南回帰線(下)
ヘンリー・ミラー/大久保康雄訳
目 次
間奏曲
解説
[#改ページ]
間奏曲
混乱とは、解明されていないひとつの秩序を名づけるためにつくられた言葉である。私は事物がいまや形をととのえようとしているこの時期のことを考えるのが好きだ。この秩序は、もし解明されたならば、さだめし目くるめくものとなるにちがいないからだ。まず考えるのはハイミーのことである。あの食用|蛙《がえる》ハイミーだ。それに、かなり長いあいだ腐りつづけてきた彼の細君の卵巣のことだ。ハイミーは細君の腐れゆく卵巣にすっぽりとつつまれていた。毎日の話題がそれだった。それはもはや下剤や舌苔《ぜったい》の話題をはるかにしのいでいた。本人にいわせると、〈セックスの諺《ことわざ》〉を常用していたのである。なにを話すにしても、かならず卵巣にはじまり、卵巣に終った。なんのかのと言いながらも、彼はまだこの細君とふざけあっていた――それは蛇《へび》のようにねっちりした長いからみあいで、そのあいだ彼はタバコを一、二本すうくせがあった。ただれた卵巣から出る膿《うみ》が細君を熱っぽくしてゆく情景を、彼は、なんとかして私に伝えようと骨を折った。それでなくても申しぶんのなかった彼女が、いまではいっそうつよいよろこびをあたえてくれるようになった。いったん卵巣を切りとってしまったら、いったいどういう感じになるものか、夫婦とも、まるで見当がつかなかった。細君も、それを考えたらしい。だから、「ねえ、いまのうちに!」ということになり、毎晩、食事の後片づけが終ると、彼らは小鳥の巣のようなアパートメントで衣装をぬぎすてて、二匹の蛇のようにからみあった。ハイミーは何度も私にそのときの情景を聞かせてくれた――彼女の姿態などのことを。それは牡蠣のようで、そのやわらかな歯が、すこしずつ彼を噛《か》みこむのだそうだ。あまりにもふっくらとやわらかなので、ときにはわけがわからなくなるような気がするそうである。やわらかな歯ですこしずつかじりとられ、彼は夢みごこちになる。ふたりはいつも鋏《はさみ》のように横たわり、天井を見上げている。のぼりつめまいとして彼は事務所のことを考えたり、いつも苦にしている小さな心配ごとを思いかえしたりしながら、足のほうに力を入れつづける。山をこすと、こんどは別の女のことを頭に思いうかべる。細君がまた働きかけてきたときに、全然別の女とはじめているのだと想像するためである。彼はいつもむきを変えて、行為中に窓から外をのぞけるようにしておく。なれたもので、彼は窓の下を歩く女を、思いのままにベッドへつれこむことができるのである。それだけではなく、いつも、そのままでその女をじっさいに自分の女房ととりかえることもできるのだ。ときには、そうやって二時間も過しながら、一度も満足しないですませることもある。無駄なことはするもんじゃない、と彼はいうのである。
一方、スティーヴ・ロメロの持続時間は、まことにすさまじいかぎりであった。スティーヴは雄牛《おうし》みたいな体《からだ》つきで、このほうは惜しみなく種をまき散らした。私たちは、しょっちゅう事務所の近くのチャプスイ屋にしけこんでは、たがいに情報を交換しあった。奇妙な雰囲気であった。酒が入らなかったせいかもしれない。おかしな形をした黒い小さなキノコを食わされたためかもしれない。スティーヴは、そこに姿をあらわす前に、もうシャワーを浴びて、きれいに体を洗っていたようだ。それが彼の日課であった。彼は内側も外側も清潔だった。まずは非のうちどころのない男性の標本みたいな奴《やつ》だった。頭は、そう切れるほうではないかもしれないが、友人としては申しぶんのない男だった。彼にくらべると、ハイミーは、まるでヒキガエルみたいなものだった。汚《きた》ならしい泥沼の生活を終えると、そのまま彼は食卓へやってきた。汚物が蜜《みつ》のようにたらたらと口の端《はし》から垂れていた。実際、彼の場合は、汚物などと呼べるものではなかった。なんとも比較のしようのないもの、全部が全部セックスからできた粘っこい、ぬるぬるの液体なのだ。食べものも彼の目には精液の原料としか見えないようであった。あたたかい日だと、彼は、あのほうの楽しみにもってこいの日和《ひより》だ、というし、市電に乗ると、リズミカルな振動が欲情を刺激して、彼の言葉を借りれば、じわじわと〈個性的な〉男の怒りを起させる、というのであった。なんで〈個性的〉なのかは、ついに聞きもらしたが、とにかくそれがハイミー一流の表現なのだ。ハイミーは私たちといっしょに出歩くことを好んだ。私たちは、まずかならずといっていいほど、格好な相手を見つけることができたからである。ハイミーひとりだと、なかなかそういうわけにいかなかった。私たちの仲間に入ると、彼は目さきの変った女をつかまえることができたのだ――つまり彼のいう異邦人の女である。彼はそうした非ユダヤ教徒の女が好きだった。ユダヤ人よりもいい匂《にお》いがする、と彼は言った。それに気楽に笑うし……ときには、あの最中にまで笑いだすからね。ただひとつハイミーにとって我慢がならないのは黒人女であった。私がヴァレスカと歩きまわっているのを見て、よく彼は、あきれたり眉《まゆ》をしかめたりしたものである。一度、彼は私に向って、どうだい、ものすごく強烈な匂《にお》いがしないか、とたずねたことがあった。強烈で、つんと鼻をつく匂い、それに肉汁がたっぷりとあって、それがいいんだよ、と私は答えた。ハイミーは妙なふうに顔をしかめた。場合によっては彼は不思議なほど潔癖だった。たとえば食事である。自分の食べものとなると異常なまでに口うるさかった。たぶんこれも民族的な特性なのだろう。身なりについても同様であった。純白のカフスに、しみひとつついていても、我慢できなかった。たえず服の塵《ちり》をはらい、絶えず手鏡を出しては、歯のあいだに食べかすがついてはいないかと気にしていた。パン屑《くず》ひとつでも見つけると、ナプキンで顔をかくして、柄に真珠の飾りのついた爪楊枝《つまようじ》でせせくり出した。卵巣――そいつは彼には見えなかった。においもしなかった。彼の細君も、なかなかの潔癖家だったからだ。彼女は夜ごとの婚儀のために一日じゅう念入りに身を清めた。彼女が、ことさらに卵巣を大事にした心情は悲痛であったとすら言えよう。
いよいよ入院ときまったとき、ハイミーの細君は完全に常軌を逸していた。もう二度と夜の営みができぬというおそれが正気をうしなわせてしまったのである。ハイミーは、――どっちにしたって自分にとっては同じだ、と細君に言った。くわえタバコで蛇のようにからみついたまま、窓の下の街路を歩いている娘たちを眺《なが》める彼にとって、女が不能になるなどということは想像もつかなかった。彼は手術が成功すると確信していた。|成功する《ヽヽヽヽ》! それは、細君が前よりももっとうまくできるようになることを意味していた。彼は仰向けになって天井を見つめながら、いつもこういうのであった。「愛しているよ、いつも。いつまでもな。ちょっと前に出て……うん、そう……それでいいよ。なにをしゃべってたんだっけ? あ、そうだ……そうさ、あたりまえだよ。なんだって、そんな心配をするんだい。もちろん、おまえを裏切ったりするもんか。おい、ちょっぴり引いて……うん、そう……それでいい、それでと」ハイミーはチャプスイ屋で、いつもそんなことを話した。スティーヴはゲラゲラと笑った。彼にはハイミーみたいなまねはできなかったからだ。スティーヴは、あまりにも真正直だった――女を相手にしたときには、とくにそうだった。まったく幸運から見離されているのも、そのためだった。たとえばスティーヴが嫌《きら》っているチビのカーリーなどは、いつでもほしいものを手にいれることができた……カーリーは、生来の嘘《うそ》つきであり根っからの詐欺師であった。ハイミーも、カーリーには、あまり好意をもっていなかった。あいつは不正直だ、と言っていた。もちろん金銭上の問題についてである。そういったことに関しては、ハイミーは、なかなかきちょうめんだった。とくに彼が不愉快がったのは、カーリーが自分の叔母のことをしゃべるときだった。ハイミーにいわせると、実の母親の妹と関係することさえけしからんのに、その女を腐れチーズあつかいするなんて言語道断だ、というのである。女性にたいしては、すこしは敬意を表するのがほんとうだ――売春婦ならともかく。売春婦は別さ。売春婦は女じゃないもの。売春婦は売春婦さ。それがハイミーのものの見かたであった。
しかし、ハイミーが彼を嫌うほんとうの理由は別なところにあった。私たちがいっしょに外へ出かけると、きっとカーリーが、いちばん上玉をものにしたのだ。しかも、たいていはハイミーの金でたらしこむのであった。金をせびるそのやり口がまたハイミーにとっては気にくわなかった――まるでゆすりだぜ、と彼はよく言ったものである。その責任の一端はこの私にある、と彼はいうのであった。あの小僧を甘やかしすぎるからいけない、というのである。「あいつは徳性ゼロだ」とハイミーはよく言った。「ほう。じゃ、きみはどうだい、きみの徳性は?」と私はやりかえした。「|おれ《ヽヽ》の徳性だと? ちょっ! おれは徳性をもつには年をくいすぎているよ。だがカーリーはまだ子供だぜ」
「妬《や》いてんだよ、きみは」とスティーヴが言った。
「|おれ《ヽヽ》がか? このおれが、|あいつ《ヽヽヽ》に嫉妬《しっと》するって?」ハイミーは、せせら笑ってうち消そうとするが、じつは痛いところを突かれているので、思わず顔をしかめる。「なあ」と彼は私のほうに向きなおって言った。「おれがきみに、やきもちをやいたことがあるかね。ほしいといわれれば、すぐさま自分の女だってゆずってやったおれだぜ。S・U支局の赤毛の女はどうだ……おぼえているだろう……乳首の大きな女の子さ。あいつは、いくら友だちだってゆずるには惜しい美人だった。しかし、おれはゆずってやったじゃないか。そうだろう。大きな乳首が好きだっていうから、ゆずってやったんだ。しかし、相手がカーリーでは、そういうわけにはいかないね。あいつは小悪党だ。ひとりで女あさりをさせときゃいいのさ」
実際の話、カーリーは、せっせと女あさりをやっていた。察するところ、一度に五、六人は、ものにしたらしい。たとえばヴァレスカだが――カーリーは彼女と、もうかなりしっくりいっているようであった。彼女は顔をあからめもせずに自分を抱いてくれる男を見つけたことが、よほどうれしかったとみえ、彼の体を、自分の従妹《いとこ》と、つづいて例の小娘と共有することになっても、全然不服めいたことを言わなかった。ヴァレスカが、もっとも望んでいたのはカーリーといっしょに浴槽《よくそう》に入り、そこで彼に求めることだった。小娘に気づかれぬうちはよかったが、とうとうばれて、はでな喧嘩《けんか》となり、客間の床の上で、ようやく和解という仕儀に立ちいたった。カーリーの話を聞いていると、シャンデリアにとびついてよじのぼることを除けば、ありとあらゆることをやったようである。おまけに彼は、いつもたっぷりと小づかい銭をもっていた。ヴァレスカは、ものおじしない女だが、彼女の従妹のほうは、ごく小心者で、硬直したやつを目の前に見せられると、とたんに腑抜《ふぬ》けのようになってしまった。男の前ボタンがはずれているというだけで、前後不覚になるような女だったのだ。カーリーが彼女に対して求めるさまざまな要求は、聞いているこちらが恥ずかしくなるようなものだった。カーリーは彼女を堕落させることによろこびを見いだしていた。だが、私には、あまり彼を非難する気が起らなかった。外出着を着た彼女は、いかにもいきで気どった女に見えたからだ。おつにすまして街を歩いているところは、どう見ても生娘《きむすめ》としか思えなかった。もちろんカーリーは彼女と二人だけになると、気どりやお上品ぶりの代償を要求した。彼のやりかたは冷酷非情だった。「引っぱり出すんだ」と彼は前をすこしあけながら言う。「舌を遊ばしておくんじゃない!」(カーリーはこの手を三人の女全部に用いた。彼の言うところによると、彼女たちは、たがいにこっそり口のいたずらを楽しんでいたからである)とにかく、いったんそれを味わったが最後、女はもう言いなり放題だった。ときどきカーリーは女の両手を床につかせて、手押車のように部屋じゅうを押しまわることがあった。またふざけて、女がうめいたりもだえたりしているあいだ、そしらぬ顔でタバコに火をつけ、女の脚《あし》のあいだに煙を吹きこんだりした。あるとき、そんなかっこうで、女に、いやらしいいたずらをしかけたことがあった。そのとき女は自分をうしなっていた。彼は、からめてからの攻撃ですみそうだというところまでくると、いったん冷却させる必要があるとばかり一息入れ、こんどは、ゆっくりと、静かに一本の大きな赤にんじんをもてあそんだ。そして、「ミス・アバクロンビー、こいつは、まるでおれのと瓜《うり》二つだよ」そう言って自分のほうは勝手に処理してズボンをたくしあげてしまった。アバクロンビーは、あまりのことにたまげて、どえらい放屁《ほうひ》をやらかし、その勢いで彼はにんじんをとり落してしまった。すくなくともカーリーは私にそう話したのである。もちろんカーリーは途方もない嘘《うそ》つきだから、一から十まででたらめかもしれないが、彼にそういういたずらの趣味があることは否定できない。ミス・アバクロンビーにしても、きっすいの東部人みたいに気どっていながら、このご乱行ぶりなのだから、どんなに鼻つまみな女であるかは、簡単に想像できようというものである。こんな手合いにくらべるとハイミーは純潔主義者であった。どういうものか、ハイミーと、割礼を受けた彼の太いやつとは、まるで別ものであった。彼のいう〈個人的な〉噴火がおきると、ほんとうに彼自身の手に負えなくなるのである。自然《ヽヽ》が自己を主張する――彼の、ハイミー・ローブスチャーの太い、割礼を受けたやつを通して自己主張をするのだ。彼の細君のものにしても同じことだった。それは彼女が飾りもののように両脚のあいだにつけているもの、したがってローブスチャー夫人の一部ではあるが、ローブスチャー夫人という一個人とは別個のものであった。この意味が読者にわかってもらえるだろうか。
こんなことをくどくどとしゃべってきたのも、つまりは当時はびこっていた一般的な性の混乱について語りたかったためである。当時は「性交の国」に寓居《ぐうきょ》をさだめたようなものであった。一例をあげれば、二階の少女だ……彼女は、女房がリサイタルをやりに出かけた留守など、しょっちゅう階下へ降りては子供の面倒をみてくれていた。この娘は、明らかに低能なので、最初のうちは目もくれなかったのだが、彼女とても人並に女性らしさはそなえていた。彼女が無意識に意識している、いわば非個性的で個人的な女らしさを。彼女は何度も階下へ降りてきたが、そのたびに無意識のうちに性の意識を強めてくる様子だった。ある晩、彼女はバスルームに入ったまま、なかなか出てこなかった。あまり長いので、私は、いろいろと気をまわした。とうとう決心して、なにごとが起きたのかをたしかめようと鍵穴《かぎあな》からのぞいてみた。なんと彼女は鏡の前に立って可憐《かれん》な部分に見とれているではないか。まるでそれに話しかけんばかりであった。昂奮《こうふん》のあまり私は、最初はどうしてよいかわからなかった。やがて私はホールにもどり、あかりを全部消して寝椅子に横たわり、彼女が出てくるのを待った。横臥《おうが》している私の目には、あの茂みの豊かさと、弦をかき鳴らすようなしぐさとが、まだありありと見えた。私はひんやりとした暗やみのなかで躍動させていた。寝椅子から少女を催眠術にかけようとしたのであった。すくなくとも私のもので彼女を催眠術にかけようと試みたのである。「おい、女、ここへこい」と私は、ひとりごとを言いつづけた。「ここへ入ってきて、その服を、ここでひろげてみろ」この呪文《じゅもん》は、たちまち彼女をとらえたらしい。少女は、さっとドアをあけると、暗闇《くらやみ》のなかを、まさぐるようにして寝椅子に近づいてきた。私は、なにも言わなかった。身じろぎもしなかった。暗闇のなかを蟹《かに》のように音もなく動いている少女の肉体に、ただひたすら思いをこらしていた。とうとう彼女は寝椅子の真横に立った。彼女も、おし黙ったままだった。ただじっとそこに立っていた。私が体を撫《な》であげると、彼女は片足をずらして、着ているものをほんのすこしひろげた。あんなにねっとりとした肌にさわった記憶は、前にも後にもないような気がする。数秒後、彼女は、牛が草を食《は》むために首を垂れるように、ごく自然にかがみこんだ……さっきも言ったように、どちらも口をきかなかった。墓掘り人夫のように黙々と暗闇で働きつづける二人の癲狂者《てんきょうしゃ》だ。狂った楽園《パラダイス》。私はそれを意識し、もし必要なら、ほんとうに瘋癲になってもいいと思った。彼女とのひとときは、私がおぼえているかぎりでは最上であったように思う。彼女は、ただの一度も口をきかなかった――その晩も、翌晩も、そののちも。私がひとりでいることを嗅《か》ぎつけるやいなや、そっと階下に降りてきて、体をべったりと私に貼《は》りつけるのであった。
思いかえしてみると、じつに大きな|おんな《ヽヽヽ》であった。暗い地下の迷宮、そこに備えつけられたソファ、片隅《かたすみ》の美しい飾り棚《だな》、ゴム製の歯、洗浄管、やわらかなイラクサ、羽毛、桑の葉。私は孤独な虫のようにそこへ這《は》いこみ、静寂そのものの割れ目のなかにわが身を沈め、牡蠣《かき》の養殖場に横たわるイルカのように、おだやかな安らぎを楽しむ。一瞬――私はもう特急寝台車で新聞を読んでいる。つぎの瞬間には袋小路につきあたる。そこには苔《こけ》むした玉砂利と、自動的に開閉する小門がある。ときにはウォーター・シュートに乗っているような気分になる。急坂を突進して、すさまじい水しぶきをあげる。その勢いにあおられて、水辺の葦《あし》がはげしくそよぎ、小魚どものエラが、ハーモニカ・ストップのように、ひたひたと私を打つ。だだっぴろい暗黒の洞窟《どうくつ》のなかで、絹と石鹸《せっけん》のオルガンが、暗い音楽をかなでている。少女が調子を高めるとき、歓喜をあふれさせるとき、それは紫がかった紅色になる。たそがれどきのあの濃い赤紫、矮人《わいじん》やクレチン病者が月経のときに見て楽しむあの下腹部のたそがれの色だ。それは、花を噛《か》む食人種を、殺人狂になったバンツー族を、しゃくなげの咲き乱れるなかで楽しんでいる野性の一角獣《ユニコーン》を思わせた。いっさいが無名であり無相であった。無名氏《ジョン・ドウ》とその妻|無名女《エミー・ドウ》だ。頭上にあるのはガスタンクであり、下にあるのは海洋の生活であった。前にも言ったように、この娘は頭がどうかしていた。まだ自由に出歩いたりはしていたが完全に痴呆《ちほう》であった。だからこそあんなにすばらしく非個性的な営みができたのかもしれない。それは百万にひとつというもの、ディック・オズボーンがジョーゼフ・コンラッド(一八五七―一九二四、英国の海洋小説家)を読んでいるときに発見した、あのアンチル列島の真珠にも比すべきものであった。広大な性の大洋に彼女は横たわっていた。銀色に光る環礁を、人間のイソギンチャク、人間のヒトデ、人間の石珊瑚がとりまいていた。彼女を発見できるのは、オズボーンのような人間だけだろう。それも、彼女《ヽヽ》の正確な緯度、経度を教えられての話だ。日中、この娘に会い、彼女がしだいに発狂してゆくさまを眺めていると、夜の行為は、まるでイタチをワナにかけるようなものだと思えてくるのであったが、とにかく私は、暗闇のなかに横たわり、受身になって待っていさえすればよかった。彼女は、忽然《こつぜん》とカフィル族(体格のすぐれた南アフリカの土人)のなかに生きかえったオフィーリアのようであった。どこの国語も話せなかった。とくに英語は一言も駄目だった。まったく記憶を喪失した聾唖者《ろうあしゃ》であった。そして彼女は、記憶といっしょに電気冷蔵庫も、ヘア・アイロンも、毛抜きも、ハンドバッグもうしなってしまった。黒々としたものをのぞけば魚以上に素裸であった。しかも、魚以上にぬめらかでもあった。魚には、まだ鱗《うろこ》があるが、彼女には、そんなものはなかったからだ。ときによると、私が彼女のなかに入っているのか、彼女が私のなかに入っているのか判然としなくなることがあった。新流行の角闘《パンクラス》で、たがいに自分の尻《しり》に噛みつくのだ。イモリの求愛、あけっぴろげの傷口。性別のない、また消毒液《リゾール》のない求愛。クズリ(穴熊の一種)が樹上でよくやる果てしない交合。一方には北極洋、他方には熱帯のメキシコ湾。そして、口に出して言いはしなかったが、いつも私たちの側にはキング・コングがいた。タイタニック号の朽ちた船体のなかに、燐光《りんこう》を放つ百万長者どもの骸骨《がいこつ》や海ウナギとともに眠っているキング・コング。どんなに筋の通った論理も、このキング・コングを追い出すことはできなかった。彼は、うつろいやすい魂の苦悩を支《ささ》える巨大な脱腸《ヘルニア》帯であった。毛むくじゃらな脚と長さ一マイルもの腕をもったウェディング・ケーキであった。ニュースが、つぎつぎに映っては消えてゆく回転スクリーンであった。また、決して発射されることのない連発拳銃の銃口、淋菌《りんきん》という恐るべき銃をかまえたライ病患者であった。
私がまず男の象徴からはじめて、いろいろなことを静かに思いめぐらすのは、いつもここ、つまり下の空腔《くうこう》においてであった。第一に頭にうかぶのは、二項定理であった。こいつは難解で、いつも私の頭をなやました。私はそいつを拡大鏡の下において、XからZまで丹念に調べてみた。つぎにロゴスだ。なぜか私は、それを呼吸と同一視するくせがあった。だがじつは、その反対で、ほんとうは一種の頑固《がんこ》な鬱血《うっけつ》状態を意味していることがわかった。あらゆる穀倉がもういっぱいになり、エジプトからユダヤ人が追い出されたあとも、ずっと小麦を挽《ひ》きつづける機械のようなものである。ビューセファラス(アレクザンダー大王の軍馬の名、転じて駻馬《かんば》の意)――これは私の知っているあらゆる言葉のなかで、おそらくいちばん魅力的な言葉だ。私は窮地におちいるたびに、この馬を走らせたものである。もちろん、アレクザンダー大王や彼に仕える高官のすべてをしたがえて。なんという名馬であろう! その血統を継ぐ最後のものインド洋を生み、しかも、メソポタミヤ遠征の際アマゾンの女王と交わったほかは一度も雌馬を相手にしたことがないという。まだある、スコッチ・ギャンビット(普通にはチェスの打ちはじめに駒損をして攻める手の一種を意味する)だ! もともとそれはチェスとは無関係の驚嘆すべき表現であったはずである。この言葉はいつも、ファンクとワグナル共編の『英語大辞典』の二四九八ページに出ている竹馬に乗った人間の姿を思いださせた。ギャンビットとは、機械的な脚で暗闇のなかを跳躍する、その方法の一種なのだ。目的なき跳躍――だからこそギャンビットなのだ! いったんわかってしまえば、じつに単純明快である。それから、アンドロメダのこと。ゴーゴン・メデューサのこと。また、神の子と生れ、永久に天上の星屑《ほしくず》の仲間入りをさせられた神話的な双生児カストールとポリュデウケースのこと。そしてルーキュブレイション(灯下の労作、夜想の意)という言葉――この言葉は、明らかに性的だが、同時に思索的な意味も兼ねており、それが私の心を落ちつかなくさせる。つねに「真夜中の思索(ルーキュブレイション)」なのだ。この真夜中という言葉には、恐ろしい意味がこめられている。つぎに頭にうかぶのはアラス織だ。だれかが、いつだったか、アラス織の壁掛のかげで刺殺されたことがある。私は石綿でつくられた祭壇の掛布を見た。そのなかにはシーザーその人がつくったとも思われる悲痛な裂け目があった。
それは、さっきも言ったように、きわめて静かな思考であった。おそらく太古の石器時代に人々がふけったと同じような思考であったろう。それはいずれも不条理なものではなかったが、かといって説明のつくものでもなかった。いわばハメ絵遊びみたいなもので、あきたら足で蹴散らしてしまえばよかった。なんでも簡単に放りだすことができた。たとえそれがヒマラヤ山脈でも。ちょうどマホメット(マホメットは山を呼び寄せると称したが、山が動かぬのを見て「われ自ら山へ行かん」と高言したという)と正反対の思考であった。まったく目的のない思考であり、またそうであるからこそ楽しい思考であった。長い交合のあいだにうち建てた豪壮な楼閣は、ほんの一瞬のうちに崩壊させることができた。大切なのは交合そのものであり、建設作業のほうではなかった。私の生活は、大洪水の最中に箱舟の上でのんびり暮すようなものであった。そこには、必要なものはネジまわし一本にいたるまで、すっかり用意されていた。なにも仕事をする必要はなかった。ただ漫然と時間をすごしさえすればよかったのだ。そんなとき、だれがわざわざ人殺しや暴行や近親|相姦《そうかん》などをやるだろう? 雨、雨、雨。だが箱舟のなかでは、すべてが、からりと乾《かわ》いており、なにもかも揃《そろ》っていた。食料庫には、上等のウェストファリア、ハム、新鮮な卵、オリーブ、玉葱のピクルス、ウスター・ソース、その他いろいろな山海の珍味がおさまっていた。神は、新しいやすらぎの天と新しい地とをうち建てんがために、ノアというこの私を選びたもうたのだ。神は、あらゆる板目にしっかりとマイハダをつめ、水一滴もしみ通らぬ頑丈《がんじょう》な小舟を私にあたえてくれたのだ。そのうえ、嵐の海を乗り切る航海術まで教えてくれた。たぶん雨がやんだら、ほかのいろいろな知識も授けてもらえるだろう。だが、いまは航海術だけで十分だ。あとはセカンド・アヴェニューのキャフェ・ロワイヤルでチェスをやっていればいい。ただ、この場合、雨がやむまでゲームを長引かせるだけの才能のあるユダヤ人を見つけだすのが一苦労だ。しかし私には、何度も言うように、退屈するひまはなかった。むかしなじみのロゴスや、ビューセファラスや、アラスや、ルーキュブレイションなどの諸君がいたからである。チェスなんかどうだっていい。
幾日も幾晩も、そうやって家に閉じこもっているうちに、私は思考が(自慰的なものでないかぎり)精神をしずめ、いやし、楽しませてくれるものだということに気がつきはじめた。どこにも行きつくところのない思考は、あらゆるところへ人をみちびいてくれる。ほかの思考は、すべてきまった軌道の上を走っているから、いくら道中が長くても、かならず終点か車庫に行きつく。結局は「とまれ!」の赤ランプにぶつかるほかはないのだ。だが、性器が思考を開始すると、そこには停止線もなければ、障害物もない。年がら年じゅう休日である。餌《えさ》は新鮮だし、いつも釣糸《つりいと》に魚が食いついてくるという寸法だ。そういえば、もうひとりの女を思いだす。ヴェロニカなんとかという名の女だ。この女は、いつも私に、まともでないことばかり考えさせた。ヴェロニカとの関係は、いつも表部屋での組みうちであった。ダンス・フロアでは、わたしの卵巣は永遠にあなたにさしあげるわ、という顔をしているくせに、いったんことにおよぶと、とたんにいろいろなことを考えはじめた。帽子のこと、財布のこと、寝ずに待っている叔母さんのこと、投函《とうかん》するのを忘れた手紙のこと、奪われかけている仕事のこと――いずれも当面のこととはまるで無関係の、たわけたことばかりだった。まるで頭のスイッチを急に自分のセックスのほうへ切りかえたかのようであった。それは想像しうるかぎりでは、もっとも用心深く抜け目のないセックスだった。ほとんど純理的なセックスであったとさえいえよう。そのセックスは、あらゆる問題を徹底的に考えぬくのであった。しかも、その考えというのは、ごく特殊なもので、きっちりとメトロノームの動きに合致していた。この、心ここにあらざるリズミカルな|夜の思索《ルーキュブレイション》には、特別な薄暗がりが絶対に必要であった。それは蝙蝠《こうもり》が活動できるくらいに暗くなくてはいけなかったが、たまたまボタンがとれて表部屋の床にころがったときには、それを見つけ出せるくらいの明るさも必要であった。私のいう意味はおわかりだろうと思う。ぼんやりとした、しかも細心なきちょうめんさ、放心状態を持続させる油断のない覚醒《かくせい》。同時に目まぐるしいゆらめきやはためきをつづけて、魚か鳥かの区別すらつかないようにしなければならないのである。|おれがいま手にしているものはなんだろう《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》? |上物か《ヽヽヽ》、|極上物か《ヽヽヽヽ》? 答えはいつもはぐらかされた。もりあがった乳房《ちぶさ》をつかもうとすると、鸚鵡《おうむ》のように奇声を発した。服に手を触れると、ウナギのように身をくねらせた。あまり強く抱きすぎるとイタチのように噛《か》みついた。じらして、じらして、じらしぬくのだ。なぜだろう? この女は、なにを求めているのだろう? 一時間か二時間たてば、あきらめるだろうか? しかし、その可能性は百万にひとつもなかった。彼女は鋼鉄のワナに脚をとられながら飛んで逃げようともがく鳩《はと》のようであった。自分には脚がないようなふりをしていたが、こっちがすこしでも放してやるようなそぶりを見せると、たちまち、もぬけの殻となるおそれが十分にあった。
ヴェロニカの臀部《でんぶ》(ass. 元来は驢馬《ろば》の意)はじつにすばらしかったから、そして、それはまたじつに近づきにくいものであったから、私はいつもこの女はポンズ・アシノールム(驢馬の橋。二等辺三角形の両底角は相等しいというユークリッド幾何学の定理。驢馬のごとき愚かな生徒がつまずきやすいことと、この定理証明のために引く補助線と底辺とが橋の形に似ていることから)みたいだと思った。どんな小学生だって、ポンズ・アシノールムを渡るには、盲目の男に引かれた二頭の白い驢馬に頼るほかはないということを知っている。なぜそうなのか、私にはわからないが、とにかくユークリッドというじいさんが、そういうルールをつくったのだ。このじいさんは、たいへんな物知りなので、ある日――もっぱらひとりで楽しむためだったのだろうが――生きた人間は絶対に渡れないという橋をつくった。彼は二頭の白い美しい驢馬の持主だったので、この橋をポンズ・アシノールムと名づけた。じいさんは、それら二頭の驢馬を、たいへんかわいがっていたので、どんなことがあっても人手に渡すようなことはしなかった。じいさんは、ひとつの夢を描いていた。それは、いつか目の見えぬ彼が、二頭の驢馬をつれてこの橋を渡り、驢馬のよろこびそうな狩猟場へ行くことであった。ヴェロニカの夢もまったく同じようなものだった。彼女もやはり自分の白い美しい臀部を非常に大事にしていたので、どんなことがあっても人手に渡すつもりはなかった。時がくれば天国までそれを持って行くつもりだったのだ。性器についていうなら――ついでながら彼女は一度もそれについて言及したことがなかった――その性器だが、それはただ持ち歩くのに都合のいいアクセサリーにすぎなかった。表部屋の薄暗がりのなかで、彼女は、自分の二つの問題を、正面きってしゃべることはしなかったが、こちらは、なぜか落ちつかない気持で、それらを意識しないわけにはいかなかった。ヴェロニカは巧妙な手品師のように私にそれを意識させた。ちらりと見たり近寄らせたりさせてはくれるのだが、それは結局こちらをだます手なのだ。あとになってみると、じつは見もせず、さわりもしなかったことが明らかになった。それは、はなはだ微妙な性の代数学であった。この真夜中の思索は翌日わずかにAとかBとかの答えをあたえてくれたが、それ以上得るところは、なにもなかった。試験に合格し、卒業証書をもらえば、さっさと追い出されてしまうのである。そのあいだ、臀《しり》はただ椅子に坐るために用いられ、性器は排尿のために用いられるだけであった。教科書と洗面所との中間地帯には決して入ることができなかった。そこには性交というラベルが貼《は》ってあるからだ。小便も自慰行為もご随意だが、ほんとうの交合はまかりならぬというわけである。明りは完全に消されてはいなかった。太陽の光は、決して射しこみはしなかった。いつも蝙蝠《こうもり》の姿が認められるだけの明るさであり暗さであった。しかも、ちらちらとゆらめくその無気味な薄明が、たえず精神を目ざめさせ、いわば、バッグや、鉛筆や、ボタンや、鍵などへの注意力を呼び起すのであった。すでに精神はそれらに奪われているので、ほんとうの思索はできなくなっていた。予約者がオペラハットをのせておく劇場の空席のように、つねに精神は予約ずみになっていたのだ。
前にも言ったように、ヴェロニカは、おしゃべりなセックスの持主であった。行為の最中にしゃべることだけが、その唯一の機能であるように思われ、これにはまったく閉口した。ところが、イーヴリンのセックスは笑い上戸《じょうご》だった。彼女は二階に住んでいた。ただし別の家の二階である。いつも食事どきに、とことことうちへやってきては、私たちに新しく仕込んだ冗談を話してきかせた。第一級のコメディアンで、これほど愉快な女には、ほかに会ったことがない。性交もふくめて、あらゆるものが冗談であった。彼女は硬直したものをすら笑わせることができた。こいつは案外多弁なものなのだ。硬直したやつには良心がないと人はいうが、笑い声をあげる性器というのも珍しいと思う。どうも説明しにくいが、要するにイーヴリンは昂奮《こうふん》してもどかしさを感じると、性器で腹話術を演じはじめるのである。こっちが、さあこれからというときに、その生きものが、とつぜんバカ笑いをはじめるのだ。同時に男のほうに手をのばして、軽くもてあそぶ。この生きものは歌をうたうこともできた。ちょうど訓練されたアザラシの芸当のように。
サーカスで求愛することほどむずかしいものはない。終始アザラシの曲芸を演じつづけている彼女は、鉄のベルトでぐるぐる巻きになっている女以上に接近しにくかった。なにしろ彼女は、世界じゅうでもっとも〈個性的な〉硬直ですら腰くだけにさせることができたのだ。笑いによって軟弱なものにしてしまうのである。ちょっと考えると屈辱的なようだが、決してそうとは言いきれなかった。この女性器の笑いには、なんとなく同情的なものがこもっていた。全世界が不能という悲痛なテーマをもった猥褻《わいせつ》フィルムの展開のように思われた。犬の、イタチの、あるいは白兎《しろうさぎ》の形をとった自分自身の姿を、ありありとそこに見ることができた。愛は、ほんのお添えものであり、一皿のキャビアか、ワックス・ヘリオトロープのようなものにすぎなかった。キャビアやヘリオトロープの話をしているあいだは腹話術師を見ることができたが、私自身は、いつもイタチか白兎であった。イーヴリンは、いつもキャベツ畑に両脚を開いて横たわり、最初にきたものに新鮮な緑の葉をくれたが、ちょっとでもそれを噛《かじ》ろうとすると、とたんにキャベツ畑ぜんたいが哄笑《こうしょう》した。それはジーザス・H・クライストやイマニュエル・プシーフット・カント(プシーフットには、にえきらぬ男の意がある)などの夢想だにしなかった、陽気で、しかもしっぽりと濡《ぬ》れた笑いであった。もし彼らが、そんな笑いを知っていたなら、世界は、ずいぶん変っていただろう。だいいち、それなら最初からカントや全能のキリストなどは存在できなかったにちがいない。女は、めったに笑わないものである。だが、いったん笑うとなると、ひどく爆発的である。女が高笑いをするときには、男は竜巻《たつまき》よけの避難壕《ひなんごう》にでも逃げこんだほうがいい。そんな腟《ちつ》の高笑いのもとでは、どんなものも、たとえ鉄筋コンクリートだって、立っていられやしないだろう。女は、いったん笑いの発作がおきると、ハイエナでも狼《おおかみ》でも山猫《やまねこ》でも笑い殺すことができる。たとえば、おそろしい熊蜂《くまばち》が、ときどきこんな笑い声をあげる。つまり、なんのかくしだてもなく、すべてをさらけ出して向ってくるのである。女みずから懸命にまさぐり求めつつ――相手の睾丸《こうがん》が決して切り放されたりすることのないように警戒するのである。ペストがおそってきたら、彼女《ヽヽ》は、相手の男の生皮を剥《は》ぐ巨大な刺股《さすまた》を持って、抜けめなくそれを出し抜くだろう。それは、彼女がトムやディックやハリーと情を通じるばかりでなく、コレラやメニンジャイティス(脳膜炎)やレプラとも交わるということだ。さかりのついた雌馬よろしく祭壇の上に横たわり、聖霊をふくむあらゆるものを受け入れるということだ。それは、哀れな男性が対数的な巧知をもって、五千年、一万年、二万年もかかってようやく築きあげたものを、彼女が一晩で瓦解《がかい》させてしまうということだ。引き倒した上に彼女は小便をひっかける。それでも、彼女が本気で笑っているからには、だれもとめだてすることができない。私はヴェロニカについて、彼女の笑いは想像しうるかぎりもっとも〈個性的な〉硬直をすら腰砕けにすると言ったが、それは決して嘘《うそ》いつわりではない。彼女は、この〈個性的な〉ふるいたつ相手を引き倒しておいて、その代りに真赤に焼けた柵杖《さくじょう》さながらの非個性的なやつを返してよこすのである。ヴェロニカ自身とは、あまり長くつきあえぬとしても、彼女があたえてくれるものとは、まちがいなく長い道づれになれた。いったん彼女の声のとどく範囲までくると、まるで|つちはんみょう《ヽヽヽヽヽヽヽ》(はんみょう類のこん虫。干して粉末にして発泡剤カンタリスをつくる)を飲みすぎたようになるのがつねだった。|そいつ《ヽヽヽ》をまた引き倒すには、大ハンマーでも使わぬかぎり絶対に不可能であった。
たとえ私の言っていることが全部虚構であったとしても、とにかく、そういった生活が、ずっとつづいていた。それは非個性的な世界における個性的な旅、小さな鏝《こて》を手にした男が地球の裏側へ抜けようとしてトンネルを掘っているようなものであった。トンネルを掘りぬいて、肉体のハネムーンのために開かれた秘境キュレブラ・カット(パナマ運河のために切り開かれた人工の谷)を発見したいと念願していたのだ。もちろんこの掘鑿《くっさく》作業は無限につづけられねばならなかった。だから、うまくいっても、せいぜい地球のどまんなか、つまり、もっとも圧力が強く、その力が上下左右もっとも均等なところまで行って、そこで永久に動きがとれなくなるのではないかと思われた。火の輪につながれたイクシオン(ギリシア伝説中の族長、ヘラを慕った罰としてゼウスのために永遠に回転するタルタルスの火の輪につながれた)を連想させる思いであったが、考えようによれば、それも一種の救いであり、むげに冷笑し去ることはできなかった。また一方、私は直観的な形而上学者《けいじじょうがく》であったから、どこにしろ身動きのならぬところにとどまることには、とうてい耐えられなかった。たとえそれが地球のどまんなかであろうとも、耐えられぬものは耐えられないのである。どんなことがあっても、形而上学的な性器を探究し、それをエンジョイすることが必要であった。そのためには、まったく新しい高原へ、磨《みが》きあげた石柱のあいだを鷲《わし》や禿鷹《はげたか》が三々五々飛びまわっている紫ウマゴヤシの花かぐわしい台地へと抜け出さなければならなかった。
ときたま、夕暮れどきなど、公園、とくに紙くずや食べもの屑《くず》の散らばった公園で腰をかけていると、女が目の前を通りかかった。チベットへでも行くのかと思われるような女が通った。すると私は目を見開いてそのあとをつける。急に駆けだしてくれればいいと思いながら。そうすれば、つまりその女が走って逃げだしたら、私も走って追うことができるからである。そして最後には掘鑿作業とのたうちという仕儀になるはずであった。ときには、たぶん薄暗いことや、ほかの障害のためだろうが、女が実際にとびあがって横道へ逃げこんで行くように思われることもあった。荷の重すぎる飛行機が、とつぜん大地から浮きあがるように、ほんの数フィートだけとびあがるのである。だが、その思いがけない飛翔《ひしょう》が、たとえ現実のものにしろ、あるいは幻視にしろ、そんなことは問題ではなかった。問題は、それが私に希望をあたえ、あいかわらず目を見開いてその場を凝視しつづけるだけの勇気をあたえてくれることであった。
心のなかには、「さあ、行け! 歩みをとめるな! くいさがれ!」などと、わけのわからぬことを叫ぶメガホンがあった。だが、なぜ? なんの目的で? どこへ? どこから? 私は一定の時間に起きて活動するために目ざまし時計を合わせるのだが、いったい|なぜ《ヽヽ》起き、|な《ヽ》|んのために《ヽヽヽヽヽ》動きまわるのか? だいいち、なぜ目をさますのか? 小さな鏝《こて》を手にガレー船の奴隷のように働きながら、私は、なんの報酬も手にするあてはなかったのだ。そのまませっせと働きつづければ、かつてだれも掘ったことのないほど深い穴を掘ることになったかもしれない。それにしても、もしほんとうに地球の裏側へ行きたいのなら、鏝など捨てて、中国行きの飛行機に乗ったほうが、よっぽど簡単だったのではなかろうか? だが、肉体というやつは精神の|あと《ヽヽ》からついてくるものである。肉体にとって、もっとも簡単なものが、精神にとってもそうであるとはかぎらないわけだ。しかも、とくに厄介で始末がわるいのは、その二つが全然反対の方向に進みはじめるときである。
鏝を用いての労働は、このうえもなく好ましいものであった。そのあいだ、精神は完全に自由になれるが、肉体と精神が分離するという危険は、いささかもなかった。女性という動物が、とつぜん喜悦のあまりうめきはじめるとき、女性という動物が、とつぜん歓喜の発作を起して、両顎《りょうあご》を古い靴紐《くつひも》のように動かし、胸を大きくはずませ、肋骨《ろっこつ》をきしませるとき、女性という動物が、とつぜん情感につきあげられて床《ゆか》に伏し、よろこびと過度の昂奮《こうふん》のために虚脱状態におちいるとき、ちょうどそのとき、それより一刻も先んずることも遅れることもなく、約束の高原が、霧のなかから影をあらわす船のように、視界にうかんでくるのであった。そうなれば、もはやなすべきことは、その高原に星条旗をうち立て、これを米合衆国《アンクル・サム》と聖なるすべてのものの名によって領有することのみであった。こうした不運が、あまりにもしばしば訪れるので、「性交《ファック》」と呼ばれる領土の実在を信じないわけにはいかなかった。それが、この領土にあたえられる唯一の名であったのだが、じつはそれは性交以上のものであり、性交によってそこへ一歩足を踏み入れることができるというにすぎなかった。あらゆる人間が、その時期はさまざまだが、すくなくとも一度は、この領土に旗を立てたことがあるはずである。しかし、永久にその領有を主張しえたものは、ひとりもいない。それは一夜にして――場合によっては一瞬にして消滅してしまうからである。それは「人間の住めぬ国」であり、無数の見えざる死の臭《にお》いに満ちているのだ。休戦の宣言が布告されると、この高原地帯に両者相会して握手をかわし、和解のタバコを吸いあうこともできるが、この休戦は、決してそう長くはつづかない。永久性をもっていると思われる唯一のものは〈中間地帯〉という理念であり、そこでは銃弾が飛びかい、死体が累々《るいるい》と積み重ねられるが、やがて雨期に入り、ついにはただ死臭のみが残されるのである。
これらは、いずれも口に出していえぬことを比喩《ひゆ》的に語ったものにすぎない。口に出していえないのは純粋な性交と純粋な女性器のことである。言おうとするなら特別豪華版でも出版するほかはない。さもなければ世間が腰を抜かしてしまうだろう。私が苦い経験から学んだところによれば、社会をしっかりと結合させてくれるものは性的接触である。しかし、真実のものである性交や、真実のものである女性器には、ニトログリセリンよりもはるかに危険な要素がふくまれているらしい。真実のものを知りたかったら、英国国教会によって公認されたシアズ=ローバックの便覧を見る必要がある。その二十三ページには、プリアポス(ギリシア、ローマ伝説。男性生殖力の神で、その象徴は巨大な男根)の瘤状《こぶじょう》の物体の先端で栓抜《せんぬ》き手品師のように栓抜きを操《あやつ》っている絵が出ているはずである。プリアポスは、まちがってパルテノン神殿の陰に立っている。とくにその日のために、彼はオレゴン州やサスカッチワン州(カナダ西部の州)のホーリー・ローラーズ(アメリカおよびカナダの一宗派。聖霊の訪れによって会衆がしばしば熱狂的に感動する)から借用におよんだ穴のあいたサルマタを着用しているほかは素裸である。ホーリー・ローラーズの連中が、長距離電話で、安く売るべきかどうかをたずねてくると、プリアポスは「|勝手にしろ《ヽヽヽヽヽ》」と言って電話を切る。そのうしろでは、レンブラントが、われらの主《しゅ》イエス・キリストの解剖体を仔細《しさい》に研究している。お忘れかもしれぬが、キリストはユダヤ人によって十字架にかけられたのち、アビシニア(いまのエチオピア)につれ去られ、そこで鉄輪《かなわ》その他によって、さんざんに打擲《ちょうちゃく》されたのである。例によって天気はよく、いつもたいへんあたたかいが、イオニア人から淡い霧が立ちのぼっている。これは、いにしえの修道僧たちによって、あるいは、もしかすると聖霊降誕祭的な狂信流行時代におけるマニ教徒たちによって去勢されたネプチューンの睾丸《こうがん》から流れる汗である。馬肉の長い切身が、いくつも戸外に吊《つ》りさげられていて、いたるところに蠅《はえ》が飛びまわっている。むかしホメーロスが描写した光景そのままである。そのすぐかたわらにはマコーミック式脱穀機がある。三十|馬力《ばりき》のエンジンをもつ排気弁なしの刈取機兼結束機だ。収穫は終り、労働者たちは遠い畑で賃金の皮算用に余念がない。これは古代ギリシア時代における性交第一日の夜明けの薄明だ。いまやそれは、ツァイス兄弟(ドイツの光学機械製造者)その他の、きわめて勤勉な工業家たちのおかげで、われわれの前にカラーとなって再現されている。だが、それは現場に居合せたホメーロス時代の人々が見たものとはちがう。プリアポスの神が、瘤状の物体の先端で栓抜きを操るという、まことにみっともない芸をさせられたとき、それがどんなものであったか、いまはだれも知らない。パルテノンの影になったところで、そんな格好をして立っていた彼は、疑いもなく、はるか遠くの性器の夢にふけったことであろう。彼は栓抜きのことなど忘れ、刈入れ脱穀機のことも忘れてしまったにちがいない。心のなかでは非常に寡黙《かもく》となり、ついには夢を見ようという欲望すらうしなってしまったにちがいない。これは私の推測だから、まちがっていたら、もちろん訂正するつもりだが、そうやって立ちのぼる霧のなかに立っていた彼プリアポスは、ふいにアンジェラスの鐘の音を聞いた。すると見よ、すぐ目の前に華麗な緑の沼沢地があらわれ、そのなかでチョクトー人(もとミシシッピー川に住んでいた一種族)がナバホー族(アメリカ南部の主要種族のひとつ)とたわむれているではないか。天空には白いコンドルが飛び交《か》っており、その首毛は金盞花《きんせんか》によって飾られていた。プリアポスは、また一枚の巨大な石板を見た。その上にはキリストの体と、アブサロムの体と、情欲という悪とが書かれていた。彼は、蛙《かえる》どもの血にひたされた海綿を、オーガスティンが自分の皮膚のなかに縫いこんでしまった目を、不正邪悪をかくしおおせるほど大きくはないチョッキを見た。彼がそれらを見たのは、ナバホー族がチョクトー族とたわむれている大昔のことであった。あまりにも意外な光景に驚いたので、彼は両腿《りょうもも》のあいだから、つまり彼が夢のなかでうしなっていた長い思考の葦《あし》のあいだから、とつぜん一つの声を発した。それは、かつて深淵から鳴りひびいたもののうちで、もっとも霊感にあふれ、もっとも甲高《かんだか》く、もっとも鋭く、もっとも陽気で、もっとも残忍な哄笑《こうしょう》にも似た声であった。彼の長い持物が、いとも聖《きよ》らかな優美さ、上品さをもって歌いはじめたので、白いコンドルどもは空から舞い降り、巨大な真紅の卵を緑の沼沢地一帯に生み落した。われらの主キリストは石の褥《しとね》から立ちあがり、鉄輪《かなわ》の傷跡もなまなましい体で、山羊《やぎ》のように踊った。農奴《フェラー》たちが鎖につながれたままエジプトからやってきた。そして、そのあとから好戦的なイゴロート人や、かたつむりを食うザンジバル島(アフリカ東海岸沖の島)の土人たちがやってきた。
古代ギリシア世界で性交が行われた最初の日のありさまは右に述べたとおりである。しかし、その後、事情は大いに変ってきた。こんにちでは、もはや、軟弱な男性器で歌をうたうのは礼儀にかなわぬことであるし、コンドルにしても真紅の卵を一面に生み散らすことは許されない。それらはすべて糞便学的《スカトロジカル》であり、終末論的《エスカトロジカル》であり、全教会的《エキュメニカル》であり、いまは厳禁されているのである。「禁断《フェルボーテン》」というわけだ。だから「性交の国」は、ますます遠ざかるのみであり、もはや神話的なものになってしまっている。だから私も神話的に語らざるをえないのである。私は、極端な宗教的感情という聖油をもって、また貴重な軟膏《なんこう》をもって語っている。けたたましいシンバルや、チューバや、白い金盞花《きんせんか》や、夾竹桃《きょうちくとう》や、シャクナゲなどを私は拒否する。 いばらよ、手枷《てかせ》よ、奮起せよ! キリストは死に、鉄輪でめった打ちにされているではないか。農奴《フェラー》たちはエジプトの砂漠《さばく》で天日にさらされ、その手首にはゆるい手枷がかけられているではないか。そして、禿鷹《はげたか》は、散らばった腐肉を全部食いあさってしまった。すべてを沈黙がつつんでいる。黄金《こがね》色の二十日ネズミが百万匹、目に見えぬチーズを噛《かじ》っている。月が上り、ナイルは岸辺の荒廃について思いをめぐらす。大地は静かにおくびをもらし、星は顔をひきつらせながら泣きごとをならべ、川は岸をすべって流れてゆく。まあ、そんなものだ……笑う女陰もあり、しゃべる女陰もある。卵形笛《オカリーナ》の形をした、ヒステリックで常軌を逸した女陰もあれば、樹液の昇降を記録する植物的、地震計的な女陰もある。鯨の口のように大きく開いて相手を生きながら呑《の》みこんでしまう食人種的なそれもある。固い殻と、なかに、たぶんひとつかふたつの真珠をかかえこみ、牡蠣のように口を閉ざす加虐変態症的なものもある。かと思うと、敵が近づくだけで踊りだし、恍惚《こうこつ》のあまりおぼれてしまう酒神讃歌《デイトランボス》的な女陰もある。針を逆立《さかだ》て、クリスマス・シーズンになると小旗を振りまわす山嵐《やまあらし》的な女陰もある。モールス信号の練習をして、精神をトン・ツーでいっぱいにする電信的な女陰もある。イデオロギーに満ち、月経閉止《メノポーズ》をすら拒否する政治的な女陰もある。根っこから引き抜いてやらないことには反応を示さない植物性の女陰もある。浸礼教会(キリスト再臨派の一派)みたいな臭気を放ち、数珠《じゅず》や、虫けらや、はまぐりの貝殻や、羊の落ち毛や、ときによると干《ひ》からびたパン屑《くず》がいっぱいつまっている宗教的な女陰もある。カワウソの毛皮で裏うちされ、長い冬のあいだ冬眠する哺乳《ほにゅう》動物的な女陰もある。ヨットのように艤装《ぎそう》されていて、ひとり住まいの男や癲癇《てんかん》患者にはもってこいの巡航船的な女陰もある。流星が落下してもびくともしない氷河的な女陰もある。生涯に一度だけぶつかるが、それだけで永遠に消えぬ焼印を押されてしまう、分類も説明もできぬような雑録的な女陰もある。名前も来歴もなく、純粋なよろこびによってつくられた女陰もある。また、そのどれよりも卓越した女陰もあるのだが、それらはいったい、どこへ飛び去ってしまったのだろうか?
