【魔女学校、海へいく】
ジル・マーフィ
1 二年生の夏学期が始まりました。
今日は、カックル魔女学校の始業式、夏学期の始まりの日です。ぞくぞくと登校してきた生徒たちは、吹きあれる雪あらしにでむかえられました。
魔女学校の一年は、ふたつの学期にわけられています。冬学期は九月に始まり一月の末までつづきます。夏学期は三月に始まり七月の末に終わります。
夏学期の初めの数週間は、たいていひどいお天気つづき。というのも、始まりがまだ三月の一日ですから、時には冬のなごりのひどく寒いお天気がつづくこともあったのです。
魔女学校のやさしい校長カックル先生は、窓から校庭をながめていました。はげしいふぶきの中、生徒たちが必死でほうきのバランスをとりながら、マントや夏服をばたつかせて、次々にやってくるところです。
カックル魔女学校の二年生ミルドレッド・ハブルも、なんとか暗い雲を通りぬけ、よろめきながら飛んできました。ほうきもネコもスーツケースも夏服も、びっしり雪でおおわれています。ところで、夏服はデザインが変わりました。
ハードブルーム先生(ミルドレッドのおっかない担任)が、まえの黒と灰色のチェックの制服はハデすぎると言いだして、黒一色の服に変えてしまったのです。校長先生はハードブルーム先生の意見に、いつものように反対しませんでしたが、内心ではもとの制服の方がよかったと思っていました。でも、生徒たちは大喜び。だって、黒一色の方がずっとセンスがいいんですもん。もっとも、黒と灰色のチェックの服がハデすぎると本気で考える人が、この世に存在するとは、とうてい信じられなかったのですけどね。
ミルドレッドは、ほうきのかじをとるのに悪戦苦闘しながら、校舎のへいをのりこえるところでしたが、ふりかえって、トラチャンがちゃんとほうきに乗っているかたしかめました。このコネコは、いつまでたってもほうきに乗るのがこわくてたまらず、こんどの旅行の間もずっと、鳴きわめきっぱなしでした。そして今も、あとすこしでミルドレッドがへいを飛びこえるというところで、ほうきから飛びおりてしまいました。おかげでバランスをくずしたミルドレッドは、ふりつもった雪のふきだまりの中に、みごとにつっこんでつっこんでしまったのです。ミルドレッドは雪の上にすわって息をととのえると、空を見あげました。ほかの生徒たちが、次つぎにやってきます。だれも失敗する者はいないようです。
「あんたのせいよ、トラチャン」ミルドレッドは、寒さで歯をカチカチならしながら「あんたのおかげで、いっつもこんなはめになるんだわ」
トラチャンが体をふるわせて、雪をふりはらうと、ミルドレッドの顔に、また雪がふりかかりました。ミルドレッドのぼうしのふちからは、つららまでさがっていますし、トラチャンの毛は、氷でバリバリ。まったくみじめなひとりと一匹でした。
「ミリー!」あれは、ミルドレッドの一ばんなかよし、モードの声です。
「ひどい天気ねえ、夏学期だなんて、とんでもないわ!」
ミルドレッドは、やっとこさ立ちあがると、スーツケースとほうきを引きずりながら、モードの方へよろめいていきました。トラチャンは、もういつもの自分の場所、ミルドレッドの肩の上で毛皮のえりまきのようにまるくなっています。
「始業式の講堂に、だんろがたかれてると思う?」と、ミルドレッド。
「思わない」と、モード。
「健康でしんせんな空気、そればっかし。まえの制服をハデずきると思ってた人たちよ!」
校庭はしだいに生徒でいっぱいになってきました。みんなすこしでも暖かくなろうと足ぶみしています。生徒たちはカラスのように見えました。
「 正面のドアがあいて、エセル・ハーロウ(ミルドレッドと同じクラスの優等生でおすま屋)があらわれると、一枚の紙をドアにはりつけました。
それには
┌─────────────────┐
│ 許可なくだれも校舎内に入っては │
│いけません。生徒たちは校庭で │
