月と六ペンス
サマセット・モーム/龍口直太郎訳
目 次
月と六ペンス
解説
訳者あとがき
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まえがき
本編のテーマはポール・ゴーギャン〔一八四一〜一九〇三、フランスの画家。銀行家から画家に転向、南太平洋のタヒチ島、ラ・ドミニク島にわたり、強烈な色彩の筆でタヒチの風物を描いた〕の生涯から思いついたものである。それまで私は数年のあいだロンドンに腰をすえて、創作に専念していたが、報いられるところはきわめて少なかった。だが、それでも私はけっこう愉快な日を送っていた。その間に小説を四、五冊世に問うたが、そのうちの二つはまんざら不評でもなかった。一般の読者層にも顔が売れたし、私の前途に期待をかけてくれる批評家もちらほら見かけるようになった。新進作家を晩餐に招くのが道楽の、裕福《ゆうふく》な年配のご婦人たちからもちやほやされたし、老紳士たちも私にたいへん目をかけてくれて、クラブの晩餐に招待されたりした。したがって、外で食事をする機会がかなり多く、また田舎《いなか》で楽しい週末を送ることもたびたびだった。そのほか作家同士のお茶のつどいにも顔を出したし、いろんな貴婦人たちのもよおす舞踏会にも常連《じょうれん》の一人として招待された。それで、私もつい乏《とぼ》しい財布をはたいて、いくぶん見栄《みえ》をはったりした。この間に、私の初めて書いた戯曲が舞台協会《ステージ・ソサイエティ》〔イギリスの実験劇場、一八九九年創立〕の手で脚光《きゃっこう》を浴び、ついで『フォートナイトリー・レヴュー』誌〔イギリスの評論雑誌。一八六五年創刊〕に掲載されたのは、私にとって身にあまる光栄だった。そのとき、私はちょうど三十歳だった。このへんで、じっくり考えたうえ、自分のゆき方をはっきり決めなければならぬような気がした。
私はじっとしていられないような衝動にかられた。これまでの安穏《あんのん》な生活がつくづくいやになってきた。週末に富豪たちの邸宅へ伺候《しこう》するのも、メイフェア〔ロンドンの西部にある貴族的な住宅地域〕で次から次へともよおされる豪華な晩餐会へお招きにあずかるのも、もうたくさんだった。舞踏会へ顔を出すのにもあきあきした。いたずらに年をとるばかりで、貴重な歳月が砂のように自分の掌中《しょうちゅう》からむなしくこぼれおちて行くような思いがした。私はあくまで真剣に生きたいと思った。その結果、いつも時間を空費してきた愉快な友人たちや、退屈な楽しみとすっぱり縁を切って、私は流浪《るろう》の旅に出ようと決心した。そこで、ヴィクトリア駅〔ロンドンの鉄道駅。ヨーロッパ大陸行きの汽車がでる〕の近くの、一時は自分でもたいそう自慢に思っていたアパートの部屋を処分し、家具類を売り払って、パリへ立った。私はいまでも、それを若気のいたりだとはけっして思っていない。なにしろ一九〇四年のことで、当時のパリはまだ文化の本場だと目《もく》されていたからだ。私の友人の一人に、パリに住む画家がいて、彼の描くラテン地区《クオータ》〔セーヌの南岸にあり、大学その他文化施設に富み、古来、学生、芸術家などの多く住む地区。フランス語では「カルティエ・ラタン」〕の生活に私はいたく心をひかれ、そのさまざまな冒険にあこがれていた――もちろん、それはただ精神的な冒険のみではなかったが。私にとって、パリは幼いころからのおなじみだった。なにしろ生まれたのがパリだったし、両親の死後、イギリスへ引き取られてからのちも、ちょいちょいパリを経て旅をしたり、短期または長期にわたっていくどもパリに滞在したことがあったからだ。しかし、それはもっぱらシャンゼリゼエや広小路《ブールヴァール》のパリで、モンパルナスのパリ〔モンパルナスはパリ南西部高台にあり、芸術の中心地。付近に共同墓地がある。シャンゼリゼエやブールヴァールは繁華な大通り〕ではなかった。私はリオン・ド・ベルフォールに近いアパートの五階の、小さな三間つづきの部屋を借りうけた。共同墓地一帯が一目で見渡せる、見晴らしのいい部屋だった。当時のモンパルナスは田舎町そっくりだった。しかし今日でもまだ見方によって、美しいひなびた面影《おもかげ》が感じられぬわけでもない。いまではみごとな大通りが四方に通じているが、当時はそんな大通りなどはなくて、ラスパイユ大通りもまだ半分がたしかできあがっていなかった。馬車がレンヌ通りをガラゴロと走っているありさまだった。今ではパリっ児と外国人が半々ぐらいな割合で、毎晩のように押しかける夜のモンパルナスのにぎわいも、当時はまだ夢想だにされぬものだった。その当時から『ドーム』も『ロトンド』も『クロセリ・デ・リラ』〔三つともパリで有名なキャフェ〕もあるにはあったが、その客だねは地元の人たちに限られていた。わざわざ三頭立ての乗合馬車にのってセーヌの向こう岸まで出かけるなんてことは、遠足にひとしい思いがしたものだった。ルーヴル美術館かサロン美術展覧会へ、あるいは、ときたま劇場へでも出かける場合をのぞいて、そんなことをする人はめったにいなかった。芝居が見たければ『ゲーテ・モンパルナス』へ出かけるのが常だった。レンヌ通りには気のきいた店もいくつかあるにはあったが、横町へはいると、いやな臭《にお》いのする、うす汚ない、似たり寄ったりの小店ばかりで、それが一世紀前にできた当時とちっとも変わらぬようすで、軒を並べていた。
しかし、モンパルナスの街頭風景はすこぶる活気を呈していた。なにしろ当時はなんとなく芸術が人生至高の価値とみなされていたし、おまけに、そろいもそろって若者ばかりだったので、しぜん、恋愛――それも大方はその場かぎりの浮気から生まれた恋の取り引き――がその雰囲気《ふんいき》にいちだんと趣向をそえていた。にもかかわらず、モンパルナスの生活はもの静かで、地味で、屈託のないものだった。おまけに、生活費がべらぼうに安かった。どんなに暮らしに追われている人間でも、十分な暇があった。空気も都心の広小路《ブールヴァール》あたりよりすがすがしく、雑踏もそれほどひどくはなかった。当時を回顧《かいこ》するたびに、私の心によみがえってくる、もっともあざやかな記憶は、いつもみんなの胸になにものかを待ち望むような気持ちが、さながら光の中におどる埃《ほこり》のように、うず巻いていたことである。私がセザンヌ〔一八三九〜一九〇六。フランスの画家。ゴッホ、ゴーギャンと共に後期印象派とよばれる〕やゴッホ〔一八五三〜九〇。フランスの画家〕やゴーギャンの作品に親しむようになったのも、そのころであった。この三人の画家の中では、なんといってもセザンヌがいちばん傑出していると思われるが、ゴーギャンの作品には、妙に作家たちの心を引きつけるものがあった。今の私は、昔ほど彼の作品を高く評価していないが、それでもやはり、彼の作品の中に作家の創作意欲をかき立てるようなものが、ふんだんにひそんでいることを認めぬわけにはいかない。私はポンタヴァン〔ブルターニュの寒村で、ゴーギャンは再度そこを訪れ、同志と共に「ポンタヴァン派」を設立〕でゴーギャンといっしょに仕事をしたりして彼をよく知っている人たちに会い、彼のことについていろいろ聞く機会をえた。その話の中に、私はふと、小説のテーマにもってこいのものがあるのに気づき、当時まだたった一つしか出ていなかった彼の伝記を一読した。その後十年のあいだ、私はこのテーマを温めていた。私がタヒチ島〔太平洋南部にある、ソサエテ群島中の主島。ゴーギャンは二度この島に渡っているが、死んだのはマルキーズ群島の中のラ・ドミニク島である〕におもむいたのも、ゴーギャンの生涯についてできるだけくわしく知りたい一心からであった。ここでまた私は、彼と大なり小なりつながりのあった数人の人たちにめぐり会った。やっとこれで長い間、想を練ってきた一編に着手する準備が完了したと思った。それを書き上げたのは一九一八年の夏のあいだのことで、当時、私は南英サリーの丘の上にある療養所にいたのだが、第一次世界大戦のはじめにかかった結核がしだいに快方にむかいつつあるところだった。
チャールズ・ストリックランドのマルセーユでの経験を描くにあたって、私はハリー・フランク氏の『世界放浪記』と題するおもしろい旅行記を数個所にわたって参考にした。小説の中に取り入れた材料をどこで仕入れたかというタネ明かしをするのは、愚かな沙汰《さた》であろう。読者がほしいままに描こうとする幻想をかえってぶちこわす結果になるからだ。しかし私は本編の中で、ニコルズ船長という人物にその間のいきさつを物語らせたうえ、それを雑誌の記事かなにかの請《う》け売りかもしれぬとことわって、暗に前記の事情を読者に打ち明けたしだいである。だが、それだけではどうやら不十分だったらしく、ある紳士が立腹して、私のやり方をけしからぬときめつけた長たらしい一文を公表した。
しかし、私はいっこうに動じなかった。私はハリー・フランク氏の旅行記に負うところがあるのをいさぎよく認める。『世界放浪記』はたしかに一読に値《あたい》する書物で、いくたの挿話《そうわ》をのせてはいるが、それを小説化するには、もとより想像力、人物設定の工夫《くふう》、描写力、創作衝動が必要である。いくら小説家だって、何もかも知っているわけではない。その必要とする知識のあらかたは、他の人たちや書物に仰がなければならぬ。作家があらゆるものをいかにも自分の頭から産《う》み出すような顔をして小説を書くのは、ごく最近のあさはかな風潮にすぎない。昔の作家は、たがいに何でも必要なものを貸し借りしあつたばかりか、さらに図にのって、ある個所を臆面《おくめん》もなくそっくりそのままなぞってはばからぬものさえ多かった。著作が一種のゼニもうけと化した今日では、もとよりそんなことは許されないが、それにしても、ある作家が他人の著書の中の一挿話を参考にしたからといって、大げさに騒ぎ立てるのはバカ気ている。作家は材料を十分|活《い》かすことによって、それをすっかり自分のものに変えてしまうものだからだ。事実をありのままに記録した書物は、想像力に富む作家にとって自由に利用してさしつかえない書庫のようなものである。クラブの喫煙室やホテルのバーで小耳にはさんだ話を小説のタネに利用してさしつかえないように、それらの書物を利用したって、ちっともさしつかえないわけだ。
私としては、むしろ思い切って、作家たるものはおよそ自分の糧《かて》として役立ちうるものなら何でも他の作家から借用してかまわぬ、といいたいくらいだ。私はこれまで自分の戯曲のいろいろな場面が剽窃《ひょうせつ》されて上演されているのを見かけたことがあるが、いっこうに気にかからなかった。同業の劇作家たちがそれほどまで私の作品を買ってくれたのかと思うと、かえってわるい気持ちはしなかった。ついせんだって、ある青年が「マルセーユにうらぶれて」という一文を発表した。なかなかいい作品だったが、あとでそれが『月と六ペンス』の一章をほとんど一語一語しき写しにしたものだとわかって、それを掲載した新聞の発行者がえらくあわてたことがある。その章には、私がハリー・フランク氏の旅行記を参考にして書いた個所ばかりでなく、古い港町であるマルセーユの赤線区域――今日では、残念なことに経済事情の変遷《へんせん》によって、かつての陽気ではなやかな面影は失われているが――における私自身の見聞にもとづいて書いた個所も載っていたのだった。私はしかしその新聞の編集者が心配するのを――彼は私のほうで今にも版権侵害|訴訟《そしょう》を起こすものと見てとっていたらしいが――なだめたばかりか、かえって彼にその一編の作者の器用さを認めてやってほしい、と頼みこんだような次第だった。 一九三三年 W・M
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はじめてチャールズ・ストリックランドと近づきになったとき、私は正直なところ、まさかこの人物に人並みはずれたところがあろうなどとは夢にも思わなかった。ところが今では、彼が偉大な画家であることを否定するものがほとんどないといっていい。しかし、ここにいう偉さとは、時運《じうん》にめぐまれた政治屋とか、功成《こうな》り名とげた軍人のそれではない。そういうたぐいの偉さは、人物そのものに内在するというよりも、むしろその人物の占めている地位に付随するものである。だから、その種の人がいったんその座からすべり落ちると、まるで人目にたたない存在になる。職を辞した総理大臣が一介《いっかい》の大言壮語|居士《こじ》になりさがったり、軍籍を離れた将軍が、市《いち》の立つ町の、毒にも薬にもならぬお飾りにまつりあげられたりするといった実例は枚挙《まいきょ》にいとまがないくらいだ。
そこへいくと、チャールズ・ストリックランドの偉さは本物なのだ。彼の作風を好む好まぬは別として、その作品が見る者の心をひきつけることだけはたしかだ。彼の作品は見る人の心をかき乱したあげく、それをとりこにしてしまう。彼の作品が冷笑の的だった時代はすでに終わり、彼を弁護したり称揚《しょうよう》したりしても、もはや変わり者だとかつむじ曲がりだとかいわれる気づかいはなくなった。その欠点も彼の長所を完全に生かすうえに欠くべからざるものと認められるようになった。今日でも、彼の芸術上の地位を疑問視することは可能だし、それにまた、ほめちぎる人たちの賛辞も、けなしつける人びとの酷評に劣らず眉《まゆ》つばものだが、一つだけ疑う余地のない点は、彼が天才だということだ。私にいわせると、芸術上の最大関心事は芸術家の個性である。それさえ非凡なら、ほかにいくら欠点があろうといっこう平気なのだ。エル・グレコ〔一五四八〜一六一四。クレタ島で生まれ、スペインに住んだ画家・建築家・彫刻家〕よりベラスケス〔一五九九〜一六六〇。スペインの画家〕のほうが画家としては一枚|上手《うわて》だと思うが、ベラスケスの作品は見つけると飽《あ》きがくる。ところがエル・グレコの作品には、官能的な悲壮感がただよい、まるで自分をいけにえにでも供するかのごとく、たえず内心の秘密を露呈している。およそ芸術家たるものは、画家たると詩人たると作曲家たるとを問わず、その作品に荘厳または華麗な粉飾《ふんしょく》をほどこして、われわれの美感を満足させてくれるものである。美感はしかし性本能に近いものであり、それだけにいくぶん性的な嗜虐性《しぎゃくせい》を含んでいる。だが、それだけでなく、芸術家はまた、美感以上の贈り物として、自分自身をわれわれの眼前に投げ出してくれる。それをたよりに芸術家の意中を探るのは興趣《きょうしゅ》満点で、ちょっと推理小説でも読むような感じである。しかし、それは宇宙の神秘に似た一種の謎《なぞ》であり、解答の得られぬところがミソである。どんなつまらぬ作品でも、ストリックランドの描いたものには、彼の異常な、苦悶《くもん》にみちた、複雑な個性がにじみ出ている。だからこそ、彼の作品がきらいな連中でも、それに関心をもたぬわけにいかず、彼の生活と性格を知りたくてたまらなくなるのだ。
ストリックランドの死後四年にしてはじめて、モリース・ユレが『メルキュール・ド・フランス』誌〔フランスの有名な文芸雑誌で、今日は廃刊〕に一文を寄稿して、世人の記憶から消え去っていたこの無名の画家を拾い上げ、率先《そっせん》してその真価を世に紹介した。その後も、ユレの説をほとんどそのまま受けついだいく人かの批評家が輩出《はいしゅつ》した。フランスにおいてユレほど長期間にわたり不動の権威を保ちつづけた批評家はほかにいない。彼の主張には人を感銘させずにはおかぬところがあった。当初はそれが一見、人の意表に出るかのように思われたが、その後の批評は彼の評価の正しかったことを確認してきた。そんなわけで、チャールズ・ストリックランドの今日の名声も、当時、彼が設定した方向に沿って確立されているのである。彼のおかげでストリックランドが一躍名をあげるに至ったのは、美術史上でもきわめて異例なできごとの一つである。しかし、ここで私の語ろうとするのは、チャールズ・ストリックランドの作品論などではなくて、ひたすら彼の性格についてである。世間には、どうせ素人《しろうと》に絵などわかりっこないのだから、これはいいと思ったら、黙って財布のひもを解くのが一番だ、などと横柄《おうへい》な口をきく画家もいるが、そんな意見には承服しかねる。それは芸術作品を玄人《くろうと》だけにしかとうていわからない技巧の産物と見る、とんでもない了見《りょうけん》ちがいだ。芸術は情緒《じょうちょ》を表現するものであり、情緒は万人に通じる言葉なのだ。とはいっても、技巧について具体的なこともわからぬような批評家に、作品の真価を論じる資格などまずありそうもないことも、私が絵にかけてはまったくの明き盲《めくら》であることも、いさぎよく認める。だが、ありがたいことに、私はそんな知ったかぶりをする必要がないのだ。なぜなら、チャールズ・ストリックランドの作品については、一流の画家でもあり練達な批評家でもある、わが友エドワード・レガット氏が、その小著〔『一人の現代芸術家――チャールズ・ストリックランドの作品についての覚書』〕の中ですでに余すところなく論じつくしているからだ。なお、その著作はまた、がいしてイギリスよりもフランスのほうがずっと堂に入っている美文体の文章のお手本でもある。
モリース・ユレはかの有名な評伝の中で、読者の好奇心をかき立てるように、いかにも要領よくチャールズ・ストリックランドの生涯をかいつまんで語っている。彼の真のねらいは芸術至上主義的な動機から、きわめて独創的な一人の天才にたいして、世の識者の注意を喚起《かんき》するにあったが、さすがにすぐれたジャーナリストだけあって、そこにストリックランドの持つ[人間的興味]を織りこんだほうが、その目的を達成するうえにいっそう好都合だという点を見のがさなかった。その結果、かつてストリックランドと交際していた人びと、つまり、ロンドンで彼とつきあっていた作家たちや、モンマルトルのキャフェで彼と出会ったことのある画家たちは、それまで、なんだこいつも絵|描《か》きのなりそこないかぐらいに思っていたのに、じつは本物の天才が自分たちと肩をすり合わせていたのだとわかって、開いた口がふさがらぬ思いだった。次いで、甲の回想記、乙の鑑賞批評といったぐあいに、ストリックランドに関する記事が続々とフランスやアメリカの雑誌に現われはじめた。それでまたストリックランドの評判がいっそう高まり、大衆の好奇心をいやがうえにもあおり立てた。話題としておあつらえ向きだったからだ。凝《こ》り性《しょう》で聞こえたバイトブレヒト=ロトールツ氏はその膨大《ぼうだい》なストリックランド論〔『カール・ストリックランド―その生涯と芸術』〕の中に、おびただしい数にのぼる参考文献を列挙している。
人間は生まれつき神話をつくり出す素質をそなえている。だから、世間にちょっとでも頭角をあらわすと、やっきになってその人物の経歴中になにかしら刮目《かつもく》すべき逸話や不可思議なできことを見つけだし、さっそくそれをタネにして伝説をつくり上げ、やがてそれを自分であたまから信じこむようになるものだ。それは平凡な人生にたいして、いわばロマンティックな反旗をひるがえすことなのだ。したがって、主人公が不朽《ふきゅう》の名声を獲得し得るのは、まったくその伝説中の逸話のおかげなのである。たとえば、ウォルター・ローリー卿〔一五五二?〜一六一八。イギリスの軍人、探検家。北アメリカの植民を行い、その地をヴァージン・クウィーンに因んで「ヴァージニア」と命名した〕の名が人類の記憶に永遠にあらたなのも、彼が未知の国々にイギリス流の地名を残したからではなくて、むしろイギリスの処女女王エリザベスのお通りに際して、その足下に自分のマントを敷きひろげたという逸事によるのだ、と世の冷静な識者はそっと皮肉な微笑をうかべて考えることであろう。チャールズ・ストリックランドは無名の画家としてその生涯を閉じた。彼は友よりもむしろ敵をつくるたちだった。そんなわけで、彼のことを筆にした人たちが、そのわずかな思い出を勝手な空想で補ったのもふしぎではないし、また、彼のことがほとんど知られていないだけに、かえってロマンティックな文筆家が腕をふるう余地が多かったことも想像にかたくない。しかし、彼の生涯には不可解なほど悽愴《せいそう》な感じのするところが多いし、その性格にもどこか残忍なところがあった。しかもその末路にいたっては、すくなからず人の目をおおわしめるものがあったのは事実である。かくて、このようなおあつらえ向きの背景の中から、いつしか一個の伝説が生まれ、利口《りこう》な歴史家ならだれしもそれをまっこうから否定することをはばかるほどの定説となったのである。
ところが、チャールズの一子、ロバート・ストリックランド牧師は、かならずしもその利口な歴史家の部類にはいらなかった。この牧師は、父の後半生に関し、「世間に流布されたがために、現存の人々に多大の迷惑を及ぼしている各種の誤解を一掃するため」と断わって、チャールズ・ストリツクランド伝〔『ストリックランド―その人間と作品』〕を世に問うた。それまで彼の伝記の決定版と目《もく》されているものの中に、良家の人々の顔をしかめさせるような点が多かったのはたしかだった。私は微苦笑を禁じえない気持ちでこの伝記を一読した結果、その内容がいかにも無味乾燥なのにかえってほっとした次第である。ストリックランド牧師の描いた人間像によると、チャールズは温厚で勤勉で謹直で、夫としても父としてもまことに申し分のない人物となっている。がいして現代の牧師は、たしか解釈神学とかいう学問を履修《りしゅう》するだけあって、なんでもうまくいい抜けることにおどろくほど妙を得ている。ロバート・ストリックランド牧師も、まことに巧妙な論法で、孝子としては忘れ去ったほうが好都合と思えるような、父の生涯におけるもろもろの真相を、いかにも牧師らしくうまく[解釈]づけているのだ。この調子ではきっと今に聖職者として最高の要職につくであろう。私には、たくましいふくらはぎを主教職の脚絆《きゃはん》でかためた彼の姿が、もう今から目先にちらつくような気がする。しかし、そういう筆法で父親の伝記を書いたということは、見上げた心がけといえるかもしれぬが、やはり一つの冒険だった。おそらく、ストリックランドが名声を博したのは、彼にまつわる伝説を世間がまともに信じたということに負うところが大きかったからだ。つまり、彼の作品にひかれた人びとの中には、彼の性格にたいする嫌悪の念、または彼の死に方にたいする憐憫《れんびん》の情によってそうなったものが多かったからだ。そんなわけで、孝子の一念から発したこの息子の努力は、かえって父の賛美者たちの頭上に冷水をぶちまけるような、妙なことになってしまった。たとえば、ストリックランド牧師が父の伝記を出版して世間の物議をかもした直後に、父の傑作の一つである[サマリアの女]〔この絵について、クリスティのカタログには次のごとく記されていた――「ソサイエティ群島の土人の裸体女が小川のほとりの地面に横たわっている。背景はヤシの木、バショウその他の熱帯樹的風景。横六〇インチ、縦四八インチ」〕が画商クリスティの店で競売に付されたのだが、その落札価格は、九か月まえに、ある有名な収集家が買い受けた値段よりも――この収集家の急死によりその絵はふたたび競売に付されたわけだが――なんと二三五ポンド〔二三万円〕も安かったということも、思えばけっして偶然ではなかった。しかし、都合のいいことに、人間には神話をつくり出すすばらしい素質があり、すべて非凡なものに憧《あこが》れる気持ちに水をさすような話など、てんで受けつけなかったからいいようなものの、もしそれがなかったら、いくらチャールズ・ストリックランドの迫力と独創性をもってしても、この頽勢《たいせい》を挽回《ばんかい》することは、おそらく不可能だったろう。そうこうしているうちに、バイトブレヒト=ロトールツ博士がれいの大著を発表して、やっと世間の芸術愛好者たちの懸念を一掃してくれたのである。
バイトブレヒト=ロトールツ博士は、人間性を悪質どころか極悪と見る歴史家の一派に属する人である。したがって、読者としては、これらの人びとの著作のほうが、小説の主人公をみんな家庭道徳の権化《ごんげ》に仕立ててほくそえんでいるような作家のものを読むよりも、おもしろいこと請け合いである。私にしたところで、アントニーとクレオパトラのあいだには恋愛関係などみじんもなくて、ただ経済上のつながりがあっただけだなんて、そんな味気ない見方はしたくないし、またローマのティベリウス皇帝〔第二代ローマ皇帝。度々の外征と緊縮政策でローマ人の人気を失い、カプリ島に引退後、さらに悪評高まる〕がわがジョージ五世陛下〔在位一九一〇〜三六年。公正な態度と超党派的政策により敬愛された〕におとらぬほど非の打ちどころのない君主だったなんてことは、これから先よほどの動かしがたい史料でも出てこぬかぎり――出そうもないので、安心だが――とうていそのまま信じるわけにいかない。バイトブレヒト=ロトールツ博士がロバード・ストリックランド牧師の著《あらわ》した甘っちょろい伝記を完膚《かんぷ》なきまでにこきおろしたので、われわれはかえってこの不幸な牧師にたいして一抹《いちまつ》の同情を禁じえないほどである。聖職者らしく控え目な態度に出れば、偽善者の極印を打たれる、くどくどと弁明すれば、容赦《ようしゃ》なく大うそつきとやっつけられる、黙っていれば、ペテン師だとそしられる、というありさまだったからだ。しかも伝記作者としては非難されてもしかたがないが、子としては無理からぬ彼の落ち度のために、イギリス人全体が、お高くとまっているとか、大うそつきだとか、猫《ねこ》かぶりだとか、山師だとか、狡猾《こうかつ》だとか、さては料理まで下手《へた》くそだとか、こきおろされる羽目になったのである。ストリックランド牧師は、すでに定説と化している彼の両親の[反目]まで否認しようとして、チャールズ・ストリックランドがパリからある人に寄せた便りの中で、妻を[申し分のない女]と呼んでいると述べているが、これは私にいわせると、いささか功をあせりすぎた感がある。というのは、バイトブレヒト=ロトールツ博士がその手紙の原物を複写版にして発表したからだ。それによると、引用された一節は、じつは、次の箇所らしい。「女房なんぞクソくらえだ。彼女《あれ》はいやはやどうもまことに申し分のない女だて。いっそ地獄へでも行くがいいや」――いくらカトリック教会が猛威《もうい》をふるった時代でも、自分にとって都合のわるい証拠の手紙を、よもやこうまでこじつけはしなかったであろう。
バイトブレヒト=ロトールツ博士はチャールズ・ストリックランドの熱烈な賛美者ではあったが、彼のために事実をごまかすようなおそれのあることはぜんぜんしなかった。どう見てもしおらしいと思われる行為のかげに、さもしい動機のひそんでいることがあるものだが、そういう点を見抜くことにかけては、博士の目に狂いはなかった。博士は美術研究家のうえに精神病理学者だったので、当人さえよく意識していない内心の秘密でも、ほとんどその目をのがれることができなかった。日常|茶飯事《さはんじ》のなかに深い意味を見てとることにかけては、いかなる神秘家も博士にはかなわなかった。神秘家は、口にすることをはばかるほど神聖なものを看取《かんしゅ》し、精神病理学者は、口にすることをはばかるほどいやらしいものを看破するのがつねだ。この博学な著者が、主人公チャールズ・ストリックランドにとって不面目となりかねないような逸事まで洗いざらい探し出すその執拗《しつよう》さには、かえってふしぎな魅力さえ感じられる。主人公の残虐性や卑劣さを示すなにかの事例をさがし出すたびに、著者は主人公にたいしてますます熱烈な愛情をおぼえるのだ。何かの逸話を証拠にして、父親思いのロバート・ストリックランド牧師の面皮をひっぱがすときなど、まるで邪教徒を火あぶりの刑に処する宗教裁判官のような痛快さを感じるのだった。チャールズ・ストリックランドのこととなると、どんなささいなことでも博士は見のがさなかった。未払いの洗濯屋の請求書が一枚残っていても、博士はきっとそれをくわしく発表するだろうし、半クラウンの借金でも返ししぶっていたとすれば、きっとそのてんまつをあますところなく公表することであろう。
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チャールズ・ストリックランドについて、かくも詳細に語りつくされている以上、なにも私なぞが蛇足《だそく》をそえることもないような気もする。それに、画家の名を不朽《ふきゅう》たらしめるのは、なんといってもその作品だからだ。なるほど、私は人並み以上に彼をよく知ってもいたし、知り合いになったのも、まだ彼が画家になろうとは夢にも思えぬころだった。その後、彼がパリで食うや食わずの年月を送っていたころにも、一再《いっさい》ならず彼と会ってはいたが、それにしても、世界大戦という偶然の契機《けいき》によって私がタヒチ島に出かけるようなことにならなかったら、おそらく彼の思い出の記を書くようなことにはならなかったであろう。周知のとおり、彼が晩年を送ったのはこの島であり、彼の日常についてよく知っていた人びとに私が出くわしたのも、この島であった。だから私は、彼の悲壮な生涯のなかで、今日までもっとも世に知られていないこの晩年の生活に光をあてるには、もってこいの人間だと思われる。世評にたがわずストリックランドが真に偉大な画家だとすれば、生前の彼を親しく知っていた人間の語り草がよけいなムダ話とはよもやいいきれまい。私がストリックランドを知っているほどに、エル・グレコのことをよく知っているものがいるとすれば、世間はどんなお礼でも出して、その思い出を聞きたがるだろう。
しかし、そんなことはすべて口実にすぎない。私の求めるものは、おのずから別なのだ。だれだったか、人間は魂の安らぎを求めるために、毎日自分の好まないことを二つほどするがいい、といった人がいる。なにしろ賢人の言葉なので、私も日ごろからこの教えを、きちんと守りつづけている。私が毎日、しぶしぶ起床し、かつ就寝しているのがそれだ。だが、生来、私には禁欲主義的な傾きがあって、毎週、それよりももっとつらい苦役をわが身に課してきている。つまり、毎週欠かさず『タイムズ』〔『ロンドン・タイムズ』のこと。イギリスを代表する日刊新聞だが、その付録として週一回発行される「リテラリー・サプルメント」は新刊書の紹介批評をする〕紙の|「文芸付録」《リテラリー・サプルメント》に目を通しているのだ。やつぎばやに出版される無数の著書と、それに託す著者たちの甘い夢と、彼らを待ちうけている運命とを思い合わせてみるのは、われわれにとって有益な訓練となるからだ。どんな書物にせよ、大当たりをとるものがはたして何冊あるだろうか? また、かりに大当たりをとったとしても、それはほんのひとしきりにすぎないのではなかろうか? にもかかわらず、名も知らぬ気まぐれな読者のために、たった数時間の気晴らしか、旅のつれづれのお慰みを提供せんとして、著者がいかに苦労し、いかに辛酸《しんさん》をなめ、いかに悲痛な思いをしてきたか、だれ一人知るものもないのである。「文芸付録」の書評によると、これらの書物の中には、苦心を重ねた力作や好著が多く、なかには全生涯の心血をそそいだものまであるという。こういう事実から、私はいつも一つの教訓を学びとるのだ。つまり、作家というものは、創作のよろこびと、胸中に鬱積《うっせき》する思いを吐露《とろ》することをもってその報酬《ほうしゅう》と心得るべきであり、そのほかのことにはあげて無頓着《むとんちゃく》で、ほめられようとけなされようと、当たろうとはずれようと、いっさい意に介《かい》するに足らぬ、という一事である。
ところで、第一次世界大戦とともに新しい風潮が生まれてきた。青年層は、ひと昔前にわれわれの知らなかった神々のほうへ目を向けるようになった。しかし、若い世代がこれからたどる方向はもう見当がついている。若い世代は、自分の力量を知って騒ぎ立ち、ノックもしないで部屋へなだれこみ、そのままドッカとわれわれの席にすわりこんだのだ。そのかしましい叫び声には耳をふさぎたくなるほどである。旧世代に属する人びとの中には、青年たちの道化ぶりをまねて、年がいもなく、まだ若い者には負けんぞ、としいて思いこもうとしている者もいて、声をかぎりにわめいてはいるが、その雄叫《おたけ》びもただうつろにひびくだけだ。なんのことはない、浮気女が、ごてごてとやけに派手《はで》な化粧をこらして、キャッキャッと騒ぎまわり、それでけっこう自分では若返った気になってるみたいなもので、はたの見る目も哀れである。利口な連中は、そんなみっともない真似《まね》をしないで、おのれを高く持しながら世に処してゆく。そのさりげない微笑のかげには、しかたがないといったような皮肉な気持ちが宿っている。これらの人たちは、自分たちもかつては今の若者たちとちょうど同じように傍若無人に騒ぎ立てて、現状に満足している古い世代を踏みにじってきたおぼえがあるし、また勇敢な新時代の旗手として時を得顔《えがお》の今の若者たちも、やがてはまた次の世代にその席をゆずることを見抜いているからだ。世の中にはもうこれでよしというものはない。ニネヴェの人々〔ニネヴェはアッシリア帝国の首府〕が天まで届く塔を建ててその栄華を誇ろうとしたとき、その新しい福音《ふくいん》はすでに老朽化《ろうきゅうか》していたのである。それをささやく男たちにとっていかに新鮮なものに思えたにしろ、恋の口説《くぜつ》なるものは、すでに昔から何回となく、声の調子までほとんどそっくりそのまま、くり返されてきたせりふなのであった。歴史の振り子はただ左右に大きくゆれるだけで、人間は同じ軌道の上をたえず行き来しているにすぎないのだ。
人間は高齢に達して、自分がひと花咲かせた時代から、すっかり勝手のちがう時代まで生き残る場合もあるが、物好きな世人の目に、人間喜劇の中でもっともこっけいな一場面が映るのは、そういう場合である。たとえば、今どきジョージ・クラッブ〔一七五四〜一八三二。イギリスの詩人〕のことを思い出す人がはたしているだろうか? しかし当時はなかなか有名な詩人で、世間も異論なしにその天才を認めていた――世相が複雑化した今日では、これはもうめったに見られない現象だが。クラッブはアレグザンダー・ポープ〔一六八八〜一七四四。イギリスの詩人〕の流れをくんだ詩人で、押韻《おういん》対句形式の教訓的叙事詩を書いていた。やがてフランス革命が勃発《ぼっぱつ》し、次いでナポレオン戦争が起きるに及んで、若い詩人たちの詩風は一変した。しかしクラッブ氏だけは、十年一日のごとく押韻対句形式の教訓的叙事詩を書きつづけた。だが、いくらなんでも、これらの青年詩人たちの作品が世間にあれほど大きなセンセーションを巻きおこしていた以上、きっと彼もその詩を読んだにちがいない。読んでみて、おそらく、それを駄作とみなしたのであろう、いかにもその通りで、駄作もずいぶん多かったが、しかしキーツやワーズワースの叙情詩、コールリッジの一、二編の詩、それにシェリーの数編の詩などは、たしかに前人未到《ぜんじんみとう》の広大な詩心の新天地を開拓したものである。クラッブの詩人としての命数はすでに尽きていたが、彼はあくまで押韻対句形式の教訓的叙事詩を書きつづけた。私は現代の青年詩人たちの作品をこれまでただ気まぐれに読んでみたにすぎぬ。だから私が知らないだけで、ひょっとすると、彼らの中にはキーツ以上に情熱的な詩人や、シェリー以上に脱俗的な詩人がいて、後世の人びとが好んで口ずさむような不朽の作品をすでに発表しているのかもしれない。私は彼らの洗練された手法に感心もするし――若いなりにもうすっかり完成の域に到達しているので、いまさら有望だなどというのはかえっておかしいくらいだ――その堂に入った文体にも驚嘆するが、その語彙《ごい》の豊富な割合に、たいせつなことは何一つ私に向かって話しかけてこない。私の見るところでは、彼らはものを知りすぎており、感じ方も仰山《ぎょうさん》すぎる。懐《なつ》かしくてたまらぬようにこちらの背中をポンとたたいたり、感極まったようにこちらの胸に身を投げかけてきたりするその態度が、私には鼻持ちならないのだ。彼らの情熱も私にはいささか血の気が薄いように見え、その夢もいくぶん色あせたものに思える。つまり、虫が好かんというわけなのだ。私はすでに薹《とう》の立った作家なので、これから先もあいかわらず、いわば押韻対句形式の教訓的物語を書きつづけるつもりだが、それはまったく自分のうさ晴らしに書くだけのことで、もしそれ以外に何かの下心を抱くとしたら、それこそ私は世間のとんだ笑いものになることであろう。
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以上は、しかし、ことごとく余談にすぎぬ。
処女作を発表したころ、私はまだほんの若僧《わかぞう》だったが、さいわいにもそれが世間の注目するところとなって、いろんな人たちが私に交際を求めてきた。
かくて私は、恥ずかしさとうれしさの入りまじった思いで、はじめてロンドンの文壇にお目見えしたわけだが、今そのころのことをそこはかとなく思い出してみると、なんとなくわびしい思いがしないでもない。私が文壇に出入りしたのはなにしろ遠い昔のことだが、昨今の文壇|気質《かたぎ》を描いているいろんな小説の描写が的確だとすれば、文壇の様相もずいぶん変わったものである。文壇の中心も、ハムステッド〔ロンドン北部の丘陵地帯〕、ノッティング・ヒル・ゲイト〔ハイドパークの西側にある〕、ケンジントンのハイ・ストリート〔ノッティング・ヒル・ゲイトの南側にあり、そのハイ・ストリートはショッピング・センター〕から、チェルシー〔ハイドパークの南方、テムズ河のほとりにある〕やブルームズベリ〔ロンドンの中心部に近く、ブリティッシュ・ミュージアムのある地域〕へと移り変わっている。当時は、まだ四十前だというと、ホホウと目を見張ったものだが、今では二十五を越すともう、なんだ今ごろのそのそ、ということになる。考えてみると、あのころの作家たちは、どちらかというと、はにかみ屋で感情を表にあらわさず、世間の物笑いになるのがこわくて、すこしでも見えすいた、もったいぶったもののいい方など、気がひけてできなかったものだ。その当時のいやに取りすました文壇人のあいだに、かくべつ強固な貞操観念が培《つち》かわれていたとは思わないが、それにしても、私の記憶するかぎり、今ではしごくあたりまえになっている露《あら》わな性の混乱ぶりなど見うけられなかったと思う。当時の人たちは、浮気をしてもいわぬが花と知らん顔の半兵術をきめこみ、それをべつに偽善的な態度だとも思っていなかった。情事をかならずしも大げさに吹聴《ふいちょう》しなかったのである。女性もまだその正当な権利を十分に認められてはいなかったのだ。
私はヴィクトリア駅の近くに住んでいたので、長い道のりをバスに揺られながら、客あしらいのいい文壇人たちの家にしげしげと出入りしたことを思い出す。おっかなびっくりで何度もその家の前を行ったり来たりしたあげく、やっと気を取り直して、玄関のベルを押したかとおもうと、こんどはまた不安で、気が遠くなるような思いをしながら、お客のごった返している風通しのわるい部屋へ通され、そこで立てつづけにいろんな名士に紹介される。そして彼らが私の作品をほめてくれたりすると、私はすっかりどぎまぎして、穴にでもはいりたい気になる。そんなとき、相手がなにかこちらの気のきいたうけ答えを期待してるなと感づいても、あいにくこちらの頭にそれが浮かんでくるのは、いつもパーティが終わってからにきまっている。それで、私はてれかくしに、紅茶の茶碗だの、いくぶん下手《へた》な切り方をしたバターつきのパンだのを次々と回してやったりして、その場をごまかそうとしたものだ。私としては、ひとにちやほやされるのは有難迷惑で、これらの名士たちを打ちくつろいで観察したり、その才気|煥発《かんぱつ》な言葉に耳を傾けるのが目的だったからである。
また、よろいでもまとっているような着つけをし、棒を飲んだようにそっくり返っている、でっかい鼻と強欲そうな目つきをした婦人たちや、猫なで声をしてるくせに目つきの鋭い、二十日鼠のような感じの小柄な老嬢たちのことも私の記憶に残っている。彼女たちがバターを塗ったトーストを食べるときでも、けっして手袋を脱ごうとしないその頑固《がんこ》さに私はいつも舌を巻いたし、また、誰も見ていないと思うと、平気でその指を椅子でふく厚かましさにも驚嘆の目を見張ったものだった。椅子こそいい面《つら》の皮だったにちがいないが、たぶん当家の女主人も、そのつぎに相手を訪れたさいに、その家の椅子にし返しをしたことであろう。彼女らの中には流行の服装をしているものもいて、よくこういうのだった――作家だからわざと野暮《やぼ》ったい身なりをなさるなんて、まったく気が知れませんわ。きりっとした体つきの方なら、せいぜいその点をいかしたほうがいいじゃないの。なにも小さな足にスマートな靴をはいていたからといって、編集者がその方の書いたものをはねつけたなんて話はまだきいたことありませんわ、と。だが、中にはまた、流行を追うことなどおよそくだらないと考える女たちもいて、[凝《こ》った織り方の服地]や、野趣に富んだ宝石などを身につけていた。男たちの中には服装に奇をてらうようなものはほとんどいなかった。彼らはつとめて文士らしくない身なりをしようと心がけていに。つまり、世なれた人間に見てもらいたかったのだ。それだけに、彼らはどこへ行っても都会の会社の支配人ぐらいには踏まれたことであろう。彼らはいつもなんとなく疲れているように見えた。私はそれまで作家というものに会ったことがなかったので、彼らがひどく変わった連中に見えたのは当然だが、それにしても、私にはどことなく大地に足のついていない人びとのように思えたのはたしかだった。
彼らの間のやりとりが、いかにも才はじけたものに思えたことを今でも記憶している。作家仲間の一人が立ち去るやいなや、彼らはたちまち軽妙な毒舌をふるって彼を完膚《かんぷ》なきまでにこきおろすのだった。私はいつも唖然《あぜん》としてそれに耳を傾けていたものだ。芸術家には他の社会の人たちの持たぬ有利な点が一つある。それは彼の仲間の風采《ふうさい》や人柄ばかりでなく、その作品までがお笑い草になることだ。私には、あんなにそのものずばりか、それとも立板に水を流すようにまくしたてることなど、とうていできそうもなかった。その当時は、まだ座談が一つの技術として研究されていた。つまり、当意即妙《とういそくみょう》の応答の才のほうが、釜《かま》の下でパチパチと茨《いばら》を燃やす〔「愚なる者の笑いは釜の下にもゆる茨の音のごとし」〔旧約聖書〕〕よりも高く評価されていたのだ。したがって、警句もまだ、鈍才が才人をよそおうために使う紋切り型のせりふとまではなっていないで、都人士の世間話にピリッとしたワサビの役目を果たしていたものだ。そのような機知のひらめきに富んだやりとりを一つとして思い出せないのはわびしいが、いったん話が私たちの商売――私たちの手がけている芸術も、半面から見ると一つの商売なのだが――の内幕に及んだときほど、気楽に腰をすえて話し合えたことはなかったと思う。たとえば、最近刊書のでき不できについて議論に花が咲いたあとには、とうぜん、それが何部売れたとか、著者がいくら前払いをうけたとか、また著者のもうけはおよそいくらになるだろうかとか、そういった話が出る。お次は、ともすると、そちこちの出版社の品定めが始まり、A社は気前がいいが、B社はけちだとか、たんまり印税を払ってくれる社と、書物の価値は別としてともかく[強引に売りこんでくれる]社と、どちらを選ぶのが得策かとか、どこそこは広告がうまいが、どこそこは下手だとか、どこの経営は近代的で、かしこのそれは旧式だとか、そういった議論に花が咲く。その次は、代理人の腕のよしあしや、彼らが取ってくれる出版契約などが話題にのぼる。さらに一転して、編集者のたなおろしとなり、彼らがどんな題材を歓迎するかとか、一千語につきいくら払うかとか、払いがきれいかきたないかとか、いった話になる。文壇の勝手を知らない私にとっては、どの話もきわめて耳新しく、なんだか自分が秘密結社の一員にでもなったような気がして、強い親しみをおぼえたものだった。
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そのころの私にいちばん親切だったのは、ロウズ・ウォーターフォードだった。彼女は男性的な知性と女性的な強情さをかねそなえた女流作家で、その作品はいずれも奇抜であり、人の意表をつくものばかりだった。私はある日このひとの家で、ぐうぜんチャールズ・ストリックランドの細君と顔をあわせることになった。ミス・ウォーターフォードのもよおしたティー・パーティの席上で、彼女のせまい客間にはふだん以上に客がつまっていた。みんなそれぞれ話し合っているようすなので、私はぽつねんとすわったまま、なんとなく気づまりな思いをしていた。だが、なにしろ引っ込み思案《じあん》なたちなので、それぞれ話のはずんでいるらしい席の間へ割り込むことなぞ、私には思いもよらないのだった。ミス・ウォーターフォードはよく行き届いた女主人だけに、私のもじもじしているさまを見てとると、さっそくそばへやって来た。
「ね、ミセス・ストリックランドのお話相手になってくれないこと? あのひと、あなたの小説をほめちぎっているんだから」
「いったい、何をなさる方なんですか?」
私は自分でもあきれるほどの世間知らずなので、ストリックランド夫人がもし知名の作家だとしたら、その点をまずたしかめたうえで話しかけたほうが無難だと思ったのだ。
ロウズ・ウォーターフォードは返事に重みをもたせるかのような思い入れで、視線を下に落とした。
「あの方、よく午餐会《ランチョン・パーティ》〔ロンドンでは、社交婦人は好んでランチョン・パーティをもよおし、文壇人、芸術家などを招いたものだ〕をなさるのよ。ちょっとばかり吼《ほ》えてみさえすれば、きっと招待されますわ」
ロウズ・ウォーターフォードは皮肉屋だった。彼女は人生を創作の舞台とみなし、大衆をその素材と考えていた。その大衆のなかで自分の才能を認めてくれる連中だけを、ときおり招待して、かなり気前よくもてなしたものだった。そうした連中が流行作家をむやみにもてはやすのを、心の底で軽蔑しながらも笑って聞き流していたが、その面前では、いとも殊勝気《しゅしょうげ》に一流の女流作家らしくふるまっていた。
私はストリックランド夫人の席へ案内されて、十分ばかり話をかわした。さわやかな声の持ち主という以外に、べつだんこれといった特徴のない人だった。夫人は当時|普請《ふしん》中のウェストミンスター寺院〔ロンドンの中心部にあるゴシック建築の寺院《アベイ》で、国王や名士の墓が内部にあり、文豪も葬られている〕を見おろすアパートに住んでいるという話で、それは私の近所だということになり、なんとなくたがいに親しみをおぼえた。陸海軍百貨店《アーミー・アンド・ネイヴィー・ストアズ》が、テムズ河とセント・ジェイムズ公園にはさまれた一画に住むすべての人びとを、いわば一つに結びつける絆《きずな》の役割をはたしているわけだ。ストリックランド夫人は私の住所をきき、それから数日後に、午餐会《ランチョン・パーティ》への招待状をよこした。
会合の予定などあまりなかったので、私はよろこんで、それに応じた。早すぎてもどうかと思って、ウェストミンスター寺院のまわりを三度もまわったりしたので、すこしおそくなり、着いてみると、もう客の顔はそろっていた。ミス・ウォーターフォードとミセス・ジェイとリチャード・トワイニングとジョージ・ロードが来合わせていた。私も入れて、みんな作家ばかりだった。早春の、からりと晴れた日だったので、みんな気分も浮きうきしていた。次から次へと話がはずんだ。ミス・ウォーターフォードは、いつもセージ・グリーンの服に水仙の花を一輪つけてパーティへ出かけたという少女時代の唯美趣味と、ややともすればハイ・ヒールにパリ風のフロックという娘盛りのころの浮わついた趣味との間を今もって行きつもどりつしているひとだったが、当日は真新しい帽子なぞかぶって、えらくはしゃぎ、ついぞこれまで聞いたことのないほどの見幕《けんまく》で、仲間のものたちをこきおろしていた。ミセス・ジェイは、猥談《わいだん》を機知の極意と勘《かん》ちがいしてるふうで、ささやくような低い声で、人間はおろか、雪のようなテーブル・クロスまでぽっとバラ色に面を染めそうな話をあれこれと持ち出すのだった。リチャード・トワイニングもこっけいなバカ話をしては笑いころげていた。それに反してジョージ・ロードは、おおかたの人が知っている自分の座談の妙をいまさらひけらかすこともあるまいという顔で、黙りこくったまま、せっせと料理を口へ運んでいた。ストリックランド夫人は口数こそ少なかったが、座談を全員参加のかたちにつないでおくだけの如才なさをそなえていた。話がとぎれると、ちょっとひとこと、巧みな合いの手を入れて、ふたたび話をはずませるのだった。夫人は、とって三十七歳になる、背のやや高目な、肥満型《ひまんがた》ではなくて小太りなひとだった。美人というのではないが、茶色の目にいつもやさしさをたたえているせいか、人好きのする顔立ちだった。肌《はだ》はいくぶん青白く、暗褐色の髪を入念に結《ゆ》い上げていた。三人の女性のうち、化粧をしてないのは彼女だけだったが、それがかえって清楚《せいそ》な感じを引き立たせていた。
食堂も当時の趣味にかなった、きわめて渋好みなものだった。白木の腰羽目板を張り、グリーンの壁紙の面には、あっさりした黒い額縁に入れたホィスラー〔一八三四〜一九〇三。イギリスに定住したアメリカの画家。銅版画《エッチング》にもすぐれている〕のエッチングが数枚かかっていた。孔雀《クジャク》の模様のついた緑色のカーテンが真直ぐにたれ下がり、うっそうと茂った樹の間で白っぽい兎たちが戯れているところを図柄にしたグリーンのカーペットは、どこかウィリアム・モリス〔一八三四〜九〇。イギリスの詩人、工芸美術家〕の好みに通うところがあった。炉棚《ろだな》には青いデルフ焼き〔デルフト焼きともいう。オランダ製の濃厚な彩色〔主に青〕の陶器〕の陶器がおいてあった。当時、ロンドンにはこれと瓜二つの室内装飾をほどこした食堂が少なくとも五百ぐらいはあったにちがいない。清楚で高雅なくせに、味気ない感じの作りだった。
帰りには、ミス・ウォーターフォードと道連れになった。天気もよかったし、彼女も新しい帽子をかぶっていたので、私たちはセント・ジェイムズ公園をぶらぶら歩いて通り抜ける気になった。
「きょうのパーティはとても愉快でしたよ」と私は切り出した。
「どう、お料理はおいしかった? あのひとにもそういってあるのよ。作家を招きたいのなら、うんとご馳走《ちそう》しなきゃダメって、ね」
「うがった忠告ですな。だけど、どうして作家なんかよびたがるんでしょうな?」
ミス・ウォーターフォードは肩をすくめた。
「話がおもしろいから、というのよ。文壇の動きを知りたいのね。そういっちゃわるいけど、人間がどちらかというと単純なのよ。作家はみんな偉いと思っているんだから。いずれにしても、あたしたちを午餐《ランチョン》に招くのがたのしみなのね。だからこちらも気が軽いわ。あたし、あのひとの、そういうところが気に入っちゃってるのよ」
ふり返って考えてみると、高級なハムステッドの丘に住む大物から、低級なチェイニー・ウォークの書斎に巣食う小物にいたるまで、およそ有名人とみればその尻を追いまわす連中の多かったなかで、ストリックランド夫人などはもっとも無邪気なひとだったと思う。彼女は田舎できわめてもの静かな青春時代を送ったので、ミューディー巡回文庫〔ロンドンの本屋ミューディーがはじめた回覧式の貸本文庫〕から届けてくる小説類は、それ自身のロマンティックな雰囲気とともに、ロンドンのロマンティックな生活をも伝えてきた。彼女はしん底からの読書好きだった。これは文学少女にはまれなことだ。文学少女というものはたいてい、小説よりもそれを書いた作家に、絵よりもそれを描いた画家に関心をもつのがふつうだからだ。そんなわけで、彼女はいつも架空《かくう》の世界をつくり上げ、その中で、日常生活からはとうてい得られそうもない自由な生活を味わっていたのである。やがて作家たちと知り合いになってみると、それまで観覧席のほうからのみ眺めていた舞台へ、自分が思い切って乗り出したような気がするのだった。彼女は作家たちを、千両役者でも見るような目で眺めていた。彼らをもてなしたり、それぞれ放埒《ほうらつ》な生活を送っている彼らの巣窟《そうくつ》を訪れたりすることで、彼女はほんとに自分の視野がだんだん広がってゆくような気がした。しかし、彼らがふだん行なっている人生という賭《か》けごとに関するルールは、なるほど彼らにとってこそ有効だが、それでもって自分自身の行動を律しようなどと、彼女は夢にも思わなかった。その風変わりな服装や、とっぴな意見や、逆説にふさわしい彼らの常軌《じょうき》を逸した生き方も、たしかに彼女にとっては一興だったが、さりとて、彼女の所信をゆるがすようなことはみじんもなかった。
「あの方に旦那さんはいるんですか?」
「そりゃ、いるにきまってるわ。商業区《シティー》〔ロンドンの旧市内で、金融・商業の中心地区〕で何かしてるのよ。たしか株式仲買人のはずだわ。それがまた、ちっともおもしろくない人物なのさ」
「それで、夫婦仲はうまくいってるんですかね?」
「いきすぎてお釣りがくるくらいだわ。晩餐《ディナー》に招ばれて行けば、きっと会えてよ。でも、晩餐《ディナー》に人を招くようなことはあまりないわね。なにしろ、ご亭主なるひとがとても無口なうえに、文学や美術には爪の垢《あか》ほども興味がないときているからよ」
「気立てのいい女性がとかく退屈な男と結婚するというのは、いったいどういうわけなんですかね?」
「だって、利口な男は気立てのいい女なんかと結婚したがらないもんよ」
私はこれにはちょっと返答に窮したので、夫人には子供があるのかと、話題の向きを変えた。
「あるわ。男の子が一人と女の子が一人ね。二人とも学校に通ってるのよ」
これで話のたねも尽きたので、話題はしぜんほかのほうへそれていった。
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その夏、私は一再《いっさい》ならずストリックランド夫人に会った。彼女のアパートでときおりもよおされる、くつろいだ午餐《ランチョン》の小さなつどいや、いささか気づまりなお茶の会へ出かけたりした。夫人と妙にウマが合った。私もまだほんの若僧《わかぞう》だったので、文学という困難な道程に第一歩を印したばかりの私の手を引いてやりたいという気持ちが夫人にあったのかもしれない。また私のほうとしても、ささいな悩みなどあるとき訪ねて行けば、かならず親身になって聞いてくれるし適切な助言もあえてくれるというひとがいるのは気強かった。ストリックランド夫人は生まれつき同情ぶかいひとだった。同情心はたしかに人の心をうるおすものにちがいないが、その半面また、持ち主がそれを意識的に乱用するきらいのあるものでもある。というのは、あざやかなところを見せたいために、友だちの不幸をみると、待ってましたとばかりに、さっそく飛びついてゆくその心根の中には、かえって他人の不幸をよろこぶようなところさえうかがえるからだ。同情心をまるで油井《ゆせい》みたいにむやみやたらと噴出させ、ときにはその相手がほとほと閉口するような場合もあるものだ。世間には、そのような同情の涙をさんざん浴びせられ、いまさら私などが涙を注ぐ余地のないような連中もいる。ストリックランド夫人も痒《かゆ》いところへ手が届くほど同情心を発揮するひとだった。彼女の同情の言葉に耳をかしながら、かえってこちらが相手に恩恵でも施してやっているような気がしたものである。私もまだ若かったので、ついむきになり、いつかもこの点をロウズ・ウォーターフォードに打ち明けると、彼女はこう答えた――
「ミルクってとてもおいしいものだし、そのうえ、ブランデーの一滴も落としてもらえば、なおさらけっこうだわ。でも、子供を抱《かか》えた牡牛《メウシ》の身になってみれば、搾《しぼ》ってもらいたくてたまんないのね。お乳の張るのはずいぶん苦しいもんだからよ」
ロウズ・ウォーターフォードは辛辣《しんらつ》きわまる毒舌家で、こんな酷評を浴びせることのできるのも彼女ならではだが、その半面また、彼女ほど滋味《じみ》のある言葉を使いこなすものもいなかった。
ストリックランド夫人には、もう一つ私の好きなところがあった。その生活環境をいつも上品な雰囲気でつつんでいる点だった。そのアパートの部屋は、目のさめるような花を飾ったりして、いつも明るくきちんとかたづいていたし、客間の更紗《チンツ》張りの椅子も、模様こそ渋かったが、はなやいで美しかった。風雅で、小じんまりした食堂でとる食事も楽しかった。テーブルも見るからに感じがよく、二人の女中も小ざっぱりした、器量よしだったし、料理の火かげんも上等だった。だれが見ても、ストリックランド夫人はすばらしい主婦だった。たしかに母親としてもりっぱだったにちがいない。客間には、彼女の息子と娘の写真があった。息子のほうは――たしかロバートといったと思うが――ラグビー校〔イートン、ハロウとならぶ、イギリスの名門パブリック・スクール〕に在学中で、十六歳だった。運動ズボンにクリケット帽という格好の彼の写真と、そのほかにもう一枚、燕尾服《えんびふく》に立襟《たてえり》という姿の写真が並んでいた。少年は母親に似て、開放的な感じの額と、美しい、考え深そうな目をしていた。見るからに、清潔で健康で、まじめな少年だった。
ある日、私がその写真をながめていると、夫人がいった――
「あたまはあんまり切れるほうじゃないけど、気立てのいい、あいきょうものなんですのよ」
娘のほうは十四で、母親そっくりの、豊かな暗褐色の髪が肩の上にふさふさとみごとに垂《た》れ下がり、おまけに、やさしい表情も、おっとりした澄んだ目もとも、母親に生き写しだった。
「お二人ともお母さまに生き写しですね」
「ええ、父親よりあたしのほうに似てるらしいのよ」
「なぜ、ご主人に一度も紹介してくださらないんですか?」
「ほんとに会ってみたいとお思いになる?」
そういって、彼女はかすかにほほ笑んだ。それがまた何ともいえないほど愛くるしい微笑で、おまけに顔までぽっと赤らめた。こんな中年の女性が、こんなに手もなく顔を赤らめるとは、珍しいことだった。おそらく、こういううぶなところが、彼女の最大の魅力だったのかもしれない。
「でも、主人《たく》ときたら文学のほうはからきしなのよ。それこそ根っからの野暮天《やぼてん》なんですからね」
口ではそういったが、なにもけなしているわけではなくて、むしろそこにはこまやかな愛情さえ感じられた。それは、まず、みずから夫の最大の短所を肯定しておいて、自分の知人のそしりを免がれしめようと欲しているかのようであった。
「株式取引所員で、ブローカーを絵に描いたみたいなひとなのよ。だから、お会いになっても、きっと退屈でやりきれなくなるわ」
「あなたもやはり毎日そんな思いをしていらっしゃるんですか?」
「それじゃいっしょにいられるわけがないでしょ。あたしはあのひとがとても好きなのね」
彼女は思わずそういってから、気はずかしさを微笑でごまかした。つい本音を吐いたので、私にひやかされはしまいかと気づかっているふうだった。相手がロウズ・ウォーターフォードだったら、きっと聞き捨てにはしなかったにちがいない。彼女はちょっとためらってから、目にやさしい色をうかべた。
「飾り気のないひとで、取引所に出ていながら、おかねにも縁のあるほうじゃないのよ。でも、とても気のいい、親切なひとですわ」
「それじゃ、ぼくととてもウマが合いそうですね「
「でしたら、そのうちに、こっそり晩餐《ディナー》にお招《よ》びするわ。だけど、よくって、そこはご自分の勝手でいらっしゃるんだから、一晩じゅう、どんなに退屈な思いをなすっても、あたしのせいにしちゃいやですよ」
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こうして私はやっとチャールズ・ストリックランドに会うことになったものの、それはただ辛《かろ》うじて顔見知りになれたというだけの、まったく味気ないものだった。ある朝、ストリックランド夫人から手紙がきた。今晩、晩餐会を開くはずなのに、あてにしていた客が一人欠けることになったので、私にその穴埋めをしてもらいたい、というのだった。手紙にはこう書いてあった――
あらかじめちょっとお断わりいたしておくのが礼儀だと思いますけど、きっと、退屈でほとほと閉口なさることと存じます。もともと、まったくおもしろくもおかしくもない集《つど》いなのですから、それはいたしかたございませんが、ご列席くだされば、幸甚《こうじん》の至りに存じます。なお、私たちだけで、しばし閑談いたすこともできるかと存じます。
義理にも断わるわけにいかなかった。
ストリックランド夫人が夫に私を紹介すると、相手はやや無造作に握手の手をさし出した。彼女ははしゃいで夫のほうを向き、かるい冗談《じょうだん》をとばした。
「あたしがこの方をお招きしたのは、あたしにもほんとに夫がいるってことを証明するためだったのよ。そのことをこの方はそろそろ疑いはじめていらっしゃるようなごようすだったから」
ストリックランドは、なにがおかしいのかさっぱりわからぬが、相手が笑うから自分もまあおつき合いに笑うことにしようといった顔つきで、軽く笑ったきり、何もいわなかった。彼はそれなり、あとから来る客の応対に追われ、私はひとり取り残されたかたちだった。ようやく客の顔もそろい、みんなで食事の知らせを待っているとき、私は「食堂へご案内する」役目を仰せつかった相手の女性と、とりとめのない話をかわしながら、文明人というのは、それでなくても短い一生を浪費するのに、どうして退届きわまる会合などにかくも頭をしぼるのか、とつくづく思った。当夜の集《つど》いは、招いた側も招かれた側も、どうしてわざわざ招いたり招かれたりしたのだろうか、とはた目に思えるようなたぐいのパーティだった。会食者は十人だった。そもそものはじめから、集まってみたところで、どうということもないし、お開きになれば、かえってほっとするのが|おち《ヽヽ》とわかりきっているような、ただのおつき合いにすぎない集まりだった。ストリックランド家のほうでは、さして気乗りはしないけれども、ただこの人たちに晩餐の[借り]があるので、そのお返しに招いたというだけだし、客のほうでも、招ばれたから来たまでだった。客の気持ちにしてみれば、おそらく、もうあきあきしている夫婦さしむかいの食事から一晩だけでも逃れたいとか、召使たちにすこし息ぬきをさせてやりたいとか、たって断わるほどの理由もないとか、こちらで晩餐の[貸し]があるからとか、いうぐらいなところだったかもしれない。
食常はたてこんで、出入りにも不自由なほどだった。来客は、さる勅選弁護士夫妻、ある官吏夫妻、ストリックランド夫人の姉とその夫のマカンドルー大佐、ある下院議員の夫人と私だった。私が招かれたのは、この代議士が国会をはなれられなくなったからだ。いやはやどうもおそろしく取りすましたパーティだった。ご婦人連はお上品すぎて派手な身なりもできず、ご身分が気にかかってうっかり笑うこともできないというありさまだった。殿方のほうはどっしりしていて、みんなさも裕福そうにかまえていた。
だが、各自、パーティをだれさせまいという下心から、ふだんよりいくらか声高に話していたので、食堂はやけに騒々しかった。そのくせ、みんなで話し合えるような共通の話題に欠けていて、ただてんでんばらばらに、スープと魚とアントレーまでは右隣へ、それからあと焼肉と甘いものと口直しまでは左隣へといったぐあいに、ことばをかけていった。政局のうわさ、ゴルフの話、子供のこと、今かかっている芝居や、王立美術院に出品された絵の話、お天気のこと、休暇のプラン、と話はとめどなくつづき、騒々しさはつのるばかりだった。ストリックランド夫人は心ひそかにパーティの成功をよろこんでいたかもしれない。彼女の夫もちゃんと主人役を勤めていたが、おそらく、口数が少なかったためだろうが、パーティの終わりごろには、彼の両どなりにいるご婦人がたの顔に疲労の色が現われているように見うけられた。二人ともだんだん彼を持てあまし気味になってきたのだ。一度か二度、ストリックランド夫人の目が、ちょっと気がかりそうに夫の上に当てられた。
ついに彼女は立ち上がって、ご婦人連を食堂から連れ出した。ストリックランドは妻を送り出してドアを閉めると、テーブルの向こう端へ行って、勅選弁護士と官吏の間の席につき、あらためて一同にポートワインをまわし、葉巻をすすめた。勅選弁穫士がブドウ酒の豊醇《ほうじゅん》さをたたえると、彼はそれを入手した経路について語った。それからひとしきりブドウ酒とタバコの話に花が咲いた。弁護士は目下係争中の事件について語り、大佐はポロの話をもち出した。私は話すたねがないので、ただ黙ったきり、これもおつき合いだと思って、なるたけ興味あり気な顔をしてその話を聞いていた。誰も私などてんで眼中においていないようすだったので、私はおかげで、ゆっくりとストリックランドをこまかく観察することができた。彼は思ったより大きな男だった。どういうわけか知らないが、私はそれまで彼をやせっぽちで貧相なかっこうの男だとばかり思いこんでいたが、どうして、会ってみると、なかなか肩幅の広い、がっしりした、手足も大きい男で、着ている夜会服がきゅうくつそうだった。御者《ぎょしゃ》が盛装したような、なんとなくそんな感じだった。とって四十歳、美男ではないが、みにくい男ではなかった。眼鼻立ちはなかなか立派《りっぱ》だったが、それがどれもこれもちょっとけたはずれに大きくて、ぶざまな感じだった。きれいに顔を当たっていたので、大きな顔がよけいむき出しに見えた。赤味がかった髪をごく短か目に刈りこみ、青色とも灰色ともつかぬ小さな目をしていた。全体に、平凡そのものといった感じだった。これではストリックランド夫人が夫のことで、ある程度ひけ目を感じているのも当然だ、と思った。美術や文学の世界に一種のつながりを持とうとする女性にとって、およそ自慢のたねになりそうもない夫だったからだ。どう見ても社交性のない人物だった。だが、それは問わぬとしても、彼には、ひととは違った変わったところすらなかった。要するに一介《いっかい》の、善良で、正直で、おもしろくもおかしくもない平凡な人物にすぎなかった。人のよさはみとめても、とうていつき合う気になどなれないといったふうな、取柄《とりえ》のない男だった。おそらく彼はひとかどの市民であり、善良な夫と父であり、誠実な仲買人でもあろうが、さりとて、こんな男にかまけて貴重な時間を空費するだけの理由はもうとう見つからなかった。
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社交季節もようやく夏枯れに近づいていた。私の知人たちもみんな避暑の支度《したく》にとりかかっていた。ストリックランド夫人も一家をあげてノーフォーク〔イングランド東部の州〕の海岸へ出かけることにした。子供たちの海水浴にも、夫のゴルフにもおあつらえ向きだったからだ。私たちはおたがいに別れの挨拶をかわし、秋の再会を約し合った。だが、私がいよいよロンドンにおさらばを告げようとするその日のこと、百貨店《ストアズ》から出しなに、息子と娘を連れたストリックランド夫人にばったり出くわした。私とおなじく、彼女もロンドンを立つにあたって最後の買い物に来ていたのだった。私も夫人も暑さにまいっていたので、どうです、みんなで公園へ行ってアイスクリームでも食べませんか、と私は誘った。
ストリックランド夫人は私に子供を見せたくてたまらないふうで、二つ返事で承知した。子供たちは写真で見たよりもずっときれいで、彼女が自慢するのもなるほどと思えた。なにしろ私もまだ若かったので、子供たちも遠慮せずに、次から次へといろんなことをにぎやかに話してくれた。二人ともじつに感じのいい、健康的な子供たちだった。公園の木陰はなんとも涼しかった。
それから一時間ほどして、母子《おやこ》がもつれ合うようにしてタクシーに乗りこんで帰って行ったあと、私はうつろな気持ちで、行きつけのクラブまでぶらぶら歩いていった。なんとなくさびしかったのかもしれない。じつは、いくらかねたましい気持ちで、さっき垣間《かいま》見たばかりの、たのしい水入らずの生活に思いをはせていたのだ。彼らはたがいに心から慕い合っているふうだった。はた目には何がおかしいのかさっぱりわからないが、それでいて母子だけにはこっそり通じ合う、さり気ない冗談《じょうだん》をいったりして、笑いころげていた。なによりも言葉のはなやかさを重んじる立場からみると、チャールズ・ストリックランドは退屈な人物にきまっているが、彼の生活にはあの程度のあたまでこと足りるし、それでけっこう人並みの成功はもとより、幸福さえも大手を振って獲得できるのだ。ストリックランド夫人は可憐《かれん》な妻だし、そのうえ、彼を愛していた。なんの波乱もない、正直で折り目正しい彼らの生活、さらに、素直でほがらかな子供が二人もいて、彼らの民族と彼らの社会的地位の正統を伝えることが今から目に見えているだけでも、けっして無意義とはいえぬ彼らの生活、そうしたものを私は心に描いてみた。この夫妻は自分でも知らぬまに老齢を迎え、息子も娘も成年に達し、やがてそれぞれ結婚の運びにいたるのを見ることであろう――一方は美しい乙女で、やがては健康な子供たちの母親となり、他方は男らしい美青年で、将来はきっと軍人になり、その末は二人ともけっこうな楽隠居の身となり、子や孫に慕われながら、何らかの意義をもった幸福な生涯を送り、天寿を全《まっと》うしてあの世へ旅立つことであろう。
きっとこれが世の数知れぬ夫婦のたどる人生行路にちがいないし、その生き方の中には、素朴なゆかしささえ見うけられる。それは緑の牧場をぬけ、さわやかな木陰をくぐって音もなくうねうねと流れ、やがては大海に注ぐ静かな小川を思わせるものがある。しかし、その海なるものがあまりにも静かで、ひっそりしていて、単調なるがゆえに、にわかに人はいい知れぬ不安におそわれるのである。世の大多数の人たちのたどるそうした人生行路にどこか狂いありと私が見たのは、おそらくその当時からもう私の胸にむくむくと頭をもたげてきていた、いこじな性格のせいにすぎないのかもしれぬ。私もそういう生活のもつ社会的意義は認めてもいたし、また、そういう安穏《あんのん》な幸福がわからぬではなかったが、私の血液の中に流れている熱いものが、何かしらもっと野放図《のほうず》な活路を求めてやまなかったのだった。私にはそうした安易な人生のよろこびの中に、かえって何かしら警戒すべきものがひそんでいるような気がした。私の胸には、むしろ危険なコースを選びたいという欲望が巣食っていた。変化――変化と、そしてどんな意外なものにぶつかるかもしれないというスリルと、それさえ味わうことができれば、鋸《のこぎり》の歯のような暗礁《あんしょう》も、油断もすきもならぬ浅瀬も、さほど苦にはならないのだった。
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これでストリックランド家の人たちを、ひとわたり紹介したわけだが、あらためて読み返してみると、われながらその人物がいかにも影のうすいものであるのを認めぬわけにいかない。いわば作中人物の面目を躍如《やくじょ》たらしめるような、個性的なところが、さっぱり描けていないからだ。で、これは、ひょっとすると、私の観察が浅かったためではないかと思って、彼らの姿を眼前に髣髴《ほうふつ》たらしめるような特徴を何とかして思い出そうと脳みそをしぼっているわけだ。一風変わった言葉つきだとか、他人と違った妙な癖《くせ》だとかを指摘することによって、彼らに個性をあたえることができはしまいか、という気がするからだ。そうでもしないかぎり、まるで色あせた、つづれ織りの壁掛けのなかの人物みたいに、人物と背景の区別がはっきりせず、やや離れたところから見ると、ものの形がわからなくなり、ただ一抹《いちまつ》の美しい色彩だけということになりそうだ。しかし、いいわけがましくて恐縮だが、彼らが私にあたえた印象はまさにそのとおりだったのである。世間には、すっかり社会機構の中にとけこみ、その中でというよりも、ただそれによってのみ生きているといった、影のうすい人が多いものだが、彼らにもちょうどそれと同じように、影のうすいところがあったようだ。こういう人びとはいわば人体のなかの細胞のようなもので、不可欠な要素にはちがいないが、それらが健全なうちは、いっそうたいせつな有機体全体の中にすっかり影を消してしまっているのがつねだ。ストリックランド家は中産階級のひながたみたいな家庭だった。文壇の二流どころの人気作家をひいきにするという無邪気な道楽の持ち主で、朗らかで、客あしらいのいい細君、恵みぶかい神の摂理によってそうなった現在の境遇に甘んじて、自己の本分を尽くしている、いささか退屈な夫、器量よしで健康な二人の子供。いかにも月並みな家庭といった感じだった。彼らには口さがない世間の目をひくようなところなど、みじんもなかったと思う。
その後まもなく発生した事件のいきさつを思い合わせてみるにつけても、当時のチャールズ・ストリックランドに、せめてどこか常人と違った点の一つぐらい発見できなかったとは、私もよくよくの間抜けだったのではないかと思う。おそらく、そうだったにちがいない。しかし、なるほどあのころと今とでは、私の人間を見る目もかなり肥《こ》えてきているとは思うが、たとえ、はじめてストリックランド一家に会ったとき、今ほど人間を見る目が肥えていたとしても、やはり私の彼らを見る目はおなじだったろうと思う。ただ、その後の経験によって、人間というものがいかに予測できないものであるかを知っているだけに、今の私なら、あの年の秋のはじめ、ロンドンに帰るがはやいか耳にしたその知らせにも、まさかあれほどたまげはしなかったであろう。
帰ってから、まだものの一日もたたないうちに、私はジャーミン通りで、ひょっこりロウズ・ウォーターフォードに出くわした。
「なんだかとても浮きうきしてるみたいですね。いったい、どうしたんですか?」
と、私がきくと、彼女はにやりと笑った。その目には、見おぼえのある意地悪そうな光がうかんでいた。だれか友人の醜聞《スキャンダル》でも小耳にはさんで、いかにも女流作家らしい|かん《ヽヽ》をさかんに働かせているといった顔つきだった。
「あなたはたしかチャールズ・ストリックランドに会ったことあるわね?」
なんだか、彼女の顔ばかりでなく、からだ全体にまで生気がみなぎっている感じだった。私はうなずいて、かわいそうに奴《やっこ》さん、取引所で除名処分にでもされたか、それともバスにでも轢《ひ》かれたのかな、と思った。
「まったくひどいじゃないの! あの人ったら奥さんを捨てて、家をとび出しちゃったのよ」
ミス・ウォーターフォードもさすがにジャーミン通りの街頭では、そんな話を長々とするわけにいかないと気づいたふうで、さも作家らしく、ただぽつんと事実だけを告げて、そのほかのくわしい事情はいっさい知らないと突っぱねた。いくら街頭だって、いいたいこともいえないような彼女だとはとうてい思えなかったが、ともかく相手はがんとして口を割らなかった。
「ほんとに、あたし、何も知らないのよ」こちらのやっきの質問に、そう答えたかとおもうと、彼女はさもおかしそうに肩をすくめて、「なんでもシティーの喫茶店で働いていたある若い女が、ついこないだ暇をとったんですってさ」
そういって、ちらっと私に微笑を投げたかとおもうと、彼女は歯医者に約束があるからといって、さっそうと立ち去って行った。私は心痛よりむしろ興味を感じた。当時の私はまだ生《なま》な人生経験にとぼしかったので、たまたま知人の間に、小説中のそれとそっくりな事件でも起きると、とても興奮したものだった。正直なところ、今でこそ私も、知人間のこうした事件にはすっかり慣れっこになっているが、そのときは、いささかあきれもしたのである。ストリックランドはたしか四十のはずだった。そんないい齢《とし》で、恋愛沙汰にうつつをぬかすなんて醜態だ、と思った。私はそのころ、若気の生意気な了見《りょうけん》から、男が世間のもの笑いにならずに恋愛のできるのは、せいぜい三十までだと考えていた。そのうえ、この知らせを聞いて、私個人としてもいささか当惑した。というのは、私は田舎からストリックランド夫人に、近く帰京する旨の手紙を出し、かくべつの返事がないかぎり、一定の時日にお伺いしますから、お茶をご馳走してください、と書き添えておいたからだ。しかも、今日がちょうどその一定の時日に当たっているのだ。ストリックランド夫人からは、何の返事も来ていなかった。今の彼女に、はたして私に会う気力などあるだろうか? きっと今度の騒ぎで、私の手紙のことなど忘れてしまっているにちがいない。おそらく、訪ねて行かないほうが賢明だろう。それにまた、彼女としてはこんどの事件を秘密にしておきたいと思っているかも知れず、そうなると、その意外なニュースがすでに私の耳に達しているような顔をするのは、きわめて心なきわざということになる。約束をすっぽかして、気立てのいい女の感情を傷つけるのもまずいし、さりとてまた、邪魔をするのもどうかと考えて、私はどうしたものかと迷った。きっと彼女は悩んでいるにちがいないとは思ったが、私にはどうしてあげようもないだけに、そういう顔を見るのはいやだった。だがそのくせ、私の心の底には、多少うしろめたさを感じながらも、彼女がその苦しみにいかに対処しているかをこの目で見てみたい気持ちもあって、私はいずれとも決しかねていた。
そのあげく、何くわぬ顔で訪ねて行き、女中を介《かい》してストリックランド夫人の都合をきかせることにすれば、こちらに門前私いをくわせることだってできるはずだ、という考えが私のあたまに浮かんだ。だが、出てきた女中に、あらかじめ用意してきた口上をいよいよ伝えるだんになると、やはり私もすっかりあがってしまった。ほの暗い玄関で返事を待ちながら、今にも逃げ出したい気持ちをやっとの思いでじっとおさえていた。女中が引き返してきた。すっかりあがっていた私の目にも、その素振《そぶ》りで、女中が、家庭内の悲劇をすっかり知っているのがわかった。
「どうぞ、こちらへ」
