよ」と、黒服の男が答えた。
「あっ、おまえか!」と、ユピテルが言った。
「すぐにはじめろ。げすどもの言うとおりにしてやれよ。おれが大法官にうまく言ってやるよ。そうすりゃ、枢機卿《すうききょう》には大法官がなんとか言いつくろってくれるだろう」と男が言った。
ユピテルはほっと息をついた。
「市民のみなさま。ただいまより、ただちにはじめることにいたしまする」と彼は、あいかわらずやじりたてている群集に向かって、ありったけの声をはりあげて叫んだ。
「ユピテル、いいぞ! 市民諸君、ご喝采《かっさい》願います」と学生たちが叫んだ。
「ばんざい! ばんざい!」と群集が叫ぶ。
耳がつんざけるような拍手がわき起こり、ユピテルがつづれ織の幕の中にはいってしまっても、大広間はまだ喝采の響きでびりびり震えていた。
だが、あの誰ともわからない人物、われらの敬愛するコルネイユのことばを借りて言えば、まるで魔法使いみたいに、「あらしを大なぎに」変えてしまったあの男は、もう例の柱の影の薄暗いところにつつましやかに姿を隠してしまっていた。男は、もし何も起こらなかったら、きっと、そのまま、まえのとおり、人に見られないで、じっと隠れて、黙っていたに違いないのだが、ふたりの娘さんにまた引っぱり出されてしまった。このふたりは見物人のいちばん前の列にいたものだから、男とミシェル・ジボルヌ、つまりユピテルとのやりとりを聞いてしまったのである。
「先生」と、娘のひとりがそばへくるようにと合図をしながら、男に言った。……
「あらいやだ、リエナルドさんったら」と、そばにいた娘が言った。可愛い、ういういしい娘で、晴れ着を着こんだせいですっかり大胆になっている。「あの方は聖職者じゃなくて、普通の人よ。『先生』なんて呼ばずに『あなた』っておっしゃいな」
「あなた」と、リエナルドは呼びかけた。
男は手すりに近よってきた。
「何かご用ですか、お嬢さん?」と、彼は丁寧《ていねい》にきいた。
「いいえ! べつに。あたしの隣にいるジスケット・ラ・ジャンシエンヌさんがあなたにお話ししたいんですって」と、リエナルドはすっかりどぎまぎして答えた。
「嘘ですよ。リエナルドさんがあなたのことを『先生』と呼んだもんですから、わたしが『あなた』と呼ぶものだって、この人に教えてあげたんですわ」と、ジスケットが赤くなって言った。
ふたりの娘はまなざしを伏せた。男は娘たちと話をつづけたくてたまらないらしく、笑みを浮かべてふたりをながめている。
「では何もご用はないわけですね、お嬢さん?」
「ええ! なんにも」と、ジスケットが答えた。
「ありませんわ」と、リエナルドも答えた。
若い金髪ののっぽは、もとの場所へ戻ろうとして、一歩踏みだした。だが好奇心の強いふたりの娘は、この男をとり逃がしたくないようすだった。
「あなた、ねえ、あなたは、聖史劇で聖母さまの役をやる兵隊さんをご存じなんでしょうね?」と、ジスケットが勢いよく、開いた水門からどっと出る流れか、腹を決めた女みたいに、せきこんできいた。
「ユピテルの役のことですか?」と、このどこの誰ともわからぬ男がきいた。
「ええ! ええ、そうなんです。この人、おばかさんねえ! あの、あなたはユピテルをご存じなんでしょう?」と、リエナルドがきいた。
「ミシェル・ジボルヌですか? ええ、知っていますとも」と男は答えた。
「あの方のおひげ、すてきね!」と、リエナルドが言った。
「これからあそこではじまるお芝居、おもしろいんでしょうか?」と、ジスケットがおそるおそるきいた。
「とてもすぐれたものです」と、男は少しもためらわずに答えた。
「なんというお芝居なんですか?」と、リエナルドがきいた。
「『聖母マリアの正しいお裁き』というのです。教訓劇ですよ、お嬢さん」
「あら! じゃ違うわ」と、リエナルドが言った。
しばらく話がとだえた。が、男がまた口を切った。
「新作の教訓劇ですよ、まだ一度も上演されたことのない」
「それじゃあ、二年まえ、法王さまのご特使さまがいらしったときにやったのとは違うんですわね。あのときは、きれいなお嬢さんが三人、舞台にお出になったけど……」と、ジスケットが言った。
「セイレン〔美しい声でうたって船人を難破させた海の魔女〕の役だったわ」と、リエナルドが言った。
「まっ裸でね」と、若い男が言いそえた。
リエナルドは恥ずかしそうに目を伏せた。ジスケットも、それを見て目を伏せてしまった。男はほほえみながら話しつづけた。
「あれも、見た目にはなかなかおもしろい芝居でしたね。でも、きょうやるのは、フランドルの公女さまのために、わざわざ書きおろした教訓劇なんですよ」
「恋の歌は出てきますか?」と、ジスケットがきいた。
「とんでもない! 教訓劇にそんなもの! 様式《ジャンル》をごっちゃにしちゃあいけませんよ。茶番劇なら、恋の歌も結構ですがね」と男が言った。
「あら、つまらないわ。あのときは、ポンソーの泉に男や女の野蛮人がたくさん出てきて、競争でいろんなことをやりましたわ。聖歌だの恋歌だのをうたいながら」と、ジスケットが言った。
「法王の特使向きのものはね、王女には向きっこありませんよ」と、男はかなりつっけんどんに言った。
「それに、そばでは、低音楽器がたくさん競い合って、すてきな音楽をやっていましたわ」と、リエナルドが言った。
「それに、通りがかりの、のどの乾いた人たちのために」と、ジスケットがつづけた。「噴水の三つの口からブドウ酒と、ミルクと、|香料入りブドウ酒《イポクラース》が噴き出てきて、飲みたい人は誰でも飲めるようになっていましたわ」
「それから、ポンソーから少しくだったところのトリニテ教会では、所作《しょさ》だけのキリスト受難劇がかかりましたわ」と、リエナルドが話をついだ。
「ああ、そうそう思い出したわ!」と、ジスケットが叫んだ。「ほら、十字架に神さまがおかけられになっていて、神さまの右と左に泥棒がひとりずついたのでしょう!」
このおしゃべりな娘たちは、特使ご訪問当時の思い出にすっかり夢中になってしまい、ふたりいちどきにしゃべりだした。
「それから、その先のパントル門には、とても立派な衣装をつけた人びとがいましたわ」
「それから、サン=ジノサンの泉のところでは、猟師のなりをした人が犬をワンワン吠えたたせ、角笛《つのぶえ》を鳴らしてメジカを追っかけて、あとから行きましたわね!」
「それから、パリの屠殺場には、ディエップの城砦《じょうさい》をかたどったやぐらが立っていましたわね!」
「それから、ご特使さまがお通りになったとき、ほら、覚えているでしょ、ジスケットさん、突撃がはじまってさ、イギリス兵はみんなのどを切られちゃったじゃないの」
「それから、シャトレ門によせかけてかけられた舞台にも、とてもきれいな役者たちが出たじゃないの!」
「それから、シャンジュ橋の上にもよ、すっかり敷物を敷きつめてさ!」
「それからご特使さまがお通りになったとき、橋の上でいろいろな鳥を飛ばせたでしょう。二千四百羽以上もね。とてもきれいだったわねえ、リエナルドさん」
「きょうの芝居は、もっと素晴らしいんですよ」と、ふたりのおしゃべりをいらいらしながら聞いていたらしいあの男が、とうとう口をはさんだ。
「これからやる聖史劇が素晴らしいだなんて、おうけあいになれますの?」と、ジスケットがきいた。
「うけあいますとも」と男は答えた。そして、いくらか力をこめて、こう言いそえた。「お嬢さん、実は、わたしの作品なんですよ」
「まあ、ほんと?」と、娘たちはびっくりぎょうてんして言った。
「ほんとですとも!」と、詩人はちょっともったいぶったようすで言った。「実を言えば、ふたりがかりなんですがね。舞台で使う板をのこぎりで引いたり、舞台の木組を組んだり、板張りをしたりしたジャン・マルシャンと、作品を書いたこのぼくとの。……ぼくはピエール・グランゴワールという者なんです」
『ル・シッド』の作者でも、これ以上鼻たかだかと「わたしはピエール・コルネイユという者です」とは名のらなかったであろう。
ユピテルがつづれ織の幕の中にひっこんでから、この新作教訓劇の作者がこんなふうにいきなり名のりをあげて、無邪気なジスケットとリエナルドの賛嘆を買うまでのあいだには、もう相当時間がたったに違いないことを、みなさんもお気づきであろう。まことに驚くべきことには、ついさきほどまで、あんなに騒々しかった群集は、いまではユピテルのことばを信用しきって、しごく神妙に待ちつづけている。これでおわかりのように、見物人をおとなしく待たせておこうと思ったら、ただいまよりはじめまする、と言ってしまうのにかぎるのだ。これは永遠不滅の真理であって、いまでも劇場へいけば、毎日毎日その証明をして見せてくれる。
ところが、学生のジャンは、さすがに目がさとかった。
彼は、騒ぐのをやめていまでは静かに待っている群集のまん中から、だしぬけにどなりだした。
「やいやい! ユピテルめ、聖母マリアめ、道化師のこんこんちきめ! 人を≪こけ≫にする気か? 芝居はどうしたんだ! どうしたってんだ! はやくはじめろ! でないと、また騒ぎをおっぱじめるぞ」
これだけでもう、じゅうぶんだった。
木組の中の楽屋から高低さまざまな楽器の音が聞こえだした。つづれ織の幕があがって、絵の具やおしろいをごてごてと塗った四人の登場人物が現われ、舞台へ通じる急な梯子をよじのぼった。舞台までのぼりきってしまうと、見物に向かって一列にならび、うやうやしいお辞儀をした。すると音楽がやんだ。いよいよ聖史劇がはじまるのだ。
四人の登場人物のお辞儀は、惜しみない拍手に迎えられ、それがすむと、しわぶきひとつしない静けさの中で序詩の朗唱がはじまった。が、あまりくどくどしくなるから、これは省くことにしよう。
ところで、今日でもそうだが、見物人は登場人物の役よりも、むしろ彼らがつけている衣装のほうに気をとられていた。考えてみれば、それもむりからぬことなのだが。舞台の上の四人は、四人とも黄色と白の半々に染め分けた長い服を着ていて、どれがどれだか見わけがつかず、ただその生地で区別ができるだけだった。一番めの役者のは金と銀のにしき織、二番めのは絹、三番めのは毛織、四番めのは麻だった。一番めの役者は右手に剣を、二番めは金色のかぎをふたつ、三番めははかりを、四番めはすきを持っていた。こうした持ち物を見れば、それぞれの人物の役は誰にもすぐわかるはずなのだが、それでもまだよくわかろうとしない血のめぐりの悪いかたがたのためを思ってか、四人の服のすそに黒い太字の縫いとりがしてあるのが読める。にしき織の服には「あたしは貴族です」、絹服には「わたしは聖職者です」、毛織の服には「あたしは商人です」、麻服には「わたしは農夫です」と縫ってあった。
この象徴的な四人の人物のうちふたりの役が男であることは、彼らの短めの服と頭にかぶったクラミニョール帽を見れば、まともに頭の働く者なら誰でもわけなく読みとれた。一方、女役ふたりは男より長めの服を着て、垂れずきんをかぶっていた。
序詩をずっと聞いていれば、よほどの根性曲がりででもないかぎり、劇の筋だてがざっとこんなぐあいであることがのみこめたはずだ。つまり農夫どんと商人さん、聖職者どのと貴族さんはそれぞれ夫婦なのだ。そして、この二組の幸福なカップルは共通の財産としてみごとな金のイルカをもっていて、どうしても、それを世界一の美人にやりたいと思っているのだ。そこで、めがねにかなう美人を探しもとめて世界じゅうを歩きまわり、ゴルコンダの女王、トラブゾンの王女、タタールの王様の姫ぎみなどなどを、つぎからつぎへとお断わり申したあげく、農夫どんと聖職者どの、貴族さんと商人さんは、いましもここパリ裁判所の大理石盤にたどりついて、ひとやすみというわけなのだ。こういう次第で、お集まりのご立派な見物人を前に四人は、そのころ教養部の試験で心ゆくまでまくしたてることのできた、ありとあらゆる格言や金言、学生が学士号をとるとき試験される論理法だの、教授法だの、三段論法だの、論説法だのを思う存分ごひろうにおよんでいるのだった。
まったくもって、みごとなできばえである。
だが、この四人の象徴的人物がわれがちに比喩《ひゆ》の洪水を浴びせかけているこの大群集の中に、あのグランゴワール、この劇の作者であり詩人である親愛なるピエール・グランゴワール君、つまり、さっきふたりの可愛い娘さんに、得意のあまり、もうどうにも我慢できず、思わず名を名のってしまったあの男ほど耳をそばだて、胸をどきどきさせ、目を血走らせ、首を長くのばしている者はほかにひとりもいなかった。彼はふたりの娘たちから五、六歩離れた例の柱の影にひき退き、そこから、耳をかたむけ、目を皿のようにして、芝居を楽しんでいた。彼の書いた序詩の朗唱がはじまったとき見物人が送ってくれた大喝采の響きが、腹の中でまだこだまを繰り返していた。そして彼は、うっとりとした瞑想にすっかりひたりこんでいた。自分の考えがひとつ、またひとつと俳優の口から静まりかえった大観衆の中へ落ちてゆくのを目にするとき、作家が誰でも経験する境地だ。やったぞ、ピエール・グランゴワール!
だが、申し上げるのもつらいことだが、こうしたうっとりとした気持も、すぐぶちこわされてしまうことになった。グランゴワールが、喜びと勝利のうま酒《ざけ》に口を近づけたとたん、一滴の苦味がもうそこに混じってしまったのだ。
見物人の中にひとりのぼろを着た物乞いがいたが、人波のまんなかにはいりこんでいたので、もらいはなし、またきっと、隣りあった人間どものポケットを探ってみても、たいした収穫がなかったのだろう、どこか高い、目だつところにすわって人目をひきつけ、もらいを集めようと思いついた。そこで彼は、序詩のはじめの文句が朗唱されていたとき、使節団用の高壇《たかだん》の柱をつたって、高壇の手すりの下を走っている軒じゃばらまでよじのぼり、そこにちょこんとすわりこんだ。そして着ているぼろや、右腕一面にひろがっているぞっとするような傷を見せびらかして、人びとの注意をひいたり、哀れみを誘ったりしはじめたのだった。だがまだ、ひとこともしゃべりはしなかった。
物乞いが何もしゃべらなかったので、序詩の朗唱は何ごともなく進んだ。このままいけば、騒ぎなどこれっぽっちも起こらずにすんだはずだ。だがあいにくなことに、例の柱のてっぺんにしがみついていた学生のジャンが、この物乞いのやっていることを見つけてしまったのだ。このいたずら小僧は、いきなりゲラゲラ笑いだし、芝居のじゃまになるのも、舞台を一心不乱に見入っている見物人の妨げになるのもいっこうおかまいなしに、無遠慮に叫んだ。
「おや! おでき物乞いが、おもらいをやっとるぞ!」
カエルがうようよしている沼に石を投げこむか、飛んでいる鳥の群れに鉄砲を撃ちこむかしたことのある人なら誰でも、この無作法な叫び声が、舞台に一心に見とれている見物人のあいだにどんな効果をおよぼしたかを、すぐ想像することができよう。グランゴワールは、まるで電気にでも撃たれたみたいにぶるぶるっと震えた。序詩はぷっつりとぎれ、みんなはガヤガヤ言いながら、いっせいに物乞いのほうを振り向いた。が、この男のほうはあわてず騒がず、収穫《とりいれ》の好機きたれりとばかりに目を半眼に細め、哀れっぽい声をはりあげて、「恵んでやって下せえまし!」とやりだした。
「おやっ、間違いねえ、ありゃクロパン・トルイユフーだ。おおい! 兄弟《きょうでえ》、腕につけてるその傷あ、足につけといたんじゃ、ぐあいが悪かったんかい!」と、ジャンが言った。
こうしゃべりながら彼は、物乞いが傷のある腕で差し出しているあぶらじみたフェルト帽の中へ、サルみたいな器用な手つきで、小銭を一枚ぽいと投げこんだ。男は、小銭と皮肉をさっさと受けとって、あいかわらず哀れっぽい調子で、「恵んでやって下せえまし!」とやっている。
この出来事は見物人の注意をすっかり舞台からそらしてしまった。ロバン・プースパンを中心とする学生たちをはじめ、大勢の見物人が、序詩の途中でキーキー声の学生とおちつきはらったお経《きょう》調の物乞いがやりだしたこの妙ちきりんな即席二重唱に、やんややんやの喝采を送るのだった。
グランゴワールはどうにも腹の虫がおさまらなかった。しばらくはあっけにとられていたが、はっとわれにかえると、舞台にいる四人の人物に向かって一所懸命にどなりだした。「つづけろ! かまうもんか、やれやれ!」
ふたりのじゃま者には、さげすみのまなざしもくれようとせず、夢中でどなっている。
このとき、彼は誰かに外套の縁《へり》を引っぱられたような気がした。そこで、いささかむっとしながらも振り返り、無理にほほえんでみせた。だがほほえんでみせる価値は十分にあったのだ。というのも、ジスケット・ラ・ジャンシエンヌが、可愛い腕を手すりのあいだから出して、彼を振り向かせようとしていたからである。
「あなた、芝居はつづけてやるんでしょうね?」と娘がきいた。
「むろんです」と、グランゴワールはこんな質問にだいぶ気を悪くして答えた。
「それじゃあ、あなた、すみませんが、あたしにお芝居の説明をして下さる?……」と、娘がまたきいた。
「これからどうなるかってことですか?」と、グランゴワールは口をはさんだ。「いいですとも、してあげましょう!」
「そうじゃないんです。いままでやったところをですよ」と、ジスケットが答えた。
グランゴワールは、生傷《なまきず》にさわられた男のようにとびあがった。
「とんまの、うすのろ娘め!」と彼はつぶやいた。このときから、ジスケットのことはもう彼の頭から消えてしまったのである。
一方、俳優たちはグランゴワールの命令にしたがった。見物人も舞台でまたしゃべりだしたのを見て、耳をかたむけはじめた。だが、なにしろ芝居はあんなぐあいにいきなりプツンと切れてしまったので、あとから残りをつないでみても、途中に割りこんできたつなぎみたいなもののおかげで、美しさがだいぶなくなったことは争えない。グランゴワールはぶつくさと、いまいましい思いをはきちらしている。が、広間の騒ざもだんだんとおさまって、ジャンも黙り、物乞いは帽子に受けた銭を数えている。芝居がまたこの場を制圧したのだ。
事実、なかなかみごとな作品だった。少し手をいれれば、今日でも立派に上演できるものと私は思う。提示部はいささか長く、いささか内容がなく、つまり型にはまりすぎていた。だが、簡潔に書かれており、純真なグランゴワールは内心ひそかに、なかなか明快なできだわい、とうぬぼれていたのである。
お察しのとおり、四人の寓意的《ぐういてき》な人物は、金のイルカの思うようなかたづけ先が見つからないままに、世界の三つの州を歩きまわってきたので少々疲れていた。ここで彼らは、フランドルのマルグリット姫の年若い婚約者であるドーファン〔フランス王太子のこと。イルカと綴りも発音も同じ〕へのそれとない暗示をうんと盛りこんで、世にも素晴らしいこの金の魚を誉《ほ》めたたえる。当のドーファンはそのころアンボワーズに閉じこめられて、憂うつな毎日を送っていたのだが。農夫どんと聖職者どの、貴族さんと商人さんが自分のために世界一周をやってくれたなどとはつゆほども知らずに。
問題のイルカは、だから年も若く、姿も立派で、力もあり、そのうえ(王さまのもっている美徳というものにはみな、こうした立派ないわれがあるものだ!)、フランスの獅子王の子どもであった。はっきり申し上げておくが、この大胆な比喩ははなはだみごとであり、また、寓意詩や王家祝婚詩のつくられた時代なら、イルカがライオンの子どもであったところで、芝居の博物学上いっこうに騒ぎたてることはなかったのである。いや、こうした珍しい、ピンダロス〔古代ギリシアの詩人〕ばりのごたまぜ物こそ熱狂を呼んだものなのだ。
だが、なおひとこと言わしていただけば、詩人グランゴワール君は、なにも二百行もの詩句を使わなくても、そのみごとな詩想を繰り広げることができたはずなのだ。が、それもしかたあるまい。奉行どのの布告によれば、聖史劇は正午から四時までつづくことになっていたし、そのあいだ、とにかく何かをしゃべらなければならなかったのだから。それに見物人も辛抱強く耳をかたむけていたのだ。
と突然、商人さんと貴族さんが言い合いっこをやっているまっさいちゅう、農夫どんが、
「森の中でこのような堂々としたけものに会ったことはない」
という驚くべき詩句を唱えだしたとたんに、いままであいにくしまったままになっていた使節団用の高壇のドアが、なおさらあいにくなことにさっと開いた。そして、取次役のよく響く声がだしぬけに「ブールボン枢機卿《すうききょう》閣下のご到着」と知らせたのだった。
三 枢機卿《すうききょう》閣下
可哀そうなグランゴワール! 聖ジャン祭の二重大花火を一度にみんなドカンと打ちあげたとしても、大型火縄銃を二十ちょういっせいにぶっぱなしたとしても、一四六五年九月二十九日の日曜日、パリが攻囲されたとき、一発で七人のブールゴーニュ人をやっつけた、あのビイ塔の有名なセルパンチーヌ砲がズドンと発射されたとしても、タンプル門にしまってある大砲用の火薬がいっぺんに爆発したとしても、この重々しい、劇的な瞬間に、取次役の口からとびだした、「ブールボン枢機卿《すうききょう》閣下のご到着」というこのわずかなことばほど激しく、グランゴワールの耳をつんざきはしなかったであろう。
と言っても、ピエール・グランゴワールは枢機卿閣下を恐れていたわけでも、あなどっていたわけでもないのだ。彼はそんな気の弱い男でもなければ、そんなうぬぼれの強い男でもなかった。グランゴワールは、いまのことばで言えば、まったくの折衷《せっちゅう》主義者であって、性格は高尚で堅固、穏和で沈着だった。つねに中道をゆくことを心得ていて、枢機卿などといったお偉がたには心から頭をさげる一方、理性と自由主義的思想で頭をいっぱいにしていた。アリアドネさながらの知恵の神から糸玉をさずかり、その糸を繰り出しながら、世のはじまり以来、入り組んだ人生の迷路をくぐりぬけてきた〔アリアドネはギリシア神話のミノス王の娘。テセウスにひと巻きの糸玉を与えて、迷宮脱出に成功させた〕とも思える、哲学者という貴重な、昔から血統の絶えたことのない種族がいるものだ。こうした種族はいつの時代にも見られるが、どれもみな同じである。つまり常にあらゆる時代を通じて変わらないのだ。わがピエール・グランゴワール君も、もしわたしが彼の真価を顕揚《けんよう》することに成功するならば、十五世紀におけるこの種族の代表者となるに違いないのだ。
だがまあ彼のことはさておいて、たとえばデュ・ブルール神父が十六世紀につぎのような、無邪気なほど崇高で、あらゆる時代に立派に通用する言葉を書いたのも、たしかにこの種族の精神が力づよく彼の胸中に生きていたからなのである。
「わたしは、生まれはパリで、しゃべるのはパリ語である。パレーシアとはギリシア語で言論の自由ということなのだから。わたしはコンチ公殿下のおじぎみや弟ぎみに当たる枢機卿《すうききょう》のかたがたに対してさえも、自由にものを言った。だが、こうした高貴のかたがたに対する尊敬の念を失ったことはなく、わたしの自由な話しぶりを見て腹を立てたおつきの者などはひとりもいない。おつきの者たちはたくさんいたのだが」
だから枢機卿がやってきたとき、彼が一瞬、くそおもしろくもない、と思ったとしても、それは枢機卿を憎んでいたからでもなければ、枢機卿のきたことをさげすんだからでもない。それどころではない。われらの詩人グランゴワールははなはだ常識の発達した男だったし、おそろしくすりきれた外套を着てもいたので、彼の序詩の中のたくさんの暗示や、ことにフランス獅子王の子どもイルカ王子に対する賛美のことばが枢機卿閣下のお耳に達することを、このうえもなくありがたいことだと思っていたのである。だが、詩人というものの気高い心を左右しているのは利害の打算ではない。私は考えるのだが、ひとりの詩人の本質をかりに十という数で表わして、ラブレーが言うように、これを分析し薬理分解してみるならば、化学者はこの十が、欲得心一に対し自尊心九からなっていることを発見するであろうことはまず間違いない。
さて、枢機卿《すうききょう》のご到着でドアがさっと開かれたとき、グランゴワールの心を九割がた占めていた自尊心は、見物人の賛嘆のいぶきではれもののようにふくれあがって、途方もない発育ぶりをみせていた。いましがた詩人というものの心の中に見てとれた、あの欲得心という微分子は、ふくれあがった自尊心の下におさえこまれてしまったみたいに、すっかり見えなくなっていた。ところで、この欲得心というやつもなかなか貴重な成分であり、人間が現実に生きてゆくうえにはなくてはならぬ底荷なのであって、これがなければ誰も足が地につかぬことになってしまうのだが。
グランゴワールは、彼の祝婚詩のあらゆるくだりから休みなくこんこんと湧き出てくる果てしもない台詞《せりふ》の流れを前にしてびっくりし、あっけにとられ、まるで息づかいをとめたみたいになっている満場の見物人を、鼻でかいだり、目でたしかめたり、こう言ってよければ、手でさわってみたりしてさかんに楽しんでいた。もちろん、見物人といってもろくでもない連中ばかりなのだが、そんなことは問題ではない。間違いなく、彼はみんなといっしょに芝居のこのうえもない楽しみにひたっていたのだ。ラ・フォンテーヌは自作の喜劇『フィレンツェ人』が上演されたとき、「このどたばた劇を作った田吾作《たごさく》は何者ですか?」ときいたが、グランゴワールだったらこれとは反対に、隣にいる男に「この傑作は誰が作ったのですか?」と、いさんできいたかもしれない。こういうわけだから、枢機卿がいきなり、ときならぬときに姿を現わしたことが、彼をどんな気持にさせたかはよくおわかりであろう。
彼が、こうなるんではないかな、と心配していたことが、十二分にもちあがってしまった。閣下のご臨場は見物人をすっかりざわつかせてしまった。顔という顔はみんな高壇《たかだん》のほうを振り向いた。誰が何をしゃべっているのやら、もうさっぱりわからない。「枢機卿《すうききょう》だ! 枢機卿だ!」と、みんな口々に繰り返している。哀れな序詩は、またもやぷっつりと断ち切られてしまった。
枢機卿はちょっと高壇の入り口に立ちどまった。枢機卿はなにげないようすで見物人たちをながめまわしていたが、このあいだに騒ぎはますますひどくなっていった。誰もが枢機卿の姿をもっとはっきり見たいと思っていたのだ。誰も彼も、前にいるやつの肩の上に顔を出そうと一所懸命だった。
それもそのはず、枢機卿はお偉がたであって、その姿を見ることは、芝居をひとつ見るぐらいの値うちはじゅうぶんにあったのだ。ブールボン枢機卿、リヨン大司教、リヨン伯、ゴールの首座大司教であるシャルルは、兄のボージュー侯ピエールがルイ十一世の第一王女を妻としていた関係から王とは縁つづきだったし、また母アニェス・ド・ブールゴーニュを通じて、シャルル・ル・テメレール〔ブールゴーニュ公。ブールゴーニュ、フランドルの領主として、ルイ十一世とつねに争った〕とも親戚関係にあったのである。ところで、このゴール首座大司教の性格のいちばん目に立つ、特徴的な点は、その宮廷人かたぎと権力崇拝癖であった。彼のふたつの親類筋からもちあがる無数の心配ごとや、彼が宗教の小舟を巧みにあやつって避けて通らねばならなかった、俗界のいろいろな暗礁については、われわれも察しがつく。ヌムール公やサン=ポール元帥〔いずれもルイ十一世に対する反逆罪のかどで、パリで斬首刑に処された〕を難破させてしまったカリュブディスとスキュラ〔いずれもメッシナ海峡にある古代の船乗りの難所〕ともいうべき、ルイやシャルルにぶつからないように進むためには、実になみなみならぬ苦心がいったのである。だが、枢機卿は天佑《てんゆう》に恵まれて、このむずかしい航海をいとも巧みにきりぬけて、無事にローマに着いたのであった。
だが、港に着いてはみたものの、いや、まさに港に着いていたがために、彼は、あれほど長いあいだ心配と苦労を重ねて過ごしてきた、彼の政治生活のさまざまな場面を思い出すと、ぞっとして身震いせぬようなことは一度もなかったのである。だから彼はいつも、一四七六年という年は自分にとっては「凶と吉」の年であった、と言っていた。その年に彼は母のブールボネ公妃といとこのブールゴーニュ公を失ったのだが、母の死の悲しみはもう一方の死でなぐさめられた、ということが言いたかったわけである。
それに、彼は善人であった。枢機卿《すうききょう》らしい愉快な日々を送り、シャイヨの王領地の地酒でよくいっぱい機嫌になり、リシャルド・ラ・ガルモワーズやトマス・ラ・サイヤルドのような女も嫌いではなく、ばあさん連よりもきれいな娘に施しをするのが好きだった。こうしたいろいろな理由から、パリの≪民衆≫のあいだにはなはだ人気があった。外出のときは、家柄がよくて、女好きで、ろこつで、場合によっては美酒美食にも耽《ふけ》ろうという司教や修院長を五、六人必ずお供につれて歩いた。またサン=ジェルマン・ドーセールの正直な、信心深いご婦人たちが、夕方、ブールボン邸の明かりのついた窓の下を通って、まゆをしかめたことも一度や二度ではなかった。なにしろ昼間自分たちの前で晩祷《ばんとう》を唱えていた神父たちの同じ声が、酒のグラスを触れ合わせながら、こんどはベネディクトゥス十二世〔十四世紀のアヴィニョンの法王〕作の酒もりの歌「法王らしく飲みましょう」をうたっているのが聞こえたからだ。ベネディクトゥス十二世といえば三重の法王冠をこしらえあげた法王だが。
おそらく、もっとも至極な根拠にもとづくこうした人気があったればこそ、枢機卿は、はいってきたとき、さっきはあんなに不満の色を示した群集、しかも自分たちでらんちき法王を選ぶことになっているこの日、枢機卿を尊敬する気持などこれっぽっちも持ちあわせていない群集から、手ひどいお迎えをまったく受けずにすんだのであろう。
だが、パリっ子というものはあまり恨みを根にもたぬたちである。それに、さっきは自分たちの独断で芝居をはじめさせてしまって、善良なパリ市民は枢機卿からみごと一本とっていたのだから、もうそれだけで満足していたのである。おまけにブールボン枢機卿は男ぶりがよく、はなはだ美しい緋《ひ》の衣《ころも》をはなはだみごとに着こなしていた。だから当然のことながら、ご婦人連をひとり残らず、ということは、見物人の半分以上を味方にしてしまったのである。
たしかに、芝居見物を待たされたからといって枢機卿をやじるなどということは、枢機卿が男ぶりがよく、緋の衣をみごとに着こなしている場合には、間違っていようし、いい趣味でもあるまい。
さて、閣下は特別席である高壇《たかだん》にはいり、お偉がたがしもじもに見せる先祖代々のほほえみを浮かべながら見物人に向かって会釈をすると、何かまるっきりべつのことを考えているみたいなようすで、緋色のビロードばりの肘掛け椅子のほうへゆっくりと足を運んだ。今日《こんにち》なら参謀とでも呼ばれるに違いないおつきの司教や修院長たちもあとにつきそいながら、どやどやと高壇の中にはいってきたが、これもまた平土間《ひらどま》のざわめきと好奇心をかきたてた。みんなはわれがちにおつきの連中を指さしあったり、名まえを教えあったり、ひとりぐらいは知ってるぞ、といった負けん気を見せたりしている。
ありゃ、たしかマルセイユ司教のアローデさまだぜ。ありゃ、サン=ドニ教会の参事会長だぜ。ありゃ、サン=ジェルマン=デ=プレの修院長のロベール・ド・レスピナスだぜ。ルイ十一世の思いものの兄きで、とんだ遊び人さ。……どれもこれもいいかげんな当て推量ばかりだ。
学生たちは口ぎたなくどなりちらしていた。きょうこそ彼らが羽をのばす日なのだ。彼らのらんちき祭り、底抜け騒ぎの日なのだ。法律組合の連中と学生たちの、年に一度のらんちき騒ぎの日なのだ。どんなでたらめも、きょうだけは、誰にも文句を言われず、堂々とまかり通るのだ。それに、群集の中にはシモーヌ・カトルリーヴルだの、アニェス・ラ・ガディーヌだの、ロビーヌ・ピエドブーだのといったおしゃべりの娼婦どもがいた。こんな結構な日に、教会のお偉がたや娼婦たちがいるところで、思いきりののしりわめいたり、ちょいとばかり神さまの悪口を言ってみたりできるというのは、なんともはや、気持のいいことではなかろうか? だから学生たちが、このありがたい機会をむざむざとりにがすはずはない。広間のガヤガヤと騒がしい声にまじって、思わず耳をふさぎたくなるような不敬なことばや、とんでもないことばがガンガンとびかう。ふだんはサン・ルイ王の焼けた鉄がこわくて、じっと我慢している筆生《ひっせい》や学生たちが、このときとばかりにどなり散らし、わめき散らすことばなのだ。サン・ルイ王こそお気の毒だ。自分がつくった裁判所で、なんとひどい侮辱を浴びせられていることだろう!
学生たちは高壇《たかだん》にはいってきた一団の中から、あるいは黒の聖職服を、あるいはネズミ色を、あるいは白を、あるいは紫を、思い思いに相手に選んでうさをはらしている。ジャン・フロロ・ド・モランディノはなにしろ司教補佐の弟だったから、攻撃目標に選んだのは、大胆にも緋の衣だった。彼は枢機卿の顔をずうずうしくにらみつけながら、「酒びたり野郎!」と、声をはりあげてどなっていた。
みなさんのご参考にもと思って、ここにこまごまと書いてはみたが、ほんとうは、こんな学生たちの声なんかは大広間のガヤガヤした騒ぎの中にのみこまれ、かき消されてしまって、壇上のお偉がたの耳には届きもしなかったのだ。おまけに、もし、かりに届いたとしても、枢機卿《すうききょう》のほうでは痛いともかゆいとも感じなかっただろう。なにしろこの日は、言いたいほうだい、したいほうだいが許されていたのだから。おまけに枢機卿にはまた別の気がかりなことがあって、そのため、すっかり何かに気をとられているみたいな顔つきだった。その気がかりは、彼のすぐあとにくっついてきて、彼とほとんど同時に高壇にはいってきたのである。つまりフランドルの使節一行だ。
枢機卿《すうききょう》は読みの深い政治家ではなかったし、また、いとこのマルグリット・ド・ブールゴーニュ姫と縁つづきのフランス王太子シャルルとの結婚から生まれそうないろいろな結果を、何かに利用してやろうなどという気もさらさらなかった。オーストリア公とフランス王のうわべだけの交友関係がどのくらいつづくだろうか、とか、イギリス王が自分の姫に加えられたこの侮蔑《ぶべつ》〔王太子シャルルはマルグリットとの婚約以前に、イギリス王エドワード四世の長女エリザベスと婚約していた〕をどんなふうに受けとるだろう、とかいう問題は、まるで彼の頭にはなかった。だから毎晩、シャイヨ王領の地酒をゆうゆうと楽しんでいた。のちに、ルイ十一世からエドワード四世へ心をこめて贈られたこの同じ酒の幾びんか(もっともその酒は、ルイ十一世の侍医コワチエによっていくらか改良、調整されてはいたのだが)が、ある日とつぜん、ルイ十一世からエドワード四世をやっかい払いすることになるなどとは思いもかけずに。
「オーストリア公どのの、いとやんごとなき使節一行」は、枢機卿にとって、そうした心がかりの種なんかではまったくなくて、別の意味で荷やっかいな存在だったのである。つまり、この物語のはじめのところですでにちょっと申し上げたように、シャルル・ド・ブールボンともあろうものがどこの馬の骨だかわからない町人ふぜいを歓迎したり、手厚くもてなしたりしなければならないということが、事実、いささかおもしろくなかったのだ。
枢機卿が町の助役どもを、陽気な飲み食いの好きなフランス人がビールばかり飲んでいるフランドルの田舎者どもを、相手にしなければならないとは。しかも世間の見ている前でだ。国王のご機嫌をとり結ぶためにいままでにもいろいろと無理をしてはきたが、まったく、こんなやりきれない思いをしたことは、めったになかった。
ところで、取次役がよく響く声で、「オーストリア公どののご使節のみなさまご到着」と知らせると、枢機卿はドアのほうに体を向けた。それも優《ゆう》にみやびやかな身ごなしで(たいへんな努力だった)。大広間じゅうの顔という顔が同じようにドアのほうに向けられたことは、あらためて申し上げるまでもない。
すると、オーストリア公マクシミリアンの使節四十八人がふたりずつ並び、シャルル・ド・ブールボンについてきた聖職者たちのにぎやかなおちつきのない態度とは正反対の、しごくまじめくさったようすで、やってきた。一行の先頭をうけたまわっているのはサン=ベルタン修院長兼金羊毛騎士団団長ジャン神父どのと、ドービ卿、ガン市長官ジャック・ド・ゴワのふたりだ。広間はシーンと静まったが、使節の面々がおちつきはらって取次役に伝えるへんてこな名まえや町人らしい肩書が聞こえてくるたびに、おし殺したような笑い声がいっせいにあがるのだった。取次役は名まえと肩書をごっちゃにしたり、でたらめにちょん切ったりしながら、それを見物人の頭ごしに大声で呼びあげる。
ルーヴァン市助役ロイ・ルロフどの、ブリュッセル市助役クレ・デチュエルドどの、ヴォワルミゼル卿、フランドル総督ポール・ド・ベーストどの、アンヴェルス市市長ジャン・コレゲンスどの、ガン市最高助役ジョルジュ・ド・ラ・ムールどの、同市区第一助役ゲルドルフ・ヴァン・デル・アージュどの、つぎにビールベックどの、つぎにジャン・ピノックどの、つぎにジャン・ディメルゼルどの、などなどなど。
大法官、助役、市長。市長、助役、大法官。……どれもこれも四角ばり、しゃっちょこばり、こちこちに固まり、ビロードやどんすのいっちょうらを着こみ、頭にはキュプロス金糸の大きなふさのついた黒ビロードのクラミニョール帽をかぶっている。要するに、フランドルの上流人士たちであり、いかめしく、きびしいつらがまえの面々であり、レンブラントが「夜警隊の図」の中で暗い背景の上にはなはだ力強く、重々しく浮きあがらせているあの人物たちと同じ一族なのだ。オーストリア公マクシミリアンが宣言書に「きみたちの思慮、勇武、体験、忠節、廉直《れんちょく》を心から信頼する」と正当にも書いた文字を、そっくりそのまま額《ひたい》に刻みこんでいるみたいな連中だった。
だが、ひとりだけこうした型にはまらないのがいた。その男は抜けめのない、はしっこい、ずるそうな顔つきをしていて、サルと外交官が同居しているみたいなご面相だった。この男が現われると、枢機卿《すうききょう》は三歩前へ進み出て、ひどく腰の低いお辞儀をした。ところがこれは「ガン市終身市会議員ギヨーム・リム」と名のる男にすぎなかったのである。
そのころギヨーム・リムがいったい何者なのかを知っている者はほとんどいなかった。だが、これは世にもまれな傑物《けつぶつ》で、革命の時代ででもあれば、たちまち時流の表面におどり出ていたはずなのだが、十五世紀というこの時代には、残念ながら陰謀のほら穴の中で、サン=シモン公〔十七〜十八世紀の回想録作者〕の言う≪地下壕生活≫をやっている身の上だった。とはいうものの、彼はヨーロッパきっての≪政界の工作師≫として腕を買われていたし、ルイ十一世ともじきじき謀議をこらし、また王の舞台裏の仕事にもよく手をかしていたのである。だが見物人たちは、こんなことはいっこうに知らないものだから、枢機卿がひどくぱっとしないこのフランドルの町役人にばか丁寧な挨拶をするのを見て、目をまるくしてしまったのである。
四 ジャック・コプノール親方
ガン市の終身市会議員と枢機卿《すうききょう》閣下がはなはだ頭《ず》の低いお辞儀をかわして、なおのこと低い声で何かひそひそ話しあっているところへ、平べったい顔をした、いかり肩のひとりの大男が現われ、ギヨーム・リムと並んで高壇《たかだん》にはいろうとした。キツネのそばにブルドッグが並んだみたいだ。彼のフェルトのビコケ帽や皮のチョッキは、まわりのビロードや絹地についたしみみたいにみえた。どこかの馬丁が迷いこんできたのだろうと思って、取次人はこの男を呼びとめた。
「おい、こら! はいっちゃいかん」
皮のチョッキの男は取次人を肩でぐいっと突いた。
「なんだ、この野郎?」と、男は割れるような大声で言ったので、広間の目という目はいっせいに、このへんてこなやりとりに注がれた。「おれはお客だぞ、わからねえのか?」
「お名まえは?」と、取次人がきいた。
「ジャック・コプノールだ」
「ご身分は?」
「ガンの洋品屋だ。屋号は≪三つの鎖≫てえんだ」
取次人はあとずさりした。助役や市長ならまだしもだが、洋品屋を取次ぐのはやりきれない。枢機卿は困りきっている。見物人はみんな耳をそばだてて、じっと見つめている。枢機卿閣下は、二日間というもの、せいいっぱい骨をおって、このフランドルの田舎者どもをなんとか人前に出られるようにみがいてやったのだが、それにしてもひどいお返しをいただいたものだ。だが、ギヨーム・リムは、もちまえの抜け目のないほほえみを浮かべながら取次人に近づいていって、
「ガン市市役所助役づき書記ジャック・コプノールどのと取次ぎなさい」と小声でささやいた。
すると枢機卿も大きな声で言った。「取次役、かの有名なガン市の市役所助役づき書記ジャック・コプノールどのと取次ぎなさい」
だがこれはまずかった。ギヨーム・リムだけだったら、なんとかうまくその場をごまかせたのだが、コプノールが枢機卿の声を聞いてしまったのだ。
「そうじゃねえ、べらぼうめ! おれは洋品屋のジャック・コプノールってんだ。わかったか、取次役? おれの名を長くも短くもするこたあいらねえ。べらぼうめ! 洋品屋で結構だ。オーストリアの大公だって何度もおれの店で手袋《ガン》を買いなすったんだぞ」と、彼は例の雷声《かみなりごえ》でどなった。
笑いと拍手喝采がどっとわき起こった。しゃれはパリっ子にはすぐ通じるのだ。だから、しゃれがとぶと、かならず拍手喝采が起こる。
それにコプノールはただの市民だったし、まわりにいる見物人たちもただの市民だった。だから両方の心は電気みたいに、また言ってみれば、仲間同士みたいにさっと通じあったのである。フランドルの洋品屋のくれた横柄《おうへい》な剣つくは、いあわせた宮廷人たちの鼻っ柱をへしおって、広間の下層民たちの胸に、みな、おれたちだって捨てたものじゃないのだ、といったふうな気持をわきたたせた。もっともこうした気持は、十五世紀にはまだぼんやりした、はっきりしないものだったのだが。
枢機卿閣下につっかかっていったあの洋品屋は、もう閣下と五分五分の男とみなされるべきだ! こう考えると枢機卿の裳裾《もすそ》持ちであるサント=ジュヌヴィエーヴ修院長の領地の法官の下僕の、そのまた下の走り使いにさえぺこぺこ頭をさげつけている哀れな民衆は、すっと胸のすくような気がするのだった。
コプノールは閣下に向かって横柄な会釈をした。閣下のほうも、ルイ十一世にさえ恐れられていた、このおそろしく勢力のある市民に会釈を返した。フィリップ・ド・コミーヌ〔十五世紀の年代記作家〕が、「さとくて意地の悪い男」と評したギヨーム・リムが、冷やかすような、また、見さげるようなほほえみを浮かべながら、ふたりの姿を目で追っていると、ふたりはそれぞれ自分の席にたどりついて腰をおろした。枢機卿はすっかり面くらって不安げなようすだったが、コプノールのほうは横柄な態度でおちつきはらっていた。腹の中ではきっとこんなふうにでも思っていたのだろう。〈要するに、洋品屋というおれの肩書だって、枢機卿という肩書きにまさるとも劣らぬものだわい。きょう結納《ゆいのう》をかわしているマルグリット姫の母親のマリー・ド・ブールゴーニュにしたって、おれが洋品屋じゃなくて枢機卿なんかだったら、こんなにこわがりゃしないに違いないんだ。だってそうじゃないか。シャルル・ル・テメレールの娘のお気に入りの家臣たちに向かって、ガンの市民を扇動《せんどう》して立ちあがらせるなどというまねは枢機卿じゃできなかったし、フランドルの姫君〔ブールゴーニュ公シャルル・ル・テメレールの娘マリ〕が絞首台の下までやってきて、臣下の人民にお気に入りたちの命を助けてやってくれと嘆願したとき、姫の涙や祈りにほだされようとする群集を叱りつけて、あくまで処刑を強行させたのも、枢機卿なんかじゃなかったんだ。それに、ギー・ダンベルクールと大法官ギヨーム・ユゴネというその名も高い貴族のふたつの首をちょんぎるのに、洋品屋のおれは皮着を着たひじをちょっとあげさえすれば、それでよかったんだ!〉
だが、哀れな枢機卿の災難はこれで終わったわけではなかった。このとんでもない客人がひき起こした無鉄砲千万な行ないを、とことんまで、辛抱しなければならなかったのである。
序詩の朗唱がはじまるとすぐ枢機卿の高壇《たかだん》のへりによじのぼってすわりこんだ、あつかましい物乞いがいたのを、みなさんはきっと覚えておられるであろう。偉いお客さんたちがやってきても、彼はいっこうに退散しようとしなかった。位の高い聖職者たちや使節たちが特別観覧席に、文字どおりフランドルのニシンみたいに、ぎっしり詰めこまれてしまっても、彼だけはのんびりと構え、不敵にも軒縁《のきぶち》の上に大あぐらをかいていた。あきれ果てたずうずうしさだ。
だが、みんなの目がほかのほうに向けられていたので、はじめのうちは誰もそれに気づいていなかった。物乞いのほうでも、広間のことには何も気がついていなかった。ナポリ人ばりののんきさで頭をゆらゆら揺りうごかし、ときどき、ガヤガヤいうざわめきの中で、ひとりでに出てくる口癖みたいに、「恵んでやって下せえまし!」と繰り返している。そして彼こそ、広間にいた大勢の人間のうちで、コプノールと取次役のやりあいを振り向いて見ようとさえしなかった、おそらくたったひとりの男だったろう。
さて、さっき民衆の強い共感を呼び、みんなの注目を集めていたガンの洋品屋の親方は、たまたまこの男のいる真上の場所、つまり高壇の一列めにすわることになった。そして、人びとがあっと驚いたことには、このフランドルの使節は、目の下にすわっている物乞いの姿をしばらくじっと見ていたかと思うと、ぼろを着たその肩を親しげにポンと叩いたのである。男は振り向いた。最初は驚きの色が浮かんだが、まもなく相手が誰だかはっきりわかったらしい。ふたりの表情が笑いでくずれる。……そして洋品屋とおでき物乞いとは、まわりの見物人たちのことなどいっこうに気にならないようなようすで、手をとりあいながら、小声で話しはじめた。話しているクロパン・トルイユフーのぼろ着は、高壇の金らんの幕の上にだらりと垂れて、まるでオレンジに毛虫がついたみたいな感じだった。
いままでに見たこともないこの奇妙な光景に、広間は際限のない、陽気などよめきでワッとわきたったので、枢機卿《すうききょう》もすぐそれに気がついた。彼はちょっと身をかがめてみたが、彼の席からは、男のぶざまな外套がほんのちらりと見えるだけだったので、無理もないことだが、さてはあいつが物ごいをやっているのだなと思った。そこで男のあつかましさにむっとして、叫んだ。
「大法官どの、あいつを川に放りこんで下され」
「とんでもねえ! 枢機卿閣下、こりゃあ、あっしの友達ですよ」と、コプノールがクロパンの手を握ったまま言った。
「ばんざい! ばんざい!」と群集が叫んだ。このとき以来コプノール親方はパリでも、ガンでと同じように、「民衆の大きな信望」をになう身となったのだ。「なぜなら、偉人というものは、このようにはめをはずしたときに、衆望を集めるものだから」と、フィリップ・ド・コミーヌは言っている。
枢機卿は唇をかんだ。それから隣にいるサント=ジュヌヴィエーヴ修院長のほうへ身をかがめて、
「オーストリア大公殿下はマルグリット姫の婚礼おとり決めに、おかしな使節たちをよこされたものですなあ!」とささやいた。
「閣下、あのフランドルの豚どもには、礼をつくされるだけご損というものですよ。≪豚に真珠(マルガリタス・アンテ・ポルコス)≫のたとえもございますからね」と修院長は答えた。
「いや、≪マルグリット姫のおさきぶれに豚どもをつかわされた(ポルコス・アンテ・マルガリタム)≫と申すべきでしょう」と、枢機卿はにやっと笑って答えた。
聖職服を着た取り巻きの一同はこのしゃれを聞いてすっかりよろこんでしまった。枢機卿はちょっと胸のすく思いがした。これでコプノールとも一対一になったわけだ。自分もしゃれをとばして、受けたのだから。
さて、現代ふうに申せば、イメージや概念を概括する能力をおもちのみなさんに、ちょっとおたずねすることをお許しいただきたい。つまり、みなさんの注意をおひきとめしているいまこの瞬間に、大きな平行四辺形の裁判所大広間が見せている光景をはっきり想像おできになっているかどうかということである。広間の中央の西側の壁を背にして、広い、きらびやかな、金らんの高壇があって、そこへ、取次人のかん高い声で名を呼びあげられながら、いかめしいお偉がたが、尖頭《せんとう》アーチの小さな戸口を通り、列をつくってつぎつぎにはいってくる。最前列の席にはもう、白テンの毛皮や、ビロードや、緋ラシャの帽子をかぶった、いとも尊いお顔がずらりと並んでいる。静まりかえった、いかめしい高壇《たかだん》のまわりには、下も、正面も、どこもかしこも人がぎっしりつまって、ガヤガヤとざわめきたっている。高壇に並んだ顔のひとつひとつに無数の目が注がれ、名まえが呼びあげられるたびに、無数のささやきが起こる。たしかに壇上の光景はめったに見られないもので、見物人が夢中になって見つめるだけの値うちはあったのだ。だが、あそこの突きあたりにある芝居の演台みたいなものは、いったいなんなのだろう? 顔をいろんな色に塗ったあやつり人形が上に四つ、下にも四つ置いてあるようだが? 演台の横にいる、あの黒いぼろ服を着た、顔色の悪い男はいったいなんだろう? ああ、なんということだ! みなさん、あれはピエール・グランゴワールと、彼の序詩の舞台なのだ。
われわれはみなこの男のことをすっかり忘れていた。だがこれこそ、グランゴワールの恐れていたところなのである。
彼は枢機卿がはいってきてからというもの、なんとか無事に序詩をやりおえようと、あたふたしどおしだった。まずはじめは、芝居をやめてしまってぼやっとしている俳優たちに、つづけろ、もっと大きい声を出せ、と命令した。それから、誰ひとり芝居など見ていないことがわかると、一時休止させた。やめてから十五分近くも、足を踏みならしたり、むやみに動きまわったり、ジスケットやリエナルドに何か問いかけてみたり、そのへんにいる見物人をけしかけて朗唱をつづけるようにもっていかせようとしたり、あれこれやってみた。だが、何もかもむだぼねだった。大広間じゅうの視線のただひとつの集中点になっている、枢機卿や使節連や高壇から目を離そうとするものはひとりもいなかった。なお、こんなことを申し上げるのは残念なのだが、枢機卿閣下がやってきてとんだぐあいに気分を転換させたころには、序詩が少々見物人を退屈させはじめていたことも争えない。
要するに、高壇《たかだん》の上でも、大理石盤の上でとそっくり同じ見せ物が、つまり農夫と聖職者と貴族と商人の争いが演じられていたのである。おしろいをつけ、ごてごてと飾りたて、詩句でしゃべり、グランゴワールに黄色と白の半々の長衣を着せられてまるで藁《わら》人形みたいにつっぱっているやつを見るより、あのフランドルの使節の一行や枢機卿の一行として、なまみの人間が、枢機卿の服を着たり、コプノールのチョッキをつけたりして、生き、呼吸し、動きまわり、ひじつきあわすのを見物しているほうが、たいていの人にはずっとおもしろかったのである。
だが、あたりのざわめきがいくらかおちついてきたのを見ると、われらの詩人は、なんとか事態を収拾《しゅうしゅう》できそうな策を考えついた。
彼は、隣の、辛抱強そうな顔をした、りちぎな、太った男に向かって、「もしもし、そろそろはじめちゃいかがでしょう?」ときいてみた。
「何をです?」と男が言った。
「ほら! 聖史劇ですよ」と、グランゴワールが答えた。
「どうぞごかってに」と男は答えた。
これでも半分は賛成してくれたのだから、グランゴワールは満足だった。そうだ、自分のことは自分でしろだ。彼はできるだけ群集の中にもぐりこみながら、どなりだした。
「聖史劇をつづけろ! はやくはじめろ!」
「畜生! あそこの端っこで、やつら何をがなってやがるんだ?(グランゴワールは何人分もの声を出していたのだ)」と、ジャン・ド・モランディノが言った。
「おい、みんな! 聖史劇は終わっちまったんじゃねえのか? またはじめろだなんて言ってやがるぜ。とんでもねえ話だ」
「そうだ、そうだ! 聖史劇なんか、くたばっちまえ! くたばれ!」と、学生たちはいっせいに叫んだ。
だがグランゴワールは、何人分もの声をはりあげ、なおさら力をこめて、「つづけろ! はやくはじめろ!」と、どなった。
この騒ぎはとうとう枢機卿のお耳にとまってしまった。
「大法官どの」と、彼は、五、六歩離れたところにいる背の高い黒服の男にきいた。「あいつらは悪魔にでもとりつかれおったのですかな、あんなに騒々しくさわぎおるのは!」
大法官はいわば両刀使いの役人だった。司法界のコウモリみたいなもので、ネズミでもあり鳥でもあり、裁判官でもあり警備役でもあったのだ。
彼は閣下のそばに近より、ご不興のありさまにびくびくしながらも、しもじもの礼儀をわきまえぬ行ないについて、口ごもり口ごもりご説明申し上げた。つまり正午が閣下のご到着よりはやくきてしまったため、役者たちは見物人に責めたてられて、やむなく閣下のご臨場を待たずに芝居をはじめてしまったのだ、という次第を。
枢機卿は大声で笑った。
「いや、もっともじゃ。大学総長どのでもきっと、やはりそれぐらいのことはされるだろうからな。そうではありませんかな、ギヨーム・リムどの?」
「閣下、芝居を半分見ずにすんだことをありがたいといたしましょう。つまり、それだけもうけものをしたというわけでございますよ」と、ギヨーム・リムが答えた。
「やつらに茶番をつづけさせてよろしゅうございましょうか?」と大法官がきいた。
「よろしいとも、つづけさせなさい。わしはどうでもよいのじゃ。芝居のあいだ、わしは聖務日課書でも読むといたそう」と枢機卿が答えた。
大法官は高壇のへりまで進みでて、手ぶりで見物人を静めると、大きな声で言った。
「市民の諸君、芝居をつづけろという者とやめろという者とがいるようだが、争いをおさめるために、閣下は芝居をつづけるようご命令になった」
両派とも命令には従わねばならない。だがそのおかげで、作者も見物人も、長いあいだ枢機卿に対して恨みをいだきつづけることになるのである。
そこで、舞台の役者たちは台詞《せりふ》のつづきをやりだした。そしてグランゴワールは、せめて残りの部分だけは無事に上演できるだろうと期待していた。ところがこの期待も、まもなくほかの空頼みと同じように裏をかかれることになってしまった。見物人は事実、どうにかこうにか、もとどおり静かになっていた。
だが、グランゴワールは、うっかり見すごしていたのだが、枢機卿が芝居をつづけるように命令したときには、高壇《たかだん》はまだがらがらにすいていたのだ。そしてそこへ、フランドルの使節一行につづいて、同じ行列に加わっていたお偉がたがぞくぞくと乗りこんできたのである。取次人は、俳優たちの対話などにはおかまいなしに、やってきたお偉がたの名まえや肩書をつぎつぎに呼びあげ、舞台に手ひどい打撃を与えるのだった。劇の進行中、取次人が金切り声で、脚韻《きゃくいん》と脚韻のあいだ、ときには半句と半句のあいだに、つぎに申し上げるような挿入句をのべつまくなしにとびこませるありさまを、まあ想像してみていただきたい。
「宗教裁判所検事ジャック・シャルモリュどの!」
「貴族、パリ市騎馬夜警隊長ジャン・ド・アルレどの!」
「騎士、ブリュサック領主、近衛砲兵隊長ガリヨ・ド・ジュノワラック閣下!」
「フランス国、シャンパーニュ、ブリ両州御料河川・御料林監察官ドルー=ラギエどの!」
「騎士、国王顧問官兼待従、フランス国提督、ヴァンセンヌ林務長官ルイ・ド・グラヴィル閣下!」
「パリ盲人院管理長官ドニ・ル・メルシエどの!」など、など、など。
これでは、たまったものではない。グランゴワールは、芝居はこれからますますおもしろくなるのだ、あとはただ観客が見てくれさえすればいいのだ、と思っていたやさきだったので、このおかしな伴奏のおかげで劇の進行があぶなっかしくなるのを見ると、すっかり腹をたててしまった。
事実、グランゴワールのこの作品ほど巧みで、ドラマチックな筋だてをもった芝居はめったにあるものではなかった。序詩の四人の人物が困りはてて悲しんでいるところへ、「歩きぶりひとつでもほんとうの女神とわかった」ウェヌス(ビーナス)がみずから、パリ市の船形紋章のついた美しい下着を着て、四人の前に姿を現わした。世界一の美女に与えられることになっているイルカをもらいうけたいと自ら名のり出たわけである。
ユピテルは楽屋の中でゴロゴロ雷を鳴らしながらウェヌスを応援している。そして女神がまさに勝利をえようとしたとき、つまり、比喩をはなれて申せば、ドーファン殿下を自分のむこどのにしてしまおうとしたとき、白どんすの服を着て、手に一輪のヒナギク(マルグリット)を持った少女(これがフランドルのマルグリット姫を表わしていることは誰にもすぐわかる)が現われて、ウェヌスと争う。ここが芝居のやまであり、大詰《おおづめ》の場である。すったもんだのあげくに、ウェヌスとマルグリットと楽屋からの声とのあいだに、問題を聖母マリアさまの正しいお裁きに任せよう、という話し合いができる。
この芝居には、いままでにお話ししたほかに、メソポタミア王ドン・ペドロといった、なかなか立派な役もあった。だが、こうじゃまのはいりどおしでは、この男もなんのために舞台に出たのか、さっぱりわからなかった。登場人物はみな、例の梯子をつたって、のぼりおりした。
だがもうだめだった。この芝居の美しさは、なにひとつ感じてもわかってももらえなかったのだ。枢機卿《すうききょう》がはいってきたとたん、目に見えない魔法の糸が、いきなりみんなの目を大理石盤から高壇のほうへ、つまり広間の南の端から西側へ引っぱってしまったみたいだった。どんなことをしても、見物人をこうした魔法から解きはなすことはもうできなかった。目という目は高壇にくぎづけになり、つぎつぎに現われるお偉がた、彼らのいまいましい名まえ、彼らの顔つき、彼らの衣装、こうしたものが見物人の心をひっきりなしにそらしてしまうのだった。嘆かわしいことだ。グランゴワールに袖を引っぱられてときどき舞台のほうを振り向くジスケットとリエナルド、隣にいる辛抱強い太った男、この三人をのぞいては、誰も役者の台詞《せりふ》など聞いていなかったし、見捨てられた哀れな教訓劇をまともに見ている者はひとりもいなかった。グランゴワールの目に見えたのは、ただ見物人の横顔だけだった。
グランゴワールは栄光と詩情とに満ちた自作の芝居の木組が、ひとつ、またひとつと崩れおちてゆくさまを、どんなにつらい思いで見ていたことだろう! それに、ここにいる見物人は彼の芝居のはじまるのを待ちかねて、大法官どのに反逆を企てそうになったのではなかったのか! それなのに、はじまってみれば、もう見向きもしない。割れるような満場の拍手喝采をうけてはじまった芝居なのに! 見物人の人気の上げ潮、下げ潮とは、いつの世でもこんなものなのだ! さっき裁判所の警吏どもがもうちょっとで縛り首になるところだったことを思うと! もう一度あんな楽しい思いができるものなら、グランゴワールはどんなことでもしてみせただろう!
だが、そうこうするうちに、取次人の血も涙もないひとりごともやんだ。来るだけの客が来てしまったので、グランゴワールはほっと息をついた。俳優たちは勇敢にやりつづけている。だがそのとき、洋品屋のコプノール親方がいきなりすっくと立ちあがったかと思うと、満場の注目を一身に集めながら、下品きわまる大演説をぶちはじめたではないか。グランゴワールの耳には、その声が遠慮なくとびこんできた。
「パリのみなさまがた、われわれはいまここで何をやっとるんでがしょう、はばかりながらだ! あっしにゃとんとわからん。あそこのすみっこの、あの舞台の上にゃ、なぐりあいでもおっぱじめそうな衆が見えるには見える。あれが≪聖史劇≫っていうもんかどうか知らんが、要するに、おもしろくもなんともねえ。口さきで言い合いをやっとるだけで、それ以上、一歩も出てはおらん。いまに一発くらわすかと、かれこれ十五分も待っとるのに、なんにもやらん。あいつらあ腰抜け野郎だ。舌さきで、ひっかきっこをやっとるだけだ。こんなことをやるくらいなら、ロンドンかロッテルダムからレスラーでも呼んだほうがよっぽど気がきいてまさあ。そうすりゃ、すてきですぜ! 外の広場にいたって聞こえてくるよな、すげえなぐり合いになるでしょうよ。だが、あいつらを見てると、まったく情けなくなりますぜ。せめてマウル人の踊りか、なにか茶番ぐらいはやってもらいてえもんだ! こんなものをやるって話じゃなかったんだ。らんちき祭りをやって、法王を選ぶんだって聞かされて来たんだ。らんちき祭りの法王ならガンでだって選びますぜ。祭りにかけちゃ、あっしらは遅れをとるもんじゃごわせん。畜生! とるかってんだ。つまり、あっしらはこんな具合《ぐええ》にやるんでさ。
まず、ここみてえに大勢人間が集まる。それから、ひとりひとり順ぐりに穴から顔を突きだして、ほかの連中にしかめっつらをしてみせる。いちばんみっともねえつらをしてみせたやつが、みんなの拍手喝采をうけて法王に選ばれる。まあざっとこんな具合《ぐええ》でさ。すてきにおもしろうござんすよ。どうでがす、ひとつ、あっしらの国流儀に法王さんを選んでみちゃあ? どうころんだって、あんなおしゃんべくりんの寝言なんぞ聞かされるより、よっぽど退屈《てえくつ》しねえですみますぜ。あの高窓んとこへいって、しかめっつらをしてみちゃどうです、おなぐさみですぜ。どうです、みなさん? 見たところ、けっこう奇妙きてれつの見本みてえなお顔が男衆にも女衆にもおありなすって、フランドル流に笑うにゃこと欠かねえようだ。みっともねえつらがこれだけありゃ、ひとつぐれえ、あっというような、しかめっつらも出てきそうですぜ」
グランゴワールは言い返してやりたかった。だが、びっくりしたり、かっとしたり、むらむらっとしたりしていたために口がきけなかった。それに、「みなさまがた」と呼ばれてすっかり気をよくしてしまった市民たちは、人気者の洋品屋の提案に、やんやと喝采を送っているので、どうさからおうとしてもだめだった。もうなりゆきに任せるよりしかたがない。グランゴワールは両手で顔を隠してしまった。ティマンテス〔「娘イピゲネイアをいけにえにするアガメムノン」を描いた古代ギリシアの画家〕が描いたアガメムノンみたいに顔をかくすマントがあいにくなかったから。
五 カジモド
またたくまに、コプノールのアイディアを実行する用意がすっかりできあがった。市民も学生も法律組合の連中も仕事にとりかかった。大理石盤に向かいあったところにあるあの小さな礼拝堂がしかめっつら競争の舞台に選ばれた。礼拝堂の戸口の上にある、美しい円花窓《えんかそう》のガラスが一枚こわれていて、石枠《いしわく》の丸い穴がひとつぽっかりあいている。この穴から競演者たちは顔を突き出すことになった。穴に顔を届かせるためには、どこからかころがしてきた酒樽がふたつ、どうにかこうにか積みあげてあったので、そこへよじのぼればよかった。男女の候補者は(女法王を選ぶこともできたのだ)、それぞれのしかめっつらが新鮮で完全な印象を与えるように、いよいよ出演という瞬間まで顔を隠して礼拝堂の中にひそんでいることに決まった。あっというまに礼拝堂は競演参加者でいっぱいになり、ドアは、彼らを入れたまま、またしめられてしまった。
コプノールは自分の席からひとりで命令したり、さしずしたり、手はずをととのえたりしている。こうして広間で大騒ぎをやっているうちに、枢機卿《すうききょう》は、グランゴワールにも劣らず面くらってしまい、所用だの晩課だのと口実をつくり、とりまき連をひとり残らず従えて、そうそうにひきあげてしまった。群集は、閣下がやってきたときにはあんなに大騒ぎしたくせに、閣下がひきあげるときには爪のあかほどの注意も払おうとはしなかった。枢機卿閣下が逃げだしたことに気がついたのはギヨーム・リムただひとりだった。群集の目はちょうど太陽みたいに休みなく運行していたわけだ。つまり広間の一方の端から出発し、まん中にしばらくのあいだ止まり、いまはもう一方の端にいっていたのだ。大理石盤や金らんの高壇《たかだん》はもうお役ごめんとなり、こんどはルイ十一世の礼拝堂が脚光を浴びる番になったのだ。場内はこれからばか騒ぎのしほうだいになるのだ。広間に残っていたのはもう、フランドル人とパリの熊公、八公だけなのだ。
しかめっつら競争がはじまった。まず最初に高窓に現われたのは、両まぶたをひっくり返して赤んべえをし、クマかライオンみたいに口をあんぐりと開き、額に帝政時代の軽騎兵の長ぐつみたいに太いしわをいっぱいよせた顔だった。これを見るとみんなは、ホメロスがいたらこの連中をギリシアの神々と間違えただろうと思えるような、とめどのない高笑いをはじめた。だが、大広間がオリュンポスの山とは似ても似つかぬものであったことは、グランゴワールのあの可哀そうなユピテルが誰よりもよく知っていた。
二番め、三番め、それからそれへと、しかめっつらはひっきりなしにとび出してくる。そのたびに笑い声と、大喜びで足を踏みならす音がますます激しくなってゆく。この光景には何かしら独特の、頭をぼうっとさせるものや、人を酔わせたり魅了したりするなんとも言えない力みたいなものがあったが、その感じをいまのみなさんに、今日のサロンのみなさんにわかっていただくのは容易ではあるまい。
三角形から台形、円錐体から多面体までのあらゆる幾何学的な形、怒った顔から助平づらまでの人間のあらゆる表情、赤ん坊のしわから死にかけのばあさんのしわまでのあらゆる年齢、ファウヌス〔ヤギ足で、頭に角をはやしたひげもじゃのローマ神話の神〕からベルゼブル〔聖書に記されているサタン〕までのあらゆる宗教的幻影、四つ足の口から鳥のくちばし、イノシシの頭から獣の鼻づら、こうしたいろいろさまざまな顔がつぎからつぎへと現われ出てくるありさまを、まあ想像していただきたい。ヌフ橋のすべての怪人面が、ジェルマン・ピロン〔十六世紀の彫刻家〕の手にかかって石にされてしまった、あの醜悪な怪物の顔が息を吹き返し、順々に燃えるような目つきで諸君をにらみつけにくるありさまをご想像ねがいたい。ヴェネツィアのカーニヴァルの仮装行列に出てくるさまざまな仮面が、つぎつぎとあなたのオペラグラスに映るありさまを想像していただきたい。ひと言でいえば、人間の顔の万華鏡《カレイドスコープ》だ。
らんちき騒ぎはいよいよフランドル流になっていった。テニエ〔フランドルの画家。さわがしい祭りの様子をしばしば描いた〕でも、とてもこのありさまをじゅうぶんには描けないだろう。サルヴァトーレ・ローザ〔十七世紀のナポリの戦争画家〕の戦争画がそのままバッカス祭の絵に変わったとでもご想像ねがいたい。もう学生も、使節団も、市民も、男も、女もいなかった。もうクロパン・トルイユフーも、ジル・ルコルニュも、マリー・カトルリーヴルも、ロバン・プースパンもいないも同然だ。みんな、あたりのらんちき騒ぎの中にかき消されてしまったのだ。
大広間はいまや、ずうずうしさと陽気さがごうごうとたぎりたつ大きな≪るつぼ≫みたいになってしまった。口という口はどなり声をあげ、目という目はぎらぎら光り、顔という顔はひきつり、ゆがみ、誰も彼も思い思いの格好をしている。ひとり残らず、どなったりわめいたりしているのだ。
奇妙な顔が円花窓《えんかそう》につぎつぎに現われて歯をギリギリいわせるたびに、まるでまっかな炭火の上へ藁束を投げこんだように、広間じゅうがワッと燃えたつ。そして、このざわめきたつ群集の中から、かん高い、鋭い、ぴりっとした、羽虫の羽音みたいな高い響きを残すがなり声が、ちょうど、るつぼから蒸気が吹きだすみたいにとびだす。
「やあい! 畜生め!」
「どうだい、あのつらを見ろよ!」
「ありゃだめだ」
「別口を出さねえのか!」
「ギユメット・モージュルピュイ、ほら、あの牛づらを見てごらんよ。角がないのが玉にきずさあね。ありゃ、あんたのだんなじゃないのかい?」
「そら、また出た!」
「畜生! あのしかめっつらは、いったいなんなんだ?」
「やい! いんちきだぞ。つらだけしきゃ出しちゃいけねえってのに」
「ペレット・カルボットのすべため! あのあまっちょ、あんないんちきができやがったんだな」
「ばんざい! ばんざい!」
「息がつまるよう!」
「あいつ、耳がじゃまっけで、つらが出せねえでいやがる!」など、など。
ところで、われらの親愛なるジャンのことも忘れてはなるまい。このてんやわんやのただ中で、彼は、ちょうど中檣帆《ちゅうしょうはん》につかまった少年水夫といった格好で、例の柱のてっぺんにしがみついているのが見られた。彼はまるで気が狂ったみたいに荒れ狂っていた。口をいっぱいに開いて何か叫んでいたが、その声はみんなには聞こえなかった。猛烈しごくなあたりのわめき声にかき消されてしまったというわけではなく、その声が人間の耳に聞こえる高音の限界、つまりソーヴールによれば振動数一万二千、ビヨ〔どちらも物理学者〕によれば八千を越えてしまっていたからなのだ。
ところでグランゴワールだが、一時はひどく打ちのめされてしまったものの、このころには、ようやくおちつきをとり戻していた。彼は断固として逆境にたち向かう腹を決めていた。彼はおしゃべり人形の役者たちに向かって、「つづけろ!」と三度目の催促をした。それから、大理石盤の前をおおまたで歩きまわっているうちに、自分もあの礼拝堂の高窓のところへ行って顔を出してやろうか、恩知らずの人間どもにしかめっつらをしてみせてやって、こっちの腹の虫をおさめるだけだっていいじゃないか、という、とっぴょうしもない考えがふと頭に浮かんだ。だが、〈いや、いかん、そんなことはわれわれ詩人の品位を傷つける。仕返しはいかん! 最後まで戦うんだ。詩歌の民衆に及ぼす力は偉大なものだ。あいつらをきっと正道に戻してやるぞ。しかめっつらが勝つか、文学が勝つか、さあ、目にもの見せてくれるぞ〉と、彼は繰り返し繰り返し腹の中で言った。
悲しいかな! 芝居の見物人はとうに彼ひとりになっていた。
戦況はさっきよりもずっとかんばしくない。目の前に見えるのは、もう人の背中ばかりだ。
いや、そうではなかった。さっき、あやうく芝居が流れてしまいそうになったとき、グランゴワールが意見をきいてみたあの辛抱強そうな、太った男が、まだ舞台に顔を向けている。ジスケットとリエナルドは、とうの昔にどこかへ行ってしまっていた。
グランゴワールはたったひとりになってもずっと芝居を見てくれているこの男に、心の底から感激した。そこでこの男のそばにいって、軽く腕を揺すりながら話しかけた。というのも、このりちぎな男は手すりによりかかって、うつらうつらやっていたからである。
「もしもし、どうもありがとうございます」と、グランゴワールは言った。
「え、何がありがたいんですか?」と、太った男はあくびまじりに答えた。
「お困りの種がなんだかはよく承知していますよ。こんなに騒々しいもんで、台詞《せりふ》がよくお聞きになれないのでしょう。だがご安心下さい。お名まえは後世までも残りますよ。失礼ですが、お名まえは?」と、グランゴワールはきいた。
「パリ、シャトレ裁判所印章保管係ルノー・シャトーと申すもので、はい」
「ここじゃ、あなたがたったひとりのミューズの神のお使いですよ」と、グランゴワールが言った。
「いや、恐れいります」と、シャトレ裁判所の印章保管係が答えた。
「あなただけがこの芝居をまともにごらんになって下さったのです。いかがでした、できばえは?」と、グランゴワールがまたきいた。
「ええ! まあ! なかなかみごとな御作ですな」と、太っちょの役人はねぼけ声で答えた。
グランゴワールは、これだけほめてもらったところであきらめなければならなかった。というのも、割れるような大喝采と、耳もつぶれそうな大歓声が入りまじって、ワッとわき起こり、ふたりの話をぷっつりとぎらせてしまったのである。らんちき法王が選ばれたのだ。
「ばんざい! ばんざい! ばんざい!」と、あっちでもこっちでも見物人が叫んでいる。
それもそのはず、あっと驚くような奇妙なしかめっつらが、このとき、円花窓《えんかそう》の穴から怪しい光を放っていたのだ。それまで、五角形だの六角形だのひん曲がったのだのと、奇妙な顔がつぎつぎにあの高窓に現われ出たのだが、らんちき騒ぎで興奮しきった想像力がつくりあげたグロテスクの理想にぴったりはまるやつは、まだひとつもなかったのだ。
ところがとうとう、みんながぼうっとしてしまうほどの、とびきり上等のしかめっつらが出てきて、満場の票をかっさらってしまったのである。コプノール親方でさえ、手を叩いて誉《ほ》めている。競争に加わったクロパン・トルイユフーも……彼がどんなにみっともない顔を見せることができたかは、ちょっとわれわれには想像できかねるくらいなのだが……兜《かぶと》を脱がないわけにはいかなかった。私もまた、まいった、というほかはない。四面体の鼻、馬蹄《ばてい》形の口、もじゃもじゃの赤毛のまゆ毛でふさがれた小さな左目、それに対して、でっかい≪いぼ≫の下にすっかり隠れてしまっている右目、まるで要塞の銃眼みたいにあちこちが欠けている≪らんぐい≫歯、象のきばみたいににゅっと突き出ている一本の歯、その歯で押えつけられている、たこのできた唇、まん中がくびれたあご、とりわけ、こうした顔だち全体の上にただよう人の悪さと驚きと悲しみの入りまじった表情。みなさんにこの顔の印象をお伝えしようとしても、しょせん私の力では及ばないであろう。想像できるかたは、やってみていただきたい。
満場が拍手大喝采だった。みんなはどっと礼拝堂に押しよせ、大きな歓声をあげながら、誉れ高きらんちき法王をかつぎ出した。だが、このとき驚きと感嘆が頂点にたっした。この男のしかめっつらは素顔だったのである。というより、この男のからだ全体がしかめっつらだった。赤毛のさかだった大きな頭、両肩のあいだにむっくりと盛りあがった大きなこぶ……前の方にも、このこぶとおそろいのやつがひとつとび出している……、ひどく奇妙なぐあいに曲がっていて、ひざのところでだけしか両方がくっつかない、ひとそろいのももと両脚……前から見ると、ちょうど半円形の草刈りがまを二ちょう、柄《え》のところで合わせたみたいだ……、大きな足、化け物じみた手。そして、こうした化け物じみた体つきにつけ加えて、なにかしら恐ろしくて、たくましくて、はしっこくて、勇ましい身ごなし。力は美と同じように調和から生まれるという、あの永遠不滅の規則に対する奇妙な例外だ。らんちき祭りの群集が法王に選んだのは、こんなできあいの男だったのである。
大男をばらばらにこわしておいてから、こわれた五体をめちゃくちゃにはんだづけした、とでもいった男なのだ。
この片目の怪物が礼拝堂の入り口に、どっしりして、ずんぐりした、高さも横幅もほとんど同じくらいの姿、ある偉人(ナポレオン一世)のことばを借りれば、「底の四角な」姿を現わすと、この男が着ている、銀の鐘の模様を散らした、赤と紫の染め分けの外套と、とりわけ、その申しぶんのない不細工な格好から、それが誰なのかをすぐにさとって、群集は声をそろえて叫んだ。
「あいつは鐘番のカジモドだ! ノートルダムのこぶ男のカジモドだ! ひとつ目のカジモドだ! がにまたのカジモドだ! ばんざい! ばんざい!」
この哀れな怪物にはたくさんのあだ名があったことがわかる。
「はらみ女は用心しろよ!」と、学生たちがどなる。
「はらみてえ女もだ」と、ジャンがつづける。
女たちはほんとうに、両手で顔をおおってしまっている。
「まあ! ひどいサルづらだわ」と、ひとりの女が言った。
「醜さも、たちの悪さもとびきりだわねえ」と、もうひとりが言った。
「悪魔だわ」と、三人目の女が言った。
「あたし、あいにくノートルダムのそばに住んでるの。あいつが樋《とい》をつたってうろつきまわるのが、夜どおし聞こえるわ」
「ネコを連れてね」
「あいつはいつも、あたしたちんちの屋根の上をうろついてんのよ」
「煙突から呪いをかけてよこすんだわ」
「こないだの晩、あたしんちの天窓のとこへやってきて、しかめっつらをしてみせたの。助平男でも来たのかと思って、ぞっとしちまったわ!」
「きっとサタンの酒盛りにでも行ってるのよ。あたしんちの下水盤にほうきを置いてったこともあったわ」
「まあ! なんて気味の悪いかおだろう!」
「まあ! いやらしいやつ!」
「おおいやだ!」
だが男どものほうは大喜びで、やんややんやと喝采を送っている。
大騒ぎの中心人物であるカジモドは、礼拝堂の戸口にずっとつっ立ったまま、暗い、きまじめな顔つきで、みんなの感嘆の的になりながら、いつまでもじっとしている。
ひとりの学生が……たしかロバン・プースパンだ……彼の鼻っさきまで近よっていって、ワッハッハと笑った。が、ちょっと近よりすぎたようだ。カジモドはその学生の皮帯をつかむと、群集の頭ごしに、十歩も先へぽいと投げとばしてしまった。うんともすんとも言わずにやってのけたのだ。
コプノール親方もすっかり感心して、そばにやってきた。
「いやほんとに! まったく! こんなぶざまな男にゃあ生まれてこのかた、ついぞお目にかかったことがない。これじゃ、ローマへ行ったって、立派に法王になれるぜ。パリでとおんなじによ」
こうしゃべりながら、親方は、はしゃぎ気味にカジモドの肩に手をおいた。カジモドはじっとしたままだ。コプノールはことばをつづけた。
「おめえさんみてえのといっしょに、一度めしを食ってみてえもんだ。金は幾万かかろうとも、だ。どうだい、ひとつつきあわねえか?」
カジモドは、うんともすんとも答えない。
「なんでえ! おめえは耳がきこえねえのか?」と洋品屋が言った。
そのとおり、カジモドは耳がきこえなかったのだ。
一方、カジモドのほうはコプノールの態度にじりじりしてきた。そして、いきなり歯をギリギリいわせながら親方のほうを振り向いた。そのありさまがあんまりものすごかったので、さすがのフランドルの大男も、まるでネコににらまれたブルドッグみたいに、思わずたじたじとなった。
すると、この奇妙な人物のまわりには、半径十五歩をくだらない円形の人垣ができ、恐怖と尊敬の目がいっせいに中心点に向けられた。ひとりのばあさんがコプノール親方に、カジモドは耳がきこえないのだということを話してきかせた。
「耳もだめだと! やれやれ! そいつあ申しぶんのねえ法王さんだ」と、洋品屋はフランドル流の高笑いをしながら言った。
「おやっ! わかったぞ。こいつぁ、兄きの司教補佐んとこの鐘番だ。……やあこんにちは、カジモド!」とジャンが叫んだ。カジモドをもっと近くから見ようと思って、とうとう柱頭からおりてきたのだった。
「この野郎! 立てば背中にこぶ、歩けばがにまた、つらあ見りゃ片目、しゃべってみてもきこえやがらねえ、か。こいつあまったく、舌をなんに使うんだろう、このひとつ目入道め?」と、投げつけられて、まだ体じゅうがうずいているロバン・プースパンが言った。
「気がむきゃしゃべりますよ。鐘ばかりついてたんで、耳がきこえなくなっちゃったんです。口はきけるんですよ」と、さっきのばあさんが説明した。
「玉にきずだ」とジャンが言った。
「それに目玉がひとつよけいにあらあ」と、ロバン・プースパンが言いたした。
「いいや、片目は、まるっきし見えねえのよりなおいけねえんだ。足りねえのが自分にわかるからな」と、ジャンがもっともなことを言う。
そうこうするうちに、物乞いだの下男だのきんちゃく切りだのが、ひとり残らず学生たちといっしょになり、行列をつくって出かけ、法律組合の連中の衣装だんすから、らんちき法王のボール紙の冠やインチキ法衣をもってきた。カジモドは、眉《まゆ》も動かさず、いばったような顔つきで、おとなしく衣装を着せられた。それがすむと、彼はいろいろな色でけばけばしく塗りたてた輦台《れんだい》の上にすわらされた。らんちき祭り団の十二人の役員が輦台を肩にかつぎあげた。自分の醜い足の下に立派な男たちのしゃんとした、みごとな顔が並んだのを見ると、ひとつ目入道の気むずかしい顔には物悲しそうな、それでいて高慢ちきな喜びとでもいえそうな表情がぱっと浮かんだ。
さて、このぼろ行列は、どでかい声をはりあげて行進をはじめた。通りや辻々をねり歩くまえに、しきたりに従って、まず裁判所の回廊をひとめぐりしようというのである。
六 エスメラルダ
ところで、みなさんにお知らせしなければならないのを私はたいへんうれしく思うのだが、法王選挙のらんちき騒ぎのあいだも、グランゴワールと彼の芝居はずっとがんばりつづけていたのである。役者たちは彼にせき立てられて、台詞《せりふ》をしゃべりつづけたし、彼の方もその台詞に耳をかたむけつづけていたのだ。彼は、騒ぎはもうどうにもしようがないとあきらめ、やがて見物人がまたこちらへ目を向けてくれるかもしれないと、かすかな望みをいだきながら、とにかく最後までもっていこうと決心したのだった。カジモドやコプノールや、耳がきこえなくなってしまいそうな、騒々しいらんちき法王の行列が大騒ぎをしながら広間から出てゆくのを見ると、このかすかだった希望がだんだんとよみがえってきた。群集も熱に浮かされたみたいに、あとを追ってとび出してゆく。
「しめた、じゃま者どもはみんな行っちまうぞ」と彼はつぶやいた。だがあいにくなことに、こうしたじゃま者どもが、見物人だったのである。またたくまに、大広間はからっぽになってしまった。
いや、実を言えば、見物人はまだいくらか残っていた。あのどんちゃん騒ぎにすっかりいや気がさしてしまったご婦人や年寄りや子どもたちが、あちらこちらにちりぢりになったり、柱のまわりに集まったりしている。学生も五、六人、窓枠に馬乗りになって、広場のほうをながめている。
〈よし、これだけ残ってりゃ、聖史劇を大詰《おおづめ》まで聞いてもらうにじゅうぶんだ。数こそ少ないが、選り抜きの見物人だ。文学のわかる見物人だ〉と、グランゴワールは思った。
だがすぐに、聖母マリアの登場に素晴らしい効果をそえるはずの管弦楽がやれないことがわかった。グランゴワールは、楽隊がらんちき法王の行列につれていかれてしまったのに気がついたのである。「かまわん」と、彼はストア派の哲学者よろしく言ってのけた。
グランゴワールは、彼の芝居について話し合っているらしい市民の一群に近よっていった。すると、こんな話の切れっぱしが耳にとびこんできた。
「ねえ、シュヌトーさん。あなたはナヴァールのお屋敷をご存じですか、以前ヌムールさまの持ち物だった?」
「ええ、ブラック礼拝堂のまん前のでしょう」
「それをねえ、お上《かみ》がこんど挿し絵画家のギヨーム・アリクサンドルに貸すことになったんですよ。家賃は年にパリ金で六リーヴル八スーです」
「いやはや、家賃もあがりましたなあ!」
〈まあいい! ほかの人が見てくれてるだろう〉と、グランゴワールは溜息《ためいき》をつきながら思った。
と、このとき、窓のところにいた若い男のひとりが「おい、みんな、エスメラルダだ! エスノラルダが広場にいるぞ!」と、とつぜん叫んだ。
このことばは、まるで魔術のようなききめを生んでしまった。広間に残っていた連中は、誰も彼も窓ぎわにかけより、外を見ようとして壁によじのぼりながら、「エスメラルダだ! エスメラルダだ!」と繰り返している。
ちょうどそのとき、外で割れるような拍手喝采の音がした。
「エスメラルダってのは、いったいなんのこったろう? やれやれ! 今度はどうやら窓がじゃまにとびこむ番らしいな」と、グランゴワールはがっかりして、両手を握り合わせながら言った。
振り返って大理石盤のほうを見ると、芝居はまたもや中断されてしまっている。ちょうどユピテルが雷を持って登場しようとするところだった。ところがユピテルは、舞台の下でじっとつっ立ったままだ。
「ミシェル・ジボルヌ! なにをぼんやりしてるんだ? きみの出番だろう? さあ登るんだ!」と、詩人はじりじりして叫んだ。
「困りましたよ。学生が梯子を持ってっちまったんです」とユピテルが答えた。グランゴワールは梯子のあったところに目をやった。なるほど梯子の影も形も見えない。芝居の筋を結んではみたものの、さて、その結びをつける大団円への交通いっさい遮断、というわけなのである。
「へんなことをしやがるな! なんだって梯子なんか持ってっちまいやがったんだろう?」と彼はつぶやいた。
「エスメラルダを見に行きたかったんですよ。ほら、梯子があいてるぞ! って言って、さっさと持ってっちゃったんです」と、ユピテルが情けない声で答えた。
とどめの一撃をくらったわけだ。グランゴワールも、とうとう投げだしてしまった。
「とっとと消えちまいな! 芝居の金がもらえたら、あんたがたにも払ってやるぜ」と、彼は役者たちに言った。それから彼は、頭をたれて退場した。力のかぎり戦ったあとの将軍みたいに、しんがりをつとめながら。
裁判所の曲がりくねった階段を降りながら、「パリっ子なんてまったく、おかしなやろうで、げび助ぞろいだな!」と、彼は口の中でつぶやいた。「聖史劇を見にきていながら、なんにも見ようとしないなんて! クロパン・トルイユフーだの、枢機卿《すうききょう》だの、コプノールだの、カジモドだの、なんだのかんだの、ろくでもないものばっかりに夢中になりやがって! 聖母マリアさまには見向きもしない。こんなこととわかっていたら、聖母マリアをわんさと見せてやったんだっけ、やじ馬め! それに、おれはどうだ! 見物人の喜ぶ顔が見たい一心でやってきながら、背中ばっかり見て帰るなんて! 詩人のおれも、これじゃまるで患者に嫌われて背を向けられる、へぼ医者そっくりだ! もっとも、ホメロスはギリシアの町々を物乞いして歩いたんだし、ナソは国を追われてモスクワ人のところで死んでるんだからな〔ナソとは、ローマの詩人オウィディウスのこと。彼は、アウグストゥスによって追放され、事実はモスクワ人ではなく、ゲタエ人のところで死んでいる〕。それにしてもあいつらが、エスメラルダ、エスメラルダって騒いでいるのは、いったいぜんたいなんのこったろう。全くのちんぷんかんぷんだな! だいいち、エスメラルダっていうのは何語だろう! きっとエジプト語だな!」
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第二編
一 一難をさけてまた一難
一月は日の暮れがはやい。グランゴワールが裁判所を出たときには、通りはもう暗くなっていた。こうして夜になっていたのが、彼にはうれしかった。はやくどこか人の知らない、人の通らない路地にたどりついて、心ゆくまで思いに耽《ふけ》り、哲学者グランゴワールに、傷ついた詩人グランゴワールの応急手当てをさせたかった。それに、哲学こそは彼のただひとつの避難所だった。というのも、これからどこへいって寝ればいいのか、さっぱり見当がつかなかったからだ。戯曲の上演にもののみごとに失敗してしまったいまとなっては、ポ=ロ=フォワンのま向かいの、グルニエ=シュル=ロー通りに借りている部屋へ戻ることなど、とてもできたものではなかったのだ。
実はグランゴワールは、奉行が彼の祝婚詩に払ってくれるはずの金で、パリ有蹄類入市税収《ゆうているいにゅうしぜいしゅう》請負人ギヨーム・ドゥー=シール親方に、たまっている部屋代六カ月分、つまりパリ金十二スーを払おうと思っていたのだった。十二スーといえば、いま身につけている半ズボンもシャツもビコケ帽もそっくりひっくるめた彼の全財産の十二倍もの金額だ。
サント=シャペル礼拝堂の収納役が管理していた牢獄の小窓の下にしばらく身を寄せ、さて今晩はどこで寝るかなと、ちょっと考えたのち……というのも、もうこうなれば、パリの舗道のどこで寝ようと勝手だから……、彼は、そのまえの週、サヴァトリ通りの高等法院判事の屋敷の戸口にラバに乗るときの踏み石を見つけて、こいつは、まさかのときに物乞いか詩人が枕にするのにちょうどもってこいだわいと思ったことを、ふと思い出した。彼はこんな妙案を授けてもらったことを神に感謝した。
そこで|中の島《シテ》へ行こうとして、裁判所広場を横ぎりにかかった。|中の島《シテ》は、いまでもまだ十階建ての家々を並べて残っているバリユリ通りだの、ヴィエイユ=ドラプリ通りだの、サヴァトリ通りだの、ジュイヴリ通りだのといった、たくさんの古い通りがうねうねと走っていて、まるで曲がりくねった迷宮みたいだった。
ところで、グランゴワールが広場を横ぎりにかかったとき、やはり裁判所から出た例のらんちき法王の行列がワーワー大きな叫び声をあげ、たいまつをあかあかとともし、グランゴワールから取りあげた楽隊を連れて、中庭をものすごい速さでつっきってゆくのが目に映った。これを見ると、彼の自尊心が受けた傷がまたずきずき痛みだした。彼は逃げだした。芝居の失敗であんな苦しい気持をなめていたので、その日の祭りを思い出させるものは、何もかもグランゴワールをいらだたせ、傷口を痛ませるのだった。
サン=ミシェル橋を渡ろうとすると、橋のあちこちに子どもが火縄ざおや火矢を持って走りまわっている。
「花火の畜生め!」こう言って、グランゴワールはシャンジュ橋のほうへ向きを変えた。橋のたもとの家々には、国王と王太子とフランドルのマルグリット姫を表わした旗が三つ、オーストリア公、ブールボン枢機卿、ボージュー侯、ジャンヌ・ド・フランス公妃、ブールボン庶子侯《しょしこう》、それから、もうひとり誰かの「肖像を描いた」小旗が六つ並べてあって、どれもこれもたいまつで明るく照らされていた。群集が旗を感心してながめていた。
「絵描きのジャン・フールボーが羨《うらや》ましいよ!」と、グランゴワールは深い溜息をつきながら言った。そして旗や小旗に背を向けてしまった。一本の通りが目の前を走っている。通りはまっ暗で、人影ひとつ見えない。ここへはいりこめば、あの騒々しくて晴ればれしい祭りからすっかり逃げきれるだろう、と思った。彼はどんどん通りの中へはいっていった。しばらく歩いていくと何かが足にぶつかったので、つまずいてころんでしまった。
朝、法律組合の筆生たちがこの日の盛興を祝って高等法院長の屋敷の門前に飾った五月柱の束がころがっていたのだ。グランゴワールはこの新手《あらて》の攻撃におおしく耐えた。起きあがって、川べりへ出た。民事院の小塔と刑事院の塔を通りすぎ、王室庭園の高いへいに沿って、舗装していない砂浜をくるぶしまで泥につかりながら歩いて、|中の島《シテ》の西の突端に着いた。ここでしばらくパスール=オ=ヴァシュの小島をながめた。この島はその後、青銅の馬とヌフ橋の下になって消えてしまったが。
小島は目の前を流れる、せまい、白っぽい水面の向こうに、暗やみの中で、何かの黒い塊《かたまり》のように見えた。島には、かすかな光のまたたきで、ハチの巣の形をした小屋みたいなものがあるのがわかった。牛を渡す船頭が夜をすごすところなのだ。
〈船頭がうらやましい!〉と、グランゴワールは思った。〈きみは名誉にあこがれもしないし、祝婚詩なんかもつくらない! 国王が婚礼の式をあげようが、ブールゴーニユ公妃が何をしようが、きみになんのかかわりがあろう! きみの知っているヒナギク(マルグリット)は、四月になると芝草のあいだにもえだして、きみの運ぶ牛どもに食べられるあのヒナギクだけなんだ! それなのに、詩人のおれときたらどうだろう。見物人にはやじられるし、寒さにがたがた震えている。十二スーも借金があるんだ。おまけに、靴の底は透きとおるくらいぺらぺらになっちゃって、きみの角燈のガラスの代わりにだってなりそうなんだ。ありがとう! 船頭さん! きみの小屋を見ていると目が休まるし、いまいましいパリなんか消えてなくなるんだ!〉
だが、グランゴワールの叙情めいた、うっとりした気分は、天の祝福を受けたその小屋からいきなりドカンとあがった聖ジャン祭の大二重花火の音でふっとんでしまった。その日のお祭り騒ぎにおくれをとるまいとした船頭が、花火を打ちあげたのだった。
この花火はグランゴワールをかんかんにおこらせた。
「いまいましい祭りめ! どこまでおれを追いかけるつもりなんだ? いやはや! 船頭の小屋まで追いかけてくるなんて!」と彼は叫んだ。
そして足もとのセーヌ川をながめていると、恐ろしい誘惑にとらえられて、
「ああ! 水がこんなに冷たくなけりゃ、ひと思いにとびこんじまうんだがなあ!」と彼は言った。
そのとたんに、やけっぱちなある決心が固まった。つまり、らんちき法王や、ジャン・フールボーの小旗や、五月柱の束や、火縄ざおや、花火からしょせん逃れられないものなら、いっそ思いきって、祭りのまんまん中にとびこんでいってやろう、グレーヴ広場へいってやろう、という決心だった。
〈せめて〉と彼は思った。〈あそこへ行けば、体を暖めるかがり火の燃え残りぐらいはあるだろう。それに王家の大きな紋章形の砂糖の塊りが三つ、市営食堂でふるまわれたはずだから、そのおこぼれを夕食がわりにすることだってできるだろう〉
二 グレーヴ広場
いまのグレーヴ広場には、そのころのおもかげはほとんど残っていない。広場の北のすみにある美しい小塔も、生き生きとしていた彫刻の線をすっかり塗りつぶされてしまって、みっともない姿を見せているが、それもやがて、パリの古い家々の正面をどんどん食いつぶしてゆく新しい家々の洪水の中に姿を消してしまうだろう。
グレーヴ広場を通りすぎるとき、ルイ十五世時代にたてられた二軒の廃屋《はいおく》にはさまれて息苦しそうにしているこの可哀そうな小塔に、哀れみと同情の目を向けずにはいられないような人なら……私もそのひとりだが……、昔この塔がどのような建物のあいだに立っていたか、容易に思い描くことができる。つまり十五世紀の古いゴチックふうの広場のありさまを、そっくりそこに再現してみることができるのである。
そのころの広場は、いまと同じように台形で、一辺は川岸でふちどられ、他の三辺は高い、間口の狭い、陰気な家々でふちどられていた。昼間であれば、どれもこれも石面や木面に彫刻をほどこされた、こうした家々のさまざまな様式に見とれることができた。この家並みはそのころもう、中世のいろいろな住宅建築の見本をひとつ残らず並べたようなものだった。十五世紀から古くは十一世紀にまでさかのぼるさまざまな建築様式が、尖頭《せんとう》アーチ窓にとってかわろうとしていた開き窓から、尖頭《せんとう》アーチ窓に追いのけられたロマネスクふうの半円アーチ窓にいたるまでに、しのばれたのである。そして、この半円アーチは、タヌリ通りの側で尖頭アーチふうの窓を見上げながら、まだセーヌ川に臨んだ広場のすみに立っていた古風な≪ロラン塔≫の二階に、そのおもかげを残しているのだった。
夜には、こうした家々のあることを示すものは、広場のまわりに空に向けた鋭角をずらりと並べたような家々の屋根が描く、黒いぎざぎざだけであった。というのも、これは当時の都市と今日の都市との根本的な違いのひとつなのだが、いまは家々は正面を広場や通りに向けているが、昔は切妻を向けていたからである。二世紀まえから家々は向きを変えてしまったわけだ。
広場の東側の中央に家を三つくっつけてつくった、ずんぐりした、つぎはぎの建物があった。この建物には三つ名まえがあって、それが建物の歴史と用途と構造を示していた。≪王太子邸≫というのは、シャルル五世が王太子時代にここに住んでいたからであり、≪取引所≫というのは市庁舎に使われていたからであり、≪柱の家≫というのは、四階建てのこの建物をささえている太い柱が並んでいたからである。
ここには、パリのような立派な都市に必要な、ありとあらゆるものがそろっていた。神に祈るための礼拝堂、公判を聞き、必要とあれば王家の家臣を懲戒《ちょうかい》する≪提訴室≫、また屋根裏には大砲をたくさん納めた≪兵器庫≫もあった。パリの市民は、市の自主権を守るためには、祈ったり訴えたりするだけではだめなことがあるのを知っていたので、いつも市庁舎の屋根裏部屋に、立派な火縄銃をさびの出るまでたくわえておいたのだ。
