ゼロの使い魔6〈贖罪の炎赤玉〉
ヤマグチノボル
-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)薔薇のように見目|麗《うるわ》しい姫さま
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから○字下げ]
-------------------------------------------------------
[#改ページ]
底本データ
一頁17行 一行40文字 段組1段
文庫判15センチ
ISBN4840114498
[#改ページ]
ゼロの使い魔6 贖罪の炎赤玉《ル ビ ー 》
才人はある日突然異世界ハルケギニアに『召還』されてしまった高校生。元の世界に戻る方法を探しつつ、美少女|魔法使い《 メ イ ジ 》・ルイズのもとで使い魔として暮らしている。ルイズの通うトリステイン魔法学院は夏休みが終わり、下町でアルバイトしていた才人たちも学校に戻った。だが、アルビオンとの戦いが本格化するのにそなえて、生徒たちは多くが従軍することになり、ルイズは従軍の許可を得るために才人をつれて帰郷する。だが、許しがもらえないどころか、ルイズが身分違いの者に恋していると知った実家は大騒ぎに……。ルイズと才人は、そしてトリステインの明日はどうなる!? 大人気の異世界ドラマティックラブコメ、いよいよ新展開。
[#改ページ]
ヤマグチノボル(やまぐち・のぼる)
1972年2月、茨城県生まれ。『カナリア〜この想いを歌にのせて』(角川スニーカー文庫)でデウュー。著書に『グリーングリーン鐘ノ音ファンタスティック』『つっぱれ有栖川』(共に角川スニーカー文庫)『描きかけのラブレター』(富士見ミステリー文庫)『グリーングリーン鐘ノ音スタンド・バイ・ミー』(MF文庫J)など多数。小説連載も多数手がけている(富士見ファンタジアバトルロイヤル等)。『グリーングリーン』『Gonna Be??』『ゆきうた』『私立アキハバラ学園』『魔界天使ジブリール』など、ゲームシナリオライターとしても活躍中。
◎兎塚エイジ(うさつか・えいじ)
大阪出身、大阪在住の大阪人。8月16日生まれ。
現在、サラリーマンをしながらイラストを描かせて頂いています。
今までの参加作品は『導士さまといっしょ』(電撃文庫)です。
[#改ページ]
ゼロの使い魔6
〈贖罪の炎赤玉〉
[#改ページ]
※INDEX※
※第一章 帰省……………………………………11
※第二章 カトレア………………………………41
※第三章 ラ・ヴァリエール公爵………………76
※第四章 中隊長ギーシュと
士官候補生マリコルヌ………………114
※第五章 二十年前の炎…………………………132
※第六章 出撃……………………………………150
※第七章 ダータルネスの幻影…………………187
※第八章 炎の贖罪………………………………215
[#改ページ]
登場人物
ルイズ
[#ここから2字下げ]
伝説の系統『虚無』を操る。誇り高く意地っ張りだが、最近ちょっと才人を認めはじめた。
[#ここで字下げ終わり]
サイト
[#ここから2字下げ]
(平賀才人)
ルイズの使い魔『ガンダールヴ』。あらゆる武器を扱うことができるが、武器がなければタダの高校生。ルイズのことを可愛いと思っているが……。
[#ここで字下げ終わり]
キュルケ
[#ここから2字下げ]
『火』系統の魔法を得意とする。トライアングル・メイジ。奔放で恋多き女。性格のまったく違うタバサとは親友同士。
[#ここで字下げ終わり]
雪風のタバサ
[#ここから2字下げ]
『風』系統の魔法を得意とする。無口な少女。唯一キュルケには心を開いている。
[#ここで字下げ終わり]
カトレア
[#ここから2字下げ]
ルイズのすぐ上の姉。顔立ちはルイズによく似ているが、性格は優しくおっとり。
[#ここで字下げ終わり]
コルベール
[#ここから2字下げ]
トリステイン魔法学院の先生。『炎』系統の使い手で、発明好き。二つ名は「炎蛇のコルベール」。
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
[#地から2字上げ]口絵・本文イラスト●兎塚エイジ
[#改ページ]
第一章 帰省
「旅ってわくわくしますわね!」
シエスタは、そう叫んで才人《さいと 》の腕に大きめの胸を押しつけた。
「わくわくというより、むにむに、ですね」
激しくゆだった頭で、才人が相槌《あいづち》をうった。
さて、ここは馬車の中。小さな座席に才人とシエスタが並んで座っている。
シエスタの格好は草色のワンピースに編み上げのブーツ。そして小さな麦わら帽子といった、ちょっとしたよそいきの格好である。黒髪|清楚《せいそ 》のシエスタがそんな格好でいると、正味の話|可愛《かわい》らしすぎた。可愛いを通り過ぎて、ぶっちゃけ憎い。て、てめこの、とそんな具合である。しかも許せないことに、そんな可愛いシエスタは、清楚な雰囲気を撒《ま》き散らしているくせに妙に大胆なのである。並んで座れば、腕を絡ませて激しく胸を押しつけてくるのである。
シシシ、シエスタ、そんなにひっついたら、たら、腕に胸とか、とか、当たってるんですけど、むにって、当たって、るんすけど、と才人が半泣きでしどろもどろになって言えば、
「あ、わざとですから」
とまったく屈託《くったく》のない笑顔で言うのである。
「そ、そんな、わざとって、その……。人がいるところでそんな、ねえ、きみ……」
やめてとは言えない才人《さいと 》は、自分の良心をなだめるために、形ばかりの抗議をした。
「御者さんなら大丈夫です。あれゴーレムですって」
御者台に腰掛けている若い男は、どうやら魔法の力で動く|操り人形《ゴ ー レ ム 》らしかった。言われてみれば目がガラス玉のような光を放っている。従ってシエスタはさらに大胆さを加速させた。才人の肩に頬《ほお》をのせて耳に口を近づけ、吐息《と いき》混じりに声をおくる。
「……こうやって二人っきりになるのなんて、久しぶりですね」
「そ、そうだね」
「いつか聞こうと思ってたんですけど、夏休みの間、ミス・ヴァリエールと何をしていたの?」
それは言えない。アンリエッタに頼まれたお忍びの任務なのだとは言えない。ほとんど皿洗いをしていただけのようにも思えるけど、秘密なのである。
「え、えっと、その……、俺《おれ》は酒場で働いてた。ルイズは、お城につめてたから……、何をしてたかはわかんないけど」
と、才人はルイズに関しては嘘《うそ》をついた。自分のことは、まあホントのこと言っても大丈夫だろうと判断した。
「まあ! 酒場で! 才人《さいと 》さんが! また、どうして?」
「い、いやその、お金がなくって……」
「そんな、お金のことならわたしに言ってくださればよかったのに!」
「シエスタが?」
「はい、そんなにはありませんけど、こつこつとお給金|貯《た》めてますから」
さすがは堅実な村娘。無駄遣いをせずに、きっちり倹約しているらしい。才人はそんなシエスタの優しい申し出に嬉《うれ》しくなった。
「大丈夫だよ! なんとかなったから!」
「ほんとですか? でも、入用《いりよう》なときには遠慮なさらずに言ってくださいね」
こんな健気《けなげ 》な少女が、爪《つめ》に火を灯《とも》すようにして貯めたわずかなお金なんか借りられるわけがない。
「シエスタからお金なんか借りられねえよ!」
「まあどうして! わたし、サイトさんのためなら、お金なんか全然平気ですわ!」
シエスタは、がっくりと肩を落とした。
「あ、そっか。わたしのお金なんか使う気になれないとおっしゃるんですね……」
「なんでそうなるんだよ!」
「きっと、わたしのこと嫌いなんだわ」
「そ、そんなことないよ!」
「ほんと? だってサイトさん冷たいんですもの」
「俺《おれ》が? どうして?」
「だって、となりにいるのに、何もしてこないんだもの」
あたふたとするうちに、シエスタは、ん……、とつぶやき首筋に唇を押しつけてきた。柔らかいとろけてしまいそうな感触に、才人は驚愕《きょうがく》した。
シエスタの唇は項《うなじ》をつたい、耳たぶをかみやがった。
脳髄《のうずい》がちりちりに焼きつくような感覚を味わい、空気が固く冷えていくように感じ、脊髄《せきずい》に焼け火箸《ひ ばし》を突っ込まれたようにして、ぴん! と背筋を伸ばし、震える声で「シ、シ、シエスタ……」と才人がつぶやいた瞬間───────────。
馬車の屋根が吹っ飛んだ。
吹っ飛んだ、というより、中に爆薬を仕込まれて粉々に爆発した、といった感じであった。とにかく才人たちの馬車は屋根つきから、オープントップへと変貌《へんぼう》した。
才人はガタガタと震えながら後ろを振り返る。
そこには、才人たちが乗ったものより一回り大きい、二頭立ての立派なブルームスタイルの馬車が走っていた。
その馬車から、何かどす黒いオーラが立ち上っているように感じ、才人《さいと 》は怯《おび》えた。激しく怯えた。たぶん目的地に到着したら、自分は死んでしまうのではないか、そんなオーラをその立派な馬車は発している。
わあわあ! 天井がぁ〜〜〜〜〜! とシエスタが絶叫しながら抱きついてきた。
「シ、シエスタ……」
「なな、なんでしょう!」
「死にたくなかったら、離れたほうがいい」
才人がそう言ったらシエスタは妙な覚悟を決めたらしい。
がばっと抱きついてきて、
「事情はよくわかりませんけど! 本望です!」
とかわめいて才人を押し倒した。そんな熱情に感動する一方で、ああ、これで人生終わった思えば短かった最期《さいご 》にせめて日本の土を踏みたかったなどなど、才人の脳裏に走馬灯のようにいろんな思いが渦巻いた。
さて、才人たちの後ろを走る、そんな立派な馬車の窓からは……。
ルイズが首を突き出して茶色の年代モノの杖《つえ》を構え、呼吸を荒くしてわなわなと震えている。才人たちの乗った馬車の屋根は、ルイズが虚無の魔法エクスプロージョン≠ナ吹き飛ばしたのであった。
後ろの窓から、中の様子は丸見えであったのだ。
シエスタと才人が中で抱きあったり顔を近づけあったり、首筋にキスしたりしている間、ルイズは馬車の中で震えながら見守っていたのである。でもってついに、使い魔の耳たぶにメイドの唇が及ぶにあたって、怒りが爆発したのであった。自分の使い魔に、キスなんか許せないのである。
屋根を吹き飛ばしてなお、シエスタが抱きついていることに気づき、ルイズの目が吊《つ》りあがる。
さらに呪文《じゅもん》を詠唱しようとすると、足を引っ張られた。
「きゃん!」
と叫んだ次に、ルイズは頬《ほお》をつねりあげられた。
「いだい! やん! あう! ふにゃ! じゃ! ふぁいだっ!」
あの高慢《こうまん》の塊《かたまり》のようなルイズが、文句も言えずに頬をつねり上げられている光景を才人が見たら、目を丸くしたに違いない。
そんな風にルイズの頬をつねりあげたのは……、見事なブロンドの女性であった。歳《とし》の頃《ころ》は二十代後半だろうか。どことなく、顔立ちがルイズに似ていた。ルイズの気の強い部分を煮詰めて、成長させたらこんな顔になるのではないのか? といったような、割ときつめの美人であった。
「ちびルイズ。わたくしの話は、終わってなくってよ?」
「あびぃ〜〜〜、ずいばぜん〜〜〜、あでざばずいばぜん〜〜〜」
頬《ほお》をつねられたまま、半泣きでルイズがわめく。ルイズには絶対に頭のあがらない存在が四人いた。アンリエッタと、両親と、この長姉のエレオノールであった。ルイズより十一歳年上の、このラ・ヴァリエール家の長女は、男勝りの気性と王立魔法研究所アカデミー≠フ優秀な研究員として知られていた。
「せっかくわたくしが話をしているというのに、きょろきょろとよそ見をするのはどういうわけ? あまつさえ、従者の馬車の屋根は吹き飛ばすし……」
「そ、それはその……、使い魔がメイドと、その、くっついたり離れたりしてたから……」
とすごく言いにくそうにもじもじとしながら、ルイズは姉に告げた。
エレオノールは髪をぶわっと逆巻かせると、ルイズをにらみつける。蛇ににらまれたカエルのようにルイズは縮こまった。
「従者のすることなんか、放《ほう》っておきなさい! 相変わらず落ち着きのない子ね! あなたはラ・ヴァリエール家の娘なのよ! もっと自覚を持ちなさい!」
「は、はい……」
しょぼんとして、ルイズはうな垂れた。
「で、でも……。なにも学院のメイドまで連れてこなくても……」
「おちび。いいこと? ラ・ヴァリエール家は、トリステインでも名門中の名門のお家よ。あなただってそれはわかっているでしょう?」
「はい、姉さま」
「従者があなたの使い魔だけでは示しがつかないでしょう? ルイズ、貴婦人というものはね、どんなときでも身の回りの世話をさせる侍女を最低一人は連れて歩くものよ」
トリスタニアのアカデミーに勤めるエレオノールが、ルイズを連れて帰省するために魔法学院にやってきたのは今朝《け さ 》のことである。
洗濯物の籠《かご》を抱えて通りがかったシエスタを捕まえ、「道中の侍女はこの子でいいわ」とつぶやき、その場にいた貴族の教師にうむを言わせずに承諾《しょうだく》させ、世話をさせるため連れてきたのである。
従者用の馬車を、学院の者に言って無理やり用意させ、シエスタと才人《さいと 》を乗り込ませた。ルイズと共にエレオノールは学院まで乗ってきた自分の馬車に乗り込んだ。
道中の世話といってもほとんどさせることはない。飾りのようなものであった。しかし、貴族にとってその飾りというものは、何より大切なのであった。
さて、そんなルイズの内心は穏やかでなかった。
この帰省が、一筋縄ではいかないものであったからである。
アルビオンへの侵攻作戦が魔法学院に発布されたのは、夏休みが終わって二ヶ月が過ぎた頃《ころ》……、先月はケンの月のこと。
何十年か振りに遠征軍が編成されることになったため、王軍は士官不足を喫したのであった。そのため、貴族学生を士官として登用することになった。一部の教師や、学院長のオスマン氏などはこれに反対したが、アンリエッタに枢機卿《すうききょう》、王軍の将軍たちはこの反対を抑えた。勉学は戦争が終わってからだ、とまで言いきった。
アンリエッタ直属の女官である虚無≠フ担い手ルイズには、侵攻作戦にあたり、特別の任務が与えられた。
しかし……、ルイズが実家に「祖国のために、王軍の一員としてアルビオン侵攻に加わります」と報告したら大騒ぎになってしまった。
従軍はまかりならぬ、と手紙が届き、無視したらエレオノールがやってきた。
当然、ルイズは機嫌を損ねた。従軍まかりならぬとは何事であろうか? いまや国中の錬兵場《れんぺいじょう》や駐屯地《ちゅうとんち 》では、即席の士官教育を受けている学生たちでいっぱいである。ほとんどの男子学生は戦争に行くことを選んだのである。
自分は女子であるが、女王陛下の名誉ある女官である。しかも今回の侵攻作戦では、使い魔の飛行機械を引っさげて任官するのである。
ルイズの虚無≠ノかける期待が高いことがわかる。アンリエッタと枢機卿は、自分を王軍の切り札と考えているのであった。
トリステイン貴族として、これ以上の名誉はない。
そりゃあ、戦は確かに好きじゃない。でも、自分は祖国と姫様のために微力をつくしたいのだ。虚無≠フ力を与えられた自分には、祖国に忠勤を励む義務があるのだ。祖国への忠義は、名門ラ・ヴァリエール家が誇《ほこ》るべきところではなかったか? それなのに実家は自分の従軍に断固反対のようであった。
「まったくあなたは勝手なことをして! 戦争? あなたが行ってどうするの! いいこと? しっかりお母さまとお父さまにも叱《しか》ってもらいますからね!」
「で、でも……」
言い返そうとして、ほっぺをつねられる。エレオノールは昔のように、完全にルイズを子ども扱いであった。昔そう呼び習わしたように、おちび、と連発する。
「でも? はい≠ナしょ、おちび! ちびルイズ!」
さすがは姉妹。いつもルイズが使い魔を調教する時の口調であった。ルイズはまったく逆らうことができずに、
「ふえ、うぇ、あだ、あねさま、ほっぺあいだだ……。あう……」
と情けない声をあげるのであった。
いつになっても呪文《じゅもん》が飛んでこないので、才人《さいと 》は安堵《あんど 》のため息をついた。どうやら後ろの馬車の中では、何らかの理由によりルイズの呪文が発動しなくなったらしい。
才人にくっついているうちに、楽しくなってきてしまったらしいシエスタは、屋根がないことも忘れて、再び嬉《うれ》しそうに才人の腕に身体を擦り寄せた。
「ねえねえサイトさん」
「ん? な、なに?」
「旅行って楽しいですわね!」
「そ、そうだね……」
相槌《あいづち》をうったが、才人はそこまで能天気になれなかった。
これからのことを考えると、問題が山積みなのだ。
アンリエッタたちは戦争を計画している。こっちから行って、攻める戦争だ。ルイズももちろん参加する。流されるままに、自分も参加しなければならない羽目になった。拾ったゼロ戦引っさげての従軍である。たぶん、危険なことをやらされるんだろう。
明るい気分にはなれない。
ったく、この戦争が終わったら今度こそ元の世界に戻る手がかりを探しに東に行くぞ、と決意する才人であった。それまでは何がなんでも死ぬわけにはいかない。
才人がそんな風に思いつめた顔をしているのを見て、シエスタが曇《くも》った顔になった。
「いやだわ」
「え?」
「サイトさんも、アルビオンに行くんでしょう?」
「う、うん……」
どうやら、今までのシエスタの明るい態度は才人を元気づけるための演技だったようだ。
「わたし、貴族の人たちが嫌いです」
「シエスタ……」
「自分たちだけで殺し合いをすればいいのに……。わたしたち平民も巻き込んで……」
「戦争を終わらせるためだって、言ってたけどな」
アンリエッタの言葉を思い出して、才人はつぶやいた。
「終わらせるためだろうが始めるためだろうが、戦は戦です」
才人は黙ってしまった。
この前のタルブの戦は、戦う理由があった。シエスタや村の人たちを救う≠チていう、そんな大義名分だ。
でも、今度のアルビオン侵攻には、どんな理由があるんだろう?
自分が戦わなくてはならない、どんな理由があるというんだろう?
ルイズは張り切っているが……、自分は乗り気にはなれない。
ただ、アンリエッタのもろさに触れたときに感じた、「この可哀想《か わいそう》なお姫様の手助けをしてやりたい」なんて気持ちが、才人《さいと 》を後押ししていた。
「なんでサイトさんが行かなきゃならないんですか? 関係ないじゃないですか」
「ま、そうなんだけどな」と肘《ひじ》をつく。
シエスタが、胸に顔を埋めてきた。
「死んじゃいやです……。絶対に、死んじゃいやですからね……」
そんなシエスタを才人は愛《いと》しく感じた。
こんな可愛《かわい》いメイドさんに、こんな風に泣かれたら、もうそれだけで生きてる意味はあった……、まで思ってしまう自分はやっぱりアホなんだろうか。
しっかし、ルイズの実家かぁ……。
さっき会ったルイズのお姉さんは美人だけどきっつい顔してたなー、なんて思う。見事に、才人をちらりとも見なかった。出会った頃《ころ》のルイズなんか目じゃないほどにお高くとまった態度である。ルイズも成長したらあんな感じになってしまうのであろうか? それはせつない。
しかもなんか雲行きが怪しい感じだった。どうやらルイズとその実家の皆さんには、相当の温度差があるようだった。
今回は、そんなルイズの実家への帰郷である。
才人は空を見上げて、はぁ、これからどうなるんだろう、と微妙にのん気ないつもの態度で、考えるのであった。
アルビオンの首都ロンディニウムの南側に、ハヴィランド宮殿は建っていた。
そこの白ホールはまさに|白の国《アルビオン》≠フ要《かなめ》にふさわしい、白一色に塗りつぶされた荘厳《そうごん》な場所であった。十六本の円柱がホールの周りを取り囲み、天井を支えている。白い壁は傷一つなく、光の加減で顔をうつし出すほどに輝いて見える。
そんなホールの中心にしつらえられた巨大な一枚岩板の円卓≠ノは、神聖アルビオン共和国の閣僚《かくりょう》や将軍たちが集まり、会議の開催を待ちかねていた。
おおよそ二年前には、大臣たちが王を取り囲み国の舵取《かじと 》りを行った場所であったが、今では主《あるじ》を替えていた。
王政府から国を取り上げた革命者たちは、自分たちが祭り上げる冠《かんむり》の登場を待ちかねていた。
二年前には、地方の一司教に過ぎなかった男を……。
ここに集まった誰《だれ》よりも……、扉に控えた衛士よりも身分の低かった男を……。
ホールの扉が、二人の衛士によってあけられた。
「神聖アルビオン共和国政府貴族議会議長、サー、オリヴァー……」
呼び出しの声を、クロムウェルは手でさえぎった。
「サ、サー?」
「無駄な慣習ははぶこうではないか。ここに集まった諸君で、余のことを知らぬものはいないはずだから」
クロムウェルの背後には、いつもの通り秘書のシェフィールドと、傷の癒《い》えたワルド子爵《ししゃく》、そして土くれのフーケの姿が見える。
クロムウェルは上座へと座り、その背後にはシェフィールドが影のように寄り添った。フーケとワルドは空いている席に腰掛ける。
議長兼初代皇帝が席についたことにより、会議が始まった。一人の男が挙手をした。ホーキンス将軍である。白髪と白髭《しらひげ》がまばゆい歴戦の将軍は、きつい目で司教だった皇帝を見つめた。
クロムウェルに促され、彼は立ち上がった。
「閣下にお尋ねしたい」
「なんなりと質問したまえ」
「タルブの地で一敗地に塗《まみ》れた我が軍は、艦隊再編の必要に迫られました。艦隊がなければ、軍を運ぶことも、国土を守ることもできませんからな」
うむ、とクロムウェルは頷《うなず》いた。
「その時間を稼ぐため、と称して行われた隠密裏《おんみつり 》の女王誘拐作戦も失敗に終わりました」
「そうだ」
「それらが招いた結果を閣下のお耳に入れてもよろしいでしょうか?」
「もちろんだ。余はすべての出来事を耳に入れねばならぬ」
「敵軍は……、ああ。トリステインとゲルマニアの連合軍は、突貫作業で艦隊を整備しおえ、二国合わせて六十|隻《せき》もの戦列艦を空に浮かべました。未《いま》だ再編にもたつく我が軍の保有する戦列艦の数に匹敵《ひってき》する隻数です。しかも向こうは艦齢《かんれい》の新しいものばかりです」
一人の将軍が、侮蔑《ぶ べつ》を含んだ口調でつぶやく。
「ハリボテの艦隊だ。やつらの錬度は、我らに劣《おと》る」
「それは昔の話です、閣下。我らも錬度の点では褒《ほ》められたものではありませぬ。革命時に優秀な将官士官を多数処刑した結果、著《いちじる》しい錬度の低下をきたしました。残ったベテランは、タルブの敗戦で失いました」
クロムウェルは黙りこくった。
「彼らは現在、船の徴収をさかんに行っております。なお、諸侯の軍に召集をかけた模様です」
「ふむ、ハリネズミのようだな。これでは攻めにくい」
一人の肥えた将軍が、のん気な声でつぶやいた。ホーキンスはその男をにらみつけた。
「攻めにくい? これだけの材料があって、敵軍が企図《き と 》するところも読めぬのか」
ホーキンスは、どん! とテーブルを強く叩《たた》いた。
「彼らはこの大陸《アルビオン》に攻めてくるつもりですぞ。で、質問です。閣下の有効な防衛計画をお聞かせ願いたい。もし艦隊決戦で敗北したら、我らは裸です。敵軍を上陸させたら……、泥沼です。革命戦争で疲弊《ひ へい》した我が軍が、持ちこたえられるかどうか……」
「それは敗北主義者の思想だ!」
血走った目の若い将軍が、ホーキンスを非難した。クロムウェルは片手で制しながら、にっこりと笑った。
「彼らがこのアルビオンを攻めるためには、全軍を動員する必要がある」
「さようです。しかし、彼らには国に兵を残す理由がありませぬ」
「なぜかな?」
「彼らには、わが国以外の敵がおりませぬ」
「彼らは背中をおろそかにするつもりかな?」
「ガリアは中立声明を発表しました。それを見越しての侵攻なのでありましょう」
クロムウェルは背後を振り返り、シェフィールドと顔を見合わせた。彼女は小さく頷いた。
「その中立が、偽《いつわ》りだとしたら?」
ホーキンスの顔色が変わった。
「……まことですか? それは。ガリアが我が方にたって参戦すると?」
「そこまでは申しておらぬ。なに、ことは高度な外交機密であるのだ」
会議の席がざわついた。
「ガリアが参戦とな?」「いったいどのような条件を取りつけたのだ?」「ガリアさえ味方につけば、怖いものなどないぞ」などと、いっせいにわめき始める。ホーキンスは、未《いま》だ信じられぬといった顔で、クロムウェルを見つめる。
しかしクロムウェルは口髭《くちひげ》を、物憂《ものう 》げにいじるばかり。
「だから、高度な外交機密だと申しておる」
ホーキンスは考えをめぐらせた。なに、ガリア軍はトリステイン、ゲルマニア連合軍を直接攻めずともよいのだ。もし、アルビオンが艦隊戦で敗北を喫し、連合軍に上陸を許したとしても……、ガリアが軍を動かして二国の背後を脅《おびや》かすだけで、彼らは撤兵を余儀なくされるだろう。
「それがまこととすれば、この上もなく明るい知らせですな」
「案ずることなく諸君は軍務に励みたまえ。攻めようが、守ろうが、我らの勝利は動かない」
将軍たちは起立すると、一斉に敬礼した。そののちに、己たちが指揮する軍や隊のもとへと散っていった。
クロムウェルはシェフィールドとワルドたちを連れて、執務室にやってきた。そして、かつて王が腰掛けた椅子《い す 》に座り、部下たちを見回した。
「傷は癒《い》えたかな? 子爵《ししゃく》」
ワルドは一礼した。クロムウェルはにっこりと笑って、ワルドに問いかける。
「さて、どう読むね」
「あの将軍の見立てどおり、トリステインとゲルマニアは、確実に攻めて来るでしょうな」
「うむ。では、勝ち目は?」
「五分五分……、いや、我らの方が幾分有利ですかな。兵数では劣《おと》るが、地の利と……」
「閣下の虚無≠ェありますわね」
フーケが、思いついたように告げた。するとクロムウェルは、こほん、と気まずそうに咳《せき》をした。
「いかがなさいましたの?」
「いやなに。諸君らも知ってのとおり、強力な呪文《じゅもん》はそう何度も使えるというわけではない。余が与えられる命には限りがあるゆえ、な。そう当てにされては困るのだ」
どうやらクロムウェルの口ぶりだと、彼が使える呪文《じゅもん》には限りがあるようだった。
「当てにするわけではありませぬ。ただ、切り札のありなしは、士気にも関《かか》わりますから」
とワルドが言うと、クロムウェルは頷《うなず》いた。
「切り札は、余の虚無≠ナはない」
「では、やはりガリアが参戦するのですね」
当初の予定では、ガリアはアルビオン軍の侵攻に呼応して、トリステイン、ついでゲルマニアを攻める予定であったが……、タルブでアルビオン軍が敗北したために計画変更を余儀なくされたのだった。ガリアからの次の提案は、アルビオン大陸に敵を吸引して、その隙《すき》にトリステイン・ゲルマニアの本土をつく、というものであった。
その計画を聞いたワルドは、クロムウェルに尋ねた。
「閣下。一つだけ腑《ふ》に落ちない点がございます」
「申してみよ」
「ハルケギニアの王制に叛旗《はんき 》を翻《ひるがえ》した我らに、ガリアの王政府が味方する。そのようなことがありえるのですか? もし、そのようなことがあるとすれば、いかような理由で?」
クロムウェルは、冷たい目でワルドを見据えた。
「子爵《ししゃく》、それはきみの考えることではない。政治は我らに任せて、きみたちは与えられた任務に邁進《まいしん》すればよいのだ」
ワルドは目をつむり、頭を下げた。
「御意」
「きみに任務を与える。やってくれるな?」
「なんなりと」
「メンヌヴィル君」
クロムウェルがそう呼ぶと、執務室の扉が開き一人の男が現れた。白髪と顔の皺《しわ》で歳《とし》は四十の頃《ころ》に見えたが、鍛《きた》えぬかれた肉体が年齢を感じさせない。一瞬、剣士かと思うようなラフな出《い》で立《た》ちだが、杖《つえ》を下げている。メイジのようだった。
彼の顔には随分と目立つ特徴があった。額の真ん中から、左眼を包み、頬《ほお》にかけての火傷《やけど》のあとである。
クロムウェルは、彼にワルドを紹介した。
「ワルド子爵だ」
メンヌヴィルは鉄のような顔をぴくりとも動かさずに、ワルドを見つめた。
「ワルド君、君も名前ぐらいは聞いたことがあるだろう? 彼が白炎<<塔kヴィルだ」
ワルドの目が光る。その二つ名には聞き覚えがあった。伝説のメイジの傭兵《ようへい》。白髪の炎使い。卑怯《ひきょう》な決闘を行い、結果、貴族の名を取り上げられ傭兵に身をやつしたとか、家族全員を焼き殺して家を捨ててきたとか、彼が焼き殺した人間の数は、彼がこれまでの人生の中で焼いて食べた鳥の数より多いとか、様々な噂《うわさ》を流されていた。
そんな噂の中で、確かなことが一つだけあった。
戦場ではとことん冷酷《れいこく》に炎を操るということだ。その炎は相手を選ばない。彼は老若男女を問わず、平等に燃やし尽くせる男なのであった。放つ炎に人としての温かみを奪われた男……、それがこの、白炎<<塔kヴィルなのであった。
「どうだね子爵《ししゃく》? 伝説を目の当たりにして」
「ここが戦場でなくて、よかったと思いますよ」
ワルドは正直に感想を述べた。
「さてワルド君。きみには、彼が率いる小部隊を運んでほしいのだ」
ワルドの顔に、不満の影がよぎる。俺《おれ》に運び屋をやれというのか? とその目が語っている。
「そう怖い顔をしないでほしい。余は万全を尽くしたいのだ。小部隊とはいえ、隠密里《おんみつり 》に船で運ぶのには風のエキスパートが必要だ。つまり、きみだ」
「……御意」
「ガリア軍がすべてを占領したとあっては、何も発言できなくなってしまうから、余はせめてそこ≠押さえておきたいのだ。仕事をしたのだという既成事実を多少なりとも作っておかねばならん」
焦りが含まれた声で、クロムウェルがつぶやく。
「そこ≠ニは、どこなのでしょうか?」
「まず、防備が薄く占領しやすい場所であること。つまり、首都トリスタニアから近すぎてはいかん。次に、政治的なカードとして、重要な場所であること。ということは、逆に遠すぎてもいかん」
「政治的なカード?」
「貴族の子弟を人質にとることは、政治的なカードとしての効果を高めてくれるだろう」
ワルドの唇が軽くゆがんだ。
クロムウェルは、大仰《おおぎょう》な身振りで目的地を告げた。
「魔法学院だ、子爵。きみはメンヌヴィル君を隊長とする一隊を、夜陰に乗じてそこに送り込みたまえ」
その頃《ころ》、魔法学院──────────。
キュルケとタバサは、がらんとしてしまったアウストリの広場を歩いていた。今は休み時間である。いつもなら生徒たちで賑《にぎ》わっているはずなのだが……。
いるのは女子生徒ばかりであった。下品に上品に、ぎゃあぎゃあ騒いでいる男子生徒の姿が見えない。
「いやいや、ほんとに戦争って感じねえ」
キュルケは両手を広げて首を振った。男子生徒のほとんどは、士官不足に悩む王軍へと志願したのである。ギーシュに、あの臆病者《おくびょうもの》のマリコルヌも志願したというから驚きであった。
彼らは今ごろトリステイン各地の錬兵場《れんぺいじょう》で、即席の士官教育を受けている真っ最中だろう。学院が閑散《かんさん》としてしまうのも無理はない。
もちろんタバサも居残り組である。表向きはガリアの叔父王に忠誠を誓ったように振る舞い、密《ひそ》かに復讐《ふくしゅう》を狙《ねら》うタバサが他所《よ そ 》の国の戦争に首を突っ込むわけもない。
キュルケは祖国の軍に志願したが、女子ということで認められなかった。せいぜい暴れようと思ったのに……、残念であった。
さて、男性教師も出征したために、授業も半減した。
暇をもてあました女子生徒たちは、寂しげにかたまり、恋人や友人たちが無事でやっているのか噂《うわさ》しあっている。ベンチに座って物憂《ものう 》げに肘《ひじ》をついていたモンモランシーの姿を見つけ、キュルケは近づいた。
「あらら、恋人がいなくって退屈なようね」
モンモランシーはまっすぐ前を見たまま、人事《ひとごと》のようにつぶやいた。
「いなくなってせいせいするわ。やきもきしなくていいもの」
「でも、寂しそうじゃないの」
「あのお調子ものってば、臆病なくせに無理しちゃってさ。はーあ、あんなのでもいないとちょっとは寂しいものね」
キュルケはモンモランシーの肩を叩《たた》いた。
「ま、始祖ブリミルの降臨祭までには帰ってくるわよ。親愛なるあなたのお国の女王陛下や偉大なるわが国の皇帝陛下は、簡単な勝ち戦だって言ってたじゃない」
『親愛』と『偉大』に皮肉な調子を込めて、キュルケがつぶやく。もとよりゲルマニア貴族は、忠誠心に薄い。所詮《しょせん》は諸侯が利害で寄り集まってできた国だからだ。
「だといいんだけどね」
モンモランシーは、そしてため息。
なんだかそんなモンモランシーを見ていると、キュルケまでせつない気分になってきてしまう。いやねぇ、戦争ってほんといやぁねぇ、といっつも自分が繰り広げている暴れっぷりを棚に上げ、つぶやいた。
キュルケとタバサはぶらぶらと歩き、火の塔のとなりにあるコルベールの研究室の前までやってきた。そこではコルベールが、一生懸命にゼロ戦に取りついて整備を行っている。
男の教師はほとんど出征したというのに……、このコルベールときたらマイペースもいいところである。戦争なぞどこ吹く風といった具合に、研究に没頭しているようであった。
「お忙しそうですわね」
キュルケは、そんなコルベールにイヤミの混じった声で言った。
「ん?」とコルベールは顔を上げ、にっこりと笑った。
「おお、ミス。ミス・ツェルプストー。きみにいつか、火の使い方について講義を受けたことがあったな」
いつかの授業中のことを、コルベールは言った。
「ええ」
キュルケは不快感を顔に浮かべて相槌《あいづち》をうった。
「どうしたね? ミス……」
「ミスタ。あなたは王軍に志願なさいませんでしたのね」
学院の男たちのほとんどは、戦に赴《おもむ》くというのに……。
「ん? ああ……。戦は嫌いでね」
コルベールはキュルケから顔をそむけた。キュルケは軽蔑《けいべつ》の色を顔に浮かべて、鼻を鳴らす。男らしくない、と思う。目の前の戦から逃げ出しているようにしか見えない。どの系統より戦に向く、火≠フ使い手でありながら、炎蛇《えんじゃ》≠フ二つ名を持ちながら、この教師は戦が嫌いだと言い放つ。
「同じ火≠フ使い手として、恥ずかしいですわ」
コルベールはしばらく顔を伏せていたが、そのうちに持ち上げた。
「ミス……、いいかね? 火の見せ場は……」
「戦いだけではない、とおっしゃりたいのでしょう? 聞き飽きましたわ」
「そうだ。使い方次第だ。破壊するだけが……」
「臆病者《おくびょうもの》のたわごとにしか聞こえませんわ」
ぷいっと顔をそらし、キュルケはタバサを促すと、歩き去っていく。コルベールはその背を見守りながら、寂しそうなため息を漏《も》らした。
研究室に戻り、椅子《い す 》に座る。
