カルメン
メリメ作/江口清訳
目 次
カルメン
エトルリアの壷
解説
年譜
あとがき
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カルメン
女ってやつは、怒りっぽいものだ。
そうでない場合は二度だけ、
ベッドのなかと、墓にはいったときだけさ。
――パラダス
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第一章
わたしは、地理学者諸氏がムンダの古戦場をバステュリ・ポエニ地方の、現在のモンダに近く、マルベーリャの北方八キロばかりの所と定めていることについて、前々から疑問をいだいていた。著者不明の古文書「スペイン戦記」、ならびにドスナ公の貴重な文庫中からわたしが収集した若干《じゃっかん》の資料により、わたし自身の推測を申させてもらえば、シーザーが共和国のそうそうたる連中を相手に決戦をまじえた記念すべき地は、モンティーリャ付近に求むべきだと思う。わたしは一八三〇年の初秋に、アンダルシアに旅したとき、かねてから疑問のままになっていたこの問題を解決するために、かなり長い期間、調査をしたのである。近く公刊をみるであろうその時の記録は、きっとすべての考古学者のあたまから疑念を一掃《いっそう》するであろうと、期待しているのだ。
わたしはこの小論が、全ヨーロッパの学界で未解決のままに取り残されている地理学上の問題を解決してくれるのを待ちながら、そのあいだに、ささやかな一つの話を、諸君にお話ししよう。とはいうもののこの話は、ムンダの位置を決定するという興味ある問題には、なんら憶測《おくそく》を下すようなものではない。
わたしはコルドバで、一人の案内人と二頭の馬を雇い、荷物としては着替えのシャツ少しと、『シーザーの記録文書』一巻とを持って出かけたのだ。ある日のこと、一日じゅうカチェナ平原の高地をほっつき歩いて、太陽の直射に照りつけられ、へとへとに疲れ、喉《のど》が焼くように渇ききって、もう、シーザーもポンペイウスの息子たちも、どうでもなりやがれと思っていたとき、ふとわたしは、今歩いてきた小道からだいぶ遠くに、藺草《いぐさ》や芦《あし》がところどころに生えた緑の草地を見たのである。これは、泉が近くにあることを示していた。じじつ近づいてみると、草地と思ったところは沼地であって、カブラ山脈の支脈をなしている二つの高い山に挟まれた峡谷《きょうこく》から流れ出たらしい一条の小川が、ここにそそいでいる。この流れについてさかのぼれば、蛭《ひる》と蛙《かえる》のいない冷たい水がみつかるであろうし、たぶん岩のあいだには、少しぐらいの日陰があるに違いないと思ったのだ。
峡谷にはいったとき、わたしの馬がいなないた。すると、姿は見えなかったが、もう一匹の馬がどこかで、これに答えていなないた。それから百歩ほど進んだかと思うと峡谷が突然ひらけて、まわりを高い絶壁に囲まれているために陽《ひ》の少しもささない、天然の円形競技場ともいうべきところに出た。旅行者にとっては、これ以上快適な休み場所がみつかろうとは思われない。切り立った岩の根から、清水が白い泡をたてて湧《わ》きだし、雪のようにまっ白な砂を敷きつめた、小さな池の中に落ちていた。あおあおと茂ったみごとな樫《かし》の木が五、六本、水際に生え、風を受けるというようなこともなく、たえず泉の水を吸いあげて、水面を、その暗い木陰でおおっていた。そのうえ、池のまわりには、柔らかくてつやつやした草が、この付近四十キロ四方の宿屋ではとうていみつけることができないほどの、りっぱな寝床を提供していたのだ。
このような美しい場所をみつけた名誉は、しかしわたし一人のものではなかった。すでに一人の男が、そこで休んでいたからだ。おそらくその男は、わたしがそこへはいって行ったときは眠っていたらしい。彼は馬のいななきに目を覚まして、立ち上がると、自分の馬の側に近寄ってきた。馬は主人が眠っているのをこれ幸いと、付近の草をうまそうに食べていたのである。その男は中背《ちゅうぜい》の、一見したところ頑丈《がんじょう》そうな若者で、陰気な、しかも傲然《ごうぜん》たる目つきをしていた。その顔の色は、昔は美しかったに違いないが、すっかり陽に焼けて、髪の色より濃くなっていた。彼は、いっぽうの手で馬の口をとり、もういっぽうの手で、銅造りの小銃を握った。
じつのところわたしは、ひとめ見て、小銃とその所有者の獰猛《どうもう》な様子に、いささか肝《きも》をつぶされたのだった。しかしながら、噂《うわさ》では盗賊のことをよく聞いていたが、いっこうに出くわさないので、まさかにこの男が盗賊だとは思わなかった。それに、よく実直な百姓が全身武装をして市場へ出かけるのを見て知っていたので、鉄砲を持っているということだけで、その未知の男の性格までも疑う理由はなかったのである。第一、何枚かのシャツと、エリゼビール版の『シーザーの記録文書』しか持たぬこの身に、害を与えたってはじまらないではないか?……と、思われた。
で、わたしは小銃を持ったその男に、親しげに軽く会釈して、せっかくのおやすみ中を邪魔《じゃま》したのではないかと、微笑しながら尋ねた。彼は返事もせずに、わたしの頭のてっぺんから足の先までじろじろ見ていたが、納得がいったとみえ、次にはそのとき進み出た案内人を、同じように注意ぶかく眺めたのである。ところが案内人は、みるみるうちにまっさおになって、明らかに恐怖を見せながら、立ちすくんでいるのだ。こいつは、悪いやつに出会ったのかな! と思った。が、すぐにわたしは慎重な態度をとって、なんら不安な様子を見せないことにしたのだ。
わたしは馬から降り立つと、馬のくつわをはずすようにと案内人に命じ、それから泉のほとりにひざまずいて、頭と手とを水の中に入れた。そうして、ギデオンの悪い兵隊と同じように〔旧約聖書の士師記第七章参照。「ギデオンがイスラエル人を導いて水際に下りしに、エホバこれに言いたまいけるは、おおよそ犬のなむるがごとくその舌もて水をなむるものは、汝これを別けおくべし。またその膝を折りかがみて水を飲むものをも、しかすべし。手を口にあてて水をなめしものの数は三百人なり。余の民はことごとく膝を折りかがみて水を飲めり」〕腹ばいになって、たらふく水を飲んだ。
そうしながらもわたしは、案内人とその見しらぬ男の様子を観察しつづけていた。案内人は、しぶしぶ近寄ってきた。いっぽう見知らぬ男は、なにもわれわれに対して悪意をもっているようには見えなかった。というのは、彼はもう馬の口から手を放し、はじめは水平に構えていた小銃の筒口を、今は地上に向けていたからである。
他人が自分のことをどう思っているか、そんなことを斟酌《しんしゃく》する必要は少しもないとわたしは思ったので、草の上にながながと身を横たえ、なにげない様子で、小銃を持っているその男に、火打ち石を持ち合わせているかと尋ねたものだ。同時にわたしは、葉巻入れを取り出した。みしらぬ男は、無言のまま、ポケットをさぐって火打ち石を取り出すと、いそいで火をつけてくれた。あきらかに彼の態度はやわらいでいた。あい変わらず武器を手から離さなかったが、彼はわたしと向き合って腰をおろした。葉巻に火がついたのでわたしは、残っているなかでいちばん上等な葉巻を一本抜きとり、煙草をやりますかと、彼に尋ねた。
「ええ、ムッシュ」と、彼は返事した。
これが、この男から漏《も》れた最初のことばであった。わたしは彼が、Sをアンダルシアふうに発音しないことに気がついた。とすると、彼はわたしと同じように、考古学者ではないだろうが、やはり旅行者に違いない、と思った。
「これなら、ちょっと吸えるでしょう」と、わたしはハバナのとびきり上等のやつを一本すすめながら、こう言った。
彼は軽く会釈し、わたしの葉巻から火をつけると、もう一度頭をさげて礼を述べ、たいへんうまそうに吸いはじめた。そうして、最初のいっぷくを、口と鼻からゆっくり吐きだしながら叫んだ。
「ああ! ずいふんしばらく吸わなかった!」
スペインでは葉巻のやり取りは、近東でパンと食塩とをわかち合うのと等しく、親密な関係を作りだすのだ。その男は、わたしが思っていたよりもはるかに話好きらしい態度を示しだした。それに彼は、自分ではモンティーリャ県の住民だといっているが、この地方のことは、ほとんど知らないようだった。現にわれわれがいる、この美しい谷間の名まえも知らなかった。付近の村の名も、どれ一つとして言うことができなかった。最後に、この付近で、破壊された城壁や、縁《ふち》どりのある大きな瓦や、彫刻を施した石などを見かけなかったかというわたしの問いに対して、彼は、そうしたものには一度も注意を払ったことがなかったと告白した。その代わりに彼は、馬に関しては、なみなみならぬ知識を示した。彼は、わたしの馬を批評した。これは何も、むずかしいことではない。それからコルドバの、有名な種馬の出であるという彼の馬について、その系図を述べたてた。じじつそれは、その持ち主の言によると、疲労ということを知らない逸物《いつぶつ》で、一度などは駆け足と速足とで、一日に百二十キロも走り抜いたことがあるという。
ところがその話の最中に、男はふっと口をつぐんだ。まるで、あまりしゃべりすぎたことに気づいて、腹がたったというふうに。そうして彼は、やや狼狽《ろうばい》気味に、「大急ぎでコルドバへ行かにゃならん用事がありましてな。訴訟のことで、裁判官連中に話があるもんですから……」と、言い添えた。こう言いながら彼は、案内人のアントニオのほうを、じろりと眺めた。わたしの案内人は、急いで目を伏せた。
わたしは木陰と泉とがすっかり気にいったおかげで、モンティーリャの友人たちが案内人の背負い袋の中に上等のハムの幾片かを詰めてくれたのを、思いだした。で、わたしはそれを運ばせ、即席料理を作って、みしらぬ男を招待した。もしこの男がずっと煙草を吸わなかったとすれば、少なくとも四十八時間は何も食べなかったに違いないと、わたしは思ったのだ。
あんのじょう彼は、飢えた狼《おおかみ》のようにむさぼり食った。わたしと会ったことは、この哀れな男にとっては、神の摂理によるのだと思えた。ところが案内人は、いっこうに食べないし、ちっとも飲まないのだ。そればかりでなく、旅行の初めにあたって無類のおしゃべりだと自己紹介をしておきながら、それが少しもしゃべらないのだ。どうやら客人のいることが、彼を窮屈にしているらしい。というより、わたしには原因はよくわからないが、なにか猜疑心《さいぎしん》のようなものが、二人を互いに反撥《はんぱつ》させ合っているらしいのだ。
早くも、最後のパンの一片とハムとが、姿を消した。そしてわれわれは、二本目の葉巻を吹かしたのである。わたしは案内人に、馬のくつわに手綱《たづな》をつけるようにと命じ、この知り合ったばかりの友に、別れを告げようとした。すると彼は、今晩どこへ泊まるのかと尋ねたのだ。わたしは、案内人が目くばせしたのに気づくより先に、クエルボという旅篭屋《ペンダ》に泊まるつもりだと答えてしまった。
「あそこは、旦那《だんな》のようなかたがいらっしゃるところじゃありませんがね……わっしもそこへ行くんです。ですから、もしおさしつかえなかったら、おともさせていただきましょう、どうせ同じ道を行くんですから」
「そりゃ、ちょうどいい」と、わたしは馬に乗りながらいった。鐙《あぶみ》を押さえていた案内人が、もう一度目くばせした。が、わたしは、いっこうに平気だということを示してやるために、肩をそびやかしてそれに答え、かくてわれわれは出発したのである。
アントニオの意味ありげな目くばせ、その心配そうな様子、このえたいの知れぬ男の口から漏れた数語、わけても百二十キロに及ぶ疾走《しっそう》、それらを語る彼のはなはだあいまいな説明、以上のことが、この旅の道連れについて、わたしの考えを作りあげてしまった。疑いもなくわたしは、一人の密輸入者か、あるいはひょっとすると盗賊と関係を結んでしまったのだと思った。といって、それがどうしたというのだ? わたしはスペイン人の性格をよく飲みこんでいたので、一緒に食事をしたり煙草を吹かしたりした男を少しも恐れなくてもいいと、確信をもっていたのだった。それに、この男が一緒にいることこそ、かえってどんな悪いやつに出会っても、確実な保護を与えられる結果になるのではなかろうか。ましてわたしは、いったい山賊《さんぞく》とはどんなものか、大いに知りたかったのである。山賊などには、いつでも会えるものではない。しかも危険人物のかたわらにいるということは、ことにその男がおとなしく、すっかり慣れている以上、一種の魅力でさえあるものだ。
わたしはだんだんと、このえたいの知れぬ男に、打ち明け話をさせるようにしむけてゆこうと思った。で、たびたび案内人が目くばせするのもかまわずに、街道筋を横行する盗賊に話をもっていった。もちろんわたしは、大いに彼らに敬意を表して話したのである。
当時アンダルシアには、ホセ・マリアという有名な山賊がいて、その活躍ぶりは、あらゆる人の口にのぼっていた。「ひょっとすると、おれはホセ・マリアと並んで馬を進めているのじゃなかろうか?」と、思ったほどだ……。わたしはこの英雄について、まず第一に賞賛したわけであるが、自分で知っているかぎりの話をした。しかも彼の勇気と義侠心《ぎきょうしん》とを、口をきわめて誉めそやしたのだ。
「ホセ・マリアですか、くだらんやつでさ」と、このえたいの知れぬ男は冷ややかに言ってのけた。
「ほんとうに、自分自身でそう思っているのか? それとも大いに謙遜《けんそん》している気なのかな?」と、わたしは心の中で考えた。というのは、この同行者を観察しているうちに、ついにホセ・マリアの人相書を彼に適用してしまったからである。人相書は、アンダルシアの町のいたる所に貼りだされてあったのだ。……そうだ、たしかにこの男だ。金髪、青い目、大きな口、きれいな歯、小さな手、上等なシャツ、銀ボタンのついているビロードの上衣、白い皮のゲートル、鹿毛の馬……疑う余地はなかった! が、彼の微行《おしのび》姿を尊重することにしよう。
われわれは旅篭屋《ペンダ》に到着した。なるほどこの家は、彼が言ったとおりで、今までわたしがお目にかかった宿屋の中で、もっとも貧弱なやつの一つだった。がらんとした大部屋、これが調理場と食堂と、寝室を兼ねていた。部屋のまん中にある平たい石の上で火をもやし、煙が屋根にあけてある穴から出ることになっているのだが、それが低迷して、床上百五十センチぐらいのところに雲のようにこもっているといった次第だ。壁に沿って、騾馬《らば》の背中にかける五、六枚の毛布が、床の上に積まれてあった。これが旅客用のベッドなのだ。この家、というより今わたしが述べたこの唯一《ゆいいつ》の部屋から数歩離れたところに、馬小屋に使用されている納屋のようなものが建っている。
このすばらしい家の中には、少なくとも今のところ、人影といっては、一人の老婆と、十かせいぜい十二歳ぐらいの女の子がいるだけである。二人とも、すすけた顔色をして、ひどいぼろを身にまとっていた。……これが、かつてのムンダ・ベーティカ〔現在のアンダルシア地方は、むかしローマ帝国の藩図に入ってベーティカとよばれていた。ムンダは首都のなまえ〕の住民の名残りであろうか! ああ、シーザーよ! ああ、セクストゥス・ポンペイウスよ! 汝《なんじ》がもしこの世に生まれたならば、いかに驚かれることか!
同行者の姿を見て、老婆は思わず驚いて叫んだ。
「まあ! ドン・ホセの旦那!」
ドン・ホセは眉をけわしく寄せ、いかめしい様子をして手をあげたので、老婆はすぐと黙ってしまった。わたしは案内人のほうを見やって、それとなく、これから一緒に一夜をすごそうとする男については、何も言ってくれるなと知らせた。
夕飯は、思っていたより上等だった。ピーマンをたっぷり米に入れ、シチュウにした老鶏の肉、油でいためたピーマン、最後にガスパッチョという、ピーマンのサラダのようなものが三十センチほどの高さの小卓の上に並べられた。このように薬味をきかせた皿が三つも出ては、いやがおうでもモンティーリャのぶどう酒を入れた皮袋に救いを求めざるを得なかったが、またこのぶどう酒が、実にえもいわれぬ味だった。
食事をすますと、壁にマンドリンがかけてあるのを見たので、……スペインでは、どこへ行ってもマンドリンがあるのだ……給仕に出た小娘に、マンドリンが弾けるかどうか尋ねてみた。
「だめですわ。だけど、ドン・ホセの旦那は、そりゃとてもうまくってよ!」と、小娘は答えた。で、わたしは彼に言った。
「なにか、ひとつ歌ってくれませんか。わたしは、お国の音楽がたいへん好きなんですが」
彼はマンドリンを受けとると、弾きながら歌った。その声は荒削りではあるが聞いて気持ちのいい声で、哀愁を帯びた奇妙な曲である。文句は少しもわたしにはわからなかった。わたしは口をはさんだ。
「もしわたしの聞き違いでなければ、あなたが今うたわれたのは、スペインの歌じゃありませんね。なんだか地方で聞いたことのあるソルシコス〔このバスク地方のダンス歌謡曲〕に似ている。文句は、バスク語〔スペインの北東部、フランスとの国境地方のことば〕ですね」
「そうです」とドン・ホセは、暗い顔をして答えた。
彼はマンドリンを下に置き、腕を組んで、いかにも寂しげな表情で、消えた炉の火をじっと見つめはじめた。小卓の上に置かれたランプに照らしだされた彼の顔は、どこかに気品があって、しかも荒々しいところがあり、わたしはミルトンのサタンを思い浮かべた。おそらくサタンと同じようにわたしの同伴者も、見捨ててきた故郷の家や、一度犯したあやまちのためにこうむった追放の身の上に思いを馳《は》せているのであろう。
わたしは、会話を活気づけようと思った。が、彼は、悲しい思いに心を奪われて、返事をしようともしなかった。すでに老婆は、部屋の片隅の、紐《ひも》で張り渡した、穴のあいた毛布のうしろにひっこんで、眠ってしまった。小娘も老婆に従って、この婦人専用の隠れ場所にはいって行った。すると、案内人が立ち上がって、わたしに馬小屋へついて来てくれるようにとさし招いたのだ。が、このことばを聞くとドン・ホセは、とつぜん眠りから覚まされたもののように、荒々しく、どこへ行くのかと尋ねた。
「馬小屋だよ」と、案内人は答えた。
「何しに行くんだ? 馬に飼い葉はやってある。ここで寝なせえ、旦那もお許しになるだろうよ」
「おりゃあ、旦那の馬が病気じゃねえかと思ってな、旦那に見ていただこうと思っただ。旦那なら、どうすべえか、わからっしゃろうと思ってな」
アントニオが、わたしと何か内密に話をしたがっていることはあきらかだった。が、わたしは、ドン・ホセに疑念をいだかせることはいけないことだし、むしろ今の場合、取るべき最良の手段は、最大の信頼を寄せていることを示してやることだと思った。そこでわたしはアントニオに、自分は馬のことはなんにもわからないし、どうにも眠くてしようがないからと答えた。
ドン・ホセは彼について馬小屋に行ったが、まもなく一人で帰ってきた。馬には異常はないが、案内人はわたしの乗馬が大事なしろものなので、発汗させるために上衣でこすらねばならないから、ひと晩じゅうこの愉快な仕事をしてすごすとのことだった。で、わたしは、騾馬《らば》用の毛皮の上に、注意してそれにさわらないように、よく自分のマントで身をくるんで、横たわった。ドン・ホセも、わたしの側に寝させてもらう失礼をわびてから、入口のすぐ前に横になった。が彼は、小銃の雷管《らいかん》を新しいのととりかえ、その銃を、枕代わりにした背負い袋の下に注意ぶかく横たえた。われわれは互いに寝しなの挨拶をとりかわしてから五分ののち、どちらも深い眠りにおちた。
わたしは非常に疲れていたので、こんなひどい宿屋でも、よく眠れるだろうと思っていた。ところが一時間もしたら、はなはだ不愉快なむずかゆさが、寝入りばなのわたしを呼び覚ましたのだ。わたしは、そのむずかゆさの原因に気づいて、飛び起きると、こんな不愉快な目にあって屋根の下で眠るよりも、青天井《あおてんじょう》の下で残りの一夜をすごすほうがはるかにましだと決意した。わたしは爪先《つまさき》立って歩きながら戸口に至り、よく熟睡しているドン・ホセの寝床をまたいで、巧みに彼の目を覚まさないようにして、外へ出た。
戸口のそばに、幅の広い木の腰掛けが置いてあった。わたしはその上に横になって、残りの一夜をよく眠りたいものだと、具合いのいいようにいろいろと工夫した。わたしは再び目をつむろうとした。そのとき目の前を、人と馬との影が、少しも音を立てずに通りすぎたような気がしたのだ。わたしは身を起こした。どうやらアントニオらしいのだ。こんな時間に、どうして馬小屋の外へ出たのだろうといぶかりながら、わたしは立ち上がって、彼のほうへ近づいた。彼のほうでもわたしに気づいて、立ちどまった。
「やつは、どこにいます?」とアントニオは低い声で、尋ねた。
「家の中で、眠ってるよ。やっこさんは、南京虫《なんきんむし》は平気らしい。なぜまた、馬なんか連れだすんだね?」
そのとき初めてわたしは、納屋を出るとき音のしないように、アントニオが馬の足を古い毛布の切れはしで、ていねいに包んでいるのに気づいたのだった。アントニオが言った。
「後生ですから、もっと小さな声でお願いします!旦那は、あいつがどんなやつだかご存じないんでしょう。やつが、アンダルシアで知らない者はない、強盗のホセ・ナバーロなんですよ。わっしゃ、きょう一日じゅう旦那に合図をしていたんですが、いっこう旦那にゃつうじねえ」
「強盗だろうとなんだろうと、かまわんじゃないか。なにも、やつがわしのものを盗んだわけじゃないし、だいじょうぶ、やつはそんなことはせんよ」
「そりゃそうでがす。ですけれど、やつの首にゃ二百デュカの賞金がかかっているんです。わっしは、ここから六キロほどのところに槍騎兵《そうきへい》の詰所があるのを知ってますから、これから行って、夜の明けないうちに、腕っぷしの強い連中を五、六人ひっぱってこようと思うんです。ほんとうは、やつの馬に乗って行きてえんですが、おそろしく気の強い畜生で、ナバーロのほかにだれも近寄せねえんで」
「おまえは、気でも狂ったのか! いったいお上《かみ》へ引き渡すほどのどんな悪いことを、やつがおまえにしたというんだね。第一、たしかにやつは、おまえが言うほどの悪党なのかね?」
「もちろんでさあ。たった今だって馬小屋までついてきて、こんなことを言うんです。『貴様は、おれのことを知ってるらしいな。いいか、あの親切な旦那《だんな》におれのことをひと言でもぬかしてみろ、貴様の脳味噌に一発ぶちこんでやるから』旦那はまあ、やつのそばにいてください。旦那には何も手を出しませんから。それに、旦那がそばにいると知ってりゃ、妙に気をまわすこともないでしょうからね」
こんなふうに話しながら、二人は家からそうとう離れたところまで来ていた。もう馬の蹄鉄《ていてつ》の響きも、家の中までは聞こえなかった。アントニオはすばやく、馬の足を包んであったぼろをほどいた。彼は、鞍《くら》に手をかけた。わたしはなんとかして彼をひきとめようと、おどかしたり懇願《こんがん》したりした。
「旦那、わっしゃ貧乏人でがす。二百デュカを、むざむざ棒にふれませんや。おまけに、あの悪党を、この国からおっぱらうことができるんです。ですけど、用心はなさってくだせえよ。ナバーロのやつが目を覚ましゃ、すぐ鉄砲に飛びつきますからね。ご用心ご用心! わっしゃ乗りかかった船で、後へは引けませんや。まあ旦那は、いいようになさってくだせえまし」
このやくざ者は、もう馬に乗っていた。彼は両足で、馬に拍車をくれた。そしてまもなくわたしは、その姿を暗闇《くらやみ》のなかに見失ってしまった。
わたしは案内人に対してひどく腹をたてると同時に、かなり不安になってきた。しばらくのあいだどうしようかと考えた末、決心して家の中にはいった。ドン・ホセは、なお眠りつづけていた。あきらかに彼は、連日の冒険で眠られぬ夜と疲労とをいま取り返しているのだろう。やむなくわたしは、彼の目を覚ますために、あらあらしくゆすぶった。そのときの彼のたけりたった目と、小銃をつかもうとした動作とを、わたしは永久に忘れないだろう。わたしは用心して、彼の寝床から少し離れたところに、小銃を移しておいたのである。
わたしは、彼に言った。
「君、起こして失敬。ちょっと妙なことを尋ねるようだが、もうじきここに槍騎兵が半ダースほど現われるんだが、おさしつかえありませんかね?」
彼はおどり上がった。そして恐ろしい声で詰問《きつもん》した。
「だれがそう言ったんです?」
「どこからしらせがあったって、そんなことはいいじゃないですか、役にたちさえすりゃあ」
「あんたの案内人がうらぎったんだ。今にみろ、じゅうぶん礼はしてやるから! やつはどこにいます?」
「わしは知らんね……馬小屋だろうよ……とにかくだれかが言ったんだよ」
「だれです、言ったのは? 婆さんが言うはずはないし……」
「わしの知らん男なんだよ……もう押し問答はよそう。どうなんだね、兵隊の来るのを待っていて、いいのかね、悪いのかね? もし具合が悪いなら、ぐずぐずせんほうがいいだろう。でなかったら、おやすみなさいだ。君の眠りをじゃましてすまなかった」
「畜生! やつだ! あんたの案内人だ! はじめっから怪しいと思っていたんだけれど……が、今にみろ!……じゃごめんなさい、旦那! 旦那がわしになさってくださったことは、神さまがじゅうぶんおむくいくださるでしょう。こうみえてもわっしは、旦那の思ってらっしゃるほどの悪人じゃございません……そうですとも、わっしにはまだ、もののわかったかたの同情を受けるだけの資格は残っていますとも……ごきげんよう、旦那……たった一つ残念なことは、旦那に恩返しのできないことです」
「ドン・ホセ、君にしてあげたお礼のかわりに、わたしに約束してもらいたいことがあるんだ。それはね、だれも疑わないことと、復讐《ふくしゅう》することを考えないことだ。さあ、この葉巻は、道中でやってくれたまえ。じゃ、気をつけて!」
わたしは彼に手をさしだした。彼は無言のままわたしの手を握り、小銃と背負い袋とを持つと、わたしにわからない方言で、老婆に何事かを言い残してから、納屋に走っていった。しばらくしてわたしは、平原のかなたに響きわたる、彼の乗馬の疾駆《しっく》するのを聞いた。
再びわたしは、腰掛けの上に横たわったが、もう眠ることはできなかった。わたしは心の中で問い尋ねたのだ。盗人を、いや一人の人殺しを、絞首台《こうしゅだい》から救ったことが、果たして正しいことかどうかを。しかも一緒にバレンシアふうの米の料理やパンを食べたからという理由だけで……。結果としてわたしは、国法を重んじそれに従ったわたしの案内人をうらぎったことになりはしないだろうか? しかも彼を凶漢《きょうかん》の復讐の手にさらしたことになりはしないだろうか? が、これは、同宿のよしみともいうべきだ!……いや、そんなことは、頭のない連中の偏見《へんけん》だ。
こんなふうにわたしは、自問自答した。これからあの強盗の犯す罪は、ことごとく自分の責任になるわけだ……しかしながら、あらゆる理性に反抗する、この本能的な良心の作用を、果たして偏見と言えるだろうか? おそらく、このような微妙な立場にあっては、どうしたって後悔なしに切り抜けることはできなかったに違いない。
わたしはなお、自分のとった行動の是非について大いに煩悶《はんもん》していたとき、アントニオと一緒に、六人の騎馬兵が現われた。アントニオは用心ぶかく、しんがりに控えていた。わたしは彼らの前に進み出て、盗賊はすでに二時間前に逃亡したと告げた。伍長《ごちょう》の尋問を受けた老婆は、ナバーロと知ってはいたが、女ひとりの身で、命を賭《か》けてまで密告することはできなかったと答えた。それから老婆は、あの男が自分のところへ来るときは、きまって夜中に立ってしまうのが習慣だとつけくわえた。
いっぽうわたしは、そこから数キロ離れたところまでおもむき、旅行券を提示し、裁判官の前で始末書に署名しなければならなかった。それが済んでから、再び考古学の調査をすることが許されたのである。アントニオは、二百デュカもうけるのをじゃましたのは、てっきりわたしだと思い、大いにわたしを恨《うら》んでいた。それでもわたしたちは、コルドバでなかよく別れた。その地でわたしは、ふところ具合の許すかぎり、多額のチップをはずんだからである。
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第二章
わたしはコルドバで、数日間をすごした。ドミニコ派の修道院の書庫に、ある古文書が所蔵されてあって、その中に、古代のムンダに関する興味深い資料があるはずだと、聞いていたからである。親切な教父たちから手あつい待遇を受けたわたしは、日中を僧院ですごし、夕方になると町を歩きまわった。
コルドバでは日が暮れると、カダルキビール河の右岸沿いの土手の上に、たくさんのひま人が現われる。この土手の上からは、むかし製皮業で有名だったこの地方の名声をとどめている、なめし皮工場から発散する悪臭をかがされるのであるが、そのかわりに、はなはだ見物がいのある光景をたのしむことができるのだ。日暮れを告げるアンジェリュスの鐘〔このことばによって始まる祈りで、キリストの誕生を祝して、朝、正午、日暮れの一日三回、この祈りを信者に告げるために教会の鐘が突き鳴らされる〕が鳴る数分前になると、大勢の女が、このそうとう高い土手の下の河べりに集まる。どんな男も、この群れにはいることは許されない。アンジェリュスの鐘が鳴りやむと、女たちはいっせいに着物を脱いで、水の中にはいるのである。それからは、叫ぶ、笑う、いやはやたいへんな騒ぎだ。土手の上からは男たちが、目を大きく見張って、水を浴びている女たちを見まもるのだが、たいしたものは見えやしない。とはいうものの、薄暗い藍《あい》色の河面《かわも》にうかぶ、まっ白な定かならぬ彼女らの姿は、詩情を呼び覚まし、もう少しばかり想像力を働かせれば、アクテオン〔ギリシア神話中の、テーベの有名な狩猟者。水浴中のディアナの姿を盗み見たため、その怒りをかい、鹿に身を変えさせられ、あげくのはてには狩猟の神の猟犬に食い殺されてしまう〕の運命を恐るることなく、ディアナとそのニンフたちが水に戯《たわむ》れる図を頭に描くことも、あながち無理でもないのだ。
ある日のこと、数人の不良どもが金を出し合って、寺の鐘突き男を買収し、定刻より二十分も早く、アンジェリュスの鐘を鳴らさせたことがあったそうだ。まだ明るかったのだが、ガダルキビール河のニンフたちは、太陽よりもアンジェリュスの鐘のほうを信用しているので、ためらわずに安心しきって、水浴びの準備をした。その準備たるや、いつもすこぶる簡単なのだ。わたしは残念ながら、その場にいあわせなかったのである。わたしのいた頃は、鐘突き男は律義者《りちぎもの》であり、たそがれは明るくなく、おそらく猫ででもなければ、コルドバ随一のきれいな娘っ子と、オレンジ売りの婆さんとを見分けることはできなかったであろう。
ある夕方、もうもののけじめもつかぬ頃、わたしが土手の手すりによりかかって、煙草をふかしていると、河べりへ通じる石段を一人の女がのぼってきて、わたしのそばに腰をおろした。女は、髪に大きなジャスミンの花束をさしていたが、この花びらは夕方になると、むせるような匂いを放つのである。女は質素な、というよりたぶん見すぼらしい身なりをしていたに違いなく、よく夕方に大部分の女工連中が着るような、黒ずくめの服装であった。良家の婦人は、黒い着物は朝しか着ないのだ。夕方は、フランスふうの服装をするのである。わたしのそばに近づきながら、わが水浴の彼女は、頭を包んでいた肩掛けを、すらりと肩へ滑り落とした。そして、星より落ちる薄明り〔フランス十七世紀の悲劇作家コルネイユの『ル・シッド』中の第四幕第三場の有名なせりふをもじったもの〕に、わたしは女が小柄で若くて、姿がよく、たいへん大きな目を持っていることを知った。わたしはすぐと、葉巻をすてた。彼女はこのフランス流の礼儀上の心づかいを見てとると、いそいで自分も、煙草の匂いは好きだし、柔らかい味の巻き煙草があれば、自分も吸いたいくらいだと言った。さいわいわたしは、彼女のお好みの品を煙草入れの中に持っていたので、おおいそぎでそれを差し出した。彼女はこころよく一本抜きとり、一スーだしてこどもが持ってくる火縄の先から火を移した。
煙を交えながら、わたしと美しい浴《ゆあ》みの女とは、もはやこの河岸には二人のほかほとんど人影も見えなくなったのに、ずいぶん長いあいだおしゃべりをした。わたしはもう、ネベリアに氷菓子を食べに行かないかと誘っても、失礼に当たるまいと思った。彼女はつつましそうに躊躇《ちゅうちょ》の色を見せてから、承諾した。が、心をきめる前に彼女は、いま何時だか知りたいと言った。わたしは、時計を鳴らしてみせてやった。この時計の鳴るのに、彼女はひどくびっくりしたらしかった。