それから、それのみですべてだという唯一無二の女陰がある。それをかりに超女陰と呼ぼう。というのは、それは、この国のものではなく、私たちがずっと昔、飛んでくるようにと誘われた国のものであるからだ。ここでは露がいつもきらきらと光っており、背の高い葦が風にそよいでいる。偉大なる密通の父アーピスが住んでいるのはここだ。予言の力をもって、この聖牛アーピスは、角をふり立てて天までのぼって行き、去勢された善悪の諸神を追い落した。アーピスから一角獣の種族が生れた。古文書に出てくる奇態な動物であるが、その学究的な額《ひたい》が長くのびてきらきら光る男根となったのである。一角獣から、いろいろな段階をへて、オズワルド・シュペングラー(一八八〇―一九三六、ドイツの思想家。『西洋の没落』『人間と技術』等の著がある)のいう現代都会人が生れた。そして、この哀れな人間の死んだ男根から、快速エレベーターや展望台のついた摩天楼が生れた。私たちは性的計算の最後の小数点であり、世界は藁籠《わらかご》のなかの腐れ卵のように回転している。いまほしいのはアルミニウムの翼だ。それを用いて遠く離れたかの地、密通の父アーピスの住む輝かしい国へ飛んで行きたい。あらゆるものが油をさした時計のように前進をつづけている。文字盤の一分ごとに、時の外面を音もなく数えたてては進む百万の時計がある。私たちは電気計算機よりも速く、星の光よりも速く、魔術師の思いもおよばぬほど速く旅をしているのである。一秒一秒が永劫《えいごう》であり、その永劫の時がまた、速度の宇宙進化のなかにあっては、ほんのひと眠りにすぎないのだ。速度が、その極に達したとき、私たちは目的地につくはずである。いつものように正確な時刻に。だが、さいわいにも、いつとは名づけられぬ時刻に。私たちは、そこで翼を、時計を、よりかかるべき炉棚《ろだな》を捨てる。そして、一本の血柱のように、かろやかに、よろこびに満ちて立ちあがる。もはや私たちをふたたび引きずり落す記憶はないはずだ。この時を私は超女陰の領域と呼ぶ。それは速度も、計算も、比喩《ひゆ》も超絶しているからだ。おとこ自体の大きさや重さもわからない。はっきりしているのは、ただ持続的な接触の感じだけだ。それは全速力で逃がれる脱走者であり、沈黙の葉巻をくゆらす夢魔である。小さなネモ(ラテン語で「だれでもない」の意)が七日間も緊張を持続するものと、レディー・バウンティフル(ジョージ・ファーカーの喜劇に出てくる金持で慈悲深い女主人公)から遺贈された、みごとな一|対《つい》の青い睾丸《こうがん》とを持って歩きまわる。それはエヴァグリーン墓地からちょっと横道にそれた日曜日の朝である。
日曜日の朝。私は心ゆくまで幸福を感じながら、鉄筋コンクリートのベッドの上に横たわっている。世間の目からは死んでいるのだ。角を曲ったところに墓地がある――|性交の世界《ヽヽヽヽヽ》があるのだ。私の睾丸は、いま進行中の交合のために痛んでいる。だが、その行為は、すべてうちの窓の下、すなわちハイミーが性交の巣を営んでいる並木路で行われているのである。私は、そっとひとりの女のことを考えている。その他はすべて、もうろうとしてとらえどころがない。ひとりの女のことを考えているとはいうものの、その実私は星のごとき死を死のうとしているのだ。病める星のように横たわって、光が消え去るのを待っているのである。何年も前に、私は同じこのベッドに横たわって、生れいずるときを待ちに待っていたものである。だが、なにごとも起らなかった。ただ母が、いかにもルーテル教徒らしく憤慨して、私の頭からバケツ一杯の水をぶちまけた。母は哀れにも無知な女であったが、私のことを怠けものだと思ったのである。私が星の流れにとらえられたこと、そして私が宇宙のもっとも遠い果てで暗黒のなかに雲散霧消しつつあることが母にはわからなかった。母は、私をベッドにしばりつけているのは怠惰以外のなにものでもないと考えていた。母は私の頭から冷水を浴びせかけた。私は、ほんのすこし身もだえし、体をふるわせたが、依然として鉄筋コンクリートのベッドの上に寝たままであった。なにものも私を動かすことはできなかった。私は、燃えつきて織女星の近くにただよう流星であった。
そしていま、私は同じベッドの上に横たわっているが、私の内なる光は、消滅させられることをがえんじようとしないのだ。俗世の男女はみな墓地でたわむれている。彼らは、さいわいにも性の|交り《ヽヽ》を営んでいるが、私は性交の国にいながら、まったく孤独である。巨大な機械の重々しいひびきが、セックスの絞り機械で押しつぶされるライノタイプの腕の音が、私にはきこえるような気がする。ハイミーと色情狂的な彼の細君とは、私と同じ高さに臥《ふ》せっているが、二人のベッドは河向うにある。この河は死と呼ばれ、その水は苦い。私は、もう何度もその河に入り、腰まで水につかったが、ふしぎに石と化することもなかったし、不滅性をあたえられもしなかった。私は、外面的には惑星のように死滅しているが、内面的には、いまだに燦然《さんぜん》と燃えさかっているのだ。このベッドから立ちあがって私は踊った。一度ではない。何百回も、何千回も踊ったのだ。踊り終るたびに私は「|不毛の地《テラーン・ヴァーグ》」で骸骨踊《がいこつおど》りをやったのだという強い意識をもった。私は、自己の本質というものを、あまりにも多く苦悩のために浪費しすぎてしまったのかもしれない。われこそは人類最初の冶金術《やきんじゅつ》的鉱物になるのだという気ちがいじみた考えをもっていたのかもしれない。おれはゴリラ以下であると同時に神を超越した存在だという観念に溺《おぼ》れていたのかもしれない。この鉄筋コンクリートのベッドの上で、私は、あらゆることを思いだした。あらゆることが透明な水晶のなかに固まっていた。動物など一匹もいやしなかった。ただ、何千、何万という人間が、みないっせいにしゃべっているのだ。彼らの発するさまざまな言葉に対して、私は即座に返答した。ときには、その言葉が口から発せられる以前に返答した。殺人はじつに多いが、流血はなかった。人殺しは、清らかに、そして、いつも沈黙のうちに行われた。だが、たとえひとり残らず殺されたとしても、会話だけは、いつまでも生きているだろう。複雑でありながら理解しやすい会話だ。というのも、それを創造するのは、この私なのだから。私にはそれがわかっている。だからこそ、それは私に正気を保たせていてくれるのだ。手頃な人間――私の創造する人間に出会ったら、そして適当な時期さえきたら、私は、いまからわずか二十年しかかからぬ会話をはじめるつもりだ。この会話は、すべて、マットレスのように私のベッドに付属している空地で行われるはずである。私は、かつてその空地に、この「|不毛の地《テラーン・ヴァーグ》」に、ひとつの名前をあたえた。ユービグチと名づけたのである。だが、どうしてもユービグチでは満足できなかった。それは、あまりにも理解しやすい、あまりにも意味の豊富すぎる名前であるからだ。ただ「|不毛の地《テラーン・ヴァーグ》」としておいたほうがよさそうである。これからも、そう呼ぶつもりだ。人々は空虚とは無のことだと思っているが、そうではない。空虚とは不調和な充満のことであり、人間の魂がわけ入る無気味な混みあった世界のことだ。少年のころ、私は、まるで一足の靴のなかに裸で立っている非常に活気に満ちた魂といった感じで、ひとり空地のなかに立った記憶がある。肉体は、とくに必要もないので、私から奪いとられてしまっていた。当時の私は、肉体があってもなくても、ちゃんと存在しえたのである。小鳥を殺して、火にあぶって食べたこともあるが、それは空腹だったからではない。ティンブクトゥー(仏領スーダンの商業都市)やフエゴ諸島(南米南端の群島)について知りたかったからである。そのときがきたなら、そこへひとり住み、やがては郷愁《ノスタルジア》を住まわせるようになるであろう輝かしい国、その国へのあこがれを生みだすために、私はどうしても空地に立って殺した小鳥を食わなければならなかったのだ。私はこの場所から究極的な満足を得たいと期待したが、残念ながら、その期待は裏切られてしまった。私は、完全な死の状態で行きつくところまで行ってみたが、そこで、ひとつの法則――それは創造の法則というものに相違ないと思う――によって、とつぜんかっと燃えあがり、不滅の光をもった星のように、衰えを知らぬ生活がはじまったのである。かくしてここに私にとって非常に大きな意味をもつようになった、真の食人種的な遍歴がはじまったのだ。もはや、死んだ自堕落女を篝火《かがりび》のなかから拾いあげるのではなく、生きた人肉、やわらかな、水分の多い人間の肉、血のしたたる新鮮な肝臓《レバー》のような恥部、なまなましい腫瘍《しゅよう》のようなひめごとを私は食らった。私は餌食《えじき》になった相手が死ぬのを待たずに、彼が私に話しかけているあいだに相手に食いこみ、食い入ることをおぼえた。私は食事の中途で立ち去るとき、しばしばそれが旧友マイナスの片腕ないし片脚であることに気がついた。ときどき私はその犠牲者を――臭気ふんぷんたる臓物でいっぱいの胴体を――そこへ立たせたまま失敬した。
私は都会人、それも世界で唯一の都会の住人であったし、ブロードウェイほどすばらしいところは他になかったから、いつもこの通りをぶらぶらしながら、明るいウィンドーのなかのハムやその他の珍味に眺《なが》め入ったものである。私は靴の底から頭の毛さきにいたるまで精神分裂症であった。私の知るかぎりではラテン語だけにある動詞状形容詞のなかで、もっぱら生活していたのだ。私は『|黒い本《ブラック・ブック》』によって彼女を知るずっと以前から、私の夢の大型花キャベツであるヒルダと同棲《どうせい》していた。私たちは、あらゆる貴賤《きせん》相婚的な疾患について論じあった。たまには、権威について論じたこともある。私たちは本能の屍《しかばね》のなかに住み、神経節的な記憶によって養われていた。そこには、ひとつの宇宙などというものはなく、何千万、何億の宇宙があった。だが、それは全部寄せあつめてもピンの頭ほどのものでしかなかった。それは精神の荒地における植物性の眠りであった。永遠を構成する唯一のもの、すなわち過去であった。夢の動物相や植物相のなかにあって、よく私は長距離電話の呼び出しを聞いたものである。不具者や癲癇病《てんかんや》みの伝言が、たくさん私の机の上にのせてあった。ときどきハンス・キャストープが電話をかけてよこした。私たちはふたりでよく無邪気な犯罪をおかしたものだ。また、厳冬のよく晴れた日には、ボヘミヤのケムニッツでつくられた競走用自転車で、よく競技場をひとまわりしたものである。
なによりも楽しいのは骸骨踊《がいこつおど》りであった。まず流しでかくし処をよく洗い、下着をかえ、髭を剃《そ》り、白粉《おしろい》を塗り、髪を撫《な》でつけ、自前のダンス靴をはく。内も外も異常なまでに軽やかになるのを感じて、私は、しばらくのあいだ人ごみのなかを出たり入ったりして、適当な人間的リズムを身につけようとした。肉の重さと実質とを感じとろうというわけだ。やがて私はダンス・フロアへ突進し、目くるめくような肉のかたまりに抱きつき、秋の旋回舞踏《ピルーエット》をはじめるのである。ある晩私は、そんな調子で例の毛深いギリシア女の家に入りこみ、彼女と正面からぶつかりあった。彼女は暗青色で、チョークのように白く、不老不死の生きものででもあるかのように思われた。ただ単なる流動がくりかえされただけではなかった。際限のない急降下が、本質的な衝動による快楽の追求が、つづけられたのである。彼女は軽薄ではあったが、そのくせ味わいのある重みをもっていた。彼女は熔岩《ようがん》に足をとられた牧羊神のように冷《ひや》やかな目で私を凝視していた。そろそろ外縁地帯から戻るときがきたようだ、と私は思った。私は中心へと一歩近づいたが、結局は地面が足もとから逃げ去るのに気づいただけであった。とまどった私の足もとで急速な地滑《じすべ》りが起ったのである。私は、ふたたび大地のベルトから足を踏み出した。すると、どうだろう、私の手は流星の花でいっぱいになったではないか! 私は燃えあがる両の手をのばしたが、彼女は砂よりもつかまえにくかった。私は、自分のお気に入りの夢魔どもを思い起してみたが、彼女は、私に汗をかかせ、たわごとをしゃべらせた、どんなものにも似ていなかった。私は錯乱状態におちいり、馬のように躍《おど》りあがり、跳《は》ね、いなないた。蛙《かえる》を買ってきて、そいつらをガマと交合させた。私は、いちばん簡単にできること、つまり死ぬことを考えたが、実際には、なにもしなかった。じっと突立ったまま、私は手や足が硬直してゆくのを感じた。それはじつにすばらしく、治癒《ちゆ》的で、しかも驚くほど気のきいたものだった。だから私は、さかりがついて狂いだしたハイエナのように、笑いながら臓腑《ぞうふ》のなかにもぐりこみはじめた。おれはこのまま硬直して、ロゼッタ石になってしまうかもしれないぞ! 私は、じっと立ったまま待っていた。春がきた。そして秋が、つづいて冬が。私は機械的に保険契約を更新した。草を食《は》み、落葉樹の根を噛《かじ》った。何日も坐って同じフィルムを見つづけた。ときどき私は歯をみがいた。自動小銃を射《う》たれても、弾丸は私の体をそれ、奇妙な跳弾となって壁にタタタタッとぶつかった。一度、私は暗い路上で刺客におそわれ、短刀でずっぷり刺しつらぬかれた記憶がある。それは噴射シャワーを浴びたような感じだった。妙な話だが、短刀は私の皮膚に穴を残さなかった。あまり不思議な経験なので、私はうちへ帰ってから、体のあらゆる部分にナイフを突き立ててみた。これもまた強い噴射シャワーを浴びたような感じだった。私は坐りこんで、ナイフを全部引き抜いたが、依然として血痕《けっこん》もなければ傷痕《きずあと》も痛みもないのでびっくりした。今度はおれの腕を食いちぎってやろう、と思っているところへ電話がかかってきた。長距離電話だった。だれがかけてきたのかはわからなかった。受話器からは、だれの声もきこえなかったからだ。だが、骸骨踊りは……。
人生はショーウィンドーのかたわらを流れすぎてゆく。私はそこに、電光を浴びたハムのように横たわって、斧《おの》がふりおろされるのを待っている。実際のところ、なにも恐ろしいものはない。なぜなら、あらゆるものが、きれいに薄く切りそろえられ、セロハンに包まれているからだ。とつぜん全市の明りがすっかり消え、いっせいに警報が鳴りひびく。毒ガスが全市を包んでいる。爆弾が炸裂《さくれつ》し、ばらばらになった人体が空中に飛びあがる。あらゆるところに電流が通じ、血が流れ、砲弾の破片が飛び散り、拡声機ががなりたてる。空中に舞いあがった人間は歓喜に満ちている。地上にいる連中は悲鳴をあげ、うめき声をたてている。ガスと炎が、あらゆる肉を食いつくしたとき、骸骨踊りがはじまる。私は、いまは暗くなったショーウィンドーから高見の見物だ。こちらのほうが破壊すべきものが多いだけに、ローマ攻略戦よりも、はるかによい眺めである。
骸骨というやつは、なぜこんなにうっとりと踊るのだろう、と私は考える。世界の没落を祝っているのだろうか? これが、いままで何度も前ぶれのあった死の舞踊というものなのだろうか? 市が倒壊しつつあるときに、何百万もの骸骨が雪のなかで踊っている情景は、まったく恐ろしい。ここから、ふたたびなにかが生れ育つのだろうか? 胎内から赤ん坊が生れ出ることは可能なのだろうか? 食べものや酒は、これからもあるのだろうか? 空中には、たしかに人間がいる。彼らは、やがて掠奪《りゃくだつ》のために地上へ降りてくるだろう。だが、そのうちコレラや赤痢がはやって、得意顔で空中にいた奴《やつ》らも、ほかの連中と同じように死に絶えてしまうにちがいない。私は、この私こそ地上で最後の一人になるだろうという確信みたいなものをもっている。いっさい始末がついてしまったとき、私はショーウィンドーから出て、廃墟《はいきょ》のなかを静かに歩むのだ。そして全世界を私ひとりのものにするのだ。
長距離電話! おまえは全然孤独だとは言いきれないぞ、とその電話が伝えてくる。すると破壊は完璧ではなかったのだろうか? なんとも遺憾《いかん》なことである。人間は人間みずからをすら滅ぼしえないのだ。他のものを破壊しうるだけなのだ。私は不愉快だ。なんと意地のわるい無能力さであろう。なんと残酷な妄想《もうそう》であろう。結局、私以外にも人間種族に属するやつが存在するということだ。そいつらは、残骸《ざんがい》をきれいに片づけて、また出なおしてくることだろう。神は、ふたたび血と肉との形をとって地上におり、罪の重荷を背負うことだろう。彼らは音楽をつくり、石でいろいろなものを建て、そうしたことすべてを小さな本に書きつけることだろう。やれやれ! なんと盲目的な執拗《しつよう》さであろう! なんとぶざまな野心だろう!
私は、ふたたびベッドに横たわっている。古代ギリシア世界、性交の夜明け――そしてハイミー! ハイミー・ローブスチャーは、いつも同じ高さに寝ており、河向うの広い並木路を見おろしている。結婚|披露宴《ひろうえん》は中休みとなり、蛤《はまぐり》のバタ揚げが運びこまれる。|もうすこし上へず《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》|らしてくれ《ヽヽヽヽヽ》、と彼はいう。|そう《ヽヽ》、|その調子だ《ヽヽヽヽヽ》、|それでいい《ヽヽヽヽヽ》! 窓外の沼地から蛙《かえる》の鳴き声がきこえてくる。屍《しかばね》を食った大きな墓地の蛙だ。こいつらは、みなごちゃごちゃと寄り集まっては性の営みをやっているのである。性の歓喜に酔ってケロケロと鳴いているのだ。
いまは私にも、ハイミーがどういうふうに母胎のなかに妊《はら》まれ、そして生れたかが、よくわかるような気がする。食用蛙ハイミー! 彼の母親は蛙の群れのどん底にいたし、当時まだ胎児だったハイミーは、彼女の袋のなかにかくされていたのだ。それはまだ性的接触の初期の時代であり、それをさまたげるクイーンズベリ規則(一八六七年にスコットランドのクイーンズベリ侯爵が起草した拳闘の規則)はまだ存在しなかった。性交をやったりやられたり――早いもの勝ちの時代であった。ギリシア人以来、ずっとそんなふうであったのだ――泥のなかでの盲目的な交合、たちまち卵が生れ、やがて死がおとずれる。人々は、それぞれ異なったレベルで交合しているが、場所は、いつも沼地であり、腹子は、いつも同じ目的地に達するように運命づけられている。家は叩きつぶされても、ベッドは立ったままだ。それは宇宙性的《コスモセクジュアル》な祭壇なのだ。
私は夢でそのベッドを汚《よご》した。鉄筋コンクリートの上に力を張りつめて横になっていると、私の魂は肉体を離れ、変化を求めて、ちょうどデパートで使っているような小型電車に乗って、あちこちと巡歴してあるいた。私はイデオロギーの変化を求めて旅をした。脳髄の国を放浪したのである。あらゆるものがこのうえもなく澄みきって見えた。どれも水晶のなかにつくられていたからだ。どの出口にも大きな字で、「壊滅」と書いてあった。死滅の恐怖は私を硬直させた。肉体そのものが一塊の鉄筋コンクリートになった。それは、もっとも趣味の高尚な永遠の直立によって飾られていた。ある神秘的な祭礼に集《つど》う狂信者たちが、きわめて真剣に希求する真空状態、その状態に私は達していた。真空以上のなにものでもなかった。|個人的な催情ですらなかった《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》。
私がサムスン・ラカワンナという偽名を使って略奪行為をはじめたのは、そのころのことだ。私のなかにある犯罪本能が、にわかに頭をもたげたのである。それまでの私は、いわば異教的な悪霊《あくりょう》のように、あちこちを遍歴する魂にすぎなかった。それがいまは肉に満たされた幽霊になったのである。私は気に入った偽名を勝手につけ、ただ本能的に行動しさえすればよかった。たとえば、香港《ホンコン》においては、書籍外交員、つまり本の注文取りとして身分登録をした。そして、ポケットにメキシコ・ドル紙幣でふくれあがった財布を入れ、もっと勉強したいと思っている中国人の家を、一軒残らず、うやうやしく訪問した。ホテルでは、ハイボールを注文するときと同じように、ベルを鳴らして女を注文した。午前中は、ラサへ旅行する準備のためにチベット語を勉強した。ユダヤ語やヘブライ語は、もう流暢《りゅうちょう》にしゃべることができた。二桁《ふたけた》の数字の計算など易々たるものだった。中国人をペテンにかけるのは、あまりにもやさしすぎたので、私はつまらなくなってマニラへ戻った。そこで私はリコという男をやとい入れ、販売経費を使わずに本を売りこむこつを教えた。利潤はすべて海上運賃のなかから頂戴《ちょうだい》したのだが、この商法がつづいているかぎり、私は十分ぜいたくな生活を楽しむことができた。
呼吸は、息づかいと同じように、ひとつの要領になってしまっていた。事物は単に二面的ではなく、多面的であった。私は虚空《こくう》を映す多面鏡の箱になっていた。だが、虚空が一度しっかりと据えおかれると、私は気楽になり、創造と呼ばれるものは単に穴ふさぎの仕事にすぎなくなった。小型電車は、ひどく便利なことに、私をあちこちと運びまわってくれた。そして、壊滅という理念を払拭《ふっしょく》し去るために、私は巨大な真空のあらゆる脇《わき》ポケットに一トンずつの詩を投げこんだ。私の前には、いつも無限の未来像がひろがっていた。私は、超大望遠鏡のレンズについた一点の顕微鏡的なシミのように、その未来像のなかに住みはじめた。休息のできる夜はなかった。死んだ惑星《プラネット》の乾《かわ》ききった表面は絶えず星明りを浴びていた。ときには、そこに大理石のように黒い湖があり、そのなかに私は、輝かしい光の軌道のなかを歩む私自身の姿をみとめた。星は非常に低いところに輝き、その光があまりにも眩《まば》ゆかったので、宇宙がいまにも誕生するのではないかと思われた。私が孤独だったという事実が、その印象を強めたようである。動物や樹木やそのほかの生物が存在しなかったというだけではない。そこには木の葉一枚、枯れた根っこひとつなかったのだ。物影ひとつなさそうに思われるこの強烈な菫色《すみれいろ》のなかにあっては、動きそのものが欠如しているかのようであった。それは純粋な意識の燃えあがりに似ていた。思索が神になったのだ。そして神は、私の知るかぎりでは、はじめてきれいに髭《ひげ》を剃《そ》っていた。私も、きれいに髯《ひげ》を剃り、無傷で、正確そのものであった。私は黒い大理石のような湖のなかで私自身の姿を見た。その姿は星屑《ほしくず》によって菱形《ひしがた》模様のように飾られていた。星……星……まるで眉間《みけん》に痛撃をくらったようなもので、いっさいの記憶が、たちまち逃げ出してしまった。私はサムスンであり、ラカワンナであり、いまや全意識の恍惚境《エクスタシー》のうちに死んで行こうとしているのであった。
そして、いままた私はここにいる。小さなカヌーを漕《こ》いで河をくだっている。きみがしてほしいと思うことがあったら、なんでもしてあげよう――無料で。ここは性交の国だ。動物もいなければ樹木もなく、星もなく、なんの問題も存在しない。ここで最高の支配権を握っているのは精虫だ。あらかじめ決定されるものは、なにもない。未来は絶対に不確定だし、過去は非存在である、百万人生れるごとに、そのうち九十九万九千九百九十九人は死んで二度とよみがえることができぬよう運命づけられている。そのかわり、ホームランになった一球には、永遠の生命が保証される。生命は圧縮されて、ひとつの種子となる。それは、ひとつの魂にほかならない。あらゆるものが魂をもっている。鉱物も、植物も、湖も、山も、岩も。万物有情だ。たとえそれが意識の最低段階であるにしても。
いったんこの事実がはっきりと認識されると、もはや絶望なぞはありえない。精虫のごとき最低の存在にも、神のごとき最高の存在と同じく至福の状態がある。神は全意識に達したあらゆる精虫の総和である。梯子《はしご》の最下段と最上段とのあいだには、とどまるべき場所はない。中間駅は存在しないのである。河は山間《やまあい》のどこからか流れ出して大海に注ぎ入る。神にいたるこの河において、カヌーは、弩級《どきゅう》戦艦にも劣らぬほどの役割を果してくれる。その旅の出発点から針路は母国を目ざしているのである。
河を漕ぎくだる……十二指腸虫のように、ゆっくりと。だが、それは、どんな彎曲《わんきょく》にも応じられるほど小さい。そのうえ、ウナギのようにぬるぬるしている。おまえは、なんという名前だ、とだれかが叫ぶ。|おれの名前か《ヽヽヽヽヽヽ》? |ただ神《ヽヽヽ》――|胚種なる神《ヽヽヽヽヽ》――|と呼んでくれればそれでいいさ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》。私は河をくだりつづける。だれかが私に、帽子を買ってやりたい、という。おい、阿呆《あほう》、おまえのサイズは? と、そいつが叫ぶ。|サイズだって《ヽヽヽヽヽヽ》? |サイズはXさ《ヽヽヽヽヽヽ》! (なんだって、こいつらは、いつもおれに向って大きな声でどなるのだろう? おれを、つんぼだとでも思っているのだろうか?)帽子は、つぎの滝のところで紛失する。帽子には気の毒だが、しかたがない。神は帽子を必要とするのか? 神はただ神になることを欲するだけではないのか。いっそう、よりいっそう、神になることを。こうした旅のすべて、こうした陥穽《かんせい》のすべて、過ぎ去る時、景色、景色の前に立つ人間《ヽヽ》、人間と呼ばれる何兆何億兆もの芥種《からしだね》のごときもの。胚種《はいしゅ》の形においても神は記憶をもたない。意識の背景は、無限小の神経節、羊毛のようにやわらかな毛髪の外被から成り立っている。山羊《やぎ》はヒマラヤ山脈のまっただなかにひとり立っている。彼は、いかにして山頂にたどりついたかなどと自問することはない。彼は舞台装置《デコール》のなかで黙々と草を食《は》む。時いたれば、ふたたび山をくだるのだ。彼は地面に鼻をくっつけたまま山頂があたえうる乏しい草をせっせとあさる。胚種過程における神のこの奇妙な山羊座的《キャプリコーン》状態において、山頂の雄山羊《おやぎ》は茫然《ぼうぜん》たる至福の境地で思索にふける。標高の大きさが孤高の芽を育てている。それは、いつの日か、きっと彼を人間の魂から完全に分離させ、想像もおよばぬ虚空のなかにひとり永遠に住む孤独な岩のごとき父とすることだろう。だが、それよりも前に貴賤《きせん》相婚的な病気がやってくる。まずそれについて語らなければならない……。
この世には、どうにも治療しがたい悲惨な状態というものがあるものだ。その根源が昏迷《こんめい》のなかに見うしなわれている場合だ。たとえば、ブルーミンデイル・デパートなどは、こういう状態をもたらすことができるはずである。デパートというのは、いずれも疾病とむなしさとの象徴であるが、私にとってブルーミンデイルは、格別の病気であり、いやしがたい原因不明の疾患なのである。ブルーミンデイルの渾沌《こんとん》のなかには、ひとつの秩序があるが、この秩序は私にとっては完全に狂気じみているのだ。それは顕微鏡の下においたピンの頭に見いだすであろうような秩序なのである。偶然的に思考された偶然的な一連の偶然がもつ秩序なのだ。この秩序は、なによりも、ひとつの臭気をもっている――そして私の心を恐怖におとしいれるのはブルーミンデイルのこの臭気なのだ。ブルーミンデイルに入ると、私はまったく落ちつきをうしない、床の上にころがってしまう。私は内臓と骨と軟骨との哀れな寄せ集まりにすぎなくなる。そこの臭気は分解のにおいではなく、結合不能のそれだ。みじめな錬金術師である人間は、なんら共通のものをもたぬ実体と本質とを、無数の形や組合せで、なんとか接合しようとこころみる。それというのも、彼の精神のなかには、みずからを食いあさってあきることのない腫瘍《しゅよう》があるからである。彼は至福のうちに河をくだった小型カヌーを捨てる。だれもが乗れるほどの余裕のある、より大きな、より安全なボートをつくるためである。労力が彼を非常に遠くへつれ去ってしまったので、彼は、なぜカヌーを捨てたのか、すっかり忘れてしまっている。箱舟は、古物、ガラクタ類で、ぎっしり満員であり、かくてそれはリノリウムのにおいに満ちた地下鉄の上の不動の建造物となってしまう。ブルーミンデイルの間質組織的な雑品のなかにかくされたあらゆる意義を寄せ集めて、ピンの頭の上にのせてみるがよい。そうすればきみは、大星座群が全然衝突の危険もなく動いているこの宇宙を離れることになるだろう。貴賤相婚的な病患を私にもたらしたのは、この顕微鏡的渾沌である。私は路上で、めくらめっぽうに馬に切りつけ、あちこちで郵便|函《ばこ》を見つけようとスカートをまくりあげ、口や目や陰部にぺったりと郵便切手を貼《は》りつける。あるいは、とつぜん蠅《はえ》のように高いビルの上にのぼろうと決心する。いったん屋上までのぼると、今度は、ほんとうの翼で飛ぶ。飛ぶ、飛ぶ――まばたきひとつするあいだに、ウィーホウクン、ホウホークン、ハックンサック、キャナージー、バーゲン・ビーチなどの街々を飛びまわる。ひとたびほんものの分裂症になってしまうと、飛ぶことが世のなかでいちばんたやすい。その|こつ《ヽヽ》は、霊妙軽快な体《からだ》で飛ぶことであり、ブルーミンデイルに骨や内臓や血液や軟骨の包みを放置したまま飛ぶことであり、不変の自我をのみ伴って飛ぶことである。この不変の自我というやつは、一瞬思考をやめさえすれば、いつでも翼をもつようになるものである。こうして白昼飛ぶことは、だれもが楽しむありきたりの夜の飛行よりもすぐれた点を、いくつかもっている。気が向けば、いつでも、ブレーキを踏むのと同じく確実に、さっと停止することができる。きみのもうひとつの自我を発見するのは簡単だ。停止したその瞬間、すでにきみは、きみのもうひとつの自我、いわゆる全一なる自我に|ほかならない《ヽヽヽヽヽヽ》からである。ただ、ブルーミンデイルの経験が証明するように、この全一なる自我は、大いに自慢の種となってきたにもかかわらず、他愛もなく腰砕けになってしまうおそれが多分にある。奇妙なことに私はリノリウムのにおいを嗅《か》ぐと、いつも腑抜《ふぬ》けのようになり、床の上に崩折《くずお》れてしまうのである。ありとあらゆる不自然なもののにおいが、いっしょくたに私のなかへ押し入るのだ。それらは、いわば否定的な合意によって結集するのである。
三度目の食事が終ってしまってからようやく、先祖たちの偽同盟が残した朝の贈りものが、すこしずつ滴《したた》り落ちはじめ、真の巌《いわお》のごとき自我、楽しい自我が魂の汚物のなかから上向きに針路を変える。そして、夕闇《ゆうやみ》の訪れとともにピンの頭ほどの宇宙が拡大しはじめる。それは、鉱物や星団が形成されるときのように、無限小の核片から有機的に拡大する。そして、まるでネズミが大きなチーズを貪欲《どんよく》に噛《かじ》るように、周囲の渾沌のなかに食いこんでゆくのだ。あらゆる渾沌をピンの頭の上に結集させることは可能だろう。しかし、そんなことをしなくても、自我は、出発点においては、なるほど顕微鏡的ではあるが、空間のどんなところからでも宇宙に接近しうるのである。これは多くの書物で論じられている自我ではなく、幾千年もの昔から名前と年月とをさだめたうえで人間に預けられてきた万代|不易《ふえき》の自我である。一匹の虫として終始する自我であり、世界というチーズのなかにもぐりこんでいる虫|そのもの《ヽヽヽヽ》である。非常に弱い風でも巨大な森をゆり動かすことができるのと同じように、なにか底知れぬ内的な衝動によって、巌のごとき自我が成長しはじめることもある。なにものもこの成長を阻《はば》むことはできない。霜将軍《ジャック・フロスト》が全世界という一枚の窓ガラスの表面を凍らせているようなものだ。たいへんな労力を必要としている様子は見えない。音もなく、苦闘もなく、休息もない。間断なく、冷酷非情に、自我の成長はつづけられる。目録に書いてあるのは、ただ二つ、自我と非自我、それだけである。それと、この仕事を成就させる場としての永遠。時間にも空間にもかかわりのないこの永遠のなかには、いくつかの幕間《まくあい》がおかれ、そこで霜解けのようなことが行われる。自我の形態は崩壊し去るが、自我そのものは気候のようにそのまま残る。夜になると、自我の無定形な実質が変転きわまりない形態をとる。過誤が舷門《げんもん》からしみ入り、放浪者は戸口から解放される。肉体がもつこの戸口は、世界に向ってあけ放たれると、結局は絶滅に通じることになる。それは、あらゆる童話に出てくる、あの魔術師が飛び出してくる戸口だ。魔術師が同じ戸口から家へ帰ったなどという話は、だれも読んだことがないだろう。内側に向って開くと、そこには無数の戸口があり、その撥《は》ねあげドアは、みなそっくり同じだ。地平線は見えない。空路も、河川も、地図も、切符もない。一回の臥床《クーシュ》は、それが五分間であろうと一万年であろうと、その夜一晩だけの休息とかぎられている。ドアには把手《とって》がない。またそのドアは決して使いふるされるということがない。もっとも注目すべき点、それは視界にかぎりがないということだ。こうした夜の休息のすべては、いわば神話のむなしい探索のようなものである。手さぐりで進むこともできるし、自分の位置をたしかめることもできる。また、通りすがりの現象を観察することもできるし、自宅にくつろいだような気分を味わうことすらできるが、しかしそこに定着することはできない。「落ちついた」と感じはじめるが早いか、大地が崩壊し、地すべりが起り、星座が激動によってその繋留所《けいりゅうじょ》から放れ、不滅の自我をふくむ知られたる宇宙の総体が、音もなく、不気味に、知られざる不可視の目的地に向って動きはじめるのである。それは、ぞっとするほど平静な動きである。あらゆるドアが、いっせいに開くかに思われる。あまりにも強大な圧力なので内部への破裂が起り、急激な突入によって骸骨《がいこつ》はたちまちばらばらになってしまう。ダンテが地獄で経験したのも、なにかそういった巨大な崩壊であったにちがいない。彼が触れたのは、底ではなく、中核、すなわち時間そのものがそこから数えられる絶対的な中心だったのだ。喜劇《コメディー》はここにはじまる。ここにおいてこそ喜劇は神聖なものとみなされるからである。
贅言《ぜいげん》をついやしたが、結局私が言いたかったのは、十二年ないし十四年ほど前のある晩、アマリロー・ダンスホールの回転ドアを通り抜けようとしたときに一大事が起ったということなのだ。空間よりも、むしろ時間の一領域である「性交の国」として考えているこの間奏曲は、私にとっては、ダンテがことこまかに描写したあの煉獄《れんごく》にもひとしいものであった。アマリロー・ダンスホールから出ようと回転ドアの真鍮《しんちゅう》のバーに手をかけたとき、それまでの私のいっさいが崩《くず》れ去ったのである。いや、いまにも崩れ去ろうとしたのである。そこには、非現実的なものは、なにもなかった。私が生れた時そのものが、より強い流れにさらわれて消え去ってしまったのだ。以前、私が胎内から厄介《やっかい》払いをされたのとまったく同様に、そのときの私は、成長過程が停止されたままになっている無時間の有向量《ベクトル》のなかに追いかえされてしまったのだ。私は効果の世界に入りこんだ。そこには不安はなく、あるのはただ宿命感だけであった。私の棘状《とげじょう》突起は結節のなかにはめこまれた。私は御《ぎょ》しがたい新世界の尾てい骨に立ち向った。突入の際に骸骨は破裂し、ひねりつぶされた虱《しらみ》のように無力な不変の個我《エゴ》だけが残った。
私がこの点から話をはじめないのは、もともとこの話には、はじめなどというものがないからである。輝かしい国へ、すぐさま飛んで行かないのは、翼が役に立たないからである。いまはゼロの時間であり、そして月は天底にあるのだ……。
なぜマキシー・シュナーディグのことなんぞ思いだしたのだろう? きっとドストエフスキーのせいだ。ある晩、私は、はじめてドストエフスキーを読んだ。その経験は、私の生涯で、もっとも重大なできごと、初恋よりも重大なできごとであった。それは私にとって意味のある最初の自発的、意識的な行為であった。それは世界の相貌《そうぼう》を一変させた。私が最初に深い吐息をついて顔をあげた瞬間、実際に時計がとまっていたかどうか、それは知らない。だが、その一瞬、世界が停止したという事実だけは、はっきりと知っている。私は人間の魂の奥底を、はじめて瞥見《べっけん》したのだ。いや、もっと単純に、ドフトエフスキーこそ自己の魂を切り開いて見せてくれた最初の人間であった、というべきだろうか? それ以前にしても、私は、自分では気がつかなかったが、たぶん多少は風変りな人間だったのだろうが、ドフトエフスキーに首を突っこんだ瞬間から、私は決定的に、とりかえしがつかぬほど、そして甘んじて、風変りな人間になった。私にとって、日常的、覚醒《かくせい》的、かつ平々凡々たる世界は消滅してしまった。作家になりたいという野心ないし願望も――その後、長いあいだ――窒息させられてしまった。まるで私は、あまりにも長年月にわたって塹壕《ざんごう》のなかにおり、あまりにも長年月にわたって砲火の下をくぐってきた人間のようであった。日常的な人間の苦悩、日常的な人間の嫉妬《しっと》、日常的な人間の野心――そんなものは、もはやガラクタの山も同然だと思われてきたのである。
マキシーや彼の妹リタとの関係を思いかえしてみると、当時の私の状態が、ありありと目にうかぶ。そのころマキシーも私もスポーツに興味をもっていた。何回となくいっしょに水泳に行ったことをよくおぼえている。海浜で一昼夜をすごしたこともまれではない。マキシーの妹とは一度か二度しか会ったことがなかった。私が彼女の名を口にすると、マキシーは、かならず躍起となって話をそらそうとした。これには腹がたった。じつのところ私は、マキシーとのつきあいには、あきあきしていたからである。それでも我慢していたのは、彼がすぐ金を貸してくれたり、必要なものを買いそろえてくれたりしたからだ。二人して海岸へ出かけるたびに、私は彼の妹が不意に出現してくれることを期待した。だが、どっこいそうは問屋がおろさなかった。つねにマキシーは妹が私たちに近づかないように工作していたのだ。ところで、ある日、私たちが脱衣場で服をぬいでいるとき、マキシーは、どうだ、おれの陰嚢《いんのう》は固くしまって、りっぱだろう、と自慢をはじめた。そこで私は、いきなり言ってやった――「おい、マキシー、なるほどおまえの睾丸《こうがん》は逸品だ。りっぱだよ。しゃれてるよ。それなら安心というものだ。だが、いったいリタは、どこで、どうしているんだい? たまにはつれてきて、とっくりと拝ましてくれたっていいじゃないか、彼女のクイムをさ……。うん、|クイム《ヽヽヽ》だよ。わかっているだろう」マキシーはオデッサ生れのユダヤ人なので、クイムなどという言葉は、初耳のようであった。奴《やつ》は私の使う言葉に、いつも、どぎもをぬかれていたが、そのくせ、この新語には、かなり好奇心をそそられたらしい。ちょっとめんくらったような様子で彼は言った――「ひでえことをいうな、ヘンリ、そんなことを、おれにいうもんじゃねえよ!」「どうして?」と私は答えた。「きみの妹だって、あれをもってるだろう。ちがうか?」もっと別のことを言いたそうとしたとき、マキシーが憑《つ》かれたようにげらげら笑いだした。それで、その場は一応おさまったが、マキシーは腹の底では私の言ったことが気にくわなかったらしく、一日じゅう私の言葉にこだわっていた。もっとも、それについて、とやかく言ったわけではない。その日の彼はじつに無口であった。彼が考えついたせいいっぱいの報復手段は、私をさそって安全水域の向うまで泳がせ、疲れておぼれるようにしむけることくらいであった。しかし、こっちには相手の腹の底がちゃんと見えているから、まさに十人力であった。奴の妹が、ほかのあらゆる女と同じようにクイムをもっているからといって、こちとらが沖であっぷあっぷとは、どう考えても間尺にあわない話ではないか。
この一件の舞台はファー・ロッカウェイ(ニューヨーク市東南端の海浜)である。二人が服を着て食事をすませたあと、私は急にひとりきりになりたいと思ったので、通りの曲り角のところまで歩いてくると、だしぬけに握手をして、「じゃ失敬」と言った。あとは野となれ山となれである。ほとんど同時に、私は世界じゅうでたったひとりなのだという気がした。極端な苦しみを味わったときにのみ人が抱《いだ》くあの孤独感、その孤独感が竜巻《たつまき》のように私をおそったとき、おそらく私は放心したように歯をせせくっていたことだろう。私は通りの角に立ったまま、なににおそわれたのかをたしかめるために全身を触診しているような気持になった。なんとも説明のしようのない気持であった。それでいながら非常にすばらしい、心の浮き立つような気持だった。濃縮強壮剤みたいだったとでも言おうか。私がファー・ロッカウェイにいたというのは、地の果てに、すなわち、もしそんなところがあるとするなら、クサントスと呼ばれるところに立っていたという意味だ。とにかく、そういったような、どんな場所も示さない地名が当然あってもいいはずだと思う。そんなところへ、リタがもしやってきたとしても、私には見わけがつかなかったかもしれない。私は自国民にかこまれて立っていながら、完全な異邦人になってしまっていたのだ。彼ら、日やけした顔をしてフランネルのズボンをはき、ぜんまい仕掛けみたいな靴下をはいた同胞たちが、ひどく狂気じみて見えた。彼らも、私自身と同じように、それが楽しい健康なレクリエーションだから海水浴をしていたのだし、私自身と同じように太陽の光をいっぱいに浴び、たらふく食べ、やや重苦しい疲労を感じていたのである。この孤独感におそわれるまで、私も、やはり多少は疲れていたのだが、いまとつぜん世界から完全に隔絶されて、私は、はっと目をさました。あまりにも衝撃が大きかったので、身動きひとつできなかった。いったん動いたなら、雄牛《おうし》のように突進するか、ビルの壁をよじのぼるか、さもなければ奇声を発して躍《おど》り狂うという結果になりそうだったからだ。ふいに私はその理由をさとった。それは私がドストエフスキーの兄弟であるからなのだ。彼が、どういうつもりで、ああいう本を書いたか、その本心を理解しているのは、アメリカじゅうで、たぶん私ひとりであるからなのだ。そればかりではない。私は、いつの日か私自身が書くであろう書物のすべてが私の内部で芽を吹き出しつつあるのを感じていた。それらは成熟した繭《まゆ》のように内側から開こうとしていた。それまでの私は、ものを書くといえば、ただ手当りしだい、あることないことについて、めっぽう長い手紙を書くだけであった。いつか本格的に書きはじめるときがくるのだ。最初の一語、最初の本格的な一語を書きおろすときが当然くるのだとは、なかなか実感をもっては考えられなかった。だが、そのときが、いまやっときたのだ! 私の頭にうかんだのは、そのことであった。
さっき私はクサントスという言葉を使った。クサントスなどという地名が実際にあるのかないのか、それは知らない。あってもなくても、ほんとうはかまいはしないのだ。だが、この全世界のなかには――おそらくギリシア諸島のなかには――知られたる世界の行きどまりであるような場所があるにちがいない。そこでは、私たちは完全に孤独であるが、おびえるどころか、よろこびにあふれるはずである。なぜならば、この行きどまりの場所で、私たちは永遠に若々しく、新しく、実り豊かな、祖先たちの旧世界を感じとることができるからだ。その位置がどこであるにせよ、私たちは、殻を破って生れ出たばかりのひよこのように、そこに立つ。その場所こそクサントスであり、たまたま私の場合には、それがファー・ロッカウェイであったというわけだ。
私はそこに立っていた! あたりは、しだいに暗くなり、風が立ちそめ、人通りがすくなくなり、ついにはどしゃ降りの雨が降りはじめた。ああ、それが最後の決着をつけてくれた! 雨が降りだして、空を見つめている私の顔を叩《たた》きつけたとき、私は思わず歓喜の叫び声をあげはじめた。まるで精神病患者のように、大声で笑い、笑い、笑いつづけた。なにがおかしいのか、自分でもわからずに。私は、なにも考えてなどいなかった。ただ歓喜にあふれ、自分の完全な孤独さを見いだした満足のために正気をうしなっていたのだ。もし、そのとき、その場で、大皿にのせた肉汁たっぷりのおいしそうな女陰をすすめられたとしても、もし世界じゅうの女陰を残らずならべて好きなやつを選べと言われたとしても、私は睫毛《まつげ》一本動かさなかったことだろう。私は、どんな女陰もあたええぬものをもっていたからだ。そして、ちょうどそのとき、ずぶ濡《ぬ》れになりながら、なお高揚した精神に酔っていたとき、ふと私は、まるっきり見当ちがいのことを考えた――汽車賃《ヽヽヽ》のことだ。いまいましいことに、マキシーの奴は一セントもよこさずに行ってしまったのである。まさに花開こうとする美しい古代世界は私のものであったが、ズボンのポケットはからっぽだった。ドストエフスキー二世氏は、これからあちこちほっつきまわって、知った顔、知らぬ顔をのぞきこんでは、十セント銀貨一枚をせしめる工作にとりかからなくてはならぬ羽目におちいったわけである。ドストエフスキー二世氏はファー・ロッカウェイの端から端まで歩いてみたが、この雨のなかで汽車賃を貸してくれそうな奴は一人もいないようであった。物乞いにはつきものの重苦しい動物的な無感覚状態で歩きまわりながら、私は、ショーウィンドーの装飾家としてのマキシーのことや、彼がウィンドーのなかのマネキンの着つけをしているのをはじめて見たときのことなどを考えた。その二、三分後にはドストエフスキーのことに思考が移った、と同時に世界は完全に停止した。つづいて、夜の暗闇《くらやみ》のなかに咲く大きなバラの茂みのような、リタのあたたかい、ビロードのような肉体のことを考えた。
さて、こいつがどうも奇妙なことなのだが……リタのこと、彼女の個性的な、非凡な女陰のことを考えた数分後に、私はニューヨーク行きの列車に乗っており、のうのうとくつろいで居眠りをしていたのであった。いや、もっと奇妙なことに、汽車から降り、駅のさきへ一ブロックかそこら行ったところで、なんと角を曲ってくるリタその人とぶつかったのである。しかも彼女は、こっちの頭のなかにあることが、まるでもう精神感応《テレパシー》で伝わっているかのように、おそろしく情を高ぶらせているのであった。まもなく私たちはチャプスイ屋へ入り、独立した小さな座席に膝《ひざ》をならべて坐り、さかりのついた一つがいの兎《うさぎ》そっくりのふるまいにおよんだ。ダンスをしているあいだ、二人は、ほとんど体《からだ》を動かさなかった。固く抱きあったまま、じっとして、ほかの連中が勝手に押したり突いたりするのに身をまかしていた。当時私は、ひとり住まいであったから、リタをうちへつれて帰ろうと思えば、いくらでもつれて帰れたのだが、それよりも、彼女を家まで送って行って、玄関の脇《わき》の部屋に立たして、マキシーの鼻さきで征服してやろうと思いついた――私はそれを実行した。その最中に、私はまたショーウィンドーのなかのマネキンや、その日の午後、クイムという言葉をうっかり使ったときのマキシーの笑い顔を思いだした。私は、もうすこしで声をたてて笑いだすところだったが、そのとき急にリタがおよろこびに達しそうになっていることを感じた。ときどきユダヤ娘との出会いで経験する例のまだるっこしい満足感である。私は両手を彼女の体にまわしていた。彼女が小刻みに身をふるわせはじめたとき、私は彼女の体を床から押しあげた。夢中に体をふるわす様子からすると、この女は完全に気が狂ってしまうのではないかと思われた。そうやって彼女は、私が静かに落ちつかしてやるまでのあいだに、空中を四、五回は飛びまわったにちがいない。彼女をその部屋へ寝かしてやった。彼女の帽子が隅《すみ》っこにころがっており、バッグはだらしなく開いて硬貨が数枚散らばっていた。なぜそんなことをおぼえているかというと、リタを満足させてやる前に、私は帰りの電車賃として数枚失敬してやろうと決心していたからである。とにかく、海浜の脱衣場でマキシーに、おまえの妹のクイムを拝見したいもんだ、と言ってから、たった二、三時間のうちに、うるんだしろものが目の前にあらわれたのだ。リタは以前にも経験があったとしても、その経験が満足なものではなかったことは確実である。私自身にしても、こうして玄関脇の部屋の床板の上に寝て、マキシーのすぐそばで彼の妹リタの個性的な、神聖な、非凡なものでおよろこびにひたっているこのときほど、すばらしく冷静かつ科学的な精神状態をたもちえたことは、かつてなかった。この行為は無際限につづけられそうに思われた――私は、ちょっと信じられぬほど無頓着《むとんじゃく》でありながら、彼女の微細な身のこなしを、いちいち完全に意識していた。だが、十セント銀貨一枚のために雨のなかを歩きまわらされた代償は、だれかが支払うのが当然である、あらゆる未執筆の作品の芽ばえが生んだ恍惚感《こうこつかん》に対して、だれかが報酬を支払うべきである。何週間も、何カ月も私をなやましてきたこの個人的な、奥まった部分の真実さを、だれかが証明すべきである。私以上に、その資格をもっているものが他にいるだろうか? 私は、ひとつの山から、つぎの山にいたるあいだ、けんめいに考えていたのだから、私は、さらに一段と燃えあがったに相違ない。ついに私は最後の仕上げをしようと決心した。最初リタは、やや逃げ腰だったが、そのために私がすり抜けたのを感じとると、まるで気が狂いそうになり、うわごとのように早口で言った。「それでいいわ、それで。ねえ、ねえ、ねえ!」私は、ほんとうに興奮《こうふん》してしまった。体をすりよせるとほとんど同時に爆発するのを感じた。
私たちは、ふたりとも疲れきってそこにのびてしまい、犬のようにあえいだ。それでも私には、手さぐりでバラ銭をかき集めようとの意識があった。ぜひとも必要だったわけではない。リタはすでに数ドル私に貸してくれていたのだから。ただ、ファー・ロッカウェイで持ち合せなかった汽車賃の代償を頂戴《ちょうだい》しただけである。いやはや、それでもまだ万事終りというわけにはいかなかった。まもなくまた私は、リタが、私をまさぐっているのを感じたのだ。それはまだ一種の緊張状態を保っていた。彼女は、けんめいになにかを求めはじめた。私は目がくらんだ。気がついてみると、彼女の足が私の首をはさんでいた。結局、私はもう一度攻撃しないわけにはいかなかった。彼女はウナギのようにのたうちまわった。やがてまた、例によってじわじわと長い悶《もだ》えるような彼女のおきまりが、幻惑的なうめき声やうわごとをともなってはじまった。私は、ついに攻撃をやめて、彼女に、やめてくれと言った。なんということだ! おれはただ一度拝んでみたいと言っただけなのに!
