モーパッサン短編集3
くびかざり
モーパッサン/杉捷夫訳
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目 次
ジュール叔父
ひも
老人
雨がさ
くびかざり
酒樽
帰村
あな
クロシェット
港
解説
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ジュール叔父
――アシル・ベヌヴィル氏に
白いあごひげをたらした老|乞食《こじき》がわれわれに施《ほどこ》しを求めた。友人のジョゼフ・ダヴランシュがそれに五フラン銀貨を投げ与えた。私が驚いて見せると、彼はこう言った。
――あの乞食を見ていまさら思い出したことがあるのだ。その話をいまするよ。その記憶がたえず僕を追いかけているのだ。こういう話さ。
僕の生家は、ル・アーヴルの出だが、裕福ではなかった。どうにか切り抜けて暮していた。まあこの一語につきるだろう。父親は勤勉に働いていた。おそくまで役所に残っていて、それでいてたいした金にはならなかった。僕には姉が二人あった。
母は貧乏暮しにはずいぶん苦しんでいた。たびたび父にむかってとげのある言葉を投げつけた。遠まわしの、しかし実にあさましい非難をあびせるのだ。そういうときの気の毒な父の様子ときたら、僕はまったく胸をえぐられるようだった。片手を開いて額にあてるのだ。出てもいない汗をぬぐうようなかっこうでね。そして返事はしない。そういうたびに僕は無力な父の苦悩をありありと感じた。うちじゅうであらゆるものを倹約した。晩餐《ばんさん》の招きに応じたことは一度もなかった。お返しにむこうをよばなければならないのが困るからだ。食料品などは、製造元の品を割引で買った。姉たちは着物を自分で仕立て、一メートル十五サンチームの飾りひも一本買うにも値段のことで長い押し問答を重ねた。僕たちのたべるふだんのごちそうは、バター入りのスープとソースをいろいろに変えて味をつけた牛肉だけだった。これならからだにいいし精分をつけることは確からしかった。僕としてはもっとほかのものが食いたかったね。
ボタンをなくしたりズボンにかぎざきをこしらえたりしたことで、僕はあさましくなるほどがみがみどなられたものだ。
それでも毎日曜日、われわれは盛装で突堤をひとまわりしてくるのがならわしだった。父は、フロックを一着に及び、シルクハットに手袋といういでたちで、祭日の船みたいに満艦飾《まんかんしょく》を施した母に、腕をかす。姉たちは、いつも先に身じたくして、出発の合図を待っている。しかし、最後の瞬間になって、いつも父親のフロックの上にしみが一ヵ所ふき忘れられたりしているのを発見する。大急ぎで、ベンジンをひたしたぼろぎれでふきとらなければならない。
父は、シルクハットをかぶったまま、上衣を脱いで、しみ抜き工作の終るのを待っている。いっぽう、母は、近眼鏡をかけ、手袋は汚さないように脱いで、気をせきながら一生懸命にこするといったようなあんばいさ。
さて一同は威儀を正して歩き出す。姉たちは二人で腕を組んで、先頭に立って歩く。結婚適齢期で、顔みせに町まわりをしているわけさ。僕はいつも母親の左側に寄り添っていた。右側は父が固めているのだ。この日曜の散歩における気の毒な両親のもったいぶった様子を、こわばった表情と歩きぶりのぎごちなさを、僕はありありと覚えている。両親は重々しい足どりで、上体をまっすぐに、脚を硬直させて、歩くのだ。まるでなにかよっぽど重大な事件が二人の姿勢にかかっているみたいにさ。
そして毎日曜日、まだ見ぬ遠い国から帰る船が港にはいってくるのをながめながら、父はいつも判でおしたように同じ言葉を口にする。
「え、どうだい! ひょっとしてジュールがあの中に乗っていたら、すばらしいね!」
ジュール叔父《おじ》、父の弟は、一家の恐慌のまとだったあとで、今では唯一の希望だったのだ。ジュール叔父のことは子供の時分からさんざん聞かされていた。初対面でもひと目みて顔がわかりそうな気がした。それほどジュールのことは僕には親しいものになっていた。もっとも生涯のこの時期のことはみんなこそこそ小声でしか話さなかったけれど。
どうやら、よからぬ行為があったらしいのだ。つまりなにがしかの金を使いこんだのだ。これは貧しい家のものにとっては確かに罪の最大なるものだからね。金持の家なら、道楽をする男は、≪ばかな真似をする≫にすぎない。つましい暮しをしている連中にとっては、親のなけなしの金にくいこませるような息子は、悪漢であり、ならずものであり、人非人になる!
そしてこの区別は正当だよ。事実は同一でもね。だって、結果のみが行為の重大性を決定するから。
ようするにジュール叔父は僕の父があてにしていた遺産をかなりひどくへらしてしまったのだ。おまけに自分の分は最後の一銭まで使いはたしたあとのことさ。
当時はやったことだが、型のごとくアメリカへやらされたのだ。ル・アーヴルからニューヨーク行きの船に乗せられて。
むこうへおちつくと、ジュール叔父は何商売だが知らんが、商売人になった。そしてまもなく手紙を書いてよこした。いくらか金ももうけたし、いつかは父にかけた迷惑をつぐなうことができるだろう、というのだった。この手紙は家じゅうに深い感動をよびさました。よくいう三文の値うちもない男のジュールが、とつじょとして感心な男になった。しっかりしたたのもしい男、ダヴランシュ家の名をはずかしめないもの、ダヴランシュを名乗るすべての人間と同じく非の打ちどころのない人間、ということになった。
それにまたある船の船長が、ジュールが大きな店をかりて、手広く商売をやっているということを、われわれに知らせてくれた。
二年後に来た、二度目の手紙にはこう書いてあった。
「フィリップ兄上、小生の健康をご心配なさらぬようにこの手紙をさしあげます。健康は上乗です。商売もうまく行っています。明日南米に向け長途の旅行に上ります。ことによったら何年もお便りしないかもしれません、お手紙をさしあげなくても、心配しないで下さい。一財産こしらえたらル・アーヴルへ帰ります。それが遠い先のことでないことを小生は願っております。そしていっしょに幸福に暮しましょう……」
この手紙は一家の福音書になった。なにかにつけては読み直し、たずねてくる人ごとに出して見せる。
事実、その後十年のあいだ、ジュール叔父は便りをよこさなかった。しかし父の希望は、時がたつにつれてますます大きくなっていった。母もたびたびこんなことを言った。
「あのジュールさんさえ帰ってくれたら、私たちの暮しも変りますわ。なんといっても難場を切り抜けることのできた人ですからね!」
こうして、毎日曜日、大きな黒い汽船がへびのような煙を空に吐きながら水平線のほうからやってくるのをながめて、父は例のきまり文句をくりかえすのだ。
「え、どうだい、ひょっとしてジュールがあの中に乗っていたら、すばらしいね!」
するとみんなは、ジュールがハンカチを振って、
「おーい、フィリップ!」と叫ぶ姿がほとんど、今にも見えるような気になる。
確かにジュール叔父は帰ってくるという仮定の上にみんなはいろいろな計画を築いた。叔父さんの金で、アングゥヴィルの近くに小さな別荘を一軒買うことにさえなっていた。このことについて父がすでに交渉に着手していなかったとは断言できない。
上の姉はそのときは二十八で、下のほうは二十六だった。まだかたづいていなかった。それがみんなにとって大きな頭痛の種だった。
それでもとうとう申込者がひとり、次姉のほうにあらわれた。勤勉で、金はないが、正直なちゃんとした人だ。晩の訪問のときかなにかに一度見せられたジュール叔父の手紙が、その青年の≪ためらい≫を解消させ、決心を促したものと、僕は今でも確信している。
うちでは飛びつかんばかりにしてその申込みを受けいれた。そして式がすんだら、一家をあげてジェルセイまで小旅行をいっしょにしようということにきまった。
ジェルセイは貧乏人にとってはあこがれの旅の理想さ。たいして遠くない。郵船で海を渡り、外国の土がふめるというわけだからね。この小島はイギリスの領分だから。そこで、フランス人たるものはだれでも、舟航二時間にして、隣国の民を隣国の国土において観察する機会が得られるというわけだ。そして、簡潔な物言いをする連中の口吻《こうふん》をかりて言えば、イギリスの旗でおおわれているこの島の風俗習慣を、もっともこいつは香《かん》ばしくない風俗習慣だがね、その風俗習慣を研究することができるという寸法さ。
このジェルセイ旅行が僕たちの重大関心事になった。唯一の期待であり、二六時中の夢だった。
とうとう出発の日になった。まるで昨日のことみたいにありありとその光景が眼に浮ぶ。グランヴィル波止場に横づけになって早くも煙をはいている汽船、あわててうろうろしながら、僕たちの荷物の行李《こうり》三つを積みこむのを監督している父、嫁に行かぬほうの姉の腕をとって、浮かぬ顔をしている母、この姉はもう一人のが行ってしまって以来、まるでいっしょにかえった雛《ひな》の中からたった一匹取り残された雛鶏みたいに頼りない存在になっていた。それから、われわれのうしろが新婚夫婦だった。この二人はいつまでもおくれがちになるものだから、僕はたびたびうしろを振りかえって見た。
汽笛がなった。僕たちはもう乗りこんでいた。船は、突堤を離れ、緑色の大理石のテーブルのようなたいらな海の上を、沖へ出て行った。僕たちは岸が遠ざかって行くのをながめ、いい気持で得意になっていた。めったに旅行をしない人間がそういう場合に必ずそうなるように。
父は、フロックを着こんだ下腹を突き出していた。その日の朝も、念入りに、しみというしみをふきとったやつさ。そして例の外出日のベンジンの臭《にお》いを盛んに発散させていた。僕がいつもそれをかぐと、ああ日曜だなと思うあの臭いだ。
とつぜん、父は上品な様子をした二人の貴婦人に二人の紳士が牡蠣《かき》をごちそうしている光景を目にとめた。汚いかっこうをした老水夫が器用に小刀を使ってからをあけては紳士に渡す。と紳士がそれを貴婦人のほうへさしだす、というわけだ。婦人たちは、上等のハンカチの上にからをのせて、着物を汚さないように口をつき出しながら、器用に食べている。それからつるつると汁をのんでしまうと、からを海の中へ捨てる。
父は、疑いもなく、走っている船の上で牡蠣を食べるというしゃれたしぐさに誘惑を感じたのだ。こいつはしゃれた、りっぱな趣味だと思ったのだね。母や姉たちのところへやってきてこうきいた。
「どうだい、牡蠣を少しごちそうしようか?」
母は、金をつかわなければならないので、ためらっていた。しかし姉たち二人は即座に承諾した。母は、こまって、こう言った。
「私はまたおなかが痛くなりはしないかと思ってね。子供たちだけにごちそうしてやって下さい。しかし、あんまりたくさんはいけませんよ。おなかを悪くしますからね」
それから、僕のほうをふりむいて、こうつけ加えた。
「ジョゼフはいりませんよ。男の子を甘やかしてはいけませんからね」
そこで僕はこの区別を大いに不都合だと思いながら、母のそばに残った。僕は眼で父の姿を追った。父は意気揚々二人の娘と女婿を引き具して、汚いかっこうをした老水夫のほうへ案内して行く。
二人の貴婦人は立ち去ったあとだ。父は姉たち二人に牡蠣《かき》の水をこぼさずに食べるにはどうしたらいいか説明していた。そればかりか自分で手本を示そうとして、牡蠣を一つ手にとりあげた。例の貴婦人たちのまねをしようとしたとたん、たちまち汁を全部フロックの上にこぼしてしまった。僕は母がつぶやくのを聞いた。
「だから言わんことじゃない、じっとしていればいいのに」
が、とつぜん父がなにか不安げな様子になったように僕には見えた。五、六歩退き、牡蠣売りのまわりに集まっている家族をじっと見つめた。それから、だしぬけに、僕たちのいるほうへやってきた。ひどく顔色がわるいように僕には思われた。なんともいえない妙な眼つきをしている。母にむかって、小声で、こう言った。
「あの牡蠣のからをあけている男が、じつにふしぎなくらいジュールに似ているんだがね」
母は、びっくりして、きいた。
「ジュールって、どのジュールです?」
父はつづけた。
「そりゃ……弟のジュールさ……アメリカでりっぱにやっているということを知っていなければ、どうしたって弟だと思いこむところだ」
母は、度を失って、どもるようにこう言った。
「ばかね、あなたも! ジュールでないということがわかっていたら、なぜそんなくだらないことをおっしゃるのです?」
しかし、父はなおもこう言うのだ。
「まあ、クラリッス、おまえも行って見てごらん、おまえが、自分の眼で、自分でたしかめてくれたほうがいい」
母は立ちあがって娘たちのいるほうへ行った。僕も、その男をながめていた。うす汚ない老人で、皺《しわ》だらけだった。自分の仕事から眼を離そうとしないのだ。
母がひきかえしてきた。母がわなわなふるえているのが僕にもわかった。母は早口にこう言った。
「確かにジュールだと思います。船長のところへ行ってくわしいことをきいてきて下さい。なによりも、へまなことを言わないで下さいよ。こんどあのやくざにころげこまれたら、それこそ、ことですからね!」
父はむこうへ歩いて行った。僕はそのあとにくっついて行った。僕はふしぎな感動に胸をつきあげられた。
船長は、やせた背の高い紳士で、長い頬ひげをたくわえていたが、まるでインド通いの郵船の指揮でもしているような、もったいぶった様子で、船橋の上を歩きまわっていた。
父は威儀を正して船長に近づき、≪おせじ≫の伴奏をつけながら、相手の商売について質問をあびせた。
「ジェルセイの繁盛は昔はどんなでした? 産物は? 人口は? 風俗は? 習慣は? 地味は? 等、等、等」
まるできいてることが少なくともアメリカ合衆国のことかなにかくらいには聞える。
それから僕たちの乗っている船「特急丸」の話になり、それから乗組員の話になった。最後に、父は、妙にうわずった声でこうきいた。
「あすこにおもしろそうな年よりの牡蠣売りがいますね。あの老人についてなにかくわしいことをごぞんじですか?」
こんな話のやりとりにとうとういらいらしてきた船長は、冷やかにこう答えた。
「去年アメリカで拾ったフランス生れの老いぼれの浮浪人です。私が国へつれて帰ってやったのです。ル・アーヴルに親戚があるらしいが、そこへ帰りたがらないのです。借金があるとかで。ジュールという名ですがね……ジュール・ダルマンシュかダルヴァンシュとかいいましたっけ、なんでもそんなふうな名前ですよ。むこうで一時ははぶりがよかったらしいが、今ではごらんなさい。あのありさまです」
鉛色《なまりいろ》にあおざめていた父は、眼さえ血走り、のどをしめつけられたような声で、やっとこう言った。
「はあ、はあ! なーるほど……なるほど……そりゃそうでしょうな……いや、船長、どうもありがとうございました」
こう言い捨てて、父はむこうへ行ってしまった。いっぽう、船長はあきれて相手の遠ざかって行くのをながめた。
父は母のそばへ引きかえしてきたが、その顔つきがあまりにとり乱していたので、母は父にむかってこう言った。
「腰かけたらどうです。なにかあったとかんづかれますよ」
父はどもりながらベンチの上に倒れるように腰をおろした。
「あいつだった。まぎれもなくあいつだった!」
それからこうきいた。
「どうしたものだろう?……」
母がきめつけるように答えた。
「子供たちを遠ざけなくちゃなりません。ジョゼフはみんな知っているのだから、ジョゼフに行って呼んできてもらいましょう。娘の主人がなにごともかんづかないように特別の注意がかんじんですよ」
父はすっかりまいりきった顔をしていた。つぶやくようにこう言った。
「なんという破局だ!」
母は、出しぬけに声をたてて、猛然とこうつけ加えた。
「私はね、前からそうじゃないかと思っていたんですよ。あんな泥棒になにができるものか、結局はまたぞろ私たちの荷やっかいになるだろうとね! ダヴランシュの家の人間なんてろくなことができるはずがないのに、なにかをあてにするなんて、ほんとに!……」
と、父は額に手をあてた。細君の非難をあびるといつもやる、あの姿勢だ。
母はさらにつけ加えた。
「ジョゼフにお金をやって、牡蠣の金をはらわせて下さい。さあ、早くしましょう。あの乞食にこっちの顔を気づかれたら最後じゃありませんか。船の上でいい物笑いの種になりますよ。むこうの端へ移りましょう。あの男が私たちのほうへ近よらないようにしなくちゃ!」
母は立ちあがった。二人は僕に五フラン銀貨一枚渡したあとで、むこうへ行ってしまった。
姉たちは、なんのことやらわけがわからず、父を待っていた。僕は母さんが少し船に酔ったのだと断言し、牡蠣売りにむかってきいた。
「おいくらですか、おじいさん?」
僕は叔父さんと言いたかったのだ。
老人は答えた。
「二フラン五十です」
僕は五フラン銀貨をさしだし、老人はおつりをくれた。
ぼくは老人の手をながめた。皺《しわ》だらけの哀れな水夫の手だった。僕はその顔をながめた。運命に打ちひしがれた、悲しい、老いさらばえたみじめな顔を。心の中でこう叫びながら。
「これが叔父さんだ。おとうさんの弟の、叔父さんだ!」
僕は、チップに五十サンチーム渡した。老人は礼を述べた。
「坊ちゃん、おありがとうございます!」
施しを受ける乞食の言葉つきだった。きっと、むこうで、乞食をしたことがあるに相違ない! そう僕は思った。
姉たちは、僕の気前のよさにあっけにとられて、僕をみつめていた。
僕が二フランを父にかえすと、母が、驚いて、きいた。
「三フランもしたのかい?……まさかねえ」
僕は声に力をいれてはっきりとこう言った。
「五十サンチーム、チップを渡しました」
母親はぎくりとして僕の眼をにらみつけた。
「ばかな、あんなやつに、あんな乞食に、チップを五十サンチームもやるなんて……」
母は、女婿のほうをさしている父の視線にあって、口をつぐんだ。
それからみんなだまった。
前方の水平線に、紫色の影が海からせりあがってくるように見え出していた。ジェルセイだった。
突堤に近づいたとき、もう一度ジュール叔父の顔をみたい矢も楯《たて》もたまらぬ気持が僕の胸につきあげてきた。そばへよって、なにかやさしい、なぐさめになる言葉をかけてやりたかった。
しかし、もうだれも牡蠣を食べるものがなかったので、老人の姿は見えなくなっていた。
おそらく、このあわれな男のねぐらになっている、不潔な船艙《せんそう》の底へおりて行ったのだろう。
そして僕たちはサン・マロ行の船で帰ってきた。叔父にあわないためにだ。母は不安に生きた心地もない様子だった。
僕はそれから二度と父の弟を見たことがない!