客間へ通された。なかば日|除《よ》けをおろして部屋を暗くしてあった。ストリックランド夫人は外光に背を向けてすわっていた。義兄のマカンドルー大佐が、背中でも暖めるようなかっこうで、火のない暖炉《だんろ》のまえに立っていた。われながら、これはとんだところへまかり出たと思った。二人には私の訪問が意外だったらしく、夫人も手紙で断わるのを忘れていたばかりに、しかたなく私を迎えたらしいようすだった。大佐は、とんだ邪魔がはいったと思っているらしいふうだった。
「お忘れになったかもしれませんが、今日お伺いすることになってましたのでね」と私は、つとめてさり気ない顔でいってのけた。
「もちろん、お待ちしてましたわ。すぐアンがお茶をもってまいりますから」
部属を暗くはしてあったのに、ストリックランド夫人の顔が涙ですっかりはれ上がっているのがいやでも私の目にとまった。それでなくてもあまりさえない顔色が、土色に変わっていた。
「ご存知でしょ――義兄《あに》を? 夏休みのすぐ前に、うちの晩餐《ディナー》の席でお会いになってますから」
私たちは改めて握手をかわした。しかし、なにしろ私はどぎまぎしていたので、何から話したらいいのかわからないでいると、ストリックランド夫人が助け舟を出して、私に夏休み中どうしていたか、ときいてくれた。そのおかげで、お茶がくるまで、どうにか話をつなぐことができた。大佐はウィスキー・ソーダを注文した。
「エイミー、おまえも一つやったほうがいいよ」
「けっこう。あたしはお茶のほうがいいわ」
これが、不幸な事件がもち上がっていることを思わせる最初のやりとりだった。私はわざと知らぬふりをして、できるかぎりストリックランド夫人を話に引き込もうとした。大佐はやはり暖炉のまえに突っ立ったまま、黙りこくっていた。私は、ていよくいとまを告げるにはいつ腰を上げたものか、と考えていた。それにしても、ストリックランド夫人は、いったいどうして、こんな席に私を通したのだろうか、と思った。部屋には一輪の花もなく、夏のはじめにしまいこんだいろいろな置き物なども、まだ取り出されていなかった。いつもあれほどはでやかな感じのしていたこの部屋が、今はどこかうすら寒く、よそよそしいものに思え、壁の反対側に死体でもころがっているような、異様な感じがした。私はお茶をのみ終えた。
「おタバコを一つどうぞ」
そういって夫人はあたりを見まわし、シガレット・ボックスをさがしたが、箱は見当たらなかった。
「あら、ここにはないらしいわ」
とつぜん、彼女はワッと泣き出し、あわてて部屋を出ていった。
私はあっけにとられた。今にして思うと、そのとき、いつも彼女の夫が持って出るはずのタバコがそこになかったので、しぜん、夫のことを思い出さざるをえなかったのかもしれず、また、ふだん慣れっこになっていた家庭生活のささやかな楽しみが今や失われたことを感じて、にわかに悲しさがどっとこみ上げてきたのかもしれなかった。過ぎし日のなつかしい生活ともこれでお別れだと、はっきり思ったにちがいない。そうなると、もう世間体などかまっていられなくなったのも無理はなかった。
「ぼくはこのへんでおいとましたほうがよさそうですね」大佐にそういって、私は立ち上がった。
すると、とつぜん、破鐘《われがね》のような声で大佐が叫んだ――
「あの人でなしめが義妹《あれ》を捨てて行っちまったのを、あんたもたぶんお聞きおよびでしょうな」
私はちょっと返答に窮した。
「そりゃ、世間てものはとかく口うるさいものでして、何か面倒《めんどう》なことがおきたぐらいなことは、ぼくもうすうす聞いてましたがね」
「だしぬけに家をとび出し、どこかの女と手をとってパリへ駆け落ちしたんですよ。エイミーには一文も残しておかないでさ」
「それはどうもお気のどくなことで――」ほかに返事のしようもなくて、私はそう答えた。
大佐はぐっと一息にウィスキーをあけた。背の高い、やせた、五十かっこうの男で、八字ひげを垂らし、髪はごま塩だった。うす青い目と、気弱そうな口もとをしていた。このまえ会ったとき、彼がいかにも間抜けた顔をして、退役になる十年も前から、毎週三日は欠かさずポロをやっているといかにも自慢そうに吹聴《ふいちょう》してたのを私は思い出した。
「こんなところにぼくがいては、奥さんにもかえってご迷惑かと思いますが。心からお気のどくに思っていますと、あなたから奥さんにお伝えねがいますよ。何かぼくにできるようなことがございましたら、なんでもよろこんでさせていただきますから」
だが相手は、私のいうことに、てんで取り合わなかった。
「いったい、義妹《いもうと》はこれから先、どうなるんでしょうな? おまけに、二人の子供までいるんですよ。まさかかすみを吸って生きるわけにもいかんでしょうし。もう十七年にもなるというのにさ」
「十七年、と申しますと?」
「つれ添ってからですよ」と、彼は吐《は》き出すようにいった。「わしはもとからあの男が気にくわんでしたが、なんといっても義弟なので、できるだけ虫を殺してきたんですよ。あんただって、あの男をまさか紳士だなんて思わなかったでしょうな。あんな男といっしょになったのが、そもそもの間違いだったんです」
「でも、もうこれっきりで、何もかもおしまいってわけじゃないでしょう?」
「いや、もう義妹としては離婚するよりほかに手はないんです。じつは、さっきあんたが見えたときも、その話をしてたとこなんですよ。いいか、さっそく離婚訴訟を起こすんだぞ、そうするのが、おまえはもとより子供たちへの義務だから、とそういってね。ウーム、あの野郎め、気をつけるがいい。こんど会ったがさいご、ぶちのめして、それこそ半殺しの目にあわせてくれるからな」
だが、私の印象によると、相手のストリックランドはがっしりした大男なので、お気のどくながら、マカンドルー大佐の手には負えまいと思ったが、むろんそんなことはおくびにも出さなかった。大佐の場合もそうだが、君子|人《じん》がいかに歯ぎしりしてみても、当の悪人をガンとやっつけるだけの腕力がないと、見ているほうで、いつも痛ましい感じのするものだ。こんどこそ、何とかしていとまを告げようと思っているところへ、あいにくストリックランド夫人が引き返してきた。きれいに涙をふきとり、鼻のあたまに白粉《おしろい》まではたいていた。
「泣き出したりして、ごめんなさいね。でも、まだここにいてくださってよかったわ」
そういって、彼女は腰をおろした。私はまったくいうべき言葉を知らなかった。なんとなく気がひけて、自分などの出るべき幕でない事柄にふれる気になれなかった。当時の私にはまだ、聞き手さえあれば、誰でも相手かまわず内輪《うちわ》話をぶちまけるという、女のえてしておちいりやすい罪悪がわかっていなかった。ストリックランド夫人はつとめてそういう気持ちをおさえているふうだった。
「世間で何とかいってますかしら?」と彼女はきいた。
彼女の家庭の不幸について私が何もかも知っているものと、あたまから決めてかかっているような彼女の口ぶりには、私もすっかり面くらった。
「なにしろ帰ってきたばかりでしてね。ロウズ・ウォーターフォードさんのほかにはまだだれにも会ってないんですよ」
それを聞くと、ストリックランド夫人は手をぐっと握り合わせた。
「それじゃ、あのひとがなんていったか、くわしくおしえてくれません?」そうきかれて、私が返事をためらっていると、彼女はしつこく重ねてきいた。「あたし、とくにその点が知りたいのよ」
「なにしろ、人の口に戸はたてられませんからね。あのひとのいうことなんか当てになるもんですか。なんだかご主人が家出をなすったようなことをいってましたがね」
「たったそれだけのお話?」
私はロウズ・ウォーターフォードが別れぎわに、ちょっと喫茶店の女のことをにおわせたのを、ここでぶちまけるのはいやだったので、しらを切った。
「そのほかに何か、主人《たく》が誰かといっしょに逃げたような話、していませんでしたか?」
「いや、そんな話はいっこう――」
「そう、それだけお伺いすれば、もういいのよ」
ちょっとうしろめたい気もしたが、ともかく、もうこのへんで失礼してもいいだろうと思った。そこで、ストリックランド夫人と握手をかわし、もし何かお役に立つようなことでもあったら、よろこんでいたしますから、といった。彼女はうつろな微笑をうかべた。
「どうもありがとうございます。でも、こんどばかりは、どなたにもおすがりするわけにゆかないと思いますわ」
お座なりな慰めの言葉なぞかける気にはとてもなれなかったので、私はそっと体《たい》をかわして大佐にいとまを告げた。すると、大佐は私のさしのべた握手の手をにぎりもせずに、
「わしも、もう帰ります。もしヴィクトリア通りのほうへおいででしたら、わしもごいっしょにまいりますよ」
「じゃ、お伴《とも》しましょう」と私はいった。
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「どうも、とんだことになりましてね」表へ出るなり、大佐はすぐに切り出した。
彼がいっしょに出てきたのは、ついさっきまで義妹と数時間にわたって論じ合っていた問題を、こんどは私を相手にむし返すつもりなんだな、と私は読みとった。
「その女が誰だか、まだつかめないんですよ。あのろくでなしめがパリへ逃げて行ったことだけはたしかなんですがね」
「お見うけしたところ、とても夫婦仲がよさそうでしたけど」
「いや、まったくおっしゃる通りだったんです。だって、あなたの見えるちょっと前にも、夫婦になってこのかた、まだ一度も口げんかさえしたことがないって、エイミーがいってたところなんですよ。それに、あれほど気立てのいい女は、広い世間にも、そうたんといるわけがありませんしね」
むこうが進んでこういう打ち明け話をするからには、こちらでも一つ二つ立ち入ったことをきいてもわるくはなかろう、と私は思った。
「だけど、まさか奥さんのほうで、いままで何一つ感づかれなかったというわけじゃないでしょうね?」
「いや、それが何一つないんですよ。あの男は、八月中、ノーフォークで、義妹《あれ》や子供たちといっしょに暮らしていたんです。いつもとちっとも変わったところがなかったんですよ。わしも家内を連れて、二、三日、そこへ出かけ、みんなでゴルフをしたりしましてね。九月になると、あの男は、相棒にも休暇をとらせなければといって、一足先にロンドンへ帰り、エイミーのほうは引き続き田舎に滞在していたわけなんです。六週間の契約で田舎の家を借り受けてたもんですからね。で、義妹《あれ》は、期限まぢかに、あの男に手紙で、何日にはロンドンへ帰るからと知らせたんです。ところが、なんとその返事がパリから来たじゃありませんか。しかも、それが、もうこれをかぎりに夫婦生活を打ち切るつもりだという手紙だったんですね」
「どういうわけでそんなことをするのか、理由が書いてあったんですか?」
「それがねえ、理由なんてひとことも書いてないんですわい。わしもそれを読みましたがね。なにしろ十行足らずの簡単なもんでして」
「しかし、それはどう考えてもおかしいですね」
私たちはそのときちょうど街路を横断するところだったので、交通に気をとられ、話がそこでとぎれた。さっきの大佐の話は、なんとしても腑《ふ》に落ちぬ。これはひょっとすると、ストリックランド夫人が、彼女なりのわけがあって、大佐に真相をいくぶん伏せているのではないか、と思った。結婚して十七年にもなる男が妻を捨てるからには、きっとそこに、夫婦の間がどうもしっくり行ってないなと妻のほうでも感づくような、何かのできごとがあったにちがいない。大佐が私に追いついた。
「むろん、女と高飛びしたという以外に、あの男にわけなんぞあるもんですか。ごてごていわなくたって、そんなことぐらい、いくら義妹《あれ》でもピンとくるはずだと思っているんでしょう。あいつは、そもそもそういうふうな男なんですからね」
「で、奥さんはどうなさるおつもりなんですか?」
「なんにしても、まず、動かぬ証拠をにぎらんことにはね。わしは自分でパリへ乗りこむつもりなんですよ」
「それから、取引所のほうのご商売はどうなさるんですか?」
「そこがあの男のなかなか抜け目のないところでしてね。この一年ほどの間に、こっそり手仕舞《てじま》いをしてたんですよ」
「で、共同経営者には、まえもって手を引く話がしてあったんですか?」
「話どころか、一言のあいさつもなかったんですな」
マカンドルー大佐も、商売のほうはごくあらましのことしか知らなかったし、私ときたら、ぜんぜん不案内だったので、ストリックランドが手を引いた後がどうなっているのやら、とんと見当もつかなかった。話のようすでは、置きざりをくった共同経営者がかんかんになって、訴訟でもおこしかねない気配だった。いっさいがっさい、清算しても、なお共同経営者のほうで、四、五百ポンドの損になるらしい話だった。
「でもまあ、アパートの家財道具が、エイミーの名義になっていたので、まだしもですよ。とにかく、それだけは義妹《あれ》のものになりますからね」
「さっき、これで奥さんも一文なしになられるようなお話でしたが、それ、ほんとなんですか?」
「もちろん、ほんとですよ。義妹のものといったら、二、三百ポンドのかねと、その家財道具だけなんですからね」
「たったそれだけで、奥さんはこの先どうしてやってゆくおつもりなんですかね?」
「そんなこと、誰にだってわかりっこありませんよ」
話がなんだかだんだん細かくなってくると、大佐はますます憤慨し、やたらと毒づくばかりで、聞いている私には、事情がはっきりするどころか、かえって何が何だかわからなくなってきた。そのうちに大佐は、ふと陸海軍百貨店の大時計を見上げると、クラブでトランプをする約束になっているのを思い出したので、私もこれでやっと放免《ほうめん》されることになり、大佐と別れてセント・ジェイムズ公園を抜けて行くことになった。それこそ救われたような思いだった。
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やがて二、三日すると、ストリックランド夫人から手紙がきた。今晩、夕食をすませてから、ちょっとご足労ねがいたい、というのだった。行ってみると、夫人がひとりきりだった。地味すぎるほど地味な黒ずくめのドレスが、見捨てられた女の哀しみをそれとなく物語っていた。私はまだうぶだっただけに、彼女が心の悲しみをおもてに出さず、彼女なりに気品を保って、ちゃんと自分の立場にふさわしい装《よそお》いをととのえているのを見て、舌を巻いた。
「ねえ、もし何か用があれば、してやってもいいって、このあいだあなたはおっしゃってくださいましたわね」と彼女が、ふと思いついたようにいった。
「ええ、申し上げましたとも」
「じゃ、すみませんけど、パリへ出かけて、チャーリーに会って来てくださらないこと?」
「ぼくがですか?」
私はあっけにとられた。彼にはただ一度しか会っていないのに、と思った。私には夫人の意向がのみこめなかった。
「フレッドはもうすっかり自分で出かける気でいるんですのよ」フレッドとはマカンドルー大佐のことだった。「だけど、あの人に行ってもらっては、かえってまずいと思いますの。ただ事を、ぶちこわすだけですもの。かといって、ほかにおすがりする方もありませんしね」
彼女の声はかすかにふるえていた。私はこれ以上黙っているのは酷《こく》な気がした。
「しかし、ぼくはまだご主人とはほんのひとことかふたことしか口をきいていませんので、むこうではおぼえていらっしゃらないと思いますね。出かけたところで、きっと門前払いを食うだけのことですよ」
「そんなことぐらい、平気じゃありませんこと?」彼女は微笑をうかべて、そういった。
「じゃ、いったい、ありていにいって、ぼくにどうしろとおっしゃるんですか?」
だが夫人は、それにはまともに答えないで、こういった――
「主人《たく》があなたをよく知らないのが、かえって好都合だと思いますわ。あのひとはもとからフレッドを毛|嫌《ぎら》いしてたんですのよ。バカだと思ってるようでしたわ。なにしろ、軍人|気質《かたぎ》がどんなものかわからないひとですからね。ですから、出かけてみたところで、どうせフレッドがかっとなって、けんかが始まるにきまってますよ。そうなると、事情はよくなるどころか、かえってわるくなるのがおちですわ。でも、あなたから、あたしのためにわざわざやって来たとおっしゃっていただいたら、あのひとだって、まさかこちらのいい分も聞かずに、すげなく追い返すようなまねなどできないと思いますの」
「お近づきになってから、まだいくらにもなりませんし、そのうえ、くわしい事情も知らないのに、いきなりこういう問題と取っ組めといわれても、おそらく誰だって困るんじゃないでしょうか。ぼくとしても、自分の出る幕でもないことに、あんまりちょっかいを出したくありませんしね。どうして奥さんご自身で、ご主人に会いにいらっしゃらないんですか?」
「お忘れにならないでね、あのひと、一人じゃないのよ」
これには返す言葉もなかった。
私は、自分がチャールズ・ストリックランドを訪ねていって、名刺を通じると、彼がそれをちょいと人差指と栂指《おやゆび》でつまんで、部屋にはいって来ると、次のようなやりとりをするところを想像した――
「ようこそおいでを。して、ご用件は?」
「お宅の奥さんのことで、ちょっとお話いたしたいと思いまして」
「ホホウ、さようで。だがあんたも、もうすこし年をとられたら、きっといらぬおせっかいなぞしないほうが利口だということがおわかりになるでしょうて。どうぞ、ちょっと左手をごらんください。あそこが出口でございますよ。では、これで失礼」
こんな調子だとすると、男をさげずにその場からひき下がってくるのは、むずかしいように思われた。こんなことなら、ストリックランド夫人がなんとかこのごたごたのかたをつけてしまうまで、ロンドンへ帰ってくるのではなかったに、と後悔した。ちらと盗み見ると、夫人はもの思いに沈んでいるふうだったが、やがて私を見上げて、深いため息をつき、かすかにほほ笑んだ。
「こんなことになろうなんて、ほんとに思いがけませんでしたわ。結婚してから十七年にもなるんですものね。チャーリーがまさか女にうつつを抜かすようなひとだとは、夢にも思いませんでしたわ。これまでずっと仲よく暮らしてもきましたしね。そりゃたしかに、あたしも、あのひとにはわからないような趣味をずいぶん持ってはいましたけど」
「で、奥さんにはもう――」そのあとをなんとつづけていいか、ちょっと当惑したが、「相手方といいますか、つまり、ご主人といっしょに逃げたのが誰だかわかっておいでなんですか?」
「いいえ、ぜんぜん。どなたにもこれといって思い当たるふしがないらしいのよ。まったくふしぎですわねえ。ふつうだと、男のひとが女のひとを好きになったりすると、二人で食事をするとかなんとか、とにかくいっしょにくっつきまわっているところが世間の目にとまって、やがてそれが奥さんのお友だちかなにかを通じて、奥さんの耳にはいるってことになりますわね。ところが、あたしの場合は、そんな注意などうけたことがないんですの。そうよ、それこそ一度もね。だからあの手紙は、あたしにとって、まったく寝耳に水だったのよ。あたしはあのひとがすっかりしあわせだとばかり思っていたもんですからね」
思いあまったように、彼女は泣きはじめた。私も気のどくでならなかった。だが、しばらくすると、彼女もだんだん落ち着いてきた。
「でも、泣いてみたって、人さまに笑われるだけですわね」そういって、彼女は涙をふいた。「けっきょく、かんじんなのは、どうすればいちばんいいかを決めることよ」
それから彼女の話は、いささかとりとめのない話題に移っていった。今、ついこないだの話をしたかと思うと、こんどは、二人がはじめて会った日のことや、結婚生活について語るといった調子だった。しかし、そういう四方山《よもやま》ばなしを聞いているうちに、この男女の前半生が、かなりまとまりのある一巻の絵巻物となって、私の脳裏にうかんできたが、それは私がかねてから想像してたのと、あまりちがわないようなものであった。ストリックランド夫人は、あるインド駐在の官吏の娘で、父が引退すると、一家はイギリスの草深い片田舎に移り住んだ。だが、毎年八月になると、一家をあげてイーストボーン〔イギリス東南部の海水浴場〕に転地するのがつねだった。ここで、彼女は二十歳《はたち》のとき、はじめてチャールズ・ストリックランドに出会ったのだった。彼はそのとき二十三だった。二人はいっしょにテニスをしたり、海岸を散歩したり、黒人に扮《ふん》した大道芸人たちの歌に耳をかたむけたりした。こうして彼女は、彼の求婚する一週間まえから、すでに結婚するはらをきめていた。二人はロンドンで暮らすことになった。はじめはハムステッドに住み、くらしが豊かになると、都心へ移った。二人の子供ができた。
「主人《たく》はふだん、とても二人の子供を可愛がっているようすでしたの。ですから、たとえあたしがいやになったからといって、あの子たちまで捨ててゆくようなしうちがよくもできたと思いますわ。こんなことになるなんてとても信じられませんの。今だって、ほんとだとは思えないくらいですわ」
そのあげく、夫人はれいのパリから来た手紙を見せてくれた。私も前から、それを見たくてうずうずしていたのだが、まさか見せてくれとはいい出せなかったのだ。
親愛なるエイミー
おまえたちが帰宅しても、アパートでは用意万端ととのっているはずだ。おまえからの指図はよくアンに伝えておいたので、帰るまでにはおまえと子供たちの食事の仕度《したく》ができ上がっていると思う。しかし、わしが家にいて、おまえたちを迎えてやるわけにはいかぬ。もうおまえとは別居する決心で、明朝パリへ立つつもりだから。この手紙はパリへ着いてから出すことにする。もう二度と帰らぬつもりだ。この決意をひるがえすようなことは断じてしない。 草々
チャールズ・ストリックランド
「なにしろ、いいわけや詫《わ》びなど一言も書いてないんですものね。これじゃ、いくらなんでもあんまりでしょ?」
「それにしても、ずいぶんあっさりした手紙ですねえ」
「気が狂ったとでも考えるほかありませんわ。あのひとを夢中にさせたその女がどんな種類の女だかわかりませんけど、とにかくその女のためにあのひとの人柄がすっかり変わってしまったんです。きっと、もうずっと前からのことにちがいありませんわ」
「どうして、そんなことがいえるんですか?」
「フレッドがさぐり出してきたのよ。主人は、いつも一週に三晩か四晩、ブリッジをしにクラブへ行く、と申しておりました。ところが、フレッドがそのクラブの会員の方を一人知っていましたので、チャールズもブリッジには目がないといったような話をしますと、その方が、まさかという顔をして、チャールズがカード室にいるのを見かけたことなど、今までに一度もない、とそうおっしゃったんですよ。それですっかりバレちゃったんですの。こちらにはクラブにいるものと思わせておいて、その女のところへ遊びにいってたにちがいありませんわ」
私はちょっと黙りこんでいたが、やがて二人の子供たちのことが頭に浮かんだ。
「こんどのことをロバート君にお話しになるのは、ずいぶんつらかったでしょうね?」
「だから、まだどっちにも一と言ももらしていませんのよ。なにしろ帰ってきたのが、子供たちの休暇が明けて学校へ戻ってゆくちょうどその前の日でしたからね。で、まあ、さり気ない顔をして、お父さんは商用で出張されたのよ、とこう申しておきましたの」
突然の不幸を胸に秘め、なんの屈托《くったく》もなさそうな笑顔で、子供たちを気持ちよく送り出そうと、こまごましたことにまで気をつかうのは、さぞかしつらかったことであろう。
ストリックランド夫人は、また涙声になった。
「だけど、かわいそうに、あの子たちはこれから先、どうなることでしょうね? あたしたち、生活の目当てさえつかないんですもの」
取り乱すまいとやっきになり、彼女は夢中で両手をかたく握り合わせたり、ゆるめたりした。あまりの痛ましさに面《おもて》をそむけたくなるほどだった。
「ぼくでも何かのお役に立つとお思いになるなら、もちろんパリヘだって出かけますがね。しかし、それにはまずご意向をくわしくうかがっておきませんと」
「あたし、主人《たく》に帰ってきてもらいたいのよ――
「でも、マカンドルー大佐からは、離婚の決心をなさったように聞きましたけど」
「離婚なんかするもんですか」彼女はにわかに語気を荒らげた。「あたしがそういったと主人《たく》にお伝えください。あんな女と結婚などさせるもんですか。むこうがその気なら、こちらだって意地ですわ。あたし、けっして離婚なんかしません。だって、子供の身にもなってやらなきやなりませんものね」
今にして思うと、その言葉のとおり、彼女がいきり立ったのも子供たちのためだったのであろうが、そのときは、母親らしい気遣《きづか》いというよりも、むしろきわめて女らしい嫉妬《しっと》からだ、と思った。
「じゃ、奥さんはまだご主人のことを思っていらっしゃるんですね?」
「それはどうだかわかりませんけど、ともかく帰ってもらいたいんです。帰ってくれれば、こんどのことは水に流しますわ。なんといっても、結婚してからもう十七年にもなるんですからね。あたしだって、そんなに了見《りょうけん》のせまい女ではないつもりですの。あたしの耳にさえはいらなければ、あのひとが何をしようとかまいませんわ。今は夢中でも、そんなことがいつまでも続くわけのないことぐらい、あのひとにだってわかってるはずですもの。いま帰ってくれれば、なんとでもいい繕《つくろ》うことができて、世間にも知れないですむんですのにね」
ストリックランド夫人が世間の取り沙汰《ざた》ばかり気にするのは、聞いていて、ちょっと興ざめだった。他人の評判なるものが、女の生活の中で、どんなに重きをなすものか、その当時の私にはまだわかっていなかったからだ。女がどんなに心から深く感動している場合でも、つねになにがしかの芝居気を捨てきれないのは、そのせいなのだ。
ストリックランドの居場所は判明していた。共同経営者がかんかんに怒って、ストリックランドの取引銀行あてに手紙を出し、居所をかくすとは何事だ、と彼を責め立てたのにたいし、ストリックランドは、人を食ったような、空とぼけた返事を書いて、共同経営者に正確な住所を知らせて来ていたからだった。それによると、どうやらホテル住まいをしているらしい。
「そういうホテルは、あたしまだ聞いたことがありませんけど、フレッドがよく知っているんですの。とても豪華なホテルだそうで」
彼女の顔にさっと紫色の血がのぼった。彼女はきっと、夫がホテルのいく間もある豪華な部屋におさまっているところや、小粋《こいき》なレストランからレストランヘと食べ歩いて食事をしているところや、昼は競馬、夜は芝居と、毎日を遊び暮らしている姿を目に描いたのだ、と私は思った。
「でもあの齢《とし》では、そうそう続きっこありませんわ。なんといっても、もう四十ですものね。若い方ならともかく、いい齢をして、しかも大人にちかい子供がいるというのに、みっともないったらありませんわ。それにからだだって、持ちこたえっこありませんものね」
怒りと哀《かな》しみが、彼女の胸の中をのたうちまわっていた。
「あのひとに、家じゅうが待ちこがれていると伝えてください。万事もとどおりのように見えて、じつはなにもかも変わってしまったんです。あのひとがいなくては、あたし、生きてゆけませんのよ。こんなことなら、いっそ自殺したほうがましですわ。昔のことや、長年の夫婦暮らしなどについて、よくあのひとに話してくださいませ。子供たちから、お父さんは、ときかれたら、あたし、何と答えていいかわかりませんわ。あのひとの部屋はいまでも、出て行ったときのままにそっとしてあって、あのひとの帰りを待っています。家中があのひとを待っているんですのよ」
そこで、彼女は私から彼に伝えるべきことを、こまごまと話したうえ、彼のほうで、ひょっとすると持ち出すかもしれないあらゆる抗弁《こうべん》にたいしても、いちいち適切な答えを授けてくれた。
「どうか万事よろしくお願いいたします」と彼女は哀願した。「あたしがいまどんなに悲しんでいるか、よく伝えてくださいませ」
要するに、あらゆる手を用いて、ストリックランドの心をひるがえしてもらいたい、というのだった。彼女は見栄も外聞も忘れて、おいおい泣いた。私もすっかり胸を打たれ、ストリックランドの冷酷なしうちに憤慨して、彼を連れ戻すようにできるだけ尽力してみると誓った。明後日に出発して、なんとかかたのつくまでパリに踏みとどまることにも同意した。ちょうど夜もふけてきたし、どちらも涙話ですっかり疲れていたので、私は彼女にいとまを告げた。
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十一
パリヘの道すがら、私はつくづく、とんだ役目を引きうけたものだ、と思った。今はストリックランド夫人の嘆きを目《ま》のあたり見ないですむだけに、私は問題をもっと冷静な角度から考えてみることができた。彼女の行動には私の合点のゆかぬ矛盾《むじゅん》したふしがあった。深い悲しみに沈んでいながら、私の同情をひこうとして、その悲しみをわざと見せびらかすような演技ができるのだった。彼女ははじめから泣いて見せるつもりだったにちがいない。あらかじめハンカチをいくつも用意していたからだ。私はその手まわしのいいのに感心したが、今にして思うと、それがかえって、人の哀《あわ》れをさそう涙の効果を弱めていたのだった。彼女が夫に帰ってほしいというのも、夫を愛しているからなのか、それとも口さがない世間がこわいからなのか、私には見きわめがつかなかった。彼女の破れた胸の中にもなお、愛情をふみにじられた悲痛な思いと、体面を傷《きず》つけられたくやしさと――まだ若い私の目にはそれがあさましく思えたが――が入りまじっているように感じられて、なんだか割り切れぬ気持ちだった。人間の心というものが、いかに矛盾にみちたものであるかということや、誠実な心の中にもいかに多くのはったりがあり、高潔《こうけつ》な精神の中にもいかに多くのさもしさがひそんでいるかということや、かと思うとまた、邪悪な性根《しょうね》の中にもいかに多くの善良さが宿っているかということなどが、当時の私にはまだわからないのだった。
しかし、こんどの旅行にはどこか冒険的なところもあったので、パリに近づくにつれて、元気がわいてきた。また、芝居でも見ているような目で、自分の姿を想像したりして、迷える犬を寛大な妻のもとへ連れもどす頼もしい友人、といったような自分の役柄を得意に思ったりした。ストリックランドに会うのは、パリに着いた翌晩ときめた。時刻をえらぶには慎重を要すると直感したからだ。昼食前に人の気持ちを動かそうとしたって、成功する見込みはまずないだろう。その当時、私自身も恋愛沙汰で日夜、胸がいっぱいだったが、それでもやはり|お茶《ティー》〔イギリスのお茶は午後五時ときまっている〕もすまぬうちから、むつみ合う楽しみを持とうなどと、思ったためしがなかった。
私は自分の投宿したホテルで、ストリックランドの泊まっているホテルのありかをたずねた。それはオテル・デ・ベルジュというのだった。ところが、そんなホテルは聞いたことがない、と支配人が答えたのには、私もいささか面くらった。ストリックランド夫人の話だと、それはリヴォリ通りの裏手にある豪壮なホテルだとのことだった。支配人と二人でホテル案内を調べてみたが、そういう名のホテルはモワン通りに、たった一軒あるきりだつた。その一郭は上流どころか、むしろいかがわしい区域だった。私は小首をひねった。
「まさか、それじゃああるまい」
支配人も肩をすくめた。パリじゅうで、そういう名前のホテルは、これしかないのだった。私はふと、ハハア、さては行くえをくらましたな、と思った。この住所を共同経常者に知らせるさい、すでに一ぱい食わせる気だったにちがいない。どうしてそんな気がしたのか、今もってわからないが、私はそのとき、ストリックランドという男はきっと、わるふざけが好きで、かんかんになったその株式仲買人を、はるばるパリの場末のいかがわしい家までおびき出して、バカを見させるつもりだったにちがいない、と思った。だが、それでも一応は行ってみることにきめた。翌晩の六時ごろ、私はタクシーを拾ってモワン通りへ行ったが、街角で車を捨てた。そこからホテルまで歩いていって、中にはいる前にようすをたしかめたかったからだ。通りには貧民階級の生活用品を売る小店が並んでいて、向かって左側の、ちょうど通りの中ほどに、オテル・デ・ベルジュがあった。私の泊まっているホテルもけっこう安宿だったが、それでもこれに比べると、まだ豪華なほうだった。ひよろ高い、おんぼろの建物で、ペンキなどもう何年も塗られたふうはなかった。そのようすがいかにもうすぎたないので、両隣の家が妙に小ざっぱりした、清潔な感じに見えた。きたならしい窓も一つのこらず閉《し》まっていた。色香に迷って信用も義理もかなぐり捨て、謎の美女と豪奢《ごうしゃ》な生活を送りながら、罪の快楽にふけっているはずのチャールズ・ストリックランドが、まさかこんなところに住んでいるはずはない。私はむしゃくしゃしてきた。まんまとかつがれたような気がしたからだ。そこで、たしかめてもみずに、すんでのことで引き返すところだったが、ただストリックランド夫人に、できるだけの手は尽くしたと報告したいばかりに、私は中へはいって行った。
入り口は店屋の横をはいったところにあった。ドアが開け放しになっていて、はいってすぐのところに、[|受付は二階《ビューロー・オー・ブルミエ》]と貼札《はりふだ》が出ていた。狭い階段を上りきると、踊り場に、ガラスをはめこんだ詰所みたいなものがあって、中に机が一つと、椅子が二つ置いてあった。外側にもベンチが一つ置いてあったが、さだめし、この上で夜警が窮屈な思いをしながら夜を明かすのだろう。あたりには誰もいなかったが、電鈴《ベル》の下に[|ボーイ呼び出し《ギャルソン》]と書いてあった。鳴らすと、まもなくボーイが出てきた。食えない目つきの、ふくれっ面をした若者で、シャツ一枚に、ビロードのスリッパをつっかけていた。
なぜそうしたのか自分でもわからないが、私はそのとき、なるたけさり気ないふうを装《よそお》って、こうきいた――
「もしかして、こちらにストリックランドという人が泊まってやしないかね?」
「六階の三十二号室です」
私はあっけにとられて、ちょっと二の句がつげなかった。
「いま、部屋においでかね?」
ボーイは受付《ビュロー》の中の掲示板に目をやった。
「鍵《かぎ》が預けてありませんから、ご自分でいらしってみてください」
私はついでにもう一つきいてもよかろうと思った。
「|奥さんもいらっしゃるかね《マダムエラ》?」
「|あの方はお独りですよ《ムシューエシュール》」
ボーイは私が上がってゆくのを、うさん臭そうな目で見送っていた。階段は暗くて、風通しがわるく、いやな、かびくさい臭《にお》いがプンと鼻をついた。三階まで上がってゆくと、化粧着を引っかけ、髪をくしゃくしゃにした女がドアを開けて、私の通るのを黙って、じろじろながめていた。やっと六階にたどりついて、三十二号室のドアをノックした。中で音がして、ドアが半分ばかり開いた。チャールズ・ストリックランドが私のまえに突っ立っていた。彼は一言も発しない。私を忘れているに相違なかった。
私はできるだけ気軽な調子で、こちらから名のって出た。
「お忘れかもしれませんけど、この七月に、お宅の晩餐会《ディナー・パーティ》にお招きにあずかったものですが」
「さ、どうぞ」と彼は愛想よく言葉をかけた。「よく来てくれましたね。まあ、かけたまえ」
はいってみると、いかにも狭い一室で、そこへまた、フランスで俗にルイ・フィリップ風といわれている家具類がはいりきれぬほどつめこまれていた。真赤な羽根ブトンが大波のかたちを描いてのっている、大きな木枠《きわく》のベッド、大型の衣装ダンス、円《まる》テーブル、ひどく小型な洗面台、赤い横うね織りの布を張った椅子が二つ、といったぐあいだった。それがまた、どれもこれも、うすぎたないうえにおんぼろだった。マカンドルー大佐が、さも見てきたように吹聴《ふいちょう》した贅沢三昧《ぜいたくざんまい》なようすなど、かけらほども見うけられなかった。ストリックランドが片方の椅子にのっていた衣服を床の上にほうり出したおかげで、やっと私は腰がかけられるという始末だった。
「で、ご用件は?」と、彼がきいた。
部屋が小さいせいか、このまえに見たときよりも、彼の図体がずっと大きく見えた。猟師の着るような、バンドつきの、だぶだぶの長い上着、それも、もうだいぶくたびれたのを着て、もういく日も顔を当たっていないふうだった。このまえ会ったときは、やけにきちんとしているくせに、なんとなくぎごちなさそうだったが、それに反して、今は身なりもだらしないし、髪もぼうぼうなのに、すっかり打ちくつろいでいるふうだった。これから持ち出そうとする話を彼がどうとるか、私には見当もつかなかった。
「じつは、お宅の奥さんになりかわって、お訪ねしたようなわけですが」
「ちょうどいま、一ぱいやりに出かけようとしてたところなんだ、晩めし前にね。きみもつき合ってくれないか。アブサンはやるかね?」
「ええ、やりますが」
「じゃ、出かけよう」
彼は、いつブラシを当てたかわからないような山高帽を頭にのっけた。「晩めしをつき合ってくれてもいいだろう。なにしろ、きみには一回分晩めしの貸しがあるわけだからな」
「承知しました。で、お一人だけで、いいんですか?」
「もちろん、一人にきまってるさ。じつをいうと、もう三日ばかり、誰とも口をきいていないんだ。なにしろ、わしのフランス語ときたら、あまりぱっとしないんでね」
私は先に立って階段を降りながら、あの喫茶店の女とやらは、いったいどうなったのだろうか、と思った。もうけんか別れでもしたのだろうか、それとも、彼のほうで熱がさめてしまったのだろうか? しかし、もし彼がうわさにたがわず、一年がかりで、このむこう見ずな冒険をあえてする対策を講じてきていたとすれば、まさかそうは受けとれない。私たちはクリシ街まで歩いて、ある大きなキャフェの、テラスのテーブルの一つに陣どった。
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十二
クリシ街はその時刻になると、雑踏《ざっとう》をきわめていた。そこで、ちょっと空想をはたらかせさえすれば、道行く人たちの中にいくらでも、うらぶれたロマンスの主を発見することができそうだった。会社員、ショップ・ガール、バルザックの小説の中から抜け出してきたかのような老人、人間の弱味につけこんでかねをせしめることを商売にしている男女、といったような連中が右往左往していた。パリの貧民街の雑踏の中には、人の血をわき立たせ、いつなんどき、どんなことが起きるか知れないと人に思わせるようなエネルギーがみなぎっていた。
「パリはよく知っていらっしゃるんですか?」と私はきいた。
「いや、いちど新婚旅行で来たことがあるだけなんだが」
「じゃ、よくあんなホテルが見つかりましたね?」
「人が教えてくれたんだよ、どこか安宿はないかときいたらね」
アブサンが来たので、私たちは、誰でもそうするように、とけかかった砂糖の上におもむろに水を滴《た》らしにかかった。
「じつはさっき、ぼくのお訪ねしたわけをさっそくお話ししたほうがいいと、そう思うには思ったんですがね」と私はいくぶん、どぎまぎしながら切り出した。
彼の目がキラリと光った。
「なあに、わしのほうでも、そのうちに誰かやって来るだろうと思ってたんだ。エイミーからたびたび手紙も来てることだしね」
「それじゃ、ぼくの口上も、あらかた、ご存じのはずですね?」
「ところが、その手紙をまだちっとも読んでないんでな」
ちょっと間《ま》をもたせるために、私はタバコに火をつけた。この一件をどこから切り出したものかと私は迷った。あらかじめ、相手を説得することのできそうな哀願《あいがん》調や悲憤《ひふん》調の文句をいろいろ用意してきていたのだが、この街頭では、それがいくらなんでも場違いのような気がした。とつぜん、相手はクスリと笑った。
「きみもとんだ役目を引きうけてきたもんだね」
「いえ、決してそんなつもりは――」
「じゃ、きみ、さっさと話してくれたまえ。そいつがすんだら、今晩はひとつ、愉快に飲もうじゃないか」
そういわれて、私もちょっと戸惑《とまど》った。
「のんきなことをいってらっしゃいますが、奥さんの嘆きはそれこそたいへんなもんですよ」
「なあに、そのうち卒業するさ」
彼はとうてい正気とは思えぬほどけろりとした顔で、そう答えた。これには私もあきれ返ったが、それをつとめて色に出すまいとした。そして、牧師だった私の伯父のヘンリーが、親戚のだれかれに牧師補特別援護会への寄付をねだるときに使っていた猫なで声をまねることにした。
「それでは、ありていに申し上げて、さしつかえないでしょうね?」
彼はにっこり笑って、うなずいた。
「いったい奥さんのほうに、あなたからこういうしうちをされたってしかたがないような、なにか落度でもあったんですか?」
「ないよ」
「それでは、奥さんに何かご不満な点でも――?」
「べつにないね」
「じゃ、十七年も連れ添ってこられて、しかも奥さんに何一つ欠点がないのに、あんなふうにして捨てておしまいになるのは、いくらなんでもあんまりじゃありませんか」
「あんまりだな」
私はあっけにとられて、ちらと彼に目をやった。こちらのいい分をこういちいち素直に肯定されては、すっかり顔負けだった。これで私の立場は、こっけいとまではいかなくても、ますます厄介なものになった。私は、説得、哀願、勧告《かんこく》、説諭《せつゆ》、直諌《ちょっかん》はもとより、必要とあらば、憤然《ふんぜん》として相手を痛罵《つうば》するだけの覚悟さえしてきたのだが、罪人のほうでこう臆面もなく自分の非を認めるのでは、いかに高徳な聖者でもさじを投げるにきまっている。いっさいを否認するのがくせの私にとって、こういう経験ははじめてだった。
「で、それから?」と、ストリックランドがその先をうながした。
私はさも軽べつしたように、唇をゆがめた。
「いやもう、ご自身でそれだけお認めになっていれば、それ以上しいていうこともありませんよ」
「ま、そうだろうな」
こんな調子ではとうていお役目がはたせそうにない、と私は感じて、われながらいらいらしてきた。
「そんないい草ってないでしょう。いくらなんでも女を文なしで放り出すなんて、そんなまねはできないはずですよ」
「どうして、いけないのかね?」
「いったい奥さんはこれからどうして生活なさるんですか?」
「十七年間も養ってもらったら、もういいかげん気を変えて、自活したっていいんじゃないかな」
「そんなこと、できっこありませんよ」
「まあ、やらせてみるさ」
むろんこれにたいしては、私もいろんな反駁《はんぱく》を加えることができたであろう。たとえば、女の経済的地位だとか、男が結婚にさいして暗黙のうちに公然と承認しているはずの妻を扶養《ふよう》する義務だとか、そのほかいくらでもいい分はあったであろう。しかし、かんじんかなめの点は、たった一つだという気がした。
「じゃ、もう奥さんを愛していらっしゃらないってわけなんですか?」
「うん、鼻くそほどもね」
これは関係者一同にとって、きわめて深刻な問題だったが、なにしろ相手の答え方がいかにも人を食ったようなけろりとした調子だったので、私も思わずふき出しそうになり、それをこらえようとして、けんめいに唇をかんでいた。だが、これではいかんと、改めて彼の非道なやり口を思い出し、憤《いきどお》りの情をあらたにするような始末だった。
「まるでお話にならん! だけど、子供さんたちのことも考えてみる必要があるでしょう。子供さんに罪はないはずです。なにも生んでくれと頼んだわけじゃないでしょう。あなたみたいに何もかもふり捨ててしまっては、それこそお子さんたちは乞食《こじき》でもするほかなくなりますよ」
「あいつらはもう長年、楽な思いをしてきたんだ。世間並みの子供よりずっとね。それにまた、だれかが面倒をみてくれるさ。いざとなれば、マカンドルーの家から学資ぐらいは出してくれるよ」
「だけど、お子さんたちが可愛くはないんですか? どっちもほんとに、おとなしい、いいお子さんじゃありませんか。じゃ、ほんとに、あのお子さんたちとも、これかぎりきっぱり縁を切るつもりなんですね?」
「そりゃ、なるほど小さいときは可愛かったさ。でも今じゃ、もう大きくなってきて、かくべつどうってこともないよ」
「でも、人情って、そんなものじゃないでしょう」
「うん、まあね」
「それで、よく恥ずかしくないもんですね」
「うん、べつだん」
私はそこで、搦《から》め手から攻めてみることにした。
「それじゃ世間できっとあなたを人非人《にんぴにん》だと思いますよ」
「思わせとくさ」
「みんなに、いみきらわれ、さげすまれても、それでなんともないんですか?」
「ないな」
彼のそっけない答え方には、いかにも人を小バカにしたようなところがあったので、まともな私の質問がかえって間が抜けた感じだった。私は一、二分、じっと考え込んだ。
「でも、人間は世間の非難を身に感じながら、はたして心から愉快に暮らしてゆけるもんでしょうか? どうでしょう、やがてはそれが骨身にこたえてくるんじゃないですかね? だれだってある程度、良心というものがある以上、いつかはそれが頭をもたげてくるはずですよ。たとえば奥さんが亡くなられたとしても、あなたは良心の呵責《かしゃく》を感じないとおっしゃるんですか?」
彼は答えなかった。私はしばらく黙って相手の返事を待っていたが、とうとう根負けして、私のほうから切り出すほかなかった。
「何とかおっしゃったらどうですか?」
「きみは、よくよくの抜け作だ、というだけのことさ」
「しかし、どっちみちあなたは、否応《いやおう》なしに奥さんとお子さんの面倒をみなくちゃならんのですよ」私は、多少しゃくにさわって、そういい返した。「おそらく法律が放っときませんからね」
「いくら法律でも、まさか石ころから血をしぼりとるわけにはいかんさ。おれは文なしなんだ。あったところで、せいぜい百ポンドが関の山だよ」
私はますます狼狽《ろうばい》してきた。たしかに、彼の宿のようすから察して、その言葉にうそ偽りはなさそうだった。
「じゃ、そのかねを使いはたしたら、あと、どうなさるつもりなんですか?」
「働いて食べるさ」
彼はまったく落ち着きはらっていた。目にもやはり、こちらの詰問《きつもん》をいちいち小バカにしてるような、嘲笑《ちょうしょう》の色がうかんでいた。私はちょっと黙り込んで、さてこんどはどう出たものかと思案していた。だが、こんどは彼のほうが先手にまわった。
「なぜエイミーは再婚しないんだね? わりに若つくりのほうだし、器量だってまんざらわるくもないしさ。女房として申し分のないことは、わしが保証するよ。離婚する気なら、それだけの理由を、こちらでととのえてやったっていいんだぜ」
こんどは、私のほうでにやりとする番だった。ハハア、さすがの狸《タヌキ》も、とうとう本音を吐いたな。なにかいわくがあって、女をつれ出したという事実をひたかくしにかくしておきたいばかりに、いままでなんのかんのとごまかして、女のありかをくらまそうとしてたんだな。そう思って、私はピシャリと、こういつてやった――
「でも、奥さんは、たといあなたがどんなしうちをなさっても、絶対に離婚する意志はないとおっしゃってますよ。もうきっぱりとそうはらを決めていらっしゃるんです。だから、あなたのほうでも、今後そんな望みはきれいさつばりお捨てになることですな」
彼は愕然《がくぜん》として私を見つめた。たしかに意外だったのだ。その唇かられいのうすら笑いが消え、きまじめな口調で、こういった――
「そりゃまあ、きみ、わしとしてはべつだんかまわんがね。どっちに転んだって、このわしは痛くもかゆくもないからね」
私は吹き出した。
「さあ、そこですよ。こちらがいくらバカだからといって、そんな手にのると思ってもらっては困りますよ。あなたが女のひとを連れてきていらっしゃるぐらいなことは、もうちゃんとこっちの耳にはいってるんですからね」
彼はちょっとたまげたようすだったが、とつぜん大声を立てて笑いだした。バカでかい笑い声なので、まわりにすわっていた客がみんなこちらへふり向いた。中には釣られて笑い出すものもいた。
「なにもそんなにおかしがることないじゃありませんか」
「かわいそうなもんさ、エイミーのやつも」と、彼は白い歯を見せて、いった。
つづいて、彼の顔面に、さも苦々《にがにが》しげな軽べつの色がうかんだ。
「女ごころって、どうしてこうミミッチイのかなあ! 恋――あけてもくれても色恋だ。男に捨てられると、すぐほかに女ができたと思いこむんだよ。たかが女一匹のために、こんどのような思い切ったことをやるほど、このわしが間抜け男に見えるかね?」
「じゃ、奥さんを捨てたのは、女のためじゃないとおっしゃるんですか」
「あたりまえじゃないか」
「名誉にかけて、ですね?」
そのとき、なぜこんな文句を使ったのか、自分でもわからないが、われながらずいぶんあどけないことをいったものだと思う。
「うん、名誉にかけてだ」
「じゃ、いったい、なんだって家出なぞなすったんですか?」
「絵が描《か》きたいからさ」
私はいつまでも、じっと彼の顔に見入っていた。どうにも合点がいかなかった。正気の沙汰《さた》とは思えなかった。あらためていうと、その当時の私はまだほんの子供上がりだったので、私の目には彼が中年の大人《おとな》に見えていたのだった。それで、私はただもう開いた口がふさがらぬ思いだった。
「でも、あなたはもう四十でしょう」
「だからこそ、もうぐずぐずしてはおれんと思ったんだ」
「今までに絵をおやりになったことあるんですか?」
「子供のころから、できることなら絵|描《か》きになりたいと思ってたんだが、親父が、絵描きじゃかねにならぬといって、わしを無理やり商売の道へはめ込んでしまったんだよ。で、まあ、ここ一年ばかり前から、ぼつぼつ描きはじめて、その間ずっと、夜、稽古《けいこ》に通ってたんだ」
「じゃ、奥さんへは、クラブヘブリッジをしに行くといって、あなたが通ってらしたのは、そこなんですね?」
「そうだ」
「そうならそうと、なぜはっきりおっしゃらなかったんですか?」
「自分だけのことにしておきたかったからさ」
「で、描《か》けそうですか?」
「まだだめだな。しかし、そのうちに描いてみせるよ。だからこそ、こうしてパりくんだりまでやって来たんだ。ロンドンではわしの希望が達せられなかったからな。だが、ここなら、きっと、それがかなうと思うんだよ」
「でも、あなたのような年配からはじめて、はたしてものになるもんでしょうか? たいていなら、十八ぐらいから、はじめるんじゃないですか?」
「わしは十八のころより今のほうがおぼえが早いんだ」
「自分に才能があるかどうか、どうしておわかりになりますか?」
彼は即答をさけて、道行く人びとの群れにじっと目を当てていたが、かくべつそれを眺めているわけでもないらしかった。その答えもまるっきり答えになっていなかった。
「描《か》かずにはおれんからだ」
「そいじゃ、まるで雲をつかむようなもんじゃありませんか」
すると、彼はじっと私の顔を見すえた。その目が何かしら異様な色を帯びていたので、私もいくらか気圧《けお》されるような感じをおぼえた。「いくつだね、きみは? 二十三ぐらいかい?」
この質問はむしろ私から彼に発すべき質問のような気がした。私が運だめしをやってみるというのなら話はわかるが、彼はすでに青春を過ぎた人間で、安定した社会的地位と、妻と、それに二人の子供まである株式仲買人なのだ。私のような若者が画家を志したってべつだんおかしくはないだろうが、彼がそれを志望するのはバカげている。私はあくまで率直でありたいと思った。
「もちろん、奇跡が起こるってこともありますから、あなたが大画家になられないともかぎりません。しかし、ありていにいって、そういう望みは万に一つでしょうね。さんざん苦労したあげく、けっきょくだめだとあきらめなければならんようなことにでもなったら、それこそ取り返しがっかないんじゃありませんか」
「それでも、わしは描かずにはいられないんだ」と、彼はくり返した。
「じゃ、かりにあなたがこれから先どうしても三流画家以上のものになれないとして、それでもまだ、すべてをなげうっただけのかいがあったとお思いになりますか? つまり、それが他の職業のばあいだったら、これといった取り柄がなくたってかまいませんよ。ただ、それ相当の力さえあれば、ちゃんとりっぱにつとまりますからね。しかし芸術家となると、そうはいきませんよ」
「まったく、きみは大バカだね」
「どうしてですか? 自明の理を説くのがバカだというなら、話は別ですが」
「だから、描かずにいられないんだっていっとるじゃないか。この気持ちはわれながらどうしようもないんだよ。人間が水中に落ちたばあい、泳ぎが巧《うま》いとか拙《まず》いとかにかまっておられるかね。ともかく、なんとかして浮かび上がらんことには、ただ溺《おぼ》れ死ぬばかりじゃないか」
彼の声には真実の情熱がこもっていたので、私も思わず胸をつかれた。嵐のようなものが彼の胸の中で荒れ狂っているのが、ひしひしと感じられるような気がした。いわば、なにか強大な、圧倒的な力が、否応《いやおう》なしに彼をぐっととらえているような感じだった。私にはそれが何だか、見当がつかなかった。まったく、悪魔にでもとりつかれているようなふうで、それが今にも向き直って、彼のからだを八つ裂《ざ》きにするのではないかと思われた。そのくせ、彼はしごく平然とかまえていたのだ。こちらが探るような目で、彼の顔を穴のあくほど見つめていても、彼はいっこう意にかいさぬみたいだった。私はふと、猟師の着るような長い、ぶかぶかの上着を着て、埃《ほこり》まみれの山高帽をかぶった、ここにすわっているこの男が、知らない人間の目に、どう映っているだろうか、と思った。だぶだぶのズボン。垢《ほこり》まみれの手。剃刀《かみそり》を当てないので、顎《あご》のあたりには赤いごわごわのひげ。小ちゃな目。憎たらしいほどでっかい鼻。どう見てもぶざまで、野暮ったい感じの顔だった。口も大きく、唇も分厚で、情欲的だった。なるほどこれでは、私だってはじめて会ったら、どこの何者だか、かいもく見当もつくまいと思った。
「じゃ、どうしても、奥さんのもとへは帰らないとおっしゃるんですね?」と、もう一度、最後に私は念を押した。
「うん、どんなことがあってもね」
「でも、奥さんは、今までのことはいつさい水に流して、あらためて仲よくしてゆきたいとおっしゃっているんですよ。むろん、うらみがましいことなど、おくびにも出されないと思いますが」
「ふん、そんな手になぞのるもんか」
「じゃ、世間があなたを鬼みたいな奴だと思っても、かまわないとおっしゃるんですね? 奥さんと子供さんが乞食をされてもかまわないんですね?」
「ああ、庇《へ》とも思わんよ」
私はわざと、しばらく沈黙をつづけた後、言葉に重みをつけて、なるべくゆっくりと、こうきめつけてやった――
「いや、まったく、あなたという人は、どうにもこうにも、手のつけられない人非人《にんぴにん》ですねえ」
「いうだけのことをいったら、きみもこれで胸がすっとしたろう。じゃ、ぼつぼつ食事にでも出かけるとするか」
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十三
こういうあつかましい申し出は、怒りをそのまま面《おもて》に出して、きっぱり断わるのが当然だったと思う。あなたみたいな人でなしと同じ食卓にすわるなんてけがらわしい、そういってきっぱりはねつけてやりました、と帰って報告したら、少なくともマカンドルー大佐だけは、私の男を買ってくれたにちがいない。だが、元来私は、まじめくさった道学者|面《づら》で、いけしゃあしゃあと押し通すことなどできそうもないたちなので、そんな顔をするたんびに、ついこっちがてれくさくなってくるのだ。で、この場合にも、いくらこっちがいきまいたところで、しょせん、ストリックランドのような男には蛙《カエル》の面《つら》に水だと思うと、かえって、妙にてれくさくなってきて、ついそれを口に出しそびれた。そのうちにきっと百合《ユリ》の花が咲き出ると信じて、せっせとアスファルトの鋪道に水をやるなどということは、詩人か聖者ででもないかぎり、できない相談なのだ。
私は二人分の酒代を払って、いっしょに安いレストランへ出かけた。客がいっぱいで、にぎやかだった。二人ともたらふく食べた。私には若者の食欲があり、彼には恥知らずな人間のもつ食欲があったからだ。それからまた、酒場へ寄って、コーヒーとリキュールを飲んだ。
パリまで出かけてきた用向きについては、すでにいうべきことはすべていいつくしてしまっていた。これで尻尾《しっぽ》を巻くのはなんだかストリックランド夫人を裏切るような気もしたが、私には彼の非情さにとても歯が立たなかった。性こりもなく、おんなじことを三度もくり返すような女々《めめ》しいまねなど私にはとてもできなかった。そうと決まったら、せめてのことに、ストリックランドの心底《しんそこ》をできるだけ探ってみるのも、後日の参考になるだろう、と思った。また、そのほうが、私にはどんなにおもしろいかしれなかった。といっても、これはなかなか容易な業《わざ》ではなかった。ストリックランドがけっして能弁家ではなかったからだ。まるで言葉では自分の思うことが十分の一もいい表わせないかのような、もどかしげな話しぶりだった。だから、こちらは、相手のありふれたいいまわしや、なげやりな言葉や、あいまいでどっちつかずの身ぶりなどから、その真の意図を察するよりほか手がなかった。しかし、口ではべつに大したことはいわなくても、なにかしら非凡なものが、彼の個性の中にあることだけはたしかだった。真剣さ、とでもいうべきものかもしれなかった。[新婚旅行は別として]はじめて知ったパリにも、たいして関心はないふうだった。彼にとってはもの珍しいはずの風物にも、なんだという顔でいっこう目を見張るようすもなかった。私などは、もういく度もパリを訪れているくせに、来るたびに胸のときめきを禁じえないありさまで、その街々をさまようと、今にも何か思いがけないおもしろいことにぶつかりそうな気がしてならないのだ。ところが、ストリックランドときたら、あくまでのほほんと構えていた。ふり返って考えてみると、当時の彼は、何か幻《まぼろし》のようなものにたえず心をゆさぶられていて、それ以外のものは、いっさい目に映らなかったのであろう。
その晩、ちょっと意外なできごとがあった。酒場に数人の売春婦が来合わせていて、男といっしょなのや、仲間だけですわっているのがいた。やがて私は、女の一人が私たちに目を当てているのに気づいた。女はストリックランドの視線をとらえると、にっこり笑いかけた。だが、彼のほうはそれに気づかぬふうだった。女はいったん出ていったが、すぐまた引き返してきて、私たちのテーブルのそばに寄り、なにか飲物をご馳走してくれないか、といともしおらしくきいた。女がそのまますわりこんだので、私は相手になってむだ口をたたきはじめたが、女はあきらかにストリックランドに気があるようだった。この男はフランス語を片言しか知らないのだよ、と私は女にいいわけした。それでも女は、身ぶりに片言のフランス語をまじえて、なんとか彼に話しかけようとした。片言のほうがかえって彼に通じやすいとでも思ったらしい。彼だって片言の単語は五つや六つ知っていた。だが、それではどうしても通じないところだけ、すらすらとフランス語でいって、それを私に通訳させ、彼が何と答えたか、その内容を根ほり葉ほりききたがった。彼はきわめて愛想がよく、多少はおもしろがってもいるふうだったが、ちっとも気のないことはあきらかだった。
「どうやら、ものにしたらしいね」と私。
「そんなこといわれたって、ちっともうれしくないよ」
これが私だったら、もっとてれもしたろうし、どぎまぎもしたことだろう。女は、にこやかな目と、世にも魅惑的な口もとをしていて、おまけに年《とし》も若かった。女はストリックランドのどこに惚《ほ》れたのだろう、と私は思った。女は自分のいろんな希望をちっともかくそうとしないで、それを私に通訳しろ、というのだった。
「あなたといっしょにしけこみたいといってますよ」
「わしはそういうことはしていないんだ」と彼は答えた。
この返事に私はできるだけ色をつけて通訳した。すえ膳《ぜん》を食わぬはいささか失礼のような気もしたので、あいにく持ち合わせがないので応じかねるのだ、と女に伝えた。
「だって、あたし、このひとに惚れてんのよ。だから、そいってちょうだい――なにもオアシなんて目当てじゃないってね」
私がそれを通訳すると、ストリックランドは、ええい、うるさいわいとばかりに肩をすくめた。
「とっとと失《う》せるがいい、そういってやってくれ」彼のしぐさを見ただけで、返事の意味はいわずと知れていた。女はたちまち、ぐいと頭をのけぞらせた。厚化粧でわからなかったが、きっと赤面していたにちがいない。女はすっくと立ち上がった。
「|失礼しちゃうわ《ムシューネバポリ》」
女は酒場を出ていった。私までいささかしゃくにさわった。
「なにもあんなにまで侮辱《ぶじょく》しなくたっていいでしょう? 相手はむしろあなたに敬意を払っていたわけですからね」
「ああいう女を見ると、むかむかしてくるんだ」と彼は吐き出すようにいった。
私はあきれて、彼の顔を見つめた。そこにはたしかに嫌悪《けんお》の色がうかんではいたが、それでいてやはり、野性的な好色漢を思わせる顔つきなのだった。あの女が魅《ひ》かれたのも、おそらくこのような、ある種の野獣性だったのであろう。
「女がほしけりゃ、ロンドンだっていくらもいるはずだ。そんなものを求めて、わしはパリくんだりまでやって来たわけじゃないよ」
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十四
イギリスへ引き返す道すがら、私はストリックランドという人物について、いろいろ考えてみた。夫人に報告すべき点をいちおう整理しておきたいと思った。だが、その報告はいかにも実《み》のないもので、とうてい彼女の満足などえられそうもなかった。だいいち、私自身が不満だったからだ。ストリックランドはまったく得体《えたい》の知れない男だった。最初、どうして画家になろうという気を起こしたのか、その動機もよくつかめなかった。きいてみても、うまく答えられないのか、答えたくないのか、いずれにしてもはっきりしなかった。けっきょく、私にはわからずじまいになったのだ。彼の遅鈍《ちどん》な心にもやはり、知らずしらず、一種の反逆精神が芽生えて、それがついに爆発するにいたったのではなかろうか、といちおう思ってもみたが、それでは、彼がこれまで一度も、その単調な生活にしびれを切らしたようすがなかったというあきらかな事実に反することになる。だが、退屈でやりきれなくなった結果、わずらわしい浮世のきずなからのがれたいばかりに、画家になる決意をしたとでもいうのなら、それはわからぬこともないし、また、それなら世間にもざらにある、ありふれたことだ。しかし、ストリックランドをそんなありふれた男だとは、私にはどうしても思えなかった。あれこれ考えてみたあげく、なにしろ私はまだロマンティックな若僧だったので、われながらもってまわったような解釈だとは思ったが、ともかく自分としてはそうとしか考えようのない解釈を、彼の動機にたいしてくだすことにした。その解釈はこうだった――つまり、もとから彼の胸の中に、一種の創造本能が深く根をおろしていた。それが境遇が境遇なので、長いこと眠っていたところ、ちょうど癌《がん》が人体の組織の中でいつのまにか成長するように、容赦《ようしゃ》なく成長して、ついに彼の心を完全に掌握《しょうあく》し、彼をいやおうなしに行動にかり立てたのではないか、というのだった。たとえば、郭公鳥《カッコウドリ》が赤の他人であるほかの鳥の巣に卵をうみつけ、やがてそれがかえると、その雛《ひな》は他の乳兄弟たちをおん出して、あげくのはてに、お世話になったその巣までこわしてしまうように、である。
それにしても、創造本能が、こともあろうにこの鈍感な一株式仲買人にとりついて、やがては、おそらく彼自身を破滅にみちびくのみか、彼の家族をも不幸におとし入れることになろうとは、なんという運命のいたずらであろう。だが、考えてみるとこれは、神の見えざる手が富と権勢をほしいままにしている男たちの心をとらえて、昼夜の別なく執拗《しつよう》にそれをゆさぶり、ついにそれを征服して、彼らに浮世の歓喜も女への思慕も捨てさせ、忍苦にみちた僧院の禁欲生活を選ばしめるのとよく似た現象で、そうふしぎがることもないのではなかろうか。発心《ほっしん》は、人によっていろいろな形をとり、さまざまな経過をたどって現われてくるものである。人によって、すさまじい奔流《ほんりゅう》が岩をも一挙にして微塵《みじん》に打ち砕《くだ》くように、荒療治を必要とする場合もあれば、また、人によって、雨だれがたえまなく岩に穴をうがってゆくように、徐々に現われてくる場合もある。ストリックランドの転身には、狂信家のひたむきなところと、使徒のはげしい一徹さを思わせるものがあった。
しかし、現実の問題として、彼がいかに情熱のとりこになっていても、それに値するだけの作品がはたして描けるかどうか、まだ疑問である、と私は思った。私は彼がロンドンで夜間、画塾に通っていたという話をしたとき、そのころ仲間の画学生たちが彼の絵をどう思っていたか、ときいてみた。すると、彼は白い歯を見せて、こう答えた――
「みんな、本気だとは考えていなかったらしいよ」
「こちらでも、もうどこかアトリエへ通ってらっしゃるんですか?」
「うん、今朝もガミガミ野郎が――というのは教師のことだがね――そいつがまわってきて、わしの描いた絵を見るなり、ぴくりと眉を上げたきりで、そのまま行っちまいやがったよ」
そういって、ストリックランドはくすくす笑った。いっこうにしょげているふうはなく、仲間の意見など、てんで問題にしていなかった。
じつは、彼との交渉中に、私がいちばん手こずったのもこのことなのだった。世間にはよく、他人がどう思おうと平気だなんていう人がいるが、しかしそれはたいていの場合、心にもないうそっぱちだ。つまりそれは、とうてい誰にもわかりっこないとわかっている場合にかぎって、したい放題のことをするというだけの話なのだ。それに、せいぜいのところ、自分の周囲の人間の賛成という後盾《うしろだて》があるなら、多数の世人の意見に反した行動をとるのもあえて辞さない、という程度のことにすぎない。自分の属する一派のものたちの建て前がそうであるかぎり、世人の意見に反して行動することも、さしてむずかしくはないばかりか、かえって分不相応な自尊心さえ与えられる。つまり、危険をおかす心配なしに、おのれは勇気のある男だという自己満足が得られるのだ。だが、他人の気に入りたいという欲求は、おそらく文明人のもっとも抜きがたい本能なのではあるまいか。いわゆる新しい女なるものにかぎって、いったん世人から風俗|壊乱《かいらん》の非難攻撃を浴びると、いちはやく世間体という隠れ家へ逃げこむものである。だから、私は人が世間の評判なぞくそくらえだといっても、それを真《ま》にうけないのである。要するに、それはあさはかな強がりにすぎないからだ。どうせ尻尾《しっぽ》なぞつかめっこないんだから、世間がなんといおうと平気だ、というだけのことなのである。
ところが、ここに、世間の思惑《おもわく》もしきたりも、根っから問題にしない男がいるのだ。彼は、まるで全身に油をぬりたくったレスラーみたいなもので、まるでつかみどころがなく、あきれ返ってものがいえぬほど、野放図にふるまっているのである。私はストリックランドに向かって、こういったのをおぼえている――
「でもねえ、もしみんながあなたみたいな勝手なまねをしたら、世の中はなり立ちませんよ」
「そんなバカなことあるもんか。わしのまねをしたがるやつなんか、そうそういやしないよ。たいていの人間は、平々凡々な暮らしをして、それですっかり満足してるんだ」
また、一度はあてこすりもいってみた。
「どうやらあなたはこういう金言を信じていないらしいですね――汝の行為のすべてが普遍的法則となりうるように行為せよ、という奴をですね」
「ついぞ聞かんが、くだらんたわごとだな」
「ですけど、これはカント〔ドイツの哲学者〕のことばですよ」
「だれがいおうと、くだらぬ点では同じさ」
相手がこの調子では、いくら良心に訴えてみたところで、効果などあろうはずがなかった。まったく木によって魚を求めるにひとしい。私にいわせると、良心とは、社会が既成の秩序を維持するために編み出した掟《おきて》がとどこおりなく行なわれるように、人間の心の中にあって、たえずそれを見張っている番人みたいなものだ。つまり、各人の胸の奥に駐在して、違法行為を監視《かんし》している警官か、自我という城塞《じょうさい》の奥深く潜入しているスパイみたいなものだ。人間は他人の気に入りたいばかりに、非難されるのを極度におそれるので、不覚にもみずから求めて敵を城門の中へ引き入れるような羽目に陥ってしまうのだ。そういうわけで、良心は、おのが主人である社会のために、すこしでも人間が社会から逸脱《いつだつ》しようとする気配を見せたら、未然にその芽をつみとろうとして、昼夜の別なくたえず監視の目を光らせている。それはいやおうなしに、社会の利益を自己の利益に優先させる。それは個人を社会にしばりつける強固なくさりなのだ。かくて人間は、彼自身の利益よりも大であると信じている社会の利益に奉仕し、みずから好んで、苛酷《かこく》な主人につかえる奴隷のようなものになる。そのあげく、人間は良心を玉座にすえ、王さまが鞭《むち》をふるってその肩口を打ちすえても、えへらえへらと笑っている廷臣みたいに、かえって自分の良心の鋭敏さを誇るといったふうになる。そうなると、人間は良心の権威をみとめないやからを、口をきわめて罵倒《ぼとう》するようになる。今や社会の一員となりおおせた彼には、そういうやからが自分にとうてい刃向かうことができないのを、百も承知しているからだ。だからストリックランドが勝手なまねをしでかしたあげく、それを世間がなんといおうと、いっこうに不死身《ふじみ》なのがわかると、私としては人面獣心の怪物にでも出くわしたように、尻尾《しっぽ》を巻いて引きさがるより手がなかった。
別れにのぞんで、彼は最後にこういった――
「わしの尻を追っかけてもムダだ――そうエイミーにいってくれよ。どっちみち、そのうちにホテルを変える気だから、いくらさがしたって、見つかりっこないがね」
「でも、ぼくの感じでは、奥さんにとっても、あなたみたいな人とは別れたほうが、けっきょく、いいんじゃないかと思いますね」
「そこだよ、きみ、どうかその点を一つ、あれによくのみこませてもらいたいもんだな。しかし、女というやつは、よくよく阿呆《あほう》にできてるんでね」
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十五
ロンドンに帰ってみると、ストリックランド夫人から来た催促《さいそく》状が私を待ちうけていた。夕飯のすみしだいすぐ来てほしい、というのだった。行ってみると、夫人のほかに、マカンドルー夫妻が来合わせていた。ストリックランド夫人の姉にあたるこの婦人は、彼女にいくらか似ていないでもなかったが、彼女よりずっと老《ふ》けこんでいた。見るからに、しっかり者らしく、まるで大英帝国を一人で背負って立っているみたいな顔つきをしていた。とかく高級将校の細君連というものは、ほかのものたちよりは位がずっと上なんだという優越感から、そういう顔つきをしたがるものなのだ。動作もしゃきしゃきしていて、日ごろのりっぱなお仕込みのせいか、人間と生まれて軍人にならぬくらいなら、いっそ丁稚《でっち》小僧にでもなったほうがましだという信念を、べつだん隠そうともしなかった。しかし、近衛連隊の士官ばかりは、お高くとまっているので、虫が好かぬらしく、めったに訪ねてもこないその細君たちのことを、もってのほかだと思っているふうだった。身なりは金目のものを使っているくせに、野暮ったかった。
ストリックランド夫人は、はた目にもそれとわかるほど、落ち着きを失っていた。
「で、どんなようすでした?」と彼女はきいた。
「ご主人にお目にはかかりましたが、どうやら、もう二度と帰ってこられないつもりらしいですよ」と私はいってから、ちょっと間をおいて、「絵を描《か》きたいといわれるんです」
「まあ、なんですって?」と、ストリックランド夫人は腰も抜かさんばかりにおどろいて叫んだ。
「ご主人がその方面に強い関心をもっていらっしゃることに、いままで一度もお気づきにならなかったんですか?」
「やつ、すっかり気でも狂ったにちがいないぜ」と、大佐が叫んだ。
ストリックランド夫人はちょっと額に八の字をよせて、追憶のなかに何かをさがしもとめているようすだった。
「そういえば、結婚する前だったか、よく絵具箱をさげて、ぶらつきまわっていたことがありましたっけ。でも、その拙《まず》さったらありませんでしたわ。みんなで、いつもひやかしてましたのよ。絵心なんて、それこそ爪の垢《あか》ほどもなかったんですもんね」
「もちろん、そんなことただの口実にきまってるわよ」とマカンドルー夫人がいった。
ストリックランド夫人はしばらく思案にくれていた。私の報告を聞いても、彼女はあきらかに、なにがなんだかさっぱりわからないらしかった。
彼女のいかにも主婦らしい気持ちが当初の狼狽を制したためか、今では客間もだいぶ整頓されていて、こんどの破局後、はじめて私が訪ねていったときに見た、まるで長いこと貸し家にでもなっていたみたいな、あの荒《すさ》んだ感じはもはや影をひそめていた。だが、パリでストリックランドに会ってきた今では、もはや彼がこの部屋におさまっている姿を想像することが困難だった。それにしても、彼に、なにかしら周囲の者たちと一風変わったところがあることぐらい、彼らとしても多少気づかぬはずはなかったろうに、と私は思った。
「でも、絵描きになりたいならなりたいと、どうしてそれをいわなかったのでしょうねえ?」と、しばらくして夫人がきいた。「そういう――りっぱな目的があるなら、そういっちゃなんですけど、このあたしぐらい話のわかる女はいないつもりですのに」
マカンドルー夫人は、キッと唇を一文字に結んだ。彼女は妹が芸術家に傾倒《けいとう》しているのを、かねてから苦々しく思っていたらしい。彼女はいつも教養《カルチャー》という言葉を[カルチョー]と、わざわざさげすむような口調で発音していたのだ。
ストリックランド夫人はさらに言葉をつづけた――
「なんといったって、もしあのひとにそんな素質があるなら、あたしが真先にそれを育ててあげるところですわ。そのためになら、たとえどんな犠牲を払ってもかまわなかったと思いますのよ。仲買人などといっしょになるより画家と結婚したほうが、よっぽどましですものね。子供さえなければ、あたし、どんなことだってしますわ。チェルシーのむさくるしいアトリエに住んだって、けっこうこのうちにいるのと変わらないくらい、しあわせに暮らせますもの」
「まあ、あきれた!」と、マカンドルー夫人が叫んだ。「こんなバカげたこと、まさかこのひと、本気でいってるんじゃないだろうね」
「しかし、ぼくには、それがほんとだと思われますが」と、私はおだやかな声で口をはさんだ。
彼女は、おやまあという顔で、さげすむように私の顔を見やった。
「四十にもなる男がいまさら絵描きになるために、商売も妻子も捨てるなんて、そんなことがあるもんですか。そりゃきっと、その陰に女がいるにきまってますわ。ほら、あの――芸術上の話し相手とかいう女のだれかにひっかかって、その女のためにあの人の頭がおかしくなったにきまってますわ」
それを聞いたとたん、ストリックランド夫人の蒼《あお》ざめた頬に、ぽっと血の気がさした。
「その女って、いったいどんなひと?」
私はちょっといいよどんだ。それが爆弾的な宣言になることを承知していたからだ。
「女なんて、いやしませんよ」
マカンドルー夫妻は、まさかというように、おどろきの声を上げた。ストリックランド夫人は、はじかれたように立ち上がった。
「ほんとに、あなた、その女に会わなかったとおっしゃるんですか?」
「会おうにもなんにも、そんなひとなんかてんでいやしませんよ。ご主人はひとりっきりで暮らしていらっしゃるんですから」
「そんなはずがあるもんですか」と、マカンドルー夫人が叫んだ。
「だから、やっぱり、わしが出かければよかったんだ。わしなら、きっとその女をぞうさなく見つけ出してくれたんだが」
「まったくです、あなたに行っていただいたほうが、どんなによかったか知れませんね」と私はちょっと声をとがらせて、いい返した。「そしたら、あなたの、ご推測のまるっきり違っていることがおわかりになったでしょうからな。だいいち、あの方はハイカラなホテルなんぞにいやしませんよ。一間だけの、小さな部屋で、世にもみじめな生活をしてらっしゃるんです。家をとび出たにしても、なにも道楽がしたいからじゃないんです。現に、ふところだってほとんど無一文ですからね」
「じゃ、こちらの知らぬ間に、なにかしでかして、警察の目をのがれるために、身をひそめてるんじゃないかな?」
この憶測《おくそく》はみんなの胸に一条の希望の光を投げかけたようだが、私にはそんなことにかかずらう気がなかった。
「ですけど、もしそうだったら、いくらなんでも共同経常者に居所を知らせるような、そんなへまなまねしっこないですよ」と私は突っぱねるようにいい返した。とにかく、一つだけたしかな点は、あの方が女といっしょに逃げたんじゃないってことですよ。あの方は恋愛なんかしちゃいません。そんなこと、てんで眼中にないようですね」
みんなしばらく黙りこんで、私の言葉を心の中でかみしめているようだった。
「じゃ、もしそれがほんとなら」と、やがてマカンドルー夫人がいった。「問題はあたしが思ってたほど、面倒じゃないわね」
ストリックランド夫人は、ちらっと姉の顔に視線を投げたが、そのままなんともいわなかった。いまや彼女の顔はすっかり蒼白となり、秀でた額にも陰気な八の宇が寄っていた。私には彼女の気持ちが読みとれなかった。マカンドルー夫人が言葉をつづけた――
「そんな一時の気まぐれなら、いまにきっと目がさめるわよ」
「おまえ、なぜあの男のとこへ行ってやらないんだね、エイミー?」と大佐が意を決したようにいった。「一年ぐらい、パリであの男といっしょに暮らしたっていいんじゃないかな。子供たちの面倒は、こっちでみてやるよ。たぶん、あの男も気持ちがくさくさしてたんだろうさ。そのうち、きっとすっかり気を取り直して、ロンドンへ帰ってくるよ。なにもそう心配するほどのこともあるまいさ」