今日でも、グレーヴ広場と聞くと、≪柱の家≫の跡に建築家ドミニク・ボカドールの建てた市庁舎の陰気な姿とともに、なんともいやな感じが頭に浮かんでくるが、この広場はすでに当時からそうした感じを起こさせるような気味の悪い光景をみせていたのである。そのころの人びとが≪裁き≫と≪梯子《はしご》≫と呼んでいた立てっぱなしの絞首台とさらし台が、舖装された広場のまん中に並んでいて、それが、人びとにこの不吉な広場から目をそむけさせる大きな原因になっていたのだ、ということも申し上げておかねばならない。
なにしろここでは、たくさんの達者な元気のいい人間が臨終の苦しみをなめたのだから。また、五十年後、≪サン=ヴァリエ熱≫、つまり、あの絞首台恐怖病が発生したのもこの広場であった。この病気は、あらゆる病気のうちでいちばん恐ろしいものであった。なぜなら、それは神からではなくて、人間自身から出たものだったから。
ついでに申し上げておくが、わずか三百年まえにはまだあれほど盛んに行なわれた死刑が、今日ではほとんどなくなったことを思うと、ほっと助かったような気になる。あのころはグレーヴ広場、中央市場、王太子広場、クロワ=デュ=トラオワール、豚市場、あのいまわしいモンフォーコン、バリエール・デ・セルジャン、ネコ広場、サン=ドニ門、シャンポー、ボーデ門、サン=ジャック門の刑場には、車責めの刑に使う車輪や、石の絞首台や、その他さまざまの舗装された地面にはめこまれた常設の処刑道具があり、またそのほか、奉行や、司教や、司教座聖堂参事会員や、大修院長や、裁判権をもつ小修院長などが管理する無数の絞首台があって、やたらに人を死刑にしていたし、またそのほかにも、セーヌ川での水死刑などというのもあったのである。
封建社会の年とった主人公である死刑が、着ていたよろいのあらゆる部分を、つまり種々さまざまな処刑法や、想像力や空想力が及ぶかぎりの刑罰制度や、拷問《ごうもん》……このためにグラン=シャトレの皮ベッドは五年ごとに取り替えられた……をつぎつぎと失っていったあげく、わが国の法律や都市からほとんど姿を消し、法規から法規へと追いつめられ、広場から広場へと追い立てられてしまったのを見ると、まったく心の安まる思いがするのである。
いまでは昔の死刑を思わせるものは、この広いパリにただひとつ、あのグレーヴ広場のいまわしい片隅に哀れな断頭台が一台、現行犯を押えられるのを絶えず恐れてでもいるように、ひっそりと、不安げに、恥ずかしそうに、立っているだけである。死刑もひと仕事してしまったあとは、さっさと消えてゆくわけだ。
三 「ぶたれて接吻」
ピエール・グランゴワールは、グレーヴ広場に着いたときには、すっかりこごえきっていた。シャンジュ橋の人だかりやジャン・フールボーの小旗を避けるためにムーニエ橋を通ってきたのだが、途中いたるところでパリ司教所有の水車場の車に水をはねかけられ、ぼろ服はびしょぬれという始末だった。おまけに、芝居に失敗したので、寒さがひとしお身にしみるような気がした。そこで、広場のまん中で盛んに燃えしきっているかがり火のほうへ急いで近づいていった。ところが火のまわりには、大勢の群集がまるい人垣をつくっている。
「いまいましいパリっ子め! 火にもあたらせんつもりか! 炉端のすみっこにでもすわりたいと思っているのに。靴は水がはいってぶかぶかだし、あのいまいましい水車のやつめ、こんなにびしょぬれにしやがった! パリ司教のろくでなしめ、水車なんかもちやがって! 司教が水車をどうしようってのか、おうかがいしたいもんだ! おちぶれたら、司教をやめて粉屋になろうっていう気かな? おれの呪いだけであいつがおちぶれるものなら、呪ってやるぞ。あいつの大聖堂にも、あいつの水車にも呪いをかけてやるぞ! やじうまどもめ、ちっとはどいてくれないもんかな! いったいぜんたい何をしてやがるんだろう! 火にあたってやがるんだ。あったかいだろうなあ! 小枝の束の山が燃えてるのを見てやがるんだ。さぞかしきれいだろうなあ!」と、グランゴワールはひとりごとを言った。というのも、グランゴワールは真の劇詩人らしく、ひとりごとを言う癖があったからだ。
近づいてよく見ると、人がきの輪が祝火にあたるためにしては、ばかに大きすぎるのに気がついた。この大勢の見物人は、ただ小枝の束の山が燃える美しさにひかれて集まったのではないらしい。人だかりと火とのあいだにできている広いあき地で、ひとりの娘が踊っているのだった。
グランゴワールは懐疑派の哲学者でもあり、風刺詩人でもあったのだが、さすがの彼も、この娘が人間なのか、妖精なのか、それとも天使なのか、ちょっと見たときにはわからなかった。それほど、彼は女のまばゆいばかりの姿に魅せられてしまったのだ。
娘は背は高くなかったが、細い体がひどくすらりと伸びていたので、高く見えるのだった。肌は褐色だったが、昼間なら、その肌はアンダルシーヤやローマの女たちのように金色に美しく照りはえるに違いない。小さな足もアンダルシーヤふうだった。あでやかな靴にぴっちり包まれているのだが、少しも窮屈な感じがしないのだ。娘は、むぞうさに足もとに投げ広げられた古いペルシアじゅうたんの上で踊っている、舞っている、うずを巻いている。そして、くるくるまわりながら、その晴れやかな顔が見物人の前を通りすぎるたびに、黒い大きな目がきらりと光を投げかけるのだった。
まわりの見物人はみんな口をぽかんとあけたまま、じっと彼女の姿を見つめている。それもそのはず、ふっくらした清らかな両腕を頭上に高く伸ばしてタンバリンを叩き、それに合わせてくるくる踊る、スズメバチのようなほっそりした、なよなよしい、生き生きした姿、しわひとつない金色の胴着、ふんわりふくらんだはでな服、あらわな両肩、ときどきスカートの下からちらりとのぞくほっそりした足、黒い髪、炎のような目、それはもうこの世のものではなかったのだ。
〈これはまったく火の精《せい》だ、水の精だ、女神だ、メナロン山の巫女《みこ》だ!〉と、グランゴワールは思った。
と、このとき、「火の精」のおさげがほどけて、さしていた真鍮《しんちゅう》の髪飾りがころころと地面にころがり落ちた。
「なんだ! ジプシーの娘だったのか」と、グランゴワールはつぶやいた。
幻はすっかり消えてしまった。娘はまた踊りはじめた。地面に置いてあった剣を二本拾い、それをきっ先で額の上に立てると、体をぐるぐるまわしはじめた。剣は体と反対の方向へくるりくるりとまわった。やっぱり、しがないジプシー娘だったのだ。グランゴワールはひどい幻滅を感じはしたものの、こういった絵のような全景から、魔術めいた、うっとりするような気持を味わわずにはいられなかった。かがり火はどぎつい赤い光であたりを照らし、その光はぐるりと輪を描いている群集の顔や踊っている娘の褐色の額の上で生き生きとゆらめき、広場の奥では、一方では≪柱の家≫の黒くてひだの多い古めかしい正面に、もう一方では絞首台の石の腕に、ゆらゆらと動くみんなの影にまじりあって、ぼんやりした余光を投げかけていた。
この光に照らされて緋色《ひいろ》に染まった数知れぬ顔の中に、誰にもまして夢中に踊り子の姿にながめいっているように見えたものがあった。それはいかめしい、おちついた、陰気な顔の男だった。男の服は、まわりの人びとの陰になって見えなかったが、年は三十五を出てはいないように見うけられた。だが頭はもうはげていた。こめかみに、もう白くなった髪がまばらに残っているだけだ。広くて高い額にはいく筋ものしわができかかっている。だが、くぼんだその目には不思議な若々しさと、燃えるような生気と、深い情熱がきらめいている。
男の目はじっとジプシー娘に注がれたまま離れない。陽気な十六娘が踊ったり舞ったりして、みんなをよろこばせているのに、この男は何か暗い物思いにだんだん深く沈みこんでゆくようだった。ときどき、ほほえんだかと思うと溜息をつく。が、そのほほえみは溜息より、なお苦しげだった。
娘は息がきれて、とうとう踊りをやめた。人びとは、大喜びで拍手を送っている。
「ジャリや」と、ジプシー娘が呼んだ。
と、グランゴワールの目には、敏捷《びんしょう》で、活発で、毛なみのつやつやした、白い、小さな、可愛い牝ヤギが一匹、どこからか現われ出てきたのが映った。角も足も金色で、これまた金色の首輪をつけている。ちっとも気がつかなかったが、それまでじゅうたんの片隅にうずくまって、主人が踊るのをながめていたのだ。
「ジャリや、おまえの番だよ」と、踊り子が言った。そして、腰をおろしながら、ヤギの前にタンバリンをやさしく差し出した。
「ジャリや、いま何月《なんがつ》?」と娘がきいた。ヤギは前足をあげて、タンバリンをひとつ叩いた。そのとおり、一月だった。人びとはパチパチと手を叩いた。
「ジャリや、きょうは何日?」と娘は、タンバリンを裏がえしにしてまたきいた。
ジャリはかわいらしい金色の足をあげて、タンバリンを六つ叩いた。
「ジャリや、いま何時?」とジプシー娘は、またタンバリンを裏返しにしてきいた。
ジャリはタンバリンを七つ叩いた。と、そのとたんに≪柱の家≫の大時計が七時を打った。
人びとは驚きの目を見はるのだった。
「あれは魔法を使っているのだ」という気味の悪い声が群集の中から聞こえた。声の主は、ジプシー娘からじっと目を離さずにいた、あの頭のはげた男だった。
娘はびくっとして振り向いた。だが、拍手がどっとわき起こって、陰気な叫び声はその中にかき消されてしまった。
拍手の響きは娘の心からもあの声をすっかり消してしまったらしく、ジプシー娘はまたヤギに質問をつづける。
「ジャリや、市の短剣騎兵隊長のギシャール・グラン=ルミさんは、聖母お潔《きよ》めの祝日の行列でどんなふうになさるの?」
ジャリはあと足で立ちあがると、とても可愛らしい、もったいぶったようすでひょこひょこ歩きながら、メーメー鳴きだしたので、まわりの見物人は、短剣騎兵隊長のまやかし信心の、このみごとな物まねを見て、どっと笑いだした。
「ジャリや」と娘は、芸がますますうけるのに元気づいて言った。「宗教裁判所検事ジャック・シャルモリュさまは、どんなふうにお説教をなさるの?」
ヤギはしりを地面につけてすわり、前足をとてもへんてこなぐあいに動かしながら、メーメー鳴きだした。へたくそなフランス語や、へたくそなラテン語こそ聞かれないが、身振りといい、口調といい、身ごなしといい、ジャック・シャルモリュ検事にそっくりだった。人びとの拍手はますます激しくなった。
「神を恐れぬことばだ! 神を汚《けが》しおる!」と、また頭のはげた男の声が聞こえた。
ジプシー娘はまた振り向いた。
「まあ! あのいやな男だわ!」と娘はつぶやき、下唇をぐっと突き出して、癖になっているらしいふくれっつらをすると、かかとでくるりと向きを変えて、タンバリンの中にみんなからの投げ銭を集めにかかった。
大きな銀貨や小銭《こぜに》や盾銭《たてせん》やワシの銅銭がばらばらっと降ってきた。ふいに娘はグランゴワールの前にやってきた。グランゴワールがついうっかりポケットに手をつっこんだので、娘は立ちどまった。「しまった!」と詩人は言った。ポケットの底に手をつっこんでみて真相がわかったのだ。からっけつなのである。だが、可愛らしい娘は、大きな目で彼を見つめながら、タンバリンを差し出し、金を入れてくれるのを待って、じっと立っている。グランゴワールは大汗をかいてしまった。
もしポケットにペルーの富にも比べられるような大身代でももっていたら、グランゴワールはきっとそれを踊り子にやってしまったに違いない。だがグランゴワールは、そんな大身代などもっていなかった。それにアメリカもまだ発見されてはいなかったのだ。
幸い、思いがけないできごとがもちあがって、彼は救われた。
「さっさといっちまわないか、このエジプトバッタめ!」と叫ぶかん高い声が、広場のいちばん暗いすみっこから聞こえてきたのだ。
娘はぎょっとして振り向いた。こんどはあの頭のはげた男の声ではなく、女の声だ。信心ごりの意地の悪い声だ。
おまけに娘をおびえさせたこの声が、このあたりをうろついていた子どもたちの群れを喜ばせた。
「ありゃ、ロラン塔のおこもりさんだ」
「お懺悔《ざんげ》ばあさんがどなってるんだ! まだ夕飯にもありつけねえのかな? 市営食堂の残りものでも持ってってやろうよ!」と、子どもたちはゲラゲラ笑いながら叫んだ。
そしてひとり残らず、≪柱の家≫のほうへ駆けていってしまった。
一方、グランゴワールは踊り子がうろたえているすきに姿を消してしまった。子どもたちの叫び声を聞いて、自分もまだ夕食にありつけなかったことを思い出したのだ。そこで彼も市営食堂へ駆けつけた。だが、駆けっこじゃ子どもたちにはかなわない。食堂に着いたときには、食べ物はもうきれいさっぱりとかたづけられていた。一ポンド五スーのパンの塊りさえ残ってはいなかった。残っているのは、一四三四年にマチユ・ビテルヌが壁に描いた、すらりとしたユリの花にバラの木をあしらった絵だけだ。これではまことにわびしい夕食である。
夕食にありつけずに寝るのは閉口《へいこう》な話だが、夕食にありつけず寝ぐらもないというのは、ますますありがたくない話だ。グランゴワールはこういったありさまに落ちこんでしまったのだ。パンもなければ、寝ぐらもない。彼は四方八方から自然の欲求に攻めたてられるのを感じた。そして自然の欲求とは、ずいぶんうるさいものだ、とさとった。彼は、だいぶまえからこういう真理を発見していた。つまり、ユピテルは人間嫌い症の発作の最中に人間をつくった。だから賢人は生きているあいだ、自分の運命に自分の哲学を包囲されて苦しむのだ、というのである。
ところでグランゴワールは、いままでこんな水ももらさぬ包囲攻撃にあったことは一度もなかった。胃袋はさかんに降伏信号を発している。彼は、邪悪な運命が彼の哲学を兵糧攻《ひょうろうぜ》めにしようとしているのを、とんでもないきたない手だと思った。
こうした陰うつな夢想にますます深く沈みこんでいったとき、やさしさに溢《あふ》れてはいるが、なんとも奇妙な歌が聞こえてきて、いきなり彼を夢想からさめさせた。あのジプシー娘がうたっているのだった。
声も、あの踊りや、あの美しさと同じ感じだった。いうにいわれぬ魅力的な声だった。言ってみれば、澄みきっていて、響きがよく、空を飛ぶ鳥の羽音のような調べだった。歌声は絶えまなくつづいてゆく。メロディー、思いがけない拍子、それから、ときどき鋭い、笛を吹くような節のまじる単調な楽句、それから、ウグイスもとまどいそうな高い声への飛躍。だがそれでも、ハーモニーはけっして失われない。それから、うたっているこの娘の胸の線のようにゆるやかにのぼりおりするなだらかなオクターヴの起伏。娘の美しい顔は、あられもなくとり乱した感じから、清らかな品のある美しさまで、千変万化する歌の調子にしたがって、不思議なすばやさで変わってゆく。ときには娼婦とも見え、ときには女王とも見えそうな変わりようだった。
娘がうたっている歌の文句はグランゴワールの知らないことばだったし、娘のほうでも何語だかわかっていないようにみえた。それほど娘がうたう調子は、歌の意味とちぐはぐだった。たとえば、つぎのようなスペイン語の四行の詩句を狂ったような陽気さでうたうのだった。
高価な大箱を
彼らは柱の中に見いだした。
その中に、恐ろしい
顔を描いた新しい旗。
そしてすぐつづいて、
アラビアの騎士たち、
動くこともできず、
剣《つるぎ》を帯び、首には
強い弩《おおゆみ》をかけて。
という一節の調子を聞くと、グランゴワールは思わず涙ぐんでくるのを感じるのだった。だが娘の歌は何よりも喜びを表わしていた。それに娘は小鳥のように、ほがらかに、無心にうたっているように思われた。
ジプシー娘の歌はグランゴワールの夢想をかき乱しはしたが、それは白鳥が水をかき乱すような乱しかただった。彼はうっとりとした、何もかも忘れ果てたような気持で耳をかたむけていた。ここ数時間以来、はじめて苦しみを感じずにいられたのだった。
だが、この楽しいときも長くはつづかなかった。
さっきジプシー娘の踊りにじゃまをいれた女の声が、今度は歌の妨害にとびだしたのだ。
「黙らないのか、地獄のセミめ!」と、やはりあの広場の暗い片隅から叫び声が聞こえてきた。可哀そうに、「セミ」はぴたりと鳴きやんでしまった。
グランゴワールは両手で耳にせんをして、
「ちぇっ! いまいましいぼろのこぎりめ、竪琴《たてごと》をこわしにきやがる!」と叫んだ。
一方、ほかの見物人たちも、彼と同じようにぶつくさ言っている。「お懺悔《ざんげ》ばばあめ、消えてなくなれ!」と、あちちでもこちらでも声があがる。そして、姿の見えない意地悪ばあさんは、ジプシー娘に毒づいたことをひどく後悔することになりそうな形勢だった。だがちょうどそのとき、らんちき法王の行列が現われて見物人の気をそちちへそらしたので、ばあさんはどうにかことなきを得たのである。行列はまちまち、辻々をねり歩いたあげく、たいまつを赤々とともし、ワーワー喚声《かんせい》をあげながら、グレーヴ広場へはいりこんできた。
この行列は、みなさんもご存じのように裁判所から出発したのだが、道々、隊をととのえ、パリじゅうのならず者や、のらくらな泥棒や、かき集められる宿なしをひとり残らず引きずりこんでしまった。そんなわけで、グレーヴ広場に着いたときには、なかなか堂々とした行列になっていた。
まず最初はエジプト隊〔ここではジプシー隊の意味〕だ。先頭のエジプト公は馬にまたがり、徒歩の伯爵たちに手綱をとらせ、あぶみを押えさせて、やってくる。そのうしろから男女ごたまぜのジプシーどもが、ギャーギャー泣きわめく子どもたちを肩にのせながらぞろぞろついてくる。公爵も伯爵もしもじもも、みんなそろっておんぼろ姿、つづれ姿だ。つづいて、どろぼう王国の一団、つまり、フランスじゅうのどろぼうが階級別に隊を組んでやってくる。こそどろ連が先頭に立っている。みんなへんてこな資格に応じたいろいろな階級章をつけ、四人ずつ並んでの分列行進だ。たいていは体のどこかがおかしく、こちらは脚が利かないやつ、あちらは手が利かないやつ。にせ失業者、にせ巡礼、聖ユベール参り、にせてんかん、サント=レーヌ帰り、ハンカチかぶり、四人組、松葉杖物乞い、きんちゃく切り、おでき物乞い、にせ焼け出され、にせ破産、にせ傷兵、若僧物乞い、どろぼう王国立法者、にせハンセン病者などなど、ホメロスでも数えあげるのにうんざりするほどだ。そして、にせハンセン病者隊とどろぼう王国立法者隊とでできている法王選挙会のまん中には、大きな二匹の犬に引かせた小さな荷車の上にどろぼう王国大王陛下がしゃがんでいたのだが、気をつけないとよく見えなかった。
どろぼう王国のつぎはガリラヤ帝国〔貧乏学生や聖職見習たちのグループのこと〕だ。ガリラヤ帝国皇帝ギヨーム・ルソーは、酒じみのついた緋の衣をつけ、打ち合ったり剣舞を舞ったりする踊り手たちを先に立て、権標奉持者や役員や会計院の書記たちにとりまかれて、威風《いふう》堂々と進んでくる。さてそのつぎは、法律組合の面々だ。手に手に花をつけた五月柱を持ち、黒服をまとい、らんちき騒ぎにふさわしい楽隊をひきつれ、太い黄色のろうそくをともしてやってくる。この面々のまん中に、らんちき祭り団の役員たちが、ペストが流行したときのサント=ジュヌヴィエーヴ教会の聖遺物箱よりもたくさんろうそくを立てた輦台《れんだい》を肩にかついで進んでくる。そしてこの輦台の上には、笏杖《しゃくじょう》を持ち、祭服をつけ、法王冠をいただいた新らんちき法王が、つまりノートルダムの鐘番、あのこぶ男のカジモドが、堂々とすわっていた。
このグロテスクな行列の各隊には、それぞれ楽隊がついていた。エジプト隊はアフリカ木琴とアフリカ太鼓をうるさく打ち鳴らしている。どろぼう王国隊は、もともと音楽とはあまり縁のない人種だから、ヴィオルや原始的ならっぱや十二世紀のゴチックふうの角笛をキーキーブカブカやっている。ガリラヤ帝国勢の楽隊も似たりよったりの原始的なものだ。「レ=ラ=ミ」の音だけしか出せない、幼稚で貧相な三弦胡弓《さんげんこきゅう》みたいなものがどうにか目につくぐらいだ。
だが、ものすごい雑音を鳴り響かせて、当代音楽の粋をくりひろげているのは法王のまわりの楽隊だ。さまざまなフルートや金属吹奏楽器はいうにおよばず、ソプラノの三弦胡弓、テノールの三弦胡弓、アルトの三弦胡弓までそろっているのだ。やれやれ! みなさんもお忘れではないと思うが、これこそグランゴワールの管弦楽団だったのだ。
裁判所からグレーヴ広場まで行く道々、カジモドの陰うつな醜い顔がどんなに勝ち誇った、満ち足りた表情に輝いていたかは、おつたえするのがちょっとむずかしい。彼は生まれてはじめて、自尊心の満足という喜びを味わうことができたのだ。それまでは自分の身の上に対する屈辱と軽蔑、われとわが身に対する不快感だけしか味わったことがなかったのだ。だからカジモドは、耳はきこえなかったが、すっかり法王気分になって、嫌われていると思うため自分のほうでも嫌っていた世間の人びとの拍手喝采を、心ゆくまで楽しんでいた。臣下どもが狂っていようが、体のどこかが利かなかろうが、どろぼうだろうが、物乞いだろうが、それがどうだというのだ! 要するに彼らは臣下であり、彼は帝王だったのだ。それにカジモドは、この連中の皮肉な喝采や、冷やかし半分の尊敬をみんな、まに受けていた。もっとも、人びとの心の底には嘘いつわりのない恐怖心も多少はまじっていたことを、言っておかなければならない。というのも、カジモドは、こぶ男とはいえ力はあるし、脚は利かなかったが身軽だったし、耳はきこえなくとも意地悪だったからである。こうした三つの性格のおかげで、すっかり軽蔑《けいべつ》されてはいなかったのである。
おまけに、この新らんちき法王が自分の感じていることや、他人に与えている感じを、自分自身ではっきりわかっていたとは、とても考えられないのだ。このできそこないの体に宿っている精神には、当然、どこか不完全で鈍いところがあった。だから、このとき彼が感じていたことは、彼にとっては、まるで雲みたいな、はっきりしない、とりとめのないものだった。ただ、むやみにうれしくなり、いちずに偉くなった気持でいたのだ。陰気でふしあわせな彼の顔からは、後光が射しているようにみえるのだった。
ところがこのとき、人びとを少なからず驚かせ、ぞっとさせるようなことが、とつぜんもちあがった。カジモドがこうして半分酔ったような気分で、意気揚々と≪柱の家≫の前にさしかかったとたんに、ひとりの男が群集の中からとびだしてきて、激しい怒りをこめたそぶりで、彼の手かららんちき法王権のしるしであるあの金の笏杖《しゃくじょう》をひったくってしまったのだ。
この無鉄砲な男は、さっきジプシー娘の見物人たちの中にまじりこんで、憎しみのこもったおどし文句で哀れな娘をぞっとさせた、あのはげ頭だった。この男は聖職者の服を着ていた。男が群集の中からとびだしたとたん、グランゴワールはそれが誰だかわかった。それまではちっとも気がつかなかったのだが。
「おや!」と、彼はびっくりして叫んだ。「あれはぼくの学問の先生だ。司教補佐のクロード・フロロ神父だ! あの一つ目野郎をいったいどうしようってんだろう? ぎゃくに食い殺されちまうぞ」
はたして、まわりの人ごみからも恐怖の叫び声があがった。恐ろしいカジモドが輦台からとびおりたのだ。女たちは、こぶ男が司教補佐をひき裂くのを見まいとして目をそむけた。
ところが、ひとっとびで司祭の前に降りたこぶ男は、相手を見ると、その場にひざまずいてしまった。司祭はカジモドの法王冠をひっぺがし、笏杖をへし折り、安ぴかものの祭服をひき裂いてしまった。カジモドは、ひざまずいたまま、頭をたれて、両手を合わせている。
それから、ふたりのあいだには身ぶり手まねの奇妙な会話がはじまった。どちらも口をきかないのだ。司祭はつっ立ったまま、ぷりぷりした、おどしつけるような、高びしゃな態度を示し、カジモドははいつくばって、うやうやしく哀願している。カジモドならこんな相手なんか、親指の先で間違いなくひねりつぶしてしまえるはずなのだが。
とうとう司教補佐は、カジモドのがっしりした肩を乱暴にゆすぶり、立ちあがって、ついてこいという合図をした。
カジモドは立ちあがった。らんちき祭り団の役員たちは、法王がだしぬけに法王座から奪われてしまったので、あっけにとられていたが、やがてはっと気がつくと、彼らの法王を守りにかかった。
ジプシー勢、どろぼう王国勢、法律組合の連中全部は、司祭をぐるりととりまいて、口々にわめきだした。
すると、カジモドは司祭の前に立ちはだかり、筋骨隆々としたげんこを握りしめて、怒り狂ったトラみたいに歯をギリギリいわせながら、寄せ手をはったとにらみつけた。
司祭はまた、もとの暗い、重々しい顔つきに戻り、カジモドに合図をすると、黙って引きあげにかかった。
カジモドは司祭の先に立って歩きながら、道をふさぐ群集を追い散らしている。
ふたりが人ごみをかきわけて広場のはずれまでくると、やじ馬や暇人《ひまじん》の大群があとを追おうとした。するとカジモドは後衛をつとめ、うしろ向きになって司教補佐のあとについていった。ずんぐりした格好で、いまにもとびかかりそうな形相《ぎょうそう》をみせ、ぞっとするような姿で、髪をさかだて、手足に力をこめ、イノシシみたいな牙をなめなめ、野獣のようにうなり声をあげ、身ぶりや目つきで群集に大きなどよめきを起こさせながら。
みんなは、ふたりが狭い、まっ暗な通りへはいってゆくのを見送っていたが、誰ひとり、あとを追おうという勇気のある者はいなかった。歯をギリギリいわせているカジモドの怪物じみた姿を見ただけで、通りへはいっていこうなどという気持は消しとんでしまうのだった。
「いやはや驚いたもんだ。だがいったいぜんたい、どこへ行ったら夕食にありつけるんだろう?」と、グランゴワールはつぶやいた。
四 夜のまちで美しい女のあとをつけてゆくと、いやなことに出くわす
グランゴワールは、ままよとばかりジプシー娘のあとをつけはじめた。娘がヤギを連れてクーテルリ通りへはいってゆくのを見たので、彼もその通りへはいっていった。
「なぜいけないんだ?」と、彼はひとりごとを言った。パリのまちの実践哲学者であったグランゴワールは、どこへ行くともしれないきれいな女のあとをつけてゆくほど夢見心地にしてくれるものはない、ということを知っていた。こういうぐあいに、みずから進んで自分の自由意志を投げうち、自分の気まぐれを知らぬ他人の気まぐれにすっかり身を任せてしまうと、そこには、気まぐれなひとり立ちの気持と盲目的な服従とが入り混じった一種の感情が生まれるものである。このなんとも言えない隷従《れいじゅう》と自由とのあいだをゆく感情が、グランゴワールのお気に召していたのである。なにしろ彼は、もともと折衷《せっちゅう》的で、どっちつかずで、複雑で、あらゆる物事の両極端を握り、人間のあらゆる性向のあいだで絶えず中ぶらりんになり、こうした性向を中和させているという男だったのだから。
彼は自分自身を、ふたつの磁石で反対の方向に引っぱりっこされて、上と下、天井と敷石、天頂と天底のあいだで永遠にふわふわ浮いている、マホメットの墓みたいなもんだ、とよく言っていたのである。グランゴワールが現在生きていたとしたら、古典派とロマン派との、なんとみごとな中間的存在になったことであろうか!
だが、彼は三百年も生きられるほどの原始人ではなかった。残念なことだ。今日、彼がいないということは、なんともさみしいかぎりである。
ところで、グランゴワールがよくやったことなのだが、こんなぐあいに通行人(ことにご婦人)のあとをつけてゆくには、今晩はどこで寝たらいいかわからない、といった気分ほどぴったり合うものはないのである。
彼は物思いに耽《ふけ》りながら、娘のあとをつけていった。人びとはわが家へ戻っていくし、この日も平日どおり開いていた居酒屋も、もう店をしめようとしているのを見て娘が足ばやに急ぐと、きれいなヤギもそのあとからちょこちょこ走っていく。
〈そのうちには〉と、グランゴワールは考えるともなく考えていた。〈あの娘もどこかに泊まるに違いない。ジプシー娘なんて、もともと気がいいものなんだ。……ひょっとしたら?……〉
この中止点を打った場所は何か相当にあだっぽい考えが心の中に浮かびはしたものの、まとめあげずにやめてしまった個所なのだ。
いちばん遅くまで起きていた市民たちが戸口をしめている前を通りながら、グランゴワールは彼らの会話のはしばしをちらっちらっと耳にして、楽しい空想の糸を断ち切られた。
ふたりの老人が話し合っている。
「チボー・フェルニクルさん、寒くなってきたのに、お気づきですか?」
(グランゴワールは、そんなことはもう冬のはじめから、気づいていた)
「知ってますとも、ボニファス・ディゾムさん! また三年まえの、八十年みたいな冬になるんですかねえ? たしか、あんときは薪がひと束八スーもしましたからな!」
「なあに! チボーさん、あんなのは一四〇七年の冬に比べりゃなんでもありませんよ。あの年は聖マルタン祭から聖母お潔めの祝日まで氷が張ってさ! なにしろあんまり寒さがきびしかったもんで、裁判所の大広間で仕事をしていた書記のペンが三字書くたびに凍っちまう! だもんで、とうとう裁判の記録もできなくなるという始末でしたぜ」
その先へゆくと、お隣どうしのかみさんが、夜霧でパチパチこまかい火花を散らしているろうそくを手に持って、窓と窓で話している。
「だんなさんからあの事件のことをお聞きなすったかい、ラ・ブードラックさん?」
「いいえ。そりゃまたどんなことなの、チュルカンさん?」
「シャトレの公証人のジル・ゴダンさんの馬がねえ、フランドル人の行列に驚いちゃってさ、セレスチン会修道院の修道士のフィリッポ・アヴリヨさんをけとばしちゃったのよ」
「ほんとなの?」
「ほんとですともさ」
「まちの人の馬にね! そりゃ、ちっとばかしやりきれないね。騎兵さんの馬にだったら、あきらめもつくだろうがねえ!」
ここまで言って窓はしめられてしまった。が、グランゴワールの想像の糸は断ち切られてしまった。
だが幸い、あいかわらず前を歩いてゆくジプシー娘やジャリのおかげで、切れた糸口をすばやく見つけ、らくに、もとどおりにつなぎ合わせることができた。ふたつのほっそりした、デリケートな、美しい生き物のあとをつけ、その小さな足や、可愛らしい格好や、やさしい身ごなしを感心してながめているうちに、ふたつの姿は頭の中でごっちゃになってしまうのだった。頭がよくて仲のいいのを見ていると、ふたりの娘みたいに思えてくるし、身軽さや、すばしっこさや、器用な歩きぶりからは、二匹の牝ヤギとも思えるのだった。
歩いているうちに、通りは目にみえて暗さとさびしさをましていった。消燈を告げる鐘の音が鳴ってからだいぶたったし、舗道を歩いている人影にも窓の火にも、もう、ぽつんぽつんとしか出会わない。グランゴワールはジプシー娘のあとをつけて、路地や四つ辻や袋小路が入り組み、もつれ合った迷宮みたいなところへはいりこんでしまったのだ。それは、古いサン=ジノサン墓地のまわりの区域で、まるでネコが糸かせをひっかきまわしたみたいにこんがらがっているところだった。
「こりゃまた、しごく論理の欠けたまちだわい!」と、グランゴワールはつぶやいた。どの道を行っても、ぐるりとまたもとへ戻ってしまうような気がする、数知れぬ堂々めぐりの道へ、彼はまぎれこんでしまったのだ。だが娘のほうは、ためらいもせず、ますます足どりをはやめて、なじみの道らしい一本の通りをずんずん進んでいく。通りの曲がりかどをとおりすぎたとき、市場のさらし台の八角形の姿がちらりと目にはいったが、もしあれが見えなかったら、グランゴワールは自分がいったいどのへんにいるのか、さっぱり見当もつかなかっただろう。さらし台の吹き抜きのてっぺんは、ヴェルドレ通りのまだ灯《ひ》がついているひとつの窓をバックにして、その黒い輪郭をくっきりと浮かびあがらせていた。
ちょっとまえから、彼は娘に気づかれていた。娘はなんどか彼のほうを不安そうに振り向いた。一度などはぱったりと立ちどまって、半開きになったパン屋の店からもれる光をたよりに、グランゴワールを頭の先から足の先までじっと見つめたのだった。見つめておいてから、娘はグランゴワールに向かってさっき広場でしたような、軽いふくれっつらをして見せたが、またどんどん先へ歩きはじめるのだった。
ふくれっつらをされたグランゴワールは考えこんでしまった。この可愛らしいしかめっつらには、あきらかに、あなどりとあざけりの気持がこもっていた。そこで彼は下を向いて、敷石を数えていたが、今度はまえよりも少しばかり間《ま》をおいて娘のあとをつけはじめた。曲がり角へきて娘の姿がちょっと見えなくなったとき、ふいに鋭い悲鳴が聞こえてきた。
彼は駆けだした。
通りはまっ暗だった。だが、道ばたのマリア像の足もとにある鉄かごの中で、油をしみこませた麻くずが燃えていたので、グランゴワールは、ジプシー娘がふたりの男につかまえられて、ばたばたもがいているのを見てとることができた。男たちは娘に声をたてさせまいと一所懸命に口をふさぎにかかっている。ヤギは可哀そうにすっかりおろおろしてしまい、角をさげて、メーメー鳴いている。
「たいへんだ、夜警隊、来てくれ」と叫ぶと、グランゴワールは勇敢に突進した。娘をつかまえていた男のひとりが、グランゴワールのほうを振り向いた。それはカジモドの世にも恐ろしい顔だった。
グランゴワールは逃げだしはしなかったが、かといって、それ以上前へ進もうともしなかった。
カジモドは、近よってくると、手の甲ではりとばして、グランゴワールを四歩も先の舖道の上にぶったおし、娘の体をまるで絹のショールみたいに軽々と片腕にかけて、すばやく闇の中に姿を消した。連れの男もあとを追ってゆく。可哀そうなヤギも、悲しげに鳴きながら、みんなのあとを追いかけてゆく。
「人殺し! 誰か来て!」と、可哀そうなジプシー娘は叫びつづけている。
とこのとき、「待て、悪者ども、その娼婦を放せ!」と、隣の四つ辻から急にとびだしてきたひとりの騎兵が、雷のような声をはりあげて、いきなり叫んだ。
王室射手隊の隊長だ。頭から足の先まで武装し、手には両刃の剣を持っている。
彼はあっけにとられているカジモドの腕からジプシー娘を奪いとると、鞍の上に横ざまに乗せた。そして、恐ろしいこぶ男がはっとわれに返り、獲物を取り戻そうとして隊長にとびかかろうとしたとき、隊長のすぐあとについてきた十五、六人の射手隊員が両刃の長剣を手にして現われた。パリ奉行ロベール・デストゥートヴィル閣下の命令で警備に当たっていた射手隊の一分隊だった。
カジモドはとりかこまれ、つかまえられ、縛りあげられた。彼はほえたて、あわをふいてたけり狂い、かみついた。もし昼間だったち、怒りでいっそう醜くなった彼の顔を見ただけで、分隊はみんな逃げだしてしまったに違いない。だが夜だったので、カジモドは彼の醜さという、いちばん恐ろしい武器をとりあげられていたのだ。
連れの男はどさくさまざれに、姿をくらましてしまった。
ジプシー娘は将校の鞍の上でしとやかに体を起こし、両手をこの青年の肩にもたせかけて、立派な顔だちと、親切に差しのべてくれた救いの手にうっとりしてしまったみたいに、しばらくのあいだ、じっと男の顔を見つめていた。が、やがて、自分のほうから口をきって、やさしい声をなおさらやさしくしながら、男にきいた。
「お名まえはなんとおっしゃいますの、隊長さま?」
「フェビュス・ド・シャトーペール大尉というのさ、べっぴんさん!」と、将校はそり身になって答えた。
「どうもありがとうございました」と彼女は言った。
そしてフェビュス大尉がブールゴーニュふうの口ひげをひねりあげているあいだに、娘は、矢が地面に突きささるみたいに、するりと馬からすべりおりて、逃げてしまった。
目にもとまらぬ早わざだった。
「畜生! 娼婦めをつかまえといたほうがよかったのになあ」と、大尉はカジモドの皮紐をキュッとしめあげながら言った。
「しかたがないでしょう、大尉どの、ウグイスは飛んでっちまうし、コウモリは残ってるしさ」と、ひとりの隊員が言った。
五 夜のまちで……(つづき)
投げたおされたときすっかり目をまわしてしまったグランゴワールは、道ばたのマリア像の前の舗道に倒れていた。そのうち、少しずつ意識をとり戻した。はじめのうちしばらくは、夢うつつの境《きょう》みたいなものの中にふわふわ浮いているような気持だったが、それもけっこう楽しい気分だった。ジプシー娘とヤギの軽やかな姿が、カジモドの重たいげんこと並んで目の前に現われた。だがこうした気分もつかのまのことだった。体の敷石に触れている部分がやけに冷えびえしてきて、彼ははっと目をさました。はっきりと意識が戻ってきた。
「いったい、どうしてこんなに冷えこむんだろう?」と、彼はふとつぶやいた。と、このとき、自分がどぶのまん中へんに寝ているのに気がついた。
「ひとつ目入道のこぶ男め!」と、ブツブツつぶやきながら起きあがろうとした。だが目まいがひどく、ぶつけたところが痛んで、起きあがれない。このまま寝ているよりしかたがない。ただ手はかなり自由に動かせたので、鼻をつまんで、動くのはあきらめた。
〈パリの泥は〉と、グランゴワールは考えた。(というのも、彼はこのどぶを寝ぐらにするほかないと信じていたからだが。
それに、ねぐらではなにができよう、
物思いでもするほかに?)
〈パリの泥はとびきり臭い。揮発性の窒素性塩分を多量に含んでいるに違いない。それにニコラ・フラメル氏や、ほかの錬金術師たちも、そういう意見だったな。……〉
すると、≪錬金術師≫ということばから、司教補佐クロード・フロロのことがふと頭に浮かんできた。さっきちらっと見たあのひどい光景を、ジプシー娘がふたりの男につかまえられてばたばたやっていたことや、カジモドに連れのあったことを思い出した。すると司教補佐の陰うつで尊大な顔がぼんやりと記憶の中を通りすぎた。
〈変だぞ!〉と彼は思った。そして、こうした事実や材料をもとにして、彼は仮定ずくめの幻の建物を、つまり哲学者のお得意の紙の城を建てはじめた。そのうち、またふとわれに返って、「そうだ! おれは凍《こご》えそうなんだ!」と叫んだ。
そのとおり、グランゴワールが寝ている場所はますます我慢できないものになってきた。どぶの水の分子がグランゴワールの腰にふれるたびごとに、一カロリーずつの熱が奪いさられていく。体温がずんずんさがって、どぶ水と同じ温度になりだした。
おまけに、今度はとつぜん別口の心配に襲われはじめたのである。
昔から≪|宿なしっ子《ガマン》≫という不滅の名称をつけられてパリの舗道をうろついている、貧しい野育ちの子どもたちがいる。子どもだったころ、われわれはみな、夕方学校のひけどきによく、破れズボンをはいていないからといって、こんな子どもたちに、石を投げつけられたものである。ところで、こうした、まるでハチの群れのようなわんぱく小僧の一群が、グランゴワールの倒れている四つ辻のほうへばらばらっと駆けよってきたのだ。あたり近所の人びとが眠っていることなどいっこう気にもしないふうで、笑ったり、どなったりしながら。何か不格好な袋みたいなものを引っぱってきたが、木靴の音だけでも死人が目をさましそうな騒々しさだった。グランゴワールはまだ息の根がとまってはいなかったから、半分だけ身を起こした。
「おおい、エヌカン・ダンデーシュ! おおい、ジャン・パンスブールド!」と、彼らは声をふりしぼって叫んでいる。「かどの金物屋のウスターシュ・ムーボンじじいが死んだんだ。あいつの藁《わら》ぶとんをもってきちゃったぜ。これでかがり火をたこうじゃねえか。きょうはフランドル日《び》だぞ!」
こう言って、いきなり藁ぶとんをグランゴワールの真上に投げつけた。彼のいるのに気づかずにそばまでやってきていたのだ。投げだすと同時に、ひとりが、藁をひと握りとって、マリア像のともし火から火をつけようとした。
「いやはや! こんどは火であぶってくれようってのか?」と、グランゴワールはつぶやいた。
いよいよおしまいだ。火と水でサンドイッチにされてしまうのだ。彼は死にもの狂いになって力をふりしぼった。にせ金づくりが釜ゆでになるところを逃げだそうとするみたいに。
彼は立ちあがると、藁ぶとんを宿なしっ子どもに投げかえして、逃げだした。
「大変だ! 金物屋が化けて出た!」と、子どもたちは叫んだ。
そして、子どもたちも逃げていってしまった。
結局この場の勝利者は、藁ぶとんということになった。ベルフォレや、ル・ジュージュ神父やコロゼの言うところによれば、あくる日、この藁ぶとんは地区の聖職者によってぎょうぎょうしく拾いあげられ、サン=トポルチューヌ教会の宝物庫へ運びこまれたそうである。宝物庫の番人は、モーコンセイユ通りの道端のマリア像が一大奇跡を現わした品と称して、これを種に一七八九年にいたるまでかなりの実入りをあげたという。つまり、ウスターシュ・ムーボンという男が、悪魔をからかうために、死にぎわに魂を藁ぶとんの中に隠しておいたところ、一四八二年一月六日から七日にかけてのあの記念すべき夜、マリア像はそのそばにいたというだけで、その悪魔につかれた魂をふとんの中から追っ払ってしまったというのである。
六 壷を割る
グランゴワールはしばらくのあいだ、いちもくさんに走りつづけた。どこを走っているのやらさっぱりわからず、通りのかどになんども頭をぶつけたり、どぶをとび越えたり、路地や袋小路や四つ辻をなんどもつっきったり、中央市場の古い曲がりくねった舗道を残らずかけまわって、抜け道や出入り口をさがしまわったりしていたのだ。ただもう、うろたえきって、都市勅許状の立派なラテン語が「あらゆる道すじや道や通路」と呼んでいるものを、かたっぱしから探りまわったあげく、われらの詩人グランゴワールは急にぱったりと立ちどまってしまった。何よりもまず息切れがしてしまったせいだが、それにもうひとつは、頭の中にわいて出た両刀論法にえり首をつかまれたような気がしたからでもあった。
「どうやら、ピエール・グランゴワール君」と、彼は額に指を当ててひとりごとを言った。「こんなふうに駆けまわるなんて考えが足りないようだね。あのわんぱく小僧どももあんたをこわがっていたんだぜ、あんたがあいつらをこわがっていたみたいにね。あんたが北の方へ逃げていく最中に、南へ逃げてゆくあいつらの木靴の音が聞こえたはずだがねえ。ところで、両刀論法の一方に目を向けて、小僧どもが逃げてしまったとしよう。そうとすれば、あいつらが恐ろしさのあまりあわてて忘れていったはずの、あの藁ぶとんこそ、まさにあんたが今朝から追っかけている寝心地のいい寝床になるんだ。聖母マリアのために、心からの、あるいは心にもない、お世辞で飾りたてた教訓劇をあんたがつくったので、そのお礼にマリアさまが奇跡を現わして贈って下さった寝床なんだぜ。両刀論法のもう一方に目を向けて、小僧どもが逃げださなかったものとしよう。その場合には、あいつらはあの藁束の火をふとんにつけたに違いない。とすれば、それこそ、あんたを慰めたり、乾かしたり、暖めたりするのに必要な、素晴らしい火になったはずなんだ。どちちにころんでも、暖かい火か、気持のいい寝床を手に入れられたわけで、あの藁ぶとんこそは天からの贈り物だったのだ。モーコンセイユ通りの道端に立っている情け深い聖母像がウスターシュ・ムーボンをあの世へお送りになったのは、ただただ、このためなのだろう。フランス人を見たピカルディー人みたいに、欲しがっていたものをうしろに放りだし、こんなぐあいに尻に帆かけて逃げていくなんて、まったくおかしなことだぜ。あんたは、よっぽどまぬけだよ!」
そこで、彼は道をとってかえした。方向を見さだめたり見当をつけたりしようとして、鼻をうごめかしたり、耳をそばだてたりしながら、天の贈り物のあの藁ぶとんをもう一度見つけだそうと、一所懸命やってみたがだめだった。家と家とが入り組んだところや、袋小路や、道路の集中した辻にぶつかるだけだった。
このもつれあった暗い路地の中で、彼は、トゥールネル宮の迷路に踏みこんだとしてもこれほどではあるまいと思えるほど、にっちもさっちもいかなくなって、ただためらったり、うろうろしたりするだけだった。そのうち、とうとう我慢ができなくなって、大見栄をきって叫んでしまった。
「いまいましい四つ辻め! 悪魔のやつが自分の熊手の形をまねて、こんなものをつくりやがったんだな」
叫び声を吐き出すと少し胸がすっとしたが、ちょうどそのとき、細長い路地のはずれに赤っぽい火影みたいなものがちらついているのが見えたので、元気がいよいよわいてきた。
「ありがたい! あそこだぞ! あの藁ぶとんが燃えているんだ」と叫び、暗い夜の海に沈もうとしている水夫に自分を見たてて、「ありがたや、ありがたや、海の星(聖母マリア)よ!」と信心深く言いそえた。
彼はこのひとこまの連祷《れんとう》を聖母マリアに唱えたのだろうか、それとも藁ぶとんに唱えたのだろうか? そこのところは私にもさっぱりわからない。
この長い路地は舗装されていない坂道で、先へゆくほどますますひどくぬかるみ、坂も急になっていったが、この路地へ五、六歩踏みこんだとたん、なんだかへんてこなものが目についた。この通りには人影があったのだ。ぼんやりした異様な形の群れが、みな、つきあたりにちらちらしている火影をめざして、通りのそこここを腹ばってゆくのが見える。まるで、夜、羊飼いの火にさそわれて、草の葉から葉へはい移ってゆくあのカブトムシの群れみたいだ。
ポケットがからっぽのときほど、向こう見ずになれることはない。グランゴワールはどんどん進んでいき、やがて、この幼虫どもの群れの中でもいちばんのろのろと人のあとからくっついていくやつに追いついた。近づいてみると、ほかでもない、両手でぴょんぴょん歩いてゆく哀れな脚の使えない男だとわかった。けがをして、手が二本しか残っていないクモといったところだ。人の顔をしたこのクモみたいなやつのそばを通りすぎたとたん、そいつは哀れっぽい声をはりあげて、イタリア語で彼に呼びかけた。
「どうか酒手《さかて》をおめぐみ下せえまし、だんなさま! どうかおめぐみ下せえまし!」
「きさまなんか犬に食われちまえ。ついでにおれもだ、もしもきさまの寝言がわかったらな!」と、グランゴワールは言った。
そして、どんどん先へ進んだ。
彼はぞろぞろ動いてゆく群れの中のもうひとりのやつに追いついて、よくよくながめてみた。そいつは脚が不自由で片手がなかった。しかもそれが生半可《なまはんか》でなく、体をささえた松葉杖や木の義足がこんがらがったその姿は、まるで左官屋の足場が歩きだした、とでも呼んでやりたいようすだった。グランゴワールは上品で古典的なたとえを知っていたので、頭の中でこの物乞いをウルカヌス〔ローマの火の神〕の生きた三脚にたとえてみた。
この生きた三脚は、グランゴワールの通るのを見て挨拶した。つまり、帽子をひげ皿みたいにグランゴワールのあごのあたりまで突き出すと、彼の耳に向かってスペイン語でこう叫んだのだ。「だんなさま、パンをひと切れ買わしてくんなよ!」
「どうやらこいつも口はきけるらしいな。だが乱暴なことばだわい。自分の言ってるチンプンカンプンがわかれば、おれよりしあわせというものだ」と、グランゴワールはつぶやいた。
それから急に気が変わって、額をポンと叩いて言った。
「ところで、あいつらがけさ、『エスメラルダ』って言ってやがったのは、いったいなんのことだろう?」
彼は足を速めていこうとしたが、またもや「何かしら」が現われて、ゆくてをさえぎった。この何かしら、というより誰かしらは、ひとりの盲人だった。ユダヤ人づらにひげをはやした背の低い盲人で、自分のまわりを舟をこぐみたいな格好で杖でさぐりながら、大きな犬に引っぱられていたが、その男がハンガリーなまりのラテン語で、彼に向かって鼻声をあげたのだ。「どうぞお恵み下さりませ!」
「ありがたい! とうとう、まともなことばをつかうやつにお目にかかれたぞ。財布の中がからっけつなのに、こうお恵みをねだられるところをみると、おれもよっぽど慈善家づらをしてるに違いない」
こうつぶやいてから(盲人のほうを振り向いて)、「ねえ、きみ、ぼくは先週最後のシャツまで売っちまったんだ。つまりだ、きみはキケロ〔古代ローマの文人〕のことばしきゃわからんようだから、それで言うとだな」と言って、彼はその意味をラテン語に訳してやった。
彼はこの盲人に背を向けて、また歩きはじめた。だが、男もいっしょに足を速めだした。するとそこへ、さっきの生きた三脚と脚の使えない男の二人が、敷石の上に松葉杖やおわんの音をガチャガチャさせながら息せききって闇の中から現われ出た。そしてぶつかり合ったり、ころがったりしながら、三人そろって哀れなグランゴワールのあとを追い、またもや例のお題目《だいもく》を並べだしたのである。
「どうぞお恵み下さりませ!」と、盲人が唱える。
「どうか酒手をお恵み下せえまし!」と、脚の使えないやつ。
すると生きた三脚は、音楽的な調子をいっそうたかめて、「パンをひと切れ!」と繰り返す。
グランゴワールは耳をふさいだ。「まるでバベルの塔だな!」と彼は叫んだ。
グランゴワールは駆けだした。そのあとから盲人が追ってくる、生きた三脚が追ってくる、脚の使えないやつが追いかけてくる。
そして、通りの奥のほうへはいっていけばいくほど、脚の使えないやつや、盲人や、脚のきかないやつの群れは彼のまわりでうようよとふえていった。それに大勢の手のない男だの、片目男だの、赤はだの出たハンセン病やみだのが、あたりの家々や、隣の横町や、地下室の換気窓から出てきて、わめいたり、どなったり、キーキー声をあげたりする。みんな、不自由な足をひきずったり、やっとこさっとこ歩いたりしながら、光を目あてに突き進んでゆく。雨あがりの日のナメクジみたいに、泥土《どろつち》の中をのたうちながら。
グランゴワールはあいかわらず三人にしつこくつきまとわれ、この先どうなるかほとんど見当もつかず、生きた三脚をよけたり、うようよむらがっている足のきかないやつらの群れにつまずいたりしながら、びくびくもので、そうした連中の中を歩いていった。カニの群れの中にはまりこんだ、あのイギリスの隊長そっくりな格好だった。
ひきかえそう、という考えも頭に浮かんだ。だがもう手おくれだった。物乞いの一軍団がうしろをふさいでいたし、例の三人が彼をつかまえていたのだ。しかたなく、彼はこのどうしようもない人の波だの、恐ろしさだの、あたり全体のありさまをまるで一場の悪夢のように思わせるめまいだのに押されて、ひたすら歩きつづけた。
とうとう通りのはずれに出た。通りを出たところはだだっぴろい広場で、おぼろな夜霧の中に、無数の光があちらこちちに揺らめいていた。グランゴワールは、うるさくつきまとう三人の化け物から、駆けだして逃れようと思い、いきなり広場へとびだした。
「どこへいくんだ、やろう!」と、生きた三脚が松葉杖を投げだして、スペイン語で叫んだ。そして、パリの舗道をまともに歩いた足の中でこれほどのものはないと思えるぐらいの立派な足をつかって、追いかけてきた。
一方、脚の使えないやつはすっくと立ちあがると、鉄を打ちつけた重いおわんをグランゴワールの頭にかぶせた。盲人はぎらぎら光る目で彼の顔をにらみつけた。
「ここはどこなんだ?」と、詩人はびくびく声できいた。
「奇跡御殿〔十三世紀以来、パリの泥棒や物乞いたちの巣窟となっていた区画。彼らは夜になると、昼間のつくり傷や身障者の変装を取り去って五体健全となるので、この名ができた〕だ」と、近よってきた四番目の化け物が答えた。
「なるほど、盲人はにらみ、脚のきかないやつは走るってわけだな。だがそれなら、救い主さまはどこにいなさるんだ?」と、グランゴワールがまた、きいた。
連中は、気味の悪い高笑いをあげてこれに答えた。
哀れな詩人はあたりを見まわした。なるほど、彼はあの恐ろしい≪奇跡御殿≫に来てしまっていたのだ。まともな人間なら、こんな時間にはけっして足を踏み入れたことのないところだ。大胆不敵な手入れをおこなったシャトレの役人たちやパリ奉行の手の者が、散りぢりになって消えてしまった不思議な一画だ。どろぼうどものまちなのであり、パリの顔にできた醜い≪いぼ≫なのだ。都のまちまちにいつも溢れ出る悪人や、物乞いや、宿なしの流れが、朝な朝な流れ出ては、夜になると戻ってきて、悪臭をはなちながらよどむ下水なのだ。社会秩序をかきみだすあらゆるモンスズメバチが、夕方になると獲物をくわえて帰ってくる恐ろしい巣なのだ。ジプシーや還俗《げんぞく》修道士や堕落学生などが、またスペイン人、イタリア人、ドイツ人など、あらゆる民族のごろつきどもや、ユダヤ教徒、キリスト教徒、マホメット教徒、偶像崇拝教徒など、あらゆる宗派のならず者どもが、体をにせ傷だらけにして、昼間は物乞いをやり、夜は強盗にはやがわりするいんちき病院なのだ。つまりひと口で言えば、盗みや売春や人殺しなどがパリの舗道の上で演じる、いつの世にも変わらぬあの芝居の俳優たちが、この当時衣装をつけたり脱いだりしていた巨大な楽屋なのだ。
そのころのパリの広場はみなそうだったのだが、この広場もだだっ広くて、形はいびつで、舗装も満足にできていなかった。火がそこここに輝いていて、まわりにへんてこな人びとの群れがうようよと集まっていた。みんな、行ったり来たり叫んだりしている。かん高い笑い声や、子どもの泣き声や、女の声が聞こえてくる。群集の手や頭が火の輝きをバックにして黒ぐろと浮き出し、無数の奇妙な動きを見せている。明るい火がぼんやりした大きな影にまじって揺らめいている地面の上を、ときどき、人間みたいにみえる犬だの、犬みたいに見える人間だのが通りすぎるのが見える。このまちでは、種《しゅ》や類《るい》の区別は、地獄の首都でと同じように、消えてなくなるらしい。男も、女も、獣も、年も、性も、健康も、病気も、みんなこの群集のあいだではおんなじになってしまうらしい。みんないっしょくたになって、もつれあい、まじりあい、重なりあっている。どいつもこいつも、似たりよったりのやつばかりだった。
ほのかに揺らめく火の光で、グランゴワールは、胸が不安でいっぱいだったとはいえ、このだだっ広い広場が、古びた家々のきたならしい列でぐるりととりまかれていることがわかった。虫に食われ、しわだらけになってちぢこまり、それぞれに、ひとつかふたつの明かりのついた天窓のある家々の正面は、グランゴワールには、暗やみの中で婆さんたちのばかでかい顔がぐるりとまるく並び、化け物みたいに、しかめっつらをして、まばたきをしながら騒ぎをながめているみたいに見えた。
まるで、見たことも聞いたこともない、不格好で、ぞろぞろはいまわったり、うじゃうじゃ寄り集まったりしている、へんちきりんな、新しい世界にきたような気がした。
グランゴワールは、ますますおろおろし、物乞い三人に、まるで三ちょうの≪やっとこ≫ではさまれたみたいにつかまえられ、まわりにひしめき合ってわめきたてるほかのやつらの声で、耳がきかなくなっていた。不運なグランゴワールは、気をおちつけて、きょうは悪魔の一味が宴会を開くという土曜の夜だったのかな、と思い出してみようとした。だが、いくら考えてもだめだった。記憶の糸や思考の糸は切れてしまっていた。そして、なにもかもが疑わしくなり、見ていることから感じていることへふわふわ漂っていきながら、こんな答えられもしない質問を自分自身に問いかけてみるのだった。〈おれが生きているとすりゃあ、こりゃあこの世の沙汰だろうか? これがこの世の沙汰とすりゃあ、おれはいったい生きてるんだろうか?〉
このとき、彼をとりまいてガヤガヤ騒いでいた群集の中から、はっきりした叫び声がひとつあがった。
「そいつを王さまんとこへ連れていこう! そいつを王さまんとこへ連れていこう!」
「くわばら、くわばら! ここの王さまってのはきっと、悪魔に違いないぞ」と、グランゴワールはつぶやいた。
「王さまんとこへ! 王さまんとこへ!」と、みんなは口々に繰り返す。
みんなはグランゴワールを引きずりにかかった。われがちに彼につかみかかってきた。だが三人の物乞いは手をゆるめようとせず、「こいつはおれたちのもんだぞ!」とどなりながら、グランゴワールをほかのやつらの手からひったくった。
もうぼろぼろになっていた詩人の胴着は、このもみ合いでとうとう、最後の息をひきとってしまった。
恐ろしい広場を通っていくうちに、グランゴワールのめまいは散っていった。五、六歩あるいたところで、人心地が戻ってきた。彼はその場の空気に慣れだした。はじめしばらくは、詩人グランゴワールの頭から、あるいはおそらく、あっさりと散文的に言ってしまえば、彼のからになった胃袋から、一種の煙か靄《もや》みたいなものが立ちのぼって、それが、まわりのものと彼とのあいだに広がってしまっていた。だから彼は、あらゆる輪郭がぶるぶる震えて見えたり、あらゆる形がへんてこにゆがんで見えたり、ものが寄り集まって途方もない大きな塊りになり、ものの姿が怪物みたいに、人間の姿が幽霊みたいに大きくふくれて見える、あの悪夢のつかみどころのない暗い霧か、夢の暗がりの中で、あたりをおぼろげにながめているような気持だったのである。
だが、だんだんとこの幻覚は消え失せて、ものの姿がもっとまともに、普通の大きさに見えてきた。現実がまわりにはっきり姿を現わしてきて、目にぶつかり、足にぶつかり、はじめ自分のまわりをとりまいているものと思いこんでいた、恐ろしい幻をひとつずつ打ちこわしていった。地獄の川の中ではなく、泥の中を歩いているのだ、自分の体をこづいているのは悪魔の群れではなくて、どろぼうどもだ、ということにいやでも気がついた。危険にさらされているのは魂ではなくて、命そのものなのである、と気がついた。(というのも、グランゴワールは、盗賊とまともな人間とを、効果てきめんに仲立ちしてくれるあの尊い調停者、つまり財布を持ちあわせていなかったからである)
とうとう、彼は騒々しいばかさわぎの連中をしげしげと気をおちつけて観察してみて、そこが悪魔の宴会場なんかではなく、一軒の居酒屋であることがわかった。≪奇跡御殿≫は実は一軒の居酒屋にすぎなかったのだ。だがそれは、酒ばかりでなく血でも赤く染まった強盗どもが巣くう居酒屋だった。
グランゴワールは、とうとうぼろをまとった護送隊に目的地まで連れてこられたわけだが、彼の目に映ったその場の光景は、彼に詩情をもよおさせるようなものでは断じてなかった。地獄の詩にさえなりそうにもなかったのだ。これ以上のものはないと思えるほど殺風景で、なまのままの酒場の現実だった。十五世紀の話をしているのでなかったら、グランゴワールはミケランジェロの世界からカロ〔十六〜十七世紀の彫版家。貧乏人や物乞いをよく描いた〕の世界にくだったのだとでもいいたいところだ。
丸い大きな敷石の上に火が盛んに燃えていて、いまは何もかかっていない五徳《ごとく》の赤くなった足を炎がなめている。火のまわりのあちこちに虫の食ったテーブルが五つ六つ、でたらめに置いてある。きちょうめんな下男がテーブルを平行に並べようとしたり、せめてテーブルどうしがへんてこなぐあいにくっつかないようにと気をつけたりした様子は微塵《みじん》もない。どのテーブルの上にも、ブドウ酒やビールを溢れるほどついだ壷がぴかぴか光っていて、壷のまわりには、火と酒でまっ赤になった酔っ払いの顔がたくさん集まっている。
腹の出っぱった陽気な顔の男が、太ったぶよぶよの娼婦を抱きかえて、騒々しくさわいでいる。隠語で≪にせ傷兵≫といわれるにせ兵士が、口笛を吹きながら≪にせ傷≫の包帯を解き、朝から包帯をぐるぐる巻いて固く締めあげていた、健康でたくましいひざを伸ばし、しびれをなおしている。反対に、ひとりの≪おでき物乞い≫はクサノオウと牛の血を塗りつけて、あすの≪神の足≫〔にせ傷だらけの足〕をつくりあげている。二つ先のテーブルでは、ちゃんとした巡礼衣装を着こんだサント=レーヌ参りがサント=レーヌの巡礼歌をぽつりぽつりとうたっている。一本調子な歌いかたや鼻声を忘れずに。
また、べつのところでは、若い聖ユベール参りが年とった≪にせてんかん≫からてんかんの授業を受けている。つまり、にせてんかんが、シャボンの塊りをかみくだいて泡《あわ》を吹く術をさずけているのだ。そのそばでは、水腫《すいしゅ》をよそおっている物乞いがにせのはれをひかせている。その臭さに鼻をつまみながら、四、五人の女泥棒が、同じテーブルで、夕方さらってきた子供を奪い合っている。
こうしたことはどれも、それから二世紀のちの「宮廷人には、はなはだ滑稽に見えたらしく、国王のお慰みに供され、また、四部に分けられてプチ=ブールボン宮の劇場で上演された夜会用の宮廷バレーの序幕にも仕組まれた」と、ソーヴァルは言っている。「いまだかつて奇跡御殿が姿をときどき突然に変えていく様がこれほどみごとに演じられたことはない。バンスラード〔十七世紀の宮廷詩人〕が、すこぶる優美な詩句をもって、前口上をのべた」と、一六五三年に実際にそれを見た人物がなお言っている。
あっちでもこっちでも、どっと笑い声があがり、みだらな歌が聞こえる。誰も彼も、隣のやつに耳をかそうともせず、文句をつけたり、悪態をついたりして、てんでに勝手な熱を吹いている。酒壷をあげて乾杯だ。すると、壷と壷とがぶつかったとたん、喧嘩がおっぱじまる。そして、壷のふちが欠けたといって、ぼろ着のちぎり合いがはじまる。
大きな犬が一匹、尾を巻いてすわりながら、火の燃えるのを見つめている。このらんちき騒ぎには、子供も何人かまじっていた。さらわれてきた子供は泣き叫んでいる。四つになる太った子供がひとり、高すぎる腰かけにすわって、両足をぶらんぶらんさせ、テーブルの端にあごをひっかけるような格好で、ひと言も言わずにいる。もうひとりの子供は、ろうそくからどろどろ溶けてくる蝋《ろう》を、まじめくさったようすで、テーブルの上になすりつけて広げている。もうひとりは、これはちびっ子だが、大鍋の中にほとんどすっぽりはいりこみ、中の泥の上にしゃがみこんで、瓦《かわら》で鍋《なべ》をガリガリひっかきまわし、ストラディヴァーリオ〔十七〜十八世紀のイタリアの有名なヴァイオリン製作者〕が気絶してしまいそうな音をたてている。
火のそばに酒樽がひとつ置いてあって、その上に物乞いがひとりのっかっている。これこそ王座にまします王さまなのだ。
グランゴワールをつかまえていた三人の物乞いは、彼をこの樽の前に引っぱっていった。すると酒場じゅうのらんちき騒ぎは、一瞬ぴたりとやんだ。ただ、ちびっ子のはいりこんでいる大鍋だけが、キーキー音をたてている。
グランゴワールは息をつくこともできず、目をあげる勇気もなかった。
「おい、シャッポを脱げ」と、彼をつかまえていた三人のならず者のひとりがスペイン語で言った。そしてグランゴワールが、言われたことばの意味がなんだかわからないでいるうちに、もうひとりの男が彼の帽子をひっぺがしてしまった。みすぼらしいビコケ帽ではあったが、まだ照る日降る日にけっこう役にたっていたのだ。グランゴワールは溜息をついた。
するとこのとき、王が酒樽の上からグランゴワールに声をかけた。
「この野郎はいったいなんなんだ?」
グランゴワールは身震いした。おどかし調子の大声だったが、この声を聞くと、彼は、朝、見物人のまん中で「恵んでやって下せえまし!」と鼻声をあげて、聖史劇に最初の打撃を与えたあの声を思い出した。グランゴールは顔をあげた。案のじょう、あのクロパン・トルイユフーだった。
クロパン・トルイユフーは王章をつけていたが、そのほかは朝とちっとも違わないぼろ着姿だった。腕の傷はきれいに消えていた。手には、そのころ裁判所の警吏が群集を押しのけるのに使った≪プーライユ≫という白い皮紐つきの鞭《むち》を握っている。てっぺんのしまった、たが入り帽みたいなものをかぶっているが、それは子供がけがをしないようにかぶる帽子なのか、王冠なのか、見わけるのがなかなかむずかしかった。それほど、このふたつは似ていたのだ。
一方、グランゴワールは、奇跡御殿の王さまがあの大広間にいた、いまいましい物乞いだとわかって、なぜとはなしに何か希望みたいなものがまたわいてきた。
「親方」と、彼はもじもじしながら呼んでみた。……
「殿下……陛下……なんとお呼びすればよろしいんで?」と、とうとうクレッシェンドのてっぺんまでのぼりつめてしまったグランゴワールは、のぼりもくだりもできなくなって叫んだ。
「殿下でも、陛下でも、おまえでもいい。なんとでもてめえの好きなように呼べ。だがさっさと言え。さあ申しひらきがあるんなら言ってみねえか?」
〈申しひらき!〉と、グランゴワールは考えた。〈こいつはおもしろくないぞ〉彼は口ごもりながら言った。
「ぼくは、けさ、あの……」
「つべこべぬかすな!」と、クロパンがさえぎった。「名まえだ! この野郎、名まえだけ言やいいんだ。いいか。てめえはな、三人の偉え王さまのご前《ぜん》にいるんだぞ。まずこのおれだ。おれはどろぼう王国の最高君主、大帝陛下のおあとをついだ、チュニス王〔施し物をもらうどろぼう王国の王の意味〕クロパン・トルイユフーだ。つぎはエジプト公兼ボヘミア公(ジプシー公)マチヤス・アンガディ・スピカリさま。あそこにおられる、頭にぞうきんを巻きつけた黄色いお年寄りだ。それからガリラヤ皇帝ギヨーム・ルソー陛下。こっちの言うことなんぞには耳をかさず、あまっちょを可愛がっていなさる、あの太ったおかただ。この三人がてめえのさばき役だ。てめえはどろぼう王国国民でもねえくせに、どろぼう王国にへえりこんできやがった。つまり、おれたちのまちの特権を侵しやがったんだ。てめえが≪ちょころもち≫でも、≪かったい≫でも、≪アヒル≫でもねえとすりゃ、つまり、娑婆《しゃば》のことばで言やあ、ぬすっとでも、物乞いでも、宿なしでもねえとすりゃだ、てめえはおしおきを受けなきゃなんねえ。てめえは、なんかこんなふうなものなんか? さあ、申しひらきをしろ。てめえの身分をはっきりと申し上げろ」
「だめです」とグランゴワールは言った。「ぼくにはそんな立派な資格なんかありません。ぼくは作家なん……」
「それだけ聞きゃあたくさんだ」と、グランゴワールの言い終わるのも待たずに、トルイユフーはさえぎった。「てめえは縛り首だ。わけはしごく簡単だ、しゃばのだんながた! おれたちの国にとびこんだが最後、こちとらがしゃばであうようなこっぴどい目に、てめえがたをあわしてくれるんだ。てめえたちは宿なし取締り法ってなものを作りやがったが、宿なしのほうだって、ちゃんとてめえたち向きの掟《おきて》をつくってるんだぞ。こちとらの掟が親切でねえのは、てめえたちが悪いからなんだ。ときにゃあ、しゃばのだんなのしかめっつらが、麻の首輪にブランコするのも見てえもんじゃねえか。すりゃあ、ものの道理もたつってもんだ。さあ、着ているぼろをあのあまっこどもに、くよくよせずに分けてやっちまいな。宿なしどものお慰みに、やつらにてめえをぶらさげさせてやるからな、酒手のしるしにやつらに財布を渡しちまいな。何かお祈りみてえなまねでもやらかしてえんなら、あそこの説教壇の中に、おあつらえ向きの石の神さまがあるぜ。サン=ピエール=オ=ブー教会からかっぱらってきたやつだ。てめえの魂を神さまにおあずけするまえに、さ、四分間待ってやるぞ」
身の毛のよだつような大演説だ。
「うまいぞ、うまいぞ! クロパン・トルイユフーの説教ぶりは法王さんそっくりだ」と、ガリラヤ皇帝が叫んだ。酒壷をぶっこわして、かけらをテーブルの支えに入れながら。
「皇帝陛下さまがたや王さまがた」と、グランゴワールはおちついて言った。(どういうわけでこんな勇気が戻ってきたのか知らないが、なにしろ決然たる態度で話ができたのだ)「あなたさまがたはお考え違いをしておられます。ぼくはピエール・グランゴワールといって、けさ裁判所の大広間で上演された劇をつくった詩人なんです」
「ああ! あれをつくったのはてめえか! おれもあそこにいたんだぜ、ほんとによ! なあ! てめえ、けさあんな退屈《てえくつ》な芝居を見せやがったくせに、今晩絞められるのを許してくれなんて、かってが過ぎるじゃねえか?」とクロパンが言った。
〈こいつはなかなか逃げられそうもないぞ〉と、グランゴワールは思った。それでも、もうひとふんばりしてみた。「どうもわかりませんね、どうして詩人が宿なしの仲間に入れてもらえないのか。だってアイソポス(イソップ)は宿なしだったし、ホメロスは物乞いだったし、メルクリウス〔ローマ神話中の商業、窃盗の神〕はどろぼうだったし……」
クロパンはことばをさえぎった。「チンプンカンプンなことをぬかして、おれの頭をこんぐらからせようってんだな。さあ、ぐずぐず言ってねえで、はやくぶらさげてもらえ!」
「失礼ですが、チュニス王陛下」と、グランゴワールは言い返した。まさに、つばぜり合いといったところだ。「まあちょっとお聞き……ほんのちょっと! ……ぼくの申し上げることもお聞き下さい。……こちらの言いぶんも聞かずにおしおきとは、ちとひどすぎますよ……」
彼の哀れな声は、事実、まわりのガヤガヤした騒ぎにかき消されてしまっていた。あのおちびさんは、大鍋をまえよりもなお躍起《やっき》になってひっかいている。おまけに、ひとりのばあさんが、あぶらのいっぱいはいったフライパンを赤くなった五徳《ごとく》の上にのっけたので、あぶらは、お面をかぶったカーニヴァルの男を追いかける子どもたちの群れがあげるキーキー声《ごえ》みたいな音をたてて、はねだしたのである。
一方、クロパン・トルイユフーは、エジプト公とへべれけに酔っぱらったガリラヤ皇帝とにちょっと相談をもちかけたようすだった。それから彼はかん高い声で、「やい、静かにしねえか!」とどなった。
だが、大鍋もフライパンも彼の言うことなどきかず、あいかわらず二重唱をつづけているので、彼は樽からとびおりると、大鍋をどかんとけとばした。鍋は子どもをいれたまま十歩も先へころがっていった。それからフライパンにもひとけりくれたので、中の油はすっかり火の中にこぼれてしまった。
こうしておいて、クロパンはまじめくさった顔つきで王座に戻った。おちびさんの泣きじゃくりや、夕食を白いきれいな炎にされてしまったばあさんのブーブー言う声など気にもとめないで。
トルイユフーが合図をすると、エジプト公とガリラヤ皇帝と、それからどろぼう王国立法者たちとにせハンセン病者たちが彼のまわりに集まってきて、馬蹄《ばてい》形に並んだ。そのまん中には、グランゴワールがあいかわらず荒々しくふんづかまえられたまま、ひきすえられている。ぼろや、つづれや、安ぴかものや、熊手や、おのや、千鳥足や、でっぶりしたむきだしの腕や、きたなくて色つやの悪いまぬけづらなどが、ずらりと半円になって並んだのだ。
この物乞いどもの円卓会議のまん中には、クロパン・トルイユフーが、居酒屋元老院の総督、居酒屋領の王、居酒屋|枢機卿《すうききょう》会議の法王といったようすで、樽の高みから、尊大で、残忍で、恐ろしい、なんとも言えない顔つきで、目をきらきら光らせ、なみいる宿なしどものけものづらよりも、すごみのある荒々しい横顔をみせて、一同を見おろしている。豚づらの中のイノシシづらとでも言えようか。
「やい聞け」と、彼はたこだらけの手で不格好なあごをなでながら、グランゴワールに向かってどなった。
「てめえがぶらさげられなくてもいいわけなんぞ、ありぁしねえ。そりゃあ、てめえにとっちゃ、ありがたくねえ話だろうが、だがなあに、てめえたち、まちの人間がこうしたことに慣れてねえってだけのことよ。絞められるってのを、てえしたことみてえに考えてるからさ。つまりその、なんだ、悪いようにゃしねえつもりだ。さしあたり、てめえがこの場をきり抜ける道がひとつある。てめえ、おれたちの仲間になる気はあるか?」
こう言われて、グランゴワールがどんな気持になったかは容易に察しがつく。彼は、いよいよもうだめだ、とあきらめかけていたのだった。だから、気をとりなおして、懸命に助け船にしがみついた。
「ありますとも、間違いなく、誓って」と彼は言った。
「てめえはな、きんちゃく切りの仲間になるのを承知するんだな?」と、クロパンがききつづける。
「きんちゃく切りにですって。ええ、承知しましたとも」と、グランゴワールが答えた。
「免税市民のひとりであることを認めるか?」と、チュニス王がまたきいた。
「認めます」
「どろぼう王国の臣民であることを認めるか?」
「認めます」
「宿なしになる気なんだな?」
「なりますとも」
「心からだな?」
「心からですとも」
「そいでもやっぱり、てめえはぶらさげられるんだぞ」と王が言った。
「ええっ!」と詩人が叫んだ。
「ただよ」と、クロパンはおちつきはらって、「もっとあとになってぶらさげられるんだ。もっと四角ばって、ちゃんとしたパリ市の費用で、石の立派な絞首台に、まっとうなおかたたちの手でだよ。ありがたいこったろう」と、ことばをつづけた。
「おおせのとおりです」と、グランゴワールが答えた。
「それに、もっといい目に会えるんだぞ。免税市民になりゃ、パリの市民みんなにかかってくる塵芥税《じんかいぜい》だの、貧民税だの、街燈税だの、そんなもんを払わなくてすまあな」
「よろしい、承知しました」と詩人が言った。「宿なしだろうが、どろぼう王国の臣民だろうが、免税市民だろうが、きんちゃく切りだろうが、なんでもおおせのとおりのものになりますよ。それにもともと、ぼくはそんなふうなものだったんですよ、チュニスの王さま。それというのも、ぼくが哲学者だからなのです。『そして、哲学はあらゆる物を含み、哲学者はあらゆる者を含む』と申しますでしょう」
チュニス王は額に八の字をよせた。
「やい、てめえはおれを、なんだと思ってやがるんだ? 何をつべこべハンガリーのユダヤ人みてえにさえずってやがるんだ? おれはヘブル語なんて知らねえんだぞ。泥棒だからって、ユダヤ人だとはかぎらねえんだぞ。おれはもう泥棒なんて卒業しちゃって、いまじゃ人殺しなんだ。のど切りだ。いいか。きんちゃく切りなんてつまらんもんじゃねえんだ」
グランゴワールは、怒りのためにますます激しさを加えてゆくこの啖呵《たんか》の中へ、なんとか言い訳のことばを割りこませようと大骨をおった。
「失礼ですが、陛下、ヘブル語じゃございません。ラテン語なんで」
「いいか」と、クロパンはかんかんになって言った。「おれはユダヤ人なんかじゃねえんだ。てめえなんぞぶらさげさせてくれるぞ、畜生め! てめえのそばにいるそのユダヤのちびにせ破産野郎とおんなじにな。そのいんちきやろうはな、いつかそのうちに、にせ金みてえに、カウンターの上に釘づけになりゃあいいと思ってるんだ!」
こう言いながらクロパンは、ひげづらで背の低いハンガリーのユダヤ人を指さした。さっきグランゴワールに「どうぞお恵み下さりませ」とねだったやつだった。この男は、ラテン語以外はわからないので、チュニス王の怒りがわが身にふりかかってきたのを、ただきょとんとしてながめている。
とうとう、クロパン陛下の怒りも静まった。
「小僧! じゃあ、ほんとに宿なしになるつもりなんだな?」と、彼はわれわれの詩人にきいた。
「もちろんですとも」と詩人は答えた。
「なるつもりだけじゃ、だめなんだぞ」と、クロパンがむずかしい顔つきで言った。「食いてえと祈ったところで、棚からぼた餅が落っこってくるわけじゃあねえ。天国へ行こうってんならお祈りもよかろうが、どろぼう王国は天国たあ、わけが違うんだぞ。どろぼう王国に入れてもらうにゃ、てめえが何かの役に立つってことを、みんなにちゃんと見せなきゃなんねえ。それにゃあまず、人形のポケット探しをやらにゃあならねえんだぞ」
「探してみせますよ、なんでもおっしゃるものをね」と、グランゴワールが言った。
クロパンは合図をした。物乞いどもが五、六人半円の列を離れていったが、すぐにまた戻ってきた。彼らは柱を二本運んできたが、柱の足の先には木組のへらがついていて、柱がらくに地面に立てられるようにできている。二本の柱のてっぺんからてっぺんへ、泥棒どもは梁《はり》を一本かけわたした。できあがったところをみると、これはまことにみごとな移動絞首台だ。
あっというまに、この絞首台はおみごと千万《せんばん》にもグランゴワールの面前に立てられてしまった。実に申しぶんのない代物《しろもの》で、綱までみごとに梁の下にぶらぶら揺れている。
〈やつらはいったい、これをどうしようってんだろう?〉と、グランゴワールはいくらか不安になって考えた。ちょうどそのとき、チリンチリンと鈴の音がしたので、不安な気持からわれに返った。宿なしどもがひとつの人形の首を綱にひっかけている。人形は鳥よけのかかしそっくりで、赤い着物を着ていたが、体じゅうところきらわず、鈴だの小さな鐘だのがくっついている。これだけの鈴があれば、カスティーヤ種のラバ三十頭をめかしこませることもできるくらいだ。この数かぎりもない鈴はしばらくのあいだ、綱の揺れるままに鳴りつづけていた。が、やがて、だんだん静まって、とうとう鳴りやんでしまった。水時計や砂時計にとってかわった振り子のあの原理に従って、人形が静止の状態に戻ったのだ。
すると、クロパンは人形の下におかれた、すわりの悪い古い腰かけをグランゴワールに指さして、「あいつに乗っかるんだ」
「とんでもない!」と、グランゴワールはことばをかえした。「首の骨を折っちまいますよ。あの腰かけはまるでマルティアリス〔一世紀のローマの風刺詩人〕の二行詩みたいにアンバランスですからね。片っぽうは六脚で、もう一方は五脚のあの詩句みたいにね」
「乗っかるんだ」と、クロパンがまた言った。
グランゴワールは腰かけの上に乗った。そして、頭や腕をよたよたさせながらも、どうにか重心をとることに成功した。
「さあ、てめえの右足を左すねに巻きつけて、左足のつま先で立つんだ」と、チュニス王がことばをつづけた。
「陛下、あなたはぼくの足がへし折れなきゃ、どうしても気がおすみにならないんですか?」と、グランゴワールがきいた。
クロパンは頭を横にふった。
「聞け、小僧、てめえ口数が多すぎるぞ。つまり、なんだ、こうするんだ。いま言ったようにな、つま先で立ってみろ。そうすりゃあ、人形のポケットに手が届くだろう。とどいたらポケットを探ってな、中にある財布を引っぱりだすんだ。チリンともいわせずにやってのけられたら、めでたしめでたしよ。てめえは宿なし仲間にへえれるんだ。一週間ぶちのめされるだけですむんだぞ」
「めっそうな! そんなこと、やりたくないですよ。で、もし鈴が鳴っちまったら?」と、グランゴワールがきく。
「そのときゃ、ぶらさげられるんだ。わかったか?」
「さっぱりわかりませんよ」と、グランゴワールが答えた。
「聞け、もういっぺん言ってやる。人形のポケットを探って、財布を抜きとるんだ。探っているうちに、チリンとでも鳴ったら、てめえはぶらさげられるんだ。わかったか?」
「ええ、そこまではわかりました。で、それから?」と、グランゴワールがきいた。
「鈴を鳴らせねえでうまく財布がかっぱらえたら、てめえはちゃんとした宿なしになれるんだ。してな、一週間のべつまくなしにぶんなぐられるんだ。さあ、こんだあ、きっとのみこめたろうな?」
「いいえ、陛下、やっぱりわかりません。ぼくの得になることはどこにあるんです? やりそこなえばぶらさげられるし、うまくやってもぶんなぐられる……」
「宿なしになれるんだぞ」とクロパンは言った。「宿なし仲間にへえれるってのは、てえしたことじゃねえのか? ぶんなぐるのは、てめえのためを思ってなんだ。ぶんなぐられても平気でいられるようにしてやろうってんだ」
「いやはやありがたいことで」と詩人が答えた。
「さあ、さっさとかたづけよう」と、王はすわっている樽を足でけっとばして、言った。樽は大太鼓のような音をたてて鳴りわたった。「人形のポケットを探るんだ。早くやっちめえよ。念のためにもういっぺん言っとくが、チリンとでも鈴が鳴りゃ、てめえは人形と入れかわりだぞ」
いあわせたどろぼうどもは、クロパンのことばにやんやと喝采《かっさい》を送って、絞首台のまわりをぐるっととりかこんだ。みんな、まったく血も涙もないみたいにゲラゲラ笑っているので、グランゴワールは、自分がすっかり彼らの慰みものにされてしまっていて、このうえはもう恐ろしい目にあわされるばかりなのだ、ということがわかった。だから、命じられた恐ろしい仕事をうまくやりとげるという、万にひとつの運を当てにするほか、助かる希望はもうなかったのだ。彼はこの冒険をやってみようと覚悟を決めた。だがそのまえにまず、これから財布を抜きとろうとする人形に、熱のこもった祈りを捧げたのである。人形のほうがあの宿なしどもよりはまだしも、自分を可哀そうに思ってくれるだろう、と考えたのだ。小さな銅の舌がついた数かぎりもない鈴は、グランゴワールには、ちょうどシューシューいってかみつこうとしているマムシのあんぐりあいた口のように見えるのだった。
「ああ! あの鈴の中のいちばん小さいやつがちょっとひと揺れしただけで、ぼくの命がなくなるなんて、ほんとのことだろうか!」と、グランゴワールは蚊《か》のなくような声でつぶやいた。そして両手を合わせて祈りながら、「ああ! 鈴よ、どうぞ鳴らないでくれ! 小鈴よ、どうぞ鳴らないでくれ! 鈴よ、どうぞ震えないでくれ!」と言いそえた。
彼はトルイユフーに向かって最後のひと押しをしてみた。
「で、もし風でチリンと鳴ったら?」と彼がきいた。
「ぶらさげられるだけよ!」と、相手はためらいもなく答えた。
猶予《ゆうよ》も延期も言い抜けもきかないとわかったので、彼は男らしく腹を決めた。右足を左すねに巻きつけ、左足だけで立って、腕を伸ばした。だが手が人形に触れたとたん、三本しか足のない腰かけの上に一本足で立っていた体が、ぐらっとよろめいた。彼は思わず人形によりかかろうとしてバランスを失い、ドシンと地面にころげ落ちた。人形にくっついていた数かぎりもない鈴は命とりの震えをはじめて、グランゴワールの耳をきこえなくするほどものすごい音で鳴りわたった。人形のほうは手で押されて、まずくるりとひとまわりしたが、二本の柱のあいだで、ぶらんぶらんとおごそかな格好で揺れていた。
「しまった!」と、彼はころげ落ちながら叫んだ。そして地面に顔を押しつけて、死んだみたいになっていた。
そのあいだに、頭の上からは恐ろしい鈴の音や、ごろつきどもの憎らしい笑い声や、「そいつを起こして、こっぴどくぶらさげちまえ」と言っているトルイユフーの声が聞こえてきた。
グランゴワールは起きあがった。彼に身代わりになってもらうために、人形はもうとりはずされていた。
どろぼう王国の国民たちはグランゴワールを腰かけの上にのぼらせた。クロパンがやってきて、首に綱をかけ、肩をポンと叩いて言った。「あばよ、若《わけ》えの! こうなっちゃもう逃げられねえぜ、たとえ法王さんと同じぐれえ偉くってもよ」
「どうぞ命ばかりは」ということばが出かかったが、それもくちびるの上で消えてしまった。あたりを見まわしてみたが、助かりそうなようすはまったくない。どいつもこいつも笑っているばかりだ。
「ベルヴィーニュ・ド・レトワル」と、チュニス王が呼ぶと、どでかい男が列の中から出てきた。「てめえ、梁《はり》の上にのぼりねえ」
ベルヴィーニュ・ド・レトワルはするすると梁の上にのぼった。まもなくグランゴワールが目をあげてみると、男が真上の梁の上にうずくまっているので、ぞっとしてしまった。
「さあ」と、クロパン・トルイユフーがまた言った。「おれが手を叩いたらな、アンドリ・ル・ルージュ、てめえはすぐさま、ひざで腰かけをけっとばすんだぞ。フランソワ・シャント=プリューヌ、てめえはな、野郎の足にぶらさがるんだ。それから、ベルヴィーニュ、おめえはやつの肩にとびおりるんだ。三人いっしょにやるんだぞ、わかったか?」
グランゴワールはぞっと寒けを感じた。
「用意はいいか?」と、クロパン・トルイユフーは三人のごろつきどもに言った。三人は一匹のハエをねらう三匹のクモみたいに、グランゴワールにとびかかろうと身がまえている。哀れな死刑囚は、死刑のまえの恐ろしい一瞬を味わっている。一方クロパンはおちつきはらって、まだ火の燃えうつらないブドウの枝づるを、足先で火の中につっこんでいる。「用意はいいか?」と繰り返すと、クロパンは合図をしようとして両手を開いた。あと一秒で、万事休すだ。
だがこのとき、ふと何かが頭に浮かんだらしく、手を叩くのをやめた。「ちょっと待て!」と彼は言った。「忘れていたわい!……野郎どもをぶらさげるときにゃ、そのめえに、そいつをほしがる女がいるかどうかきくのが決まりだったっけ。……やい、これがてめえの最後の命の綱だぞ。宿なし女と連れそうか、それとも首綱と連れそうか」
この宿なし仲間の掟は、みなさんにはたいへん奇妙にみえるかもしれないが、いまでもイギリスの古い法律にはちゃんとくわしく書いてあるのだ。『ビュアリントンの所見』を読まれたい。
グランゴワールはほっと溜息をついた。三十分まえからこれで二度めの命拾いだ。だから、あまり当てにする気にはなれなかった。
「おい!」とクロパンはまた、樽の上にのぼってどなった。「おい! 女どもや、雌《めす》めら、魔女だろうがネコだろうがかまわねえが、この助平野郎が欲しいちゅう、助平女はいねえかな? おい、コレット・ラ・シャロンヌ! エリザベット・トルーヴァン! シモーヌ・ジョドゥイーヌ! マリー・ピエドブー! トンヌ・ラ・ロング! ベラルド・ファヌーエル! ミシェル・ジュナイユ! クロード・ロンジュ=オレイユ! マチュリーヌ・ジロルー! おい! イザボー・ラ・チエリ! 見にこい、見にこい、やってこい! どうせ、ただで買える男だ! 誰か欲しいやつぁいねえもんかな?」
グランゴワールは見るも無残なありさまだったから、もちろん女にもてそうなようすはしていなかった。宿なし女どもは、こんな申し出などにはあまり気がのらないらしい。哀れなグランゴワールの耳には、女どもがこんなふうに答えるのが聞こえてきた。「いらないよ! いらないよ! ぶらさげちまいな。あたしたちみんなの目の保養になるからさ」
それでも大勢の中から女が三人進みでて、グランゴワールを嗅《か》ぎにやってきた。最初のやつは角ばった顔をした、でぶでぶの娘だった。娘は哲学者のみじめな胴着を念入りに調べた。ぼろ服はすり切れてしまって、クリの実を煎《い》るフライパンより、なお穴だらけというありさまだ。女は顔をしかめた。「おんぼろ軍旗みたい!」とつぶやくと、グランゴワールに向かって、「マントをお見せ」
「なくしちゃったんです」とグランゴワール。
「帽子は?」
「とられちゃいました」
「靴は?」
「底が抜けそうなんで」
「財布は?」
「すみません! 一文なしなんで」と、グランゴワールはおずおず言った。
「ありがたくぶらさげられちゃいな!」と、宿なし女はくるりと背を向けながらやっつけた。
二番めに出てきたのはまっ黒な梅干ばばあだ。奇跡御殿の中でさえきたないしみに見えそうな、ふためと見られない醜さだった。ばあさんはグランゴワールのまわりをぐるりとひと回りした。グランゴワールは、この女が自分を欲しがりはしないかと、びくびくしていた。だが女は、「痩せっぽちすぎるね」とつぶやくと、その場を離れていってしまった。
三番めはまだかなりういういしくて、それほど醜くもない娘だった。「助けて下さいよ!」と、哀れなグランゴワールは小声で娘にたのんだ。娘はしばらく、可哀そうに、といった顔つきで彼を見つめていたが、やがて目を伏せ、スカートにひだをつけはじめた。決めかねているのだ。グランゴワールの目は彼女の一挙一動を見まもっている。頼みの綱はこの女だけなのだ。「だめだわ」と、娘はとうとう言った。「だめだわ! きっと、ギヨーム・ロングジューさんに叩かれるわ」
娘はみんなの中へ戻っていってしまった。
「おめえさん、女運がねえなあ」とクロパンが言った。
やがて、樽の上につっ立ちあがったかと思うと、「もうお要《い》りのかたはないかね?」と、競売物評価官の口調をまねて叫んだ。みんなはワーワー言っておもしろがっている。
「お要りのかたはないかね? ひとつ、ふたつ、みっつと!」そして絞首台のほうを振り向いて、「ほい、こっちに落ちた!」と頭で合図した。
ベルヴィーニュ・ド・レトワルと、アンドリ・ル・ルージュと、フランソワ・シャント=プリューヌがグランゴワールのほうへ近よってきた。
と、このとき、ごろつきどものあいだから叫び声があがった。「エスメラルダだ! エスメラルダだ!」
グランゴワールは思わず身震いをして、叫び声の聞こえるほうを振り向いた。ごろつきどもがわきへ寄って道をあける中を、清らかな、目もさめるような美女がやってくる。あのジプシー娘だった。
「エスメラルダだって!」と、グランゴワールは感動にさいなまれながらも、びっくりして言った。この不思議なことばが、その日一日の思い出をそのとたんにすっかり結びあわせてくれたのである。
世にもまれなこの美女は、奇跡御殿の中でさえ、その魅力と美しさで威力をふるっているらしい。男も女も、おとなしくエスメラルダの通路に並び、彼女がちらりと見るたびに、獣づらをほころばせるのだった。
娘は例の軽い足どりで死刑囚に近づいた。きれいなジャリもついてくる。グランゴワールはもう生きた心地などなかった。エスメラルダは黙ったまま、しばらく彼を見つめていた。
「この人をぶらさげちゃうの?」と、重々しい口ぶりでクロパンにきいた。
「そうだよ、おめえが亭主にしてえってんなら話はべつだが」とチュニス王が答えた。
娘は下唇を突きだして、例の可愛いふくれっつらをしてみせた。
「この人を亭主にするよ」と娘は言った。
グランゴワールはこれを聞いて、けさからずっと夢を見ていたんだ、これはそのつづきなんだ、と決めこんでしまった。
粋《いき》な状況の変化ではあったが、あまりにも激しい移り変わりだった。
首輪は解かれ、詩人は腰かけからおろされた。が、へたへたとすわりこんでしまった。感動があまりにも激しすぎたのだ。
エジプト公は黙りこくったまま、粘土製の壷を持ってきた。ジプシー娘はそれをグランゴワールに差し出した。「これを地面に投げつけるのよ」と娘は言った。
壷は四つに割れた。
「兄弟《きょうでえ》、この娘《こ》はおめえの女房だ。おい、おめえさん、こいつはおめえさんの亭主だ。向こう四年間はな。さあ、よろしくやりねえ」と、エジプト公がふたりの額に手を一本ずつのせて言った。
七 婚礼の夜
まもなく、われらの詩人グランゴワールは尖頭《せんとう》アーチ形の天井をした、しめきった、ほかほかと暖かい、小さな部屋に、テーブルを前にしてすわっていた。テーブルのすぐそばにはハエ帳がひとつ吊ってあり、それから料理をテーブルに運ぶだけの段取りになっている。きれいな娘とは差し向かいだし、どうやら寝心地のよさそうなベッドまでととのえてあるらしい気までしてくるのだ。
いままでのできごとを思うと、まるで魔法にかけられているみたいだった。彼は本気で自分をおとぎ話の中の人物のように思いはじめた。翼のある二頭の噴火獣に引かれた火の車がまだそのへんにありはしないかと探しでもするように、ときどきあたりに目をやった。噴火獣の車ででもなければ、こんなにすばやく彼を地獄から天国へ運べるものではないのだから。
またときどきは、しきりに胴着の穴を見つめている。現実にしがみついていたい、足を大地からすっかり離してしまいたくはない、こう思ったからだった。彼の理性は、空想の世界をあちらこちらと揺りうごかされるので、こうでもしなければ、つなぎとめておけないのだ。
娘はグランゴワールのことなど、ちっとも気にとめていないようすだった。部屋の中を行きつ戻りつして、ときどき腰かけにぶつかっては、ぐいと押しやってしまう。ヤギとおしゃべりをしたり、ときどき例のふくれっつらをしたりしていた。が、やっとテーブルのそばにきてすわったので、グランゴワールもゆっくり相手をながめられることになった。
みなさん、あなたも昔は子どもだったものだし、もう一度、子どものころに帰れたらしあわせだと思われるであろう。みなさんは、緑色や空色のきれいなトンボが、いきなりすいっすいっと向きを変えたり、木々の枝に片っぱしから口づけをしたりしながら飛んでゆくのを追いかけて、よく晴れた日、薮《やぶ》から薮へ、あるいはさらさらと流れる小川のへりを、夢中で駆けまわったことが、一度や二度は必ずおありのはずだ。(私などは、そんなふうにして一日じゅう過ごしたことがよくあったが、そんな日がこれまでのうちでいちばんためになったと思う)
赤や空色の羽ですいすい風を切りながら飛びまわっている、この小さなつむじ風のような感じのする虫を、みなさんは目も心も奪われて、ただうっとりと、もの珍しげにながめていたことを思い出されるであろう。このつむじ風のまん中には、ぽっかりと体らしいものが浮かんでいるが、それも速度がはやすぎるので、はっきりとは認めにくいのだ。震え動く羽を透《すか》してぼんやりと見える空気の精のような体は、みなさんの目には、きっとふれることも見ることもできない夢の国の生きもののように見えたことであろう。だがやっとそのトンボがアシの葉先に羽を休めたとき、その長い紗《しゃ》のような羽や、エナメルを塗ったような長い衣や、水晶のような両眼を、息をこらしながら観察して、あなたはどんなに大きな驚きを感じたことだろう! また、その姿がふたたび目の先から闇の中に飛びたって、夢のような物になってしまうことをどんなに心配しただろう! そんなときの気持をどうか思い出していただきたい。そうすればグランゴワールが、それまでただ踊りと、歌と、騒々しい群集という旋風を透して、かすかにながめていただけだった、あのエスメラルダが、はっきり目に見え、手でさわれる姿でまぢかにいるのをつくづく見て、どんなふうに感じたかを、容易にお察しになれるであろう。
グランゴワールはますます物思いに沈んでいく。「なるほど、これが『エスメラルダ』って女なんだろうか?」と、ぼんやり娘の姿を目で追いながらつぶやいた。「天女のように美しい女だ! が、その実、しがないまちの踊り子なんだ! 月のように美しく、スッポンみたいにげすな素性だ! けさ、おれの芝居にとどめをさしたのもこの女だったし、今晩、命を救ってくれたのもこの女なんだ。おれの悪霊なんだ! と同時に、救いの天使というわけだな!……が、たしかに美しい娘だ!……だが、こんなふうにおれを亭主にしたところをみると、きっと首ったけなんだな。……それはそうと」と、ここまで言ってグランゴワールはふいと立ちあがった。彼の気質と哲学との基調をなしているあの真理探究癖がまたもや首をもたげたのだ。「どうしてこうなったのかよくわからないが、とにかくおれは、この女の亭主に違いないんだ!」
頭にも目にもこういう考えを浮かべて、彼は色好みの兵隊さんよろしくといった格好で、つかつかと娘のそばに近づいて行った。娘はけおされて、あとずさりをした。
「何かご用?」と娘は言った。
「いとしいエスメラルダさん、いまさらそんなことを?」と、グランゴワールは、われながらびっくりするような情熱的な口調で答えてしまった。
ジプシー娘は大きな目をぐっと見ひらいた。「なんのことやらさっぱりわからないわ」
「なんだって!」と、いよいよ血が頭にのぼってしまったグランゴワールは言った。要するに相手は奇跡御殿の生娘《きむすめ》にすぎんじゃないかと思いながら。
「ねえ、ぼくはきみのもの、きみはぼくのものじゃなかったのかい?」
そうしておいて、娘の体を何の気なしに抱いた。
ジプシー娘の体は、まるでウナギの皮を着ているみたいに、するりと彼の両手の中ですべった。エスメラルダはさっと部屋の向こうの端にかけていき、身をかがめていたかと思うと、小さな短刀を握って、立ちあがった。目にもとまらぬ早わざで、グランゴワールは、その短刀がどこからとび出してきたのかわからなかった。怒りに燃え、つんと高ぶり、唇をふくらませ、鼻孔《びこう》を開き、頬をリンゴのように赤くし、瞳をきらきら光らせている。それと同時に、白いヤギも娘の前に身をかまえ、金色の恐ろしくとがった二本のきれいな角のある額をグランゴワールに向けて戦闘体勢をとった。あっというまのできごとだった。
