死刑囚最後の日
ヴィクトル・ユゴー作/斎藤正直訳
目 次
死刑囚最後の日
「死刑囚最後の日」序文
悲劇にまつわる喜劇
クロード・グー
解説
[#改ページ]
死刑囚最後の日
死刑囚!
私はもう五週間も、この考えといっしょに住み、いつも二人きりですごし、この考えの前にたえず身は凍りつき、その重みの下に背はいつも折れ曲がっている。
以前、といっても、このいく週間がいく年間にも思われるからだが、その以前の私も、他の人々と別に変りない一個の人間だった。毎日、毎時間、毎分ごとに、それぞれ違った考えがわいてきた。私の精神はまだ若くて豊かで、気まぐれな空想でいっぱいだった。それは人生という粗い、薄っぺらな布地を、見果てぬアラビア風の夢でとりとめもなく飾りたて、私の前につぎつぎと果てしもなく、楽しい世界をくりひろげてくれた。若い娘たち、司教のきらびやかな法衣、凱旋の英姿、さざめきと輝きとにみちあふれた劇場の夢。またしても浮かんでくる若い娘たちの姿、生い茂った大きなマロニエの木陰での、ほの暗き宵のそぞろ歩き。私の空想の世界は、まるでお祭りのようだった。私はどんな望みにも想いを馳せることができ、自由だった。
それは八月の美しく晴れた朝のことだった。
私の裁判は、はじまってからもう三日もたっていた。その間、私の名前と私のおかした犯罪は、毎朝雲のようにたくさんな傍聴者をよびよせていた。彼らは、まるで、死骸のまわりに群がる鴉《からす》のように、法廷のベンチに押しかけてきた。判事や、証人や、弁護士や、検事たちは、この三日間、私の前をまるでまぼろしの魔像のように、グロテスクな、時には血なまぐさい臭いを漂わせ、たえず陰気な、死を呼ぶ不吉な陰をおとしながら、往き来していた。最初の二晩は、不安と恐怖のために眠れなかった。三日目は、倦怠と疲労のあまり、裁判中につい眠ってしまった。深夜まで審議に夢中になっている陪審員たちをあとにし、私は牢獄の藁《わら》の上に連れもどされると、すぐに深い眠りに、忘却の眠りに落ちていった。それが裁判が始まって何日目かに私が得た、はじめての休息の時間だった。
誰かが私を起こしにやってきたとき、私はまだ、深い眠りの奥底にいた。こんどは、看守の重い足どりや、鋲をうった靴のたてる音や、錠前のがちゃつく音や、閂《かんぬき》の甲高くきしむ音などにも、私は容易に眼をさまさなかった。私をこの深い眠りから引きずりだすためには、「こら、起きろ」という荒々しい声が耳もとに浴びせられ、乱暴な手が、私の腕をはげしく揺り動かさねばならなかった。私は眼をあけ、びっくりしてとび起きた。その瞬間、独房のせまい高い窓から、となりの廊下の天井がみえた。それは、いわば今の私の眼に垣間みえるただひとつの空でもあったのだ。その天井に映ってる黄色な光の反射をみ、牢獄の闇になれてきた私の眼は、すぐに太陽の光をそこにはっきりとみてとることができた。私は太陽が好きなのである。
「好い天気ですな」と、私は看守に言った。
彼はしばらくなにも答えないで、つっ立っていた。そんなことに、いちいち相づちをうってやるだけのことがあるかどうか、考えているようだった。それから、いくらかお付きあいをしてやるといった感じで、突然|咳《つぶや》くように言った。
「そうらしいな」
私は立ったまま、なかば寝ぼけまなこで、口もとに微笑を浮かべながら、天井を染めている金色のやわらかな光の反射に、じっと眼をむけていた。
「ほんとに、好いお天気だ」と私はくり返した。
「そうだな」と、男も答えた。「みんながお前を待ってるぜ」
このほんのわずかなひとことが、自由に飛びまわってる昆虫をたちまちしばりつけてしまう一筋の糸のように、現実の世界に私をむざんにも引きもどしてしまった。突然、晴天にひらめく稲妻の光に照らされたごとく、私の眼前にはふたたび、あの重罪裁判所の暗い広間が、血なまぐさい|ぼろ《ヽヽ》をまとった判事たちのいる馬蹄型の席が、間抜け面《づら》のならんでる三列の証人席が、私の席の両脇につっ立っている二人の憲兵の姿が、さらに、黒い法服があちこちとうごめき回っているようすや、闇の底にはいずりまわる蟻のようにみえる群集の頭や、私の眠っている間、徹夜で審議してきた十二人の陪審員たちの眼が、じっと私の上にそそがれている光景などが浮かんできた。
私は立ちあがった。歯はがたがたと鳴り、手はぶるぶると震えた。そして、自分の着るべき服がどこにあるのかさえ分からなかった。両脚にも力がなくなってしまった。ひと足ふみだしただけで、重い荷物を背負いすぎた人夫のようによろめいた。それでも私は、看守のあとについて歩いていった。
二人の憲兵が、独房の入口で待っていた。私はふたたび、手錠をはめられた。手錠は複雑な仕かけになっていて、憲兵たちはそのひとつ、ひとつに、念入りに鍵をかけた。それは仕かけの上に、さらに仕かけのある二重鍵の錠前だった。私はされるがままになっていた。
私たちは中庭を通り抜けていった。朝のすがすがしい空気が私を元気づけてくれた。私は顔をあげた。空は青かった。そして暖かい太陽の日差しが、何本かのながい煙突にさえぎられながら、監獄のどす黒い、高い壁の一部に、明るい日の照った部分を角張ったかたちで描きだしていた。まったく申し分のない天気だった。
私たちは、螺旋状の階段をのぼっていった。ひとつの廊下をすぎると、他の廊下に移り、さらに三番目の廊下を渡りおわると、そこには寸のつまった低い扉が開かれていた。
ざわめきを伴った、暑苦しい空気が、顔に吹きつけてきた。それは重罪裁判所につめかけた群集の息吹きだった。私はなかにはいった。
私が姿をあらわすと、武器のがちゃつく音と、どよめきの声が法廷におこった。席の入れ替えが、やかましい音をたてて行なわれた。仕切りの板がきしんだ。その間、私は兵士たちにさえぎられ、二つの集団に分けられた群集のあいだの長い廊下を歩いていった。われを忘れて身体を前にのりだし、私を見送っている群集のなかを通りぬけているあいだ、私はなんだか自分が、これらの全部の顔を自在に引きまわす操り糸の中心になっているような気がした。
と、思った瞬間、私の身体からいつのまにか鉄の錠前がはずされているのに気づいた。それが、いつ、どこで、はずされたのか、私には思いだせなかった。
一方、その時にはもう、法廷内はすっかり静まりかえっていた。私は自分の席のところまでやってきていた。群集のなかのざわめきがやんだとき、私の頭のなかのざわめきもやんでいた。 と、突然私は、自分はいま、ここに、自分に下される判決をききに来てるのだ、という現実をはっきりと悟った。今までのそれは、私が頭のなかで漠然と垣間みてきたものにすぎなかったのだ。この自覚は、いま述べてきたような経過をたどって、突然私に生じたのだが、どういうわけか、恐怖の念は湧いてこなかった。窓は全部、開かれていた。街路の空気と雑音とが自由に、外から舞いこんできていた。広間は、まるで結婚式の時のように、晴ればれとしていた。こころよい太陽の日差しが、あちこちの小窓を明るく浮き出させながら、床板の上にながく延びてき、テーブルの上にまで拡がり、さらに壁の角にぶつかり、折れ曲がっていた。また、窓のところから、それらの菱《ひし》がたに明るくなった部分にまでさしこんできている、いくつかの太陽の光線のなかには、金色の埃がつくる大きなプリズムが浮きでていた。
裁判官たちは、広間の奥で、おそらく裁判はこれでもうすぐ終るのだ、という喜びのためでもあろう、いずれも満足げな面持で控えていた。日差しをうけた窓ガラスの反射をあびて、のどかに明るく照らされた裁判長の顔は、なんとなく静穏な、好意にあふれた感じをただよわせていた。一人の陪席判事は、まるで愉快そうにさえみえる表情を浮かべながら、うしろの特別席にいる、ばら色の帽子をかぶった美しい婦人と話しこんでいた。
陪審員たちだけが青ざめ、打ちしおれているようにみえた。だが、それは明らかに、彼らが一晩中徹夜した疲労からきてるものだった。彼らのうちの何人かは、あくびをしていた。彼らのようすには、どこをみても、いま死刑の宣告を下しにきた人間を想わせるようなものはまったくなかった。これらの善良な市民たちの顔には、ただもう早く眠りたい、という欲望しか、私には見分けられなかった。私の真向かいにある窓がひとつ、大きく開け放たれていた。そこから、河岸通りの花売娘たちの笑い声が、私の耳にきこえてきていた。そして、その窓ぎわの石のわれ目に、黄色のかわいい草が一本はえていて、太陽の日差しをいっぱいに浴びながら、風とたわむれていた。
こうした、いかにも和やかな感興のなかで、どうして不吉な考えなどおこりえよう。空気と日の光とにいっぱいにひたされて、私には自由以外のことはなにも考えられなかった。希望が、周囲の日の光とおなじように、私のうちにも輝いてきた。そして、私はすっかり安心しきって、釈放と生命とを期待しながら、自分の判決を待った。
その時、私の弁護人がやってきた。みんなは、彼を待っていたのである。彼は、ゆっくりと舌つづみを打って朝食をとり、十分に腹ごしらえをしたのち、やってきたのである。彼は自分の席にやってくると、微笑を浮かべながら、私の方に身体をかがめた。
「うまくいくと思いますよ」と、彼は私に言った。
「そうでしょうか」と、私も軽い調子でほほ笑みながら応えた。
「そうですとも」と、彼はくり返した。「あの連中が、どんな申告をしたか、私はまだ知ってませんが、予謀の点はとりあげなかったことは、たしかでしょう、とすれば、せいぜい終身懲役といったところでしょう」
「なんですって!」と、私は憤然として言葉をかえした。「それだったら、死刑のほうがずっとましです」
──そうだ、死刑のほうがずっとましだ! と、なによりもまず、自分にもはっきりとは分からないある内心の声が、私にくり返した。そうだ、今それをはっきりと口にしてみたとて、なんの危険があろう。つまり、死刑の判決というものは、真夜中の、ろうそくの火に照らされたどす黒い、暗鬱な広間で、それも冬の、雨のそぼ降る寒い晩以外に、一度だって人の口にされたことがあったか。ところが、どうだ、この八月の、この朝の八時に、しかも、こんな素晴らしい天気の日に、あんな善良な陪審員たちが控えている前で、そんなことがあってたまるか! そして、私の眼はふたたび、あの太陽の日差しをあびている黄色なかわいい花の上にもどっていった。
その時、突然、先ほどから弁護士の出廷を待っていた裁判長が、私に起立を命じた。兵士たちは武器を手にした。すると、電気仕かけのように、広間に集まっていた全員まで、同時にたちあがった。判事席の下の机に向っていた、馬鹿|面《づら》の、虫けらのような男が、──おそらく書記だと思うが、口を開いて、私の欠場中に陪審員たちが下した評決を読みあげた。冷たい汗が全身に流れた。そのままぶっ倒れないように、私は壁に身を支えていた。
「弁護人、本件の適用について、なにか申し述べることはないか」と、裁判長はたずねた。
私、この私には、言いたいことがいっぱいあったが、なにひとつ口にのぼってこなかった。舌が顎にへばりついてしまっていたのである。
弁護士は立ちあがった。
彼が、陪審員たちの申告した判決を軽減することにつとめ、彼らの申告した刑の代りに、先ほど弁護人がそれを望んでいるのを知って、私がひどく心象を害した例の適用に努力しているのが、よく分かった。
私の怒りは、私の考えを味方につけようと争ってるあらゆる感情のたかぶりを貫いて、はっきりと表面に出てくるには、極めて強烈なものでなくてはならなかった。私はすでに弁護人にいったことを、「死刑のほうがずっとましだ」ということを、もう一度たかい声でくり返して叫ぼうとした。しかし、私は息ぎれがし、ただ弁護人の腕を荒々しく引っぱるだけで、舌をもつらせながら、わずかに「やめて下さい」と叫ぶのが精いっぱいだった。検事長が、弁護人の主張に反駁《はんぱく》した。私は漠然とながら、満足した思いで、それに耳を傾けていた。
「死刑だ!」と群集はいった。そして、私が連れ去られるのをみると、まるで大きな建物がくずれるような音をたてながら、みんないっせいに私のあとについてきた。私は、まるでなにかに酔ったように、気もそぞろになって歩いていった。その時、私の心のなかである革命がおこった。死刑の判決をきくまでは、私の身体は、まだ他の人たちと同じ世界で呼吸し、脈打ってるのを感じていた。だが、今はすでに、世間と自分との間には壁みたいなものができてしまったのをはっきりと感じたのだった。もうどんな物も、以前と同じような姿では私の眼には映らなかった。あれらの大きな明るい窓、あの美しい太陽、あのきれいな花、それらいっさいのものは、もはや白ちゃけ、青ざめてしまい、経かたびらの色みたいになってしまった。私の歩いていく先に、つめよってくる男たち、女たち、子供たちの姿までが、幻のようにみえてきた。
階段の下で、黒い汚れた馬車が私を待っていた。その馬車に乗ろうとした時、ふとあてもなく広場をみまわした。──死刑囚だ! と通行人たちは馬車の方に駈けよりながら叫んでいた。私は、自分と自分以外の事物との間に立ちふさがってきた雲のようなものを通じて、まるで貪《むさぼ》るような眼つきで、私のあとを追っかけてきている二人の娘をみた。その年下の方が、手をたたきながら言った。
「そうよ、あと六週間したら死刑になるのよ」
死刑囚!
だが、それがどうだというのだ? どんな本だったかよくおぼえてないが、その本のなかに、たったひとついいことが書いてあったのを思いだす。人間はみんな、いつ刑が執行されるかわからない、猶予づきの死刑囚なのだ、と。してみれば、死刑囚という今の私の立場に、今までと違った、どんな大きな変化が生じたというのだろう。
私の判決が下された瞬間から現在までに、自分の今後のながい生命を確信してきた人間が、すでに何人死んでいったことだろう。若くて、自由で、健康で、私の首が所定の日にグレーヴの広場で落ちるのを見物にいくつもりでいた者たちのうちで、すでに何人が私より先に死んでいったことだろう! これからだって、その日までに、今は大気を吸って、自由勝手にわが家に出入りしてる連中の、おそらく何人かは、私より先に死んでいくだろう。
そうだとすれば、今の私は、人生になんでこんなに未練をもつのか。正直にいって、牢獄で暮らす暗い毎日と黒いパン、囚人用のバケツから汲みだされる一杯の薄いスープ、教育をうけた品位ある身を手荒くこき使われ、看守や監視らから虐待され、人間なみに話しかけてくれる者とて一人もなく、たえず己れの罪に責めさいなまれ、人から受ける仕打ちに、いつもおびえおののいている自分。考えてみれば、死刑執行人が今の私から奪い去ることができるものといえば、ただそれだけのことではないか。
ああ、それでもやっぱり、恐ろしい!
あの黒い馬車が、ここに、この醜悪なビセートル監獄〔一二八五年ポントアーズ司教がたてた僧院、ルイ十四世時代に廃兵院、養老院、精神病院などとなり、大革命後監獄になる〕に、私を運んできたのだ。
遠くからみると、この建物はある壮大さをそなえている。丘の正面に地平線が広がり、昔の栄光のいくばくかを、さすがに王城らしい構えを、遠目にはなお失わずにいる。だが、そばに近づくにつれ、この宮殿はぶざまな廃墟と化してくる。崩れおちた切妻は、みるにたえぬ酷《むご》たらしさを呈している。なんともいえぬ、いやしい、低劣なものが、その堂々たる建物の正面をけがしている。壁は癩病《らいびょう》やみみたいな面相をしている。窓には、ガラスはおろか、ガラス板らしいものもまったくない。そこには、十文字に交錯した鉄格子がはめられ、あちこちに、囚人や狂人の憔悴した顔が、糊ではりつけられたように、くっついている。
これこそ、真近からみた人生というものだ。
到着すると、たちまち鉄の手が私をつかんだ。ここでは、用心のうえに用心がつみかさねられていた。食事用のナイフもフォークもなかった。一種のずだ袋のような、兇悪犯用の拘束服が、私の腕をとじこめてしまった。ここの連中は、私の生命を安全に守ることに責任を負わされていたのである。
私は上告の申請をしていた。この申請は面倒な手続きのために、あと六、七週はかかるはずだったし、それにグレーヴ広場のために、その日までこの私を、安全に、健康に、保護しておくことが大事なことだったのである。
最初の数日間は、みんなはやさしくもてなしてくれた。それがかえって私には恐ろしかった。看守の丁重さは、死刑台の臭いを感じさせた。さいわい、それから二、三日もすると、もとどおりの習慣にかえった。看守たちは、他の囚人たちの場合と同様、私をむごたらしく取り扱いはじめ、私の眼にたえず死刑執行人の姿を浮かびあがらせた。あの馴染《なじ》めない丁寧な特別扱いはもはやしなくなった。変ったのは、そればかりではなかった。私の若さ、従順さ、監獄つき教誨師《きょうかいし》へのこまかい心使い、特に門番にもらしたラテン語のふたことみこと、それらはむろん、相手には通じなかったのだが、そうしたことのおかげで、私は、他の囚人たちといっしょに、一週間に一回、散歩することを許され、身動きもできない拘束服も着ないですむようになった。
何度もためらったのちだが、さらにその後インクと紙と、そして夜のランプまで、私にあたえられた。
毎日曜日のミサのあとの休息の時間には、私は解放され、中庭を自由に歩くことができた。私は、中庭で囚人たちと話をした。とても話をせずにはいられなかったのである。彼らはみんないい人間だった。彼らは自分たちの凄いやり口のことを話してきかせた。それらは、ぞっとするような恐ろしい話ばかりだったが、そこには誇張があるのを私は知っていた。彼らは私に隠語で話すことを、彼らに言わせれば「赤舌で文句を言う」ことを教えてくれた。それらは、通常の言葉に、一種の醜い瘤《こぶ》、|いぼ《ヽヽ》みたいなものがくっついた言葉だった。それらの言葉は、時とすると不思議な力をそなえていて、恐ろしい情景を眼の前に生々しく呼びおこす。
「リボンにジャムがくっついてる」──道に血が流れている。「後家を嫁にする」──絞首刑になる。まるで絞首台の縄は、絞首台に吊るされた男たちが、めいめい、あとに残した後家みたいなものだ。泥棒の頭には、二つの名前がある。考えたり、筋道たてたり、犯罪をそそのかす時の頭は、ソルボンヌ大学と呼ばれ、死刑執行人に切り落される頭は、ふと薪《まき》と呼ばれる。時には、寄席風の洒落を思わせるものもある。「柳の肩かけ」──屑屋の背負籠、「嘘つき」──舌。さらに、あらゆる場所、あらゆる瞬間に、得体のしれぬ、奇怪な、醜い、下等な言葉がとびだす。「松ぼっくり」──死。「押し入れ」──死刑場。まるで蟇《がま》や蜘蛛の言葉みたいだ。そんな言葉が口にされているのをきくと、なんだか、汚い、泥まみれなものが取りかわされてるみたいな気がしてくるし、なにか、ぼろ切れの束を鼻先で振りまわされてるような感じがする。
だが、少なくともそうした男たちは、私を喜ばしてくれる。私を喜ばしてくれる者は、彼らだけである。べつに怨むわけではないが、獄吏や、看守や、鍵番たちは、私のことを私の前で、まるで物みたいに話したり、笑ったり、口にしたりする。
私は自分に言った。自分は物を書くことができるんだから、なんで書かずにいられよう。だが、なにを書いたらいいか。裸の冷たい石の壁に四方をかこまれ、自由に歩きまわることも、地平線をみることもできず、ただひとつの気晴らしといえば、扉ののぞき穴から、正面のうす暗い壁の上に浮きだす、ほの白い四角な明るみが、時がたつにつれ少しずつ移動していくのを、機械的にじっと見ているだけのことだった。さっきも言ったように、ひとつの観念、罪と罰との観念、殺害と死刑との観念と二人きりですごし、この世にはもうなにもすることもなくなった私に、果たして言うべきなにが残ってるだろう。罰をうけ、涸《か》れはてた空しいこの頭脳のなかに、果たして苦労して書くだけの価値のあるなにかが見出されるだろうか。
いや、どうして見出せないと言えるだろう。たとい、私の周囲のいっさいのものが、単調で色あせたものに変ってしまったとはいえ、私の心のなかでは、ある嵐が、争闘が、悲劇が、展開されているのではないか。私をとらえて放さぬ強迫観念は、死刑の日が近づくにつれ、一時間、一瞬間ごとに、ますます醜怪な、血まみれの様相を呈して、たえず私の前にたち現われてくるのではないか。ごらんのように、世間からまったく見放されてしまった今の私の境遇にあってこそ、はじめて経験する激越な、えたいのしれない感情について、どうして自分自身に語らずにいられよう。たしかに書くべきことはいっぱいある。それに、私の生涯がいかに短いものであれ、今から最後の瞬間に到るまでの時間を埋めるに違いない、さまざまな苦悶や恐怖や責苦のうちには、このペンをすりへらし、このインクを涸らしつくすだけのものは十分にあるだろう。──それに、なによりもまず、これらの苦悩をしずめる唯一の方法は、これらの苦悩をじっと観察し、それを描きだすことだ。それによって、私の気もまぎれるだろう。
そのうえ、こうして私が書きつづる事柄は、おそらくむだにはなるまい。時間に時間をかさね、一分につぐ一分をかさね、苦悩に苦悩をつみあげてつづる、この苦しみの日記を、肉体的に不可能となる最後の瞬間まで、継続する力がもし私にあるなら、いずれは未完成におわるものの、その感情において、可能なかぎり、完璧なものとして残るこの日記は、それ自身、ひとつの大きな深い教訓をもたらすのではないか。死を直前にしたこの思考の調書には、たえず高まりゆくこの苦悩の進展のうちには、この一人の死刑受刑者の一種の知的解剖のうちには、罰を課する者に対する最上の教訓がふくまれてはいないだろうか。おそらく、この日記は彼らに対し、他日、彼らが一個の思考する頭脳を、一人の人間の脳髄を、正義の秤《はかり》と称するもののなかに投ずる際、彼らの手をより重苦しく感ぜしめることになるだろう。おそらく、彼らは、早急な死刑判決が、かえって受刑者に自責の苦悶をゆっくりと舐めさせる結果になる事実を、不幸にも一度だって反省したことはなかったろう。彼らが、この世から除き去るその男のうちには、ひとつの知性が存在し、おのれの人生に抱負を抱き、おのれの死など、まったく予期していなかった魂というものが存在しているのだ、という痛切な考えに、彼らは一度だって眼をすえたことがあるだろうか?
いや、彼らはそうしたすべてのもののなかに、ただ三角形の肉切り包丁が垂直に落下する事実しかみていないのだ。たしかに受刑者にとっての刑の前後の時間など、まったく無視されているのだ。
これらの数頁は、そうした彼らの誤った眼をさますに違いない。おそらくそれは、いつかは世に出版され、人々の精神を、精神のかかる苦悶にしばし足をとどめさせるであろう。かかる精神の苦悶こそ、彼らのまったく思いよらぬところなのだから。彼らは、肉体上の苦痛をほとんどあたえず、人を殺しうることを誇りに思っている。ああ! 問題は、まさにそこにあるのだ。精神的苦痛にくらべれば、肉体的苦痛などなんであろう。かかる思慮の上につくられた法律こそ、まさに恐るべくして、またあわれむべきものはないだろう。この一人のみじめな男の最後の告白たる手記は、やがていつかは、これらの問題になんらかの有用な資料を提供することになろう。
少なくとも、私の死後、この紙片が泥にまみれ、風にさらわれることがなければ、あるいはまた、看守の部屋のこわれた窓ガラスに、星型にきりはりされて、雨に朽ちはてることさえなければ、だ。
ここに誌すことが、いつかは他の人たちのために役に立ち、判決を下さんとする判事を引きとめ、有罪、無罪をとわず、あらゆる不幸な人たちを、私がうけた苦悩からまぬがらしめるようにと、私はなぜ願うのか。いったいそれが私になんの得になるのか。それが、いったい私になんの関係があるのか。私の首が切り落とされてしまえば、そのあとでいったい他人の首が切りおとされようと、それが私になんの係わりがあるのか。こうした馬鹿げたことを、誰が本気になって考えるのか。自分がそこにのぼり首をはねられたあとになって、断頭台をぶちこわす。それがいったい、自分になにをもたらすというのだ。
ああ、なんということだ。その時にはもはや、太陽も、花々の咲き乱れた野原も、朝早く眼をさます小鳥たちも、雪も、樹木も、自然も、自由も、生命も、それらすべてのものは、すでに私のものではないのだ。
そうだ、救わねばならぬのは、この私ではないか。──それは、もはや不可能だというのは、果たして本当なのか。明日にでも、いや、おそらく今日にでも、私は死なねばならぬ。というのは、まさしく本当なのか。ああ、今にも独房の壁で自らの頭を打ち砕きたくなる、この恐ろしい想い。
あと何日、生きておれるか計算してみよう。
判決後、上告の手続きをとるため、三日間遅延。
重罪裁判所の検事局で、上申書を八日間放置、その後ようやく彼らの言う一件書類、大臣に提出。
大臣の手もとで十五日間のとめ置き。大臣は書類の存在さえ知らぬ。だが、書類は検閲後、破毀《はき》院に回付されたものと想像される。
破毀院で、書類の類別、番号付け、登録が行なわれる。なぜなら、断頭台が満員で、順番制になっているからである。
特赦が行なわれぬための条件を調査するのに十五日間。
最後に、通常、木曜日に破毀院が開廷され、多数の上告書が一挙に却下され、書類の全部が大臣の手もとに返付され、大臣はさらにこれを検事総長に返還し、検事総長が最後に死刑執行人に回送する。これに要する三日間。
四日目の朝、検事総長は、ネクタイをしめながらつぶやく。「この事件も、そろそろ|けり《ヽヽ》をつけなくてはなるまい」そこで書記代理が友人との会食かなにかで差し支える事情がなければ、彼によって処刑命令の正本が作成され、文書にされ、浄書ののち送付される。そして、その翌日の朝から、グレーヴの広場で、一台の木組みに釘を打ちこむ音がきこえはじめ、町の四辻では、新聞売りがしゃがれた声をはりあげて叫ぶのがきこえてくる。全部で六週間はかかる。あの若い娘が言ったのは、本当だ。
さて、私がこのビセートルの監獄に連れてこられてから、いちいち数えるのもつらいが、少なくとも五週間、おそらくは六週間たってるかもしれない。なんでも、三日前は木曜日だったようだ。
私は遺書をかいた。なんのために──私は上訴費用の自己負担を言いわたされた。貯えの全部をその費用にあてても、まだ足りないだろう。断頭台、それはひどく高価なものにつく。
私は一人の母、一人の妻、一人の子供をあとに残してゆく。三歳の小さな女の子は、ばら色の頬をしたあどけない黒い大きな瞳と、ながい栗色の髪の毛をした、気立てのやさしい子である。
最後にあの子をみた時は、まだ二年と三カ月にしかなっていなかった。
こうして私の死後には、息子をなくし、夫をなくし、父をなくした三人の女が残る。それぞれ異なった孤独の女たち。法律が生みおとした三人の寡婦《やもめ》。
私は自分が正当に罰せられていることを認める。しかし、これらの|むじつ《ヽヽヽ》者たちは、なにをしたというのだ? なんの理由もなく、人々に侮辱され、破滅させられてしまう。それが報いというものなのか。
年老いた憐れな母親のことを心配するのではない。彼女はすでに六十四だ。この打撃で死ぬだろう。なお、数日生きながらえるとしても、最後の息をひきとる瞬間まで、懐炉《かいろ》にいくらか温かい灰さえあれば、なんの不平もこぼすまい。
妻のこともあまり気にならない。彼女もすでに健康をそこね、心身ともに弱りはてている。妻もやがてまた死ぬだろう。でなければ、気が狂うだろう。狂人はなが生きするといわれる。だがその時の彼女の知性は、もう苦しむことはないだろう。彼女の知性は眠ってしまい、もう死んだも同然なのだから。
だが、娘のことが、あの子のことが、あの今もなお、なにも考えず、いつも笑い、たわむれ、歌いつづけてる、あのかわいそうなマリー。あの子のことを思うと、私の心は責めさいなまれるのだ。
私のいる独房のことを話そう。
周囲を石の壁でかこまれた、八ピエ〔二・六メートル〕四方の部屋が、外の廊下より一段高くなった石床の上に直立している。
なかにはいると、扉の右手が奥にえぐれてて、そこが寝床というわけだ。なんともお話にならぬひどいものだ。ひとたばの藁が投げすてられてるだけで、囚人はそこで夏も冬も麻のズボンに、ズックのうわ着をきたまま、休んだり、眠ったりする。
頭上には青天井のかわりに、アーチ型と称する──黒天井がかぶさってて、ぷあつくこびりついた蜘蛛の巣が、ぼろきれのようにぶらさがっている。
窓は、風通しほどの窓すらない。板に鉄板をはめこんだ扉がひとつあるきりだ。いや、間違ってた。扉のまんなかから上の方にかけて、九インチ四方ののぞき穴があいている。鉄格子が十文字にはめこまれ、夜になると、その穴を看守がしめる。
そとは、かなりながい廊下になっている。廊下の壁の上方にある風窓から空気も明るい光ももれてくる。廊下は煉瓦の仕切りで、いくつもに区切られてる円い低い扉をくぐって、廊下から廊下へと、通行できるようになっている。煉瓦の仕切りで区切られた廊下部屋は、それぞれ、私が今いるようないくつかの独房の一種の控えの間として使用されている。独房には、典獄から苦役を課された囚人たちがいれられるが、最初の三つの部屋は、死刑囚にあてられている。それらの部屋は、獄舎にいちばん近くて、獄吏には最も都合のいい場所にあるからだ。
死刑囚用の三つの独房だけが、昔のビセートル城の名残りをとどめ、ジャンヌ・ダルクを火刑に処した、例のウインチェスター枢機卿が十世紀に建てたままのものである。いつだったか、監房を見物にやってきた物好きな連中が話しているのをきいて、はじめて知ったのだが、この連中は、独房にいる私を、まるで動物園の野獣でもみるみたいに、遠くから見物しているのだ。看守も、その代金として百スーもらうのである。
言いおとしたが、私の独房の扉には、昼夜を通して監視がおかれ、例の四角なのぞき穴のほうへ眼をやると、必ずどんぐりまなこで、じっとこちらをみている、二つの眼にであう。
それでもなお、この石の箱のなかには、空気と昼の明《あか》りぐらいはあることになっている。
十一
夜明けはまだらしい。それまでの夜をどうしてすごすか。ある考えが頭に浮かんだ。私はたちあがり、独房の四方の壁をランプであちら、こちら照らしてみた。壁は、文字や絵や、奇怪な顔や、名前などの落書でうまり、それらは互いに重なりあい、消しあっていた。どんな囚人もここでは、せめて、自分の生きてた|しるし《ヽヽヽ》をあとに残しておきたかったらしい。鉛筆のや、白墨のや、炭でかいたのもあるし、白や黒や灰色でかかれたのもあるが、石のなかに深くきざみこんだものが多く、なかには、血でかかれたみたいに錆《さび》ついてる字体も、ところどころにみえる。私の心がもっと自由な状態にあったなら、独房のひとつひとつに、一頁ずつひろがってゆくこの不思議な書物を眼にして、もちろん、ふかい興味をそそられただろう。そしてさらに、この石だたみの上にまき散らされた、こうした思想の断片を、ひとつにまとめあげ、それぞれの名前の下に、それぞれの男の顔をつきとめ、ばらばらに切断されたこれらの碑銘に、手足をもぎとられたこれらの文句に、頭のかけたこれらの言葉に、これらの文字を書いた人々とおなじように、首のないこれらの胴体に、はっきりした意味と生命とをあたえてやりたくなったろう。
私のしている枕ぐらいのたかさのところに、一本の矢に貫かれ、焔をたててる二つのハートが描かれ、その上に、「生涯をかけた恋」とかかれている。この不幸な男は、ながい生涯をかけた約束をはたせないで終わったのに違いない。そのそばには、三角帽をかぶった小さな顔が、不器用に描かれ、「皇帝万才、一八二四年」と、下に書いてある。
なお、焔をあげて燃えているハートの絵は、ほかにもいくつかあり、そばに「私は、マティユー・ダンヴァンを恋し、熱愛する、ジャック」といった、牢獄に特有なこの種の文字がそえられている。
反対がわの壁には、「パパヴォアーヌ」という名前がよまれる。頭《かしら》文字のPの大文字には唐草模様のふちどりがされ、手のこんだ飾りつけがしてある。
猥せつな小唄の一節。
さらに石の壁にかなり深くきざみこまれた自由派を表徴する帽子、その下に、こうした文字がみえる。「ボリー。──共和党」
ボリー〔パリの連隊で活躍した革命派の炭焼党員の若い指導者で下士官。ロシェルの連隊に移動した際、仲間の密告で捕われ、一八二五年九月五日、他の三人の下士官、グーバン、ラル、ポミエとともに処刑される。処刑の日、党員たちは彼らの奪還を計ったが失敗におわる。裁判の当日、ボリーが行なった演説は聴衆に深い感銘を与え、民衆は彼の助命を政府に嘆願したが却下された〕は、ロシェルの四人の下士官の一人だった不幸な青年である。政治上の必要事なるものが、いかに呪うべきものであるか。その必要事という、ただひとつの考えのために、その夢のようなつくりごとのために、ひとつの抽象のために、断頭台という恐ろしい現実が、一人の罪のない人間につきつけられたのだ。この私でさえ、実際に罪悪をおかし、流血の惨事を引きおこした、この、どうにも救いようのない人間の私でさえ、不公平を訴えてるというのに。
もう、これ以上、壁の上をさがしまわるのはやめよう。──壁の片すみに、恐ろしい絵が白墨で描かれてるのが、私の眼にとまった。おそらく、今頃はもう、私のために、立てられているはずの、あの死刑台の絵だった。──私は思わず、ランプを手から落としそうになった。
十二
私はいそいで藁床の上にもどり、膝に頭をたれて坐った。
そのうち、子供じみた恐怖の念も消え、ふたたび異常な好奇心にとらえられた私は、またも、壁の上に文字を読みつづけることになった。
パパヴォアーヌの横の、壁の角にはられた蜘蛛の巣が、埃をあび、あつぼったくなっているのを、私は手で払いのけた。蜘蛛の巣の下の壁には、ほとんどただの汚点と化してしまったような、多くの名前がしるされていた。そのなかにはまだ、四つか、五つ、はっきりと読みとれるものがあった。「ドータン、一八一五年。──プーラン、一八一八年。──ジャン・マルタン、一八二一年。──カスタン、一八二三年」私はそれらの名前を読んだ。すると痛ましい記憶が頭によみがえってきた。ドータンは、自分の兄弟を四切りにし、夜になって、パリの町にでかけ頭を貯水池に、胴体を下水道になげこんだ男なのである。プーランは、自分の妻をだまして殺した男である。ジャン・マルタンは、年老いた父親が、窓を開けてるところを、ピストルでうち殺した男である。カスタンは医者で、友人に毒をもったうえ、さらにその重病の友人の手当をしながら、なおも毒をのませた男だ。つづいてこれらの男のそばに子供たちの頭を刃物で切りおとして殺した恐ろしい狂人、パパヴォアーヌが控えているのだ。
これが、みたままの事実なのだ、と、私はひとりごちた。すると熱病のようなふるえが、背筋にのぼってきた。私の前にこの独房の主人だった男たちは、こうした人間たちだったのだ。
彼らはここで、今私のいるこの床石の上で、殺人と流血の惨事を引きおこした男たちは、その最後の考えにふけっていたのだ。この壁のそばで、このせまい四角な部屋のなかで、彼らは野獣のように、その生の最後のあゆみをつづけていたのだ。彼らはひっきりなしに短い期間をおいてやって来ては、消えていったのだ。この独房があいたままになることはないらしい。彼らが残していった席はまだ温かい。彼らは、私のために、その席をのこしていったのだ。やがて私もまた、順番がくれば、草のおい繁ったあのクラマールの墓地に行って、彼らの仲間にくわわるのだ。
私は幻覚をみる人間でも、迷信家でもない。おそらく、今のような考えのために、熱に浮かされていたのだろうか、そうした夢想にふけってるうちに、私はそこにかきこまれている不吉な名前が突然、めらめらと燃えあがり、焔の文字となって黒い壁の上に描きだされてくるような気がした。耳のなかで、なにか物音がしたかと思うとそれが次第にせわしく、けたたましく鳴りひびいてきた。赤さびた光が、眼にいっぱいにさしこんできた。と、みるまに、独房が人でいっぱいにうずまってしまった。異様な風体をした人間たちが、それぞれ自分の頭を左手にもって立っていた。彼らは、髪の毛がはえてない頭を、口のところをつかんでもっていた。昔、親殺しの罪で、手を切りおとされた男以外は、みんな私にむかつて拳《こぶし》をさしだしていた。
あまりの恐ろしさに、私は眼をつぶった。すると、そうした光景が全部、さらに、はっきりと眼に浮かびあがってきた。
夢にせよ、幻覚にせよ、現実にせよ、その時、なにかが、私の身体にさわったような気がして突然眼をさまさなかったら、私は気が狂っただろう。もう少しで仰向けにぶっ倒れそうになったとき、冷たい腹をし、|もじゃもじゃ《ヽヽヽヽヽヽ》に毛のはえた肢をした|もの《ヽヽ》が、私の裸の足の上をはっていくのを感じた。それは、私に巣をはらいおとされて、逃げていく蜘蛛だった。