「あたしなら、そんなことしないで、あの人にしたい放題にさせとくわ。そのうち、すこすご帰ってきて、またもとのように、ちんまりと落ちつくにきまってるからよ」マカンドルー夫人はそういって、冷ややかに妹をかえりみた。「きっとあなたにも、あの人の気持ちをよくのみこめないふしがあったのね。男っておかしなもんよ。だから、女のほうでそこを上手にあしらわなくちゃね」
マカンドルー夫人もやはり、世間一般の女性と同じ考え方をしていた。男というものはいつも人でなしで、自分を慕う女をかえって袖《そで》にするが、しかしそんな目にあうのは、女のほうにも大いに責任がある、という考え方だ。つまり、人間は理外の理によって動くもの、というわけだ。
ストリックランド夫人は、じいっと、ひとわたり、三人の顔を見まわした。
「あのひと、もう二度と帰ってはこなくてよ」
「あら、だって、あなたもさっきの話、きいてたでしょ。あの人はいままで、縦のものを横にもしたことのない、世話の焼ける人だったのよ。だからきっと、そんなみじめな宿屋暮らしなど、もうじきいやになるにきまってるわ。それにおかねだってないんでしょ。そりゃもう、どうしたって帰ってこないわけにいかないわ」
「あの人がどこかの女といっしょに逃げてるのなら、まだ望みがある、そうあたし、さっきまでは思っていたのよ。だって、そんなこと、とうてい長続きするわけがないでしょ。三月もすれば、すっかりいや気がさすにきまってるわ。だけど、家出の原因が恋愛問題じゃないとしたら、あたしたちの間も、もうこれでおしまいね」
「いやはや、どうも、おそろしくうがった見方をするもんだなあ」大佐は軍人|気質《かたぎ》とはおよそ縁のない、こういう持ってまわったものの考え方を心から軽べつするように、言葉に力をこめて、そういった。「おまえだってそう思うだろ? きっといまに帰ってくるよ。そしてさっきもドロシーがいったとおり、ちょっとぐらいしたい放題のことをしたからって、それで身を持ちくずすなんてことはありゃしないさ」
「でも、あたし、もうあんな人に帰ってもらいたくないの」
「エイミー!」
ストリックランド夫人の心をとらえているのは、あきらかに怒りだった。その顔の蒼白さも、とつぜん彼女をおそった冷たい怒りのためだった。彼女はやがて、小さくあえぎながら、早口にまくし立てた。
「どこかの女に夢中になって、いっしょに逃げたとでもいうのなら、あたし、まだ許せると思うの。そういうことは、誰にでもありがちなことだからよ。むきになって角《つの》を生やしたりなんかしやしないわ。一時、女に迷っただけということで、すませると思うの。もともと、男って、とても甘いものだし、女ってとても破廉恥《はれんち》なもんだからよ。でも、こんどの場合は、それとちがいます。あたし、しんからあのひとを憎むわ。もう、どんなことがあったって、許しはしません」
マカンドルー大佐は、細君と二人がかりで、彼女をなだめにかかった。二人ともまったく意外だったのだ。とうてい正気の沙汰とは思えぬとまでいって、彼女をさとした。二人には彼女の心理がのみこめなかった。ストリックランド夫人は、それにはおかまいなしに、私のほうへふり向いて叫んだ――
「あなたには、わかっていただけますわね?」
「はっきりはわかりませんが、つまり、女のために奥さんを捨てたのなら、許してもやれるが、なにかそのほかの目的のために捨てたのでは許せない、とこうおっしゃるんですね? 要するに、相手が女なら、けっしてひけは取らないが、相手がその他のものでは、どうしようもない、とこうお考えになっているんでしょう?」
ストリックランド夫人は、さも小憎らしげに、ちらっと私を見たきりで、何とも答えなかった。私の言葉が急所を突いたのかもしれない。彼女は低い、ふるえ声で言葉をつづけた――
「あたし、いままで、まさかこんなにひとを憎むことができるとは、夢にも思いませんでしたわ。じつを申しますとね、たとえどんなに長く別れていても、あのひと、最後にはきっとあたしの手を求めるようになる、とそう思って、これまで自分を慰めてきましたのよ。あのひとも、死にそうになったら、きっとあたしを迎えによこすだろう。そしたら、とんで行って、母親のようにやさしく看護してやり、いよいよ臨終《りんじゅう》というときには、今までのことなんかちっとも気にしなくていいのよ、あたしはいつもあなたを愛していたの。これまでのことはいっさい、水に流しますから、とそういってやるつもりでいましたのよ」
毎度のことながら、女というものが、愛するものの死にさいして、どうしてこうもとってつけたみたいにやさしくふるまいたがるのか、私はその心理を解《げ》しかねて小首をかしげた。いや、それどころか、ときには、相手がいつまでも死なないで、女にこういう涙ぐましいシーンを展開する機会を与えようとしないのを、かえってうらめしく思っているかに見えることさえあるのだ。
「でも、もう――これで縁切れだわ。赤の他人もおんなじで、あんなひとがどうなろうと、あたしはかまわない。いっそ誰からも相手にされなくなって、乞食みたいにおちぶれ、飢え死にでもするといい。いまわしい病気にでもかかって、のたれ死にでもすればいい。あんな男とは、もうこれっきり手を切ります」
そこで私は、ストリックランドに頼まれていた離縁話をもち出したほうが、かえってよかろうと思った。
「ご主人のほうでは、離婚したけりゃ、いつでもそれに必要な手続きをしてやる、そういっておられましたが」
「そんな勝手なまねを誰がさせてやるもんですか」
「ご主人のほうでは、なにもたってというわけじゃないんです。ただ、そのほうが奥さんにとって都合がよければと、そう思われてるだけなんですよ」
ストリックランド夫人は口惜《くや》しそうに肩をすくめた。そのとき私は、ちょっと彼女に幻滅を感じたと思う。当時の私は、いまとちがって、人間というものをもっと首尾一貫したものと思いこんでいた。それだけに、かくもやさしい女性の心のうちに、かくもおそろしい執念《しゅうねん》深さが潜んでいるのを見て、唖然《あぜん》としたのである。一個の人格がいかに種々雑多な性質からなり立っているかが、私にはまだよくわかっていなかったのだ。一人の人間の心の中に、けちな了見《りょうけん》と雄大な気宇《きう》、悪意と善意、憎しみと愛、といったような相反するものが、となり合わせに存在しうることをしみじみ知ったのは、やっとこの年齢《とし》になってからである。
私は、ストリックランド夫人が、たえがたい屈辱の思いにさいなまれているのを見て、何とか慰めの言葉をかけてやる手はないものか、と思った。で、とりあえず、こういった――
「ねえ、奥さん、ぼくはたしかに、ご主人が自分の行動に責任をもちきれないような心境に追いこまれていらっしゃる、と思うんですよ。とうてい正気の沙汰とは思えないんです。お見うけしたところ、なにか物の怪《け》でも取りついて、それがあの人を意のままにあやつり、あの人はまるでクモの巣に引っかかったハエみたいに、自分の力ではいかにじたばたしても、そこからのがれることができないみたいなんです。いわば誰かがあの人に魔法をかけたような調子なんですよ。ほら、ときおり、ふしぎな話を聞くことがあるでしょう。一人の人間の心の中に、別な人格がはいりこんできて、もとの人格を追い出してしまうというようなね。ぼくはそれを思い出すんです。人間の心というものは肉体の中にしっかり安住してるわけじゃなくて、ふしぎにも、まったく別人のように変わることだってありうるんですね。これが昔だったら、チャールズ・ストリックランドに悪魔がのり移った、とでも世間がいうところでしような」
マカンドルー夫人はガウンのひざを撫《な》でおろした。その拍子に、金の腕輪が手首の上までずり落ちた。
「いろいろおっしゃいましたけど、あたしには、いかにも持ってまわった解釈みたいな気がしますわ」と、彼女はずけずけした調子でいった。「といっても、エイミーが夫というものを、すこし甘く見すぎたことだけはたしかだと思いますの。あのひとがあんなにも自分のことばかりにかまけていなかったら、いくらなんでも、どことなく変だってことぐらい感づいたはずですわ。あたしならアレックが一年あまりも何か心にかけていたら、きっとそれがピンとくると思います」
大佐は宙を見つめていた。私はその顔を見て、ずるそうなところのちっともない、こんなのんびりした顔つきって世の中にあるものだろうか、と思った。
「しかし、それだからといって、チャールズ・ストリックランドが血も涙もない情け知らずだということに変わりはありませんわ」彼女はキッとなって私を見やった。
「あの男がなぜ妹を捨てたか、おわかりですか――それはまったくの身勝手からで、それ以外のなにものでもありませんわ」
「ごくかんたんにいうと、たしかにその通りですね」と、私は答えたが、しかしそれだけでは、ちっとも事の真相を明らかにしたことにはならない、と思った。私は疲れているからといって、腰を上げたが、ストリックランド夫人はべつにそれを引きとめようともしなかった。
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十六
ストリックランド夫人は、その後の世渡りによって、彼女がいかにしっかり者であるかを立証した。胸のなかの悲痛な思いなど何一つおもてに表わさなかった。彼女は、世間が涙話にはすぐいや気がさして、悲嘆にくれている者を見ると、そっぽを向きたがるものだということを、いちはやく見抜いていた。彼女はどこへ出かけても――というのは、親しい人たちが彼女の不幸に同情して、しきりに彼女を招待したがったからだが――けっして、その健気《けなげ》な態度をくずすようなことがなかった。しかし、健気で、ほがらかだとはいっても、目にあまるような出すぎたまねはしなかった。そして、自分の苦労話よりは、むしろ他人の悩みに、すすんで耳をかたむけてやるというふうだった。夫のことを話すときも、けっしてわるくなどいわなかった。なぜ彼女が夫のことをくそみそにいわないのか、その心理が初め私にはのみこめなかった。ある日、彼女は私にこんなことをいった――
「ほら、いつかあなた、チャールズはひとりきりだとおっしゃいましたわね。だけど、それはたしかにあなたの勘《かん》違いだと思いますわ。それまで打ち明けるわけにはいきませんけど、ある筋から聞いたんですのよ。それによると、どうもあの人がひとりでイギリスを発《た》ったなんてはずありませんわ」
「もしそうだとすると、あの人はよっぽど跡《あと》をくらますのに妙を得ていらっしゃるということになりますね」
彼女は視線をそらせて、ちょっと顔を赤らめた。
「あら、そうじゃないのよ。ほんとは、もし人がこの点を問題にして、主人《たく》がどこかの女と駆《か》け落ちしたのだといっても、それはちがうなんてこと、おっしゃらないでいただきたいのよ」
「ええ、よござんすとも」
彼女はそういったきりで、なんでもないことのように、話題をそらせた。けれども、私はその後まもなく、とんでもない|噂《うわさ》《うわさ》が彼女の友だちのあいだに流れているのを知った、それによると、チャールズ・ストリックランドは、エンパイア劇場のバレーで見染めたフランス人の踊り子に惚《ほ》れこんだあげく、ついに手に手をとってパリへ逃げたというのだった。この噂《うわさ》の出所は私にはつかめなかったが、ふしぎにも、この噂《うわさ》話のおかげで、ストリックランド夫人は大いに世間の同情をあつめたばかりか、その身に相当な箔《はく》さえつくにいたった。しかもそれは、職業婦人として身を立てることになった彼女にとって、そうとう宣伝の役割をはたしてくれたのである。マカンドルー大佐がかつて彼女を文《もん》なしだといったのは、けっして誇張ではなく、彼女はあすといわず、きょうからでも生計の心配をしなければならなかった。
そこで彼女は、かねての知り合いであるいく人もの作家たちから仕事をもらうつもりで、さっそく速記とタイプを習いはじめた。教育のあるおかげで、彼女は普通のタイピストより腕も立ちそうだったし、また、身の上が身の上だけに、頼まれたほうでも、深く同情した。知り合いの作家たちは、自分の仕事を出してやることを約束したばかりか、ほかのあらゆる友だちにも紹介の労をとってくれた。
子供もなくて呑気《のんき》に暮らしているマカンドルー夫妻が、彼女の子供の面倒をみてくれることになったので、ストリックランド夫人は、自分ひとりの口さえしのげばよかった。そこで、彼女は自分のアパートの部屋を貸し、家財を売り払って、ウエストミンスターの小さな二間つづきの部屋に落ちつき、新生活の第一歩をふみ出すことになった。なにしろやり手なだけに、彼女が世間の荒波をみごとに乗り切ることを疑うものはいなかった。
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十七
この事件のあと、かれこれ五年もたってから、私はしばらくパリに住んでみる気になった。ロンドンでの生活にいや気がさしてきたからだ。毎日まいにち、おんなじようなことばかりしているのが、やりきれなくなったのである。友人たちはそれぞれなんの波乱もなく、思いおもいの道を歩んでいるだけなので、彼らは私にとって、もはや何の刺激にもならなかった。彼らがどんな話をするか、私には会ったとたんに、ほぼ見当がついた。彼らの色恋沙汰までが、何の奇もない退屈きわまるものだった。私たちは、いわば終点と終点のあいだを行きつもどりつしている電車みたいなもので、運転区間が短いだけに、毎日運んでいる客の数まで読めるといったような毎日を送っていた。要するに、判で押したような安逸《あんいつ》無比の生活だったのである。私はにわかに不安にとらわれ、そのあげく、小さなアパートの部屋を手離し、わずかな家財を売り払って、あらためて出直す覚悟をきめたのだった。
出発に先立って、私はストリックランド夫人を訪れた。久しぶりで会ってみると、彼女はすっかり変わっていた。老けこみ、やせて、しわがふえているばかりでなく、その性格まで一変した感じだった。商売が当たって、今ではチャンセリー・レイン〔フリート・ストリートとホルボーンを結ぶロンドンの狭い通り〕に営業所を出していた。自分ではほとんどタイプを打たないで、もっぱら雇っている四人のタイピストの仕事の訂正に当たっていた。上がりを少しでもきれいにという思いつきから、ふんだんに青や赤のインクを使ったり、印刷物の表紙に、ちょっとちりめんのように見える、いろんな淡色の、地の荒い紙を使ったりしていた。仕事がきれいで正確だというので、評判をとっていた。かねもしだいにできてきた。それでいて彼女は、稼《かせ》いで食うなんて、何となく体面にかかわるといった考え方を捨てきれず、なにかにつけて、自分が良家の出だということをにおわせたがり、話している間にも、知り合いの名士の名をいくつも並べ立てて、自分が社会的に零落《れいらく》していないということを相手にのみこませようとするのだった。自分の勝気と商才をむしろ恥じているふうなのにひきかえ、翌晩、サウス・ケンジントンに住むある勅選弁護士と晩餐の約束があるのを、ひどく得意がっていた。息子がケンブリッジに在学しているのが自慢のたねだった。また、娘も、まだ社交界へ出たばかりなのに、もうダンス・パーティの招待状が殺到していると、さもうれしそうにほほえみながら語っていた。そのとき私は、われながらずいぶんうかつな口をきいた。
「やがてお嬢さんもお店のほうをおやりになるんでしょうね?」
「まあ、とんでもない、まさかあの娘《こ》にあんなことさせるもんですか」と、ストリックランド夫人は答えた。「なにしろ親に似ぬ器量よしなので、きっといいところへ嫁《とつ》げると思いますわ」
「いえ、なに、ただちょっと奥さんのお力になられるだろう、とそう思っただけなんで」
「あの娘《こ》を女優にしては、とおっしゃる方がちょいちょい、いらっしゃいますのよ。だけど、まさかそんなこともさせられませんしね。おもだった劇作家は一人のこらず存じ上げていますから、そりゃ、こちらで頼めば、あしたからでも、けっこう役はつくと思いますのよ。でも、あの娘《こ》に誰かれの区別なしのおつき合いをさせるなんて、あんまり感心しませんものね」
ストリックランド夫人がいやに気位ばかり高いのには、私もいささか興ざめだった。
「で、ご主人のお|噂《うわさ》《うわさ》をお聞きになることでもありますか?」
「いいえ、あれっきりなんにも。きっと、もう死んだのかもしれませんわ」
「パリで、ひょっこり、お目にかかるようなことがあるかもしれませんが、なんでしたら、こちらへごようすをお知らせしましょうか?」
彼女はちょっと返事をためらった。
「もしあの人がなにかほんとに困っているようでしたら、少しぐらいは助けてやってもかまいませんけど。あなたのもとへ、いくらか送りますから、それを必要に応じて、あの人に少しずつ渡すということにでもしてね」
「そうですか、それはどうもご親切に――」と、私は答えた。
だが、その言葉が親切から出たものでないことは、見えすいていた。艱難《かんなん》汝を玉にす、というが、あれはうそだ。幸福は、たまに、そういう作用をすることもあるが、不幸はたいてい、人間をけち臭く、執念《しゅうねん》深いものにするのが関の山なのだ。
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十八
はたして、パリにやって来てまだ二週間にもならぬうちに、私はひょっこりストリックランドと顔を合わせた。
到着早々、私はダーム通りの、あるアパートの五階に小部屋を見つけ、二百フランほど出して古道具屋から、どうにか住めるだけの家具を買い入れた。アパートの管理人にかけ合って、朝のコーヒーの支度《したく》と、部屋の掃除をしてもらうことに話をきめ、それから、友だちのダーク・ストルーヴを訪ねていった。
ダーク・ストルーヴという男は、その顔を思い出しただけでも、バカにしてプッとふき出したくなるか、でなければ、うんざりしてピクリと肩をすくめたくなるか、そこは人によってちがうだろうが、ともかく、そういうような人物の一人だった。いわば天性の道化《どうけ》役者みたいな男だったのである。職業は画家だったが、それがまたあきれるほどのへぼ絵描きだった。私が彼にはじめて会ったのはローマだったが、その当時の絵をいまだに私はよくおぼえている。絵はがきみたいな安っぽい画題にいつも大まじめで取り組んでいた。彼はスパーニャ広場の、有名なベルニーニの設計した石段のあたりをそぞろ歩きしている人びとの姿を、そのいかにも絵でございといった場面にも臆《おく》する色なく、芸術的|陶酔《とうすい》に胸をときめかせながら、一心に描きつづけていた。彼のアトリエには、頂きの尖《とが》った帽子をかぶった、口ひげの濃い、目の大きな貧農たちや、見るからにいたずららしい、ぼろを着た腕白小僧どもや、あざやかな色をした下袴《ペティコート》をつけた女たちなどの絵がごろごろしていた。そして、その図柄も、それらの人物が、教会の石段によりかかって休んでいるところだとか、拭《ぬぐ》ったような青空を背にした糸杉の木立の間であそび戯れているところだとか、ルネサンス風の泉のほとりで愛をささやき合っているところだとか、牛車のわきについて、カンパニヤの広野〔ローマ付近の平野〕をさすらっているところだとか、およそ相場がきまっていた。しかもその描線《びょうせん》と彩色が、ともに写真も顔負けするほど、じつに入念で正確だった。ヴィラ・メディチにいた画家の一人は、彼を[チョコレート箱の画家]と呼んでいたものだ。彼の絵をながめていると、まるでモネや、マネや、その他のすぐれた印象派の画家たちが、かつて画壇に存在しなかったかのような錯覚さえもおぼえるのだった。
「わたしはなにも、いっぱしの面家気取りでいるわけじゃないよ」と、彼はいった。「ミケランジェロのような天才でないことはわかりきってるが、それでも多少の取《と》り柄《え》はあるさ。だいいち、わたしの絵は売れるんだよ。つまり、あらゆる種類の人たちの家庭ヘロマンティックな雰囲気をもちこんでいるわけさ。いいかね、わたしの絵は、オランダだけじゃなくて、ノルウェー、スウェーデン、デンマークあたりにまではけるんだよ。買い手はおおかた貿易商や裕幅な商人たちなんだ。ああいう国々の冬ときたら、まるで想像もつかないほど、長くて、暗くて、寒いんだね。だから、みんなイタリアをわたしの絵のようなところだと思って、あこがれているわけさ。わたしだってこちらへ来るまでは、やっぱりイタリアにあこがれてたからな」
これまでたえず彼につきまとって、その目を眩《くら》まし、真実を見る目をおおってきたのは、まさしくこの幻影だったと思う。だからこそ、彼の心の目は、厳しい現実を見つめようとしないで、あいもかわらずイタリアのロマンティックな山賊や、絵のように美しい廃墟《はいきょ》のおもかげばかりを追ってきたのであろう。彼が描いたのは、いわば一種の理想像であった。月並みで、棚ざらし品さながらの、いっこうに見栄《みば》えのしないものではあったが、それでもやはり一種の理想像にはちがいなかった。しかし、それが彼の性格にはっきりと一種の魅力を与えていた。
その魅力を感じていたからこそ、私はほかの連中の尻馬にのって、ダーク・ストルーヴを単なる嘲笑の的《まと》にする気にはなれなかった。画家仲間は彼の絵にたいする軽べつの気持ちをちっとも隠そうとしなかった。そのくせかねに困ると、いつなんどきでも遠慮なしに、実入《みい》りのいい彼のふところを当てにしていた。そこへもって来てまた、彼は気前がいいときているので、そういう連中は、泣き言さえいえばすぐそれを真《ま》にうける彼の純真さをいいことにして、あつかましく彼からかねを借りうけていた。彼はまたいたって涙もろい性《たち》だが、いともかんたんにほろりとなるので、それが相手にはかえって滑稽に感じられ、厚意にはあずかっても、いっこうに感謝する気になれないのだった。
彼からかねを巻き上げるのは、まるで子供からかねをせしめるみたいに、いともやさしいことなので、巻き上げたほうで、かえってその間抜けさかげんをあざけりたくなるほどだった。察するに、掏摸《すり》も、指先の器用さを売り物にするほどの大物になると、タクシーの中に、ありったけの宝石を入れたハンドハッグを置き忘れてゆくようなとんまな女性には、むしろ一種の義憤《ぎふん》をさえ覚えるにちがいない。彼は生まれつき、いわば世間の笑いものだったが、そのくせ因果《いんが》なことに、けっして鈍感な男ではなかった。だから、たえず自分をなぶり者にしようとかかる悪ふざけはもとより、悪気のない冗談にたいしても、ひどくそれを気に病《や》んでいた。にもかかわらず、まるで自分からわざとそうするのかと思えるほど、性《しょう》こりもなく、始終そういうものの前に身をさらしていた。こうしてたえず心を傷つけられながらも、やはり根が底抜けのお人好しなので、どうしても人をうらんだりする気になれなかった。たとえば、毒蛇にかまれてもいっこうにこりるすべを知らず、傷が直るとすぐまた、そいつを胸元にやさしくかき抱く、といったあんばいだった。彼の日常は、いわばどたばた喜劇のかたちを借りた一編の悲劇だった。そしてたまたま、そういう彼を私だけがなぶり者にしなかったので、彼はそれをありがたがり、私の耳へ、日ごろの積もりつもった愚痴《ぐち》のかずかずをながながと語り聞かせるのだった。ところが、なんとも気のどくなことに、それがまた頓狂《とんきょう》な話ばかりなので、涙ぐましいものになればなるほど、こっちはますますおかしくてたまらなくなる始末だった。
自分ではへぼ絵描きのくせに、絵にたいする彼の鑑賞眼はきわめて鋭敏だった。だから、彼と画廊を訪れるのは、このうえなくたのしかった。だれの作品でも、長所は心から礼賛するし、短所は容赦《ようしゃ》なくきめつけるといったふうで、一方に偏した態度はけっしてとらなかった。ひと昔まえの大家の価値も、正しく見きわめていたし、現在の画家にも深い理解をもっていた。また、ひと目で才能を発見する慧眼《けいがん》をもち、それにたいして賛辞を呈するにけっして吝《やぶさ》かではなかった。私はいまだかつて、彼の右に出るほどの批評眼の持ち主に出会ったためしがないように思う。そのうえ、一般の画家より、もひとつ教養も高かったので、彼らの知らない、絵とつながりのある他の芸術部門にも通じていた。音楽と文学を解することによって、絵を見る彼の目は、いっそう深みと変化を加えていた。私ごとき若輩にとっては、彼の助言と手引きはこの上なく貴重なものであった。
ローマを去ってからも、私は彼と文通をつづけ、ふた月に一度ぐらいの割りで、彼から怪しげな英語で書いた手紙をもらい、そのつど、手まねをまじえ、口角泡《こうかくあわ》をとばして、やっきとなって語る彼のようすをありありと目に思い浮かべたものだ。彼は、私がパリにやって来るしばらく前に、あるイギリス婦人と結婚して、今ではモンマルトルのアトリエに落ち着いていた。もう彼にも四年ほど会っていなかったので、その細君に会うのは、もちろんこんどがはじめてだった。
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十九
私がパリヘやって来たことを、まだストルーヴに知らせてなかったので、アトリエのベルを鳴らすと、彼みずからドアを開けたくせに、はじめちょっと私が誰だかわからなかったようすだった。だがすぐ、うれしそうに驚きの声を上げて、私を中へ引き入れた。こんなに心底からよろこんで迎えてもらうと、誰だってうれしいにきまっていた。細君はストルーヴのそばでせっせと針仕事をしていたが、私がはいって行くと、さっそく立ち上がった。ストルーヴが私を細君に紹介した。
「知ってるだろう、おまえも?」と、彼は細君にいった。「しょっちゅう噂《うわさ》をしてるからな」そういってから、こんどは私に、「それにしても、いったいどうして、来るなら来ると知らせてくれなかったんだね? いつ来たんだい? して、いつまでこちらにいる予定? どうして、もう一時間ばかり早く来てくれなかったのかね? そしたら、いっしょに食事ができたのにさ――」
それから彼は、堰《せき》を切ったように、いろいろと私にたずねるのだった。私を椅子にかけさせ、まるでクッションかなんぞのように、私のからだをやさしくたたいたり、葉巻だの、ケーキだの、ブドウ酒だのを、やたらとすすめたりした。片時もないがしろにはできぬといった調子だった。それから、あいにく家にウィスキーがないといってしょげ返るやら、コーヒーでも作ろうかというやら、ともかくなんとかして私をもてなしたいと、やっきになって気をもんでいた。そして、たえず目を輝かせたり、笑ったりしながら、うれしさのあまり顔じゅうにびっしょり玉のような汗をかいていた。
「久しぶりだけど、きみはちっとも変わってないね」と、私は彼を見やりながら、微笑していった。
そのこっけいな顔かたちは、このまえ見たときとそっくりな感じだった。脚の短い、太った小男で、まだ若いくせに――たしかまだ三十前のはずだったが――もう頭がつるりとはげ上がっていた。お月さまみたいな円顔《まるがお》で、すこぶる血色がよく、肌《はだ》の白いところへ、頬と唇が真赤だった。顔に似て、やはり丸っこい青い目に、大きな金縁の眼鏡をかけていた。眉毛はごくうすい色の金髪なので、見た目には、あるかなしの感じだった。まるで、ルーベンスの描いた、陽気な太っちよの商人そっくりの男だった。
私はしばらくパリに落ち着くつもりで、アパートの一室を借りうけたと話すと、じゃ、どうしてそれを知らせてくれなかったのかといって、さんざん私に文句をつけた。ちょっと知らせてくれさえすれば、こっちの手でアパートも見つけ、家具も貸し、引っ越しの手伝いだってしてやったのに――それを、わざわざかねを出して家具まで買うようなバカ者がいるか、といって私をなじった。こちらに少しも手伝いをさせないなんて、ずいぶん水臭いではないか、とむきになって私を責め立てた。その間じゅう、ストルーヴ夫人は無言のまま、ひっそりと靴下を繕《つくろ》いながら、唇におだやかな微笑をうかべて、じっと夫の言葉に耳を傾けていた。
「それはそうと、ごらんのように、わたしはこのたび結婚したんだが」と、彼は不意にいった。「このお嫁さんをどう思うかね、きみ?」
彼は細君に晴れやかな微笑を投げかけながら、眼鏡を鼻柱の上へせり上げた。汗のために、眼鏡がたえずずり落ちてきたからだ。
「さあ、いったい、なんとごあいさつ申し上げたもんかな?」と、私は笑いながらいい返した。
「まあ、あなたったら――」と、ストルーヴ夫人が苦笑しながら口をはさんだ。
「だってあんた、ほんとにすてきだろう? なあ、あんたも、もうぐずぐずしてないで、さっさと結婚するんだね。わたしは世の中でいちばんの果報者さ。ほら、ああしてすわってるところを見てごらん。あのままで、さながら一幅の絵じゃないかね? シャルダンの肖像画そっくりってところかな? わたしもこれまでいろいろ絶世の美人なるものを見てきたが、マダム・ダーク・ストルーヴ以上の美人には、いまだかつてお目にかかったためしがないね」
「もうおよしなさいってば。さもないとあたし、席をはずしてしまうわよ」
「|わたしのかわいいひと《モン・プティ・シュ》――と、彼はいった。
その語調の中にこもった熱っぽいものにハッとして、彼女はちょっと顔を赤らめた。彼の手紙で、細君に首ったけなのはあらかじめ承知していたが、会ってみると、いかにも細君からほとんど片時も目を離すことができないといったふうだった。しかし、彼女のほうでも彼を愛しているのかどうか、それは私にはわからなかった。いわば悲しい道化役だけに、彼はけっして女の恋心をたかぶらせるような男ではなかったからだ。だが、彼女の目にうかぶ微笑にはやさしさがこもっていたし、また、ひょっとすると、その控え目な態度のうちに、かえって深い気持ちが隠されているのかもしれなかった。恋のとりことなった彼の目に映っているほどの、そんな魅惑的な美人ではなかったが、しかし品のある、整った顔立ちをしていることはたしかだった。背はやや高目で、地味な、きりっとした仕立てのグレーの服が彼女の肢体の曲線美をはっきりと示していた。衣装屋よりむしろ彫刻家好みの肢体だった。ゆたかな茶色い髪を無造作につかね、顔色は蝋《ろう》のように青白く、目鼻立ちは派手でこそないが、よく整っていた。目は柔らかい灰色だった。要するに、いまひとつで美人になれるところを、惜しくも逸したばかりに、きれいな人にもなりそこねた、という感じだった。しかし、ストルーヴが彼女をシャルダンの絵にたとえたのは、必ずしもでたらめではなかった。彼女をながめていると、この巨匠の傑作である、室内用の頭巾をかぶり、エプロンをかけた、あのかいがいしい主婦の肖像画が、ふしぎと思い出されてくるからだ。私には、ストルーヴ夫人が鍋釜《なべかま》の間でしとやかに立ち働き、さながら一定の儀式でもとり行なうように、ひとつひとつ台所の水仕事をとり片付けて行くうちに、おのずとその仕事までが何かしら一種の精神的意義をおびてくる、といったような場面が目に浮かんでくるのだった。私はべつだん彼女を利口だとも、また、むろん気さくな性《たち》だとも思わなかったが、それでいて、彼女のいかにも一本気らしいところに、何かしらひかれるものがあった。だが、そのきわめて控え目な態度には、どこか解《げ》せぬふしがないでもなかった。どうしてこの女がダーク・ストルーヴと結婚したのか、ちょっとふしぎな気がした。イギリス人だというが、どこの出身なのだか、私にははっきりつかめなかった。どんな階級の出なのか、どういう育ちなのか、また、結婚前は何をしていたのか、その辺のところもはっきりしなかった。おそろしく無口だったが、いったん口をきくとはきはきしていて、その物腰にもわざとらしいところがなかった。
私はストルーヴに、今もさかんに描いているのか、ときいた。
「描いてるどころか、前よりむしろ手が上がったんだよ」
私たちはアトリエにいたのだが、彼は手を振って、画架にのっている描きかけの絵をさし示した。それを見て、私はいささか面くらった。あいもかわらず、カムパニヤ風の身なりをした一団の貧農たちが、ローマ教会の、石段によりかかって休んでいるところが描いてあったからだ。
「これは目下制作中のものなのかね?」と、私はたしかめた。
「そうだよ、モデルはローマに限らず、パリにだってごろごろしてるからね」
「とてもきれいだとお思いになりません?」と、ストルーヴ夫人がいった。
「家内《これ》は知らぬが仏で、このわたしを大家だと思いこんでいるんだよ」
彼はそういって、てれかくしに笑ったが、内心の喜びはつつみきれなかった。その目を自分の作品からいつまでも離そうとしなかった。他人の作品については、あれほど的確で、伝統にとらわれることのない彼の鑑賞眼も、ひとたびわがこととなると、こうも狂って、月並みで俗悪なものに満足しているのかと思うと、ふしぎでならなかった。
「もっとお目にかけたら、どうですの?」と、ストルーヴ夫人がいった。
「じゃ、そうするかな」
あれほど仲間の嘲笑を苦にしながら、やはりダーク・ストルーヴは、ほめられたい一心と、おろかな独りよがりから、自分の作品を人に見せずにはいられないのだった。彼はやがて、巻き毛の頭をした、イタリア人のいたずらっ児が、二人でおはじきをしている絵を持ち出してきた。
「可愛いいでしょう?」と夫人がいった。
つづいて、そのほかの絵も見せてくれた。パリに来てからもやはり、数年間ローマで描きつづけていたのとまったく同じ手法で、いかにも絵でございといったような代物《しろもの》ばかり描いていることがわかった。どれもこれも、絵空事で、偽善的で、表面をとりつくろった作品ばかりだった。それでいてしかも、ダーク・ストルーヴほど、世の中において、正直で、誠実で、ありのままにものを見る男はいないのだった。この矛盾はおそらくなんびとにも解けない謎《なぞ》であろう。
どういう風の吹きまわしでそういう気になったのか、われながらはっきりしないが、私はそのとき、ふと、こうきいてみた――
「ねえ、きみ、なにかのはずみで、チャールズ・ストリックランドという絵描きに出会ったことないかね?」
「おどろいたな、これは。あんたもあの男を知ってるのかい?」と、ストルーヴが叫んだ。
「あんないやな人ってないわ」と、細君が口をはさんだ。
それを聞くと、ストルーヴは笑い出した。
「|わたしの大事なひと《マ・ボープル・シェリ》」彼はわざわざ細君のところへ立っていって、その両手に接吻した。「これはあの男がきらいなんでね。それにしても、あんたがあの男を知っていようとは夢にも思わなかったよ」
「あたし、無作法なのはきらい」とストルーヴ夫人がいった。
それでもまだダークは笑っていたが、やがて私のほうへ向いて、そのわけを語りはじめた――
「じつは、このまえ、あの男に、うちへ来て、わたしの絵を見てくれといったんだ。すると、やって来たんで、あの男にありったけの絵を見せたってわけさ」そこまでいうと、ストルーヴはさも間《ま》のわるそうな顔をして、ちょっと口をつぐんだ。なぜ彼がそういうバツのわるい話をしだしたのかわからないが、とにかく、それを話し終えるまで気まずい思いをしていたようだった。「で、まあ、見てはくれたんだが――その、つまり、わたしの絵をだね、見ただけで、なんにもいわないんだ。それで、全部見てしまうまで、批評をさし控えてるのかと思い、いちおう見終わってから、さあ、これで全部だ、と念を押したんだよ。するとあの男は、いうにこと欠いて、じつをいうと、きみに二十フランばかり貸してもらいたくってやってきたんだ、と、こうなんだよ」
「それなのに、この人ったら、断わりもしないで、そのおかね貸してやったんですのよ」と、細君がそばから、さも腹立たしげに口をはさんだ。
「わたしもさすがにあいた口がふさがらなかったが、そうかといって、思い切って断わる気にもなれなかったんだ。すると、あの男はその金をポケットにねじこんで、ちょっと頭を下げ、ありがとうといったきり、そのまま。ぷいと帰ってしまったのさ
鳩が豆鉄砲をくらったみたいにぽかんとした表情をうかべて、この話をするダーク・ストルーヴの、丸い、間のびのした顔つきを見ていると、つい、こちらはふき出しそうになってくるのだった。
「拙《まず》けりゃまずいで、そうあっさりいってもらったほうが、こっちはかえって気がすむんだ。ところが、それこそ、ひとっこともいわないんだね。これにはわたしもまいったよ」
「しかも、あなたはそのいやな話をご自分から進んでなさるんですからね」と、細君がたしなめるようにいった。
われながら嘆かわしい次第だが、ストリックランドの心ないしうちに憤慨するよりも、むしろこのオランダ人のこっけいな表情をおかしがる気持ちのほうが先に立つのだった。
「あたし、もう二度とあんな人の顔なんか見たくないわ」と、ストルーヴ夫人がいった。
ストルーヴはにっこり笑って、肩をすくめた。もうすっかり機嫌《きげん》を直していたのだ。
「しかし、なんといってもやっぱり、あの男は偉い絵|描《か》きさ、それこそまれに見る、ね」
「ストリックランドが偉い絵描きだって? じゃ、きっと人違いだよ」
「赤い顎《あご》ひげの大男で、チャールズ・ストリックランドっていうイギリス人だぜ」
「ぼくの知ってた当時は、あごひげなど生やしていなかったが、生やしたとすれば、やっぱり赤いだろうね。でも、ぼくのいうストリックランドは、絵を習いはじめて、まだやっと五年ぐらいのもんなんだよ」
「じゃ、たしかにその男だな。まったく、大したもんさ」
「まさかね」
「あんた、今まで一度だって、このわたしが目きき違いをしたためしがあるかね? あの男は天才だ。たしかにそうなんだよ。これから百年もして、もしあんたやわたしの名まえがいくらかでも世に残ってるとしたら、それはただチャールズ・ストリックランドを知ってたからだ――なんてことになるかもしれんぞ」
私はまったく意外だったが、やはり強く胸を打たれた。そして、ふと、このまえ彼に会って話したときのことを思い出した。
「で、あの男の作品はどこに出てるんだね?」と、私はきいた。「とにかく成功してるわけなんだな? それで、いまはどこに住んでるのかね?」
「とんでもない、ちっとも成功なんかしてやしないよ。おそらくまだ一枚だって売れたためしはあるまい。あの男の話なぞしようもんなら、人に笑われるのが|おち《ヽヽ》だよ。だが、わたしには、あの男が偉大な画家だってことがちゃんとわかってるんだ。あれだけの腕を持ちながらマネだってやっぱり笑われたし、コローだってやはり一枚も売れなかったんだよ。いま、どこに住んでるのか知らんが、なんなら連れてって会わせてやるよ、あの男は毎晩七時ともなると、きまってクリシ街の、あるキャフェにやって来るんだ、よければ、あすの晩にでもいっしょに行ってみてもいいよ」
「だけど、むこうで気持ちよくぼくに会ってくれるかどうか疑問だね。ぼくの顔を見ると、忘れたいと思っている昔のことが、あの男のあたまに浮かんでくるかもしれんからな。しかし、ま、とにかく行ってみよう。ところで、あの男の絵をどれか一つ、なんとかして見るわけにいかんかね?」
「あの男に頼んでみたって、そいつはだめだ。一枚だって見せっこないよ。だが、さいわい、わたしの知り合いの、ささやかな画商で、あの男の絵を二、三枚持ってるのがいるんだ。しかし、あんたひとりで行くのはよせよ、とてもわかりっこないからね。いっしょについて行って、わたしが説明してやらなきゃだめだよ」
「ねえ、あなた、あたし、あなたのお話を聞いてると、じりじりしてくるのよ」と、ストルーヴ夫人。「あれほどひどいしうちをうけながら、性《しょう》こりもなく、あんな男の絵をよくもそんなふうにいえたもんね」そういってから、彼女は私のほうへ向き直り、「じつを申しますとね、いつかオランダ人が五、六人で、宅へ、このひとの絵を買いにきましたのよ。そうすると、このひとったら、自分の絵は棚に上げて、しきりとストリックランドの絵を買うようにすすめますの。そして、ぜひ見てくれといって、わざわざ自分でその絵を取りに行ってくる始末なんですわ」
「じゃ、奥さん、あなたはその絵をどうお思いになりましたか?」と、私はほほ笑みながらきいた。
「とてもひどい絵でしたわ」
「まあまあ、そんな――おまえにはわからんのだよ」
「でも、あのオランダ人だって、あなたがあんな絵を見せたといって、かんかんに怒ってたじゃないの。きっと、あなたがからかってると思ったのよ」
ダーク・ストルーヴは眼鏡をはずして、玉をかわるがわるふいた。興奮のあまり、上気した顔がてらてらと光っていた。
「いったい、美というものはね、この世でいちばん貴重なものだけに、ぼんやり通りすがっても造作なく拾えるといった浜の小石みたいなもんじゃないんだよ。それは、芸術家がこの混沌《こんとん》とした世界から、苦心に苦心を重ねて、創り出してくるものなんだ。だけど、その美を見分けるだけの力が、万人に与えられているというわけのもんじゃないんだよ。美を認識するためには、芸術家の味わった苦しみを、こちらでも重ねて味わってみなくちゃならないんだ。つまり、美は芸術家の歌う美しいメロディーのようなものだ。だから、こちらの心の耳でそれをそのまま聞き分けるには、こちらにもそれだけの知識や感受性や想像力が必要になってくるんだね」
「じゃ、ダーク、どうしていつもあたしには、あなたの絵が美しく思えたのかしら? あたし、さいしょ、ひと目見ただけで、すばらしいと思ったのよ」
ストルーヴの唇がかすかにふるえた。
「ねえ、おまえはもうおやすみ。わたしはこの人とちょっと散歩して、すぐ帰ってくるからね」
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二十
ダーク・ストルーヴは、その翌晩、私を誘いに来て、たいていいつもストリックランドが姿を見せるキャフェへ私を案内してやるといった。ところが、行ってみると、なんとそれは、私がこのまえストリックランドに会いにわざわざパリヘやって来たとき、彼といっしょにアブサンを飲んだ、れいの店だった。あれ以来、彼があきもせずに一つ店に通っているという事実には、彼の特徴ともいうべき、ものぐさな習性をしのばせるものがあった。
「ほら、あそこにいるよ」と、店につくが早いか、ストルーヴがいった。
もう十月だというのに、その晩は暖かくて、テラスのテーブルも、客でこみ合っていた。私はざっとあたりを見渡したが、ストリックランドの姿は見当たらなかった。
「ほら、むこうの隅っこを見たまえ。チェスをやってるのがそうだよ」
見ると、なるほど一人の男がチェス盤の上にかがみこんでいたが、こちらからはただ大きなフェルト帽と赤い顎《あご》ひげだけしか見えなかった。私たちはテーブルの間を縫って、その男のそばへ行った。
「やあ、ストリックランド」
彼は顔を上げた。
「いよう、デブちん、何か用かね?」
「あんたに会いたいという旧友を連れてきたんだよ」
ストリックランドはちらっと私を見やったが、誰だかさっぱり思い出せないふうだった。彼はまた、盤上に目をこらしはじめた。
「まあ、掛けろ。だが、うるさくしないでくれよ」と、彼はいった。
彼は駒を一つ動かすと、すぐまた勝負に吸い込まれてしまった。人のいいストルーヴはさも困ったという顔つきで私を見やったが、私はしかしそれしきの扱いではびくともしなかった。飲みものをあつらえて、勝負がつくまでしずかに待っていることにした。くつろいで、ストリックランドという男をしさいに観察することのできる、ちょうどいい機会だったからだ。ひょっこり出会ったのでは、とうていわかりっこないほどの変わりようだった。まず目につくのは、もじゃもじゃに生えたまま、手入れもしてない赤い顎《あご》ひげが顔をおおっている点と、頭髪が長く伸びている点だったが、何よりもおどろいたのは、顔もからだもすっかりやせこけていることだった。そのせいで、れいのでかい鼻が、前よりもいっそう人を食ったように隆起し、頬骨もとび出し、目もいくらか大きく見えた。こめかみにも深いくぼみができていた。からだはまるで骸骨《がいこつ》みたいだった。五年前に会ったときの服をいまだに着ていたが、破れ、汚れ、糸目があらわれ、おまけに、まるで借り着みたいに、全体がだぶついていた。ふと、見ると、手も汚れて、爪が伸びほうだいに伸び、肉が落ちて、やけに骨張った、太い、すじばかりの手になっていた。私はそのとき、ふと、かつてはそれがじつに格好のいい手だったのを思い出した。彼が勝負にわれを忘れて、そこにすわっている姿は、一種異様な、すさまじい迫力にみちた感じを私に与えた。しかも奇体なことに、骨と皮ばかりであることが、かえってその感じを強めていたのだ。
やがて彼は一手を下してから、ぐっと反《そ》り身になり、放心したような異様な目つきで、じっと相手を見すえた。相手は太っちょの、顎ひげを生やしたフランス人で、しばらく形勢を読んでいたが、やがてとつぜん、ほがらかに何か叫んだかと思うと、いきなりもうだめだというような身ぶりをして、駒をかき寄せ、それを箱の中へほうり込んだ。それからストリックランドに向かって、さんざんへらず口をたたいたあげく、ボーイを呼んで酒代を払い、そのままぷいと出ていった。ストルーヴはすわっていた椅子をぐいとテーブルに近寄せた。
「やれやれ、これでやっと話ができそうだね」 と、ストルーヴはいった。
ストリックランドは目に意地わるそうな色をうかべて、しばらくじっと彼を見ていた。一つなにかいって、からかってやりたいが、あいにくといい知恵も浮かばないので、しかたなく黙っているといったところだな、と私は思った。
「あんたの旧友が会いたいというので、案内して来たんだよ」と、ストルーヴはにこにこしながら、さっきの言葉をくり返した。
ストリックランドは、じっと考え込むようにして、一分近く私をながめていた。私は黙りこくっていた。
「いままで一度も会ったおぼえがないな」
どうして彼がそんな白《しら》を切ったのか、私にはいまだにわからない。彼の目にちらっと、思い当たったような色が走るのを、私はたしかに認めたからだ。しかし、私も数年前とちがって、そうやすやすと尻尾《しっぽ》を巻くようなことはしなかった。
「こないだ、奥さんにお目にかかりましたよ」と、私はいった。「あなたもきっと、あの女《ひと》の最近のようすを知りたがっているだろうと思ってね」
彼は短く笑って、目をかがやかせた。
「いつか、ひと晩、二人で愉快に話し合ったことがあるね」と、彼はいった。「あれから、いったいどのくらいになるかな?」
「もう五年になりますよ」
彼はもう一杯アブサンを注文した。ストルーヴはれいのよくまわる舌で、彼と私が知り合うようになった次第や、どういうはずみで、ストリックランドがおたがいの知人であることがわかったかを、事こまかに説明した。ストリックランドがその話を聞いていたかどうか、あやしいものだった。一、二度、にらみ返すように、ちらっと私を見やったが、たいていは自分でかってな物思いにふけっているふうだった。ストルーヴがしゃべりまくっていたから間がもてたようなものの、そうでなかったら、まったく無言の行にひとしかったろう。やがて三十分ばかりすると、このオランダ人は時計に目をやって、もうこれで失礼するといった。私も帰るかときいたが、私は、二人きりだと、ストリックランドが何か話しそうな気がしたので、ひと足先に帰ってくれと答えた。
ストルーヴが太ったからだをゆすって出ていってから、私はいった――
「ダーク・ストルーヴは、あなたを偉い画家だといって尊敬してますよ」
「いったいそれがどうだっていうんだい?」
「もしさしつかえなかったら、あなたの絵を見せてくれませんか?」
「いったいどうして、きみに見せる必要なんかあるのかね?」
「ひょっとすると、一枚ぐらい買う気にならんともかぎりませんからな」
「ところが、あいにく、こっちは売りたくないかもしれんよ」
「暮らし向きのほうは、うまく行ってるんですか?」と、私はほほ笑みながらきいた。
彼はくすりと笑った。
「そんなふうに見えるかい?」
「まるでいまに飢え死にでもしそうですよ」
「そうさ、いまにそうなるかも知れんな」
「じゃ、いっしょにちょっと食事に出かけましょうか」
「どうして食事なぞおごるんだね?」
「なにも慈善のつもりなんかみじんもありませんよ」と、私は冷ややかに答えた。「じつをいうと、あなたが飢え死にしようとしまいと、ぜんぜんぼくの知ったこっちゃありませんからね」
彼の目にふたたび輝きの色が浮かんだ。
「じゃ、出かけるとしよう」といって、彼は立ち上がった。「わしだってやっぱり、まともな食事がしたいからな」
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二十一
どこでも好きなところへ案内してくれというと、彼は私をある料理店へ連れていった。その途中で、私は新聞を一部買った。料理を注文してしまうと、私はその新聞をサン・ガルミエ〔フランスのロワール河沿いの田舎町サン・ガルミエ産の鉱泉《ミネラル・ウォーター》で、フランスでは食卓で使う〕のびんに立てかけて読みはじめた。食事中、二人とも口をきかなかった。ときおり、彼が私に目をあてるのはわかっていたが、私はわざとそ知らぬふりをしていた。いやがおうでも、むこうから話しかけさせるはらだったからだ。
「新聞に、何ぞ変わったことでも出てるかね?」無言の食事もやがて終わろうとするとき、彼のほうからそうきいた。
その声には、ちょっといら立たし気な調子がこもっているようだった。
「ぼくはいつも文芸欄の演劇批評を読むことにしてるもんですから」と、私は答えた。
私は新聞をたたんで、それをわきにおいた。
「料理はなかなかおいしかったよ」と、彼はいった。
「じゃ、ついでにコーヒーでももらうことにしましょうか?」
「それがいいな」
どちらも葉巻をつけた。私は黙ってそれをふかしていた。ときどき、彼がおかしそうにかすかな笑みをうかべて、じっとこちらを見るのに気づいていたが、私は根気よく、彼のほうから口をきくのを待っていた。
「このまえ会って以来、きみはどんな仕事をしてたんだい?」と、ついに彼のほうから切り出した。
私のほうには、かくべつこれといって話すほどのこともなかった。その間、ただ精進《しょうじん》をつづけるかたわら、ちょっとした楽しい思いをしたり、あれこれと実験をやってみたり、人間と書物についての理解がだんだん深まってきたりしたくらいなものだった。私はわざと、あなたはどうしていらっしゃったのですか、などとはおくびにも出さず、あなたのことなどてんで眼中にない、といったようなふりをしていた。するとはたして、この計略が効を奏した。問わず語りに、彼は身の上話をはじめたからである。しかし、なにしろ生まれついての口下手だけに、自分の五年間の体験をそれとなくにおわすぐらいが関の山で、その隙間《すきま》はこちらの想像でおぎなうよりほかはなかった。私にとってかくも興味|津々《しんしん》たる人物を、ほんの垣間《かいま》見る程度にしか知ることができないのは、なんとしてももどかしい限りだった。まるで骨抜きにされた原稿を判読するようなものだった。だが、とにかく、彼がたえずあらゆる困難とはげしく闘いながら生きているといった感じをうけた。そして、たいていのものなら、怖気《おじけ》をふるうようないろいろなことも、彼にとっては蛙《カワズ》の面《つら》に水なのだ、ということがわかった。浮世の楽しみというものにまったく無関心だという点で、ストリックランドはおおかたのイギリス人といちじるしくちがっていた。年がら年じゅう、一間《ひとま》きりのむさくるしい部屋に閉じこもっていても、彼はいっこう退屈もしなかった。部屋のなかを美しく飾ったりする必要も感じなかった。私がはじめて彼を訪れたあの部屋の壁紙のすすけたようすなどにも、おそらく彼は一度として気づいたことがないにちがいない。安楽椅子にくつろぎたいという気もなく、むしろ台所椅子のほうがずっと気楽でいいと思っているふうだった。今晩はさもうまそうに食べたが、料理にも無関心だった。彼にとって、食物というのはただ飢えの苦痛をしずめるために、がつがつ頬ばるというだけのものにすぎなかった。しかも、その食物さえ手にはいらぬ場合は、けっこう食事ぬきですませるのだった。あるときは、六か月の間、毎日、たった一本のパンとひとびんのミルクだけで露命をつないだこともあるという話であった。根が官能的な人物だったにもかかわらず、その方面にもとんと無関心だった。貧乏など、へとも思ってないらしかった。そういう精神のみに徹した彼の生き方には、しかし、何かしら強く人の胸を打つものがあった。
ロンドンから持ってきたわずかなかねが尽きてしまっても、彼は泰然とかまえていた。絵は一枚も売れなかった。いや、おそらく、しいて売ろうともしなかったのだろう。そこで彼は、わずかなかねを稼《かせ》ぐために、頭をひねりはじめた。にやにや笑いながら冗談まじりに彼の語ったところによると、あるときなど、パリの夜の生活をのぞいて見たいというロンドン児たちのガイドをして暮らしていたこともあったそうだ。皮肉な彼の性分《しょうぶん》には打ってつけの仕事だっただけに、なにやかやいってるうちに、彼はこの都会のいかがわしい半面に関するかなり広汎《こうはん》な知識をもつようになった。とかくご法度《はっと》になっているような代物《しろもの》を見たがる、それもどちらかというと一杯機嫌のイギリス人のカモを目当てに、よく何時間もマドレーヌ大通りをうろつきまわった話などもした。いい客をつかまえたばあいなど、相当なかねにありつくこともあったが、なにしろ風体《ふうてい》がおそまつなので、しまいにはお上《のぼ》りさんのほうで怖気《おじけ》づき、彼に手引きさせるほど物好きな客も見つからなくなった。その後、イギリスの医者を目当てに広く宣伝する特許薬の広告文を翻訳する仕事にありついたこともあった。ストライキの期間中、ペンキ屋代わりに雇われたりもした。
その間にも、しかし、彼はけっして絵筆を捨てなかった。もっとも、アトリエ通いにはまもなくいや気がさし、まったくの独力で勉強していたのだった。貧乏はしながらも、カンヴァスと絵具を買うぐらいはどうにか都合がついたので、彼としては、ありていにいって、それ以外のものは一つもほしくないといった気持ちだった。だが、私のうかがいえた限りでは、制作にもよほどの苦労を重ねたようだった。というのも、他人の指導をうけるのをいさぎよしとしなかったので、先人たちがすでにいちいち解決してくれている技法上のいろんな問題を、あらためてまた自分の手で解決してゆくのに多大な時間を浪費したからだ。彼は、私にはもとより、おそらく彼自身にもほとんどわかっていないのではないかと思えるような、何かあるものを追い求めていた。私はこの前にもまして、憑《つ》かれた男という感を深くした。正気とはいいかねるような感じだった。作品を見せたがらないのも、一つには実際、自分でも、もうそれらにたいする興味を失っているからだ、というように思われた。夢に生きる男だけに、現実は彼にとって何の意味もないものだったからであろう。心眼に映じるものをとらえようとしてやっきになり、そのほかのことはいっさい忘れはてて、ただその強烈な個性を力いっぱいカンヴァスの上にたたきつけ、それがすむと、もうそれにたいするいっさいの関心を失ってしまう、といった感じだった。しかし、おそらくそれは絵にたいする関心というよりも――というのは、どの絵もしまいまで、ちゃんと描《か》き上げるようなことなどめったになかったらしいから――むしろ、彼を燃焼させていた情熱にたいする関心だったのであろう。彼は自分の作品に満足したことは一度もなかった。そんなものは、彼の心にたえずつきまとっている夢にくらべると、ものの数ではないらしかった。
「いったいどうして作品を展覧会に出品されないんですか?」と私はきいた。「あなただってやはり、他人の批評を聞きたいでしょうに」
「そう思うかね?」
この一言には、何とも名状しがたい、底知れぬ軽蔑のひびきがこもっていた。
「じゃ、名前なんか出なくていいというわけですか? たいていの芸術家は、そうはいかないでしょうがね」
「青二才さ、そんなやつは。個人の批評さえてんで気にしないものが、有象無象《うぞうむぞう》の批評なんか気にするわけがないじゃないか」
「でも、世間には理屈だけでものごとを割り切ることのできない人間だって、けっこういますからね」といって、私は笑った。
「評判を立てるのは、きみ、いったいどんなやつらだと思うんだい? 批評家や文士や株式仲買人や女どもだよ」
「しかし、あなたの知らない人や、会ったこともない人たちが、あなたの作品から、微妙な、激しい感動をうけると思うと、あなただってまんざらわるい気持ちはしないでしょう? 誰だって力にあこがれないものはいませんからね。人間の魂をゆり動かして、哀れをもよおさせたり、恐怖におののかせたりするほど、すばらしい力の発揮のしかたってものは、ほかにちょっと考えられないと思いますが」
「安っぽい感傷さ」
「じゃ、どうして、作品のでき、ふできを気になさるんですか?」
「だれも気にしてなんかいないよ。ただ、この目に映るものを描《か》きたいと思ってるだけさ」
「たとえば、ぼくが無人島に行って、いくら作品を書いても誰もほかに読んでくれるものがいないとわかっていながら、それでもなお書くことができるかどうか、はなはだ疑問ですね」
ストリックランドは長いこと黙りこくっていたが、その目には、なにか彼の魂をゆすぶって恍惚《こうこつ》の境地に達せしめる幻でも見ているかのような、異様な光がうかんでいた。
「ときどき、わしの頭に、絶海の孤島のすがたが浮かぶんだ。そういう島の、どこか人知れぬ谷間で、見なれぬ樹木に囲まれて、ひっそりと暮らすことができたらと思うんだよ。そうすれば、わしの望んでいるものが、あるいは見つかるかもしれんからな」
しかし、彼はなにもこのとおりにいったわけではない。適当な形容詞が浮かばぬばあいは、身ぶりでまにあわせるし、語る言葉もつかえがちだった。だから、彼のいわんと欲するところをこちらで察して、それを私の言葉でいい表わしたまでだ。
「この五年間の苦労をかえりみて、それだけのかいがあったと思われますか?」
彼は私のほうに目を向けた。私のいう意味がピンと来ないようだったので、私はさらにこうつけ加えた――
「つまり、あなたは安楽な家庭と世間並みにしあわせな生活を捨てられたわけですよ。ご商売のほうもけっこう順調だったのに。そして、パリではみじめな思いをなすったらしい。もし、もう一度生まれ変わってくるようなことがあったら、あなたはやっぱり同じことをなさいますか?」
「やるね」
「あなたは奥さんのことやお子さんのことを、いっこうおききになりませんね。すこしは思い出されることがあるんですか?」
「ないよ」
「そんなそっ気ない返事をきくのは心外ですな。お宅のみなさんにあれほど不幸な思いをさせておきながら、ちっともすまないと思うようなことがないんですね?」
彼はふっと唇に微笑をうかべて、かぶりを振った。
「でも、いくらそうおっしゃったって、ときには昔のことを思い出さずにはいられないでしょう。今から七、八年前のことじゃなくて、もっとずっと昔、つまり、あなたがはじめて奥さんにお会いになって、奥さんに思いを焦《こ》がし、結婚されたころのことをいってるんですよ。あなたがその腕ではじめて奥さんをお抱きになった、そのときの胸のときめきを思い出されることなどありませんか?」
「わしは過去のことなど考えないたちでね。わしにとって大切なのは、ただ永遠の現在というものだけなんだ」
私はちょっとの間、この答えを心でかみしめてみた。もちろんはっきりはしなかったが、おぼろげながら彼のいう意味がわかるような気がした。
「で、いま幸福なんですか?」
「うん」
私は口をつぐんで、まじまじと彼の顔を見つめた。彼はじっとそれに耐えていたが、やがてその目に冷笑的な光がきらめいた。
「どうやら、わしのやり口が気にくわんらしいね」
「ご冗談でしょ」と、私は言下に答えた。「相手がウワバミならウワバミで、いっこうかまいませんよ。かまわんばかりか、ぼくはかえってそういう人間の心の動きに興味をおぼえるんです」
「きみがわしに興味をもつのは、ただ小説家根性からだけだろうな」
「まったく仰せのとおりで」
「まあ、わしのやり方をかれこれいわんだけはきみの取り柄だが、それにしても見さげた人物だな、きみは」
「だからこそ、あなたもぼくに気がおけないんじゃないですか」と、私もやり返した。
彼は冷ややかなうすら笑いを浮かべたきりで、なんにもいわなかった。私にこの微笑を描写するだけの筆力があったらと思う。おそらくそれは愛嬌《あいきょう》ある笑いなぞではないだろうが、そのために、いつもは暗い彼の表情がパッと明るくなり、無邪気な意地わるさを思わせる顔つきに変わった。それは、浮かんだまま目の中だけで消えることもある、ゆっくりした微笑だった。残忍でもなければ優しくもない、いやに色っぽい微笑で、人間のそれよりはむしろサター〔ディオニシウスの従者で、半人半獣の森の神。酒と女が大好物〕の歓喜を思わせるような微笑だった。私がふと次のような質問をする気になったのも、この微笑のせいだった――
「パリに来られてから、恋愛をなさったことありませんか?」
「そんなバカらしいことしてる暇なんかないよ。恋と芸術の二またがかけられるほど人生は長くないからな」
「でも、お見うけしたところ、世捨人だとは思えませんがね」
「そんなことは、およそ思うだけでも胸くそがわるくなるんだ」
「しかし、人間の本能ってやつは、やっかいなしろもんでしてね」と、私はいった。
「なんだってそう、わしの顔を見てにやにやするんだい?」
「だって、あなたのおっしゃること、本気にはうけとれないからですよ」
「すると、きみはよくよく血のめぐりのわるい男だね」
私は話をやめて、じっと探るように彼の顔を見つめた。
「ぼくをかついだところで、いったいそれが何になるんです?」
「どういうつもりで、そんなことをいうんだね?」
私はかすかに笑った。
「そういっちゃなんですがね、五、六か月ぐらいなら、そんな気がぜんぜん起きないってこともあるでしょう。そして、もうそういうものとは永久に縁切りだと、自分でも本気で思えるかもしれません。やれやれこれで解放された、やっとおれの魂はおれのものになった、とお考えになるでしょう。まるで天上の星のあいだに頭をもたげて歩いてるような気分にもなるでしょうよ。だが、そのうちに、とつぜん、もうどうにもがまんができなくなってきて、これまでずっと、自分の両足が泥の中を歩いていたことに気づくんです。すると、こんどはかえってその泥の中に転がってみたい気になり、それこそ野卑で下等な、いわばぞっとするほど淫《みだ》らで、恥知らずの、獣みたいな女をさがし出して、さながらこちらも野獣みたいに、おそいかかって行くことになるんですね。そして、荒れに荒れて、頭の芯《しん》がしびれるまで、酔いしれるんですよ」
彼は身じろぎ一つしないで、じっと私の顔を見つめていた。私のほうでも、彼の目をまともに受け止めながら、しごくゆっくりした口調で、言葉をつづけた。
「そして、まったく、ふしぎなことに、いったんこのあらしが吹き抜けてしまうと、あとはそれこそうそみたいにすがすがしい気持ちになるんですね。まるで肉体から抜け出た無形の魂だけになったような気がしてきて、美というものに、さながらじかに触れ合うことができるような気持ちになってくるんですよ。そして、あの微風だとか、新緑の樹々だとか、虹《にじ》色の川の流れだとかと、しみじみ心が通いあうような思いがしてきます。まるで、神に近い気持ちになるんですね。この気待ちをあなたはどうお考えになりますか?」
彼はあいかわらず、じっと私の目を見すえていたが、私が語りおわると、たちまち、つと面《おもて》をそむけた。彼の顔には異様な表情が浮かんでいた。人間が拷問《ごうもん》にかかって悶絶《もんぜつ》したさいの顔つきそっくりだ、と私は思った。彼は一言も発しなかった。話ももうこれでおわりだな、と私は見てとった。
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二十二
パリに落ち着くと、私は戯曲を書きはじめた。午前中は仕事、午後からはリュクサンブールの公園を散策したり、街々を散歩したりして、きわめて規則正しい生活を送っていた。ルーヴルは数ある美術館の中でももっとも親しみがもて、黙想にも持ってこいの場所なので、よくそこに何晴間もはいっていたものだし、また、ちっとも買う気のない古本をひねくりまわしながら、れいの河岸《ケエ》通りをぶらついたりしたものだ。そして、書物のあちこちを拾い読みして、ただそういう取り止めのない知識を得るだけで十分な、無数の作家たちの名をおぼえたものである。夜分は友だちを訪ねていった。ストルーヴの家にもちょいちょい立ら寄って、ときどき、つましい食事を共にしたこともある。ダーク・ストルーヴはイタリア料理の腕前が自慢で、ありていにいうと、彼のつくるスパゲッティ料理は、その絵よりもはるかに上手《うわて》だった。彼の出す、トマト・ジュースをかけた大盛りのスパゲッティ料理は、王侯のご馳走にも劣らぬ豪奢《ごうしゃ》なもので、それを、家で焼いたおいしいパンと赤ブドウ酒とともに、ご馳走になったものだった。私はブラーンチ・ストルーヴともだんだん親しくなった。おそらく、彼女にはほかにあまりイギリス人の知り合いがなかったので、私に会うのが楽しみだったのだろう。明るい感じの、素直な女だったが、いつもとかく黙りがちで、なんとなしに暗い秘密でも持っているみたいな、そんな感じがした。しかし私は、それはたぶん彼女の持って生まれた内気のせいで、ただそれが、彼女の夫のざっくばらんなおしゃべりによって、とくに目立つというだけのことだろう、と思っていた。ダークはなにごとによらずけっしてかくしたりしないたちで、こちらがはらはらするようなことでも、人前などてんで気にせずにしゃべる男だった。ときには、細君のほうで顔を赤らめるようなこともあるらしく、私もたった一度だが、そういう場面にぶつかったことがある。そのときダークは、細君のとめるのもきかず、下剤を飲んだときの話をもち出して、ありのままをかなり事こまかに説明して聞かせたのだった。そのときの閉口したようすをあまり大まじめで話すので、私もつい腹をかかえて笑ったが、ストルーヴ夫人はそれを見て、いっそう居たたまらぬ気持ちになったらしい。
「あなたって、自分をひとの笑いものにするのがお好きらしいのね」と彼女はいった。
彼女が腹を立てたのを見てとると、彼は円《まる》い目をいっそう円くし、さも困ったように額をくもらせた。
「ねえ、おまえ、怒ったのかい? もう二度とあんなものは飲まんよ。つい、気分がわるかったもんだからね。なにしろ、いつもすわりっきりで、運動ってあまりしないだろ。あのときは、三日間というもの、一度も……」
「後生だから、もうよしてください」と彼女は目にくやし涙をうかべて、彼の話をさえぎった。
彼はまるで叱られた子供のように、面《おもて》を伏せ、口をすぼめた。そして、なんとかとりなしてくれという目で私を見やったが、私のほうはどうにもこうにもおかしくてたまらなくなり、腹をかかえて笑うしか手がなかった。
ある日のこと、ストルーヴといっしょに、彼がそこに行けばストリックランドの絵が少なくとも二、三枚は見られるといっていた、その画商を訪れてみた。だが、行ってみると、あいにくストリックランドがそれを自分でさっさと持って行ってしまったという話だった。その理由は画商にもわからなかった。
「でも、それで手前どもがべつに気をわるくしているわけではございませんから、その点はどうぞお気づかいなく。あれは、もともと先生のお顔を立てるために、お引き受けして、できることなら売って差し上げたいと存じましたものの、じつを申しますと――」そういって、画商は肩をすくめた。「手前どもも、かねがね若い方々の作品には関心をもっておりますが、それにしても、ねえ、先生、いくら先生でも、まさかあの絵に見所があるなんて、本気でお思いになっていらっしゃるわけではござんせんでしょう」
「男の面目にかけていうが、わたしの見るところ、現在の画家の中で、これほど才能のある人物は断じてほかにいないね。わたしのいうことを信用したまえ。きみはみすみす、いいチャンスを逃がしているんだ。いまにあの絵は、この店の絵を束にしたより、もっといい値で売れるようになるにきまってるんだぜ。モネだってそうじゃなかったかい。当時は、わずか百フランでも買い手がつかなかったんだよ。その絵がいまではいったい、いくらすると思うかね?」
「たしかにそのとおりではございますが、しかし、その当時だってやはり、モネに劣らぬ腕をもちながら、さっぱり売れない画家はほかにも大勢いたのでございますよ。ところが、その連中の絵は、いまだに三文の値打ちもないんですからね。わからないもんでございますよ。いくら値打ちのある絵でも、ただ値打ちだけで売れるとはかぎりませんからね。値打ちだけでは当てになりませんよ。|おまけに《デュ・レスト》、あの方の絵にほんとうに値打ちがあるかどうかは、まだこれから先の問題でございますからね。なにしろ、あれに値打ちがあるとおっしゃるのは、今のところ先生お一人でいらっしゃいますし」
「じゃ、きみはいったいどうやって絵のよしあしを見分けるんだい?」と、ダークが怒りに顔を紅潮させて、きいた。
「そりゃ、もうたった一つ――売れるかどうかでございますよ」
「ちぇっ、この俗物めが!」と、ダークが叫んだ。
「だって、昔の偉い画家のことを考えてもごらんなさいませよ――ラファエロだって、ミケランジェロだって、アングルも、ドラクロアも――みんなそれぞれ売れたじゃござんせんか」
「さあ、行こう」と、ストルーヴは私にいった。「さもないと、わたしはこの男を殺しかねないからな」
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二十三
私はストリックランドとわりあいよく会って、ときたまチェスの手合わせをやった。いったいこの男は気質が安定していなかった。あるときは、おし黙ってぽかんとすわったまま、べつにだれにも気をとめるというのでもなかった。そうかと思うと、べつのときには、上機嫌になって、れいのとおりぽつりぽつりではあるが、何かとしゃべるのだった。けっして気のきいた事などいわなかったが、ちょっと手きびしい皮肉もまじえて、相手をおどろかせることもあり、ともかく心に思ったことをそのまま口に出すという男であった。彼は相手の感じやすい性質などにはいっこうに無頓着《むとんちゃく》で、相手が気をそこねたりすると、かえっておもしろがるのだった。とくにダーク・ストルーヴの気持ちなど、いつもあまりにもひどく痛めつけるので、彼は二度とふたたび、あんな奴と口をきくものかと断言して、さっと袂《たもと》をわかってしまうのであった。ところが、ストリックランドという男のうちには、この太ったオランダ人をいやおうなしにひきつける何か強い力があった。そこでストルーヴは、まるでみっともない犬みたいに尻尾《しっぽ》を振りふり戻ってくるのだが、そのくせ、自分では挨拶がわりに一発くらうのが関の山だと心得ているのだった。
ストリックランドがどうして私のような人間とつきあっているのか、私には自分でもわからない。私たちの関係は奇妙なものだった。ある日、彼は私に五十フラン貸してくれといった。
「あなたがそんなこといい出そうとは夢にも思いませんでしたね」と私は答えた。
「どうしていけないのかね?」
「ぼくにとっちゃおもしろくもおかしくもないことですから」
「いいかね、わしはひどく困ってるんだぜ」
「そんなこと、ぼくの知ったこっちゃないですね」
「わしが飢えても、かまわんというのかい?」
「どうして、かまうわけがあるんですか?」と私はやりかえした。
彼はだらしなく伸びた顎《あご》ひげを引っぱりながら、一、二分間、私のほうを眺めていた。私はにやにやと笑った。
「いったい何がおかしいんだ?」怒りの色を目にひらめかせて、彼はきいた。
「あなたはまったく単純ですよ。あなたって人は義務なんてものをいっさいみとめていないでしょう。だから、だれだって、あなたにたいしては義務感なんぞにしばられることないんですよ」
「もしこのわしがだね、部屋代を払えないという理由でアパートから追い出され、そのため首を縊《くく》るということになっても、きみはべつだん寝ざめが悪くないかね?」
「ええ、いっこうに」
彼は歯をむき出して笑った。
「えらそうなことはいわんこったな。もしほんとにそうなったら、きみはそれこそ後悔するぜ」
「まあ、やってごらんなさい。そしたら、わかりますから」と私はやりかえした。
彼の目に微笑がちらついたが、そのまま黙ってアブサンをかきまぜていた。
「チェスをおやりになりたいんですか?」と私がきいた。
「やってもかまわんな」
私たちは駒をならべた。盤の用意ができ上がると、彼はさも気持ちよさそうにそれを眺めわたした。戦闘用意のすっかりととのった部下たちを眺めることには、一種の満足感があるものだ。
「ほんとにぼくがあなたにかねを貸すとでも思ったんですか?」
「貸してくれん理由もなかったからな」
「ちょっと意外ですね」
「なぜだい?」
「あなたも、心の底ではセンチなのだとわかって、がっかりですよ。あなたがぼくの同情心にあれほどあどけなく訴えてくれなかったらよかったのにと思いますね」
「きみがそんな訴えに心を動かされたりしたら、わしのほうもきみを軽蔑していただろうよ」
「こんどはよくできましたね」と私は笑った。
私たちは勝負にとりかかった。二人とも夢中でやった。勝負が終わったとき、私は彼にいった。
「いいですか、もしとても困るようなら、あなたの絵を見せてくださいよ。好きなのがあったら、買いとりますから」
「とんでもない!」と彼は答えた。
彼は立ち上がって、そこを去ろうとした。私は彼を呼びとめた。
「あなたはアブサンの代金を払っていませんよ」と私はにやりとしていった。
彼は私に悪態《あくたい》を浴びせると、その代金をテーブルの上に放り出して、さっさと立ち去った。
その後、数日間、私は彼に会わなかったが、ある晩、私がそのキャフェにすわって新聞をよんでいると、彼がやってきて、私のわきに腰をおろした。
「けっきょく、首は縊《くく》らなかったようですね」と私。
「うん。仕事をたのまれたんでね。今わしは二百フランの約束で、引退した鉛管屋さんの肖像〔この絵は、もとリールのある富裕な工場主が所有していたが、今ではストックホルムの国民画廊に陳列されている〕を描《か》いてるんだよ」
「どうしてまた、そんな仕事が手にはいったんですか?」
「わしがいつもパンを買ってるおばさんがね、わしを推薦《すいせん》してくれたってわけさ。その鉛管屋さんが自分の肖像を描いてくれる人間をさがしてるって話を、前からきかされていたんだよ。もっとも、おばさんには二十フランの手数料を払わにゃならんがね」
「どんな男ですか?」
「それがすばらしいんだよ。まるで羊肉の脚みたいに赤い、でっかい顔をしてるんだ。それに右の頬っぺたにとても大きな|あざ《ヽヽ》があって、そっから長い毛が生えてるとくるんだな」
ストリックランドは上機嫌であったが、そこヘダーク・ストルーヴがやってきて、私たちのテーブルにすわると、彼はストルーヴを猛烈にひやかしはじめた。今まで彼がそんなものを持ち合わせていようとは思いもよらなかったような腕の冴《さ》えを見せて、彼はこの不幸なオランダ人がいちばん触れてもらいたくないと思っているところを、遠慮会釈なくほじくり出したのである。ストリックランドは、皮肉の細身《ほそみ》刀ではなく、毒舌の太い棍棒《こんぼう》を振って攻撃に出た。その攻撃はまったく何のきっかけもなく行なわれたので、ストルーヴは不意を突かれ、身をまもるすべもなかった。まるで、当てもなく右往左往して逃げまわる、おびえた羊よろしくのかっこうだった。彼はびっくり仰天して、ただ茫然《ぼうぜん》としていた。ついに、その眼から涙が流れはじめた。それに、いちばんいけないのは、そういうストリックランドをいくら小憎らしく思い、目を蔽《おおい》いたくなるような気持ちにさせられても、つい笑わずにいられないことだった。ダーク・ストルーヴという男は、いちばんまじめな感情がこっけいでたまらなく見えるという、不運な人間の一人だったのである。
しかし、けっきょくのところ、パリのあの年の冬をふり返ってみると、私のいちばん楽しい思い出は、このダーク・ストルーヴにまつわるものだった。彼のささやかな家庭には、何かたいへん可憐なものがあった。彼とその細君は、想像してもうれしく、容易に去りがたいような一幅の絵をなしていたし、その細君にたいする彼の愛情は、ゆったりとした優雅な趣きをそなえていた。彼のバカさかげんは相変わらずであったが、その愛情のもつ誠実さには人の同情をそそるものがあった。そういう彼にたいして細君がどのような気持ちを抱いているか私にも理解できたし、彼女の愛情がいかにもやさしいものであることを知って、私はよろこんだのだった。もし彼女にいささかでもユーモアのセンスがあれば、夫が自分を高い台座の上にすえ、まるで偶像でもあがめるように無邪気に自分を崇拝するのがおかしくてたまらなかったであろう。しかし、彼女はたとえおかしくても、そういう彼の態度に満足し、かつ心を動かされていたにちがいない。
彼はいつまでも変わらぬ恋人であった。されば、たとえ彼女が年をとり、からだのまるみをもった線を失い、その美しい容貌が消えてなくなることがあっても、彼の目から見ると、彼女はぜったいに変わることがないであろう。彼にとって、彼女はいつまでも世界でいちばん美しい女であることに変わりがないであろう。二人の生活を支配する整然とした秩序のうちには、一種の心地よい優雅さがあった。彼らのところには、アトリエと、一つの寝室と、一つのちっぽけな台所しかなかった。ストルーヴ夫人は自分ひとりの手で家事いっさいのきりもりをした。ダークがまずい絵を描《か》いている間、彼女は買い物に出かけたり、昼飯の支度をしたり、裁縫をしたりして、終日、せわしないアリのようにせっせと立ち働いていた。そして夜になると、アトリエにすわって、ふたたび縫い物をはじめるのだが、一方、ダークのほうは、たぶん細君にはとても理解できそうもなさそうな音楽を奏《かな》でるのであった。彼は味わいのある演奏をしたが、必ずしも妥当と思われないほどの感情を加え、音楽のなかに、自分の正直な、センチメンタルな、生気あふれるばかりの魂を注ぎこむのであった。