オデッサのことをしゃべるときのマキシーは、幼いころうしなったなにものかを、私のなかに、ふたたびよみがえらせてくれた。私はオデッサの風景を、それほど明確に描きえたわけでは決してないが、その雰囲気みたいなものは、ブルックリン近郊の小さな町のように、私には非常に印象の深いものでありながら、またあまりにも簡単に記憶の薄れてしまうものでもあった。遠近法を用いないイタリアの絵を見るたびに、私はじつにはっきりとその雰囲気を感じとることができた。それが、たとえば葬列の絵なんかだと、幼いころ知った経験そのままであり、強烈な直接性をもって訴えてくるのである。街なみを描いた絵の場合には、窓のなかに坐っている女たちは、|まさに《ヽヽヽ》路上に坐っているのであって、その上方に坐っているのでもなければ、そこから離れたところに坐っているのでもなかった。ちょうど原始人の集団におけると同様、あらゆるできごとが、すぐさまあらゆる人間に伝わり、殺人行為が気ままにのさばり、偶然が支配するのである。
ルネサンス時代の絵画に遠近法がないように、子供のころ私が追い立てられた近郊の古い小さな町では、あらゆるできごとが、いくつもの平行した垂直面で起り、その各面にわたって、まるで滲透《しんとう》作用によるかのように、あらゆるものが連関しあい通じあった。各面の境界は画然として、きびしく限定されてはいたが、通過不能というわけではなかった。子供のころ私は、この町を南北にわかつ境界線の近くに住んでいた。ほんのすこし北側によっていた。北二番街《ノース・セカンド・ストリート》という大通り、それが私にとっては、ほんとうに南北をわかつ境界線であったが、そこから二、三歩北に入ったところに住んでいたのである。正式の境界線は、ブロードウェイ・フェリーに通じるグランド・ストリートであるが、これは当時すでにユダヤ人によって占められつつあったという事実をのぞけば、私には、なんの意味もなかった。北二番街こそ神秘の街路であり、二つの世界の境界線であった。したがって私は、二つの境界線、ひとつは現実の、もうひとつは想像上の境界線の中間に住まっていたわけである――私の生活が、つねにそんなものであったのだけれど。グランド・ストリートと北二番街とのあいだには、ほんの一ブロックの長さしかないフィルモア・プレイスと呼ばれる小さな通りがあった。この小さな通りは、私たちが住んでいた祖父の家の斜向《はすむか》いにあった。生れてこのかた、これほど魅惑的な通りを、私は見たことがない。まさしく理想的な通りであった――少年にとっても、恋人にとっても、躁狂病《そうきょうびょう》患者にとっても、酔いどれにとっても、ごろつきにとっても、好色家にとっても、暗殺者にとっても、天文学者にとっても、作曲家にとっても、詩人にとっても、洋服屋にとっても、靴屋にとっても、政治家にとっても。実際それは通りというにふさわしい通りで、そういった人類の代表者を住まわせており、またそのひとりひとりが、彼ら自身にとって、ひとつの世界であった。彼らは協調したり離反したりしながらも、とにかく、|みんないっしょに《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》生活している堅固な協同体であり、通りそのものが解体しないかぎり決して解体することのない強靱《きょうじん》な人間胞子であった。
すくなくとも私にはそう思われた。しかし、やがてウィリアムズバーグ橋が開通し、つづいてニューヨーク市のデランシー・ストリートからユダヤ人が侵攻してきた。それによって、私たちの小世界、フィルモア・プレイスと呼ばれる小さな通りによって構成されていたひとつの世界の解体がはじまった。それはフィルモア(より多く満たす)という名前自体が示すように、価値と、品位と、光と、驚異との通りであったのだが。ユダヤ人は、この通りへやってくると、まるで衣魚《しみ》のように私たちの生活の織物を食いあさり、ついには、彼らがあらゆるところへ運んでまわる衣魚《しみ》的な存在だけが残った。まもなくこの通りは悪臭を放つようになり、まもなくほんとうに人間らしい人たちは引越して行き、まもなく建物は崩《くず》れだし、玄関口の式台までがペンキのように剥がれてしまった。まもなく、この通りは前歯の欠けた不潔な口のようになってしまった。黒くよごれた歯の根が、あちこちにのぞき、唇《くちびる》は糜爛《びらん》し、口蓋《こうがい》は腐ってなくなってしまった。まもなく溝《みぞ》のなかには台所|屑《くず》が山積みとなり、火災避難用の出口は、ふくれあがった寝具や、油虫や、凝固した血で、いっぱいになった。まもなく店のウィンドーには、ユダヤ教の掟《おきて》によって処理されたことを示す「適法食品」の標識が貼《は》り出され、いたるところで、食用の鳥類や、燻製《くんせい》の鮭《さけ》や、すっぱいピクルスや、ばかでかい食パンが売られるようになった。まもなく、あらゆる家の地下の勝手口に、玄関口に、小さな中庭に、店の前に、乳母車が見られるようになった。この変貌《へんぼう》にともなって、英語も消滅し、かわりにイディッシ語(高地ドイツ語方言にバルト・スラヴ系の語が混じたものでヘブライ文字で書く。ロシア、中部ヨーロッパ、アメリカのユダヤ移民などが使っている)だけが聞かれるようになった。この、やたらに唾《つば》の飛ぶ、息ぐるしい、耳ざわりな言葉を使うと、神も腐った野菜も同じようにきこえ、意味までが似てくるようであった。
私たちは、ユダヤ人の侵攻に閉口して、まっさきに転居した家族たちの仲間であった。その後、私は年に二、三度ずつ、誕生日とかクリスマスとか感謝祭とかには、このなつかしい郊外の町を訪れたが、行くたびに、かつて愛着を感じていたものが、なにかしらうしなわれていることに気がついた。まるで悪夢でも見ているようであった。しかも、悪化はますます進む一方だった。私の親戚がまだ残って住んでいる家などは、崩れ去ろうとする古い砦《とりで》のようであった。親戚のものたちは、この砦の一翼に追いこまれて、かろうじて孤島の生活を営み、しだいに弱々しい被害者のような相貌《そうぼう》を帯び、自尊心をうしなっていった。のみならず彼らは近所のユダヤ人を一律に見ないで、そのあいだに区別だてをするようにさえなった。同じユダヤ人でも、一部の人たちは、じつに人間らしいし、じつに礼儀正しい。清潔で、親切で、同情的である。寛大である、うんぬん。私にとって、これはまったく嘆かわしい考えだった。いっそ機関銃でもぶっ放して、ユダヤ人であろうと非ユダヤ人であろうと、みな殺しにしてやりたいような気持だった。
当局が北二番街をメトロポリタン・アヴェニューと改称したのは、この侵攻がおこなわれたころのことである。こうして非ユダヤ教徒にとっては、教会墓地への道すじにあたるこのハイウェイは、いわゆる交通の動脈になり、二つのユダヤ人居住地区を結ぶ道となったわけである。ニューヨーク側の河岸は続々と立ちならぶ高層建築のために、急激に変貌をとげた。私たちの住むブルックリン側には倉庫が軒をならべ、あたらしくできた橋への頻繁《ひんぱん》な交通のために、広場、共同便所、駐車場、文房具屋、アイスクリーム・パーラー、レストラン、衣料品店、質屋等々ができた。要するに、あらゆるものが、悪い意味で|メトロポリタン《ヽヽヽヽヽヽヽ》(大都会的)になったわけである。
私たちは、この郊外の町に住んでいるあいだ、決してメトロポリタン・アヴェニューなどという言葉は口にしなかった。公式の名称はどうであれ、あくまでそれは北二番街であったのだ。これがもはや北二番街でないことを強く感じたのは、それから八年ないし十年くらいのち、ある冬の日に河に面したこの街の一角に立って、はじめてメトロポリタン生命保険会社の天を摩するような高層ビルを見たときだったと思う。私が頭に描いていた世界の境界線は、すでに変ってしまっていた。私の投げ槍《やり》は墓地のはるか彼方《かなた》、河のはるか彼方、ニューヨーク市やニューヨーク州のはるか彼方、全アメリカ合衆国の彼方にまで飛んで行った。カリフォルニア州のポイント・ローマで広大な太平洋を見たとき、私は、なにものかが私の首を永久に別の方向へねじ曲げつづけているという感じを抱《いだ》いた。ある晩私は、除隊したばかりの幼な友だちスタンリーと、この郊外の町へ戻ってきたが、通りを歩きながら、二人とも、もの悲しい気分に沈んでしまったことをおぼえている。この気持は、ヨーロッパ人には、ほとんど理解できないだろうと思う。ヨーロッパでは、いくら都市の近代化が行われても、かならず昔の面影が残っている。アメリカでは、昔の面影があっても、それは拭《ぬぐ》い去られ、意識の外に放り出され、踏みつけられ、抹殺《まっさつ》され、新しいものによって無効にされてしまうのである。新しいものは、毎日毎日やすむことなく生活の繊維を食い破り、最後に大きな穴だけを残す衣魚《しみ》なのだ。スタンリーと私は、このおそるべき穴のなかを歩きまわっていたのである。戦争だって、このような荒廃や破壊をもたらすことはないだろう。戦争によって、ある都市が灰燼《かいじん》に帰し、その住民が皆殺しにされることはあるかもしれないが、ふたたびそこにうち建てられる都市は、以前のそれと似たものであるだろう。死はもともと、土にとっても精神にとっても、肥沃《ひよく》多産なものだが、アメリカにおいては破壊は徹底的であり、いっさいを死滅させずにはおかないのである。復活、再生などはありえないのだ。ただ悪性|腫瘍《しゅよう》のように、層一層、しだいに醜さを増す新しい組織が伸び育ってゆくだけなのだ。
さっきも言ったように、私たちは、この巨大な穴のなかを歩きまわっていた。澄みきった、星の美しい冬の夜だった。町の南部を境界線のほうへ歩きながら、私たちは、かつてそこにあった建物の跡や、かつて私たち自身の一部であったあらゆるものの名残《なご》りにあいさつを送った。北二番街に近づいたとき、私は、この通りとフィルモア・プレイスとのあいだ――それはわずか数ヤードしか離れていなかったが、そこは世にも豊かな満ち足りた地域であった――にあるオメリオ夫人の陋屋《ろうおく》の前に立って、それを見あげた。私はこの家から、真に存在することの意味を教えてもらったものであるが、いまやあらゆるものが縮小していた。境界線の彼方《かなた》に横たわる世界――それは私にとっては、あまりにも神秘的であり、異常なほど壮大であり、しかもはっきりと限界のさだまった世界であったが――それもやはり縮小していた。呆然《ぼうぜん》とたたずみながら、とつぜん私は、ひとつの夢を思い起した。それは、すでに何度も見た夢、いまでもときどき見るし、生きているかぎりはこれからも見たいと思っている夢だ。それは越境の夢であった。あらゆる夢がそうであるように、なまなましい現実感、夢を見ているのではなく|現実の《ヽヽヽ》|なかにいるのだ《ヽヽヽヽヽヽヽ》という実感が、その夢の、きわだった特徴であった。境界線上では、私は無名の存在であり、完全に孤独であった。実際、私はいつも異邦人、他国人とみなされた。私は全然時間にしばられていなかったし、通りをぶらつくことに心から満足していた。通りは、たった|ひとつ《ヽヽヽ》しかなかった、というべきかもしれない――私が住んでいた通りの延長が一本あるだけなのだ。とうとう私は、駅構内の上にかかっている鉄橋のところへやってきた。境界線からは、すぐ近くなのだが、ここへ着くのは、いつも夜ふけだった。この橋から私は蜘蛛《くも》の巣のような線路や、貨物駅や、炭水車や、貯炭庫などを見おろすのだが、こうした異様な動く物体を見つめているうちに、|まるで夢のなかにおける《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》|がごとく《ヽヽヽヽ》、ある種の変身作用が起ったのである。この変身やデフォルメにともなって、ああ、これはもう何度も見た夢ではないか、という自覚が生じる。もしかして、すぐに目がさめてしまうのではないかという恐ろしい不安を感じながら、私は実際にすぐ目ざめてしまうであろうことを知っていた。空漠《くうばく》たる大空間のまっただなかで、私にとって、なによりも重大な意味をもつものを備えた家に、一歩踏み入ろうとするその瞬間に、目がさめてしまうのだ。この家に近づこうとすると、きまって足もとの大地が片《かた》っ端《ぱし》からくずれ、解体し、消滅するのである。空間がカーペットのように私を包みこみ、私を呑《の》みこむ。もちろん、私が入りそこなった家も、私を呑みこんでしまうのだ。
この、私の知るかぎりではもっとも楽しい夢から、『創造的進化』と呼ばれる本の核心へ転移するなどということは絶対にありえない。アンリ・ベルグソンのこの書物に、私は、境界線の彼方に横たわる世界の夢に行きつくのと同じく、ごく自然に行き当ったのであるが、そのなかにあって、私は、ふたたび完全に孤独であり、ふたたび異邦人であり、ふたたび鉄橋の上に立って内と外との奇妙な変身作用を観察している年齢不詳の男なのであった。この本が、ほんのすこしでも遅く手に入ったならば、私は発狂してしまっただろう。この本は、もうひとつの巨大な世界が頭上で崩壊しはじめたちょうどその瞬間に手に入ったのである。この本の内容が、まるで理解できなかったとしても、たったひとつ、創造的《ヽヽヽ》という言葉を心に刻みつけただけで十分であった。この言葉は私の護符であった。この一語のおかげで、私は全世界を相手に、とくに私の友人たちを相手に、戦うことができたのである。
友情の意味をほんとうに理解するためには、友人と絶交しなければならぬ場合がある。奇妙な言いぐさだと思われるかもしれないが、この書物の発見は、私をとりまいてはいるけれども、もはやなんの意味ももたなくなった友人どもを吹っ飛ばす武器もしくは道具を発見したにひとしかった。この書物は、友人なんぞ不必要だと教えてくれたがゆえに私の友人になった。それは私に自主独立する勇気をあたえ、孤独の尊さを教えてくれた。だが、この書物の内容は、いまだに私は理解できずにいる。いま一歩で理解できるというところまでは何度か行ったことがあるのだが、真の理解に達したことは一度もないのだ。私にとっては、理解しないということのほうが、より重要であった。この本を手にして友人たちに読んで聞かせ、質問をしたり説明をしたりしているうちに、おれには真の友人はいない、おれは世界じゅうどこへ行っても孤独なのだ、ということが、痛いほどはっきりしてきた。私にしても友人にしても、書いてある言葉の意味がよくわからないのだが、ただひとつのことだけは非常に明らかになった。つまり、わからないということにも、いろいろな差があるという事実である。ある一個人の不理解と他の一個人の不理解との相違は、理解のしかたの相違以上に堅固不動な大地の一世界を創造する。それまでわかっていると自負していたものが、残らず崩れ去り、私は白紙の状態に戻った。ところが、友人たちは、めいめい勝手に掘った理解という小さな塹壕《ざんごう》のなかに、ますます身を堅くしてうずくまっていた。彼らは、世界の有益なる市民となるために、理解という小さな寝床のなかで、やすらかに死んでいたのだ。私は彼らを、哀れな奴らだとさげすみ、かたっぱしから捨てていった。だが一向に後悔を感じなかった。
それほど重大な意味をもちながら、いつまでも理解しがたいこの書物には、いったい、なにが秘められているのであろう? 私は、ふたたび創造的《ヽヽヽ》という言葉にかえり、いっさいの秘密は、この一語の意味を体得することにあると確信した。この本のこと、またそれを自分のものにしようと努力したいきさつをかえりみるとき、私は、はじめて秘義を伝授されようとしている男のことを連想する。奥義の伝授にともなう既成理念の破壊とその再創造とは、人間に可能な経験としては、もっともすばらしいものだ。そこでは、生れてこのかた頭脳が蓄積し、分類し、体系化しようとつとめてきたことのすべてを、ばらばらに分解して整理しなおさなければならない。魂の移転の日! もちろんこれは一日では終らない。何日も、何週間も、何カ月もつづくのだ。たまたま路上で友人と会う。何週間も会っていないので、もう他人同様になった男だ。こちらは新しい立場から二、三の信号を送る。相手がこれに同調しないようだったら、絶交である――|永久に《ヽヽヽ》絶交だ。まさに戦場における掃討作戦である。絶望的なほど無力で苦しみあえいでいるような連中は、一太刀《ひとたち》でかたづけてしまう。新しい戦場へと進軍はつづく。新しい勝利、あるいは新しい敗北にむかって。とにかく行くのだ! きみが行けば、世界も行く――正確に、きみと歩調をそろえて。きみは新しい作戦の場を探《さが》し求める。人類の新しい標本を探し当てては、これを根気よく教化し、これに新しいシンボルを備えつけてやる。ときには初対面の相手をえらぶ場合もあるだろう。相手が啓示を知らないでいるかぎり、きみは手のとどくかぎり、あらゆる人間、あらゆるものを試《ため》してみる。
私は、ある日、例によって父の店の仕事部屋に坐って、そこに働いているユダヤ人たちに『創造的進化』を読んで聞かせていた。この新しいバイブルを、弟子たちに語るパウロもかくやと思われるような調子で読んでやったのである。ただ、あいにく、うちのユダヤ人どもは、英語がまるっきり読めなかった。私は主として、律法学者めいたところのある裁断師バンチェクに聞かせるつもりだった。私は本を開くと、どこでもかまわず目についた一節を中国人の片言《かたこと》英語みたいに単純な英語に変えて読んで聞かせた。そのあと、彼らがよく知っているものを引き合いに出して説明してやった。ところが彼らは驚くべき理解力を示した。実際の話、大学教授や文学者や、あらゆる有識者よりも、はるかによく理解したのである。もちろん彼らが理解したことは、煎《せん》じつめれば一冊の書物としてのベルグソンの本とは無関係であったが、こうした書物の目的は、むしろそこにあるのではなかろうか? 私の考えでは、ある本の意味を理解するとは、その本が視界から消えてしまうこと、それが生きながら噛《か》まれ消化されて血肉となり、その血肉が、さらに新しい精神を生んで、世界を再構成することにほかならない。私たちは、この本を読むことによって、偉大な聖餐式《せいさんしき》に列席するわけだ。そのもっとも非凡な長所は「無秩序」の章にあった。それは徹底的に私の内部につらぬき入り、驚嘆すべき秩序感をあたえてくれた。だから、たとえ彗星《すいせい》が、いきなり地球に激突し、あらゆるものを場ちがいなところへ放り出し、あらゆるものを転倒させ、あらゆるものを裏返しにしたところで、私は一瞬のうちに新しい秩序を回復しうるだろうと信じることができた。私は死と同様、無秩序に対しても、もはや不安や妄想《もうそう》を抱《いだ》かなかった。迷宮こそ私の楽しい猟場なのだ。深く迷いこめば迷いこむほど、私の針路は明らかになるのだ。
私は仕事を終えたあと、『創造的進化』を小脇《こわき》にかかえてブルックリン・ブリッジから高架《こうか》鉄道に乗り、共同墓地に向って帰途についた。ときには人ごみのなかを長いこと歩いて、ユダヤ人地区の中心であるデランシー・ストリートから帰ることもあった。高架鉄道の乗り場は地下にある。まるで内臓のなかに押しこめられた虫という感じである。ごったがえしているプラットホームの人ごみのなかへ入るたびに、私は、このなかでおれだけが特異な個性をもった人間なのだ、と思った。そして、まるで他の遊星からきた傍観者のように周囲の人々やできごとを眺《なが》めた。おれの言葉、おれの世界は、腋《わき》の下にあるのだ。おれは大いなる秘密の守護者なのだ。もし、おれが口を開いてものを言ったなら、交通は完全に麻痺《まひ》してしまうのだ。私が押えつけている言葉、また私が毎晩、会社からの行き帰りに精神に秘めているもの――それは強烈このうえもないダイナマイトであった。このダイナマイトを投げつけるだけの覚悟は、まだ私にはできていなかった。ただ沈思黙考しながら、自分自身を説得するような調子で、それをすこしずつ噛《かじ》っているにすぎなかった。あと五年か、十年もしたら、こいつらをすっかり片づけてやる。列車がカーヴにさしかかってはげしくかたむくたびに私は心のなかで言った――|いいぞ《ヽヽヽ》! |脱線しろ《ヽヽヽヽ》! |奴らをみな殺しにしてしまえ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》! ほんとうに脱線したら自分の生命《いのち》があぶないなどということは、まるで考えなかった。私たちは罐詰《かんづめ》の鰯《いわし》みたいにぎゅうぎゅうづめに押しつけられており、私の体を押しつけるあたたかい他人の肉体が、私の思考を散漫なものにした。ふと気がつくと、私の両脚はだれかの腿《もも》ではさみつけられていた。私は目の前に腰かけている少女を見おろし、まともに彼女の目を見つめながら膝《ひざ》を彼女の腿にいっそうつよく押しつけた。少女は、しだいに落ちつきをうしない、しばらくもじもじしたあげく、口をとがらせて隣の席の娘に向って、私がいやらしいことをしていると訴えた。周囲の連中が憤然として私をにらみつけた。私は、そしらぬ顔で窓の外を眺め、なにもきこえないようなふりをした。たとえ動かしたいと思っても、私の脚は動かすことができないのだ。だが、やがて少女は、乱暴に押したりひねったりしながら、すこしずつ腿を私の脚から離すことに成功した。ところが今度は、彼女がさっき不平を訴えた隣席の娘と、やっぱり同じような状態におちいった。と同時に、私は、なにか同情的な触感のようなものを感じとった。おどろいたことに、この娘は、しかたがないわ、ほんとは、この人が悪いんじゃなくて、あたしたちをすしづめにする会社が悪いんだわ、などと言っているのである。そして、ふたたび私は、この娘の腿が私の両脚にふるえながら押しつけられるのを感じた。握手のようにあたたかい、人間的な触感である。私は、あいているほうの手で苦労しながら、やっと本を開いた。目的は二つだ。ひとつは、この娘に、私がどんな本を読んでいるかを見せつけるためであり、もうひとつは、あまり相手の注意をひくことなく脚の言葉を語りつづけたいがためである。おもわくは、みごとに当った。車室がいくらかすいたとき、私は彼女の横に腰かけて、言葉をかわすことに成功した。もちろん私の本についての会話である。彼女は肉感的なユダヤ娘で、大きなうるんだ目や、あけっぴろげな態度が、多情を物語っていた。列車から降りると、私たちは腕を組んで彼女の家のほうへ歩きだした。例の郊外の町のすぐ近くだ。あらゆるものがなつかしく見え、そのくせ、あらゆるものが胸のむかつくほどよそよそしくも思われた。私は、こうした通りを何年ぶりかで歩くのだが、つれているのは、ユダヤ人地区のユダヤ娘、強いユダヤなまりのある美しい娘であった。彼女とならんで歩いていると、いかにも自分が場ちがいなもののように思えた。私は侵入者なのだ。うまそうに熟《う》れた女体をもぎとろうと郊外の町へのりこんできた異教徒なのだ。ところが、娘のほうは、自分の勝利を得意がっているようであった。友人たちに私を見せびらかしているのだ。列車のなかで、この男を拾ってきたのよ! 教養のある、洗練された異教徒なのよ! 彼女の気持が直接耳にきこえてくるようであった。ゆっくりと歩きながら私は詳細に情勢分析をはじめ、夕食後に彼女を呼び出したものかどうかということまで計算した。彼女を夕食に誘おうという考えは起らなかった。問題は、いつ、どこで会い、どうやって事を進めるかだ。彼女は家にたどりつくすぐ前に、自分には外交販売員をやっている夫がいるから用心しなければならない、と漏らした。そこで私は、もう一度出なおして、約束の時間に菓子屋の前の角で会うことにした。お友だちをつれてきたいのなら、わたしもお友だちをつれてくるわ、と彼女はいうのだが、私は二人だけで会いたいと答えた。彼女もそれを了承した。彼女は私の手を力をこめて握りしめ、薄汚《うすぎた》ない玄関のなかへ駆けこんだ。私も急いで高架鉄道の駅へ戻り、家に帰ってさっさと夕食をすました。
夏の夜で、あらゆるものが大っぴらにあけ放たれていた。高架鉄道で逢引《あいびき》に戻る途中、過去のすべてが万華鏡《まんげきょう》のようにめまぐるしく展開した。例の本は今度はうちにおいたままであった。いまもっぱら求めているのは女体なのだから、本のことなど、まるで頭になかった。私はまた境界線のこちら側を戻りつつあった。ひとつ、またひとつと駅がうしろへ飛びすさって行くごとに、私の世界は小さくなる一方であった。目的地につくころには私はもう子供みたいになっていた。これまでに起った変身におびえている子供みたいなものであった。第十四番区の住人であるこのおれが、なにが起ったからといって、なぜこの駅で降り、ユダヤ女の肉体を求めようとするのか? あの女と肉体をまじえたからといって、それがなんになるのだ? あんな女に、なにを話してやるというのだ! 愛がほしいというときに、肉体などをまじえて、なんの意味があるのか? そうだ、そいつは魚雷のようにいきなり私をおそってきたのだ……。ユーナ。私がこの郊外の町に住んでいたころ愛していた娘ユーナ。大きな碧《あお》い目と亜麻色《あまいろ》の髪をしたユーナ。顔を見るだけで体のふるえを感じさせたユーナ。接吻はおろか、手にふれることすらおそろしがったユーナ。|ユーナはどこにいるのだ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》? そうだ、それが、とつぜん燃えあがった疑問であった――|ユーナはどこにいるのだ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》? 二秒もたつと、私は完全に腑抜《ふぬ》けとなり、このうえもなくおそろしい苦悶と絶望の背後に、まったくおのれを見うしない、うちしおれてしまうにちがいない。なんでおれは彼女を手離してしまったのだろう? なぜ? なにが起ったのだろう? |いつ《ヽヽ》起ったのだろう? 私は昼も夜も、くる年も、くる年も、気ちがいのようにユーナのことを思いつづけていたのだが、彼女は、いつのまにか私の心から抜け落ちていた。ポケットの穴から銅貨が抜け落ちてしまうように。信じられない、奇怪な、気ちがい沙汰《ざた》だ。私はただ彼女に結婚を申しこみさえすれば、いや彼女の手を求めさえすれば、それでよかったのに――たったそれだけでよかったのだ。彼女は即座に「イエス」と答えたにちがいない。ユーナは、私を愛していた。しん底から、私を愛していた。そうだ、私はいまでもおぼえている。最後に会ったとき、彼女が見せたあの表情を。私は彼女に別れを告げていた。その晩、新しい生活をはじめるためにカリフォルニアへ出発するので、みんなに別れを告げるのだと言って。ほんとうは新しい生活をはじめる気など毛頭なかった。私は求婚するつもりだった。それなのに、ばかげたつくり話が、あまりすらすらと口をついて出るので、つい自分までが、そいつを信じてしまって、別れを告げて外へ出てしまったのである。ユーナはその場に立って、私を見送っていた。彼女の目が、私の体をつらぬき、声なき叫びが、私の耳をつんざくかとさえ思えたが、私は機械人形みたいに歩きつづけ、とうとう角を曲って、それで万事おしまいになってしまった。じゃ、さよなら! まるで、催眠術にかけられたみたいに、そう言ってしまったのだ。ほんとうは、こう言いたかったのに――|おれのところ《ヽヽヽヽヽヽ》|へきてくれ《ヽヽヽヽヽ》! |おれはもうきみなしには生きて《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》|いけないのだ《ヽヽヽヽヽヽ》。
私は、がっくりと気落ちし、ふらふらしてしまって、高架鉄道の階段を降りるのも困難なほどであった。なにが起ったのか、それはもうわかっていた――ついに境界線を越えてしまったのだ! 私が持ちあるいていたあの新しいバイブルが、私を教化し、私を新しい人生の道に導き入れてくれたのだ。かつて私が知っていた世界は、もはや存在しなかった。その世界は、いまはもう死に絶え、きれいに片づけられてしまった。かつての私のいっさいも、それといっしょにとり片づけられてしまった。私は新しい生命を注入された屍《しかばね》だ。新しい発見によって、あかるく輝き、はげしく燃えあがってはいるが、芯《しん》はまだ鉛のように冷たく、金屑《かなくず》のように生気がなかった。私は泣きだした――高架鉄道の階段の途中で。子供のように声を出して泣きじゃくった。ひとつの事実が、きわめて明白に頭にうかんだ――|おまえはこの世でたったひとりな《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》|のだ《ヽヽ》! ひとりぽっち……ひとりぽっち……ひとりぽっち。ひとりぽっちでいるのは辛《つら》い……辛い……辛い……辛い。それは際限のない辛さ、底知れない辛さであった。それは地上のあらゆる人間の運命であり、とくにこのおれの運命……とくにおれの運命なのだ。ふたたび変身がはじまった。ふたたび、あらゆるものが、よろめきゆらいだ。私は、またしても夢のなかにいた。苦痛に満ちた、幻惑的な、楽しい、気を狂わすような、境界の彼方《かなた》の夢だ。私は空地の中心に立っていた。どうしても自分の家が見つからなかった。私は宿なしなのだ。夢は妄想《もうそう》であった。空地のまんなかには家は一軒も建っていなかった。だからこそ私は一度もなかへ入れなかったのだ。私の家は、この世にはない。きたるべき世界にもない。私には、住む家もなく、友もなく、妻もない。私は、まだ存在しない現実に属する怪物なのだ。ああ、だが、その存在しない現実が、現実も将来も存在すると私は確信しているのである。私はいま、頭《こうべ》を垂れ、ひとりごとをつぶやきながら、さっさと歩いて行った。逢引のことなど、すっかり忘れてしまっていたので、彼女の横を通りすぎたかどうかということすら一向に意識していなかった。通りすぎたのかもしれない。まともに目を向けながらも、彼女だと気づかずに歩いてきてしまったのかもしれない。いや、彼女のほうだって私に気づかなかったのかもしれないのだ。私は正気をうしなっていた。苦痛のために、懊悩《おうのう》のために、気ちがいになってしまったのだ。私は絶望におちいっていた。だが、立場をうしなってしまったわけではない。私の属する現実は、|たしかに《ヽヽヽヽ》存在するのだ。それは遠いところ、あまりにも遠くへだたったところにあり、だから、ことによると、いまから最後の審判の日まで頭を垂れて歩きつづけても決して見つからないかもしれない。だが、あることはたしかなのだ。私はそう固く信じている。私は殺気をおびた目で人々を眺《なが》める。できるものなら、爆弾を投げつけて、このあたり一帯を、木っぱみじんに吹っとばしてやりたい。この連中が、ばらばらになって、悲鳴をあげながら空中に舞いあがり、絶滅するのを見るのは、さぞ小気味よいことだろう。私はこの地球全体を絶滅させてやりたい。私自身は、その一部分ではない。そいつは、最初からしまいまで、まるで常軌を逸しているのだ。なにからなにまで気ちがい沙汰なのだ。ウジ虫に内部から食い荒されている巨大な腐れチーズなのだ。糞《くそ》くらえだ! そんなものは吹っとんじまうがいい! 殺せ! 殺せ! 殺せ! みな殺しにしてしまえ、ユダヤ人も、非ユダヤ人も、若いやつも、老いぼれも、善玉も悪玉も……。
私は身軽になる。羽毛のように軽くなる。それにつれて私の歩みも、だんだんと落ちつき、着実になり、規則的になる。なんと美しい晩だろう! 星はじつに明るく、じつに静かに、じつに遠く、輝いている。星どもは私を嘲笑しているわけではない。いっさいの虚《むな》しさを、もう一度教えてくれているのだ。おい、きみ、地球のことだの、爆破だのとしゃべっている若いきみは、いったい何者なのかね? わしらはね、何百万年、何千万年も、こうしてここにいるんだよ。わしらは、あらゆるものを、ひとつ残らず見た。けれども、あいかわらず毎晩おだやかに光を放っているのだ。道を照らし、人の心を静めているのだ。あたりを見まわしてごらん。万物が、いかに静かで美しいかを、きみの目でたしかめてみるがよい。ほら、溝のなかの台所|屑《くず》だって、この光のなかでは美しく見えるだろう。小さなキャベツの葉をとって、そっと手のなかに握ってみるがよい。私は、かがみこんで台所屑のなかから小さなキャベツの葉を一枚とってみた。それは完全に新しいものとして目にうつった。そのなかに、ひとつの宇宙があるかのようだ。私は、ほんの小さな一片をちぎって、それをじっと見つめた。そこにもやはりひとつの宇宙がある。やはり表現を絶した美しさと神秘とがある。溝のなかに投げかえすのがためらわれるほどだ。私はかがみこんで、ほかの屑の横に、そっとそれをおいた。私は非常に考え深くなっていた。非常に、非常に静かな気持であった。私は世界じゅうのあらゆる人を愛しはじめた。いまのこの瞬間、この世のどこかに私を待っている女がいること、そして、非常に静かに、非常におだやかに、非常にゆっくりと進みさえすれば、その女に会えるであろうことを私は知っていた。その女は、たぶん街角に立っていて、私の姿が見えたら――即座に――それと見抜くことだろう。私は確実にそのことを信じる。あらゆるものが公正であり、天のさだめにしたがっていることを信じる。私の家? この世界が、全世界が私の家なのだ! どこにいようと、そこが私の家なのだ。ただ、これまでそれに気がつかなかっただけだ。しかし、いまはもう、はっきりとそれを知っている。もはや境界線なぞはない。そんなものは最初から存在しなかったのだ。私が勝手につくっていたのだ。私は幸福感にひたりながら、ゆっくりと通りから通りへと歩いて行った。愛すべき通り。あらゆる人間が歩き、あらゆる人間が表面にはあらわさないが苦悩している通り。立ちどまってタバコに火をつけようと街燈によりかかると、街燈までが親しみ深いものに思われてきた。それは鉄でできた|もの《ヽヽ》ではなかった――それは人間の精神が創造したものであり、ある一定の形をとって、人間の手でねじ曲げられ、形をととのえられ、人間の息を吹きこまれ、人間の手と足とで据えつけられたものなのだ。私は、そのまわりを一まわりして鉄の肌《はだ》を手で撫《な》でた。それは、いまにも私に語りかけてくるかのようであった。それは人間性をもった街燈であった。それは|所属する《ヽヽヽヽ》主体をもっていた――キャベツの葉のように。破れた靴のように。マットレスのように。台所の流しのように。ちょうど私たちの精神と神との関係のように、あらゆるものが、ある一定の場所で、ある一定の立場をもって存在しているのだ。目に見え、手にふれることのできる実体をもつこの世界は、私たちの愛の地図である。神ではなく、生命こそ愛なのだ。愛、愛、愛。そして、そのまんまんなかを、この若い男、すなわちゴットリーブ・レーベレヒト・ミュラーにほかならぬこの私が歩いているのである。
ゴットリーブ・レーベレヒト・ミュラー! これこそは、みずからの正体を忘れ去った男の名前なのである。だれも、この男が何者であるか、どこの出身か、どんな経歴の持主であるかを説明することはできないだろう。私は映画ではじめてこの男を知るようになったのだが、そこでは彼は戦傷を受けたことになっていた。私はスクリーンの上で自分の姿を発見したが、戦争に行かなかったことは確実だから、どうやらこの原作者は、この私をさらしものにしようとして映画をつくったのではないらしいとさとった。私はしばしば、どちらがほんとうの自分であるのかを忘れた。夢のなかで、たえず私は忘却の杯をかたむけ、自分のものである肉体や名前を求めて孤独と絶望のなかをさまよい歩いた。ときには、夢と現実とのあいだが、ほんの紙一重のものとなることもあった。だれかが私に話しかけている最中に、私の本体だけが、その場から抜け出して、流れにただよう草木のように、根のない自我の旅をはじめることもあった。そんな状態でも、日常の用は十分にたすことができた――女房を見つけることも、父親になることも、家族を養うことも、友人をもてなすことも、本を読むことも、税金を納めることも、軍務に服することも、あれもこれも。もし必要とあらば、こんな状態で冷酷無情に人を殺すこともできた。それが家族のためであろうと、国を護《まも》るためであろうと、とにかく理由なんかどうでもよかった。私は、ひとつの名前をあたえられ、旅券にひとつの番号をあたえられている、ごくありきたりの常軌化された市民にすぎなかった。私は自分の運命に対して完全に無責任な人間なのである。
ところが、ある日、なんの前ぶれもなく、起きて見まわしてみると、周囲で行われることのすべてが、まったく不可解となるのである。私自身の行為も近所の人たちの行為も理解できないし、政府が、あるいは戦争し、あるいは平和を保つ、その理由も、まるっきり理解できないのだ。そんなときに私は生れ変るのだ。新たに生れて、私の正しい名前であるゴットリーブ・レーベレヒト・ミュラーの名で洗礼を受けるのである。私が、この正しい名前で行うことは、すべて異常とみなされる。人々は、かげで、いや、ときには私の目の前で、あいつはおかしいぞという合図をかわす。私は友人や、家族や、それまで愛していた人たちから、グッド・バイを余儀なくされる。テントをたたまざるをえなくなるのだ。したがって、夢のなかにおけると同じく、ごく自然に、またしても流れにのってただよう自分を発見する。だいたいは、夕陽に顔を向けながら、ハイウェイを歩いている。私の神経の働きは、すべて鋭敏になる。私は、はなはだ愛想のよい、ものやわらかな、抜け目のない動物であり――同時に、聖なる人間と呼べるようなものとなる。私は暮しの方法を、よく心得ている。どうやって労働をまぬかれるか、どうやって面倒な人間関係から抜け出すか、またどうやって憐憫《れんびん》や、同情や、虚構や、その他いっさいの陥《おと》し穴を避けるかを、ちゃんと心得ている。私は適当に、ある地位にとどまり、あるいは、ある人間との交際をつづけるが、必要なものを獲得したら、さっさとおさらばを告げる。私にとっては終着点というものがない。無目的の放浪は、それ自体充足したものなのだ。私は小鳥のように自由であり、軽業師《かるわざし》のように自信に満ちているのである。マナ(神与の食物)は天から降ってくる。私は手をさしのべてそれを受けとりさえすればよい。そして私は、行くさきざきで、この上もない悦楽の思いを残す。まるで天から降る贈りものを受けることによって、他人に真の恵みをあたえているかのようだ。私の汚《よご》れた寝具までが、愛のこもった手によって美しくされる。それは、あらゆる人々が真に生きている人間を愛するからである。ゴットリーブ! なんと美しい名前だろう! ゴットリーブ! 私は何度もその名を口ずさむ。ゴットリーブ・レーベレヒト・ミュラー!
私は、そんな状態で、いつも泥棒や、ごろつきや、人殺し連中とつきあってきたが、彼らは私に対して、なんと親切で思いやりがあったことだろう! 彼らは、まるで私の兄弟のようであった。また実際にそうだったのではなかろうか。私もやはり、あらゆる犯罪をおかし、そのために苦しんできたのではなかろうか。その罪のゆえにこそ、私はこうした仲間と、ごく密接に結びついていたのではなかろうか。他人の目のなかに、私に対する容認の光を見いだすたびに、私は、このひそかな結びつきを意識するのである。決して輝くことのない目をもっているのは、正義のみを行う善人ばかりだ。人間どうしの友愛の秘密をまるっきり知ることができずにいるのは、この善人たちである。私たちの指紋を要求するのは、また私たちに向って、おまえたちはわれわれの前に肉体を見せて立つときすでに死んでいるのだ、と論証するのは、やはりこの善人どもである。私たちに、いいかげんな名前、偽りの名前を押しつけるのも、公の記録に偽りの日付を書きこんで私たちを生きながら葬り去るのも、この善人どもだ。私は、こんな手合いよりも、泥棒や、ごろつきや、人殺しのほうが好きだ。もっとも、もしほかに私自身と同じ才能、同じ特性をもった人間が見つかれば話は別であるが。
そんな人間は、まだひとりも見つからぬ。私自身と同じくらい雅量があり、同じくらい寛容で、おおらかで、のんきで、非情で、心の清らかな人間には、まだ出っくわしたことがない。私は自分がどんな罪をおかしても、みな赦《ゆる》すことにしている。人間性の名によって赦すのだ。人間的とは、どういうことか、その弱みも強みも、私はよく知っている。私は、その知識のゆえに苦しみ、またその知識に酔ってもいる。私は、たとえ神になる機会をあたえられても、それを拒絶するだろう。たとえ星になる機会をあたえられても、それを拒絶するだろう。生命があたえうるもっともすばらしい機会は、人間らしくあるということだ。それは全宇宙を包含する。神ですら経験しえない死についての知識すらも、そこにはふくまれているのである。
この本の素材となっているころの私は、自分に新たな洗礼をほどこした人間であった。それいらい、長い年月をへたし、そのあいだじつにさまざまなことが起ったから、いまさら昔に立ちかえってゴットリーブ・レーベレヒト・ミュラーの遍歴のあとをたどるのは、ちょっとむずかしいようである。だが、こういえば、たぶんおおよその見当はつくだろう。つまり、現在の私という人間は、ひとつの傷から生れたということだ。その傷は心臓にまで達していた。人間のつくった論理にしたがえば、どうあっても私は死んでいたはずなのである。事実、私は、かつての友人たちからは死んだものとして見放されていたのだ。私は彼らのあいだを幽霊のように歩きまわっていた。彼らは、私のことを話すときには過去形の動詞を用いた。私を憐《あわ》れみ、しだいに私を深いところへ深いところへと葬り去った。だが私が例によって彼らを嘲笑したこともおぼえているし、ほかの女たちと遊びたわむれたこともおぼえている。飲み食いを楽しんだことも、悪鬼のようにやわらかいベッドにしがみついたこともおぼえている。なにかが私を殺したのだが、しかし私は生きていた。生きてはいたが、記憶も名前もうしなっていた。後悔や自責の思いからも切り離されていたが、希望からも切り離されていた。過去はなかった。未来も、おそらくないだろうと思われた。私は、私に加えられた傷のなかに――虚空のなかに生きながら埋葬されてしまったのである。|私は傷《ヽヽヽ》|そのものであった《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》。
私には友人がひとりいた。この男がよくゴルゴタの奇蹟《きせき》の話をしてくれるのだが、私には、さっぱり理解できなかった。それでいて私は、自分が受けた奇蹟的な傷、世間の目の前で私を殺し、また私がそこから新たに生れて洗礼を受けなおした傷については、いくらか知っていた。私が生き、そして死とともに癒《い》えたこの傷については、多少のことは知っていたのである。私はそれを、ずっと昔になくしてしまったもののように話しているが、じつは、それはいつも私とともにあるのだ。あらゆるものが遠くへ去ってしまって、あたかも永遠に地平線の下に沈んでしまった星座のように、表からは見ることができなかった。
私が心をひかれるのは、この私のように、死んで葬り去られたものが復活しうること、それもたった一度ではなく数えきれぬほど何度も生きかえることが可能だという事実だ。それだけではない、私は死ぬたびに前よりも深く虚空のなかに埋められるのだから、甦《よみがえ》りのたびに奇蹟は大きくなるわけである。しかも、なんらの聖痕《せいこん》(聖者の体にあらわれたというキリストのと同一形状の傷跡)も私の体《からだ》にはあらわれないのだ。生れかわる人間は、つねに同じ人間であり、生れかわるたびに、ますますその人特有の個性が強く出てくるのである。要するに、そのたびに、ただ皮を脱ぎ捨てているだけなのだ。そして、皮といっしょに罪も脱ぎ捨ててしまうのである。神が愛する人間とは、ほんとうの意味で正しく生きている人間である。神が愛する人間とは、百万の皮をもった玉葱《たまねぎ》だ。最初の一枚を脱ぎ捨てるときには、言語を絶した苦痛をともなう。つぎの一枚は、それほどでもない。そのつぎは、もっと苦痛がすくなくてすむ。ついには、その痛みが楽しくなってくる。ますます楽しいものになり、喜悦となり、エクスタシーにまでなる。やがて快も苦もなくなり、ただ闇《やみ》が光の前に屈伏する。暗闇が退却するにつれて、傷が隠れ家から姿をあらわす。この人間であり人間の愛である傷は、ここではじめて光を浴びる。うしなわれていた正体が、ふたたび判然とする。人間は、その開かれた傷から歩みだす。長いあいだ持ちあるいていた墓から歩みだすのである。
私の記憶の墓場には、なによりも私が愛した、世界よりも、神よりも、自分の血や肉よりも愛した女が、いま埋葬されている。彼女がそこで、あの愛の血なまぐさい傷のなかで、膿《う》みただれているのを私は見る。それは、あまりにも私の身近にあり、そのため私は彼女と傷そのものとの見わけがつかない。私は彼女が自由になろうとして、愛の痛みから逃《のが》れようとして、もがいているのを見る。彼女は、もがけばもがくほど、かえって傷のなかに落ちこみ、血まみれになって息もつまり、あがき苦しむ。私は彼女のおそろしいまなざしを見る。もの言わぬ悲惨な苦悶の表情は、罠《わな》にかかった獣の顔そっくりだ。彼女は救いをもとめて両脚をひろげ、オルガスムスのたびに苦悶のうめきをあげる。四囲の壁がくずれる音を私は開く。壁は私たちの上にのしかかり、家は炎に包まれて燃えあがる。通りから私たちを呼ぶ人たちの声がきこえる。仕事への呼び出しであり、軍隊への召集である。だが私たちは床《ゆか》に釘《くぎ》づけになっている。ネズミが私たちを噛《かじ》りはじめる。墓と愛の子宮とが私たちを埋葬し、夜が私たちの内臓を満たし、くろぐろとした底なしの湖の上で星がきらめく。私は言葉の記憶をうしない、以前には偏執狂のように口ずさんでいた彼女の名前すらも忘れてしまう。彼女の容貌《ようぼう》も肌《はだ》ざわりも、匂《にお》いも、交合のやりかたも忘れて、底知れぬ洞穴の夜のなかに、深く、もっと深くつらぬき入る。私は彼女にしたがって、彼女の存在のもっとも深い穴のなかへ、彼女の魂の納骨堂へ、まだ彼女の唇《くちびる》から洩《も》れていない気息へと入りこんでゆく。どこにも名前が書いてない彼女を容赦なく探しもとめ、ここぞと祭壇までつらぬき入るが、そこで発見するのは――無である。私は、このむなしい無の殻のまわりを、まるでとぐろを巻いた大蛇《だいじゃ》のように自分の体でとりまく。私はそのまま呼吸もしないで六世紀のあいだじっとしている。そのあいだ、世間のできごとは地底にふるい落されて、ぬるぬるした粘液の層をつくる。宇宙の天井にある巨大な穴のまわりを星座群がぐるぐるまわっているのが見える。ほかの惑星や、私を救い出してくれるはずの|黒い星《ブラック・スター》も見える。悪魔が法《ダルマ》や業《カルマ》の緊縛《きんばく》から逃れようともがいているのが見え、新しい人類が来世の桎梏《しっこく》のなかでのたうちまわっているのも見える。私は最後の告示や象徴まで見抜くが、|彼女の顔を読みとるこ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》|とはできない《ヽヽヽヽヽヽヽ》。私には、輝きを放つ二つの目と、大きな、肉感的で明るい乳房《ちぶさ》とが見えるだけだ。まるで私は、彼女の白熱の幻が発散する電光のなかで、その乳房のうしろから泳いでいるような感じである。
どうして彼女はこんなに、意識ではとうてい把握《はあく》できないほど拡大してしまったのだろう? 彼女は、なんという怪奇な法則にしたがって世界の表《おもて》をおおい、あらゆるものを露出させながら彼女自身をかくしているのだろう? 彼女は月蝕《げっしょく》のときの月のように太陽の陰にかくれているのだ。彼女は水銀のはげ落ちた鏡、映像と恐怖の両方を見せる鏡であった。私は、彼女の目の裏を見ぬき、柔軟な半透明の肉体を見ぬき、あらゆる形、あらゆる関係、あらゆるはかなさをもった頭脳構造を見る。私は頭脳のなかの頭脳を見る。それは果てしなくまわりつづける無限の機械であり、そこでは「希望」という言葉が焼き串《ぐし》に刺されて回転している。その言葉は、あぶられて脂《あぶら》をしたたらせながら、第三の目の空洞のなかで絶えまなくまわりつづけているのだ。私は、うしなわれた言葉でもぞもぞと語られる彼女の夢の話を聞き、小さな襞《ひだ》に反響する押えつけたような悲鳴を、あえぎを、うめきを、うれしげな溜息《ためいき》を、空を切る鞭《むち》の音を聞く。そして、まだ自分では呼んだことのない私自身の名を彼女が呼ぶのを聞く。彼女が怒って呪《のろ》ったり金切り声をあげたりするのを聞く。まるでオルガンの腹のなかに閉じこめられた一寸法師のように、あらゆるものが一千倍に拡大されるのを聞く。音の交差点にでも据えつけられたかのように押えつけられた世界の呼吸音を聞く。
こうして私たちは、いつもいっしょに歩き、眠り、食事をした。私たちは愛が合体させ、死のみが切り離すことのできるシャム双生児であった。
私たちは壜《びん》の首のところで手をとり合い、逆立ちをして歩いた。彼女は、ところどころ真紅の小片《こぎれ》をつけているほかは、ほとんど黒ずくめの服装であった。下着はつけていず、ただ悪魔的な香水をたっぷりしみこませた黒い繻子《しゅす》のシーツだけが目についた。私たちは明けがたに寝床につき、ちょうど薄暗くなりかけたころ起きあがった。カーテンをしめきった暗い穴倉に住んで、黒い皿で食事をし、暗黒の書物を読んだ。そして、自分たちの生活の黒い穴から世界の黒い穴をのぞきこんだ。あたかも私たちの絶えまない血みどろな戦いを助けるかのように、太陽はつねに消し去られていた。私たちは火星を太陽の代りにし、土星を月の代りにした。私たちはいつも地下世界の天頂に住んでいた。地球は回転をやめ、頭上の空の穴からは、決してまたたくことのない黒い星がぶらさがっていた。ときどき私たちは笑いの発作におそわれた。近所の人たちをぞっとさせる、気ちがいじみた、両棲類的な笑いであった。またときには二人して、熱にうかされたように、調子はずれな声をせいいっぱいふるわせながら歌をうたうこともあった。私たちは魂の長い闇夜《やみよ》が明けるまで、ずっと閉じこめられていたのだ。それは月蝕のように、いつはじまり、いつ果てるとも知れぬ、桁《けた》はずれに長い期間であった。私たちは、幻の衛星のように、私たち自身の個我《エゴ》のまわりをうろついた。そして、たがいに相手の目に見いったときに発見する自分の映像に陶酔していた。そのときの私たちは、他人の目に、どう映ったことだろう。それは野獣が植物の目に映り、星が野獣の目に映る姿と同じであった。あるいは、かりに悪魔が人間に翼をあたえた場合、神が人間の目に映るであろう姿と、まったく同じであった。それに加え、はてしない夜の徹底的な親近感にひたって、彼女は陽気で明るく、太陽神につかえる雄牛《おうし》からとめどもなく射出される精液のように黒い歓喜が彼女から流れ出ていた。彼女は猟銃のように二連発式であり、子宮にアセチレン灯をともしている雌《めす》の雄牛であった。熱してくると彼女は、すべてを雄大なる宇宙の支配者に集中し、目を白くむき、唇から涎《よだれ》を流した。そして、出口のないセックスのなかで訓練された二十日《はつか》ネズミのようにワルツを踊った。彼女のおとがいは蛇《へび》のそれのように蝶番《ちょうつがい》がはずれ、肌は逆さ棘《とげ》のある羽毛のなかで総毛立った。彼女は一角獣のように、あくことを知らぬ情欲をもっていた。その衝動的な欲望は、さすがのエジプト人をすらたじたじとさせるほどのものであった。隙間《すきま》から鈍い星の光が洩《も》れる天空の穴ですら、強烈な彼女の欲情に呑みこまれてしまった。
私たちは天井に貼《は》りつけられたまま生きていた。日常生活の熱い悪臭がむんむんと立ちのぼって私たちを窒息させていた。私たちは大理石のように冷やかに生きていたが、下から立ちのぼってくる人肉の熱気が、私たちを閉じこめている蛇のとぐろ状のものをあたためた。私たちは、もっとも深い底に釘づけになって生きていたのであるが、私たちの肌は世俗的な情欲の香気によって燻《いぶ》され、葉巻のような灰色を呈するにいたった。処刑者の槍《やり》に刺されて運ばれる二つの頭のように、私たちは、ゆっくりと着実に、下界の人々の頭や肩の上を、ぐるぐるまわりつづけた。首をはねられ、性器で永久に結ばれている私たちにとって、堅い大地の上の生命とは、いったいなんであったろう? 私たちは楽園《パラダイス》に住む双生児の蛇であり、混沌《こんとん》そのもののように、熱くとも冷たくとも明るく澄んでいた。生命とは固定した不眠の極限地帯における不断の黒い性交であり、天蝎《スコーピオ》接合火星、接合水星、接合金星、接合土星、接合天王星、接合水銀塗料、アヘンチンキ、ラジウム、蒼鉛《そうえん》なのだ。大いなる接合は毎土曜日の晩行われた。兄と妹の家でレオがドラコーと密通するのである。なによりも大きな禍《わざわ》いはカーテンの隙間から忍び入る太陽の光であった。あらゆる魚どもの王ジュピターが慈愛のこもった目を光らせるかもしれないからだ――これ以上の呪いは、またとなかった。
この話がしにくいのは、あまりにも多くを記憶しすぎているからである。私は、あらゆることをおぼえている。私は腹話術師の膝《ひざ》の上に坐っている人形みたいなものだった。なんのさまたげも入らぬ長い婚姻《こんいん》極点のあいだ、彼女が立っているときですら、私は彼女の膝の上に坐って、彼女に教えてもらった詩句を語っていたように思う。彼女は神の主任鉛管工に命じて、黒い星を天井の穴から輝かせるよう工作させたのにちがいない。また同じ鉛管工に、毎晩たえず雨を降らせ、それとともに暗闇を音もなく這《は》いずりまわる責苦を、すなわち人間の精神を、狂気のごとく黒い虚無のなかに突き入る鋭い錐《きり》に変えてしまうような責苦を降らせるよう命じたのにちがいない。そう私には思われるのだ。彼女は、のべつまくなしにしゃべりつづけていたように記憶しているが、これは単に気のせいなのだろうか? それともこの私が、驚くべき訓練を受けた人形となって、彼女の考えを、彼女が実際に口に出す前にとらえてしまったのだろうか? 彼女の唇は、きれいに開かれ、どす黒い血糊《ちのり》で、べっとりと濡《ぬ》れていた。私は、その唇が開いたり閉じたりするのを、このうえもない魅惑を感じながら眺め、いったいこれは毒蛇のような憎しみを吐き出すのか、それとも雉子鳩《きじばと》のようにやさしい声で鳴くのか、どちらだろうと考えていた。それはいつも映画のスチールのように大写しになって見えたので、私は襞《ひだ》も毛穴も、ひとつ残らずおぼえてしまった。涎が発作的に流れはじめると、私はナイヤガラ瀑布《ばくふ》の下で揺り椅子に坐っているような気持で、唾《つば》が湯気をあげたり泡立《あわだ》ったりするのを見つめていた。いつしか私は、あたかも自分が、彼女の肉体の一部ででもあるかのようにふるまう方法を習いおぼえた。糸でぐいぐいあやつられる必要がないだけに腹話術師の人形よりはましであった。しょっちゅう私は即興劇のたぐいを演じたが、これがときには非常に彼女のお気に召した。もちろん彼女は、こうした突入には気がつかぬようなふりをしていたが、その実うれしがっていることは、身のこなしで、ちゃんとわかった。変身の才能にかけては、彼女はたいしたもので、悪魔にもひけをとらぬ早業《はやわざ》であり巧みさであった。豹《ひょう》やジャガーのつぎに、彼女は、鳥類を、もののみごとに演じた――交尾期の五位鷺《ごいさぎ》、朱鷺《とき》、フラミンゴ、白鳥など。彼女は、おいしそうな屍体《したい》を発見したハゲタカのように、とつぜん急降下することがあった。まっすぐ臓物に向って突進し、たちまち好物――心臓、肝臓、卵巣――を突っつき、また、あっというまに逃げ去るのであった。だれかに見つかると、木の根もとに石のようにうずくまった。目は閉じきってはいず怪獣バジリスクのように一点を見すえたまま動かなかった。それをまたちょっと突っつくと、こんどは薔薇《ばら》の花になった。ビロードさながらの花弁を持ち、圧倒的な芳香を放つ漆黒の薔薇だ。私は、きっかけをつかむ要領を、われながらみごとに会得《えとく》した。彼女の変身が、いかにすばやくとも、私はいつも彼女の膝の上にいた。それが鳥の膝であろうが、獣の膝であろうが、蛇の膝であろうが、薔薇の膝であろうが、そんなことはすこしも問題ではなかった。膝の膝、唇の唇、先端対先端、羽毛対羽毛、卵のなかの軛《くびき》、牡蠣《かき》のなかの卵、蟹《かに》のような鉤足《かぎあし》、精液とカンタリスとのにおい。生命とは天蝎接合火星、接合金星、土星、天王星等々であり、愛とは顎骨《あごぼね》の結膜炎であり、これをひっつかまえ、あれをひっつかまえ、ひっつかまえ、ひっつかまえする、顎骨の爪牙《そうが》による欲情|曼陀羅《まんだら》の捕捉《ほそく》にほかならなかった。食事の時間になったなと思うと、もう彼女が卵の殻をむく音がきこえた。その卵のなかからはピヨピヨとつぎの食事を告げる祝福された予言の声がきこえた。私は憑《つ》かれたようにむさぼり食った。三度ぶんの断食から解放された人間の長い夢に包まれた大食《おおぐ》らいであった。私が食べつづけているあいだ、彼女は咽喉《のど》を鳴らしていた。自分の生んだ仔《こ》をむさぼり食う女怪《サキュパス》の、食肉動物特有のリズミカルな唸《うな》り声であった。なんとしあわせな愛の夜であったろう! 涎、精液、女怪の交合、括約筋《かつやくきん》の活動など、それらがみな、ひとつになっていた。まさしくそれはカルカッタの小獄房《ブラック・ホール》(一七五六年六月にこの小獄房で百二十三人の英国人捕虜が窒息死させられた)における婚姻の神秘祭礼であった。
そこには黒い星が輝いていた。風のないだ洞窟の世界のような回教主義的な沈黙のなかに。そこに、あえて私はそれに思いをこらしたのだが、空虚な狂気の静寂があった。そして世界じゅうの人間が幾世紀にもわたる殺戮《さつりく》の連続に力つきて休息していた。あらゆる活動の場である血みどろの粘膜が、そこをとりまいていた。それは血によって天の光を消してしまった狂人や躁狂病《そうきょうびょう》患者たちの英雄的な世界であった。暗黒のなかにおける私たちの小さな鳩と禿鷹《はげたか》との生活は、なんと平和なものであったろう! 歯や陰茎を用いて自分自身を埋没させる肉体。ナイフや鋏《はさみ》の痕《あと》も、榴霰弾《りゅうさんだん》の破裂の傷痕も、イペリット・ガスによる火傷も、焼け焦げた肺臓もない、豊かな、かぐわしい肉体。天井の幻惑的な穴をのぞけば、それは、ほとんど完全な胎内の生活であった。だが、そこには穴があった――膀胱《ぼうこう》にできた裂傷のように。どんな詰め綿も、これを永久にふさぐことはできず、いかなる排尿も満足の微笑をもって終ることはありえなかった。なるほど大量の液体を自由に放出することはできるが、どうして鐘楼の裂傷を、不自然な沈黙を、〈もうひとつの〉世界のさし迫った危険、恐怖、破滅を、忘れることができよう? なるほど腹いっぱい食うのはいい。明日も腹いっぱい食べる。そして、その明日も、またその明日も、またまたその明日も――だが、|結局は《ヽヽヽ》どうなるというのか? |結局は《ヽヽヽ》? |結局のところ《ヽヽヽヽヽヽ》どうなるのだ? 腹話術師が交代し、膝が交代し、地軸が代り、天蓋《てんがい》に別の裂け目が生じる……|だから《ヽヽヽ》……|だからどうなのだ《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》? はっきり言おう――私は彼女の膝の上に坐り、黒い星の静かな二叉《ふたまた》の光によって石と化し、いわゆる相互作用的な昂奮《こうふん》と鋭敏な精神感応によって角を生《は》やされ、巧みに制御され、あやつられながら、なにも考えなかった。私たちの住み家である小部屋の外のことは、なにひとつ、白いテーブルクロスの上のパン屑《くず》のことすら考えなかった。純粋に自分たちのアメーバ的生活の範囲内だけのことを考えていた。それはイマニュエル・プシーフット・カントのような連中が私たちにあたえ、腹話術師の人形だけが再現できるような純粋な思考であった。私は、あらゆる科学理論を、あらゆる芸術理論を、そして、あらゆるばかげた救いの教理にふくまれているあらゆる真理の要素を、徹底的に考えてみた。まるで、〈六日間レース〉が終ったとき酔っぱらいが書いて出す一着予想タイムのように、あらゆるものを微細な点にいたるまで、しかも霊知の小数を用いて計算した。しかし、すべては、だれかが、いつか――|おそらくは《ヽヽヽヽヽ》――自分のものにするであろう別の生活のための計算であった。私たち、|彼女と《ヽヽヽ》私とは、さっきも言ったように、壜《びん》のちょうど首のところにいたのだが、首はすでに叩《たた》き割られており、壜は単に虚構にすぎなかった。