トンボがスズメバチに身を変え、いまにも刺そうとしているのだ。
われらの哲学者は、うつろな目をヤギから娘へ、娘からまたヤギへと移しながら、ただおろおろしていた。
「やれやれ! そろいもそろって、気が強いんだなあ!」と、驚きからやっと立ちなおって口がきけるようになったグランゴワールは言った。
娘のほうも黙ってひっこんではいない。
「おまえさんは、いけずうずうしいやつだよ!」
「失礼しました、どうも。が、それならいったいどうしてぼくを亭主になどしたんです?」と、グランゴワールはにやにや笑いながらきいた。
「あんたがぶらさげられるのを黙って見ていろというのかい?」
「それじゃあ、ただぼくの命を助けたいばっかりに、ぼくと結婚してくれたんですね?」と、詩人はつやっぽい望みを裏切られ、ちょっとがっかりして言った。
「それとも、何かほかに考えでもあってしたとお思いかい?」
グランゴワールは唇をかんだ。「じゃあ、まだ恋の道で思っていたほどの勝利を得たわけじゃなかったんですね。だがそうすると、あの壷を割ったのはなんのためなんです?」
話をしているあいだも、エスメラルダの短刀とヤギの角とは、あいかわらず防御体勢をとったままだ。
「エスメラルダさん、さあ仲直りしましょう」と詩人が言った。「ぼくはシャトレ裁判所の見習書記なんかじゃありません。だから、あなたが市長さんの禁止命令を小ばかにして、そんなふうにパリのまちなかを短刀を持って歩いていたって、それを法律問題にしようなんて気はありませんよ。だけどあなたは、ノエル・レクリヴァンが一週間ほどまえに、短刀を持って歩いていたために、パリ金十スーの罰金を払わされたことを知ってるでしょうね。が、まあ、そんなことはどうだっていい。肝心のことを話しましょう。神かけて誓いますが、お許しがないうちはけっしてそばに近よりません。だが、何か食べさせて下さいよ」
ほんとうは、グランゴワールは、デプレオー氏〔十七〜十八世紀の古典主義文学の代表的理論家〕と同じように「色好みには縁のうすい」人間だった。襲撃して娘を奪う騎兵や銃士の種族には属していなかった。ほかの点でもそうだったのだが、色恋沙汰にかけても、喜んで好機を待つ主義であり、中道を進むのを得意としていた。可愛い女の子と差し向かいでうまい夕飯を食べるのは、ことに腹がすいてもいたので、彼には、恋の冒険の序幕と終幕のあいだにくる、素晴らしい幕間《まくあい》のように思えたのだった。
ジプシー娘はちっとも返事をしない。人を軽蔑《けいべつ》したような例の可愛いふくれっつらをし、小鳥みたいに頭をつんと立てたが、やがて、いきなり大声で笑いだした。小さな短刀は、出てきたときみたいなすばやさで、どこかへ消えてしまった。グランゴワールは、ハチがどこへ針をかくしたのか、さっぱりわからなかった。
まもなく、テーブルの上に、黒パンと、ベーコンひと切れと、しなびたリンゴがいくつかと、水さし一杯のビールが並べられた。グランゴワールはがつがつ食べはじめた。鉄のフォークとせとものの皿とがたてる、カチャカチャというすさまじい音を聞いていると、色気がすっかり食い気に変わってしまったみたいだった。
前にすわった娘は、彼が食べるのを黙って見ている。明らかに何かほかの考えごとに耽《ふけ》っているらしく、ときどきほほえみを浮かべる。両ひざのあいだにそっとはさんだヤギの利口な頭をやさしい手でなでながら。
黄色いろうそくが、この食い気と夢想の場面を照らしている。
そのうちに、グーグー鳴っていた胃袋がやっと静まった。グランゴワールは目の前にもうリンゴがひとつだけしか残っていないのを見て、ちょっとばかり恥ずかしそうなようすをした。「あなたは食べないんですか、エスメラルダさん?」
娘は首を横にふってそれに答え、物思わしげな目を小部屋の天井にじっと注いだ。
〈いったいぜんたい、何を考えてるんだろう?〉と、グランゴワールは思った。そして相手が見つめているものを自分も見ながら、〈まさか、天井のかなめ石に彫りつけてある、あの小人のしかめっつらに気をとられているわけでもあるまい。畜生! あんなものとだったら、このおれだって張り合えるぞ!〉
彼は大声で呼んだ。「エスメラルダさん!」
聞こえないらしい。
彼はいっそう声をはりあげて、また呼んだ。「エスメラルダさん!」
だめだ。娘の心はお留守になっていて、グランゴワールの声にも呼び戻す力はなかったのだ。さいわい、ヤギが加勢にはいってくれた。ヤギは主人のそでをやさしく引っぱりはじめたのだ。
「なんだい、ジャリ?」と、ジプシー娘は、はっと目がさめたみたいに、勢いこんできいた。
「おなかがすいているんですよ」とグランゴワールは、話の糸口がつかめたので、うれしくなって言った。
エスメラルダはパンを細かくちぎりはじめた。ジャリはちぎったパンを手のひらから、可愛らしい格好で食べた。
グランゴワールのほうは、娘がまた夢想にはいってしまってはたいへんだと考えた。ままよとばかり、きわどい質問をしてみた。
「じゃあ、あなたはぼくを亭主にする気はないんですね?」
娘は彼をじっと見つめて言った。
「ないわ」
「恋人にする気は?」と、グランゴワールがまたきいた。娘は例のふくれっつらをして答えた。
「ないわ」
「友だちにする気は?」と、グランゴワールがねばった。
娘はまたじっと彼を見つめ、ちょっと考えてから言った。
「したげるかもしれないわ」
哲学者の愛するこの「かもしれない」ということばを聞いて、グランゴワールは勢いづいた。
「あなたは友情ってどんなものか知ってますか?」と彼はきいた。
「知ってるわ、兄と妹みたいになることでしょ。ふたつの魂が触れあいはするけれど、ひとつに溶けあってはしまわない。二本の指みたいなものよ」とジプシー娘は答えた。
「じゃあ、恋とは?」と、グランゴワールがつづけてきいた。
「ああ! 恋ですって!」と娘が言った。声は震え、目はきらきら輝いている。「それは、ふたりでいながら、ひとりになってしまうことだわ。男と女がいっしょになって、ひとりの天使になることだわ。天国だわ」
こんなふうにしゃべっているとき、このまちの踊り子の顔は独得の美しさをおび、それが奇妙にグランゴワールの胸を打った。その美しさは、彼女の東洋的とも言えそうな情熱のこもった話しぶりと、ぴったりつり合っているように思えるのだった。バラ色の清らかな唇は笑うともなく笑っている。あどけない、はればれとした額は、鏡が息で曇《くも》るように、ときどき何かの思いで曇る。伏せられた長い黒いまつ毛からは、なんともいえない一種の光がもれ、それが横顔にこの上もないやさしさを漂わせている。のちにラファエッロが処女性と、母性と、神性との神秘的な交流点を表わすのに苦心して発見した、あのやさしさだ。
グランゴワールは、なおもつづけてきいた。
「あなたのお気に入るには、どんな人間でなきゃならないんですか?」
「男でなきゃ」
「じゃあ、ぼくはいったいなんなんです?」と、グランゴワールがきいた。
「頭には兜《かぶと》、手には剣、かかとには金の拍車、そんな男でなくちゃ」
「なるほど」と、グランゴワールは言った。「馬に乗らないと男じゃないってわけですね。……誰か好きな人でもあるんですか?」
「恋人?」
「そうです」
娘はちょっと考えこんでいたが、やがて一種変わった顔つきをして言った。
「もうじき、わかるわ」
「なぜ今晩じゃいけないんです?」と、詩人がやさしくききつづけた。「なぜぼくじゃいけないんです?」
娘は彼にしかつめらしい目つきをちらっと向けた。
「あたしを守ってくれるような人でなくちゃ、好きにはなれないわ」
グランゴワールは赤くなって、なるほどもっともだと思った。娘は、二時間ほどまえ危い目にあったとき、グランゴワールが頼りにならなかったことを、こうほのめかしているに違いない。その晩つぎつぎと起こった意外なできごとのためにかき消されていたあの思い出が、ふとよみがえってきた。グランゴワールは額を叩いた。
「そうそう、エスメラルダさん、あのことをまず、おききしなきゃならなかったんでしたね。ついうっかりしていて申しわけありません。ところで、あのカジモドにつかまっていたのに、どうやって逃げられたんですか?」
こうきかれて、娘は身震いした。
「ああ! あの恐ろしいこぶ男!」と、娘は両手で顔を覆いながら言った。ぞっと寒けがきたみたいに、ぶるぶる震えている。
「ほんとに恐ろしいやつだ!」と、グランゴワールは言い、なおも質問の手をゆるめずに、「だが、どうしてあいつから逃げられたんですか?」
エスメラルダはほほえんだかと思うと溜息をつき、そのまま口をつぐんでしまった。
「なぜあいつがあなたのあとをつけたのかご存じですか?」と、グランゴワールがまたきいた。まわり道をしてもとの質問にゆきつこうというわけだ。
「知らないわ」と娘は言った。そして激しい口調で言いそえた。「だけど、あんただってあとをつけたじゃないの。なぜつけてきたの?」
「それがねえ、ぼくにもほんとに、なぜだかわからんのですよ」と、グランゴワールは答えた。
しばらく沈黙がつづいた。グランゴワールはナイフでテーブルに切り傷をつけはじめた。娘はほほえみを浮かべて、何か壁の向こう側にあるものをながめてでもいるみたいなようすだ。と、とつぜん、娘はあまりはっきりしない声でうたいはじめた。
色とりどりの小鳥らが
さえずりをやめるとき、そして陸地が……
ふいにうたうのをやめると、娘はジャリをなではじめた。
「可愛いヤギですね」と、グランゴワールが言った。
「あたしの妹なの」と娘が答えた。
「なぜみんなは、あなたを『エスメラルダ』って呼ぶんですか?」と詩人がきいた。
「知らないわ」
「でも何かわけがあるのでしよう?」
娘は、クルミの実の鎖で首からさげていた細長い小袋みたいなものを、胸からひっぱり出した。ショウノウの香りが袋からぷんぷんもれてきた。緑色の絹で包んであって、まん中にエメラルドまがいの大きな緑色のガラス玉がついている。
「きっと、この袋をもっているので、エスメラルダと呼ばれるのでしょう」と娘が言った。
グランゴワールが小袋を手にとろうとすると、娘はあとずさりした。「さわっちゃだめ。お守りなのよ。お守りがきかなくなるわ。でなきゃ、あんたにばちが当たるわ」
詩人はますます好奇心にかられた。
「誰にもらったんです?」
娘は指を口に当てて、お守りを胸にしまいこんでしまった。グランゴワールはほかのことをいろいろ問いかけてみたが、相手はもうあんまり答えようとはしなかった。
「エスメラルダっていうのはどういう意味なんですか?」
「知らないわ」と娘が答えた。
「何語なんですか?」
「きっとエジプト語よ」
「そうじゃないかなと思ってました。じゃあ、あなたはフランス生まれじゃないんですね?」と、グランゴワールがきいた。
「そんなこと知らないわ」
「おとうさんやおかあさんはあるのですか?」
娘は古い歌のメロディーにあわせてうたいだした。
とうさんは小鳥、
かあさんも小鳥、
舟がなくても川わたる、
船がなくても海わたる。
かあさんは小鳥、
とうさんも小鳥。
「いい歌ですね。いくつのときフランスへ来たのですか?」と、グランゴワールがきいた。
「ちっちゃいときよ」
「パリへは?」
「去年よ。法王門からまちにはいってきたとき、ヨシキリが列をつくって空を飛んでくのが見えたわ。八月の末だったわ。あたし、『この冬は寒さがきびしいでしょうね』って言ったのよ」
「ひどい寒さでしたね」と、グランゴワールが言った。まともに話のやりとりができるようになって有頂天《うちょうてん》だ。「指にハーハー息を吹きかけどおしでしたよ。それじゃあ、あなたは予言ができるんですね」
娘はまた、あまりしゃべらなくなってしまった。
「できないわ」
「あなたがエジプト公って呼んでいたのは、あなたの一族のおかしらですか?」
「そうよ」
「ぼくたちを結婚させたのは、とにかくあの人ですよ」と、詩人はおそるおそる言ってみた。
娘はまた例の可愛らしいふくれっつらをした。「でもあたし、あなたの名まえさえ知らなくってよ」
「ぼくの名まえですって? ききたかったら教えてあげましょう。ピエール・グランゴワールっていうんです」
「もっと立派な名まえを知ってるわ」と娘が言った。
「意地悪だなあ!」と詩人が言った。「が、まあいい、それぐらいのことじゃおこりゃしませんよ。ねえ、ぼくのことがもっとよくわかれば、きっと好きになってくれるでしょう。それに、あなたはあんなにざっくばらんに身の上話をしてくれたんですから、ぼくの身の上も少しはお話ししなけりゃならんでしょう。
ぼくはピエール・グランゴワールといって、ゴネスの公正証書係のせがれなんです。おやじはブールゴーニュ人に縛り首にされちまいましたし、おふくろもピカルディー人に腹を裂かれて死んじまいました。二十年まえ、パリが包囲されたときのことです。だから六つのときにはもうみなしごになって、パリの舗道をはだしでうろついていたんです。六つの年から十六までのあいだを、どうやって生きのびてこられたのかわかりません。こっちのくだもの屋のおかみさんからはプラムをひとつもらい、あっちのパン屋のおやじさんからは、パンの皮を投げてもらうといったありさまでした。夜は、よく二百二十人組のおまわりにつかまってブタ箱に放りこまれ、そこでやっとひと束の寝藁にありついたもんです。そんな生活をしながらもとにかく、ごらんのように、ひょろ長く伸びるだけは伸びました。冬はよくサーンス邸の門前で日なたぼっこをしました。そして聖ジャン祭のかがり火を土用までとっておくなんて、なんてばかばかしいことだと思ったもんです。十六のとき、何か仕事をしたくなりました。つぎからつぎへと手あたりしだいにやってみました。兵隊になりました。だがそれほど勇敢じゃないので、だめでした。修道士になりました。だがそれほど信心深くないので、だめでした。それに酒もたくさんは飲めないたちでしたし、やけっぱちになって、とうとう大工の仲間にはいって仕事を習いだしたんです。だがそれほど力もないので、だめでした。どちらかといえば、ぼくは学校の先生向きだったんです。もちろん字がろくに読めなかったことも事実です。そんなことを気にする必要はなかったんでしょうがね。
だが、こんなふうにして日を過ごしているうちに、とうとう、何をやるにしてもぼくにはどこか一本抜けたところがあるのだ、ということに気がついたんです。そこで、結局なんの役にもたたん人間なんだと悟って、喜び勇んで詩人兼作曲家になったというわけです。詩人だの作曲家だのというのだったら、風来坊ならいつでもなれる商売で、泥棒よりまだましですからね。私の友達の泥棒むすこたちもそう言ってましたがね。
さいわいなことに、ある日偶然ノートルダムの司教補佐をやっておられるクロード・フロロ師にお会いしました。あのかたはぼくに同情して下さいました。ぼくがいまのようにひとかどの学のある人間になれたのは、あのかたのおかげなんです。おかげでぼくは、ラテン語にかけては、キケロの『義務論』からセレスチン会の修道士たちの弔《とむら》い演説にまで通じていますし、またスコラ哲学や、詩学や、韻律学や、学問の中の学問である錬金術にかけても、まったくのしろうとではありません。きょう裁判所の大広間で、山のような見物人から割れるような大喝采を受けたあの聖史劇を書いたのも、実はこのぼくなのです。
ぼくはまた、一四六五年に現われたあの不思議な彗星《すいせい》、そう、気の狂った男をひとり生みだしてしまったあの彗星についても本を書きましたよ。できあがればおそらく六百ページにもなるでしょう。そのほかにもいろいろな仕事を立派にやりとおしました。大砲をつくる技術もちょっとばかり心得ているもんですから、あのジャン・モーグの大臼砲の製造にも加わりました。ご存じでしょう、シャラントン橋で試射をやった日に破裂して、やじ馬連を二十四人殺してしまった大砲です。どうです、ぼくも結婚の相手としちゃ、そうつまらん男ではないことがおわかりでしょう。とても人に喜ばれそうな、いろんな芸当もたくさん知っていますから、そいつをあなたのヤギに教えてやりましょう。たとえば、パリ司教の物真似なんかいかがです。あいつは、とんでもない偽善家なんですよ。それに、あいつの水車ときたら、ムーニエ橋を渡る通行人に息つくひまも与えず水をひっかけやがるんですよ。それから、ぼくの聖史劇からもうんとお金がはいってきますよ。もっとも払ってくれればですがね。
そうです、ぼくはあなたのお望みのことならなんでもします。この体も心も、学問も、文才もみんな差しあげます。ねえエスメラルダさん、ごいっしょに暮らせるなら、あなたのお気に召すように、清らかにでも、あるいは陽気にでも暮らすつもりです。よろしければ、夫婦として、それとも、きょうだいのほうがいいとお思いなら、きょうだいとして、いっしょに暮らそうじゃありませんか」
グランゴワールは口をつぐみ、長々しいくどきおとしの効果を待ちかまえていた。娘はじっと地面を見つめている。
「フェビュス」と娘は小声で言った。そして詩人のほうを振り向いて、「フェビュスというのはどういう意味なの?」
グランゴワールは、彼のふるったちょっとした演説とこの質問とのあいだにいったいどんな関係があるのか、よくはわからなかったが、ここで学のあるところをひけらかすのも悪い気持ではなかった。彼は胸をはって答えた。
「それは≪太陽≫って意味のラテン語ですよ」
「太陽!」と、娘はおうむがえしに叫んだ。
「それにね、美男の射手の姿をした神さまの名まえでもあるんですよ」と、グランゴワールは言いそえた。
「神さま!」と、ジプシー娘はまたもや叫んだ。その声の調子には、なにか物思わしげで、情熱的なものがこもっていた。
そのとき、娘の腕輪がひとつはずれて床《ゆか》におちた。グランゴワールは拾おうとして、いそいで身をかがめた。体を起こしてみると、もう娘とヤギの姿は消えうせていた。かんぬきをかける音が聞こえた。きっと隣の小部屋に通ずる小さなドアが外側からしめられた音だったのだろう。
「せめてベッドにだけは、ありつかせてくれるだろうなあ?」と、われらの哲学者は言った。
小部屋の中をぐるりとひとまわりしてみた。ベッドの代わりになりそうなものといえば、かなり長い木の箱がひとつあるだけで、おまけに、ふたには彫刻がしてある。
その上に横になってみたグランゴワールは、もしミクロメガース〔ヴォルテール作の同名の小説の主人公〕がアルプス山脈の上に長々と寝てみたらさぞこんなだろう、と思えるような気分を味わった。
「まあよかろう」と、彼はできるだけ体が楽になるように工夫しながら言った。「あきらめが肝心だ。だがほんとうにへんてこな婚礼の夜だわい。残念だなあ。壷を割るあの結婚式には、なんとなく素朴で、原始的なところがあって気に入ったんだが」
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第三編
一 ノートルダム
パリのノートルダム大聖堂は、疑いもなく、今日でもなお、荘厳で崇高な建造物である。だが、古い建物としてはいかにもみごとに保存されてきているとはいえ、最初の基石をすえたシャルルマーニュや、最後の石を置いたフィリップ=オーギュスト〔フランス統一の基礎をつくった十二〜十三世紀の名君フィリップ二世のこと。ノートルダム大聖堂の建造を促進した〕への敬意などすこしももたずに、時の流れと人の手が力を合わせてこの尊敬すべき記念物の上に加えた無数の損傷や破損の跡を見ると、思わず溜息が出たり、憤《いきどお》りに駆られたりせずにはいられないのである。
フランスの大聖堂の中での老女王とも呼べるこの大聖堂の顔面には、しわと並んで必ず傷あとが見られる。「時はかじるが、人はなおひどくかじる」私はオウィディウスのこの句をこう訳してみたいような気がする。「時は盲目だが、人は愚かだ」
もし私に暇があって、みなさんといっしょに、この古い教会に加えられたさまざまな破壊の跡をひとつひとつ調べていったならば、破壊に対して≪時≫が果たした役割はごくわずかなものであり、それより悪いのは人間、ことに≪芸術家≫であったことがおわかりになるであろう。
ここでは≪芸術家≫ということばを使わざるをえなかったが、そのわけは、建築家と称する人間が出てきたのは、最近二世紀間のことだからである。
まず、主だった二、三の例を拾いあげてみただけでも、この大聖堂の正面ほどみごとなものは、建築史のどのページにも容易に見あたらぬことがはっきりする。順を追って述べれば、尖頭《せんとう》アーチ形にくりぬかれた三つの玄関、その上にのびた王像を安置していた二十八個の壁龕《へきがん》の美しいぎざぎざの直線、助祭と副助祭を従えた司祭といった格好の、中央の巨大な円花窓《えんかそう》とその両側のわき窓、その上にある、細い列柱の上に重い展望台を乗せている、クローバ形装飾のある高くてきゃしゃなアーケードの柱廊、最後に、スレートのひさしのついたふたつの黒いどっしりした塔。こうした調和のとれた部分部分が巨大な五層に積みあげられて素晴らしい正面全体を形づくり、ひとつの集合体をなし、しかも乱れを見せずに一度に目の前に広がるのだ。彫像、木彫り、金彫り、こうした数かぎりない細部も、建物全体がかもしだす、豪壮で、おちついた姿に力強く融合してしまっている。言ってみれば、巨大な石造の交響楽なのだ。また、ひとりの人間、ひとつの民族の手から生まれ出た一大作品と呼んでもいいであろう。『イリアス』や、この建築の兄弟である『ロマンセロ』〔中世スペインの叙事詩、年代記などの集成〕と同じように、全体がまとまって、ひとつの複雑な統一を見せているのだ。
一時代のありとあらゆる人間が、めいめい出しまえを払いこんでつくりあげた素晴らしい作品であり、ひとつひとつの石には、芸術家的な霊感にきたえられた職人の幻想が、無数のやりかたであざやかに浮き出しているのが見える。ひとことで言えば、神の行なった天地創造と同じように、力強く豊かな人間の創造物であり、人間は神の創造物から多様性と永遠性という二重の性格を盗みとって、この大聖堂を作りあげたように思われるのだ。
ここでこの大聖堂の正面について言っていることは、大聖堂全体にも当てはまる。さらに、このパリ司教座聖堂について言うことは、中世のキリスト教の聖堂のすべてに当てはまるのである。自分自身を基盤として発展したこの芸術では、すべてが互いに関連していて、論理的で、よく釣り合いがとれている。足指の大きさを計ることは、とりもなおさず巨人の大きさを計ることになるのだ。
重々しく力強いノートルダムの姿に敬虔《けいけん》な気持で見とれるとき、この大聖堂の正面がいまなおどんなふうにわれわれの目に映るかということに話を戻そう。年代記作家たちは、「そのどっしりした姿で見る者に恐れをいだかせる」と言っているが。
昔あった三つの重要なものが、いまではこの正面から消え失せている。その第一は十一段あった階段で、この階段があったために、その昔、この聖堂の正面は地面よりも大分高いところにあったのだ。つぎは三つの玄関の壁龕《へきがん》にはめこまれていた下段の彫像の列。それから初期フランス王二十八人の彫像を並べた上段の列。これは二階の回廊を飾っていたもので、シルドベールからフィリップ=オーギュストまでの諸王が手に≪帝王球≫を持ってずらりと立っていた。
階段をなくしたのは≪時≫の力なのだ。|中の島《シテ》の地表がどうしようもない力でじりじりとせりあがってきて、とうとういまのようになってしまったのだ。
だが、≪時≫の力は、こうしたパリの舗道の上げ潮によって、大聖堂を高く立派に見せていた十一段の階段を一段また一段と地下にのみこませてしまいはしたが、その一方、おそらくこの大聖堂から奪いとった以上のものを、この聖堂にまた返しもしたのである。というのも、正面をくすんだ時代色でいちめんにおおい、建物の古めかしさをもとにして独特の美しさを作りあげたのも≪時≫だからだ。
だが、さっき言った二列の彫像は、誰がとりこわしてしまったのだろう? 誰が壁龕《へきがん》をからっぽにしてしまったのだろう? 誰が中央玄関のまんまん中に、あの新しい折衷《せっちゅう》式の尖頭《せんとう》アーチをつくったのだろう? 誰が、ビスコルネットのアラベスク装飾のそばに並べて、ルイ十五世時代の彫刻をした、味もそっけもない、ぶざまな木のドアをとりつけてしまいなどしたのだろう? 人間なのだ。つまり、その後の建築家や芸術家のしわざなのだ。
さて、建物の中にはいってみたとしよう。誰があの聖クリストフの巨像を倒してしまったのだろう? あの像こそは、裁判所の大広間が広間のうちですこぶる有名であり、ストラスブールの尖塔が鐘楼のうちでもよく知られているように、いろいろな彫像の中で世に知れわたったものだったのだが。
それに、本堂と内陣の柱間《はしらま》という柱間に置かれていた数えきれないほどのあの彫像、ひざまずいたもの、立ったもの、馬に乗ったもの、男、女、子ども、国王、司教、軍人、石像、大理石像、金像、銀像、銅像、いや蝋像までを乱暴にもとりはらってしまったのは、いったい誰なのだろう? これはけっして≪時≫のやった仕事ではないのだ。
また、いくつもの聖遺物箱や遺物箱をみごとにのせたゴチックふうの古い祭壇に代えて、ヴァル=ド=グラース陸軍病院かアンヴァリッドにでもちょうど向きそうな、場違いの、天使の顔と雲形を彫りつけた重苦しい大理石のお棺をすえつけたのは、いったい誰なのだろう? 誰がいったい、エルカンデュスの作ったカロリング朝時代の床《ゆか》に石をはめこむというばかげた時代錯誤をやってのけたのだろう? ルイ十三世のばかげた宿願をルイ十四世が成就してしまった、というわけではないだろうか?
また、大玄関の円花窓《えんかそう》と後陣の尖頭《せんとう》アーチとのあいだでわれわれの祖先が感嘆してながめいった「色あざやかな」ステンドグラスをはずして、冷やかな感じの透きガラスをはめたのは、いったい誰なのだろう? また近ごろの野蛮な大司教たちが大聖堂をみごとに黄色く塗りあげてしまったのを、十六世紀の聖歌隊長助手が見たら、なんと言うだろうか? 死刑執行人が≪監獄≫の建物を同じ色に塗りあげたのをきっと思い出すだろう。ブールボン元帥の反逆事件がもとで、プチ=ブールボン宮がこれもまた、べたべたと黄色く塗りたくられたことを思い出すだろう。「要するにこの黄色ははなはだ質がよく、またはなはだ評判のよいものであったから、一世紀以上たっても、まだ色があせなかった」と、ソーヴァルは言っている。きっとこの聖歌隊長助手は、聖堂が不名誉な場所になったのだと思って、逃げだしてしまうだろう。
さて、こうしたあらゆる種類の、数えきれないほどの破壊の跡を一応見すごして、大聖堂の上にのぼったとしよう。本堂と外陣との交点の上に立っていた、あの美しい小さな鐘楼《しょうろう》、隣のサント=シャペル礼拝堂の尖塔(これもまた、こわされてしまったが)に劣らず弱々しく、それでいてのびのびとし、すらりとした、鋭い、鐘の音のよく響く、透かし造りの姿をふたつの塔よりも高く空に突き出していた、あの鐘楼はどうなってしまったのだろう? ある趣味のよい建築家があっさりちょん切ってしまって(一七八七年のことだ)、その傷あとにまるで鍋のふたみたいな鉛の膏薬《こうやく》をべったりはりつけ、さて、これで傷口はかくせたと安心してしまったのだ。
ほとんどの国でそうだったのだが、ことにフランスで、中世の素晴らしい芸術が受けた扱いはざっとこんなぐあいだったのだ。こうした破壊の跡には三種類の原因による損傷を見わけることができるが、三つはそれぞれ異なった深さに達している。
まず第一は≪時≫だが、これは知らず知らずのうちにあちらこちらに欠け目をつくり、表面全体をさびさせてしまった。
第二は政治上や宗教上の革命だ。こうした革命は、もともと盲目的でおこりっぽいものだから、どっと襲いかかってきて、建物の立派な衣装ともいうべき木彫りや金彫りをうちこわしたり、円花窓を破ったり、首飾りにもたとえられる唐草模様や小彫像をうちこわしたり、やれ司教冠をつけているからとか、やれ王冠をつけているからとかいって因縁《いんねん》をつけ、たくさんの彫像をひったくっていってしまったのだ。
第三は、ますますグロテスクに、ばかばかしくなってきた≪流行≫だ。これは≪ルネサンス≫の混乱した、だが素晴らしい方向転換いらいつぎつぎと移り変わって、建築術をいやおうなしに堕落させてきたのだ。流行は革命よりももっと大きな害悪をおよぼした。流行は建築の急所に切りこんだ。芸術の骨組を攻めたてた。建築物の形式も、象徴も、論理も、美も、みんな切りきざみ、ばらばらにし、殺してしまった。こうめちゃくちゃにしておいてから、さて流行ははじめからやり直しにかかったのだ。こんな大それた抱負は、≪時≫の力も革命もけっして、もとうとしなかったものなのである。流行はずうずうしくも、≪よい趣味≫を看板にして、ゴチック建築の傷口にその日かぎりの情けない安ぴか物だの、大理石のリボン形飾りだの、金属のふさ飾りだのをはりつけたのだ。卵形飾り、渦形飾り、縁飾り、ひだ形飾り、花飾り、房へり飾り、石造の炎、青銅の雲形飾り、太っちょのキューピッド、ふくらんだケルビム天使、いやはやハンセン病やみを思わせるような見るもおぞましい装飾技法だ。この≪よい趣味≫はカトリーヌ・ド・メディシスの小聖堂で芸術の顔を食いはじめ、二世紀後にはデュ・バリ夫人〔ルイ十五世の愛妾〕の私室で、芸術を責めさいなみ、その顔をしかめさせて、ついに息をひきとらせてしまうのである。
つまり、いままで述べたことを簡単に申し上げれば、三種類の荒廃が今日のゴチック建築を醜いものにしているのだ。この建築の表皮にしわだの、いぼだのをつくったのは、≪時≫のしわざだし、この芸術に暴行だの蛮行だのを加えて打撲傷だの骨折だのをつくったのは、ルターからミラボーにいたるまでのいろいろな革命のやった仕事なのである。切断や切除や手足の脱臼《だっきゅう》、つまり≪修復≫は、ウィトルウィウス〔紀元前一世紀のローマの建築家〕やヴィニョーラ〔十六世紀のイタリアの建築家〕の流れをくむ先生がたのギリシア式か、ローマ式か、野蛮式かの作業の結果なのだ。ヴァンダル族が生み出した素晴らしい芸術をアカデミー派の先生がたが殺してしまったのである。世紀の流れやさまざまな革命は、破壊をおこなうにしても、少なくとも公平であり、偉大であった。だがそこへ認許され、組合員となり、宣誓をおこなった、いわゆる流派に属する建築家たちがわんさと押しよせてきて、悪趣味な分別でせっかくの芸術を台なしにし、ゴチックふうの透かし鉄細工をルイ十五世時代のキクジサ装飾に代え、パルテノン神殿の名声をいやがうえにも高めてしまったのだ。これこそ死にかけているライオンに加えられたロバの一撃だ。古いカシワの木がうら枯《が》れ、おまけに、毛虫の群れに刺されたり、かまれたり、ぼろぼろにされたりしているみたいなものだった。
ロベール・スナリスがパリのノートルダム大聖堂を、「古代の異教徒によってあれほどもてはやされ」エロストラトスの名を不朽なものにした、エペソスのあの有名なディアナの神殿〔エペソス人エロストラトスは紀元前四世紀ごろ、ディアナの神殿に火をつけて、自分の名を不朽なものにしようとしたと言われる〕と比較してこのゴールの大聖堂のほうが「奥ゆきも、間口も、高さも、構造もすぐれている」と言ったあの時代からなんと多くの年月が過ぎ去ったことだろう。
それに、パリのノートルダム大聖堂は、一定の建築様式にきちんとくり入れられるような建物ではけっしてないのだ。もうロマネスク式聖堂とも呼べないし、またゴチック式聖堂とも呼べないのだ。この建物はひとつの典型ではないのだ。パリのノートルダム大聖堂には、トゥールニュの修道院に見られるような、半円アーチを基本とする建物の重々しくどっしりした横幅や、丸い大きな天井や、冷やかでむきだしなたたずまいや、壮大な簡素さはまったく見あたらないのだ。また、ブールジュの大聖堂に見られるような、尖頭《せんとう》アーチ式建築の持ち味をなしているあの壮麗、軽快、変化、錯雑、林立、開花の趣きも認められない。この大聖堂を、暗くて、神秘的で、背が低くて、まるで半円アーチの重さに押しつぶされたように見える聖堂の、古い一族の中にくり入れることは不可能だ。この一族は、天井のほかはほとんどエジプトふうだ。すべてが神聖文字的で、聖職者的で、象徴的なのだ。装飾にはヒシ形やジグザグ模様が主として使われ、つぎに多いのが花模様、つぎが動物の模様、そのつぎが人の姿だ。要するに、建築家というよりむしろ司教がつくったもので、神政的で軍隊的な規律の跡がはっきり認められる芸術の初期の変態で、東ローマ帝国に根をおろし、ウィリアム征服王の時代に歩みをとめた建築なのだ。
が、そうかと言ってこの大聖堂を、高くて、軽快で、ステンドグラスや彫刻でみごとに飾られた、あのもうひとつの聖堂の一族、つまりゴチック建築の系列の中に数えあげることも不可能だ。ゴチック建築の特徴は、鋭いとがった形と大胆な構えをもつ点に認められる。政治的シンボルとしては共同体的、市民的であり、芸術作品としては自由で、気まぐれで、気ままだ。もはや神聖文字的でも、不変でも、聖職者的でもなく、芸術的で、進歩的で、民衆的な、建築の第二期の変態であり、この建築は十字軍の帰還にはじまり、ルイ十一世時代に終わっている。パリのノートルダム大聖堂は、はじめに述べたような純粋なロマネスク式建築に属するものでもないし、あとで述べたような純枠なアラビア式建築〔ここではゴチック式建築のこと〕に属するものでもないのだ。ノートルダム大聖堂は過渡的様式の建築なのだ。
サクソン人の建築家が本堂の最初の柱の群れを建て終えたとき、十字軍がもち帰った尖頭《せんとう》アーチがやってきて、半円アーチしか乗らないようにできていたあの大きな柱頭の上に、いばりくさっておさまってしまったのだ。尖頭アーチはそれいらい支配権を握り、聖堂の残りの部分はこのアーチにつり合うように建築されたのである。だが、はじめてのことで経験もなく、臆病でもあったので、尖頭アーチは末広がりになったり、横幅が広くなったりちぢこまってしまったりして、のちにたくさんの素晴らしい大聖堂でおこなわれたように、高々と上に伸び、先をとがらせたアーチとなって、そびえ立つだけの勇気はまだなかったのだ。隣近所の重々しいロマネスク式柱列に気兼ねでもしているみたいだった。
なおまた、こうしたロマネスク式からゴチック式への過渡的様式の建物は、研究の対象として、純粋に典型的な建物に劣らないほど貴重な価値をもっている。こうした建物が保存されているからこそ、旧芸術から新芸術へのおもむろな変化のさまが、はっきりとうかがわれるのである。半円アーチに尖頭《せんとう》アーチをつぎ木したとでも言える建物なのだ。
パリのノートルダム大聖堂はとくにこうした変化を物語る珍しい見本だ。この尊敬すべき建物のひとつひとつの面、ひとつひとつの石がフランス史の一ページを表現しているばかりでなく、学問や芸術の歴史の一ページを表現しているのだ。
たとえば、ここでは主だった細部を示すだけにしても、あの小さな≪赤門≫が十五世紀のゴチック芸術の精巧さの限りをつくした作品であるのに対して、本堂の柱のどっしりした重々しい感じには、はるか昔の建物、つまりあのサン=ジェルマン=デ=プレ=シャルルマーニュ会修道院の建築様式を思わせるものが認められるのである。本堂の柱が建てられたときから赤門が建てられたときまでには、六世紀の年月が流れたということは、見る者の目にはあきらかであろう。錬金術師たちまでが、大玄関の表わす象徴の中に、彼らの学問の申しぶんのない要約があると思ったのだ。錬金術といえばサン=ジャック=ド=ラ=ブーシュリ教会がその完全な象徴だったのだが。
つまり、ノートルダム大聖堂には、ロマネスク式修道院、錬金術式教会、ゴチック式芸術、サクソン式芸術、グレゴリウス七世〔十一世紀のローマ法王〕を思い出させるどっしりとした円柱、ニコラ・フラメルがルターに先だって唱えた錬金術的象徴主義、ローマ法王の統一性、教会分立、サン=ジェルマン=デ=プレ修道院の姿、サン=ジャック=ド=ラ=ブーシュリ教会の姿、こうしたありとあらゆる諸要素が溶かされ、化合され、混合されているのである。パリの古い教会の中心となり母体となったこの大聖堂は、一種の噴火獣のようなものだ。この教会の頭、あの教会の手足、また別の教会のしり、といったぐあいに、あらゆるもののいくらかずつを備えているのである。
繰り返して申し上げるが、こうした雑種建築も、芸術家や、好古家や、歴史家からみれば、けっこう興味があるのである。こうした建築を見ると、また、エジプトのピラミッドや、インドの塔のような巨大な遺物を見ると、建築術の最も偉大な成果というものは、個人個人がつくったというより、社会がつくったのだということがわかる。建築術がどの程度まで原始的なものであるかを悟らせてくれるのである。そうした建築は、天才の頭から生まれたものというより、むしろ、営々として働いた諸民族の努力の産物であり、民族が残した沈殿物であり、いくつもの世紀が積み重ねたものであり、人間社会がつぎつぎと発散させていったものの残りかすなのである。ひと言でいえば、さまざまな種類の生成物なのである。時代時代の潮の流れはそれぞれの沖積土を積みあげ、ひとつひとつの民族は彼らが作った記念建造物に自分の層を積み重ね、ひとりひとりの人間はそれぞれ自分の石を持ってくるのである。こんなふうにビーバーもやっているし、ミツバチもやっているし、人間もやっているのだ。建築術の偉大な象徴であるバベルの塔は、ミツバチの巣なのだ。
大きな建築物は、大きな山みたいなもので、何世紀もかかってできあがるものだ。建物がまだできあがっていないのに、つまり「工事が中止されている」あいだに、芸術が変わってしまうことがよくある。建築は、変化をとげた芸術に従って黙々とつづけられてゆく。新しい芸術は、古い芸術の手でつくられス建物を未完成のまま譲りうけ、自分の流儀で好きなように手を加え、それを自己に同化し、発展させ、できれば仕上げてしまう。そして、こうした改革は自然で静かな法則に従い、混乱も、努力も、反動もなしに、なしとげられる。つぎ木がつき、樹液が循環し、ふたたび生長がはじまるのだ。ひとつの建築物の上に、いくつもの高さに、いくつもの芸術がつぎつぎと継ぎ足されてゆくこの種の溶接作業を検討してみたならば、たしかに、とても大きな本を何冊も書いたり、ときには世界史を書きあげたりするだけの材料が見いだされるのだ。人間も、芸術家も、個人も、作者名のないこうした大建築物の中に溶けこんで消えてしまっている。人間の知能がここに要約され、集計されているのだ。要するに≪時≫は建築家であり、民衆は石工《いしく》なのだ。
オリエントの大きな石造建築物の妹分であるキリスト教ヨーロッパの建築だけをここでは見ることにしても、われわれにはこの建築がつぎつぎに積み重なった、継ぎ目のはっきりした三つの層に分けられる巨大な構成体であることがわかるのである。つまりロマネスク層、ゴチック層、ルネサンス層だ。最後の層を私はギリシア=ローマ層と呼びたいのだが。
いちばん古くていちばん深いロマネスク層は半円アーチがその基調をなしているが、その半円アーチは、後年ルネサンスという近代的な上部層に、ギリシアふうの円柱にささえられて、また現われたのである。尖頭《せんとう》アーチはいま述べた二つの層のあいだにある。この三つの層のどれかだけに属している建物はほかの層の建物とは完全に異なった、申しぶんのない典型をなしている。ジュミエージュの修道院、ランスの大聖堂、オルレアンのサント=クロワ大聖堂などはこうした建物である。だがこの三つの層は、太陽スペクトルの色のように、境目のところでまじりあったり、いっしょになったりすることが多い。
こんなわけで、複雑な建物が、様式間の橋渡しをつとめる過渡的様式の建物が生まれるのである。足はロマネスク式、胴はゴチック式で、頭はギリシア=ローマ式といった建物もあるが、これは建てるのに六百年もかかったからだ。だが、こんなに豊かな変化に富んだ建物はめったにない。エターンプ城の天守閣はその見本だ。だが、二つの層がまじりあった建物のほうはもっと数多く見いだされる。尖頭《せんとう》アーチ式建物であるパリのノートルダム大聖堂がそうである。尖頭アーチ式建物なのだが、普請のはじめに立てられた柱は、サン=ドニ礼拝堂の正面玄関やサン=ジェルマン=デ=プレ修道院の本堂とおなじように、ロマネスク式建築の時代に建てられたものなのである。ボシェルヴィル修道院の半ばゴチック式の美しい参事会広間もそうで、この建物はロマネスク層が体半分のところまできている。ルーワンの大聖堂もそうで、もし中央尖塔の頂をルネサンス層の中に浸していなければ、完全にゴチック式な建築物と呼んでもいいだろう。
ところで、こうしたおもむろな変化や差異はみな、ただ建物の表面だけに現われているにすぎない。芸術の表皮が変わっただけなのだ。キリスト教の教会の構造自体は変化をこうむることはなかったのである。内部の骨組も各部分の論理的構成も昔からずっと同じなのだ。大聖堂の彫刻や装飾をほどこした表皮がたとえどのように変化しようとも、一枚めくれば下には必ずローマふうのバジリカ会堂が認められる。どんな教会でもこうした会堂の萌芽《ほうが》や初歩的な要素は欠かしたことがないのだ。大聖堂という建物は、いつの世でも、同じ法則にしたがって地上に発展してゆく。二つの本堂が十字形に交わり、いちばん奥の端が半円形の後陣となって、そこに内陣ができる、という構造は、どんなことがあっても変わらないのだ。聖堂の中の行列や聖歌隊のために、側面遊歩場みたいな側廊が必ずあり、柱間《はしらま》によって本堂につながっている。
こうした配置はいつの世にも変わりがないのだが、礼拝堂だの、正面玄関だの、鐘楼だの、方尖塔だのの数は、時代や、民衆や、芸術の好みにしたがって限りなく変わってゆくのである。礼拝をおこなうのにさしつかえない程度にまで建てあげられたのちは、建築術が好きなようにすればいいのだ。彫像だの、ステンドグラスだの、円花窓だの、アラベスク模様だの、ぎざぎざ飾りだの、柱頭だの、浮彫りだのといった装飾類はみな、建築術がその建物に適した対数に従って組み合わせればいいのだ。こうしたわけで、この種の建物は、根底には秩序と統一がしっかり根づいているのに、外観のほうは驚くほど変化にとんでいるのである。木の幹は不変なのだが、枝葉が好きかってに伸びるのだ。
二 パリ鳥瞰《ちょうかん》
私はこれまで、パリのノートルダム大聖堂の昔の素晴らしい姿を、みなさんにお伝えしようと努めてきた。いまはもうなくなってしまったが、十五世紀ごろにはまだこの大聖堂が備えていた美しい眺めの数々を、おおよそながらお話ししてきた。だが、肝心なことがまだひとつ残っている。つまり、昔この大聖堂の塔の頂から見おろした当時のパリの眺めである。
鐘楼の厚い壁を垂直に貫いている暗いらせん階段の中を長いあいだ手さぐりでのぼっていったあげく、日の光と大気をいっぱいに浴びた二つの塔のどちらかの頂にいきなり出たとたん、目の前一面にぱっと広がる光景は、まさにみごとな一枚の絵であった。これは「他に比べようのない独得の」眺めなのだが、もしみなさんの中に無傷で、完全で、まじりけのないゴチックふうの都市というものを幸いにもごらんになったかたがあれば、たやすくこの眺めを頭に描くことがおできになるであろう。
そうした都市は、たとえばバイエルンのニュルンベルクや、スペインのビトリヤのように今でもまだいくつか残っているのである。あるいは、もっと小さくはなるが、昔のおもかげをよくとどめているものとして、ブルターニュのヴィトレやプロイセンのノルトハウゼンを挙げることもできよう。
今から三百五十年まえのパリ、つまり十五世紀のパリは、すでに巨大な一都市を形作っていた。われわれパリっ子は、その当時から今日までにパリがどのくらい大きくなったかについて、たいてい思い違いをしている。パリは、ルイ十一世の時代以来、三分の一とちょっとくらいしか大きくなっていないのだ。たしかなことは、大きくなった割に比べて、ずっと多くの美しさを失ってしまったということだ。
パリのはじまりは、ご承知のように、揺りかごの形をした、あの古い|中の島《シテ》である。この島の砂浜が最初の城壁であり、セーヌの流れが最初の堀であった。パリは数世紀のあいだ島であった。島の北と南にひとつずつ橋があり、城門でもあり城砦《じょうさい》でもある橋頭がふたつつくられていた。右岸にあるのがグラン=シャトレ、左岸にあるのがプチ=シャトレと呼ばれていた。やがて最初の王朝の時代に、パリは島の中ではどうにも窮屈でやりきれず、寝返りも打てなくなったので、流れを越えて外へはみ出した。こうして、グラン=シャトレを越え、プチ=シャトレを越えて、最初の城壁や塔がセーヌ川の両側の平野を侵しはじめたのである。
この古い城壁の跡が、前世紀にはまだいくらか見られたが、いまではその思い出と、ボーデ門とかボードワイエ門……≪ポルタ・バガウダ(野盗門)≫……とかの言い伝えがあちらこちらに残っているだけである。まちの中心から外側に向かって絶えまなく押しよせる家々の潮の流れは、少しずつこの城壁から溢れ出し、城壁を侵食し、すりへらし、とうとう消し去ってしまった。フィリップ=オーギュストはパリに新しい堤防を築いた。彼は太くて高くて堅固な塔の輪をつくって、その中にパリを閉じこめた。一世紀以上にわたって、家々はこの輪の中でひしめきあい、重なりあって、ちょうど貯水池の水がかさを増してゆくように、だんだん高くなっていった。家々はものすごい高さになりはじめた。階に階を重ね、家の上に家を重ね、横に広がるのを止められた樹木のように、上へ上へと伸びていった。まるで、われがちに隣の家々の上に頭を突き出して、ちょっとでも空気にありつこうとしているみたいなありさまだった。通りもだんだん谷底のようになり、狭くなっていった。広場もみな家で埋まって、なくなってしまった。とうとう家々はフィリップ=オーギュストの城壁をとび越え、まるで脱走者の群れのように、てんでんばらばらに、うれしそうに平野の中へ散っていった。逃げ出した家々は平野の中でゆうゆうとおちつき、野原の一部を区切って庭をつくり、ほっと息をつくのだった。一三六七年には、城外の町や村がもうひどく広がってしまったので、とくに右岸に、新しい城壁をつくらねばならなかった。シャルル五世がこれを築いた。
だがパリのような都市は果てしもなく成長するものである。一国の首都となるのは、こうしたたくましい都市だけなのだ。それは、一国のあらゆる地理的、政治的、道徳的、知的傾向や、一国民のあらゆる自然的傾向がそこに集中している、じょうごのようなものなのだ。商業、産業、知能、人口、一国民のあらゆる活力、あらゆる生命力、あらゆる魂が、一滴また一滴、世紀から世紀へ、絶えまなく滲《し》みとおって、たまってゆく、いわば文明の井戸、または文明の下水と呼んでもよろしかろう。
というわけで、シャルル五世のつくった城壁もフィリップ=オーギュストの城壁と同じ運命をたどった。十五世紀の末にはもう、家々は城壁をまたぎ越してしまい、城外町や村はさらに遠くまで広がっていた。十六世紀になると、シャルル五世の城壁はちょっとながめたところ、あとずさりして、だんだん旧市街の中へもぐりこんでゆくように見えた。外側の新市街の発育ぶりがそれほどたくましかったのである。こうして、背教者ユリアヌス帝〔四世紀のローマ皇帝〕の時代に、グラン=シャトレとプチ=シャトレの中に、いわば芽を出していた同心円の三重の城壁を、十五世紀には、いまも申し上げたように、パリはもう使い古してしまっていたのである。この力強い都市は、ちょうど育ちざかりの子どもが去年の着物を着破ってしまうみたいに、四つの城壁の帯をつぎつぎに引き裂いてしまったのである。
ルイ十一世の時代には、家々の大海のあちらこちらに、昔の城壁の崩れた塔の群れが頭を突き出しているのが見られたが、それは洪水のときに山々の峰が水面に突き出ているとも、また、新しいパリの下に沈んでいる古いパリが群島のように散らばっているとも呼べるような格好だった。
それからのちもわれわれの目には残念ながら、パリはさらに変わった。だが、その後パリが乗り越えた城壁はただひとつ、ルイ十五世が築いたものだけである。これは泥と唾《つば》でつくられた、まことにひどい代物《しろもの》で、つくった王にふさわしく、また、
|パリを囲む城壁は、パリが不平を鳴らす種《ル・ミュール・ミュラン・パリ・ラン・パリ・ミュルミュラン》
とうたった詩人にもふさわしいものであった。
十五世紀当時のパリは、はっきりと別々になった三つの区に分かれていて、それぞれが独自の外観や、特性や、風俗や、慣習や、特権や、歴史をもっていた。|中の島《シテ》と大学区《ユニヴェルシテ》と市街区《ヴィル》とである。
セーヌ川の|中の島《シテ》はいちばん古い部分で、いちばん狭く、他の二つの部分を生んだ母体なのだが、その二つの部分にはさまれたところは、こんなたとえを許していただければ、大きくなった美しい娘ふたりによりそわれた、背の低いおばあさんといった格好であった。
大学区《ユニヴェルシテ》は、セーヌ左岸のトゥールネル塔からネール塔までのあいだに広がっていた。いまのパリで言えば、酒市場から造幣局までの地帯である。大学区《ユニヴェルシテ》の城壁は、ユリアヌス帝がかつて浴場を建てたあの野原のほうへ相当大きく三日月形に突き出ていた。サント=ジュヌヴィエーヴの丘もこの城壁の内側になっていた。城壁が描く曲線のいちばん出っぱったところが法王門であったが、これはほぼ現在のパンテオンのある場所に当たる。
パリの三つの部分のうちでいちばん大きな市街区《ヴィル》は、セーヌの右岸を占めていた。川岸通りは、ところどころでとぎれたり、じゃまされたりしながらも、セーヌ川に沿ってビイ塔からボワ塔までつづいていた。つまり、いま公設穀物倉庫があるところからチュイルリ宮のあるところまでである。首都の城壁がセーヌの流れで断ち切られているこの四つの点、つまり左岸のトゥールネル塔とネール塔、右岸のビイ塔とボワ塔は、とくに≪パリの四塔≫と呼ばれていた。市街区《ヴィル》は、大学区より川筋からもっと遠くまでひろがっていた。市街区《ヴィル》を囲む城壁の弧線の頂点にサン=ドニ門とサン=マルタン門があったが、その位置は現在でも変わっていない。
さきほども申し上げたように、パリを大きく三つに分けたそれぞれの部分は、どれもがひとつの都市であったが、いずれもあまりに特殊であったため、一人《いちにん》まえの都市とはなれず、他の二つの部分の助けをかりないわけにはいかなかった。だから三つとも外観はまったく異なっていた。|中の島《シテ》には教会が、市街区《ヴィル》には宮殿が、大学区《ユニヴェルシテ》には学校がいやというほどあった。昔のパリのあまり重要でない変わったところとか、道路行政権のでたらめさかげんとかについては、ここでは触れないこととして、一般的な見地から、当時まだ混乱状態にあったパリの裁判管轄権をごく大づかみに分けてみれば、|中の島《シテ》は司教の、右岸はパリ市長の、左岸は大学総長の管轄下にあったのである。この三人の上に、市の役人ではなく、王の役人であるパリ奉行が立っていた。
|中の島《シテ》にはノートルダムがあり、市街区《ヴィル》にはルーヴル宮と市庁舎が、大学区《ユニヴェルシテ》にはソルボンヌがあった。市街区《ヴィル》には中央市場も、|中の島《シテ》にはパリ市立病院も、大学区《ユニヴェルシテ》にはプレ=オ=クレールの原もあった。学生が左岸で、たとえばプレ=オ=クレールで罪を犯すと、|中の島《シテ》の裁判所で裁判され、右岸にあるモンフォーコンの刑場で処刑された。だが、大学総長が、大学の勢力が優勢で、王権が弱いと見てとった場合には、こうした司法権に干渉することもあった。なにしろ、大学区で絞首刑になるのが学生の特権だったのだから。(もちろんいま言った学生の特権などよりもっと値うちのある特権もあったわけだが、ついでに申し上げると、こうした特権のほとんどは、反乱だの反抗だのによって、王から無理やりに奪いとったものなのである。こうした物ごとの歩みはずっと大昔からつづいているのだ。人民がひったくらなければ、王はその権益を手ばなさないのである。
忠節ということについて、正直にほんとうのことを語っている、古い憲章の一節がある。……「王に対する忠節は、ときどき反乱によって中断されたために、おおくの特権を人民にもたらした」)
十五世紀にはセーヌ川はパリの城壁内に五つの島を浮かべていた。一つはルーヴィエ島で、ここにはそのころは木が茂っていたが、いまは材木があるだけだ。それからヴァシュ島とノートルダム島。二つとも廃屋が一軒あるだけの無人島で、二つとも司教の領地であった(十七世紀にこのふたつの島は合わせてひとつにされ、その上に建物が建てられた。いまのサン=ルイ島である)。
最後に|中の島《シテ》と、その先にあったパスール・オ・ヴァシュという小島。この小島はその後ヌフ橋の土手の下に沈んでしまった。|中の島《シテ》には、当時、橋が五つかかっていた。三つは右岸にあった。石造のノートルダム橋とシャンジュ橋と、それに木造のムーニエ橋である。二つは、つまり石造のプチ橋と木造のサン=ミシェル橋は左岸にかかっていた。どの橋も、上に家が立ち並んでいた。
大学区《ユニヴェルシテ》には、フィリップ=オーギュストがつくった六つの城門があった。トゥールネル塔のほうからかぞえていくと、サン=ヴィクトル門、ボルデル門、法王門、サン=ジャック門、サン=ミシェル門、サン=ジェルマン門である。市街区《ヴィル》にも、シャルル五世がつくった城門が六つあった。ビイ塔のほうからかぞえてゆくと、サン=タントワーヌ門、タンプル門、サン=マルタン門、サン=ドニ門、モンマルトル門、サン=トノレ門の順になる。こうした城門はどれも堅固で、しかも美しかった。美しいことと堅固なことは、けっこう両立するのである。広くて深く、冬の増水期には勢いよく水の流れる堀が、パリをぐるりととりまく城壁のすそを洗っていた。この堀はセーヌ川の水をとりいれていたのである。夜になると、城門はしめられ、セーヌ川には市の両端のところで太い鉄の鎖が張り渡された。こうして、パリのまちは枕を高くして眠ることができたのである。
高みから見おろすと、|中の島《シテ》、大学区《ユニヴェルシテ》、市街区《ヴィル》の三つの区は、どれも、通りがごちゃごちゃと変てこにもつれ合って、こんがらがった編み物のように見えた。だがこの三つの部分が集まって一体をなしているのだということは、ひと目でわかった。平行した二本の長い通りが、途中で切れたり乱れたりせず、ほとんど一直線に走っているのがすぐ目に映る。この二本の通りは、セーヌの流れと直角に、南から北へ走り、三つの区のどれをも端から端まで貫いている。通りはこうして三つの区をつなぎあわせ、まぜあわせ、人びとを絶えず区から区へ行き来させ、行きかわせている。だから三つの区はパリというひとつの都市を形作っているのである。二本の通りのうちのひとつは、サン=ジャック門からサン=マルタン門まで走っていて、大学区《ユニヴェルシテ》ではサン=ジャック通りと呼ばれていたが、|中の島《シテ》ではジュイヴリ通りと名まえが変わり、市街区《ヴィル》ではサン=マルタン通りとまた名まえが変わった。この通りはセーヌ川を二度渡っているが、ここにかけられているのが、プチ橋とノートルダム橋である。もう一つの通りは、左岸ではアルプ通り、|中の島《シテ》ではバリユリ通り、右岸ではサン=ドニ通りと呼ばれ、セーヌ川の一方の分かれをサン=ミシェル橋で、もう一方をシャンジュ橋で渡って、大学区《ユニヴェルシテ》のサン=ミシェル門から市街区のサン=ドニ門までつづいていた。
ところで、いろいろの名で呼ばれながらも結局、じっさいは二本の通りがあるにすぎなかったのだが、しかしこの二本は、ほかの通りを生み出す母体となる通りであり、パリの二本の大動脈であった。パリの三つの区の血管ともいうべきあらゆる通りは、ここから流れ出たり、この二つの通りに注ぎこんだりしていたのだ。
パリの横幅を端から端まで貫く直径のような、全市共通の、このふたつの主要な通りとは別に、市街区《ヴィル》と大学区《ユニヴェルシテ》にはどちらにもそれぞれの大通りがあって、市区の長さの方向に、つまりセーヌの流れと平行して走り、二本の「大動脈をなす」あの大通りを直角に横切っていた。この大通りは、市街区《ヴィル》ではサン=タントワーヌ門からはじまってまっすぐにサン=トノレ門まで伸び、大学区《ユニヴェルシテ》ではサン=ヴィクトル門からサン=ジェルマン門まで走っていた。このふたつの大通りが、さきに申し上げた二本の通りと交差して骨組となり、それに、四方八方でびっしりとつながったパリの通りの迷路のような網細工がくっついていたのである。
なおまた、このごちゃごちゃとしてわけのわからない網目模様をよくよく目をこらしてながめてみると、ひとつは大学区《ユニヴェルシテ》の中へ、もうひとつは市街区《ヴィル》の中へ、先を広げたふたつの花束のように、広い通りのふたつの束がセーヌ川の橋々から城門に向かってしだいに広がっているのがわかった。
こうしたパリの構図は、今日でもまだいくらか残っている。
ところで、一四八二年というこの年に、ノートルダム大聖堂の塔の頂からながめたパリの全景は、どんな姿だったのだろうか? これからそれをお話ししてみよう。
息を切らせながら塔の頂《いただき》にのぼりついた人は、無数の屋根や、煙突や、通りや、橋や、広場や、尖塔や、鐘楼などがくり広げられるのを見て、まず目のくらむような思いをするに違いない。しきたりどおりに作られた切妻、とがった屋根、壁のかどにぶらさがっているように見える小塔、十一世紀時代の石造りの尖塔、十五世紀に建てられたスレート造りの方尖塔《オベリスク》、天守閣の丸い裸の塔、教会の装飾のついた四角な塔、大きいのや、小さいのや、どっしりしたのや、かろやかなのが一度にどっと目をとらえるのだ。
われわれの目はしばらくのあいだ、こういうこんがらかった迷宮の深みに沈みこんでしまう。そこには、その独創性なり、言い分なり、個性味なり、美しさなりをもたない建物は何ひとつなく、正面に色を塗って彫刻をし、木組を外に見せ、扁円の戸口をつけ、階ごとに前へせり出している、ごく小さな家から、そのころは塔が柱廊のように並んでいたルーヴル宮にいたるまで、芸術の手から生まれていないものはひとつもなかった。
だが、やがて目が雑然と並ぶこうした建物に慣れてくると、つぎのような、建築物のおもな群れが見わけられるようになる。
まず|中の島《シテ》だ。ソーヴァルによれば、……彼は駄文ばかり書く男だが、たまにはこういう名文も書くのだ……「|中の島《シテ》は、セーヌのまん中で泥の中に突っこみ、流れの途中で座礁した大きな船といった格好をしている」
さきほど申し上げたように、十五世紀には、この船は五つの橋によって川の両岸につながれていた。この船の形は紋章学者たちにもヒントを与えたのであった。というのも、ファヴァン〔十六〜十七世紀の歴史家〕やパキエ〔十六〜十七世紀の法学者〕の説によれば、パリの古い紋章に船が描かれていたのは、ここからきていたのであって、ノルマン人のパリ包囲攻撃に由来するものではなかったのである。解読できる者にとっては、紋章学は代数学であり、ひとつの言語である。中世後半の歴史全体は紋章学に書かれている。ちょうど中世前半の歴史がロマネスク式教会の象徴主義に示されているように。神政政治の象形文字のあとに、封建制度の象形文字が現われたと言ってもさしつかえないであろう。
というわけで、|中の島《シテ》がまず船尾を東に、船首を西にして目に映る。船首の方を向くと、目の前に無数の古い屋根屋根が羊の群れのようにひしめきあい、その上に、サント=シャペル礼拝堂の鉛ぶきの後陣が、ちょうど塔をのせた象のしりのような丸い大きな姿を浮かばせている。ただ、ここから見ると、サント=シャペルの塔は、これまでその透かし鉄細工の円錐体から青空をすかして見せているさまざまな尖塔のうちでも、いちばん大胆奔放な、いちばん手のこんだ、いちばん細工のこまかい、いちばん輪郭のデリケートなものに見える。すぐそばの、ノートルダム大聖堂のまん前では、三つの通りが前庭に流れこんでいたが、この前庭は古い家々に囲まれた美しい広場だった。この広場の南側には、パリ市立病院のしわだらけな無愛想な正面が、≪おでき≫や≪いぼ≫がいっぱいできたみたいな屋根を乗っけて、前のめりにつっ立っていた。
さてそれから、右にも左にも、東にも西にも、中の島というこの狭くるしい地区の中に、サン=ドニ=デュ=パ礼拝堂、いわゆる≪グラウキヌスの牢獄≫の背の低い、虫の食った、ロマネスク式の鐘楼から、サン=ピエール=オ=ブー教会や、サン=ランドリ礼拝堂のほっそりした鐘楼にいたるまでの、あらゆる時代、あらゆる様式、あらゆる大きさの二十一の礼拝堂や教会の鐘楼が、ところ狭しとひしめきあっていた。
ノートルダム大聖堂の北側のうしろには、ゴチック式回廊のある修道院がのび、南側には、半ばロマネスク様式の司教館があった。東側は川の中に突き出た三角形のあき地で、テランと呼ばれていた。こうしてぎっしり詰めこまれた家々の中に、シャルル六世の時代にパリ市がジュヴェナル・デ・ジュルサン〔十四〜十五世紀のパリ市長〕に贈った邸宅がなお目についた。この屋敷の屋根の上にあった、透かしのある石造の高い煙突覆いの列が、当時は大邸宅のいちばん高い窓の列よりも一段と高く上に突き出ていたからである。
それから少しばかり先には、パリュス市場のタール塗りのバラック。それに、一四五八年に継ぎ足されてフェーヴ通りの一端に突き出してしまったサン=ジェルマン=ル=ヴィユ礼拝堂の新しい後陣。それから、あちらこちらに、人でいっぱいの四つ辻。通りの片隅に立っているさらし台。フィリップ=オーギュストがつくらせた立派な舗道の一部……これは、馬がすべらないようにと、道路のまん中に縞《しま》のように敷かれた素晴らしい石だたみだったが、あいにくなことには、十六世紀になって≪旧教連盟の舗道≫といわれた情けないじゃり道にとりかえられてしまった……。さらに人けのない裏庭には、十五世紀のころよくはやった、階段のついた透きとおった感じの小塔……こうしたたぐいの塔のひとつは、現在なおプールドネ通りに残っている……。またさらに島の西側をのぞむと、サント=シャペル礼拝堂の右手には、裁判所が水ぎわから一群の塔をそびえ立たせていた。|中の島《シテ》の西端を占めている王室庭園の森は、うっそうと茂っているので、パスール島はこれに隠れて見えない。ノートルダム大聖堂の塔の上からは、|中の島《シテ》の両側のセーヌの流れはほとんど見えなかった。流れは橋の下に隠れ、橋は家々の下に隠れてしまっていた。
橋の上の家々は、まだそう古くもないのに、川からたちのぼる湿気でカビがはえて、屋根が緑がかってみえる。目がそこを通り越して、左手の大学区《ユニヴェルシテ》のほうに向かうと、まず視線にぶつかるのは、太くて低い塔の群れだ。これがプチ=シャトレで、この城砦の大きく開いた玄関口は、プチ橋のたもとをのみこんでいるように見える。それからさらに、東から西へ、つまりトゥールネル塔からネール塔の方へ視線を走らせると、目に映るのは、梁《はり》に彫刻をし、窓に色ガラスをはめこんだ家々の長い長いつらなりだ。二階三階と、だんだんに舗道の上へせり出している家々の町家ふうの切妻が描くジグザグな線が、果てしもなくつづいている。だが、この線も横の通りのあるところでたびたびとぎれているし、またところどころで、石造の大邸宅の正面やかどに妨げられて、とだえている。
こうした大邸宅は、大勢の土百姓の上に君臨する大領主のように、ぎっしりと建てこんだ平民どもの家々のあいだに、中庭、庭園、翼室、本館をちゃんとそろえて、ゆうゆうとふんぞりかえっていたのである。川岸通りには、トゥールネル塔の隣の広い敷地をベルナール校と共用していたロレーヌ邸からはじまってネール邸にいたるまで、こうした大邸宅が五つか六つあった。ネール邸の主塔はパリ市の境界をなしていたし、この塔の屋根はとがっていたので、一年のうち三カ月のあいだというものは、緋色《ひいろ》に沈んでゆく夕日が、黒い三角形の屋根に三日月形に切りこまれて見えるのだった。
なおセーヌの左岸は、右岸に比べると商業的な区域ではない。職人よりも学生連中の声や姿でにぎわっていた。そしてほんとうの意味で川岸通りと呼べるのは、サン=ミシェル橋からネール塔までのあいだだけであった。川べりの他の部分は、ベルナール校の向こう側にのびているような、ただの砂浜のままか、ふたつの橋のあいだの岸に見かけられるような、水の中に土台を浸した家々が、ごちゃごちゃと建てこんでいるばかりなのである。川べりからは洗濯女たちのかしましい声が聞こえてきた。水際で、朝から晩まで、叫んだり、しゃべったり、うたったりしながら、洗濯物をパタパタ叩くのだ。今日《こんにち》とまったく同じである。だがこれも、パリに欠かせない陽気な風景のひとつなのだ。
大学区《ユニヴェルシテ》は、見た目にもはっきりとした一ブロックをなしていた。端から端まで同じような形の家がぎっしりと詰まっているのだ。びっしり寄り集まった、角々《かどかど》だらけの、たがいにぴったりくっつきあっている、無数の屋根の群れは、ほとんど全部が、同じ幾何学的要素から成り立っていて、高いところから見ると、まるで同じ物質が結晶でもしてしまったように見える。谷間のような通りが何本も気ままにまちを切って走っているが、家々の建てこんだこの区画が、そのために、でたらめの大きさに区切られてしまっているわけではない。四十二の学校が、かなりまんべんなくそこここに散らばっていて、区内のどこをみても学校が目に映る。学校の立派な建物のいろいろと変わったおもしろい屋根も、まわりにあるそれよりも低い、普通の屋根と同じ様式でできていて、要するに、同じ幾何学的図形を平面的に、あるいは立体的に大きくしたものにすぎなかった。だから、こうした建物で、全体の眺めは複雑になりながら乱雑にはならず、完全なものになりながら重苦しくはなっていなかった。幾何というものはもともと調和の上に成り立っているのだ。
また、いくつかの立派な大邸宅が、左岸の絵のような屋根裏部屋の群れの上のあちらこちらに、堂々とした姿を一段と高くきわだたせていた。ヌヴェール邸、ローム邸、ランス邸などだが、こうした邸宅は今日ではもう姿を消し去っている。それからクリュニ邸だが、これはいまも生き残っていて美術家を慰めているが、五、六年まえに塔の上部はとり除かれてしまった。
まったくばかなまねをしたものだ。クリュニ邸のそばに見える、美しい半円アーチのついたあのローマふうの建物は、ユリアヌス帝の浴場だったのだ。また邸宅よりもっと敬虔な美しさと重々しい大きさを備え、しかも美しさや大きさそのものではけっして邸宅にひけをとらない修道院の建物がたくさんあった。
まず目についたのは、鐘楼が三つあるベルナール会修道院。つぎにサント=ジュヌヴィエーヴ修道院。これは四角な塔がいまも残っていて、なくなった部分を惜しませるよすがとなっている。それから半ば学校で半ば修道院だったソルボンヌ。これは、素晴らしくみごとな身廊がいまも見られる。それからマチュラン修道院の美しい四角な建物。そのとなりにはサン=ブノワ修道院。この修道院の塀の中で、本書の第七版が出てから第八版が出るまでのあいだのことだが、にわか作りの芝居が上演されたことがあった。それから、大きな切妻《きりづま》を三つ並べた聖フランチェスコ会修道院。つぎにアウグスチノ会修道院。この修道院の優雅な尖頭鐘楼《せんとうしょうろう》は、パリのこちらの側では、西のほうからかぞえて、ネール塔につづいて二番めに、鋸《のこぎり》の歯のようなぐあいにそびえている塔なのである。学校というものは、そういえば、修道院生活と世俗社会を結びつける輪なのだが、建築のぐあいからみても、やはり大邸宅と修道院との合《あい》の子のような姿を見せていた。つまり、きびしいなかにもやさしさが漂い、大邸宅のものほど軽薄でない彫刻、修道院ほどには堅苦しくない建築物といったところだった。
残念ながら、こうした学校の建物はほとんど残っていない。学校建築には、ゴチック芸術が豊麗な邸宅建築と簡素な修道院建築とを五分五分につきまぜたありさまが認められたのだが。教会の群れは(大学区《ユニヴェルシテ》には教会がたくさんあって、どれもみごとであった。また、そこにはサン=ジュリヤン教会の半円アーチからサン=セヴラン教会の尖頭《せんとう》アーチにいたるまでの、あらゆる時代の建築様式がひとつ残らずそろっていた)、あたりの建物に君臨していた。そして全体の大きな調和に、もうひとつの調和をつけ加えようとでもしているみたいに、大空にくっきりと切りこんだ尖塔や、吹きぬきの鐘楼や、ほっそりした尖頭鐘楼の切妻の群れが描くぎざぎざを、つぎつぎと空に突き出していた。だがこうしたぎざぎざな線も、普通の家々のとがった屋根の線を素晴らしく誇張したものにすぎなかったのだ。
大学区《ユニヴェルシテ》は起伏に富んでいた。サント=ジュヌヴィエーヴの丘が南東部に巨大なこぶのようにもりあがっていた。ほうぼうを走っている、狭い曲がりくねったたくさんの通り(今日の「ラテン区」)や、家々の塊りも、ノートルダム大聖堂の頂から見ると、なかなかおもしろい眺めだった。家々の群れは丘の上からあらゆる方向に散らばり、てんでんばらばらなありさまで、ほとんど垂直に水際までつづいている。ころげ落ちそうに見えるのもあり、もう一度よじのぼろうとしているように見えるのもある。どれもこれも上のものにしがみついて、落っこちまいとしているみたいだ。無数の黒い点々のたえまない流れが舗道の上で交差し、あたりのものがみなうごいているように見える。こんな遠くの高いところから見ると、通行人たちはこんなぐあいに見えるのである。
さて最後に、大学区《ユニヴェルシテ》のはずれに、折れたり、よじれたり、ぎざぎざな姿を見せたりして気まぐれな線を描いてつらなる無数の屋根や尖頭《せんとう》鐘楼や高低さまざまな大邸宅の合い間合い間に、コケのはえた大きな壁面や、太くて丸い塔や、城砦らしく銃眼をつけた市の城門がちらりちらりと目に映る。これこそフィリップ=オーギュストのつくった城壁なのだ。この城壁の外には緑の牧場がひらけ、牧場を横切って道路がほうぼうへ走っていた。道路ぞいに城外町の家並みがまだいくらかつづいていたが、家は遠ざかるにつれて、しだいにまばらになっていた。こうした城外町や村の中には重要なものもいくつかあった。トゥールネル塔のほうから挙げてゆくと、まずサン=ヴィクトル町。ここには、ビエーヴル川をひとまたぎで越えている橋や、ルイ・ル・グロ王の碑銘のある修道院や、それに、十一世紀の小尖塔を四つまわりにつけた八角の尖頭鐘楼(同じようなのがエターンプの町にもあって、このほうはまだこわされていない)のある教会があった。
つぎにサン=マルソー町。ここにはこの当時もう教会が三つと修道院がひとつあった。それから、ゴブラン織り場の水車と四つの白壁を左手に見て行くと、サン=ジャック町。ここには、彫刻をした美しい十字架が四つ辻に立っていたし、このころはゴチック式の建物で、空に突きたった美しい姿をみせていたサン=ジャック・デュ・オ=パ教会や、ナポレオンがまぐさ置き場に使った十四世紀のみごとな身廊のあるサン=マグロワール教会(帝政時代には、教会は倉庫のような役目も果たしていた)や、ビザンツふうのモザイクで飾られたノートルダム=デ=シャン教会などがあった。
さらに、野原のまん中に建っているシャルトルー会修道院……これはパリ裁判所と同じ時代にできた立派な建物で、小さく仕切られた庭がたくさんついていた……と、人びとがこわがってよりつかなかったヴォーヴェール城の廃墟(ごろつきどもの巣窟となっていたといわれる)をすぎると、西のほうで、サン=ジェルマン=デ=プレ修道院の三つのロマネスク式|尖頭《せんとう》鐘楼が見えてくる。サン=ジェルマンは当時すでに大きな町で、町のうしろには十五本か二十本の通りが走っていた。サン=シュルピス教会のとがった鐘楼は、この町の一隅にそびえ立っていた。そのすぐそばにはサン=ジェルマンの市場の四角な囲いが見えたが、現在|市《いち》がたつのもやはりここなのである。
それから、修院長のさらし台。これは鉛のとんがり帽子を行儀よくかぶった、きれいな、可愛い円塔だった。瓦焼場《チュイルリ》はもっと遠くのほうにあった。それから、フール通りが、領主の|パン焼きかまど《フール・バナール》〔中世では、パン焼きかまどは領主のもので、領民はすべて使用料を払ってこれを使用させてもらっていた〕まで通じていて、小高い丘の上には風車が見え、ぽつんと一軒建っているハンセン病病院がかすかに目に映った。
だが、この地域で何よりも強く目をひき、長く目をとどめさせるのは、サン=ジェルマン=デ=プレ修道院そのものだった。教会としても領主館としても堂々とした外観をそなえていたこの修道院、パリ司教がひと晩とめてもらうのを光栄と思っていたこの修院長館、建築技師が大聖堂を思わせる雰囲気をつくりあげ、美しく飾り、素晴らしい円花窓《えんかそう》をはめこんだ大食堂、優雅な聖母礼拝堂、広壮な共同寝室、広々とした庭園、落とし格子《ごうし》、はね橋、まわりの牧場の緑に刻み目をつけて見せる銃眼の帯、金色の祭服の群れに武人の姿が入りまじって輝いている中庭、すべては、ゴチック式後陣の上にどっしりと建てられた半円アーチのついた三本の高い尖塔を中心に寄り集まっている。この大修道院はこうした堂々たる雄姿を地平にそびえ立たせていたのである。
さて、こうして長いあいだ大学区《ユニヴェルシテ》のほうをごらんになってから、こんどはセーヌ右岸へ、つまり市街区《ヴィル》のほうへ目をお向けになったとしよう。眺めはがらりと変わってしまうのだ。市街区《ヴィル》は、事実、大学区《ユニヴェルシテ》よりも遥かに大きかったが、ひとつの都市としてのまとまりにはいっそう欠けていた。ここは、ひと目見ただけで、奇妙にはっきりと異なったいくつかの部分に分かれていることがわかった。
まず東のほうの、昔カミュロジェーヌ〔ゴールの隊長〕がカエサルの軍を立ち往生させた沼地《マレ》にちなんで、いまもなおマレ地区と呼ばれている部分だが、ここには宮殿や大邸宅がひしめき合ってそびえていた。こうした建物の塊りはセーヌ川の岸辺までのびていた。ジューイ、サーンス、バルボー、女王邸の四邸宅はほとんどくっつきあっていて、すらりとのびた小塔がところどころに立っているスレート屋根の群れをセーヌの水に映していた。
この四つの大邸宅は、ノナンディエール通りから、尖頭《せんとう》鐘楼が切妻や銃眼の輪郭をしとやかに空に浮かばせているセレスチン会修道院までの地域を、いっぱいに埋めていた。こうした豪華な邸宅の前に、青ゴケのはえたぼろ家が五、六軒、川岸に突き出て立っていたが、べつに目ざわりにはならなかった。そんなものには妨げられずに、館《やかた》の美しい正面や、十字形の石枠《いしわく》をつけられた四角い大きな窓や、彫像をいっぱいに飾った尖頭《せんとう》アーチ形の玄関や、どの部分をみてもあざやかな形につくられている、壁の鋭いかどや、そのほか、ゴチック芸術が絶えず新しい工夫をこらしてでもいるように感じさせる、建築の思いがけない美しさを、ひとつ残らず楽しむことができたのである。こうした宮殿や大邸宅のうしろには、あの驚くべきサン=ポール宮〔シャルル五世が生涯の大半を過ごした広大な王宮〕のとてつもなく大きな、さまざまな形をした塀が、あるところでは城砦のように分岐していたり、柵をそえられたり、銃眼をつけられたり、またあるところではシャルトルー会修道院みたいに大きな木々で覆われたりして、四方八方にのびていた。
このサン=ポール宮は、フランス国王が王太子なみ、もしくはブールゴーニュ公なみの位をもった二十二人の王侯たちと、その召使いや、おつきの者ども全部を堂々と宿泊させるに足りるだけの広さを備えていた。一般の大諸侯をもてなすことなどぞうさないことだったし、神聖ローマ皇帝がパリ見物にやってきたときの宿泊にも間にあったのだ。ライオンまで、この王館の中に、別棟になった屋敷をもっていた。
ここでおことわりしておくが、当時の王侯の住居はどんな小さなものでも、謁見《えっけん》用の大広間から祈祷室におよぶまでの大きな部屋を、十一は備えていた。もちろん、その中には回廊だの、浴室だの、発汗室だの、そのほか普通の住居にはみなついている≪余分な場所≫だのは含まれていない。また、国王の客のひとりひとりに当てられる、たくさんの庭園も含まれていない。このほかに料理場、酒倉、配膳室、大食堂があったことはいうまでもない。それにパン焼き場から御酒所《みきどころ》まで二十二の一般の仕事場があった付属の建物。ペルメル遊戯だの、テニスだの、バーグ遊戯だのといったさまざまな遊びの施設。鳥類飼育場や、養魚場や、家畜小屋や、馬小屋や、牛小屋。図書館や、兵器庫や、溶鉱場。これが当時の王宮であり、ルーヴル宮であり、サン=ポール宮なのであった。まさに都市の中の都市である。
われわれがいま立っているノートルダムの塔の上から見ると、サン=ポール宮は、さきほど申し上げた四つの大きな邸宅の陰になって、半分ほど姿を隠している。それでも、なおたいへんな大きさで、見る目を驚かせた。シャルル五世がサン=ポール宮の本館にステンドグラスと小列柱で飾った長い回廊でつなぎ合わせた三つの建物は、うまくつないではあったが、やはり昔は離ればなれの建物であったということがよくわかった。
まずプチ=ミュス邸だが、これは透かし細工の手すりで、屋根のまわりを上品にふちどられていた。つぎに、サン=モール会修院長館は、まるで城砦のような格好で、太い塔や、狭間《はざま》や、銃眼や、鉄の側面|堡塁《ほうるい》があって、はね橋をあげさげするための壁面の二本のみぞのあいだにあるサクソンふうの大きな門の上に、修院長の小さな盾形紋章がついていた。
つぎのエターンプ伯邸は、天守閣の頂がこわれて丸くなり、ニワトリのとさかみたいにぎざぎざがついていた。屋敷内のあちこちに三、四本ずつ集まって生え、巨大なカリフラワーみたいに葉を重ね合わせているカシワの老木。養魚池の光と影のひだもようを織りなす澄んだ水の上で、ときどきバタバタッと羽ばたきをする白鳥の群れ。絵のように美しい端々が目に映るたくさんの中庭。ロマネスクふうの短い柱の上に低い尖頭《せんとう》アーチを乗せ、鉄の落とし格子をはめこんだライオン屋敷。そこからひっきりなしに聞こえてくるライオンの吠え声。こうしたものの上をずっと通りすぎて、その向こうに目をやると、アヴェ=マリア会女子修道院のうろこのような屋根の尖塔。左手に、みごとな透かし細工のある塔を四隅につけたパリ奉行邸。まん中の奥のほうには、サン=ポール宮の本館。この本館はいくつもの正面をもち、シャルル五世の時代以来、つぎつぎと装飾をつけ加えられ、二百年ものあいだ建築家たちの気まぐれな手で、それからそれへとくっつけられてきた、ちぐはぐな、おできのような細工でふくれあがっていた。それに、屋敷内にいくつもある礼拝堂の後陣も、回廊のたくさんの切妻も、かぞえきれないほどの風見も、並んで立った二本の高い塔も、すっかり見えた。塔は、円錐形の屋根のすそを銃眼でとりまかれていて、ちょうど、とんがり帽子の縁をめくりあげてかぶっているみたいだった。
こうした大邸宅の群れは、目路《めじ》はるかなところまで、階段講堂のようにいくつもの段々をなしてのびているが、この段々をどこまでも目で追ってゆき、市街区《ヴィル》の屋根屋根のあいだにできている深いくぼ道……これがサン=タントワーヌ通りに当たっていた……を越えると、あくまで主要な建物だけを挙げることとして、アングーレーム邸が見えてくる。
この屋敷はいく時代もかかってつくりあげられた広大な建物で、建物の一部には、つい最近加えられた、よごれていないところも見受けられた。そして、そうした部分は、どうしても全体の調子となじまず、ちょうど青い胴着に赤いつぎを当てたようなちぐはぐな感じを与えた。新館の屋根は並はずれて鋭く、高く、細工をほどこした樋《とい》の縁《へり》をにょきにょきと突き出し、屋根をおおっている鉛板の上いちめんには、きらきら光る金色の銅の象眼細工《ぞうがんざいく》で、奇妙な唐草模様が無数に描かれていた。へんてこな象眼細工をされたこの屋根は、古い建物の褐色の廃墟のただ中から、品のよい姿を空に向かって突き出していた。旧館の古い太い塔は、長年のあいだ雨風にさらされて、まるで酒樽《さかだる》のようにふくれあがり、よる年波にぐんにゃりとのびきってしまったように見える。おまけにてっぺんから下まで破れ目がいくつもできているので、太鼓腹のおやじが服のボタンをはずしでもしたように思われた。
アングーレーム邸のうしろには、トゥールネル宮の尖頭《せんとう》鐘楼の群れが林立していた。こんな魔術のような、夢のような、幻惑的な眺めは、世界じゅうどこにも、たとえシャンボール〔ロワール川中流の村。壮麗な塔の林立する城がある〕にだって、アルハンブラ〔モール人がスペインのグラナダに建てた壮麗な王宮〕にだって、なかったであろう。尖塔、小尖塔、煙突、風見、らせん階段、回り梯子、きりで突つかれたみたいに小穴がいっぱいあいて透けてみえる頂塔、別棟、つむ形の小塔、つまり、当時のことばで言えば櫓《やぐら》など、形も、高さも、構えも、それぞれみな異なったものが無数に集まって、まるで大樹林のような光景を見せていたのである。駒をいっぱいならべた巨大な石の将棋盤ともいえそうな格好だった。
トゥールネル宮の右手に見える、インキのようにまっ黒な、あの巨大な塔の群れ。塔はおたがいに入り組みあっていて、まわりの堀で、いわば、ひとからげにされている。天主塔には窓より銃眼のほうがたくさんある。はね橋はいつもあがったままで、落とし格子はいつもおりたままだ。あれがバスチーユ〔十四世紀に城砦として建てられたが、ほどなく牢獄となった〕なのだ。銃眼と銃眼のあいだに黒いくちばしみたいに突き出ているものは、遠くからは樋《とい》のようにも見えようが、実は大砲なのである。
大砲の弾道の下に当たる、恐ろしいバスチーユの建物の足もとに、サン=タントワーヌ門が、ふたつの塔のあいだに隠れるようにしているのが見える。
トゥールネル宮の向こうは、シャルル五世の城壁までずっと、耕地や王室牧場のビロードの敷物のような緑がつづいていて、ところどころに野菜や草花のみごとな畑があった。そしてそのちょうどまん中に、ルイ十一世がコワチエに与えた有名なデダリュス園のあるのが、木々や小道が迷路のように入り組んだようすで見分けられた。コワチエ博士の天体観測所は、まわりの迷路を見おろして、太い一本柱みたいに、にょっきりと突っ立ち、柱頭の代わりに小屋をてっぺんに乗っけていた。この研究室で恐ろしい占星学ができあがったのである。
この場所は現在のプラス・ロワイヤルに当たる。
ごくおもだった点に触れただけではあったが、とにかくそのあらましのようすをみなさんにお伝えしようと努めてきた、宮殿や大邸宅の集まっているこの区域は、いまも申し上げたように、東のほうでシャルル五世の城壁がセーヌの流れとまじわってできた角《かど》の部分一帯を占めていた。市街区《ヴィル》の中心部は一般の人びとの家々でぎっしり詰まっていた。事実、この中心部こそは、|中の島《シテ》の右岸にかかっていた三つの橋が、セーヌ右岸に通行人の流れを吐き出すところで、|中の島《シテ》からやってきた通行人は王宮地区に出るまえに、どうしてもこういった住民地区の前を通らなければならなかったのである。ハチの巣の中の小穴みたいに、すきまもなくびっしりとひしめきあって立っていた町家の群れにも、それなりの美しさがあった。首都となるような大都会では、家々の屋根が大海の波のようにひろがって、一大偉観をくりひろげるものである。
まず、たくさんの通りが、交差したり、もつれ合ったりして、この区域に無数のおもしろい模様を描いていた。中央市場のまわりは、数かぎりもない光線を放射している星みたいだった。サン=ドニ通りとサン=マルタン通りは、たがいに枝葉をからみ合わせる二本の大木のように、かぞえきれないほどの枝道を出しながら、競い合うようにして北へ北へと伸びていた。そこへ、プラートルリ通りや、ヴェルリ通りや、チクスランドリ通りなどの曲がりくねった線がうねうねと重なっていた。しかし、家々の切妻が、動きを止めた海の波のようにうねうねと起伏しているこの市街区《ヴィル》にも、この家並を貫いてひときわ高くそびえ立っているみごとな建物の姿もいくつか認められるのだ。
まず、シャンジュ橋……この橋の向こうに、セーヌ川がムーニエ橋の水車で白く泡立っているのが見えた……のたもとに立っていたシャトレ城砦だ。この城砦は十五世紀当時には背教者ユリアヌス帝の時代のローマ式な塔ではなくなり、十三世紀の封建時代の塔につくりかえられていて、つるはしで三時間叩きつづけても、げんこつほどのかけらも落とせまいと思われるような堅い石でできていた。つぎは、サン=ジャック=ド=ラ=ブーシュリ教会の角《かく》ばったみごとな鐘楼だ。この鐘楼は十五世紀にはまだできあがっていなかったのだが、彫刻で四つのかどがすっかり丸味をおびて、もうすでに素晴らしいものになっていた。そのころまだできていなかった部分としては、とくにあの四つの怪物像があるが、これはいまでも鐘楼の屋根の四隅《よすみ》にすわって、新しいパリに古いパリのなぞを問いかけている四つのスフィンクス、とでも言えそうな顔つきを見せている。
彫刻家のローがこの群像を刻んで屋根にすえつけたのは、はるか後年、つまり一五二六年のことだが、この男は謝礼として、ただの二十フランしかもらえなかった。つぎは、あのグレーヴ広場に面して立っていた≪|柱の家《メゾン・オ・ピリエ》≫。この建物については、さきにもう、いくらかお話しした。それから、≪|良き趣味の《ド・ボン・グー》≫玄関がつくられたために、すっかりおもむきをなくしてしまったサン=ジェルヴェ教会。まだほとんど半円アーチに近い旧式の尖頭《せんとう》アーチをもったサン=メリ教会。素晴らしい尖頭鐘楼で世間によく知られていたサン=ジャン教会。そのほか、暗くて狭くて底知れない無数の通りのもつれ合った網目の中にみごとな姿を惜しげもなく埋没させている歴史的な建物が、かぞえきれないほどあった。
さらにまた、四つ辻四つ辻に絞首台よりもふんだんに見られた、彫刻のある石の十字架。遥かかなたに家々の屋根の波を見おろして、何かの建築物かと思われるような塀を見せていたサン=ジノサン墓地。コソヌリ通りの二本の煙突のあいだから、てっぺんをのぞかせていた中央市場のさらし台。いつもそこの四つ辻には黒山のように人がたかっていた、クロワ=デュ=トラオワールのさらし台の階段。穀物市場の輪形に並んだあばら家の群れ。家々の波にのまれながら、あちらこちらでそれと見わけられた、フィリップ=オーギュストの古い城壁の断片。城壁の塔はキヅタにむしばまれ、門はこわれ、壁面は崩れていびつになっていた。それから無数の商店や、血なまぐさい皮はぎ場がずらりと並んでいる川岸通り。ポ=ロ=フォワンからフォル=レヴェックまで船をいっぱい浮かべているセーヌ川。これだけお話しすれば、一四八二年ごろ、市街区《ヴィル》の台形をなしていた中心部がどんなようすをみせていたかを、ぼんやりとながら頭に描くことがおできになるであろう。
邸宅地域と住宅地域、このふたつと並んで、市街区《ヴィル》にはもうひとつ別の眺めがあった。つまり市街区《ヴィル》の周辺を東から西へほとんど余すところなく、ぐるりと縁どっていた修道院の細長い地帯である。この地帯は、パリを守っていた城壁に沿って、修道院や礼拝堂からできた、内側の、いわば第二の城壁となっていた。
たとえば、まずトゥールネル宮の庭園のすぐそばのところ、サン=タントワーヌ通りと昔のタンプル通りのあいだに、サント=カトリーヌ会女子修道院があった。この修道院は広大な耕地をもっていて、それがパリの城壁の足もとまでずっとつづいていた。昔のタンプル通りと、新しいタンプル通りとのあいだには、タンプル会修道院があった。これは、暗い感じのする塔が束《たば》ねたように立っている修道院で、銃眼をつけた広大な塀に囲まれて、ぽつねんと高くそびえ立っていた。ヌーヴ=デュ=タンプル通りとサン=マルタン通りのあいだには、いくつもの庭に囲まれたサン=マルタン会修道院があった。防御工事を施された立派な教会があって、それをとりまいている塔の群れや、頂を飾っている鐘楼は、力強さからいっても、美しさからいっても、ほかのどの教会にもひけをとらなかった。ただしサン=ジェルマン=デ=プレ教会は別として。
サン=マルタン通りとサン=ドニ通りのあいだには、トリニテ病院の敷地が広がっていた。さらに、サン=ドニ通りとモントルグイユ通りのあいだには、フィーユ=ディユ会女子修道院があった。その横には奇跡御殿の腐った屋根や、敷石をはがしてしまった敷地が見えた。これは、信心深い修道院がつらなって作っている鎖の中にまぎれこんだ、ただひとつの俗世の輪であった。
最後に、右岸の屋根屋根の群れの中からはっきり浮き出して、城壁とセーヌ下流の岸べとでできている西の一角を占めていた、第四の地域があった。それはルーヴル宮〔フィリップ=オーギュストの時代に起工され、ナポレオン三世時代に今日の形になった王宮。現在は美術館〕の足もとにひしめきあって立っていた宮殿や邸宅のもうひとつの塊りである。フィリップ=オーギュストがつくった古い歴史をもつルーヴル宮、つまり、太い塔がまわりに二十三本の側妾塔を従え、そのほかに数知れぬ小塔をはべらせていた、あのとてつもなく大きな建物は、遠くからは、アランソン邸とプチ=ブールボン宮のゴチック式の屋根組の中にはめこまれているみたいに見えた。二十四の頭を絶えず高くもたげ、鉛板やスレートのうろこを張ったいくつもの巨大な背なかをもちあげ、金属的な反射光を全身からきらきら放っている、パリの巨大な守護者とも言えそうなこの怪物のような塔は、人をびっくりさせるような姿で、市街区《ヴィル》の西端をぴたりと閉ざしてしまっていた。
こうして、ローマ人が≪集落≫と呼んでいた町家の密集地域は、左右両側を、一方はルーヴル宮を、もう一方はトゥールネル宮を中心とするふたつの邸宅群で囲われ、北の方は、たくさんの修道院や庭園がつらなる長い帯で縁どられ、全体は渾然《こんぜん》とした一体となって目に映った。瓦やスレートの屋根屋根が順々にうしろの屋根屋根の上に奇妙な鎖型模様を描いているこうした無数の家々の上に、右岸の四十四の教会の、いれずみをされたり、ひだをつけられたり、格子模様をつけられたりしたみたいな鐘楼が、頭を突き出していた。それに、数かぎりもなく縦横に走る通り。一方のまち境は四角な塔をいくつも並べた高い城壁で仕切られ(大学区《ユニヴェルシテ》のほうの城壁の塔は円筒形であった)、もう一方のまち境には、橋で区切られ、たくさんの船を浮かべたセーヌ川。これが十五世紀の市街区《ヴィル》の姿だったのである。
この市街区《ヴィル》を囲んだ城壁の向こうには、城門のすぐそばにいくつかの町や村がひろがっていたが、その数は大学区《ユニヴェルシテ》の外側にあった城外町や村ほど多くはない。まず、バスチーユのうしろの、珍しい彫刻のあるクロワ=フォーバン村と控え壁のあるサン=タントワーヌ・デ・シャン修道院のまわりに小ぢんまりと集まっていた二十軒ほどのあばらや。それから、麦畑にうずまったポパンクール村。それから、酒場がいくつもある陽気な町だったクールチーユ。教会の鐘楼が、遠くからはサン=マルタン門の尖った塔のひとつみたいに見えたサン=ローラン町。サン=ラードル・ハンセン病病院のだだっ広い敷地があったサン=ドニ町。モンマルトル門の外側には、白い塀で囲まれたグランジュ=バトリエール。そのうしろに、白亜の坂の両側に並んだモンマルトル町。ここには当時風車小屋と同じくらいたくさんの教会があったが、いま残っているのは風車小屋のほうだけだ。というのも、世間の人びとが、今日ではもう、肉体を養うパンだけしか欲しがらなくなったからである。
さらに、ルーヴル宮の向こうには、牧場の中に、そのころもうすでに相当大きくなっていたサン=トノレ町が広がっているのや、プチット=ブルターニュ村が青々としているのや、豚市場が広々とのびているのが見えた。豚市場のまん中には、にせ金づくりを釜ゆでにした恐ろしいかまどがすえつけられていた。さきほどクールチーユとサン=ローランとの方面をごらんになったとき、このふたつの町のあいだに、人けのない広野にしゃがみこんだような丘がぽつねんとそびえ、この丘の頂に、何か建物らしいものが立っていたのにお気づきになったことと思う。この建物は、遠くから見ると、根もとの露出した土台の上に立っている柱廊の廃墟かとも思われた。だが、実は、パルテノンでもなければ、オリュンポス山のユピテルの神殿でもなく、モンフォーコンの絞首台だったのである。
さて、できるだけ簡略にと心がけはしたものの、昔のパリのあらましの姿をお伝えしようとしてあまりたくさんの建物をつぎつぎと説明したため、みなさんの頭の中で、あのパリの姿がかえってこわされてしまったかもしれない。だがもし幸いにしてこわされていなかったら、もう一度かいつまんでおさらいをしておこう。まず中心に|中の島《シテ》。島は大きなカメのような格好をしていて、屋根屋根でできた灰色の甲らの下から、瓦のうろこで覆われた橋を足みたいに突き出している。セーヌ左岸には、一枚岩のような、しっかりした、目のこんだ、すき間のない、髪をさかだてた、台形みたいな大学区《ユニヴェルシテ》。右岸には、パリの他のふたつの部分よりも庭園だの記念的な建築だのをはるかに多く含んでいた、巨大な半円形の市街区《ヴィル》。いま述べた|中の島《シテ》、大学区、市街区《ヴィル》の三区を貫いて、大理石の模様のように街路が縦横無尽に走っている。デュ・ブルール神父が≪養い親のセーヌ≫と言ったセーヌ川が、ところどころで島や橋や船に妨げられながら、この都市を端から端まで貫いて流れている。
まちのまわりには、千差万別の田畑に仕切られた野原がひろびろとのび、美しい村々が点々と見える。左岸の野には、イシ、ヴァンヴル、ヴォージラール、モンルージュ、丸い塔と四角い塔のあるジャンチイなどなど。右岸にも、コンフランからヴィル=レヴェックにいたる多数の村々。地平には、盆地の縁のようにたくさんの丘がぐるりと円をえがいてつらなっている。さらに、はるか東のほうには、七つの四角な塔をもったヴァンセンヌの城。南のほうには、とがった小塔のあるビセートル城。北のほうには、サン=ドニ町の尖頭鐘楼《せんとうしょうろう》。西のほうには、サン=クルーの城館と天主閣。ノートルダムの塔の頂に、一四八二年のころ巣くっていたカラスの目に映ったパリ風景とは、まずこのようなものだったのである。
ところが、ヴォルテールは、「ルイ十四世以前のこのまちには四つしか美しい建物はなかった」などと、ばかげたことを述べているのである。ヴォルテールの述べた四つの建物とは、丸屋根をもったソルボンヌと、ヴァル=ド=グラース会女子修道院と、新しいルーヴル宮と、四つめは何か知らないが、きっと、リュクサンブール宮あたりだろう。だがこんなことを述べたヴォルテールもまた一方では、『カンディード』のようなすぐれた作品を残しているし、人類史の長い系列につぎつぎと現われた偉人の中で、悪魔的な笑いというものを、いちばんよく知っていた男なのである。つまりこれは、どんな大天才でも自分の畑以外の芸術に対してはまるっきり盲目なこともある、という事実の証拠なのだ。モリエールのような大作家でも、ラファエッロやミケランジェロを、「あの当時の甘ったるい絵」などと呼んで、大いに尊敬しているつもりでいたではないか?