二人の生活はそれなりに一つの田園詩であり、一種ふしぎな美をつくり上げることに成功していた。ダーク・ストルーヴに関連するありとあらゆるものにまつわりついているあのおかしさが、何か溶けきらぬ不協和音みたいに奇妙な調子をそれに添えていたが、しかしまた、なんとなく一段と近代的な、人間的要素も加えるのだった。ちょうど、まじめくさった場面に投げこまれた荒っぽい冗談《ジョーク》のように、すべての美がもつ鋭さをそれはさらに高めていたのである。
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二十四
クリスマスのちょっと前、ダーク・ストルーヴは私を訪ねてきて、その休日を自分といっしょに送ってくれないかといった。彼はクリスマスについては彼らしい感傷をもっていて、それにふさわしい儀式のうちに、友人たちに囲まれてすごしたいと思っていたのだ。私たちは二人ともストリックランドには二、三週間も会っていなかった。私はパリでしばらくの時をすごしている友人たちの相手をするのに忙しかったし、ストルーヴのほうは、彼といつもよりひどいけんかをして、もうこれからはいつさい彼と交渉をもつまいと決心していたからである。ストリックランドにはとてもがまんがならないので、二度とふたたび彼と口などきくまいと誓ったのだ。しかし、クリスマスの季節ともなると、彼の心には自然とやさしい気持ちがきざしてきて、ストリックランドがクリスマスの日を独りぼっちですごすことを考えると、たまらなくなってきた。あのように怒ったのは自分が至らないためだと考え、友愛のために捧げられたとくべつの日に、あの孤独な画家が独りぼっちで打ち沈んでいることを想像して、がまんができなくなった。ストルーヴはアトリエにクリスマス・トゥリーを飾ったが、お祝いの飾りつけをした枝に小さな贈り物が吊《つる》してあるのを見て、私たちがどちらもそれをこっけいに感じるのではないか、と私は思った。しかし、彼はストリックランドにふたたび会うことを気恥ずかしく思っていた。あんなにひどい侮辱をそうやすやすと赦《ゆる》すのは、いささか屈辱《くつじょく》的だったからである。そこで彼は、心中で決意したストリックランドとの和解の席に、私にも立ちあってもらいたいと思ったのだ。
私たちはいっしょに連れだってクリシ街を下っていったが、いつものキャフェには、ストリックランドの姿が見えなかった。外のテラスにすわるには寒すぎたので、私たちは室内の、レザーを張ったベンチに腰をおろした。内側は暑くて息苦しく、空気は煙のために灰色ににごっていた。ストリックランドはやってこなかったが、やがて、ときたま彼とチェスをやるフランス人の画家の姿が見えた。私も彼と顔見知りだったので、彼は私たちのテーブルにすわった。ストルーヴは彼に、ストリックランドに会うか、とたずねた。
「奴《やっこ》さんは病気ですよ。ご存じなかったんですか?」と画家は答えた。
「重いんですか?」
「なかなか重いらしいですよ」
ストルーヴの顔から血の気が失せた。
「なぜ彼は手紙でも書いて、わたしに知らせてよこさなかったんでしょうね? わたしも奴さんとけんかをするなんて、なんともバカげていますよ! さっそく、見舞いに行ってやらなければなるまい。奴さんにはだれも世話をする者がいないんだから。で、どこに住んでいるんですか?」
「ぜんぜん見当もつきませんね」とフランス人画家。
けっきょく、私たち三人のうち、だれひとりとして、彼の居所をさがすすべさえ知らないということがわかった。ストルーヴはいよいよますます困惑の態《てい》だった。
「ひょっとすると、あの人は死ぬかもしれない。死んでも、だれひとり知る者がないなんて、おそろしいことだよ。そう考えると、わたしにはがまんができない。すぐにさがし出さなきゃなるまいよ」
漠然と当てもなくパリの町をさがしまわることがどんなにバカげているか、私はストルーヴにわからせようとつとめた。まず、なんとかプランをたてなければなるまい。
「そりゃそうだ。しかし、こんなことをしている間にも、奴さんは死にかかっているかもしれんのだ。わたしたちがそこにたどりついたときには、もう手おくれで、手のほどこしようもないということもありうるよ」
「まあ、落ちついて、方法を考えてみようじゃないか」と私はいらいらしていった。
私の知っている唯一のアドレスは、オテル・デ・ベルジュだったが、ストリックランドがそこを出たのはずっと以前だったので、そこに行ってみたところで、だれも彼のことなどおぼえていないだろう。あのように、自分の住所を秘密にしておこうなどと妙な考えをもっている男のことだから、そこを出るとき、行き先を教えてゆくなどということは、ありそうにもなかった。それに、それは五年も前の話だった。私には、彼がそこからそう遠くへ移ったはずはない、というおよその確信があった。彼がそのホテルに泊まっていたときと同じキャフェにずっと通いつづけている以上、たぶんそこがいちばん便利だったからにちがいない。
そのときふと、私が思い出したことがある。ストリックランドは、いつも買いつけのパン屋を通して、肖像画を描《か》くことを頼まれたといっていた。そこへ行けば、彼のアドレスがわかるかもしれないという考えが、私の頭をかすめた。私は電話帳をもってこさせて、パン屋をさがしてみた。この近所にはパン屋が五軒あった。それを軒なみにあたってみるよりほかに手がなかった。ストルーヴは気が進まないようすで、私のあとについてきた。彼自身の案は、クリシ街につづいているすべての通りをあちこちかけまわって、ストリックランドという絵|描《か》きが住んでいるかどうか一軒一軒当たってみる、というのだった。けっきょく、私の平凡なプランが効を奏した。というのも、私たちが訪ねた二軒目の店で、カウンターのうしろにいた婦人が、彼を知っていることをみとめたからである。彼女も彼がどこに住んでいるかはっきりとは知らなかったが、向かい側にある三軒の家の一つであることにまちがいはなかった。運が私たちについていたのだ。最初にあたってみたアパートで、管理人は、ストリックランドがその家の最上階に住んでいることを教えてくれたからである。
「その男は病気をしているらしいんですが」とストルーヴはいった。
「そうかもしれませんね」と管理人は無頓着《むとんちゃく》に答えた。
「そういえば、この五、六日、あの人の姿を見かけませんから」
ストルーグは私に先立って階段をかけ上がった。私が最上階につくと、彼は肌脱ぎになった職人と立ち話をしていた。その男はストルーヴがノックしたドアを開けた人間だった。この職人はべつのドアを指さし、そこに住んでいるのは絵描きさんにちがいない、といった。彼もその画家の姿を一週間も見かけないという。ストルーヴはもう少しでそのドアをノックしそうになったが、さも困ったような身ぶりで、私のほうをふり返った。いかにも恐怖のとりこになったような表情だった。
「もし死んででもいたら?」
「そんなことないよ」と私はいった。
私がノックした。返事がなかった。ハンドルに当たってみると、錠《じょう》がおろしてなかった。私は中にはいり、ストルーヴもあとからついてはいった。部屋の中は暗かった。やっとのことで、そこは天井の傾斜した屋根裏部屋であることがわかった。かすかな光が明り取りからはいっていたが、それも暗さがほんのわずか少なくなっているといったところだった。
「ストリックランド!」と私は呼んだ。
返事がなかった。ほんとうにずいぶん神秘的だった。私のすぐうしろに立っていたストルーヴは、ふるぶる慄《ふる》えているみたいだった。一瞬、私はあかりをつけるのをためらった。片隅にベッドがかすかに見えるように感じたが、もしあかりでもつけてみたら、その上に死体が横たわっているということになるのではないか、と思った。
「バカだな、マッチをもたんのかい?」
私はハッとした。暗闇から、だしぬけに、ストリックランドのしわがれ声がきこえてきたからである。
ストルーヴは大声で叫んだ――
「ああ、よかった! あんたは死んだのかと思ってたんだよ」
私はマッチをつけて、ローソクをさがした。小さな部屋の中をすばやくひとわたり見まわしたが、そこは居間兼アトリエといったところで、一つのベッド、表を壁に向けた数枚のカンヴァス、一つの画架、一つのテーブル、一つの椅子しかなかった。床にはじゅうたんも敷いてなく、暖炉もなかった。絵具やパレット・ナイフやいろんなものがごたごたとりちらかったテーブルの上には、ローソクがひとかけあった。私はそれに火をつけた。ストリックランドはベッドに横になっていたが、ベッドが彼には小さすぎて、いかにも窮屈《きゅうくつ》そうだった。暖をとるため、ありったけの衣類を上からかぶっていた。高熱を出していることが一目でわかった。ストルーヴは彼のそばに近づくと、感動のためにかすれた声で話しかけた――
「ああ、かわいそうな友よ、いったいどうしたんだね? あんたが病気だってこと、ちっとも知らなかったんですよ。どうしてわたしに知らせてくれなかったんです? あんたのためなら、どんなことだってしてあげたのに。あんたはわたしがあのときいったことを気にしてたんですか? わたしはそんなつもりじゃなかったんですよ。わたしが悪かったんだ。腹を立てたりして、わたしがバカだったんですよ」
「勝手にしゃがれ」とストリックランド。
「さあ、ききわけてくれたまえ。わたしがなんとか楽にしてあげますよ。あんたの世話をする人間はだれもいないんですか?」
彼はそのむさくるしい屋根裏部屋の中をあきれた眼差《まなざ》しで見まわした。それから布団《ふとん》をかけ直そうとした。苦しそうな息づかいをしながら、ストリックランドは腹立たしげに沈黙をまもっていた。彼はうらめしそうな一べつを私に投げた。私は一言もいわずに、彼を見つめていた。
「もし、わしのために何かしてくれるつもりだったら、ミルクでも買ってきてくれ」やがて、彼は口をきいた。「わしはもう二日も外に出られないでいるんだ」
ベッドのかたわらには、ミルクの空《あき》びんが置いてあり、新聞紙の上にはパン屑が残っていた。
「じゃ、何を食べていたんですか?」と私はたずねた。
「なんにも
「どのくらい?」とストルーヴは叫んだ。「あんたは二日間も、何ひとつ食べたり飲んだりしなかったというんですか? これはひどい」
「水を飲んでいたよ」
腕を伸ばせば届くところにある大きな空罐《あきかん》の上に、彼の視線はしばらくとどまった。
「すぐに行ってきますよ」とストルーヴはいった。「ほかに何かほしいものありませんか?」
そこで私は、検温器と、ブドウと、パンを買ってきたら、といった。ストルーヴは自分でも役に立てることがうれしくて、ガタガタと階段を降りていった。
「いまいましいバカ者だ」とストリックランドはつぶやいた。
私は彼の脈を見た。小刻みに、力なく打っていた。それから一つ二つのことをきいてみたが、彼はそれに答えなかったので、もういちどくり返してきくと、いらだたしそうに顔を壁のほうに向けてしまった。黙って待つほか手がなかった。十分ばかりすると、ストルーヴがハアハア息を切らしながら戻ってきた。私がすすめたもの以外に、彼は数本のローソクと、肉ジュースと、アルコール・ランプを買ってきた。小まめな男だったストルーヴは、さっそくパンとミルクの料理にとりかかった。私はストリックランドの体温をはかってみたが、四十度ちかくあった。どうみてもなかなか重態のようだった。
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二十五
しばらくして私たちは彼と別れた。ダークは夕飯のため家に帰り、私はだれか医者をみつけ、ストリックランドを診察してもらうために連れてこようということになった。しかし、息苦しい屋根裏部屋から、すがすがしい外の通りに出ると、オランダ人は、すぐに自分のアトリエに来てくれないか、といい出した。いま自分はあることを考えているが、ちょっと私にいうわけにはいかない。しかし私がいっしょに来ることが絶対に必要だ、と彼はいい張ったのである。私も、医者を連れてきたところで、さしあたり、私たちがやった以上のことは何もできるはずがないと思ったので、彼のもとめに応じた。彼のアトリエにゆくと、細君のブラーンチ・ストルーヴは夕飯のお膳立てをしているところだった。ダークはつかつかと彼女のもとに近寄ると、その両手を取った。
「ねえ、ブラーンチ、わたしのために一つしてもらいたいことがあるんだよ」
彼女はその魅力の一つである、あのまじめくさった快活さを発揮して、夫のほうを見やった。彼の赤い顔は汗でてかてか光り、こっけいなほど興奮したようすを見せていたが、まるい、きょとんとしたその目には、真剣な光が輝いていた。
「ストリックランドの奴、とてもぐあいがわるいんだ。死にかかっているんだよ。きたならしい屋根裏部屋にたった一人でいるんだが、奴さんの世話をする者がだれもいないんだね。彼をここに連れてくることをおまえに許してもらいたいんだが」
彼女はさっと両手を引っこめたが、私は彼女がそんなすばやい動作をするのを見たことがなかった。頬もまっかになった。
「いいえ、いけません」
「ねえ、ブラーンチ、そんな冷たいことはいわんでくれ。わたしには彼を今のところにおっぽり出しておくのがとてもたまらないんだよ。奴さんのことを考えると、きっと一睡もできんと思うね」
「あなたがあの人を看護なさるのだったら、べつにかまいませんけど」
彼女の声は冷たく、よそよそしかった。
「でも、奴さんは死んじまうよ」
「しかたないわ」
ストルーヴはちょっと吐息《といき》をつくと、顔をぬぐった。彼は私のほうに助け舟をもとめてふり向いたが、私としても、何といってよいのかわからなかった。
「彼は偉大な芸術家だよ」
「そんなこと、どうだっていいわ。あたしは、あの人、大きらい」
「ああ、わたしの愛する、わたしの大事なブラーンチよ、まさかおまえは本気でそんなこといってるんじゃないだろうね。お願いだから、彼をここに連れてこさせてくれ。ここなら、彼も気持ちよく養生できるよ。たぶんわたしたちで彼の命をすくってやれるかもしれんし。おまえには苦労をかけないようにする。なにもかもわたしがするからね。アトリエに奴さんのベッドをつくってやろう。あの男を犬っころみたいに死なせるわけにはいかんからね。そんな非人情なことはできんよ」
「どうしてあの人は病院に行けないの?」
「病院だって! 奴さんは愛情をもって看病してやる必要があるんだ。いろいろこまかいところまで気を配って世話してやらなけりゃだめなんだよ」
私は彼女が心を動かされたさまを見てとって、ちょっと意外だった。彼女は依然としてテーブルの支度をつづけていたが、その手は慄《ふる》えていたのだ。
「あなたって、ほんとにじれったい人ね。もしあなたが病気になったとしたら、あの人はあなたを助けるために指一本だって動かしてくれると思いますか?」
「しかし、わたしのばあい、そんなこと問題になるかね? わたしはおまえに看病してもらえるもんな。奴さんの手をわずらわす必要なんかないよ。それに彼とわたしとはちがうんだ。わたしには偉いところなんかちっともないよ」
「あなたには、雑種犬ほどの気概《きがい》もないのね。地面にへばりついて、みんなに踏みつけてくれとたのんでいるみたいよ」
ストルーヴは軽く笑った。妻がどうしてそのような見方をするのかわかるような気がした。
「ああ、そうか、おまえは、彼がわたしの絵を見るためここにやって来た日のことを考えているんだね。彼がわたしの描いたものをちっともよくないと思ったって、かまわんじゃないかね。そもそも、ああいうものを奴さんに見せたわたしがバカだったんだ。それにしても、あれはおそらくあんまりいいもんとはいえんだろうな」
彼は悲しそうな眼差《まなざ》しでアトリエの中を見まわした。画架《がか》の上には未完成の絵があったが、それは黒い目の女の頭上にブドウの房をかざして、にっこり笑っているイタリアの農夫を描いていた。
「あの人だって、たとえそういう絵が気に入らなくても、礼儀ぐらいはわきまえていいはずじゃない。なにも、あなたを侮辱する必要なんかなかったでしょ。あの人があなたを軽蔑していることをちゃんと表に見せたというのに、あなたはまるで飼い犬みたいにあの人の手をなめたりしてさ。ああ、あたしはあんな人、大きらいよ」
「でもねえ、おまえ、彼は天才をもっているんだよ。まさかおまえだって、このわたしがそういうものを持ってると自分で信じているなんて思わんだろう。わたしも自分が天才をもっていたらとは思うんだがね。しかし、わたしは天才を見れば、それを見のがすことはないし、心からそれを尊敬するんだ。天才はこの世の中でいちばんすばらしいもんだからね。だが、そいつを持ってる人間にとっちゃ、それが大きな重荷になるんだ。だから、わたしたちはそういう人にたいして、大いに寛大に、忍耐強くしてやらなけりゃならんのだよ」
私はこうした家庭争議にいささか当惑して、高見《たかみ》の見物をしていたが、いったいなぜストルーヴは、私などいっしょに引っ張ってきたのだろうかと考えていた。彼の細君が今にも泣き出しそうにしていることが私にもわかった。
「しかしだね、わたしが彼をここに連れてきたいと思うのは、ただ彼が天才だからということだけじゃないんだよ。奴さんも一人の人間だし、今病気をしてて、かわいそうだからでもあるんだ」
「あたしは、あの人をあたしの家に入れたくありません――絶対に」
ストルーヴは私のほうに向き直った。
「あんた、たのむから、これが生きるか死ぬかの問題だってことを女房にいってくれたまえ。あの男をあんなみじめな穴倉みたいなところに置いとくなんて、とても考えられないんだ」
「そりゃ、彼をここに連れてきて看護するほうが、ずっとやりいいことはわかっているが」と私はいった。「しかし、それがたいへんな面倒になることも多言を要しないね。だれかが昼でも夜でも、奴さんに付き添っていなきゃならんということになりそうだからな」
「ねえ、おまえ、そんなちょっとした苦労に尻ごみするのは、どうもおまえらしくないようだね」
「もしあの人がここへ来たら、あたしは出て行くわ」とストルーヴ夫人ははげしい口調でいった。
「どうもおまえらしくないことをいうね。いつもはあんなにやさしい親切な人間だというのにさ」
「ねえ、後生、だから、ほっといてちょうだい。あたし気が変になっちゃうわ」
それから、とうとう、彼女は泣き出した。どっかりと椅子に腰をおろすと、両手で顔をおおってしまった。けいれんしたみたいに両肩をゆさぶった。ダークはすぐさま彼女のかたわらに跪《ひざまず》くと、両腕を彼女のからだにまわし、接吻をしたり、思いつくかぎりの愛称で呼びかけたりした。涙まで自然と彼の頬をつたって流れおちた。やがて、彼女は身をふりほどくと、涙をぬぐった。
「あたしにかまわないでちょうだい」こんどはあまり冷たい口調ではなかった。それから彼女は私のほうに向き直ると、つとめて微笑をうかべようとした。「あたしのこと、どうお思いになるかしら?」
ストルーヴは当惑の面持ちで妻を見やり、ちょっとためらった。彼の額にはすっかり皺《しわ》が寄り、赤い口をとがらせていた。ふしぎにも、そういう彼は興奮したモルモットを思い出させた。
「じゃあ、おまえ、けっきょくだめだってことなんだね?」と彼はやがて口を切った。
彼女はけん怠の身ぶりをした。すっかり疲れていたのである。
「このアトリエはあなたのものよ。何もかもみんなあなたのもんだわ。もしあなたがどうしてもあの人をここに連れてきたいとお望みになるのでしたら、どうしてあたしにそれをとめることができて?」
とつぜん、彼のまるい顔に微笑がひらめいた。
「それじゃ、賛成してくれるんだね? きっとそうくると思ってたんだ。おお、わたしのかわいい女《ひと》よ!」
とつぜん、彼女はきりっと姿勢を正し、やつれた眼差《まなざ》しで彼のほうを見やった。両手を胸の上に組み、心臓の鼓動《こどう》にたえられないというふうだった。
「ねえ、あなた、あたしは初めてお会いしてからこの方、あたしのために何かしてほしいとあなたにお願いしたことありませんわね」
「そりゃ、おまえ、おまえのためとあらば、この世の中のどんなことでも、してやれんようなことはないよ」
「それじゃ、お願いしますけど、どうかストリックランドさんをここにこさせないでください。ほかの人なら、だれでもいいわ。泥棒でも、飲んだくれでも、街の浮浪人でも連れていらっしゃい。あたしはその人のためにできるだけのことをするとお約束しますわ。だけど、ストリックランドさんだけは連れてこないように、頭を下げてお願いしたいのよ」
「しかし、それはまた、なぜなんだい?」
「あたしはあの人がこわいのよ。なぜかわからないけど、あの人のうちには、何かあたしをこわがらせるものがあるのね。あの人はあたしたちに何か大きな損害をあたえるでしょうよ。あたしはきっとそうだと思うし、そう感じてもいるの。もしあの人を連れてくれば、けっきょく、さいごは困ったことになるんだわ」
「でも、なんてバカげたことをいうんだろう!」
「いいえ、そうじゃないわ。あたしのいうとおりだと思うの。何か恐ろしいことがあたしたちの身の上におこるのよ」
「わたしたちが親切な行ないをするためにかね?」
彼女は今やハアハア息を荒らげ、その顔にはなんとも説明しようのない恐怖の色がうかんでいた。いったい彼女が何を考えていたのか、私は知らない。しかし、彼女のすべての自制心を奪いとった、ある異様な恐怖に彼女がとりつかれていることは私にも感じられた。ふだんの彼女はいかにも平静そのものだったので、このとき彼女の示した動揺には、目を見はらせるものがあった。ストルーヴはしばらく、困惑のうちにも茫然《ぼうぜん》としたようすで彼女を眺めていた。
「おまえはわたしの妻だ。世の中のどんな人間よりわたしにとって大切な人間なんだ。だから、おまえが心から賛成しないかぎり、だれもここにはこさせやしないよ」
彼女はしばらく目を閉じていたが、気を失うのではないか、と私は思った。私もこの女にはいささか腹が立ってきた。そんな神経病患者だとは、それまで夢にも思わなかったからだ。それから、ストルーヴの声がふたたびきこえてきた。それは妙にあたりの静けさをかき乱すように思われた。
「あんたはかつて、ひどい難儀にぶつかり、援助の手がさしのべられたという経験に出あったことがないかね? それがどんなにありがたいもんか、わかるだろう。あんただって、そういう機会にぶつかれば、だれかに親切をつくしてやりたいと思わないかな?」
その言葉はいかにも、もっとも千万《せんばん》であり、私にはいかにも勧告《かんこく》がましくきこえたので、私はにやりとしそうになった。だが、おどろいたことに、ブラーンチ・ストルーヴにたいしては、そんな平凡な言葉もある種のききめがあったらしいのだ。彼女は心持ちハッとして、夫君のほうをじっとしばらく眺めていた。彼は視線をおとしたままだった。なぜ彼が当惑のようすをしているのか、私にはわからなかった。彼女の頬にはかすかな赤味がさしたが、やがてそれが青白く――いや、青白いどころか、死人のように青ざめてきた。まるで、彼女の肉体の全表面から血の気が消え失せたみたいな感じだった。手まで青ざめ、身慄《みぶる》いが彼女の全身をつらぬいた。アトリエの沈黙が徐々に肉づけされ、ほとんど手で触れることができるほどの存在となった。私はすっかり困惑した。
「あなた、ストリックランドさんをここに連れていらっしゃい。あたしはあの人のためにできるだけのことをしてあげましょう」
「ありがとう」彼はにっこり笑った。
彼は彼女を抱きかかえようとしたが、彼女は彼の手を避けた。
「あなた、よその方の前で、そんなまねなさらないでちょうだいね。あたしがとてもバカみたいに見えますもの」
彼女の態度はすっかり平常にもどった。つい今しがた、彼女があのような激しい感情に身をゆさぶられたなどと、だれにも想像できなかったであろう。
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二十六
翌日、私たちはストリックランドに引っ越しをさせた。彼を説得するには、たいへんな意志の強固さと、さらにそれを上まわる忍耐力とを必要とした。だが、彼は病状が、実際のところ、あまりにもひどかったので、ストルーヴの懇願《こんがん》や私の決意にたいして抵抗しきるほどの力があろうはずがなかった。私たちが二人でようやく着換えをさせる問も、彼はなにやら口の中でぶつぶつ文句をいっていたが、私たちはそんなことにはおかまいなく、彼をさっさと階下にかつぎおろして馬車に乗せ、とうとうストルーヴのアトリエまで運んでしまった。そこへ着くと、彼もさすがにぐったりと疲れきっていたので、文句ひとついわずに、私たちのいうなりにベッドに横になった。彼が病床に伏していたのは六週間だった。一時は、あとせいぜい数時間の命と思われたこともあった。だから、彼が病魔を克服できたというのも、ほかならぬこのオランダ人のがんばりがあったればこそだ、と私は確信している。とにかく、これほど扱いにくい患者にぶつかったのは、私としては初めてだった。といっても、やたらとやかましい要求をしたり、愚痴《ぐち》ばかりこぼすからというのではなく、むしろ反対に、なにひとつ不平がましいことをいうのでもなければ、なにひとつ注文するというのでもなく、まったくの無言だったからである。まるで、世話をやいてもらうこと自体が癪《しゃく》にさわるとでもいうようすだった。気分はどうかとか、なにか欲しいものはないかとか、たずねても、すべて嘲笑《ちょうしょう》、軽蔑、悪態の一手で応戦してくるのだ。これには私もさすがにいや気がさして、彼が危険状態を脱すると、さっそくそのことを遠慮なくいってやったものだ。
「勝手にしゃがれ」彼は、ぶりっと一言吐き出しただけだった。
一方、ダーク・ストルーヴのほうは、自分の仕事をすっかり投げ出して、心からのいたわりの気持ちでストリックランドを介抱《かいほう》したのである。患者を居心地よくしてやることがとても巧みで、いやがるストリックランドに医者の処方した薬を飲ませる段になると、彼にはそんな芸当などとてもできまいとたかをくくっていた私の予想に反し、みごとに工夫をこらして、それをやってのけるのだった。彼にとっては、手にあまるほど厄介なことなどひとつもなかったらしい。彼ら夫婦が二人きりで暮らしてゆくのならばともかく、むだ使いするほどの余裕などなかったはずなのに、いまはストリックランドの気ままな食欲を誘うような、季節はずれで高価なうまい食物を買うために、分不相応なぜいたくをしなくてはならないのだった。滋養物《じようぶつ》をとるように、と病人にむかって諄々《じゅんじゅん》と説いていた彼の如才ない忍耐強さを、私は終生忘れることができないだろう。ストリックランドの無礼な言葉にも、腹を立てたことなど一度もなかった。相手がむっつりとして不機嫌なときは、まるでそんなことに少しも気づいていないようなふりをしているし、反対に、相手が攻勢に出てくると、ただクックッと笑いにごまかしてしまうだけなのだ。やがて、ストリックランドの病気も少し快方に向かい、れいの嘲笑癖にひとり打ち興じて、非常にご機嫌なときなど、ストルーヴはそれに拍車をかけるみたいに、わざとバカげたことをして見せたりするのだった。それから、どうだい、病人はこんなによくなったじゃないかといわんばかりに、いかにも幸福そうな眼差《まなざ》しをちらっと私のほうに向けるのだ。ストルーヴは、いやまったくりっぱな人間だった。
だが、私をいちばんおどろかせたのは、ブラーンチのほうだった。彼女はただてきぱきと立ち働いていたばかりか、いかにも献身的な看護ぶりを見せてくれたのである。その態度には、さきにストリックランドをアトリエに連れてきたいと持ちかけた夫の意見にむきになって反対したときの面影などみじんもなかった。病人に必要なお世話なら、ぜひ自分にもさせてもらいたい、と彼女は進んで申し出たのである。病人を動かさないでもシーツの取り換えができるようにベッドの工夫をしたのも彼女だった。病人の体をふいてやったりもした。なかなかたいしたもんだ、と私がほめちぎると、彼女はれいの気持ちのいい微笑を浮かべて、以前しばらく病院で働いていたことがあるから、と答えた。あれほどストリックランドを嫌っていたなどというようすは、これっぽっちも見せなかった。彼女のほうから声をかけることはあまりなかったが、彼がほしがっているものはちゃんとめざとく感じとった。一晩じゅう誰かが付き添っていなければならなかった最初の二週間など、彼女は夫と交代で看護にあたった。長い間、彼女は病人のベッドのかたわらの暗やみの中にすわって、いったいなにを考えていたのだろう? 一段とやせこけ、のびほうだいにのびた顎《あご》ひげをたらし、狂おしく熱をおびた眼で――その眼は、病気のためにいっそう大きくなり、しかも異様な輝きをおびていたが――じっと虚空《こくう》を見つめているストリックランドの寝姿は、じつに無気味なものだった。
「彼は、夜の間、あなたに話しかけることなどありますかね?」と私は彼女にたずねてみた。
「いいえ、なんにも」
「今でもやっぱり、あの男がお嫌いですか?」
「ええ、前よりもっとね」
そういって、彼女は穏やかな灰色の眼で私を見かえした。それはとても静かな表情だったので、この女が、かつて私が目のあたりに見たような、激しい感情の持ち主であろうなどとはとても信じられなかった。
「あなたがしてやったことにたいして、彼はお礼の言葉などいったことありますか?」
「いいえ」そう答えて、彼女はにこっとした。
「じつに人間ばなれしてますね」
「ほんとにいやな人ですわ」
もちろん、ストルーヴは彼女の態度に大喜びだった。もともと彼のほうからもちこんだ重荷なのに、それを共に背負って、献身的に働いてくれることにたいしては、まったく感謝の気持ちの表わしようもなかった。ただ、いささか気になるのは、ブラーンチとストリックランドの、おたがいに相手にたいする態度だった。
「ねえ、きみ、ぼくは実際にこの眼で見たんだが、あの二人はあすこに何時間でも一言も口をきかずにすわっているんだよ」
ちょうどストリックランドもだいぶよくなって、あと一日か二日で起きられるというある日のこと、私は彼らといっしょにアトリエにいた。私はダークと話をしていた。ストルーヴ夫人は縫い物をしていたが、手にしているそのワイシャツがストリックランドのものであることに、私はふと気がついた。彼は無言のまま、仰向《あおむ》けに寝ていた。また一度などは、彼の眼がブラーンチ・ストルーヴにじっと注がれ、しかもその眼には、ふしぎな皮肉の色がうかんでいたのに気がついた。彼の視線を感じて、ブラーンチもふと顔を上げ、一瞬、二人の眼がかちりとあった。彼女の表情がなにを表わすものか、私にはよく理解できなかった。彼女の眼はそのとき、一種奇妙な当惑と、そしてたぶん――だが、それがなぜかわからないのだが――驚きの色をおびていた。ストリックランドのほうは次の瞬間、もう視線をそらし、ぼんやりと天井をみつめていたが、彼女はそのままじっと彼を見つづけていた。こうなると、彼女の表情は私にはまったく不可解なものだった。
二、三日すると、ストリックランドはやっと起き上がれるようになった。その姿は、まったくの骨と皮ばかりだった。まるで|かかし《ヽヽヽ》がぼろをまとったみたいに見えた。顎《あご》ひげはだらしなくたれ下がり、頭髪はのびほうだいにのびて、ただでさえ大きめな顔の造作《ぞうさく》が、いまは病気のために、一段と大きく見え、ちょっと形容しがたい異常な様相を呈《てい》していた。しかしおかしなことには、それが醜いとはいいきれなかったのである。その醜さのうちには、なにか記念碑のように不滅のものが潜《ひそ》んでいた。そのとき彼の私にあたえた印象を、正確にはどのように表現してよいかわからない。たとえ肉体という衝立《ついたて》がほとんど透明に見えたとしても、そこにはっきり現われていたものは、けっして霊的なものとはいいきれなかった。彼の顔には不埒《ふらち》な好色がありありとあらわれていたからだ。しかし、その好色には、こういうといささかバカげてきこえるだろうが、一種妙に霊的なものがあったのだ。彼の身うちには、なにか原始的なものがひそんでいた。ギリシャ人たちがサターとかフォーン〔半人半獣の林野の神で、山羊の角と尾と足をもち、淫乱の性質をもつ〕とかいうもののうちに具体化していた、あの自然の不可解な力を、彼もまたわけもっているように思われた。神を相手にあえて歌の技を競ったために、皮を剥《は》ぎとられたというあのマルスヤス〔森の神で、笛吹きの名手だが、アポロと競演して敗れ、皮をはがれた〕のことを、私はふと思い浮かべた。ストリックランドという男は、ふしぎな和音《ハーモニー》と、まだ誰も試みたことのない紋型《パターン》とを、心の中にひそかに隠しもっているように思えた。私には、彼が苦痛と絶望の最期をとげるような予感がした。魔物につかれている男という感じをまたしても抱いたのだった。しかしそれは必ずしも悪い魔物だとはいいきれなかった。善とか悪とかが生まれる前にすでに存在していた、原始的な力ともいうべきものだったからだ。
彼にはまだ絵を描《か》くほどの元気はなかった。無言のまま、ただアトリエに腰をすえて、なにやらわからぬ瞑想《めいそう》にふけったり、書物を読んだりしていた。彼の好む本というのがまた奇妙だった。よくマラルメ〔フランスの象徴派詩人〕の詩に読みふけっているのを見かけた。しかも、その読み方というのがまた変わっていて、まるで子供のように、一語一語、唇で言葉の形をつくって読むのだ。あの難解な韻律や曖昧《あいまい》な文句から、いったい彼はどのようにふしぎな感情を導き出していたのだろうか? またあるときなどは、ガボリオ〔フランスの探偵小説家〕の探偵小説にそれこそ夢中で読みふけっていた。そのように書物の選択にも、彼の風変わりな性質の、相矛盾する両面がはっきりと現われていることを考えて、私はつくづくおもしろいと思った。そのうえ、ふしぎなことに、この人間はこれほどからだが衰弱しているというのに、少しでもそれをいたわろうとはしないのだ。ストルーヴはくつろぐのが好きだったので、アトリエには、ごてごて飾った肘掛《ひじかけ》椅子が二つと、大きな長椅子が一つおいてあったが、ストリックランドはけっしてそういうものに近づこうともしなかった。といっても、克己《こっき》の精神を気取ってみるつもりからではなかった。ある日、私がたまたま彼一人でいるアトリエを訪れたときも、彼はやはり三本脚の腰掛にかけていた。要するに、彼はくつろげる椅子が好きでないまでのことなのだ。彼は好んで肘《ひじ》掛けのついていない台所椅子に腰をかけていた。彼を見ると、私はよく気分がむしゃくしゃした。環境にたいしてこれほどまったく無関心な人間を私はいまだかつて見たことがない。
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二十七
二、三週間がすぎた。ある朝、私は仕事が一段落ついたので、ひとつ一日休みをとってやろうと思い立ち、ルーヴルへ出かけた。よく知りつくしている絵の前をぶらぶら歩きながら、とりとめもなくさまざまな空想にふけっているうち、長い画廊に出てきた。ふと見ると、ストルーヴがそこにいるではないか。いかにも丸っこくて、しかも驚いたような顔つきをしている彼のようすを見て、私は思わず笑い出さずにはいられなかった。ところが近づいてみると、彼はいつになく浮かない顔色をしているのだ。愁《うれ》いをおびていながらも、どことなくこっけいに見えるところは、ちょうど、着物ごと水の中に落ちこみ、やっと助けてもらったが、まだ胸の鼓動がおさまらず、なんだか自分がバカ者みたいに見えると感じている人間のようだった。彼はくるりとふり向いて、しばらく私のほうを見ていたが、どうやら私であることがわからないようすだった。その青く澄んだ、丸っこい眼が眼鏡の奥で悩んでいるみたいだった。
「ストルーヴ君」と私は声をかけた。
彼はちょっと驚いたようすだったが、やがて笑顔を見せた。だが、それはなにか哀《かな》しそうな微笑だった。
「どうしてまたきみは、そんなにしょげ返ったようすでぶらついているんだね?」と、私は快活にきいた。
「久しぶりにルーヴルに来てみたんだよ。なにか目新らしいものでもないかと思ってね」
「だけど、きみは今週中に絵を一枚|描《か》き上げなくちゃならないといってたじゃないか」
「ストリックランドがわたしのアトリエを使ってるんでね」
「それで?」
「それも、そもそもはわたしのほうからいい出したことなんだ。奴さんはまだ自分の部屋に戻るほど快復してないと思ったもんだからね。じつは、二人でいっしょにあそこを使おうかと思ってたんだ。いっしょにアトリエを使ってる連中は、このカルティエ・ラタンにはたくさんいることだしさ。きっとおもしろいだろうと思ったんだ。仕事に疲れたときなんか、誰か話し相手でもいてくれたら、どんなに楽しいだろうと前まえから考えていたんでね」
彼はゆっくりと、一句一句切りはなし、少しずつ、ぐあい悪そうに間を置いては、やっとこれだけのことを語った。そして、あのやさしい、いかにも人のよさそうな眼をじっと私の眼に当てているのだ。その眼には涙がいっぱいたまっていた。
「どうもいまの話、ぼくにはよくわかんないがね」
「ストリックランドは、アトリエでほかの人間といっしょじゃ仕事ができないんだよ」
「そんなバカな。きみの仕事場じゃないか。奴さんは自分で自分の仕事場をさがせばいいんだ」
彼はいかにもあわれっぽい顔つきで私を見やった。唇がぶるぶると震えていた。
「いったいどうしたっていうんだい?」と、私は語調を強めてたずねた。彼はためらったが、顔はみるみる赤くなった。そして、いかにも困りきったという顔つきで壁にかかった絵をちらと見やった。
「彼はわたしに仕事をつづけさせてくれないんだ。わたしに出てゆけといってね」
「しかし、そんなこといわれて、なぜきみは、勝手にしゃがれってどなってやらないんだ?」
「彼のほうがわたしを追い出しちゃったんだよ。どうも奴さんと争いたくないんでね。彼はわたしの帽子をうしろから投げつけて、部屋の鍵をかけちまったんだ」
私はストリックランドにたいして激しい憤りを感じた。いやむしろ、ダーク・ストルーヴのバカづらに思わずふき出しそうになった自分自身にたいして、怒りを感じたといったほうがいいだろう。
「だけど、奥さんはなんていったのかね?」
「あれはちょうど買い物に出かけていたのさ」
「奥さんは中にはいれるんだろうな?」
「さあ、そいつはわからん」
私は当惑しきってスールーヴの顔をまじまじと見つめた。彼はまるで先生に叱られている生徒みたいに、そこに突っ立っているのだ。
「じゃ、ひとつ、ぼくがあいつを追い出してやろうか?」
彼はちょっとびっくりしたが、そのてかてかと光った顔はみるみるまっかになった。
「いや、あんたはなんにも手を出さんでくれよ」
そういって、彼は軽く頭をさげると、逃げるようにその場を立ち去った。この問題について、私といい合いをしたくないというのには、たしかになにかわけがありそうだったが、私にはなにがなんだか、さっぱりわからなかった。
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二十八
その作について説明があったのは、それから一週間後のことだった。たしか夜の十時ごろだったと思う。私は一人でレストランでの食事をすませ、自分の小さな部屋に戻ると、居間に腰をおろして本をよんでいた。すると、かすれたようなベルが鳴ったので、廊下に出て、扉をあけてみると、そこにストルーヴが立っていた。
「はいってもいいかね?」と彼がきいた。
薄暗い踊り場のこととて、彼の顔はよく見えなかったが、その声には、なにかしら私をおやと思わせるものがあった。
もし彼が禁酒家であることを知らなかったとしたら、おそらくどこかで一杯ひっかけて来たものとでも思ったことだろう。私はさっそくその彼を居間に案内すると、まあすわれよ、といった。
「あんたがいてくれてたすかったよ」
「いったいどうしたというんだね?」と、私は彼のいつにない激しい語調に驚いてきき返した。
こんどは居間にいるので、彼の姿をよく見ることができた。いつもはきまって身だしなみのよい男なのに、今晩の彼はまったくだらしのないかっこうをしていた。まるで急にうすぎたなくなったみたいだった。きっと一杯ひっかけて来たにちがいないと思うと、私は思わず笑い出してしまった。いったいそのかっこうはなんなんだい、とあぶなくからかうところだった。
「どこへ行ったものかと思案にくれてたとこなんだよ」と、彼はどなるような大声でいった。「少し前にもここに来たんだが、あいにくあんたは留守だったんだ」
「晩飯をおそくたべたもんだからな」
ようやく私は、彼がこんなにやけになっているのは、酒のためではないと考え直した。いつもはバラ色に赤らんでいる顔が、今晩は妙に斑点だらけなのだ。
「なにかあったのかい?」
「女房に逃げられたんだ」
これだけの言葉を口に出すのさえ、彼にはやっとだった。あえぐように小さく息を呑《の》むと、丸っこい頬に涙が流れはじめた。私はなんといって慰めてよいかわからなかった。まず最初に思い当たったのは、きっと彼がストリックランドにすっかりうつつを抜かしていることにたいして、彼女のほうがこれ以上辛抱しきれなくなり、そのうえ、このイギリス人の冷笑的な態度に苦しめられたあげく、ストリックランドを追い出してしまうようにときめつけたのではないか、ということだった。
いかにも静かな物腰をしているが、かっとなる性《たち》の女であることは知っていた。ストルーヴがなおも彼女の要求を拒みつづければ、二度と帰るものかと啖呵《たんか》を切って家を飛び出すくらいのことはしかねないのだった。だが、その小男のほうに眼をやると、あまりにもしょげきっているので、私も笑うわけにはいかなかった。
「まあきみ、そんなに悲観しなくたって大丈夫だよ。奥さんは帰ってくるさ。女がかっとなったときは、その言葉をあんまり本気にとらんほうがいいぜ」
「どうもあんたにはまだわかってないんだね。じつをいうと、あれはストリックランドに惚《ほ》れてるんだ」
「なんだって!」これにはさすがの私もびっくり仰天した。しかしそんなことは考えてみると、あまりにもバカげていて、とても信じられるどころではなかった。
「なんでまた、そんなバカげたことをいいだすんだい? まさかストリックランドに嫉《や》いてるんじゃあるまいね?」そういって、私は危うく笑い出しそうになった。
「だいたい奥さんは、あの男を見るのさえいやでたまらないってことぐらい、きみだってよく承知してるはずだよ」
「あんたにはわからないんだ」と、彼はうなるような口調でいった。
「バカだな、きみは。ヒステリーを起こしてるんだよ」私は少しもどかしげにいった。「ウィスキー・ソーダでもつくってやろうか。そうすりゃ元気が出るさ」
きっと、なにかのわけがあって、と私は思った――実際、人間という奴は、自分を苦しめるためにどんな創意工夫でもこらすものだから――ダークの奴、きっと細君がストリックランドを好きになったと決めこんでいるにちがいない。そして、そこはへまをやる天才のことだけあって、彼が細君の気をそこねることは十分にありうるだろう。そしてたぶん彼女のほうでは、夫君を怒らせてやろうと、わざわざ骨を折って彼の猜疑心《さいぎしん》を助長させるようなことをしたのであろう。
「それじゃひとつ、こうしよう。きみのアトリエに行ってみようじゃないか。それで、もしきみが考えすぎで、バカげたことをしてたとわかったら、いさぎよく奥さんにあやまるさ。とにかく、きみの奥さんに限って、そういつまでうらみを抱くような人には思えないよ」
「だけどね、このわたしがまたのこのことあのアトリエに帰ることなんぞ、できると思うかね?」と、彼はものうい調子でいった。「あすこにはあの二人がいるというのにさ。わたしはあいつらにあすこを明け渡してきたんだ」
「それじゃ、逃げ出したのは、奥さんじゃなくって、きみ自身てことになるじゃないか」
「どうかお願いだから、そんないい方はしないでくれたまえ」
それでもまだ、彼が本気でそんなことをいってるとはどうしても思えなかった。私には彼が話したことがとても信じられなかったのだ。だが、彼は心底から恨《うら》んでいたのである。
「そうか。それじゃ、きみはそのことを話しにぼくんところへやって来たってわけなんだね。そんなら、初めからすっかり、事の次第を話してくれたらどうだ」
「今日の午後、とうとうわたしも、もうこれ以上がまんができなくなったんだ。そこでストリックランドにね、もうあんたはすっかりよくなったんだから、自分のとこへ戻っても大丈夫だろう、っていったんだよ。わたし自身がアトリエを使いたいと思ってね」
「相手がストリックランドでなけりゃ、そんなことわざわざいう必要もなかったんだがね」と私はいった。
「それで、奴さんはなんていったんだい?」
「彼はちょっと笑ってね、ほら、あんたも知っているだろう。おかしいから笑うんじゃなくって、まるでおまえはなんというバカな奴だ、といわんばかりの、あの笑い方でさ。それから、いますぐにでも出ていってやるといったよ。奴さんはすぐさま荷物をまとめ出した。そら、奴に必要なものはみんな、いつかわたしが彼の部屋から持ち出してきたのをあんたもおぼえてるだろう? それから奴はブラーンチに向かって、荷造りをするから、なにか紙とひもを持って来てくれと頼んだ」
ストルーヴはここまで話すと、ハアハアいって言葉を切ったが、私は彼が気を失うのではないかと思った。私もまさかこんな話を、彼の口からきかされようなどとは夢にも思っていなかった。
「家内の顔色はまっ青だった。がしかし、いわれるままに紙とひもを持って来たんだ。奴さんは一言も口をきかなかった。荷造りをしながら、なにやら口笛を吹いていたが、わたしたち二人がいることなどてんで無視していたんだね。眼には、ちょっと皮肉な微笑をうかべてさ。わたしの心はまるで鉛のように重かった。なにかとんでもないことが起こりそうな気がして、あんなこといい出さなければよかったわい、と心から思ったね。そうして、奴が自分の帽子をさがしているちょうどそのとき、あれがとつぜんこういい出したんだ――ダーク、あたしもストリックランドさんといっしょに出ますわ。もうこれ以上、あなたといっしょに生活することはできません、とね。わたしはなにかいおうとしたんだが、どうしても言葉が出てこない。ストリックランドはいぜんとして黙っていた。まるで自分には関係のないことだといわんばかりに、あいかわらず口笛を吹いているんだ」
ストルーヴはここでもまた言葉を切り、顔の汗を拭った。私は身動きひとつせずに、じっと彼の話にききいっていた。ここまで聞くと、彼の言葉を信じないわけにはいかなかった。私はまったく唖然《あぜん》としてしまった。だが、それでもなお、私には事の次第がよく呑《の》みこめなかったのである。
やがて、彼は声をふるわせ、両頬に涙を流しながら話をつづけた。彼が彼女に近づき、彼女を胸に抱きしめようとすると、彼女はひらりと身をかわして、どうか自分に触《さわ》らないでくれ、といった。彼は、頼むから自分を捨てないでくれ、と懇願した。自分がどれほど彼女を熱烈に愛しているか、また、今まで彼女のためにどれほどすべてを献《ささ》げてきたか、また二人でどんなに幸福な生活を送ってきたかについて、彼は彼女に話してきかせた。自分は彼女にたいして怒ってもいないし、彼女を責めてもいない、ともいった。
「ダーク、なんにもいわずにあたしを行かせてちょうだい」と、やがて彼女はいった。「あたしがストリックランドを愛していること、あなたにはまだおわかりにならないの? あの人の行くところなら、あたしはどこへでもついてゆきますわ」
「だけどおまえ、あの男がけっしておまえを幸福になどできない人間であることを忘れちゃいけないよ。おまえのために、行ってもらいたくないんだ。この先どんなつらいことが待ち受けているか、おまえにはまだわかっていないんだよ」
「こうなったのも、みんなあなたの責任ですわ。あの人をここへ連れて来るってきかなかったのは、あなたのほうよ」
彼はストリックランドのほうへふり向いた。
「この女をかわいそうだと思ってくれ」と彼は歎願した。「いかにあんたでも、家内にこんな気違いじみたまねはさせられないはずだ」
「彼女は自分のしたいようにすればいいさ」とストリックランドはいった。「なにもわしは無理についてこいといってるわけじゃないよ」
「もう決心はついてますわ」と、彼女は活気のない声でいった。
ストリックランドの、このふてぶてしい冷静さを前にして、ストルーヴが今までかろうじてもちこたえてきた自制心はひとたまりもなく崩れ去った。盲目的な憤怒《ふんぬ》が彼をとらえ、彼は無我夢中でストリックランドにとびかかった。ストリックランドは不意打ちをくらって、一瞬よろめいたが、病後とはいえ、なにしろ腕力はとても強かったので、どうしてそうなったのかよくわからなかったが、次の瞬間に、気がついてみると、ストルーヴはもう床の上に倒れていた。
「このおかしな小男めが」と、ストリックランド。
ストルーヴはやっとのことで立ち上がると、そこに細君が身動きひとつせずに立っているのに気がついた。彼女の目の前で、こんなバカげたまねをしたかと思うと、一段と屈辱を感じた。格闘中に眼鏡がどこかに飛んでしまい、それがすぐにはみつからなかった。彼女は眼鏡を拾い上げると、なにもいわずに彼に手渡した。とつぜん、彼は自分の不幸をしみじみと悟ったみたいに、どっと悲しみがこみあげてきて、自分のバカさかげんをさらに一段とさらけ出すことになると知りながらも、ついに両手で顔をおおうと、声をあげて泣き出した。あとの二人は、ただ黙って、みじろぎもせずに、そういう彼を見つめていた。
「ああ、ブラーンチ!」と、彼は、とうとううめくようにいった。「よくもおまえにはそんな残酷なまねができるね」
「どうにもしようがないのよ、ダーク」
「わたしはおまえを、今までどんな女もそうされたことがないほど崇拝してきたんだ。もしわたしがなにかおまえの気にさわるようなことでもしたのだったら、なぜそういってくれなかったのかね? そうしてくれていたら、わたしもきっと改めていただろうよ。わたしはおまえのためにどんなことでもして来たつもりなんだが」
彼女は黙っていた。顔色ひとつ変えないのだ。やがて彼はようやく、自分がいくらなにを話そうと、それはただ彼女を退屈させるにすぎないのだと悟った。彼女は外套《がいとう》を着て帽子をかぶった。そして、静かに戸口のほうへ近づいた。いよいよ行ってしまうな、と彼は思った。彼は足ばやに彼女のそばに歩みよると、彼女の前に跪《ひざまず》き、彼女の両の手をしっかりとつかんだ。自尊心をかなぐり捨ててかかったのだ。
「ねえ、後生だから、出てゆかないでくれ。おまえなしでは、わたしはもう生きていけない。自殺してしまうよ。もしなにかおまえを怒らせるようなことでもしたのだったら、どうか赦《ゆる》してくれ。もう一度だけ、わたしにチャンスを与えてくれ。おまえを幸福にするために、もっと努力してみるから」
「あなた、立ってちょうだい。あなたはまるで自分のバカさかげんをわざわざ人に見せつけてるみたいよ」
彼はよろめきながら立ち上がったが、なおも彼女を離そうとしなかった。
「いったいどこへ行くつもりなんだね?」と彼はあわててたずねた。「おまえにはストリックランドの住んでいる所がどんなところかもわかっちゃいないんだよ。あんなところで暮らせるもんじゃない。まったく目も当てられんことになるよ」
「あたしがかまわなければ、なにもあなたがそんなにおせっかいをやくことなんかありませんわ」
「もうちょっと待ってくれ。いっておかなければならんことがあるんだ。ともかく、それくらいのことは、きいてくれてもよさそうなもんじゃないか」
「そんなこと、いったいなんの役に立つというの? あたしの決心はもうちゃんとついているんですよ。あなたがなんといったって、あたしの決心はかわりっこありません」
彼はごくりと唾《つば》を呑みこむと、まるで苦しい胸の鼓動をやわらげるかのように、両手を胸に押しあてた。
「わたしはなにもおまえの気持ちをかえてもらおうとしているんじゃないんだ。ただ、ほんのしばらくきいてもらいたいことがあるんだよ。これがわたしの最後の頼みだと思って、どうかがまんしておくれ」
彼女は立ち止まり、あの物思いにふけっているような瞳で彼を見やったが、それはすでに彼にたいしてはとても冷たい眼差《まなざ》しだった。彼女はアトリエに引き返すと、テーブルによりかかった。
「さあ、なんですの?」
ストルーヴは必死で気持ちを落ちつけようとした。
「少しは冷静になって考えてくれよ。空気をたべて生きてはゆけないんだからな。ストリックランドはおかねを一文ももっちゃいないんだ」
「わかってますわ」
「これからさき、どんなに生活に困らされるかわからないんだ。あの男の病気があんなに長びいたのも、じつをいうと、飢《う》え死にしかかっていたからだよ。おまえにも、そのくらいのことはわかっているはずだが」
「おかねぐらい、あたしが稼《かせ》いでやりますわ」
「ほう? どうやって」
「まだそんなことわかりませんけど、なんとか方法があると思います」
あるおそろしい考えが、ふと、このオランダ人の頭をかすめ、彼は思わず身ぶるいした。
「きっとおまえは気が狂ってるにちがいないよ。いったいぜんたい、なんでそんな気持ちになったんだい?」
彼女はぴくりと肩をすぼめただけだった。
「さあ、もう行ってもいいでしょ?」
「もう一秒だけ待ってくれ」
そういうと、彼は疲れた眼差《まなざ》しで仕事場の中を見まわした。彼女の存在がこのアトリエに、陽気で家庭的な雰囲気をそえてくれたればこそ、彼はここをどこよりも愛してきたのだ。彼は一瞬、眼を閉じ、それから彼女の顔を長いことじっと見つめた。まるで彼女の面影を心の底にやきつけようとでもしているみたいだった。やがて、彼はつと立ち上がると、帽子を手にとった。
「だめだ。わたしのほうが出てゆこう」
「あなたが?」
彼女は驚いた。彼のいうことがよく呑みこめなかったのだ。
「わたしはね、おまえがあのおそろしくきたない屋根裏部屋で暮らすと思うと、とてもたまらないんだ。つまるところ、ここはわたしの家であると同時に、おまえの家でもあるんだ。ここなら、おまえだって居心地がいいだろう。少なくとも、どん底生活だけはしないですむだろうよ」
そういうと、彼は自分のかねがしまってある引出しのところに行き、そこから何枚かの紙幣を取り出した。
「このかねを半分だけおまえにやろう」
そういって、彼はその紙幣を机の上に置いた。ストリックランドもブラーンチも黙っていた。
それから、彼はまた何かほかのことを思い出した。
「すまないが、わたしの衣類だけ包んで、アパートのおばさんに預けといてくれ。あした取りにくるからね」そういうと、彼はしいてほほ笑もうとした。「じゃあ、さようなら。これまでわたしにあたえてくれた幸福に感謝しているよ」
彼は外に出ると、うしろ手に扉を締めた。私には、あのストリックランドがぽいと帽子を机の上に投げると、腰をおろし、巻煙草を吸いはじめるようすがまるで眼に見えるようだった。
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二十九
私はストルーヴの話を心の中で反芻《はんすう》しながら、しばらく黙っていた。彼の気の弱さが私には肚《はら》にすえかねた。彼のほうでもまた私の不満に感づいていた。
「ストリックランドがどんな生活をしていたか、あんたも知っている」と、彼は声を震わせていった。「わたしとしては、どうしてもブラーンチにあんな生活をさせたくないんだ――とてもね」
「そいつはきみの勝手だがね」
「もしあんただったら、いったいどんなふうにしたと思うかね?」
「奥さんはなにもかも承知の上でやったことなんだから、ある程度の不自由をがまんしなきゃならんとしても、そいつはきみの知ったこっちゃないよ」
「それもそうだが、なにしろ、あんたはあれを愛してるわけじゃないから、わからんのだね」
「じゃ、きみはいまでも奥さんのことを愛しているのかね?」
「そりゃもちろん、前よりもっと愛してるよ。ストリックランドは第一、女をしあわせにしてやれるような男じゃない。そんなことが長つづきするわけがないよ。わたしはね、たとえどんなことがあってもあれを捨てやしないってことを、あれに知っておいてもらいたいんだ」
「というと、きみにはいつでも奥さんを引き取る用意があるというんだね?」
「そりゃそうだ。だって、そうなりゃ、あの女はこのわたしを今までよりいっそう必要とするんだからね。一人ぼっちになって、みじめに打ちしおれているとき、どこにも行くところがないとしたら、それこそおそろしいことだよ」
彼はいっこうにうらんでいるようすもなかった。彼のいくじなさに多少とも憤りを感じた私のほうが、むしろ平凡な人間だったのだろう。彼も私の心の中を察したらしく、次のようにいった――
「むろんわたしは、自分があの女を愛してると同じように、あの女にも自分を愛してもらいたいなどとは思ってやしない。わたしは道化役者だからね。女が愛するような男じゃないんだ。それくらいは初めっからよく承知しているよ。だから、あれがストリックランドにほれこんだとしたって、べつに彼女を責める気にはなれないんだ」
「たしかにきみくらい男の誇りを持ち合わせない人間にぶつかったことはないね」
「わたしは自分自身よりも、ずっとあの女を愛しているんだ。愛情の中に誇りがはいりこんで来るというのは、なによりもまず自分自身をいちばん愛してるって証拠だと思えるんだ。男が結婚すると、細君以外の女に恋をするとよくいわれるが、男もそこを乗りきると、けっきょく、細君のところに戻ってくるんだよ。そして細君のほうでも、戻ってきた夫を快く迎える。それがごく自然のことだとだれでも考えている。だから、女にだって、それと同じことがいえると思うんだよ」
「なるほど、筋はちゃんと通っているようだね」そういって私は微笑した。「だがねえ、たいていの男はそれとちょっと違うようにできてるんだ。だから、きみのいうようなことはできないんだよ」
だが、じつのところ、私はストルーヴと話している間にも、こんどの事があまりにもだしぬけに起こったのを不審に思っていた。ストルーヴがこのことにいままで少しも気がつかなかったなどということはちょっと考えられなかった。私はふと、いつか見た、ブラーンチの眼の中にちらと浮かんだあるふしぎな表情を思い出した。おそらくそれは、彼女自身も驚き、かつあわてたある感情の芽生えを、すでに彼女がかすかに意識しはじめていたということを物語っていたのだろう。
「きみはいったい、あの二人の間になにかがあるってことを、今日まで少しも感づかなかったのかい?」
彼はしばらくの間、答えなかった。ちょうど机の上には鉛筆が一本置いてあったが、それで彼は無意識に吸い取り紙の上になにやら人間の頭らしいものを書いていた。
「ぼくに何かきかれるのがいやだったら、遠慮なくそういってくれたまえよ」
「しゃべってしまうほうが、気が楽になるんだがね。ああ、わたしの心中の苦しみがいくらかでもあんたにわかってもらえたらなあ」そういって、彼は鉛筆を床にほうり投げた。「そうだ、二週間も前から気がついてはいたんだ。あれが気がつく前から、わたしにはわかっていたんだよ」
「そんなら、いったいなぜきみはストリックランドを追い出してしまわなかったんだね?」
「わたしにはどうしてもそれが信じられなかったんだよ。とてもありえそうもないことだと思ったからね。なにしろ、ブラーンチはあの男の顔を見るのさえがまんできないといってたんだから。そんなことはとても信じられなかったんだよ。それで、きっとこれはわたしの単なる嫉妬にすぎんのだろうと考えたんだ。だいたいわたしという人間には、むかしから嫉妬深いところがあったんだ。しかし、そいつを外に表わすまいと訓練してきたんだね。ブラーンチの接するすべての男にわたしは嫉妬を感じていたんだ。あんたにだって嫉妬していたよ。わたしがあの女を愛しているほど、あれがこっちを愛していないことがよくわかってたからね。でも、それが当たり前だったんじゃないかな。だけど、彼女はなんにもいわずにわたしの愛を受け入れていてくれたんだ。それだけで、わたしは十分幸福だった。だから、わたしはあの二人をそっとしておいてやるために、わざわざ何時間もぶっつづけに外出したりもしたんだよ。つまり、みっともない疑惑にさいなまれる自分自身を思いきり罰《ばつ》してやりたかったからだね。ところが戻ってみると、わたしなんかいてほしくないとでもいうようすなんだ――ストリックランドがじゃないよ。奴さんはわたしがいようがいまいが、いっこう意に介しないんだからね。それは、ブラーンチのほうなんだ。わたしが接吻しようと思って近寄ると、彼女は身ぶるいしたんだ。とうとう事がはっきりしたとき、わたしはどうしてよいかわからなくなった。もし夫婦げんかでもすれば、きっと二人のもの笑いになるだけだろうと思った。そこでいっそのこと、黙って知らんふりをしていれば、やがて万事うまくおさまるんではないか、とわたしは考えた。そこでわたしは、なんとかけんかなどせず、静かに奴さんに出ていってもらうよりほかに手はあるまい、と心の中で決めたんだ。ああ、そのときのわたしの苦しみといったら、とてもあんたなんかにわかってはもらえまいよ」
それから彼は、ストリックランドに出ていってほしいと頼んだときのことをふたたび話した。まず、適当な機会を慎重に選んだ上で、なにげなく話し出そうとした。だが、彼としては声の震えるのをどうしてもおさえることができなかった。陽気に、親しげに話そうと思えば、その言葉のなかに、嫉妬のうらみがそっと忍びこんでくるのをどうしても感じないわけにはいかなかった。まさか、出てゆけといっても、あのストリックランドがその申し出をたちどころに承諾して、すぐその場で荷造りを始めようとは夢にも考えていなかった。ましてや、細君がいっしょに出てゆくといい出そうなどとは、まったく予想もしないことだった。今となっては、口をつぐんでいたほうがよかったにとつくづく後悔していることが私にわかった。彼にとっては別離の苦悩よりはまだ嫉妬のほうがましだったのだ。
「いっそひとおもいに奴を殺してしまおうかとさえ思ったが、けっきょく、自分を笑い者にしたのが|おち《ヽヽ》だったよ」
それから、彼は長いこと黙っていた。やがて、心の底にわだかまっていたらしいことを吐《は》き出した。
「もしわたしが待ってさえいたら、おそらくうまくいったことだろう。あんな短気を起こすんじゃなかったよ。ああ、かわいそうなブラーンチよ、わたしはどこまであれを追い込んでしまったのだろうか?」
私はちょっと肩をすぼめたが、なんにもいわなかった。じつのところ、私はブラーンチ・ストルーヴには少しも同情していなかった。だが、そうかといって、彼女にたいする私の意見を率直に話してみたところで、ただかわいそうなダークを苦しめることになるばかりだ。
ストルーヴはといえば、一刻も黙ってはいられないという疲労の段階に達していた。彼はそのけんかでかわされた言葉を一言一句もらさずくり返して語り出した。あるいは、前に話さなかったことまで思い出して話したり、あるいは、ああいうふうにいわずに、こういうふうに話せばよかったに、といったかと思うと、こんどはまた、自分の盲目さかげんを嘆いたりもした。そして、自分のしたことを後悔してみたり、また、ああすればよかったなどと自分の手落ちを責めたりした。そうこうしているうちに、だんだんと夜がふけ、とうとう私のほうまで、彼と同じくらいに疲れきってしまった。
「ところで、けっきょく、この先どうしようというんだね?」と、とうとうしびれを切らした私がたずねた。
「わたしのほうではどうすることもできやしないよ。ブラーンチが呼びに来るまで、待っているつもりだ」
「しばらくどこかへ旅行でもして来たらどうだね?」
「いや、そいつはだめだよ。とにかく、彼女が呼びに来るとき、手近かなとこにいてやらなくちゃならんからな」
さしあたり、彼もすっかり途方に暮れているようだった。打つべき手もまだ何ひとつ考えていなかったのだ。とにかく、もう寝たほうがいいよ、と私はすすめたが、彼はとても眠れそうにないから、外に出て、夜が明けるまで街中をぶらついてきたいといった。だが、どう見ても、独りぼっちでほおり出せる状態ではなかった。とにかく今晩は私の家に泊まるようにと説得《せっとく》して、私のベッドに寝かしつけた。私のほうは、居間にある長椅子でけっこう寝られそうだった。そのころには、彼もぐったりと疲れきっていたので、私のぜひにという言葉にさからう気力もなかった。とにかく、数時間はぐっすり眠れるようにと、私はヴェロナール〔睡眠薬〕を少し余分にやった。これが私にできる最善のサーヴィスだと思ったからである。
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三十
しかし、私が自分でしつらえたベッドはあまり寝心地がよくなかったので、眠られぬままに、不運なオランダ人が話してくれたことをあれこれと考えめぐらした。私としては、ブラーンチ・ストルーヴの行動にはそれほど当惑を感じなかった。それは肉体的アピールの結果にすぎないと見たからだ。彼女がほんとうに夫を好いたことがあるとは思わないし、私が愛情だと思ったものも、じつは愛撫《あいぶ》と慰安にたいする女性的な反応にすぎないのであって、それがたいていの女の心のなかでは愛情として通用しているものなのだ。それはどんな樹木の上にでも成長できるツル草のように、どのような対象にたいしてでも燃えあがることのできる受身の感情である。そして、そうした感情が娘さんの心をかきたてて、きっとあとから愛情が生まれてくるという確信のもとに、自分をもとめる男と結婚するような気持ちにさせるばあい、世の知恵はその力をみとめるのだ。それは生活の安定にたいする満足、所有の誇り、相手からもとめられているという快感、家庭をもっている充足、そういったものから成り立つ感情であり、婦人がそれに精神的価値をあたえるというのも、ほほ笑ましい虚栄心によるにすぎないのだ。だがそれは、熱情にたいしては防御力をもたぬ感情である。ブラーンチのストリックランドにたいする激しい嫌悪《けんお》感のうちには、初めから漠然たる性的魅力の要素があったのではないか、と私は思っていた。だが、この私が性の神秘的複雑さを解こうなどとしたら、それこそおこがましいかぎりである。おそらくストルーヴの熱情は、彼女の性質のそのような面を、満足させることなしに、ただ刺激したにすぎないのであろう。そして、彼女がストリックランドを憎んだのは、彼女が彼のうちに、彼女のもとめるものを満足させる力を感じたからである。彼女の夫が彼をアトリエに連れてこようと望んだことに彼女が反対したとき、それは絶対に口先だけではなかったと思う。彼女は自分ではなぜかわからなかったが、彼がこわかったのであろう。それに今にして思い出すが、彼女は不幸の到来をあらかじめおそれていたのだ。奇妙なことだが、彼女が彼にたいして感じていた恐怖は、彼がいかにも妙なふうに彼女の気持ちを波立たせたために、彼女が自分にたいして感じた恐怖の移動したものだったと思う。彼の外見は野性的で、ぶざまだった。その眼にはよそよそしさがあり、その口元には肉感的なところがあった。からだが大きく、頑丈《がんじょう》だった。手に負えない熱情の持ち主という印象をあたえた。そしておそらく彼女もまた、彼のうちに、物質が大地との初期の関連を保持しつつも、それ自身の精神をもっているように思われた時代に住んでいた、あの歴史の黎明《れいめい》期における野生動物を私に思い出させたその無気味な要素を感じたのであろう。もしこの彼が彼女に何かの影響をあたえるとすれば、彼女が彼を愛するか、それとも憎むか、どちらかであることは必然だった。そして、彼女は彼を憎んだのである。
それから、病人と毎日親しく接していたことも、妙に彼女の気持ちを動かしたのだと思う。彼女は彼に食べものをとらせるため、彼の頭を持ちあげてやるのだったが、その頭が彼女の手にどっしりと重たく感じられた。彼が食べおわると、彼女は彼の肉感的な口元と赤い顎《あご》ひげをぬぐってやった。男の手足を洗ってやることもあったが、どちらも深い毛におおわれていた。手をふいてやるとき、病気をしているというのに、それは筋骨たくましい、力強い手であった。手の指が長く、芸術家特有の、有能な、物を形づくることの器用そうな指だった。そういった男の肉体的な特性が、どのような悩ましい思いを彼女の心のなかにかきたてたか、私としてはただ想像するよりほかはない。
彼は身動きひとつせず、静かに眠ってしまうので、死んだように思われることもあったし、長い追跡のあとでゆっくり休息をとっている森の野獣みたいに見えることもあった。そんなとき、いったい彼の夢のなかをどんな空想がかけめぐっているのか、と怪しむ彼女であった。ギリシャの森のなかを、サターにはげしく追跡されて逃げてゆくニンフのことでも夢みているのだろうか? 足のはやいニンフは無我夢中で逃げるが、サターは一歩一歩と少女にせまり、ついに彼女は彼の熱っぽい息づかいを頬に感じるようになる。それでも彼女は黙々と逃げ、彼は黙々と追いかけるのだ。やがてついに、彼が彼女をつかまえたとき、彼女の心臓をおののかせたのは、いったい恐怖であったのか、それとも恍惚《こうこつ》であったのか?
ブラーンチ・ストルーヴは、欲望の残酷な手にがっちりとつかまえられてしまった。おそらく彼女は、今もってストリックランドを憎んでいたであろうが、同時に餓《う》えたもののように、彼をもとめてもいた。これまで彼女の生活を組み立てていたありとあらゆるものが、今やまったく価値を失った。彼女は、親切であると同時に短気な、思いやりがあると同時に思慮を欠いた、という複雑な一人の女性であることをやめて、ミーナッド〔酒神バッカスの巫女《みこ》で、狂乱の女〕になった。欲望という名の女になったのである。
しかし、おそらくこれは少し空想的にすぎる見方であろう。たぶん彼女は、ただ自分の夫に退屈して、冷酷な好奇心から、ストリックランドをもとめた、というだけかもしれない。あるいは、彼女のほうには彼にたいしてとくべつの感情などなかったのに、ただ相手がすぐそばにいたとか、自分が退屈していたとかのため、彼の欲望に屈し、そのあと、自分の手でこしらえた|わな《ヽヽ》に捕えられて身動きができなくなった、というのかもしれない。いずれにしろ、あの澄みきった額とあの冷たい灰色の瞳の背後にひそんでいる想念や感情がどのようなものであるか、私などには知る由もなかったのである。
しかし、人間のようにはかりがたい動物を相手にしては、何ひとつとして確信をもっていえることがないにしても、ブラーンチ・ストルーヴの行動に関しては、ともかくもっともらしい説明がいくつもできるのであった。ところが、ストリックランドときたら、私にはかいもくわかりっこない人間だった。脳味噌をいろいろとしぼってみたが、この男にたいする私の概念とこれほど食いちがった行動は、どうにも説明のしようがなかった。彼がかくも無慈悲《むじひ》に友人たちの信頼を裏切ったとか、他人の幸福を犠牲にして自分の気まぐれを満足させることにいささかのためらいも示さなかったとか、それは彼のばあい、べつにふしぎでもなかった。そういう傾向は初めから彼の性格のうちにあったからである。彼は感謝という観念をまるで持ちあわせない男だった。同情もしなかった。われわれたいていの人間が共通に持ち合わせているこの種の感情も、彼にとっては存在しないものだった。されば、そういうものを感じないといって彼を責めることは、獰猛《どうもう》で残酷だという理由で虎を責めるのと同様に、バカげていたのである。しかし、私にどうにも理解できなかったのは、その気まぐれであった。
ストリックランドがブラーンチ・ストルーヴと恋におちたとは信じられなかった。どだい、この男に恋などできるとは思われなかったからだ。恋とは、やさしさを重要な部分としてもつ感情であるが、ストリックランドは自分にたいしても、他人にたいしても、やさしい気持ちなど薬にしたくも持ち合わせなかった。恋には、相手が弱いものであるという意識があり、それを保護してやりたいという願望があり、何かためになることをしてやりたい、喜びをあたえてやりたい、という熱望があるものだ。たとえ非利己心とまではいかなくとも、ともかくその実体をみごとに隠してしまうような利己心があるものである。それに、ある種のはにかみといったものもある。しかし、私はこのような性質をストリックランドのうちに想像してみることができなかった。
恋はおどろくべき吸収力をもっている。恋するものを自分の殻《から》のなかから抜け出させてしまう。どんなに先の見える人間でも、心の底ではそうと知っていながら、この恋に終わりが来るなどと実感することができないのだ。それは自分が幻覚《イリュージョン》であると思っているものに肉体をあたえ、理性ではそれ以外の何ものでもないと知りつつも、その幻覚を現実以上に愛するのである。恋は人間をちょっぴり自分以上のものにし、また同時に、ちょっぴり自分以下のものにもするのだ。かくて、恋する者は自分自身ではなくなるのである。つまり、もはや一人の個人であることをやめて、一つの物、自分の自我《エゴ》には縁の遠い、ある目的にたいする道具、となるのだ。恋は感傷性をまったく欠くというようなことはないが、ストリックランドは、私の知っている人間のうちで、その種の弱点をいちばん持ち合わせていない男であった。恋がそうであるように、彼が自分自身をほかのものに占有させることなど許すとは、とうてい信じられなかった。彼は外部からのくびきにがまんできなかったのである。彼には、自分自身と、自分にも何だかわからないものへ向かってたえず彼をかりたてるあの不可解な渇望《かつぼう》との間に立って邪魔をするものは何ものでも、彼の心から根こそぎとり除くことができる、と私は信じていた。たとえそれには激しい苦悩がともない、そのあと、彼はぺしゃんこに打ちのめされ、血みどろになるとしても、なのである。もし私が、ストリックランドという人間の私にあたえた複雑な印象をつたえることに少しでも成功したとするならば、彼が恋をするには大きすぎると同時に小さすぎる男だと私が感じた――そういってもむちゃにはきこえないであろう。
しかし、各人の熱情にたいする考え方は、その人自身の特性にもとづいて形づくられるものであり、したがって、それは十人十色であると思う。ストリックランドのような人間は、自分に特有なやり方で人を愛することであろう。だから、彼の感情の分析をしようとしても、それはむだであった。
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三十一
あくる日、もっと泊まってゆくようにすすめたが、ストルーヴは私のところから出ていった。荷物は私自身がアトリエに行って、持ってきてやると申し出たが、彼はどうしても自分で行くといってきかなかった。きっと彼は、彼らがまだ彼の荷物をまとめようなどとは考えておらず、したがって、ふたたび細君に会い、たぶん自分のもとに戻るようにさそってみる機会に、ぶつかるだろう、と思ったからにちがいない。しかし、出かけてみると、彼の荷物は玄関番の事務所で彼がとりに来るのを待っていたし、ブラーンチは外出してしまった、と管理人はいった。私は彼がその管理人のおばさんに自分の悩みを打ち明けたいという誘惑に打ち勝ったとは思わない。彼は知り合いの人間には片っぱしから自分の悩みを打ち明けていることがわかった。もちろん同情を期待してそうするのだったが、ただ、人々の嘲笑を買うだけの結果に終わった。
彼の態度はいかにもみっともよくないものであった。彼は細君が何時ごろ、買い物に出かけるかを知っていたので、ある日のこと、もうこれ以上彼女に会わずにいるのにたえられなくなり、街中《まちなか》で彼女を待ち伏せしたのである。彼女は彼に話しかけようとしなかったが、彼のほうは、どうしても彼女に話しかけないではいられなかった。もし自分が彼女にたいして何か悪いことでもしていたのなら、どんなにでも気のすむまであやまるから、と彼はせかせかとしゃべりまくった。献身的に彼女を愛しているのだから、どうか自分のもとに戻ってほしい、とも懇願した。彼女はなんとも答えず、顔をそむけて、さっさと歩み去った。彼が太って短い脚をちょこちょこはこんで、彼女に追いつこうとしているありさまを私は想像した。急いだため、少しハアハアしながら、今の自分がどんなにみじめであるか、と彼女に語った。どうか自分を憐《あわ》れんでくれるようにと願った。もし自分を赦《ゆる》してくれれば、彼女の望むことはなんでもしてやると約束し、どこかへ旅に連れてってやろうと申し出た。ストリックランドはじきに彼女にあきてしまうだろう、ともいった。そのときのあさましい光景のすべてについて、あとできかされたとき、私は腹が立ってしかたがなかった。彼は分別や威厳のひとかけらも示さなかったのだ。彼は細君に自分を軽蔑させるようなことを、一つのこらずやってのけたのである。およそ女の残忍性のうちで、自分を愛してくれるが自分のほうでは愛していない男にたいする残忍性ほどひどいものはない。そのようなばあい、女にはこれっぽっちのやさしさもないばかりか、寛容でさえもなく、ただ狂おしいいらだたしさがあるのみだ。ブラーンチ・ストレーヴはとつぜん立ち止まると、それこそ力いっぱい夫の頬っぺたに平手打ちをくらわせた。そして彼がまごついているすきを見て、彼女は逃げ出し、アトリエヘの階段をかけ上がってしまった。それまでの間、彼女の唇からはただの一言ももれなかったのである。
このことを私に話してくれたとき、彼は今でもなお彼女の平手打ちのひりひりする痛みを感じているかのように、片手を頬にあて、その眼には、胸をひきさくような苦痛の色と、こっけいというほかない驚きのようすが残っていた。彼はまるで育ちすぎた小学生みたいに見え、私は心から気のどくに思ったが、どうしても笑いをこらえることができなかった。
それから後も、彼は彼女が店に行く途中どうしても通らなければならぬ通りを歩くようになり、彼女が通りかかると、反対側の町角に立って、その姿を見送るのだった。彼にも二度とふたたび彼女に話しかける勇気はなくなったが、自分のまるい眼のなかに、せつない気持ちをたたえて、彼女に訴えようとした。彼のこうしたみじめなようすを見れば、たぶん、彼女も心を動かされるにちがいない、と考えたからであろう。彼女は買い物に出る時刻を変えもしなかったし、別の道を通ろうともしなかった。彼女のそうした冷淡さのうちには、ある種の残忍さが秘められていたのではないか、と思う。おそらく、彼女は自分が彼にあたえる拷問《ごうもん》の苦しみから、ある種の喜びすら感じとっていたのかもしれない。いったいなぜ彼女は、そんなにも彼を憎んでいたのだろうか?