こういうわけで、僕がときどき乞食に五フラン銀貨をやる場面を、これからも君は見るだろうよ。
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ひも
――アリ・アリスに
ゴデルヴィルに集まる街道という街道の上にあふれて、百姓とその女房たちが、町を目ざしておしよせてくる。市日《いちび》だからだ。男は、ゆっくりした歩調で、ねじれた長い脚《あし》を運ぶごとに、上体を前につき出しながら、歩いて行く。激しい労働のために、力をこめて鋤《すき》の上にかがみこむために、脚がゆがんでいるのだが、それは同時に左の肩をいからせ、腰をねじらせている。鎌を使って麦を刈る仕事、これはからだの安定を保つためにひざを開かせる。その他あらゆる緩慢な骨の折れる野良《のら》仕事のためにゆがんでいる脚である。固くのりをつけて、ニスを塗ったようにてかてか光る、青い彼らの仕事着は、えりのところと袖口のところに小さな白い飾りのひもが縫いつけてあり、骨ばった彼らの上体のまわりで風をはらんでふくらみ、今にも飛びあがろうとしている風船のように、頭と腕と脚が二本ずつ生えている風船玉のように見える。
牝牛《めうし》や子牛をひいた綱の端を握っているものもある。そして、女房たちは、畜生のうしろから、その歩みを早めるために、まだ葉のついている木の枝をむちにしてその尻をたたく。腕に大きな籠《かご》をかかえているが、その籠の中から、こっちにはひな鶏、むこうにはあひるというふうに、家禽《かきん》が首を出している。そして女たちは亭主たちよりは速い小刻みの足どりで歩いている。胸はやせてふくらみがなく、ちいさな窮屈な肩掛を平らな胸の上にピンでとめて、それで胸を包んでいる。頭にはぴったり髪の上から押えつけるように白いきれを巻きつけ、その上に帽子がのっている。
それから、腰かけつきの荷車が、鞍《くら》をおいたちび馬のあわてたような速足に揺られて、並んで腰かけている二人の男と、車の奥にのっている一人の女をやけに揺すぶりながら、通って行く。女は激しい車の反動をいくらかやわらげようとして一生懸命車のふちにしがみついている。
ゴデルヴィルの広場はたいへんな雑沓《ざっとう》である。人間と家畜をこきまぜた群衆、その群衆の波の上に牛の≪つの≫と、裕福な百姓の毛ばの長い高帽と百姓女のかぶりものが、うかびあがっている。かん高く、きんきんどなる、騒々しい人声が、切れ目のないすごいどよめきを形作り、それを押えるように、ときどき、きげんのいい田舎者のがっしりした胸から飛び出す爆笑が響いたり、家の壁につながれた牝牛の長くひっぱるほえ声が聞える。
これらすべてが家畜小屋の匂《にお》いを、牛乳と堆肥《たいひ》と、まぐさと汗の匂いを、発散している。野良《のら》に働く人に特有の、人間と家畜の匂いであるえぐい、胸の悪くなる匂いを発散している。
ブレオテのオーシュコルヌどんは、今ゴデルヴィルに着いたところである。広場のほうに向って歩いているが、ふと地面にひもの切れはしの落ちているのを見つけた。生粋《きっすい》のノルマンジー人として〈しまつや〉であるオーシュコルヌどんは、役に立つものはなんでも拾っておくほうがいいと考えた。そこで苦しいのをがまんしてかがみこんだ。ほかでもない、彼はリューマチで困っていたのである。地面に手をのばして、細いひもきれを拾いあげた。それからていねいに巻いておこうとした。と、そのとたんに、馬具師のマランダンが店の戸口のところに立って、じっとこっちを見ているのに、気がついた。二人は、依然、面繋《おもがい》一つのことでいざこざを起したことがあった。二人とも執念深い性質のほうだから、いまだに腹をたてあっていた。泥の中に、ひもの切れはしをさがしているところを、こんなふうに自分の敵に見られたことで、オーシュコルヌは一種の恥ずかしさに襲われた。いきなり拾ったものを仕事着の下にかくし、それから、ズボンのかくしへ押しこんだ。それからなお地面の上になにかをさがすような、それが見つからないようなふりをした。それから、リューマチの痛さにからだを二つに折り曲げるようにし、首を前につき出して市場のほうへ歩いて行った。
やがて、はてしなく続いている商品の垣にせかれて、歩みののろくなった、ざわめき、叫んでいる群衆の中へ消えた。百姓たちは、牝牛に手をふれ、むこうへ行ったと思うと、また引きかえしてきて、思い迷っている。いつでも≪はめられる≫のが心配でしかたがない。どうしても買うか買わぬか決心がつかず、売手の眼色をうかがい、相手の男の奸計《かんけい》を見破り、売物の家畜に難癖をつけようと際限のない努力をくりかえす。
女たちは、足もとに例の大きな籠をおろして、中から家禽を取り出すと、家禽どもは脚をしばられているものだから、地面にころがって、きょとんとした眼をぱちくりさせ、とさかだけが赤く目立つ。
女たちは客の言い分をじっときいている、冷然と、顔色一つ動かさず、つけ値を譲ろうとしない。かと思うと、とつぜん、相手の申し出た値引に応じる気になって、のろのろむこうへ歩いて行く客に追いすがるように叫ぶ。
「もうし、きめたで、アンチムどん、売りますだよ」
それから、少しずつ、広場の人数が減った。そして昼の鐘が鳴ると、家が遠くて帰れない連中は、思い思いに宿屋の中へ消えて行った。
ジュルダンの店では、大広間が食事をする客でいっぱいだった。広い前庭があらゆる種類の車で充満しているのと相応じている。荷車、一頭立て二輪馬車、腰掛付き荷車、軽二輪車、ほろ付き二輪馬車、等かぞえきれないくらいである。泥で黄色くなり、ゆがんで、つぎはぎだらけに修繕の跡の見えるやつが、二本の腕をのばしたように、轅《ながえ》を空にむかってつき出したり、鼻を地面にくっつけて、尻を宙にさしあげたりしている。
テーブルについているお客のすぐかたわらに、とほうもなく大きな暖炉が、勢いよく燃えていて、右側の並びの連中の背中に、はげしいぬくみを投げてよこす、ひなどりと鳩と羊のもも肉を刺した金ぐしが三本まわっている。焼ける肉と、こげた皮の上にたらたらたれる肉汁のうまそうな匂いが、炉床から立ちのぼり、人々の陽気な気分をさらにかきたて、唇をしめらせる。
鋤《すき》を押す生活における上層階級に属するものが全部ここで、ジュルダンのおやじのところで、食事をするのである。ジュルダンは宿屋の亭主兼|馬喰《ばくろう》で、しこたま金をためこんだしたたかものである。
皿がどんどん運ばれ、からになった。黄色いリンゴ酒のはいったびんも同様である。めいめいが自分の商売のことを、買ったもの、売ったもののことを、話している。作柄《さくがら》をききあったりしている。天気は葉ものには上乗だったが、麦には少し日でりがたりなかった。
だしぬけに、家の前の前庭で、太鼓のすり打ちが響いた。二、三の無関心な連中を除いて、たちまち総立ちになった。口いっぱいに頬ばったまま、ナプキンを手に、一同は戸口のほうへ、窓のほうへ、かけよった。
太鼓のすり打ちを打ち終ると、その≪ひろめ屋≫は、一句一句節を正しく切ってうたうように、断続的な声で、口上を始めた。
「えーい、ゴデルヴィルのみなみなさまに、してまた、――こんにち市場においでの皆さまがたに――申しあげまーす――今朝、ブーズヴィル街道におきまして、九時より十時までのあいだに、黒革製の財布《さいふ》一個、金五百フラン並びに書類いりのもの、――紛失|仕《つかまつ》りました。お拾得のかたは――たーだちに、町役場、もしくは、マヌヴィルのフォルチュネ・ウルブレック氏がたへ、おとどけのほどお願い申しあげまーす。おとどけのかたには二十フランの謝礼いたしまーす」
それがすむと男はむこうへ行った。遠くでもう一度、太鼓の音と、ひろめ屋の口上がかすかに聞えた。
すると、一同はこの事件について話しはじめた。ウルブレックどんがなくした紙入れをみつけるだろうか、それともみつけないだろうか、どっちの機会が多いだろうと勘定しながら。
そうして、食事は終った。
一同がコーヒーを飲みおわっているところへ、憲兵|屯所《とんしょ》の班長が戸口に姿をあらわした。
班長がきいた。
「ブレオテの、オーシュコルヌどんはいるかね?」
食卓のむこうのはしにすわっていたオーシュコルヌどんは答えた。
「はあ、いますだよ」
班長は言葉をつづけた。
「オーシュコルヌどん、町役場までいっしょにあゆんでもらおうかね。町長さんが話したいことがあるとさ」
百姓は、驚き、不安になり、あわててぐいとプチ・ヴェール≪コニャックのさかずき≫をあけ、立ちあがった。それから、朝の時よりももっとからだを曲げて、というのは、いつでも食事のあとの足の踏み出しは特別に苦しかったからであるが、こうくり返しながら歩き出した。
「はあ、いま行きますだよ。はあ」
それから彼は班長について行った。
町長は、ひじかけ椅子にどっかと腰をおろして、待っていた。この土地の公証人で、でっぷり太った男であるが、しかつめらしい顔をして、もったいぶった言葉ばかりを使う。
「オーシュコルヌどん、けさ、あんたが、ブーズヴィル街道で、マヌヴィルのウルブレックどんのなくした紙いれを拾得したのを、見たものがあるな」
いなか者は、あっけにとられ、町長の顔を見つめたが、理由はのみこめないながらも、自分の上に降りかかったこの嫌疑《けんぎ》に早くもおじけづいていた。
「おらが、おらが、紙いれを拾いましたと?」
「さよう、まさしくおまえさんがね」
「金輪際《こんりんざい》、そんなものは見たこともねえ」
「見たものがある」
「見たものがある? おらを? だれが見ただか?」
「馬具屋のマランダンさんだ」
これを聞くと老人は思い当たり、のみこめた。そして激怒にまっかになりながら、
「ああ! わかっただ。あの野郎が見たというなら! ほら、見てくだせえ、町長さん、おらがこのひもを拾うのを、あの野郎が見たんでがす」
こう言って、ポケットの奥を探りながら、彼は例のひもの切れはしをひっぱり出した。
しかし、町長は、疑り深く、かぶりをふった。
「そんなことを言ったって、信じられないね、オーシュコルヌどん。マランダンさんは信用のできるりっぱな人だが、その人が、そのひもを紙いれとまちがえたというのはちとおかしいね」
百姓は、激怒し、手をあげ、自分の名誉のあかしをするためにかたわらをむいてつばをはき、くりかえした。
「そんなこと言ったって、これが、正真正銘《しょうしんしょうめい》、ほんとのことでがすぞ、町長さん。おらの魂にかけて、神さまのお救いにかけて、なんべんでも申しますだ」
町長は言葉をつづけた。
「品物を拾ったあとで、なおしばらく泥の中をさがしたそうじゃないか。銭《ぜに》が一枚でもこぼれはしなかったかとね」
老人は怒りと心配にのどがつまった。
「そりゃあんまりだ!……あんまりだ……正直な人間に傷をつけるためにこんなうそをつくとは! あんまりだ!……」
いくら抗弁してもだめだった。信じてもらえなかった。
マランダン氏と対質させられたが、マランダンは前言をくりかえし、断定をまげなかった。二人は一時間たっぷり罵《ののし》りあった。本人の申し出により、オーシュコルヌどんの身体検査をおこなった。なんにも見つからなかった。
ついに、町長はすっかり当惑して、オーシュコルヌの帰宅を許した。検事局に報告して指導を仰ぐからそのつもりでと、言いながら。
うわさはすでにひろまっていた。役場から出てくると、たちまち老人は大ぜいに取り巻かれ、質問の雨を浴びせられた。まじめな、あるいはふざけ半分の好奇心を燃やしてきくのだが、いっしょに憤慨してくれるような気配は薬にしたくもない。老人はひもの一件をくどくどと語りはじめた。だれも信じなかった。みんなにやにや笑っていた。
老人は、たれかれと言わずみんなから引きとめられ、また知った顔に行きあえばこっちから引きとめて、はてしもなく自分の話と抗弁をくりかえし、なんにもとりはしなかったことを証明するためにポケットをひっくりかえして見せたりしながら、歩いて行った。
こんなことを言うやつもある。
「へえ、やってるな、爺さん!」
老人は腹をたて、いきりたった。信じてもらえないやりきれなさに熱が出た。どうしていいかわからず、あいかわらず自分の話を語りつづけた。
夜になった。帰らなければならない。老人は三人の近所の衆と道づれになって歩き出した。その三人に自分がひもきれを拾った場所をここだと教えてやった。そして道々ずっと思いがけない災難のことを話した。
その晩、みんなに話してしまうために、老人はブレオテの村を一まわりした。どこへ行っても懐疑派ばかりだった。
そのために老人は夜どおし煩悶《はんもん》しつづけ、半病人になった。
翌日、午後一時ごろ、イモーヴィルの農夫ブルトンどんの作男マリウス・ポメルが、紙いれと中味とを、マヌヴィルのウルブレックどんにとどけた
この男が言うには、事実、往来で、品物を拾うには拾ったが、字が読めないので、家へ持って帰って主人に渡した、というのである。
うわさはすぐ近所にひろまった。オーシュコルヌどんも知らせを受けた。老人はただちに村まわりをはじめ、大詰を加えて増補《ぞうほ》訂正された話を語り始めた。どんなものだいと言わぬばかりに。
「おらの残念でたまらねえのは、今度の事柄ではねえ。ええかな、そうではなくて、うそをつかれたことだわさ。うそっぱちがもとで、なんくせぶたれるほどつらいものはねえ」
一日、事件の話をして歩いた。往来では通りがかりものをとらえて話し、酒場では飲んでいる連中に話した。次の日曜には教会から出てくる人々に話した。見知り越しでない人々までとらえて話した。今では老人はおちついていた。とはいうものの、なにか奥歯にもののはさまったような変な気持だった。なにがどうしたのかはっきりとわからなかったのであるが、彼の話をききながら、きくほうはおもしろがっているような様子なのである。心から信じてくれるふうには見えない。自分がむこうへ行ったあとでこそこそ話をしている気配が感じられるような気がする。
先週の火曜も、ゴデルヴィルの市《いち》へ出かけたが、ひとえに自分の立場を語りたい気持にかりたてられて出かけたのである。
マランダンは、戸口のところにつっ立ったまま、彼が通るのを見て、笑い出した。なぜだろう?
クリクトのある小作人に話しかけようとしたら、みんなまで言わせずに、ぽんと相手のみぞおちのところを平手でたたいて、おいかぶせるように、こうどなった。「へへへ、大将やったね!」それからくるりとむこうをむいた。
オーシュコルヌどんはあっけにとられ、ますます不安になってきた。なぜ自分のことを「やったね、大将」などと呼ぶのか?
ジュルダンの食堂で、食卓についたとき、老人は事件を説明しはじめた。モンチヴィリエのある馬喰《ばくろう》が大きな声でこう呼びかけた。
「おい、おい、古狸《ふるだぬき》のとっつあん、いいかげんにしな、おまえのひも話なら、ちゃんと知ってるぜえ!」
オーシュコルヌどんはどもるように行った。
「だって紙いれが出てきたでねえか?」
しかし相手は言いかえした。
「言うな、言うな、とっつあん、拾ったものは拾ったもの、かえしたものはかえしたものさ。まかふしぎ、奇妙きてれつ、てけれつてんてんだ」
百姓は息がつまった。やっとわかった。相棒に、共謀者に紙いれをとどけさせたという嫌疑がかけられているのだ。
彼は抗弁しようとした。食卓中のものが声をそろえて笑い出した。
食事を終りまですることができず、みんなの嘲笑《ちょうしょう》を浴びて、その場を立ち去った。
彼は家へ帰った。恥ずかしくもあれば腹だたしくもあった。立腹と当惑のためにのどがしめつけられるようだった。もちまえのノルマンジー人らしいずるさを発揮すれば、いま嫌疑をかけられているようなことをやりかねないばかりか、うまくやったといって自慢にしかねないだけに、ますますやりきれない気持だった。おぼろげながら、自分の潔白はもはや説明不可能のように思われた。食えないやつだということが知れ渡っているのだから。疑惑の不正で正《まさ》しく心臓を射抜《いぬ》かれたことを彼は感じていた。
すると老人は改めて事件を語りはじめた。日ごとに自分の話を引きのばし、そのたびごとに新しい理屈をつけ加え、少しでも強力な抗弁を、重みの加わる誓いの言葉を、ひとりでいる暇なときに考え出しては、つけ加えた。ただもうひもの一件で二六時中頭がいっぱいだった。弁解が複雑になり、理屈が巧妙になればなるほど、ますます人々は老人の言うことを信じなくなった。「あれはうそつき者の理屈さ」老人の背後でこう人々は言った。
彼はそのことを感じた。身にしみてくやしく、むだな努力に力を使いはたした。
老人は目に見えて衰えた。
ふざけたやつらは今ではおもしろ半分に老人に「ひも話」をさせた。戦争に行ってきた兵隊に戦争話をさせるように。老人の気持は、徹底的にやっつけられて、弱っていった。
十二月の末、老人はとこについた。
正月早々ついに死んだが、断末魔のうわごとに、自分の潔白を言いたて、何度もこうくりかえした。
「短いひもでさ……ほんの短いひもで……ほら、見てくだせえ、町長さん」
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老人
みぞのふちの背の高い生垣越しに、秋の薄陽《うすび》が、農家の前庭にさしていた。乳牛がきれいに平らげた芝草の下で、雨あがりの土が、ひとが歩くたびにぴちゃぴちゃ音を立ててくぼんだ。リンゴのいっぱいになった幾本ものリンゴの樹が、草原の濃い緑色の上に薄い緑色の果実を点々と落している。
若いこうしが四匹、一列につながれて、草をたべている、ときどき家のほうへ首をあげてモーと鳴く。めんどりの群が牛小屋の前の堆肥《たいひ》の上にあざやかな色をうつして動く、爪で引っかき、掘りかえし、くちばしでつつく。いっぽう二羽のおんどりは休みなしにときをつくり、めんどりどものために地虫をさがし、鋭いクックッという鳴き声をたてて呼ぶ。
木の柵《さく》が開いて、一人の男がはいってきた。四十がらみの男であろうが、六十くらいにも見え、しわだらけで、からだがねじれている。わらをいっぱい詰めた木靴の重みに、のろい、重そうな大またで歩いている。長すぎる両腕がからだの両わきにだらりとたれていた。男が家のほうに近づくと、小屋代りの樽《たる》のそばの、大きな梨《なし》の樹の根もとにつながれていた黄色いチンコロが、しっぽを振ったと思うと、それからうれしいというしるしにほえはじめた。男は鋭くしかりつけた。
「こら、静かにしろ、フィノ!」
犬は黙った。
百姓の女房《にょうぼう》が家の中から出てきた。骨ばった、肩幅の広い、偏平なからだが、きっちり胴をしめつけている毛の仕事着の下に、はっきりした線を見せていた。灰色の、短かすぎるスカートが、青い、靴下に包まれたすねの半分のところまでたれている。この女もやはり、わらをいっぱい詰めた木靴をはいていた。黄色くなった白い帽子が頭のはちにへばりついている多くもない髪を包んでいる。陽にやけた、やせた、醜い、歯の抜けたその顔は、しばしば百姓の顔の帯びているあの野性的な動物に近い風貌《ふうぼう》を呈していた。
男がきいた。
「どんなあんばいだ?」
女が答えた。
「司祭さまはもうだめだと言わしただよ。今夜を越すまいてね」
二人はいっしょに家の中へはいった。
台所を通り抜けて、二人は、天井の低い、黒くすすけた部屋の中へはいって行った。一枚のガラス張りの窓からかろうじてあかりをとっているが、その前にノルマンジー更紗《さらさ》のうす汚ない布がたれさがっている。天井の太い梁《はり》は、時代がついてくすみ、真黒にすすけて、部屋の端から端に渡されているのが見える。これが天井裏の物置の薄いゆか板をささえているのであるが、このゆかの上を、夜となく昼となく、鼠《ねずみ》の群が駆けまわる。
ゆか土は、でこぼこだらけで、湿っていて、脂《あぶら》かなにかでギトギトしているように思われる。そして、部屋の奥に、寝台がぼんやり白く浮んでいる。規則正しい、しゃがれた音が、こわれたポンプのたてるようなゴボゴボいう音を伴った、ゼイゼイ、ヒュウヒュウいう苦しい呼吸が、百姓女の父親である老人が瀕死《ひんし》の身を横たえている、うす暗い寝どこの中からもれてくる。
亭主と女房とはそばへ寄って行き、例のあきらめきったなんの表情もない眼で、死にかけている父親をながめた。
婿《むこ》が言った。
「こんどこそ、だめだな。今夜ももつめえて」
百姓女がそれを引きとってこう言った。
「おひるからだよ、こうやってゴボゴボ言いだしたのは」
それから二人は口をつぐんだ。父親は眼をとじていた。顔は土色で、かさかさに乾いているので、木でできているかと思われるくらいである。半ば開いた口から例の水のゴボゴボいうような苦しげな息がもれるのであるが、鼠色の布の掛けぶとんが息を吸いこむたびに胸の上で盛りあがる。
婿が、長い沈黙のあとでこう言った。
「こうしておくよりしかたがないな。どうにもならねえによ。ほんだとて、やっぱし、困ったもんだよ。菜種《なたね》のためには。天気はよし、明日は植えかえねえことにはおえねえ」
女房はそのことを考えると心配そうな顔をした。しばらく考えこんだあとで、それからはっきりこう言った。
「これから死ぬんだもん、葬式するたて土曜日より早くはできねえだよ。そうすりゃあした菜種のことはいくらでもできるだ」
百姓はじっと考えていたが、こう言った。
「そらそうだが、あしたは葬式の案内に歩かにゃなるめえ。トゥルヴィルからマヌトまで一軒一軒歩いて五、六時間はかかる」
女房は、二、三分考えたあとで、こう言った。
「今日のうちにふれまわりを始めちまって、トゥルヴィルのほうを片づけてしまえば、三時間は助かるて。死んだと言ってもかまわねえわな。とても晩まではもつめえからよ」
亭主はしばらく迷っていた。この考えの結果と利益とを考えながら、とうとう宣言するように言った。
「とにかく、出かけてみるから」
彼は出て行こうとした。それから、引き返してきたと思うと、ちょっとためらったあとでこう言った。
「おめえ、ほかに仕事はねえしするから、リンゴを落して焼くようにしておいてくれろよ。とむれえに来てくれる衆に出すのに、リンゴ饅頭《まんじゅう》四十ばかり作ってくれ。食いものは、はあ、とむれえには出すときまったものだからのう。天火はリンゴしぼり場の納屋に積んである≪ぼい≫でたきつけろよ。あのほうがよくかわいているから」
それから男は部屋を出て行き、台所へ引き返した。戸棚を開け、六斤のパンをとり出したと思うと、入念にひと片《かたわ》れ切りとり、台の上にこぼれたくずを手のひらのくぼみの中にすくいとって、ひと粒も粗末にしないように、口の中へほうりこんだ。それからナイフの先で茶色のかめの底から塩入りバターを少しかきとって、それを自分のパンの上にのばし、万事その調子だが、ゆっくりゆっくりたべはじめた。
それからもう一度前庭を横切り、またほえだした犬をだまらせ、屋敷のみぞに沿うて延びている道の上に出た。それからトゥルヴィルの方角にむかって遠ざかっていった。
一人になると、女房は仕事にかかった。粉箱のふたを開け、リンゴ饅頭の皮をこしらえにかかった。ながい時間をかけてこねた。さんざんひっくりかえし、いじくり、押したり、つぶしたりしながら、こねた。それから、その粉で、黄味を帯びた大きな球をこしらえ、それをテーブルのかどに並べた。
それがすむと、リンゴをもぎに出て行った。さおを使って樹をいためるといけないので、腰掛を持ってきて、樹の中へはいりこんだ。よく熟《う》れたのだけをとるように、気をつけてえらび、次々に自分の前だれの中へ入れていった。
往来から人の声が呼んだ。
「おーい、シコのおかみさん!」
女房はふりかえった。近所に住む村長のオシム・ファヴェどんだった。畑に肥料をいれに行くのである。こやし車の上に腰かけて、脚をぶらぶらさせている。女房はふりかえって、こう答えた。
「なに用でがすかの、オシムどん?」
「とっつぁまは、はあ、どんなぐあいかの?」
女房は大きな声で言った。
「はあ、まんずだめでがすよ。土曜日がとむれえでがす。七時でがすよ。菜種がせきますでの」
隣人は返事をした。
「心得《こころえ》ただ。しっかりやりなされ! たっしゃでな」
女房は相手のあいさつに答えた。
「ありがとさんで。おめえさまもなあ」
それからまたリンゴをもぎにかかった。
うちの中へはいるとすぐに、父親を見に行った。きっと死んでいるだろうと思いながら。しかし戸口のところでもう、例のそうぞうしい単調なゼイゼイいう音が聞きわけられた。時間つぶしをしたくないので、寝どこのそばへ寄るのは無益と考えて、すぐリンゴ饅頭をこしらえにかかった。
果物を、ひとつひとつ、薄いこね粉の皮の中に包み、それからテーブルの端に並べた。十二ずつ順々に並べて、四十八の球を作りおわると、女房は晩飯のしたくをしなければならないと思った。そして馬鈴薯《ばれいしょ》をゆでるために鍋を火にかけた。今日すぐに、天火に火をいれるのはむだだと考えたのである。ごちそうごしらえを全部おわるのに明日まだまる一日あるのだから。
亭主は五時ごろ帰ってきた。戸口の≪しきい≫を越えるとすぐ彼はこうきいた。
「きまりか?」
女房は答えた。
「まんだ、こんだ。あいかわらずゴボゴボいうてるて」
二人は見に行った。老人はまったく同じ状態をつづけていた。時計の歩みのように正確なのどのかすれる呼吸は、早くもならなければおそくもならなかった。空気がはいっていくときと胸から出るときとに応じて、少し調子をかえるだけで、一秒一秒正確にくりかえしている。
婿は老人の様子を眺め、それからこう言った。
「うっかりしているうちに消えるて、ローソクみたいにな」
夫婦は台所へひきかえした。それから、口数をきかずに、晩飯を食べはじめた。スープを食べおわると、また例のごとく、バターを塗ったパンを一片食べ、それからさっさと皿を洗ってしまうと、死にかかっている病人の部屋へ引きかえした。
女房は、しんのぐあいが悪いとみえてひどく油煙の出る小さなランプをかざして、それを父親の顔の前で動かした。息をしてさえいなければ、どうしたって死んでいるとしか思われなかった。
百姓夫婦の寝台は部屋のもういっぽうの端に一種の奥まった場所に、かくれていた。夫婦はひと言も口をきかずに寝どこにはいり、あかりを消し、眼を閉じた。やがて、ふぞろいな二つのいびきが、一つは深く、一つはいくらか鋭いいびきが、死にかけている老人の休みなしにゼイゼイいう音に伴奏をつけた。
鼠がしきりに天井をかけめぐった。
亭主は夜のしらじら明けにもう眼をさました。女房の父親はまだ生きていた。老人のこの根強さに不安になって、彼は女房をゆり起した。
「おい、フェミや、まだきまらねえぞ。おめえ、どうするか、はあ?」
亭主は女房が思案の名人だということを知っていた。
女房は答えた。
「なにさ、間違いなし今日を越すことはないて。その心配はまんずいらねえわな。今日じゅうに死ぬとして、あしたとむれえ出したとて村長さんさ文句は言わねえよ。ルナールのとっつぁまのときにもしたことだからね。ちょうど種まきのときだったでねえか」
理屈の筋がよく通っているので亭主は納得した。そして野良《のら》へ出て行った。
正午に見たときも、老人は死んでいなかった。菜種の植えかえに雇った日傭《ひよう》とりの連中がぞろぞろやってきて、なかなか死なない老人を見物した。一人一人自分の意見を述べ、それからまた畑へ出かけていった。
六時に家へ帰ってみると、父親はまだ息をしていた。婿は、とうとうおじけづきだした。
「どうするな、こうなったら、なあ、フェミ?」
女房とてなおさらどうしていいか解決がつかなかった。村長に会いに行ってみた。村長は見ぬふりをして翌日の埋葬を許可すると約束してくれた。医者にも会いに行ったが、やはりシコどんのことだから特別に死亡診断書の日付を早くしてやるとうけあってくれた。亭主と女房は安心して家へ帰った。
二人は寝どこにはいり、昨日と同じように寝についた。彼らの高い寝息を老人のそれよりは弱い息の音にまじえながら。
夫婦が眼をさましたとき、父親はまだ死んでいなかった。
これを見ると二人はすっかり狼狽《ろうばい》した。父親の枕もとに立ちすくみ、うさんくさそうに父親の様子をながめまわした。まるで父親がなにかけしからんいたずらをしかけたかのように。二人をだまし、困らせて喜んでいると言わんばかりだった。なによりも時間つぶしをさせられるのが腹がたってならなかった。
婿がきいた。
「どうするか?」
女房にもわからなかった。こう答えた。
「こまったことだわ、ほんとにさ!」
じきにやってくるお客に今からいちいち知らせることはとてもできない。お客のやってくるのを待って、事態を説明することに決めた。
七時十五分前ごろ、最初の連中が姿をあらわした。喪服を着た女たちが、大きなヴェールに顔を包んで、悲しげな様子を作ってやってきた。男たちは、羅紗《らしゃ》の上衣に窮屈そうにからだを包んで、このほうは遠慮のない歩き方でやってくる。二人ずつ並んで、作柄の話かなにかをしながら。
シコと女房は、気もそぞろに、せつながりながら、彼らを迎えた。そして、二人とも、だしぬけに、いいあわせたように、最初の一団に近づきながら、泣き出してしまった。事件を説明し、自分たちの困った立場を語った。客に椅子をすすめ、だれだって自分たちと同じようにしたに違いないということを証明しようと躍起《やっき》になり、だれにも返答の余地を与えないくらいにとつじょとして饒舌《じょうぜつ》になり、際限もなく話しつづけた。一人一人の客のところを歩きまわった。
「とても考えられないことでさ。こんなにもつとは、とても考えられないことでさ!」
お客たちは、びっくりし、待っていた儀式を見そこなった人のように、いくらか当てはずれの気持で、どうしていいかわからず、立っているもの、すわっているもの、まちまちだった。なかには帰ろうとするものもあった。シコどんがそれをひきとめた。
「ともかくひと口あがっておもらい申しましょう。リンゴ饅頭をこしらえておきましたからの、むだにすることはないでの」
リンゴ饅頭のことを考えると、みんなの顔が明るくなった。一同は小声で話しはじめた。前庭がだんだんいっぱいになってきた。先着の連中が新来のものにニュースを知らせた。みんなひそひそ話しあい、リンゴ饅頭のことがみんなを陽気にした。
女たちは死にかけている老人の姿を見にはいった。寝台のそばまで行って十字を切り、なにかお祈りの文句を口の中でぶつぶつ言い、それから出て行った。男たちのほうは、そんな光景をそれほど見たがりもせず、開け放しになっている窓からちらりとながめるだけだった。
シコのおかみが老人の末期《まつご》の呼吸の変態ぶりを説明した。
「もう二日もそうやっているのですからの。よけいにもならなけりゃ少なくもならない。高くも低くも、なんともならないのですからの。なんのことはない、水のなくなったポンプみたいでがしょ?」
みんながひとわたり死にかけている老人を見物しおわると、みんなは期せずして、出される食事のことを考えた。しかし、台所へみんなが並ぶには人数が多すぎたので、戸口の前へ食卓を持ち出した。うまそうな、金色に色づいた四十八のリンゴ饅頭が、二つの大皿に並べられて、人々の眼を吸いつけた。めいめい手を延ばして、自分の分をつかんだ。足りなくなりはしないかと心配しながら。それでも四つあまった。
シコが、口いっぱいに頬ばりながら、こう言った。
「おらたちを見たら、とっつぁま、せつながるだろうて。生きていたときは、これが大好物だったからの」
ひょうきん者のふとった百姓が宣言するようにこう言った。
「もうこうなったら食べられねえなあ、とっつぁま。みんな自分の番がまわってくるぞ」
この反省は、列席の者の気持を暗くするどころか、彼らをおもしろがらせたように見えた。いまは自分たちの、彼らの、番なのである。饅頭を食べることが。
シコのおかみは、物いりにすっかりやりきれない気持になりながら、たえず酒倉へリンゴ酒をとりに行った。酒びんが次から次へと運ばれ、次々にからになった。大きな声で笑い出すものさえあった。みんな高い声で話した。宴会のときにどなるようにどなりはじめるものもあった。
とつぜん一人の婆さんが、やがて自分の身の上にも起るはずのことを、こわごわながら見たい気持に引きとめられて、瀕死《ひんし》の病人のそばに残っていた婆さんが、窓のところにあらわれて、鋭い声で叫んだ。
「きまったぞ! きまったぞ!」
みんなぴたりとだまった。女たちは見にゆこうとして立ちあがった。
いかにも、老人はことぎれていた。ゼイゼイいうのをやめていた。男たちは、顔を見あわせ、間《ま》の悪い気持で眼を伏せた。饅頭を食べおわっていなかったのである。悪いときを選んだものだ、爺さんめ!