「まあ、あなたがた外国のかたは、ずいぶんおもしろいものを発明なさるのね! お国はどちらなの? イギリスのかたでしょう、きっとそうね?」
「いや、どういたしまして、フランス人ですよ。ところでお嬢さんは、いや奥さんかな、あなたはたぶん、コルドバのかたでしょうね?」
「いいえ」
「じゃ、少なくともアンダルシアのかたでしょう。どうも柔らかいことばつきからして、そう思えるんですが」
「まあ、そんなにいろいろな国のことばつきがおわかりでしたら、あたしの生まれだってわかりそうなものね」
「それでは、天国よりほど遠からぬ、キリストの国のかたでしょう」(わたしはこの、アンダルシアを意味する比喩《ひゆ》的な言いかたを、わたしの友人である、有名な闘牛士、フランシスコ・セビーリャから教えてもらったのである)
「あら、天国だなんて!……この国の人は、天国なんて自分たちのためにできてやしないって言いますわ」
「では、モール人でしょう、それとも……」と言って、わたしはことばを切った。さすがにユダヤ人とは言えなかったからである。
「さあ、さあ! ちゃんとわかっていらっしゃるんでしょう、あたしがボヘミアの女だってことが。なんなら、一つ占いをしてあげましょうか? あなた、カルメンシタ〔カルメンシタが本来の名である〕の噂をお聞きになったことがおありになって? あたしがその、カルメンシタですの」
そう、ちょうど今から十五年ほどの昔だが、当時わたしはかなりの不信心者だったので、魔法使いの女のそばにいようが、そんなことで尻《しり》ごみするようなことはなかった。それどころか、こんなふうに考えていたのだ。「よしきた! 先週は、街道筋の盗賊と一緒に飯を食ったんだから、きょうはひとつ、悪魔の侍女につきあって、氷菓子を食べてやれ。旅に出たら、なんでもやってみなくちゃ、話にならぬ」
なおもう一つ、わたしがこの女と懇意《こんい》になりたいと思ったのには、理由がある。恥を忍んでお話しするが、わたしは学校を出たてに、しばらくのあいだ、心霊術の研究にふけり、幾度か闇の世界の精霊を呼びだそうと試みたことさえあった。かなり以前から、このような研究熱は冷《さ》めていたが、すべての迷信に対して好奇心から、いくらかひかれるのは、どうしても否定できなかった。で、わたしは、ボヘミア人のあいだに、妖術《ようじゅつ》なるものがどの程度にまで発達しているのか、それを知るのをたのしみにしていたのである。
話しつづけながらわれわれは氷屋にはいり、硝子《ガラス》の丸いおおいのある蝋燭《ろうそく》の光に照らされて、小さなテーブルに向きあって腰かけた。
ここで初めてわたしは、ゆっくりと、わがジプシーの女を観察することができたのである。その場にいあわせた幾人かの普通のお客は、わたしがこういう『上等な』連れと一緒にはいってきたのを見て、氷菓子を口へ運びながらあきれかえっていた。
カルメン嬢が生粋《きっすい》のボヘミア人であるかどうかは、はなはだ疑わしく思う。が少なくとも彼女は、今までわたしが会ったどのボヘミアの女よりも、はるかに美しかった。スペイン人の言によると、一人の女が美人であるためには、三十の条件を備えていなければならないそうだ。もっと言えば、女の身体の三つの部分に、それぞれ適用できる、十個の形容詞をもって品評できなければいけないというのだ。
たとえば、彼女は三つの黒いものを持っていなければならぬ。すなわち目、まつ毛、髪の毛といったふうに。または三つの華奢《きゃしゃ》なものを持っていなければならぬ、指、唇、髪の毛といったふうに。その他の条件は、どうかブラントーム〔本名ピエール・ド・ブゥルディユ、セニュール・ド・ブラントーム(1540-1614)。幾多の戦場をかけまわった後、自己の体験に基づき、機知に富み、皮肉たっぷりの筆で、その当時の風俗を書いた。メリメの愛読書の一つ〕についてみてくれたまえ。
わたしのボヘミア女はしかし、それほど完成した美を誇るわけにはゆかなかった。肌は、まず完全に滑《なめ》らかだったが、その色は銅色にはなはだ近かった。目は斜視だが、すばらしい、切れあがった目だ。唇はいささか厚いが、いい形で、そのあいだに、皮をむいた巴《は》旦杏《たんきょう》の実よりも白い歯並びをのぞかせていた。髪は、おそらく少々こわいが、まっ黒で、鳥の翼のように青びかりのする、つややかなたけながの髪である。あまり冗長《じょうちょう》な描写をもって、諸君をいたずらに疲れさせることはやめ、概括《がいかつ》して言えば、欠点が一つあるごとに、彼女は必ず一つの美点を持っているのであって、おそらくその美点が、対照によってかえってそのよさをきわだたせているということなのである。
それは、不思議な、野生的な美しさであり、ひと目で見た者をまず驚かすが、けっして忘れることのできない顔だちなのだ。とくに彼女の目は情欲的で、同時に残忍性をおびており、わたしはこのような人間の目つきを見たことがなかった。ボヘミア人の目は狼の目だ、というスペインのことわざがあるが、なかなか鋭い観察を示しているといえよう。もし狼の目を研究しに動物園へ行く暇がなかったら、諸君の家の飼い猫が雀をねらうところをよく見ればいいだろう。
カフェの中で占いをしてもらうなんて、じつに滑稽《こっけい》きわまることであろう。それゆえわたしは美しい魔法使いに向かって、その家まで連れて行ってくれるようにと頼んだ。彼女はすぐに承諾した。が、彼女はまたもや、何時ごろか知りたいと言って、もう一度時計を鳴らしてみせてくれと頼んだ。
「ほんとうに、金なのでしょうか?」と、彼女は、たいへん熱心に時計を眺めながら言った。
われわれが再び歩きはじめたときは、すでに深更《しんこう》であった。大部分の店が戸をおろし、通りにはほとんど人影はなかった。カダルキビール河の橋を渡り、町はずれにいたって、少しも邸宅らしい様子をもたぬ、とある家の前に立ち止まった。一人のこどもが、戸をあけてくれた。ボヘミア女はわたしにわからないことばで、何事かこどもに向かって言った。それは後になってわかったのだが、rom mani あるいは chipe calli 、すなわちジプシーの方言だったのだ。
まもなくこどもは、そうとう広い部屋に二人を残して、姿を消した。部屋には小さなテーブルが一つと、腰掛けが二脚、それに手箱が一つ置いてあった。水さしが一つ、オレンジのひと山、玉ねぎのひと束があったことも書きおとしてはならない。
二人きりになるとボヘミア女は、手箱の中から使い古したらしいカルタと、磁石と、ひからびたカメレオンと、そのほか彼女の術に必要なものを取りだした。そして、銀貨で左手の掌《てのひら》に十字をきれと、言った。かくて魔術は、はじめられたのである。彼女の予言を諸君にお知らせしても無益であろう。しかし、その占いのてぎわにいたっては、彼女が駆《か》けだしの魔法使いでないことだけは明らかだった。
ところが残念なことに、まもなくじゃまがはいったのだ。入口の戸が突然はげしく開かれると、茶褐色のマントで目の下まで包んだ一人の男が、荒々しくボヘミア女の名を呼ばわりながら、部屋にはいって来たのだった。わたしは、その男がどんなことを言っているのかわからなかったが、その声音《こわね》から察すると、ひどく不機嫌らしかった。
ジプシーの女は男の姿を見ても、べつに驚きも怒りもしなかった。それどころか、みずから進んで男に近寄り、驚くべき早口で、すぐにわたしの面前で使った不可解なことばで話しかけたのだ。彼女の話の中でしばしば使われる payllo なることばが、唯一《ゆいいつ》のわたしにわかることばだった。このことばは、ボヘミア人が自分の種族以外の者を呼ぶときに使うのだということを、わたしは知っていたからだ。
わたしは、自分のことが問題になっているなと察し、こりゃめんどうな申し開きをしなければならないかなと思った。そして片方の手を一つの腰掛けの脚にかけ、いざとなったらそれを侵入者の頭上めがけて投げつけてやろうと、ひそかに、三段論法をもって考えていた。男は邪険《じゃけん》にボヘミア女を押しのけて、わたしのほうへ歩み寄った。すると、一歩退いて、叫んだ。
「あっ! 旦那ですか、あんたですか!」
今度はわたしのほうで、その男をじっと見た。わが友、ドン・ホセではないか。瞬間わたしは、この男を絞首台に送らせなかったことを、いささか後悔したしだいだ。
わたしは、なるべく苦笑を見せまいと努めながら、叫んだ。
「やあ! 君だったのか! 君のために、このお嬢さんがもう少しのところで、わたしのためにたいへんおもしろいことを予言してくれるのを、じゃまされちゃったよ」
「あいかわらず、やってるな! やめたらどうだ!」と、彼はすごい目で彼女をにらみながら、口の中で言った。
いっぽうボヘミア女は、なおもその方言で彼に向かって話しかけていた。しだいに彼女は熱してきた。その目は血走り、凄味《すごみ》をましてきて、顔を硬直させ、足で床を踏み鳴らした。それは彼女が男に向かって、何事かをなすようにと激しくせかしているようであり、男はためらっている様子だった。それが何を意味しているかは、彼女のかわいらしい手が顎《あご》の下をなん度もすばやく行ったり来たりするのを見て、どうやらわかるような気がした。つまり、喉《のど》をずぶりとやってしまえというように思われるのだ。しかも、そのやられる喉がわたし自身のではないかと、いくらか疑うこともできた。その立板に水を流すような雄弁に対して、ドン・ホセは二言三言《ふたことみこと》答えたばかりだった。
するとボヘミア女は、ふかい侮蔑《ぶべつ》の眼《まなこ》を彼に投げつけて部屋の隅に走った。そしてトルコふうにすわって、オレンジを一つ選びとり、皮をむいて食べはじめた。
ドン・ホセはわたしの腕をつかむと、戸を開いて外へ連れだした。二人は押し黙ったまま、およそ二百歩ほど歩いた。そこで、彼は手をさし出して言った。
「どこまでも、まっすぐいらっしゃい。橋のところに出ますから」
ただちに彼は背を向けて、大急ぎで行ってしまった。わたしはいささか侮辱《ぶじょく》を受けたような感を抱いて、はなはだ不機嫌で宿へ戻った。もっとも悪いことは、着物を脱いだら、時計がないのに気づいたことだった。
いろいろと熟慮《じゅくりょ》した結果、翌日になって時計を取り戻しに行くことも、市長に頼んで捜してもらうことも、いっさいやめにした。わたしはドミニコ派の修道院の手写本の調査をすませ、セビーリャに向けて出発した。
数か月間アンダルシアを彷徨《ほうこう》した末、マドリッドに帰ろうと思ったが、それにはどうしてもコルドバを通らねばならなかった。しかしわたしは、そこに長く滞在しようとは思わなかった。わたしはこの美しい町とカダルキビール河の水浴び女に対して、反感を抱いていたからである。だが会わなければならぬ友も少しはあったし、しなければならぬ用事も何かとあったので、少なくとも三、四日は、昔マホメットの教主らが首都と定めたこの地に、足を止めねばならなかった。わたしがドミニコ派の修道院に再び顔を出したら、わたしのムンダの位置決定に関する調査に対して、絶えず激しい関心を寄せていた一人の教父が、大手を広げて喜んでわたしを迎えてくれ、そうして大声で言った。
「ようこそみえられました! まず、神さまにお礼を申さねばなりますまい! われわれは皆して、あなたがなくなられたものだとばかり思っておりましたんじゃ。かく申す拙僧《せっそう》なども、いくたびパーテルやアベ〔いずれも祈りのことば〕をお唱え申したことでしょうか。もちろんあなたの魂の救いになるわけですから、お祈りしたことを後悔はしておりませんが。とにかくご無事でなによりでした。盗まれたかたが、あなただとは、わかっていたのですが」
「そりゃ、いったいどういうわけなんです?」とわたしは少々びっくりして尋ねた。
「ええと、あなたはご存じでしょう、例の引打時計を。よく私どもが祈祷所《きとうしょ》へ参る時間だと申しますと、図書室であなたが鳴らしていられたあれですよ。いいですか! あれがみつかったんです、もうすぐお手元に戻りましょう」
「いや、あれは、どこかへ落としたんだ……」
狼狽《ろうばい》のあまり、こうわたしは言った。
「犯人はいま、獄舎《ごくしゃ》にいますが、こやつは小銭ひとつ奪うにも、キリスト教徒に銃の一発ぐらい放ちかねないやつなもんですから、てっきりあなたもやられたに違いないと、みんな非常に心配しておりましたんです。さあ、ご一緒に市長のところまで参りましょう。そうしてあのみごとな時計がお手元に戻るように手続きをいたしましょう。そして、お国へ帰ってから、スペインでは法律の力がないなどとおっしゃらないようにしてもらいましょう!」
わたしは教父に向かって言った。
「腹蔵《ふくぞう》のないところを申しあげますと、あんなかわいそうな男を絞首刑にするために裁判の証人になるくらいなら、時計なんか戻らなくってもいいんです。それに、あれは……」
「いや! ご心配には及ばんのです。あいつは前々からのお尋ね者でして、いくらあんなやつでも、二度絞首台にのぼるってことはないでしょう。絞首台にのぼるって申しましたが、これはわたしのまちがいですわい。あなたの盗人は郷紳でしたから、明後日、恩赦《おんしゃ》なしの絞殺《こうさつ》に処せられることになっているのです。おわかりのことと存じますが、窃盗罪の一つや二つが多かろうが少なかろうが、やつにとっては同じことなのです。盗みだけなら、神のお恵みもまたありましょう! ところがやつは何人となく人殺しをやったのです。しかもそれが、どれもこれも、いずれもひどいやりかたですからな」
「名まえはなんていうんです?」
「この国ではホセ・ナバーロという名まえでとおっていますが、もう一つ、あなたにもわたしにもとうてい発音できないようなバスク語の名まえを持っているんです。ところで一度見ておいてもいいですな、ああいう男は。この国の珍しいことならなんでも知りたがっておいでのあなたのことだから、スペインでは悪いやつはどういうふうにしてこの世におさらばするか、ぜひ知っておいていいことでしょう。やつは今、礼拝堂にいるんです。マルティネ教父に、ご案内させましょう」
ぜひこの「ちょっとおもしろい絞首刑」を見るようにと、あまり執拗《しつよう》にわがドミニコ派の僧侶が言うので、ついわたしもことわりきれなかった。でわたしは自分のぶしつけな態度の申しわけのつもりで、葉巻の包みを手みやげに持って囚人に会いにおもむいた。
ドン・ホセのかたわらに案内されたとき、ちょうど彼は食事をしているところだった。彼は、かなり冷ややかな態度で黙礼《もくれい》したが、わたしが持ってきた贈りものに対しては、厚く礼を述べた。そうしてわたしが手渡した葉巻の包みをあけて数をかぞえると、何本か取って、これだけあればじゅうぶんだからといって、残りを返した。わたしは彼に対し、少しぐらい金を使うか、またわたしの友人の信用を利用して、いくらかでも彼の罪を軽くしてもらえるかどうかと尋ねた。
彼は最初、寂しげに微笑して、肩をちょっと上げてみせたが、すぐに思い返して、では自分の霊魂と冥福《めいふく》のためにミサをあげてくれと頼んだ。それから臆病そうに付けくわえた。
「それからもう一つ、あなたに対して失礼なことをした者のためにも、ミサをあげてやっていただけるでしょうか?」
「いいですとも。だけれど、この国では、だれからもわたしはそんな真似《まね》をされた覚えはないがね」
彼はわたしの手を取り、沈みきった様子で握りしめた。しばらく沈黙してから、再び彼は言った。
「いかがでしょう、もう一つお願いができないでしょうか?……お国へお帰りになるとき、あなたはたぶんナバーラか、でなければそこからあまり離れていないビットリアをお通りなさるでしょう」
「そう、きっとビットリアを通るでしょうね。が、パンペルーナへ行くために回り道をしないとも限らないし、それに君のためなら、喜んで遠回りしてもいいですよ」
「そりゃ、いい! パンペルーナへいらっしゃれば、おもしろいものをいろいろとご覧になれるでしょう……きれいな町です……あなたにこのメダルをお渡ししときましょう。(彼は、首にかけていた小さな銀のメダルを示した)どうか、紙にでも包んでください(彼はちょっとことばを切って、こみ上げてくる感動を押えた)。そしてこれを、いま所書きを申しあげますが、一人の老婆にお渡しくださるか、まただれか人を使ってお渡しくださるようにお願いしたいのです。……わたしが死んだとおっしゃっていただきたいのです。どうして死んだのか、それはおっしゃらないでください」
わたしは、この依頼を実行することを約した。わたしはその翌日も、彼に会った。そしてその日は、かなり長いあいだ彼のもとですごした。
これから諸君の読まれる悲しい物語は、そのとき彼の口から聞いたものである。
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第三章
私は、バスタンの谷間の、エリソンドに生まれました。名まえば、ドン・ホセ・リサラベンゴアと申します。あなた様はスペインの事情におくわしいから、私の名まえを聞かれただけで、私がバスク人で、古くからのキリスト教徒だと、すぐとおわかりになることでしょう。私がドンなどという称号をもっているのは、それにはそれだけの理由があるのでして、もし私がエリソンドにおりますれば、羊皮紙にしるした私の家の系図をご覧にいれることもできるでしょう。家では私を教会に入れようと、その道の学問をさせたのですが、私はいっこう身をいれなかったのです。私はポーム〔テニスに似ている競技〕の遊びが好きで、ついにそのために身を滅ぼす結果となってしまったのです。われわれナバーラの者は、ポームをやりだすと、なにもかも忘れてしまうのです。
ある日のこと、私が勝ちますと、アラバ生まれの若者が、喧嘩《けんか》を吹きかけてきました。二人はマキラ棒〔バスク人の用いる、鉄輪のはまった棍棒〕をとって向かい合ったのですが、またもや私が勝ってしまいました。が、そのために、私は故郷を立ち去らねばならなくなったのです。途中で私は、竜騎兵《りゅうきへい》の一隊に出会いました。そして私は、アルマンサの騎兵連隊に入隊したのです。
われわれ山国育ちの者は、軍人商売を、じつに早く覚えるものです。私はまもなく、伍長になりました。そうして軍曹《ぐんそう》にしてやるという内命さえ受けていたのですが、ちょうどそのとき、セビーリャの煙草工場の警備にまわされ、それが私の不幸の原因となったのです。セビーリャの町においでになれば、ガダルキビール河の岸近く、城壁の外にそびえている、あの大きな建物をご覧になるでしょう。私は今でも、あの工場の門や、門のそばの衛兵《えいへい》詰所が目に見えるような気がします。
スペイン人は当番のとき、カルタをするか居眠りをするかどちらかですが、私はきまじめなナバーラ人ですから、いつも緊張していました。私が火坑針をさげるために、真鍮《しんちゅう》の針金で鎖《くさり》を作っていますと、とつぜん仲間の者が、「そら、鐘が鳴った。女たちが仕事に帰ってくるぞ」と叫びました。
ご存じのことと思いますが、あの工場には四、五百人の女が働いているのです。大きな部屋で葉巻を巻くのがこれらの女たちの仕事で、男は監督官の許可なしには、ここへははいれないことになっています。なにしろ暑いときには女たちは、ことに若い連中ときたら、しどけない姿になりがちだからというのです。女工たちが昼飯をすませて帰ってくる時刻になると、若い者が大勢、その通るのを見にやって来て、なんとかいろいろと女に話しかけようとするのです。だいたい、タフタのネッカチーフをもらってそれを突き返すような娘はこの連中にはいませんから、ものずきな者はこの釣り遊びで、ちょっと身をかがめさえすれば、わけなく魚がつかめるというものです。他の仲間が品定めをしているあいだ、私は門のかたわらの腰掛けにすわったままで、じっとしていました。
当時私は、ほんのこどもでした。いつでも故郷のことばかり考えていたのです。青いスカートをつけて〔ナバーラおよびバスク地方における、百姓女のふだんの装い〕、編んだ髪を肩までたらしている娘よりほかには、きれいな女はいないと思っていたのです。それどころか、アンダルシアの女は、おそろしくさえあったのです。いつも人をからかい、けっして本気でものを言わない、そういうアンダルシアの女に慣れていなかったのでした。
で、私は、あいかわらず鎖に顔を押しつけていました。すると町の人々の「そら、ヒタニリャ〔スペインに住むボヘミヤ女をこう呼ぶ〕が来た」と言う声がしました。私は目を上げました。あの女を見たのです。その日は金曜日でした。これはけっして忘れられないのです。私はあなたもご存じの、あのカルメンを見たのです。数カ月前に、私はあなたにお会いしたでしょう、あの女の家で。
女は赤いペチコートをはいていましたが、短いので、穴のあいている絹の靴下がむきだしでした。赤いモロッコ皮のかわいらしい靴は、燃えるようなまっかなリボンで結んでありました。彼女は肩を見せるために、ショールをひろげて見せ、アカシアの花を一輪くわえていました。そしてコルドバの牧場の若い牝馬《めうま》のように、腰をふりふりやって来るのです。
私の故郷ででもあろうものなら、このような格好をした女を見たものは、十字を切るところですが、セビーリャの町では、みんながなんとか言って、みだらな挨拶を浴びせるのです。彼女はその一人一人に、拳《こぶし》を腰に当てて、まったくボヘミア女の名にそむかぬずうずうしさをもって、流し目を送りながら答えるのです。ひと目見て、私は彼女がいやになりました。私は、やりかけていた仕事にまた取りかかったのです。すると彼女は、女と猫とは人が呼ぶときには来なくて、呼ばないときにやってくると言いますが、そのたとえのごとく、私の前に足を止め、ことばをかけたのです。彼女はアンダルシアふうに、言いました。
「ねえ、ちょいと兄さん、あたし手箱の鍵を下げるのに使うんだから、その鎖《くさり》くださらない?」
「だめだよ、火坑針をさげておくのに使うんだから」と、私は返事しました。
「あら、針ですって! おや! 男のくせにレースの編み物でもするっていうの、針がいるなんて!」
彼女は笑いながら、こう言いました。その場にいた者が、いっせいに笑いました。私も顔があかくなるのを覚えましたが、なんとも答えることばがみつからないのです。すると、女がまた言うのです。
「ねえ、あたしのいい人、ショールにするんだから、黒いレースを七オンス作ってくださいな、あたしのだいすきな編み物屋さん」
それから口にくわえていたアカシアの花を手に持つと、私めがけて投げつけたのです。親指ではじいたのですが、うまく私の目と目のあいだに当たったのでした。旦那、それは、私にとっては、弾丸にやられたようなものでした。……私は、穴があればはいりたかったのです。で、板のように固くなって、その場にじっとしていました。彼女が工場の中にはいってしまうと、アカシアの花が足のあいだに落ちているのに気がつきました。魔がさしたとでも言いましょうか、私は仲間のだれも気がつかないうちにそれを拾いあげ、たいせつに上着の中にしまったのです。まず、『どじ』を踏んだというわけです。
二、三時間してからも、まだ私はそのことを考えていました。そのときとつぜん、門番がどぎまぎし、息せききって、衛兵詰所へ駆けこんできました。葉巻を巻く大部屋で、女がひとり殺されたから、衛兵に来てもらいたいというのでした。軍曹は私に、兵隊を二人連れて、行って見てこいと言うのです。私は部下を引率して、階上へ上がって行きました。
まあ旦那、想像してみてもください、部屋にはいってみたら、三百人もの女がシュミーズ一枚、もしくはそれに近い格好で、叫ぶ、わめく、手をふりまわす、いやはや、耳も聾《ろう》さんばかりの騒ぎです。片隅に、一人の女が、血まみれになって、あおむけに倒れていました。顔にX字型に傷がついていましたから、ふた突きほどやられたとみえます。その女を、女工仲間でまだしもましな連中が介抱《かいほう》していましたが、その正面に、五、六人の仲間に引き止められているカルメンがいました。手傷を受けた女はしきりに、早く坊さんを! 坊さんを! あたし死にそうだ! と叫んでいましたが、カルメンはひと言も口をききませんでした。歯をくいしばって、カメレオンのように目玉をしきりに動かしているのです。
「どうしたんだ?」と、私は尋ねました。いや、どうしたのか知るまでには、えらく骨折りました。なにしろ、女工連中が一時に話しかけようとするんですからね。なんでも傷つけられた女のほうが、「トリアナの市で驢馬《ろば》を買うぐらいの金なら持ってるわよ」と自慢したらしいんです。すると、何か言わないではいられないカルメンが、「箒《ほうき》一本で、もうじゅうぶんじゃないのかい?」と、言ったのです。
相手の女は、おそらくこのことばに痛いところを突かれたんでしょう、ぐっと癪《しゃく》にさわったとみえて、
「あたしはあいにくとボヘミア女やサタンの申し子なんかじゃありませんからね。箒のことなんかよく知らないけれど、裁判官が蝿《はえ》をおっぱらう下男をうしろに従えて、カルメンシタのお嬢さんをお引き回しになるときになれば、お嬢さんは驢馬とご昵懇《じっこん》におなりでしょうよ」と言ったのです。
カルメンはかっとなって、「言ったわね! そんならおまえさんの頬っぺたに、蝿の水飲み場をこさえてやるよ、市松模様を描いてやろう」
そう言ったかと思うと、えいっ! とばかり、葉巻の端を切るのに使っていた小刀を握って、相手の女の顔に、サン・タンドレの十字を描いてしまったのです。
事情は、はっきりしていました。私はカルメンの腕をとって、ていねいに申しました。
「姉さん、ついてきてもらおうかね」
彼女は、私を見知りごしだと言わんばかりの視線を投げましたが、しかしあきらめて言いました。
「行きましょう。あたしのショール、どこへ行ったかしら?」
彼女はショールで頭を包み、大きな目だけをのぞかせて、引かれてゆく羊のように柔順に、二人の部下にまもられて従ってきました。詰所へ到着しますと、軍曹は、重大な事件だから監獄へ連れて行かなければならん、と申します。また私が、連行する役目を命ぜられました。で、女を二人の竜騎兵のあいだに入れ、私は、こういう場合に伍長がするように、そのうしろからついて行きました。われわれは、町のほうへと歩いて行ったのです。
最初のうちボヘミア女は沈黙を守っていましたが、「蛇小路《へびこうじ》」へさしかかったとき……ご存知のようにこの通りは、その名にそむかず曲がりくねっております……彼女はまず、ショールを肩へすべり落とし、あだっぽいかわいい顔を見せると、できるだけ私のほうへ顔を向けて、こう申しました。
「士官さん、あたしをどこへ連れて行くつもり?」
「きのどくだが、監獄だよ」と、私はできるだけ優しい口調で答えました。善良な兵士が囚人に向かって言うとき、ことに女の囚人に対しては、こういう口のききかたをしなければならないと思ったからです。
「ああ! あたし、どうしましょう? 士官さま、あたしをかわいそうだと思ってちょうだい。あなたはお若くて、優しいおかたね!……」
それから一段と声を低めて、「ねえ、あたしを逃がしてちょうだいよ。魔法の石をあげますわ。これがあれば、どんな女だってほれさすことができるのよ」というのです。
この魔法の石っていうのは、つまり磁石《じしゃく》なのですが、使いかたさえ知っていれば、これでさまざまな魔法ができると、ボヘミア人は言うのです。この石をやすりでこすった粉末を、一つまみ白ぶどう酒のコップへ入れて飲ませると、どんな女でも言うことをきくのだそうです。私は、できるだけ威厳を作って、言ってやりました。
「ここで冗談を言うことは許されんぞ。どうしたって、牢屋へ行かなくちゃならん。これは命令なんだから、いまさらどうしようもないんだ」
われわれバスク族の者は、特別のアクセントを持っていますので、容易にスペイン人と区別できます。ところがその反対に bai Jaona〔「はい、そうです」の意〕というのを覚えることのできるスペイン人は、一人だってありゃしません。ですからカルメンは、私がバスクの男だと、すぐ察しました。ご承知でもありましょうが、ボヘミア人っていうのは、どこといって故国があるわけではなく、どこの国のことばでも話します。たいていのやつは、ポルトガル、フランス、バスク地方、カタローニャ、その他の所々ほうぼうが、彼らの故国同然なのです。マウル人〔北アフリカの原住民の一種族〕やイギリス人とさえも、話がつうじるのです。カルメンは、かなりよくバスク語を知っていました。とつぜん私に向かって、こう言うのです。
「ラグーナ、エネ・ビオツアレーナ、あら、あなた、あたしと同じ故郷ね?」
私どもの国のことばは、旦那さま、そりゃ美しいことばなんです。ですから他国にいてそれを聞くと、思わず気持ちがわくわくしてくるのです。……ここでホセは、低い声でこうつけくわえた。
「懺悔《ざんげ》を聞いてくれる坊さんが、故郷の人だといいんですが」
ちょっと沈黙していたが、彼はまた語りつづけた。
「おれはエリソンドの者だよ」
女が故郷のことばを話すのを聞いて、ひどく心を動かされた私は、バスク語でこう答えました。
「あたしは、エッチャラールの生まれよ」そこは、私どもの所から、四時間あれば行ける所です。
「ボヘミア人のために、セビーリャの町へ連れて来られたのよ。どうかしてナバーラのお母さんのところへ帰ろうと思って、あたし工場で働いていたの。お母さんのたよりになるのは、あたし一人っきりだし、りんごを作る、二十本ほどのりんごの樹が植わっている小さな果樹園があるだけだわ。ほんとに! あのまっ白な雪の積もった山が見える故郷にいさえすれば、こんなことにならなかったのに! あたしがね、腐ったオレンジを売ったりするような、『かたり』者の住まっている国の者でないばっかりに、みんなであたしに恥をかかせたのよ。そればかりじゃないのよ。セビーリャの若い衆が短刀をひらめかして束になってかかってきたって、青いベレー帽をかぶり棍棒《こんぼう》を持っただけで、あたしの国の若者はびくともしないと言ってやったもんだから、あの恥知らずどもは寄ってたかって、あたしにかかってきたのよ。ねえ、あんたは同じ国の人じゃないの、なんとかしてくれない?」
彼女は嘘《うそ》をついたのです。いいえ、旦那、あの女は初めから終わりまで、嘘をつきどおしでした。あの女がその生涯で、ひと言でも本当のことを言ったことがあるかどうか、怪しいものです。しかし彼女がこう言ったとき、私は信用してしまったのです。自分の力では、どうにもならなかったのです。彼女はバスク語を、まちがえていました。それでも私は、あの女がナバーラの女だろうと思っていました。女の目だけ見ても、それに口と肌《はだ》を見れば、ボヘミア人だと思えるはずです。私はばかでした。そのときは、もう何も気づかなかったのです。私は、もしスペイン人が私の国の悪口でも言おうものなら、私だって、あの女が仲間の女工をやっつけたと同じように、そいつの顔を切りつけたに違いないと、そう考えていたのです。要するに私は、酒に酔った男同然でした。ばかなことが、口に出かかりました。もう少しで、ばかな真似を実行するばかりだったのです。
「ねえ、お国のかた、もしあたしがおまえさんを突いて、お前さんが転んでくれさえすりゃ、こんなカスティーリャの新兵ぐらいに、あたしはつかまりっこないんだけれどね……」と、彼女はバスク語で言ったのです。
なんとしたことでしょう、私は命令も何も忘れてしまったのです。私は女に言いました。
「よろしい、じゃお国の女、やってみるがいい。わしらの山の聖母さまが、お助けくださるだろうよ!」
ちょうどこのときわたしたちは、セビーリャの町でよく見かける、例の狭い道の前にさしかかりました。とつぜんカルメンはふり向くと、いきなり私の胸に突きをくれました。私はわざとあおむけに倒れたのです。ひと飛びで、彼女は私の上を飛び越えました。そして、両足をあらわに見せながら走りだしたのです!……バスク女の足と言いますが、あの女の足がそれでした。速いのも速いのですが、その格好もなかなかいいのです。私はすぐと起き上がりましたが、わざと槍を横にして、道をふさいだのです。つまり仲間の兵士が追い駆けようとする出鼻《でばな》をくじいたわけなのです。それから私は駆けだしました。部下は、私のうしろから駆けてきました。が、追いつきっこありませんや! 拍車をつけて、剣をがちゃがちゃさせて、おまけに槍まで持っているんですからね、ぜんぜんみこみがありません!