おかげで、私は|われ《ヽヽ》に返った。──なんという恐ろしい亡霊だろう──いや、それは単なる煙みたいなものにすぎなかった。痙攣《けいれん》してる私の空っぽの脳髄が生みだした、虚像にすぎなかったのだ。「マクベス」風の幻影にすぎなかったのだ。死者はもうこの世のものではない。特に彼らはそうだ。墓のなかに入れられて、錠をおろされている。監獄と違って、そこから脱けだすことはできない。では、どうしてあんなに恐ろしかったのだろう。
墓の扉は、なかからは開けられないはずだ。
十三
私は最近、ある醜悪なものをみた。
まだやっと、夜が明けるか明けない頃のことだったが、監獄のなかがひどく騒がしくなった。重い扉を開けたり、閉めたりする音や、鉄の閂《かんぬき》や、南京錠のきしむ音、看守の帯につられた鍵束のがちゃつく音、階段を上下する慌しい足音、ながい廊下の両はしから叫んだり答えたりしてる声がひっきりなしに聞こえてきた。まわりの独房の囚人たちや、一般の懲役囚たちが、いつもより陽気にはしゃいでいた。ビセートルの監獄全体が、笑ったり、歌ったり、踊ったりしてるみたいだった。
私はこうしたひどい騒ぎのうちで、ひとり口をつぐみ、身動きもせず、ただ驚いて、用心深く、耳をすましていた。
看守の一人が通りかかった。私は思いきって、彼を呼びとめ、監獄でなにか祝いごとでもあるのかとたずねた。
「お祝いごとといやあ、まあお祝いごとかもしれねえなあ」と、彼は答えた。
「今日は、明日ツーロンの徒刑場にいく囚人どもに鎖をつける日なんだ。みせてやろうか。面白いぞ」
どんな醜悪なものでも、ひとりぼっちの独房囚には、なにかを見物するということはありがたいことだった。私は、その楽しみを味わわせてもらうことにした。
看守はいつものように入念な身体検査を行ない、それから私を誰もいない監房につれていった。そこにはまったくなんの備えつけもなかった。ちょうど肱《ひじ》がかけられるぐらいの高さの、鉄格子のはまった本当の窓がひとつ、そこからは正真正銘の青空がみえていた。
「ほら」と看守は私に言った。「ここからだと、なんでもみたり、聞いたりできるんだ。おめえは、まるで王さまみてえに、この部屋にひとりでおられるんだぞ」
そう言うと、彼は外に出て、錠前と南京錠と閂とで、私をその部屋にとじこめてしまった。
窓はかなり広い四角な中庭に面していた。庭の四方には、壁のように、切石づくりの七階だての建物がそびえていた。この四つの建物の正面ほど、不恰好な、むきだしの、みるもあわれな姿のものを見たことがない。鉄格子の窓が、まるで糊ではりつけたみたいにくっついてて、その窓の下から上まで、数えきれないほどのやせこけた青い顔が、壁の石垣のように積みかさなり、しかもそれが、みんな、鉄格子のすき間にそっくりはめこまれてるみたいにみえた。この連中はやがて、自分たちの登場をまちながら、今は見物側にまわっている囚人たちだった。それは、地獄をみおろす煉獄の風窓に群がってる受刑者の魂みたいでもあった。
彼らはみんな、まだ誰も出てこない中庭をしずかにみつめていた。彼らは待ちあぐんでいたのだ。それらの生気のない、陰鬱な、顔のあいだに、鋭く、食いいるような眼がまるで火のように、あちこちに光っていた。
中庭をかこんでる監獄の四角な建物は、きちんとつぎ合わさってなかった。四つの棟のひとつは(東を向いてる部分)なかほどでたち切られ、となりの壁とは、鉄柵でつながっているだけだった。鉄柵の向うには、さらに小さな中庭があって、こちらのとおなじように、黒ずんだ壁と切妻《きりづま》とでかこまれていた。
こちらの中庭には、壁を背にした石の腰掛が、周囲をとりまいている。その真中に、燈火をつけるための鉄の柱が立っている。
十二時が鳴った。奥まったところにかくされていた大門が、突然開かれた。一台の荷馬車が、青い服と赤い肩章と黄色の帯章をつけた、うす汚いむさくるしい感じの兵隊まがいの男たちにまもられて、金具の音をがちゃつかせながら、重々しく中庭にはいってきた。それは徒刑囚の一群と鎖だった。
同時に、その音がまるで、監獄中の音を全部呼びさましたかのように、それまで黙ってじっとしていた窓の見物人たちの、喜びの叫び声、唄の文句、おどし文句、呪いの声を、耳をつきさすような笑い声とともに、いっせいに爆発させた。まるで悪魔の顔をみるようだった。どの顔もしかめ面をし、全部の人間の拳が鉄格子からつきだされ、声という声は、あらんかぎりの力でわめきたて、眼という眼は、みんな燃えたぎっていた。あんな灰のなかから、こんな物凄い火花がふたたびとびだすのをみて、私はおそろしくなった。
しかし、そうした騒ぎのなかにあって、監視たちは平然と、自分たちの仕事にかかっていた。そのなかには、小綺麗な服をき、びくびくしてる者もいるのをみると、どうやら、パリからわざわざ物好きにやってきた連中もまじっているようだった。監視の一人が荷馬車の上にのると、鎖と、徒刑囚に護送中はめる頚輪《くびわ》と、麻ズボンの束とが、仲間の方に、投げおろされた。すると、監視たちは、めいめい分担して自分の仕事をやりはじめた。ある者は、中庭の隅にいき、彼らの言葉でいう綱を、つまりながい鎖をときほぐしはじめた。ある者は石だたみの上に、彼らの言葉でいう琥珀《こはく》を、つまりシャツとズボンとをいっぱいに拡げていった。一方では、いちばん目の利《き》いた連中が、背の低いでっぷりした老人の監視長のみてる前で、鉄の首枷《くびかせ》をひとつひとつ入念に検査し、次にそれを火花がでるほど石だたみの上にたたきつけて、ためしていた。こうしたすべての仕事は、一群の囚人たちの集中的な嘲笑のうちに行なわれていった。彼らの嘲笑を押えて、さらにたかくきこえてくるのは、この準備作業の当の対象である、他の建物にいる徒刑囚たちのわめきたてる騒々しい笑い声だった。
小さい方の中庭に面した古い監獄の窓に、他の囚人たちと分離された彼らの姿がみえていた。準備作業が終了すると、監察官殿とよばれる銀モールをつけた人物が、刑務所長に命令をくだした。とすぐに、建物の二つ、三つの低い扉が開き、まるで口からひと息、ひと息、吐きだされるように、ぼろをまとった姿で、わめきたてている男たちの群が、中庭のなかに送りだされてきた。ツーロン行きの徒刑囚たちだった。
彼らが姿をあらわすと、窓に顔をだしてる連中の喚声は、ますます激しくなった。徒刑囚のうちのある男たち、徒刑場でもその名のとどろいている連中は、歓呼と喝采を浴びせられると、彼らもまた一種の誇りにみちた謙譲さをもって、それに応えていた。大部分の連中は、監房の床藁で編んでつくった帽子まがいのものをかぶってたが、どれもこれも、ひどく変てこなものばかりだった。それというのも、彼らはこれらの帽子によって、町中を通っていくとき、自分を目立たせようというのだった。なかでも、特に変てこなものほど、なお一層、喝采をあびた。ある一人は、熱狂的な賞讃をはくした。それは女の子のような顔をした十七歳の青年だった。八日前から面会禁止になってた独房から、彼は出てきたのだった。彼は独房の藁束で、服をつくり、それを頭から足先まですっぽり着こみ、まるで蛇がうねるみたいに、とんぼ返りをうちながら、中庭にはいってきた。男は窃盗罪で、刑に処せられた道化役者だった。はげしい拍手と歓呼の声がわきおこった。徒刑囚たちもそれに応えた。真打ちの徒刑囚と見習いの徒刑囚との間に、やりとりされるこの喜悦の贈答は、実に恐るべき事態でもあった。獄吏たちとびくびく者の物好き連中とで代表される正常な社会が、なお、いくらかそこに存在していたとはいえ、罪悪は、面と向って、この正常な社会を嘲笑し、その恐ろしい刑罰を、内輪同志のお祝事にしているのだ。
彼らは、つぎつぎに到着するにしたがい、監視の役人たちのつくってる二列の人垣を通りぬけ、鉄柵のある、小さな中庭のほうへ押しやられた。そこには医者たちが彼らを診察するために待っていた。囚人たちはそろって眼が悪いとか、足がびっこだとか、手が利かないとか、身体の悪いことを口実にして、護送をまぬがれる最後の努力をこころみた。しかし、ほとんどが徒刑場行きに差し支えのない身体であることが認定された。すると彼らはめいめい、こともなげに諦めをつけ、あれほど訴えた生涯なおらぬ不具な身体のことは、すぐ忘れてしまった。
小さな中庭の鉄柵がふたたび開かれた。獄吏の一人がアルファベット順に徒刑囚の点呼をはじめた。名前を呼ばれるたびに、彼らは一人一人出てきて、大きな方の中庭のすみにゆき、頭文字の順で、偶然となりあわすことになった仲間のそばにいってならんだ。こうして彼らは、実際にはそれぞれ自分ひとりだけになってしまう。めいめい自分の鎖を背負って、見知らぬ男とならぶ。たまたま、一人の友がいても、鎖が二人の間をへだててしまう。悲惨のかぎりだ。
およそ三十人ばかりの徒刑囚が中庭から出てきた時、鉄柵がまた閉められた。監視人の一人が棒で彼らを整列させ、粗い麻のシャツとうわ着とズボンとを一着ずつ、一人一人の前に投げだしたのち、ある合図をした。みんなはいっせいに服をぬぎはじめた。するとその時、予期せぬことが、まるですきをねらってたかのようにもちあがり、この屈辱を、拷問に変えてしまった。
それまでは、空はかなりよく晴れてて、十月の北風が吹き、あたりの空気はひえびえとしてたものの、時々その北風のおかげで、空にかかった灰色の靄が、あちこちさけ、そこから太陽の日差しがもれてきていた。しかし、徒刑囚たちが獄衣をやっとぬぎおわり、裸のまま、獄吏たちのしつこい検査に身をさらし、彼らの肩の烙印をみようと、まわりをうろついてるよそ者の物好きな連中の視線をあびてるとき、空は暗くなり、突然、つめたい秋の驟雨がはげしい音をたて、四角な中庭に、徒刑囚のむきだしの頭に、その裸の身体に、地面にならべられてる粗末な衣類の上に、滝のように落ちてきた。
たちまち獄吏と徒刑囚以外の連中は、中庭から逃げだした。パリからきた物好きな見物人たちは、門の庇《ひさし》に身をさけた。
雨はさかんに降りつづいた。いつのまにか中庭には、水につかった石畳の上で、びしょ濡れになってる裸の徒刑囚たちの姿以外にはなにも見えなくなった。さっきまでの騒々しいおしゃべりは、陰気な沈黙にかわった。徒刑囚たちはふるえながら、歯をがちがちいわせ、痩せた脚と節くれだった膝とを、たがいに打ちあわせていた。つぎに、彼らがその青ざめた手足に、びしょ濡れのシャツを着、うわ着をまとい、水のたれてるズボンをはいてる姿は、思わず涙がでるほど惨めだった。裸でいるほうが、まだましだったろう。
そのなかで、ある年老いた男だけが、一人いくらかさっきまでの陽気な気分を失わないでいた。濡れたシャツで身体をふきながら、こいつは番外だったなあ、と大きな声で言った。そして天をあおぎ、拳をさしあげながら笑いだした。
徒刑囚たちは旅の服をつけおわると、二、三十人ずつ、一団となって、中庭の別の隅のほうへ連れていかれた。そこには地面にながながとのびた綱が彼らを待っていた。綱とみえたのは、ながい頑丈な鎖で、六十センチおきに別の短い鎖がついて、その先端には四角な首枷がとりつけてあった。首枷は、一方の角にくっついてる蝶番で開かれ、他方の角にはめられた鉄のボルトで閉められるようになっていた。徒刑囚の首は、護送中、ずっとこの首枷でしめられてることになるのである。そうした「綱」が地面に拡げられているさまは、まるで大きな魚の骨を想わせる。
徒刑囚たちは、ぬれた石畳の泥のなかに坐らされていた。やがて、監獄づきの二人の鍛冶屋が、携帯用の鉄床《かなどこ》をもってきて、冷酷にもその首輪を金槌で鋲打ちし、徒刑囚たちの首にはめこんだ。どんなに豪胆な人間でも、一瞬、蒼白になる恐ろしい瞬間である。彼らの背でささえられてる鉄床の上に打ちおろされる金槌の一撃一撃は、徒刑囚の顎へはねかえってくる。前後へ、ちょっとでも首をそらせば、頭骸骨はたちまち胡桃《くるみ》の殻のように打ちくだかれてしまうだろう。
この作業がおわると、徒刑囚たちは陰鬱になってしまった。きこえてくるのは、もはや鎖を引っぱる、ずるずるという音と、時たま、命令に服さぬ強情者の手足に加えられる棒の音ばかりだった。泣き声をあげる者もあった。老人たちは唇をかみしめ、ふるえていた。鉄の枠のなかにはめこまれた徒刑囚たちのこうした凄惨な横顔を、私は恐怖の念にかられながら、じっと見つめていた。
こんな風に、まず最初に医者の検診、次に獄吏たちの検査、最後に鉄の首枷、これがつまり三幕からなる見世物なのである。
日がまたさしてきた。全部の徒刑囚たちの頭のなかに、突然、火が燃えついたようだつた。彼らは反射的に身体をふるわせ、いっせいに立ちあがった。五本の綱が、手と手でつなぎあわされ、燈火用柱のまわりに、突然大きな輪ができあがった。やがて、徒刑囚たちは、柱のまわりを目がまわるほど、はげしく回りはじめた。回りながら、彼らは徒刑場の唄を、隠語の恋歌を、時にはひどく陽気な調子で、時にはひどく悲しい節をつけて歌った。その間をぬって、金切り声や、息をはずませた、とぎれとぎれの笑い声が、奇妙な歌の文句にまじってきこえてきた。そのうち、猛り狂うような歓呼の叫び声がわきおこった。拍子をとってぶつかりあう鎖の音が、それより一段と低音の歌声に、オーケストラの役をはたしていた。魔法使いたちの大宴会を想像するには、これ以上ふさわしいものはなかったろう。
中庭に大きなバケツが持ってこられた。監視の役人たちが、徒刑囚たちを棒でなぐり、踊りをやめさせ、バケツのところにつれていった。バケツのなかには、湯気をたててる汚ない、えたいのしれない液体がはいっていた。さらにその液体には、なにか草みたいな物が浮いてるのがみえた。徒刑囚たちは食事をはじめた。
やがて食事が終わると、彼らは残りのスープと黒いパンとを地面になげすて、ふたたび唄と踊りをはじめた。鉄の枷がはめられる当日と、その晩だけは、こうした自由が彼らに与えられるらしい。
私はこの異様な光景を、貪るような好奇心をもって、胸をはずませ、眼を凝らし、我を忘れて見入っていた。私は強い憐れみの念に胸の底までかきむしられ、彼らの笑い声に、思わず涙を流していた。
こうした深い夢想にしずみながら、私はふと、彼らの騒々しい輪舞がいつの間にかやんで、ひっそりとなってるのに気がついた。そのうち、みんなの眼が、いっせいにわたしがよりかかってる窓の方にむけられた。「死刑囚だ」「死刑囚だ」と、彼らは私の方を指さしながら叫んだ。そして、喚声が前にも倍して、一層たかくあがった。
私は、まるで化石みたいに、そこにつっ立っていた。どうして彼らは私のことを知ったのだろう、どうして私がここにいることに気がついたのだろう、私には分からなかった。
「やあ、こんちは、こんちは!」と、彼らはその不敵な笑いを浮かべながら、私に叫んでいた。終身徒刑囚の、いちばん若い連中の一人で、てかてかした鉛色の顔の男が、羨ましげなようすで、私をながめながらいった。「奴あ、しあわせだよ。そのうち|刈られちまうん《ヽヽヽヽヽヽヽ》だからなあ、じゃあ、あばよ、兄弟《きょうでえ》」
その時、私の心の中で、どんなことがおこったか、口では言いつくせない。たしかに、私は彼らの仲間だった。グレーヴの死刑場は、ツーロンの徒刑場と、兄弟の仲だ。私は彼らより、一枚下にさえおかれていたのだ。今や彼らは、私に光栄を与えてくれたのだ。私はぞっとした。
そうだ。私は彼らの仲間だ。そして数日後には、私、この死刑囚の私も、人前にさらされて、みんなのための見世物となるのだ。
私は身動きする力もうせ、身体もこわばり、ただけいれん的にぶるぶる震えながら、窓にしがみついていた。しかし、例の五本の綱が、野卑な馴々しい言葉を口にしながら、私の方に次第に近づいてくるのをみたとき、そして徒刑囚たちの鎖の音や、叫び声や、騒々しい足音が、私のいる窓の壁のすぐ下にきこえてきたとき、この悪魔の群たちは、私のいる惨めな監房をのっとりにやってくるように思えた。私は叫び声をあげた。私は激しい力で扉を打ち破ろうと、身体ごとぶつかっていった。しかしそこから逃げだす術《すべ》はなかった。扉は外から閂がかけられていた。私は扉をばたばたとたたき、夢中になって救けを求めた。
一方、徒刑囚たちの恐ろしい声が、次第次第に身近にきこえてくるような気がした。彼らの醜悪な顔が、窓のふちにすでに覗きだしているように思えた。私はまたもや苦悶の叫び声をあげ、そしてそのまま、気を失って倒れた。
十四
私が意識をとりもどした時には、もう夜になっていた。粗末な寝台の上にねかされていた。天井にゆらめいているランプの光で、私の両側にも粗末な寝台がならんでいるのに気がついた。自分が病室に移されていることが分かった。しばらくのあいだ私は眼をさましていたが、なんの考えも浮かばず、なんの記憶もなく、ただ寝台にねてることの幸福にひたりきっていた。別の時だったら、この監獄の病室のベッドは、居心地の悪さとあわれっぽさで、きっと私をたじろがせたであろう。しかし私はもう以前とおなじ人間ではなかった。
ふとん地は灰色で、ごつごつした肌ざわりだった。毛布はうすっぺらで、穴があいてて、敷ぶとんごしに、下の藁ぶとんがじかに肌身にこたえた。だが、そんなことは気にならず、私の手足は、ごつごつしたふとん地の間で、のびのびとくつろぎ、どんなに薄っぺらでも、その毛布の下では、いつも感じるあの骨の髄までしみいる寒さも、次第にうすらいでくるのを覚えた。──私はまた眠ってしまった。
はげしい物音に私はまた眼をさました。夜が明けかかっていた。物音は外からきこえてきた。私の寝台は窓のそばにあった。なにごとが起こったのか、たしかめるために寝台の上に身体をおこした。
窓はビセートルの大きい方の中庭に面していた。中庭は人でいっぱいだった。古参の兵士たちが二列にならんで作った人垣が、群集のなかに、中庭を横ぎるせまい通路をやっとこしらえていた。この二列の人垣のあいだを、人間をつんだ五つの荷馬車のながい行列が、つぎつぎに石だたみの上でがたごと揺れながら、ゆっくりと進んでいた。徒刑囚たちが出発するところだったのである。
荷馬車にはなんの覆《おお》いもしてなかった。一台一台に、徒刑囚のそれぞれの一団が、数珠《じゅず》つなぎになってのっていた。徒刑囚たちは、馬車の両側に横むきに腰をかけ、たがいに背中合わせになり、そのまんなかを全員をつなぐ一本の共通の鎖がのびていた。鎖は馬車のながさだけ伸び、先端に一人の監視が、装填した銃を持って立っていた。徒刑囚たちの身体にくっついてる金具の音がきこえ、馬車がゆれるたびに、彼らの頭がとびあがり、足もとがふらつくのがみえた。
こまかな、しみとおるような霧雨が降ってて、空気は冷えついていた。みると、徒刑囚たちのはいてる麻のズボンの灰色のやつが黒くよごれ、膝にこびりついていた。彼らのながい髪や短い髪をつたって、雨水がしたたりおちていた。徒刑囚たちの顔は紫色に変っていた。彼らがふるえながら、怒りと寒さのために、歯ぎしりしているのが、よく分かった。おまけに、彼らは身動きひとつ自由にできないのだった。いったん、この鎖でしめあげられると、彼らはもはや、この綱とよばれる醜悪なるものの総体の、単なる一部分でしかなくなってしまう。自分で物を考える力もなくなってしまうのだ。徒刑場の首枷は、人間の知能をまさに死刑に処するのだ。さらに人間の動物的な面に対してもそうだ。これらの徒刑囚たちは一定の時にしか尿意や食欲をおこしてはならないのである。こうして彼らは身動きもできず、多くの者は半裸体のまま、帽子もかぶらず、足をぶらさげて二十五日間の旅にのぼるのだ。それも、おなじひとつの荷馬車に積みこまれ、七月の太陽の直射にも、十一月の冷たい雨にも、彼らはおなじひとつの服を着せられたままなのだ。人々は徒刑囚に体刑を科するにあたって、なかば天候の力さえ、借用しようとしているかのようである。
群集と、馬車にのせられた男たちとの間に、えたいのしれない恐ろしい会話がはじめられた。一方から侮辱的な文句が、他方からは挑戦的なすて科白《ぜりふ》が、さらに両方から相手を呪う言葉がとびかう。だが、指揮官の合図ひとつで、たちまち棒の打撃が、肩といわず、頭といわず、手あたり次第、雨となって馬車の中に降りそそぐ。そして、いっさいはまた、秩序とよばれる外的な一種の平静さにかえる。しかし、彼らの眼は復讐の念に燃え、彼らの拳は膝の上でふるえている。
五台の馬車は、騎馬の憲兵と徒歩の監視とにまもられ、ビセートルの高いアーチ型の門の下をすぎ、つぎつぎに姿を消していった。六台目の馬車がしんがりに続き、車のなかでは、釜や銅の鉢や、予備の鎖などが、ごちゃまぜになって揺れていた。酒保でぐずぐずしていた監視たちが、列に加わるために駈けだしていった。群集もまばらになった。こうしてすべての光景は、幻のように消えていった。
フォンテーヌブローの石畳の上にひびく車輪の音、重々しい蹄の音、鎖のかちあう音、徒刑囚の旅に災いあれと叫ぶ群集の喚声も、次第に空の彼方に弱まっていった。
そして、それらはまだ旅の、ほんの序の口にすぎなかった。
されば、彼、つまり、あの弁護士は、私になんということを言ったのだ。無期懲役! ああ、それにくらべれば、死刑のほうがはるかにましだ。徒刑場よりむしろ死刑台の方だ、地獄よりもむしろ無に帰することだ。徒刑囚の首枷より、ギョータン氏の刃にこの首をわたすことだ。
徒刑場! そいつだけは、勘弁してほしい。
十五
残念なことには、私は病気ではなかった。翌日は病室を出なければならなかった。独房がまた私を囚《とりこ》にした。
病気ではない。事実、私は若くて健康で丈夫である。血液はなんの渋滞もなく血管を流れ、身体はどこも私の思いどおりに動く。肉体も精神も頑健で、長命にできている。そうだ。それはなにもかも本当だ。だが、私はある病気を、致命的な病気を、人間の手でつくられたある病気を持っている。
病室をでて以来、ある痛烈な考えが、そのために気が狂わんばかりの考えが、私をおそった。もし、あのまま病室にとどまってたら、あるいは脱走できたかもしれない、という考えだ。あの医者たちは、あの修道女の看護婦たちは、私に同情しているようだつた。この若さで、ああした死に方をするなんて。彼らは私を気の毒に思ってるようだった。そう感じるほど彼らは私にいろいろと親切にしてくれた。なに、あれは彼らの好奇心にすぎないのさ。それに、あの連中には病気をなおすことはできても、私を死の宣告から救うことはできないのだ。だが、しかし、あのことなら彼らにだって、わけなくできたことではなかったか、戸をひとつ開けることだ。そんなことぐらい、彼らにはなんでもあるまい。
だが、もう、今となっては機会を失してしまった。最高裁は私の上告を却下するだろう。万事は、規定どおりに行なわれるのだ。証人たちは立派に証言したし、控訴側も立派に弁論したし、判事たちも立派に裁判を行なった。私の主張など、問題にはならぬ。だが、せめて……いや、よそう、ばかげてる。もう、望みなどないのだ。上告、それは人間をわざわざ深淵の上にぶらさげる一本の綱みたいなものだ。そいつは、まだ切れないうちから、たえず、みりみりと今にも切れそうな音をたてている。断頭台の刃がどうせ落ちるにしても、このままの状態で六週間もかかるのだ。もし、特赦が下されたら?──特赦だって! いったい誰が? どんな理由で? それに、どうやって? 私が特赦をうけるなんて、とんでもない。ほんとにとんでもないことだ。なにもかもまったく彼らの言う通りなのだ。
もはや、私のすべきことは、あと三度ばかり、足をはこぶことだけだ。ビセートルの監獄から、コンシェルジュリーの監獄へ、そしてグレーヴの刑場へだ。
十六
病室でわずかな時間をすごした時、私は窓ぎわに座って、太陽の日差しを、──それはふたたび私に差してきたのだが、──浴びていたことがある。ともあれ、少なくとも、窓の鉄格子から洩れてくるかぎりのわずかな太陽の光を私はあびていた。
私はそこで、重くて、燃えるような頭を、両手で辛うじてささえ、両肱を膝につき、両足の先を椅子の桟《さん》にかけていた。というのも私はすっかり意気消沈して、まるで身体から骨がぬけ、筋肉から筋がぬけたみたいにへたりこみ、身体をおりまげていた。
私は監獄のむさ苦しい空気に、今までにない息苦しさを感じ、そのうえ、あの徒刑囚たちの鎖の音がまだ耳にのこっていて、なんだか、ビセートルがもう我慢ができないほど、いやでたまらなくなった。そんなわけで、もし、親切な神がおわすなら、この私をあわれとおぼしめし、せめて一羽の小鳥をおつかわしになり、あの窓の正面の、屋根のふちで囀《さえず》らして下さらぬものか、といった気持になっていた。
ところが、この私の願いをききとどけてくれたのは、はたして親切な神か、悪魔だかわからぬが、ちょうどその時、窓の下からひとつの声がのぼってきて、私の耳にはいった。小鳥の声ではなかったが、それはもっと素晴らしいものだった。十五、六歳の小娘の歌う、清純な、みずみずしい、なめらかな声だった。私は飛び立つように顔をあげ彼女の歌ってる唄に貪りつくように耳をすました。それはゆるやかな、物憂い感じの曲で、なんだか一種悲しげな哀調をおびた、さえずるような響きをもっていた。唄の文句は次のようなものだった。〔唄の文句は隠語まじりのものだが、隠語をそのまま訳したのでは意味が通じないので、隠語の意味を普通の言葉にかえて訳出しておいた。その点、唄としての調子が損われてしまったことをお許し願いたい〕
それは、マイユ街でのことなのさ
おいらが捕ったのは
マリュレ
三人の憲兵どもにさ
リルロンファ・マリュレット
背中をねじふせられてよ
リルロン・マリュレ
この歌の文句をきいて、私の失望がどんなに苦《にが》いものだったか、口では言いつくせないだろう。歌声はなおつづいた。
ねじふせられてさ
マリュレ
手錠もはめられてよ
リルロンファ・マリュレット
お巡りさんもやって来たぜ
リルロン・マリュレ
途中で出会った、
リルロン・マリュレット
町内の泥棒殿にさ
リルロンファ・マリュレ
町内の泥棒殿よ
マリュレ
行って女房に伝えてくだされ
リルロンファ・マリュレット
おいらは、あげられちまったとな
リルロンファ・マリュレ
女房殿はかんかんに怒り
リルロンファ・マリュレット
おいらに言うさ、なにしでかしたとよ
リルロンフア・マリュレ
おいらに言うさ、なにしでかしたとよ
マリュレ
おいらは、ばらしたのさ、一人の野郎を
リルロンファ・マリュレット
捲きあげたのさ、野郎の金を
リルロンファ・マリュレ
野郎の金と、時計とをよ
リルロンアァ・マリュレット
おまけに、靴の留金《とめがね》までもよ
リルロンファ・マリュレ
おまけに、靴の留金までもよ
マリュレ
そこで女房はおでましだ、ヴェルサイユさして
リルロンファ・マリュレット
国王陛下の足もとに
リルロンファ・マリュレ
請願ひとつ、たてまつる
リルロンファ・マリュレット
おいらを放免してたまわれと
リルロンファ・マリュレ
おいらを放免してたまわれと
マリュレ
おかげで、おいらが放免とくれば
リルロンファ・マリュレット
女房にこってり、おめかしさせよう
タララ・リルロンファ・マリュレ
つけさせようよ、蝶々リボン
タララ・リルロンファ・マリュレット
靴には、革のほこりよけ
リルロンファ・マリュレ
靴には革のほこりよけ
マリュレ
ところが、陛下は地だんだふんで
リルロンファ・マリュレット
申されますに──なんでもかんでも
リルロンファ・マリュレ
あいつに、踊りを踊らすことじゃ
リルロンファ・マリュレット
宙ぶらりんの、床なし踊りじゃ
リルロンファ・マリュレ
私はもう耳をかたむける気にはならなかった。その気になっても、とても聞くにたえなかったろう。この恐ろしい哀歌の、なかばわかり、なかば隠されてわからぬ意味、盗賊と警官との争闘、この捕えられた盗賊が途中で出会った町内の泥棒に、ことづけをたのみ、男を一人殺して捕ったことを──樫の木に汗を流させて、くらいこんだことを──女房に知らせる。女房は亭主の命乞いにヴェルサイユ宮殿へかけつける。国王陛下は、亭主に、床なしの宙踊りをさせるぞ、と、まっ赤になって怒る。……こういった意味のことが、およそ人が耳にしうる、もっともやさしい調子と声とで歌われていたのである。私は胸をえぐられ、凍えあがり、今にも気を失いそうになった。こんな恐ろしい言葉が、小娘のまっ赤な、みずみずしい口から洩れてくるなんて、まったくたえられないことだった。まるで、バラの花に、なめくじの粘液がねばりついてるみたいだった。
その時の自分の気持を、私は、どんなふうに表現していいかわからない。私は傷つけられながら、同時に愛撫されてたのだ。盗賊の|すみか《ヽヽヽ》と徒刑場でつかわれる隠話、血まみれなグロテスクな言葉と、子供の声から大人の声へと移りいくさかりの、妙やかな女の声とがつながりあっていたのだ。いびつな、出来そこないの言葉に、美しい歌声と調子と、真珠とがちりばめられていたのだ。
ああ、監獄というところは、なんと醜悪なところであろう。そこには、あらゆるものを汚《けが》す毒液がある。そこでは、いっさいのものがうら枯れてしまう。十五歳の乙女の唄でさえも。そこで一羽の小鳥を眼にするならば、その翼には泥がぬられてる。そこに咲いてる、ひとくきの美しい花をたおって鼻にもっていけば、くさい匂いがぷーんとついてくる。
十七
ああ、もし脱走できたら、私はどんなに夢中になって、野原を駈けていくだろう。
いや、駈けないほうがいい。駈けると人目につき、疑われる。駆けないで顔をあげ、歌をうたいながら、ゆっくり歩いていくことだ。赤い模様のついた古い青色の上っ張りを手に入れることだ。そいつを着れば、うまく変装できる。この近所の野菜づくりは、みんなそういったのをきてる。
アルクーユの近くに、こんもりした木立が、沼にそって、つづいてるのを、私は知ってる。学校へいってる頃、木曜日になると、友だちといっしょに、いつもその沼へ蛙をとりにいったものだ。そこにまず身をかくそう。
夜になったら、ふたたび道をつづける。ヴァンセーヌへ行こう。いや、川が邪魔になるかもしれん。アルパジョンへ行くかな。──サン・ジェルマンの方へ向ったほうがいいかもしれんな。そこからルアーヴに抜け、イギリス行きの船にのりこむ──だが、そんなことは、どうだつていい! ロンジュモーにつく、憲兵が通りかかる。旅行券を調べられる。……それでおしまいだ。ああ、あわれなる夢想家よ。じゃあ、まず、実際にお前を閉じこめている三フィートばかりの壁をこわしてみろ。もう、それだけで死だ、死が待ってるのだ。
まだ、ほんの子供の頃、ここに、このビセートルに、大きな井戸と、狂人たちをみにきたことを思いだすと、ああ!
十八
こういったことをいろいろと書いているうちに、ランプの光はあわくうすれ、夜が明けてしまった。礼拝堂の大時計が六時を打った。──
なぜだか、私づきの看守が独房のなかにはいってきて帽子をとり、会釈をし、お邪魔しますとことわり、いつもの荒々しい声を精いっぱいやわらげながら、たずねた。
朝食になにか食べたいものありませんかと……
私はふるえあがった。──今日なのだろうか?
十九
今日なのだ。
監獄の長官も、彼のほうから私を訪ねてきた。君のために、なぐさめにもなり、なにか役に立つようなことをしてあげたいと思うが、なにかないか、とたずね、さらに、自分や部下の者を怨むことのないように希望してるといい、私の健康のことや、昨夜はどんなふうにしてすごしたか、など興味ありげにたずねた。そして、別れぎわに、私のことを君とよんだ。
いよいよ、今日なのだ。
二十
彼、つまりあの典獄は、私が、彼や彼の部下に対してなにか怨みを抱いてるなどと思っていない。当然のことだ。怨みをいだけば、私の方が悪いにきまっている。彼らは自分の職務を忠実につくした。私を立派に保護してくれた。そのうえ、私がここに着いた時と、ここを出ていくときには丁重だった。私は満足すべきではないか。
あの善良な獄吏は、いかにも寛大なほほ笑みと、やさしい言葉使いと、へつらうような、なにかを探るような眼つきと、太い大きな手をして、監獄の化身みたいな人物だ。ビセートルをそのまま人間にしたみたいな人物である。私の周囲にあるものは、すべて牢獄づくめである。あらゆる物の形の下に、私は牢獄をみいだす。人間の形にも、鉄の門、閂《かんぬき》の形にまで。この壁は、石でできた牢獄であり、この扉は、木でできた牢獄であり、あの看守たちは、肉と骨とでできた牢獄である。牢獄は、分割することのできない、完全な、一種独特なある恐ろしい生き物であり、半分は物でできた建物であり、半分は生きてる人間でもある。私は、この生き物の虜《とりこ》となっている。この生き物は、私を翼でおおいかくし、その身体中のあらゆる襞で私を抱きよせ、その花崗岩の壁の中に私をとじこめ、その鉄の錠前の下に私を幽閉し、この生き物がもってる看守という眼で、私を監視する。
ああ、この惨めさ! いったい、私はどうなるんだろう。どうされるのだろう。
二十一
今はもう平静である。万事はおわった。監獄の長官が私をおとしいれた恐ろしい不安からも、今はたちなおった。それというのも、あの時にはまだ、私には希望があった。ありがたいことに、今はもう、なんの希望もなくなった。
やがて次のようなことが起こった。
六時半の時報がなると、──いや、六時十五分だった──私の独房の扉がふたたび開かれた。茶色のフロック・コートをきた老人がなかにはいってきた。老人はフロック・コートの前をなかば開いた。法衣と胸飾りがみえた。老人は司祭だった。
この司祭は、いつもの監獄づきの教誨師ではなかった。不吉なことだった。
司祭は慈愛にみちた微笑を浮かべながら、私とむかいあって腰をおろした。それから頭をゆすり、眼を天上に、つまり、独房の丸天井にむけた。それがなにを意味するか、私にはわかった。
「わが子よ、用意はできておりますな」と、彼は私に言った。
私は力のない声で答えた。
「用意はできておりませんが、覚悟はしております」
そうは答えたものの、私は眼がくらみ、ひや汗が一度に全身からにじみでて、|こめかみ《ヽヽヽヽ》のあたりが、ふくれあがってくるような感じがし、ひどい耳鳴りがしてきた。居ねむりをしてる人のように、私が椅子の上でぐらぐらとゆれ動いているあいだ、親切な老人は私になにか話しかけていた。少なくとも、私にはそう思われた。老人の唇がうごき、その手がゆれ、その眼があかるく輝くのを、私はみたような気がする。
扉がつづいて二度開かれた。閂のきしむ音に、私は、はっと我にかえった。司祭は話をやめた。黒い服をきた、ひとかどの役柄らしい紳士が、監獄の長官を伴ってはいってき、丁重に挨拶をした。男は葬儀係りの役人みたいに、顔にしかつめらしい悲しみの色をただよわせていた。彼はひとまきの書類を手にしていた。
「私は」と、彼は儀式ばった微笑を浮かべながら言った。「パリ法廷づきの執達吏です。検事総長殿からの通達を持参いたしました」
最初の動揺はすでにおさまっていた。私の精神は、いつもの冷静さをすっかりとりもどしていた。
「検事総長殿は、今すぐにでも、私の首を要求なさっているのですか」と私は彼に答えた。「総長殿が私のために、書面をしたためてくださったことは、光栄のいたりでございます。私の死が総長般に大なる喜びとなりますことを願っております。あれほど熱心に私の死を強く要求なされていながら、私の死そのものには、総長殿はなんの関心も払っておられないなんて考えますのは、私には大変つらいことでございますからね」
私は、そうしたいっさいのことを言ってしまうと、きっぱりした声で、もう一度言った。
「読んでいただきましょう」
執達吏はそのながい直筆の書面を、各行の区切られるところでは歌うように、各言葉の中心となっている重要な事項のところは、ためらうような調子で、私に読んできかせた。それは、私の上告が却下されたことを告げる書面だった。
「判決は今日、グレーヴの広場で執行されることになっています」と、彼は読みおえてからも、なお書面から眼をあげないでつけ加えた。
「七時三十分ちょうどにコンシェルジュリー〔パリ裁判所のなかにある一角、昔の宮殿。のち重罪犯人を収容する場所となり、グレーヴの広場で処刑される罪人の控えの間ともよばれていた〕へ出発することになっております。大変申し訳ございませんが、私と同道していただけますか」
少し前から、私はもう彼の言うことなどには、耳をかしていなかった。典獄が司祭と話をしていた。執達吏は公文書からいまだに眼をはなさないでいた。私は独房の扉のほうに眼をやった。扉はなかば開かれたままになっていた。……──ああ、なんて血も涙もない仕打ちだろう。廊下には銃をかまえた兵士たちが四人も!