私はストルーヴに、もっと気のきいた態度をとってほしいと忠告した。まったく腹の立つほど彼は気魄《きはく》に欠けていたのだ。
「こんなふうにしたって、ちっとも役にたたんよ。棍棒で彼女の頭でもぶんなぐってやったほうが利口だったかもしれんぜ。そうすりゃ、彼女だって、今みたいにきみを軽蔑しなかったろうにさ」
しばらく故国《くに》に帰ったらどうか、と私は彼にいってみた。彼はこれまでもよく、まだ両親が住んでいる、オランダのどこか北部にある静かな町のことを私に話してくれた。両親は貧しかった。父親は大工で、水のよどんだ運河のかたわらに建てられた、きちんとして清潔な、古い赤レンガの小さい家に住んでいた。町通りは広く、がらんとしていた。その町は過去二百年間、衰微《すいび》の一途をたどってきたが、その家屋敷は素朴ながらも栄えたころの風格を今でも失っていないのだった。遠いインド諸島に商品を送っていた富裕な商人たちは、そういう屋敷に、静かな、ぜいたくな生活を送っていたのだが、商売がだんだん衰えてきても、すばらしかった過去の香気だけは失わずにきたのである。水路に沿ってそぞろ歩きをしていると、やがてここかしこに風車の見える、広々とした緑の野辺《のべ》に出てくる。そしてそこには、白と黒のまだらの牛がのんびりと草をはんでいる、というのだ。ダーク・ストルーヴも、少年時代のかずかずの思い出をもつそのような環境にもどれば、現在の不幸を忘れることができるだろう、そう私は考えたのである。しかし、彼は故郷に帰ろうとしなかった。
「彼女がわたしを必要とするとき、ここにいなければいけないんだ」と彼はくり返していった。「もし何かおそろしいことが起きて、わたしがそばにいなかったら、それこそ大変だからね」
「どんなことが起きると思うんだい?」と私はきいた。
「わからん。しかし心配だよ」
私は肩をすぼめた。
あんなに苦しんでいるというのに、ダーク・ストルーヴの、見るからにこっけいなかっこうは、いささかも変わるところがなかった。もし彼がやつれてやせほそりでもしたら、人々の同情をひいたかもしれない。ところが、ちっともやつれもやせもしなかった。これまでと同じように太ったままで、まるみをもった赤い頬っぺたは、熟したリンゴのようにつやつやしていた。いかにも身だしなみがよく、依然《いぜん》としてきちんとした黒の上着と、いつもちょっとばかり小さすぎる山高帽を、小いきに、陽気そうに身につけていた。太鼓腹もだんだんせり出てきて、悲しみのあとなどちっともあらわれていなかった。羽振《はぶ》りのいい外交官然としたようすが、さらに一段と目だってきた。ときおり、人間の外見が内なる魂とかくもちぐはぐになるというのは、どう見ても酷《こく》な話である。ダーク・ストルーヴはトービー・ベルチ卿〔エリザベス朝の、太った陽気な騎士。シェイクスピアの『十二夜』に出る〕の肉体のうちに、ロメオ〔『ロメオとジュリエット』の主人公〕の熱情をもやしていたのだ。やさしい、大どかな天性をもっているのだが、のべつまくなしに失錯《しくじり》ばかりやっていた。美しいものにたいしては本物の感情をもっていたが、その腕は凡俗なものしかつくり出せないのだった。情操は妙にデリケートだったが、物腰が下品だった。他人の問題を手がけるとなると、うまいかけ引きを見せたが、自分自身のことになると、てんからだめなのであった。かくも数多くの矛盾した要素を一人の人間のなかにいっしょくたに集めて、その男を宇宙の冷酷さと直面させるなんて、自然の女神もずいぶん残酷ないたずらをしたものではある。
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三十二
私はストリックランドに数週間も会っていなかった。彼にたいしてすっかり気分をそこねていたので、もし機会があったら、そのとおりのことを眼の前でいってやって溜飲《りゅういん》をさげたいと思っていたのだが、そのためにわざわざ彼をさがし出すのもどうかと考えた。それに私としては、偉そうな道徳的憤りなどをよそおって見せるのがいささか気恥ずかしかったのだ。そういうことには、一種の自己満足みたいな要素があって、だれにしろ少しでもユーモアの感覚がある者には、ぎごちなく見えるものである。自分自身がこっけいに見えることにたいして鉄面皮《てつめんぴ》になるためには、よほど激しい憤りを必要とする。ストリックランドという男のうちには、冷笑的な誠実さがあるので、ポーズの匂いがするようなことは何事にたいしても、私は警戒する気持ちになるのだ。
しかし、ある晩、ストリックランドがよく出没し、私が近ごろ避けていたクリシ街のキャフェの前を歩いていると、彼とまともにぶつかってしまった。彼はブラーンテ・ストルーヴを同伴していたが、ちょうど二人は彼の好きな片隅《かたすみ》にはいろうとしているところだった。
「いったいぜんたい、このごろきみはどこへ行ってたのかね? きっとどっかへ出かけてるにちがいないと思ってたんだよ」と彼はいった。
彼の丁重《ていちょう》な物腰は、私が彼と話したがらないことを知っている証拠だった。彼は無意味に丁重な態度をとるというたちの男ではなかった。
「いや、べつにどこへも出かけなかったですよ」
「じゃ、なぜここに現われなかったのかね?」
「パリには、つれづれの時間をつぶすキャフェが一つきりじゃないですからね」
そこでブラーンチは私に手をさし出して、「こんばんは」といった。なぜだかわからないが、私は彼女がなんとなく変わっているのじゃないかと期待していた。ところが、彼女は相も変わらず、いつも着ている、きちんとしてよく似合うグレーのドレスを着ていたし、アトリエで家事をやっているとき私がよく見かけたと同じあどけない額と、また同じ落ちついた眼差《まなざ》しをしていた。
「どうだい、来てチェスでもやらんかね?」とストリックランドがさそった。
そのときなぜ私は逃げ出す口実を思いつかなかったのかわからない。私はむっつりとした表情で二人のあとについて、ストリックランドがいつもすわるテーブルのところまで行った。彼はさっそく盤とコマをとりよせた。二人ともあまりにも当然のことのように席についたので、私もそうしないのはバカげているように感じた。ストルーヴ夫人は何を考えているのかわからぬような顔つきでゲームをじっと眺めていた。彼女はおし黙っていたが、そういえば、このときにかぎらず、いつでも黙りこんでいる女だった。私は彼女の口許を眺めて、彼女がどのような気持ちでいるのかその手掛りになる表情をもとめた。何か秘密をもらす閃《ひら》めきなり、落胆とか悲痛とかの暗示なりありゃしまいかと、その眼をじっと見すえた。また、気持ちの落ちつきを示すような筋でもちらっとよぎらないものかと、その額をじろじろ眺めた。しかし、彼女の顔は何ひとつ秘密をもらすことのない仮面《マスク》だった。両手は静かに膝の上に置かれ、片方の手がもう一方の手にゆるく握られていた。私は今まできいたところから判断して、彼女が激しい感情の持ち主であるにちがいないと思っていた。彼女を献身的に愛していたダークにあたえたあの手きびしい平手打ちは、彼女がとつぜんかっとなって、どんなおそろしい残忍さでも示しうる女であることを暴露《ばくろ》したものだ。彼女は夫君の保護という安全な隠れ家と、備えのととのった住居の呑気《のんき》な生活を放棄して、どう見ても危険きわまりないと思われるものをもとめた。それは冒険にたいする乗り気と、その日暮らしの生活を喜んで迎える気持ちを示していたが、彼女が家庭を大切にすることや、上手《じょうず》に家政をきりもりするのが好きなことなどを思いあわせると、少なからず人をおどろかすものだった。彼女は複雑な性格をもつ女にちがいなく、そういった激しさと落ちつきはらった外見の対照には、何かドラマティックなものがあった。
私はこの久しぶりの出会いに興奮していた。今自分のやっているゲームに注意力を集中しようとつとめながらも、私の空想はせわしくかけめぐっていたのだ。私はストリックランドと勝負するときは、いつでも彼を負かすために全力をつくした。というのも、彼は自分の負かした相手をさげすむたちの勝負師だったからだ。彼のように|有頂天(、ちゅうてん)になって勝利をよろこばれると、敗北するのが一段とつらくなるものだ。これに反して、もし彼が負けるとなると、申し分のない上機嫌をもってそれを迎えるのだ。つまり、彼は勝ち下手で負け上手だった。勝負をしているときほど人間の性格がはっきり現われることはないと考える人たちも、このばあいは、よほど手のこんだ推理を進めなければなるまい。
勝負が終わると、私はボーイを呼んで飲んだだけの金を払い、彼らと別れた。けっきょく、この会見では何も起こらなかったのである。私に考えるような材料をあたえてくれることは何ひとつ口に出されなかったので、私がどのような推測をしてみたところで、それを裏書きするものがなかった。それだけに私の好奇心はいっそうつのったのである。二人がどんなふうにしてやっているのか、私にはわかるはずもなかった。私が肉体からぬけ出した精みたいなものになり、アトリエに二人だけでいるところを見たり、二人で話すことを聞いたりできたら、どんなにいいだろう、と思った。今の私は、自分の想像力をはたらかすよすがとなるほんのかすかな暗示すらもたないのだった。
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三十三
それから二、三日たつと、ダーク・ストルーヴが私を訪ねてきた。
「ブラーンチに会ったそうだね」と彼はいった。
「いったいどうしてそんなことがわかったのかね?」
「あんたが彼らといっしょにいるところを見た人からきいたんだよ。なぜわたしに話してくれなかったんだい?」
「きみを苦しませるだけだと思ったんでね」
「苦しむことになったって、わたしはかまわんよ。彼女についてはどんな小さなことだってききたいと思ってるんだ。そのくらいのこと、きみにだってわかってるはずだがね」
私は彼がいろいろと質問するのを待っていた。
「あれはどんなようすをしてるかね?」
「全然変わってないよ」
「幸福そうに見えるかい?」
私は肩をすぼめた。
「そんなこと、どうしてぼくにわかるかね? ぼくたちはキャフェにいて、チェスをやっていたんだ。だから、彼女に話しかける機会なんかなかったんだよ」
「でもまあ、しかし、顔つきでわからなかったかね?」
私は頭を横に振った。私としては、彼女がどのような言葉ででも、またどのような暗示的な身ぶりででも、自分の気持ちを匂《にお》わせるようなことがなかった、とくり返すほかにいいようもなかった。彼女の自制力がどんなに強いかということは、私より彼のほうがよく知っているはずだ。彼は思いあまったように両手を握りあわせた。
「ああ、わたしはとてもこわいんだ。きっと何かが、何かおそろしいことが、起こると思うんだよ。それでいて、わたしとしては何ひとつ手を打つこともできないんだ」
「どういうことが起こるんだね?」
「そりゃ、あんた、そんなことわかりっこないよ」彼は両手で頭をかかえ、うなるようにいった。「ただ、何かおそろしい破局がやって来そうに思えるだけなんだ」
ストルーヴは初めから興奮しやすい男だったが、このときはすっかり気をとり乱してしまい、いくら道理をいいきかせてもだめだった。ブラーンチ・ストルーヴがストリックランドとの生活にそういつまでもがまんできないということは、私にもありそうなことだと思われた。うそ八百をならべたてる諺《ことわざ》の一つにも、人は自分のつくったベッドに寝なければならぬ〔「自業自得」とか「身から出たさび」といった意味〕、とある。人生経験の示すところによれば、人間というものはかならず不幸をまねくような事柄をたえずしているものであるが、何かの偶然で自分の愚かな行為の結果を刈りとらずにすましているのだ。ブラーンチはストリックランドとけんかしたら、彼と別れてしまいさえすればよかった。そうすれば、彼女の夫はすべてを赦《ゆる》し、すべてを忘れてやろうと腰を低くして待っているのだ。だから、私は彼女にたいしてとくべつに同情するような気持ちなどなかったのである。
「やっぱりあんたはあれを愛してないんだよ」とストルーヴ。
「でも、けっきょくのところ、彼女が不幸であることを証明する材料はひとつもないんだからね。ひょっとすると、あの二人はすっかり落ちついて、いとも家庭的な夫婦におさまりかえっているかもしれないよ」
ストルーヴはれいの哀《かな》しそうな眼で私を見やった。
「もちろん、そんなこと、あんたにゃたいした問題にもならんだろうが、このわたしには、とても重大な、それこそ由々《ゆゆ》しい問題なんだよ」
もし私がもどかしそうな、あるいは、ふまじめな態度でもしたのだったら、申しわけがないとあやまった。
「ひとつ、わたしのために手をかしてくれないかね?」とストルーヴがいい出した。
「なんでも、よろこんでするよ」
「わたしに代わって、ブラーンチに手紙を書いてもらいたいんだ」
「どうしてきみ自身で書けないんだい?」
「じつは、これまでなんども書いたんだよ。もちろん返事がもらえるとは思わなかったがね。そんな手紙など読んでくれると思っていないんだ」
「きみは女の好奇心てやつを無視しているようだね。そういう好奇心に彼女が抵抗できると思うかい?」
「抵抗できるだろうね――とくにわたしの手紙だったら」
私はすばやく彼のほうを見やった。彼は目を落とした。彼のその返答が妙に屈辱的に私にはきこえたのである。彼女が彼の筆跡《ひっせき》など見てもいっこうなんとも感じないほどの無関心な態度で彼を眺めていることを彼は知っていたのだ。
「きみは彼女がきみのところに戻ってくるとほんとうに信じているのかね?」と私はきいた。
「いいや、ただ、最悪の事態が起こったら、このわたしに頼ることができるってことをあれに知ってもらいたいだけなんだ。あんたからあれにいってもらいたいのも、じつはそのことなんだよ」私は紙を一枚とり出した。
「きみがいってほしいことを正確にきかせてくれたまえ」
それを聞いて、私は次のような手紙をしたためた――
親愛なるストルーヴ夫人
ダークからあなたに伝えてほしいということがあります。つまり、いつ何時でも、あなたが彼に会いたいと思えば、彼はあなたのお役に立つ機会をもつことを感謝するそうです。彼はこの度起こったことのために、あなたにたいして悪い感情など少しも抱いておりません。あなたにたいする彼の愛情はちっとも変わりません。彼はいつでも次のアドレスであなたをお待ちしています。
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三十四
ストリックランドとブラーンチの関係が不幸な結末に終わるだろうということについては、私もストルーヴに負けないくらいの確信を抱いていたが、この問題がこれほど悲劇的な形をとるとは私も予期していなかった。息づまるような、むし暑い夏がやってきて、夜になっても、ぐったり疲れた神経を休ませてくれるような涼しさがおとずれてこなかった。太陽に焼けただれた街路は、昼の間、照りつけた炎熱を返上するかのように思われ、道行く人びとは、いかにもものういようすで足をひきずって歩いていた。私はストリックランドにもう何週間も会っていなかった。ほかのいろいろのことに心を奪われ、彼や彼の問題については頭をわずらわすことがなかったのである。ダークはダークで、いつも甲斐ない嘆きを浴びせてくるので、私をうんざりさせ、そのため私はなるべく彼に会うことを避けるようにしていた。こんなあさましい問題にこれ以上かかわりたくない、というのが私の正直な気持ちだった。
ある朝、私は仕事をしていた。パジャマ姿ですわっていたのである。あちこちと気が散って、ブルターニュ〔イギリス海峡とピスケー湾との間のフランス北西部の半島〕の陽当りのいい海浜や、すがすがしい海辺の空気などに思いを馳《は》せていた。かたわらには、|おばさん《コンシェルジュ》が持ってきてくれたミルク入りのコーヒーの茶碗がからになっておいてあり、あまり食欲がなくてすっかり食べきれなかったクロワッサンの半かけが残っていた。隣の部星で、おばさんが私の風呂桶の水を出している音がきこえていた。そのとき、ベルがチリンと鳴ったが、ドアを開けるのをおばさんにまかせた。すぐにきこえてきたのはストルーヴの声で、私が部屋にいるか、とたずねた。私は席を立たずに、大声で彼にはいってくるようにいった。彼はすぐさまはいってくると、私のすわっているテーブルのところにやってきた。
「彼女が自殺したんだ」といった彼の声は、しゃがれていた。
「そいつはまた、どういう意味なんだね?」と私はびっくりしてきき返した。
彼はしゃべっているように唇を動かしたが、音は全然出てこなかった。やがて言葉が出てきたが、まるであほうみたいにわけのわからぬことを早口にしゃべるだけだった。私の心臓ははげしく動悸《どうき》をうち、なぜだか自分でもわからなかったが、私はかっと怒り出してしまった。
「後生だから、きみ、落ちついてくれたまえ。いったいぜんたい、きみは何をしゃべってるんだい?」
彼は両手で絶望的なジェスチャーをしたが、それでもまともな言葉が口から出てこなかった。まるで、とつぜん|おし《ヽヽ》にでもなったみたいだった。いったいどうしてそんなまねをしたのかわからないが、私は彼の両肩をつかんで、そのからだをゆさぶった。今そのときのことをふり返ってみると、自分がそんなバカなまねをしたことが腹立たしくてしかたがない。おそらく眠られぬ晩がずっとつづいたので、私の神経が思ったより参っていたのであろう。
「腰をかけさせてもらおう」やがて、彼はあえぐようにいった。
私はサン・ガルミエを一杯ついで、それを飲むようにと彼にすすめた。まるで小さな子供にでもするように、私はグラスを彼の口に押しつけてやったのである。彼は一口ごくりと飲みくだしたが、二、三滴ワイシャツの胸にこぼれた。
「だれが自殺したんだね?」
なぜそんなことをきいたのか、私にもわからない。彼の意味する人間がだれであるか、私も先刻承知していたからだ。彼は気を落ちつかせようとつとめていた。
「ゆうべ二人はけんかをしたんだ。それで、彼が出ていったんだよ」
「彼女は死んだのかね?」
「いいや。病院に連れていかれたよ」
「だったら、いったいきみは何を話しているんだい?」と私はもどかしさのあまり叫んだ。「なぜ彼女が自殺したなんていったんだい?」
「そう腹を立てるなよ。あんたがそんなふうな口のきき方をすると、わたしはなんにも話せないじゃないか」
私は自分のいらいらした気持ちをおさえようとして両手の拳《こぶし》をしっかり握りしめ、口許に微笑をたたえようとつとめた。
「こいつはすまん。ゆっくり話してくれ。たのむから、あわてないでくれたまえ」
眼鏡《めがね》のうしろの、彼のまるい空色の眼が、恐怖のために青ざめていた。眼鏡の拡大鏡のために、その眼がゆがんで見えた。
「けさ、アパートのおばさんが一通の手紙をもってあがっていったとき、ベルを押しても返事がなかったんだ。耳をすますと、だれかの呻《うな》る声がきこえた。ドアには鍵がかかっていなかったので、おばさんは部屋にはいった。ブラーンチがベッドの上に横たわっていた。ひどく苦しんでいたんだね。テーブルの上に蓚酸《しゅうさん》のびんがあったんだ」
ストルーヴは両手に顔を埋めると、うなり声をたてながら、からだを前後にゆすぶった。
「意識はあったのかい?」
「あったよ。ああ、彼女がどんなに苦しんでいるか、あんたにわかってもらえたらね。わたしにはとてもがまんができないよ――とてもね」
彼の声は悲鳴にまで高まった。
「とんでもない、なにもきみががまんする必要なんかないよ」と私はもどかしくなって叫んだ。「がまんしなきゃならんのは、彼女のほうだぜ」
「よくもあんたはそんな残酷なことがいえるね」
「だって、きみがどんな悪いことをしたっていうんだい?」
「アパートの人は医者とわたしを呼びに来て、警察にも知らせたんだよ。わたしはかねてからおばさんに二十フラン握らせて、もし何か事がおこったら、わたしを呼びに来るようにとたのんでおいたんだ」
そこで彼はしばらく息を休めたが、これから私に話さなければならぬことが、彼にとってはとても話しづらいことであるのがよくわかった。
「わたしがかけつけても、あれはわたしに話そうとしなかったんだ。わたしを追いかえしてくれ、とみんなにいってね。わたしは何もかも赦《ゆる》してやるからと誓ったのに、あれはわたしのいうことに耳を傾けようともしなかったんだ。あれは頭を壁に叩《たた》きつけようとした。医者は、わたしにそばにいてはいけないといった。あれは[あの男を追っぱらって!]と叫びつづけたんだね。わたしはしかたないので、あれのそばから離れて、アトリエで待っていた。それから救急車が来て、あれを担架《たんか》にのせたとき、わたしがそこにいるのにあれが気づかないように、みんなはわたしを台所に押しこめたんだ」
私が着換えをしている間に――ストルーヴはすぐ病院に同行してくれと私にたのんだので――彼は、細君が少なくとも共同部屋のむさくるしい混雑になやまされることのないよう、個人部屋を当ててもらえるように手筈《てはず》をきめてきた、と語った。病院に行く途中、彼はなぜ私に同行をもとめたのか、その理由を説明した。たとえ今もって彼女が彼に会うことを拒《こば》んだにしても、おそらく私には会ってくれるだろう、というのだ。それから、彼が今でもなお彼女を愛しているということを伝えてくれるように、と私に懇願した。彼はどんなことにたいしても彼女を責めたりしないで、ただ彼女を助けてやりたいと願っているだけだ。彼女にたいしていっさいの要求をしない。回復したときも、彼のもとに戻ってくれなどとはいわない、彼女はまったく自由の身になる――そういうことも、彼女にいってほしいというのだ。
しかし、私たちが病院に着いたとき――そこはいかにもわびしい建物で、一目見ただけでも胸がむかむかするようなものだったが――こちらの事務所からあちらの事務所へと引きまわされ、はてしなくつづく階段をのぼらされたり、長い飾りのない廊下を通らされたりしたあげく、やっとのことで係りの医師をみつけ出したが、けっきょく、患者の容態《ようだい》がひどく悪いので、その日は面会を許すわけにはいかないと断わられた。その医師というのはいかにも態度のぶっきらぼうな、顎《あご》ひげをはやした小男で、白衣をまとっていた。彼はどう見ても、患者は患者として、気をもんでいる肉親どもは断固たる態度で扱わなければならぬ邪魔物として、考えているみたいだった。そのうえ、彼にとっては、このような事件は日常|茶飲事《さはんじ》だった。ヒステリーの細君が愛人とけんかをして毒を飲んだというにすぎないのだった。そんなのはたえず起きていることなのだ。最初、彼はダークがこの不幸の原因だと思った。そのため必要以上に彼にたいしてぶっきらぼうな態度をとったのである。私が彼は旦那であり、すべてを水に流そうと切望しているのだと説明してやると、医者は急に、好奇心にみちた、探るような目つきで彼を見やった。私はその目のうちに、嘲弄《ちょうろう》の色をほのかに見てとったような気がした。なるほど、ストルーヴは女房にだまされる旦那のような顔をしていたのだ。医者はかすかに肩をすぼめた。
「すぐにどうこうという危険はありませんな」医者は私たちの質問に答えて、そういった。「ただどのくらい飲まれたか、その辺のところがわかりませんのでね。恐怖のためにやってのけることもありうるんですよ。女というものは、いつでも愛情のために自殺を企てるんですが、たいていうまく成功しないように気をつけますからね。概していえば、愛する男の胸に憐憫《れんびん》とか恐怖とかをかき立てるためのジェスチャーなんですな」
そういう医師の口調には、冷たい軽蔑の気持ちがかくされていた。彼にとって、ブラーンチ・ストルーヴは、その年のパリ市における自殺未遂者の統計を示すリストに加える一つの単位にすぎなかったことはあきらかであった。彼は忙しく、それ以上の時間を私たちのために浪費するわけにはいかなかった。そこで彼は私たちにたいして、もし翌日のある時刻に来て、ブラーンチの容態《ようだい》がよくなっていれば、主人だけは面会を許されるかもしれない、といった。
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三十五
その日を私たちがどのようにして切り抜けたか、ほとんど思い出せない。ともかく、ストルーヴは独りぼっちになるのにたえられないので、私は彼の気をまぎらすために精魂《しょうこん》をつかいはたした。まず彼をルーヴルに連れていったが、彼は絵を見るようなふりをしていただけで、じつのところは、細君のことばかり考えていた。私は彼が食べたくないというのをむりに食事をとらせ、昼食のあとはベッドに横になるようにすすめたが、彼には眠ることができなかった。二、三日、私の部屋に泊まってゆくようにというと、彼はよろこんで私の招待を受け入れた。読む本を何冊かわたしてやったが、一ぺージ読むと、本を下において、みじめな顔で虚空《こくう》をじっと見つめているのだった。夜は、なんべんとなくピケット〔トランプの二人遊び〕のゲームをくり返したが、彼はあれこれとつとめる私を失望させないために、けなげにも興味をおぼえているふうを装うだけであった。さいごに、寝酒を一杯飲ましてやると、うとうととして来たようだった。
あくる日、ふたたび病院に出かけて、看護婦に会った。彼女はブラーンチが少し持ち直してきたらしいといい、病室にはいって、ブラーンチが夫に会うつもりがあるかどうかたずねてくれた。病室で何かいいあう言葉がきこえたかと思うと、やがて看護婦は出てきて、患者さんはだれともお会いしたくないそうです、と伝えた。そこで、私たちは看護婦に、もし彼女がダークに会いたくないのだったら、私に会ってくれないかときいてほしいといった。しかし、これもブラーンチは拒《こば》んだ。ダークは唇をふるわせた。
「どうも強いことは申せませんの」と看護婦はいった。「あんまり容態がおわるいもんですから。たぶん一日か二日たてば、お気持ちが変わるかもしれませんわ」
「ほかにだれか、あれが会いたいと思ってる人間はいませんか?」とダークはきいたが、それがあまり低い声なので、ほとんど囁《ささや》きにしかきこえなかった。
「あの方は、ただそっとしといてほしい、とそうおっしゃってるだけですわ」
ダークは両手を妙なぐあいに動かしたが、それはまるでその手が彼のからだとはなんの関係もなく、勝手に動いているみたいだった。
「すいませんが、もしあれがだれかほかに会いたいと思う人間がいたら、その男を連れてきてやる、そういってくれませんか。わたしとしてはあれの気持ちを慰めてやりたいだけなんですよ」
看護婦はそういう彼を、落ちついた、やさしい目で見やった。それはこの世の戦慄《せんりつ》と苦痛のすべてを見てきながらも、罪のない世界のまぼろしにみたされて、落ちつきはらっている目だった。
「もう少し落ちつきましたら、そうお伝えしましょう」
ダークはブラーンチがかわいそうでたまらず、自分の意向を今すぐ伝えてほしいと懇願した。
「それで直るかもしれないんですよ。どうか今すぐあれにきいてみてくれませんか」
看護婦はかすかに憐れみの微笑をたたえ、ふたたび寝室にもどった。私たちの耳には、まず看護婦の低い声がきこえ、それから、私にはだれのかわからぬ声が答えた――
「いいえ、だめです、だめです」
看護婦はふたたび出てきて、首を横に振った。
「あれは彼女の声だったんですか? とても変わった声にきこえましたが」と私はきいた。
「どうやら酸のために声帯が焼けただれてしまったらしいんですよ」
ダークは低い悲嘆の叫びをあげた。私は看護婦と話したいことがあるから、先に出て玄関で待っているように、と彼にいった。彼はどんな話があるのかともきかずに、すごすごと出ていった。彼は意志の力をすっかり失ってしまったように見えた。まるでよくいうことをきく子供みたいになった。
「彼女はなぜあんなことをしたのか、あなたに話しましたか?」と私は看護婦にたずねた。
「いいえ。なんともおっしゃいません。ただ、だまって仰向《あおむ》けにおやすみになっているだけですの。何時間もつづけて、身動き一つなさらないのです。でも、しじゅう泣いてますわ。枕がぐっしょりです。あんまり弱って、ハンカチもお使いになれないのでしょうね、涙がただ流れほうだいなんですの」
それをきいて、私は胸がぎゅっと絞《しぼ》られる思いだった。ストリックランドをぶち殺してやりたいと思った。看護婦に別れを告げたとき、どうやら私の声はふるえていたらしかった。
ダークは玄関の階段のところで待っていた。彼の目には何ひとつ見えないらしく、私が彼の腕に触れるまでは、私がそばに来ていることにすら気づかなかった。私たちは黙って歩きつづけたが、私は、いったいどんな事があって、あのかわいそうな女があのように恐ろしいことをやったのだろうか、といろいろ想像をめぐらしていた。きっとストリックランドもどんな事が起こったか知っているにちがいないと思った。警察からだれかが彼に会いに行き、彼は供述をとられたにちがいないからである。今彼がどこにいるのか、私は知らなかった。たぶん、以前アトリエに使っていた、あのみすぼらしい屋根裏部屋にでも戻ったのであろう。それにしても、彼女が彼に会いたがらないのは妙だった。おそらく、彼が来るのを拒《こば》むことがわかっていたので、彼女は彼を呼びにやるのを承知しなかったのだろう。おそろしさのあまり生命を断とうと決意したからには、きっと彼女もどんなにかおそろしい残忍性の深淵《しんえん》をのぞきこんだことであろう。
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三十六
次の週は、じつにひどかった。ストルーヴは、日に二度ずつ細君の容態をききに病院へ出かけていったが、細君のほうはあいかわらず彼との面会を拒みつづけていた。彼もはじめのうちは、だんだんよくなっているようです、といわれるだけで安心し、明るい気持ちで帰って来ていたが、やがて、こんどは絶望してもどって来た。とうとう医者のおそれていた余病を併発《へいはつ》して、もう回復は望めないということだったからだ。看護婦は悲嘆にくれる彼に同情はしたが、といって、慰めになるようなことはほとんど何もいえなかった。かわいそうに、女はかたく口を閉ざしたまま、まるで近づく死を凝視《ぎょうし》してでもいるように、一点を見つめたまま、じいっと横たわっているのだった。もう今日か明日《あす》の問題だった。そしてある晩おそく、訪ねてきたストルーヴをひと目見た瞬間、私は彼女が死んだことを知らせに来たのだとさとった。彼はまったく疲れきっていた。持ちまえのおしゃべりもさすがに影をひそめて、ただぐったりとソファにすわりこんでしまった。今さら悔みを述べたところでなんにもならないと感じたので、私は彼をそのままそっとしておいてやるだけだった。もし私が何か読んだりしたら、情けを知らぬ奴だと思うかもしれないので、私は窓際《まどぎわ》に腰かけてパイプをふかしながら、彼が口をききたくなるまでじっと待っていた。
「あんたにゃずいぶん親切にしてもらったな」とうとう彼は口をひらいた。「みんな、じつによくしてくれたよ」
「何いってるんだ、バカバカしい」私はちょっとまごついてそう答えた。
「病院じゃ、待ってるようにっていってくれたよ。椅子を出してくれたんで、わたしは扉の外で待っていたんだ。あれが昏睡《こんすい》状態におちいると、はいってもいいといってくれた。あれの口も顎《あご》も、酸ですっかり焼けただれちまってるんだよ。あのきれいな肌が見るかげもなく色が変わってるんだ。じつにたまんなかったね。とても安らかに死んでったんで、看護婦にそういわれるまで、わたしは気がつかなかったんだ」
彼は疲労のあまり泣くこともできなかった。からだじゅうの力がすっかり抜けてしまったように、ぐったりと仰向《あおむ》けにのびていたが、まもなくこんこんと眠りはじめた。これが、この一週間ではじめての自然な眠りだった。ときおり冷酷きわまりない自然も、ときには慈悲《じひ》深いことがあるものだ。私は布団《ふとん》をかけ、灯りを消してやった。朝になって私が眼をさましたとき、彼はまだ眠っていた。昨夜のまま、少しも動いていなかった。れいの金縁眼鏡も鼻の上にのっかったままだった。
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三十七
ブラーンチ・ストルーヴの死は、事情が事情だっただけに、うんざりするほど面倒な手続きが必要だったが、それでもやっと埋葬の許可がおりた。ダークと私だけが霊柩車《れいきゅうしゃ》について墓へいった。馬車は行きは並み足だったが、帰り道は早足だった。霊柩車の御者《ぎょしゃ》がやたらに鞭《むち》をふるって馬をとばすのが、私には妙にそらおそろしいように思われた。まるで肩をすくめて、死に神をふり払ってでもいるように見えた。ときどき、前をゆく霊柩車が揺れるのが見えると、こちらの御者もそれに遅れじと自分の馬をかりたてるのだった。こんどの事件のことをいっさい振りすててしまいたい私自身の気持ちもそれと同じだった。ほんとうのところ、自分となんのかかわりもないこの悲劇に、私はうんざりしはじめていた。ストルーヴの気をまぎらせてやるには、しゃべってやることが必要なんだと自分にいいわけをしながらも、私は内心ほっとした思いで、別の話題をもちだした。
「しばらく旅行でもしてきたほうがよかないかね? もうパリにいなけりゃならん当てもないようだし」
彼は答えなかった。だが、私は容赦《ようしゃ》なくつづけた。
「さしあたり、これから先の計画はたっているのかい?」
「いいや」
「なんとかして、もう一度生活の建て直しをしなくちゃいかんぜ。なぜイタリアヘでも出かけていって、仕事をはじめないのかね?」
こんども、彼は答えなかった。だが、そのあとは御者《ぎょしゃ》がひき受けてくれることになった。ちょっと馬の足をゆるめてから、からだをのりだして話しかけてきたのだ。なにをいっているのか聞きとれなかったので、私は車の窓から首を出した。どこで降りたいのかときいているのだった。ちょっと待ってくれ、と私は御者にいっておいて、
「いっしょに昼めしでも食べよう」と、ダークにいった。「ピガール広場〔パリの北部の広場〕で降ろしてくれるようにいうぜ」
「いや、やめとこう。わたしはアトリエへ行ってみようと思うんだ」
私はちょっとためらった。
「いっしょにいってやろうか?」ときいてみた。
「いや、ひとりのほうがよさそうだ」
「そうか」
私は必要な方角を御者に告げた。こうしてまた、新しい沈黙のうちに車は進んでいった。思えば、ブラーンチを病院に運びこんだあのいまわしい朝以来、ダークはアトリエへいっていないのだった。ついて来てくれといわれなくて、私は助かった。戸口で彼と別れると、私は肩の荷をおろしたようなほっとした気分で歩きだした。パリの街々に、あたらしい喜びが感じられた。いそがしく行き来する人々を、私は微笑を浮かべた眼でながめやった。晴れた、あかるい日だった。うずくような生命の喜びが体内にわきあがるのを感じた。それはどうにもならない気持ちだった。ストルーヴのことも、彼の悲しみのことも、すっかり忘れてしまい、私はただ生活をたのしみたい気持ちでいっぱいになった。
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三十八
それから一週間ちかく、彼とは会わなかった。と、ある晩、七時をちょっとまわったころ、彼がひょっこりやって来て、晩飯にいこうとさそった。いちばん正式の喪服を着て、れいの山高帽にも幅広の黒いリボンが巻いてある。ハンカチにまで、黒い縁がつけてあった。その喪服姿は、まるで義理のまたいとこにいたるまで、世の中の身内という身内をいちどの災害で失ってしまった悲劇の主《ぬし》かと思わせるほど、大げさなものだった。それでいて、でっぷりしたからだつきや、血色のいい、まるくふくらんだ頬が、その喪服姿をひどく不釣合いなものに見せていた。不幸のどん底にありながら、なお、なにか道化じみたものを持っていなければならないとは、残酷な話であった。
彼はパリを去ることにきめたといった。もっとも行き先は私がすすめたイタリアではなくて、オランダにしたそうだ。
「あした発《た》とうと思ってる。あんたに会うのもこれが最後だろう」
私はそれなりの返事をしたが、彼は力のない微笑を浮かべていた。
「故国《くに》にはもう五年も帰ってないんだよ。なにもかもすっかり忘れちまったような気がする。こんなに遠くへ来てしまって、今さらおやじのところへ帰っていける義理じゃないと思うんだが。そうかといって、今のわたしに落ちつける場所といったら、あそこだけしかないからね」
傷つき疲れた彼の思いは、母親のやさしい愛情へたち帰ってゆくのであろう。何年ものあいだたえつづけてきた世のあざけりの重みが、ようやく彼にもこたえてきたようだった。それにブラーンチの裏切りという決定的打撃が、それまでは、そのあざけりをきわめて陽気にうけながしてきた心の弾力性を奪ってしまったのかもしれない。私たちはもはや彼を笑う連中といっしょに笑うことができなくなった。彼は見捨てられた人間になったのである。
彼はこざっぱりしたレンガ造りの家ですごした少年時代のことや、母親の病的なきれい好きのことなどをよく話してきかせてくれた。台所はおどろくばかりきれいに磨きあげられていた。一つびとつのものがいつでもきちんと片づけられ、一点のちりも見当たらなかった。まったく彼女のきれい好きときたら、一種の病気というほうがよかった。こざっぱりとした老母の、リンゴのような頬をして、長年のあいだ、朝から晩まで、家の中を片づけたり磨いたりして働きまわっている姿が、眼に見えるようだった。父親はやせぎすの老人で、その手は生涯つづけてきた仕事のために節くれだっていた。口かずの少ない、まつ正直な人間で、晩になると声を出して新聞を読むのが習慣だった。そのかたわらでは、細君と娘[今では、小型漁船の船長に嫁《とつ》いでいる]が、寸暇《すんか》を惜しんでせっせと縫い物の手を動かしているのだ。文明の進歩からとり残されたこの小さな町では、すべてがいかにも平穏にくり返されてゆく。一年一年は無事にすぎてゆき、やがて、ひたすら勤勉に働きつづけてきた人々に死が休息を与えるため友だちのように訪れてくるのだった。
「おやじは、自分と同じように、わたしを大工にしたがったんだ。もうこの職を五代も継いできた家なんでね。たぶんそいつが人生の知恵ってものなんだろうな――父親の跡《あと》を継いで、わき眼もふらずに進んで行くっていうのがねえ。子供のじぶん、わたしは隣の馬具師の娘と結婚するつもりだといったことがある。青い眼の、亜麻色の髪をおさげにした、いい娘《こ》だったよ。あの娘だったら、わたしの家を気持ちよくととのえてくれただろうし、跡を継ぐ息子も、もうできていただろうにな」
ストルーヴは小さな溜息《ためいき》をつくと、口をつぐんでしまった。彼の思いは、自分がそうなっていたかもしれないさまざまな情景のうちに、ひきいれられてゆくのだった。かつてみずから拒んでしまった、落ちついた生活にたいするあこがれのようなものが、彼の胸をひたすのであった。
「世の中って、つれない冷酷なところだよ。なぜかも知らずにこの世に生まれてきて、どことも知らずに去っていくんだ。誰にもわかっちゃいない。人間はつとめて謙虚にしなくちゃならない。そして静かなものの持つ美しさを知らなくちゃいけないんだね。運命の神にさえ気づかれないほど、じみに一生を送るべきなんだ。そして単純で無知な人々の愛こそ求めようじゃないか。そういう人々の無知は、われわれのどんな知識よりも尊いんだ。わたしたちも黙って、自分の片隅《かたすみ》のしあわせに満足し、彼らと同じようにおとなしく、やさしく暮らそうじゃないか。それが人生の知恵というもんだよ」
私にとっては、それは彼のうちひしがれた魂が語っている言葉であって、その諦《あきら》めきった考え方には私も大いに反発を感じたが、そう口に出してはいわなかった。
「どうして画家になる気などおこしたのかね?」と、私はきいた。
彼は肩をすくめて、こういった――
「どういうわけか、絵の筋《すじ》がよくってね、学校でいくつも賞をもらったんだよ。おふくろはわたしの才能がひどく自慢でね、水彩絵具をひと組プレゼントしてくれたっけ。それで牧師だの、医者だの、判事だのという連中にわたしのスケッチを見せてまわったもんさ。そこで連中にすすめられるままに、わたしはアムステルダムへ給費生試験を受けにやられたんだ。それが合格したってわけさ。さあ、おふくろは鼻高々で、わたしを手離すのは胸のつぶれる思いだのに、笑顔をつくって、悲しみひとつ見せなかったもんだよ。息子が芸術家になるのがうれしかったんだなあ。みんなはずいぶんつましい暮らしをして、このわたしには金の不自由をさせないようにしてくれたよ。わたしの絵がはじめて展覧会に出たときなんか、おやじとおふくろ、それに妹まで、一家総出でアムステルダムまで見に来てくれたし、おふくろときたら、絵の前で泣きだしちまってね」彼のやさしい眼は涙で光っていた。「今じゃ、あの古い家の壁という壁に、わたしの絵が美しい金縁の額に入れてかけてあるんだよ」
彼は幸福そうな誇りに顔を上気させていた。あのいかにも絵画的な農夫たちや、糸杉や、オリーヴの樹のある、彼の冷たい色調の絵を私は思い浮かべた。ああいうものがけばけばしい金ピカの額に入れられて田舎《いなか》家の壁をかざっているさまはさぞかし奇妙なものだろう。
「おふくろはわたしを絵描きにして、すばらしいことをしてやったつもりだったが、今になってみると、おやじの意見が通って、わたしがただの正直な大工になっていたら、そのほうがわたしにはよかったんじゃないかって気がするんだよ」
「だがね、芸術のあたえてくれる、限りない喜びを知ったきみがだよ、今さら生き方を変えることなどできるだろうかね? これまで芸術からあたえられてきた喜び、それをいっさい失ってもかまわんというのかい?」
「芸術はこの世の中で最も偉大なもんだ」ちょっと間をおいてから、彼はそう答えた。
そしてしばらく、考えこむような眼をして私をみつめた。なにかためらっているふうだったが、やがてこういった――
「わたしがストリックランドに会いにいったこと、知ってたかね?」
「きみが?」
私はあっけにとられた。あの男の顔を見るのもたまらないだろうと思っていたのに。ストルーヴは力のない笑いを浮かべた。
「もうわかってくれただろうが、わたしには、厳密な意味で、自尊心なんてもんがなくなっちまったんだよ」
「それはどういう意味だね?」
彼はここで、一つの奇妙な話をしてくれたのである。
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三十九
ブラーンチの悲しい埋葬をすませて、私と別れると、ストルーヴは重い心でわが家にはいっていった。なにものかが彼をアトリエヘとかりたてていったのだ。漠然とした自虐《じぎゃく》的欲望とでもいうようなものにかりたてられながらも、目の前に待ちうけている苦悶《くもん》を思うと、やはり怖《おそ》ろしさに心おののくのだった。彼は足をひきずるようにして階段をのぼっていったが、足も進むのをきらっているみたいに重かった。ドアの前で、なんとか中にはいる勇気をふるいおこそうと、長いことためらっていた。ひどく気分がわるかった。今にも階段をかけおりて、私を呼び戻し、いっしょについて来てくれとたのみたい衝動にかられた。だれかがアトリエの中にいるような気がしてならないのだ。階段をのぼってきては、この踊り場に立ちどまって、たかぶった息をととのえたことがよくあったが、せっかくとりもどした落ちつきも、ブラーンチに会いたくてたまらない焦慮《しょうりょ》のためにひとたまりもなくくずれてしまったあの愚かしさを彼は思い出した。彼女に会うことは、いつでも新鮮なよろこびだった。ほんの一時間たらず家をあけただけなのに、まるでひと月も別れていたかと思われるほど、再会の期待に胸がときめくのだった。ふと、彼には妻が死んだということが信じられなくなった。今までのことは一つの夢、怖《おそ》ろしい夢にすぎなかった、としか考えられなくなった。鍵をまわし、扉をあければ、そこには妻が、つねづね彼が称賛を惜しまなかったシャルダンの[|食前の祈り《ベネディシテ》]〔シャルダンの一七二〇年の作で、現在ルーヴルにある〕の女のように、しとやかなもの腰で、こころもち体をテーブルの上にかがめてすわっているような気がした。彼はいそいでポケットから鍵をとり出すと、扉をあけて中にはいった。
部屋の中は、住む人のいないようすなど少しもなかった。妻のきれい好きなところは、彼をとてもよろこばせた性質の一つだった。彼自身の生い立ちが、整頓のよろこびにたいしてやさしい同情心を彼に植えつけていたのだ。だから、彼女が本能的に身のまわりをきちんと整理しておきたがるのを知ったとき、ほのぼのと心あたたまる思いがしたのである。寝室は、今しがた彼女が出ていったばかりみたいだった。二本のブラシが化粧台の上に、櫛《くし》をまん中にして、きちんとそろえてあったし、このアトリエでの最後の夜を過ごしたベッドは、誰かの手できれいになおしてあり、ナイト・ガウンも小さな箱に入れて、枕の上にのせてあった。彼女がもう二度とこの部屋に戻ってこないなどとはとうてい信じられないのだった。
ところで、彼は喉《のど》がかわいたので、水を飲みに台所へいった。ここもまた、きれいに片づいていた。釣り棚にはストリックランドとけんかをした晩の食事に使った皿がのっている。みなたんねんに洗ってあるのだ。ナイフやフォークは引出しにしまってあり、覆《おお》いの下にはチーズの残りが一切れ、罐《かん》の中にはパンの残りが一枚、かたくなってはいっている。その日その日の買い物を、きっちり一日分だけにして、翌日までもち越さないのが彼女の習慣だった。警察の調べによると、ストリックランドは夕食をすませると、すぐに家を出たということだった。それでも、彼女がいつもの通りに洗いものをしているのを知ると、彼は身ぶるいするようなそら怖ろしさをおぼえた。彼女のこうした几帳面《きちょうめん》さから察すると、その自殺が一時の逆上《ぎゃくじょう》からではなく、慎重に考えた末の行動であることがわかった。その沈着さには、人をぎょっとさせるものがあった。急にはげしい苦悶《くもん》がこみあげてきた。両膝の力がぬけて、あやうく倒れそうになった。彼は寝室にひき返し、ベッドに身を投げると、大声で彼女の名を呼んだ。
「ブラーンチ! ブラーンチ!」
彼女の苦しみを思うと、身をきられるようにつらかった。と、とつぜん、そこにブラーンチが立っている幻が見えた。そこの台所に――といっても、食器棚ほどしかない小さな台所に――彼女は立って、皿やコップやフォークやスプーンなどをつぎつぎと洗い、ナイフを研《と》ぎ台で手早く磨くと、さてそれらのものを戸棚にしまい、流しをゴシゴシ洗い、ふきんを干《ほし》棒にかけた――そうだ、それは今も灰色のぼろ切れのままそこにかかっている。それだけすると、彼女は洗い残したものはないか、しまい忘れたものはないか、とあたりを見まわした。それから、まくりあげていた袖《そで》をおろし、エプロンをはずした――そのエプロンは、ドアの裏側の掛け釘にさがっている――それから、蓚酸《しゅうさん》のびんをとると、それを持って寝室へはいっていった。
その苦悩を思うと、彼はたまらなくなって、ベッドからはね起き、部屋をとび出して、アトリエにはいった。そこはうす暗かった。大きな窓にカーテンが引いてあったからだ。彼は急いでそれを開けた。だが、明るくなった部屋をすばやく見まわすなり、思わずその口から鳴咽《おえつ》がもれた。そこは彼があんなにもしあわせな日を過ごした場所なのだ。それに、何ひとつ変わっていない。ストリックランドは身のまわりのことに無頓着《むとんちゃく》な男だから、他人のアトリエに暮らしていても、何ひとつ配置を変えようともしなかったのだ。ここは、芸術的雰囲気をもりあげるように苦心してしつらえたアトリエで、ストルーヴの考える、芸術家にふさわしい環境というものをそっくりそのまま表わしていた。周囲の壁には古い金らんの小布が飾られ、ピアノには艶《つや》消しの美しい絹の布がかかっている。部屋の一方の隅には[ミロのヴィーナス]の、もう一方の隅には[メディチのヴィーナス]〔ミロのヴィーナスと共に有名なもので、フィレンツェのウフィチ美術館にある〕の、複製が置かれていた。そこここに、デルフ焼きの陶器をのせたイタリア製の飾り戸棚や、浅浮彫りなどが飾ってある。またヴェラスケスの[インノケンチウス十世像]がみごとな金の額縁に入れて飾ってある。これは、ストルーヴがローマにいたころ模写したものだ。ほかに、ストルーヴ自身の絵がいくつも、装飾的効果を最高度にひきあげるかのように、みなすばらしい額縁に入れられてかかっている。ストルーヴはつねづね自分の趣味のよさを自慢にして、どんな場合でも、アトリエのロマンティックな雰囲気をなおざりにするようなことがなかった。今はそれを見るだけでも胸のはりさける思いがするというのに、彼は無意識のうちに、自分が秘蔵品の一つにしているルイ十五世王朝風のテーブルの位置を少しずらせてみた。そのとき、ふと、壁にむけて立てかけてある一枚のカンヴァスが眼にとまった。彼がいつも使っているものよりずっと大きいものだった。どうしてあんなところに置いたのだろうかと、彼は不審に思った。彼はそれに近寄り、その絵を見ることができるように、自分のほうに傾けた。裸体画だった。心臓の鼓動がはげしくうちはじめた。ストリックランドの絵であることがひと目でわかったからだ。彼はかっとして、カンヴァスを壁のほうへおしもどした――こんなところへ置きっぱなしにするなんて、どんなつもりなんだろう?――ところが、その拍子に、絵は画面を下にして床の上に倒れてしまった。たとえ誰のものだろうと、彼には絵をそんな埃《ほこり》の中に捨てておく気にはなれなかった。彼はそれを持ちあげた。そのとき好奇心がむらむらとわきあがってきた。ひとつ、じっくり見てやろうという気持ちにさからえなくなり、彼はそれを持ちだして、画架《がか》の上に据えた。それから後ずさりして、ゆっくり眺められる場所に立った。
思わず彼は息をのんだ。一人の女がソファに横たわっている絵だ。片方の腕を頭の下にさしこみ、もう片方を体《からだ》に沿ってのばしている。片膝を立て、片脚はまっすぐのばしている。古典的なポーズだ。彼はくらくらっと目まいを感じた。ブラーンチだ。悲しみと、嫉妬《しっと》と、怒りが、どっとこみあげてきた。しわがれ声で叫んだ。だが、何をいってるのやら、言葉にはなっていなかった。両方のこぶしをにぎりしめ、見えない敵にむかって、おどしつけでもするように、それをふりあげた。ありったけの声をふりしぼって、叫びたてた。まったく気が狂ってしまった。彼にはもうがまんができなかった。あんまりひどすぎる。なにか道具はないかと、狂おしい眼差《まなざ》しであたりを見まわした。この絵をずたずたにひき裂いてやろう。こんなものを一分たりと置いておけるもんか! だが、あいにく、役に立ちそうな刃物は見あたらなかった。絵の道具をひっかきまわしてみたが、どうしたわけか、これはと思うようなものは、一つもみつからない。もう狂乱の状態だった。やっとのことで、いいものが出てきた。大きな画ペラだ。彼は歓声をあげてそれにとびついた。そして、短剣でも握るようにそいつをひっつかむと、その絵めがけて突進していった。
このことを話しながらも、ストルーヴは事件が起こったそのときとまったく同じように興奮してしまった。二人が向きあっている食卓のナイフをひっつかむや、しゃにむに振りまわした。今にも打ちかからんばかりに腕をふりあげたが、そこで、ふと、掌をひらいて、パッタリとナイフを床に落とした。彼はひきつったような笑いをうかべて私を見やったが、それきり何もいおうとしなかった。
「先をつづけてくれ」と、私はいった。
「どうしてそんな気持ちになったのか、自分でもわからないんだ。今にもその絵に、でっかい穴をあけてやるところだった。力いっぱいふりおろすところだった。そのとき、ハッとして、わたしは――見たように思ったんだ」
「見たって、何をさ?」
「その絵をだよ。それは芸術品だった。わたしは手が出せなくなった。怖《こわ》くなったんだ」
ストルーヴはまただまってしまった。口をあんぐりあけ、あのまるい青い眼玉がとび出さんばかりにして私をみつめた。
「それはたいした、すばらしい絵だった。わたしはすっかり畏敬《いけい》の念にうたれたんだよ。すんでのところで、恐ろしい罪をおかすところだった。もっとよく見ようと、ちょっと動いた拍子《ひょうし》に、さっきのヘラにつまずいて、まったくぞっとしたね」
ストルーヴをとらえた感動が私にもいくぶんのり移った。異様な感動だった。まるっきり価値のちがう世界へ、とつぜんつれていかれたような気持ちだった。身近かな事がらにたいする人間の反応が、これまで知っていたものとはまったくちがう新しい土地にやってきた他国者《よそもの》のように、私は途方にくれて立ちつくしていた。ストルーヴは絵の説明をしようとしているらしいのだが、いうことが支離滅裂《しりめつれつ》で、何をいっているのか私のほうで察しをつけるほかはなかった。ストリックランドは、これまで自分を縛《しば》りつけていた絆《きずな》をたちきったのだ。彼は発見した。といっても、よくいわれるように、自分自身を発見したというのではなかった。思いもおよばない力を持った、新しい魂を発見したのだ。とても豊かな、とても奇妙な個性を表わしているのは、描線《びょうせん》の大胆な単純化だけではなかった。その肉体は、奇跡的な何ものかを内に秘めた情熱的な官能をもって描《えが》かれているが、だからといって、それは画法だけではなかった。それは、肉体の重さを異常なまでに感じさせる充実感を持っていたが、それだけでもなかった。そうしたものの上に、さらにある霊的なものをも――見るものの心をかきたてる、新しいなにものかをも持っていた。それはわれわれの想像を思いもよらぬ方角へとみちびき、永遠の星だけに照らされている、ほの暗い、うつろな空間を――全裸な魂が新しい神秘を見いだすことに恐れおののいて踏みこんだ空間を、ほのめかすのだった。
私のいい方が修辞的だとしたら、それは当のストルーグが修辞的だったからにほかならない。[人間は、感動した場合には、自然と自分自身を小説的に表現するものではなかろうか?]ストルーヴはこれまで経験したことのない感情を表現しようとしてみたが、ありきたりのいい方では、どうにもうまくいい表わせなかった。どうにもいいようのない事がらをむりに言葉にしようとする、神秘家のようなものだった。だが、ここに一つだけ、彼が私にはっきりさせてくれたことがある。人々は美について軽々しく語りすぎるということだ。言葉にたいして無神経であるために、美という言葉をあまりにも軽率につかいすぎている。そのためにかえって、この言葉は力を失ってしまうのだ。真の美という言葉が表わしているものは、無数のくだらない事物と、その呼び名を共にしているために、威厳を失ってしまうのだ。人は、着物であろうと、犬であろうと、説教であろうと、やたらに[美しい]というが、さて、ほんとうの[美]にぶつかったときには、それがわからないのだ。何の値打ちもない考えなぞを飾ろうと、大げさな言葉をつかうような誤りを犯したために、自分の感受性を鈍《にぶ》らせてしまうのである。たまにしか経験しない霊感をかたって、他人をたぶらかす山師と同じで、あまり乱用した結果、人はこの言葉の力を自らなくしてしまうのだ。しかしストルーヴは、手のつけようもない頑固《がんこ》な道化者ではあるが、誠実で正直な彼の魂に劣らぬ、誠実で正直な愛と理解を、美にたいして持っていた。彼にとっての美は、信者にとっての神にも等しいものであった。だから、それを目のあたりに見たとき、彼は怖れを感じたのである。
「ストリックランドに会ったとき、きみは何ていったんだね?」
「いっしょにオランダへいかないかって、きいてみたんだよ」
私はあきれてものがいえず、ただ口をあんぐり開いて、ストルーヴの顔をしげしげと眺めているだけだった。
「ふたりとも、ブラーンチを愛していたんだもんなあ。おふくろのとこには、あの男を置いとくぐらいの余裕はあるだろうし、それに、貧しい、純朴な連中といっしょにいることは、あいつの魂にどんなにいいかしれないと思うんだ。あの男は彼らから大いに役に立つものを学びとれるかもしれんよ」
「それで、彼はなんていったんだい?」
「にやにやしてたね。わたしのことをおそろしいバカ者とでも思ったんだろうさ。ほかにもっと大事な仕事があるからって、いったよ」
ストリックランドのやつ、どうせ断わるにしても、もう少しましないい方がありそうなものだろうに、と私は思った。
「ブラーンチの絵は、わたしにくれたよ」
どうしてストリックランドがそんなことをしたのだろうか、と私は思ったが、わざわざ口に出してそうはいわなかった。
「持ち物はどう処分したんだね?」やがて私はこうきいた。
「ユダヤ人をあとに入れてやってね。なかなかいい値でそっくり買いとってくれたよ。わたしの絵は故国《くに》に持って帰るつもりなんだ。そのほかには、服を入れた箱が一つと、本が何冊かあるだけ。今のわたしにはそれが全財産なのさ」
「きみが故国《くに》に帰るのは、ほんとにいいことだよ」
彼が立ち直るには、過去のすべてを忘れてしまうことだ、と私は感じた。今はたえがたいように思われる悲しみも、時の流れに洗われてゆくうち、やがては慈悲深い忘却が、ふたたび人生の重荷を背負って立つ力を彼にあたえてくれるだろう。彼はまだ若い。何年かたつうちには、今の不幸のすべてを、何か一種の快感を伴った悲しみをもって、思いおこすようになるだろう。おそかれ早かれ、どこかの正直なオランダ娘と結婚して、しあわせに暮らすにちがいない。そして死ぬまで、あの下手くそな絵を描きつづけることだろうし、それもたいへんな数にのぼることだろうと思うと、笑いがこみあげてくるのだった。翌日、私はアムステルダムヘむかう彼を見送った。
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四十
それからの一か月間、私は自分のことに追われて、この悲劇的な事件に関係のある人と会うことがなかったので、いつしかそれも心から遠のいてしまった。ところがある日のこと、ちょっとした用件を足そうと、それに気をとられて街を歩いていると、チャールズ・ストリックランドとすれちがった。その姿を見ると、忘れられるものなら忘れてしまいたいと思っていた、あのいやな出来事が、まざまざとよみがえってきて、その張本人であるこの男にたいし、むらむらと嫌悪の情がつきあげてきた。知らん顔をするのも大人げないと思ったので、軽く会釈をして、さっさと通りすぎた。ところがつぎの瞬間、私は肩に手がのせられるのを感じた。
「ずいぶん急いでるようだな」彼は親しげに話しかけてきた。
相手が避けるような態度を見せると、逆に愛想よく出るというのが、ストリックランドの性分だった。私の挨拶が冷淡だったので、こっちの気持ちがはっきりわかったのだろう。
「そうですよ」私はぶっきらぼうに答えた。
「じゃ、きみといっしょに歩くとしよう」
「どうしてですか?」
「きみといっしょにいる光栄に浴したいからさ」
私はなんとも答えなかった。彼はだまって私と並んで歩きだした。こんなふうにして、四分の一マイルほど歩いたが、なんだかバカバカしくなってきた。とうとう文房具屋の前へ来たとき、ひとつ紙でも買っていこうか、という気になった。彼を追っ払う口実にもなるし、と思った。
「ここに寄りますから。じゃ、失敬します」と、私はいった。
「すむまで、待ってよう」
私は肩をすくめると、そのまま店にはいった。だが、フランスの紙がだめであることを思い出し、それに第一、計略の裏をかかれてしまったとなっては、わざわざいりもしない買い物で重い目にあうこともないと思った。そこで、どうせあるはずのないもののことをきいて、すぐ外に出てきた。
「ほしいものはあったのかい?」
「いいや」
私たちはまた黙って歩きだした。やがて、いく筋かの通りの集まる交差点に出た。私は歩道の縁石に立ちどまって、こうきいてやった。
「あなたはどっちへいくんですか?」
「きみのいくほうにさ」ストリックランドは笑いを浮かべた。
「ぼくは家へ帰るんですよ」
「じゃ、いっしょにいって、一服やるとしよう」
「こっちからおいでなさいといわれるまで待つのが、ほんとうですがね」
「そりゃ、そういってもらえる見込みがあると思えば、待つだろうさ」
「あの、まっ正面の壁が見えますかね?」私は指さしながらいった。
「ああ、見えるよ」
「そんなら、ぼくがあなたといっしょにいたくないってことが顔に書いてあるのも、見えそうなもんですがね」
「うすうすそうは感じていたがね、正直なところ」
思わず私はふきだしてしまった。どうも、笑わせられると、その人間を根っから憎めなくなってしまうのが、私の性格の欠点の一つなのだ。だが、ここが肝心だと気をひきしめた。
「いやなやつですよ、あなたは。こんないけすかない、けだものみたいな人間には、今までお目にかかったこともありませんな。どうしてまたあなたは、よりによって、あなたのことをこんなに嫌って軽蔑している男とつき合いたがったりするんですかね?」
「おいおい、待てよ、きみがどう思ってるかなんて、気にするわしだとでも思ってるのかい?」
「こん畜生め!」もともと、こっちの動機があまりほめたものでもないとわかっているだけに、よけい乱暴ないい方になった。「こっちはあんたなんかと友だちになりたくないんだ」
「いっしょにいると、けがれるとでも思うのかい?」
そのいい方をきくと、私はひどくバカバカしい気がしてきた。彼が皮肉な笑いを浮かべて、横目で私をみつめているのに気がついた。
「また、一文なしにでもなったんでしょう?」私は横柄《おうへい》にいってやった。
「きみからかねが借りられると思うほど、わしも間抜けじゃないさ」
「お世辞をいう気にでもなったら、あんたもおちぶれたことになりますからね」
彼はにやっと笑った。
「きみって人間はだね、わしがときたまうまいことをいうチャンスをあたえてやるかぎり、心からわしを嫌いにゃなれないんだな」
私は笑わないように、唇をかみしめていなければならなかった。いまいましいが、彼のいい草はほんとうなのだ。そして、私の性格のいま一つの欠点というのが、私と五分五分にわたり合ってくれる口の達者なやつなら、どんな悪人でもよろこんでつきあわずにはいられないというのだから、困ったものだ。ストリックランドにたいする私の憎悪《ぞうお》も、よほどこっちでしめてかからないと、くずされてしまうぞという気がしてきた。私は自分の道徳的な弱さに気がついたが、彼にたいする私の非難のうちには、すでにある種の見せかけが含まれていることもわかった。それも私が感じるくらいだから、ストリックランドの鋭い本能なら、とっくに見ぬいていたにちがいない。きっと腹の中では、私をあざ笑っていることだろう。彼の言葉を最後に、私はただ肩をすくめるだけで黙っていた。
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四十一
私たちは私の住んでいる家に着いた。私はいっしょにはいりたまえともいわずに、黙って階段を上がっていった。彼は私のあとについて来て、私のすぐあとから部屋にはいってきた。ここに来たのははじめてだというのに、彼は私が見た眼に気持ちのよい雰囲気を出そうと苦心した部屋のようすになど眼もとめなかった。テーブルの上にきざみタバコの罐《かん》があるのを見てとると、彼はさっそくパイプをとり出してつめた。それからよりによって、たった一つだけある腕木のない椅子に腰をおろすと、椅子のうしろの脚に重心をかけて、ふんぞり返るようなかっこうになった。
「楽にしたいんだったら、肘掛椅子にかけたらいいじゃないですか」と私はいらいらしていった。
「わしが楽にしようとしまいと、きみが気にするこたあないだろう」
「あなたのことなんか気にしゃしませんよ」と私もやり返した。「ただ、ぼく自身のことを気にかけてるだけなんです。ひとがすわりごこちのわるい椅子にかけてるのを見ると、こっちが落ちつかないんでね」
彼はくすりと笑ったきり、動こうともしなかった。そのまま私には眼もくれず、黙ってタバコをふかしていた。どうやらしきりに考えこんでいるようすだった。いったいこの男は、どうしてここへやって来たのだろう?