十五世紀のパリに話を戻そう。
当時のパリは、ただ美しい都市だというだけではなかった。パリは、まじりもののない都市であり、中世の建築術と歴史の産物であり、石でできた年代記だった。それはロマネスク層とゴチック層というふたつの層だけからできているまちであった。というのも、ローマ層はもうずっと昔に姿を消してしまっていて、ただユリアヌス帝の浴場だけが、中世の厚い地殻を破って頭を出していたからである。ケルト層は、深い穴を掘っても、もうそのかけらさえ出てこないほど、深く埋没してしまっていたのである。
五十年ほどたってルネサンス時代がはじまり、簡素ではあるが変化に富んだこのパリという統一体に、ルネサンス時代のさまざまな気まぐれや方式という、目もくらむばかりに豪華な建築法、つまりローマ式半円アーチ、ギリシア式列柱、ゴチック式扁円アーチという混乱した形式や、優雅で空想的な彫刻や、アラベスク模様や、アカンサス飾りに対する特別な好みや、ルターと時代を同じくする異端的な建築法、こうしたものがつけ加えられたのである。その結果、まちは、目にも心にも調和を欠いて映るようになったが、おそらくいっそう美しくなったのである。
だが、この華麗な時代はほんのわずかしかつづかなかった。ルネサンスの精神は公平ではなかった。建設するだけでは足りず、破壊もやりたがったのだ。羽を伸ばす場所が必要だったということも事実だが。だから、ゴチックふうのパリは完成されたかと思うと破壊されてしまったのだ。サン=ジャック=ド=ラ=ブーシュリ教会ができあがるかできあがらないうちに、古いルーヴル宮のとり壊しがはじまるというしまつだった。
この時以来、この大都市は、一日一日とへんてこな格好に変形されていった。ロマネスク式パリを追い払ったゴチックふうのパリが、こんどは自分が消え去る番になったのだ。だが、つぎに現われたパリを何式と呼んだらいいのだろう?
チュイルリ宮〔昔のフランス王宮。パリ・コミューヌの際に焼失〕には、カトリーヌ・ド・メディシス時代のパリの面影が認められる。市庁舎には、アンリ二世時代のパリが認められる。このふたつはどちらもまだ堂々とした趣味の建物だ。プラス=ロワイヤルには、アンリ四世時代のパリが認められる。この広場のまわりには、正面が煉瓦造りで角々《かどかど》に石を使い屋根をスレートぶきにした三色の家々が並んでいる。ヴァル=ド=グラース会女子修道院には、ルイ十三世時代のパリが認められる。これは押しつぶされたような、ずんぐりした建物で、かごの取手のように穹窿《きゅうりゅう》が左右についていて、柱はなんだかふくらんだ腹みたいな格好をし、丸屋根は背中のこぶを思わせる。
アンヴァリッドには、ルイ十四世時代のパリが認められる。この建築は壮大で堂々としていて、金ピカ塗りで、冷やかな感じがする。サン=シュルピス教会には、ルイ十五世時代のパリが認められる。つまり渦形装飾だの、リボン結びの装飾だの、雲形装飾だの、そうめん模様だの、キクジサ模様だのが、みな石でできているのだ。
パンテオン〔パリの守護聖女、聖ジュヌヴィエーヴに捧げられた教会。大革命後、国家に功労のあった人びとをまつるようになった〕には、ルイ十六世時代のパリが認められる。これは、ローマのサン・ピエトロ教会の不器用な模造品だ。(ぶきっちょに石を積み重ねてあるだけで、輪郭が整えられていない)医学校には、共和政府時代のパリが認められる。貧弱なギリシア=ローマ趣味の建物だが、ちょうど共和暦三年の憲法がミノス王の法典〔クレタ島の伝説上の王ミノスの定めた名法〕とは比べものにならないように、コロセウムやパルテノンには似ても似つかぬしろもので、建築界ではこれを≪収穫月趣味《グー・メシドール》≫と呼んでいる。
ヴァンドーム広場には、ナポレオン時代のパリが認められる。この時代のパリは崇高で、この広場には、敵軍からぶんどった大砲を鋳《い》つぶしてつくった青銅の記念柱が立っている。
株式取引所には、王政復古時代のパリが認められる。まっ白な列柱の上にすべすべした帯状装飾《フリーズ》が乗っかっている。全体が四角な構造で、建てるのに二千万フランかかった。
こうした一時代を代表している建物に、好みも、つくりも、構えも似かよった家々が、市内のあちこちの地区に散在している。こうした家々は専門家が見ればすぐそれとわかり、建てられた年代もぞうさなく察しがつく。目のきく人なら、戸口のノッカーを見ただけで、この建物がつくられた時代の精神や、この当時フランスを治めていた国王の顔までも見破ることができたのだ。
こういうわけで、現在のパリには一般的な特徴というものがまったくない。要するに、現在のパリは数世紀にわたってさまざまな建築様式の見本を集めたようなまちだし、おまけにそのうちの最も美しい建築はなくなってしまっているのである。いまのパリはただ家数がふえるばかりなのだ。しかも、その家々ときたら、一体なんというぶざまな代物だろう! この調子でゆくと、パリは五十年ごとにすっかりようすを変えることになるだろう。こうして、パリの建築の歴史的な意味は、日一日と消え去ってゆく。前時代を記念するような建物の数は、だんだんと減ってゆき、こうした意義ある建物は、新しく建てられた家々の波に沈みこんで、次第に姿を消してゆくようにみえる。われわれの祖先は石造りのパリを持っていたが、われわれの子孫は漆喰《しっくい》のパリを持つことになるだろう。
新しいパリにできた近世の歴史的建築物のことは、できれば話をしないでおきたいような気がする。そうしたものを素直に誉《ほ》めるのが、いやだというわけではない。スーフロ氏がつくったサント=ジュヌヴィエーヴ修道院は、たしかに、いままで石でつくった建築の中でいちばん美しいサヴォワ菓子のような感じがする。レジヨン・ドヌール宮も、たいへん風味の高い菓子だ。穀物市場のドームは、イギリスの競馬騎手の帽子を高い梯子の上に乗っけたみたいだ。サン=シュルピス教会の塔は、二本の太いクラリネットだ。そしてこのクラリネット型というのも、もう今日では立派に通用するひとつの型なのである。曲がった、しかめっつらの信号機がその屋根に可愛らしい模様を描いている。サン=ロック教会には立派な正面玄関があるが、このみごとな姿に比ベられるものとしては、サン=トマ=ダカン教会しかない。ここにはまた、地下納骨所に丸彫りのキリストはりつけ像もあれば、金箔《きんぱく》塗りの太陽をかたどった聖体顕示台《せいたいけんじだい》もある。このふたつもまた素晴らしくみごとなできばえなのである。
植物園の迷路にある頂塔も、なかなか気のきいた作品だ。株式取引所の建物は、列柱はギリシア式で、入り口や窓の半円アーチはローマ式で、扁円の大|穹窿《きゅうりゅう》はルネサンス式だが、疑いもなく規則どおりにつくられた純正な建築物だ。その証拠には、てっぺんにアテナイでさえも見られなかったような屋階《おっかい》がついているし、屋階の描く美しい直線があちこちで暖炉の煙突によって優雅に断ち切られているのである。
なお言いそえておきたいのだが、建物の構造はその建物の使用目的に適応しているべきであり、外観をちょっと見ただけで、それが何に使われているのか、ひとりでにわからせるようにするのがきまりであるとすれば、この建物が、王宮とも、自治体会議所とも、市庁舎、学校、馬術練習所、アカデミー、倉庫、裁判所、博物館、兵営、霊廟《れいびょう》、神殿、劇場、そのほかなんとでも見えるということは、まことに驚きいったしだいである。ところで、この建物は株式取引所なのだ。
なおまた、建物というものはその土地の気候に適合していなければならないのだが、株式取引所は明らかに、とくに、パリの寒い、雨の多い気候を頭において建てられている。屋根は東方の国々に見られるようにほとんど平らである。だから、冬になって雪が降ると、人びとは屋根の雪を掃くことができる。もともと屋根というものは、掃くようにつくられていなければならないのだ。さきほど申し上げた使用目的について言えば、この建物はそれをまことにみごとに果たしている。ギリシアでなら神殿の役目をつとめただろうが、フランスでは株式取引所の役割を立派につとめられるのだ。建築家がこの建物の正面にかかっている時計の文字盤を隠そうとして、大いに苦心したことは事実だ。というのも、この文字盤が見えたのでは、正面の清楚《せいそ》な直線美が損なわれてしまう危険があったからである。だが、こうした欠点の埋め合わせは、この建物のまわりに並んだみごとな柱廊が果たしてくれている。そしてこの柱廊の下では、祭日や祝日の日には、仲買人やブローカーの喧々囂々《けんけんごうごう》たる熱狂ぶりが展開されることもあるのである。
いままで申し上げてきた近世の建築物が、みなとても素晴らしいものであることは疑えない。それに、たとえばリヴォリ通りのような愉快な、変化に富んだ、たくさんの美しい通りをつけ加えてみよう。気球に乗って空からパリを見おろしたばあい、この都市はきっとわれわれの目の下に、美しい豊かな線や、数かぎりない細部のおもしろさや、千差万別な眺めや、また碁盤を思わせるようなあの何かしら壮大な簡素さや、思いもかけぬ美しさを繰り広げることであろう。
だが現在のパリがみなさんに、たとえどんなに素晴らしく見えるにせよ、とにかく十五世紀のパリを想像してみていただきたい、頭の中で再建してみていただきたい。あの驚くばかりに林立する尖頭《せんとう》鐘楼や塔や鐘楼の群れをとおして日の光をながめてみていただきたい。ヘビの皮よりもすばやく色を変えるセーヌ川が、広大な都市のまん中を悠然と流れ、島々の突端でふたつに裂け、橋のアーチのもとで緑や黄色によどみながら、ひだをつくるありさまを思い描いてみていただきたい。あの昔のパリのゴチック式プロフィルを、地平の青空にくっきりと浮きあがらせてみていただきたい。数知れぬ煙突にうるさくまといつく冬の日の濃霧の中に、古いパリの輪郭を浮かべてみていただきたい。また、昔のパリの姿をまっ暗な夜の中に沈め、もつれ合った家々のあいだにみられるあの闇と光の奇妙な戯れをごらんになっていただきたい。また、その上へ月の光を投げかけて、パリのまちのおぼろげな輪郭を浮き出させ、霧の中からたくさんの塔が大きな頭をもちあげるのをごらんいただきたい。あるいはまた、そのパリの黒いシルエットをもう一度とりあげ、尖塔や切妻が描く無数の鋭い角々《かどかど》を薄暗さで塗りなおし、フカのあごよりぎざぎざの多いその姿を、赤い夕焼け空を背景に浮き出させてみていただきたい。……さてそれから、こうした昔のパリの姿を今日のパリの姿と比べてみていただきたいのだ。
ところで、今日のパリからはもう得られそうにもない、昔のパリの印象を味わってみたいとお思いになるなら、大祭日の朝、たとえば復活祭とか聖霊降臨祭とかの日の夜明けに、全市をひと目で見わたせるような、どこか高いところに登って、暁の鐘声《しょうせい》に耳をかたむけられることをおすすめする。空からの合図で……太陽が顔を出すのがその合図だが……パリじゅうの無数の教会が、鳴りはじめる鐘の音《ね》にいっせいに身震いするのをごらんになるがよい。はじめは、演奏家たちが合奏をはじめるとき少しばかり弾いて打ち合わせをするのと同じように、ひとつの教会からもうひとつの教会へと間遠《まどお》に鐘の音が伝わってゆく。だがとつぜん、見給え。あらゆる鐘楼からいっせいに音の柱か、ハーモニーの煙みたいなものが立ちのぼるのが見える。まったく、ときによっては耳にも物が見えるものなのである。ひとつひとつの鐘の音ははじめのうち、まっすぐに、ほかのものとまじり合わず、いわばただひとりで、素晴らしい朝空に向かってのぼってゆく。やがて、ひとつひとつがだんだん太くなって、たがいに溶け合い、まじり合い、入り組み合い、ついに渾然《こんぜん》としたみごとな合奏となる。
こうなるともう、無数の鐘楼から絶えまなく流れ出る、いんいんたる音響のひとつの塊りというほかはない。この塊りはパリの頭上で漂い、波立ち、とびはね、渦を巻き、地平の遥かかなたまで、耳をろうする振動の輪を広げてゆく。しかもこのハーモニーの大海は少しもにごったり乱れたりはしていない。とても大きくて深いにもかかわらず、あくまで透きとおっているのだ。みなさんは、このオーケストラから逃れ出た、いくつもの異なった調子のグループが、別々になって身をうねらせながら、大空を進んでゆくのにもお気づきになるだろう。
クレセル鐘のかん高い叫びと大釣鐘の重々しいうなりが、何やら対話をおこなっているのも聞こえてくるし、八度音程が鐘楼から鐘楼へと移るのも、おわかりになるであろう。銀鐘から流れ出るオクターヴは羽があるみたいに、口笛を吹くように軽やかに舞いあがり、木鐘の音はよろめいて、へなへなと地にくずおれてゆくのがおわかりになるだろう。こうしたさまざまな八度音程の中を、サン=トゥスターシュ教会の七つの鐘の豊かな音階が絶えまなく下ったり上ったりするのを、ことにみごととお思いになるであろう。また、澄んだ、すばやい調べがさっと空を横ぎり、きらきら光るジグザグを三つか四つ描いて、稲妻のように消えてゆくのも、おわかりだろう。あちらから聞こえてくる歌声は、するどいひび割れしたような声をあげるサン=マルタン会修道院の鐘の音だ。こちらに聞こえる無気味な、気むずかしい声は、バスチーユの鐘だ。パリの西の果てにそびえ立つルーヴル宮の太い塔は、ロー・バリトンでうなっている。この王宮の組み鐘は、きらきら光るトリルをひっきりなしに、四方八方にまき散らしている。
その上へ、ノートルダム大聖堂の鐘楼から、重々しい片打《へんだ》の鐘の音(クープテ)が、規則正しい間《ま》をおいて落ちてくる。するとトリルは、まるでハンマーで叩かれた鉄床《かなとこ》みたいに火花を散らす。サン=ジェルマン=デ=プレ修道院でやる三重連打から流れ出た、さまざまな形の鐘声がときどき通りすぎてゆくのも、ごらんになるだろう。それからまた、この荘厳な連打の音は、音の塊りを半分ほど開いて、星でつくったとさかのようにきらきらと輝くアヴェ=マリア会女子修道院のストレッタ〔フーガなどに使われる一種の手法〕に道をあけてやる。下を見れば、この合奏のいちばん底のところには、そこここの教会のブルンブルン震えている丸天井のすきまから立ちのぼってくる聖歌の歌声を、おぼろげに認めることができる。……たしかに、これは耳をかたむける価値のあるオペラだ。
おしなべて言って、昼間のパリからもれてくるざわめきは、この都市の話すことばだ。夜もれてくるつぶやきは、この都市の寝息だ。だが、いま聞くこの鐘の音は、パリの歌声なのである。だから、この鐘楼たちの総奏《トゥッティ》に耳をかしていただきたい。そして五十万の市民のつぶやきや、セーヌの流れの永遠の嘆きや、やむことのない風のいぶきや、地平の四つの丘の上に巨大なオルガン箱のように据《す》えられた四つの森の荘重で、遥かな四部合奏などをこのオーケストラの上にちりばめてみていただきたい。中心となっている鐘の合奏のあまりにしゃがれたところや鋭いところを、ぼかしをかけて和《やわ》らげてみていただきたい。そのうえでさて、このにぎやかな鐘の音、この音楽のるつぼ、高さ百メートルの石のフルートの中でいっせいにうたう、この一万もの青銅の声、オーケストラそのものとなってしまったこのパリ、嵐のように鳴り響くこの交響楽、こうしたものより豊かで楽しげで、金色燦然《こんじきさんぜん》たるものを、何かこの世でご存じかどうか、おっしゃっていただきたいのだ。
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第四編
一 人のいい女たち
話は十六年ほどまえにさかのぼる。よく晴れた白衣《カジ》|の主日《モド》の朝のことだったが、ノートルダム大聖堂のミサがすんだあとで、聖堂の前庭の左手の壁にはめこんで固定されたベッド板の上に、何か生き物がひとつ置かれていた。場所はちょうどあの聖クリストフの≪巨像≫と向かいあったところだ。騎士アントワーヌ・デ・ゼサールどのの石像が、一四一三年以来ひざまずいて聖クリストフを見あげていた。その年に人びとは聖人も信者もとりこわしてしまおうと思ったのだ。このベッド板の上に捨て子を置いて、世の情けにすがるのが、そのころのならわしだった。欲しい人は誰でも、こうした子どもたちを拾っていった。ベッド板の前には、施しを受けるために銅の皿が置いてあった。
紀元一四六七年の白衣の主日の朝、この板の上に横たわっていた生き物みたいなものは、まわりに寄り集まっているかなり大勢の人びとの好奇心をひどくそそっているようだった。集まっていたのはたいてい女で、ほとんど年寄りばかりだった。
いちばん前の列で、いちばん深くベッド板の上にかがみこんでいるのが四人いるが、法衣みたいな、ネズミ色のずきんつきの袖なし外套を着ているところから見ると、どうやらどこかの信徒団の団員らしい。どうして、このつつましやかで、ありがたいご婦人たちの名まえが歴史の伝えるところとならなかったのか、私にはさっぱりわからない。四人はアニェス・ラ・エルム、ジャンヌ・ド・ラ・タルム、アンリエット・ラ・ゴーチエール、ゴーシェール・ラ・ヴィオレットといい、みんな後家さんで、聖母被昇天会の礼拝堂の寡婦《かふ》会員だった。きょうはお説教を聞くために、会長の許しを得、ピエール・ダイイの定めた規則に従って、会の家から出てきたところだった。
ところで、このりちぎな聖母被昇天会の後家さんたちは、この日ピエール・ダイイの律法にこそ忠実であったが、一方、ミシェル・ド・ブラシュやピーザの枢《すう》機卿《ききょう》の律法のほうは、てんから踏みにじってかえりみなかった。あれほど無慈悲な沈黙令が規定されているというのに、彼女たちはさかんにしゃべりあっていたからである。
「これはいったいなんでございましょうねえ、あなた?」と、アニェスが小さな生き物をじっと見ながら、ゴーシェールに言った。さらしものになっている子どもは、大勢にじろじろながめられてすっかりおびえてしまい、ベッド板の上でかん高い泣き声をあげながら、身をよじっている。
「生まれた赤ちゃんを、こんなふうに捨ててしまうなんて、このさき世のなかはどうなるんでございましょうねえ?」とジャンヌが言った。
「赤ちゃんのことはよく存じませんけど、こういうものを見るのはきっと罪に違いございませんわ」と、アニェスがまた言った。
「これは赤ちゃんじゃございませんわよ、アニェスさま」
「できそこないのサルでございますわ」と、ゴーシェールが言った。
「奇跡でございますわ」と、アンリエット・ラ・ゴーチエールが言った。
「そうすると四旬節第四主日《レターレ》から、これで三つめの奇跡でございますわね。巡礼たちをからかった男がオーベルヴィリエのマリアさまの御像から神罰を受けた、あの奇跡からまだ一週間もたちませんのにねえ。たしか、あれがこの月のふたつめの奇跡でございましたわね」とアニェスが言った。
「この捨て子みたいなの、ほんとにいやらしいお化けですわ」と、ジャンヌがまた言った。
「ギャーギャー、ギャーギャー泣きわめいて、これじゃ聖歌隊のかたがただって耳がきこえなくなってしまいますよ。お黙りったら、この泣き虫小僧!」と、ゴーシェールが言った。
「ランスのまちの大司教さまが、こんな化け物をパリの大司教さまのところへ送ってよこされたんですって!」と、ラ・ゴーチエールが合掌しながら言いそえた。
「わたくしはねえ、これ、獣だと思いますわ、動物だと思いますわ、きっとユダヤ人が牝豚に生ませたものなんですわ。とにかくキリスト教徒ではございませんから、水か火の中へ投げこんでしまわなければなりません」と、アニェス・ラ・エルムが言った。
「きっとこんなもの、拾ってやろうなんて人は誰もおりませんわ」と、ラ・ゴーチエールがまた言った。
「まあ、いやだこと! あの路地を川下に向かっていった突きあたりに、司教さんのお屋敷にすぐ隣り合って、孤児院がございますでしょ。あそこの乳母さんたちのところへこのちっちゃなお化けを連れて行って、乳を飲ませてやってくれって言ったら、あの人たち、どんな顔をするでしょう! わたくしでしたら、吸血鬼にでもおっぱいを吸われたほうがまだましですわ」とアニェスが叫んだ。
「まあ、ラ・エルムさんて、なんて呑気なんでしょう!」とジャンヌが言った。「ねえラ・エルムさん、あなた、おわかりにならないの、このちっちゃなお化けはどう見ても四つにはなっていて、あなたのおっぱいなんかより焼き肉でも欲しそうな顔をしているのが」
なるほど、≪このちっちゃなお化け≫(まことにこう呼ぶよりほか、しようのないものだったが)は生まれたての赤ん坊ではなかった。小さな、ごつごつした、むくむく動く塊りが、当時のパリ司教、ギヨーム・シャルチエどのの頭文字を印刷した麻袋の中に閉じこめられて、顔だけ外に突き出しているのだ。その顔はだいぶ、ぶざまなものだった。もじゃもじゃした赤毛と、目がひとつと、口と歯だけしか見えなかった。目は涙を流し、口はギャーギャー泣き叫び、歯はしきりに何かを噛《か》みたがっているみたいだった。からだ全体が袋の中でバタバタもがいている。まわりに群がった人びとはだんだん数がふえ、絶えずいれかわり、ただあっけにとられてながめているだけだった。
ちょうどこのとき、金持で貴族のアロイーズ・ド・ゴンドローリエ夫人という女が、六つぐらいの可愛い女の子の手をひき、とがった帽子の金色の先から長いベールを垂らして、通りがかりにベッド板の前でたちどまった。そして、しばらく可哀そうな子どもをながめていた。そのあいだ、絹ずくめ、ビロードずくめのきれいな女の子フルール=ド=リ・ド・ゴンドローリエは、ベッド板にいつもかけてある≪捨て子≫という掲示板の文字を可愛い指でさしながら、ひとつひとつ読んでいた。
「ほんとに、ここに置くのは人間の子どもだけだと思っていたのに」と、夫人は不愉快そうに顔をそむけながら言った。
夫人はフロラン銀貨を一枚皿の中へ投げこんで、背を向けた。銀貨は銅貨ばかりの中へ落ちてチャリンと景気のいい音をたてた。聖母被昇天会の礼拝堂のおばあさんたちは、貧乏人だけに目を丸くして驚いている。
そのすぐあとから、謹厳《きんげん》で博学な国王録事官、ロベール・ミストリコルが、片腕にばかでかいミサ典書をかかえ、もう一方の腕に細君(ギユメット・ラ・メーレス夫人)の腕をかかえこんで、通りかかった。つまり自分の両わきに聖俗両方の調節器をかかえてきたわけだ。
「捨て子だわい! きっと、地獄の川の欄干《らんかん》の上からでも拾ってきたのだ!」と、彼はじっとベッドの上のものを見て、言った。
「目がひとつしかありませんわ。いぼが、かぶさって、もうひとつは見えませんことよ」と、ギユメット夫人が言った。
「あれはいぼではない、卵なんじゃ。あの中にはあの子どもにそっくりな悪魔がおるんじゃ。そいつがまた卵をもちおって、その中にまた小悪魔がおる。その小悪魔がまた卵を、といったあんばいになっとるんじゃ」と、ロベール・ミストリコル先生が言った。
「どうしてそんなことがわかるんですの?」と、ギユメット・ラ・メーレスがきいた。
「ちゃんとわかっとるんじゃ」と録事官が答えた。
「大法官さま、このにせ捨て子はなんの前兆でございますか?」と、ゴーシェールがきいた。
「とてつもなく大きなわざわいの前兆ですわい」と、ミストリコルが答えた。
「やれやれ! 困ったことだ! それに、去年はひどいはやり病いがあったし、イギリス兵たちが大勢アルフルーに上陸するって噂《うわさ》だし」と、聞いていたひとりのばあさんが言った。
「そしたら、王妃さまは九月にパリにいらっしゃれないでしょう。商売はもうすっかりあがったりだし!」と別のひとりが言った。
「わたくしはこう思いますの。こんなちっちゃな魔法使いは、板の上よりも火あぶり台の薪の上に寝かされてたほうが、パリのかたがたのためだって」と、ジャンヌ・ド・ラ・タルムが叫んだ。
「ボーボー燃えてる薪の上にねえ!」と、ばあさんが言いそえた。
「そうしたほうがあとあとのためじゃ」と、ミストリコルが言った。
ちょっとまえから、ひとりの若い司祭がばあさんたちの議論や録事官の宣告にじっと聞きいっていた。きびしい顔つき、広い額、奥深いまなざしをもった男だった。男は黙って群集をおしのけ、≪ちっちゃな魔法使い≫をじっと見つめていたが、急にそのほうに手を差し出した。危機一髪というところだった。というのも、信心深い女たちはみんな「ボーボー燃えてる薪のうえにねえ」という考えに、もうすっかり有頂天《うちょうてん》になっていたからだ。
「わしがこの子を養いましょう」と司祭が言った。
彼は子どもを祭服の胸に抱きあげて、連れ去ってしまった。あたりの人びとは目をまるくして、司祭のうしろ姿を見送っている。司祭の姿は、そのころ聖堂から修道院へ通じていた赤門を通って、たちまち見えなくなってしまった。
ジャンヌ・ド・ラ・タルムは初めのうち、あっけにとられていたが、やがて、ふとわれに返り、ラ・ゴーチエールの耳もとに身をかがめて、ささやいた。
「わたくしの申し上げたとおりでしょ、あなた。あの若い司祭さまね、クロード・フロロさんとおっしゃる、あのかた、やっぱり魔法使いですわ」
二 クロード・フロロ
ジャンヌも言ったとおり、クロード・フロロは普通の人間ではなかった。彼は前世紀のあまり適切でないことばでむぞうさに上流ブルジョワとか小貴族とか呼ばれていた、中流の家庭の生まれであった。彼の生家はパクレ兄弟からチルシャップの領地を相続していたが、この領地はパリ司教の管轄《かんかつ》下にあり、そのうち二十一軒の家作は十三世紀には、たびたび訴訟の対象となって宗教裁判所の判事の前にもちだされたものであった。この領地の所有者として、クロード・フロロは、パリとその近郊で地代を取りたてている「百四十一人」の領主のひとりになっていた。だから、彼の名は、こうした領主として、サン=マルタン・デ・シャン修道院に保管されている記録簿の中に、フランソワ・ル・レどの所有のタンカルヴィル邸と、トゥール校とのあいだに記録されているのが、長いあいだ見られたのである。
クロード・フロロは子どものときから聖職につくように両親に仕込まれていた。彼はラテン語を読むことを教えられた。目を伏せて、小声で話すようにしつけられた。ほんの子どものころ、父親は彼を大学のトルシ校に閉じこめてしまった。彼はそこで、ミサ典書とギリシア語の辞書を糧《かて》にして、成長したのである。
それに、彼は沈んだ、おちついた、まじめな少年で、熱心に勉強するし、おぼえもはやかった。遊び時間にも大声をだして騒ぐようなことはしなかったし、フーワール通りで学生たちがやっていたらんちき騒ぎにもめったにつきあうこともなかったし、「びんたをくわせて髪の毛をむしりあうということ」がどういうことかも知らなかったし、年代記の編集者たちが「大学の六回めの騒動」という標題で厳粛に記録している、あの一四六三年の暴動にもけっして加わらなかった。モンタギュの貧しい学生たちが「|短いマント《カペット》」を着ているのを……このため彼らはカペットというあだ名で呼ばれていたのだが……冷やかすことなどめったになかったし、ドルマン校の給費生たちが頭のてっぺんを丸くそり、ペール色、つまり青紫色……カトル=クーロンヌ枢機卿の免許伏のことばでは「くすんだ青か紫」……の、三つ組の外套を着ているのを冷やかしたりもしなかった。
そのかわり、サン=ジャン=ド=ボーヴェ通りにあった大小の学校へは熱心に出席した。サン=ピエール・ド・ヴァル修院長は教会法の講義にとりかかろうとするとき、自分の席のまん前で、サン=ヴァンドルジュジール校の柱にぴったりくっついてすわっている学生がいつも最初に目についた。これがクロード・フロロであった。角《つの》製のインク壷をそばに置き、ペンの先をかんで、すり切れたひざでならし、冬ならば指を息であたためて待っている。教会学博士ミル・ディリエ先生は毎月曜日の朝、シェフ=サン=ドニ校の門が開くと同時に息せききってまっさきにやってくる聴講生を見たが、これもクロード・フロロであった。こんなぐあいだったから、十六歳のときにはもう、この若い神学生は、神秘神学では教会の神父と、カノン神学では教義会の神父と、スコラ神学ではソルボンヌの博士と張り合うぐらいの学識を身につけていた。
神学を終えると、彼は教令集の研究にとびこんだ。≪命題集の師≫の著作から『シャルルマーニュの勅令集』に手を伸ばした。それから、知識欲のおもむくままに、つぎからつぎへと教令集をむさぼり読んだ。ヒスパリスの司教テオドルスの『教令集』、ヴォルムスの司教ブーシャールの『教令集』、シャルトルの司教イーヴの『教令集』、つぎにはシャルルマーニュの『勅令集』のあとを受けたグラティアヌスの『教令集』、つぎにグレゴリウス九世が編集した『教令集』、ついでホノリウス三世の書簡『鏡について』。
彼は、中世の無秩序の中で、民法と教会法が世の混乱と戦いながら営々として自らをつくりあげていった、あの不安と動揺の長期にわたった時期、つまり六一八年に司教テオドルスが開き、一二二七年に法王グレゴリウスが閉じた時期のいきさつを明らかにし、これに通じるようになった。
教令をものにしてしまうと、彼は医学と学芸の研究にとびこんだ。薬草学や膏薬《こうやく》学も学んだ。熱病や打ち傷や切り傷やできもののエキスパートになった。ジャック・デスパール〔十五世紀の名医〕は彼を内科医として認めただろうし、リシャール・エラン〔十五世紀の大学医学部長〕なら彼を外科医と認めたであろう。彼はまた諸芸、諸学の学士号、修士号、博士号をみな身につけた。またラテン語、ギリシア語、ヘブライ語を学び、そのころはほとんど訪ねる人のなかったこの三古典語の聖域に遊んだ。学問ならなんでも学んで覚えこんでしまいたいという熱病に、文字どおりとりつかれていたのだ。十八歳のときには神学、法学、医学、芸術の四課程はもう彼の頭におさまっていた。青年クロードにとっては、学ぶことが人生のただひとつの目的であるようにみえたのだ。
ちょうどこの時分のことだった。一四六六年の夏は極端に暑かったので、あのペストの大流行が起こり、パリ子爵領では四万人以上の犠牲者がでた。その中には「大変正しくて、賢くて、気持のいい人であった王室天文学者アルヌールどのもいた」とジャン・ド・トロワは言っている。大学区《ユニヴェルシテ》には、チルシャップ通りがとくにひどくやられた、という噂が広がった。
ところでこの通りは、クロードの両親が所有していた領地のまん中にあたるところで、彼らはここに住んでいたのだった。若い学生のクロードはとても心配して、父の家にかけつけた。が、家にはいってみると、父も母もまえの晩に死んでいた。うぶ着を着たちっちゃな弟だけがまだ生きていて、揺りかごの中に置き去られたまま泣いていた。クロードの肉親は、天にも地にもこの弟だけということになったのだ。クロードはこの子を腕に抱きあげて、物思いに沈みながら父の家を出た。それまではただ学問の世界にだけ生きていたのだが、いよいよ、ほんとうの人生に踏み出すことになったのだ。
この大きな不幸はクロードの人生の危機だった。孤児で、長男で、十九歳で家長になったクロードは、学校での夢想から乱暴にこの世の現実に呼び戻されたような気持だった。すると、弟をふびんに思った彼の心には、この幼い弟への激しい愛情と、身を粉《こ》にしても育てあげたいという気持がわき起こった。それまで本だけしか愛したことのない彼の胸に、人間に対する愛情が芽ばえたのは、思えば奇妙なことでもあり、ほほえましいことでもある。
この愛情はおかしなほど激しいものになった。浮き世のことを何も知らないクロードのような男にとっては、これは初恋みたいなものだった。クロードは、まだろくに両親の顔も覚えていない子どものときから、親もとを離れ、閉じこめられ、いわば本の壁にとり囲まれて、何よりもまず学んだり、覚えたりすることに夢中になっていたのだった。そのときまでは、学問によって知能をみがき、文芸によって想像力を生長させることにひたすら努めてきたので、若い学生のクロードは、可哀そうにも、まだ人間に対する愛情を感じる暇がなかったのである。だがこのとき、父も母もないこの弟が、このちっちゃな子どもが、いきなり天から腕の中へ降ってきたために、彼はすっかり人間が変わってしまったのだ。世の中にはソルボンヌの思弁やホメロスの詩句以外のものがあること、人間には愛情が必要なこと、優しさや愛のない人生は、油がきれてキーキー音をたてる、いたましい機械仕掛けにすぎないこと、こうしたことに気がついたのである。ただ彼は、空想を追い払ってもそのあとにはまた空想が生まれてくるという年ごろだったので、必要なのは肉親の愛、家族の愛だけだ、可愛い弟がいればそれだけでもう自分の人生にはじゅうぶんだ、と考えたのだった。
そこで、彼ははじめから、深い、燃えるような、ひたむきな情熱をこめて、幼いジャンへの愛に一身をうちこんだ。この可愛い、ブロンドで、バラ色で、ちぢれっ毛の、哀れな、弱々しい赤ん坊、みなし子の兄のほかにはなんの身寄りもないこのみなし子のことを考えると、クロードの心はたまらないほどいとしさに駆られるのだった。そして、クロードはまじめにものを考えるたちだったので、かぎりない情けをこめて、ジャンの身の上をあれこれと考えはじめた。彼は、赤ん坊に対して、まるで、何かとてもこわれやすい、とてもだいじなものでも扱うみたいに気をつかい、注意を払った。彼は赤ん坊にとっては兄以上のものになった。母親になったのだ。
ちっちゃなジャンは、母を失ったとき、まだ乳飲み子だった。クロードはジャンを里子に出した。チルシャップの領地のほかに、彼はジャンチイの角塔に所属する≪風車場≫の領地を父から相続していた。風車場はヴァンシェストル城(ビセートル村)の近くの丘の上にあった。その粉ひき小屋にはまるまる太った乳飲み子を育てているかみさんがいたし、そこは大学から、遠くなかった。クロードはこのかみさんのところへ、自分で赤ん坊のジャンを連れていった。
それからというもの、クロードは肩にかかる重い責任を覚えて、真剣に人生を考えるようになった。可愛い弟のことを考えるのが楽しみになったばかりか、勉強の目標にさえなった。クロードは弟の将来のためには一身を犠牲にしようと決心し、きっと弟を幸福にしてみせると神に誓った。弟の幸福のためならば、結婚もせず、子どもも持たぬ覚悟だった。そこで聖職者としての天職にいっそう身を入れた。才能もあり、学問もあり、パリ司教の直接の家臣という身分でもあったので、彼の前には聖職界での出世の門が大きく開かれていた。二十歳のとき、法王庁から任命されて司祭となり、ノートルダム大聖堂づき司祭団の最年少者として、ミサがおそくはじまるので≪なまけ者の祭壇≫と言われていた祭壇を受けもつことになった。
司祭になっても彼はますます好きな本に熱中し、≪風車場≫の領地へ駆けつけるための、日に一時間をのぞいては、本を手から放さなかった。年に似あわぬ学識と謹厳な人格で、彼はたちまち同僚の聖職者たちの尊敬と賞賛の的になった。彼が学者であるという評判は院内から世間へも伝わったが、世間へはちょっと曲がって伝えられ、彼が魔法使いだということになってしまった。こうしたことは、そのころはよくあったものなのだが。
クロードが、捨て子用のベッド板のまわりで金切り声をあげてしゃべっているばあさんたちの群れに気をひかれて立ちどまったのは、まえにも申し上げたように、|白衣の主日《カジモド》の朝のことだった。聖母像寄りの右手の身廊に通ずる聖歌隊の間《ま》のそばにあった祭壇で、≪なまけ者のミサ≫をやりおえて戻ってきたところだったのだ。彼が、ひどく嫌われたり、おどされたりしているあの可哀そうな、ちっちゃな子どもに近づいたのは、そのときのことだった。あの悲しいありさま、あの醜い顔、あのうち棄てられた姿、自分の弟のこと、もし自分が死ねば、可愛い、小さなジャンもこんなふうに捨て子の板の上にみじめに捨てられてしまうだろうという、そのときふと胸をかすめた思い、こうしたことが一度にどっと心に浮かび、ふびんでたまらなくなって、彼は捨て子を連れ去ったのだった。
袋から出してみたが、案のじょう、ずいぶんひどい姿の子どもだった。左目の上にいぼがあり、頭は両肩のあいだに埋まり、背骨は弓なりに曲がり、胸骨はとび出し、脚はよじれている。ただ、いかにも元気があり、何語をしゃべっているのかさっぱりわからないが、泣き声には力と健康とが認められる。
ぶざまなこの子の姿を見て、クロードはますますふびんだと思った。そして、弟のためにこの子どもを育てようと心に誓った。つまり、小さなジャンがさきざきどんなあやまちを犯そうとも、弟のために行なわれたこの慈善によって償われるように、というわけだ。いわば弟の身の上に実を結ぶように善行の種をまいておくのだ。弟がいつの日にか、天国の通行税納付所で受け取ってもらえるただひとつの貨幣、つまり善行が足りなくて困ることがないように、いまからどんどんためておいてやろうというのだ。
クロードは拾ってきた子どもに洗礼をほどこして、≪カジモド≫という名をつけた。拾いあげた日にちなんだものだったが、また、この名が可哀そうな赤ん坊の不完全でほとんど人間の形をなしていない姿をよく表わしているとも思ったからだ。事実、片目で、背中は丸く曲がり、X脚のカジモドは「|ほぼ《カジモド》」人間の形をした生き物であるとしか言いようのない子どもだった。
三 「怪獣の群れの番人で、怪獣よりもものすごい」
さて、この物語の年、一四八二年のころまでにはカジモドもすっかり成人していた。彼は養父クロード・フロロの口ききで、数年まえからノートルダムの鐘番をつとめていた。クロード・フロロは主君ルイ・ド・ボーモン閣下のおかげで、ジョザの司教補佐になっていた。ルイ・ド・ボーモン閣下は、後援者オリヴィエ・ル・ダンのおかげで、ギヨーム・シャルチエの死にともなって、一四七二年にパリ司教になっていた。オリヴィエ・ル・ダンというのは、天運に恵まれて、国王ルイ十一世陛下の王室理容師をつとめた人である。
こういうわけで、カジモドはノートルダムの鐘番になっていたのである。
やがて、この鐘番と大聖堂とのあいだには、なんとも言えない親しいきずなみたいなものが結ばれるようになった。哀れなカジモドは、素性のわからぬ子だったし、また生まれつき体が世間なみでないという二重の宿命のために世間からまったく隔てられ、子どものときから、この越えることのできない二重の輪の中に閉じこめられていたので、自分が育てられた暗い大聖堂の壁の向こうの世界のことは何ひとつ見ないような癖がついてしまった。ノートルダム大聖堂は、カジモドにとっては、彼が大きくなり成人してゆくそのときどきに応じて、卵となり、巣となり、家となり、祖国となり、宇宙となったのだ。
そういえば、たしかに、カジモドとこの建物とのあいだには、不思議で、まえの世から存在していたような一種の調和が見られたのである。まだがんぜない子どものカジモドが聖堂の丸天井の暗がりの下を、体をよじ曲げたりぴょんぴょんはねたりして動いてゆくのを見ていると、そのようすは、顔は人間だが手足は獣といった格好のせいもあって、ロマネスク式の柱頭がたくさんの怪しい影模様を投げかけている、あのじめじめした薄暗い敷石に巣くうヘビかトカゲのように思えてくるのだった。
その後、彼がはじめて塔の綱に無意識にしがみつき、それにぶらさがって、鐘を揺りうごかしはじめたとき、養父のクロードは、まるで子どもの舌がまわりだして、物を言いはじめたみたいによろこんだ。
こんなふうにして、いつも大聖堂の型にはめられて成長し、その中で生き、眠り、ほとんど外に出ず、四六時ちゅう建物の不思議な圧力を身に受けているうちに、とうとうカジモドは少しずつ建物に似てきた。言ってみれば、建物に象眼《ぞうがん》されて、その一部になってしまったのである。こういうたとえかたを許していただきたいのだが、彼の体の出っぱったところが、建物のひっこんだところにぴたりとはまりこんでしまった、と言ってもさしつかえないだろう。そして彼はただこの大聖堂の住人だというだけではなく、もとからの中身みたいに思われてきたのである。カタツムリが殻の形に体を合わせるように、彼は大聖堂に体を合わせたのだ、と言っても言いすぎではあるまい。この建物は彼の住居であり、巣窟であり、外皮でもあった。この古い大聖堂とカジモドとのあいだには、深い本能的な交感や、磁気的な親和力や、物質的な類似性が認められた。いわばカメが甲らにくっついているみたいに、彼はこの建物にぴったりとくっついてしまったのだ。ざらざらした大聖堂はカジモドの甲らだったのだ。
人間と建物とのあいだに認められる、つりあいのとれた、直接的な、ほとんど同質的とも言えそうな不思議な合一状態を説明するために、私がここでやむをえず使った比喩を、もちろんみなさんは、そのまま文字どおりにはお受けとりにならないであろう。カジモドが、長いあいだ親しくいっしょに暮らしてきた大聖堂全体にどんなに親密になっていたかということも、また申し上げるまでもないことと思う。ノートルダム大聖堂は彼のものだった。カジモドはこの聖堂のどんなに奥深いところにも足を踏み入れていたし、どんなに高いところにもよじ登っていた。彫刻の凹凸《おうとつ》だけをたよりに、建物の正面を相当な高さまでよじ登ったこともたびたびあった。垂直にきり立った壁の上をするする登ってゆくトカゲみたいに、塔の表面をはいあがってゆくカジモドの姿がよく見られたが、高くて、威圧的で、恐ろしい、ふた子の巨人のような塔を仰ぎ見てもカジモドはめまいもおぼえず、恐ろしいとも思わず、頭がぐらぐらして気を失うようなこともなかった。彼の手にかかってすっかりおとなしくなり、やすやすとよじ登られている塔を見ると、まるで塔は彼に飼いならされでもしてしまったみたいだった。この巨大な大聖堂の上で、深淵にとり囲まれて、とんだり、よじ登ったり、はねまわったりしたおかげで、彼は、いわばサルかカモシカみたいになっていた。ちょうど、歩くまえに泳ぎ、赤ん坊のときから海で遊ぶカラーブリア〔イタリア南端の地方〕の子どものように。
それに、体は大聖堂にかたどって成長したみたいだったが、そればかりでなく、精神もまた同じような育ちかたをしたのだった。あの発育不良の肉体の中で、あの野性的な生活の中で、彼の魂がどんなふうになっていったか、どんなくせがついていったか、どんな形になっていったかは、簡単にはつきとめられないであろう。カジモドは生まれながらの片目で、背中にこぶがあり、片足が不自由だった。クロード・フロロは彼にことばを教えこんで、どうにかしゃべれるようにしてやるのに、たいへんな苦労と忍耐を味わった。
だが、不幸はどこまでもこの哀れな捨て子につきまとった。十四歳でノートルダムの鐘番になった彼に、また新しい故障が襲いかかってきて、彼を完全な不具者にしてしまったのだ。鐘の響きで鼓膜が破れて、耳がきこえなくなってしまったのである。自然が彼のためにこの世に向かって大きく開いたままにしておいてくれた聴覚というただひとつの戸口が、いきなり永遠に閉ざされてしまったのだ。
耳が聞こえなくなると同時に、それまでは聴覚をとおしてカジモドの心の中に浸みこんできた唯一の光明、唯一の喜びもまったく失われてしまった。彼の魂は深い闇の中に沈んでしまったのだ。哀れなカジモドの暗い心は、彼の醜い体と同じように、もうどうにも手のつけようのないものになってしまった。おまけに、耳が聞こえなくなったために、彼はまるで生まれつきしゃべれない人みたいになった。というのも、聞こえなくなってからは、人に笑われるのがいやさに、人前では口をきくまいと、かたく決心したからだった。しゃべるのはただ、自分ひとりのときだけだった。クロード・フロロがあんなに苦労してほどいてやった舌を、自分から結んでしまったのだ。こういうわけで、どうしてもしゃべらなければならないはめになっても、彼の舌はちぢこまってしまい、よたよたとしか動かず、まるで肘金《ひじがね》のさびついた扉みたいになるのだった。
さて、彼の体の厚くて堅い皮を通りぬけて、魂のあるところまでもぐりこんでみるとしよう。彼のできの悪い体の深いところを探ることができるものとしよう。たいまつをかかげて、光を通さない内臓器官のうしろをのぞき、この不透明な人間のまっ暗な内側を探り、暗いすみずみや、途方もない袋小路などを調べてまわって、いきなり明るい光を、この洞窟の奥に縛りつけられている魂に投げかけることができるものとしよう。きっと、この不幸な魂が、何かみじめな、いじけた、佝僂病《くるびょう》にかかったみたいなようすでうずくまっているのがわれわれの目に映るに違いない。天井も低く狭苦しい石の牢獄の中で体をふたつに折り曲げたまま老いさらばえていった、あのヴェネツィアの鉛牢の囚人みたいに。
体が世間なみでない者は、その精神もまた萎縮《いしゅく》せざるをえない。カジモドは自分の姿とおなじような魂が体の中でめちゃくちゃに動いているのを、はっきりと感じることさえできなかった。まわりの物体の印象は、彼の観念の中にはいりこむまえに、ひどい屈折作用を受けてしまう。彼の頭はほかの人間の頭とはいっぷう変わった働きをする。この頭を通過して出てくる考えは、みんなよじれている。考え方が屈折するので、必然的に、ばらばらで、ゆがんだものになってしまうのだ。したがって、彼の視覚は錯覚を起こしやすかったし、判断もあやまりに陥りがちだった。思考も狂っていたり、白痴めいていたりして、つねに穏当《おんとう》を欠いている。
こういった不運な肉体が生んだ第一の結果は、彼の物を見る目を曇らせたことだった。カジモドの視覚は、物の姿をじかに反映するということがほとんどない。彼には、外界は、われわれが見るよりもずっと遠いところに存在しているように思われたのだ。
この不幸な肉体が生んだ第二の結果は、彼が意地悪になったことだった。
彼はじっさい意地悪だったが、それは彼が人間嫌いだったからだ。人間嫌いだったのは醜かったからだ。彼の性格ができあがるのもわれわれの場合と同じように、はっきりと筋が通っていたのだ。おまけに、人並みはずれて力が強かったので、これがまた意地悪になる原因にもなった。「たくましい子どもは意地悪だ」とホッブズも言っている。
だが、彼もきっと生まれつき意地悪だったのではない、ということを認めてやらねばならない。人間の社会に顔を出すとすぐに、彼は、自分が侮辱され、いやしめられ、嫌われるのを感じていたが、やがてそれを現実に経験した。人間の話すことばは、彼からみると、いつも冷やかしか、呪いのことばばかりだった。大きくなっても、身のまわりで出会うのは憎しみばかりだった。彼はその憎しみを自分の心にたくわえた。人の世の憎しみというものをわがものにしてしまった。人が彼を傷つけた武器を拾いあげて、自分のものにしたのだ。
要するに、人に顔を向けるのもいやになってしまったのだ。大聖堂があればじゅうぶんだった。大聖堂には国王や、聖人や、司教の大理石像がたくさんあったが、こうした彫像は少なくとも、彼の鼻先でゲラゲラ笑ったりなどせず、静かに優しく彼をながめているだけだった。そのほかの怪物や悪魔の彫像もカジモドに対しては憎しみなどもっていなかった。彼が自分たちに似ているので、憎めなかったのだ。彼らはかえって、満足な人間たちをあざ笑うのだった。聖人たちは彼の友達で、彼を祝福してくれたし、怪物たちも彼の友達で、彼を守ってくれた。だからカジモドは、よく彼らの前で長々と自分の気持を打ち明けた。ときには、何時間もつづけざまに彫像の前にうずくまって、ひとりぼそぼそしゃべっていることもあった。そんなとき、誰かがふいにやってくると、恋しい女の窓の下でセレナーデをうたっているところを見つかった男みたいに、こそこそ逃げていった。
大聖堂はカジモドにとって、ただ人の住む社会であったばかりでなく、宇宙であり、さらには全自然でさえあったのだ。いつもいっぱい花を咲かせているステンドグラスがあったから、果樹墻《かじゅしょう》など見たいとも思わなかったし、サクソン式柱頭の茂みの中で、小鳥をいっぱいに遊ばせて開いている石の葉飾りの陰があったので、自然の木陰のことなど考えたこともなかった。聖堂の巨大な塔が彼には山だったし、目の下に広がってざわめいているパリが大洋だった。
母ともいえるこの建物の中で彼が何よりもいちばん愛していたもの、彼の魂を呼びさまし、ほら穴の中でみじめにもじっとたたみこんだままにしていた哀れな羽を開かせ、ときには彼を幸福な気持にもさせてくれたのは、大聖堂の鐘だった。彼は鐘を愛し、可愛がり、鐘に話しかけ、鐘の気持を理解した。外陣の方尖塔《ほうせんとう》にあるひと組の鐘から正面玄関の大鐘まで、彼はどの鐘にも愛情を寄せていた。外陣の鐘楼とふたつの塔は、彼からみれば、三つの大きな鳥かごみたいなものだった。彼が育てあげた鐘は、このかごの中で、彼のためにだけ、小鳥のようにうたうのである。彼の耳を聞こえなくしてしまったのは、まさにこうした鐘にほかならなかった。だが母親というものは、いちばん手がやける子どもほど可愛がりがちなものである。
それもそのはず、カジモドの耳に聞こえる音といっては、いまではただ、鐘の音《ね》だけだったのだ。こういう意味で、大鐘は彼の恋人だった。祭りの日ごとに彼のまわりで騒ぎたてる騒々しい娘たちみたいなこの鐘の一族の中で、彼はこの大鐘がいちばん好きだった。この大鐘はマリーという名で、ジャクリーヌという自分より小さい妹鐘といっしょに、南側の塔にさみしく吊るされていた。ジャクリーヌはマリーの囲いと並んだ、小さな囲いの中に閉じこめられていた。ジャクリーヌという名は、この鐘を大聖堂に寄進したジャン・ド・モンタギュどのの夫人の名にちなんでつけられたものだが、こうした善行のかいもなく、モンタギュどのはモンフォーコンの刑場で首をはねられてしまった。
二番目の塔には鐘が六つ吊るされていた。最後に、いちばん小さな鐘が六つ、ひとつの木鐘といっしょに、後陣の上の鐘楼に吊るされていた。この木鐘が鳴らされるのは、聖木曜日の午後から復活祭の朝までのあいだにかぎられていた。カジモドは、その後宮《こうきゅう》に十五の愛する鐘をかかえていたわけだが、その中でも太っちょのマリーがいちばんのお気に入りだった。
鐘がいっせいに鳴らされる日のカジモドの喜びようときたら、ちょっと考えられないくらいだ。司教補佐から、「さあやれ!」とお許しがでると、とたんに彼は、鐘楼のらせん階段を、ほかの人が降りてくるよりも、もっとはやくかけ登ってゆく。息せききって、空高くにあるあの大鐘を吊りさげた部屋にはいる。しばらく黙ってしげしげと、いとおしそうに鐘をながめる。そして、これから長距離レースに出る愛馬にでも向かうように、やさしく話しかけ、軽く叩いたりなでたりしてやる。鐘がこれからひと苦労しなければならないのを、ふびんに思っているのだ。
こうした愛撫をすますと、塔の下の段にひかえている助手たちに、さあはじめろ、とどなる。助手たちが綱にぶらさがると、巻きろくろがきしり、大きな鐘はゆっくりと揺れはじめる。カジモドは、胸をどきどきさせながら、鐘の動きを目で追っている。鐘の舌と内側とがガーンとぶつかると、彼の乗っかっている木組がぶるんぶるん震える。カジモドの体も鐘といっしょに震えている。「ウワーッ!」と、気違いじみた高笑いをする。
そのうちに大鐘の動きはだんだんはやくなり、揺れかたが大きくなってゆくにつれて、カジモドの目もだんだん大きく見ひらかれ、きらきらと光り、燃えたってくる。そのうちに大聖堂の鐘がみんないっせいに鳴りだす。塔全体が、木組も鉛板も石材も、ぶるぶる震える。基礎の杭から、てっぺんのクローバ形の装飾まで、みんないっせいに鳴り響く。するとカジモドは口からぶつぶつあわを吹きながら、行ったり来たりする。塔といっしょに、彼も頭からつま先まで震えている。解き放たれて、たけり狂った鐘は、青銅の口を塔の両側の壁にかわるがわる向けて、十六キロもさきから聞こえる、あのあらしのような息を吐き出す。
カジモドはあんぐり開いた鐘の口の前に陣どって、鐘が押しよせてくるとしゃがみこみ、戻ってゆくと立ちあがる。ガンガン響く鐘の息を吸いこみ、人の群れがアリみたいにうようよしている六十メートルあまりも下の広場と、一秒ごとに耳もとにどなりにやってくるばかでかい銅の舌とを、かわるがわるながめている。
この鐘の音こそ、彼が聞くことのできるただひとつのことばだったし、宇宙の沈黙を破ってくれるただひとつの音だった。小鳥が日の光を楽しむように、カジモドは鐘の音にうっとりしている。と、とつぜん、荒れ狂う鐘の魂が彼にのりうつって、目の色が不思議な光をおびはじめる。クモがハエをねらうみたいに、鐘が近づくのを待ちかまえていたかと思うと、いきなり必死になってとびつく。そして、深淵の上に宙づりになり、鐘の恐ろしい揺れでふり動かされながら、青銅の怪物の耳をつかみ、両ひざで胴を締めあげ、両方のかかとで拍車をかけ、とびついたショックと全身の重みとで狂気じみた鐘の響きをますます激しくする。
塔はゆらゆら揺れる。カジモドは叫び声をあげ、歯をギリギリいわせる。赤毛はさかだち、胸は鍛冶屋《かじや》のふいごみたいな音をたて、目は炎を吹き出し、怪物じみた鐘は彼の体の下であえぎながらいななく。こうなるともう、ノートルダム大聖堂の鐘でもなければ、カジモドでもない。夢か、つむじ風か、あらしだ。音にまたがった≪めまい≫だ。空とぶ馬のしりにしがみついた精霊だ。半人半鐘《はんじんはんしょう》の奇怪なケンタウロスだ。生きた青銅の不思議な|翼のある鷲頭馬身の怪物《イポグリフ》に運ばれてゆく恐ろしいアストールフォ〔アリオストの叙事詩『狂えるオルランド』中の人物〕みたいなものだ。
こんな並みはずれた人間がいたおかげで、大聖堂全体には、何か生《せい》のいぶきみたいなものが漂っていた。民衆の盲信は大げさになるものだが、とにかく彼らの言うところによれば、カジモドからは一種の不思議な放射物が出ていて、それがノートルダムのすべての石に生気を与え、この古い大聖堂の奥まった場所場所を息づかせているらしかった。カジモドがこの聖堂に住んでいるのを知っただけで、回廊や正面玄関にある無数の彫像が生きて、動いているようにみえてきた。事実、彼の手にかかると、この大聖堂も、おとなしい、すなおな生き物みたいにみえてくるのだった。
大聖堂は彼の命令を待って初めて大声をあげた。大聖堂は、ちょうど守り神につかれているみたいに、カジモドにとりつかれ、満たされていた。彼がこの巨大な建物を息づかせているのだ、とも言えそうだった。じっさい、彼はこの建物のどこにでもいた。建物のあらゆる場所に神出鬼没《しんしゅつきぼつ》に現われた。塔のいちばん高いところに現われて、よじ登ったり、身をくねらせたり、四つんばいになったりし、外側の深淵を見おろしながら降りてきて、建物の突起から突起へひょいひょいととび、怪物像の腹の中を探りにゆく変な小人の姿を見かけて、人びとはよくぞっと寒けを感じたものだが、これこそ、カラスを巣から追い出しにゆくカジモドだった。ときには、聖堂の薄暗い片隅にうずくまってしかめっつらをしている、生きた噴火獣みたいなものにぶつかることがあったが、これは物思いに耽《ふけ》っているカジモドだった。またときには、鐘楼の下で、ばかでかい頭とひと塊りのごちゃごちゃした手足が綱の端に夢中でぶらさがって揺れているのを見かけたものだが、これはカジモドが晩の祈りかお告げの祈りを知らせる鐘を鳴らしている姿だった。
夜などよく、塔の頂を飾ったり後陣のまわりを縁《ふち》どったりしている、透かし鉄細工の弱々しい手すりの上を、気味の悪い格好をしたものがさまよっているのが見られたが、これもまた、ノートルダムの鐘番だったのだ。近所の女たちの話によれば、こんなときには大聖堂全体が何か幻みたいな、この世のものとは思えない、恐ろしいものにみえてきたそうだ。たくさんの彫像があっちでもこっちでも目をあけたり、口を開いたりしたそうだ。怪物みたいな大聖堂のまわりで首を伸ばし口をあけて、昼も夜も張り番をしている石の犬だのヘビだの怪獣だのの吠えるのが聞こえたそうだ。
クリスマスの夜、大鐘があえぐような音をあげて、信者たちをろうそくの光であかあかと照らされた真夜中のミサに招いているときなど、大聖堂の暗い正面には、いとも不思議な妖気が漂って、信者たちは正面の大玄関にむさぼりくわれるような気がしたり、円花窓《えんかそう》にじろじろながめられたりしているような気がしてくるのだった、それもこれも、みんなカジモドのせいだった。エジプト人なら、彼をこの神殿の神だと勘違いしたかもしれない。中世の人は、彼をこのノートルダムの守護霊だと信じていた。カジモドはこの大聖堂の魂だったのだ。
こんなわけで、カジモドがここに住んでいたことを知っている者の目には、今日のノートルダムは、さびれた、活気のない、死んでしまっているような場所にみえるのだ。何か歯の抜けたようなさびしい感じがする。この巨大な肉体はからっぽなのだ。骸骨なのだ。魂がとび去って、抜けがらだけが残っている、ただそれだけなのだ。目がおさまっていた穴はまだ残っているが、もうまなざしというものを失った、されこうべみたいなものなのだ。
四 犬と飼い主
カジモドはあらゆる人間に悪意と憎しみをもっていたが、たったひとりだけ例外があった。彼はその人を大聖堂とおなじくらい、いや、おそらくそれ以上に愛していた。その人とは、クロード・フロロだった。
理由は簡単だった。クロード・フロロが彼を拾いあげ、引きとり、養い、育ててくれたからだ。ほんの小さいとき、犬に吠えられたり、子どもたちにはやしたてられたりして、いつも逃げこんできたのは、クロード・フロロのひざの上だった。クロード・フロロは彼に話すことや、読むことや、書くことを教えてくれた。クロード・フロロはさらに、彼を鐘番にしてくれた。ところで、カジモドに大鐘をめあわせることは、ロミオにジュリエットをくれてやるようなものだったのだ。
だからカジモドは、クロードに、深くて、熱烈で、かぎりない恩義を感じていた。養父の顔色はよく曇り、険しくなったし、ふだんの口のききかたも、ぶっきらぼうで、きびしく、横柄《おうへい》だったが、それでもこの感謝の気持は一瞬も揺らいだことはなかった。カジモドは司教補佐のこのうえもなく素直な奴隷であり、おとなしい下僕であり、このうえもなく用心深い番犬だった。
鐘番が可哀そうにも耳が聞こえなくなってしまったとき、彼とクロード・フロロとのあいだには、不思議な、ふたりだけにしかわからない身振りのことばができあがった。こうして司教補佐は、カジモドが意思を伝えることのできるただひとりの人間になったのだった。カジモドは、ノートルダムとクロード・フロロというふたつのものを除けば、この世界のどんなものとも、かかわりがなくなっていたのだ。
司教補佐の鐘番に対する支配力、鐘番の司教補佐に対する愛着、これは世にも無類のものだった。クロードがちょっと合図をし、それが主人をよろこばせることなのだとわかれば、カジモドはノートルダムの塔のてっぺんからでもとびおりたことだろう。カジモドが、異常なまでに発達した肉体の力を何の考えもなくすっかり主人に用立てていたのは、注目すべきことである。そこにはおそらく、孝行な子どもが親にかしずいたり、下僕が主人に仕えるときの気持が働いていたのだろう。また、魂が魂に魅惑されていたのだ。みじめで、ゆがんだ、ぶきっちょな肉体が、気高くて奥深く、力強くてすぐれた知能の前で、頭をたれ、哀願のまなざしを浮かべていたのだ。
要するに、何よりも、それは感謝の気持だったのだ、ほかの何ものにも比べようのない、極端にまで押し進められた感謝の気持だったのだ。感謝の美徳の見本というものは、人間社会ではそうざらにお目にかかれるものではない。そして、私はこう言おう。カジモドはどんな犬も、どんな馬も、どんな象もかつてその主人を愛したことがないほど、深く司教補佐を愛していたのだ、と。
五 クロード・フロロ(つづき)
一四八二年には、カジモドはかれこれ二十歳になり、クロード・フロロはおよそ三十六歳になっていた。ひとりは成人し、ひとりは年をとっていた。
クロード・フロロは、もうトルシ校の純な学生でも、小さな子どものやさしい保護者でもなく、たくさんのことを知っていながら、たくさんのことを知らない、若い空想的な哲学者でもなくなっていた。きびしい、きまじめな、気むずかしい聖職者になっていたのだ。人の魂をひき受ける人間になっていたのだ。モンレリ、シャトーフォールの修院長と百七十四人の地方主任司祭の上に立つ、ジョザの司教補佐どのであり、司教の第二侍祭になっていたのだ。彼は、威厳のある、陰気な人物になっていた。彼がおごそかに、考えに耽りながら、腕を組み、はげあがった高い額だけしか見えないぐらいに顔を深く胸の上に伏せて、内陣の高い尖頭《せんとう》アーチの下をゆっくり通りすぎてゆくと、白衣やジャケットを着た聖歌隊の子どもたちも、聖歌隊の下級役員たちも、サン=トーギュスタン会の修道士たちも、ノートルダムの早朝ミサの神学生たちも、みんな恐れをなして震えるのだった。
だが、クロード・フロロ師は生涯のふたつの仕事、つまり学問と弟の教育をやめてしまったわけではなかった。しかし、時がたつにつれて、あんなに楽しみだったふたつの仕事にも、苦しみがまじってきた。「いちばん上等のベーコンでもしまいには腐る」と、ポール・ディヤクル〔八世紀のフランスの歴史家〕は言っている。
弟のジャン・フロロは、育った場所にちなんで≪風車場≫という添え名をちょうだいしていたが、クロードが望んでいたようなぐあいには育っていなかった。兄は、弟が、素直で、おとなしく、博学で、立派な学生になることを期待していた。ところが弟のほうは、庭師の努力を裏切って、どうしても空気と日光のやってくる方向へだけ伸びる若木のように、ただもう怠惰と、無知と、道楽のほうへばかり成長し、繁茂し、ふさふさと葉をつけたみごとな枝を伸ばしてゆくのだった。まったくふしだらな、しようのないやつになってしまったので、これにはクロード師も眉をひそめた。だが、とても滑稽な、とてもぬけめのないやつでもあったので、これには兄もほほえんでしまうのだった。
クロードは、自分がはじめて勉学と黙想の数年を送ったあのトルシ校へ弟をあずけていた。が、昔はフロロ家の誉《ほま》れが高かったこの学校の体面に、同じフロロ家の人間が泥を塗ってばかりいるのが、クロードの悩みの種だった。そのことで、彼はときどきジャンに、ひどくきびしい、長々としたお説教を聞かせたが、弟のほうはそれに我慢強く耐えた。要するにこの若いならず者も、喜劇によく出てくる悪者みたいな、ごく人のいい男だったのだ。だが、お説教が過ぎてしまうと、また平気で兄を裏切り、とっぴょうしもない騒ぎを繰り返すのだった。ときには、≪青二才≫(大学の新入生はこう呼ばれていた)を、歓迎のしるしだといってこづきまわした。いまなお、こういったありがたい習慣は学生たちのあいだに大切に保存されている。ときには、学生仲間の音頭《おんど》とりになって、(らっぱの音《ね》に勇みたったみたいに)堂々と酒場を襲撃し、酒場のおやじを≪攻撃的|棍棒《こんぼう》で≫ぶんなぐっておいて、わいわいはしゃぎながら酒場を略奪し、しまいには地下室のブドウ酒の大樽の底を抜いてしまったりした。
すると、トルシ校の副復習監督生が、欄外に「喧嘩。一番上等のブドウ酒を飲んだのが主たる原因」というあの痛ましい書きこみのある、ラテン語のみごとな報告書を、気の毒そうにクロード師のもとへもってくるのだった。そのうえさらに、十六の子供にしてはそら恐ろしいことだが、ジャンはすっかり堕落してしまい、よくグラチニ通りへ女を買いにゆくという話だった。
こんなわけで、クロードはひどく胸を痛め、人間を愛すことに失望し、まえにもました熱烈さで、学問の腕の中に身を投げるのだった。学問というわれわれの妹は、少なくとも、目の前で人をあざ笑うようなことはしないし、手がけた苦労には必ず報いてくれるものだ。もちろんその報いは、ときとして多少中身のうつろなものであることもあるが。そこで彼はますます博学になり、それと同時に、当然のなりゆきとして、聖職者としてはますますきびしく、人間としてはますます悲しげになっていった。われわれ人間の知性と品性と人格のあいだには対応関係みたいなものがあって、この関係は絶えず発展しており、よほど激しい生活の大動揺でもないかぎり、破れはしないのだ。
クロード・フロロは若いときから、公に認められている学問はほとんどすべて、あらゆる方面にわたって研究しつくしてしまったので、≪この世の学問の果て≫で立ちどまってしまうのでないかぎり、どうしてもそこからさらに踏み出して、満足することを知らない彼の知能の活動に対する新しい糧《かて》を求めなければならなかった。自分のしっぽを噛《か》んでいるヘビという古くからの象徴は、ことに学問にはよく当てはまる。
クロード・フロロはこうしたことを身をもって感じていたようだ。彼は人間の知識の中の≪人間に許された部分≫をくみつくしたのち、大胆にも≪人間に許されていない部分≫の中へ踏みこんでいったのだ、と断言するまじめな人もたくさんいた。彼らの話によれば、フロロは知識の木の実をつぎつぎに味わいつくしてしまったので、うまかろうが、うまくなかろうが、とうとう禁断の木の実に食いつかざるをえなかったというのだ。
彼はソルボンヌの神学者たちの集会にも、聖イレール像のそばでの文学部学生たちの集会にも、聖マルタン像のそばでの教会法博士たちの討論会にも、「ノートルダム大聖堂の聖水盤のそばでの」医師たちの会合にもつぎつぎに出席していた。四学部と呼ばれるあの四つの大きな調理場が入念に調理して、人間の知能の前に供することのできた、世に認められ許されたあらゆるご馳走を、彼はみながつがつとたいらげ、こんなものはもうたくさんだと思うまでになっていたのだが、肝心の腹はまだいっぱいになっていなかったのだ。
そこで彼は、もっと先へ、もっと深く、完成された形而下《けいじか》の、有限な、あらゆる学問のもっと下へ掘り進んだのだ。彼はおそらく魂を賭けていたのだ。そして洞窟の中で錬金術師や占星術者たちが集まる、あの神秘なテーブルにすわるようになったのだ。中世の学者アヴェロエスやギヨーム・ド・パリスやニコラ・フラメルはこういった学問の最後を飾る大家であるが、この学問の起源は、あの有名な≪七枝の燭台≫〔ユダヤ教の祭事に使われる燭台〕に照らされた東洋の神秘家たち、ソロモンやピュタゴラスやザラスシュトラにまでさかのぼるのである。
当たっていたかいなかったかはわからないが、世間では彼がやっていたことを、こんなうに想像していた。
たしかに、司教補佐はたびたびサン=ジノサン墓地を訪れた。なるほどこの墓地には、彼の両親が、一四六六年のペストで倒れたほかの人びとといっしょに葬られていたことは事実だ。だが、彼は両親の墓の十字架などより、すぐそばに建てられているニコラ・フラメルやクロード・ペルネルの墓碑に刻まれた奇妙な模様のほうを、はるかに深く崇拝しているようすだった。
彼がロンバール通りをとおって、エクリヴァン通りとマリヴォー通りとの角に建っている小さな家へこっそりはいっていく姿を人びとがよく見かけたことも、たしかだった。それはニコラ・フラメルが建て、一四一七年ごろ彼が死んだ家であった。それ以来ずっとあき家になったままだったので、そろそろ崩れかけていた。というのも、錬金術師だの化金石師だのがほうぼうの国からやってきて、壁にむやみやたらに自分たちの名を彫りつけたので、壁がすっかりだめになってしまったのである。あるとき換気窓からのぞいてみたら、補強柱にニコラ・フラメル自身の手で無数の詩句や神聖文字が書きなぐってある、あのふたつの地下室で、クロード司教補佐が土を掘りおこしたり、とりのけたり、すいたりしていた、と断言する近所の人もいくたりかいた。世間では、フラメルがこの地下室に化金石を埋めたものだと想像していたのだ。
二世紀もの長い間、古くはマジストリからパシフイック師にいたるまで、数知れぬ錬金術師たちが穴倉の地面をめちゃくちゃに掘じくりかえしたので、無残きまわる発掘沙汰の対象となったこの家は、とうとう土台をすっかりやられてしまったのである。
なおまた、司教補佐がノートルダム大聖堂の象徴的な正面玄関に異常な情熱を燃やしていたこともたしかだった。つまり、ギヨーム・ド・パリス司教の手になる、あの不可解な彫刻のことだが、ギヨーム・ド・パリスは、建物の他の部分が永遠にうたいつづけている神聖な詩にこんな悪魔じみた口絵をつけたかどで、きっと地獄に落とされたに違いない。クロード司教補佐はまた聖クリストフの巨像や、そのころ聖堂の広場の入り口に立っていて、人びとがあざけって≪灰色どの≫と呼んでいた、あのなぞめいた、たけの高い彫像の秘密にも通じていると思われていた。だが誰もが気がついていたことは、よく彼が広場の欄干に腰をおろして、何時間もつづけざまに正面玄関の彫像をながめていたことだった。さかさになったランプを手にした思慮の浅い乙女たちをじっとながめているかと思うと、今度はまともに立てたランプを持った思慮深い乙女たち〔「人間はすべて神の裁きに心構えを備えておかねばならぬ」という教えを述べた聖書中の話に出てくる乙女たち…マタイ伝〕に目を注ぐ、といったあんばいで。
左手の正面玄関にとまったあのカラスの像の視線の角度を計っていることも、よくあった。カラスの視線は大聖堂の、ある神秘的な一点に注がれているが、そこにはたしかに化金石が隠されているのだ、もしこの石がニコラ・フラメルの地下室にないとすれば。
ついでに申し上げておくが、そのころのノートルダムが、クロードとカジモドというまるで似ても似つかないふたりの人間に、おのおの異なったやりかたで、こんなにまで愛されていたのは、奇妙な運命だった。本能的で野性的な、半分人間みたいなカジモドからは、この聖堂はその美しさや、高さや、堂々とした全体の構えからかもし出される調和を愛されていた。博学で情熱的な想像力に恵まれたクロードからは、建物がもっている意義や、神話や、秘めている意味を愛されていたのだ。羊皮紙の文章のところどころに最初に書いて削りとられた文章がちちちら残っているように、正面のさまざまな彫刻の下にちらほらと見られる象徴を、クロードは愛したのだ。つまり大聖堂が永遠に知性に向かって差し出しているなぞを愛したのである。
さらにもうひとつ、司教補佐が、グレーヴ広場を見おろしているほうの塔の中の、鐘を吊るしてある囲いのすぐそばに、小さな部屋を整えさせたこともたしかだった。誰もはいれないまったくの密室で、彼の許しがなければ司教でも入れてもらえないのだ、という話だった。この小部屋は、むかし司教ユゴー・ド・ブザンソンが塔の頂上のすぐ下の、カラスの巣でいっぱいなところに作ったもので、司教は生前ここで呪いのまじないをやったのだった。この小部屋に何がおいてあるのかは、誰にもわからなかった。だが、テランの岸べあたりにいると、夜、塔のうしろ側に当たるこの部屋の小さな明かりとりから、断続的で変てこな赤い光が、短い規則的な間《ま》をおいて、ついたり、消えたり、またついたりするのがたびたび見えた。≪ふいご≫の激しい息づかいに調子を合わせているみたいな光で、明かりではなく、炎から出る光らしかった。こんなまっ暗やみの高みに火が見えるのだから、とても薄気味悪い感じで、ばあさんたちはこんなことを言うのだった。
「ほら、司教補佐さんが火をおこしていなさる。地獄の火があそこでパチパチはねているよ」
いくらこんなことがあっても、魔法を使っているのだということの確かな証拠には、どっちみちなるわけがなかった。だが、昔から火のないところに煙は立たぬたとえで、司教補佐はずいぶん恐ろしい評判をたてられていた。ここで断わっておくが、ノートルダムの宗教裁判所のお歴々たちはエジプトの神秘学や、降神術や、悪魔の助けなど少しも借りない全く罪のない魔術みたいなものに対してさえ、類のないほどの激しさでこれを敵視し、情け容赦なく告発したのであった。
裁判官たちはクロードの所業をほんとうにこわがっていたのだろうか、それとも、「泥棒だ! 泥棒だ!」と叫びながら逃げ出していく盗人のたけだけしさから、そう思ったのだろうか。とにかく司教補佐は、司教座聖堂参事会の学のある連中からは、地獄の玄関をのぞきこんだ人間であるとか、降神術の洞窟に迷いこんだ人間であるとか、神秘術の暗がりの中で手探りをしている人間であるとかいうふうに思われていたのだ。
一般の人びとも見そこなってはいなかった。ちょっとでも頭の働く人間なら誰も、カジモドは悪魔で、クロード・フロロは魔法使いだと思っていた。鐘番は一定の期間司教補佐に仕えなければならないが、期限がくれば、報酬として司教補佐の魂をもっていってしまうことは明らかだった。そんなわけで、司教補佐はとてもきびしい生活をしていたのに、善男善女のあいだでは悪い評判をたてられていたのだ。そしてどんなに無経験な女信者の鼻でも、司教補佐が魔法使いであることをすぐかぎつけてしまうのだった。
こんなふうに、年をとるにつれて、彼の学問には深淵ができていったが、同時に彼の心にもまた、深い淵《ふち》のようなものが生まれたのである。暗い雲をとおしてしか魂の輝きを見せないあの顔をよくよくながめると、どうしてもそんなふうにしか思えないのだった。どうして額があんなにはげあがってしまったのだろう、どうしてあんなぐあいにいつも頭をたれているのだろう、どうしてあんなに胸から溜息ばかりついているのだろう? これから戦おうとする二頭の牛みたいに額に八の字をよせながら、一方では口もとにあんな苦しそうなほほえみを浮かべるなんて、いったいどんなひそかな考えごとに耽《ふけ》っているのだろう? はえ残った髪の毛は、どうしてもう、あんなに白くなりだしたのだろう? ときどき目がきらきら光り、まるで大かまどの腹にあけた穴みたいになることがあるが、いったい心の中にどんな火が燃えているのだろう?