いまでもおぼえているが、二度目に会ったとき彼女は、もうあれっきり会えないかと思っていた、と言い、つぎに会ったときには、私のことを麻薬常用者だと思った、と言い、またそのつぎに会ったときには、私のことを神さまだといった。その後、彼女は自殺をくわだてた。つづいて私が自殺未遂、そうかと思うと、ふたたび彼女が自殺未遂とつづいたが、二人の仲は離れるどころか相寄る一方であった。ついには二人とも、たがいに底の底まで通じあい、人柄から名前、身元、宗教、父、母、兄弟までも交換しあうほどになった。彼女の肉体までが、一度ならず急激な変化をとげた。最初のうち彼女は、大柄な、ビロードのような肌《はだ》ざわりの女で、うずくまるときの身のこなしと言い、跳《は》ねかた飛びかかりかたと言い、猫科の獣特有の、しなやかで見かけによらぬ力をもったジャガーそっくりであったが、その後しだいに力おとろえ、弱々しくなり、矢車菊の花のように華奢《きゃしゃ》になり、さらに変身を重ねるごとに、皮膚、筋肉、色、姿勢、臭気、体位、身ぶりなどにおいて、微妙このうえない転調を見せてきた。まさにカメレオン的変化であり、その変化のたびごとに、まるで人間が変ってしまうので、彼女の本体をとらえることは、とうてい不可能であった。彼女自身ですら、しばらく前の自分がどんなであったかを述べることができなかった。あとでわかったことだが、彼女がこの変身の過程に入りはじめたのは、私と出会う以前であった。自分は醜いと考えている非常に多くの女たちと同じように、彼女もやはり、美しく、目もさめるほど美しくなりたいと願い、そのために、なによりもまず名前を捨て、家庭を捨て、友人を捨て、とにかく過去を思いださせそうなものは、なにからなにまで捨て去ったのである。もともと彼女は、かなり美しさと魅力とにめぐまれていたのだが、美しさも魅力もないと信じこまされていたので、知恵と力のかぎりをつくして、美と魅力を植えつけることに専心した。たえず鏡の前で生活し、一挙手一投足、一顰一笑《いっぴんいっしょう》にいたるまで研究を重ねたのである。ものの言いかた、つまり言葉づかい、抑揚、アクセント、言いまわしなども、すっかり変えてしまった。そして、じつに巧妙にふるまったので、氏素姓《うじすじょう》の話など、おくびにも漏らすことはなかった。彼女は片時も、眠っているあいだでさえ、油断をしなかった。そして、有能な司令官のように、もっとも効果的な防禦《ぼうぎょ》は攻撃であるということを、すばやく会得し、わずか一地点たりとも無防備のままにはしておかず、歩哨《ほしょう》、斥候《せっこう》、偵察隊を、あらゆるところに派遣した。彼女の心は決して暗くなることのない回転式サーチライトであった。
彼女は、身元はいうにおよばす、自分の美しさや魅力や人柄について盲目なままに、あらゆる能力を結集して、ヘレン(ギリシア伝説。ゼウスとレダを父母とする絶世の美女)のような、ジュノー(ローマ神話。ジュピターの妻で嫉妬深く美しい女神)のような、男も女もその魅力には抗しがたい神秘な美女の創造にとりかかったのである。そして、神話や伝説については、なにも知らないが、無意識のうちに、すこしずつ本体論的な背景を、すなわち意識的な誕生に先立つ一連の神秘的なできごとを創造しはじめたのである。彼女は自分の嘘《うそ》、自分の虚構を思いだす必要はなかった――自分の役割さえ、ちゃんとおぼえていれば、それでよかった。彼女にとっては、口に出せぬほどおそろしい嘘などというものは存在しなかった。自分が演じる役割において、あくまで自分に忠実であったからだ。過去を|でっちあげる《ヽヽヽヽヽヽ》必要もなかった。自分のものである過去を、ちゃんと|記憶していた《ヽヽヽヽヽヽ》からである。また、真正面から敵に立ち向ったことがないので、単刀直入な質問によって征服されることも全然なかった。つねに彼女は、横転してやまぬ切子《きりこ》面のアングルだけを、たえず回転させつづけている光の目くるめくばかりのプリズムだけを、相手に見せたのである。そんなふうだから、彼女は結局のところ、静止した状態でとらえられるような存在ではなく、機械、つまり彼女が創造した神話を映し出す幾万という鏡を休みなく働かせる機械そのものであった。彼女には休息も静止もまるでなかった。自我の真空における数多くの本性の上に、いつまでもうまく釣合いをたもっていられたのである。本人は、べつに意識して自分を伝説的な人物に仕立てあげようとしたわけではなかった。ただ自分の美しさを認めてもらいたかっただけなのである。しかし、美を追い求めているうちに、まもなく本来の目的をすっかり忘れ、自分自身の創造の犠牲になってしまった。あまりにもすごい美女になってしまったために、ときには相手をすくませてしまったし、またときには明らかに世界じゅうでいちばん醜い女よりももっと醜く見えたのだ。つまり、ときによっては、とくにその魅力が最高潮に達したときには、見る人に恐怖や嫌悪《けんお》の念を抱《いだ》かせたのである。それはまるで、盲目で手に負えない意志が、創造のあいだを切りさいて輝き出し、自己の本体である怪物の姿を、あからさまにさらけ出したかのようであった。
暗闇《くらやみ》のなかで黒い穴に閉じこめられ、世間からも、敵からも、競争者からも隔絶されているうちに、目くるめくような意志の活動は、やや速度を落し、彼女に、熔解《ようかい》した銅のような赤熱をあたえた。いろいろな言葉が、熔岩のように彼女の口から流れ出し、彼女の肉体は、懸命に、なにかにしがみつこうとしていた。なにか堅固で実体のあるもの、ほんのしばらくのあいだでも、それによって自己を完全にとり戻し、休息しうるものをつかもうとしていたのだ。それは長距離電話による必死の通報、沈みゆく船からの救難信号《エス・オー・エス》のようなものであった。最初のうち私はそれを激情――肉体と肉体とのもみあいによって生じる喜悦の極致かと思いあやまった。ここに生きた火山がある、女性のヴェスヴィアス(古都ポンペイを埋没させたナポリ湾頭の活火山)がある、と新発見をしたつもりになっていたのである。人間という船が、絶望の大海のなかで、不能の藻海《もかい》のなかで、沈没しつつあるなどという考えは、一度も思いうかばなかった。いま私は天井の穴から輝きを放つあの黒い星のことを思いうかべる。私たちの交合の部屋の上に懸《かか》っていた恒星、絶対者よりも、もっと恒常で、もっと遠く離れた恒星のことを。そして私は、それが彼女であったこと、彼女自身の妥当な本質を抜き去られた、まっ暗な無表情の太陽のごとき彼女であったことを知るのである。私たちは、鉄格子《てつごうし》をへだてて交合しようとする二人の狂人のように、愛という動詞を活用変化させていたのだ。私は闇のなかの狂気じみた格闘の最中には、ときどき彼女の名前を忘れ、容貌《ようぼう》を忘れ、正体を忘れると言ったが、それは事実だった。私は暗闇のなかだと無理やりに前進しすぎる傾向があった。よく私は肉体から脱け出してセックスの無限の曠野《こうや》に飛びこんだ。この人あの人によってつくられた生活の路線に入りこんだのである。たとえば昼さがりの、つかのまの相手であったジョージアナ、エジプト人の売春婦テルマ、カーロッタ、アラナー、ウーナ、モーナ、マグダ、その他六つか七つの女の子たち。宿なし、狐狸妖怪《こりようかい》のたぐい、顔、体、腿《もも》、地下鉄での触れあい、夢、記憶、欲情、願望。私は、日曜日の午後、鉄道路線の近くで逢《お》う瀬《せ》を楽しんだジョージアナと、彼女が着けていた水玉模様のスイス服、みごとにゆれる臀部《でんぶ》、南部なまりの、まのびのした話しかた、みだらな口もと、とろけるような乳房《ちぶさ》のことから話をすすめることもできる。幾万という枝をのばしたセックスの燭台《しょくだい》であるジョージアナのことからはじめて、外へ、上へと性器の分枝をたどって、無限の世界であるセックスの第|n《エヌ》次元にまで達することもできよう。ジョージアナは、セックスという未完成の怪物のごく小さな耳の鼓膜のようなものであった。彼女は一点の曇りもなく生きており、路上の短い午後の思考という光のなかで息づいていた。情交の世界は、われわれのこの現世と同じように、それ自体局限がなく、定義しがたいものだが、彼女は、その世界の香気や実体を最初に触知させてくれた女であった。情交の世界は、すべて私たちがセックスと呼ぶ動物の、つねに増大してやまぬ粘膜のようなものであるが、この粘膜は、他の存在と同じように、私たち自身の存在にまで成長し、やがては徐々にそれにとって代るのだから、いずれこの人間世界は、自分で自分を生み、すべてを包含し、すべてを生殖するこの新しい存在についてのおぼろげな記憶だけになってしまうだろう。
私に疑惑と、嫉妬《しっと》と、不安と、孤独との拘束服を着せたのは、ほかでもない、この暗闇における蛇《へび》のような交合、この二重接合的な、二連銃的な、からみあいであった。私がジョージアナや幾万の枝を有するセックスという燭台によって縁飾《ふちかざ》りをはじめたのは、彼女もやはり膜質形成にとりかかり、セックスの耳や目や足の指や頭蓋《ずがい》や、その他もろもろのものをつくりつつあると確信したからであった。彼女は、私の話のなかに真実性をみとめて、かつて彼女を強姦した怪物からはじめるのであった。とにかく彼女も、どこからか平行線をたどりはじめ、上へ外へと押し進んで、この多様で、まだ創造されない存在につき当った。そして、肉体を通して、二人とも、どうでも相会し、相通じようと必死の努力をしたのであった。私は彼女の生活のほんの一断片を知っているだけだし、自分でもっているものといえば、ほんの一袋の嘘《うそ》と、でっちあげと、想像と、強迫観念と、妄想《もうそう》だけであり、やることといえば、コカイン中毒者的な夢と、幻想と、未完の文章と、とりとめのない夢物語と、発作的な狂乱と、いいかげんな仮面をつけた白日夢と病的な欲望とを全部ごちゃまぜにすることと、ときどき肉と化した名前に出会い、断片的に流れてくる会話を立ち聞きして、ひそかな瞥見《べっけん》や中途半端な身ぶりを観察することぐらいなものであったが、彼女が、彼女自身の個人的な交合の神々を、あまりにもなまなましい血と肉との存在を、たぶん同じその日の午後の男たちを、たぶんたった一時間前の男たちを大勢もっているであろうことは、十分に信じられたし、その性器が、まだ前の男の液体によってふさがれているであろうことも、十分に信じることができた。彼女は屈服すればするほど情熱的にふるまった。しかも、彼女がすべてを私にまかせっきりにするかに見えれば見えるほど私は確信をうしなっていった。そこには、はじめというものがなかった。人格的な個性的な出発点というものは、そこにはなかったのだ。私たちは、勝利と敗北との精霊がとりまく名誉ある試合場に臨む老練の剣士たちのように相会した。二人とも、熟練の戦士のみがなしうるように、ごく小さな突きにも油断なく対応した。
私たちは、それぞれ軍をひきいて暗闇の帳《とばり》のなかへ近づき、両側から城砦《じょうさい》の扉《とびら》をうち破ろうとした。血なまぐさい私たちの戦いをはばむものは、なにもなかった。私たちは命乞いもせず、生命を敵にあたえようともしなかった。二人は、たがいに血のなかを泳いで近づいて行った。天井の穴の上に戦利品の頭皮のようにかかっている不動の黒い星以外は、すっかり光を消してしまった闇夜での、血みどろの、蒼《あお》ざめた交合であった。彼女がコカインを服用しているときには、あらゆることを、神のご託宣のように吐き出した。その日に起きたこと、前日起ったこと、前々日に起ったこと、昨年、一昨年に起ったこと、とにかくすべてを、彼女が生れてその日に行きつくまでに起った|すべてのこと《ヽヽヽヽヽヽ》を話した。しかも、一語として、一事として、真実は語られていなかったのだ。彼女は一瞬たりともとどまることを知らなかった。もしとどまったならば、彼女の飛翔《ひしょう》によってつくられた真空が、世界を真二つにするほどの爆発を起させるおそれがあったからである。彼女は小宇宙における世界の嘘つき機械であり、それは人間の全精力を死の装置の創造のために注入させるだけの力をもつ、あの尽きることのない破壊的な不安を生むように操作されていたのだ。彼女を見ると、おそれを知らぬ人間、勇気の権化《ごんげ》かとさえ思われたが、事実、自分で自分の足跡をたどる必要がないという意味においては、それにちがいなかった。彼女のうしろには現実という静かな事実が横たわり、この巨人が彼女のあとを、どこどこまでもつけてまわっていたのである。この巨大な現実は、毎日、新しい形をとり、日に日に、よりおそろしいものとなり、ますます人を無力にした。日に日に彼女は、より速い翼をのばし、より鋭い顎《あご》をもち、より透徹した催眠術師のような目をもつようになった。それは世界の涯《はて》にいたる競争であり、最初から負けときまった競争であったが、だれもそれをとめるものはいなかった。真空の果てには真理が立ちふさがっていて、稲妻《いなずま》のような勢いで、いまにも失地を奪回しようと待ちかまえていた。それが、あまりにもはっきりしているので、彼女は狂気に駆られていた。一千の軍兵を指揮し、最大の大砲を備え、もっとも偉大な精神をだまし、能《あた》うかぎり迂回《うかい》をするのであるが――それでも結局は敗北ときまっていたのだ。最後の会戦において、あらゆるものが瓦解《がかい》するよう運命づけられていた――策略も、熟練も、力も、すべてが。彼女は、もっとも広い大洋の海浜に落ちている一粒の砂になってしまうだろうし、なによりも悪いことには、その大洋の岸に存在するあらゆる砂粒のどれとも見分けがつかなくなるだろう。彼女は、時間というものが果てるまで、その独自な自我を追求すべく運命づけられるだろう。思えば、なんという運命を選んでしまったことか! 独自の個性が、普遍のなかに呑《の》みこまれてしまうとは! 自分の力が完全な受動性の端《はし》くれになりさがってしまうとは! それは私たちに正気をうしなわせる悪夢のごときものであった。そんなばかなことがあってはならぬ! 絶対にあってはならぬのだ! 前進だ! 暗黒の軍勢のように。前進せよ! ひろがってやまぬ円のあらゆる段階を突き抜けるのだ。精神の究極の実質的な部分が無限に拡大されるまで前進をつづけ、個我から離れるのだ。恐怖におびえて遁走《とんそう》しつづける彼女は、全世界を子宮のなかへ持ち運んでいるかのように思えた。私たちは宇宙の限界から追い出されて、どんな機械を用いても見ることのできない星雲に向っていた。なにかにせきたてられて休息に向って急いでいた。その休息は、あまりにも静かで長かった。死そのものですら、それにくらべると、狂った魔女のお祭り騒ぎのように思われた。
朝、彼女の顔の血の気のない噴火口を眺《なが》める。一本の線も、一本の皺《しわ》も、一点のしみもない。造物主の腕に抱かれた天使のような容貌《ようぼう》である。|だれがコック《ヽヽヽヽヽヽ》・|ロビンを殺したのか《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》? |だれが《ヽヽヽ》|イロコイ族を虐殺したのか《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》? わたしじゃないわ、と私のいとしい天使は答える。その純な、曇りない顔を眺めたならば、どうしてその答えを否定できよう? その無邪気な顔を見るとき、どうして、その半分が神のものであり、他の半分が悪魔のものであるなどと考えることができよう? その仮面《マスク》は、死のようになめらかで、冷たく、愛らしい肌ざわりであり、蜜蝋《みつろう》のようにやわらかで、青白く、微風にも落ちようとする花弁のような風情《ふぜい》であった。それは、あまりにもうっとりとさせるほど静かで汚《けが》れがなかった。だから、そのなかへ沈みこむことも、潜水夫のように深く身を没して二度と戻らぬことも可能であったのだ。目を世界の上に開くまで、そうやって彼女は、月そのもののように、みずからの光を完全に消滅させ、反射光のみによって淡く輝きながら、横たわっているのであった。死のごとき無心の恍惚境《エクスタシー》にいる彼女は、いっそう魅惑的であった。彼女の犯罪はすべて溶けて毛孔《けあな》から滲《にじ》み出してしまい、彼女は、あたかも大地に釘《くぎ》づけにされて眠っている蛇のように、とぐろを巻いて寝ていた。強靱《きょうじん》で、しなやかな、筋肉質の体は、途方もない重量をあたえられているかのように思われた。彼女は人間の重量以上のものをもっていたようである。いわば生あたたかい屍体《したい》の重さをもっていたのだ。美しいネフェルティイティ(エジプトの王アメン・ヘテプ四世の王女)がミイラにされて最初の千年を経過したときには、こうもあったろうかと思われるような姿で、驚嘆すべき死の完璧《かんぺき》さ、世の常の腐朽から守られてきた肉体の夢を思わせた。彼女は、聖なる過去の遺物のように、自分が創造した真空のなかに祀《まつ》られて、うつろなピラミッドの基底に体《からだ》をまるめて横たわっていた。呼吸すらとまっているのではないかと思われた。それほど深い眠りであった。いま彼女は、人間界の下に、動物界の下に、いや植物界の下にまで落ちこんでいるのであった。生が死と紙一重である鉱物の世界まで沈みこんでいたのだ。あまりにもみごとに欺瞞《ぎまん》の術を修得していたので、夢ですら彼女の正体をあばくことはできなかった。彼女は夢を見ないですむ方法を会得していたのだ。体をまるめて眠りこむと同時に、自動的に電流を切るのである。もしその状態のまま彼女の頭蓋《ずがい》を開くことができたとしたら、なかは、まったくからっぽであることが発見できたであろう。彼女は心をなやますような秘密をもってはいなかった。人間として殺せるものは、なんでも殺してしまっていた。おそらく彼女は、月のように、死んだ惑星のように、かぎりなく生きつづけて、眠りをさそうような光を放ち、激情の潮《うしお》をつくり、世界を狂気の谷間に呑《の》みこみ、さらにその磁力のある金属的な光線によって、あらゆる地上の実体を変色させることができたにちがいない。彼女は、みずからの死の種を播《ま》きながら、周囲のあらゆる人間を熱狂的に昂奮《こうふん》させた。眠りのおそるべき静けさのなかで、彼女は、生命なき惑星世界の冷やかな岩漿《がんしょう》と合体することによって、彼女みずからの磁力をもった死を更新したのである。彼女は、ふしぎなほど無疵《むきず》であった。その目は、射すくめるように、じっと相手を見つめた。それは死んだ竜が冷たい炎を吐き出す月の凝視であった。一方の目は秋の木の葉のあたたかい褐色《かっしょく》であり、片方はコンパスの針をきらめかせるハシバミ色の魅力的な目であった。眠っている最中でも、一方の目は眼蓋《まぶた》の下できらめきつづけて、彼女が生気を保っていることの唯一の明白な徴候を見せていた。
彼女は目を開いた瞬間、もはや完全に覚醒《かくせい》していた。まるで、この世の光景と、それに所属する人間像とに、どぎもを抜かれたといわんばかりの目ざめかたであった。目をさますと、たちまち全身を活動させ、巨大な蛇のようにのたうちまわった。彼女をなやますのは光であった! 彼女は、太陽を呪《のろ》い、現実のまばゆい光を呪いながら、目をさました。部屋を暗くしなければいけないのだ。蝋燭《ろうそく》をともし、路上の騒音が入らぬよう窓という窓を全部ぴったり閉ざさなければいけないのである。彼女は口の端《はし》にタバコをくわえ、裸のまま動きまわった。身づくろいがまた大仕事だった。化粧着をはおるだけでも、その前に百も千もの細かい段どりが必要だった。まるで大試合に臨む前の運動選手のような心のくばり方で、とくに入念に手入れした髪の生《は》えぎわから、足の指の形や長さにいたるまで、体のあらゆる部分を残りなく点検してから、ようやく朝食のテーブルについた。運動選手みたいだと言ったが、むしろテスト飛行に飛び立つ快速飛行機を分解検査している整備員のようだと言ったほうが事実に近いかもしれない。服を着替えると、こんどは一日の仕事にとりかかった。イルクーツクかテヘランあたりまでつづく飛行を開始するのである。まず朝食の席で、全航程に耐えうるだけの燃料を、たっぷりと補給する。朝食にも、なかなか時間がかかった。それは、彼女がゆっくりと引きのばして行うその日の唯一の儀式であった。実際、しゃくにさわるほど、ぐずぐずしていた。本気で離陸するつもりなのだろうか、毎日やると誓った大使命を忘れてしまったのではなかろうかと疑われるほどであった。あるいは、そのあいだに彼女は、その日の飛行計画を夢みていたのかもしれない。あるいは、いささかも夢想になぞふけらず、ひたすら、すばらしい自分の機械の働きに時間をあたえ、ひとたび飛び立ったなら、もう二度と舞い戻らぬ覚悟で満を持していたのかもしれない。そのあいだの彼女は、非常にもの静かで、落ちつきはらっていた。それは山頂の岩に降り立って、夢みるように下界の様子をうかがっている大鳥の姿にも似ていた。しかし彼女は、朝食の席から、にわかに急降下して餌食《えじき》をおそうわけではなかった。そうではなくて、早朝の席から、ゆっくりと威厳をもって舞いあがり、あらゆる動作をモーターの鼓動に同調させるのであった。彼女の前には、全空間がくまなくひろがっており、進路を指示するのは気まぐれでしかなかった。土星のような肉体の重さと、異常なまでの翼のひろがりさえなければ、彼女は自由の化身といってもよいほどであった。彼女が、とくに離陸の際に、どんなに落ちつきはらっているように見えようとも、毎日の飛翔《ひしょう》の動機となっている恐怖は、ありありと感じとることができた。彼女は運命に黙従しながらも、同時にそれを克服しようと、躍起となっていた。毎朝、彼女は、ヒマラヤのどこかの山頂から飛び立つように、空高く舞いあがった。そして、いつも、どこか地図にはない地方へと飛んで行き、障碍《しょうがい》さえなければ、そのなかへ入って永遠に姿を消してしまうかと思われた。毎朝、彼女は、このつきつめた最後の希望をもって、中空に舞いあがるように思われた。あたかも墓に入ろうとする人のように、静かな、重々しい威厳をもって、地上を離れた。一度も滑走路のまわりを飛びまわるようなことはしなかった。一度も、捨て去った人々をふり返って見ようとはしなかった。また自分の個性の一片をも地上に残すようなことはしなかった。自分の所持品は、ひとつ残らずたずさえて空中に舞いあがったのである。彼女が存在するという事実を証拠だてそうなものは、どんなに小さなものでも、あとには残さなかった。溜息《ためいき》ひとつ、足の跡ひとつ残しはしなかった。悪魔が手前勝手な理由で遁走《とんそう》する場合のように、じつにみごとな脱出であった。残されるものの手には大きな虚空しかなかった。私は捨てられたのである。捨てられただけではなく、裏切られたのだ。非情な裏切りをかまされたのだ。しかし私は、彼女を引きとめたり呼び戻したりする気持にはなれなかった。ただ呪いの言葉と、まる一日を暗くするような、くろぐろとした憎しみだけが私とともに残った。私は、やがて市内を歩きまわり、とぼとぼと足を運びながら、地虫《じむし》のように這《は》いずりまわりながら、彼女の派手な飛翔についての噂《うわさ》を集めるのであった。彼女が、ある地点を飛びまわっているのを見た、とある人は言った。そこここでだれにも理由のわからない急降下をした、とも伝えられた。あらゆるところで尾部錐《びぶきり》もみ降下をやっているとか、彗星《すいせい》のように飛び去ったとか、雲のなかで煙の手紙を書いているとか、いろんなことが言われた。彼女が行なったことは、すべてが謎であり、無性に腹だたしかった。目的なしにやっているとしか思えなかったからである。それは人間生活、蟻《あり》のような存在である人間の行動を、別の次元から観察し、それに象徴的な、皮肉な批判を加えているかのようであった。
彼女が離陸したときから、もとへ戻るときまで、私は完全に分裂症的な生活を営んでいた。そのあいだ、永遠の時間が経過したわけではない。永遠というやつは、なんらかの意味で平和や勝利にかかわるべきもの、言いかえれば、人間がつくったもの、努力によってかちえたものなのだ。ところが、私の経験した中間時間においては、髪の毛が一本残らず根もとまでまっ白になり、皮膚の一ミリ一ミリが全部むずがゆくなって腫《は》れあがり、ついには全身が膿《う》みただれるのであった。私の目には暗闇のなかでテーブルの前に坐っている自分の姿がうかぶ。いきなり象皮病《ぞうひびょう》にとりつかれたかのように、私の両手両足は、ぐんぐん太くなってゆく。頭に血がかっとのぼって、大槌《おおづち》をふるうヒマラヤの悪鬼どものように鼓膜をガンガンうつ音がきこえてくる。彼女が――イルクーツクにいるときでさえ――巨大な翼を羽ばたかせている音がきこえる。彼女が、どんどん遠くへ、ますます手のとどかないところへ、まっしぐらに進んで行くのがわかる。部屋が、あまりに静かなので、あまりにも無気味なほど空虚なので、私は、ほんのちょっとした音を出すためにも、小さな人間らしい声を出すためにも、悲鳴をあげ、わめきたてなければならない。テーブルから体をもちあげようとするが、足は重くなりすぎ、手はぶかっこうな犀《さい》の足のようになってしまっている。体が重くなればなるほど、部屋の雰囲気《ふんいき》は軽くなってゆく。しだいに私は拡大していって、ついには、ひとつの堅いゼリーの塊で部屋を満たしてしまう。やがては壁のひび割れまで埋めてしまうにちがいない。寄生植物のように壁をつらぬいて伸び、ひろがって、ついには家ぜんたいが肉と髪と爪との名状しがたい塊となってしまうにちがいない。私は、それが死であることを知っているが、その知識や、それを知っている人間を殺すだけの力はない。私のごく小さな一部分だけが、いまは生きている。意識のある一片が、あくまで活動をつづけている。そして、生気のない屍《しかばね》が拡大するにつれて、この生命の閃光《せんこう》は、しだいしだいに鋭くなり、私の内部で宝石の冷たい炎のように輝く。それは、ねばねばした軟塊を完全に照らし出す。私はまるで死んだ海の怪物の体内に松明《たいまつ》をもってもぐりこんでいる潜水夫のようだ。私は、深海にいながらも、かくれた一本のかぼそい糸によって、海面上の生活とまだ結びついているが、その上にある世界は、あまりにも遠くへだたっており、死体は、ものすごく重いので、海面まで達するのは、たとえ可能だとしても、何年も何年もかかるにちがいない。私は自分の死体のなかを動きまわり、その巨大な無定形の塊のあらゆる隅《すみ》や割れ目や裂け目を探索する。それは際限のない探索である。なぜならば、とだえることのないひろがりにともなって、その塊は熱いどろどろの岩漿《がんしょう》のように、すべったり流れたりして、形をまったく変えてしまうからである。わずか一分間でも、堅い大地ができあがることはないし、なにものにもせよ、わずか一分間でも静止していて、それと見わけられるものはない。それは境界標のない拡大であり、ごく小さな動きや身ぶるいのたびに目的地の変る旅のようなものである。あらゆる空間や時間の知覚を、すべて殺してしまうのも、この果て知らぬ空間の充填《じゅうてん》である。肉体が拡大すればするほど世界は微小になり、ついに私は、あらゆるものがピンの頭の上に集中したように感じる。私は、自分の化身であるこの巨大な死んだ軟塊ののたうちにもかかわらず、それを支《ささ》えているもの、それが生れてきた世界が、ピンの頭ほどの大きさであることを感じる。汚染の最中に、いわば死の肺腑《はいふ》そのものにおいて、私は胚種《はいしゅ》を、この世界の均衡をたもっている不思議な微細な梃子《てこ》を感得するのである。私は糖蜜《とうみつ》のように、この世界の上にひろがる。そのむなしさは、まことに恐るべきものであるが、胚種をとりのぞくことは、とうていできない。胚種は冷たい炎の小さな結節となり、死骸の巨大な虚空のなかで太陽のように咆哮《ほうこう》する。
巨大な掠奪《りゃくだつ》鳥が飛翔《ひしょう》に疲れて戻ってくるとき、彼女は私が――不滅の分裂症患者である私が、この無のなかにいて、死の核心に燃える胚種をかくしているのを見いだすことだろう。彼女は毎日、生活を維持するための別の手段を見つけようと考えている。だが、そんなものは存在しない。あるのは、やはりこの永遠なる光の胚種でしかない。それを私は、毎日死ぬことによって彼女のために再発見してやるのである。飛べ、ああ、貪欲《どんよく》な鳥よ、宇宙の果てまで飛んで行け! ここにおまえの滋養物がある。それは、おまえがつくった胸のむかつくような虚空のなかで燃え輝いている! おまえはもう一度、暗黒の穴で死滅するために戻ってくるだろう。一度ではない、何度も何度も戻ってくるだろう。おまえは世界の外へ飛んで行くための翼をもっていないからだ。おまえは、この世界にしか――暗黒が支配するこの蛇の墓場にしか、住めないのだ。
彼女が古巣へ戻ってくることを考えたとたんに、まったく理由もなしに、私は墓地の近くの小さな陋屋《ろうおく》で迎えた日曜日の朝を思いだした。寝まきのままピアノの前に坐って、はだしの足で懸命にペダルを踏んでいたことを思いだした。隣の部屋では、みんながベッドのなかで、ぬくぬくと寝そべっていた。部屋はいずれも、昔なつかしいアメリカの鉄道長屋そっくりで、たたみこみ式の望遠鏡のように、つぎつぎとつらなっていた。日曜日の朝はみな元気にあふれて叫びだすまで寝床に入っていた。十一時ごろになると、みんなは私の部屋の壁を叩《たた》いた。こっちへきて、おれたちのために演奏しろ、という合図である。私はフラテリーニ兄弟のように、踊りながら隣室へ入った。炎と羽毛でいっぱいの私は、起重機で天の木のてっぺんの枝まで吊《つ》りあげられるような気がした。私は、あらゆることを、たったひとりでやってのけることができた。同時に二重結合をしていたからだ。父は私のことを「サニー・ジム」と呼んだ。私が「力」にあふれ、精気と活力に満ちていたからである。まず私はベッドの前の敷物の上で、二、三度、とんぼ返りをうって見せた。つぎに腹話術師の人形をまねて裏声で歌をうたって聞かせた。つづいて、風向きのぐあいを知らせるために軽い幻想的な踊りをちょっと見せたかと思うと、疾風のようにさっとピアノの椅子の上にかけあがって、つぎの瞬間にはもう速弾《はやび》きの練習をしていた。私はいつも演奏の手ならしのために、まずツェルニーから弾きはじめた。父はツェルニーがきらいで、その点は私も同じであったが、当時ツェルニーは私にとって「本日の特別お献立」というわけで、関節肉がゴムのようになるまでは、やはりツェルニーを弾いたのである。
ツェルニーというと、なぜか漠然《ばくぜん》と、その後に私をおそった大きなむなしさを思いだす。ピアノの椅子に坐った私は、なんとすばらしい速さで弾いたことだろう! まるで強壮剤を一壜《ひとびん》ラッパ飲みにして、だれかにベッドにしばりつけてもらったような気がした。九十八の練習曲を弾き終えると、すこしばかり即興曲を演奏してみようという気になった。きまって私は指を全開にして鍵盤《けんばん》の端から端まで思いきり叩き、それからゆっくりと調子を変えて『ローマ炎上』とか『ベン・ハーの戦車競走』などを演奏したが、これは、わかりやすい音楽なので、だれからも気に入られた。私はウィトゲンシュタインの『論理学的《トラクタトス》・哲学的論文《ロギコ・フィロソフィクス》』を実際に読むずっと以前に、この書物に合うような音楽をササフラスを主調にして作曲した。そのころの私は、科学や哲学、宗教史、帰納論理、演繹《えんえき》論理、肝臓占い、頭蓋骨《ずがいこつ》の形態や重量、薬学、冶金《やきん》学など、到達する以前に早くも消化不良の憂鬱《ゆううつ》症になってしまいそうなあらゆる分野の無益な学問を頭につめこんでいた。へどのようなこれらの学問的ガラクタは、まる一週間ほど私の腹のなかでぐつぐつと煮えくりかえっていて、日曜日になって音楽にされるのを待っていた。私は『深夜の火災警報』や『進軍』を読むあいだに一つのインスピレーションを得た。それは既存のあらゆるハーモニーを破壊し、私なりの不協和音を創造することであった。火星に、水星に、月に、木星に、金星に、みごとに自己を投影した天王星を思いうかべてみるがよい。そんなものは、なかなか想像できないはずだ。なぜなら、天王星は、ぶざまに自己を投影したとき、いわば「苦悩している」ときに、もっともみごとにその機能を見せるからである。ところが、日曜日の朝ごとに私が作曲する音楽――幸福と栄養たっぷりの絶望との音楽――は、第七住宅にしっかりと錨《いかり》をおろし、不合理にも、まともな自己投影をした天王星から生れたものであった。当時私はそのことをまったく知らなかった。天王星の存在すら知らなかったのである。知らないでいたことは幸運であった。だが、いまの私には、それがよくわかるのである。なぜなら、それは気まぐれなよろこびであり、まがいものの幸福であり、破壊的な性格をもつ火のような創造物であるからだ。
私の幸福悪《ユーフォリア》が大きくなればなるほど、みんなは静かになった。すこし頭のおかしい私の妹までが気をしずめておとなしくなった。近所の連中までが、いつも窓の外に立って耳をかたむけ、ときどき、いっせいに拍手を送ってくれたが、すると、またしても私は、ロケットのような早業《はやわざ》で、あっという間にはじめていた――速度練習九四七番の二。たまたま壁に油虫が這《は》っているのを見つけると、私は有頂天になった。そんなとき、私は全然調子を変えずにクラヴィコードを演奏した。ある日曜日、私はそんな調子で思いもおよばぬほど美しいスケルツオを作曲した――虱《しらみ》を主題にして。それは春のことで、私たちはみな硫黄《いおう》療法を受けていた。私はその前の一週間ほど、一日も欠かさずにダンテの『地獄篇』の英訳を耽読《たんどく》していた。日曜日が雪解けのようにおとずれ、鳥たちは、とつぜんの熱気に気が狂って、ついには窓から出たり入ったりしながら音楽から逃亡した。おりからドイツ人の親戚《しんせき》のひとりが、ハンブルグだかブレーメンだかからやってきていた。男みたいな感じの未婚の叔母《おば》で、近づくだけでも胸くそが悪くなるような女だった。この叔母は私の頭を軽く叩いては、あんたはモーツァルトのような作曲家になれるよ、と言った、私は、いまでもそうだが、モーツァルトがきらいだったので、叔母をへこましてやるために、わざと、知っているかぎりの不愉快な音を出して、でたらめにモーツァルトを演奏してやった。そこへさっき言った虱が出てきたのである。ほんものの虱が私の冬物の下着から這い出してきたのだ。私は、それをつまみあげると、そっと黒鍵《こくけん》の端にのせておいた。つづいて私は右手の指で、そいつのまわりで軽快なダンスのリズムを叩いてやった。たぶんその音は虱の耳をつんぼにするほど強烈であったにちがいない。やがて虱は私の敏捷《びんしょう》な指の動きに魅せられ、眠りこんでしまったように見えた。この失神にも似た静止が、ついに私の神経を突っついてしまった。私は、ありったけの力を中指にこめて、そいつの上で半音階を叩いてやろうと決心した。私は、まともにそいつをつかまえた。ところが、あまり力が入りすぎて、虱は指さきにこびりついてしまった。すると私は、やにわに舞踏病にとりつかれた。そのあとスケルツオがはじまった。それは外国のメロディーをつなぎ合せた混成曲で、竜舌蘭《りゅうぜつらん》やヤマアラシの分泌液《ぶんぴえき》を香料に用い、ときには一度に三つの主調音を持ち、踊りまわる二十日《はつか》ネズミのように清浄|無垢《むく》な観念のまわりを旋回した。
ずっとのちになってプロコフィエフを聞きに行ったとき、私は、この作曲家にどんなことが起ったのか、よく理解することができた。私はホワイトヘッドも、ラッセルも、ジーンズも、エディントンも、ルドルフ・オイケンも、フロベニウスも、リンク・ギレスピーも理解することができた。もともと二項定理などというものは存在しなかったにしても、人間がそれを発明したであろうその理由は十分になっとくできた。噴泉浴や火山泥罨法《かざんでいあんぽう》についてはいうまでもなく、電気や圧搾《あっさく》空気についての疑問も解決することができた。私は、人間が血のなかに死んだ虱をもっているということ、また人は交響曲なり壁画なり高性能爆薬なりをあたえられると、既成のリストには全然のっていない吐瀉《としゃ》反応を実際に示すものだということを、非常によく理解した。私はまた、自分が十分その才能をもっていながら、なぜ作曲家になれなかったのかを理解した。私が頭のなかで作曲していたすべての音楽、私に許されたすべての個人的、芸術的なオーディション、それらは聖ヒルデガルデのおかげか、それとも聖ブリジェットのおかげか、あるいは十字架のヨハネのおかげか、その他なんのおかげであるかは知らないが、ともかく、きたるべき時代のために、現在よりももっと楽器が減り、もっと強力なアンテナができ、もっと奇妙な鼓膜ができる時代のために用意されたものであった。いまよりももっと別の苦悩を経験しなければ、そうした音楽を鑑賞することはできないのである。ベートーヴェンは着実に新境地を切り開いていった。彼が火炎を噴出させるとき、彼がみずからの静寂のまっただなかで泣きくずれるとき、人はその領域の存在を意識する。それは新しい振動の領域である――しかし、私たちにとっては、それは模糊《もこ》たる星雲にすぎない。私たちはもう一つ苦悩についての私たち自身の観念を乗りこえなければならないからだ。この星雲の世界、そしてその陣痛や方向性を、われわれはこれから摂取しなければならないのである。私は、わが身にまつわる悲哀には無関心なまま、うつ伏せになって信じがたい音楽を聞くことを許された。私は新しい世界が妊《はら》まれつつある音を聞いた。激流の水音を、激突し粉砕する群星の音を、輝く宝石によって凝結させられる泉の音を聞いた。あらゆる音楽は、いまでも古い天文学によって支配されている。それは温室の作物であり、世界苦《ヴェルトシュメルツ》をいやす万能薬なのだ。音楽は、いまもなお無名者にとっての解毒薬《げどくやく》であるが、それだけではまだ音楽《ヽヽ》ではない。音楽は星の放つ炎、十全にして削減不能のものなのだ。それは神々の石板記録であり、心棒がはずれてしまったために学者も文盲も同じくへまをやる呪文《アブラカダブラ》なのである。内臓に目を向けよ――この心慰まず不可避なるものに! 決定したものは、なにもない。落着したもの、解決のついたものは、なにもない。いま行われているすべてのもの、あらゆる音楽、あらゆる法律、あらゆる政治、あらゆる発明、あらゆる発見は――いずれもひとつ残らず暗闇のなかでの速度練習、大文字の|Z《ゼット》をもったツェルニー(一七九一―一八五七。オーストリアの作曲家。ピアノの教則本編集者)が狂った白馬を駆って粘液の壜《びん》のなかに突入しているのだ。
血なまぐさい音楽が決して私を確固たる目的地へつれて行ってくれない理由のひとつは、それがつねにセックスと渾然《こんぜん》一体となっていることにある。歌曲を演奏できるような段階に行きつくやいなや、きまって女陰が蠅《はえ》のように私のまわりにむらがるのである。たいていはローラのせいだった。ローラは私の最初のピアノ教師だった。ローラ・ニースン。奇妙な、いかにも当時住んでいた郊外の町にふさわしい名前であり、臭気のつよい燻製鰊《くんせいにしん》か、虫のつくった性器を連想させた。正直な話、ローラは美人とはいえなかった。血色がわるく、胆汁質らしい目の色をしていて、ちょっとカルムック人かチヌーク族土人に似ていた。唇《くちびる》に毛があるばかりか、|いぼ《ヽヽ》や|こぶ《ヽヽ》までいくつか顔にくっつけていた。だが、私の心をそそったのは彼女が毛深いことであった。彼女は、すばらしく美しい長い髪の毛を、蒙古人《もうこじん》風の頭に、半分は上向きに、半分は下向きにたばねていた。襟《えり》もとの毛は、くるくるとカールしてあった。小心な愚かものである彼女は、いつも約束の時間におくれてきたが、彼女がくるころまでに私は手なぐさみのためにややぐったりとしていた。だが、彼女が横の椅子に腰をおろすと、すぐまた私は昂奮《こうふん》におそわれた。彼女が腋《わき》の下にたっぷりとつけたつんと鼻をつく香水のためである。夏には袖《そで》なしを着ているので、密生した腋毛がのぞいて見えた。それを見るたびに私は頭に血がのぼるのを感じた。全身毛だらけで臍《へそ》のなかにまで毛が生《は》えている彼女を私は想像した。そして私の願望は、そこに転《ころ》がりこんで歯をその毛のなかに埋めることであった。ローラの毛に多少なりとも肉がついているならば、無類の珍味として賞味したいくらいだった。とにかくここで言っておきたいのは、彼女が毛深かったということだ。そして、ゴリラみたいに毛むくじゃらのローラは、私の心を音楽から切り離してセックスへと引きよせたのである。どうしても彼女の裸体を見たかったので、私は、ある日とうとう彼女の幼い弟を買収し、入浴中の彼女をのぞきみする機会をつかんだ。それは予想したよりもずっとみごとなものだった。草むらのように深く、毛編みの敷物のように豊かなのだ。彼女が白粉刷毛《おしろいばけ》でその上を撫《な》でるのを見たときには、私はあやうく失神しそうになった。つぎにローラが家へきたとき、私は前ボタンを二つばかりあけたままにしておいた。ローラは、なにも気づかぬようであった。そのつぎにきたときには、前を全部あけ放しにしておいた。今度は、さすがに気がついた。ローラは、「ヘンリ、あなた、なにか忘れたらしいわね」と言った。私は真赤になっている彼女を見て、そしらぬ顔で、「なんですか?」ときいた。ローラは左手でそこを指さしながら顔をそむけるふりをした。彼女の手があまりにも近づいてきたので、私は、その手をつかんでひきずりよせた。彼女はびっくりし、色をうしなって、さっと立ちあがった。しかし、そのときには私の一物はすでに言いしれぬ歓喜にふるえていた。私はそのよろこびを彼女に示しながら、鍵穴《かぎあな》からのぞき見したあの毛編みの敷物をさぐろうと、手をのばした。すると、いきなり私は横面《よこつら》を思いきり殴《なぐ》られた。つづいてまた一発。やがて彼女は私の耳を引っぱって、ぐいぐいと部屋の隅《すみ》へつれて行き、私の顔を壁に向けて言った。「さあ、前ボタンをはめなさい。このいたずら坊主《ぼうず》!」私たちは一分もたたぬうちにピアノの前へ戻った――ツェルニーと速度練習に戻ったのである。私にはもうシャープもフラットも見さかいがつかなかったが、母に告げ口をされたらたいへんだと思って練習をつづけた。さいわいにもこのことは、そう簡単に母親に告げられるようなできごとではなかったが。
このできごとは、気まずいものではあったが、しかし私たちの関係に決定的な変化をもたらした。私は、このつぎからはきっと、うんときびしい扱いを受けるだろうと覚悟していたのだが、案に相違して彼女は、前よりももっと念入りにめかしたて、もっとたくさんの香水を全身にふりかけるようになったらしく、そのうえ多少陽気にさえなったようであった。これは引っこみ思案で気むずかし屋のタイプに属する彼女としては、まことにめずらしいことだった。いかな私も、二度と前ボタンをはずすようなことはしなかったが、レッスンのあいだじゅう昂奮しつづけていた。彼女も、しょっちゅう横目でそのほうを見ていたところからすると、それを楽しんでいたのにちがいない。当時私はまだ十五、ローラのほうは、どう見ても二十五ないし二十八にはなっていた。私にはどうしてよいかわからなかった。ただ考えられるのは、母の留守中に彼女を力ずくで引き倒すことだけだった。その後しばらくのあいだ私は、ローラがひとりで出歩くときには、こっそりとあとをつけた。彼女は夕方ひとりで遠くまで散歩に出るくせがあった。私はしょっちゅうその後をつけて行って、共同墓地のそばのどこか人気《ひとけ》のないところへ行ったら思いきって行為におよぼうと機会をねらっていた。ときどき私は、ローラのほうでも、つけられていることを承知で、むしろそれをよろこんでいるのではないかと思った。彼女は、いきなり私がおそいかかるのを待っていたのではないかと思う――それを期待していたのではなかろうか。とにかく、ある晩私は鉄道線路のそばの草むらのなかに寝ころんでいた。息苦しいほど暑い夏の夜で、人々はいたるところで犬のように喘《あえ》ぎながらごろごろと横になっていた。私はローラのことなどちっとも考えていなかった――暑苦しいので、なにも考えるどころではなく、ただぼんやりしていたのである。とつぜん私は、石炭殻を敷いた小道をこちらへやってくる女の姿をみとめた。私は堤防の上にながながと寝そべっており、あたりには人影がなかった。その女は夢みるように頭を垂れ、ゆっくりと近づいてくる。近づくにつれて顔もはっきりしてきた。「ローラ!」と私は呼んだ。「ローラ!」彼女は、そんなところに私がいるのを見て、ほんとうにびっくりした様子であった。「まあ、こんなところで、なにをしているの?」と言いながら、堤防の上に私とならんで腰をおろした。私は返事などしなかった。ひとことも口をきかなかった――ただ黙って彼女の上にのしかかった。「ここじゃ、いやよ。おねがい」と彼女は言ったが、私はとりあわなかった。私は彼女の裾《すそ》のあたりをまさぐった。誓っていうが、それが私の最初の経験だった。列車がやってきて、熱い火の粉を私たちの上に浴びせかけた。ローラは、おびえていた。それは彼女にとっても最初の経験だったらしい。たぶん彼女は私以上にそれを欲していたようである。しかし、火の粉が体に散ったとたんに彼女は体を離したがった。まるで荒馬を押えつけようとうするみたいだった。どんなに力ずくで押えようとしても、彼女には結局勝てなかった。彼女は立ちあがり、服の土をはらい、襟《えり》もとの髪を直した。「さあ、早くうちへ帰んなさい」と彼女は言った。「帰らないよ」と私は言い、彼女の腕をとって歩きだした。私たちは、かなり長いあいだ、おし黙ったまま歩きつづけた。どこを歩いているのか、二人とも意識にないようであった。とうとう高速道路へ出た。すぐ上には給水所があり、近くに池があった。私は本能的に池のほうへ足を運んだ。池に近づくには低く枝を垂れた木々の下を通りぬけなければならなかった。ローラの手をとってくぐり抜けようとしたとき、不意に彼女は私の手を握ったまま、ずずっと足をすべらせた。だが彼女は、起きあがろうとしないばかりか、私を引き寄せて、しっかりと胸のなかに抱きしめた。そして、非常にびっくりしたことに、手をさりげなく忍びこませ、すばらしい技巧で愛撫《あいぶ》してくれた。やがてローラは私の手をとって彼女のほうへみちびいた。そして、ゆっくりと仰向けになった。私はその上にのしかかってけんめいに接吻しつづけた。臍《へそ》にも唇を触れた。つづいて彼女の体臭を存分に吸いこんだ。ローラは、両手で私にしがみついてきた。もはや彼女の髪はまったく解け、その毛が肌もあらわな胸の上に散らばっていた。要するに私は、かくしてもう一度彼女を引き寄せたのである。私は長いことそのままでいた。ローラはこれをしんからよろこんだようである。何度となくよろこびに達したのだから。それはまるで一箱の爆竹がつぎつぎと炸裂《さくれつ》するようなものだった。彼女はそのたびに私の体に歯を立て、唇を噛《か》み切り、私を引っかいてシャツその他のものを引き裂いた。うちへ帰って鏡を見ると、私はまるで焼印を捺《お》された去勢牛そっくりであった。
そんなことがつづいているうちはじつに楽しかったが、結局長つづきはしなかった。一カ月ほどしてニースン家は、ほかの市へ引越し、私はもう二度とローラには会えなくなってしまった。だが私は彼女の密毛をベッドの上にぶらさげて毎晩それに祈りを捧《ささ》げた。そして、その後もツェルニーを弾《ひ》きはじめるたびに、草むらのなかに横たわるローラを思いだし、彼女の長い黒髪や、うなじの束髪や、うめき声や、そしてあふれ出るものを思いだして昂奮した。ピアノの演奏は私にとって、ひとつの長い性交の代理経験にほかならなかった。ほんとうに女とまじわるには、さらに二年ほど待たねばならなかったが、これはあまりいいものではなかった。だいいち、それによってみごとに病気をうつされてしまったし、場所も草むらのなかではなく、時も夏ではなく、薄汚《うすぎた》ないホテルの小部屋で一ドル支払っての、じつに冷たい機械的な営みであった。相手の女は悦楽の絶頂に達したようなふりをしていたが、その実、ちっともそのおとずれなんぞなかったのだ。それに、性病をうつしたのは、もしかするとこの女ではなく、隣の部屋で友人のシモンズと寝ていたこの女の仲間だったのかもしれない。つまりこういうわけだ。私は機械的な営みがあまりに手ばやく片づいてしまったので、シモンズのほうはどうなっているか、ちょいとのぞいてやろうという気を起した。するとどうだ、二人はまだ、しかも熱烈に、愛しあっているではないか。こちらの女はチェコ人で、すこし脳味噌《のうみそ》が足りなかった。どうやら、この商売をはじめてからあまり間がないので、ついわれを忘れて行為をたのしんでしまうらしかった。この女が熱をあげているのを見て、私は、シモンズがすむのを待って、こんどは私が一戦まじえようと決心した。その決心は実行に移された。それから一週間もたたぬうちに、尿道から膿《うみ》が出た。それで私は、これは淋病《りんびょう》か尿道結石にやられたのにちがいないと観念した。
その後さらに一年ばかりして、今度は私が教える側にまわった。ついているというのかいないというのか、私が教えている女の子の母親は、おそろしく身持ちがわるく、街娼《がいしょう》だってこれほどのやつはそうざらにはいないだろうと思われるような自堕落女だった。あとでわかったことだが、彼女は黒人と同棲《どうせい》していた。どうやらこれまで彼女を満足させるほどのものにめぐりあえなかったらしいのである。それはとにかく、私が帰ろうとするたびに彼女は、玄関のところで私を抱きしめて、体をすりつけるのであった。私は、この女が梅毒をもっているという噂《うわさ》を聞いていたから、ことに及ぶのをおそれたが、なにしろそんな熱っぽい性悪女《しょうわるおんな》が体をぴったりとくっつけ、舌で首をなめおろすのだから、どうしようもなかった。私はいつも玄関|脇《わき》の部屋で立ったままたたかった。彼女は軽くて人形のように両手で抱きかかえることができるので、立ったままでも、そう困難ではなかった。ある晩そんなふうに彼女を抱いていると、ふいに表の錠に鍵をさしこむ音がきこえた。彼女もそれを聞きつけて、あわてて体を固くした。どこへも逃げ場はなかった。だが、さいわい入口の廊下に装飾用のカーテンが垂れていたので、私はそのかげにかくれた。まもなく黒人の情夫が彼女と接吻し、|元気かい《ヽヽヽヽ》、|ハニー《ヽヽヽ》、と言っているのがきこえた。女のほうは、いままで寝ないで待ってたのよ、もうこれ以上じらされるのはいやだわ、すぐ二階へあがりましょうよ、などと言っていた。階段のみしみしいう音が消えると同時に、私はそっと玄関の戸をあけて外へ飛びだした。飛びだしてしまってから、あらためて恐怖におののいた。もしその黒人に現場を押えられたら、首根っこをかっ切られることは、まずまちがいないからだ。私はもうその家でレッスンをするのはやめにしたが、娘――ちょうど十六になるところだった――が、あとでやってきて、彼女の友だちの家を使ってピアノを教えてほしいと言いだした。私たちは、また最初からツェルニーの練習をやりなおしたが、まるでもう火の粉もなにもいっしょくたであった。新鮮なセックスの匂《にお》いをかぐのは、これがはじめてだった。刈りたての積み草の匂いにも似て、すばらしいものだった。私たちは、レッスンをひとつ進めるたびに情を通じあい、レッスンの合い間にも軽く番外の営みをおこなった。ところが、これからさきが悲劇であった――娘が妊娠してしまったのである。さあ、どうすればいいのか? 私は、ことをうまく始末するために、あるユダヤ人の青年の助けを借りなければならなかったが、このユダヤ人は代金として二十五ドルよこせという。二十五ドルなんて大金は見たこともなかった。それに娘は未成年なのである。そのうえ彼女は敗血症になるかもしれないのだ。私は手付けとして五ドルだけ支払って二週間ばかりアディロンダックの山のなかへ逃げこんだ。アディロンダックで、ぜひとも私のレッスンを受けたいという女教師と出会った。またしても速度練習である。そして、またしてもコンドームと難問題のかずかずである。どうやら私はピアノにさわるたびに女のセックスをゆさぶることになるようであった。
パーティーが開かれるたびに、私は交合の音楽を奏《かな》でずにはいられなかった。それは、自分のペニスをハンカチでくるんで吊り繃帯《ほうたい》のように腕の下にぶらさげるようなものだった。休暇中など、農家や宿屋など、つねに女があり余っているところでは、この音楽は格別の効果を発揮した。休暇中は私にとって、その後まる一年間の見通しを立てる期間であった。その期間は、女にめぐまれていたからというよりは、仕事から解放されていたからである。ひとたび仕事という桎梏《しっこく》から解放されると、とたんに私は道化役者になった。あまりにも精力がみなぎっていたので、自分の殻から躍《おど》り出したいような気分になったのだ。ある夏、カーツキル山脈でフランシーという女と出会ったことがある。スコットランド女特有の張りのある乳首《ちくび》と、きれいにならんだ、まばゆいほど白い歯をもった煽情的《せんじょうてき》な美人であった。私たちは河で泳いでいた。これが、そもそものはじまりであった。二人ともボートにつかまっていたのだが、ふと見ると、フランシーの片方の乳房《ちぶさ》が水着の外へすべり出していた。私は、もうひとつの乳房も外へつまみ出し、肩にかかっている紐《ひも》をはずしてやった。フランシーは恥かしそうにボートの下へもぐった。私は彼女のあとを追って行って、彼女が一息入れにうかびあがってきたとき、邪魔くさい水着もひったくった。彼女は人魚のように水面にうかび、張りきった大きな乳首を、ふくれあがったコルク栓《せん》のように、ぷかぷか上下させていた。私も身をくねらせてタイツを脱ぎ、ボートの横で海豚《いるか》のようにフランシーとたわむれはじめた。まもなくフランシーの女友だちがカヌーを漕《こ》いで近づいてきた。いちご色をおびた金髪の、むっちりとした肉体の娘で、瑪瑙《めのう》色の目をして、顔はソバカスだらけだった。彼女は私たちが素裸なのを見て、いささかびっくりしたらしいが、私たちは、すぐさま彼女をカヌーから突き落して水着を剥《は》ぎとってしまった。三人は水中で鬼ごっこをはじめたが、彼女たちは二人ともウナギのようにぬるぬるしているので、なかなか私の思うようにはならなかった。
さんざん遊びたわむれたあげく、野原にぽつんととり残された哨舎《しょうしゃ》のような脱衣所へ駆けこんだ。三人とも、めいめい服をとり出して、このせまい小屋で、いっしょに着ることになった。おそろしくむし暑い日で、嵐《あらし》をはらんだ雲の層が、しだいに厚くなりはじめていた。アグネス――というのがフランシーの友だちの名前だった――は、さっさと服を着けようとした。私たちの前に裸体をさらしているのを、いまさらながら恥ずかしくなったのだ。フランシーのほうは、一向に屈託のない様子だった。彼女はベンチに足を組んで腰かけてタバコをくゆらせていた。ちょうどアグネスがシュミーズを頭からかぶろうとしたとき、ふいに稲光りがした。と思うと、ものすごい雷鳴がとどろいた。アグネスは悲鳴をあげてシュミーズをとり落した。二、三秒たつと、また稲光りが閃《ひらめ》き雷鳴がとどろいた。雷は不気味なほど近づいていた。あたりは一面にまっ暗になり、虻《あぶ》がたかってきて刺しはじめたので、私たちはいらいらと落ちつかなくなり、多少おそろしくもなってきた。とくにアグネスは、雷がきらいなばかりでなく、それ以上に、三人が素裸で死んだなどということにでもなったらそれこそ大変だと、そのことを心配し、早く着るものを着て家へ駆けもどりたいと言いだした。彼女がそう言ったとたんに、いきなり豪雨がおそってきた。私たちは、どうせ四、五分たてばやむだろうとたかをくくって、裸のまま小屋のなかに立って、一部開いたドアから、流れを早めた河を眺めていた。ところが、どしゃ降りの雨は、どうやら本格的になったらしく、稲妻《いなずま》が八方で絶えまなく光っていた。私たちは、すっかりおびえあがり、なすすべもなく途方に暮れていた。アグネスは、しきりに両手をもみしぼり、大声で祈っていた。まるでジョルジュ・グロウス(アメリカ在住のドイツ人画家)描くところの白痴的な女、首のまわりに数珠《ロザリオ》を巻き、おまけに黄疸《おうだん》にかかった、不均斉な体つきの自堕落女そっくりであった。いまにも気をうしなって私たちの上に倒れかかるかどうかするのではないかと思われた。このとき、ふいに私は、彼女たちの気をまぎらせるために、ひとつ雨のなかで|出陣踊り《ウォー・ダンス》をやって見せてやろうという名案を思いついた。いざ腕前ご披露《ひろう》とばかり勇んで飛び出したちょうどそのとき、あまり遠くないところで、すさまじい稲光りとともに木の幹が真二つに裂けた。私は恐怖のあまり正気をなくしてしまったらしい。私はいつもこわくなると笑うくせがあった。このときも私は笑った。女たちが思わず悲鳴をあげるほど粗暴な血を凍らせるような笑いであった。女たちの悲鳴を聞いたとたんに、なぜか私は速度練習を思いだし、自分が虚空のなかに立っているように感じた。あたりは一面まっ青で、雨が私の素肌《すはだ》を太鼓のように熱く冷たく打ちつづけていた。あらゆる感覚が皮膚の表面に集まり、そのいちばん外側の層の下は、まったく空虚で、羽毛のように軽かった。いや、空気よりも、煙よりも、雲母よりも、マグネシウムよりも、どんなものよりも軽かった。あっというまに私はチッペワ土人(オジブエー族ともいう。北米土人の一種)となり、ササフラスが音楽の主調音となっていた。女たちが悲鳴をあげていようが、気絶していようが、パンティがよごれようが、そんなことは、もはやすこしも問題ではなかった。もっとも彼女たちはパンティをはいてはいなかったが――。