執達吏は、こんどはあらたに私の方に向きなおって、さっきからの問いをくり返した。
「あなたのお望み次第の時刻に」と、私は答えた。「どうか、御随意に」
彼は、私に会釈しながら言った。
「では、あと三十分ほどたちましたら、お迎えにまいります」
そこで、彼らは私をひとり残して出ていった。
ああ、逃げだす方法はないか。なんとか手はないか。私は脱走しなければならぬ。なんとしてでも、今すぐに。扉をくぐり、窓からとびだし、屋根づたいに。たとえば、監獄の梁《はり》の上に、おのれの肉をさらすような破目になろうと。
ああ、畜生、悪魔、もう終りだ。この壁をこわすには、どんなに素晴らしい道具を使ったって、数カ月はかかるだろう。だが、このおれには一本の釘すらないのだ。あと一時間の、時間さえ残されていないのだ。
二十二
コンシェルジュリーにて
令状が告げてるように、私はここに護送されてきたのである。
ところで、ここに着くまでの旅のことは、話しておくだけの価値がある。
七時三十分の鐘がなると、執達吏がふたたび私の独房の入口に姿をみせた。彼は私に言った。「お迎えにまいりました」
──なんだ! 彼ひとりではなく、ほかの連中までいっしょなのだ。
私は立ちあがった。ひと足ふみだした。だが、二歩目はとてもふみ出せそうになかった。それほど頭は重苦しく、足からは力がぬけていた。それでもなんとか、私は気をとりなおし、かなりしっかりした足どりで歩いていった。外に出る前、独房のなかを、最後にひと目、見まわした。──私はそれが、自分の独房が好きだった。──私は、独房を開けっぱなしにして出てきた。おかげで独房は見馴れない、変な、格好にみえた。
だが、独房はいつまでもそのままの姿ではおかれていないだろう。鍵番の話では、たぶん今頃、重罪裁判法廷がつくりだしてる、誰か一人の死刑囚が晩にはやってくることになっていた。
廊下のまがりかどで、教誨師がまた一人、私の列に加わった。彼は食事をしてきたのだった。 獄舎をでると、典獄が私の手を名ごりおしげに握りしめた。さらに四人の老兵が私の護衛に加わった。病室のまえを通るとき、瀕死の囚人の一人が私に叫んだ。「また逢おうぜ」
私たちは中庭にでた。私は大きく息をすった。それでいくらか気持が楽になった。
そとでは、そんなにながく歩くことはなかった。駅馬車用の馬を数頭つないだ車が、第一の中庭にとまっていた。私をここにはじめて運んできたあの馬車である。ながめの一種の二輪馬車でまるで編んだみたいに目のつまった針金の格子が横むきにはめられ、車の内部を二つに区切っていた。その二つの部分には、それぞれ前方と後方に、扉がひとつずつ、ついていた。全体がひどくよごれ、真黒な色をして、ほこりがたかっていた。これにくらべれば、貧乏人用の葬式馬車も、聖別式の豪華な四輪馬車ぐらいに格があがるだろう。
この二輪馬車の墓場のなかにもぐりこむまえに、中庭をひと目みまわし、壁をもつき通さんばかりの絶望的な一瞥《いちべつ》を与えた。中庭はただ樹木の植わった広場みたいなものだったが、徒刑囚たちの出発のときより、もっと多くの見物人でいっぱいだった。今からもう、こんな人だかりなのだ。
鎖につながれた連中が出発した日とおなじように、季節の雨が、こまかい冷たい雨が降っていた。これを書いてる今もなお、その雨は降っている。たぶん今日いっぱいは降るだろう。私の生命よりももっとながく降りつづけるだろう。
道には大きな穴があき、中庭は泥と水とでいっぱいだった。こうした泥のなかに、こうした群集を眼にするのは、私にはたのしかった。
私たちは馬車に乗った。執達吏と一人の憲兵が前方の部屋に、司祭と私と、もうひとりの憲兵とが、後方の部屋にはいった。四人の騎馬憲兵が馬車のまわりについた。こうして、馭者をべつにして、一人に八人の人間がつきそったわけである。
私が馬車に乗ってる時、灰色の眼をした一人の老女が言った。「わたしゃあ、鎖よりか、こっちの方が好きさ」
その気持は、私にもわかる。こっちの見世物の方が、ひと目みればすぐに心が沸きたってくるし、手っとりばやい。同じように素晴らしい見世物で、安直で、興ざめになるようなものは、なにもまじらない。見るのはたった一人の人間で、しかも、この一人の人間には、徒刑囚をぜんぶひとまとめにしたぐらいの、憐れっぽさがある。ただ見物するには、舞台がすこしせまいだけだが、それだけにいっそう、みる味も濃くなる。
馬車がゆれはじめた。アーチ型の大きな門の下を通るとき、おそろしく大きな音をたてた。やがて並木通りにでた。ビセートルの大きな門は、馬車がでると、ふたたび閉じられた。私はまるで昏睡状態におちた人間のように、身動きひとつせず、なにか叫ぶでもなく、ただ静かに墓穴に埋められていく音をきいてる人間みたいに、茫然と馬車で運ばれていく自分を感じていた。私は、車をひく馬たちの首にさげられた鈴の束が、調子よくなるのや、鉄の車輪が、石だたみの上にたてる音や、方向をかえるたびに車体と車輪とが軋む音や、馬車のまわりに憲兵たちが馬を走らせる蹄《ひづめ》のひびき、馭者のならす鞭の音などを、夢うつつのうちに耳にしていた。そして、そうしたいっさいのものが、まるで旋風のように自分を運んでいくように思われた。
正面にあけられてるのぞき穴の金網ごしに、私はビセートルの大門の上に、大文字できざまれている銘に眼をとめた。銘は養老院としるされてあった。
「おや」と私は思った。「あそこで、年をとる者もいるのかな」
そして、夢うつつのうちに、苦悩のあまり麻痺してしまった頭のなかで、この文字のあらゆる意味をさがし求めていたとき、突然、馬車は並木道から街道筋へでて、のぞき穴からの眺めを変えてしまった。ノートル・ダム寺院の塔がパリの靄《もや》のなかに、なかばかくれながら、その青味がかった姿を、のぞき穴の額ぶちのなかに現わしてきた。ビセートルの次に、ノートル・ダムの塔のことが、頭に浮かんできた。あの旗のたってる塔の上にのぼったら、いい眺めだろうな、気の抜けたような笑いを浮かべながら、私は考えていた。
ちょうどその時だったと思う。司祭がまた私に話しかけてきた。私は、がまんして、彼に喋らせておいた。私の耳はすでに、車輪や馬の蹄や馭者の鞭の音などでいっぱいになっていた。それに今もうひとつ雑音が加わったわけだ。
司祭の単調な言葉が、耳にふりそそいでくるのを、私はだまってきいていた。それは、泉の囁きのように私を眠りにさそい、街道筋に立ちならんだ、まがりくねった楡《にれ》の樹のように、どれもこれも、違った格好をしながらも、同じような調子で、私の前を素通りしていった。その時、前に乗ってた執達吏の、鋭くみじかい声が、たづな《ヽヽヽ》をぐいと引きしめるように、突然、私をゆり動かした。
「ねえ、司祭さん」と、彼はまるで愉快そうな調子で話しかけてきた。「なにか、近頃変った話をききませんか」
彼はうしろを振りかえって、こんなふうな調子で司祭に話しかけた。
司祭は、さっきからたえまなしに、私に話しかけていたのと、馬車のたてる騒々しい音に耳をふさがれ、なんの返事もしなかった。
「いや、はや、これはもう」と、執達吏は車輪の音にうち消されないように、一段と声をたかめて言った。「地獄みたいな馬車ですな」
地獄みたいな、まったくそうだ。
彼はつづけた。
「ほんとに、独房みたいだな。なにも聞こえやしないわ。ところでと、私はなんて言ったのでしたっけ、司祭さん、ああ、そうだ、あなたは、今日の、パリの大事件を知ってますか」
私は、彼が自分のことを話してるのだと思って、ぞっとした。
「いいえ」と司祭は、やっと彼の言葉を耳にして答えた。
「今朝は、新聞を読むひまもなかったもんで。今日のように一日中用でふさがってる時は、門番に頼んで新聞をとっててもらい、家に帰ってから読むことにしてるんですよ」
「へえ」と執達吏は言った。「それにしても、あの事件を知らないでいるなんて、今朝の事件をですよ」
私は口をさしはさんだ。
「私は知ってるつもりですよ」
執達吏は、私のほうをじっとみつめた。
「あなたが! まったくねえ。で、あなたの御意見は?」
「あなたも、物好きな方ですねえ」と私は言った。
「なぜです?」と、執達吏は言葉をかえした。「誰だって、政治上の意見というものは持ってますよ。私はあなたを尊敬してますから、あなたにも御意見がおありになると思ったのですよ。私は、国民軍の復活に賛成なんです。私は昔、ある中隊づきの軍曹だったんですよ。誓ってもいいですがね、それはとてもいいもんでしたよ」
私は彼の言葉をさえぎった。
「さっきの話は、そんなことではなかったはずですよ」
「では、なんの事件のことですか、あなたのおっしゃる事件というのは」
「私は、別の事件のことを言ってるのです。その事件のためにパリ中は、今日、大騒ぎをしてるんですよ」
間抜けな彼には、私の言ったことが通じなかった。彼はおそろしく好奇心をもやした。
「もうひとつの事件ですって、いったいどこであなたは、そういったいろいろな事件を御存知なのですか。司祭さん、あなたは御存知ですか、私よりくわしいことをなにか、御存知ですか。でしたらお聞かせ下さい。どうぞ、それは、いったいどういう事件なんです、──ほんとに、私は耳よりな話が好きなんですよ、それをまた検事総長殿にお話してきかせるんですがね。すると、総長殿にもとてもお気に召すんですよ」
それから、彼はやたらに喋りちらした。私と司祭の方へ、かわるがわる顔をむけながら、話しつづけた。私はただちょっと肩をそびやかしただけで、なんの返事もしなかった。
「ねえ、いったいなにを考えていられるんですか」と、彼は私に言った。
「今晩はね、私の頭はもう、なにも考えることができなくなってるだろう、ってことを考えてるんですよ」と、私は答えた。
「ああ、そのことですか」と、彼は答えた。「さあ、元気をだして、どうもあなたは、あまり悲しそうな顔をなさりすぎますよ。カスタン氏などは平気で話しこんでいられましたよ」
それからちょっと口をつぐんだのち、また話しだした。
「パパヴォアーヌさんともごいっしょしましたよ。パパヴォアーヌさんは、|川うそ《ヽヽヽ》の皮の帽子をかぶって、葉巻をくゆらしてましたよ。ロシェルの若い方々は、仲間の人たちとしか、口をきかれませんでしたがね、それでも、話だけはしとられましたよ」
それからまた彼は、ちょっと間をおいて、ふたたび話をつづけた。
「気違いなんですよ。熱狂家なんですよ。あの人たちは。世間の人たちをみんな軽蔑してるみたいでしたな、ところがあなたはどうかといえば、ほんとにひどく考えこんでいられますね。お若いのに」
「お若い!」と、私は言った。「あなたより年とっていますよ、十五分すぎるたびに、私たちは一年ほど年をとるんですからね」
彼はうしろをふり向き、|ばか《ヽヽ》みたいにびっくりした顔をして私をみていた。それから、重々しげに、冷やかな笑いを浮かべて言った。
「それはまた! 御冗談でしょう。私より年よりだなんて、私はあなたのおじいさん位の年なんですよ」
「冗談など言ってるんじゃありませんよ」と、私はまじめな顔をして答えた。
彼は嗅ぎ煙草入れを私にさしだした。
「ねえ、気を悪くしないでくださいよ、まあ、一服なすって、私のことをうらまないで下さい」「御心配にはおよびません。うらみに思うにも、もうながくは生きておられないんですから」
その時、彼がさし出した煙草入れが、二人の間をへだてている金網にあたった。それも、馬車の動揺のため、かなり激しくぶつかって、ふたのあいたまま、憲兵の足もとにおちていった。
「ちえっ、金網の畜生!」と、執達吏は大きな声で言った。
彼は私の方をむいて言った。
「これは、どうも困りましたな、煙草をすっかりだめにしちまって!」
「私の方は、あなたよりもっともっと多くのものをだめにしちまいましたよ」と、私はほほ笑みながら、答えた。
彼は煙草入れを拾おうとしながら、口のなかでつぶやいていた。
「私よりもっと多くのものだって、口先だけならなんとでもいえるさ。だが、パリまで煙草なしとは、つらいこっちゃ」
そのとき、司祭が彼にちょっとした慰めの言葉をかけた。私はほかのことに気をとられていたのかもしれないが、それが、さっき私がはじめて受けたお説教のつづきのように思われた。司祭の言葉をきっかけに、二人の間に少しずつ話がはずんでいった。私は彼らが話しあうがままに放っておいて、自分ひとりの考えにふけった。
市門に近づくにつれ、ほかのことにすっかり気をとられてたとはいえ、やはりパリの町がいつもより騒々しく浮きたっているように感じられた。
馬車は、しばらく市門の税関所の前でとまっていた。市の税関吏が馬車の検閲をしていた。羊や牛でも屠殺所に運ぶのだったら、彼らに金袋のひとつでも気ばらなきゃあならなかったろうが、人間の首には当然、なにも払う必要はなかった。私たちは税関所を通りぬけた。
大通りを出はずれると、馬車はサン・マルソーの郊外の町や、シテ島のまがりくねった街路を、まっしぐらに駈けこんでいった。蟻の巣の穴みたいに、いくつもに、うねりうねって交錯してる、せまい街路の石だたみの上を馬車はおそろしく大きな音をたてて、全速力で走っていったため、外部の物音はもうすこしも私の耳にははいってこなかった。それでも小さなのぞき窓から、ちらっとみると、通りがかりの人波が立ちどまって馬車をのぞきこんでるように思われ、子供の群れが馬車のあとを追って走ってきてるような気がしてならなかった。それに時々、四辻のあちこちで、ぼろをまとった男や老婆が、たまには二人そろって、印刷した紙の束を手にして、なにか大声で叫んでいるらしく、口を大きくあけ、その紙をまた通行人たちがうばいあって買っているのが眼に見えてくるような気がしてならなかった。
パリの町の大時計が八時三十分を打ってるとき、私たちはコンシェルジュリーの中庭に到着した。あの大きな階段、あの黒い礼拝堂、そしてあの多くのうす気味わるい、くぐり戸を眼にしたとき、私はちぢみあがってしまった。馬車がとまったとき、私の心臓もそのままとまってしまうような気がした。
私は気力をふるいたたせた。馬車の扉は、雷光のような早さで開かれた。私はその動く監房からとびおりた。そして二列にならんだ兵士たちの間を通りぬけ、アーチ型の門の下へはいっていった。私の通っていく道には、すでに人だかりがしていた。
二十三
パリ裁判所の公共回廊を歩いているうちに、私はまったくといっていいほど、自由な、気楽な気持になった。しかし、この私のあらゆる決心も、処刑する者と、処刑される者のみがはいっていくこの建物の低い扉や、秘密の階段や、内部の通路や、息づまるような、なんの物音もきこえない重苦しく静まりかえったながい廊下が私の前に開けてくると、たちまち私をみすててしまった。
執達吏は相変らず、そばについていた。司祭は私と別れ、二時間後にふたたびやってくることになっていた。彼には自分の用もあったのである。
私は典獄の部屋に連れていかれ、執達吏から典獄の手に移された。そこで、ひとつの交換が行なわれた。典獄は執達吏にしばらく待ってくれと頼み、私の代りに引きわたす別の獲物が、今ここに来るはずになっているから、それを受けとり、帰りの馬車で、ビセートルへつれてってほしいと言った。別の獲物というのは、たぶん、今日判決を下された死刑囚で、私にはそれを身体で擦りへらす暇さえなかった、あの独房の藁たばの上に、今晩寝かされる囚人のことに違いない。「承知致しました」と、執達吏は典獄に言った。「しばらくお待ちしておりましょう。調書を二通、同時に作成することにすれば、手間がはぶけて大変結構です」
私は、その間、典獄の部屋のとなりにある小部屋に入れられることになった。扉には厳重に鍵がかけられ、私はその小部屋にたった一人残された。
その時、どんなことを考えていたか、また、そこにどれぐらいの時間いたか、自分でもよくわからぬが、突然、はげしい笑い声がきこえてきて、私を夢想からさました。
私はふるえながら眼をあげた。部屋のなかはもう私一人ではなかった。別の男が一人、私といっしょにいた。五十年配の、中背の、皺だらけの顔をし、身体を前に折り曲げ、半白の髪の毛に、ずんぐりした手足、やぶにらみの灰色の眼をして、にが笑いをし、ぼろをまとってるといっても、なかば裸のままの、汚ならしい風体をした、みるからに嫌な感じの男だった。
私が気がつかないうちに、そっと扉が開かれ、一人の男がそこに吐きだされると、すぐにまた扉は閉められたものらしい。死とは、ちょうどこんな風にして訪れてくるのかもしれない。
数秒の間、二人はおたがいに相手を見つめあった。男は、最後の死のあえぎにも似た例の笑いを、ながびかせながら、私をなかば驚きの顔で、なかば恐ろしげに見つめていた。
「あなたは誰です」と、私はとうとう口をきった。
「ばかなことをきくな!」と、彼は答えた。「おのぼりさん〔最高裁に上告し却下された死刑囚のこと〕」
「おのぼり、ですって! なんです、それは」
この質問は、ますます、彼を上機嫌にした。
「それはな」と、彼は吹きだしながら叫んだ。「首切り役人がよ、これから六時間もすりゃ、お前の切株にじゃれるだろう、それとおんなじように、六週間もすりゃ、おれのソルボンヌにも、奴らがじゃれるってことよ……はっは……、これでどうやら、わかったらしいな」
事実、その時の私の顔面は蒼白になり、髪の毛はさかだっていた。彼は、つまりもう一人の死刑囚、ビセートルの監獄で、私のあとつぎとして待たれてる男だった。
彼はなおもつづけた。
「まあな、おれの身の上話をすりゃ、こういうわけさ、おれは立派な熊手〔泥棒〕のせがれだったんだ。ところがよ、残念なことにゃ、首吊り役人の野郎め、御苦労にもよ、ある日、おやじにネクタイを結んじまったのさ〔首吊り柱にかける〕、首吊り柱の時代の話なんだぜ。ひでえことをしやがる。六つの年にゃ、おれにはもう、おやじも、おふくろもなかった。夏にゃ、道ばたのほこりのなかでよ、逆立ちをやって、駅馬車の窓から一スーか二スーめぐんでもらってた。冬にゃ、はだしで泥のなかを歩きながら、真赤になった手に息を吹っかけてたあ。ズボンのやぶれ目から臀がのぞいてる始末さ。九つになったら、お手々が稼いでくれるようになったよ。時々、お人さまの懐中物を失敬したり、マントをくすねたりしたな。十歳になった時にゃ、一人前の巾着切りになってた。それに仲間もできてた。十七の年にゃ、もうひとかどのお泥さまだあ。店にゃ押し入る。錠前はこじあける。あげくは、お縄頂戴ってわけさ。もうその時にゃ、立派に大人になってたんだなあ。船漕ぎ懲役のほうにおくられちまった。徒刑場ってつれえもんだぜ。板の上に寝て、水だけ飲んで、黒パンをかじる。なんの役にたたねえ、鉄のかたまりを引きずってよ。看守の野郎からは棒をくらうし、太陽はかんかん照りつけてきやがる。おまけに、頭は刈られてまる坊主なんだぜ。むかしのおれは、見事な栗色の髪の毛をしてたんだがなあ! だがまあ、それもいいさ、おれは刑期をつとめあげた。十五年のよ。ながい無駄飯をくったわけさ、おれは三十二になってた。ある朝、おれは一枚の旅行券と六十六フランの金をわたされた。徒刑場でよ、一日十六時、月に三十日、年に十二カ月、十五年間働きづめで、ためた金さ。べつに文句を言うことはねえ。おれはその六十六フランの金で、まっとうな人間になろうとしたのよ。おれのぼろ着の下にはなあ、坊主の衣の下よりゃ、ずっと立派な心がすんでたんだ。ところがよ、旅行券の畜生め、黄色い色をしてやがって、放免囚徒と書いてやがる。そいつをどこへいってもみせなきゃならねえ。田舎にひっこんでおとなしく暮らしてたって、一週間毎に必ずそいつを差しださなきゃなんねえ。大変なおひろめさ。わたしゃ、以前は船漕ぎ徒刑囚でごぜえましたってな。
誰だって恐がらなあ。おれの顔をみりゃ、子供は逃げだすし、家の戸は閉められる。誰も仕事をくれる者なんかいねえ。とうとう六十六フランを喰いつぶしてしまったわけさ。ところで稼がなきゃならねえことになった。おれにゃ、立派に働ける腕があるのを、みんなにみせてやったが、どこでも使ってくれねえ。日傭い代を十五スーに、十スーに、五スーにまで負けた。それでも使ってくれる者はまったくいねえ。どうしたらいいんだよう! ある日よう、おれは腹が空いてた。パン屋の窓ガラスを肱でたたき破ってパンをひときれ盗んだのさ。するとパン屋の野郎がおれを捕えやがった。果ては盗んだパンを食いもしねえのに、終身懲役にされちゃってさ、肩に三文字の烙印を押されちまった。──みてえならみせてやろうか──こういうお裁きを、再犯ってえんだ。そこでまあ、逆もどりってわけよ。
ツーロンの徒刑場につれもどされたが、こんどは終身懲役囚のみどり帽だ。これじゃ脱走しないわけにはいくめえ、壁を三つぶち抜いて鎖を二本切っちまうんだが、おりゃ、釘を一本身にしのばせたあ。見事に脱走しちまったわけよ。警戒砲がうたれたがよ。おれたちゃ、ローマの枢機官なみによ、赤い服をつけてるもんだから、お出ましの時にゃ、大砲がうたれるってわけさ。だが、そんなものをうったからって、なんの役にもたちゃしねえ。おれのほうにゃ、こんどは黄色い旅券はなかったが、金もなかった。ところが仲間に出会ったのさ、刑期を無事につとめあげてきた奴もいるし、鎖をきって逃げだしてきた野郎もいる。仲間になれと、頭《かしら》がすすめ、街頭で|ばさ《ヽヽ》〔殺人強盗〕をやってるんだ。おれは承知して、人殺しでおまんまを食うことになった。乗合馬車を襲ったこともありゃ、郵便馬車のこともあった。馬車に乗ってた牛商人をやっつけたこともあったな。金をとっちまうと、馬も車も勝手にはしらせ、死骸は足がつかぬように用心して木の下に埋めたのさ。埋めた場所の上を、土があらたに掘り返されたのが目につかぬように、みんなで踊りまわったな。まあ、そんなわけでよう、おれは薮のなかを根じろにして、露天でねむり、森から森へと追いたてられながら、それでもなんとか自分の好き放題、自由に暮らして年をくってきたのよ。だがな、何事にも終りってえもんがあるもんさ。誰だって同じことよ。
ある晩よ。うまく奴らの|あみ《ヽヽ》にかかっちまった。仲間の奴らは逃げちまったが、いちばん老いぼれのおりゃ、金モール帽の猫どもの爪に押えられちまった。そして、とうとうここへお連れもどされることになったわけさ。おりゃもう、梯子のどの段ものぼりつめちまったんだ。ただおしまいの一段だけが残ってたわけよ。おれにゃもう、ハンカチ一枚盗むのも、ひと一人殺すのも、おんなじことみたいになっちまってた。なにかやれば、それだけでまた罪をかさねるだけのことになっちまってたんだ。これじゃ、どうしたって、首刈り役人のおそばを通らないわけにいかねえよな。裁判にゃ、手間はかからなかった。おれの身体はもう|老い《ヽヽ》ぼれてがたがきてるしな。なんの用もたせなくなっちまったあ。おれのおやじは、後家縄をめとったが〔首吊り台にのぼること〕、このおれは無念の刃をお寺にもちこむってわけさ〔断頭台にのぼること〕、──相棒、まあ、そういったようなわけよ」
私はつっ立ったまま、茫然として彼の話にききいっていた。彼は話すまえよりも、いっそう大きな笑い声をたてて、私の手を握ろうとした。私は恐ろしさのあまり、後ずさりした。
「相棒!」と、彼は言った。「おめえは元気のねえ|つら《ヽヽ》をしてるなあ。死に目にびくびくするもんじゃねえ。そりゃ、お仕置場じゃ、ちょっとばかりの間は辛えさ。だけどよ、じきに済んでしまわあ。おりゃ、お仕置場で、とんぼ返りのひとつでもしてみせてやりてえぐれえだ。まったくだよ。おれは、おめえと今日いっしょに刈りとられるんだったら、上告をとりさげたっていいぜ。ひとりの司祭で、おれたち二人分の用がすまされるってわけさ。お前のおあまりを頂戴したって、おれはかまわねえんだぜ。どうだい、おれはいい野郎だろう。ええ、おれと仲よくしねえか」
彼はさらに、私のそばにくっついてきた。
「ああ、あなた」と、私は彼をおしのけながら言った。「どうもありがとう」
その言葉に、彼はまた笑いだした。
「ほほう、あなただって、それじゃあ、あなたさまは侯爵、侯爵ですかい?」
私は彼がそう言うのをさえぎって言った。
「君、ぼくは一人で考えごとをしていたいんだ。放っといてくれ給え」
私の言葉の調子がひどく真剣だったので、彼は突然考えこんでしまった。灰色の、すでに禿げかかった頭を静かにふり、それからはだけたシャツの下にむきだしになってる毛深い胸を、爪でかきながら、歯のすきまからでるような声で呟いた。
「わかったよ、つまり坊主みてえにな……」
それから、しばらくだまってたのち、こんどはなんだかひどくおずおずした調子で言った。
「ああ、あんたは侯爵さまだな、なる程そうだ。だが、あんたは立派なフロックコートを着てなさるが、もうそれもたいした役にもたちますめえ、首切り役人がとりあげてしまいまさあ、おれに売ってくれませんかなあ、そいつを売って煙草代にしてえんでさあ」
私はフロックコートをぬいで、彼にわたした。彼は子供のように手をたたいて喜んだ。それから、私がシャツだけになってふるえてるのを見て言った。
「お寒いんでしょうな。これを着なさるがいい。雨が降ってますんで、濡れますぜ。それに、車の上じゃ、体裁をよくしなきゃいけませんからな」
そう言いながら、彼は灰色のあつぼったい毛糸のうわ着をぬいで、私の腕にもたせた。私は、彼のするがままにまかせた。
私はされるがままになりながらも、壁のところに行って身をささえた。およそ言葉では言いつくせぬ、ふかい感銘をその男からうけたからだ。彼は、私からもらったフロックコートを調べてみながら、たえず喜びの声をあげていた。
「どのポケットもみんな、|さら《ヽヽ》だぜ。襟もすりきれてねえ。──どうみても、たんまり十五フランは手にはいるな。なんてありがてえこった。これで、あと六週間分の煙草ができたってわけだ!」
扉が開いた。二人を連れだしにきたのだった。私は、死刑囚が最後の時間をすごす部屋へ、彼はビセートルへ。男は憲兵たちの護送隊の真中につつ立って笑いながら、彼らにむかって、こんなことを言ってた。
「ええ、いいですかい。とり違えねえでくだせえよ、旦那とわたしゃ、いま、うわ着をとりかえっこしてきたんでさあ、私をまちがえて連れてっちゃいけませんぜ。ほんとに、そんなことをされちゃ、困りますぜ。煙草代をたったいま稼いできたばかりなんですからよ」
二十四
あの老いぼれの極悪人め、奴は私からフロックコートをうばっていった。私は、あれを奴にくれてやったわけではないんだから。あいつは、このぼろ着を、自分のきたないうわ着をのこしていった。私はこれから、人目に、どんな姿にうつるか。
私があいつに、フロックコートをわたしたのは、無関心のせいでも、慈悲心からでもない。そうではない。あいつが私より強かったからだ。もし、ことわったら、私はあのでかい拳骨でなぐられたろう。
ああ、そうだ、あわれんでほしい。私はあのとき、憎しみの情でいっぱいだった。あの老いぼれの泥棒を、この手で締め殺すことができたら、この足で踏みつぶしてやることができたらと、そう思っていたのだ。
激しい憤りと、苦々しい思いで、胸がつまるような思いだ。もはや勘忍袋の緒がきれたような思いがする。死は、いかに人間を邪悪にするものか。
二十五
私はある独房につれていかれた。そこには四つの壁しかなかった。独房には、鉄棒がいっぱいはまった窓と、何重にも閂のかかった扉がついてたことは言うまでもなかろう。
私は、テーブルと椅子、それに物を書くために必要なものを請求した。それらのものは全部届けられた。
次に、私は寝床をひとつ要求した。看守は、びっくりしたような眼つきで、私を見ていた。──「なににするんだ」といった眼つきで。
それでも、彼らは部屋のすみに、十字形の寝台をひとつひろげてくれた。だが、それと同時に、彼らが自分の居間とよんでいるその独房のなかに、憲兵が一人やってきて腰をおろした。彼らは、ふとんのきれ地で、私が首をくくりやしないかと、恐れてたらしい。
二十六
十時だ。
ああ、かわいそうな娘よ! あと六時間、そうしたら私は死ぬのだ。その時、私はもう汚ならしい一介の物と化し、医学校のテーブルの上に投げだされるだろう。頭の|かた《ヽヽ》をとられ、胴体を解剖されるだろう。そして残りの部分は、棺桶にいっぱいつめられ、いっさいはクラマールの墓地へ運ばれるだろう。
お前の父を、彼らがそうしようとしているのだ。だが、その人たちは誰も、私を憎んではいない。みんな私を気の毒に思っている。彼らはその気になれば、私をたすけることもできるはずだ。だが、彼らは私を見殺しにしてる。お前にはそのことが分かるだろうか。マリーよ、彼らは、まるでいいことでもするかのように、落ち着きはらい、うやうやしげに、私を殺すのだ。ああ、なんということだ。
可哀そうな娘よ、お前をあんなに愛し、お前のいい香りのする頚《くび》にいつも接吻し、絹にでもさわるように、お前の渦まいた髪の毛のなかに、いつも手をさし入れ、お前のあの美しいまるい顔を、手のひらでさすってやり、お前をいつも膝の上で跳んだりはねたりさして、晩になると、神さまにお祈りするために、お前の手をあわせてやった、あのお父さんを、みんなが……。
これからはもう、誰が、お父さんが今までしてあげたようなことを、お前にしてくれるだろう。誰がお前を可愛がってくれるだろう。お前の年ぐらいの子供には、誰にだってお父さんがいるはずだ。だが、お前にだけは、お父さんがいないのだ。お前は、お正月に、お年玉や、きれいな玩具や、お菓子や、接吻などをもらわないでも、じっと我慢しておれるように、どうしたらなれるだろう──。不幸な、ひとりぼっちの孤児のお前は、飲む物も、食べる物もない毎日に、どうして耐えていけるだろう。
ああ、もし、あの陪審員たちがせめて、ひと眼でもあの子をみてたら、あの私の可愛いマリーをみてたら、三つの子供をもった父親は、殺すべきでないことが、わかってくれただろうに。
それに、彼女が大きくなってから、もし、それまで生きてられたらのはなしだが、彼女はどんな目にあうだろう。彼女の父親のことは、まだパリの人たちの記憶に残ってるだろう。彼女は私のしたことや、私の名前に顔を赤らめるだろう。彼女は、私ゆえに、心にある限りのすべての愛情で彼女を愛してるこの私ゆえに、たえず軽蔑され、排斥され、いやしめられることになるだろう。ああ、いとしいマリーよ! お前は本当に、私のことを恥ずかしく思い、私を嫌うようになるだろう。
ああ、みじめにも、私はなんという罪をおかしたのだろう。そして今また私は、なんという罪を、彼らにおかさせようとしてるのだろうか!
ああ、今日という日の暮れぬうちに、私は死ぬのだ、ということは、果たして本当なのか。それは本当に私なのか。外からきこえる、あの漠然とした叫び声、すでに河岸通りを急いでる、あの沸き返るような人波、営舎のなかで、準備にとりかかってる憲兵たち、あの、黒い衣をつけた司祭、真赤な手をした例のもう一人の男。こうした連中が、みんな私のための準備にとりかかっているのだ。死ぬのはこの私なのだ。ここに生きてて、動いてて、息をしてて、このテーブル、このなんでもないテーブルにむかって腰をかけ、どこにだっていることのできる、このおなじ私なのだ。結局はこの私、つまり、いま私がさわり、私が感じてる、この私、ほら、服にこんな皺がよってるこの私、この私なんだ。
二十七
それは、どうやって行なわれるのか、どういった具合に、死んでいくのか。それがよく分かってたら、まだしもだ。だが、恐ろしい、私はなにも知らないのだ。
その道具の名前が、恐ろしくてたまらない。どうして今まで、平気で、それを字にかいたり、口で言ったりできたのだろう。自分でもわからない。
この十の文字の組み重なりかた、その字面、その面《つら》つきは、恐るべき観念を呼びおこすように出来あがってる。この機械を考案した不幸な医者もまた、それにふさわしい、宿命的な名前をもっていたものだ。〔断頭台はGuillotine、断頭台を考案した医者の名前はGuillon〕
私が、この醜悪な名前から呼びおこす映像は、なにか|もうろう《ヽヽヽヽ》とした、つかみどころのない感じのもの、それだけに、いっそう不気味なのである。その名前の、ひとつ、ひとつが、機械のひと切れ、ひと切れみたいな感じがする。私は、このひと切れ、ひと切れをあつめて、この不気味な機械を頭のなかで、たえず組み立てたり、こわしてみたりする。
自分からすすんできいてみる気もないが、といって、それがどんな仕かけになっているか分からず、どんな風にすればいいのか、自分でも見当がつかないでいるのは、恐ろしいことだ。なんでも、一枚の跳び板があって、その上にうつぶせに寝かされるらしい……。ああ、私の頭の髪の毛は、首がおちる前に、白くなってしまうことだろう。
二十八
だが、私は一度それを垣間《かいま》みたことがある。
ある日、朝の十一時頃、グレーヴの広場を馬車で通りかかった。すると、急に馬車がとまってしまった。
広場は群集で埋まっていた。私は馬車の戸口からのぞいてみた。
群集が広場と河岸にいっぱいにあふれてて、たくさんの女や男や子供たちが、河岸の囲いの|らんかん《ヽヽヽヽ》の上にまで鈴なりになっていた。人々の頭ごしに、三人の男たちが組み立ててる、赤い木の台のようなものがみえた。
死刑囚の一人が、その日、刑を執行されることになってて、その機械が組み立てられてるところだった。
私はそれをみると、すぐに頭をそらした。馬車のそばにいた女が、子供に言っていた。「ほら、ごらんよ、包丁のすべりが悪いもんだから、蝋燭の切れはしで、みぞ口に脂《あぶら》を引いてるんだよ」
今日も今頃は、たぶんそうしてるだろう。ちょうどいま十一時がうった。きっと、みぞ口に脂《あぶら》がひかれてるだろう。
ああ、こんどはもう、不幸にも、頭をそらすわけにはいかないのだ。
二十九
おお、特赦、特赦、きっと私には特赦があたえられるだろう。国王は決して、私には死刑をのぞんではいられない。どうか私の弁護士をさがしてきてほしい。はやく弁護士を。私をなんとかして、徒刑囚にしてほしい。五年の懲役。なんだったら、二十年の懲役でもいい。それとも鉄の烙印を押される終身懲役でもいい。ただ命だけは助けてくれ。
徒刑囚、それだったら、まだ歩けるし、行ったり来たりもできる。太陽だってみられるのだ。
三十
司祭がやってきた。
白い髪の毛の、ごく優しい、善良そうな、けだかい顔つきをしてる。ほんとに、大変立派な、慈愛深い人間だ。今朝、私は、彼が財布のお金を全部、囚人たちにめぐんでやってるのをみた。だが、どういうわけか、彼の声には人を感動させるものがなく、自分でもあまり感動してるようなようすもみられない。なぜか彼は、私の精神を感動させたり、心を動かしたりするようなことは、まだひとつも言ってくれなかった。
今朝は、私はぼんやりしていた。彼がなにを言っているのか、よく耳にはいらなかった。それに、彼の言うことなど、なんの役にもたたないような気がして、なおさら、無関心な態度でいた。──眼の前の凍りついた窓ガラスに、今も降りそそいでる寒い雨のように、彼の言葉は、私の上をただすべりおちていっただけだった。
それでも、さっき彼がふたたび帰ってきてくれたときには、私もうれしかった。あの連中のなかでは、まだしもこの人だけが、本当の人間らしくみえる、と私は思った。それで、あらたに彼の親切な慰めの言葉をもとめる心が、しきりにわいてきた。
私たちは腰をおろした。彼は椅子に、私は寝台に腰をおろした。彼はやさしく、私に「あなた」と言った。その言葉が私の心をひらいてくれた。彼は話をつづけた。
「あなたは、神を信じますか」
「はい」と私は答えた。
「あなたは、使徒の教えを身に体したローマの聖カトリック教会を信じますか」
「もちろんです」と、私は答えた。
「あなたは」と、彼はまた言った。「なにか、まだ、疑っておられるようですね」
それから彼は、また話しはじめた。ながながと話しはじめた。たくさんの言葉を口にした。それから彼は、これでもう十分言いつくしたと思ったとき、立ちあがり、話しはじめてからはじめて私の顔をみ、そしてたずねた。
「いかがでしたか?」
本当のところ、最初はむさぼるように、次には注意ぶかく、さらには、心をこめて、私は彼の言葉に耳をかたむけたのだった。
私も彼といっしょに立ちあがった。
「どうぞ」と、私は言った。「私を一人にしておいていただきたいのです。お願いです」
彼はきいた。
「では、いつ頃、私はまた、おたずねしたらいいでしょうな」
「私の方からお知らせしましょう」
彼は外に出ていった。べつに、怒ってるようなようすはなかったが、頭をふりながら、まるでひとりごとみたいに、こう言ってるようだつた。
「不信心者!」
ちがう。私はどんなに堕落していたとはいえ、不信心者ではない。私が神を信じていることは神が知っている。いったい彼は、あの老人は、私になにを言ったのか。実感のこもったもの、心を動かしたもの、涙を催おさせるもの、魂からじかに出てきたもの、心から心へ通うもの、私を彼に引きつけ、結びつけるもの、そんなものは、なにひとつなかった。そして、ただ漠然としたもの、ぼやけたもの、それに誰に対しても、何事に対しても、ただ一応通じるだけのものに、それはすぎなかった。
深い考えが必要なときに、大げさなことしか言えず、純真さが必要なときに、平凡なことをくどくど言い、それはたんなる感傷的なお説教にすぎず、味もそっけもない、単なる型通りの神学的|悲歌《エレジー》にすぎなかった。あちら、こちらに、ラテン語でラテンの文句を引用し、聖アウグスティヌス〔中世初頭の神学者、ギリシャ的教養を身につけていたが、のちに熱烈なキリスト者となる。キリスト者になるまでの心の苦悶を語った「告白」、彼の神学観、人生観をのベた「神の国」が名高い。彼の神学はながい間支配的な地位にあった〕とか、聖グレゴリー〔ローマ法皇、グレゴリー七世をさす。在位一〇七三〜八五、カトリック教会の中央集権化に成功し、世俗権に対する法皇権の優位を確立する。聖アウグスティヌスの神学思想の流れをくむ〕とかいった言葉をさしはさんだ。そんなものは、私の知ったことではないだろう。そのうえ彼は、もう二十回も暗唱してきたらしい、それらの文句を、もう一度復唱し、馴れすぎて、つい記憶のなかから消えかかった課題を、さらに復習してるみたいだった。眼にはなんの輝きもなく、その手にもなにひとつ、感動のこもった動きはみられなかった。
だが、それ以上のことを、どうして彼に望むことができただろう。あの司祭は、監獄づきの司祭なのだ。人を慰め、人に訓戒をあたえるのが彼の職掌であり、それで彼は生活をたててるのだ。徒刑囚や死刑囚は、彼の口から雄弁をはじきだす|バネ《ヽヽ》みたいなものなのだ。彼は、それが職業なればこそ、罪人たちに懺悔させ、救いの手をさしのべてやるのである。彼は、囚人たちを死出の旅に送りだすことをくり返しながら、年老いてゆくのである。この戦慄すべき役目に、彼はもう馴れきっている。白い髪粉をつけた彼の髪の毛は、もはや恐怖に逆立つようなことはないだろう。徒刑場と死刑台とは、彼にとっては、毎日の日課なのである。
彼の神経は鈍りきっている。たぶん、彼はノートみたいなものをもってて、そこには、徒刑囚や死刑囚へのお説教の文章を書きこんでるのだろう。翌日、何時に、慰めの言葉をあたえるべき囚人のいることを前日に通知されると彼はまず、その囚人が徒刑囚であるか、死刑囚であるかをたしかめ、それによって、ノートに書きこまれた文章のどれかをくり返し読んでやってくる。こうしたことが毎日くり返されるうちに、彼にはツーロンの徒刑場にいく者も、グレーヴ広場の死刑台にいく者も、なんの差別もなくなってしまい、それはただの日常茶飯事のこととなり、一方囚人たちにも、これとおなじような現象が生じるのだ。
ああ、だから、そういった連中のかわりに、どこでもいい、手近な教区の、若い助任司祭なり、年寄りの司祭なりを、私のために探してきてほしい。そして、そうした司祭の一人が、煖炉にあたりながら、なにもしらずに本でも読んでたら、彼をつかまえて、こう言ってほしい。
「いま、死を前にした一人の男がいます。あなたに、その男を慰めていただきたいのです。その男が手を縛られ、髪の毛をきられるとき、あなたに、そばについててほしいのです。その男の馬車に、十字架像をもっていっしょに乗って、死刑執行人の姿が、彼の眼につかないようにしていただきたいのです。グレーヴの刑場まで、彼といっしょに馬車でゆられていって下さい。血に飢えた恐ろしい群集の間を、彼といっしょに通っていっていただきたい。死刑台の下で、彼を抱擁し、そして、彼の頭と体とが別々になるまで、そこに控えてて下さい」
それから、この願いをきいて、頭の先から足の先まで、怯えおののいてるその司祭を、私のところへ連れてきてほしい。つぎに、その彼の両腕のなかに、その両膝の上に、私の全身を投げださせてほしい。彼は涙を流すだろう。私たちはともに、涙を流すだろう。彼はよく話してくれるだろう。私は慰められるだろう。私の心は、彼の心のなかで、平和をとりもどすだろう。彼は、私の魂を手にするだろう。私は彼の神を手にするだろう。
それだのに、あのお人よしの老人は、私にとって、いったいなんなのか。私は、彼にとって、いったいなんなのか。彼にとって、私は、ただの不幸な人間の一人にすぎず、いままですでに、彼が倦きるほどみてきた、影のひとつにすぎず、死刑を執行される人間数に加えられる一単位にすぎないのだ。
こんなふうに、私が彼を拒否するのは、おそらく間違ってるだろう。善良なのは彼であり、邪悪なのは、この私である。だが、残念だが、それは私のせいではない。いっさいを、だめにし、涸らしてしまうのは、死刑囚という、この私の吐きだす息なのだ。
食べ物が運ばれてきた。彼らは私が腹をすかしてると思ったのである。いろいろと気を使ったかるい食物、若鶏らしいものになにかそえたもの、私は箸をとった。しかし、なにひとつ咽にとおらなかった。それほど、食事は胸が悪くなるくらい、苦い味がした。
三十一
帽子をかぶった、一人の紳士がはいってきた。彼は私の方にはほとんど目もくれず、計算尺をひらいて、壁の石を、下から上へとはかりながら、よろしいとか、まずいとか、たかい声でいっていた。
私は憲兵に、その男のことをたずねた。監獄づきの下っぱの建築技師らしい。
彼の方でも、私への好奇心が目ざめてきたらしい。いっしょにやってきた鍵番と、なにか、ひとこと、ふたこと、低い声でささやいていた。それからちょっと、彼は私に眼をとめ、なにげないようすをよそおって、頭をふり、ふたたび高い声で物を言ったり、壁の寸法をはかったりしはじめた。
仕事がおわると、彼は私のほうに近づいて、そのかん高い声で言った。
「ねえ、君、あと六カ月もすると、この監獄もずっとよくなりますよ」
そう言う彼の身振りは、次のようなことを、暗に言いたしているようだつた。
「君にそれが味わえないのは、お気の毒だな」
彼はほとんど微笑さえもらしていた。まるで婚礼の晩に花嫁でもからかうような調子で、今にもやんわり、冗談など言いそうにみえた。
腕章をつけた、古参の年よりの憲兵が、私のかわりに、返事をしてくれた。
「君」と、彼は言った。「死んでいく人のいる部屋で、そんな高い声で話すもんじゃない」
建築技師はでていった。
私は、彼が部屋で、測量していった石のように、じっと動かなかった。
三十二
それから次に、おかしなことがおこった。
私についてた年よりの親切な憲兵が呼ばれていった。私は、恩知らずにも、彼に握手さえしてやらなかった。彼と交代に別の憲兵がやってきた。せまい額に、まんまるい眼をし、無能そうな顔つきの男だった。
私は、なお、彼には眼もくれなかった。私は扉に背をむけ、テーブルにむかい、なんとか手で額を冷やそうとしていた。いろんな考えが浮かんできて、頭のなかはちりぢりになっていた。
かるく肩をたたかれて、私はふりむいた。それはあらたにきた例の憲兵で、部屋のなかは私と彼と二人きりだった。
彼はこんなふうに話しかけてきた。
「おい、君には親切心があるかい」
「ないな」と、私は言った。
このぶっきら棒な私の返事に、彼はいささかまごついたらしかった。それでも、なお、ためらいながらも、話しつづけた。
「なにも好きこのんで、自分から不親切な奴はおるまいがの」
「なぜおらんのだ」と、私はききかえした。「それだけの話なら、ほっといてほしい、いったいなんのために、そんなことをきくんだ」
「まあ、きいてくれよ」と、彼は答えた。「ほんの、ふたことばかり、それだけのことだ。もし君が一人の気の毒な男を幸せにしてやり、そのために、自分も別に迷惑をこうむらないときでも、君はそれをしてくれんのかい」
私は肩をそびやかした。すると彼はまた言った。
「君は、シャラントンの気違い病院からでもきたのかい。君は妙なことが好きなんだな。わたしだったら、他人の幸福のためにつくしてやるがな」
彼は声をひそめ、意味ありげなようすをした。それは、彼の低能づらには不似合なものだった。
「そうだぜ、君! 幸福、そう、財産、そうだ。それが二つとも、君のおかげで、わしんとこへ舞いこもうというんだぜ。わしは貧乏な憲兵さ。役目は重いのに、月給は少ないし、馬は自分もちでやりきれんのだ。そこで足りない分をかせぐために、富くじをやっとるんだ。それも、なんとか一工夫しなけりゃ、どうもうまくいかねえ。いい番号さえ当てりゃ、これまでだって、ずい分儲けられたわけなんだがなあ。しょっちゅう、これなら大丈夫ってやつを探してるんだが、当てはずればっかりだ。七十六番にかけりゃ、七十七番がでるって始末さ。いくらやっても、どうも|らち《ヽヽ》があかねえ──ああ、もう少しだよ、もうすぐ話はすむよ──ところがよ、好機ご到来ってわけだ。なあ、お前さん! こう言っちゃ、なんだが、君は今日|逝《い》っちまうんだろう。そんなふうに消される人間にゃ、あたり番号が前から分かるにちがいねえ。だからよ、明日の晩、わしんとこへ、来てくれんか、そんなことぐらい、なんでもねえだろう。そしてさ、三つばかり、いい番号の奴を教えてくれよ。ええ、いいだろう?──わしは幽霊なんかこわがりゃしねえ。大丈夫だ。──わしの住所かい、ポパンクール兵営、A階段二十六号室、廊下の奥だよ、わしの顔をおぼえててくれ、──今晩のほうが、いいっていうんなら、今晩来てくれたっていいんだぜ」
私はこの馬鹿者に返事などする気は毛頭なかったが、その時、ある変な望みみたいなものが頭に浮かんできた。私みたいな絶望的な立場にあると、人間は時として、頭の髪の毛一本ででも、鎖をたち切ることができるようにさえ思えてくるものだ。
「では言うがね」と、私は死をまえにした人間にしては、できるだけの仮面をかぶって言った。
「おれはほんとに、君を王さまなんかよりゃ、ずっと金持ちにしてやれるんだぜ。何百万という金だって、儲けさせてやれる。だが、それには、ひとつ条件がある」
彼はびっくりした眼で、私をみた。
「どういう条件だい、ええ、どういう条件だい。なんでも気に入るようにするからよ」
「番号は三つどころか、四つだって教えてやるよ、だからさ、私と服をとりかえっこしようじゃないか」
私は椅子から立ちあがった。そして、彼のようすをみまもった。胸がどきどきしてきた。そして、もうすでに私の着た憲兵の制服のまえに、すべての扉は開かれ、さらに、広場も、街路も、そして裁判所の建物まで、遠くうしろへかすんでいくのが、眼にうつるようだつた。
だが、相手はどっちか、決めかねるようなようすで、ふり返った。
「ああ、そうだ、ここから出るためじゃないだろうな」
万事休す、私はあきらめた。それでも、最後の努力をはらってみた。無益にも、無謀にもだ。
「ああ、そのためだよ」と、私は言った。「しかし君にはひと財産できるんだぜ……」
彼は私の言葉をさえぎった。
「いやいや、そいつは御免だ、どうもな、わしの当り番号は、君が死ななきゃ、分からんはずだからな」
私は、唖《おし》のように押しだまったまま、再び腰をおろした。かすかにほのみえた希望も、いっそう完全に消えてしまった。
三十三
私は眼をとじ、その上にさらに手を置いた。そしてなにもかも忘れようとつとめた。現在を、過去の世界にし、忘れようとつとめた。夢みる私の世界には、幼年時代や、青年時代の思い出が、今まで頭のなかに渦まいてた暗い、索漠とした深淵の上に、あたかも花咲く小島のように、平和な、しずかな、嬉々とした姿で、浮かびあがってきた。
子供の頃の自分が、にこやかに笑い、溌剌《はつらつ》とした小学生の自分が、あの自然のままの庭のひろい、緑の小道で、兄弟たちといっしょに遊びまわり、走りまわり、大きな声で叫んでるのが、眼に浮かんでくる。私はそこで、幼年時代の何年かをすごしたのだった。以前は、尼僧院の敷地内にあったその庭。庭の上には、ヴァル・ド・グラースの黒っぽい円屋根の鉛でできた塔がそびえている。
つづいて、それから四、五年たった自分の姿がうつってくる。やはり、まだ幼なかったが、いつのまにか、夢想にふける、熱情的な少年になっていた。さびしい庭には、一人の少女がいた。
スペインの少女で、大きな眼に、ふさふさした髪の毛、茶っぽい金色にかがやく肌、赤い唇、ばら色の頬、アンダルーシア生まれの十四歳の少女ペパだった。
「いっしょに走りっこしてらっしゃい」と、私たちの母親は二人に言った。私たちは連れだって、散歩にいった。
私たちはいっしょに遊ぶように言われた。私たちはいろんなことを話しあった。おなじ年だが、私は少年、彼女は少女だった。
それでも一年前までは、二人はいっしょに駈けっこをしたり、喧嘩もした。私はペピタと林檎の木の一番美しい実をとりっこした。私は、小鳥の巣のことで、彼女の頬っぺたをたたいた。彼女は泣きだした。私は言った。僕が悪いんじゃないよ。二人はいっしょにお母さんのとこへ訴えにいった。私たちは大きな声で叱られ、ひくい声でさとされた。
いま、彼女は私の腕に身をよせている。私はひどく得意で、とても感動してる。私たちはゆっくりした足どりで歩き、ひくい声で話しあう。彼女がハンカチをおとす。私がそれを拾ってやる。二人の手がふれあって震える。彼女は私に小鳥のことや、空のかなたにみえる星のことや、木々の向うにみえる夕陽のことや、学校の友だちのことや、自分の服のことや、リボンのことなど、いろんなことを話す。私たちは無邪気なことを話しあいながら、おたがいに頬をあからめてる。少女はもう若い娘になっていた。
あの晩! それは夏の宵のことだった。私たちは庭の奥のマロニエの木の下にいた。散歩のあいだしばらくつづいた長い沈黙のあと、突然、彼女は私の腕からはなれ、私に言った。駈けっこをしましょうよ。
あの時の彼女の姿が、いまも眼に浮かぶ。彼女は祖母の喪のために、黒づくめの服をきていた。彼女の頭のなかに、子供のような考えが通りすぎたのだ。ペパは昔のおさないペピタにかえって、私に言った。駈けっこしましょうよ。そして彼女は私の前を、蜜蜂のようにほそくくびれた身体と、小さな足で、脛《すね》のあたりまで裾をまくらせながら、駈けだしていった。私はあとを追った。彼女は逃げた。黒い肩衣がときどき風をうけて、ふくれあがり、その間から、茶色のみずみずしい背の肌が見えた。
私は夢中になっていた。こわれた水汲み場のそばで、彼女に追いついた。勝った者の権利みたいに、私は彼女の帯をつかまえ、芝生のベンチの上に坐らせた。彼女は抵抗しなかった。あえぎながら笑っていた。私は真剣だった。そして、彼女の黒いまつげの下にみえる黒い瞳をじっとみつめていた。
「あなたもお坐んなさいよ」と、彼女は言った。「まだ、明るいわ。なにか読みましょうよ。御本もってらして?」
私はスパランツァニー〔イタリーの博物学者〕の旅行記の第二巻目を持ってきていた。私はいいかげんのところを開いて彼女のそばによりそった。彼女は私の肩に自分の肩をもたせかけてきた。私たちはおなじ頁を別々に、ごく低い声で読みはじめた。頁をめくるまえに彼女はいつも私の読みおわるのを待ってなければならなかった。私の頭は、彼女のほど早く回転しなかった。
「もうお読みになって?」と、彼女は私がまだ読みはじめたばかりなのに、そう言った。
しかし、そのうちに、二人の頭はふれあい、髪の毛はまじりあい、二人のあえぐような息づかいは、次第に間近に迫ってきた。
突然、口と口とがかさなり合った。
まだ、読みつづけるつもりでいるうちに、空には星がかがやきはじめた。
「ねえ、お母さま、お母さま」と、彼女は家のなかにはいると言った。「私たち、とても走りまわったのよ」
私は、ただ、だまりこんでいた。
「お前は、なにも言わないんだね」と、私の母は言った。「なんだか悲しそうな顔をしてるね」
その時の私は、心の中に天国をもっていた。
私はその晩のことを、生命《いのち》のあるかぎり、忘れないだろう。
生命のあるかぎり!