│整列していること。ベルが鳴ったら、│
│一列になってロッカールームへいき、│
│荷物を置いたあと、講堂まで │
│行進するように。 │
└─────────────────┘
「ふーんだ」と、モードがむっつりと「あたしたちには外にいろと言っといて、エセルは中にいたのね。どうしてだか、知りたいもんだわ。みんな、こごえてるのに、ごらんなさいよ、あの子、ケロリとしてるわよ」
「あら、エセルが呼んでる」と、ミルドレッド。
「ミルドレッド・ハブル」エセルがドアのかげから、さけびました。「カックル先生が、お部屋まですぐくるようにって、おっしゃってるわ。すぐにいくわよねえぇ?」エセルは、人を小馬鹿にした口調で言いました。
エセルが首をひっこめると、ドアが閉められました。
「ああ、モード」とミルドレッド。「ほうきから落ちたとこ、見られたんだわ、きっと。罰として、風速百メートルのふぶきの中に、立たされるんだと思う?」
「だいじょうぶよ、ミル」もがなぐさめてくれました。「あんたにあいたいだけだと思うわ。それに、カックル先生の部屋だったらだんろが燃えてるから、暖かいわよ。あんたが落っこちたことは関係ないわ。きっと、なにかいいことよ」
「なにかいいことねえ!」ミルドレッドは、力なくわらいました。
「いいわ、なんの用だか聞いてくる。わたしがいってる間に、イーニッドをさがしててよ。もう、着いてもいいころだわ」
イーニッドというのは、ふたりのなかよしです。
「それもそうね」と、モード。「がんばってね」
ミルドレッドは、スーツケースやほうきをかき集め、雪におおわれた石の階段を登ると、ドアの中に姿を消しました。
2 またまた、校長室でお説教?!
校舎の中は、雪におおわれた校庭とくらべても、ちっとも暖かくありません。もとがお城だった校舎の窓には、ガラスがはまっていないので、長いろうかに面した窓の下は、雪のふきだまりになっていました。ろうかのはしにあるカックル先生の部屋のドアは、ミルドレッドの上に、のしかかってくるように見えます。ミルドレッドは、カタツムリのようにノロノロ歩いていきました。新学期が始まってものの十分とたたないうちに、お説教だなんて……まったくうんざり。
ミルドレッドは、そっとドアをノックしました。聞こえないといいなと思いながら。
「お入りなさい!」カックル先生の明るい声がひびいてきました。ミルドレッドがドアを押して中に入ると、だんろにはすばらしいいきおいでまきが燃え、カックル先生がいすにこしかけていました。
「ようこそ、ミルドレッド」とカックル先生。「火のそばにおかけなさい。まるでこごえそうですよ。あなたと、ちょっとお話がしたいのです。ひどいお天気ですね」
「はい、カックル先生」ミルドレッドは礼儀正しく答えて、すこし安心しました。カックル先生の声がやさしいことに気づいたのです。もしかしたら、モードが言ってたように、”なにかいいこと”の話かもしれない。
ミルドレッドは、喜んでだんろのそばのいすにこしかけました。トラチャンもミルドレッドの肩から飛びおりて、だんろのまえにじんどりました。もうすこしで毛がこげてしまいそう。
「トラチャン!」ミルドレッドは指をならしました。「こっちにもどってらっしゃい」
でもこのコネコは暖まるのに夢中で、ミルドレッドの言うことなど知らん顔。ミルドレッドのぼうしも暖まったと見えて、つららが三本同時に落ちて、床の上で小さな音をたてました。
「さて、ミルドレッド」カックル先生は、指を組んでミルドレッドを見おろしました。「話というのは、あなたのコネコのことです。かわいいんでしょ?」
「はい、カックル先生」と、ミルドレッド。「とってもかわいいんです。とってもりこうではないけど。ものおぼえが悪くて、ほうきに乗るのもこわがるんです。でも、とってもいい子で……」