こうやって口で話していると長いようですが、あっというまに、女の姿は見えなくなってしまったのです。それに町じゅうのおかみさんが、あの女の逃亡を助けるのです。私達を嘲弄《ちょうろう》しながら、違った道を教えたののです。なんべんとなく行ったり戻ったりしたあげく、私たちは刑務所長の受領証を持たずに、詰所へ戻ってこなければなりませんでした。
部下の者どもは、罰を受けたくないものですから、カルメンがバスク語で私に話しかけたことを申したてたのです。じつのところ、たかがあんな小娘のげんこのひと突きぐらいで、私のような大の男がやすやす倒れるなんて、どう考えたって本当には思えないでしょう。すべてが疑わしかったのです。というよりあまりにあきらかでした。衛兵勤務を終えると、私は位階を下げられ、一か月間営倉へ送られました。
これが、私の軍隊へはいってからの最初の罰でした。もうすでに手にはいるばかりだった軍曹の徽章《きしょう》も、これでおさらばです。
営倉へ入れられて最初のうちは、ただ非常に寂しゅうございました。兵隊になったとき、私はなんとかして士官にだけはなるつもりでした。同郷人の、ロンガもミナも、ちゃんと将官になっています。チャパランガラもミナと同じく温和革命党で、ミナ同様お国へ亡命しておりますが、彼も大佐でした。私は彼の弟と、よくポームの手合わせをしたもんでして、この男も私と同じように、ふしあわせなやつでした。
ところで私は、つくづくと考えましたね。これで、罰一つ受けずに勤めあげてきた今までの歳月を棒にふってしまったのです。一度注意人物となってしまった以上、上官の信用を再び得るには、はじめて壮丁《そうてい》としてはいってきたときの十倍、働かなければならない!それに、なぜおれは罰を受けねばならないのだろう? このおれを嘲弄したボヘミア女、今頃は町のどこかの片隅で、盗みを働いているかもしれないあの女のためじゃないか。そのくせ私は、どうしても女のことを考えずにはいられませんでした。こんなことを申しましても、ほんとうにしてくださるでしょうか? 逃げて行くあの女が、ありありと見せて行った穴のあいた絹の靴下が、いつまでも目の前にちらつくのです。私は監獄の鉄格子のあいだから、往来を眺めたのです。通り過ぎる女の中で、あの女に匹敵《ひってき》する女は一人もいませんでした。それから、無意識のうちに、あの女が投げつけたアカシアの花をかいでみたのです。花はひからびていましたが、よい匂いだけはいつまでもなくなっていませんでした……ほんとに、もし魔法使いの女がいるとしたら、あの女こそ、まさしくそうです!
ある日、看守がはいってきて、私にアルカラのパン〔アルカラという町は、セビーリャから八キロほど離れたところにあり、非常にうまい小型のパンができる〕を渡してくれました。こう申すのです。
「さあ、おまえの従妹《いとこ》から差し入れだ」
私はひどく驚いて、パンを受け取りました。なぜならセビーリャの町に、従妹などはいなかったからです。たぶん何かのまちがいだろう、と私は、パンをながめながら思いました。が、あまりおいしそうで、いい匂いがするもんですから、だれが送ってよこしたのか、だれに送られたものなのか、そのせんさくはさておいて、私は食べることにきめました。が、パンを切ろうとしますと、小刀が何やら堅いものにさわったのです。よく見ますと、パンを焼く前に練り粉の中へ入れたものらしく、小さなイギリス製のやすりが一本はいっていました。そればかりでなく、パンの中には、二ピヤストルの金貨が一枚あったのです。もう疑う余地はありません。カルメンの贈りものなのです。
ボヘミア人にとっては、自由こそすべてで、やつらは一日の牢獄生活からのがれるためには、一つの町も焼き払いかねないのです。それにあの女は悪達者《わるだっしゃ》な女ですから、こんなパンを差し入れて、看守人を愚弄《ぐろう》したわけなのです。私がその気になりさえすれば、一時間のうちに、この小さなやすりで、いちばん太い鉄格子だってすり切ることができましょうし、二ピヤストルの金貨を握って、最初に目についた古着屋へとびこめば、頭巾つき外套《がいとう》の制服を、町の者が着る服に着がえることもできたのです。絶壁によじ登って、鷲《わし》の巣から何度もひなを盗んだことのある男にとって、十メートル足らずの窓から往来に飛び降りるなんてなんでもないことだと、ご推察なさるでしょう。
が、私は、脱獄はしたくありませんでした。これでも、兵士としての自尊心はもっていたのです。脱走するなどとは、大それた悪事のことのように思えたのです。ただ、女が自分を忘れないのには、心を打たれました。監獄にいますと、友だちが外部で、自分に関心をもっていると考えたがるものです。金貨がはいっていたことは、いささか私の気分を害しました。私は、すぐにも返したいと思ったのです。が、貸し主は、どこにいるのでしょう。これを捜しだすのは、容易なことではないようです。
階級を引き下げる儀式がすんで、もうこれで何も苦にするところがないと思っていました。ところが、まだまだ屈辱《くつじょく》を受けねばならなかったのです。私は出獄すると、勤務を命ぜられ、ただの兵士として、歩哨《ほしょう》に立たされました。そうした場合、気骨《きこつ》のある人間がどういう考えをもつか、ご想像もつきますまい。銃殺されたほうがましだとさえ私は思いました。少なくとも一人離れて小隊の先頭に立って歩きますと、何ものかを感じるものです。みんなが顔を見てくれますからね。
私は、大佐の家の門の歩哨《ほしょう》に立たされたのでした。彼は若くて金持ちで、遊ぶことが好きな、よい男でした。若い将校たちは皆、彼の家へ集まりました。多くの町の人たち、婦人連、人の言によると女優も、やって来たそうです。それは私にとっては町じゅうの者が私をながめにここへ集まって来るように思われたのです。ところへ、大佐の馬車が到着しました。御者台《ぎょしゃだい》には、従僕《じゅうぼく》が乗っています。降りて来たのは、だれだと思います?……例のヒタニリャなのです。
彼女はこのとき、金やリボンでごてごてに飾られた聖遺物《せいいぶつ》箱のように、あくどく飾りたてていました。金モールで飾った着物、同じく金モールの飾りのある青い靴、そして身体中に、花や飾り紐《ひも》をつけていました。彼女はバスク族特有のタンバリンを、手に持っていました。若いのと年とっているのと、二人のボヘミア女が、一緒にいました。それからギターを弾きながら女を踊らせる、これもやはりボヘミア人の老人がついていました。ご存じのように、社交界ではよく、ボヘミアの女を呼んで遊興しますが、それは彼女ら特有の踊りであるロマンスを踊らせるためでして、ときにはまた、その他のことをさせることもあります。
カルメンは私を認めました。われわれは視線をかわしたのです。私はこのときなぜかわかりませんが、穴があればはいりたいと思いました。
「こんにちは、お国のかた。まあ士官さんが、新兵さんのように見張りですね!」彼女は、こう申しました。
そして、私が返答のことばを見つけるより早く、彼女は家の中にはいってしまいました。
その家へ集まった人々は皆、内庭へ出ました。えらい人だかりでしたが、私は鉄格子越しに、内部で起こっていることが、ほとんど手にとるようにわかったのです。私はカスタネットとタンバリンの音、笑い声と喝采《かっさい》とを聞いたのです。ときには、タンバリンを持ったまま踊り上がる拍子に、彼女の顔が見えることもありました。それからまた、彼女にいろいろなことを言う士官たちの声も聞きました。そのたびに私は、さっと顔に血がのぼってくるのです。彼女がそれらに対して、どのような受け答えをしているか、それまでは私にはわかりません。
そうです、その日からです、私は真剣にあの女を思いはじめたのです。私は三、四回も内庭に飛びこんで行って、彼女に甘いことをしゃべっている青二才《あおにさい》の土手っ腹に、サーベルを突き刺してやろうと考えましたよ。この責め苦は、たっぷり一時間も続きました。それからボヘミア人たちは出て行きました。馬車が迎えに来たのです。カルメンは通りすがりにもう一度、ご承知のあの目で私をながめ、低い声で申しました。
「ねえ、お国のかた、うまい揚げ物が食べたかったら、トリアナのリリヤス・パスチアのところへ行ってごらんなさいよ」
子山羊《こやぎ》のようにかるがると、彼女は馬車に飛び乗りました。御者《ぎょしゃ》は騾馬《らば》にひと鞭《むち》くれました。そしてこの陽気な連中は、どこかへ立ち去ってしまったのです。
お察しくださるとは思いますが、哨兵勤務がすむとすぐに、私はトリアナに出かけました。が、まず私は、ひげをそらせ、観兵式の日のように、軍服にブラシをかけたのです。彼女は、リリヤス・パスチアのところにおりました。この男は老人の天ぷら屋で、モール人のように色の黒い、ボヘミア人です。ここへは、町の者が大ぜい、魚の天ぷらを食べにやって来ます。ことに、カルメンがここに姿を見せるようになってから、客足がしげくなったように思われます。彼女は、私の姿を認めると、こう言いました。
「リリヤス、もうきょうは看板にしようよ。また、あすっていう日もあらあね? さあおまえさん、ぶらつきましょうよ」
彼女は鼻の前でショールを合わせ、われわれは街路へ出ました。どこへ行くのやら、私にはさっぱりわかりません。
「お嬢さん、どうやら私は、牢にはいっていたときに送ってもらった贈りものについて、お礼を申さにゃならんようですな。パンはいただきましたよ。鑢《やすり》は槍を磨くのに役にたつでしょう。というより、これはあなたの思い出にとっておきましょう。ですが、金だけは返しますよ、さあ」
すると彼女は、笑い転げて言いました。
「おやまあ! この人ったら、お金をとっておいたんだって! でも、そりゃあ、よかったわ。あたし、すっからかんなんですもの。お金なんか、どうだっていいわ! 犬だって歩きさえすりゃ、飢え死にしませんよ〔ボヘミア人の諺〕。さあ、みんな食べちまいましょうよ。あんた、ご馳走《ちそう》してくれるわね」
私たちは、セビーリャの町のほうへ引き返して行きました。「蛇小路」へはいるところで、彼女はオレンジを十二個求め、私のハンケチの中へ入れて包みました。それから少し行ったところで、パンと腸詰めと、マンサニーラのぶどう酒を買いました。最後に、一軒の菓子屋へはいりました。その店で、私が返した金貨と、さらに彼女がポケットの中に入れておいたもう一枚の金貨と、幾つかの銀貨を一緒に、勘定台の上に投げ出しました。しまいに彼女は、私の有金《ありがね》全部を出せと申しました。私は、小さい銀貨一枚と、カルトス銅銭を少しばかりしか持っていなかったのです。私は、これだけしか持っていないのにひどく恥ずかしさを感じながら、それを女に渡しました。
ほんとに、彼女は、店全部を引きさらって行くのではないかと思いました。ひと目見てきれいなもの、いちばん高価なものを、みんな持って行ってしまうのです。エーマス〔卵の黄味を砂糖で味つけしたもの〕、トゥーロン〔ヌガーの一種〕、果物のジャム、そういった品を金のつづく限り買いました。それらを全部、私は紙の袋にはいったまま、抱えこんで行かねばならなかったのです。たぶん旦那はカンディレホの通りをご存知のことと思います。あそこには、審判者、ドン・ペドロ王の頭像があって、あれを見たら、本来なら自分のことを、もっとよく考えて見ねばならなかったのです。
私たちはこの通りの、とある古びた家の前に立ち止まりました。彼女は路地の中へはいって行って、階下の戸をたたきました。一人のボヘミア女が、これこそ本当のサタンの召使いでしたが、出て来て戸をあけてくれたのです。カルメンはその女に向かって、ロマニ語で何やら話しかけました。老婆は最初、口の中でぶつぶつ言っていました。で、カルメンは、この女のきげんをとるために、オレンジをひとつかみやり、ぶどう酒をひと口味わってみることを許してやりました。それからカルメンは婆さんの背中にマントをかけてやり、戸口から送り出すと、木のかんぬきをかけて戸をしめてしまいました。二人っきりになると彼女は、まるで気が狂ったかのように、笑い転げて踊りながら、こんなふうに歌うのです。
「おまえはあたいのロム、あたいはおまえのロミ〔ロムは夫。ロミは妻〕」
私は部屋のまん中で、カルメンの買物を全部抱えさせられて、どこへ置いたらいいのかとまどいながら、つっ立っていました。それを彼女は、いきなり全部床の上にぶちまけて、こう言いながら私の首っ玉にかじりついたのです。
「あたし、借りは払うわよ。あたし、借りは払うわよ! これが、カレ〔直訳すれば「黒」を意味するが、ボヘミア人はこのことばを使って、互いに呼び合う〕のあいだのおきてだもの!」
ああ、旦那! この日です! この日なんです! 私はこの日のことを思うと、あすという日を忘れてしまうんです。
ホセは、瞬間沈黙した。それから葉巻に火をつけ直して、また話しつづけた。
私たちは一日じゅう、食べたり飲んだり、そのほかのことをしてすごしました。彼女はまるで六つの子どものように、ボンボンを食べてしまいますと、そのボンボンをつかんでは婆さんの水がめの中に入れ、「婆さんにソルベ〔シャーベット〕をこしらえてやるのさ」と、そんなことを言うのです。エーマスを壁にぶつけて、つぶしたりしました。
「蝿《はえ》がうるさいから、こうしてやるのさ」と言うのです!……こんなふうにばか騒ぎを次から次へとやってのけるのです。私は彼女に、踊るところが見たいもんだと言いました。が、カスタネットはありゃしません。すると彼女は、老婆のたった一枚の皿を取りあげると、いきなりそれをこっぱみじんに打ち割りました。そうしてその瀬戸物のかけらを、黒檀《こくたん》か象牙のカスタネットでも使うかのようにじょうずに鳴らしながら、ロマリスを踊りはじめたのです。この女のそばにいたら退屈なんかしないでしょう。それだけははっきり申すことができます。
夕方になりました。帰営をうながす太鼓の音が聞こえてきました。
「点呼があるから、隊に帰らなくちゃならない」と、私が彼女に申しました。
「隊にだって?」と、彼女は、さげすむような口調《くちょう》で言いました。「まるでおまえさんは、棒の先で追い回される黒ん坊みたいじゃないの? ほんとにおまえさんは服も性質もカナリヤそっくりだよ〔スペインの竜騎兵は、黄色い軍服を着ている〕。まあ、おまえさんたら、めんどりみたいな気持ちの人だね」
私は営倉を覚悟して、そのまま残ることにきめました。朝になると、今度は先に彼女のほうから別れようと言いだしました。
「まあ聞きなさいよ、ホセイトオ(愛称の意)、あたしはおまえさんに借りは払ったのよ? あたしたちのしきたりによれば、ほんとはおまえさんに借りなんかないさ。おまえさんはパイリョ(かたぎの衆)だからね。でも、おまえさんはきれいな男だし、あたしはおまえさんが好きになったの。だけど、これでお別れさ。さようなら」
私は、今度はいつ会えるのか、と尋ねました。彼女は笑いながら、答えたのです。「おまえさんが、もう少しおりこうさんになったらね」
それから、ちょっとまじめな調子になって、「ねえ、おまえさん、あたしは少し、おまえさんが好きになったようなんだけど? だが長つづきしないさ。犬と狼とじゃ、長いこと所帯《しょたい》は持てませんからね。ふふうんだ! おまえさんはね、いいかね、ちょうどいいときに捨てられたんだよ。おまえさんは悪魔に出会ったんだからね、そうだよ、悪魔なんだよ。悪魔は、いつも黒い身体をしているとは限らないものね。それがおまえさんの首を絞めなかったんだからね。あたしはね、羊の毛の着物は着ているけれど、羊じゃないですよ〔ボヘミア人の格言〕。さあ、聖母マハリ〔聖女、ここでは聖母マリアをさす〕の前にお蝋燭《ろうそく》でもあげるといいよ。聖母さまは、それだけのことをなさったんですからね。さあ、もういっぺんさよならを言いましょう。こんりんざいカルメンシタのことを考えちゃいけないよ。でないとカルメンシタはおまえさんに、木の足のやもめ婆さん〔絞首台で最近縛り首にあった男やもめから、この場合、たんに絞首台を意味している〕をめとらせてしまうよ」
こんなふうにしゃべりながらカルメンは、入口にかかっているかんぬきをはずしました。そうして通りへ出ると、彼女はショールにくるまって、私に背を向けて、ずんずん行ってしまいました。
あの女の言ったことは本当でした。私は二度と、あの女のことを考えなかったほうが賢かったのです。が、私は、カンディレホ街ですごした日以来というもの、そのほかのことは考えられなくなってしまったのです。私は一日じゅう、もしかして彼女に会えやしないかと思って、歩きまわっていました。その消息を、婆さんや天ぷら屋のおやじに尋ねたのです。二人とも、彼女はラロロに行ったと、答えたのでした。彼らはポルトガルのことを、こう呼んでいたのです。
彼らがこんなふうに言ったのは、カルメンのさしがねだったのです。が、私は、後になってから、それを知ったのでした。
カンディレホ街ですごした日から数週間たったのち、私は町の門戸の一つに歩哨に立たされました。その門から少し離れたところに、外壁に破れ目があったのでした。で、昼間のうちは、そこで修理の人夫が働き、夜は密輸入者を見張りに番兵がついたのでした。私は昼のあいだ、リリヤス・パスチアが、警備詰所の付近を行ったり来たりするのを見ました。そうして仲間の番兵と話していたのです。皆この話を知っていました。彼の家の魚や揚げ物にいたっては、さらによく知っていたのです。彼は私に近づいてカルメンの消息がわかったかどうか尋ねたのです。
「いや、わからん」と、私は言いました。
「そんなら、今にわかりますよ」
彼は、嘘は言わなかったのです。その夜私は、破れ目のところの歩哨に立たされました。伍長が引き上げるとすぐ、一人の女が私のほうへやって来るのを見たのです。カルメンだ! と、私は心の中で叫びました。しかし私は、詰問したのです。
「退《の》け! 通られんぞ!」
「意地悪するもんじゃないわよ」
カルメンは、自分だということを私にしらせながら、こう言いました。
「えっ、おまえか、カルメン!」
「そうさ、お国の方。あまりおしゃべりせずに、じっくり相談しましょう。おまえさん、お金はほしくないかね? 荷物をかついだ連中が来るからね、通しておくれよ」
「だめだ! 通るのをはばむのがおれの役目なんだ。命令だ」
「命令だって? 命令なんか! おまえさんはカンディレホ街では、そんなもの忘れたじゃないかね」
「そう!」と私は、あのときのことを思いださせられただけですっかり狼狽《ろうばい》して、こう答えました。実際あのときは、命令なんか忘れてしまうだけの値打ちがあったのでした。「だが、おれは、密輸入者の金なんかほしくないぞ」
「そうかい、金がほしくないっていうなら、ドロテ姿さんのところへ一緒に行って、ご飯を食べる気はないかね?」
「いやだ! おれにはできない」
私はいっしょうけんめいになって、半ば喉《のど》をつまらせて言いました。
「おやおや。そんなにおまえさんがむずかしいことをお言いなら、あたしにも心当たりはあるんだよ。おまえさんの士官に、ドロテ婆さんのとこに行かないかと言うからいいよ。あの人はわかりのいいような人らしいから、見ていていいものだけしか見ないような若造を歩哨に立たしてくれるだろうよ。あばよ、カナリヤさん、あたしはね、おまえさんが命令で絞首台に立たされる日がきたら、うんと笑ってあげるよ」
私の心はくずれて、彼女を呼び戻してしまいました。そうして、ぜひそうしてほしいなら、代償として自分の願いをかなえてくれ、そうすれば仲間を全部通してやろう、と約束しました。彼女はすぐに、あす約束を果たすからと約束しました。それから付近にいる仲間に知らせに走って行きました。仲間は五人で、パスチアもその中にはいっていました。みんな、イギリス製の商品を、どっさり背負っていたのです。カルメンは見張りに立ちました。巡察《じゅんさつ》の姿が見えたら、すぐにカスタネットを鳴らして知らせる手筈《てはず》だったのです。が、その必要はありませんでした。密輸入者たちは、またたくまに仕事を終えてしまったからです。
あくる日私は、カンディレホ街へ出かけて行きました。カルメンは待たせてから、非常にふきげんな顔をして現われました。
「あたしは、さんざん人に頭を下げさせるような人はきらいさ。最初のときは、何か得をするかっていうようなことは考えずに、もっといいことをしてくれたじゃないの。きのうはおまえさん、あたしにかけひきをしたね。どうしてここへ来たんだか、自分でもわからないよ。もうあたしは、おまえさんなんか好きじゃないんだからね。さあ、どこへでもお行きな。さあ骨折り賃に一デューロあげよう」
もう少しのところで私は、銀貨を女の顔に投げつけるところでした。女をなぐりつけたい気持ちを押さえるために、非常な努力を要したのです。一時間も言い争ったのち、怒って私は飛び出しました。私は気違いのように、あちこちの町中を、しばらくのあいだほっつき歩きました。しまいに、ある教会の中にはいったのです。そうして隅っこの暗いところにすわって、さめざめと泣いたのです。そのうち突然、私は人声を聞いたのです。
「竜騎兵《りゅうきへい》さんの涙ってすてきね! それでほれ薬をこしらえたらどう」
私は目を上げました。カルメンがいるのです。
「ねえ、おまえさん! まだ、あたしを恨《うら》んでるのかい? あたしはおまえさんに腹がたってならないんだけれど、やっぱりおまえさんが好きらしいんだよ。おまえさんが行っちまうと、どうしたらいいかわかんなくなってしまったのさ。今度は、あたしのほうで頼むよ。カンディレホ街へ来てくれない?」
そこで、私たちは仲直りしました。だがカルメンの気分は、私どもの天気と同じなのです。私どもの山国では、太陽が激しく輝いているときほど嵐が近づいているしるしなのです。彼女は、近いうちにドロテのところで会う約束を、私にしました。そうしておいてやって来ないのです。ドロテは、カルメンは仕事のためにラロロへ行ったのだと、しゃあしゃあと言うのです。
すでに経験上、それがどういうことかわかっていましたので、私はカルメンがいるかも知れないと思われる場所を、片っぱしから捜して歩きました。一日何回となく、カンディレホ街を通ってみました。
ある夕方、私はドロテのところへ行きました。私はときどきこの婆さんに茴香酒《ういきょうしゅ》〔アルコールと水と砂糖と熟さないアニスの実のしぼったものとでつくった酒〕のようなものをご馳走して、だいぶ手なずけておいたのでした。そこへカルメンが、若い男を連れて現われました。うちの連隊の中尉なのです。
「早く、出て行って!」
彼女はバスク語で、こう言いました。
私はぼうぜんとして、その場から動けませんでした。心の中は、怒りで煮え返えるようです。
「貴様、ここで何をしてるのか? さっさと出て行け」と、中尉は、私に向かって言いました。
私は、一歩も動こうとしなかったのです。まるで、釘づけにされたようでした。私が出て行こうともせず、軍帽さえ取ろうとしないのを見て、怒った中尉は私の襟首《えりくび》をつかみ、激しくこずきました。私は彼に向かってどんなことを言ったのか、自分でも覚えがありません。彼は剣を抜きました。私も鞘《さや》を払いました。老婆が、私の腕を押さえました。そのとき中尉は、私の額にひと太刀《たち》浴びせたのです。その傷痕《きずあと》は今も残っております。私は引き下がって、肘《ひじ》でドロテをひっくり返し、なおも中尉が迫ってくるので、お突きを彼にくわしました。うまく彼は、それにひっかかったのです。
カルメンがそのとき、ランプを消しました。そしてドロテに向かって、自分たちのことばで逃げろと言いました。私自身も通りへ逃げだして、どこともしれず、ただ走りました。われに帰ったとき、カルメンが私のそばを離れないでいたのに気づいたのでした。彼女は申しました。
「おおまぬけのカナリヤだよ。おまえさんは、ばかな真似しかできない人だよ。だからあたしは言っといたろう、あたしはおまえさんの禍《わざわ》いのもとになるだろうって、さあ、ローマのフラマンド娘〔ボヘミア女を意味する隠語〕が友だちなんだから、どんな治療だってできるよ。まずこのハンカチを頭に当てるんだね。それからその皮帯をお渡し。その小路《こうじ》で待っておいで、すぐ戻ってくるからね」
彼女は見えなくなりました。それからまもなく、どこから持ってきたかしれないが、縞《しま》のマントを持って来ました。彼女は私の軍服を脱がせると、シャツの上からそのマントを着せてくれたのです。こうした装いで、頭に裂けた傷をハンカチで巻いてもらったところは、チューファス〔球根で、かなりおいしい飲みものができる〕で作った飲みものをセビーリャへ売りにやってくるバレンシアの百姓そっくりでした。それから彼女は、ドロテの家とよく似た、細い小路の奥にある、一軒の家へ私を連れこみました。彼女と、もう一人そこにいたボヘミア女が、私の傷口を洗い、どんな軍医だってできないほどじょうずに手当てしてくれて、なんだかわけのわからないものを私に飲ましてくれたのです。それがすむと、私は毛布団《けぶとん》の上に寝かされ、そのまま眠ってしまいました。
たぶん女たちは飲みものの中へ、彼女たちだけがその秘伝を知っている何か鎮静剤《ちんせいざい》のようなものを入れておいたに違いありません。
私は翌日、非常に遅くなってから目を覚ましたのです。ひどい頭痛がして、いくらか熱がありました。昨夜私がやってのけた恐しい光景が記憶によみがえってくるのには、少しばかり時間がかかったのです。私の傷の手当てをしてしまうと、カルメンとその友だちとは、二人とも私の布団のそばにしゃがみこみながら、どうやら治療上の相談らしいのですが、例のチッペ、カリのことば〔スペインにいるボヘミア人の土俗語〕で、何事かことばを交わしていました。それから二人して、もうすぐよくなるから安心するようにと、言ってくれました。しかし、なるべく早くセビーリャを立ち去らねばいけないと言うのです。つかまれば容赦《ようしゃ》なく銃殺されるにきまっているからなのです。
カルメンが私にこう言いました。
「ねえ、おまえさん、もう王さまはおまえさんにゃお米も干だら〔スペインの兵隊の常食〕もくれっこないんだから、自分で何かやらなきゃならないんだよ。自分で食べてゆくことを考えなくちゃ。おまえさんはまがぬけてるから、気のきいた泥棒の真似をすることはできないけれど、はしっこくて力があるし、それに度胸もあるから、浜へつっ走って、密輸入者になるといいよ。あたしが、おまえさんを絞首台につるしてやるって約束したことがあるだろう? そのほうが、銃殺されるより、どんなにいいかしれやしない。それに腹さえきめてかかりゃ、王さま暮らしができるからね。ミニョン〔一種の義勇隊〕や海岸警備のお役人に襟首をつかまえられないあいだはね」
こういう甘い口でこの悪魔のような女は、私にやらせようという新しい仕事を教えたのでした。事実これだけが、死罪に当たることをやってのけた当時の私にとっては、残された唯一の仕事でした。
旦那に、こんなことを申しあげる必要もありますまい。あの女はぞうさなく、私に腹をきめさせてしまったのです。私はこのような、あすという日のわからぬ、反抗生活を続けることによって、いっそう密接に彼女と結びつくことができると考えたのでした。今後彼女の愛は、完全に自分のものだと思ったのです。
私は、いい馬に乗って、鉄砲片手に、情婦を馬の尻に乗せてアンダルシアじゅうを駆けまわっている密輸入者のことを、聞いて知っていました。私はすでに、この美しいボヘミア女を鞍の後ろに乗せて、山や渓谷《けいこく》を乗りまわしている自分の姿を、思い浮かべていたのです。
私がこのことを言うと、彼女は腹をかかえて笑い、それから私に、三つの『たが』の上におおいをかけ渡して作った小さなテントの中に、それぞれのロムがロミを引き連れてひっこむ、あの露営してすごす晩ほどいいものはないと申すのです。
「山にさえはいってしまやあ、おれは安心がゆくんだ! 山なら、おまえを奪い合おうっていう中尉もいないからな」と、私は言いました。
するとあの女は、「おやおや! おまえさんはやいているんだね。おきのどくさま。どうしておまえさんてば、そんなにわからず屋なんだろうね? あたしが、おまえさんに首ったけなのがわからないのかね? あたしが、おまえさんに金をくれって言ったことがないのをみても、わかるじゃないかね」
こんなふうに彼女が話すのを聞いていると、私は女の首を絞めてやりたい気持ちになるのでした。
かいつまんで申しましょう。カルメンは私のために町の者の着物を手に入れてくれ、私はそれを着て、人にとがめられずにセビーリャの町をぬけたのです。私は、ある茴香酒《ういきょうしゅ》を売る男に宛てたパスチアの手紙を持って、密輸入者どものたまりになっているヘレースへ行きました。私は、それらの連中と知り合いになりました。その頭目《とうもく》はダンカイレ〔スペイン語で、他人の金で賭けをする者を意味する〕という渾名《あだな》の男で、私を仲間へ入れてくれたのです。われわれは、ガウシンへと出発しました。その地で会うように手はずをしておいたカルメンと、私は再会したのです。仕事のたびにカルメンは、間諜《かんちょう》の役をしていました。これ以上いい間諜は、ありませんでした。彼女はジブラルタルから来たのですが、すでにもう彼女は、ある船の持ち主と、イギリスの商品を積みこむ約束をしてきました。われわれはそれを、浜で受け取ることになっていたのです。
で、われわれは、それを受け取るために、エストポナの付近へ出かけました。それから一部を山の中に隠し、残りを背負って、ロンダへやって来ました。カルメンがそこへ先まわりしていました。その地で、われわれが町へはいる時期を指図《さしず》したのは、やはりカルメンでした。この初めての旅まわりと、引きつづいてした、いくつかの旅歩きは、うまくゆきました。密輸入者の生活は、兵隊生活よりいいと思いました。私は、カルメンに贈りものをしました。私は、金と女と、両手に花というわけです。
私は、後悔など、少しもしませんでした。まったくボヘミア人の言うとおり、楽しいときには疥癬《かいせん》もかゆくないものです。どこへ行っても、われわれは大歓迎を受けました。仲間も私を優遇してくれましたし、尊敬さえも示してくれました。その理由は、私が人を一人殺したからだというのです。というのは、彼らの中には、心に省《かえり》みて、このような手柄《てがら》をたてたことのない者もあったからでした。
が、新しい境遇にあって、それにもまして私を感激させたのは、たびたびカルメンに会えることでした。彼女は私に対して、今までになかったほどの愛情を示しました。しかし、仲間の前では、私の情婦であるなどという素振《そぶ》りは見せませんでした。同時に彼女は、自分のやったことはけっして仲間にしゃべらないようにと、あらゆる方法で私に誓わせました。私はあの女の前では、まったく力のない存在でして、なんでもあの女の言いなりほうだいになっていたのです。それに、はじめて彼女は私に対して、まじめな女の控え目な態度をみせたもんですから、単純にも私は、心底から彼女が今までの態度を改めたのだと思いこんだのでした。
われわれの一団は、八人ないし十人の人数で、それもいざというときでなければ集まらず、ふだんは二人三人ずつと、町や村に散らばっていました。各人それぞれ、表向きの商売をもっています。ある者が鋳掛屋《いかけや》なら、ある者は博労《ばくろう》といったわけです。私は小間物屋でした。しかし盛り場へは、例のセビーリャの事件があるもんですから、絶対に顔は出しませんでした。
ある日、というよりある夜というべきでしょうが、われわれの集まり場所は、ベヘールの麓《ふもと》ということになっていました。ダンカイレと私とは、ほかの連中より一足先にそこへ行きました。彼は、ひどくはしゃいで、こういうのです。
「また仲間が一人ふえるぞ。カルメンがうまいことやったのさ。タリファの監獄にいた、やつのロムを、ついこのあいだ脱獄させたのさ」
私はもう、ほとんど仲間で使われているボヘミア語が、だいぶわかってきていました。ロムというこのことばは、私に衝撃を与えたのです。で、私は、頭《かしら》に向かって尋ねました。
「なんだって? やつの亭主だって! じゃ、あいつは相手があるのかい?」
「そうさ、片目のガルシアと言って、あの女に負けないしたたか者のボヘミア人さ。やつはかわいそうに、徒刑囚になっていたんだ。そいつをカルメンが、監獄医をうまくだましこんで、自分のロムを自由な身体にしてやったというわけさ。実際! あの女の値打ちは、たいしたもんだよ。なにしろ、この二年間というもの、やつを脱獄させようとたくらんでいたんだからな。ところが典獄《てんごく》が変わるまでは、どうしてもだめだった。典獄が変わると、すぐあの女は、そいつにうまくとりいる手をみつけたとみえる」
この話が、どんな喜びを私に与えたか、ご想像にまかせましょう。まもなく私は、片目のガルシアに会いました。これこそ、ボヘミア人の生活が生んだ最悪の悪党でした。色も黒いが、腹はもっと黒い男で、私が生涯会ったなかで、こいつほどひどい悪党はいませんでした。この男と一緒に、カルメンはやって来ました。彼女は、私の目の前でこの男をあたしのロムと呼ぶとき、必ず目で私に合図しました。そしてガルシアが向こうを向くと、顔をしかめてみせるのです。私は腹がたち、その晩じゅう、彼女と口をききませんでした。
夜があけると、荷物を作って、そうそうにわれわれは出発しました。気がつくと、騎兵の一団が、われわれの後を追って来ます。なあに皆殺しにしてやるさと虚勢を張っていたアンダルシアの連中も、たちまち総くずれとなりました。みんな、先を争って逃げだしました。
ダンカイレ、ガルシア、それからレメンダード〔スペイン語では、ぼろを着た男の意〕というエシハ生まれのきれいな若者、それにカルメン、これだけがしっかりしていました。他のやつらは騾馬《らば》を捨てて、騎馬兵が追いかけてこられない窪地《くぼち》の中へ逃げこみました。われわれも、そういつまでも騾馬の番をしていられないので、おおいそぎで、いちばん上等な荷物を鞍からはずし、肩に背負い、おそろしく急な斜面をくだりながら、岩のあいだを縫って逃げようとしました。荷物を前に転がしておいて踵《かかと》で滑りながら、全速力で追い駆けたのです。そのあいだ、敵は身を隠して、狙《ねら》い打ちに弾丸を浴びせました。鉄砲の弾丸が風を切って飛ぶのを聞いたのは、これが初めてでしたが、べつにこわいとは思いませんでした。女が見ていると思うと、死の危険にさらされても、それほどに思わないものです。
われわれはうまく逃げのびました。ただしレメンダードがかわいそうに、腰に一発弾丸を受けたのです。私は荷物を捨てて、彼を抱えて連れて行こうとしました。するとガルシアが、叫びました。
「まぬけめ! くたばったやつなんか、かまったってどうなるっていうんだ? 片づけちまえよ。木綿の靴下の荷をなくしたら承知しないぞ」
「はなしておしまい、はなしておしまいったら」と、カルメンも叫びました。
疲れたのでやむをえず、岩陰にちょっとのあいだ、レメンダードをおろしました。するとガルシアがやって来て、この男の頭に、一発ぶっ放したのです。
「こうしとけば、だれにだってわかるまい」
なん発も弾丸を打ちこまれて蜂の巣のようになった若者の顔を眺めながら、この男はこう言ったもんです。
旦那、こういう生活が、私の送ってきたりっぱな生涯なのです。
夕方、へとへとに疲れて、食うものもなく、騾馬《らば》をなくしたために、えらい思いをして、やっとのことで、とある潅木林《かんぼくりん》にたどり着きました。そこで、この悪魔のガルシアが、どんなことをしたでしょうか? やつはポケットからカルタをひと組とり出して、ダンカイレ相手に、焚火《たきび》をたきながらその明りで勝負をはじめたのです。私はそのあいだじゅう、横になって星を眺めながら、レメンダードのことを考えては、あの男の身代わりになっていたほうがましだと、思ったりしていました。
カルメンは私のそばにしゃがんで、ときどき自分の歌に合わせて、カスタネットを鳴らしていました。それから、何か耳打ちでもするように身をすり寄せて、私がいやがるのを無理に二、三度、私に接吻しました。
「おまえは、悪魔だ」と、私は女に言いました。
「そうよ」と、彼女はいっこう平気なもんです。
五、六時間休んでから、彼女はガウシーンへ行きました。あくる日になると、やぎ番の子どもが、パンを持って来てくれました。われわれはその日一日じゅうそこにいてから、夜になって、ガウシーンに近寄りました。そして、カルメンからの消息を待っていたのです。なんの音沙汰《おとさた》もありませんでした。夜が明けてくると、一人の騾馬《らば》引きが、りっぱな身なりをして日傘をさした一人の女と、その召使いらしい小娘とを乗せてやってくるのを見たのです。ガルシアが言いました。
「見ろよ。聖ニコラスさまが、騾馬を二匹と、女二人をおつかわしになったぞ。ほんとは騾馬四匹のほうがありがたいんだが。まあいいや、仕事にかかろうぜ」
彼は銃をとると、草むらの中に身を隠しながら、小道のほうへ降りて行きました。ダンカイレと私とは少し遅れて、そのあとからついて行きました。着弾距離に近づくと、われわれは草むらから姿を現わして、動くな、と騾馬引きに向かって叫びました。すると女は、われわれを見て驚くと思いのほか、実際われわれの格好は十分恐怖を与えるはずでしたのに、大声で笑いだしたのです。
「あたしを堅気《かたぎ》の女だと思うなんて、おおばかさんだよ」
それは、カルメンでした。が、あまりじょうずに化けているので、もしほかの国のことばを話していれば、とうてい見破られないところでした。彼女は騾馬から飛びおりると、しばらくのあいだ低い声で、ダンカイレとガルシアと話していましたが、次に私に向かってこう申しました。
「カナリヤさん、あたしたちは、おまえさんが絞首台にのぼる前に、もういっぺん会えるだろうよ。あたしはね、仕事のことでジブラルタルへ行きますがね、じきにあたしのことが耳にはいるよ」
彼女は五、六日のあいだ身をひそめている場所を教えてから、われわれと別れて行きました。この女は、われわれ仲間の宝でした。
まもなく彼女から、いくばくかの金と、それ以上にわれわれにとってはたいせつな指図とを受け取りました。それは某日、二人のイギリス貴族が、これこれの道を通って、ジブラルタルからグラナダへ行くというしらせでした。耳ある者は、済度《さいど》さる、というわけです。この貴族らは、正真正銘のギニー金貨を持っています。ガルシアは、二人を殺すというのです。が、私とダンカイレとが反対したので、けっきょく、金と時計とを奪っただけでした。そのほか、これだけはどうしても必要なのでシャツを奪いました。
旦那さま、人って自分でも気のつかぬうちに、悪者になっているものですね。きれいな娘に目がくらみます。女のために命のやり取りをします。ふしあわせなはめとなります。山の中で暮らさにゃならんことになります。そうしていつのまにか、自分でも知らないうちに、密輸入者から盗賊になり下がっているのです。
イギリス貴族の事件以来、ジブラルタル付近にいることはうまくなくなったので、われわれは、ロンダ連山の奥深くに逃げこみました。あなたは、いつかホセ・マリアのことをお話しになりましたね。そうです、私があの男と知り合いになったのは、このときでした。あの男は、仕事に行くのに、いつも情婦を連れて歩きました。情婦というのは、きれいで賢く、おとなしく礼儀作法は心得ており、野卑《やひ》なことばなど口にしたことはないし、貞淑《ていしゅく》でした!