司教補佐の激しい精神的な不安を示すこうしたいろいろなしるしは、この時分、ことにいちじるしくなっていた。聖歌隊の子どもが、彼が聖堂にひとりでいるのを見て、おじけづいて逃げていったことも一度や二度ではなかった。それほど彼の目つきは怪しげにきらきら光っていたのだ。内陣で、聖務日課の時間に、聖職者席で隣り合った同僚が、彼がグレゴリオ聖歌に「いろいろな調子で」わけのわからない文句をはさみこむのを聞いたことも、一度や二度ではなかった。「参事会の洗たく」を引き受けていたテランの洗たく女が、ジョザの司教補佐さまの白衣に爪やひきつった指でひっかかれた跡を見つけてぞっとしたことも、一度や二度ではなかった。
だがその一方、彼はますます行ないを慎しみ、文句のつけようのないような、聖職者の模範となっていた。身分からも性格からも、彼はずっと女から遠ざかって暮らしていたが、いまではそれまでにもまして、女を嫌っているようにみえた。絹の下着が揺れ動く音を聞いただけで、ずきんを目深にかぶってしまうのだった。この点での厳格さと慎重さときたら、もう、ひととおりのものではなかった。だから、一四八一年十二月に国王の息女ボージュー侯妃がノートルダムの修道院を訪れたときも、「老若、貴賎《きせん》を問わず」いかなる婦人にも修道院に近づくことを禁じた一三三四年聖バルテルミ祭前日の日づけのある、『黒書』〔魔術や降神術について述べた本〕中の規定を司教に指摘して、侯妃のはいってくることに厳粛に反対したのであった。これに対して、司教はやむをえず、ある種の身分の高い婦人、「避ければどうしても問題とならざるをえない、ある種の身分の高い婦人」を例外として認めた、法王特使オドの命令を引用してみせた。司教補佐はそれでもなお、法王特使の命令が出されたのは一二〇七年であり、『黒書』より百二十七年も昔にさかのぼる、したがって『黒書』の出たことにより事実上それは廃止されたのだ、と主張して、あくまでも異議をとなえた。そして王女の前に挨拶に出るのを拒絶してしまった。
それにまた、人びとはしばらくまえから、彼がジプシーたちに対する嫌悪をますますつのらせていることに気づいていた。彼は司教をうながして、ジプシー女たちが大聖堂の前の広場へきておどったり、太鼓を叩いたりするのを厳禁する法令を出させた。そしてそのころから、彼は、ヤギや牝豚や牝ヤギと共謀して魔法をおこなったかどで、火刑または絞首刑に処された男女の魔法使いの事例を集めるために、宗教裁判所のかびくさい古文書類を調査しはじめたのである。
六 憎まれっ子
まえにも申し上げたように、司教補佐と鐘番は、大聖堂のまわりでは、金持からも貧乏人からもあまり好かれていなかった。クロードとカジモドはよくいっしょに外出したが、主従ふたりがノートルダムのまわりの冷えびえした、狭い、暗い通りを歩いてゆくと、悪口だの、いやみたっぷりなからかいの声だの、ばかにした冷やかしだのがたびたび飛びだしてきて、彼らを悩ませるのだった。もっともクロード・フロロが……めったにないことだが……顔をまっすぐにあげて、険しい、こうごうしいと言ってもいいほどの額をしゃんと見せて歩きでもすると、冷やかし屋たちも口がきけず、うろたえてしまうのだったが。
ふたりとも、この界隈《かいわい》では、ちょうどレニエ〔十六〜十七世紀の風刺詩人〕がうたっている「詩人」みたいなものだった。
どいつもこいつも、詩人のあとを追っかける、
ヨシキリが、鳴きながらフクロウのあとを追うように。
命がけでカジモドのこぶに針を突き刺して、なんとも言えない痛快さを味わおうとする陰険な腕白小僧がいる。若い、器量よしのあばずれが現われでて、娘にしてはもってのほかの図々しさで司祭の黒衣にそっとさわり、鼻っ先で、「ヤーイ、ヤーイ、悪魔がつかまった」と、こばかにしたように歌いのけることもある。ときには、きたならしいばあさんの群れが玄関の階段の薄暗いところにずらりとしゃがみこんで、司教補佐と鐘番が通るのに何かぶつくさ言っていたかと思うと、いきなりこんなひどい歓迎のことばを投げつけることもあった。
「へん! お供の体みたいな魂をもったおかたが来なさったよ!」
駒並べをして遊んでいた学生や歩兵の一群がいっせいに立ちあがって、ラテン語のお上品な嘲罵《ちょうば》を浴びせかけることもあった。
「ほら! ほら! クロードが足のへんなやつを連れてきたぞ!(クラウディウス・クム・クラウド)」
だが、たいてい、司祭も鐘番もこうした悪口には気がつかなかった。カジモドは耳がきこえなかったし、クロードはいつも思いに耽っていたので、こうしたありがたい言葉のかずかずも、さっぱり耳にはいらなかったのだ。
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第五編
一 サン=マルタン大修院長
クロード師の名声はこのころすでに広く知れわたっていた。ボージュー侯妃に会うのを断わったのと同じころの話だが、ある人が、わざわざ訪ねてきたことがあった。そしてこの訪問の思い出は、その後長いあいだ彼の記憶に残っていた。
ある日の夕暮れだった。彼は、ミサを終え、ノートルダム修道院の自室に帰ってきた。部屋は、変わったところも、おかしなところも、なにもない普通の部屋だった。ただ片隅に小さなガラスびんが五、六本放り出してあって、びんには錬金粉にそっくりな、なんだかえたいの知れない粉がいっぱい詰まっていた。壁の表には、ところどころ文字が書きこまれていたが、見ればみな、立派な著作から抜き出された、学問上や信仰上の箴言《しんげん》ばかりであった。
クロード師は写本がいっぱいはいっている大きな長持の前にちょうど腰をおろしたところで、火口《ほくち》の三つある銅製のランプが、彼のまわりを照らしていた。彼は、大きく開かれたホノリウス・ドータンの著書『救霊予定および自由意志について』の上にひじをつき、じっと考えこんだまま、持ってきた二折版印刷本のページを繰っていた。これはこの部屋にあるただ一冊の印刷本だ。考えに耽っている最中に、ドアをノックする音が聞こえた。
「どなたじゃ?」と司教補佐は、飢えた番犬が骨をかじっているところをじゃまされたみたいなつっけんどんな口調で叫んだ。外で答える声がした。
「ジャック・コワチエですよ」
司教補佐はドアを開けに立った。
名のったとおり、国王の侍医ジャック・コワチエだった。五十歳ばかりの人物で、きびしい顔つきをしており、ずるそうな目の色がいくらかその印象をやわらげていた。連れがひとりいた。ふたりとも、リスの毛皮のついたスレート色の長衣を着こみ、皮帯を締め、ボタンをきちんとかけている。そこへ、おなじ生地で、おなじ色の縁なし帽をかぶっている。ふたりとも、手は袖の中に隠れ、足は長衣の裾に隠れ、目は帽子の陰に隠れて見えなかった。
「いや、これはこれは!」と、司教補佐はふたりを部屋へ通しながら言った。「このような時刻にようこそおいで下さいましたな」
そして、こんなふうにいかにも愛想よくしゃべりながらも、彼は不安げな、探るようなまなざしを侍医からその連れのほうへ移していった。
「チルシャップのクロード・フロロ師のような大学者をお訪ねするのに、もう時間が遅いから、などと言ってはおられませんですよ」と、コワチエ博士は答えた。フランシュ=コンテ〔フランス東部の昔の州〕なまりのせいで、博士がひとことしゃべるたびに、語尾がまるで長裾《ながすそ》つきの長衣みたいにおごそかに引きずった。
それから、侍医と司教補佐のあいだには、そのころの習慣で学者同士が用談にはいるまえにかわすことになっていた、お世辞のやりとりがはじまった。たとえ腹の底から憎み合っている学者同士でも、こうしたやりとりをやったものなのだ。いや、今日でもやはり同じことで、学者が学者に向かって言うお世辞には、甘ったるいことばのうしろに鋭い針が隠されているのである。クロード・フロロはジャック・コワチエに、おもにこのやんごとない侍医がもっているさまざまな物質的特権に触れて賛辞を述べたてた。まことにお羨ましいお仕事だ、王さまが病気になられるたびにたんまりふところが肥える、化金石の探求なんかより遥かにすぐれた、確実な錬金術を心得ているようなものだ、などなど。
「そうそう! コワチエ博士どの、甥《おい》ごどのピエール・ヴェルセ閣下の司教職ご就任を承《うけたまわ》って、たいそううれしく存じました。たしか、アミヤンの司教でございましたな?」
「さようです、司教補佐どの。神のお恵みをもちましてな」
「クリスマスの日には、会計検査院のかたがたをお引き連れになって、まことにご立派なお姿でございましたなあ、院長どの?」
「いや、クロードどの、副院長ですよ。いやはや! わたしはそれ以上の者ではありませんわい」
「サン=タンドレ=デ=ザルク通りのあの素晴らしいお屋敷は、どのくらいまでできあがりましたかな? あれはまるでルーヴル宮ですな。戸口に|アンズの木《ラブリコチエ》を彫りつけて、≪|コワチエ宅《ア・ラブリ・コチエ》≫という愉快なしゃれがそえてあるのなんぞは、ことに気にいりましたよ」
「いやはや! クロードどの、ああいった石の建物はひどく金を食いましてな。できあがるにつれて、こちらの身代がつぶれてゆくという始末ですよ」
「ご冗談を! 監獄からも、パリ裁判所からも実入《みい》りがおありじゃありませんか? それに城内の家作だの、肉屋だの、売店だの、屋台店だのの賃貸料がごっそりはいってくるじゃありませんか? 張りきった乳房から乳をしぼるようなものですよ」
「ポワシの領地からは、今年など、なんにもはいってきませんでしたよ」
「でも、トリエルやサン=ジェムスやサン=ジェルマン=アン=レの通行税は、いつも間違いなく、たっぷりあがりましょう」
「たったの百二十リーヴルです。それもパリ・リーヴルじゃないのですよ」
「博士は国王顧問官のお役目も仰せつかっておいででしたな。このほうからは定収入がおありでしょう」
「さよう、クロードどの、でもあのポリニの領地ときたら、人はなんだかんだと申しますが、平均すれば年に六十金エキュにもならんのですよ」
クロード師がジャック・コワチエにふりまいたお世辞には、皮肉で、とげとげしく、それとなく冷やかしているような調子が見られた。すぐれた才能をもちながら運に恵まれない男が、うまく成功した俗物をちょっと気ばらしにからかっているときの、あのもの悲しく残忍なほほえみが窺《うかが》われた。
だが、相手はそんなことには気づいていなかった。
「まことに」とクロードはとうとう侍医の手を握りながら言った。「あいかわらずご壮健で何よりですな」
「ありがとうございます、クロードどの」
「それはそうと、国王陛下のご病気はいかがですか?」と、クロード師は大きな声できいた。
「どうも医師へのお手当が充分ではありませんでしてな」と、博士は連れの男を横目で見ながら答えた。
「ほんとうにそう思いますか、コワチエどの?」と、連れの男がきいた。
驚きと非難の調子をおびたこのことばを聞いて、司教補佐はあらためてこの見知らぬ人物に注意を向けた。もっとも、この見なれぬ人物が部屋にはいってきたときから、司教補佐はこの男のことをずっと頭の片隅に置いてはいたのだが。クロード師が、国王ルイ十一世の侍医で全権力を握っているジャック・コワチエ博士のご機嫌をとり、こうして人を連れてやってきたのを迎え入れたりしたのも、実にさまざまなわけがあってのことだった。だからジャック・コワチエがつぎのように言ったときにも、けっしていい顔は見せなかったのである。
「ところで、クロードどの、友人をひとり連れてまいったのです。ご高名をしたって、ぜひお目にかかりたいと申されるので」
「学問をおやりの方ですか?」と司教補佐は、コワチエが連れてきた男に持ちまえの鋭いまなざしを注ぎながらきいた。司教補佐は、その男の眉の下に、自分の目にも劣らないほど鋭い、疑心にみちた目が光っているのを見てとった。
おぼろげなランプの光の中で見たところ、年は六十ぐらいの中背《ちゅうぜい》の老人で、かなり病身で老いぼれているようすだった。横顔は、ひどく町人くさいが、どことなく力強い、きびしいところがある。ひとみは、奥深い上眉の下で、ほら穴の底の光のようにきらきら輝いている。鼻の上まで目深《まぶか》にかぶった帽子の下には、天才の額から生まれる大きな計画が渦まいているのが感じられる。
男は、みずからすすんで司教補佐の問いに答えた。
「先生」と、彼はおちついた声で言った。「ご高名を拝聞いたし、ご相談願いたいことがあって参上いたしました。わたくしはつまらない田舎貴族でございまして、博学の士の門を叩くにあたりましては、本来ならば、まず靴を脱ぐべき者でございます。まず名まえを申し上げねばなりません。わたくしは、トゥーランジョーと申します」
〈貴族にしては妙な名前だ!〉と司教補佐は思った。だが、彼は何か力強くて、ものものしいものの前に立っているような気持がした。彼の高い知性から出る本能が、トゥーランジョー氏の毛皮の帽子の下に、同じように高い知性が潜んでいるのを見抜いたのだ。そして、この男の重々しい顔を見ているうちに、ジャック・コワチエに対したとき司教補佐の気むずかしい顔に浮かんだ皮肉な薄笑いは、たそがれの薄明かりが夜の地平に消えてゆくように、しだいに消え失せていった。彼は、沈んだようすで、黙って、また肘掛け椅子に腰をおろし、テーブルのいつものところに片ひじをついて、額を手の平でささえた。しばらくじっと考えこんでいたが、やがてふたりの客に腰をおろすように手ぶりですすめ、トゥーランジョー氏に話しかけた。
「相談があってまいられたとおっしゃったが、どんな学問についてですかな?」
「先生」と、トゥーランジョー氏が答えた。「わたくしは病気なのです。とても重いのです。先生が現代の偉大なアスクレピオス〔ギリシア神話の医学の神〕だとうかがったものですから、医学上のご助言をうけたまわりたいと存じて、参上いたしたしだいなのです」
「医学ですと!」と、司教補佐は頭を横に振りながら言った。しばらく考えこんでいるようすだったが、また口を開いた。
「トゥーランジョーどのとおっしゃいましたな。どうぞ、うしろをごらん下さい。わたくしのお答えはすっかりその壁に書いてあります」
トゥーランジョー氏は言われたとおりにうしろを向き、頭の上の壁に彫りつけられていることばを読んだ。
「医学は妄想の産物である。…ヤンブリコス〔三〜四世紀のギリシアの哲学者〕」
一方、ジャック・コワチエ博士は、連れてきた男の質問をいまいましげに聞いていたが、クロード師の答えは、彼のいまいましさをますますつのらせてしまった。彼はトゥーランジョー氏の耳もとに身をかがめ、司教補佐に聞こえないように小声で言った。
「気が狂っていると、ちゃんと申し上げておきましたでしょう。それなのにお会いになりたいなんて!」
「ひょっとしたら、こいつの言うことが正しいのかも知れんぞ、ジャック博士!」と、トゥーランジョー氏はあいかわらずおちついた口調で、皮肉な笑みを浮かべて答えた。
「ご勝手になさいまし!」と、コワチエはそっけなく答えた。それから司教補佐に向かって話しかけた。「あなたはどうも物事をてきぱきとかたづけられすぎますな、クロードどの。サルがハシバミのからをむくほどの手間もかけないで、ヒッポクラテス〔古代ギリシアの医者。医学の父と呼ばれる〕をかたづけておしまいになる。医学が妄想だなんて! もし薬屋や没薬師《もつやくし》がこの場にいたら、石で撃ち殺されてしまわないともかぎりませんぞ。ではあなたは、媚薬《びやく》が血液におよぼす作用や、膏薬《こうやく》が肉体におよぼす作用を否定なさるのですな! 世界と称する、種々の花々や金属類からなる、この永遠の薬局を否定なさるのですな! これこそ、人間というこの永遠の病人のためにわざわざつくられているのですぞ!」
「わたくしは薬局も病人も否定はいたしません。医師を否定いたすのです」と、クロード師は冷やかに答えた。
「では、なんですね」とコワチエは興奮して言った。「痛風は体内の水疱疹《すいほうしん》だという説も、大砲の傷は焼いたハツカネズミをつければ治るということも、若い者の血液を適当に輸血すれば老化した静脈を若がえらせることができるということも、みんな嘘だとおっしゃるのですな。二たす二は四だということも、後弓反張《オピストトーヌス》は前彎性破傷風《エンプロストトーヌス》を併発するということも、嘘だとおっしゃるのですな!」
司教補佐はおちついて答えた。「わたくし流に考えねばならぬことも、ままありましてな」
コワチエは怒ってまっ赤になった。
「まあ、まあ、コワチエどの、腹をたてるのはよしましょう。司教補佐どのはわたしたちの友人ですよ」と、トゥーランジョー氏が言った。
コワチエは小声で「要するにこいつは狂っているんだ!」とブツブツ言いながらも、ようやくおさまった。
「いやはや、クロード先生」と、トゥーランジョー氏は、ちょっと間《ま》をおいてまた口を開いた。
「そういうご返事では、ほとほと困ってしまいます。わたくしはふたつのことでご意見を伺《うかが》いたくて参ったのです。ひとつはわたくしの健康について、もうひとつはわたくしの星まわりについてです」
「トゥーランジョーどの」と、司教補佐は答えた。「そんなおつもりでしたら、何もわざわざここの階段を息を切らしてお登りになっていらっしゃることはなかったのですよ。わたくしは医学を信用しておりません。占星学も信用しておりません」
「これは、これは!」と、トゥーランジョー氏は驚いて言った。
コワチエは、とってつけたような笑いを浮かべた。「こいつが狂っていることがこれではっきりおわかりでしょう。占星学も信じてはおりませんのですよ!」と、彼はトゥーランジョー氏にそっとささやいた。
「ばかばかしい考えですよ」と、クロード師はことばをつづけた。「星の光線が一本一本、糸みたいに人間の頭につながっているなんて!」
「では、いったい何を信じておられるのですか?」と、トゥーランジョー氏が叫んだ。
司教補佐はちょっとの間、ためらっていたが、やがて、自分のことばを打ち消しでもするような陰気なほほえみをもらして答えた。「|神を信じます《クレド・イン・デウム》」
「|われらの主なる神《ドミヌム・ノストルム》を信じます」とトゥーランジョー氏も十字を切りながら言いそえた。
「アーメン」とコワチエも言った。
「先生」と、トゥーランジョー氏がまた口をきった。「ご信心のほどをうかがって、まことにうれしく存じます。だが、先生ほどの大学者になられると、もう学問などは信じられぬものでございましょうか?」
「とんでもない」と、司教補佐はトゥーランジョー氏の腕をぐっと握って言った。彼の生気のないひとみには、このとき熱情のきらめきがぱっと輝いた。「とんでもない、わたくしは学問を否定などいたしません。ずいぶん長いあいだ腹ばいになり、地に爪を立てて、学問の洞穴の数知れぬ支脈の中をはいずりまわって参りましたのも、はるか先の、暗い坑道のつきあたりにひとつの光を、ひとつの火を認めたからこそであります。忍耐強い人びとや賢明な人びとが神に接したという、何かしら、光り輝く学問の殿堂の反映とも思われるものを認めたからこそであります」
「で、結局、真実で確実なものは、なんだとお考えですか?」と、トゥーランジョー氏が話をさえぎった。
「錬金術です」
コワチエが異議を唱えた。「いやはや、クロードどの、錬金術もきっと真実なものではありましょう。だが、なぜ医学や占星学をおけなしになるのですか?」
「空《くう》です。人間のからだを研究する学問なんて! 空《くう》です。空《そら》の星を研究する学問なんて!」と、司教補佐は頭ごなしに言ってのけた。
「エピダウロス〔古代ギリシアの都市。医学の神アスクレピオスの聖所があった〕もカルデア〔バビロニアの古名。ここでは占星学の発祥地としてあげられている〕も、くそくらえ、というわけですな」と、医者があざ笑いを浮かべて言った。
「まあ、お聞き下さい、ジャックどの。まじめにお話ししているのです。わたくしは国王の侍医でもなければ、星座を観測するために陛下からデダリュスの園をいただいた覚えもありません。……お怒りにならずに、まあお聞き下さい。……で、医学のほうはあまりにばかげておりますから、まあ問題にはなりませんが、占星学の研究から博士はいったいどのような真理を発見なさいましたか? 垂直牛耕運動《ブーストロフェドン》にどんな効能があるのか、ジリュフだのズフィロッドだのという数からどんなありがたいことがわかったのか、ひとつお教え願いたいものです」
「それでは『クラヴィキュル』〔あやまってソロモン著とされている魔術の本の題〕の感応力も、そこから神秘な力が出るという事実も否定なさるわけですね?」と、コワチエがきいた。
「でたらめですよ、ジャックどの! あなたのお説は、どれもこれも真理とは無関係です。それにひきかえ、錬金術のほうはいろいろな発見をやっております。錬金術のあげた成果を二つ三つ申し上げてみましょう。まさかこれに文句をおつけにはなりますまいな?……氷は千年のあいだ地中に封じこめられると水晶になる。……鉛はすべての金属の祖先である。(というのも金は金属ではなくて光だからです)鉛は、鉛の状態から赤砒素《せきひそ》の状態に、赤砒素から錫《すず》に、錫から銀にとつぎつぎと変わってゆくのに、各二百年を一期とする計四期を要するにすぎない。……これは立派な事実でしょう? だが、クラヴィキュルだの、実線だの、星だのを信じるのは、シナ人といっしょになって、コウライウグイスがモグラに変わったり、小麦の粒がコイ科の魚に変わったりすると信じるようなもので、まったく笑止の沙汰《さた》なのです!」
「わたくしは錬金術も研究いたしました」と、コワチエが叫んだ。「誓って申し上げますが……」
勢いこんだ司教補佐は、コワチエに終わりまでしゃべらせなかった。「わたくしだって医学も、占星学も、錬金術も、みな研究しましたよ。だが真理はここにだけあるのです。(こう言いながら、彼はさっきお話ししたあの粉がいっぱい詰まっている小さなびんをひとつ、長持の上から手にとった)光はここにだけあるのです! ヒッポクラテスなんか夢です。ウラニア〔ギリシア神話の天文学と幾何学の女神〕なんか夢です。ヘルメス〔ギリシア神話の商業、科学などの神〕なんか夢想です。黄金こそ太陽なのです。黄金をつくることは、神になることなのです。錬金術こそは唯一の学問なのです。申し上げたようにわたくしは医学にも占星学にも首をつっこみました! 空《くう》です、空《くう》です。人間の体のことなど、なんにもわかりはしません、空《そら》の星のことも、なんにもわかりはしません!」
こう言って、彼は力強い、霊感に打たれたようなようすで、また椅子に腰をおろした。トゥーランジョー氏は黙ってその姿を見守っていた。コワチエはわざとらしい冷笑を浮かべ、わかるかわからないほどちょっと肩をそびやかして、なんどもつぶやいた。「こいつ、狂ってるんだ!」
「それで」と、トゥーランジョー氏が出し抜けに言った。「先生はその驚くべき目的を達成なさったのですか? 黄金をおつくりになられたのですか?」
「もしつくっておりましたなら、いまごろフランス王は、ルイではなくて、クロードと呼ばれていたことでありましょう」と司教補佐は、もの思いに耽っている人がするように、一語一語をゆっくりと発音しながら答えた。
トゥーランジョー氏は眉をしかめた。
「なんとつまらぬことを申したのでしょう!」と、クロード師はさげすむようなほほえみを浮かべて、ことばをつづけた。「黄金をつくることができたら、東ローマ帝国を再建することもできるでしょうに、フランスの王位などなんでしょうか!」
「まことに結構なお話ですな!」と、トゥーランジョー氏が言った。
「可哀そうに! 狂ってるんだ!」と、コワチエがつぶやいた。
司教補佐はなおもしゃべりつづけた。もうわれとわが思いに答えているとしかみえない。
「だめだ、わたしはまだ泥の中をはいずりまわっている。地下道の石ころで、顔だのひざだのをすりむいている。ちちちらした光が見えるだけで、光の正体はつかめない! 奥義を読みとることなどできはしない。拾い読みが精一杯のところだ!」
「で、お読みになれるようになったら、黄金をおつくりになれますか?」とトゥーランジョー氏がきいた。
「もちろんではありませんか?」と司教補佐が答えた。
「それでは、|聖母マリア《ノートルダム》もご承知のことですが、わたくしははなはだしく金銭に不自由いたしておりますので、あなたのそのご本を読むすべをぜひ会得《えとく》いたしたいものでございます。ところで、先生、あなたのお学びになっている錬金術は、聖母マリアにおさからい申したり、そのご機嫌を損ねたりするものではありますまいな?」
こうきかれて、クロード師はおちついた、尊大な態度で、「わたくしが誰に仕えているのだとお思いですか?」と答えただけだった。
「なるほどごもっともです、先生。それでは先生! お教えいただけますでしょうか? その書物の拾い読みとやらを、ごいっしょにやらせて下さいませんか」
クロードは、まるでサムエル〔イスラエルの士師〕のようなおごそかな、司教然とした態度をとった。
「ご老人、この神秘の世界への旅を企てるためには、あなたはあまりにも年をとりすぎておられます。おつむも、もうまっ白だ! 錬金術の洞窟から出てくるときには髪はいやでも白くなっておりますが、中にはいってゆくのは、髪の黒いうちでなければなりません。学問をやってゆくその苦労だけででも、人間の顔は深いしわができ、色があせ、かさかさになってしまうのです。年をとらなくても、顔はしわだらけになってしまうのです。
だが、そのお年からでも勉学にとりかかり、賢人たちのむずかしく厄介な文字を読み解きたいという、たってのお望みであれば、わたくしのもとに、こられるがよろしい。おひきうけいたしましょう。ひとつやってみましょう。ご老体に向かって、ヘロドトスが語っておりますピラミッドの墓室とか、バビロンの煉瓦の塔とか、エクリンガのインド寺院の白大理石でできた巨大な内陣とかを訪ねてごらんなさい、などとは申しません。わたくしとてもあなたと同じで、シクラ〔インドの尖塔のついた丸い塔〕の聖なる様式で建てられたカルデアの石造建築も、破壊されたソロモンの神殿も、こわれたイスラエル諸王の墓の石の扉も見たことは一度もないのです。わたくしたちは、ここにあるヘルメスの書物の断片だけで満足せねばならんでしょう。種まく人の象徴である聖クリストフの彫像や、サント=シャペル礼拝堂の正面玄関にあるふたつの天使像の秘密についてご説明いたしましょう。天使像のひとつは手を≪かめ≫の中に入れ、もうひとつは手を雲の中に入れているのですが……」
このとき、司教補佐の勢いこんだやり返しでぺしゃんこにされていたジャック・コワチエは、馬首を立て直し、学者が商売敵《しょうばいがたき》の誤りを指摘するときのあの勝ちほこった口調で、司教補佐のことばをさえぎった。「間違っていますぞ、クロードどの。象徴は数ではありません。あなたは、オルペウスをヘルメスだと勘違いしておられる」
「あなたこそ間違っておられる」と司教補佐は重々しい調子で言い返した。
「ダイダロスは土台、オルペウスは壁、ヘルメスは建物なのです。それで、すべてがそろうのです。……お気が向いたら、いつでもおいで下さい」と、司教補佐はトゥーランジョーのほうを向いて、ことばをつづけた。
「ニコラ・フラメルの≪るつぼ≫の底に残っていた金のかけらをお見せしますから、ギヨーム・ド・パリスのつくった黄金とお比べになって下さい。ギリシア語の『ペリステラ』という言葉に秘められた効力もお教えいたしましょう。だが手はじめにまず、大理石につづられたアルファベット文字、つまり秘密の書物の石のページともいうべきものを順々に読む方法をお教えしましょう。ギヨーム司教の正面玄関やサン=ジャン=ル=ロンの正面玄関からサント=シャペル礼拝堂へ、それからマリヴォー通りのニコラ・フラメル邸へ、つぎにサン=ジノサン墓地にある彼の墓へ、モンモランシ通りの彼のふたつの施療院へと御案内しましょう。サン=ジェルヴェ施療院の正面玄関とフェロヌリ通りにある、四つの大きな鉄製の薪《まき》台に刻まれた象形文字も読ませてさしあげましょう。
それからまたサン=コームや、サント=ジュヌヴィエーヴ=デ=ザルダンや、サン=マルタンや、サン=ジャック=ド=ラ=ブーシュリといった教会の正面もごいっしょに読み解いてみましょう……」
トゥーランジョーはいかにも頭のよさそうな目つきをしてはいたが、もうだいぶまえからクロード師の言うことがさっぱりわからなくなってしまったらしい。彼は司教補佐のことばをさえぎった。
「いやはや! 先生の言われる書物とはいったいなんのことなのですか?」
「ここに、その一冊が見えます」と司教補佐は答えた。そして部屋の窓を開けると、ノートルダムの巨大な聖堂を指さした。大聖堂はふたつの塔と、石の壁と、怪物のような臀部《でんぶ》との黒いシルエットを星空にくっきり浮きたたせていて、まるでパリのまん中にとてつもなく大きな双頭のスフィンクスがすわりこんでいるみたいに見えた。
司教補佐はしばらく黙ってその巨大な建物をながめていたが、やがて溜息をひとつつくと、右手を、テーブルにひろげてあった印刷書のほうへ伸ばし、左手を、ノートルダム大聖堂のほうへ差し出して、悲しげな目を書物から建物へ移しながら言った。
「ああ! これがあれを滅ぼすだろう」
コワチエは、いったいなんの本だろうと急いでそばへよってきたが、思わず大声をあげて言った。
「おやおや! なんだってまた、この本がそんなに恐ろしいとおっしゃるんですか?『聖パウロ書簡集注釈、ニュルンベルク、アントニウス・コーブルガー刊、一四七四』とありますな。目新しいものではない。≪命題集の師≫ペトルス・ロンバルドゥスの書いた本じゃありませんか。印刷されているから恐ろしいと言われるのですか?」
「そのとおりです」とクロードは答えた。彼は何か深い瞑想に耽っているようすで、ニュルンベルクの名高い印刷機で刷りあげられた二折版の本の上に、折り曲げた人さし指を置いて、じっと立ちつづけていた。やがて彼は、こんななぞのようなことばを言い添えた。
「恐ろしいことじゃ! 小さなものが大きなものをうち負かすのだ。一本の虫歯もからだ全体を朽《く》ちさせる。ナイル川のネズミはワニを殺し、メカジキはクジラを殺し、書物は建築物を滅ぼすことになるだろう!」
ジャック博士が「あいつは気がふれていますよ」という例のお得意の文句を連れの耳にまたささやいていたとき、消燈を告げる修道院の鐘が鳴り響いた。とうとう連れの男もこんどは、こう答えざるをえなかった。「そうらしいな」
外来者はみな修道院から出ていかなければならない時間がきたのだ。ふたりの客は帰り支度をはじめた。
「先生」と、トゥーランジョー氏は司教補佐にいとまごいをしながら、言った。「わたくしは学者や大人物を敬愛いたす者です。とりわけあなたのことは崇敬いたしております。あすトゥールネル宮へおこし下さい。そして、サン=マルタン・ド・トゥール大修院長に会いたい、とおっしゃって下さい」
司教補佐はびっくりして部屋へ戻った。トゥーランジョー氏とはどういう人物かがやっとのみこめたのである。サン=マルタン・ド・トゥール修道院の記録集にあるつぎのような一節を思い出したのだ。「サン=マルタン大修院長、≪すなわちフランス王≫は、慣習により司教座聖堂参事会員である。そして、聖ウェナンティウスの得る小額の収入を受けとり、財務官の座につかねばならない」
このとき以来、ルイ十一世がパリを訪れたときには、司教補佐は陛下とたびたび会談したということである。クロード師に対する信任がはなはだ厚くなり、オリヴィエ・ル・ダンやジャック・コワチエは出し抜かれたような格好になったので、コワチエは、彼一流のやりかたで、王に当たり散らしたという話である。
二 これがあれを滅ぼすだろう
司教補佐はさきほど「これがあれを滅ぼすだろう。書物が建物を滅ぼすだろう」というなぞのようなことばをもらしたが、このことばの中には、いったいどんな意味が隠されているのだろうか、そのへんのところを、とくに女性の読者のみなさんのお許しを得て、ここでちょっと探ってみたいと思う。
わたしの考えによれば、このことばの意味にはふたつの面があったようだ。まずひとつの面は聖職者としての考えである。印刷術という新興勢力のまえにおののく聖職者たちの恐れをあらわしている。グーテンベルクの輝かしい印刷機を目前にした、神に仕える人びとの恐怖と驚嘆の気持を示している。説教と写本、つまり話されたことばと書かれたことばの、印刷されたことばに対する不安のおののきである。一羽のスズメが、天使の軍団が六百万の翼をいっせいに広げるのを見たとしたら、きっと肝を潰《つぶ》して腰を抜かしてしまうに相違ないが、何かしらそれに似たような精神の状態である。
信仰という鎖から解放された人類がざわめき群がり集まる気配をはやくも耳にした予言者の悲痛な叫び、ゆくゆくは知性が教義の足もとを掘りくずし、世論が信仰をその王座からけおとし、世界がローマを揺り動かすことを見てとった予言者の悲痛な叫びである。人類の思想が印刷機によって気化され、神政政治の容器から蒸発してしまうのを見こした哲学者の予想である。敵兵の手にした青銅の破城槌《はじょうづち》をつくづく見て、「この塔も、そのうちには倒されてしまうだろう」と、くちばしる兵士の恐怖である。ひとつの力が去り、代わって他の力が現われようとしていたことを意味していたのである。つまり「印刷術は教会を滅ぼすだろう」ということだったのである。
だが、いま挙げた第一の、おそらくしごく簡単な考えのほかに、いっそう近代的な考えがもうひとつ隠されていたように、私には思われる。これは、第一の考えから必然的に出てくる結論だが、それほどたやすくは気づかれず、またいっそう異論を招きやすいもので、もう聖職者ばかりではなく、学者や芸術家といった人びともいだくところの、深い哲学的見解なのである。つまり、人間の思想はその形態が変わるにつれて表現様式も変わってゆくのだ、新しい時代の代表的思想はいつまでも古い時代と同じ材料や方法では記録されない、さすがにじょうぶで持ちのよい石の書物も、さらにいっそうじょうぶで持ちのよい紙の書物にとって代わられることになるのだ、という予感なのである。
この点から言えば、司教補佐の漠然《ばくぜん》としたことばには第二の意味が含まれていたのだ。つまりひとつの技術がもうひとつの技術を追い払おうとしている、という意味があったのだ。言い替えれば、印刷術は建築術を滅ぼすであろう、ということなのである。
事実、世界のはじまりからキリスト紀元の十五世紀の末までは、建築は人類のもっていた偉大な書物の役目をつとめてきた。能力や知能のさまざまな発展段階にあった人間の主な思想表現の手段となってきた。
太古時代の諸民族が、後世に残すべき思い出があまりにも多すぎると感じたとき、人類の思い出の荷物があまりに重く複雑になったために、ことばというむきだしでとび散りやすい形式にたよったのでは途中でなくなってしまう恐れが生じたとき、人びとは頭の中にあった記憶を、いちばんよく見え、いちばん長持ちし、いちばん自然なやり方で、地上に記録しておいたのである。人びとはひとつひとつの言い伝えを記念碑という様式の中に封じこんだのだ。
人類史に現われた最初の記念碑は、モーゼのいう「鉄をまじえない」岩のかたまりにすぎなかった。建築術は、文字を書く術とまったく同じようなぐあいにはじまった。まずはじめにできたのはアルファベットであった。人びとが石を一本立てると、それがすなわちひとつの文字であった。ところでこの文字は象形文字であり、一連の思想が、ちょうど円柱の上の柱頭のように、それぞれの象形文字の上に表わされていた。このように、太古の諸民族は、地球の表面のいたるところで、同じ時期に、同じような記念碑を立てた。ケルト人が建てた≪石柱≫は、シベリアにも南アメリカの大草原にも見いだされる。
時代がくだると、人類はこうした建築物で単語をつくるようになった。石を積み重ね、花崗岩の音節を結び合わせ、動詞か文のようなものをつくろうとしはじめた。ケルト人のつくった巨石墳《ドルメン》や巨石碑《クロムレック》、エトルスキ人の古墳《チュミュリュス》、ヘブライ人の石塚《ガルガル》などは、みな単語にもたとえられるべき記念碑である。その中のあるもの、ことに古墳《チュミュリュス》などは固有名詞である。ときには石がたくさんあって敷地に使う浜辺も広いばあいには、人びとは文をつくりさえした。カルナック〔ブルターニュ地方の村〕の巨石群などは、もう立派な文章である。
そのうちとうとう、人びとは建築物で書物をつくるようになった。いろいろな伝承はもうこのころまでにたくさんの象徴を生み出していたが、そうした象徴の陰に、伝承は姿を隠してしまっていた。ちょうど木の幹が生い茂った葉の陰に隠れてしまうように。そして人類が信じていたこうした象徴はどんどん生長し、増加し、たがいに交差し、ますます複雑になっていった。
こうなってくると、原始的な記念碑では、とうていこうした象徴を表現するわけにはいかない。あらゆる部分から象徴は溢《あふ》れ出るようになった。こうした記念碑は、記念碑そのものと同じように単純で、むきだしで、地面にころがっている原始的な伝承をさえ、もう表現しかねるようになった。こうした象徴を表現するためには巨大な建築物が建てられねばならなくなった。このようなわけで、建築術は人間の思想とともに発展したのである。建築は無数の頭や無数の腕をもった巨大な姿となり、永遠不滅の、目に見え、手で触れることのできる形態のもとに、浮動するあらゆる象徴を定着させたのである。力を表わす建築の神ダイダロスが測量をおこない、理知を表わす楽神オルペウスが歌をうたうにつれて、文字の役目をつとめていた柱や、音節の役を演じていたアーケードや、単語の役をつとめていたピラミッド、こうした建築の諸要素は幾何学と詩学の法則にうながされて、いっせいに活動を開始し、群をなし、組み合わされ、混合し、地にくだり、天にのぼり、地上に並び、または階を重ねて天にそびえ、ついに一時代の時代思想の命ずるままに、数々の素晴らしい書物を生み出すようになったのである。つまり、素晴らしい建築物ができあがったのだ。インドのエクリンガの塔や、エジプトのラムセス王の廟や、ソロモンの神殿などがこれである。
基本的思想、つまりことばは、単にこうした建築物の基底となっていただけではなく、形態そのものともなっていた。たとえば、ソロモンの神殿は、ただ聖なる書物の装丁だったのではなくて、聖なる書物そのものだったのである。聖櫃《せいひつ》〔モーゼの律法を刻んだ石版を保存してあった箱〕を中心として幾重にもつくられた囲壁のひとつひとつに、聖職者たちは、目に見えるものとして表わされたことばを読みとることができた。彼らは、ことばが変わってゆくのを追って聖所から聖所へと進み、ついに最後の神殿にはいってゆく。そして≪聖櫃≫という、これまた建築物であるしごく具体的な形をしたことばを理解したのである。こんなふうに、ことばは建造物の中に閉じこめられてはいたが、その姿は、ミイラの棺に描かれた死者の顔のように、建造物の外形そのものに表われていたのである。
いや建物の外形ばかりではない。建築に選ばれた土地のありさまさえもが、建物の言おうとするところを物語っている。表現しようとする象徴が優雅であるか、陰気であるかによって、建てられている場所も違ってくる。ギリシア人は、目に快く映る神殿で山頂を飾った。インド人は、山の横腹をえぐって、花崗岩の象の巨大な行列にささえられた、奇怪な塔をほら穴の中に刻みこんでいる。
こんなわけで、世界が始まってから六千年のあいだ、太古のヒンドスタンの塔からケルンの大聖堂にいたるまで、建築は人類の書いた偉大な文字の役目をつとめてきたのだった。これは少しも疑えない事実であり、宗教的象徴は言うまでもなく、人類が抱いたありとあらゆる思想は、記念碑や巨大な建築物の中に記入されていると言ってよろしい。
地上のあらゆる文明は神政政治で始まって、民主主義に終わりを告げる。統一のつぎに自由がくるというこの法則は、建築にも現われている。というのも、このことはとくに強調しておきたいのだが、石造建築術が神殿を建てたり、神話や宗教的象徴を表現したり、象形文字で石のページに法の神秘な表を写したりするだけの力しかない、などと思ってはならないからである。もしそうだとすれば、いまや宗教的象徴は自由思想に圧迫されて衰滅し、人間は聖職者の束縛から自由になり、哲学や諸科学の≪おでき≫が宗教の顔を台なしにしてしまうようなときが、あらゆる人間社会にやってきているのだから、建築術は人間精神のこうした新しい状態を写し出すことができないはずである。建築という書物の片側のページは一杯書きこまれても、それに向かいあったページは空白のままで終わらねばならないはずである。作品は未完のままとなり、書物は不完全なものとなってしまうであろう。ところが、そうではないのだ。
中世を例に引いてみよう。中世はいっそう現代に近いから、それだけはっきり事情がわかる。中世のはじめに、神政政治がヨーロッパを組織していたとき、ヴァティカン宮が、カピトリウム神殿〔ローマのカピトリウムの丘に建てられたユピテルの神殿〕のまわりに崩れて横たわっていた古ローマから新しいローマをつくるため、種々の要素を集めて再分類していたとき、つまりキリスト教が古い時代の文明の残骸の中へ出かけていって社会のあらゆる階級を探し求め、そうした残骸でもって、聖職者をかなめ石とする新しい階層世界を再建していたとき、この混乱の中で、まずはじめに何かが湧き出る音が聞こえ、ついでキリスト教の影響下に、滅びた建築のこわれくずのなかから、ギリシア=ローマ式の、あの神秘的なロマネスク建築が蛮族の手によって、しだいしだいに姿を現わすのが見られたのである。
ロマネスク建築は、エジプトやインドの神政政治的な石造建築物の妹であり、純枠なカトリック教の不変の象徴であり、法王による統一を表わす不変の象形文字であった。当時のあらゆる思想は、事実、この陰気なロマネスクという建築様式に表現されている。この様式には、どの部分にも権威や、統一や、不可知や、絶対や、グレゴリウス七世の姿が感じられる。どの部分にも聖職者の影が感じられ、人間らしいところはまったくない。どの部分も階級のにおいばかりして、民衆のにおいは感じられない。
だがそのうち、十字軍の運動が起こった。これは民衆の手によって起こされた偉大な運動だった。偉大な民衆運動というものは、その原因や目的がなんであれ、せんじつめたところからは必ず自由の精神を発散するものである。新しい思想が生まれようとしていたのだ。いまや、農民暴動《ジャクリ》、|プラーグ反乱《プラグリ》、リーグなどの騒々しい時代の幕が切って落とされたのだ。権威は揺らぎ、統一は分裂した。封建制が神政政治に分けまえを要求する。そこへ、いやでも民衆が割りこんできて、例によって、ライオンの分けまえを取るのである。「なぜなら、わたしはライオンと呼ばれているのだから」
こうして領主の権利が教権の下に現われ、民衆の権利が領主権の下に現われた。ヨーロッパのありさまは変わった。そうだ! 建築のようすもまた変わったのだ。文明が変わるとともに建築も新しいページを開き、時代の新しい精神は、その精神の命じるままに建築がページをうめようとしていることを認めるのである。十字軍から、各国民が自由をもって帰ったように、建築は尖頭《せんとう》アーチをもって帰ってきた。ローマ法王の威信は日増しに地に落ち、ロマネスク建築は壊滅に瀕《ひん》していた。象形文字は大聖堂を捨て、封建制度に威厳をそえるために、諸侯の居城の天主閣の紋章に使われるようになった。
かつてはあれほど専横であった大聖堂も、これ以後、市民や自治体や自由思想に侵略され、聖職者の手からすべり落ちて、芸術家の手に握られるようになった。芸術家たちは、好みにまかせて聖堂を建てるようになった。神秘よ、神話よ、掟《おきて》よ、さらばである。その代わりに、作家の幻想や気まぐれが支配するようになったのだ。聖職者は、会堂と祭壇さえ持てれば、ありがたいと思わなければならなかった。四面の壁はみな芸術家のものになってしまった。建築という書物は、もう聖職者だの、宗教だの、ローマ法王だののものではなくなってしまった。想像力や、詩想や、民衆の手に移ったのである。
こんなわけで、その後わずか三世紀のうちに、民衆のものとなったこの建築は、急速に、おびただしい変化をとげた。これは、そのまえの六、七世紀間にわたるロマネスク建築のよどんだような停滞ぶりを思うと、まことに驚くほかはない。このあいだにも、芸術は長足の進歩を遂げつつあった。まえには司教たちのやっていた仕事を、民衆の天分と独創力がやるようになった。どの世代も建築という書物に自分の手で一行を書き加えて、去っていった。彼らは大聖堂の正面に記されていた古いロマネスク風の象形文字を削りとってしまったので、むかしの教理は、民衆が新たに記しこんだ新しい象徴の下から、ところどころ頭を出しているばかりのありさまになってしまった。民衆がかけた幕に覆《おお》われて、その下に宗教の骨組のあることはほとんどわからなくなってしまった。
当時の建築家たちが、教会堂に対してさえ、どんなに好き勝手な真似をしたかは、ちょっと考えもおよばないくらいだ。パリ裁判所の暖炉の間などには、あられもない格好で抱き合っている修道士と修道女の姿で飾られた柱頭がいくつもある。ブールジュの大聖堂の正面大玄関には、ノアの物語〔ノアはブドウ酒に酔い裸になって寝ているところを、その子ハムに見られた…創世記〕が「ありのままの露骨な調子で」彫刻されている。ボシェルヴィルの修道院の洗面所には、ロバの耳をした酔っ払い修道士が、手にグラスを持って、信者たちをゲラゲラあざ笑っている図が描かれている。当時、石で書かれる思想には、今日の出版の自由とまったく変わらない自由の特権が与えられていたのだ。これは≪建築の自由≫とも呼びうるものであろう。
この自由は極端なものになった。ときには正面玄関や、正面や、教会堂全体が、宗教とは縁もゆかりもない、いや教会に敵対しさえする象徴的意味を表わしたこともあった。ギヨーム=ド・パリスは早くも十三世紀に、ニコラ・フラメルは十五世紀に、こうした反抗的なページを建築の書物に書き加えた。サン=ジャック=ド=ラ=ブーシュリ教会などは、全体が反宗教の塊りといった格好だった。
そのころは、思想を自由に表現するには、こんなやり方しかなかったのである。だから、思想はすべて建物という書物だけにしか、充分には書かれなかったのだ。建物という形をとらなければ、思想は写本という形にならなければならず、うっかり写本などになったら、まちの広場で死刑執行人に焼き捨てられてしまったであろう。教会の正面玄関に表現された思想が、書物に書かれた思想の処刑されるのを見物することになったであろう。こんなわけで、石造建築という方法によらなければ世に出ることができなかったので、思想は四方八方から建築の中にとびこんできた。そこで、無数の大聖堂がヨーロッパ全土を覆うに至ったのである。その数はあまりに多くて、はっきり確かめてからでも、なかなか信じられないほどである。社会のあらゆる物質力とあらゆる知力が、建築というひとつの点に集中してしまったのだ。そこで、神に捧げる教会を建てるのだという口実のもとに、芸術はすさまじい勢いで発展したのである。
当時、詩的才能を持って生まれた者は、だれもかれも建築家になった。そのころの民衆の中に散らばっていた天才は、「まるで青銅の楯《たて》を頭の上に亀甲形《きっこうがた》に連ねられでもした」みたいに、すっかり封建性のもとに押さえつけられていて、建築の分野に≪はけぐち≫を見いだすよりほかに仕方がなかった。そこで民衆の『イリアス』は大聖堂という形をとるようになったのである。
ほかのあらゆる芸術は建築に服従し、その訓練をうけた。あらゆる種類の芸術家が建築という大業に従事したのだ。建築家なり、詩人なり、親方なりは、建物の正面を飾ってくれる彫刻も、ステンドグラスの配色をやってくれる絵画も、鐘を揺り動かし、オルガンを奏してくれる音楽も、みな自分で総括したのである。写本としてどうにか生きつづけてきた哀れな芸術、いわゆる詩歌といわれるものも、芸術として世に認められるためには、聖歌や続誦《ぞくしょう》〔韻のついた、長さの一定でない詩句から成るラテン語の聖歌〕という形で聖堂建築の一部に組みこまれなければならなかった。要するに、アイスキュロスの悲劇がギリシアの宗教的祭典でつとめた役割や、「創世記」がソロモンの神殿でつとめた役割を買って出なければならなかったのだ。
こんなわけで、グーテンベルクが現われるまでは、建築は思想を記録するためのいちばん重要で一般的な手段であった。建築というこの花崗岩の書物は、古代東方諸国によって書きはじめられ、古代ギリシア=ローマによって受け継がれ、中世がその最後のページを書きこんだのである。なおまた、私がさきほど中世建築のところで申し上げた、民衆的な建築が階級的な建築のあとをうけて起こるという現象は、歴史上のあらゆる重要な時代に、人間の知性の中にまったく同じような動きをもって現われるのである。ここにひとつの法則が存在する。この法則を詳説しようとすれば数冊の書物を必要とするだろうが、ここでは簡単にその摘要を示すにとどめよう。
原始時代の人類文化の揺籃《ようらん》の地、古代東方では、ヒンドスタン建築のあとにアラブ建築のあの豊かな母であるフェニキア建築が現われた。古代ではエジプト建築……エトルスキ様式や巨大な記念建造物などはその変種にすぎない……のあとにギリシア建築が現われた。……ローマ様式はギリシア建築の延長で、ただカルタゴ式のドームを加えたものにすぎない。……近代では、ロマネスク建築のあとにゴチック建築が現われた。
さてここに挙げた三つの組をそれぞれ二つに分けてみると、姉に当たるほうの三つ、つまりヒンドスタン建築、エジプト建築、ロマネスク建築には、いずれも同じような象徴が見られるであろう。つまり神政政治、階級制、統一、教義、神話、神である。また妹に当たるほうの三つ、フェニキア建築、ギリシア建築、ゴチック建築にも、持ちまえの性格からくる形の相違がそれぞれに認められるにせよ、やはり共通した意味が読みとれるであろう。つまり自由、民衆、人間性である。
ヒンドスタンや、エジプトや、ロマネスクの石造建築には、バラモンと呼ばれようと、マギ〔ゾロアスター教の祭司〕と呼ばれようと、法王と呼ばれようと、とにかく聖職者の存在が強く感じられる。聖職者のほかには何も感じられないのだ。だが、民衆の手から生まれた建築は、これとはようすがことなっている。宗教建築よりももっと豊かな感じはするが、神聖な感じには乏しい。フェニキア建築には商人の、ギリシア建築には共和主義者の、ゴチック建築には市民の匂いが感じられるのだ。
神政式建築の一般的性格は、不変性、進歩に対する嫌悪、伝統的方針の保持、原始的基準への崇敬の念、人間や自然のあらゆる形態を幻想的で不可解な象徴でいつも表現しようとする習慣などである。奥義《おうぎ》を極めた人たちだけが判読できる難解な書物である。おまけに、建物のあらゆる形態が、極めて不格好な部分さえもが、ここではある意味をもち、神聖で侵すべからざるものとなっているのだ。
ヒンドスタンや、エジプトや、ロマネスクの石造建築に、構想の改革や、彫像法の改善を求めてもむだである。改良はすべて不敬行為なのである。こうした建築では、硬直した教義が石の上にまで広がり、石をいっそう固くしてしまったような感じがする。……これに反して、民衆の手から生まれた石造建築の一般的性格は、多様性、進歩、独創性、豪奢《ごうしゃ》、永遠の運動などである。こうした建築は、宗教とはほとんど無縁になってしまったので、美観ということを頭におき、その美を大切に手入れし、彫像や唐草模様の装飾を絶えず改善することができる。時代精神を表現する建築なのだ。神聖な象徴のもとに建てられたことに変わりはないが、その象徴に絶えず人間的なものを加えているので、全体としてどことなく人間性が感じられるのである。だから、こうした建物は、すべての人びとの心情や知性や想像力に訴えることができ、神政式建築に認められる象徴性はまだ残っているが、自然と同じように容易に理解できるものなのである。神政式建築と、こうした建築とのあいだには、宗教語と民衆語、象形文字と芸術、ソロモンとフィディアス〔古代ギリシアの有名な彫刻家〕ほどの違いがある。
私の所説の裏打ちをなす無数の引証や、細かい点について世の人があげそうなさまざまな反論、こうしたものはすべて省いてしまったが、これまで私がごく大ざっぱに述べてきたところを、さらにつづめて申し上げれば、こういうことになる。
建築は十五世紀になるまでは人類の思想を書き記した重要な帳簿の役目をつとめてきたのであり、十五世紀以前には、人類の抱いた少しでも複雑な思想はみな、建築という形式によって表現されていたのである。民衆の思想も、宗教上の掟もすべて、これを象徴し記念する建物によって表現されたのだ。そして人類はついには、石で書けることのほかには、重要なことは考えなくなってしまったのである。なぜだろう? つまり宗教的なものであれ、哲学的なものであれ、思想というものはすべて永遠に残されることを望むからである。一世代の心を動かした思想は、後世の人びとの心をも動かし、その跡を残したいと願うのである。
ところで、写本の上に残された思想の生命は、ごくわずかのあいだしかつづかないのだ! これに反して、建物は遥かに堅固で、持ちのよい、じょうぶな書物なのだ! 紙に書かれた言葉を滅ぼすには、たいまつ一本とトルコ人ひとりで事足りる。だが、建築という書籍に記されたことばを滅ぼすには、社会革命か天変地異でも起こらなければならない。ローマに侵入した蛮族たちはコロセウムの上を通りすぎたが、この円形大演戯場はこわれなかった。ノアの大洪水もピラミッドを破壊しえなかっただろう。
しかし、十五世紀になると、すべてが変わった。
人間の思想は、永遠に生きるために、建築よりもさらにじょうぶで、持ちがよいばかりか、もっと簡単で容易な手段を発見したのである。建築は王座から追われてしまった。グーテンベルクの鉛の文字が、オルペウスの石の文字にとって代わったのである。
「書物は建物を滅ぼそうとしていた」のである。
印刷術の発明は歴史上の一大事件である。あらゆる革命の母となる革命である。これによって、人間の表現形式はすっかり変わってしまった。人類の思想は、それまでの表現形式を捨てて新しい形式をとるようになったのだ。アダム以来知性を表わしていた象徴のヘビが、その古い皮を完全に脱ぎ捨ててしまったのだ。
思想は印刷されることによって、かつてなかったほど不滅なものとなった。空気のような、つかみどころのない、こわすことのできないものになってしまった。思想は空気に溶けこんでしまったのだ。建築が人知《じんち》を代表していた時代には、思想は山のような建物に表現されて、ある時代と、ある場所を力づよく占領していた。だが、思想は、いまや鳥の群れと化して風のまにまに四方に飛び散り、世界じゅうのあらゆる場所をいっぺんに占めてしまうようになった。
繰り返して申し上げるが、印刷という形で表現されるようになってからは、思想は遥かに滅びにくいものになった。誰がこれに異議をさしはさめよう? 昔は固い石で表わされていた思想は、根強い生命力を持つものになった。長持ちするものから不滅の生命を持つものになったのだ。石を積んだものはこわすことができるが、地上のあらゆる場所を占める印刷物を根絶やしにすることなど、どうしてできよう? 洪水が起こって山が波の下に隠れてしまってからでも、鳥はなお長いあいだ空を飛んでいることができる。大洪水の水面に箱船が一艘でも浮かんでいれば、鳥たちはその上にとまり、船とともに波間にただよい、船とともに水がひくのを待つことができよう。そして、この大洪水のあとから姿を現わす新しい世界は、目をさましたとき、水に呑みこまれてしまった古い世界の思想が、翼をもち、生き長らえて、頭上を舞っているのを見るであろう。
この思想表現形式が、何よりもいちばん保存がきくばかりか、いちばん簡単で、便利で、誰にも利用できるものだということがわかれば、また、この方法がかさばった荷物だの、重い道具だのを必要としないことを思えば、また、思想を建物として表現するには、四つも五つもの部門の芸術や、何トンという金や、山のような石材や、森のような材木や、一国民ほどもの労力を動員しなければならないことを考えれば、また、それに比べて、思想を書物とするには、わずかの紙と、わずかのインクと、ペンが一本あればそれでよいのだということを思えば、人間の知性が建築を捨てて印刷術をとりあげたことに、どうして驚くことがあろう? 川の底に接してそれより低い位置に水路を掘り、いきなり底を切ってみたまえ。流れはもとの道筋を去ってしまうであろう。
そんなわけで、印刷術が発明されて以来、いかに建築が、しだいに色つやを失い、痩せ衰え、裸になっていったかをごらんになるがよろしい。水位がさがり、樹液がなくなり、時代の思想や諸民族の思想が建築から離れてゆくのが、いかにありありと感じられたことだろう! だが、こうした熱のさめ方は十五世紀にはまだほとんど感じられなかった。当時の印刷術はまだ弱々しくて、力強い建築から有り余った生命力を吸いとるぐらいがせいぜいだった。
だが十六世紀になると、もう、建築の病気ははっきり目に見えるようになった。建築はもう社会そのものを表現する主役ではなくなった。哀れにも古典芸術と化してしまったのだ。ゴチック建築に示されたゴール精神、ヨーロッパ精神、民族|生粋《きっすい》の精神は失われ、建築はギリシア=ローマの真似をするようになってしまった。つまり、真実で近代的な様式から、まがい物の古典的様式に退化してしまったのである。この退廃的傾向がルネサンス式と呼ばれるものである。だが、これは絢爛《けんらん》たる退廃でもあった。というのも、いまやマインツ〔ドイツ西部のまち。グーテンベルクの生地〕の巨大な印刷機の陰に沈んでいこうとしていた太陽、すなわち古いゴチックの精神が、なおしばらくのあいだ、その最後の光を、ラテン式アーケードとコリント式柱廊とでできていた合いの子様式である、このルネサンス建築に投げかけていたからである。
ところで、われわれはこの沈んでゆく夕日を暁の光と勘違いしているのだ。
だが、建築がほかの芸術なみの芸術としてしかとり扱われなくなったとき以来、つまり総合芸術、最高芸術、専制君主的芸術として認められなくなったとき以来、建築は他のいろいろな芸術を手もとに引きとめておく力をもう持たなくなってしまった。そこで他の芸術は自由の身になり、建築家のくびきをふりはらって、それぞれ気に入った道を歩きはじめた。芸術はみな、こうして建築と手を切ったことから利益を得た。
孤独はあらゆるものを育てる。教会彫刻は彫像術に、宗教画は絵画に、典文《てんぶん》〔ミサ中の聖体への祈り〕は音楽に進化した。アレクサンドロス大王の死でその帝国が分解し、各地方が独立の王国になったようなものである。
ラファエッロ、ミケランジェロ、ジャン・グージョン〔十六世紀フランスの代表的な彫刻家、建築家〕、パレストリーナ〔十六〜十七世紀のイタリアの大作曲家〕などの燦爛《さんらん》たる、十六世紀を飾った大天才の出現は、こうしたことから説明される。
芸術と同時に、思想もまたそれぞれ自由になった。中世の異端の唱道者たちは、そのころまでにもうカトリック教に大きな傷を負わせていた。十六世紀になると宗教の統一は破壊されてしまった。印刷術が発明されるまえには、宗教の改革は教会分立を生み出しただけだったが、印刷術は改革を革命にまでおし進めた。印刷機をとりあげてしまえば、異端の火の手は衰える。神の御心にかなったことかどうかわからぬが、とにかく、グーテンベルクはルターの先駆者だったのである。
そのうちに、中世の太陽もすっかり沈んでしまい、ゴチックの真髄も永遠に芸術の世界から消えてしまうと、建築は日増しにつやを失い、色があせ、影が薄れていった。建物をむしばむ虫と呼んでもいい印刷書が、建物の血をすすり肉をむさぼったのである。建物は、皮をはがれ、葉を落とされて、目に見えて痩せ細っていった。安っぽくて、みすぼらしくて、一文の価値もないものになりさがってしまった。建築はもう何も表わさなくなった。昔の芸術の記憶さえも表現しなくなった。人間の思想から見捨てられてしまったので、他の諸芸術からも相手にされず、建築は孤独の運命に甘んじなければならなくなった。芸術家たちから見捨てられたので、つまらぬ職人ふぜいに助けを求めねばならなくなった。ステンドグラスに代わって、ただのガラスがはめられた。石切り人夫が彫刻家のあとがまにすわった。さらば、芸術的熱情よ、独創性よ、生命よ、知性よ、である。
仕事場から仕事場へさすらい歩くあわれな物乞いさながらに、建築は模倣から模倣へと身を落としていった。はやくも十六世紀に建築が瀕死《ひんし》のさまにあるのを感じとったミケランジェロは、絶望的な力をふりしぼってこれを救おうとした。この芸術の巨人はパルテノン神殿の上にパンテオン神殿を積みあげるといったやり方で、ローマのサン・ピエトロ大聖堂を建てた。この建築こそは、いつまでも真に独創的な作品として残るにふさわしい傑作であり、建築史の最後をかざった独創的な建物である。これこそは、石造建築物の名を並べた巨大な記録簿、いままさに閉じられようとしていたあの記録簿の下側に記された巨人芸術家のサインであった。だがミケランジェロの死後、幽霊か亡者のような格好でのめのめと生き恥をさらしていた建築という哀れな芸術は、いったいどんなことをやってのけたのだろうか? ローマのサン・ピエトロ大聖堂を手本にして、その猿真似ばかりやっていたのだ。一種の奇妙な流行であり、哀れをもよおさずにはいられなかった。
どの世紀にもローマのサン・ピエトロを真似たものがつくられた。十七世紀にはヴァル=ド=グラース会女子修道院、十八世紀にはサント=ジュヌヴィエーヴ修道院といったあんばいだ。どの国にも、ローマのサン・ピエトロまがいのものが建てられた。ロンドンにも建てられた。ペテルブルグにも建てられた。パリには二つも三つも建てられた。死ぬまえに子供の幼稚さにかえった、老いぼれ大芸術のたあいもない遺言であり、臨終のたわごとである。
いままで申し上げたような特徴的な記念建造物はこれくらいにして、十六世紀から十八世紀へかけての建築芸術一般のありさまを調べてみても、やはり同じ衰微と衰弱の現象が認められるのである。フランソワ二世の時代以来、建物の建築物らしい形はますます消えてゆき、幾何学的な形が目立つようになった。痩せ細った病人の骨ばった体を見ているような感じなのだ。芸術的な美しい線は消え失せて、そのあとに冷たいぎすぎすした幾何学的な線がのさばるようになった。建物らしい美しさが失われて、多面体の物質にすぎなくなってしまった。
それでも建築家たちはどうにかしてこの醜い赤はだかを隠そうとした。ギリシア式の切妻壁をローマ式の切妻壁にはめこんでみたり、またその逆をやってみたりした。が、やはり、パルテノンとパンテオンを組み合わせたような作品、つまり、ローマのサン・ピエトロまがいの代物《しろもの》しかできあがらなかった。アンリ四世時代の、すみずみに石を使った煉瓦造りの家々や、プラス・ロワイヤルや、プラス・ドーフィーヌは、みなこうした芸術なのだ。重くるしくて、背が低くて、扁円アーチがついていて、ずんぐりしていて、背中のこぶみたいなドームを乗せている、ルイ十三世時代の教会もこうした建物なのだ。イタリアふうの建築のまずい模作であるマザランの建てた|四国学校(カトル=ナシヨン)もこの種の建物だ。ぎこちなくて、冷やかで、退屈しごくで、宮廷人を収容する細長い兵舎みたいな、ルイ十四世の王宮もこうした建物だ。さらにまた、キクジサ模様だの、そうめん模様だの、≪いぼ≫だの、≪こぶ≫だのが、よぼよぼで、歯抜けで、おしゃれな古い建物の顔を台なしにしている、ルイ十五世時代の建築もこうした建物なのだ。フランソワ二世の時代からルイ十五世の時代までこうした悪風は等比級数的にふえていった。芸術は骨と皮ばかりになって、みじめな姿で臨終の息をついていた。
一方、印刷術のほうはどうなったであろうか? 建築から抜け出した生命は、すべて印刷術に吸収されてしまった。建築の水位がさがるにつれて、印刷術の水面はふくれあがり、高まっていった。人間の思想は、それまで建物に費やしていた力を書物に注ぎこむようになった。
こんなわけで十六世紀になると、もう印刷は、衰退に向かっていた建築と同じ水準にまで生長し、これと戦って滅ぼしてしまった。十七世紀にはもうしっかり支配権を握り、誇らかにかちどきをあげ、勝利の座にどっかりと腰をすえて、世界を文芸の大世紀の饗宴に招いた。印刷術は、ルイ十四世の宮廷で長いあいだ休んでいたが、十八世紀にはふたたびルターの古い剣を握り、それをヴォルテールに手渡し、以前に建築によって思想を表現することをやめさせてしまったあの古いヨーロッパめがけて、騒々しい声をあげてとびかかっていった。十八世紀が終わるころには、印刷術は古いヨーロッパをすっかり破壊してしまった。十九世紀には再建にかかろうとしている。
ところで、ここでおうかがいしたいのだが、建築術と印刷術とのどちらが、この三世紀以来、人間の思想を実際に表現してきただろうか? どちらが忠実に思想を写しとってきただろうか? 人間の精神の文学的な、また学問的な熱狂ばかりでなく、その広く、深く、世界的な動きを、どちらが真に表現してきたであろうか? どちらが千の足をもった怪物にもたとえられる人類の歩みに、絶えず一致した行動をとることができただろうか? 建築術だろうか? それとも印刷術だろうか?
印刷術なのだ。お間違えにならないように、はっきり申し上げるが、建築は死んでしまったのである。永遠に死んでしまったのだ。印刷書によって滅ぼされてしまったのだ。印刷書より持ちが悪く、しかも高くつくために滅ぼされてしまったのである。大聖堂をひとつ建てるには十億フランの金がかかる。とすれば、建築という書物を書き直すには、どのくらい資金がいるか、ちょっと想像してみていただきたい。数千という大建築を新たに地上に出現させるためには、ある目撃者が「世界が身をゆすって古い衣服を振り落とし、教会という白い衣を着ようとしているみたいだ(グラベル・ラドゥルフス)」といったほど大建造物が群がり立っていたあの時代をもう一度迎えるためには、どのくらい途方もない資金を用意しなければならないか、想像してみていただきたい。
書物は簡単に刷ることができ、金もあまりかからず、どんな遠くへも運ぶことができる! 人間のあらゆる思想が書物によって表現されるようになったのも、驚くにはあたらない。とはいえ、建築芸術が、これからもなお、あちらこちらでみごとな記念建造物を、いわば孤立した傑作をつくりだすだろうということを認めないわけではない。印刷術の支配する世の中にも、まだまだときには、敵軍からぶんどった大砲を一軍総がかりで鋳《い》つぶして建てられたあの円柱〔ナポレオンが敵からぶんどった千二百の大砲を鋳造して、ヴァンドーム広場に建てた円柱〕にも比すべき建物がときにはつくられることも十分にありうるであろう。ちょうど、建築術が支配していた時代に、『イリアス』や、『ロマンセロ』や、『マハーバーラタ』や、『ニーベルンゲン』のような文学的傑作が、一民族総がかりで、ありったけの叙事詩をことごとく積みあげ、溶かしこんで、つくりあげられたのと同じように。
ダンテのような大天才が十三世紀に現われたのと同じように、二十世紀にも天才的な建築家がひょっこり現われないともかぎらないのである。だが建築はもう社会を代表する芸術でも、集団の芸術でも、支配的な芸術でもなくなるだろう。人類の思想を代表する偉大な詩、大建築、大傑作は、これからはもう建築という形では表現されず、印刷で発表されるであろう。
今後、もし建築が偶然|勃興《ぼっこう》するようなことがあっても、もう支配的芸術の役目をつとめることはできないであろう。昔は文字を支配した建築も、将来は文字の掟に従うようになるであろう。建築と印刷の地位はあべこべになるだろう。たしかに、建築が支配していた時代には、詩は数えるほどしかなかったことも事実だが、みな建造物に似ていた。インドのヴィヤーサ〔古代インドの聖者。誤って前出の『マハーバーラタ』の作者といわれる〕の作品は、塔《パゴダ》のように複雑で、奇怪で、底知れぬ神秘をやどしていた。エジプトの詩はこの国の建物のように、壮大でおちついた輪郭をもっていた。古代ギリシアの詩はその建物と同じように、美しく、晴れやかで、おちついていた。キリスト紀元以後のヨーロッパの文学は、カトリック的な荘重さや、素朴な民衆気質や、文化更新の時期を特徴づけるような、豊かな、生長する気分を含んでいた。聖書はピラミッドに、『イリアス』はパルテノンに、ホメロスはフィディアスに似たところがある。十三世紀のダンテの作品は、滅び去ろうとしていたロマネスク式教会のおもかげをとどめている。十六世紀のシェイクスピアの作品には、末期ゴチックの大聖堂の姿が認められる。
さて、不本意ながらやむをえず、ごく荒っぽく、大づかみに、これまでいろいろと申し上げてきたが、それをここで要約すれば、つぎのようになる。
人類は建築術と印刷術、石の聖書と紙の聖書という、ふたつの書物、ふたつの記録簿、ふたつの遺書を持っていたのである。何世紀にもわたって大きく広げられたこのふたつの聖書をつくづくながめるとき、われわれは、あの目に見える花崗岩の荘重な文字が消え失せてしまったのを惜しんでもさしつかえないであろう。柱廊や、塔門や、方尖塔として表わされたあの巨大なアルファベット、ピラミッドから鐘楼まで、クフ王〔紀元前二六〇〇年ごろのエジプト王。この王のピラミッドは現存のものの中で最も大きい〕からストラスブールまでの過去の世界を覆いつくしている、人類文化の山々とも言えるあの建築群が失われたのを惜しんでもさしつかえないであろう。こうした大理石のページを読み直して過去をかえりみることは必要である。建築術の記したあの書物を賛美し、絶えずそのページを繰ることは必要である。だが、つぎに登場した印刷術が築きあげた建造物の偉大さを否定してはならない。
印刷術の建てた建造物は途方もなく大きい。ある統計家の計算によれば、グーテンベルク以来刊行された書物を一冊残らず積み重ねると、地球から月まで届くそうである。だが、私が言いたいのは、こうした意味の大きさではない。それにしても、今日までに印刷機が生み出したすべての書物のひとまとまりになった姿を頭に思い描いてみるとき、そのありさまは、全世界に足場を置いたひとつの巨大な建造物のようには見えないだろうか? 人類が休みなく手を加えている建造物、未来という深い霧の中にその巨大な頂を隠している建造物とは見えないだろうか? この建造物は知性のアリ塚である。あらゆる想像力が、金色のミツバチさながらに、蜜をもって集まってくる巣である。無数の階層をもった建造物である。あちらこちらの階段に、学問の暗い洞穴が口を開いているのが見えるが、洞穴は建物の内部でたがいに入り組みあっているのだ。表面のいたるところに、芸術が豊かな唐草模様や、バラ形模様や、透かし細工をほどこしていて、目を楽しませてくれる。
ここでは、あらゆる人間の手から生み出された制作品は、どんなに気まぐれで、ほかのものとは無関係のように見えるものでも、それぞれしかるべき場所にすえられて、その特徴を発揮している。全体がひとつの調和を生み出している。この全世界の思想の首府では、シェイクスピアの大聖堂からバイロンの回教寺院にいたるまでの、数知れぬ小尖塔がごちゃごちゃと群がり立っている。土台には、建築が記録できなかった人類の古い文献がいくつか書き加えられている。入り口の左手には白い大理石に刻まれたホメロスの古い浮彫りがはめこまれており、右手には多国語訳の聖書の彫像がその七つの頭をもちあげている。奥のほうには多頭蛇《ヒュドラ》の形をした『ロマンセロ』の彫像が毛をさかだてており、『ヴェーダ』〔古代インドの聖典〕や『ニーベルンゲン』のような、雑種的な彫像もいくつか見える。なお、この驚くべき建造物は、いつまでたっても完成されることはないのである。
社会のあらゆる知的精力をたゆみなく吸いあげるこの印刷機という巨大な機械は、建築に必要な新しい材料をひっきりなしに吐き出すのだ。人類全体が足場に登っている。あらゆる人間が石工《いしく》なのだ。どんなにつまらない人間でも、穴をふさいだり、石を積んだりしている。レチフ・ド・ラ・ブルトンヌ〔十八〜十九世紀の作家〕は、負いかごいっぱいの古壁のこわれたくずを運んでくる。毎日毎日、新しい層が積みあげられてゆく。作家のひとりひとりが独創的な才能を払いこんでゆくのだが、これとは別に、何人もの作家たちがまとまって資金を出すこともある。十八世紀は『百科全書《アンシクロペディ》』を、大革命は≪モニトゥール≫紙〔一七八九年から刊行された官報的な新聞〕を払いこんだ。
たしかに印刷術もまた、らせん状に、果てしもなく高く高く積みあげられてゆく建造物なのだ。ここにもまた、ことばの混乱が、休みない活動が、疲れを知らぬ労働が、全人類の熱烈な共同作業が見られる。書物もまた新しい大洪水や蛮族の侵入にそなえて、人知を守る使命をもった避難所なのだ。人類の生んだ第二のバベルの塔なのである。
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第六編
一 昔の裁判官たちを公平無私な目で見れば
騎士、ベーヌの領主、イヴリおよびサン=タンドリ・アン・ラ・マルシュ男爵、国王顧問兼パリ奉行ロベール・デストゥートヴィルどのは、一四八二年当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。国王からこのパリ奉行という立派な官職をちょうだいしたのは、もうかれこれ十七年もまえの一四六五年十一月七日で、あの彗星の現われた年だった。なおこのパリ奉行というのは、役職というよりは、むしろ領主のような職とみなされていたもので、ジョワネス・レムヌスも「強大な警察権力と多くの権利と特権に結びついた顕職である」と言っている。ルイ十一世の妾腹《しょうふく》の姫君がブールボン庶子卿と結婚した当時に辞令をもらったこの貴族が、八二年にまだ国王の信任をつないでいたのは、驚くべきことだった。
ロベール・デストゥートヴィルがジャック・ド・ヴィリエに代わってパリ奉行となったその同じ日、ジャン・ドーヴェどのがエリ・ド・トレット閣下に代わって高等法院長となり、ジャン・ジューヴネル・デ・ジュルサンがピエール・ド・モルヴィリエのあとをおそってフランス大法官になり、ルニョー・デ・ドルマンがピエール・ピュイに代わって王室参事院常任請願委員になった。
ところで、ロベール・デストゥートヴィルがパリ奉行の職について以来、長官だの、大法官だの、委員だのといった役職は、どんなに多くの人びとの手から手へとわたされていったことだろう! だが、パリ奉行の職はデストゥートヴィルに「管理するように授与された」と国王の公書にも書かれていたくらいである。そしてたしかに、彼はこの職務をよく管理した。お役目にしがみつき、お役目と一体となり、お役目とけじめがつかなくなってしまった。そんなわけで、しょっちゅう役人の入れ替えをやって弾力的な政治をやりたがっていた、疑い深い、意地悪な、働き者の国王ルイ十一世の慢性|更迭《こうてつ》熱から、彼だけは無事に逃れられていたのだ。そればかりでなく、このりちぎな騎士は自分の息子のために役職の世襲権も手に入れていて、もう二年もまえから貴族、従士ジャック・デストゥートヴィルどのの名は、パリ裁判所裁判官名簿の筆頭に、父親の名と並んで出ていた。たしかに、まれにみる、このうえもない恩恵だ! 事実、ロベール・デストゥートヴィルはすぐれた武人であったし、王の忠臣として≪公益同盟≫に反対して三角旗をひるがえしたし、一四……年に王妃がパリにご入城になったときには、素晴らしいシカ肉のシチューを差し上げもした。そのうえ、彼は近衛憲兵隊司令官トリスタン・レルミット閣下とは親友のあいだがらだった。
こんなわけで、ロベール閣下はたいへん穏やかで愉快な毎日を送っていた。まず第一に給料がたんまりはいる。給料には、鈴なりのブドウの木にあとなりの房がぶらさがるみたいに裁判所の民事、刑事両書記課の収入とシャトレ下級裁判所の民事、刑事両法廷の収入がついてくる。そのほか、マント橋とコルベイユ橋の通行税とか、パリ屠殺場や薪商人や塩商人からの税金のあがりなどがあったことはいうまでもない。なおまた彼には、市の役人や警吏が着る赤と渋色半々の服の上に、立派な軍服をこれ見よがしに着こみ、頭にはモンレリの戦いででこぼこだらけになった兜《かぶと》をいただき、馬に乗って、はでにパリのまちなかを歩きまわる、という喜びもあった。
彼の軍服姿は、ノルマンディーのヴァルモン修道院にある彼の墓石に刻まれているから、いまでもごらんになれる。さらにまた、パリ裁判所づきの十二人の警吏、シャトレ裁判所の門衛と監視人、シャトレ裁判所のふたりの判事、十六区の警視十六人、シャトレ監獄の看守、封地を与えられた四人の警吏、百二十人の騎馬警吏、百二十人の徒歩警吏、夜警隊長と配下の夜警、副夜警、夜警統率係、夜警見張り係、これだけの人間を手下に使うというのは、たいしたことではないだろうか? 上級裁判も、下級裁判も、顔まわしの刑も、絞首刑も、車びきの刑も……光栄にも七人の貴族の領地から親王領地に併合されたあのパリ子爵領における初級の、つまり憲章で「第一審」と言われている小裁判権はいわずもがな……みな一存で執行できたというのはたいしたことではないだろうか? フィリップ=オーギュスト王がつくったグラン=シャトレの大きな、ぺしゃんこの尖頭アーチの下で、判決をくだしたり宣告をしたりして毎日を送るロベール・デストゥートヴィル閣下の生活ほど、気持のいいものが考えられるだろうか? そして夕方には、奥方のアンブロワーズ・ド・ロレ夫人所有の、パレ=ロワイヤルの敷地の、ガリレー通りに面して建っている美しい家に帰ってきて、哀れな罪人どもに刑を言いわたしたあとの疲れをいやす、といった生活ほど気楽なものがあるだろうか?
一方、刑を言いわたされた人間は、「奉行および市の役員が獄舎として使っていた、縦三メートル六十、横二メートル四十、高さ三メートル六十のレスコルシュリ通りの小屋」で夜を過ごすことになるのだ。
それに、ロベール・デストゥートヴィル閣下は、パリ奉行およびパリ子爵として固有の裁判権をもっていたばかりでなく、国王の大裁判にも加わり、くちばしを入れていた。少しでも身分の高い人間で、死刑執行人の手にわたるまえに、彼のお世話にならなかった者はひとりもいなかった。バスチーユ・サン=タントワーヌ監獄からヌムールどの〔パリ総督〕を中央市場へ引きたてて処刑させたのも、サン=ポールどの〔フランス軍元帥〕をグレーヴ広場へ連れてこさせたのも、ほかならぬ彼だった。サン=ポールどのは泣きつらになったり、大声でわめいたりして、この元帥を嫌っていたデストゥートヴィルを大いに喜ばせたのだが。
たしかに、こうした業績には、彼の生涯を、恵まれた高名なものにし、いつの日にか、あの興味深いパリ裁判所の歴史の注目すべき一ページとするのに値するもの、いやそれ以上のものがあった。この歴史をみれば、ウーダール・ド・ヴィルヌーヴがブーシュリ通りに家をもっていたとか、ギヨーム・ド・アンジェストが大サヴォワと小サヴォワの領地を買ったとか、ギヨーム・チブーが、サント=ジュヌヴィエーヴの修道女たちにクロパン通りの屋敷を寄進したとか、ユーグ・オーブリヨがポル=ケピック邸に住んでいたとか、そのほかいろいろ個人的な内幕がわかるのだ。
だが、こんなわけで人生の重荷に十分に耐えられたり、人生をたっぷり楽しめたりしたはずのロベール・デストゥートヴィル閣下が、一四八二年一月七日の朝、目をさましたときには、はなはだ機嫌が悪く、むしゃくしゃしていた。どうしてこんな気分になったのだろう? 閣下自身にも説明がつかなかったに違いない。空がどんより曇っていたからだろうか? モンレリの戦いに使った古いベルトの留め金の締まりぐあいが悪く、ベルトが奉行の太った体を軍隊式に締めあげすぎていたからだろうか? それとも、シャツなしで胴着を着こみ、底抜け帽子をかぶり、ずだ袋と酒びんを腰にぶらさげたごろつきどもが、四人ならんで窓の下の通りを歩きながら、閣下を小ばかにしたようなようすを見せたからなのだろうか? それとも、のちに王位につくシャルル八世が、翌年からパリ奉行の俸給を三百七十リーヴル十六スー八ドニエだけ切りつめることになるのを、虫の知らせで感じとっていたからだろうか? みなさんは、どうとでもご想像なさるがよろしい。私としては、閤下はご機嫌が悪かった、だからご機嫌が悪かったのだ、とこう簡単に信じておきたい。
それにこの日は、祭りのあくる日で、誰もが気分の重くなる日だった。ことに、パリの祭りがつくりだしたごみやちり……比喩的な意味ででもだが……をすっかり掃き清めなければならない奉行閣下にとっては、気のめいる日だった。それだけではない。彼はグラン=シャトレで法廷を開かなければならなかったのだ。
ところで、私の知るかぎり、裁判官というものは、一般に公判日と自分たちの機嫌の悪い日とがうまくかち合うように手配するものである。つまり、国王なり、法律なり、正義なりの名によって、自分の胸につかえているものを、思いきりぶちまける相手をつかまえるためだ。
だが、法廷は彼の出席を待たずにもう開かれていた。民事、刑事、特別裁判の彼の代理者が、慣例にしたがって奉行の代わりを務めていた。朝の八時からもう何十人という男女のパリ市民が、シャトレ下級裁判所のカシワのがんじょうな柵と壁にはさまれた傍聴席の薄暗い片隅にぎっしりつめかけて、シャトレ裁判所判事、奉行どの代理、フロリヤン・バルブディエンヌどのが、いささかごたごたと、まったくいいかげんに行なっていた民事裁判や刑事裁判のさまざまな、愉快な光景をありがたそうにながめていた。
公判廷は低い丸天井をもった小さな部屋だった。ユリの花模様のついたテーブルが奥にあって、そばに彫刻をしたカシワの木製の大きな肘掛け椅子が置いてある。これが奉行閣下の席だが、いまはあいている。その左手にフロリヤン判事どのの腰かけ。下側の席では書記がなにやらしきりにペンを走らせている。これと向かい合って傍聴人がいる。戸口の前とテーブルの前には、紫呉絽《むらさきごろ》の陣羽織を着て白い十字架をつけた裁判所の警吏が大勢控えている。ふたりの市会議所の警吏が、諸聖人の大祝日のときに着る赤青半々のジャケットを着て、テーブルのうしろの奥の方に見える、低い、しまった戸口の前で見張りをしている。厚い壁にぴったりはめこまれた尖頭アーチのただひとつの窓から一月の薄日が射しこんで、丸天井のかなめ石に釣束飾《つりつかかざり》として彫りこまれた奇怪な石の悪魔と、部屋の奥のユリの花模様のそばにおさまった裁判官とのふたつのグロテスクな顔を照らしている。
ちょっとここのところで、奉行のテーブルを前にしたシャトレの判事フロリヤン・バルブディエンヌ氏の姿を頭に浮かべていただきたい。氏は二束の訴訟書類のあいだに頬杖《ほおづえ》をついているのだが、足は茶の無地の法衣のすそを踏んでいる。顔はと見れば、白い子羊の毛皮に包まれているが、眉毛はちょうどこの毛皮から抜け出してきたように見える。赤ら顔で、見るからに頑固そうなつらがまえだ。さかんに目をしばたたかせている。でっぷりと脂肪ぶとりのした両頬が、いかめしい格好で垂れさがり、あごの下でぶつかっている。
ところで、判事は耳が遠かった。判事としてはちょっとした欠点だ。フロリヤンどのはそれでも訴えをきかずには判決をくださなかったし、しかもはなはだ的確な判決をくだした。たしかに、裁判官というものは、ただ聞いているふりさえしていればいいのだ。だから、この尊敬すべき判事どのは、まわりの物音に気をとられる心配が絶対になかっただけに、すぐれた裁判官としてのただひとつの重要な点である、聞くという条件にますますかなっていたわけだ。
そのうえ、判事どのは、傍聴人の中に自分のすることなすことをいちいちきびしく監督してくれる人間をもっていた。わが親愛なる風車場のジャン・フロロ、つまり、きのうもお目にかかったあのちび学生がそれで、この≪風来坊≫は、学校の教室以外のところなら、パリじゅうどこにでも必ず姿を見せる男なのだ。
「おい」と、ジャンはロバン・プースパンに小声で言った。ジャンが目の前で繰り広げられてゆくいろいろな光景に注釈をつけているあいだ、この男はそばでせせら笑いを浮かべていたのだ。
「ありゃあ、ジャンヌトン・デュ・ビュイソンだぜ。マルシェ=ヌフのカニャール亭のべっぴんだ!……きっとあの女を有罪にしやがるだろうな、おいぼれめ! してみると耳が聞こえないばかりじゃねえ、目も見えないんだな。じゅず玉飾りを二つばかりくっつけたからって、パリ金十五スー四ドニエの罰金だって! こいつあちょいとばかし高すぎらあ。血も涙もねえお裁きだなあ……あいつは誰だろう? 鎖帷子師《くさりかたびらし》のロバン・シエフ=ド=ヴィルだ!……前述の職業の試験を通過し、親方となりたるためだって?……つまり認可料だな。……おや! ならず者の中に貴族がふたりいるぞ! エーグレ・ド・ソワンとユタン・ド・マイイだ。宮廷の役人がふたりか、こいつあ驚いた! そうか! やつら、さいころ遊びをしやがったんだ。ところで大学の総長どんがここへひっぱられてくるのはいつのこったろう? パリ金百リーヴルを罰金として国王に支払えだって! バルブディエンヌのやつ、耳の聞こえねえやつみたいにこっぴどくやりやがる。……おっと、ほんとに耳が聞こえねえんだっけ!……賭けごとがやめられるもんなら、おれも兄貴みたいに司教補佐になりてえ! 昼間賭けて、夜賭けて、賭けに生きて、賭けに死に、シャツまで賭けたあげく魂を賭ける、こんな因果《いんが》な病いがなおるもんならよ!……おやおや、なんて大勢のあまっこだ! つぎからつぎへと、おなじみの可愛いのが! アンブロワーズ・レキュイエール! イザボー・ラ・ペーネット! ベラルド・ジロナン! どいつもこいつも、知ってるやつばかりだよ、まったく! 罰金だ! 罰金だ! 金ぴかの帯なんか締めてるとどういうことになるか、いまにわかるぜ! パリ金十スーだ! ねえちゃんたちよ! やい! 判事の古だぬきめ! 耳のきこえねえまぬけ野郎め! おい! フロリヤンのうすのろめ! おい! バルブディエンヌのげす野郎め! あんなテーブルにおさまりかえりやがって! やつめ、訴訟人を食いものにしてやがる、訴訟を食いものにしてやがるんだ。食って食って、腹いっぱいつめこみやがるんだ。罰金だの、遺失物だの、税金だの、訴訟費用だの、正当費用だの、給料だの、損害賠償金だの、利息だの、拷問《ごうもん》だの、監獄だの、牢獄だの、手かせだの、足かせだの、みんなやつにとっちゃクリスマスケーキか、聖ジャン祭のアーモンドの菓子みたいなもんなんだ!