シコ夫婦は、もう、泣いていなかった。これできまったのだ。ひと安心。大安楽だ。二人はしきりにくりかえした。
「ながもちするはずはないことはわかっていたのでさ。ゆんべのうちにきまっていてくれれば、こんな人騒がせはしないですんだものをさ。ほんとに」
それでもかまわない。とにかくきまることはきまった。月曜に葬式を出す。それだけのことさ。そのときはそのときでまたリンゴ饅頭を食えばいい。
客は、話をしながら、帰っていった。とにかく、こんな光景が見物できたことに、それにまた一口ごちそうになったことに、満足しながら。
亭主と女房の二人だけが残され、さしむかいになったとき、女房は心配のため、顔をひきつらせながら、こう言った。
「なんといったって、また饅頭を四十八も焼かなきゃならねえわさ! ほんとにゆんべのうちにきまっていてくれれば!」
しかし、亭主のほうは、女房よりあきらめがよく、こう答えた。
「なにさ、毎日あることではなし」
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雨がさ
――カミーユ・ウジノに
マダム・オレイユはしまり屋だった。一銭の銭《ぜに》の値うちを知っており、金をふやすことについての厳格な方針をちゃんともっていた。女中が台所の買物をくすねるのに大いに骨が折れたことは、保証してもいい。ご亭主のオレイユ氏はかろうじて小遣《こづかい》銭にありつくのに、極度の困難をなめなければならなかった。といっても二人の暮しは楽であり、子供もなかった。だがオレイユ夫人は、白いきれいな銀貨が自分の手から流れ出していくのを見ると、真実、肉体的苦痛を覚えるのだった。いわば胸が裂かれるような気持だった。ちょっと相当な額の出費をしなければならなくなるたびごとに、どうしても出さずには済まされないものでありながら、その晩はきまって眠れなかった。
オレイユは口癖のように妻にこうくりかえした。
「もう少し鷹揚《おうよう》にしてもいいと思うがね、利子にくいこんでいる訳ではなし」
女房は答える。
「人間、先のことはわかりませんよ。足りないよりあまっているほうがよござんすからね」
四十がらみの小女で、元気者、しわだらけながら、きれい好きで、よく腹をたてた。
亭主は、年じゅう、女房からなめさせられる不自由をこぼしていた。そのなかには彼にとって特別に堪えがたいものがあった。ほかでもない、それは彼の虚栄心を傷つける種類のものだったのである。
陸軍省の首席雇いだったが、そうやってその位置にとどまっているのは、ひとえに女房の意志に服従するため、家《うち》で手をつけない年金をふやすためだった。
ところで、二年間、彼はつぎはぎだらけの同じかさをさして役所へ出勤していたが、それが同僚の物笑いの種だった。とうとう同僚の悪じゃれにたまりかねて、オレイユ夫人において新しいかさを購入してくれるよう要求を提出した。女房は、ある大きな店の広告商品という八フラン五十のしろものを買った。パリじゅうに幾千となくばらまかれている、ひと目見てわかる品物を見つけたとき、小役人どもは、えたりとばかり悪ふざけを新たにした。オレイユは口で言えぬ苦しみを味わった。かさは品がだめだった。三月で使えなくなり、省内の沸《わ》きかたといったらなかった。小唄《こうた》さえ作られ、朝から晩まで、大きな本省の建物の上から下まで、一日じゅうその小唄が聞えた。
オレイユは、怒って、もう一本新しい大型のかさを買ってこいと妻に命じた。絹張りで、二十フランぐらいの品物でなければだめた。受取りをもらっておけ、と言った。
女房は十八フランの品を買い、立腹のあまり真赤になって、夫に品物を渡しながら、こう宣言した。
「これで少なくとも五年は使ってもらいますよ」
オレイユは、意気揚々、役所で文字通りの成功をかちえた。
夕方ひけて帰ると、女房が、かさに心配そうな一べつを投げながら、こう言った。
「ゴムひもでしめたままにして置くってことがありますか。わざわざ絹を弱らせるようなものじゃありませんか。気をつけるのはあなたの役目ですよ。もうそんなに早くは買ってあげませんからね」
こう言ってかさを手に取り、環《わ》をはずして、折り目をふるった。だが女房はあっと言ったなり胸がつかえてしまった。丸い穴が、一銭銅貨大の穴が、かさの真中にまざまざとあいているではないか。葉巻の焼けこがしだ!
女房はせきこんでどもった。
「どうしたんです、これは?」
亭主は、そのほうを見もしないで、おちつきはらって答えた。
「だれが、なにを、どうしたというんだい? なんのことかね、いったい?」
今ははや女房は怒りにのどをしめつけられて口がきけなかった。
「あ……あ……あなたという人は……じ……じ……自分のかさに……焼けこがしをこしらえておきながら。き……き……気違いめ!……うちを破産させるつもりか!」
亭主は、自分の顔色が青くなるのを感じながら、ふりむいた。
「今なんと言った?」
「おまえさんがかさに焼けこがしをこしらえたと言っているんですよ。ごらんこれを!……」
こう言ったと思うと、相手をなぐりつけるような勢いでおどりかかりながら、荒々しく亭主の鼻先へ、丸く穴のあいた小さな焼けこがしをつきつけた。
亭主はその焼けこがしを前に茫然《ぼうぜん》自失して、口の中でやっとこれだけ言った。
「そ、そ、それはいったい……どうしたんだ? おれは知らんぞ、おれは! おれはなにもせん、絶対になにもせん。誓ってせんぞ! どうしたことか、おれにはわからん、このかさが」
女房はもう恥も外聞もなくどなりたてた。
「きっとこのかさを相手に役所で茶番をやったんだろう。軽業《かるわざ》をしたんだ。見せびらかそうとしてひろげて見せたんだ」
亭主は答えた。
「そりゃ一度だけひろげたさ、りっぱなところを見せてやろうと思ってね。それだけだよ。決してうそは言わん」
だが女房は憤激のあまりじだんだを踏んだ。それから例の夫婦間の修羅場《しゅらば》を一席、平和を愛する男に、家庭を弾丸|雨飛《うひ》の戦場のほうがましだと思わせる例の修羅場を一席演じてのけた。
色がちがっているのもかまわず、前のかさから切り取った絹のきれで継ぎはぎをした。翌日、オレイユは悄然《しょうぜん》と、修繕のできたかさをかかえて出勤した。自分の戸棚の中へしまうと、なにかいやな記憶をひとが考えまいとするように、もうかさのことは考えなかった。
だが、その日の夕方、うちへ帰るが早いか、女房は彼のかさをひったくり、どんなぐあいか見るために広げたと思うと、取りかえしのつかぬ惨状にのどがつまってしまった。小さな穴が一面にあいているではないか。明らかに焼けこがしに起因する穴であり、まるで火のついたパイプの灰をぶちまけたとしか思えなかった。とうてい使い物にならない状態になっていた。手のつけようがなかった。
女房は一言もいわずにそれを見つめるばかりだった。あまりに怒りが激しく、のどから声が出なかった。亭主も同じく、まのあたりこの被害を見て、びっくりぎょうてん、茫然自失するばかりだった。
それから夫婦は顔を見あわせた。それから亭主は眼を伏せた。それから女房の投げつけた穴だらけのしろものをまともに顔で受けとめた。それから女房が、いきりたったひょうしにいつもの声を取りもどして、どなった。
「ええ! 畜生! 畜生! 畜生! わざとしやがったんだ、わざと! 畜生、思い知らせてやる! もう絶対に持たせない……」
それからまたしても例の修羅場になった。一時間ばかりあらしが続いたあとで、亭主はやっと言い開きをすることができた。天地神明に誓って自分には合点《がてん》の行かぬことだと言った。悪意か仕返しのつもりかで、だれかほかの人間がやったしわざと思うよりほかに考えようがない。
呼び鈴がなって亭主は救われた。今晩夫婦のところで飯を食う約束になっていたある友人だった。
オレイユ夫人は事件をその男に託して裁断を仰いだ。ただし新しくかさを買うことだけは、それはもう絶対にできない。うちのひとには絶対に新しいのを持たせません、というのだった。
友人の議論は理路整然としていた。
「ですが奥さん、そうなると着物がだいなしですよ。なんといったって着物のほうが高いですからね」
小柄の女房は、あいかわらずかみつくような勢いで、言いかえした。
「じゃ台所のかさを持って行けばよござんす。絹張りの新しいのは絶対に持たせません」
台所のかさと聞くと、オレイユは憤然《ふんぜん》色をなした。
「そんなら、おれは辞職する! ばかな、台所のかさをさして役所へ行けるか!」
友人が口を入れた。
「それを張り換えさせればいいじゃありませんか。たいして高いものではありませんよ」
オレイユ夫人は、激昂《げきこう》して、どもった。
「張り換えさせるには少なく見積もったって八フランはかかりますよ。八フランでは、合わせて二十六フランですよ! かさ一本に二十六フランなんて、気違いざたです! 精神異常です!」
貧乏な暮しをしている友人は、ふといいところに気がついた。
「お宅の保険会社に払わせちゃどうです? 被害が住居内で起ったものであるかぎり、会社は焼けた品物の代金を払いますよ」
この忠告を聞くと、小柄の女房はぴたりとしずまった。それから、一分間の熟考の後、亭主にむかってこう言った。
「明日、役所へ出かける前に、『マテルネル』の事務所へ行って、あなたのかさを見せ、現状を確認してもらって、支払いを請求してきて下さい」
オレイユ氏は飛びあがった。
「絶対にそんなことができるものか! 十八フランむだをした、それだけの話じゃないか。まさかそれで死にはすまい」
翌日、亭主はステッキをついて出て行った。幸運にも、上天気だった。
ひとりで留守居をしていると、オレイユ夫人は十八フランのむだがあきらめきれなかった。かさは食堂のテーブルの上に載せてあった。決心をつけることができずに、かさのまわりをぐるぐるまわった。
保険会社のことがたえず頭に浮んだ。といって、自分を迎えるであろう人々の嘲笑《ちょうしょう》的な視線を冒《おか》してまで出かけて行く勇気はなおさらなかった。ほかでもない、人中へ出ると小さくなるたちで、なんでもないことにすぐ顔が赤くなり、初めての人に話しかけなければならないとなるとたちまち困るほうだった。
だがそうやっているあいだも十八フランが惜しいという気持が傷口のように彼女を苦しめた。もう考えまいと思うのだったが、たえずむだをしたという記憶がむざんに彼女の心を痛めた。といってどうしたものだろう? 時間はどんどんたつ。彼女には決心がつかなかった。それから、とつぜん、臆病者《おくびょうもの》が急に威勢よくなるような調子で、断然決心した。
「行こう、行けばわかる!」
だがまず災害が一分のすきもなく原因の説明が容易にできるように、かさのほうに手を加えておぜん立てをする必要があった。暖炉の上にあったマッチを取って、骨と骨のあいだに、てのひら大の焼けこがしを作った。それから、残った絹地をていねいに巻いて、ゴムひもで止め、肩掛をひっかけ帽子をかぶって、保険会社のあるリヴォリ通りをさして急ぎ足に出て行った。
だが、目的地に近づくにしたがってだんだん足がのろくなった。いったい、なんと言ったものだろうか? むこうではなんと返事をするだろうか?
並んでいる家の番地をながめた。まだあと二十八ある。ありがたい! まだ考える暇はある。足はますますのろくなった。とつぜん彼女は身震いした。目ざす家の戸口が眼前にあるではないか。「ラ・マテルネル火災保険会社」と金文字が光っている。もう来てしまったのだ! 一瞬彼女は立ちどまった。胸がどきどきし、顔が赤くなった。それから行き過ぎた。それからまた引き返した。もう一度行き過ぎ、またあともどりした。
とうとう自分にこう言って聞かせた。
「とにかく、行かなければならない。おそくなるより早いほうがいい」
だが、いったん中へはいってみると、心臓が早鐘《はやがね》のように鳴っているのに気がついた。
まわりに小窓がいっぱい並んでいる広い部屋へはいって行った。小窓ごとに、男の頭だけが見えた。からだは格子の陰になっていて見えない。
書類を手に持った男が出てきた。
彼女は立ちどまって、おずおずした小声できいてみた。
「あの、失礼ですが、焼けた品物の代価を払っていただくのを申し出るところはどこでございましょう?」
その男は、よく響く声で答えた。
「二階の左側です。災害課へ行ってごらんなさい」
この言葉がますます彼女をおびえさせた。逃げ出したくなった。なんにも言わずに、十八フランを犠牲にして。だがこの十八フランという額を考えると、少し勇気がわいてきた。そこで階段を昇って行った。息をきらし、一段ごとに立ちどまりながら。
二階にあがってみると、戸口が一つ見えた。その戸をたたいた。はっきりした声が中からどなった。
「おはいり!」
彼女ははいった。はいってみると、大きな部屋だった。三人の紳士が、略綬《りゃくじゅ》をつけ威儀を正した三人の紳士が、立ち話をしていた。
その中の一人が彼女にきいた。
「なにかご用でしょうか?」
彼女はもう言おうと思った言葉がわからなくなってしまった。口の中でどもるように言った。
「あの……あの……災……災害のことでまいりましたので」
紳士は、ていねいに、椅子をすすめた。
「さあどうぞ、おかけ下さいまし。ただいますぐにご用を承ります」
それから、二人の紳士のほうに向きなおって、話の続きをはじめた。
「失礼ですが、会社はそちらさまにたいし四十万フラン以上責任はないと存じます。それ以上更に十万フラン払えと仰せられますご要求は、お認めするわけにはまいりません。それに評価にいたしましたところで……」
相手の二人のうち一人がさえぎった。
「もうけっこうです、裁判所がきめてくれるでしょう。失礼して帰るよりほかはありません」
そう言ったと思うと、いやに改まったおじぎをなんべんもかわしてから二人は出て行った。
ああ! あの二人といっしょに出て行く勇気があったなら、出て行ったに相違ない。なにもかも捨てて、逃げて行ったに相違ない! だが、はたして彼女にそれができたろうか? 紳士は引きかえしてきて、おじぎをした。
「失礼ですが、どういうご用件でございましょう?」
彼女はやっとの思いでこれだけ言った。
「じつは……これのことでまいりましたので」
支配人は、素直な驚きの色を現わしながら相手のさしだした品物に眼を落した。
オレイユ夫人は、震える手で、ゴムひもをはずそうと一生懸命になった。しばらくふうふう言ってからやっと取りはずすことができた。それからいきなり雨がさのぼろぼろの残骸《ざんがい》をぱっとひろげて見せた。
男は、じつにお気の毒に堪えないというような口調でこう言った。
「だいぶひどいようですな」
夫人はためらいながらもはっきりこう言った。
「二十フランいたしましたのですよ」
相手はびっくりした。
「なるほど! なかなか値も張っておりますな」
「そうなんですよ。品物は上等でした。あなたさまによく見ていただこうと存じまして」
「なるほど、いや、拝見いたしていますよ。なるほど。しかしどうもよくのみこめんのですが、いったい私にどういう関係があるものか」
相手ははっと不安な気持になった。ことによったらこの会社は細かい品物には支払いをしないのかもしれない。
「ですけれど……こうやって焼けているのですから……」
紳士は否定しなかった。
「それは確かに拝見していますよ」
オレイユ夫人は、もうなんと言ったらいいのかわからなくなって、ぽかんと口を開けたままじっとしていた。それから、とつぜん、忘れていたことに気がついて、大急ぎで言った。
「私オレイユの家内でございます。『ラ・マテルネル』に保険をかけているのでございますよ。この被害の代償をいだだきにあがったのです」
むこうから絶対に断られるのを恐れて、急いでこう付け加えた。
「いいえ、なんでございますよ、ただ張り換えさせていただければそれでよろしいので」
支配人は、困って、宣言するように言った。
「ですが……奥さま……てまえどもはかさ屋ではございませんので。そういう修繕の仕事をお引き受けするわけには、どうも」
小柄の女房はしだいにおちつきを取りもどしてきたのを感じた。ここで一戦しなければだめなのだ。よし、それなら戦おう! もう恐ろしくない。
「いいえ、ただ修繕の代金がいただきたいと申しているのです。直させるのは自分で直させます」
紳士は困ったという顔をしてみせた。
「いや、まったく、あまりにわずかな金額なのでどうも、そういうわずかなことで損害賠償を要求なさるかたがないものですからな。ここんところは一つ、どうもお認め願わなければならんのですが、てまえどもといたしましてもいちいちお払いするわけにはどうも、ハンケチとか、手袋とか、ほうきとか、古靴とか、そういう、毎日炎による損傷の危険にさらされております小さな品物にたいして、いちいち支払いをいたしますことは、なにぶんできかねるのでございますが」
オレイユ夫人は真赤になった。全身に怒りがあふれてくるのを感じた。
「そうおっしゃいますけれど、あなた、私どもでは昨年の十二月、暖炉からぼやを出しかけまして、少なく見積もって五百フランの損害でございましたよ。宅では会社になにも請求いたしませんでした。ですから今日、私のかさの代くらい払って下さるのは当りまえでございますよ!」
支配人は、うそだということを察して、にやりと笑いながら言った。
「ですが、奥さん、オレイユさんが、五百フランの損害にたいしてはなにも要求なさらないで、かさ一本のために五フランか六フランの修繕料を請求にいらっしゃるというのは、ちとどうも解《げ》しかねることではございますまいか?」
相手は少しも閉口しなかった。こう言いかえした。
「ちょっと、失礼ですが、五百フランの損害はオレイユの経済に関したことですけれど、十八フランの損害はオレイユの家内の経済に関したことでございますよ。これは同じことではございませんからね」
支配人は、これはとうてい片づきっこがないと見てとり、こうやっていては一日つぶされてしまうと思ったので、あきらめて、こう言った。「ではまず、どういうふうにして事件が起ったかお話していただきましょう」
相手はしめたと思って、話し始めた。
「こうなんでございますよ。あなた、うちの玄関にはなんと申しますかね、青銅でできた品物がございましてね、かさだのステッキだのを立てかけるようになっているのでございますよ。つい昨日、外から帰ってまいりましてね、その中へ、まあこれを立てかけたんでございますよ。申しあげないとおわかりになりますまいが、ちょうどその上にね、たながつってございましてね、蝋燭《ろうそく》だのマッチだのを載せて置くんでございますよ。私が腕をのばしましてマッチを四本取ったのですよ。一本すりましたが、つきません。もう一本すりますと、つきましたがすぐ消えてしまいました。三本目をすりますと、やっぱり同じことです」
支配人はここでちょっと警句が言ってみたくなって相手をさえぎった。
「さしずめ政府のマッチだったという訳ですな?」
夫人は皮肉がわからず、つづけた。
「そうかもしれません。とにかく四本目は火がついて、私は蝋燭に火をとぼしました。さてそれから部屋へ帰って寝たのでございますよ。ところが十五分ばかりいたしますと、どうもこげくさいんでございますね。私はもうしょっちゅう火事がこわくてこわくて。ほんとでございますよ! たとえ家で大変があったといたしましても、決して私のそそうからじゃございませんとも! ことにさっきお話ししましたぼや以来、もう生きた心地がないんでございますよ、ほんとに。そこですぐ飛び起きましてね、出て行ってさがしてみました。猟犬みたいにほうぼうをかぎまわったんでございますよ。とうとうこのかさがこげているのがわかりました。たぶんマッチが中へ落ちたんでございましょう。ごらんのとおりの状態なんでございますよ……」
支配人は観念した。
「損害はいくらぐらいとお考えですか?」
相手は、数字をきめるとなるとちゅうちょされて、黙ってしまった。それから、寛大なところを見せるつもりで、こう言った。
「そちらさまで修繕させていただきましょう。あなたさまを信用いたします」
支配人は拒絶した。
「それはいけません、奥さん、私にはできません。いかほどご入用かおっしゃっていただきます」
「とおっしゃっても……なんですか……あの……いいえ、なんですよ、よけいいただこうなんてそんな料簡《りょうけん》はめっそうもないことで……そうそう、こういたしましょう。私がかさ屋へこのかさを持ってまいりましょう。そうして上等の絹で、いいえ長持ちする絹で張り換えてもらって、受取りを持ってまいりましょう。いかがでございましょう、それで?」
「けっこうです、奥さん、ではそういうことに。これを会計のほうへ出して下さい。そちらでかかっただけのものはお払いいたします」
そう言ってオレイユ夫人に札《ふだ》を渡した。夫人はそれをつかむと、立ちあがって、礼を言いながら部屋の外へ出た。相手が気を変えないうちに早く外へ出ないと困ると気をもみながら。
いま夫人は往来を快活な足どりで歩いて行く。これはしゃれてるなと思われるかさ屋をしきりに物色しながら。大店《おおだな》らしい外観の一軒を見つけたとき、夫人はつかつかとはいって、おちつき払った声でこう言った。
「このかさを絹で張り換えて下さい。上等の絹でね。いちばんいいのを願いますよ。お金はいくらかかってもかまいません」
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くびかざり
運命のまちがいからとでも言いたげに、小役人の家庭にきれいなかわいい女の子が生れることがある。そういうきれいな娘の一人だった。持参金はなし、遺産のころげこんでくる当てもなく、身分あり金のある男から知られ、理解され、愛され、妻に迎えられる手だてはなかった。文部省づとめの小役人に望まれるがままに、結婚してしまった。
身なりをかざってみようがないので、簡素で押しとおしたが、しかし、一段下の階級に転落した女がふしあわせであるようにふしあわせだった。けだし、女には元来身分も血統もなく、彼女たちの美しさ、彼女たちの魅力が生れや家柄の役をつとめるからである。彼女たちの生れつきのこまやかさ、優雅の本能、頭の働きのしなやかさ、それだけが彼女たちの唯一の等級であり、下層の娘を身分の高い貴婦人と同等の位置にすえる。
すべての上品なもの、ぜいたくなもののために自分は生れてきているのだと感じているだけに、彼女の毎日の生活は苦しみの連続だった。すまいの貧しさが、壁の汚なさ、椅子《いす》のすりきれていること、張ってあるきれのみにくさが、苦しみの種だった。同じ階級の別の女だったら気にもとめないであろうような、こうしたすべてのことが、彼女を苦しめ、憤激させた。ブルターニュ生れの小女が彼女のささやかな家庭のただ一人の雇い人だったが、この小女を見るたびに、絶望的な後悔と、気ちがいじみた夢をかきたてられるのだった。彼女がいつも夢に描くのは、東洋風の壁かけを張りめぐらした静かな控えの間、背の高い青銅製の燭台で照され、短い半ズボンをはいた大柄の二人の従僕が大きなひじかけ椅子の中で眠っている。暖房器のおさえつけるような暖かさのためについ眠りこんだ態《てい》で。古代裂《こだいぎれ》の絹をはった大きな客間も彼女の夢想のうちにうかぶ。値ぶみのできない骨董《こっとう》的な飾りものをのせたきゃしゃな家具。ごく親しい内輪の友だち、女という女がその注意をひくことを願い、うらやましがるような有名人ばかり、そういう内輪の友だちとの午後五時の雑談のためにとっておかれる、いい匂いのたちこめた、しゃれた小さな客間も。
晩餐《ばんさん》のとき、三日も洗わないテーブルかけをかけた円い食卓の前に、夫とさしむかいで腰かける。夫はスープ皿のふたをとりながら、うれしそうに声をはずませて、「やあ! うまそうなスープだ! こんなうまいものは知らんよ……」と叫ぶ、そういうとき、彼女は上品な晩餐の席のことを思わずにはいられなかった。みがきあげた銀器、妖精《ようせい》の森のまんなかに、ふしぎな鳥や昔の物語の人物を壁の上にひろげて見せる壁かけ、すばらしいうつわに盛って出される山海の珍味、にじますの桃色の肉か、脂ののったひなどりのやわらかい≪てば≫を口にはこびながら、ささやくほうもきくほうもなぞめいた微笑をうかべて、やりとりする、女性のごきげんをとり結ぶ会話、そういうものを思わずにいられなかった。
彼女は晴れ着も持たず、装身具を持たず、なに一つ持っていなかった。しかも、そういうものだけが彼女の好きなものだった。そういうもののために自分はつくられているのだということを彼女は自覚していた。ひとに気にいること、ひとからうらやまれること、あだっぽく、ひとからちやほやされること、これが彼女の切なる願いだった。
彼女にはお金持の友だちが一人いた。修道院の寄宿舎の同窓で、今ではもう会いに行く気がしなかった。それほど会って帰ってくるときの気持がたまらなかった。幾日もつづけて泣き通すことがあった。腹だたしさとくやしさと絶望と悲嘆とに心をかまれながら。