「わかってますよ」と、カックル先生。「たしかにかわいいコネコですものね。ただね、ついさっき、あなたが学校に着いたところを、見てしまったんですよ。へいを飛びこえる時、そのネコのせいでバランスをくずしてたじゃありませんか。どんなにいい子でかわいくたって、その子だけほうきにしがみついてるし。ほかのネコはみんなきちんとすわってるのに。もちろん、一年生のネコは別ですよ。ね、ミルドレッド、あなたのネコは魔女のネコとしての役割りを、はたせないんじゃありませんか? それに、そのネコしまもようは、当校のネコとしてふさわしくありません。クロネコのとなりでは、まったくぶざまです」
ミルドレッドは、カックル先生を見あげました。不吉な思いが胸をよぎります。つららが一本ぼうしをはなれて、ひざの上に落ちました。
「ともかく」と、カックル先生はつづけます。「ふつうのちゃんとしたクロネコなら、あなたの勉強の助けになると思うんですよ。今学期から三年生のフェネラ・フェバフューが天候します。フェネラのネコは、すばらしく訓練された立派なネコですが、新しい学校ではフクロウを使うそうで、ネコはいらないんですって。あなたさえよければ、そのネコをあげますよ」
ミルドレッドは、ぞっとしました。トラチャンをだんろのそばからすくいあげると、ぬれた夏服の胸にぎゅっとだきしめました。動いたせいで、残りのつららがみんな落ちて、床の上でチリンチリンと音をたてました。
「でも、トラチャンはどうなるんです、カックル先生!」と、ミルドレッド。「あの、わたしのことご心配くださってありがたく思いますけど、長い間いっしょに暮らして、トラチャンはわたしのものなんです。りこうじゃないけど、かわいくてたまらないんです」
ミルドレッドは、髪も服喪ぬれたままとけた雪の水たまりに立ちつくし、かわいそうなコネコを胸にだきしめて、必死で訴えました。カックル先生はミルドレッドをながめて、寛大にほほえみました。
「おやおや、そのことならなにも心配いりません。食堂のコックさんのミス・タピオカが、ネズミとりの上手なネコがほしいと言ってきたんです。ついさっきのことですよ。台所にネズミがたくさんでるんだそうです。トラチャンは、その仕事にピッタリじゃありませんか? 台所にいればしまもようも問題になりませんからね」
「でも、カックル先生」と、ミルドレッド。「トラチャンはネズミをこわがるんです。トラチャンでは、とても……」
「なーにを言ってるんですか」カックル先生は鼻先で笑いました。「ネズミをおそれるネコなど、いるわけがありません! フェネラのネコを受け入れないかぎり、あなたの工場はあり得ません。トラチャンには台所でネズミを追いかけさせればいいんです。すぐにつれていきなさい。ミス・タピオカが待ってます。私がさっき電話で知らせておきましたからね。いそぐんですよ。始業式に遅れないように。ミス・タピオカが、トラチャンのかわりのネコを、バスケットに入れておいてくれるそうです」
「わかりました、カックル先生。ありがとうございました、カックル先生」ミルドレッドは、泣きそうになるのをこらえて言いました。ミルドレッドはトラチャンをかたくだきしめて、こごえるろうかにでていきました。冷たい風が顔に吹きつけてきます。ドアが背後で閉まりました。
3 トラチャンとの別れ……
台所は、学校の一ばん下の階にありましたから、着くまで暗いろうかとせまい階段を、いくつも通らなければなりません。大食堂から三十分もかかるので、食事がいつも冷えきってしまうのです。
「心配ないからね、トラチャン」ミルドレッドは、トラチャンの毛皮に顔をうずめてすすり泣きました。「またいっしょに暮らせるように、なんとか考えてみるから。最初にトラネコをくれたのは、あの人たちなのよ。こんなのってないわよね」
台所は、大きなオーブンのせいでとっても暖で、活気がありました。かまどの上の大鍋では、始業式のあとでだされるオートミールが煮えたっています。