コルベールはしばらく考え事をしていたが……、いろんなものが雑多に積み上げられた机の引き出しを、首に下げた鍵《かぎ》を使ってあけた。
その引き出しの中には小さな箱があった。それを取り上げ、蓋《ふた》をひらいた。
炎のように赤く光るルビーの指輪があった。
目を凝《こ》らすと、揺らめく炎がルビーの中に見える。
その炎を見ていると、二十年前の出来事がありありと蘇《よみがえ》ってくる。脳裏に映る光景は、未《いま》だ色あせることなく鮮やかだ。その鮮やかに光る炎が……、コルベールを責めさいなむ。一瞬たりとも、忘れることのなかった光景……。
それからコルベールは、研究室内を見回した。外観はみすぼらしい掘っ立て小屋だが、ここには彼が先祖伝来の屋敷や財産を売り払って手に入れた、様々な道具や秘薬で溢《あふ》れている。
それらを見つめながら、コルベールは苦しそうにつぶやいた。
「破壊だけが……、火の見せ場ではないのだ」
[#改ページ]
第二章 カトレア
魔法学院を出て二日目の昼─────────。
ラ・ヴァリエールの領地に、才人《さいと 》たちは到着した。が、しかし、屋敷につくのは夜遅くとのことであった。夜遅くって……、と才人は青くなった。領地ということは庭のようなものなのだろう。その庭に入って、屋敷につくのが半日後、みたいな感覚がすぐに理解できない。
ぼんやりと想像するに、ルイズの家の領地は、日本でいえば大きめの市≠ョらいの大きさがあるらしかった。市て。そんな土地持ち、聞いたことがない。大貴族というものは恐ろしい、と才人は思った。
ルイズの貴族っぷりは、領地に入ってすぐ、たっぷりと見せつけられた。
とある旅籠《はたご 》で一行は小休止することになったのであるが……。
ルイズたちの馬車が止まったと同時に、先についていたシエスタは馬車から降りてたたた、と駆け寄った。きちんと召使としての教育を受けていたシエスタは、ルイズたちの馬車のドアをあけた。
うわぁ、シエスタにやらせちゃったでも、あいつらの馬車のドアなんかあけるの癪《しゃく》だなー、とルイズたちの馬車に駆け寄ろうとした才人《さいと 》は、どどどどどどどどどどど! と旅籠《はたご 》から飛び出てきた村人に突き飛ばされて地面に転がった。
村人たちは馬車から降りてきたルイズたちの前で帽子を取ると、
「エレオノールさま! ルイズさま!」
と口々にわめいてぺこぺこ頭を下げ始めた。転がった才人も、いずれ名のあるお方に違いないと村人たちは考えたらしい。手をとって起こすと、大変失礼をばいたしましたと頭を下げる。
「いや、俺《おれ》は貴族じゃないんですけど……」と才人は恐縮した。
「とはいっても、エレオノールさまかルイズさまの御家来さまにはかわるめえ。どっちにしろ、粗相《そ そう》があってはならね」
と言って、素朴な顔をした農民たちは頷《うなず》きあう。
そんなこんなで「背中の剣をお持ちしますだ」だの「長旅でお疲れでしょう」などと騒いで、才人の世話まで焼こうとする。
エレオノールが口を開く。
「ここで少し休むわ。父さまにわたしたちが到着したと知らせてちょうだい」
その声で一人の少年が馬に跨《またが》り、速駆けですっ飛んでいった。一行は旅籠の中に案内された。ルイズとエレオノールがテーブルに近づくと、椅子《い す 》が引かれる。二人はさも当然のようにそこに腰掛ける。才人もそのテーブルに座ろうとして、エレオノールに怪訝《け げん》な顔でにらみつけられた。サイトさんサイトさん、とシエスタに呼びかけられ、才人は振り向く。
「……貴族のかたと同席するわけにはいきませんよ」
シエスタにそう言われて気づく。そういや最近は、ルイズが一緒の席でいいとか言うもんだから気にせずに座っていた。が、それはやっぱりこの世界ではおかしいことなんだろう。ルイズも初めは才人を床に座らせていたのだ。
そんなルイズは、何か言おうとしたが、エレオノールににらまれて再び小さく縮こまる。才人は驚く。こんなルイズ初めて見た。まったくこの姉には頭があがらないらしい。しかし、怖いお姉さんだな……、ルイズが可愛《かわい》く見えるではないか。
村人たちは口々に、いやー、ルイズさまも大きくなられただ、だの、お綺麗《き れい》になられて、だの誉《ほ》めそやした。そういや、エレオノールさまはご婚約なされたんだっけか? と誰《だれ》かがつぶやいて、一同に、しッ! そんただごと言うんじゃねえ! と叱咤《しった 》された。
エレオノールの眉《まゆ》が、ぴくん! と動き、旅籠中が緊迫感に包まれた。どうやら、エレオノールの婚約話はタブーであるらしい。
機嫌を損ねたエレオノールに恐れをなして、誰も、何もしゃべらなくなってしまった。才人はシエスタと顔を見合わせた。するとシエスタは、そっと才人に寄り添い手を握ってきた。怖がっているのであった。
ルイズがそんな姉の気をほぐそうとしてか、口を開いた。
「ね、姉さま。エレオノール姉さま」
「なに?」
「ご婚約、おめでとうございます」
村人から、あちゃあ、とため息がもれた。空気の読めない娘、ルイズの本領発揮であった。瞬間、エレオノールは眉《まゆ》を吊《つ》り上げてルイズの頬《ほお》をつねり上げた。
「あいだ! ほわだ! でえざば(ねえさま)! どぼじで(どうして)! あいだだだっだ!」
「あなた、知らないの? っていうか知ってて言ってるわね」
「わだじなんじぼじりばぜん(わたし何にも知りません)!」
「婚約は解消よ! か・い・し・ょ・う」
「な、なにゆえにっ!」
「さあ? バーガンディ伯爵《はくしゃく》さまに聞いて頂戴《ちょうだい》。なんでも『もう限界』だそうよ。どうしてなのかしら!」
才人《さいと 》は会ったこともないバーガンディ伯爵さまの気持ちが手にとるようにわかった。うん。あれじゃ『限界』はすぐにやってくるだろーなー、と思う。エレオノールの性格は、ルイズの拡大発展型であるようだ。伯爵は身がもたないと考えたに違いない。
とにかく婚約を解消された不幸な姉は、八つ当たりの対象をルイズに定めたようである。
とうとうお説教が始まった。どうやらルイズは馬車の中でも散々そのようにいじめられまくったらしい。赤くはれた頬を押さえて、ルイズはしょぼくれている。才人はさすがにルイズが不憫《ふ びん》になった。
でも、そんなお説教は長くは続かなかった。
旅籠《はたご 》のドアがばたーん! と開いて、桃色の風が飛び込んできたからである。
彼女は腰がくびれたドレスを優雅に着込み、羽根のついたつばの広い帽子を被《かぶ》っていた。その帽子の隙間《すきま 》から、桃色がかったブロンドが揺れる。ルイズと同じ髪の色。
はっとするような、可愛《かわい》らしい顔が帽子の下から覗《のぞ》いた。一見して確実に年上なのに、可愛らしい、という形容をしたくなる顔であった。その目の色は、やはりルイズと同じ鳶色《とびいろ》に光っている。彼女はエレオノールに気づき、目を丸くした。
「まあ! 見慣れない馬車を見つけて立ち寄ってみれば嬉《うれ》しいお客だわ! エレオノール姉さま! 帰ってらしたの?」
「カトレア」と、エレオノールがつぶやく。
突然の来訪者に気づいたルイズが顔をあげた。
カトレアと呼ばれた娘の顔が、ルイズを認めて輝いた。ルイズの顔も、喜びに輝く。
「ちいねえさま!」
「ルイズ! いやだわ! わたしの小さいルイズじゃないの! あなたも帰ってきたのね!」
ルイズは立ち上がると、カトレアの胸に飛び込んだ。
「お久しぶりですわ! ちいねえさま!」
きゃっきゃっと辺りをはばからぬ大声で、二人は抱き合った。どうやら彼女は、ルイズのすぐ上の姉であるらしかった。髪の色といい、瞳《ひとみ》の色といい、見れば見るほどルイズにそっくりである。多少ルイズに比べると、穏やかな顔立ちであった。その穏やかで優しい雰囲気に、才人《さいと 》はぐっと胸を詰まらせた。ルイズを大人《おとな》びさせ、優しい雰囲気をプラスし、おまけに、胸まで結構あるカトレアの容姿は才人の好みを直撃したのである。
カトレアは口を半開きにして、自分を見つめる才人に気づいた。
「まあ、まあ、まあ、まあまあ」
何が『まあ』なんだろうと思いながら才人が緊張していると、カトレアが近づいてくる。そして才人の顔をじっと見つめた。
「なな、な、なんでしょう」
がっちがちに才人が緊張していると、カトレアは才人の顔をぺたぺたと触り始めた。才人は緊張のあまり気絶しそうになった。
「あなた、ルイズの恋人ね?」
「はい?」
となりにいたシエスタの目が、すっと冷ややかに醒《さ》めていく。シエスタにぎゅっと足を踏まれて、才人は跳び上がった。
ついでルイズが、顔を真っ赤にして叫んだ。
「ただの使い魔よ! 恋人なんかじゃないわ!」
「あらそう」
カトレアはコロコロと楽しそうに笑った。それから首をかしげて、とろけそうな微笑《ほほえ》みを浮かべた。
「ごめんなさいね。わたし、すぐに間違えるのよ。気にしないで」
ルイズにエレオノール、そして才人とシエスタは、カトレアが乗ってきた大きなワゴンタイプの馬車で、屋敷へと向かうことになった。エレオノールは召使や下僕と同じ馬車に乗るなんて、と顔を曇《くも》らせたが、カトレアの『あら。大勢のほうが楽しいじゃない』という一言に押しきられ、しぶしぶ承諾《しょうだく》した。
そして……、馬車の客は才人たちだけではなかった。
馬車の中は、さながら動物園であった。
前のほうの席ではトラが寝そべりあくびをかましている。ルイズのとなりには熊が座っていた。いろんな種類の犬やネコがあちこちで思い思いに過ごしている。大きなヘビが天井からぶら下がり、顔の前に現れたのでシエスタは気絶してしまった。気絶したシエスタを介抱しながら、才人《さいと 》がつぶやいた。
「しかし、すごい馬車ですね……」
「ちいねえさまは、動物が大好きなのよ」とルイズ。
なにか、好きというレベルを超えている気がしたが、才人は何も言わなかった。
「わたしね、最近つぐみを拾ったのよ」
カトレアが楽しそうな声で言った。
「見せて! 見せて!」と子供のようにはしゃぎながら、ルイズ。
それを見て、エレオノールがため息をついている。
ラ・ヴァリエールの美人三姉妹が勢ぞろいなのであった。これがルイズの姉たちかぁ、と才人は感慨深げに、頷《うなず》いた。
ルイズとカトレア、二人のおしゃべりは延々と続いた。
どうやらルイズと、この可憐《か れん》が服を着ているような二番目の姉は、相当な仲良しであるようだ。そんな二人の様子を見ていると、退屈な時間もあまり気にならない。シエスタはいつの間にか膝《ひざ》の上で寝息を立てている。馬車の左には、緩やかに起伏する丘が広がっている。右はどこまでも続くかのように見える田園だ。秋の刈《か》り取りが終わったばかりなのか、あちこちに藁《わら》の塊《かたまり》が積んであった。
そんな牧歌的な風景を見ていると、今から戦争に赴《おもむ》く許可をもらいに行くなんてことが、信じられなかった。窓枠に片肘《かたひじ》をついて、背中のデルフリンガーを確かめたあと、才人は大きなあくびを一つ、した。
夜もふけて……。
エレオノールが、ポケットから懐中時計を取り出して、時間を確かめる。
丘の向こうにお城が見えてきた。周りになにもないので、トリステインの宮殿より大きく見えた。
「もしかして、あれ?」と才人がつぶやいたら、ルイズが頷く。
普通に、お城、であった。高い城壁の周りには深い堀がほられている。城壁の向こうに、高い尖塔《せんとう》がいくつも見えた。立派で、大きくて、重厚で、まさにお城! といった風情の建物である。
眠っていたシエスタが、目を覚まし、お城に気づいて目を丸くした。
「まあ! すごい!」
その瞬間大きなフクロウが、ばっさばっさと窓から飛び込んできて、才人の頭に止まった。フクロウが「おかえりなさいませ。エレオノールさま。カトレアさま。ルイズさま」と優雅に一礼した。
「フ、フ、フクロウがしゃべってお辞儀《じ ぎ 》! おーじーぎー!」とシエスタは驚いて、また気絶した。しゃべるフクロウぐらいでそんなに驚くなよ、と異世界出身の才人《さいと 》の方が動じてない。今更このぐらいでは驚かない才人である。
カトレアが笑みを浮かべた。
「トゥルーカス、母さまは?」
「奥さまは、晩餐《ばんさん》の席で皆さまをお待ちでございます」
「父さまは?」
不安げな声で、ルイズが尋ねた。
「旦那《だんな 》さまは、いまだお戻りになっておりません」
肝心の相手が不在なので、ルイズは不満げな色を浮かべた。戦への参加に対する父の許しを得にきたというのに、その相手が不在ではどうしようもない。
堀の向こうに門が見えた。
馬車が停止すると、巨大な門柱の両脇《りょうわき》に控えたこれまた巨大な石像が、跳ね橋に取りつけられた鎖をおろす音がじゃらじゃらじゃらと聞こえてくる。身長二十メイルはあろうかという巨大な石像……、門専用のゴーレムなのだろう、が、跳ね橋をおろす様は壮観であった。
どすん! と跳ね橋がおりきると、再び馬車は動き出し、跳ね橋を渡って城壁の内側へと進んでいった。
才人はルイズの実家の豪華さに、改めて驚いた。これが大貴族のお城というものなのだ。
豪奢《ごうしゃ》な調度が惜しげもなく飾られた部屋を何個も通り、才人たちはダイニングルームへと到着した。シエスタはすぐに召使たちの控え室に向かわされたが、才人はルイズの使い魔ということで、晩餐会への同伴が許された。
とはいってもルイズの椅子《い す 》の後ろに控えるだけである。才人は護衛のようにルイズの後ろに立って、三十メイルほどもある長さのテーブルを見つめた。
この夕食の席に座るのは四人だけであるのに、テーブルの周りには、使用人が二十人ほども並んでいる。
深夜であったが、ルイズたちの母親、ラ・ヴァリエール公爵《こうしゃく》夫人は晩餐会のテーブルで娘たちの到着を待っていた。
上座に控えた公爵夫人は、到着した娘たちを見回した。
才人はその迫力にたじろぐ。なんていうか、エレオノールも激しい高飛車オーラを放っていて、それが才人を圧迫したが、ルイズママもすごかった。この母にしてあの娘あり、といった風情である。
歳《とし》の頃《ころ》は五十ほどだろうか? でも、それは姉たちの歳から推察した年齢であって、実際には四十過ぎぐらいにしか見えなかった。目つきは鋭く、炯々《けいけい》とした光を湛《たた》えている。カトレアとルイズの桃色がかったブロンドは、どうやら母親ゆずりのようである。公爵《こうしゃく》夫人はあでやかな桃色の髪を頭の上でまとめていた。人をずっと傅《かしず》かせてきたものだけが纏《まと》うことのできるオーラを身に纏い、才人《さいと 》を圧迫した。
ルイズもそのようで、久しぶりに会う母親だというのに、かちんこちんに緊張している。どうやらルイズが心を許しているのは、カトレアだけのようだ。
「母さま、ただいま戻りました」とエレオノールが挨拶《あいさつ》すると、ラ・ヴァリエール公爵夫人は頷《うなず》いた。
三姉妹がテーブルにつくと、給仕たちが前菜を運んできて晩餐会《ばんさんかい》が始まった。
後ろに控えた才人にとって、息がつまりそうになる時間であった。なにせ、誰《だれ》も言葉を発しない。これに比べたら、堅苦しい魔法学院での食事だって楽しいお遊戯《ゆうぎ 》の時間に思える。銀のフォークとナイフが、食器と触れあう音だけがだだっぴろいダイニングルームに響いた。
そんな沈黙を破るようにして、ルイズが口を開いた。
「あ、あの……、母さま」
公爵夫人は返事をしない。エレオノールがあとを引き取った。
「母さま! ルイズに言ってあげて! この子、戦争に行くだなんてバカげたこと言ってるのよ!」
ばぁーん! と、テーブルを叩《たた》いてルイズが立ち上がる。
「バカげたことじゃないわ! どうして陛下の軍隊に志願することが、バカげたことなの?」
「あなたは女の子じゃないの! 戦争は殿方に任せなさいな!」
「それは昔の話だわ! 今は、女の人にも男性と対等の身分が与えられる時代よ! だから魔法学院だって男子といっしょに席を並べるのだし、姉さまだってアカデミーの主席研究員になれたんじゃない!」
エレオノールは呆《あき》れた、というように首を振った。
「戦場がどんなところだか知っているの? 少なくとも、あなたみたいな女子供が行くところじゃないのよ」
「でも、陛下にわたし、信頼されているし……」
「どうしてあなたなんかを信頼するの? ゼロ≠フあなたを!」
ルイズは唇をかんだ。アンリエッタが自分を戦場に連れていくのは、自分が必要だからだ。虚無≠フ魔法を使える自分が……。しかし、自分が虚無≠フ担い手であることは家族にも話せない。したがってルイズはそれ以上なにも言うことができなくって黙りこくった。
エレオノールは言葉を続けようとして、それまでじっと黙っていた公爵《こうしゃく》夫人に諫《いさ》められた。よく通る、威厳《い げん》のある声であった。
「食事中よ。エレオノール」
「で、でも、母さま……」
「ルイズのことは、明日お父さまがいらっしゃってから話しましょう」
それで、その話は打ち切りになった。
才人《さいと 》は自分のために用意された部屋で、ベッドに横たわり天井など見上げていた。ここはどうやら納戸のようなスペースで、壁には箒《ほうき》が立てかけられ、ベッドには雑巾《ぞうきん》がかけられていた。改めて、ルイズとの身分の違いというか、そういうものの差を才人は思い知った。
最近はいっしょのベッドで寝たり、同じ屋根裏部屋に暮らしてみたり、食卓では並んでみたりで、なんとなく身分の差を感じなかったけど……。
こうやって実家に来たら、それらが幻想だったように思えてくる。
やっぱルイズすごい。おかねもち。というか貴族。大貴族のお嬢さま。
そういえば、学院を出てからルイズと一言も口をきいていないことを才人は思い出した。あのエレオノールに気後《き おく》れして、ルイズに話しかけることができなかったのである。下僕が主人に話しかけるんじゃありませんといった類《たぐい》の説教をかまされそうで、なんとなく気がひけてしまったのであった。
なんだか情けねえなあ、と思う。
俺《おれ》は別に、こっちの世界での身分制度なんか関係ないはずだ。
でも……、あんな晩餐会《ばんさんかい》やこのお城を見てしまったあとでは、この扱いもしかたがないんでは? と思ってしまう自分がいた。
ルイズとの厳然とした身分の違いを思い知らされたような、そんな気分になってしまった。
そんな風に落ち込んでいると……。
扉がノックされた。
こんな納戸に誰《だれ》だろう? と思って扉をあけると、シエスタが立ってはにかんだような笑みを浮かべていた。
「シエスタ?」
「あ、あの……、来ちゃいました。その、眠れなくって」
「え? ええ?」
と才人がおろおろしているうちに、シエスタは部屋に入ってきてしまう。
「来ちゃいましたって……、よくここがわかったね」
「召使の人に聞いたんです。サイトさんはどこにお泊まりなんですかって」
「そっか……」
シエスタはベッドに座って足をぶらぶらさせた。なぜかしら、顔が赤かった。才人《さいと 》に向かって来い来いをした。才人がシエスタのそばに行くと、ぐいっと腕を引っ張ってとなりに座らせる。それから、馬車の中でずっとそうしていたように頭を才人の肩にもたれかからせる。
「シエスタ?」
と問いかけると、シエスタは無邪気な顔で覗《のぞ》き込んできた。
「わたし、こんなすごいお城に来たの初めてだわ。迷路みたいですね。このお城」
「そうだね」
「学院の仲間が言ってました。ラ・ヴァリエール家は、トリステインでも五本の指に入る名家なんですって。こんなお城に住むのも、当然ですよね。はぁ、爵位も、財産も、そして美貌《び ぼう》もなんでも揃《そろ》ってて……。ミス・ヴァリエールが羨《うらや》ましいな」
「そうか?」
「そうです。だって、わたしがほしくても手に入れられないものを、たくさんお持ちなんですもの」
それからシエスタは、才人の顔を覗き込んだ。
「サイトさんも」
「お、俺《おれ》は別にあいつの持ち物じゃないよ。使い魔だけど……」
「わかるんです」
ぽつりと、シエスタは言った。
「え?」
「サイトさんがいっつも誰《だれ》をどんな目で見てるか、わたし知ってるんです。わたしなんかに勝ち目ありませんよね。その方お金持ちで、貴族で、可愛《かわい》らしくって……。こんな大きなお城がご実家で……。ひっく」
寂しそうにシエスタは顔を伏せた。なんと言えばいいのかわからなくて、才人も黙った。
ひっく、ひっく、とシエスタがしゃくり上げる音が聞こえてくる。泣いているのだろうか?
才人がどうしようとおろおろしていると、シエスタはいきなり立ち上がった。
「シエスタ……」
「かといって」
「え?」
「わたしもすてたもんじゃありませんけど」
「シエスタ?」
なんか雲行きが違う。わたし、サイトさんのこと諦《あきら》めますっ! とでも叫んで部屋を出ていってしまうのだろうかと思いきや、シエスタはくるりと振り向いた。
「ミス・ヴァリエールより、むむむ、胸は確実に勝ってますわ。ひっく」
「シシ、シエシエ?」
ぷるぷると怒りで震えながら、シエスタは言葉を続けた。
「なな、なーにが貴族ですか。わたしなんてメイドですわ。メイド。ういっく」
「う、うん。知ってる」
シエスタは何度も、ヒック、ウイック、としゃっくりをかました。才人《さいと 》はそこで、シエスタの様子に気づいた。
「シエスタ、もしかして……、お酒、飲んでる?」
「夕飯に一本ついたんです。長旅お疲れさまとか言って。ひっく」
顔が赤いのは照れてるだけでなく、酒が入っていたせいらしい。才人はぽかんと口をあけた。酔ったシエスタは初めてである。
なるほどここではシエスタも、付き添いのメイドとはいえお客さまだ。もてなすために、この城の召使はシエスタにお酒を出したらしい。酔っ払ったシエスタはがさごそと、シャツの隙間《すきま 》からワインの壜《びん》を取り出した。
「ど、どこにそんな壜を……」
シエスタは才人に顔を近づけた。
「もらったのれす」
「そ、そうか」
シエスタは、コルクを抜くと直接ぐびっと酒をあおった。その飲みっぷりに、才人は目を丸くした。ぷは、とシエスタは壜から口を離した。その顔がさらにとろみを増している。
「おいサイト」
とうとう呼び捨てである。
「は、はい」
「お前も飲め」
「いただきます」
たぶん逆らったらダメな雰囲気なので、才人はワインを押し頂いた。ぐいっと一口飲み込んだ瞬間、才人はぶほっと吐き出しそうになった。ワインじゃねえ。な、なんだこれ。飲んだことのない強い酒であった。
「シ、シエスタ。これワインじゃ……」
「厨房《ちゅうぼう》のテーブルの上にあったのれす」
どうやらシエスタは、一本つけられたワインを飲み干して気分がよくなってしまい、テーブルの上にあった酒を適当に失敬してきたらしい。なんとも酒癖《さけぐせ》の悪いシエスタであった。意外な一面である。
「それ、もらったと言わないんじゃ……」
「こらサイト」
「は、はい」
「とにかく飲め」
「い、いただきます」
断ったら暴れそうな雰囲気なので、仕方なく才人《さいと 》は酒をあけた。
さてその頃《ころ》。
ルイズはカトレアの部屋で、姉に髪をすいてもらっていた。カトレアの部屋はさながら植物園と動物園が入り混じったような趣《おもむき》である。
鉢植えが置かれ、鳥の入った籠《かご》がいくつも天井からぶらさがり、部屋の中を子犬が駆けずり回っていた。
カトレアは、丁寧にルイズの髪をすいた。
「ルイズ、小さいルイズ。あなたの髪って、ほんとに惚《ほ》れ惚《ぼ》れするぐらいに綺麗《き れい》ね」
「ちいねえさまと同じ髪じゃないの」
コロコロとカトレアは笑った。
「そうね。あなたと同じ髪ね。わたし、この髪が大好きだわ」
ルイズは、唇を尖《とが》らせてつぶやいた。
「エレオノール姉さまみたいな父さま似の金髪でなくてよかったと、わたし思うわ」
「そんなこと、エレオノール姉さまに聞かれたら大変よ。気を悪くするわ」
「いいのよ。わたし、エレオノール姉さまが苦手なんだもの」
「あら、どうして?」
「意地悪なんだもの。ちいねえさまとは大違い。昔から、わたしをいじめるんだもん」
「あなたが可愛《かわい》いのよルイズ。可愛くて、心配なの。だからついついかまってしまうのよ」
「そんなことないもん」
カトレアは後ろからゆっくりとルイズを抱きしめた。
「そんなことあるのよ。この家のみんなはあなたのことが大好きなのよ。小さなルイズ」
「そんなこと言ってくれるのは、ちいねえさまだけだわ」
しばらくカトレアは、ルイズの髪に顔をうずめるようにしていたが……、そのうちに目をつむった。
「でもよかった。ルイズ、あなたはすっかり落ち込んでると思ってたから……」
「どうして?」
「ワルド子爵《ししゃく》。裏切り者だったんですってね。半年ほど前に、ワルドの領地に魔法衛士隊がやってきて、お屋敷を差し押さえていったわ。婚約者がそんなことになって、あなた傷ついたでしょう?」
ルイズは首を振った。
「平気よ。わたし、もう子供じゃないもの。幼い憧《あこが》れと、愛情を取り違えたりはしないわ」
そうきっぱりルイズが言うと、カトレアは微笑《ほほえ》んだ。
「頼もしいわ。あなたは成長したのね、ルイズ」
「そうよ」とルイズは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
「わたしはもう、子供じゃないの。だから、自分のことは自分で決めたいの」
「じゃあ父さまに反対されたら、勝手に出征する気なの?」
「できれば賛成してほしいわ。皆に、わたしのすることをわかってほしいの」
「でも、戦争はわたしも感心しないわ」
「祖国の危機なのよ。そして姫さま……、いえ、陛下にはわたしの力が必要なの。だから……」
「わたしに言っても無駄よ。お城に閉じこもっている姉さんには、難しいことはわからないもの」
カトレアは、ルイズの頭を優しく撫《な》でた。それからゴホゴホと激しく咳《せ》き込んだ。
「ちいねえさま! 大丈夫?」
ルイズは心配そうな顔で、カトレアを見つめた。ルイズのこの二番目の姉は、体が弱いのだ。彼女はラ・ヴァリエールの領地から一歩も出たことがないのであった。
「お医者さまにはきちんとかかってるの?」
カトレアは頷《うなず》いた。
「国中からお医者さまをお呼びして、強力な水≠フ魔法を、何度も試したのだけれど……。魔法でもどうにもならない病ってあるようね。なんでも、体の芯《しん》からよくないみたい。多少の水の流れをいじったところで、どうにもならないんですって」
カトレアの病気は原因がわからなかった。体のどこかが悪くなり、そこを薬や魔法で抑えると、今度は別の部分が悲鳴をあげるのだ。結局、それの繰り返しで、医者もすぐにさじを投げてしまう。今も様々な薬や魔法で症状を緩和しているはずであった。
カトレアは、それでも微笑んだ。ルイズは、姉が不憫《ふ びん》になってしまった。あんなに魔法ができるのに、カトレアは学校にも行けなかった。こんなに綺麗《き れい》なのに、嫁《とつ》ぐこともできない。
「あらら、そんな顔しないで。結構楽しい毎日なんだから。ほら」
カトレアは、鳥籠《とりかご》を見せた。
中には一羽のつぐみがいた。羽に小さな包帯が巻かれていた。
「ほら、さっき馬車の中で言った、最近拾った子」
「わ、可愛《かわい》い」
「この子、とおりがかったわたしに一生懸命うったえていたの。羽が痛いよ、痛いよって。わたしすぐにこの子の声に気づいて、馬車を止めて拾ってあげたの」
どうやらカトレアは、森にあふれるたくさん鳥[#底本「たくさん鳥」ママ]の鳴き声の中から、羽が折れたつぐみの声を拾って馬車を止めたらしい。
「ちいねえさますごいわ! 鳥のしゃべっていることがわかるなんて!」
「使い魔の考えは手にとるようにわかるでしょう? それと似たようなことなんじゃないかなって思うの」
カトレアは微笑《ほほえ》んだ。ルイズは頬《ほお》を染めた。自分は才人《さいと 》が何を考えているのかさっぱりわからない。人間だからなんだろうか。
「でも、あなたのこともわかるわよ。この子と同じぐらいにね」
カトレアはつぐみを指差して言った。
「ほんと?」
「ええ。嬉《うれ》しいわ、あなたもきちんと恋をする年頃《としごろ》になったのね」
ルイズは耳まで真っ赤にした。
「何を言ってるの! 恋なんかしてないわ!」
「わたしに隠し事をしても無駄よ。全部わかっちゃうのよ」
「ほんとに恋なんかしてないの!」
よほど恥ずかしいのか、ルイズは泣きそうな勢いで首を振る。
「わかったからそんなに騒がないで。じゃあ今日は久しぶりにいっしょに寝ましょうか」
ルイズは頬を染めたまま、唇をかんで頷《うなず》いた。
ふかふかのベッドの中、ルイズは服を脱いで肌着一枚きりになると姉に寄り添った。寝巻き姿のカトレアは子猫を抱くようにして、ルイズを抱きしめる。
ルイズはカトレアの胸に顔を押し当てた。そして深いため息をついた。
「どうしたの? ルイズ」
「なんでもない」
「おっしゃいな」
カトレアにそう言われて、ルイズは言いにくそうにつぶやく。
「わたし、ちいねえさまみたいに膨らむかしら」
カトレアはぷっと、噴き出した。それから手を伸ばして、ルイズの胸をまさぐった。
「ひゃん!」
とルイズは悲鳴をあげた。気にせずにカトレアは触りつづける。
「大丈夫よ。平気。すぐに大きくなるわ」
「ほんと?」
「ええ。わたしも、あなたぐらいのときは、このぐらいだったもの」
ルイズは頭の中で思い出した。カトレアは確か、今二十四だから……、十六のときは八年前。自分は八歳。その頃《ころ》カトレアはどうだっただろう? なにぶん幼かったのでよく思い出せない。
そういえば、昔はよくこうしてカトレアに抱かれて眠ったものだ。自分は寂しがり屋で、一人では眠れなかった。枕《まくら》を引っ張って、カトレアのベッドにもぐりこみ、姉の話を聞きながら、姉の香りを嗅《か》いでいると……、優しい気持ちになって眠ることができた。
カトレアに抱かれて、目をつむる……。
いろんなことが頭をよぎる。
アンリエッタのこと。
アルビオンとの戦争のこと。
もしかしたら死ぬかもしれない。
自分は死ぬかもしれない許可をもらいに、実家に帰ってきているのだ、ということが深く、重く肩にのしかかってきた。
今の一日一日がひどく貴重なものに思われた。そう思ったら、なぜか使い魔のことを思い出してしまい、ルイズは頬《ほお》を染めた。そういえば今日はほとんど口をきいていない。エレオノールに叱《しか》られそうで、話しかけることができなかったのである。今ごろ、何してるんだろうな、と思い始めたら眠れなくなった。
そんな風にもぞもぞしていると……。
「どうしたの? 眠れないの?」
「う、うん……」と恥ずかしげにつぶやく。
「うふふ。もうわたしのとなりじゃ、眠れないのね。誰《だれ》のことを考えていたの? おちびさん」
「だ、誰のことも考えてないわ。ほんとよ」
「あなたが連れてきた、さっきの男の子?」
「違うの! ただの使い魔だもの! 好きなんかじゃないもの!」
「あら。誰も好きだなんて言ってないわ」
ルイズは布団を引っかぶった。
「ちいねえさまなんか嫌い」
「あらやだ。嫌われちゃった」
カトレアは楽しそうに笑った。
「でもいいのよ。いつまでも姉さんといっしょじゃないと眠れない子じゃ、逆に困っちゃうわ」
ルイズは、う〜〜〜、と唸《うな》った。
「行ってらっしゃいな。あなたの今の居場所に」
ルイズは毛布を引っかぶって、廊下をぺたぺたと歩いていた。通りすがった召使に尋ねると、才人《さいと 》が泊まっているのは奥の納戸であると教えてくれた。そこは客間が続く廊下の突き当たりで、いつもは掃除に使う道具が置いてある場所であった。
目当ての納戸を見つけ、大きく深呼吸した。別にね、会いたいから来たのではない、と自分に言い聞かせる。自分はメイジ。使い魔がそばにいないと、不安になってしまうだけなのである。ほんとそれだけなのである。今日は一日口をきいていない。少しは口をきいてあげないと、あの使い魔が可哀想《か わいそう》だからよ、と思う。
ほんとそれだけだから、とつぶやきながらも顔を真っ赤に染め、ルイズは納戸の扉をあけた。
しかし、そこにいたのはベッドに腰掛けたシエスタであった。
「あら。ミス・ヴァリエール」
その頬《ほお》が酔いで赤く染まっている。手には酒瓶《さかびん》を握っていた。
「なな、なんであんたがいるのよ」
とルイズが慌てて言えば、「遊びにきただけですけど」とシエスタ。
ベッドの後ろに才人の姿が見えた。ぐがー、と激しいいびきをかいている。どうやら酔ってつぶれて寝てしまったようである。
「自分の部屋に帰りなさい」
とルイズが精一杯の威厳《い げん》を浮かべて言えば、
「ここはミス・ヴァリエールのお部屋じゃありませんよ」
とシエスタは言い返してきた。
「ここはわたしの家よ」
ルイズも、シエスタを負けじとにらみつけた。いったい二人でなにしてたのかしら。そんな想像をしたら、めらめらと怒りが湧《わ》いてきたのである。
シエスタはお酒が入って、気が強くなっているらしい。それでなくても最近はルイズに食ってかかるシエスタである。怯《おび》えず、動じず、ルイズに言い放った。
「わたしは学院に雇われたメイドです。ミス・ヴァリエールに雇われたわけではありませんわ。とにかく今はわたくしたちの時間です。その時間をどう使おうがわたしたちの勝手ですわ。邪魔しないでください」
話にならない。ルイズはずかずかとベッドに近づき、寝ている才人の足首をつかんで引っ張り出そうとした。すると、もう片方の足をシエスタが握りしめる。
「離しなさい」
「離しませんわ」
「あのね、こいつはわたしの使い魔なの。つまりね、わたしのモノなの」
シエスタは、敵意を含んだ目でルイズをにらみつけた。どうやらルイズの言うことを聞くつもりはないようだ。
「……あなた、貴族に逆らおうというの?」
ぴきーんと、部屋の空気がかたまった。
シエスタは、ぐいっと酒瓶《さかびん》から酒をあおった。
そして、小さな声でつぶやいた。
「貴族貴族貴族貴族って、うるさいです」
「はぁ? この、ぶぶ、無礼者……」
ルイズが怒鳴りつけようとした瞬間……、シエスタがぐいっとルイズに顔を近づけてきた。
「好きなんでしょ? 要はやきもちじゃないですか。それなのに貴族がどーのこーのなんてね、ちゃんちゃらおかしいですわ」
「な、な……」
一気に本丸をつかれ、ルイズはうろたえた。
「好きって認めます? わたしにやきもち焼いてるって認めますか? そしたら、今日だけ連れてってもいいですわ」
シエスタは、ぐいぐいルイズに迫ってくる。
「あ、あう……、う……」
ルイズは顔を赤らめて口篭《くちごも》る。
「なによ。言えないんじゃない。臆病者《おくびょうもの》」
「う……」
妙な迫力のシエスタに、すっかりやりこめられてルイズはあとじさった。
「だいたいねえ、サイトさんは……」
「な、なによ! なによなによ!」
「胸の大きい子が好きなんです」
完全にルイズはとどめをさされ、ぐ……、と言葉につまった。
「いっつも思ってましたけど。それ胸じゃありませんよね」
つんつんとシエスタはルイズの胸をつついた。
「む、胸だもん」
「板じゃないですか。贔屓目《ひいき め 》に言って、板!」
う……、とルイズは半泣きになってしまった。才人《さいと 》の視線の先を思い出す。いっつもあのバカ使い魔の視線は、谷間を泳いでいなかったか?