ところで、ある晩、夫が、手に大きな角封筒を持って、得意満面といった様子で、帰ってきた。
「さあ、これはおまえへのおみやげだ」
細君はいそいで封を切ると、印刷したカードをひき出した。こう書いてあった。
――文部大臣並びにジョルジュ・ランポノ夫人はロワゼル氏並びに同夫人にたいし、来る一月八日、月曜日夜、官邸にご来遊たまわりたく、ご案内申し上げます――
夫が期待していたように、うちょうてんになって喜ぶかわりに、細君はくやしげに食卓の上に招待状を投げ出すと、つぶやくようにこう言った。
「こんなもの、どうしろとおっしゃるの?」
「だって、おまえ、おまえは喜んでくれるだろうと僕は思っていたんだよ。めったに人中に出ることはないんだし、これはいい機会だよ、まったく! これを手にいれるにはずいぶん骨を折ったんだぜ。みんなほしがっているからね。望み手が多くって、それに、ひらの連中にはあまり出さないのだよ。行ってみてごらん、お歴々ばかりだから」
細君はいらだたしげな目つきで夫の顔を見ていたが、たまりかねたようにこう叫んだ。
「なにを着て行けとおっしゃるの、そんな場所へ出て行くのに?」
ご亭主はそのことは考えていなかった。口ごもるようにこう言った。
「だって、芝居へ行くときに着る着物があるじゃないか。あれはとてもいいように思えるがね、僕には……」
夫ははっとして口をつぐんだ。あっけにとられ、気もそぞろに、細君をながめた。泣いているではないか。大粒の涙が二つ、目のはしから口のはしまでゆっくりすべって行く。夫はどもるようにこう言った。
「どうしたんだい?」
しかし、激しい努力で苦痛をおさえると、細君は、ぬれた頬をぬぐいながら、おだやかな声で、こう答えた。
「なんでもないわ。ただ、私には晴れ着がないの。だから、そのお祝いごとの集りには行けないわ。私よりも衣装をたくさん持っていらっしゃる奥さんがおありの同僚のどなたかに招待状をあげてください」
夫はとほうにくれた。こう言葉をつづけた。
「ねえ、マチルド。どうだろう、いくらぐらいするもんだろうね? まあ、着て出て恥ずかしくない、そしてほかの場合にも役立つような、なにかこうすっきりした単純な仕立てのもので?」
彼女はしばらく考えこんだ。いろいろと胸算用をし、それからまた、つましい小役人のご亭主がきもをつぶしてとんでもないと叫び、即座に拒絶したりしない程度に請求しうる額はどのくらいだろうなどと思いながら。
とうとう、ためらいながら、彼女はこう答えた。
「はっきりしたことは私にも言えませんけれど、四百フランもすれば、どうにかなりそうに思えますわ」
夫は少しあおい顔になった。ちょうどそれだけの金額をとりのけておいたのである。猟銃を買って、この次の夏には、四、五人の友人といっしょに、ナンテールの近郊へ、猟に出かけるつもりだった。その友人たちは、毎日曜日、その方面へ、ひばりをうちに出かけている。
ご亭主はそれでもこう言った。
「よし。四百フランつごうしよう。しかし、きれいな着物をつくらなくちゃだめだよ」
祝賀会の日がまぢかに迫ってきた。ロワゼル夫人は、物思いに沈み、不安そうな、くったくありげな様子をしていた。とはいえ、晴れ着の用意はできていたのである。夫がある晩こう言った。
「どうしたんだい? ねえ、三日前からおまえの様子はまったくへんだよ」
細君は答えた。
「装身具が一つもないのがいやなのよ。宝石一つないわ。身につけるものが一つもないなんて。まるで貧乏くさく見えるでしょうね。その晩の会にはいっそ行かないほうがいいくらいな気がするわ」
夫は言いかえした。
「天然の花をつけたらいいじゃないか。季節が季節だから、とてもしゃれているよ。十フランも出せば、すばらしいバラが二、三輪は買えるよ」
細君はなかなかなっとくしなかった。
「だめよ……お金のある女のかたたちにまじって、貧乏くさい様子をしているくらい屈辱的なことはないわ」
が、夫が勢いこんで叫んだ。
「おまえもばかだね! おまえのお友だちのフォレスチエ夫人をたずねて、装身具を貸してくださいって頼んでみたらいいじゃないか。ずいぶん親しくしているんだから、そのくらいのことはできるだろう」
細君は歓喜の叫びをあげた。
「ほんとよ! まるで考えていなかったわ」
翌日、彼女は親友のところへ出かけて行き、自分の窮状を語った。
フォレスチエ夫人は、鏡つきのタンスのほうへ立って行ったと思うと、大きな箱をとり出し、それを持ってきて、ふたをあけると、ロワゼル夫人にむかってこう言った。
「さあ、すきなのをとってちょうだい」
ロワゼル夫人は、まず腕輪を見、それから真珠のくびかざり、その次には、すばらしい細工の、金と宝石でできたヴェネチヤ製の十字架を検分した。鏡の前に立って、いろいろためして見、ためらい、といって、断念し、返す決心はつきかねているのだった。いつまでたってもこうきいた。
「ほかにはなくって?」
「そりゃ、あるわ。さがしてちょうだい。どんなのがあなたの気にいるか、私にはわからないもの」
いきなり、ロワゼル夫人はみつけた。黒ビロードばりの箱の中に、すばらしいダイヤのくびかざりを。彼女の心臓は制しきれぬ欲望のために激しく動悸《どうき》を打った。それをつまみあげながら彼女の手は震えた。えりもとのかくれる着物だったが、それでもそのくびかざりをつけて見ると、鏡の中のわが姿にみいりながら、うっとりとなった。
それから、ためらいながら、不安にのどをつまらせて、こうきいた。
「これを貸していただける? これだけでいいんですけれど?」
「ええ、ええ、お安いご用よ」
ロワゼル夫人は親友の首にとびつき、夢中に接吻をおしつけると、宝物を持って、逃げるように辞去した。
祝賀会の当日になった。ロワゼル夫人は大成功をおさめた。どの女よりもきれいだった。上品で、優雅で、にこやかにほほえみ、うれしさのあまり上気していた。男という男が彼女に目をつけ、彼女の名前をきき、紹介してもらいたがった。内閣のお歴々が全部彼女と組んでワルツをおどりたがった。大臣も彼女の存在に注目した。
彼女は、酔ったような気持で、夢中でおどりつづけた。快楽に酔ったのであるが、もうほかのことはなにも考えなかった。彼女の美貌《びぼう》の勝利、今晩の成功の栄光、こうしたすべてのお世辞、賛美、めざめさせられた欲望、女の胸にとってこのうえもなく甘い完全な勝利、そういうものからできあがっている一種の幸福の雲、その中でいっさいを忘れていた。
朝の四時ごろにやっとみこしをあげた。夫は、真夜中がすぎるとすぐ、他の三人の紳士と共に、人気《ひとけ》のない小さな客間で眠っていた。この三人の婦人連も大いにはめをはずして楽しんでいた。
夫は細君の肩の上に、帰りのために持ってきていた着物を着せかけてやった。質素なふだん着で、その貧しさが、舞踏会の衣装の上品さとあまりにも不似合いだった。彼女はそれを感じ、逃げ出そうとした。豪華な毛皮にくるまっているほかの夫人たちに見られまいとして。
ロワゼルがそれをひきとめた。
「お待ち、このまま外へ出たら≪かぜ≫をひいてしまう。僕が辻馬車を呼んでくるから」
しかし、彼女は耳をかそうとせず、急いで階段をおりてしまった。二人が往来へ出るとそこには車は一台もいなかった。遠くを走らせて行く御者を大声で呼びながら、二人は車さがしにかかった。
なかなか車がみつからず、二人は、絶望して、寒さにがたがた震えながら、セーヌ河の河岸のほうへおりて行った。やっと、河岸で一台みつけた。例の、古ぼけた、夜だけ姿を現わすクーペで、パリでは、昼間はみすぼらしさを恥じてでもいるかのように、日がくれてからでなければ見かけることがない。
そのぼろ馬車が、二人を、マルチール街の彼らの家の戸口までつれてきてくれた。彼らは沈んだ気持で、自分たちの住居へ上って行った。もうおわってしまった。これは彼女の感慨だった。そして、彼は、夫は、十時には役所に出なければならない、と思ってみた。
彼女は肩を包んでいた着物をぬぎ捨てると、鏡の前に立って、もういちど自分の姿を栄光のうちにながめようとした。が、とつぜん、彼女はあっと叫んだ。くびかざりがなくなっているではないか。
すでに半分着物をぬぎかけていた夫がきいた。
「どうしたんだい?」
細君は、気も狂わんばかりに、夫のほうをふりむいた。
「だ……だって……フォレスチエの奥さんから借りたくびかざりがなくなっているんですもの」
夫も、仰天して、おきなおった。
「えっ!……なんだって!……まさか!」
二人がかりで、着物のひだの中、マントのひだの中、ポケットの中、というふうに、あらゆる場所をさがした。どうしてもみつからなかった。
夫はなんどもきいた。
「舞踏会の席から出てくるときにはまだ持っていたことはたしかなのかい?」
「たしかよ、官邸の玄関にいるとき、手でさわったのですもの」
「しかし、往来でなくしたのなら、おとしたとき、音がしそうなものだがな。きっと辻馬車の中に違いない」
「そうよ。そうらしいわ。車の番号おぼえていらっしゃる?」
「いない。おまえはどうだ、おまえは番号を見なかったかい?」
「見なかったわ」
二人はがっかりして顔を見あわせた。とうとうロワゼルはまた着物を着た。
「僕たちが歩いた道をもういちど逆に歩いてみよう。もしかしたらみつかるかもしれないから」
こう言って彼は出て行った。彼女は、夜会服を着たまま、寝床にはいる力もぬけ、くずれるように椅子にこしかけたまま、火の気のないところで、もうなにも考える気力もなく、じっとしていた。
夫は七時ごろ帰ってきた。なにもみつからなかった。
警視庁へ行き、新聞社にも出かけて、懸賞の手つづきをとった。辻馬車組合へも出かけた。ようするに、少しでも心あたりのあるところへは、労をいとわず出むいた。
細君は、一日じゅう、この降ってわいたおそろしい災難を前に、あいかわらず魂のぬけたような絶望の状態で待った。
ロワゼルは、夕方、頬を落ちくぼませ、あおざめて、帰ってきた。ぜんぜんなんの手がかりもないのだった。
「くびかざりのとめがねをこわしてしまったので、なおしにやったという意味の手紙を書いたほうがいいね。それで時間をかせいで、そのあいだにいろいろやってみることにしよう」
細君は夫の口授するままの手紙を書いた。
一週間たち、あらゆる望みの綱がきれた。
ロワゼルは、急に五つ六つ老いこみ、改まった口調でこう言った。
「かわりをみつけることを考えなければならん」
翌日、夫妻は、くびかざりのはいっていた箱を持って、箱の中に名前の書いてあった宝石屋へ出かけて行った。宝石屋は帳簿をしらべてくれた。
「当店ではございません、奥さま、このくびかざりをお売りしたのは。当方では箱をお納めしたばかりでございます」
そこで、二人は、宝石屋の店から店をたずねて歩き、記憶に問いかけながら、もう一つのくびかざりによく似たくびかざりをさがした。二人とも、心痛と不安のために半病人になっていた。
パレ・ロワイヤルのある店で、二人は、さがしているダイヤのくびかざりにそっくりのダイヤをみつけた。四万フランだった。三万六千フランまでは負けてくれるということだった。
そこで二人は三日間はほかに売らないように宝石屋にたのんだ。二月の末までに、もし最初のくびかざりがみつかったなら、こんどのは三万四千フランでひきとってくれるという約束もさせた。
ロワゼルは父親の残してくれた一万八千フランを持っていた。残りは借りるよりほかはない。
彼は金をかりた。一人には千フラン、別の一人には五百フランというふうにたのみ、こちらで五ルイ、あちらで三ルイというふうに才覚しながら、証書を書きちらし、命とり同然の証書をいれ、高利貸にもかかりあいをつけ、あらゆる種類の金貸のやっかいになった。後半生をすっかりだいなしにし、返すあてがあるかどうか考えてもみずに、どしどし書類に署名した。そして、未来の不安におののき、今後自分の上におそいかかるであろう絶望的な貧乏ぐらしに、あらゆる物質的不自由と精神的苦悩の展望に、心をいためながら、新しいダイヤのくびかざりをとりに行き、宝石商の勘定台の上に三万六千フランをならべた。
ロワゼル夫人がフォレスチエ夫人にくびかざりをかえしに行くと、夫人は感情を害した様子で、こう言った。
「もっと早くかえしてくださるのが当然じゃないかしら。だって、私だっているかもしれないのですもの」
フォレスチエ夫人は箱のふたをあけて見なかった。それはロワゼル夫人のひそかにおそれたところだったが。もしも品物がとりかえられているのに気がついたら、どんなことを思ったろうか? なんと言ったろう? ロワゼル夫人を泥棒だと思いはしなかったろうか?
ロワゼル夫人は食うや食わずの階級の者の送る、あのおそろしい生活を体験することになった。もっとも、その点は、けなげにも、彼女はとっさに、覚悟をきめてしまった。このおそろしい借金を払わなければならないのだ。払わなければならないとなったら払おう。女中には暇を出し、うちも引っ越すことにした。屋根裏の部屋をかりた。
うちの中のあら仕事を、いやな台所の仕事の味を彼女は知った。食器も自分で洗った。ばら色の爪をあぶらでぎろぎろする瀬戸物や鍋の底をこするのにすりへらした。よごれた下着類、シャツやぞうきんも自分で洗濯し、綱を張って乾かした。毎朝、往来まで、台所のごみを運び、水をくみあげた。一階ごとに立ちどまって息をつきながら。下層の女のようになりふりかまわず、籠を腕にさげて、果物屋へでも、乾物屋へでも、問屋へでも、出かけてゆき、ねぎり、雑言をあびせられ、一銭でもみじめな銭を守った。
毎月手形の支払をしなければならなかった。書きかえなければならないのもあり、そうやって猶予《ゆうよ》してもらわなければならなかった。
夫は、毎晩、ある商店の帳合わせの仕事をした。夜は、たびたび、一ページ五スゥの筆耕の仕事をすることがあった。
この生活が十年つづいた。
十年たったとき、二人はいっさいを返済していた。一銭も残らず。高利貸のとほうもない利息、つもりつもった利息のいっさいを支払ったのだった。
ロワゼル夫人は、今ではお婆さんのように見えた。がっしりした、ごつごつした、しっかりものの女に、貧乏な家のしっかりもののおかみさんになっていた。髪もろくにくしけずらず、スカートがぶかっこうに曲っていても平気で、まっかな手をして、声高にしゃべり、水をざぶざぶつかってゆかを洗った。それでも、ときに、夫が役所に行っている留守中、窓ぎわに腰をおろし、あの昔の夜会のことに、自分があんなに美しくあんなにちやほやされて女王のようにふるまった舞踏会のことに、思いをはせることがあった。
あのくびかざりをなくさなかったなら、どんなことがおこっていたろうか? それこそ、だれにだってわからないではないか! 人生って、なんという奇妙なもの、なんという変りやすいものだろう! ひとひとりを破滅させたり救ったりするのに、なんというわずかのことしかいらないことか!
ところで、ある日曜日、一週間の働きづめの生活から少し息をつこうとして、シャンゼリゼをぶらぶら歩いていると、とつぜん、子供を散歩させている女の姿を認めた。フォレスチエ夫人だった。あいかわらず若く、あいかわらず美しく、あいかわらずあだっぽかった。
ロワゼル夫人はぐっと胸にこみあげてくるものを感じた。話しかけてやろうか? むろん、話しかけてやろう。今ではもう借金を払ってしまったのだから、全部うちあけて言おう。どうして言ってならないことがあろう?
彼女はつかつかとそばへ寄って行った。
「こんにちは! ジャーヌ?」
相手はロワゼル夫人の今の姿に見覚えがなく、こんなふうに心やすげにおかみさん風の女から呼びかけられたのにおどろいて、口ごもるようにこう言った。
「あの……失礼ですが!……私は……奥さまの思いちがいじゃございませんこと?」
「いいえ。私はマチルド・ロワゼルよ」
相手はあっと叫んだ。
「まあ!……マチルドだったの、すっかりお変りになって!……」
「ええ、変ったわ。ずいぶんつらい思いをしたの。この前あなたにお目にかかって以後。ずいぶん苦労したわ……それもあなたのことが原因よ……!」
「私のことがですって……まあ、どうして?」
「あなたは覚えていらっしゃる、あのダイヤのくびかざりのことを。官邸の夜会に行くのに私に貸してくださった?」
「ええ、覚えているわ。それがどうしたの?」
「それがね、私がなくしてしまったのよ」
「なんですって? だって返してくださったじゃありませんか」
「よく似た別の品を持ってあがったのよ。ちょうど十年かかったわ。そのお金を払うのに。私たちのような、財産も何もないものにとって、それが容易なことでなかったことはわかってくださるわね……でも、とにかく、やっと片づいたのよ。私とってもうれしいわ」
フォレスチエ夫人は立ちどまっていた。
「私の品のかわりに別のダイヤのくびかざりを買ったっておっしゃたわね?」
「ええ、そうよ。あなたは気がつかなかったわ! そっくりでしたもの」
こう言って、彼女は誇らしげな無邪気な喜びを顔にあらわしながら、にこやかに笑っていた。
フォレスチエ夫人は、はげしく胸をつかれて、親友の両手を握った。
「まあ! どうしましょう、マチルド! 私のは≪にせ≫だったのよ。せいぜい五百フランぐらいの品でしたのに!……」
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酒樽
――アルフォンス・タベルニエに
エプルヴィルの宿屋の亭主シコは乗って来た二輪馬車を、マグロワール婆《ばあ》さんの家の前でとめた。四十がらみの陽気な大男で、あから顔、べんべんたる腹をつき出し、なかなかどうして食えない男だという評判である。
馬を柵《さく》のくいにつなぐと、ずんずん前庭へはいって行った。婆さんの土地に隣りあった地所をひと口持っていて、それでずっと前から婆さんの土地を手にいれたいとねらっているのだった。いままでにいくども買い取ろうと試みたが、マグロワール婆さんは頑《がん》として応じなかった。「ここで生れたもの、ここで死ぬわさ」こう婆さんは言うのだった。
彼がはいって行くと、婆さんは戸口の前でじゃがいもの皮をむいていた。今年七十二になる婆さんは、やせて、しわだらけで、腰は曲っていたが、丈夫なことは若い娘のようだった。シコはなれなれしく婆さんの背中をぽんとたたいて、それからそばの腰掛に腰をおろした。
「どうだね! お婆さん、あいかわらずたっしゃかね?」
「まあどうやらね、おかげさまで。おまえさまはどうかね、プロスペールさん?」
「えへへ! ときどきリューマチが起るんでね。これさえなけりゃ、申し分なしだがの」
「なにさ、そのくらいならけっこうだわさ!」
それきり婆さんは口をつぐんでしまった。シコは婆さんの仕事をするのをながめていた。蟹《かに》の爪のように、かぎ形に曲り、ふしくれだった、硬い婆さんの指が、ピンセットのようなぐあいに、籠の中から灰色のじゃがいもの粒をつまみ出したと思うと、手早くまわしながら、もう一方の手に持った使い古したほうちょうの刃でくるくる皮をむいて、細長い帯をこしらえてゆく。そしてじゃがいもが全部黄色になると、それを水をはったおけの中へ投げこむのだった。牝鶏《めんどり》が三羽ずうずうしく次々に婆さんのスカートの下までやってきて切りくずを拾いそれから、獲物をくちばしにくわえたまま、いちもくさんに逃げて行く。
シコはなにか窮屈そうだった。もじもじして、気がかりで、言いたいことが口まで出かかってなかなか言えないといったふうだった。とうとう思いきって、こう言った。
「なあ、マグロワールのお婆さん……」
「なんですかね?」
「この屋敷はやっぱし、おらに売るのはいやかね?」
「そのことならだめだね。あきらめてくんなさい。もうきまったことだ。もう言わないことにしておもらい申しますべ」
「ところがね、おらたち二人ともにつごうのいいとりきめを思いついたんでね」
「なんだね、それは」
「こういうわけさ。つまりおまえさんがおらに売ってくれるのさ。そうして売ったあとでもおまえさんが持っているのさ。どうだね、わからんかね? よくおらの言う理屈をのみこんでくんなさいよ」
老婆は野菜をむく手をやすめ、くしゃくしゃになったまぶたのかげから鋭い眼を光らせながら、じっと宿屋の亭主を見つめた。
亭主は言葉をついだ。
「いいかね、わかるように話そう。おらがおまえさんに、毎月、百五十フランやるのさ。いいかね、毎月、おらがここへ持って来てやるのだ。馬車を走らせて、百スゥの銀貨で三十枚運ぶのだ。それから、そのほかにはべつだんなんの変りもない。ないにもないにもなんにもない。おまえさんはこの家にいて、おらのことなんか気にしなくてもいい。おらになにも借金しているわけではない。おらの金を受け取ってくれさえすればいいのさ。どうだね?」
亭主ははればれとした様子で、上きげんで、婆さんをうちながめた。
婆さんは、疑い深そうに、わながあるだろうとさがしながら相手の顔をじっとみつめた。それからこうきいた。
「おらのほうはそれでわかったがね、しかし、おめえさまのほうは、この屋敷、それでおめえさまのものになるかね?」
亭主は言葉を続けた。
「そのことなら心配しなさんな。神さまのおぼしめしでおまえさんが生きてござらっしゃるあいだは、いつまでもこうしているのさ。自分の家にいなさるのさ。ただちょっと公証人のとこで書きつけを一枚作ってくんなさればいいのさ。おまえさんのいなくなったあとでそれがおらのものになるという書きつけをね。おまえさんには子供はなし、甥《おい》っ子どもがいるばかりだが、そんなものはあまり気にかけてもいなさらんじゃないか。どうだね? おまえさんは生きているあいだは自分の財産をわがものにしておいてさ、おらのほうではおまえさんに毎月百スゥの銀貨三十枚をあげる。おまえさんのほうはまるもうけじゃないか」
婆さんは意外でもあり、不安だったが、食指は大いに動いたらしかった。こう言いかえした。
「やだとは申しませんがね。ただもちいっとよく考えてみないことにはね。来週のうちにもういちど来て話しておもらい申しますべ。おらが考えを返答ぶちますよ」
シコのおやじは、一国を征服した王者のように満足して、帰って行った。
マグロワール婆さんはじっと考えこんだ。その晩は眠らなかった。四日間、あれこれと迷い抜いた。なにかこれには自分にとってよくないことがかくされているとは感じたが、しかし月に五フラン銀貨三十枚だと思うと、なんにもしないでも、天から降ってくる、自分の前だれの中へ流れこんでくる、ちゃらちゃら鳴るきれいな銀貨のことを考えると、気が変になるくらい、ほしくてたまらなかった。
そこで公証人にあいに行き、事情を話した。公証人はシコの申し出を受けいれるように、ただし五フラン銀貨三十枚でなく五十枚要求するようにと知恵をつけた。婆さんの屋敷は、少なく見つもって、六万フランはするから、というのである。
「あんたがこれから十五年生きたとしても、そういうふうにして払って、まだ四万五千フランしか払ったことにはなりませんて」こう公証人は言った。
これからさきずっと月五フラン銀貨が五十枚はいってくる光景を頭に描いて、婆さんは思わずからだが震えた。しかしまだあいかわらず疑っており、どんな思いがけないことが飛び出すか、計画がかくされているかと心配でたまらなかった。夕方まで根掘り葉掘りいろいろなことをききただし、帰って行く決心がつかなかった。とうとう証書をこしらえてくれるようにたのみ、まるで新しいリンゴ酒を四びんもあけたあとのように、ふらふらになって帰って行った。
シコが返答を聞きにやって来たとき、婆さんはさんざん相手をじらし、どうしてもいやだと言った。しかし相手が五フラン銀貨五十枚を出すことに同意しなかったら困るという心配で実は気がもめているのだった。とうとう、あいかわらず相手がたってと言うので、婆さんは自分の要求をきりだしてみた。
亭主は飛びあがらんばかりに失望の色を見せ、拒絶した。
すると、相手を説得するために、婆さんは自分の寿命はおよそこれくらいのものだという理屈を並べはじめた。
「おらはもう確かなとこ五、六年の上は生きられないわさ。もう七十三になるからの。それにそんなに丈夫ではなし。このあいだの晩なんか、こらもう死ぬのだなと思ったくらいさ。からだじゅうの血の気がなくなったかと思ったくらいで、寝床までかついで行ってもらわねばならなかったよ」
しかしシコはその手に乗らなかった。
「おい、おい、婆さん、しらばくれなさんな。お婆さんのがんじょうなことときたら教会の鐘楼《しょうろう》みたいじゃないか。少なく見たって百十までは生きなさるさ。確かなとこ、おらがおまえさんに墓まで送ってもらうよ」
そうして一日押し問答に暮れてしまった。しかし、婆さんがどうしても譲らないので、宿屋の亭主は、しまいに、銀貨五十枚出すことを承諾した。
二人は翌日証書に署名した。婆さんは祝儀に五十フラン要求した。