見ろ、あの豚づらを!……あれっ! ほほう! またひとり色女めが出てきやがったぞ! チボー・ラ・チボードだ。間違《まちげ》えねえ!……グラチニ通りの魔窟からのこのこ出てきやがったばちだろう!……あの小僧はなんだろう? 弩弓《どきゅう》隊のジェフロワ・マボンヌか。神さまの悪口を言いやがったんだ。……ラ・チボードは罰金にしろ! ジェフロワも罰金にしろ! ふたりとも罰金をかけろ! あの耳のきこえねえじじいめ! やつはふたつの事件をとっちがえやがったに違《ちげ》えねえ! 間違《まちげ》えねえ! あの女にゃ、ばちあたりの罰金を出させて、騎士にゃあ、淫売した罰金を払わせよう、てんだ。……おいおい、ロバン・プースパン! 今度は誰を引っぱってくるんだろう? 大勢おまわりがやってくらあ! いやはや! 猟犬の一大隊よろしくってえ格好だな。でっかい獲物に違えねえぜ。イノシシかな。……そうだ、ロバン! そうだよ、イノシシだよ。……しかも素晴らしいやつだ!……畜生! ありゃ、きのうのわれわれの王さまだ、らんちき法王だ、鐘番だ、ひとつ目だ、こぶ男だ、しかめっつらだ! カジモドだ!……」
まさにそのとおりだった。
カジモドだった。ぐるぐる巻きにして縛りあげられ、厳重に護衛されたカジモドだった。彼をとり巻いているおまわりの一隊には、胸にフランスの紋章、背なかにパリ市の紋章の刺繍《ししゅう》のある服を着た騎馬警吏が自らつきそっていた。カジモドは、醜い姿格好をべつにすれば、こんな矛槍《ほこやり》だの火縄銃だのといった道具をもちだして警戒しなければならないようなようすは、ちっともしていなかった。彼は暗い顔をして、黙って、静かにしていた。ただときたま、そのひとつしかない目で自分を縛っている縄に、ちらっちらっと陰険な、腹だたしげなまなざしを投げかけるだけだった。
やはり同じ目つきで、彼はあたりを見まわした。だがその目つきがいかにもどんよりしていて、眠っているみたいだったので、女たちはたがいに彼の顔を指さしあって、笑い物にするのだった。
一方、フロリヤン判事どのは、書記が差し出したカジモド起訴の一件書類をいっしんにめくっていたが、書類に目を通してしまうと、しばらくのあいだ、じっと考えこんでいるようすだった。尋問にとりかかるまえにいつもこうして用心深く準備をしたおかげで、彼は、まえもって被告人の名や身分職業や罪状を知ることができた。予想される被告人の答弁に対する応答をあらかじめ準備し、自分の耳の聞こえないのをあまり見破られずに、あらゆるこみいった尋問を、どうにかやってのけることができたのである。訴訟書類は、彼にとっては、盲人の手を引く犬みたいなものだった。たまたま、何かとんちんかんな呼びかけとか、わけのわからない質問とかをやって、聴覚の故障がちょいちょいばれそうになっても、人びとはそれを彼が学が深いからだと思っていた。でなければ、彼がとんまなせいだと思っていた。いずれにしても、裁判官の名誉は少しも傷つけられなかったのだ。裁判官というものは、耳がきこえないと言いふらされるより、おろかだとか博学だとか言われたほうがまだましだからだ。
そこで彼は、自分の耳の遠いことを誰にも気づかれないように、たいへんな苦労をしていた。そしていつでも、それをうまくやってのけられたので、しまいには、自分でも耳なんか悪くないのだと思うようになっていた。それに、こういった錯覚は、人が考えるよりたやすく起こるものなのだ。背曲がりはみんな頭を高くあげて歩くし、どもるやつはみんな大声で長々としゃべるし、耳がきこえなければみんな小声でしゃべる。フロリヤンどのは、自分の耳はちょっとばかり言うことをきかぬわい、というぐらいにしか考えていなかった。彼が率直に反省し、良心に照らしてみたときでさえ、この点で世論に譲歩したのは、ただこの程度までだった。
そこで、カジモドの事件をすっかりのみこんでしまうと、彼は、なおいっそうの威厳と公平無私とを示すために、うしろにふんぞりかえって、目を半分とじた。あまりみごとにふるまったので、この瞬間、耳も目も利かなくなってしまった。耳と目のどちらか一つでも利いたら、申しぶんのない裁判官になどなれるものではないのだが。こうした威厳たっぷりな態度で、彼は尋問にとりかかったのである。
「名まえは?」
そこで、「法律に決められて」いなかった裁判がはじまったのである。耳のきこえない人間が同類を尋問するのだ。
カジモドは、どんな質問を受けるのか少しも知らされていなかったので、裁判官の顔をじっと見つめたまま何も答えない。裁判官は耳がきこえなかったし、被告人もやはり自分同様にきこえないことを少しも知らされていなかったので、型どおり答えがあったものと考え、機械かまぬけみたいにおちつきはらって、尋問をつづけた。
「よろしい。年齢は?」
カジモドはこの問いにも答えない。裁判官は答えがあったものと思いこんで、なおもつづける。
「では、職業は」
カジモドはあいかわらず、この問いにも答えない。だが、傍聴人たちはひそひそ耳うちをしたり、おたがいに顔を見合わせたりしだした。
「それでよろしい」と、判事は被告人が三度目の質問にも答えたものと思いこんで、おちつきはらって言った。
「そのほうはつぎの罪状によって当法廷に起訴されておるのじゃ。第一、夜間の騒動。第二、娼婦に対する暴行。第三、王室射手隊に対する反抗、ならびに不正。以上の点について申しひらきをいたせ。……書記、これまで被告人が申したことを記録いたしたか?」
このあいにくな質問を聞いて、書記席から傍聴席までどっと笑いがわき起こった。ものすごい、気違いじみた笑いが、わっと広がって、あたりいっぱいに響きわたったので、耳のきこえないふたりも気づかないわけにはいかなかった。カジモドは背なかのこぶをそびやかし、人を見さげたようなようすで、振り向いた。フロリヤンどののほうも同じように驚いたが、見物人があんなに笑っているのは、きっと被告人がふらちな答弁をしおったからに違いない、あのように肩をそびやかしたのでもわかる、と考えた。そこで、かんかんになって相手を叱りつけた。
「たわけものめ、その答えだけでも絞首に値するのじゃぞ! わしをなんと心得ておるのじゃ」
こんな叱りつけかたでは、満廷にとどろきわたっていた笑いの爆発をとてもとめることはできない。それどころかこの質問は、みんなにあまりとんちんかんで、ばかげてみえたので、槍持ちのようにいつもまぬけづらをしているのが相場だった市会議所の警吏までが、腹をかかえてゲラゲラやりだした。カジモドだけがあいかわらずまじめくさった顔つきをしていたが、これはあたりまえの話で、彼はまわりに何が起こったのか、さっぱりわからなかったのだ。
裁判官はますますいらだってきて、これは同じ調子でどなりつづけなければだめだと思いこんだ。被告人をおどしつければ、勢い傍聴人のほうも恐れをなして静まるだろうと考えたのだ。
「シャトレ裁判所の判事をおこがましくもないがしろにいたすとは、そのほう、よほどの根性まがりのしたたか者であるぞ。本官はパリ市民の保安に任じ、もろもろの犯罪行為、違反行為、悪行の捜索、あらゆる生業の監督、独占の禁止、舗道の維持、家禽、水鳥の小売商人の監視、薪その他の木材の販売、当市の泥土および伝染病を媒介いたす空気の排除に責任を有するものであるぞ。簡単に申せば、報酬もなく、給料を受ける希望もなく、絶えず公共のために尽力いたす責任をもっておるものじゃぞ! 本官はパリ奉行閣下の代理官たるのみならず、パリ裁判所、大法官裁判所、上訴権のない裁判所においても、同様の権限をもって、委員、調査官、監督官、検査官をつとめるフロリヤン・バルブディエンヌと申す者であるぞ!……」
なにしろ、耳のきこえない人間が同類に向かってしゃべっているのだから、どこまでつづくかわかったものではない。フロリヤンどのは雄弁術の大空へ全速力で舞いあがってしまい、いつ、どこへ着陸するのか見当もつかなかった。
が、ちょうどそのとき、奥の低いドアが不意にあいて、奉行閣下ご自身が姿を現わしたのである。
閣下がはいってきても、フロリヤンどのはぱったり口をつぐんだわけではなく、かかとでくるりと半分体の向きを変えると、いままでカジモドをやっつけていた長口舌の矛先《ほこさき》をいきなり奉行閣下に向けて、「閣下、わたくしは、これなる被告人が犯しました、ゆゆしい、信じ難い裁判官侮辱罪に対し、応分の罰を科されんことをお願いいたします」と言った。
こう言うと、彼はハーハー息を切らし、大汗をぬぐいながら腰をおろした。額から流れ落ちた汗は、判事の前に広げられていた羊皮紙に涙のようなしみをつくってしまった。ロベール・デストゥートヴィル閣下は眉をしかめ、カジモドに向かって、よく聞け、という手ぶりをした。ひどく命令的で、はっきり意味のとれる手ぶりだったので、耳のきこえない被告もどうやらそれがわかった。
奉行はきびしい口調でカジモドに問いかけた。
「そのほうは何をしでかして、ここへ来おったのじゃ、悪者め?」
哀れな被告は奉行が名まえをきいたのだと思い、いつものだんまり癖を捨てて、しわがれた、のど声で答えた。「カジモド」
問いと答えがてんでちぐはぐだったので、ばか笑いの声がまたそこここにわき起こった。ロベール閣下は怒りで顔をまっ赤にして叫んだ。
「きさまは本官までばかにいたすのか、極道者《ごくどうもの》め?」
「ノートルダムの鐘番でございます」とカジモドが答えた。てっきり、身分を申し上げねばならないのだと思いこんで。
「鐘番じゃと!」と奉行は言った。ご承知のように、奉行は、けさ目をさましたときからすこぶる機嫌が悪かったので、こんなとんちんかんな返事で火をつけられるまでもなく、かんしゃく玉がいまにも破裂しそうだったのだ。
「鐘番じゃと! しからばパリの辻々を引きまわして、きさまの背なかに細棒でみごとな音をたてさせてくれるわ。わかったか、悪者め?」
「わたしの年でごぜえましたら、たしか、今度の聖マルタン祭で、はたちになりますだ」と、カジモドが答えた。
こいつは薬がききすぎた。奉行はどうにも我慢ができなくなった。
「なに! きさまは奉行職を嘲弄《ちょうろう》いたすのか、悪者め! 鞭を持った警吏諸君、こやつをグレーヴ広場のさらし台にしょっぴいていき、一時間ぐるぐるまわしながら、ひっぱたいてやれ。思い知らせてくれるぞ、いまいましい! また、本判決は、パリ子爵領の七つの裁判区じゅうを四人のらっぱ手に触れまわらせてくれい」
書記はすぐさま判決文の作成にとりかかった。
「畜生! けっこうなお裁きを受けやがったわい!」と、ちび学生の風車場のジャン・フロロが、すわっていた片隅から叫んだ。
奉行はくるりと振り向き、怒りに燃えた目でカジモドをまたにらみつけた。
「こやつは、ただいま『畜生!』と言いおったようじゃな。書記、不敬の言辞をろうしたるかどをもって、パリ金十二ドニエの罰金を追加せよ。なおサン=トゥスターシュ教会の財産管理委員会にその半分を寄進いたすようにせよ。わしはサン=トゥスターシュ教会をとくにうやまっておるのじゃ」
まもなく判決文はできあがった。文面は簡単で短かった。パリ裁判所とパリ子爵領の慣習法は、このころはまだ裁判長チボー・バイエや、王室弁護士ロジェ・バルムヌの手でいじくられていなかった。裁判は、このふたりの法律家によって十六世紀のはじめにこしらえられた、三百代言的な弁論や訴訟手続というあの高くそびえる大樹林に妨げられずに進行した。何もかも明快で、てっとりばやく、はっきりしていた。人びとは目標に向かってまっすぐに進んだ。小道を進んでゆくと、やぶだのまわり道だのはなんにもなく、すぐさきの突きあたりに車責《くるまぜ》めの車輪か、絞首台か、さらし台かが見えてきた。少なくともどこへ行くのか、それだけはわかっていたのだ。
書記は判決文を奉行に差し出した。奉行はそれに印《いん》を押すと、法廷の巡回をつづけるために出かけていった。あんなに不機嫌では、おそらくその日、パリの監獄はひとつ残らず満員になってしまったことだろう。ジャン・フロロとロバン・プースパンはくすくす忍び笑いをしていた。カジモドは、なんだか知らんが驚いた、といった顔つきであたりを見まわしていた。
今度はフロリヤン・バルブディエンヌどのが印を押す番だ。だが、彼が判決文を読みにかかったとき、書記は哀れな男が有罪になったのが可哀そうでたまらなくなり、いくらか刑を軽くしてやってもらおうと思って、判事の耳もとへできるだけ近より、カジモドを指さしながら言った。「あの男は耳がきこえないんですよ」
同病のよしみから、こう言えば、フロリヤンどのは受刑人に同情するだろうと考えたのだ。だが第一、さきほども申し上げたように、フロリヤンどのは自分の耳が遠いことが人に知れるのをいやがっていた。それに、書記が言ったことなどひとことも聞きとれなかったほどのひどい耳だった。そのために、彼はどこまでも聞こえるふりがしたくて、こう答えた。
「うん! うん! そりゃ違うな。それは知らなかった。それならば、さらし台の刑をもう一時間ふやしてやらねばならぬわ」
そして、判決文をそう訂正させて、印を押した。
「ざまあみろ、人をひどい目にあわしやがったばちだ」と、カジモドに恨みをもっていたロバン・プースパンが言った。
二 ≪|ネズミの穴《トルー・オ・ラ》≫
ここでみなさんのお許しを得て、グランゴワールがきのうエスメラルダを追ってあとにした、あのグレーヴ広場へ戻ることにしよう。
朝の十時だった。どっちを向いても祭りあけの日の匂いがぷんぷんしている。舗道一面にリボンだの、紙切れだの、前立ての羽根だの、たいまつの蝋《ろう》のしずくだの、おおばんぶるまいの食い残しだのといった残骸が散らかっている。大勢の市民たちが、そこここを、いまのことばで言えば、「ぶらついている」。かがり火の≪おき≫をけとばしたり、柱の家の前に立ちどまって、うっとりとした面持ちでながめいったりしている。きのう張りめぐらされてあったみごとな幔幕《まんまく》を思い出しているのだ。が、残っているのは釘ばかりで、それでもあの盛んな祭りを思い出して楽しむことはできるのだった。
リンゴ酒やビールを売って歩く男たちが、人群れのあいだをぬって、大樽をゴロゴロころがしてゆく。いそがしそうに通りすぎてゆく人びとの姿も見える。商人たちはおしゃべりをしたり、店の前でおたがいに呼びあったりしている。祭りや、使節団や、コプノールや、らんちき法王の話にだれもかれも花を咲かせている。われがちに、きのうのできごとの解説をやったり、笑いこけたりしている。
そのうち、いつのまにか騎馬警吏が四人やってきて、さらし台のまわりに陣どった。そのまわりにはもう、広場に散らばっていた≪平民≫どもがおおかた集まってきていて、何かちょっとしたおしおきでもあるのではないかと、身じろぎもせず、退屈しながらも立ちつづけている。
さて、みなさんが、もし広場一面に繰り広げられている、この生き生きとした、騒々しい光景をひとわたりながめたのち、西側の川岸のかどになっているロラン塔の、あの半ばゴチック、半ばロマネスク式の古風な建物のほうに目をお向けになるならば、建物の正面のすみに、極彩色をほどこした大きな公衆用の聖務日課書が置いてあるのにお気づきになるであろう。雨にぬれないように小さなひさしがさしかけてあり、持っていかれないように金網でかこってあるが、手を差しこんでページが繰れるようになっている。この聖務日課書のそばに、せまい尖頭アーチ形の明かりとりが広場に向かってつけられ、十字に組んだ二本の鉄棒で閉じられている。この明かりとりは、この古い建物の部厚い壁の中につくられた、一階の、出入り口のない小部屋にわずかばかりの空気と日光を送りこむただひとつの口なのだ。この小部屋はパリでもいちばん人通りの激しい、いちばん騒々しい広場に面していて、あたりがガヤガヤとやかましいだけに、いっそう深いやわらぎと陰気な静けさに満ちていた。
この小部屋は、かれこれ三百年もまえからパリでは有名になっていた。ロラン塔のロランド姫が、十字軍戦争でなくなった父の喪《も》に服し、閉じこもって一生を過ごすために、自分の屋敷の囲壁をくりぬいてつくらせた部屋なのだ。姫は、その立派な御殿のうち、出入り口は壁でふさがれ、明かりとりは夏冬あけっぱなしというこの住まいだけを自分のものとし、残りはみんな貧乏人と教会に寄付してしまったのだった。悲嘆にくれた姫は、事実、生きたままはいったこの墓の中で、その後二十年間死の訪れを待っていたのだ。日夜、父の魂のために祈り、悔悟のうちに眠り、枕にする石さえなく、黒い懺悔《ざんげ》服を身にまとい、通行人があわれんで明かりとりのへりに置いて恵んでくれるパンと水だけで命をつないでいた。すべてを寄進した姫は、こうして施しを受ける身になったのである。死期がいよいよ近づいてあの世の墓に移ろうとしたとき、姫は、母親であれ、未亡人であれ、娘であれ、何か悲しい事情で人のために、あるいは自分のために祈りたいことがたくさんある女性、そして深い悲しみや強い悔悛《かいしゅん》の中に生きながら身を埋めてしまいたいと願う女性が、いつまでもこの部屋を使うようにと言い残したのだった。
当時の貧しい人びとは涙を流し、祝福を祈りながら、姫のために、立派な葬儀をいとなんだ。だが、たいへん残念なことには、後楯《うしろだて》がなかったので、この信仰あつい姫も聖者の列には加えてもらえなかった。そこで法王に少しばかり不満をいだいていた人びとの中には、姫はローマでよりも天国でのほうが容易に聖者にしてもらえるだろうと考え、死んだ姫のために、法王にではなく、神さまにお願いした無邪気な者もいた。大かたの人びとはロランド姫の思い出を神聖なものとして胸におさめ、姫が身につけていたぼろを聖遺物とすることで満足していた。
市当局は姫の遺志に添うために、公衆用の聖務日課書を寄進したが、この本は小部屋の明かりとりのそばに備えつけられた。こうしておけば通行人も、ただちょっとお祈りをするためだけだとしても、ときどきはここで足をとめるだろう、お祈りをすれば施しをする気にもなるだろう、ロランド姫のあとをついでこの小部屋に住みつくおこもり女たちが食べ物もなく、忘れられて死んでしまうことにもなるまい、という考えからだった。
それに、こうした墓みたいなものは、中世の都市ではたいして珍しいものではなかった。人通りのひどく激しい大通りとか、ガヤガヤと大勢の人が集まって騒がしい市場のどまん中とか、つまり馬の歩く足もとや、荷車や荷馬車が引かれてゆく車輪の下には、よく、穴ぐらや、井戸や、壁でかこって格子をはめこんだ小部屋ができていて、その奥で、尽きせぬ嘆きや、大きな罪滅ぼしに自ら一身を捧げた人間が、夜となく昼となく祈りつづけていたものなのだ。家と墓、墓と都会とをつなぐ鎖の輪にもたとえられるこうした恐ろしい小部屋、人間社会から断ち切られ、もう死者のうちに数えられているあの隠遁者《いんとんしゃ》たち、暗やみの中で油の最後の一滴を燃やしているあのランプのような人間、穴の中でゆらゆらゆらめいている残り少ない命、石箱のような部屋の中に聞こえる隠遁者たちのいぶきや声や永遠の祈り、永久に別の世界に向けられたままの隠遁者たちの顔、もう別の世界の太陽に照らされている目、墓の壁にぺったりへばりついたままの耳、あのような体に閉じこめられたあのような魂、あのような土牢に閉じこめられたあのような体、肉体と石の二重の包皮の下で苦しむ隠遁者たちの魂のうめき声、こうした不思議な光景が今日のわれわれの胸の中にひき起こすに違いないさまざまな感想を、当時の人びとは何ひとついだかなかったのである。
こと信仰に関してはそれほど理屈っぽくも敏感でもなかった当時の人びとは、宗教的な行ないをそんなに複雑な目では見ていなかったのである。彼らは物事を丸ごと受けとって、犠牲的な行ないを尊敬し、崇拝し、必要とあれば聖化したが、その苦痛を分析したりなどはせず、また、ことさらに気の毒だとも思わなかったのだ。ときどき哀れな苦行者に食べ物をもってきてやり、まだ生きているかなと穴からのぞきこんだりはするものの、苦行者の名まえも知らず、もう何年こんなふうに死ぬのを待っているのかもほとんど知らなかったのだ。そして、見知らぬ人がやってきて、こうした穴ぐらの中で腐ってゆく生きた骸骨のような人間のことをあれこれきくようなことがあっても、近所の人びとは、中にいるのが男だと「隠者ですよ」、女だと「女の隠者ですよ」と、簡単に答えるだけだった。
そのころの人びとは、すべてをこんなふうに見ていたのだ。むずかしい理屈も考えず、大げさにも考えず、拡大鏡も使わず、自分の目でじかに見ていたのだ。顕微鏡は、物質界を見るためにも、精神界を見るためにも、まだ発明されていなかった時代だった。
それに、人びとはたいして驚きの目を見張らなかったとはいえ、こんなぐあいに都市のまん中で閉じこもって生活する者は、さっきも申し上げたように、事実、かなり多かったのである。パリにも、神に祈り、苦行をするためのこうした小部屋は相当たくさんあった。そしてどれも、ほとんどふさがっていた。もっとも教会当局が小部屋のあくのを好まず、空室の存在はとりもなおさず世の信仰心の衰えを示すものだとして、苦行者がいないときにはハンセン病患者をそこに入れておいた、ということもあるにはあったが。
こうした小部屋は、このグレーヴ広場のほかに、モンフォーコンにひとつ、サン=ジノサン墓地の納骨堂にひとつ、それから、どこだったか忘れたが、もうひとつあった。たしかクリション邸だったように思う。まだそのほか、あちらにもこちらにもあったのであって、そうした場所には、もう建物はなくなっていても、言い伝えが残っている。大学区《ユニヴェルシテ》にもひとつあった。サント=ジュヌヴィエーヴの丘で、中世のヨブ〔信仰をためすため、神によってサタンの手にゆだねられ、汚物まじりの寝藁に伏して生活した旧約聖書中の義人〕ともいえそうな男が、雨水だめの底の寝藁にすわって、三十年間、七つの悔罪詩編をうたった。うたい終わると、またはじめから繰り返したのだ。夜は一段と声をはりあげ、≪やみを貫く大声で≫うたいつづけた。いまでも好古家たちは「ピュイ=キ=パルル」通りへはいってゆくと、この男の声が聞こえる、と思っている。
ロラン塔の小部屋に話をかぎることとして、申し上げねばならないのは、ここには、おこもり女の絶えたことがない、ということである。ロランド姫がなくなってから、ごくまれに一、二年あいたこともあったが、すぐにふさがってしまった。たくさんの女がここにきて、失った両親や、恋人や、犯した罪のために涙を流したすえ、死んでいった。なんのかかわりもないことにでもいちいち鼻をつっこんでかぎまわる、ちゃめっけたっぷりなパリっ子たちの言うところによれば、後家さんの姿はここにはほとんど見られなかったそうだ。
当時のしきたりにしたがって、この部屋の外側の壁にはラテン語の碑銘が書きつけられていたので、通行人も多少学問のあるものなら、この部屋が宗教的な目的に使われていたことがすぐわかるのだった。
ところで、戸口の上に簡単な銘句を刻みこんで建物を説明するという風習は十六世紀の半ばごろまでつづいていた。たとえばフランスでは、トゥールヴィル領主邸の監獄ののぞき窓の上に、≪黙して望め≫とあるのがいまでも見られる。アイルランドでは、フォーテスキュー城の大戸口の上に刻みこまれた小型の楯形《たてがた》紋章の下に、≪強い楯、将《しょう》の救い≫という文字が見られる。イギリスでは、クーパー伯爵家の来客用屋敷の正面玄関の上に、≪あなたのもの≫と刻んであった。つまり当時の建物はみな、思想を表現していたのである。
ロラン塔の壁でかこまれた小部屋には戸口がなかったので、誰かが窓の上の壁に太いロマネスク語ふうの文字で、つぎのような二字を彫りこんだのだった。
≪なんじ、|祈れ《トゥ・オラ》≫
民衆というものは常識的で、ものごとを細かく観察しないので、≪ルイ大王へ≫を平気で≪サン=ドニ門≫などと訳してしまう。だからその調子で、彼らは、この暗くてじめじめした、ほら穴みたいな部屋に≪|ネズ《トルー・》|ミの穴《オ・ラ》≫という名をつけてしまった。この名は≪トゥ・オラ≫に比べおごそかさには欠けるかも知れないが、その代わり、もっと絵のようななまなましい感じを表わしている。
三 トウモロコシのパン種で焼いた菓子の話
このころ、ロラン塔の小部屋には人が住んでいた。どんな人間が住んでいたのかお知りになりたければ、みなさんに≪ネズミの穴≫をお教えしたとき、ちょうどその方向へシャトレからグレーヴ広場へ向かって、川沿いに、おしゃべりな奥さんたちが三人やってきたから、この人たちの話をお聞きになればよろしい。
三人のうちふたりは、上流のパリ市民らしい身なりをしている。白い薄地のえり飾り、赤と青のしまの交織《こうしょく》のスカート、わきに色糸の縫いとりのある、足にぴったり合った、白いトリコット編みの靴下、淡黄褐色の皮の、底の黒い、角ばった靴、ことに、ロシアの親衛隊の選抜兵と張りあってシャンパーニュの女たちがいまでもかぶっている、リボンとレースで飾ったぴかぴか光る角《つの》みたいな帽子、こうした身なりからみて、ふたりはどうやら、従僕たちが「おかみさん」と呼ぶのと、「奥さま」と呼ぶのとのちょうど中間にくる、あの金持の商人階級の婦人らしかった。ふたりとも指輪もはめず、金の十字架もさげてはいないが、それはお金がないからではなく、ただそんなもののために罰金をとられては、と思ってのことだとはすぐわかる。連れの婦人もほぼ同じようにごてごて着飾っていたが、服装にも身ごなしにも、どことなく田舎の公証人の細君といったやぼなところがあった。ベルトを腰高にしめているところから見ても、パリへ来てまだ日の浅いことがわかる。おまけに、ひだのついたえり飾りといい、靴の紐《ひも》の結びかたといい、スカートのしまが縦ではなく横についていることといい、そのほか趣味のいい人が腹をたてそうな、おかしな点を数えあげればきりがない。
最初にお話ししたふたりは、おのぼりさんにパリを案内するパリ女だけが見せる一種独得の歩きぶりで足を運んでいる。おのぼりさんのほうは太った男の子の手を引いているが、男の子は手に大きなパン菓子を持っていた。
ちょっと申し上げにくいことだが、なにしろ寒さがひどいので、男の子は舌をハンカチがわりにして、鼻汁をぺろぺろなめまわしていた。
この子は、ウェルギリウスの言うような「乱れた足どりで」引きずられるようにして歩いてきた。ひと足ごとにつまずいては、おかあさんからひどいお小言をちょうだいしている。無理もない。足もとよりも手に持った菓子のほうによけいに目をやっているのだから。きっとそれ(パン菓子)にかじりつけない何か重大な理由があるのだ。食べたくてたまらないといったようすなのに、ながめるだけで満足しているのだから。どうみても、このお菓子はおかあさんが持っていくべきだった。ほっぺたのまるまるとした、こんながんぜない子供に、タンタロス王の苦しみ〔水を飲もうとすると水がなくなり、果実をつもうとすると枝がはねあがるという、タンタロスが地獄で受けた罰〕をなめさせるのは残酷すぎる。
ところで三人の≪奥さん≫がた(「奥さま」というのは当時は貴族の夫人にしか使えなかった)は、三人いちどきにしゃべりまくっていた。
「急ぎましょう、マイエットさん」と、三人のうちでいちばん若くて、いちばん太ったのがおのぼりさんに向かって言う。「ぐずぐずしてると間にあわないかもしれませんよ。シャトレで言ってたじゃないの、もうすぐ、あれをさらし台に引っぱっていくんだって」
「まあ! 何をおっしゃるの、ウダルド・ミュニエさん?」と、もうひとりのパリ女が言う。「あれは二時間も、さらし台にさらされるんですよ。時間はたっぷりありますわ。あなた、さらし刑ってごらんになったことおあり、マイエットさん?」
「ええ、ランスのまちでね」と、おのぼりさんが答えた。
「まあ! なあんだ! ランスのさらし台ってどんなかしら? お百姓ばかりさらす、ちっちゃな檻《おり》みたいなもんでしょ。たいしたもんじゃなさそうね!」
「まあ、お百姓ばかりだなんて! 織物市場にある、あれですよ! ランスのね! とてもすごいお仕置人だって見ましたわ。なんでも自分の両親を殺したんですって! お百姓ばかりだなんて! あたしたちをなんだと思ってらっしゃるの、ジェルヴェーズさん?」
たしかに、おのぼりさんは故郷のさらし台の名誉のために、いまにも怒りだしそうだった。が、さいわい、おとなしいウダルド・ミュニエ夫人がたくみに話題を変えた。
「それはそうと、マイエットさん、あのフランドルのご使者たちはいかがでした? ランスででも、あんな立派なのがごらんになれて?」
「そりぁもう、あんな立派なフランドル人たちの行列は、パリへこなくちゃ見られませんわ」と、マイエットが答えた。
「使節団の中にいた、洋品屋さんだというあの背の高いご使者もごらんになって?」とウダルドがきいた。
「ええ、まるでサトゥルヌス〔ローマ神話の農耕の神〕みたいでしたわねえ」と、マイエットが答えた。
「それから、あののっぺりした顔の太った人は? それから、ほら、目の小さい小男の人、アザミの頭みたいなぎざぎざな毛の生えた赤いまぶたの人よ。あれもごらんになったこと?」と、ジェルヴェーズがきく。
「あの人たちの馬がとても立派でしたわ。ちゃんとお国流に衣装をつけてさ!」とウダルドが言う。
「ねえ! あなた」と、おのぼりさんのマイエットが、こんどこそこっちのものだとばかりに相手をさえぎる。
「六一年に、ランスで王さまの聖別式があったとき……もう十八年にもなりますけどね……、殿さまがたや王さまのお供のかたがたが乗ってらしった馬をお見せしたかったわ! 馬覆いだの、馬飾りだの、びっくりするほどいろいろありましたわよ。黒テンの毛皮をつけた綾《あや》織りラシャだの、金色の薄ラシャだの。そうかと思うと、白テンの毛皮の羽根飾りをつけたビロードだの。そうかと思うと、金銀細工や、金や銀の大きな鐘形飾りをいっぱいつったのもありましたわよ! ほんとに、びっくりするほどのものいりだったでしょうね! それに、馬に乗った可愛らしいお小姓たち!」
「それはそうでしょうけどね」と、ウダルド夫人がにべもなく受けた。「とにかくフランドルのご使節の馬はとても立派でしたわ。それから、あのかたたちは、きのう市庁舎で市長さんから素晴らしいご馳走をいただいたんですよ。砂糖菓子だの、|香料入りブドウ酒《イポクラース》だの、果物の砂糖煮だの、いろいろ珍しいものが出たんですってさ」
「何を言ってらっしゃるの、あなた? フランドルのおかたたちは、プチ=ブールボン宮で枢機卿《すうききょう》さまのご馳走になったのよ」と、ジェルヴェーズが声を高めて言った。
「いいえ、市庁舎ですよ!」
「どういたしまして、プチ=ブールボン宮ですよ!」
「たしかに市庁舎ですわ。スクーラブル博士がラテン語でなさった演説を聞いて、使節のかたはたいそうお喜びになったそうよ。宅はねえ、ご免許の書籍商でしょう。宅がそう言ったんですもの」と、ウダルドがとげとげしい口調で言った。
「たしかにプチ=ブールボン宮ですわ」と、ジェルヴェーズも負けずに強い口調で言いかえす。「だってあたしは、枢機卿さまの執事があのかたたちにどんなものを差し上げたか、ちゃんと知ってるんですもの。白と薄赤と朱の香料入りブドウ酒半リットル入りを十二びん、卵の中にひたしてバターで揚げたリヨン菓子パンを二十四箱、一本二リーヴルのたいまつを二十四本、白と薄赤のボーヌ産のブドー酒を二百リットル入りで六樽、それもとびきり上等のですよ。間違いっこありませんわ、うちの人から聞いたんですもの。うちの人は市会議所の五十人組の組長をしてますでしょ。それにうちの人はね、けさ、フランドルのご使節たちと、エチオピア皇帝のご使節たちや、お亡くなりになった王さまの時代にメソポタミアからパリへおいでになったトラブゾン皇帝のご使節たちとをあれこれ比べておりましたもの。なんでも、あのトラブゾンのご一行は耳輪をつけていたそうですがね」
こうならべたてられても、ウダルドはすこしも驚かない。「なんておっしゃったって、市庁舎でおよばれになったことに間違いありませんわ。肉だの、砂糖菓子のアンズだの、あんなすてきなご馳走は、いままではじめてだそうですよ」
「あのね、いいこと、市のお役人のル・セックさんのお給仕で、プチ=ブールボン宮でおよばれになったのよ。だからあんた、勘違いしてらっしゃるのよ」
「市庁舎ですってば!」
「プチ=ブールボンですってば! だって表玄関の上に刻んである≪希望≫ってことばを、レンズで照らしてたでしょ」
「いいえ、市庁舎よ! 市庁舎にきまってますよ! ユソン・ル・ヴォワールさんがフルートを演奏なすったじゃないの!」
「そうじゃありませんってば!」
「あら、そうですってば!」
「そうじゃないってば!」
人のいい太ったウダルドはやり返そうとしていた。口論の果ては、とうとう帽子のつかみ合いにまでなりそうなあんばいだった。と、ふいにマイエットが叫んだ。
「あら、ちょいとちょいと、あそこの橋のたもとにいっぱい人だかりがしてますわ! まん中になんだかあって、ほら、みんなで見てるじゃないの」
「ほんとだわ。タンバリンの音が聞こえるわ」と、ジェルヴェーズが言った。「きっとあの≪スメラルダ≫さんが、ヤギにへんてこな芸当をやらせてるのよ。さあはやく、マイエットさん! 急いでいらっしゃい、しっかり坊やの手を引いてね。あなたはパリ見物に来たんでしょ。きのうはフランドルの人びとを見たんだしさ、きょうはあのジプシー娘を見なくちゃいけませんわ」
「ジプシー娘ですって!」と、マイエットは叫んだかと思うと、子どもの腕をぎゅっとにぎりしめ、いきなりいま来た道をひき返しにかかった。「まあ、たいへんだ! きっと坊やをさらっちゃうわ!……さ、いらっしゃい、ウスターシュ!」
母親は川岸沿いにグレーヴ広場のほうへ駆けだし、橋から遠く離れたところまで来てしまった。が、とうとう、引きずられていた子供がつまずいてひざをついたので、おかあさんのほうもフーフーあえぎながら、立ちどまった。ウダルドとジェルヴェーズが追いついてきた。
「あのジプシー娘が坊やをさらうんですって? まあ、あなたもずいぶんへんてこなことをお思いなのね」と、ジェルヴェーズが言った。
マイエットは物思わしげなようすで、首を横に振った。
「不思議ねえ、お懺悔《ざんげ》ばあさんも、ジプシー娘が子どもをさらうって思ってるのよ」とウダルドが言う。
「お懺悔ばあさんっていったいなんのこと?」とマイエットがきく。
「ほら! ギュデュールさんのことよ」とウダルドが言う。
「そのギュデュールさんて、いったいなんのことなの?」と、マイエットがまたきく。
「まあ、ギュデュールさんを知らないなんて、さすがにランスからおいでになっただけあるわ! ≪ネズミの穴≫のおばあさんのことよ」とウダルドが答えた。
「なんですって! じゃあ、このお菓子をもっていってあげようという、可哀そうなおこもりさんのことなの?」とマイエットがきく。
ウダルドは首を縦に振って言った。
「そうよ。もうじきグレーヴ広場に着いて、広場に向いた明かりとりから見られるわ。あの人もやっぱり、あなたのようにね、タンバリンを叩いたり占いをしたりするジプシーのことを憎んだり、こわがったりしてるのよ。なぜあの人がジプシーをあんなにこわがるんだか、わからないけどね。けれどマイエットさん、どうしてまた、あなたは、ジプシーを見ただけで、あんなに一目散《いちもくさん》にお逃げになったの?」
「だって! あたし、パケット・ラ・シャントフルーリさんみたいな目にあいたくないんですもの」とマイエットは言って、子どものまるい頭を両手でしっかり抱きかかえた。
「まあ! そのお話を聞かせてちょうだい、ねえ、マイエットさん」と、ジェルヴェーズがマイエットの腕をつかんで言った。
「聞かせてあげますとも。だけど、シャントフルーリさんを知らないなんて、さすがにパリのおかただけあるわ!」とマイエットが答える。「こういうお話なの、……あら、お話をするのに、なにも立ちどまらなくってもいいじゃないの。……パケット・ラ・シャントフルーリさんは、あたしが娘ざかりの十八だったとき、つまり、いまから十八年まえのこと、やはりおない年のきれいな娘さんでした。あたしのようになれなかったのは、あの人の心がけが悪かったからだわ。身もちさえよくしていたら、お嫁にだっていけたし、いまごろはこんな子まで生まれて、このあたしみたいな三十六の太った、みずみずしいママさんになれてたでしょうにねえ。それに、十四のときから、もうあの始末じゃねえ!……あの人はランスの船上吟遊詩人のギベルトーという人の娘さんでした。ギベルトーさんというのは、シャルル七世が聖列式のときにヴェール川をシユリからミュイゾンまでおくだりになったとき、この王さまの前で演奏をしたかたなんです。そのときはジャンヌ・ダルクも王さまのおともをしていたんですがね。パケットさんがまだほんのちっちゃいときに、年とったおとうさんは亡くなりました。だからあの人は、おかあさんだけになってしまったのです。おかあさんは、パリのパラン=ガルラン通りで真鍮《しんちゅう》や鋳物の台所用品をつくっていたマチユ・プラドン親方の妹さんでしたが、このプラドンさんも去年なくなりました。ですから、パケットさんの家柄はなかなかいいんです。
ところが、おかあさんというのがあいにく、ごくお人のいいほうで、パケットさんに、ちょっとリボンやおもちゃをつくることだけしか教えなかったのです。だから、娘さんはずんずん大きくなってはいったものの、おうちはあいかわらず火の車でした。
この親子はランスのまちの川沿いのフォル=ペーヌ通りに住んでいました。そうです、違いありませんよ、こんなところに住んでいたばかりに、パケットさんはすっかり堕落するようになってしまったのです。いまの陛下のルイ十一世がご即位になった六一年のころには、パケットさんも成人して、とても陽気で、それはそれは可愛らしい娘さんになっていました。あんまり可愛らしかったので、どこへ行っても、みんなから≪|うたう花《シャントフルーリ》≫という名だけで呼ばれていたのです。……可哀そうに!……あの人は、歯がとてもきれいでした。歯を見せるために、よく笑いました。笑ってばかりいる娘は泣き暮らすようになるものだと言いますが、歯のきれいな娘さんは目を泣きはらして、だいなしにしてしまうものですわ。≪うたう花≫のシャントフルーリさんがいい見本ですよ。
あの人とおかあさんはとても苦しい生活をしていました。おとうさんの楽師がなくなってからというもの、すっかり落ちぶれてしまったのです。リボン細工の内職をしたところで、週に六ドニエぐらいのかせぎがせいぜいですもの。ワシ銭《せん》二枚の実入りにもなりません。おとうさんのギベルトーさんが聖別式の日、歌をひとつうたっただけで、パリ金の十二スーもちょうだいしたころのことは、どうなってしまったのでしょう?
ある冬……やはりあの六一年のことです……ふたりのうちには薪も、≪そだ≫もなくて、とても寒かったのです。シャントフルーリさんの頬は寒さでとてもいい色になりました。男たちはそれを見てヒナギクちゃん! と呼びました。なかにはヒナギクさん! って呼ぶ者もいました。こんなふうに大騒ぎをされたのでとうとう身を誤ってしまったのです。……ウスターシュや! お菓子をかじりでもしてごらん、ひどい目にあわせたげるから!……あの人が身を誤ったことはすぐにわかりましたわ。なぜって、ある日曜日のこと、金の十字架を首にさげて教会にきたんですもの。……十四でですよ! どうでしょう!……まずはじめは、ランスから三キロほどのところに鐘楼のあるコルモントルイユの子爵の若さま。つぎは、国王飛脚のアンリ・ド・トリヤンクールさま。そのつぎは、少し落ちて、近衛兵のシャール・ド・ボーリヨンさん。それから、また落ちて、王さまのお給仕係のゲリ・オーベルジョンさん。それから、王太子殿下の理髪師マセ・ド・フレピュスさん。それから、王家のコック長テヴナン・ル・モワーヌさん。こんなふうに若い人から年寄りへ、身分の高い人から低い人へつぎつぎと移っていって、とうとう手回し琴ひきの吟遊詩人ギヨーム・ラシーヌや、ちょうちんやのチエリ・ド・メールにまで身を任せるようになったのです。そして、あげくの果ては可哀そうに、誰にでも媚《こび》を売る女になってしまいました。玉のかんばせもこうなっては、泥まみれというものですわ。ほんとに、なんて言ったらいいかしら? 同じ六一年の聖別式の日に娼婦取締り係のお相手をしたのはあの人だったんですよ。……同じ年のうちにねえ!」
マイエットは溜息をつき、目にぽっつりと浮かんでいた涙をふいた。
「そんなお話はたいして珍しくもないわ。それに、ジプシーや子どものことは、ちっとも出てこないじゃないの」と、ジェルヴェーズが言った。
「まあまあお待ちなさいよ! 子どものことはこれからよ」と、マイエットが言った。「今月の聖ポール祭でちょうど十六年になりますがね。六六年の聖ポール祭の日に、パケットは可愛らしい女の子を生んだのです。可哀そうに! あの人は大喜びでした。長いあいだ子どもを欲しがっていたんですもの。あの人のおかあさんはなにしろお人がよくて、年をとって死ぬのを待っているだけみたいな人だったんですが、そのときにはもう亡くなっていました。パケットはもう世の中に愛するものも、愛してくれるものもなかったのです。身を誤ってからの五年間というものは、シャントフルーリの身のうえはとても気の毒なものでした。広い世間にまったくのひとりぼっちで、うしろ指はさされる、まち中でははやしたてられる、おまわりさんにはぶたれる、ぼろを着た子どもたちにはからかわれる、といったふうだったのです。
そのうちにあの人もはたちになりましたが、はたちといえば、水商売の女の身にしてみれば、もうおばあさんなのですよ。どんなに体を売ったところで、以前リボン細工でかせいだぐらいをとるのが、せいぜいになってしまったのです。しわの数がひとつふえれば、それだけかせぎがへってしまうのです。あの人には冬がまたつらくなりました。かまどの薪も、パン箱のパンもますます乏しくなるばかり。あの人はもう働けなくなりました。なぜって、自堕落《じだらく》な日々を送っていれば不精《ぶしょう》になる、不精になればまた輪に輪をかけて自堕落になる、といったふうで、だんだん苦しくなるいっぽうなんですもの。……サン=レミの司祭さんもたしか、おっしゃってましたっけ、あんなだから、ああいう女の人は、年をとると、ほかの貧乏人よりよけい寒い思いや、ひもじい思いをするんだって」
「ほんとだわ、だけどジプシーのお話はどうなったの?」と、ジェルヴェーズがきいた。
「まあまあお待ちなさいよ、ジェルヴェーズさん!」と、ジェルヴェーズほどせっかちではないウダルドがたしなめた。「お話の初めにみんな話しちゃったら、おしまいにはなんにも言うことがなくなっちまわないこと? さあ、マイエットさん、お話をつづけてちょうだい。でもシャントフルーリさんは、なんて可哀そうな人なんでしょうねえ!」
マイエットはつづけた。
「そんなわけであの人は、ほんとにみじめでした。泣いてばかりいたもんですから、頬がすっかりこけてしまいましてね。けれど、そんな恥ずかしい、自堕落な、ひとりぼっちの暮らしをしていながらも、あの人は、もしこの世に、なんでもいいから愛することのできるもの、そしてまた愛してもらえるものがあったら、きっと少しは慰められて身持もよくなるだろうと思えてならなかったのです。それは子どもでなければなりませんでした。子どもだけが無邪気に心を慰めてくれるものですからね。……あの人がそのことに気がついたのは、泥棒を男にもってからなの。だってその男だけしか、もうあの人を相手にしなくなったんですもの。でもじきに、その泥棒にもばかにされていることがわかったんですよ。……ああいう商売の女の人には、心のさびしさをなくなすために、男か子どもがどうしてもいるんですね。でないと、みじめでやりきれないんですわ。……男がもてなくなったので、今度は子どもばかり欲しがるようになりましたの。まだ神さまだけは信仰していたので、子どもが授かるように、しょっちゅうお祈りしていました。神さまも哀れにお思いになって、女の子をお授けになりました。
あの人の喜びようといったら、ほんとに、どう言っていいかわかりませんわ。涙をぽろぽろ流して、無我夢中で抱きしめたり、キスしたり。自分でおっぱいをやり、ベッドに一枚しかなかった掛けぶとんで、うぶ着をつくってやりました。それでいて、寒いともひもじいとも思わなかったんですよ。子どもができてから、パケットさんは美しさを取り戻しました。としま女に子どもができると、若々しくなるものなんです。美しさが戻ってくると、男たちもまたシャントフルーリのところへやってきました。売りものにまたお客がついたんです。それで、そうしてかせいだお金で、うぶ着だの、ずきんだの、よだれかけだの、レースの胴着だの、サテンの可愛いボンネットだのをつくったんです。自分の新しい掛けぶとんなんか買おうともしないで。……ウスターシュや、お菓子を食べるんじゃないって言ったでしょ。……ほんとにちっちゃなアニェスは……アニェスというのがその子の名だったんですよ。洗礼名ですけどね。家の姓なんかシャントフルーリさんには、もうずっとまえからなかったんですよ……、ほんとにちっちゃなアニェスは、王太子さまのお姫さまにも負けないくらい、リボンだの刺繍だのにくるまっていましたわ! なかでもあの可愛い靴といったら! ルイ十一世さまだって、きっとあんなにきれいなのをおはきになったことはないでしょう! その靴はおかあさんが自分で縫って、刺繍をし、きれいなリボン飾りを丁寧につけて、まるでマリアさまの着物でもつくるみたいに、念入りに仕上げたものだったのです。あんな可愛いバラ色の靴は、誰も見たことがなかったでしょうね。せいぜいあたしの親指ぐらいの長さで、赤ちゃんがはいているのを脱がしてみなくちゃ、ほんとにそこへあんよがはいるなんて信じられないくらいでした。それに、その赤ちゃんのあんよときたち、ほんとに可愛くて、きれいで、バラ色で! 靴のサテンよりもっときれいなバラ色なの!……ウダルドさん、赤ちゃんがおできになったら、赤ちゃんのあんよやお手々ほど可愛らしいものはないってことが、あなたにもおわかりになりますわよ」
「あたしだって欲しくてたまらないのよ。だけど、アンドリが欲しがるまで待たなくちゃなりませんわ」と、ウダルドが溜息をつきながら言った。
「それにね」と、マイエットが話をつづけた。「パケットの赤ちゃんは、あんよがきれいなだけじゃなかったの。まだ四月《よつき》ぐらいのとき見たんですけどね、その可愛いことったら! 目は口より大きいぐらい。それに、とてもきれいで、細い、黒い髪の毛。もうちゃんとちぢれていてね。十六ぐらいになったら、さぞかしクリ色の髪の立派な美人になったでしょうよ!
おかあさんの可愛がりようといったら、日に日に激しくなるばかり。抱きしめたり、キスしたり、くすぐったり、お湯を使わせたり、おめかしをさせたり、なめまわしたり! もうすっかり夢中になってしまって、しょっちゅう神さまにお礼を言ってましたわ。ことに、あのバラ色の可愛いあんよのことになったら、それこそ、びっくりしたみたいにいつまでもながめていたり、そのうちにはうれしさのあまりのぼせあがってしまったり! いつも、唇をあんよに押しつけては、可愛さにうっとりしたままでいるのよ。ちっちゃな靴をはかせてみたり、脱がせてみたり、感心したり、びっくりしたり、日にすかしてみたり、ベッドの上であんよをさせては、可哀そうに可哀そうに、などと言ってみたり、まるで小さなイエスさまの足をいじるみたいに、あのちっちゃなあんよに靴をはかせてみたり、脱がせてみたりしながら、あの人はひざをついたまんま、一生を過ごしかねないほどでした」
「ほんとにしみじみするお話ね。だけど、ジプシーはちっとも出てこないじゃないの?」と、ジェルヴェーズが小声で言う。
「これからなのよ」と、マイエットが答えた。「ある日のこと、とてもへんてこな騎馬団みたいなものが、ランスへやってきました。仲間うちで公爵とか伯爵とか呼ばれている頭《かしら》たちに率いられて、国じゅうを歩きまわっている物乞いや宿なしどもだったんです。みんな日に焼けていて、髪はひどくちぢれ、銀の耳輪をさげていました。女たちは男たちよりも、もっとみっともない顔をしていましたわ。顔は男よりももっと黒く、いつも帽子なしで、けちな短い外套を着こみ、すり切れて地糸の出た古いラシャを肩の上で結び、髪の毛は馬のしっぽみたいにうしろに垂らしているんです。女たちの足のまわりにまつわりついている子どもたちを見たら、サルだってこわがりそうでした。法王さまから破門された人たちなのよ。この人たちはみんな、下《しも》エジプトからポーランドを通って、ランスのまちへまっすぐにやってきたのです。話によると、なんでも法王さまがこの人たちの懺悔《ざんげ》をお聞きになって、悔い改めのためにベッドに寝ないで七年間世界じゅうをまわれ、とお言いつけになったんですって。
こんなわけで、≪悔悟者≫と自分たちのことを呼んでいましたが、鼻をつまみたくなるようないやな臭いがしました。先祖はサラセン人だったらしいんです。だからユピテルを信じていましたし、大司教さまや、司教さまや、司教杖をもって司教冠をかぶる資格のある大修院長さまに会うと、いつでもトゥール銀貨十リーブルのご喜捨《きしゃ》をせがむのでした。法王さまから教書をいただいていたので、こんなことができたのでした。
この人たちはアルジェ王やドイツ皇帝のお名まえで占いをするために、ランスへやってきたのでした。これだけ言えば、この人たちがどうしてまちへはいることをとめられていたか、わけがおわかりでしょう。でも、この人たちは勝手に、ブレーヌ門のそばの丘の上にみんなで野宿していました。この丘の上には風車小屋が立っていましたし、そのそばには古い白亜《はくあ》坑の跡がありました。ランスのまちの人びとは、われがちにこの人たちを見に行きました。ジプシーたちは手相を見て、びっくりするような占いをするのです。ユダを見て、おまえさんは法王になるなんて予言をするほどの力があったんですよ。そのうちに、この人たちが子どもを盗むとか、財布をするとか、人間の肉を食べるとかいう、いやな噂が広がりました。利口な人はばかな人に、『あんなところへ行くな』と言ったものです。でもそう言いながら、自分はこっそり行ってたんですけどね。
なにしろたいへんな騒ぎでした。だって、枢機卿《すうききょう》さまでもびっくりするような占いをするのですもの。ジプシーの女たちは子どもたちの手を見て、異教徒のことばやトルコ語で書かれた、ありとあらゆる素晴らしいことばを読みとるのです。だもんだから、おかあさんたちはもう鼻たかだかでしたわ。なにしろ子どもが皇帝だの、法王だの、大将だのになると言われるんですからね。可哀そうに、シャントフルーリさんも、行ってみたくなったんですよ。自分の子はなんになるだろう、可愛いアニェスもいつかはアルメニアの皇后かなにかになるんじゃないかしら、と思ってね。そこで、赤ちゃんをジプシーのところへ連れていったのです。すると、ジプシーの女たちは赤ちゃんを誉《ほ》めたり、なでたり、黒い口でキスしたり、可愛い手に感心したりしました。可哀そうに! おかあさんはもうすっかり喜んでしまったのです。
女たちはことに、赤ちゃんのきれいな足ときれいな靴に大騒ぎをしました。赤ちゃんはまだお誕生日まえでした。それでももう片ことを言ったり、おかあさんの顔を見てキャッキャと笑ったりするのです。まるまると太っていて天使みたいなあどけない、いろんなしぐさをするんですよ。でもジプシーの女たちを見ると、すっかりおびえて、泣きだしてしまいました。けれど、おかあさんは赤ちゃんに力いっぱいキスをして、ジプシーの女たちがアニェスに言ってくれた占いのことばに浮き浮きとしながら、帰っていきました。この子は美人で徳の高い女王さまになるに違いない、って言われたんですよ。あの人は、だから、フォル=ペーヌ通りのあばら家《や》へ鼻たかだかで帰ってきましたわ。なにしろ女王さまを抱いているんですものね。
そのあくる日、あの人は、赤ちゃんがすやすやとおかあさんのベッドで眠っているちょっとのあいだをみて……あの人はいつも赤ちゃんといっしょに寝ていたのです……、ドアをそうっと半分しめたまま、セシェスリ通りのお友達のところへ駆けていきました。うちのアニェスは、いまにイギリスの王さまやエチオピアの大公さまからご馳走になる日がくる、などというお話をし、お友達をいろいろびっくりさせたかったんですわ。帰ってきて階段をのぼっていっても、泣き声が聞こえないので、〈よかった! まだ眠ってるんだわ〉と思いました。
見ると、ドアが、出かけるときあけておいたよりずっと大きくあいています。でも、とにかく中へはいって、ベッドへ駆けよりました、可哀そうなおかあさん。……赤ちゃんの姿が見えません。ベッドはからっぱなんです。赤ちゃんの影も形も見えず、残っているのはあのきれいな靴の片っぽだけ。夢中で部屋をとびだして、ころげ落ちるように階段を駆け降りると、頭を壁にゴツゴツぶつけながら、大声で泣き叫びました。
『あたしの赤ちゃん! 誰が連れてったの? 誰が取っちゃったの?』
通りには誰もいないし、家は一軒家《いっけんや》です。誰も、なんとも言ってくれやしません。まちじゅうを歩きまわりました。通りという通りを探しまわりました。夢中になって、気が違ったみたいに、恐ろしい顔つきで、一日じゅうあちらこちらを駆けまわりました。子どもを見失った野獣みたいに、よそのうちの戸口だの、窓の下だので、匂いをかぎまわりました。息をはずませ、髪をふり乱し、見るも恐ろしいようすでした。目にはきらきら火が燃えて、涙を乾かしてしまったみたいでした。通りすがりの人びとをつかまえては、こう叫ぶのです。
『あたしの赤ちゃんはどうしたの? あたしの赤ちゃんはどこにいるの? 可愛い可愛い赤ちゃんを返して下さい。返して下されば、一生お仕えいたしますことよ。お犬のお世話だっていたします。心臓を食べられてもかまいません』
サン=レミの主任司祭さまに出会ったときなど、こんなふうに言ったんですよ。
『司祭さま、あたし、爪でもって畑を耕してもよろしゅうございます。けれども、赤ちゃんだけは返して下さいませ!』
ねえ、ウダルドさん、ほんとに胸をかきむしられるような気がしましたわ。ポンス・ラカーブルという血も涙もない検事まで泣いているのを見ましたわ。……ああ! 可哀そうなおかあさん!……晩になって、あの人はうちへ帰ってきました。留守のあいだに、ふたりのジプシー女が腕に包みをかかえてこっそり部屋へあがっていき、それから、ドアをしめてまたおりてくると、急いで逃げていったのを近所の女の人が見たんです。ふたりが行ってしまったあと、パケットさんのうちから何か赤ん坊の泣き声みたいなものが聞こえていたんですよ。
この話を聞くと、おかあさんは急に笑いだして、まるで羽がはえたみたいに階段をかけのぼり、大砲の砲身でもぶつけるみたいにドンとドアを押しあけて、中にはいりました。……ぎょっとするようなお話なんですよ、ウダルドさん! ちっちゃな可愛いアニェス、バラ色で生き生きとしていて、神さまの贈り物のようなアニェスがいるのかと思ったら、足が不自由で、片目で、ふた目と見られない化け物みたいな子どもが、床《ゆか》の上をずるずるはいながら、ヒーヒー言って泣いているじゃありませんか。あの人はこわくなって、両手で顔をおおってしまいました。そして、『まあ! 魔女たちが、あたしの赤ちゃんをこんな恐ろしい化け物に変えてしまったのかしら!』と叫びました。
みんなは大急ぎでそのちっちゃな足まがりを運びだしました。そのままにしといたら、あの人は気が違ってしまったでしょうからね。どこかのジプシー女が悪魔とつるんで生んだお化けっ子だったんですわ。四つぐらいに見えましたが、しゃべることばといったら、どうみても人間のことばとは思われませんでした。あんなことばってあるもんじゃありませんもの。……シャントフルーリさんは、この世でたったひとり愛していたあの子の形見の、ちっちゃな靴の上に身を投げかけました。ずいぶん長いあいだ身動きもせず、黙ったまま、息もつかずにいました。みんながもうあの人は死んでしまったのだと思ったくらいでした。
そのうちいきなり、体じゅうをぶるっと震わしたかと思うと、形見の靴にめちゃくちゃにキスをして、まるで心臓が張りさけたみたいに、激しいすすり泣きをはじめました。あたしたちもみんな、もらい泣きをしましたわ。『ああ! あたしの赤ちゃん! あたしの可愛い赤ちゃん! どこへ行ってしまったのよ?』と、言いながら泣くんですもの。そばにいた人は、ほんとに胸が張りさけるような気がしました。思い出すといまでも涙がこぼれますわ。なにしろ子どもってものはねえ、あたしたちの命みたいなものでしょ。……ウスターシュや! おまえ、ほんとうに器量よしだね! この子はほんとにいい子なんですよ! きのうもこう言うんですよ。『ぼくはねえ、近衛の騎兵さんになるんだ』って。ねえ、ウスターシュや! もしおまえがいなくなったら! あたし、どうしましょう!……シャントフルーリさんはふいと立ちあがると、『ジプシーのキャンプへ来て下さい! ジプシーのキャンプへ来て下さい! おまわりさん、魔女どもを焼き殺して下さい!』って叫びながら、ランスのまちじゅうを駆けまわりはじめました。ジプシーたちは、もうたったあとでした。……やみ夜だったので、跡を追うわけにもいきません。
あくる日、ランスのまちから八キロばかり離れた、グー村とチロワ村のあいだの荒地に、たき火の燃え残りと、パケットの赤ちゃんがつけていたリボンと、血のしたたった跡と、ヤギのふんが見つかったそうですの。まえの晩はちょうど土曜日の晩でした。だから、ジプシーたちはきっとこの荒地で酒盛りをやって、マホメット教徒のやるように、ベルゼブルといっしょに赤ん坊を食べてしまったに違いない、とみんなは思いました。シャントフルーリさんはこんな恐ろしい話を聞いても、涙も出しませんでした。何か言いたげに、唇をもぐもぐさせていましたが、口がきけませんでした。そのあくる日、あの人の髪の毛はまっ白になっていました。そして、そのつぎの日、姿が見えなくなってしまったのです」
「まあ、なんて恐ろしいお話なんでしょう! こんなお話を聞いたち、ブールゴーニュ人だってきっと涙を流すでしょうね!」とウダルドが言った。
「あなたがあんなにジプシーをこわがるわけが、やっとわかりましたわ!」と、ジェルヴェーズも言った。
「ほんとにさっき、ウスターシュさんを連れてお逃げになってよかったわね。だって、ここのジプシーたちもポーランドからやって来たんですもの」と、ウダルドが言いそえた。
「あら、そうじゃないことよ。エスパーニュとカタローニュから来たのだそうよ」と、ジェルヴェーズが言った。
「カタローニュですって! そうかもしれないわ。ポローニュ(ポーランド)とカタローニュとヴァローニュ、あたし、この三つをしょっちゅう、とっ違えちゃうのよ。とにかく、あの人たちがジプシーだってことは間違いないわ」とウダルドが言った。
「それにねえ、あの人たちは歯が長いから、きっと赤ん坊ぐらいは食べられるのよ。≪スメラルダ≫だって、あんな可愛い口をしていても、少しは食べるかもしれなくってよ。あの白いヤギにしたって、腹の中に何か無信心なところがなくちゃ、あんな悪い芸当なんかできっこないわ」と、ジェルヴェーズが言いそえる。
マイエットは黙って歩いていた。痛ましい話のいわば余韻《よいん》みたいな夢想に耽っていたのだ。こうした夢想は、その震えがつぎつぎと広がっていって、心の最後の琴線につたわってしまうまでは、やむものではない。だがジェルヴェーズは、そんなことにはおかまいなしに話しかけた。
「で、シャントフルーリさんがどうなったか、わからなかったの?」
マイエットは答えなかった。ジェルヴェーズは、相手の腕をゆすり、名まえを呼んで、同じ問いを繰り返した。マイエットは、はっと我に返ったようすだった。
「シャントフルーリさんがどうなったかって?」と、彼女はいま耳に聞こえてきたばかりのことばを機械的に繰り返した。それから、そのことばの意味に注意を向けようと一所懸命のふうで、「ええそう! とうとうわからずじまいだったの!」と、力をこめて言った。
ちょっと間《ま》をおいて、マイエットは言いそえた。
「フレシャンボーの城門から日暮れごろランスのまちを出ていくのを見た、という人もありましたし、夜明けにバゼの古い城門から出ていった、という人もありました。市《いち》の立つ畑の石の十字架に、あの人の金の十字架がかかっているのをある貧乏人が見つけました。この飾りこそは、六一年にパケットさんの身を誤らせたものだったのですよ。最初の相手でなかなか美男のコルモントルイユ子爵からいただいたものなんです。パケットさんはあんなみじめな暮らしをしていながら、あれだけは手ばなそうとしなかったんですよ。まるで自分の命みたいに大切にしていましたの。だから、あの十字架が捨ててあったのを見て、あの人も死んでしまったのだ、とみんなは思いましたわ。
でもね、あの人がパリのほうに向かって、石ころ道をはだしで歩いていくのを見たって言う人たちが、カバレ=レ=ヴァント村にいますのよ。そうとすると、あの人はヴェール門から出ていったことになりますから、話が合わなくなりますわ。でもねえ、あたしはこう考えたほうがいいと思いますわ。パケットさんはたしかにヴェール門から出ていったのよ。だけど、そのままこの世におさらばしてしまったんですわ」
「なぜ、そうお考えになるのかわかりませんわ」と、ジェルヴェーズが言った。
「だってヴェールというのは、川の名なんですものね」と、マイエットはさびしいほほえみを浮かべて答えた。
「可哀そうなシャントフルーリさん! あの人は身投げをしたのね」とウダルドが身震いしながら言った。
「ええ、きっと身投げをしたのよ! おとうさんのギベルトーさんがあの川のタンクー橋の下を小舟に乗ってうたいながら通っていたころ、可愛い娘のパケットちゃんが、いつか同じところを、うたいもせず、舟にも乗らずに流れていくことになろうなんて、誰が考えたでしょう?」とマイエットが言った。
「それから、あの小さな靴はどうなったの?」と、ジェルヴェーズがきいた。
「おかあさんといっしょに見えなくなってしまいましたの」とマイエットが答えた。
「まあ、可哀そうな靴ですわね!」とウダルドが言った。
太っちょのウダルドは涙もろいたちだったので、マイエットといっしょに溜息をついているだけで、もうあれこれきく気はないようだった。ジェルヴェーズのほうはなかなか好奇心の強い女だったので、これだけ聞いても、まだ気がおさまらない。
「それから、あの化け物はどうなったの?」と、だしぬけにマイエットにきいた。
「化け物って?」と、マイエットがききかえす。
「魔女たちが赤ちゃんのかわりにシャントフルーリさんのうちに置いていった、ジプシーのお化けの子どもよ! みんなはその子をどうしてしまったの? やっぱり川へでも投げこんでしまったんでしょうね」
「いいえ、そうじゃないのよ」とマイエットが答えた。
「まあ! それなら焼き殺しでもしてしまったの?結局そのほうがいいんだわ。魔女の子どもですもの!」
「どっちでもありませんの、ジェルヴェーズさん。大司教さまはあのジプシーの子どもを可哀そうにお思いになって、悪魔払いをされたうえ、神さまの祝福をお祈りになり、体からすっかり悪魔を追い払われて、あの子をパリにお送りになったの。捨て子としてノートルダムのベッド板の上に置いてもらうようにって」
「司教なんてしようのないもんねえ! なまじっか学問があるもんだから、まともなことはなんにもしやしないんだわ」と、ジェルヴェーズがぶつくさ言う。「あきれたもんだわね。ねえウダルドさん、考えてもごらんなさいいよ。悪魔を捨て子の仲間入りさせるなんて! だって、その化け物の子は悪魔にきまってるじゃないの。……それで、マイエットさん、その子はパリでどうなったの? まさかそんなものを拾っていこうなんて情け深い人はいなかったんでしょうね」
「知りませんわ」とランスの女が答えた。「ちょうどそのころ、主人がまちから八キロばかり離れたブリュのまちの公正証書係りの職を買ってそちらへ移ったものですから、それっきりその話は忘れてしまいましたの。おまけに、このまちの前にはセルネのふたつの丘が並んでいましてね、ランスの大聖堂の鐘楼など、影も形も見えなくなってしまったんですよ」
こんな話をしてゆくうちに、三人の奥さんがたは、もうグレーヴ広場へ来てしまっていた。話にすっかり夢中になっていたので、ロラン塔の聖務日課書の前をす通りしてしまい、知らず知らずのうちに、さらし台のほうへ足を運んでいた。さらし台のまわりの人波は刻一刻大きくなっていく。いまみんなの視線を集めている目の前の光景に気をとられて、三人とも、≪ネズミの穴≫のことや、そこにたち寄ってみようと相談したことを、すっかり忘れてしまったらしい。
だが、マイエットが手を引いていた六つになる太っちょのウスターシュが、だしぬけに声をかけて、そのことを思い出させたのである。
「ママ、もうお菓子食べてもいい?」とウスターシュは、≪ネズミの穴≫を通りすぎてしまったことがなんとなくわかったみたいに、こうきいた。
ウスターシュがもっと抜け目のない子だったら、つまりこんなに食いしんぼうでなかったら、もっと我慢したに違いない。そして、大学区《ユニヴェルシテ》のマダム=ラ=ヴァランス通りにある、アンドリ・ミュニエ親方のうちへ帰ってから、つまり、≪ネズミの穴≫とお菓子とのあいだにセーヌ川の二本の流れと|中の島《シテ》の五つの橋が横たわったときにはじめて、おずおずとこうきいたに違いない。「ママ、もうお菓子食べてもいい?」
ウスターシュが時機を考えずにこんな質問をしたのはちょっとうかつだったが、そのおかげでマイエットは、ああそうだった、と気がついたのだった。
「それはそうと、あのおこもりさんのことを忘れていましたわ! お話しの≪ネズミの穴≫というのはいったいどこなんですの。このお菓子を持っていってあげようと思っていましたのに」とマイエットは叫んだ。
「すぐそこですわ。結構なほどこし物ですわね」とウダルドが答えた。
ウスターシュはそんなつもりではなかった。
「いやだい、ぼくのお菓子だ!」と、子どもは両方の肩にかわるがわる両耳をぶっつけながら言った。子どもがこうしたときに不満を表わすいちばんのしぐさだ。
三人の女がひき返して、ロラン塔のそばまでくると、ウダルドが連れのふたりに言った。
「三人いっしょに穴の中をのぞいちゃいけませんよ。中のおこもりさんが驚きますからね。あたしが明かりとりからのぞきこんでいるあいだ、おふたりは聖務日課書の『主』のところを読んでいるふりをしていらっしゃい。あのおこもりさんはあたしのことを少しは知っているのよ。いいころを見はからって、あたしが合図しますから、そうしたらいらっしゃいね」
ウダルドはひとりで、明かりとりのところへ歩いていった。だが、中をのぞきこんだとたん、なんとも言えない気の毒そうな表情が顔一面に溢れ、陽気でさっぱりした彼女の顔つきは、表情も顔色も、まるで日の光の中から月の光の中へ移ったみたいに、さっと変わってしまった。目には涙が浮かび、口は、いまにも泣きだしそうにぴくぴく動いている。
が、まもなく、ウダルドは指を唇に当てて、マイエットに、見にいらっしゃいよ、という合図をした。
マイエットは、どきどきしながら、まるで死にかかっている人のベッドに近づくときのように、そっとつま先立ってのぞきにいった。ふたりの女がじっと息をこらして、≪ネズミの穴≫の鉄格子のはまった明かりとりからのぞきこむと、なんとも言いようのない悲惨なありさまが目に映った。
せまくるしい部屋で、奥行きより間口のほうが広く、尖頭《せんとう》アーチの天井がついていて、内側はちょうど大きな司教冠の裏のような感じがする。はだかの石畳の床《ゆか》の片隅にひとりの女がすわっている、というより、うずくまっている。あごをひざの上にのせ、両腕を組んで、ひざをしっかりと胸のあたりに押しつけている。
こんなふうに体を丸くし、大きなひだをつくって全身をすっぽり包んでいる褐色の懺悔服にくるまり、前へ垂れた白い髪の毛が顔からすねをつたって足まで垂れているその姿は、ちょっと見たところ、部屋のまっ暗な背景の上に浮き出した何か奇妙な形にしか見えなかった。黒っぽい三角形みたいなもので、それを、明かりとりから射しこむ日の光が、明暗ふたつの色合いにどぎつく染め分けている。
そのようすときたら、夢の中や、ゴヤの奇怪な絵によく出てくる、光と影と半々でできた幽霊そっくりだった。青白くて、不吉で、じっと身動きもせずに、墓石の上にうずくまったり、土牢の格子にもたれかかったりしている、あの幽霊そっくりだった。女でもなく、男でもなく、生きものでもなく、何かはっきりした形でもない。ひとつの姿にすぎないのだ。影と光がまじりあうように、現実と空想とがまじりあってできる幻みたいなものだった。地べたまで垂れさがった髪の毛の下には、痩せた、けわしい横顔がどうにか見える。服のすそから素足の先がちょっとのぞいていて、堅い、凍りついた敷石の上でぶるぶる震えている。こうした喪服の下からちらりと見えるこの人間の形は、人をぞっとさせるのだった。
石畳にはめこまれたみたいなおこもりさんの姿は、動きもせず、考えもせず、息もしていないように見える。一月だというのに、薄い麻の懺悔服一枚で、冷たい石畳の上にじかにすわりこみ、火もなく、ななめに開いた風窓からは北風が吹きこんでくるばかりで、日の光など射すこともないこの暗い穴ぐらにいながら、女はいっこうに苦しんでいないようだった。いや、感じてもいないようだ。石造りの穴ぐらといっしょに石になってしまったようにも、寒い季節といっしょになって氷になってしまったようにも見えるのだった。両手を合わせ、じっとひとつところを見つめている。ちょっと見たところでは、幽霊のように見えるが、そのうちには、彫像のように思われてくるのだった。
それでも、ときどき青ざめた唇がかすかに開いて息をつき、ひくひくと震えた。だが、風にぱらぱらと散らされる枯れ葉のように、生気がなくて、機械的な震えかただった。
一方、沈んだ目からは、なんとも言いようのないまなざしがほとばしり出ている。深刻で、悲しくて、おちつききっているまなざしだ。このまなざしは、絶えず部屋の一隅にじっと向けられているのだが、このすみは外からは目が届かない。何か部屋のすみに不思議なものがあって、苦しみに沈んだこの女の魂の暗い思いは、みんなそれに吸いよせられている、とでもいったふうだった。
これが、すみかにちなんで≪おこもりさん≫、着ているものにちなんで≪お懺悔さん≫と呼ばれている女だった。
あとからやってきたジェルヴェーズも加わって、三人の女たちは、じっと明かりとりからのぞきこんでいた。三人の頭にさえぎられて、かすかな光も部屋に射しこまなくなったが、哀れなおこもりさんは、部屋が暗くなったのは三人のせいだとも気づかぬようすだ。
「おじゃまをしないようにしましょう。忘我《ぼうが》の境《きょう》でお祈りをしているのよ」と、ウダルドが小声で言った。
だが、マイエットはますます心配がつのってきて、青白くやつれ、しなび果てて、髪をふり乱したおこもりさんの顔をまじまじと見つめている。と、そのうち、目には涙がいっぱい溢れてきて、「まあ、なんて不思議なこともあるものでしょう」とつぶやいた。
こう言って、頭を明かりとりの格子の中につっこんだが、つっこんでみると、哀れなおこもりさんの視線が釘づけにされている部屋のすみまで、どうやら目が届いた。
マイエットはやがて明かりとりから頭をひっこめたが、顔一面に涙が溢れていた。
「みなさんは、あの女の人をなんて呼んでいらっしゃるの?」と、マイエットはウダルドにきいた。
ウダルドは答えた。
「ギュデュールさんて呼んでいるのよ」
「あたしはね、あの人がパケット・ラ・シャントフルーリさんだと思うの」とマイエットが言った。そして、指を口に当てながら、びっくりしているウダルドに、明かりとりから頭をつっこんで中をのぞいてごらんなさい、という合図をした。
ウダルドはのぞいてみた。すると、おこもりさんがあのうちしずんだ忘我の境でじっと目を注いでいる部屋の片隅に、金や銀で無数の飾りの縫いとりをして、バラ色のサテンでこしらえた小さな靴があるのに気がついた。
ジェルヴェーズもウダルドのあとからのぞきこんだ。そして、三人の女たちは、可哀そうな母親の姿をじっと見つめながら、泣きだしてしまった。
だが、奥さんたちにながめられても、泣かれても、おこもりさんは知らん顔だった。両手は組みあわされたままだし、唇も少しも動かない。目もじっと見つめたままだ。だがあんなふうにじっとながめられている小さな靴を見ると、女の身のうえを知っている者なら、胸のはりさけるような思いがするのだった。
三人の女はまだひとこともしゃべらなかった。小声で何か言う元気さえなくなっていた。誰ひとり口をきく者もいない、大きな苦しみがみんなの胸を押えつけている、たったひとつの靴のほかは、ありとあらゆるものが忘却の淵《ふち》に沈んでいる。こういったありさまは三人の女たちに、まるで復活祭かクリスマスに主祭壇の前にでも出たときのような気分を起こさせた。三人とも黙ったまま物思いに沈んでいる。いまにもひざまずきたいような気持だった。「テネブレ」の日〔「テネブレ」とは、聖週間にろうそくを消して祈る暗闇の朝課。だが、「テネブレの日」という日はない。ユゴーの誤り〕の教会にでもはいりこんだような気分だった。
とうとう、三人のうちでいちばん好奇心の強い、したがっていちばん思いやりのないジェルヴェーズが、おこもりさんに口をきかせてみようとして、「おこもりさん! ギュデュールさん!」と呼びかけた。
呼ぶたびに声を大きくして三度繰り返してみた。だが、おこもりさんは身動きひとつしない。ひとことも返さず、見向きもせず、溜息ひとつつかない。生きているというしるしさえ見せなかった。
今度はウダルドが、やさしい、いたわるような口調で、「おこもりさん! ギュデュールさま!」と呼んでみた。
あいかわらず黙っている。身動きひとつしない。
「まあ、変な人! きっと大砲が鳴ったって知らん顔をしてるわよ!」と、ジェルヴェーズが叫んだ。
「きっと耳がきこえないんだわ」と、ウダルドが溜息をつきながら言った。
「きっと目も見えないのよ」と、ジェルヴェーズが言いそえた。
「きっと死んでるんだわ」とマイエットも言った。
この女の魂が、じっと動かず、活気のない、仮死状態のあの体から、まだ離れ去ってはいないとしても、とにかく、五官の感覚がもう届かないような深いところへ閉じこもって、隠れてしまっていることはたしかだった。
「これじゃ、お菓子は明かりとりの上に置いとくよりしようがないわね。どこかの子どもが持っていってしまうわ。どうしたらあの人を呼び起こせるかしら?」とウダルドが言った。
そのときまで、大きな犬が小さな車を引っぱって通りすぎるのに見とれていたウスターシュが、ふと気がついてみると、自分を連れてきてくれた三人の女が明かりとりから何かを一心にながめている。そこで、自分も見たくなって、車よけの石の上に乗ると、つま先立ちになり、赤い太った顔を窓に押しつけて叫んだ。
「ママ、ぼくにも見せてよう!」
この澄みきった、元気のよい、よくとおる子どもの声をきいて、おこもりさんはぶるっと身を震わせた。はがねのバネがはねるみたいに、そっけなく、ふいっと顔を向けると、痩せ細った長い両手で、額にかかった髪の毛を払いのけ、びっくりした、いたましい、絶望的な目つきで子どもの顔をじっと見すえた。そのまなざしは、ちょうどいなずまみたいだった。
「ああ、神さま! せめて、よそのお子さんだけはお見せ下さいますな!」と、女は顔をひざにうずめながらいきなり叫んだ。そのしわがれた声は胸をつんざいてほとばしり出てくるみたいだった。
「おばさん、こんにちは」と、子どもはまじめくさった顔つきで挨拶した。だが、このショックで、おこもりさんは、ちょうど目がさめたようだった。頭から足先まで、体じゅうがひとしきりぶるぶる震えた。歯はガチガチと鳴り、頭を半分ほどもちあげて、両ひじで腰のあたりを押しつけ、足を暖めでもしたいのか、両手でぐっと握りしめながら、「ああ! なんて冷たいのだろう!」と口ばしった。
「まあお気の毒に」と、ウダルドがとても可哀そうになって言った。「お火でも少しあげましょうか?」
が、おこもりさんは、いらないというしるしに、頭を横にふってみせた。
そこでウダルドは、小さな瓶《かめ》をおこもりさんの前に差し出して、「それじゃ、ここに|香料入りのブドウ酒《イポクラース》がありますわ。暖まりますよ。お飲みなさいな」と、すすめた。
女はまた頭をふり、ウダルドをじっと見つめていたが、答えた。「お水を少し」
ウダルドは言った。「いいえ、いけませんわ。水なんて一月の飲みものじゃありません。香料入りのブドウ酒をちょっと飲んで、トウモロコシのパン種で焼いたこのお菓子をおあがりになって下さい。あなたに差し上げようと思って焼いてきたのですから」
おこもりさんはマイエットが差し出している菓子を押し戻して、言った。
「黒パンを少し下さい」
今度はジェルヴェーズが哀れみにさそわれ、毛織の外套を脱いで、「さあ、この外套はあなたが着ているのより少しは暖かいわ。肩におかけになったらどう」とすすめた。
おこもりさんは外套も、ブドウ酒やお菓子と同じように断わって答えた。「この服で結構です」
「だけど、きのうはお祭りだったってことも、少しはお気づきのはずですがね」と思いやりのふかいウダルドが言った。
「気がついていますよ。おかげでわたしの瓶には、この二日間、水もいただけませんでした」と、おこもりさんが言った。
おこもりさんはしばらくおし黙っていたが、こう言いそえた。「お祭りには、わたしのことなど忘れられてしまうのです。あたりまえですわ。世間のことなど考えていないこのわたしを、どうして世間の人びとが考えて下さるでしょう? 炭火が消えれば、灰も冷たくなりますものね」
しゃべりつづけてくたびれたのか、おこもりさんはひざの上にがっくりと頭をたれた。ウダルドは、根が単純で情け深いたちだったので、おこもりさんが炭火のことを言ったのを、まだ寒さを訴えているものと勘違いして、頭の悪い質問をした。「じゃあ、火が少しお入り用なのでしょう?」
「火ですって!」と、懺悔服にくるまったおこもりさんは、へんてこな口調で叫んだ。「では、もう十五年も地下に眠っている、あの可哀そうな子どもにも、少しは火をやっていただけるでしょうか?」
手足はがたがたと震え、声はおののき、目はぎらぎらと光っている。おこもりさんはもうひざ立ちになっていた。と、だしぬけに、白い痩せこけた手を、びっくりして彼女のようすをながめていた子どものほうに差し出し、「この子を連れておいきなさい! ジプシー女がやってきますよ!」と叫んだ。
こう叫んだかと思うと、どっとうつぶせに、地べたへ倒れた。額が石畳にぶつかって、石と石とがかち合ったような音がした。三人の女は、おこもりさんがてっきり死んでしまったのだと思った。が、まもなくおこもりさんは身動きしはじめ、両ひざと両ひじを使って四つんばいになりながら、小さな靴の置いてあるすみのほうにじりじりといざっていくのが見えた。もうこれ以上見ていられなくなって、奥さんたちは顔をそむけてしまった。だが、痛ましい泣き声と頭を壁にぶつけているみたいなにぶい響きにまじって、絶えまないキスと溜息の音が聞こえてきた。そのうちに、三人ともよろよろとしてしまうほど激しい音がドシンとしたかと思うと、あとはもう何も聞こえなくなった。
「あの人、自殺しちゃったんじゃないの?」とジェルヴェーズは叫び、思いきって頭を明かりとりの中へつっこんで、「おこもりさん! ギュデュールさん!」と呼んでみた。
「ギュデュールさん!」とウダルドも呼んだ。
「まあ、たいへん! もう動かないわ! 死んじゃったのかしら?……ギュデュールさん! ギュデュールさん!」と、ジェルヴェーズが呼びつづけている。
マイエットは、もう息がつまってものも言えないほどだったが、がんばってみた。「お待ちなさい」と言いながら明かりとりのところに身をかがめ、「パケットさん! パケット・ラ・シャントフルーリさん!」と呼んでみた。
おこもり女ギュデュールの部屋にとつぜん射ちこまれたこの名まえの効果に、マイエットはびっくりして、どぎまぎしてしまった。花火の火縄に火がうまくつかないので、フーフー無邪気に吹いているうちに、いきなり花火が目の前でポカンと破裂したときの子どもでも、これほどびっくりはしないだろう。
おこもりさんは、全身を震わせ、はだしのまんまつっ立ちあがった。と、見るまに、目をぎらぎら光らせながら明かりとりにとびついてきたので、マイエットとウダルドはもちろん、ジェルヴェーズも子どもも、川岸の欄干のあたりまで逃げていってしまった。
すると、明かりとりの格子に顔をぴったりくっつけたおこもりさんのぶきみな姿が現われた。
「やい! やい! ジプシー女だな、わたしを呼んだのは!」と、女はものすごい笑い声をあげながら叫んだ。ちょうどこのとき、さらし台の上の光景が彼女のぎろぎろした目に映った。顔に恐怖のしわをよせ、おこもりさんは、骨ばった両腕を穴ぐらから突き出すと、死にぎわの息切れの音にも似た声で叫んだ。
「やっぱりまたおまえだな、ジプシー娘め! おまえがわたしを呼んだんだな、人さらいめ! やい! くたばれ、畜生! 畜生! 畜生! 畜生!」
四 一滴の水に一滴の涙
おこもりさんの叫び声は、そのときまで、時を同じくして平行的に、おのおの別の舞台で繰り広げられていた、ふたつの光景の接合点の役目をするものということができよう。ひとつはみなさんがいまお読みになった光景で、≪ネズミの穴≫を舞台としているし、もうひとつはこれからお読みになるもので、これはさらし台の階段の上で演じられたのである。第一の光景の目撃者は、みなさんがいましがたお知り合いになられた三人のご婦人だけだったが、第二の光景は、さきに申し上げた民衆、つまり、グレーヴ広場のさらし台と絞首台のまわりに群がっていた群集全部が、これを見物していたのである。
この群集は、まだ朝の九時だというのに、さらし台の四隅に四人の警吏が陣どったものだから、何かおしおきがあるのだろう、絞首刑ではないが、きっと鞭《むち》打ちか、耳切りの刑か、何かそんなものがあるのだろう、と期待していた。群集はみるみるうちにふくれあがってしまい、まわりをひしひしととり巻かれてしまった警吏たちは、手にした|白皮の鞭《ブーライユ》を大きくふりまわしたり、馬のしりで押したりして、これを、当時のことばで言えば、≪整理≫しなければならなかった。
当時の群集はおしおきが行なわれるのを待つことには慣らされていたので、たいしてじりじりしているようすも見えなかった。みんなさらし台をながめて、退屈を紛らしている。さらし台は、高さ三メートルあまりで、中ががらんどうの石造りの立方体という、なんの変哲もない置き物みたいなものなのだが、当時の人びとから≪梯子《はしご》≫という有名なあだ名をちょうだいしていた、あらけずりの石のひどく急な階段がついていて、それをのぼると、上の平らな場所に出る。そこに、じょうぶなカシワ材でつくった、水平にまわる車がひとつ見える。受刑者はひざまずいたままうしろ手にくくられて、この車の上に縛りつけられるのだ。さらし台の内部には巻きろくろが隠されていて、このろくろがまわると木組の軸が動きだし、それにつれて車もぐるぐるまわるという仕組みなのだ。車はいつでも平らにねたまま回転するので、受刑者の顔は広場の東西南北を順ぐりに向く。こうしてさらし者にされるわけである。これが、世に言う≪顔まわしの刑≫なのである。
ただいま申し上げたとおり、グレーヴ広場のさらし台は中央市場のさらし台と違って、見た目に興味をそそる点は少しもなかった。建築物とか記念建造物とかのおもかげは、まったくないのだ。鉄の十字架のついた屋根もなければ、八角形の頂塔もなく、アカンサスや花の形の柱頭が屋根の縁で開きかかっている華奢《きゃしゃ》な円柱もなければ、空想的で奇怪な形をした樋《とい》もなく、彫刻をほどこした木組もなければ、石に深く彫りこんだみごとな彫像もない。
砂岩《さがん》でできた欄干がふたつついている切り石の四つの壁面と、そのそばに立っている、痩せた、裸の、貧弱な石の絞首台だけで満足しなければならないのだ。
ゴチック建築の愛好者にとっては、これはまことにお寒い見ものだったに違いない。中世の人のいいやじ馬連中は、記念建造物なんかには目もくれなかったし、ましてや、さらし台が美しかろうと美しくなかろうと、そんなことはまず気にもとめなかったというのが事実ではあるが。
とうとう荷車のしりにくくりつけられた受刑者がやってきた。この男がさらし台の上に引きあげられ、水平にまわる車に綱だの皮紐《かわひも》だので縛りつけられた姿が広場のあらゆるところから見られるようになったとたん、笑いと喝采にまじって、すさまじいののしり声がどっと広場にとどろきわたった。カジモドだとわかったからだ。
事実カジモドに相違なかった。不思議な、事のなりゆきだ。まえの日には、らんちき祭りの法王や王に祭りあげられ、喝采され、宣言されて、エジプト公や、チュニス王や、ガリラヤ皇帝の面々をお供にひき連れてくりこんだこの同じ広場で、きょうはさらし者にされるのだ。たしかなことは、群集の中のただのひとりも、王者から受刑者になり果てたカジモド自身でさえも、きのうに変わるきょうの身のうえ、といった感じをはっきりもってはいなかったことだ。哲学者グランゴワールがいたら、と悔やまれる。
やがて国王陛下お抱えのらっぱ手、ミシェル・ノワレが民衆を静まらせてから、パリ奉行どのの命令に従って、判決文を大声で読みあげた。そうしておいて、ノワレは、制服の戦衣を着た部下といっしょに、荷車のうしろにひきさがった。
カジモドは平然として、眉ひとつ動かさない。刑事院のことばづかいでそのころ言われていた「いましめの激しさときびしさ」のために、つまりおそらく、皮紐と鎖が肉に食いこんでいたために、抵抗などぜんぜんできなくなっていた。なお、こうしたやりかたは、牢獄や囚人のいつまでもなくならない伝統であって、文明人だとか、やさしい人道的な人種だとか言われているフランス国民のあいだには、手錠がいまなお後生大事にこうした伝統を保持している。(徒刑や断頭台のことには、ここでは触れないことにするが)
カジモドは引ったてられ、うしろから押され、かつがれ、高いところへあげられ、厳重に縛りつけられた。それでも彼は、まるで野蛮人かまぬけ男がびっくりしたときのような顔つきしか見せなかった。耳がきこえない男だとはわかっていたが、これではまるで目も見えないみたいだ。カジモドは、あのぐるぐるまわる車の上にひざまずかされた。彼はおとなしくひざまずいた。シャツと胴着を帯のところまで脱がされたが、されるままになっている。また別口の皮紐と留め金でがんじがらめにされたが、されるままになっている。ただ、ときどき、騒々しい吐息をはくだけだった。肉屋の車のへりにくくりつけられて、頭をぶらぶら垂らしている小牛みたいな格好だ。
「あのとんちき野郎は、箱の中に閉じこめられたコガネムシにも負けないぼんやりだぜ!」と、風車場のジャン・フロロが友だちのロバン・プースパンに言った。(いうまでもなく、このふたりの学生は、カジモドのあとからついてきたのだ)
カジモドが裸にされて、こぶがぬっくとたち現われ、ラクダのような胸や、ごつごつした毛むくじゃらな肩がむきだしになったのを見たとき、群集のあいだにはものすごい笑い声がわき起こった。この陽気な大騒ぎのさなかに、パリ市の制服を着た、背の低い、たくましい顔つきの男がさらし台の上までのぼっていって、受刑者のそばに陣どった。たちまち、この男の名は見物人の口から口へと伝わっていった。シャトレ裁判所づきの拷問《ごうもん》官ピエラ・トルトリュどのだ。
トルトリュどのはまず、さらし台のすみに黒い砂時計を置いた。赤い砂が上側の容器にいっぱい詰まっているが、この砂は時のたつのにつれて、少しずつ下の入れ物に流れ落ちる仕組みになっている。それから、彼は二色に染め分けた外套を脱いだ。すると、彼の右手からほっそりした鞭《むち》が垂れさがっているのが見えた。鞭の先には、金属製の爪のついた、白い、つやつやした、こぶだらけの、長く編んだ皮紐が何本もすらりとのびている。拷問官は左手で右手のシャツの袖をわきの下のあたりまで、ぐいとむぞうさにたくしあげた。
一方では、ジャン・フロロが金髪のちぢれ毛頭を群集の上に突き出してどなっている。(彼はロバン・プースパンの肩の上に乗せてもらっていたのだ)
「さあさあ、だんなさんも奥さんがたも、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい! これから、わがはいの兄貴、ジョザの司教補佐の鐘番のカジモド先生がみっちりと心ゆくまでひっぱたかれるんですぞ! 丸天井の背中にねじれ柱の足のくっついた、オリエンタル建築野郎のカジモド先生がね!」
見物人はどっと笑いだした。子どもたちや娘たちはおなかをかかえて笑いこけている。とうとう拷問官が、ドンとひとつ足踏みをした。車がまわりだした。縛られているカジモドの体がぐらぐら揺れる。その不細工な顔にふいとびっくりした表情が浮かぶと、まわりの笑い声がワッとひときわ高くなった。
車がまわってカジモドの盛りあがった背中がピエラどのの面前に向いたとき、いきなりピエラどのは腕をふりあげた。細い皮紐は何匹ものヘビみたいに空中でヒューッと鋭い音をたてて、あわれな受刑者の肩の上に、はっしと打ちおろされた。
カジモドは眠っているところを叩き起こされたみたいに、ぴょんととびあがった。やっとわけがわかってきたのだ。縛られた体をねじまげた。驚きと苦痛で顔じゅうの筋肉を激しくひきつらせた。それでも溜息ひとつつかなかった。ただ、牛が横腹をアブに刺されたときみたいに、うしろを振り返ったり、右を見たり、左を向いたりして、顔をゆらゆら揺らせているだけだ。
二度、三度、四度、五度と果てしなく鞭は襲いかかった。車は休みなくまわりつづけ、鞭は絶えまなく降りつづける。まもなく血がさっとほとばしり出て、男の黒い肩のあたりを何本も何本も細い糸になって流れ落ちるのが見えた。そして、細長い皮紐は、空《くう》を切ってぐるぐるまわるたびに、血のしずくを群集の上にまき散らすのだった。
カジモドは、少なくともうわべだけは、連れてこられたときのような無感覚な表情に戻っていた。彼ははじめ、こっそりと、なるべく動きが目だたないようにして、いましめを切ろうとした。彼の目がぎらぎら光り、筋肉がこわばり、手足がぐっとちぢまり、皮紐と鎖がぴんと張るのが見物人にも見えた。力強い、ものすごい、必死の努力だった。だが昔からの裁判所の処刑道具はよくもちこたえた。キシキシときしみはしたが、ただそれだけだった。カジモドは力尽きてあきらめてしまった。びっくりしたような表情は消えてなくなり、悲痛と深い絶望の色に変わった。たったひとつの目をとじ、顔を胸に埋めて、死んだふりをしていた。
それからはもう動かなかった。どんなものも彼を動かすことはできなかった。絶えまなく流れる血も、ますます荒れ狂う鞭も、われとわが動きに興奮し処刑に酔いしれている拷問官の怒りも、毒虫の足よりも鋭くヒューヒュー音をたてる恐ろしい皮紐の音も。
とうとう、処刑のはじまったときから階段のそばにひかえていた、黒服を着て黒馬にまたがったシャトレ裁判所の警吏が、黒檀《こくたん》の杖を砂時計のほうにぐっと差しのべた。拷問官は手を止めた。車はとまった。カジモドの目はゆっくりと開いた。鞭打ちの刑は終わったのである。拷問官のふたりの下役が受刑者の血だらけの肩を洗ってやり、何か油薬みたいなものを塗ってやると、傷口はみなすぐにふさがった。それがすむと、上祭服のような裁《た》ちかたをした黄色い土人の腰巻きみたいなものを、背中にかけてやった。
一方、ピエラ・トルトリュは、受刑者の血をいっぱい吸いこんだまっかな皮紐を敷石の上でふるって、血をはらい落としている。
だが、カジモドの刑はこれで終わったわけではなかった。まだ一時間、ここでさらし者にならなければならないのだ。つまり、フロリヤン・バルブディエンヌどのが賢明にもロベール・デストゥートヴィル閣下の判決につけ加えた刑を、つとめなければならなかったのだ。昔、ヤン・アモス・コメニウスは生理学のことばと心理学のことばを並べて、「|耳のきこえない人間《スルドゥス・》|は道理をはずれる《アブスルドゥス》」と、しゃれを言っているが、バルブディエンヌどののやったことをみると、なるほどよく言ったものだと思う。
そこで、砂時計が置きなおされ、刑が最後まで執行されるように、カジモドは板の上にくくりつけたままにしておかれた。社会の中の民衆は、ことに中世にはそうだったのだが、家族の中の子どもみたいなものだった。民衆が子どものように無知で、道徳的、知能的に未成年期にあるかぎり、われわれは子どもについてと同じように、民衆のことをこう言うことができる。
この年ごろの者は、哀れみを知らぬ。
カジモドが、いろいろともっともな理由で、世間に嫌われていたことは、さきにも申し上げたとおりである。この日集まった群集の中にも、このノートルダムの悪者のこぶ男に対して、文句の種をもちあわせない者、もしくは文句を言う筋合いがないと信じている者は、ひとりもいないくらいだった。だから、カジモドがさらし台の上に現われたのを見て、だれもかれもが愉快に思ったのである。そして彼がひどいしおきを受け、そのあと、哀れな格好でほうっておかれても、その姿は民衆の哀れみをそそるどころか、民衆の憎しみの火に笑いの油を注いで、その憎しみをますます底意地の悪いものにしたのである。
だから、偉い学者たちがいまなお、しちめんどくさいことばで≪社会の制裁≫と呼んでいるものが終わると、こんどは見物人のひとりひとりが罰を加えることになったのだ。大広間のときと同じように、ここでも女たちの攻撃がすさまじかった。女たちはみんな、何かかにかカジモドに恨みの種をもっていた。意地の悪いのを憎いと思う者もあれば、醜い格好を嫌っている者もいた。醜い格好を攻撃する声のほうが猛烈だった。
「やあだ! にせキリストみたいなご面相《めんそう》だね!」と、ひとりの女がののしる。
「ほうきの柄《え》に乗って空をとんでく悪魔やろうめ!」と、もうひとりが叫ぶ。
「なんてしょげきった、しかめっつらでしょう。きのうだったら、どうころんでも、らんちき法王間違いっこなしよ!」と、三人目がどなる。
「大できだね、あれがさらし台のしかめっつらなんだよ。首吊り台のしかめっつらは、いつ見せてくれるんだい?」と、ひとりのばあさんが言う。
「いつ、おまえさんの大きな鐘をすっぽりかぶって、地獄へ落ちるんだい、いけすかない鐘番め?」
「この悪魔が、お告げの祈りの鐘を鳴らすんだわ!」
「やい! 耳のきこえない野郎め! 片目め! こぶ男め! お化けめ!」
「妊婦を流産させるのにゃ、どんなお薬だってあの顔にかないっこなしだわ!」
風車場のジャンとロバン・プースパン、このふたりの学生は、ばか声をはりあげて、古いはやり歌のリフレーンをうたっている。
ならず者にゃあ
首吊りなわを!
猿面冠者《さるめんかんじゃ》にゃ
火あぶり薪を!