三十四
一時が鳴ったばかりだった。私にははじめ、それが何時だか分からなかった。大時計の音さえ、私の耳にはきこえなかったのだ。耳のなかで、オルガンの音でも鳴ってるようだった。それは唸り声をあげてる私の最後の考えだった。
思い出にふけるこの最後の時に、私はまたしてもそこに自分の犯した罪を、恐怖をもって見出すのだった。しかし、私はもっともっと深く、自分を責め、さいなみたいのだ。死刑の宣告を下される前には、私はもっとはげしく良心の苛責に苦しんでいた。死刑の宣告が下されてからは、死の考え以外には、良心の苛責などはいりこむ余地がなくなってしまった。それでも、できれば、私はもっともっと深く、自分の犯した罪に苦しみたいのだ。
自分の生涯の遠く過ぎ去った時のことを夢みたのち、やがてその生涯に終結をあたえるべき斧の一撃のことに思いおよぶと、私は突然、なにか目新しいものに出会ったようにびっくりする。あの美しかった幼年時代、あの麗しかった青春時代、その金色に織りなされた布地の先端には、血がにじんでいるのだ。あの頃の私と、今の私との間には、血潮の川が横たわっている。
他人の血と、自分の血の川が!
この先、いつか、私の身の上話を読む人があるなら、純潔と幸福とにみちあふれた、ながい年月ののち、突然、犯罪ではじまり、刑罰でおわる、この呪うべき年が姿を現わすのを、信じかねるだろう。この一年は、なんとしても不釣合にみえるだろう。
ああ、しかし、なんという酷《むご》い法律と、酷い人間たちよ。私は悪人ではなかった。
ああ、あと数時間すれば、死んでゆくのだ。一年前の、今日とおなじような日には、私は、自由で、潔白で、秋の日のそぞろ歩きをつづけていたのだ。木立ちの下をさまよい、落ち葉をふんで歩いていたのだ。ああ、その時のことを考えると!
三十五
今この時間に、私の周囲では、裁判所の建物とグレーヴの広場をとりまく家々のなかでは、またパリ中いたるところで、多くの人たちが往来し、話し、笑い、新聞をよみ、仕事のことを考えているのだ。商売にはげむ商人たち、今夜の舞踏会の衣装をととのえる若い娘たち、子供と遊んでいる母親たちがいるのだ。
三十六
ある日、子供の頃、ノートル・ダムの釣鐘をみにいった時のことを私はおぼえている。
うす暗い、螺旋《らせん》階段をのぼり、二つの塔をつないでるほそ長い廊下をわたり、パリ中を足もとにして、私はもう眼がくらむ思いをしながら、石と木でできた囲いのなかにはいっていった。そこには、鐘鐸《かねたたき》のついた釣鐘が、千キロという重さで、釣られていた。
よく合わさってない踏み板の上を、私は震えながら進んでいき、パリの子供たちや、民衆たちの間に、あれほど名高い大鐘をほんの少し先に見出した。ななめに大鐘をかこんでいるスレートぶきの庇《ひさし》が、自分の足とおなじ高さにあるのをみて、私は恐ろしくなった。そして時々、上からちらちらとノートル・ダム寺院の前庭をみおろし、蟻のようにみえる通行人たちをながめた。
突然、大きな音をだして大鐘がなった。奥底から湧きおこるような震動が空気をゆさぶり、どっしりした寺院の塔を震わせた。踏み板が桁からはずれてとびあがった。私はその音に、もうすこしでひっくり返るところだった。よろめいて、倒れかかり、スレートぶきの、坂になった庇の上にすべり落ちそうになった。私は恐ろしさのあまり、踏み板の上に腹ばいになり、両手でしっかりと、そこにしがみつき、口もきけず、ろくに息もつけなかった。耳のなかではとてつもない音がひびきわたり、眼の下には、断崖がそびえ、その深淵の底には広場がみえ、そこではうらやましくてたまらないほど、悠然と多くの通行人たちが往き来していた。
私は今、ちょうどあの釣鐘の塔のなかにいるような気がする。まわりのものが全部いっしょになってぐるぐるまわりだし、目がまわり、気が遠くなってきた。あの時の鐘の音みたいなものがきこえてき、頭のなかをゆりうごかす。そして、私の周囲からは、あの人々が往き来している平穏な、静かな人生は、もはや遠のいてしまい、ただはるか彼方、深淵のさけ目ごしに、わずかにそれはみえてるだけだった。
三十七
市庁は、不吉な感じの建物である。とがった急な屋根、奇妙な小さな塔、白い大きな時計盤、どの階段にも小さな柱がならび、千ちかくのガラス窓がついている。人の足ですりへらされた階段、左右に二つある迫持《せりもち》、そうした建物が、グレーヴの広場とおなじ平面の上にたっている。陰気で、物悲しげで、表面の全部は老い朽ち、ひどく黒ずみ、陽があたっている時でも黒くみえる。
死刑執行日には、この建物のあらゆる出口から、憲兵が吐きだされ、そのあらゆる窓から、人々の眼が受刑者にそそがれる。
そして晩には、死刑執行の時刻を報じた例の時計の文字盤が、建物のくらい正面に、明るく光るのだ。
三十八
一時十五分。
私はいま、こんなことを感じている。
激しい頭痛、寒さに冷えきった腰、燃えるような額、立ったり、かがんだりするたびに、なんだか脳のなかに液体のようなものがたまってるみたいで、それに脳味噌がおかされて、頭蓋骨のうち側にぶつかるような感じがする。
なんども身体が痙攣して震える。そして時々、電気にでも打たれたように、ペンが手からおちる。
煙のなかにでもいるように、眼がひどくしみる。
肱の具合がおかしい。
あと二時間と四十分、その時がくれば、なにもかもなおってしまうだろう。
三十九
彼らは言う。あれは、なんでもない。苦しいことなんかない。安らかな終息だ。ああいった死は、瞬間にことがおわるように、工夫されてるのだ。
では、今日までの六週間の苦悶と、この最後の日の苦悶はなんだ。こんなにも、ゆっくりと、しかもこんなにも早くすぎていく、このとり返しのつかぬ一日の苦悶は、いったいなんなのか。死刑台でおわるこの責苦の階段は、いったいなんなのか。
よそ目には、そこにはなんの苦しみもないようにみえる。
しかし、血が一滴、一滴とつきていき、知性から生ずる考えが、ひとつ、またひとつ、消えていく苦しみは、臨終の痙攣とおなじではないか。
それでも苦しくはない、というのは、たしかなことなのか。誰がそれを言ったのだ。うち落された頭が、籠のふちから血まみれの顔をだして、それはなんでもない、と、人々に叫んだことでもあるのか。
そういう死にかたをした人間のなかに、あとからわざわざ礼を言いにやってきて、よく出来てますよ、心配いりませんよ、などと言った奴でもいるのか。
その男は、ロベスピエール〔大革命時代の政治家、革命政権の樹立と自己の政治的理想の実現に努力したが、彼の独裁化をおそれた仲間の議員たちのために、断頭台におくられる〕か、それともルイ十六世〔フランス大革命時代、断頭台におくられた有名な王〕なのか。
なるほど、なんでもないことだ。一分たらずのうちに、一秒たらずのうちに、ことは終ってしまうのだから。だが、彼らは一度だって、重い刃がおちてきて、肉を切り、神経をたち、頚の骨を打ちくだく瞬間のことを、執行される者の身になって、せめて頭のなかだけでも、考えてみたことがあるか。なあーに、ほんの半秒間のことだ。苦痛なんか、知らぬまに……。なんてひどいことを言うのだ!
四十
妙なことだが、私はたえず国王のことを考えている。どうやってみても、どんなに頭をふってみても、あるひとつの声がきこえてきて、ひっきりなしに私に言う。
「このおなじ町に、おなじ時間に、しかもここから遠くない所で、もうひとつの立派な建物のなかで、彼のいる部屋のどの扉にも、おなじように護衛がついてる一人の男がいる。お前とおなじように国民のなかのたった一人の男で、お前がその国民のなかの最低の人間であるのに反し、彼はその最高の地位にある人間だ。彼の全生涯は、一分のむだなく、光栄と権威と愉悦と、陶酔のうちにのみすごされる。彼の周囲は、すべて愛と尊敬と崇拝とにみち溢れている。どんなに高い声も、彼に話しかけるときには低く、慎み深くなり、どんなに傲慢な顔も、彼の前にはおもてをさげる。彼の眼にふれるものは、すべて絹と黄金ずくめである。今頃、彼は、誰一人異議をさしはさむ者のない閣議にのぞんでいるか、あるいは明日の狩猟のことや、今晩の舞踏会のことを考えている。宴会は、自分の望みどおりの時刻に催されるものと安心し、そうした楽しみごとのいっさいは、他人に任せきっている。ところで、その男にしろ、お前と同じように、肉と骨とでできた人間なのだ。──そして、今すぐにでも、あの恐るべき死刑台がとりこわされ、生命と自由と、財産と家庭、そうしたいっさいのものが、お前にとりもどされるには、彼がこのペンで、一枚の紙片のすみに、サインするか──それとも、彼の乗っている馬車が、お前をのせた荷馬車に出会っただけでも、ことは足りるかもしれないのだ──それに、彼は善良な人間だし、おそらくそうしたことは、彼の望むところでもあろうし、また、彼にとっては、なんでもないことだろう。
四十一
さあ、それじゃ、死とともに勇気をもとう。その恐ろしい観念を両手にとりあげ、それをまともに、じっとみつめよう。それがどんなものであるか、結論をもとめ、それがわれわれになにを求めているかを明らかにし、それをあらゆる面にわたって調べ、その謎をとき、その墓場のなかを、前もって覗《のぞ》いてみよう。
最後に眼をつぶった瞬間、大きな閃きと、私の精神がはてしもなくころがってゆく明るい深淵とが、みえてきたような気がする。空は、自らの精気をみなぎらして輝きわたり、そこでは、もろもろの星辰《せいしん》も、暗い汚点《しみ》と化し、生者の眼に映るような、ビロードの布地に散りばめられた金の砂子とはことなり、黄金の羅紗地につけられた黒点のごとく、映るように想われる。
あるいは、そこはまた、四方を闇黒にとざされた忌わしい深淵であるかもしれぬ。そして、そのなかへ、私は影のうちに物のうごめく姿をみながら、たえまなく落ちつづけてゆくのかもしれない。
それともまた私は、死後に眼をさまし、なにか湿っぽい、たいらな床の上にいて暗闇のなかを、まるでひとつの頭がころがるように、身体を回転させながら、進んでいくのかもしれない。強い風に吹きとばされ、あちこちにころがり、うごめいてる、いろいろな他の頭にぶつかるかもしれない。ところどころに、なんとも正体のわからぬ、なまぬるい液体をたたえた水溜りや、流れがある。なにもかもが暗闇につつまれている。ころびまわりながら眼をあげてみても、みえるものは、闇の空ばかり、ずっしりとあつい闇の層がたれこめている。そして遠い奥の彼方には暗闇よりさらにいっそう、真黒な煙が、むくむくと大きく立ちのぼっている。なお、その暗黒の闇のなかには、小さい赤い火の粉がとんでいるのがみえる。近づいていくと、それはいつのまにか、火の鳥にかわる。そしておそらく、こうした世界が永遠につづくのだろう。
ある日には、また、暗い冬の夜など、グレーヴ刑場の死人たちが、自分たちのもち場の広場に集まる、というようなことがあるかもしれない。青ざめた、血まみれの顔の人たちの群で、私もそのなかの一人に加わっている。月の光もささず、みんな低い声でささやきあう。市庁の建物が、その老い朽ちた正面と、穴だらけの屋根と、みんなに無慈悲だった時計の文字盤をみせている。
おそらく、そうしたこともあるかもしれない。だが、それらの死人たちがふたたび、この世に現われるとしたら、どんな姿で出てくるだろう。手足や首をたちきられた、かたわの身体のどの部分が知っているだろう。そのどの部分をえらんで、出てくるだろう。幽霊になって出てくるのは頭だろうか、胴体だろうか。
ああ、死はわれわれの魂をいったいどうするのか。死は、どういう実体に魂を託すのだろう。死は魂から、いったいなにをうばい、あるいは、いったいなにを魂にあたえるのか。死は魂をどこにあずけるのか。この地上で、魂をながめるために、そしてそれをみて泣くために、死は肉眼に、魂を残してやることがあるのか。
ああ、司祭よ、それを知ってるはずの司祭よ。私はそうした司祭の一人がほしい。そして接吻すべき十字架像がほしい!
ああ、しかし、やはりおなじことだ!
四十二
私は眠らしてほしいとたのみ、寝床の上に身をなげだした。
事実、私は血が頭にのぼって、ぼうっとしてたので、そのまま、眠ってしまった。私の最後の眠りは、こういった種類の眠りだった。
私は夢をみた。
夢のなかでは、夜だった。私は書斎で、二、三人の友人たちといっしょに腰をおろしていた。友人たちの顔は、はっきり覚えていない。
妻はとなりの部屋で横になり、子供といっしょに眠っていた。私たち、友人と私とは、低い声で話していた。そして自分たちの話してることに、自分たちで怯《おび》えていた。
突然、どこかの部屋から、なにか物音がきこえてくるようだった。なんだか、はっきりしない、かすかな異様な音だった。
友人たちも、私と同じように、それを耳にした。私たちは耳をすました。こっそりと錠前をこじあけるような、ひそかに閂を切りはずしてるような音だった。
なんだか、ぞっとするような音が陰にこもって、私たちは怯えあがった。この夜ふけの時刻をねらって、たぶん、泥棒が私たちの家に忍びこんだのだろう、と、私たちは思った。
しらベにいくことに私たちは覚悟をきめた。私たちは立ちあがって、蝋燭をとった。友人たちは、私のあとにつぎつぎについてきた。
私たちはとなり部屋を通りすぎた。妻は子供と眠っていた。次に私たちは客間にでた。べつに変ったこともなかった。どの肖像も赤い壁掛けの上の金縁の額のなかに、しずかにおさまっていた。ただ客間から食堂へ通じる扉が、いつもとひどく違ってるように感じられた。
私たちは、食堂にはいった。そしてなかを、ひと回りしてみた。私が先頭にたって歩いていた。階段の上の扉は、ちゃんと閉っていたし、どの窓もそうだった。暖炉のそばまでいって、よくみるとふきん入れ戸棚が開けっぱなしになってて、その戸が壁のすみをかくすように引っぱられていた。
私はびっくりした。戸のうしろに、誰かがいるにちがいないと、私たちは思った。
私は戸に手をかけて、それを閉めようとした。戸は動かなかった。驚いて、さらにいっそう、力をこめて引っぱると、戸は急に動いて、一人の老婆が、私たちの前に姿を現わした。小柄な身体で、両手をたれ、眼をとじたまま、動かず、つっ立ったまま、壁のすみにはりついていた。
なんともいえない、醜悪な感じだった。いま、思い出しても、身の毛がよだつほどである。
私はその老婆にたずねた。
「そこで、なにをしてるんだ」
彼女は答えなかった。
私はたずねた。
「お前はだれだ?」
彼女は、なにも答えず、身動きもせず、眼をとじたままだった。
友人たちは言った。
「家に忍びこんできた悪党たちの仲間にちがいない。僕たちがやってきたのに気づいて、みんな逃げだしたんだが、こいつだけが、逃げおくれて、ここにかくれてたんだ」
私は、もう一度、彼女にたずねたが、彼女はやっぱり、声もださず、身動きもせず、なにもみようともしなかった。
私たちの一人が、老婆をねじ伏せようとした。彼女は倒れた。老婆はまるで、まるたん棒のように、命のないもののように、ばったり倒れた。
私たちは、彼女の足先を動かしてみた。それから、誰かが二人して彼女をたたせ、壁にまたよりかからせた。生きてる気配は、老婆のどこにもみられなかった。耳のなかへ、大声でどなりつけても、つんぼみたいに、黙りこんでいた。
そのうち、私たちはいらいらしてきた。恐怖の念に、怒りの感情がまじってきた。誰かが私に言った。
「顔の下に、蝋燭の火をもってってみろ」
私は、彼女の顔の下に、蝋燭の燃えてる芯《しん》をもっていった。すると、彼女は一方の眼をすこしあけた。うつろな、どんよりくもった、ぞっとするような眼だった。その眼はなにもみていなかった。私は蝋燭の焔をうしろにひいて言った。
「ああ、これで、どうやら、|ね《ヽ》をあげるだろう。こら、ばばあ、お前はなにものだ」
彼女の眼は、また、ひとりでにしまるように、閉ざされてしまった。
「こいつは、驚いたな。おそろしく頑固な奴だ」と、友人たちは言った。「もう一度、蝋燭の火をつけてやれ、もう一度」
私はまた老婆の顎の下に、火をさしつけた。
すると彼女は両方の眼をゆっくりと開き、私たちみんなをかわるがわる、ながめまわしたのち、急に身をかがめたかと思うと、氷のような息で、蝋燭の火を吹きけしてしまった。と同時に、暗闇のなかで、三本のするどい歯が、私の手に噛みついてきたのを感じた。
私は震えあがり、つめたい汗をいっぱいにかきながら、眼をさました。
親切な司祭が、寝台の裾のところに腰をおろして、祈祷書を読んでいた。
「私はながいあいだ眠りましたか」と、彼にたずねた。
「ええ」と、彼は言った。「一時間も眠っていられましたよ。あなたのお子さんを連れてきてあるんですがね。あなたを待っていられますよ。眠ってるあなたを、私はさまさせたくなかったものですから」
「おう」と、私は叫んだ。「娘ですって、はやく娘を連れてきて下さい」
四十三
彼女は生き生きとしていた。バラ色の顔に、大きな眼をして、美しかった。
小さな、ながめのドレスを着てたが、とてもよく似あってた。
私は彼女をとらえ、両腕にだきあげ、膝の上にすわらせ、その髪に接吻した。
どうして、母親といっしょにこなかったのだろう?──母親も病気だし、祖母も病気だった。それでは仕方がない。
彼女はびっくりしたようすで、私をみていた。愛撫され、抱きしめられ、やたら接吻されながら、彼女はされるがままになっていた。しかし、部屋の片隅で泣いている女中の方を、ときどき不安げにみやっていた。
やっと、私は口がきけた。
「マリー」と、私は言った。「私のマリーや」
私は、嗚咽《おえつ》のこみあげてくる胸に、はげしく彼女を抱きしめた。彼女は小さな声をたてた。
「ああ、苦しいわ、おじちゃま」と、彼女は言った。
おじちゃま、だって。可哀そうに彼女は、もう一年ちかくも私に会わずにいたのだ。彼女は私のことを、顔も、言葉も、声の調子も、すっかり忘れていた。実際また、こんなに髪をのばし、こんな服装をし、こんな青ざめた顔をしてて、誰がむかしの自分をみわけることができよう。せめて、その世界にだけは生きていたいと思った記憶のなかででも、私という人間は、もはや消えてしまっていたのだ。ああ、私はもう父でもなくなっていた。子供の言葉のあのひとこと、大人たちの言葉のなかには生きのこることのできないあのひとこと、パパというあのひとこと、それももう二度ときけないように私は定められてしまったのだ。
それでも、私はもう一度、せめてあと一度でいい、そのひとことをあの口から聞けさえすれば、たとい残り四十年の生涯があったにしろ、それをうばわれても不足には思わなかったろう。
「ねえ、マリー」と私は、彼女の小さな両手を自分の手のなかにいっしょににぎりしめながら、言った。「お前は、私にちっともみおぼえがないの?」
彼女は、その美しい眼で私をみつめながら言った。
「ええ、ちっとも」
「よく、みてごらん」と、私はくり返した。「どうしても、私がだれだか、分からないの?」
「ええ、分かんないのよ、おじちゃま」と、彼女は言った。
ああ、この世で、ただひとり熱愛し、全心をかたむけて愛しつづけてきたその子が、今、目のまえで自分をみ、自分に話しかけ、自分に答えてくれているのに、この自分がだれだか、分からないなんて! ただ、その子からだけ、いまわのきわに私は心の慰めをえようとしているのに!
死をひかえた|いまわ《ヽヽヽ》のきわに、その子だけを求めているのに、相手はそれを知らないでいるなんて! この世に残された、たった一人の私の子なのに!
「マリー」と、私はまた言った。「お前にはパパがあるの」
「ええ」と、子供は言った。
「では、今、どこにいるの」
彼女はびっくりして、大きな眼をあげた。
「ああ、おじちゃま、知らないの、死んじゃったのよ」
それから彼女は、大きな声で叫んだ。私はもうすこしで彼女を手からおっことすところだった。
「死んじゃったって?」と、私は言った。「マリー、死んじゃうということ、どういうことか知ってるの?」
「ええ」と、彼女は答えた。「地のなかか、天国にいることなの」
彼女は自分の方から、なおつづけて言った。
「あたし、ママのお膝の上で、朝と晩、パパのために神さまにお祈りをしてるのよ」
私は彼女の顔に接吻した。
「マリー、私に、そのお祈りを言ってくれない」
「だめよ、おじちゃま、お祈りって、昼間言うもんじゃないのよ。今晩、おうちへいらっしゃい、言ってあげるわ」
それでもう十分だった。私は彼女の言葉をさえぎった。
「マリー、お前のパパは私なんだよ」
「ええっ!」と、彼女は言った。
「わたしがパパだったら、どう?」
子供は顔をそむけた。
「いや、わたしのパパ、もっとずっと綺麗だったわ」
私は、彼女を接吻と涙でおおった。彼女は私の腕からのがれようともがきながら言った。
「お|ひげ《ヽヽ》がいたいわ」
それから、私はまた彼女を膝の上にすわらせ、じっくりとみつめたのち、たずねた。
「マリー、おまえ、字が読める?」
「ええ」と、彼女は答えた。「ちゃんと読めるわ、ママはわたしに字を読ませるの」
「じゃあ、すこし読んでごらん」と、言いながら、私は彼女が小さな片方の手に、もみくちゃにしてもっている紙きれを指さした。
彼女は、そのかわいい頭をふった。
「あら、あたし、おとぎ話しか読めないのよ」
「でも、ちょっと読んでごらん、ねえ、お読みよ」
彼女は紙をひろげて、指で字をひとつ、ひとつ、ひろいながら読みはじめた。
「は、ん、け、つ、はんけつ……」
私は、それを彼女の手からもぎとった。彼女がよんできかせたのは、私の死刑宣告文だった。女中がそれを一スーで買ってきていたのだ。
その時の私が、どんな気持だったか、口では言いつくせない。私のはげしい動作に、彼女は怯えあがった。今にも泣きだしそうになっていた。だが、突然、彼女は私に言った。
「紙を返してよ、ね、今のは嘘よ」
私は彼女を女中の手にもどした。
「連れてってくれないか」
そして、私は暗い、索漠とした、絶望的な気持におちいり、椅子に身をおとした。今こそ、彼らはやってくるべきだ。私にはもうなんの未練もない。心の糸の最後の一筋もきれてしまった。今こそ私は、彼らが行なおうとしてることに、おあつらえむきの人間なのだ。
四十四
司祭は、善良な人間だし、憲兵だってそうだ。子供を連れてってほしいと、私が言った時、彼らは涙をひとしずく流したようだ。
さあ、これからだ。今こそ、私はしっかりと身を持さねばならぬ。死刑執行人のこと、護送馬車のこと、憲兵たちのこと、橋の上の群集、河岸の上の群集、人家の窓の群集のことを、次にそこで切り落された人間の頭が敷きつめられているかもしれない、あの痛ましい広場に、私のために特別に用意されてる、あの|もの《ヽヽ》のことを、しっかりと考えておかねばならぬ。
それらのものに対し、しっかりした覚悟をきめておくために、まだ一時間ぐらいは、私に残されているように思う。
四十五
群集はみんな、笑うだろう。手をたたくだろう。喝采するだろう。しかも、喜びいさんで死刑執行をみに駈けてくる、これらの自由な、看守などはみも知らぬ連中のうちには、この広場をいっぱいに埋めている群集の頭のなかには、私の頭を追って、やがていつかは赤い籠のなかにころげこむ運命にある頭も、ひとつならずあるだろう。今は、私のために、ここにきているが、やがて自分のために、ここの広場にこねばならぬ人間だって、一人ならずいることだろう。
それらの宿命をになった人々のために、グレーヴの広場のある地点には、ひとつの宿命的な場所が、そうした人間をおびきよせるひとつの中心が、ひとつの罠《わな》がかけてある。人々の群は、その周囲をまわりながら、ついに自分から、そこに落ちていくのだ。
四十六
私の小さなマリーよ──みんなは彼女を遊ばせに連れていった。いま彼女は辻馬車の入口から群集をみつめながら、もう、このおじちゃまのことなど、考えてはいないだろう。
おそらく、私には、彼女のことをさらにいく頁か書くぐらいの|ひま《ヽヽ》は残っているだろう。いつかは、彼女もそれを読んでくれ、そして、十五年もたったら、今日の私のために、涙を流してくれるようにと、そうだ、私はわが身のことを、自分自身の手で、彼女に知らせなければならぬ。私が彼女へのこす名前が、なぜ血に染まっているかを、彼女に知らせておかねばならぬのだ。
四十七
予の経歴、
[#ここから1字下げ]
発行者注──これにあたる原稿をさがしたが、いまだに見当らない。おそらく、次の記録が示すように、受刑者には、それを書くひまがなかったらしい。彼がその気になった時には、もう遅かったのだ。
[#ここで字下げ終わり]
四十八
市庁舎の一室にて
市庁舎にて!…… 私はこうして市庁舎にいる。呪うべき道ゆきはすぐにおわった。広場は、すぐそこにある。窓の下には、恐ろしい群集が吠えたてている。そして私を待ち、笑っている。私はどんなに身を堅固にし、どんなに身をひきしめても、やはり、気がくじけてならなかった。あの末端に黒い三角刃をつけた二本の赤い柱が、河岸の街燈の間から、群集の頭ごしにみえたとき、私の心は打ちしおれてしまった。私は最後の申し立てを要求した。私はその場にとめておかれ、だれかが検事の一人を呼びに行った。私は待っていた。そうしてなんとか時間をかせいだ。
今までに経過した事実を話しておこう。
三時がなっているとき、時間がきたことを知らせに、人がやってきた。私は六時間まえから、六週間まえから、六カ月もまえから、ほかのことばかり考えてた人間のように、思わず震えあがった。なんだか予期してなかったことのように感じられた。
私は彼らに連れられ、いくつもの廊下を通りぬけ、いくつもの階段を降りていった。彼らは、私を一階の、二つのくぐり戸のある部屋に押しこめた。まる天井の、うす暗い、せまい部屋で、霧と雨もようの日の、かすかな明るみだけが、ほのかにさしこんでいた。部屋のまんなかに、椅子がひとつあった。彼らは、私に、そこへ坐れと言った。私は坐った。
扉のそばと壁にそって、司祭と憲兵のほかに、なお、何人かの男たちがひかえていた。あの、三人の男たちもいた。
三人の男のうちで、最初の、いちばんのっぽの、いちばん年とった男は、あぶらぎった赤い顔をしてた。フロックコートをきて、妙なかたちの三角帽をかぶってた。そいつが、|あれ《ヽヽ》だった。
死刑執行人、断頭台の御用をつとめる下僕だった。ほかの二人は、彼についてる助手だった。 私が腰をおろすと同時に、その二人がまるで猫のように、私の背後に近よってきた。それから突然私は、冷たい刃物が、髪の毛にふれるのを感じた。鋏《はさみ》の音がきこえてきた。
私の髪の毛は片っぱしから刈りとられ、ひとかたまりずつ、肩の上におちてきた。三角帽の男は、それをふとい手で、しずかに払いのけた。
まわりでは低い声で人々が話をしていた。
外では、なにか大きなざわめきがおきていた。私は、はじめ、それが水の流れる河の音かと思った。しかし、どっと湧きおこる笑い声を耳にし、群集であることが分かった。
窓の近くで、鉛筆で手帳になにか書きこんでた男が看守の一人に、今ここで行なわれてることは、なんというのかと、たずねた。
「受刑者のおめかしですよ」と、看守は答えた。
それが、明日の新聞の記事にされることが、私には分かった。
とつぜん、助手の一人が、私のうわ着をとりあげた。もう一人の助手が、私のたれてる両手をとり、うしろにまわした。やがて、組み合わされた私の手首に綱の結び目がゆっくりと出来あがっていくのを感じた。と、同時に、こんどは最初の助手が、私のネクタイをはずした。それから、むかしの私の、ただひとつの名残りともなっていたパチスト織りのシャツに、ちょっとためらってたが、やがて、シャツの襟をきりとりはじめた。
この、恐ろしいほどの慎重さに、首にさわる刃物の感触に、両肱は震え、私はつい、唸り声をもらした。襟をきりとっていく男の手が震えた。
「失礼致しました」と、彼は言った。「どこか、お痛みでしたか」
死刑執行人たちは、ひどくおだやかな人間だった。
群集は、外でますます高く喚声をあげていた。
顔に吹出物のある大きな男が、酢にひたしたハンカチを私に嗅がせようと、さしだした。
「ありがとう」と、私はできるだけ強い声で言った。「それにはおよびません。大丈夫ですから」
そのうち、彼らの一人が、身をかがめ、私の両足を、こきざみにしか歩けないように、うまく、ゆるく縛った。その綱は、両手をしばってる綱と、結びあわされた。
次に、例の大男が、うわ着を私の背に投げかけ、顎の下で、その両袖を結んだ。これで、すべきことは、すべて完了した。
そこで、司祭が十字架像をもって、近づいてきた。
「さあ、わが子よ」と、彼は私に言った。
死刑執行人の助手たちが、私の両脇をとらえた。私は身体を持ちあげられるようにして歩いた。足からは力がぬけ、まるで両足に膝が二つずつあるみたいに、たわんだ。
その時、外に出る二つの扉がさっと開かれた。物凄い騒音と、冷たい空気と、白っぽい光線とが、影のなかにいる私のところまで押しよせてきた。私はうす暗い戸口の奥から雨のなかをすかして、なにもかも一挙にみてしまった。裁判所の大階段の斜面に、つみかさなりながら、大声でわめきたててる人間たちの数かぎりない頭、右手には、低い戸口とおなじ平面にあるため、その馬の前足と胸しかみえない騎馬憲兵の一隊、正面は、展開体制をとってる歩兵の一隊、左手には、ひどく急な梯子《はしご》がくっついてる荷馬車の後部がみえる。なにもかも、獄門という額ぶちにうまくはめこまれた、醜悪きわまる一幅の画面というべきものだった。
この恐るべき瞬間のためにこそ、私は勇気をたくわえておいたのだ。私は三歩ばかり前進して、くぐり戸の出口に姿を現わした。
「ああ、あそこに出てきた、出てきた」と、群集は叫んだ。「出てきたぞ、いよいよ」
そして、私のそば近くいた連中は、手をたたいた。人民からどんなに愛されてる国王だって、これほどの歓迎をうけることはないだろう。
私の乗る車は、ごくふつうの荷馬車で、やせこけた一頭の馬がつながれ、ビセートルの近所の野菜づくりたちがよくきてる、赤い模様のはいった古いうわ着をきた馭者が一人乗っていた。
三角帽の、例の大きな男が、まず最初に乗りこんだ。
「やあ、こんちは、サムソンさん」と、鉄柵にぶらさがってた子供たちが言った。
助手の一人が彼のあとにつづいて乗った。
「いいぞ、コルディのあんちゃん」と、子供たちはまた叫んだ。
彼らは二人とも前方に席をとった。こんどは私の番だった。私はかなりしっかりした足どりで、馬車に乗った。
「落ちついてるわねえ」と、憲兵たちのそばにいた女が言った。
この、人をくった讃辞が、私を元気づけてくれた。司祭が私のそばにきて、腰をおろした。私は馬に背をむけ、うしろ向きに、後方の腰掛けに坐らされた。最後までそうした注意がくばられてるのをみて、私はぞっとした。
彼らはそんなことで、こまかい人情味をきかせたつもりなのである。私はあたりに眼をやった。まえには憲兵たち、うしろにも憲兵たち、それから群集、群集、群集、広場はまるで、人の頭の海だった。
鉄門のところで、騎馬憲兵の一隊が、私を待っていた。将校が命令をくだした。荷馬車と、護衛の一隊は、かしましい群集の喚声に、押し出されるように動きだした。
鉄門を通りすぎた。馬車がシャンジュ橋の方へ曲がった時には、広場中が、舗石から建物の屋根にいたるまで、どっと湧きかえり、さらに、方々の橋や、河岸にいた群集がそれにこたえて、まるで地震のような騒ぎをひきおこした。
そこで待機していた憲兵の一隊が、さらに護衛に加わった。
「帽子をとれ」と、多くの声がいっせいに叫んでいた。──まるで国王を迎えてるみたいだった。
そこで、つい私まで笑いだしてしまった。
「あっちは帽子だが、こっちは頭だ」
行列はなみ足ですすんでいった。
花もの市場の河岸は、いい香りをただよわせていた。花市のたつ日だった。花売り娘たちは、花はそっちのけにして、私の方へ駈けてきた。
裁判所の一角にある、四角な塔のすこし前方に──何軒かの居酒屋があり、その中二階が格好な場所にあったので、見物人たちでいっぱいだった。とくに女たちが多かった。居酒屋には、まったく上々吉の結構な日だったに違いない。
テーブルや椅子や、荷車までが、金をとって貸しだされていた。どれもみんな、かしげるほど、見物人たちでいっぱいだった。人間の血の流れるのを売り物にして、商人たちはあらんかぎりの声で、叫んでいた。
「席のほしい方はいませんか」
そうした群集に、私は激しい怒りをおぼえた。私は彼らにむかつて、叫んでやりたかった。
「わたしの席を、ほしい方はいませんか」と。
その間にも馬車は進んでいった。馬車が進むにつれ、群集は背後にくずれさってゆき、遠く馬車の道すじから離れたところで、ふたたびかたまり合うのが、あちこちとさまよいつづける私の眼に映った。
シャンジュ橋にさしかかったとき、私はふと、右手の方をふり返った。すると対岸の人家の上に、彫像がいっぱいくっついてる黒い塔が、ぽつりとひとつつっ立っているのが眼にとまった。頂上に、横むきに坐った二つの石の怪物がみえた。なぜそんなことをきいたのか、自分でも分からぬが、私はそれがなんの塔なのかと、司祭にたずねた。
「サン・ジャック・ラ・ブーシュリー〔ラ・ブーシュリーは屠殺所を意味する〕の塔ですよ」と、死刑執行人は答えた。
靄《もや》がかかってて、こまかな白い雨あしが、蜘蛛の巣をはったようにさえぎっていたが、それでも、周囲におこる出来事は、なぜだか分からぬが、なにひとつ、私の眼からのがれることはできなかった。そのひとつひとつの出来事が、私を苦しめつづけた。その気持は、とても言葉では言いあらわせぬ。
シャンジュ橋は道幅が広かったが、やっとのことで通れたほど、そこは人で埋まっていた。その橋のなかほどで、私ははげしい恐怖におそわれた。そのまま、気を失うのではないかと思ったぐらいだった。それは最後まで残ってた虚栄心のうめきだった! 私は、うまく自分をだまして、もうなにをみようとも、聞こうともせず、ただ、司祭の方にのみ、心をそそごうとつとめた。しかし、司祭の言葉は、ひどい騒ぎのために、声がとぎれ、よくきこえなかった。
私は十字架像をとって、それに接吻した。
「お慈悲を、神さま」と、私は言った。──そしてこの祈りの念に、ひたすら心をふかく沈めようとつとめた。
しかし、心ない荷馬車の動揺は、私の心にも動揺をあたえた。それから突然、私は|さむけ《ヽヽヽ》がしてきた。雨はすでに、服にしみとおっていたし、短く刈りとられた髪の毛をつたわって、頭の皮膚までぬらしていた。
「寒くて、震えておられますね」と、司祭が私にきいた。
「ええ」と、私は答えた。
ああ、寒さのためばかりではなかった。橋を渡ったところの曲がりかどで、女たちが私の若さをあわれんでくれた。
私たちは最後の河岸を進んでいった。私はもう、眼もみえなくなり、耳もきこえなくなりだした。あの、ありとあらゆる人声、窓や、戸口や、商店の格子窓や、街燈の柱にまでむさぼりつき、かさなりあってるあれらの頭、どん欲な、残忍なあれらの見物人たち、彼らはみんな私を知ってるのに、私の方では、誰もなんにも知らない群集たち、舗石も、壁も、人の顔でできあがった街路……私は酔ったようになって、茫然と、白痴みたいになってしまった。あんなにたくさんの人々の眼が、自分の上にのしかかってくるなんて、とてもたえきれるものではない。
私は腰掛けの上で、目まいがし、もう司祭にも、十字架像にも、注意をはらわなかった。
私は周囲の騒ぎのなかに、あわれみの叫び声と、喜びの叫び声とがあるのを、笑いと、嘆きの声があるのを、人の声と物の音とがあるのを、もう、ききわけることができなくなっていた。それらは、みんなひとつの轟音と化して、まるで、|どら《ヽヽ》の音のように、私の頭のなかでひびきわたっていた。
私の眼は、無意識に商店の看板を読んでいた。
一度ばかり、私は異様な好奇心にかりたてられ、自分の進んでいく方向を、振り返ってみようとした。それが、私の知性の最後の挑戦だった。しかし、身体が思うようにならなかった。首すじが麻痺して、もうすでに死んだようになっていた。
私は、ただ横の方に、河の向うに、ノートル・ダム寺院の塔をちらっとみただけだった。そこからみると、その塔は、さらにもうひとつの塔をかくしていた。みえるのは旗のたってる塔だけだった。その塔にも、たくさんの人だかりがしていた。そこは見物にはもってこいの場所だった。
それから、荷馬車は、さらに先へと進み、商店の前をつぎつぎに通りすぎ、字を書いたのや、色を塗ったのや、金色に光ってる看板がつづき、野卑な群集が泥のなかで、笑い、おどり狂っていた。いっぽう私は、眠ってる者が夢にひきこまれていくように、みんなにひかれていくがままになっていた。
それまで私の眼に映ってた商店の軒先が、突然、ある広場の角でとぎれた。群集の声がさらにいっそう、大きく拡がり、かん高くなり、なおいっそう、楽しげにきこえてきた。馬車が突然止った。私は前のめりに倒れかかった。司祭が身体をささえてくれた。
「しっかりなさって」と、彼はささやいた。その時、馬車の後部に梯子がもってこられた。司祭が私に腕をかした。私は降りた。それから一歩、歩いた。それからさらに向きなおって、もう一歩ふみ出そうとした。しかし、足がでなかった。河岸の街燈の間に、ものすごい姿のものをみたからだった。
おお! まさしく、それは現実であった。
私はすでにその一撃をうけて、よろめくように、立ち止ってしまった。
「最後の申し開きをしたいのですが」と、私は弱々しい声で言った。
みんなは、とうとう自分をこの上にまで、のぼらせてしまった。
私は最後の自分の望みを、筆に託させてくれるようにたのんだ。彼らは私の手をほどいてくれた。しかし、綱はその場におかれ、いつでも縛れるようになっていた。その他のものは、下の方におかれていた。
四十九
判事だか、検察官だか、属官だか、どういう種類の役人だかわからぬが、そうした役人の一人がやってきた。私は両手をあわせ、膝まずきながら、許しを乞うた。彼はどうしようもないといった微笑を浮かべながら、言いたいことは、それだけか、と答えた。
「どうか御慈悲を、御慈悲を」と、私はくりかえした。「もし、それがだめでしたら、あと五分間の御猶予をお願いいたします」
「まだどうなるか分からないことです。おそらく私には御慈悲がくだされます。私のような年で、こうした死にかたをするなんて、とても恐ろしいことです。いよいよ最後の瞬間には、特赦がくだされるのです。そうしたことは、何度もあったことです。私が特赦をうけなかったら、だれがいったい、特赦をうけるというのです?」
あの呪うべき死刑執行人め! あの男が判事のそばによってきて言った。死刑の執行は、既定の時刻に行なわれねばならない。その時刻はすでに迫っている。自分には責任がかかっている。
それに雨が降っているので、機械がさびつく恐れもある、と。
「どうぞ、御慈悲を。あと一分間、お願いです! 特赦がくるのを待ってください。でなければ、私は抵抗しますぞ。噛みつきますぞ」
判事と死刑執行人とは出ていった。私は一人きりになった──二人の憲兵がいっしょにいるだけだ。
おお、ハイエナのような叫び声をあげてる群集! 奴らに分かるものか、私がうまくのがれられるか、どうか。助かるか、どうか。御慈悲がくだされるか、どうか。……私に御慈悲がくだされないなんてことが、あってたまるものか。
ああ、なんというひどい人たちだろう。奴らはいよいよのぼってくるようだ。……
四時!