作家には、長いあいだの習慣で感受性がにぶってしまわないかぎり、特異な人間性にたいして強い興味を感じないではいられないような困った本能がひそんでいるが、それは道義心などてんで受けつけないほどの力で作家の心をとらえてしまうものなのだ。悪の凝視《ぎょうし》に芸術的満足を感じている自分に気がついて、思わずハッとするのだ。だが、ある種の行為にたいして感じる非難の気持ちは、その行為の動機にたいして感じる好奇心には及ばないというのが、作家の偽りのない心境なのである。論理的で、それ自体としては完成した悪人の性格は、法や秩序にとっては憎むべきものであっても、それを創造する作者にとっては、たまらない魅力を持つものだ。シェイクスピアも、空想のなかで月光を織りなすようにしてあのデスデモーナ〔シェイクスピアの悲劇『オセロ』の主人公オセロ将軍の妻。副官イアゴウの好策にかかって、オセロは妻を殺し、自殺する〕を描きだしたときにはけっして感じなかった深い楽しさをこめて、悪人イアゴウを考え出したのではないかと思う。小説家は自分が創り出す悪党連中を通じて、自分の心に深く根ざしている本能を満足させているのかもしれない。それは文明社会の礼儀や習慣によって、潜在意識という神秘の奥深くにおしこめられてしまっている本能なのだ。自分の創り出した人物に血や肉をあたえることによって、作家はそれ以外の方法では表現しえない自分自身の中のそういう部分に生命を賦与《ふよ》しているのだ。こうした作家の満足感は、つまり解放感にほかならないのである。
作家は、裁《さば》くことより知ることに、より多くの関心を持つものである。
私の心の中には、たしかにしん底からストリックランドを憎みぬく気持ちがあったが、それと並んで、この男の動機をさぐりだしたいという冷静な好奇心があったことも、またたしかである。どうも私にはストリックランドという男がわからなかった。あれほど親切にしてくれた人たちの生活に、自分が原因となってひき起こしたあの悲劇について、彼自身はどう考えているのか、私はなんとかして知りたいと思った。そこで、思いきってメスを当ててみた。
「ストルーヴがね、あなたの作品のうちでは、彼の細君を描いたのがいちばん傑作だっていってましたよ」
それを聞くと、ストリックランドはパイプを口からはずしたが、その眼にパッと微笑がうかんだ。
「あれを描くのはとてもたのしかったよ」
「どうしてその絵をあの男にやったんですか?」
「描き上げちゃったからさ。わしには描き上げたもんなど用がないんでね」
「ストルーヴがすんでのことであれを引き裂くところだったの、知ってますか?」
「やっぱり完璧というわけにはいかなかったからな」
そのまま、彼はしばらく黙っていたが、やがてまたパイプを口からとり出すと、くすりと笑った。
「知ってるかい? やっこさんはわしに会いにやってきたんだよ」
「あなたもあの男のいったことには、ずいぶんと心を動かされませんでしたかね?」
「とんでもない。愚にもっかぬセンチメンタルなことだと思ったよ」
「あなたは、彼の生涯をだいなしにしちまったってこと、お忘れになったようですな」彼は考えこむように、ひげの生えた顎《あご》をなでていた。
「奴さんはひどいヘボ絵かきだ」
「しかし、ひどくいい人間ですよ」
「それに、腕のいい料理人と来るからね」と、ストリックランドはあざけるようにつけ加えた。
まったく、血も涙もない冷血漢だ。私は憤慨のあまり、もう遠慮なんかせずに、ずけずけいってやろうという気になった。
「ただ好奇心からきいてみるだけですが、いったいあなたはブラーンチ・ストルーヴの死にたいして、ほんのちょっぴりでも良心の呵責《かしゃく》を感じているんですか? その点、きかせてもらいたいんですがね」
顔色ぐらい少しは変わるかと、私は彼の顔を見まもっていた。だが、相変わらず無表情のままだった。
「どうして感じなけりゃならんのかな?」と、彼は問い返した。
「ありのままの事実をいわしてもらいましょう。あなたはあのとき死にかけていたんですよ。それを、ダーク・ストルーヴが自分の家につれてきて、母親のように看病してやったんです。奴《やっこ》さんはあなたのために、時もかねも生活の安楽も、すべて犠牲にしたんですぜ。それで、あなたを死の神の手から奪い返してくれたんですよ」
ストリックランドは肩をすくめた。
「ありゃ、途方もなくまぬけな男でね、ひとにつくしてやるのがたのしみなんだよ。それが奴さんの生活なのさ」
「ストルーヴに感謝する必要がないというんなら、それでもいいが、なにもわざわざあの男から細君まで奪わなけりゃならんことはないでしょうが? あんたが姿を現わすまで、あの二人は幸福にやっていたんですよ。どうして二人をそっとしておいてやれなかったんですか?」
「二人が幸福だったなんて、どうしてきみにわかるんだい?」
「一目|瞭然《りょうぜん》でしたよ」
「きみもなかなか眼がきく男だな。ともかく、あの男のしたことが、彼女として赦《ゆる》せるようなことだったときみは思うのかね?」
「それはまた、どういう意味なんです?」
「ストルーヴがあの女と結婚したわけを知らないのかい?」
私は首を横にふった。
「あの女はね、あるローマの公爵の屋敷で家庭教師をしていたんだ。そして、そこの息子にたらしこまれちまったのさ。結婚してもらえるもんと思ったんだね。ところが、着のみ着のままでお払い箱にされたってわけさ。身ごもっているし、いっそ自殺でもしようかと思った。そういう彼女をストルーヴがみつけて、結婚してやったんだよ」
「いかにも、あの男らしいことをしましたね。あのくらい同情心のあつい人間にはぼくも出会ったことありませんよ」
私は前まえから、どうしてあのように不釣合な男女が結婚したのだろうかと、ふしぎに思っていたのだった。だが、そういういきさつだったとは夢にも思っていなかった。ダークの、細君にたいする気持ちのうちに、どこか普通の熱情とはちがったものがあったのに私も気がついていた。それに、彼女の控えめな態度には、私などにはわからない何ものかが隠されているのではないか、といつも感じていたことも思いだした。しかし事情を知った今、そこに恥ずかしい秘密を隠したいという欲望以上のものを私は見てとったのである。彼女の落ちつきは、いわば颶風《ぐふう》にさらされた後の小島にたれこめる、陰気な静けさにも似ていた。その快活さは、絶望の快活さだったのだ。ふいに、ストリックランドの声が私の瞑想《めいそう》をさえぎった。それは私をぎくりとさせるような、底知れぬ皮肉を含んだ言葉だった。
「女というやつはだね、男から受けた痛手は赦《ゆる》すこともできるが、男が自分のためにはらってくれる犠牲だけは、けっして赦せないものなんだよ」と、ストリックランドはいった。
「それじゃ、あなたはつきあった女の人から恨《うら》みを受けるような危険はまったくないから、さぞかし安心なことでしょうな」と私はやり返した。
彼の唇に、うす笑いがうかんだ。
「きみは当意即妙の受け答えをするためなら、いつでも主義主張なんぞ捨てるつもりなんだな」彼がいった。
「赤ん坊はどうなったんですかね?」
「ああ、死産だったよ。結婚して、三、四か月たってからね」
ここでいよいよ、私は自分にいちばん合点のいかない点を突いてみた。
「ところで、どうしてあなたはブラーンチ・ストルーヴなんかにかかわり合ったんですか?」
いつまで待っても答えがなかったので、私はもう一度質問をくり返そうとした。
「そんなこと、どうしてわしにわかるかね?」と、やっと彼はいった。「あの女はわしを見るのもいやだった。それがわしにはおもしろかったのさ」
「なるほどね」
とつぜん、彼はかっと腹をたてた。
「クソ、おもしろくもない。わしはあの女が欲しかったんだよ」
だが、彼はすぐに機嫌をなおし、微笑をうかべて、私を見やった。
「最初は、おびえていたな」
「あなたははっきりそういったんですか?」
「いや、そんな必要はなかったよ。むこうには、ちゃんとわかっていたんだね。わしはひと一言もいわなかった。ひどくおびえていたが、とうとうわしのものになったよ」
この話をしているときの彼の口ぶりのうちに、彼の欲情の異常なまでのはげしさをほのめかすどんなものがあったか、私にはわからない。それは人の心をかきみだすような、ずいぶんおそろしいものだった。彼の生活はふしぎなほど肉体的なことからかけ離れていたが、そのため、ときおりその肉体が、かえって精神におそろしい復讐を加えるかのようだった。彼のうちにひそむ半獣神《サター》がとつぜん彼をとらえ、彼は原始的な自然の力さながらの激しさをもつ本能のとりことなり、まったく無力になりはててしまうのだ。完全にとり憑《つ》かれた状態になって、彼の魂のうちには、分別や感謝の入りこむ余地がなくなってしまうのである。
「しかし、アトリエを出るとき、どうしてあの女をいっしょに連れていく気を起こしたんですか?」と、私はきいた。
「そんなつもりはなかったね」と彼は顔をしかめて答えた。「いっしょに来たいといわれたときには、わしのほうもストルーヴに負けんくらいびっくりしたよ。そこでこういってやったんだ。わしが飽きちまったら、おまえは追い出されるんだぞ、ってね。するとあの女は、そんなこと覚悟の上だっていいおったよ」彼はちょっと言葉をきった。「すばらしい肉体をしておったが、わしは裸体《ヌード》が描きたかったんだ。だから、あの絵が仕上がったら、もうあれにも興味がなくなっちまったな」
「ところが、ブラーンチのほうじゃ、あなたを心から愛していたというわけなんですね」
彼はふいにパッと立ちあがると、狭い部屋の中を行ったり来たりしはじめた。
「わしは恋愛なんかまっぴらだ。わしにはそんな暇がないよ。そんなものは弱さなんだ。そりゃ、わしだって男だから、たまには女が欲しくなることもあるさ。だが、いったん欲情が満たされてしまえば、それでもうほかのことに心がむかうんだね。わしも欲望には勝てないが、そいつを憎んでいるんだ。欲望ってやつはわしの魂をとりこにしてしまうからだよ。欲望からすっかり解放されて、何の邪魔物もなしに自分の仕事にうちこめるような時がやって来るのを、わしは待ちこがれているんだ。女っていうやつは、恋愛をするしか能がないもんだから、そいつを途方もなく重大なものに考えるんだね。男にまで、それが人生のすべてだなんて思いこませたがるんだ。恋愛なんて、人生ではくだらん一小部分さ。肉欲ならわかる。あれは正常で健康なもんだよ。だが、恋ってやつは病気なんだね。女はわしの快楽の道具にすぎんよ。その女どもが、やれ協力者だの、やれ仲間だの、やれ伴侶《はんりょ》だのといったものになりたがるのが、わしにはがまんがならんのだ」
ストリックランドが一度にこれほどしゃべりまくるのを聞くのは、これがはじめてだった。まったく憤慨《ふんがい》にたえないという口ぶりだった。もっとも、この場合だけでなく、いつでもそうなのだが、これが彼のいった言葉をそのまま述べたものだというつもりではない。彼の語彙《ごい》は貧弱で、それに文章を組み立てる才能がまるでないから、彼の感嘆詞や表情や身ぶりや陳腐《ちんぷ》な文句などをこっちでつなぎ合わせて、彼のいわんとするところをまとめてみるほかはないのだ。
「あなたみたいな人間は、女が家財道具で、男が奴隷を使っていた時代に生まれていればよかったんですよ」と、私はいってやった。
「いや、たまたまこのわしが完全に正常な男だというだけのことさ」
こう大まじめでいわれては、私もふき出さずにはいられなかった。だが、彼は相変わらず、檻《おり》の中の野獣のように、部屋を行ったり来たりしながら言葉をつづけた。なんとか自分の気持ちをいい表わそうとしているのだが、筋の通った説明をするのがひどくむずかしいようすだった。
「女ってやつは、一度好きになると、その男の魂までも手に入れなきゃ承知しないものなんだ。というのも、女は弱いので、なんとかして支配力を握ろうとやっきになるのさ。そこまでいかないと、満足できないんだ。女の心はせまいもんだから、自分には理解できない抽象的なことをいやがる。物質的なことばかりに心を奪われているもんだから、精神的な理想などにはねたみを感じるんだ。男の魂は宇宙のさい果てまでもさまよって、飽きることを知らないが、女はそいつを自分の家計簿の枠《わく》の中にとじこめてしまおうとするんだね。きみも、わしの女房を憶《おぼ》えてるだろう? ブラーンチがまた、いろんな手管《てくだ》を少しずつ使いだしたのをわしは見てとったよ。じつに根気よくわしを罠《わな》にかけ、縛《しば》りあげるつもりでいたんだ。自分の水準まで、このわしをひっぱりおろそうと思ったんだね。こっちのことなんか、ちっとも考えないで、ただわしを自分のものにしたいと望んでいただけさ。わしのためにはどんなことでも喜んでやってくれたが、かんじんの、わしのほうでしてもらいたかったことだけは例外だったよ。つまり、わしをそっとしといてくれることだけはね」
私はしばらく黙っていたが、やがてこういった――
「あなたはあの女を捨てたとき、彼女がどうすると思っていたんですか?」
「ストルーヴのところへ帰りゃよかったんだ」彼はいら立たしげにいった。「奴さんはあの女をひきとりたくてうずうずしてたんだからな」
「あなたは人でなしですよ」と私はいった。「そういう人間とこんなことを話し合ってもむだですね。牛まれつきの盲人《めくら》に色の話をしてきかせるようなもんですから」
彼は私の椅子の前まで来て立ちどまると、私をじっと見おろした。その顔には、相手を軽蔑するような驚きの表情が読みとれた。
「ほんとのところ、ブラーンチ・ストルーヴが生きてるか死んでるかってことなど、きみはちっとでも気にかけてるのかね?」
私は彼のこの質問をじっと考えてみた。ともかく自分の魂にたいしては、偽りのない返答がしたかったからだ。
「あの人が死んでも、ぼくにはどうってことがないとしたら、たぶんそれは、ぼく自身のうちに同情心が欠けているからでしょう。あの人にはまだこれからという人生だったのにね。それがあんなむごいやり方で閉ざされてしまったなんて、おそろしいことだと思いますよ。それなのに、ほんとは気にかけていないんだから、ぼくも恥ずかしくなりますね」
「きみには自分の信念をつらぬく勇気がないんだな。人生には価値なんてものはないのさ。ブラーンチ・ストルーヴはわしが捨てたから自殺したんじゃなくって、愚かで、心のバランスがとれていなかったからだよ。だが、あの女のことなんかもうたくさんだね。まったくくだらん女だったよ。それより、どうだ、わしの絵でも見にこないか」
彼はまるで子供でもあやすようないい方をした。しゃくにさわったが、といっても、彼にたいしてよりは、むしろ私自身にたいして腹が立ったのだ。私はあのモンマルトルの気持ちのいいアトリエで暮らしていた、ストルーヴと細君との幸福な生活を思いうかべた。素朴で、親切で、心からもてなしてくれた二人だった。それが無情な運命の手によって、かくも無残につきくずされてしまうなんて、いかにも残酷に思われた。だが、何よりいちばん残酷なことは、そのために何ひとつ変化が起きなかったということだ。世の中は同じように動いてゆき、世間の人はだれ一人として、この悲劇のためにどうなるということもなかったのだ。そうだ、ダークだって、感情の深さより、外に現われる感情の反応のほうが大きい人間だから、まもなくこのことを忘れてしまうだろう。ブラーンチの一生が、どれほどの輝かしい希望と夢を秘めてはじまったか知る由もないが、こうなってみると、生まれてこないほうがましだったとすらいえそうだ。すべてが無益な、気違いじみたことのように思われた。
ストリックランドは帽子をとりあげると、私を見おろしていった。
「いっしょに来るかい?」
「どうしてぼくとつき合いたいんです?」と、私はきいてやった。「ぼくがあなたを憎んで、軽蔑してることわかってるはずなのに」
ストリックランドは上機嫌にくすくす笑いながらいった。
「きみが勝手に腹を立てるわけはだな、じつのところ、きみがどう思おうと、わしのほうじゃこれっぽっちも気にしないってことにあるだけなんだよ」
たちまち、私は頬《ほほ》がかっとあつくなるのを感じた。こうした無神経なひとりよがりが、どれほど相手の気持ちをかきむしるものか、この男に理解させることなどとうていできないのだった。私はこの男のまとっている、徹底した無関心という鎧《よろい》をなんとかして突き通してやりたいと思った。しかしまた、けっきょくのところ、彼のいう事がらにも真実があることがわかっていた。われわれは、おそらく無意識にであろうが、他人が自分の意見にはらう関心によって、その人間にたいするおのれの支配力をまもるものであり、だからこそ、そのような影響をまったく受けない人間にたいして、憎しみをいだくのである。たぶんこれほど痛烈に人間の自尊心を傷つけるものはないだろう。だが私としては、この腹立ちを彼に見せたくなかった。
「どんな人間にしろ、他人のことをまったく無視して暮らせるもんでしょうかね?」私はこう話しかけたが、これは彼にというより、むしろ自分に問いかけたようなものだった。
「あなただって、生きるためには何から何まで他人の世話になっているんですよ。まったく自分のために自分だけで生きようなんて、そいつは無理ですね。遅かれ早かれ、病気にもかかるだろうし、衰弱して、老いぼれることにもなるでしょう。そうなれば、やっぱりもとの仲間のところへはい戻ってこなけりゃなりません。あなたの心にも、慰めや同情を求めるような時がやってくるでしょうが、そんなとき、あなたは恥ずかしくありませんかね? あなたはできもしないことをやろうとしているんですよ。遅かれ早かれ、あなたの中の人間が、人間としての共通の絆《きずな》にあこがれる時が、やって来るでしょうね」
「ともかく、絵を見にこいよ」
「あなたは死というものを考えたことがありますか?」
「そんなこと、考えるもんか。どうだっていいことさ」
私は彼をみつめた。彼は動こうともしないで、まっすぐ前に突っ立っていた。その眼には、あざけるような微笑がうかんでいた。それにもかかわらず、私はそのとき、この肉体に縛りつけられていて、とらえることのできそうもない、何か偉大なるものを求めて、炎のように悶《もだ》える魂を、一瞬、感じとった。何か口にできない神聖なものを求めるひたむきな魂を、一瞬、かいま見たのである。それから私は、眼の前にいる、みすぼらしい服を着て、大きな鼻と、ギラギラ光る眼と、赤い顎《あご》ひげと、乱れた髪を持った男を見た。そしてこれは外側の殻にすぎないのであって、いま自分がむき合っているのは、肉体を離れた魂なのだという、あるふしぎな感動をおぼえた。
「さあ、あなたの絵を見に行きましょう」
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四十二
ストリックランドがなぜふいに私に絵を見せるといい出したのか、私にはわからなかった。だが、これはまたとないよい機会だと思った。いったい作品というものは、その人を表わすものだ。世間的なつきあいだと、人はただ周囲の人たちにこう考えてもらいたいと思う表面しか見せないものである。だから、無意識のうちに見せるちょっとした行為や、自分では気がつかないうちに顔をよぎるつかの間の表情などから、その人の真実の姿を推測するほかはない。またときには、そうした見せかけの仮面をあまりにもみごとにかぶり通したために、人はいつしか見せかけの人間そのものに、じっさいなってしまう場合もある。しかしながら、どんな人間でも、書物や絵の中では、偽りのない自分がむきだしにされるものだ。見せかけはただその人の空虚を暴露《ばくろ》するだけである。色をぬって鉄板のように見せかけたところで、木片はしょせん木片にすぎない。いかに奇をてらおうとも、ぼんくらな精神を隠しおおせるものではない。鋭い鑑識眼に出会うと、たとえかりそめの作品であっても、作者の魂の奥底にひそむ秘密を暴露せずにはおかないものだ。
ストリックランドが住んでいるアパートの、際限《さいげん》もなくつづく階段をのぼりながら、正直なところ、私はいくぶん興奮していた。なんだか、おどろくべき冒険に足を踏み入れるような気持ちだった。私は部屋じゅうをものめずらしげに見まわした。自分の記憶していたものよりもっと小さく、がらんとしていた。広いアトリエでなくちゃだめだとか、すべての条件が気に入るようになっていないと仕事ができないとかうそぶいている、私の友だちの画家どもにこれを見せたら、なんというだろうか、と思った。
「そこに立つほうがいいよ」たぶんこれから絵を見るのにいちばん都合のいい位置と思われるところなのだろう、彼は一点を私にさし示した。
「絵についてあれこれいってもらいたくないでしょうね」と、私はいった。
「むろんだとも。しっかり口をむすんでてもらいたいな」彼は一枚の絵を画架にかけ、一、二分間も見せると、それをはずして、ほかのに掛けかえていった。こうして三十点ほどのカンヴァスを見せてくれただろうか。それは彼が絵を描いていた六年間の成果だった。売った絵は一枚もなかったのだ。カンヴァスの大きさはまちまちで、小さめのものは静物、いちばん大きいのは風景だった。肖像画が半ダースばかりあった。
「これで全部だよ」やがて彼がそういった。
私はそのときすぐに、それらの絵が持つ美と偉大な独創性とを認めた、といいたいところだが、じつのところ、そうではなかった。そのうちの多くをあらためて見たり、そのほかのものも複製でよく見なれている今になってみると、それをはじめてながめたとき、ひどい失望を感じたことにわれながらあきれるばかりだ。芸術だけがあたえうる特異な感動など、そのときの私はまるで受けなかったのだ。ストリックランドの絵から受けた印象は、ただ戸惑《とまど》いだけだった。そして、いつも悔《くや》んでいることだが、ついぞそれを買おうなどという考えはおこらなかったのである。まったくすばらしいチャンスを逃がしてしまったものだ。今では、その大半は博物館に収められ、残りのものも金持ちの美術愛好家の秘蔵品になってしまった。
これには、私なりのいいわけをしておかなければなるまい。まず、私の趣味はそう悪くないと思っている。ただ、そこに独創性がないことは自分でも気がついている。それに、絵についてはごく貧弱な知識しか持っておらず、ただ他人が切り開いてくれる道をたどたどしく追っているにすぎないのである。そのころの私は、印象派の画家に最大の敬意をはらっていた。シスレーとかドガのものが欲しくてたまらなかった。なかでも、マネは崇拝していた。マネの[オランピア]は近代絵画では最高の作品だと思っていたし、[草上の昼食]にも深い感銘を受けていた。こうした作品こそ、絵画の最高傑作だと私には思われていたのだ。
ここで私は、ストリックランドが見せてくれた絵の説明をするつもりはない。絵の説明は退屈なものときまっているし、それに、およそこの道に興味を持つほどの人ならば、もういずれもおなじみ深いものになっているはずだからである。彼の絵が近代絵画に莫大《ばくだい》な影響をあたえた現在、そして、彼が最初の開拓者の一人として足を踏み入れたこの新天地も、ほかの人々によってくまなく探りつくされている現在、ストリックランドの絵は、たとえそれを見るのがはじめてであっても、鑑賞するだけの心がまえがかなりできているであろう。ところが私は、それまでそんな種類の絵を一度も見たことがなかったということを忘れないでいただきたい。何よりまず、いかにもぎごちなく見える技巧に、私は唖然《あぜん》としてしまった。従来の巨匠たちの絵を見なれて、アングルを近代最高の技巧家と思いこんでいた私には、ストリックランドの描《か》きっぷりがいかにもへたくそに思われた。彼が狙《ねら》った単純化にしても、私には何もわからなかった。今でも忘れないのは、皿にオレンジをもった静物だったが、その皿はまるくないし、オレンジはまるでいびつなのに、私は面くらったものだった。肖像は実物より少し大きめで、それがよけい人物をぶざまに見せていた。どう見ても、私にはその顔が戯画としか思えなかった。まったく私にとっては新しい技法で描かれていたのだ。さらに、風景画とくると、いっそうまごついた。フォンテンブローの森〔パリの南東にある森〕の絵が二、三枚と、パリの街の絵が五、六枚あったが、見たとたんに、これは酔っぱらった辻馬車の御者《ぎょしゃ》が描いたのではないか、という感じを受けたのである。まったく、私はすっかり戸惑ってしまった。色は色で、いやに毒々しく見えた。ひょっとすると、これはまるっきり途方もない、不可解な茶番なのかもしれないぞという考えが、私の頭をかすめた。だが、今になって思い返すと、ストリックランドの洞察の鋭さにはますます敬服するばかりである。彼ははじめから、芸術の革命はここにあることを見抜いていたのだ。今でこそ全世界が認めるところとなった風潮を、その初期において、彼はすでにはっきりみとめていたのである。
しかしながら、戸惑ったり面くらったりしたからといって、私がなんの印象も受けなかったというわけではなかった。たいへん無知な私でさえ、そこには表現をもとめて悶《もだ》えている真実の力があるのを感じないではいられなかった。私は興奮し、興味をそそられた。これらの絵はたしかに私に話しかけてくるなにかあるものを、私にはそれが何であるかはっきりわからないながらも、知るに値するたいへん重要な何かを、持っているという気がした。ぶざまには見えるが、しかしそこにはすこぶる深い意義をもつ神秘が、あからさまにではないまでも、ほのかに暗示されていたのだ。なんだか妙にそれを見るものの心をじらすものがあった。とにかく、私には分析しがたい一つの感動をあたえてくれたのである。言葉などではとうてい、いい表わすことのできない何ものかを語っていた。ストリックランドは、物質的な事物の中に、おぼろげながら何か精神的な意義を見いだしたのだが、それがいかにもふしぎなものだったので、ただ、たどたどしい象徴によって暗示するしか方法がみつからないみたいだった。あたかも宇宙の混沌の中に新しい様式《パタン》を見いだし、はげしい魂の苦悶《くもん》にさいなまれながらも、それを描き出そうとして、いかにも不器用な手で模索《もさく》しているという感じだった。私はそこに、表現の解放を求めてもだえ苦しんでいる一つの魂を見てとった。
私は彼のほうへふりむいて、こういった――
「あなたは表現の手段をまちがえたんじゃないですかな」
「それはいったいどういう意味なんだい?」
「あなたは何かをいおうとしているらしい。それが何であるか、ぼくにははっきりわかりませんが、とにかく、絵画という手段でそれを表現しようとするのがはたして最善の方法かどうか、ぼくには確信が持てませんね」
彼の絵を見れば、この男の不可解な性格を理解する糸口がつかめるだろうと思ったのは、私の誤りだった。それどころか、彼から受ける驚きが一段とますだけだった。私はますますもって、五里霧中《ごりむちゅう》に追いこまれてしまった。ただ、これだけは私にもはっきりわかるような気がする――といっても、それすらただの空想にすぎないかもしれないのだが――つまり、彼は自分を縛《しば》りつけている力からの解放を求めて、必死にもがき苦しんでいるということだ。しかし、それがいかなる力であるのか、またその解放がいかなる方向をとるものであるのか、その辺のところはやはり漠としてつかむことができなかった。われわれはそれぞれ、この世では、ひとりぼっちである。真鍮《しんちゅう》の塔の中に閉じこめられて、仲間とは符号によって意志を通じあうことしかできない。しかもその符号というのが共通の価値を持っていないので、その意味はあいまいで不確かなものになってしまう。なんとかして自分の心に秘めた大切なものを他人に伝えようとあわれな努力をするが、相手にはそれを受けいれるだけの力がない。かくして、われわれは肩を並べながらも、仲間を知ることもできず、また仲間からもわかってもらえずに、交わることのない並行線上を、ただひとり寂しく歩いてゆくのだ。ちょうど、心にはいろいろと美しい深遠なことを考えながらも、言葉のよくわからない異国に住んでいるために、けっきょく、会話手引にある陳腐《ちんぷ》なきまり文句しか口にすることのできない、かわいそうな人たちに似ている。頭の中にはいろいろな考えが沸き立っているというのに、「庭師の叔母さんの傘《かさ》が家の中にあります」くらいのことしかいえない人たちのようなものである。
私の受けた最後的な印象は、ある魂の状態を表現しようとしている、すさまじい努力についてであった。このうちにこそ、あれほどはげしく私を困惑させたものの説明が見いだされてしかるべきだと思う。色彩や形態が、ストリックランドにとっては、彼独自のある意義を持っていることはあきらかだった。自分の感じている何かを、どうにかして伝えずにはいられなかった彼は、ただその意図だけで、この色と形とを創り出したのだった。自分が求めている未知のものに少しでも近づくことができさえすれば、単純化も、歪曲化《わいきょくか》も、ためらうことなく行なったのである。個々の事実は彼にとって無意味だった。たがいに無関係な事実のより集まりの下に、彼は自分だけに意義を持つ何かを探し求めていたからだ。あたかもそれは、彼が宇宙の魂ともいうべきもののあるのに気づき、是が非でもそれを表現せずにはいられない羽目に立たされたかのようであった。私は、これらの絵にはまごつきもし、困惑も感じたが、そこにあきらかにされている熱情には動かされずにはいられなかった。そして、なぜか自分にもわからないのだが、ストリックランドにたいしてよもや抱くまいと思っていた感情が、自分の中に沸き上がってきたのだ。私はこの男に圧倒的な共感を感じたのである。
「どうしてあなたがブラーンチ・ストルーヴにたいする感情に負けてしまったのか、今ようやくわかってきたような気がしますよ」と、私はいってやった。
「ほう、どうしてだ?」
「あなたの勇気がくじけたんですよ。あなたの肉体の弱さがあなたの魂にまでうつったんですね。どんなはてしない憧れがあなたをとらえているのかわからないが、それだからこそあなたは、自分を責めさいなんでいる精神から完全にのがれられると思っているある目的地を求めて、危険な、孤独な旅にかり立てられているんですよ。おそらく実際には存在してないかもしれない神殿を求めて放浪の旅をつづける、永遠の巡礼のようなものです。あなたの目ざしているのがどんな測り知れない涅槃《ねはん》であるか、ぼくにはわからない。あなた自身には、わかっているんでしょうね? たぶんあなたが求めているのは、[真理と自由]なのかも知れません。そしてちょっとの間、[愛]の中に救いが見いだせると思ったんですよ。あなたの疲れた魂が女の腕の中に休息を求めた。だが、それもだめだとわかると、あなたはその女が憎らしくなった。女にたいして憐《あわ》れみなどはまったく感じなかった。自分にさえ、憐れみなどみじんも感じていないんですからね。そればかりか、あなたは恐怖のあまり、その女を殺してしまった。なぜなら、かろうじて逃れることのできた危険にたいして、まだ震えおののいていたからですよ」
彼は乾いた微笑をうかべ、顎《あご》ひげをしごきながらきいていたが、やがてこういった――
「たいへんなセンチメンタリストだな、きみって男は」
それから一週間ほどして、ストリックランドがマルセイユ〔地中海に面した港町〕へいってしまったといううわさを偶然聞いた。それっきり、私は彼に二度と会わなかった。
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四十三
さて、チャールズ・ストリックランドについてここまで書いてきた事がらをふり返ってみると、きっとそれははなはだ不満足なものに思われるだろう、そう私は感じたのである。私としては、自分の知っているかぎりの事がらを書いたつもりなのだが、それがいったいどういう理由でそのようになったかについては、私自身にもわからぬままに、いぜんとしてすべてが不明瞭に終わっているのだ。とりわけ、もっともふしぎなこと、すなわち、ストリックランドがどうしてとつぜん画家を志願したか、ということについては、どうも気まぐれとしか思われない。もちろん、なにか彼の生活上の事情にいろいろの原因があったにちがいないが、私にはくわしいことがまったくわからないのだ。彼自身の話からは、それらしいものが少しもつかめなかった。これが、もしある奇妙な人物について、私の知っている限りの事実をつつまず書きたてるということでなく、一つの小説を書こうとしているのであれば、私もこの不意の発心《ほっしん》を説明できるような事がらをいろいろと考え出したことであろう。たとえば、少年時代すでに天分をはっきり示していた者が、父親の意志によってそれを挫《くじ》かれたり、生計を立てる必要上、やむなく犠牲を強いられたりしたということもあろうし、あるいはまた、現実生活の拘束《こうそく》にたえ切れなくなったようにも描いたであろう。そして、そのように描くことによって、芸術にたいする熱情と、実生活上の義務との板ばさみになった彼にたいして、読者の同情を喚起《かんき》するようにもってゆくこともできたであろう。そのようにすれば、彼をもっと堂々たる人物につくり上げ、第二のプロメテウス〔天上から火を盗み土人形に生命をあたえて人類を創造した神。そのためゼウスの神の怒りに触れ、コーカサス山の岩に縛りつけられ、ハゲタカに肝臓を食われたという〕としての面影を彼のうちに眺めることもおそらく可能であったろう。たぶんそこには、人類の幸福のためには身を地獄の業苦《ごうく》にさらすことすらいとわないという、英雄の現代版をつくり上げる機会さえあったかもしれないのだ。それはいつの世にも変わらぬ感動的な主題である。
また一方、結婚関係の影響という方面に、彼の動機をさぐり出すこともできたかもしれない。しかも、それをやってのけるためには、いろいろの方法が考えられるのだ。すなわち、たまたま細君の求めていた、画家や作家たちとの交際が機縁となって、今まで隠れていた天分がにわかに現われてきたというふうにもできようし、また、家庭的な不和が彼の心を自分自身に向けさせる原因となったとも持っていけるだろう。あるいはまた、恋愛問題をきっかけとして、今まで彼の胸中にぼんやりくすぶっていた、激しい芸術の炎がにわかにかきたてられたというふうにも書けたであろう。そういうことになれば、当然、私はストリックランド夫人という女性をまったく違ったふうに描くことになったであろう。すなわち、事実をいっさい無視して、彼女を退屈ながみがみ女とするか、さもなければ、人間の精神的な要求などにはひとかけらの同情ももたない、頑迷《がんめい》きわまる女性にでも描くべきだったろう。そしてストリックランドの結婚生活は、ただ逃げ口を求めるよりほかに手のない、苦悩の連続であったということになり、私としては、むしろ、この不釣合な配偶者にたいする彼のがまん強さと、さらにはまた、彼を圧迫していた夫婦の縁を不本意ながらも絶ち切らざるをえなかった彼の苦悩とを強調することによって、彼にたいする一般の同情をよびさまそうとしたであろう。少なくとも、子供たちだけはなんとしても除外すべきであったろう。
また、彼がたまたまある老画家と知り合いになったということを想定して、おもしろい話を作り上げることもできたであろうと思う。すなわち、生活の圧迫からか、ないしは金銭上の成功からか、いずれかの理由で、若き日の天分をいたずらに葬り去ってしまったその老画家が、たまたまストリックランドのうちに、自分自身が空《むな》しく浪費してしまった天分の可能性を見出したとする。そして、ストリックランドはその老画家の感化を受けて、ついにはすべてのものを放棄してしまい、ただひたすらに芸術の神聖な暴虐《ぼうぎゃく》に身を委《ゆだ》ねるようになってしまうのだ。もしそのように描いたとすれば、金持ちで、名誉もある、人生の成功者たるこの老人が、自分の現在の生活よりもよいものとは知りながらも、実際にはどうしても踏み切れなかったあこがれの生活を、他人のうちに求めているその姿のうちに、なにかいうにいわれぬ皮肉な味を盛ることだってできたであろうと思う。
だが事実というものは、もっとずっと平凡なものである。ストリックランドは学校を出るとすぐ、べつにいやな顔ひとつせずに仲買人の店にはいった。結婚前の生活とても、取引場でごく控え目に賭事《かけごと》をするとか、あるいはまた、ダービー競馬や、オックスフォード対ケンブリッジのボート・レースにも、せいぜい一ポンドか二ポンドをかけるといった程度の、いわゆる他の同僚たちとちっとも変わらない、ごく平凡な生活を送っていたのだ。仕事の余暇には、少しばかりボクシングもやったようである。炉棚には、ラントリー夫人〔美貌のほまれ高かったイギリスの女優〕や、メアリー・アンダソン〔シェイクスピア俳優として有名〕などの写真がのっていたし、『パンチ』や『スポーティング・タイムズ』などを読んでいた。ときには、ハムステッドに踊りにゆくこともあった。
そんなに長い間、私が彼の姿を見なかったということも、それほど問題にならない男なのだ。困難な絵の修業に文字通り悪戦苦闘していたあの数年間も、彼の生活はじつに単調なものであったし、どうにか露命をつなぐためにやむなく取った生活手段についても、とり立てていうほどのことがあったとは思われない。それらをいまここに事こまかに書いてみたところで、おそらく他の人間にも起こったと同じ事がらを書くことになるであろう。少なくとも、それが彼自身の人格になんらかの影響を及ぼしたとは考えられない。たしかに彼も、現代のパリに関する悪漢小説の材料を提供するくらいの経験は存分に積んでいたはずなのだが、とにかく彼はれいのごとく超然としていた。彼自身の話から判断すると、その間、とくべつの印象をあたえられたことなどただの一つもなかったようである。もっとも、パリに出かけて行ったときの彼は、いまさらその環境に眩惑《げんわく》されるような年齢でもなかった。こういうと、ちょっと妙にきこえるかもしれないが、この男は、いつでも実際的であるばかりでなく、きわめて平々凡々たる人間のように私には思われたのである。この時期の彼の生活はさぞかしロマンティックであったろうと思うのだが、彼自身はいっこうにロマンスなどみとめていなかったのだ。おそらく人生からロマンスをつくり出すためには、たしかにいく分なりとも俳優的な素質を持たなければならないであろう。自己の外側に立つことができるばかりか、一歩距離をへだてた興味と、忘我的な興味との両方面から、自分の行動を見守ることができなければならない。ところが、この点に関しては、ストリックランドほど単純な人間はいないのだった。彼ほど自意識というものを欠いた人間を、私はいまだかつて見たことがない。しかしとにかく、その彼があのようなすばらしい技法をいかに刻苦奮励して習得したかについて、私に何ひとつ記すことができないというのは、じつに残念なことである。というのも、もしここで、失敗にもめげず、絶望のどん底にあってもたえず勇気をふりしぼってもちこたえ、また芸術家の最大の敵である自己懐疑にもがんとして打ち勝った彼の姿を描き出すことができたならば――私はあまり気にしすぎているかもしれないが――この妙に魅力を欠いたように見えるにちがいない人物にたいして、少しは同情をかき立てられたかもしれないと思うからだ。だが、実際には、そんな材料を私はひとつも持ち合わせていないのである。私はストリックランドの仕事をしているところをまだ一度も見たことがないし、そういえば、私以外の人間が見たという話も知らないのだ。彼はいっさいの苦労を隠してだれにも見せなかったのである。たとえ仕事場で、[神の天使]と必死の格闘を演じたとしても、彼はその苦悩を何人にも察知することを絶対に許さなかったのだ。
さらに、ブラーンチ・ストルーヴと彼との関係にいたっては、私の手にはいった事実のあまりにも断片的なことに腹が立つばかりである。もしこの物語に一貫性をあたえようとするならば、彼らの悲劇的な結合の進行過程を語るべきであろうが、じつのところ、彼らが同棲生活を送った三か月間については、なにひとつ知るところがないのである。どのように暮らしていたのか、どんなことについて話し合っていたのか、それもわからないのだ。けっきょく、一日には二十四時間もあり、感情のたかまる頂点がほんのまれにしかやってこないとすると、後に残る時間はいったいどのように過ごしていたのか、私としては想像してみる以外に道はないのだ。灯《あか》りがつづき、ブラーンチの体力がたえられる限り、おそらくストリックランドはただひたすらに描きまくったことだろう。そして、そのように仕事にのみ没頭している彼の姿を見て、きっと彼女は神経をいら立たせたにちがいない。そのようなときの彼女は、彼にとって、もはや情婦として存在するのではなく、ただのモデルにすぎないのだ。それから二人が並んで黙々と過ごす長い時間もあったのである。それはきっと彼女をおびえさせたにちがいない。ブラーンチが彼に屈したということは、とりもなおさず、ストリックランドがダーク・ストルーヴに打ち勝ったことを意味するのではないかとほのめかしたとき――なぜならダークは彼女がいちばん困っていたとき、彼女に助け船を出したにすぎないのだから――この言葉からはいろいろと暗い憶測も生まれてくるのだった。私はそんなことが真実ではなかったと思いたい。私にはどうもそらおそろしいような気がするのだ。しかし、いったい誰に、人間の心の奥底に潜んでいる秘密を測り知ることができるというのか? 少なくとも、そこからただ謹厳な情操と正常な感情だけを期待する人びとに、それを知ることができっこないのはたしかだ。ストリックランドの欲情が爆発する瞬間の、あの熱情にもかかわらず、あとはいつも超然としているのを見て、ブラーンチはただもう落胆に胸をふさがれていたにちがいない。そして、そのような激情のさなかにおいてすら、彼女は自分が一個の人間としてではなく、ただ快楽の道具として存在するにすぎないのをさとらされたことだろう、と私は推定する。いぜんとして見知らぬ他人の域を出ないこの男を自分自身にしっかりと結びつけようとして、彼女は切ないほどいろいろの手を使ってみた。せめて生活の安楽をあたえることによってなりと、彼の心を捕えようと懸命に努力したが、それはそのようなことに彼がまったく無関心だという事実に強《し》いて眼をつぶろうとしたのだ。彼女は彼の好きな食べ物を作ることに苦心したが、それは彼が食べ物のことなどにはまったく無頓着な男であるという事実に強いて眼を閉じようとしたのだ。彼女は彼を一人っきりにさせておくことを恐れた。それこそあらゆる心づくしをもって彼の後を追いまわし、彼の熱情が眠っているときには、それをよびさまそうとつとめたのだ。少なくともその瞬間だけは、彼をしっかりとつかんでいるような幻覚をもつことができたからである。ちょうどガラス窓を見ると、人はついレンガのかけらをほうりつけたくなるのと同じように、彼女がこしらえた捕縛の鎖も、かえってただ彼の破壊本能をかきたてる役にしか立たないということぐらい、聡明な彼女のことだからよく承知していたであろう。しかし理性の声を聞くことのできない彼女の胸は、頭では破滅を承知の上で、そういう方向をとることを彼女に強要したのである。彼女はきっとひどく不幸だったに相違ない。だが、恋の盲目さのために、彼女は自分が真実であってほしいと思うことをかたく信じ込むようになった。そして、彼女の愛があまりにも大きいために、相手のうちにもそれと同じ程度の愛がよびさまされないことなどありえないように思われたのだ。
しかし、私のストリックランドの性格研究にも、じつは、多くの事実に関する私の無知以上に、どうも重大な欠陥があるようだ。私はいままで彼の女性関係が明白で、目立つところから、それについて書いて来たのであるが、じつのところ、それは彼の生活のうちで取るに足らない一部分にすぎないのだった。対女性関係がかくも悲劇的な影響力をほかの面に及ぼしたということははなはだ皮肉であるが、彼のほんとの生活は、夢と、ものすごく激しい仕事から成り立っていたのである。
こうなると、小説などというものはあまりにも非現実的なものとならざるをえない。つまり、普通、男性にとって、愛情というものは、一日のいろいろな仕事の合間にちょっと顔をのぞかせる、一つのエピソードにすぎないからである。したがって、小説において愛情にとくべつ重点を置くのは、現実生活で真実ではないような重要性をそれにあたえるということにほかならない。およそ世の中で、愛情が人生でもっとも重要だなどという男は、そうめったにいるものではないし、たとえいても、それはあまりおもしろくない人間である。愛情という問題に最上の興味を抱いている女性でさえも、その種の男を軽蔑するものだ。彼女たちもそういう男にちやほやされて興味をそそられることがあるが、やはり彼らがなさけない人間だという気持ちは隠しきれないのである。男というものは、現に恋愛をしている短かい間においてすら、なおほかに心をまぎらすようなことをしているものなのだ。暮らしのための商売のほうに注意を奪われることもあれば、スポーツに熱中することもあり、あるいはまた、芸術に興味を抱くこともあるだろう。たいていの場合、彼らはさまざまな部門でさまざまな活動をいつも続けているのであり、しばらくの間はほかのことをいっさい忘れて、ただ一つの事だけに没頭することもできるのだ。つまり、その当座、心を捕えた一つの事がらに神経を集中させる能力を彼らは持っているのである。そして、その一つの事がらに他の事がらが侵入してくると、彼らはいらいらするのだ。恋人としての男女の相違は、女がまる一日でも愛をつづけることができるのに反し、男はただときたまにしかそれができないという点にある。
ストリックランドの場合、性欲は彼の生活のうちのごく一小部分を占めるにすぎなかった。重要なものでなかったばかりか、むしろ七面倒くさいものだった。彼の魂はもっと別の方向を目ざしていたのである。もともと彼は激しい欲情の持主で、ときおり欲情が彼の肉体を捕えてしまうと、それこそたちまちにして肉欲のとりこと化してしまうほどだったが、自制力を奪いさってしまうそのような本能を、彼は憎悪《ぞうお》していたのだ。それどころか、その耽溺《たんでき》に欠くことのできない相手の女をすら、彼は憎んでいたようである。ひとたび自制力をとり戻してしまうと、いましがた自分の欲情を満足させてくれたその女の姿を見てさえ、身震いを感じるのだった。そのときには、彼の心はもうすでに天上を静かにさまよっているのであって、それはちょうど花から花へと舞いとぶあの色もあざやかな蝶が、いましがた自分自身が得々としてぬけ出して来たけがらわしい蛹《さなぎ》にたいして感じるのと同じ、あの戦慄《せんりつ》なのである。そもそも芸術というものは、性的本能の一つのあらわれであると思う。愛らしい女に接したり、黄色い月の下に光るナポリ湾を見たり、ティツィアーノの[埋葬]と題した絵を眺めたりして人間の心の中にかきたてられる感動はみんな同じものなのだ。ストリックランドが性欲の正常な発散を憎悪したというのも、おそらくそれが、芸術的創造から得られる満足感と比べて、あまりにも動物的であるという理由からであったとも考えられよう。こうして、残酷で、利己的で、動物的で、肉欲的な一人の人間を描きながら、一方で、彼が偉大な理想家だなどというのは、私自身にさえ奇妙に思われるのだが、しかしそれが事実であることに変わりはない。
彼は職人などよりももっとみじめな生活を送っていた。しかも、もっと懸命に働いていたのである。彼はたいていの人間が、人生を楽しくしたり、美しくしたりすると考えているようなものにはいっさい頓着しなかった。かねにも無関心だったし、名声なども一向に気にかけなかった。たいていの人間なら屈服してしまうような世間との妥協にたいして、彼がその誘惑に負けなかったといって、彼をほめるわけにはいかないのだ。というのも、彼はそもそもそのような誘惑をちっとも感じない男だったからだ。妥協などという考えは、彼の頭の中にはほんのひとかけらも浮かんでこないのだった。パリに住んでいながら、彼はテーベ〔ナイル河畔のエジプトの古都〕の砂漠に住む隠者よりも孤独な生活を送っていた。彼が仲間に要求したのも、ただ自分をそっと一人にしておいてほしいということ以外にはなにもなかったのである。彼はただ一つの目的をもって、それを追求するためには、よろこんで自己を犠牲にするばかりか――それならばできる人もたくさんいるが――他人までも犠牲にして顧みなかったのである。彼は一つの幻をもっていたのだ。
ストリックランドという男はたしかに鼻もちならぬ人間ではあったが、それにもかかわらず、私は彼を偉いところもある男だと思うのである。
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四十四
絵画芸術にたいする見解というものには、ある程度、傾聴《けいちょう》に値するものがある。そこで、私はひとつ、過去の偉大な芸術家にたいするストリックランドの意見についても、私の知っている範囲内で、ここに紹介してみるのが順序だと思うのである。そうはいっても、私にはこれといってとくべつ取り上げるほどのものはなにもなさそうだ。ストリックランドはいわゆる話し上手な男ではなかったし、そのうえ、聞き手の耳にいつまでも残るような名文句をつらねて、自分のいいたいと思う事がらを巧みに表現する天分などまったく持ち合わせていなかったからだ。機知などもちろん薬にしたくも持っていなかった。そのユーモアといっても、もし私がいままでに多少とも彼の話しぶりを再現することに成功したとすれば、もうすでにおわかりになったであろうように、皮肉なものだった。彼の当意即妙の応答も乱暴なものだった。ときには、真実を突いて人びとを笑わせることもあったが、その種のユーモアはたまに用いられてこそ効果があるのであって、それがのべつ幕なしに使われていたのでは、それこそおもしろ味もなにもなくなってしまうであろう。
ストリックランドはまた、すぐれた知識人などとはお世辞にも呼べない男だった。したがって彼の絵画論は少しも平凡の域を出ていなかった。たとえば、セザンヌとか、ヴァン・ゴッホなどのように、彼自身の絵とどこかに類似点をもっているような画家について彼が語るのを、私はいまだかつて一度も聞いたことがない。彼がはたしてこういう連中の絵を見ていたかどうかさえ大いに疑わしいのだ。彼は印象派の画家には大して興味をもっていなかった。彼らの技巧にはさすがに感心していたが、彼らの態度がなんとも月並みだと考えていたらしい。いつだったか、ストルーヴがモネのことをさかんにほめたてたときも、彼はたった一言、「わしはヴィンテルハルター〔ドイツの肖像画家で、綿密な陶器画風を特色とする〕のほうが好きだね」といっただけだった。だが、この言葉はたしかにいやがらせにいったまでだと私は思う。もしそうだとすれば、これはたしかに彼のほうが勝ったことになるのだ。
むかしの巨匠たちに関する彼の意見には、とてつもなく変わったところがあったが、それを何ひとつ報告できないのは残念である。彼の性格のうちには変わったところが多分にあるので、その意見も途方もないほうが、かえってストリックランドの人間像を鮮明に浮き彫りできるような気がするのだ。だから正直なところ、彼の先輩たちについての風変わりな説を、むりやりにでも彼の口から吐かせてやりたいような気さえするのであるが、事実はまったく幻滅というよりほかはなく、彼の意見というのは、世間一般のものとほとんど似たり寄ったりなのだった。彼はおそらくエル・グレコも知らなかったろうと思う。ヴェラスケスについては、多少がまんのならないところもあったようだが、さかんにほめたてていた。シャルダンは好きで、レンブラントには、それこそ恍惚《こうこつ》とするほど感動していた。レンブラントから受けた印象については私にも話してくれたことがあるが、そのとき彼が使った卑猥《ひわい》な言葉は、ちょっとここでくり返すわけにはいかない。彼が興味を感じ、しかもそれがまったく意外だったのは、ブリューゲルの、父親のほうだった。そのころの私はまだこの画家をほとんど知らなかったし、ストリックランドは自分自身の気持ちを表現することのまったくできない人間ときていた。そのときの彼の批評の言葉がいかにも不満足なものだったので、かえって私はいまでもそれをよくおぼえている。
「こりゃあいい」とストリックランドはいった。「きっと奴さんにとっちゃ、絵を描くのが地獄の苦しみだったんだよ」
その後、ウィーンで、私はこのピーター・ブリューゲルの絵をいくつか見たが、なるほど、なぜ彼がストリックランドの注意をひいたか、私にもなんとなくわかるような気がした。すなわち、彼もまた自分だけの特異な世界の幻を心の中に描いてきたのである。そのとき、私は彼について何か書くつもりで、ノートをたくさんとっておいたのだが、それをなくしてしまったので、今はただそのときの感動の記憶しか残っていないのである。彼はその周囲にいる人間をグロテスクに眺め、しかも、彼らがグロテスクだというので、彼らにたいして怒りを感じたのだ。人生とはバカげた、あさましいできごとだらけの混乱したものであり、まさに格好の笑い草と考えていたのだが、それでいながら、彼は笑うのが悲しかったのである。私がブリューゲルから受けた印象は、他の表現方法によったほうが適切に表現できそうな感情を、それとは別の方法で表現しようとしてもがいている人間、とでもいったものだった。ストリックランドが彼に共鳴したというのも、おそらく彼がこのことをぼんやりにせよ意識していたからではあるまいか。とにかく両者とも、文学で表現するほうが適当でありそうな観念を、ひたすら絵具で表現しようともがいていたのであろう。
ストリックランドは、このときすでに四十七歳近くにもなっていたにちがいない。
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四十五
これはすでに前にも述べたことだが、もし私がたまたまタヒチ島を訪れることがなかったら、きっとこの本を書くということもなかったであろう。チャールズ・ストリックランドが、長い漂白《ひょうはく》の旅の果てにやっとたどりついたのがこの島であり、また彼の名声をほとんど確立した絵を描いたのも、この土地においてだった。自分の心にとりついている夢を完全に実現する芸術家などというものはおそらくいるはずもないだろうが、とくに、技巧の問題でたえず苦しみつづけていたストリックランドの場合は、彼の心眼がみつめていた幻を表現するのがほかの人よりさらに困難だったろうと思われる。だが、タヒチにおいては、すべての環境が彼に好都合だった。彼の霊感を実現させるために必要ないろいろの条件が、彼の周囲にいくらでもころがっていたからである。だから、彼の後期の作品は、彼が追い求めていたものが何であったかを少なくともほのめかすには役立っているのだ。それらの絵は、なにか新しい、ふしぎなものを私たちの想像の世界に提供してくれる。それは肉体を離れ、棲家《すみか》を求めてさまよい歩いていた彼の精神が、この遠い異郷の地においてはじめてその宿る肉体をみつけ出したようなものだった。陳腐《ちんぷ》な文句でいえば、彼はここで自己を見出したのである。
このようなことを考えれば、たまたま私がこの遠い島を訪れると、すぐさまストリックランドにたいする私の興味がよびさまされたとしてもふしぎはないだろう。ところが、私は自分の従事していた仕事にすっかり忙殺されて、ほかのことなどいっさい考える暇がなかったのである。そこで、彼とこの島との関係を思い出したのは、私がここに着いて何日もたってからのことだった。なにしろ、彼と別れて以来十五年にもなるし、彼が死んでからでもすでに九年もたっていたのだ。タヒチに着けば、もっと自分にとって直接に重要だった問題など忘れて、彼のことを思い出しそうなものなのに、じつは一週間たっても、まだ私は落ちついた生活にはいるのがむずかしかったのだ。たしか着いたあくる朝は、ずいぶん早く起きたように思う。そこでさっそくホテルのテラスに出てみると、まだ誰も起きていなかった。台所のほうへまわってみたが、そこも鍵《かぎ》がかかっていて、外側のベンチには現地人のボーイが一人眠っていた。しばらくは朝食もできそうにないので、私はぶらぶらと海岸のほうへ歩いていった。シナ人たちはもう店で忙しそうに立ち働いていた。空には夜明けの青白さがまだ残っていて、礁湖《ラグーン》には無気味な沈黙がただよっていた。十マイル沖合いにあるムレア島が、まるで聖盃《ホーリー・グレール》〔キリストが最後の晩餐に使った盃で、これをめぐって中世の伝説、ロマンスがつくられている。なかでも有名なのは「アーサー王物語」である〕をまもる要塞《ようさい》のように、その神秘を守っていた。
私にはどうも自分の眼が信じきれなかった。ウェリントン〔ニュー・ジーランドの首府〕を発《た》ってからの何日間かは、あまりにも並みはずれた、異常なもののように思われた。ウェリントンはこぎれいで、きちんとして、いかにもイギリス的な町であり、どこかに南英海岸の港町を想《おも》わせるものがあった。それから三日間というものは海がひどく荒れた。灰色の雲が後から後からと追いかけるようにやってきた。やがて風ははたと止み、海は青々と静まりかえった。太平洋というのはほかのどの海よりも荒涼としていて、どこよりも広漠としたひろがりをもつように見え、ごくあたりまえの航海でも、なにか冒険にでも出てきたような気持ちにさせるのである。吸いこむ空気までも、なにか思いもかけない期待にわれわれの胸を波立たせる錬金薬《エリキサー》になるのだ。また、船がタヒチに近づくときほど、あの空想の[黄金楽土]にでも近づくような気持ちを起こさせるところは、地上のどこにもありえないのである。まず姉妹島であるムレアの堂々たる岩礁が、まるで魔法の杖によって忽然《こつぜん》と現われ出たもののように、その荒涼たる海からいかにも神秘的な姿で浮かび上がってくるのだ。そのごつごつとした輪郭は、ちょっと太平洋のモントセラット島〔大西洋の西インド諸島の一つ〕といった感じで、まるでポリネシアの騎士たちが、ふしぎな儀式によって、人間の目で見ることさえ許されない神秘を守っているような姿を想像させるのである。やがてだんだんと船が近づくにつれ、一枚一枚とヴェールがはぎとられてゆき、あのきれいな山の峰が一段とくっきりすると、島の美しい姿がすっかり眼前に浮かび上がるのである。だが、船がすぐかたわらを通り過ぎるときでさえ、この島はあたかもその犯すべからざる妖《あや》しい美をなおも奥深くに秘めたまま、一種の近づきがたい、嶮《けわ》しいうす気味悪さをたたえて、固く身を守っているかのように思われる。だから、もし珊瑚礁《さんごしょう》の入り口を求めて近づいたとき、それが突如、私たちの視界から姿を消してしまい、後にはただ見渡すかぎり寂莫《せきばく》とした太平洋の青海原が広がっていたとしても、それは少しもふしぎではないであろう。
タヒチは、濃緑の深い山襞《やまひだ》がいくえにも重なり合い、その陰には静かな谷間さえ想像できそうな、高く聳《そび》え立った緑の島である。冷たい流れがさざめき合いつつ流れ落ちるそのほの暗い谷間には、なにか深い神秘が宿り、こうした山陰の部落には、人々の記憶も届かないような遠い昔の生活が、遠い昔そのままに今もなおつづいているという感じを受けるのだ。もちろん、ここにだって悲しみや恐怖もあるにちがいないが、しかしそういう印象はほんの東の問のものであって、かえって次におとずれる歓喜を一段と鋭いものにしてくれるに役立つだけなのだ。それはちょうど陽気な観客が道化役者の酒落《しゃれ》にうち興じているときに、ふと、彼の瞳のうちにかいま見た一抹《いちまつ》の寂しさのようなものであって、むしろ笑いの渦のさなかにあって、かえってたえがたい孤独を感じるがゆえに、彼の唇は微笑し、そのおどけはいつそう楽しげなものに見える、というのと同じことなのだ。微笑と親しみにみちたこのタヒチは、ちょうど魅力と美しさを惜しげもなくまき散らす愛らしい女みたいだ。船がパペエテ〔タヒチ島の首府で海港〕の港に入ってゆくときほど私たちが和《なご》やかな気持ちになることはない。埠頭《ふとう》に碇泊《ていはく》しているスクーナー船はいかにもきちんとしてこぎれいであり、湾沿いの小さな町はさらっと垢《あか》抜けがして白く光り、紅色の花はまるで情熱の叫び声をあげているかのように紺碧《こんぺき》の空にその真紅《しんく》の色をくっきりと浮かび上がらせている。それらは羞恥《しゅうち》を知らない欲情の激しさに相手を息詰まらせるほど官能的である。船が横づけになると、もう波止場いったいは、陽気で快活な人々の群れでいっぱいになってしまう。がやがやと騒がしく、陽気で、身ぶり手ぶりも忙しい群集の洪水である。それは茶色の顔の海とでもいったところだ。まるで燃えるような紺碧の空を背景とした一つの色彩の流れといった感じだ。手荷物の積みおろしから、税関の検査に至るまで、すべてがあわただしい騒々しさの中にくり広げられ、誰もが自分にほほ笑みかけているように思われる。やけつくような暑さの中に、はなやかな色彩で眼もくらむばかりである。
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四十六
私がキャプテン・ニコルズに会ったのは、タヒチに着いてからまもなくのことであった。彼はある朝、私がホテルのテラスで朝食をとっているところにやって来て、自ら名乗りをあげたのである。彼は私がチャールズ・ストリックランドに興味を抱いていることをかねてから伝えきいていたのだが、彼のことでひとつ話をしてみたいと思い立って訪ねて来たという。ここタヒチの住人も、イギリスの村人たちと同じように、人の噂話《うわさばなし》が好きで、驚いたことに、私がストリックランドの絵について二、三たずねたことが、いち早くパッとひろまっていたのだった。私はこの見知らぬ訪問客に、朝飯はもうすんだか、とたずねてみた。
「へえ、わたしは朝早くコーヒーを飲んですませることにしてますんで。でも、ウィスキーならちょっぴりいただいてもかまいませんが」
私はシナ人のボーイを呼んだ。
「朝っぱらから酒とは、ちっと早すぎると思いませんかね?」と船長がいった。
「そいつは、あなたとあなたの肝臓の決める問題ですよ」
「じつをいうと、わたしはほとんど禁酒しているんでしてね」と、彼は自分で大きなコップにカネイディアン・クラブをたっぷり半分ほど注《つ》ぎながらいった。
笑うたびに、その口から、かけて色あせた歯が見えた。中背だが、とてもやせこけていて、白髪まじりの髪の毛は短かく刈りこまれ、鼻の下には灰色のひげが切り株のように生《は》えていた。たぶんここ二、三日もひげをそっていなかったのだろう。しわの深く刻みこまれた顔は、茶色に日焼けしており、小さな青い眼はおどろくほどキョロキョロしていた。その二つの眼玉は私のほんのちょっとした動作にもすばやくついて動き、いかにも手のつけられないごろつきという印象をあたえた。しかし、そのときには、とても親切心にみちあふれた好人物というようにも見えた。彼はよれよれのカーキ色の服を着ていたし、その手ときたら、ちょっと洗ってきたほうがよさそうに思われた。
「わたしはね、ストリックランドをよく知っていたんですよ」と、彼は椅子の背にもたれかかり、私のさし出した葉巻に火をつけながらいった。「そもそもあの男がここの群島にやって来たというのも、じつはこのわたしの世話なんでしてね」
「どこであの人とお会いになったんですか?」
「マルセイユでしたよ」
「そこでいったいあなたは何をなさってたんですか?」
彼は私にとり入るような微笑をして見せた。
「そうですね、いわば波止場のごろつきみたいなもんだったですな」
そのようすから察すると、彼はいまでも同じようなみじめな状態にあるらしかった。そうだとすれば、こちらとしてもいっそうつきあいやすいわい、と思った。つまり、いわゆる波止場のごろつきというものは、こちらにとってちょっとは迷惑もかかろうが、その反面、扱い方によっては、いつもためになることのほうがむしろ多いものなのだ。彼らはとっつきやすく、話相手としても愛想がよい。めったに気取ったりせず、たった一杯の酒で、心の底まで見せてくれるのである。彼らと仲よくするには、べつに骨の折れる段階を必要としない。ただその話に耳を傾けてやりさえすれば、彼らの信頼をかちうるばかりでなく、おまけに感謝までしてもらえるのである。彼らにとっては、人と話すこと自体が人生最大の喜びなのだ。それだけからみても、彼らがどんなに文明人であるかがわかろうというものである。たいていは話がじつにおもしろく、そのうえ、経験と想像力も気持ちのいいほど釣合いがとれて豊かなのだ。まったく悪意のない人間であるとはいえまいが、法というものが力によって支えられているかぎりは、法にたいしてかなりの敬意を示していると見てよかろう。この連中を相手にポーカーを楽しむことは冒険かもしれないが、そのうまさはまた格別で、世界最高のゲームに一種絶妙な興奮を添えるのである。こんなわけで、タヒチを発《た》つまでには、私もキャプテン・ニコルズともうすっかり仲よしになってしまった。おかげで、私はだいぶ得るところがあったと思っている。こちらもちで彼が飲んだ葉巻やウィスキー[彼はいつも禁酒しているようなものだからといって、カクテルは辞退したが]にしても、また、まるでこちらに恩でも着せるような形で私のポケットから奴さんのポケットヘと移してゆく何ドルかの金にしても、彼が私に味わわせてくれた楽しい思いに比べれば、べつに損にもならないのだった。むしろ、私のほうに借りが残るくらいだった。さて、本来ならば、ここらあたりでさっそく主題にとりかかるべきだろうが、そのためにこの男のことをわずか二、三行で片づけてしまうのは、いささか良心にたいしてすまないという気がするのだ。
キャプテン・ニコルズがなぜ最初にイギリスを離れたのか、私は知らない。そのことについて、彼自身は少しも触れようとしなかったし、また、彼みたいな人間に正面から質問するのは、あまり当をえたやり方とはいえないのだ。ただ自分が、値しない不運を背負わされた人間であるということだけは彼もほのめかしていた。自分を社会不正の犠牲者だと認めていることにはいささかの疑いもないのである。詐欺《さぎ》とか暴力とかいったことに関係があるのではないかと思い、いろいろの場合を考えてみた。彼が、故国の役人どもはお話にならないほど形式にこだわるところがあると述べたとき、私もまったく同感だった。しかし、自国で受けたいかなる不快な扱いにもかかわらず、彼がずっと熱烈なる愛国心を抱きつづけて来たのを知って、私は愉快に感じた。彼はしばしばイギリスが世界一のりっぱな国であると断言し、自らアメリカ人、植民地人、南欧人、オランダ人、カナカ人〔ハワイを初め、南太平洋諸島に住む〕にたいして、はっきりした優越感を感じていたのである。
しかし、私は彼が幸福な人間だったとは思わない。いつも消化不良に苦しんでいて、よくペプシン錠を飲んでいた。そのためか、朝はほとんど食欲がなかった。それも単にこの病苦だけならば、彼もそれほどに元気がそこなわれることもなかったであろうが、じつは、これにまさる大きな不満を背負っていたのだ。八年ほど前、彼は考えなしの結婚をした。世の中には、慈悲深い神の摂理《せつり》によって、あきらかに終生独身をつづけるように定められた男がいるものだ。それなのに、彼らは故意にか、またはやむをえない事情からか知らないが、せっかくの神意《みこころ》に真正面から刃向かってしまうのである。およそ世の中で、結婚しながら独身者の生活を送っている男ほどみじめな存在はあるまい。このキャプテン・ニコルズはまさにそういう人間なのである。
彼の細君には私も会ったことがある。この女はたしか二十八歳だったと思うが、それがまた、いくつになっても年齢《とし》がわからないというたぐいの女だった。その証拠に、彼女は二十歳のときでも今とちっとも変わりがなかったろうし、四十歳になっても、べつに老《ふ》けたとも思えないであろう。彼女はまた、おそろしく[しまっている]という印象をあたえる女だった。薄い唇をもった不器量な顔もきりりとしまっていたし、皮膚もよくしまってその骨の上にぴったりと張りついていた。笑い方といい、髪かたちといい、着ているものといい、すべてが一分の隙もなくしまっていた。彼女が着ていると、その白い綾織|金巾《かなきん》の服までが、黒の喪服みたいに見えるのだった。キャプテン・ニコルズがなぜこの女と結婚したのか、またたとえ結婚したにせよ、なぜ彼女と別れなかったのか、そのへんの事情については私の想像も及ばなかった。おそらく別れて逃げ出したこともしばしばあったのだろう。だが、そのたびにいつも失敗を重ねたために、おそらく今日のような憂うつな状態が生じたのであろう。どんなに遠くまで逃げ出そうが、またどんなに秘密の場所に身を隠そうが、あのニコルズ夫人だったら、まるで運命のように苛酷《かこく》であり、良心のように仮借《かしゃく》ない女だったので、きっと彼をまもなくみつけ出してしまうにちがいないのだ。ちょうど原因が結果からのがれられないように、彼はどんなことをしても、彼女からのがれることができないであろう。
ごろつきも、ちょうど芸術家や、それにおそらく紳士といったたぐいの人間と同じように、自分の属する階級を持っていない。彼らは浮浪者《サン・ジェーヌ》の無遠慮にも当惑を感じないし、また、王侯の作法にもあわてることがない。ところがニコルズ夫人は、近年になって急速に発言権をえて来たところの、れっきとした階級、いわゆる中産階級の下に属していたのだった。事実、彼女の父親は警官だったのである。きっと有能な巡査だったにちがいない。彼女がはたしてどのようなものでキャプテンをつかんでいたのか、私にはわからないが、それが愛情でなかったことだけは想像できる。私は彼女が話をするのをまだ一度もきいたことがないが、おそらく二人だけの場合には、たいへんなおしゃべりだったろうと思う。とにかく、キャプテン・ニコルズは死ぬほど彼女を恐れていた。ホテルのテラスに私といっしょに腰をおろしているときでも、よく彼は、彼女が往来を歩いている姿にハッと気がつくことがあった。彼女のほうはべつに彼に声をかけようともせず、彼の存在に気づいているようなようすも見せなかった。ただ、落ちつきはらって、行ったり来たりするだけだった。ところが、キャプテンのほうはそれを見ると、たちまち妙な不安の念に捕えられてしまうらしく、きまって腕時計に眼をやると、フッとため息をもらすのだった。
「さあ、もういかなくちゃあね」
こうなると、機知をはたらかせようがウィスキーをすすめようが、なんの役にも立たなかった。だが、この男とても、かつてはどんな颶風《ぐふう》にも台風にも屈することなく立ち向かっていったのだし、いざとなれば、武器をもっていない黒人の一ダースやそこらなら、ピストル一|挺《ちょう》で戦うこともけっして辞さなかったであろう。ときどきニコルズ夫人は、青白い、むっとした顔つきの、七つの娘を、ホテルまで迎えによこした。
「かあちゃんが呼んでるよ」と、その娘は泣き出しそうな声で、鼻をすすりながらいうのだった。
「ああ、すぐいくよ」
そういうかいわぬうちに、彼は立ち上がり、娘を連れてあたふたと表通りに出てゆくのだ。これを私は、精神力が物質にうち勝つという、まさにかっこうの実例であると思うのである。だから、この一つの教訓を得たということだけでも、私の脱線の意義はあったということになる。
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四十七
私は、キャプテン・ニコルズが、折りにふれ、ストリックランドについて私に話してくれたいろいろな事がらをつなぎ合わせようとしてきたが、これからは、私としてできるかぎり順序を立てて述べてゆこうと思う。彼ら二人は、私がパリで最後にストリックランドに会ったその冬の終わりごろに、知り合いになったのである。それまでの数か月間、ストリックランドがどのようにして暮らしをたてていたかについては、私の知る由もないが、しかし、キャプテン・ニコルズが最初に彼と出会ったのが無料宿泊所であったということからみても、彼の生活はひどく苦しかったにちがいない。ちょうどそのころ、マルセイユではストライキがあって、持ち金をすっかり使い果たしていた彼にとっては、露命をつなぐわずかな金をかせぐことさえどうやらむずかしかったようである。
無料宿泊所というのは大きな石造りの建物で、ちゃんとした身許《みもと》証明書をもっており、しかも労働者であるということを修道士たちに認めてもらうことさえできれば、どんな貧困者でも浮浪者でも、一週間寝泊りさせてもらえるという場所なのである。キャプテン・ニコルズは、そこで開門を待っている群集の中に、あの一風変わっていて、おまけにずばぬけて体の大きいストリックランドをみとめたのだった。群集のうちのある者はあちこちと歩きまわり、ある者は壁にもたれかかり、またある者は溝《みぞ》の中に足を突っこんで縁石に腰をおろしたりしていたが、みんなたいぎそうに開門を待っていた。やがて、彼らが事務所の中にぞろぞろとはいったとき、キャプテン・ニコルズは、修道士がストリックランドの身許証明書を読み上げ、彼に向かって英語で話しかけているのを耳にした。しかし、とうとう彼と話す機会はつかめなかった。彼が集会室にはいったときは、もうすでに修道僧が聖書をかかえて、その部屋のはずれにある祭壇に上がり、礼拝を始めていたからだった。この礼拝だけは、みじめな浮浪者たちも、宿泊場所をあたえてもらう代償として、なんとしてもがまんしなければならないものだった。彼とストリックランドは別々の部屋をあてがわれた。やがて翌朝五時になると、たくましそうな修道士がやって来て、一人一人をベッドから叩き起こしていった。彼がまずベッドを直し、それから顔を洗ったときには、すでにストリックランドは姿を消していた。キャプテン・ニコルズは、凍《い》てつくような寒さのなかを小一時間も街中をさがしまわった。やがて彼は、水夫たちの集合場所であるヴィクトル・ジェリュ広場のほうへと足を向けた。すると、ある銅像の台石にもたれかかって、うとうとしているストリックランドをやっと見つけ出したのである。彼はストリックランドを起こすため軽くひと蹴《け》りくらわして、こういった――
「おい、朝めしだよ。いっしょに行こうぜ」
「勝手にしゃがれ」とストリックランドは答えた。
私の友人がいつもきまった言葉しか使わないことを私は知っていたので、キャプテン・ニコルズのいうことをすぐ信用する気になった。
「一文なしになったのかい?」とキャプテン。
「よけいなお世話だ」とストリックランド。
「なあ、いっしょに来なよ。朝飯ぐらいはなんとかしてやるぜ」
ちょっとためらった後、ストリックランドはよろよろと立ち上がり、やがて二人はパン接待所へ行った。そこでは飢えた者ならばパン一切れだけは食わしてもらえるが、そのかわりそれを持ち帰ることは禁じられ、その場で食べなければならないことになっていた。それから二人はスープ接待所へ行った。ここでは一週間、十一時と四時に、水っぽい塩味スープを飲ませてくれるのだ。この二つの建物は非常に離れているので、ほんとに飢えかかった者ででもなければ、この二つを同時に利用しにくいようにできていた。さて、彼らはこのようにして朝食をすませ、それからチャールズ・ストリックランドとキャプテン・ニコルズとの、一風変わった友情が始まったのである。
それから後、二人はマルセイユで、とにかく四か月ばかりおたがいにいっしょになってなんとか暮らしていたらしい。毎日毎日が、一夜の宿と、ただ飢えをしのぐだけのパンとにありつくというだけで精いっぱいの彼らの生活は、もし冒険という言葉を、思いがけない、スリルに富んだできごとという意味に解釈すれば、およそそれとは縁のないものだった。しかしここで私は、キャプテン・ニコルズの、あの生彩ある話術で想像力に訴える、眼にもあざやかな、生気の躍動する描写をいくつか紹介できればと思う。港町のみじめな生活の中で発見した数々の事がらは、それだけでもおもしろい一巻の書物になったであろうし、また、彼らが出会ったさまざまな事がらについていえば、それこそすこぶる完璧な浮浪者辞典といったものを作り上げるほどの資料を研究者に提供してくれたことであろう。だがここでは、ほんの数節の紹介で満足しなければなるまい。私は彼の話から、強烈で残酷な、野蛮で、多彩で、溌剌《はつらつ》とした生活を印象づけられた。それに比べると、今まで自分が知っていたマルセイユ――人々の身ぶり手ぶりもはなやかに、陽気で、富裕な人々が集まる快適なホテルとレストランのマルセイユは、おとなしい、平々凡々たるものに思えてくるのだった。キャプテン・ニコルズが話してくれたような光景を、自分の眼で見てきた人間を私は羨《うらや》ましく思った。
無料宿泊所も閉め出されてしまうと、ストリックランドとキャプテンの二人はタフ・ビルを頼っていった。タフ・ビルというのは水夫宿の亭主で、頑丈《がんじょう》な骨組みをした、図体《ずうたい》のずばぬけて大きな白黒混血児《ミュラトー》だった。彼のところへ行けば、陸《おか》で干上《ひあ》がった船員たちでも、とにかく次の船がみつかるまで、食事と寝泊りだけはさせてもらえるのだった。そこで二人は一か月ほど暮らし、スウェーデン人、黒人、ブラジル人など十二人といっしょに、宿舎としてあてがわれている、がらんとした二部屋に寝起きしていた。彼らは毎日、船員を探しにやって来る船長たちの集まるヴィクトル・ジェリュ広場へ、亭主とともに出かけていった。ここの女主人はアメリカ人で、でっぷりと太った、いかにもだらしのない女だった。どのような経路をたどってここまでおちぶれて来たのかわからないが、宿泊人たちは毎日交代で彼女の家事を手伝っていた。ストリックランドだけは、タフ・ビルの肖像画を描くことによってこの役目を免じられていたので、キャプテン・ニコルズは、ストリックランドの奴はうまくやりやがったと思っていた。タフ・ビルはストリックランドにたいして、カンヴァス代、絵具代、絵筆代を払ってやっただけでなく、おまけに密輸入の刻みタバコ一ポンドまでもくれてやったのだ。私の知るかぎりでは、たしかこの絵はいまでもジョリェット埠頭《ふとう》近くの、ある荒廃した小さな家の客間に飾られているはずであるが、いま売れば、きっと、千五百ポンド〔約百五十万円〕くらいの金にはなるだろう。ストリックランドの考えは、とにかくオーストラリアかニュージーランドあたりに行く船に乗りこんで、そこからさらにサモア島〔タヒチ島とニュージーランドの中間にある群島〕かタヒチ島に行ってみようというのだった。彼がどうして南海に行きたいと思いたったのか私にはわからないが、彼が長い間、あの一面緑に包まれ、さんさんと太陽が輝き、北の緯度の海よりもはるかに青々とした海に囲まれた島の幻影にとりつかれていたのを思い出す。思うに、彼がキャプテン・ニコルズにくっついて離れなかったというのも、ひとつには、キャプテン・ニコルズがこの方面をよく知っていたからであり、また、タヒチのほうが暮らしよいと彼を説得したのが、じつはキャプテンだったからでもある。
「いいかね、タヒチはフランス領でしょう。フランス人て奴はそう形式ばっかりにこだわっちゃいませんからな」と彼は私にいった。
彼のいう意味は、私にもわかるような気がした。
ストリックランドはもちろん船員免状などもち合わせていなかった。けれども、もしかねのはいる糸口さえ見えていれば、そんなことぐらいにおどろくタフ・ビルではなかった。[彼は自分が世話してやった水夫の給料の最初の一か月分をハネることにしていたのだ]こんなわけで、好都合にも自分の手元で死んだイギリス人火夫の書類をストリックランドにまわしてやったのである。しかしキャプテン・ニコルズもストリックランドも、ともに東方へ行くつもりだったのに、乗組み契約のできる船はことごとく西方行きだった。ストリックランドはアメリカ合衆国行きの貨物船を二度と、ニューカッスル〔イングランド東部の港〕行きの石炭船を一度断わってしまった。タフ・ビルは自分の損害になるようながんこな行為にはがまんのできない男だったから、さいごには、とうとうストリックランドとキャプテン・ニコルズを、有無《うむ》をいわせず家から追い出してしまった。そこで二人は、ふたたびもとの放浪生活に戻ったのである。
さて、タフ・ビルのところの食事はたいていけちけちしていたから、食事をすませて立つときでも、ほとんど食卓につくときと変わらぬくらい空腹をおぼえていたものだった。しかし、追い出されてからの数日間は、出たことをひどく後悔するばかりだった。飢えの苦しさというものを、身に沁《し》みて知らされたからである。スープ接待所からも、無料宿泊所からも閉め出されてしまった今となっては、彼らの飢えをみたしてくれるものとては、ただ、パン接待所で恵んでくれる一切れのパンがあるだけだった。二人はどこでもおかまいなしに泊まって歩いた。あるときは、駅の近くの待避線に置きざりにされている、からっぽの無蓋《むがい》貨車の中で、またあるときは、倉庫のかたわらに置いてある荷車の中でも眠った。しかし、とにかく身を刺すような寒さだったので、一、二時間もうとうとしたあげくには、また起き上がって、とぼとぼと往来を歩きつづけるのだった。いちばん身に沁みてつらかったのは、タバコの欠乏だった。キャプテン・ニコルズはなにしろタバコがなくては一時《いっとき》も過ごせないときていた。そこで彼は、夜の散歩者たちが飲み捨てていった巻きタバコの吸い殻や、葉巻の吸いさしなどを求めて、ついにはごみ溜めあさりまではじめたのである。
「なにしろあんなにひどい湿りものをパイプでのんだこたあありませんでしたよ」と、彼は私がさし出した二本の葉巻のうち一本を口に、もう一本をポケットの中にほうりこむと、さとりきった人間のように、肩をピクリとすぼめながらつけ加えた。
ときたま、ほんのちょっぴりかねのはいることもあった。というのは、ときおり郵便船が入港して来るので、それを機にキャプテン・ニコルズはさっそく荷役監督にとり入って、二人分の荷揚げ人夫の仕事の口をせしめてくるからだった。もしそれがイギリス船だったりすると、二人はすばやく水夫部屋に忍び込み、乗組員たちから朝食をたらふくせしめてしまった。そんなとき、船の士官とばったり出っくわしてしまい、長靴の爪先《つまさき》で蹴《け》とばされながら、あわててタラップをかけおりるという危険をおかすこともあった。
「腹さえいっぱいなら、尻っぺたぐらいちょっとやそっと蹴っとばされたって、なんてこたあありませんや。わたし個人としたら、そんなことちっとも悪くなぞとりませんよ。士官としてみれば、船の規律ってことも考えなけりゃならんですからな」
あの狭いタラップを、かんかんに怒った一等運転士の蹴上げる足に追われながら、転《ころ》げるようにして逃げてゆくキャプテン・ニコルズの姿、そしてさすがに真のイギリス人らしく、商船精神に感心している彼の姿が、私には絵を見るようにまざまざと思い浮かべられるのだった。
魚市場に行けば、なにかしら片手間仕事にありつけた。一度などは、波止場《はとば》に陸揚げされたたくさんのオレンジの箱を貨車に積み込む仕事で、二人がそれぞれ一フランずつもらったこともある。ある日、彼らは幸運にめぐりあった。希望峰〔アフリカ南端の岬〕経由でマダガスカルからやって来た貨物船の塗りかえの契約を、ある宿泊所の亭主がとって来てくれたのだ。それで数日間というもの、二人は舷側からぶらさがった板の上で、錆《さ》びた船体のペンキの塗りかえをして暮らした。これは皮肉屋のストリックランドにとっては、うってつけの仕事だったにちがいない。このような苦しい生活を彼はいったいどのようにたえ忍んできたのか、と私はキャプテン・ニコルズにきいてみた。
「奴さんは不平なんぞこれっぱかしもこぼしませんでしたよ。そりゃ、ときには不機嫌なときもあるにはありましたがね。朝からまだ一口も食べてなくったって、それから、[チャンコロ頭]に泊まるおあしが一文もなくなったって、まるでぴちぴちと元気でしたよ」
私はこの話にはべつに驚きもしなかった。ストリックランドはまさしく、たいていの人間だったら腐ってしまうような境遇にも、めげずに昂然《こうぜん》と頭をもたげているような男だったからである。ただこれが、はたして精神の平静からくるものか、それとも反抗的な性質から来るものか、その辺のところはなんともいいきれないであろう。
[チャンコロ頭]というのは、片眼のシナ人が経賞する、ブテリ通りをはいったところにある、みすぼらしい宿にたいして浮浪者たちがつけた名称で、そこでは、六スー出せば簡易ベッドに、三スーなら床の上に、寝られるようになっていた。二人はここで、同じようにみじめな境遇にある人々と仲良くなった。一文もかねがなくなり、しかも凍《い》てつくように寒い晩などは、とにかく日のあるうちに一フランのはしたがねにありつけた者から、屋根の下に寝るだけのかねでも貸してもらうのだった。この浮浪人たちはだれもけちくさいところがなく、かねを持っている者がほかの者に分けてやることにいやな顔ひとつしなかった。彼らの国籍は種々雑多であったが、そんなことなどおたがいの友情にけっしてさまたげとはならなかった。つまり、彼らは自分たちすべてを包括するひとつの偉大なコカイン王国〔タバコ愛用者の国〕に属する自由市民である、とおたがいに自認していたのである。
「しかしストリックランドの奴も一度腹を立てると、処置なしの人間になっちまうんでね」と、キャプテン・ニコルズは当時を思い浮かべるような調子でいった。
「いつだったか、広場でタフ・ビルにぱったり出っくわしちまったときでしたがね、奴がチャーリーに向かって、前に渡した船員免状を返せっていったんですよ。するとチャーリーの奴、要るんなら、いつでも取りに来るがいい、とこういい返したんですな。タフ・ビルの奴もなかなか負けん気の男だもんで、どうもチャーリーの顔つきがあんまり気にくわんらしく、奴さんはとうとう悪態をつきはじめたんでさあ。手当たり次第に口から出まかせの悪態をつきゃがってね。タフ・ビルの奴が一度悪態をつきはじめると、なかなかどうして、ちょっとした聞きものですよ。チャーリーのほうもしばらくはがまんしてきいていたんだが、やがて、いきなり一歩進み出ると、こういい放ったんでさあ――やい、このろくでなしの豚野郎、さっさと消え失《う》せるがいい、とまあこんな調子だったんですな。タフ・ビルの奴、それっきり言葉を返さず、真青になりましてね、まるで人と会う約束を思い出したとでもいったように、こそこそと姿を消しちまいましたよ」
キャプテン・ニコルズによれば、そのときストリックランドが使った言葉は、いま私が書き記したのとまったく同じ言葉とはいえないのだが、この本は家庭向きの読み物である以上、私は考え直して、多少真実とはちがっても、私たちが家庭で普通に使い慣れている表現を用いたほうがよさそうだと思ったのである。
さて、タフ・ビルのほうも、平水夫あたりに辱《はずか》しめられっ放しで黙っているような男ではなかった。彼の力量いかんは彼の威信にかかわることであった。そうこうするうちに、彼の家に泊まっていた水夫たちが、次々と二人のところにやって来て、タフ・ビルがいつか必ずストリックランドをやっつけてやるからといきまいているという情報を伝えてくれたのだった。
ある晩、キャプテン・ニコルズとストリックランドの二人が、ブトリ通りの、とある酒場で飲んでいた。ブトリ通りというのは、それぞれ一部屋しかない平屋建の家が並んでいる、狭い通りである。したがって、そうした家々はまるで混み合った市《いち》の屋台店か、さもなければ、サーカスで使う動物の檻《おり》みたいに見えた。どの戸口にも、女が一人ずつ立っていた。ある者はものうげに側柱にもたれかかって鼻唄をうたったり、耳ざわりなしゃがれ声で通行人に呼びかけたり、またある者は落ち着きなく、何かを読んだりしていた。フランス人もいれば、イタリア人、スペイン人、日本人、黒人など、じつにさまざまな女がいた。太った女もいれば、やせた女もいた。そして、彼女たちの厚化粧や、どぎつく塗りたくられた眉や、真赤な唇の下からは、寄る年波をかくせない皺《しわ》と、放埒《ほうらつ》な生活の傷痕《きずあと》が目に見えていた。ある者は黒い肌着《はだぎ》に肉色の長靴下をはき、またある者は、くるくると捲《ま》いた髪の毛を茶色に染めて、小娘みたいに短いモスリンのワンピースを着ていた。開け放たれた戸口からは、赤タイル張りの床、大きな木製のベッド、水差しと洗面器がのせてあるモミ板のテーブルなどが見えた。往来には、それこそ種々雑多な群集がうごめいていた――半島東洋汽船《ピー・アンド・オー》〔マレー半島から東洋の航路を受けもつイギリスの汽船会社〕の船をおりたインド人水夫、スウェーデン帆船《バーク》でやって来た金髪の北欧人、軍艦に乗って来た日本人、イギリス人水兵、スペイン人、フランス巡洋艦でやって来た快活そうな人たち、アメリカ貨物船からおりた黒人もいた。昼間はただのむさくるしい通りにすぎないこの往来も、夜ともなれば、こうした小さな家々にともされた灯だけに照らされて、一種無気味な美しさを見せるのである。あたりの空気にみなぎっている、うす気味悪い色欲は、一種息苦しい寒気を感じさせるものがあった。それなのに、その光景のうちには、人々の心に悩ましくまつわりついて離れない、なにか神秘的なものが潜んでいる。それはたえず私たちに反発を感じさせながら、しかも私たちを魅惑《みわく》せずにはおかない、あの原始的な力なのであろうか? ここにあっては、文明のお上品な仮面などはみるかげもなくはぎとられ、人びとは陰惨な現実に面と向き合わされるのである。そこには、強烈であると同時になにか悲劇的な雰囲気がただよっているのだ。