このほか数知れぬ悪口や、ののしりの声や、呪いの声や、笑いが降ってきた。あちらこちらから石も。
カジモドは耳はだめだったが、目はよく見えた。群集の激しい反感は、彼らのことばに劣らず顔つきにもありありと表われていた。それに、石ころがとんでくることから、彼らがさかんに笑いころげているわけもわかった。
カジモドは、はじめのうちはよくがんばった。だが、拷問官の鞭を歯を食いしばってきりぬけた彼の忍耐力も、チクリチクリと虫が刺すような群集の一斉攻撃を前にして、しだいに弱ってゆき、ついに音《ね》をあげてしまった。闘牛士の攻撃にはあまりたじろがないアストゥリアス〔スペイン北部の闘牛用の雄牛の産地〕の牛も、犬の群れやリボンのついた短い投槍に攻められると、いらいらしてしまう。
はじめのうちは、おどしつけるような目つきで、群集をゆっくり、にらみまわしていた。だが、しっかり縛りつけられているのだから、いくらにらみつけてみたところで、傷口に食いいるハエのようなやじ馬連中を追っ払えるわけはなかった。そこで彼は、縛られた体を激しくもがきだした。彼が死にもの狂いで体をゆすったので、さらし台の古い車輪は、板の上でギシギシと悲鳴をあげた。こうしたありさまに、あざけりや、ののしりの声がまた一段と高まった。
哀れなカジモドは、つながれた野獣の首輪ともいえそうな、いましめの綱を切ることができなかったので、またおとなしくなった。ただときどき、怒り狂った溜息をついて、胸をいっぱいに波だたせるばかりだった。恥ずかしさに顔が赤くなっているようすはちっともみえなかった。自然そのままといってよろしいほど、人間の社会とは縁のない生活をふだん送っていたので、恥ずかしさというものがいったいどんなものなのか、さっぱりわからなかったのだ。それに、こんなひどい奇形なのだから、恥など感じられるものだろうか? だが、彼の醜い顔には、怒りと憎しみと絶望から生まれた雲が低くただよい、その雲はしだいしだいに暗くなっていった。その黒雲はだんだん電気を帯びてきて、それが、ひとつ目の怪物の目から幾千ものいなずまとなってぴかぴか光っていた。
だが、この黒雲も、ひとりの司祭を乗せたラバが人ごみを押しわけてやってくるのが見えたとき、ちらっと明るくなった。ラバと司祭の姿を目にした瞬間から、哀れな受刑者の顔はやわらいだ。それまで顔の筋肉をひきつらせていた憤《いきどお》りは消え失せて、やさしさと寛容と、なんとも言えない愛情をたたえた不思議なほほえみが、浮かびあがった。司祭の姿が近づいてくればくるほど、このほほえみはますますあざやかになり、はっきりとし、輝きをましていった。
哀れなカジモドは、ちょうど救世主をお迎えでもしているみたいだった。ところがラバが、乗り手に受刑者の顔がわかるところまでさらし台に近づいたとたん、司祭は目を伏せ、いきなりくるりと向きを変えて、拍車を入れた。自分の恥になるような苦情の申したてをきくことから一刻もはやく逃れたいとでもいったようすだったし、また、あんな格好をしているつまらないやつに挨拶されたり、知人顔をされたりするのはまっぴらごめんだ、とでもいったようすだった。
この司祭は司教補佐クロード・フロロ師だった。
カジモドの顔には、まえよりもいっそう黒い雲がおそいかかった。それでも、ほほえみは、なおしばらくのあいだ漂っていた。だがそれは、苦《にが》い、がっかりした、ひどく悲し気なほほえみだった。
時間は過ぎていった。さらし台にのぼってから、少なくとももう一時間半になるが、カジモドはそのあいだじゅうひっきりなしに、やっつけられたり、ひどい目にあわされたり、からかわれたり、石で打ち殺されかかったりしていたのだ。
そのうち、いきなり、彼はまた、縛られた体をまえにもました必死の力で揺りうごかした。カジモドを乗せていた木組全体がぐらぐらと揺れた。そして、それまで強情につぐんでいた口を開き、人間の叫び声というよりも犬の吠え声に似た、あたりの罵《ののし》り声をかき消してしまうような、すさまじいしわがれ声でどなった。
「水をくれい!」
だが、こうした悲嘆の叫びも、さらし台のまわりに群がっていたパリの民衆の哀れみをそそるどころか、かえって、彼らの楽しみに油を注ぐことになっただけだった。
ここで申し上げておかなければならないが、パリの民衆は、より集まって群集になると、さきほどみなさんにご紹介したあの恐ろしい宿なし族にけっして劣らないくらい残酷になり、愚かになってしまうのである。あの宿なし族は、実を言えば、こうした民衆の最下層を形づくっているのである。哀れな受刑者がのどの渇《かわ》きを訴えても、まわりから聞こえてくるのは、その苦しみを冷やかす声ばかりだった。もっとも、このときの彼の格好は、哀れというよりもむしろグロテスクで、いやらしかったことも事実だ。まっ赤になった顔からは、汗がだらだら流れおちている。ひとつ目はすっかり血ばしっているし、怒りと苦しみで口からぶつぶつあわを吹いている。舌も半分ほど垂れている。
もうひとつ申し上げておかなければならないが、かりにこのとき、群集の中に、男でも女でもいい、慈悲深い親切な人がいあわせて、苦しんでいるこの哀れな男に水を一杯持っていってやろうという気になったら、どうだっただろう。なにしろ、さらし台のいまわしい階段のまわりには、恥と不名誉の強い偏見が力をふるっていたので、こうした親切なサマリヤ人も、きっと追い戻されてしまったに違いないのだ。
しばらくしてカジモドは、死にもの狂いの目つきで群集を見まわすと、まえよりもいっそう悲痛な声で、もう一度叫んだ。「水をくれい!」
すると、みんなはいっせいに笑いだした。
「これでも飲みやがれ!」とロバン・プースパンが、どぶ水につかった海綿をカジモドの顔に投げつけて叫んだ。「やい、耳なし野郎! おれはてめえに借りがあるんだぞ」
ひとりの女がカジモドの頭に石を投げつけた。
「夜なかにろくでもない鐘を鳴らして、あたしたちの安眠妨害をしてくれたお礼だよ」
「やい! 小僧」と、ひとりの体のきかない男が、松葉杖で彼をなぐりつけようと一所懸命になりながらどなっている。「きさまはな、ノートルダムの塔のてっぺんから、まだおれたちに呪いをかけようってのか?」
「さあ、このおわんで飲みなよ!」と、ひとりの男がこわれた水差しをカジモドの胸に投げつけながら言う。「てめえがおれのかかあの前を通りやがったばかりによ、かかあはふたつ頭のがきを生んだんだぞ!」
「あたしんとこのネコはね、六本足の子ネコを生んじゃったんだよ!」と、ひとりのばあさんが瓦《かわら》を投げつけながら、金切り声をあげている。
「水をくれい!」と、カジモドがハーハーあえぎながら三度目の叫び声をあげた。
と、このとき、彼は人波が左右にひらくのを見た。変な身なりをした娘がひとり、人波の中から出てきた。娘は金色の角が生えた、白い、可愛らしいヤギを連れ、手にタンバリンを持っている。
カジモドのひとつ目がきらりと光った。まえの晩、彼がさらおうとしたあのジプシー娘だった。あんな乱暴をやったためにいまこんな罰をくっているのだ、と、彼はぼんやり感じていたのだ。だがそれはとんでもない勘違いで、彼が罰を受けていたのは、耳のきこえない彼がやはり耳のきこえない裁判官にさばかれたという、あいにくなめぐり合わせからきたことにすぎないのだ。が、カジモドは、この娘もきっと仕返しにやってきたのだ、ほかの見物人と同じように、ものを投げつけでもするだろう、と思った。
見ると、果たして娘は足ばやに階段をのぼってくる。彼は憤りとくやしさで息が詰まりそうだった。できることなら、さらし台をひっくり返してしまいたかった。彼の目にひらめいている稲妻に、もしそうできる力があったら、ジプシー娘はさらし台の上までのぼりきらないうちにこっぱみじんにされてしまったことだろう。
娘はおし黙ったまま、カジモドのほうへ近づいてくる。受刑者はなんとかして娘から逃れようと、いたずらに身もだえしている。娘はベルトからひょうたんをはずして、そっとその口を、あわれな男の渇ききった唇にもっていってやった。
すると、いままであんなに乾いて、燃えたっていたカジモドのひとつ目に、大粒の涙がひとつ、ぽっかりと浮かぶのが見えた。涙は、ずいぶんまえから絶望のためにひきつっていた醜い顔をつたって、ゆっくりと流れ落ちていく。この不幸な男が涙を流したのは、これがきっと生まれてはじめてだろう。感きわまってか、カジモドは飲むのを忘れている。ジプシー娘は、じりじりしてきて、例の可愛いふくれっつらをしたが、それでもにっこり笑って、ひょうたんの口を、カジモドのぎざぎざの歯がはえた口に当てがってやった。彼はごくり、ごくりと何度も飲みこんだ。のどが焼けつくように乾いていたのだ。飲み終わると、哀れなカジモドは黒い唇をぐっと突き出した。きっと、助けてくれた美しい手にキスがしたかったのだろう。
だが娘は、まだ相手に気を許してはいなかったのか、それにまえの晩、乱暴にどこかへ連れていかれようとしたことも思い出したのか、まるで、子どもが獣にかみつかれるのをこわがるみたいな身ぶりで、はっと手をひっこめてしまった。すると哀れなカジモドは、なんとも言えない悲しみをたたえた、いかにも恨めしそうなまなざしでじっと娘を見つめた。ぴちぴちとした、清らかな、可愛らしい、しかもこの上もなく弱々しい、美しい娘が、こんなふうに思いやりの心から、みじめさと醜さと悪意の塊りみたいな人間をたすけに駆けつけるといった光景は、どんなところで演じられても、強く胸に迫るに違いない。さらし台の上で演じられたこの光景は、まさに崇高だった。さしもの群集もひどく感激して、「偉いぞ! 偉いぞ!」と叫びながら、手を叩きはじめた。
ちょうどこのとき、おこもりさんは≪ネズミの穴≫の明かりとりから、さらし台の上にいるジプシー娘の姿を見つけて、無気味な呪いのことばを浴びせかけた。
「くたばれ! ジプシー娘め! 畜生! 畜生!」
五 菓子の話の結末
エスメラルダは、まっ青になって、よろめきながらさらし台からおりてきた。おこもりさんの声は、なおもそのあとを追っかけた。
「おりろ! おりろ! ジプシーの子どもぬすっとめ。そのうちにゃあ、また台に乗っけてやるぞう!」
「お懺悔《ざんげ》さんの気まぐれがまたはじまったぞ」と、人びとはつぶやいた。そして、ただつぶやくばかりで、それ以上どうしようというわけでもなかった。というのも、こうしたたぐいの女たちは恐れられていたからだし、恐れられていたから聖者ともされていたのだ。昼も夜も祈りつづけている者に、言いがかりをつけようとする者などいなかったのである。
カジモドを連れて戻る時間になっていた。カジモドはいましめを解かれ、群集はあたりに散ってしまった。
ふたりの連れといっしょに帰途についたマイエットは、グラン橋のそばまでくると、急に立ちどまって、「そうそう、ウスターシュや! さっきのお菓子はどうしちまったの?」ときいた。
「ママ」と子どもが言った。「ママたちが穴ん中のおばさんとお話をしてたときにねえ、大きな犬がきて、ぼくのお菓子をかじっちゃったの。しかたがないから、ぼく、食べちゃった」
「なんですって、じゃ、おまえ、みんな食べちゃったの?」と母親はきいた。
「ママ、犬が食べちゃったんだよ。ぼく、いけないよって言ったんだけど、言うことをきかないんだもの。だから、ぼくもかじっちゃったんだよう!」
「ほんとにとんでもない子だねえ」と、母親は叱りながらも笑って、「ねえ、ウダルドさん! この子はこんなおちびさんのくせに、もうシャルルランジュにあるうちの果物畑ね、あそこの桜んぼをひとりでみんな食べちゃうんですよ。ですから、うちのおじいちゃまも、この子はきっと大将になるぞっておっしゃるんですの。……ウスターシュさん、こんどおやりだったら、それこそひどいよ。……さあさあ、いいかい、おいたさん!」
[#改ページ]
第七編
一 ヤギに秘密を打ち明ける危険
それから幾週間かが流れた。
三月の初めのころのことであった。こった言いまわしの遠い先祖であるデュバルタス〔十六世紀の詩人〕も、太陽のことを≪ろうそくの大公≫などとはまだ名づけなかったけれども、太陽は、それでもやはり、よろこばしげに、また晴れやかに輝いていた。広場といい、散歩道といい、パリはどこへ行っても、日曜日や祭日のように、柔らかで美しい春の一日であった。
このように明るく暖かな、空気の澄んだ日にはことに、ノートルダムの正面玄関につい見とれてしまうときがあるものだ。それは、ちょうど太陽が西の空に傾き、大聖堂のほとんど正面に夕日が射すときである。その光は、しだいに水平になり、ゆるゆると広場の石畳からうしろにさがって、切り立った正面に沿って上にのぼり、その影の上に幾千という丸彫《まるぼ》りをつくる。すると、中央の大きな円花窓《えんかそう》は、まるで炉の反射でまっ赤になったひとつ目入道の目のように輝くのである。
話は、その時刻のことである。
夕日に赤々と輝いたノートルダム大聖堂の真正面の、広場と境内《けいだい》通りとの角《かど》にあるゴチックふうの大邸宅の正面玄関の上につくられた石造りのバルコニーの上で、何人かの美しい若い娘たちが、しとやかに、しかも無邪気に、笑ったり話し合ったりしていた。彼女たちのかぶっている、真珠がちりばめられたとがった帽子の先からかかとまで垂れているベールの長さから見ても、また当時の粋な流行にならって、もって生まれた美しい処女の胸をおおっている刺繍をしたシュミゼットの華奢《きゃしゃ》なようすを見ても、上着よりも下着のほうにずっと金目がかかって贅沢《ぜいたく》なことから見ても(素晴らしくこったものだ!)、また、いたるところについている薄布や絹やビロードから見ても、ことに、いかにも何ひとつしないで遊び暮らしているとしか思われないような、その手の白さから見ても、彼女たちが、高貴で裕福な家の跡とり娘たちであることがすぐにわかるのだった。
実際、彼女たちは、フルール=ド=リ・ド・ゴンドローリエ嬢と、その友達のディヤーヌ・ド・クリストゥイユ、アムロット・ド・モンミシェル、コロンブ・ド・ガイユフォンテーヌ、それにシャンシュヴリエ家の女の子たちであった。娘たちはみんな良家の令嬢で、ちょうどこのときボージュー公夫妻を待ちうけるために、ゴンドローリエの未亡人の家に集まっていたのだ。
ボージュー公夫妻は、四月にはパリに来て、人びとがピガルディーで王太子妃になられるマルグリット姫をフランドルの使節の手からお迎えするときに、パリで姫のために侍女を選ぶことになっていたのである。そこで百二十キロ四方もの田舎のお偉がたたちは、娘たちのためにこの名誉ある特別の仕事に選んでもらいたいものと、いろいろと頭を悩ましていたもので、彼らのうちには、すでに娘たちをパリに連れてきたり、送り出してしまっていたものも相当にあったのである。娘たちはその両親の頼みによって、アロイーズ・ド・ゴンドローリエ夫人から、慎重に、そして心から世話をされていたのである。
ゴンドローリエ夫人というのは、王室|弩弓《どきゅう》隊の元隊長の未亡人で、いまではパリで、ノートルダムの前の広場の自分の家に、ひとり娘といっしょに隠居していたのであった。
この娘たちのいたバルコニーは、金色の唐草模様のかざりのついた、淡黄褐色のフランドル産の皮のタピスリーがどっしりと張られている部屋から外に向かって開かれていた。天井と平行にかかっている梁《はり》には、色をぬった金色の奇怪な彫刻がたくさんあって、人の目を楽しませていた。彫刻のついた戸棚の上には、素晴らしい七宝《しっぽう》が、あちこちにちりばめられて、玉虫色に光っている。豪華な食器棚の上には、陶器製のイノシシの首がかざられていて、その二段になった食器棚のようすでは、この家の女主人は、家来を持っている騎士の妻か未亡人であることを物語っていた。広間の奥のほうには、ゴンドローリエ夫人が、上から下まで紋章や楯《たて》飾りのついている高い暖炉のわきの、赤いビロードの立派な肘掛け椅子の上に腰かけていた。なんといっても、夫人の五十五歳という年は、その顔にも服装にも、はっきりと現われていた。
夫人のわきには、かなり高慢ちきな顔をした男がひとり立っていた。ちょっとばかり虚栄心が強く、偉そうな、けれども、まじめな男や人相見が見れば肩をすくめるかもしれないが、女という女はみんな、ついふらふらとなるというタイプの美男子であった。この若いやさ男は、王室射手隊の隊長のきらびやかな服装を身につけていた。この服装は、またユピテルのことを書いてみなさんもさぞご迷惑なことであろうが、まえに、この物語の第一編で、すでに見物人から誉《ほ》められたユピテルの服装に、あまりにもよく似すぎていた。
娘たちは、部屋の中やバルコニーの上に分かれていて、金の四隅がついたユトレヒト製のビロードの四角いクッションの上にすわっている者もあり、花や紋の彫刻をしたカシワの木の腰かけに腰をおろしている者もあった。彼女たちはみんな、ひざの上に刺繍をした大きなタピスリーの一部をそれぞれ置いて、同じように刺繍をしていたが、その布の端は、床を覆っている敷物の上に垂れていた。
彼女たちはおたがいに、若い男がひとり、自分たちのまん中にいるので、ないしょ話をするような声で、なにか悪い相談のために秘密の集まりをするときのような息を殺した含み笑いをしながら、話し合っていた。若い男というものは、ただ女たちのあいだに居合わせるというだけで、女の自尊心をくすぐってしまうものだが、その男は、そんなことにはあまり気をつかっていないようだった。彼は自分の気をひこうとしている美しい娘たちの中にいて、シカ皮の手袋で、革ベルトの留め金をしきりにみがいているようすであった。
ときおり、老夫人が低い声で話しかけると、彼は、できるだけ愛想よく答えていた。が、どことなく窮屈そうで、ぎごちなかった。アロイーズ夫人の微笑や意味ありげなこまごました合図をみても、またこの隊長と低い声で話をしながら、ときどき目をはなして娘のフルール=ド=リのほうを見ては、まばたきをしたりしているところからみても、どうやらこれは、この青年とフルール=ド=リとのあいだに婚約がとり結ばれて、おそらく近いうちにあげられる婚礼か何かの話であることが、たやすくわかった。そしてまた、この士官の困ったような冷淡なようすを見ると、少なくとも彼のほうでは娘ほどは愛情をもっていないということも、すぐにわかるのだった。その顔つきをちょっとでも見れば、彼が窮屈でしかも退屈しきっていることがわかるのだが、いまどきの駐屯部隊の少尉にでも言わせたら、きっとこんなふうに素晴らしく表現してみせることであろう。「こいつはひどい重労働だ!」と。
この人のよい夫人は、自分の娘のことで夢中になっていたので、可哀そうなことに母親というものはとかくそうなのだが、士官があまり熱意をもっていないということには気がつかなかったのだ。そして、一所懸命になって、フルール=ド=リが刺繍をしたり、枷《かせ》を繰ったりしている手ぎわがどんなに申しぶんのないものであるかを、低い声で男に気づかせようとして、しきりに気をもんでいた。
「ほら、ね、ごらんなさいな!」と、夫人は彼の袖を引っぱりながら、耳もとにささやいて言った。「あれをごらんなさいな! ほら、体をかがめてるでしょ」
「まったくですな」と、青年は答えたものの、またもやぼんやりしたように、冷たく黙ってしまった。
だがすぐにまた、彼は身をかがめなければならなかった。アロイーズ夫人が彼にこう言ったのだ。
「あなたの花嫁さんほど、愛くるしくって陽気な人をいままでにごらんになったことがおありでしたか? あんなに色の白い、しかも金髪の女の子がありますかしら? 手の美しいことといったら、満点じゃありませんか? それに、えりもとは、うっとりするほどきれいで、まるで白鳥のようじゃありませんか? まったくあなたはお羨《うらや》ましい! 男に生まれついておしあわせですわ。女泣かせねえ! あたしのとこのフルール=ド=リは、ほれぼれするほど美人でしょ? あなただって、あの子に夢中になっていらっしゃるんでしょ?」
「もちろんですよ」まるでべつなことを考えながら、彼は答えた。
「まあ、あの子のところへ行ってお話しなさいな」急にこう言って、アロイーズ夫人は肩をつっついた。「あの子に何か言ってやって下さいよ。あなた、いやに臆病におなりになったのね」
臆病なのはこの隊長の美点でも欠点でもなかったのだということを、ここでみなさんにはっきり申し上げることができる。彼はそれでも、言われたとおりにしようとしたのである。
「お嬢さん、あなたがなさっているタピスリーの仕事は、いったいなんの図案なのですか?」と、フルール=ド=リに近づきながら、彼は言った。
「まあ、もうこれで三度も申し上げましたわ。これは海の神さまネプトゥヌスのほら穴ですのよ」と、フルール=ド=リはつんとして答えた。
たしかにフルール=ド=リのほうでは、この隊長の冷淡でうわのそらのようすを、母親以上にはっきりと見ぬいていたのだ。彼は、どうしても何か話をしなければならぬと感じた。
「で、その海の神さまとやらは、誰のために作っているんですか?」と、彼はきいた。
「サン=タントワーヌ・デ・シャンの修道院にお納めするためよ」フルール=ド=リは、顔もあげずにこう言った。
隊長は、タピスリーのはしを手に取って、
「お嬢さん、頬をふくらませてらっぱを吹いている、この太った兵士はなんですか?」
「トリトン〔ギリシア神話の半人半魚の水神〕よ」
フルール=ド=リの不愛想なことばの中には、あいかわらず少し不平らしい調子があった。青年は、彼女の耳もとに何か、どんなくだらぬことでも、お世辞のひとつでも言わなければならないと悟った。そこで身をかがめてはみたものの、いくら考えても、やさしい親しげなことばが心に浮かんでこなかったが、やっとこう言った。
「なぜあなたのおかあさんは、いつでもシャルル七世時代のぼくたちのおばあさんみたいに、あんなに変わった紋章のついた上着を着てるんでしょうかね? ねえ、お嬢さん、おかあさんにこう言いなさいよ、それに、あんな肘金《ゴン》と月桂樹《ローリエ》とを紋章のように刺繍した着物だって、まるでマントルピースが歩いているように見えるって。ほんとうに、ああいうのは、いまじゃ、はやりませんからね、たしかに」
フルール=ド=リは、美しい目に恨みをたたえて顔をあげ、低い声で言った。「わたくしにおっしゃることは、それっきりですの?」
一方、人の好いアロイーズ夫人は、ふたりがこのように身をかがめてひそひそ話をしているのを見て、すっかりうれしくなり、持っていた時祷書《じとうしょ》の留め金をもてあそびながら、こう言った。
「まるで恋の絵のようね。ほろりとするわ!」
隊長はますます気づまりになり、急に話題を変えて、またタピスリーの話をはじめた。「ほんとうにみごとにできましたね!」
それを聞いて、肌の白い金髪の美少女で、青い綾織《あやおり》の服にぴったりと襟《えり》あしをつつんだコロンブ・ド・ガイユフォンテーヌが、おずおずと、しかも心の中では、この美男子の隊長が返事してくれないかな、と期待しながら、フルール=ド=リのほうにことばをかけた。
「ゴンドローリエさま、おねえさまは、ラ・ロッシュ=ギュイヨンのお館《やかた》のタピスリーをごらんになったことがありまして?」
「それは、ルーヴル宮のランジェールの庭園をとり囲んでいるあのお館じゃなくて?」と、ディヤーヌ・ド・クリストゥイユが笑いながらたずねた。この娘は歯が美しくて、そのために、何を言うときでも笑うことを忘れなかった。
「そうね、あそこにはパリの昔の城壁の大きな古い塔があるわね」と、アムロット・ド・モンミシェルは言いそえた。彼女は美しくつやつやしたクリ色の巻き毛をしていて、いつも他人が笑うようなときに、なぜかしら溜息をつくのが癖であった。
「コロンブさん、あなたのおっしゃりたいのは、シャルル六世のときにバックヴィルさまが持っていた、あのお館のことじゃなくて? ほんとにあそこには、それはそれは素晴らしい竪機《たてばた》のタピスリーがありますわね」と、アロイーズ夫人がことばをはさんだ。
〈シャルル六世だって? シャルル六世とはね〉と、若い隊長は口ひげをひねりあげながらつぶやいた。〈へええ驚いたね。ばあさんてものは、古いことをよく覚えてるもんだな!〉
ゴンドローリエ夫人はさらにつづけて、「ほんとにそれはそれは、きれいなタピスリーでしたわね。あんな立派なお仕事なんて珍しいほどですわ!」
このとき、背は小さいがすらりとした、七歳になる少女のベランジェール・ド・シャンシュヴリエが、バルコニーのクローバ形になったところから広場のほうをながめていたが、叫び声をあげた。
「まあ! ごらんなさいよ。フルール=ド=リのおばさま、あの石畳の上できれいな踊り子が踊っているわよ。それにあの人、まちの人たちに囲まれてタンバリンを叩いているわ!」
ほんとにタンバリンを叩く、トントンという調子のいい音が聞こえた。
「旅をしているジプシーの女かなにかよ」と、フルール=ド=リは、なにげなく広場のほうを振り向いて言った。
「見にいきましょう!」
友達がみんな勢いよく叫んで、そろってバルコニーのほうに走って行ったので、フルール=ド=リは、フィアンセの男の冷淡なことを考えて、物思いに沈んでいたが、ゆっくりとみんなのあとについて行った。と、男のほうでは、このできごとのために気づまりな会話がとぎれたので、ほっとして、勤務から解放された兵隊のような満足したようすで、部屋の奥のほうに帰ってしまった。とはいうものの、美人のフルール=ド=リ相手のこういうつとめは、心のうきうきする楽しいものであった。少なくとも昔は、彼にとってはそう思われたのである。だが、隊長はしだいに飽きてしまっていたのだ。近いうちに結婚しなければならないのかと思うと、日増しに冷やかになっていった。そのうえ、彼は浮気者で、そういってはなんだけれども、趣味に少し下品なところがあった。名門の出であったのだが、軍隊生活を送っているあいだに、古参兵の習慣がいくつも身についてしまっていた。まちの酒場の酒の味も覚え、さてそのつぎは、おきまりの次第、下品なことばや軍人によくある色事に耽《ふけ》り、なびきやすい女を相手にして、すぐさま≪もの≫にしていた。けれども家庭においては相当な教育を受けたこともあったし、行儀作法も学んでいたのだった。だが、あまりにも若いうちに国じゅうを放浪したり、各地に駐屯したりして、毎日のように憲兵の肩帯《けんたい》にはげしくもまれて、貴族の箔《はく》をすっかり落としてしまったのである。
それでも世間への義理の気持が残っていたためか、まだときどきは彼女のところをおとずれたのであるが、フルール=ド=リのところにいると、二重に気づまりを感じるのだった。というのは、第一には、彼はいたるところでいろいろな女とかかわりあいをもっていたために、彼女に対しての愛情をほとんどもちあわせていなかったからである。それに、こんなに多くの、気むずかしい、しゃちこばった、礼儀正しい女たちの中にいては、神を汚すようなことばの習慣がついている口が、ひょいと暴れださないものでもないし、酒場でのことばがとび出してくるのではないかと、たえずびくびくしていたからでもあった。もしそんなことになったら、おもしろい結果が生まれることであろうが!
それに彼の場合、こういう気持のうえに、さらに、上品ぶってしゃれけもあり、愛想よくしようという気持も、大いにまじっていたのである。このへんの事情は、みなさんもよろしくご想像できることだろうから、私としては、単に事実を述べるだけにとどめておこう。
さて、彼はさっきから何を考えているのか、あるいは何も考えていないのかは知らないが、だまって彫刻のついているマントルピースによりかかっていたが、そのときフルール=ド=リが急にふり向いて、ことばをかけた。つまり、気の毒にもこの若い娘は、心にもなく彼に対してすねただけのことであったのだ。
「ねえ、あなた、あなたは二カ月ばかりまえ、夜警をしていたときに、十幾人かの泥棒の手から小さなジプシー女を救ってやったって、わたくしたちにお話にならなかったかしら?」
「そうそう、そんなこともありましたっけね」と、隊長は言った。
「あら、あそこの広場で踊りを踊っているのは、きっとあのジプシー娘よ。ね、フェビュスさま、来てごらんなさい、きっとそうかもしれなくってよ」
彼は、自分のそばにいらっしゃいと、ことばをかけた娘のものやわらかな誘いをうけたり、また自分の名まえを呼んだというその気持を考えると、これはてっきり彼女が心の中でこっそり仲直りがしたいと思っているのだと察した。フェビュス・ド・シャトーペール隊長は(こうはっきり名まえを出すわけは、この章の初めからみなさんがおなじみのこの隊長は、ほかならぬフェビュスだからであるが)、ゆっくりバルコニーのほうに近よっていった。フルール=ド=リは、フェビュスの腕にやさしく手をかけて言った。
「ほらね、ごらんなさいな、女の子があそこでまるく囲んだ人垣の中で踊っているでしょう。あれが、いつかお話しのジプシー娘なんでしょう?」
フェビュスはじっと見ていたが、こう言った。
「そうですな。あのヤギでわかりますよ」
「まあ! ほんとにかわいらしいヤギですこと!」
アムロットは、感心して手を叩きながら言った。
「あの角《つの》は、ほんとうに金でできているのかしら?」と、ベランジェールがたずねた。
肘掛け椅子から動かずに、アロイーズ夫人はことばをひきついだ。「去年、ジバール門を通ってやって来た、あのジプシー女のひとりじゃないかね?」
「まあ、おかあさま」と、フルール=ド=リはやさしく言った。「いまじゃあの門は、≪|地獄の門《ポルト・ダンフェール》≫って言われてますのよ」
ゴンドローリエ嬢には、この隊長が母の時勢おくれの話しぶりにどんなに気を悪くしているかが、よくわかっていた。事実、彼は、冷笑を浮かべながら、小声でこうぶつぶつ言いだした。「ジバール門だって! へえ、ジバール門だとさ! シャルル六世がお通りあそばしたっていうやつだな!」
「ねえ、おばさま」と、ベランジェールが叫んだ。彼女はたえず目をきょろきょろさせていたのだが、急にノートルダムの塔の頂上のほうを見あげながら言った。
「あの高いところにいる黒い服を着た男は、いったいなんでしょうね?」
娘たちはみんな目をあげた。ほんとにひとりの男が、グレーヴ広場のほうに向いている北の塔の頂上の欄干にひじをついていたのだ。司祭だった。その服装も、両手でかかえている顔もはっきり見えた。そのうえ、彫像のように動かなかった。じっと広場に目を注いでいるのだ。
それはちょうど、スズメの巣を発見したトビが、じっと動かずにそれを見ているようであった。
「あれは、ジョザの司教補佐さまですわ」と、フルール=ド=リは言った。
「ここからそんなことがわかるなんて、あなたの目って素晴らしいわね!」と、ガイユフォンテーヌが口をだした。
「まあ、あのかたは、踊り子を見ておいでになるのよ!」と、ディヤーヌ・ド・クリストゥイユは言った。
「あのジプシー娘には用心しましょうよ! だって、あのかたジプシーが嫌いなんですもの」と、フルール=ド=リは言った。
「あのかたがあんな目つきで見つめているなんて、残念だわ。だって、あの女の人、とても踊りがうまくて、見ていてまぶしいくらいですものね」と、アムロッド・ド・モンミシェルはつけ加えた。
「ねえ、フェビュスさま、あなたはあのジプシー娘を知っていらっしゃるでしょう? だから、あの人にここにあがってくるようにって、手招きしておあげなさいな。きっとおもしろいわよ」と、とつぜんフルール=ド=リが言った。
「まあ、賛成だわ!」と、娘たちは手を叩きながら叫んだ。
「だけど、それは、ばかばかしいことですよ」と、フェビュスは答えた。「あの娘は、たしかにぼくのことなんか忘れているし、ぼくだってあの女の名まえさえも知らないんですからね。でも、お嬢さんがたがどうしてもとおっしゃるんなら、呼んでみましょうかね」
こう言って、彼は、バルコニーの手すりに身をかがめて、「おおい、娘さん!」と呼んでみた。
踊り子は、そのときタンバリンを叩いていなかった。彼女は声をかけられたほうに頭を向けたが、その輝くような視線がフェビュスの上にとまったかと思うと、それきり急に、すくんだように動かなくなってしまった。
「娘さん!」と、隊長は繰り返して呼んだ。そして、その娘に来るようにと合図をした。
娘は、あいかわらず彼のほうを見ていたが、まるで炎が頬にのぼったように顔を赤らめて、持っていたタンバリンを小脇にかかえ、びっくりしている群集をかきわけて、フェビュスが呼んだ家の戸口のほうにやってきた。おずおずとよろめきながら、ヘビに魅入られた一羽の鳥のように、不安そうな目つきをしてやってきたのだ。
しばらくすると、タピスリーのカーテンがあがって、ジプシー娘が部屋の敷居の上に姿を現わした。顔を赤らめ、うろたえたように息をはずませていたが、大きな目を伏せて、もう一歩も出られないというようなようすだった。
ベランジェールは手を叩いてよろこんだ。
そのあいだ、踊り子は入り口の敷居の上にじっと立っていた。彼女が現われたために、若い娘たちのあいだに異様な結果が生まれた。それまで、たしかに、この美男の隊長の心をひこうという、知らず知らずの漠然とした望みが、娘たちをいっせいに活気づけていたのであったし、また隊長の素晴らしい制服は、たしかに娘たちがみんな色目をつかう的《まと》で、彼がそこに来てからというものは、娘たちのあいだには、自分でもはっきり意識してはいないのだけれども、口には出さないが心のうちに張りあっている気持があったこともたしかで、彼女たちの態度や話しぶりなどに、何かにつけてそれが現われずにはいなかった。
しかし、彼女たちはいずれ劣らぬ美人だったので、その力は同じくらいで、誰でも、われこそは勝利を得ようと期待することができたのだった。ところが、このジプシー娘が現われてからは、たちまちその均衡が破れてしまった。ジプシー娘は、まれに見るほどの美しさをそなえていたので、部屋の入り口に姿を見せた瞬間に、その体から、真に彼女にしかないような一種の光をそこにふりそそいだように思われた。この壁紙や板張りを張りめぐらした暗いしめきった部屋の中に来てみると、彼女は広場にいたときよりも、一段とたとえようもないほどに美しく、輝くばかりだった。それはちょうど、ともし火を輝く日光の下から影の中に持ってきたようなものだった。さすがの高貴な令嬢たちも、われ知らずその美しさに打たれて、茫然《ぼうぜん》としてしまったのである。みんなは、彼女の美しさのために、何かしら傷を受けたように感じたのだ。そこで、お嬢さんがたの戦線(もしもこのような表現が許されるとしたならば)は、みんながひとことも言わないうちに、たちまち一転してしまったのである。
しかし、彼女たちは素晴らしいまでに気を合わせてしまった。女性の本能は、男性の知性のおよびもつかぬほどすばやく、おたがいに了解しあい、こたえあうものだ。彼女たちの前にひとりの敵が出現すると、みんなはすぐさまそれを感じ、全部が同盟してしまった。一杯のコップの水を赤く染めるには、一滴のブドウ酒があればじゅうぶんであるように、美人の集まりをすっかり、ある悪感情で染めるためには、彼女たちよりも美しいひとりの女が急に現われるだけでじゅうぶんなのだ。……ことに、男がたったひとりしかいないときには。
だから、ジプシー娘に対する待遇は、まったくおどろくほど冷たかった。彼女たちは、女を上から下までじろじろ眺めまわしたり、たがいに目を見かわしたりしていたが、もうそれですべては言いつくされていた。彼女たちはおたがいに了解しあってしまったのだ。
一方、若い娘のほうでは、誰かが話をしかけてくれるものと待っていたが、非常に興奮していたので、まぶたをあげることもできないほどだった。
隊長がまず第一に口を聞いた。「いやたしかに美人ですなあ! どうです、お嬢さん?」と、ずばりと、得意そうに言った。
こういう意見は、誉《ほ》めるにしてももっと心やりのある人ならば、少なくとも小声で言ったのであろうが、それにしても、当然のこととはいいながら、ジプシー娘の前でじろじろ見ている女性の嫉妬の気持を柔らげるようなものではなかった。
フルール=ド=リは、人を小ばかにしたような、いやにもったいぶった態度で、隊長に答えた。「悪くはないわね」
ほかの女たちは、こそこそとささやいていた。
とうとう、アロイーズ夫人は、彼女も自分の娘の味方をして嫉妬心を感じていたのだから、嫉妬していなかったというわけにはいかないが、それでも踊り子に向かって声をかけてやった。「さあ、娘さんこっちへおいで」
「こちらへいらっしゃいってば、娘さん!」ベランジェールは、女の腰のところまでしか背丈がないくせに、おかしな威厳をはって、こう繰り返した。
ジプシー娘は、貴婦人のほうへ進んでいった。
「ねえ、きみ」と、フェビュスは、自分のほうから女のほうによって行って、力を入れて言った。「ぼくのことを覚えていてくれると、とってもうれしいんだが、どうかなあ……」
彼女はにっこりほほえんで、無限のやさしさをたたえたまなざしを男のほうに向けて、彼のことばをさえぎった。「ええ! 覚えていますとも」
「記憶がいいわね」と、フルール=ド=リはつぶやいた。
「ところがだよ、きみはあの晩に、ばかに早く逃げちゃったね。ぼくがこわかったのかね?」
「いいえ! そうじゃないんです」と、ジプシー娘は言った。
この「ええ! 覚えていますとも」につづいて、「いいえ! そうじゃないんです」と言っている調子の中には、何かしらなんとも言えないものがあって、そのためフルール=ド=リは、すっかり機嫌をそこねてしまった。
「ねえ、きみ、きみは自分のかわりに、あの仏頂面《ぶっちょうづら》をした、片目で背中の曲がった化け物を、ぼくに置いていったね」
隊長は、まちの女に話していると舌がほぐれていったのか、つづけて言った。「たしかにあれは司教補佐の鐘番だぜ。司教補佐の私生児で、生まれおちてからの化け物だという話だ。名まえがまたふるっているのだ。≪|四季の斎日《カトル・タン》≫だとか、≪|花開く復活祭《パーク・フルーリ》≫だとか、≪告解火曜日《マルディ・グラ》≫だとか、なんかそんなものだ! ああそうだ、なんでも、鐘の鳴る祭日とかいう名まえだ。まるできみが教会の小使いにおあつらえむきだとでもいうように、きみをさらっていこうと思うなんて、とんでもないやつだ! あいつはいったい、きみにどんなことをしようと思ったんだろう? あのミミズク野郎がさ。ふん、なんとか言ってくれよ!」
「存じませんわ」
「畜生! なんたる無礼なやつなんだ。鐘番のくせに子爵さまでもあるかのように、女の子をさらうなんて! 田舎者が貴族の猟場で密猟するようなものだ! まったく珍しいことさ。だけど結局はひどい目にあって、高くついたわけだ。ピエラ・トルトリュさんは、下司《げす》役人のうちでもいちばん乱暴な男だが、あのならず者をいやというほどぶんなぐったんだ。こう言ってきみが気持がいいんなら、あの鐘番は皮が肉に食いこむほどひどくなぐられたと言ってもいいくらいなものさ」
「まあ、可哀そうに!」このことばを聞いて、ジプシー娘はさらし台のありさまをはっきりと思いだしながら言った。
隊長は大声で笑いだして、「なんだ、あきれたもんだ! 豚のしっぽにつけた羽根のように、つまらない同情というものさ! ぼくは、法王のように腹がでっぷりと太くなりたいものさね、もし……」
こう言って急に黙ってしまった。「いや、お嬢さまがた、どうも失礼しました! おかしなことを言いだすところでした」
「まあ、ひどい!」と、ガイユフォンテーヌが言った。
「このかたは、あんな女に向かってだから、こんなことばをおつかいになるのよ!」と、フルール=ド=リは小声で言いそえた。彼女はますますくやしくなってきた。彼女は、隊長がこのジプシー娘に夢中になって、いや何もかも忘れて、素朴な兵隊らしい無作法な調子で「ほんとにきみは美人だよ!」などと言いながら、女をちやほやして、かかとでぐるぐるまわっているのを見ると、くやしさが減るどころの騒ぎではなかったのだ。
「ずいぶん、野蛮ななりをしているわね」と、ディヤーヌ・ド・クリストゥイユは、美しい歯を出して笑いながら言った。
この考えは、娘たちに一筋の光をあたえた。このことばのおかげで、彼女たちは、このジプシー娘をどこから攻撃したらいいかわかったのだ。美しさには歯が立たなかったので、娘の衣装のほうを攻撃しはじめた。
「だけどほんとよ、あんた、胸あても襟《えり》飾りもつけずにこうしてまちを駆けまわっているなんて、いったいどこを通ってきたの?」と、モンミシェルがきいた。
「それに、スカートの短いことといったら、こっちがぞっとしちゃうわね」と、ガイユフォンテーヌも言いそえた。
「ねえ、あんた、そんな金のベルトなんか締めていると、町役人たちに引っぱっていかれるわよ」と、フルール=ド=リもつづいて相当|辛辣《しんらつ》に言った。
「ねえ、あんた、あんたが上品にその腕に袖をつけていれば、そんなに日にやけなくってもすむのにね」と、クリストゥイユは意地の悪そうな笑いを浮かべながら言った。
こういう美しい令嬢たちが、怒りを含んだ毒舌をふるって、まちの踊り子のまわりに、ヘビのようにうねり、すべりこみ、からみつく光景は、まことに、フェビュスだからこそ、ぼんやり見ていられたので、もっと利口なものが見ていて、それと気がついたら、とても見ていられなかったであろう。娘たちは、やさしいようでいて、とても残酷だった。踊り子の、みすぼらしいが奇妙な金銀のぴかぴかした衣装を、意地悪そうにじろじろながめまわすのだった。そしていつまでも、どっと笑いこけたり、皮肉を言ったり、軽蔑《けいべつ》したりしたのである。高ぶった親切をしたり、意地悪そうな目つきをしたりして、あざけりのことばが、このジプシー娘の上に、雨あられと降ってきた。それはちょうど、昔ローマの貴婦人たちが、美しい女奴隷たちの胸に金の針をさしこんで、おもしろがっていたのを見るようなものであった。またあるいは、上品な猟犬が、鼻をうごめかし、口をまっ赤に光らせながら、主人が目つきでそれを食ってはいかんと言っている、森の哀れな牝《め》ジカのまわりにいるようなものだ、とでも言えるかもしれない。
要するに、大家《たいけ》のお嬢さまがたの前に、たかが広場を流して歩くまちの踊り子ふぜいがいたところで、何をそんなにむきになるのか? 彼女たちは、踊り子がいることなど、まるで何とも思わないようなふうをして、彼女を前にして、彼女のことを、しかもその女に向かって、大声で、まるで不潔で、いやしく、相当ひどいものであるかのように話していた。
ジプシー娘のほうでも、こんな針でさすような毒舌に平気ではいられなかった。ときどき、恥ずかしくて顔を赤らめたり、むっとして目や頬を火のようにまっ赤にすることもあった。なにか軽蔑するようなことばが口まで出かかっても、唇をかみしめてこらえているように見えた。そして、蔑《さげす》むように、みなさんもすでにご存じの、あのちょっとしたしかめっ面をしていた。
しかし彼女は、ひとことも口をきかなかった。じっと身動きもせず、あきらめきったような、悲しそうで優しいまなざしをして、フェビュスのほうをじっと見まもっていた。このまなざしの中には、また幸福とやさしさとがあった。おそらく彼女は、追い出されるのがいやさに、こうしてじっと我慢していたのだろう。
一方、フェビュスのほうはというと、笑いを浮かべながら、人を蔑《さげす》むような、また気の毒に思うような、まじりあった気持で、ジプシー娘に同情していた。
「ねえ、きみ、なんとでも言わせておくさ!」
金の拍車をガチャガチャ鳴らしながら、彼はこう繰り返した。
「たしかにきみの着ているものは、少しとっぴだし、野蛮だよ。だけど、きみみたいな可愛らしい女には、どうだっていいことさ」
「まあ、ひどい! 王室射手隊の将校さんともあろうかたがたでも、ジプシー娘の美しい目にはころりと参ってしまうのね」と、金髪のガイユフォンテーヌは、白鳥のような首をのばし、にが笑いをしながら叫んだ。
「おや、どうしていけませんかね?」と、フェビュスは言った。
隊長が、どこに落ちるのか見もしないで、めちゃくちゃに投げた石のように、むぞうさに投げすてたこの答えを聞いて、コロンブは大声で笑いだした。すると、ディヤーヌもアムロットもフルール=ド=リも笑いだしたが、フルール=ド=リの目には、そのとき涙が光っていた。
ジプシー娘は、コロンブやガイユフォンテーヌのことばを聞いて、目を落としてうつむいていたが、ようやくうれしそうに、また得意そうに目を輝かせて顔をあげ、また、じっとフェビュスの顔を見つめた。そのとき彼女は一段と美しかった。
老婦人はこの光景を見ていて、感情を傷つけられたような気がしたが、なんのことやらさっぱりわからなかった。
「まあ!」と、急に彼女は叫んだ。「あたしの足のところで何か動いているわ。何かしら? まあ! 汚らわしい動物だこと!」
それは、主人を探しにやってきたあのヤギだった。ヤギは、女のほうにぐんぐん進んでいこうとしたが、その角が、貴婦人がすわっていたときに足の上に垂れていた服の裾《すそ》にからみついて困っていたところだった。
これはまた、とんだ座興になってしまったが、ジプシー娘はなんとも言わずに、ヤギをほどいてやった。
「おや、まあ、この子ヤギは金の足をしているわ!」と、ベランジェールはうれしくなって、踊りあがって叫んだ。
ジプシー娘は、ひざをついてうずくまり、ヤギの頭にやさしく頬ずりしてやった。それはちょうど、こうしてヤギをほうっておいたことに対してお詫《わ》びを言っているようにみえた。
ディヤーヌのほうでは、コロンブの耳もとに顔をよせていたが、
「おや、まあ! どうしてあたしもっと早く気がつかなかったのかしら? この人、ヤギを連れているジプシー女よ。魔法使いで、そのヤギはいろいろと不思議な芸当をするっていう話だわ」
「あら、まあ、こんどはどうしたって、ヤギに芸当をさせて、その不思議な芸を見せてもらわなくっちゃ」と、コロンブが言った。
ディヤーヌとコロンブとは、勢いこんでジプシー娘にことばをかけた。「ねえ、あんたのヤギに何か芸当をやらせなさいよ」
「なんのことをおっしゃるのか、あたしにはわかりませんわ」と、踊り子は答えた。
「芸当よ、魔術よ、つまり魔法のことよ」
「なんだかさっぱりわかりませんわ」こう言って彼女は、「ジャリや! ジャリや!」と繰り返して言いながら、可愛らしい動物をなでてやるのだった。
と、そのとき、フルール=ド=リは、ヤギの首にぶらさがっている、刺繍のある皮の小さな袋に目をとめて、娘にたずねた。
「それ、なあに?」
娘は大きな目を彼女のほうに向けて、重々しく答えた。「これは、あたしの秘密なの」
〈あなたの秘密ってなんだか、ぜひ知りたいものだわ〉と、フルール=ド=リは思った。
しかしそのとき、貴婦人は不機嫌そうに立ちあがって、「そんなら、おまえさん。おまえさんもヤギも、踊らないんなら、いったいここに何しに来たの?」
ジプシー娘はなんとも答えずに、ゆっくり戸口のほうに進んでいきかけたが、戸口に近づくにしたがって、その足どりはまた重くなっていった。何か引きつけてはなさない磁石が彼女を引っぱっているようであった。
と、ふいに涙でぬれた目をフェビュスのほうに向けて、立ちどまった。
「おいおい!」と、隊長は叫んだ。「そんなふうにして行ってしまってはいかんよ。さあ、戻ってきて何か踊ってくれよ。ときに、きみ、きみはなんていう名まえだい?」
「エスメラルダ」と、踊り子は、彼から目をはなさずに言った。
このふう変わりな名まえを聞いて、若い娘たちのあいだからどっと笑い声がおこった。
「まあ、女にしちゃ恐ろしい名まえだわね!」と、ディヤーヌが言った。
「そらごらんなさい、魔女でしょ」と、アムロットが言った。
「ねえ、おまえさん、おまえさんのご両親は、洗礼の聖水盤の中から、おまえさんにそんな名まえを取り出したんじゃないんでしょう」と、アロイーズ夫人がもったいぶって叫んだ。
こうしているあいだに、しばらくまえから、ベランジェールは誰も気づかないうちに、菓子パンを持って、ヤギを部屋のすみのほうに連れていっていた。ほんのちょっとの間に、彼女とヤギとはすっかり仲よしになってしまい、彼女はもの好きにもヤギの首に吊るされている小さな袋をはずして、それを開き、中にはいっているものを敷物の上にあけてしまったのだ。それは、ひとつひとつの文字がそれぞれにツゲの木の小さな板の上に書きこまれている、ひと組のアルファベットだった。そのおもちゃが敷物の上に広がるか広がらないうちに、彼女が驚いたことには、ヤギはその金の足で、ある文字をひっぱって、それをそっと押しながら、ある特別な順序に正しく並べてしまったのである。これは、ヤギのやる奇跡のひとつだったのだ。しばらくすると、ヤギが書こうとしているようにみえたひとつのことばができてしまった。それほどヤギのほうでは、それを作るのにほとんどためらったようすもなかったのだ。ベランジェールはすっかり感心して、とつぜん手を叩いて叫んだ。
「フルール=ド=リのおばさま。ねえ、ヤギのしたことを見てちょうだいよ!」
フルール=ド=リは駆けよってきたが、身震いするほど驚いてしまった。床の上に並べられた文字を見ると、つぎのようなことばになっていたのである。
フェビュス
「このヤギがこれを書いたの?」と、彼女はたずねたが、声の調子まで変わっていた。
「そうよ」と、ベランジェールは答えた。もう疑うことはできなかった。子どもがこんなことを書くことは、とうていできなかったはずである。
「これがその秘密なのね!」と、フルール=ド=リはつぶやいた。そのうちに彼女の声を聞きつけて、みんなもやってきた。母親も、娘たちも、ジプシー娘も、それに士官も。ジプシー娘は、ヤギがとんだことをしでかしたものだと思った。彼女は顔を赤くしたり、青くしたりして、隊長の前でまるで罪人のようにぶるぶる震えだした。しかし彼のほうは、満足そうに、しかも驚いたようににやにやしながら娘のほうを見つめていた。
「フェビュスですって!」と、娘たちはびっくりしてささやいた。
「隊長さんの名まえじゃないの!」
「あんたは、なんてまあ、ものおぼえがいいんだろう!」と、フルール=ド=リはじっと身動きもしないでいたジプシー娘に言った。
それからどっと泣きだして、「まあ! この人は魔女だわ!」と、その美しい両手に顔をうずめながら悲しげにつぶやいた。すると、もっとにがい声が心のうちで自分にこう言っているのが聞こえた。〈これこそまさにライバルだ!〉
彼女は、気を失って倒れてしまった。
「まあ、娘や!」と、母親はおろおろして叫んだ。「さっさとお行き、このジプシーの畜生め!」
エスメラルダは、またたく間にこの不運な文字をひろい集め、ジャリに合図をして戸口から出ていった。
一方フルール=ド=リも、別なドアから連れ出された。フェビュス隊長はひとり残されたが、ふたつのドアのあいだで、どちらにしようかとしばらくためらっていた。が、やがて、ジプシー娘のあとにつづいて出ていった。
二 司祭と哲学者とは赤の他人
若い娘たちが北の塔の高みに見つけたあの司祭は、広場のほうに身を乗り出して、ジプシー娘の踊りを一心に見ていたが、それは事実、司教補佐のクロード・フロロであった。
みなさんは、この司教補佐が秘密の部屋を塔の中に持っていたことをお忘れではないだろう。(ついでに申し上げるならば、この部屋の内部が、今日《こんにち》でもまだ、四角な小さな天窓から見えるような光景と同じものであったかどうか、私は知らない。その天窓は、平屋根の上に、東向きに、人間の高さくらいのところに開いていて、その平屋根からいくつかの塔が立っている。この内部は、まさにひとつの小屋で、現在では、なんの飾りもなく、からっぽで、荒れはてたままだ。その壁は、ところどころ、石膏《せっこう》もはげているが、いまでも、大聖堂の正面玄関をかたどっているいくつかのまずい黄色の彫刻で、あちらこちらを≪飾られて≫いるのだ。この穴には、コウモリとクモとが競争で巣くっていて、そのために、ハエにとっては、絶滅する二重の戦いがおこなわれているものと思われる)
毎日、日の暮れるまえに一時間ばかり、司教補佐は塔の階投をのぼって、この小部屋に閉じこもり、ここで、ときによると幾晩もすごすことがあった。この日も、彼はこの小部屋の低い扉の前にやってきて、腰に下げている財布《さいふ》の中にいつでも持っている、小さな複雑な鍵を錠の穴に入れたところであった。
と、そのとき、タンバリンとカスタネットの音が耳もとに聞こえてきた。この音は、ノートルダムの広場から聞こえてきたものであった。この小部屋は、前にも述べたように、窓といっては、教会の寄棟《よせむね》に向いている明かりとりが、ただひとつあるだけであった。クロード・フロロは大急ぎで鍵を抜いた。そして一瞬の後には、塔の頂上に出ていた。そして、あの令嬢たちに見られたときのような、憂うつな瞑想に耽るような態度をしていた。
彼はそこで重々しい顔をして、身動きもせず、じっと娘のほうに目をむけ、物思いに沈んでいた。足もとにはパリ全市が横たわっていた。さまざまな建築物の尖塔が幾千となくそびえ立ち、柔らかな丘の起伏は、丸い水平線を描いていた。川は、橋の下をヘビのようにうねり、住民はまちの中を流れている。煙は雲のように、家々の屋根は連山のように幾重にも輪をなして、ノートルダムをとりかこんでいる。しかし、このまちの中で、司教補佐は石畳の一点、つまりノートルダムの広場しか目にはいらなかったのだ。また、この群集の中では、ただひとつの顔、つまりジプシー娘しか目にはいらなかったのである。
このようにじっと見つめていることが、どんな意味をもつものであったか、その目からほとばしり出る炎は、どこから来たものであるか、申し上げようとしても、それはまことにむずかしいことであっただろう。彼の視線は動かず、しかも苦痛と混乱との色がたたえられていた。全身は、風にそよぐ木のように、ときどき、かすかに無意識に身震いするばかりで、じっと身動きもせずにいたが、そうしたことや、また身をささえている欄干《らんかん》の大理石よりも固くなっているひじのようすや、顔をひきつらせている化石のような微笑を見ても、クロード・フロロの中には、まるでただ目だけが生きているばかりのようであった。
ジプシー娘はあいかわらず踊っていた。指先でタンバリンをまわして、プロヴァンスふうのサラバンド踊りをおどりながら、タンバリンを空中高く投げあげた。身も軽く、心も軽く、楽しげに。頭の上に真上からまっすぐにそそがれた恐ろしいまなざしの重さなどは感じていなかったのだ。
群集は彼女のまわりにアリのように集まっていた。ときおり、黄と赤の軍人用の長外套を着たひとりの男が、見物席に仕切りの輪をつくってはまた帰ってきて、踊り子から五、六歩はなれたところに置かれた椅子に腰をおろして、ひざの上にのせたヤギの頭を抱いていた。この男はジプシー娘の仲間らしかった。だが、クロード・フロロは、その立っている高い地点からは、この男の顔つきから誰であるかを見分けられなかった。
司教補佐がこの見知らぬ男に気がついてからは、その注意は踊り子とこの男との両方にそそがれ、そして彼の顔はますます憂うつになっていった。司教補佐は、とつぜん立ちあがって全身をぶるぶると震わせてつぶやいた。
「あの男はいったい何者だろうか? いままではいつでも、あの女ひとりだったが!」
やがて彼は、らせん階段を通って、また、丸天井の下におりて行った。鐘楼の扉の前を通ると、戸がなかばあいていたのでふと中を見ると、何を見いだしたのかぎょっとしてしまった。それはカジモドであった。彼もまた、大きな鎧戸《よろいど》のような形をしているスレートのひさしのすきまから、クロード師と同じように広場をながめていたのだ。
彼は深い物思いに沈んでいたので、養父がそばを通りかかったことには少しも気がつかなかった。野性的な目は異様な表情をしていた。それは、このうえもない喜びをたたえたやさしい目であった。
「不思議なことだ! やつがあんなにして見ているのは、あのジプシー娘かな?」と、クロード師はつぶやいた。けれども彼は、そのままずんずんおりていった。しばらくすると、司教補佐は心配そうなようすで塔の下のドアを開けて、広場に出ていった。
「あのジプシーの女はどうなりましたかね?」と、彼は、タンバリンの音にひかれて来ていた見物の群集の中にまぎれこみながら言った。
「知りませんな、あの娘はいましがた見えなくなりましたね。あの正面の家から呼ばれて、中でスペイン踊りでもしに行ったのでしょう」と、隣にいたひとりの男が答えた。
ついさっきまで、ジプシー娘が、唐草模様が見えなくなるほど気まぐれな模様を描きながら踊っていた、あの敷物の上には、もう彼女の姿は見えなかった。
司教補佐が行ってみると、そこにはもう赤と黄の軍人用の長外套を着た男だけしかいなかった。その男は、今度は自分もいくらか銭をもらおうと思って、腰に手をあてて頭を空に向け、顔を赤くしながら、首を突き出して、椅子を歯でくわえて、輪のまわりをぐるぐるまわっていた。その椅子の上には、隣の女が貸してくれた一匹のネコがしばりつけてあったが、驚いてギャーギャー鳴いていた。
「おや!」と、司教補佐は、この大道軽業師が玉の汗をかきながら、椅子とネコとをピラミッドのような格好にして前を通りすぎようとしたとき、叫んだ。
「ピエール・グランゴワール君じゃないか? そこで何をしているんだね?」
司教補佐のきびしい声を聞くと、この男は、可哀そうにひどいショックを受けたものか、全体の平均を失ってしまい、椅子とネコとはいっしょくたにごちゃごちゃになって、どっと起こったあざけりの声の中に、見物人の頭の上に倒れ落ちてしまった。
もしもクロード・フロロがついてこいという合図をして、混雑にまぎれて急いで聖堂の中に逃げこまなかったら、ピエール・グランゴワール先生は(というのは、この男はまさしく彼であったからであるが)ネコを貸してくれた隣の女や、ぐるりを取り囲んでいた人びとのうち、顔に打撲傷やかすり傷を受けた者たちみんなに対して、いやな詫び料を払わなければならなかったであろう。
大聖堂はすでに薄暗く、ひっそりとして人影もなかった。本堂のあたりも一面の暗やみであった。礼拝堂のランプは、星のように輝きはじめたが、それだけ逆に丸天井が暗くなった。ただわずかに、正面玄関の円花窓だけが入り日の光を受けて、影の中にまるでダイヤモンドの塊りのようにきらきらと輝き、そのまばゆい光を本堂のもう一方の端に反映させていた。
彼らが五、六歩も歩いたとき、クロード師は、とある柱によりかかって、じっとグランゴワールを見つめたが、その目つきは、グランゴワールが恐れていたような目つきではなかった。彼は自分がこのような道化役者の服装をしたところを、この重々しい、しかも博学な人物にふいに見つけられて、恥じいっていたのである。だが、この司祭の目つきには、べつに人をからかうような気持も、皮肉なようすも何ひとつ現われていなかった。彼は、まじめな、もの静かな、そして人の心を読みとおすような顔つきをしていたが、まずこの司祭のほうから言いだした。
「ここに来たまえ、ピエール君。いろいろとおたずねしたいことがあるんだがね。まずだね、きみは二カ月もまえから姿をくらましているなんて、いったいどういうわけなんだい? しかも、あの四つ辻で変ななりをして、まったくだよ、コードベック産のリンゴのように、赤と黄色の模様の服なんかを着こんで」
「先生」と、グランゴワールは哀れっぽく言った。「まったく、ものすごく異様な服装でございますな。ネコがヒョウタンをかぶったよりも、もっとお恥ずかしいものをお目にかけてしまいました。こんな軍人用の長外套の下で、ピュタゴラス派の哲学者ともあろうものの上膊骨《じょうはくこつ》を、夜警隊の連中に殴《なぐ》らせるなどということは、まことにはや、わたしの失策でございますな。しかし先生、どうもいたしかたのないことなのです。実は、わたしの昔からの上着が悪いのです。この冬のはじめに、わたしはこの上着がぼろぼろになってしまったので、くず屋のかごに休息させてやらなければならないと思って、売り払ってしまったのです。どうにもしかたのないことなのです。文明はまだ、昔ディオゲネス〔紀元前四世紀のギリシアの哲学者。物乞い生活をして、文化的生活を否定した〕がしようとしたように、人間がまっ裸で歩くことができるようなところまでは達していませんからね。
おまけに、とても寒い風は吹くし、一月という月は、人類にこの新たな一歩を踏みださせようとしても、なかなかうまくはいかない月ですからね。
そこに、この軍人用の長外套が現われ出ましたので、それを着ました。そしてまえの黒のぼろ服を捨ててしまったのです。あれは、秘≪密≫な研究をしているわたしのような錬金術師を、あまりぴたりと≪密≫閉してはくれませんでしたからね。そこでわたしは聖ゲネストゥスのように、大道芸人の衣装をつけているというわけなのです。どうにもしかたがありませんですな。ちょっと雲隠れというわけなのです。しかし、アポロンでも、アドメトスの家で、豚の番をしましたからね」
「ご立派な商売をはじめたものだな!」と、司教補佐は言った。
「ですが先生、哲学を研究したり、詩を作ったり、暖炉の火をおこしたり、あるいはまた、天上から火をさずかったりするほうが、大|楯《たて》の上にネコを乗せているよりもよいということは、わたしも承知しているのです。ですから、先生からふいに呼びかけられたときには、わたしはまるで焼き串回転器の前に出たロバのように、ばかにみえたことでしょう。しかし先生、どうにもしかたがないのです。その日その日をまず生きてゆかなければなりませんし、それに、どんな美しいアレクサンドラン〔十二音節の詩句〕の詩だって、歯の下にあってはブリー産のチーズのような価値があるというわけにはいきませんからね。
ところで、わたしは、フランドルのマルグリット姫のために、先生もご承知の、あの名高い祝婚歌を作りましたが、市当局は、それがあまり出来がよくないなどという口実をつけて、原稿料を払ってくれないのです。まるで、ソポクレスの悲劇に四エキュも払えばよいと思っているようなんですよ。ですからわたしは、腹がへって死にそうになったのです。ところが幸いなことに、わたしのあごは少しばかり丈夫だということがわかったので、あごに向かってこう言ってきかせたのです。
『何か力業《ちからわざ》か軽業をやってくれ。そして自分自身を養ってくれ。≪汝自らを養え≫』
友達になった大勢の宿なしどもが二十ばかりのいろいろな力業を私に教えてくれまして、いまじゃ、歯のやつが昼間のうちに汗を流してかせいだパンを、夜になると、毎日のように私は歯にやってしまうのです。要するに≪余は承認す≫ですな。それは、わたしの知的能力の悲しい使い方であるということは、わたしも認めているのです。それにまた、男子たるものは、タンバリンを叩いたり、椅子を歯でくわえたりなどして、一生を過ごすようにできているのではないということも存じてはいるのですが、しかし先生、生きるためにはそうもしていられないので、どうしても、かせがなければならないのですよ」
クロード師は黙って聞いていた。と、とつぜん、そのくぼんだ目は、鋭い、胸をつらぬくような表情を表わしたので、グランゴワールはそのまなざしにあって、魂の奥底まで見すかされたような気がした。
「なるほどピエール君、それもいいだろう。だが、どうして、きみはいったい、いまあのジプシーの踊り子といっしょにいるようになったのかね?」
「実は、あれはわたしの女房でして、わたしはあれの亭主というわけなのです」
司祭は、陰うつな目をぎらりと輝かせた。
「こいつめ、きさまは、そんなことをしでかしたのか?」と、彼は怒って、グランゴワールの腕をつかんで叫んだ。「きさまはあの娘に手をつけるなんて、それほど神に見放されたのか?」
「とんでもない、先生」と、からだじゅうを震わせて、グランゴワールは答えた。「誓って申しますが、わたしはけっしてあの女に指一本たりともふれたことがないのです。どうもその点がご心配なようですがね」
「それにしても、きみが≪亭主≫だとか≪女房≫だとか言っているのは、どういうわけなのだ?」
グランゴワールはできるだけ手短かに、みなさんがすでにご存じのこと、つまり奇跡御殿のできごとや、あの壷を割っての結婚のことについて、急いで彼に語った。それに、その結婚もまだなんの実りもないらしく、毎晩、あの初夜のように、ジプシー娘は、夫婦の夜のいとなみをすっぽかしているらしかった。
「じつに後口《あとくち》の悪い話でしてね」と、グランゴワールは最後に言った。「というのも、わたしが処女なんかと結婚してしまったのが運のつきなのですかな」
「いったいそれがどうしたというのだね?」と、司祭は話を聞いているうちに気も静まってきて、こうたずねた。
「曰《いわ》く言いがたしですな」と、詩人は答えた。「迷信なのですね。わたしたちの仲間でエジプト公とよばれている老盗賊がわたしに語ったところによりますと、わたしの妻は拾い子なのです。いや捨て子なのです。どっちにしても同じことですが。妻は、お守りをひとつ首にかけておりますが、それは、人の話によると、たしかにそれをかけていると、いつかは自分の両親にめぐり会えるのだそうで、もしもあの娘が操《みさお》を破れば、その霊験《れいげん》もなくなってしまうというのです。というような次第で、わたしどもはふたりとも、ずっと純潔のままでいるというわけなのです」
「というと、ピエール君、きみは、娘がどんな男にもよりつかなかったと思っているのだね?」と、クロードは言った。彼の顔は、しだいに晴れやかになっていった。
「クロード先生、迷信に対しては、一個の男子もどうにもなりませんよ。あの女は、迷信にこり固まっているのですからね。まったく御《ぎょ》しやすい、ああいうジプシー娘たちの中にいて、あんなふうに頑強に、修道女のように処女をまもっているなんてことは、たしかに珍しいものだと思いますよ。
しかし、あの女は自分を保護してくれるものとして、三つのものを持っているのです。第一にエジプト公で、あれがあの女を保護しているのですが、おそらく司祭さまか誰かにでも売りとばすつもりでしょうな。それに、あの女の集落の者がみんな、あれをまるで聖母のように、不思議なほど尊敬しているのです。第三には、警察では禁じられているのに、小さな短刀をひとふり、いつでも肌身はなさず体のどこかに持っているのです。あの女の体に抱きつこうものなら、さっとそれを抜いてみせるのです。とてつもないスズメバチなんですな、まったく!」
司教補佐は、グランゴワールにしつこく質問の矢を浴びせかけた。
エスメラルダは、グランゴワールの察するところによると、罪のない可愛い娘で、その特徴であったふくれっつらさえなければ、美人でもあった。うぶで、しかも情熱的な女で、まるで無学ではあったけれども、なんにでも夢中になって信ずるというたちであった。まだ男と女との区別など夢にも知らず、つまり、なんといっても、踊りとにぎやかさと大空とに夢中になっているように、まあ、こんなふうにできていたのである。まるでミツバチとでもいったように、足には目に見えない翼でもはえているのか、うずまく人の群れの中で生きている女であった。
彼女のこういう性質は、彼女がずっと送ってきた放浪の生活からきたものであった。グランゴワールは、彼女がごく子どものころに、スペインやカタルーニャや、シチーリアの果てまで、さまよったことがあることを知った。彼女は自分がその一員として、ジプシーの仲間に連れられてアルジェの王国までも行ったことがあるらしい。このアルジェの国は、アカイアにある国で、アカイアの国は、そこで、一方はアルバニアとギリシアとに接し、またもう一方は、コンスタンチノープルへの道であるシチーリアの海に接していた。
グランゴワールの言うところによれば、ジプシーというのは、アルジェの国王の臣下で、このアルジェの国王はまた、マウル人の中にいる白人の酋長《しゅうちょう》という資格をそなえていたのである。たしかなところでは、エスメラルダは、まだごく小さいころに、ハンガリーをへて、フランスに流れこんで来たということである。
この娘は、こうした国々をすべて歩きまわってきたので、その国々の気まぐれな方言や、異国の歌や考えを覚えてきたのだ。だから娘のことばには、その衣装が半ばパリっ子のようで、半ばアフリカふうであるのと同じように、何かしらごちゃごちゃとまじったところがあった。そのうえ彼女は、なじみの町内の人びとから、快活だとか、やさしいとか、身のこなしが活発であるとか、また踊りや歌がうまいとかというので可愛がられていた。まちじゅうで彼女が憎まれていると思いこんでいるのは、たったふたりだけしかなかったが、彼女がそのふたりの話をするときには、よく恐ろしそうに話すのだった。そのひとりはロラン塔の≪おこもりさん≫で、この因業《いんごう》なおこもりさんは、ジプシー女に対して何かしら恨みをもっていて、この哀れな踊り子が明かりとりの前を通りかかるたびに、口ぎたなく罵《ののし》るのだった。もうひとりは司祭で、この男は、彼女の顔さえ見れば、かならずものすごい目つきをしてどなりちらしたので、彼女はそれがとても恐ろしかったのだ。
このあとのほうの話を聞くと、司教補佐はとてもうろたえたようだったが、グランゴワールは、彼の困ったようすにはたいして注意も払わなかった。なにしろもう二カ月もたっており、この詩人は、ものにこだわらないたちだったので、自分がジプシー娘に出あったあの夜のできごとのこまかいことや、この司教補佐がその場にいたなどということは、すっかり忘れてしまっていたのである。ともかく、踊り子のほうでは、なんにも恐れてはいなかったのだ。彼女は占いをするわけではなかったから、ジプシーの女がとかく言われがちな魔女という非難を受ける覚えはなかった。それに、グランゴワールは、踊り子の夫にはなれなかったが、彼女にとって、兄としての位置はしめていた。
とにかく、この哲学者は、辛抱強く、一種のプラトニックな結婚とでもいうようなものをじっとまもっていたのである。こうしていれば、いつでも住居とパンにはありつけた。毎朝彼は、たいていこのジプシー娘といっしょに宿なしどもの巣を出て、辻に立ち、小銭をもらい集める手伝いをして、夜になるといつでも、いっしょにもとの屋根の下に帰ってくるのだった。そして彼女を彼女の部屋に入れてかんぬきをしめさせて、自分は謹厳《きんげん》な眠りをとるのであった。
なんといっても、彼の言うところによると、非常に快適な夢想に耽るにはもってこいの生活であった。そのうえ、彼の魂や良心についていうならば、この哲学者は、ジプシー娘にそれほどぞっこん惚《ほ》れ込んでいるというのでもなかった。彼は娘とほとんど同じくらいにヤギを可愛がっていた。このヤギは、まことに可愛らしく、やさしく、りこうな、また目から鼻へ抜けるような賢い動物であった。中世では、こんなような、人びとを感心させるりこうな動物は、べつに珍しくもなかったが、その芸を教えこんだ者は、よく火あぶりの刑に処せられたのだった。しかし、金色の足のヤギが魔法を使ったところで、それはなにもたいした罪のあるいたずらではなかった。
グランゴワールは、こういうようなことを司教補佐に説明したのであるが、司教補佐のほうでは、こういうこまかなことにとても興味を感じているようであった。たいていの場合、ヤギの前にいろんなふうにタンバリンを差しだしてやるだけで、ヤギは人びとが望むおかしなしぐさをするのだった。このヤギは、ジプシーの娘からこんなふうにしこまれていたのだったが、娘はこういうこまかなことに、珍しいほどの才能をもっていたので、ヤギにばらばらの文字板で「フェビュス」ということばを書くことを教えるのに、二カ月もあればじゅうぶんだった。
「フェビュスだって! なぜフェビュスというのだ?」と、司祭はきいた。
「知りませんな」と、グランゴワールは答えた。「それはおそらく、あの女が、何か魔法の秘密の力が与えられていると思っていることばなのでしょうな。あの女は、自分がひとりでいると思っているときには、よく小声でこのことばを繰り返しているのですよ」
「たしかにそれは、ただのことばにすぎないのかね? それは人の名前じゃないだろうな?」と、クロード師は、心を見すかすような目つきをして言った。
「誰の名前なんですか?」
「そんなこと、わしが知っているかね?」
「先生、わたしの想像したところによりますとね、あのジプシーたちは、多少ザラスシュトラ(ゾロアスター)教徒的なところがありましてね、太陽を崇拝しているらしいですな。それで、フェビュスと言うのでしょう」
「わしには、きみほどはっきり、そうとは思われぬな、ピエール君」
「とにかく、そんなことはどうでもいいことですよ。あの女がかってに、フェビュスとつぶやいていればいいのです。そんなことよりもジャリのほうが、あの女とほとんど同じくらいに、もうわたしのことが好きなんですよ」
「そのジャリというのはなんだね?」
「ヤギのことですよ」
司教補佐は頬づえをついてしばらく夢想に耽っていたようであったが、とつぜん、急にグランゴワールのほうに向きなおって、「すると、きみはたしかにあれには触れなかったのだね?」
「誰に? ヤギにですか?」
「いや、あの女にさ」
「妻にですか! 断じて触れませんよ」
「きみはたびたび、あの女とふたりきりでいることがあるかね?」
「毎晩ですよ。一時間たっぷり」
クロード師は眉をひそめた。
「いやいや! ≪男女|褥《しとね》を同じゅうすれば、ともに『われらが父よ』などと、祈るとは考えられぬ≫」
「でもたしかに、言えとおっしゃるならば≪父よ≫とでも、≪アヴェ・マリア≫とでも、≪全能の父なる神を我は信ず≫とでも言えますよ。あの女は、わたしのことになんか、気をつけていないんですからね。めんどりが教会のことなんか考えないのとおんなじにね」
「なんじの母の胎《はら》にかけて誓え、≪あの女に指一本たりとも触れなかった≫と」と、司教補佐は荒々しく繰り返した。
「おやじの頭にかけてだって誓いますとも。だって、おやじの頭とおふくろの腹とには、だいぶねんごろな関係がございますからな。ところで先生、今度はわたしのほうからひとつ、おたずねしたいことがあるのですが」
「なんだね、言ってごらん」
「いったい、そんなことをきいて、どうなさるのですか?」
司教補佐の青ざめた顔は、若い娘の頬のように赤くなった。彼はしばらく返事をしないままでいたが、やがて、いかにも迷惑そうに、「まあ聞いてくれ、ピエール・グランゴワール君。わしの知っているところでは、きみはまだ堕落してはいないようだ。わしは、きみのことはいろいろ気にもかけているし、よくしてやりたいとも思っているのだ。だがな、あの悪魔のジプシー娘にほんのちょっとでも手を触れたら、きみはサタンの家来になってしまうぞ。きみも知っているだろうが、魂を滅ぼすものは、いつでも肉体なのだ。あの女に近づいたら不幸が襲いかかるぞ! 話というのはそれだけだ」
「私は、一度は、しようと思ったのですよ。それははじめての日のことでした。ところが、みごとにふられてしまいましたよ」と、グランゴワールは、耳をかきかき言った。
「そんなあつかましいことをやったのか、ピエール君」
司祭の顔は、ますますくもった。
「それからもう一度あったのですよ」と、彼はにやにやしながら言った。「寝るまえに、鍵穴からのぞいて見たのですが、肌着一枚でいる、えもいわれぬ女の姿を見ちゃったというわけでね。あの女の素足の下では、ベッドの革帯もギュッといいだすくらいでしたな」
「悪魔にでも食われてしまえ!」と、司祭は恐ろしい顔をして、どなった。そして、すっかりびっくりしているグランゴワールの肩を突きとばして、彼は大股に、大聖堂のまっ暗なアーケードの下へ消えていった。
三 鐘
さらし台の刑があった朝からこのかた、ノートルダムの付近に住む人たちは、カジモドの打ち鳴らす鐘の熱意がいちじるしくさめてきたのに気がついていた。いままでは、何かにつけて鐘の音が聞こえてきたものであった。朝の一時課から終課のときまで、長い朝奏楽《ちょうそうがく》を奏《かな》でつづけていることもあれば、大ミサの日といえば、鐘楼からは鐘の音が響き、また結婚式や洗礼式の日のは、小さな鈴を振って、ゆたかな音階を奏でて鳴りわたったものであった。そして空中には、ちょうど刺繍模様のように、妙《たえ》なる音という音が縦横に入りまじるのであった。
この古びた大聖堂は、そのときにはまったく打ち震え、鳴り響き、たえまのない鐘の歓喜に包まれていた。そこにはたえず、響きや狂想曲の精霊があって、銅のあらゆる口を通ってその精霊がうたっているように感じられた。だがもう、その精霊も姿を消してしまった。大聖堂は元気のないようすで、ことさらに沈黙をまもっていた。祭礼にも葬式にも儀式という名にせまられてただわずかに、ひからびたように、素気《すげ》ない鐘の音が響くにすぎず、ただそれだけになってしまった。いままでは、大聖堂では、その内部からはオルガンの、外部では鐘の、このふたつの響きがあったのであるが、いまでは、オルガンの音だけとなってしまった。もう鐘楼の中には、音楽家がいなくなったかのようであった。とはいうものの、カジモドはあいかわらずそこにいたのである。
それならば、彼の心の中にはいったいどんなことが起こったのであろうか? さらし台でなめた恥辱と絶望とが、まだ心の奥底に残っていたのであろうか? 刑の執行人の鞭がまだ魂の中でたえず打ちつづけていたのであろうか? それとも、あのようなむごい取り扱いを受けた悲しみのために、彼の心に、鐘に対する情熱までも、すべてのものが消え失せてしまったのであろうか? また、このノートルダムの鐘番の心に、マリーにとってのライバルでもできたのであろうか? そしてこの大きな鐘も、その十四個の妹鐘も、ほかのもっと愛するもの、美しいもののために、すっかり見捨てられてしまったのであろうか?
とかくするうちに、紀元一四八二年に、お告《つ》げの祝日は、三月二十五日の火曜日に行なわれることになった。その日は、空も晴れわたり、さわやかな日であった。カジモドも鐘への愛情がふたたびよみがえってきたように感じられた。彼は、北の塔へのぼっていった。下では大聖堂の小役人が、扉をすっかりあけはなっていた。その扉は、当時皮をはったがんじょうな木でできた、大きな鏡板で作られていて、ふちには金でめっきした釘が打ちつけられてあり、≪いとも念入りに作りあげられた≫彫刻がほどこされてあった。
鐘の吊ってある高いやぐらの上にのぼりきると、カジモドはしばらくのあいだ、まるで心の中でその鐘と自分とのあいだに、何かえたいの知れないものがはいってきて、うなり声をたてているかのように、悲しげに首を振りながら、六つの鐘をながめていたが、やがて鐘を鳴らしはじめた。鐘の房が彼の手につれて動きはじめたように感じられた。
ふと見ると、というのは耳が聞こえないからであるが、オクターヴはおどりあがるように、まるで技から枝へと飛びはねる鳥のように、よく響きわたるこの階段の上をのぼったりおりたりしていた。音楽の魔神、ストレッタや顫音《せんおん》やアルペジオの輝くばかりの束を揺りうごかしているこの魔神は、この哀れな、耳の聞こえない男の心を奪ってしまった。そのとき、彼はふたたび以前の幸福をとり戻したのだ。すべてを忘れ、心は晴ればれとして、顔色もほがらかになった。
彼はそこらを行ったり来たりして、手を叩いては綱から綱へと走りまわった。まるで、たくみな音楽の名手を励ましているオーケストラの指揮者のように、声や身ぶりで六個の歌手を鼓舞するのだった。
「さあ行け、ガブリエル、おまえの響きをみんな広場にぶちまけてしまえ、きょうはお祭りだ。……チボー、なまけちゃいかんぞ。にぶったぞ。さあ、行け! 弱ったのか? なまけ者め。そらよし! 速く、速く! 鐘の舌が見えないくらいにな。みんなを、おれみたいに耳がきこえなくしてしまえ。……そうだ。チボー、偉いぞ! ギヨーム、ギヨーム! おまえがいちばん大きいのだ。パスキエはいちばんちっぽけだ。だがパスキエがいちばんうまいぞ。聞いているのはおればかりじゃないぞ。たしかにみんなも聞いているぞ。……よし、よし! ガブリエル、がんばれ! もっと強く!……おや! そこの高いところで何をしているんだ。おまえたち二羽は? スズメのやつだな。ちっとも音をたててはいないじゃないか。……鳴らなけりゃならないときにあくびばかりして。その銅のくちばしはいったいなんだ? さあ働け、働け! お告げの祝日だ。お日さまは輝いているし、鐘は鳴らさなけりゃならんのだ。……おいおい、ギヨーム! 息が切れたか、このでかぶつめ!」
彼は一心不乱に鐘を励ましていたが、鐘は六つともわれ劣らじととびはねて、ちょうど御者《ぎょしゃ》に叱られながらあちこちをつっ突かれているスペインのラバの騒がしい行列のように、ぴかぴか光る尻を左右に振っていた。
そのときとつぜん、鐘楼の垂直の壁をある高さまでおおっている広いスレートの瓦のあいだからひょいと視線を落とすと、広場の中に、異様な身なりをした若い娘がひとり目についた。その娘は、立ちどまって地面に敷物を広げると、一匹のヤギがやってきてそこに乗った。するとそのまわりに、一群の見物人がまるく集まってきたのだ。この光景を見ると、彼の考えはすっかり変わってしまった。そしてその音楽への熱意は、どろどろになった樹脂が一陣の涼しい風にあって固まってしまうように、凍りついてしまった。彼は立ちどまって、鐘楼のほうに背を向けた。そして夢見るような、やさしくおだやかな視線を、いつか司教補佐を驚かせたことがあったその視線を、踊り子の上にじっと注いだまま、スレートのひさしのうしろにうずくまった。そうしているうちに、忘れ去られた鐘の響きは同時に消えてしまったので、シャンジュ橋の上から鐘の音《ね》に喜んで聞き惚れていた人びとは、すっかり失望してしまった。そして、まるで骨を見せつけられて実は石ころをもらった犬のようにがっかりしてたち去ってしまった。
四 宿命
たまたま同じ三月のある晴れた朝のこと、たしかにそれは二十九日の土曜日で、サン=トゥスターシュの祭りの日であったと思うが、例の若い学生の風車場のジャン・フロロは、服を着ようとしてズボンをさぐってみると、銭のチャラチャラいう音が全然しないことに気がついた。「ちぇ、貧しい財布だ!」
こう言いながらポケットから財布をとり出した。「ちえっ! 一文なしときてやがる! さいころとビールのつぼとヴィーナスの女神とが、おまえを残酷にもからっけつにしやがったんだな! どうだい、空っぽで、しわくちゃで、それにペショペショになったおまえのざまは! まるでヒステリー女ののどみてえじゃねえか! もしもし、キケロさまに、セネカさま、あなたがたのお作りになったご本が、床の上にすっかりひからびて散らばっていますがね、ちょっとおたずねしたいことがあるんですよ。ぼくがサイコロばくちですっちまって、びた銭一枚も持っていないとしたら、王冠模様の金貨一エキュは、パリ金の二十五スー八ドニエで三十五アンザンにあたるとか、また三日月模様の金貨一エキュは、トゥール銀貨で二十六スー六ドニエで三十六アンザンにあたるなんてことを、造幣局長やシャンジュ橋のユダヤ人よりもよく知っていたって、それがなんになるっていうんですかね! ねえ! 執政官のキケロさま! この災難は、迂言法《ペリフラーズ》をつかったり、ラテン語で『と同様に』とか『しかし実際は』なんて言ったりして、それで逃がれられるというしろものじゃないんですよ!」
こう言って彼は悲しげに着物を着た。編上げ靴の紐を結んでいると、ふとある考えが頭をかすめた。だが、それを振りはらった。しかし、またその考えが浮かんでくるのだった。チョッキを裏返しに着てしまった。それは心の中で激しいたたかいが行なわれている証拠であった。とうとう帽子を乱暴に地べたに叩きつけて叫んだ。
「ちえ、くそっ! どうにでもなれだ。兄貴のところに行ってやれ。お説教もくうだろうが、一エキュぐらいにはありつけるだろう」
こう言って彼は、大急ぎで毛皮のへりのついた外套を肩にかけ、帽子をひったくり、やけくそになって出て行った。
彼は|中の島《シテ》をさして、アルプ通りをどんどんあるいていった。ユシェット通りをとおりすぎると、そこでたえずぐるぐるまわっている焼き串の匂いが嗅覚《きゅうかく》をくすぐった。彼は、昔コルドリエ会の司祭カラタジローネに、「まことに、焼肉屋は人の心を酔わせるものかな!」という悲壮な感慨をもらさせた、大きな焼肉屋のほうに色目を送った。しかしジャンは、朝飯をとる金もなかったのだ。彼は、がっかりして溜息をつきながら、|中の島《シテ》の入り口をまもっている、大きな二重のクローバ形の塔になっているプチ=シャトレ裁判所の門をくぐった。
誰でも、ペリネ・ルクレールの像の前を通るときには、そのいやらしい像に石を投げつけるのが習慣になっていたのだが、彼には、いまこの習慣のように、石を投げつける余裕もなかった。このペリネ・ルクレールという人物は、パリをシャルル六世からイギリス人に売ったという罪で、その像が、顔には石を投げられて傷つけられたり、泥だらけにされたりしながら、三世紀のあいだ、アルプ通りとビュシー通りとのかどに、まるで永遠のさらし台にさらされているように、その罪のつぐないをしていたのである。
プチ橋をとおり、ヌーヴ=サント=ジュヌヴィエーヴ通りも一気にかけぬけて、ジャン・ド・モランディノは、ノートルダムの前へやってきた。このとき、ふと、はたしてうまくいくかな、という気がしたので、「お説教をくうことはたしかだが、金のほうは怪しいぞ!」と、にがにがしげに繰り返しながら、しばらく≪|灰色どの《ル・グリ》≫の彫像のまわりをぶらぶらしていた。
おりから修道院から出てきた教会の番人をつかまえて、「ジョザの司教補佐さまはどこにおいでになりますでしょうか?」ときいた。
「たしかに、塔の小部屋においでになると思いますよ」と番人は言った。「だけど、あなたが法王さまか国王さまのような人のお使いでおいでになったのならばともかく、そうでなければ、あのかたのおじゃまは、なさらないほうがよろしいと思いますね」
ジャンは手を打って、「こいつはうめえ! あの有名な魔法の部屋というやつを見るには、素晴らしいチャンスだぞ!」
こんなことを考えて、いよいよ決心がついたので、思いきって黒い小門をくぐってはいっていった。そして、塔の上まで達しているサン=ジルのらせん階段をのぼりはじめた。
「いまに見てやるぞ!」途中で彼は心に叫んだ。「しめしめってんだ! あの兄貴の司祭が、まるで恥ずかしいものででもあるみたいに隠しているその部屋というのは、きっと珍しいものに違いないんだ! 噂《うわさ》によると、兄貴のやつ、そこで地獄のかまどの火をたいて、そのでっかい火で化金石を煮ているのだそうだ。なあに、かまうもんか! 化金石だって、おれにとっちゃ石ころ同然さ。世界じゅうでいちばん大きな化金石なんかよりも、かまどの火にかけて豚の脂肪でいためた、復活祭の卵のほうがよっぽどいいや!」
小柱の回廊までくると、ほっと息をついた。そして無限につづく階段に対して、幾百万とも知れぬ悪態のありったけを並べて呪ってみたが、やがてせまい戸口をくぐって、今日では一般の出入りが禁じられている北側の塔にのぼっていった。鐘楼を通り抜けてからしばらく行くと、横手のくぼみに作られている小さな踊り場に出た。その丸天井の下には尖頭《せんとう》アーチの低い門があって、その明かりとりの小窓は、階段の丸い壁の正面にくりぬかれてあるが、そこからは大きな錠まえと鉄の丈夫な骨組とが見えた。今日でも、物好きな人があってこの門を見たいと思うならば、黒い壁に白い文字で≪余はコラリーを熱愛する。一八二三年。ウジェーヌ記す≫と彫りこんであるこの銘を見いだしさえすれば、すぐにそれとわかるであろう。≪記す≫というのも、ちゃんと書いてあるのだ。
「おっと! ここに違えねえ」と、彼は言った。
鍵は錠まえに差しこんであったが、ドアはぴしりと閉ざされていたわけではなかった。そっとドアを押して、そのすきまから顔を少しつっこんだ。
みなさんがたのうちに、絵画のシェイクスピアといわれるレンブラントの素晴らしい作品を、少しでも見たことがないという人はいないであろう。その多くのみごとな絵画のうち、特別にひとつ、ファウスト博士を描いていると推察されているエッチングがある。
これは、じっと見つめていると、かならず目がくらむというほどのものであるが、これは、うす暗い小部屋を描いたものだ。その真中には、どくろだの、地球儀だの、蒸留器《ランビキ》だの、コンパスだの、象形文字の書いてある羊皮紙だの、さまざまな気味の悪い品物が積み重ねられた机がひとつある。博士は、厚い外套を着て、毛皮の帽子を目深にかぶって、この机の前にいる。彼の姿は半分しか見えない。大きな肘掛け椅子から半身をのり出し、こぶしを固く握りしめて、机の上にのせ、好奇心と恐怖の気持をいだいて、魔法の文字の形をした大きな光の輪をじっと見つめている。その輪は、うす暗い部屋の奥の壁の上に、太陽のスペクトルのように光っているのだ。この神秘的な太陽は、目には震えているように見えて、その不可思議な光線で、この青白い室内を照らしている。このさまは、恐ろしいが、また美しいものだ。
ジャンが、半ば開いたこのドアから首をつっこんでみると、彼の目に映った光景は、ちょうどこのファウストの部屋にそっくりな光景であった。ここも、同じように陰気で、ほとんど日の射さない奥の片隅であった。この小部屋にもまた大きな肘掛け椅子や大きな机、コンパス、蒸留器《ランビキ》があり、天井からは動物の骸骨《がいこつ》がぶらさがり、床には地球儀がひとつころがっていた。馬の頭が広口びんといっしょくたにごろごろしており、その広口びんの中には金箔が揺れている。さまざまな図形や文字が乱雑に書かれている子牛のなめし皮の上には、どくろが置かれてあり、部厚い写本は、羊皮紙の角《かど》がいたむのもかまわずに、開いたままで、積み重ねられていた。要するに、学問の≪ごみ≫がすべて、いたるところに、ほこりやクモの巣をかぶって、雑然とちらかっていたのだ。だがそこには、光を発する文字の輪も、またちょうどワシが太陽を見つめているように、きらきらと火のように輝く幻影を、われを忘れてじっと見ている博士の姿も見あたらなかったのだ。
そうはいうものの、この小部屋には、誰もいないというのではなかった。そこにはひとりの男が肘掛け椅子に腰をおろして、机にもたれていた。その男は、ジャンのほうに背を向けていたので、ジャンの目には肩と頭のうしろだけしか見えなかった。しかし、そのはげた頭を見れば、わけなく、男が誰だかわかった。その頭は、まるでこの外形的象徴によって、嘘いつわりなく司教補佐の司祭としての天職を示そうとでもするように、自然が永遠に剃髪《ていはつ》させたものであった。
ジャンは、この男が兄であることを知ったのであるが、ドアが静かに開かれたので、クロード師は弟が来たことには少しも気がつかなかった。ジャンはこれ幸いと、もの珍しそうにしばらくのあいだ、ゆっくり部屋の中を見まわした。すると、はじめは気がつかなかったのであるが、大きなかまどが、明かりとりの下の、肘掛け椅子の左側にあった。この明かりとりからは日の光が射しこんで、まるいクモの巣をとおしてはいりこんでいた。クモは尖頭《せんとう》アーチの明かりとりの中に、優雅な円花窓《えんかそう》の模様を上手に描いていて、この建築家である虫は、ちょうどレースの輪のまん中にいるように、明かりとりの中央にじっと動かずにとまっていた。かまどの上には、ありとあらゆる種類の器や、砂岩製の瓶や、ガラスの蒸留器や、炭のはいった首の長いフラスコが、乱雑に積みかさねてあった。ジャンは、鍋《なべ》がひとつもないのを見て、溜息をつき、「台所道具は、ひとつもないときてやがる」とつぶやいた。
そのうえ、かまどの中には火の気もなかった。よほどまえから火もたかないらしかった。いくつかの錬金術の道具のあいだで、ジャンの目にふれたのは、ひとつのガラスの仮面で、それはたしかに司教補佐が何か恐ろしい物質を調合するときに、顔を保護するのに使うものに違いないのだが、部屋のすみに、ほこりにまみれて、忘れられたかのように置いてあった。そのそばには、これも同じように塵《ちり》にまみれて、≪ふいご≫がひとつころがっていた。
そのふいごの表面には、つぎのような銘《めい》が銅の文字でちりばめられていた。「吹け、望め」
壁の上には、錬金術者の流儀にしたがって、ほかのいろいろの銘が書きこまれてあった。インクで書かれているものもあるし、また金具の先で彫りこまれているものもあった。そのうえ、ゴチック文字のものもあり、ヘブライ文字、ギリシア文字、ローマ文字と、ごちゃごちゃに書かれてあった。それらの文字は、ところきらわずに書きちらされて、さらに書かれた文字を消しては、また新しく書きこまれたものもあって、みんな、まるでイバラの枝のようだといおうか、また混戦のときの槍先のように、たがいにもつれ合っていた。
それはまさに、あらゆる哲学、あらゆる夢想、あらゆる人知が入り乱れている大乱闘であった。槍の穂先のあいだに、ちょうど一本の軍旗のように、他のものより群をぬいて光っているものが、そこここにあった。それらは、概して中世によく書かれていたような、ラテン語やギリシア語で書かれた短い銘句であった。たとえば、≪いずこより来るか? しかしてそこからは?≫……≪人は人にとりて怪物なり≫……≪星、陣営、名称、神意≫……≪偉大なる書物、大いなる悪≫……≪進んで知れ≫……≪風はおのれが好む所を吹く≫……などであった。ときには、≪闘技者の食事のごとく強いられる食餌療法《レジーム》≫というように、表面だけ見たのでは、なんらの意味をもっていないものもあった。おそらくこれには、僧院の制度《レジーム》に対する苦々《にがにが》しいあてつけが隠されているのであろう。
またときには、≪天なる主を、主《ドミヌム》と唱え、地なる主を弟子《ドムヌス》と唱えよ≫というような正調の六脚詩句でつくられた聖職者の規律の簡単な金言もあった。また≪そこここに≫ヘブライ語のむずかしい呪文《じゅもん》もあったが、ジャンはギリシア語でさえもほとんどわからないのだから、こんなことは、全然わからなかった。みんな、星や、人間の姿や、動物の形や、相まじわる三角形などが入り乱れて、そのため、その部屋のらくがきだらけの壁は、まるでサルがインクのついたペンを振りまわしたともいえるような一枚の紙に似ていないこともなかった。
そのうえ、部屋全体のありさまは、いかにも放っておかれたままで、破損されたままになっているようなようすを表わしていた。さまざまな器具がすっかり悪くなったままになっている状態を見ると、この部屋の主人は、もうかなり以前から、何か別な問題に気を奪われて、自分の仕事をなおざりにしていたことが想像される。
さて主人は、奇怪な絵で飾られた大きな写本の上にかがみこんで、瞑想《めいそう》の中にたえずまぎれこんでくるひとつの物思いに悩まされているようにみえた。少なくとも、その主人が、何か深く思い悩んで、ときどきうわごとのように叫んでは、また瞑想に耽っているようすを見て、ジャンはこう判断したわけであった。
「そうだ、マヌー〔インド神話中の、人類の先祖と考えられている神〕もそう言ったし、ザラスシュトラもそう考えている。太陽は火から生まれ、月は太陽から生まれたのだ。火こそ、偉大な万物の魂だ。そのもとになる原子は、たえず全世界の上にあふれ出て、無限の流れをつくって流れている。この流れが天上でおたがいに交わるところに、光が生ずる。そしてまた、地上で交わる点に、金を生ずるのだ。……光というも、金というも、つまりは同じものなのだ。火から固形の状態になる。……目に見えるものと手に触れられるもの、同じ物質であるのに、流体と固体、水蒸気と氷との差で、それ以上の何物でもないのだ。……これは断じて夢ではない。……自然界一般の法則なのだ。……しかし、この一般の法則の秘密を、科学の中から引き出すためには、どうしたらいいのだろうか?