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「死刑囚最後の日」序文
この作品の最初の諸版は、いずれも作者の名前を明かさずに出版され、その冒頭には次のような数行しか書かれていなかった。
「この本の成立については二つの解釈の仕方がある。すなわち、事実として黄ばんだ不揃いな一束の紙が発見され、それに一人のみじめな男の最後の思想が克明に書きとめられていたのだと。もうひとつは、哲学者か詩人か、とにかく芸術のために自然を観察している一人の夢想家があって、この本のなかにみられるような観念を空想し、その観念を心にいだくというより、むしろそれに捉えられ、それから逃れる方法は、ただそれを一冊の本として投げだす以外に道がなかったのだと。
この二つの説明のうち、どちらを選ぶかは読者の自由である」
以上のことからも分かるように、著者はこの本が出版された当時、自分の思想のすべてを公開するのは不適当だと判断した。そして自分の思想がやがて理解されるのを待つ方を選び、またはたして理解されるかどうかをみたいと思った。結局、事実上理解されたのである。今まで文学という純粋無垢な形式のもとで普及させたいと願っていた、自分の政治的思想や社会的思想を、今日ではあからさまに表に持ちだすことができるのである。そこで著者は言明する、というより公然と告白するのだが、直接的なものとみるか間接的なものとみるかは読者にまかせるとし、『死刑囚最後の日』は死刑廃止擁護論以外のなにものでもないのだ。著者が意図したもの、また、この作品のなかで後世の人たちにみてもらいたいもの、いささかでも気にとめていただきたいもの、それは、選ばれたかくかくの被告なり罪人についての、常に容易で、常に一時的である特定の弁護ではなく、現在と未来のあらゆる被告に共通する恒久的な擁護なのである。それは、偉大なる最高裁判所であるべき社会を前にして、あらゆる人たちが論告し弁護しなければならぬ重大な問題なのである。それは、すべての刑事訴訟にさきがけ、永久にうちたてられるべき、最上の無訴権〔相手方に訴える権利なしと抗弁する権利〕であり、「血に対する嫌悪」である。それは、すべての重罪訴訟事件の奥底で、裁判官たちの血なまぐさい修辞学の三重の層をなす熱弁のうちにつつみこまれながら、なおひそかにうごめいている陰うつな宿命的問題であり、まさに生と死の問題でもある。またあえて言うならば、それは、衣をはがされ、裸体にされ、検事室のそらぞらしいたわ言などは、はぎとられ無残にも白日のもとにさらされ、本来、当然あるべき視点に、本来当然あるべき場所に、それが現実にあるべき場所に、その真実の環境に、その恐ろしい環境におかれるべき問題であり、またそれは法廷ではなく死刑台に、判事の手のなかではなく、死刑執行人の手のなかにおかれているところの、それこそ生と死の問題なのである。
作者が望んでいるのは、まさにかかる点なのである。あえて望むわけではないが、もし将来いつの日にか、この目的をはたしうる栄光に浴するなら、著者にとってこれにすぐる栄冠はない。
そこで再び言明し、またくり返すのだが、著者は無罪、あるいは有罪のあらゆる被告の名において、すべての法廷、すべての裁判所、すべての陪審、すべての司法に口をはさまんとするものである。つまり、この書はすべての裁判官に差しむけられるものなのだ。そしてこの弁論はまた、事件と同様に普遍的なものになるべきものである。従って、かかる目的のもとに書かれた『死刑囚最後の日』は、その主題のあらゆる箇所での余分な面、つまりは偶発的事件とか、事件めいた事件とか、個人的事件とか、特殊な事件とか、相対的な事件とか、また変更されうる事柄、ささいな事柄、逸話的な事柄、さらには物語をしめくくるための配慮とか、個人名などは、まったく削除し、ある罪のために、ある日処刑された、ある死刑囚の事件を弁護する、|という《ヽヽヽ》かたちにのみ限定されねばならなかったのである〔それが限定と言いうるならばのことだが〕。もし、著者がおのれ自らの思想のみを唯一の武器として、相手の心をより深くえぐり、三重の青銅板におおわれた一司法官の魂に断腸の思いをいだかせうるならば、まさに幸いである! 自らを正しきものと信じている人々を自己憐憫に落ちいらせうるならばまさに幸いである。裁判官の心をうがち、そこにときとして一人の人間を再発見することができえたならば、まさに幸いである!
三年前、この本が世に出たとき、ある人々には、著者の思想に、異議をさしはさむべき余地あり、と考えられた。また、ある人々はこれをイギリスの本とし、他の人々にはアメリカの本と推定された。事物の源を千里のかなたに探しもとめ、われわれの街路を洗っている溝の源をナイル河の水源池にもとめんとするのは、まったく奇妙な癖でもある。残念ながら、ここにはイギリスの本もアメリ力の本も中国の本もない。著者は『死刑囚最後の日』の思想を書籍のなかにもとめたのではない。著者には思想をあまり遠くまで探しにいく習慣はない。著者がこの本を思いついたのは、ただ誰でも思いつく場所、おそらく誰でも思いついたであろうような場所〔なぜなら|死刑囚最後の日《ヽヽヽヽヽヽヽ》を頭のなかで考えるか夢想するかしなかった者が今日いるだろうか?〕、つまり単なる公衆広場・グレーヴの刑場においてである。ある日、著者はそこを通りながら、断頭台の真紅の木枠の下の血の塊りのなかに横たわっていた、この宿命的な観念を拾いあげたのである。
それ以後、最高裁判所の悲しい木曜日のなりゆきにつれ、死刑判決の叫びがパリ中にひびきわたる日がくるたびに、またグレーヴの刑場に見物人を呼ぴ集めるしゃがれたわめき声が窓の下を通りすぎるのをきくたびに、いつもの痛ましい観念が著者にたちかえり、それにとらえられ、憲兵や死刑執行人や群衆のことで著者の頭はいっぱいになり、死にのぞんでいる哀れな男の最後の苦悶を刻一刻と目のあたりにみるような思いがし、──ああ今この瞬間には彼は懺悔させられているのだ、この瞬間には彼は頭髪を刈りとられている、この瞬間には彼は両手を縛られているのだ、──そして、一詩人にすぎない著者はこうした、恐ろしい事態が行なわれているのに、平気で自分の仕事にかまけている全社会にむかい、これらいっさいのことを言いきかせずにはいられなくなり、せきたてられ突っつかれ揺り動かされ、詩作にふけっている折も、その詩を頭脳からもぎとられ、やっと完成しつつあった詩をすっかり打ちくだかれ、すべての仕事を邪魔され、あらゆることを中断させられ、ただあの観念におそわれ、つきまとわれ、責めつづけられてきたのだった。
それは著者にとっては、ひとつの刑罰であった。それは夜明けとともに始まり、同じ瞬間に苦しめられているあの惨めな男の刑罰と同様に、四時《ヽヽ》までつづくのであった。その時間になってやっと、|切られし頭死せり《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》、と大時計の不安な声が聞こえてきてはじめて、著者はほっと息をつき、いくらか精神の自由をとり戻すのだった。そしてついにある日、ユルバック〔作者がこの物語を書く直接の動機となった死刑囚。彼は一八二八年十一月すぎに処刑されたらしいが、どのような人物で、いかなる犯罪をおかしたかは不明である〕の処刑の翌日だったと思うが、著者はこの本を書きはじめたのだ。それ以来著者の心は安らいできた。法的執行とよばれるこうした社会的罪悪のひとつが行なわれるとき、もはや著者にはそれについて連帯責任のないことを良心から告げられるのだった。グレーヴの刑場から社会全員の頭上にほとばしる血のしたたりを、もはや著者は自分の額に感じなくなったのである。
しかしそれでもまだ充分ではない。手をあらい清めるのもいいだろう。それ以上にまた、血を流すことをやめさせるのはもっといいことであろう。
それゆえ著者はより高い、より神聖な、より荘厳な目標をめざしたい──つまり死刑の廃止に協力することを。それゆえ著者は、さまざまな革命がいまだにひき抜いていない、ただひとつの柱である死刑台の柱を打ち倒すことに数年も努力しつづけている、あらゆる国々の寛大な人々の願いと努力とに全身あげて参加したいのだ。そして弱くみすぼらしい者ではあるが、よろこんで自分の斧の一撃を加えて、数世紀も昔からキリスト教諸国の上にそそりたってきた古い絞首台に、六十年前ベッカリア〔セザール・ド・ベッカリア、イタリアの哲学者、刑法学者、「犯罪及び刑罰論」の著者〕がつけた切口を少しでも大きくしたいのである。
いま言った通り、死刑台は、これまでの革命によって解体されていない唯ひとつの建築物である。実際、革命が人間の血を惜しむのはきわめてまれである。社会の葉を刈り、枝を刈り、頭を刈るために生じた革命にとって、死刑は一番手放しにくい鉈《なた》のひとつである。
しかし打ち明けていえば、死刑を廃止するのにふさわしく、またそれが出来そうに思われた革命があったとすれば、それは七月革命である。実際、ルイ十一世〔百年戦争後、絶対王権の経済的基礎をつくった国王、鋭い政治感覚はもっていたが、自分の反対者にはきびしい刑罰を科した〕や、リシュリュー〔ルイ十三世時代の名宰相、絶対王権を確立した大政治家、学問、文化の向上に大いにつくしたが、反面、自分の反対者、とくに貴族、新教徒達をきびしく処罰した〕や、ロベスピエールの残酷な刑罰を抹殺し、人間の生命の不可侵性を法律の額に記入することは、近代のもっとも慈悲深い民衆運動に属していたように思われる。一八三〇年は、一七九三年の肉切包丁をへし折るのにふさわしい革命であった。
しばしわれわれはそのことを期待していた。一八三〇年八月には、多くの寛容と憐憫が空に舞いあがり、温和と文明との力強い精神が民衆のなかに漂い、それらは、美しい未来の訪れを間近に期待する晴れやかな気持を強く人々に抱かせたので、われわれの妨げとなっていた他のあらゆる悪事と同様、死刑もまた、無言のうちに万場一致で、正当に、いっきに廃止されるものと思われた。民衆は旧制度のぼろ着を燃やしては祝い火としていた。それは血まみれのぼろ着だった。われわれは、それがぼろ着の積み重なりのなかにのみあるのだと思っていた、他のものといっしょに燃やされたものとばかり思っていた。そして数週間の間、すぐに信頼し、また信じてしまうわれわれは、自由の不可侵性とともに生命の不可侵性もまた未来に約束されたのだと思っていた。
そして事実、二カ月もしないうちに、セザール・ボヌザナの崇高なユートピアを実際に法律として解決するための、ひとつのこころみが行なわれた。
不幸にも、その試案は、粗悪で、拙劣で、まったく偽善的なもので、一般の利害よりも他の利害のためにつくられたものだった。
一八三〇年十月、人々の記憶するかぎりでは、ナポレオンを円柱の下に埋めようとの提案を議事日程で無視した数日後、議会では全員が泣きはじめ嘆きはじめた。死刑問題が議題にのぼったからである。なにを|きっかけ《ヽヽヽヽ》にか、という問題はのちに少しく述べるが、その時それらすべての議員たちの心は突然言いようもない慈悲の念にとらわれたらしい。ある者はしゃべりだし、ある者は嘆き悲しみ、ある者は両手を天にさしだした。死刑! ああ神さま! ある老年の検事長は、緋色の法服をまといながら老いて白髪となり、血に浸った論告のパンを生涯たべつづけてきた男だったが、急に哀れっぽいようすをして、神に誓って断頭台を弾劾すると演説した。二日間というもの議会の演台は泣き女みたいな演説家でみたされた。それは、ひとつの哀歌であり、喪の歌であり、挽歌の合奏であり、「バビロン河の上に」の聖歌であり、「アリア立ちいたりき」の聖歌であり、合唱隊つきのハ調の一大交響楽であった。そしてそれらの音楽は、議会の上席をしめ、白昼たえなる音をかなでる雄弁家たちの楽隊によって演奏されたのである。ある者は低い声を出し、ある者は金切り声を発した。なにひとつ欠けているものはなかった。この上もなく悲壮で哀れな光景であった。とくに夜の会議は、ラ・ショーセ〔フランスの劇作家〕の戯曲の五幕目のように、やさしくおだやかでまた悲痛なものだった。善良な民衆は、ただわけもなく目に涙を浮かべていた。──(われわれは、その時議会で論じられたいっさいのことを、おなじ軽蔑のうちにつつみこもうとするのではない。あちこちで、美しい立派な言葉もきかれた。われわれもすべての人々と同じように、ラ・ファイエット氏〔政治家、将軍、七月革命の際、国民軍の司令官となる。自由主義的王党派〕のまじめで素朴な演説に喝采したし、またある意味では、ヴィルマン氏〔大学教授、文学理論家、政治家、七月革命時代の代議士、一時、文部大臣、深く広い思想のもち主で、すぐれた雄弁家でもあった〕の注目すべき即席演説にも喝采したのである)
それはいったいなんの問題についてであったか? 死刑廃止についてであったか?
そうともいえるし、そうともいえない。
事実は次の通りである。
上流社会の四人の男、非のうちどころのない男、社交界にあって敬意をもって迎えられる男、そんな四人の男たちが、ベーコン〔フランシス・ベーコン、英国の哲学者、政治家、随筆家、経験的帰納法を確立した近代哲学の始祖〕にいわせれば罪悪《ヽヽ》であり、マキァヴェルリ〔イタリアの政治思想家、歴史家、有名な「君主論」の著者。崇高な目的のためには暴力の使用をも認めると極論した〕にいわせれば企業《ヽヽ》とよばれる性質の、大胆な計画が、政界の中心で行なわれたのである。ところで、罪悪にしろ企業にしろ、すべての人間に対して横暴な法律は、それを死刑によって罰したのである。そして四人の不幸な男は〔七月革命の際、革命派に捕えられた、シャントローズ、ペイロネ、オッセ、ゲルノンの四人の大臣のことであろう〕、ヴァンセンヌ〔フィリップ五世が最初にたてた宮殿〕のすばらしいゴシック建築のなかに閉じこめられ、法律の捕虜──とらわれの身となって、三色の帽章をつけた三百人の男に守られていた。なにをしたらいいのか? どうしたらいいのか? 自分たちとおなじような四人の男を、四人の上流社会の男を、それと名ざすもはばかるような類いの役人と背中あわせに、みぐるしい太《ふと》縄で縛りあげ、荷車に乗せてグレーヴの刑場に送る──これはなんとしても不可能なことではなかろうか。マホガニー製の断頭台でもあればまだしも!
だから! 死刑を廃止しようというのだ!
そこで、議会はその仕事にとりかかる。
ところで諸君よ、ほんの昨日まで諸君は、この死刑廃止を、ただの空想、理論、夢想、狂愚、詩だと、きめつけていた。だが荷車や太縄や真紅の恐ろしい機械に、諸君の関心をよびよせようとしたのは、これがはじめてではないのだ。それだのに、こういった時にかぎり、この醜悪な器具が突然、諸君の目につくのは奇怪なことではないか。
そうだ! そこにこそ問題があるのだ! われわれと自ら称する諸君たちが、死刑を廃止しようとするのは、民衆のためではない、自分たちのため、大臣たちのためともなりうる自分たち代議士たちのためなのである。自分たちはギョータン氏〔死刑台ギロチンの考案者〕の機械が上流階級をついばむのを欲しない。だから自分たちはその機械を破壊する。もしその結果一般民衆までが助かるとすれば、幸いというものである。だが、自分たちは自分たちのことしか考えなかったのだ。隣りのユカレゴンの家〔ユカレゴンは物語「イリアッド」に登場する人物、彼の家は宮殿のそばにあったが、トロイ戦争の時やけた。その時のことを、たとえたものらしい〕が燃えている。まず自分たちのために、その火を消すのだ。つまり大急ぎで、死刑執行人を廃止し、縄を断ち切ろうというわけだろう。
こうした利己主義の混入は、もっとも美しい社会的結合を変質させ、不自然なものにしてしまう。それは白い大理石のなかの黒脈である。それはいたるところに入りくんでいて、石工の手にする|のみ《ヽヽ》の下に不意にしかもたえずあらわれてくるのだ。彫像はつくりなおさねばならない。
ここに言明するまでもないが、われわれは確かに四人の大臣の首を要求している者ではない。それらの不幸な人々がひとたび捕まってみれば、彼らの犯罪によってかきたてられたわれわれの憤怒の念も、世間の人々と同様、深い憐憫の情に変ったのである。われわれは思った、彼らのうちのある者がうけた偏向教育のことを、一八〇四年の陰謀の狂熱的な頑迷な共犯者であり、また牢獄のじめじめした、うす暗闇の下で、年に似合わぬ白髪となっていった、彼らの首謀者の偏狭な頭脳のことを、彼らに共通の地位が宿命的に要求していたもののことを、一八二九年八月八日、王政自体が、まっしぐらに駈けおりていったあの急傾斜の途中では立ちどまることができなかったことを、それまでわれわれがあまり考えもしなかった王家の者の影響力のことを、とくに彼らのうちの一人が彼らの不運の上に緋の衣のように投げかけていた威厳のことなどを、われわれは思ったのだ。われわれは、彼らの生命が救われることを心から願う者であり、またそのためにはいつでも骨身を惜しまないものである。もしも彼らの死刑台が、ある日グレーヴの刑場に立てられることがあったとすれば、たとえそれが幻想にせよ、実際にそう思われたときには、おそらくその死刑台をうち倒すために暴動が起こったであろう。そして今この文章を書いている著者は、その神聖な暴動に加わっていただろう。なぜなら、これもまたはっきり言っておかねばならないが、社会的危機にあっては、あらゆる死刑台のうちでも政治的死刑台はもっともいまわしく、もっとも痛ましく、もっとも有毒であり、もっとも根絶しなければならないものだからである。この種の断頭台は舗道の石のなかに根をひろげ、またたくまにあらゆる地点で、枝を伸ばすのだ。
革命の時期には、切り落とされる最初の首に注意しよう。最初の首をみて民衆は首に飢えをいだくからだ。
それゆえ、われわれは個人的には四人の大臣の助命をのぞむ人々に賛成であり、感情的にも政治的にもあらゆる面で賛成であった。ただ死刑廃止を提議するにあたって、議会が他の機会を選ぶことこそ、いっそうわれわれが期待するところであった。
もしその望ましい廃止論が、チュイルリー宮殿からヴァンセンヌの牢獄に落ちこんだ四人の大臣のためではなく、とるにたらない強盗や、街路ですぐそばを通っても諸君がほとんど目もくれず、話しかけもせず、その埃まみれの肱を諸君が本能的に避けようとする、あのみじめな人々のために提議されたのであったならば……。不幸な人々、幼年時代には|ぼろ《ヽヽ》を着て、四辻の泥のなかを裸足で走りまわり、冬は河岸の土手でうちふるえ、諸君が夕食にいくヴェフール亭の料理場の風窓で身をあたため、あちこちのごみ溜めのなかからパンの皮を拾いあげ、それをふいては食べ、一日中|鉤《かぎ》でかきまわしては一スーか、二スーかをあさりだし、彼らにとっての楽しみといえばただ国王の祝日の無料の見世物と、もうひとつはこれも無料の見世物であるグレーヴの死刑執行しかないのである。憐れな人々、空腹のため盗みをはたらき、盗みから他のことへと手をそめる人々。邪悪な社会の身寄りのない子供たち、十二歳で少年院に引きとられ、十八歳で徒刑場へ送られ、四十歳で死刑台にのせられる人たち。不運な人々、ひとつの学校とひとつの仕事場があたえられたら、善良で道徳的で有用な人間となるべきものを、諸君の無能ゆえに、ただ無用な重荷として、ツーロンの徒刑場の赤服の群れのなかに投げこまれ、あるいはクラマール墓地の沈黙の囲いのなかに投げこまれ、自由をうばわれたあげく生命まで強奪される不運な人たち。もし、これらの人々のうちの一人のために、諸君が死刑廃止を提議していたならば、ああ! その時こそ諸君の会議はまことに立派な、神聖な、威厳のある尊ぶべきものとなったであろう。トレント〔新教徒に対する旧教徒の団結を強めるため、一五四六年から六三年まで、イタリアのトレントで開かれた宗教会議〕の崇《あが》むべき教父たちは異端者たちの改宗をのぞんだので、「神聖会議は不信者の帰依をねがうがゆえに」「神の内臓」の名において異端者を会議に招待したのだが、そのトレントの会議以来、諸君の会議は、人間の会議としてはもっとも崇高な、もっとも輝かしい、もっとも慈悲深い光栄を世間にしめしていたであろう。弱い人間や、卑小な人間のことを心配してやるのはいつも、真に強い人間、偉大な人間の役割である。バラモン僧の会議は賤民階級の事件をとりあげるときにはじめて立派なものとなる。そしてここでは賤民階級の事件は、つまり民衆の事件である。ただ民衆のために、それも諸君自身の利害が、問題となるのをまたず、死刑を廃止することになれば、それは政治的業績以上のことをはたすことになり、また社会的実績をもあわせて残すことにもなるのだ。
だが、死刑を廃止するためではなく、軍政謀略の現場をおさえられた四人の不幸な大臣を救うために、それを廃止しようとすることによって、諸君はひとつの政治的業績さえ残しえなかったことになるのだ。
そこで、問題はやがてどのように発展したか? 諸君が真剣でなかったとおなじ程度に、人々も諸君を信じなかった。諸君が民衆をあざむこうとするのを知った民衆は、問題全体のなりゆきに憤激し、注目すべきことには、自分たちだけがその重荷を負うている死刑に対し賛同したのである。民衆をそこまで追いやったのは諸君の失策である。その問題に間接的に不正直な態度でとりくんだために、諸君はながいあいだ問題をこじらせてしまった。つまり諸君は喜劇を演じたのだ。そして民衆はその喜劇に野次をとばしたのである。
それでもその茶番劇を、ある人々は好意をもって真面目に考えてくれた。あの有名な会議のすぐあとで、正直な司法卿は、あらゆる極刑を無制限に停止するよう、検事総長たちに命令した。これはみかけだけは一大進歩であった。死刑反対者たちはひと息ついた。しかし彼らのむなしい希望はながくつづかなかった。
大臣たちの裁判は終った。どういう判決がくだされたかは、私は知らない。四人の生命は救われた。ハム〔十二世紀にたてられたロマネスク様式の奇怪な形をした僧院、のちに監獄となり、ルイ・ナポレオンも一時はここに幽閉された〕の牢獄が、死と自由との間の妥協策としてとられた。一度そういうさまざまな画策が行なわれると、国政を指導する人々の脳裏からすっかり恐怖心が消えうせ、恐怖心とともに慈悲心さえもなくなった。もはや極刑を廃止する問題は消えてなくなった。そしていったんその問題が必要でなくなると、空想はふたたび空想となり、理論はふたたび理論となり、詩はふたたび詩にすぎなくなった。
ところで、いくつかの監獄には、数人の不幸な平民の囚人たちがいて、五、六カ月前から中庭を歩きまわり、空気を吸い、ずっとおとなしくしてきて、このまま生きながらえられるものとばかり思いこみ、死刑執行がのびてるのを赦免になるものと信じきっている。だが、早まってはならぬ。
実をいえば、死刑執行人は議会のなりゆきにひどくおびえていたのである。法律家たちが人間性や博愛心や進歩などを口にするのをきいた日、彼はもう自分の仕事はお終《しま》いだと思ったのである。このみじめな男は、断頭台の下にうずくまり、身をひそめ、真昼の光のなかに引きずりだされた夜烏のように、七月革命の太陽に怖れおののき、自分のことは忘れようとし、耳をふさぎ息をひそめていたのである。そして六カ月間彼は姿をみせなかった。生きている気配さえみせなかった。ところが彼は暗黒のなかにあって少しずつ安心しはじめたのである。彼は議会の方へ耳をかたむけていたが、もはや人々が彼の名を口にするのを耳にしなくなった。彼がひどく恐れていたあの格調の高い堂々たる演説は、もうきこえてこなかった。「犯罪および刑罰論」の大げさな注釈もきこえてこなかった。人々は他のことに、ある重大な社会的利害問題、ある村道問題、オペラ・コミック座に対する補助金問題、あるいは卒中患者みたいな十五億の予算から十万フランの特別出費のことなどに、心をうばわれていた。もう誰も、首切り人のことなど考えていなかった。こんな世間の動きをみて、男は落着きをとりもどし、穴から首を出して四方をながめやった。そして、ラ・フォンテーヌ〔有名な「寓話」の作者、「寓話」は諷刺的才能を生かした自然と動物の描写と深い人間理解とで、人間社会の如実なうつし絵となった〕の物語にでてくるある種族の|二十日ねずみ《ヽヽヽヽヽヽ》のように、ひと足またひと足とはいだし、それから思いきってその木組みの下から外へ飛び出し、こんどはその上に飛びのり、それを、修理し、建てなおし、磨きあげ、なでさすり、ゆり動かし、光らせ、久しく使われなかったために調子が狂っているその古い錆びた機械に、ふたたび油を塗りはじめた。それから突然彼はうしろをふりかえり、監獄のなかから手当り次第に、助かるつもりでいる不運な人間たちの頭髪をつかんで自分の方へひきよせ、なにもかもはぎとり、縄をかけ鎖でしばる。こうしてまた死刑執行がはじまったのである。
それは恐るべきことだったが、本当の話なのである。
事実上は、不幸な囚人たちへ六カ月間の執行猶予があたえられたのだ。だがその結果は、彼らに命が助かるかも知れないと思わせることになり、かえって理由もなく刑罰を重くさせるようなことにもなった。六カ月後のある日の朝早く、なんの理由も、なんの必要とてなく、なぜともよく分からず、面白半分《ヽヽヽヽ》に、執行猶予がとり消され、それらの人間たちは冷酷にも規定の切断機のほうへとまわされてしまった。ああ! 諸君にたずねたい、あの男たちが生きていることが、われわれみなのものに、なにかの災いにでもなったかと。フランスには、あらゆる人間が呼吸するほどの充分な空気はない、とでもいうのか?
ある日、司法省の身分の低い一小役人が、自分にはどうでもいいことなのに、椅子から立ちあがり、「さて、もう誰も死刑廃止のことを考えてないな。そろそろ首切りを始めるか!」と言ったとしたら、その男の心中に、なにかひどく奇怪なことが生じたにちがいない。
しかも、言わせてもらえば、この七月の執行猶予がとり消しになったあとの死刑執行に際し、もっとも恐ろしい事故が生じ、グレーヴ刑場の話はひどく忌わしいものとなり、それが死刑の呪うべきことをもっともよく証明したのである。それが、執行に対する人々の嫌悪感を倍加させたことについては、死刑法をふたたび復活させた人々の当然受けるべき懲罰でもある。彼らが自分の所業ゆえに罰せられんことを! それこそ、まさに当然というものである。
死刑執行が、往々にしてどんなに恐ろしく、残酷なものになるかについて、ここに二、三の実例をあげなければならない。検事夫人たちの神経を痛めつけなければならない。時として女はひとつの良心である。
昨年の九月の末頃、南部で──その場所や日や囚人の名前は、いまでははっきりと覚えてはいないが、たぶんパミエでのことだったと思う。まず九月の末頃、監獄のなかで一人の男が静かにカルタ遊びをしているところをよばれて、二時間後に死ななければならないことを告げられた。これで彼はすっかり震えあがった。なぜなら、六カ月というもの放っておかれて、彼は死のことなど思ってもみなかったからだ。彼は髭を剃られ、髪を短く刈られ、縛りあげられ、懺悔させられた。それから四人の憲兵に守られて、群衆の間を通って刑場へと車で運ばれた。そこまでは別に変ったことはなかった。いつもとおなじである。断頭台につくと、死刑執行人は彼を牧師から受けとり、跳び板の上に彼を結びつけ、そこで隠語でいえば、彼を|かまに入れ《ヽヽヽヽヽ》、それから肉切包丁のとめ金をはなした。重い鉄の三角刃は落ち具合が悪く、木枠の溝のなかでがたつきながら落下し、無残にも男を切りつけただけで、殺せなかった。男は恐ろしい叫び声をあげた。死刑執行人はあわててまた肉切包丁を引きあげ、そして落とした。包丁は二度罪人の首を切りつけたが、まだ首を切断することができなかった。罪人はわめき、群衆もまた、わめいた。死刑執行人はまたも肉切包丁をひきあげて、三度目に望みをかけた。失敗だった。三度目の打撃は受刑人の首筋から三度、血をほとばらせたが、それでも首は落とせなかった。簡単に言ってしまおう。肉切包丁は五度、引きあげられて落とされ、受刑人を五度切りつけた。五度受刑人は打撃の下でわめき、慈悲を求めながら生きた首を打ちふった! 群衆は憤激して石をひろい、ぶざまな死刑執行人に正義の石を投げつけた。死刑執行人は断頭台の下に逃げこみ、憲兵たちの馬のうしろにかくれた。だがこれでお終いではない。断頭台の上で一人きりになったのを知った受刑人は、跳び板の上に立ちあがり、半分切られて肩の上にたれさがってる自分の首をささえながら、血のしたたる恐ろしい姿で立ちはだかり、首を切りはなしてくれと、弱々しい叫び声をあげて訴えた。憐れみの情でいっぱいになった群衆は、憲兵たちを押しのけ、五度も死刑をうけた不幸な男をいまにも救いにいこうとした。ちょうどその瞬間、死刑執行人の助手が、三十歳ばかりの青年だったが、断頭台の上にのぼり、縄をといてやるからうしろ向きになれと受刑人に言いきかせた。疑いもせず言われるままに死にひんした男が姿勢をかえたのに乗じ、青年は男の背にとびつき、どんな肉切包丁だったかは知らないが、それでやっとのこと首の残りを切り落としたのである。これは実際にあったことである。実際に人々の眼にしたことなのである。
法律の条文によれば、一人の裁判官がこの処刑に立ち会っていたはずである。ほんのひとつの合図で彼はすべてをやめさせることができたはずだ。ところで、一人の男が虐殺されている間、この裁判官は馬車の奥でなにをしてたか? 真昼間、眼の前で、自分の馬の鼻先で、自分の馬車の窓口の下で、殺人が行なわれている間、この殺害犯懲罰者はなにをしていたのか?
その裁判官は裁判にもかけられなかった! 神の創造物である神聖な人命に対し、あらゆる法がむざんにも破棄された事実について、どの法案も調査しようとはしなかったのである。
十七世紀、リシュリューやフ─ケ〔ルイ十四世時代の財務長官、のちに失脚する〕が権力を握っていた刑法の野蛮時代には、ド・シャレー氏〔ルイ十三世の寵臣だったが、リシュリューに謀反をくわだて処刑された〕はナントのブーフェーの前で殺害されたが、不器用な兵士は剣の一撃でではなく樽屋の手斧で三十四回の打撃をあたえた。その時代でも少なくともパリ裁判所では、そうしたことは違法だと考えられていた。調査が行なわれ、裁判が行なわれた。そして、リシュリューは罰せられず、フーケもまた罰せられなかったにせよ、その兵士は罰せられた。疑いもなくそれは不正ではあったが、その底にはいくばくかの正義があった。
だが、いま話した事件にはなにもない。この事件は、七月革命後の、穏和な風習と進歩の時代にあって、死刑に対し議会がいたく心をいためていた一年後に起こったのである。ところが、この事実はまったく不問に付されてしまったのだ。パリの諸新聞は、それをひとつの話題として掲載した。誰ひとりそれに気をとめる者はいなかった。「高等事務執行者をおとし入れようとする何者」かが、わざと断頭台を狂わせていたのだ、と知らされただけだった。死刑執行人の助手が、主人から追い出され、その仕返しをするためそうした悪事をたくらんだのだ、と。
それは、たんなる悪戯にすぎなかったというのだ。だが、先をつづけよう。
ディジョンで三カ月前、一人の女が処刑された(女なのだ!)。その時もまた、ギョータン博士の肉切包丁はやり損じてしまった。女の首は完全に切りおとされなかった。そのとき死刑執行人の助手たちは女の両足に群がり、不幸な女のわめき声を耳にしながら、はねあがったり引っぱったりして、身体から頭をもぎはなしてしまった。
パリには、秘密処刑時代が再来した。七月革命以後、人々はもはやグレーヴ刑場では首を切りかねていたし、それを恐れてもいたので、卑怯にも、次のようなことが行なわれるようになった。つい最近のこと、一人の男、一人の死刑囚が、たしかデザンドリューという名前だったと思うが、ビセートルの監獄から引き出された。彼は二輪車に引かれた一種の籠のなかにいれられた。その籠は四方を閉ざされ海老錠と閂とがかけられていた。そして前後に一人ずつ憲兵がつきそい、あまり音をたてることもなく人だかりもなく、サン・ジャックの人気のない都門へはこばれた。やっとうす明るくなったばかりの朝の八時にそこへつくと、新しく建てられたばかりの断頭台がひとつ立っていた。見物人といえば、ただ十二、三人の子供たちが突然出来あがった機械の近くの小石の山の上に群がっているだけだった。すばやく彼らは男を籠馬車から引き出し、息つくひまもあたえず、陰険にも、恥知らずにも、ひそかにその男の首を盗みとってしまったのである。それが高等法院の公な厳かなる行為と呼ばれるものだったのである。なんという人間への低劣なる侮辱であるか!
ところで、司法官たちは文化という言葉をどう解釈しているのか? われわれは今、いかなる時代に生きているのか? 策略と欺瞞にけがされた司法! 術策にみちた法律! まったく奇怪極まることではないか!
死刑に処せられるということは、今日、社会が以上のごとき裏切り行為をひそかに行なう以上、実に想像以上に恐るべきものとなるのだ!