ストリックランドとニコルズがはいった酒場では、自動ピアノがダンス音楽を騒々しく演奏していた。人々はみんな部屋の周囲に置かれたテーブルに腰をおろし、こちらでは六人ほどの水兵が、また向こうでは一団の兵隊たちが、酒を飲みながらなにやら大声でわめきたてていた。部屋の中央では、一組ずつの男女が群がり合って踊っていた。茶色く日焼けした顔に顎《あご》ひげの水夫たちは、その大きなごつい手で相手をしっかりと抱きしめて踊っていた。女たちはみんな肌着しか身につけていないのだ。ときどき、水夫が二人ずつ立ち上がっては、一組になって踊っていた。鼓膜も破れんばかりの騒ぎだった。みんな歌ったり、叫んだり、笑ったりしていた。一人の男が自分の膝に抱いた女に長い接吻をすると、イギリスの水夫たちのキャーキャーとはやす声がひときわ高く鳴りひびいた。部屋の空気は、男たちの大きな長靴のために舞い上がる埃《ほこり》で濁り、タバコの煙で灰色にくもっていた。ひどい暑さだった。カウンターのうしろには、一人の女が赤ん坊に乳をふくませながらすわっていた。ソバカスだらけの、平べったい顔の、小柄な若いボーイは、ビールのコップをたくさんのせた盆をもって右往左往していた。
しばらくすると、タフ・ビルがでっかい図体の黒人を二人連れてはいって来た。彼がすでに八分どおり酔っていることはひと目でわかった。なにかごたごたを起こそうとしていたのだ。彼は三人の兵隊がすわっているテーブルによろめくようにしてもたれかかると、ビールのコップを一つたたきおとした。怒り狂った口論がはじまり、酒場の主人が進み出ると、タフ・ビルに出て行くようにと命じた。その主人というのがいかにも屈強《くっきょう》な男で、客に迷惑のかかることをされて、黙っているような人間ではなかった。タフ・ビルは一瞬ためらった。警察もついていることだし、この主人は彼にとって苦手だった。彼はしかたなくぶつぶつと悪態をつくと、くるりと踵《きびす》を返して出て行こうとした。だがそのとき、ふと、彼の眼にストリックランドの姿が映ったのだ。彼は無言のまま、ずかずかと画家のほうに進み寄った。そして、口に唾《つば》をたくさん含んだかと思うと、ストリックランドの顔めがけて吐きつけた。ストリックランドは飲んでいたコップをひっつかむと、タフめがけてそれを投げつけた。ダンスはぴたりとやみ、あたりは一瞬シーンと静まり返った。だが、次の瞬間、タフ・ビルが身をもってストリックランドに挑みかかるのをみると、あやしい戦闘意欲がその場に居あわせたすべての人々の心を捕えてしまった。そしてその次の瞬間には、なぐり合いの乱闘があちこちで演じられていた。テーブルはひっくり返り、コップは粉みじんに砕けて床に落ちた。身の毛のよだつような乱闘さわぎが展開されたのである。女たちはみんな戸口やカウンターのうしろに逃げ散り、通行人たちまで往来からどっとなだれこんできた。人々はあらゆる国語で罵《ののし》り合っていた。なぐる音と叫ぶ声。部屋の中央では、一ダースばかりの男が必死で戦っていた。そのときとつぜん、警官がどやどやとはいって来たので、みんなあわてて戸口のほうへと逃げ出した。ようやく酒場の人影が薄らいで来たとき、よくみると、タフ・ビルが頭を大きく割られ、失神したまま床にひっくり返っていた。キャプテン・ニコルズは、腕の傷から血の流れ出ているストリックランドを、ひきずるようにして外に連れ出した。服はずたずたに引き裂かれていた。キャプテン自身も鼻を打たれ、流れ出た血で、顔じゅうを真赤に染めていた。
「ところで、とにかくタフ・ビルの奴が病院から出て来る前に、あんたはこのマルセイユを逃げ出しちまうほうがよさそうだぜ」と、二人が[チャンコロ頭]に戻り、体を洗っているとき、彼はストリックランドに向かっていった。
「軍鶏《シャモ》のけんかも顔負けだよ」と、ストリックランドはいった。
皮肉な笑いを浮かべてそういう彼の顔が、私には眼に見えるようだった。
キャプテン・ニコルズは内心とても心配だった。彼はタフ・ビルの執念深さをよく知っていたからだ。ストリックランドは、あのときあの混血児を二度も投げ倒したが、素面《しらふ》のときだったら、とうてい生やさしい相手ではなかった。奴はきっとひそかに時機の到来を待つことだろう。けっしてあせったりはしないのだ。だが、いつかある晩、ストリックランドが背中にぐさりとナイフを突き刺され、そうして、一両日のうちには、身許不明の浮浪人の死体が、港の汚ない水の中からすくいあげられるということになるだろう。ニコルズは翌日の夕方、タフ・ビルの家に出かけて、ようすをさぐってみた。彼はまだ病院にいたが、見舞いから戻ってきた細君が出て来て、うちのひとは、病院を出次第、きっとストリックランドを殺してやるといってたわ、といった。
それから一週間が過ぎた。
「だから、わたしはいつもこういうんですよ」と、キャプテン・ニコルズはしみじみと語った。「どうせやるんなら、いっそのこと思いっ切りやっちまえってね。それから先のことは、あとでゆっくり考えりゃ、なんとかなるもんですよ」
さて、ストリックランドの場合は、運がついていた。オーストラリア行きの船が、ジブラルタル沖合いで一時的精神錯乱の発作《ほっさ》から投身自殺をした男の代わりに、火夫を一人世話してくれと、海員ホームに申し込んで来たのである。
「ひとつ大急ぎで港に行くんだね」とキャプテンはストリックランドにいった。「そして、すぐに契約書にサインをするんだ。免状は持ってるんだから」
ストリックランドはすぐに出かけて行った。そして、これがストリックランドとの最後の別れになったのである。その船はわずか六時間しか港に碇泊《ていはく》していなかった。キャプテン・ニコルズはその日の夕方、冬の海を一路東方に進んでゆく船の、次第に消えゆく煙を、いつまでもいつまでも見送っていたのだった。
以上、私はできるかぎり忠実に書いたつもりである。なぜならば、私にとっては、アシュレー・ガーデンズに住んで、証券や株式のことで頭がいっぱいだったころの、私が実際に知っていたストリックランドの生活よりも、こうした一連のエピソードのほうが、いっそうおもしろく感じられたからなのだ。しかし、じつをいうと、キャプテン・ニコルズという男が途方もない大うそつきであることを私は知っている。したがって、今まで彼が私に話してくれたことも、すべてうそっぱちであるかもしれないのだ。彼がストリックランドに会ったことなど一度もなく、またマルセイユに関する彼の知識も、なにかの雑誌のぺージからそっくりそのまま借りてきたものであるとわかっても、べつだん私はおどろきもしないだろう。
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四十八
じつのところ、私はここいらでこの本を終わりにするつもりだった。そもそも私の最初の考えは、タヒチにおけるストリックランドの晩年の生活から、そのみじめな最期《さいご》へと話をすすめ、それからさかのぼって彼の初期の生活を物語ろうというのだった。もちろん、意地の悪い考えからそうするのではなくて、ただ私としては、ストリックランドがその孤独な魂のうちに、あの神秘的な未知の島々にたいする空想の炎を燃えあがらせて船出して行くところで筆をおきたかったからである。たいていの人間ならば、すでに安定した生活の軌道にのっておさまっているはずの四十七という年齢になって、新しい世界を求めて出発するという彼の姿を私は愛したのだった。冷たい北西風に白い波頭がおどる灰色の海に出て、二度とふたたび見ることを許されないフランス海岸が次第に視界から消えてゆくさまをじっと見守っている彼の姿を想像したのである。彼のそういう態度には、なにか雄々しいものが、そしてその魂には、なにか不屈のものが宿っているように思った。このように、私は希望を残してこの書を結びたかったのだ。そうすることによって初めて、人間の不屈の精神といったものが強調されると思われたからである。だが、私にはどうしてもそうすることができなかった。どうしたわけか、その話に油が乗ってこないのだった。そこで、一、二度やり返してみたあげく、私はあきらめざるをえなかった。そして新規まき直しに、普通の方法で書き出してみたのである。書いてゆくうちに、私としては、ストリックランドの生活について知りえた事実を、そのままの順序で語ること以外に道はない、ということにはっきり心が決まったのだ。
しかし、私が現在知っている事がらは、たんに断片的なものにすぎない。ただ一本の骨から、死滅した動物の形態ばかりか、その習性までも再現してみなければならない生物学者と同じ立場に私は立っているのである。ストリックランドは、タヒチで知り合いになった人びとには、これといったとくべつな印象もあたえなかった。ストリックランドは、彼らにとって、いつもかねに困っている、浜辺の浮浪者として映っただけで、ただ一つ変わっている点といえば、彼が絵を描くということだけで、しかもその絵が、彼らの目には、じつにバカげたものに見えたらしいのだ。彼の死後、何年かたって、パリやベルリンの画商の代理人たちが、彼の描いた絵ならなんでもよいからと、島じゅうを血眼《ちまなこ》になってさがし出したときになって初めて、彼らは自分たちの間にそんな偉い人間が住んでいたのだったか、と気づいたのである。そして、今でこそ大金に値するかもしれないが、当時は二束三文で買うこともできたであろうものを、じつに惜しいことをしてしまったと、彼らはみずからとり逃がしてしまった機会をじだんだ踏んでくやしがった。ところで、コーエンというユダヤ人の商人がいたが、彼は妙なことでストリックランドの絵を一枚手に入れたのだった。彼は優しい眼差《まなざ》しと気持ちのいい微笑を浮かべた、小柄な、年老いたフランス人で、貿易商と船乗りを兼ねていた。この男はカッターを一|艘《そう》持っていて、パヌアツ群島〔タヒチの東方にある仏領の群島〕やマルケサス群島〔タヒチの東北方にある仏領の群島〕の問を大胆に乗りまわしては、いろいろの商品を売りさばき、そのかわりに、コプラや貝殻や真珠などを手に入れてくるのだった。私はある日、彼が大きな黒真珠を一つ安く売りたいといっているのを小耳にはさんだので、彼に会おうと、のこのこ出かけていった。しかし、それが私などにはとても手の出ない金額であることがわかったので、私はなにげなくストリックランドのことを話しはじめた。ところが、その男はストリックランドのことをよく知っているのだった。
「いいかね、奴さんは絵|描《か》きだったでしょう、それでわたしも奴さんに興味をもったんですわい」と、彼は話し出した。「この辺の島なんぞには、絵描きなんかそうどっさりおりませんやね。ただ、奴さんがヘボ絵描きだったんで、わたしは気のどくに思ったんですよ。初めて奴さんに仕事をさせてやったのがこのわたしでしてね。じつは、わたしは半島に栽培園を一つもっていたので、白人の監督が一人ほしいと思っていたところなんですよ。なにしろ、白人の監督でも置かないことには、土人に仕事なぞやらせられませんからな。そこでわたしは奴さんに、『そこへ行けば、絵を描く時間はいくらでもあるし、少しはかねもはいるから』って、切り出してみたんですよ。奴さんがその日の食べ物にも困ってるくらいだから、いくらでもよかったんですが、もちろん給料はうんと奮発してやりましたよ」
「あんなんで、よく監督の役がつとまりましたね」と、私は笑いながらいった。
「そりゃ、わたしもいろいろと大目にみてやったもんですよ。わたしはいつでも芸術家というもんには、理解があるほうでしたからね。やっぱり、われわれの血は争えんもんですな。ところが、どうです、やっぱりほんの二、三か月しか続きませんでしたね。絵具やカンヴァス代が少しばかりできたと思ったら、さっさと出ていっちまったんですよ。つまり、その辺の土地がすっかり奴さんの気に入っちまいまして、叢林《そうりん》の中にはいって行きたくなったんですよ。もっとも、その後ときどき、わたしは彼に会っていましたがね。奴さんは二、三か月ごとにパペエテに出て来ては、しばらくの間、そこにぶらぶらしていたもんですからな。そうして、誰か彼かから、かねをもらうと、また姿を消しちまうんですね。そう、ちょうどそのようにして町に出てきたとき、奴さんはひょっこりわたしのところにやってきて、二百フラン貸してくれと頼んだんですよ。もう一週間も食事をしてないようなようすをしていたんで、わたしとしても、それを断わる勇気がなかったんですな。もちろんそいつを返してもらおうなんて気持ちは毛頭《もうとう》ありませんでしたがね。ところがですよ、一年ばかりすると、奴さんはまたひょっこり姿を現わしましてね、見ると、絵を一枚持ってるじゃありませんか。前に借りた金のことなんぞおくびにも出さず、いきなり、こいつは旦那の栽培園の絵だが、旦那にやるつもりで描いた、とこうなんですよ。その絵を見ましたが、わたしとしてはなんともいいようがなかったんですな。だが、むろんお礼はいって、その絵をもらいうけ、あとでそれを家内に見せてやったんですね」
「それはどんな絵でしたか?」と私はたずねた。
「そいつだけは、きかんでくださいよ。なにしろ、何が何だかさっぱりわからん絵でしてね。とにかく、あんな絵を見たのは初めてでしたよ。そこで、どうしたらよいものかと家内に相談しますとね、家内は、あんなものは人さまの笑い物になるから、部屋の中に掛けてなぞおけない、というんですよ。家内はたしか、そいつを屋根裏部屋に持ち込んで、ほかのがらくた物の中にほうりこんじまったようでした。どんなものでも捨てずにとって置くというのが、あれの性分《しょうぶん》でしたからね。まあ、それがあの女のマニアなんですな。ところが、まあ、考えてもごらんなさい。れいの大戦の始まる少し前に、パリにいる兄貴が、手紙をよこしましてね――おまえはタヒチに住んでいたイギリス人の画家を知っているか? どうもその男が天才らしく、そいつの作品ならば大したかねになる。だから、なんでもいいからその男の絵を手に入れて、自分のところへ送ってくれ。たいへんなかね儲《もう》けができるから――まあ、こんなふうにいってよこしたんですよ。そこで、さっそく家内に、ストリックランドからもらったあの絵をどうしたか? まだ、そのまま屋根裏部屋に置いてあるのか、ときいてみたんです。すると、もちろんですとも、なんでも捨てられないのがあたしの病気じゃありませんかっていうんですな。そこで、さっそく屋根裏部屋に上がってみると、はたして、この家に住みついてから三十年間にたまりにたまったいろんながらくたの中から、問題の絵が出てきましたよ。そこでわたしはもう一度よくそいつを見直してみたんですな。それから家内に向かって、『おい、前に二百フラン貸してやったことのある、半島の栽培園の監督に雇ったあの男だが、あれが天才だなんて、いったい誰が夢にでも考えたろうかね? おまえにはこの絵がわかるかい?』と、きいてみたんですよ。すると、家内の奴は、はっきりこういいましたっけ――『さっぱりわかりませんわ。第一、あの栽培園にちっとも似ていないし、それに、青い葉をしたココ椰子《やし》なんか見たこともありませんわ。でもパリでは、いまあの人の絵が騒がれているって話だから、お兄さんのところへ送ってやったら、きっと貸してやった二百フランぐらいにはなるかもしれませんよ』と、まあこんなわけで、とにかくそれを荷造りして、兄貴のところに送ってやったんですね。さて、やがて待っていた手紙が来たんですよ。それに、なんと書いてあったと思いますか?『あの絵はたしかに受け取った。じつをいうと、はじめはおまえがいたずらしたものとばかり思っていた。もしそうだとしたら、送料なんぞ払ってやるもんか、と思っていたんだ。それで、この話をしてくれた紳士にあの絵を見せるのがちょっと心配だった。ところが、どうだ、これは傑作だ、三万フランで買おう、といわれたときのわたしの驚きようといったらなかった。おそらく彼はもっと奮発するつもりだったらしいが、正直にいって、わたしは、あんまりあっけにとられたので、頭がどうかなってしまっていた。それで、気をとりもどす前に、先方のいい出した金額で承知してしまった』と、こんなふうに書いてあったんですよ」
それからコーエン氏は、ひとつ、すばらしいことをいった――
「かわいそうに、あのストリックランドが、あのとき生きていたらと思いますよ。もしあんたの絵の代金だといって、二万九千八百フランをぽいと渡してやったら、いったい奴さんはなんといったでしょうかね?」
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四十九
私はオテル・ド・ラ・フリュール〔「花の宿」といった意味〕に泊まっていたのだが、そこの女主人のジョンソン夫人もまた、惜しい機会をのがしてしまったと哀《かな》しい話をしてくれた。ストリックランドの死後、彼の家財の一部がパペエテの市場でせり売りされたのだが、彼女はそのがらくたの中に、かねてほしいと思っていた、アメリカ式のストーヴが出ていることを伝えきいて、わざわざ市場まで出かけていったのだった。彼女はそれを二十七フランで買いとって来た。「絵もたしか一ダースばかりありましたがね」と彼女はいった。「でも、どの絵にも額縁がはまっていなかったし、だれひとり買いたいと思う人なんていませんでしたよ。なかには十フランぐらいで売れたのもありましたが、たいていは五、六フランでしたね。まあ、考えてもごらんなさいましよ、もしあたしがあのときあれを買っておいたら、それこそ今ごろは大金持ちになっていたことでしょうね」
しかし、ティアレ・ジョンソンという女は、たとえどんな環境のもとにあっても、とうてい金持ちなんかになれる人間ではなかったろう。彼女には、かねを使わずに溜《た》めておくことなどできないのである。現地の女とタヒチに住み着いたイギリス人の船長との間にできた娘だというが、私がはじめてこの女と知り合ったときはすでに五十歳で、しかも、年よりも老けて見え、おそろしく大柄な女だった。背は高く、ものすごく太っていて、もしあのいかにも人のよさそうな顔に、親しみのこもったやさしい表情がうかんでいなかったら、おそらく誰しも彼女から堂々とした威圧感を受けたことだろう。腕はまるで羊の腿肉《ももにく》のようだし、胸はちょうど特大のキャベツを二つ並べたみたいだった。肉の塊りを思わせるその大きな顔は、むしろむきだしすぎて、見苦しいという印象をあたえたし、大きな顎《あご》は累々《るいるい》といく重にもかさなり合い、広々とした胸の中に豊かに落ちこんでいた。たいていはピンクのマザー・ハバード〔すその長いだぶだぶのガウン〕を着て、一日じゅう大きな麦わら帽をかぶっていた。だが、彼女がご自慢でときどきして見せてくれたように、その髪は垂《た》らすと、長くて、黒々として、捲《ま》き毛になっていた。眼はまだ若わかしく、いきいきと輝いていた。それに笑い声ときたら、まったく天下一品で、私はいまだかつてあのように魅惑的な笑い声をきいたためしがない。まず、喉《のど》もとから低くひびき出し、だんだんと大きく広がり、やがて山のような彼女の全身を揺り動かすのだった。冗談とブドウ酒とハンサムな男――彼女はこの三つのものをこの上なく愛していた。とにかく、彼女を知るということは、ひとつの特権になっているのだ。
彼女はまた島一番の名コックで、しかもうまい食物の礼賛者《らいさんしゃ》でもあった。朝から晩まで、台所にある背の低い椅子に腰をかけ、一人のシナ人コックと、二、三人の現地人の娘にとり囲まれて、指図をあたえたり、だれかれの区別なく相手にして愛想よくおしゃべりをしたり、また彼女が工夫した味のいい料理の味見をしたりするのだった。友だちを招待するときなど、彼女は自分の手で料理をした。客をねんごろにもてなすというのが、彼女には一つの情熱になっていたのだ。だから、このオテル・ド・ラ・フリュールに、なにか食べ物があるかぎりは、ご馳走にあずからずに帰って行かなければならぬ人間は、この島にただの一人もいなかった。たとえ食事代を払わないでも、客を追い出すなどということはけっしてしない女だった。払えるようになれば、きっといつかは払ってくれるだろう、と彼女はいつも思っていたのである。いつだったかも、すっかりおちぶれてしまった男がいたが、彼女はその男を数か月間、賄《まかな》いつきで泊めてやったのだった。シナ人の洗濯屋がかねを払ってくれなければ洗うのはいやだと断わると、彼女は自分のものといっしょにしてまでこの男の洗濯ものを頼んでやったりした。いくら貧乏したって、男にきたないシャツを着せておくわけにはいきませんよ、といい、また彼が男である以上、タバコも吸わないわけにいかないといって、巻きタバコ代として、日に一フランずつをやっていた。しかも彼女は、一週一回きちんと勘定を支払ってくれる客にたいするのと同じような愛想のよさで、この男を扱っていたのである。
年配からいっても、またあまりに太りすぎている点からみても、すでに色恋沙汰でもあるまいという彼女は、若者たちの情事にはとくべつの興味を抱いていた。彼女は色事をば、男女をとわず人間たるものの自然の関心事と考えていた。そこで、いつも彼女自身の豊富な経験から引き出された教訓や実例を、よろこんで人に提供してやるのだった。
「あたしに好きな男があるのを、おとっつぁんがみつけたのは、たしかまだあたしが十五にもなっていないときだったわね。熱帯鳥《トロピック・バード》っていう船の三等運転士だったのよ。ちょっといい男だったわ」
そういって、彼女はふと、ため息をついた。女というものは、いつも初恋の男の面影をいつくしむといわれているが、彼女の場合は必ずしもそうではないらしい。
「おとっつぁんというのは、よくもののわかる人でしたわ」
「どうしてですか?」
「あたしをね、それこそ死にそうになるくらいさんざん殴《なぐ》っておいて、それからキャプテン・ジョンソンと結婚させたのよ。あたしはべつにいやな相手だとも思わなかったのにさ。もちろん、わりと年寄りだったけど、やっぱりいい男だったからね」
このティアレはストリックランドをよくおぼえていた。ついでながら、[ティアレ]というのは、白い、匂《にお》いのよい花の名で、なんでも一度その花の匂いをかいだ者は、たとえどんな地の果てをさまよっていても、やがては必ずその匂いにひかれてタヒチに舞い戻ってくるといわれている。彼女の父はその花の名を娘につけたのである。
「ここへもときどきやって来たし、パペエテあたりを歩いているのをよく見かけましたわ。ほんとにお気のどくでしたよ。見るかげもないほどやせてはいたし、おかねなんかもっていたことなんかなかったんですもんね。だから、あたしはあの人が町に来ていると聞くと、いつもボーイをやって、夕ご飯に招いてやったんですの。仕事のほうも一、二度世話してあげましたけど、どれもこれも長つづきはしませんでしたね。しばらくすると、また叢林《そうりん》に帰りたくなって、ある朝、とつぜんに姿を消してしまうというぐあいでしたよ」
ストリックランドは、マルセイユを出てからほぼ半年たってタヒチ島に着いた。オークランド〔ニュージーランドの港町〕からサンフランシスコに行く帆船に乗りこみ、働いて船賃をかせぎながらやって来たのである。着いたときに持っていたものといえば、絵具箱一つと画架《がか》一つ、それにカンヴァスを一ダースばかり。そのほか、ポケットにシドニーで稼《かせ》いだ二、三ポンドのかねがあった。町はずれにある、現地人の家に小さな一室を借りたのである。彼はタヒチに着いたとたん、なにかほっとした気持ちになったのではないかと思う。いつかティアレにこう語ったことがあるそうだ――
「わしが甲板洗いをやっとるとさ、だしぬけに誰かが『ほう、あれだよ!』というもんでね、ふと眼を上げると、この島影が見えたんだよ。わしは即座に、これこそきっと、わしがこれまでずっとさがし求めてきた土地にちがいないと思ったね。やがて近づいてみると、どうもなんだか見たことのある場所のように思えたんだ。ときどき、この島を散歩してると、眼にうつるものがみんな見なれたもののように思えてくるんだ。たしか前に、ここに住んでいたことがある、そういう気がほんとうにしてくるんだよ」
「どうやらこの島は、ときたまそんなふうに感じさせるところがあるらしいのね」と、ティアレはいった。「よく、船が荷を積んでいる間、二、三時間ばかりこの浜辺にいて、そのまま船に帰らない人がありましたっけ。そうかと思うと、また、会社から一年ばかりここに来ていて、こんなろくでもない所はないと悪口をいい、帰りぎわには、こんなところに戻って来るくらいなら首でもくくるよ、なんて大きな口をたたいていった連中が、半年もすれば、ちゃんとまたこの島にまいもどって来て、とてもよそになんか住めたもんじゃないなんてすましてるのを、あたしはいくらも知ってるんですよ」
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五十
人間は、その人にとって場ちがいな所に生まれ落ちることがある、と私は考えている。ひょんなことで、ある環境にほうり込まれるわけなのだが、やはり、そんな人たちは自分の知らない故郷への郷愁《ノスタルジア》をいつも心に抱いているものである。実際に生まれた土地ではなにかそぐわぬ気持ちで暮らし、小さなころからよく知っている樹陰の小|径《みち》や、たわむれに遊んだ、にぎやかな街中なども、通りかかった路傍の光景でしかない。そして、親類縁者の間でも、よそよそしい思いで一生を送り、見なれた光景にも、結局なじめずに終わってしまうこともある。人がなにか永遠なものに強くひかれ、それを求めて遠くさまよい出るのも、おそらくこんな他国者《よそもの》意識のせいであろう。なにか根強い|先祖返り《アタビズム》の情が、漂泊の旅人を、歴史の暁《あかつき》時代に彼の祖先たちがあとにした土地へと呼び返すのかもしれない。そんなとき、なんということなしに自分にぴったり合った場所だと感じるような土地に行き当たることがある。自分の求めていた故郷はここだと感じ、生まれついて以来のなつかしいところだといわんばかりに、それまで見たこともなかった光景や、会ったこともない人びとの中に、おさまって腰を落ちつけてしまうのだ。そんな場所で、人ははじめて安らぎを知るのである。
私はセント・トマス病院〔モームはロンドンのセント・トマス医学校で医学を修め、卒業後もその付属病院の外来患者診療部で働いた〕で知り合ったある男のことを、ティアレに話してやった。エイブラハムというユダヤ人で、ブロンドの髪をし、かなり屈強《くっきょう》な青年であるが、内気で少しもでしゃばったところのない男だった。しかし、彼はすばらしい才能に恵まれていた。奨学資金をもらって病院に医学生としてはいり、五年間の修業課程の間に、とれる限りの賞を自分ひとりでかっさらったほどの秀才だった。そして、病院づきの内科医と外科医を兼任した。だれもが異論を唱えることのない優れた才能の持ち主だった。ついに、彼は医局員のひとりに選ばれ、その将来ははっきりと約束された。世の中の先のことがわかるとすれば、たしかに彼は医者として最高の地位に到達するであろうと思われた。多くの栄誉と富が彼の行く手に約束された。新しい職務につくまえに、彼は休暇をとりたいといい出し、べつに資産があるわけでもなかったので、ある不定期航路の船に外科医として乗りこみ、レヴァント〔東部地中海の沿岸諸国〕へ出かけていった。ふだんは船医のいない船であったが、病院の先輩外科医のひとりがその航路の重役と知り合いだったため、エイブラハムは特別のはからいでその船医に採用されたのである。
数週間後、病院当局は、だれもがよだれをたらして望んでいる医局員の地位をやめたいという辞表を彼から受けとった。みんな目をまるくして驚き、あらぬ噂《うわさ》がいろいろと飛んだ。なにかとてつもないことをする人間があらわれると、仲間たちはきまって極端に悪いことをなにかと想像するものである。だが、ともかく、エイブラハムの後釜《あとがま》にはべつの男がすぐはいりこんだ。そして、エイブラハムのことは人びとの脳裏から消えた。消息はばったり絶え、彼の存在は抹殺されたのである。
それから十年もたったころであろうか、ある朝、アレクサンドリア〔エジプト北部の海港〕に上陸しようというとき、船中で衛生検査があるからと、私はほかの船客たちといっしょに列を作って待たされていた。検査医というのは、くたびれた服を着た、がっしりした男であった。彼が帽子を脱いだのを見ると、頭がすっかり禿《は》げあがっていた。私はどうもどこかで見た顔だと思った。そして、ふと、思い出したのである。
「エイブラハム!」と私は声をかけた。
ふりむいた彼は、とまどった表情をしたが、私の顔を思い出し、私の手を握った。おたがいにこんなところで、なんとまた、といった視線をかわしたのち、今夜はアレクサンドリアに泊まる予定だと私が話すと、では「イギリス・クラブ」でいっしょに夕食でもとりませんか、と彼はいった。クラブで再会したとき、こんなところできみに会うなんて、まったくおどろいたね、と私はいった。彼の職はほんとうにささやかなもので、生活もあまり楽でなさそうにさえ感じた。それから、彼は自分のことを話しはじめた。休暇をとって地中海に出かけたあのときには、たしかにロンドンへ帰ってセントトマス病院での新しい職につくのを当然のことのように考えていた。ある朝、彼はアレクサンドリアに入港し、デッキから朝日に白く光る街や埠頭《ふとう》に集まる人たちの姿を見ていた。薄汚れたギャバジンの服をまとった現地人、スーダンからやってきている黒人たち、がやがやと群れ集《つど》うギリシャ人やイタリア人、トルコ帽をかふった神妙なトルコ人、それに朝の太陽と青く澄んだ空、そんなものをながめていた。そのとき、なにかが彼の心に忍びこんだのだ。言葉では説明できないもの、青天の|へきれき《ヽヽヽヽ》とでもいうのかな、と彼はいったが、すぐ言葉の不足を補うように、天啓《てんけい》のようなものだった、とつけ加えた。得体《えたい》の知れないものが彼の心をぐっと締めつけるような思いであった、という。そして、とつぜん、彼は激しい喜びを感じたが、それはワッと叫びたくなるような解放感であった。すっかり羽根を伸ばしたような気持ちになり、その場で即座に、アレクサンドリアに永住しようと心に決めた。船医をやめるのにはたいした問題もなく、二十四時間後に、彼は荷物をまとめて埠頭《ふとう》に降り立ったのである。
「船長はきっときみを手のつけられぬキ印《じるし》だと考えただろうね」と私は笑いながらいった。
「他人がなんと思おうと、ぼくには問題じゃなかったよ。ぼくじゃなくて、心の中のなにかもっと強いものが動いたんだ。あたりを見まわしているうちに、こじんまりしたギリシャ人のホテルへ行こうと考えた。すると、それがどこにあるのか自分にわかるような気がするんだ。ねえ、きみ、妙なことだが、ぼくはそこまでまっすぐに歩いていったんだよ。そしてだ、ホテルが目にはいったとき、すぐさま、ああ、これだ、と思ったんだね」
「アレクサンドリアははじめてだったのかい?」
「そうだよ。生まれ落ちてこの方、イギリスから外へ一歩も出たことがなかったんだ」
やがて、彼は政府の仕事をし、それ以来ずっとそこで暮らしてきたのである。
「ぜんぜん後悔したことないのかね?」
「あたりまえさ、爪の先ほどもね。生きていくだけの収入は十分あるし、いうことはなんにもないよ。死ぬまでいまのままでやっていければ、それで満足さ。ここの生活はまったくすばらしいよ」
その翌日、私はアレクサンドリアをたった。それ以来、エイブラハムのことはつい最近まで忘れていたが、私のもうひとりの旧友でアレック・カーマイケルという医者がいるが、その男がちょっとした休暇でイギリスヘやって来た折りに、二人で食事をしていたときのことである。私はその医者と街でぱったり出会い、大戦中の功労にたいして彼がナイト爵〔イギリスの爵位〕を授けられたことのお祝いを述べた。一夕、歓談して、おおいに昔を語ろうということになり、私が夕食をともにする約束をすると、彼は、水いらずで存分にしゃべりたいから、ほかにはだれもさそわないでおこう、といった。彼の家は、クイン・アン通りにあるみことな旧家で、趣味の高尚な男だったので、彼はいろいろと感心するような調度品を備えていた。食堂の壁間には、ほれぼれするベルロット〔カナレットとも呼ばれるイタリアの画家〕の絵を飾り、さらに喉《のど》から手が出そうなゾファニー〔ドイツ生まれのイギリス画家で、肖像画、風景画に秀でていた〕の絵が二枚掛かっていた。背の高い美人で、金糸織りの服を着た彼の夫人が奥の間へひきさがった折りに、私は、むかし医学生だったころといまでは隔世の感があるね、といって笑った。まったく、その当時は、ウェストミンスター・ブリッジ通りにある、イタリア人経営の、貧相なレストランで食事をすることさえ、たいしたぜいたくだと考えていたのだった。いまでは、アレック・カーマイケルは、かれこれ五つ六つの病院の幹部医局員になっているのである。年収一万ポンドは動かぬところであろうし、ナイト爵など、だれの目にもあきらかなように、これから次々と彼におくられる多くの栄誉から見れば、ほんの序の口程度のものであった。
「ぼくもかなり努力はしてきたつもりだがね」と彼はいった、「しかし妙な話だが、この成功も、じつのところ、ほんのちょっとした幸運に恵まれたおかげなんだよ」
「そりゃまた、どういう意味かね?」
「そこなんだが、きみはエイブラハムという男をおぼえているかね? 洋々たる未来を背負っていた男だった。ぼくたちが学生のころには、専門のことじゃ、だれも奴さんにかないっこなかったね。ぼくがねらっていた賞や奨学資金は、みんなあの男のものになっちゃってさ。ぼくはいつも奴の尻を追っかけてるざまだったよ。あいつがあのまま進んでいれば、ぼくのいまの地位はあいつのものだったろう。まったく、あの男は外科医術にかけちゃ天才的だったからな。彼を追い抜こうなんてことはとても考えられなかった。奴さんがセント・トマス病院の幹事に任命されたとき、ぼくは医局員になる望みを絶たれてしまったんだ。ぼくは町の開業医《ジー・ピー》にでもならなきゃならん羽目になったんだ。きみも知ってるように、開業医の将米なんてまったく知れたもんさ。おきまりのありふれた生活の中に埋もれてしまうのがおちだ。ところが、そのエイブラハムが落伍《らくご》して、このぼくがその職をもらったってわけさ。それがすべての糸口だったんだね」
「そうかもしれないな」
「ほんとうに棚から|ぼたもち《ヽヽヽヽ》ってわけだった。どうもエイブラハムには奇矯《ききょう》なところがあったような気がするね。あわれなやつさ、とことんまで落ちぶれてしまってさ。奴さんはいまアレクサンドリアで医者のなれの果てみたいな仕事にありついてるよ――検疫官かなにかそんなものにな。人の噂《うわさ》では、|ぶす《ヽヽ》のギリシャ人の老妻と暮らし、ルイレキにかかった子供たちが五、六人もいるってことだよ。まったくの話がね、きみ、人間は頭だけじゃだめなんだよ。問題は性格だ。エイブラハムにゃそいつがなかったんだな」
性格だって? いくらべつの生活に激しい生き甲斐を見出したからといって、三十分やそこら考えただけで、自分の一生の経歴を投げだしてしまうということには、やっぱりなかなかの性格が必要なのだ、と私は思いたかった。そればかりではない、そんな破天荒《はてんこう》な転換にたいして少しも後悔しないということには、さらにもっと強い性格が必要なのではあるまいか。しかし、私は黙っていた。すると、アレック・カーマイケルは昔をしのぶような調子で話をつづけた――
「もちろん、エイブラハムのとった行動をぼくが残念がるような顔でもすれば、そいつは偽善というもんだろうよ。つまるところ、ぼくはそれで得をしたってわけなんだからな」彼はすっていた長いコロナ〔キューバのハヴァナの葉巻タバコ〕の煙をとてもうまそうにプッと叶き出した。「だが、ぼく個人の立場を離れていえば、あんなむだなことをして、気のどくに思うね。奴さんのように人生をめちゃめちゃにしてしまうなんて、まったくバカげたことに思えるよ」
私には、はたしてエイブラハムが一生を棒にふったかどうか、疑問に思われた。自分が心から望むことを実行し、自分の気持ちにぴったり合った、自分の好きな環境の中で生きてゆくことが、一生を棒にふることになるであろうか? 年収一万ポンドの名医になり、美人の細君をめとることが成功であろうか? 要するに、それは自分が人生にどのような意味をあたえるかできまることであり、社会の自分にたいする要求をどの程度みとめるか、また自分が何を要求するか、ということにかかわる問題であるように思う。だが、こんどもまた、私は口をつぐんでいた。なにしろ相手はナイトさまなのだから、私など、とやかくいえる身分じゃないのだ。
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五十一
ティアレは私からこの話を聞いたとき、私の分別をほめてくれた。それからしばらく、私たちは黙ったままエンドウのさやむきをしていた。そのうちに、台所のことにはしじゅう油断なく目を配っている彼女の目が、シナ人コックのちょっとした行為を捕え、彼女の顔はたちまちキッとした表情に変わった。コックのほうへ向きなおった彼女の口から、機関銃のような悪罵《あくば》が飛んで出た。その支那人《チンク》も負けずになにかいい返し、まことに派手《はで》な口げんかとなってしまった。二人は現地人の言葉でどなり合っていた。私の知っていた土語は半ダースほどにすぎなかったが、それでもなにか、まもなくこの世の終わりがやってきそうな激しさを感じた。しかし、すぐに二人は仲直りして、ティアレはコックにタバコを一本やった。二人は気持ちよさそうにそれをすっていた。
「あの人のお嫁さんを世話したのがこのあたしだったこと、あんたご存知ですか?」と、とつぜんティアレはそのでっかい顔に笑いを一面みなぎらせながらきいた。
「コックにかね?」
「いいえ、ストリックフンドさんにですよ」
「だって、奴さんにはちゃんと奥さんがいたじゃないか」
「あの人もそういいましたよ。でもね、それはイギリスの話で、イギリスなんて地球の反対側じゃありませんか――そうあたしはあの人にいってやりましたわ」
「なるほどね」と私。
「あの人は、二《ふた》月か三月に一度、絵具やタバコやおかねなどが必要になると、パペエテに出てきたんですの。そんなときのあの人は、まるで迷い犬のようにうろうろしていたわ。あたしは気のどくになっちゃってね。そのころ、部屋の掃除などさせていたアタという娘がここにいました。その娘《こ》はあたしといくらか血がつながっていてね、父親も母親も死んでしまったもんだから、あたしんとこに引きとっていたんですよ。ストリックランドさんはときたまきまって顔を見せては、腹いっぱい食べたり、ボーイのひとりとチェスをやったりしてましたっけ。あの人がやってきたとき、その娘《こ》の見せる眼つきに気がついたあたしは、あの人が好きなのかい、とその娘にきいてみたのさ。とても好きよって、こうなんですよ。このへんの娘どもがどんなだか、あんたもご存知でしょ。いつだって、白人といっしょになるのがうれしいんだからね」
「その娘さんは現地人だったのかい?」と私はきいた。
「ええ、白人の血は一滴も混っていなかったわ。ところでね、あたしはその娘と話をすませたあとで、ストリックランドさんを呼びにやったのよ。そしてこう話してやったんですの――『もうあんたも落ちつくときですよ、ストリックランドさん。あんたぐらいの年の男が海岸《はま》の女たちとたわむれていたんじゃおかしいわね。ああいう女たちはろくでもない連中です。あんな女たちといちゃついてると、ろくなことになりませんよ。あんたにはおかねもないし、あんたはほんの数週聞と仕事の|こん《ヽヽ》がつづかない人なんです。それに、もうあんたなんか雇おうって人間はだれもいないでしょ。そりゃ、あんたにいわせれば、いつだって現地人のだれかと林の中でちゃんと暮らしていけるんだってことだろうし、現地人の娘のほうも、あんたが白人だから、いっしょになるのを喜ぶだろうけどさ。でも、そんなこと、白人としてほめたことじゃありませんわ。それで、ストリックランドさん、ちょっと話があるのよ』ってね」
ティアレは英語とフランス語をごちゃまぜにして話した。彼女はどちらも同じように楽に使いこなせたのである。話し方はちょうど歌うような調子であったが、けっしていやな感じのものではなかった。小鳥が英語をしゃべれたら、こんなふうに話すだろうといった調子だった。
「『それでさ、アタと結婚しちゃどう? あの娘は気だてもいいし、まだほんの十七よ。このへんの女たちのように誰とでもくっつくというのじゃないのよ――そりゃ、船長とか一等運転士くらいだったら相手にもするだろうけどね、現地人なんかにいちどだって手をつけさせちゃいないわ。|誇りをもっている《エル・ス・レスペクト・ボア・チュ》ってわけね。オアフ号の事務長さんもせんだって寄港したとき、この辺《あた》りの島であんないい娘《こ》にぶつかったことないっていってましたよ。あの娘《こ》ももう嫁いでいいころだし、それに、船長とか一等運転士とかいった連中も、ときたま目先の変わったほうがうれしいのね。だから、あたしんとこでは、同じ女の子をあんまり長く置かないことにしてるのよ。あの娘《こ》はタラヴァオのわきにちょっとした土地をもっています。半島までくるちょっと手前のところにね。いまの値段でコプラ〔コプラはココヤシの子核を乾燥したもので、タヒチ島の重要産物の一つ〕が売れるのだったら、二人で楽々と暮らしていけますよ。家もあるし、絵はいくらでも描きたいだけかけるわ。どう、この話?』そうあたしが持ちかけたのさ」
ティアレはそこで息をついた。
「あの人がイギリスにいる奥さんのことをあたしに話したのは、そのときなんですよ。『まあ、しようのないストリックランドさんね』とあたしはあの人にいってやりました、『だれだってみんなどっかに奥さんがあるのよ。だから、わざわざこんな島にやってくるんじゃありませんか。アタは利口《りこう》な娘だから、市長さんのまえで式を挙げようなんてこと考えていませんわ。あの娘《こ》はプロテスタントの信者です。だから、カトリック信者のようにこういう問題を堅苦しく考えていませんよ』
すると、あの人は『だけど、アタの気持ちはどうなのかね?』とききました。『あんたが好きらしいのよ』とあたしは答えました。『あの娘《こ》はあんたさえよければって気持ちなのね。なんなら、ここへ呼びましょうか?』あの人はあの奇妙な、かさかさしたふくみ笑いをしましたよ。それであたしはあの娘《こ》を呼びました。あれはあたしが何を話していたかみんな知ってたのよ、まったく隅におけない娘ですわね。あたしが横目で見ていると、あれはあたしがいいつけたブラウスを洗濯して、アイロンをかけているふりをしながらも、ちゃんと耳をそばだてて聞いていたんですのよ。あの娘《こ》はすぐ来ました。くすくす笑ってるだけだけど、きっと少し恥ずかしかったんでしょうよ。ストリックランドさんは黙ったままあの娘《こ》を見てましたっけ」
「その娘《こ》はきれいだったのかい?」
「わるくはなかったわ。でも、あんたもきっと、あの娘《こ》を描いた絵を何枚かごらんになったはずですね。あの人は何枚も何枚もあの娘《こ》をモデルにして描いてましたから。パレオ〔腰に巻く木綿の布〕をつけたのやら、なんにもつけないのやらをさ。そうね、なかなかきれいだったわ。それに料理もできたし。あたしが自分で教えてやったのよ。ストリックランドさんが考えこんでいるのを見て、あたしはあの人にこういってやりました――『この娘にはいいお給金をやってましたが、それをみんな貯金してますよ。それに、なじみの船長さんや一等運転士さんたちも折りにふれて、ちょっとしたものをやっていたようだし。だから、数百フランの貯金がありますよ』ってね。あの人はれいの大きな赤い顎《あご》ひげをひっぱって、ニッコリしましたよ。
『で、アタ』とあの人はききましたわ、『おまえはわしを夫にしたいと思うかね?』
あの娘《こ》はなんとも答えず、ただくすくす笑ってましたね。
『だって、ストリックランドさんたら、おバカさんね。この娘《こ》はあんたが好きだって、ちゃんとあたしがいってるじゃありませんか』と私はいいましたよ。
『わしはおまえを殴《なぐ》ったりするぜ』とあの人はあの娘を見つめながらいいました。
『さもなかったら、あなたがあたしを愛してるってことわかりませんものね』とあの娘《こ》は答えましたよ」
ティアレはそこでその話を打ち切り、それからしみじみした調子でまた話しかけた。
あたしのはじめの夫のキャプテン・ジョンソンはよくあたしを殴りましたわ。男らしい男でした。六フィート三インチもあるいい男でしたよ。酔うと、どうしようもなくなってね、それこそ何日問もあたしのからだは紫色にはれたままでしたわ。あの人が死んだときには、あたしもおいおいと泣きましたわ。とてもこの悲しみには打ち勝てないと思いましたの。でも、ジョージ・レイニーと再婚してはじめて、ほんとうにあの男のよさがわかったのよ。いっしょになってみるまでは、どんな男だかわかりっこありませんものね。ジョージ・レイニーくらい、いっぱい食わされたと思った男はありゃしないわ。そりゃ、背のすらりとしたりっぱな男で、キャプテン・ジョンソンとあまり変わらないくらいの上背もあり、見たところ、とてもがっしりしてました。でも、それがみんな見かけだおしだったのね。お酒も飲まず、あたしにむかって、手ひとつ振りあげたこともなかったわ。宣教師にでもなったほうがよかったくらいよ。あたしは島に船が立ち寄るたんびに、その高級船員たちと浮気をしてやったのに、ジョージ・レイニーときたら、なにひとつ気がつかなかったのね。しまいには、この男に胸くそが悪くなって、とうとう別れてしまいましたの。ああいう夫の、いったいどこがいいっていうんでしょうかね? 困ったことに、世の中には、女の扱い方を知らない男もいるもんですよ」
私は、それはとんだ目にあったね、とティアレを慰め、しんみりした調子で、男ってものはいつも女をだますものだといったあとで、どうかストリックランドの話をもっとつづけてくれるようにとたのんだ。
「『でもねえ』とあたしはあの人にいってやりました、『べつに急ぐことはないわ。ゆっくり時間をかけて、よく考えてごらんなさい。アタには離れのほうにとてもいい部屋をやってあります。だから、ひと月でもいっしょに暮らしてみて、好きになれるかどうかようすを見てみるのね。食事はここへ来て食べればいいわ。そうしてひと月たって、結婚してもいいと思ったら、さっさと出ていって、あの娘《こ》の持ってる土地で暮らせばいいじゃないの』
そんなわけで、あの人は、うん、といいました。アタはそれまでどおり洗濯やら掃除やらの仕事をつづけ、あたしは約束どおり、あの人の食事の世話をしてやりましたよ。あたしの経験で、あの人がきっと好きだと思った料理の作り方をひとつふたつアタに教えてやりました。あの人はあまり絵も描《か》かず、山にはいってはあちこち歩きまわったり、小川で水を浴びたりしていました。それから、浜に行って腰をおろし、礁湖《ラグーン》を眺めてたり、日が暮れると、ずっと先まで出かけていって、ムレア島を眺めたりしていましたっけ。あの人は、また、よく珊瑚礁に釣りに行きました。港のあたりを、ぶらぶらして現地人たちと話をするのが好きな人でした。ほんとうに静かないい人でしたわ。そして毎晩、夕食がすむと、アタを連れて離れのほうへ引きあげていきましたよ。あの人が奥地のほうへ行きたがっているようすが目に見えていましたので、一か月たったとき、あたしは、どうするつもりか、とあの人にきいてみたわ。すると、アタがそのつもりなら、自分もいっしょによろこんで出かけたい、と答えたのよ。そんなわけで、あたしは婚礼のご馳走をこしらえてやりました。自分で腕をふるってね。エンドウのスープにポルトガル風の伊勢エビ料理、それにカレーとココヤシのサラダ――あんたにはまだあたしの自慢のココヤシ・サラダを差しあげたことなかったわね。おたちになるまえに、ぜひ作ってさしあげますわ――それにアイスクリームまで添えてやりましたの。シャンペンをたっぷり用意したし、あとからリキュール酒も出しましたよ。ほんとうに、あたしは万事手落ちのないようにと思ってましたの。そのあと、客間でダンスをしました。そのころはこんなに太っちゃいませんでしたし、あたしはいつだってとてもダンスが好きだったんですよ」
オテル・ド・ラ・フリュールの客間はこじんまりした部屋で、小さいたて型ピアノが置いてあり、押し型模様のビロードをかけた、マホガニー作りのそろいの家具が、壁際にきちんと並べてあった。丸テーブルの上にはアルバムが置いてあり、壁にはティアレと彼女の最初の夫キャプテン・ジョンソンの引き伸ばし写真が掛かっていた。ティアレもいまではかなりの年配で、でぶでぶ太っていたが、私たちは折りを見ては、床に敷いたブラッセルじゅうたんをぐるぐる巻いて片づけると、女中やナィアレの友だちをひとりふたり呼んできて、ダンスをしたりした――もっともこのときは、ゼーゼーと喘息《ぜんそく》やみのような音を出す、すっかり古びた蓄音器の音楽を伴奏に使ったのであるが。ヴェランダには、ティアレの花の濃厚な香りが漂い、からりと澄み渡った中天には南十字星が輝いていた。
思い出のかなたに消え去った、遠い昔のはなやかな生活を脳裏に浮かべながら、ティアレは惜しげもなく顔をあかるくほころばせていた。
「あたしたちは朝の三時まで踊りつづけ、床《とこ》についたときは、みんなかなり酔っぱらっていましたわ。あたしは二人にむかって、あたしの馬車で行けるところまで行くといいわ、といってやりましたの。それから、だって歩くところはずいぶんあるんですからね。アタの土地っていうのは、ずっと遠くの山あいにあったんですよ。二人は夜明けに出発しましたが、二人につけてやったボーイは次の日まで戻ってきませんでしたわ。
そうなんですよ、まあ、こんなぐあいにして、ストリックランドさんは世帯を持ったんですね」
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五十二
それからの三年間は、ストリックランドの生涯で最良の時だったように思う。アタの家というのは、島をめぐっている道路から八キロばかりはいったところに立っていた。生《お》い茂った熱帯植物の中をくねくねと曲がってっいている田舎道をたどってゆくとアタの家に出るのだ。そこは白木の材木で作ったバンガロー風の家で、こじんまりした部屋が二つあり、外側には小さい掘立小屋があって、それが台所になっていた。家具といっても、ベッド代わりのこざと、揺り椅子がひとつヴェランダに置いてあるきりだった。家のすぐそばに、バナナの木が逆境を嘆く女帝の見るかげもない式服を思わせるように、破れた大きな葉をひろげて生えていた。真うしろには、アボカドの実をつけた木が一本あった。周囲にはココヤシの林があり、それがこの土地の財源になっていた。アタの父親が地所の周囲にハズ〔南アジア原産のウルシ科の果樹で、その果実は美味〕の木を植えておいたので、それが目をあざむくような絢爛《けんらん》たる色を見せ、燃えたつような炎《ほのお》が屋敷をとりまいていた。マンゴーが一本、家の前に生え、開墾した土地のはずれには、双生樹のフランボヤン〔みごとな深紅の花を咲かせ、「ローヤルポインチアナ」とも呼ばれる〕が茂っていて、ヤシの実の黄金色に挑《いど》みかかるように深紅の花を咲かせていた。
ここにストリックランドは住み、その土地にできるものを食べ、めったにパペエテに出かけてくることもなかった。ちょっと離れたところに小川が流れていたが、そこで彼は水を浴びた。ときおり、魚が群れをなしてそこにやってくることがあった。そんなときに、現地人たちは|やす《ヽヽ》を持って集まり、さかんに叫び声をたてながら、海にむかってあわてふためいて下っていく大魚を突きさした。ときどき珊瑚礁に出かけていったストリックランドが、美しい色の小魚や伊勢エビを|びく《ヽヽ》一杯とって帰ることもあった。アタはそれをヤシ油で揚げて料理した。ときには、アタ白身が、ちょこちょこと足もとを走って逃げる岡ガニの大きなのをつかまえて、おいしい料理をつくることもあった。山には野生のオレンジが生えていた。アタはときたま、村からきた二、三人の女たちとつれだって出かけてゆき、緑色の、甘い、香りのいい実をたくさん取ってくることもあった。それから、ココヤシの実がちょうど食べころに熟《う》れてくると、彼女の従兄弟《いとこ》たちは群がって樹によじ登り、大きな熟したヤシの実を下へ投げ落とした。彼らは落とした実を割ると、天日にあてて乾燥させた。それからコプラを切りとり、袋に詰めて、それを女たちが礁湖《ラグーン》のそばの村にいる商人のところまで運んでゆくのだった。商人はコプラと引きかえに、米、石鹸《せっけん》、罐詰《かんづ》め肉、それに現金を少しばかり女たちに渡すのである。ときには、近所で酒宴《さかもり》がひらかれることもあったが、そんな折りには豚が殺された。そのようなとき、みんなはそこへ出かけてゆき、たらふく食べたり、踊ったり、賛美歌をうたったりするのだった。
だが、アタの家は村から遠く離れたところにあった。タヒチ島の住民は怠けもので、旅行は好きだし、おしゃべりも好きだが、歩くのはきらいである。そんなわけで、何週間もぶっつづけて、ストリックランドとアタは二人だけの生活を送るのだった。彼は絵を描き、本を読み、夕方、暗くなると、二人いっしょにヴェランダに出て腰をおろし、タバコをふかし、夜空を眺めてくつろいだ。そのうちアタに赤ん坊ができたが、お産の間、手伝いにきていた老婆がそのまま居すわった。やがて、その婆さんの孫娘がやってきて住みこみ、それから一人の青年があらわれ――彼がどこからやってきて、だれの身内なのか、だれにもよくわからなかったが――のんびりそのまま腰をすえてしまい、みんなそろって暮らすようになった。
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五十三
「ほら、カピテンヌ〔フランス語で「船長」の意〕・ブリュノがいますわ」ある日、ティアレがいった。そのころ、私は彼女がストリックランドについて話してくれた事がらを整理しているところだった。「あの人はストリックランドさんをよく知ってたのよ。彼の家まで訪ねていったこともあるし」
見ると、そこに中年のフランス人が立っていた。りっぱな灰色まじりの黒い顎ひげ、日焼けした顔、それにきらきら光る大きな目をした男で、こざっぱりしたズックの服を着ていた。私もこの男には昼食のとき気がついていた。シナ人ボーイのアー・リンの話だと、その日入港した船でバヌアツ群島からやってきたらしい。ティアレは私を彼に引き合わせた。彼は名刺をくれたが、それは大きな名刺で、ルネ・ブリュノとあり、その下に、「ロン・クール」号|船長《カピテンヌ》と印刷してあった。私たちは台所の外側の小さなヴェランダに腰かけていたが、ティアレは、自分のところの娘のひとりに着せるドレスの裁断をしていた。船長も私たちといっしょにそこに腰をおろした。
「ええ、わたしはストリックランドをよく知っていましたよ」と彼は話しはじめた。「わたしはチェスが大好きでしてね。それにあの男も、さあ一局というと、いつもうれしそうな顔をしたもんですよ。仕事の関係で、このタヒチヘは年に三度か四度来るんですが、あの男もパペエテにいると、ここへやってきましてね、よく盤を囲んだもんですよ。彼が結婚したとき」――そこで、ブリュノ船長は肩をびくりとすくめて笑った――「|とうとうね《アンファン》、奴さんがティアレの世話した娘といっしょに暮らすことになったとき、わたしにも会いにきてくれといいましてね。婚礼の宴席にはわたしも招《よ》ばれましたよ」彼がティアレのほうを見やると、二人はたのしそうに笑った。
「その後、あの男はパペエテにはあまり来なくなりましてね。それから、かれこれ一年も過ぎたころ、わたしはなんの用事だったか忘れましたが、ともかく奴さんの住んでるほうへ出かけることになったんですよ。で、用事が終わって、ふと、こう考えたんです――『|はて《ヴァイヨン》、ここまで来ていながら、あのストリックランドめに会わないってのもおかしなことだわい』一、二の現地人に彼の消息を知ってるかどうかきいてみると、ちょうどわたしのいたところがら五キロと離れていないところに住んでることがわかりましてね。そこで、わたしは訪ねていきましたよ。あのとき受けた印象は、ちょっと忘れられんですな。わたしの今住んでるのは、環礁《アトル》の上で、低い島なんですが、そこは礁湖《ラグーン》をとりまいている細長い土地で、きれいなものといえば、みごとな海と空、多彩な礁湖の美しさ、優雅なココヤシの樹の姿などですな。ところが、ストリックランドのいる場所の美しさといいましたら、エデンの園〔人類の祖先アダムとイヴが住んだ楽園〕さながらなんですよ。いやあ、まったくあなたに、あの身も心も奪われるような美しさをお見せできたらと思いますね――完全に浮世を離れた場所で、頭上には青空がひろがり、青々とした樹木が生い茂って、ほんとうに色彩の饗宴《きょうえん》のようでしたよ。それになんともいえない香りが漂い、ひんやりとしているんですね。あの楽園のすばらしさはとても言葉ではお伝えできませんな。そんな場所に、彼は浮世にかかずらわず、世間からも忘れられて、暮らしていたんですよ。ヨーロッパ人の眼で見ると、首をかしげなければならんほど不潔に見えたかもしれません。その家は荒れるにまかせ、けっしてきれいなもんではありませんでしたね。そばへ行ってみると、三、四人の現地人がヴェランダに寝そべっていました。ご承知のように、彼らはすぐ寄り集まりたがるもんでしてね。若い男がひとり、ながながと横になって、タバコをふかしてましたっけ。その男の身につけてるものといえば、パレオ一枚きりでしたよ」
パレオというのは、細長い|あら《ヽヽ》木綿の布で、色は赤か青、それに白い押し型模様がついている。腰のまわりにまとい、裾《すそ》は膝のところまで垂れさがる。
「十五ぐらいの小娘がひとり、パンダナス〔タコノ木〕の葉を編んで帽子を作っていたし、婆さんがひとり、しゃがんでパイプを吹かしてましたよ。それからアタが目にはいりました。彼女は新しく生まれた赤ん坊に乳をふくませており、その足もとでは、まっ裸のもう一人の幼児が遊んでましてね。彼女はわたしの姿を見ると、ストリックランドを大声で呼んだんですよ。すると、彼が戸口のところへ出てきました。彼もパレオ以外には何も着けていませんでしたね。まったく奇態なかっこうで、れいの赤い顎《あご》ひげと、くしゃくしゃの髪、それに毛むくじゃらの胸ときている。足は角《つの》のように硬《かた》くなり、傷痕《きずあと》だらけでした。いつも素足で歩いていたにちがいありませんな。すっかり現地人になりきったという姿でしたね。わたしを見てうれしそうな顔をし、夕食にひな鶏を一羽つぶすようにアタにいいつけていました。彼はわたしを家の中へ招じ入れ、ちょうど制作中の絵を見せてくれました。部屋の隅にベッドが置いてあり、中央には、カンヴァスをのせた画架《がか》が置いてありました。以前、わたしは気のどくに思って、奴さんの絵を二枚ばかりわずかな値段で買いとったことがありました。また、フランスの友だちにも何枚か送ってやったこともありますよ。買ったのは同情心からでしたが、部屋に飾って眺めているうちに、気に入ってきましてね。実際、彼の絵にはふしぎな美しさのあることに気がつきましたよ。みんなはわたしの頭がおかしいだなんていいましたが、いまになってみれば、わたしの目に狂いはなかったんですね。このあたりの島では、わたしが彼の最初の崇拝者だったってわけですな」
彼は意地悪そうにティアレのほうを見やった。すると彼女は、ストリックランドの遺品が売りに出されたとき、絵には全然手を出さず、アメリカ製のストーヴを二十七フランで買いとったときの話を、悔《くや》むような面持ちで語りだした。
「まだその絵をお持ちですか?」と私はきいてみた。
「ええ、娘が年ごろになるまで手離さんつもりなんです。適齢期になったら、売りに出しますよ。持参金になりますからな」
それから、彼はストリックランドを訪れたときの話をつづけた。
「あの晩のことは一生忘れませんな。初めは、小一時間で帰るつもりだったんですが、彼がぜひとも泊まっていけというもんでね。わたしはためらっていたんです。じつのところ、この上で寝てくれといって奴さんが出してくれた|ござ《ヽヽ》を見て、あんまりいい気持ちがしなかったもんですからね。でも、けっきょく、肩をすくめただけで承知しましたよ。わたしもバヌアツに家を建てたときには屋外のもっと固いベッドの上に何週間も寝たもんです――茂った潅木を屋根がわりにしましてね。毒虫の心配なんかなかったですよ。なにしろ、わたしの皮膚は硬《かた》くて、虫なんかじゃ手|応《ごた》えがありませんからな。
わたしたちは、アタが夕食の準備をしてる間に、小川まで出かけて、水を浴びてきました。食事のあと、みんなでヴェランダにすわりました。そこで、タバコをすったり、おしゃべりをしたりしたんです。れいの若い男は手風琴《コンサティーナ》を持っていて、十年もまえにミュージック・ホールではやった曲を弾《ひ》いてきかせてくれましたよ。文明から数千マイルも隔たった熱帯の奥地できくその調べは、ふしぎな響きを残して暗い夜の中へ消えていきました。こんなひどいところに暮らしていて倦怠《けんたい》を感じないかね、とわたしはストリックランドにきいてみたもんです。彼は頭を横に振って、自分のモデルが手近にあるのが何よりだ、と答えましたよ。そのうちに、現地人たちは大きなあくびをして、寝に行き、ストリックランドとわたしだけになりました。あの晩のジーンと胸に迫ってくるような静寂といったら、とても口では説明できませんな。バヌアツ群島のわたしの島では、あそこのような文字通りの静寂さなんか、夜になっても、とても味わえませんやね。浜では無数の動物がうごきまわるような音がする。まあ、小さな貝類が一つ残らず集まって、たえまなく、ガサゴソとはいまわるようなざわめきですよ。それに、あの岡ガニのあわただしく走りまわる音。礁湖《ラグーン》では、ときたま魚のはねる音が聞こえ、また、ときには茶色のサメがあわてふためいて逃げまわる小魚を追うときのあわただしい水しぶきの音もしましてね。それに、時の流れのようにたえまなく、珊瑚礁に押し寄せる波のにぶいとどろき、ときています。ところが、あそこでは、まったく音なんてないんですよ。空気は白い夜の花のような香気を漂わせているんです。その夜の美しさといったら、まるで自分の魂が肉体の牢獄《ろうごく》から脱け出していくような思いでしたね。限りなく広がる天空に漂い出るような、そして、死でさえもいとしい友と感じるような気持ちになるんですな」
ティアレは、フッとため息をついた。
「ああ、ほんとにもういちど、十五の乙女になりたいもんね!」そのとき、彼女は台所のテーブルの上に置いてあった車エビの皿をねらっている猫に気がついた。彼女はあざやかな手つきで、飛んで逃げる猫の尻尾《しっぽ》に本を投げつけ、激しい悪罵《あくば》を浴びせかけた。
「『アタとの暮らしはしあわせかね?』とわたしは彼に尋ねました。
『あれはわしをそっとしといてくれるからね』と彼は答えましたよ。『あれはわしの食事をこしらえ、赤ん坊の守りをしてな。わしのいいつけたことはなんでもしてくれるんだ。あれはわしが女に求めてるもんを残らずあたえてくれてるよ』
『で、あんたはヨーロッパのことに心のこりはないのかね? パリやロンドンの巷《ちまた》の灯や、友人や同輩たちとの交際は|どうかね《ク・セ・ジュ》? 劇場とか新聞とか、それに小石を敷きつめた舗道を通る乗合馬車のあのガラガラいう音、そんなものが恋しくなることはないのかい?』
長い間、彼は黙っていました。それから、こういいましたよ――
『わしは死ぬまでここにいるよ』ってね。
『あんたはそういうけど、退屈したり、寂しくなったりすることはないのかね?』とわたしはききました。
彼はクックッと笑いましてね。
『|ねえ、きみ《モン・ボープル・アミ》』と彼はいいました。『どうもきみには芸術家の心がどんなもんかわかってないな』」
ブリュノ船長は私のほうを向いて、静かに笑った。彼の黒い、優しい目には、ふしぎな表情が浮かんでいた。
「彼の言葉はあたっていませんな。わたしだって、夢を持つことがどんなことだか知ってるつもりですよ。わたしにだって幻があります。わたしもわたしなりに芸術家なんですからね」
私たちはしばらく黙っていた。すると、ティアレがたっぷりしたポケットから、巻きタバコをひとつかみ取り出した。彼女はそれを一本ずつみんなに配り、私たち三人は紫煙をくゆらした。やがて彼女が口をきった――
「|この方《ス・ムシュ》はストリックランドさんのことを知りたがっていらっしゃるんだから、どう、クートラ先生のところへお連れしたら? 先生なら、あの人の病気や死んだときのことを知っているわよ」
「|ああ、いいですとも《ヴォ・ロンティエ》」と船長は、私のほうに目を向けながら答えた。
それはどうも、と私が礼を述べると、彼は腕の時計を見た。
「六時をまわったところです。もしよろしければ、いますぐ出かければ先生に会えますがね」
私はすぐに立ちあがり、私たちは博士の家へ行く道を歩いていった。博士は郊外に住んでいたが、オテル・ド・ラ・フリュールは街のはずれにあったので、私たちはほどなく田舎道へ出た。その広い道はコショウの木立ちの間を通っていて、両側には、ココヤシやヴァニラの栽培園がひろがっていた。海賊鳥《パイレット・バード》の鋭い鳴き声が茂ったシュロの葉の間にひびいていた。私たちは浅い川にかかった石造りの橋のところまでくると、しばらく足をとめ、現地人の子供たちが水浴びをしているのを眺めていた。彼らはかん高い叫びをあげ、笑いさわぎながら、おたがいに追っかけ合っていたが、褐色のぬれた体が陽光を受けて光っていた。
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五十四
私は歩きながら、最近ストリックランドについて聞いた話から、いやでも頭に浮かんでくる、ある一つの事情のことを考えていた。故国で、彼は人びとから嫌悪《けんお》されていたのであるが、ここ離れ小島では、それどころか、かえって同情を浴びているようであった。彼の奇行にたいしても島の人たちは寛大であった。現地人にしろ、ヨーロッパ人にしろ、ここにいる人たちにとって、彼は一人の変人にすぎないのだった。そして彼らはべつに彼をふしぎとも思わなかった。世間には、奇態《きたい》なことをする奇態な人間がいくらでもいるものだ。人間は自分がなりたいと思うものになるのではなく、運命が必然的につくるものになるほかはない、と彼らはたぶん思っていたのかもしれない。イギリスやフランスにおいて、彼は丸い穴の中の四角い釘《くぎ》のようなものだった。だが、ここでは、どんな形の穴でもあって、どんな種類の釘でもまったく合わないなどという心配はなかった。べつに彼がここへ来てから、おとなしくなったとも、利己的でなくなったとも、残忍性が少なくなったとも思わない。ただ、彼にとって環境が都合よくなっただけのことである。彼もこのような環境の中で一生を送っていれば、とくに変人扱いされずにすんだかもしれない。実際、ここで、彼は故国では思いもかけなかったし、望みもしなかったものをあたえられたのである――それは人びとの同情であった。
そんなことを考えて、私はとてもふしぎな気持ちがし、その驚きをいくぶんでもブリュノ船長に伝えたいものと思った。しばらく彼は返事をしないで黙っていた。
「けっきょく、わたしがあの男に同情を寄せたというのも、考えてみれば、あたりまえの話なんですな」と、彼はようやく口を開いた、「どっちも気づかずにいたのかもしれませんが、わたしたち二人は同じものを求めていたんですよ」
「あなたとストリックランドのように、まるっきり似ても似つかぬ二人が求めていた同じものとは、いったいなんですかね?」と私は笑いながらきいた。
「美ですよ」
「そりゃまた、大きく出ましたね」と私はつぶやくようにいった。
「恋にとりつかれた人間が、それ以外の浮世のことには耳も目もかさないという気持ちがおわかりですか? ガレー船の座席に鎖でつながれた奴隷たちみたいに、そんな人たちの心は自分ではどうしようもなくなってしまうんですよ。ストリックランドの心をかたくとらえた熱情もそんな恋心におとらず、暴君のような力を持っていたんですな」
「あなたからそうおっしゃられてみると、ずいぶんふしぎな気がしますよ!」と私は彼の話を受けた。「じつは、わたしもずっと以前に、あの男は悪魔にでもとりつかれているんじゃないかと考えたことがありましてね」
「しかも、ストリックランドをとらえた熱情というのは、美を創造しようという熱情だったんですよ。その情熱は彼の心を右へ左へとせきたてて、いっときも休みをあたえなかったんですね。神聖なノスタルジアにとりつかれ、永遠の巡礼になったんです。彼の体内に巣くった悪鬼ときたら無慈悲そのものだった。世間には、真を求めるあまり、それをつかむためには、自分たちの立っている土台をさえめちゃめちゃにしてかえりみない人間がいるもんです。ストリックランドもそのひとりでしたが、彼の場合には、真のかわりに美を求めたということだけがちがうんですよ。まったく、あの男には心から同感しないではいられませんでしたね」
「おや、そのお話もまたふしぎですな。じつは、彼にとてもひどい目にあわされた男がいましたがね、その男のいうことには、自分は彼にひどく同情している、とこうなんですよ」私はちょっと口を閉じた。「いったいあなたは、わたしにとって長い間どうにも納得《なっとく》のいかないように思われた一つの性格の説明を、そこに見出したんでしょうかね? なんでまた、そんなお考えを?」
彼は笑いながら、私のほうに向き直った。
「わたしもまた、わたしなりの芸術家だってこと、さっきお話しませんでしたかな? わたしも、あの男の熱情を燃えたたせていたのと同じような欲求を、自分の心にはっきり感じていたんですよ。もっとも、その媒体《ばいたい》みたいなものが、彼の場合には絵具だったんですが、わたしにとっては、生活だっただけなんですな」
それから、カピテンヌ・ブリュノは私にある話をしてくれたが、その話はぜひこの機会に書いておかなくてはなるまい。つまり、それはたんに対照ということだけでも、ストリックランドにたいする私の印象になにかをつけ足してくれるものであるし、私にとっては、それ自体が美しいものを持っていると思われるからである。
カピテンヌ・ブリュノはブルターニュの人間だったが、フランス海軍に勤務していたことがある。結婚すると海軍をやめ、キンペ〔ブルターニュ半島西南部の町〕の付近のちょっとした地所に落ち着いた。そこで余生を静かに送るつもりだったのである。ところが、ある弁護士の不手際《ふてぎわ》がもとで、とつぜん彼は一文なしになってしまった。それまでみんなから一目《いちもく》おかれるような生活をしてきた土地で、貧乏世帯の赤恥をさらすのは、彼にとってもその細君にとってもつらいことであった。そこで、海軍時代に南海方面を巡航した経験から、こんどはそこへ出かけて、自分の運命を開拓する気になった。彼はパペエテに何か月か住んで、いろいろと計画をねり、新しい生活の経験をつんだ。それから、フランスのある友人に借りた金で、バヌアツ群島の一つの島を手にいれた。そこは深い礁湖《ラグーン》をとりまいた環状の無人島で、雑木と野生のバンジロウ〔熱帯アメリカ産テンニン科の植物〕が生い茂っているだけの島だった。ものを恐れぬ気性の細君と何人かの現地人を連れて、彼はその島へ乗りこみ、家造りにとりかかり、ココヤシの林にするつもりで雑木林の開拓をはじめた。それはもう二十年も昔の話で、そのときは不毛の島だったものが、いまでは庭園のように変わっていた。
「最初は、つらい、気苦労の多い仕事でしたが、わたしたちは汗水たらして働きましたよ、わたしと家内とでね。毎日、夜明けにとび起きて、林をきりひらき、ココヤシを植え、家造りに精を出し、日が暮れて、ベッドの上に体を投げだすように横たわると、そのまま朝まで、丸太ん棒のようにぐっすり眠りこけたもんでした。家内もわたしに負けずに働きましたよ。それから、子供たちが生まれてきましてね、初めは男の子で、二番目が女の子でした。家内とわたしが子供たちの先生になって、知ってることをすべて教えてやりました。フランスからピアノを一台送らせて、家内が二人の子供にピアノを教え、英語を話すことを教えました。わたしはラテン語と数学を担当し、それから、歴史をいっしょになって勉強したもんです。子供たちには帆をあやつることもできますし、泳ぎも現地人と同じくらい上手にできますよ。島のことで、あの子たちの知らないものはひとつもありません。わたしたちの植えた木はすくすくと育つし、珊瑚礁には貝類もいます。こんどタヒチに出てきたのは、スクーナー船を一|艘《そう》買うためなんですよ。貝類でもけっこう採算がとれますし、そのうち、真珠がとれないとも限りませんからね。なんにもないところに、わたしはこれだけのものをつくり出してきたんです。それにまた、美も生み出したってわけですよ。ああ、あの高く伸びた、生きいきした林の眺め、しかも、その一本一本を、この自分が植えたんだと思うときの気持ちは、とてもあなたにはわかりますまいな」
「じゃあ、あなたがストリックランドにした質問をわたしにもさせてください。あなたはフランスのことやブルターニュの昔の家のことなどに少しも心のこりがありませんか?」
「いつか、娘が嫁《とつ》ぎ、息子が世帯を持って、この島にわたしのかわりができるようになったら、わたしたちは国へ帰って、わたしの生まれた昔の家で余生を送りたいと思っていますよ」
「そのあかつきには、きっと楽しかったここの生活を思い出されることでしょうな」
「そりゃ、あなた、|もちろん《エヴィドマン》、わたしの島には刺激もないし、わたしたちはとてつもない世界のさい果てにいるわけですよ――考えてもごらんなさい、このタヒチに出てくるのにさえ、四日もかかるんですからね――でも、わたしたちは島で十分楽しい生活を送っています。ひとつの仕事に心を注いで、それをやりとげる喜びなんて、そうめったに味わえるもんじゃありませんからね。わたしたちの生活は質素で邪気のないもんですよ。よけいな野心などにわずらわされることもなく、わたしたちの誇りといえば、自分の手でなしとげた仕事を考えることだけなんですからね。人の悪意に悩まされることもなければ、他人を妬《ねた》むことだってありませんや。|ほんとに《モン・シェル》、|あなた《ムシュ》、よく人が口にする労働の喜びなんて無意味な言葉ですよ。だが、このわたしには、その意味がとてもよくわかるんですね。わたしは恵まれた男ですな」
「たしかに、そうですとも」と私はにっこりしながらいった。
「わたしもそう考えたいもんだと思いますね。はたしてこのわたしが、申し分のない友であり、協力者でもあった、そしてまた、完全な主婦であり、完全な母親でもあった家内にたいして、恥ずかしくない人間であったかどうか?」
こういうカピテンヌの言葉から想像される生活について、私はいっとき思いをめぐらせていた。
「あなたがたのような生活を送り、それをいまのお話のように、りっぱに開花させるのには、たしかにあなたも奥さんも、強靱《きょうじん》な意志と、しっかりした性格を持たなければならなかったわけですよ」
「たぶんそうでしょうな。だが、もうひとつ、ぜひとも必要なことがありましたよ――それがなければなにもできないというような」
「と、いわれると?」
彼は思い入れよろしくといったふうに、足をとめて片腕を伸ばした。
「信仰です。神を信じることです。信仰がなかったら、わたしたちも途中で挫折《ざせつ》していたでしょうな」
そのとき、私たちはクートラ博士の玄関先に着いていた。
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五十五
クートラ博士は、見上げるような長身で、でっぷりと太った、老齢のフランス人であった。その体はまるで巨大なアヒルの卵のようなかっこうだった。人柄のよさを思わせる、鋭い碧眼《へきがん》で、ときたま、いかにも満足そうに、おそろしく出張った自分の腹の上に視線をおとしていた。血色のいい顔色で、白髪だった。彼は、相手がすぐにとけこめるような性格の人間だった。私たちを招じいれてくれた部屋は、フランスの田舎町の家にでも見かけるようなところで、飾られたポリネシア人の民芸品がひとつふたつ、ふしぎな趣きをたたえていた。彼は私の手を両手でつかみ――じつに大きな手だったが――心の暖まるような視線で私を見つめた。その目には鋭さがきらりと光っていた。彼はカピテンヌ・ブリュノと握手しながら、|奥さまやお子様たち《マダム・エ・レ・ザンファン》はいかがですか、とていねいな言葉できいていた。しばらく、挨拶やら島のうわさ話やら、コプラやヴァニラの収穫高の予想やらの話がつづいたのち、私はこの日訪れた用件を切り出した。
私はクートラ博士の話をそのまま伝えるより、私自身の言葉で述べるつもりだ。そのままの受け売り話では、とうてい博士の、あの生気あふれた話しぶりを正確に伝えることが無理だと思うからである。博士の声は、その巨大な体躯《たいく》にふさわしく、太くて低く、よくひびく声であった。それに劇的効果についても鋭い感覚を持っていた。彼の話をきいていると、よくいわれるように、まるで芝居でも観ているようだった。いや、そんじょそこらの芝居などよりはるかにましだった。
ある日、クートラ博士は、病気の老女|酋長《しゅうちょう》を診察するため、タラヴァオまで出かけていったらしい。バカでかいベッドに伏し、巻きタバコをすいながら、たくさんの色の黒い部下たちにとりまかれている、でっぷりした老酋長のようすを語る博士の話は、じつにあざやかなものだった。その老女に目通しされた博士は、別室へ案内され、食事を出された――生魚に、揚げたバナナ、それにひな鶏――|どうです《ク・セ・ジュ》、あなた、これが現地人《アンディジェヌ》たちの代表的なご馳走ですぜ――ところが、ご馳走になっているうち、博士の目に、戸口から追い払われて涙顔になっているひとりの娘の姿がとびこんできた。そのときは、気にもかけなかったが、帰りぎわに馬車に乗ろうとすると、すこし離れたところに、また、その娘が立っているのが目にとまった。彼女は悲しみにうちひしがれたようすで博士のほうを見ている。両頬には涙がいくすじも流れているのだ。そばにいた現地人に、あの娘はどうしたのかときいてみると、ある白人が病気で、博士に診察を乞いに山から下りてきたのだが、みんなから、先生は忙しくてだめだと断わられた、という。そこで、娘を呼び寄せた博士は、彼女の用向きを自分でたずねてみた。すると彼女は、自分はもとオテル・ド・ラ・フリュールにいたものだが、今日はアタの使いでやってきたこと、[赤ひげのだんな]が病気であることを告げた。彼女は博士の手の中に、くしゃくしゃになった新聞紙を突っこんだ。博士がそれをあけてみると、中から百フラン紙幣が一枚出てきた。
「[赤ひげのだんな]ってだれのことだね?」とそばにいた現地人のひとりに、博士はきいてみた。
現地人の話によると、絵|描《か》きのイギリス人を彼らはそう呼んでいるそうで、そこから七キロ奥の山合いに、アタといっしょに住んでいる男だった。話の模様から、それがストリックランドであることがわかったのだが、そこまで馬車ははいれないし、博士にはとうてい歩いてなどいけない。それで、現地人たちはその娘を追い返した、というのであった。
「まったくの話」と博士は私のほうに向きなおりながらいった、「わしもためらいましたよ。歩きにくい山道を往復十四キロもなんて、あんまりゾッとしませんしな。それに、出かけるとすれば、その晩はとてもパペエテヘもどることができませんしね。そのうえ、ストリックランドという男は、わしにいい感じをもっていませんでしたからさ。あの男は怠け者の、役に立たないならず者で、わしたちのように、生活のためにせっせと働くより、現地人の女といっしょに暮らしていたいという奴でしたよ。|いや、まったく《モン・デュー》、あの男の天才がいつか世間に認められる日がくるなんて、神ならぬ身の悲しさで、わしなんかにわかろうはずがないじゃありませんか。わしはその娘に、だんなはわしんところまで米られないほど悪いのか、また、だんなはどこが悪いのか、とたずねました。ところが、その娘は答えようともしないんですよ。わしは、なぜ答えないのかときつく娘にいいました。おそらくあのときは、腹も立っていたんでしょうな。それでも、娘は黙って地面を見つめ、それからワッと泣き出しましてね。しょうがない、とわしは肩をすくめました。行って診《み》てやるのが医者の務めかもしれん。そう考えて、じゃ、案内しろ、と不機嫌な調子で娘にいいました」
先方へ着いたときにも、博士の機嫌はすこしも直っていなかった。汗はだくだく流れるし、喉《のど》はからからだった。アタが博士の到着を待ちうけていて、途中まで少し迎えに出ていたのである。
「病人を見るより先に、なにか飲み物をくれ。喉が乾いて死にそうだ」と博士は大声でいった。
「|たのむから《プール・ラ・ムール・ド・デュー》、ココヤシの実をとってきてくれ」
アタが大声で呼ぶと、男の子がひとりかけ出してきた。少年は木によじ登って、まもなく、熟れた実をひとつ投げ落とした。アタがそれに穴をあけると、博士はゴクゴクとうまそうにそれを飲んだ。それから、タバコを自分で一本巻いて口にくわえ、やっと博士はすこし落ちついた気分になった。
「ところで、[赤ひげのだんな]はどこにいるのかね?」と博士がきいた。
「家の中で絵を描いています。先生をお呼びしたこと、あの人には黙っていました。どうか中へおはいりになって、診《み》てやってください」
「だが、だんなはどこが悪いのかい? 絵が描けるくらいなら、自分でタラヴァオまで下りてこられそうなもんじゃないかな。わしにさんざんひどい山道を歩かせたりしないでさ。わしだって、だんなに負けぬくらい忙しい体なんだからね」
アタはなんとも答えず、少年といっしょに博士について家の中へはいった。博士を案内してきた娘は、もうヴェランダに腰をおろしていたが、ここにはもうひとり老女が壁に背を向け、巻きタバコを作りながら、寝そべっていた。アタはドアを指さした。博士はみんなのようすがおかしいのをいらだたしく思いながら中にはいった。部屋の中では、ストリックランドがパレットをこそいでいた。画架には絵が一枚かかっていた。ストリックランドは腰にパレオをまとっただけの半裸の姿で、ドアのほうに背を向けて立っていたが、靴の音を耳にすると、くるりとふり向き、博士にむっとした表情を見せた。彼は博士に虚をつかれたのと、断わりなしにはいってきたことに腹を立てたのだ。だが、中にはいった博士はハッと息をのみ、床の上に釘《くぎ》づけにされ、目を皿のようにして彼を見つめた。こんなこととは予期していなかったのだ。博士は戦慄《せんりつ》のとりこになったのである。
「勝手にはいってきたな」とストリックランドはいった。「なんの用だね?」
博士は気をとりなおしたが、声が喉にひっかかって、なかなか言葉にならなかった。先刻までの腹立たしさは消え失せ、そして博士は――|まったく《エー・ビヤン》、|あなた《ウイ》、|ほんとうなんです《ジュ・ヌ・ル・ニ・パ》――おさえきれない同情の念がこみ上げてくるのを感じた。
「わしは医者のクートラだ。ちょうど女酋長の診察にタラヴァオまでやってきたところへ、きみを診《み》てもらいたいといって、アタが使いの者をよこしたんだよ」
「あいつはいらんことをする阿呆《あほう》者だよ。このころ、あちこちが痛んだり、うずいたりするし、熱も少しはあるが、たいしたことはない、すぐ直っちまうんだ。こんど、だれかがパペエテに出た折りに、キニーネ〔マラリアの特効薬〕でも買ってこさせようと、わしは思っていたんだよ」
「まあ、鏡で自分の姿を見てみたまえ」
ストリックランドは博士のほうをちらっと見やって、にやりと笑い、壁に掛けてある、木の枠《わく》にはいった、小さな、安っぽい鏡の前まで行った。
「どうだっていうんだい?」
「顔におかしな症状の出てるのがわからんのかね? 顔全体が厚ぼったくなってるよ――なんといったらいいか――医者は[ライオンの顔]と呼んでるのだが――それがわからんのかね?|ねえ、きみ《モン・ボーヴル・アミ》、きみがおそろしい病気にかかってることを、わしの口からいわなきゃならんのかい?」
「なに、わしがかい?」
「鏡に映った顔を見れば、典型的な|らい《ヽヽ》病患者だってことわかるだろう」
「からかっとるんだよ、あんたは」とストリックランド。
「わしもそうであってほしいと思うよ」
「あんたはわしが|らい《ヽヽ》病にかかってるというのかね?」
「残念ながら、疑いの余地はないよ」
クートラ博士はそれまでにも多くの人間に死の宣告をしてきた。そんなとき、ゾッとするような悪寒《おかん》がからだ全体にひろがるのを、博士はどうすることもできなかった。死の宣告を受けた病人が、正常で、健康で、はかり知れない生の喜びを味わっている医者とわが身をひきくらべたとき、きっと感じるにちがいない激しい憎しみの情について、博士はしじゅう考えていた。ストリックランドは黙ったまま、博士をじっと見ていた。呪《のろ》わしい病いにおかされ、すでに変容した彼の顔には、なんの感情の動きも見られなかった。
「みんな知ってるのかね?」と、ようやく口を開いた彼は、そのときには、なんとも説明のつかないくらい、異様に、しんと黙りこくって、ヴェランダにすわっていた現地人たちを指さしながらいった。
「この連中はこの病気のことをよく知ってるんだよ」と博士は答えた。「それをきみに知らせるのをおそれていただけなんだね」
ストリックランドはドアのところまで歩いてゆき、それから外を見た。彼の顔には、なにか身の毛のよだつような兆《きざ》しがあらわれていたにちがいない。現地人たちはとつぜん、大声で泣きはじめ、おうおうと悲しい声を立てた。彼らはますます声を大きくして嘆き悲しんだ。ストリックランドは何もいわなかった。しばらく彼らのようすを眺めていたのち、部屋の中に戻ってきた。
「わしはあとどのくらい生きられるかな?」
「そんなこと、だれにわかるかね? ときには、二十年もつづくことだってあるよ。だが、病状が早く進めばすすむほど、さいわいっていうところだろうな」
ストリックランドは画架《がか》のまえへ行き、それに載せてあった絵をじっと考えこむように見つめていた。
「あんたは長い道程《みちのり》を歩いてきてくれた。大事な知らせをもってきてくれた人には、お礼をするのが当然だよ。この絵を持ってってくれ。この絵はあんたにとって、いまはつまらんもんだが、いつかそのうち、持っていてよかったという時がくるかもしれんからな」
クートラ博士はべつに往診の謝礼などはいらない、といった。れいの百フラン紙幣も、さっきアタに返していたのである。だが、ストリックランドは、ぜひその絵を持っていってくれとくり返した。そのあとで、二人はいっしょにヴェランダへ出た。現地人たちは身も世もないようにすすり泣いていた。
「おい、落ちつくんだ。涙をふかないか」とストリックランドはアタに向かっていった。「大した危険はないよ。わしはもうすぐ別れてやるからな」
「あなたを連れていくのじゃないでしょうね?」と彼女は声に力をいれていった。
その当時、そのあたりの島では、まだ隔離などということが厳重に行なわれていなかった。|らい《ヽヽ》病患者も、自分の意志次第で行動の自由が許されていた。