「サイトさんいっつも言ってましたわ。ミス・ヴァリエールはぺったんこだから、女の子には見えないって」
酔った勢いで、シエスタはとんでもないことを言い放った。
ルイズはぎゅっと唇をかみ締めると、部屋を飛び出していった。
それを見届けると、シエスタはころんと才人《さいと 》の横に転がって、寝息を立て始めた。
半泣きで部屋に戻ってきたルイズを見て、カトレアは驚いた顔になった。
「おや、どうしたのルイズ。なにがあったの?」
「ふえ……」とルイズはカトレアの胸に飛び込んだ。
「いやねえ、何を泣いてるの?」
しかしルイズはしゃくりあげるだけで要領を得ない。
ふぅ、とカトレアはため息をついた。
昔よくそうしたように、泣きつかれて眠るまで、カトレアはベッドの中でルイズの頭を撫《な》でてやった。
才人は目を覚まして、驚いた。となりにシエスタが寝ていたからであった。うーんうーん、と苦しそうな寝息を立てている。なんでシエスタが俺《おれ》のとなりに……、といぶかしんだが、床に転がった酒の壜《びん》を見て思い出す。
「そういや、酔っ払っていきなり押しかけてきたんだよな……」
シエスタに強い蒸留酒を飲まされ、自分は一気につぶれてしまったのであった。
「シエスタ、シエスタ」と頬《ほお》をぴしゃぴしゃと叩《たた》く。
しかし目を覚まさない。うう、うぐ、むぐ、と胸を押さえて息苦しそうにしているので才人は慌てた。見るとサイズが合わないシャツを着ている。城の誰《だれ》かに借りた肌着であろうか。まったく、二日酔いでこんなサイズの合わないシャツを着ていたら、そりゃ気分も悪かろう。才人はシエスタのシャツのボタンをゆるめてやった。
するとシエスタは、ぱっちりと目をあけた。才人は慌てて、シャツから手を離した。
「は、ふにゃ、おはようございます……」
シエスタは寝ぼけた顔でそうつぶやき、それから、はっ! と自分の置かれた状況に気づき、一気に顔を赤らめた。
「サ、サイトさん、どうして? あのっ! わたし!」
おいおいあんだけ酔って人の部屋侵入してきて人つぶしてそりゃねえだうと思いながら、才人は苦笑した。
「いや、シエスタ昨晩酔っ払って……」
才人《さいと 》がそこまで言うと、シエスタはさらに顔を赤らめた。
「え? 酔っ払った?」
「うん。ほら」
才人は床に転がった酒の壜《びん》を指差した。
「あれ持ってきて、ぐびぐびやってたよ」
「わたし、お酒飲んじゃったんですかぁ〜〜〜〜〜〜!」
「う、うん……」
「そういえば、夕飯の時、ワインが出たわ。一杯ぐらいなら、なんて思って飲んでしまったわ。あう、どうしよう……」
シエスタの慌てっぷりに、才人は驚いた。
「シエスタ?」
「わたし……、わたしですね。あのですね」
「う、うん」
「あまり、その、お酒の癖《くせ》がよくないみたいで」
顔をそらして、シエスタは気まずそうにつぶやく。なるほど、と『お前も飲め』に才人は納得した。このメイドは酒乱の気があるらしい。
「ワインを飲んでから、記憶がないんです。なにかわたし、サイトさんに失礼なこと……」
「いや、とくに……」
と才人は首を振った。
そのとき……、廊下からどたばたと誰《だれ》かが走ってくる音がした。ばたん! とドアがあけられる。飛び込んできたのはお城のメイドであった。
「な、な、なんだっ!」と才人が怒鳴る。
「どいて! 旦那《だんな 》様が到着したのよ! ぴかぴかにしないと……」と叫んで、掃除用具を引っつかみ、駆け出していった。次から次へと使用人がやってきて、モップやらポリッシュの入った缶を持って飛び出していく。そういえば、ここは納戸なのであった。いつもは使わない、掃除道具が置いてあるのだろうが、旦那様が帰ってくるとなれば別なのであろう。
旦那様? とシエスタと才人は顔を見合わせた。
つまり、ルイズの父親が帰ってきたのであった。
[#改ページ]
第三章 ラ・ヴァリエール公爵《こうしゃく》
竜に四隅を持ち上げられた巨大な籠《かご》が、朝もやの中、城の前庭に降り立った。
周りに控えた召使たちがいっせいに、馬車から車輪を外したようなつくりの籠にとりついた。馬丁《ば てい》が竜にとりつき、なだめている隙《すき》に、召使が籠の扉を開く。緋毛氈《ひもうせん》がドアの入口まで敷かれ、籠の中からおりてきた初老の貴族を迎えた。
ラ・ヴァリエール公爵《こうしゃく》であった。歳《とし》の頃《ころ》は五十過ぎ。白くなりはじめたブロンドの髪と口髭《くちひげ》をゆらし、王侯もかくやとうならせる豪華な衣装に身を包んでいた。左眼にはグラスがはまり、鋭い眼光をあたりに撒《ま》き散らしていた。
つかつかと歩く公爵に執事がとりつき、帽子をとり、髪をなおし、着物のあわせを確かめた。
公爵は渋みがかったバリトンで「ルイズは戻ったか?」と尋ねた。
長年ラ・ヴァリエール家の執事を務めているジェロームは、恭《うやうや》しく一礼すると、
「昨晩お戻りになられました」と答えた。
「朝食の席に呼べ」
「かしこまりました」
朝食は日当たりのいいこぢんまりとしたバルコニーでとるのが、ラ・ヴァリエール家の常である。その日もテーブルが引き出され、陽光の下に朝食の席がしつらえられた。上座にはラ・ヴァリエール公爵が腰掛け、そのとなりに夫人が並ぶ。そして珍しく勢ぞろいした三姉妹が、歳の順番にテーブルに座った。ルイズは昨晩泣きはらしたせいで、フラフラの体である。今から父に参戦の許可をもらおうというのに……。
公爵はかなり機嫌が悪い様子であった。
「まったくあの鳥の骨め!」
開口一番、公爵は枢機卿《すうききょう》をこき下ろした。
「どうかなさいましたか?」
夫人が表情を変えずに、夫に問うた。ルイズなどはもう、父のその一言で気が気ではない。
「このわしをわざわざトリスタニアに呼びつけて、何を言うかと思えば『一個軍団編成されたし』だと! ふざけおって!」
「承諾《しょうだく》なさったのですか?」
「するわけなかろう! すでにわしはもう軍務を退《しりぞ》いたのだ! わしに代わって兵を率いる世継ぎも家にはおらぬ。なにより、わしはこの戦に反対だ!」
「でしたね。でもよいのですか? 祖国は今、一丸となって仇敵《きゅうてき》を滅すべし、との枢機卿《すうききょう》のおふれが出たばかりじゃございませんか。ラ・ヴァリエールに逆心ありなどと噂《うわさ》されては、社交もしにくくなりますわ」
そうは言いながらも、夫人は随分と涼しい顔である。
「あのような鳥の骨を枢機卿≠ネどと呼んではいかん。骨は骨で十分だ。まったく、お若い陛下をたらしこみおって」
ルイズはぶほっ! と食べていたパンを噴出した。エレオノールがそんなルイズをにらみつける。
「おお恐《こわ》い。宮廷のすずめたちに聞かれたら、ただじゃすみませんわよ」
「ぜひとも聞かせてやりたいものだ」
それまで黙っていたルイズが、わななきながら口を開いた。
「と、父さまに伺いたいことがございます」
公爵《こうしゃく》はルイズを見つめた。
「いいとも、だがその前に、久しぶりに会った父親に接吻《せっぷん》してはくれんかね。ルイズ」
ルイズは立ち上がると、ととと、と父に近寄り、頬《ほお》にキスをした。それからまっすぐに父を見つめ、尋ねた。
「どうして父さまは戦に反対なさるのですか?」
「この戦は間違った戦だからだ」
「戦争をしかけてきたのはアルビオンですわ。迎え撃《う》つことのどこがいけないのですか?」
「こちらから攻めることは『迎え撃つ』とは言わんのだよ。いいか?」
公爵は皿と料理を使って、ルイズに説明を始めた。
「『攻める』ということは、圧倒的な兵力があって初めて成功するものだ。敵軍は五万。我が軍はゲルマニアと合わせて六万」
かちゃかちゃとフォークとナイフを動かし、公爵は肉のかけらで軍をつくった。
「我が軍のほうが一万も多いじゃありませんか」
「攻める軍は、守る側に比べて三倍の数があってこそ確実に勝利できるのだ。拠点を得て、空を制してなお、この数では苦しい戦いになるだろう」
「でも……」
公爵はルイズの顔を覗《のぞ》き込んだ。
「我々は包囲をすべきなのだ。空からあの忌々《いまいま》しい大陸を封鎖して、日干しになるのを待てばよい。そうすれば、向こうから和平を言い出してくるわ。戦の決着を、白と黒でつけようとするからこういうことになる。もし攻めて失敗したらなんとする? その可能性は低くはないのだ」
ルイズは黙ってしまった。父の言うことは正論であった。
「タルブでたまたま勝ったからって、慢心が過ぎる。驕《おご》りは油断を生む。おまけに魔法学院の生徒を士官として連れていく? バカを言っちゃいかん。子供になにができる。戦はな、足りぬからと言って、数だけそろえればよいというものではない。攻めるという行為は、絶対に勝利できる自信があって初めて行えるのだ。そんな戦に、娘を行かせるわけにはいかん」
「父さま……」
公爵《こうしゃく》はそこまで言うと立ち上がった。
「さて、朝食は終わりだ」
ルイズはぎゅっと唇をかみ締めて、佇《たたず》んだ。
「ルイズ。お前には謹慎《きんしん》を命ずる。戦が終わるまで、この城から出ることはゆるさん」
「待って!」とルイズは叫んだ。
「なんだ? 話は終わりだと言っている」
「ルイズ……、あなた……」
エレオノールが、ルイズの裾《すそ》を引っ張った。カトレアは、そんなルイズを心配そうに見つめている。
「姫さま……、いえ、陛下は、わたしを必要としているの」
「お前の何を必要としているというのだ。魔法の才能が……」
家族はルイズが虚無≠フ担い手ということを知らないのだった。
「今は、今は言えないけど……、わたし……」
ルイズは口篭《くちごも》ったが、やおら昂然《こうぜん》と顔をあげた。
「もう、昔のわたしじゃないの!」
「ルイズ! あなたお父さまになんてこと!」
エレオノールがきつい声で言い放つ。
「姉さまは黙ってて! 今、わたしが話をしているの!」
そんなルイズの態度に、家族全員が驚いた。昔のルイズだったら、そんな風に姉に逆らうなんてこと、ありえなかった。
「わたし、ずっと馬鹿《ば か 》にされてきたわ。魔法の才能がないって、姉さまたちに比べられて、いっつも悔しい思いをしてた。でも、でも今は違うの。陛下は、わたしが必要だと、はっきりおっしゃってくれているわ」
その言葉で、公爵の目の色が変わった。ルイズの前に向かうと、膝《ひざ》をついて娘の顔を覗《のぞ》き込んだ。
「……お前、得意な系統に目覚めたのかね?」
こくりと、ルイズは頷《うなず》いた。
「四系統のどれだね?」
ルイズはしばらく考えた。もちろん、虚無のことは話せない。でも、父に嘘《うそ》をついていいものだろうか? しばらくルイズは葛藤《かっとう》した。そして……、唇をかんで嘘をついた。
「……火、です」
「火?」
しばらくラ・ヴァリエール公爵《こうしゃく》はルイズの顔を見つめていたが、ゆっくりと頷《うなず》いた。
「お前のおじいさまと同じ系統だね。なるほど、火≠ゥ。……ならば戦に惹《ひ》かれるのも無理はない。罪深い系統だ。本当に、罪に塗《まみ》れた系統だ……」
「父さま……」
公爵は力なく頭《こうべ》をたれた。
「陛下はお前の力が必要だと、確かにそうおっしゃったのだね?」
「はい」
「いいかねルイズ。大事なところだよ。間違えてはいけないよ。他の誰《だれ》でもなく、確かに陛下が、お前の力が必要だと、そうおっしゃったのだね?」
ルイズはきっぱりと言い放った。
「はい。陛下にはわたしの力が必要だとおっしゃってくださいます」
老公爵は首を振った。
「名誉なことだ。大変に名誉なことだ。だが……、やはり認めるわけにはいかぬ」
「父さま!」
「お間違いを指摘するのも、忠義というもの。陛下にはわしから上申《じょうしん》する。ジェローム!」
「はっ」
と執事が飛んできて、公爵の脇《わき》に控える。
「紙とペンを用意しろ」
それからルイズに向き直り、
「お前は婿《むこ》をとれ」と言い放った。
「え? どうしてですか!」
「戦の参加は認めぬ。断固として認めぬ。お前は、あのワルドの裏切りの一件で自棄《や け 》になっているのであろう? なれば婿をとれ。心も落ち着くだろう。二度と戦に行きたいなどと言い出さぬであろう。これは命令だ。違《たが》えることは許さぬ」
「父さま!」
ルイズが叫ぶ。しかし、老公爵は首を振った。
「ジェローム、ルイズをこの城から出してはならん。よいな?」
「かしこまりました」
と執事は頷いた。
そして公爵は、朝食の席から退場していった。
残された婦人と姉たちは、ルイズを取り囲む。
母と長姉は、ルイズを責めた。
「お父さまはもうお若くないのよ。あまり心配をかけないで」
「父さまにあれだけの心配をかけたのだから、あなた婿《むこ》をとりなさい」
エレオノールが、冷たく言い放つ。
「どうしてわたしが! 順番からいえば、エレオノール姉さまが……」
「だからわたしは解消したって言ってるでしょお〜〜〜〜〜〜〜」
と言って、エレオノールはぐりぐりとルイズの頬《ほお》をつねった。
「ご、ごめんなふぁい……、でも、わたし、まだふぇっほんふぁんて(結婚なんて)……」
「なんで? どうして? あなた、恋人でもいるの?」
母にそう突っ込まれて、ルイズは首を振った。
「いないわ。いない。いないもの」
公爵《こうしゃく》夫人とエレオノールは、そんなルイズの様子ですぐに何か感づいたらしい。二人は顔を見合わせた。
「想《おも》い人はいるみたいね」
「そ、そんなのいないんだから!」
「誰《だれ》? どこの貴族なの?」
「伯爵《はくしゃく》? 男爵?」
「準男爵? あなたまさか、ただのシュヴァリエ≠ネんかじゃないでしょうね?」
ルイズの体が、ぴくん! とかたまった。
「やだこの子……。そうだわ、シュヴァリエか勲爵士《くんしゃくし》か知らないけど……、身分の低い男に恋したんだわ」
エレオノールが、苦い顔になった。母も額を押さえる。
「おお、この子はほんとうにいくつになっても心配をかけるんだから……」
「わ、わたし、シュヴァリエなんかに恋してないわ」
ルイズは慌てて言った。ほんとはシュヴァリエですらない、ただの平民。しかも異世界から来た平民だなんて知れたら、ただではすまない気がした。というか常々、好きでもなんでもないもん、とか思っているくせに、今は才人《さいと 》のことで頭がいっぱいであった。
カトレアが心配そうにルイズを見つめている。
「この子は、いくつになっても心配をかけるのね。戦争に行きたいと言い出したり、おまけにシュヴァリエなんかに恋したり……」
「だから、恋なんか……」と、口篭《くちごも》る。母と姉に左右から怒鳴られる。
「「おだまり!」」
いつもの剣幕であった。ルイズは父親にくってかかったさきほどの勇気もどこへやら、すっかり意気消沈してしまった。
急に哀《かな》しくなり、ルイズは駆け出した。
「こら! お待ちなさい!」
と母と長姉の叫ぶ声が響いた。
昼過ぎになった。才人《さいと 》は何にも用事がないので、納戸のベッドに横たわり、天井をじっと見つめていた。ゴロゴロしていて、自分が寝転がっているものがベッドではなく、箱の上に藁《わら》を置いてシーツをかぶせただけのシロモノということに気づき、ちょっとせつなくなってもいた。このラ・ヴァリエール家において、自分はそれだけの存在なのだ。とるにたらぬ、ちっぽけな存在……。
シエスタは自分の部屋に戻っていたので、才人は一人ぼっちであった。朝食がまだだったことに気づき、さてどうしよう、何かもらいに行こうか、それとも誰《だれ》かが持ってきてくれるんだろうかとぼんやり思っていると……。城の召使たちがカツカツと石畳の廊下を駆けずり回る音が聞こえてくる。
「どこ? 見つかった?」
「いや! こっちじゃない!」とか、そんな声だ。どうやら誰かを捜しているらしい。
なんだなんだ捜しものかよ、とぼんやりしていると、ばたん! とドアがあけられた。数人の若いメイドが飛び込んできて、才人を押しのけ、納戸中を引っ掻《か》き回し始めた。
「な、なんすかあんたら!」と才人が叫ぶと、「ここじゃないみたいね」とつぶやいてメイドたちは去っていった。
いったい何があったんだろう? と才人がいぶかしんでいると、今度はドアがノックされた。
「あいてますよ」と言ってもノックが続く。
ルイズやシエスタなら、そう言えばずかずか入ってくる。言っても自分であけないのは、やんごとない人だー、とそのぐらいは覚えていた才人は扉をあけた。
桃色がかったブロンド、鳶色《とびいろ》の瞳《ひとみ》の女性が立っていた。
一瞬、ルイズ? と思ったが違った。ルイズより背が高い。柔らかい目つき。ふんわりとしたとげのない笑顔。
カトレアであった。
「え、えっと、その……」
才人があわあわとしていると、彼女が問いかけてきた。
「お邪魔してもよろしいですか?」
「は、はいっ! どうぞ!」
最敬礼で、才人は迎え入れた。
「ごめんなさいね」とカトレアはぺろっと舌を出した。
可愛《かわい》い、と才人《さいと 》はきゅーんと胸が締めつけられた。もともとルイズは好みである。しかし、性格のキツさがたまに顔に出る。雰囲気もどことなく、まだ幼い。でも、このカトレアは違う。ルイズの欠点をとっぱらい、美徳で埋め尽くしたようなそんな雰囲気なのである。年上の優しいお姉さんといった感じがひしひしと伝わってくる。
ルイズにはない、小悪魔的ないたずらっぽそうな笑みを浮かべ、カトレアはベッドに座った。
シエスタの健康そうな色気とも違う。
アンリエッタの高貴と危うさの絶妙なバランスが生み出す色気とも違う。
キュルケが振りまく暴力的な色気とも違う。
もちろんルイズの熟しきらない色気なんかとも違う。
ふんわりと、包み込むような色気である。
ルイズが成長したら、こんな風になってくれるんだろうか? そうならばルイズは完全に買い≠セよな、とよからぬ考えが浮かんでしまうぐらい、カトレアは魅力的だったのである。
「ルイズは成長してもわたしみたいには、ならないわよ」
いきなりにっこりと笑ってそんなことを言われ、才人は跳び上がった。
「え? いえ! そんな! そんなこと考えてません! はい!」
「あらそう? わたしには、ルイズは将来こんな風になっちゃうのかなあ? なんて考えているように思えたんだけど……」
はう、なんて鋭い女の人なんだ。
カトレアはコロコロと笑って、
「ルイズはもっと魅力的に成長するから、安心なさって。背は伸びないかもしれないけどね」
いやお姉さまに似てくれたら十分すぎるほどに十分なんすけど、胸もその、はい、と思いながら才人《さいと 》は口をぱくぱくさせた。
「あなた、お名前は?」
「才人です。はい」
「あら、素敵なお名前ね」
こっちに来て、初めて名前を褒《ほ》められた。
「ねえ、あなた何者? ハルケギニアの人間じゃないわね。っていうか、なんだか根っこから違う人間のような気がするの。違って?」
そんな風に見つめられ、才人は驚愕《きょうがく》した。なんだ? 異世界の人間ってバレバレ? っていうかルイズが話したんだろうか?
「うふふ。どうして知ってるんだって顔ね。でもわかるの。わたし、妙に鋭いみたいで」
「は、はぁ……」
「でも、そんなことはどうでもいいの。どうもありがとうございます。ほんとに」
「え?」
「あのわがままルイズを助けてくださってありがとうございます。あの子が陛下に認められるようになった手柄は、あの子一人であげたわけじゃない。きっとあなたが手助けしてくれた。そうでしょう?」
なんと答えればいいのだ。というかどこまで話していいんだろう? そんな風に才人が困っていると、カトレアはにこっと笑った。
「話せないこともあるわね。いいのよ。さて……、残念なお知らせなの」
「え?」
「ルイズ、父さまのお許しがいただけなかったのよ。そんでもって、婿《むこ》をとれなんて言われちゃって。姿を消しちゃったの」
「ほ、ほんとですか?」
さっきずかずかと入ってきた使用人たちは、ルイズを捜しに来たのだ。才人はあちゃあ、と顔を伏せた。
「父さま、ルイズに結婚しろだって。あの子も大変よねえ。婚約者が裏切りものだったと思ったら、すぐに次の縁談よ。まだ幼いのにねえ」
カトレアはまるで人事《ひとごと》のように、つぶやいた。
才人《さいと 》はせつなくてぷるぷると震えた。ルイズが結婚? ワルドの一件で、その言葉は深く才人を責め立てるのだ。二度と聞きたくない単語であった。
「あなたイヤでしょ? ルイズが結婚するの」
天使の微笑でカトレアがつぶやく。
才人は首を振った。
「そ、そんな……、いいんすよ。だいたい俺《おれ》ルイズのことなんとも思ってないし。ルイズだって、俺のこと……、貴族でもなんでもない、俺のことなんてなんとも思ってないですから」
カトレアは身を乗り出して、才人に尋ねた。
「ねえ、貴族の条件をご存知?」
いきなり何を聞くのだろう。そんなの、決まってる。
「え? たしかその、魔法が使えて……、お金持ちで……」
「そんなのは些細《さ さい》なことよ」
「だって、この世界では魔法を使えなきゃ、貴族じゃないんでしょ」
「違うわ」
とカトレアは首を振った。
「貴族の条件は一つだけ。お姫さまを命がけで守る、それだけよ。自分の娘を命がけで守ってくれたから、かつての王さまはわたしたちのご先祖に領地やお城をくれたのよ。魔法が使えたからじゃないわ」
カトレアは、才人を真摯《しんし 》な目で見つめた。
どきっとして、才人はあとじさる。十年後のルイズに見つめられたような、そんな気がした。
「あの子は中庭にいるから行ってあげて。中庭には池があって……、小さな小舟が浮かんでるの。その中にいるわ。あの子、昔っからいやなことがあるとそこに隠れるのよ。ルイズを連れ出したら、城の外に出て。街道には馬車が待っているわ。あなたたちの連れのメイドが手綱を握っているから、それでお行きなさい」
「……え?」
「戦は感心しない。嫌いだわ。正直、ルイズに行ってほしくはない。でも、あの子がそう決めて、その行為を必要とする人がいる。だったら行かせてあげるべきだと思うの。それはわたしたちが決めることじゃない」
カトレアは才人の頬《ほお》を両手で挟んだ。
「あなたとルイズに、始祖のご加護がありますように」
そして、貴族を扱うようにして、才人《さいと 》の額にキスをした。
「わたしの可愛《かわい》い妹をどうかよろしくお願いいたしますわ。騎士殿」
ルイズは中庭の小舟の中で泣いていた。
城の中から、自分を捜す使用人たちの足音や声が聞こえてくる。でも、幼い頃《ころ》のように、この中庭の小舟は安全であった。小島の陰に隠れる格好で、城の中からは死角になり、目立たないのである。
持ってきた毛布を引っかぶり、ルイズは子供の頃そうしたように、小さくうずくまっていた。子供の頃はそうしていると……、だんだん気持ちがおさまっていったのだが、今はそううまくはいかない。沈んだ気持ちは、晴れることなどないように思われた。
中庭の土を踏みしめる、小さな足音が響いた。
息を殺してじっとしていると、池の小島に続く木橋を渡る大きな音に変わる。
いけない、と思って毛布の中に体を埋めた。
すると直後……、ばしゃん! と足音の主が池に入った音がして、毛布を引っぺがされた。
思わず身をすくめると、名前を呼ばれた。
「ルイズ」
「……サイト?」
「行くぞ。お前の姉さんが、馬車を用意してくれた」
「……行けないわよ」
「どうして」
「家族の許しをもらってないもの」
「無理だよ。向こうだってお前の家族だ。頑固なんだろ」
才人は手を伸ばした。しかし、ルイズはすねていたのでその手を振り払う。
「なんだよ」
「もうやだ。いい」
「なんで?」
「だっていくら頑張っても、家族にも話せないなんて。誰《だれ》がわたしを認めてくれるの? なんかそう思ったら、すごく寂しくなっちゃった」
そんなことでいじけていたのか。先が思いやられる。こいつは俺《おれ》がいないと……、なんて本格的に思い始めていた。
小舟に乗り込んで、才人はルイズの手を握った。
「ったく。俺が認めてやる。俺が、お前の全存在を肯定してやる。だから立てっつの。ほら」
ぽっと……、その言葉でルイズの心に温かい何かがともった。
でも、才人《さいと 》の言葉なんか信用できない、と思う自分がいた。
どうせメイドがいいんでしょ。
どうせ胸の大きい子がいいんでしょ。
黒髪で、なんでも言うこときいてくれそうな、あの子がいいんでしょ。
寂しいのは、両親や、姉の理解が得られなかったからだけではない。昨日のシエスタの言葉も尾をひいている。才人はルイズのことなんか好みじゃない≠サの言葉がルイズの自信とやる気を著《いちじる》しく奪っていたのである。ルイズはそんなこと、自分の気持ちといえど認めようとはしないが、そんな言葉を引きずっていたのであった。
したがってルイズはさらにぐずった。
「何が認めてやる≠諱B嘘《うそ》つかないで」
「嘘じゃない」
「嘘よ。今回の戦だってどうせ姫さまのご機嫌とりたいんでしょ。ギーシュと同じだわ」
「な、なんで姫さまが……」
ルイズは思いっきり冷たい声で言った。
「キスしたじゃない」
「ば、ばかお前。あれは成り行きで……」
「成り行きでキスするの? へぇーそぉー」
とうとう才人はきれた。きれて、ルイズの肩をつかんで振り向かせた。
「な、なによ!」
「バカか? お前は!」
「誰《だれ》がバカよ!」
「誰が好きで、お前みたいなわがまま娘のご機嫌とってると思ってんだよ! 誰が好きで、お前みたいなぺったんこのご主人様の使い魔やってると思ってんだっつの!」
才人はルイズを燃えた目で覗《のぞ》き込み、怒鳴りつけた。心底頭にきていた。なんでこいつはわかんねえかなぁ、とひっぱたきたい衝動にかられた。
「よ、よ、よくも言ったわね!」
「ああ、何度でも言ってやるよ。正直な、俺《おれ》だってお前の任務や戦なんかに付き合ってねえで帰る方法探してーよ! 東に行きてえんだよ! 俺はよ!」
「だったら行けばいいじゃない!」
ルイズは叫んだ。なによ、と思っていた。そんなに怒鳴らなくてもいいじゃないのよ。もっと優しくしてよ。こっちは落ち込んでんのよ。
才人はいっつもそうだ。ルイズが何をしてほしいのか、使い魔のくせにちっともわかってない。神経を逆なでするばっかりだ。
そんな才人《さいと 》は、ルイズが叫んだあと、荒い息で肩を上下させていた。何か言い返す言葉を選んでいるんだろう。ばか。ばかばか。何か言われたら、顔をひっかいてやる、とルイズは思った。いったいどんなセリフを吐く気だろう? 『行けばいいじゃない』と言った自分に何を言い返す気だろう? 『ああわかった! 行ってやるよ! 』だろうか?
しかし、才人の答えはルイズの予想の、はるか上を吹っ飛んでいた。
なんと才人は……、顔を真っ赤にして、
「好きなんだよ!」
空気がかたまった。ルイズは一瞬、何を言われたのかわからなかった。
今、なんつったの? スキ? スキってあの好き? どゆこと?