ところが男のほうは、ひどく女をふしあわせなめに合わせていました。しじゅう、いろんな女のあとを追いかけていましたし、彼女を虐待《ぎゃくたい》しますし、ときには嫉妬さえしてみせるのです。一度なんか、女に一撃をくわせましたよ。ところが、どうでしょう! そのために女のほうでは、いっそう男が好きになったのです。女というのは、そんなものですね。とくに、アンダルシアの女はそうなのです。あの女は腕の負傷を自慢にして、まるで世界でいちばん美しいものだといわんばかりに、見せびらかしていました。ホセ・マリアというやつは、実際以上に、仲間としてはいやなやつでした。あるとき、一緒に仕事をしたのですが、やつは実にうまく立ちまわったもので、もうけは全部自分の懐《ふところ》へねじこみ、われわれには鉄砲の弾《たま》と仕事上の損害しか残さなかったようなこともありました。
が、話をもとへ戻すことにしましょう。われわれは、カルメンのことを少しも聞かなくなりました。ダンカイレが言いました。
「おれたちのだれかがジブラルタルへ行って、様子をさぐってみる必要があるね。あの女は、きっと何か仕事を作ってあるに違いない。おれが行ってもいいんだが、ジブラルタルであまり知られている顔なんでね」
片目が言いました。
「おれもよ、あそこじゃ、みんなおれを知っているんだ。おれは、えびども〔スペインで一般に人々は、その軍服の色からしてイギリス人のことをこう呼んでいる〕を、さんざんからかってやったからな。それにおれは目が片っぽうしかないから、化けるのにまずいしな」
「じゃ、おれが行かにゃならんっていうわけかね?すると、どうすりゃいいんだね?」と、今度は私が言いました。カルメンにまた会えるかと思うと、私の心ははずんでくるのです。二人は、私に言いました。
「とにかく、船に乗るか、それともサン・ロックを通って行くか、どっちでもおまえの好きなほうにすりゃいいんだ。ジブラルタルへ着いたら、波止場で、ラ・ロリョーナ(乳母の意)というチョコレートを売ってる婆さんがどこに住んでいるか、そいつを聞くんだ。その婆さんさえ見つかりゃ、あとは婆さんの口から、あそこで起こっていることがわかるだろうよ」
われわれは三人そろってガウシーンの連山まで出かけ、そこで二人の仲間を残し、私だけが果物売りの姿をして、ジブラルタルへ行くことにしました。ロンダで、仲間の一人が、旅行免許証を手に入れておいてくれました。ガウシーンでは、驢馬《ろば》をもらいました。私はそれにメロンやオレンジを積んで、出かけました。
ジブラルタルへ着くと、ラ・ロリョーナを知っているものがたくさんいることがわかりましたが、その女は死んだか、あるいは地の果てへ〔徒刑囚か、またはどことも知れず遠方へ、の意〕行っているかしているはずだというのです。
この婆さんの居所がわからないので、それでわれわれはカルメンと連絡を失ったのだ、と私には思われました。私は馬小屋の中に驢馬をつなぎ、オレンジをかついで、それを売るような格好をして、町の中を歩きました。実際は、だれか知った顔に会うかどうか、それが知りたかったからです。
この町は世界のあらゆる国のやくざ者の集まり場所でした。まるで、バベルの塔です。十歩行くうちに、十のことばを、耳にしないわけにゆかないほどなのです。自分と同じエジプト組(密輸入者)にも、よく出会いました。しかし私は、この連中を信頼する気にはなれませんでした。私のほうでもやつらの様子をうかがえば、やつらもこっちの様子をさぐるといったわけです。お互いにやくざ仲間であることは推察するのですが、重要なことは、われわれが同じ仲間であるかどうかを知ることでした。
二日ほどいたずらに駆けずりまわったあげくのはて、私はついにカルメンについても、ロリョーナについても、なんにも知ることができなかったのです。私は、何か買物をしてから、仲間たちのところへ帰ろうと思いました。そんなことを考えながら夕日を浴びて、町を歩いていますと、一軒の家の窓から、「オレンジ屋さーん」と呼ぶ、女の声がしました。見上げると、バルコンにカルメンが、赤い軍服に金の肩章《けんしょう》をつけ、髪を縮らした、大貴族といった様子をした一人のイギリス士官と一緒に手すりにひじをついているではありませんか。彼女はといえば、ショールを肩に、金の櫛《くし》を光らせ、全身絹ずくめで、じつにすばらしい身なりでした。おまけに、あの女はどこまでもああなんでしょう! 腹をかかえて笑っているのです。イギリス人はおぼつかないスペイン語で、奥さんがオレンジを食べたいそうだから、上がって来いと、叫びました。カルメンは、バスク語で、私に言いました。
「上がっておいでよ。だがね、どんなことにもびっくりしちゃいけないよ」
じっさい、この女のすることなら、驚くことは何もないはずです。私は、女に再びめぐり合ったことが、はたして苦しみでなくて喜びであるかどうか、自分でもわかりませんでした。戸口に、髪に粉をふりかけた、大きなイギリス人の従僕《じゅうぼく》が立っていまして、私をりっぱなサロンへ案内してくれました。カルメンは、バスク語で、私に話しかけました。
「おまえさんは、スペイン語がちっともわからなくて、あたしを全然知らないんだよ、いいかい」
それから、イギリス人のほうを向いて、「ねえ、あたしの言ったとおりでしょう。この男がバスク人だってことは、すぐ見分けがついたの。どんなに変てこりんなことばだか、聞かせてあげますよ。なんてまぬけな顔をしているんでしょうね、戸棚の中でみつかった男みたいじゃないの?」
「そんなら貴様は、つらの皮の厚い売女《ばいた》さ。おいらはな、貴様の情人《いろ》の前で、貴様のその顔に、一撃くわしたいんだ!」と、私は、自分の国のことばで、こう言い返しました。
「情人《いろ》だって! へえ、おまえさんは一人で、それがわかったのかね? そうしてこの薄ばか野郎に焼きもちを焼いてるってわけかね? そうだとすると、昔カンディレホの通りで会ったころより、もっとおまえさんはまぬけになったわけだよ。今、仕事をしてるってことが、わかんないのかね。ほんとにまぬけだよ。このとおり、うまくいっているじゃないかね。この家もあたしのもんだよ。このえび野郎の持ってるギニー金貨だってそうさ。あたしは、やっこさんの鼻の先をつかんで、ひっぱりまわしているのさ。そのうち、二度と出られないところにひっぱりこんでやるつもりさ」
「おれはな、いつも仕事仕事って、こんな真似をするなら、二度とできないように思い知らしてやるぞ」と、私は彼女に言ってやりました。
「ふうん! そうでございましょうとも。それじゃ、おまえさんはあたしのロムだとでもいうのかい? そんな指図がましいことを言ったりしてさ。片目の野郎がいいって言ってるんだよ。おまえさんになんの文句があるんだね? おまえさんは、あたしのミンチョーロ〔わたしの恋人、というより、かわいい人ぐらいの意〕といわれる、たった一人の男というんで、それで満足していていいんじゃないかね?」
「なんて言ってるんだね?」と、イギリス人が尋ねました。
「喉がかわいてるので、ひと口飲みものをちょうだいしたいって、いっているのですよ」
カルメンは、こう答えました。それから自分の通訳ぶりに自分でげらげら笑って、長椅子の上にあおむけに倒れました。
旦那、この女が笑うときは、けっしてまともな話じゃないんです。そのくせみんなが、女につられて笑ってしまうんです。この大男のイギリス人も、いかにも薄ばからしく、一緒に笑いはじめ、私に飲みものを持ってくるように命じました。
私が飲んでいますと彼女はこんなことを言うのです。
「この男が指にはめている指輪を見たかい? おまえさんほしいなら、おまえさんにあげるよ」
私は、こう答えました。
「マキラ棒を互いに一本ずつ持って、おまえのイギリス貴族と山の中で立ち向かうことができれば、指の一本ぐらいくれてやるぞ」
イギリス人は、私のことばを聞きかじって、尋ねました。
「マキラって、そりゃなんのことだい?」
カルメンは、あいかわらず笑いながら言いました。
「マキラって、オレンジのことですよ。おかしなことばですわね。オレンジをマキラだなんて。あなたにマキラを食べさせたいんですって」
「ほんとかね! それならあすもまた、マキラを持ってきておくれ」と、イギリス人は言いました。
われわれがこんな話をしているうちに、従僕がはいってきて、食事の支度ができたと申しました。すると、イギリス人が立ち上がって、私にピアストル銀貨を一枚握らせ、それからカルメンに、まるで一人では歩けない女のように、腕を貸しました。カルメンは、なおも笑いながら、私に言いました。
「ねえ、あたしはおまえさんを食事に呼べないがね、そのかわり、あす衛兵整頓《えいへいせいとん》の太鼓を聞いたら、さっそくオレンジを持って、ここにおいでよ。カンディレホの部屋よりもりっぱに飾りつけた部屋があるからね。あたしがあいかわらずおまえのカルメンであるかどうかよくわかるだろうし、それに仕事の話もあるからね」
私は返事もしませんでした。通りへ出ると、イギリス人が、こんなことを、私に呼びかけました。
「あしたはマキラを持ってきておくれ!」
それから、カルメンの哄笑《こうしょう》を聞きました。
外へ出た私は、どうしたらいいか自分でもわからないしまつです。その晩は一睡もしませんでした。夜明けとともに、私のこのうらぎり女に対する怒りは、絶頂に達していました。二度と女の顔を見ないでジブラルタルを立ってしまおうと、決心していました。
ところが太鼓の音が聞こえはじめると、からだじゅうの元気が抜けてしまいました。私はオレンジ篭《かご》を持って、カルメンのもとへ駆けつけました。女の部屋の鎧戸《よろいど》が、少し開いていました。私は彼女の黒い目が、私のほうをのぞいているのが察せられました。髪に粉をふった従僕が、すぐ私を内へ入れました。カルメンはその従僕に、何か使いを言いつけました。そうして二人きりになると、鰐《わに》のような笑い声をたてて、私の首っ玉に飛びつきました。私は、彼女がこんなにもきれいに見えたことはありませんでした。マドンナのように着飾り、香水をふりかけ、絹張りの家具や刺繍《ししゅう》をした窓掛けの下にいるのです……ああ、まったく! そして私ときたら、泥棒のような格好なのです。
「ミンチョーロ! あたしはね、ここにある物を、片っぱしからたたきこわしてしまいたいよ! この家に火を放って、山の中に逃げてしまいたい」と、カルメンは言うのです。それから愛撫《あいぶ》です! また笑いの連続です! 彼女は踊りまわって、裾《すそ》飾りも引きちぎれんばかりです。猿だってこんなに踊ったりはねたり、百面相をしたり、乱痴気《らんちき》さわぎをしたりはしませんよ。彼女は再び真顔になって、こう申しました。
「まあ聞いておくれよ。仕事の話なんだからね。あたしはね、あいつにロンダまで連れてってもらおうと思うんだよ。あそこに、尼になってる妹がいるんでね(ここでまたもや大笑いをしました)。あとでおまえさんに知らせるけれど、ある場所を通るからね。そこでおまえさんたちが飛び出して、身ぐるみはいでしまうって寸法さ! いちばんいいのは、ばらしてしまうことだけど、だがね……」と、ここで彼女は、ひょっとしたはずみにうかべる、あの悪魔的な微笑をみせてつけくわえました。この微笑こそ、だれも真似しようという気の起こらないものです。……「わかるかね、やらなきゃならないことが? あの片目に、いちばん先に出てもらいたいのさ。おまえたちは、少し後からにしておくれ。あのえび野郎はなかなかてごわい相手だからね。上等のピストルを持っているんだよ……わかったかね?」
彼女はまたしても笑い声を爆発させて、ことばを切りました。このことばを聞いて、私は身震いしました。
「いやだ、おれはガルシアが大きらいだ。だが、仲間はやっぱり仲間だ。たぶんいつか、おまえのために、やつを片づけなきゃなるまい。しかし、そのときは、おれの国のしきたりにしたがって、ちゃんと勘定をつけるつもりだ。おれはエジプト者の仲間にはいってはいるが、根っからそうじゃねえ。物と場所によりゃ、やっぱりことわざの文句じゃねえが、生粋《きっすい》のナバーラ人だぜ」
彼女は、ことばをつづけました。
「おまえはばかだよ。おおばかだよ。ほんとのパイリョだよ。つばきを遠くまで飛ばすことができたといって、背が高いと思っている小人みたいなもんさ。おまえは、あたしのことなんか考えていないんだ。さあ、出て行っておくれ」
彼女が私に向かって、出て行っておくれと言ったとき、私は出て行くことができませんでした。私は、すぐこの地を発って、仲間のところへ帰り、イギリス人を待ち伏せることを約束しました。彼女のほうでは、ジブラルタルを発ってロンダへ向かうときまで、病気になっていることにすると約束しました。私は、もう二日間、ジブラルタルに滞在することにしました。彼女は大胆にも姿を変えて、私の宿に遊びに来ました。
私は出発しました。私も胸にいちもつあったのです。私はイギリス人とカルメンとが通る場所と時間を胸に収めて、約束の場所へ帰りました。ダンカイレとガルシアとは、私を待ちくたびれていました。われわれは景気よく燃える松ぼっくりの焚火《たきび》をかこんで、森の中で一夜をすごしました。私はガルシアに、カルタを挑《いど》みました。彼は承知しました。二度目の勝負のとき、貴様、いんちきをしたろう、と私が言いました。すると相手は笑ったのです。私は相手の顔をめがけて、カルタを投げつけました。彼は銃をつかもうとしました。私は銃を足で踏んまえて、叫びました。
「貴様は、マラガ一《いち》の若い者と同じように、短刀を使うというじゃないか。ひとつおれとやってみろ!」
ダンカイレは、二人を分けようとしました。その時すでに、私は二つ三つの拳固《げんこ》を、ガルシアにくわしていたのです。彼は怒りのあまり、むきになりました。そうして、自分の短刀を抜きはなちました。私も短刀の鞘《さや》を払いました。二人は口をそろえて、われわれに自由に勝負させてくれるようにと、ダンカイレに頼みました。ダンカイレも、こうなっては二人を止める『すべ』もないと思って、遠のきました。
ガルシアはもう、二十日鼠《はつかねずみ》に飛びかかろうとする猫のように、身体を二つに折り曲げていました。彼は左手に帽子をつかんで盾《たて》代わりとし、短刀を前に突きだしました。これが、アンダルシア式の構えです。私は、ナバーラ式に構えました。相手の正面にまっすぐにつっ立ち、左の腕を上げ、左足を前に出して、短刀を右の腿《もも》にぴったりとつけたのです。私は、巨人よりも強いような気がしました。彼は私めがけて、矢のように飛びかかって来ました。私は、左の足を心棒にして、くるりと回りました。彼は空を突いたのです。ところが私のほうは、彼の喉《のど》を突いていました。短刀はよほど深くはいったとみえて、私の握りこぶしが相手のあごの下に隠されてしまったほどでした。私がぐいと短刀をねじったので、刃が折れてしまいました。
勝負はつきました。腕の太さほどもある血しぶきに押し流されて、折れた刃が傷口から飛び出ました。彼は、杭《くい》のように固くなって、うつ伏せに倒れました。
「えらいことをやってくれたな」と、ダンカイレが言いました。
「まあ、聞いてくれ。二人は、どうしたって一緒に生きてゆけないんだ。おれはカルメンにほれこんでいる。一人のものにしたいんだ。そればかりじゃねえ、ガルシアのやつは、じつに悪いやつだ。かわいそうなレメンダードのやつに、あいつがどんなことをしたか、おれは覚えているんだ。とうとう二人っきりになってしまった。だがね、おれたちゃ、根はいい人間なんだ。どうだね、おれと生死を共にしてくれるかね?」
ダンカイレは、私に手をさしだしました。彼は、もう五十男だったのです。
「色恋なんかまっぴらだよ! おまえがやつにカルメンをどうしてもくれと言えば、やつはピアストル銀貨一枚で、ゆずったかも知れないんだよ。たった二人っきりになってしまったじゃないか。あすは、どうすりゃいいんだ?」
「まあ、おれにまかしておいてくれ。こうなりゃ、天下に恐いものなしだ」
われわれはガルシアを埋め、そこから二百歩ほど行った所に移りました。
翌日、カルメンと例のイギリス人とが、騾馬《らば》引きを二人と、従僕を一人連れて通りかかりました。私は、ダンカイレに向かって言いました
「イギリス人は、おれが引き受けた。ほかのやつらを脅《おど》かしてくれ。飛び道具は持っていない」
イギリス人は、しっかりしたやつでした。もしカルメンがやつの腕を払いのけなかったら、すんでのことに、私は殺されるところでした。かいつまんで申しますと、その日に私は、再びカルメンを手に入れたのでした。私が最初に口にしたことは、彼女に、おまえは『やもめ』になったぞと告げたことばでした。ことのしだいを知ると、彼女は申しました。
「おまえさんは、あいかわらず|リリペンディ《まぬけ》だね! ガルシアに殺されたかもしれなかったよ。ナバーラ式の構えだなんて、ばかばかしい話さ。あの男は、おまえなんかよりよっぽど腕っぷしの強い連中を、なん人も墓場に送りこんだんだからね。あの男の年貢《ねんぐ》の納めどきがきたのさ。そのうち、おまえさんの番だよ」
「おまえだって、おんなじことさ。おれのほんとうのロミらしくふるまわないときにはな」と、私も言ってやりました。
「結構でございますだ。あたしはね、コーヒーの煮がらでなんべんも占って知ってるんだけれど、あたしたちは一緒にこの世におさらばすることになっているんだよ。ふうん、いまさらどうにもならないさね!」
そう言って彼女は、カスタネットを鳴らしました。これは何かいやな考えを払いのけようとするとき、きまってこの女のすることでした。
だれでも自分のことをしゃべっていると、ついわれを忘れてしまいます。こんな細々《こまごま》したことは、たぶんあなたに退屈でしょう。しかし、もうすぐ終わりますから。
われわれのこういった生活は、かなり長いあいだ続きました。ダンカイレと私とは、最初のときより少しはしっかりした連中を五、六人仲間に引き入れて、密輸入をつづけてゆきました。それから白状しておきますが、ときには街道へ出て追いはぎもしました。しかし、それはよくよくの時で、ほかにどうしようもないときでした。それにわれわれは、旅行者には害を与えませんでした。ただ金を巻き上げるだけにとどめたのです。
数カ月のあいだ、私はカルメンに満足していました。彼女はわれわれに仕事のチャンスを知らせたり、やはり仕事の上では役にたつ女でした。普段《ふだん》はマラガやコルドバや、ダラナダにおりましたが、私がひとこと言ってやると、すべてを捨てて、人里離れた旅宿や、ときには野宿している場所へも、私に会うためにやってきました。たった一度、これがマラガの町で起こったことですが、彼女はいささか私を心配させたのです。
私は彼女がある大金持ちの商人に狙《ねら》いをつけて、たぶん、いつかのジブラルタルの悪ふざけをもういっぺんやろうとしているのを知ったのでした。私はダンカイレがいろいろととめだてするのを押しきって飛びだし、まっ昼間にマラガの町にはいりました。私はカルメンを捜しだして、すぐ連れ戻りました。二人は、激しく言い合ったのです。彼女は、こう言いました。
「ほんとを言うとね、はっきりあたしのロムになってからのおまえさんは、おまえさんがあたしのミンチョーロだったときより好きになれないのさ。わかるかね? あたしはいじめられるのもきらいだが、命令ずくで言われるのはことにきらいだよ。あたしの願いっていうのは、だれからも文句を言われずに、自分の好きなことができるってことさ。あたしは我慢できなくなりゃ、なんでもするよ。いいかい、おまえさんがあんまりあたしを退屈なめに合わせると、おまえさんが片目にしたような真似をするような若者をみつけてくるからね」
ダンカイレが、二人の仲をとりなしました。しかしわれわれは、もう胸に刻みこまれてしまったことを言い合ってしまったのでした。二人はもう、以前の二人ではありませんでした。
それから少したって、ある不幸な事件が起きたのです。軍隊に、不意に襲われたのでした。ダンカイレと、二人の仲間がやられました。他の二人は捕えられ、私はひどい傷を受けたのです。もし乗っていた馬がよくなかったら、すんでのことに兵隊の手におちていたはずです。へとへとに疲れて、弾《たま》を身体に受けて、ただ一人残った仲間と一緒に森の中へ逃げこみました。私は馬から降りる同時に、気絶してしまいました。私は散弾をくった兎のように草むらの中でくたばるんだなと、そんなことを考えていたのです。仲間の男は、かねて知っていた洞穴《どうけつ》の中に私を運び、それからカルメンを捜しに行きました。彼女はグラナダにいましたが、すぐと駆けつけました。そうして二週間のあいだ、少しも私のそばを離れませんでした。睡眠さえとりませんでした。自分の愛する男のために、今までどの女もその男に対して尽くさなかったほどの熟練と熱心さをもって、彼女は私の看護に当たってくれたのです。
やっと立ち上がれるようになると、彼女は人目を忍んで、私をグラナダへ連れて行きました。ボヘミア女は、いたるところに、安全な隠れ家をもっているものです。私は、自分を捜している市長の家のごく近くにある、とある家で、六週間以上もすごしました。一度ならず、よろい戸の透《す》き間からのぞいて見ると、市長の通る姿を見受けたものです。
やっと私は、回復しました。が私は、傷で苦しんで寝ているうちに、ようく考えぬいたのです。私は、生活を変えてみようという気になったのでした。私はカルメンに、スペインの地を去って新世界のアメリカで、まじめな生活をしようじゃないかと、提議したのです。彼女は、鼻の先で笑って、こう言いました。
「あたしたちは、そんなキャベツを植えて生活できるような人間じゃないさね。あたしたちに定められた運命は、パイリョどもをはいで生きてゆくことだとよ。さあ、仕事の話だよ、あたしはね、ジブラルタルのナータン・ベン・ヨセフと話をつけてきたのさ。木綿の手持ちがあるんでね、通すのにおまえさんのつごうを待っているんだよ。おまえさんが生きてるってことを、あの男は知ってるのさ。おまえさんをあてにしてるんだよ。もしおまえさんが約束をたがえるようなことをしたら、ジブラルタルの連絡係のやつらはなんて言うだろうね?」
私はまたしても引きずりこまれてしまいました。そしてまた、この卑《いや》しい商売をつづけてしまったのです。
私がグラナダに隠れているうちに、闘牛がありました。カルメンは見に行きました。帰ってくると彼女は、ルーカスという名の、たいへんじょうずな闘牛士の噂を熱心にしました。その男の馬の名や、着ている刺繍《ししゅう》をした胴着がどのくらいかかったかというようなことまで知っていました。私はべつに気にもとめませんでした。ところがそれから五、六日して、ファニトという、仲間でただ一人残った男が、カルメンとルーカスとがつれだって、サカーチンのある商人のところにいるのを見かけたと、私に告げ口したのです。これが、私を驚かせました。私はカルメンに、どうして、またなんのために闘牛士なんかと知り合いになったかと、なじりました。
「つき合っておけば、何かの役にたつ男だよ。音のする川は、水があるか石があるか、どっちかだからね。やっこさんは、今度の場で、千二百レアールももうけたんだよ。その金をまきあげるか、それとも馬に乗るのがじょうずだし、度胸もある男だから、あたしたちの仲間に入れることもできるってわけだろう。二つの一つは物にしたいもんだね。つぎつぎと、ずいぶん死んだじゃないか。おまえさんだって、補充しなきゃならないとは考えてるんだろう。あの男を仲間へ入れておくれよ」
「おれは、やつの金もやつの身体もいらないんだ。ただ、あいつと口をきくのをやめてくれ」
「気をつけたほうがいいよ。あたしに何かをしちゃいけないなんて言うと、そのことが、いつのまにか、できあがってしまうからね」
幸いなことに、闘牛士はマラガへ向かって出発してしまいました。いっぽう私は、例のユダヤ人の木綿の荷を入れる仕事にかかりました。この仕事では、しなけりゃならん仕事がたくさんありました。カルメンも同様でした。私はルーカスのことなどは、忘れていました。おそらく彼女にしても、少なくとも最初のうちは、やはり忘れていたと思います。そう、この頃でしたよ、旦那、私があなたにお会いしたのは。最初はモンティーリャで、次にはコルドバで。最後にお会いしたときのことは申すまでもありますまい。おそらくあなたのほうが、私よりよくご存じでしょうから。
カルメンは、あなたの時計を盗んだのです。あの女はその上、あなたの金もねらっていたのです。それからとくに、あなたが指にはめておられた指輪をほしがっていたのです。あの女の言うところによると、それは魔法の指輪で、これを手に入れることは非常に重大な問題だというのです。われわれは激しく言い争いをしました。私は彼女をなぐりました。カルメンはまっ青になって、泣きだしました。あの女が泣いたのを見たのは、あのときが初めてでした。それは、私にとっては、恐ろしい感銘を与えたのです。私は彼女に許しをこいました。が彼女は、一日中ふくれていました。
私が再びモンティーリャへ向けて出発したときも、彼女は私に接吻しようとはしませんでした。私は重い気持ちでした。すると三日たってから、彼女はカワラヒワのような陽気な笑顔を作って、私に会いにやってきました。これで、すべて水に流れたわけです。二人はまるで、ほやほやの恋人そのものでした。別れぎわに、彼女は言いました。
「コルドバにお祭があるから、行ってくるよ。金を持って帰るやつらがあったら、知らせるからね」
私は、彼女を立たせてやりました。一人になると私は、この祭のことと、そういったときにカルメンのきげんが変わったのが、気になってきたのです。あの女のことだから、もうしかえしの手をうったに違いないと思われてきたのです。そもそも、女のほうからすすんでやってきたというのが、おかしいのです。
ところへ一人の百姓が、コルドバで闘牛があると言ってきたのです。私の血は煮えくり返りました。私は気違いのようになって、出発しました。そして、その場所へ行ってみました。だれかがルーカスを教えてくれました。カルメンは柵へもたせた椅子にすわっていました。自分の予想に狂いがないことを確かめるには、ほんのしばらく彼女を見ていればじゅうぶんでした。
ルーカスは私の予想どおり、最初の牛を相手に、もう思わせぶりの挙動を見せはじめました。自分の牛のリボンを抜きとって〔リボンを結んだもので、その色によって闘牛の出身地がわかる。この結んだリボンは小さなかぎで、牛の背中の皮に止めてある。牛の生きているうちに、このリボンを取って、婦人のもとへ持っていくことは、ごく粋なしぐさとされている〕、それをカルメンのところへ持ってきました。彼女はすぐに、それを頭に巻きました。ところが、牛が私のかわりに、仇《かたき》を討ってくれたのです。ルーカスは馬もろとも、ひっくり返され、牛が折りかさなって倒れた人馬の上に乗ってしまったのです。私はカルメンのほうを見ました。もう彼女の姿はありませんでした。私は自分の席からぬけだすのがとうていできなかったので、終わりまで見ていなくてはなりませんでした。