ミルドレッドは戸口にそっと立ちどまって、下働きのコックさんたちが、いそがしく立ち働く様子を見守りました。ミス・タピオカは、鏡もちのような体つきの人で、白髪をヘヤー・ネットでつつみ、四〜五メートルもある長い台のまえで、献立表をながめていました。
「おや、ミルドレッド・ハブルだね!」ミス・タピオカは顔をあげて、ずぶぬれのミルドレッドがたたずんでいるのをみつけました。「ネコをつれてきてくれた? 見せておくれ。そんな所につっ立ってないで、こっちにおいでよ」
ミルドレッドは、コートの下からトラチャンをとりだしました。コックさんたちはまわりに集まって、トラチャンをくすぐったりなでたりしました。
「こりゃあ、ネズミとりにぴったりだ」と、ミス・タピオカ。「このバスケットの中に、イーボニイっていうかわりのネコが入ってるよ。台所でネズミを追いかけさせるにゃ、りこうすぎるんでね。それじゃ、そのネコを置いてっとくれ。それとも、あんたもここに残っていっしょにネズミを追いかけるかい?」
ミス・タピオカは、ミルドレッドにバスケットをわたしました。バスケットのすきまからふたつのりこうそうな緑色の目が、暗闇の中でかがやいているのが見えました。台所ですっかり暖まったトラチャンは、お気に入りの場所、ミルドレッドの首にまきついています。ミルドレッドは、バスケットを持ってでていくしかありません。
「トラチャンにあいにきてもいいでしょうか?」トラチャンを首からほどいて、ミス・タピオカにわたしながら、ミルドレッドはふるえ声で聞きました。
「それは、感心しないね」ミス・タピオカは、なんとか身をふりほどいてミルドレッドの肩にもどろうとするトラチャンを、がっちりだきしめながら言いました。「ネズミとりで目がまわるほどいそがしくなるだろうから、あんたにかまっているひまはないよ。イーボニイをつれていきなさい。本当にじまんできるネコだから。イーボニイみたいなネコといっしょに飛んでみりゃ、こんなコネコのことなんざ、五分とたたずに忘れちまうさ! お聞き! 始業式のベルだ。いそいだ方がいいよ」
ミルドレッドは、あとをふりかえらずに台所をでていきました。ミルドレッドについていこうと、トラチャンが絶望的に鳴いているのが聞こえてきます。ミルドレッドは、階段を二段とびでかけあがり、自分の部屋に飛びこんで、スーツケースとほうき、イーボニイの入ったバスケットを投げだすと、最後のろうかをダッシュして、講堂への行進に加わりました。
「やあ、ミル」と、イーニッド。「おや、どうしたんだい?」
「ほんとにどうしたの、ミルドレッド?」と、モード。「真っ青よ。校長先生のお話、よっぽど悪いことだったの?」
「うん、そうなの」ミルドレッドは、こらえきれずに声をしのんで泣きだしました。「あとで、話すわ」
始業式のあと、お昼ごはんがすむと、昼休みは行動ですごしてもいいことになりました。校庭は、もうすっかり雪でおおわれていましたから。午後はホームルームです。
ミルドレッドの担任は、まったく運の悪いことに、学校一おそろしいハードブルーム先生です。ひとにみらみで生徒たちを、ちぢみあがらせる名人でした。
クラスにむかうとちゅう、ミルドレッドはイーニッドとモードにトラチャンのことを話しました。
教室に入っていくと、ハードブルーム先生はもう教壇についていて、生徒たちが席にすわるのを、棒をのんだような姿勢でじっと待ちうけていました。教室の中は、外よりほんのすこし暖かいだけでしたから、生徒たちは、そっと足をこすったり手に息を吹きかけたりしています。
「さて、みなさん」と、ハードブルーム先生。「その馬鹿気たふるまいを、たった今おやめなさい。ここは寒くなんかありません。それにさっきの昼休みの間、講堂をはしりまわって充分温かくなったはずです。ま、ともかく、おかえり、みなさん。今日から夏学期です……ミルドレッド・ハブル、こんどはなんだというのです?」
ミルドレッドは、涙が頬をつたうのをどうすることもできず、じっとうつむいていました。