「わしは山へのぼるよ」とストリックランド。
すると、アタは立ち上がって、彼のほうに面と向かった。
「ほかの人はみんな好きなようにさせてやってください。でも、あたしはあなたから離れません。あなたはあたしの夫、あたしはあなたの妻です。あなたがあたしと別れたら、あたしは家の裏の木で首をつって死んでしまいます。神さまにそれをお誓いします」
彼女の語調には、なにかすさまじい激しさがあった。もはや彼女は温和で優しい現地人の娘ではなく、断固としたひとりの女であった。おどろくほど彼女は変わっていたのだ。
「どうしておまえがわしといっしょに住むことなんかあるかね? パペエテに戻ればいい。また、別の白人がすぐ見つかるよ。あの婆さんが子供たちの世話はしてくれるしさ。それにおまえが帰れば、ティアレの奴も喜ぶじゃないか」
「あなたはあたしのもの、あたしはあなたのものです。あなたの行くところならどこへでも、あたしはいつしょについて行きますわ」
一瞬、ストリックランドの固い決心がゆるんだ。両眼から涙がぽとりと落ちて、静かに頬を伝って流れた。それから彼は、れいの調子で皮肉な微笑を浮かべた。
「女ってものは、ふしぎな、かわいい動物だね」と彼はクートラ博士にいった。「犬のようにてひどく扱われ、腕が痛くなるまで殴《なぐ》られても、やっぱり愛は変わらんのだよ」彼は肩をすくめた。「いうまでもないが、女に魂があるなんてのは、キリスト教が抱く、じつにバカげた錯覚のひとつにすぎんな」
「先生になにを話してますの?」とアタはいぶかしげにきいた。「まさかあなたは出て行くんじゃないでしょうね?」
「おまえがその気なら、わしはここに残るよ」
アタはパッと身を倒して彼の前にひざまずき、両腕でしっかりと彼の脚を抱いて接吻した。ストリックランドはかすかな笑いを見せながら、クートラ博士のほうを見やった。
「けっきょくは、女の勝ちになるんでね。つかまってしまえば、もう手も足も出んよ。色が白かろうが茶色だろうが、女なんてみんな同じだわい」
クートラ博士は、そんな恐ろしい病気の患者に、いまさら気のどくだなどというのも間抜けていると感じて、そのまま暇《いとま》を告げた。ストリックランドは、男の子のタネに、博士を村まで送りとどけるようにいいつけたのだった。クートラ博士はそこでちょっと口をつぐんだが、それから、私に向かってこう話し出した――
「わしはあの男が好きじゃありませんでした。まえにもお話したとおり、奴さんはわしにいい感じをもっていませんでしたからね。ところが、ゆっくりとタラヴァオまで下りてくる道々、おそらく人間の受ける苦しみの中でもっとも恐ろしいであろうあの病苦にじっとたえている勇気には、心ならずも感服せざるをえない気持ちになりましたな。タネと別れるとき、薬を送ってやるが、それを飲めば効くかもしれないよ、といってやりました。もっとも、ストリックランドがそれを飲んでくれるかどうかあやしいもんでしたし、たとえ飲んでくれたにしても、ほんの気休め程度だったかもしれませんがね。わしは、また呼びにくればいつでも行ってやるから、そうアタに伝えるようにと、その少年にいいきかせましたよ。人生ってものはきびしいもんですし、自然のほうはときたま自分の子供たちを痛めつけておいて、ほくそ笑むようなことをするもんですからね。わしはパペエテのわが家に帰ってくつろいでも、心は重苦しく沈んでいましたよ」
長い間、だれも口をきかなかった。
「ところが、アタはわしを呼びにきませんでしたね」と、ようやく博士は先をつづけた、「それにわしもそれっきりずっとその方面へ出かける機会がありませんでしてな。そんなわけで、ストリックランドの消息もわかりませんでしたよ。一、二度、アタが絵の材料を買いにパペエテまで出てきたと聞きましたが、わしはついぞ彼女に会いませんでした。それから二年以上もたったころですが、わしはふたたびタラヴァオへ出かけることになりましてな。そのときも、れいの老|酋長《しゅうちょう》に診察を乞われたからなんですよ。わしはストリックランドのことについて何か聞かないか、とみんなにたずねてみたんです。そのころにはもう、奴さんが|らい《ヽヽ》病にかかってることはだれでも知っていたんですよ。最初は、あの男の子のタネが家を出て、それからしばらくすると、老女とその孫娘が出ていったようです。ストリックランドとアタは、赤ん坊たちといっしょに後に残されました。もうだれひとりあの栽培園に近寄ろうとするものがいなくなりました。ご存知のように、現地人たちもあの病気には生々しい恐怖を抱いているんですね。むかしは、|らい《ヽヽ》病患者は見つかると殺されたもんですからな。しかし、ときたま、村の子供たちが山で遊びまわっていると、あの大きな赤い顎ひげを生やした白人がうろうろしている姿を見かけたそうですよ。子供たちは顔色を変えて逃げ出しました。ときおり、アタが夜中に村へ下りてきて、商人をたたき起こし、いろいろと生活に必要なものを買っていったそうですがね。彼女は、現地人たちがストリックランドと同じように、いっしょに暮らしている彼女までも恐れて避けているのを知っていたので、人々には出会わないようにしていたんですよ。あるとき、何人かの女たちが勇気を出して、栽培園にいつもより近づいてみると、彼女が小川で洗濯をしている姿が目にはいったので、女たちは彼女に石を投げつけたそうですな。その後、女たちは、彼女が二度と小川を使うようなことをしたら、男どもが出かけていって、彼女の家を焼いてやる、そう商人にことづけたんですよ」
「あさましい畜生どもだ」と私はいった。
「|いや、あなた、そうじゃない、(メ・ノン・モン・シェル・ムシュ)人間ってやつはそんなもんなんですよ。恐怖心が人間を残酷にするんですな。わしはストリックランドに会ってやろうと思いました。そこで、女酋長の診断をすますと、男の子に道案内をするよう頼みました。ところが、だれひとりいっしょに行こうといわないんですよ。そこで、わしはひとりで道をさがしていかなければなりませんでしたね」
栽培園にたどり着いたクートラ博士は、不安な思いに襲われた。山道を歩いてきたので、全身がほてっていたのだが、博士は思わずゾッと寒気がした。なにかしらとげとげしい空気が、博士の足をにぶらせたのである。目に見えない力が博士の行く手をさえぎっているように思われた。目に見えない手でうしろにひきもどされるようだった。だれもココヤシの実を取りにくる者がいないので、そのあたりには、腐りかけた実が地面に転がっていた。どこを見ても、荒れ果てていた。雑木が思いのままに生い茂り、あんなに苦労を重ねてきり開いた土地が、ふたたびうっそうたる原始林にもどってしまう日がやがて訪れるのではないかとさえ思われた。まるで苦悩の巣窟《そうくつ》だ、と博士は感じて、身震いした。家のそばへ近づいてみると、無気味なほど静まり返っていた。最初、博士は、だれも住んでいないのだろう、と思った。それから、アタの姿が目にはいった。台所に使っていた差し掛け小屋の中に彼女はしゃがみこんで、鍋《なべ》の煮物がグツグツ音をたてるのを見ていた。彼女のそばでは、小さな男の子がぽつねんと泥にまみれて遊んでいた。博士の姿を見ても、彼女はにこりともしなかった。
「ストリックランドに会いにきたんだが」と博士はいった。
「そう伝えてきますわ」
彼女は家のほうへ行き、ヴェランダにつづく、低い階段を上がって中へはいった。博士も彼女についてゆきかけたが、彼女がとめたので、外で待っていた。彼女がドアをあけたとき、|らい《ヽヽ》病患者の周囲につきまとう、あのいやな、甘ずっぱい臭いが博士の鼻をついた。アタの話し声が聞こえ、ストリックランドの返事が耳にはいった。だが、その声は変わりはてていた。しゃがれ声になり、何をいっているのかわからなかった。クートラ博士は眉をびくりとさせた。病魔がすでに彼の声帯まで侵したのだ、と博士は判断した。それから、アタが姿を見せた。
「あの人はお会いしないといっています。お帰りになってください」
クートラ博士はどうしても会いたいといいはったが、彼女は博士を中にいれようとしなかった。クートラ博士は肩をすくめ、ちょっと考えたのち、踵《きびす》を返した。彼女もいっしょに歩いてついてきた。博士は、彼女もまた自分が去ってくれることを望んでいるのだ、と感じた。
「わしのしてやれることはなんにもないのかね?」と博士はきいてみた。
「あの人に絵具を送ってやってください」と彼女はいった。「あの人に必要なのはそれだけなんですわ」
「まだ絵が描けるのかね?」
「いまは家の壁に描いていますわ」
「かわいそうに、あんたにゃひどい生活だな」
すると、はじめて彼女はにっこりした。彼女の両眼には、超人的な愛の光が宿っていた。クートラ博士はそれを見てハッと驚いた。畏敬《いけい》の念に打たれて、言葉が喉《のど》から出てこなかったのである、
「でも、あの人はあたしの夫です」と彼女はいった。
「もうひとりの子供さんはどうしたのかね?」と博士はたずねた。「この前来たときには、二人いたようだったが」
「ええ、ひとりは死んだんです。マンゴーの木の下に葬ってやりました」
アタは博士と少し歩いたのち、もう帰らなければ、といった。あまり先へ行って、村人のだれかと会うのを恐れているのだろう、と博士は察した。博士は、もし自分の手が必要になったら、使いをよこしてくれさえすれば、すぐ来てやるから、ともういちど彼女に告げた。
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五十六
それからまた二年たった。いや、ことによると三年だったかもしれない。なにしろタヒチでは、知らぬ間に月日がたつので、たえずそれをおぼえておくのが、ひと苦労だからだ。ともかく、とうとう、ストリックランドが危篤《きとく》だという知らせが、クートラ博士の許にもたらされた。アタが、パペエテへ郵便物を運んで来る馬車を途中で待ち受けていて、すぐ博士に知らせてくれるように、と御者《ぎょしゃ》に頼んだのだった。だが、知らせが来たとき、あいにくと博士は外出していて、それを知ったのは夜にはいってからだった。まさかそんなにおそく出かけるわけにもいかなかったので、夜の明けるのを待って出発した。タラヴァオに着くとさつそく、もう二度と行かないはずのアタの家まで、七キロの坂道をとぼとぼと登っていった。小道には雑草がはびこって、どう見ても、この数年間、ほとんどだれ一人として人の通った形跡がなかった。道をさがすのさえ容易ではなかった。つまずきながら川床伝いに歩いたり、一面に生い茂った、とげだらけの潅木《かんぼく》の間をかいくぐったりしなければならなかった。また、頭上の樹からぶら下がっている熊蜂の巣をかわすために、しかたなくいく度も岩をよじ登ったりした。あたりはゾッとするほど静かだった。
やっとのこと、ペンキ一つ塗ってない、その小さな家をさがし当てたときには、思わず安堵《あんど》のため息がもれた。家はまさかと思うほど、見る影もなく荒れはてていた。そしてこの家もまた、やはりゾッとするほどの静けさにつつまれていた。近づいて行くと、一人の小さな男の子が、日向《ひなた》で無心に遊んでいたが、彼の姿を見るとぎょっとして、一目散に逃げていった。その子には、見知らぬ人間がすべて敵のように思えたのかもしれない。博士は、その子が木陰からこっそり自分のようすをうかがっていそうな気がした。戸口は開け放たれていた。声をかけてみたが、返事がない。家の中へはいって、部屋のとびらをノックしたが、やはり返事がなかった。ハンドルをまわして、一歩部屋にはいったとたんに、臭気が鼻をついて、彼はひどい嘔気《はきけ》をおぼえた。だが、ハンカチを鼻におし当て、がまんして中へはいって行った。今まで外のギラギラする陽射しを受けていたのに、部屋がほの暗かったので、はじめは何一つ見えなかったが、やがて彼は思わずハッとした。いったいいま自分がどこにいるのか、見当がつかなくなってきた。とつぜん、魔法の世界に迷いこんだような気がした。鬱蒼《うっそう》たる原始林と、その樹陰を裸体で徘徊《はいかい》している人間の群れがもうろうと彼の目に映った。やがて博士は、それが壁一面に描かれた壁画であることに気がついた。
「|おやおや、(モン・デュー)こいつは暑さで、おれの頭がおかしくなったんでなけりゃいいが」と、彼はつぶやいた。
そのとき、彼はふと、何かがかすかに動いたような気がした。よく見ると、アタが床の上に身を伏せて、声もなくすすり泣いているのだった。
「アタ」と、彼は声をかけた。「アタ」
彼女は答えようともしなかった。鼻持ちのならぬ悪臭に、彼はまたも気が遠くなりそうだったので、あわてて両切りの葉巻きに火をつけた。目がだんだん闇に慣れてきて、壁の絵を見つめているうちに、彼は頭上にガンと一撃をくらったような激しい感動におそわれた。絵にかけては明《あ》きめくら同然だったにもかかわらず、その絵には何かしら魂をゆさぶるような、異様な力が宿っていた。床から天井まで、ぐるりの壁一面に、それは目を見はるほど丹念《たんねん》な構図で、描きこまれていた。いずれも言語に絶した、驚嘆すべき神秘さをたたえていた。彼は思わず息を呑《の》んだ。われながら何が何だかさっぱりわけのわからない、一種異様な感動で、胸がいっぱいになった。天地の創造を目《ま》のあたり見た人間がおぼえるような、底知れぬ畏怖《いふ》と歓喜を味わったのだった。その絵にはとてつもなく官能的な情熱がみなぎっていたが、その底にはまた、彼を思わずゾッとさせるような、恐ろしい何ものかがひそんでいた。それは、だれ知らぬ大自然の内ぶところに分け入って、美しくも恐ろしい、かずかずの秘密をつかみえた人間の作品であった。つまり、それは人間として知ることを許されないような、さまざまの神聖な秘密をさぐりえた人間の作品なのであった。その絵には、何かしら原始的な、恐るべき美しさが漂っていた。もはや人間の手になるというものではなかった。彼はそれを見て、かつて聞いたことのある、悪魔の秘法といったような話をぼんやり思い出していた。いかにも淫蕩《いんとう》な美しさに満ちた絵だった。「|フーム《モン・デュー》、こいつは天才だ!」
それは、無意識のうちに、彼の胸底からほとばしり出た言葉だった。
やがて彼は、ふと、部屋の片隅にある|むしろ《ヽヽヽ》の寝床の上に目を落とした。彼はそのそばへ歩み寄った。すると、彼の目に映ったのは、かつてのストリックランドとは似てもつかぬ、恐ろしい、五体の崩れた、身の毛もよだつような人間の姿だった。それはすでに、こと切れていた。クートラ博士は意を決して、その崩れ果てた、恐ろしい死体の上にかがみ込んだが、次の瞬間、彼はぎょっとして弾《はじ》かれたように立ち上がった。背すじも凍るような恐怖をおぼえた。背後に人の気配を感じたからだ。アタだった。彼には女の立ち上がるのが聞こえなかったのだ。彼女は彼の小脇に突っ立って、やはりその死体に見入っていた。
「いやはやどうも、わしの神経もすっかりどうかしちゃったな」と、彼はいった。「おまえのおかげで、すんでのことに腰を抜かすところだったよ」
彼はふたたび、かつては人間だったものの、哀れな残骸《ざんがい》をのぞきこんだ。が、たちまち、ぎょっとして、とび退《すさ》った。
「やあ、こりゃ、めくらだったんだね」
「そうなんですよ。もうかれこれ一年ばかり目が見えなかったんです」
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五十七
ちょうどそのとき、訪問先から帰ってきたマダム・クートラが顔を出したので、こちらの話がと切れた。彼女はさながら満帆に風をはらんだ船のように、さっそうと部屋にはいってきた。ゆたかな胸と肉づきのいい胴を、前面が板みたいにまつ直ぐなコルセットで、いやというほど締め上げた、肥満型の、上背のある、堂々たる恰幅《かっぷく》の女だった。肉の厚いかぎ鼻と三重あごをして、棒を呑んだようにそり返っていた。人間を無気力にする熱帯の魔力に、いささかでも屈するどころか、温帯に住む人間がまさかと思うほど、活動的で、世故《せこ》に長《た》け、てきぱきしていた。見るからに口達者な女で、そのときも、はいって来るなり、息もつかずにペラペラと、世間のかくれたうわさ話やその内幕などをまくし立てるのだった。それを聞いていると、私たちがさっき話していたことが、まるで別世界の夢物語みたいに思えてきた。
やがて、クートラ博士が私のほうへ向き直って、こういった――
「わしは、ストリックランドのくれた絵をずっと今日まで診察室《ビュロ》にかけてますがね。ひとつ、ごらんになりますか?」
「ええ、ぜひとも」
いっしょに立ち上がると、彼は先に立って私たちを、家のぐるりにめぐらしたヴェランダのほうへ案内して行った。私たちは足をとめて、庭一面に咲き乱れているさまざまな花のあざやかな色彩に目をとめた。
「ストリックランドがあの家の壁一面に描いたあの非凡な絵のことが、長いことわしの頭に焼きついて、どうしても忘れられませんでしたよ」と、博士がしんみりした調子でいった。
私もさっきから、そのことを考えつづけていたのだった。その絵の中で、ついにストリックランドも自己を完全に表現したのではなかろうか、という気がした。これが最後の機会だとさとって、黙々と絵筆を揮《ふる》いながら、彼はみずから人生について知り、かつ予見していたことを、すべて描きつくしたにちがいない、と私は思った。おそらく彼はこの絵の中に、はじめて魂の安息を見いだしたことであろう。彼の心にとりついていた鬼神がついに追い払われ、彼の一生がすべてそのための苦しい準備にすぎなかったその力作の完成とともに、永遠の眠りが、彼の孤高な、苦悶にみちた魂のうえにおりてきたにちがいない。彼は素志《そし》を達成して、安らかに死についたことであろう。
「で、その絵のテーマは何だったんですか?」と、私はきいた。
「よくわからんが、とにかくいままで見たこともないような幻想的な作品でしたよ。太初の世界、つまり、アダムとイヴのいるエデンの園のありさまを描いたものらしいですね。いわば、男女を問わず、人間の肢体の美しさにたいする賛歌であり、雄大で、非情で、甘美で、冷酷な大自然にたいする賛辞のようなものでした。時間と空間の無限さにたいして畏怖《いふ》の念を感じさせるような絵でしたね。あの男は、そこいらにざらに見受けるような、ココヤシだとか、榕樹《バニアン》だとか、火炎木《フランボヤン》だとか、アボカドだとか、そういったような植物を描いてはいましたが、その絵を見てからは、わしのそれらのものを見る目がすっかり変わってしまいましたよ。なんだかそういう植物の中に、得体《えたい》の知れない妖精のようなものがひそんでいて、それがわしの手に今にもつかまりそうでいて、いつまでたってもつかまらないような感じなんですね。その色も、わしがいつも見ているようなものばかりですが、それでいて、やはりどこか違うんです。そういう色がみんなそれぞれ独特の持ち味をそなえていましたよ。男や女の裸体についても、同じでした。地上の人間ではあるが、やはりどこかこの世のものならぬ感じでしたね。つまり、土くれからなる人間くささをたぶんに持ちながら、どこか神に似たところをそなえていました。原始的な本能を一つのこらずさらけ出した人間の姿が描かれていたんですな。それを見てゾッとしたのは、おのれ自身のすがたをそこに見たからなんですよ」
クートラ博士は肩をすぼめて、かすかに笑った。
「今のような話をすると、みなさんはきっとお笑いになると思います。なにしろ、わしは唯物論者で、おまけに、このとおりでぶでぶと太ってますからね――さしあたり、シェイクスピアの『ウィンザーの陽気な女房たち』に登場するフォルスタッフ〔ほら吹きで、図々しく、悪ふざけばかりする肥満漢〕というところですかな?――叙情詩的なものの考え方なんか、わしの柄ではないんですよ。ところがですね、こんなこというと笑われるのがおちですが、あれほどわしが深い感銘をうけた絵ははじめてなんです。そりゃ、わしもローマのシスティン礼拝堂《チャペル》〔ローマのヴァチカン宮殿にある教皇の礼拝堂。その天井の絵はミケランジェロの作〕に行ったとき、ちょうどこれと似たような感動をおぼえたことがあります。あそこでもやはり、わたしはあの天井に絵をかいた人間の偉大さに(畏畏《おそおそ》れを抱きました。たしかにこれは、ずばぬけた、文句なしの天才の作品だと思いましたね。なんだか自分が、ちっぽけな、けちくさい存在のような気がしました。しかし、ミケランジェロの偉大さは、あらかじめ見るほうでこころえています。ところがこの絵には、わしもまったく不意打ちをくらったかたちでしたよ。なにしろそれに、文明から遠くかけはなれた、タラヴァオの彼方《かなた》にそびえる山のふところにある、現地人の一軒家の中で、そいつにぶつかったんですからね。おまけに、ミケランジェロの作品は、穏当で健全ですよ。彼のあの傑作の中には、崇高な静けさが漂っています。ところが、あの男の絵の中には、美しいながらも、何かしら人を不安にするものがありました。それが何であったか、わしには見当がつきません。とにかく見ているうちに、わしは不安な気持ちにおそわれました。たとえば、人が一室にすわっているとき、隣の部屋にだれもいないと承知していながら、それでもなお、なんとなく、たしかにだれかがそこにいるような不安な気持ちにおそわれることがありますが、そのときの気持ちが、ちょうどそれでしたよ。そんなバカな、と自分を叱ってもみるし、自分の気のせいにすぎない、とわかっていながら、それでいて、やはり……そして間もなく、どうにもこわくてやりきれなくなり、すっかり、その目に見えぬ恐怖のとりこになって、身動きもできなくなってしまう、といった調子でした。まあ、そんなわけで、わしはあのふしぎな傑作が焼けてしまったと聞いても、さして惜しい気はしませんでしたね」
「焼けてしまった?」と、私は思わず叫んだ。
「|そうなんです《メ・ウイ》。まだご存知なかったんですか?」
「知らんのがあたりまえですよ。その作品のことを聞くのは、たしかにこんどが初めてなんですからね。それにしても、ついさっきまで、だれかの手に渡っているものとばかり思ってましたよ。なにしろ、ストリックランドの絵については、いまだにたしかな作品目録さえもできてないしまつですから」
「失明後は、あの二つの部屋の壁画の前に、何時間もすわったきりで、見えない目でそのできばえをじっと見つめていたそうです。おそらく、失明前よりいっそうはっきり、いろんなものが目に映ったのかもしれません。アタの話によると、一度も自分の悲運を嘆いたり、意気銷沈《いきしょうちん》したりしたことはなかったそうですよ。最後まで、平穏な気持ちを失わず、取り乱したようなところはちっともなかったようです。しかし、彼はアタにこういう約束をさせたのでした。つまり、自分を埋葬してしまったら――さっきもお話した通り、わしはこの手であの男の墓穴を掘ってやったんです。なにしろ現地人たちは病菌のうようよしているあの小屋を恐れて、だれ一人寄りつこうとしなかったからです。それで、アタとわしとでパレオを三枚ほど縫い合わせ、それに死体をくるんで、マンゴーの樹の根元に葬ってやりました――ところで、その約束というのは、埋葬がすみしだい、あの小屋に火をつけ、すっかり焼け落ちて、木ぎれ一本残らなくなるまで、その場を離れてはいかん、とこういうのでした」
私は深い感慨にとらわれて、しばらくは口もきけなかった。だが、やがて、こういった――
「すると、ストリックランドは最後まで気がしっかりしてたわけなんですね」
「わしの気持ちはわかってもらえると思いますが、もちろんわしはそのとき、壁画を焼くようなことはよせ、とアタに忠告しました。それがわしの義務だと思ったからですよ」
「でも、さっきあなたは、それほど惜しい気がしなかったとおっしゃいましたが……」
「そりゃ、そのとおりです。しかしわしにも、こいつはまさに神品だということぐらいはわかりましたよ。だから、そういう傑作をこの世の中から抹殺《まっさつ》するなんて、とんでもないことだと思いました。だが、アタはどうしても、わしの忠告をきき入れませんでしたよ。約束したからには、というんです。わしは、そんな野蛮な仕打ちに立ち会うわけにいかんといって、帰って来てしまいました。だから、そのときのようすはあとから聞いただけですよ。なんでも、よく乾燥した床板や、パンダナスの|むしろ《ヽヽヽ》の上に石油をふりかけて、それから火をつけたんだそうです。すると、たちまち小屋は灰燼《かいじん》に帰し、あの一大傑作もかげを消してしまったんですよ」
「じゃ、当のストリックランドも、それが傑作だということをきっと知っていたんですね。あの男は宿望を達成して、その生涯を閉じたわけです。つまり、一個の世界を創造して、これでよし、と思ったわけです。そのあげく、誇りと侮蔑《ぶべつ》の入りまじった気持ちで、それを焼き払ってしまったんでしょうね」
「話はこれくらいにして、ひとつ、絵を見ていただきましょうか」クートラ博士はそういって、また足を運びはじめた。
「それで、アタと子供のほうはどうなったんですか?」
「母子《おやこ》ともマルケサス群島へ移りました。向こうに身内がいるんでね。話に聞くと、息子はカメロンの帆船《スクーナー》のどれかに乗り組んでいるそうです。見たところ、父親に生き写しだって話ですよ」
ヴェランダから診察室にはいる戸口のところで、博士はちょっと立ち止まって、にやりと笑った。
「じつは、果物の絵なんですがね。患者を診る部屋などに置くのは、ちょっとどうかとお思いになるかもしれませんが、家内が応接間にかけるのをどうしてもいやがるもんですからね。いかにも猥褻《わいせつ》な感じで見ておれん、とそういうんですよ」
「へーエ、果物の絵がですか!」と、私はおどろいて叫んだ。
診察室にはいるとすぐ、その絵が目にとまった。私は長い間、じっとそれに見とれていた。
それはマンゴーやバナナやオレンジやその他、私の知らぬいろいろな果物の盛り合わせを描いた絵だった。一見、まったく毒にも薬にもならぬように見える絵だった。うっかりすると、後期印象派の画展などで、佳作だが、かくべつ見どころのある作品でもないとして、あっさり見て通りすぎそうな絵だった。そのくせ、あとになって、きっとその絵が目にうかび、われながら、その理由を解《げ》しかねるが、いったん目に浮かんだら、もう二度とそれをきれいさっぱり忘れ去ることが不可能といっていい、そのような作品だった。
色彩もまったく意表に出たもので、見る者に、いうにいわれぬ心の動揺をあたえた。くすんだ青は、さながら精巧な彫刻をほどこした青金石《ラピスラズリ》の鉢のような暗さをたたえながら、しかも神秘な生命の鼓動を思わせるかのように、ほのかな光沢を帯びてふるえている。紫色は腐った生の肉のように無気味だが、それでいてなお、ヘリオガバルスのローマ帝国の昔をほのかに想起せしめるような、官能的な情熱に輝いている。赤は柊《ヒイラギ》の実のようにあざやかで、イギリスのクリスマスや雪や祝宴や子供たちの歓《よろこ》びを思わせるが、それがまた、魔法にでもかかったように、色調が次第にやわらいで、あの鳩の胸毛の消え入るような色合いに終わっているのである。濃厚な黄色は、一種の変態的な欲情をしのばせながらも、それがすーっと緑に変わってゆくあたりは、春の若葉のように香ぐわしく、渓流《けいりゅう》のきらめきのように清冽《せいれつ》だった。だが、いったいどんな魂の苦悶から、これらの果実は生まれてきたのであろうか? それは、いわば、南太平洋のヘスペリデス姉妹〔ギリシャ神話で、黄金のリンゴの楽園を守った四人の姉妹〕たちに守られた果樹園の産物であった。描かれた果物の中には、異様な生気が宿っていた。それはあたかも、まだ万物が今のようにきまった形をとっていなかった、地球の暗たんたる混沌期《こんとんき》に創造されたかのようであった。どれもこれも豊かなみのりそのものといった感じで、熱帯の香りにむせるような思いがした。果物独特の暗い情熱を、その中にじっとたたえているかのように見えた。それはいわば魔法の果実であり、もしそれを味わうことができるとしたら、誰も知らぬ魂の秘密と神秘な想像の宮居の門扉《もんぴ》を押しひらくことができるかも知れなかった。その果物は思いもよらぬ危機をはらんで、むっつりと静まり返っていた。だから、その味わい方ひとつで、人間は神にも獣にもなりそうだった。およそ健全で自然なものや、人間の幸福につながる一切《いっさい》のものや、単純な人々の単純なよろこびのすべてが、ことごとく唖然《あぜん》としてこの果物からたじろいでしまう。にもかかわらず、そこにはすさまじい魅力が宿っていた。そしてまるであの善悪の知恵の木の実〔エデンの園に生えていたリンゴの木の実〕のように、未知の世界へのあらゆる可能性を秘めて、見る人の心をおののかせるのであった。
やっと私は絵から目を離した。ストリックランドはその秘密を胸に秘めたまま、ついに墓場へはいってしまったような気がした。
「|ね、あなた《ヴォワイヨン・ルネ・モナミ》」と呼ぶマダム・クートラのかん高い、明るい声が聞こえた。「さっきから、なにしてらっしゃるのよ、あなた? さあ、|食前のお酒《アペリティフ》をどうぞ。お客さまにうかがってくださいましよ、すこしキンキナ・デュボネをお飲みくださいませんかって」
「|ええ、いただきますとも、奥さま《ヴォロン・ティエ・マダム》」私はヴェランダへ出てゆきながら、そう答えた。
私はたちまち、またわれに返ったのである。
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五十八
いよいよタヒチを離れる時がきた。この島のおくゆかしい仕来《しきた》りで、私はたまたま知り合ったすべての人たちから、ココヤシの葉で作ったかごや、パンダナスの|むしろ《ヽヽヽ》や、扇など、いろいろな贈り物をもらった。ことにティアレは小さな真珠を三つと、あのむっちりした手でわざわざ作ってくれたバンジロウ・ゼリーの壜詰《びんづめ》を三本、選別《せんべつ》にくれた。ウェリントンからサン・フランシスコへ向かう途中で、二十四時間、ここに寄港する郵便船が、乗船の合図の汽笛を吹き鳴らすと、彼女は私をあの大きな胸にぐっと抱きしめた。私はまるで大波のうねりの中へ沈んでゆくような感じがした。彼女は赤い唇を私の唇におしつけた。彼女の目には涙が光っていた。汽船がゆるゆると礁湖《ラグーン》をすべり出て、おそるおそる珊瑚礁の切れ目を通り抜け、やがて大洋に進路を転じると、にわかに、なんとなくやるせない気持ちが私の胸にこみ上げてきた。微風にはまだ快い島の香りがこもっていた。なにしろタヒチは世界のさい果ての島なので、これっきりもう二度と訪れることはあるまい、と私は思った。これで私の生涯のある一章が終わり、避けがたい死の運命へ自分がまたしても一歩近づいたのを感じた。
それからひと月とたたぬうちに、私はロンドンに帰着していた。さし当たってのいろいろな用事をすませると、私はストリックランド夫人に手紙を出した。彼女も夫の晩年について、さぞ私の話を聞きたかろう、と思ったからだ。夫人には大戦のはじまるずっと前からひさしく会っていなかったので、電話帳をめくって、その住所をさがすような始末だった。夫人から会合の日時を指定してきたので、キャムデン・ヒル〔ロンドン北部の高台住宅地〕にある彼女の小ぎれいな住居を訪ねていった。彼女はすでに六十近い女だったが、年の割りには老けていないで、だれが見ても五十以上には思えないくらいだった。しわもあまり目立たぬ細面で、実際はそれほどでもなかったのに、若いころはどんなに美しかったろうかと人に思わせるような、年をとるにつれて上品になるタイプの顔だった。まだ白髪のさほど目立たぬ髪の結《ゆ》い方もよく似合っていたし、黒いガウンも流行にかなっていた。姉のマカンドルー夫人が、夫を亡くしてまだ三年もたつかたたぬうちに、その後を追い、遺産がストリックランド夫人のふところに転げこんだということはかねて聞いていたが、家のたたずまいや、取次ぎに出た女中の小ざっぱりした身なりから察して、その金額が未亡人のつつましやかな暮らしぐらいけっこう楽にまかなえるほどのものであることがわかった。
客間に通されると、先客が一人、来合わせていた。しかし、あとで客の身分が判明すると、私がちょうど彼と鉢合わせするような時刻に招ばれたのは、まんざら理由のないことでもなさそうだった。客はヴァン・ブッシュ・テイラーというアメリカ人だった。ストリックランド夫人はさも恐縮したような、愛想のいい笑顔を客に向けながら、私にくわしい事情を説明してくれた。
「ね、あなた、あたくしたちイギリス人って、ほんとにあきれるほど無躾《ぶしつけ》なんですのよ。いきなりご紹介申し上げたりして、どうぞお許しくださいましね」相手にそうことわってから、彼女は私のほうに向き直った。「ヴァン・ブッシュ・テイラーさんは、アメリカの有名な批評家でいらっしゃるんですのよ。この方の著書を読まないと、文化人の恥ってことになりますわ。もしまだでしたら、さっそくお読みくださいね。何かチャーリーのことをお書きになるつもりなので、ひとつ力をかしてほしいとおっしゃって、お見えになりましたの」
ヴァン・ブッシュ・テイラー氏は、体がひどくやせているくせに、ピカピカ光る、ごつごつした、でっかい禿頭《はげあたま》の持ち主だった。大きな円屋根のような頭のせいで、深いしわのある黄ばんだ顔がよけいに小さく見えた。もの柔らかで、バカていねいな人物だった。その英語にはニューイングランド訛《なま》りがあり、その態度にもどことなく、堅苦しい冷たさがひそんでいた。人もあろうに、どうしてこんな男が、チャールズ・ストリックランドに手を出そうとするのか、私には気が知れなかった。さっきからストリックランド夫人が夫の名を口にするたびに、猫|撫《な》で声を使うので、私はいささかくすぐったい思いがしていた。二人が話し合っている間に、私は部屋の調度を一つひとつながめまわしていた。ストリックランド夫人は時代の好みに従っていた。れいのモリス好みの壁紙も、渋いクレトン更紗《さらさ》〔無光沢の丈夫なさらさ木綿〕の椅子もすがたを消していたし、あの当時アシュレー・ガーデンズの客間の壁を飾っていたアランデル更紗〔南英アランデルのさらさ〕も見当たらなかった。そういうものとは打って変わって、部屋じゅうが異様な色彩で輝いていた。彼女はただ流行に盲従しているだけだろうが、このような色彩の変化そのものが、南海の小島で悲惨な生涯を閉じた一画家の夢から生まれたものであることを彼女ははたして知っているのだろうか、と私は思った。ところが、はからずも次のやりとりによって、彼女がいっこうにそれをご存知ないことがわかった。
「すばらしいクッションでございますね、これは」と、ヴァン・ブッシュ・テイラー氏がいった。
「あら、お気に召しまして?」と、彼女はにっこりして、いった。「バクスト〔ロシアの画家、意匠家〕ですのよ」
ところが、壁には、ベルリンのある出版社の企画による原色版のストリックランド傑作集のうちのいく枚かがかかっていたのだ。
「あの絵を見ていらっしゃるの?」と、彼女は私の視線をたどって、いった。「もちろん、原画にはとても手が出ませんけど、これだけでもけっこう楽しめますわ。出版社からわざわざ送ってきてくれましたの。あたくしには、これを見るのが何よりの慰めですのよ」
「いやまったく、さようでございましょうな」と、ヴァン・ブッシュ・テイラー氏がいった。
「そうなんですのよ。それにまた、もともと、とても装飾的なんですもの」
「さようでございますとも。わたしもそのような一面のあることを深く信じております」と、テイラー氏が共鳴した。「すぐれた芸術は、つねに装飾的なものでございますからね」
二人は赤子に乳房をふくませている裸体の女の絵に目をとめていた。一人の女の子が、その母子のかたわらにひざまずいて、無心の赤子に一輪の花をさし出している。さらにもう一人、この三人を見おろすようなかっこうで、しわくちゃな、骨と皮ばかりの、魔法使いみたいな老婆が立っている絵だった。これが、ストリックランドの手になる[聖家族]〔本来はキリスト、聖母マリア、聖ヨセフなどの一団を表した絵〕なのであった。おそらくこれらのモデルになったのは、あのタラヴァオの彼方の山奥に住んでいた彼の一家のものたちであろう、母親と赤子は、アタと彼の長男だったにちがいない、と私は思った。ストリックランド夫人は、はたしてその事実に気づいているのだろうか、と私は自分にきいた。
二人は話しつづけていた。私はそれを聞きながら、ヴァン・ブッシュ・テイラー氏の、いやしくも相手の迷惑になるような話題はいっさいおくびにも出さぬ如才なさと、一方またストリックランド夫人の、ひとこともうそはいわないで、しかも、夫婦仲がいつもしごく円満だったかのようにほのめかす巧みな話しぶりに、ほとほと感服していた。やっと、ヴァン・ブッシュ・テイラー氏が帰るといって腰を上げた。彼は女主人と握手をかわしながら、まことにいんぎんだが、いささかご念の入りすぎた感謝のことばを述べて帰っていった。
「なにしろあの調子なので、あなたもさだめし退屈なすったでしょうね?」彼女は客を送り出してから、私にいった。「そりゃ、あたくしも、ときにはやりきれないと思うこともありますけど。でもやっぱり、チャーリーのことをできるだけ世間に知らせるのが、なんといってもいちばんだという気がしますのよ。天才の妻だったからには、あたくしにもある程度の責任があると思いますものね」
彼女は二十年あまり前とちっとも変わらぬ、あけすけな、やさしい、愛嬌《あいきょう》のある眼差《まなざ》しで私を見やった。こっちをなめているのではないか、という気さえした。
「むろん、ご商売のほうはもうおやめになったんでしょうね?」
「ええ、やめましたとも」と、彼女ははずんだ調子で答えた。「あれはただ道楽半分にやっただけなんですもの。それに子供たちも、あんなものは売ってしまうようにとすすめますし。体に無理をしてはいけない、と申しましてね」
私は、今ではストリックランド夫人が、食うために働くなんて、そんなさもしいまねは一度もしたことがございません、という気になっているのを知った。彼女は、他人のふところを当てにして生きるのが、それこそほんとの女らしい生き方だという、お上品な女性的本能の持ち主なのだった。
「ちょうど、子供たちも帰っていますのよ」と、彼女はいった。「お父さまのお話をしていただければ、子供たちもきっとよろこぶと思いますわ。ロバートをおぼえていらっしゃるわね。おかげさまで、こんど戦功十字勲章《ミリタリ・クロス》をいただくことになりましたのよ」
彼女は部屋の戸口へ行って、子供たちを呼んだ。僧職詰襟《パーソンズ・カラー》のついた軍服を着た背の高い青年がはいって来た。いくらか陰うつなところのある美青年だったが、その率直な目つきは、私の記憶にある子供のころそっくりだった。兄のあとから妹もはいって来た。彼女は私がはじめて会った当時の母親と同じ年配に達しているにちがいなかった。おまけに母親そっくりだった。彼女もやはり、子供のころはもっと可愛《かわい》かったろうという錯覚を人に起こさせるような女だった。
「きっと、この二人をすっかりお忘れになりましたでしょうね」と、ストリックランド夫人が、誇らしげにほほ笑みながらいった。「娘も今ではロナルドソン夫人になって、主人は砲兵少佐なんですのよ」
「主人《たく》はこれから先、ほんものの軍人になるんですのよ。今まだ少佐にすぎないのもそのためなんですのよ」と、ロナルドソン夫人がほがらかに口をはさんだ。
私は昔、なんとなく彼女が将来、軍人の妻になりそうな気がしたのを思い出した。今にして思うと、やはりそれが彼女の運命だったのだ。
彼女は軍人の妻にふさわしいあらゆる美点をそなえていた。腰も低く、きさくでもあったが、それでいてやはり、そこいらの女どもとはちょっと違うぞというような肚《はら》の中を隠しきれないところがあった。ロバートも快活な青年だった。
「あなたがいらしったときに、ちょうどロンドンにいるなんて、もっけのさいわいでしたよ」と、彼はいった。「なにしろ、たった三日間の休暇なんでしてね」
「この子はあちらへ帰りたくて、うずうずしてるんですのよ」と、母親がいった。
「その、ありていにいいますとね、ぼくは前線にいるのがおもしろくてたまらないんですよ。仲のいい友だちもたくさんできましたしね。いってみれば、最高の生活ですよ。むろん、戦争なんていやなもんにきまってますが、人間のいちばんいいところがあらわれるのも、やっぱり戦争なんですね。この点は否定できませんよ」
そこで、私はみんなに、タヒチで聞いてきたチャールズ・ストリックランドの話をすっかり話してやった。といっても、アタとその子供のことはいわずもがなと思って伏せておいたが、そのほかのことは、できるだけくわしく話してやった。そして、ストリックランドの悲壮な死を語りおわったところで、話を打ち切った。みんな一、二分ばかり、声をのんでいた。やがて、ロバートがマッチをすって、巻きタバコに火をつけた。
「神の挽《ひ》き給う臼《うす》はゆるやかなれど、いとつぶさに挽き給うなり〔ファン・ロガウの「因果応報」の中に出ている句〕ですね」と、彼はなんとなくしんみりした調子でいった。
ストリックランド夫人とロナルドソン夫人は、いささか神妙な面持ちでうなだれていた。そのようすから見て、二人はきっと、この文句を聖書からの引用だと勘ちがいしたにちがいない。じつをいうと、あるいはロバートもやはり彼女たちとおなじ勘ちがいをしているのかもしれない、という気がした。どういうわけか、私はそのとき、ふと、アタが生んだ、ストリックランドの息子のことを思い出した。聞いたところでは、朗らかで暢気《のんき》な若者らしかった。天竺木綿《ダンガリー》のズボン一つで帆船《スクーナー》の甲板上に立ち働いている彼のすがたを私は想像した。夜のとばりが降り、船はそよ風をはらんで、するすると海上をすべっている。水夫たちは上甲板に集まり、船長や船荷監督はパイプをくゆらしながら甲板椅子の上にながながと寝転んでいる。息子は、手風琴のぜいぜいいう楽の音に調子を合わせて、仲間の若者を相手に踊り狂っている。仰げば一面の青い星空、ぐるりは見渡すかぎり太平洋の大海原だ。
聖書の中のある文句が、ふと、口さきまで出かかったのを、私はあやうく呑《の》みこんでしまった。とかく牧師というものは、俗人が縄張りを荒したりすると、すぐそれを不敬だと受けとりかねないものなのを百も承知していたからだ。ホィットスタブルで二十七年間も教区牧師をつとめていた私の伯父のハリーは、そういう場合、悪魔だってその気になれば、いつだって聖書を自分の都合のいいように引用することはできるものだ、というのが口癖だった。そんなとき、伯父のあたまには、えてして、すばらしい本場の牡蠣《かき》〔ホィットスタプルはカキの名産地であった〕が、たった一シリングで十三個も買えた遠い昔のことが浮かんでくるらしかった。[完]
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解説
モームの人と文学
[美女と野獣] ウィリアム・サマセット・モーム[William Somerset Maugham ]は、一八七四年一月二五日、パリはシャンゼリゼエに近いところに生まれ、一九六五年一二月一六日、南仏ニースで歿した。父親のロバートは、アイルランド人の血をひく祖父と同じく弁護士で、当時はイギリス大使館の顧問弁護士をしていて、芸術、文学に趣味をもつ教養の高い紳士であった。母親のイーディス・メアリー・スネルは王様の血統をひく名門の出であったばかりか、すこぶるつきの美人で、両親の若い頃は[美女と野獣]とパリ雀に噂《うわさ》されていたとか。イーディスは肺結核を病んでいたが、当時の医学では、出産はこの病気のためによいとされ、おかげで、ウィリーはこの世の光を見ることができたが、作家になってからも肺患に悩まされる運命を担ったわけである。だが、短編「サナトリウム」長編『月と六ペンス』などが生まれたのもそのためだ。六人の兄弟のうち、二人は夭折《ようせつ》し、上の二人の兄は弁護士になり、三番目の兄ヘンリーは、だれにも読まれぬ詩劇と小説を書いたが、三六歳で自殺した。なお、二番目の兄はモーム伯となり、その二人の娘と一人の息子はみんな小説家になった。息子のほうはロビン・モームといい、今日、小説家として多少は知られ、叔父の伝記『サマセットとモーム家』を出して評判になった。
ウィリーはパリのど真中に生まれ、母と父が死ぬ十歳までフランス語を話して生活し、英語はわずかに家庭教師に習った程度であった。それからイギリスのケント州で牧師をしていた叔父ヘンリーに引きとられ、ロンドンの聖トマス病院付属の医学校を出るまではイギリスに住んでいたが、その後パリに移り、そして一九二八年以降は南仏リヴィエラのカップ・フェラにモーレスク荘を手に入れて、九二歳間際で死ぬまで、旅行をしてないかぎりはそこに住んでいた。「私はイギリス海峡を渡ってフランスにはいると、アット・ホウムに感じる」と自分でも述懐しているくらいだから、モームの故国はフランスといってもよいくらいだ。
[どもり] 一九五九年一一月、モームは二度目に日本を訪れたが、その節、筆者は前後三回、親しくお目にかかって話す機会をえた。すでに八五歳の高齢だったので、耳の遠いのは仕方ないと思ったが、背が案外に低いのと、どもりが相当ひどいのにおどろいた。K音で始る言葉など、秘書の助け舟がないと口の外に出てこないのだ。子供のころ、叔父さんの家から近いキングズ・スクールという。パブリック・スクールに通っていたとき、学校友だちや先生から、どもりのため、いじめられたり、からかわれたりした。『人間の絆』の中で、エビ足のため学校でいじめられるのは、その苦しい体験を転位したにすぎない。また、この学校を出てから、オックスフォードに進学して、聖職や弁護士への道を選べなかったのも、そのためだった。「アーノルドは、もし彼に内省を強いるどもりがなかったら、作家にはならなかったであろう」とモームがアーノルド・ベネットについて書いたとき、おそらく自分自身のことも語ったのであろう。いろいろ治療した結果、一九四一年ころには、公けの場所で話せるようになり、ラジオ、テレビの番組にも出られるようになったというが、帝国ホテルではついに私たちの会話の録音ができずじまいになった。
「もし自分がどもらなかったら、また背があと数インチ高かったら、自分の[魂]はまったくちがったものになっていたであろう」とモームはいい、「世の中は、五フィート七インチの男にとっては、六フィート二インチの男にとってとは完全にちがったものである」ともいっている。これは「いわゆる人格というものには肉体的な根底がある」という彼の物質主義の信念をおもしろく述べたものであるが、それはどもりで背が低いという肉体的欠陥がいかに彼にとって痛切なマイナスであったかを語るものでもある。
彼が愛情を報いられたためしがないといっている〔『サミング・アップ』二二章〕のが事実だとすれば、その原因がそんなところにあったのかも知れないし、ひいては、彼の心の底に根ざしている女嫌いともつながりがありそうだ。また、長い年月にわたって二人の男性セクレタリー・コンパニオンを雇って、小説の資料収集にあたってもらわざるをえなかったのも、どもりのためであったろう。
[女性関係] おそらくモームほどたくさんの女性ファンをもつ現代作家はまれであろう。なぜであろうか? 『人間の絆』のミルドレッド、『月と六ペンス』のブラーンチ、『お菓子とビール』のロウジー、『劇場』のジューリア、『女ごころ』のメアリー、『剃刀の刃』のソフィー、「雨」のミス・トムソン、「ジェイン」のジェインなど、数多くの忘れがたい女性像を創造したからである。だが、ふしぎなことに、作者が好意をよせて描いているのはロウジーとメアリーとジェインぐらいなもので、その他はすべて悪女として、女性の痛いところに仮借《かしゃく》なきメスを当てている。〔ロウジーやメアリーですらもまったく貞操観念のない女に描かれ、善女のアタ〔月と六ペンス〕やサリー〔人間の絆〕は重要人物ではない〕それでもなおかつ、この作家が女性読者に人気があるというのは、おそらく、すべての女性の中に潜在している悪女性がくすぐられるからだろう、と私は考えている。
それはそれとして、現実生活においてモームはどのような女性関係をもっていたか、少しさぐってみたい。これまでわかっているところでは、一八九〇年ごろ、肺病の療養のため南仏イエールに赴いたが、そのとき、家庭教師をしてくれた人の奥さんが好きになった。また、一八九七年ころ、スペインのセヴィリアで好きになったスペイン娘がある。〔ついでながら、モームはスペインをフランスについで第二の故国のごとく感じていたようだ〕しかし、もっとはっきりしているのは、一九〇四年から八年間、愛人関係をつづけた[ナン]という女性で、この人は三流どころの舞台女優であり、さいごには、シカゴまで指輪をもって出かけ、結婚の申込みをするが、一足ちがいで貴族の息子との結婚が決まっていた。これがロウジーのモデルを提供した女で、肱《ひじ》鉄砲を食いながら、モームはこの女を晩年に至るまでなつかしんでいたみたいである。〔ロウジーは本名だともいわれる。「雨」の女主人公ミス・トムソンも本名である〕
次に現われるのがシリー[Syrie]で、彼女とは一九一三年、ウィリーが三九歳のとき知りあい、一九一六年に結婚し、一九二七年に離婚している。性格のちがいも大きかったようだが、彼が晩年「回顧録《ルッキング・バック》」において語るところによると、たいへんな悪妻であったようだ。
こうした女性体験をもつこの作者が女嫌いになるのは当然のようであるが、さいきん甥《おい》のロビン・モームは、この問題についてたいへんショッキングな暴露をしている。
「わしは四分の三は正常で、わずか四分の一が変態《クウイーア》だと自分に思いこませようとしてきた――がしかし、どうやら実際はその逆であった」と、晩年のウィリーはロビンに語ったそうである。そして、意地の悪いこの甥《おい》は、ウィリーはシリーと結婚する前から、ハンサム・ボーイのジェラルド・ハクストンを知っていたから、結婚生活がうまくいかなかったのも致し方ないというようなことを匂《にお》わせている。
もちろん、このようなプライヴァシーに属する問題は他人に的確につかめることではないが、この大作家の生涯において、二人のセクレタリー・コンパニオンのつとめた役割は大きく、さいごにアラン・サールと養子縁組をしたのも当然なような気がする。
[矛盾する合理主義]サマセット・モームの哲学が決定論《デターミニズム》であり、物質主義《マティーリアリズム》であり、フランス的な合理主義《ラショナリズム》であり、宗教においては無神論《エイシーズム》であることは、そのあからさまな人生論を展開している『サミング・アップ』など見るまでもなく、彼のすべての作品を通して、はっきりうかがえる方向である。
だがしかし、モームという作家は、そうしたイズムだけで割り切れるほど単純でないことに注意すべきである。
たとえば、彼の拝金主義はよく知られている。金は第六感であって、他の五感も、それなくしては十分の活用ができないといっており、百万長者の身分で二度目に日本に来たときですら、金については淡々たる気持ちを見せなかった。日本には「金|儲《もう》けのため来たのではない」といってみたり、「日本のカメラはいいから買いたいがその金がない」と冗談をとばしたり、私が日本においてモーム全集を出している出版社の人を紹介すると、初めに発した挨拶の言葉が「ずいぶん儲かったろうね」というのだった。
その拝金思想も、晩年の大作『剃刀の刃』では、主人公ラリーによってみごとに否定された。
また、人生は無意味であるという主張は、『人間の絆』で高らかに宣言されたが、『月と六ペンス』では、美の表現に人生の意味をもとめているし、『お菓子とビール』では、愛情の自由奔放な表現を肯定している。そして、『サミング・アップ』の結論は、人生の目的を「美」にしぼっているみたいである。「美はこの見せかけの世の中において、それ自体目的であることを要求できるように思われる唯一の価値である」[七七章]
合理主義者モームにとって、もっともおかしな矛盾は、れいの「邪眼よけのしるし」にたいする信仰であろう。それは彼の父親が、アトラス山脈中の現地人が使っていたものをみつけてお土産に持ちかえったのだが、彼はそれを自分の本のトレード・マークに使っているばかりか、モーレスク荘の門や、調度品などにまでそれをつけ、さらにおどろいたことに、来日の際、署名のあとにそのマークの略号を添えたほどである。人間を矛盾の塊りとして描いた作者自身が、大きな矛盾の塊りであったといってさしつかえなかろう。
作品解説
[『月と六ペンス』とポール・ゴーギャン]『月と六ペンス』は一九一九年に出版されたが、長編小説としてはモームの十番目の作品である。これより前に、処女小説『ランベスのライザ』や、この人の代表作であるばかりか、二十世紀世界文学の中でも傑作の一つと考えられている『人間の絆』などがすでに発表され、一応、小説家としての地位は確立していた。しかし、『人間の絆』が出たのが大戦のさ中であったため、アメリカの自然主義作家セオドア・ドライサーに認められたくらいで、大評判にもならず、『月と六ペンス』のほうがはるかに批評家の受けがよかった。そのため、さかのぼって同じ作家の『人間の絆』が再び問題にされたといったかっこうである。
さて、モームがなぜ、またどのようにして『月と六ペンス』を書いたかということについて少し述べてみることにしよう。その辺の事情については、作者自身が、一九三三年、ハイネマン社出版の全集版に「まえがき」をつけて、くわしく語っているし、この訳本にも巻頭に掲げておいたので、ごらん願いたい。
とくに注意していただきたいのは、作者がこの作品を書こうと思い立ったのが一九〇四年であり、具体的にプランを立てたのが一九一七年、原稿を完了したのが一九一八年の夏であったということである。つまり、着想から完成まで、十四年もの長い燃焼期間があったのである。
モームに『月と六ペンス』へのテーマを暗示したのは、フランスの画家ポール・ゴーギャンであることはあまりにも有名である。作者自身も、れいの「まえがき」の冒頭で、「本編のテーマはポール・ゴーギャンの生涯から思いついたものである」と明言している。モームがセザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンの作品に親しんだのは、一九〇四年、パリのモンパルナスに住むようになってからである。当時、彼がいちばん高く買っていたのはセザンヌであったが、ゴーギャンの作品には、妙に作家たちを引きつけるものがあると感じた。いいかえれば「彼の作品の中には作家の創作意欲をかきたてるようなものが、ふんだんに潜《ひそ》んでいる」ことを認めたのである。だが、モームの創作意欲をかきたてたのは、ゴーギャンの作品だけではないであろう。彼はゴーギャンの友人たちから、このフランス画家についていろんなことを聞き、「その話の中に、私はふと、小説のテーマにもってこいのものがあるのに気づき」当時、一冊しか出ていなかったゴーギャンの伝記を一読した、とある。伝記まで読んだとなると、モームはおそらく、ゴーギャンの歩いた道、妻子と別れてタヒチ島まで出かけ、ひた向きに芸術にたいして男の生涯をかけたといったところに深い共感をおぼえたのであろう。
一九一六年、アメリカへ渡った機会をとらえて、モームはハワイ、サモア、タヒチなどの南海諸島を訪れた。もちろん、タヒチ島におけるゴーギャンの生活について調べ、多少ともゴーギャンとつながりをもつ人たちに会って、生前のことについていろいろ聞き出すのが主たる目的であった。
彼に面会した数人のうち、少なくとも二人は実名までわかっている。小説の中で、ストリックランドにアタを世話した、れいのオテル・ド・ラ・フリュールの女主人ティアレ・ジョンソンは、ホテル・ティアレの持主ルヴェーナ・チャップマンであり、また、ゴーギャンがさいごに病気にかかったとき世話をしたポール・ヴェルニエ博士は、作品の中にはクートラ博士として登場し、やはりストリックランドの臨終に立ち合っている。
また、モームはタヒチ島でゴーギャンの絵を一枚手に入れている。現地人の家のドアの上半分をなすガラス板に描かれたタヒチ女の絵で、モデルになったのがゴーギャンの初めの女《ヴァヒネ》タフラであったことをモームもずっと後になって知ったのだ。この絵は[ガラスの上のゴーギャン]と呼ばれ、ヴィラ・モーレスクの書斎に飾られている。
一九一七年、モームは重大使命を帯びてロシアに潜入したが、その目的は失敗に帰し、その上、健康を害し、帰国の途中、ノルウェーの主府クリスチャニアに立ちよったが、そこの画廊でゴーギャンの「果物」の絵を見て、その異様な色彩に打たれた。それは今世紀の初めのパリ時代にゴーギャンの絵から受けた感銘とはいちじるしく異なったものであった。彼が『月と六ペンス』を書く気になった直接の原因は、この絵を見た感動にある、と考える学者もいる。なお、この絵の印象は、『月と六ペンス』の中では、クートラ博士の診察室にかかっている果物の絵としてくわしく語られているし、『一作家の手帖』の中にも、「それは未知の危険を重くはらんでおり、それは食べると、人間は野獣か神に変わるだろう」とある。
ともかく、モームは帰国すると、スコットランドのサナトリウムにはいって結核の療養につとめるかたわら、『月と六ペンス』の想を練るのである。病気が回復すると、ふたたびアメリカに渡り、中西部から西部へと旅行し、さらに足を南太平洋に伸ばして、ハワイ、サモア、タヒチなどを訪れる。この旅行の主要な目的は、ゴーギャンが死に至るまでの数年を送ったマルケサス群烏における資料を集めることであった。かくして、すべての準備が整ったので、一気に作品を書き上げ、一九一九年に出版することができたのである。
[ストリックランドとゴーギャン] 主人公のチャールズ・ストリックランドはロンドンの株式取引所員で、ブローカーを絵に描いたような人物で、およそ芸術などには縁もゆかりもなさそうな四十男である。一方、奥さんのエイミーは芸術家や作家などを招待してよろこぶ社交婦人で、不粋な夫君を人前に出そうとしないため、旦那さんがいないのかと誤解されたりする。旦那さんどころか、十六歳の息子と十四歳の娘まである、れっきとした母親だったのにである。
ところが、ある日とつぜん、ストリックランドはパリに家出をしてしまう。きっと喫茶店の女の子でも連れての駆け落ちだろうと夫人や夫人の姉夫妻は想像する。しかし、「私」が夫人に頼まれてパりにようすを見にいってみると、連れの女など見当たらず、絵を描くためにパリに出かけてきたことがわかる。
小ぎたないアパートの一室を借り、食うや食わずのありさまで、四十の手習いのような絵を描いているうち、とうとう病気で倒れる。自らは凡庸な画家にすぎないが、おそろしくお人よしのオランダ人面家ダーク・ストルーヴは、絵を見るたしかな眼はもち、つとにストリックランドの天才をみとめていた。彼はさっそく妻ブラーンチの反対を押し切って、ストリックランドをわが家に引きとって世話をする。
親身も及ばぬ看病の甲斐《かい》あって、イギリス人画家はやがて回復するが、ストルーヴの家から出て行かない。ストリックランドが出て行けば、あたしも出て行く、とブラーンチが意外な宣言をする。彼女は野性人のようなこの男に惚《ほ》れてしまったのだ。
やがて、ブラーンチが服毒自殺をこころみる。ストリックランドに捨てられたからだ。妻の死んだあと、ストルーヴは自分のアトリエにはいってみると、ストリックランドの描いた裸女のカンヴァスがあった。ブラーンチをモデルに使ったものである。嫉妬のあまり、パレットをかざしてその裸体画を引き裂こうとしたが、彼の目はそこに偉大な芸術品を見て、パレットを床に落とした。
遠い東洋に夢をよせていた不遇の天才画家は、やがてマルセーユの港を浮浪しているうち、運よくオーストラリア行きの船に乗りこみ、シドニー、オークランドを経て、サンフランシスコへ行く途中、タヒチ島に寄港すると、ここが長いこと自分のもとめていた土地であると感じて下船する。このとき彼はすでに四十七歳ぐらいになっていたが、片手間仕事をして少しでも金がはいると、密林に姿を没してしまう。そのうち、オテル・ド・ラ・フリュールのおかみティアレ・ジョンソンに土地の娘アタを世話され、彼女と共に深い原始林の中にはいりこんで、初めて幸福な生活を送ることになる。大自然のふところに抱かれ、男のもとめるものをすべてあたえるだけで、自分からは何も要求しない女にかしづかれて、ひたすらに好きな絵を描くことができたからである。
だがしかし、彼は風土病の|らい《ヽヽ》病にとりつかれ、盲目の状態になるまで小屋の壁一面に天地創造の絵を描きつづけた。それは彼の全生命をつぎこんだ大作であったが、アタは夫の遺言に従って、小屋もろともこの傑作を灰燼《かいじん》に帰してしまう。
以上の荒筋だけを読むと、イギリス人画家ストリックランドの生涯は、一見、フランス人画家ゴーギャンの生涯とよく似ている感じがしないでもない。共に株式取引所員だったが、中年に及んで、仕事と家族を捨てて画家を志す。前者がロンドン――パリ――南海へ、後者はパリ――ルーアン――南海へと移り住み、共に独創的な絵を描いたのは南海の島においてである。そしてどちらも、現地人の妻をめとっている。
だが、よく調べてみると、両者の相違点は類似点よりはるかに大きいことがわかる。ゴーギャン夫人は、ストリックランド夫人とちがい、早くから夫が絵にあこがれていることに気づいていた。また、ゴーギャン夫妻は、夫が仕事をやめてからもすぐには別居せず、細君のメットが五人の子供を連れてコペンハーゲンの実家にもどってからも、ゴーギャンはそこを訪れており、とくに二人の文通は死に至るまでつづけられていたのである。ストリックランドはずっとタヒチに留《とど》まったが、ゴーギャンはタヒチからマルケサスに移り、イギリス人には現地妻がアタ一人だったに対し、フランス人のほうは二人持った。それにフランス人は梅毒にかかり、自殺を企て、さいごに死んだのは心臓病のためであったが、ストリックランドは女を自殺に追いこんでも、自殺をはかるような弱い男ではなく、死因は|らい《ヽヽ》病であった。
ゴーギャン夫人は『月と六ペンス』を読んだとき、亡き夫のことを全然思い出さなかったといわれる。もし自分たちをモデルにしたと感じたら、おそらく小説のストリックランド夫人のイメージに傷つけられ、『お菓子とビール』におけるヒュー・ウォールポールのように、名誉|毀損《きそん》の訴訟を起こしたことであろう。
私たちも、ゴーギャン夫人にならって、これを伝記小説と考えず、ただゴーギャンの生涯を下敷にした純粋小説として読むべきではないかと考える。
[標題について] さいごに『月と六ペンス』という妙な題名について、疑問を持つ人が少なくないと思うので、ちょっと触れておきたいと思う。
『人間の絆』が発表されたとき『ロンドン・タイムズ』がそれをブック・レヴューに取り上げた。その中で、批評家は主人公フィリップ・ケアリーについて「彼は世の多くの若者のように、月に向かって憧れるのあまり、足許の六ペンスに気がつかなかった」と評した。モーム先生はこの文句がすっかり気に入ってしまい、その次の新作の題名にそれを拝借に及んだという次第なのである。それから後も、新聞の悪口をそのまま頂戴して『相変わらずのごたまぜ』と命名した短編集を出したくらいだから、モームとしてはいかにもやりそうないたずらではある。
しかし、これが作者の単なる悪ふざけにすぎないかどうか、次の「作品鑑賞」の項で考えてみたいと思う。
作品鑑賞
[一人称単数で書かれた小説] モームには『一人称単数で書かれた六つの物語』と呼ばれる短編集がある。語り手がすべて一人称単数〔私〕になっているので、作者自身が直接に接触をもった事柄や人物を描いているという印象を読者にあたえるので、小説の方法としてはなかなか有利であるといえよう。
『人間の絆』は自伝的小説であり、主人公のフィリップ・ケアリーはもちろん作者自身なのであるが、主人公を三人称で書いている。『お菓子とビール』は語り手が「私」であるが、その「私」の名はアシェンデンとして逃げている。だが、アシェンデン即モームということはすでにだれにも知られているので、その作品の女主人公ロウジーとのデリケートな恋愛関係に及ぶと、さすがに書きにくそうだなと思われる節《ふし》がないでもない。「私」の名をはっきり「モーム」として出しているのは『剃刀の刃』だけであろうが、そこでは「私」はあまり重要な役割を果たしていない。
『月と六ペンス』では、語り手の「私」の名は「アシェンデン」とも「モーム」ともなっていないが、作者自身であることは明らかであり、しかも作者はその事実を隠そうともしていない。「私」がヴィクトリア駅の近くに住んでいたり、叔父さんのヘンリーがケント州ホイットスタブルの牧師をしているのなどその証拠である。
もちろん、『月と六ペンス』においては、主役はチャールズ・ストリックランドであり、「私」はまったくの傍役《わきやく》にすぎないのであるが、その傍役が前半において直接に主役と交渉をもつところが強味となっている。作品の舞台は、ロンドン――パリ――マルセーユ――タヒチ島と四つの場所に分かれているが、「私」はロンドンとパリでストリックランドと直接に触れ合うのだ。惜しむらくは、マルセーユ時代のことは、ニコルズ船長の口から、そしてタヒチ時代のことは、ユダヤ人の貿易業者コーエン、オテル・ド・ラ・フリュールのおかみティアレ・ジョンソン、フランス人の船長ブリュノ、医者のクートラ博士などから間接に聞くようになっていることである。だが、間接に聞いた話を伝えるのでは迫力にとぼしいことをさとったと見え、タヒチ島におけるストリックランドの晩年の場面だけは、語り手自身の言葉で描写する方法に切りかえている点に注目したい。
もう一つ注意しておきたいのは、モーム自身が傍役ながら登場することによって、ゴーギャンの伝記にある程度の枠を借りながら、実は作者自身の経験と思想をふんだんに織りこんだ自叙伝をつくり上げているということである。経験という点から見れば、ロンドンやパリにおける登場人物の生活はそのまま作者の生活体験の範囲内に属するものであったし、タヒチ島も前後二回訪問し、テイアレ・ジョンソンやクートラ博士などは、モームが面会した実在の人物なのである。
随所に散見される人生観、芸術観、女性観など、すべてゴーギャンのものというよりは、モーム自身のものであり、それがあまりにもエッセイ風に表現されているのが小説としては少なからずマイナスになっているといわざるをえない。
[悲劇か喜劇か]『月と六ペンス』を鑑賞するにあたり、この作品を悲劇と見るか、それとも喜劇と見るかはもちろん読者の自由であるが、私自身はこれを喜劇として眺めたいと考え、さもないとこの作品の面白味は半減するのではないかと思う。
なるほど物語自体はきわめて悲劇的である。十数年もつづいた結婚生活が一朝にして破壊され、ほとんど無一文の状態で夫と父親に見捨てられたストリックランドの妻子は、さっそく、その日の生活にも困ってしまった。パリで病気に倒れたストリックランドをわが家に引きとって世話したストルーヴは、住む家ばかりか愛する妻まで奪いとられて、故国に帰らざるをえなくなった。ストルーヴ夫人ブラーンチの立場から見ても、愛することのできない凡才の夫から、女心をゆさぶられた天才画家に馬を乗りかえたのはよかったが、やがてその愛人に捨てられて自殺してしまう。
芸術一筋に生きるため、常識を脱した身勝手なことばかり重ねたストリックランドは、タヒチ島にわたって、自分の理想とするようなタイプの女アタを手に入れて満足したにちがいないが、さいこには、|らい《ヽヽ》病にとりつかれ、悲惨な死に方をする。
こう見てくると、物語の主流は悲劇のトーンを奏《かな》でている。しかし、作品全体を眺めわたしてみると、悲劇のもつ悲壮感にとぼしいことに気づくのである。
それはなぜか? 私の解釈は、この作品に対する作者の態度にあるのではないか、ということである。その点に関して、気づいた事がらを二、三指摘してみよう、
先ず第一に、『月と六ペンス』という標題そのものが、すでに述べたように、大まじめなものではなく、茶化《ちゃか》したような、ふざけたようなものであること。晩年に至ってモームは、このタイトルの意味をきかれると、むかしは意味がわかっていたのだが、今はわからなくなった、と答えている。
第二に、本書の巻頭において、作者は、ストリックランドに関する著作として、イギリス人エドワード・レガット著『一人の現代芸術家』とか、ドイツの学者バイトブレヒト=ロトールツの『カール・ストリックランド――その生涯と芸術』などをあげ、その出版社や出版年代まで脚注で示すほど丹念ないたずらを行なっている。とくに、主人公の息子である牧師ロバート・ストリックランドが『ストリックランド――その人間と作品』を公けにしたというに至っては、少しいたずらも度がすぎたという感がする。ストリックランドが実存の人物であったかのごとく見せかけようとした努力は買うが、「この小説はポール・ゴーギャンの生涯から思いついたものである」と「まえがき」〔後年に書かれたものだが〕でも断わっている以上、だれも本気でこの本を伝記だなどとは考えない。
第三に、ロンドンを舞台とする前半の部分と、さいごの章に、ストリックランド夫人を登場させているが、その描き方は、まったくこの作者が得意とする風俗喜劇のそれであって、私たちはだれもこの悲劇の主人公に同情を感じない。
第四は、作者はこの小説のほぼ三分の一のスペースを道化役ダーク・ストルーヴのために使っているのだ。まったく天衣無縫の善人で、間の抜けている男にたいしてこれだけ作者がページを割《さ》いているというのは、たんなる「コミック・レリーフ」をねらったものとはいいがたい。
以上が『月と六ペンス』における喜劇的要素の主なるものであるが、そうした点だけから判断しても、この作品からは悲壮感とか悲劇美とかいったものが生まれてこないことがおわかりかと思う。
[主人公の非人間性] この小説の中で、なんといってももっともすばらしいものは主人公ストリックランドの個性《パーソナリティー》である。彼の非凡なる個性が、あたかも大交響曲の主題のように全編を通じて、強く、太く、ほかのすべての副主題を圧倒して流れているがゆえに、モームの作品のうちでは、『月と六ペンス』がもっとも強く読者に、とくに若い読者に訴えるのであろう。
では、彼の非凡なる個性とはどのようなものであるか? それを生きた姿でつかむためには、この小説全体を熟読玩味《じゅくどくがんみ》するほかにないということになるが、もしそれをエキスにまで煮つめるとすれば、「天才」と、その天才をあくまで「表現しようとする意欲」の二面に帰することができると思う。
ストリックランドの画家としての天才は、四十歳に至るまで彼の内部に潜在していた。ポール・ゴーギャンは、三十五歳で株式所員をやめて画家になる前、すでに何年間も「日曜面家」としてその才能の片鱗《へんりん》を示していたが、イギリスの画家のほうは突然変異のようにドラマティックであった。しかし、いったん目をさましたがさいご、妻であれ、子供であれ、友人であれ、友人の細君であれ、さらには自分の肉体であれ、それこそありとあらゆるものをその天才に奉仕させることを辞さなかったのである。さいごには、酷使し、おろそかにした自分の肉体に復讐され、|らい《ヽヽ》病に虫ばまれて斃《たお》れたのである。
しかし、彼が死んだときには、彼の住んでいた小屋の四方の壁には、床から天井に達するまでの間、ぴっしり一面に雄大な構図の絵が描かれていた。しかも、その大作をば、自分の死と共に、灰燼にしてしまえと愛妻アタに遺言している。天才を発見し、その表現にすべてを捧げ、そして表現し終わったとき、それを抹殺《まっさつ》してしまった。まさにモーム好みの完璧なパターンではある。
だが、彼のおそるべき「表現への意欲」が、途《みち》すがら犠牲の祭壇に供した|いけにえ《ヽヽヽヽ》のいかに多かったことか! そしてしかも、この天才画家は、その犠牲にたいして、すまないとも、ありがたいとも思わないのだ。若い素朴な読者が抵抗を感じるのはこの点であろうと私は思うのである。つまり、ストリックランドという人間は、ごくふつうの人情とか、正常な人間性とかいったものを毛筋ほども持ち合わせない、いうならば悪魔の化身、非人間的《インヒューマン》な人間といっていいだろう。ただ、救われるのは、この悪魔が、人間のもっとも要望してやまない偉大なる芸術品を生み出す鬼であるということである。
作者自身の弁証をきいてみよう――
「芸術上の最大関心事は作者の個性である。それさえ非凡なら、ほかにいくら欠点があろうといっこう平気だ」
「その欠点も彼の長所を完全に生かすうえに欠くべからざるものと認められるようになった」
[女性観] モームの女性観には傾聴に値するものがある。彼の女性を見る眼が鋭く、女性というものを完膚なきまでに分析し、解体し、その正体を突きとめている。とくに、『月と六ペンス』では、「表現への意欲」に燃え、それを男の生き甲斐としている「天才」が主人公であるために、女性にたいする評価はきわめて手きびしい。ストリックランドの女嫌いは、そのまま作者自身のものと考えてさしつかえないであろう。
この作品には主要人物として三人の女性が登場する。
エイミー・ストリックランド
ブラーンチ・ストルーヴ
アタ
ストリックランド夫人は、夫が何を求めているかに気づかず、世間体と社交にあけくれる平凡な家庭婦人である。ストリックランドはそういう女を古靴のようにかんたんに捨ててしまう。
ブラーンチは何よりも男の愛をもとめる女である。しかし、愛を得たとき、それに満足せず、男の魂まで所有しようと望む。ストリックランドは魂を美術に捧げているので、彼女を捨て去る。
アタは自己中心のストリックランドみたいな男には、おあつらえ向きの女である。
「あれはわしをそっとしといてくれるからね。あれはわしの食事をこしらえ、赤ん坊の守りをしてな。わしのいいつけたことはなんでもしてくれるんだ。あれはわしが女に求めてるもんを残らずあたえてくれてるよ」
それで、ストリックランドはアタに満足し、死ぬまでいっしょに暮らすのである。
これをタイプに分けると、ストリックランド夫人は「良妻型」、ブラーンチは「恋愛型」、そしてアタは「奉仕型」の女と考えてよかろう。エゴイストの天才画家を満足させることのできるのは、第三の「奉仕型」の女性でなければならないのは当然であるが、男というものが、程度の差こそあれ、女性にたいしては仕事に熱中するエゴイストの性格をそなえている以上、一般の女性にも、大いに参考になる女性観であるといえよう。
モームの女性観は、その後いろいろと発展し、どうやらさいごには、処女のようで娼婦のような女〔具体的には『お菓子とビール』の女主人公ロウジー〕を、男の眼から見た理想的な女性像とするようになったと思われる。
モームの作品
モームは小説家として出発し、初期には劇作のほうで名をあげたが、中期ごろから完全に小説家という本米の姿にもどり、その間、数冊の旅行記、評論集をもまとめている。
[長編小説]
Liza of Lambeth『ラムベスのライザ』[1897]
The Making of a saint『ある聖者の半生』[1898]
The Hero 『英雄』[1901]
Mrs. Craddock『クラドック夫人』[1902]
The Merry-Go-Round『メリー・ゴウ・ランド』[1904]
The Bishop's Apron『主教のエプロン』[1906]
The Explorer『探検家』[1907]
The Magician『魔術師』[1908]
Of Human Bondage『人間の絆』[1915]
The Moon and Sixpence『月と六ペンス』[1919]
The Painted Veil『五彩のヴェール』[1925]
Cakes and Ale『お菓子とビール』[1930]
The Narrow Corner『片隅の人生』[1932]
Theatre『劇場』[1937]
Christmas Holiday『クリスマスの休暇』[1939]
Up at the Villa『丘の上の別荘にて』[『女ごころ』][1941]
The Hour Refore the Dawn『夜明け前』[1942]
The Razor's Edge『剃刀の刃』[1944]
Then and Now『昔も今も』[1946]
Catalina『カタリーナ』[1948]
『人間の絆』 自伝的小説。量の上でこの作家の最大作であるばかりでなく、二十世紀の世界文学の中でも傑作の一つである。主人公フィリップ・ケアリーが、幼くして両親に死なれ、ブラックスタブルで牧師をしている叔父に引きとられ、キングズ・スクールに在学中、自分のエビ足という肉体的ひけめに悩まされ、熱烈に神に祈ったが、その治癒が実現しなかったとき、信仰がぐらつく。聖職につくためオックスフォードに進学することを希望する叔父にさからって、ハイデルベルクに遊学し、そこで友人たちと話しあって、人生の無意味であることを知る。しばらくしてロンドンにもどると、経理士の修業をするが、期待を裏切られ、パリに移って絵を習う。そこでイギリスの詩人クロンショーに出会う。その詩人は、人生の唯一の目的は快楽にあり、人生の目的はペルシア絨毯のようなものであると謎《なぞ》めいたことをいう。
パリで絵の才能がないことをさとり、医師になろうとして聖ルカ医学校にはいる。そこに在学中、喫茶店の女ミルドレッドと知りあい、恋のとりことなる。しかし、彼女のほうは他の男を愛し、妊娠するが、その男に妻子のあることがわかり、再びフィリップのもとに戻ってくる。フィリップはほかの女に愛されて関係を結ぶが、どうしてもミルドレッドにたいする愛欲の絆が断ち切れない。だが、彼女のほうは彼の友人に奪われてしまう。やがて街の女にまで転落したミルドレッドは再びフィリップのもとにころげこむが、どうしても二人の心は結ばれずに終わってしまう。
その後、フィリップは医学校を卒業し、友人の娘で、地味で、やさしいサリーという女に結婚の申し込みをする。
一方、クロンショーはロンドンにもどり、詩集の出版の準備をしているうちに、病死するし、友人の一人はボア戦争に出征して戦歿する。フィリップは、暗然たる気持ちで大英博物館を訪れるが、そこで、ペルシア絨毯の謎《なぞ》が解ける――人生は無意味であるが、人間はペルシア絨毯の職人のように、それぞれの個性にしたがって、美しいデザインを織りなしてゆくだけのことである。
『人間の絆』という題名はスピノザの言葉を借りたもので、「人間の絆」は愛欲に呪縛《じゅばく》されることを意味し、フィリップはさんざんにミルドレッドヘの激情にふりまわされたあげく、理性の力によってその絆から解放されるのである。
『お菓子とビール』 モームの長編中もっとも円熟したもので、小説としては『人間の絆』以上だと高く買う批評家もおり、作者自身にとっても、いちばん好きな作品であったようだ。八十歳の誕生日には、とくにこの作品を選んで豪華な署名入り限定版として出していることでもそれがわかる。
物語は、イギリス文壇の巨匠エドワード・ドリッフィールドと、彼の初めの細君で酒場女出身のロウジーの男出人りを記したものであるが、なんといっても焦点は処女のようにあどけない蓮葉女ロウジーに当てられている。しかも、この女が作者の愛人であった[ナン]という女優をモデルにしたというのだから興味深い。モデルといえば、ドリッフィールドはトマス・ハーディを、また、その伝記を書くオルロイ・キアがヒュー・ウォールポールをモデルにしたということで、一時、問題を起こしたことがある。
題名はシェイクスピアの『十二夜』からとったもので、「よいもの、人生の楽しみ」という意味。女としていろいろの男を相手に楽しい人生を送ったロウジーの生き方にかけたものか。
『劇場』 モームのものでは「小型の傑作」と呼ばれる大型の小説。三十年間も親しんでそれこそ表も裏も知りつくしているロンドンの演劇界を舞台にして、楽しみながら書いた感じのする、よく出来た小説で、それだけに軽いエンターテイメントだと悪口をいう批評家もいるが、筆者自身は好きな作である。大女優ジューリアを主人公として、その若いツバメであるトムとの恋のかけ引きなど興味津々である。とくに、長い間演技の世界に生きている彼女が、現実の生活でも演技を行ない、フィクションとノンフィクションの世界がもつれあったりするところなど、なかなか味がある。
『剃刀の刃』 モームの書いた、もっとも哲学的な、神秘的な、宗教的な、そして観念的な小説であり、小説家サマセット・モームが仮面をはずして登場する作品である。題名は扉に引用してある次のヒンズー教哲学書の文句から来ている――
剃刀の鋭き刃は越えて渡ることかたし、かくのごとく賢人は、救いに至る道もかたしという。…カータ=ウパニシャド
第一次世界大戦に出征して、深い精神的傷痕を受けたラリー・ダレルというアメリカの青年が、人生への懐疑を抱き、アメリカ的な物質中心の生き方に背を向け、精神の領域に救いをもとめる。キリスト教に見きりをつけ、ヒンズー教の神秘的思想に没入する。そのため、世俗的な幸福をもとめる婚約者の美しいイザベルとも別れ、パリで落ちぶれている旧友ソフィーを救うために結婚を申し出るが、他の男とすでに結婚しているイザベルの妨害に会って、ソフィーは死に、計画は失敗に終わる。
第二次大戦の末期に出版され、ラリーと同じような人生への懐疑におち入った人々の共鳴を受けたものと見え、ベストセラーとなった。
[短編小説]
Orientations『定位』[1899]
The Trembling『木の栗のそよぎ』[1921]
The Casuarina『カジュアリーナの木』[1926]
Ashenden, or The British Agent『アシェンデン』[1928]
Six Stories Written in the First Person Singular『一人称単数で書かれた六編』[1931]
Ah King:Six Stories『アー・キン――六編』[1933]
Cosmopolitans『コスモポリタン』[1936]
The Mixture as Before『相変わらずのごたまぜ』[1940]
Creatures of Circumstance『環境の動物』[1947]
The Complete Short Stories,3 vols『短編全集』[1951]
モームは百数十編の短編小説を書いており、フランスのモーパッサン、イギリスのキップリング、アメリカのポウ、オー・ヘンリーなどに比肩できるほどの短編作家といえよう。
彼が短編作家として一人前になったのは四十歳に達してからであり、それから発表されたもののうち『木の葉のそよぎ』『カジュアリーナの木』『アー・キン』が「南海もの」といわれている作品を集めている。あまりにも有名な「雨」「赤毛」「エドワード・バーナードの没落」など六編が第二短編集に、「奥地駐屯所」「手紙」など六編が第三短編集にはいっている。『アー・キン』には「ジャングルの足跡」と「怒りの器」など六編が収められている。
年代的には『アー・キン』に先立つ『アシェンデン』は、「イギリス諜報部員」という副題でもわかるように、作者がイギリス情報部の命令で、ロシアの革命を失敗に終わらせるようにという秘密使命をおびてスパイとしてロシアに潜入したときの所産で、作者の代役をつとめる「アシェンデン」という人物を初めて登場させたこと、各編がある種のつながりを持っているという点で注目すべきもの。
次の『一人称単数』には、円熟した作者の腕前を存分に発揮した六つのすぐれた短編――「変わり種」「創作衝動」「美徳」「十二人目の妻」「人間的要素」「ジェイン」――が収録されている。「変わり種」以外はすべて「三角関係」をテーマにしていることも面白い。
『コスモポリタン』 これまでの集には長い短編が六編あてはいっていたが、ここには二千語ぐらいの「大変短い物語」が二九編も含まれている。だが、短いからといってコントとか挿話とかいったものではなく、「物識り先生」「会堂守り」「生家」「社交意識」などという、なかなかドラマティックな、本格的な物語が少なくない。短いのは、もともとアメリカの『コスモポリタン』誌の対照ぺージにおさまるようにという注文で書かれたからで、題名の由来の一つもその辺にあると思う。
『相変わらずのごたまぜ』 背景やテーマがいろいろさまざまな九編が含まれているが、完璧な技巧を見せる「人生の事実」「ジゴロとジゴレット」などを収めている。
『環境の動物』 この作者の短編集としてはさいごのもので、一五編を収め、スペインもの、マレーものもはいっているが、フランスもの、イギリスものがもっともすぐれている。「大佐の奥方」「外見と真実」「凧」「サナトリウム」などが有名。
[その他の作品]
戯曲としては、『フレデリック夫人』『ひとめぐり』『おえら方』『シェピー』など注目すべきもの。
そのほかに、ノン・フィクションものとしては、次にあげるような旅行記、評論集など読むに値するものがある――
On a Chiness Screen『シナの屏風』[1922]
The Gentleman in the Parlour『一等室の紳士』[1930]
Don Frenando『ドン・フェルナンド』[1935]
The Summing Up『サミング・アップ』[1938]
Books and You『読書案内』[1940]
A Writer's Notebook『一作家の手帖』[1949]
[#改ページ]
訳者あとがき
自分を分析してみると、私という人間は、あきっぽい性質をもった男である。そのあきっぽさのために、私はこれまでいつでも新しい外国作家を追いかけていたみたいである。まだ日本ではほとんど問題にしていなかったころから、ジョイスやD・H・ロレンスやヴァージニア・ウルフなどに手を出していた。やがて、イギリス文学にもあきたと見え、こんどはアメリカにわたった。ヘミングウェイやフォークナーを読み出したのは、今から三十年も前であった。いつかフォークナーが日本を訪れたとき、署名してもらおうと思って『|これら十三編《ジーズ・サーティーン》』という本を出してみると、一九三二年と買い入れた年代が記してあった。原作が出た翌年に入手していたことになる。そして、その中の「エミリーのバラ」を翻訳したのも、戦前であった。
それほどあきっぼく、移り気の私が、まるでヌカミソくさい女房のように、三十年この方、ずっとあきもせずつきあってきたのは、どうやらサマセット・モーム一人だけみたいである。ただ友だちづきあいをしたというだけでなく、十巻に及ぶ「ホンヤク」という操作を通して、この作家のかなり深層にまで届くような接触をつづけてきたのである。
そのためか、自分ではあまり自覚していないようだが、私の人生観、人間観、恋愛観などに及ぼしたモームの影響がけっして少なくないと思われる。そして私の想像では、どうやらこれはただ私個人に限られたことではなさそうなのである。
作家によっては、自分が生きている時代の時事問題、政治問題、思想問題などに興味をもち、それを作品の中心テーマにもちこんで人気を得るものもいるし、また、手法の上で新しい実験をこころみて、批評家の注目をひく人もいる。しかし、モームはその種の作家ではなく、もっと大きくて不変なもの、人間性そのもの、男と女の関係、などに中心的な関心をおいているみたいである。彼の作品が、いつの時代に、どのような人間に読まれても、尽きることのない興味をあたえるのは、おそらくそのためではないだろうか。
『月と六ペンス』はたしかに若い人向きの小説にはちがいない。主人公が自分の内心の欲求を満足させるために、すべてのものを犠牲に供して顧みないという一途《いちず》の執念は、足許の六ペンスにばかり気をとられている私たち大人の凡人にはずいぶんバカげて見えるが、それでもやはり、心の底に眠っているものをゆすぶり起こすだけの力をもっている。一方、若いころには、あざ笑って片づけていたダーク・ストルーヴという善良な凡人にたいして、年をとった人は、ふしぎな人間的同情と親近感をおぼえるようになる。
モームの偉さは、天才と凡人、善人と悪人、美女と醜女を公平に描き上げるところにある。そしてさらに、こういった対照的な、ときには相反する要素が一人の人間の中にも並存することを見ぬいた点にあると思う。そうした観点から、『月と六ペンス』を初めとして、この人の作品を眺めてみると、絶好の人間研究ができると思うのである。
一九六六年十一月