三年たった。婆さんはぴんぴんしていた。たった一日も年をとったように見えず、シコはやけ気味になった。シコにしてみれば、毎月の金を、半世紀も前からはらっているような気がした。だまされたような気がし、かたられたおかげですっかり身代をつぶされたと思った。彼はときどき婆さんをたずねていった。ちょうどひとが、七月になると、麦が刈りいれにちょうど頃《ころ》あいなくらいに熟したかどうか、見まわりに出かけるように。婆さんは眼にずるそうな色をうかべながらそれを迎える。まんまといっぱい食わせてやったと思って喜んでいるとしか思われない。と、亭主はそそくさと、乗って来た馬車の中へ逃げこむ。こうつぶやきながら。
「ちくしょう、いつまでもくたばらないつもりか!」
シコはとほうにくれた。婆さんの顔を見ると、できるものならくびをしめてやりたい気がした。凶暴な、陰性な憎しみで、損をさせられた百姓の憎しみで、彼は婆さんを憎んだ。
そこで、彼は方法をさがした。
とうとうある日、亭主は手をこすりながら婆さんにあいにやって来た。初めて取引を言い出したときにやったように。
それから、しばらくむだ話をしたあとで、こうきりだした。
「なあ、お婆さん、なんでおらがとこで飯をたべてくださらねえ。エプルヴィルへ出て来なさるときに? 世間ではいろんなことを言っていますぜ。おらたちがもう仲たがいをしたんだろうなどとね。それがおらには残念でね。お婆さんだってわかっていなさるだろう。おらとこで飯を食ったって、銭なんかおかなくてもいいわさ。飯くらいけちけちするものかね。いやでなかったら遠慮せずに来ておくんなさい。おらは喜びますよ」
二度とすすめられるまでもなく、マグロワール婆さんは、翌々日、下男のセレスタンを御者台に乗りこませた馬車に乗って市場へ出かけたおり、遠慮なしに馬をシコのおやじのところの厩《うまや》につなぎ、約束のごちそうを請求した。
宿屋の亭主は、大喜びで、身分のある奥さまでも扱うように、婆さんをもてなした。若鶏と、血凝腸詰《ブータン》と、臓物腸詰《アンドウイユ》と、羊の股《もも》肉と、キャベツとあぶら肉のいためたのを出した。しかし、婆さんはほとんどなにも食べなかった。子供のときから小食で、わずかのスープと一かけのパンにバターを塗ったものくらいでずっとすましてきたからである。
シコは、あてがはずれて、どうしても食べてくれとしきりにすすめた。飲むほうはなおさらいけなかった。コーヒーを飲むこともこばんだ。
亭主はきいてみた。
「|プチ・ヴェール《ぶらんでー》なら一杯くらいよかろうじゃないか」
「あーに! それなら、いいとも。それなら飲まんとは言わんて」
すると、亭主は、宿屋いっぱいにひびくような、大声をはりあげてどなった。
「ロザリ、ブランの上等を持ってこい。とびきり上等を。|フィ・ラン・シス《つよいやつ》を」
と、女中が、紙をぶどうの葉の形に切った飾りのついた細長いびんを持って、現われた。
亭主は小盃《プチ・ヴェール》に二杯ついだ。
「まあひと口やってみてくだせえ、お婆さん、これは名代のやつでの」
と、婆さんは、ちびりちびり、ゆっくり楽しみながら、静かに飲みはじめた。盃を空にしてしまうと、しずくまで切って飲んだ。それからこう言った。
「こりゃ、なかなか、こりゃ上等じゃ」
婆さんが言い終らないうちにシコは二杯目をついでいた。婆さんは辞退しようとしたがまにあわなかった。婆さんはそれも、最初の一杯同様、ゆっくり時間をかけて味わった。
そこで亭主は三杯目も受けさせようとしたが、こんどはきかなかった。亭主はしきりにがんばった。
「こんなもの、牛乳みたいなものさ。ほうら見なされ。おらなんか、十杯も十二杯も平気で飲むわさ。砂糖水みたいにすーっと通ってしまうさ。腹にも残らなきゃ、頭にも来はしない。舌の上ですーっと消えると言ってもいいくらいのものさ。からだにはこれくらい、いいものはないて」
自分でも大いに飲みたくてのどから手が出ていたので、婆さんはとうとう相手の言葉に負けた。しかしこんどはコップに半分しか飲まなかった。
するとシコは急に気の大きいところを見せる気になったものか、勢いこんでこう言った。
「いいかね、お婆さん、せっかくお婆さんの気にいったんだから、小さい樽《たる》を一本進上するとしよう。おらたちがあいかわらず仲よしだてえことを見てもらうためにさ」
婆さんはいやだとは言わなかった。そして、ほろ酔いきげんで帰って行った。
翌日、宿屋の亭主はマグロワール婆さんの家の前庭にはいって行き、それから乗って来た馬車の奥から鉄のたがのはまった小さな樽を取り出した。それからそれが確かに同じ上等のブランデーだということを証明するために、相手に中味を味わってくれと言った。二人がそれぞれ三杯ずつ飲みほしたところで、彼は、帰りがけに宣言するようにこう言った。
「それからね、わかっていなさるだろうが、なくなったらね、まだあるからね、遠慮はしなさんなよ。おらはけちじゃねえんだから、早くしまいになればそれだけ、おらはうれしいというわけさ」
こう言って亭主は二輪馬車に乗りこんだ。
彼は四日後にまたやって来た。婆さんは戸口の前にいて、スープにいれるパンを切っていた。
亭主は近よった。こんにちはとあいさつをし、鼻をすりつけるほどにして話しかけた。相手のいきの匂いをかぐために。ぷんと熟柿《じゅくし》くさい匂いがした。すると彼の顔はうれしそうに輝いた。
「例のを一杯ふるまってもらいたいもんだね?」彼は言った。
それから二人は二、三度盃をあげて乾盃した。
ところがやがてマグロワール婆さんが一人でもよっぱらっているといううわさが土地一帯にひろがった。あるときは台所で、またあるときは庭の中で、そうかと思うと近くの往来のまんなかなどで酔いつぶれているのをだき起し、死骸みたいにぐったりしているのを家まで運んでやらなければならなかった。
シコはもう婆さんのところへ出かけなくなった。そしてひとが彼にむかってこの婆さんのうわさをすると、うれわしげな顔をしてこうつぶやくのだった。
「あの齢《とし》で、ああいう癖がついちゃ、気の毒なものだね。なんだよ、年をとってからだと、直る見こみがないてえからね。しまいにはきっと、とんだことになるかもしれないて!」
事実、とんだことになった。婆さんは、その年の冬、クリスマスも近いころ、よっぱらって雪の中に倒れて、死んだ。
そしてシコのおやじは屋敷を相続し、こう言明した。
「あの婆め、酒さえくらわなけりゃ、あと十年は大丈夫生きたね」
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帰村
海が短い単調な波で岸をむち打っている。白いちぎれ雲が、大きくひろがった青空を横切って、疾風《はやて》に運ばれながら、鳥の群のように飛んで行く。村は、海にむかって傾斜のついている小さな谷間にうずくまって、ぬくぬくと陽にあたたまっている。
村のとっつきに、マルタン・レヴェスクの家が、たった一軒、街道に面してぽつんと建っている。小さな漁師の家である。土壁、茅《かや》ぶき屋根のてっぺんには青い菖蒲《しょうぶ》が生えている。猫の額ほどの庭が、玉ねぎ、申しわけばかりのキャベツ、パセリ、山にんじんの植わっている菜園が、門口の前に四角に仕切られている。道との境には生垣《いけがき》が結いめぐらされている。
亭主は漁に出ており、女房《にょうぼう》は、家の前で、巨大なくもの網のように壁に張り渡してある渋茶色の大きな網の目をつくろっている。十四ばかりになる女の子が、菜園の入口でわら椅子《いす》の上に腰かけ、あおむけにそり返るようなかっこうで、下着のつくろいをしている。今までなんどもつくろい、つづくった貧乏人の下着である。もう一人の女の子は、一つくらい年下であろうか。まだ身ぶりも言葉もできないような赤ん坊を抱いてあやしている。二つか三つになる鼻たれ小僧が二人、土の上に尻もちをついて、鼻をつきあわせ、不器用な手で土いじりをしながら泥をつかんでたがいの顔にぶつけあっている。
だれも口をきかない。女の子が寝つかせようとあやしている赤ん坊だけが、たてつづけに、かぼそい耳ざわりな声で泣きつづけている。猫が一匹窓の上で眠っている。壁のすそにひとかたまり花盛りのニオイアラセイトウが、真白な美しい花で壁の穴をかくし、その上を一面にあぶの群がぶんぶん飛びまわっている。
入口の近くで針を動かしていた小娘がいきなりこう呼んだ。
「おっかあ!」
母親が答える。
「あんだ?」
「ほら、また来たよ」
二人とも朝からおびやかされとおしているのである。一人の男が家のまわりをうろついているからであるが、男というのは乞食《こじき》か何かのようなかっこうをした老人である。おやこは、父親を舟に乗りこませるために舟まで送って行こうとするとき、その男の姿を認めたのである。男は、自分たちの家の戸口の正面の溝《みぞ》のふちに腰かけていた。それから、浜から帰ってくると、やはり同じ場所にいて、じっと家をながめているのを見つけたのだった。
病気らしく、ひどくみじめな暮しをしているふうに見受けられた。一時間以上も同じ場所を動かなかったが、それから、自分がなにか悪いことでもすると思われているらしいのを見てとると、立ちあがって、脚を引きずりながら、むこうへ歩いて行ったのだった。
が、まもなく、おやこは、その男が疲れたのろのろした足どりで引きかえしてくるのを見た。男は、こんどは、彼女らの様子をうかがうように、少し遠くに、腰をおろした。
母親も娘たちもおびえた。ことに母親はしきりに気をもんでいた。生れつき心配性であるうえに、亭主のレヴェスクは、日が暮れてからでなければ、海から帰ってこないからである。
亭主はレヴェスクという姓だった。女房を世間ではマルタンと呼んでいた。そして夫婦をマルタン・レヴェスクという名で呼んでいた。そのわけはこうだった。女房は初婚で、マルタンという名の船乗りのところへ嫁に行った。マルタンは毎年の夏、たら漁にテル・ヌーヴへ出かけて行った。
結婚二年後、夫とのあいだに女の子が一人生れているうえに六ヵ月の身重《みおも》だった。夫の乗り組んでいる船が、ディエップに籍のある三本マストの船で「両姉妹《ドウ・スール》」号というのが、行方不明になった。
船についての消息は少しもわからなかった。乗り組んでいる船員のうち一人も帰ってきたものはなかった。そこで人々は船が積荷もろとも沈没してしまったものとみなした。
マルタンの女房は、さんざん苦労して二人の子供を育てながら、十年間亭主の帰りを待った。その後、なかなかけなげな感心な女だということがわかっているので、土地の漁師のレヴェスクという、男の子一人をかかえて女房に死なれた男が、結婚を申しこんだ。彼女はその男といっしょになり、新しい亭主とのあいだにまた三年間に子供が二人生れた。
夫婦は苦労をし、せっせと働きながらやっと生計を立てていた。パンの値が高く、家の中ではほとんど肉の顔をおがむことがなかった。冬になって、荒い風の吹く何ヵ月かのあいだは、ときにパン屋に借りのたまることがあった。それでも子供たちは丈夫に育った。世間ではこう言った。
「感心なものだよ。マルタン・レヴェスク夫婦は。マルタン女房のほうは苦労に強いし、レヴェスクは漁にかけたら並ぶものがないからの」
柵《さく》のところに腰かけていた小娘がさっきのつづきでこう言った。
「おらたちを知っているみたいだよ。おっかあ。きっとエプレヴィルかオーズボスクのこじきかなにかだよ」
しかし母親は自分の眼に狂いはないという自信があった。ちがう、ちがう。この土地のものではない、どうして、どうして!
男が棒っくいのように身動きもせず、しつこくマルタン・レヴェスクの住居に視線を注いでじっとみつめているものだから、マルタン女房はたまりかねてかっとなった。と、恐怖がかえって彼女を勇気づけ、いきなりシャベルをつかむと、門の前へ出て行った。
「おまえさんそこでなにしていなさる?」――こう浮浪人にむかってどなった。
男はしゃがれ声で答えた。
「風に当たっているんだがな! なにかおまえさんがたに迷惑かけたか?」
女房はつづけてこう言った。
「なんでおらちの前でまるで探偵みたいにじろじろ見てばかりいなさる?」
男は言いかえした。
「おらだれにも悪いことはしていねえ。路ばたに腰かけていちゃいけねえわけがあるのかね?」
言いかえしてみようがないので、女房は家の中へ引きかえした。
時のたつのがのろかった。昼ごろ、男はどこかへ姿を消した。しかし五時ごろまた一度通った。夕方はそれきり姿が見えなかった。
レヴェスクは日暮れてから帰ってきた。事の次第を話すと、亭主は結論を下した。
「こそどろか、ならずものかなにかだろうよ」
こう言ってべつに気にもかけずに寝どこにはいった。いっぽう女房は、なんとも言えぬ奇妙な眼で自分を見つめたあの浮浪人のことばかり考えていた。
夜が明けると、ひどい風になっていた。漁師は、海に出られないのを見てとると、女房にてつだって網のつくろいをはじめた。
九時ごろ、上の娘が、マルタンのほうの子供であるが、パンをとりに行って、まっさおな顔をして、駆けてもどってきたと思うと、大声にこう言った。
「おっかあ、また来たよ!」
母親はぎょっとした。そして、まっさおな顔で、亭主にむかってこう言った。
「行ってその男に話しておくれよ、レヴェスク、あんなふうにおらたちの様子をのぞくようなまねをしないでくれと言っておくれよ。わたしゃもう気が気でないよ」
と、レヴェスクは、れんが色に陽やけのした背の高い船乗りで、こわい赤い頬ひげをたくわえ、まんなかにぽつんと黒い点のある青い眼をしており、がっしりした猪首《いくび》で、沖へ出たときの雨風の用心にいつでも毛織の布を巻いているが、静かに外へ出たと思うと、浮浪人のほうへ近寄って行った。
母親と子供たちは、心配でおどおどしながら、遠くから二人の様子をながめていた。
いきなり、その見知らぬ男が立ちあがったと思うと、レヴェスクと連れ立って、家のほうへやってきた。
マルタン女房は、気もそぞろに、あとすざりをした。亭主が言った。
「この人にパンを少しとリンゴ酒を一杯持ってきてやってくれ。おとといからなにも口にいれていないのだ」
こう言って二人とも家の中へはいって行った。女房と子供たちがそのあとからぞろぞろついてあがった。浮浪人は腰かけて、食べはじめた。みんなの視線を浴びて顔を伏せながら。
母親は、立ったままで、しげしげと男の顔を見つめていた。大きい女の子二人、マルタンのほうの娘は、入口の戸によりかかって、一人は末の児をだきながら、くいいるような眼をその男に注いでいる。鼻たれ小僧二人は、暖炉の灰の中に尻もちをついて、同じくこの見知らぬ男をながめるのだと言いたげに、真黒な鍋で遊ぶことをやめていた。
レヴェスクは、椅子をひき寄せてすわると、男にむかってこうきいた。
「じゃ、遠くから来なすったかね?」
「セトから来ました」
「んじゃ、歩いてかね?……」
「はあ、歩いて来ましたよ、ほかにしようのないときは、しかたないからね」
「それで、どこへ行きなさる?」
「ここへ来たのでさ」
「だれか知っていなさるかね?」
「そらあるかもしれねえ」
二人は黙った。男は飢えきっていたにもかかわらず、ゆっくり食べた。そしてパンをひと口食べてはリンゴ酒をひと口ごくりと飲んだ。疲れきった、しわだらけの、一面にくぼみのできた顔をしていた。さんざん苦しいめにあったあとという様子に見うけられた。
レヴェスクがいきなりこうきいた。
「なんという名前でいなさるね?」
男は顔をあげずに答えた。
「マルタンという名前ですよ」
言いようのない戦慄《せんりつ》が母親の全身を走った。思わず一歩進み出た。もっと近寄ってその浮浪人をながめようとするかのように。そして、両腕をだらりと下げ、口をあけたまま、男とまともにむきあってじっと立ちすくんだ。もうだれも口をきくものがなかった。レヴェスクがやっと言葉をついだ。
「おまえさんここのものかね?」
男は答えた。
「わしはここの生れだよ」
と、男がついに顔をあげたひょうしに、女房の眼とその男の眼がぴたりと出会ったと思うと、そのまま、まるで視線と視線がかぎでひっかけあったように、からみあったまま、動かなくなった。
と、女房は、低い、ふるえる、別人のような声で、いきなりこう言った。
「じゃ、おまえさんは、私の亭主の?」
男は一語一語ゆっくりこう言った。
「そうだ、おらだよ」
男は身動きもせず、パンをかみつづけていた。
レヴェスクは、感動するよりも思いがけなさにびっくりして、どもるようにこう言った。
「おまえさんか、マルタンは?」
男はただこう答えた。
「そうです、おらです」
すると、二度目の亭主がきいた。
「いったいどこから来なした?」
先夫は言った。
「アフリカの海岸からでさ。浅瀬に乗り上げて沈没しての。三人助かりましたよ。ピカールとヴァチネルと、それにおらさ。それからおらたち蛮人につかまって、十二年間とめおかれての。ピカールとヴァチネルは死にましたよ。イギリスの旅人がおらを助け出してくれての。セトへ連れてきてくれたのさ。それからここへ来たようなわけで」
マルタンの女房は、前だれに顔を埋めて、泣き出していた。
レヴェスクが口を切った。
「さて、こうなったら、どうしたもんだろう?」
マルタンはきいた。
「おまえさんかね、これの亭主は?」
「そうでさ、おらです!」
二人は顔を見あわせ、口をつぐんだ。
それから、マルタンは、自分をぐるりととりまいている子供たちをながめまわしながら、合点合点をしてみせて二人の娘をさした。
「これがおらのだね?」
レヴェスクが言った。
「それがおまえさんのほうのだ」
男は立ちあがりもしなかった。抱いて接吻してやろうともせず、ただこう言っただけだった。
「うーん、大きくなったものだな……」
レヴェスクがもういちど言った。
「どうしたもんだろう」
マルタンは、当惑して、どうしていいかわからなかった。それでもやっと心をきめた。
「おらは、おまえさんの考えどおりにする。おまえさんに迷惑になることはしたくない。といっても、家のことがあるから、こまったことはこまったことだ。おらの子供は二人、おまえさんのは三人だ。めいめい自分のを引きとればいい。母親は、おまえさんのほうにするか、おらのほうにするか? おらはおまえさんのいいようにするつもりだ。しかし、家だけはおらのものだ。おらのおやじからゆずられたものだし、おらここで生れたのだからの。それに公証人さとこへ行けば書きつけがあるしするから」
マルタン女房は、前だれの青い布の中におしかくした小刻みのすすり泣きで、あいかわらず泣きつづけていた。大きいほうの娘二人は、たがいに寄りそって、不安げに自分たちの父親を見まもっている。
男は食べおわったところだった。こんどは彼のほうからこう言った。
「どうしたもんだろ?」
レヴェスクがふといいことを考えついた。
「司祭さまのとこさ行くがいちばんだ。司祭さまにきめてもらおう」
マルタンは立ちあがった。マルタンが女房のほうに進み寄ると、女房はしゃくりあげながらその胸に飛びこんだ。
「おまえさん! 帰ってきたんだね! おまえさん! 帰って来てくれたんだね!」
こう言って亭主を両腕にしっかり抱きしめた。とつぜんに昔の感激に身うちがつらぬかれ、自分の二十代のことと初めての抱擁を思い出させる思い出の大波に全身をゆすぶられたのだった。
マルタンも、感動して、女房の帽子の上から接吻した。暖炉で遊んでいた二人の子供は自分たちの母親が泣くのを聞きつけて、いっしょにわっと泣きはじめた。そして、マルタンの二番目の娘に抱かれている末の子は、調子の狂った木笛のようなかんだかい声で母親の乳房を求めた。
レヴェスクは、立ったまま、待っていた。
「さあ、きめたとおりにしよう」
マルタンは女房をはなした。そして、二人の娘をながめているので、母親が娘たちにむかってこう言った。
「おとっつぁんに接吻ぐらいするものだ」
二人は同時に近寄った。眼がぬれてもいず、きょとんとして、いくらかこわがっている。父親は、二人をかわるがわる抱いて、両方の頬に、百姓一流の大きく音をさせる接吻を押しつけた。知らぬおじさんが近づくのを見て、赤ん坊はびっくりするほど鋭い泣き声をたて、もう少しでひきつけを起すところだった。
それから二人の男はそろって出て行った。
|カフェ・デュ・コメルス《おやすみどころ》と書いてある家の前を通りかかったとき、レヴェスクが相手の意見をきいた。
「とにかくひと口やろか?」
「それは、ええ」と、マルタンも賛成した。
二人ははいって行き、まだがらんとしている部屋の中に腰かけた。
「おーい! シコのとっさん、|フィ・ラン・シス《とくべつつよいやつ》を二杯頼むぜ。上等のに願いたいな。マルタンが帰って来たんだよ。マルタンさ、おらが女房の亭主だった。ほら知ってなさるだろう。難船した『両姉妹《ドウ・スール》』のマルタンさ」
と、酒場の亭主は、片手にコップを二つ、もう一方の手に小形のびんをさげて、寄って来た。べんべんたる腹をつき出し、血の多すぎる血色で、脂肪でぶくぶくにふくれているが、べつにびっくりした様子もなくこうきいた。
「おや、帰って来なすったか、マルタン?」
マルタンは答えた。
「帰って来ましたて!……」
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あな
「投打傷害致死」というのが、室内装飾業レオポル・ルナールを重罪裁判所に出廷せしめた告訴理由だった。
被告のまわりには、おもだった証人として、寡婦となった被害者の妻フラメーシュ、並びに黒檀《こくたん》細工師ルイ・ラジュロ、及び鋳鉛工《ちゅうえんこう》ジャン・ジュルダンの両名が出廷していた。
犯人のそばに、黒ずくめのその妻女が控えていた。小柄の、醜い女で、猿に貴婦人の着物を着せたといったかっこうだった。
以下記すのがルナール《レオポル》の陳述した事件のてんまつである。
「なんのはや、椿事《ちんじ》にはちげえねえんですがね、初めっからしまいまで第一番にひどい目にあった本尊は≪あっし≫なんで、≪あっし≫のほうでどうこうしようなんて、これんばかりも考えたことはねえんで。裁判長さまの前でなんですが、事情をおきき下されば自然に合点《がてん》の行くことでさあ、≪あっし≫あ、まともな人間なんで。職人ですよ、同じ町内で十六年も室内装飾屋をやっていまさあね。世間にちったあ顔も知られ、みなさまがたから、ひいきにしていただき、なんのかのと立てて下さることもあるんで。それはご近所のかたがたも証明して下すったとおりでさ。毎日きげんがいいてえ訳《わけ》じゃねえ門番のかみさんまでがそう言ってくれるんですからね。≪あっし≫あ働くのが好き、倹約が好き、まっとうな人間とのつきあいが好き、まっとうな楽しみごとが好きなんで。これがまた≪あっし≫の運のつきとなろうとは、よくよく悪いめぐりあわせでさあ。≪あっし≫のほうでなにもするつもりはなかったんですからね、あいかわらず卑下することはねえと思っていますんで。五年前からそういたしておりますんですが、日曜ごとに、ここにおります女房と≪あっし≫の二人はポワシへ出かけては一日だけ遊んでくることにしていますんで。風に当るだけでも気持がいいんですがね。そこへもってきて≪あっし≫ら二人、つりが好きでしてね。いやはや! どうもね、つりときたひにゃ目がねえんで! この道楽を吹きこんだなあ実はメリなんで。このあばずれでさあ。こん畜生ときたら、≪あっし≫なんかよりもっと夢中にこっていやがるんで。なにしろ今度の事件にしても、いっさいの悪いこたあ、こいつがもとなんでね。これから申しあげることでおわかりになりますよ。
≪あっし≫あね、腕っぷしは強くっても気はやさしいほうでね。根性曲りのところなんか、これんばかりもねえんで。ところが、こいつときたひにゃ! なかなかどうして! 見たところはなんでもなさそうでね。小柄で、やせていやがってね。ところがどうして! いたちよりも悪いことをしやがるんで。なるほど取りえもありますよ、それはないたあ申しませんがね。ありますとも、商売人にしてみればだいじな取りえがね。ところでこいつの性根ときたひにゃ、どうもこうもねえんで! まあ近所の人にきいてみて下さい。たった今≪あっし≫の肩をもってくれた門番のおかみさんでもかまいませんよ……いろいろ変ったことをお聞きに入れましょう。
年がら年じゅう≪あっし≫がおとなしすぎると言ってはがみがみ言うんですからね。『私ならこんなことはさせないよ! 私ならそんなことはさせておかないよ』と、こうなんですからね。こいつの言うことを聞いていたひにゃ、裁判長さまの前ですが、≪あっし≫あ月に少なくとも三べんはなぐりあいの決闘をしなくっちゃならねえんで……」
ルナールの女房が横から口を入れた。「ふん、たんとおしゃべりよ。しまいにだれがべそをかくか、今にわからあね」
亭主は女房のほうにむき直ってけろりとした顔で言った。
「なにを言ってやんでえ、裁判長さまはてめえになんかきいていらっしゃるんじゃねえや、おれがいくらてめえをやっつけようとかってよ……」
それから、また裁判長のほうに向きなおって、