「ネコのことなんです、ハードブルーム先生」と、モード。「カックル先生の言いつけで、トラチャンは台所のネコにされてしまって、かわりにフェネラの残していったネコをもらわなければならなくなったんです」
「そういうことですか、ミルドレッド」と、ハードブルーム先生。「私には、あなたが泣くわけがまったく理解できませんね。お祝いしたいぐらいのことだと思いますが。フェネラのネコは完ぺきに訓練された信頼のおけるネコです。あなたのほうき乗りも、目ざましい進歩をとげるだろうと期待できます。あの、できそこないのコネコがいなけれぱ。さあすぐに、しゃんとなさい」
「さて、みなさんにお知らせがあります」先生の話はつづきます。「ミルドレッドも、これを聞いたら元気がでると思いますよ。魔法使いのローワンウェッブさんのこと、みなさん覚えていますね。カエルにされて学校の池にいたところを、先学期、ミルドレッドがお救いした方です。あの方からわがクラスに招待状がとどきました。夏学期中の一週間を、海の近くのあの方のお城ですごさないかと、おっしゃっています。ミルドレッドへの感謝としてね」
生徒たちから、喜びのどよめきがおこりました。みんな、ミルドレッドににこにこ顔をむけました。
「どうもミルドレッドには、私たち全員が感謝しなければならないようです」ハードブルーム先生の声は、ミルドレッドに感謝するどころか、まるで失敗をとがめているように聞こえました。
ミルドレッドは、わらっていいのか、かしこまっていなければならないのかわからなくなりました。
「おや、ミルドレッド」先生はミルドレッドの困った顔つきに気がついて「一週間もの間、海辺ですごすのがうれしくないとでもいうのですか?」
「うれしいです、先生」ミルドレッドは、あわてて「とてもうれしいです。でも、思ったんです。もしかしてトラチャンをいっしょにつれていけたらって。台所の仕事からちょっとお休みをもらって、それで……」ミルドレッドの声は、しだいに小さくなって、とうとう消えてしまいました。ハードブルーム先生のまゆが、だんだんつりあがっていくのが見えたからです。
これいじょう、話をつづけられなくなったミルドレッドは、うつむいてしまいました。そして、なんとか泣くのをこらえて顔をあげると、一所けんめいほほえんでみせました。
モードが机の下から、そっとミルドレッドの手をにぎってくれました。トラチャンを残していったら、ミルドレッドが休暇をすこしも楽しまないことを、モードはわかってくれたのです。それに、トラチャンにはなぜ自分が台所に置きざりにされたのか、わかるはずがないでしょう。それを思うと、ミルドレッドはいっそう胸がしめつけられました。
4 海へいくの、うれしくないの?
お天気がだんだん春めいてきました。雪もしだいにとけていき、生徒たちは、まだ寒い校庭で、また休み時間をすごすようになりました。みんな、それまで待ちきれずに、むこうにいったららなにをしたいかということばかり話しています。でも、ただひとりミルドレッドは、ちっとも楽しみにしていません。
「砂浜があるといいわね」お昼休みの校庭で、モードが言いました。みんなくるぶしまで、雪どけのぬかるみにつかっています。
「それに、ほら穴も!」と、イーニッド。
「ずーっとお天気だったらいいわ。そしたら、日ひなたぼっこしたり泳いだりできるもの」と、モード「どう思う、ミル?」
「ミルドレッドは、なんにも思ったりしないわ」ちょうど通りかかったエセル・ハーロウが言いました。「すくなくとも、先学期の成績をみたらなにか思考しているようには、とても思えないわ」
「大きなおせわ、ほっといてよ」マントで耳をおおいながらミルドレッドが言いました。
「休暇が楽しみじゃないの?」エセルはつづけました。「だけどさ、どうしてこの休暇をあんたのおかげだなんて思わなくちゃならないのか、わたしにはわからないわ。いっつもドジばっかり。学校一、ふできな魔女なんだもんね」