私は首のまわりに数珠《ロザリオ》をかけ、恐怖のあまり大きなお腹《なか》まで血の気をうしなっている狂乱のアグネスを眺《なが》めながら、ひとつ罰《ばち》あたりな踊りでも見せてやれという気になった。片手で恥部をおおい、もう一方の手で雷に洟《はな》をひっかけるしぐさをしてやるのだ。雨は熱くて冷たく、草地はトンボでいっぱいになっているように思われた。私はカンガルーのように跳《は》ねまわり、せいいっぱい大きな声で叫んだ――「ああ、父なる神よ、虫けらのごとき犬畜生の子よ、この呪《のろ》わしき稲妻を退散させたまえ、さもなければアグネスは、こののち汝《なんじ》への信仰をうしなうにいたらん……わが祈りを聞け、天なる汚《けが》れたトンチキ野郎よ、くだらぬいたずらはやめろ……アグネスが気ちがいになりかかってるじゃないか。おい、この助平《すけべい》じじいめ、きこえないのか? つんぼか?」こんな乱暴なたわごとを叫びつづけながら、私は脱衣所のまわりを踊りまわった。思いつくかぎりひどい罵言《ばげん》をならべたてながら飛んだり跳ねたりした。雷鳴がとどろくたびに、いっそう高く飛びあがり、落雷のたびにライオンのように吼《ほ》え、とんぼがえりをうったかと思うと、今度は野獣のように野原をころげまわって草を噛《か》んだり吐き出したり、あげくの果てはゴリラのように胸をどんどん叩いたりした。そのあいだずっと私の目にはピアノの上にのっているツェルニーの練習曲が見えていた。白いページはシャープやフラットの記号でいっぱいだ。世のなかには、ばかなやつがいて、よく調律されたクラヴィコードを弾《ひ》きこなす要領を学ぶには、それ以外に手がないと思いこんでいるらしい。とつぜん私は、ツェルニーがいまごろは天国にいて私を見おろしているかもしれないと思い、奴《やつ》をめがけて、できるだけ高く天に唾《つば》をひっかけ、もう一度雷鳴がとどろくと、あらんかぎりの声で叫んだ――「|おい《ヽヽ》、天なるツェルニーよ、おまえの性器なんか稲妻にもぎとられてしまえ……ひねくれた尻《けつ》を自分で呑《の》みこんで窒息してしまえ……おい、聞いてるのか、この気ちがい野郎め」
だが、私の懸命の努力にもかかわらず、アグネスはますます錯乱状態におちいるばかりであった。彼女は融通のきかないアイルランド・カトリックの信者なので、神へのそんな呼びかけは、これまで一度も聞いたことがなかったようだ。なおも私が脱衣所の裏手を踊りまわっていると、アグネスのやつめ、急に河にむかって突進しはじめた。フランシーが金切り声で叫んだ――「早くつれ戻して! あのひと、おぼれてしまうわ! つれ戻してちょうだい!」私は、なおも降りつづく槍《やり》ぶすまのような雨のなかをかけだした。そしてアグネスに、帰れ! 帰れ! と叫んだが、彼女は悪魔に憑《つ》かれたように走りつづけ、水際《みずぎわ》まで行くと、まっしぐらに流れに身を躍《おど》らせて、ボートに向って泳ぎだした。そのあとから私も泳ぎはじめた。そしてアグネスといっしょにボートにしがみついた。彼女がボートを転覆させはしないかとひやひやしながら、私は片手に彼女の腰を抱き、小さな子供をやさしくなだめるように、そっと話しかけた。「近よらないで」と彼女は言った。「あんたは無神論者なのね!」これにはたまげた。そうか、そんなわけだったのか! 私が全能なる神を冒涜《ぼうとく》したというので、それでこんなヒステリーを起したとは! 私は彼女を正気に戻すために、目のあたりに一発ガンとくらわせてやりたかった。だが、私たちはすっかり度をうしなっていたし、よほどうまく扱ってやらないと、彼女は頭の上にボートをひっくり返すような無茶をやりかねないという不安もあった。そこで私は、ひどく恐縮したようなふりをして、神を冒涜するつもりなどすこしもなかったとか、ただ死ぬほどこわかっただけなのだとか、いろいろな弁解をならべながら、おだやかに、なだめすかすように話しかける一方、腰にかけていた手をすべらせて、彼女の臀《しり》をそっと撫《な》でた。結局彼女もそれを欲していたのであった。泣きじゃくりながら彼女は、自分がどんなに善良なカトリック信者であるか、どんなに罪を犯すまいと努力してきたか、というようなことをしゃべっていた。自分の言葉にすっかり酔っていたので、私がなにをしているのか意識していなかったのかもしれない。とはいうものの、私が手をさしいれて、神さまだの、愛だの、教会へ行くことだの、懺悔《ざんげ》をすることだの、とにかく思いつくかぎりのきれいごとをならべたてたときには、いくら彼女でも、なにか感じたに相違ないと思う。なぜなら、私は三本の指をたばねて、酔っぱらった糸巻きみたいに、そいつをくるくる動かしていたからだ。「腕をぼくの体にまわしておくれ、アグネス」と私は、彼女の体《からだ》を抱きよせながら言った……「そう、いい子だね……体を楽にして……」そして私は、あいかわらず教会だの、懺悔だの、神の愛だのと、くだらぬごたくをならべながら、やっと思いをとげた。「あんた、とってもやさしくしてくれるのね」と、アグネスはいま私と愛しあっていることなど知らぬげな調子で言った。「さっきはごめんなさい、ばかなまねをして」「いいんだよ、アグネス」と私は言った。「気にしなくてもいいんだ……ねえ、もっと力を入れて抱いて……そう、それでいい」「ボートがひっくり返りゃしないかしら。心配だわ」と彼女は言い、右手で水をかきながら、いちばんいい位置をたもとうと、しきりに努力していた。「そうだな。じゃ、岸へ戻ろう」と私は言って、体を離そうとした。「いや、離れないで」とアグネスは、ますますかたく私を抱きしめた。「離れないで。おぼれてしまうわ」ちょうどそのときフランシーが河のほうへ走ってきた。「早く」とアグネスが言った。「早く……わたし、おぼれてしまうわ」
言っておくが、フランシーは上の部に属する女だった。彼女は、たしかにカトリック信者ではなく、道徳をもっているとしても、それは爬虫類のそれでしかなかった。この女は交合を楽しむために生れてきた女たちのひとりだった。人生になんの目標もなく、野心もなく、やきもちをやかず、愚痴をこぼさず、つねに陽気で、それでいて結構知性もすぐれていた。夜になると私たちは、まっ暗なポーチに腰をおろして来客とおしゃべりをしたが、そんなとき、フランシーは、そっと近づいてきて私の膝《ひざ》の上にのった。ドレスの下は生れたままの姿であった。私は客たちと談笑している彼女と、こっそりとたわむれた。この女ときたら、チャンスさえあれば法王の前でだってそしらぬ顔で秘事を演じただろうと思う。裏街の彼女の自宅を訪れたときなど、彼女は自分の母親の目の前で同じ離れ業《わざ》をやってのけたものである。さいわい母親の目はかすみかけていたのだが――。ダンスに出かけて体の芯《しん》にたまらない昂奮《こうふん》を感じたときには、私を電話ボックスへひっぱりこみ――いやはや、まったく妙な女である――実際にだれかと、たとえばアグネスと話をしながら同じ芸当を演じたものである。どうやら他人さまの鼻さきで演じるほうが、いっそう楽しみが多かったらしい。自分でも、あまり思いつめないでやったほうがおもしろい、と言っていた。海岸から満員の地下鉄に乗って帰る途中など、彼女はスリットが真正面にくるようにスカートをそっとまわし、私の手をとっていた。電車がぎっしり混み、これなら安全という片隅《かたすみ》に押しこまれると、私の腰あたりを小鳥でも抱くようにして、両手で私のものを握ったりした。ときには、ふざけて、全然危険がないことを証明するかのように、手にしたバッグをそれにかけることもあった。もうひとつ、彼女は私とだけねんごろになっているようなふりは全然しなかった。なにもかもうち明けたのかどうか、それはわからないが、いろいろなことをしゃべったのは事実である。彼女は、私の上に腹這《はらば》いになりながら、あるいは私と一体になりながら、あるいは私がまさによろこびに達しようとしているときなど、平気で笑いながら自分の情事のことを語ったりした。ことにおよぶまでのいきさつから、あれの大小、男が昂奮して口ばしった言葉など、まるでその主題について参考書でも書くのを手つだうかのように、つぎからつぎへと微に入り細をうがって説明した。彼女は、自分の肉体なり感情なり、とにかく自分と関係のあるどんなものに対しても、それが神聖だという気持は、すこしももっていなかったようだ。「フランシー、きみはスケベエだな」と私はよく言ったものだ。「きみの道徳は蛤《はまぐり》の道徳だよ」するとフランシーは「でも、あんたはわたしが好きなんでしょう」と答えるのだった。「男がやりたいことは、女だってやりたいわ。べつに他人を傷つけるわけじゃないし、肉体関係を結んだからって、その相手をみんな愛さなくちゃいけない義務はないでしょう。恋愛なんて、まっぴらだわ。しょっちゅう同じ相手を抱かなくちゃならないなんて、きっとおそろしいことだと思うわ。あんたは、そう思わない? ねえ、あんただって、年がら年じゅう、このわたしとだけくっついていたら、すぐにあきちゃうでしょう。たまには全然見ず知らずの相手に抱いてもらうのもいいものよ。そうよ、それがいちばんいいと思うわ」そして彼女はつづけた――「めんどうな手続きもいらなければ電話番号もない、ラブレターもなければ、あとくされもない。そんなの、どう? いいと思わない? 一度わたし、弟と通じてやろうかと思ったことがあるわ。弟って、とても意気地なしで、みんなが被害をこうむっているのよ。もう細かなことは忘れちゃったけれど、とにかくうちには二人きりしかいなくて、わたしはその日、すごくたかぶっていたのよ。弟は、なにかわたしにねだるつもりで寝室へきたのだけれど、わたしはそのとき、ドレスをたくしあげて横になっていたの。あのことばかり考えて、もう我慢ができなかったのだわ。だから弟が入ってきたとき、自分の兄弟だなんて、ちっとも考えなかったわ。ひとりの男が入ってきたとしか考えなかったのよ。わたしは、スカートをまくりあげて寝たまま、弟に、わたし、気分がすぐれないのよ、おなかが痛いの、と言ったの。そしたら弟のやつ、すぐに飛び出して行って、なにかとってこようとするじゃないの。だから、わたしは、ちがうわ、おなかをさすってくれるだけで気分がよくなるわ、と言って、腰のところをマッサージさせたのよ。弟ったら、ばかだから、壁のほうばかり見ていたわ。それに、そのさすりかたといったら、まるで丸太ん棒でもさするみたいなのよ。『間抜けねえ、そこじゃないわ』と、わたしは言ってやったわ。『もっと下よ……なにをこわがっているの?』そう言いながら、さも苦しんでいるようなふりをして見せたの。とうとうあの子、痛い(?)場所を見つけたわ。『そこよ!』って、わたしは叫んじゃった。『そこをマッサージするのよ』すると、どうでしょう、あのおばかさんたら、それがゲームだということにまるで気づかないで、まるまる五分間もマッサージをつづけるのよ。わたし、あんまりしゃくにさわったから、さっさと出ていけってどなってやったわ。『あんたはまるで宦官《かんがん》だわ』って言ってやったんだけれど、あんな低能だから、きっと、なにを言われたのかよくわからなかったんじゃないかと思うわ」フランシーは実の弟のばかさかげんを思いだしてげらげらと笑った。弟はいまでもまだきっと童貞のままだと思うわ、と彼女は言った。あんたは、どう思う――そんなにいけないことだったかしら? もちろん彼女は私がそんな非難をしないことを知っているのだ。「ねえ、フランシー」と私は言った。「いまの話だがね、きみと仲のいい例の巡査にも話したのかい?」フランシーは、いや、話したおぼえはない、と答えた。「そうだろうな、そんなことをしゃべったら、こっぴどく殴《なぐ》られるぞ」「殴られることなら経験ずみよ」と彼女は即座に言った。「ほんとか?」と私は言った。「それで、きみは黙って殴られたのか?」「なにもこっちから頼んだわけじゃないわ」と彼女は言った。「でも彼は、あのとおりすごい癇癪《かんしゃく》もちでしょう。ほかの人間なら、手出しなんかさせないのだけれど、どういうわけだか、あの人だと、それほど気にならないのよ。かえって気持がよくなることもあるわ……よくわからないけれど、女って、たまにはぶん殴られたほうがいいのかもしれないわね。ほんとに男らしい男だと、こっちも、そう侮辱されたような気にならないものよ。それに、あの人は、殴ったあと、とてもやさしくなるの――こっちのほうが恥ずかしくなるみたい……」
こういう事実を平気で認めようとする女は、そうざらにいるものではない――もちろんこれはまともな女のことを言っているので、頭のおかしい女は論外だ。たとえばトリックス・ミランダや、その妹のコステロ夫人であるが、この二人なんか、この場合引き合いに出すのにもってこいの女たちだ。トリックスは私の友人のマグレガーとねんごろにしていたくせに、同居している自分の妹にさえ、マグレガーとは肉体関係がないようなふりをしていた。その妹というのがまた、だれに対しても自分は冷感症なのだと見せかけていたのである。自分は「あれが小さすぎる」ので、たとえその気になっても男とは関係をもてないのだ、と言い言いしていた。マグレガーは姉妹ふたりと関係を結んでおり、姉も妹も、おたがいにそれを承知しているくせに、どちらも相手に嘘《うそ》を言っていたのである。なぜそんな嘘をつくのか、私には理解できなかった。このコステロ夫人というのはヒステリー症で、マグレガーから受ける利益配当の率が適正でないと感じると、たちまち疑似|癲癇症《てんかんしょう》の発作を起した。タオルをほうりあげる、手首を叩く、胸をはだける、両脚をこすりあわせる、あげくの果ては二階へあがってベッドへもぐりこんでしまうのである。するとマグレガーは、もう一方を寝かしつけると、さっそく彼女のところへ駆けつけて介抱しなければならない。ときどき、この姉妹は、昼食のあとなど、午睡をするために、いっしょに横になった。マグレガーは、たまたまそんなときにやってくると、二階へあがって二人のあいだにもぐりこむ。彼が笑いながら説明したところによると、自分も午睡をするようなふりをするところがミソなのだという。彼は深い溜息《ためいき》をつきながら横になり、片目ずつ開いて、どっちがほんとうに眠りこんでいるかをさぐる。片方が確実に眠っているとわかったら、すぐさまもう一方に抱きつくという寸法である。マグレガーは、そんな場合には、どちらかというと、ヒステリーのほう、つまりコステロ夫人のほうを好んだらしい。コステロ夫人の夫は半年に一回くらい訪ねてくるだけだった。マグレガーは、おかす危険が大きければ大きいほどスリルがあっていい、と言っていた。噂《うわさ》では、彼がほれているのはトリックスのほうだということになっていたが、彼はトリックスを抱くときには、わざと、こんなところを妹のコステロ夫人に見つかったらたいへんなことになるぞ、とびくびくしているようなふりをして見せた。その実、彼は――私にうち明けたところによれば――内心では、コステロ夫人が目をさまして現場を押えてくれればいいと期待していたのである。だが、この既婚の女、本人の言いぐさを借りれば、「あれが小さすぎる」女は、なかなか抜け目がないうえに、姉のトリックスに対して罪悪感を抱《いだ》いていた。だから、もし姉に行為中を見つかったとしても、たぶん発作を起して、自分でもなにをしているのかわからないというふりをよそおったことだろう。彼女は男と接する快楽を、みずから進んで味わっていたのだが、どんなことがあっても、それを正直に認めようとはしなかったのだ。
私はコステロ夫人にしばらくピアノを教えたことがあるので、彼女のことは、かなりよく知っていた。私は、いろいろと手をつくし、彼女が正常な器官をもっていること、ときどき練習さえすれば申しぶんのない肉体関係を楽しむことができることなどを彼女になっとくさせようとしたものである。そして、しょっちゅう猥談《わいだん》を聞かせてやった。じつは彼女自身の行為を、ほとんどなんの粉飾もせずに話したのだが、彼女は断乎《だんこ》として態度をやわらげなかった。ある日、私の努力がかなり功を奏して――これがいちばん肝要なところだが――指を触れさせるというところまでいった。これで万事解決だと私は確信した。彼女が、ちょっとうるおいに欠けていたことは事実だが、結局これはヒステリー症のせいだろうと私は判断した。それにしても、思ってもみたまえ、女とそこまでいっていながら、スカートの裾《すそ》をぐいとおろして、面と向ってこの女からこんなことを言われるとは――「ねえ、言ったとおりでしょう、まともじゃないのよ!」「ちっとも変ったところなんぞないじゃないか」と私は腹をたてて言った。「いったいきみは、どうしろというんだ――顕微鏡でしらべて見ろとでもいうのか」
「いいことを言うわね」と、彼女はわざと高飛車に出た。「なんてことを言うの、このわたしに向って!」
「きみは、嘘をついていることを、自分でちゃんと承知しているんだ」と私はつづけた。「なんだってそんな嘘をつくんだ。ちゃんと一人前のくせに、たまにはそれを使うのが人間らしいことだと思わないのか。せっかくもっているやつを干物《ひもの》にしたいのか」
「ひどいことを言うのね」と彼女は下唇《したくちびる》を噛《か》み、赤大根のように真赤になって言った。「いつもあなたのことを紳士だと思っていたのに」
「きみだって淑女じゃないさ」と私はやり返した。「淑女だって、たまには肉体関係を認めるものだ。それに淑女というものは、紳士に向って、自分をたしかめてくれなんて頼まないものだぜ」
「さわってほしいなんて、だれも頼みはしなかったことよ。あんたみたいな人にさわってもらいたいなんて、わたしは思ってもみなかったわ。すくなくともわたしの大事なところにはね」
「それじゃ、さっきのきみは、たぶん耳の垢《あか》でもとってもらえると思ったのだろうよ」
「あのときは、あんたのことをお医者さんみたいに思っていただけよ。もうこれ以上言うことはないわ」彼女は私を追い出すつもりで、そっけなく言った。
「まあ聞いてくれよ」と、私はこの機会をのがすまいと、あわてて言った。「みんなまちがいだったことにしよう。なんにも、全然なにも起らなかったことにしようよ。ぼくは、きみという人間を、よく知っているのだから、侮辱しようなんて、夢にも思ってやしないのだ。あんなことをするつもりは毛頭なかったんだ――そんなぼくじゃないよ。ぼくはただ、きみの言ったことは、まちがいではないのか、じつはそんなに小さくはないのではないか、と疑問をもっただけなんだ。それに、あっという間だったから、どんなふうだったかおぼえちゃいないよ……それも、表面に、ほんのちょっと――その程度だったと思うな。ねえ、この寝椅子に坐って……もう一度仲よしになろうじゃないか」私は彼女を引っぱってすぐ横に坐らせ――彼女は目に見えて機嫌《きげん》を回復していた――よりいっそうやさしくなぐさめるようなふりをして、彼女の腰に腕をまわした。「いつもあんなふうなの?」と私は、なにげないふうにたずねたが、つぎの瞬間、その質問のばかばかしさに気づいて、あやうく吹き出しそうになった。彼女は恥ずかしそうに頭《こうべ》を垂れた。まるで私たちは口に言いあらわせぬほど深刻な悲劇を問題にしているかのようであった。「どう、ぼくの膝《ひざ》の上に坐ったら……」私は、やさしく彼女を抱いて私の膝の上にのせた。同時に、ドレスの下へそっと手をさし入れ、それを軽く彼女の膝小僧の上においた……「こうやってしばらく坐っているうちに、きっと気分がくつろぐよ……そう、それでいい。背中をぼくの腕によりかからせて……さっきよりも気分がよくなったかい?」彼女は返事をしなかったが、そうかといってさからいもしなかった。ただぐったりと私の腕によりかかって目を閉じた。私は低い声でなだめるように言葉をつづけながら、少しずつ、そっと、なめらかに、手をすすませ、そっと愛撫《あいぶ》した。そして気を静めさせながら、なおも、女性は、えてして自分自身のことになると誤解しやすいものだとか、ほんとうはまったく正常なのに、自分のだけが小さいと思う人がときどきいるものだとか、そんなことを、いかにも同情的な調子でしゃべりつづけたが、これを長くつづければつづけるほど彼女は自信とうるおいを増してきた。私は、まだ目を閉じたままだろうかと思って彼女の顔を見た。彼女は口をあけ、妙な息づかいをしていたが、目はやはり固く閉ざしたままだった。すべては夢だと自分をいつわっていたのかもしれない。こうなればもう手荒くあつかっても大丈夫だ――いささかも抵抗される危険はなかった。意地のわるいやりかただったかもしれないが、私は彼女が正気づくかどうかたしかめるために不必要なほどはげしく彼女の体を押し倒した。彼女は羽根|枕《まくら》のようにふわふわで、ソファーの腕に頭をぶつけたときですら、腹をたてた様子などすこしも見せなかった。まるで無償の性行為のために自分で自分を麻酔にかけているかのようであった。私は彼女の着ているものを全部|剥《は》ぎとって、彼女を床の上に、彼女の衣服の上に、横たえた。やがて私はまた体を近づけた。すると彼女は表向きの昏睡《こんすい》状態にもかかわらず、体をじつに巧妙にあやつった。
音楽がつねに性に結びついているということは、考えてみれば奇妙なことである。夜ひとりで散歩に出ると、私はきまって女を拾った。看護婦、ダンスホールから出てくる女、女売子など、およそスカートをはいているものなら種類を問わなかった。また、友人のマグレガーといっしょに彼の車で――彼の言葉をかりれば、ちょっと海岸までドライブに――出かけると、たいがい真夜中ごろには、どこか怪しげな界隈《かいわい》の変な売春宿で女を膝《ひざ》に抱いていた。マグレガーは私以上に選《え》り好みをしない性質なので、私もたいてい文句をつけなかった。彼の車に乗るとき、「今夜は女はよそうぜ」と私が言うと、彼はいつもこんなふうに答えた。「うん、よそう。おれも、女にはあきちゃったよ。おとなしくシープスヘッド湾あたりまでドライブして帰ろう……」ところが、半マイルと行かぬうちに、とつぜん彼は車を道の脇《わき》につけて、私をこづき――「おい、あれを見ろよ」と、歩道をぶらぶら歩いている女を指さし、「すごい脚だろう」とか、「ちょっと誘ってみようか。つきあってくれるかもしれないぜ」などと言って、私がそれに答えるよりさきに、彼はその女を呼びとめ、誘い文句をならべはじめるのであった。いつでも、どんな女に対しても、同じ文句を使った。そして、十中八、九まで、女はついてきた。それからまもなく、彼は空《あ》いているほうの手で女をなでまわしながら、友だちがいないのなら、われわれが相手をしてあげようか、などと彼女にたずねる。そして、もし彼女が騒ぎたてたり、そんな気の早い乱暴なくどかれかたをするのを好まなかったりした場合には、彼は――「そうか、じゃ、降りたまえ。きみみたいな女では時間を浪費するだけばかばかしいや」と言って、車をとめて女を追い出してしまうのであった。「おかしくって、あんな女とつきあっていられるかっていうんだ、なあ、ヘンリ」彼はふくみ笑いしながら言った。「まあ、待てよ、夜が明けるまでには、かならずいい奴《やつ》を見つけてやるから」そして、私が今夜はやめておこうと言ったりすると、彼はこう答えた。「よし、それじゃ、きみの好きなようにしよう。おれはただ、きみがよろこぶだろうと思って言っただけなんだ」
そうこうするうちに、とつぜんブレーキがかかってわれわれは前にのめり、彼は暗がりのなかからぼんやりとあらわれたほっそりした影絵に向って声をかけるのである――「お嬢さん、なにをしているんだい――散歩かね」こういう場合は、たいがいおもしろいことになる。相手は、スカートをめくってその下にさわらせること以外に仕事のない煽情的《せんじょうてき》な街娼《がいしょう》にきまっているからである。彼女に飲みものをおごってやる必要もなく、ただ、どこか路傍の暗がりに車をよせて、車のなかで交代で目的を達した。もし彼女が頭のいかれたやつであれば――たいがいはそうだが――彼女を家まで送ってやる必要もなかった。「おれたちはそっちのほうへは行かないから、きみはここで降りてくれないか」嘘《うそ》のうまい彼は、けろりとしてそう言い、ドアをあけて女を追い出してしまうのであった。そのつぎに彼の頭にうかぶことは、もちろん、その女が性病にかかっていはしなかったか、ということである。これは、それから家へ帰るまで、ずっと彼をなやましつづける。「ああ、もっと慎重にやるべきだったよ」と、彼はいう。「ああいう女を拾うと、どんな目に会うか、じっさいわからんからな。ほら、こないだドライブで拾った女ね――あいつを相手にしてからというもの、どうもあそこがむずむすして変なんだ。気にしすぎるせいかもしれないけど……。だけど、男ってやつは、どうして一人の女だけで我慢できないんだろうね、ヘンリ。たとえば、さっきのトリックスだけど――きみも知っているように、彼女はなかなかいい女だ。おれも、ある意味では彼女が好きだよ。しかし……よそう。こんなことをしゃべったって、なんにもならないからね。要するに、おれは大食漢なんだな。この傾向は、だんだんひどくなって、最近では、ときどき、デイトの途中で――相手の女とちゃんと話がついて、いっしょに車を走らせているときに――交差点を渡って行くよその女の脚がちらと目に飛びこんできて、気がついたときには、その女をデイトした女といっしょに車に乗せちゃっている始末なんだ。おれは自分でも色情狂じゃないかという気がするんだが――きみはどう思うかね? いや、きみにきくのはよそう」と、彼はあわててとり消す。「聞かなくてもわかっている――どうせひどいことを言うにきまっているんだから」それから、すこし間をおいて――「きみという男も、変な人間だね、まったく。きみは、どんな相手でも拒んだのを見たことがないけど、それでよく平気でいられるね。どうなってもかまわないと割りきっているのかね。そうかと思うと、案外|律気《りちぎ》な女たらしでもあるし――まるで一夫一婦主義者みたいにね。一人の女に、よくもああまで長くつきあっていられるものだと、おれはつくづく感心するよ。きみは、あきるということがないのかね。だいたい、奴らの話すことは、きまりきっているじゃないか。話をする気にもならんよ。だから、ときどきおれは、よっぽどこう言ってどなりつけてやろうかと思うことがあるんだ――『おまえは黙って裸になればそれでいいんだ』とな」彼は腹をかかえて笑った。
「もしおれがトリックスにそんなことを言ったら、奴がどんな顔をするか想像できるかね。じっさい、よっぽどそうしてやろうかと思ったことがしばしばあるんだ。おれは一度、上着を着て帽子をかぶったままお相手しようとしたことがあるんだがね。女は目をむいて怒ったよ。上着を着てたって別にかまわないけれど――帽子だけは脱げというのさ。おれは、風邪《かぜ》をひくといけないから帽子をかぶっているのだと言ってやった――もちろん風邪をひく心配なんぞすこしもなかったのだけれどね。ありていにいえば、さっさと切りあげてしまいたかったので、帽子をかぶっていれば早くすむだろうと思ったわけなのさ。ところが、意に反して、その晩は女と徹夜してしまった。女がめちゃくちゃに怒ってしまって、いくらなだめても、いうことを聞かないんだ……。しかし、それはまだいいほうだよ。いつだったか、飲んだくれのアイルランド女を相手にしたことがあるが、こいつはちょっと変った癖のある女だった。だいいち、絶対にベッドのなかでは相手になりたがらないんだ――いつもテーブルの上さ。それもたまにはいいかもしれないが、たびたびとなると、うんざりするよ。そこである晩――たぶん、おれもいくらか酔っぱらっていたようだが――つべこべ言わずに今晩はおれとベッドへ寝るんだ、とどなりつけてやった。おれは本式に――ベッドで――寝たかったんだ。それで、その女とまる一時間も議論したあげく、やっと説得してベッドに寝かせたのだが、それには一つ条件がついていた――帽子をかぶったままでいてくれというのだ。なあ、ヘンリ、おれが帽子をかぶってあの色気ちがいの女を相手にしている図を想像してみろよ。すっぱだかで帽子だけかぶっているんだぜ! おれは奴にきいてみた――『なぜおれが帽子をかぶっていなきゃいけないんだ』――とね。そしたら、その返事がふるってやがる。帽子をかぶっていると、ずっと上品な感じがするからだというじゃないか。あいつの知能のほどがわかるというものさ。おれは、あんな女を相手にするたびに、つくづく自分自身が情けなくなったものだ。決してしらふで彼女のところへ行かなかったのは、そのせいもあるんだ。まず、したたかに飲んで、頭の調子が変になり、目がかすんでからでないと行かなかったよ。だいたい、おれは――」
私は彼の話が事実であることを、よく知っていた。彼は私の最も古い親友の一人であるとともに、私の知っているかぎりでは、最も喧嘩《けんか》好きな男でもあった。頑固《がんこ》とか強情などといった程度ではなく――まさしく騾馬《らば》であった。おそろしく片意地なスコットランド人なのだ。ところが、奴の父親は、それに輪をかけた頑固者であったから、二人が喧嘩をおっぱじめると、これはまた壮観そのものであった。父親は、いつも憤然として息子につかみかかり、猛烈な取っ組みあいを演じるのであった。母親が仲へ入ろうものなら、たちまち目に火花が散る始末であった。彼らは定期的に息子を家から追い出した。彼は家具からピアノにいたるまで自分の持物を全部もって家を飛び出した。そして、一カ月ほどすると、また両親のところへもどってきた――なぜなら、両親のほうでは、いつもそのたびに、息子がおとなしく家におさまってくれるものと信じていたからである。しかし、それからしばらくすると、息子はある晩酔ったあげく、どこかで拾った女といっしょに家へ帰ってくる。かくしてまた喧嘩がはじまるのである。しかし、家の人たちは、彼が女をつれてきて、一晩その女を抱いて寝ることを、さほど気にとめないようであった。彼らを怒らせたのは、彼が女とベッドに入っているところへ母親に朝食を運ばせようとするその厚かましさであった。母親が彼をどなりつけて追い出そうとすると、彼はこう言って母親を黙らせた――「なにを言ってやがんだ。もしあんたが腹がでかくならなかったら、きっとまだ結婚できなかったんだぜ」すると母親は髪をかきむしって叫ぶ。「まあ、なんという息子だろう! ああ、神さま、わたしは、わたしは、なんの報いでこんな目に会わなければならないのでしょう」それに対して、彼は言った。「ちぇっ、よしてくれよ。要するにあんたはばかなのさ」たまには、彼の妹がやってきて、事態をおだやかにおさめようとすることもあった。「ねえ、ウォリー、あなたがなにをしようと、あたしの知ったことじゃないけど、でも、お母さんには、もっと丁寧な口をきいたらどうなの?」そうこうするうち、マグレガーは妹をベッドに坐らせ、彼女に朝食を運んでこさせようとしてくどきはじめる。多くの場合、彼は、いっしょに寝ている女を妹に紹介するために、まず女の名前をたずねなければならなかった。「こいつは決していやしい女じゃないんだ。いい家庭のお嬢さんなんだ」と彼は妹に向って言う。「ところでね、すまないが食事を運んできてくれないか。ベーコン・エッグズかなにか。おやじは家にいるのかい。今朝《けさ》の機嫌《きげん》はどうだい。二ドルばかり借りたいんだがね。おれの代りに、おやじにねだって巻きあげてきてくれないか。クリスマスには、きっといいものを買ってやるから」それから、これですっかり話がついたといわんばかりの顔つきで、さっとふとんをめくって、横に寝ている女をさらけ出して見せる。「こいつを見てごらん。きれいだろう。この脚を見てごらんよ! おまえも早く男をつくらなきゃいけないな――おまえはすこししみったれなんじゃないのかな。このパッチーなんざ絶対に金をせびったりはしないぜ。なあ、パッチー、そうだろう?」と言ってパッチーの臀《しり》をぴしゃりと叩《たた》く。「さあ、早く行ってコーヒーを持ってきてくれ。ベーコンを焼くのを忘れるんじゃないよ。そのままじゃまずいからな……それに、なにかほかのものを適当に添えてな。早いとこ頼むぜ!」
私が好きだったのは、彼の弱点である。意志の力が強そうに見える男にありがちなことだが、彼も全然気の弱い男だった。その弱点のために、なんでも彼はやってのけた。したがって、いつも非常に忙しかったが、うちこんでやることは、なにひとつなかった。つねに、なにかを手がけて、知能の増進をはかっていた。たとえば、分厚い辞書を買ってきて、一日一ページずつ切りはがし、勤めの行きかえりに、それを綿密に読みかえす。彼は事実を山ほど仕入れた。仕入れる事実が、荒唐無稽《こうとうむけい》な、突拍子もないものであればあるほど、彼はいっそう大きなよろこびをそこから汲《く》みとった。彼は、あらゆる人に向って、人生はくだらないものであり、苦労する価値のないものであること、どっちへころんでも、たいしたことにはならないということを、証明しようと努力しているように見えた。彼は、私が子供時代をすごした街からそれほど離れていないノース・サイドで育った。そしてまた、いかにもノース・サイドっ子らしい人間だった。それは私が彼を好きだった理由の一つでもあった。たとえば、口をゆがめていう話しぶり、警官と話すときの横柄な態度、にがにがしい唾《つば》の吐き方、ののしるときの特殊な用語、感傷癖、視野の狭さ、球撞《たまつ》きやクラップスに対する情熱、あくびをかみしめながら夜明かしをする癖、金持に対する軽蔑《けいべつ》感、政治家に対する親近感、くだらぬことに寄せる好奇心、学問に対する尊敬心、ダンスホールや酒場やストリップショーへの愛好心、全世界を見てきたような口をきくけれども、そのじつ一歩も土地を離れたことがないこと、勇ましいことをやる人間なら、だれかれかまわず偶像視することなど――こうした無数のささいな性癖や特徴が、彼に対する愛情をそそったのである。それはまさに私が子供のころに知り合った連中を特徴づけていた特異性にほかならなかったからである。隣人のよしみは、ただ愛すべき失敗によってのみ成り立っていたともいえる。おとなは子供のようにふるまい、子供は手のほどこしようがないほど癖がわるかった。隣人からぬきん出て、ずばぬけて出世することは、だれにも許されなかった――ことによると私刑を受けた。だれかが医者か弁護士になったら、それはじつに驚嘆すべき出来事であった。しかし、たとえそうなっても、気のおけない仲間でなければならなかった。みんなと同じような話をするふりをしなければならなかった。そして民主党に投票しなければならなかった。たとえば、マグレガーがプラトーンやニーチェについて語るのを聞くことは、彼の友人仲間にとっては、まさに瞠目《どうもく》すべきことであった。だいいち、周囲のものにプラトーンやニーチェについてしゃべる許可をうるためには、ただなんの気もなくそうした名前を口にしたにすぎないというふりをしなければならなかった。あるいは、ある晩、酒場の奥の部屋でおもしろい酔っぱらいに出あったのだが――その酔っぱらいがプラトーンとかニーチェとかいう野郎のことを話しだしたのだ、といった調子ではじめる必要があった。彼は、それらの名前をどう発音するのか、よく知らないふりをした。プラトーンというのは決してひねくれた男じゃなかったんだ――と、そんな調子で彼は弁解がましく言うのであった。そのプラトーンという男は、気のきいたアイデアを一つ二つ考え出した。ワシントンのとっぽい政治家どもが、プラトーンと渡りあったら、さぞかしおもしろいことになると思うよ――といった、なにげない調子で、プラトーンが若かりし当時いかにすばらしい天才であったか、そして後年、反対派を向うにまわして、いかなる論争を展開したかを、クラップス遊びの仲間に向って、まわりくどく説明するのであった。もちろんプラトーンは去勢されていたのだろうと思うよ――などと、自分の博識ぶりに水をかけ、抜け目なく注を加えることも忘れなかった――当時のえらい連中は――つまり哲学者どものことだが――いろいろな誘惑を避けるために、たいがいキンタマを切り落していたそうだからね。ほんとうさ。ところで、もう一人の男、ニーチェのことだが、こいつは正真正銘の病人なんだ――精神病患者さ。この野郎はどうも妹と関係していたらしいな。過敏症だったんだ。だから特別気候のいいところに住んでいたんだ――たしかニースだったと思うよ。原則として、おれはドイツ人ってやつは、あまり好きじゃないが、このニーチェだけは別だ。事実ニーチェはドイツ人をひどくきらっていたんだ。そして自分はポーランドかどこかの人間だと言っていた。奴はまたドイツ人をじつに正確に知っていた。ドイツ人というやつは、ばかで意地ぎたない、とニーチェは言っている――まったくそのとおりだよ。簡単にいえば、泥のかたまりみたいな民族だ、と言っているんだ――どうだい、ずばりだろう? やつらが自分たちの国でつくった薬を飲まされそうになると、尻尾《しっぽ》をまいて逃げて行くのを見たことがあるかね。アルゴン地方でドイツ人の一隊をみな殺しにしたという男を知っているが、その男の話によると、やつらがあまりに低級なので、唾《つば》をひっかけてやる気もしなかったそうだ。やつらが相手では、弾丸を浪費するのさえばかばかしくなって、棍棒《こんぼう》でやつらの頭を殴《なぐ》りとばしてやったと言っていたよ。その男の名前は、いまちょっと度忘れしたが、とにかく彼は数カ月間戦地にいて、いろんな経験をしたらしいな。いちばん愉快だったのは、自分の上官の首をちょん斬《ぎ》ってやったときだったと言っている。その男は、べつにその上官に特別な憎しみを感じていたわけではなく、ただ上官の顔が気にくわなかったので、それで首を斬っちゃったんだそうだ。命令のしかたも気に入らなかったと言っている。将校の大部分は、そんなふうに味方の手で殺されてしまったのだと、彼は言っていた。いい気味だったとさ。その男はノース・サイドの生れで、いまはウォールアバウト市場の近くで撞球《ビリヤード》場をやっているよ。口数のすくない、おとなしい男なんだが、戦争の話をはじめると、とたんに頭へきちゃうんだ。もしアメリカがまた戦争をはじめそうになったら、大統領を暗殺してやると言っていたよ。実際その男ならやりかねないと思うな……。まあ、そんなことはどうでもいい、おれがきみに話したかったのは、プラトーンのことなんだ――」
他の連中が去ってしまうと、彼は、がらりと話の調子を変えた。「きみはあんな話を信じないだろう?」という。私は信じないことを認めないわけにはいかなかった。「きみはまちがっている」と彼は話をつづけた。「いつ、どんなときに、あの連中を必要とするようになるかわからないのだから、人づきあいは、よくしておくべきだと思うよ。きみは、自分が自由で、だれの世話にならなくても生きてゆけるという仮定に立って行動している。まるであの連中よりもすぐれた人間であるかのような態度をとっている。きみはその点で、大きなあやまちをおかしているのだ。きみは、いまから五年後に、いや半年後に、どうなっているか、見当もつかないのだぜ。めくらになっているかもしれない。トラックにひかれて不具になっているかもしれない。精神病院へ入れられているかもしれない。どんなことが起るか、だれにもわからないのだ。きみは赤ん坊みたいに無力なのだ――」
「だからどうだというんだ」と私は反問した。
「友だちがほしいときに、友だちになってくれるものがいるということが、どんなにうれしいことか、きみにはわからないのかい。すごく困っているときに、隣近所のものが助けてくれたら、きみだって、きっと涙を流してよろこぶだろう。きみはあの連中を、なんの価値もない人間どもだと考えている。おれがあの連中とつきあっているのを、時間の浪費だと思っているらしい。しかしね、きみはいつ、どんなときに人の世話になるか、わからないんだよ。だれだって、ひとりで生きてゆくわけにはいかないんだ――」
私の自尊心、ないしは彼のいわゆる私の冷淡さを、゛彼はひどく気にしていた。私が小銭を貸してくれとでも頼もうものなら、彼は、こおどりしてよろこんだ。友情について一くさり説教するチャンスがあたえられるからである。「そうとすると、きみもやはり金が必要なんだね」満面に会心の笑《え》みをうかべながら、彼はそんなふうにはじめるのであった。「詩人もやはりパンを食わなければならぬということか。まあ、いいだろう……。きみがおれのところへきたのは幸運だったよ、ヘンリ。なぜなら、おれは、きみみたいな薄情な男に対しても甘いからだ。いくらいるんだ? おれだって、そうたくさんはもっていないが、すこしぐらいなら分けてやるぜ。それで文句はないだろう? それとも、薄情なきみのことだから、財布の底をはたいて全部きみにやって、おれのぶんはまただれかに借りてくるべきだとでも思っているのかね。たぶんきみは、うまいものを食べたいのだろう? ハム・エッグでは満足しないのだろう? おそらく車でレストランへつれて行ってくれと言いたいのだろう? まあ、ちょっとその椅子から腰をあげてくれ――クッションを尻《しり》の下に敷いてあげよう。ところで――きみは破産したのだね? だけど、きみはいつも破産してるじゃないか。おれは、きみのポケットに金が入っているのを、まだ一度も見たことがないぜ。きみは恥ずかしくないのかい? きみはよく、おれがつきあっている怠けものどもの悪口をいうが、あの連中は一度だって、きみみたいに金をねだりにきたことはないぜ。やつらは、もっとプライドをもっているよ――おれに頭をさげて貸してもらうくらいなら盗んだほうがましだというだろう。ところが、きみというふざけた野郎は、高邁《こうまい》な理想にとりつかれ、世界を改造するとかなんとかわけのわからない議論にうつつをぬかして、これっぽっちも金のために働こうとはしないのだ――だれかが銀の皿に金をのせてもってきてくれるようなつもりでいやがるんだ。まったくあきれたもんだ。おれみたいにきみを理解している人間がそばについているから、まだいいようなものだがね……。ヘンリ、きみはもっと賢くならなければいけないな。きみは夢を見てるんだ。人間はだれでも食べなければ生きていられないんだぜ――それくらいのことは、きみだって知っているだろう? 大多数の人間は、そのためにせっせと働いているんだ。きみみたいに、一日じゅうベッドにもぐりこんでいて、腹がへると、のこのこ起きだして、手近な友人のところへ飛びこんでくるようなことはしやしないんだぜ。もしおれが家にいなかったら、きみは、どうするつもりだったんだ。いや、答えなくていい――きみが言おうとしていることは、よくわかっている。しかし、まあ、聞いてくれ。きみだって、こんな調子で一生を送ることはできないんだぜ。たしかに、きみはおもしろい話ができる――きみと話をしていると、とてもたのしい。きみほどおもしろい話し相手は他にないといってもいい。しかし、それがきみの将来に、どう役にたつというのだ? しまいには浮浪罪でぶちこまれてしまうかもしれないのだぜ。きみは単なる怠けものにすぎないんだ――きみはそれを自覚しているのかね。きみは、きみがよく悪口を言っている他の怠けものどもにさえ劣るよ。だいたいきみは、おれが困っているときに、いつもどこへ行っているんだ。いくら探《さが》しても見つからないじゃないか。手紙を出しても返事をよこさないし、電話には出ないし、会いに行くと、しばしばどこかへ逃げてしまったりする。いや、弁解は聞きたくない。そりゃ、きみだって、しょっちゅうおれの話を聞かされたんじゃかなわないだろうさ。しかし、たまには、きみに相談したいときだってあるんだ。きみには、どうだっていいことかもしれないけれどね。きみは雨風がしのげて、ベルトの下に食物をつめこむことができれば、それで幸福なんだ。きみは友だちのことなんか考えようとも思わないだろう――きみが絶望的になるまではね。しかし、それじゃいけないと思うな。そうだろう? どうだい、そうだと言ったら、一ドルやろうじゃないか。まったくいやになるよ、おれの無二の親友であるきみが、いうなれば品性下劣な売女《ばいた》のせがれときてるんだからな。きみはまったく生来無益の売女のせがれだ。きみは手を動かしてなにか有益なことをするよりは、餓死するほうがましだと思っているのだろう――」
当然私は苦笑した。そして彼が約束してくれた一ドルをもらうために手をさし出した。ところが、これがとくに彼の癇《かん》にさわったらしいのである。「おれがあっさりと約束の金を渡したら、きみは待ってましたとばかり、なにか言いだすこんたんだろう。あきれた奴だ。道徳についてしゃべろうというのかね――ばかにしてやがる。きみのはガラガラ蛇《へび》の道徳だ。いや、まだ渡さないぞ。その前に、もうちょっと苦しめてやる。できれば、きみをこの金のぶんだけ働かせてやりたい。たとえば、おれの靴を磨《みが》かせるとか――どうだ、やってくれるかね。この靴は、きみがいま磨いてくれないと、永久に磨かれずに終るかもしれないからね」私は彼の靴を手にとって、ブラシを貸せ、と言った。彼の靴を磨くことに、私はすこしもこだわりを感じなかった。だが、これがまた彼の腹の虫を刺激したらしい。「きみは、ほんとうにおれの靴を磨く気なのか? まったくあきれてものが言えない。きみのプライドは、どこにあるんだ――プライドをもったことがないのか。それでもきみは高等教育を受けた男なのか。驚いたね。きみは、あまりにいろんなことを知りすぎたために、友だちの靴を磨いてまで食いぶちをせびらなければならなくなったのかね。ああ、まったく情けない話だ。ほら、ブラシをやるぜ! ついでにもう一足磨いてくれ」
しばらく間をおいて……。洗面所で鼻歌をうたいながら顔を洗っていた彼が、とつぜん、いきいきとした陽気な声で話しかけてきた。「おい、ヘンリ、今日の天気はどうだい。晴れかい。じつはね、きみのよろこびそうな店を一軒知ってるんだ。帆立貝《ほたてがい》とベーコンにタルタル・ソースをかけた料理だが、どうだね? 入江の近くの小さな店なんだがね。今日みたいな日は、帆立貝とタルタル・ソースが好適だぜ。いいだろう、ヘンリ。予定があるなんて言いっこなしだ――ちょっとつきあってもらうだけなんだから。いや、まったくの話、おれはきみの性質にあやかりたいと思うよ。きみみたいに、年じゅうぶらぶらしていたいよ。たとえきみが鼻もちならぬ売女のせがれで、大ぼら吹きで、泥棒であるにしても、知らない人が見たら、おれたちのだれよりもりっぱに見えるんじゃないかと、おれは、このごろときどきそんな気がすることがあるんだ。きみといっしょにいると、一日が夢のように過ぎてしまう。おれがときどききみに会わずにいられないといった意味が、これでわかるだろう? ずっとひとりでいると、気が狂いそうになるんだ。おれがなぜ、しょっちゅう女の尻を追いかけまわしているのか、なぜおれが徹夜でトランプをするのか、なぜこのへんの飲んだくれどもといっしょにほっつき歩くのか――その理由は、だれか話し相手がほしいからなんだ」
それからしばらくして、入江の海が見わたせるところに腰をすえて、海の料理が運ばれるのを待つあいだ、ライ・ウィスキーをちびりちびりやりながら――「もし自分のしたいことができるなら、人生もそう悪くはないね、ヘンリ。おれは、すこし金ができたら、世界一周旅行に出かけるつもりだ――きみもいっしょにきたまえ。きみにはもったいないが、おれはいつかきみのために相当な金を使うつもりでいるんだ。きみを勝手気ままにさせたら、どんなことをするか、それが見たいんだよ。その金は、きみにくれてやる。わかるかい……。きみに貸すようなふりをしたくないんだ。きみがポケットに小金をもっていたら、きみのりっぱな思想に、どんな変化が起るかを実験してみたいのだよ。じつは、このあいだきみにプラトーンの話をしたとき、おれは、あることをきみにきいてみたかったのだ。例のアトランティスス島(プラトーンやプリニウスなどの古代哲学者たちが述べている大西洋上の伝説の島。地震によって海中に没したといわれる)に関するプラトーンの物語を、きみは読んだことがあるかね。読んだって? そうか。それじゃ、あれをどう思うかね? あれは単なるつくり話にすぎないと思うか。それとも、かつてあのようなところがあったかもしれないと思うかね?」
私は、われわれがその過去あるいは未来の存在を夢想だにしない大陸が何百何千とあるかもしれないと考えていることを、あえて彼に語る気もしなかったので、ただ、アトランティス島のようなところが、かつて実際にあったのかもしれないと思う、とだけ答えた。
「まあ、それはどっちでもかまわないだろうが」と彼は言葉をつづけた。「しかし、おれはこう思うんだ。かつて人間がいまとはまるっきりちがっていた時代があったにちがいないとね。おれは、数千年昔から今日にいたるまでの人間のように、それ以前のいつの時代の人間も、みな豚《ぶた》みたいなやつらばかりだったとは信じられないんだ。人間が、いかに生きるべきかを知っていた時代、いかにして人生を享楽すべきかを知っていた時代が、あったのではないかと思うんだ。きみは、おれを最もうんざりさせるものはなにかを知っているかね。それは、自分のおやじを見ることだ。おやじは隠居して以来ずっと一日じゅう煖炉《だんろ》の前にしょんぼり坐っているんだ。まるで憔悴《しょうすい》したゴリラみたいにして坐っている。それが、おやじが一生涯あくせくと働いて手に入れたものなんだ。もし、おれもそんなふうになりそうな気がしたら、おれはいますぐにでも脳天を射《う》って死んでしまうだろう。きみの周囲を見たまえ。われわれの知っている人たちを見たまえ。価値のある人間を、きみは一人でも知っているかね。彼らが、なぜくだらないことに大騒ぎしているのか、おれには全然わからないよ。われわれは生きなければならぬ、と彼らは言う。なぜだ。おれはそれを知りたい。あんな連中は、むしろ一人残らずくたばっちまったほうが、よっぽどせいせいする。畑の肥料にでもなれば上々というものだ。戦争がはじまったとき、おれは彼らが前線へ出かけるのを見送ってやりながら、内心よろこんでいたものだ。すこしはものわかりがよくなって帰ってくるかもしれないと思ってね。むろん彼らの大半は帰ってこなかった。しかし、帰ってきた連中は、はたしてどうだったかね? 前よりも人間的になり、思慮深くなったと思うかね。とんでもない! 一皮むけば、あいつらは、みな虐殺者なんだ。それを指摘されると、彼らは、むきになって抗議するけどね。あいつらのばかばかしさかげんが、おれはつくづくいやになったよ。おれは彼らを毎日保釈にしてやりながら、彼らの様子を見ていた。塀《へい》の両側からながめていたんだ。反対側は、いっそうひどいよ。もしおれが、あの哀れな野蛮人どもに罪を科した裁判官たちについて知っていることをきみに話したら、きみはその裁判官たちを殴り殺してやりたくなるにちがいない。やつらの顔を見るだけで、かっとなるにちがいない。まあ、それはそれとして――ヘンリ、とにかくおれはね、世の中がまるっきりちがっていた時代が、かつてあったと考えたいんだ。われわれは、ほんとうの人生なるものを見たことがない――これからも見られないだろう。この状態は、これから数千年間はつづくだろう――もっとも、そんなさきのことなんか、知っちゃいないけどね。きみは、おれを守銭奴《しゅせんど》だと思っているのだろう? 金をごっそり儲《もう》けることばかり考えている気ちがい野郎だと思っているのだろう? たしかにおれは金を儲けたいと思うよ。こんなこやし溜《だ》めみたいなところから足を洗うためにね。もしこんな雰囲気から逃《のが》れることができるなら、黒ん坊の淫売婦と駆け落ちして、どこかでいっしょに暮してもいいとさえ思っている。おれは、自分がめざしたところへ――それは、それほど遠くないところなのだが――そこへ到達するために身をすりへらして働いてきた。おれは、きみ以上に働くことに懐疑を抱《いだ》いているのだ――ただ、働くように訓練されているだけなのだ。もし、いかさまな商売が許されるなら、おれは相手からごっそり金をまきあげることもできる――堂々とね。しかし、おれは法律についてすこしばかり知りすぎている。だから、困るんだ。しかし、いざとなればやるぜ、でっかいことをな」(マグレガーは弁護士なのである)
海の料理が運ばれ、ライ・ウィスキーが注《つ》ぎなおされると、彼はまた語りはじめる。「おれはほんとうにきみを旅行につれて行くつもりなんだ。さっき言ったのは真剣な話なんだ。たぶん、きみは女房や子供の面倒をみてやらなければならないというだろう。しかし、きみはいつになったらあんなヒステリーばばあと手を切るんだい。あんな女とは別れるべきだということが、きみにはまだわからないのかね」彼は小声で笑いだした。「はっはっは! あの女をきみにすすめたのは、このおれだっけ。しかし、きみが、あんな女と結婚するほど間抜けだとは思わなかったよ。おれはきみに、あのほうのぐあいのいい女を世話してやったつもりだったのだぜ。そしたら、きみは、さっさとあいつと結婚しちまうんだから、あきれたよ。はっはっは! まあ、聞きたまえ――まだ分別心がすこしでも残っているうちに聞いておいてもらいたいんだ。ヘンリ、きみはあんな自堕落な女のために一生をだいなしにすべきじゃないよ。わかったかね。きみが、なにをしようと、どこへ行こうと、おれはべつにかまわん。そりゃ、きみがニューヨークを離れると、正直いって、さびしいさ。しかしね、もしきみがアフリカへ行かなければならないのなら、女房と手を切ることだ。あの女は、きみのためにならないよ。おれは、ときどき、いい女をものにすると、こいつは見どころがある――ヘンリに紹介してやろうと、よくそう思うことがあるのだが、そのうちについ忘れちゃうんだ。しかし、世の中には、きみに向いた女が、何万といるんだ。あんなくだらない女にかかずらっている必要はないよ……。もうすこしベーコンをもらおうか?……いまのうちに食べたいものを食べておいたほうがいいぜ。もうすこしたつと一文《いちもん》なしになるにきまっているんだから。さあ、もう一杯飲めよ。もしきみが今日おれから逃げようとしたら、おれは金輪際ビタ一文も貸さないことにするからそう思え……。ところで、なんの話だっけ。ああ、そうそう、きみが結婚したあの気ちがい女のことだったね。きみは、ほんとうに実行する気持があるのかね。おれと会うたびに、きみはあの女から逃げ出すというが、全然実行しないじゃないか。まさかきみは彼女を養っているなどと本気で考えているんじゃないだろうね。彼女は、きみなんかを必要としないんだぜ。彼女はただ、きみを苦しめたいだけさ。子供なんか、くそくらえだ。おれだったら、どぶへ捨てちまうぜ。まあ、言いかたがすこしひどいかもしれないが、おれの言わんとするところはわかるだろう? きみは父親じゃないんだ。じゃ、いったいなにものなのかときかれても困るが――おれが知っていることは、きみが、あんな女房子供のために一生を空費させるにはもったいないほどいい友人だということだけだ。きみは、なぜひとかどの人間になろうとしないのだ。きみはまだ若い。男っぷりだってわるくない。どこかへ行って、もう一度やりなおすんだ。もし多少の金が必要なら、おれが工面《くめん》してやる。どぶへ金を捨てるようなものだが、これもしかたがない。正直の話、おれはきみが大好きなんだ。おれは、世の中の他のだれよりもきみから多くのものを学んだ。おれたちは同じ街で育ったし、おたがいに共通したものをたくさんもっている。あの当時、おれがきみを知らなかったというのは、おかしなくらいだ。ちぇっ、いけねえ、話がやけに感傷的になってきやがった――」
その一日は、こんなふうにして過ぎた。たくさん飲みかつ食い、外の陽射《ひざ》しは強く、車を走らせ、タバコをふんだんに吸い、海岸でひと眠りし、通りかかった女どもを品定めし、語り、笑い、そしてすこし歌った――それは、私がマグレガーと同じようにしてすごした数多くの日々の一つであった。そんな一日には、人生の車輪の回転をとめてしまったかのように思われることがあった。表面は楽しく幸福に過ぎ、時間は執拗《しつよう》な夢のように流れたが、裏面はまったく幻想的であり、予告的であった。だから、その翌日はぐったりとなって、うつろな思いに悩まされた。私は、いつかはこんな生活から逃げ出さなければならなくなることを、よく知っていた。時間を空費しているにすぎないことを知りすぎるほど知っていた。だが、またどうする方法もないことも知っていたのである。なにかが、なにか大きなことが、なにか私を奮い立たせるようなことが起きる必要があった。一押ししてくれるだけでよかった。しかし、私を正しく押せるのは、私の世界の外の力でなければならなかった。このことは確信があった。私は物事を思いつめることができなかった――くよくよするのは性分に合わなかった。私の半生において、物事はすべて、結局のところ、うまく運ばれてきたのである。私は、努力するということが苦手《にがて》だった。物事には神の手にゆだねなければならぬことが多いものである――私の場合には、それがきわめて多かった。外見的には不運や失敗がくりかえされていたが、私は自分が富貴と栄光の星の下に生れついていることを知っていた。外部的な情況は、たしかに悪かった――だが、私をそれ以上に苦しめたのは内面的な問題であった。私は自分自身を心から恐れた。私の貪欲《どんよく》、好奇心、柔順さ、浸透性、順応性、快活さなどが、こわかった。いかなる情況も、それ自体は、なんら私に脅威を感じさせなかった。つねに私は、いわばキンポウゲの花のなかに安閑と居坐って蜜《みつ》を吸っていたのである。たとえ刑務所へぶちこまれても、私はそこの生活をたのしむことができそうであった。それは私が抵抗しない方法を知っていたからだと思う。ほかの人々は、さからい、あがき、苦しむ。私の戦法は、潮の流れに乗って浮んでいることだ。ほかの人々が私に対してやったことは、彼らが他人に対して、あるいは彼ら自身に対してやったことと同じ程度に、ほとんど私をわずらわさなかった。私は内面的に裕福すぎたために、世界の問題と取り組まなければならなかった。つねに私が渾沌《こんとん》状態にあったのも、そのためであった。言ってみれば、私は自分自身の運命に歩調が合わなかったのである。世界の運命を生きぬこうとしていたのである。たとえば、夕方家へ帰って、子供にあたえる食物すらないとき、私は、すぐさまきびすを返して食物を探《さが》しに外へ出る。だが、ふと気づくと、おどろいたことに、外へ出て食物を探しはじめたとたんに、また世界観的な思索に没頭しているのである。私は、自分たちだけの食物について考えていたのではなく、食物一般を――その時点における世界じゅうのあらゆる国のあらゆる情況下にある食物について、それがどのようにつくられ、食膳《しょくぜん》にならべられるか、食物を買えない人たちはどうするか、あらゆる人が食べたいときに食べることができ、そのような愚劣な問題に時間を浪費しなくてすむようにする方法がなにかあるのではなかろうか、といったようなことを考えていたのである。たしかに私は妻や子供をかわいそうだと思ったが、同時にまた、飢饉《ききん》に苦しんでいるベルギー人やトルコ人やアルメニア人はいうにおよばず、ホッテントット人やオーストラリア奥地の住民に対しても憐《あわ》れみをおぼえた。人類に対して、人間の愚かさと想像力の欠如に対して、憐れみを感じた。食べるものがないということ自体は、さほど悲しいことではなかった――私をひどく当惑させたのは、おそろしい街の空虚さであった。いずれも似たりよったりの荒涼とした家々、陰鬱《いんうつ》な空虚な外観、軒下の美しい敷石、通りのアスファルト、やけに上品ぶった茶褐色《ちゃかっしょく》の砂岩の石段。しかも、その高価な物質の上を、一人の男が一片のパンを求めて歩きまわっていることもあるのだ。それが、その不調和が、私を困惑させたのである。腹がすいたら、小さな鐘をもって外へ飛び出し、こう叫ぶことができたら、どんなにいいだろう、と私は考えた。「おおい、おれは腹がへってるんだ。だれか靴を磨《みが》かせてくれないかね。ごみを捨ててもらいたい人はいないかね。下水管を掃除してもらいたい人はいないかね」街へ出て、そんなふうにはっきりと言えたら、どんなにいいかしれない、と思うことがよくあった。しかし、それができないのだ。そんなふうに叫ぶ勇気もないし、また、もし街を歩いている男に、おれは腹がへっているのだと言ったら、相手はびっくりして逃げだしてしまうだろう。その点が私は理解できなかった。いまなお理解できないでいる。もしだれかが近づいてきて、そう言ったら、イエスと答えてやればいいのだ――ただそれだけの、きわめて簡単なことなのだ。もしイエスと答えられなかったら、その男の腕をとって、ほかのだれかに、助けてやってほしいと頼めばいい。一片のパンを手に入れるために、なぜ軍服を着て、見ず知らずの人々を殺さなければならないのか、私にはわからない。私が考えめぐらしていたのは、そういうことであって、だれの口にパンが入るかとか、それがどれだけの値段かというようなことではなかった。なぜ私がものの値段などにかかずらう必要があろう? 私は、計算するためではなく、生きるために、こうしているのだ。ところが、世の俗物どもは、まさにそのことを――われわれが生きることを――欲しないのである! 彼らはわれわれに数字を計算しながら一生をすごさせたがる。彼らにとっては、そのほうが都合がいいからだ。合理的であり、理性的であるからだ。もし私が支配者になったら、物事はあまり秩序正しくは運ばないだろうが、しかし、そのほうが、ずっとたのしいにちがいない。われわれは、くだらないことに腹をたてる必要がなくなるだろう。ことによると砕石舗道や流線型の乗用車やラウドスピーカーやその他もろもろの機械器具がなくなり、窓にはガラスさえなくなるかもしれない。われわれは地べたに寝なければならなくなるかもしれない。フランス料理もイタリア料理も支那《しな》料理もなくなるだろう。人々は忍耐心を使いはたして、おたがいに殺し合うかもしれないが、刑務所もなければ警官も裁判官もいなくなるだろうから、だれもそれをとめようとしないだろう。法律などというしち面倒くさいものもなくなり、したがって内閣や立法府もなくなるだろう。われわれは方々へ旅行するのに数カ月あるいは数年かかるかもしれないが、どこの国にも登録されていないのだから、旅券や査証や身分証明書などはいっさい必要がなくなるだろう。また、特定の名前も必要とせず、名前を変えたければ毎週でも変えられるだろう。なぜなら、われわれは身につけているもの以外は、なにも持っていないだろうし、すべてが自由に手に入るとすれば、物を所有しようとはしないだろうから、名前なんか、どうでもさしつかえなくなるのだ。