「さて続きを申しあげます。さてと、毎週土曜の晩に必ずポワシへ出かけたんですが、それというなあ、翌日、日の出前から釣りをしようという寸法なんで。いわゆる第二の天性てえやつになった習慣でしてね。それに今年の夏でちょうどもう三年になりますが、つり場を一つ見つけてありますんで! へへ、そのつり場てえのてがね! なかなかどうしてただのつり場じゃねえんで! 日陰にゃなっているし、深さは、少なく見積もって、八尺、ことによったら十尺はあるかもしれねえ。穴ですね、まあ。岸の下にはまた横穴まであいていようという寸法でしてね。全くの魚の巣だね。釣師にとっちゃ天国てえところです。裁判長さまの前でなんですが、その穴てえのは、≪あっし≫はまあ自分のものと思っていてもよかったんで、なんしろあっしがその|コロンブス《くさわけ》てえわけですからね。かいわいじゃだれもそのことは知っていますんで。だれ一人文句をつけるものはねえんで。みんなよくこう言っていましたよ。『あれか、あれはルナールの場所だ』とね。だれ一人そこへ糸をおろそうなんて気を起すものはありません。あのプルュモさんでさえ、そんな気は起さなかったんでさ。あの人は、そう言っちゃなんですがね、ひとの場所を失敬するので有名なもんでさ。
まあそういったような訳で、自分の場所のことは安心しきって、地主のような気持でいつもそこへ出かけたような訳なんで。土曜日に着くとさっそく、女房といっしょに、『ダリラ』に乗るんで。――『ダリラ』てえのは、≪あっし≫のノルウェー型のボートなんで、フルネーズで作らせた舟でしてね、こうっと、すべりがよくって安全なやつでさ。――二人で『ダリラ』に乗ると申しましたがね、それはえさをまきに行きますんで。えさをまくことにかけちゃ、≪あっし≫ほどの腕のやつはほかにはいねえんで。仲間は、みんなよく知っていまさ。――なにをまくんだっておききになるんでしょうがね! ご返事はできませんや。事件には関係ねえことなんで、こればっかりはご返事ができませんよ。≪あっし≫の秘密でさ。≪あっし≫にそれをきいたやつは二百人の上からいまさ。≪あっし≫の口を割らせようと思ってね、コニャックをおごろうの、てんぷらをつきあえの、酒蒸しを食わせようのと言うやつもあったんですがね! どうしてそれっばかしのことで銀白魚《シュヴェーヌ》が寄ってくるかってんでさ。なあに! やつらあ、≪あっし≫の方法をかぎ出そうと思ってね、あっしの胃のふをくすぐりやがったんで……知っているなあ女房だけでさ……女房だって言うもんですかい!……なあそうじゃねえか、メリ?……」
裁判長がさえぎった。
「こらこら、早く事実を申したてんか」
被告は言葉をつづけた。
「へえ、申しあげます。すぐに申しあげます。さて、七月八日の土曜日、五時二十五分の汽車で出かけて、いつもの土曜日のように、夕飯前に、えさをまきに出かけました。天気は上乗の模様でした。≪あっし≫はメリにむかって、『すてきだぞ、明日あ、すてきだぞ!』と申しますと女房のやつも『大丈夫らしいね』と答えました。≪あっし≫らはこれ以上のことをいっしょにしゃべることはねえんで。
それから、帰って飯にいたしました、≪あっし≫はうれしくってね、のどがかわいていましたよ。裁判長さま、これが実は万事の起りなんで、≪あっし≫がメリに申しました。『どうだい、メリ、天気はいいし、≪木綿《もめん》の夜帽≫を一本やろうかな』それは白ぶどう酒の小びんのことでしてね。≪あっし≫らがそういう名前をくっつけたんで。その訳てえのは、飲みすぎると、眠れなくって、木綿の夜帽をかぶったのと同じことなんで、おわかりでございましょう。
女房の答は、『飲みたかったら飲んでもいいがね、また気持が悪くなって、明日は起きられませんよ』――いやこれは全く、そのとおりでした。利口な考えでしたよ。用心深いことで、先見の明《めい》てえやつでしたよ。これはありていに申しあげますんで。そうとは知りながら、がまんできずに、ついやりましたよ、いつものびんをね。万事はこれから出たことなんで。
はたして、眠れません。いまいましいったらねえ! 朝の二時まで、このぶどうの汁で作った木綿の夜帽をかぶりどおしでさ。それから、ひょいっと、眠っちまったんで。ところが、さあ寝たとなると今度は、最後の審判の天使のらっぱも聞えないくらい眠っちまったんで。
一口に申しあげますと、女房に起されたのは六時なんで。寝床から飛びおりると、さあたいへんてんで、大急ぎでズボンに足をつっこみ、上っぱりを引っかけて、顔をぶるぶるっとやっておいて、『ダリラ』に飛び乗ったんで。ところがあとの祭なんで。例の穴へ着いてみると、ひとに取られているじゃありませんか! 裁判長さまの前でなんですが、こんなことは一度もなかったんで。三年このかた、一度だってこんな目にあったことはねえんで! 眼の前で物を盗まれたような気分でさ。≪あっし≫は思わず、『ちっ、ちっ、ちっ、畜生め!』と言ったんですがね、たちまち女房のやつが≪あっし≫をいためつけにかかるんで。『だから言わないこっちゃないよ、おまえの≪木綿の夜帽≫のざまあこんなものだ! 畜生、のんだくれめ! これでいい気か、大馬鹿野郎が』
≪あっし≫は一言も申しません。なるほどそのとおりでさ。どうもしかたがねえ。
それでもかまわず、とにかく、お余りでも拾おうと思ってね、いつもの場所の近くに舟をつけましたんで。ことによったらそこにいる男には一匹もつれねえかもしれねえ。そうしたらどっかへ行くだろう、と思いましてね。
やせっぽちの小男で、白の雲斎布《キャラコ》の上着を着て、大きな麦わら帽子をかぶっていましたよ。その男もやっぱり女房を連れてきていましたがね。太っちょで、亭主のうしろから見物としゃれていやがるんで。
≪あっし≫らがその場所の近くに陣取るのを見ると、さっそく口の中でぶつぶつこう言いやがるんで、
『河は広いんだからね、ほかに場所がないもんかしら?』
するてえと、うちの女房、さっきから腹のたっているところだからたまらねえ、たちまちこうやりかえしたんで。
『世間なみのあいさつ知っているもんなら、人の取っておく場所へ尻すえる先に、土地のしきたりてえものをきいてみるものさ』
≪あっし≫はいざこざはいやだと思ったので、こう言って女房をとめたんで。
『黙ってろ、メリ。ほっとけ、ほっとけ。あとでわからあね』
こういったような訳で、≪あっし≫ら二人は、『ダリラ』を柳の下につなぎ、岸にあがって、それから、メリと≪あっし≫は、並んで、ちょうどその二人連れのそばで、糸をたれておりましたんで。
ここでひとつ、裁判長さま、詳しく申しあげなくっちゃならねえんで。
さてそうやってそこに陣どってからものの五分も立たないうちに、隣の野郎の糸が、ピクピク、ピクピクピク、と沈んだと思うと、たちまち一匹つりあげやがったんで。銀白魚《シュヴェーヌ》をね。≪あっし≫のももほどもあるやつでさ。いや、それよりちったあちいせえかもしれねえが、まずそのくらいと言っても間違いのないところなんで! ≪あっし≫のほうはもう胸がどきどき、こめかみには汗がじとじとにじんできやがるんで。そこへメリがこう言いやがるんで、『ちょいと、≪とら公≫、見たかい、あれを!』とね。
そうやっているところへ、ポワシの乾物屋で、川はぜつりの名人ブリュさんが、舟をこいで通りかかったと思うと、≪あっし≫にむかってこうどなったんで。『場所をとられましたね、ルナールさん?』≪あっし≫はこう返事してやりました。『そうなんでさ、ブリュさん、世間にはしきたりてえものを知らねえ無作法なひとがいるもんでね』
そばにいた雲斎布《キャラコ》の珍竹斎《ちんちくさい》は聞かぬふりをしていました。山の神もご同様なんで、太っちょの山の神もね、なんのこたあねえ小牛でさ」
裁判長が再びさえぎった。
「こら、気をつけんか! 被告はここに出廷中のフラメーシュ未亡人を侮辱いたしておるぞ」
ルナールはあっさり失言を取り消した。「これはどうも、失礼を。つい夢中になってしまいましたんで。
さてと、それからまた十五分もたたないのに、雲斎布の珍竹斎がまた一匹つりあげました。シュヴェーヌをね――それからほとんど追っかけるようにまた一匹、それからまた五分ほどしてまた一匹。
≪あっし≫はもう涙が出てきやがって。それに女房が煮えくりかえっているのがありありとわかりますからね。ひっきりなしに≪あっし≫をいためつけるんで。『ええ、いまいましい! いいかい? おまえの魚が盗まれているんだよ。いいかい? おまえなんかになにがつれるものかね。カエル一匹つれるものか。なんにもつれやしないよ、なんにも。これを見なよ。わたしゃね、考えただけで手の中が熱くなるよ』
≪あっし≫は、腹ん中でこう思っていましたんで、――まあ昼まで待とう。野郎、昼飯を食いに行くだろう。あの獲物どろぼうめ。そうしたら取りかえしてやる。自分の場所を。なにしろ≪あっし≫はね、裁判長さまの前でなんですが、いつもその場で昼飯を食うことにしているんで。食料は『ダリラ』に積んで持ってきてあるんで。
そら! 鳴った。正午の鐘が鳴ったんで! ところがやっこさん、新聞に包んでひなどりを一羽持ってきていやがるじゃありませんか、その悪党めがね。おまけに、食っているあいだに、またぞろ一匹つりやがったんで、シュヴェーヌを!
メリと≪あっし≫もほんのひと口、これんばかしね、大急ぎで食べたんですが、まあ食べないも同じことでね。なにしろ気が気でないんで。
それから、消化のつもりで、新聞を取りあげましたよ。いつも日曜日には、そうやって、水のふちの木陰で、『ジル・ブラス』を読みますんで。コロンビーヌの書く日でしてね。ご承知でしょうが、『ジル・ブラス』に記事を書くコロンビーヌですよ。≪あっし≫はいつもね、このコロンビーヌって女を知っていると言ってはうちの女房をおこらせておもしろがったんですがね。じつはうそなんで。知っちゃいませんので。見たこともねえんでさ。そりゃどうだってかまわねえが、なかなか筆が立ちまさあね、この女は。それに女にしちゃどうしてなかなかしっかりしたことも言っていまさ。≪あっし≫はこの女が気に入っているんで。こういうものを書かせちゃ、そうざらにある女じゃねえ。
そこで≪あっし≫は例によって女房をなぶりはじめたんですがね、すぐに腹をたてちまって、ますますぷんぷんするしまつでさ。そこで≪あっし≫も黙っちまったんで。
ちょうどそのときでさ、むこう岸に、ここにおいでの二人の証人が、ラジュロさんとジュルダンさんがやってきなすったのは。≪あっし≫らは顔見知りだったんで。
珍竹斎はまたつりにかかっていましたが、≪あっし≫が、≪おこり≫になるくらいつりやがるんで。すると例の山の神がこう言いやがるんで、『この場所はとてつもなくいいねえ、いつもここへ来ることにしましょうよ、ねえ、デジレ!』
≪あっし≫は背筋が冷たくなりましたよ。うちの女房はあいかわらずこう言うんで。『おまえさんは男じゃないよ。そんなのが男かい。いくじなしが、切ったって人間の血は出ないんだろう』
≪あっし≫はいきなりこう言いました。『おい、おれはほかへ行こうかと思うんだがな。こうやっていちゃ、なにかばかなことをしでかしそうだ』
するてえと女房め。鼻先へ焼きごてでも当てるようなあんばいに、あおりやがるんで。『おまえは男じゃないよ。こんどは逃げる気かい。この場所をひとに渡す気かい。かってにしやがれ、|バゼーヌ《ふぬけ》め!』
そう言われちゃ≪あっし≫もこたえましたがね、それでもまあじっとしていましたよ。
ところが相手はふなをつりあげやったんで。でかいのなんのって! あんなのは見たことがありませんや。ありませんとも!
するとまたうちの女房が、ひとりごとみたいにして、大きな声で言い出したんで。ごらんのとおり、これが女房のずるいところなんで。こう言ったんです。『盗んだ魚てえのはこのことだね。あたしたちが自分でこの場所にえさをまいたんだからね。せめてまきえに使った金は返してもらわなくっちゃね』
するてえと、こんどは、雲斎布《キャラコ》の珍竹斎の太っちょがこう言い出したんで。『私たちのことですかね、奥さんの言ってらっしゃるのは?』
『ほかの人間の使った金で甘い汁を吸っている魚どろぼうに言っているんですよ』
『私たちのことですか、魚どろぼうとおっしゃるのは?』
とたちまちやりあいが始まり、ひどい言葉を口に出しはじめました。いやはや、言葉を知っていることときたら、このあまっちょどもが。しかもどうしてなかなか、ぴったり相手を押さえようというやつをね。あまり大声にやっているもんだから、むこう岸にいなさるこの二人の証人のかたが、ふざけてこうおっしゃったくらいなんで。『おーい! むこうの衆、少し静かにしなされ。ご亭主の釣りのじゃまになるばっかりだぞ』
ほんとのことは、雲斎布の珍竹林《ちんちくりん》も≪あっし≫も切りかぶを並べたみたいに身動きもしなかったんで。水の流れを見つめたまま、聞えないふりをして、じっとしていたんで。
ところがいけねえんで、やっぱり聞えるんでさあ。『なんだいうそつきめ。――なんだと淫売《いんばい》。――なにを言いやがる夜鷹《よたか》のくせに。――なにを三文|女郎《じょろう》』てなわけで、やるわ、やるわ! いやはや船乗りはだしでさ。
と、いきなり、うしろで音がしたんで、振りむいてみるてえと、例のやつが、太っちょが、かさを振りあげてうちのやつに飛びかかったんで。パン! パン! といったと思うと、メリのやつ、続けさまに二本やられたんで。さあこんどはいきりたちましたよ、メリのやつ。それから、いきりたったら、手が物を言うんでさ。太っちょの髪をひっつかんだと思うと、いきなり、ビシャリ、ピシャリ、ピシャリと、梅の実が落ちるように、頬打ちを雨と降らせたんで。
≪あっし≫としては、ほっておくつもりだったんでさ。女は女、男は男ですからね。女のけんかに男が出るもんじゃありませんや。ところが雲斎布の珍竹斎め、猛烈に立ちあがったと思うと、うちの女房におどりかかろうとするじゃありませんか。ああ! こりゃ、いけねえ! そういう手はねえ! こればかりは待ってくれ、大将。≪あっし≫は野郎を、ひょろひょろ野郎を、げんこをかためて受け止めたんでさ。ぐわん、ぐわん、とね。一つは鼻へ、一つは下っ腹へくわせましたよ。大将、両腕と片脚を宙にあげたと思うと、あおむけに、川の中へ、ちょうど穴の見当のところへ落ちやがったんで。
裁判長さまに申しあげますが、そのときすぐに余裕があれば、確かに≪あっし≫は大将を救いあげていましたよ。ところが、悪いときはしかたのねえもんで、太っちょの旗色がよくて、メリがさんざんにやられているじゃありませんか。相手が水を飲んでいるあいだに女房の助太刀《すけだち》をするなんてよろしくなかったとは存じますがね。ですが、まさかおぼれようとは思わなかったんで。≪あっし≫はこう思っていたんで。『なあに! ちっと涼んでいるがいいや!』
そこで、引き分けようと思って女どものほうへかけつけたんで。おかげで、げんこは食うし、ひっかかれるやら、いやはや、驚き入ったあまどもでさあ!
手短かに申しあげますと、〈かすがい〉みたいにくっついていやがる二人を引き分けるのにたっぷり五分は、いやことによったら十分はかかりました。
そこで振りかえってみるてえと、なにもないので。河の水は湖のように静かでさ。そうしてむこう岸じゃしきりにこうどなっているんで。
「早く救い上げろ、早く!」
それは言うにやすしってやつでね。≪あっし≫は水泳ぎを知らねえんで、もぐりときたひにゃ、なおさらだめでさ! ほんとのことですよ!
とうとうそのうちに堰番《せきばん》のお役人が来る。つりざおを持った二人のかたも見えて、さがしたんですがね。たっぷり十五分はかかりましたよ。穴の底にいたんでさ。水面下八尺のところにね。さっき申しあげたとおりでさ。だがいることはいたんで、雲斎布の珍竹林がね!
これがうそいつわりのない事実そのままなんで。≪あっし≫は、誓って、悪いことはしなかったんで。
証人らも同様の傾向の陳述をしたので、被告は放免された。
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クロシェット
いつまでも頭にこびりついて離れない古い記憶、払いのけようと思ってもどうにもならない。なんというふしぎなものであろう!
ここに記すのも、じつに古いことで、どうしてこんなに、いきいきと、執拗《しつよう》に私の頭の中に残っているのか、どうしても理解できない。その後にも、たくさん、ぶきみなことや、胸をつかれるようなことや、おそろしいことを目撃してきている。だから、ずっと昔、私が十か十一くらいの少年のころに知ったとおりの姿で、あのクロシェット婆《ばあ》さんのおもかげが眼にうかばぬ日がただの一日もなく、一日といえども、この女のおもかげを思い出さずにすごしたことがないとは、われながら驚かずにはいられない。
それは、一週に一度、火曜日ごとに、私の家へ、下着類のつくろいものに通ってきていたお針婆さんだった。私の両親は俗にシャトー(館)と呼ばれているいなかの住居の一つに住んでいた。シャトーといえばいかめしいが、なんのことはない、ただ屋根のとがっている古い家で、そのまわりに四つ五つ農家が付属しているだけという、よくあるいなかの屋敷のことである。
村は、そうとう大きな村で、町といってもよく、教会を中心にかたまっているのが、屋敷から数百メートル離れたところに見えた。教会は、時代がついたために黒くなった赤|煉瓦《れんが》づくりの建物だった。
さて、火曜日ごとに、クロシェット婆さんは、朝の六時から七時のあいだにやってきて、すぐにお針部屋に上ってゆき、仕事にかかるのだった。
背の高いやせた女だった。ひげが生えていた。というより、毛が生えていたというべきかもしれない。顔一面にひげが生えていたからである。驚くべきひげだった。まさかこんなところにと思われる生えかたをした、とてもほんととは思えない茂みをつくって、女の着物を着た憲兵といったようなこの大きな顔の上に、だれか狂人の手で一面にうえつけられたように見えるちぢれた束を作っているひげだった。鼻の上にも、鼻の下にも、鼻のまわりにも、あごの上にも、頬にも生えていた。とほうもなくふとくて長い眉は、すっかり灰色になり、針金のように密生していたが、まるで、まちがってそこにうえられた一対《いっつい》のひげといった趣きがあった。
歩くとき、びっこをひいたが、普通のかたわのようなびっこのひきかたではなく、いかりをおろした船のような揺れかたで歩いた。いいほうの脚《あし》の上に骨ばってねじれた大柄なからだの重みをかけるときは、おそろしい大波を乗り切るために突進しようとするように見えた。それから、とつぜん、深淵《しんえん》の中に姿を消すかのように沈む。地面の中にのめりこむのだった。彼女の歩きぶりは確かに嵐《あらし》の観念を呼びさました。それほど、歩くということは同時にからだを揺すぶることだった。いつでもすばらしく大きな白いきれの帽子をかぶり、その帽子のリボンが背中でひるがえっていたが、その帽子をかぶった頭が、彼女の動作の一回ごとに、北から南へ、南から北へ、地平線を横切るように見えた。
私はこのクロシェット婆さんが大好きだった。朝起きてすぐ、お針部屋へ飛んで行ってみると、いつでも婆さんは足の下に足あぶりを置いて針仕事にかかっていた。私がはいって行くとすぐ、婆さんは私に足あぶりを押しつけ、むりにその上に腰かけさせた。屋根裏のだだっぴろい寒い部屋の中でかぜをひいてはいけないというのだった。
「のどに血が寄りますから」と、いつも婆さんは言うのだった。
はしこく動く、かぎのように曲った長い指で下着や敷布類をつづくりながら、婆さんは私に物語って聞かせた。としをとって視力が弱っていたので、強い老眼鏡をかけていたが、そのめがねの奥の眼が、むやみに大きく、ふしぎに深い光をたたえているように見え、二重に見えた。
彼女が私に話したことは、子供心に私の胸を強く揺り動かしたが、その言葉を思い出してみると、この婆さんは気の毒な境涯《きょうがい》の女のもつ、寛大な魂の持主だったようである。すべてのものごとを単純に大まかに見ていた。町のいろいろな出来事を私に話してくれた。牛小屋から逃げ出した牝牛《めうし》が、ある朝、プロスペル・マレの風車小屋の前で、木製の風車の翼がまわるのをながめているところをみつかった話とか、どうしてそんなところまであがって生んだのかどうしてもわからないが、教会の鐘楼の中に鶏の卵が生み落されているのがみつかった話とか、ジャン・ジャン・ピラースの犬が、主人が雨の中を歩いて来たあとで、戸口にかけて乾しておいたズボンを通行人に盗まれたのを、村から十里も離れたところでみつけてきた話とかいったたぐいのものだった。婆さんはこうした素朴《そぼく》な事件を話してくれたのであるが、その話しかたは、そういう物語が私の頭の中で忘れることのできないドラマや壮大で神秘的な詩に劣らぬ感銘を与えるものだった。本職の詩人たちの考え出した気のきいた物語、母が、毎晩、私に話してくれた物語も、この百姓女の話のもつ味と豊かさと力をもっていなかった。
ところで、ある火曜日、朝のうちじっとクロシェット婆さんの話をきいてすごしたあと、日中、ノワルプレの農場のうしろのレ・アレの森へ、下男といっしょに榛《はん》の実を拾いに行ってから、もういちどまた婆さんのところへあがって行こうと思った。こんな順序をまるで昨日のことのようにはっきり覚えている。
ところで、お針部屋の戸を開けたとたん、お針婆さんが、今までかけていた椅子のそばのゆかの上に、うつぶせに、長くなって倒れているのが見えた。腕をのばし、片手にはまだ針を持ち、もう一方の手には、私の下着の一枚をつかんでいた。青い色の靴下につつまれた片脚が、むろん長いほうの脚に相違なかったが、椅子の下のほうへのびていた。めがねが壁ぎわで光っていた。倒れた勢いでそこまで飛んだのであろう。
私は金切声をあげて逃げ出した。人々がかけつけた。それから、数分の後、クロシェット婆さんは死んだのだと聞かされた。
私の子供心をしめつけた、おそろしい、えぐるような、深刻な感動を、とうてい言葉にあらわすことはできない。足どりものろく客間へおりて行き、暗い部屋のすみの、古風なすばらしく大きい揺り椅子の奥にかくれて、そこでひざまずいて泣いた。長いことそこにそうやってじっとしていたに相違ない。夜になったのだから。
とつぜん、だれかがランプをさげてはいってきた。しかし、私の姿にはだれも気がつかず、やがて、父と母とがお医者さんを相手に話をするのがきこえた。声に聞き覚えがあるのでお医者だということがわかった。
大急ぎで迎えにやられた医者がこの突発事故の説明をしているのだった。もっとも私にはその説明はぜんぜんわからなかった。それから、医者は椅子に腰をおろすと、ビスケットを添えてすすめられたリキュールの盃《さかずき》を受けた。
彼は話をつづけた。リキュールの盃を手にしてから彼の話しだしたことはいつまでも覚えている。いや、私の死ぬまで、私の心に刻みつけられているであろう! 医者の使った言葉まで、ほとんどそっくりそのまま再現できるとさえ思う。彼はこんなふうに話しだした。
「まったく! かわいそうな女です! この土地で私の扱った最初の患者でした。私がこの土地へ着いた日にこの女が脚を折ったのですが、乗合馬車からおりて手を洗う暇もなく、すぐに来てくれという迎いです。重傷、ひどい重傷だというのです。
――そのとき、あの女は十七でした。きれいな娘でした。非常な美人でしたよ! そんなことを言っても信じるものがあるでしょうか? この女の身の上話は、まだ一度も話したことがありません。私ともう一人、今はこの土地にいない男以外、だれも知っているものはありません。今は、本人が死んだのですから、それほど口をかたくしないでもいいと思います。
――その時分、町へ、若い教員が赴任して来ました。下士官のようなりっぱなからだつきをした、きれいな顔の青年でした。娘という娘がこの青年を追いかけましたが、男のほうは相手にせずといった態度でした。それに、上役である校長のグラビュ老人を、毎日きげんがいいという性質の人物でない老人を、ひどくこわがっていました。
――グラビュ老人は、さっきお宅で死んだきりょうよしのオルタンスをお針女に雇っていました。事件のあとで、後にクロシェット《びっこ》と呼ばれるようになりましたが、教員はこの美しい娘に眼をつけました。娘としては、むろん、だれもものにできないでいるこの征服者に白羽の矢を立てられて悪い気持はしませんでした。とにかく、娘は男を好きになり、男は、最初のあいびきの約束を、裁縫に来る用がすんだら、夜になって、学校の屋根裏の物置で会うという約束を、女にさせることに成功しました。
――そこで、娘は、うちへ帰るようなふりをしながら、グラビュ家を出て、階段をおりるかわりに、あがって行き、男を待つために、干し草の中にかくれました。やがて男もやって来ました。男が甘い言葉をささやきかけたとたん、物置の戸がまたあいて、校長の姿があらわれ、こうききました。
『何をしているのかね、そこで、シジスベール?』
つかまるなと思った若い教員は、気もそぞろになって、愚かな返事をしました。