「いこう、ミルドレッド」もが、間に入って言いました。「エセルには勝手に負けおしみを言わせときましょうよ」
三人は校庭を横切って、ほうき置き場にいきました(そこは自転車置き場そっくりで、自転車のかわりにほうきが置いてありましたが、風よけになるのです)。
ところで、さっきエセルがにくまれ口をきいたのには、わけがありました。ミルドレッドの勇気と優しさのおかげで、ハッピーエンドをむかえた先学期のできごとのそもそもの始まりは、エセルの意地悪のせいでした。心のひねくれたエセルにしてみれば、自分だっありがたがられていいはずだと思ったのでしょう。まえの冬学期に、エセルはミルドレッドをおまじないでカエルにしました。助けを求めて部屋の外にはねていったミルドレッドは、ハードブルーム先生にみつけられて、実験室のフラスコの中に入れられてしまいました。ミルドレッドは、なんとかフラスコからのがれて池まではねていき、同じようにカエルにされていたローワンウェップさんと出合ったのです。彼を助けるために、ミルドレッドは大活躍し、当然のこととして、たいへん感謝されました。エセルとしては、このことでミルドレッドばっかり、ちやほやされるのを見て、すっかり気を悪くしてしまったのです。エセルがわめられるわけないのに。
「ミルったら、どうしたのよ」と、モード。「ちっともうれしそうじゃないじゃない。ハードブルーム先生なんか、もうあたしたちの水着やぼうしまで注文しちゃったっていうのに。こんなすてきなこと、入学いらい、初めてよ」
「元気なくてごめんね、モード」と、ミルドレッド。「さっきのことで、ちょっと頭にきてるだけ」
「気にしないでいいよ、ミル」と、イーニッド。「あんただってほんとにでかける時になりゃ、うれしくなるさ……どこ、いくんだっけ? なんて所だった、その魔法使いの住んでるとこは?」
「クラヤミ入江のユーウツ城」と、ミルドレッド。
「うへっ、なんて名前だ!」と、イーニッド。
「うそでしょ!」と、モード。
「うそじゃないわ」と、ミルドレッド。「教壇に置いてあった手紙に書いてあったからたしかよ。ぞっとするわね。そんな所で泳いだら、こごえるかおぼれるかしてしまいそうよ。すくなくとも、わたしはね。なにをやってもドジばっかりですもん。エセルの言ったことは正しいわ。学校一ふできな魔女よ、わたしは」
モードとイーニッドは、顔を見あわせました。ミルドレッドが本当に落ちこんでいます。なにを言っても元気づけられそうにありません。こんなにミルドレッドが落ちこんでいるわけは、恥ずかしいのでふたりにもうちあけていないのですが、ひとつには、泳げないせいでした。うきぶくろをつけても、水に入るのがこわくてたまりません。ほうきに乗ったトラチャンのようにね。
トラチャン! そう、一ばんのり夕はトラチャンでした。ミルドレッドは、トラチャンが恋しくてたまらず、なにをやっても楽しくありません。トラチャンさえもどってきてくれれば……。でも、どうしたらいいのでしょう。
フェネラのネコだったイーボニイは完ぺきでした、エセルのネコにもとけをらないぐらい。ほうき飛行の授業中も、きりっとした姿勢をすこしもくずしません。こんな役立つネコをもってるなんて、じまんしてもいいぐらいでした。でも、夜になるとイーニッドは、ミルドレッドに見むきもせず、さっさと狩にでかけてしまいます。
一方、あのできそこないのトラチャンはどうだったでしょう。きまってミルドレッドの、胸の上か、まくらもとでまるくなり、夜中いっしょにすごしてくれたのです。イーニッドがミルドレッドのために、トラネコの湯タンポぶくろをくれました。でも、事態はいっそう悪くなりました。
夜、お布団に入って湯タンポぶくろを見るたびに、トラチャンのことを思いだしてしまうからです。毎晩ミルドレッドは暗闇の中で、トラチャンを思って胸を痛めていました。
5 とうとう水着ができました。