それから私は、あなたもご承知の例の家へ出かけて行きました。そこで私は宵《よい》のうちずっと、夜になっても、そのままじいっと待っていました。朝の三時頃になって、カルメンはやってきました。私がいるので、少し驚いたようでした。私は申しました。
「おれと一緒に来い」
「いいとも、行きましょう!」
私は自分の馬を引いてきました。彼女を馬の尻に乗せました。夜が明けるまでひと言も交わさずに、馬を進めました。夜明けに、一軒の旅篭屋《はたごや》まで来ましたので、馬を止めました。少し離れたところに、修道者の庵《いおり》がありました。そこまで来たとき、私はカルメンに言いました。
「まあ、聞いてくれ。おれは何もかも水に流すつもりだ。何も言いたくないんだ。ただ、このことだけを言ってはくれないか。それはな、おれと一緒にアメリカへ行って、静かな生活にはいるってことだ」
「いやだよ、あたしはアメリカへ行きたかないよ。ここで結構さ」と、彼女は、ふて腐れの調子で言いました。
「ルーカスのそばにいられるからなんだろう。まあ、考えてもみろよ、よしんばやつが直ったにしたって、おれとしてやつを生かしておけるかい。だがな、なんだっておれは、やつを恨《うら》まにゃならないんだ? もうおれは、おまえの男を一人一人殺すのに、あきあきしたよ。今度は、おまえを殺す番だ」
彼女は、あの野獣のような目で私をじっと見ながら、言いました。
「あたしはね、いつかおまえさんがあたしを殺すだろうって、いつも思っていたよ。最初おまえに会ったときに、うちの入口で坊さんに行き会ったのさ。それから今晩だって、コルドバを出るとき、おまえさんは気がつかなかったかい? 一匹の兎が、おまえさんの馬の足のあいだをすり抜けて、道を横切ったんだよ。ちゃんと、占いに出ているのさ」
「カルメンシタ、おまえはもう、おれに気がないのかね」と、私は女にこう尋ねました。
彼女は答えませんでした。そうして足を組んで『むしろ』の上にすわり、指で土の上に何か書いていました。私は、懇願《こんがん》するように申しました。
「カルメン、生活を変えるんだ。もう二度と別れるようなことのないところへ行って、暮らそう。おまえも知ってるだろうが、ここからあまり遠くないところにある、柏《かしわ》の木の下に、百二十オンスの金が埋めてある……それに、ユダヤ人のベン・ヨセフのところにも、まだおれたちの資本があるじゃないか」
ここまで聞くと、彼女は笑いだしました。そして、こんなことを言うのです。
「あたしが先で、それからおまえさんさ。こうなるとは、初めっからわかっていたんだよ」
私は、ことばを続けました。
「よく考えてみてくれ。おれはもう我慢する力も、勇気もなくなったんだ。気持ちをはっきりきめてくれ。でなけりゃ、自分で腹をきめるまでだ」
私は彼女のかたわらを離れて、修道者の庵《いおり》のほうへ歩いて行きました。ちょうど修道者は、お祈りをしておりました。私は、お祈りがすむまで待っていました。私も、祈りたい気持ちでした。しかし、やはりできませんでした。修道者が立ち上がったとき、私は彼のそばへ近づいて、申しました。
「師よ、大きな危険に身をさらしている者のために、お祈りをあげていただけましょうか?」
「苦しんでいなさるかたのためなら、どなたのためにもお祈りいたしますよ」
「おそらく主の前に出なければなりますまいと思われるのですが、そういう一つの魂のためにも、ミサをあげていただけましょうか?」
「承知しました」と、私の顔をじっと見ながら、僧侶はこう言ったのです。そして、私の様子の中に、どこか異様な点があったのでしょう、私にもっと話をさせようとして、こんなことを言いました。
「どこかで、お目にかかったような気がするが」
私は、銀貨を一枚、椅子の上に置いて、尋ねました。
「いつ頃おミサをあげていただけましょうか?」
「三十分もすればよろしいでしょう。あそこの宿屋の息子が、手助けにまいりますのでな。ときに、お若いの、あなたは何か心に悩みをもっていられるようじゃが? 主に仕える者の言うことも、聞いてみる気にはおなりにならんかな?」
私は、もう少しで涙が出てくるところでした。私は修道者に、また来ますからと言って、その場を逃げだしました。私は草むらの上に横たわって、鐘の鳴るまで待ちました。それから、また近寄っては行きましたが、堂の外で立ったままじっとしていました。ミサがすんだので、私は旅篭《はたご》へ戻りました。私としては、カルメンが逃げてくれればいいがと思ったのでした。私の馬もあるし、逃げようと思えばできたはずなのです。ところが、カルメンはやはりいました。彼女は、私に恐れをなして逃げだしたと、人に言われたくなかったのです。
私のいないうちに、彼女は着物の縁《ふち》をといて鉛の玉を取り出し、それを今、テーブルの前にすわって、その上におかれた椀《わん》に水をいっぱい満たし、それに鉛を溶かしては投げこみ、眺めていたのです。あまり熱心にこの占いに気をとられていたので、最初、私が帰ってきたのに気づかなかったくらいでした。彼女は鉛の一片を手にとって、悲しげな様子でそれをあっちこっちとひっくり返しているかと思うと、今度は何やら、例の魔法の歌のようなものを歌うのでした。この歌は、ドン・ペドロの情婦マリー・パディーリャ〔ドン・ペドロ王に魔法をかけた女だと言われている〕の霊を呼び出すものでして、この女は、バリ・クラリサ、すなわちボヘミア人の大女王と言われていたのです。
「カルメン、おれと一緒に来てくれるだろうね?」と、私は言いました。彼女は立ち上がって、椀《わん》を投げだしました。それからいつでも出かけますと言わんばかりに、ショールを頭にかぶりました。私の馬が引きだされました。彼女は、馬の尻に乗りました。かくて二人は、この地を去ったのです。
「じゃ、カルメン、いいんだね、ほんとにおまえは、おれについて来てくれるんだね?」と、少し行ってから、私はこう聞きました。私たちは、寂しい峡谷《きょうこく》にさしかかりました。私は馬を止めました。
「ここかい?」と、彼女は言いました。そうして、ひらりと馬から降り立ちました。彼女はショールを脱いで、足元に投げだし、片手の拳《こぶし》を腰に当てて、じっと私をみつめながら、その場を動きませんでした。彼女は口をきりました。
「殺そうっていうんだろう。ちゃんとわかっているよ。お定めなんだからね。だからっておまえさんの言うことには従いませんよ」
「このとおり頼むんだ、よく考えてくれ! おれの言うことを聞いてくれ! 過ぎたことはみんな水に流すんだ。だがな、これだけはおまえも知っているだろう、おれが一生を棒にふったのは、おまえのためなんだ。おまえのためにこそ、おれは泥棒になったり、人殺しまでしたんだ。カルメン! なあ、カルメン! おれにおまえを救わせてくれ、おまえと一緒におれも救ってくれ」
「ホセ、おまえさんはあたしに、できない相談をもちかけているんだよ。あたしはもう、おまえさんなんかにほれちゃいないんだからね。おまえさんのほうでは、まだあたしにほれている。だからあたしを殺そうっていうんだろう。あたしは、おまえさんに嘘をつこうと思えば、いくらでもできるだろうよ。だがね、もうそんな手数をかけるのはいやになってしまった。二人のあいだは、もうすっかりおしまいになったのさ。おまえさんはあたしのロムなんだから、おまえさんのロミを殺す権利は確かにあるよ。だけどカルメンは、どこまで行っても自由なカルメンですからね。カリに生まれて、カリで死にますからね」
「じゃ、おまえさんはルーカスにほれてるのかね?」と、私は尋ねました。
「そうさ、ほれたこともあるよ、おまえにほれたように、いちじはね。だが、たぶん、おまえさんほどじゃないよ。今じゃあたしはだれにもほれちゃいないんだ。ただね、おまえさんにほれこんだ自分が憎らしくってたまらないのさ」
私はカルメンの足元に身を投げだしました。彼女の手を取って、涙でその手をぬらしもしました。私は、彼女と共にすごしたしあわせだった瞬間瞬間を思いださせようとしました。彼女の気に入るためなら、盗賊のままでいてもいいとさえ言いました。すべてをです、旦那、すべてをです! 私はこの女に何もかもさし出したでしょう、ただ、なお私を愛してさえくれたならばです。が、彼女は言うのです。
「これからも、おまえさんを愛するようにしろなんて、そりゃできない相談さね。おまえさんと一緒に暮らすなんて、もう、まっぴらさ」
憤怒《ふんぬ》に私はわれを忘れ、短刀を抜きました。私は、彼女が恐れをなして、許しをこえばいいがと願ったのです。ところがこの女は悪魔でした。私は叫びました。
「さあ、これが最後だ! おれと一緒に生きてゆこうとは思わんか?」
「いや、いや、いやだ!」と、彼女は足を踏みならして叫びました。そうして私からもらった指輪を指から抜き取ると、草むらの中へ投げだしました。
私は彼女をふた突き、刺しました。この短刀は片目のものでして、自分のが折れたので、私はこれを使っていたのでした。ふた突き目に、彼女は声もたてずに倒れました。私はまだ、あのまっ黒な大きな目が、私をじっと見ていたのが見えるような気がします。が、その目と視線が乱れ、やがて閉じてしまいました。
私は一時間ほど、死骸《しがい》を前にして、ぼうぜんと立っていました。そのうち私は、カルメンがよく、死んだら森の中に埋めてもらいたいと言ったのを思いだしました。で、私は、短刀で穴を掘り、その中に死骸《しがい》を横たえました。それからずいぶん長いあいだかかって、やっと指輪をみつけだしました。私はそれを十字架と一緒に、穴の中の彼女のそばに入れてやりました。おそらく、こんなことをしたのは、私のまちがった考えかたかも知れません。それから私は馬に乗り、一気にコルドバまで飛ばして、もよりの詰所に自首して出たのです。私はカルメンを殺したことは申したてましたが、どこに死骸があるかは、言いたくありませんでした。修道僧は、ほんとの聖者でした。あの女のために祈ってくれたのです! あの女の魂のために、ミサをあげてくれたのです……かわいそうな女でした! みんなカレ(黒い人)たちが悪いんです、あの女をあんなふうに育てあげたっていうのは。
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第四章
スペインは、ボヘミアン、ヒタノス、ジプシー、ジゴイネルなどの名で知られ、ヨーロッパじゅうに散在しているこれらの漂流民族の、今日なお多数に存在する国の一つである。彼らの大部分は南部および東部の諸州、すなわちアンダルシア州、エストラマドゥーレ州、ムルシア王国に住んでいる、というよりは放浪生活をおくっているが、カタローニャ州にも大ぜいいる。
このカタローニャの連中は、しばしば国境を越えてフランスへやってくる。南仏の市場では、いたるところで彼らの姿を見受けるであろう。ふつう男は、博労《ばくろう》、獣医、騾馬《らば》の毛の刈り込みなどを業《なりわい》としていて、なおそのほかに、鍋釜《なべかま》や銅器類の修繕を仕事としている者もいる。密輸入をはじめ、その他の不正業にいたっては、いまさら申すまでもあるまい。女は、占いをしたり、乞食をしたり、有害無害の薬品類を売ったりしている。
ボヘミア人の肉体的特徴は、百聞一見にしかずで、一度見ておけば、千人の中からこの種族に属する人間を、わけなく見いだすことができる。顔つきと表情、これがとくに、その国に住んでいる人種と彼らを区別するものである。肌の色はひどく陽に焼けていて、彼らが共に生活している人々の皮膚の色よりも、はるかに黒いのが普通である。ここから彼らがよく自分たちを言うときに使う「黒い人」という意味の、カレという名が出てくるのだ。
あきらかに斜視《しゃし》である彼らの目は、まっ黒で、目尻《めじり》が切れていて、濃い長い睫《まつげ》でおおわれている。その目つきは、野獣の目というよりほかはない。そこには、大胆と臆病さが同時に現われている。その点彼らの目は、狡猾《こうかつ》で、勇敢ではあるが、パニュルジュ〔フランソワ・ラブレーの「パンタグリュエル」中の人物で、臆病者のくせに、乱暴したり、いたずらしたりするのを好む愉快な人物である〕のように生まれつき攻撃を恐れるといった、その国民性をかなりよく現わしているわけだ。たいていの男が姿がよく、すらりとしており、敏捷だ。わたしは、でっぷりした男はまだ見かけなかったようだ。
ドイツでは、しばしば非常に美しいボヘミア女を見る。が、スペインのボヘミア女の中には、美人はごくまれである。それでも若いうちは、顔はまずくとも、まだ見られるが、一度母親になってしまうと、もう見られるもんじゃない。男女とも、その不潔さは想像外であって、ボヘミア人のおかみさんの髪を見たことのない人には、非常にこわくて、脂《あぶら》と埃《ほこり》だらけの馬の毛を想像しても、その汚なさの観念を作りあげることはむずかしいだろう。それでもアンダルシアのいくつかの大きな町では、ほかよりはいくらかましな若い娘たちが、多少は身だしなみに気をつけている。これらの娘たちは、金をとるために踊りに行くのである。その踊りは、謝肉祭のときのわれわれ公衆の踊りで禁止されているようなものに、はなはだ類似している。
スペインのボヘミア人についてきわめて興味ある著述を二つも書いたイギリス伝道師のボロー氏は、聖書教会の費用で、スペインのボヘミア人を改宗せしめようとした人であるが、同地のボヘミア女が自分の種族以外の者に身を許したことは絶対にないと、確言している。ボロー氏が彼女らの貞節に対してささげている賛辞には、そうとう誇張があるように思われる。まず、氏のいう大部分の女は、オヴィッド〔オヴィッド、すなわち有名なラテン詩人オウィディウスのこと。この引用句は「愛の歌」第一巻第八章よりの引用である〕の言った醜女《しこめ》の場合である。「誰からも誘惑されなかったほどの貞女」である。きれいな娘にいたっては、一般のスペイン娘と少しも変わらず、ただ恋人の選択において気むずかしいというまでの話だ。彼女らの気にいり、彼女らに値いしなければならない。ボロー氏は彼女らの節正しい証拠として、彼女らの名を高からしめ、とくに、彼女らの無邪気さを称揚《しょうよう》するにいたった話をあげている。
氏の言によれば、知り合いの品行のよくないある男が、一人の美しいボヘミア女にオンス金貨をいくつかやったが、いっこうにききめがなかったということである。あるアンダルシア人にこの話をすると、品行のよくない男が、もしピアストル銀貨を二、三枚も見せたら、ひょっとしたら成功したかもしれないそうで、ボヘミア女にオンス金貨を与えることは、宿屋の女中に百万とか二百万とか約束するようなもので、口説《くど》きかたとしてはまずいものだという説だった。
とにかく、ボヘミア女が彼女らの亭主に対して異常な貞淑ぶりを見せることだけは確かである。亭主を救う必要とあれば、危険をおかし、貧困を堪え忍ぶこともあえて辞《じ》せぬのである。ボヘミア人が自分らの呼ぶ名まえの一つに、ロメ、すなわち夫婦ということばがあるが、これはこの種族の結婚関係を尊ぶ証拠のように、わたしには思われる。一般に彼らの根本道徳は愛国心である。祖先を同じくする個人関係において守られる忠実さ、互いに先を競って助け合うこと、あぶない商売で彼らが互いに守る堅い約束、もしそういったものを愛国心と呼ぶならばであるが。もっとも、秘密結社を結んだり、法律の保護の外に出たときなどは、だれしもこれと同じような関係におかれるものではある。
わたしは数か月まえに、ヴォージュに居を構えたボヘミア人の部落をたずねたことがある。部落の最年長者である一人の老婆の小屋に、この家族とは全然無関係な一人のボヘミア人がいたが、生死を気づかわれる病気にかかっていた。この男はすでにじゅうぶん世話を受けていたのだが、同国人の中で死ぬために、抜け出してやってきたのである。彼は十三週間も前から、この家に寝たっきりで、同じ家に暮らしているこの家の息子や婿《むこ》たちよりも丁重に扱われていた。この男はわらと苔《こけ》を詰めた上等なベッドと、まだ新しい白い毛布とをあてがわれていたのに、残りの一家は、十一人の家族が、ことごとく、長さ三フィートの板の上に寝るのである。彼らの同国人に対する手あついもてなしぶりは、かくのごとくである。が、客人に対して、これほどまでに人情のあるこの同じ婆さんが、病人を前にして、こうわたしに言うのである。
「もうじき、もうじき、この男は死ぬんです」
けっきょく、これらの人々の生活はあまりに悲惨であるために、死の予告は彼らにとって、なんら恐るるにたらないのである。
ボヘミア人の性質として注目すべき特徴は、宗教に対する無関心さであろう。それは、彼らが無信仰主義者であるとか、懐疑主義者であるとかいうのではない。また彼らが無神論に帰依《きえ》しているというのでも、けっしてない。それどころか、彼らは自分らの住まっているその国の宗教が彼らの宗教なのであって、ただ彼らは、国を変えるごとに宗教を変えてしまうのだ。未開人にあって宗教感情にとって代わる迷信も、彼らにはひとしく未知の世界なのだ。じじつ、人々の迷信につけこんで、それでもって生活している連中のあいだに、迷信が存在するわけはない。しかしわたしは、スペインのボヘミア人が、死骸に手を触れることをひどく恐れている例を見たことがある。金をもらっても、死人を墓地へ運んでゆくことを承知した者はほとんどいなかった。
わたしは先に、大部分のボヘミア女が占いをやるということを述べた。彼女らは、まったくじょうずにやってのける。が、彼女たちの大きな利益になるのは、恋の呪いと媚薬《びやく》の販売とである。彼女たちは、浮気っぽい心をつなぎ止めるために、がまの足をつるしたり、いっこう感じない男女をほれ合わせるために磁石の粉末を調剤したりするばかりでなく、必要とあらば悪魔でさえ呼び出しかねない強力な呪いをかける。
昨年、あるスペインの婦人が、わたしに次のような話をしてくれた。
ある日のこと、その婦人が、ひどく悲しそうに屈託《くったく》した顔で、アルカラ通りを歩いていると、歩道にうずくまっていた一人のボヘミア女が、彼女に向かってこう呼びかけたのである。
「美しい奥さん、あなたのいい人は、あなたをうらぎりましたね……(それは事実であったのだ)……いかがです、呼び返してあげましょうか?」
この呼びかけが、いかに喜ばれて受け入れられたか、またたったひと目で内心の秘密を見ぬいた人に対する信頼感がどんなに大きかったかは、容易に察せられるであろう。マドリッド一の繁華街で、魔術を実地にやってみせることはできなかったので、翌日、場所を定めて会うことにした。
「不実な男を、あなたの足もとに連れてくるほどぞうさないことはありませんよ、何かその男があなたにくれたハンカチだとか、ショールだとか、またネッカチーフとかいったものをお持ちでしょうか?」と、女は言うのである。そこで、その女に絹のネッカチーフを渡した。
「今度はまっかな絹糸でこのネッカチーフの片隅へ、ピアストル銀貨を一枚、縫いこんでください。もう一つの隅には、半ピアストル銀貨を、それからここへはピエセータ貨を、そっちへは二レアール銅貨を一枚縫いこんでいただきましょう。それからまん中に、金貨を一枚縫いこまなくてはいけませんね。ドゥブロン金貨だと、いっそういいんですがね」
そこで、ドゥブロン金貨をはじめ、その他の貨幣を縫いこんだ。
「さて、それでと、そのネッカチーフをお渡し願いましょうか。今夜、ま夜中の十二時に、あたしがカンボ・サントへ持ってまいります。もしこのおもしろい魔法が見たかったら、一緒にいらっしゃい。あすから、あなたの好きなかたにお会いできることはだいじょうぶ、うけ合いますよ」
ボヘミア女だけが一人で、カンボ・サントへ出かけた。なぜなら、この女について行くのはいいが、魔法が恐ろしかったからである。男に捨てられた、このかわいそうな女が、再び自分のネッカチーフと不実な男とに会うことができたかどうかは、諸君のご想像に任せることにしよう。
しかしながらボヘミア人は、世間から反感を買い、貧困におちいったとはいえ、教育のない連中のあいだではある種の尊敬を得ていて、彼ら自身も、そのことが得意だった。彼らは、知識に関しては優秀な民族であることを自ら誇りとしており、自分らを歓待してくれる国々の人民をひそかに軽蔑していた。ヴォージュのあるボヘミア女が、こんなことをわたしに言った。……世間のやつらときたら、あんまりまぬけなので、だましてもだましがいがないよ。せんだって、ある百姓のかみさんが往来であたしを呼びとめたので、その家へ入っていくと、『へっつい』がいぶって困るから、煙の出がよくなるように呪いをしてくれというんです。で、あたしはまず、豚の脂肉《あぶらにく》のいいところを出させてから、ロマニ語でぶつぶつつぶやいてやりましたよ。「おまえはばかだよ。ばかで生まれて、ばかで死ぬのさ」ってね。そうしておいて戸口のところまで来て、今度はちゃんとしたドイツ語で、こう言ってやりました。「『へっつい』をいぶらせない、いちばんいい方法は、火をたかないことさね」と。それから一目散《いちもくさん》に逃げて帰りましたよ。
ボヘミア人の歴史は、今日なお、一つの問題となっている。
十六世紀の初頭に、ごく少数の幾組かの最初の集団がヨーロッパの東部に現われたことだけは確かにわかっているが、それがどこからやって来たか、またどうしてヨーロッパへやって来たかはわからない。さらに、もっとふしぎなことは、どうして彼らがわずかなあいだに、あのような驚くべき規模で、互いにはなはだしくへだたっているいろいろな地方に広がったかは、知られていない。ボヘミア人自身も、その起源について、少しも伝説を残していないのだ。彼らの多くの者が、エジプトをいちばん最初の故国のように言っているが、それはずっと昔に彼らに関して広がった伝説を、そのまま採用しているのである。
ボヘミア人のことばを研究した東洋学者の大部分は、ボヘミア人はインドから出たものであると信じている。じじつ、ロマニ語の語根の大部分、および文法上の形態の多くは梵語《ぼんご》から派生した語法の中に見いだされるようである。
また、ロマニ語の方言の中には、ギリシア語がそうとうある。たとえば、cocal(骨)はχοχχαλου から、petalli(蹄鉄)は πεταλουから、cafi(釘)はχαρφιから、といったわけである。今日では、この種族は互いに離れ離れに生活しているので、ほとんどそれだけの方言が存在しているといえよう。そのくせ彼らは、いたるところで、現在住まっている国のことばを、自分らのことばよりもはるかに容易にしゃべるのだ。自分らのことばは、他国人の前で、内緒話をするときぐらいにしか使わない。ドイツに住んでいるボヘミア人の方言と、スペインに住んでいるボヘミア人の方言とを比べてみると、数世紀以来連絡が絶たれているので、非常にたくさんの共通なことばがあるとはいうものの、原語はいたるところで、多少の程度の差はあるが、より進化したことばをこれら放浪民族はどうしても用いざるをえないために、いちじるしい変化を受けている。いっぽうではドイツ語が、他方ではスペイン語が、ロマニ語を根本から変えたがために、ドイツの「黒い森に住む」ボヘミア人が、アンダルシアにいる同族の者と話を交わすことは、不可能であるかもしれない。とはいえ、ちょっとことばを交わしてみれば、両者が共に同じことばから派生した方言を話しているのであると認め合うにはじゅうぶんである。
日常ごくひんぱんに使用されるいくらかのことばは、どちらの方言にも共通であるようだ。たとえば、わたしの知っているかぎり、あらゆる語彙《ごい》において pani は水を、manro はパンを、mas は肉を、lon は塩を意味している。
数の名称は、どこでもほとんど同じである。ドイツの方言のほうが、スペインの方言よりも、はるかに純粋のように思われる。というのは、スペインのジプシーがカスティーリャ語の文法上の形式を採用しているのに反し、ドイツにおける彼らの方言は、その原始的な文法上の形式をたぶんに保存しているからだ。しかし若干《じゃっかん》のことばは例外で、それは昔はことばが共通であったことを証明している。……すなわち、ドイツ地方の方言の過去は、いつでも動詞の語根をなす命令形に ium をつけて作る。スペイン地方のロマニ語の動詞は、すべてカスティーリャ語の第一変化の動詞にならって変化する。jamar (食べる)という動詞の原形から、変化規則によって jame(食べた)を作り、lillar (とる)から、lille《とった》 を作るわけである。しかし、年とったボヘミア人の中には、例外として、jayon とか lillon とか言う者もいる。わたしはこうした古い形を保存した動詞を、このほかには知らない。
以上、ロマニ語に関するわたしの貧弱な知識を披露《ひろう》するにあたり、われわれフランスの泥棒諸君がボヘミア人から借用した、若干のフランス語の隠語を、ぜひとも述べておかねばならない。
小説『パリの秘密』〔ウジェーヌ・シューが一八四二年から四三年にかけて発刊したもので、たちまちのうちに、異常な人気を呼んだ〕は、chourin が短刀を意味すると一般上流の人々にも教えた。これは純粋のロマニ語から出たもので、tchouri は、あらゆる方言で共通に使われていることばの一つなのである。ヴィドック氏は馬のことを gres と言っているが、これもボヘミア語で、gras, gre, graste, gris というように、いろいろに呼ばれている。さらにつけ加えれば、パリの隠語で romanichel というのは、ボヘミア人のことである。これはボヘミアの男子を意味する romane tchave のなまったものである。しかしわたしがひそかに得意になっている語源研究は、frimousse であって、これは面とか顔とかを意味し、すべての小学校の生徒が使っており、またわたしがこどものときにも使ったことばである。第一、ウーダンが、一六四〇年にその珍奇辞典に、firlimouse と書いたことを注意されたい。ところが、ロマニ語で、firla とか fila は顔を意味し、mui も同じ意味である。これは、ちょうどラテン語の os に相当するのだ。firlamui なる複合語は、純粋のボヘミア人にただちに理解できた。だからわたしは、この語が、彼らのことばの性質に適合していると信じたしだいだ。
さてこれだけ言えば、カルメンの読者に対し、わたしのロマニ語に対する研究がなみなみでないことが、じゅうぶんわかってもらえたと信ずる。わたしは、ちょうど頭に浮かんだ次のボヘミア人のことわざを記して筆をおくことにしよう。
En retudi panda nasti abela macha.