『わら束の上で少し休もうと思ってあがって来たのです。グラビュ先生』
――この物置は非常に大きな、だだっぴろい部屋で、中はまっくらでした。シジスベールは、狼狽《ろうばい》している若い娘を奥のほうへ押しやりながら、こうくりかえしました。『むこうへ行ってくれ、かくれるんだ。おれの地位が危い。逃げてくれ、かくれてくれ!』
――校長は、ぼそぼそ言っている声を聞きつけると、つづけてこう言いました。
『君はひとりじゃないね?』
『ひとりですとも、グラビュ先生!』
『ひとりなものか、しゃべっているじゃないか』
『誓ってひとりです。グラビュ先生』
『よし、これから確かめる』と、老人は答えました。それから、厳重にかぎをして戸をしめると、ロウソクをとりにおりて行きました。
――すると、青年は、こういう種類の卑怯《ひきょう》者はよくいますが、度を失い、とつぜん気違いのように激して、こうくりかえしたらしいのです。
『かくれろったら、みつかったらどうする。おれを生涯食いはぐれさすのか。おれの生涯がめちゃめちゃになる……かくれろったら!』
――かぎあなの中でまわっているかぎの音がまた聞えました。
――オルタンスは、往来にむいているあかりとりの窓のところへ駆けより、いきなりそれをあけると、低い思いつめた声でこう言いました。
『校長さんが行ってしまったら、私を拾いに来て下さい』
――こう言って、娘は飛びおりました。
――グラビュ老人は、さがしてもいないものですから、ひどく驚いて、またおりて行きました。
――それから、十五分の後、シジスベール氏は私のところに駆けつけると、事件のあらましを語りました。若い娘は、壁ぎわに倒れたまま立ちあがることができませんでした。なにしろ三階から飛びおりたのですから。私は男といっしょに娘をつれに行きました。車軸を流すような雨がふっていました。とにかくこのふしあわせな女をうちへ運んで来ました。右の脚が三ヵ所で折れ、骨が肉を突き破っていました。ひと言も痛いとは言わず、驚嘆すべきあきらめぶりで、ただこう言っていました。『罰があたりました。ほんとに! 罰が』
私は手助けを求め、また娘の両親にも来てもらいました。両親には、荷馬車の馬があばれて、ちょうど私の家の門口で娘をひき倒し、そのためにかたわになったというような作り話をしておきました。
――私の作り話を人々は信じました。当局でも、一ヵ月ばかり、この事件を起した張本人をむなしくさがしました。
――話はそれだけです! 私はこの女は女丈夫《じょじょうふ》だったと申します。このうえもなくりっぱな歴史的な行為をやってのける女性の種類に属している女です。
――これがこの女のたった一度の恋愛でした。この女は男の肌を知らずじまいで死にました。殉教者です。偉大な魂の持主、崇高な献身の女です! 私が絶対にこの女に感服していなかったとすれば、こんな話はお話しなかったでしょう。生きているあいだはだれにも言いたくなかった話ですが、そのわけは申しあげるまでもないでしょう」
医者は口をつぐんだ。母は泣いていた。父とふた言み言なにか言ったが、その意味は私にはよくわからなかった。それから、三人は出て行った。
私は、しゃくりあげながら、揺り椅子の上でひざをついたままじっとしていた。階段に、重い人の足音と、なにかもののぶつかる妙な音が聞えた。
クロシェットの死骸を運び出しているのだった。
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港
一
一八八二年五月三日ル・アーヴルを出港して、シナ海方面の航海にむかった三本マストの帆船ノートル・ダム・デ・ヴァン号は、四年の航海の後、一八八六年八月十八日、マルセイユ港に帰投した。最初の積荷を目的地のシナの港に陸揚げすると、そこにブエノス・アイレス行きの傭船《ようせん》契約が待っていて、そこからブラジル向けの商品を積みこんだのだった。
そのほかにもいくつかの航海をやり、損傷、修理をくりかえし、何ヵ月かの≪なぎ≫にあって動けなくなったこともあり、突風で航路からはずれる不運にもあい、とにかく海上につきものの事件・災難がかさなって、このノルマンジーの三本マストの船は長いあいだ故国を離れていたのであるが、アメリカ製の罐詰《かんづめ》のはいっているブリキ罐を満載して、マルセイユに帰ってきたのだった。
出発のときは、船長と副長のほか、十四人の水夫が、八人はノルマンジー生れ、六人はブルターニュ生れの水夫が、乗り組んでいた。帰ってきたときは、五人のブルターニュ生れの水夫と四人のノルマンジー生れの水夫しか残っていなかった。一人のブルターニュ生れの男は途中で死に、それぞれちがった状況のもとで姿を消した四人のノルマンジー生れの男のかわりに、二人のアメリカ人と一人の黒人、それに、シンガポールの酒場で、ある晩、勧誘に応じて乗船した一人のノルウェー生れの男が雇い入れられていた。
このずんぐりと大きい船は、帆をしぼり、帆げたをマストの上に十字に残しながら、マルセイユ港所属の曳き船にひかれてはいってきた。曳き船は息を切らしながら先導しているが、本船は港外からの波のうねりの名残りに乗ってすべっている。そのうねりは、とつじょ訪れた≪なぎ≫のために、あとが続かず静かに消えてしまうらしい。船はイフ島の古城の前を通りすぎ、夕日をあびて金色の水蒸気に包まれている湾内の灰色の岩の陰を次々に抜けて、世界じゅうの船が波止場に沿って、船腹をくっつけあいながら、ひしめいている旧港にはいった。まったく雑然と、大きいのも小さいのもあり、形も装具も千差万別、マルセイユ名物のブイヤベース(魚汁)よろしくの態《てい》で、この水の汚ない狭すぎる碇泊区の中に錨《いかり》をおろしている。船体はふれあい、すれあい、まるで船団の汁の中に漬けたかと思われる。
ノートル・ダム・デ・ヴァン号は二本マストのイタリヤ船とゴレエット型のイギリス船が僚船のためにあけてくれた所定の場所に横づけになった。それから、税関や港務部関係のいっさいの手続がすむと、船長は乗組員の三分の二にその晩の上陸を許した。
夜になった。マルセイユの街にあかりがつきはじめた。夏の宵《よい》の暑さをいっそう暑苦しくするように、にんにくを使う料理の匂いが騒々しい町の上空に、人声と車の音と、何かのきしる音と、南国式の陽気なざわめきとにみちている町の上に、漂っていた。
港へついたということを土を踏む自分の足で感じとると、何ヵ月もずっと海の上で暮した十人の男たちは、町の空気になじめない、よそ者の気持を味わわされるためらいから、二人ずつ組み、列をつくって、静かに歩き出した。
彼らは右へ寄ったり左へ寄ったりしながら歩き、ところどころで方角を見定め、突き当りが港へ抜ける細い通りに鼻をつっこんだ。最後の六十六日間の海上生活のあいだに生長した、女を求める気持にからだを燃やしているのだった。ノルマンジー生れの連中が先頭に立っていた。宰領《さいりょう》しているのはセレスタン・デュクロという背の高い屈強な若者で、知恵もよくまわる男であるが、上陸するたびに隊長役をつとめるのはこの男である。いい岡場所をかぎ当て、一流の手を考え出す名人であるが、港町によくある水夫同士のいざこざにぶつかることはあっても、決して深入りはしない。しかし、いったんかかりあいになったとなると、こわいもの知らずだった。
下水のように海にむかって下っている薄暗い通りから、重苦しい匂いが、不潔な家の吐く一種の呼気がのぼってくるが、そのたくさんのとおりのうち、どれにしようかとしばらく迷ったあとで、セレスタンのきめたのは一種の曲りくねった廊下といってもいい場所で、家々の戸口の上に、軒燈がつき出ていて、つや消しにした色ガラスに大きな番号が書いてあるのが見える。入口の低い天井の下に、女中とも見える前だれ姿の女たちが、わら椅子に腰かけていて、水夫たちのやってくるのを見ると、立ちあがって、往来のまんなかを流れている溝《みぞ》のところまで出て行き、歌ったりひやかし笑いをしたりしながらゆっくりと歩いて行く男の行列のあとを追って駆け出す。こうした魔窟《まくつ》の近くに来ているというだけで男たちの血は早くも燃え立っているのだった。
ときに、玄関の奥の茶色の革でふちどった第二の扉がとつぜんあいたと思うと、その陰から、着物の前をはだけた太った女の姿が現われ、ずしりと重そうな腿《もも》と脂《あぶら》ぎったふくらはぎの線が白木綿の粗末な下着の下にだしぬけにくっきりと見えた。短いスカートはふくらみをつけた帯のようなかっこうをしており、胸と肩と腕の柔らかい肉が金筋《きんすじ》で縁どった黒ビロードのコルセットの上にバラ色の斑点を形づくっていた。女は遠くから呼んだ。「色男たち、来なさいよう!」ときに、自分で走り出て、男たちの一人にかじりつき、入口のほうへひっぱって行く。全身の力で、自分のからだよりも大きな獲物をひきずって行く蜘蛛《くも》のようにしがみつく。女の肉にさわられて上《うわ》ずってしまった男は、足をふんばろうとするが、いっこうに力がはいらない。ほかの男たちも足をとめてこの光景を見物する。すぐに中へはいりたくもあるし、この食欲をそそる散歩をもう少しつづけたい気持がしないでもない、どちらとも決しかねているのである。それから、女が必死の努力で水夫を店の入口までひっぱって行くと、そこでほかの女たちがいっせいにどっと襲いかかった。すると、こういう家のことでは目ききであるセレスタン・デュクロが、とつぜん叫んだ。「マルシャン、そこはやめとけ。いい家じゃない」
すると、男は、その声に服従しながら、乱暴にからだをふりきってとび出した。仲間も、くずされた隊伍をととのえ、怒った女の口汚ない罵声《ばせい》に追いかけられながら歩き出した。いっぽう、新手《あらて》の女たちが、路地の家々から軒並に、物音をききつけて、水夫たちの前にとび出し、しわがれた声で、たっぷりのサービスを約束する呼び声を投げつけた。そこで、男たちは、ますますからだの血を燃やして、この狭いだらだら坂の往来を上っていきながら、上のほうの女たちの、こびを売る家の女番人どもの、合唱隊の約束する誘惑と甘いささやきに迎えられるいっぽう、下のほうの合唱隊によって彼らに投げつけられる汚ない呪《のろ》いの言葉を、当てはずれの女どもの恥をかかされたくやしさの投げつける呪詛《じゅそ》を、浴びて行くのだった。ときどき彼らは別の一団に行き会った。足にからまる剣の音をさせて歩いてくる兵士たち、それからまた別の水夫たち、隊を組んでいないただの町の人、商店員、等。いたるところに新しい狭い小路が口を開けている。いかがわしい軒燈が点々とついている小路が。彼らはどこまでもこの不潔な家の並ぶ迷路を、女の肉の充満した壁と壁のあいだを、腐った水のしみ出る脂垢《あぶらあか》のたまった敷石の上を、歩いて行く。
それでもついにデュクロの心はきまった。かなりみばのいい家の前でとまったと思うと、全員を中へはいらせた。
二
底抜けのドンチャン騒ぎがはじまった。四時間のあいだ、十人の水夫は酒と女にあきるほど浸った。六ヵ月の給料がとんだ。
カフェの大広間に、わがもの顔に陣どり、すみのほうで小さいテーブルについている普通の常連をいまいましげな目つきでながめている。そこへは、客のつかない女のひとりが、大きな人形のような、またはナイト・クラブの歌手のような衣装を着て、給仕に走りまわり、それから彼らのそばへ腰をおろす。
めいめい、来たときにすぐ相手を選び、ひと晩じゅう同じ女と遊んだ。義理固いのである。三つのテーブルをくっつけて飲んでいたが、最初の乾杯がすむと、水夫たちがぞろぞろ立ちあがり、水夫の数と同じだけの女を加えて二列になった行列がまた階段のところでできた。個室に導く狭い入口の中に、この長い、さかりのついた行列が吸いこまれて行くあいだ、一組の男女の四本の足が長いこと木の階段の板を鳴らした。
それからまたおりてきて飲み、またあがり、それからまたもう一度おりた。
今や、ほとんど泥酔状態になった水夫たちは、大声にわめき散らした。めいめい、眼をまっかにし、女を膝の上にのせて、歌ったりどなったり、拳固でテーブルをたたき、ブドウ酒を喉《のど》へ流しこみ、遺憾なく人間獣の本性を発揮した。そのさいちゅうに、セレスタン・デュクロが、彼の脚の上に馬のりになった頬のまっかな大柄な女を、抱きよせ、じっと食い入るようにその顔を見つめていた。彼はほかの連中ほど酔っていなかった。彼らほど酒を飲まなかったからではなく、ほかに考えることがあったからであり、ほかの連中よりはおだやかでやさしい性質だったので、女と話をしようとしたのである。しかし、話をしようとすると、考えていたことがつかまらず、どこかへ飛んでしまい、またわかりそうになったかと思うと消えてしまい、何を言おうとしたのかはっきり思い出せない。
彼は笑いながら、くりかえした。
「じゃ、なにかい……ここへ来てからもう長いのか?」
「半年です」と、女は答えた。
それがまるで善行のしるしであるかのように、彼はこの女にたいして満足の色を見せた。そして、つづけた。
「ここの暮しが好きかい?」
女はためらい、それからあきらめたようにこう言った。
「まあ、慣れるってものね。ほかのことだってつらいのは同じことよ。女中をするのだって、こんなことだって、いやな商売に変りないわ」
男はこの真理にも賛同する様子をして見せた。
「ここの土地のものではないのか?」
女は答えずに、頭を振って見せた。
「遠いところから来てるのか?」
女は同じようにして「そうだ」という意味を現わした。
「どこだ?」
女は思い出を拾い集めるような、さがすような様子をした。それからささやくようにこう言った。
「ペルピニャンよ」
男はもういちど大満足の態《てい》で、こう言った。
「ああ、そうか!」
こんどは女のほうがきいた。
「あんた、水夫さん?」
「そうだよ」
「あんたも遠い国のひと?」
「ああ、遠いね! いろんな国を見たぞ。港も、それからいろんなことも」
「世界一周をしたのね、きっと?」
「そうとも、一周じゃなくて、二周だな」
もういちど女はためらう様子を見せた。忘れたことを頭の中でさがすようなそぶりを見せ、それから、少し違った、前より真剣な声でこう言った。
「航海の途中でたくさんほかの船に出あったでしょうね?」
「そうとも」
「ひょっとして、ノートル・ダム・デ・ヴァンというのを見かけなかった?」
男はふざけちゃいけないというように笑って見せた。
「先週あったばかりさ」
女はさっと蒼ざめ、頬から全く血の気がひいた。そして、こうきいた。
「ほんと、ほんとなの?」
「ほんとだとも、ばかにするな」
「まさか、嘘言ってるんじゃないでしょうね?」
男は手をさしあげた。
「神さまの前に出たっていい!」
「じゃ、きくけどね、セレスタン・デュクロは今でも乗り組んでますか?」
男はどきりとし、不安になり、返事をする前に、もう少し事情を知りたいと思った。
「おまえその男知ってるのか?」
こんどは女のほうが用心深くなった。
「いいえ、私が知ってるのじゃないわ! ある女のひとが知ってるのよ」
「ここの女か?」
「いいえ、近所の」
「この並びの家にいるのか?」
「ちがうわ。もう一つの小路よ」
「どんな女だ?」
「どんな女って、ただ女よ、私と同じような女よ」
「どうしようってんだ。その女は?」
「私が知るものですか、同じ国の女か何かじゃないの?」
二人はじっと、相手の様子を探るために、互の眼の底を見つめた。何か重大なことが二人のあいだにとび出すに相違ないと感じ、推しはかりながら。
男は言葉をつづけた。
「その女に会いたいが、会えるか?」
「会って、何を言うの?」
「何を言うったって、……セレスタン・デュクロに会ったって言うさ」
「じょうぶなんでしょうね、きっと?」
「おまえやおれのようにな。元気者だよ」
女は考えをまとめようとしてもういちど口をつぐんだ。それから、ゆっくりこう言った。
「どこへ行ったかしら、そのノートル・ダム・デ・ヴァンは?」
「マルセイユにいるよ、マルセイユに」
女はとびあがるほど驚いた気持をおさえることができなかった。
「ほんと?」
「ほんととも」
「あんたデュクロを知ってるの?」
「うん、知っている」
女はまた迷い、それから、静かにこう言った。
「そう、そうなの!」
「どうしたんだ?」
「ねえ、あんた、あんたに言ってもらおうかしら……いいえ、だめ、だめ!」
男はますます気がかりになって、あいかわらず女の顔をながめた。とうとうこうきく気になった。
「おまえもデュクロを知ってるのだろう?」
「いいえ」
「じゃ、どうしようというのだ?」
女はとつぜん心をきめて、立ちあがった。おかみさんのすわっている勘定台のところへ走って行き、レモンを一つつかむと、二つにわって、その汁をコップにしぼりあけた。それから水をなみなみと注いで、もとの席へ持ってきた。
「これを飲んでちょうだい」
「なぜだ」
「酔《よい》をさましてもらうの。酔がさめてから話します」
男はおとなしく飲んだ。手の甲で唇をぬぐうと、改まって、こう言った。
「さあ、これでよし、きこう」
「私にあったことも、私のこれから話すことをだれからきいたということも、絶対しゃべらないと約束してちょうだい。ちかってくれなくちゃ、だめ」
男はずるくかまえて、手をあげた。
「よし誓う」
「神さまにかけて?」
「神さまにかけて!」
「じゃいいわ。あんたからデュクロに言ってちょうだい。おとっつぁんが死んだって。おっかさんも、兄さんも死んだって。一月のうちに三人とも、チフスで死んだのよ。一八八三年の一月、今から三年半前だわ」
こんどは、男のほうがからだじゅうの血が逆流するのを覚えた。しばらくのあいだ、あまりにも驚きがはげしく、答えるべき言葉がみつからなかった。それから、疑いを持ち、こうきいた。
「確かか?」
「確かよ」
「だれからきいたのだ?」
女は男の肩に手をかけると、じっと眼の底をのぞきこんだ。
「おしゃべりしないって誓ってくれる?」
「誓う」
「私はデュクロの妹よ!」
思わず、男は、
「フランソワーズ?」
という言葉を口に出した。
女は改めてじっと男の顔を見すえた。それから、狂いだすほどの驚愕《きょうがく》に、深刻な恐怖に、つきあげられながら、小声で、ほとんど口の中で、つぶやいた。
「あっ! ではあんたが、セレスタン?」
二人はもう釘づけになったように動かなかった。目と目をぴったりつけて。
二人のまわりでは、仲間たちがあいかわらずわめき散らしていた。
コップの音、拳固の音、靴のかかとで歌の折り返しの文句の拍子をとる音、それから女たちのかん高い叫び声、それらが、騒々しい合唱騒ぎにまざった。
彼のからだの上にのっているからだ、腕を巻きつけている、あったかい、おびえた妹のからだ! すると、だれかにきかれてはたいへんと思う心から、まったく低い声で、あまりにも低い声で、妹にもほとんどききとれなかったほどの声で、彼はこう言った。
「情けないことをしてしまった! たいへんなことをしてしまったな!」
たちまち、妹の眼に涙がいっぱいあふれ、どもるようにこう言った。
「だって、しかたないじゃないの?」
それには答えず、男はこう言った。
「じゃ、みんな死んだか?」
「死んだわ」
「おとっつぁんも、おっかさんも、あにさんも?」
「一月のうちに三人とも死んだのよ、さっき言ったとおり。私ひとりぼっちになったの。着替えの着物が一、二枚残ったきり、まるきりの無一物だったわ。だって、三人分の薬屋の払いや、医者の払い、それに葬式の費用があるじゃないの。道具を売って払ったわ。それからカシュー親方のところへ女中に住みこんだのよ。あんたも知っているあの跛《びっこ》さ。ちょうど十五だったわ、あのとき。あんたは私の十四にならないときに国を離れたんだもの。あのひととまちがいをしでかしてしまったのよ。しかたがないわよ、若いときは無分別でも。それから公証人の女中になったわ。この人も私を堕落させ、ル・アーヴルへ連れていって、私をかこったの。そのうちに、ぱったり姿を見せなくなり、私は食べるものがなく仕事もみつからずに、三日すごしたことがあるわ。そこでこういう家へはいったのさ。みんながそうするように。いろいろの土地を見たわ、私もね! ほんとに! なんていやな土地ばかりだろう! ルーアン、エヴルゥ、リール、ボルドー、ペルピニャン、ニース、それからマルセイユ。そして、こうやっているのよ!」
涙が目からも鼻からもあふれ、頬をぬらし、口の中に流れこんだ。
女は言葉をつづけた。
「私はね、兄さんが死んじまったと思ってたわ」
男は言った。
「とても見覚えなんかないね。あんなに小さかったんだから。こんなに大きくなっているとは! しかし、どうしてまた、おまえのほうはおれに見覚えがなかったのだ?」
妹はいても立ってもいられないというふうに、
「あんまりたくさん男の顔を見るので、みんな同じに見えるのよ!」
男はあいかわらず女の目を見すえていた。あまりにも強烈な混沌《こんとん》とした感動にしめつけられ、小さい子供がぶたれるときのように大声で泣き出したかった。彼の膝の上に馬乗りになったままの女を、女の背中に手をまわして、まだ腕の中に抱きしめていた。そして、この度は、じっとみているうちに、ついに昔のおもかげを、妹だけが死に目に立ちあったという三人の肉親とともに、自分が海の上で暮しているあいだ、国に残しておいた妹のおもかげを認めた。すると、いきなり船乗りらしい大きな手のひらの中に、ついにめぐりあったこの顔をはさむと、肉親を抱く抱きかたでひしと抱きしめた。それからすすり泣きが、大きくすすりあげる男のすすり泣きが、波のように長くひくすすり泣きが、酔っぱらいのシャックリにそっくりな出方で、喉のところへつきあげてきた。
彼はどもるように言った。
「おまえか、おまえか、フランソワーズ、フランソワーズ!」
それから、とつぜん立ちあがった。テーブルの上を拳固で大きくたたきながら、おそろしい声でののしりはじめた。あんまり勢いよくたたいたのでコップがひっくり返って割れた。それから、三歩あゆみ、よろめき、腕をのばしたと思うと、うつ伏せに倒れた。それから、手足をもがいて床《ゆか》をたたき、まるで断末魔のうめきのようなうめき声をたてて、泣きながら、ころげまわった。
仲間はみんな笑いながらそれをながめていた。
「バカによっぱらったものだな」と、中のひとりが言った。
「ねかせなくっちゃいけない。あのまま出たら豚箱いりだ」と、もうひとりが言った。
そこで、ポケットに金を持っていることがわかっていたので、女将《おかみ》が泊ってもいいと言ってくれた。仲間は、自分たちもじっと立っていられないくらい酔っぱらっていながら、デュクロをかかえて、さっきデュクロの相手になった女の部屋まで運びあげた。女は罪を犯したいまわしい寝台の足もとにうずくまり、男ともども、朝まで、泣きあかした。
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解説
モーパッサンは、フロベールと同様、ノルマンディの作家です。父系の家族はロレーヌ地方の出ですが、祖父の代から長くルーアンに住み、母方のル・ポワトヴァン家は古くノルマンディに住みついた家柄でした。
彼の小説が「女の一生」「ピエルとジャン」などの長編をはじめ、多くの中短編で、この地方に材料をとり、なかに傑作が多いのは偶然ではないので、彼はノルマンディの土に結びついた作家という一面を濃く持っています。
トルストイが「モーパッサン論」に説いているところも、結局ノルマンディの農民のなかに育ち、――トルストイが一生持とうとして持てなかった――農民や漁夫の感覚を表現した無意識の天才が、堕落した都会と社交界の環境に過られて、根を失った切花のように萎《しお》れて行ったのを惜しんだものです。
ノルマンディはセーヌ河に臨むルーアンを中心とし、フランスの西北部をしめる地域で、九世紀以来ノルマン人に征服され、彼らはながくフランスとは別個の公国をつくり、イギリスを征服して、ノルマン王朝をひらきました。
したがって、イギリスと関係が深く、百年戦争以前にはイギリスの領土だったこともあり、現在でもフランスのなかで特殊な風趣をもつ地方を形づくっています。
その特色は一言で言えば北方的なことです。ノルマン人はスカンジナヴィア半島やデンマークからきた北方の種族で、その気質は複雑な混血を経た現在でも、やはり残っています。
母方からノルマンの血を享《う》けたフロベールは、青い瞳をした北欧風の巨漢で、いつもヴァイキングの子孫であることを誇りにしたそうですが、モーパッサンの場合はフロベールほど肉体的特色は著しくなかったのですが、ニーチェが「生粋《きっすい》のラテン作家」と呼んだ彼のなかにも、海上を放浪した祖先の憂鬱と夢想は生きていました。
フランスが葡萄酒の国とすると、ノルマンディは例外で、北に偏った気候の関係から葡萄が育たないので、代りに林檎を植えて、林檎酒をつくります。林檎畑はノルマンディの地方色のひとつであり、林檎酒はノルマンディの地酒として、農民や労働者たちに常用されています。