とはいえ実際には、この死刑執行は完全に秘密にされていたのではなかった。その朝いつものようにパリの四辻では、死刑の執行を知らせる印刷物が呼び売りされていた。そんなものを売って暮しをたてている人々がいるらしい。お分かりになるだろうか? 一人の不運な男の罪悪や、その懲罰や、その責苦や、その死の苦しみなどで、ひとつの売物が、ひとつの印刷物がつくられ、一スーで売られる。血にそまって錆びた銅貨ほど忌わしいものが他に考えられるだろうか? それをまた拾い集める者がいるなんて信じられることだろうか?
もう、これだけの事実がそろえば十分だ。ありあまるほどだ。これらすべての事実だけでも、まさに嫌悪すべきことではないか? 死刑に賛同すべき余地がどこにあるか?
われわれはこの質問を真剣に提出する。また提出する以上、われわれはさらに回答を要求する。われわれは、これを饒舌な文学者たちではなく、刑法学者へ提出する。われわれの知るところでは、死刑の効用をまったく別の問題としてとりあげ、逆説の主題にする人々がいる。また死刑を非難する誰それを憎むがゆえに、死刑に賛成する人々もいる。彼らには、それはなかば文学的問題であり、個人的問題でもあり、固有名詞的問題でもある。彼らはまた焼きもち屋でもあり、善良な法律家にも偉大な芸術家にも、そうした実例がみられる。フィランジェリ〔イタリアの政治評論家、法律学者〕のような人間に対しジョセフ・グリッパのごとき者が、ミケランジェロのような人間に対してトレジアニのごとき者が、コルネイユのような人間にはスキュデリーのごとき輩がいつもいるものである。
われわれが呼びかけるのは、そういう人々へではなく、実際の法律家たちへであり、弁証家たちへであり、理論家たちへであり、死刑のために死刑を愛し、死刑の善と美と恩恵のために、死刑に賛成する人々へである。
ところで、彼らはいろいろな理由をあげる。
裁判し、処刑する立場にある人々は、死刑の必要性を説く。第一は、すでに災いをおよぼし、将来もまた害をおよぼすおそれのある一員を、社会共同体から抹殺することが必要であるがために。──だが、もしそれだけだとすれば、終身刑でことたりるであろう。死がなんの役に立つというのか? 看視をもっと厳しくすればいい。もし鉄格子の強さが不安だというのなら、どうして動物園などあるのだろう?
看守でじゅうぶんなところには、死刑執行人はいらない。
しかし──彼らは反論する──社会は酬いをあたえなければならない、社会は罰しなければならない、と。だが、それはどちらとも間違っている。酬いは個人的なものであり、罰は神の手にあるものだ。
社会は両者の中間にある。懲罰は社会の上にあり、復讐は社会の下にある。より偉大なことも、より卑小なことも社会にはふさわしくない。社会は、|復讐するために罰し《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》てはならない。社会は|改善するために矯正し《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》なければならないのだ。刑法学者たちの公式文句をそう変えれば、われわれもそれを理解し、それに同意するのだ。
第三の最後の理由として、実例論が残っている。つまり実例をみせなければならない! 罪人がうける運命をみせつけ、おなじような心をおこす人々を恐れさせなければならない、と! これが、多少の調子の差はあれ、フランスの五百の検事局の論告が千篇一律に用いる永遠のきまり文句である。しかし、われわれは実例をまず否定する。刑罰をみせしめとすれば期待通りの効果が生じるとする考えを、否定する。刑罰を示すことは、民衆を教化するどころか、民衆の道徳を頽廃させ、感受性をすっかり失わせ、したがって道徳をも抹殺してしまう。例証はいくらでもある。いちいち引用すれば推論の邪魔にさえなるほどたくさんある。しかし、そうした無数にあるうちのひとつを、最近の実例として特にとりあげてみよう。いまこうして書いている日からわずか十日前のことである。カーニヴァル祭の最終日、三月五日のことである。サン・ポルでのこと、ルイ・カミュという放火犯人の死刑執行の直後、仮装行列の一行がやってきて、まだ血煙をあげている断頭台のまわりで踊りだしたのである。これこそいい実例だ! マルディ・グラ〔カーニヴァル祭の最終日〕は諸君の鼻先でせせら笑っている。
もし諸君が経験をおもんじないで、実例という古い理論に固執するならば、十六世紀にかえるがいい。それこそ恐るべきものとなるだろう。いろいろな刑罰を復活させるがいい。ファリナッキ〔イタリアの法律家、きびしい刑罰を行なった〕をよみがえらせ、拷問役人たちをもうけ、首吊り台、裂刑車、火刑台、耳切りの刑、四裂きの刑、生き埋めの刑、生煮の釜などを復活させるがいい。パリのありとあらゆる四辻に、大繁盛してる店のように、たえず新しい肉を用意している死刑執行人のいまわしい肉屋をひらくがいい。モンフォーコンの刑場を、その十六本の石柱と、非情な石段と、骸骨の穴ぐらと、梁と鉤と鎖と、死体の串刺しと、しみのように点々と烏がとまってる白亜の本堂と、首吊り台の御堂とを、いっしょに再現させるがいい。北東の風にのってタンプルの郊外にぱっとひろがる、あの死体の臭気をとりかえすがいい。死刑執行人であるパリの偉大な食欲と、その食欲の持続力とをとりもどすがいい。ああ! それこそ大いなる実例である。これでこそ死刑なるものが、よく理解できるのだ。そこには多少の差はあれ、ひとつの刑罰様式がみとめられる。それこそ忌わしきものであるが、また、実に怖るべきものなのだ。
あるいはまた、イギリスのようにするがいい。商業国たるイギリスでは、ドーヴァー海岸で密輸入者を一人捕えると、|実例に供する《ヽヽヽヽヽヽ》。つまり、|実例として《ヽヽヽヽヽ》その男を首吊り台にさらしておくのだ。だが天候不順のため死体がいたむおそれがあるので、タールを塗った布でていねいに死体を包んで、何回も手入れをしないですむようにしてある。おお! 倹約の国! 首を吊られた死体にタールを塗るとは!
だが、それでもまだいくらか話は分かる。それは実例論をもっとも人間的に理解する仕方でもある。
だが諸君、郊外の大通りのもっとも人通りの少ない片隅で、一人の哀れな男の首がみじめにもたち切られる時、それが実例になるのだと真面目に信じられるだろうか? グレーヴ刑場で真昼間ならば、まだよかろう。だがサン・ジャック城門で! それも朝の八時に! そこを誰が通るのか? そこへ誰が行くのか? そこで一人の男が殺されるのを誰が知るか? そこにひとつの実例が示されているのを誰が気づくのか? 誰へのみせしめなのか? まさしく大通りの樹木にむかってであろう。
諸君は知らないのか、諸君の公役である処刑がひそかに行なわれているのを? 諸君は自分で勝手に身を隠しているのか? 諸君は自分の仕事を怖れ恥じているのか? 諸君は、滑稽にも、|みせしめによって《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》、|是非をわきまえしめよ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、という諸君の掟の実行をためらっているのか。諸君は、内心動揺し困惑し不安になり、自分が正しいとは思えなくなり、すっかり疑惑にとらえられ、なにをしているのかよく分からないまま、ただ昔ながらの習慣に従って首を切っているのではないか? 諸君の先輩たちが、古い議員たちが、あれほど平静な良心にしたがって果たしていた血の使命について、諸君は少なくともそれに関する道徳的社会的感情を現在失っていることを心の奥底で感じないのか? 夜、諸君は、家に帰っても先輩たちと同様に枕を高くして眠れるのか? 諸君より以前にも極刑を命じた人たちがいる。だが彼らには、法と正義と善とをふまえているという自負があった。ジュヴネル・デ・ジュルサンは自らを審判者だと信じ、エリー・ド・トレットも自らを審判者だと信じていた。ローバルドモン〔リシュリューに仕えた法律顧問〕やラ・レーニーやラフマス〔アンリ四世時代の経済、会計の監査役。反対派の貴族たちをきびしく処罰した〕などもまた自らを審判者だと信じていた。だが諸君は心の底では、自分は殺害者ではないという確信さえ持っていないのだ!
諸君はクレーヴの刑場を去りサン・ジャック城門へ行き、群衆をのがれて静寂のうちにひたり、白昼よりも薄明をこのんでいる。もはや自分のしていることに確固たる信念をもっていない。諸君は隠れひそんでいる、とあえて言おう!
死刑に賛成するあらゆる理由は、かくしてくずれさってしまうのだ。検事局のあらゆる論法は、こうして無に帰してしまうのだ。それらのあらゆる論告の断片は、こうして一掃され灰と化してしまうのだ。すべての屁理屈は論理の一閃で解決されるのだ。
司法官たちが、社会を保護するという名目で、公訴を保護するという名目で、実例を示すという名目で、猫なで声で切願しながら、陪審員であり人間でもあるわれわれに向って、多くの首を要求してくることが、もはやないようにしたいものだ。それらすべての名目は、美辞麗句であり、|から《ヽヽ》太鼓であり、たわごとである! それらの誇張は針の一突きでしぼんでしまう。そのやさしげな饒舌の下にあるものは、冷酷、残忍、野蛮、職務熱心を示そうとする欲望、収入を得るための必要、といったものばかりだ。悪徳官吏たちよ、黙るがいい! 裁判官のものしずかな足の下から死刑執行人の爪がのぞいている。
残忍な検事のことを考えると、人々は決して冷静ではいられない。彼らは他人を死刑台に送ることによって生活している人間だ。公定のグレーヴ刑場係りの仕入れ商人である。しかも、彼らは、文体や文学に一見識を持っていると自任してる紳士で、弁舌さわやかで、あるいは弁舌が巧みだと自惚れており、死の結論をくだす前にラテン語の詩を一、二行必要に応じて口ずさみ、効果をくわえることにつとめ、他人の命が賭けられているのに、無慈悲にも自分の自負心にだけ心をくだき、独特な模範を、意表をついた典型を、自分好みの古典的人物を念頭におき、例えばある詩人がラシーヌをめざし、また他の詩人がボアローをめざすように、ベラールとかマルシャンヂィとかいう人物を自分の目標にしている。論争においては、断頭台の方にむかって狙いをさだめる、それが彼の役割であり、彼の本職である。彼の論告、それは彼の文学作品であり、彼はそれに比喩の花を咲かせ、引用の香りをつけ、聴衆を感心させ、ご婦人方をうっとりさせなければならない。彼は、優雅な論調とか、凝《こ》った趣味とか、洗練された文体などという、地方ではまだごく新しい、つまらない品物をたくさん持っている。彼は、ドゥリーユ一派の悲劇詩人たちとおなじように、かたどおりの言葉を嫌う。彼は、事物をその本来の名前で呼ぶなんてことはしない。それは、とんでもないことだ。むき出しにすれば、すぐにも反感をよぶような観念はすべて、修飾された言葉ですっぽり仮装させる。サムソン氏〔ギロチンの比喩〕まで見栄えよくする。肉切包丁を薄布でつつむ。跳び板をぼかす。赤い籠を婉曲な表現でごまかす。もうなにがなんだか、正体が分からなくなってしまう。それは、いつのまにか、おだやかな上品なものになってしまう。
夜、書斎で、彼が六週間後に死刑台をひとつ建てさせるための長談義の文章をゆっくりと推敲しているところを想像してみるがいい。法典のもっとも忌わしい条文に、一被告の頭をはめこもうと汗水たらして苦労しているのを、眼前に描いてみるがいい。荒作りの法律で一人のみじめな男の首を鋸で引いている彼の姿を眼前に思い浮かべてみるといい。比喩や寓意の汚物のなかで二、三の有害な文体を煮こんで、そこから一人の男の死を熱心にしぼり出し抜きだそうとしている彼の姿に目をとめてみるがいい。彼がその文章を書いているときからすでに、そのテーブルの下には、その影のなかには、その足もとには、死刑執行人がおそらくうずくまっていることだろう。そして彼は時々ペンを休め、主人が自分の犬に言いきかせるように、死刑執行人に言うだろう。「静かに、静かにしろ、いまに骨をしゃぶらせてやるからな」
だが私的生活では、この司法官も、ペール・ラシェーズの墓地の、あらゆる墓銘に読まれるように、よき父、よき息子、よき夫、よき友であることだろう。
法律がそれらの悲しむべき職業を廃止する日が一日も早くくることを、私は願う。
死刑弁護論者たちは、死刑がどんなものであるか、今まで深く考えてもみなかったのではないか、と思いたくなるときもある。ところで社会は、自分であたえなかった|もの《ヽヽ》は勝手にとり除いていいという無法な権利を僭越にもわがものとしている。こうした権利のもとに行なう彼らのとりかえしのつかない刑罰のうちでももっともとりかえしのつかない刑罰と、たとえどんな犯罪であろうと、犯罪といわれるもののひとつとを、少しは比較して秤《はかり》にかけてみるがいい。
二つのうちまずひとつのことから話そう。
諸君がたたきのめすその男は、この世には家族も親戚も仲間ももたないものであろう。
彼の場合、いかなる世の教育も指導も、精神上の世話も心情的な世話もうけたことがない。それなのに諸君は、この哀れな孤児をなんの権利があって殺すのか? 幼年時代たよるべき身内も支えもなく、地面をはいずりまわっていたからといって、彼を罰するのか! 孤独のまま見放されていたことを無法にも彼のせいにするのか! 彼の不運を、諸君は彼の罪悪だというのか! 誰一人として、彼に、彼自身のしてることを教えてはやらなかった。この男はなにも知らなかっただけだ。彼の罪はその宿命にあって、彼自身にはない。諸君は一人の無垢な人間をたたきのめすことになるのだ。
さらにまた、その男が家族をもっている場合のことだ。
その場合、諸君は彼の首を切ることが彼だけしか傷つけないとでも思ってるのか? 彼の父や母や子供たちが血を流さないとでもいうのか? そうではない。彼を殺すことは、彼の家族のあらゆる人たちの首を切ることなのだ。この場合にもまた諸君は、無垢な人間たちをたたきのめすことになるのだ。
拙劣なる盲目の刑罰よ、どちらを向いてもお前は無垢の者たちに害をおよぼすことになるのだ。
その男を、家族持ちのその罪人を、保護してみるがいい。彼は監獄のなかでも家族のために働くこともできるだろう。だが墓の下からでは、どうして家族の面倒をみることができよう? そして父を奪われたその小さな男の子たちが、その小さな女の子たちが、どんなことになるか、パンを奪われた彼らがどんな運命にさらされることになるか、それを思っただけでも、諸君は戦慄せずにいられるか? 諸君はその家族のために、男の子には徒刑場を、女の子には淫売宿を、十五年もたったら用意してやるつもりなのか? ああ、気の毒な無垢の人たちよ!
植民地では、死刑判決で一人の奴隷が殺されると、その奴隷の所有者に千フランの賠償金が支払われる。なんたることだ! 主人へはつぐないをしても、諸君は家族へはなんのつぐないもしないのだ! この場合だって、諸君は、本当の所有者たちから一人の男を奪っているのではないのか? 彼は、主人の奴隷という関係以上に、はるかに神聖なる別の名で、父親の所有であり、妻の財産であり、子供たちの所有ではないのか?
われわれはすでに諸君の法律を、殺害だと証明した。そしてここでまた窃盗だと認定する。
もうひとつのことを話そう。その男の魂、諸君はそのことを考えてみたことがあるだろうか? その魂がどんな状態にあるか、諸君は知っているか? 諸君は、あえてその考えを軽卒にも追いはらおうとするのか? 少なくとも昔は、ある信仰が民衆のなかにゆき渡っていた。最後の瞬間には、空中に漂っている宗教的息吹がもっともかたくなな人間をもやわらげることができた。受刑人はまた同時に悔悛者であった。社会が彼の前でひとつの世界を閉ざす時、宗教が彼の前にいまひとつの世界を開いてくれた。すべての魂が神を感じた。死刑台は天国への境界線にすぎなかった。だが多くの民衆が信仰を失っている今日、諸君は死刑台の上にどんな希望をもたらせてくれるのか? かつては新世界を発見したこともあったろうが、今は港に朽ちはてている古い船たちのように、あらゆる宗教はいまや|かび《ヽヽ》に腐蝕されている。いまではもう幼い子供たちさえ神を嘲笑している。なんの権利があって諸君は、受刑人たちの暗い魂を、ヴォルテール〔十八世紀啓蒙思想の化身ともいえる、代表的文学者〕やピゴール・ルブラン氏〔フランスの小説家、既成の風俗に反抗する作品をかいた〕がつくりあげたような魂を、諸君自身も信じかねているようななに物ともしれぬもののなかへ投げこむのか? 諸君はそれらの魂を監獄の教誨師に引き渡す。彼は疑いもなく立派な老人には違いない、だが彼は信仰をもっているだろうか、そして相手に信仰を持たせうるだろうか? 彼は自分の崇高な使命を、ひとつの雑な仕事のようになおざりにしてはいないか? 囚人の馬車のなかで死刑執行人と肱をくっつけてすわっているそのお人よしの人物を、司祭と呼ぶのか? 魂も才能も充分にそなえたある作家が、われわれより以前にこう言っている「聴罪司祭をひきさがらせたあとも、まだ死刑執行人を付きそわせるとは、恐ろしいことだ!」
頭のなかでしか推論しない一部の尊大な人たちが言うように、それはたしかに「感情的理由」にすぎない。だがわれわれのみるところでは、この方がまだしも立派な理由なのである。われわれはなるべく理性的な理由よりも感情的理由を選びたい。しかもこの二つはつねに支持しあうものだ。そのことを忘れてはならない。「犯罪論」は「法の精神」につぎ木されたものである。モンテスキューはベッカリアを生んだのだ。
理性がわれわれに協力し、感情がわれわれをたすけ、経験もまたわれわれを援助する。死刑が廃止されている模範的国家では、重犯罪の数は年ごとに減少している。このことをよく考えてみるがいい。
しかしながらわれわれは、議会の代表者たちがあれほど軽々しく約束していたように、死刑をいますぐ突然に完全に廃止することをのぞんでいるわけではない。反対に、われわれは、あらゆる試みと注意と研究とをもって、慎重に事にあたりたいと思う。しかもわれわれはただ死刑廃止だけをのぞむのではなく、首尾一貫して、閂から肉切包丁まで、あらゆる形式の刑罰の完全な改革をのぞむのである。そして、そのような仕事が立派に完成されるためには、時間は必要な養分のひとつである。なお、われわれはこの問題について適用できると思われる体系的理論を、他のところで発表するつもりでいる。ところで、貨幣偽造や放火や加重罪付窃盗などの場合における部分的死刑廃止とは切りはなして、われわれがいますぐ求めたいことは、あらゆる重犯罪において裁判長が陪審員たちにむかつて、「被告は激情にかられて行動したのか、または利欲によって行動したのか」と質問し、「被告は激情にかられて行動した」と陪審員たちが答えた場合は、被告を死刑からまぬがらしめたいことである。そうすれば、少なくともわれわれはある種の不快な処刑からはまぬがれるだろう。ユルバックやドバケルは助かっただろう。もはやオセロのような人間を断頭台にかけることもなくなるだろう。
それにまた期待はずれで終わらないことを願うのも、この死刑問題が一日一日と熟しつつあるからでもある。それはまた、やがて社会全体の手でわれわれと同様に、この問題を解決するだろう、ということだ。
もっともかたくなな刑法学者たちにも留意してほしいのは、一世紀前から死刑が少しずつ減少していることである。死刑はほこ先をやわらげてきた。それは凋落《ちょうらく》の徴候であり、衰弱のあかしであり、やがて死滅する|しるし《ヽヽヽ》でもある。拷問の道具はなくなった。車責めはなくなった。絞首台はなくなった。奇妙なことだが、断頭台そのものもまたひとつの進歩である。
断頭台の考案者ギョータン氏は博愛家である。
事実また、かつては肉をむきだし、ファリナスやヴォーグランを、ドランクルやイザック・ロアゼルを、オベードやマショーをむさぼり食ってきた恐ろしい正義の女神テミス〔公平を表わすギリシャの神〕も健康が衰えてきた。やせ細ってきた。もう死にかけている。
もはやグレーヴ刑場もそれを欲してはいない。グレーヴの刑場は名誉を回復しようとしている。この老いたる吸血婆は、七月革命には、ちゃんと行ないをつつしんだ。それ以後彼女は善良なる生活を欲し、最後の美しい行為を汚すまいとつとめている。三世紀前からあらゆる死刑台に身を売った彼女も、いまは羞恥心を感じ、昔の商売を恥じている。彼女は賎しい自分の名前を消してしまいたがっている。死刑執行人を拒み、舗石を洗い流している。
現在では死刑はもうパリの外に出ている。ところで、ここではっきり言っておきたいのは、パリから出ることは、文明の世界から外に出ることなのである。
あらゆる徴候はわれわれに味方する。あの忌わしい機械はむしろ、ギョータンにとっては、ピグマリオン〔伝説上のキプロスの王で、有名な彫刻家。自分の作品のガラテアに恋し、ヴィーナスにたのんで魂をいれてもらい、彼女を妻とする〕に対するガラテアのようなものである、あの木と鉄でできた怪物も、気力をなくし渋い顔をしているように思われる。ある観点からすれば、これまで詳しく述べてきた恐ろしい処刑の仕損じなども喜ばしいしるしでもある。断頭台は躊躇《ためら》っている。首を切りそこなうほどである。死刑のための古い機械はすっかり調子が狂ってきている。
あのけがらわしい機械はフランスから立ち去るだろう。われわれはそれを期待する。願わしいことは、それが足をひきずりながら出て行くことである。なぜなら、彼に対しわれわれは厳しい打撃をあたえるであろうから。
そして他の土地へいって、野蛮な民衆のところへいって、歓迎されるがいい。だがトルコへではない、トルコは文明化している。また未開の民のところへではない、彼らでさえそれを望んではいない〔タヒチ島の州会は最近死刑を廃止した〕。それよりもなお数段文明の階段をくだって、スペインかロシアへでもいくがいい。
過去の社会の殿堂は、司祭と国王と死刑執行人との三本の柱に支えられていた。「神々は去れり」とひとつの声が言ってからすでにひさしい。最近いまひとつの声が起こって叫んだ「国王たちは去れり」と。そしていま、第三の声がおこって言うべき時である、「死刑執行人は去れり」と。
こうして旧社会はひと塊《かたまり》ずつ崩れさっていくだろう。こうして神の意志は過去の崩壊を完成してしまうだろう。
神々を愛惜した人々には、|唯一の神《ヽヽヽヽ》はとまどっている、ということができた。国王たちを愛惜している人々には、祖国はいまだ残っていると言うことができた。死刑執行人を愛惜するだろう人々には、なにも言うことはない。
なお、秩序は、死刑執行人とともには消滅しないだろう。そんなことは信じてはならぬ。未来の社会の天井は、あの醜悪な|かなめ《ヽヽヽ》石がなくとも崩れおちはしないだろう。文化は、相ついでおこる一連の変革にほかならない。いま人間はいかなるものに直面せんとしているか? 刑罰の変革にである。キリストの穏和な掟は、いつかは法典にも入りこみ、法典をつらぬいて輝きだすだろう。罪悪はひとつの病気とみられるであろう。そして病気には、裁判官のかわりに医者がたちあい、病院が徒刑場のかわりとなるだろう。自由と健康とは相似たものとなるだろう。鉄と火があてられたところには、香料と油が塗られるだろう。憤怒でもって扱われた病苦は、慈愛をもって迎えられるだろう。それは、単純にして、しかも崇高なることであろう。絞首台のかわりにすえられた十字架。それがすべてである。
一八三二年三月十五日
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悲劇にまつわる喜劇
〔原注〕われわれは、これから読者が読まれる会話形式の一種の序文を、ここに再録すべきだと信じた。これは『死刑囚最後の日』の第三版に付されていたものである。この序文を読まれるにあたり、どのような政治的、道徳的、文学的非難のうちにこの本の初版が公にされたかを読者に思いおこしていただきたいのである。
登場人物
ド・ブランバル夫人
騎士
エルガスト
哀歌詩人
哲学者
太った紳士
やせた紳士
婦人たち
従僕
サロンにて
【哀歌詩人】(朗読中)
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…………
…………
明くれば、足音は森を越え
犬は河にそいて吠えつつさまよえり。
して、若き乙女、涙ながらに
古き館の、いと年ふりし塔に
不安におののきつつ、来たりて坐り、
悲しみにくれしイゾールは、海のうめきを耳にせり。
されどはや、かのゆかしき吟遊楽人の
マンドール〔マンドリンに似た楽器〕の音はとだえたり!
[#ここで字下げ終わり]
【全聴衆】(拍手しながら)ブラボー! なかなかいいですぞ! うっとりしちまう!
【ド・ブランバル夫人】 終わりのとこが、とても神秘的でいいわね。涙をさそいますわ。
【哀歌詩人】(謙遜しながら)大詰めは、ベールでおおってみたのです。
【騎士】(首をかしげながら)マンドールだの、吟遊楽人だの、それはロマン主義作家の使う言葉ではないのですか!
【哀歌詩人】 そうです。しかし、ちゃんと筋のとおった真のロマン主義作家の使う言葉です。御不満なのですか? こうしたことは、ある程度やむをえないことですよ。
【騎士】 やむをえない、ですって、やむをえない! だから、優雅さというものが失われるのです。こういう四行詩こそ、ほんとのロマン主義の詩というものです。
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ヒンドス山脈〔文芸、美術への礼賛〕、キテラ〔美への礼讃〕の名において
ジャン・ベルナール〔「愛する技術」の著者〕は知らされり
愛する術《アール》は土曜日に、
愛される術《アール》のもとに
夕食をとりに来たるべし。
[#ここで字下げ終わり]
これこそ真の詩というものです! 「土曜日に、愛される術《アール》のもとに、夕食をとりにくる愛する術《アール》」! なんとすばらしい詩句よ!
ところが、今日に到つては、マンドールだの、吟遊楽人だの、とござる。もはや、即興詩は作られないんですな、もしわたしが詩人なら、即興詩をつくりたい。だが、わたしは、このわたしは詩人じゃない。
【哀歌詩人】 もっとも、エレジーというものは……
【騎士】 問題は即興詩ですよ。(小声でド・ブランバル夫人に)それに「館《シャテル》」なんて、フランス語ではありませんからね。「城《カステル》」ですよ。
【ある男】(哀歌詩人に)よく眼で見ることが大切ですよ。あなたは「古き館」といっておられるが、どうして「ゴチック」となさらないのです?
【哀歌詩人】「ゴチック」なんて詩句には使えませんよ。
【ある男】 とんでもない! そんなことはありませんよ。
【哀歌詩人】(あとをうけて)あなたもよくお分かりでしょう、わたしたち詩人は、自分というものをおさえなくてはいけません。わたしはフランスの詩を混乱させ、ロンサールやブレブーフの昔に逆戻りしようなんてする人たちにはくみするわけにはいきません。おなじロマン主義でも、わたしの場合は保守的です。感情でもおなじです。なごやかな、夢見がちなメランコリックな感情が好きなのです。血はいけません。恐怖感をかきたてるようなものは、いやですね。だから、大詰めは、ベールで包んだのですよ。わたしだって知らぬわけではありません、たとえば、狂気じみた想像力を、熱っぽくかきたてる人たちがいるのを……ねえ、みなさん、ほら、こんどでた小説、お読みになりましたか?
【婦人たち】 どの小説のことですの?
【哀歌詩人】 ……そら、なんとかの『最後の日』……
【太った紳士】 その話なら、もう結構! あなたが、あのことでなにをおっしゃりたいか、わたしにはよく分かってます。あの小説の題名をきいただけでも、わたしは、神経がおかしくなる。
【ド・ブランバル夫人】 そうですわ、わたしもほんとにそうなんですのよ。恐ろしい本ですわねえ。そこにありましてよ。
【婦人たち】(本を手から手に渡しながら)どれ、どれ?
【ある婦人】 ……の最後の日。
【太った紳士】 お願いです、やめて下さい、奥さん!
【ド・ブランバル夫人】 ほんとに、いやな本ですわ。なんだか、悪い夢をみさせて、人を病気にしてしまうような本ですわ。
【ある婦人】(小声で)でも、まず読んでみなくっちゃあ。
【太った紳士】 世のなかの習慣も、だんだんとひどくなってきたものだ。つくづくそう思わざるをえませんな。まったく、なんという恐ろしい考えなんだろう! 死刑囚が処刑の当日、感じたにちがいないというあらゆる肉体的苦痛や、精神的な責苦を、ひとつのこらずあばきたて、掘りだし、いちいち分析するなんて! まったく、これは、身の毛のよだつような恐ろしい話ではありませんか? そういう考えをもった小説家がいるなんて、それにまた、その小説家の書いたものを読みたがる連中がいるなんて、あなた方には、ほんとに理解できますか?
【騎士】 まったく、我慢のならぬほど、無礼な奴ですな。
【ド・ブランバル夫人】 その作者というのは、どんな方ですの?
【太った紳士】 初版本には作者の名前は出てませんでしたな。
【哀歌詩人】 残念ですが、題名は忘れましたが、あの作者はほかにも二つばかり小説を書いてますよ。はじめの小説は、氷島の死体収容所からはじまって、死刑台で終わりになる物語です。どの章にも、子供を食べる鬼が出てくるんですよ。
【太った紳士】 あなたは、それをお読みになったんですな?
【哀歌詩人】 ええ、舞台は氷島になってました。
【太った紳士】 氷島とは、これはまたひどい!
【哀歌詩人】 作者は、なお、ほかにも叙情詩《オード》とバラードも作っています。どちらの本でしたかね、|青い身体《コール・ブルー》〔ぞっとするような姿をした、という意であろう。一種の隠語〕の怪物の絵がついてましたよ。
【騎士】(笑いながら)畜生《コール・ブルー》! とはね、さぞかし詩もひどいもんでしょうな。
【哀歌詩人】 彼はほかに戯曲も発表していますよ。──一応、まあ戯曲と呼ばれてますがね。そのなかに、こういう美しい詩句があります。
明日は一六五七年、六月二十五日なり。
【ある婦人】 あら、それが詩句なの!
【哀歌詩人】 この詩句は数字で書くこともできますよ。そら、こんなふうに、
明日、1657.・6.25
(彼はそう言って笑う。ほかの者も笑う)
【騎士】 近頃の詩は、ほんとに変わってますな。
【太った紳士】 あきれたもんだね、その男は詩というものを作ることを知らんのだ! いったい、その男の名前はなんというのです?
【哀歌詩人】 なんだかおぼえにくいうえに、発音しにくい名前ですよ。なんでも、ゴート語から、西ゴート語、東ゴート語まで、まじってましてね。(笑う)
【ド・ブランバル夫人】 出《で》のいやしい男なんですわね。
【太った紳士】 俗っぽい男さ。
【若い婦人】 その人を知ってる、とかいう方のおっしゃるには……
【太った紳士】 あなたは、その男を知ってる方をご存知なんですか?
【若い婦人】 ええ、その方がおっしゃるには、やさしい、すなおな人で、人目につかぬ所に引っ込んで、お子さんたちと遊んで暮らしていらっしゃるそうですよ。
【哀歌詩人】 そして、夜は罪悪のかずかずを夢にみる、これはおどろいた、いつのまにか自然に詩句ができあがってしまった。ほら、こんな詩句が──
[#ここから1字下げ]
して、夜ごとに、罪悪のかずかずを夢にみたり
[#ここで字下げ終わり]
なかなか句切れもいいし、韻の踏みぐあいも上々だ。まったく! いたましいことだが。
【ド・ブランバル夫人】「われの言わんとせしこと、すべて詩になりてあり」〔ローマの詩人、オウィディウスの詩の一節〕というわけですわね。
【太った紳士】 問題の作者には、小さな子供があるとおっしゃいましたな。だが、そんなはずはありませんよ、奥さん。子供のある人間には、ああいう作品は、あんな残酷な小説は、書けませんよ。
【ある婦人】 いったい、そんな小説を書いた目的は、なんなのでしょうね。
【哀歌詩人】 このわたしが、それを知ってるとでもおっしゃるのですか?
【哲学者】 どうやら、死刑廃止に協力したいという目的らしいですよ。
【太った紳士】 なに、ただ人を恐がらせてみたいだけなんですよ!
【騎士】 それなら、死刑執行人との決闘さわぎもおこしかねませんね?
【哀歌詩人】 作者はギロチンをひどく憎んでますよ。
【やせた紳士】 私も、そうみますな。なかなかの雄弁ですよ。
【太った紳士】 とんでもない。あの死刑を論じた書には、雄弁なとこなど、せいぜい二頁ぐらいしかありませんよ。あとはみんな、ただ、ぞっとさせるような頁ばかりですよ。
【哲学者】 その点が、たしかに見当はずれなのですよ。主題は、論ずるにたるものですがね、戯曲や小説にされてしまうと、もうなにも説き明かす力はなくなってしまうんです。それに、わたしもその本を読んでみましたが、|でき《ヽヽ》はよくありませんね。
【哀歌詩人】 吐き気を催すくらいだ! いったい、芸術らしきところがどこにありますかね? 限度は越える、言いたいことは言い放題。それに、その主人公が犯した罪について、わたしに、なにが分かったか? といえば、なにも分からない。彼がなにをしたのか、そのわけを読んでも、誰にも分からない。おそらく、口にはできないようなひどい罪を犯した奴なんでしょうね。よく分かりもしない人間に、だれが興味なんかひかれますか。
【太った紳士】 読者に、肉体的な苦痛をあたえる権利なんか彼にはない。悲劇のなかでは人が殺しあったって、わたしはなにも感じない。しかし、この小説ときたら、身の毛のよだつほど読者をぞっとさせ、震えあがらせて読者を悪夢のなかへ引きずりこんでしまう。わたしはこの小説を読み終わるまで、二日も床についてしまった。
【哲学者】 それに、この著作はひややかで、|あたたかみ《ヽヽヽヽヽ》に欠けてますよ。
【哀歌詩人】 著作ですって!……こんなものが著作ですって!……
【哲学者】 そうですよ。しかし、さきほどあなたもおっしゃってたように、この書物には真の美学が欠けていますね。わたしは、抽象や純粋論などには興味はありません。この小説には、わたしとうまく肌があうような個性といったものが見当りません。それに文体は簡潔でも明晰でもありません。古くさい感じがします。そこなんでしょう、あなたがおっしゃってるのも。
【哀歌詩人】 たぶん、そうなんでしょう。個性なんでものはどうでもいいんですがね。
【哲学者】 あの受刑者には、わたしは興味をひかれませんね。
【哀歌詩人】 どんな点で、主人公が人々の関心をひくと思いますかね? 罪を犯しながら、彼には後悔の色がみえてませんよ。わたしならまったく逆なことを書いたと思いますね。つまり、まず受刑者になるまでの物語を書きますよ。立派な両親のもとに生まれ、ちゃんとした教育をうけ、恋をしたり、嫉妬に狂ったりする。ひとつならず罪を犯すが、そのあとで良心の呵責にせめられ、いろいろと後悔する。けれども、この世の掟はどうすることもできない。結局死なねばならない──わたしなら、そんなふうに死刑の問題を扱いますね。どうです、すばらしいでしょう!
【ド・ブランバル夫人】 あら、あら!
【哲学者】 失礼ながら、今おっしゃったような著作でしたら、なにひとつ読者を説きさとすことはできませんよ。特殊なものは、一般的なものの上にたつことはできないのですからね。
【哀歌詩人】 なるほど! それならなおさら結構です。では、彼はなぜ主人公に、たとえば、マルゼルブ〔ルイ十四世の秘書、のち大臣、国民会議に反抗して国王を守護したため、処刑される〕を、高潔なかのマルゼルブを、選ばなかったんでしょうね? 彼の最後、彼が受けた刑をなぜとり上げなかったのでしょうね? ああ! もしそうだったら、美しくも気高い舞台が展開されたでしょうに! それを読んで、わたしは涙を流し、感動に震え、マルゼルブといっしょに絞首台にのぼりたくさえなったでしょう。
【哲学者】 わたしはそんな気持にはなれませんね。
【騎士】 わたしもです。要するに、あなたのおっしゃるマルゼルブ先生は革命家だったわけになりますな。
【哲学者】 マルゼルブの絞首台は、一般的な死刑についてのなんの証明にもなりませんよ。
【太った紳士】 死刑、死刑って、そんなものにこだわって、どうだというんです? 死刑があなたがたにとって、なんだというんです? その著者も、よほど卑しい生まれの人間らしいですな。わざわざこんな本を書いて、こうした問題でわれわれに悪夢をみさせるなんて!
【ド・ブランバル夫人】 ほんとですわ! きっと心のよくない方なんですわ。
【太った紳士】 彼は、むりやりに、われわれに牢や徒刑場や精神病院をみせつけようとするんだ。まったく不愉快ですな。そういうはき溜めみたいなところは、だれだってよく知ってますよ。そういう場所と社交界とがどんな関係があるというんです?
【ド・ブランバル夫人】 法律を作ったのは、子供じゃないんですからね。
【哲学者】 でも、しかし、真実を申せば……
【やせた紳士】 そう、たしかに真実が欠けておりますな。一詩人がああいったことを、はたしてよく知ってますかね? 少なくとも、検察官ならいざ知らず。新聞があの本から引用してるところを読みますと、受刑者は死刑の判決を読みあげられても、なにも言わずにだまっています。ところが、わたしがみた受刑者は、判決の際、大きな叫び声をあげましたよ。そういうものですよ。
【哲学者】 失礼ですが……
【やせた紳士】 ねえ、みなさん、ギロチンだとか、死刑場だとか、そんなことを口にするのは悪趣味ですな。その証拠には、この本はね、まずよき趣味を堕落させ、純粋で新鮮で、素直な感動なるものをねむらせてしまいます。健全なる文学の擁護者たちは、いったい、いつになったら立ちあがるのです? わたしがなにを告発しようとしているか、それだけでもお分かりになっていただけると思うんですが、できればアカデミーの会員になりたいものですな……いや、ちょうどアカデミー会員のエルガストさんがおみえになった。あの人は、『死刑囚最後の日』をどうお考えになっておいででしょうかな?
【エルガスト】 いや、どうも、まったくのところ、わたしは、あれは読んでもおりませんし、また読むつもりもございません。昨日、ド・セナンジュ夫人のところの晩餐会にまいりましたら、ド・モリバル侯爵夫人があの本のことをド・メルクール公爵に話しておられましてね。なんでも、あの本には、司法官、とくにアリモン裁判長を非難する人物が出てくるそうで、それでフロリクール師も大変怒っておいでのようでした。宗教を攻撃したり、君主制を非難したりした文章があるそうですな。わたしがもし検察官でしたら!……
【騎士】 そうなんです、わたしが検察官だったら! それに、憲章と、新聞の自由が問題だ! ところが、死刑を廃止しようとする詩人がいるなんて、けがらわしいことだと、あなたもお考えになるでしょう。革命前の旧政体時代だったら、拷問を非難する小説なんかを出版しようと考える者などひとりもいなかったはずだ! ところが、バスチーユ監獄の占領以来、どんなことでも書けるんですからな。そういう本から、ぞっとするようなとんでもない悪いことが起こるんですよ。
【太った紳士】 そう。ぞっとするような、ね、……むかしは平和だった、なにも考えないですんでたからな。フランスの国のあちこちで、ときどき首が多くて週に二回くらいははねられていた。それでも、なにひとつ噂にものぼらなければ、別に非難の声もおきなかった。誰もなにも言わなかったし、それについて、考えこむ者もいなかった。まったく、なにひとつ波風も立たなかったわけだ。ところが、ここにいま一冊の本が出て……みんなの頭をひどく悩ませてるわけだ。
【やせた紳士】 なすべきことは、この本をまず読んでから、陪審員は刑を言い渡すことだ!
【エルガスト】 おかげで、良心のとがめをうけるわけですな。
【ド・ブランバル夫人】 ああ、みなさんは著作、著作とおっしゃってるばかりで──だれか一人でも、あの小説の中身のことを、おっしゃったかしら?
【哀歌詩人】 書物というものが、しばしば社会秩序をくつがえす毒薬となることはたしかですね。
【やせた紳士】 言葉のことなど考えずに、ロマン主義作家の諸君も、革命をおこすことですな。
【哀歌詩人】 ロマン主義作家にもいろいろありますよ、ちゃんと、区別していただきたいものですね。
【やせた紳士】 その区別はですな、悪趣味、悪趣味ですよ。
【エルガスト】 おっしゃる通り、趣味の悪いのも困りますな。
【やせた紳士】 悪趣味には、手がつけられませんからね。
【哲学者】(婦人の肱掛椅子にもたれかかり)あの連中ときたら、ムフタール街でも、もう誰も口にしないようなことを、まだしゃべってるんですからね。
【エルガスト】 ああ、まったくわずらわしいことです!
【ド・ブランバル夫人】 あら! 暖炉に投げこまないでくださいな。その本を! この本のことを、とても讃めていらっしゃる女の方から、お借りしたんですから。
【騎士】 わたしたちの時代のことを話しましょうよ。あれ以来、趣味も風俗も、なにもかもみんな、なんてひどいことになってしまったのでしょう! ド・ブランバル夫人、あなたはわたしたちの時代のことを思い出しますか?