閉じてしまった口には、蝿《はえ》ははいらず。〔死人に口なしの意〕
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エトルリアの壷
オーギュスト・サン=クレールは、いわゆる社交界では、いっこうにもてない男だった。主な理由は、自分の好きな者にしか愛想《あいそう》よくしなかったからだ。ある人々を追いまわし、ある人々を避けた。おまけに、ぼんやりしたり、うっかりすることがあった。
ある晩のこと、イタリア座を見ての帰り、A公爵《こうしゃく》夫人がゾーンタク嬢の歌はいかがでしたかと尋ねた。「そうですね、奥さま」と言ったままサン=クレールは、楽しげに微笑しながら、ぜんぜん別のことを考えていたのである。
このおかしな返事を、気の小さいせいだけですますわけにいかなかった。なぜなら彼は、大貴族に対しても、りっぱな人物に対しても、社交界で人気のある女性に対してさえも、同輩《どうはい》にむかって話すと同様に、落ちつき払って話していたからである。……侯爵夫人はサン=クレールのことを、無作法とうぬぼれで固まった男だと決めてしまった。
B夫人が、ある月曜日に、彼を晩餐《ばんさん》に招待した。夫人は、よく彼に話しかけた。夫人の家から出てきたとき、彼は今までこんなに愛想のいい女性に会ったことはないと言った。このB夫人というのは、一か月のあいだ、あちこちで気のきいた話を集め、それを自分の家でひと晩のうちに消費していたのである。サン=クレールは、その週の木曜日に、またその夫人と会った。こんどは、いくらか退屈した。それからもう一度夫人を訪問したが、それっきりもう夫人のサロンには現われまいと決心した。B夫人は、サン=クレールがいかに礼儀知らずであるか、彼くらい人づきあいのわるい男はいないと言いふらした。
彼は生まれつき優しく、情愛がふかかった。だが、一生抜けないほどの印象をごく簡単に受けやすい年頃に、彼はすぐそれとわかる感受性を、友だちに嘲笑《ちょうしょう》されたことがあった。彼は自尊心がつよく、望みも大きかった。子どもが気にするように、彼は世間の評判を気にしていたのである。このことがあってからは、恥さらしなことや自分の弱点を、いっさい外に見せないようにと心がけた。彼は、その目的を達した。しかし、この勝利は、たいへん高くついた。やさしすぎる心の感動を、他人にかくすことはできた。が、そのようにして感動を心の中に閉じこめることによって、彼はそれを百倍も手におえぬものにしてしまった。社交界から無情冷酷《むじょうれいこく》という悲しい評判を受けたのである。しかも一人でいるときなどは、そのとりとめのない空想によって、このような内心の秘密をだれにも打ち明けなかっただけに、いっそうひどい苦悩を感じたのである。
まことに、友を得ることの難《かた》きかな!
難きかなだって! そもそも、そういうことはあり得るだろうか? 二人の人間が、互いに秘密なしに存在したことがあるだろうか?……サン=クレールは、友情なるものを信じなかった。人々もそれを感づいていた。彼が社交界の青年たちに冷たく、素っ気ないことは、みんなが知っていた。彼はけっして青年たちに、その隠しごとを探るようなことは言わなかった。が、彼らにとっても、彼の考えていることのすべてが、彼のなすことの大部分が、不可解であった。だいたいフランス人というものは、自分のことを話すのが好きである。だからサン=クレールも、不本意ながら、いろいろな打ち明け話の聞き手になった。彼の友人たち、このことばは週に二度ほど会う程度と解して、それらの友人は彼の用心ぶかさをこころよく思わなかった。じじつ、尋ねられもしないのに自分の秘密をもらすような男は、相手からも秘密を聞かないと、とかく不機嫌になるものである。秘密を明かすのはお互いさまでなければならないと、そう人々は考えているのだ。
「あの男は、あごのところまでボタンをかけていやがる。あのサン=クレールというやつには、うっかりしたことは言えないぞ」と、ある日、アルフォンス・ド・テミーヌという美男の陸軍少佐が言った。
それに応じて、ジュール・ランベールが言った。
「イエズス会の坊主くさいな。ある男が誓って言ったことばによると、あいつがサン=シェルピスの教会から出てくるところを二度も見かけたそうだよ。あいつがどんなことを考えているか、だれにもわかりゃしない。どうもあいつと一緒にいると、きゅうくつでかなわん」
二人は別れた。アルフォンスはイタリア通りで、サン=クレールに出会った。顔を伏せて、だれも見ようとしないで歩いている。アルフォンスは彼を呼びとめ、その腕をつかまえた。二人が平和通りへ行きつくまで、アルフォンスは彼に、有名な焼きもちやきで乱暴者の亭主をもつ某《ぼう》夫人と自分との情事を、洗いざらい話したのである。
ちょうどその晩、ジュール・ランベールは、カルタですっかりすってしまった。で彼は、ダンスをはじめた。踊りながら彼は、これも勝負で財布をはたき、ひどく気をくさらせているある男を肘《ひじ》でこづいた。そこで、ちょっとした激しいことばのやり取りがあり、改めて会う日が定まった。ジュールはサン=クレールに介添役《かいぞえやく》を頼み、それを機会に金を借りたが、彼はいつも金なんか返したためしがなかった。
とにかくサン=クレールは気ままに暮らしてゆける男だった。彼の欠点といっても、それで困るのは彼だけだった。親切で、ときには愛想がよく、相手に退屈な思いをさせることは、まあ稀《まれ》だった。旅行もたくさんしているし、いろいろな本も読んではいるが、人から言われるまではけっして自分から話そうとしなかったし、自分の読んだものについて語ろうともしなかった。それに彼は背が高く、押しだしもりっぱで、顔だちは上品で知的であり、ふだんはほとんどまじめくさった顔をしているが、しかし微笑すると、なかなか愛嬌があった。
重大なことを言うのを忘れていた。それはサン=クレールがあらゆる女性にたいへんに慇懃《いんぎん》であることで、男性よりも婦人相手に話すことのほうに、興味を感じていたことである。恋をしているのだろうか? そうと断定するのは、むずかしい。ただ、もしこの冷たい男が恋愛していたとすれば、あの美人のド・クルシー伯爵夫人マチルドこそ彼の意中の人だということが言われていた。まだ若い未亡人で、その家へ彼がしげしげと出かけるのを、よく見かけたからである。二人が相愛の仲だと断定するには、次のようなことから推量された。
まず伯爵夫人に対するサン=クレールの他人行儀めいた丁重《ていちょう》さ。そして相手もそのとおり。次に彼が社交界で夫人の名まえをけっして口にだすまいと努めている様子、もし万一どうしても夫人のことを話さなければならないときには、けっして誉《ほ》めないこと。それから、サン=クレールが夫人に紹介される前までは熱狂的な音楽ファンで、夫人は絵画に対してなみなみならぬ趣味をもっていた。それが二人が知り合ってからは、趣味がすっかり変わってしまったこと。最後に、昨年夫人が温泉へ行ったとき、そのあと六日してサン=クレールが出発したこと。
物語作者の義務としてわたくしは、七月のある夜のこと、日の出の少し前に、とある別荘の庭木戸があいて、そこから一人の男がだれかに見つかりはしまいかとびくびくもので、泥棒のようにあたりに気を配って出てきたことを言わなければならない。この別荘はド・クルシー夫人のものであり、男はサン=クレールその人だった。毛皮つきのマントにくるまった一人の女が木戸口までついてきて、外へ顔をだしたまま、庭の垣根沿いの小道をおりて遠ざかって行く男の姿を、いつまでも見送っていた。
サン=クレールは立ち止まって、用心ぶかい一瞥《いちべつ》を周囲へ投げると、手で女に家にはいるようにと合図をした。夏の夜の明るさで、あいも変わらずその場に立ちつづけている女の青白い顔が、はっきりと見わけられた。彼はまた戻ってきて女に近寄り、やさしく抱きしめた。彼は、家にはいるようにと女にすすめるつもりだった。ところが、話したいことがたくさんあった。二人の会話は、十分もつづいた。そのとき、野良へ働きに出かける農夫の声が聞こえた。接吻が取りかわされ、木戸がしまり、サン=クレールは大急ぎで、小道のはずれまで行った。
彼は歩いている道が、よく慣れている道のような気がした。うれしさのあまり飛びあがらんばかりにして、ステッキで草むらを叩いて駆けだしたり、そうかと思うと立ち止まって、東の空があかく染めだされてきたのを仰ぎながら、ゆっくりと歩いた。つまりこの男を眺めたなら、檻《おり》を破って大いに喜んでいる狂人としか思われなかったであろう。
三十分ほど歩いたのち、彼はこのひと夏だけ借り受けた一軒の小さな離れ家の前にいた。彼は鍵を持っていた。家の中にはいった。それから大きな長椅子の上にどっかと身を投げだし、じっと目を見ひらいたまま、唇を曲げて微笑を浮かべながら、物思いに耽《ふけ》った。目を覚ましながら、夢みていたわけである。その夢想は、幸福な思いでしかなかった。
「なんておれは、しあわせなんだろう!」と、彼はずっと思いつづけていた。「とうとうおれは、自分の気持ちを理解してくれる心の持ち主にめぐり合ったのだ!……そうだ、おれの理想をみつけだしたのだ……『友人』と愛人とを一度に持ったわけだ……なんという性格だろう! なんて情熱的な心なんだろう! そうだとも、あの女はおれより前に、だれも愛したことなんかないんだ……」
やがて、こうした事柄にはうぬぼれが付きまとうのが常で、「あれはパリで、いちばんきれいな女だ」と、考えるようになった。そして女のもつ魅力を、一度に思いだした……大ぜいの中からおれだけを選んでくれたんだ。あの女の崇拝者は、社交界の選《え》り抜きばかりだ。あの軽騎兵の大佐は美男で、勇敢だし、……それに、そんなうぬぼれの強い男じゃない……あの若い作家はなかなかうまい水彩画を描くし、プロヴェルブふうの喜劇〔ことわざの寓意を表現した劇で、ミュッセの劇などその代表的なもの〕だってうまく演じてみせる。……あのロシア生まれのラヴレース君はバルカンに行ったこともあって、ディエビッチ将軍〔ロシア人の将軍で、一八二八年と二九年の両度にわたり、バルカンに出征した〕の部下だったこともある。……ことにカミーユ・Tときたら、たしかに機知はあるし、立居振舞《たちいふるま》いはりっぱだし、額《ひたい》に刀傷さえある……あの女はこうした連中をみんな追っぱらってしまった。そしてこのおれというわけさ!……」
すると、また例の繰り返し文句が心に浮かぶ。「おれは、なんてしあわせなんだ! おれはなんてしあわせなんだ」
それから彼は立ち上がって、窓をあけた。息苦しくなったからである。そしてぶらぶら歩きだし、長椅子の上にころがった。
幸福な恋人というものは、不幸な恋人とほとんど同じくらいやりきれないものである。わたしの友人の一人〔ルヴァイヤン氏によると、この友人はスタンダールであろうとのこと〕に、よくこの二つの立場のどちらかに置かれる男がいるが、わたしに結構な昼飯をご馳走《ちそう》して、話を聞いてもらうよりほかに手がなかった。食事のあいだじゅう彼は自分の恋について語ることができたが、さてコーヒーを飲んでしまうと、いやでも話題を変えなければならなかった。
わたしは読者諸君の全部に昼食を出すわけにゆかないから、サン=クレールの恋愛観を述べることはやめておこう。それに人はいつまでも雲の中にふわふわしてばかりはいられないものだ。
サン=クレールは疲れてきて、あくびをし、腕を伸ばした。もう陽がかんかん照っているのに気づいたのである。とにかく、ひと眠りせねばなるまい。目を覚まして時計を見ると、着替えをしてパリに駆けつけるのが、やっとだった。知り合いの青年たちと、昼飯を兼ねた晩餐に招待されていたのである。
また一本、シャンパンの栓《せん》が抜かれた。それが何本目かは、諸君のご想像にまかせよう。要するにみんなが一度に話したがったり、頭のはっきりしている者が頭の怪しくなってきた連中に不安を感じだすといった、そういう瞬間が男同士の宴会ではかなり早くやって来るものだが、このときもそういう気分になっていたとご承知ありたい。
「ぼくは、こう思うんだがね」と、機会さえあればイギリスのことを話したがるアルフォンス・ド・テミーヌが言った。「パリでもロンドンみたいに、めいめいが自分の恋人のために乾杯《かんぱい》するようだといいね。そうすれば、われらの友サン=クレール君がだれに恋いこがれているか、はっきりわかるというものさ」
そう言いながら彼は、自分や隣の連中のコップに酒をなみなみとついだ。
サン=クレールはいささか当惑して、なんとか返事をしようとしていたところ、ジュール・ランベールが先手を打った。
「ぼくはその習慣に大賛成だ、さっそく、やるとしよう」そう言って彼はコップをあげた。
「全パリのお針っ娘《こ》の健康を祝す! ただし三十歳以上の者、および片目やびっこといった連中は除く」
「わあっ! わあっ!」と、若いイギリスびいきの連中が、はやしたてた。サン=クレールも、コップを手にして立ち上がった。
「諸君、ぼくはわが友ジュール君のような大きな気持ちはもっておりません。しかし、もっと誠実な心をもっております。久しい以前から意中の人と別れているにもかかわらず、誠意を失わないというところに、ますますぼくの値打ちがあるというものです。諸君がすでにぼくの恋敵《こいがたき》となっていられるのでなければ、ぼくの選択にご賛同してくださることと存じます。諸君、ジュディット・パスタ〔一八二一年から一八二六年にかけて、パリのイタリア座で歌った。それから数年間留守にして、また一八三三年にパリへ舞い戻った。メリメ、スタンダール、ジャックモン、マレストゥなどは足しげく彼女のもとへ通った〕のために乾杯! ヨーロッパ随一の悲劇女優を再び見る日の早からんことを!」
テミーヌはこの乾杯に文句をつけようとした。が、歓呼の声がそれをさえぎってしまった。これで相手の切先《きっさき》をかわしたので、サン=クレールはきょう一日はまず平穏無事《へいおんぶじ》だと思った。
話はまず、芝居のことにふれた。舞台の検閲《けんえつ》の話から、政治へと話が移った。話題はさらにウェリントン卿《きょう》から、イギリス産の馬に及んだ。さてイギリス産の馬から、容易に連想される女の話へと移った。けだし若い人たちにあっては、まずりっぱな馬、それからきれいな愛人が、二つのもっとも好ましい対象であったからだ。
そこで、その好ましい対象を手に入れる方法について論議し合った。馬ならば、金をだしさえすればいい。ある種の女も、金ですむ。だが、そんな女のことにはふれなかった。サン=クレールは、このようなデリケートな問題については経験がとぼしいと謙遜《けんそん》してから、女性に好かれる条件の第一は人と変わっていること、人とちがったものになることであると結論をくだした。しかし、特異性なるものの一般的な法則が、果たしてあるだろうか? 彼には、そんなものがあろうとは信じられなかった。
「君の意見によると、びっこだとかせむしのほうが、背のすらりとした世間一般の男より好かれやすいというわけだね?」と、ジュールが言った。
「それは、あんまり極端すぎるよ」と、サン=クレールは答えた。「しかし、もしお望みなら、ぼくは自分が言いだした命題の結論は、すべて責任を負うよ。たとえばだね、ぼくがせむしだとしたら、自殺なんかしないで、女を征服してやろうと思うな。まず最初に、二種類の女だけを相手にする。いっぽうは、ほんとうに感受性の強い女、もういっぽうは、数から言えばこっちのほうが多いんだが、いっぷう変わった、イギリスで言われているようなエクセントリックな性質をもっていると自任している女だ。第一の女に対しては、自分の境遇のやりきれないこと、ぼくに対して自然がいかに残酷であったかを述べたてる。ぼくに対して同情をもつように仕向ける。このぼくだって熱情的な恋愛ができるんだと相手に思わせる。恋敵《こいがたき》を一人、決闘でやっつける。そして阿片《あへん》をちょっぴり飲んで、自殺をしようとする。こんなふうにして数か月たつと、もうぼくのせむしなんか女には見えなくなってしまう。そうなりゃしめたもので、女の最初に気が動いたときを狙《ねら》うだけさ。いっぷう変わっていると自任している女の場合は、征服はもっとわけない。せむしは幸福にめぐり合うことができないっていうことが、どうにもならない確固とした法則であると、教えてやりさえすりゃいいんだ。さっそく女は、そのような一般法則を打破してやろうという気になるだろうからね」
「なんというドン・ファンだ」とジュールが叫んだ。
「諸君、足でも折っちまうか。あいにくせむしに生まれついてこなかったからな」と、ボージュ大佐が言った。
「ぼくは、サン=クレールの説に、まったく同感だ」と、エクトール・ロカタンが言った。この男は身長が、一メートルと少ししかなかった。「たいへんな美人で、たいへんもてはやされている女が、諸君ら美男子たちが相手にしないような男に、ころりと参ることがよくあるからな……」
「エクトール、立ってくれ、たのむ。呼鈴を鳴らして、酒を持ってきてくれと言ってほしいんだ」と、ごく自然なふうにしてテミーヌが言った。
小人は立ち上がった。みんなは、尻尾《しっぽ》を切られた狐の話〔ラ・フォンテーヌの「寓話」第五章第五話に、「ある老狐がわなにかかり、尻尾を切られてやっとのがれた。狐仲間が集まったとき老狐は、『こんな重たいものをぶらさげて、道の泥を掃くようなものじゃないか、切ってしまおうよ』というような提議をした。しかし『君の意見ははなはだ結構だが、まあ背を向けてくれたまえ』と一匹の狐に言われ、うしろを振り向くと、それを見てほかの狐が嘲笑する、という話〕を思いだして、彼の姿を見て微笑を浮かべた。テミーヌが、なお話をつづけた。
「ぼくに言わせりゃ、年をとるにつれてよくわかってきたんだが、まあ相当な男っぷり……」そう言って彼は、自分の前の鏡をさも満足そうにちらりと見やった。「男っぷりと身なりにこること、これがなんと言ってもいちばん大事で、たいていの手ごわい女も参ってしまうさ」
そう言いながら彼は、服の裏についていたパン屑《くず》を、爪ではじき飛ばした。
「そんなばかなことが!」と、小人が叫んだ。「顔だちがよくって、スタウヴ製の服〔スタウヴは、ラスティニャックやジュリアン・ソレルの服をこしらえたとある、当時のパリで流行した仕立屋〕を着てたら、女も手にはいるだろうよ。だが、そんな女なんか一週間もしたら、二度目のランデブーのときは鼻につくにきまってる。愛されるには、なにか別のものがいるんだ。愛するということはだね……まず第一に……」
「いいかね」と、テミーヌがさえぎった。「おあつらいむきの例を言ってやろうか? 諸君はマッシニーを知ってるだろう、どんな男かもわかってるだろう。イギリスのお小姓《こしょう》みたいな様子をして、そのくせ口をきかせばやつの馬も同然さ……しかしアドニス〔ギリシア神話中の美貌の青年。ヴィーナスはキューピットの矢で射られ、その傷の癒えぬうちにアドニスを見たので、その美に惚れこんでしまう〕のような美男子で、ブランメル〔美男子ブランメルと渾名をもったほどのイギリス人のしゃれ男〕ふうのネクタイを結んでいる。とにかく、自分の知ってるかぎりで、もっともいやなやつだった」
「やつと一緒にいて、退屈のあまり、おれは死ぬようなめにあったよ。まあ、考えてみたまえ。八百キロもやつのお相手をさせられたんだからな」と、ボージュ大佐が言った。
サン=クレールが口を入れた。「諸君もご存じの、あのかわいそうなリシャール・トルントンが死んだのも、あの男のせいだって言うじゃないか?」
「じゃあ、君は知らないのかい? あの男はフォンディ〔ナポリとローマのあいだにあるイタリアの町〕の近くで山賊に殺されたんだよ」と、ジュールがそれに応じて言った。
「おっしゃるとおり。だが、マッシニーが少なくとも共犯者であることは、いまにわかるよ。旅行者が大ぜいしてみんな一緒にナポリに行くことになったんだ。その仲間に、トルントンもはいっていた。するとマッシニーも、その一行に加わろうというんだ。トルントンはそうと知ると、早速先発してしまったんだ。あいつと一緒に五、六日もすごすんじゃ、かなわんからな。で、一人で出発した。それから先は、諸君もご存じのとおりさ」
「トルントンのやりかたは、もっともだよ」と、テミーヌが言った。「二つの死にかたの中で、楽なほうを選んだわけだよ。だれだってあの男の立場になったら、ああしたろうよ」
それから少し間をおいて、「だからマッシニーがこの地上でもっともいやなやつだってことがわかったろう?」と言った。
「そのとおり!」と、みんなはいっせいに叫んだ。「人にいやな思いをさせることは、よくないことだね」と、ジュールが言った。「だが、×××のために、一つ例外を設けてやろうじゃないか、ことに彼が政治上のもくろみを立てているところだからな」
「では、現在、諸君は賛成だろうな」と、テミーヌがつづけて言った。「ド・クルシー夫人こそ才媛《さいえん》という名にふさわしい人だということが」
瞬間、沈黙が流れた。サン=クレールは、みんなの視線が自分に注がれているのを意識して、うつ向いていた。
「だれでも、そう思うだろうね?」と、ついにそう言って彼はあい変わらず皿の上にかがみこみ、その陶器の皿に描かれてある花模様をたいへんもの珍しげに眺めているふうだった。
「ぼくは主張するよ」と、ジュールはいっそう声を張りあげて言った。「ぼくは主張するな、たしかにあの女《ひと》は、パリにいるもっとも愛すべき女《ひと》の三人の中の一人だ」
「ぼくは、あれの亭主を知っていたよ。よく、細君のきれいな書体の手紙を見せたもんだ」と、大佐が言った。
「オーギュスト」と、エクトール・ロカタンが口をはさんだ。「では、伯爵夫人に紹介してもらいたいもんだな。君は、あの家では、なんでも思いどおりになるというじゃないか」
「秋の末になったら」と、サン=クレールがつぶやくように言った。「その頃には夫人がパリへ帰ってくるだろうから……たぶん……あのひとは、田舎じゃだれにも会わないと思うよ」
「まあ、ぼくの話を聞いてくれたまえ」と、テミーヌが大声で言った。
再び沈黙が流れた。サン=クレールは、重罪裁判所の法廷に立った被告のように、椅子の上でもじもじしていた。アルフォンス・ド・テミーヌは、やりきれないほど冷静になって、ことばをつづけた。
「サン=クレール、君は三年前には伯爵夫人を知らなかった。ドイツに行っていたからね。あの頃の夫人がどんなだったかは、君には想像もつくまい。ばらの花のように新鮮で、美しくて、とくにはつらつとしていて、しかも蝶のように快活だった。ところで、どう思う、数ある崇拝者の中で、だれが彼女の気に入ったと思うかね? マッシニーなんだ! 男としてもっとも愚鈍《ぐどん》なやつ、いちばんの間抜けが、女の中でもっとも利口なひとをひきつけてしまったんだ。せむしに、こんなことができると思うかね? だから、ぼくの言うことを信じるんだよ、きれいな顔だちと、じょうずな仕立屋を持つべしだよ、そして勇敢にやってのけることだ」
サン=クレールの立場は、じつにやりきれなかった。彼は話し手の鼻先へ、それを打ち消すことばを投げつけてやりたかった。が、夫人に迷惑をかけてはいけないと思って、そうすることは差し控えた。彼は夫人のためにひと言いいたかったのだろうが、彼の舌は凍りついてしまったのだ。唇は怒りに震えた。彼はそれとなく喧嘩を吹きかける口実をさがしたが、それも無駄だった。
「なんだって!」とジュールが、さも驚いたといった様子で叫んだ。「ド・クルシー夫人が、マッシニーに参ったんだって! 弱きもの、汝《なんじ》の名は女なり〔シェークスピアの有名なことば〕か!」
「女の評判なんて、取るにたらんさ!」と、サン=クレールは侮蔑《ぶべつ》をこめて、突っ放すようにして言った。「少しばかり才能を見せるためには、評判なんかどうなってもいいと言うんだ、それに……」
話しているうちに彼は、パリの伯爵夫人の屋敷の暖炉《だんろ》の上でなんべんも見たエトルリアの壷《つぼ》を思いだして、ぞっとした。その壷は、マッシニーがイタリアから持ち帰った贈りものであることを知っていた。しかも、ああ、なんと情けないことだろう! その壷は、パリから田舎へ持ち運ばれてあったのだ。そして毎晩、彼の花束を取りあげては、そのエトルリアの壷にさしていた。
ことばは唇の上で消えてしまった。彼は一つのものしか見ず、一つのことしか考えなかった。あのエトルリアの壷!
「たいした証拠だな! たかがそんなものだけで、恋人を疑うなんて!」そう批評家は言うだろう。では、批評家先生、あなたがたは恋をなさったことがおありかな?
テミーヌはひどく上機嫌で、サン=クレールが口をきくその話しぶりに腹をたてるどころか、気さくに、人がよさそうに答えた。
「ぼくは、世間で言っていることを繰り返して言ったのにすぎないのさ。君がドイツに行っているあいだ、この話はまちがいないことだとして通用していたんだよ。そうは言っても、ぼくはド・クルシー夫人をよく知らないし、もう一年半も訪《たず》ねたことはないんだがね。したがってあるいはまちがいかもしれないし、マッシニーの作り話かもしれない。さて話を戻して、仮にいまぼくのあげた例がまちがいだったとしても、ぼくの言っていることはやはり正しいと思うよ。諸君も知ってのとおり、……フランス随一《ずいいち》の才媛《さいえん》、その才媛のした結果は……」
ドアが開いて、テオドール・ネヴィルがはいってきた。この男は、エジプトから戻ってきたのである。
テオドールだ! もう帰ってきたのか! 彼は、さんざん質問攻めにあった。
「君、ほんもののトルコ衣装を持ってきたかい? アラビア馬とエジプトの小姓《こしょう》を手に入れたかい?」と、テミーヌが尋ねた。
「パシャ〔有名なメヘメット・アリをさす。メリメは『シャルル九世年代記』の序文でこの男に触れている〕って、どんな男だい? いつになったら独立するんだね? サーベルで、一刀《いっとう》のもとに首を切り落としたのを見たかね?」とジュールが言った。
「それから舞姫は? カイロの女は、きれいかい?」と、ロカタン。
「L将軍に会ったかい? あの人は、パシャの軍隊をどうやって組織したかね?……C大佐がぼくに渡すようにって、サーベルをくれなかったかね?」と、ボージュ大佐が尋ねた。
「それからピラミッドは? ナイル河の滝は? メムノンの像は? イブラヒム・パシャ〔メヘメット・アリの息子〕は?」
などなど、みんなはいっせいにしゃべった。だがサン=クレールは、エトルリアの壷のことしか頭になかった。
テオドールは、両足を組んで腰かけていた。というのは、エジプトのこの習慣が身についてしまって、フランスへ帰っても抜けなかったからだ。彼は質問者が疲れるのを待って、しかも容易に横から口を入れられないようにかなり早口で、次のように話しだした。
「ピラミッドだって! いやはや、くわせものさ。評判ほど大きなものじゃないよ。ストラスブールの大伽藍《だいがらん》の塔は、これより四メートルぐらいしか低くないよ。古美術は、ぼくにゃ苦手だ。それだけは勘弁してくれ。象形文字なんて、見ただけで気が遠くなってしまう。そういうことに夢中になっている旅行者もずいぶんいるがね! ぼくの目的は、アレキサンドリアだのカイロだのといった町にうようよしている奇妙な人種、トルコ人だとか、ベドゥウィン人、コプト人〔エジプトに住んでいる種族〕、フェラー人〔仏領スーダンに住むアフリカの種族〕、モーグルビー人〔ナイル河西部の高原に遊牧するアラビア人種〕とかいう、そういった連中の人相や風俗習慣を研究することなのさ。検疫所《けんえきじょ》にいるあいだに大急ぎで少しはノートにとっておいたがね。その検疫所たるや、またじつに汚ないところでね! だが、諸君、伝染するなんて心配はいらないんだ。ぼくは平気で、三百人もペスト患者のいるまん中で、たばこをふかしていたもんさ。
ああ、大佐、あちらでは馬術のうまい、すばらしい騎兵が見られます。ぼくが持って帰ってきた、すばらしい武器をお見せしよう。かの有名なムーラッド・ベイ〔エジプトを支配していたマムルークの族長。ナポレオンに征服され、同盟を誓った〕が持っていた投げ槍を手に入れたんです。大佐、あなたのおみやげには半月刀、オーギュストにはカンジャール〔主としてトルコ人が使う細い短刀〕を持ってきた。あとで、ぼくのメヒラや、ブールヌーや、バイックを見せてあげるよ。ぼくさえその気になりゃ、女も連れて来られたんだがな。イブラヒム・パシャがギリシャから大ぜい送ってよこしたので、まるでただみたいもんだったよ……でも、おふくろのてまえもあるからな……パシャとは、大いに談じたよ。いや、なかなかしっかりした男だ! 偏見《へんけん》なんか、もっちゃいない。あの男がわが国情にじつによくつうじているといったって、諸君は信用しないだろうが。ほんとうだぜ、われわれの内閣のごくささいなことまで知ってるんだ。彼と話しているうちに、フランスの政党の内情について、はなはだ貴重な教訓を受けたくらいだ……いま彼は、統計に夢中になっている。こっちの新聞を、全部とっているんだ。やつが猛烈なボナパルチストだということを知ってるかね! ナポレオンのことしか話しゃしない。ブーナバルドはなんて偉大な人物なんでしょう! こうなんだ。ブーナバルド、あの連中は、ボナパルトのことをこう呼ぶんだよ」
「ジュールダン〔モリエールの『町人貴族』中の人物〕が、ジュルディナってわけか」と、テミーヌが低い声でつぶやいた。
「最初のうちは」とテオドールがことばをつづけた。「メヘメット・アリは、ぼくに対してずいぶん遠慮をしていた。ご存じのとおり、トルコ人はみんな疑いぶかいからな。ぼくのことを、なんていうこった! スパイかイエズス会の坊主だと思っているんだ……あいつは、イエズス会の坊主が大きらいなんだ。だが四、五回押しかけていくうちに、ぼくがなんらの下心《したごころ》のない旅行者であり、東洋の風俗習慣や政治をくわしく知りたがっている者だということがわかったんだ。するとすっかり打ちとけて、ざっくばらんに話をしたよ。最後の謁見《えっけん》のとき、それがぼくに許された三回目の謁見だが、ぼくは思いきって、こう聞いたものだ。
『殿下がなぜトルコ王朝から独立なさらないか、了解に苦しみますな』と。すると彼はこう答えたものだ。
『もちろん、それはわしのほっするところだ! しかし、もしわしがエシプトの独立を宣言してしまってから、君の国を支配している自由主義的な新聞が、果たしてわしを支持してくれるかどうか、それが案じられるのだよ』
白い美髯《びぜん》をたくわえた、けっして笑顔を見せたことのない、りっぱな老人だよ。ぼくに、うまいジャムをくれたっけ。ぼくが贈ったものの中でいちばん喜んでくれたものは、シャルレの描いた近衛兵《このえへい》の服装のコレクションだった」
「パシャは、ロマン派かね?」とテミーヌが尋ねた。
「いや、文学にはまあ無関心だね。しかし君も知ってのとおり、アラビア文学ははなはだロマンチックなものだがね。メレク・アヤタルヌフ=エブン=エスラフという詩人がいて、最近『瞑想録《めいそうろく》』を出版した。これに比べればラマルチーヌのものなんか、クラシックの散歩と言ってもいいくらいだ。ぼくはカイロに着いてから、アラビア人の先生について、コーランを読みはじめた。ほんの少ししか習わなかったが、この予言者の文章の崇高な美は、じゅうぶんに理解できたと信じる。そして、われわれの翻訳がみんな悪いということがわかったね。ところで、アラビア文字が見たくはないかね? この金文字で書かれたことばが、アラー、すなわち神という意味だ」
こう言いながら彼は、いい匂いのする絹の財布の中から、ひどく汚れた紙片を、取りだして見せた。
「どのくらいエジプトにいたのかね?」と、テミーヌが尋ねた。
「六週間だ」
それからこの旅行者は、西洋杉からヒソップ(唇形《しんけい》科植物)にいたるまで、あらゆることを物語った。
サン=クレールはこの男が着くとまもなく、ほとんど同時に飛びだして、自分の別荘へ行く道を引き返していた。乗っている馬車の猛烈なギャロップが、思索の糸をはっきりたどるのを妨げた。しかし彼はおぼろげながらも、この現世における自分の幸福が永遠にこわされたことや、それも今は亡き男とエトルリアの壷とを恨むよりしかたがないことを感じていた。
家へ帰ると、彼は長椅子の上へ身を投げだした。昨晩はこの上で自分の幸福を長いあいだかかって、いい気持ちになって分析していたのに。
彼がもっとも愛情をこめていつくしんだ考えは、自分の恋人が世間の普通の女とはちがって、自分以外にはだれも愛さなかったし、またこれから先も愛さないであろうということだった。今やその美しい夢が、悲しい残酷な現実の前に、こわされてしまったのだ。
「おれには美しい女がある。それだけのことさ。なるほどあの女には才知がある。それだけにいっそう罪ふかいのだ。マッシニーなどを愛するなんて!……なるほど、現在はおれを愛しているのは事実だ。……精魂を打ちこんで……いかにもあの女らしく。おれは、マッシニーが愛されていたように愛されているんだ!……あの女はおれの親切に、おれの気まぐれに、おれの執心《しゅうしん》ぶりに降参したんだ。が、おれは思いちがいをしていたんだ。二人のあいだには、なんら心のつうじるものはなかったのだ。マッシニーだろうとおれだろうと、あの女にとっては同じわけさ。あいつは美男だ。美男だからあの女は愛したのだ。おれはときどき夫人を喜ばせる。するとあの女はこう思うんだ。……いいわ、サン=クレールを愛してやるわ、もう一人の男は死んでしまったし! もしサン=クレールが死ぬか、退屈になったら、そのときはそのときだわ……と」
このように自分自身を責め、苦しめている不幸な男のかたわらには、目には見えないけれども悪魔が立ち聞きしているのだと、作者は堅く信じて疑わぬ。このような光景は、人類の敵にとっては興味あるものなのだ。そしてその犠牲者の傷口が癒《い》えたかと思うと、かたわらにいる悪魔が、またしても傷口をあけてしまうのだ。サン=クレールは、耳元で囁《ささや》いている声が聞こえたような気がした。
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まこと奇妙な名誉かな
やつの後釜《あとがま》にすわるとは
[#ここで字下げ終わり]
彼は長椅子から身を起こして、血走った視線をまわりに投げた。ああ、この部屋にだれかがいたら、どんなによかったろう! もちろんその男を、ずたずたにしてやっただろうが。
時計が八時を打った。八時半に、伯爵夫人が彼を待っている。……もしこの逢《あ》いびきをすっぽかせば!