そのほかの産業は都市で織物、製紙などの軽工業が行われるほか、農業と牧畜が主であり、ことにモーパッサンの故郷であるコオ地方は牧畜がさかんです。
この地方は、セーヌ川を境として、東北の高ノルマンディと、西南の低ノルマンディにわかれていて、低ノルマンディは、今度の大戦で英米軍の上陸地点となり、激戦の行われたカアンを中心とした、英仏海峡にのぞむセーヌ湾の沿岸の低地で、ゆたかな農業地帯であるとともに、リジィュウ、バイユー、クータンス、アヴランシュなど由緒ある都市が多く、文化的に英国の影響が目立ちます。モーパッサンが長編「男ごころ」その他の作品で扱っている海上の大伽藍モン・サンミシェルの教会もこの地方の西のはずれにあり、「ジュール叔父」にでてくる英領ノルマンディと言われるジエルセイ島は、この地方の西方の二、三十キロの地点にあって、かつてイギリスがこの地方を支配した歴史の名残りを示しています。
トルーヴィル、ドオヴィルなど、フロベール、モーパッサンに縁のふかい海水浴場は、いまでも英国人を大切な客としています。
これに対して、高ノルマンディ地方は、ゆるやかな丘陵の起伏が多く、牧畜や農業はさかんですが、ノルマンディの首都であるルーアンのほかは、ディエップ、フェキャンなどの都会もたいした活気はなく、ルーアンの背景になる田舎という感じが強くします。コオ地方とよばれるのはこの高ノルマンディの海岸よりの辺で、海岸は切りたったような崖になっているところが多く、起伏のゆるやかな丘が牧場や畑になって続きます。主な住民は漁夫と農民で、それらは、モーパッサンの小説に登場する人物の重要な部分をしめています。
彼は少年時代に彼らの子供たちを仲間として育ち、彼自身の両親を観察したと同じ眼で、彼らの親たちを見つめたのです。
ノルマンディの農民は、勤勉であると同時に、こうかつなほど思慮ぶかく、食えない性質で、吝嗇《りんしょく》なほど倹約だといわれています。このノルマン人気質は、モーパッサンが遺憾なく描きつくしていますが、彼の筆には外見の冷たさにもかかわらず、ある本能的な同情が底に流れています。必ずしも故郷を愛したといえないこの特異な作家に郷土の風物と人間はかけがえのない養分であったのです。
ギイ・ド・モーパッサン(本当はアンリ・ルネ・アルベエル・ギイというながい名だそうです)は一八五〇年(嘉永三年)八月五日に生れました。生れた日は大体たしかなようですが、生れた場所については諸説があります。彼の出生届によると、ディエップの近くにあるミロメニルの館で生れたことになっており、モーパッサン自身もそう信じていましたが、彼の伝記を研究した人々の説によると、これはどうも怪しい節が多く、実際はそこからかなり離れたフェキャンの町で生れたのを、両親の虚栄心から、すぐにたまたま彼らの借りていたミロメニルの館に連れて行かれて、そこの礼拝堂で仮の洗礼をほどこされたのが真相のようです。
こんな小細工をしたために、モーパッサンの出生には妙なうわさがつきまとい、彼が実はフロベールの息子であったなどという憶測さえ行われていますが、これは無論根拠のないことで、やはり、家族の貴族趣味と虚栄心にもとづくと見るのが正しいようです。モーパッサンの家は古いブルジョア出の知識階級に属するのですが、彼ら自身は公爵の家柄だといい、むかしはなかった貴族の象徴である「ド」を姓名に挟む権利を一八四六年になってから裁判所に請求して、もらっています。
モーパッサンがフロベールの息子だというような臆説が、なぜ行われたかというと、それはモーパッサンの母親、ロール・ル・ポワトヴァンが、兄のアルフレッドを通じて、フロベールの古い友だちであったという事実を楯《たて》にとっています。
アルフレッドは青年時代のフロベールが兄事した年長の友人であり、一八四八年に若死にした彼にたいして、フロベールは他のだれにも許さなかった敬愛の念を生涯いだきつづけました。アルフレッドは彼の青春の象徴であり、青春は彼の生涯の価値あるもののすべてでした。
アルフレッドの妹であるロールは、彼にとってはこの思い出に結びつく女性であったので、彼が一生、やや感傷的な友情をいだいていたのは当然です。子供のころ彼はロールとアルフレッドの家でいっしょに玉突き台を舞台にした芝居を演じたことがあり、ロールも兄やフロベールの感化で文学にかなり深く親しんでいました。(彼女はシェイクスピアを読みこなすほど英語を知っていたと言われています)
彼女がギイの父親ギュスタアフ・ド・モーパッサンと結婚したのも、やはり兄の影響と言えましょう。アルフレッドは一八四六年の七月にルイズ・ド・モーパッサンと結婚し、ロールが兄弟のギュスタアフと結婚したのは同じ年の十一月だからです。
しかしこの二重の結婚も両家をながくつなぐことはできなかったので、まずアルフレッドがわずか二年後の一八四八年四月に息子をひとりのこして死に、ギュスタアフとロールは息子二人を設けたのち、しだいに不和になりました。
ギュスタアフは、あまり才能はなかったが、なかなかの美男子で、田舎貴族の特権としてゆるされていた女性征服ばかり心がけていたようですし、文学好きでヒステリー気味のロールとは、やがて形だけの夫婦になり、ギイが十二歳のとき、協議の上、裁判所の認可を得て別居することになりました。カトリック教国における事実上の離婚です。
ギイは男の児の常として当然母親の味方であったので、九歳のとき、親密な関係にある夫人のもとに彼を連れて行くのを口実に、出かけようとする父親に、「あたしよりあなたのほうが行きたいのだから」といって靴の紐を結ばせたという逸話が伝えられています。
母親は二児といっしょに、ノルマンディ海岸のエトルタに住み、父親はパリに住んで年額千六百フランの扶助料をおくることに話がきまり、ギュスタアフはこの約束を忠実に履行しました。
彼はむろん悪人ではなく、のちに田舎に引退して、ギイより九年あとで、一八九九年に亡くなりました。ギイは成人してからは彼とも親密な関係を保ちました。
少年時代のモーパッサンは、野に放たれた若駒のように、海岸や野山を暴れまわり、農夫や漁夫の子供たちと、まったく隔てなく交ったといわれていますが、まもなくイヴトの神学校に入りました。しかし学校の気風に合わず、危険思想をもつ悪童として数年後に退校され、そのころからルーアンに住んで、フロベールや、彼とアルフレッドの友人であった詩人ルイ・ブイエに文学の手ほどきをうけました。彼は晩年の作品「ピエルとジャン」に付せられた序文のなかで、ブイエから与えられた教訓を感謝の念をもって思いだしていますが、やはり彼の最大の師はフロベールで、彼の文学者としての存在は、ある意味でフロベールによってつくりあげられたといっても過言ではありません。
十七歳のときから、三十歳で「脂肪の塊」を書いて世にでるまで、十年以上の歳月がそのあいだにながれます。
まもなく、普仏戦争がおこり、二十歳のモーパッサンは、遊撃隊の一員としてこれに参加して、軍隊の瓦解と敗戦、敵軍の侵入を経験します。
この間、文学修業は中断されましたが、彼がこの戦争の体験から得たところは極めて大きかったので、出世作「脂肪の塊」をはじめ、普仏戦争に取材した中短編が数多くあります。彼はプロシア軍を憎み、自国の軍隊のだらしなさに切歯《せっし》し、侵入軍にたいする国民の自発的反抗に拍手を送る愛国者で、晩年に正気を失ったのちも、銃をとってプロシア軍と戦おうと下男に言ったそうです。しかし戦争そのものの悲惨、支配者のために利用される愛国心、敵味方をとわず戦場に犠牲として狩りだされる若い罪のない兵士たちの運命にたいして、深い憤りを持ったのも事実であり、この思想はとくに「水の上」にはっきり現われています。
しかし心に生涯消えぬ手傷をのこした戦争もやがて終ったので、一八七一年十一月に兵役をすませた彼は、翌年三月末に父親の援助で海軍省に勤め口を得、七八年に文部省にかわりましたが、八〇年に小説家として名声を得るまで、ほぼ十年間、パリで貧しい勤人の生活をおくります。
モーパッサンの作家としての生活も、八〇年から九〇年までの十年間ですから、彼の勤人としての生活も、期間から言えばほぼそれに匹敵します。この間の経験は、彼に勤人の生態を扱った数多くの中短編を書かせただけでなく、二十台の若さも手伝って、彼の生涯のもっとも充実した楽しい時期を形造ったのではないかと思われます。
パリを舞台にした彼の小説は、ノルマンディを材料にしたものに劣らぬほど多いのですが、そのなかですぐれているのは、貧しい小市民の老若の生活を描いたり、日曜日の彼らの郊外の遊びなどを描いたもので、同じパリでも上流階級を扱った後期の作品は、どこか場違いの感じがします。
彼の作家生活は、ことに後半になると、小説の華々しい成功によって、金銭的にも恵まれ、社交界にも好んで出入したのですが、その作品の質から言うと、彼の本領はどこまでも、地方の農民、漁夫、またはパリの小市民たちを素材とした小説にあり、彼らの生活の喜びや悲しみを、本能的な冷たい同情をもって描いたところに、彼の独自性があります。
一週間の役所勤めを終ると、彼は日曜日をフロベールのもとにすごすか、セーヌ河の川遊びに費しました。フロベールはこのころ、パリに一年の一部をすごし、あとはルーアン郊外のクロワッセにいましたから、彼はそこに試作を持って行って、フロベールの教えを乞いました。勤めの余暇に文学に精進するのは、容易なことではなく、モーパッサンの才能はなかなか稔《みの》りを見せませんでしたが、フロベールは、彼の青年期の思い出につながる――ときにはアルフレッドの再生とも思えた――若者に、文学への尊敬の念と小説の技術を根気よく教えました。
当時フロベールのサロンにあつまったツルゲーネフ、ゴンクール兄弟、ドオデ、ゾラなどがモーパッサンの知りあいになりました。
彼はそのなかでとくにゾラに近づいて、彼を囲む新人のグループのひとりになり、彼らの作品集、「メダンの宵」に「脂肪の塊」を載せることで、文壇にみとめられました。
その校正刷に眼を通したフロベールが、「これは巨匠の傑作だ」といって讃《ほ》め、本がでてからあとでもこれを読みかえして、「こういう作品を四、五編書けば、君も一人前になるだろう」といった挿話は有名です。
彼はこれより少し前から詩を発表し、「メダンの宵」と前後して「詩集」を刊行しましたが、その前に雑誌に発表したなかの一遍が風俗壊乱で起訴されようとし、フロベールの奔走で、事なきを得ました。
フロベールは、その年の五月に、弟子の成功を見届けて、世を去ります。
このときから、モーパッサンの「流星」のように華々しく、短い作家としての生涯が始まります。
すでに無名のころから、彼は眼疾《がんしつ》を主とした神経症に悩んでいますが、それが当時は不治であった黴毒《ばいどく》性のものであったため、しだいに進行して、一八九一年ごろには発狂の徴《しるし》がはっきり現われ、九二年の元旦の夜に自殺をはかって、一月七日にパリの精神病院に入院して、翌九三年の七月六日に死去しました。
「女の一生」は彼の最初の長編で、傑作のひとつです。この小説は一八八三年に発表されましたが、アンドレ・ヴィアルの「女の一生の起源」によると一八七七年の秋ごろから、彼はこの小説のプランをつくっており、七八年の一月にはこれをフロベールに見せ、その激励を得て、一部の草稿をつくっていたことが明らかにされています。
この小説は、トルストイも指摘するように、モーパッサンの長編のなかで特異な地位を占めるもので、ジャンヌのように純潔な、母としての喜びしか知らない女性は、彼の他の長編はもちろん、短編のなかでもほとんど見いだされません。
彼女はこの長編のなかで、いずれも恋の過失なしですませなかった、善良な父母、実直なロザリイ、卑俗な漁色漢のジュリアン、その血をうけたポオル等にかこまれて、ひとり孤立しているだけでなく、モーパッサンが幾百となくつくりだした人物のなかで、まったく特異な存在です。
彼の小説に登場する人物は、男は女のために、女は男のために生きていて、子供にたいする愛や地位や財産にたいする欲望も、性愛から分岐した本能として描かれているのが普通ですが、ジャンヌは終生父母と子供しか愛せず、両親の膝下《しっか》にいたときと同じ無垢な世間知らずで落魄《らくはく》のなかを生きていきます。
彼女がその存在によって、人間社会の醜さに抗議しているように見える点に、芸術を否定して宗教に入った晩年のトルストイが最大級の賛辞をささげた理由があるとも考えられます。
こういう特異な人物をモーパッサンがなぜ――彼の最初の長編で――つくりだしたかというと、それが彼の母親をモデルとしたものであるからです。
敬愛する母親の生涯を描いて、その悲劇にたいする自分の位置をはっきりきめようとする要求が、おそらく作家として立つ決意と時を同じにして彼の心のなかに熟してきたので、「女の一生」にくりひろげられる家庭生活は、彼自身が幼時に観察したものと言えます。
「女の一生」とは英訳の題名であり、原題の「ユヌ・ヴィイ」は「ひとつの生涯」という意味ですが、自分の母親の一生を、こういう抽象的な題名で扱おうとしたところに、彼の制作の態度がうかがえます。
この小説の発端が一八一九年におかれているのは、これが一種の歴史小説であることを意味します。発表の一八八三年から見ると、六十四年も前のことで、今日の日本にあてはめると、日清戦争のころにあたります。モーパッサンの母が結婚したのは、前述のように一八四六年ですから、それよりも一世代前であるわけで、これは作者にとって、母親を理想化するひとつの手段であったと思われます。
アンドレ・ヴィアルは、ジュリアンのモデルが、彼の父親であり、彼の生命を奪った羊飼いの小屋の挿話も、現実に根拠をもつと主張しています。ジャンヌの父の男爵は、モーパッサンの二人の祖父、ジュール・ド・モーパッサンとポオル・ル・ポワトヴァンをいっしょにしたものだということです。
したがって、これは彼の家族の歴史といってもよい内容ですが、それをこういうふうに、はっきり現実との適合性を欠いた、没落貴族の一家として描いているのは興味があるところです。彼はこの家のなかには「|人の好さ《ボンテ》」という底なしの穴があいていて、太陽が沼地を干すように、彼らの手のなかで金を涸らして行った、と書いていますが、この「ボンテ」という言葉には、たんに人の好さというだけでなく、心の優しさ、感じ易さ、とともに悪いほうでは甘ちょろさ、などという意味が含まれているので、彼らの生活、とくにジャンヌの一生は、この「ボンテ」の喜悲劇といえましょう。
この小説を喜悲劇と見ることは、多くの人々の異論のあるところかもしれません。作者はジャンヌの皮膚の下にほとんど自分の身体をもぐりこませた感じで、ジャンヌの感覚を自分の感覚として彼女の感受性の詩を唱っていますし、彼女の生真面目な性格は、その遭遇するあらゆる事件に、悲劇的な相貌をあたえています。
しかしこのユーモアのセンスをまったく欠いた一人娘が、はたから見ればどんな滑稽な存在であるかは、作者の眼を逃れていないので、晩年の彼女が、近所の百姓たちから、「気違い女」と言われたという何気ない一行にもそれが現われています。この点から見ると、ロザリイは興味ある人物で、この百姓女の口に、作者は自分の母親にたいする批判を託しているようです。
アンドレ・ヴィアルは「女の一生」が、フロベールの「純な心」の影響を強くうけているといっていますが、その跡は、ことに作品そのものの構想にはっきり見られると思われます。
両者ともある女の一生を描いている点も、その背景が田舎である点も同じであり、それに「ある」という不定冠詞をつけた普通名詞の題をつけたのも共通しています。
ベルグソンが、悲劇の題名の多くは、主人公の固有名詞であるに反して、喜劇の題が大部分普通名詞であるのは、題材にたいする作者の態度を暗示するといっていますが、この違いはたとえば「ボヴァリイ夫人」と「女の一生」のあいだに見られます。
「ボヴァリイ夫人」にもむろん喜劇的な要素はありますが、作者の主人公にたいする態度にあくまで彼女の個性に即して、その生活の蹉跌《さてつ》をたどり、読者も彼女の人生について納得するように描かれています。
ところが「女の一生」はある人間の悲劇より「ボンテ」という人間の一性質が演ずる悲劇という印象を読者に与えるので、ジャンヌはボヴァリイ夫人ほど作者にかわいがられていないのです。エンマがともかくある生活を築き、生きる意欲の過剰から、死を選んだに対して、ジャンヌははじめから生きる能力をもたず、人生から何ひとつ自分のものを得られないところに、彼女の悲劇があるといえばあるのです。彼女と人生とのあいだには、劇を生むにたる交渉すらないのです。
だから「ボヴァリイ夫人」が悲劇ならば、「女の一生」は超悲劇で、ある人間を描いたというより、人性の一面について、作者が惨酷な実験を試みているといってよいのですが、この実験を進める手付が、悲劇作者より喜劇作者に近いことが、モーパッサンの特色なのです。
作者は彼自身の感受性の権化《ごんげ》であるジャンヌをいつも冷たく傍観者の立場から見ている、というより、彼女を人生から締めだして、それが彼女の罪であると宣告しています。ここで彼が否定的に描いている「ボンテ」が、彼が地上でもっとも愛した女性の特質であり、彼自身の心の一番高貴な部分でもあったとしたら、彼にとって、人生観察という行為がもたらした危機、小説を書くという仕事が強《し》いた内面の矛盾がいかなるものであったかが想像できます。
肉体を蝕《むしば》んだ病毒は、ただ彼の狂気の仕上げをしたにすぎないのです。
「ベラミ」は「女の一生」におくれること二年、一八八五年に発表された長編の第二作で、あらゆる意味で、前者と対をなすものです。
「女の一生」が作者の生れ故郷を背景とした田園小説であったに対して、これはパリの新聞社の裏面を扱ったものですが、主人公の性格も、まったく正反対です。ジャンヌが「ボンテ」そのものであるように、デュロワは「悪」の権化であり、ここで作者は前作で「善」を主人公としたように、「悪」を主人公として、ひとつの思想小説を書いたといえます。
デュロワは、通常の小説の主人公が、たとえ悪人でももっている、読者の同情をひくような性質をまったく備えていません。彼の狡《ずる》さは、自分の間抜なところまで、利用する道をみつけてしまうところにあります。
彼に小説の主人公としての魅力をあたえるのは、彼が「ボンテ」の完全な欠除によって、収める華々しい成功です。作者はそのための資本として、ただ彼に「通俗小説の色魔そっくり」の外貌だけをあたえます。この手軽な資本は、彼を多くの読者にとって更に厭《いと》わしい存在にしますが、それによって彼が収める成功は、みなありうることとして、さらに不幸なことに、そうあるべきこととして、読者の心に印象されます。
これは作者の技巧がすぐれていて、彼の餌食《えじき》になる女性がみな個性をもって生きいき描きだされているというようなことだけによるのではなく、根本においては、自然を悪《あ》しき母と見、人類の運命に絶望した、作者の思想の暗い出口のない性格にあります。
この小説の題名「ベラミ」は作中で子供が主人公につける綽名《あだな》からとったもので、はじめ小娘の口からでたときは「きれいな小父さん」というくらいの意味ですが、それが大人のあいだに転用されると、「美男」「色男」というような意味になります。作者は、弟のエルヴェが下士官であったので、彼からいろいろ資料を得たと言われています。
彼は社会を悪の学校と信じていたので、「善」を代表するジャンヌには(社会からしめだされているゆえに)成長がないのと反対に、悪党としてのデュロワは、この小説のなかでみごとな成長を示しています。
この意味で、デュロワがノルベエル・ド・ヴァレンヌを家に送って行く冬の夜の対話と、マドレーヌを伴った彼が夏の夜のブーローニュの森を馬車でまわりながら、死んだフォレスティエへの嫉妬から脱却する場面は、デュロワの精神的成長の機縁として注意に価します。彼は狡賢《ずるがしこ》く、強くなるたびに不思議な孤独を所有して行きます。この孤独に彼自身はまったく気付かず、ただ作者だけがそれを知っているところに、結末の結婚式の場面のあたえる異常な感銘の源があります。
おそらくトルストイも彼の言葉が表面で言っているより、ずっと深くこの場面にうたれたと思います。
トルストイの「モーパッサン論」のおもしろさは、生きるために文学を否定するところまで追いつめられた筆者が、彼のきらいな外国であるフランスで、意外に自分にごく近い場所に生死した芸術家の悲劇を、ちょうど病んでいる獣が、同じ病気の仲間を嗅ぎわけるような直感で、見抜いているところにあります。
ただ彼の晩年の著作が多くそうであるように、ここでも彼の言葉と心のあいだに、信じていることと感じていることのあいだに、ある≪ずれ≫があり、言っていることの奥に本当に言いたいことがあるというやっかいな論文ですが、それに気づいて読めば、フランス人のを含めて、モーパッサンについて書かれた論文のなかでもっともすぐれたものでしょう。
モーパッサンはフランスよりむしろ外国で重んじられる作家で、ロシアではトルストイをはじめ、ツルゲーネフ、チェーホフなどは彼を高く買っており、とくにチェーホフはモーパッサンから深く感化をうけ、短編作家としてモーパッサンを越えて行くのに非常な苦心をしたといわれています。ソ連になってからも、モーパッサンは依然として、外国作家のなかでもっとも広く読まれているようです。
わが国でも、自然主義時代に、花袋、藤村などに大きな感化を及ぼして以来、フランスの作家のうち、もっとも広く親しまれ、尊敬されてきました。
ところがフランスでは、少なくもいままでのところでは、彼はフロベールとは比較にならぬ低い地位しか文学史家によって与えられず、ゾラよりもむろん劣るし、ときにはゴンクール兄弟より軽く扱われることもあります。
こういう評価の食いちがいは、あえて珍しいことではありませんが、モーパッサンの場合、それは結局彼の文学がサロン的でないことにもとづくと思われます。サロンの趣味が、十七世紀以来フランスの文学を支配していることはよく知られています。
第二次大戦後の今日、サロンの評価が文学作品の価値を決定するというようなことはもう珍しいにしても、フランス人の文学趣味自体が、ながいサロンの伝統によって養われたという事実が変らない以上、洗練された都会人の議論の対象になるに適していない作品は、いろいろな点で損なのです。
モーパッサンの野性と、強烈であるだけにどこか一本調子のところがある厭世観、いわゆる哲学的教養の欠除などが、サロンの読者たちの眉をひそめさせたり、微笑を誘ったりするのは、ある意味でやむをえぬことです。
おそらくこういう評価は、フランス人の生活からサロン的要素がきえて行くにつれて変ってくるであろうと思われますが、それはともかく、こうしたフランス人たちも、モーパッサンの独壇場として、一致して認めるのは、短編、中編における彼の技倆で、短編作家としてのモーパッサンの価値は、メリメをしのぎ、十九世紀はもちろん、数百年にわたるフランス文学の歴史に類例がないとされています。ある批評家は、彼の短編に、中世の寓話詩の復活をみとめています。
むろん短編を多作した作家はおり、すぐれた少数の短編をのこした作家も乏しくありませんが、彼のようにりっぱな短編を数多くのこした作家はほかにいないのです。
ここに収められた作品はそのなかでもすぐれたもので、彼の取材の多様性と、それを貫く思想の一貫性がよくうかがえます。
「脂肪の塊」は、さきにのべたように彼の出世作であるだけでなく、彼の全作品を通じての傑作のひとつです。占領地帯から非占領地帯への旅行という戦時中の一平凡事を語って、卑《いや》しめられた娼婦の善良さと無益な自己犠牲、上流階級にぞくする人間の下劣さとエゴイズム、空虚な愛国心など、戦争という危機にのぞんではっきり現われた人間の愚劣さと醜さにたいする若いモーパッサンの憤りが、みごとな客観描写に定着され、中編小説という形式でどれだけのことが語れるかという可能性の限界を示しています。
これに対して、「オリーブ畑」は、彼の晩年の名作のひとつで、六十ちかい僧侶が若いときの情熱の結果である無頼の息子と思いがけなく出会い、彼がまったく性根《しょうね》の腐った悪党であることに絶望して自殺するという物語で、人生と人間、ことに女性にたいするモーパッサンの暗い考えがよく出ています。
「港」は短編ですが、モーパッサンの晩年の思想をうかがうに大切な作品で、知らぬ間の近親相姦というテーマを扱って、読者の襟を正させるものがあります。
ある批評家は、この表現の簡素と、そこに盛られた絶望の深さをギリシア悲劇にたとえています。トルストイはこれによって「フランソワズ」という短編を書き、主人公の水夫が、娼婦を買う者はみな自分の妹を冒すのだと説教をする結末をつけています。(中村光夫)