【ド・ブランバル夫人】 いえ、思い出しませんわ。
【騎士】 わたしたちは、もっとも平和で、もっとも陽気で、もっとも精神的な人民だったのですよ。いつも楽しい夜会や、美しい詩句にとりまかれてね。すばらしかったなあ。千七百……ダミアン〔ルイ十五世をナイフで刺し、処刑される〕の処刑の年に、ド・マィリィ元帥〔大革命時代、国王の軍隊を指揮し、王位を防衛せんとしたため、アラスで処刑される〕夫人が催されたあの大舞踏会、あの時のド・ラ・アルプ氏〔文学理論家、大学教授、詩人〕のマドリガル〔牧歌〕ほど優雅なものはありませんでしたな。
【太った紳士】(溜息をつきながら)幸福なりし時代! いまや世のなかは恐ろしいものとなりぬ。本にしてもしかり。ボワローの美しき詩──
して、芸術の堕落は風俗頽廃の結果なり。
【哲学者】(詩人に小声で)この家では夜食をだすんでしょうな?
【哀歌詩人】 ええ、間もなくでますよ。
【やせた紳士】 今の世のなかは死刑の廃止をのぞんでいる。そのために、わざわざ残酷で背徳の、趣味の悪い小説がつくられる。『死刑囚最後の日』だとか、そのほかにも。
【太った紳士】 どうですか、あなた、あの残酷な小説のはなしは、もうこのあたりで終わりにしませんか。ところで、あなたにお会いできたついでに、きいておきたいんですがね、わたしたちが三週間前、上訴を却下したあの男のこと、あなたは、どうなさるおつもりですかな。
【やせた紳士】 そうでしたな、もう少しの辛抱ですな! わたしはいま当地で休暇をとってるところなんですからね。そっとしておいて下さいよ。いずれ帰りましてから。それでは遅すぎるとでもおっしゃるのでしたら、検事代理に手紙を書きますがね……
【従僕】(部屋に入ってきて)奥さま、夜食の用意がととのいました。
[#改ページ]
クロード・グー
七、八年前、クロード・グーとよばれる一人の貧しい労働者が、パリで暮らしていた。情婦の若い女と、その女との間にできた子供との三人暮らしだった。私はありのままの事実を、ここに話すことにする。事件がすすむにつれ、そこに蒔かれていくいろいろな教訓については、読者のほうで随時拾いあげていってほしい。
この労働者は、働き手で、いい腕をし、頭もよく、教育はほとんど受けてなかったが、ひどく天分にめぐまれた男で、文字は読めないが、考えることを知っていた。ある年の冬、仕事がなかった。掘立小屋のような彼の家には、火もパンもなかった。男も、女も、子供も、寒さと飢えに苦しんでいた。彼は盗んだ。なにを? どこで? そのことについては、私はくわしいことは知らぬ。ただ知っているのは、この盗みの結果、女と子供とは三日分の火とパンとを得たが、彼は五年の懲役を得た。
彼は、クレールヴォーの中部監獄〔聖ベルナールがオーブ地方にたてた有名な僧院だったが、のち監獄となった〕へ刑期をつとめるために送られた。クレールヴォーは、僧院を牢獄にしたところで、僧房が監房にあてられ、祭壇が囚人たちのさらし台に使用されていたのである。私たちが進歩について語ると、ある種の人々は、それをこんなふうに解釈し、つまり修道院を牢獄にかえることだと考え、それを実行するのである。私たちの口にする進歩という言葉の下に、彼らはこうした事実をあてはめるのである。
話をすすめよう。
この監獄につくと、彼は夜は土牢にいれられ、昼間は作業場にやられた。作業場のことについては、私は別に言うことはない。
クロード・グーは、つい先頃まで正直な労働者として暮らしていたので、泥棒になったとはいえ、いまだ立派な、しっかりした顔つきをしていた。若いのに、すでに皺のある秀でた額《ひたい》、真黒な髪の毛のなかにかくされたいく本かの灰色の白髪《しらが》、よく調和のとれた弓がたの眉の下にある、おだやかだが、ひどく力強い感じをあたえるくぼんだ眼、横にひらいた鼻孔、突きでた顎、不屈な意志をおもわす唇、実に立派な顔だちだった。ところで社会が、この彼の顔をその後、どんなふうに歪めたか、これからお分かりになるだろう。
彼は口数は少なく、どちらかといえば、身振りで|もの《ヽヽ》を言うたちで、彼の身体全体には、沈黙のうちに人を服従させる、なにか威厳のようなものが具わっていた。いつも考えこんでるふうだったが、それは苦しんでる、というより、生《き》まじめな感じをあたえた。だが、本当は彼はひどく苦しんでいたのである。
クロード・グーが収容された監獄には、いくつかの作業場を総轄する主任がいた。彼は監獄に特有な一種の役人根性の持ち主で、看守の役目と、商人の役得とを、うまくあわせて使い分け、仕事の注文をだす時は、囚人を労働者扱いにし、仕事中は看守として囚人を威嚇した。彼は囚人たちの手に道具をあたえてやりながら、同時に、彼らの足に鎖をつけるのである。それに、クレールヴォーのこの主任は、こういった性質の役人たちのうちでも、また特別だった。ぶっきら棒の、暴君的な男で、なんでも自分の考え通りにし、権威をかさにきて、人の言うことなど、全然耳をかさなかった。もっとも、時にはへんに打ちとけて、ひとり勝手に陽気になり、冗談口などたたいた。頑固というより、むしろ無神経な男だった。|すじ《ヽヽ》を通して話をするなんてことはまったくせず、自分のことでさえ、そうだった。もちろん、家庭では善良な父親であり、善良な夫でもあった。もちろん、それは人間として当然なことであり、べつに美徳ではない。
ひとことでいえば、彼は悪人ではなかったが、|たち《ヽヽ》の悪い男だった。いったい世のなかには、人々と共鳴しあう心の響も、心のはずみもなく、ただ無気力、無感動なもので出来上り、どんな考えにぶつかっても、どんな感情につきあたっても、なんの音もたてず、凍りついたような怒りと、底によどんだ正体不明の憎怒と、感激のともなわない興奮と、火がついても熱くならず、およそ熱への反応はまったくなく、一方は燃えてても、片方は冷えたままの材木みたいなもので出来上ってる人間がいるものだが、彼はそういう人間の一人でもあった。
この人間の性格の主要な線、つまりしんばり棒となるものは|しつこさ《ヽヽヽヽ》であった。彼は、自分のこのしつこさを自慢して、ナポレオンを気取っていた。しかし、それは自分勝手な眼でみた錯覚にすぎなかった。実は、この錯覚にとらわれ、しつこさを意志の強さととりちがえ、蝋燭を星と見あやまる人間が、非常に多いのだ。ところで、この男は「自分の意志」と、みずから呼んでるところのものを、ひとたび、不条理なるものをも、正しいとしてそれに集中するとなると、昂然として頭をあげ、がむしゃらに、その不条理なるものを、とことんまで押しすすめていくのである。
知性のともなわない執拗性というものは、愚鈍を愚劣につなぎあわせ、それをさらに延長させるものである。それはずい分遠くまで延びてゆく。一般に、個人的な、あるいは公的な災害が私たちの上にふりかかった際、地面にころがっているその災害の破片を通して、それがどんな風な土台の上に組み立てられたか調べてみると、ほとんどと言っていいくらい、自信と自惚れにみちた凡庸な、頑固な男の手が、盲目的に、そこに働いていることが発見される。自分の行なうことは、天の理にかなったものだと自惚れてる、そういった始末におえぬ小人どもが、この世には沢山いるものだ。
クレールヴォー中部監獄の主任は、まさしくそういったたぐいの人物だった。つまりは、この種のものでつくりあげられてる火打ち石で、社会は囚人たちを毎日ひっぱたいて、火花をたてさせているのである。
そういった火打ち石が、石をたたいてあげる火花が、時おり、大変な火災を引きおこすことがある。
前にも言ったように、クロード・グーはクレールヴォーにつくと、ある作業場のひとつ番号と化して、仕事に釘づけされることになった。作業場の主任は、彼と顔見知りになり、彼が有能な働き手であることをみとめ、待遇をよくした。ある日、上機嫌だった主任は、ひどく沈んだ顔をしてるクロード・グーをみて、それというのも、グーはいつも自らおれの女房、と呼んでた女のことばかり考えていたためだが、その彼にひまつぶしと、面白半分と、またいささか慰めるつもりもあったのだろう。その彼の不幸な女房が、売春婦になったことまで話したらしい。子供はどうしてますか、と彼はひややかにたずねた。だが、子供のことまでは誰も知らなかった。
数カ月がたつと、クロードも監獄の空気になれて、もうなにも考えてないようにみえた。彼の性格に固有な、ある厳しさのともなった、穏やかな表情が、ふたたび彼の顔に浮かぶようになった。
それからしばらくすると、クロードは仲間の者たちの上に、不思議な力をおよぼすようになった。一種の暗黙のうちに結ばれた約束のように、だがどうしてそうなったのか、誰にも、彼自身にもよくは分からなかったのだが、仲間の者たちはみんな、なにかあると彼に相談し、彼の言うことに従い、彼に敬服し、彼をみならった。そうしたことは敬服の最高の段階をしめすものだった。また、こうしたひと筋なわではいかぬ連中から服従をうけるということは、なみ大抵の光栄ではなかった。統率力が、べつに求めてもいなかったのに彼のもとにやってきた。それは、彼の両眼からもれる|まなざし《ヽヽヽヽ》によるものだった。人間の眼は、ひとつの窓であって、そこから、人間の頭のなかに去来してる考えが、みえるのである。
思想を持ってる一人の人間を、思想を持たない人間たちのあいだにおいてみたまえ。しばらくすると、抗しがたい引力の法則にしたがって、闇にとざされたすべての頭脳は、光りかがやく頭脳のまわりに、自らを卑下して、感嘆の念とともに、吸いよせられただろう。世には、鉄類に属する人間と、磁石にあたる人間とがいる。クロードは、磁石の人であった。
そんなわけで、三カ月もたたぬうちに、クロードは作業場の魂となり、掟となり、秩序ともなった。そこにあったすべての針は、彼という円盤の上で動いた。時として彼は、自分が王さまなのか、囚人なのか、疑いたくなるほどだった。配下の枢機官とともに囚われの身となった法皇みたいなものだった。
そして、どんな階級にもみられるように、まったく自然な反応として、彼は囚人たちから愛されたが、獄吏たちからは憎まれることになった。世のなかとは、いつもそうしたものである。人望は一方では、かならず反感をかう。奴隷たちの愛情は、いつも主人たちの憎悪で、裏うちされているのである。
クロード・グーは大食漢であった。それは彼の人体構造のひとつの特徴であった。彼の胃袋は、一日に二人前の食物をつめこんでも、なお足りないほどだった。ド・コタディーラ氏も、そうした食欲の持ち主だったが、自らそれを笑い話の種にしていた。しかし、五十万頭ほどの羊を擁してるこのスペインの大公爵には、それは楽しみごとのひとつでもあったろうが、働く者の身にとっては、ひとつの重荷ともなり、さらに囚人にとっては、不幸のひとつともなるべきものである。
クロード・グーは、自分の屋根裏部屋で自由に暮らしていた時には、毎日働いて、四斤分のパン代をかせいで、それを食べていた。しかし監獄では、毎日働いた報酬として、いつもきまって一斤半のパンと、四オンスの肉しかあたえられなかった。その分量は、絶対に変わることはなかった。そんなわけでクロード・グーは、クレールヴォーの監獄では、いつも飢《ひも》じい思いばかりさせられていた。
彼は飢えていた。それがすべての原因だった。彼はそれを口にはださなかった。そういったところが、彼の生まれつきの性質だった。
ある日クロードは、自分に与えられたわずかな食物を食べたのち、働くことで飢えをまぎらすために、ふたたび仕事にかかった。他の囚人たちは、楽しげに食事をとっていた。一人の、蒼白い顔をした、弱々しい若い男が、彼のそばに寄ってきた。若い男はまだ手をつけてない食物と、ナイフとを手にしていた。そしてクロードのそばに突っ立ったまま、なにか言いたいことを口にだしかねているようだった。その男と、そのパンと、その肉とが、グーをいらいらさせた。
「なにか用かい」と、クロードは突然たずねた。
「ちょっとお願いがあるんだけど」と、若い男はためらいながら言った。
「なにさ」と、クロードはたずねた。
「こいつを食べるのを手伝ってもらいたいんだ。おれには多すぎるんだ」
ひとつぶの涙が、クロードの人を見くだすような眼に浮かんだ。彼はナイフをとり、若い男の食物をまふたつに切り、そのひとつをとって食べはじめた。
「ありがとう」と、若い男は言った。「お前さえよかったら、毎日こうして食べようよ」
「お前の名前はなんと言うのだ」と、クロード・グーは言った。
「アルバン」
「なんで、ここへはいったんだ」と、クロードは言った。
「盗みをやらかしたんだ」
「おれもだ」と、クロードは言った。
彼らはそれから本当に毎日、食事を分けあった。クロード・グーは三十六歳だったが、時には五十歳ぐらいにみえた。それほど、いつも彼の考えてることは慎重だった。アルバンは二十歳だったが、十七歳ぐらいにしかみえなかった。それほどこの窃盗犯の眼には、無邪気さが残っていた。親密な友情が二人の間に結ばれた。兄弟愛というより、父子《おやこ》の愛情に近かった。アルバンはまだ、ほとんど少年にちかかったが、グーはすでに老人にちかかった。
二人はおなじ作業場で働き、おなじまる天井の下で寝、おなじ中庭を横ぎり、おなじパンをかじった。二人のどちらにも、相手一人がすべての世界だった。二人は幸福らしかった。
作業場の主任のことは、すでに話しておいた。彼は、囚人たちから憎まれていたので、彼らを服従させるために、囚人たちに愛されてるクロード・グーの助けをかりねばならなかった。反抗や、騒動をしずめる時には、クロード・グーの無冠の権威が、主人の公的な権威に力をかした。事実、クロードの口にする十の言葉は、憲兵十人の力に匹敵した。クロードは、そうした役目を何度も主任のためにはたしてやった。そのため主任は、クロードを丁重に扱いながらも、彼を憎んだ。この窃盗犯を嫉妬していたのである。彼は心の底に、クロードに対する、羨望からくる、ひそかな、執拗な憎しみの念をいだいていた。それは、実力のともなわない権威の上だけの主君が、実力にみちた事実上の主君に対していだく憎悪であり、世俗のつかのまの権力が、精神的な権力にいだく憎しみでもある。
こうした憎悪こそ、もっとも悪質のものなのだ。
クロードはアルバンをひどく愛してて、主任のことなど眼中になかった。
ある日の朝、囚人たちが二人ずつ、寝室から作業場へはいっていくとき、看守の一人がクロードのそばにいるアルバンを呼んで、主任が来い、と言ってると告げた。
「なんの用なんだい」と、クロードは言った。
「分かんないな」と、アルバンは言った。
看守はアルバンを連れていった。
午前の時間がすぎても、アルバンは作業場へもどってこなかった。食事の時になれば、中庭で逢えるとクロードは思っていた。しかし、アルバンは中庭にももどってこなかった。みんなが作業場に帰っていってからも、アルバンは姿をみせなかった。そうして一日はすぎた。晩になって囚人たちが寝室に連れもどされたとき、クロードは方々をみまわしたが、アルバンの姿はみえなかった。で、クロードはひどく心配になってきたらしく、今までそんなことは一度もなかったのだが、彼は看守の一人に言葉をかけた。
「アルバンは病気なんですか」と、彼は言った。
「いいや」と、看守は答えた。
「すると」と、クロードは言った。「なんで今日は、あれから姿をみせないんです」
「なあに」と、看守はこともなげに言った。「もち場を変えられたのさ」
あとになって、その場に居合わせた者たちの話では、看守のこの返答をきいたとき、火のともった蝋燭をもってたクロードの手が、かるく震えてるのがみえた、ということだ。クロードはおだやかな調子で言った。
「誰がそんな命令をだしたのですか」
看守は答えた。
「エム・デーだよ」
作業場の主任は、エム・デーという名前だった。
翌日もまた、前日と同じように、アルバンの姿はみえないまま、すぎていった。
暮れがた、終業の時間に、いつものように、主任のエム・デーが作業場のなかをみまわりにきた。クロードは、その姿を眼にするとすぐ、荒毛の帽子をぬぎ、クレールヴォーのみすぼらしいお仕着せの灰色のうわ着のボタンをかけた。それは監獄の規則として、うわ着のボタンをていねいにはめることは、上役に敬意を表する仕草のひとつともなってたからである。それから、クロードは手に帽子をもち、自分のベンチのはしにたって、主任の通るのを待ってた。主任が通った。
「だんな」と、クロードは言った。
主任はたちどまって、なかば振りかえった。
「だんな」と、クロードは言った。「アルバンがもち場を変えられたのは本当なんですか」
「本当だ」と、主任は答えた。
「だんな」と、クロードはさらにつづけた。「私は、アルバンがいないと、生きていけません。アルバンが必要なんです」
そしてなお、彼はつけ加えた。
「御承知のように、私はここの一人前の食事だけでは、十分ではないのです。アルバンは私にパンを分けてくれてたんです」
「それは奴の勝手だ」と、主任は言った。
「だんな、アルバンを私とおなじ|もち場《ヽヽヽ》に戻していただくわけにはいかないんでしょうか」
「いかんな、すでに決まったことだからな」
「誰が決めたのですか」
「おれだ」
「だんな」と、クロードは言った。「私にとっては、生きるか、死ぬかの問題なのです。それもあなたのお考えひとつできまることなのです」
「おれはいったん決めたことは、絶対に変えんのだ」
「だんな、私はあなたに、なにか悪いことでもしたのですか、なにをしたのですか」
「なにもしないさ」
「それなら」と、クロードは言った。「なぜ、アルバンを私から引きはなしたんですか」
「理由なんか、なにもない」と、主任は言った。
こうした言い訳をのこして、主任は通りすぎていった。
クロードは頭をたれ、なにも言い返さなかった。自分の可愛がってた犬をうばわれた、檻のなかの獅子みたいだった。
私はあえて言うが、こうした引きさかれた友情の悲しみも、この囚人のいささか病的な大食をすこしも弱めはしなかった。また、このために、彼のうちに、特に変ったこともみられないようだった。彼は、仲間の誰にも、アルバンのことは口にしなかった。食後の時間には、ただひとりで中庭を散歩していた。そして、いつも腹をすかせていた。それだけのことだった。
だが、彼をよく知っている者たちは、ある不気味な、暗い影が彼の顔に、日に日に濃くなってゆくのをみていた。だが、彼は今までより、いっそう、おだやかになった。
彼と食べる物をわかち合おうと申しでた者もたくさんいた。彼はほほ笑みながら、それをことわった。
主任がああした説明を彼に与えてからというもの、彼のような慎重な男にしては、眼をみはるような、一種ばかげた仕草を、毎晩彼はくり返すようになった。主任が、きまった時間に、いつもの巡回にやってきて、クロードの仕事台の前を通る時、彼は眼をあげて、じっと主任をみていた。それから、懇願とも脅迫ともつかぬ、苦脳と怒りとにみちた口調で、ただふたことだけ、主任にはなしかけた。「で、アルバンは?」主任は聞こえないふうをしたり、肩をそびやかしたりして、遠ざかっていった。
主任が肩をそびやかしたのが、間違いのもとだった。というのも、こうした妙な光景を見物してた連中にはみんな、クロード・グーが内心なにを決意したか、よく分かっていたからである。この、主任の強情さと、クロードの決意との決闘が、どういう結果を引きおこすか、監獄中のものは、全部、不安のうちにも、期待していたのである。
あとで証言されたことだが、とくにある時などは、クロードは主任にこんなことを言ってたのである。
「ねえ、だんな、仲間をかえして下さいませんか、そうすれば、あなたは助かるんですよ。本当ですよ、この私がそう申してるんですからね」
またある時は、日曜日だったが、中庭で、石に腰をおろし、両肱を膝におき、両手のなかに額《ひたい》をうずめ、もう何時間も同じ姿勢をつづけていた。すると囚人の一人のファイエットがそばに寄ってきて、笑いながら彼に言った。
「クロード、そこでおめえ、いったいなにしてんだい」
クロードはゆっくりと、そのいかめしい顔をあげて言った。
「ある男を裁判にかけてるんだよ」
それからまたある晩、一八三一年十月二十五日のことだったが、主任が巡視にきたとき、クロードはその朝、廊下でひろった時計のガラスを、大きな音をたてて足でふみつぶした。主任はどうしてそんな音がしたか、たずねた。
「なんでもありません」と、クロードは答えた。「私がやったんですよ、だんな、アルバンを返して下さい、相棒を返して下さらんか」
「それはできん」と、主任は言った。
「いや、ぜひとも返していただきたい」と、クロードは低い、しっかりした声で言った。そして、まともに主任の顔をみつめながら、つけ加えた。
「考えなおしていただけませんか、今日は十月二十五日です、十一月四日までお待ちしますから」
看守の一人が、クロードは主任を恐喝してる、その罪は禁固の刑に処していいものだ、と、主任のエム・デーに注意した。
翌日、囚人たちが中庭の端にある、陽のあたってる小さな四角な場所に集まってると、クロードがひとり物思いに沈みながら、あたりをぶらついていた。すると、囚徒のペルノーが彼に言葉をかけた。
「おい、クロード、なにを考えてるんだい、いやに、沈んでるじゃないか」
「おれはな」と、クロードは答えた。「あのエム・デーの奴に、なにか近いうち、災難でもおこりゃしねえかと、心配してるんだよ」
十月二十五日から十一月四日までは、まる九日はある。クロードは、その間の一日とて、アルバンのいないことが、自分をますますひどい苦しみに追いやることを、痛切に主任に告白しない日はなかった。主任は、根まけして、また、その懇願があまりに脅迫じみてるので、一度ばかり、二十四時間の禁固の刑に処した。それが懇願の結果、クロードが得たすべてであった。
十一月四日になった。その日クロードは、エム・デーの「決裁」により、相棒から引きはなされて以来、一度もみせなかった晴れやかな顔をして、眼をさました。そして起きあがると、彼は寝台の足もとにおいた、ぼろや、その他雑多なものをいれてる、白木の箱のなかをかきまわし、裁縫用の鋏をひとつとりだした。それは「エミール」〔十八世紀の啓蒙思想家、ジャン・ジャック・ルソーの著書、小説の形式でかかれた有名な教育論〕のはんぱ本とともに、彼が愛した女の、彼の子供の母親の、彼のむかしの幸福《しあわせ》だった世帯の、ただひとつの思い出として残されてた品だった。クロードにとっては、それは二つとも、実際には無用なものだった。鋏は女にしか用はないし、書物は、学問のある人間にしか役に立たない。クロードは裁縫も、読書もできなかった。
石灰で白くぬられた、汚い古びた廊下を通ってるとき、そこは冬の間の散歩場になってたのだが、クロードは、独房の小窓にはまった太い鉄格子を、しげしげとみている囚徒のフェラリのそばに近寄っていった。彼は手に鋏をもっていた。彼はそれをフェラリにしめしながら言った。
「今晩、この鋏で、その鉄格子をきってみせるぞ」
フェラリは、それを本気にとらず笑いだした。クロードもつられて笑った。
その朝、彼はいつもより精をだして働いた。こんなに早く、こんなに立派に仕事をやりとげたことは、今までになかった。トロアの正直な市民、ブレシュ氏が、彼に賃金の前払いをしてる麦わら帽子を、クロードは午前中までに、必ず仕上げるつもりらしかった。
正午すこし前、なんとか口実をもうけて、クロードは自分たちの働いてる広間の下の一階にある、囚人の指物工たちのいる作業場におりていった。クロードはそこでも、ほかの作業場と同様に、みんなから敬愛されていた。だが彼は、ほんのたまにしか、そこにはいっていかなかった。そんなわけで、囚人たちは意外に思った。
「おや、クロードじゃねえか」
みんなは彼をとりまいた。まるでお祭りさわぎだった。クロードはすばやく広間のなかをみまわした。一人の監視もいなかった。
「だれか、斧を一ちょう、貸してくれないか」と、彼は言った。
「なにに使うんだ」と、みんなはきいた。
彼は答えた。
「今晩、作業場の主任を殺っちまうんだ」
みんなは、彼にいくつもの斧をさしだして、そのなかから選ばせた。彼は刃の鋭くとがった、一番小さい奴をえらんで、ズボンのなかにかくし、それから出ていった。作業場には、二十七人の囚徒がいた。彼はべつに、彼らに秘密にしてくれ、とはたのまなかった。しかし、彼らは秘密をまもった。
彼らは、仲間同志のあいだでも、そのことを口にしなかった。
みんなは、めいめい勝手に、ことのおこるのを待っていた。ことの次第は、直線的で、単純で、おそるべきものだった。誰も文句をつけようがなかった。クロードには、誰からも、いさめられたり、密告されたりする恐れは、まったくなかった。
それから一時間後、クロードは散歩場で、あくびをしてる十六年の刑期の若い男に話しかけ、字を習うようにすすめていた。そのとき囚徒のファイエットがクロードのそばにしのび寄って、ズボンのなかに、なにをかくしているのか、たずねた。クロードは言った。
「今晩、エム・デーをやっつけるための斧さ」
それから彼はさらにきき返した。
「目につくかい?」
「ちょっとばかりだ」と、ファイエットは言った。
その日の残りも、いつものようにすぎた。晩の七時に、囚人たちは各班ごとに、指定された作業場にいれられた。監視たちは、それがきまりになってるらしく、広間から出ていって、作業場主任が巡視にきたあとでなければ、もどってこなかった。
それでクロードも、他の仕事仲間の囚人たちといっしょに、自分の作業場にとじこめられていた。
その時、この作業場で、異様な光景がくりひろげられた。荘厳と恐怖をまじえた光景、それは、どんな物語にもかつて語られたことのない光景だった。
その後の予審調書が証言してるように、そこにはクロードを加えて、八十二人の窃盗犯がいたのである。
監視が出ていって、彼らだけになると、クロードは自分のベンチの上に立ちあがって、少し話したいことがあると、みんなに告げた。みんなは黙った。
クロードは高い声をだして言った。
「お前たちも知ってるように、アルバンはおれの兄弟分だった。おれには、ここであてがわれる食糧だけでは、不足なんだ。仕事をしてかせぐわずかな金で、パンを買ってみてもまだたりない。アルバンは自分の分け前をおれにくれた。おれは彼が食べ物をくれたので、次には、彼がおれを愛してくれたので、彼が好きになった。ところが、主任のエム・デーの奴は、おれたちを引きはなしてしまった。おれたち二人がいっしょにいたって、あいつには、なんの関係もなかったのだ。人を苦しめて、面白がるなんて、悪人のすることだ。おれは、あいつに、アルバンを返してくれって頼んだ。だが、あいつはお前たちも知ってる通り、おれの願いを聞いてくれなかった。おれはアルバンを返してもらうために、十一月四日まで待ってやった。ところがあいつは、おれがそんなことを言っておどしたからと言って、おれを禁固の刑に処した。その間におれは、彼を裁判にかけて、死刑を宣告したのだ。──〔原注、これはそっくり彼が言ったとおりの言葉なのだ〕今日は、十一月の四日だ。あと二時間もしたら、あいつが巡視にやってくる。お前たちにあらかじめ言っとくが、おれはあいつを殺す。そのことで、なにか文句があるか」
みんなは黙っていた。
クロードはふたたび話しはじめた。彼は不思議な雄弁術を身につけてるらしく、うまくしゃべった。だが、それらはなによりもまず、自然に彼の口にでた言葉だった。酷《むご》いことをするとは、自分でも承知してるが、しかし、自分は間違ってはいないつもりだ、と、彼は宣言した。そして、そこで聞いてる八十一人の窃盗犯の良心に、次のことを訴えたのである。
自分は、いま最後のどんづまりにきている。
たとい、これが正当な復讐であったとしても、それは、やはり最後の行きどまり道でしかない。だが、人間というものは時として、そこまで踏みこんでしまうものだ。
実際には、主任の生命をうばうことは、自分自身の生命をも投げだすことにもなるのだ。しかし、正しいことのために、生命を投げだすことは、私はよいことだと思っている。
十分に考えてみたあげくのことだ。おれはもう二カ月もの間、それを考えつめてきたのだ。自分では、わたくしごとの怨みにかられているとは、思つてはいないが、もしそうした点があったら、どうかはっきりと言ってほしい。
自分は、周囲の正しい人々の意見に従うつもりだ。
私はこれからエム・デーを殺すことになるが、しかし、だれか、それに反対するものがあったら、その人の言うことをききたい。
そのとき、ただひとつの声がきこえてきた。主任を殺すまえに、さいごにもう一度話して、たのんでみたらどうか、とその声は言った。
「もっともなことだ」と、クロードは言った。「そうしてみよう」
大時計が八時をうった。主任は九時に回ってくることになっていた。
この異様な、一種の控訴院が、クロードの提出した判決を決めると、クロードはすっかりもとの穏やかな顔つきにかえった。彼は自分のもってるかぎりのシャツや服を、|それら《ヽヽヽ》はいかにもみすぼらしい囚人用の古着だったが、それら全部をテーブルの上におき、アルバンのつぎに、いちばん好きだった仲間たちを、ひとりひとり呼んで、わけてやった。そして最後に、小さな鋏だけがのこった。
それから彼は、みんなに接吻した。ある者は泣いていたが、彼はそれにほほ笑みかけた。
最後の時になっても、彼はひどく穏やかな調子で、楽しそうにさえみえる顔をして、話をしてた。それで、仲間たちの多くは、のちに彼らがはっきり証言したように、おそらく、クロードは決心をひるがえすのではないか、と、ひそかに希望をいだいていたのだった。クロード自身も、作業場を照らしている蝋燭の火を鼻息で吹きけして、面白がってさえいた。彼は一面、わざわざ、持ち前の立派な人格をけがすような、下等な、卑しい仕草を、人知れずおぼえ、身につけていた。
この、昔の街の浮浪少年が、大人になっても時々、パリのどぶ臭い匂いをたてるのも、むりからぬことでもあった。
一人の年若い囚徒が、おそらくこれから眼にするかもしれない、恐ろしい出来事を気にするあまり、顔をまっ青にし、震えながら、自分をじっとみつめてるのに、クロードは気がついた。
「おい、しっかりするんだよ、若いの」と、クロードはやさしく言った。「ほんのちょっとの間のことだよ」
着る物を全部分けてやり、みんなに最後の別れを告げ、みんなと握手をしおわると、彼は作業場のあちこちの隅で、ひそひそ話をしてる連中に、話をやめて仕事にかかるように言った。みんなは彼の言うことに、黙ってしたがった。
こうしたことが行なわれた作業場は、細長い、長方形の広間で、縦の両側には窓がいくつもついてて、両はしに扉がひとつずつあって、たがいに向きあっていた。ベンチと|つい《ヽヽ》になった仕事台が、窓の近くに両側にならび、ベンチは窓に直角に接していた。二列にならんだ仕事台のあいだが、一種のながい廊下になり、一方の扉から他方の扉へまっすぐに、広間をつらぬいてつづいていた。そのかなり長くて、狭い通りみちを、主任は監視の眼をくばりながら、通りすぎてゆくのだった。南の扉からはいってきて、労役に服してる左右の囚人たちをみまわしながら、北の扉から彼は出てゆくことになっていた。いつもは、立ちどまったりはせず、はや目に通りすぎていった。
クロードは自分のベンチに腰をおろし、ふたたび仕事にかかった。国王暗殺者ジャック・クレマン〔一五八九年にアンリ三世を暗殺し、その場で虐殺されたドミニック派の修道士〕がふたたびお祈りをはじめたみたいだった。
みんなはそれとなく待っていた。時間はせまった。突然、鐘の音がひとつきこえてきた。クロードは言った。
「十五分前だ」
そこで彼は立ちあがり、広間の一部を、落ちついた足どりで横切り、入口の扉のそばまでゆき、左手の一番目の仕事台のかどに肱をついた。その顔つきは、まったく冷静な、穏やかなものだった。
九時がなった。扉が開いた。主任がはいってきた。
その瞬間、作業場のなかは、物言わぬ彫像のように静まりかえった。
主任だけがいつもと変りがなかった。
彼は、物に動じない、自信たっぷりの平気な顔をみせてはいってきた。ズボンに右手をかくし、扉の左側に立ってたクロードには気がつかず、最初の仕事台の前を、はや足に通りすぎながら、頭をふりふり、口のなかでなにかもぐもぐ言い、あちこちをさえない眼つきでみまわしていた。彼をとりかこんでる囚人たちの眼が、ある恐ろしい考えに釘づけされてることには、気づかなかった。
彼は突然、自分のうしろで足音がしたので、驚いてすぐにふりかえった。
それはクロードだった。すこし前から主任のあとをつけてきていたのだった。
「なにをしてるんだ、この畜生は」と、主任は言った。「なんだって、自分の持ち場所にいないんだ」
監獄では、一人の人間も、もはや人間ではないのだ。一匹の犬にすぎない。畜生呼ばわりをされるのだ。
クロードはうやうやしく答えた。
「申し上げたいことがございます」
「なんのことだ」
「アルバンのことでございます」
「またか」と、主任は言った。
「いつもの通りでございます」と、クロードは言った。
「なんだと?」と、主任はなお、歩きつづけながら言った。
「二十四時間の禁固じゃあ、まだ足りないというのか」
クロードは彼のうしろについてゆきながら答えた。
「だんな、わたしの相棒をかえしていただけませんか」
「できん」
「だんな」と、クロードは悪魔をも感動させるような声で言った。「お願いです。アルバンと私をいっしょに置いて下さい、そしたら、私がどんなに一生懸命に働くか、お分かりになります。あなたは御自由な御身分なのですから、私たちをいっしょにしたからといって、べつに差支えなどないのです、それにあなたは、友だちというものが、いったい、どういうものか、よくお分かりになっていられないのです。私がもってるものといえば、監獄の四方の壁しかないのです。あなたはどこにだって自由に行ったり来たりできるのです。だが、この私には、アルバン一人しかないんです。アルバンを返して下さい、アルバンは食べ物を分けて、私に食べさしてくれました。よく御存知のはずです。それはあなたにとって、ただひとこと、よろしい、と言っただけですむことなのです。クロード・グーという人間と、アルバンという人間が、おなじひとつの部屋にいたいからといって、あなたには別に関係のないことでしょう。それというのも、そんなことで、あなたに面倒がかかるわけではないからです。だんな、どうか、お願いです。本当にお願いですから、どうか!」
おそらくクロードは、一度にこんなに多くのことを獄吏にくどくど言ったことは、かつてなかったろう。こうした努力をつくしたのち、彼はもうなにも言うことがなくなり、だまって相手の答を待っていた。主任は、もう我慢してきいてはおられないといったようすをして、言葉をかえした。
「そんなことはできん、もう決まったことだ。いいか、もう二度とそんなことは言うな、うるさいぞ」
そして、彼は急いでたので、足をはやめた。クロードも足をはやめた。さきのようなことを言いあいながら、二人はいつの間にか、出口の扉のところまできていた。八十何人かの窃盗犯たちは息をのみながら、じっと二人をみつめ、きき耳をたてていた。
クロードは静かに主任のうわ着の裾を捉えた。
「ですが、せめて私は、なんで自分がこんな死刑のような苦しみにあわされるのか、それが知りたいんです。なぜ、彼を私から引きはなしたのか、言っていただきたいのです」
「前に言ったとおりだ」と、主任は答えた。「わけはそれだけだ」
そう言うと、彼はクロードに背をむけながら、出口の扉の把手へ手をのばした。
主任のこの答をきいて、クロードは一歩うしろにさがった。そのとき、作業場にいた八十余人の囚徒たちは、彫像のように突っ立ったまま、クロードの右手が斧をつかんで、ズボンから出てくるのをみた。その手がふりあげられたとたん、主任はもう一声叫ぶひまもなく、口にするのも恐ろしいことだが、同じ場所に三度つづけざまに打ちおろされた斧の打撃によって、頭蓋骨をたち割られてしまった。仰むけに倒れる瞬間、さらに四回目の一撃が、その顔を切りさいた。つづいて、一度|せき《ヽヽ》をきってあふれでた憤激は、すぐにはおさまらないかのように、クロードはさらに無益にも、五回目の一撃によって、主任の右腿をたち切ってしまった。主任はすでに死んでいた。
そのとき、クロードは斧をなげすてて叫んだ。「こんどは、もう一人、ほかの奴だ」もう一人の奴とは、自分のことだった。囚徒たちは、彼がうわ着から女房の小さな鋏をとりだすのをみた。そして、誰もそれをとめようと思いつく間もなく、彼は自分の胸に鋏をつきさした。鋏の刃は短く、彼の胸はあつかった。彼は二十回以上も鋏で胸をつきまわしながら、叫んだ。「この極悪人め、こいつの心臓は、なかなかめっからないぞ」そしてとうとう、彼は血まみれのまま、気を失って、主任の死骸の上に倒れた。
二人のうち、どちらが被害者だったのか?