「……え?」
「お前が好きなんだよ! 顔見てるとドキドキすんだよ! それって好きってことじゃねーのかよ! だから好きなんだよ! それをテメエときたらぶちぶちと姫さまのご機嫌とりたいんでしょとかどこ見てたのとか、だったら行けばいいじゃないとか、ごちゃごちゃ言いやがって!」
「え? ええ?」
「とにかくテメエときたら可愛《かわい》くねーんだよ! どういうことよ! なんで俺《おれ》が命がけで戦ってると思ってんの! 好きだからだろうが! じゃなかったら部屋で寝てるっつの!」
才人はそこまでまくし立てると、はっ! と気づいた。
ルイズは顔を押さえて、うずくまっている。
どっと、後悔が才人の胸を襲《おそ》った。ああ、俺は勢いに任せて何を言ってしまったのであろう! っていうか告白してんじゃん! なんで! 状況を考えろ……。今は告白してる場合じゃねえだろ……。意味わかんねえ。
才人は小舟に突っ伏した。
しばらく時間が過ぎて……、ルイズは我に返った。
混乱して、意味がわからない。とにかく告白されたのである。才人に『好きだ』とはっきり言われてしまったのである。
どうしよう、と思った。
そう思うと同時に、みんなに言ってんじゃないの? と警戒心も呼び起こした。怒りと歓喜、二つの感情が湧《わ》いた。なんだかよくわからなくなって、顔を真っ赤にしながらルイズは立ち上がり、突っ伏した才人の顔を持ち上げた。
「嘘《うそ》だったら、殺すわよ」
震える声で、そこまで言った。今、自分の顔はどれだけ赤いのだろう。頬《ほお》は、どんだけ朱に染まってるんだろう。とにかく熱い。
「嘘《うそ》じゃねえよ」
「わたしはあんたのことなんか好きじゃないわ」
「知ってるよ」
「だって、あっちでふらふら、こっちでふらふらしてるんだもの」
「しないよ。もうしない」
「しなけりゃいいってもんじゃないの。とにかく一年、わたしのことだけ見てたら、その言葉を信用してあげる。信用するだけだけど」
「あ、ありがとう」
そんな風に、心底ほっとした声で言う才人《さいと 》が、ルイズはとても可愛《かわい》く思えてしまった。抱きしめて、ほお擦りしたい、そこまで思ってしまった。
でもそんなこと言えない。ルイズはなにせ、プライドの塊《かたまり》なのである。そのプライドは鎧《よろい》のように何重もルイズの心をおおって、容易なことでは本心に刃を届かせないのであった。
ルイズは才人の肩をつかんで腰をかがめた。そして、その顔を真剣な目で覗《のぞ》き込む。
いつだかのキュルケの言葉が耳によぎる。
『あなた、どうせ何も許してあげなかったんでしょ? そりゃ、他の子ともいちゃつきたくなるってものよ』
うー、少しは許さないといけないのかしら、などと思う。でも、そんなことして調子に乗られても困る。さじ加減が難しかった。
でも、他の女の子を見たり触ったりするのだけは我慢ができない。ルイズはしかたなく、ほんのちょっと覚悟を決めることにした。
「あ、あの、あのね。んとね」
「はい?」
「あんたはご主人さまを好きと言うことにより忠誠を誓ったのだから、ご、ごご、ご、ご褒美《ほうび 》は必要よね」
「ご褒美?」
「そうよ。姫さまがいっつもおっしゃってたわ。忠誠には、報いるところが必要だって」
「は、はぁ」
才人はもう、ルイズがどうしたいのかさっぱりわからなかった。でも次の言葉を聞いて、頭に血を上らせた。
「い、一箇所だけだかんね」
「はい?」
「ごご、ご主人さまの体、一箇所だけ、好きなとこ、ささ、触ってもいいわ」
そう言ってルイズは才人《さいと 》の肩に手を置いたまま目をつむった。
死ぬ、と才人は思った。
こんなこと言われて、俺《おれ》もう死ぬ。でも死ぬ前に、こ、このルイズをば。こ、この可愛《かわい》すぎるご主人さまをば、とぶつくさつぶやきながら、ルイズを抱きしめ、いきなり唇を奪った。
ルイズは、
「むご……」と唸《うな》り声をあげた。
キスか。そうきたか。まあ、確かに一箇所には違いない。
ばかね、どこでも好きな場所って言ってるのに。
でも、そんでキス? それって大事にされてる? なんて風に、こんなときにキスを選んだ才人をさらに愛《いと》しく感じてしまうルイズであった。
しかし、キスしたことで才人の興奮はマックスに達したらしい。『一箇所だけ』というルールをあっという間に忘れ、ルイズのスカートの中に手を伸ばしてきた。
ルイズは慌てた。やばい、別に大事にされてるわけではなかったみたい。
「ば、ばか……、一箇所だけって……、しかも、あんた、そんないきなり……、こらちょっと、おいこら何考えてんのこら、ばか、ちょ、この、あん、そんな、やん、ばか……」
「好き」
才人《さいと 》はうわごとのようにそうつぶやき、ルイズの耳たぶをかみしめた。体から力が抜けて、ルイズは小舟の上に押し倒された。むー、大事と好き。どっちが重いのかしらと考える暇もない才人の勢いであった。
「あ、あの、ちょっと、こら……、だめ、胸、胸はだめ。だめ、そこだめ全部だめ」
スカートの中やシャツの隙間《すきま 》に入り込もうとする手を、ルイズはぺしぺしと必死に払いのけた。
「好き。大好き。ほんとに好き」
まるで伝家《でんか 》の宝刀のように、才人は好き≠連発してきた。それは果たして魔法の言葉で、ルイズから抵抗する気力を奪ってしまうのであった。
「……ほ、ほんとに好き?」
思わず問い返してしまった。
「うん」
「ほんとにほんと? ……ん」
すると唇が塞《ふさ》がれる。
ちょっと待て。好きでもそんないきなりはダメである。教育上よくないし、プライドというものがある。
そうよ、わたしはルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。
公爵家《こうしゃくけ》のね、三女でございますの。
そんなね、街女みたいに軽くないの。
結婚するまでは絶対にだめなの。結婚しても三ヶ月はだめなの、それなのにこの使い魔はご主人さまのどこ触ってるのだろう許せない調子にのののののの、のるんじゃないわよ、とルイズは拳《こぶし》を振り上げた。股間《こ かん》を狙《ねら》い撃《う》つべく、足を振り上げようとした。
すると唇が離れ、耳元で囁《ささや》かれる。
「好き。ルイズ大好き」
大好きとー、きたもんだ。へなへなと拳が下がり、ルイズは思わず才人の背中を抱きしめてしまった。
ああ、もうだめどうしようお母さまごめんなさいルイズたぶん星になります、とつぶやき、最後に才人はこういうときどんな顔してんのかしら一応見とこうと思ってうっすらと目をあけると、素敵な光景が広がっていた。
池を取り囲むようにして、城の使用人が勢ぞろい。
こわばった顔のエレオノールがいた。
卒倒しそうなほどに蒼白《そうはく》な顔の母がいた。
そして、一同の真ん中には怒りを通り越した顔で震える父がいた。
ルイズは一瞬で熱から冷め、才人を突き飛ばした。
どっぼーん、と池に才人《さいと 》は落っこちる。
「なにすんだよ!」と才人は立ち上がり、中庭の観客たちに気づいた。
ラ・ヴァリエール公爵《こうしゃく》が、威厳《い げん》のある声で命令した。
「えー、ルイズを捕まえて、塔に監禁しなさい。そうだな、少なくとも一年は出さんから、鎖を頑丈なものに取り替えておきなさい」
「かしこまりました」と執事のジェローム。
「でもって、あいつ。あの平民な。えー、打ち首。一ヶ月はさらすから、台をつくっておきなさい」
「かしこまりました」と、同じ抑揚《よくよう》で、ジェローム。
使用人たちが一斉に、箒《ほうき》や鍬《くわ》や鎌《かま》や槍《やり》や刀を持って襲《おそ》いかかってきた。才人は背中のデルフリンガーの柄《つか》を握りしめた。左手のルーンが光る。
「いやぁ、相棒。すんごいお久しぶり。ほんとに寂しくて死ぬかと思った」
「ごめん、話あと!」
「みてえだね」
才人は、羞恥《しゅうち》のあまりぽかんと口をあけて小舟の上に座り込むルイズを抱きかかえると肩にかついだ。
そして、走り出した。
「なな、なんだあいつ! 速い!」
「まるで妖精《ようせい》だわ!」
城の廊下を、才人は風のように駆け抜けた。
立ちふさがる使用人には、ごめんなさい、と一言|詫《わ》びながら、足をひっかけて転ばした。
「何をしとるんじゃぁあああああ!」
と、末の娘が押し倒されたところを目撃した公爵は激昂《げっこう》して杖《つえ》を引き抜いたが、すでにルイズを抱えた才人は、魔法の射程外を走っていた。ガンダールヴの足の速さは、それを知らないものたちの想像を圧倒していた。
しかし……、連絡を受けた門番が跳ね橋を上げ下げするゴーレムを操作していた。ゴリゴリゴリ、と鎖が引き上げられ、跳ね橋が持ちあがろうとする。
門がある前庭に躍り出た才人は青くなった。どうやら間に合わない。堀の幅は……、ガンダールヴの力を発揮した才人でも、飛び越せそうにない。
絶体絶命! と思われた瞬間、ゴーレムが握った跳ね橋を持ちあげる鎖の色が変化した。『錬金』によって、柔らかい土に変化した鎖はぼろぼろと崩れ、支えを失った跳ね橋は、ばすん! と落ちた。
才人は跳ね橋を駆け抜けた。
渡ったところで、馬車が飛び出てくる。驚いたことに、馬でなく一匹の竜が馬車を引いていた。
ガタガタと震えるシエスタが御者台に座っている。
「早く! 早く乗ってください!」
才人《さいと 》はルイズを先に馬車に押し込み、自分も飛び乗った。
「な、なんでドラゴン?」
「わかりません! ただ、馬じゃ逃げきれないでしょう? なんて、その、カトレアさまに言われまして! きゃあ! きゃあきゃあ! とにかく竜|恐《こわ》いです! 顔が恐いです!」とシエスタはわめきながら、夢中になって手綱で叩《たた》いている。
代わるよ、と言って才人はシエスタから手綱を受け取り、御者台に座った。シエスタは、にこっと笑ってそんな才人に寄り添う。後ろの座席からそんな様子を見ていたルイズは、思わずぴきっと切れそうになったが、耐えた。さっきの才人の言葉を思い出す。好き、と言った。何度も言った。
ま、そのぐらい許してあげるわ。貴族が平民にやきもちやくなんて、そもそもおかしいのよ、ふっ……、と余裕など、かましてみた。するとシエスタは、ぺこりとルイズに頭を下げてきた。
「あの、申し訳ありません。ミス……」
「ん?」
「わたし、酔ってなにか失礼なことしてしまったようで……。癖《くせ》なんです。お酒飲むと、わたし、その、いつもと違う行動をする傾向があるようでして。はい」
シエスタは激しく恐縮していた。
「ま、いいわ。今度からは気をつけてね」と恋に勝利した女の余裕で、ルイズはうそぶいた。
「ありがとうございます!」
シエスタはぺこぺことルイズに頭を下げた。それから才人にひしっと寄り添った。
あーもーくっつきすぎ。でも、さっきはわたしたちもっとくっついてたから、ま、いいわ。ちょっとだけよ。お慈悲なのよ。
「でも……、サイトさん紳士ですよね」
「ん? 俺《おれ》?」
「そうです! わたしがとなりでつぶれてるのに……、なんにもなさりませんでしたわ」
「そ、そりゃ……、しないよ」
ルイズは微笑《ほほえ》んだ。なによ、それってあんたに魅力がないからよ。板とかおっしゃいましたわよね。へんだ。板の勝ちー。でかいだけのばかメイドの負けー。
「とかなんとかいって、シャツのボタンが外れてましたわ。いやん」
ルイズの眉《まゆ》が、ぴくんと動いた。
「え? それは、シエスタがすごい苦しそうにしてたから。はぁはぁ、ぜぇぜぇって……」
「もう、だからいっつも言ってるじゃないですか……」
シエスタは才人《さいと 》の耳に顔を近づけ、小さい声でつぶやいた。しかし、ルイズの耳には入るぐらいの大きさで。とにかく、シエスタの牽制《けんせい》ジャブであった。
「は、はいぃ?」
「見たいなら、そう言ってくださいって。わったし、隠しませんってば。何も遠慮することないんですよー」
ああ、シエスタ。なんということを。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ、と背後で空気が震える音がした。震えているのは空気ではなく、ルイズであった。
「おい」
「はい」
「使い魔は、メイドのボタンを外したのか」
「使い魔はボタンを外しました。苦しそうにしてましたから」
「言い訳はいいの」
「言い訳じゃないんですけど」
「ミス! しかたないじゃありませんか! サイトさんは大きめの! 大きめのが好きなんですから!」
ああシエスタ。それ、油です。火に注ぐ、燃える水です。
才人は、無駄と知りながら否定した。
「そんなことはありません」
「そういえば、ちいねえさまのも見てたわね」
「ちょっとです」
「そんな貴様は、やっぱり犬以下と判断せざるを得ません」
無駄に丁寧語。すでにもう、反論するだけダメな雰囲気である。というか酔ってつぶれてガンダールヴで、才人は疲れていた。というかこうなったら反論しても無駄なことを才人はよく知っていた。
耳をつかまれて、才人は奥に引っ張られた。
「ミス! 落ち着いて! ミス・ヴァリエール!」
「大丈夫。すぐ済むから。なんつーかな、きっと運命なんだと。俺《おれ》はそう思うな」
才人はにっこりと笑って奥へと消えた。
床に才人は転がされた。ルイズはその上にのしかかった。
「とりあえずさっきの小舟での件は、全部、間違いだから」
「はい。わかってます」
「今日はさすがに、わたしもブレーキが必要だと思うわ。どう?」
「そうしていただけると、ありがたいです」
でも、ブレーキはかからなかった。
才人《さいと 》の長くせつない絶叫が、いつまでもラ・ヴァリエールの領地に響いた。
街道の向こうに消え行く馬車を窓から見つめて、カトレアは微笑《ほほえ》んだ。それから激しく咳《せ》き込む。さきほど『錬金』の呪文《じゅもん》を唱えたので、体力を消耗したのであった。
視界内とはいえ、ここから跳ね橋は相当離れている。離れた場所へ効果を及ぼさせるには、かなりの精神力を消耗する。
部屋の中でつぐみが鳴いていた。
怪我《け が 》をしていたので、拾ってきて包帯を巻いてやった小鳥である。籠《かご》の中のつぐみをしばらく見つめ、カトレアは優しい笑みを浮かべた。
籠の蓋《ふた》をあけ、中に手を伸ばす。つぐみは、カトレアの手に乗った。中から取り出し、包帯を外してやる。
窓から手をさしのばす。その上のつぐみは、カトレアの顔を見つめて、首をかしげた。まるで彼女に問いかけるように。
「大丈夫よ。もう、平気よ」
つぐみは空を見つめた。そして、羽ばたいた。
大空を飛び回るつぐみを、カトレアは見つめていた。
じっと、いつまでも、カトレアは見つめていた。
[#改ページ]
第四章 中隊長ギーシュと士官候補生マリコルヌ
魔法学院にやってきた募兵官に王軍への申し込みを行った生徒たちは、それぞれ即席の士官教育を二ヶ月ほど受け、各軍に配属された。
トリステインの軍隊は、大きくわけて三つあった。
まず、時の王を直接の最高司令長官とする王軍≠ナある。王政府所属の貴族の将軍や士官たちが、金で集められた傭兵《ようへい》の隊を指揮するのであった。ギーシュたち学生士官が配属されるのは、主にこの王軍と後述する空海軍であった。
次に、各地の大貴族たちが、領地の民を徴兵して編成する、国軍≠ワたは諸侯軍≠ニ呼ばれる組織である。王から領地を賜《たまわ》った貴族は盟約に従い軍を組織する。ルイズの父、ラ・ヴァリエール公爵《こうしゃく》が枢機卿《すうききょう》に編成を依頼されたのもこれであった。
その兵はもともと農民のため、国軍は傭兵で編成された王軍に錬度で劣《おと》った。おおよそ遠征に向く軍組織ではないが、王軍のみでは頭数が足りぬため、連れて行くことになった。ルイズの父、ラ・ヴァリエール公爵のように戦に反対して、兵の拠出を拒んだ貴族も多数いた。
なお、今回は遠征であるため、国軍の半数は輜重《しちょう》……、つまりは補給部隊として動くことになった。
最後に空海軍≠ナある。
空や海に浮かんだ軍艦を動かす軍隊である。
艦長を頂点とする、まさに封建制の縮図ともいえる軍組織であった。艦の中での絶対権力者、艦長の下に、貴族士官が乗り込み、多数の水兵を指揮する。水兵といえど、フネを動かすために皆なんらかの専門家であった。陸軍とは違い、頭数をそろえればよい、という性格の軍ではないため、経験と日ごろの訓練が何より重視された。
王軍に予備士官として配属することになったギーシュが首都トリスタニアの中ほどにあるシャン・ド・マルスの錬兵場《れんぺいじょう》に到着したのは、ルイズたちが帰省した日の翌日のことである。
ロッシャ連隊、ラ・シェーヌ連隊、ナヴァール連隊……、平時には連隊長の街屋敷の庭に翻《ひるがえ》る連隊旗は、本日このシャン・ド・マルス錬兵場に集結していた。
教練士官に書いてもらった紹介状を片手にギーシュは、王軍十二個連隊、二万の兵でごったがえす錬兵場を行ったり来たりしていた。
自分が所属することになった隊は、王軍所属のド・ヴィヌイーユ独立大隊。聞いたことのない隊であったが、ギーシュは初陣《ういじん》で張りきっていた。
先だって、王軍の元帥《げんすい》職にある父に会ってきたばかりである。元帥は終身職であるために、軍務を退《しりぞ》いてなお父は元帥なのであった。老齢の父はこのたびの戦に参加できないことを大変にくやしがり、ギーシュを激励した。
「命を惜しむな、名を惜しめ」と生粋《きっすい》の武人である父は、そう言ってギーシュを送り出した。三人いる兄すべてが、出征している。一番上の兄は、ド・グラモン家の軍を預かっている。二番目の兄は、空軍の艦長である。三番目の兄は、王軍士官であった。
そして自分は……、ド・ヴィヌイーユ独立大隊預かりの士官として、参陣するのであった。しかし、その肝心の大隊が見つからない。紹介状に描かれたデザインの大隊旗が、どこにも見えないのであった。
しかたなく恐《こわ》そうな髭面《ひげづら》の士官に、尋ねてみた。
「あの、ド・ヴィヌイーユ独立大隊はどちらでしょうか」
その士官は帰り道がわからなくなるとは何事だ、とギーシュに説教を始めた。
「本日付の配属なのです」とギーシュが言うと、頭から足の先までギーシュを舐《な》めるように見つめ、「学生士官か?」と尋ねてきた。
「は、はい! そうであります」」と覚えたての軍隊調で敬礼すると、頭を叩《たた》かれた。
「いいか学生。戦場では、自分の隊がわからなくなりました、などといっても誰《だれ》も教えてはくれんからな」
そして士官は、あっちだ、と言って錬兵場《れんぺいじょう》の隅っこを指差した。
そこは宿舎のすぐそばで、日当たりの悪い場所であった。
宿舎の壁に兵たちはもたれかかり、やる気なさげに空など眺めている。酒を飲んでいるものまでいたので、ギーシュは呆《あき》れた。
注意しようとして、そこにいるのが老人兵ややる気の見えない者ばかりということに気づく。なんともはや、出がらしのような隊であった。
「ま、まさか、ここが……」
慌てて一人の兵に尋ねた。
「お、おい、兵隊」
「なんでございましよう」
槍《やり》を重そうに抱えた老|傭兵《ようへい》が、立ち上がる。
「ド・ヴィヌイーユ独立大隊は、ここか?」
「さようで」
がーん、とギーシュは頭を何かで打たれたように立ちすくんだ。
栄《は》えある初陣《ういじん》なのに配属された隊は老人兵や見るからにやる気のない不良兵ばかり。つまりは数合わせのカス大隊なのであった。
どこの連隊にも所属せず独立≠ニなっているのはそのためであろう。つまるところ、どの連隊長も自分のところで預かるのをいやがったのである。
「だだ、大隊長どのはどこだ?」と尋ねたら、老|傭兵《ようへい》は隅の一角を指差した。そこにはよぼよぼの白髪の老人が、杖《つえ》を支えに立っていた。となりには、参謀記章を肩にくっつけた、若く太った貴族が一人控えている。どうやらあそこが大隊本部≠ナあるらしかった。
あれが大隊長……。矢玉を食らわなくても突撃のトキの声だけで驚いて心臓を止めてしまいそうな老人である。こりゃあ相当な貧乏くじを引いちゃったぞ、とギーシュはせつなくなった。とにかく着任の挨拶《あいさつ》をするために、ギーシュは彼らに近寄った。
「予備士官ギーシュ・ド・グラモン、ただいま着任いたしましたぁ!」
「はぁ? なんじゃ! なにごとじゃ!」
大隊長のド・ヴィヌイーユはぷるぷると震えながら、ギーシュに問い返した。耳が遠いらしい。
「ギーシュ・ド・グラモンであります! 当大隊の予備士官として配属されました! 着任許可を頂きたくあります!」
しかたなく耳元で叫ぶ。
「おおそうか! 食事の時間か! 腹が減っては戦はできんからな! おぬしもしっかり食うのじゃぞ!」
ギーシュは諦《あきら》めて、頷《うなず》いた。そこで大隊参謀が、大隊長に何か耳打ちした。
「な、なんじゃ! 配属か! だったらそう言わんか!」
だからそう言っているのである。ギーシュは憮然《ぶ ぜん》とした。
「せ、せ、せいれーつ!」
よぼよぼの大隊長が声を張り上げた。鈍い、緩慢な動きで兵隊が集まってくる。
「新任の中隊長を! しょ、しょ、紹介する!」
へ? 中隊長?
ギーシュが唖然《あ ぜん》としている隙《すき》に、連隊長が続ける。
「えー、我が栄《は》えあるド・ヴィヌイーユ独立|銃歩兵《じゅうほへい》大隊に配属された……、名前!」
「ギーシュ・ド・グラモンであります!」
「えー、そのグランデル君には、第二中隊を任せる! 従って第二中隊はこれよりグランデル中隊≠ニ呼称する! 中隊長にけいれー!」
のろのろと中隊所属の兵隊たちが敬礼する。というか名前を間違えられている。が、そんなことより中隊長? 無理!
「ちょ、ちょっと大隊長どの! ぼくは学生士官ですよ! そんないきなり中隊長なんて!」
中隊長ともなれば百人からの兵隊を指揮するのである。そんなことできっこない。
しかし大隊長は、ぷるぷると震えながら、ギーシュの肩に手を置いた。
「中隊長が、今朝《け さ 》、脱走しおってな。後任をさがしとったのじゃ」
中隊長が脱走? なんちゅう大隊だ。
「先任士官がいるでしょうが!」
「あー、わしと大隊参謀と各中隊長以外、この大隊に貴族はおらん。したがってあまっとる士官はきみしかおらん。よろしくな、中隊長」
王軍は士官不足と聞いてはいたが、これほどとは。ギーシュは青くなった。
ド・ヴィヌイーユ独立|銃歩兵《じゅうほへい》大隊は鉄砲隊で規模はおおよそ三百五十人。それが三つの中隊に分かれていた。鉄砲中隊が二隊。護衛の短槍《たんそう》中隊が一隊。その鉄砲中隊の一つを、ギーシュは着任早々預かることになったのである。鉄砲隊といっても、装備しているのは旧式の火縄銃ばかりであった。新式のマスケット銃は見当たらない。
というか鉄砲隊とは……、ギーシュは頭をかかえた。ギーシュは訓練過程で、まったく鉄砲の教育を受けていない。二ヶ月の超即席訓練なので贅沢《ぜいたく》はいえないが……。それにしても所属する隊の兵科ぐらい事前に教えてくれてもよさそうなものだ。
大量の傭兵《ようへい》を雇い入れ、大変な士官不足を呈している王軍は混乱がひどいとは聞いていたが……、これほどとは。
そんな悩めるギーシュのそばに、はしっこそうな中年男が寄ってきた。銃身の切り詰められた火縄銃を背負い、腰には短刀を差していた。鉄兜《てつかぶと》を被《かぶ》り、厚革に鉄の胸当てのついた上着を羽織っている。
「よろしくでさ、中隊長どの」
「よ、よろしく。きみは?」
「中隊付軍曹のニコラでさ。自分は副官の真似事《ま ね ごと》など、やらしてもらっとりました」
真似事≠ニいうのは謙遜《けんそん》だろう。額の切り傷に日焼けした顔。見るからに歴戦の軍曹である。実際には下士官の彼が中隊を仕切っていたに違いない。
「いやぁ、災難ですねえ」
と、ヘタすると父親ほども歳《とし》の離れた傭兵軍曹はギーシュにつぶやく。
「来て早々、中隊長をやらされるなんてねえ。見たところ、まだ書生さんだ」
「う、うん」
ギーシュは頷《うなず》いた。
「まあ、中隊の面倒は自分と仲間が見ますから。隊長どのは、どっしりとかまえとってくだせえ」
そんな風に歴戦の傭兵軍曹に言われ、ギーシュはちょっと気が楽になった。
遠くでラッパが鳴った。兵を整列させるために、中隊長たちが声をあげはじめた。今からアルビオン遠征軍総司令官オリビエ・ド・ポワチエ将軍の訓示が始まるのであった。将軍の閲兵《えっぺい》をうけたあと、この錬兵場《れんぺいじょう》に集まった軍は、ラ・ロシェールに向けて出発する。そこでフネに乗り込み、空路アルビオン大陸を目指すのであった。
さて一方。
こちらはトリステイン空軍の主力艦隊が浮かぶ、ラ・ロシェールの港。
巨大な樹木……、古代の世界樹《イグドラシル》の枯れ木を利用して作られた港にぶら下がった艦隊では、最終|艤装《ぎ そう》と士官や水兵の乗艦がさかんに行われていた。
世界樹の根元に立ち、士官候補生として軍艦に乗り込む予定のマリコルヌは呆然《ぼうぜん》と頭上を見上げていた。
王国の空軍主力、何十|隻《せき》もの帆走《はんそう》軍艦が、巨大な世界樹の枝にぶら下がり、出航を待っている姿は壮観以外のなにものでもない。
「うわぁ……」と口をぽかんとあけ、空を見上げているとばんっ! とマリコルヌは突き飛ばされた。
「な、なんだっ!」と叫ぶと、赤銅色に日焼けした男がじろっとマリコルヌをにらみつけた。見ると、相手はマントもつけていない、ただの平民である。マリコルヌは平民に突き飛ばされたことがわかると激昂《げっこう》した。
「ぶ、無礼者! 貴族を突き飛ばすなんて法があるかっ!」
すると水兵は、じろっとマリコルヌをにらみつけた。マリコルヌがただの士官候補生とあたりをつけると、にこっと男は意味深な笑みを浮かべた。
「おい、ぼっちゃん。ここは娑婆《しゃば 》とは違うんだ。空軍での順番を教えてやるから、耳の穴ぁ、かっぽじってよく聞きな」
「え? ええ?」
どうやら空軍では、貴族だからといって威張れるわけではないようだ。貴族より偉い平民がいるなんてうまく想像できない。
「まず艦長! これがフネでは一番偉い! 次に副長だ! 最先任の士官が任官する! 航海長、掌帆長《しょうはんちょう》、砲術長、甲板長、司厨長《しちゅうちょう》……、と続いてその次は平海尉だ! 俺《おれ》みたいな航海士官がふくまれる! 空軍では平民でも勉強して手柄をあげりゃあ士官になれるんだ!」
そうだったのか、とマリコルヌは目を丸くした。平民の上官が存在する可能性のある軍組織……。それが空軍なのであった。
「でもって次は下士官! その下がやっとお前たちみたいな士官候補生だッ! お前らはフネじゃあウジ虫みてえな役立たずの存在なんだ! 覚えとけ!」
マリコルヌは立ち上がり、敬礼した。
「りょ、了解しましたッ!」
「根性をくれてやる! 歯ァ食いしばれッ!」
マリコルヌは直立不動のまま、頬《ほお》にきっついビンタを受けた。
「よし行け! 走れッ! ばかもの! 士官候補生が艦で歩いてたら、どやされるぞッ!」
ほうほうの体でマリコルヌは駆け出した。
やっとの思いで見つけた乗艦『レドウタブール』号は、片舷《かたげん》四十八門、全長七十メイルの立派な戦列艦であった。つい一月《ひとつき》前に艤装《ぎ そう》が完了したばかりの新鋭艦である。
タラップを上り、枝にぶら下がった戦列艦に乗艦しようとすると、乗艦口に立った士官に呼び止められる。
「こら! 貴様! 勝手にどこに行く!」
マリコルヌは慌てて敬礼した。
「士官候補生のマリコルヌ・ド・グランドプレです! 本日着任いたしました!」
「当直主任のモランジュ空尉だ」
マントをつけた貴族士官である。彼は艦の入口で、乗艦する将兵のチェックを行っているのであった。相手が貴族なのでマリコルヌは安心した。まあ、平民の士官は多くはない。
彼はマリコルヌの太った体を上から下まで眺め回したあと、尋ねた。
「荷物はそれだけかね?」
マリコルヌは、手に下げた鞄《かばん》を持ち上げた。
「そうです」と答えると、海尉は眉《まゆ》をひそめた。マリコルヌは、ちょっと考えたあと、自分が間違いを犯したことをさとった。「そうです」なんて答え方は軍隊に存在しないのだ。特に空軍では。
「はい! 空尉どの!」と敬礼した。さっそくマリコルヌは敬礼のかたちと、言葉遣いを直された。
「空軍ではどの≠ヘいらん。ボーイ!」
少年兵《ボ ー イ 》が近寄ってきて、敬礼した。
「彼がきみら候補生の世話をする。わからんことがあったらなんでも聞け。彼を見習い士官室へ」
最後の言葉はその少年兵に向けられたものだった。
「鞄をお持ちします、候補生。あ、自分はジュリアンといいます」
マリコルヌは鞄を渡した。自分より若い少年だった。まだ、十四、五といった黒髪の少年である。
「候補生はどちらから?」
「魔法学院だ」と言ったら、少年兵は顔を輝かせた。
「どうした?」
「姉が奉公してるんです。シエスタっていうんですが……、ご存知ですか?」
マリコルヌは首を振った。学院で働く平民は数が多い。顔ならだいたいは覚えているが、いちいち名前までは覚えていない。
「ですよね。貴族のかたがいちいち奉公人の名前を覚えているわけがありませんよね」
ジュリアンは、マリコルヌを見習い士官室に案内すると、駆け足で去っていった。少年兵は山のような仕事を抱えているらしい。
見習い士官室には、マリコルヌのような士官候補生が三人ほどいた。なんと、魔法学院の生徒も一人いた。上級生だったので、マリコルヌは頭を下げた。野性的な顔立ちの、色男であった。眉《まゆ》が太くて、唇が厚い顔に笑みを浮かべ、
「スティックスだ。きみは?」
「マリコルヌです」と言うと、あのキュルケと同じクラスじゃなかったか? と尋ねられる。先ほどの少年兵のことも思い出し、こんな艦の中で随分とローカルな話題が続くなあ、とぼやきながらマリコルヌは頷《うなず》いた。
「昔、ちょっと、その、彼女と仲良くしていてね」と恥ずかしそうにスティックス。見ると額に火傷《やけど》のあとがあった。どんな知り合いだったんだろう? と思ったが、上級生なので聞けない。恥ずかしい傷だったら怒られてしまう。
そんなスティックスは、座っていた椅子《い す 》にしっかりと腰掛けた。
「さて諸君」
マリコルヌが入っていったとき、見習い士官室ではなにやら深刻な会議が行われていたらしい。他の三人は、身をかがめてスティックスに顔を近づけている。ひそひそ話のようだ。新入りのマリコルヌも、椅子をすすめられ、腰掛ける。
スティックスが、マリコルヌの顔を真剣な目で覗《のぞ》き込んだ。
「新入りのきみにも説明しないといけないな。マリコルヌ君、この艦は恐ろしい爆薬を抱えているのだ」
「爆薬、ですか?」
マリコルヌは息を呑《の》んで、先輩候補生を見つめた。
「そうとも」
「新型火薬とかですか? それとも新兵器?」
震えながら尋ねた。発火性の強い、新火薬? それとも扱いの難しい新兵器であろうか? どちらにせよ、枕《まくら》を高くして眠れるものではなさそうだ。
「そんなものじゃない」
スティックスはつぶやく。
「では……、なんなんですか?」
「人だよ。きみ」
「人?」
スティックスは、唇の端をゆがめてつぶやいた。
「そうだよ。この艦には敵が乗り組んでいる」
「ってことは裏切り者でもいるんですか?」
マリコルヌは思わず大声をあげた。
「しっ! まだ裏切ったわけじゃないが……、その可能性は低くないだろう。ぼくはそう思うね。先任士官の中にも、そんな風に考えているかたが結構おられるようだ」
「いったい、何者がいるんですか?」
スティックスは頷《うなず》いた。
「では、新しい我らの仲間に、艦にいつくネズミを見せに行こうじゃないかね?」
「賛成だ」
「うん」
そしてマリコルヌは、その恐ろしい爆薬≠ニやらを、見学しにいくことになった。
後甲板に赴《おもむ》くと、そこには艦長がいて、背の高い貴族士官と、なにやら相談していた。艦長を見てマリコルヌは緊張した。美髯《び ぜん》をたくわえた、押し出しの強い初老の男性である。戦列艦の艦長ともなれば、相当なエリートだった。見た目と同じように、中身も相当できる≠フであろう。そして、士官候補生たちが言う恐ろしい爆薬≠ニは、そんな艦長をやりこめることのできる男であるようだった。
「それでは艦を沈める結果になるでしょうな。雲中航海は、常に危険ととなりあわせの博打《ばくち 》なのです」と、アルビオンなまりを強く残す声で、艦長のとなりに立った精悍《せいかん》な壮年の男が口を開いた。艦長は恐縮して、頭《こうべ》をたれた。
その声を聞いて、マリコルヌは背筋に火箸《ひ ばし》を突っ込まれたように跳び上がった。
アルビオンなまり? 敵じゃないか!
こっそりと、スティックスがマリコルヌの耳に囁《ささや》いた。
「見たまえ。あいつの名前はヘンリ・ボーウッド。まぎれもない、生粋《きっすい》のアルビオン人だ」
「なんですって? 敵国人がどうして艦に乗り組んでいるんですか?」
「彼がタルブの戦役で、何をしたか教えてやろう。彼は、あの巨艦……、知ってるか? 『レキシントン』号」
「我が軍の奇跡の光で沈んだ巨大戦列艦ですね?」
アルビオン艦隊が沈んだ件は、『奇跡の光』ということになっていた。無論、その正体を知るものは少ない。
「その『レキシントン』号の艦長だった男だ」
「な!」
マリコルヌは舌をかみそうになった。
「我が軍は、アルビオン周辺空域の水先案内人として、捕虜にした元アルビオン空軍士官を何人も雇い入れたのだ。アルビオンの現政権に不満を持つ人物に限られる、というが……、なに、そんな連中が信用できるものか」
「そのとおりですよ。敵だったやつらなんかと同じ艦に乗り組むなんて」
「しかし、空軍はやつらを使うことに決めたらしい。つまり……、ぼくらじゃ当てにならんということだ」
忌々《いまいま》しげに、スティックスがつぶやく。その言葉を受けて、自嘲《じちょう》気味に一人の士官候補生が、「我々は戦力にならん、と言われてしまったようなものだ」と言った。
そのとき、艦長が士官候補生たちに気づき、こちらへ来い、と手を振った。
「お前たち、挨拶《あいさつ》しろ。ミスタ・ボーウッドだ。この艦の教導士官として乗り組まれる。ミスタ、我が艦隊のイボ小僧たちだ」
ボーウッドはにこりと笑って、手を差し出してきた。、マリコルヌは、むむむ、と怒りが湧《わ》いてくるのを覚えた。
敵じゃないか。
自分たちの航海術に自信がないからって、敵の協力を仰ぐとはなにごとだろう。おまけに士官候補生の自分たちに頭を下げろだと?