私は転々として住《すま》いを変え、職を変え、友人を変え、食をあさってさまよい歩いていた。この時期には、かえって投錨《とうびょう》すべき私だけの小さな港をこっそりつくっておくことにつとめた。それはさながら潮の流れの速い海峡のまんなかを漂流する救命ブイのようなものであった。私から一マイル以内に近づくと、巨大な鐘の音が韻々とひびきわたるだけで、私の投錨地は、だれにもわからなかった。それは海峡の海底深く沈んでいたのだ。私がその表面に浮き沈みしながら、ときにはゆっくりと横にゆれ、ときには、いらだたしげに前後に体《からだ》をゆすぶっているのが、わずかに人の目にとまるだけであった。私をしっかとつなぎとめていたのは、客間にある整理|棚《だな》のついた大きな机であった。その机は、父が十五年間も仕立屋の店においておいたもので、そのあいだこれは多くの勘定書と不平不満の声を生み、その整理棚には種々さまざまな奇妙な記念品が入っていたものだが、やがて父が病気になったとき、私はそれを横どりして店から運びだしたのであった。こうして、いまやそれは、ブルックリンの最も上品な地区のどまんなかにある上品な茶褐色の砂岩造りの家の三階の陰気な客間の中央に据えられていたのである。それをそこへ据えるためには、かなり悪戦苦闘をしなければならなかったが、私は、なんとしてもその机を家のどまんなかにおきたかった。それはまるで歯科医の治療室の中央にマストドン(第三紀にいた巨象)をおいたような格好であった。しかし、私の妻には、訪ねてくる友だちもいないし、私の友だちときたら、たとえそれがシャンデリアにぶらさげられていても意に介しないような連中ばかりなので、私はそれを客間のまんなかにおき、家にある椅子を全部そのまわりに大きな円型状にならべてから、ゆったりと腰をおろし、脚をその机の上にのせて、もし作家になれたら、なにを書こうかなどと夢想した。また、机の横に、やはり父の店からもってきた大きな真鍮製《しんちゅうせい》の痰壺《たんつぼ》をおいた。そして、ときどき、その存在をおぼえておくために唾《つば》を吐《は》いた。整理棚やひきだしは全部からっぽだった。机の上には、白い紙が一枚あるだけで、ほかにはなにもなかった。私はその紙に一字もなおざりには書かなかった。
私は自分の内部に湧《わ》きたぎっている熱い熔岩を、なんとか流出させようと呻吟《しんぎん》した。なんとか通路をつくって、ただの一字でも一句でもいいからとらえてやろうと、何千回となく努力をくりかえしたのだが、その巨人的な努力を思いだすたびに、私はいつも石器時代以前の人間のことを考えた。旧石器時代という概念に達するまでの百年、二百年、ないしは三百年前の人々のことを。彼らは旧石器時代といったようなものを夢想だにしなかったわけだから、旧石器時代への移行は、虚妄《きょもう》のあがきだったにちがいない。実際は、なんの造作もなく、瞬時に生れたのだ。あらゆる出来事が奇蹟《きせき》的であるという意味において、それは奇蹟であったともいえる。物事は、生起するか、しないか、そのいずれかでしかない。汗や努力によってなしとげられたものなど、なにひとつありはしない。われわれが人生と呼んでいるもののほとんどすべては、われわれが眠る習性をうしなったことに原因する単なる不眠症と苦悶《くもん》にすぎないのだ。われわれは、物事を成行きにまかせることを知らない。われわれは、ビックリ箱のなかのバネのさきにつけられた奇怪な人形みたいなもので、もがけばもがくほど、バネは箱のなかへもどって行くのだ。
もし私が正気を保っていなかったなら、客間のまんなかにあんなネアンデルタール人時代の遺物を据えるという、私の投錨地を固めるのにもってこいの方法など思いつかなかったにちがいない。その机の上に脚をのせ、厚い革《かわ》のクッションに背骨を心地よく埋めて、ゆったりと坐ると、まわりに渦巻いている浮き荷や投げ荷――海中に投げこまれたこれらの荷は、気ちがいじみていて、しかも浮流物の一部であるからというので、友人たちは、それこそ生活だと私に信じさせようとしたのであるが――その荷に対して私は理想的に自分の姿勢をたもつことができた。私は、いわば自分の脚を通して得た現実との最初の接触を、はっきりとおぼえている。それまでに私が書いた無数の文章は、いかに流麗であり精緻《せいち》であったにせよ、私にとっては、まったく無意味なものであった――それは、古い石器時代の粗雑な暗号にすぎなかった。なぜなら、現実との接触は単に頭脳を通して行われたにすぎないからである。頭脳というやつは、われわれが海峡の底深く錨《いかり》をおろしていないかぎり、無用の長物にすぎないのである。それまで私が書いたものはすべて博物館の陳列品みたいなものばかりであった。だからこそ、それは燃えあがりもせず、世界を燃え立たせることもできなかったのだ。私は、私を通して語ろうとする古代民族の代弁者にすぎなかった。夢ですら私のは本物ではなかった。ヘンリ・ミラー本人の夢ではなかった。じっと坐って、内部から――救命ブイから――湧《わ》きだしてくる一つの想念をたどって行くというのは、たいへんな仕事であった。私は思考力も言葉も表現力も欠いていなかった。だが、なにかもっと大事なもの――粘液の噴出をとめる槓杆《レバー》――を欠いていた。だから内部の血気にはやる機械をとめることができなかったのだ。そこに問題があった。私は海流のまっただなかにいるだけではなく、海流が私のなかを流れていたのであり、しかも私はそれをどうすることもできなかったのである。
私は機械を完全に停止させた日のことをおぼえている。すると、私自身のイニシアルの入った、私自身の手と血でつくられた、もう一つの機械装置が、ゆっくりと活動しはじめた。近くの劇場へ軽喜歌劇を見に行ったときのことである。それは昼間興行で、私は二階|桟敷《さじき》の切符をもっていた。階下のロビーで観客の列に入って立っていたときから、すでにある奇妙な調和感を感じていた。まるで私が次第に凝固して、明らかに固いゼリーの塊になって行くような感じだった。それは傷の癒《い》える最終の段階に似ていた。私は、はなはだしく正常な状態にいたのだが、それはじつは極度に異常な状態であった。コレラ患者が近づいてきて、私の口のなかへ不潔な息を吹きこんだとしても、私は一向に動じなかっただろう。レプラ患者の手の潰瘍《かいよう》に接吻しても、菌は決して私にうつらなかったにちがいない。たいがいわれわれは健康と病気との絶えまない闘争における一つの均衡を望むのが精いっぱいであるが、そのような均衡はまったくなく、私の血液のなかにはプラスの整数が存在していた。ということは、すくなくとも数瞬間、病気が完全に敗北したことを意味していた。したがって、このような瞬間に根をおろすだけの知恵をもっていれば、われわれは二度と病気になったり、不幸になったりすることもなく、死ぬことさえもないにちがいない。しかし、そのような結論に飛躍することは、逆に旧石器時代以前へ飛びすさることを意味する。私はその瞬間、根をおろすことなど考える余裕すらなかった。私は生涯はじめて奇蹟の意味を経験していたにすぎない。私は私自身の歯車の噛《か》みあう音を聞いてびっくりしてしまい、この特権的な経験に満足してその場で死んでしまいたいとさえ思った。
そのとき起った出来事を、ありていにいえば……私が半分に千切られた切符を手にしてドアマンの前を通りすぎたとき、照明が暗くなって、幕があがった。私は、いきなり暗くなったので、一瞬やや茫然《ぼうぜん》となって、その場に立ちつくした。幕が静かにあがるのを見ながら、私は、どんな時代の人間も、芝居や見世物がはじまる前のこの数瞬には、きっと神秘的な静止の状態を経験したにちがいないと思った。私は|人間の内部で《ヽヽヽヽヽヽ》幕があがるのを感じることができた。同時に、それは人間が眠っているときに無限に提示される一つの象徴であり、もし人間が目をさましていれば、役者が舞台にあがることは決してなく、代りに彼が――人間が舞台に登場するであろうことに気づいた。それは思考ではなかった。いわば実感であった。しかも、それがあまりにもなまなましく、あまりにも鮮明だったので、機械は一瞬にして停止し、私は明白な現実にさらけ出された自己自身と相対して立っていた。私は舞台から目を転じて、二階桟敷の私の席に通じる大理石の階段のほうを見た。一人の男が手すりに手をやって階段をのぼって行くのが見えた。その男は、生れてからずっと夢遊をつづけてきた昔の私自身であったかもしれない。私の目は階段全部をとらえてはいなかった。ただ、目を向けた瞬間、その男がのぼっていたところまでの数段が目に映ったにすぎない。男は結局、階段の上までは行きつかず、彼の手は大理石の手すりからいつまでも離れなかった。私は、とつぜん幕がおりて、自分が開演中の舞台装置のあいだを歩きまわっているような感じにおそわれた。あたかも小道具係が、とつぜん眠りからさめて、自分がまだ夢を見ているのか、それとも舞台で演じられている夢を見物しているのか、判断に苦しんでいるような状態であった。それはビッデンデンの姉妹(一一一〇年から一一三四年まで存命したイギリス、ケント州ビッデンデン生れの双生児でシャム双生児と同じく体の一部がくっついていた。ビッデンデンは「パンとチーズの国」とよばれている)が長い一生涯のあいだ、毎日腰をくっつけあったまま眺《なが》め暮したパンとチーズの国のように、新鮮で若々しく、また奇妙に新しかった。私は生き生きとしたものだけを見た。その他のものは半陰影のなかにかすんでいた。私がその公演を見ずに家へ飛んで帰り、あの不滅の階段の一部を描写しようとして机に向ったのは、もっぱらこの世界を長く生気あるものにしておきたかったからである。
ダダイズムが全盛をきわめ、すぐそれにつづいてシュールレアリズムが擡頭《たいとう》しはじめたのは、ちょうどこのころであった。私は、それから約十年後までは、そのどちらのグループについても、まったく知らなかった。フランスの本を全然読まなかったし、フランス的な思想ともまったく無縁であった。私はおそらくアメリカにおける特異なダダイストであったかもしれないが、私自身は、むろんそんなことを自覚していなかった。外部の世界と非常に多くの接触をもっていたにもかかわらず、私はアマゾン流域の密林地帯に住んでいたようなものであった。私がなにを書いているのか、なぜこんな書きかたをするのかを、だれひとり理解してくれるものはいなかった。あまりにも正気なので、私は気ちがいじみているといわれた。私が新しい世界について書いたのは、不幸にも時期が少々早すぎたようである――なぜなら、それはまだ発見されていなかったし、その存在を、だれひとり信じようとしなかったからである。それはまだラッパ管の中にかくれている卵巣の世界であった。したがって、なにひとつ明確な形をとっていなかった。わずかに背骨の芽ばえが見られるだけで、脚も腕も髪も爪も歯も、まったくなかった。性別などは、うかがい知るべくもなかった。それは極微時間の世界であり、各分子がそれぞれに不可欠であり、驚くほど論理的であり、絶対に予言しえない微分子の世界であった。〈もの〉という概念そのものすらない世界であったから、〈もの〉として他と比較することもできなかった。
私は新世界について書いたと言った。だがそれは、コロンブスの発見した新世界と同様に、われわれの知っているどんな世界よりもはるかに古い世界であることがわかった。私は皮膚や骨の表面的な特徴の陰に、人間がつねに内部にもっている不滅の世界を見た。じつはそれは古くも新しくもなく、ただ刻々に変化する永遠に真実なる世界であった。私が見たものはすべて、前に書いた文字を抹消《まっしょう》してはその上に文字をしるした羊皮紙のごときものであったが、解読できぬ部分は一つもなかった。夜、友人たちが帰ったあとなど、私はしばしば机に向って、オーストラリアの奥地人や、ミシシッピー渓谷の原住民や、フィリピンのイゴロート族などに手紙を書いた。私はもちろん英語しか話せないので英語で書いたわけだが、私の言葉と、私の親友たちが使う電信符合とのあいだには、雲泥《うんでい》の相違があり、どんな原始人でも私を理解してくれたにちがいない。どんな古い年代の人間でも私を理解してくれたにちがいない。ただ私の周囲の人たち、すなわち、この大陸に住む一億の人たちだけが、私の言葉を理解することができなかった。彼らに理解できるように書くためには、まずあれやこれやを削除し、つぎに時期を選ばなければならなかった。人生は不滅であり、時間などというものは全然なく、ただ現在があるだけだということを、私はさとったばかりであった。彼らは、私が半生をついやしてようやく瞥見《べっけん》しえた真理を、この私に否定させたかったのであろうか。たしかに、そうなのだ。彼らが耳や目をおおいたくなる唯一の言葉は、人生は不滅だという言葉だったのである。彼らの貴重な新世界は、純粋なるものの破滅の上に、強姦《ごうかん》や掠奪《りゃくだつ》や殺戮《さつりく》の上に築かれたのではなかったか? 両大陸とも、破壊され掠奪され、あらゆる貴重なもの――即物的な意味における――は根こそぎ剥《は》ぎとられ奪いとられた。モンテズマ(一四七七?――一五二〇、メキシコ、アステク族最後の皇帝で、スペインの軍人コルテスによって征服された)ほどひどい屈辱を受けたものは史上にも例がないであろう。また、アメリカ・インディアンほど冷酷|無慙《むざん》に滅亡させられた民族は他になかった。黄金狂どもによって踏みにじられたカリフォルニアほど醜悪な血なまぐさいやりかたで掠奪された土地は他になかった。私は、われわれの祖先のことを思うと、顔があからむのをおぼえる。われわれの手には血と罪悪がしみついているのだ。しかも、私がこの大陸をすみずみまで旅行したとき、まっさきに発見したのは、依然として虐殺と掠奪がくりかえされていることであった。最も親しい友人にいたるまで、あらゆる人間が潜在的な殺人者であった。拳銃や投げ繩《なわ》や焼鉄などを持ち出す必要のない場合もしばしばあった――彼らは自分たちの同胞を、もっと巧妙に、もっとむごたらしく苦しめ殺す悪魔的な方法を心得ていたのだ。私にとって一番つらかったのは、せっかく口から出かかった言葉を、とたんに抹殺《まっさつ》されてしまうことであった。私は、さんざん苦労したあげく、やっと舌を押えることができるようになった。怒りがこみあげてきたときには、微笑すらうかべて黙って坐っていることも学んだ。また、私が自分の生き血を吸うために坐りこむことを期待しているような、白ばっくれた顔つきの悪鬼どもに対しても、にこやかに握手を求め、いんぎんにあいさつすることも学びとった。
例の客間の先史的な机を前にして、こんな掠奪や殺人のための暗号文を用いることが、どうして私にできたのだろう? 私はこの巨大な暴力の半球のなかで孤立していた。しかし、人類ぜんたいに関するかぎりでは、孤立していたわけではない。残虐な白熱光に照らされた即物的な世界のまっただなかで、まったく私は孤独であった。死と虚無に貢献する以外に、はけぐちのないエネルギーによって私は譫妄《せんもう》の状態におちいっていた。あからさまに所信を述べることもできなかった――そんなことをしたら、拘禁服を着せられるか、電気椅子に坐らせられたにちがいない。私は幾年も土牢《つちろう》に閉じこめられていた人間のようであった。つまずいて足蹴《あしげ》にされないように、ゆっくりと、よろめきながら、手さぐりで歩かなければならなかったからだ。私は自由というものに必然的にともなうさまざまの刑罰に、しだいに自分を馴《な》らしてゆかなければならなかった。天空のこの灼《や》けつくような光から自分を守るために、新しい外皮を身につけなければならなかった。
子宮の世界は、生命のリズムの所産である。子供は生れた瞬間、生命のリズムだけではなく死のリズムもある一つの世界の一部となる。是が非でも生きたいという狂熱的な欲望は、われわれのなかの生命のリズムの所産ではなく、死のリズムの所産なのである。がむしゃらに生きながらえる必要は毛頭ないばかりか、もし人生が望ましくないならば、そのような欲望は完全にまちがっているのだ。死にうち克《か》ちたいという盲目的な衝動から発した生への欲求は、それ自体が、死の種子をまく手段にほかならない。生を完全に受け入れないもの、生を有意義に使わないものは、すべて、この世界を死によって満たすのを助けているのだ。生の究極の意味は、ごく簡単な身ぶりひとつで十分伝達することができる。全存在で語るならば、ただの一語でも生命をあたえることができるのである。行動そのものは、まったくなんの意味もないばかりか、それはしばしば死の徴候にほかならない。単純な外部的な圧力によっても、環境や慣例の力によっても、あるいは行動を生む雰囲気そのものによってすら、人間は――たとえばアメリカのような――おそるべき死の機械の一部になりうるのだ。発電機が、人生や平和や現実について、いったいなにを知っているというのか。アメリカの発電機的人間が、知恵やエネルギーについて、あるいは木の下で瞑想《めいそう》にふけっている乞食《こじき》の豊かな永遠の生命について、いったいなにを知っているというのか。エネルギーとはなにか? 生命とはなにか? これらの問題に関する科学者や哲学者の愚劣なたわごとを一読すれば、エネルギッシュなアメリカ人の知恵なるものが、いかに無価値なものであるかがわかるだろう。彼ら、この馬力のある気ちがいの悪鬼どもは、駆け足で私を追いかけてきた。彼らの狂気じみた死のリズムを断ち切るためには、すくなくとも適当な生命維持の手段を見つけだすまでは、彼らがつくり出したリズムを攪乱《かくらん》するようなある種の波長に頼らなければならなかった。私は客間に据えたあのグロテスクな、場ふさぎな、おそろしく古風な机や、そのまわりを半円形にとり巻いている十二の椅子などを、かならずしも必要としなかった。私に必要なのは、ものを書くだけのゆとりと、連中が用いている黄道帯《ゾディアク》から私をつれ出して、天外の天へ坐らせてくれる十三番目の椅子であった。しかし、一人の男が発狂寸前にまで追いこまれ、しかも、彼自身も驚くほど、まだいくばくかの抵抗力が残っていることを発見した場合、彼は原始的な人間に近い行動をとりがちなものである。そういう人間は、頑迷《がんめい》になるばかりでなく、迷信深くなり、魔法の信奉者となり、みずから魔術を行うようになる。彼は宗教を超越している――だがじつはそのこと自体が彼の病める宗教性にほかならないのである。そういう人間は偏執狂になり、ただひたすらに自分にかけられた悪魔の呪縛《じゅばく》を解くことのみに専念する。彼は爆弾を投げたり、反乱を起すようなことはしない。無気力なものにしろ、狂暴なものにしろ、とにかくなにごとにも反応を示したがらないのである。地上のあらゆる人間のなかで、こういう人間こそ、生命の表現たるべき行動を望んでいるのである。もし彼が、その恐るべき悲願の実現において、退嬰《たいえい》的に行動し、非社交的になり、口数がすくなくなり、生活力がないことを証明し、そして、世間の嘲笑と侮蔑《ぶべつ》の的になる代りに、生の根源たる子宮へ帰る道を発見していることを自覚したならば、彼は自己の権利によって人間であることを主張しうるし、その彼に対しては、世間のあらゆる力を結集しても立ち向うことはできなくなるだろう。
そういう人間が彼の先史的な机から世界の古代人と通信するのに用いる粗雑な暗号、そこから新しい言葉が生れるのである。その言葉は無線電信が嵐《あらし》をつき抜けてゆくように現代の死の言葉をつき抜けてゆく。子宮になんの魔術もないように、この波長には、なんの魔術も働いていない。人間は、あらゆる発明が単に死についてしか語ることがないので孤独なのであり、だからこそ、たがいに言葉をかわすことができなくなっているのである。死は行動の世界を支配する自動装置である。死は、いまだかつて、なにものをも表現したことがない。死は、なにも語らない。しかも、死というやつは――生を終えた後には――こんなすばらしいものはないのだ。私自身のように、口をひらいて語るものだけが――イエス、イエスと言いつづけてきたものだけが――死に対して大きく腕をひろげることができ、なんの恐怖も感じないでいることができるのである。報酬としての死も、イエス!――実践の結果としての死も、イエス!――栄光と名誉のための死も、イエス!――しかし、人々を孤立させ、悲嘆と恐怖と孤独におとしいれ、無益なエネルギーをあたえ、単にノーとしかいえぬような意志で人間を固めるような根元的な死はごめんだ。ともあれ、いかなる人間でも、自己を発見し、生命のリズムである自己のリズムを発見したとき、最初に書く文字は、イエスなのである。その後に書くあらゆることも、すべてイエス、イエス、イエス――千差万別のイエスなのである。いかに巨大な発電機でも――たとえ一億の死者の発電機ですら――イエスと言いつづける人間に立ち向うことはできないだろう。
戦争が起り、人々はつぎつぎに殺戮《さつりく》され、その数が百万、二百万、五百万、一千万、二千万、さらに一億から十億にふえ、ついには老若男女あらゆる人間が一人残らず殺されそうになる。「ノー!」と、彼らは絶叫しつづける。「ノー! 殺しちゃいけない!」だが、イエスと叫ぼうと、ノーと叫ぼうと、そんなことには関係なく、どんどん殺されてゆく。精神を破壊するこの誇らしげな示威行進のさなかに、私は大きな机に脚をのせて坐ったまま、アトランティスの父ゼウスと交信しようと試みていた。アポリネール(フランスの詩人・小説家。一八八〇―一九一八)が休戦の前日にある陸軍病院で死んだという事実も知らず、彼が〈新詩文〉のなかで、つぎのような注目すべき詩を書いていることも知らずに――。
われらが善美の極にあった人たちよりも劣るからといって、寛容の心を捨ててはいけない。
われらは、あらゆる場所に冒険を求めて行く。
しかし、われらはきみの敵ではない。
われらはきみに広大な未知の領土をさしあげよう。
そこには神秘の花が摘《つ》みとる人の手を待っている。
また、同じ詩文のなかで、アポリネールがこうも書いていることを私は知らなかった。
はてしなき未来の戦線で、
つねに戦いつづけるわれらに憐《あわ》れみを寄せたまえ、
われらの誤りに憐れみを、われらの罪に憐れみを。
私は、当時つぎのような奇妙きてれつな名前をもった人たちがいたという事実も、知らなかった――ブレーズ・サンドラール、ジャック・ヴァシエ、ルイ・アラゴン、トリスタン・ツァラ、ルネ・クレヴェル、アンリ・ド・モンテルラン、アンドレ・ブルトン、マックス・エルンスト、ジョルジュ・グロウスなど。また、一九一六年七月十四日に、チューリッヒのザール・ヴァーグで、最初のダダイスト宣言――「アンチピリン氏による宣言――」が発表されたことも知らなかったし、その奇妙な記録に、こういう文句があることも知らなかった。「――ダダイズムは、スリッパも類比もない生活である……戒律も倫理もない峻巌《しゅんげん》な必然性である……われわれは人間性を唾棄《だき》する」さらに、一九一八年のダダイスト宣言に、こんな一節があったことも知らなかった。「私は宣言を書いているが、なにものも欲してはいない。いくらかのことを言いはするが、原則として私は、いかなる主義にも反対であり、主義としての宣言にも反対である……。私がこの宣言を書くのは、われわれは一呼吸のあいだにすら、さまざまの相反する行動を同時に行うことができるということを立証したいからである。私は行動に反対する。しかし、継続的な矛盾、あるいは肯定的論証に関しては、賛成も反対もしないし、説明もしない。私は良識を憎むからだ……。貪欲《どんよく》な大衆には手のとどかない文学というものがある。作者の真の必要性から生れ、彼自身のために存在する創造者の作品がそれだ。星の光の消えたところに生れる崇高な自我の意識……。各ページは、深遠にして重厚、旋風と目まいと新鮮さ、永遠性、驚異的な逆説、主張への狂熱に満ちている。一方では、悪魔的な音階で鳴りひびくジングル・ベルとともによろめく変転きわまりない世界を、他方では、新しい存在を――」
三十二年後のいまもなお私はまだイエスと言いつづけている。イエス、ムッシュー・アンチピリン! イエス、ムッシュー・トリスタン・ビュスタノビー・ツァラ! イエス、ムッシュー・マックス・エルンスト・ゲビュルト! イエス、ムッシュー・ルネ・クレヴェル、あなたは自殺されましたな。そうですとも、世の中が狂っているのですよ、あなたは正しかったのです。イエス、ムッシュー・ブレーズ・サンドラール、あなたが殺したのは正しい。「私は殺したのか」という小冊子を出されたのは、たしか休戦の日でしたね。そう、「若者よ、ヒューマニティをうしなうなかれ……」まったくそのとおりです。イエス、ジャック・ヴァシエ、きみの言ったとおりだ。「芸術は滑稽《こっけい》なものであり、ほんのすこし退屈なものでなければならない」――まったくだよ、亡《な》きヴァシエ君、きみの言葉は、なんと正しいことか。なんと滑稽で、いじらしく、やさしく、真実であることか。「象徴的であることが象徴の本質の一つである」――あの世から、この言葉を、もう一度言ってくれないか。そこにはメガホンはないのかね。戦闘中に吹っ飛ばされた腕や脚は、全部見つかったかね。腕や脚を元どおりにくっつけることができたかね。一九一六年にナントでアンドレ・ブルトンと会ったときのことをおぼえているかね。きみたちは二人でヒステリーの誕生を祝ったのではないのか。ブルトンはこう言ったそうだね――存在するのは驚嘆すべきものだけであり、驚嘆すべきもの以外は、なにもなく、驚嘆すべきものは、つねに驚嘆すべきものなのである。きみは耳がきこえないかもしれないけど、それをもう一度聞いたら、さぞかし驚嘆するのではないかね。つぎに筆を進める前に、ブルックリンの友人たちのために、ここでエミール・ブーヴィエの描いたきみの横顔をちょっと紹介しておこう。これは、当時はまだ私を認めてくれなかったが、いまはきっと認めてくれているであろうブルックリンの私の友人たちのために書き抜いておくのだ――。
「彼は気が狂っていたわけではなく、必要なときには、自分の行為を説明することができた。それにもかかわらず、彼の行動は、ジャリ(一九〇七年没。フランスの詩人・劇作家。奇行をもって知られる)のとっぴな奇行と同じ程度に、めちゃくちゃであった。たとえば、彼は病院から退院したばかりだというのに、わざわざ好んで荷揚《にあげ》人夫になり、毎日午後になると、ロワール県のあちこちの波止場で石炭運びをしていた。そうかと思うと、夜は最高にしゃれた服装を着こなし、毎晩|衣裳《いしょう》を替えて、カフェや映画館をめぐり歩いた。さらにまた戦時中は、ときには軽騎兵《けいきへい》中尉の、ときにはイギリス士官の、あるいは飛行士の、あるいは軍医の制服をまとって、街を濶歩《かっぽ》した。日常彼は、ごく屈託のない気ままな市民生活を送っていた。もっぱらブルトンをアンドレ・サルモン(一八八一―。フランスの詩人・小説家)の名のもとに売り出すことを考えていた。そのあいだに彼自身は、虚栄心などというものとは無関係に、なによりもすばらしい肩書と冒険を自分のものにしていた。彼は、お早ようも、おやすみも、さようならも言ったことがなかったし、母親に金を無心したときの彼女の返事以外は、どんな手紙にも目を通したことがなかった。日によると彼は、最も親しい友人の顔や名前すら忘れてしまった……」
さて旧友諸君、きみたちはぼくをおぼえているかね。ウーニ族(ニューメキシコの西部に住む北米土人)地域の赤毛の白子《しらこ》たちと遊んでいたきみたちと同じブルックリン子だよ。いまぼくは、脚を机の上にのせて、死んだ仲間たちと約束したような〈強烈な作品、永遠に理解不可能な作品〉を書こうと準備しているところさ。〈強烈な作品〉かどうか、読んでみればわかるだろう。戦死した何百万の人間についての強烈な作品を生むためには、一人の死も必要としないことを、きみたちは知っているかね。新しい存在。それだよ。おれたちは、いまでも新しい存在を必要としているのだ。電話がなくても、自動車がなくても、高性能の爆弾がなくても、おれたちは暮してゆける――だが、新しい存在なしには生きてゆけないのだ。アトランティスが海底に沈み、スフィンクスやピラミッドが永遠の謎のまま残されているとしたら、それは新しい存在が生れなかったからなのだ。しばらく機械をとめろ! 昔をふりかえれ! 一九一四年までさかのぼって馬上のカイゼルを見ろ! やせほそった手で手綱《たづな》を握りしめているカイゼルを、しばらくそのまま馬上にとどめておけ! やつの口ひげを見たまえ。誇らしげに傲然《ごうぜん》とふんぞりかえった姿を見たまえ。整然とならんだ新鋭の大砲の餌食《えじき》どもが、彼の命令を待ち、一瞬にして五体がばらばらになり焼きちぎれてしまうのを待っている光景を見たまえ。それをしばらくそのままにして、こんどは目を転じて反対側を見たまえ。われらの偉大なる輝かしい文明の擁護者たちを。戦争を終結させんがために戦おうとしている戦士たちを。さて、彼らの服をとりかえ、旗をとりかえ、陣地をとりかえて見たまえ。さあ、いいか、あの白馬にまたがっているのはカイゼルなのか。あれが恐ろしいドイツ軍なのか。ドイツ軍自慢の巨砲はどこにあるのだ。ああ、あそこにある――おれは、そいつの砲口はノートル・ダムのほうに向けられているものとばかり思っていたのだ。いいかね、ヒューマニティというやつは、つねに先頭に立って進むものだよ……。ところで、おれたちは強烈な作品について語っていたのではなかったか。強烈な作品は、どこにあるのだ。ウェスタン・ユニオンに電話をかけて、メッセンジャーを一人、急いで派遣するように言ってくれ――不具者や八十歳すぎの老いぼれでなく、若いやつをな! そいつに、立派な作品を見つけて持ってくるように言いつけるんだ。おれたちには、ぜひともそれが必要なんだ。できたての博物館が、それを収める準備をととのえて待っているんだ――セロファンもあるし、それを分類するデューイの十進法もある。知りたいのは作者の名前だけだ。もっとも、それが無名作家の作品でも、作者不明の作品でも、いっこうにさしつかえはないがね。また、たとえそれにイペリット・ガスが入っていたって、ちっともかまわないよ。作者が死んでいるにしろ、生きているにしろ、とにかくそいつを持ってこさせるのだ。それを発見してきたやつには、二万五千ドルの賞金をやることにしよう。
すべてのことは起るべくして起ったのだ、べつの形では起りえなかったのだ、フランスもドイツも、リベリアやエクアドルなどの小国も、他のあらゆる同盟国も、みな最善をつくしたのだ、戦争がはじまってからも、あらゆる人が事態を収拾するために、あるいは忘却するために、最善をつくしたのだ、などというやつがいたら、こう言ってやれ――おまえたちの最善なんて、どうせろくなものじゃない、だいたい、『最善をつくす』なんて屁理屈《へりくつ》は、もう聞きあきている、とな。くだらぬ取引で最善をつくしたって無意味だと言ってやれ。よかろうと悪かろうと取引なんて信じないと言ってやれ。戦争の記念碑なんて信じないと言ってやれ。おれたちは事件の理屈なんぞ聞きたくない――いや、どんな理屈も聞きたくないんだ。Je ne parle pas logique, je parle generosite と、モンテルランは言っている。こいつはフランス語だから、きみたちにはよくわかるまい。だから女王自身がお使いになった英語に直してやろう。「私は理屈は言わない。寛大さについて語るのだ」。まったく女王自身が使いそうなまずい英語だが、しかし意味ははっきりしていると思う。寛大さ――わかるかね? きみたちは、だれも、平和なときも戦争中も、全然それを実行しなかった。きみたちには、この言葉の意味がわかっていないのだ。きみたちは、勝っているほうへ兵器や糧食を供給するのが、寛大であると考えている。戦線に赤十字看護婦や救世軍を送ってやることを、寛大であると思っている。二十年も遅れて支給されるボーナスを、寛大であると思っている。すこしばかりの恩給と車椅子を、寛大であると心得ている。だれかを以前の職にもどしてやるのを、寛大なことだと思っている。きみたちは、このいまいましい言葉の意味を、とりちがえているのだ。寛大というのはな、相手が口をひらく前にイエスということなんだ。イエスというためには、まずシュールレアリストかダダイストになって、ノーということがなにを意味するかを理解することだ。きみたちが期待されている以上のことをやる場合には、イエスとノーを同時にいうことだって、できなくはない。日中は荷揚《にあげ》人夫になり、夜は伊達男《だておとこ》になれ。自分のものでないかぎり、どんな制服でも着ることだ。母親に手紙を書くときには、尻《けつ》を拭《ふ》くきれいな布っきれを買うために、金をちょっぴりせびることだ。隣の男がナイフを持って女房を追いかけまわしているのを見たって、うろたえてはいけない。追いかけるには追いかけるだけの正当な理由があるにちがいないし、そいつが自分の女房を殺したところで、本人は、なぜ殺したのかを認識して、かえって満足しているかもしれないからだ。きみたちが、もし知能を増進しようと努力しているのなら、そんなことは、さっそくよしたほうがいい。知能は決して増進するものではないからだ。それよりも自分の心臓と胃袋をよく見ることだ――頭脳は心臓のなかにあるのだから。
そうだ、もし私が当時、サンドラールとかヴァシエ、グロウス、エルンスト、アポリネールといった連中の存在を知っていたら――彼らが私と同じ問題をそれぞれ独自の方法で考えていることを知っていたら――私は憤然として怒り狂っただろう。狂い死にしたかもしれない。だが私は知らなかった。およそ十五年前に、南アメリカのある気ちがいのユダヤ人が、「疑惑はベルモットの唇《くちびる》をした恋人」とか、「私はイチジクがロバを食うのを見た」とか、こういうすばらしい文句を生み出したことも――また、それと同じころ、まだ少年であったあるフランス人が、「椅子である花を探《さが》せ」「わが飢渇は黒い空気の小片」「琥珀《こはく》色の血気に燃えた彼の心」などと言ったことも、私は知らなかった。おそらくそれとほぼ同じ時代に、ジャリは、「蛾《が》の音を食うこと」について語り、アポリネールは、それにつづいて、「自分を呑《の》みこもうとする紳士のそばで」と言い、ブルトンは、「夜のペダルは絶えまなく動く」と、静かにつぶやいたのだ――たぶん、あの孤独なユダヤ人が南十字星の下で発見した「美しく黒い空気のなかで」――。同じように孤独な亡命者であったスペイン系の男は、つぎのような記念すべき言葉を書きしるす準備をすすめていた。「わけても私は、私の亡命を、永遠からの亡命を、地中から掘り出されたことを――天から降ってきたものと解釈して――みずから慰めている……。現在のところ、この小説を書く最善の道は、それがどのように書かれるべきかを語ることにあると私は思っている。それは小説の小説である。創造の創造である。あるいは、神の神であり、デウスのデウスである」彼がつぎのような一節をこれに加えようとしていたことを、もし私が知っていたなら、私はきっと狂い死にしていたにちがいない……。「発狂するとは、理性をうしなうことであると解されている。たしかに理性はうしなうかもしれないが、しかし決してそれは真理をうしなうわけではない。なぜなら、ほかのものが沈黙をつづけているときに、真理を語る狂人がいるからである……」このような事柄について語るとき、戦争と戦死者について語るとき、私は、それから二十年後に、あるフランス人によってフランス語で書かれたつぎの一節にめぐりあったことを、ここに書いておかずばなるまい。ああ、奇蹟の奇蹟! 「私はこう言わざるをえない――そこには私にいささかも尊敬の念を起させない死体が累々として横たわっていた」イエス! イエス! ああ、めちゃくちゃに飛びまわりたい――こんなうれしいことがまたとあろうか! なにかすばらしいことを、――たとえ破壊的なことでも――威勢のいいことをやらかそう! 気ちがいの靴屋は、こう言ったではないか。「あらゆることは神秘から生れ、段階を追って進展する。段階を追って進むものは、すべて決して嫌悪《けんお》されることがない」
あらゆる時代のあらゆる場所で、子宮の世界は自己を表明してきた。それらの声明、予言、ないしは婦人科医学的宣言と並行して、同時発生的に、新しいトーテムポールが、新しいタブーが、新しい戦争の舞踏がはじまった。人間の仲間が、詩人たちが、未来の開拓者たちが、黒く美しい空気のなかへ魔術的な詩句を吐いているあいだに、ほかの連中は、まことに意味の深い、理解に苦しむ、謎めいたことを言っていたのである。「ぜひ、うちの軍需工場で働いてくれないか。最高の給与と最も健康的な環境と衛生施設を保証するぜ。仕事は子供でもできるような簡単なことさ」そして、妹か妻か母親か伯母を持っているものは、彼女が手でものを扱えて、しかも悪い習癖をもっていないことさえ証明できるなら、さっそく彼女ないし彼女たちを引っぱってきて、いっしょにその軍需工場で働くことを勧誘されるにちがいない。もし手を汚《よご》すことをきらってためらっていると、彼らは、工場の微妙な機械装置が、どう操作され、爆発した場合に備えて、どんな危険防止設備が完備されているかについて、それから、ゴミ屑《くず》ひとつ無駄にしてはいけないことだの、その他さまざまな事柄について、非常に懇切丁寧に説明するにちがいない。私が仕事を探して歩きまわっているときに強い印象を受けたことは、彼らが毎日私に嘔吐《おうと》をもよおさせたこと(もっともそれは私が幸運にも胃袋になにかをつめこんでいた場合の話であるが)よりも、むしろ彼らがつねに、私がよい習慣をもっているかどうか、節度があるかどうか、まじめで勤勉であるかどうか、前にどこかに勤めていたことがあるかどうか、ないとすれば、その理由はなにか、というようなことばかり知りたがることであった。私は全市民のためにゴミ屑《くず》を運ぶ仕事をしたことがあるけれども、彼ら殺人者どもにとっては、そのゴミ屑すら貴重なのであった。ゴミのなかに膝《ひざ》まで埋まって、苦力《クーリー》か浮浪者みたいに最低の仕事をしながら、しかも私は死の試練を受けていた。夜になって、ダンテの神曲の地獄篇を読もうとしたが、不運にもそれは英語訳の神曲であった。英語はカトリック的な作品にはまったく適しない言語なのである。「みずから利己主義のなかに、すなわちそれ自身のルベッドのなかに身を投じるものはすべて――」ルベッドとは! もし私がこんな得体の知れぬ言葉を呪文で呼び出すことができたら、私はさぞかし気楽にゴミ運びの仕事に出かけることができただろう。ダンテは手に負えず、しかもその手はゴミと泥のにおいのする夜に、オランダ語では『煩悩《ぼんのう》』を意味し、ラテン語で『ルビツム』というその言葉と取り組んでいるのは、なんともたのしいことではあったが……。ある日、私は塵芥《じんかい》のなかに膝まで埋まりながら、マイスター・エックハルトがずっと昔に語ったといわれる言葉を、われ知らずつぶやいたことがあった。「おれには神が必要だ。だが神もおれを必要としているのだ」屠殺場《とさつば》の仕事の口があった。臓物を選《え》りわける、わりに楽な仕事だったが、シカゴへ行く汽車賃が工面できなかった。結局私はブルックリンにとどまり、私自身の臓物の宮殿のなかで、迷路の柱のまわりをぐるぐるまわりつづけていた。〈卵細胞〉を、〈海底の竜宮城〉を、〈聖なる心〉を、〈一インチ四方の地面〉を、〈一フィート四方の家〉を、〈秘密の小路〉を、〈第七天国〉を求めて、そのままブルックリンの家にとどまっていたのである。ドアの神フォーキュルス、蝶番《ちょうつがい》の神カルデア、敷居の神リメンティウスとして、部屋のなかに祭りこまれていたのだ。私はこれらの神の姉妹である恐怖、戦慄《せんりつ》、熱病という三人の女神としか話をしなかった。聖オーガスティンが堪能《たんのう》したような、あるいはそう想像したような〈アジア風な奢《おご》り〉を見ることもなかったし、『二組の双生児の誕生』も、お産の間隔が近すぎて、あとの一組が前の一組の足を押えてしまったために、見られなかった。フレッシュ・ポンド・ロードに通じているマートル通りと呼ばれる街路が区役所から見えた。この街路の上を、聖人は一人も通らなかった(さもなければ、この街路は、とうにこわされていただろう)。また、なんの奇蹟も、詩人も、いかなる種類の天才も通らなかったし、そこには、なんの花も咲かず、路面に照りつける陽ざしもなく、雨もそこを洗うことはなかった。なぜなら、アメリカの虚妄《きょもう》の中心へ通じる路線の一つであり、鉄の怪物によって踏み荒された無数の乗馬道の一つであるこのマートル通りに、私は二十年このかたずっと真の地獄を見てきたからである。こころみに、エッセンとかマンチェスター、シカゴ、ルヴァロアペレ、グラスゴー、ホーボケン、カナージー、ベイヨンといった町々を見てみたまえ。そこには進歩と開化の壮大な虚妄しか見られないだろう。読者よ、もし諸君が、ダンテはいかに遠い未来を見通していたかを知りたかったら、死ぬ前にぜひ一度マートル通りを見ていただきたい。その通りは、両側に立ちならぶ家々にも、道を舗装している丸石にも、それを真二つに引き裂いている高い建造物にも、その沿道に住んでいる人間にも、あるいは殺戮《さつりく》されるためにその通りを渡る動物、鳥、昆虫にも、〈高尚な〉あるいは〈唾棄《だき》すべき〉〈煩悩《ぼんのう》〉の希望がまったくないことを、諸君は、いやというほど知らされるだろう。そこは、悲しみのない街であり――なぜなら悲しみは人間的なものであり、認識しうるものであるからだ――ただまったく空虚な街なのである。荒涼たる死火山よりも、真空よりも、神を信じないものの口から吐かれる神という言葉よりも、はるかに空虚なのだ。
当時私はフランス語を片言も知らなかったと言った。それは事実だが、しかし私はちょうどそのころ、マートル通りや全アメリカ大陸の空虚さをおぎなって余りある大発見の糸口をつかんでいた。私はエリー・フォールと呼ばれているフランスの海の岸近くまできていたのである。その海は、フランス人自身すらほとんど航海したことがなく、しかも彼らは、あやまってそれを内海だと思っていたようであった。私は英語のような衰微した国語で読んでも、あきらかに袖《そで》に人類の栄光を書きしるしたと思われるその男が、私のさがしていたアトランティスの父ゼウスであることを知った。私はこの男を〈海〉と呼んだ。しかし彼はまた交響曲の世界でもあった。彼はフランスが生んだ最初の音楽家であったのだ。彼は高い位にありながら支配を受けている変人であり、フランスのベートーヴェンであり、偉大な魂の救済者であり、巨大な避雷針であった。彼はまた太陽とともにまわるヒマワリであり、つねに光を呑み、たくましい生命力に光りかがやいていた。海が慈悲深いか、意地がわるいか、いずれとも断定できないように、彼は楽天家でもなければ悲観論者でもなかった。彼は人類の信者であった。彼は人類にふたたびその尊厳と力と創造の欲求をあたえることによって、人類に一つの尺度をもたらした。彼はすべてのものに創造を見、太陽の歓喜を見た。そしてそれを通常の方式で記録せず、音楽的に記録した。彼は、フランス人が音痴であるという事実には無頓着《むとんじゃく》に――全世界のための管弦楽を作曲した。数年後に私がフランスへ渡ったとき、私をびっくりさせたのは、彼の業績をたたえる記念碑も、彼の名前にちなんだ街路も、まったく見あたらないことだった。いや、もっとひどいことに、まる八年のあいだ私は、フランス人が彼の名前を口にしたのを一度も聞いたことがなかった。彼はフランスの神々を祭ったパンテオンのなかに祭りこまれるために死ななければならなかったのだ。あの輝かしい太陽を目の前にして、神格化された彼の同時代人たちは、どんなに沈痛な表情をうかべたことであろう。もし彼が魂の救済者ではなくて、市民なみの生計を立てることを許されていたら、彼はどうなっていただろう? おそらく塵埃《じんあい》トラックの有能な作業夫になっていたにちがいない。あるいはまた、エジプトのフレスコ画を、燃えるような色彩のなかによみがえらせたこの人は、愛する民衆のために餓死したかもしれない。だが、彼は海洋であり、批評家も編集者も出版者も民衆も、みなその海におぼれていた。彼がその海を干しあげるには、おそらく永劫《えいごう》の時間を必要とするだろう。そして、フランス人が音楽的な耳をもつようになるには、それとほぼ同じ時間を要するにちがいない。
もしこの世に音楽がなかったならば、私はニジンスキー(ポーランド系ロシア人の天才舞踊家。一八九一―一九五〇)のように瘋癲《ふうてん》病院に入れられていただろう。(ニジンスキーが気が狂っているとわかったのは、ちょうどそのころであった。彼が貧しい人たちに金をやっているところを見つかったのである――このようなことは、つねに悪い兆候なのである)。私の心はすばらしい宝物に満たされ、私の趣好はきびしく洗練され、私の筋肉は最良の状態にあり、私の食欲は旺盛《おうせい》であり、呼吸はすこやかであった。私は自分を進歩させる以外に、なにもすることがなかった。毎日そのことに熱中していた。私が必要としていたのは仕事ではなく、より豊かな人生であったから、仕事を提供されても、それを受け入れることができなかった。教師にしろ、法律家にしろ、医師にしろ、政治家にしろ、あるいはその他社会が要求するどんな仕事でも、そのために時間を空費するのは耐えられなかった。むしろ、いやしい職業のほうが、私の心を自由にしてくれるだけに、受け入れやすかった。清掃人夫をやめさせられた後、ある福音伝道者と交際したことをおぼえている。彼は私に非常な信頼をよせていたようであった。私は彼の司会係と蒐集《しゅうしゅう》係と秘書とを兼ねたような形になった。彼はインド哲学の世界に私の関心を向けてくれた。ひまな晩は、ブルックリンの貴族階級地区に住んでいるエド・バウリーズの家に、友人たちと集まった。エド・バウリーズは風変りなピアニストで、楽譜が読めなかった。彼はジョージ・ニューミラーという親友と、たびたび二重奏曲を演奏した。エド・バウリーズの家に集まる十二、三人のものは、みなピアノを弾《ひ》くことができた。当時私たちは二十一歳から二十五歳くらいの年齢のものばかりで、女性は全然つれてこなかったし、会話のなかに女の話が出ることもほとんどなかった。ビールはふんだんに飲めたし、大きな家を全部自由に使うこともできた。私たちがそこへ集まったのは夏だったので、彼の家の人たちはみな避暑に行っていて留守だったのだ。私は、ほかにも十数軒こんな家に出入りしたことがあるが、ことさらにエド・バウリーズの家をあげたのは、世界じゅうのどんなところでも出っくわしたことのないある独得なものが、そこにはあったからである。エド・バウリーズも彼の友人たちも、当時私が読んでいた本の種類、あるいは私の心を占めていた問題について、全然なんの疑惑ももっていなかった。私がひょっこりあらわれると、彼らは熱狂的に歓迎してくれた――道化役者としての私を。私は、いわば会の進行係をつとめさせられていたようなものである。大きな家のあちこちにピアノが四台あり、むろんそのほかにも、セレスタだの、ギターだの、オルガン、マンドリン、ヴァイオリンその他もろもろの楽器がそろっていた。エド・バウリーズは、たいへん人のいい、とんまな男で、同情深く、寛大な精神の持主だった。彼の家のサンドイッチは、いつも最高級だったし、ビールはふんだんにあり、しかも、泊りたいときには、彼は願ってもないほど上等の寝椅子を提供してくれた。私が、この世のものとも思えぬほど大きな、広い、豪奢《ごうしゃ》な通りを歩いて行くと、彼の家の階下の客間から、ピアノの音がきこえてくるのであった。窓はあけ放たれていて、近づくにつれて、アル・バーガーかコニー・グリムが大きなビールのコップを手にして安楽椅子にふんぞりかえり、窓敷居に脚をのせているのが見えた。たぶんジョージ・ニューミラーが、シャツの袖をまくりあげ、大きな葉巻を口にくわえて、即興的にピアノを弾いているのだろう。ジョージが冒頭の楽句を考えあぐねて部屋のなかをうろつきまわっているあいだ、ほかの連中は気持よさそうに談笑しあっていた。彼は曲の主題を思いつくと、すぐさまエドを呼ぶ。エドは彼の横に坐り、おぼつかなげな手つきで、それを弾いてみてから、とつぜん、くだらないといわんばかりにキーを叩《たた》きつける。私が家のなかへ入ってみると、きっとだれかが隣の部屋で逆立《さかだ》ちしていた。階下には大きな部屋が三つつづいていて、その裏側に庭園があった。広大な庭園で、花壇や果樹、ぶどう棚、彫像、噴水その他あらゆるものが備わっていた。ひどく暑い晩には、ときどきセレスタか小さなオルガンを(もちろんビール樽《だる》も)その庭へ持ち出して、暗闇《くらやみ》のなかに円陣をしいて笑ったり歌ったりした――隣近所から苦情をいわれるまで、それはつづけられた。ときには、家のなかのいたるところで、階下でも階上でも、同時に音楽がはじまることもあった。こうなると、もはや気ちがい沙汰《ざた》で、だれもがみな無我夢中であった。もしそばに女性がいたら、あんな陶酔状態にはなれなかったにちがいない。ときには、まるで忍耐力の腕くらべを見ているようなこともあった――グランド・ピアノを弾いているエド・バウリーズとジョージ・ニューミラーは、たがいに相手を疲労|困憊《こんぱい》させようとして、ピアノを弾きながら席を換え、手を交錯させ、ときにはいきなり単調な低音に変り、ときには轟然《ごうぜん》たる爆音を発した。しかも、ひっきりなしに、なにか笑うべきことが、そこには発生した。きみは、なにをしているのかとか、なにを考えているのかとかたずねるものは、ひとりもいなかった。エド・バウリーズの家へ行ったら、だれもが自分の認識標を預けてしまっているのだ。仲間の帽子のサイズや値段がどうであろうと、そんなことに頓着《とんじゃく》するものは、ひとりもいなかった。それは、歓待という言葉どおりのもてなしかたであった――しかも、サンドイッチと飲みものは豊富に用意されていた。そして、興がのってくるにつれて、三台か四台のピアノがいっせいに鳴りだし、セレスタやオルガンやマンドリンやギターやビールが広間をかけ抜け、炉棚《ろだな》はサンドイッチやタバコで埋まり、庭からさわやかな夜風が吹き入り、やがてジョージ・ニューミラーは腰から上をあらわにして悪鬼のようにうなりだすのであった。それは、私が見たどのショーよりもおもしろく、しかもまったく無料であった。それどころか、服を脱いだり着たりしているうちに私はいつも余分の釣銭《つりせん》と、ポケットに入りきれないほどのタバコを持って帰ることになった。私は、ほかのときには、彼らのだれとも、まったく会わなかった――エドが家を提供してくれたその夏の毎週月曜日の晩以外は、どこでも。
庭に立って騒音に耳をかたむけていると、同じ町にいるような気がしなかった。率直にいって、どこか遠い国にいるような気がした。これらの若者たちは、いずれも世間の評価どおり、無価値な人間ばかりだった。いわば善良な卵にすぎなかった。音楽が好きで、遊ぶことの好きな子供にすぎなかった。ときには度が過ぎて救急車を呼ばなければならないこともあった。たとえば、ある晩、アル・バーガーが曲芸を披露《ひろう》しているうちに膝《ひざ》をくじいてしまったことがあった。一同は、すっかりうかれて、どんちゃん騒ぎをしていたので、彼は、ほんとうに怪我《けが》したことをほかの連中に説得するのに、一時間もかかった。それから私たちは彼を病院へかつぎこむことになったのだが、病院は非常に遠かったし、笑いがとまらなかったので、ときどき彼を地面におろした。そのたびに彼は気ちがいのようにわめきたてた。結局、交番へ行って電話で救いを求めることになった。救急車とパトロールカーがやってきて、アルを病院へ運び、私たちを留置場へつれて行った。その途中、私たちは声のかぎり歌いつづけた。釈放されてからも、私たちはまだいい気分でいたし、警官たちも上機嫌《じょうきげん》だったので、いっしょにそろって地下室へ行って、そこにある調子の狂ったピアノに合わせて歌いまくった。
これらすべては、なにか紀元前の歴史的出来事のようにも思われる。そうした歴史が終りを告げたのは、戦争がはじまったからではなくて、エド・バウリーズの家のような場所ですら、周囲から滲透《しんとう》する害毒に対して免疫性をもたなかったからである。あらゆる街がマートル通りのようになってしまい、空虚がアトランティスから太平洋にいたる全大陸をおおいつくしたからである。この国のどこの家へ入っても、逆立ちをしながら歌っている男を見ることができなくなったからである。そんなことは、もはやだれもしなくなったのだ。どんなところでも、二台のピアノが同時に鳴らされるようなことはなかったし、二人の男がただ興に乗って徹夜でピアノを弾きつづけるようなことも見られなくなった。エド・バウリーズとジョージ・ニューミラーのように、ピアノを弾くことのできる男は、ラジオか映画にやとわれ、その才能のごく少量が使用されるだけで、残りはゴミ箱へ棄《す》てられるようなことになってしまったのである。民衆の眼鏡《めがね》を通して見るかぎり、この偉大なアメリカ大陸のなかで、どんな才能が自由に処分されてしかるべきか、だれにも判断がつかなくなったのだ。もっとあとになって、私が、しばしばティン・パン小路の軒下にたたずんで、本職の連中が熱心に稽古《けいこ》をつづけているピアノの音に耳をかたむけながら、午後の時間をつぶしていたのは、そのためだった。それは、たしかに上手ではあったが、本質的にちがっていた。そのなかには、なんのおもしろ味もなく、それはただ金を稼《かせ》ぐための果てしない稽古にすぎなかった。
アメリカでは、ほんのすこしでもユーモアを持ちあわしている人間は、みなそれを元手にして自分を売り出そうとするものだが、なかには、すばらしい間抜け野郎もまじっていた。私は、名前も残さなかったその連中のことを、終生忘れないだろう。連中は、われわれが生んだ最高の傑作だった。私はいつも、ケイス・サーカス団にいた無名の曲芸者のことを思いだす。その男は、おそらくアメリカ随一の狂人ではなかったかと思う。しかも彼は、週に五十ドルの報酬しかもらっていなかったのではなかろうか。一日に三回、何週間も毎日ぶっつづけに出演して、そのたびに観客を魅了した。彼は台本をもたず、全部即興でやってのけた。彼の洒落《しゃれ》や曲芸は、決して二度くりかえされることがなかった。彼は思うぞんぶんあばれまわったが、決して踊り気ちがいではなかった。いわばクイナが人間に生れ変ったような男で、その精力と享楽心は旺盛《おうせい》をきわめ、まったくとどまるところを知らなかった。どんな楽器も使いこなし、どんなステップも踊ることができ、その場で即座に話をつくりあげて、ベルが鳴るまで、いくらでもそれをひきのばすことができた。彼は自分の役を演じることに満足していたばかりでなく、臨機応変ほかの出演者たちを助けてやった。舞台の袖に立って、つぎの出演者が演技にうつる瞬間の呼吸をじつにたくみにとらえた。彼は完全なショーであり、そのショーは現代科学の総兵器庫以上に治療する力をもっていた。アメリカ国民は、このような男に大統領以上の給料を支払うべきであった。大統領や最高裁判所長官を追放して、このような男を支配者にすべきであった。あの男なら、きっとありとあらゆる病気をいやすことができたにちがいない。しかも彼は頼まれれば無料で治療してやるようなタイプの男であった。おそらく彼なら、あらゆる精神病院をからっぽにすることができたにちがいない。彼は治療しようとするのではなかった――あらゆる人間を狂わせてしまうのだ。この解決法と、文明という恒久的な戦争状態とのあいだには、出口は一つしかない。ほかのすべてが失敗の運命にあるので、われわれは結局その道を選ばないわけにはいかないのであるが、この唯一の道を象徴するタイプの男は、六つの顔と八つの目をそなえた頭をもっていなければならない。その頭は回転式の燈台であり、てっぺんには、三重冠はなくて、わずかに内部に存在する頭脳に風を通す通風孔が一つあるだけである。頭脳がわずかしかないのは、もち歩くべき荷物がごくすこししかないからである。完全な意識のなかに生きているので、闇《やみ》がすぐ光のなかに入ってしまうからである。このようなタイプの男だけが、コメディアンの上に位置することができるのである。彼は泣きも笑いもしない。苦悩を超越しているのだ。彼は、私たちがその存在に気づかないほど、私たちのごく身近に、あまりにも身近に――文字どおり皮膚の下に――いる。コメディアンが私たちの腹をよじらせるとき、この男――強《し》いて名前をつけるとすれば神と呼んでもよかろう――は、とつぜん声をあげる。全人類が腹をゆすって笑うとき――腹が痛いほど笑うとき、あらゆる人は、さっき私が述べた道に足を踏み入れているのである。