ミルドレッドは、トラチャンにあおうと、なん度台所にいったかしれません。でも、いつだって台所は、コックさんたちがいそがしそうに立ち働いていて、トラチャンの姿をちらりとかいま見ることしかできません。トラチャンはやせて、いちだんと情けない姿になって暗いすみの高い棚の上で、うずくまっていました。ミルドレッドはかげにかくれているのですが、必ずだれかに気づかれて追いはらわれるのでした。
一方、クラヤミ入江にでかける日は、だんだんせまってきました。ある朝、ハードブルーム先生が大きなダンボール箱を教室に運び入れました。水着がつまっています。みんなが楽しみにしていたものです。
でも、先生が中の一枚をとりだすと、みんなガーッカリ。だってそでときたらひじまであるし、長さはひざまでとどくという古くさいデザインで、黒と灰色のしまもようなのです。胸には黒ネコと黄色い三カ月の記章がぬいつけられていて、最後のしあげはピッチリした黒い水泳帽ときています。
ハードブルーム先生は目を細めて、教室中をキッと見まわすと、冷たい口調で「おやそうですか。私は、みなさんからいくらかでも感謝されるのを期待したんですがねぇ。校長先生は、このすばらしい装いをみなさんに支給するために、たいへんなご苦労と出費をされたんですよ。こんどの楽しい特別休暇にも同行なさると、おっしゃっています。喜ばしいことですね。授業の残りの時間は、校長先生に水着のお礼状を書くことにします」
生徒たちは、あきらめのため息をつくと、しぶしぶ色鉛筆をとりだして机の上にならべ始めました。
その夜、二年生全員が、おふろ場で水着を着てみました。ミルドレッドには大きすぎて、だぶだぶです。反対にモードには小さくて、胸の記章が横に広がってしまいます。言うまでもありませんが、エセルにはぴったりで、こんな水着でもなかなかしゃれて見えました。
「あたしなんか、まえの学校で水泳競技の種目に優勝したことあるのよ」と、エセル。「飛びこみに人命救助、リレーにほうき水上スキーよ」
「うわお」と、ミルドレッド。「ほうき水上スキーってなあに?」
「あんたが知ってることって、なんかあるの、ミルドレッド・ハブル?」まったく人をムカつかせる口調でエセルが言いました。「ほうき水上スキーなんて世界の常識よ。まず、普通の水上スキーみたいにスキーをはくでしょ。そしたら、ほうきの柄にロープを結びつけるのよ。そいで、ロープをにぎってそれいけ! ほうきがボートのかわりに、引っぱってくれるってわけ。クラヤミ入江にいったら競走しましょ。もちろん、あたしが勝つにきまってるけど、どんなのろまがやったって楽しいわよ」
ミルドレッドは、よっぽどモードに、泳げないことを告白しようかと思いました。でも、なにをやってもできないんだと思われるのも気が進みません。
そしてもうひとつ、ミルドレッドの胸にしまいこまれていたのは”誘かい(ネコの)”計画でした。トラチャンを台所から助けだして、休暇にこっそりつれていってしまおうと、思っていたのです。愛するペットとまるまる一週間いっしょにいられるのならば帰ってきてからどんなひどい罰をくらおうと、ちっともかまわないと思っていました。ミルドレッドは、休暇を本当に楽しみたかったのです。だって、それはミルドレッドが勇気をふるって、ローワンウェップさんを助けだしたことに対するごほうびなのですから。
「ねえ、なにをやらかそうとしてるんだい、ミル?」いよいよ明日は出発という前日の夕ごはんの時、イーニッドが聞きました。
「そうよ」と、モードも、「まったくうわの空で。あんたのその顔は、なんかたくらんでる時の顔よ」
「えっ、なに?」ミルドレッドは、ぼんやりと夕ごはんのお皿から顔をあげました。夕ごはんは、ぐちゃっとした黄色いキャベツが入った、見るもむざんな灰色のシチュー。
「あたしが言ったのね」と、イーニッド。「なにをやらかすつもりなのかってこと」