艦長の顔色が変わった。
「お前たち、ミスタ・ボーウッドは元敵国人だが、今では我が軍の軍属だぞ。おまけに彼はきちんとした貴族の家柄だ。礼をつくさねば承知しないぞ」
そのように艦長に言われ、士官候補生たちはしぶしぶと敬礼した。
ボーウッドは両手を広げ、中甲板へと消えていく。
「教導士官!」と艦長が慌てて追いかける。いくら相手ができる男とはいえ、艦長があれでは他の乗組員に示しがつかない。
スティックスは、マリコルヌたちに小声でつぶやく。
「ぼくは、あの男を無力化する計画を持っている」
「どんな計画です?」
「なに、戦闘ともなれば艦上は混乱する」
「でしょうね」とマリコルヌは相槌《あいづち》をうった。
「そして、弾は前から飛んでくるとは限らない」
全員はスティックスのその言葉で緊張した。彼は、戦闘行動中にボーウッドを撃《う》ち殺すと言っているのであった。
[#改ページ]
第五章 二十年前の炎
|ダングルテール《 ア ン グ ル 地 方 》。
かつて何百年も前、アルビオンから移住してきた人々が開いたとされる、その海に面した北西部の村々は、常に歴代トリステイン王にとって悩みの種であった。
独立独歩の気風があり、なにかというと中央政府に反発するからであった。
百年ほど前、実践教義運動が宗教国家ロマリアの一司教から湧《わ》き起こった時も、進取の気性にとんだこの地方の民は、いちはやく取り入れた。そのために時の王からは恐れられたが……、アルビオン人独特の飄々《ひょうひょう》とした気風も色濃く残し、飲むところはきっちりと飲んだため、激しく弾圧されるということもなかった。
つまるところ、アングル地方の民は要領よくやっていたのである。
二十年前、自治政府をトリステイン政府に認めさせ、新教徒の寺院を開いた。
それがためにロマリアの宗教庁ににらまれ、圧力を受けたトリステインの軍により鎮定された、と当時の文献には残っている。
二十年前のその日、アニエスはまだ三歳であった。残る記憶は断片的で、鮮烈であった。
三歳のアニエスは、浜辺で貝殻を拾っていた。
綺麗《き れい》に削られた貝殻よりも、美しいものをアニエスは見つけた。
それは……、波打ち際に打ち上げられた若い女性の指に光る……、炎のように美しい大粒のルビーの指輪であった。
怯《おび》えながら、三歳のアニエスはそのルビーの指輪に触れた。瞬間、その若い女性は目を開いた。そして震える声で、アニエスに問いかけた。
「……ここは?」
「ダ、ダングルテール」
とアニエスが答えると、若い女性は満足そうに頷《うなず》いた。
アニエスは大人《おとな》たちに漂着者がいることを知らせに走った。彼女は瀕死《ひんし 》の重傷であったが……、村人の手厚い看護によって一命を取り留めた。
彼女はヴィットーリアと名乗った。貴族だが新教徒で、ロマリアから弾圧を逃れて逃げてきたと語った。
トリステイン軍の一部隊がやってきたのは、それから一ヶ月後のことであった。
彼らは問答無用で村を焼き払った。
父が、母が……、生まれて育った家が……、一瞬で炎に包まれた。
幼いアニエスは炎の中を逃げ惑い、ヴィットーリアが隠れた家へと逃げ込んだ。
ヴィットーリアは、アニエスを布団の中に隠した。すぐに男たちが部屋へと飛び込んできた。
「ロマリアの女がいたぞ」
男の野太い声に、アニエスは怯《おび》えた。
次に呪文《じゅもん》の詠唱が聞こえてきた。
次の瞬間、アニエスをベッドに隠したヴィットーリアが炎に包まれた。アニエスが薄れ行く意識の中で見たものは、燃え尽きようとしながらも、炎に耐えるための水の魔法を自分にかけたヴィットーリアの姿であった。
一旦《いったん》記憶はそこで途切れ、アニエスが次に見たものは──────────。
男の首筋である。
引き攣《つ》れた火傷《やけど》のあとが目立つ醜い首筋である。
アニエスは、その男に背負われていたのであった。手に持った杖《つえ》で、その男がメイジであることがわかった。つまり、その男が自分の村を炎の魔法で焼き尽くしたことを知った。
再びアニエスの記憶は薄れ……、気づくと自分は浜辺で毛布に包まれて寝ていた。村は炎に焼かれ続けていた。揺らめく炎を、アニエスはじっと見つめ続けた。
生き残ったのは、自分だけであった。
あの日から、二十年という歳月が過ぎた。
未《いま》だ目をつむれば、炎が浮かぶ。
その日、家族と恩人を焼き尽くした炎が浮かぶ。
そしてその炎の向こうに、男の背が見える。
長じてアニエスはあの事件が、ロマリアの新教徒狩りの一環であったことを知るにいたった。ロマリアから逃げ出してきたヴィットーリアをかくまったことが、その引き金であったこと。作戦は『伝染病の壊滅』という名目で行われたこと。
ロマリアの法王が替わってから新教徒狩りは打ち切られたが、アニエスの心の傷は決して癒《い》えることはなかった。
ロマリアから賄賂《わいろ 》をもらい作戦を立案した男、リッシュモンをその手で殺しても、復讐《ふくしゅう》は終わらない。彼女の復讐の炎は、ダングルテールを焼き尽くしたものすべてを撃《う》ち滅ぼすまで決して消えることがないのであった。
トリスタニアの宮殿、東の宮の一隅に設けられた王軍の資料庫。
ここは王軍でも高位のものしか立ち入れない場所である。アニエスの出世は、こういった場所に入るためだけにあったといっても過言ではない。
アニエス率いる銃士隊は、今回のアルビオン侵攻に参加しない、数少ない本国に残る部隊の一つであった。近衛《このえ 》の隊とはいえ、このような国の総力を傾ける戦には出陣するのが習いであったが……、要は最高司令長官ド・ポワチエ将軍に嫌われたのであった。
規模は小さいが、近衛の隊長は遠征軍を指揮する将軍か、それ以上の官位である。なんとしてでも元帥《げんすい》になりたい将軍は、己の手柄を横取りしそうな勢いと格を持つ銃士隊の参加に反対したのであった。すべての功は自分の手元に集まらなくてはならぬし、軍議の際に上座に座られたのではたまらぬ、というわけである。
それにアニエスはメイジではない。平民風情になにができる、とド・ポワチエはアニエスたちを軽んじていたのである。
もちろん表向きの理由は違う。もっともらしく『近衛の銃士隊におかれては陛下の護衛に全力を注がれたし』などとでっちあげてあった。
でも、アニエスにとっては好都合であった。
正直、アルビオンなどどうでもいいのであった。
そんなアニエスが二週間ほども王軍の資料室にこもり、やっとの思いで見つけ出したその資料の表紙には、こう記されていた。
『魔法研究所《ア カ デ ミ ー 》実験小隊』
そのわずか三十名ほどの小隊が、アニエスの村を滅ぼした部隊名であった。
ページをめくる。隊員はすべてが貴族であった。
あいつが? と驚く名前もそこには載っていた。
唇をぎゅっとかみ締めながら、アニエスは一枚一枚慎重にページをめくっていく。口惜しいことに、すでに故人も多い。
アニエス[#底本「アンリエッタ」]の目が、大きく見開かれた。次の瞬間、表情が悔しさにゆがむ。
なんと、小隊長のページが破かれていたのである。誰《だれ》かが破ったことは明白であった。
これでは誰が小隊長だったのかわからない。
一番罪深い男のページが見当たらない。
アニエスは身を震わせた。
アルビオンの首都ロンディニウムから馬で二日の距離にあるロサイスの街に、危険な雰囲気をまとった男たちの一団が現れた。
目元に大きな火傷《やけど》のあとのある男……、メンヌヴィルが率いる小隊であった。十数名ほどの小部隊だが、周りを圧する雰囲気は、重装甲|槍兵《そうへい》一個大隊にも匹敵《ひってき》する迫力である。
革のコートは激しく汚れ、いかにも歴戦の傭兵《ようへい》という雰囲気を纏《まと》っていた。コートの下に得物をそれぞれ隠し持っているのだろうが、その武器の正体まではわからない。
一行は街はずれにある空軍|工廠《こうしょう》の溶鉱炉《ようこうろ 》に差しかかった。鉄を溶かし、砲弾を鋳造《ちゅうぞう》する溶鉱炉である。そこでは職人が苦心していた。炉《ろ》の温度が上がらないのだ。鉛はともかく、これでは鉄を溶かすことができない。
「親方……」
「コークスがたりねえんだ。おまけに風も弱《よえ》え。まいったな……。昼までに百発納入せにゃならねえってのに……」
そんな風に職人たちがぼやく声が届く。
ちょうどそのとき、メンヌヴィル小隊の進む道の反対側から、トロール鬼兵の一団が現れた。トロール鬼はアルビオン北部の高地地方《ハ イ ラ ン ド》に生息する、身長が五メイルにも達する亜人たちである。
数は少ないが、戦意は旺盛《おうせい》であった。人間同士の争いなどどうでもいいのだが、嫌いな人間どもを好きなだけ棍棒《こんぼう》で押しつぶせるために、彼らは参加しているのであった。
味方としては、なるほど頼もしい。背が高いため、攻城の際には大変役に立つ存在であった。しかしどこでも我がもの顔で威張るため、兵から嫌われていた。命令を聞かぬことも多いので、有力な存在ながらもてあます指揮官も多かった。
さて、そんなトロール鬼兵の二十人ばかりが歩いてくると、巨木の森が突き進んでくるような迫力であった。工廠で働く職人や、水兵たちは慌てて左右によけ、トロール鬼たちに道を譲る。
トロール鬼たちは、太い喉《のど》から海鳴りのような声をあげ、自分たちの足元で右往左往する人間どもを見つめ、口を大きく開いた。巨大なふいごが上下するかのような吸気音。小さく非力な人間どもを、笑っているのであった。
そのトロール鬼たちの歩みが止まった。
立ちふさがる人間の一団がいたのである。メンヌヴィルの小隊であった。自分たちを前にして、道を譲らぬ人間がいるなどとは考えにくい。
ふいごのような喉を上下させ、トロール鬼たちはわめいた。
「あの木偶《で く 》の棒どもは、なんと言っている?」
つまらなそうな顔でメンヌヴィルが問うた。そばに控えた目つきの鋭い男が、隊長に告げる。
「『どけ』と言っております」
メンヌヴィルはトロール語を解するその部下に、こう言った。
「ここは人間の土地だ、と教えてやれ」
部下はトロール語で、二言三言、つぶやいた。するとトロールは激昂《げっこう》して手に持ったメイスを振り上げた。
先端には、大砲の砲弾よりでかい鉄の塊《かたまり》が取りつけられている。頑丈な城壁をも一撃で砕いてしまうようなシロモノだ。
あんなものをまともに叩《たた》きつけられたら、人間などひとたまりもない。
「お前、なんと言った?」とメンヌヴィル。
「ええと、ブル・シュブ・トル・ウウル……、いけね、間違えた。こいつは最悪の罵《ののし》りでした。すいやせん」
「なるほど」とメンヌヴィル。
怒り狂ったトロールはまっすぐにメイスを振り下ろしてきた。
メンヌヴィルはコートを左手ではねあげ、中の得物を取り出す。長い、無骨な鉄棒が現れた。右手にもったそれを軽く振る。
詠唱。
鉄の棒から、炎が飛び出てメイスを握ったトロールの腕を包んだ。
一瞬でその炎は、トロール鬼の右腕ごとメイスを溶かし尽くした。真っ赤に焼けた鉄が飛び散ったが、メンヌヴィルのとなりに控えた男が次いで呪文《じゅもん》を詠唱し、風の魔法を放った。
小さな竜巻が焼け溶けた鉄を巻き上げ、トロール鬼たちの顔を包む。焼けた鉄に肌を焼かれ、トロール鬼たちは悲鳴をあげた。
杖《つえ》の先から湧《わ》き出る炎は火勢を増した。
辺りは一面炎の海となった。
巨大なトロール鬼たちが燃える臭《にお》いが、辺りを覆い尽くす。
炎に照らされたメンヌヴィルは頬《ほお》に酷薄《こくはく》な笑みを浮かべ、炎に焼かれてのたうち回る巨人たちをじっと見つめていた。
数分後。
炭化したトロール鬼たちの上を、メンヌヴィルたちは踏み越えていった。
「いや、耐えられぬ臭いですな」
と隊員の一人がつぶやく。
「なにを言う」とメンヌヴィル。
「生物が燃え尽きるこの香り……、そこらの香水など霞《かす》みゆく、極上の香りだ」
溶鉱炉《ようこうろ 》の職人たちは震えながら巨大なトロール鬼たちが燃え尽きるさまを、じっと見つめていた。消し炭になったトロール鬼たちの体に、溶解した鉄の塊が交じっている。トロール鬼たちが持っていたメイスである。
「どうなってんだあいつら……。こいつは鋼鉄だぞ。ふいごも炉《ろ》も使わずに、それまで溶かしちまうってか」
そこからさほど離れていない、一|隻《せき》のフリゲートの甲板では、ワルドとフーケが積荷≠フ到着を待ちわびていた。
「約束から十五分過ぎたよ。ったく、時間も守れないようなやつに、針の穴を通すような緻密《ち みつ》な作戦が行えるのかね。占領任務だ。面倒な仕事だよ」
「白炎<<塔kヴィルといえば、傭兵《ようへい》の世界じゃ知られた男だ。残虐《ざんぎゃく》で狡猾《こうかつ》……。それだけに有能との噂《うわさ》だ」
「なんにせよ遅刻はいただけないね」
そんな話をしていると、メンヌヴィルたちが到着したのが見えた。
甲板からタラップが下ろされる。
艦にのぼってきたメンヌヴィルたちには、肉の焼ける臭《にお》いがこびりついていた。
「あんたたち、いったい何を焼いてきたんだい?」
「トロール鬼を二十匹ほど」
とメンヌヴィルは淡々と答えた。フーケは青くなった。
軍議のために用意された部屋で、一同は今回の作戦を打ち合わせた。
作戦目的は、魔法学院の占領である。
クロムウェルは生徒を人質に取り、攻めてきた連合軍に対する政治のカードの一枚とするこころつもりなのであった。
夜陰に乗じてトリステインの哨戒線《しょうかいせん》をくぐり、直接魔法学院をつく。
「子供とはいえメイジの巣だよ? この数で大丈夫なの?」
いつか巨大ゴーレムで学院を襲《おそ》ったことのあるフーケが、作戦に対する不満を述べた。
「なに、教師はほとんど戦に参戦するだろう。男子生徒もな。残るのは女生徒ばかりだろう」 とワルドが言った。
「本当?」
「子爵《ししゃく》の言うとおりだ。貴族とはそうしたものだ。面倒な連中よな」
と、メンヌヴィルが自嘲《じちょう》を含んだ言葉で言った。
「あんたも元貴族なの?」
「メイジはだいたいが貴族だろう? マチルダさんよ」
貴族の頃《ころ》の名前を告げられ、フーケは顔を赤らめた。
「わりと有名なのかな。あたしってば」
「どうして貴様は貴族をやめた?」
「忘れたわ」とフーケはつまらない顔で答える。
メンヌヴィルは笑った。
「オレはよく覚えているぞ」
「へえ……」
フーケは唇の端を持ち上げた。貴族の名を捨て、平民に身をやつすメイジは少なくない。末路はだいたい決まっている。フーケのような犯罪者になるか……、メンヌヴィルのように傭兵《ようへい》になるか、どちらかだ。そしてだいたいは己の選択を後悔しながら、果ててゆく。
フーケにしても決して認めようとはしないが……、たまに夢見ることがある。あのまま貴族の暮らしを続けていたら、と。それが無理とは知りつつ、たまに夢想するのだ。不安という言葉さえ知らぬ少女の頃《ころ》を。
メンヌヴィルは、そんな後悔とは無縁のようだった。心から己の選択を祝福しているらしい。
「あんたは自分が好きみたいだね」
フーケがそう言うと、メンヌヴィルは笑った。
「オレには、今の仕事が天職に思えるよ」
「どうして?」
「好きなだけ、人間を焼けるからな」
「人が嫌いなの?」
「まさか、大好きだ。好きだから焼くんだよ。わからぬか? あの匂《にお》い、己の炎がかもし出す匂い……。その匂いだけがオレを興奮させる」
フーケは背筋になめくじでも這《は》うような、生理的な嫌悪を覚えた。
「それに気づいたのは、二十歳のときだ。オレはトリステインのとある部隊に所属していた」
集まった隊員たちは、顔を見合わせた。
フーケとワルドも黙った。
メンヌヴィルは語り始めた。
二十年前だ。
オレは二十歳になったばかりの貴族士官でね、『魔法研究所《ア カ デ ミ ー 》実験小隊』っていうとこに配属された。隊長はオレと歳《とし》がさほど変わらぬ男だった。
その小隊は、初めて貴族……、メイジのみで構成された実験小隊だった。いや、魔法衛士隊とはちょっと違う。あっちは戦の花形だろ? ワルド子爵《ししゃく》、あんた、そこの隊長だったならわかるよな? 派手な幻獣に跨《またが》って……、きゃあきゃあ騒がれるのは羨《うらや》ましいが、立小便一つできやしねえ。汚れ仕事はなかなか難しい。まあ、なんであんたがやめたかは聞かねえがね。
でもってオレたち『魔法研究所実験小隊』は下級貴族で構成された……、まあ、なんでも屋ってとこだった。盗賊を退治して、攻撃魔法が人体に与える効果を調べたり、戦で範囲魔法ぶっぱなしたときに、どのぐらいの被害が起こるのかとか、そんなことばっかりやらされてた。
野党退治や、田舎《いなか》貴族の反乱鎮圧なんかのときには、真っ先に投入された。
偉いさんにしてみりゃ、使い勝手がよかったんだな。
で、ここの隊長がすごかった。
「隊長?」とフーケ。
そうだ、とメンヌヴィルは頷《うなず》いた。
話を続けた。
さっき言ったように、その隊長殿ときたら二十歳をいくらも過ぎてねえくせに、やたらと肝が据わってた。
なにせ顔色一つ変えずに、敵を焼き殺すんだ。オレは惚《ほ》れ惚《ぼ》れしたもんだ。
でもって、その隊長に徹底的に惚れこんだのが、あの作戦だ。
トリステインの北の端っこの海岸沿いに、ダングルテールっていう田舎があった。なんにもねえ、寒村だ。カキを海岸で拾うぐれえしか、金目のものがねえ、寂《さび》れた村だ。
そこで疫病《えきびょう》が流行《は や 》って手がつけられねえから焼き滅ぼせ、と命令が入った。随分上からの命令だったな……。
で、オレたちゃ急行して仕事をやってのけた。
すげえのは隊長だ。
なにせ容赦がねえ。
女も、子供も、きっちり見境なしに焼き滅ぼした。
まるで竜巻のような炎を操って、村をあっという間に炎の海に変えた。
夜でね、海に炎がうつって、そりゃあ綺麗《き れい》だった。
傑作だったのは、その村は疫病でもなんでもなかったってことだ。
「じゃあどうして、村一個滅ぼしたんだい?」
「新教徒狩りさ」
「新教徒狩り?」
「ロマリアから、圧力がかかったんだ。一人テメエの国から逃げた新教徒の女がその村にかくまわれている。その地方はけしからんことに新教徒ばっかりだ。今後もこのようなことがあっては面倒だ、ついでだから、まとめて全部燃やしちまえってね。疫病うんぬんってのは、口実だったってわけだ」
ワルドは表情を変えずにそこまで聞いた。フーケは不快を隠しもせずに、メンヌヴィルをにらみつけている。
「さて、そんなダングルテールの鎮圧任務が終わった時……。オレはそんな隊長にぞっこん惚《ほ》れた。あいつみてえになりてえな、と思ったら、その背中めがけて杖《つえ》を振ってた」
「理解できないね。惚れてて攻撃するなんざ」
「オレにもよくわからんよ。とにかく、確かめたかったんだろうなぁ。そいつがぞっこん惚れるにたりる器かどうかってよ。オレに倒されるぐらいじゃあ、そんな器じゃねえってね」
「で、どうなった?」
メンヌヴィルはにやっと笑って、火傷《やけど》にひきつれた目元を指差した。
「これで済んだ。あいつは本物だった。なんなくオレをあしらいやがった。オレはすぐに隊を脱走したよ。隊長に杖を向けたとあっては、残れるわけもねえからな」
「で?」
「今にいたるってわけよ。傭兵《ようへい》をやってりゃ、いずれあの隊長に会うこともあろうかと思ったが、そうもいかなかった。誰《だれ》かに殺《や》られたか、引退したか……。その日以来、オレの顔に火傷のあとをつけた隊長の噂《うわさ》を聞くことはなかった。残念だよ、オレはあのときの何倍も強くなったっていうのに。あのときより熱く、誰より熱く炎を繰り出せるというのに……」
メンヌヴィルは高らかに笑った。ネジが外れたように、笑った。
「ああ、もう一度あいつに会いてえなあ! 会って礼がしてえ! オレは何にも後悔してねえ。貴族の名を捨てたことも、人殺しになったことも含めて全部だ。でも、あの隊長に礼を言えねえ。それだけがオレをキリキリさせんのさ。会いてえ、会いてえ、ってこの火傷が夜鳴きするんだ」
メンヌヴィルは気が狂《ふ》れたように、長く笑いつづけた。
[#改ページ]
第六章 出撃
年末はウィンの月の第一週、マンの曜日はハルケギニアの歴史に残る日となった。
空にかかる二つの月が重なる日の翌日であり、アルビオンがもっともハルケギニア大陸へと近づくこの日、トリスタニアとゲルマニア連合軍六万を乗せた大艦隊が、アルビオン侵攻のため、ラ・ロシェールを出航する運びとなったからである。
トリステイン、ゲルマニア大小あわせて、参加|隻《せき》数は五百を数えた。そのうちの六十が戦列艦であり、残りは兵や補給物資を運ぶガレオン船である。
女王アンリエッタと枢機卿《すうききょう》マザリーニはラ・ロシェールの港、世界樹《イグドラシル》桟橋《さんばし》の頂点に立ち、出航する艦隊を見送った。
もやいを解かれたフネたちが一斉に空へと浮かび上がるさまは、まさに壮観といえた。
「まるで、種子が風に吹かれて一斉に舞うようですな」と、枢機卿が感想を漏《も》らす。
「大陸を塗りかえる種子です」
「白の国を、青に塗りかえる種ですな」
トリステインの王家の旗は、青地に白の百合《ゆ り 》模様である。
「負けられませんな」とマザリーニがつぶやいた。
「負けるつもりはありませぬ」
「ド・ポワチエ将軍は大胆と慎重を兼ね備えた名将です。彼ならやってくれるでしょう」アンリエッタは彼が、名将と呼ぶには程遠い存在であることを知っていた。しかし、王軍には人材がいないのだ。彼より優れた将軍は、歴史の向こうにしか存在しなかった。
「するべき戦でしたかな」
小さな声で、マザリーニがつぶやく。
「なぜにそのようなことを」
「アルビオンを空から封鎖する手もありました。慎重をきせば、そちらが正攻と思えます」
「泥沼になりますわ」
表情を変えずに、アンリエッタはつぶやく。
「そうですな。白黒をつける勇気も必要ですな。わたしは歳《とし》をとったのかもしれませぬ」
マザリーニは白くなった髭《ひげ》を撫《な》でて、
「こたびの戦、虚無≠得てなお、負けたらなんとします? 陛下」
機密に関する事柄を、さらっと言ってのけた。ルイズの虚無≠知るものは少ない。アンリエッタ、そして枢機卿……、王軍の将軍が数名。
「この身を焼くことで罪が赦《ゆる》されるなら……、喜んで贖罪《しょくざい》の業火に身をゆだねましょう」
じっと空を見つめて、アンリエッタはつぶやく。
「ご安心を。陛下お一人を行かせはしませぬ。その際にはこの老骨もお供するとしましょう」
アンリエッタは将軍に託した切り札……。虚無≠思う。
ルイズの虚無≠聞かされたド・ポワチエ将軍は、初め信用しようとはしなかった。無理もない。虚無≠ヘ伝説であり、その存在すら信じられてはいなかったからだ。
しかし、タルブでの戦果を語るにいたり、将軍はやっとのことで信用した。
伝説の系統虚無≠得て、勇気百倍になったらしい彼はアンリエッタに勝利を約束した。
アンリエッタはそんな彼に、初戦で優位を勝ち取るべく、積極的に虚無≠フ使用を命じたのである。
自分の罪深さに、アンリエッタはため息をついた。
この戦は……、国や民のものではない。
私怨《し えん》を晴らすためのものだけに他ならない。
恋人の仇《かたき》を討つためだけの戦だ。
そのために、自分は何人の人間を死地へおいやろうとしているのだろうか?
そこには、自分が親友と呼ぶ幼馴染《おさなな じ》みも含まれるのだ。
この戦、勝っても負けても、己の罪が消えることはない、とアンリエッタは思った。
それを知りながら、愛国を謳《うた》って軍を見送る自分は地獄に落ちるだろう、とも思った。
唇の端を血がにじむほどにかみ締めたあと、アンリエッタは大声で叫んだ。
「|ヴィヴラ・トリステイン《ト リ ス テ イ ン 万 歳》!」
女王の万歳の声が、空に響く。
艦の上甲板に並び、見送るアンリエッタに敬礼していた将兵たちが、アンリエッタに続いて万歳を唱える。
「|ヴィヴラ・トリステイン《ト リ ス テ イ ン 万 歳》! |ヴィヴラ・アンリエッタ《ア ン リ エ ッ タ 万 歳》!」
その唱和は六万の将兵の唱和となり、空を圧した。
「ヴィヴラ・トリステイン! ヴィヴラ・アンリエッタ!」
胸に突き刺さるような万歳の連呼が、アンリエッタの罪の意識を深めていく────。
その頃《ころ》、魔法学院。
己の炎≠平和的に利用するために、コルベールがたどり着いたのは、動力≠ナあった。熱の力を……、何かを動かす力に変換させる。
蒸気を利用する機関を何個か作り上げたが、満足できなかったコルベールにとって、このゼロ戦にくっついていたえんじん≠ヘまさに彼が求める動力≠フ具現化した姿であった。
コルベールはこのえんじん≠フ解析に力を注いだ。
これに近いものを組み上げたくて試行錯誤を繰り返したが……、このえんじん≠ノ匹敵《ひってき》する精度の内燃機関を組み上げることは不可能であることを思い知った。
まず、ハルケギニアでは冶金《や きん》技術が低い。
えんじん≠構成するような鉄が製鉄できないのだ。スクウェアクラスの錬金≠唱えてなお、このような高度な製鉄は難しい。人の技である魔法では、どうしても不純物が混ざる。
ついで加工技術である。
えんじん≠組み上げるためには一定の品質で、同じ部品を何個も作り上げなくてはならない。これがハルケギニアの技術では不可能に近い事柄であった。
ハルケギニアでは、まるっきり同じモノを作る、という概念がまず存在しない。
たとえばたぶん一番高度な工芸品である鉄砲にしたって、完全に同じモノは二つとしてない。同じ弾を使う、同じ形の銃でも一丁一丁が微妙に違う。構成する部品の互換性すらない。
コルベールはまず、ゼロ戦の機関砲の弾≠作ろうとして、これが不可能であることを知った。真鍮《しんちゅう》から削りだした薬きょうの作成が必要なのだが、似せたものは錬金≠ナ加工できても、同じサイズのものを大量に作ることができなかった。真鍮の薬きょうを作り出すことは、液体のガソリンを量産するのとは、まるっきり勝手が違ったのだった。
そんなわけで、コルベールの取りつけた新兵器≠ヘ、可能な技術を応用したものになった。
魔法学院の研究室の前で、やっとのことですべての装備をゼロ戦に取りつけ終わったコルベールは、深いため息をついて己の作品を見つめた。
半年ほど前、新兵器を取りつけたが、もっとすごいのも取りつけたくなり、己の研究の成果をそこに収束させたのであった。
研究室の前に現れた才人《さいと 》を見て、コルベールは両手を広げた。
「おお、サイトくん。出発かね」
出陣の準備ができあがった才人であった。首にはシエスタのひいおじいちゃんの形見であるゴーグルをさげている。背中にはデルフリンガーを背負い、腰には革のポーチ。そしてこまごました生活用品の入ったズタ袋を持っている。
「はい」と才人は頷《うなず》いた。
「大変だなあ。直接、これでフネに向かうのだろう? こいつを無事にフネにおろすことができるのかね?」
今朝方《け さ がた》、アルビオンへ向けて艦隊は出航した。
ゼロ戦を搭載するためには、艦が航行中である必要があるため、出航を待っての出陣となったのであった。竜騎士を搭載するための特殊な艦が建造され、それにゼロ戦もあわせて搭載されることになったのである。
新鋭のその艦は、竜母艦≠ニいう新しい艦種に分類され、『ヴュセンタール』号と名づけられた。
コルベールだけでなく、数多くの土′n統のメイジが、ガソリンを錬金し、五回飛行できる分がそのフネに積み込まれた。
あとは才人《さいと 》がゼロ戦にルイズを乗せて、そのフネに着艦するだけである。
「まあ、メイジが何人も魔法をかけてくれるって言ってたし……。無事におろせるんじゃないですかね」
才人は後ろを振り向いて言った。ルイズはまだ姿を現さない。
「いろいろと慌ただしくて、きみたちに新兵器を説明する時間もなかったな」
「ですね」
才人はゼロ戦の翼下に、何本もの鉄パイプがぶら下がっているのを見つけた。あの筒はいったいなんなのだろう? しかし、今は詳しく説明を聞いている暇がない。
「でも安心したまえ、きちんとほれ、このように説明書を書いておいた」
コルベールは、才人に半皮紙のノートを手渡した。才人には読めないが、ルイズなら読めるだろう。あとで読んでもらおうと、才人は思った。
「ありがとうございます」
それからコルベールは言おうか言うまいか、迷ったような仕草を見せたあと、口を開いた。
「ほんとは……」
「え?」
「ほんとは、自分の生徒が使用する乗りものに、武器などつけたくはないのだ」
苦しそうな言葉であった。
「生徒?」
「ああ、なんていうか、その、きみは貴族ではないが、なんとなく、その生徒みたいな気がしてな。不愉快かね?」
「いえ、そんな、不愉快だなんて……」
才人ははにかんだ。
「炎≠フ力を人殺しのためには使いたくないのだ。わたしは」
きっぱりとコルベールは言い放った。
「どうしてですか? 炎は一番戦に向く系統だって、みんな言ってますよ。まあ、俺《おれ》には魔法のことはよくわかんないですけど」
「そうだな……、炎は破壊の系統。炎の使い手の中にもそう思っているものもたくさんいる……、でも、わたしはそう思わんのだ。炎が司《つかさど》るものが破壊≠セけでは寂しいと考える」
考える、と言われても。才人《さいと 》は困ってしまって頭をかいた。
「そうだ、きみのこの飛行機械はフェニックス≠ネどと最初王軍で呼ばれておた[#底本「おた」ママ]そうだな?」
「ええ、タルブで戦艦をやっつけたときに、なんでも誰《だれ》かが『あれは伝説のフェニックスだ!』なんて言ったらしくて……」
「そうだ! そのフェニックスだ!」
コルベールが嬉《うれ》しそうに叫んだ。
「先生?」
「フェニックスは伝説の生き物だが、こう伝えられている。フェニックス……、炎の鳳《おおとり》は、確かに破壊をも司るが……、再生≠も司るのだ」
「再生、ですか?」
「生まれ変わりということだな」
才人はなぜ、コルベールがそんなに喜ぶのかわからなかった。それからコルベールは、一人の世界に入り込んでしまった。
「そうか……、再生か……、なるほど……、象徴してくれているのか? ……どうなのだ?」
そこでコルベールは才人《さいと 》が呆《あき》れてじっと見ていることに気づき、
「あ、ああ! すまん!」と頭をかいた。
「いや、いいっすけど。いつものことだし」
コルベールは真顔になった。
「なあ、サイトくん……。実は、その……」
「なんすか?」
その瞬間、ルイズが姿を見せた。
「おせーよ」と、才人がつぶやく。
「しかたないじゃない! 女の子は準備がいろいろとあるのよ!」
「戦争に行くんだぞ。どんな女の子の準備があるっつーのよ」
ルイズはつん! と顔をそらすと、才人を無視して翼によじ登り、コックピットに入り込んだ。ルイズの実家から逃げ出すように戻ってきてから一ヶ月が過ぎていた。それ以来、こんな感じなのである。
操縦席後部の防弾板を外して、取りつけられたシートにルイズは座り込んだ。
「えっと、先生、今なにか言いかけましたよね。なんすか?」
「い、いや……、なんでもない、うん」
才人はゼロ戦に乗り込んだ。
こないだのように、コルベールの魔法でプロペラを回し、エンジンに点火。
二度目なので、落ち着いて操作できた。
再びコルベールに頼み、烈風を吹かせてもらう。
ゴーグルをつけ、マフラーを首に巻いた。
唸《うな》りをあげるエンジン音の中、コルベールは叫んだ。
「サイトくん! ミス・ヴァリエール!」
才人は手を振った。
「死ぬなよ! 死ぬな! みっともなくたっていい! 卑怯者《ひきょうもの》と呼ばれてもかまわない! ただ死ぬな! 絶対に死ぬなよ! 絶対に帰ってこいよ!」
エンジンの爆音で声は聞こえない。でも、なんとなくコルベールの言葉は届いた。聞こえなくても胸に届いた。才人は「わかりました!」と怒鳴ってスロットルを開いた。
ゼロ戦が滑走を始め、ぶわっと浮き上がり、ぐんぐん上昇していった。
徐々に小さくなり、空の向こうに消えていく。
ゼロ戦が空の向こうに消えて見えなくなっても、コルベールはじっと、見送りつづけた。
事前に聞いていた進路に向けて二時間ほど飛ぶと、雲の切れ間に小さな点々が見えてきた。近づくにつれ、その点々は大きくなり、空を埋め尽くすような艦隊になった。いつかテレビで見た気球のレースを才人《さいと 》は思い出した。
全長五十メイルから、百メイル近い巨大なフネが、何百|隻《せき》も並んで航行しているさまは、壮大で美しい光景であった。
「すげえ……」
と才人は感嘆の声をあげた。
「ほらルイズ見ろ。大艦隊!」
「…………」
しかしルイズは、頬《ほお》を膨らませたまま逆を向いた。
ルイズの機嫌は直ってないのだった。こないだの帰郷からずっと、こんな感じである。
さて今回のルイズの不機嫌の理由を、才人はこんな風に分析していた。
『好き』という言葉で忠誠を示した自分を(その言葉を忠誠ととるルイズに多少の不満はあったが)、ルイズは一旦《いったん》受け入れる姿勢を示したのである。
つまり順当にいけば二人は距離を接近させるはずであった。
でも自分は「好きなところ一箇所触っていい」というルイズのご褒美《ほうび 》を、全部触っていい、と解釈して、まずルイズを怒らせた(と才人は思っていた)。
そしてその後のシエスタの『ボタンを外した』発言で、独占欲の強いご主人さまは、さらに怒ってしまったのだ(と才人は思っていた)。
ルイズにしてみれば、他の女の子に手を出すという行為は、二君に仕える行為に近いのだろう、などと才人は随分と遠回りに誤解していた。
正直、ルイズは嫉妬《しっと 》しているだけなのである。
他の子に手を出しているくせに、自分に『好き』と言って、キスして、あまつさえ奪おうとした才人がどうにも許せないのであった。
あと、一瞬とはいえ、そんな使い魔に肌を許してもいい、などと思ってしまった自分が許せないのであった。結婚するまでは絶対ダメなのに。結婚しても三ヶ月はダメなのに。なに流されてんのわたしってば、と自分に対しても腹を立てていたのである。
才人はルイズが黙っているので、諦《あきら》めた。
さて、着艦するフネはどこだろう、と捜していると、竜騎士が一騎飛んできた。才人のゼロ戦に並ぶと、手を振ってきた。才人も手を振り返す。どうやら彼がフネまで案内してくれるらしい。
その竜騎士の後ろから、失速ギリギリの速度でついていくと、『ヴュセンタール』号が見えてきた。
多量の竜を発着させるために、長大な平甲板を持たされたフネであった。帆を張るマストは左右に突き出る形で計六本装備され、上から見ると足を伸ばした昆虫のように見えた。構造上、大砲は装備されていない。竜騎士隊を積むためだけに建造されたフネである。
ゼロ戦を積むためには最適、というかこのフネ以外に積むことは不可能であった。
長い平甲板を持つ『ヴュセンタール』号だったが、それでもゼロ戦が着陸するためには甲板の距離が短い。
どうやって着艦するんだ? とその上を旋回していると、デルフリンガーが口を開いた。
「相棒。もっとこのひこうき≠フネに近づけな。どうやら、あいつらが捕まえてくれるみてえだぜ」
甲板には何人ものメイジが見えた。
そして、甲板にはロープが張られ始めた。甲板の左右に分かれた兵隊たちが綱引きのようにロープの端を握っている。
どうやら風′n統の魔法と甲板に張られたロープを使って、ゼロ戦を着艦させるつもりのようであった。随分荒っぽいな、と思ったが、ほかに方法はないのであろう。
才人《さいと 》の右手が動き、着艦フックを出すための操作を行った。艦上機のゼロ戦には、ワイヤーに引っ掛けて空母に着艦するためのフックがついている。
フックの存在に気づいたコルベールが、ゼロ戦着艦の際には甲板にロープを張るように『ヴュセンタール』号の乗組員に伝えておいたのだろう。
『ヴュセンタール』号が近づく。
着艦フックに続き、主脚と尾輪を出した。フラップを下げる。
才人は慎重に後方からアプローチして、着艦コースにのった。
さて一方、ルイズはそんな光景には目もくれず、じっと考え事をしていた。
もちろん、あの日の小舟の上でのことである。
あの小舟の上で才人に押し倒された時……。
もし家族や使用人たちが見ていなかったら、どうなっていたのかしら、とルイズは考えた。
「…………」
頬《ほお》がこれ以上ないほど真っ赤に染まる。何食わぬ顔でひこうきを操縦している才人が急に憎らしくなり、ぽかぽかと殴《なぐ》り始めた。
「な、なにすんだよ!」
「場所を選びなさいよ! 場所を! なんで舟の上なのよ!」
と、ルイズは怒鳴る。
「ほかに降りる場所がねえんだよ!」
とまあ、とことんかみ合ってない二人であった。
『ヴュセンタール』号に着艦した才人《さいと 》とルイズは、ゼロ戦を降りるなりすぐ、護衛の兵を伴った将校に出迎えられた。
「甲板士官のクリューズレイです」
「今からどこへ?」
と、尋ねてみたが、二人を案内する士官は名乗ったきりなにも答えない。いったいどこに連れていかれるのであろう。アンリエッタからの指令書は、向かうべき艦名のみ記され、あとは何も書かれていなかった。お偉いさんの命令というのはそうしたものだ。一を教えれば、部下は十を理解すると思っている。貴族相手の生活がいい加減長い才人は、そんな風に想像をめぐらせた。アンリエッタも例外じゃないようだ。
というか自分たちが極秘の存在だからの処置かもしれない。
狭い中甲板を通り、まずは二人が利用する個室に案内された。ひどく狭い部屋だったが、個室であった。ものすごく小さな寝台にテーブル、それきりの部屋であった。才人とルイズは荷物を置くと再びついてくるよう士官に促される。
狭い艦内をジグザグにゆくと、とあるドアの前に出た。
士官がノックすると、中から返事があった。士官はドアをあけ、才人たちを中に入れた。
その部屋で二人を出迎えたのは、ずらっと居並んだ将軍たちであった。肩には金ピカのモールが光っている。随分な偉いさんたちのようである。
唖然《あ ぜん》とするルイズと才人に、従兵が席を勧める。ルイズが椅子《い す 》に腰掛け、才人はその後ろに控えた。
一番上座の将軍が、口を開く。
「アルビオン侵攻軍総司令部へようこそ。ミス・虚無《ゼ ロ 》=v
ルイズは緊張した。もしかして、この美髯《び ぜん》の四十過ぎに見える将軍が……。
「総司令官のド・ポワチエだ」
あっさりと、将軍は自分の身分を述べた。
「こちらが参謀総長のウィンプフェン」
将軍の左に腰掛けた、皺《しわ》の深い小男が頷《うなず》いた。
「ゲルマニア軍司令官のハルデンベルグ侯爵だ」
角のついた鉄兜《てつかぶと》をかぶったカイゼル髭《ひげ》の将軍が、ルイズたちに重々しく頷く。
どうやらこの竜母艦は旗艦で、かつ総司令部であるようだった。
それから将軍は、会議室に集まった参謀や将軍たちに、ルイズを紹介した。
「さて各々《おのおの》方《がた》。我々が陛下より預かった切り札、虚無≠フ担い手を紹介しますぞ」
しかし、そう言っても会議室の面々は盛り上がらない。胡散《う さん》くさそうにルイズとその使い魔を見つめるばかり。
「タルブの空で、アルビオン艦隊を吹き飛ばしたのは、彼女たちなのです」
と、ド・ポワチエが言って初めて、将軍たちは関心を持ったらしい。
才人《さいと 》はルイズをつついた。
「あによ」
「……いいのか? バラしちまって」
「じゃないと、軍に協力できないじゃないの」
ま、それもそうだけど……、あれほどアンリエッタは黙っていろとルイズに命じたのに、自分ではあっさりバラしてしまうなんてな、と思った。ルイズを大事に思うと言いながら、なんとなくそうは思えないアンリエッタの処遇であった。それが女王というものなんだろうか、と思ったら、ちょっと才人は悲しくなった。
それからあのときのアンリエッタの震えを思い出し、無理もねえか、と思う。
とにかくいっぱいいっぱいなのだ、あの人は。
将軍はルイズににっこりと笑いかけた。演技の混じった笑みである。
「いきなり司令部に通されて驚いただろう。いやすまん。しかし、この艦が旗艦ということは極秘なのでね。見てのとおり、竜騎士を搭載するために特化した艦でな、大砲も積んどらん。敵にバレて狙《ねら》われては面倒なことになるからな」
「は、はぁ……、しかし、どうしてそのような艦を総司令部になさったのですか?」
ルイズが可愛《かわい》らしい声で娑婆《しゃば 》っ気たっぷりの質問をしたので、辺りが笑い声に包まれた。
「普通のフネでは、このような広い会議室を設けることはできん。大砲を積まねばならんからな」
なるほど、と思った。大軍を指揮する旗艦に必要なのは、攻撃力より情報処理能力ということなのだろう。
「雑談はそのぐらいにして、軍議を続けましょう」とゲルマニアの将軍が言った。将軍たちの顔から笑みが消える。
軍議は難航していた。
アルビオンに六万の兵を上陸させるための障害は二つ。
まずは、未《いま》だ有力な敵空軍艦隊である。先だってのタルブの戦いでレキシントン号を筆頭に、戦列艦十数|隻《せき》を屠《ほふ》ったとはいえ、アルビオン空軍には未だ四十隻ほど戦列艦が残っている。対してトリステイン・ゲルマニアは六十の戦列艦を持つが、二国混合艦隊のため、指揮上の混乱が予想された。錬度に勝るといわれるアルビオン艦隊を相手にした場合、一・五倍の戦力差は帳消しになってしまうかもしれない。
第二に、上陸地点の選定である。
アルビオン大陸に、六万からの大軍をおろせる要地は二つ。
主都ロンディニウムの南部に位置する空軍基地ロサイスか、北部の港ダータルネス。港湾設備の規模からいって、やはりロサイスが望ましかったが……、そこを大艦隊でまっすぐ目指したのではすぐに発見され、敵に迎え撃《う》つ時間を与えてしまう。
「強襲で兵を消耗したら、ロンディニウムの城をおとすことは叶《かな》いません」
参謀長は冷静に兵力を分析して一同に告げた。強襲とは敵の抵抗を受けつつ、攻撃をくわえることである。
連合軍に必要なのは奇襲≠ナあった。
敵の抵抗を受けずに、六万の兵をロサイスに上陸させたいのだ。
そのためには敵の大軍を欺《あざむ》き、上陸地点のロサイス以外に吸引しなくてはならない。
つまり、六万のトリステイン・ゲルマニア連合軍が……、『ダータルネスに上陸する』と、敵に思わせるための欺瞞《ぎ まん》作戦がなんとしてでも必要なのである。
それが第二の障害であった。
「どちらかに虚無%aの協力をあおげないか?」
参謀記章をつけた貴族がルイズの方を見ながら言った。
「タルブで『レキシントン』を吹き飛ばしたように、今回もアルビオン艦隊を吹き飛ばしてくれんかね」
才人《さいと 》はルイズを見つめた。ルイズも振り返り、首を振った。
「無理です……、あれほど強力な『エクスプロージョン』を撃つには、よほど精神力が溜《た》まっている状態でないと。あと何年、何ヶ月かかるかわかりません」
参謀たちは首を振った。
「そんな不確かな兵器≠ヘ切り札とは言わん」
才人はその言葉に反応した。
「おい、ルイズは兵器じゃない」
「なんだと? 使い魔風情が口をきくな」
騒ぎになろうとしたとき……、ド・ポワチエ将軍がさえぎった。
「艦隊は我らが引き受けよう。虚無%aには陽動の方を引き受けてもらおう。できるか?」
「陽動とは?」
「先ほど議題にあがったとおりのことだ。我々がロサイスではなく『ダータルネスに上陸する』と敵に思い込ませさえすればよい。伝説の虚無≠ネら簡単なことではないのか?」
ルイズは考え込んだ。
……そのような呪文《じゅもん》があっただろうか?