「まったく、なんだってマッシニーの情婦に、また会いに行こうっていうんだ?」
彼はまた長椅子の上にひっくり返って目を閉じた。「おれは眠りたいよ」と、彼は言った。そして二十秒ほどじっとしていたものの、とつぜん飛び降りて時計のほうに駆け寄り、どのくらい時間がたったか見た。「八時半になっていてくれたらよかったのに! そうすりゃ、出かけるのに遅すぎるわけなんだが」と、彼は思った。が心の中では、このまま家に止まっていられる勇気があろうとは思われなかった。何か口実があればいいがと思った。そのためには病気であってもいいと思った。彼は部屋じゅうを歩きまわった。それから腰かけて、本を手に取った。が、一字も読めなかった。ピアノの前にすわった。が、ふたをあける元気もなかった。口笛をふき、雲を眺め、窓の向かいのポプラの木を数えようとした。とうとう、もう一度時計を見ようとして戻った。時計の針は、三分とたっていなかった。「おれはどうしても、あの女を愛さずにはいられないんだ」
そう叫んで彼は歯ぎしりをし、地団太《じだんだ》を踏んだ。
「あの女にはおれは思いのままだ。おれはあの女の奴隷なのだ。おれより前にマッシニーがそうだったように! そうか、哀れなやつめ、それなら服従しろ、どんなにきらおうが、おれには鎖を断ち切る勇気がないんだから」
彼は帽子をつかんで、さっと飛びだした。
激情にかられているときわれわれは、自分の弱点を一段高いところから傲慢《ごうまん》な気持ちで眺めると、なんとなく自尊心が救われたような慰めをみいだすものである。「なるほど、おれは意気地《いくじ》なしだ。だが、それがどうしたっていうんだ!」といったふうに。
彼は庭木戸に通じる小道を、のろのろ登って行った。木立の深い闇《やみ》に、くっきりと白い影が遠くから見えた。彼女は手で合図をするかのように、ハンカチを振っていた。彼の心は激しく波立ち、ひざがしらが震えた。口をきくだけの気力もなかった。すっかり臆病になってしまって、伯爵夫人が自分の顔を見て不機嫌なのを察しはしまいかと、そんなことまで心配になってきた。
彼は夫人のさしだした手をとり、額《ひたい》に接吻した。女が彼の胸に身を投げかけてきたからである。彼はじっと黙って、夫人の部屋までついて行った。胸も張り裂けるような溜息《ためいき》をやっと押えながら。
ろうそくが一本、夫人の寝室を照らしていた。二人は腰かけた。サン=クレールは、この女友だちの髪飾りに気づいた。ばらが一輪さしてある。昨夜彼は、イギリスの美しい版画、レスリー〔イギリスの画家(1794-1859)で、文学上の作品から画題をとって描いた〕の描いたポーランドの公爵夫人の肖像を持ってきた(その夫人も、このような髪飾りをしていた)。
そしてサン=クレールは、そのときちょっとこんなことを言った。
「あなたの仰々《ぎょうぎょう》しい髪飾りよりも、このようなあっさりしたばらのほうが好きですね」
彼は宝石類がきらいだった。そして、「着飾った女と飾りつけた馬とには、悪魔さえ知らん顔をするだろう」と乱暴に言ってのけたイギリス貴族の考えに共鳴していた。昨夜も彼は伯爵夫人の真珠の首飾りをいじりながら、(というのは、彼は話をするとき、いつも何かしら手に持っていなければならなかった)「宝石というものは、欠点をかくすときだけに使うものですよ。マチルド、あなたはきれいなんだから、そんなものは要《い》らないではありませんか」と言った。
そのなにげなく言った文句を心にとめて、夫人は指輪も、首飾りも、耳飾りも、腕輪も、みんなはずしてしまっていた。……彼は女の身だしなみのうちで、なによりもまず履物《はきもの》が気になった。そして他の人々と同じく、これについては彼なりの好みがあった。陽の沈む前に、ひどい夕立があった。草はまだしっとり濡れていた。それなのに夫人は、絹の靴下と黒い繻子《しゅす》の上靴だけで、芝生の上を歩いているではないか……病気にでもなったらどうする?
「この女はおれを愛している」と、サン=クレールは思った。
彼は自ら反省し、自分の狂態を思いみて嘆息《たんそく》した。そして不機嫌になりながらも、こんなささいなことでも恋人にとっては大きな価値があると思い、それを身につけて男を喜ばそうとしている美しい女を見る嬉しさに、われにもあらずマチルドにほほえみかけていた。
夫人の明るい顔つきには、恋心と、女にいっそう愛嬌を与える陽気な茶目っ気とが現われていた。夫人は日本製のうるし塗りの手箱から何かを取りだし、そのかわいらしい手を閉じて、握ったものを隠しながらさしだした。
「このあいだの晩、あなたの時計をこわしたでしょう。ほら、なおったのよ」
夫人は時計を渡した。そして、まるで笑うまいとしているかのように下唇をかんで、愛情のこもった、いたずらっ子らしい目つきで彼を眺めた。ああ、ありがたいことに、この女の歯の美しいことよ! 唇の燃えるようなばら色の上に、歯が白く光っている!(美しい女の媚《こび》を冷然と受けるとき、男がどんなにばからしい様子をしていることか)
サン=クレールは夫人に礼を述べて時計を受けとり、ポケットに入れようとした。
「まあ、ごらんになってくださいまし」と、夫人はことばをつづけた。「ふたをおあけになって、よくなおっているかどうか、お調べになってくださいまし。あなたは学者でしょう、理工科大学にいらっしゃったんですもの、おわかりになるはずですわ」
「とんでもない! 時計のことは、まったくわかりません」と、サン=クレールは言った。そして彼は、たいして気にもせずに時計のふたをあけた。ところが驚いたことに! ド・クルシー夫人の肖像の密画が、ふたの底に描かれてあった。これでもまだ渋面《じゅうめん》をつくってみせる必要があるというのか?
彼の顔は、はればれした。もうマッシニーのことは念頭になかった。自分を愛している、かわいい女のそばにいる、ただそのことだけしか頭に浮かばなかった。
「暁《あかつき》の使い女《め》であるひばり」〔シェークスピアの『ロメオとジュリエット』の中の文句〕が、うたいはじめた。薄明りの長い帯が幾筋《いくすじ》か、東の雲間を走った。このときロメオは、ジュリエットに別れを告げたのである。それは古くから、すべての恋人たちが別れを告げる時刻であった。
サン=クレールは、暖炉の前に立っていた。庭木戸の鍵を手にして、すでに諸君もご存じのエトルリアの壷を、じっと眺めていた。彼はまだ心の底では、この壷に恨《うら》みを抱いていた。でもたいへん上機嫌で、ひょっとするとテミーヌが嘘《うそ》をついたのではあるまいかというような単純な考えを思い浮かべていた。伯爵夫人が彼を庭木戸まで送って行こうと頭にショールをかけているあいだ、彼はその憎らしい壷を鍵で軽く叩いていた。ところが叩いている手にだんだん力がはいって、今にもそれを粉みじんにこわしてしまいそうになった。
「まあ、とんでもない! 気をつけてちょうだい!あたしのきれいなエトルリアの壷をこわしてしまいますわ」と、マチルドが叫んだ。そして彼の手から鍵を取りあげてしまった。
サン=クレールは、たいへん不満だったが、されるままになっていた。でも誘惑に負けまいとして暖炉のほうへ背を向け、時計のふたをあけて、いましがたもらったばかりの肖像画をしみじみと眺めはじめた。
「画家はだれです?」と、彼は尋ねた。
「Rさんです。ほら、あのマッシニーさんが紹介してくださった人ですよ(マッシニーはローマへ旅行して以来、美術に対する鑑識眼《かんしきがん》があるという自信を得たので、あらゆる少壮美術家のメセーヌ〔古代ローマの政治家で、ウェルギリウスや、ホラティウスのパトロン。彼の名はよく文学や美術の保護者の意に用いられる〕をもって任じていたのであった)。ほんとうにこの肖像画は、あたしによく似ていると思いますわ。少し作りすぎていますけれども」
サン=クレールは、時計を壁にぶつけてやりたくなった。そうすれば今度こそ、とてもなおせないであろう。が、じっとがまんして、それをポケットに入れた。それから、もう明るくなったので、マチルドに送って来ないようにと頼み、家を出た。大股《おおまた》で庭をよこぎると、たちまちただ一人で野原へきていた。
「マッシニー! マッシニー!」と、彼は心にうっせきした怒りを吐きだすように叫んだ。「どこまで貴様はついて来るのか!……当然、この肖像を描いた画家は、もう一つ同じのをマッシニーにも描いてやったんだ! なんておれはばかなんだ! 瞬間にせよこのおれは、自分が愛していると同じように、相手からも愛されているなどと思ったりして……あの女がばらを髪にさし、宝石を身につけていなかったからか!……あの女の机の中は、宝石でいっぱいなんだ……マッシニーときたら、女の装身具しか目にはいらない男で、宝石類が大好きだった!……そう、たしかにあの女はよくできてる、ほんとうにそうだ。恋人の好みに合わせることを知っているんだ。畜生! あいつが娼婦《しょうふ》で、金で言うことをきく女だったら、そのほうがよっぽどましだ。ところがあれはおれの情人で、しかもおれは金なんかやっちゃいない、だから少なくとも、あの女がおれを愛していると信じていいわけだろうが」
さらにはもう一つ、もっとやりきれない思いが心に浮かんできた。あと数週間すると、伯爵夫人の喪《も》があける。夫人の服喪《ふくも》期間が終わるとすぐに、サン=クレールは彼女と結婚することになっていた。彼は、そうすると約束したのだった。ほんとうに約束したのか? 否《いな》。それを口にしたことはなかった。しかし彼の気持ちがそうだったし、伯爵夫人もそれを了承していた。彼にとっては、それは誓ったも同然だった。昨夜までは、自分の恋愛を公然と告白できるときを早めるためには、王冠さえも投げ捨てたであろう。それが今では、自分の運命をマッシニーの昔の情婦と結びつけるのだと考えるだけで、身ぶるいがする。
「しかしおれは、『そうしなければならないのだ』」と、彼は思った。「そして、そうなるだろう。哀れな女だ。きっとおれが、あの女の昔のいろごとを知っていると思っているにちがいない。あのことは一般に知れわたっていたというからな。それに第一、あの女はおれのことを知っちゃいない……あの女におれがわかりっこありゃしない。あの女は、マッシニーがやったようにしかおれが愛することができないと思っているんだ」
そのとき彼は、いくらか誇らしい気持ちになって、こうつぶやいた。
「三か月のあいだ、あの女はおれを、男の中でももっとも幸福な者にしてくれた。この幸福は、じゅうぶんおれの一生を犠牲にするだけの値打ちがある」
彼はベッドにはいらなかった。朝のうち森の中を、馬を乗りまわしてすごした。ヴェリエールの森の小道で、りっぱな英国産の馬に乗った一人の男を見かけた。その男は遠くから彼の名を呼んで、すぐと近寄ってきた。それは、アルフォンス・ド・テミーヌだった。そのときのサン=クレールの心境は、孤独こそ願わしいものであった。だからテミーヌと出会ったことは、彼の不機嫌を、むかむかする怒りに変えてしまった。テミーヌは、それに気づかなかった。あるいはサン=クレールの気分をそこねるのに、意地のわるい喜びを感じていたのかもしれない。相手が答えないのを平気な顔をして、なおも話しかけ、笑ったり冗談を言った。
サン=クレールは細い小道を見つけたので、このうるさい男がついて来ないようにと、つと馬をその小道に乗り入れた。が、その予想ははずれて、うるさい男はそうやすやすと獲物《えもの》をにがさなかった。テミーヌはあと戻りをして、馬の歩みを速めた。サン=クレールと並んで、もっと楽に会話をしようとしたのだ。
道が狭いことは、すでに述べた。二頭の馬が並んで行くことは、容易なことではなかった。それゆえテミーヌがいかに馬術の達人であっても、サン=クレールのそばを通りすがりにその足にちょっと触れたのは、べつにふしぎでもあるまい。しかしサン=クレールの怒りは絶頂に達していたので、これ以上がまんしてはいられなかった。あぶみの上に立ちあがったかと思うと、彼は鞭《むち》をふるって、テミーヌの馬の鼻面をしたたかに打ったのである。
「なにをする、オーギュスト? なぜ、おれの馬をなぐるんだ?」と、テミーヌが叫んだ。
「なぜ、おれについて来るんだ?」と、サン=クレールは声を震わして叫んだ。
「気がちがったか、サン=クレール? だれと話しているのか知ってるのかい?」
「知ってるとも、大ばか野郎とだ」
「サン=クレール!……おまえは気がちがったらしい……いいかね、明日、わびに来たまえ、さもなければ君の無礼に筋道をつけてもらおう」
「では、明日」
テミーヌは馬を止めた。サン=クレールはなおも馬を走らせ、まもなく森の中に姿を消してしまった。
こうなると、どうやら彼は落ちついてきた。サン=クレールには前兆《ぜんちょう》を信じるという弱さがあった。明日は殺されるという予感がしたのである。それは今のような立場からみれば、はなはだ似つかわしい最期であった。まだ、もう一日ある。明日になれば、不安もなければ苦しみもない。彼は家に戻ると、従僕に手紙を持たせて、ボージュ大佐のもとへやった。それから腹いっぱい食事をし、時間きっちりに八時半、例の庭木戸に姿を現わした。
「きょうはどうかしたの、オーギュスト?」と、伯爵夫人は言った。「変に陽気じゃないの。それなのに、いくら冗談を言われても、わたしは笑えないわ。昨日は、あなたはずいぶん不機嫌だったわね。そしてわたしははしゃいでいたわ。それが今日は、あべこべになったのね。……今日はあたし、頭がひどく痛むの」
「そうです、ほんとうのところ、昨日のぼくは退屈な男でした。でも今日は散歩をしたり運動をしたおかげで、たいへん気持ちがいいのです」
「あたしは、おそく起きたのです。今朝おそくまで寝ていましたの。それに、いやな夢をみましたわ」
「へえ! 夢をみたんですって? あなたは夢を信じますか?」
「そんなばかなことを!」
「ぼくは信じますね。あなたは、何か悲しい事件をしらせる夢をみたんでしょう」
「どういたしまして。夢など覚えていたことありませんわ。でも、思いだしてみると……夢の中でマッシニーが出てきましたわ。ですから、けっしておもしろい夢ではないことがおわかりになったでしょう」
「マッシニーですって! それじゃ会えて、嬉《うれ》しかったでしょう?」
「かわいそうなマッシニー!」
「かわいそうなマッシニーですって?」
「オーギュスト、おっしゃってよ、今晩あなたはどうかしてるわ。あなたの微笑の中には、なにか悪魔じみたものがあるわ。自分で自分のことを嘲笑《ちょうしょう》しているようだわ」
「こりゃどうも! お知り合いのご老体の未亡人がよくするように、いやにぼくをいじめますね」
「ええ、オーギュスト、今日あなたは、ご自分が好かない人に見せるような顔をなさっていますわ」
「意地のわるいことを言う人だ! さあ、あなたのお手をどうぞ」
彼は皮肉な慇懃《いんぎん》さをもって、夫人の手に接吻した。それから二人はちょっと、じっと見つめ合った。サン=クレールが、最初に目を伏せた。そしてこう言った。
「この世で、ひねくれ者と思われないで暮らしてゆくことは、むずかしいことですね! それには、まず天気のこととか、狩りの話をするとか、またはあなたのお年寄りのお友だちと慈善音楽会の予算の話でもする以外にしようがありませんね」
彼は、テーブルの上の紙を手にとった。
「ほら、ここに洗濯女の勘定書があります。これを話題にして話をしましょうよ。そうすればあなたは、ぼくをひねくれ者だなどと言わないでしょうから」
「ほんとに、オーギュスト、あなたは変なことを言う人ね……」
「この字の書きかたは、けさぼくが見つけた手紙を連想させますね。というのは、ぼくは手紙を整理したからなのです。ときどきぼくは、きちょうめんになるんでしてね。ところがどうです、ぼくが十六のとき恋をした、そのお針女《はりこ》からもらったラブレターが一通あったのです。一語一語、その女独特の、いつものややこしい書体で書かれてありました。文章も、その綴《つづ》りにお似合いのものでした。ところがその頃、ぼくはいささかおばかさんだったので、セヴィニエ夫人〔メリメの敬愛する女流作家で、その娘に宛てた書簡集によって有名〕のような手紙を書かない女なんて自分の恋人にする値打ちはないと思いこんでいたのです。いきなりその女と別れてしまいました。今日、その手紙を読み直して見たのですが、その女がぼくに対してほんとうに愛情を抱いていたのが、よくわかりました」
「よかったわね! その女のひとを、あなたは世話していらっしゃったのね?」
「はなはだもってぜいたくなことでして。月に五十フランやっていました。もっともぼくの後見人が、月づきたいした額は送ってくれませんでしたので。若い者が金を持つと身を誤るし、他人の身も破滅《はめつ》に導くと申しまして」
「そして、その女のひとは、どうなりましたの?」
「そんなこと、だれが知るもんですか? たぶん、施療院《せりょういん》ででも死んだでしょうよ」
「オーギュスト……もしそれがほんとうなら、あなたはそんなのん気な顔をしていられないわ」
「どうしてもほんとうのことを言えとおっしゃるなら申しますが、その女は、あるまともな男と結婚したのでした。それに、ぼくが一人でやってゆけるようになったとき、その女にわずかながらも持参金をつけてやりましたよ」
「まあ、ご親切なこと! それなのに、なぜあなたは、さも意地がわるいようにみられるようなことばっかりなさるの?」
「とんでもない! ぼくはいたって善良ですよ……考えれば考えるほど、あの女はほんとうにぼくを愛していたんだという気がしますよ……しかしあの頃は、ほんとうの感情が、滑稽《こっけい》きわまる形式の下に隠されていたことがよくわからなかったのです」
「その手紙を持っていらっしゃればよかったのに。あたしは、焼きもちなんか焼きやしませんよ……あたしたち女というものは、あなたがたより敏感ですわ、その手紙の書きかた一つで、その書き手に誠意があるかどうか、ありもしない情熱を装《よそお》っているかどうか、すぐとわかりますわ」
「そのくせあなたは、今まで何回となく、ばかや間抜けどもにだまされていたではありませんか!」
そう言って彼は、エトルリアの壷を眺めやった。その目にもその声にも無気味な色が浮かんでいたが、しかしマチルドは少しもそれに気づかなかった。
「それなのよ! あなたがた男性は、みんなドン・ファンに見られたがっているのです。うまくだましたと思っていらっしゃるのでしょう。ところがどういたしまして、たいていの場合は、あなたがたより役者が一枚うわてのドンナ・ファナを相手にしてるわけなんですよ」
「あなたがたご婦人の優秀な才知をもってすれば、一里先からでもばか者をかぎつけられるでしょう。ですからぼくとしては、ばかで間抜けな、われらが友マッシニーが、童貞で殉教者《じゅんきょうしゃ》として死んだとは信じられないのです……」
「マッシニーですって? でもあの人はそれほどばかじゃありませんでした。それに、愚《おろ》かな女だっていますものね。マッシニーについて、おもしろいお話をお聞かせしなければなりませんわ……でも、たしかもうお話しましたわね?」
「いや、まだですよ」と、サン=クレールは震え声で答えた。
「マッシニーはイタリアから帰ってきますと、あたしが好きになってしまったの。夫があの人を知っていまして、なかなか愉快な趣味のある人だと言って紹介したんですわ。二人はいわゆる、『うま』が合うといった仲なのでしょう。マッシニーは最初のうち、根気よく訪ねてきました。スクロートで買ってきた水彩画を、さも自分の所蔵品ででもあるかのような顔をして、あたしにくれたこともあります。また得意になって、ほんとうにおもしろく、絵や音楽のことを話してくれたこともあります。ところがある日、思いがけない手紙をよこしたのです。いろいろなことが書いてありましたが、その中であたしのことをパリじゅうでいちばん誠実な女だと言い、だから恋人になりたいと言ってきたのです。あたし、その手紙を従妹《いとこ》のジュリーに見せてやりましたわ。二人ともその頃はいたずら盛りでしょう、一つあの人をからかってやろうということになったの。ある晩幾人かお客があって、その中にマッシニーもいました。そのうちに従妹があたしに、こう申しました。……これから、あなたに今朝もらった恋の告白を読んであげましょう……って。従妹は手紙を手にとって、湧《わ》き返る笑いにかこまれながら読みましたの……かわいそうなマッシニー!……」
サン=クレールは喜びのあまり、ひと声叫んでひざまずいた。そして伯爵夫人の手を取り、接吻と涙とでおおった。マチルドはすっかり驚いて、最初、彼が気がちがったのではないかと思った。サン=クレールは、「許してください! 許してください」としか言えなかった。やっと彼は立ちあがった。その顔は明るかった。この瞬間の彼はマチルドからはじめて「あなたが好き」と言われた日よりも、さらにうれしそうだった。
「ぼくは男の中でもっとも罪ぶかい愚か者です」と彼は叫んだ。「ぼくはこの二日以来、あなたのことを疑っていたのです……しかもあなたに説明を求めようともしなかったのです……」
「あなたが、あたしを疑っていたんですって!……どんなことを?」
「ああ、ぼくは情けない男です! 人からあなたがマッシニーを愛していたという話を聞いたもんで、それで……」
「マッシニーをですって!」
夫人は笑いだした。それからすぐにまじめな口調《くちょう》になって「オーギュスト、よくもまあ、そんなことが疑えたものね。おまけにうわべを装って、あたしに隠しだてしたりして!」
涙が一滴、女の目に光った。
「どうか、ぼくを許してください」
「許すも許さないもないじゃありませんか?……でも、まあ、あたしに言わせてよ、誓ってあたしは……」
「ああ! あなたを信じます、あなたを信じますよ。もう何も言わないでください」
「だけど、またどうしたわけで、こんな信じられそうもないことを疑いだしたの?」
「なんでもないのです、ただぼくの頭がわるいからだったのです……それから……あのエトルリアの壷、あれをあなたがマッシニーからもらったということを知ったからなのです」
夫人は驚きあきれて、両手を合わせた。それから高笑いしながら叫んだ。
「エトルリアの壷ですって! あたしのエトルリアの壷が!」
サン=クレールもまた、笑わずにはいられなかった。そのくせ大粒の涙が、頬を伝わって流れた。彼はマチルドを両腕にしっかりと抱いて言った。
「ぼくは放しませんよ、ぼくを許すと言うまでは」
夫人はやさしく彼を抱きながら言った。「ええ、許してあげますとも、おばかさんね、あなたっていうかたは! あなたはほんとうに、今日あたしを幸福にしてくださったわ。あたしははじめて、あなたが泣くのを見たわ。あなたっていう人は、けっして涙を人に見せない人だと思っていましたのに」
そして夫人は彼の腕をすり抜けると、エトルリアの壷をつかんで、床めがけてこっぱみじんに叩きつけた。(この壷は、世にも珍しい、斬新奇抜《ざんしんきばつ》なものだった。一頭の人馬《サントール》と格闘している一人のラビット人を、三色で描いたものだった)
サン=クレールはそれから数時間のあいだ、世に、もっとも恥ずかしい、しかし男という男の中で、もっとも幸福な男であった。
「へえ! それじゃ、その噂《うわさ》はほんとうなんだね?」と、その晩トルトニ〔イタリア座の通りにあった当時人気のあったカフェ〕のところで会ったボージュ大佐に向かって、ロカタンは言った。
「ほんとうすぎるくらいさ」と、大佐は寂しそうな様子で答えた。
「で、どういういきさつだったのか、話してくれたまえ」
「ああ、いいとも。サン=クレールはまずぼくに向かって、自分がわるかったと言った。しかしテミーヌにわびごとを言うよりも、彼の弾《たま》を受けてみたいと言うのだ。ぼくも承知するよりほかはなかった。テミーヌは、どちらが先に撃つか、『くじ』できめようと言った。ところがサン=クレールは、テミーヌを先にしてくれと言うのだ。テミーヌは撃った。サン=クレールはぐるりとひとまわりしたかと思うと、がっくりと倒れた。ああいうおかしな旋回をすると必ず死ぬってことは、弾に当たった兵隊を見ているので、ぼくは知っているよ」
「まったく、考えられないことだね。それで、テミーヌはどうしたい?」と、ロカタンが言った。
「どうしたって! こういう場合になすべきことをしただけさ。さもわるかったと言わんばかりに、ピストルを地面に叩きつけた。あんまりひどく叩きつけたので、撃鉄《げきてつ》を折ってしまった。あれはマントン製〔イギリスの町で、優秀な武器を作ることで知られる〕の英国式のピストルだから、あれと同じものを作れる銃器製造人がパリで見つかるかどうかわからんね」
伯爵夫人はその後三年間というもの、だれにも会おうとしなかった。夏も冬も別荘に閉じこもったまま、ほとんど部屋から出ようとせずに、サン=クレールとの関係を知っている黒人の血のまじった女にかしずかれながら、その女に対してさえ、一日にふた言と口をきかなかった。
三年後に、従妹《いとこ》のジュリーが、長い旅から帰ってきた。ジュリーがむりにドアを押して夫人の部屋にはいってみると、そこにはマチルドが痩《や》せ細って、まっさおな顔をしていた。別れたときは、はつらつとしていて、あんなにも美しかったのに、まるで亡骸《なきがら》を見る思いだった。ようやく夫人をその隠れ家から引きだし、イエール〔フランスの地中海にのぞむ避寒地〕へ連れて行くことができた。
伯爵夫人はその地に三、四か月いたが、ますますやつれていった。ついに彼女は、胸の病気で亡くなった。彼女の手当てをしたM博士の言によると、原因は家庭上の悩みの結果であるという。(完)
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解説
メリメ――人と文学
作品として小説、戯曲、批評を書き、学者としては英、独、西、伊、露語からギリシャ、ラテン語につうじ、さらにスペインのシプシーを驚かすほどカロ語を話し、スペインの雑多な方言を理解し、カタロニアの古文書を判読したという。また史跡保存官を歴任したのでフランスの記念建築物の専門家であり、考古学にも造詣《ぞうけい》がふかく、歴史学者としても見識をもち、その方面の学問的な業績およびそれを実践に移した伝記や研究もある。プロスペール・メリメとは、いかなる人であろうか?