クロードが意識をとりもどしたとき、寝台の上にねかされ、下着をきせられ、ほう帯をまかれ、いろいろな手当てをうけていた。そばに親切な修道女の看護婦がついてて、ほかに予審判事が一人いた。判事は彼にひどく関心をもち、「具合はどうだね」と、たずねたりしていた。
彼は大変な量の血を失ったが、心を乱すまでに深い愛着をもってたあの鋏のために、なさねばならぬ義務をやり損じてしまったのである。彼が自分につけた傷には、どれも危険なものはなかった。彼に致命傷をあたえたのは、エム・デーに彼があたえた傷だった。
訊問がはじめられた。クレールヴォー監獄の作業場主任を殺害したのは、お前か、とたずねられると、彼はそうだ、と答えた。なぜ殺害したのかとたずねられると、彼は、殺害したのが理由だ、と答えた。
ところがその後、ある時期、傷が悪化し、悪性の熱がで、彼はもうすこしで死ぬとこだった。 十一月、十二月、一月、二月の間は、傷の手当てと、予備調査が行なわれた。医者と判事たちとは、クロードの周囲に、つきっきりだった。一方は傷の手当てをし、他方は死刑台をたてる準備をしていた。
話を簡単にしよう。それから一八三二年三月十六日に、彼は全快して、トロアの重罪裁判廷に出頭した。集まるかぎりの町中の群集がつめかけた。
クロードは法廷で立派にふるまった。彼はていねいに髭をそり、頭にはなにもかぶらず、二種類の灰色に染めわけられたクレールヴォーの獄衣をきていた。
検事は武装した兵士たちで、法廷をかためた。審問に先だって、彼が行なった証明によれば、それは「本件に、証人として出廷する極悪人どもを、とりしまるため」であった。
審問がいよいよ開始される段階になって、稀にみる、困難な事態が生じた。十一月四日の事件の証人たちは、一人としてクロードに不利な陳述はしようとしなかった。裁判長は、自由裁量権を行使して、彼らを威嚇した。しかし、なんの効果《ききめ》もなかった。するとクロード自身が、彼らに真実を陳述するように命じた。みんなの舌は、ゆるんだ。彼らは眼にしたままのことを陳述した。
クロードは深い注意をはらって、彼らの言うことにいちいち耳を傾けていた。そのうち、誰かひとりが、つい忘れてたのか、それともクロードへの愛情からか、被告の不利になるような事実を省略してしまった。すると、クロードの方から、本当の事実を申したてた。
証言がつぎつぎに行なわれ、前述のような一連の事実が法廷で明らかにされた。
列席してた婦人たちが涙をながした瞬間もあった。やがて、法廷に囚徒アルバンが呼び出された。彼はよろめきながらはいってきた。すすり泣きをしていた。憲兵たちも、彼がクロードの腕のなかに倒れかかるのを、あえてとめるわけにもいかなかった。クロードは、彼のからだをささえてやりながら、顔に笑みを浮かべ、検事に言った。「これが飢えている者に、自分のパンを分けてくれた悪人なのです」そう言うと、彼はアルバンの手に接吻した。
証人の陳述がおわると、検事が立ちあがって、次のような論告をはじめた。「陪審員諸君、もし被告のごとき重大なる犯罪者に対し、公の刑罰がくだされないとすれば、社会はその根底より動揺するでありましょう。被告は実に……云々」
この記憶すべき演説のあとに、クロードの弁護士がたってしゃべった。彼の原告を攻撃し、被告を擁護する弁論は、重罪裁判という一種の競馬場のなかで、いつもくり返される、たんなる言論の機動演習にすぎなかった。
クロードは、すべてのことがまだ言いつくされていないと、判断した。そして自分の番がきたとき、彼は立ちあがった。彼の弁舌をきいた心ある者たちは、驚きの念に打たれて帰っていった。それほど、彼の話しぶりは立派なものだった。この気の毒な労働者は、一人の殺人者というより、一人の雄弁家として、人々の眼に映った。彼は立ちあがると、よく通る|きれ《ヽヽ》のいい声で、澄みきった、誠実な、注意にみちた眼をし、いつもと変りない、力強い身振りで、話しつづけた。事実のありのままを、卒直に、誠実にのベ、なんらの弁解も加えず、なにひとつ省略せず、一切を承認し、刑法二百九十六条からも顔をそむけることなく、そこに自分の首をさしだした。そのまことにすぐれた高尚なる雄弁は、いくどか群集の心をはげしくゆり動かす時間を生んだ。傍聴席の人たちは、彼の言葉をくり返しささやいていた。そのため、クロードが聴衆を昂然と見やりながら、ひと息つく間も、傍聴席はささやき声でみちあふれた。またある時は、読書のできなかったこの男は、あたかも学識ある人間のごとく、おだやかな、洗練された、よく選択された言葉を用い、さらにある場合は、そのつつましやかな、ひかえ目な、慎重な言葉使いで、論旨の激越な部分に一歩一歩ふみこみ、裁判官たちに対しても、崇高さを失わなかった。しかし、ただ一度だけ、彼ははげしい憤怒の念にかられた。それは、前に一部分を引用した検事の演説のなかで、検事がクロード・グーは、作業場主任からはなんらの乱暴も迫害もうけなかったにもかかわらず、つまり「なんらの挑発」もうけなかったにもかかわらず、主任を殺害したと、論告したことに対してであった。
「いったい、なんで」と、クロードは叫んだ。「私が挑発をうけなかったというのです。ああ、なるほど、そうですか、おっしゃることは分かります。酔っぱらった男が私をなぐる。私がその男を殺す。私は挑発されたのだ。おかげで私は特赦をうけて徒刑場に送られる。だが、酔っぱらっていなくて、ちゃんと正気で、分別のできる人間が、四年間も私の心を痛めつけ、四年間も私を侮辱しつづけ、四年間、毎日、毎時間、暇さえあれば、思いもよらぬ私の|あら《ヽヽ》をみつけて、そこを針でつっつく。私には妻があり、そのために私は盗みもしたが、その女のことで、彼は私を拷問にかける。私には一人の子供もあったが、その子供のことでも彼は私を拷問にかける。私には監獄で支給されるパンだけでは足りなかったので、仲間から分けてもらっていた。それだのに、彼は私から、その仲間とパンとをとりあげてしまった。私が仲間をかえしてくれとたのむと、彼は私を禁固の刑に処した。私が、官憲の犬にすぎぬ彼を、あなた、と呼んでいるのに、彼は私を、畜生と呼ぶ。私が彼に、苦しんでるのだからと頼めば、彼はうるさい、とはねつける。そんなとき、いったいどうしたらいいんだ。私は、奴を殺した。あたり前のことだ。おれは人でなしさ、奴を殺したのよ、挑発もされないでな。首をはねられる。ああ、結構、はねていただきましょう」
私たちに言わせれば、それこそ、まさに崇高なる動揺であり、そのために突如として、物的挑発一点ばりの彼方に、法律がいつもみのがしてる精神的挑発の理論が、ここにたちあらわれたのである。法律はつねに、その物的挑発にのみ、情状酌量という、あの不公平な梯子をかけているのだ。
弁論は終わった。裁判長は、公平かつ明快な概括を行なった。そこから次のごとき結論が生まれた。醜悪な生命のもち主、人でなしの化け物、クロード・グーはまず売笑婦との野合の生活をきっかけに、盗みを行ない、次に殺人の罪をおかした。それらはいずれも、事実に間違いのないところだ。
陪審員たちをその定められた部屋に送るにあたり、裁判長は被告にむかい、以上の諸件につき、なにか申したてることはないかとたずねた。
「べつにありません」と、クロードは言った。「ただし、これだけのことは申しのべておきます。私は窃盗犯のうえ、殺人犯でもあります。私は盗みを働き、人を殺しました。しかしなぜ、盗みを働き、なぜ、人を殺害したか、この二つの問題について、陪審員たちにとくと考えていただきたいと思います」
十五分間の評議ののち、陪審員殿とよばれる十二人のシャンパーニュの田舎っぺいどもの申告により、クロード・グーは死刑に処せられることになった。
たしかに、弁論が開始された当初から、被告がグー〔一般に浮浪人という意味〕という名前であることが、陪審員たちの多くの者に、特別な印象をあたえていたのである。
クロードは、判決を読んできかされた。彼は次のことを言っただけで、あとはもう、なにも口にしなかった。
「結構です。しかし、なぜ盗みをしたか、なぜ人を殺したか、それについては、あの人たちはなにも答えてくれませんな」
監獄にかえると、彼は機嫌よく夕食を食べ、そして言った。
「これで三十六年がやっと終わった」
彼は上告しようとはしなかった。彼を看護した修道女の一人がたずねてきて、涙を流しながら、上告の手続きをするようたのんだ。彼は彼女に対する好意から、上告することにした。しかし、最後の瞬間まで、それを拒んだらしかった。というのも、裁判所の登録係りの帳簿に、彼が上告の署名をしたときには、すでに三日間の公定猶予期間が数分きれていた。修道女は感謝のしるしに、彼に五フランを贈った。彼はその金をうけとって、お礼を言った。
上告の結果がまだ決まらないうちから、トロアの囚人たちから、彼のところへいろいろと脱走を手伝う秘密の申し出があった。みんなは自分たちの身体まではって、彼を助けるつもりだった。彼はことわった。囚徒たちは、彼の独房の風窓から、釘や針金の切れはしや、桶の柄などを、つぎつぎに投げこんだ。それらの道具のひとつでもあれば、クロードのような知恵者には、鉄格子などやすやすと切りとることができたろう。だが、クロードはその柄と、針金と、釘とを看守に渡してしまった。
一八三二年六月八日、事件から七カ月と四日たったのち、死刑執行後、贖罪の知らせがとどいた。ごらんのように、ひとあしおくれのびっこ足で。その日の午前七時、すでに裁判所の書記が、クロードの独房にはいってきて、あと一時間の生命しかないことを告げた。彼の上告は却下されたのである。
「そうですか」と、クロードは言った。「昨晩はよく眠れましたが、今晩はまたいっそうよく眠れることになるとは知りませんでしたな」
強い人間の言葉というものは、死が近づくにつれ、ある偉大さを帯びてくるものらしい。
司祭がまずやってきた。次に死刑執行人がやってきた。クロードは司祭に対しては、つつましく、死刑執行人にはおだやかに振舞った。彼は自分の魂にも、身体にも、未練などいだいていなかった。
彼は完全に、精神の自由をかちえていた。頭髪をかられてるあいだ、監房のかたすみで、当時、トロアの人たちをおびえあがらせてたコレラのことを、誰かが話していた。
「おれはもう」と、クロードは笑いながら言った。「コレラなんかこわくないよ」
彼はまた、ひどく改悛の情にかられていたので、宗教上の教えをうけてなかったことをひどく悔やみ、司祭が語る言葉に、ふかく注意をはらってきき入っていた。
彼の願いにより、自殺につかった鋏が彼のもとに返された。鋏の一方の刃は、彼の胸のなかで折れ、かけていた。彼は獄吏に、その鋏をかたみとしてアルバンに届けてくれるようにたのんだ。それからまた、今日自分が食べるはずになっていたいくらかのパンを、その|おくり物《ヽヽヽヽ》にそえてほしいと言った。
彼は自分の両手をしばる人たちにたのんで、修道女からおくられた五フラン貨幣を右手ににぎらしてもらった。それは、今の彼に残された、ただひとつのものだった。
八時十五分前に、彼は受刑者におさだまりの、あの陰惨な行列をうしろに伴って監獄を出た。彼は青ざめた顔をし、司祭のささげる十字架像にじっと眼をすえながら、徒歩で、しかも、しっかりした足どりで歩いていった。
死刑の執行をその日に選んだのは、ちょうど、当日が市のたつ日にあたってたからで、彼の引かれてゆく姿を、できるだけ多くの人目にさらすためだった。フランスではいまだに、社会が人を殺害する際、それを自慢にして、吹聴したがる野蛮じみた町が、まだいくつか残っているようである。
彼は依然として、キリストの磔像にじっと眼をすえたまま、落ちついた足どりで、死刑台にのぼっていった。彼はまず、感謝の接吻を司祭に、つぎに、死刑執行人にその行為をゆるす接吻をあたえようとした。ある者の話によれば、死刑執行人は、接吻をあたえようとする彼を「しずかに押しのけた」という。死刑執行人の両手が、その呪うべき機械の上に彼をしばりつけたとき、クロードは右手にもってる五フランパリ貨幣をとってほしいと、司祭に眼くばせし、そして言った。
「貧乏な人たちに」
ちょうどその時、八時の鐘が鳴りはじめたので、大時計の鐘の音が、彼の声をおしつぶしてしまった。司祭には、彼の言うことがよくききとれなかったので、クロードは鐘の音のあいまを待って、しずかにくり返した。
「貧乏な人たちに」
八つ目の鐘が鳴り終わらないうらに、彼のけだかい聡明な頭は下におちた。
公然と行なわれる処刑のまさに賞讃すべき効果よ。その日、死刑の執行をはたした機械が、いまだに洗いもされず、人々の間に突っ立っているとき、市場の人たちは、税金のことで激昂し、入市関税所の役人を一人、もうすこしで殺してしまうところだった。かかる処刑をみとめる法律は、あなた方を、なんと骨ぬきの穏和な民衆にしてしまうことか。
著者としての私は、クロード・グーの物語を、ことこまかく読者にかたらねばならないと思ったのである。というのも、私の考えによれば、この物語の各くだりは、十九世紀における民衆の大問題が、そこで解決されるであろう書物の、各章の冒頭の文章に役立つにちがいないと、思ったからである。
この男の重大な生涯には、二つの主要な面がある。罪におちる以前の生涯と、罪におちた以後の生涯である。この二つの面は、それぞれひとつずつ問題をかかえている。ひとつは教育の問題、ひとつは刑罰の問題である。この両問題のあいだに、全社会が存在してる。
この男は、たしかに、生まれつき立派で、身体も丈夫で、天賦の才にもめぐまれていた。では、彼にはなにが欠けていたのか。考えてみるべきだ。
そこには力の均衡という、大問題がひかえている。この問題の解決はいまだ見出されていないが、それが見出されたあかつきには、全世界における力の平等性なるものが招来されるだろう、つまり、社会は、自然と同様に、各個人に対しても、平等であらねばならぬ、という問題である。
クロード・グーをみるがいい。彼が出来のいい頭脳と、心の持ち主であったことは、疑う余地はない。しかし運命は、いかにも出来のわるい社会に彼を投げこみ、ついに盗みまでさせるに到った。さらに社会は、いかにも出来のわるい監獄に彼をぶちこみ、ついに殺人までさせるに到った。
真に罪のある者はだれか。彼であるか、私たちであるか。
それは厳粛なる問題であり、人の心をえぐる問題である。それは現在、あらゆる知性に呼びかけ、社会に住むわれわれ人間全員の衣服の袖を引っぱり、いつかは必ず、われわれの歩む道に完全に立ちふさがり、有無を言わさず、正面から、この問題に対決し、その欲してることを、われわれに思い知らせることになるだろう。
こうした数行を書いてる著者も、これらの問題をいかに考えているか、のちに語るつもりだ。 こうした事実を目前にするとき、そしてこうした問題がわれわれにとって、いかにさし迫ったものであるかを考えるとき、世の政治を司ってる人間たちはいったい、そのことを、なんと心得ているのか、疑問に思わざるをえない。
上院、下院の両議院は、年ごとに重大問題に追われて、多忙である。冗員をへらし、年度予算の冗費を削減することは、もちろん極めて重要なことである。愛国の念に燃え、人を勝手に兵士にしたて、こちらではなにも知らないし、知りたくもない、ロボー伯爵邸の前に警備に立たせたり、市民軍の将校となっている町の食料品店屋の御機嫌をとるために、マリニューの四辻の広場にわれわれを列させたりする、そうしたことを行なうために法律をつくることも、なるほど、大変重要なことでもあろう〔もちろん著者は、街や門や、市民の家庭を護衛する有益な市民兵をここで非難するつもりはない。しかし、はなやかなパレード、飾りたてた軍帽、つまらぬ見栄、兵隊ごっこみたいな騒ぎ、市民たちを軍人まがいのにせものにしか仕立てあげることに役立たぬ、滑稽な政府のやり方には、私も文句をつけたいのである〕
代議士、または大臣諸氏よ、なんらの成果もあげえない議論ばかりくり返し、わが国のすべての事物、あらゆる思想を疲労させ、引きずりまわすことも重要なことである。たとえば、十九世紀の芸術を、拷問台にかけ、訊問し、大声で問いただし、しかもなにひとつ相手の言ってることも分からずにいるということも、大事なことである。この偉大にして厳粛なる被告は、彼らに答弁することすら潔しとせず、つねに立派な成果をあげてきているのだ。行政官ならびに、立法官諸君、郊外の小学校の教師さえ、肩をそびやかして軽蔑する、古典的な|かび《ヽヽ》のはえた講演をくり返し、暇つぶしをするのも有益なことである。近親相姦、親殺し、子殺し、毒殺などを、人間が考えついたのは、近代劇であると公言し、その結果、彼らがフェードル〔ラシーヌの戯曲、ギリシャの劇作家、エウリビデスの「ヒッポリュトス」から取材した劇、義理の子イポリットに恋情を抱いた王妃の悲劇を主題としたもの〕、ジョカスト〔コルネイユの戯曲、「エディプ」の登場人物、自分の息子とは知らずエディプと結婚し、のち、この事実を知り自殺する悲劇の王妃〕、エディプ〔前出〕、メデー〔コルネイユの戯曲、ローマの哲学者セネカの作品から取材した韻文悲劇〕、ロドギューヌ〔コルネイユの戯曲、ローマを舞台とする政治的事件を取扱ったもので、劇的効果が美しく生かされてる作品〕についてまったく無知であることを説明するのも、また有用なことである。わが国の政界の雄弁家たちが、年度予算審議の際、コルネイユとラシーヌとに讃意を表し、自分でもよく知らぬ人物に異をとなえ、まるまる三日間も激論をたたかわせ、その文学論争をきっかけに、フランス語の欠陥を、たがいにとことんまで競いあうのも、重要欠くべからざることである。
たしかに、これらいっさいのことは重要である。しかし、私はさらにいっそう、重要なことがあると思う。
内閣と野党とが、しばしばたがいにえり首をとり合って行なう、無意味な乱闘の最中に突然議員の席から、あるいは傍聴席から、誰か一人立ちあがって、次のような重大な発言をしたら、議会はなんと返答するであろう。
「静かにしていただこう。たとい諸君が誰であろうと、今ここで口をきいてる諸君はみんな、黙っていただきたい。諸君は問題の核心にふれているつもりでいるが、そうではない。問題はこういった点にあるのだ。まだ一年とたたぬ前、司法権は、パミエで一人の男を刃物で断ち切った。ディジョンでは一人の女の首を切りはなした。パリではサン・ジャック市門で、ひそかに多くの処刑を行なっている。問題はそこにあるのだ。この問題のほうに頭をむけてもらいたい。そのあとで、国民兵のボタンは白色にすべきか、黄色にすべきか、あるいは誓約は保証より美しいものであるかどうかといった問題について、論じていただきたい。
中央党の諸君よ、左右両党の諸君よ、民衆の大半は飢えている。諸君が民衆を共和派だ、と呼ぼうと、王党派だと呼ぼうと、いずれにせよ、民衆は苦しんでいるのだ。それがなによりも事実なのだ。
民衆は飢えている。民衆は凍えている。貧窮は民衆を罪悪に、悪徳に、男女の性にしたがって、追いやる。民衆を憐れめ、彼らは徒刑場にその息子をうばわれ、その娘を魔窟にさらわれている。諸君は、あまりに多くの徒刑囚をもち、あまりに多くの売笑婦をもっているのだ。この二種類の腫れ物はなにを証明しているか。社会という肉体が、その血液のなかにひとつの毒をもっていることではないか。諸君はいま、病人の枕べに診察に集まっているのではないか。病気のことだけを一心に考えたまえ。
その病気を諸君はよく治療してはいない。もっとよく研究したまえ。諸君が法律をつくる時、そのつくられる法律は、一時の緩和剤と窮余策にすぎない。諸君の法典の半分は、慣例にならったものにすぎず、あとの半分は経験主義にほかならぬ。罪人の肩に烙印をおす黥《いれずみ》刑は、傷口をいっそう悪化する焼灼療法にすぎぬ。罪人の身体に、生涯消えぬ犯罪の烙印をやきつけ、打ちこみ、両者を生涯の友とし、伴侶とし、永久にわかち難いものにするとは、なんという愚かな刑罰であるか! 徒刑場は、でたらめな吸出し膏薬で吸い出した悪血のほとんど全部を、さらにいっそう、腐敗させて、ふたたび体内に吸収させてしまうものだ。死刑は、野蛮きわまる切断手術である。
ところで、黥刑、徒刑、死刑、この三つのものは、たがいにつながりあってるのである。諸君は、黥刑を廃止した。しかし、諸君が論理的であるならば、当然、他の二つの刑も廃すべきである。真赤に熱した鉄片、鉄球、肉切包丁、それは三段論法を構成する三項目である。諸君は、赤熱の鉄片を排除した。されば、鉄球と肉切包丁の存在は、もはやなんの意味ももたぬのだ。ファリナッキ〔前出〕は残忍な司法官ではあったが、彼にしてなお、不条理な面はまったくなかった。
罪と刑との、その古びた|びっこ《ヽヽヽ》の梯子を解体し、あらたに作りなおしていただきたい。諸君の刑罰を改良し、諸君の刑罰をあらため、諸君の法典を改新し、諸君の監獄を改造し、諸君の裁判官たちを改革していただきたい。法律を、人間らしい品性のもとにかえしていただきたい。
フランスでは、毎年、あまりに多くの人間の頭が切りおとされている。諸君は現在、倹約を励行しているのであるから、人の頭のほうも倹約していただきたい。諸君はすでに古いものの廃止に踏みきったのだから、死刑執行も廃止したまえ。諸君の死刑執行役人の、給料を以てすれば、あらたに六百人の小学校教員の給料が支払われることになるだろう。
民衆の大半のことを考えていただきたい。子供には学校、大人には工場だ。フランスはヨーロッパの国々のうちで、文字の読める人間のもっとも少ない国の一つであることを、諸君は知っているか。まさに、その通りなのだ。スイスは文字が読める。ベルギーも文字が読める。デンマークも文字が読める。ギリシャも文字が読める。アイルランドも文字が読める。しかるにフランスは文字が読めない。それはひどい恥辱である。
徒刑場に行ってみたまえ。全部の徒刑囚を自分のまわりに呼び集め、人間の掟により永劫の罪にとらわれたこれら男たちの一人一人について調べてみたまえ。これらの男たちの、顔の傾斜ぐあいをはかってみたまえ。これらの男たちの脳のぐあいを探ってみたまえ。
これらの罪におちた者たちは、それぞれ、人間の顔の下に、自分に似た動物を飼っている。彼らは、いろいろな動物と人間との接点であるかのようだ。山猫もいるし、猿もいる。禿鷹もいる、山犬もいる。だが、それらの出来のわるい頭を生んだことの、第一の誤りは、もちろん自然にある。第二の誤りは教育にある。自然がまず、へたな下彫りをつくり、教育がさらにその下彫りに、へたな上彫りをほどこしたのである。諸君の注意を、こうした側面にむけていただきたい。民衆によき教育をあたえよ。それらの不幸な頭をできるだけ開発して、そのなかにある知能が生長できるようにしてやることだ。国民はすべて、その教育次第で、いい頭をもったり、わるい頭をもったりすることになるのだ。ローマとギリシャとは、高い額《ひたい》をもっていた。可能なかぎり、国民の顔の彫りを、たかく秀でたものにしてやることだ。
フランスが文字を読めるようになったときには、啓発してやったその頭脳を、あてもなく放っておいてはならぬ。それはひとつの混乱をまきおこすことになろう。無知のほうが、むしろ悪い学問にまさる。放任してはならぬ。教父マティユーよりも、さらに哲学的であり、しかも大陸新聞《コンスティチュショネル》よりもひろく読まれ、一八三〇年の憲章よりもなおながく生きている、一冊の書物があることをおぼえててほしい。それは聖書である。そして、ここでなお、一言さしはさみたい。
諸君がいかに努めようとも、大衆の、大ぜいの人間の、「大多数」なるものの運命は、比較的には、つねに、貧しい、不幸な、悲しむべきものであろう。彼らにはつねに、はげしい労働があり、たえずあとから押していかねばならぬ重荷があり、うしろに引きずっていかねばならぬ重荷があり、背負っていかねばならぬ重荷がある。秤にかけてみたまえ。富める者の秤皿には、あらゆる享楽がもられ、貧しき者の秤皿には、あらゆる悲惨がもられている。二つの皿の釣り合いが、まったくとれていないではないか。秤は必然的に重い方に傾くのではないか。国家もまたその重い方に傾くのではないか。そこで今、貧者のわけ前のなかに、その悲惨さをもった秤皿のなかに、未来の天国への確信と、永劫の幸福に対する熱望と、天の楽園とを、投げこんでみたまえ。壮大な対立重量が生じる。秤は平衡をとりもどす。貧者も富者と同様に富む。そのことをイエスは知っていた。ヴォルテールよりも、さらにふかく知っていた。
働き、そして苦しんでいる民衆に、不幸な星のもとにこの世に生まれてきた民衆に、いずれは彼らのものたるべき、よりよき世界に対する信念を、あたえてやりたまえ。彼らは落ち着きをとりもどすだろう。忍耐強くなるだろう。忍耐は、希望によってつくられるのだ。
されば村々に、福音書の種子をまくことだ。貧しい家々に、必ず一冊の聖書を。聖書と用地とが、力をあわせ、一人の有徳なる働き者をつくりださんことを!
人間としての民衆の頭、それが問題なのだ。その頭は有益なる萌芽にみちてる。それを発育させ、みのらせるためには、もっと光にみちた、穏和な手段を用いることだ。街道で人を殺した人間も、よき指導さええていたならば、もっともすぐれた都の吏員になっていたかもしれぬのだ。そういう人間の頭を、培養し、開発し、灌漑し、啓発させ、向上させ、活用せよ。そうすれば、彼らの首を切りおとす必要はなくなるであろう」 (完)
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解説
「死刑囚最後の日」は、「東方詩集」が出てから一カ月後、つまり一八二九年二月七日、ユゴーが二十七歳の時、シャルル・ゴスランの書店から、作者の名前を伏せたまま出版されました。しかし、同じ月の二十八日にまたたくまに第三版が出たときには、すでに作者の名と、「悲劇にまつわる喜劇」が序文代りにのせられていました。「悲劇にまつわる喜劇」は、初版が作者不明のまま世に出たとき、この作品に集中された新聞や文学者たちのいろいろな批判や意見を、「喜劇」に登場する様々な人物の口をかりて語らせたものです。これはモリエールが「女房学校」を発表したのち、同じような目的で書いた「女房学校批判」をまねたものだと言われています。さらに七月革命後、一八三二年三月十五日に、第五版目が今度はユージェーヌ・ランデュエルの書店から出されたとき、ユゴーははじめて、彼がこの作品を書いた本来の意図と、死刑廃止への強い主張と意見とを述べた、かなり長い序文をかかげました。
ユゴー夫人は、「そのすぐそばから見た人の語ったヴィクトル・ユゴーの姿」のなかで、ユゴーが「死刑囚の最後の日」を書くにいたった動機と、死刑廃止の主張が、彼の胸中に強く芽ばえたのは、ベリー公暗殺事件のあった一八二〇年頃のことだと言っています。この暗殺事件は、のちにブルボン王朝最後の国王となったシャルル十世〔当時のアルトワ伯〕の第二子で将来の国王と目されていたベリー公が、パリで馬具屋の職人ルーヴェルに刺殺された事件です。当時十八歳でかなり熱烈な王党派でカトリック信者でもあったユゴーは、一目みただけで不快な印象を与える鼻のひしゃげた面相のルーヴェルに激しい憎しみを感じていました。事件直後、彼は「ベリー公の死」をいたむ詩を書き、政府から五百フランの賞金さえもらっています。
ところが事件がおきてから、かなり日数がたったある日、(ルーヴェルの裁判は彼に共犯者がいるという嫌疑がかけられ、長びいたのです)ユゴーはルーヴェルを死刑場につれてゆく役人たちの行列に偶然出会い、今は元気そうに生きているが、間もなく死んでゆく彼をみて、それまでの暗殺者に対する憎しみの情は、逆に死刑囚に対する憐れみの情に変っていったのです。と同時に、死刑廃止のつよい主張が、彼の胸に芽生えたのですが、王党派の彼は、世間にそれを公言するのは、まだ控えていました。
ところが、それから数年たった一八二五年の夏、ルーヴル図書館のそばを散歩していたユゴーは、友人のジュール・ルフェーブルに逢い、その日、親殺しの若い殺人犯のジャツク・マルタンの死刑執行がグレーヴの広場で行なわれるのを、いっしょに見物にゆかないかとさそわれます。恐怖は感じながらもユゴーは、年来の死刑囚の物語を書こうという欲望を、さらに強くかきたてるために、友のさそいに応じ、興奮した群集の間にまじって、グレーヴの広場に出かけます。その時彼が目撃した様々のすさまじい情景──河岸の並木ごしに垣間みた死刑台、急造りの貸席で御馳走をいっぱいならべながら死刑囚を見物している人たち、居酒屋の窓に鈴なりになってはしゃいでいる女たちの顔、やがて小雨のそぼふる死刑場に走りこんでくる死刑囚をのせた黒い馬車。そういった光景がユゴーの頭にその日以来、深く刻みこまれたのでした。こうした情景はやがて、後年の作品の四十八章に生々しくえがかれています。
一方、こうした個人的体験とはべつに、少年時代から、ユゴーには、死刑囚、死刑台、死骸といったものに異常な興味をいだき、そうした死臭をおびた世界を恐怖にかられながら空想したがる性癖があり、さらにくわえて、彼が属していた「ミューズ・フランセーズ」の同人たちには、「ウゥルター・スコット」の作品の影響をうけ、宇宙の神秘とか、グロテスクな奇怪な人物や現象を、好んでえがく傾向があったのです。これに反し、同じロマン派でも、地味で、重厚で、共和主義的色彩の濃い「グローブ」派の人々は、「真実を熱愛する散文作家のロマン主義」を主張し、ユゴー、ノディエ一派のロマン主義者たちを「十分な食物と奨励金とを受けながら、人間の悲惨な姿だの、死の喜びだのをたえず歌っている、憐れむべき馬鹿者たち」とあざけっていました。
ところが、一八二七年前後から「グローブ」紙の編纂に参加していたサント・ブーヴと非常に親しくなった王党派のユゴーも、「グローブ」紙一派の連中の政治思想の影響をうけ、少しずつ、自由主義、共和主義の方向へ、足先を変えていったのです。そして、つまりはこうした政治的見解の発展が、以上述べたようなユゴーの個人的体験と文学趣味とをさらに強く昇化させ、死刑廃止への彼の信念と意見とをますます煽りたてていったのでした。
一方、ユゴー夫人は、こうしたユゴーにさらに「死刑囚最後の日」を書かせる、最後の直接の動機となったものとして、一八二八年十一月なかばの、さる木曜日の午後二時すぎ、市庁舎の前の広場を通りすぎてた彼が偶然、ある情景を目撃した事実をあげています。この事実というのは、その日の夕方、死刑執行が行なわれるため、広場に新しくたてられた死刑台のところで、死刑執行人たちが、呪うべき人殺しの機械の具合を前もって調べている現場をユゴーがみかけたことを指すのです。機械の歯のすべりがあまりよくなかったので、彼らは溝に油をさしこみ、やり直しをしていたのです。
死刑執行人たちは、そうした残忍な小手調べを真昼間、公然と、しかもそばに集ってきた野次馬たちと話をしながら、堂々と行なっていたのです。おそらくその頃、刑を執行される死刑囚は、獄舎で憤怒のあまり、気違いのようにあばれまわっているか、恐怖のために魂のぬけた人間のようにうちひしがれ、黙りこんでいたに違いありません。たぶん、そうしたことを考えていたユゴーの眼には、かかる情景は、まさしく死刑執行の現場とまったく同じように醜悪なものに映ったのでした。彼はこの現場を目撃した翌日から、「死刑囚最後の日」の執筆にかかったのです。彼はその当時のせっぱつまった心境を、序文のなかで次のように語っています。
「死刑判決の叫びがパリ中にひびきわたる日がくるたびに、またグレーヴの刑場に見物人を呼び集めるしゃがれたわめき声が窓の下を通りすぎるのをきくたびに、いつもの痛ましい観念が著者にたちかえり、……死にのぞんでいる哀れな男の最後の苦悶を刻一刻と目のあたりにみるような思いがし、──ああ今この瞬間には彼は懺悔させられているのだ、この瞬間には彼は頭髪を刈りとられている、この瞬間には彼は両手を縛られているのだ、──そして、一詩人にすぎない著者はこうした、恐ろしい事態が行なわれているのに、平気で自分の仕事にかまけている全社会にむかい、これら一切のことを言いきかせずにはいられなくなり、せきたてられ、突っつかれ、揺り動かされ、詩作にふけっている折も、その詩を頭脳からもぎとられ、やっと完成しつつあった詩をすっかり打ちくだかれ、すべての仕事を邪魔され、あらゆることを中断させられ、ただあの観念におそわれ、つきまとわれ、責めつづけられきたのだった。それは著者にとっては、ひとつの刑罰であった。それは夜明けとともに始まり、同じ瞬間に苦しめられてるあの惨めな男の刑罰と同様に、四時《ヽヽ》までつづくのであった。その時間になって、やっと『切られし頭死せり』、と大時計の不安な声が聞こえてきてはじめて、著者はほっと息をつき、いくらか精神の自由をとり戻すのだった。そしてついにある日、ユルバックの処刑の翌日だったと思うが、著者はこの本を書きはじめたのだ。それ以来著者の心は安らいできた」
なお余談ですが、以上のような個人的な直接の体験以外にも、ユゴーはこの作品のために、かなりの時間と人手をかけ、いろいろな実地調査や、資料の収集を行なっています。例えばこの作品の|やま場《ヽヽヽ》のひとつでもある、ビセートルの徒刑囚たちがツーロンの監獄に護送される場面の劇的な光景は、作者自身がビセートルに出かけて実地に観察した結果から生まれたものなのです。
「死刑囚最後の日」は、ある人の説によれば、約七十五日位の間に書きあげられたと言われていますが、この作品が、はじめてゴスランの店から出版された際、ゴスランと作者との間にちょっとしたごたごたが生じます。そしてこのごたごたのおかげで、この作品の根本的な性格が、かえって的確にされることになるのです。ユゴーは前々から、「死刑囚最後の日」という物語を書いてることを友人たちに話していましたが、友人の一人のベルタンがその話をゴスランにつたえると、彼は早速ユゴーの所に、その作品を自分の店から出版させてくれるように頼みにゆきます。やがて原稿をユゴーからもらいうけたゴスランは、しばらくしてこの本の売行きをよくするために、作者に、ある注文をつけたのです。それはこの作品の四十六章で主人公の死刑囚が、自分がいかなる動機で、どのような犯罪を犯したかを娘に書き残しておかねばならぬ、と言いながら、その手記がどこにも見当らぬ点で、つまり、ゴスランはその手記を作者にあらたに書きくわえてくれるように注文したのです。──この注文を受けたユゴーは、一応その手記をあらたに書きたしましたが、その結果あらたな手記を書き加えない前の作品が、読者に与える感銘と、書きたした手記に読者がそそぐ興味とが全く異質なものであることが分かったので、ユゴーはこの注文を手紙でかなりきびしくことわります。この手紙は長い間世間に発表されないままになってましたが、いずれにせよ、この注文を拒絶したことによって、ユゴーがこの作品をたんなる事実談、猟奇的な犯罪物語としてではなく、死を前にして次第に切迫してゆく、人間の心理の世界を克明にえがいた普遍的な心理小説として、また彼の死刑廃止の信念と意見とを、世界一般に公然と訴える書物として考えていたことが根本的にはっきりしてきたのです。この彼の考えは、「悲劇にまつわる喜劇」のなかの次のごとき哲学者と哀歌詩人との対話のなかにも、はっきりうち出されています。
【哀歌詩人】──……わたしならまったく逆なことを書いたと思いますね。つまり、まず受刑者になるまでの物語を書きますよ……
【哲学者】──失礼ながら、今おっしゃったような著作でしたら、なにひとつ読者を説きさとすことはできませんよ。特殊なものは、一段的なものの上にたつことはできないのですからね。
【哀歌詩人】──なるほど! それならなおさら結構です。では、彼はなぜ主人公に、たとえば、マルゼルブを、高潔なかのマルゼルブを、選ばなかったんでしょうね。……
【哲学者】──マルゼルブの絞首台は、一般的な死刑についてのなんの証明にもなりませんよ。
事実また、こうしたユゴーの考えに関連していえば、「死刑囚最後の日」は彼の全作品中、一人称で書かれた唯一の作品であり、その限りでは、この作品は形式上は、コンスタンの「アドルフ」やゲーテの「若きウェルテルの悩み」、ルソーの「新エロイーズ」などと同じ性質の心理小説、告白小説として書かれたのだともいえるのです。したがって、その点からいえば、「序文」の冒頭に提出されてるこの物語の成立に関して考えられる二つの場合のうち、後者の方、つまり、「哲学者か詩人か、とにかく芸術のために自然を観察している一人の夢想家があって、この本のなかにみられるような観念を空想し、その観念を心にいだくというより、むしろそれに捉えられ、それから逃れる方法は、ただそれを一冊の本として投げだす以外に道がなかったのだ」という方に、この物語の成立を考えるのが有力にもなってくるのです。
でも、こういった問題は、ぎりぎりの所では、読者の読みかた次第でどんな風にでも解釈できるのですが、ただ、この点に関し、ユゴーの死後、発表された「小石の山」という雑文集のなかに、「死刑囚最後の日」の目的は、上流階級の人たちには、死刑の戦慄すべき光景を、下流階級の人たちには、死刑の恐ろしさを喚起させることにある、といった意味の文章があることを、ついでに書きそえておきます。実際また、「死刑囚最後の日」が当時の読者たちに、思わず彼らを狂気に追いこむような恐怖と感銘とをあたえた点では、この作者の目的だけは完全にはたされた、と言ってもいいようです。
なお、ユゴーは「序文」のなかで、「打明けていえば、死刑を廃止するのにふさわしく、またそれが出来そうに思われた革命があったとすれば、それは七月革命である……一八三〇年は、一七九三年の肉切包丁をへし折るのにふさわしい革命であった」と言い、さらに一八三四年にだした「文学哲学雑記」に収められている「一八三〇年の革命家の日記」のなかでも、「われわれには、共和制という実体と、君主制という名前が必要であった」とか、「古い憲章から、なにか新しいものを生みだしたいのなら、時にはその憲章をやぶって捨てるべきだ」と語ったりして、七月革命にかなり積極的な讃意を表しています。王党派の彼がこうした心境になったのは、むろん「グローブ」紙一派の人たちの影響もあったのですが、事実はむしろ次のような点にあったとみるべきでしょう。一八二〇年のベリー公暗殺事件以来次第に「過激王党《ウルトラ》」化してきた王政が、さらにシャルル十世の代になると徹底的に保守反動化し、完全に実権を握ったウルトラが圧攻と権力的暴力をふるい、しかもその陰では無能な大臣たちが不正な経済的陰謀を企てるといった政情に、さすがのユゴーも次第に反感と憎しみを覚えてきたこと、しかも一方では、ナポレオンヘの個人的な愛着とは別に、帝政期の独裁制をねらうボナパルト派の行動に大きな不安と危惧の念を抱いてたこと、さらに加えて彼の頭には、大革命時代に革命政府が演じたあの残虐な政治が悪夢のようにいまだにこびりついていたこと、それもこうした考えや感情は一人ユゴーのみならず、当時の国民一般が漠然とながら共通して抱いていたことが、結果的には大きな原因となっていたと言えるのです。というのも、七月革命の結果がああした政体をとったこと、つまり市民革命軍の総指揮官だったラファエルがシャルル十世を追放して、ブルボン王朝による実質的な王政に完全な終止符を打ったにもかかわらず、自らは革命政府を樹立することをさけ、表面上はルイ・フィリップ市民王をたて、政治の実権は新興階級のブルジョワたちにまかしたのも、以上のような国民一般の考えと感情にうまく歩調をあわせるためでもあったからなのです。したがってまた、こうした複雑な現実的な事情から七月革命後に成立した政府に、死刑をはじめ、あらゆる権力的暴力を否定するユゴーが積極的な讃意を表することになったのも当然なことでもあったのです。
次にこの作品の「序文」については、すでに何度も論じてきたので、あまり無用な解説は控えますが、ただひとこと言っておきたいのは、この立派な作品と「序文」とが世に出てから、すでに百五十年近くたつ今日でもなお、日本をはじめ、多くの国々で死刑が実施されてる事実を、私たちは決して忘れてはならないということです。これは人類史上、最大の悲劇のひとつであり、同時にまた、この悲劇を人類の生活からすみやかに抹殺することこそ、今日人間として自由に生きる権利をあたえられている私たちにとっての、最大の義務と責任でもあるということです。このことを十分に頭に入れて序文を再読してもらいたいと思うのです。
なお、大正八年に書かれた永井荷風の「花火」という作品に、大逆事件に連座した人々をのせた囚人馬車のことにふれた次のような文章があるので、参考のために引用しておきます。
「明治四十四年慶應義塾に通勤する頃、わたしはその道すがら、市ケ谷の通りで囚人馬車が五六台も引続いて日比谷の裁判所の方へ走って行くのを見た。わたしはこれ迄見聞した世上の事件の中で、この折程云ふに云はれない厭な心持のした事はなかった。わたしは文学者たる以上この思想問題について黙してゐてはならない。小説家ゾラはドレフュー事件について正義を叫んだ為め国外に亡命したではないか。然しわたしは世の文学者と共に何も言はなかった。わたしは何となく良心の苦痛に堪へられぬやうな気がした」
この一文を、「死刑囚最後の日」を書き始めた当時の心境を語ったユゴーの文章と比べて読んでいただきたいと思います。
「クロード・グー」は、一八三四年九月六日、「ルビュー・ド・パリ」という雑誌に発表されたのち、一八四四年シャルパンティエ社から単行本として出版されました。この作品は「死刑囚最後の日」の姉妹篇とされていますが、物語は一八三二年六月、トロアで死刑に処せられたクロード・グーという実在の人物を直接モデルにしたものです。
この作品には殺人の現場がつぶさに描かれていますが、そこにはなんら猟奇的な興味をそそるような要素はみられません。むしろこの作品を大きく貫いているものは、作者の死刑囚に対する深い同情と、死刑廃止を主張する強い信念、さらに殺人犯というより、有能な労働者であり、雄弁家であるグーの、己れのおかした犯罪に対し、世間の人々の正当な判断を要求する、切々たる正義の声だとも言っていいでしょう。
また、この作品は当時の社会組織に対する熱烈な抗弁でもあります。そこには、教育の問題、貧富の問題、身分階級の問題、さらに天意に逆らう人為的な死刑の問題など、多くの深刻な問題が提出されています。すべての人に教育を、すべての人に仕事を、すべての人にパンを、すべての人に平等な権利を与えるべきだと、作者は主張します。この主張は、ユゴーが生涯を通じて叫びつづけたものであり、また、大作「レ・ミゼラブル」において、あます所なく具現されている思想でもあります。
その点、「死刑囚最後の日」と「クロード・グー」の二作が「レ・ミゼラブル」の原型と一般にみなされているのも当然でしょう。とくに前者の二十三章に出てくる老いぼれの殺人犯の身の上話や、犯罪をおかす前のグーの生活や性格は、「レ・ミゼラブル」の主人公ジャン・ヴァルジャンという人物を生み出す重要な要素ともなってるものです。
ユゴーはすぐれた詩人、小説家、劇作家、批評家、随筆家でもありましたが、その核心はやはり偉大なロマン主義の詩人だったので、この彼のロマン主義が、十九世紀の社会に内在する不正や不合理と対決するとき、人間の社会的なあり方についての、彼のはげしい主張が生まれてきます。
この主張の特徴は「クロード・グー」にもみられるように、主人公の犯した罪の原因を彼自身のなかにみず、常に社会の側にみていることです。また、彼の死刑囚への同情はもともと、キリスト教の人類愛から出てきているものですが、この彼の人類愛はたんなる人類愛ではなく、例えば死刑という法律が、人為的につくられたものである以上、それはまた、人為的に抹殺しうる、かつ抹殺すべきものである、という、実行の上では、かなりきびしい考えにも結びついてくるものなのです。
なお本書では、「死刑囚最後の日」「序」「悲劇にまつわる喜劇」「クロード・グー」といった順序に訳文をならべましたが、これには別に深い意味はありません。訳者としては、まず「死刑囚最後の日」と「クロード・グー」とを読んでいただき、そのあとで二番目の「序」を読んでいただき、最後に「悲劇にまつわる喜劇」を読んで、この作品が発表された当初、政治的、道徳的、文学的見地から、いかに当時の社会に物議をかもしたか、また、ロマン主義なるものが当時の文学界、社交界で、どんな風にむかえられ、考えられていたかを、まずごく簡単に知っていただくのが、一番望ましいのではないかと思います。 (訳者)