才人が後ろから、そっとつぶやいた。
「……デルフが言ってた。必要なときがきたら、読めるんだろ?」
ルイズは頷《うなず》いた。
「明日までに、使用できる呪文《じゅもん》を探しておきますわ」
おお頼もしい、とド・ポワチエ将軍は微笑《ほほえ》む。
それで、ルイズたちには用がなくなったらしい。退室を促された。
「いやな感じ」と廊下に出たルイズは扉の閉じた会議室に向かって舌を出した。
「そうだな」と才人《さいと 》も相槌《あいづち》をうった。
「あの人たち、わたしをただの駒《こま》としてしか見てない気がするわ」
才人はルイズの肩を叩《たた》いた。
「偉い将軍なんて、そんなもんなんだろ。戦争に勝つことしか頭にないんだからさ」
でも、それは戦いの中では正しい思考なのだろう。
戦闘機を引っさげて軍艦に乗り込んできた以上、自分もそうならなくてはならないのかもしれない。
でも、そんなのやだなあ、とぼんやり思っていると、後ろから肩を叩かれた。
振り返ると、目つきの鋭い貴族が五、六人、才人をにらんでいる。男というより、まだ少年という歳《とし》に見えた。才人といくらも変わらないだろう。一行は革の帽子を被《かぶ》り、そろいの青の上衣を纏《まと》っていた。杖《つえ》は軍人が好む、腰に差すレイピアタイプのものだったが……、かなり短めの拵《こしら》えであった。
「おい、お前」
お前とか言われて、才人はかちんときた。
「なんだよ」
やめなさいよぉ、と小さくつぶやいてルイズが袖《そで》を引っ張る。
その中のリーダー格と思《おぼ》しき少年が、顎《あご》をしゃくった。
「来い」
なんだなんだ、いきなりやる気かおい、とか思いながら、才人はデルフリンガーをつかんで歩き出した。
一行がやってきたのは、ゼロ戦が係留《けいりゅう》されている上甲板であった。ゼロ戦はロープで各部を縛られ、甲板にくくりつけられている。
理由はわからんけど、ここでやるのか、いいぞかかってこいなんかむしゃくしゃしてたんだと思いながらデルフリンガーを抜こうとすると、
「これは、生き物か」
と一人の少年貴族がゼロ戦を指さして、恥ずかしそうに尋ねてきた。
「そうじゃないならなんなんだ。説明しろ」
もう一人が、真顔で説明を求めてきた。
才人は気が抜けて、
「いや、生き物ではないけど……」とつぶやいた。
「ほらみろ! ぼくの言ったとおりじゃないか! ぼくの勝ちだ! ほら一エキューだぞ!」
一番太った少年が、わめき始める。みんなしてしぶしぶポケットから金貨を取り出して、その少年に手渡す。
ルイズと才人《さいと 》が口をあけて見ていることに気づき、少年たちは気まずそうな笑みを浮かべた。
「驚かせちゃったかな。ごめんね」
「はい?」
「いや、ぼくたちはカケをしてたんだ。こいつがなんなのかってね」
ゼロ戦を指差して少年貴族はつぶやく。
「ぼくは生き物だと思った。竜の仲間だと思ったんだ」
「こんな竜がいるもんか!」
「いるかもしれないだろ! 世界は広いんだから!」
そう言って言い合いを始める。
そんな姿を見ていると、才人は故郷の教室を思い出した。自分も休み時間になると、こんなバカ話で時間をつぶしたっけ……。
「これは飛行機械ですよ」
ほう、と言って少年貴族たちは興味深そうに才人の説明に聞き入った。しかし、どうしても魔法以外の動力で空を飛ぶ、ということが理解できない様子であった。
「ぼくたちは、竜騎士なんだ」
ゼロ戦の説明が終わると、少年たちは中甲板の竜舎に才人たちを案内した。タルブの戦でほとんど全滅に近い損害を受けた竜騎士隊は、竜騎士見習いの自分たちを、そのまま繰り上げて正騎士として部隊に編入したんだと説明した。
「本来なら、あと一年は修行しなくちゃいけないんだけどね」
そう言ってはにかんだ笑みを浮かべたのは、先ほどカケに勝った太っちょの少年であった。自分は第二竜騎士中隊の隊長であると彼は言った。才人たちのゼロ戦をこの艦まで案内したのも彼であった。
竜舎の中にいたのは、風竜の成獣たちであった。タバサのシルフィードよりも、二回りも大きい見事な風竜だ。翼が大きく、スピードが出そうな面構えであった。
「竜騎士になるのは大変なんだぜ」
「そうなの?」
「ああ。竜を使い魔にすりゃ、そりゃ簡単だけどね。皆が皆、そううまくいくってわけじゃない。使い魔として契約しない場合、竜は気難しい、一番乗りこなすことが難しい幻獣さ。なにせ、自分が認めた乗り手しかその背に乗せないんだから」
「竜は、乗り手の腕だけじゃなく、自分にふさわしい格をそなえた魔力を持っているか? 頭もいいか? なんてそんなところまで見抜くんだ。油断のできない相手さ」
竜騎士の少年たちはエリートであり、また相当なプライドの持ち主であるようだ。
「跨《またが》ってみるかい?」
と才人《さいと 》は言われて、頷《うなず》いた。
跨った才人は、あっけなく振り落とされた。少年たちが腹を抱えて笑う。ぬお、と負けん気の強い才人は、再び挑戦した。が、結果は同じ。タバサみたいな小さな女の子だって涼しい顔でこの風竜に乗ってるのに……、と悔しくなって何度も挑戦する才人であった。
遠くからルイズは、そんな光景を見つめていた。才人はすっかり竜騎士の少年たちと仲良くなり、いっしょになってぎゃあぎゃあ騒いでいる。
男の子はいいわね、と、ちょっと羨《うらや》ましかった。あんな風に、すぐに仲良くなっちゃうんだから、とちょっとふて腐れて眺めるルイズであった。
っていうか、竜よりご主人さまでしょう? こないだあんた、小舟の上で何したのよ。それなのに、ぎゃあぎゃあ竜騎士なんかと遊んでる場合なの?
明日は戦場の空を飛ばなくちゃならないのよ? もしかしたらわたしたち死んじゃうかもしれないのよ? そしたら時間の使い方は決まってくるでしょう?
とルイズはじろっと才人をにらみながら思うのであった。
わたし不安で恐《こわ》いんだからぎゅーって抱きしめてなさいよ、とか思う。
口に出しては言いませんけども、そう思う。
そして……、ため息をついた。
陽動作戦のことである。
なんとしても、連合軍六万がロサイスではなく『ダータルネスに上陸する』と敵に思い込ませねばならないのだが……。どのような呪文《じゅもん》がいいのだろう? 見当もつかない。
「おい、きみ。きみ」
ルイズがつまらなそうに竜舎のはしっこで壁にもたれ、脚をぶらぶらさせてこっちをちらちら見ていることに気づいた竜騎士の一人が、才人に話しかけた。
「彼女はきみの主人だろう? あんなところにほったらかしでいいのかね?」
才人は、う! しまった! と青くなった。ルイズをほったらかしにしてしまった。あとでぶちぶち文句を言われるに違いない。でも、新しく仲間になった少年たちに、そんな情けないところは見せられない。男の子は不便な生き物で、新しい仲間には弱いところは見せられないのである。才人《さいと 》は強がった。
「い、いいんだよあんなやつ。ほっとけば」
おお〜〜〜、と拍手が沸いた。
「気にいったぞ。主人に対するその態度! きみはただものじゃないようだ」
才人のそんな態度に腹を立てたルイズが近寄ってくる。
「なんか言った?」
「いや、なんにも……」と口篭《くちごも》った瞬間、ルイズに股間《こ かん》を蹴《け》り上げられた。ほら部屋に戻るわよ、とずるずる引っ張られそうになったとき、隊長が二人を誘った。
「おふたかた。今夜の予定はあるかね?」
なぜかルイズは頬《ほお》を染めた。いや別に……、と才人が答えて、ルイズに腹を蹴られてうめいた。
「ならばお近づきのしるしに、今宵《こ よい》は酒盛りでも」
慎重そうな一人が、その提案をたしなめた。
「いやいや、甲板士官の見回りがある。夜中に部屋から抜け出したりしたら、すぐにバレてどやされちまう」
皆一斉に悩み始めた。甲板士官に怒られるのはごめんこうむりたいが、酒盛りはしたいのである。何せ明日をも知れぬ身なのだ。
ぴん、と閃《ひらめ》いた才人が指を立てて言った。
「カカシを作ればいいんだよ。藁束《わらたば》でもベッドに突っ込んどこう」
そんなのすぐにバレるよ! と竜騎士たちは笑った。
しかし、ルイズだけが笑わない。何かに気づいたように、爪《つめ》をかんでいる。
「どうした?」
逆に尋ね返された。
「……あんた。今、なんて言ったの?」
「え? いや……、カカシでも作っとくか? ってさ」
「そうよ。カカシだわ。六万のカカシを作ってやればいいのよ」
「はぁ? 六万? ここにいるメンバーの数だけでいいんだよ」
「そもそも、そんな数の藁束が用意できるわけないだろう」
真顔で問い返す竜騎士もいた。
「藁束? 魔法で作るのよ!」
そう言ってルイズは駆け出していく。
「なんだあいつ?」
あとに残された才人たちは、呆然《ぼうぜん》とそんなルイズを見送った。またもやかみ合ってない二人であった。
ルイズは自分に与えられた個室に飛び込み、始祖の祈祷書《き とうしょ》を開いた。
一旦《いったん》目をつむり深く深呼吸したあとカッと目を開いた。始祖の祈祷書に精神を集中させ、慎重にページをめくっていく。
一枚のページが光りだして……、ルイズは微笑《ほほえ》んだ。
まともな授業の時間が減った魔法学院に、騎馬隊の一団が現れたのは、コルベールが才人《さいと 》たちを見送った日の昼のことであった。
門から入ってきたのは、アニエス以下銃士隊の面々である。
学院に居残った女子たちは、騎乗した近衛《このえ 》隊の姿に驚いた。いったい何事であろう、と首をかしげる。学院長のオスマン氏が、アニエスたちを迎えにやってきた。
「アニエス以下銃士隊、ただいま到着いたしました」
「お勤め、ご苦労さまなことじゃな」
と髭《ひげ》をしごきながらオスマン氏がつぶやく。内心、微妙な心境である。彼女たちは、残った女子生徒たちにも軍事教練を施しにやってきたのであった。
その連絡があったのは昨晩のこと。
どうやらアンリエッタの王政府は、貴族という貴族を戦に駆り出すつもりのようであった。女子生徒も予備士官として確保し、アルビオンでの戦で士官が消耗すれば、逐一投入する構えのようである。オスマン氏は、王政府のそのようなやりかたに疑問を持っていた。
そのためオスマン氏は、ラ・ロシェールで行われた王軍見送りの式に出席しなかった。学院の女子生徒にも、同様に出席を禁じた。結果、王政府を刺激することになったらしい。
「戦とはいえ、惨《むご》いもんじゃのう」
「こたびの戦を総力戦≠ニ、王政府は呼んでおります」
「なにが総力戦≠カゃ。もっともらしい呼び方をすればいいというものではない。女子供まで駆り出す戦に、正義があるものか」
アニエスは冷たい目でオスマン氏を見つめた。
「では、貴族の紳士や兵隊のみが死ぬ戦いには、正義はあるのですか?」
オスマン氏は言葉につまった。
「死は平等です。女も子供も選びませぬ。それだけのこと」
アニエスはつかつかと本塔へと向かった。
さて、キュルケやモンモランシーたちの教室では授業が行われていた。男性教師が出征したために、授業の数はめっきり減ったのだが……。
「でも、例外はいるのよね」とキュルケが教壇に立った男を見つめてつぶやく。
コルベールであった。
彼はいつもどおりの授業を続けている。どことなく落ち着かない女生徒の顔など、どこ吹くかぜといった具合である。
「えー、このようにだな。炎はですな、高温になればなるほど、色が薄くなります」
と、手にした炎で、鉄の棒をあぶった。
熱した棒を折り曲げて、くの字にするとさらに説明をくわえる。
「よいですかな、高温の炎でないと加工できない金属は多数あります。従って高温の炎を制御することは、火≠使って工作をする際の基本となります」
モンモランシーがすっと手を上げた。
「ミス・モンモランシ。質問かね?」
モンモランシーは立ち上がると、
「今は国を挙げての戦の真っ最中です。こんな……、のん気に授業をしてていいんですか?」
「のん気もなにもここは学び舎《や》で……、君たちは生徒で、わたしは教師だ」
コルベールは落ち着いた、抑揚《よくよう》の変わらぬ調子で答えた。
「でも……、クラスメイトが何人も……、先生だって何人も、戦に向かってるんですよ」
「だから、どうだというのだね? 戦争だからこそ、我々は学ばねばならぬ。学んで戦の愚かさを、火≠破壊に使う愚《ぐ》をさとらねばならぬ。さあ勉強しよう。そして戦から帰ってきた男子たちにそれを伝えてやろうではないか」
コルベールはそう言って教室を見回した。
「戦が恐《こわ》いんでしょ」
キュルケが、小ばかにした調子で言い放つ。
「そうだ」とコルベールは頷《うなず》いた。
「わたしは戦が恐い。臆病者《おくびょうもの》だ」
女子生徒から、呆《あき》れたため息がいくつも漏《も》れた。
「でも、そのことに不満はない」
きっぱりとコルベールがそう言いきったとき、ずかずかと、銃士の一団が教室に入ってきた。アニエスたちである。
鎖帷子《くさりかたびら》に腰にさした長剣に拳銃《けんじゅう》。そんな物々しい出《い》で立《た》ちの女たちが入ってきたので、女子生徒たちは軽くざわめいた。
「きき、きみたちは、な、なんだね」
コルベールが尋ねると、アニエスはコルベールを無視して、生徒たちに命令した。
「女王陛下の銃士隊だ。陛下の名において諸君らに命令する。これより授業を中止して軍事教練を行う。正装して中庭に整列」
「なんだって? 授業を中止する? ふざけるな」
コルベールがそう言うと、アニエスは首をすくめた。
「わたしだって子守りなどしたくはないが……。これも命令でね」
女子生徒たちは、ぶつぶつ言いながらも立ち上がり始めた。
コルベールが慌ててアニエスを追いかけ、立ちふさがった。
「こらこら! まだ授業は終わっておらんぞ!」
「陛下の命令だと言っているだろうが。聞こえんのか?」
苦々しい口調で、アニエスが言った。
「陛下の命令だろうがなんだろうが、今は授業中だ。あと十五分は、生徒を学ばせるために陛下から与えられたわたしの時間だ。あなたに命令されるいわれはありませんぞ。諸君! 教室に戻りなさい! あと十五分、きっちり学びますぞ! 戦争ごっこはそれからでも十分だ!」
アニエスは剣を引き抜き、コルベールの喉元《のどもと》に突きつけた。
「教練を戦争ごっこと言ったな。本職を愚弄《ぐ ろう》するか? ミスタ、こちらがメイジではないと思って、あまりナメた態度をとられるな」
「べ、別にナメては……」
喉に突きつけられた剣を見つめて、コルベールは冷や汗を流した。
「お前、炎℃gいだな? 焦げ臭い、嫌なにおいがマントから漂ってくる。教えてやる、わたしはメイジが嫌いだ。特に、炎≠使うメイジが嫌いだ」
「ひう……」
コルベールの脚が震え出した。そのままあとじさり、壁にしりもちをついた。
「いいか、わたしの任務の邪魔をするな」
アニエスは震えるコルベールを、まるでゴミでも見るような目で見つめたあと、剣をさやに収めつかつかと歩き去った。女生徒たちも軽蔑《けいべつ》の色を浮かべ、コルベールのそばを通り過ぎていく。
一人きりになったあと、コルベールは顔を両手で押さえ……、深いため息をついた。
[#改ページ]
第七章 ダータルネスの幻影
朝直の八点鐘が戦列艦『レドウタブール』号の艦内に鳴り響いた。
二国と、一国の運命を決する朝であった。
鐘楼《しょうろう》にのぼったマリコルヌは、大きなあくびをした。すぐに辺りを見回す。あくびをした士官候補生を見つけた甲板士官が、どれだけ残酷な罰を与えるのか、この二日でマリコルヌは体で覚えていたのだった。
マリコルヌは見張り当直であった。
朝の八点鐘……、ただいまの時刻は午前八時。当直の時刻は終了だ。次直の士官候補生に引き継ぎを行えば、ハンモックに入って八時間眠ることができる。
早朝の鐘楼は地獄の寒さだ。マリコルヌは震えながら、鐘楼にのぼってくる候補生を待ち受けた。トップマストをよじのぼってくるのは魔法学院の先輩でもあるスティックスであった。
マリコルヌは、彼がボーウッドを殺すとか言っていたことを思い出す。でも、今はそんなことより暖かい部屋でお湯でわったブランデーを飲んで体を温めたい。
二人は顔を見合わせると、敬礼して微笑《ほほえ》みあった。
「これからぼくが極寒に耐えなきゃならんというわけだな。太っちょ」
「でも、なんとも羨《うらや》ましいことに先輩には太陽がついてますよ」
「覚えているかい? マリコルヌ君」
「なんですか?」
「ぼくが、あのアルビオン野郎をやっつけると言ったことを」
「覚えてますよ」
「戦闘行動中が望ましい」
「でしょうね」
「いつになったら、戦闘は始まるのかな」
スティックスは、勇気のあるところを後輩に見せつけようとして、待ちわびてたまらぬ、と言った具合につぶやいた。マリコルヌは何気なく空を見つめ……、息を呑《の》む。
「どうしたね。マリコルヌ君」
「……待つ必要はないみたいですよ」
「え?」
マリコルヌが指差す一点を見つめ、スティックスは顔色を変えた。
『敵艦見ゆ』
朝の八時を五分過ぎたころ、才人《さいと 》たちの乗り込んだ『ヴュセンタール』号の総司令部に敵艦隊発見の報告が届いた。
「予想より早いな」と、ド・ポワチエ将軍がつぶやいた。
彼はアルビオン艦隊との接触を十時|頃《ごろ》とみていた。
「生真面目《き ま じ め 》な連中ですからな」と参謀の一人が相槌《あいづち》をうった。
「虚無≠ヘ?」
「昨晩のうちに、使用する呪文《じゅもん》を決定しました。受けて、参謀本部で作戦を立案しました」
「どんな呪文だ?」
手渡された作戦計画書を眺めながら、ド・ポワチエがつぶやく。参謀は将軍の耳に口を寄せ、ルイズが報告した呪文の内容をつぶやいた。
「面白い。うまくいけば吸引できるな。伝令」
伝令兵が駆け寄ってきた。
「虚無≠出撃させる。作戦目標ダータルネス=B仔細《し さい》は任す。第二竜騎士中隊は全騎をもってこれを護衛。復唱」
「虚無¥o撃! 作戦目標ダータルネス=I 仔細自由! 第二竜騎士中隊全騎はこれを護衛!」
「よろしい。駆け足」
伝令は才人《さいと 》たちが待機する上甲板にすっ飛んでいった。
「これで我々は心おきなくロサイスを目指せますな」
「そうだな」
次にド・ポワチエは敵艦隊を迎え撃《う》つべく、戦艦隊に命令を発した。
「戦列艦の艦長たちに伝えろ。体当たりしてでも、上陸部隊を満載した輸送船団に敵艦を近づけるな、とな」
才人は上甲板のゼロ戦の操縦席に座り、エンジン始動前の点検を行っていた。ルイズはすでに後部座席に座って目を閉じ、精神を集中させている。
昨晩、ルイズは使用する呪文《じゅもん》を見つけて、それを参謀本部へと提出した。
参謀本部ではそれを受けて作戦が立案され、作戦参謀たちによって計画書が作成された。その計画書の写しが今才人の手元にある。
本日、早速その作戦は実行されることになったのであった。
ゼロ戦の翼によじ登った甲板士官が、羊皮紙に地図やら文字やらが書き込まれたそれを指さして、才人に説明を始めた。
「だから、俺《おれ》はこっちの字が読めないんだよ!」
「この地図の! ダータルネス! ここだ! お前はとにかく虚無《ゼ ロ 》%aをここまで運ぶんだ! あとは虚無%aがなんとかしてくれるだろう!」
と、その甲板士官は怒鳴った。なーにが虚無%aだ、と才人は思った。そんなヘンな呼び方あるもんか。気持ち悪い。
さてその羊皮紙である。ぼんやりとしたアルビオン大陸の地図がのっている。航法など勉強したことのない才人は、目印のない雲上をどっちに飛べばいいのかわからない。目視で地形を確かめることのできた、いつだかラ・ロシェールを目指して飛んだときとはワケが違うのだった。
「竜騎士が先導する! はぐれるなよ!」
甲板士官が才人の不安を見越してか、説明した。
わかったわかった、と頷《うなず》いた。確かに風竜の瞬間速度はレシプロ機に匹敵《ひってき》する。ワルドに追いかけられたときにそれは実感している。
そのとき─────────────。
カンカンカンカン! と激しく鐘が打ち鳴らされる音が響いた。
思わず空を見上げる。
遠くの雲の隙間《すきま 》に、明らかに味方とは違う動きの艦隊が、急速に降下してきてこっちに向かってくるのが見えた。
この総旗艦『ヴュセンタール』号を含む輸送船団の左上方を航行していた六十|隻《せき》の戦列艦たちが、現れた敵艦隊と雌雄を決するために進路を変えて上昇していく。もちろん才人《さいと 》は、そのうちの一|隻《せき》にマリコルヌが乗り組んでいることなど知らない。
そこに伝令が飛んできた。
「虚無¥o撃されたし! 目標ダータルネス=I 仔細《し さい》自由! 第二竜騎士中隊は全騎をもってこれを護衛!」
もうかよ! 早くねえか? いや、敵が来たから慌てて出撃させられるのか。
才人はエンジンをかけるために、控えたメイジに指示を送った。
しかし、彼は勝手がわからぬのか、もたついている。エンジンをかけるためには、プロペラを回さなくてはならないのだが……。どのような魔法をかければうまくプロペラが回るのかわからぬ様子であった。これがコルベールなら、以心伝心、すぐに才人の意をくんで行動してくれるのだが……。
「だから、その、これをまわすんですよ!」
「え? どれだ? わからん。もっと詳しく頼む」
そんなやり取りをしているうちに、敵艦隊から分派した三隻ほどのフネが、急速にこちらに向かってくるのが見えた。
焼き討ち船だ! と誰《だれ》かの声がする。
見ると、その船どもは真っ赤に燃えていた。それらは、敵艦隊のど真ん中に無人で突っ込み、仕込まれた火薬を爆発させるというとんでもない船であるのだった。
ぎょっとする間もなく、落下するような勢いで飛び込んでくる。『ヴュセンタール』号の近くでその一隻が爆発した。
その爆風で『ヴュセンタール』号が大きく傾く。
あっ! と思う間もなく、ずるずるとゼロ戦は滑り出し……、ぽろっと上甲板の端から宙におっこちた。
「うわぁああああああああ!」と才人は絶叫した。
エンジンのかかっていないゼロ戦は、機首を下にしてまっさかさまに地面に向けて落下する。
「落ちる! 落ちる! 落ちる!」
と絶叫していると、デルフリンガーが口を開いた。
「相棒」
「なんだよ!」
「いいこと教えてやろうか」
「それどこじゃねえ! ああ、こんな最期《さいご 》だなんて……。あっけねえ」
「ペラが回ってるぜ?」
へ? と前を見る。なるほど落下する風圧で、プロペラがぐるぐる回っていた。脚を収納して、エンジン点火ボタンを押してみた。ブスブスと音がして、バロロロロロッ! とプロペラが回り始める。操縦桿《そうじゅうかん》を引いて機首を引き起こし、水平飛行にうつる。
「いやぁ……、結果オーライ」
冷や汗でびっしょりになりながら、才人《さいと 》はほっとした。後ろを見ると、未《いま》だルイズは精神集中の真っ最中。こいつはいつもは落ち着きないくせに、虚無≠唱える前だけは、雑音がまったく届かなくなるほどに集中できるらしい。
「相棒」
「なんだ?」
寂しそうな声で、デルフリンガーがつぶやく。
「もっと褒《ほ》めてくれてもいいんだぜ」
「お前は偉い」
「もっと。もっとだ相棒。ほったらかしの分、もっと褒めねえとひどいからな」
「おー、えらいえらい」
なんで俺《おれ》の周りの連中は、みんなわがままで寂しがりやなんだろうと、己を棚にあげて才人は思った。
気づくと、いつの間にか第二竜騎士中隊が周りを飛んでいた。その数、合計十騎。
プロペラピッチとスロットルのトリムレバーを調節して、巡航速度を計器で百十ノットぐらいに絞る。
速度の出る風竜は、なんなくゼロ戦の飛行についてきた。
才人は昨日仲良くなった第二竜騎士中隊の連中に手を振る。向こうも手を振り返してきた。
後ろで精神を集中するルイズは、始祖の祈祷書《き とうしょ》を両手に持ってページを開き、身じろぎもしない。
こうなれば自分の仕事は、この虚無≠フ担い手を目的地に運ぶだけである。
一機と十騎の混成編隊は、ダータルネスを目指して飛行した。
一騎の竜騎士が竜に尻尾《しっぽ 》を振らせながら前方に出た。彼が先導するらしい。
故郷に恋人を残してきたという、金髪の十七歳。才人と同じ歳《とし》の竜騎士。
すぐ右隣を飛ぶ竜騎士は十八歳。憧《あこが》れの竜騎士になることができて喜んでいた。彼は貧乏貴族の三男坊で、この戦で手柄を立てて出世するんだと張りきっていた。
左手を飛ぶ二人は双子の十六歳だ。
みんな昨日、飲み明かした連中である。竜騎士隊の面々は気のいい連中ばかりだった。
彼らは全員、当然貴族であったが、『空を飛ぶ以上、貴族も平民もない』と言って友人として才人を扱ってくれた。
上方から艦隊が大砲をぶっ放す音が何発も聞こえてきた。
トリステイン・ゲルマニア連合艦隊、およびアルビオン艦隊の間で、砲撃戦が始まったらしい。敵味方あわせて、百|隻《せき》をこえる艦隊決戦だ。
火薬の臭《にお》いがここまで漂ってきそうなほどの圧倒的な炎の演舞に才人《さいと 》は魅《み》せられそうになった。しかし……、首を振る。あの爆発の一つ一つの中で、何人、何十もの人間が飛び散っているのだ。それを考えると背筋が寒くなる。
彼らの死を悼《いた》む前に、自分がそこにいなくてよかった、そんな感情が巻き起こる。一瞬、そんな風に思った自分を恥じ、前を見つめた。自分がそうならぬという保証はどこにもない。
竜騎士をはべらせ、空の青と雲の白の境界線の上を、才人はアルビオンめがけて飛んだ。
三又の矛《ほこ》のような三列縦隊で突っ込んできたアルビオン艦隊を、トリステイン・ゲルマニア戦列艦隊は包み込むようにして横隊で受けた。
突破を図《はか》るアルビオン艦隊を、まさに体を張って食い止めたのだった。
うまくいけば包囲|殲滅《せんめつ》できるように思えたが……、距離が近すぎた。両艦隊は至近距離で、全艦入り乱れての果てしのない殴《なぐ》り合いを開始する羽目になったのである。
そのうちの一隻、『レドウタブール』号甲板上のマリコルヌはがたがたと震えていた。
見るとそばには、同じようにしてスティックスがうずくまっている。
歯の根があわない。
立ち上がろうとして、腰が抜けていることに気づいた。
周りは、黒色火薬の爆発が生み出すもうもうと立ち込める煙と、ときたま雷鳴のように光る敵艦が放つ大砲の光以外、何も見えない。船体が敵艦とぶつかり、軋《きし》みをあげ、また離れた音がした。
一瞬でマリコルヌが入りこむことになってしまった戦場は、想像を絶する世界だった。何が起こっているのかさっぱり理解できない。これでは混乱に乗じてボーウッドを討つどころではない。そんな余裕はどこにもなかった。
ただ、敵艦隊と自艦隊が入り乱れ、まるで剣士のように至近距離で切りあっていることだけが理解できた。
もうもうと立ち込める白煙の中に敵艦が見えた……、と思えば上下二層の中甲板から一斉射撃の命令が聞こえてくる。
雷鳴のような発射音。
敵艦に何個も大穴があき、木片や人間が飛び散る。それは敵も同じで、すれ違いざまにこちらに大砲を撃《う》ち込んでいく。
周りの甲板がべきっとへし折れ、破片が宙を飛んだ。
ちぎれたロープが舞う。
こぼれた油が甲板を流れる。
誰《だれ》かが砂を撒《ま》け、とわめいている。
混乱と喧騒《★けんそう》と煙と血と、火薬の臭《にお》い。
鉄の砲弾が木板の艦を破壊する音。
ひっきりなしに続く大砲の発射音……、そして煙。見通すことさえ困難な煙。
それがマリコルヌの認識した戦であった。
恐怖に耐えきれなくなったスティックスが、昇降口に駆け込もうとした。比較的安全な下甲板に逃げ出そうというのだろう。
しかしそこには杖《つえ》を構えた士官が立ちふさがり、持ち場から兵が逃げ出すのをふせいでいた。すごすごと戻ってきて、頭を抱える。そこに甲板士官がやってきてわめく。
「コラァ! なにをしとる! 立て! 立ち上がらんか! 勇気を見せろ! お前たちは貴族だろうが! 立って自分たちの仕事をしろ! 仕事がなければ魔法を唱えろ! 周りは全部敵だ! どこに撃《う》っても敵に当たる!」
マリコルヌはぐっと唇をかみ締め、両手を甲板について四つんばいになって立ち上がった。
すると、思いっきり尻《しり》を蹴《け》飛ばされる。
立ったじゃないか! た、立とうとしてるじゃないか!