〔生い立ち〕
プロスペールは、一八〇三年九月二十八日に、レオノール・メリメを父とし、アンヌ・モローを母として、パリで生まれた。両親ともに芸術に対する素質があり、ことに古典的な画家であり、絵の具の研究家である父からは水彩画やデッサンの手ほどきを受け、素質もあったので、画筆においても彼は素人《しろうと》ばなれのした腕をもっていた。また父のもとへイギリス人の来訪が多かったので、少年プロスペールは彼らに親しみ、長じて英国ずきになったのも、少年の頃の環境の影響がたぶんにあったと思われる。
プロスペールは父親四十六歳、母親二十八歳のときの子で、しかも一人っ子ではあるし、人一倍両親からいつくしみ育てられた。生まれてから彼は洗礼を受けなかった。この両親の無信仰は、終生彼についてまわる。八歳から彼は、ナポレオン中高等学校《リセ》(アンリ四世校)の通学生となった。古代語、英語、デッサンに秀でていたほかは、凡庸《ぼんよう》な生徒としてすごしたといわれている。
このようにしてプロスペールは、ブルジョワ的な環境のもとに少年時代をすごしたが、十六歳でリセを卒業し、引きつづきパリ大学に入学し、父親の要望にしたがって法学部にはいる。彼は法学が好きではなかったが、それでも勉強はしたのであろう、四年後には法学士となってパリ大学を卒業した。在学中、彼は法律以外の自分の好むもの、英語、スペイン語、ギリシャ語は申すにおよばず、哲学から妖術までも研究したという。
〔文壇へデビュー〕
卒業後、父は定職に就《つ》かせたがったが、息子の望みは文学で身をたてることにあった。幸い生活には困らなかったので、いそいで職に就く必要もなかった。当時文壇で認められるには、有名なサロンで自作を朗読することが必要だった。彼はリセ以来の親友であるジャン・ジャック・アンペールの紹介でレカミエ夫人のサロンに出入りしたり、やはり友人のアルベール・スタプフェールの父親のサロンにしげしげと通った。彼がスタンダールや、哲学者のヴィクトール・クーザンと初めて会ったのは、スタプフェールの父のサロンであった。一説にはスタンダールとは一八二一年、ジョゼフ・ランゲの家であるともいわれている。二十歳も年齢に開きのあるこの二人の関係はそれほど親しかったとは思われないし、性格から言っても、「スタンダールは沸騰《ふっとう》したメリメ、メリメは凍結したスタンダール」だった。だが二人とも、それぞれの長所は認めあってはいた。
メリメの出世作である「デンマークのスペイン人たち」をまっ先に誉《ほ》めたのは、スタンダールであった。この戯曲が読まれたのは、「女は悪魔である」と一緒に、美術批評家のエチエンヌ・ドレクリューズのサロンであった。つづいて「天国と地獄」「アフリカ人の恋」が読まれ、他二編とともに、現存するスペイン女優「クララ・ガスルの戯曲」の翻訳だと称して刊行された。そしてごく小部数に、ドレクリューズの描いたメリメの扮《ふん》したスペインの喜劇女優の肖像を挿入した。メリメの韜晦《とうかい》趣味の現われである。
次の「ラ・グズラ」もダルマチア、ボスニア、クロアチア、ヘルツェゴヴィナにて収集したイリリア語の詩選集の仏訳と称して刊行された。「ジュルナル・デ・ナヴァン」のような仏国内の学術雑誌をはじめ、まんまとだまされたものは少なくなく、プーシキンのごときは逆にロシア訳を企てさえしたという。ゲーテはさすがに、Gazul と Guzla のアナグラムからこれがメリメのいたずらであることを見破ったという。ずいぶん人をくったやりかただが、作品は好評で、この二者によりメリメの文壇における地位は確立された。
〔ラコスト夫人との恋愛〕
以後メリメは本名で小説や戯曲を大いに書きまくるようになるのだが(年譜参照)、それには必ずしもそればかりではないだろうが、彼の有名なことば……「わたしは生涯、けっして公衆のためになんぞ書きはしなかった。いつも特定のある人のために書いた」によってさぐってみると、そこにはまずラコスト夫人という女性が浮かびあがってくる。
夫人はエミリー・エマールといって、メリメより五歳年長である。一八一九年に、かつてナポレオン一世の儀仗衛長《ぎじょうえいちょう》であり、その後アメリカとの通商に従事していたフェリックス・ラコストと結婚した。翌年男児をもうけ、その後二年して一緒にアメリカへ渡った。その地でラコスト夫人は亡命中のジョゼフ・ボナパルトに想いをよせられ、ずいぶん浮名を流した。二七年にこの一家はフランスに帰ってきて、ラコスト夫人は、またもやその妖艶《ようえん》な姿をサロンに現わしたのである。
メリメが彼女を知ったのはその年の末、ダヴィリエ夫人のサロンにおいてであった。文壇で成功した彼は、いちおう社交界の花形であった。いたるところのサロンでもてはやされたが、彼は意識して婦人の多く集まるサロンを泳ぎまわった。そのころの彼は、「エトルリアの壺」の中のサン=クレールを彷彿《ほうふつ》させる。いっぽうラコスト夫人は、「シャルル九世治世年代記」の中のチュルジス伯爵夫人の描写に、その面影をみることができる。
つぶらな瞳、そして小さな足、いかにもプロスペール好みの女性のタイプである。うぬぼれ男だが臆病な恋人である彼は、彼女のような高びしゃに出る女にかかると、すぐに屈服させられてしまう。彼は友人のサットン・シャープ宛に、このように書き送っている。
「ぼくは自分の意志ではなく、もっと強い意志のために、パリにとどまらざるをえない」
が、まもなく二人の関係は、夫ラコストの耳にはいった。この職業的な決闘好きの男の手に彼宛でない手紙が握られた。ラコストはただちに、手紙の差出人に挑戦した。決闘場に至ると、嫉妬に燃える夫は、しいて心の平静を装いながら尋ねた。
「どちらの手にしますかな?」
「あなたさえよろしかったら、左手で結構です」とメリメは冷ややかに答えた。
数日後メリメは腕に包帯をして、サロンをぶらついていた。だれかにその原因を尋ねられると、「いや、ぼくの言いぐさが気に入らんという人に、やられたんですよ」と、彼は答えた。ピストルで射ち合ったのだが、メリメは発射しない先に腕と肩に三発弾丸を受けたのだと、そのとき、立会人をつとめたジャクモンは語っている。
ラコストは決闘したあとも「|だまされた夫《コキュー》」という考えから抜けきれなかったらしく、夫人一人をパリに残して、商取引きのためにニューヨークへ向かった。しかし残された二人はこうなるとかえってうまくゆかず、メリメはいちおう恋人としてふるまってはいたが、ラコストが彼女にごくわずかなものしか残していかなかったので、その生活の不如意《ふにょい》に対しても責任を感じないわけにゆかなかった。このような恋愛関係が二か年つづいた。しかしメリメは幸福であったらしく、一八二九年一月八日付けのシャープ宛の手紙で、こんなことを書き送っている。
「ほんとうにぼくは、いまパリで幸福でして、ここにいられれば天国へ行きたいとも思いませんよ」
〔ドレセール夫人との恋愛〕
次に「カルメン」をはじめ、「イールのヴィーナス像」「コロンバ」「アルセーヌ・ギヨー」などの傑作を生ぜしめたと言われるドレセール夫人のことに触れる。この夫人は旧姓をヴァランティーヌ・ラボルトといい、シャルトルの知事であるガブリエル・ドレセールの夫人となった。二人の関係は一八三四年ごろからはじまり、三七年ごろが山で、五四年までつづいている。ヴァランティーヌは考古学者ラボルト伯を父にもち、弟のレオンはメリメと同じく史跡保存官の一人であったので、彼の仕事のよき理解者でもあり、鼓吹者《こすいしゃ》でもあった。美しくて才能に恵まれていた彼女は、恋人の仕事を勇気づけ、彼の作品をよく読み、よき助言を与えている。夫ははなはだ慇懃《いんぎん》な男であって何も知らなかったし、子どもたちも両親にやさしく愛されていて、表面上は何事もなく、メリメはしあわせだった。
だが一八四八年の二月革命が起こり、当時パリの警視総監であった夫妻はどうしても英国に亡命せざるを得なくなり、その別離が二人のあいだに溝《みぞ》をつくった。革命が終わっても夫妻の亡命期間はさらに延長され、そのあいだ二人はパリで三、四回会っただけであった。それにもまして、夫人はやはりカルメンのような多情な女であったのだろう。とつぜん、彼は一八五四年十二月二十九日に、夫人から短い絶交状をもらったのである。原因は夫人にマキシム・デュ・カンという新しい恋人ができたからだったが、メリメの受けた心の痛手《いたで》はあまりにも大きかった。その翌年彼は、親身の間柄のド・モンティホ伯夫人に、こんなことを書き送っている。
「長いあいだ、ほんとうに愛し合っていた二人の男女を考えてみてください。もう世間ではその二人のことなど忘れているほど、そんなにも長く愛し合っていた二人なのです。ところがある朝、とつぜん女が、十年ものあいだ幸福だったはずの関係に暗い影をさし入れたのです。『別れましょう、わたくしはいつもあなたを愛しています。けれども、もうあなたに会いたくはありません』と言うのです。
奥さま、このようにとつぜん生涯の幸福を奪われた男の苦しみを、あなたは考えられるかどうか、わたしは知りません。だがこの話はほんとうのことでして、わたしの友だちの一人に起きたことなのです。スペインでは、人は恋をしながら死にますがね」
この友人なるものこそ、メリメ自身にほかならなかった。しかし彼は、ドン・ホセのようにカルメンを殺さなかった。彼はただ苦しみもだえ、その別離のにがさをのみこむよりしかたがなかった。
「わたしはもう、仕事をする気がなくなってしまった。だれのために仕事をしたらいいのか、その相手の人がないのです。わたしには、ある目的があった。その目的がいまはもうない……」
彼が追い求めた目的、それは彼女に気に入られることだったのだ。じじつそれからの彼の文学上の仕事は、従来とはちがった志向をみせている。
〔廷臣・伝記作家〕
これより先一八四四年にメリメは、シャルル・ノディエの椅子を襲ってアカデミー・フランセーズの会員となった。入会式の席上では恒例によると物故《ぶっこ》した前任者の功績を賞賛する演説をしなければならないのだが、彼によるとノディエは冗長で物知りぶった作家でしかなかったので、顔面|蒼白《そうはく》で演壇上に立った彼は、冷たい批判を前任者に浴びせたという。
このように潔癖ぶりを見せた彼が、なぜ反動的な、力をもって自ら帝位に就いたナポレオン三世の廷臣になったのであろうか。ここではついにメリメは情に負けたのであった。すなわちルイ・ナポレオンの皇妃となったウージェニー妃は、例のモンティホ伯夫人の次女であり、メリメはかつてウージェニーが幼児のころ、その姉のパカと一緒にひざの上に抱いて遊ばしたり、童話を話してやった仲なのである。上院議員となり延臣となった彼は、またしても彼女に話を聞かせてやることになる。彼の晩年の小説「ロキス」「ジュマーヌ」「青い部屋」などは、そのために書かれたのだった。
メリメのロシアに関する関心はすでに二十代からあったが、一八四八年頃から本気になってロシア語を勉強しはじめ、五二年にはプーシキンの「ボリス・ゴドノフ」と同じ主題をあつかい、部分的に訂正を試みた歴史小説「贋《にせ》のドミートリイ」をはじめ、「ステンカ・ラージン」「ボグダン・クメルニッキー」「ピョートル大帝年代記」「贋のエリザベート二世」などの伝記ふうの歴史研究の仕事をしている。メリメはつとに「シャルル九世治世年代記」の序文で、このように述べている。
「わたしは歴史の中で逸話《いつわ》だけが好きで、逸話の中でもとくに、その一つの時代における風俗や諸人物の性格の赤裸々《せきらら》な描写が好きだ。この趣味は、はなはだ高尚なものではない。しかし恥を忍んで告白すると、わたしは、(ペリクレスの妻で、その美貌と機知とで有名な)アスパジーだとか、ペリクレスの奴隷の一人の偽らざる手記を手に入れるためには、ツキディデス(ペロポネス戦記の著者)を捨てるであろう。なぜならば若者と読者との親密な対話である手記のみが、わたしを喜ばせ、わたしの興味をひく人物の肖像を描いてみせてくれるからだ……」
このような観点にたってメリメは、「シャルル九世治世年代記」はもちろん、「贋のドミートリイ」などの歴史ものを書いたのであって、挿話《そうわ》のおもしろさはそれらの作品に大なり小なり存在する。またその頃メリメは、プーシキン、ゴーゴリ、ツルゲーネフの諸作品の仏訳を試みたことを付言しておく。
〔晩年〕
普仏戦争|勃発《ぼっぱつ》という皮肉な運命によって、彼の生涯は悲劇でもって幕を閉じる。
一八五六年末より、リューマチその他の病気治療のためニースとカンヌにおもむいたメリメは、それ以後毎年冬をカンヌですごしていたが、六九年の終わりは喪《も》と不幸により、いっそう寂しいものとなった。サント・ブーヴをはじめ年来の友があいついで病死し、普仏間の雲行きは険悪の一途《いっと》をたどりりつつあった。メリメは六六、七年頃から三日に二通に近い割合で知人に手紙を書き送っているが、その頃の手紙には心の悩み、肉体の苦痛、倦怠《けんたい》、諦観《ていかん》、絶望感を訴えていないものはないといってもいい。
ミス・ラグデンとミセス・エワースの英人の姉妹が彼の看護にあたっていたが、そのラクデン嬢が病気になった。彼の健康は日一日と悪くなり、もう自分の部屋までも上がることもできなくなった。六九年の三月には新聞が彼の死を報じたほど、それほど病気が重かった。このことはメリメを興がらせたが、しかし彼は近づきつつある死を恐れてもいた。彼は死に先だつ瞬間において、知覚の喪失《そうしつ》があることを望んでいた。彼は憂うつそうに、「なぜ人は木の葉の落ちるように死ねないものだろうか」と述懐している。
一八七〇年六月一日に、メリメはパリに戻った。階段が上れないので階下に住まい、彼は何もしなかった、読書さえも。彼は書斎を整理し、自分よりも長生きするだろうと思われる友だちに、本をわかち与えたりしていた。
七月十九日、ついに仏はプロシアに宣戦布告した。がプロシアは仏の宣戦を待つまでもなくモルトケ将軍を参謀総長に、オーストリアを除く全ドイツに動員令を下した。メリメはよくその人となりを知っており、また敬愛もしていたビスマルクを信じていたので、戦端が開かれたと聞いたときには裏切られた気持ちを隠しえなかった。彼はフランスの将軍に才能がないことを知っており、もし仏軍が敗戦すれば共和国になり、国内が混乱におち入ることを恐れていたのだ。
仏軍は兵力に劣り、兵の装備もじゅうぶんでなく、本来なら独軍が動員を完了しないうちに電撃作戦を敢行すべきなのに、逆にモルトケ将軍は七十万の大軍を三軍に分けて進撃を開始し、八月の初めには、ライン、モーゼル両河間の国境を突破し、破竹《はちく》の勢いをもって仏領内に攻め入ったのである。
八月の十八日と二十日に、メリメはつづけて二回、国防政府の有力者チエールに会っている。しかし彼が親愛の情を寄せていた、この金ぶちめがねをかけた小男の老人の心に、何ら触れることなくして終わった。翌日彼は、次のような悲痛な叫びを漏らしている。
「時代の苦悶《くもん》のなかに、われわれとともにすぎてゆく! フランスの最後だ!」
そしてその日に、彼は皇妃と最後の会見をした。メリメはウージェニー皇妃に対する憐憫《れんびん》の情から、またもや九月三日に病いのからだをおして、チエールに会いに行った。この死にかかった悲劇の代弁者は、皇妃のために、さらに皇帝のために、とりなしをしたのだった。が、彼は形式的な拒絶にあっただけだった。チエールは帝政を救うことを欲しなかったし、すでに事態は個人の力ではどうしようもなかったのだ。このとき初めて、今まで人に涙など見せたことのないメリメがさめざめと泣いたそうである。
翌日彼は、最後の力を奮《ふる》い起こして、これが見納めの上院へすわりに行った。そこで彼はセダンの降伏を知ったのである。その日彼は、パニッチ宛に書いている。「相対的な崩壊だ。フランス軍は降伏した。皇帝は捕虜になった。すべては一度にくずれてしまった」
再びカンヌへ戻ったメリメは、静かな死を願いながら、やはり国の苦しみを自分の苦しみとしなければならなかった。九月十三日に、ボーランクール夫人へ宛てた最後の手紙で、このように語っている。
「私は生涯、偏見を捨て、フランス人であるよりもまず世界の市民たらんと努めました。それが今日《こんにち》、フランス人のこうむった屈辱のために泣いているのです。彼らがいかに恩知らずであり、どんなにばかであろうとも、わたしはやはり彼らを愛さずにはいられないのです」
しかしこの告白は、よしんばここでいかに愛国主義を表明しようとも、五十年のあいだ彼がすぐれた世界人であったということ、彼が国民としての、また宗教上のあらゆる偏見を憎んでいたことを否定するものではない。ついに彼は九月二十三日の夜、さながら安らかに眠るように、静かに息をひきとった。
〔メリメの文学〕
メリメはスタンダールとともに、ロマン主義文学のはなやかな時代に生きて、次に来るレアリスム文学の先駆をなした。つまりメリメは気質上からは、古典派にぞくすべき作家であるが、ロマン派の文学運動に迎えられて文壇に出たのであって、簡素、明晰《めいせき》、古典的な構成を古典主義の文学から、また主題の点において、ロマン派の文学傾向をとり入れている。色彩感、異国情緒、原始的な自然への趣好、人間性に潜む残虐的《ざんぎゃくてき》な要素などである。そしてそれらの主題を透徹《とうてつ》した、やや冷ややかな、非感情的な観察により、むだな形容詞をはぶいた、簡潔|直截《ちょくさい》な筆で描くことによってレアリスムの文学に達したのである。ここから芥川龍之介が彼の文学を称揚《しょうよう》して述懐した「メリメ日に新たなり」というような評も出てくるわけであって、それは彼の文学が古典派のうるおいのなさ、ロマン派の大げさな身ぶり、レアリスムの現実のみにくさ、汚れた世界への没入を排除しているからである。
ただ、メリメの文学には、詩と音楽の要素が欠けているのは惜しい。メリメは詩人でもなく、音楽家でもなかった。彼には飛躍的な精神や想像力がなかったのであろうか。気質的にクラシックな彼は心の中で、詩を理性の名において殺していたのだ。したがって彼は、まだ音楽よりも詩のほうがわかったようだ。たとえば「コロンバ」や「カルメン」の章句の中で、あらゆる土地の空の色を描いているのをみても気づかれるように、絵画的な詩心には富んでいた。多くのことばよりもわずかなことばで表現することを好んだ彼は、小説においても、また余技とみられているデッサンにおいても、常識と論理とが想像と幻想に勝っており、彼は豪奢《ごうしゃ》なロマンチックな宮殿の中に、均整のとれた堅固な己れの住居を作ったのである。
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作品解説
「カルメン」
一般にメリメの代表的作品と言われている本書は、一八四五年十月、「両世界評論」に発表され、四七年と五二年の両度にわたって訂正加筆されている。
メリメがこの不朽《ふきゅう》の名作を書いたのは、四五年の五月中の、ほんの一週間か二週間であった。しかし彼はこの小説のテーマを、一八三〇年に初めてスペインに滞在したとき以来、十五年間も頭に入れていたのである。彼はド・モンティホ伯夫人から、女を殺したために公衆の前で処刑された、あるマラガ生まれの男の話を聞いたのだった。またその同じ年に書いた「スペインだより」の中で、彼は「カルメン」の材料をあつかっている。すなわち、「闘牛士の話」「絞首刑の話」「山賊の話」「魔法使いの話」においてである。彼はセビーリャで、そのヒロインと同じ名まえの葉巻煙草の製造女工を見たと言っているし、また人里離れた居酒屋で、カルメンシタ嬢と会ったことも述べている。またその年に、若いメリメがマドリッドにおいてひそかに眺めた浴女《ゆあみおんな》が、コルドバの水浴びする女たちになったのはじじつである。
次の一八四〇年のスペイン旅行では、彼はプロローグともいうべき第一章について材料を得たにすぎなかった。つまりムンダの古戦場でホセ・マリアと出会ったこと、それから王室図書館で、シーザーの歴史についての研究を発見したぐらいのことだった。最後の章のいささかペダンティックなロマニ語や、スペインにおけるジプシーの習俗に関する叙述は、イギリス人の伝道師ジォルジュ・ポロー氏の著書、「ジンカリ」と「スペインの聖書」によるのであって、その中の語源学に関するメリメの記述は、はなはだ眉《まゆ》つばものだというのが、識者の意見のようだ。そしてこの作を書くにいたった動機の一部に、ドレセール夫人との恋愛があることは前述したとおりである。強気な、しかし一面において女らしい弱さもある、コケットリーな多情なカルメン、それとドレセール夫人とをなにも結びつけて考える必要もないが、しかし少なくとも夫人の片鱗《へんりん》を、カルメンは留めているのではないかと思われる。
この半ば真実の材料から、そして半ば想像のもとに書かれたこの小説は、著者を思わせる一考古学者が調査旅行の途上《とじょう》でホセと知り合い、最後に獄中で面会したときに、女ゆえに身を誤った彼の話を聞くという構成をとっている。第一章の書きだしは、「ドン・キホーテ」の中で、ドン・キホーテが盗賊ロック・ギナールに出くわす場面からヒントを得たのだそうだが、これにつづく第二章とは、ふつう「カルメン物語」としてオペラや映画になっている第三章よりも、小説としては味があっておもしろい。しかし一般にいって、やはり第三章が主題であり、興味をひく物語なのだろうが、しかしもし第一章と第二章とがなかったと仮定すると、第三章だけではたんなる興味本位の読みものにしかすぎなくなってしまうことは否めない。同じような理由で、はなはだ衒学的《げんがくてき》な第四章はなくもがな、とだれしもいちおうは考えるが、この章があればこそ、この小説の締めくくりがつくというものである。
第三章のカルメン物語は、一人の純情な青年が、情熱と野生の化身《けしん》のようなジプシーの女に対する恋情ゆえに道徳上堕落してゆく姿を、スペインを舞台に、密輸入者、山賊、闘牛場といったものを背景にして描いたものであって、男は嫉妬のあまりついに女を殺し、自分も死ぬ、女もいつかは自分が殺されるという運命にあることを知りつつも、多情なゆえに、地道に暮らそうという男の最後の頼みを拒んで男の刃《やいば》のもとに倒れる。そういった暗い作品なのである。だからオペラとか音楽とか、または映画から、けんらんたる「カルメン」を想像して読むと、かなり違った感じを受けると思う。オペラは原作をアンリ・メイラックとリュドヴィック・アレヴィが脚色し、ジョルジュ・ビゼーが作曲したもので、原作とはだいぶ話の筋が違う。オペラに出てくるドン・ホセのフィアンセである田舎娘ミカエラは原作にはないもので、これはカルメンのようないかがわしい性格の女のみをもってくることを避けて、カルメンと対照的に純真な処女ミカエラを配したわけだが、そのためにいっそうカルメンの妖婦《ようふ》ぶりをきわだたせるわけで、それがまたオペラ「カルメン」の魅力ともなっている。
「エトルリアの壺」
一八三〇年二月の「パリ評論」に掲載された。この作は「二重の誤解」とともに、彼の作品にしては珍しく作者らしき人物が登場している。しかし自分というものを人前にさらけだすことはもっともメリメの嫌悪《けんお》するところであり、ある部分は彼らしくもあるし、ラコスト夫人との情事がゆがめられて描かれているとはいえ、主人公のサン=クレールは、けっしてメリメその人ではない。テーヌも指摘しているとおり、彼の親友であるジャクモンが、この作では一役かっている。当時のサロンのふんいきだとか、ダンディな青年であるとか、恋ゆえに決闘する男の気持ちとかは事実に基づいたと思われるが、すべては「信じやすさや想像からくる誤解」に対するきびしい戒《いまし》めを追求しようとする作者の意図を描くための道具立てにすぎない。そして同じようなテーマを追ったものとしては、「二重の誤解」のほうがすぐれている。
この短編は、誤解と嫉妬が生んだ悲劇である。読者は、マチルドがサン=クレールの嫉妬の種であるエトルリアの壺を木っ端みじんに割って実《じつ》を見せた以上、彼は夫人のほんとうの気持ちがわかったので、何もテミーヌの弾《たま》を受ける必要はないではないかといぶかるかもしれぬ。まさにそのとおりである。ただここに考えるべきは、この小説が書かれた一八三〇年という年は、ユゴーの「エルナニ」や前年の「東方詩集」、それにスタンダールの「赤と黒」、ラマルチーヌの「階調詩集」も刊行された、ロマン派文学の圧倒的に勝利を得た年であった。恋人から愛されているという確信を得て、その幸福感に酔いながら死ぬというテーマは、まさにロマン派文学の好みであって、ここでサン=クレールがテミーヌに自分の乱暴したことをわびたら、この小説は成立しないのである。
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年譜
一八〇三 九月二十八日、パリのカレ・サント=ジュヌヴィエーブ七番地に生まれる。画家で絵の具の研究家であるレオノール・メリメ(一七五七―一八三六)の一人息子。母はアンヌ・モロー。両親ともにノルマンディの出身である。
一八〇七(四歳) ヌーヴ=サント=ジュヌヴィエーブに転居(今日のトゥルヌフォール街)。レオノールは美術学校の書記に任命され、ボナパルト町十四番地の美術学校内にある仏国名作美術館の官舎を与えられる。少年プロスペールの考古学や古美術への趣味の芽生えに役立つ。
一八一一(八歳) ナポレオン中高等学校(アンリ四世校)に入学。
一八二〇(十六歳) 八月、ナポレオン中高等学校卒業。パリ大学に入学。
一八二〇(十七歳) アルベール・スタプフェールと知り合う。一月にアンペールと「オシアンの詩」を共訳。
一八二二(十九歳) 処女作「クロムウェル」を三、四月から九月にかけて書く。この一種の人形劇の台本を、その年の終わりごろにヴィオレル=ル=デュックのサロンで読む。(一説には二四年にドレクリューズのサロンで朗読したとあり)夏ごろ、はじめてスタンダールと知り合う。
一八二二(二十歳) 八月、パリ大学法学部卒業。ヴァランヌ侯と合作で未完の小説を書く。
一八二四(二十一歳) 十一月に「ル・グローブ誌」に「スペイン劇」について署名なしの論文を発表。
一八二五(二十二歳) 二月半ばごろに、ヴィクトール・ジャクモンと知り合う。ドレクリューズ家のサロンで「クララ・ガスルの戯曲」を次々と朗読す。
一八二六(二十三歳) 五月、ドレクリューズと英国に渡り、英人シャープやエリスと親交を結ぶ。批評家ヘズリットを訪問。
一八二七(二十四歳)「ラ・ギュズラ」発表。その年の末ごろラコスト夫人と知り合い、その夫と決闘して負傷する。
一八二八(二十五歳) 戯曲「ラ・ジャックリ」、同「カルヴァハル家」を発表。
一八二九(二十六歳)「シャルル九世治世年代記」、戯曲「サン=サクルマンの四輪馬車」発表。五月、「マテオ・ファルコーネ」で「パリ評論」の寄稿家となる。「シャルル十一世の幻想」「とりでの奪取」「タマンゴ」「トレドの真珠」、戯曲「出来ごころ」発表。
一八三〇(二十七歳)「ル・ナショナル紙」の寄稿家となる。六月、第一回のスペイン旅行、マドリードにモンティホ伯を尋ね、十二月初めに帰国、国民軍砲兵隊にはいる。「エトルリアの壷」「ロンディノの話」「すごろく将棋の勝負」、戯曲「不平の徒輩」を発表。七月革命、シャルル十世退位し、英国へ亡命。ルイ・フィリップ即位。
一八三一(二十八歳) 二月、ブロイ公爵の庇護を受け、アルグー伯の下で海軍省入り。三月、伯に従って商務土木省に移る。十月頃、ジェニー・ダカン嬢よりはじめて匿名《とくめい》の手紙をもらう。この年から三三年にかけて、「パリ評論」の編集長宛に「スペインだより」を書く。
一八三二(二十九歳) 官房秘書課長となる。十二月、アルグー伯とともに内務省に移る。現職のまま参事院請願委員拝命。ジャックモン、ボンベイにて客死。
一八三三(三十歳) 四月、ジョルジュ・サンドとの恋愛に失敗。六月「モザイック」刊、九月「二重の誤解」発表。アルグー伯のサロンでドレセール夫人を知る。
一八三四(三十一歳) 五月、史跡保存官となる。八月、「煉獄《れんごく》の魂」で「両世界評論」の寄稿家となる。
一八三六(三十三歳) ドレセール夫人との恋愛。父レオノール死す。
一八三七(三十四歳) 五月、「イールのヴィーナス像」発表。「史跡保存委員会」書記拝命。
一八三九(三十六歳) 八月、コルシカへ行き二カ月滞在、イタリアを経て十一月帰国。
一八四〇(三十七歳) 七月、「コロンバ」発表。八月、再度のスペイン旅行。十月帰国。
一八四一(三十八歳) 九月、ルノルマン、アンペールとともにナポリからギリシャへ行く。アテネでラグルネ夫人と知り合う。
一八四三(四十歳) 十一月、碑銘及び学芸アカデミーの会員に選ばれる。
一八四四(四十一意) 三月、論文「ローマ史研究」二巻刊。同月、アカデミー・フランセーズの会員に選ばれる。同月、「アルセース・ギヨー」発表。
一八四五(四十二歳) 二月、アカデミー・フランセーズで恒例の前任者の賛美演説の代わりにシャルル・ノディエについて冷たい批評をする。十月、「カルメン」発表。
一八四六(四十三歳) 二月、「オーバン神父」発表、「カルメン」「アルセーヌ・ギヨー」とともに刊行。同月、「マダム・リュクレジア小路」作。
一八四七(四十四歳) 一月、ジャコブ町へ移転。七月、「ドン・ペドロ王伝」を書き終え、十二月、一部分発表。
一八四八(四十五歳) 史跡保存官留任、ラボルドとともに新政府よりチュイルリ宮殿の宝物管理を依嘱《いしょく》さる。六月、事変に国民軍に参加す。
一八四九(四十六歳) 一月、サン=サヴァン教会及びその壁画について論文発表。七月、プーシキンの「スペードの女王」の翻訳発表。
一八五〇(四十七歳) 三月、「サン=サクルマンの四輪馬車」初演。七月、戯曲「二つの遺産相続またはドン・キホーテ」発表。小冊子「H・B」(スタンダール追悼文)刊行。
一八五一(四十八歳) 十一月、「ゴーゴリについて」発表。
一八五二(四十九歳) リブリ盗書事件に関しリブリ弁護の文書を四月に、「デバ紙」「両世界評論」に掲載。司法官侮辱の件で起訴され、禁固十五日罰金千フランに科せらる。四月末に母死す。七月、ラ・コンシェルジェリ監獄にはいる。十二月「贋のドミートリイ」刊。プーシキンの「軽騎兵」「ボヘミヤン」の翻訳発表。
一八五三(五十歳) 三月、「モルモン教徒」発表。六月、上院議員となる。年金三万フラン。
一八五四(五十一歳) 六月、「ウクライナのコサックと彼らの最後の頭目たち」発表。七月、「ロシアの文学とその農奴制度、及びツルゲーネフの猟人日記について」を発表。十二月、ドレセール夫人より絶交状を受けとる。
一八五五(五十二歳) 二月、「歴史及び文学上の人物評論」刊。
一八五六(五十三歳) 三月、プーシキンの「決闘」の翻訳発表。喘息《ぜんそく》とリューマチのため十一月にカンヌへ、十二月にニースへ赴く。これより毎年カンヌへ避寒。
一八六一(五十八歳) 八月、「ステンカ・ラージン」発表。
一八六二(五十九歳) ロンドン万国博覧会のために渡英、審査員となる。
一八六三(六十歳)「ボグダン・クメルニッキーの生涯」発表。
一八六四(六十一歳)「ピョートル大帝年代記」発表。
一八六五(六十二歳)「ステンカ・ラージン」と「ボグダン・クメルニッキー」をあわせて「昔のコサック」と題し刊行。
一八六六(六十三歳) 六月、ツルゲーネフの「幻影」の翻訳発表。ナポレオン三世の「シーザー伝」に協力。八月、レジオン・ドヌール・グラン・トフィシエに叙せらる。九月、「青い部屋」作。十月、ドレセーヌ夫人を訪ね、同作を読んで聞かせる。
一八六八(六十五歳) 一月、「プーシキン論」発表。五月、「ツルゲーネフ論」発表。
一八六九(六十六歳) 六月、「贋のエリザヴェータ二世」発表。七月、「ロキュス」発表。十一月、「ジュマーヌ」作。十一月、「セルバンテス小伝」作。ツルゲーネフの「犬」の翻訳発表。
一八七〇(六十七歳) 三月、ツルゲーネフの「ふしぎな物語」の翻訳発表。九月二十二日、カンヌで没。同地に埋葬。
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あとがき
わたくしは昭和十五年に改造文庫で「二重の誤解」他数編を刊行した頃から、メリメの作品や手紙をいくつか訳し、また彼の人となりや作品について紹介めいたものを書いてきた。わたくしが彼にひかれるのは、どういうところにあるのだろうか。
まず第一に、むだのない、典雅《てんが》な文体に魅せられる。次に人生の山場というか、ぎりぎりの気持ちを捕えるテーマに魅せられる。それは人性のモラルの追求とでもいうのか、彼の小説、戯曲、歴史物語共通に感じられるものである。ラディゲを訳し、最近はヴェルヌのものなどいろいろとてがけてきたが、メリメはなにか自分の文学の古里《ふるさと》といった感じがしてならない、あるいはあこがれといってもいいだろう。だから創元社から、個人訳でメリメ全集を刊行すると決定したときはどんなに嬉しかったことか、またそれだけに同社が整理のために全集刊行が不可能になったときの失望感がどんなに大きかったことか。
この「カルメン」は「アルセーヌ・ギヨー」とともに、そのときの全集の第一巻目にあたり、つぎに旺文社文庫に入れるについては、さらに訳語を吟味し、訂正した。また「エトルリアの壷」も、そのときに訳しておいた原稿だが、改めて手を入れて書き直した。
翻訳には完全な訳というものはありえないもので、ただ少しでもよいものにしたいという心がけを捨てないこと、ただそれだけだと思う。まことに因業《いんごう》な、つらい仕事である。なおメリメの作品に注が多いのは、彼自身が自分の小説に注を付けるのが好きだったからで、この点|衒学的《げんがくてき》であるというそしりは免れない。
訳者の使用したテキストはアンリ・マルティノの編さんしたプレイアード版であるが、これにも編者の注がたくさんある。著者の注は全部載せて(原注)としたが、編者の注は訳者が収捨選択し、他に訳者によるものとあわせてとくに区別せずに掲載したことをお断わりしておく。
〔訳者紹介〕
江口清(えぐちきよし) 一九〇九年、東京神田に生まれる。旧アテネ・フランセに学ぶこと十年、翻訳はその頃から手がけ、メリメのものでは、「二重の誤解」「アルセーヌ・ギヨー」「コロンバ」「マテオ・ファルコーネ」「とりでの奪取」「ロンディノの話」「フェデリゴ」「タマンゴ」「スペイン便り」「贋のドミートリイ」「ある女への手紙」「ボーランクール夫人への手紙」など。他に「ラディゲ全集」その他。日本著作家組合常任委員、ペン・クラブ会員。