その瞬間、あらゆる人が神になることができる。その瞬間、人間の頭のてっぺんに暗い死の襞《ひだ》をつくって渦巻いている二重にも三重にも累積した意識を、私たちは絶滅させることができる。そして、その瞬間、頭のてっぺんにある孔《あな》に気がつく――そこに目があり、その目が一度にあらゆるものを見ることができることを知るのだ。その目は、いま閉じられているけれども、涙が出るほど、腹が痛いほど笑いころげるとき、その天窓が開いて、頭脳に風を送るのである。そのときは、だれも、私たちに銃をもたせて敵を殺させることはできない。この世の形而上学《けいじじょうがく》的真理なるものをふくんだ分厚い本を開いて読めと私たちを説得することもできない。相対的な自由ではなく、絶対的な自由とは、なにを意味するかを、もし諸君が知っているとすれば、それがまさにすぐ目の前にあることに諸君は気づくにちがいない。もし私が現在の世の中の状態を嘆きかなしむとすれば、それは私がモラリストだからではない。もっと笑いたいからだ。私は、神そのものが、すばらしいお笑いぐさだと言っているのではなく、神に近づくためには、笑いころげなければならないと言っているのである。私の生涯の目的は、神に近づくこと、つまり私自身に近づくことにある。そのためにどんな道を歩こうと、それはいっこうにかまわないが、しかし音楽は非常に大切なものである。音楽は松果腺《しょうかせん》の刺激剤だ。だから音楽は、バッハやベートーヴェンではなくて魂の罐切《かんき》りなのだ。音楽は人間の心を痛烈にしずめ、人間の上に一つの屋根があることを気づかせる。
人生の切実な恐怖は、災厄や惨事とは関連がない。なぜなら、そうした出来事は、人間をびっくりさせるだけであり、しかも人間は、しだいにそれに馴《な》れ、しまいには全然おどろかなくなるからである……。恐怖とは、一食ぶんの金しかもたずにホボーケンのホテルの一室に泊っているようなものだ。諸君は、二度とくることを許されないある町にいて、ホテルの部屋で一夜をすごさなければならないのだが、その部屋に泊るには、非常な勇気と胆力を要する。方々の町が、なぜ嫌悪《けんお》と恐怖をひき起すのか、それには大きな理由があるにちがいない。そうした場所では、たえず殺人が行われているからかもしれない。そこの住民は、諸君と同じ民族であり、同じように仕事をしている。諸君の家とくらべてよくも悪くもない同じような家を建て、同じ教育制度をもち、同じラジオを聞き、同じ新聞を読んでいる――しかし彼らは、諸君の知っている人たちとは、まるっきりちがっている。全体の雰囲気もちがう。リズムがちがい、緊張感がちがう。それは、諸君が自分自身の化身を見るようなものだ。人生を支配しているものは、金や政治でもなく、宗教や教育や競走や言語風俗でもなくて、それ以外のあるもの――諸君がいつも絶えず押えつけようとしているのに、実際はいつも諸君の首を絞めつけているもの――であることを、諸君は、うんざりするほど知りつくしているのだ。さもなければ、諸君は、とつぜんおびえて、どうしたら逃げ出せるかを考えたりはしないはずだ。一夜をすごすまでもなく、わずか二、三時間で諸君をふるえあがらせるような町さえある。ベイヨンは、まさにそのような町であった。私は、ある晩、数軒の家を訪《たず》ねるために、その町へ入った。大英百科辞典の内容説明書の入ったカバンを小脇《こわき》にかかえていた。夜陰にまぎれて忍びこんで、自分自身を啓発したがっている哀れな亡者《もうじゃ》どもに、残虐非道な百科辞典を売りこもうと考えたのである。もし私がヘルシングフォーズに立ち寄っていれば、ベイヨンの街を歩くほどの不安を感じなくてもすんだにちがいない。ベイヨンは、とうていアメリカの都市とは思えないような町だった。それは全然都市ではなくて、暗闇《くらやみ》のなかにうごめいている巨大なタコだった。最初に行った家は、いかにも近づきにくい感じがしたので、私はノックさえせずに立ち去った。ノックする勇気をふるい起すまでには、あと数軒歩かなければならなかった。私が最初に会った相手の顔は、私の胆《きも》っ玉をすっかりふるえあがらせた。それは、内気や当惑のせいではなかった――恐怖にとりつかれたのだ。その顔は、相手の顔に唾《つば》をひっかけるよりは、鉈《なた》で殴《なぐ》り殺すほうを好みそうな、無知なアイルランドの炭坑夫の顔であった。私は家をまちがえたふりをして、あわてて立ち去った。しかし、どの家を訪ねても、ドアをあけるたびに、私は怪物と出会った。そうこうするうちに、やがて私はようやく、自分自身の啓蒙《けいもう》を求めている哀れな阿呆《あほう》にめぐり会ったが、その男は、ひどく私をがっかりさせた。私は自分自身を、私の国を、私の民族を、私の時代を恥じた。そして、このいまいましい百科辞典を買わないようにと彼を説得するのに、さんざん苦労した。それならおまえさんは、なぜうちへ訪ねてきたのかね、と彼は無邪気にききかえした。私は一瞬の躊躇《ちゅうちょ》もなく、ある驚嘆すべき嘘《うそ》をついた――あとで立派な事実となった嘘を。私は百科辞典を売りこむふりをして、さまざまな人間に会い、それらの人について書くつもりなのだ、と答えたのである。これは、百科辞典以上に彼の興味をよんだ。彼は、私が彼についてどんなことを書くつもりか、もしできたら教えてほしい、と言った。私はその質問に答えるのに二十年をついやした。ようやくいま、ここで答えることができる。ベイヨン市のどんぐり君よ、きみがもし、いまでもそれを知りたいのなら、教えてやろう……。私は、きみに感謝している。私は、きみに嘘をついて家を出てから、あの大英百科辞典の内容説明書を引き裂いて、どぶへ捨ててしまったのだ。そして、たとえ人々に聖書を読ませるためであっても、決して嘘いつわりを言うまい、とひそかに誓ったのである。たとえ餓死しようとも、他人に物を売りつけるようなことは二度とやるまい。これからまっすぐ家へ帰って机に坐り、いろんな人間のことを書こう。そして、もしだれかが私に物を売りつけようとして訪ねてきたら、丁重に相手を招き入れて、「なぜこんなことをしているのか」とたずねよう。もし彼が生活のためだと答えたら、財布の底をたたいて有金を全部彼に渡し、自分がなにをしようとしているのかを、もう一度考えてほしいと、彼に頼もう。私は、できるだけ多くの人に、自分たちは生活のためにこうしている、ああしていると思いこむのを、やめさせてやりたいのだ。生活のため、というのは嘘だ。真実ではない。人間は餓死することができる――そのほうがましだ。よろこんで餓死するものは、機械的な前述の歯車を粉砕することができる。私は、生活のためにという欺瞞《ぎまん》によって機械的な前進をつづけるよりも、パンを手に入れるために銃をとって隣人を殺すやつのほうが好きだ。どんぐり君、私が言いたいのは、それだけだ。
話をつづけよう。災厄や大惨事に対する恐怖についてではなく、機械的な前進について。魂の隔世遺伝的なあがきの荒涼たるパノラマについて。私は、テネシー州境に近い北カロライナの橋の上にいた――青々と茂ったタバコ畑や、いたるところに見られる低い山小屋や、生木《なまき》の燃える匂《にお》いから逃げ出して。その一日は、緑の波が立つ深い湖水ですごした。ほとんど人影一つ見えなかった。それから私は、とつぜんそこを抜け出して、大きな峡谷の上にかけられた、ぐらぐらゆれる木造の橋の上に出た。そこは世界の涯《はて》であった。どのようにしてそこへたどりついたのか、なぜそこにいるのか、私には、さっぱりわからなかった。おれは、どこで、どうして食べものにありつくつもりなのか。しかも、たとえ想像しうるかぎりどっさり食事をすることができたとしても、私は依然として悲しいだろう。たまらなく悲しいだろう。私はそこからどこへ行くべきかを知らなかった。その橋は私の涯であった。私の知っている世界の涯であった。この橋は狂気そのものにちがいなかった。こんなものが、そこにかかっていなければならぬ理由は、まったくなかったし、それを人々が渡らなければならぬ理由もなかった。近くに低い岩壁があった。私は、それにもたれながら、どうすべきか、どこへ行くべきかを考えた。私は自分がいかに文明化された人間であるかを静かに自覚した――私は、周囲の人間を、会話を、本を、劇場や音楽や酒場や飲みものを、その他多くのものを必要としていることに気づいた。文明化されるということは、じつにおそろしいことだ。なぜなら、世界の涯へきたとき、孤独の恐怖に対して、まったく無力であるからだ。文明化されることは、複雑化された必要物をもつことだ。しかも、無一文《むいちもん》になった男は、一物をも必要としてはならないことを要求されるのである。私は終日タバコ畑を歩きまわりながら、だんだんはげしい不安にとりつかれた。このおびただしいタバコと、私は、なんの関係があるのか。私は、どこへ行こうとしているのか。いたるところで人々は、ほかの人々のために農作物や製品を生産しつづけている――そうしたあらゆる不可解な活動のあいだを、私はただ亡霊のようにさまよいつづけているだけであった。なにか適当な仕事を見つけたかったが、そのようなおそろしい自動的な前進のなかに加わりたくはなかった。私は、ある町を通りかかったとき、その町や周辺で起った出来事を報道している新聞を読んだ。私から見れば、なんの出来事もなく、ただ時計がとまったにすぎないように思われたのであるが、哀れな亡者どもは、それに気づかないらしい。私はさらに、あたりの空気に殺人のにおいがただよっているのを強烈に感じた。そのにおいを嗅《か》ぐことができた。それより数日前に、私は北部と南部をわけている仮想的境界線を越えていた。黒人が馬車に乗ってやってくるのを見て、はじめてそれに気づいたのである。彼は私のそばまでくると、急に立ちあがって、うやうやしく帽子をとった。髪は雪のように白く、非常に威厳に満ちた顔立ちの男だった。私は愕然《がくぜん》とした。まだ奴隷が存在していることを知ったのだ。その男が私に脱帽したのは、私が白人だからであった。むしろ私のほうが彼に脱帽すべきなのに。白人が黒人に課したあらゆる非道の拷問に耐えて生き残ってきた彼に、私は帽子をとって最敬礼すべきであったのだ。彼よりもさきに帽子をとって、私が白人の制度の味方ではないこと、また、あまりにも無知で冷酷なために率直に意志を表示できない白人の同胞にかわって衷心から詫《わ》びようとしていることを、彼に知らせるべきであった。こんにちでも、つねに私は、私に向けられた彼らの目を感じる。ドアのかげから、樹木のかげから、彼らは、じっと見守っているのだ。外見は非常におとなしく、平和に見える。黒人は、なにも言わない。つねに歌をくちずさんでいる。それを白人は、黒人が自分たちの身分をわきまえているからだと思っているが、どっこい彼らは決して承服しているわけではないのだ。待っているのである。白人のやることを一つ残さず見守っているのだ。彼らは、「いいえ、旦那《だんな》」というだけである。それでいて彼らは白人を絶滅しつつあるのだ。黒人は白人を見るとき、つねに白人に短剣を突き刺そうと身構えているのだ。南部を滅ぼすのは、酷暑でも、十二指腸虫でも、凶作でもない――それは黒人なのである。黒人は、意図しようとしまいと、つねに毒気を吐き出している。南部は、その黒人の毒気に当てられ、麻痺《まひ》しかかっているのである。
つぎへ移ろう……。ジェームズ河のほとりの、とある理髪店の外に私は腰をおろしていた。そこで十分ほど休憩して、脚の疲れをいやそうとしていたのである。店の向い側に、ホテルと商店が数軒あった。いずれも、とつぜん開店したかと思うと、なんの理由もなく、たちまちやめてしまうような店ばかりであった。私は、こんなところに生れて死ぬ哀れな人たちに、心から同情した。そもそも、こんな土地が存在すべき理由は、まったくないのだ。どんな人間にしろ、こんな通りを渡って、ひげを剃《そ》り、髪を刈り、あるいはビーフ・ステーキを買わなければならない理由など、ありそうには思えなかった。むしろ、拳銃を買ってきて、たがいに殺しあったほうがましではないのか。諸君! こんな通りなど、永久に忘れてしまおうじゃないか――まるっきり意味のない町だ。
同じ日の暮れがた、私は南部の奥深くもぐりつづけた。ハイウェイに通じる狭い道づたいに、ある小さな町から遠ざかりつつあった。とつぜん私は背後に足音を聞いてふりかえった。まもなく一人の青年が息を切らし、歯をくいしばって、呪《のろ》いの言葉を口走りながら走りすぎて行った。私はちょっと足をとめて、なにごとだろうといぶかった。そうするうちに、またうしろから足音がきこえた。こんどは老人で、猟銃を手にしていた。老人は息づかいも軽く、つぶやき一つ漏らさなかった。ちょうど彼が近づいてきたとき、月が雲間から出たので、私は彼の顔をはっきり見ることができた。彼は人間を狩り立てる追跡者だった。ほかの連中がつづいて走ってきたので、私は道の脇《わき》へよけた。おそろしさのあまり全身がふるえた。話し声から察すると、老人は保安官で、さきに走って行った若者を捕えようとしているらしい。私は恐怖におびえながら、すべてが終ったことを告げる銃声がきこえるのを待つような気持で、ハイウェイのほうへ歩きつづけた。しかし、なにもきこえなかった。ただ、さっきの若者の荒い息づかいの音と、保安官のあとにつづいた野次馬どもの気負った足音とが、いつまでも耳に残っていただけだ。それから、ハイウェイのすぐ近くまで行ったとき、一人の男が暗がりからぬっとあらわれ、非常に静かに私のそばへ近づいてきて、「どこへ行くんですか」と、やさしいまでにおだやかに問いかけた。私はつぎの町の名前を口ごもりながら言った。「悪いことはいわねえ、この町に泊んなさい」と彼は言った。私は返す言葉もなかった。彼は私を町へつれもどして、泥棒かなんかのように警察へ引き渡した。その晩、私は十五人ほどの腑抜《ふぬ》けどもといっしょに床にころがって寝た。そして、結末がギロチンでちょんになるすばらしい性的な夢を見た。
私は歩きつづけた……。あとへもどるのは、前へ進むのと同じように苦しかった。私にはもはやアメリカの市民であるという気持すらなかった。私があとにしたアメリカの一部分は――私が多少の権利をもち、自由を楽しむことのできた土地は、あまりにも遠く離れてしまって、その記憶すらおぼろになりかけていた。私は、しょっちゅうだれかが私の背に銃を向けているような感じにおそわれた。歩け、歩けという声が、私の耳をふさいでしまったような気がした。どこかの男に話しかけられたときには、あまり知性的に見えないようにつとめた。作物や天候や選挙にすごく関心をもっているかのようなふりをした。私が立ちどまると、白人も黒人も、いっせいに私を見た――まるで食用に適したおいしい生きものででもあるかのように、じろじろと私を眺《なが》めた。私は高遠な目的をもっているかのように、あるいは、どこかはっきりした目的地に向っているかのような顔つきで、何千マイルもの道を歩きつづけた。また一方、だれもまだ私を撃ち殺そうという気まぐれ心をもたないことを感謝しているような顔つきをよそおわなければならなかった。それは、憂鬱《ゆううつ》であると同時に愉快でもあった。注意人物であるのに、だれもまだ引金をひこうとはしないのだ。こうして彼らは、私がみずから身を投げて溺死《できし》することのできるメキシコ湾のほうへと、私を邪魔だてせずに、まっすぐ歩かせたのであった。
そのとおりなのだ。私はメキシコ湾へ到達してから、そのまま、まっすぐ海のなかへ入って溺死したのである。私は無料で死ぬことができた。やがて私の死体をすくいあげたとき、人々はそれにブルックリン、マートル通り、積込み渡し、としるされているのを見て、代金引換えで返送した。あとで、なぜ自殺したのかときかれたとき、私は、こう答える以外に適切な返答を思いつかなかった――「私は宇宙を電化したかったのだ」。その意味は、ごく簡単なことだった。デラウェアもラッカワナも西部も電化され、沿岸航空も電化されているのに、人間の魂は、まだ幌馬車《ほろばしゃ》時代の旧態をつづけている。私は文明の全盛時代に生れ、それをごく自然に受け入れた――ほかにどうしようもないではないか。だが、おかしなことに、だれもそれを本気にしてくれなかった。この共同社会のなかで、真に文明化されているのは、私だけだったのだ。私の考えは、いまのところまだ全然社会に受け入れられる余地はないようであった。しかし、私が読んだ本や私の聞いた音楽は、世界には私のような人間がほかにもいることを立証していた。私は、このニセモノの文明人の生活をつづける口実のために、メキシコ湾に身を投じなければならなかったのだ。言ってみれば、自分の神聖な肉体から私自身を追放しなければならなかったのである。
私は、概して以前よりもいくらか汚《よご》れがすくなくなった事実を自覚して、非常にうれしかった。私は、あらゆる責任感を、たちまち喪失した。もしも友人たちが、私に金を貸すことにいつまでもうんざりしなかったならば、私は、いつまでも無為に時をすごしていただろう。私にとって世界は一つの博物館のようなものであった。私は過去の人たちが私の手に投げてよこしたすばらしいチョコレート・レヤー・ケーキをむさぼり食う以外に、なにもすることがなかった。私が、なにものにもわずらわされずに勝手気ままに生活を送っているのを見ると、だれもが腹をたてた。たしかに芸術は非常に美しいけれども、きみは生活のために働かなければならぬ。働けば、疲れてしまって、芸術のことなど考えないようになるだろう、というのが彼らの論理であった。しかし、彼らがほんとにかんかんになって怒ったのは、私がそのすばらしいチョコレート・レヤー・ケーキに、もう一つ二つレヤーを加えてほしいと要求したときだった。これで、すべてが決定された。私は完全に気が狂っているということになった。最初のうちは、私は、なんの役にも立たない社会の一員だった。それから、食欲だけが旺盛《おうせい》な、向うみずの遊蕩児《ゆうとうじ》ということになり、それからいまや狂人になってしまったのである(この気ちがい野郎め、勝手に自分で職を探《さが》せばいいじゃないか。おれたちはもうきみにはこりごりだ!)。
この局面の変化は、ある意味では気分転換になった。私は廊下に風が吹きこんできたような爽快《そうかい》な感じがした。すくなくとも『私たち』は、もはやじっとしてはいられなくなった。それは戦争だった。しかも、私は一兵卒として戦う意欲が、多少なりとも湧《わ》いてきた。戦争は気力をよみがえらせる。血を燃えたぎらせる。この変化が起ったのは、私自身はすっかり忘れていたが、たまたま世界大戦のまっ最中であった。私は一か八《ばち》かやってみようと決意したことを友だち連中に示すために、一夜づけで結婚した。彼らは、結婚することを、なにかよろこぶべきことのように考えていたのである。私はその宣言のおかげで、たちまち五ドルほどかき集めた。友人のマグレガーは結婚許可証の料金を払ってくれ、結婚するときには散髪しなければいけないといって、その散髪代まで払ってくれた。私は、なぜひげを剃《そ》ったり髪を刈ったりしなければ結婚できないのかわからなかったが、しかし、べつに私の腹が痛むわけではないので、すなおに彼らの言葉にしたがった。あらゆる人が、私たちの生計のために、なんらかの助力をしようと熱心に世話をやいてくれるのを見るのは、ひどく興味があった。私が、ほんのすこし分別のあるところを示しただけで、俄然《がぜん》みんなが私たちの周囲にむらがり、あれやこれやと助力を申し出たのである。それが、私がこれからまじめに働くだろう――生活と真剣に取り組むだろう――という仮定に立っていたことは、いうまでもない。私が自分の代りに女房を働かせるかもしれないということなど、彼らは、まったく考えおよばなかったようである。最初のうちは、私は妻に対して非常にやさしかった。私は奴隷使いではなかった。私が彼女にねだったのは、架空の仕事を探すための電車賃と、タバコや映画その他のための小遣銭《こづかいせん》だけだった。本とかレコード、蓄音機、上等のビフテキといったような重要品は、結婚をしたために、つけで買うことができるようになった。
分割払いという制度は、あきらかに私のような男のために考え出されたものにちがいない。ほんのすこし現金で払えば――あとは運を天に任せればそれでいいのである。おれたちは生きなければならぬ、と彼らはつねにそんなことばかり言っていた。そこで私はひそかにこうつぶやいたものである――われわれは生きなければならぬ! まず生きよ、しかる後に払え! もし気に入ったオーバーコートが目にとまったら、私は遠慮なく店に入って行ってそれを買った。それも、私がまじめな男であることを示すために、その季節よりもすこし早目に買うのである。私は妻のある身分だし、たぶんまもなく父親になるのだから、冬のオーバーぐらい着ても、べつにおかしくはないだろう。それから、そのオーバーを手に入れると、こんどはそれに似合う頑丈《がんじょう》な靴をそろえようと思った――たとえば、これまでほしくても買えなかった厚いコードバンの靴を。やがて寒さがきびしくなり、職を探しに外へ出かけると、ときどきひどく空腹を感じることがあった――雨や雪やみぞれや風のなかを、くる日もくる日も、町をほっつき歩いているのは、たしかに健康的すぎるのだ――そこで私は、ときたま安食堂に立ち寄って、玉葱《たまねぎ》とジャガイモのフライのついた上等のビフテキを注文した。私は生命保険と傷害保険の両方に加入していた。結婚したら、ぜひそうしなければいけないと、みんながすすめたのである。もしある日、前ぶれもなく頓死《とんし》したら、どうするんです? ある男が、その議論に決着をつけるために、そうたずねたことがあった。それよりも前に、私は保険に加入しろといわれたとき、いつもの口ぐせで、即座にイエスと答えていたのだが、彼はそれを聞きのがしたのか、それとも、ことによると勧誘の言葉を完全に言いつくさないうちに相手に署名させるのは、規則違反だったのかもしれない。とにかく、ややしばらくして、私が保険証書によって金を借りるのには、どれだけ時間がかかるのかを、たずねようとした矢さきに、彼は仮説的な質問を発したのである――もし、ある日、前ぶれもなく頓死したら、どうするんです? それを聞いて私がふき出したのを見て、彼は、この男は頭がすこしおかしいのではないかと思ったようであった。私は笑いがとまらず、涙をぽろぽろ流して笑いつづけた。やがて彼は言った――「私は、そんなおかしなことを言いましたかね」私はやっと真顔にかえった。「ちょっと、ぼくの顔をよく見てくれませんか。ぼくが、死んじゃったあとのことまで心配するような男に見えますかね」彼はその言葉に愕然《がくぜん》としたようだった。「それはあまり道徳的な態度だとはいえないと思いますがね、ミラーさん。あなたは奥さんのことを――」
「待ちたまえ。それでは、かりにぼくが死んだあと女房がどうなろうと知ったことではないと言ったら、どうしますかね」と私はききかえした。それから、このひとことが彼の道徳的な感受性をいっそう刺激したように思われたので、私は、さらに十分な補足説明を加えた――「ぼくに関するかぎり、あんたは、ぼくが死んでも保険金を支払う必要はないですよ――ぼくはただ、あんたをよろこばせるために保険に入ろうとしているだけなのだから。ぼくは世間の人を助けようとしているんですよ。わかった? あんたは生活しなければならない。そうでしょう? だから、ぼくは、あんたの口にすこしばかり食べものを入れてあげただけのことですよ。もしあんたが、ほかにもなにか売りたいものがあったら、遠慮なく出して見せてください。いいものなら、なんでも買いますよ。ぼくは買手であって、売手じゃない。ぼくは、ほかの人がよろこぶのを見るのが好きなんだ――だから、ものを買うんですよ。ところで、あんたは週にざっとどれくらいの収入があるの? 五十七セント? なるほどね。五十七セントぽっちか。あのピアノは、たしか週に三十九セントくらいかかるはずだ。ぐるりと見まわしてみたまえ……あんたの目にうつるものはすべて週に相当の経費がかかっているんですよ。あんたは、もしぼくが死んだら、どうするか、と言ったね。ぼくが、これらのものを売った店のために死ぬつもりでいるのではないかとでも思ったのかね。笑わせてはいけない。そんなことをするもんか。金を払えなくなったら、彼らを呼んで品物を引きとってもらうだけですよ――」彼は、そわそわしはじめた。目の光が急に生気をうしなったように見えた。「話は変るが――」私は自分自身をさえぎって言った。「ちょっと一杯どうかね――保険の加入を祝ってさ」ほしくないと彼は言ったが、私は強引にすすめた。それに、私はまだ書類に署名していなかったし、これから身体検査だの、印紙や封印など、いろいろこまごました手続きが必要なことを知っていたので、その前にまず一杯のんで、そうした厳粛な事務を長びかせようと私は思ったのである。なぜなら、保険に加入したり、なにかものを買ったりするのは、私にとってはじつに大きなよろこびであったからだ。しかもそれは、私が他の市民たちと同じように一人前の人間であるという誇りに似た気分さえも私にあたえてくれたのである。そこで私はシェリーの瓶《びん》をとり出し(それだけしかなかったのだ)、彼のグラスに、なみなみと注《つ》いでやった。シェリーがなくなれば、仲間のだれかが、こんどはもっと上等のやつを買ってきてくれるにちがいないと、内心ほくそえみながら……。「ぼくもずっと昔、保険の勧誘をやったことがある」と、私はグラスをあげながら言った。「ぼくだって、ものを売ることくらいできるんです。ただ、残念ながら、ぼくは気ちがいなんですよ。今日みたいな日には家のなかで本を読んだりレコードを聞いたりしているほうがいいとすぐにそう思っちゃうんです。こんな日に外へ出て保険会社のために駆けずりまわるなんて愚の骨頂だとね。しかし、もしぼくが今日仕事に出ていたら、あんたはぼくに会えなかったわけだ。そうでしょう。だから、ここでのんびりしていて、ここへやってくる連中を――たとえば、あんたのような人を――助けてやったほうがましだと、ぼくは思うんですよ。品物を売るよりも、買うほうが、よっぽど気分がいい。もちろん買う金があればの話ですがね。うちでは、たいして金がいらないんですよ。さっき言ったとおり、あのピアノだって週に三十九セントか四十二セントしかかからないし、それから、向うにある――」
「話の途中で、失礼ですが――」と、彼はさえぎった。「ちょっとこの書類に署名していただけないでしょうか、ミラーさん」
「ああ、もちろんいいとも」と私は快活に答えた。「書類は全部そろっているのかい。最初どれに署名するの? ところで、もしあんたが万年筆を売りたいのだったら買ってあげますよ」
「ちょっと、ここに署名してください」彼は私の申し出を故意に無視して言った。「それから、ここにも。そうです。それでは、ミラーさん、私はこれで失礼いたします――いずれ四、五日じゅうに会社のほうから通知があると思います」
「なるべく早いほうがいいですな」私は彼を送り出しながら言った。「ぼくは気が変って自殺するかもしれないからね」
「はあ、はい、急がせます。それでは、さようなら、ミラーさん」
たとえ私のような真摯《しんし》な買手がついても、分割払い方式は結局失敗に終ったようである。私はアメリカの工業製品業者や広告業者を繁栄させるために最善をつくしたつもりだが、彼らは私に失望したらしかった。みんなが私に失望していた。だが、だれよりも失望した特別な人間が一人いた。それは、私と親交を結ぶために非常な努力をしていた男だったが、私は結局この男まで失望させてしまったのだ。私は、いまでも彼が礼をつくして私を彼の助手に迎えたときのことを思いだす。私は、とつぜんやとわれ、そしてまた、とつぜん馘《くび》になったのだが、そんなことには慢性になっていたので、すこしも頓着しなかった。しかし彼は、ひどく気にして、いかに私を信頼していたかを、重ねて強調した。彼は大きな通信販売会社のカタログの編集長だった。それは厖大《ぼうだい》な嘘《うそ》の概要を書きならべたもので、年に一度発行されるが、その準備にまる一年かかった。いつであったかおぼえていないが、なぜあの日に彼の会社へ立ち寄ったのか、まるっきり心当りがない。もしかしたら、終日ドックのあたりをほっつき歩いて、検査係かなにか、ろくでもない職を探していたので、すこしばかり体《からだ》をあたためたくなったのかもしれない。こぢんまりとした彼の部屋で、私は体をあたためるために長話をした。どんな職場がいいのかわからないが、とにかく職がほしい、と私は言った。彼は敏感な、しかも非常に心のやさしい人間だった。彼は、私が作家か、作家になろうとしている人間だと思ったらしく、まもなく、私の愛読書や、さまざまな作家に対する私の意見などをききはじめた。たまたま私は公共図書館で探していた本の目録をポケットに入れていたので、それを彼に見せると、「ほう、こんな本を読むんですか」と、たまげたような声を出した。私は謙虚にうなずいてから、いつものように、そうしたばかげた質問に刺激されて、そのころ読んでいたハムスン(クヌート・ハムスン、一八五九―一九五二。ノルウェーのノーベル賞作家)の作品について語りはじめた。それからは、彼はまるで私の手にまるめられたバラのようなものだった。もしよかったら私の助手になってもらえないだろうか、と言いながらも彼は、私にそういう低い地位を提供することを重ねて詫《わ》びた。仕事はごくやさしいから、全部おぼえるのに一週間もかからないだろう、と彼は言い、さらに、きみが給料をもらうまでポケット・マネーを融通してあげよう、と申し出た。そして、私がイエスともノーとも言わないうちに、二十ドル紙幣を出して私の手に握らせた。当然私は感激し、彼のために、ばかになって働くつもりになった。副編集長といえば、なかなかきこえがよかった――とくに近所かいわいの債権者どもに対してはそうだった――私は、それからしばらくのあいだ、ロースト・ビーフや鶏の丸焼や豚《ぶた》の腰肉を食べることができて、まったく幸福だった。だから、いかにもその仕事が気に入っているようなふりをしていた。実際のところは、居眠りをしないでいるのが困難なくらいだった。習得すべきことは、一週間のうちに全部習得した。そして、そのあとは? そのあとは終身刑に服しているようなものだった。それを最大限に活用するために、私は小説やエッセイや友人への手紙などを書いて時間をつぶした。同僚たちは、私が会社のためになにか新しい構想をまとめているのだと思っていたのかもしれない、だれひとり私に不審の目を向けなかった。すばらしい職場だと私は思った。私は会社の仕事を一時間ほどで処理して、一日のほとんどを、自分のことに、創作に使った。しまいには、自分の個人的な仕事に熱中するあまり、所定以外の時間には決して私の仕事の邪魔をしてはならないと部下に申し渡した。私は、いい気分で毎日をすごしていた。会社は定期的に私に給料を払ってくれるし、奴隷使いどもは、私が彼らのために計画してやった仕事に、せっせとはげんでいた。ところが、ある日、ちょうど私が『反キリスト論』と題する重要なエッセイを書いているまっ最中に、一度も会ったことのない男が私の机のそばへやってきて、私の肩ごしに上体をかがめ、私が書いたばかりの文章を、皮肉な声色で高々と読みあげはじめた。彼がだれであるか、なんのためにきたのか、それは問いただすまでもなかった。私の頭にうかんだただ一つのことは――そして私が心のなかで狂気的に何度もつぶやいたのは――退職手当をもらえるだろうか、ということだった。やがて私の後援者に別れを告げるべきときがきて、いきなり彼にこう言われたときには、穴があったら入りたい気持だった――「きみに退職手当を出すように頼んでみたのだが、全然聞き入れてくれなかったよ。ぼくは、なんとかきみのために力になってやりたいと思ったのだがね――きみは、自分でそれをさまたげてしまったのだ。しかし、正直にいうと、ぼくはまだきみに最大の信頼をおいている。ただ、きみはこれからしばらくのあいだ、いろいろと苦労をしなければならないのではないかと思うよ。きみは、どんな勤めにも向かないからね。しかし、いつかは立派な作家になるだろう。ぼくはそれを確信している。それじゃ、これで失礼する」彼は心をこめて私と握手をかわしてから、つけ加えた。「これから社長に会わなくちゃならないのでね。きみの成功を祈っている!」
私は、この事件に対して、少々心が痛むのをおぼえた。そのとき、その場で、彼の信頼に答えることができない自分が悲しかった。私はそのとき、全世界の人を前にして弁明できる身になりたかった。もし私が厚顔無恥な人間でないことを人々になっとくしてもらえるのなら、ブルックリン橋の上から飛び降りてもいいとさえ思った。まもなく私が実証して見せたように、私は鯨《くじら》ほども大きな真心をもっているのに、だれもそれを調べてみようとはしなかった。だれもが、ただ私に失望した――分割払いの商社ばかりでなく、家主も、肉屋も、パン屋も、ガス会社も、水道会社も、電気会社も、すべての人が。もし私が仕事というものに信頼をもっていたら、もうすこしなんとかなったにちがいない。しかし、私の生命を保つためには、それをどうすることもできなかった。私は、世間の人たちが、よりよい方法を知らないために、ただもう体をすり減らして働いているのを、横のほうからぼんやり眺《なが》めているよりほかはなかった。あの職場を獲得する結果となったあのときの談話を思いだすにつけ、さまざまな点で私はネーゲル氏に非常に似ていたような気がする。私は、なにをしたいのか、つねに見当がつかなかったし、自分が悪魔なのか聖者なのか、自分でもわからなかった。私たちの時代の多くのすばらしい人物たちと同じように、ネーゲル氏は向う見ずな人間だった。その向う見ずなところが彼を好ましい人間にしていた。ハムスンにしても、この人物をどうしていいのか、わからなかったのではあるまいか。彼はネーゲル氏が実存することを知っていたし、ネーゲル氏が決して単なる道化師、ないしは神秘主義者でないことも知っていたはずである。たぶん彼は、彼の創作した人物のだれよりも、このネーゲル氏を愛していたのではないかと私は思う。なぜか? それはネーゲル氏が、すべての芸術家がそうであるように、世に認められない聖人だったからだ。彼の提出する解答が、あまりにも深遠であるがために、かえって世間の人に、あまりにも簡単なものと受けとられ、嘲笑されていたからである。だれしも芸術家になろうとは欲しない――しかし、彼は世の人々が彼の正当な指導権を認めようとしないために芸術家にならざるをえなかったのだ。仕事なるものは、私にとっては、まったく無意味だった。なぜなら、真の仕事は、責任を回避することだったからだ。人々は私を怠惰な無能者とみなしていたが、私は逆に極端に活動的な人間であった。たとえそれが女を漁《あさ》ることであったにしても、ボタンをつくったり、スクリューをまわしたり、盲腸を除去するような作業にくらべれば、ずっと価値があると思うのに、なぜ人々は、私がいつ職につくのかと、うるさくたずねたりしたのだろう? なぜ私が楽しく遊び暮していると考えたのだろう? それは疑いもなく私が有益に毎日をすごしていたからだ。私は彼らに、さまざまなところから、贈りものをとどけてやった――公共図書館ですごした私の時間から、街の散歩から、女とのいちゃつきの体験から、ストリップショーを見た午後から、ときたま訪ねた博物館や画廊から。もし私が役に立たぬ人間で、毎日毎週、体をすり減らして働きたがっている憐《あわ》れむべきばか正直者であったなら、彼らは自分たちの職場を私に提供しようとはしなかったろうし、また葉巻をくれたり昼食に誘ったり金を貸すようなこともしなかったであろう。私は、たぶん彼らがそれと気づかずに金銭や技術的能力以上に価値があると考えているものを、人々に贈っていたのにちがいない。私は誇りも虚栄も羨望《せんぼう》も抱《いだ》いていなかった。だから、それがなんであるかは知らなかった。大きな問題については、はっきりと理解していたが、人生のこまごましたことに当面すると、私はとまどってしまった。この場合にも、頭がひどく混乱するばかりで、それがなんであるかをつかむことができなかったのだ。普通の人間は概して実際的な情況を把握《はあく》するのが早い。彼らの自我は、その要求と、うまいぐあいに均衡しているのだ。この世の中が、彼らの想像するものと、それほど食いちがっていないのである。しかし、一般の人たちとまったく歩調の合わない人間は、自我の極度の過剰に苦しむか、自我をまったく没却し去らなければならない。ネーゲル氏は真の自我の探求のために辛苦をなめなければならなかった。彼の存在は、彼自身にとっても、他のすべての人間にとっても、謎だった。だが私は、そんなふうに物事を宙ぶらりんのまま放っておくことができなかった――謎は、あまりにもはげしく私の興味をそそった。たとえ私が猫のように、遭遇《そうぐう》するあらゆる人間に体をすりつけなければならないにしても、私はその底に到達しようとした。火花を発するまで何度もはげしく体をすりつけて!
動物の冬眠、下等な生物に見られる生活の停止、壁紙のかげでいつまでも待機している南京虫のすばらしい生命力、ヨガ信者の陶酔、病的な強直症、宇宙との神秘的な連帯、細胞の生命の不滅性、これらのものはすべて、芸術家が世の人々を上機嫌なときに目ざめさせるために学んだものである。芸術家はX系の人種に属する。いわば彼は精神的な微生物であり、たえずある人種から他の人種へと移動する。彼は物質的ないし人種的構成の一部ではないから、不幸によって潰《つい》えることはない。彼の相貌《そうぼう》は、つねに破局と崩壊に同調している。彼は周転円のなかに住む輪転する存在だ。彼が得た経験は、決して個人的な目的のために使われることはない。それは彼に課せられた、より大きな目標に奉仕する。どんなささいなことでも、彼にとっては無駄にはならない。たとえある本を読んでいる途中で二十年間も中断させられても、まるでそのあいだに何事も起らなかったかのように、ふたたび中断されたページから読みつづけることができる。中間に起ったあらゆることは――たいがいの人にとってはそれが人生なのであるが――彼にとっては単なる前進の妨害にすぎない。彼が自己を表現した作品の永続性は、彼を冬眠させ、誕生の瞬間を告げる合図を待ちながら眠りの底に沈潜させていた人生の自動性の単なる反映にすぎない。これは大きな問題であり、私がそれを否定したときですら、明白な事実であった。芸術家を駆ってつぎつぎに言葉を生ませ、創造させる不満は、延期の無益さに対する抵抗にすぎない。彼は、はっきり目がさめればさめるほど、芸術家的微生物として、いかなることをする意欲も減退する。すっかり目がさめると、あらゆることが正当になり、夢幻の境を出る必要がまったくなくなる。芸術作品の創作という行動は、死の自動的な原理の容認である。私はメキシコ湾に身を投じることによって、成熟して生れかわるまで真の自己を冬眠させる活動的な生活に参加することができたのだ。私は向う見ずに、めちゃくちゃに行動していたが、そのことだけは完全に理解していた。私は、ふたたび人間の行動の流れのなかに身を投じ、ついにあらゆる行動の源泉に達して、ある電信会社の人事係長という肩書をつけてそのなかへむりやり押し入り、人間性の潮《うしお》が白い大きな波浪《はろう》となって私を洗うのに身をまかせた。絶望的な最後の行動に先立つこの活動的な生活は、私を疑問から疑問へとみちびき、繁栄せる偉大な文明の証査によって抹殺《まっさつ》されたある大陸のように、すでに海面から没していた真の自己を、ますます見うしなわせることになった。巨大な自我が海中に沈み、そしてその海面を狂気のように動きまわっている人間の姿が、人々の目に映った――それは目標物を探し求める魂の潜望鏡であった。射程距離内にあるあらゆるものが粉砕される運命にあった。もし私が、ふたたび海面に浮びあがって泳いだならば、きっと私はその運命に出あったにちがいない。しかし、目標物に死のねらいをさだめるためにときどき浮上し、やがてまた潜行して、やすみなく彷徨《ほうこう》しつづけるその怪物も、やがて時がくれば、箱舟のような姿を海面にあらわし、すると同じような舟がそのそばに寄り添い、それから最後に洪水《こうずい》が退くと、高い山の頂の上に定着して、ドアを開き、破滅からまぬがれた世界へともどるのだ。
私が自分の活動的な生活をふりかえってみるとき、ときどき身ぶるいを感じ、あるいは悪夢になやまされることがあるとすれば、それは私が昼寝をしているあいだに強奪・殺戮《さつりく》した人々のことを考えるためかもしれない。私は自分の天性が命じるすべてのことをやった。私の天性は、永続的に私の耳にこうささやきつづけるのだ――「もしおまえが生存したかったら、ほかの人間を殺さなければいけない!」人間であるから、獣のような殺しかたではなく、機械的な殺しかたをしなければならない。しかもそれは偽装され、かつ無数に分岐しているから、いちいちそれを考えたりせずに、また殺す必要もないのに殺さなければならないのである。もっとも高貴な人たちこそ最大の殺人者なのである。彼らは仲間たちのためにつくしていると信じている。まじめにそう信じこんでいる。だが彼らは冷酷非常な殺人者なのだ。だから、ふと目をさましたとき、自分の罪を自覚すると、その罪ほろぼしに、熱狂的な、騎士《きし》気どりの慈愛をほどこそうとするのである。人間の慈愛は、彼らのなかに住む悪魔以上に醜悪なものである。なぜなら慈愛は自白ではなく、意識的自我の確証でもないからである。断崖《だんがい》から突き落される瞬間には、自分のあらゆる所有物をかなぐり捨て、ふりかえって、あとに残っているすべての人に最後の抱擁を求めるのは容易なことなのであるが……。われわれはどうして、がむしゃらな突進をやめないのか? なぜ、おたがいに相手を断崖から突き落しながら機械的に突進するのをやめないのか?
「ここに入るものは、あらゆる希望を捨ててはいけません!」と書いた立札が立っている机を前にして坐ったとき――そこで、イエス、ノー、イエス、ノーとつぶやいたとき、私は自分が社会によってガトリング銃を手にもたされたあやつり人形であることに気づいて、凍えるような絶望感におそわれたことがあった。たとえ私が善良な行為をしたとしても、究極的には、悪質な行為をした場合と、なんら異なるところがないのだ。私は、数学的におびただしい人間性を結びつける等号のようなものであった。それは戦時中の将軍のように、やや重要な、活動的な等号ではあったが、しかし、いかに私が有能になろうとも、私は絶対にプラスないしマイナスの記号に変ることはできなかったのだ。私だけではなく、すべての人がそうであったと断定してもいいと思う。私たちのあらゆる生活は、この等式の原理の上に築かれていた。整数は死のために踊らされている記号と化してしまっていた。同情、絶望、情熱、希望、勇気――それらのものは、さまざまな角度から等式を見ることによって生じる一時的な屈折作用であった。それに背を向け、あるいは、まともに相対して、それを書くことによって際限なく糊塗《こと》することをやめたところで、なんの甲斐《かい》もなかった。鏡の広間のなかでは自分自身に背を向ける方法はないのだ。
「私はこんなことはしたくない。だから、なにかほかのことをする!」――それは結構だ。しかし、全然なにもしないでいることができるだろうか。なにもしないということについて考えるのをやめられるだろうか。完全に静止して、虚心|坦懐《たんかい》に、自分の真理をひろめることができるだろうか。この考えは、いつも私の脳裏をはなれず燃えつづけていた。私が最も包容力に満ち、最も生気に輝き、最も同情的、好意的で、真摯《しんし》であったときに、私に光明を投げていたのは、この固定観念であった。そして、私は機械的につぶやきつづけた――「いや。とんでもない……つまらんことさ……礼を言われるほどのことじゃないよ」私は一日に何百回も銃を射《う》ったので、銃声にすら気がつかなかったのではあるまいか。鳩《はと》の罠《わな》を開けて、あの乳白色の鳥で空を埋めているような気持だった。読者は映画で、人造の怪物フランケンシュタインを見たことがあるだろうか。彼が銃の引金をひく訓練を受けながら、同時に鳩を飛ばしてやることができようとは、読者だって想像もつかなかったにちがいない。フランケンシュタインは架空の人物ではない。彼は、感受性に富んだ人間の個人的な経験から生み出された現実の創造物なのである。血と肉の比率を度外視されたとき、あの怪物は、かえっていっそう迫真力をもつのだ。スクリーン上の怪物は、想像上の怪物とくらべたら、無にひとしいということができる。警察署へ殺到する現存の病的な怪物どもすら、病理学者の住む奇怪な現実の微力な実証にすぎない。しかしながら、怪物であると同時に病理学者でもあるということが、睡眠が不眠症よりもはるかに危険であることを知りつくしているある種の人たち――芸術家に変装した人たち――には、許されているのだ。彼らは、眠りこんでしまわないために、しかも、『生活』といわれるあの不眠症の病魔にとりつかれないために、際限なく語句を組みあわせるという一つの薬品を常用する。それは機械的な前進ではない、と彼らはいう。なぜなら、いつでも自由にそれをやめることができるという幻想が、その薬品によって、つねにあたえられているからである。だが、彼らは前進を停止することはできない。彼らは幻想をつくり出すことに成功しているだけであって、それは、微弱な力ではあるにせよ、完全に目ざめて、活動的でも非活動的でもない状態になることからは、ほど遠いのである。
私は人生を絶対的に受け入れるために、これについて語ることも書くこともせずに完全に目ざめたいのである。私が世界の僻遠《へきえん》の地の原始人たちと、ひんぱんに文通したことは、前に述べた。なぜ私は、それらの『野蛮人』が、私の周囲の男女よりも、はるかに私を理解してくれると考えたのだろう? こんなことを信じるのは、私が気が狂っているせいだろうか? しかし私は決してそうは思わない。あの『野蛮人』どもは、現実の偉大な急所を握っていたにちがいない初期の民族の末裔《まつえい》なのだ。衰えた光彩のなかに、いまだに踏みとどまっている、これらの過去の人間たちのなかに、たえず私は〈民族の不滅性〉を見るのである。人類が不滅か不滅でないかというようなことは、私の関心事ではない。民族の生命力が問題であり、それが活動的か、眠っているかが、さらに重要なのである。新しい民族の生命力がうしなわれるにつれて、古い民族の生命力が、めざめつつあるものには、いっそう大きな意味をもってくるのである。古い民族の生命力は、死のなかにすら残っているが、滅びかけている新しい民族の生命力は、もはや存在しないように思われる。ひとりの男が、巣箱に入れた蜜蜂《みつばち》をおぼれさせるために河へもって行こうとしている……そんな幻影が、いつも私の心からはなれなかった。もしかしたら私は、その男であって、蜜蜂ではなかったのかもしれない。ある漠然《ばくぜん》とした説明しがたい理由から、私は、自分がその男であって、ほかの人たちのように巣箱のなかでおぼれ死ぬようなことはないのだという自信があった。私は集団のなかへ入ったときには、いつも人々から離れているようにと自分に合図を送った。生れつき、そんな素質をもっていたのだ。そして、どんな試練をも切り抜けた。それが決して破局的な、致命的なものでないことを、私はすぐにさとってしまうのである。また私は、立てと声をかけられたときにも、奇妙な予感がした。私は、私に命令するものよりも、つねに優位にあることを知っていたのだ。私が行なったおびただしい屈辱的な行為は、決して偽善的なものではなくて、その情況の運命的な性格をさとったことから生じた状態だった。
まだほんの青二才のころから、私は自分のもっている叡知《えいち》に、自分でびっくりしたものである。それは『野蛮人』の叡知であり、つねに文明人のそれよりもすぐれており、危急の場合には、はるかに適切な判断を下すことができた。それは生命の叡知だった――たとえ生命が彼らのそばから離れてしまったように見える場合でも。私は、人類の残りの人たちがまだその完全なリズムを把握していないある領域に飛びこんでしまったのではないかと思うことがあった。もし私が彼らといっしょに残って、他の領域へ迷いこまなかったならば、おそらく私は停頓《ていとん》を余儀なくされたことだろう。しかし、その反面、私は周囲の人たちよりも、あらゆる点で低劣だった。まるで私という人間は、完全に浄化されずに地獄の火のなかから出てきたかのようであった。いまだに私は尻尾《しっぽ》と二本の角をもっており、熱情が湧《わ》きおこると、消えかけた地獄の火の毒が、ふたたび勢いをもりかえすのである。私はいつも『幸運な悪魔』と呼ばれた。たまたま私が身につけた長所は『幸運』といわれ、私の欠点から生じた結果は、つねに『悪魔』と見なされた。というより、目さきのきかない私の愚かさから生じたものだと思われた。結局、私の内部の悪魔を見たものは、ほとんど一人もいなかったのである。その点、私も悪魔そのもののように抜け目がなかった。しかし、人々が見通していたように、私はしばしば、はなはだしく目さきがきかないこともあった。そんなときには、ひとり私はとり残され、悪魔そのもののように除《の》けものにされた。そんなときには、私は自分からすすんでこの世を去り、地獄の火のなかへ帰った。このように現実と地獄のあいだを行ったりきたりすることは、私にとって、きわめて現実的であり、実際そのあいだに起ったどんな出来事よりも、はるかに真実性をもっていた。私を知っていると考えていた友人たちにしても、真の私が、かぞえきれないほどしばしば持主を変えたということから考えると、まったく私を知らなかったといっていい。私に感謝した人たちも、私を呪《のろ》った人たちも、相手を知らなかったのだ。
だれひとり私と心から結びつくことはできなかった――なぜなら私は、たえず自分の個性を流動体にしていたからだ。私は『個性』なるものを不定なものにしておいて、そのときどきの適切な人間的リズムに合うように、それが凝固するのを待った。また私は、世間と歩調を合わせることができるようになるまで顔をかくしていた。もちろん、これはすべてまちがいであった。たしかに、目的を達するまでは、芸術家の役をつとめることも価値があった。たとえ無益な行為に終っても、行動は重要なものである。人間は、たとえ最高の位についても、イエス、ノーと言ってはならない。たとえキリストのようになるためであっても、人間的な波浪にのまれてはならない。どんなことがあっても、自分のリズムを守らなければならない。私は、わずか数年のうちに、数千年の経験を積んだが、それは私にとっては、全然必要でない、無駄な経験にすぎなかった。私はすでに十字架にはりつけにされていたのである。私は苦しむ必要のない人間に生れついていたのだが、ドラマをくりかえす以外に前へ進む方法がなかったのだ。私の叡知は、そのことに反対した。苦労しても無駄だと、私の叡知は、くりかえし私に忠告した。だが、私は自分からすすんで苦労をつづけた。苦労は私に、なにも教えはしなかった。ほかの人たちには、苦労ということも必要かもしれないが、私にとっては、それは精神的な非適合性の数学的な羅列《られつ》以外のなにものでもなかった。現代の人間が苦労しながら演じているあらゆるドラマは、私にとっては存在しなかった――実際、存在しなかったのである。私のキリスト受難物語は、すべて、忘れ去られるおそれのある真の罪人のために赤々と燃える地獄の火を絶やさぬようにする偽りの悲劇であり、バラ色の十字架の物語であった。
もう一つ……。私の行動をつつむ謎をもうすこし深くほりさげてゆくと、同じ腹から生れた近親者との関係に到達する。私を生んだ母は、私にとっては、まったく見ず知らずの女だった。まず私を生んだ後、彼女は私の妹を生んだわけだが、私は、いつもその妹が、兄のように思えてならなかった。妹は一種の無害な怪物であり、白痴の肉体をそなえた天使であった。知能的な萎縮児《いしゅくじ》として一生を送る運命にあったこの妹と、ともどもに発育し、大きくなってゆくことが、少年の私には、なにか奇異なことのように感じられた。その隔世遺伝的|畸形《きけい》の持主を『妹』と見なすことは不可能であったから、彼女の兄になることは、とうてい私にはできなかった。オーストラリアの原始人のあいだでなら、彼女も立派に女としての働きができたかもしれないなどと、ときどき私は思ったりした。彼女は天使の素質をもち、いっさい邪悪というものを知らなかったから、原始人のあいだでなら権力と名声をかちえたかもしれない。しかし、文明社会のなかで生きるかぎり、彼女は全然無力だった。彼女は他人を殺す意欲をもたないだけでなく、他人を犠牲にして自分をのばす意欲もなかった。彼女は働く資格もなかった。なぜなら、たとえ訓練を受けて高性能爆弾の弾頭をつくれるようになったとしても、家へ帰る途中で、ぼうっとなって、給料を河へ投げこんでしまうか、街の乞食《こじき》にくれてやるかするにちがいないからだ。彼女が――人に言わせると――放心状態になっているときに、〈ある美しい慈善行為〉をしたために、私の目の前で犬のように鞭《むち》でぶたれたことが、たびたびあった。
私は子供時代に身にしみて感じたのだが、理由もなく親切な行為をするほど悪いことはないのである。私も、はじめのうちは、妹と同じ懲罰を受けた。私もやはり、物を人にくれてやる悪癖があり、とくに、もらったばかりの新しいものほど、それがひどかったからだ。五つのとき、母に指のイボを切りとったほうがいいと忠告したために、さんざん折檻《せっかん》されたことさえある。ある日、母は、そのイボをどうしたらいいだろうと私に相談した。そこで私は、かぎられた医学知識にもとづいて、鋏《はさみ》で切りとってしまったらいいではないか、と言ったのだ。あきれたことに母はそのとおりにした。数日後に、母は敗血症になった。母は私をつかまえて、「おまえが切れと言ったからだ」と言って、さんざん私を殴《なぐ》りつけた。その日から私は、とんでもない家庭に生れたことを知った。ついでに、私の適応性について語ろう。私は十歳までに進化論の全過程を終了していた。動物的生活の全段階は、すでに卒業してしまっていたのだが、まだ、『妹』と呼ばれるあの生物にだけは拘束されていた。彼女は明白に原始的存在で、十九歳になってもアルファベットをおぼえることができなかった。私は、まっすぐに伸びる木のようにたくましく成長せずに、重力の法則に抗して片側へ傾きはじめた。枝や葉をつけずに、窓や小塔をつけた。成長するにつれて、全体が石に変ってゆき、高く伸びるにしたがって、私は重力の法則を、ますます無視するようになった。私は、ある風景のなかの珍奇な事物となり、それがまた人々の目をひき、賞讃の的となった。私たちを生んだ母が、もしもう一度だけ努力してくれたなら、きっと、すばらしい白い野牛が生れて、私たち三人は、博物館のなかに永久に保存され、生活を保障されたにちがいない。人間の血液をもったピサの斜塔と、笞刑《ちけい》用の柱と、いびきの発生器と、人間の肉体をそなえた翼竜《よくりゅう》のあいだでかわされた会話は、ひかえめに言っても、いささか異様なものだった。
どんなことでも話題になった――『妹』がテーブルクロスを掃除《そうじ》するときに見落したパン屑《くず》でも、また、父の仕立屋的感覚では、当然ダブルか、カットアウェイか、フロックにすべきであるという派手なジョゼフのコートでも。私が氷の張った池で午後からずっとスケートをして帰ってくると、大切なことは、私が無料で呼吸してきたオゾーンでもなく、私の筋肉を強靱《きょうじん》にしてくれる幾何学的旋回でもなくて、留め金の下のほんのわずかな錆《さび》を、いますぐとってしまわないと、スケート全体の質を低下させ、ひいては実用的価値の消滅をもたらすということであった。しかし、この理屈は、いくら首をひねっても、私にはなっとくができなかった。ふざけた例をひけば、この小さな錆は、連鎖的に、最も幻想的な結果を惹起《じゃっき》する可能性があったのである。ことによると『妹』が、灯油の罐《かん》をさがしているうちに、干しスモモを煮ている鍋《なべ》をひっくりかえし、夕食に必要なカロリーをふいにすることによって、私たちの生命を危険におとし入れるかもしれなかったのだ。彼女は猛烈に殴りつけられるだろう――だが、怒ると消化器官に支障をきたすというので、怒らずに、無言のまま、しかも効果的に、あたかも化学者が成分を分析するために卵の白身を細かに叩《たた》きつぶすようなぐあいに。しかしながら『妹』は、この制裁の予防医学的性格が理解できず、血を吐くような悲鳴を発するのであった。これが父には大きなショックだった。父は、そそくさと散歩に出て、二、三時間後には、へべれけに酔って帰ってきた。しかも、もっと悪いことに、父は、千鳥足で家へ入るときに、回転ドアのペンキをすこしばかりひっ掻《か》いてはがしてしまったのである。そのはがされたペンキの小片が、大乱戦を招来し、それが私の夢の生活に非常に悪い作用をおよぼした。なぜなら、私は夢の生活のなかで、しばしば妹と交代して、彼女に加えられる折檻を甘んじて受け、それを極度に感受性の強い私の頭脳によって、はぐくみ育てていたからである。私が古代の神秘や、秘法伝授の儀式や、魂の転生というようなことについて雑然たる知識を得たのは、これらの夢のなかにおいてであり、その夢は、つねにガラスの破れる音や悲鳴や罵声《ばせい》やうめきや泣き声をともなっていたからである。
それは現実の生活の一場面からはじまる。妹は台所の黒板のそばに立っており、母は定規をもって娘の上にそびえ立っている。二と二を足したら? と母はたずねる。妹は六と叫ぶ。ピシャリ! ちがったわ、七だわ。ピシャリ! じゃ、十三……十八……二十! 私は、こうした場面のなかで、現実の生活と同じように、テーブルに向って勉強している。そして、定規が妹の横っ面《つら》をピシャリとやるときには、私はいきなり反転して、キカプー族やレニレナピ族のようにガラスを知らないある別の国にいるのである。周囲の人間の顔は、みな見なれたもの――私の親族の顔ばかりならんでいるのであるが、どうしたわけか、この新しい環境では、彼らは私であることがわからないようである。彼らはみな黒い衣裳を着て、肌《はだ》の色はチベット人のようにどす黒い。みなナイフやその他の拷問の道具を手にしている。彼らは冷酷な屠殺《とさつ》業者の階級に属しているのだ。私は絶対的な自由と神の権威をもっているかに見えたが、事件は奇妙に気まぐれに変化して、最後には私は犠牲台《いけにえだい》の上に横になっている。そして私の新しい家族の一人が、ぎらぎら光るナイフで私の心臓をえぐり出そうと私の上にのしかかってくるのである。私はナイフの切尖《きっさき》が私の心臓を探しているのを感じながら、恐怖と汗にまみれて、『私の教科書』を、甲高《かんだか》い、悲鳴のような声で、だんだん早く暗誦しはじめる。二たす二は四、五たす五は十、十一、空気、火、水、月曜、火曜、水曜、水素、酸素、窒素、メオシーン、プレオシーン、イオシーン、父、息子、聖霊、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、オーストラリア、赤、青、黄、栗《くり》色、柿《かき》、ポーポー、キササゲ……だんだん早く……オーディン、ウォタン、パーシファル、アルフレッド王、フレデリック大王、ハンザ同盟、ヘイスティングズの戦闘、テルモピレー、一四九二年、一七七六年、一八一二年、ファラガット将軍、ピケットの進軍、ライト族団、われら今日ここに集《つど》いたり、神はわが羊使い、一あまり……十六、いや、二十七、ああ、助けて! 人殺し! 声をはりあげて叫ぶうちに、私は完全に気が狂ってしまい、彼らは私の体のあらゆる部分をナイフで突き刺しつづけるのだが、もはや、なんの苦痛も、なんの恐怖も感じられなくなる。それから、とつぜん私は絶対的な平静にかえり、犠牲台《いけにえだい》の上に横たわった私の体は、彼らがまだ歓喜に酔ったようにしてなぶりつづけているのに、なんの感覚もない――なぜなら、その体の所有者である私は、そのときにはすでにそこを脱出してしまっているからだ。私は、この場面の上にかたむいている石の塔になり、科学的な興味をもってそれを眺《なが》めている。私は重力の法則に屈服しさえすれば、彼らの上に倒れて、抹殺《まっさつ》することもできるのであるが、おそろしくて、どうしても重力の法則にしたがうことができない。その恐怖が私をすくませ、私は次第に窓になってゆく。光が石を透して私の内部へ射《さ》しこむにつれて、私の脚部が見える。それは地中にあって生きている。私は、いつかまたこの麻痺《まひ》状態から脱《ぬ》け出して自由に動けるようになると確信する。