屈辱を感じる間もなく、どやされる。
「貴様! ぶくぶくみっともなく太った貴様に言ってるぞ! 戦え! 戦争をしない臆病《おくびょう》者《もの》の士官候補生はいらん!」
マリコルヌは頬《ほお》を自分で叩《たた》いた。
臆病者のふとっちょと、罵《ののし》られるのがイヤで軍に志願したのではないか? このままではいつまでたっても臆病者だ。
「ほら! 子豚ァ! もたもたするな!」
そう怒鳴った甲板士官が、しゅん! と飛んできた魔法の矢で串刺《くしざ 》しにされた。
煙の向こうに敵艦が見えた。敵の顔がわかるほどに近い距離だ。甲板の上に、自分に似たふとっちょの少年がこちらめがけて杖を構えているのが見えた。
歳《とし》の頃《ころ》も変わらない。
彼も震えていた。
青ざめて、がたがたと激しく震えていた。
胸に魔法の矢を受けた甲板士官がびくんびくんと、そばで断末魔の痙攣《けいれん》をおこしている。マリコルヌは鼻水まじりで絶叫した。
自分が叫んでいるのか、ただ単に口をあけているだけなのか、響く爆発音にかき消されてよくわからない。
マリコルヌは杖を構えて、敵艦めがけて闇雲《やみくも》に呪文《じゅもん》を詠唱し始めた。
雲の切れ間にアルビオン大陸が見えた頃《ころ》、才人《さいと 》たちは敵軍の哨戒《しょうかい》カラスに発見された。空を飛べる使い魔を利用した、密度の濃い哨戒網の網の目の一個を形成するそのカラスは、すぐに竜騎士の駐屯所《ちゅうとんじょ》に待機する、自分の主人に侵入者の存在を知らせる。
多くの場合、使い魔の視界は精神を集中させた主人の視界となる。
三つの基地から、才人たちを邀撃《ようげき》するために竜騎士の群れが飛び上がった。
才人たちの危険は、加速度的に上昇していった。
先頭をゆく竜騎士の竜が激しく尻尾《しっぽ 》を振った。
騎乗した騎士が、前方を指差す。
十数匹もの竜騎士が才人たちを見つけて急降下してくるところであった。このままでは真正面からぶつかるかたちになる。
「くそ、どうすんだよ!」
とゼロ戦の操縦席で才人がわめく。
思いっきり被《かぶ》られてる。
これでは攻撃を受けてしまう。
しかし、先頭の竜騎士は進路を変えない。攻撃を受けようが、何をされようが、まっすぐに突っ切る構えのようであった。
「やられちまうだろ!」
才人は翼の機関砲を操作して……、弾切れを思い出した。
「そうだ、もう弾はねえんだっけ……」
機首の機銃には、まだ二百発ほど弾が残っていた。しかし、七・七ミリでは威力が弱い。
才人はコルベールの言葉を思い出した。
「ルイズ! 先生の新兵器だ! 説明書があるだろう!」
しかし、ルイズは夢中になって精神を集中しているので、才人の声が届かない様子。
才人はルイズの膝《ひざ》をつかんで、ゆすった。
「おい! ルイズ! ルイズ! 集中してる場合じゃねえ! 虚無≠ぶっ放す前に俺《おれ》たちやられっちまうぞ!」
「え? な、なによ! なになに!」
「とにかく説明書を読んでくれ! 座席の下だ!」
ルイズは慌てて座席の下をさぐった。そこにはコルベールが書いた、半皮紙の説明書がおいてあった。
「あったわ!」
「読め!」
「え、えっと……、『炎蛇《えんじゃ》のヒミツ』」
キモい。
もっとマシなタイトルはなかったんだろうか。
「えー、親愛なるサイトくん。これを読んでいるということは、きみは困っているんだろうね。そりゃいかん。是非とも読んでほしい」
「前書きはいーんだよッ!」
前からアルビオンの竜騎士はぐんぐん距離を縮めてくる。
速い。
敵も風竜だ! くそ!
「えー、まずは心をよく落ち着けて、えんじん≠フ開度を司《つかさど》る棒のとなりに取りつけられた、レバーを引きたまえ」
「これかぁ!」
スロットルレバーのとなりについている見慣れないレバーを才人《さいと 》は見つけた。
「思いっきり引きたまえ!」
照準器いっぱいに、正面から突っ込んでくる敵竜騎士編隊が広がった瞬間、才人はレバーを引いた。
照準器の下に隠された蓋《ふた》がかぱっと開き、中からヘビの人形が顔を出した。かぱかぱと口が開いて、言葉を吐き出した。
「サイトガンバレ! サイトガンバレ! ミスヴァリエールモガンバレ!」
「なんじゃこりゃあ!」
ヘビの人形が、魔法の声を張り上げる。
それで終わりのようだった。
で、敵の攻撃───────────。
風竜だからかブレスは飛んでこない。しかし、魔法の矢、マジックアローが飛んできて翼にぶち当たり、機体をゆらした。
拳大《こぶしだい》の穴が翼にあいた。
しかし、そのぐらいではとりあえず飛行に支障はない。
味方も何発か攻撃を受けたが、大きな被害はないようだった。
ルイズが説明書を読み上げる。
「レバーを引いたかね? えー、愉快なヘビくんが、きみたちを勇気づけてくれる! がんばれ! つらくてもがんばれ! わたしはいつでもきみたちを見守っている!」
「あんのコッパゲ!」
才人は照準器の下からぴょこぴょこ顔を出す、いつか授業で見た『愉快なヘビくん』を見つめながら呪詛《じゅそ 》の言葉を吐き出した。自分が悪口を言われた、と思ったルイズが怒鳴る。
「誰《だれ》がコッパゲよ! あんたが読めっていうから読んでるんじゃないのッ!」
敵の竜騎士隊は再び上昇した。
正面からでは、高速で飛ぶ竜騎士同士はあっという間にすれ違ってしまう。攻撃のチャンスが短いため、後方から追撃するかまえのようだ。
そしてこっちは……、一刻も早く目的地に到達して、虚無≠ぶっ放すのが任務のために、まっすぐ飛ぶしかできない。あの竜騎士隊と交戦していたら、すぐに新手がやってきて全滅してしまうだろう。
降下して加速した敵の竜騎士隊が、背後に迫る。
「ルイズ! ほかにねえのか!」
ルイズは説明書をめくった。
「えっと……、では次に追いかけられたときに使う、ヒミツ兵器を紹介する」
「それだそれ!」
「愉快なヘビくんが突き出した舌を引っ張りたまえ。おっと注意! 周りに味方がいる場合は、なるべく近づいてもらいなさい」
「なんで?」
「わたしが知るわけないじゃないのよ!」
才人《さいと 》は座席の下から黒板を出した。チョークも引っ張り出す。驚くことに、それらは普通にゼロ戦に装備されていたのだ。昔のパイロットはそれで連絡を取り合ったらしい。それをルイズにほうった。
ルイズはそれに『チカヨレ』と文字を書くと、風防から突き出して振り回した。
竜騎士たちは頷《うなず》いて、ゼロ戦に近寄ってきた。一塊になって才人たちは飛んだ。こんなとこに攻撃を食らった日には、一撃だ。
才人は目をつむって祈った。
「また愉快なヘビくんシリーズじゃねえだろうな……」
後ろを振り向き、ぐんぐんと近づく敵の竜騎士隊を見つめて、才人は『愉快なヘビくん』の舌を引っ張った。
何も起こらない。
ちっくしょう、今度コルベールに会ったら殴《なぐ》る! 先生でも殴る! 生きて帰れりゃの話だけど、殴る! と才人は拳《こぶし》をぎゅっと握りしめた。
そのときである。
ゼロ戦の翼から、しゅぽっと何かが飛び出した。
出発する時に見たあの鉄の筒から飛び出た、円筒状の何かであった。
ルイズの説明が、そいつの点火音に重なった。
「わたしは自分の才能が恐ろしい! 前方に『ディテクトマジック』を発信する魔法装置を取りつけ、燃える火薬で推進する鉄の火矢だ! 『空飛ぶヘビくん』と呼んでくれ! 魔法に反応して近寄るため、近くにメイジの味方がいる場合はなるべく近寄ってほしい! 同士|撃《う》ちをさけるため、発射位置から半径二十メイルの対象には反応しない!」
ぶばッ! と勢いよく、後ろ向きに飛び出した十本近い火矢が、追いかけてきた竜騎士めがけて飛んだ。
何本もの|火薬で進む《ロケット推進の》巨大な火矢が、アルビオン竜騎士に激突する。
いくつもの爆発音。
煙が晴れると……、追っ手は半減していた。
残った竜騎士の風竜は戦意を喪失し、追撃を中止した。
「やったあ!」と才人《さいと 》とルイズは抱き合って叫ぶ。
かたまっていた竜騎士が離れて、前方の視界が確保された。
視線を前に戻して────────────────────。
才人の笑みがかたまった。
続いて、ルイズの笑みも消える。
「なんてこった」
ルイズはひしっと才人に寄り添った。
前方に見えたのは……、百騎を超えようかという、竜騎士の群れだった。
アルビオンの竜騎士隊は天下無双と誉《ほま》れ高い。
質だけでなく、その数も無双≠ネのであった。
周りの竜騎士が速度をあげた。
とにかく一気に突っ切る。
そう判断したらしい。
しかし……、あの数だ。
敵の竜騎士隊が、無数のマジックアローを発射した。
才人のゼロ戦めがけて、飛んでくる。
あんな数を受けたら、ひとたまりもない。
ぶつかる!
しかし、目に飛び込んできたのは驚く光景であった。
一体の竜騎士がゼロ戦の前方に躍りでて、その魔法の矢を自身と騎乗する竜で受けたのである。
魔法の矢に串刺《くしざ 》しになって、竜ごと竜騎士は落下していく。
「な、なんだよ!」
デルフリンガーが一番早く理解した。
「盾になろうってんだろ」
「盾?」
「ああ。相棒たちがダータルネス≠ノたどり着けば、作戦は成功。そのためにはあらゆる犠牲《ぎ せい》を払うよう命令されてんだろうさ」
「そんなことってあるかよ!」
「相棒はこの任務の内容を理解してねえのか? あたりめえのことじゃねえか」
デルフリンガーは変わらぬ調子でそうつぶやく。
百騎からの竜騎士がさらに近づく。
ついで飛んできたのは、巨大な火の玉、ファイヤーボールであった。やはり一騎が前にとび出て、才人《さいと 》のゼロ戦をかばい、ぶち当たって落ちていく。
「お、おい! ふざけんな!」
才人が絶叫した。
デルフリンガーがルイズを促した。
「おい、娘ッ子。オレが合図したら、座席の下のレバーを引きな。あのおっさんが取りつけた最後の新兵器だ」
伝説のデルフリンガーは、ひっついてれば兵器のことならなんでもわかる。震えながら、ルイズは頷《うなず》いた。
「相棒は混乱しちまってる。おめえさんがうまくやるんだ。いいな?」
竜騎士の大編隊と一瞬ですれ違う。
敵の竜騎士の大編隊はやはり上昇して、勢いをつけて追撃するかまえのようだ。
生き残った八騎が、才人のゼロ戦から離れた。
「お、おい! お前らどうすんだよ!」
先頭の一騎が、にっこりと笑って手を振った。まるで放課後の教室で交わすような、簡単すぎる別れの挨拶《あいさつ》だった。
一番気さくに才人に話しかけてきた第二竜騎士中隊の隊長。『ゼロ戦は竜か否か?』という賭《か》けに勝った、太っちょの金髪の少年。同じ十七歳。
故郷に恋人がいて……、帰りを待ってる両親がいて……、竜騎士になるのが夢だったと語ってくれた少年。
才人は気づいた。自分はあいつの、名前すらまだ聞いていない。
一斉に、八騎が反転。
金髪の十七歳を先頭に、昨日仲良くなったばかりの連中が追撃してくる竜騎士の群れに突っ込んでいく。
才人たちが追っ手から離れる時間を稼ぐ。
ただそれだけのために。
「戻れ! 戻れよ!」
パニックになって、才人が叫ぶ。
「今だ!」
デルフリンガーが叫ぶ。その声でルイズが座席の下のレバーを引っ張った。
どすん! と後部で何かが外れる音がした。
尾翼下の胴体の外板がはがれて、そこに積まれたものが顔を出したのだ。
先ほどの火矢を、何倍にも膨らませた鉄の筒。
炎≠フ使い手コルベールが発明した、ロケット推進機関に火が入る。
ゴォオオオオオオッ! と青白い炎を噴出して、蹴《け》り上げられたようにゼロ戦が加速する。
味方の竜騎士は敵の群れに飲まれ……、すぐに見えなくなった。
才人《さいと 》が引き返そうとするような動きを見せたので、ルイズは慌てた。デルフリンガーも気づいたらしい、大声を張り上げた。
「相棒! その操り棒を引くんじゃねえ! この速度で引き起こしたらバラバラになっちまうぞ!」
シートに背中が押しつけられそうな加速感の中、才人は絶叫した。
「昨日会ったばかりだ! あいつら、昨日会ったばかりの俺《おれ》たちのために死ぬんだぞ! そんなのおかしいじゃねえか!」
「わかってるわよ! でも、でも、わたしたちの任務はダータルネス≠ノ虚無℃文《じゅもん》を炸裂《さくれつ》させることなのよ! 彼らはわたしたちを無事届けるための護衛なのよ! ここで引き返して作戦が失敗したら……、それこそ彼らは犬死にじゃないの!」
才人は目をぬぐった。
前を見て、つぶやく。
「俺はな、あいつらの名前も知らねえんだぞ」
名前も知らないやつに生かされて、名前も知らないやつのために死ぬ。これが戦争なんだろうか。
「冗談じゃねえや。そんなこと納得できるか! ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう!」
叫ぶ。叫んでもどうにもならないとは知りつつ、叫ぶ。
ゼロ戦は計器速度で四百五十ノット近い速度を絞り出しながら飛びつづけた。
機体がバラバラになってしまいそうな振動の中、才人は別の理由で震えつづけた。
敵を振りきって、どのぐらい飛んだだろうか。
凍りつくような時間の中、眼下に港≠ェ見えた。切り開かれただだっぴろい丘の上、空に浮かぶ船を係留《けいりゅう》するための送電線のような鉄塔……、何本もの桟橋《さんばし》≠ェ見えた。
「ダータルネスの港だぜ」
「上昇して」
ルイズが才人《さいと 》の耳元でつぶやく。
才人はゼロ戦を上昇にうつした。
高度をあげるにつれ、徐々にゼロ戦は減速した。
風防をあけられる速度になったとき、ルイズが立ち上がり、風防をあけた。
風が舞い込む。
才人の肩に跨《またが》り、ルイズは呪文《じゅもん》の詠唱を開始した。片手には始祖の祈祷書《き とうしょ》が光る。
初歩の初歩。
イリュージョン
描きたい光景を強く心に思い描くべし。
なんとなれば、詠唱者は、空をも作り出すであろう。
ルイズが唱えているのは、幻影を作り出す虚無≠フ呪文であった。
ダータルネス上空をゼロ戦は緩やかに旋回した。
じわっと、雲が掻《か》き消えるように、空に幻影が描かれ始めた。
それは巨大な戦列艦の群れ……。
ここから何百キロメイルも離れた場所にいるはずの、トリステイン侵攻艦隊の姿であった。ダータルネス上空にいきなり現れた幻影の大艦隊は、現実の迫力を伴って見るものを圧倒した。
「ダータルネスだと?」
ロサイスに向かっていたホーキンス将軍が、ダータルネス方面からの急便の知らせに驚いてつぶやく。
彼は、アルビオン軍三万を率いて、ロサイス方面に向かっている最中であった。トリステイン軍の上陸地点がそこだと予想されたためだ。
しかし敵が現れたのは、首都ロンディニウムの北方、ダータルネス。
「全軍反転!」
全軍に伝わるまでには時間がかかる。早いところ布陣したいものだ、と思いながらホーキンスは空を見上げた。
空はどこまでも青く澄みきっていた。地上の混乱とは無縁の青だ、と独りごちた。泥沼のような戦になる、と、そんな予感がした。
[#改ページ]
第八章 炎の贖罪《しょくざい》
早朝、四時過ぎ。
未《いま》だ日は昇らず、空は暗い。
魔法学院の上空に、一|隻《せき》の小さなフリゲート艦が現れた。
メンヌヴィルが甲板に立って、まっすぐに宙を見つめていた。
ワルドは足音を立てぬようにして、メンヌヴィルの背後に近づく。風のスクウェアの自分が気配をたてば、それは空気と同じこと。
ワルドはメンヌヴィルを試したくなったのだ。
こんな困難な作戦を成功に導くことのできる男なのか? と疑問に思ったのだった。
しかし、ワルドの憂《うれ》いは杞憂《き ゆう》だったようだ。
気配が届く何倍もの距離から、メンヌヴィルはワルドに声をかけた。
「オレを試してなんとする? 子爵《ししゃく》」
ワルドは驚いた。
メンヌヴィルは振り向いてさえいない。
それに振り向いたとしても、辺りは闇《やみ》である。
近づく人影が見えようはずもない。
それなのに……、どんな手を使ったものか、ワルドが近づくのを遠くから察知した。手練《て だ 》れと言わねばなるまい。
「さて、本当にここまで来れるなんてな」
メンヌヴィルは振り向かずにつぶやいた。ワルドは感嘆しながら、メンヌヴィルに近づいた。
「運がよかった。まあ、攻める側というものは、自分が攻められることはあまり考えぬものだからな」
メイジの使い魔やピケット船が行っているであろう哨戒《しょうかい》ラインを避けてはきたが……、何者にも見つからずにここまで飛んで来れるのは僥倖《ぎょうこう》に近い。
「感謝するよ。アルビオンに戻ったら、何か奢《おご》らせてくれ。子爵《ししゃく》」
「余計なことを考えずに、生き残ることを考えるんだな」とワルドが言えば、メンヌヴィルはいきなり杖《つえ》を引き抜き、ワルドの首筋に突きつけた。
「ナメた口をきくな小僧。ここで灰にしてやろうか?」
ワルドは目の色を変えずに、メンヌヴィルを見つめた。
「冗談だよ子爵。そうにらむな」
メンヌヴィルはにやっと笑うと、ぴょんと跳ねて甲板から空中に身を躍らせた。
黒装束に身を包んだ隊員が次々とメンヌヴィルに続いた。
十数名の小隊は、あっという間に甲板から消えた。
そこにやってきたフーケが、苦々しい声でつぶやく。
「いけすかないヤツだね。あいつ、気味が悪いよ」
「まあ有能は有能らしい。期待しようじゃないか」
「あんたと、どっちが有能なの?」
とフーケはいたずらっぽく笑って、ワルドに問うた。
「知るか」
銃士隊の宿舎として割り当てられた火の塔の前に、銃士隊の隊員二人が見張りにマスケット銃をかついで立っていた。
軍務で駐屯《ちゅうとん》する以上、歩哨《ほしょう》を立てるのは当然の措置《そ ち 》である。
月明かりの下、何かが動く気配がした。
年長の隊員は無言でしゃがむと、銃口に火薬と鉛の弾を紙で包んだ弾薬包を当てた。そのまま押し込み、槊杖《さくじょう》で火薬をつき固める。
同輩のその動きで、もう一人の銃士隊員もマスケット銃に火薬と弾を込めた。
暗闇《くらやみ》に目を凝《こ》らす……、影が動いた。
誰何《すいか》しようと口を開いた瞬間、二人同時に喉《のど》を風の魔法で切り裂かれる。
どすん、と倒れそうになった体が支えられる。音を立てぬようにして、メンヌヴィルたちは銃士の死体を地面に横たえた。
「こいつら、女ですぜ。しかもまだ若《わけ》え。もったいねえことしましたね」
一人が下種《げ す 》な笑みを浮かべて、メンヌヴィルに告げる。
「オレは昔の貴族のような、男女差別論者じゃない」
メンヌヴィルはにやっと、獣の笑みを浮かべた。
「平等に、死を与えてやる」
「貴族のガキどもを殺しちゃダメですよ隊長。人質に取るんですから」
「それ以外は殺してもいいんだろう?」
とメンヌヴィルは杖《つえ》をいじりながら、楽しそうな声でつぶやいた。
隊員の一人が地図を取り出した。
フーケに描いてもらった学院の地図である。明かりが漏《も》れぬよう布で覆うようにして、魔法の明かりをわずかに灯《とも》す。
銃士の死体を見つめて、隊員の一人がつぶやく。
「銃を持った連中が駐屯《ちゅうとん》しているようですな」
「我らは全員がメイジだぞ? 銃兵など一個連隊来ようがものの数ではないわ」
地図を見ていた隊員が、メンヌヴィルに告げる。
「隊長、目標は三つです。本塔、そして寮塔、そして、こいつらが駐屯していると思《おぼ》しきこの塔です」
メンヌヴィルは素早く命令を下した。
「寮塔はオレがやる。ジャン、ルードウィヒ、ジェルマン、ついてこい。ジョヴァンニ、四人連れて本塔をやれ。セレスタン、残りを連れてこの塔だ」
メイジたちは頷《うなず》いた。
タバサは目を覚ました。
妙な気配が、中庭から漂ってくる。
ちょっとの間悩んだが、やはりキュルケを起こすことにした。部屋を出て、階下のキュルケの部屋へ向かう。扉を叩《たた》くと、素肌に薄手のネグリジェ一枚きりの、あられのない格好のキュルケが目をこすりながら起きだしてきた。
「なによあなた……、こんな朝早くに……、まだ太陽ものぼってないじゃないのよ」
「変」短く、それだけ告げる。
キュルケは軽く耳をすますように目をつむる。
うるるるるる、と窓に向かってサラマンダーのフレイムが唸《うな》っていることに気づく。
「みたいね」
目を開いた時には、眠そうな色はどこかにすっ飛んでいた。
キュルケは手早く服を身につけ始める。
杖《つえ》を胸に挟んだ瞬間、下の方から扉が破られる音が響いてきた。
キュルケとタバサは顔を見合わせた。
「一旦《いったん》引く」と、タバサがつぶやく。
「賛成」
敵の数や得物がわからぬうちは、一旦引いて態勢を立て直す。戦の基本である。
キュルケとタバサは、窓から飛び降りて茂みに姿を隠し、辺りの様子を窺《うかが》った。
辺りは暗い。日の出はまだのようであった。
アニエスもその頃《ころ》……、与えられた寝室で目を覚ました。枕元《まくらもと》に置いた剣を取る。
鞘《さや》から抜き放ち、扉のそばで待ち受けた。
ここは、宿舎として使っている火の塔の二階。いつもは倉庫として使われている部屋に、簡易ベッドを持ち込んだだけの寝室である。
連れてきた隊員は十二名。
彼女たちは全員、となりの部屋で寝起きしている。
アニエスは部屋の真ん中に置かれた鏡に気づいた。『嘘《うそ》つきの鏡』というマジックアイテムだったことを思い出す。醜いものは美しく、美しいものは醜く映し出すという鏡で、アニエスはなんとなくイヤで覗《のぞ》いていない。
セレスタンという傭兵《ようへい》メイジが率いた四人は、火の塔の螺旋《ら せん》階段を上った二階に踊り出た。扉が二つ、並んでいる。
奥の方を二人の部下に任せ、自分は一人を連れて手前の扉をあけることにした。
扉の前に立ち、一気に蹴破《け やぶ》る。
中には、美男子のメイジが杖を構えていた。
慌てて、詠唱を完了させていた魔法を開放した。
「がッ……」
しかし、相手も同時に魔法を放ったようだ。心臓に魔法の槍《やり》を食らい、セレスタンは床に崩れ落ちた。
扉のそばに隠れたアニエスは、自分の作戦がうまくいったことを知った。
アニエスが扉の前に引き出しておいた嘘つきの鏡に映った己の姿を敵と勘違いしたセレスタンは、鏡に反射した己の放った魔法に心臓をいぬかれたのである。
アニエスは、鏡に反射する魔法を放ってくれたセレスタンに感謝した。
慌てたもう一人が、部屋に飛び込んでくる。
横からそいつの喉《のど》に、深々とアニエスは剣を突き立てた。倒れる。
次に、となりの部屋にいた隊員たちが飛び込んできた。
「アニエスさま! 大丈夫ですか!」
と尋ねられ、頷《うなず》く。
「平気だ」
「我々の部屋にも、二人ばかり忍び込んできました。片付けましたけど……」
自分の部屋に二人。となりに二人。計四人……。
どうやらこの火の塔に忍び込んできた賊《ぞく》は、うまいこと全員片付いたらしいが……。
「アルビオンの狗《いぬ》のようだな」
アニエスは侵入者たちのなりを見て、つぶやく。メイジばかりで構成された分隊だ。間違っても物取りのたぐいではない。アルビオンが雇った小部隊に違いない。
そこでアニエスは、外の状況が気になった。
今、学院には女子生徒しかいない。
「二分やる。完全武装して、わたしに続け」とアニエスは部下に命令した。
メンヌヴィルたちは、なんなく女子寮を制圧した。
貴族の娘たちは、賊が侵入してきただけで怯《おび》え、まったく抵抗のそぶりを見せなかった。寝巻きのままの女子生徒たちの杖《つえ》を取り上げ、一箇所に閉じ込めるために食堂まで連れて行った。その数、おおよそ九十人。
途中で、本塔へ向かった連中と合流する。
連れた捕虜の中に学院長のオスマン氏の姿を見つけ、メンヌヴィルは微笑《ほほえ》んだ。
食堂に捕虜たちを集めたメンヌヴィルは、後ろ手に全員を縛り始めた。
隊員の誰《だれ》かが唱えた魔法のおかげで、ロープが動き手首に絡みついていく。
女ばかりの教師や、生徒はただ震えるのみであった。
優しい声でメンヌヴィルは一同につぶやく。
「なぁに、無闇《む やみ》に立ちあがったり、騒いだり、我らが困るようなことをしなければ、お命を奪うことはありません。ご安心めされい」
誰かが泣き出した。
「静かにしなさい」
それでも、その女生徒は泣き止《や》まない。メンヌヴィルは近づき、杖を突きつけた。
「消し炭になりたいか?」
その言葉が脅しではないことが理解できたのだろう。女子生徒は泣き止んだ。
オスマン氏が口を開いた。
「あー、きみたち」
「なんだね?」
「女性に乱暴するのは、よしてくれんかね。君たちはアルビオンの手のもので、人質がほしいのだろう? 我々をなんらかの交渉のカードにするつもりなのじゃろう?」
「どうしてわかる?」
「長く生きていれば、そいつがどんな人間で、どこから来て、何をほしがっているのかわかるようになるものじゃ。とにかく贅沢《ぜいたく》はいかん。このおいぼれだけで我慢しなさい」
「じじい、自分の価値をわかってんのか?」
傭兵《ようへい》たちは大声で笑った。
「じじい一人のために、国の大事を曲げるやつぁいねえだろ? 考えろ」
オスマン氏は首をすくめると、アルヴィーズの食堂に集められた人間を見渡した。
ここにいてほしくない、メイジの顔が見えない。
ふむ、とオスマン氏は思った。だとすれば、なんとかなるかも、じゃな。
「じじい、これで学院の連中は全部か?」
オスマン氏は頷《うなず》いた。
「そうじゃ。これで全部じゃ」
傭兵たちは、そこで火の塔に向かった連中が戻ってこないことに気づいた。手間取っているのだろうか? いや、と首を振る。手間取るぐらいなら、一旦《いったん》引いて増援を仰ぐだろう。そのぐらいの判断はできる連中だ。だからメンヌヴィルは分派したのだ。
食堂の外から、声が聞こえた。
「食堂にこもった連中! 聞け! 我々は女王陛下の銃士隊だ!」
メンヌヴィルたちは顔を見合わせた。どうやらセレスタンたちはやられたらしい。かといって、顔色一つ変えるような連中ではなかった。一人の傭兵がオスマン氏をにらみつける。
「おいおいぼれ。『これで全部』じゃねえじゃねえか」
「銃士は数にはいれとらん」とオスマン氏は涼しい顔。
メンヌヴィルは笑みを浮かべると、食堂の外の連中と交渉するために、入口に近づいていった。
塔の外周をめぐる階段の踊り場に、アニエスたちは身を隠して様子を窺《うかが》っていた。離れた中庭には、学院で働く平民たちが一塊になって様子を窺っている。寮塔や、本塔からはなれた宿舎で寝起きする彼らは、事件に巻き込まれずにすんだのだった。
未《いま》だ朝日は昇らない。
食堂の入口に、がっちりとした体躯《たいく 》のメイジが姿を見せた。雲の隙間《すきま 》からの月明かりに、ぼんやりとその姿が浮かぶ。
そのメイジに向けて銃を構えた銃士をアニエスは制する。
「聞け! 賊《ぞく》ども! 我らは陛下の銃士隊だ! 我らは一個中隊で貴様らを包囲している! 人質を解放しろ!」
アニエスは『一個中隊』とはったりをかました。本当は十人ほどに過ぎない。
げらげらと食堂から笑う声が聞こえてくる。
「銃兵ごときが一個中隊いても痛くもかゆくもないわ!」
「その銃兵に、貴様らの四人は屠《ほふ》られたのだぞ。おとなしく投降すれば、命までは取らぬ」
「投降? 今から楽しい交渉の時間ではないか。さて、ここにアンリエッタを呼んでもらおうか」
「陛下を?」
「そうだ。とりあえず、アルビオンから兵をひくことを約束してもらおう。我が依頼主は、土足で国土を汚されることが嫌いらしいのでな」
通常、人質程度で軍が引き返すことはない。しかし……、さすがに貴族の子弟が九十人も人質としてとられれば、話は別だ。本当に侵攻軍の撤退もあるかもしれない。
自分の責任だ。アニエスは唇をかんだ。
教練に来ただけであったが、失態は失態だ。宮廷の連中は自分の責任を追及するだろう。
アニエスの耳元で、銃士が囁《ささや》く。
「……トリスタニアに急使をとばして、増援を頼みましょう」
「……無駄だ。人質をとられている以上、どれだけ兵がいても無意味だ」
そんな相談を見咎《み とが》めてか、メンヌヴィルが叫んだ。
「おい、覚えておけ。新たに兵を呼んだら一人につき、一人殺す。ここに呼んでいいのは、枢機卿《すうききょう》かアンリエッタだけだ。いいな?」
アニエスは返答につまった。
すると、メンヌヴィルが怒鳴った。
「五分で決めろ。アンリエッタを呼ぶのか、呼ばぬのか。五分たっても返事がない場合、一分ごとに一人殺す」
銃士の一人が、アニエスをつつく。
「アニエスさま……」
アニエスは唇を痛くなるほどにかみ締めた。
その瞬間……。
後ろから声がかけられた。
「隊長殿」
振り返るとコルベールが立っていて、呆然《ぼうぜん》とした様子でアルヴィースの食堂を眺めようとした。
「首を出すな」と言って、アニエスは壁の陰に、コルベールを引き込んだ。
「あんたは、捕まらなかったのか」
「わたしの研究室は、本塔から離れておってな。いったい何事だ?」
のん気なコルベールに、アニエスは腹を立てた。
「見てわからぬか。お前の生徒が、アルビオンの手のものに捕まったのだ」
コルベールはひょいっと顔を出して、食堂の前に立ったメイジの姿に気づき、顔面を蒼白《そうはく》にした。
「よい。下がっておれ」
うるさそうに、コルベールを下がらせる。
「ねえ、銃士さん」
ついで後ろから声をかけられた。キュルケとタバサの二人組が立って、にっこりと微笑《ほほえ》んだ。
「お前たちは、生徒か? よくもまあ、無事だったな」
「ねえ、あたしたちにいい計画があるんだけど……」
「計画?」
「そうよ。早いとこ皆を助けてあげないとね」
「どうするんだ?」
キュルケとタバサは、アニエスに自分たちの計画を説明した。
聞き終わったアニエスは、にやっと笑った。
「面白そうだな」
「でしょ? これしかないと思うのよね」
話を聞いていたコルベールが反対した。
「危険すぎる。相手は傭兵《ようへい》だ。そんな小技が通用するとは思えん」
「やらないよりはマシでしょ。先生」
軽蔑《けいべつ》を隠さずに、キュルケが言い放つ。
アニエスなどは、もうコルベールを見ていない。
「あいつらはあたしたちの存在を知らないわ。奇襲のカギはそこよ」
キュルケは、タバサと自分を指差して、つぶやいた。
椅子《い す 》に座ったメンヌヴィルは、テーブルの上に置かれた懐中時計を見つめた。
針がかちりと、動いた。
「五分たったぞ」
その声で、生徒たちが震え上がる。五分たってアニエスたちから『アンリエッタを呼ぶ』との言葉がなければ、一人殺すとメンヌヴィルは言ったのだ。
「恨むなよ」と言いながら、メンヌヴィルは杖《つえ》を掲げた。
「わしにしなさい」
とオスマン氏がつぶやいたが、メンヌヴィルは首を振る。
「あんたは交渉のカギとして必要だ。おい、誰《だれ》がいい? お前らで選べ」
なんとも残酷な質問だった。唖然《あ ぜん》として、誰も答えられない。
「わかった。じゃあオレが選ぶ。恨むなよ」
とメンヌヴィルが言った瞬間……。
食堂の中に小さな紙風船が飛んできた。
全員の視線がそこに集中した瞬間……。
その紙風船は爆発して、激しい音と光を放つ。
中にはたっぷりと黄燐《おうりん》が仕込まれた、紙風船であった。
それを風を使って食堂の中に飛ばしたのはタバサであり、着火させたのはキュルケの発火≠ナあった。
女生徒が悲鳴をあげる。
まともにその光を見てしまったメイジが何人か顔を押さえる。
そこに、キュルケとタバサ、マスケット銃を構えた銃士が飛び込もうとした。
作戦は成功するかに見えた。
しかし……。
キュルケたちめがけて、炎の弾が何発も飛んできた。
成功すると思って油断していたキュルケたちは、次々その火の弾を食らう。
激しい炎で、銃士たちの抱えたマスケット銃の火薬が暴発した。
指が飛んだ手を押さえ、銃士たちは地面をのたうち回った。
キュルケは立ち上がろうとして、立てないことに気づく。
腹の前で炎の弾は爆発して、至近距離で爆風を当ててきた。
炎で包むより、効果的な攻撃だった。炎で焼くのには時間がかかるが……、衝撃は一瞬だ。倒してから、ゆっくりと料理すればよい。
視界の中に、タバサがよろめきながら立ち上がるのが見えた。
彼女は倒れた衝撃で頭をうっていたらしく……、再び地面に転がった。
白煙の中からメンヌヴィルが姿をあらわした。
呪文《じゅもん》! しかし、杖が見当たらない。
目の前に落ちていることに気づく。
拾おうと手を伸ばしたところ、その杖ががしっと踏まれた。
メンヌヴィルが立って、キュルケを見下ろしていた。
「おしかったな……。光の弾を爆発させて視力を奪うまではよかったが……」
そう言ってメンヌヴィルは微笑《ほほえ》む。
その瞬間、キュルケは気づいた。
メンヌヴィルの眼球がぴくりとも動かないことに。
「あなた、もしかして……、目」
メンヌヴィルは目に指を伸ばした。
何かを取り出す。義眼であった。
「オレはまぶただけでなく目を焼かれていてな。光がわからんのだよ」
「ど、どうして……」
でもメンヌヴィルの動きは、目の見えるもののそれだ。
「蛇は、温度で獲物を見つけるそうだ」
にやっと、メンヌヴィルは笑った。
「オレは炎を使ううちに、随分と温度に敏感になってね。距離、位置、どんな高い温度でも、低い温度でも数値を正確に当てられる。温度で人の見分けさえつくのさ」
キュルケはぞわっと、髪の毛が逆立つ恐怖を覚えた。
こんな人間がいるなんて……。
「お前、恐《こわ》いな? 恐がってるな?」
メンヌヴィルは笑った。
「感情が乱れると、温度も乱れる。なまじ見えるより温度の変化はいろんなことを教えてくれる」
思いきり香りを吸い込むようにして、メンヌヴィルは鼻腔《び こう》を広げた。
「嗅《か》ぎたい」
「え?」
「お前の焼ける香りが、嗅ぎたい」
キュルケは震えた。
生まれて初めて感じる、純粋な恐怖だった。
その恐怖は、「やだ……」と、この炎の女王から、まるで少女のようなつぶやきを漏《も》らさせた。たまらぬ、と言わんばかりの笑みをメンヌヴィルは浮かべた。
「今まで何を焼いてきた? 炎の使い手よ。今度はお前が燃える番だ」
キュルケは覚悟して、目をつむる。
メンヌヴィルの杖《つえ》の先から、炎が巻き起こりキュルケを包もうとした瞬間……。
その炎が、ぶわっと別の炎によって押し戻された。
おそるおそる目を開いたキュルケが見たものは……。
杖を構えて、自分の横に立つコルベールの姿だった。
「……ミスタ?」
硬い表情のまま、コルベールはつぶやいた。
「わたしの教え子から、離れろ」
何かに気づいたように、メンヌヴィルは顔をあげた。
「おお、お前は……。お前は! お前は! お前は!」
歓喜に顔をゆがめ、メンヌヴィルはまるで別人のようにわめいた。
「捜し求めた温度ではないか! お前は! お前はコルベール! 懐かしい! コルベールの声ではないか!」
コルベールの表情は変わらない。かたくなにメンヌヴィルをにらんでいる。
「オレだ! 忘れたか? メンヌヴィルだよ隊長どの! おお! 久しぶりだ!」
メンヌヴィルは両手を広げ、嬉《うれ》しそうに叫んだ。
コルベールは眉《まゆ》をひそめた。
その顔が、暗い何かで覆われてゆく。
「貴様……」
「何年ぶりだ? なあ! 隊長殿! 二十年だ! そうだ!」
隊長殿?