おや、わしの手の中にあふれているこの光、これこそ金なのだ! なんらかの法則によって膨張《ぼうちょう》した、この同じ原子を、なんらかの他の法則によって凝結《ぎょうけつ》さえすればよいのだ!……しかし、どうすればよいのか?……ある人びとは、太陽の光を地にうめようと考えてみた。……アヴェロエス……そうだ、アヴェロエスだ。……アヴェロエスは、光のひとつをコルドバの回教の大寺院で、コーランの聖殿の左から第一番目の柱の下にうめた。だが、その実験が成功したかどうかを見るためには、八千年ののちにならなければ、地下の穴を掘ることができないのだ」
「ちえ、いやになるな! 一エキュをもらうのに、なんて待たせやがるんだ!」と、ジャンは小声でつぶやいた。
「……シリウスの星の光で実験したほうがよいと考えた者もあった」と、司教補佐は夢見る人のようにつづけて言った。「しかし、ほかの星が同時にそこにまじってくるから、その存在によって、この純枠な光を得ることはすこぶるむずかしいな。フラメルは、地上の火で実験するほうが簡単だと信じている。……フラメル! おお、そうだ、宿命で予定されている名まえだ。『焔《フランマ》!』そうだ、火だ。それで万事解決だ。……ダイヤモンドは炭の中にある。黄金も火の中にあるのだ。……だが、どうしてそれを中からひき出すか? マジストリは、非常にやさしくて、神秘的な魅力をもった女性の名まえを実験の最中にとなえさえすればよい、そういう名まえが存在するのだ、と確信して言っている。……マヌーがなんと言っているか、読んでみよう。『女性が尊敬されている国では、神々の喜びがあり、軽蔑されている国では、神に祈ってもむなしい。……女性の口はつねに清らかで、それはまさに流れる水だ、また、太陽の光だ。……女性の名は、心地よく、甘美で、架空のものである。長い母音で終わり、祝祷《しゅくとう》のことばに似ている。……』そうだ、賢人の説くところ、まさに道理だ。まったくマリアといい、ソフィアといい、エスメラル……これはいかん! いつもこんなことを考えていては!」
こう言って、彼はパタンと書物を閉じた。
彼は、頭にしつこくつきまとう考えを追い払いたいというような調子で、額に手をあてた。それから、机の上の釘と小さな金槌《かなづち》とを手に取った。その金槌の柄《え》には珍しく神秘哲字の文字が描かれていた。
「このあいだから、わしはあらゆる実験を試みたが、どれも失敗している!」と、苦笑いをしながら言った。「これと思いこんだやつが、どうしてもわしの心を離れんのだ。まるでクローバ形の火のように、この頭を悩ましている。あのランプが芯《しん》も油もないのに燃えるという、カシオドルス〔五世紀ごろのローマの政治家で著述家〕の秘密をさぐることだけができないのだ。簡単なことなのであろうが!」
〈ちえっ、畜生!〉と、ジャンは、腹の中で言った。
「……たったひとつのつまらない考えで、もう人間は、弱く、気ちがいのようになってしまうものなのだな! ああ! クロード・ペルネルは、わしのことを笑うことだろうな。ニコラ・フラメルなどは、女のために大きな仕事をつづけるのをやめるようなことは一刻もなかった! そうだ! わしは、ゼキエレの魔法の槌《つち》を持っている! おそろしいユダヤ教の教師《ラビ》が、その小部屋の奥で、この槌をもってこの釘を打つ、そのひと打ちごとに、彼が刑を言いわたした敵方の教師は、たとえ四千キロもはなれた所にいても、五十センチも地面にめりこんで、地中にのみこまれてしまうのだ。フランス国王ご自身でさえも、ある晩、なんの気なしに、この魔法をつかう男の家の戸口に突きあたったために、パリの石畳の中に膝までもぐってしまったのだからな。……この話があってから、まだ三百年とはたっていないのだ。……だがな! わしは、槌も釘も持ってはいるが、わしの手にあっては、もはやそれも刃物屋の手にある木槌ほどにも恐ろしい道具ではないのだ。……そうはいうものの、ゼキエレがその釘を打ちこむときにとなえた魔法のことばを見つけることだけが問題なのだが」
〈くだらない野郎だ!〉と、ジャンは思った。
「そうだ、やってみよう」と、司教補佐は勢いよく言った。「もしうまくいったち、釘のあたまから青い火花がとぶだろう。……エマン=エタン〔「ここ、かしこ」の意味。魔法使いが魔宴に行くときにとなえるまじない〕! エマン=エタン! そうではなかったかな。……シジェアニ(精霊の名)! シジェアニ!……どうか、この釘がフェビュスという名の男に対して墓の戸口を開けて下さりますように!……おや、しまった! またしても、いつでも同じことばかり考えて!」
彼は怒って槌を投げだしてしまった。そして、肘掛け椅子にどかりと身をおとし、机の上に頭をおとしてしまったので、ジャンは大きな椅子のうしろになって、彼の姿を見失ってしまった。しばらくの間は、彼が本の上でぶるぶる振っている拳《こぶし》しか目にはいらなかったが、とつぜんクロード師は起きあがり、コンパスを手に取って、ものも言わず壁の上に大文字で、つぎのようなギリシア語のことばを彫りつけた。
ΑΝΑΓΚΗ(宿命)
〈兄貴は気が狂ったな。ラテン語で「運命《ファトゥム》」と書けばもっとずっと簡単だったのにな。世界じゅうのやつがみんなギリシア語を知らなけりゃならんというわけでもあるまいに〉と、ジャンは心の中で言った。
司祭は、またもとの椅子に腰をおろした。そして、まるで病人が頭に熱があって重いときにするように、両手で頭をかかえこんだ。
学生のジャンは、びっくりして兄のようすを見ていた。彼はとかく心が浮わついていて、自然のよい法則以外にはこの世に法則を認めず、感情の流れるがままに流されるという傾向があったので、心の中には、大きな感激の湖がすっかり涸《か》れてしまっていた。そこで彼は、毎朝のように、心に新しい潅漑《かんがい》用の溝を広く掘っていたのだった。
しかしその彼も、人間のこういう感情の潮《うしお》が、ひとたび吐け口が奪われると、どんなに激しく動揺し抱立つものであるか、知らなかったのだ。その感情の潮が、どんなに積みかさなり、ふくれ上がり、あふれ、人の心に穴をあけてしまうものであるか、また、どんなにか、心の中で泣きじゃくり、音も立てずに打ち震え、ついには土手をこわし、海底をえぐるにいたるものであるか、知らなかったのだ。
クロード・フロロのきびしく氷のように冷たい外面、傲然《ごうぜん》としてたやすく人を近づけない冷やかな顔つきは、いままでずっとジャンをあざむいてきたのである。この陽気な学生のジャンは、エトナ火山の表面の白雪の下には、激しくわき立っている深い熔岩があるということを、いままで夢にも考えたことがなかったのだ。
はたして彼がこれだけのことを、一瞬のうちに考えたかどうかは、われわれにはわからないが、彼がいかに軽薄な男であったとはいえ、いま自分が見てはならないものを見てしまったということ、兄がいちばん人に見せたくないようすをしているときに、その魂の奥を不意に見てしまったということ、またクロード・フロロにそれと気づかれてはならぬということは、ジャンにもわかったのである。
彼は、司教補佐がはじめのときのように、身動きもしなくなったのを見すまして、そっと首をひっこめ、ちょうど誰かがやって来て、自分の来たことを知らせるように、ドアのうしろでわざわざ足音をたてた。
「はいりたまえ!」と、司教補佐は部屋の中から叫んだ。「待っていたよ。そのためにわざわざ鍵をドアにはさんだままにしておいたのだ。まあ、はいりたまえよ、ジャック君」
ジャンは大胆にはいっていった。司教補佐のほうでは、こんな場所へ、こんなやつにはいってこられては非常に迷惑だったので、肘掛け椅子の上で身震いをして、「なんだ! ジャン、おまえだったのか?」
「だって、同じ≪J≫がつくじゃありませんか」と、ジャンは赤い顔をして、ずうずうしく、楽しそうに言った。
クロード師の顔つきは、もとの険しい表情に返って、
「ここへ何しに来たのだ?」
「兄さん、お願いがあってきたのです……」と、ジャンは、可哀そうなくらい、きちんと慎《つつし》み深そうな顔をして、てれかくしに帽子を両手でぐるぐるまわしながら答えた。
「なんだな?」
「ぜひお教えにあずかりたいことが、少しあるのですが」
ジャンは、これ以上はどうも大声では言えなかった。「それにお金を少しばかり、こっちのほうがもっとずっと入り用なんですがね」
このことばの終わりのほうはよく聞きとれなかった。
「おまえには、ほとほと困りはてたよ」と、司教補佐は冷やかな調子で言った。
「おや、おや!」と、ジャンは溜息をついた。クロード師は、椅子を四分の一ばかり回転させて、じっとジャンを見つめていたが、「だが、おまえに会えてうれしいよ」
なんだか恐ろしい前置きだ。ジャンは、ひどく叱られるだろうと覚悟を決めた。
「ジャン、毎日のように、わしのところにおまえの苦情がもちこまれるのだぞ。おまえは、アルベール・ド・ラモンシャン子爵のところの子どもをなぐったという話だが、あれはいったいどうしたのだ?……」
「ああ、たいしたことはないんですよ! あいつは泥の中を馬を走らせて、学生たちに≪はね≫をとばしておもしろがっている悪い若僧なんで!」
「おまえは、マイエ・ファルジェルの着物を引きさいたという話だが、それはどうしたというのだ?『彼らは服を破りたり』と苦情を言ってきているぞ」
「ああ、なんだ! モンテギュ出のやつらのけちな半纏《はんてん》ですよ。ただそれだけじゃないですか!」
「訴えには服だとあったが、≪短外套《カペタム》≫とはなかったぞ。おまえはラテン語を知っているのか?」
ジャンは答えなかった。
「まったくだな!」と、司祭は頭を振りながらつづけた。「学問や文学の今日の状態は、まさにそのとおりだ。ラテン語はほとんど話されないし、シリア語などは誰も知らぬ。ギリシア語もすっかり嫌われて、立派な学者でさえも、ギリシア語を読めずにとばしてしまって、『これはギリシア語、ちんぷんかんぷん』などと言っている。それでもべつに無知というわけでもないのだ」
ジャンは思いきって顔をあげた。「兄さん、あの壁に書いてあるギリシア語を、フランス語にうまく訳してみたら、兄さんはうれしいでしょうな」
「どのことばだな?」
「ΑΝΑΓΚΗ」
ちょうど、かすかに煙を吹きあげて、中で火山がひそかに振動していることを外部に告げているように、司教補佐の黄色っぽい頬に少しばかり赤味がさしたが、ジャンは、それにはほとんど気づかなかった。
「ほほう、ジャン、その言葉はどういう意味だね?」と、兄はやっとのことでつぶやいた。
「宿命」
クロード師はいつもの青白い色に戻ったが、ジャンのほうでは、そんなことにかまわずつづけて、
「その下にある、あの同じ筆跡でほってあるギリシア語の≪アナグネイア≫というのは、≪不潔≫ということですね。ぼくがギリシア語を知っているのがおわかりでしょう」
司教補佐は、じっと黙ったままだった。このようにギリシア語を読むのを見て、すっかり考えこんでしまった。弟のジャンは、だだっ子特有のずるさから、これはお願いするにはもってこいのときとばかり、精一杯のやさしい声を出して、言いだした。
「ねえ、兄さん。ぼくがどこの馬の骨だかわからない小僧っ子や若僧と喧嘩して、まあ少しは悪いかもしれませんが、張りたおしたり、なぐったりしたからって、そんなにこわい顔をしてにらまなくたっていいでしょう?……クロード兄さん、ぼくだってラテン語を知っていることがおわかりじゃありませんか」
しかし、このように心にもなく甘ったれてみたところで、厳格な兄の顔には、いつものようなききめが少しも現われなかった。ケルベロスの犬〔ギリシア神話の地獄の番犬〕は、蜜の菓子を食べない。司教補佐の額のしわは、ただのひと筋も消えなかった。
「じゃ、どうしろというのだ?」と、彼は冷やかな調子で言った。
「ええ、実はそれなんです! お金が欲しいのですよ」と、勇をふるって、ジャンは答えた。
このあつかましい申したてを聞くと、司教補佐はすっかり、教師のような、しかも親父《おやじ》のような顔つきになった。
「ジャン君、おまえも知っているだろうが、チルシャップの領地からは、地代や、二十一軒の家の家賃を合わせても、パリ金の三十九リーヴル十一スー六ドニエしかあがらないのだ。パクレさんのころからみれば、半分はふえている。それでもけっして多くはないのだ」
「ぼくはお金が必要なんです」と、ジャンは胸を張って言った。
「これもおまえが知っていることだが、宗教裁判所判事の判決で、この二十一軒の家作の権利もすっかり司教区のものになり、司教閣下にパリ金で六リーヴルの価値ある金めっきの銀貨を二マルク払わなければ、この権利を買い戻すことができないのだ。それでだ、この二マルクさえも、わしはまだたくわえることができなかったのだ。おまえも承知のはずだが」
「ぼくの知っているのは、お金が入り用だ、ということなんです」と、ジャンは言った。これで三度目だ。
「それで、それを何に使いたいのだ?」
こうきかれて、ジャンの目には希望の光が輝いた。彼は、またネコのようにやさしい顔つきをして、
「まあ、聞いて下さいな、クロード兄さん。ぼくは、べつに悪いことをたくらんで、兄さんのところに来たんじゃありません。兄さんからいただくお金で札びらをきって酒場で気取ってみようとか、錦《にしき》の馬飾りをつけ、お供を連れて、つまり、≪従僕を引き連れて≫パリのまちを散歩してみようとかいうような気は、さらさらないのです。まったく、兄さん、いいことをしようというんですよ」
「どんないいことだな?」クロードは、ちょっとびっくりしてたずねた。
「友達にふたり、聖母昇天会の気の毒な後家《ごけ》さんの子どもに、うぶ着を買ってやりたいと言っているやつがいるんですよ。慈善ですな。それは、三フロランするのです。ぼくの金も出してやりたいと思っているのですが」
「おまえの友達というのは、なんという名だね」
「屠殺斧《とさつおの》のピエールと、鵞鳥《がちょう》喰いのバチストというんです」
「ふん! そんな名まえのやつがよいことをしようなどとは、まるで主祭壇に爆弾を落とすようなものだね」
ジャンが選んだふたりの友達の名まえは、たしかにまずいものだった。それに気がついたのだが、ちょっと遅すぎた。
「それで」と、クロードはぬけめなくつづけて、「三フロランもするといううぶ着、その聖母昇天会の女の子どもにやるというやつは、いったい、どんなものかね? その聖母昇天会の後家さんたちは、いつ赤ん坊を生んだのかね?」
ジャンは、もう一度、窮状《きゅうじょう》打開策を試みた。
「ええい、言っちまいましょう! 実は今晩、ヴァル=ダムール軒に行って、イザボー・ラ・チエリに会うための軍資金が入り用なんです」
「汚らわしい奴だ!」
「≪不潔な奴≫だ」
ジャンは、おそらく悪意をもってであろうが、部屋の壁から借用して、こう言ったのだったが、このことばは司祭に奇妙な効果をあたえた。彼は唇をかんで、いままでの怒りも消え、顔はまっ赤になったのである。
「早く行け。わしはひとり待っている人がいるんだ」と、彼はジャンに言った。
彼は、もうひとがんばり、おしてみた。「クロード兄さん、小銭でいいから、飯を食うお金を下さいよ」
「グラティアヌスの『教令集』は、どこまで習ったかね?」と、クロード師はたずねた。
「ノートをなくしちゃったんです」
「ラテンの古典科はどこまでやったかね?」
「ホラティウスの写本を盗まれたのです」
「アリストテレスは?」
「ああ、兄さん! 異端者の誤りは、いつの世でもアリストテレスの形而上学《けいじじょうがく》の草むらがその巣窟になっていることだと言った教会教父は誰でしたっけね? アリストテレスなんて、くそくらえですよ! あんな形而上学のために、ぼくの信仰を破るのはいやですな」
「おい若僧、昔、国王が最後にパリにおはいりになったころ、フィリップ・ド・コミーヌという貴族があったが、この人は、馬の鞍に≪働かざる者は食うべからず≫という格言を刺繍しておいたものだった。このことをよく考えてみるんだな」
ジャンは、指で耳を押さえ、じっと地面を見つめて、困ったような顔つきをしたまま、しばらく黙っていた。とつぜん、セキレイのようにすばやく、クロードのほうに向きなおって、
「それじゃ、兄さん。兄さんは、ぼくがパン屋でひとかけのパンの皮を買うための、一スーのお金も下さらないとおっしゃるのですね?」
「働かざる者は食うべからず」
司教補佐が頑固《がんこ》にこう言うのを聞いて、ジャンは女がすすり泣くときのように両手で顔を押えていたが、絶望したような思い入れで叫んだ。
「オトトトトトイ!」
「それはなんということだ、おまえ?」と、クロードは、この悪ふざけに驚いてたずねた。
「おや、なぜですか?」こう言って彼は、あつかましい目つきで、クロードのほうを見あげたが、こういう目つきをして、涙で赤くなったように見せようと、こぶしで目をこすった。「ギリシア語ですよ! まったくよく苦悩を表現しているアイスキュロス〔紀元前五世紀のギリシアの悲劇詩人〕の短々長格《アナペスト》というやつですよ」
こう言って、道化《どうけ》た格好をして、大声で笑いだしたので、司教補佐も思わず微笑をもらした。これは、まさにクロードの失敗であった。なぜ彼は、この子をこんなにまでも甘やかしてしまったのであろうか?
「ああ! クロード兄さん」と、ジャンは兄の微笑に勢いをえて言った。「穴のあいたぼくの編上げ靴を見て下さいよ。この編上げ靴みたいに、靴の底から舌を出しているような、悲劇俳優のはくような靴が、この世にいったいあるでしょうかね?」
司教補佐は、急にまたもとの厳格なようすに戻って、「新しい靴を届けてやろう。だが、金はびた一文もやらんぞ」
「たった、びた銭一枚でいいんですよ、兄さん」と、ジャンは哀願するようにつづけた。「ぼくは、グラティアヌスを暗唱してしまいましょう。神さまも信じましょう。学問においても、道徳においても、真のピュタゴラスになりましょう。しかし、どうかびた銭一文でもいいですから、後生です! あのタタール人よりも、修道士の鼻よりも、黒くって、臭くって、そして深刻な飢餓《きが》というやつが、ぼくの前にあんぐりと口を開いて、かみつこうとしても、兄さんはそれでいいんですか?」
クロード師は、しわのよった頭を振って、言うのだった。
「働かざる者は……」
ジャンは、それをしまいまで言わせず、
「ええ、めんどうくさい、畜生! ああ、こりゃこりゃときやがる! 酒場へでもしけこんで、喧嘩でもふっかけて、酒の壜《びん》をぶっこわし、女のところにでも行くとしようか」
こう言って、帽子を壁に叩きつけて、カスタネットのように指をピチピチと鳴らした。司教補佐はにがりきったようすで、それをじっとながめていた。
「ジャン、おまえは正気を失っているぞ」
「こういう場合には、ですな、エピクロス〔紀元前三世紀ごろのギリシアの快楽主義の哲学者〕の言にしたがえば、ぼくには、何か名まえのない、あるものでできた、何かしらが欠けているのですな」
「ジャン、おまえは、まじめにそれを直そうとしなければいかんぞ」
「ああ、そのことですか」と言いながら、ジャンは、兄とかまどの蒸留器《ランビキ》とをかわるがわる見ていたが、「ここにあるものは、みんな尖《とが》っていますね。考えることだって、瓶だって、みんなそうですな!」
「ジャン、おまえは、非常にすべりやすい坂道に立っているのだぞ。どうなるかわかっているのか?」
「落ち行く先は酒場でしょうな」
「酒場からはすぐにさらし台だぞ」
「まさしく、ちょうちんみたいなものですな。ディオゲネスだったら、多分そいつを持って、これはと思う人物を探したでしょうな」
「さらし台からは絞首台だ」
「絞首台なんぞは天秤《てんびん》でさあ。一方の端に人間がいて、もう一方には地球全体がかかっていてね。人間になれりゃ、けっこうですな」
「絞首台から先は地獄だぞ」
「ずいぶん火が燃えてるでしょうな」
「ジャン、ジャンよ、末はろくなものにならんぞ」
「はじめは良かったんでしょうよ」
このとき、階段のところに足音が聞こえた。
「静かに!」と、司祭は、唇に指をあてて言った。「ジャックさんがおいでになるのだ。よく聞けよ、ジャン」声を落として言いそえた。「ここで、見たり聞いたりしたことを、けっして、よそでしゃべってはいかんぞ。さあ、早くかまどの下に隠れろ。息をたててはならんぞ」
ジャンは、かまどの下にうずくまった。だがそこで、何か妙案が浮かんだものか、「それはそうと、クロード兄さん、声をたてないから、一フロラン下さいよ」
「黙っていろ! やるから」
「ほんとうにくれなきゃ、いけませんよ」
「わかった、わかった!」
司教補佐はこう言って、ぷりぷりしながら、財布を投げてやった。ジャンはかまどの下にもぐりこんだ。と、ドアが開いた。
五 黒い服をまとったふたりの男
そこにはいってきた人物は、黒い服を身にまとい、陰うつな顔つきをした男だった。わが友ジャンが(彼は、案の定、おもしろ半分に、どんなことになるだろうかと、何もかももらさずに見たり聞いたりしてやろうと、隅のほうにうずくまっていたのだが)一見してはっと驚いたことには、この新しくはいって来た男の衣服や顔つきが、まったく悲しみに満ち溢れていることであった。そのおもかげには、どことなくやさしさも漂ってはいたが、それもネコか裁判官のやさしさ、つまり甘ったるいやさしさであった。頭はほとんど白く、しわがより、年のころは六十にも手が届くころであろうか、まばたきをして、眉《まゆ》も白くなっている。唇は垂れさがり、両手は太かった。
ジャンは、この男も結局はそんなところだ、つまり、たしかに、医者か裁判官くらいだ、そして愚かなやつによくあるように、鼻の下がひどく長いと見きわめると、自分がこんな窮屈な姿勢で、しかもこんないやな友達と、いつ終わるともしれない時間を過ごさなければならないと考えて、すっかりがっかりして、穴の隅にひっこんでしまった。
司教補佐のほうは、この人物がはいってきても、いっこうに椅子から立つもようもなく、この男に、ドアのそばの腰かけにすわるように合図して、それからしばらくのあいだ、黙ったまま、さきほどからの瞑想に耽っているようなようすであったが、やがて、恩きせがましいような調子で、彼に言った。
「やあ、今日は、ジャック先生」
「ご機嫌うるわしゅう、先生!」と、黒い服をまとった男は答えた。このふたりの一方は、「ジャック先生」と言い、もう一方は丁寧に、「先生」と言ったのであるけれども、その言いかたには、閣下ときみ、あるいは主《ドミネ》と弟子《ドムネ》との違いがあった。どうみても先生と弟子の出会いだった。
「どうだね、うまくいっているかね?」司教補佐は、しばらくものも言わずにいたが、こうきいた。ジャック先生のほうは、沈黙を乱すのを恐れて黙っていたのだが。
「どうも、先生、ずっとふいごを吹いてはいるのですが、どうも灰ばかりで、黄金はぴかりともしないのです」と、この男は悲しげな薄笑いをもらして答えた。
クロード師は、じれったそうな身振りをして、「わしは、そんなことを言っているのではない、ジャック・シャルモリュ君。あの魔法使いの一件なのだよ。あれは、マルク・スネーヌといったかな? 会計検査院の食堂係だったかな? やつは魔法を白状したかね? 尋問は成功したかな?」
「まったくどうも、うまくいかないのです」
あいかわらず、悲しそうに笑いをもらしながら、ジャック先生は答えた。「あの男は、まるで石ですね。有無を言わさずに、豚市場で釜ゆでにしてやりましょう。しかし、なんとしても、白状させてやりたいとは思っています。やつは、もうすっかり骨の節ぶしをはずしてしまったのですが、まるで、昔の喜劇作家のプラウトゥスが、
杖刑《じょうけい》、焼鏝《やきごて》、十字架、二重の鉄輪、
縄、鎖、獄《ごく》、木の首伽《くびかせ》、足枷、鉄の首伽
と言っていますように、あらゆる手段をつくしてみたのですが、どうにもならないのです。恐ろしいやつです。精も根も尽き果てましたよ」
「家の中からは、べつに変わったものも出なかったかね?」
「実は、あったのです。この羊皮紙なのですが」
こう言って、ジャック氏は、財布の中からそれをさぐり出した。「ここには文字が書いてあるのですが、わたしどもにはわからないのです。刑事訴訟のほうの弁護士のフィリップ・ルーリエ氏は、それでも多少はヘブライ語を知っているのですが。なんでも、あの人はブリュッセルのカンテルスタン通りのユダヤ人事件のときに覚えたのだそうですよ」
こう言いながらジャック氏は一枚の羊皮紙を広げた。
「どれどれ」と、司教補佐は言いながら、その紙片のうえに目を落として、「ジャック君、たしかに魔術だ! ≪エマン=エタン!≫これは、夜半の饗宴に集まるときに吸血鬼どもが叫ぶ声だ。≪自らによって、自らとともに、そしてまた、自らにおいて!≫とは、地獄で悪魔を閉じこめる命令のことばだ。≪ハックス、パックス、マックス!≫これは医学のことばだ。狂犬にかまれないためのまじないだよ。ジャック君! きみは宗教裁判所の検事だから、この羊皮紙は、まことにもって憎むべきものですな」
「あの男を、また尋問することにしましょう。まだほかに、マルク・スネーヌの家で見つけたものがあるのですよ」と、ジャック氏は、袋の中で手さぐりをしながら言った。
それはクロード師のかまどの上にあるものと同じ種類の、ひとつの瓶であった。
「ああ! これは錬金術用の≪るつぼ≫ですな」と、司教補佐は言った。
「実は、私は、これをかまどにかけてみたのです」と、ジャック氏は、臆病そうな、気まずそうな笑いをもらしながら言った。「しかし、わたしのものでやったときより、よい結果が出たとは申せませんでした」
司教補佐は、その瓶を調べてみた。
「この≪るつぼ≫に、なんと彫りこまれてあるのかな? ≪オック! オック≫これは、ノミを払うことばだな! そのマルク・スネーヌという男は、何も知らないな! わしにはよくわかるが、こんなものを使ったって、黄金はできないよ! 夏になったら、きみのベッド入れの中にでも入れておいたらいいだろう。それだけのものだよ!」
「間違いといえば、わたしはここまでのぼってくる途中で、下の正面玄関のところを調べてきました。市立病院側の壁に彫られている絵はたしかに、自然学の書物の第一ページをあらわしているものでしょうか? また聖母マリアの像の足もとにいる七人の裸像の中で、かかとに翼がついているのは、たしかにメルクリウスでしょうか? 先生にはご確信がおありですか?」
「そうだ。あれは、アゴスティーノ・ニーフォ〔十五世紀のイタリアの哲学者〕が書いたものだ。この男はイタリアの医者で、一匹のひげのはえた悪魔を連れていたが、この悪魔が彼にいろいろなことを教えてやったのだ。なお、いっしょにおりて、原典について、説明してさしあげよう」
「どうもありがとうございます」シャルモリュは、地につかんばかりに身をかがめて言った。「……ときに忘れておりましたが、いつ、あの魔法使いの小娘を逮捕させたらよろしいでしょうか?」
「魔法使いの女というと?」
「ご存じのあのジプシー娘のことですよ。あの女は宗教裁判所判事からの禁止令があったにもかかわらず、毎日のように広場にやってきては、踊っているのです。悪魔につかれたヤギを一匹連れていますが、そのヤギの角には悪魔が宿っているのですよ。それで、字も読めれば、書けもするし、ピカトリックスのように数学も知っています。それだけでもう、ジプシーの女どもをひとり残らず絞首刑にしてもいいくらいでしょうな。その手続きはすっかりできておりまして、やがてそうなるでしょう。たしかにあの踊り子は美女ですな! たぐいまれな黒い瞳! エジプトの黄ザクロ石をふたつ並べたようですな。いつ始めましょうか?」
司教補佐の顔は、まっ青になった。
「そのうちに申し上げよう」ほとんど聞きとれないような声で、口ごもって言った。それから力をふりしぼって「マルク・スネーヌのほうに全力を注ぐのだぞ」
「ご安心下さい」と、シャルモリュは、笑いながら言った。「帰りましたら、やつを皮床《かわどこ》に縛りつけましょう。しかしあいつは、人間の皮をかぶった悪魔ですからな。ピエラ・トルトリュでさえも手こずっているのです。あの男は、わたしよりもがんじょうな手を持っているのですけれどね。あのプラウトゥスも言っておりますように、
裸体で縛られ、足をとって吊りさげられるときは、
百ポンドの目方あり
ですね。巻揚機《まきあげき》の拷問にかけてやりますかな! あれなら申しぶんありますまい。やつも参ってしまうでしょう」
クロード師は、暗い顔をしてすっかり放心してしまったようすであったが、シャルモリュのほうに向きなおって、「ピエラ君、……いやジャック君、いいかな、マルク・スネーヌのほうを一所懸命にするのだぞ!」
「はい、はい、クロード先生。哀れなやつだ! やつも、マンモル〔六世紀のフランク族の武将。捕えた敵の王を許してやったところ、翌年、逆にその王に捕えられて殺された〕のように苦しむことでしょうな。魔法使いどもの夜宴に行こうなどとは、いったい、なんだと思っているんでしょうな! 会計検査院の食堂係たるものなら、≪吸血鬼あるいは魔女≫という、シャルルマーニュの原文でもよく心得ているべきですのにね。……ところで、あの小娘のことなんですが……スメラルダとか言われている……、おさしずをお待ちいたしておりましょう。……ああ、そうそう! あの、聖堂にはいりますときに目につく、浮彫りになった庭師の絵は、どういうことを意味しておりますのでしょうか。正面玄関を通りますときにでも、ご説明願いたいのですが。『種まく人』ではないでしょうか?……おや! 先生、先生は何をお考えになっておられるのですか?」
クロード師は、深く考えに沈んでしまったので、もう相手の言うことなど聞いていなかった。シャルモリュが、彼が見つめているほうをたどってみると、クロード師は、茫然《ぼうぜん》として、明かりとりに張られている大きなクモの巣をじっと見つめていた。そのとき一匹のハエが、軽はずみに三月の日射しを求めて来たかと思うと、そのわなに飛び込んでひっかかってしまった。と、その網が揺れて、大きなクモが、まん中の巣から急にとびだしてきた。と思うと、ぴょんとひとはね、ハエにとびかかって、触角でそれをふたつに折り、その恐ろしい吻管《ふんかん》でハエの頭をさぐるのであった。
「可哀そうに!」と、宗教裁判所検事は言いながら、手をあげてハエを救ってやろうとした。司教補佐は、とつぜん夢からさめたように、激しく手をぶるぶると震わせながら、その腕を押さえた。
「ジャック君、運命にまかせたまえ!」
検事は、びっくりして振り向いた。彼は、鉄のはさみで腕をがっしりと押えられたように思った。司祭の目はじっとすわって、兇暴そうにぎらぎらと輝き、ハエとクモとの、この小さな恐ろしい群れをじっと見つめたままでいた。
「ああ! そうだ」
司祭は、腹の底からしぼり出したとも言えるような声でつづけた。「これが万物の象徴だ。飛びまわっていて、楽しげだ。生まれてきたばかりなのだ。春の日ざしを求め、自由を求めるのだ。おお! そうなのだ。だが、致命的な円花窓にぶつかる、クモが飛びだしてくる。恐ろしいクモがな! 哀れな踊り子よ! 宿命に定められた哀れなハエだ! ジャック君、そのままにしておきたまえ! それは運命なのだ!……ああ! クロードよ、おまえはクモなのだ。クロードよ、おまえはまたハエのようなものでもある!……おまえは、学問を求め、光明を求め、太陽を求めて飛んでいった。おまえは、大気や永遠の真理の日ざかりに到達することのみを念頭においていた。だが、それとは違った別な世の中、光明の世界、知識と学問との世界に向かって開かれている天窓のほうに飛び込んでしまったのだ。ああ、盲目なハエよ、愚かな学者よ、おまえは、光明とおまえとのあいだに張りめぐらされた、この微妙な網を見なかったのだ。そしておまえは、気が狂った哀れなものよ、おまえは、そこに飛び込んで身を滅ぼしてしまったのだ。いまや、頭を割られ、翼をむしられて、宿命という鉄の触角のあいだで、もがいているのだ!……ジャック君! ジャック君! クモのするがままにしておきたまえ」
「はい、かしこまりました」
シャルモリュはこう言ったが、なんのことやらさっぱりわからずに、彼のほうを見ていた。「でも、先生、この腕をお放し下さい。お願いです! 先生の手は、まるで釘抜きのようですね」
司教補佐は、そんなことには耳をかさず、窓から目を離さずにつづけた。「おお! 愚かなものだ! おまえはその羽虫の翼で、この恐ろしい網を突きやぶりさえすれば、そのときこそは光明に達することができたろうと思っているのだ。ああ! その先には、この窓ガラスが、透明なじゃまものが、青銅よりもなお堅い水晶の壁があって、すべての哲学を真理から切り離しているのだ。おまえはどうしてそれをとびこえるのだ? おお、学問のむなしい誇りだ! 多くの賢人たちが、遥か遠くからここに羽ばたきながらやってきて、われとわが頭を砕《くだ》くのだ! またなんと多くの学説が虫の羽音のように、この永遠の窓ガラスのところでぶつかり合っていることか!」
彼は黙ってしまった。こんなことを考えて、思わず学問のことに及んでしまったが、どうやら気が静まったように思われた。ジャック・シャルモリュはこのときとばかりに、彼を現実の世界に完全にひき戻そうとして、つぎのようにたずねた。
「それでは、先生、いつ先生はおいでになって、黄金を作ることのお手伝いが願えますでしょうか? わたしでは、なかなかうまくいきませんものですから」
司教補佐は苦笑いをしながら頭を振ったが、「ジヤック君、ミカエル・プセルス〔十一世紀の東ローマ帝国の政治家〕の『魔神の勢力およびその作用についての対話』を読みたまえ。われわれのやっていることは、全部が全部、よいこととは決まっていないのだ」
「先生、お声が高いですよ! わたしも、たしかにそう思います。しかし、わたしは宗教裁判所の検事にすぎませんので、年俸三十エキュしかもらっていないのですから、少しは錬金術でもしなければなりませんのですよ。ただお声を低くお願いいたします」
そのとき、かまどの下から、何かをかみ砕くモグモグいう音が聞こえたので、シャルモリュは心配そうに耳をそばだてた。
「なんでしょうか?」と、彼はきいた。
これは、あの学生のジャンであったが、彼は穴に隠れていて、とても窮屈で、退屈してきたので、そこにあった古くなったパンの皮と黴《かび》のはえた三角のチーズとを見つけだしてきて、気晴らしと昼食のかわりに、遠慮なくすっかり食べはじめていたのだった。猛烈に腹がすいていたので、つい大きな音をたててしまった。そしてひと口ひと口ガツガツと音をたてて食べていたので、それが検事の耳にはいって、気がついて警戒させることになってしまったのである。
「あれは、わしのネコだよ。下でネズミのご馳走にでもありついているのでしょうな」と司教補佐は乱暴に言った。シャルモリュは、こう説明されて納得した。
「実際、先生」と、彼はうやうやしく、笑いを浮かべて言った。「偉大な哲学者といわれる人はみな、家で生き物を飼っていたものですね。ご存じでしょうが、セルウィウス〔紀元前六世紀のローマの王〕がこう言っていますね。≪いかなるところでも、精霊の存在せざるところなし≫と」
しかしクロード師は、ジャンがまた何かいたずらでもしはしまいかと気になって、この立派な弟子に、玄関にあった数枚の絵をいっしょによく研究してみようと言って、ジャンの「やれやれ!」という大声をあとにして、ふたりは部屋から出ていった。ジャンは、ひざにあごの跡がつきはしなかったかと、本気で心配しはじめたところだった。
六 家の外で呪いのことばを七つどなったら……
「神さま、ありがたや、かたじけなや!」
ジャン君は、穴から出ながらこう叫んだ。「ミミズク野郎が二羽、行っちまいやがったぞ。オック! オック! ハックス! パックス! マックス! ノミだとさ! 狂犬だとよ! 畜生! 話はもう聞きあきたよ! 頭が鐘楼のようにガンガン鳴りやがる。市場にも売っていねえような、黴《かび》のはえたチーズとはな! ちえっ! おりるとしようか。兄貴の財布をいただいてと、そして有り金残らず酒に代えるとしようか!」
彼は、気持よさそうに、ほくほくして、大切な財布の中をちらりとのぞいて見た。着ているもののしわをのばし、靴のほこりをはらい、灰で白くまみれた、哀れな袖の塵《ちり》をはらった。そして口笛を吹いて、くるりとひと回りまわって、小部屋の中に何か目ぼしいものは残っていないかと見まわしてから、イザボー・ラ・チエリに宝石のかわりにくれてやるにはもってこいだと、かまどの上のあちらこちらにころがっていたガラス玉のおまもりを拾い集めて、最後に、兄が出がけにひとつ寛容なところをみせてやろうと開けっぱなしにしておいたドアを押して、今度は彼のほうでは、出がけにひとついたずらをしてやろうとドアを開けっぱなしにしたまま、鳥のようにとびはねながら、らせん階段をおりていった。
ちょうどそのらせん階段の暗やみのまん中にさしかかったころ、何かひじに突きあたるものがあったが、それは、何かブツブツ言いながらわきによけた。カジモドかなと思ったが、それが彼にはひどく滑稽に見えたので、わき腹をかかえて笑いながら、残りの階段をおりていった。広場に出てからも、まだ笑いがとまらなかった。
また地面にたどりつくと、足を踏みならして、「ああ! パリの舗道はいいな! ありがたいよ。ヤコブの梯子をのぼる天使たちでも息をきらしてしまいそうな、いやな階段だ! いったいどんなつもりでおれは、あんな天をもつらぬくほどの石の撞木錐《しゅもくぎり》の中にはいりこもうとしたんだろうな? そしてやったことといえば、黴《かび》のはえたチーズを食べたことと、明かりとりからパリの鐘楼を見たことだけだとはね!」
五、六歩あるいていくと、あの二羽のミミズク野郎、つまりクロード師とジャック・シャルモリュ氏とが見かけられたが、ふたりは玄関の彫刻をじっとながめていた。彼は、つま先で立って、ふたりにしのびよっていった。司教補佐が小声で、シャルモリュに、こう言っているのが聞こえた。
「この、へりに金を塗った瑠璃《るり》にヨブの像を彫らせたのは、ギヨーム・ド・パリスなのだ。ヨブとは化金石の象徴なのだが、つまり完全なものになるためには、さまざまな試練にあって鍛えられなければならぬということだ。ライムンドゥス・ルルス〔十三世紀のスペインの神秘哲学者〕も言っているように、『霊魂は、その特有な形をたもったまま保存されている』だな」
「どっちだって同じことさ、財布をもっているのは、このおれさまなんだからな」と、ジャンは言った。
このとき、うしろで、大きなよく響く声で、恐ろしい呪いの叫びをあげているのが聞こえた。
「やい、おたんちん! でくの坊! 唐変木《とうへんぼく》! べらぼうめ! ベルゼブルのへそ野郎! くそったれ!鼻まがりの三角野郎め!」
「あいつはたしかに、あのフェビュス隊長に違いないぞ!」と、ジャンは叫んだ。このフェビュスという名まえは、そのとき検事に、煙と王の頭とが出ている風呂の中に尾を隠している竜について説明していた司教補佐の耳にはいった。クロード師はぶるぶると身震いして、話を切った。シャルモリュがびっくりしているうちに、彼はうしろを振り向いたが、見ると、弟のジャンがゴンドローリエの邸のドアのところで、背の高いひとりの士官に近よって、何かものを言いかけていた。
やはり、それはまさにフェビュス・ド・シャトーペール殿であった。彼は、フィアンセの女の家のかどに背をもたせて、異教徒のように、神を罵《ののし》ることばを言い散らかしていたのである。
「いよう、フェビュス隊長、ものすごい勢いでどなり散らしているじゃないか」と、ジャンは彼の手を取りながら言った。
「鼻まがりの三角野郎め!」と隊長は答えた。
「きさまこそ、鼻まがりの三角野郎だぞ!」と、ジャンはやりかえした。「ところでね、隊長殿よ、そんなうまい文句は、どこを押せば出てくるんだい?」
「やあ、失敬、ジャン君か」と、フェビュスは彼に握手しながら叫んだ。「馬は走りだしちゃったら、ぴたりとは止まらないんだよ。で、全速力でどなり散らしていたところさ。淑女とかいうお嬢さんがたのところから来たところなんだ。おれはな、そこから出てくると、いつでもこうしてどなりたくってむずむずするんだよ。つばでも吐かんことには息がつまりそうだ。やい、唐変木の三角野郎め!」
「どうだい、一杯つきあわねえか?」
こう言われて、隊長はおとなしくなった。「いいな。だけど金がねえんだ」
「金ならおれが持ってるよ!」
「嘘をつけ! 見せろ」
ジャンは、胸をはって、いとも簡単に隊長の目の前に財布をひろげた。そのとき、司教補佐は、シャルモリュがびっくりしているのをしり目にかけて、彼らのそばにやってきて、二、三歩はなれたところに立ちどまり、ふたりのようすをじっと見つめていた。ふたりは夢中になって財布を調べていたので、彼の来たことには気がつかなかった。
フェビュスは叫んだ。「きさまのポケットに財布がはいっているなんて、おいジャン、バケツの水にお月さまがはいっているみてえなもんだからな。あるかと見れば、影ばかりってやつさ。まったくな! 賭けてもいいぜ、その中は、小石ぐれえなものさ!」
ジャンはすまして答えた。「おれのポケットの底に敷いてあるのは、どうせ小石だよ」
こう言って、あとはなんにも言わずに、祖国を救うローマ人のようなようすで、財布の中身を、そばの車よけの大石の上にぶちまけた。
「うん、ほんとだな!」と、フェビュスはつぶやいた。「小楯《こだて》模様の金貨だ。大銀貨もある。小銀貨に、トゥール銭がふたつか。それにパリ金のドニエ貨に、ワシ印の本物の銅貨だ! こいつあ、まぶしいくれえだ!」
ジャンは依然として、ゆうゆうとすましていた。幾リヤールかが泥の中にころがったので、フェビュスは夢中になってそれを拾い上げようとして体をかがめたが、ジャンはそれをおさえて、
「しみったれた真似はよせってことよ、フェビュス・ド・シャトーペール隊長殿!」
フェビュスはその銭をかぞえていたが、きっとなってジャンのほうに向きなおり、「おい、ジャン、いいか、これでパリ金で二十三スーもあるんだぞ! ゆうべ、クーブ=グール通りで、いったい誰を身ぐるみ剥《は》いだんだ?」
ジャンは金髪のちぢれ毛の頭をぐっとうしろに振って、ふん、というように目を細め、「兄貴の司教補佐がついているんだ、まぬけだけどな」
「ちえっ、うめえな! ご立派なおかただよな!」
「飲みに行こう」
「どこへ行こうか? ポンム・デーヴ(イヴのリンゴ)軒か?」
「ばか言え、隊長。ヴィエイユ・シヤンス軒に行こう。≪かごの柄を鋸《のこぎり》で挽《ひ》くばばあ(ヴィエイユ・キ・シ・ユ・ナンス)≫の看板が出ているんだ。語呂《ごろ》合わせさ。おもしろいじゃねえか」
「語呂合わせなんか、くだらねえよ、ジャン! ポンム・デーヴ軒のほうが酒はいいぜ。それに、あの家のドアのわきにはブドウがなっていて、飲むときには楽しいぜ」
「よし! イヴとそのリンゴとやらに行くとしようか」
ジャンはこう言って、フェビュスの腕をとり、
「ときにね隊長、きみはいま、クープ=グール(口斬り)通りと言ったね。そいつはどうも言いかたが悪いや。いまどき、そんな野蛮なの、はやらねえよ。クープ=ゴルジュ(首斬り)通りと言っているんだぜ」
このふたりの友は、ポンム・デーヴ軒のほうへと歩きだした。ふたりがまず銭を拾い集めたこと、そして司教補佐が彼らのあとをつけていったことは、言うまでもない。
司教補佐は、暗く、ものすごく恐ろしい顔をして、ふたりのあとをつけていった。この男が、グランゴワールに会ってからずっと自分の心にわだかまっている、あのいやな名まえの持ち主のフェビュスであろうか? 彼はこの男のことを知らなかったのであるが、しかし要するに、この男がフェビュスという名まえの持ち主であることは、間違いなかった。この魔力を持った名まえを耳にしただけで、もう司教補佐は、ぬき足さし足、注意深く、気づかわしそうに、彼らの話に聞き耳をたてて、ほんのちょっとした身ぶりもじっと観察しながら、この気ままなふたりの男のあとをつけていった。そのうえ、彼らが話していることをすっかり聞いてしまうのには、絶好のチャンスだった。ふたりは、通りすがりの人のことなどまるで気にしないで、大声で話していて、ないしょ話でもつつぬけだったのだ。決闘の話、女の話、酒の話、ばかばかしい話、つきるところがない。
とあるまちの曲がり角に来たときに、タンバリンの音が隣の四つ辻から聞こえてきた。隊長がジャンに向かって話しかけたのが、クロード師の耳にはいった。
「しまった! 急ごう」
「なぜだい? フェビュス」
「あのジプシー娘に見つかったらたいへんなんだ」
「どのジプシー娘なんだ?」
「ヤギを連れている女さ」
「スメラルダかい?」
「そうなんだよ、ジャン。おれはいつでもあいつの名まえを忘れるんだ。急ごう。見覚えているかもしれねえ。まちなかで、あの女によってこられて話しかけられるのは、やりきれねえからな」
「あの女を知ってるのかい? フェビュス」
このとき、クロードが見ていると、フェビュスは顔をしかめて、ジャンの耳もとに口をよせて何か小声でささやいていた。
やがて、フェビュスは大声で笑いだして、得意そうに頭を振った。
「そりゃ、ほんとか?」と、ジャンは言った。
「もちろんさ!」と、フェビュスが言う。
「今晩かい?」
「今晩だ」
「あの女は、ほんとうに来るのか?」
「ジャン、きさま少し気が変じゃねえのか? そんなことを疑うのか?」
「フェビュス隊長、きみは幸福なる親衛隊の兵隊さんだよ!」
司教補佐は、この会話をすっかり聞いてしまった。歯ぎしりをして、それとはっきりわかるほど、ぶるぶると全身に震えがながれた。ちょっと立ちどまったが、酔っ払いのように、車よけの大石に寄りかかった。やがてまた、ふたりの男どものあとをつけはじめた。彼がふたりに追いついたときには、いい気持になっているふたりは、別の話をしていた。彼らが声をかぎりに古い流行歌をうたっている声が聞こえた。
プチ=カロー通りの子どもらは、
末《すえ》は小牛で、縛り首。
七 修道服のお化け
有名な居酒屋のポンム・デーヴ軒は、大学区《ユニヴェルシテ》のロンデル通りとバトニエ通りとの角にあった。それは一階にあって、かなりだだっ広く、天井は非常に低かった。その丸天井のまん中のせり上げは、黄色に染めた大きな木の柱で支えられていた。そこらじゅうにテーブルが置いてあり、壁にはぴかぴかに光った錫《すず》の水差しがかかっていた。いつでもぐでんぐでんになった酒飲みや、女どもが大勢いた。道に面したほうにはガラス戸が一枚あり、ドアのところには一本のブドウの木が植えてあった。そしてこのドアの上には、ギシギシいっている鉄板が一枚あって、そこにリンゴの絵と女の絵とが一枚ずつ色ずりで描かれてあったが、雨に打たれて錆《さび》ついてしまって、鉄の心棒の上を、風に吹かれて回っていた。舗道に面している、この風見のようなものが、この店の看板であった。
すっかり夜になって、すでに四つ辻はまっ暗であった。居酒屋にはろうそくが赤々とともされて、その光は遠くから見ると、まるで暗やみの中の鍛冶場の炉のように輝いていた。酒のコップや、ご馳走や、罵《ののし》り声や、喧嘩の声などが、破れたガラス窓越しに、聞こえてくる。部屋の湿気がむんむんと立ちこめて、正面のガラス窓に霧がはっていたが、その霧を透《す》かして見ると、何百人とも知れぬ人びとが入りまじって、右往左往しているのが見られ、ときどき、ドッというかん高い笑い声が、そこからもれてきた。
用事があってその前を通りかかった通行人は、この騒々しいガラス窓には目もくれずに行き過ぎてしまうのだった。ただときどき、ぼろぼろの服を着た小さな子どもなどが、その正面の窓まで爪先でのび上がって、当時酔っ払いどもを追い立てるときによく言う、古くからの罵りのことばを、居酒屋の中に投げかけていた。
「やい、飲んべえ、飲んだくれ、飲みすけ野郎め!」
このとき、ひとりの男がこの騒々しい居酒屋の前を平然として行ったり来たりしていたが、たえず中をのぞきこんでちょうど哨舎《しょうしゃ》の槍兵《そうへい》のように、そこを離れなかった。外套を鼻まですっぽりかぶっていたが、この外套は、たしかに三月の夜の寒さを防ぐためと、またおそらくはその着ている服をかくすために、ポンム・デーヴ軒の付近の古着屋から買ってきたものに違いない。ときどき鉛の桟《さん》が黒ずんでしまったガラス窓の前に立ちどまっては、話し声に耳をすましたり、中をのぞいてみたり、足を踏みならしたりしていた。
とうとう居酒屋のドアが開いた。これを待っていたらしいのだ。酔っ払いがふたり、そこから出てきた。入り口のドアからひと筋の光がもれたが、一瞬、この光にあたって、ふたりの楽しげな顔が赤く照らされた。外套に身を包んだ男は、通りの向こう側の家の玄関の下に行って、そこからふたりをじっと窺《うかが》っていた。
「鼻まがりの三角野郎め!」と、ふたりの酔っ払いのうちのひとりが叫んだ。「もう七時を打つころだな。とすると、おれの逢いびきの時刻だ」
「なあおい」連れの男は、ろれつの回らない口で、こう言った。「おれはモヴェーズ=パロール(悪口)通りに住んでいるんじゃねえんだ。≪悪口通りに住む者は見下げはてた奴≫てんだ。おれはな、ジャン=パン=モレ通りにいるんだぞ。もしもおまえが、そうじゃねえって言いやがるんなら、ポカポカッとこぶだらけにしてしまうぞ。クマの背中に一度乗ったやつは、もうなんにも恐ろしいものはねえって言うじゃねえか。だけどおまえの鼻は、サン=ジャック・ド・ロピタルみてえに、うめえご馳走のほうばかり向いていやがるじゃねえか」
「おい、ジャン、きさま酔ってるぞ」と相手が言う。
もうひとりの男は、よろよろしながら、「言いたけりゃなんとでも言え、フェビュス。だけど、プラトンだってその横顔は猟犬のようだってことは、証明ずみなんだぞ」
みなさんはすでに、このふたりが隊長と学生とであることに、気がついておられるに違いない。また、暗やみの中で彼らを待ちぶせていた男も、ふたりが誰であるかわかったらしい。というのは、学生のほうがよろよろしているので、隊長もそれに押されて千鳥足になっているあとを、その男はゆっくりとつけていったからである。隊長は、酒に慣れているせいか、まだ全然しらふだったのだ。外套の男は、彼らの話すことに注意深く耳を傾けながら、つぎのような興味ある会話をすっかり聞きとることができた。
「おいおい、しっかりしろ! ちゃんとしてまっすぐに歩けよ、学生さん。おれがおまえと別れなけりゃならんてことは、おまえだって知っているだろう。もう七時だ。おれは女と会うことになってるんだ」
「そんなら、おれにかまわねえで行けよ! おれは星も花火もちゃんと見てるんだぜ。ゲラゲラ笑ってばかりいやがってよ」
「ジャン、おれのばあさんの≪いぼ≫にかけて言うが、おい、おまえは、なんかやっきになって、くだをまいているぞ。……ときにな、ジャン、もう金は残ってねえのか?」
「先生、全然間違いなく、≪ちょっとした修羅場《しゅらば》≫だったな」
「ジャン、ジャン君! きみも知っているだろうが、おれは、サン=ミシェル橋のたもとで女に会うことになってるんだ。そして、橋の連れ込み宿のファルールデルの家にでも≪しけこむ≫よりほかに手がないんだが、どうしても部屋代がいるんだ。それに、あの白いひげのはえてやがる夜鷹《よたか》のばばあのやつ、貸してくれそうもねえんだよ。ジャン! お願いだ! おれたちはあり金をすっかり飲んじゃったのかい? 一文も残っていねえのかい?」
「ほかの時間をうまく使ったっていう気持は、食事に対してまさに、味わいのいい薬味だ」
「このまぬけ野郎! つまらねえことを言うのは、もうよしにしねえか! おい、ジャンのまぬけめ! 金は残ってねえのか? 貸せよ、抜けさく! さもないと、おまえがヨブのようにハンセン病にかかっていようと、カエサルのように疥癬《かいせん》になっていようとかまうこたあねえ、そこらじゅう探してやるぞ!」
「おいおい、ガリヤシュ通りってのは一方がヴェルリ通りで、もう一方がティクスランドリ通りだったな」
「うん、そうだ、そうだ。ジャン君、わが哀れなる友達よってんだ。ガリヤシュ通りだ。そうだともさ。まったくうめえや。だけどな、頼むからさ、しっかりしてくれよ。たった一スーだけあればいいんだ。七時の約束なんだよ」
「静かにして、輪舞曲《ロンド》を聞け。ほら、繰り返しのところをよく聞いてみろ。
ネズミがネコを食うならば、
王はアラスの領主さま。
大きく広い海原が
ヨハネの祭に凍るなら、
アラスの人がまちに出て、
氷の上に見えるだろう。」
「やい、この地獄行き野郎、おふくろの腸でも首にまいて、いっそ死んでしまえ!」と、フェビュスは叫んで、酔っ払っている学生を乱暴に突きとばしたので、学生は壁に突きあたって、そのままぐんにゃりと、フィリップ=オーギュストの敷石の上に倒れてしまった。
フェビュスのほうは、酒飲みが心にいつでももっている兄弟のような同情心がまだ残っていたためであろうか、神がパリの境界のすみというすみに備えておいた、あの金持が軽蔑して≪ごみため≫ということばで呼んでいた貧乏人の枕の上に、足でジャンをころがしてやった。隊長が斜めに切れているキャベツの株の上にジャンの頭をのせてやると、そのとたんにもう学生のほうは、グーグーとものすごくいびきをかきだした。しかし隊長の心には、ジャンを恨む気持がすっかりなくなっていたわけではなかった。
「荷車でも来て、通りがかりに持っていってしまっても仕方がないさ!」と、彼は、すっかり眠りこんでしまった哀れな学生に向かって言ったが、そのままたち去ってしまった。
外套に身を包んだ男は、彼のあとを追うのをやめて、決心がつきかねたものか、寝ている学生の前でちょっと立ちどまった。しかし、それから深い溜息をついて、彼もまた、隊長のあとを追って、立ち去ってしまった。
われわれも、彼らと同じように、ジャンを美しい星が親切に見まもってくれるままに眠らせておいて、みなさんがよろしければ、ふたりのあとを追って行くことにしよう。
サン=タンドレ=デ=ザルク通りに出ると、フェビュス隊長は、何者かが自分のあとをつけてくるのに気がついた。ひょいと振り返って見ると、人影らしいものがうしろの壁にぴたりと身をつけているのが見えた。彼が立ちどまると、その影もとまる、また歩きだすと、影もまた歩きだすのだ。彼は、そんなことはたいして気にもとめず、「ふん、ばかなやつだ! おれは金を持っちゃいねえんだぞ」とつぶやいた。
オータン学院の正門前で立ちどまった。彼が自分で勉強といっていたことを、ほんの少しばかりしたのは、この学院でのことであった。彼の不良学生としての習慣として、学校の正門前を通るときにはかならず、校門の右側に立っている枢機卿《すうききょう》のピエール・ベルトラン〔神学者、法律家。オータンの司教〕の彫像に向かって、ホラティウスの風刺詩の中で、かのプリヤポス〔ギリシア神話の庭園とブドウの神〕が、相当|辛辣《しんらつ》に訴えている「かつてわれはイチジクの幹であった」という侮辱のことばを投げかけるのだった。彼は、そこで、いままで幾度となく繰り返していたので、そのため≪オータンの司教≫という文字は、ほとんど消えかかっていたほどであった。
そういうわけで、いつものようにこの像の前に立ちどまった。まちには、人っ子ひとり通っていなかった。顔をあげて、呑気そうに飾り紐を結びなおしていると、人影がゆっくりと彼に近づいてくるのが見えた。
この人影は、非常にゆっくりと来たので、それが外套と帽子をつけていたのを見るだけの時間はたっぷりあった。彼のそばまでやってくると、人影は立ちどまった。ベルトラン枢機卿の彫像よりも、もっと身動きひとつしないのだ。そしてそのあいだ、じっと両眼でフェビュスをにらみすえていたが、その目は、夜のさなかにネコのひとみから出るほのかな光で溢れていた。
この隊長はなかなか勇敢な男で、盗賊が剣を握ってたちむかってきても、さしてびくともしなかった。しかし、像が歩きだすとでも言おうか、この化石のような男が進んでくるのを見ると、思わずぞっとして肝《きも》を冷やした。当時、世の中に、よくはわからないのだが、夜な夜なパリのまちまちをうろつき歩く修道服のお化けの噂《うわさ》がたっていた。この噂をふと思い出したのだった。
彼はしばらくのあいだ冷やりとしたが、とうとう思いきって笑いだして、沈黙をやぶった。
「おい、もしきさまがおれの望むように泥棒だとすれば、おれのふところをねらうなんて、サギがクルミの殻をつっつくようなものだぞ。なあきみ、おれは没落した家の息子なんだ。ねらうんならあっちのほうにするんだな。この学校の礼拝堂にゃあ、正真正銘の十字架の材が、銀の入れ物にはいっているぜ」
その人影は外套の下から手を出して、ワシのつめのように、フェビュスの腕をむんずとおさえた。と同時に、人影は言った。「フェビュス・ド・シャトーペール隊長!」
「えっ、なんだって! きさま、おれの名まえを知っているな!」とフェビュスが言う。
「おまえの名まえを知っているばかりではない」と、外套をまとった男は、墓から出てくるような薄気味の悪い声で言った。「おまえは、今夜逢いびきをすることになっているな」
「そうだ」とフェビュスはあっけにとられて答えた。
「七時にな」
「あと十五分ばかりしたらだ」
「ファルールデルの家でな」
「いかにも、そうだ」
「サン=ミシェル橋の連れ込み宿でな」
「主の祈りの文句を借りれば、天使長聖ミカエルのさ」
「汚らわしいやつだ!」と幽霊はつぶやいた。「女とだな?」
「≪告白する≫」
「なんという……?」
「スメラルダ」と、フェビュスは胸をはって答えた。だんだん、彼はすっかり持ちまえののんきな気持に返ってきた。
この名前を聞くと、人影は差し出した手で激しくフェビュスの腕を振った。
「フェビュス・ド・シャトーペール隊長、うそをつけ!」
このとき、隊長の怒りでまっ赤になった顔つきたるや、ぴょんとひと飛びうしろに飛びさがったが、それがあまり激しかったものだから、その勢いで釘抜きのようにがっしりと握りしめられていた腕を払いのけざま、怒りの形相ものすごく、剣の柄《つか》に手をかけた。
この怒りを前にして、外套を身にまとった男は、陰うつに、身動きもせずに立っていた。この光景を見た者があったら、さぞかし肝を冷やしたことであろう。それはさながら、ドン・ジュアンと石像との闘争〔女たらしのドン・ジュアンは、彼が殺したセビーヤの総督の石像につかまって、地獄に呑みこまれる〕のようだった。
「神々も照覧あれ! このシャトーペールに向かって、聞きずてならぬいまのひと言! もう一度言ってみろ」
「おまえは嘘をついている!」影の男は、冷然と答えた。
隊長は歯ぎしりをした。修道服のお化けのことも、幽霊のことも、迷信じみた噂のことも、そのとき彼はすっかり忘れてしまっていた。彼の目にはもう、ひとりの人間と、無礼な雑言《ぞうごん》しか映らなかったのだ。
「うぬ! よくも言ったな!」と、怒りに声も震えて、口ごもった。彼は剣を抜いたが、怒りのために恐怖のときと同じように体が震えて、ものもよく言えなかった。
「こっちだ! さあこい! さあ! 抜け! 剣を抜け! 舗道の血祭りにしてくれるぞ!」
しかし、相手は身じろぎもしなかった。見ると敵は、警戒をゆるめず、いつでも突っこめる用意をして、「フェビュス隊長」と言ったが、そのことばの調子は、にがにがしげに震えていた。「きみは、逢いびきを忘れておるな」
フェビュスのような人間の怒りは、ちょうど牛乳入りのスープのようなものだ。一滴の水を入れれば沸騰《ふっとう》もしずまってしまう。このたったひとことで、隊長は手に光っていた剣を下にさげた。
「隊長」と男はつづけた。「あすか、あさって、一カ月さきか、十年さきか、またわしに会うときには、首を洗って出直してこい。だが、いまはまず逢いびきにでも行ってこい」
「そうだな」と、フェビュスは心に納得させようとするかのように言った。「剣も女も、どちらも会いたくてたまらぬものだが、ふたつとも手に入れかかったのに、一方のために、なぜもう一方を犠牲にしなけりゃならんのか、わからぬが」
彼は剣を鞘《さや》におさめた。
「逢いびきの場所に行け」と、見知らぬ男は言った。
「ご親切、かたじけない」と、フェビュスは少し当惑したように答えた。「まったく、父祖アダムの胴着を切ったり、ボタンの穴をあけたりするのは、あすにでもできることだ。十五分ばかりでも気持よく過ごさせてくれるとは、まことにありがたい。本来ならば、きさまを川の中にでも叩き込んで、それから女のところに行っても遅くはないと思っていたのだが、まあいいさ、このようなときに、女をちょっと待たせておくというのも、ますます気持がよいものだからな。だが、きさまは、見たところなかなかいいやつだ。たしかに勝負はあすまで預けておこう。それで、まずおれは女に会いに行くとするよ。きさまも知っているように、七時の約束だからな」
こう言ってフェビュスは耳をかきながら、「ああ!しまった! 忘れていた! 部屋代を払う金が一文もなかったのだった。あのばばあのやつ、さきに金を出せって言いやがるだろうからな。おれはあいつに信用がねえからな」
「じゃ、これで払え」
フェビュスは、自分の手の中に、見知らぬ男がその冷たい手で一枚の大きな金をすべりこませたのを感じた。彼は、この金を取らないわけにはゆかず、その男の手を握りしめて、
「ありがたい! きさまはいいやつだな!」
「だが、条件があるのだ。わしの言うことが間違いで、きみの言ったことが正しいという証拠を見せてくれ。その女がほんとうにきみのいう名まえの女かどうか見たいと思うのだが、それができるように、どこかすみのほうにわしを隠してくれぬか」
「ああ、お安いご用だ。サント=マルトの部屋を借りよう。隣のきたない部屋から、好きなように見るがいいや」
「よし、来い」と、影の男は言った。
「おことばに甘えよう。だけど、きさまはまさか、悪魔どのの、ごじきじきのお出ましじゃないだろうな。まあ、今晩だけは仲よくしようや。あすになれば、きさまから借りた金も刀もみんなお返しするぜ」
彼らは足を早めて歩きだした。しばらくするとサン=ミシェル橋に来たのであろうか、川のせせらぎが聞こえた。ここには当時、家がたち並んでいたのだった。
「まず、ご案内いたそう」と、フェビュスは連れの男に言った。「それから女を探しにいく。あいつは、プチ=シャトレのそばでおれを待っているはずなんだ」
連れの男は、なんとも返事をしなかった。ふたりが連れだって歩いてからというものは、この男は、ひとことも口をきかなかったのだ。フェビュスは低いドアの前に立ちどまって、乱暴にノックした。ひと筋の光がドアのすきまからもれていた。
「どなた?」と、歯の抜けたような声がする。
「おい、こん畜生! 唐変木! べらぼうめ!」と、隊長は答えた。ドアはすぐに開いて、ひとりの老婆が手に古ぼけたランプをさげて、ふたりの前に出てきた。老婆も古ぼけたランプも震えていた。この老婆はすっかり腰がまがり、頭をぶらぶら振っていたが、その目はどんぐり眼《まなこ》で、手ぬぐいで頬かむりをしていた。手も顔も首も、一面にしわだらけで、唇は歯ぐきのところまで落ちくぼんでいた。口のまわりには一面に白い毛がもじゃもじゃはえていたので、まるでネコがあやされたときのような顔つきだった。
あばら家《や》の中も、老婆に負けずおとらず、ぼろぼろであった。壁は石灰で、天井の梁《はり》はどす黒くなって、ストーブもこわれたままで、すみというすみは、クモの巣だらけ、部屋のまん中には、テーブルとぐらぐらした椅子が、がたがたになったままひと組み置いてあり、ストーブの灰の前には、うすぎたない子どもがひとり、しょんぼりすわっていた。
奥のほうには、階段が、いや階段というよりも木の梯子といったほうがいいようなやつがひとつ、天井の揚げ戸に通じている。このけだものの穴に一歩足を踏み入れると、フェビュスの連れの不思議な男は外套を目まで上げた。隊長のほうは、サラセン人がするように、何か呪文《じゅもん》を唱えながら、あの驚嘆すべきレニエが言ったように、急いで≪一エキュの中に太陽を輝かせる≫ことをしたのだった。
「サント=マルトの部屋をな」と彼は言った。
老婆は、彼を殿さま扱いにして、その金を引出しにしまいこんでしまった。この金は、黒い外套の男が、さっき、フュビュスに与えたものであった。老婆が背なかを向けているあいだに、灰の中で遊んでいた、髪をぼうぼうにして、ぼろぼろになった着物をきた子どもが、こっそりと引出しのところにやってきて、その金をつかみとり、いままで置いてあった場所に、柴の束からむしってきた枯れ葉を一枚つっこんだ。
老婆は、ふたりをお殿さまと呼び、ついてくるように合図して、さきに立って梯子をのぼっていった。二階につくと、老婆はランプを棚の上に置いた。フェビュスは、この家のかってを知っていたので、暗い部屋に通ずるドアをあけて、「さあ、はいれよ」と連れの男に言った。
外套の男はひとことも答えずに、言うなりになった。ドアは、彼のうしろでふたたびしまった。フェビュスがまたかんぬきをしめて、しばらくすると、老婆といっしょに階段をおりていく音が聞こえた。明かりはもう消えていた。
八 川に面した窓が役に立つ
クロード・フロロは(というわけは、みなさんのほうがフェビュスよりも利口なかたがたであるから、この事件に出てきた修道服のお化けとは、ほかならぬ司教補佐であることをご存じだろうと思うからであるが)、隊長がかんぬきをしめていった、暗くきたならしい部屋で、しばらくのあいだ、あちらこちら手さぐりで調べていた。この部屋は、建築師が、ときどきあることなのだが、屋根と支えの壁との接触点につくっておくような片隅の部屋のひとつであった。この部屋の垂直な断面は、フェビュスがこの部屋を犬小屋といみじくも名づけたように、ちょうど三角形をなしているとでも言えるかもしれない。そのうえ、ここには窓も明かりとりもなかったし、天井は勾配《こうばい》がひどく急だったので、人が立っていることもできないくらいであった。
そこでクロードは、足もとに崩れている、ほこりや壁のくずの中にうずくまった。頭はかっかと熱していた。手でまわりをさぐってみると、こわれた窓ガラスが床に落ちていたので、それを額にあててみた。ひやりとしたので、少しは気持が楽になった。
このとき、司教補佐の暗い魂の中には、どんな考えが浮かんだのであろうか? 彼自身と神とのほかに知る者もなかった。
エスメラルダ、フェビュス、ジャック・シャルモリュ、弟、彼からこんなに愛され、しかも見はなされて泥沼の中にいる弟、司教補佐という聖職、おそらくは彼の名声、ファルールデルの家までひきずっていったこの名声、こうしたすべての姿やできごとは、いったいどういう宿命的な順序で彼の頭に組みたてられていたのだろうか? 私には、それを説明することができない。しかし、こういう考えが彼の心の中で、ある恐ろしいひとつの集団をなしていたことはたしかである。
彼は、十五分ばかり待っていた。そのあいだに彼は、一世紀も年をとってしまったような気がした。と、とつぜん、木の階段の踏み板がコトコト鳴る音が聞こえた。誰かがのぼってきたのだ。揚げ戸がまた開いて、ひと筋の光が射してきた。このあばら家の虫の食ったドアに、かなり大きなすきまがあったので、彼はそこに顔をおしつけてみた。こうすると、隣の部屋で起こったことをすっかり見ることができるのだった。
ネコのような顔つきをした老婆が手にランプを持って、まず揚げ戸から出てきた。つづいて、フェビュスが口ひげをひねりあげながら、またそれにつづいて、第三の人物が。あの美しくやさしい顔をしたエスメラルダだった。彼女の姿は、司祭の目には、ちょうど目をくらます幻のように、地の中から出てきたのだ。クロードは、がたがたと体を震わせた。目には雲がかかり、動脈は激しく動悸《どうき》を打って、あちゆるものが彼のまわりで音をたて、渦をまいていた。もうなんにも見えず、なんにも聞こえなかった。
ふと我に返ったときには、フェビュスとエスメラルダとが、ただふたり、ランプのそばの木の箱の上に腰をかけていた。ランプの光に照らし出されて、司教補佐の目には、若いこのふたりの顔と、屋根裏部屋の奥にあるみすぼらしいベッドとが、はっきりと見えた。
ベッドのそばには、窓がひとつあったが、そのガラス窓は、まるで雨に打たれたクモの巣のように、ぽっかりと穴があいていたので、その破れた編み目から、空の片隅と、遥かかなたに、柔らかな雲の羽根ぶとんの上に寝ている月とが見えた。
娘は顔を赤らめ、すっかりどぎまぎして、胸をどきどきさせていた。長いまつげを伏せていたので、赤い頬は暗くかげっていた。娘はどうしても目をあげて、隊長のほうを見ることができなかったが、士官の顔は晴れやかに輝いていた。彼女は機械的に、しかも、どことなくおどおどしていたが、魅力のあるしぐさで、腰かけのぐしゃぐしゃになったへりを指先でつまぐりながら、その指先をじっと見つめていた。娘の足は見えないが、小さいヤギがその上にうずくまっていた。
隊長の身なりはひどく粋《いき》なもので、えりと袖口《そでぐち》には金の房がついていた。当時の流行の先端をいく服装なのだ。
クロード師はこめかみに血がわきたって、ガンガンしたので、ふたりが話していることを、ほとんど聞きとれなかった。
(恋人同士の語りあいなどというものは、しごくありふれたものだ。いつでも、「ぼくはあなたが好きなんです」ということを繰り返しているだけだ。それを聞いている無関係な人びとにとっては、そのことばがいくらかの≪装飾音≫ででもあればともかく、それでもなかった日には、ただまるで飾りのない、気の抜けた音楽的なことばにすぎない。しかし、クロードは、冷淡な第三者として聞いていたのではなかった)
「ねえ! あたしのことを、はしたない女だと思わないでね、フェビュスさま。あたしのしたこと、ほんとによくないことだと思ってますわ」と、若い娘は、顔もあげずに言った。
「きみをはしたないと思うなんて! 可愛いやつだな」と、士官は、じつにじょうずに洗練されたお世辞たらたらで答えた。「きみを軽蔑するなんて、そんなことがあるもんか! でも、なぜだい?」
「だって、あなたのあとを追いかけてきたんですもの」
「そんなことを言ってるようじゃ、ね、きみ、ぼくたちはおたがいに理解しあってないっていうものだぜ。ぼくは、きみを軽蔑するどころか、憎らしいと思っているんだぜ」
娘はびっくりして、男のほうをまじまじと見て、「あたしのことを憎んでいらっしゃるんですって! あたしいったい、どんなことをしたのかしら?」
「そりゃ、きみがこんなに気をもませるからさ」
「まあ!……でも、そうすると、あたし、誓いを破らなければならないんですもの。……おとうさんやおかあさんに、もうめぐり会えなくなるのよ。……おまもりも、ききめがなくなってしまうの。……だけど、いいわ。もういまじゃ、おとうさんもおかあさんも、いらないんですもの」
こう言いながら、彼女は喜びとやさしさでうるんだ大きな黒い瞳をあげて、隊長をじっと見つめていた。
「何がなんだか、ぼくにはさっぱりきみの言うことがわからん!」と、フェビュスが叫んだ。
エスメラルダは、しばらくのあいだ、むっつりと黙っていた。そのうち目からぽろりと涙を流し、唇から溜息をもらして、「ねえ! あなた。あたし、あなたが好きなのよ」と言った。
娘のまわりには、純潔な香りと貞節の魅力がただよっていたので、フェビュスは彼女のそばにいると、まったく気楽な気持になるというわけにはゆかなかった。けれども、このことばを聞くと、すっかり大胆になって、「ぼくを愛してくれるんだって!」と有頂天《うちょうてん》になって言った。そして、このジプシー娘の体を抱いた。この機会だけを待っていたのだ。
司祭はこのありさまを見て、胸にかくし持っていた短剣のきっ先を指でまさぐった。
「フェビュスさま」
ジプシー女は、隊長がしっかりと抱きしめていた手を、やさしくベルトからはずして、ことばをつづけた。「あなた、いいかたね、おやさしくって、お美しいわ。あたし、命を救っていただいたのね、つまらないジプシーの捨て子でしかないのに。でもあたし、ずっとまえから、士官さまから命を助けていただくなんてことを、夢のように考えていましたのよ。まだお目にかからないまえから、夢のように考えていたのは、あなたのことなの、ねえ、フェビュスさま。あたしが夢の中で考えていたのは、あなたのようにきれいな服をきて、立派なごようすをして、剣を持って。あなたは、フェビュスさまっておっしゃるんでしょう。お美しいお名まえですのね。あなたのお名まえ、大好き。あなたのお刀も。ねえ、お刀を抜いてごらんなさいよ、フェビュスさま、それを見せてちょうだいな」
「子どもだなあ!」と、隊長は言って、笑いながら、その長剣の鞘《さや》をはらった。ジプシーの女は、その柄《つか》を見たり、刀を眺めたり、何か尊いものを見るようなもの珍しげなようすで、鍔《つば》についた飾り文字の名まえに目をとめていたが、やがて、剣にキスしながら、剣に向かってこう言った。
「おまえは勇ましいおかたの剣だ。あたしはこの隊長さんが好きなんだよ」
フェビュスは、この機会を利用して、女が首をまげたときに、その美しい首筋にキスをした。すると娘は、サクランボのように頬を赤くそめて、首をあげた。司祭は、このようすを見て、暗やみの中で歯ぎしりをしていた。
「フェビュスさま」と、ジプシーの女は言った。「あなたにことばをかけさせてね。少し歩いてみてちょうだいな。あなたのさっそうとしたお姿が拝見したいの。それにあなたの拍車の鳴る音が聞きたいわ。あなたって、まあ、お美しいかたねえ!」
隊長は娘の気にいるように立ちあがって、少しブツブツ言ってはみたものの、満足そうにほほえんでいた。
「きみはまったく子どもだねえ!……それはそうと、ねえ、きみは儀式のときのぼくの軍服姿を見たことがあるかい!」
「いいえ! ございませんわ」
「格好いいものだぜ!」
フェビュスはまた娘のそばに来て、腰をおろした。だが、今度はまえよりもずっとそばによってきたのだ。
「まあ、聞いてくれよ、ねえ、きみ、……」
ジプシー娘は夢中になって、やさしく、いかにも楽しげに、あどけないしぐさで、男の唇を、その美しい手で何回も軽く叩くのだった。
「いや、いやよ。あなたのおっしゃることなんか聞きませんわよ。愛して下さる? あたしを愛して下さるって、ひとこと言っていただきたいの」
「愛しているとも。かわい子ちゃん!」と、隊長は半ばひざまずいて叫んだ。「ぼくのからだも、血も、魂も、みんなきみのものさ。みんなきみのためにあるんだよ。愛しているとも。きみよりほかに、誰も愛したことなんかなかったんだぜ」
隊長は、いままでに何度もこんな場合に、このことばを繰り返してきたのだ。だからいまでも、このことばはひと息にすらすらと暗唱するように、口をついて出たのだが、ひとことも記憶違いがなかった。この熱のこもったことばを聞くと、娘は青空のかわりのきたない天井に、天使のような幸福でいっぱいになった目をあげ、「ああ! あたし、いまもう死んでしまったってかまわないわ!」とつぶやいた。フェビュスは、この「いま」こそ、彼女からもう一度キスを盗んでやるのに絶好な機会だと見てとった。が、あの哀れな司教補佐は、このありさまを見て、部屋のすみで、拷問にかけられたように苦しんでいたのだ。
「死んでしまうんだって!」と、この女好きの隊長は叫んだ。「ねえ、かわい子ちゃん、きみは、いったい何を言っているんだい? いまこそ生きてるかいがあるときというものだぜ。そうでないとすれば、ユピテルだってくだらぬ男でしかなくなるじゃないか! こんなうれしいことがはじまるっていうときに死ぬなんて! とんでもない! 冗談じゃないよ!……それはいかんよ。……まあ聞いてくれよ、ねえ、シミラール、……いや、エスメナルダ、どうも失敬。だけどね、きみの名まえは、なんだかとてもサラセンふうなんで、どうもうまく口から出てこないのさ。藪《やぶ》の中にはいったみたいで、途中でつかえちゃうんだよ」
「まあ、あたし、この名まえがとても珍しいんで、きれいな名まえだと思っていましたわ! だけど、あなたがおいやなんでしょうから、あたしのことをゴトンって呼んでもけっこうよ」
「おや! そんなつまらないことで泣くんじゃないよ、ね! そんな名まえ、慣れてしまえば、それでいいんだよ。一度覚えてしまえば、もうだいしょうぶだよ。……おい、聞いてくれよ、ねえ、シミラール。ぼくはきみに首ったけなんだぜ。ほんとうに愛して、われながら不思議なほどなんだ。あの女が知ったら、かあっとなって、……」
娘は妬《や》けてきたのか、ことばをさえぎって、「それ、どなた?」
「なに、なんでもないのさ。ぼくを愛してくれるんだろう?」
「そりゃあそうよ!……」
「よし! それでいいのさ。ぼくのほうだって、どんなにきみを愛しているか、わかるだろう? もしぼくが、きみを世界じゅうでいちばん幸福な人にしてやらなかったら、あのネプトゥヌスの神が、ぼくを刺し殺したっていいと思っているんだ。どこかにきれいな小さな家を持とうね。きみの部屋の下に、部下の射撃隊の兵士を連れてきて、分列式をさせてやるよ。みんな馬に乗っていて、ミニョン隊長の部下たちの鼻をあかしてやるんだ。槍を持った兵隊もいれば、大弓を持った兵隊も、手持ち長砲手もいるんだぜ。リュリの納屋に行って、パリの人たちの大きな閲兵式《えっぺいしき》を見せてやるよ。それは、素晴らしいものだぜ。八万人もの人びとが武装して、三万もの白い甲胄《かっちゅう》や、胴衣や、鎖かたびらもあるんだ。いろいろな職業の旗が六十七本もあって、高等法院や、会計検査院や、軍会計局や御用金税務局の旗もある。要するにものすごい大行列なんだぜ! ≪王の館《やかた》≫にあるライオンを見に連れていってやろう。まるっきり野獣なんだよ。女の人はみんな、これが好きなんだぜ」
しばらくまえから、娘は楽しい物思いに耽っていたので、彼の声の音《ね》に聞きほれて、しゃべっていることばの意味などは、なんにも聞いていなかった。
「きみは幸福になるよ!」隊長はこう言いつづけながら、同時に、そっとジプシー娘のベルトを解いた。
「まあ、何をなさるの?」と、女は激しく言った。こんな≪らんぼうな振舞い≫をされたので、娘は夢からさめてしまったのだ。
「なんでもないんだよ。ただ、きみがぼくといっしょになったら、こんなけちな、まちのすみで着るような着物なんぞは、捨ててしまわなけりゃいけないってことを言っただけなのさ」
「あたしが、あなたといっしょになったらですって。まあ、フェビュスさま!」と、娘はやさしく言った。
彼女はまた物思いに耽りはじめて、黙ってしまった。
隊長は、彼女がやさしくなったので、大胆になって、娘の体を抱きかかえたが、彼女はべつに抵抗もしなかった。それで、この哀れな娘のブラウスの紐をそっと解きはじめたが、彼女のえり飾りが、すっかりはずれてしまったので、かたずをのんで見ていた司祭は、このジプシー女の美しいあらわな肩が、むっちりとしたクリ色の肩が、ちょうど霧の中で水平線のかなたにあがる月のように、薄布から出てきたのを見たのだ。
娘は、フェビュスにされるままになっていた。彼女はそれに気がつかないらしい。このずうずうしい隊長の目はぎらぎらと光っていた。
とつぜん、彼女は男のほうを向いて、「フェビュスさま」と、無限の愛情をたたえて言った。「あなたのご宗旨《しゅうし》にわたしもはいられるように、あたしにいろいろなことを教えて下さいな」
「ぼくの宗旨だって?」
隊長は大声で笑いながら言った。「ぼくの宗旨できみを教えるって! 冗談じゃないよ! ぼくの宗旨できみはいったい、何をしようって言うんだい?」
「あたしたちが結婚するためですわ」
隊長の顔には、驚いたような軽蔑したような、また気にもとめないような、みだらな情念などが入りまじった表情が浮かんだ。
「おい、おい! 結婚するんだって?」
ジプシー娘はまっ青になって、悲しそうに顔をうなだれてしまった。
「ねえ、きみ」と、フェビュスはやさしく言った。「そんなおかしなこと言って、いったいなんだい? 結婚って、たいへんなことなんだよ! たとえ司祭の店先でラテン語を吐き出さなくったって、愛していないなんてことはないじゃないか」
このうえもないねこなで声でこう言いながら、彼は娘のそばにぴったりとよりそっていった。また、なでまわすように、その両手を、女のほっそりした、しなやかな体に巻きつけていた。彼の目はしだいに光を増していったが、こうしたようすを見ていると、いまフェビュスも、『イリアス』に述べられているあのとき……ユピテルがあまりばかなことをしたもので、さすが善良なホメロスも雲の助けを呼びに行かなければならなかった、あのきわどいとき……に近づいていることは明らかだった。
こうしているあいだに、クロード師は、このありさまをすっかり見届けてしまった。ドアは、すっかり腐りきった樽の桶板でできていたので、その割れ目のすきまから、まるで猛禽《もうきん》類のような目をぎらぎらさせて見つめていた。彼は、浅黒い肌をして、肩幅の広い男であったが、このときまで、修道院のおごそかな空気の中で清らかな生活をいとなんできたので、愛欲と夜の快楽と肉欲とのこのような光景を前にして、身はおののき、血はたぎりたってしまった。この若く美しい娘が、燃えさかる火のような青年に肌もあらわに身を任せているのを見て、彼の血管の中は、溶けた鉛が流れるようであった。
彼の心の中には、異常な動揺が起こった。彼の目はみだらな妬《ねた》みの念にもえて、彼女の服のピンがすっかりほどけてしまったその下を、じっと見つめていた。そのとき、虫のくった格子にぴったりと身をつけていた、この気の毒な男の顔つきを見たものは、まるでカモシカをむさぼり食う山犬を、檻の奥から見つめているトラの顔を見る思いがしたことであろう。彼の瞳は、ドアのすきまから、まるでろうそくのように、ぎらぎらと輝いていた。
とつぜん、フェビュスは、すばやくこのジプシー娘のえり飾りをむしりとった。この哀れな娘は、あいかわらずまっ青な顔をして、物思いに沈んでいたが、はっと夢からさめたように起きあがって、どうしても娘をものにしようとしている士官から、さっと飛び離れた。そして、すっかりあらわになった首や肩に目をやると、顔をまっ赤に染めて当惑し、恥ずかしさで、むっつりと黙りこんでしまって、美しい両手を胸の上に組んで、胸を隠した。燃える思いに赤く染まっている頬が見えさえしなければ、このように黙って、身動きもしないでいる女の姿は、ちょうど羞恥《しゅうち》の像みたいにみえるのだった。彼女は目を伏せたままであった。
そのとき、隊長が娘に触れたので、彼女が首にかけていた不思議なおまもりが、すっかり見えてしまった。
「それはなんだい?」
彼は、いま逃がしてしまったこの美しい娘に、また近よっていく口実をつかんで言った。
「さわっちゃいや!」と、彼女は激しく答えた。「これは、あたしのおまもりなの。あたしが身を清くまもっていれば、これがおとうさんやおかあさんに、めぐり会わせてくれるのよ。ねえ! 放してちょうだい、隊長さま! ああ、おかあさん! おかあさん!おかあさん! どこにいるの? 助けに来て下さい!おねがい、フェビュスさま! あたしのえり飾りを返して下さい!」
フェビュスはうしろにさがって、冷やかな調子で言った。
「ああ! お嬢さん! それじゃ、ぼくを愛してはいないんだね! わかったよ」
「あたしが、愛していないですって!」
この哀れにも不幸な娘は叫んで、同時に、隊長にぶらさがるようにして、自分のそばにすわらせた。
「あなたを愛していないんですって、まあ、フェビュスさま! なんてことをおっしゃるの、いじわるね。あたしの心、はりさけそうだわ! ああ! もういいわ! あたしのことをしっかりつかんでちょうだい、何もかもしっかりとね! そしてお好きなようにしてください、あたし、あなたのものよ。おまもりなんか、もうどうでもいいわ! おかあさんだって、どうでもいいのよ! あなたがあたしのおかあさまよ。だって、あたし、あなたのことを愛しているんですもの! フェビュスさん、ねえフェビュスさま、大好きよ、あたしのほうを見てる? あたしよ、あたしのことをじっと見てちょうだいよ。このあたしのことをお捨てになるって言うんじゃないんでしょう? あたし来ますわよ、あたしのほうからあなたを探して行きますわ。あたしの心も、体も、何もかも、みんなあなたのものよ、ねえ隊長さん。ええ、いいわ! 結婚などしないことにしましょう、おいやなんですものね。そして、あたし、なんなのかしら? 流れ流れて行くみじめな女よ。だけど、あなたは、フェビュスさま、あなたはちゃんとした貴族さまですものねえ。ほんとにたいへんなことだわ! 踊り子ふぜいが、士官さまと夫婦になるなんて! あたし、おばかさんだったわねえ。いいえフェビュスさま、いけないことなんだわ。あたし、あなたの愛人になるわ、お遊びの相手でも、慰さみものでもいいわ。よろしかったら、何もかもあなたに差し上げてしまった女でもいいのよ。そういうようにしか生まれてこなかったのだわね。汚されて、卑《いや》しめられて、恥ずかしめられて。でもいいのよ! 愛されてるんですもの。あたし、女のうちでいちばん誇りをもった、美しい女になるわ。あたしが歳とって、きたなくなっても、フェビュスさま、あなたを愛する資格がなくなっても、ねえあなた、それでも、おそばに置いて下さいね。なんでもいたしますわ。もっと素敵なかたが、あなたの肩章を刺繍してあげるでしょうね。でもあたしは、召使いになってお世話させていただきますわ。拍車をみがいたり、軍服に刷毛《はけ》をかけたり、乗馬靴の塵を払ったりするようなことだって、よろこんでいたしますわ。わえ、フェビュスさま、可哀そうに思って下さるでしょう? それまでは、あたしをしっかり抱いてちょうだい! ねえ、フェビュスさま、みんなあなたのものですわ。ただあたしのことを愛してちょうだいね! あたしたちジプシーの女には、それだけが大切なの、大空と恋とが」
こう言いながら彼女は、隊長の首に両腕を投げかけて、訴えるように、目には涙をいっぱいためて、美しく、笑いながら、男のほうをしげしげと見つめた。ほっそりした首筋は、ラシャの胴着と、ごわごわする刺繍とにやさしくさわっていた。そして、半ば裸になった美しい体を、ひざの上でくねらせるのだった。隊長は酔ったように、その燃える唇をこの美しいアフリカ女の肩にぴったりとつけた。娘はぼんやりと、目を天井に向けて、あおむけにひっくり返り、この口づけの下で、身を細かく震わせていた。
とつぜん、フェビュスの頭上にもうひとつの顔が見えた。青ざめた、きびしい顔だ。ぶるぶる震えている。のろわれた者のまなざしだ。顔のすぐそばに、短剣を握りしめている手があった。それはまさに司祭の顔と手であった。彼はドアを破って、そこに来ていたのだ。フェビュスはそれを見ることができなかったのである。
娘は、この恐ろしい人間が現われたので、身動きもせず、凍りついたように、声もたてられなかった。ちょうど、オジロワシが目を大きく開いて、巣の中をじっとねらっているときに、頭をあげている一羽のハトのようであった。
彼女は叫び声をあげることもできなかった。剣が、フェビュスの上に打ちおろされて、血煙をあげて引き抜かれるのが目にはいった。
「ううん、畜生!」隊長はこう言いながら、どうと倒れた。娘は気を失ってしまった。
彼女が目を閉じたとき、いや、なんにも感覚がなくなったとき、その唇の上に、火のようなものが触れたのを感じた。それは、死刑執行人のまっ赤に焼けた鉄よりも、もっと燃えさかる口づけであった。
彼女がようやく気がついたときには、自分のまわりを夜警の兵士がとり囲んでいた。鮮血にまみれた隊長はどこかに運びさられて、司祭の影ももう見えなくなっていた。川に面した部屋の奥の窓は、すっかり開けひろげられていた。一枚の外套が拾いあげられたが、士官の持物であろうと推察された。彼女には、自分のまわりで、つぎのように言っているのが聞こえた。「隊長を刺したのは、魔女に違いない」(つづく)