夢では、私は救いようのないほど固く釘《くぎ》づけになっていたが、現実のなかでは、親しい親戚のものがやってくると、私は鳥のように自由に飛び、磁針のようにめまぐるしく駆けまわった。彼らが一つ質問をしたら、私は、つぎつぎと、それぞれ前よりも優秀な解答を五つも答えた。彼らがワルツを弾《ひ》いてほしいと言えば、左手のための二重奏ソナタを弾いた。彼らが鶏《とり》の腿肉《ももにく》をもう一度食べろと言ったら、皿についたソースまで、ペロリとたいらげた。彼らが外へ出て遊ぼうと言ったら、外へ飛び出して行って、熱狂のあまり、いとこの頭をブリキ罐で叩き割った。彼らが、ぶちのめしてやるぞとおどかしたら、やるならやってみろと言いかえした。彼らが私の学校の成績があがったのをほめたら、もっとむずかしい課程を勉強したい気持を相手に知らせるために、床の上に唾《つば》を吐いた。彼らが私にやってもらいたいと思っていることは、なんでもやった。静かにしろ、黙っていろ、と言われれば、石のように沈黙した。彼らが話しかけても、私の耳はそれを受けつけなかった。こづかれても、びくともしなかったし、つねられても声をあげなかった。強情張りだといって苦情を言われれば、ゴムのようにすなおになり愛想よくなった。おまえは、あまりに元気がよすぎる、すこしくたびれてもらいたいものだ、と言われると、私は彼らが言いつける仕事を片っぱしからやってのけ、しまいには大麦袋のように床の上にへたばって見せた。合理的になれと言われれば、極度に合理的になって彼らに悲鳴をあげさせた。すなおに人の言うことにしたがえと言われれば、私は文字どおり彼らの言葉にしたがって、はてしない混乱をまきおこした。これらはすべて、兄と妹の分子の生命が、私たちに充当された原子の重量と食いちがっていたことに原因があった。妹が全然成長しないので、私はキノコのように成長した。妹はまったく個性をもたなかったので、私は巨像になった。妹は悪に染まるということがなかったので、私は三十二の枝のある悪の大燭台になった。妹は他人になにも要求しないので、私はあらゆることを要求した。妹はいたるところで嘲笑の的になったので、私は畏怖《いふ》と尊敬の的になった。妹はつねに侮辱され、いじめられたので、私は友人であると敵であるとを問わず、あらゆる人間に対して復讐した。妹が無力だったので、私はあらゆる力をそなえるようになった。私がとりつかれていた巨大症は、いわば家族のスケートについた小さな錆を拭《ふ》きとろうとする努力の結果であった。留め金の下の小さな錆は私をスケート王にした。私は非常なスピードで、しかも勇猛果敢にすべるようになり、氷が融《と》けてしまっても、まだ私はすべりつづけていた。泥のなかを、アスファルトの上を、小川や大きな河や、メロンの皮や、経済理論や、その他の上を、すべりつづけた。地獄をスケートで走り抜けることもできた。私はそれほど機敏で、すばしこかったのである。
しかし、こうしたでたらめなスケートは、なんの役にも立たなかった。パン・アメリカン・ノア教会のコックス神父は、いつも私を箱舟へ呼びもどした。私がスケートをやめると、かならず大洪水が起り――地球が大きな口をあけて私を呑《の》みこんだ。私は、あらゆる人間に対して兄弟になった。同時に私自身に対しては裏切りものになった。私はもっとも驚嘆すべき犠牲を捧《ささ》げたにもかかわらず、それがなんの価値もないことを、意味もなく発見するだけであった。期待されているようなものにはなりたくないのに、我慢してそうなることができることを証明できたとしても、それがなんの役に立とう? 私たちは、私たちに要求されているものの限界に到達したときも、同じ問題に逢着《ほうちゃく》するにちがいない。自分自身になることだ。そして、私たちがその方向に最初の一歩を踏み出したとき、私たちはそこにプラスもマイナスもないことを知るだろう。そして、スケートを投げ出して泳ぐだろう。そこには、もはや私たちの安全をおびやかすことができるものはない。だから、なんの苦悩もなくなる。もはや私たちは他人を助けてやりたいなぞという欲求はもたなくなるだろう。なぜなら――彼らがみずからかちとるべき特権を、強《し》いて奪ってしまう必要はすこしもないからだ。生命は刻一刻、広大な無限へとのびてゆく。私たちが想像するもの以上に現実的なものは、どこにもないのである。宇宙をどんなふうに考えるにしろ、それはそのとおりのものであって、あなたがあなたであり、私が私であるかぎり、それは他のものではありえないのだ。私たちは、私たちの行動の果実のなかに住んでおり、私たちの行動は私たちの思索の収穫にほかならない。思索と行動は一つである。なぜなら、私たちは、そのなかで泳ぎ、そのものになり、しかもそれは私たちの欲するすべてのものになるからだ。水のひと掻《か》きひと掻きが、永遠の価値をもっているのである。煖房装置と冷房装置は一つの施設であり、北回帰線と南回帰線は、想像の線によってへだてられているにすぎない。私たちは有頂天にもならず、深刻な悲しみにひたることもせず、雨を求めて祈ることもせず、ジグを踊ることもしない。ただ大海のまっただなかにある幸福な岩のように生きるだけだ。周囲のものはすべて狂乱的な動きのなかでゆれ動いているが、私たちは不変なのだ。なにものも変転をまぬがれず、もっとも幸福な巨大な岩ですら、いつかはすっかり崩《くず》れて、それを生んだ海のように流れ去るだろうという考えを許容する現実のなかで、私たちはいつまでも不変なのである。
それは音楽的生活であった。私は外面から内面へ通じる玄関や廊下を、狂人のように、はじめてスケートですべりながら、それに近づこうとした。しかし、いくらあがいても、どんなに狂暴に動きまわっても、いくら人間性と腕を組んでみても、そのそばへ近づくことができなかった。ただ円を描いて動きまわっているだけで、その周辺がいくら拡大しても、私の領域は、つねにそれと平行を保っているのだ。運命の車輪は、その表面のあらゆる点が真実の世界と接触しているのだから、いつ、いかなるときでも、それを超越することができるし、奇蹟《きせき》をもたらし、スケーターを泳者に変え、泳者を岩に変えるためには、ただ一閃《いっせん》の啓蒙《けいもう》の火花が必要であるにすぎない。その岩は、車輪の無益な回転をとめ、その人間を完全な意識のなかへ投げ入れる行為の幻影にすぎない。そして完全な意識は、さながら、太陽や月に没入し、そしてまた太陽や月を包容する無尽蔵の大海を思わせる。あらゆるものは無限の光の海から生れるのだ――夜すらも。
私はときどき、その車輪の絶えまない回転のなかに、私に必要な飛躍の性格を瞥見《べっけん》した。それは、時計仕掛けから――自由な思索から――飛躍することであった。地上のもっとも聡明《そうめい》な狂人と異なったあるものになることであった。地上の人間の物語は、もうあきた。征服――悪魔の征服ですらも、私はもうあきてしまった。善をひろめるのはすばらしいことだ。それは強壮剤になるからである。しかも、ただ単に|ある《ヽヽ》ことは、もっとすばらしい。なぜなら、それは無限であり、なんの実証をも要しないからだ。|ある《ヽヽ》ことは音楽である。それは沈黙のための沈黙の冒涜《ぼうとく》であり、したがって善と悪を超越する。音楽は能動性をもたない活動の表示である。それは音楽自身のなかで泳ぐ純然たる創造行為なのだ。音楽は激励も弁護もしない。求めもしないし、説明もしない。音楽は意識の大海を泳ぐものによってつくられた雑音のない音の世界である。それは、自分自身によってのみあたえられる報酬である。神について考えるのをやめたものに対してあたえられる神の贈りものである。それは、|ある《ヽヽ》ものがすべて想像の彼方《かなた》に|ある《ヽヽ》ようになったときに、すべての人間がなるにちがいない神の予言者である。
終楽章
さほど遠くない昔、私はニューヨークの街を歩いていた。なつかしいブロードウェイ。夜で、空はベビーローン通りのパゴダの天井をいろどる金色のような青、東洋風な青であった。私はちょうど、私たちがはじめて会った場所の下を通りかかった。私は、しばらくそこで足をとめ、窓のなかの赤い灯を見あげた。音楽が、昔と同じように、軽快に、魅惑的に流れていた。私はひとりぽっちであったが、周囲には私をとりまいて群集の波があった。そこに立っていながら、ふと、彼女のことをまったく考えていないことに気がついた。私はただ執筆中のこの本のことだけを考えていたのである。この本は、私にとって、彼女よりも、彼女とのあいだに起ったあらゆる出来事よりも、ずっと重要なものになってしまったのだ。この本が、まじりけなく真実なものでありますように――真実以外のなにものでもないように――と神に祈っていた。私は、ふたたび人ごみのなかへ入りながら、『真実』という問題と取り組んだ。私は何年も前からこの物語を書こうと試みてきたのであるが、いつも真実という問題が悪夢のようにのしかかってきて、筆がすすまなかった。私は何度も私たちの人生について詳細に人々に語ったが、それはいつも真実であった。だが、真実はまた嘘《うそ》でもありうるのだ。真実だけでは十分ではないのである。真実は、無尽蔵である全体の核にすぎないのだ。
私は、私たちが最初に別れたそのとき、この全体という概念に髪の毛をつかまれたことをおぼえている。彼女は私と別れるとき、別れることが二人の幸福のために必要なのだと思っているふうをよそおっていた。あるいは実際そう信じていたのかもしれない。ひそかに私は、彼女が私の束縛から離れようとしていることを知っていたが、臆病《おくびょう》な私は、それを認めるのがこわかった。しかし、たとえかぎられた期間にせよ、彼女が私なしでもやっていけることがわかったとき、私がそれまで隠蔽《いんぺい》してきた真実が、おどろくべき早さで成長しはじめた。これは最も苦痛に満ちた経験ではあったが、一方それは薬にもなった。心が完全に空白になり、孤独感がそれ以上はきびしくなりえないところまで達したとき、私は突如として、この耐えがたい真実は、個人的な不幸の枠《わく》よりももっと大きなもののなかに織りこむべきだと感じた。最もおそろしい真実ですら破壊することができないほど強靱な弾力性のある繊維の世界、別個の世界への、目に見えないスイッチをつかんだと私は感じた。私は彼女に手紙を書き、きみをうしなったことを思うと、たまらなくみじめな気持になる。だから私は、きみに関する本――きみのすがたを永久につたえる本――を書く決心をした、と告げた。その本は、だれもいまだかつて読んだことのないようなものになるだろう、とも書いた。それから私は、胸をはずませながら散歩に出たが、その途中で、とつぜん自分に向って問いかけた。なぜおれはこんなにうれしいのだろう、と。
ダンスホールの下を通りすぎて、ふたたびこの本のことを考えていたとき、ふいに私は、私たちの人生が終ってしまったことをさとった。私が計画している本は、彼女と――彼女のものであった私と――を埋める墓にほかならないことをさとったのである。それは、かなり以前のことである。それ以来、ずっと私は、この本を書こうと努力しながら、どうしても書きだせなかった。なにがそんなにむずかしかったのだろう? なぜ? それは『終局』という考えが、私には耐えられなかったからである。
真実は、その苛酷《かこく》にして無情な『終局』の認識のなかにある。私たちは真実を知ってそれを受け入れることもできるし、その認識を拒否して死ぬか生れかわるかすることもできる。また、そのような方法で、永遠に生きることも可能なのである――原子のように固形化した、完全な、あるいは分散した、断片的な、消極的な人生を。そして、もし私たちが、その道をはるかに遠くまでたどって行ったならば、この原子的永久性は無に帰し、宇宙それ自体が崩壊するであろう。
私は長年のあいだ、この物語を書くことを試みてきた。そして、書きだすたびに、ちがった道を選んだ。世界一周を企てながら、羅針盤《らしんばん》をもつ必要がないと考えている探検家に似ていた。しかも、それをあまりにも長いあいだ夢みてきたために、物語自体が要塞《ようさい》化された広大な都市に似ていた。そして、それをくりかえし夢みてきたこの放浪者は、その都市の外側からやってきて、やっと門の前まではたどりつくのだが、疲れてしまって、なかへ入ることができなかった。しかも、私の物語がおさめられているその都市は、放浪者の私が入るのを執拗《しつよう》に拒んだ。それは目の前にありながら、まるで雲の上にうかぶ幻の城のように、手がとどかなかった。やがて、銃眼をそなえて高くそびえ立っている胸壁から、巨大な白鳥の群れが、整然と、くさび形の編隊を組んで飛んできて、青白い翼の先端で、目くるめくように輝いていた私の夢を払いのけた。私は脚がもつれてよろけた。あわてて足場を見つけるのだが、すぐまたそれを見うしなってしまった。私は、私の人生が一目で望見できる堅固な、確乎《かくこ》たる足場を求めてさまよい歩いたが、しかし私の背後にあるのは、入りみだれた、おびただしい足跡だけであり、首をチョン切られたばかりの鶏が狼狽《ろうばい》して発作的に駆けまわっているだけだった。
自分の人生をかたどった特殊な模様を自分自身に説明しようとするとき――いわば神に還《かえ》るとき、私は必然的に最初に愛した女のことを考えた。あらゆることが、あの失敗に終った事件に端を発しているように思われたのである。奇妙な、マゾヒズム的な、同時に、ばかばかしい悲劇的な事件だった。たぶん私は彼女と、ほんの二、三度、接吻のよろこびを味わっただけではなかったか――それも女神にするような遠慮がちな接吻だった。彼女と二人で会ったことも、数回しかなかった。私が一年以上ものあいだ、窓辺《まどべ》に立つ彼女の姿をひと目見たさに、毎晩彼女の家の前を通ったことを、彼女はきっと夢にも思ってみたことがなかったにちがいない。毎晩、夕食がすむと、私は遠まわりして彼女の家の前に通じる長い道を歩いた。私が通りかかったとき、彼女が窓辺に立っていたことは一度もなかったし、私は、彼女の家の前に立って彼女があらわれるのを待つだけの勇気をもったことは一度もなかった。私は行きつ戻りつしていたが、彼女の髪も肌《はだ》も、まったく見ることができなかった。なぜ彼女に手紙を書かなかったのだろう。――なぜ彼女に電話をかけなかったのだろう。一度、勇気をふるって彼女を劇場に誘ったことをおぼえている。私はスミレの花束をもって彼女の家へ行った。女性のために花束を買ったのは、あとにもさきにも、そのときだけだった。劇場を出るとき、そのスミレの花が彼女の胸から落ちた。あわてたために、私はそれを踏みつけてしまった。私は、それをそのまま捨てて行こうと言ったが、彼女は、どうしても拾うといってきかなかった。私は、みっともない気がして、手が出なかった。彼女がスミレの花を拾うために身をかがめながら私にほほえみかけたその微笑を思いだしたのは、それからだいぶたってからだった。
それは完全な失敗だった。とうとう私は逃げ出してしまった。実際は、もう一人の女から逃げたのだが、ニューヨークを去る前の日に、私は、もう一度彼女に会おうと決心した。午後も半ばすぎたころ、彼女は街へ出てきて、両側を塀《へい》にはさまれた小路で私と会った。そのときすでに彼女は、ほかの男と婚約していた。そして、それをよろこんでいるようなふりをしていたが、いかにのろまな私でも、彼女が見せかけほど幸福ではないことを見ぬいた。私はただ、きっときみは別の男を選びたかったのにちがいない、と言っただけだった。もしかしたら彼女は私と駆け落ちする気持になっていたのかもしれなかった。しかし私は自分を罰したかった。私は無造作に、さようならと言ってから、静かに彼女と左右に別れた。翌朝、私は新しい生活をはじめるために、太平洋沿岸へ向うことになっていた。
その新しい生活も、大失敗であった。チュラ・ヴィスタの牧場で、この生活は終りを告げた。私は、これまで地球上を歩いた男のなかで、もっともみじめな男であったにちがいない。そこには、私が愛していたあの女と、私がただ深い同情を寄せていたにすぎないもう一人の女がいた。私はその女と二年間いっしょに暮したが、私にはこの期間が、まるで全生涯であるような気がした。私は二十一歳であり、彼女は三十六歳だと白状した。彼女を見るたびに、私は心のなかで、つぶやいたものである――おれが三十歳になれば、彼女は四十五歳、おれが四十歳のときは彼女は五十五歳、おれが五十歳になると、彼女は六十五歳になるわけだ。彼女は目の下にこまかい皺《しわ》ができていた。笑い皺だったが、皺であることに変りはなかった。彼女に接吻するときには、その皺が十数倍に拡大して見えた。彼女は、たわいなく笑った。だが、笑うときの彼女の目は、ひどく悲しそうだった。まさしくアメリカ人の目だ。髪は、かつては赤毛だったが、いまは過酸化水素で漂白されたブロンドだった。彼女はヴィーナスのような肉体をもち、ヴィーナスのような魂をもち、誠実で、愛想がよくて、感謝の気持にあふれ、およそ女性に望むべきものはすべて兼ねそなえていた。私よりも十五も年上であることをのぞけば。この十五年のちがいが、いつも私の頭にこびりついていて離れなかった。彼女といっしょに外出すると、私はただこんなことばかり考えていた――「これから十年たったら、どうなるだろう」あるいは、「彼女はいまいくつぐらいに見えるだろう。おれはこの女と釣合いがとれるくらい老《ふ》けて見えるだろうか」しかしそれは、家へ帰ってしまえば、ほとんど気にならなかった。階段をのぼるとき、私はよく彼女の|カン《ヽヽ》どころに指を走らせた。これはいつも彼女を馬のようにいななかせた。私とほとんど同じくらいの年齢の息子がベッドに入っているときには、私たちは、ドアをしめ、台所に鍵をかけて閉じこもった。彼女は狭いテーブルの上に横になり、私は彼女のなかに没入する。これはすばらしかった。しかも、それをいっそうすばらしくしたのは、交合のたびごとに私が心の中でこうつぶやくことであった――これが最後だ。明日からやめよう! それがすむと、彼女は女管理人なので、私は地下室へ降りて行って彼女にかわって灰の樽《たる》を外へ出したりした。朝は、息子が仕事に出てから屋上へあがって寝具を干した。彼女も息子も肺結核だった……。ときには、テーブルの上での交合が、そのためにとりやめになることもあった。また、ときには、そのような交合からくる絶望感が私の咽喉《のど》をとらえることもあり、そんなときには私は服を着替えて散歩に出た。しばしば私は帰ることを忘れた。そういうときには、彼女があの大きな悲しげな目で私を待っていることがわかっているだけに、いっそうやりきれない気持になった。そして、まるでなにか神聖な義務を果さなければならない男のような顔で、彼女のそばへ戻った。そしてベッドの上に横になって、彼女に愛撫《あいぶ》させた。そのあいだ、私は、彼女の目の下の皺や、赤く変色した髪の毛の生《は》えぎわなどを眺《なが》めていた。そんなふうにして横になっていると、私の愛していたもう一人の女のことが、しばしば頭にうかび、彼女もいま横になってこんなことをしているのだろうかなどと考えた……。一年間、三百六十五日間もかかった長い散歩――私は他の女のそばに横になりながら、心のなかで、私が散歩した道を、もう一度たどってみた。散歩道を心のなかでたどるのは、これで何度目だろう。人間が創造したなかで最も荒涼とした、さむざむしい、醜悪な街々。私はそれらの散歩を、街々を、最初にうち砕かれた希望を、丹念にたどってみた。そこには窓はあるが、メリサンドの姿はなかった。庭もあるが、金の輝きはなかった。私は行きつもどりつしていた。窓はいつも空っぽだった。宵《よい》の明星が低くかかっていた。トリスタンがあらわれ、ついでフィデリオが、それからオベロンがあらわれた。九頭の犬が口をそろえて吠《ほ》え、どこにも沼はないのに、いたるところから蛙《かえる》の鳴き声がきこえてきた。同じ家、同じ車の列、なにもかも同じだった。彼女はカーテンのかげにかくれて私の通りすぎるのを待っている。おそらく彼女は、こんなこと、あんなことをしているのにちがいない……。だが、彼女は全然そこにはいなかったのだ。あれはグランド・オペラだろうか、それとも手まわしオルガンの演奏会だろうか。いや、アマトが金の肺を焼いているのだ。あれはルベヤ河だ。エヴェレスト山だ。月のない夜だ。明けがたのすすり泣きだ。なにかを相手に信じさせようと訴えている少年だ。長靴をはいた少女だ。モーナ・ロアだ。狐《きつね》かアストラカンだ。そこには、食物もなければ、時間もなく、終りもなかった。そして心の底で、咽喉の奥で、足のうらで、何度も何度もくりかえされた。たった一度、一度でいい、カーテンに映った影でも、カーテンの衣《きぬ》ずれの音でも、窓ガラスに吹きつける息でもいい、なにかをもう一度。もし虚構のものであるなら、苦痛をとめるものを、この果てしない散歩をとめるものを、なにか……。家へ向って歩く。同じ家、同じ電信柱、なにもかも同じだ。私は自分の家を通りすぎ、共同墓地を通りすぎ、ガス・タンク、車庫、貯水池を通りすぎて、広い田園のなかにさまよい入る。そして路傍に腰をおろし、頭をかかえて泣く。なんと哀れな野郎だろう。血管が張り裂けるほど心臓を小さくすることはできない。私は悲しみのために窒息して死にたいのだが、窒息する代りに岩を生み出してしまうのだ。
そのあいだ、もう一人の女が私を待っているのであった。玄関口の低い石段の上に腰をおろしたまま、私を待っているのが見える。大きな悲しげな目、待ちこがれてふるえている青白い顔。同情――私はそれがいつも私のほうへはねかえってくるように思えてならなかった。しかしいま、私は彼女のそばへ行って、目の表情をのぞいてみたが、彼女の心を読むことはできなかった。ただ、これから私たちが家のなかへ入って、いっしょに寝るだろうことだけはわかった。やがて彼女は、半ば泣き、半ば笑いながら起きあがる。そして黙りこくったまま、じっと私を見つめる。しかし、私が歩きまわるのを見守るだけで、私がなにを悩んでいるのか、決してたずねようとはしない。なぜなら、それは彼女が最も恐れていることであり、彼女が知りつくしていることだからである。おれはきみを愛してなんぞいないのだ! おれがそう叫んでいるのが、彼女にはきこえないのだろうか。おれはきみを愛してはいないのだ! 私は唇《くちびる》をこわばらせ、嫌悪《けんお》と絶望と無力な怒りをこめて、何度でもわめきたてる。しかし、その言葉は決して私の唇からは出ないのだ。私は彼女を見る。舌がもつれて動かない……。私たちの手の上で過ぎて行く時間、時間、果てしない時間。しかも、それを埋めるものは、虚構しかないのだ。
いや、私は、破局の瞬間にいたる私の全生涯を、くりかえして言いたくはない――それは、あまりにも長く、あまりにも苦しいものだった。それに、私の人生で、ほんとうに最高潮に盛りあがった瞬間などというものが、ほんとにあっただろうか。疑わしいものだ。そのきっかけとなる機会をあたえられた瞬間は、たしかに無数にあったように思うが、しかし私は力と信仰を欠いていた。問題の晩、私は、ゆったりと、ひとりで外へ出た。古い生活からのがれ、新しい生活に向って、まっすぐに歩いて行った。なんの造作もなかった。私はそのとき三十歳だった。私には妻と子があり、いわゆる〈責任のある〉立場にあった。しかし、それは事実でしかなかった。事実は、なんの意味ももたない。真実は、私の欲求があまりにも大きかったために、それが現実となったことだ。こういう瞬間に、人間がなにをするかということは、たいして重要ではない。重要なのは、その人間が、なにになるかということだ。人間が天使になるのは、こういう瞬間なのだ。私の場合にも、それが正確にあてはまる。私は天使になったのだ。天使が尊いのは、それが空を飛ぶことができるという事実のためではない。同様に、その清純さのためでもない。天使は、いつ、いかなるところででも、様式を破ることができ、その天国を発見することができるからだ。天使は、どんなに低俗な事柄のなかへでも舞い降り、そして自由にそこから脱《ぬ》け出すことができるのである。その晩、私は、そのことを完全に理解した。私は清純になり、非人間的になった。人間を超越し、翼をそなえた。私は過去から脱け出し、未来に対する関心をかなぐり捨てた。私は歓喜を越えた。事務所を出るときには、翼をたたんで、上着の下にかくした。
あのダンスホールは、私がしばしば午後、職を探しに歩くのをやめて入った劇場の横の入口のちょうど真向いにあった。そこは劇場街で、私は、よくその劇場へ入っては、ものすごく激烈な夢を見ながら、何時間も、ねばっていたものである。ニューヨークの演劇界の全生命が、そこに集中されているように思われた。そこはブロードウェイであり、成功、名声、光彩、ペンキ、アスベストのカーテン、カーテンの穴であった。私はいつもその劇場の石段に腰をおろし、目をこらして向い側のダンスホールを見、綱でつるしてある一連の赤いランタンを眺めた。そのランタンは、夏の午後でも明りがついていた。どの窓にも、クモの巣の張った通風孔があり、それは音楽を街へ流すためにつけたものかとも思えたが、そこから漏れる音楽は、ごったがえす車の騒音にかき消された。ダンスホールの隣には公衆便所があった。私は女を拾うか、ちょっと手を握るかすることを夢みながら、ときどきそこにも坐っていた。公衆便所の上、路面と同じ高さのところに、外国の新聞や雑誌を売っている売店があった。見知らぬ国の言葉が印刷されている新聞を見るだけでも、私はその日一日を、うわの空ですごすことが多かった。
私は、あらかじめなにを考えるということもなく、ダンスホールの階段をのぼって、切符売場の小さな窓のところへ、まっすぐ歩いて行った。切符の束を前にして、ギリシア人の悪魔が、そこに坐っていた。そのギリシア人の手は、下の公衆便所や劇場の石段と同じように、人間から分離し独立した物体のように見えた。スカンジナヴィアのおとぎばなしに出てくる恐ろしい人食い鬼の手のような、大きな、毛むくじゃらの手である。その手は、いつも私にこう語っていた――「ミス・マーラは今夜は休みだろうよ」あるいは、「そう、ミス・マーラは今夜はおそくくると思うよ」それは私が子供のころ、格子《こうし》窓のある寝室に寝ていたときに夢に見た手だった。熱病にうなされているようなその夢のなかでは、とつぜん窓に明りが射《さ》して格子をつかんでいる悪魔の姿を浮きあがらせた。そのおとぎばなしの怪物は、夜ごとに私の寝室を訪ねてきて、格子をつかみ、歯をむき出した。私は、ぐっしょり冷汗《ひやあせ》に濡《ぬ》れて目をさました。家じゅうが真っ暗で、寝室は、ひっそりと静まりかえっていた。
ダンスフロアの隅《すみ》に立っていた私は、ふと、彼女が近づいてくるのに気づいた。彼女は翼をひろげ、大きな丸顔が長い円柱状の首の上に美しい均衡を見せていた。十八歳か三十歳かわからない年齢不詳のその女は、髪の毛が黒く、大きな白い丸顔のなかで、目がきらきらと輝いていた。青いデュヴティーンのスーツを着ていた。その豊満な肉体や、顔が細く端麗なことや、私に投げられた微笑や――思わせぶりな、神秘的な、うつろいやすいその微笑が、一陣の風のように、とつぜん浮びあがったことなどを、いま私は、はっきりと思いだすことができる。
全体が顔に中心をおいていた。私は、その首をもぎとって、家へもって帰れそうな気がした。そうしたら私は、その首を枕《まくら》のそばにおいて、愛撫してやるだろう。口と目が開いているときには、全体が、そこからの光を浴びて輝いた。どこか未知の源泉からくるような――大地のかくれた中心からくるような――輝きだった。私はその顔と、子宮のような奇妙な微笑の性質と、抱きこむような微笑の速さしか考えることができなかった。彼女の微笑は、めまぐるしいほど速く、うつろいやすくて、まるでナイフが一閃するのを見るようであった。その微笑、その顔が、長い白い首の上にのっているのである。がっしりした、白鳥のような巫女《みこ》の首――あるいは死者の首か、それとも地獄に落ちた亡者の首――の上に。
私は街角の赤い電燈の下で、彼女がくるのを待っていた。もう朝の二時で、彼女は帰る支度《したく》をしているところだった。私はボタンホールに花を挿《さ》し、ひどくさばさばした気持と孤独感とを味わいながら、ブロードウェイに立ちつづけた。ほとんど一晩じゅう、私たちはストリンドベリについて、あるいは彼女が名づけたアンリエットという人物について語りあうのであった。私は非常に緊張して注意深く耳をかたむけていたので、ある種の陶酔状態におちいっていた。私たちはまるで、最初の一言から、それぞれちがった方向に向って競争をはじめたような格好になった。アンリエットという名前が出ると、とたんに彼女はアンリエットを手放すことなしに自分自身について語りはじめた。アンリエットは、彼女が指でそれとわからぬように操作している長い目に見えない糸によって彼女と結ばれていた――それはちょうど、歩道の上にひろげた黒い布からすこし離れて立っている街頭商人が、その黒い布の上で動いている小さな器械に全然目もくれぬふりをしながら、その実、黒い糸を結びつけた小指を発作的に動かしているのに似ていた。アンリエットはこの自分だ、自分の真の自我だ、と彼女は言っているかのようであった。彼女は、アンリエットが悪魔の化身であることを私に信じさせようとした。ごく自然に、ごく無邪気に、まるで人間以下といってもいい素朴さで、そう言ったのである。私は彼女が本気でそう言ったのだとは信じられなかった。私はただ、なっとくしたことを示すかのように、ちょっと微笑をうかべることができただけだった。
とつぜん私は彼女がやってくるのを感じて、ふりかえった。やっぱりそうだ。彼女は美しく着飾り、翼をひろげ、目を輝かせて近づいてくる。私は、彼女がどんな姿勢で、どんな足どりで歩くかを、はじめて知った。まるで鳥のように、やわらかな毛皮にくるまった人間的な鳥のようにして歩いてくるのであった。エンジンはフルに回転していた。私は大声で叫びたかった。全世界の人々の耳をおおわせるような大音響を出してやりたかった。なんという歩きかただろう。あれは歩いているのでなくて滑《すべ》っているのだ。背が高くて、肉づきがよくて、堂々たる体つきの彼女は、まるで、こすっからいベビーロニアンの淫売窟《いんばいくつ》の女親分さながらに、タバコやジャズや赤い灯を身にしみつかせていた。これがブロードウェイの街角で、公衆便所の真向いで起っていたことなのだ。ブロードウェイ――それは彼女の領土だったのだ。たしかに、ここはブロードウェイだ。ニューヨークだ。アメリカだ。彼女は、翼の生《は》えた、性別のある、歩くアメリカなのだ。彼女は潤滑油なのだ。昇華物なのだ――塩酸や窒素や阿片剤《あへんざい》や縞《しま》めのうの粉末などを混ぜた昇華物。富と威容を彼女はもっていた。これが、よかれ悪《あ》しかれ、アメリカなのだ。その両側の海でもある。私は生れてはじめて、この大陸に、目と目のあいだを思いきりぶん殴られた。野牛がいようが、いまいが、これがアメリカなのだ。希望と幻滅の金剛砥石《こんごうといし》、アメリカ。アメリカをつくったものが彼女をつくったのだ。彼女の骨を、血を、筋肉を、目玉を、歩きぶりを。リズムを、姿勢を、自信を、厚かましさを、虚勢を。いま彼女は、ほとんど私の頭上にいた。その丸い顔がカルシウムのように光っていた。大きな毛皮が肩からすべり落ちようとしていた。だが彼女は、それに気づかなかった。たとえ身に着けているものが全部脱げてしまっても、彼女は気にとめないかもしれない。彼女は、どんなことも気にとめないのだ。すさまじいヒステリーのガラス倉庫に向って、いなずまのように突進しているのがアメリカなのだ。おい、痛い目にあわないうちに出て行きやがれ、このばか野郎! 私は、ぎょっとなり、ぶるぶるふるえだした。なにものかが私のほうへ近づいてくる。しかも私は、それから身をかわすことができないのだ。彼女がガラス窓を突き破って、まっしぐらに飛んできた。もし彼女が、ほんの一秒だけでも停止してくれたら――私に一秒だけの猶予をあたえてくれさえしたら――しかし、だめだ。ほんの一瞬の猶予もあたえてくれないのだ。彼女は、迅速に、容赦なく、運命そのもののように私におどりかかった。剣が私を突き刺した……。
彼女は私の手をとって、力をこめて握った。私は、なんの恐怖も感じずに、彼女とならんで歩いた。私の心のなかで星がきらめいていた。一瞬前には、狂ったようにエンジンが鼓動していた場所が、いまは巨大な蒼空《あおぞら》になっていた。
人間はこのように全生涯を一瞬停止させることができるのである。あなたが全然会いたくなかった女が、いまはあなたの目の前に坐っている。彼女は、あなたが夢みていたひとと、そっくりの顔かたちをし、話しかたをする。しかし、ここで不思議なのは、あなたが、これまで彼女を夢みていたことに、全然気づかないことだ。あなたのあらゆる過去は、もし夢がなければ忘れ去られてしまう長い眠りのようなものなのだ。そして夢もまた、もし記憶がなければ、忘れ去られてしまうだろう。しかし記憶は血のなかにあり、血は海のようなものだ。そのなかでは、すべてが流されてしまうけれども、生命よりも新しくて、より内容のあるもの――現実――だけは残る。
私たちは通りを渡った中華料理屋の小部屋に坐っていた。私は横目で、空を駆けのぼったり駆け降りたりしている電光文字の燦光《さんこう》を眺《なが》めていた。彼女はまだアンリエットについて語りつづけていた――あるいは、彼女自身について話しているのかもしれない。彼女の小さなボンネットとハンドバッグと毛皮は、彼女が坐っているベンチの上においてあった。彼女は数分おきに新しいタバコに火をつけるが、それは彼女が話しているあいだにたちまち燃えつきてしまった。彼女の話には、はじめも終りもなかった。それは火焔《かえん》のように噴出して、ことごとく周囲のものを焼きはらった。彼女は、どこから、どのようにしてはじめたものか、突如として、長い新しい物語のまっただなかに入ってしまっていた。だが、その話は、いつも同じようなものであった。夢のように、はっきりした形もなければ型もなく、壁も、出口も、終止符もなかった。私は、言葉の深い泥沼のなかでおぼれかかっているような、網の出口へもどろうと這《は》いずりまわっているような気持がした。彼女の目をのぞきこみ、彼女の言葉の意味の映像を、そこから探り出そうとしたが、なにも発見できなかった。ただ、底のない井戸のなかでもがいている自分自身の映像を見るだけであった。彼女は彼女自身のことしか語らないのだが、私は彼女という存在のかすかな映像すらもつかむことができなかった。彼女は身を乗り出し、テーブルに肘《ひじ》をついているので、その言葉は、たちまち私を水びたしにしてしまった。逆巻《さかま》く波がつぎつぎと私の上に押し寄せた。だが、私の内部には、なにも築かれてはいなかったし、私がつかむことのできるものは、なにひとつなかった。彼女は、自分の父親のことや、生れ故郷のシャーウッド森のはずれで彼女たちが送った奇妙な生活について語っていた。いや、すくなくとも彼女は、それについて|語っていた《ヽヽヽヽヽ》はずなのだが、それがいつのまにかアンリエットの話になっているのだ。それとも、ことによるとドストエフスキーのことだったかもしれない。そこのところは、よくわからない。
しかし、とにかく私は、やがてふいに彼女が、それらの人間に関する話をやめて、ある男について語りはじめたことに気づいた。ある晩その男が彼女を家まで送ってきた。二人が玄関さきの石段の上に立って、おやすみと言いあったとき、彼は、だしぬけに手を下にのばして、彼女のドレスの裾《すそ》をまくりあげた、というのだ。彼女は、あたかもそれが彼女の話のねらいであることを私に念を押すかのように、しばらく間をおいた。私は当惑して彼女を見やった。どんな経路をたどってこんなところへきてしまったのか、私には、かいもく見当がつかなかった。いったいだれだろう、その男というのは? そいつは彼女に、どんなことを話していたのだろう? 私は彼女が、たぶんもっとその話をつづけるだろうと思って、さきをうながした。だが、ちがっていた。彼女はまた私を追い越して、こんどは、その男がすでに死んでいること、自殺してしまったことを話しはじめたのである。それが彼女にとって、どんなに大きな打撃だったか、というようなことを、くどくどと説明するのであった。だが、彼女が最も伝えたかったのは、一人の男を自殺させたという事実を彼女が誇りに思っているということであったらしい。私はその男を死者として思い描くことができなかった。私はただ、石段の上に立って、彼女のドレスの裾をまくりあげたときの彼しか考えられなかった。名は知らぬが、いまもなお生きていて、腰をかがめて彼女のドレスをまくりあげる行動のなかに永久に定着した男のことしか考えられなかったのだ。それから、彼女の父親であるもう一人の男がいる。競馬用の馬の手綱《たづな》をもった彼、ウィーンのはずれの小さなホテルのなかの彼のすがたが、目にうかんだ。そのホテルの屋上で、のんびりと凧《たこ》をあげていた彼のすがた。そして、彼女の父であったその男と、彼女が狂わんばかりに恋していたもう一人の男とを、私はまったく分離することができなかった。彼は彼女の人生のなかにいた男であり、彼女は彼についてあまり語りたがらないが、しかし、それでも彼女は、しょっちゅう彼のそばへ帰るのだし、また、彼女のドレスの裾をまくったのは、その男ではなかったとは確信がもてないものの、自殺したのはその男でなかったとも断言できなかった。たぶん、私たちが食事をするために向きあって腰をおろしたとき、彼女が語りはじめたのは、その男のことだったのだろう。そういえば、私たちがそこに坐ったとき、彼女が、そのちょっと前、近くのカフェテリアへ入って行ったある男について、急に熱っぽい口調で話をはじめたのを思いだす。彼女はその男の名前を言ったようだが、私はすぐに忘れてしまった。しかし、彼女はその男といっしょに暮したことがあり、男が彼女の好まないことを――それがなんであるかは言わなかったが――したので、ひとこともなにも言わずに彼のそばを離れ、彼をおき去りにして出てきてしまったのだということは、くわしく話してくれた。さらに、私たちが中華料理屋へ入ろうとしたとき、その男とばったり顔を合わせたので、私と向き合って坐ったときにも、まだぶるぶるふるえていたということも……。
私は長いあいだ、ひどく不安な気持にとりつかれていた。たぶん彼女の話は、まるっきりでたらめにちがいない。それにしても、これは、ありきたりのでたらめではなく、もっとたちの悪い、なんともいえぬいやな話である。ときどき真実は、こんなふうにしてあらわれることがあるものだ。とくに、ある男に二度と会いたくないと思っているような場合などに。また、最も親密な友人にさえうち明ける気になれないことを、全然赤の他人になら話せるということもあるわけだ。それはパーティの最中に眠ってしまうようなものである。自分自身のことに、ひどく興味をもつために眠ってしまうのだ。そして、ぐっすり眠ってしまうと、その眠りのなかで、だれかに話しかける。ずっといっしょに部屋にいて、たとえ話の途中からしゃべりはじめても完全に理解してくれるようなだれかに向って。しかも、たぶんその相手もまた眠ってしまうかもしれない。あるいは、その相手はずっと眠っていたのかもしれない。だからこそ、いつでも容易に彼と会うことができるのだ。そして、もし彼が私たちを動揺させるようなことをなにも言わなければ、私たちは、自分の語っていることが事実であり、現実であり、したがって私たちは、ちゃんと目がさめており、この完全に目がさめて眠っている状態以外に現実はないことを知るのである。私は、これほど完全に目がさめていて、同時にこれほど深く眠っていたことは、いまだかつてなかった。もし夢のなかの食人鬼が、ほんとうに格子《こうし》をへし折って私をさらって行ったなら、私は恐怖のあまり死に、したがって、いまも死んでいて――つまり永久に眠っていて、その結果、私はつねに自由であり、たとえ目の前で起った出来事が全然起きていなかったとしても、べつに不思議ともなんとも感じないであろう。過去に起きた出来事は、ずっと昔の、おそらくは夜起きたものにちがいない。そして、いま起っていることもまた、ずっと昔の、ある夜、起ったことなのだ。それは、食人鬼と、めったに折れそうもない鉄格子の夢が真実でないのと同様に、真実ではない。ただし、いまは、その鉄格子が叩きこわされ、私の恐れていた食人鬼が、私の手をつかんでいること――これは真実だ。私は眠ってしまい、いまは完全に目がさめていて眠っているので、もはや恐れるものも、期待すべきことも、希望すべきこともなく、あるのはただ終りを知らぬもの、終ることのないものだけなのであるから、私がなにを恐れていたにせよ、いまは問題ではないのだ。
彼女は歩きだそうとした。歩きだす……。ダンスホールからやってきたときの、あのなめらかな滑走が、ふたたびくりかえされた。彼女の尻《しり》の動きが、彼女の言葉が、ふたたび耳にきこえる……「ふいに、なんの理由もなしに、あの男は腰をかがめて、あたしのドレスをまくりあげたのよ」彼女は毛皮を首のまわりにかけていた。黒い小さなボンネットが、彼女の顔を貝殻の浮き彫り細工のように引き立てていた。スラヴ的な顎骨《あごぼね》の、まるい、むっちりとふとった顔。全然こんな顔を見たことがなかった私に、どうしてこの顔を夢みることができるというのか。彼女の顔は、白くて、まるまるとふとっていて、まるで木蓮《もくれん》の花が開いたようであった。彼女が、こんなふうに大きく、でっぷりとふとっていることが、どうして私に想像できただろう。彼女のふとった腿《もも》が私にさわったとき、私はぶるっと身ぶるいした。彼女は私よりもすこし背が高いように見えた――実際はそうではないのだが。顎の引きかたが、そう見せるのだ。彼女は、どこを歩いているのか、全然わからないようであった。目を大きく見開き、宙を見つめたまま、さまざまなものの上を踏んで、どんどん歩いて行った。そこには過去も未来もなかった。現在すらも、あったかどうか疑わしい。彼女自身が彼女から離れ去って、肉体だけが突進しているようであった。彼女の首は、顔のように白く、顔のようにふとっていて、しかも、すごくがっちりしていた。低い、しわがれた声で、彼女は話しつづけた。その話には、はじめも終りもなかった。私は時間も、時間の経過も感じなかった。彼女の咽喉《のど》のなかには、骨盤のなかの大きな子宮につながる小さな子宮があるようであった。タクシーが車道の端《はし》にとまっていた。彼女はまだ客観的な自我に関する宇宙哲学的なばか話をしゃべりつづけていた。私は送話管をとり出して彼女の二重の子宮につないだ。もしもし、きみかい。さあ、行こうよ、あれに乗ろう。タクシー、ボート、汽車、ランチ。浜辺、南京虫《ナンキンむし》、ハイウェイ、間道、廃墟《はいきょ》。遺跡、古い世界、新しい世界、桟橋、突堤。鉗子《かんし》、ブランコ、溝《みぞ》、三角州、アメリカ・ワニ、アフリカ・ワニ……話はつづく。また道におりる。目に入ったゴミ、虹《にじ》、どしゃ降り、朝食、クリーム、ローション……こうして、あらゆる道を歩きつくし、私たちの狂気じみた足に、ほこりが残っただけになったときでも、おまえの白い大きな丸顔や、みずみずしく唇を開いた大きな口や、白いチョークのような、きれいにそろった歯並の思い出だけは残るだろう。その思い出のなかでは、なにひとつ変ることがないのだ。なぜなら、それは、おまえの歯並のように完全なのだから……。
日曜日である。私の新しい生活の最初の日曜日だ。私は首に犬の首輪をつけている。おまえがつけたのだ。新しい生活が、私の前には洋々とひらけている。それは休息日にスタートするのである。私は大きな緑色の葉の上に仰向けに寝て、おまえの子宮のなかで燃えている太陽を見つめる。あの牛乳のかたまりと、ぱちぱちという騒音は、いったいなんだね? みんな私のためにやってくれているのかね。おまえのなかに太陽が何万とあればよかったのだがね。永久にここに寝そべって天国の花火を眺めていたい。
私は月の表面に寝そべっている。世界は、子宮に似た恍惚境《エクスタシー》のなかにある。主観的自我と客観的自我が均衡している。おまえは、いろんなことを約束してくれた。だから私は永久にここから出なくてもいっこうに平気だ。私が黒い子宮のなかで眠っていたときから、かっきり二万五千九百六十年たっているらしい。どうやら私は、三百六十五年だけ、よけいに眠ってしまったようだ。しかし、とにかく私はいま、理想的な家のなかで、いろいろとすばらしいものにとりかこまれている。後にあるものも、前にあるものも、みんなすてきなものばかりだ。おまえはヴィーナスをよそおって私のそばへやってくるが、私はおまえがリズムであることを知っている。私のあらゆる生活は、いま均衡のなかにある。私は、このぜいたくな生活を一日だけたのしむだろう。明日は天秤《てんびん》をちょっとかしげるだろう。そうすれば、このような均衡は終って、ふと見ると、それは星のなかではなく血のなかの均衡となるだろう。おまえが非常に多くのことを約束してくれるので、まったくありがたい。私はずいぶん長いあいだ日陰で暮してきた。だから、なにもかもほしいのだ。まず光と純潔がほしい――それに腹のなかの太陽の火がほしい。新しい三角関係をつくって、いつまでも地球をはなれて宇宙を飛びまわらなくてもいいように、裏切られ、幻滅してみたい。おまえが語ってくれたことは、すべて私は信じているけれども、それがまったく別個のものに変るかもしれないということも私は知っている。私は、おまえを星と思い、罠《わな》と思い、秤《はかり》の石と思い、目かくしされた裁判官と思い、落し穴と思い、散歩道と思い、十字架と矢だと思っている。いままで私は太陽と反対の道を旅してきた。これからは太陽と月の二つの道を旅行することにしよう。これからは、二つの性、二つの半球、二つの空、すべて一対のものを選ぶのだ。私はこれから、両方の仲間になり、両性になるだろう。あらゆることが二度起きるだろう。私はこの地球を訪れて、その祝福にあずかり、そして、その贈りものをもって帰るだろう。私は奉仕されることもないだろう。私自身のなかに終末を求めるだろう。
また太陽を見る――私が大きく目をひらいて太陽を見るのは、これがはじめてである。それは血のように赤く、人々は屋上を散歩している。地平線の上のあらゆるものが、はっきりと見える。すべてが復活祭の日のようだ。死も誕生も私の背後にある。私はこれから生の病のなかで生きるつもりだ。黒人の霊的生活を、荒漠《こうばく》たる原始林に住む小人たちの神秘的な生活を、生きようと思う。主観と客観は交代してしまった。均衡は、もはやゴールではない――秤《はかり》は破壊されなければならぬ。おまえが体内にもっている。あの太陽のような輝かしいものを、すべて、もう一度私に贈ると約束してくれないか。太陽が福音をもたらすことを、私が外で休息しているあいだ、一日だけ、私に信じさせてくれないか。太陽がおまえの子宮のなかで燃えているあいだに、はなばなしい光彩のなかで私をやせ細らせてくれないか。私はおまえの嘘《うそ》をすべて絶対的に信じる。おまえは悪魔の化身であり、魂の破壊者であり、夜の奥方《マハラニー》であると、私は思う。おまえを思いだすことができるように、おまえの子宮を、私の部屋の壁に鋲《びょう》で貼《は》りつけておいてくれないか。さあ、出かけよう。明日、また明日……
一九三八年九月
パリのヴィラ・スーラにて (完)
[#改ページ]
解説
『南回帰線』はヘンリー・ミラー(Henry Miller)が四十七歳の誕生日を迎えて二か月後、一九三九年の二月にパリのオベリスク・プレスから出版された。
ミラーの自伝的な小説としては、最初に出た『北回帰線』(一九三四年)のほうが世評にのぼることも多く、これまでのところ批評も量的にはこの作品にかたよっているようだが、執筆の時期や、出版当時の一般読者に与えた印象、影響力などを度外視し、『北回帰線』と『南回帰線』とを同列においたうえで、純粋に文学的な見地から評価した場合、『南回帰線』のほうがはるかに完成度が高いことは衆目の一致するところであろう。異常なまでに強い精神的な凝集力と詩的想像力とを、きわめて個性ゆたかな芸術作品に結晶させる創作技法、言語表象を自由自在に駆使して絢爛たる絵画的イメージや音楽的リズムを生み出すヘンリー・ミラーの魔術師的なテクニークは、他のいかなる作品にもまして『南回帰線』において遺憾なく発揮されているのである。
『南回帰線』の原題 Tropic of Capricorn には、詩的な連想によって深い意味がこめられている。この作品のなかに「胚種《はいしゅ》過程における神のこの奇妙な山羊座《キャプリコーン》的状態において、山頂の雄山羊《おやぎ》は茫然たる至福の境地で思索にふける」という一節がある。いかにもミラー好みの幻想的な、難解な文章だが、与えられる印象は、いささかエロティックであると同時に、詩的であり劇的である。古来、山羊という動物は奇妙にも喜劇的なもの(特にエロティックなもの)と悲劇的なもの双方の象徴に用いられてきた。好色漢、悪党はしばしば英語で『山羊《ゴート》』と呼ばれる。「狂想曲《カプリッチオ》」や「|気まぐれ《カプリース》」は、「山羊座《キャプリコーン》」と同じ語源から出たという説もある。そして山羊にはまた犠牲《いけにえ》の意味もある。こういう喜劇的なものと悲劇的なものとの狂想曲的な混り合いが、『南回帰線』全体をつらぬく作者の態度であり、それは小説の構成そのものに反映している。もうひとつ、十二月二十六日生まれのミラーは、占星術によれば、「山羊宮《キャプリコーン》」に属している。占星術に深い関心を寄せる彼は、この意味でも山羊を自己の象徴と考えているのではあるまいか。『北回帰線』Tropic of Cancer が現代文明の癌(cancer)の位相を明らかにするものであるとするならば、『南回帰線』はミラーの真の自己の位相を明らかにする意図をもって書かれたと解釈することもできそうである。それが、ミラーの外面的な事実の歴史を意味しないことは、「卵巣の市街電車に乗って」という副題が、かなりはっきりと示している。この小説は読者を外面的な事実ではなく、内面的な世界へ運ぶことを約束している。では、その内面的な世界――卵巣――とはなにか。
ミラーは、彼の二番目の妻ジューンをモデルにしたマーラ、というよりは彼との純粋な合体によってもはや名前を失った「女」を描きながら、この女とともに愛し、憎み、苦しみ、死に、そしてよみがえっている。『南回帰線』のテーマは、この死とよみがえりだと言ってもよい。古い偽りの世界と新しい真実の世界との戦いと言ってもよい。ミラーにとっての古い世界とは、コズモデモニック電信会社によって象徴される世界、アメリカ的な機械文明が強大な支配権をふるう世界である。人間が自己を見うしない機械になることを余儀なくされる世界である。ミラー自身は、「『南回帰線』は、もしそう言ってよければ、死と再生とを、つまり意識的な芸術家たることをやめて、進化の最終段階である『開花してやまない精神的存在』(the budding spiritual being)としていまや生まれかわろうとする推移の過程を描いている」(『性の世界』)と述べている。この推移の過程、つまり古い世界から新しい世界に移るその中間に横たわるのが「混沌」である。
混沌とは、すべてのものが等質等価でしかない状態と言えよう。生かすのも殺すのも、愛するのも憎むのも、与えるのも奪うのも、勝つのも負けるのも、健康であるのも病み臥せるのも、まったく同じ意味しかない、ということは、いずれにも意味のない状態である。いかなる主義も、信条も、イデオロギーも、みな相対的、あるいはまったく無意味に思える状態である。われわれは孤独のなかで死を観念的に考えるとき、こうした無意味さにとりまかれ、暗黒の虚空のなかで茫然自失することがある。われわれの選択しうるすべての道が結局は死という暗黒の淵《ふち》に通じるものでしかないならば、右するか左するかを決定する判断の基準は存在の理由をうしなうかのように思われる。世のなかでもっとも恐ろしい拷問は無意味な行動の反復を強いることだというが、意味の自覚のない存在ほど耐えがたいものはあるまい。意味の自覚のみが人に生きがいを与え、生きがいのみが苦難に耐える精神をささえてくれるからだ。
ところが、たいていの人々は既成の体制の秩序に、その文明に、適応することによって生きがいらしきものを見いだす。すくなくとも虚無感や孤独感からは救われる。彼らは社会的な機能をはたすことによって社会から報酬を受ける。与えられた使命をはたすことによって責任をまっとうしたような気になる。使命観はなくとも、「進歩」という観念が救いになる。たとえ自己疎外を感じても、政治的に、社会的に、経済的に現体制を改革すれば、世界と自己との調和を回復できると信じて、改革なり闘争なりのなかに意味を認める。しかし、ミラーに言わせれば、それは虚妄にすぎない。彼らは精神的な自殺をしているにすぎない。人間を真に人間らしくする精神という面から見た場合、現代文明とは「死の作用に与えられた最高の表現」であり、「進歩」という観念ほど大きなごまかしはない。ヨーロッパやアメリカの社会は、それを技術的にどう改革したところで、人間の精神が変らなければ、まったく救いの可能性はない。「活動はそれ自体なにも意味してはいない。それはしばしば死の徴候である」とミラーは『南回帰線』のなかで言っている。「単なる外的な圧力によって、環境や範例の力によって、活動が生み出す風土そのものによって、人はただ、たとえばアメリカというような怪物的な死の機械の一部分になりうるだけである」環境への適応ないし環境改善の努力は死の胎内で空回りするようなものであるとさとったとき、ミラーは狂気のようになって生の奇蹟を求めようとする。生きがいを求めようとする。
わたしはいま、混沌は無意味な状態だとか暗黒の虚空だとか言ったが、それは、ととのった価値体系、あるいは道徳的秩序、あるいは宗教的な世界観との比較においてそう見えるのであって、正確にいうと、混沌とは単に無意味な状態ではなく、いわんや虚無ではない。そこでは、いっさいのものが等質等価ではあるが、ただそれだけなら、まったく動きのない状態である。ところが混沌は虚無ないし虚空から躍り出たものであり、創造のエネルギーを秘めている。価値体系はまだないが、それを形成する結晶軸がいままさに生まれようとする密度の高い状態なのである。『南回帰線』の「間奏曲」の冒頭に、「混乱とはわれわれに理解されていないひとつの秩序を呼ぶために作り出され語だ」という謎のようなことばがある。ここにいう混乱は混沌とほぼ同じ意味を持ち、ものの形がいまやできあがろうとしている過程の状態を指している。混沌というのも混乱というのも、いずれも秩序とは対照的な概念だが、事実はそこに新しい秩序の胎動があるのだ。ミラーが副題で「卵巣」と名づけたものが、なにを意味するかは、もはや明らかであろう。それは、真の自己を発見し、新しい存在として生まれかわる場所としての、過程としての、混沌の状態にほかならない。
ミラーは死の胎内から生まれかわろうとするこの混沌の内部でのあがきを、特に、混乱した性の生活において体験している。政治や社会にまったく背を向けた彼は、いわばやみくもに「性交の国」に入って真夜中の瞑想にふけるのである。それは「盲目的で、間断なくつづけられた格闘」であった。性生活は、ただそれだけで、なにかを生み出すものではない。それはまたもちろん愛と同一のものではない。男女が現実に肉体的に交わっていても、それが自慰的なものにすぎない場合もある。長距離電話のように空中で交わっている場合もある。肉体だけの機械的な交わりもある。自己逃避的な交わりもある。そんな性の交わりは束の間に消える泡沫のようなもの、腐臭をはなつ死体どうしの交わりのようなものである。だが、作中のミラーはマーラとの純粋な交合によって、ようやくひとつのゆるぎない真実に近づく。純粋な交合とは、とうてい具体的には表現できないものだが、その条件となるものは自由な精神と、明晰な目と、全人的な愛の態度である。もはやマーラとか、ミラーとかいう名前には縛られない交わり、いわんやタブーや法律や因習や約束などに拘束されない交わり、したがって恐怖や後悔からまったく解放された交わり――それがミラーに生命力への信頼感を与えるのである。
『南回帰線』で、もっとも印象的な部分のひとつは、ミラーがボードヴィル・ショーを見物に行き、幕あきの一瞬に一種の正覚《しょうがく》(realization)の境地に達するくだりである。ここで彼のうちに働いていた死のリズムは忽然として停止し、彼は赫々《かっかく》たる現実のなかに存在する自己を見いだす。もちろんこの悟りは偶然のものではなく、混沌のなかでのながい苦悩と偏執狂的とでも言えるほどの深い思索や探求があってはじめて可能となった一種の覚知である。マーラとの純粋な交合は、その思索や探求の過程の大きな一部分であった。ここでミラーは、人間が真に目を開いていれば、役者ではなく人間そのものが舞台で演技するのだということを悟る。他人の役割を当てがわれて演技をする哀れな役者ではなく、新しい存在として生のリズムに乗り、どんなに小さくとも自分なりの新世界を築きあげること、そこに生きがいがあることを見いだすのである。こうして混沌のなかに形をあらわした結晶軸は、人間本来の生命力への信頼というじつに単純素朴なものであった。
その新しい存在とは、どんな人間であるか、それをミラーは、あまり具体的には描いていないが、いくつかの条件や方向性は、はっきりしているように思われる。まず、どんな理由によっても人を殺さないこと、根元的な死以外のすべてを「容認」すること、信念と行為とを一致させること、人間の力のおよばない過去や未来にとらわれず、この「永遠のいま」を充実させること、等々。しかし、こんな徳目を並べたててもあまり意味はない。たとえば「永遠のいま」という理念は、エマスンにもホイットマンにもあるし、ゲーテにも禅にもあるといった具合で、そういうことばをあげつらうことによってミラー独得のものが生まれるわけのものではない。ミラーの独自性は、自己発見を自己実現(self-realization)に転化しようと試みることによって生まれる。もちろん彼は作家であるから、秘められた自己の可能性を開発することがすなわち文学上の自己表現に通じるよう、彼独得の文体を生み出そうと試みるのである。だからミラーにとって、作品は自己解放や自己発見をなしとげた過程の回想記ではない。作品の創造が、自己解放ないし自己発見、そして自己実現そのものなのである。
くりかえして言うが、『南回帰線』は外面的な事実の記録ではない。われわれは写実的な画家の自画像を見るときですら、そこにいわゆる「客観的な事実」以上のものを期待する。いわんや自己解放と自己実現そのものである『南回帰線』を読む場合には、外面的な、客観的なイメージを期待するのではなく、ミラーの魂とともに混沌をくぐり抜け、根源的な人間に肉薄する心がまえが必要だとわたしは思う。(飛田茂雄)