どういうことだ? と生徒たちの間に動揺が走る。
「なんだ? 隊長殿! 今は教師なのか! これ以上おかしいことはないぞ! 貴様が教師とな! いったい何を教えるのだ? 炎蛇《えんじゃ》≠ニ呼ばれた貴様が……、は、はは! ははははははははははははははははッ!」
心底おかしい、とでも言ったように、メンヌヴィルは笑う。
「きみたちに説明してやろう。この男はな、かつて炎蛇≠ニ呼ばれた炎の使い手だ。特殊な任務を行う隊の隊長を務めていてな……、女だろうが、子供だろうがかまわずに燃やし尽くした男だ」
キュルケはコルベールを見つめた。
「そしてオレから両の目を……。光を奪った男だ!」
恐《こわ》い何かを、コルベールは発散している。
今まで彼から感じたことのない類《たぐい》の空気だ。
味方を燃やし尽くす、と言われたツェルプストー生まれのキュルケでさえ、実際にはそのような戦に従事したことはない。所詮《しょせん》、貴族同士の遊びのような決闘がせきの山であった。
しかし、今のコルベールが発する空気は違う。
触れば火傷《やけど》する。
燃え尽きて死す。
そんな肉の焼けるような、死の香りだった。
コルベールが無造作に突き出した杖《つえ》の先端から、その華奢《きゃしゃ》な体に似合わぬ巨大な炎の蛇が躍り出る。蛇はアルヴィーズの食堂からこっそりと呪文《じゅもん》を唱えようとした一人のメイジの杖にかぶりついた。
その杖が一瞬で燃え尽きる。
コルベールは笑みを浮かべた。
二つ名の爬虫類《はちゅうるい》を思わせる感情のない冷たい笑みだ。
コルベールは呆然《ぼうぜん》と見つめるキュルケに尋ねた。
「なあミス・ツェルプストー。『火』系統の特徴をこのわたしに開帳してくれないかね?」
かみ締めた唇の端から、血が流れていた。
炎のように赤い血が、コルベールの顎《あご》を彩《いろど》っていく。
「……情熱と破壊が、火の本領ですわ」
「情熱はともかく『火』が司《つかさど》るものが破壊だけでは寂しい。そう思う。二十年間、そう思ってきた」
コルベールは、いつもの声でつぶやいた。
「だが、きみの言うとおりだ」
再び月が雲に隠れた。
辺りは刷毛《は け 》で塗ったような闇《やみ》に包まれる。
常人にとって闇の中の戦いはつらい。相手が見えないからだ。
しかし盲目の炎使いにとって、闇はなんのハンデにもならない。
杖《つえ》を握り、呪文《じゅもん》を詠唱しながらメンヌヴィルは思った。
二十年前、自分の炎は負けた。
未熟だったからだ。
しかし今は違う。
自分の炎は何倍も強力になった。
光を失ったが、引き換えに強力な炎≠手に入れた。
体の中から膨れ上がる熱量が、神経を幾倍にも研ぎ澄ませてくれる。
わずかな温度の隙間《すきま 》を、空気の流れの微妙な変化で感知する。
人の体温、空気の流れ、それらすべてが色のついた影となり、メンヌヴィルの心の視界に映し出された。
コルベールはキュルケに命じた。
「友人を抱えて、塔の陰に逃げなさい」
キュルケは頷《うなず》くと、タバサを抱えて走り出した。その背に向かって、食堂に潜《ひそ》むメイジが氷の矢を何本も飛ばした。
コルベールの杖の先から細い炎が飛び出し、その矢に絡みつく。
氷の矢は溶け落ちた。
そのコルベールの炎を感知して、メンヌヴィルの炎が飛んだ。
炎球
ホーミングする炎の球が、コルベールを包みこもうとした刹那《せつな 》……。
その炎球≠ェ、コルベールの発した炎で一気に燃え上がり、手前で燃え尽きる。
「ふふ、やるな」
次々にメンヌヴィルはコルベールに向けて炎を発射した。
一気にコルベールは防戦一方に追いつめられた。
闇の中を、右に左に逃げ惑う。
攻撃に転じたくとも、闇の中のメンヌヴィルには、攻撃をかけづらい。
「どうした! どうした隊長殿! 逃げ回るばかりではないか!」
メンヌヴィルは次々炎球を打ち込む。咄嗟《とっさ 》にかわすコルベールのマントの端が燃え尽きる。
「惜しい! マントが焦げただけか! しかし次は体だ! 貴様の燃え尽きる臭《にお》いが嗅《か》ぎたくてたまらんのだ! このオレは! うわは! うは! ははははははははははは!」
狂気を帯びた笑みを浮かべ、メンヌヴィルは散々に炎を飛ばした。
「くっ……」
コルベールは、魔法の発射炎めがけて炎を放つ。
しかし、手ごたえはない。
魔法をとばすとすぐに狡猜《こうかつ》なメンヌヴィルは移動して闇《やみ》に消え、コルベールに反撃のチャンスを与えないのであった。見えない相手は攻撃できない。コルベールは眉《まゆ》をひそめた。
「そこだ! 隊長!」
それなのに、闇を見通すメンヌヴィルには自分の姿は丸見えなのだった。
コルベールは茂みに隠れ、ついで塔の影に隠れた。しかし、温度を正確にホーミングするメンヌヴィルの魔法から逃れることができない。
コルベールは逃げ惑ううちに、広場の真ん中へとおびき出される格好になった。辺りには身を隠せそうな場所はない。
「最高の舞台を用意してやったよ、隊長どの。もう逃げられない。身を隠せる場所もない。観念するんだな」
コルベールは大きく息を吸い込んだ。
そして、闇《やみ》の中のメンヌヴィルに向かって口を開いた。
「なあメンヌヴィルくん。お願いがある」
「なんだ? 苦しまずに焼いてほしいのか? なに、あんたは昔|馴染《な じ 》みだ。お望みどおりの場所から焼いてやるよ」
落ち着き払った声で、コルベールは言った。
「降参してほしい。わたしはもう、魔法で人を殺さぬと決めたのだ」
「おいおい、ボケたか? 今のこの状況が理解できんのか? 貴様はオレが見えぬ。しかしオレには貴様が丸見えだ。貴様のどこに勝ち目があるってんだ」
「それでも曲げてお願い申し上げる。このとおりだ」
コルベールは膝《ひざ》をついて頭を下げた。軽蔑《けいべつ》しきったメンヌヴィルの声が響いた。
「オレは……、オレは貴様のような腑抜《ふ ぬ 》けを二十年以上も追ってきたのか……、貴様のような、能なしを……、許せぬ……、自分が許せぬ。じわじわと灸《あぶ》りやいてやる。生まれたきたことを後悔するぐらいの時間をかけて、指先からローストしてやる」
メンヌヴィルが呪文《じゅもん》を唱え始める。
「これほどお願いしてもダメかね」
コルベールは続けた。
「しつこいヤツだな」
哀《かな》しそうに首を振り、コルベールは上空へ向けて杖《つえ》を振った。
小さな火炎の球が打ちあがる。
「なんだ? 照明のつもりか? あいにくとその程度の炎では、辺りを照らし出すことなど適《かな》わぬわ」
メンヌヴィルの言うとおりであった。小さな炎の球は、わずかに周囲を照らすばかり。太陽の代わりなど、つとめられるわけもない。
メンヌヴィルの詠唱が完成しようとした瞬間……。
空に浮かんだ小さな炎の球が爆発した。
その小さな爆発は、見る間に巨大に膨れ上がる。
火、火、土。火二つに土が一つ。
『錬金』により、空気中の水蒸気を気化した燃料油に変え、空気と撹絆《かくはん》する。
そこに点火して、巨大な火球を作り上げる……。
巨大な火球はあたりの酸素を燃やし尽くし、範囲内の生き物を窒息死させるのだ。
『爆炎』と呼ばれる残虐《ざんぎゃく》無比の攻撃魔法。
呪文を詠唱するために口をひらいていたメンヌヴィルは、一気に肺の中から酸素を奪い取られ、窒息した。
敵が闇の中にいるのなら……、闇ごと葬り去ればよい。
しかし、この呪文《じゅもん》は近くのものを見境なく殺してしまう。そのためコルベールは、誰《だれ》もいない広場の真ん中に移動するまで使用しなかったのだ。
口を押さえながら身を伏せていたコルベールは体を起こし、倒れたメンヌヴィルに近寄った。
「蛇になりきれなかったな。副長」
苦悶《く もん》の表情を浮かべて事切れたメンヌヴィルを冷ややかに見下ろして、コルベールはつぶやいた。
隊長が倒されたことを知ったメンヌヴィルの部下たちは動揺した。
キュルケとタバサ、そして負傷を免《まぬが》れた銃士たちはその瞬間を逃さず、再び突入する。
床に伏せた女子生徒の悲鳴が響き渡る中、一人、また一人と食堂に立てこもったメイジたちは倒されていった。
アニエスは一人のメイジに剣をつきたてる。
「くっ!」
しかし、剣が抜けない。
一人のメイジが、そんなアニエスの背に向けて呪文を飛ばした……。
何本ものマジックアロー。
キュルケも、タバサも他の銃士たちも、咄嗟《とっさ 》に反応できない。
そこに、黒い影が飛び込んできた。
アニエスの前に立ちふさがり、体で魔法の矢を受けて、呪文を唱える。杖《つえ》の先から飛び出た炎の蛇が、マジックアローを飛ばしたメイジの杖を焼き尽くす。
アニエスは呆然《ぼうぜん》とコルベールを見つめた。
コルベールの目が見開かれる。
その口から出てきたのはアニエスを案じる声であった。
「……大丈夫か?」
アニエスは思わず頷《うなず》いた。
瞬間、コルベールはごぽっと血を吐いて地面に倒れこむ。
生徒たちが慌てて駆け寄ってきて、コルベールに治癒《ち ゆ 》の呪文を唱え始めた。
しかし……、深手である。
そんな中……。
我に返ったアニエスが、コルベールに剣を突きつけた。
生徒たちは目を丸くして、アニエスを見つめた。
「ちょっと! なにしてるのよ!」とキュルケが怒鳴る。
コルベールは弱々しい顔で、アニエスを見上げた。
「貴様が……、魔法研究所《ア カ デ ミ ー 》実験小隊の隊長か? 王軍資料庫の名簿を破ったのも、貴様だな?」
コルベールは頷《うなず》いた。
「教えてやろう。わたしはダングルテールの生き残りだ」
「……そうか」
「なぜ我が故郷を滅ぼした? 答えろ」
「やめて! 怪我《け が 》してるのよ! 重傷なのよ! しゃべらせないで!」
必死になって水の魔法を唱えていたモンモランシーがわめく。
「答えろ!」
コルベールは俯《うつむ》いて答えた。
「……命令だった」
「命令?」
「……疫病《えきびょう》が発生したと告げられた。焼かねば被害が広がると、そのように告げられた。仕方なく焼いた」
「バカな……。それは嘘《うそ》だ」
「……ああ。後になってわたしも知った。要は新教徒狩り≠セったのだ。わたしは毎日罪の意識にさいなまれた。あいつの……、メンヌヴィルの言ったとおりのことを、わたしはしたのだ。女も、子供も、見境なく焼いた。許されることではない。忘れたことは、ただの一時《いっとき》とてなかった。わたしはそれで軍をやめた。二度と炎を……、破壊のためには使うまいと誓った」
「……それで貴様が手にかけた人が帰ってくると思うか?」
コルベールは首を振った。
それから……、ゆっくりと目を閉じた。必死になってモンモランシーは呪文《じゅもん》を唱えつづけていたが……、そのうちに精神力がきれたのか、ばたっと気絶して地面に倒れた。深手を癒《いや》す『治癒《ち ゆ 》』の呪文は、専用の秘薬が必要なのだが……今、この場にはない。
そのため、精神力を酷使して秘薬の分をカバーしていたのだが……、限界があるようだった。
他の『水』の使い手も、次々に精神力をきらして気絶していく。
倒れた水の使い手たちに囲まれるようにして横たわるコルベールめがけて、アニエスは剣を振り上げた。
しかし、コルベールをかばうようにして、キュルケが覆い被《かぶ》さった。いつもの人を小ばかにしたような笑みは消えている。どこまでも真剣な顔で、キュルケは言った。
「お願い、やめて」
「どけ! わたしはこの日のために生きてきたのだ! 二十年だ! 二十年もこの日を待っていたんだ!」
「お願いよ。お願い」
「どけ!」
アニエスとキュルケはにらみあった。
緊張で、空気が張り裂けそうになる瞬間……。
キュルケがはっ! とした顔になり、コルベールの手首を握った。
「どけと言っている!」
冷たい声で、キュルケが懇願《こんがん》した。
「お願い、剣をおさめて」
「ふざけるな!」
キュルケは首を振ってつぶやいた。
「死んだわ」
その言葉で、アニエスの手首から力が抜けた。
呆然《ぼうぜん》として、アニエスは膝《ひざ》をついた。その体が小刻みに震えだす。
「……恨むな、とは言わないわ。でも、せめて祈ってあげて。確かにコルベール先生はあなたの仇《かたき》かもしれないけど……、今は恩人でしょう。彼は体を張ってあなたを救ってくれたのよ」
苦しそうな声でキュルケが言った。
アニエスは再び力なく立ち上がり、二言三言《ふたことみ こと》、言葉にならない何かをつぶやく。そして剣を振り下ろす。その場にいた生徒たちが目をつむる中、キュルケだけが目を閉じずに見守っていた。
剣はコルベールの横の地面に、深々と刺さっていた。
きびすを返し、アニエスはゆっくりと歩き出した。
アニエスの姿が見えなくなったあと……、キュルケはコルベールの体を運ぼうとして、その指に光るルビーの指輪を見つけた。
燃え盛る炎のような、真紅のルビーだ。
そのルビーを見つめていると……、キュルケの目から涙がこぼれた。
彼はキュルケのことも守ってくれたのだった。
あんなに小ばかにした自分を、『わたしの生徒に手を出すな』と言って守ってくれたのだった。素直な気持ちで、キュルケはしばらく泣いた。
『レドウタブール』号の艦上では、マリコルヌとスティックスが背中合わせに、呆然と座り込んでいた。
艦の辺りには出撃時の三分の二に減った戦列艦隊がよろよろと、這《は》うようにしてアルビオン艦隊を目指していた。
トリステイン艦隊は、戦闘に勝利したのだった。突っ込んできたアルビオン艦隊をなんとか退《しりぞ》けたのである。アルビオン艦隊はその数を半分以下に減らし、ほうほうの体で逃げ出した。
大勝利であった。
しかし……、とマリコルヌは思う。
これが勝利なのか?
辺りは自分が生きているのが不思議なくらいの惨状を呈している。さながら地獄絵であった。甲板は焼け焦げ、あちこちに大穴があいている。左舷《さ げん》の艦砲は半減し、右舷はそっくり砲甲板ごと砲列がなくなっていた。
一斉射を五度も受け、『レドウタブール』号の右舷は壊滅したのであった。
六百名からの乗組員のうち、二百名以上が死傷した。
しかし、それでも『レドウタブール』号は空に浮かんでいた。
マリコルヌも生きていた。
魔法と銃弾と砲弾が飛びかう中、生き残れたのは……、幸運というほかない。マリコルヌは敵艦とすれ違うたびにわめきながら闇雲《やみくも》に魔法を放った。そうしないと恐怖でつぶれてしまいそうであった。効果があったのかどうかなんて、わからない。
「先輩」
死にそうな声で、マリコルヌは口を開いた。
「なんだね?」
やはり疲れきった声で、スティックスが応じた。
「生きてることが、不思議に思えませんか?」
「まったく同意するよ。きみ」
甲板の上を、ボーウッドと艦長が歩いてきた。二人は戦況について話し合っていた。
二人を先導していた士官が甲板に座り込んだ士官候補生を見つけ、大声で怒鳴った。
「こら! お前たち! 何を座り込んでおる! 立て! 立たんか!」
慌ててマリコルヌとスティックスは立ち上がった。
「内火艇を用意しろ。今から艦長と教導士官が旗艦に向かう」
マリコルヌとスティックスは顔を見合わせた。死にそうな戦いが終わったばかりである。内火艇を用意する元気など、どこを絞ってもでやしない。
「もたもたするな! 艦長を待たせる気か!」
そのとき……、ボーウッドがにっこりと笑って、士官を諫《いさ》めた。
「あー、先任、彼らは初陣《ういじん》で参ってしまったのだろう。今日ぐらいは休ませてやりなさい」
「は! でも、しかし……」
「きみにも初めて硝煙の香りを嗅《か》いだ日があっただろう? ぼくにもあった」
そのようにアルビオン人の士官に言われ、先任士官は頷《うなず》いた。
「よし、貴様らは、夜直まで休んでよし」
ほっとしたように、マリコルヌとスティックスは敬礼した。立ち去るお偉いさんの一行を見つめ、マリコルヌがつぶやいた。
「アルビオン人に救われましたね」
「そうだな」
と力なくつぶやき、スティックスは再び甲板にへたり込んだ。
『ヴュセンタール』号の作戦会議室で、ド・ポワチエ将軍は報告を受け取った。
ロサイスに偵察に向かっていた、第一竜騎士中隊の一騎士からのものであった。にっこりと、満足げな笑みをド・ポワチエ将軍は浮かべた。
参謀総長のウィンプフェンが、上官の顔を見つめ、
「朗報のようですな」とつぶやいた。
「ロサイス付近はも抜けのからとの報告だ。虚無≠ヘうまいことダータルネスに敵軍を吸引したらしい」
「これで第一の関門は通過できましたかな」
ド・ポワチエは頷いて、命令を発した。
「これから艦隊は全速をもってロサイスに向かう。上陸の打ち合わせをせにゃならん。各指揮官を集めろ」
将軍の命令を受けて、伝令がすっ飛んでいった。
ド・ポワチエは頷いた。
「さて、オレが元帥《げんすい》になれるかどうか、今後の一週間にかかっているな」
上陸は成功しても、苦しい戦いになるだろう。
アルビオンには手つかずの五万が眠っているのであった。
ダータルネス上空に幻影を浮かべたあと、たった一機になってしまった才人《さいと 》たちは、トリステイン艦隊との合流点へと飛行していた。
計画書の通りなら、アルビオン大陸と空の境界で艦隊と合流できる。
操縦席に座った才人は、ずっと黙りっぱなしであった。
ルイズが何か話しかけても、答えない。
飛行中、才人は一度だけ口を開いた。
「あいつら……」
「うん」
でも、それきり才人《さいと 》は何も言わなかった。
ルイズはコルベールの説明書の中に、一通の手紙を見つけた。説明書に夢中になっていたので、気づかなかったのだ。
「手紙だわ」
才人も反応した。
「手紙?」
「うん。ミスタ・コルベールの。読む?」
才人は頷いた。
ルイズは、手紙を広げると朗読し始めた。
「サイトくん。わたしの発明は役に立ったかね?
そうなら嬉《うれ》しい。わたしはきみを……、いや、きみだけでなく、学院の生徒諸君を、いや先生たちも、大事に思っているから役に立つことが嬉しい。純粋に嬉しい。
さて、どうして今日はきみにこんな手紙を書いたのかというとだな、実は頼みがあるのだ。いや、変なことじゃない。お金のことでもないから安心してほしい。
なぜ頼みごとをするのかというとだな、わたしには夢があるのだ。
それは、魔法でしかできないことを、誰《だれ》でも使えるような技術に還元することだ。
君も見ただろう? 愉快なヘビくんを。
なに、あれは確かにおもちゃに過ぎんが……。
いつしか誰もが使えるような立派な技術を開発すること。
それがわたしの夢なのだ。
言うか言うまいか悩むがやはり話そう。
わたしはかつて、罪を犯した。
大きすぎる罪だ。
大きすぎて、どうしようもないほどの罪だ。
その罪を贖《あがな》おうと思って研究に打ち込んできたが……。
最近、思うようになったことがある。
それはだな、罪を贖うことはできないということだ。
どれほど、人の役に立とうと考えてそれを実行しても……、わたしの罪は決して赦《ゆる》されることはない。決してない。
だからきみ、一つ約束してほしい。
いいか、これからきみは困難な事態に多々直面するだろう。
戦争に行くんだ、人の死にたくさん触れねばならんだろう。
だが……。
慣れるな。
人の死≠ノ慣れるな。
それを当たり前だと思うな。
思った瞬間、何かが壊れる。
わたしは、きみにわたしのようになってほしくはない。
だから重ねてお願い申し上げる。
戦に慣れるな。
殺し合いに慣れるな。
死≠ノ慣れるな」
雲が途切れ……、ロサイスを目指すトリステイン・ゲルマニア連合艦隊が姿を見せた。
随分と数を減らしている。
が……、それでも輸送船団がほとんど無傷ということは、戦闘に勝利したのだろう。
勝ったとはいえ、生き残ったフネもボロボロであった。船体にはいくつも大穴があき、マストは折れている。片舷《かたげん》の大砲がそっくりなくなっている戦列艦もあった。
ルイズは手紙の朗読を続けた。
「さて、最後になったが頼みごとだ。
きみはいつか、わたしに言ったな?
別の世界からやってきたと。
その世界では、きみが今乗っているような飛行機械が空を飛び、ハルケギニアとは比べものにならんほど技術が発達してる。そうだな?
あのだな、わたしはそれを見たいのだ。
見て、是非とも研究に役立てたいのだ。
だから、きみが東に行く際……、わたしも連れて行ってほしい。
なに、冗談ではない。本気だ。
だから死ぬなよ。
絶対に生きて帰ってこい。
じゃないと、わたしが東へ行けなくなるからな。
なあきみ。
その世界では、本当に誰《だれ》もがきみの言うくるま≠操り道をゆくのか?
遠く離れても意思が通じる小箱の存在はまことか?
本当に月へ人が降り立ったことがあるのか?
魔法を使わずに、それらのことをやってのけるとは、なんて素晴らしいことだろう。
わたしは、そんな世界が見たい」
「これで終わり。変わった人ね。あんたの世界に行きたいんだってさ」
才人《さいと 》は鼻をすすりながら、ルイズに礼を言った。
「ありがとう」
ルイズは才人の首を優しく抱きしめた。そしてつぶやく。
「バカね。なんで泣くの?」
「……泣いてねえよ」
「……今日はいっぱいいろんなことがあって、疲れたもんね。艦についたらゆっくり休みましょう」
ルイズは目をつむり、才人の首にキスをした。
『ヴュセンタール』号が見えて、才人は着艦するために機首を向けた。
どこまでも明るい日の光が、煤《すす》に塗《まみ》れた艦隊を美しく染め上げた。
[#改ページ]
あとがき
ゼロの使い魔もいよいよ六巻! 物語も佳境に入ってまいりました!
さて、今日はぼくの大好きなゼロの使い魔がどうやって書かれているのかを徹底的にアナウンス! これできみもゼロはかせだ!
まず、図書館に向かいます。アイデアを出すために是非とも必要な空間なんだ。受付に立って、まずは大きい声で三唱!
「ハムラビ法典! ハムラビ法典! ハムラビ法典!」
大昔の書物をリスペクト! であります。ぼくは今から本を書こうというのだからしかたない。精神を集中するために、このかけ声は大事なのであります。
しかし、図書館を利用する人々の目が一斉に注がれる。この時点でぼくはもう、多少興奮しておるのですが、気取られてはいけません。また、気後《き おく》れしてはなりません。武士の習いであります。もう一度勢いよく今度は別ベクトルで絶叫。
「紫式部! 紫式部! 紫式部!」
大昔の大先生をリスペクト。ぼくは今から小説を書こうというのだから大先生をリスペクトせねばなりません!
この時点で図書館員たちは「あの、こっちでどうぞ……」とぼくが『特別室』と呼んでいるルームに案内してくれる。ここはがらんとしてて、本を読むには最適のルームです。もっぱら会議室として使われているが使われてないときは、ぼくみたいな人の専用だそうです。
そこでおもむろにぼくは、もってきた本を朗読する。
「キグチコヘイハシンデモラッパヲハナシマセンデシタ! キグチコヘイハシンデモラッパヲハナシマセンデシタ! キグチコヘイハシンデモラッパヲハナシマセンデシタ!」
すると涙がぼろぼろ溢《あふ》れ、ヤマグチの心の中には感動の物語が浮かぶのであります。あとはそれをノートパソコンに叩《たた》きつけるだけ。泣きながら叩きつけるッ! 全力でッ! 一行書いては世界に感謝!
「生まれてありがとうございます!」
二行書いては自然に感謝!
「生かさせてくれてありがとうございます!」
三行書いてはコンビニに感謝!
「いつもご飯をありがとうございます!」
四行書いては近所の野良犬に感謝!
「いつも遊んでくれてありがとうございます!」
ヤマグチは一行書くたびに感謝の念|溢《あふ》れ、いちいちお礼を言うものだから、図書館員が半泣きで飛び込んでくる。
「何事ですか?」
するとぼくは彼の手を握り、
「図書館、ありがとうございます!」と感謝するわけであります。
この時点で、ええと、四行書かれています。ここからがさあ大変だ! さらに四千三百行ほど追加しなくては一冊仕上がりません! 次にぼくはおもむろに床に這《は》いつくばり、「ヒアイズファンタジーワールド! ヒアイズファンタジーワールド! ヒアイズファンタジーワールド!」と三度絶叫する。それは魔法の言葉で、気づくとここは見目麗《み め うるわ》しいファンタジーワールド。ぼくは生まれてきたことを激しく感謝しながら、そこで繰り広げられるファンタジィを一行とて余さず活写するわけであります!
ゼロはこのようにして書かれています! 兎塚《うさつか》さんいっつも素敵なイラストありがとう! 担当のSさんありがとう! 読者のみんなありがとう! 六巻でした!
[#地付き]ヤマグチノボル
[#改ページ]
ゼロの使い魔6
贖罪の炎赤石《ル ビ ー 》
発 行 2005年11月30日 初版第一版発行
著 者 ヤマグチノボル
発行人 三坂泰二
発行所 株式会社 メディアファクトリー
平成十八年九月二十日 入力・校正 ぴよこ