「ううん、なにも」ミルドレッドは答えました。「いよいよでかけるんだって考えてたのよ。どんなに楽しいかしらね」
「楽しすぎるのはよして」と、モード。「やっかいごとはごめんだからね、わかった?」
ミルドレッドは、もう聞いていませんでした。トラチャンを台所からつれだす計画を練るのに夢中だったからです。出発の二十分前にはつれてきて、ほうきに乗せる、そして、それから……
6 トラチャン誘かい大作戦
この時、カックル先生が立ちあがって、夜明けとともに出発すると告げました。「朝ごはんは夜のうちに用意して配るのでスーツケースにしまっておくこと。旅行の途中でいただきます。そして二時間にわたる長い飛行になるので、めいめいのネコはバスケットで運ぶこと。寝ぼけたりこわがったりするネコがほうきから落ちて、木のしげみにひっかかったりしないように」
なんて幸運なんでしょう、つまりこの話の意味するところは、あけがたの出発なら、台所のコックさんたちはまだ眠っているだろうから、トラチャンをつれだすのになんの問題もなくなったということと、ネコをバスケットで運ぶために、トラチャンをつれていってもだれにもまったく気づかれない、ということでした。
休暇の朝がきました。ミルドレッドは、二時間も前から起きて着がえをすませていました。イーボニイが夜の狩から早く帰ってこないかと、心配しながら待っていたのです。時どき、イーボニイは日の出のずっとあとに、帰ってきたりしますから。よかった! 今朝は、朝日の最初の光が灰色の空にさしだす二十分前に、帰ってきてくれました。
ミルドレッドは、イーボニイが窓わくからたんすの上に飛びあがろうとしたところをつかまえて、すばやくバスケットにつっこむと、人気のないろうかにそっとすべりでました。
ろうかの隅と階段の上には、ランプの灯りがぼんやりとともっています。薄闇に目がなれると、台所までたやすくいき着くことができました。
人気のない台所はふしぎな場所でした。たくさんのなべやフライパンがずらりとぶらさがり、オーブンには火も燃えていません。ゆいいつ生きているもののしるしとしては、食べ物を求めて床やテーブルの上を走りまわるなん十匹ものネズミの足音だけ。トラチャンが新しい仕事に全く役立っていないのは明らかです。
「トラチャン」ミルドレッドは、そっと呼びかけました。ミルドレッドはどきどきしながら、暗いすみずみをさがしまわりました。暗闇で見る大がまは、ゾッとするようなながめですし、戸が開きかけた大戸棚の中にはだれかがひそんでいるみたい。
「トラチャン! あたしよ、ミルドレッドよ。あんたをつれにきたの」
その時、ギギギときしんだ音をたてて、食器戸棚が開きました。ミルドレッドは思わず飛びあがってしまいました。心臓が口から飛びでるかと思いました。
「ニャー」ああ、ありがたい、トラチャンでした。食べかけのニシンをくわえたまま、ミルドレッドのところへかけよってきました。トラチャンはうれしさのあまり、ニシンをとり落としたのも気づかずに、ミルドレッドの腕に飛びこむと、さかんにゴロゴロいいだしました。ミルドレッドは、涙ぐんでしまいました。
トラチャンは、さっそくミルドレッドの肩に飛び乗ると、首にまきついて、「いったい、今までどこにいたの?」と、いうようにミルドレッドの顔をなめました。ミルドレッドはかがんで、バスケットのふたを開けました。
イーボニイは、バスケットの中でイライラしていたらしく、ふたが開いたのを幸いに冷たく石づくりの台所の床に、飛びだしてきました。
「どこかにいってて、イーボニイ」ミルドレッドは、ささやきました。「休暇にはトラチャンをつれてくの。あんたは、トラチャンのかわりをしっかりつとめてね。ああ、トラチャン、先生方はどんなにおこるかしら。でも、あたしは気にしない。たった一週間でもあんたといっしょにいられるなら、ほかのことはどうだっていいもん。さ、いきましょ。バスケットに入ってね。でかけるまえに気づかれちゃ、なんにもならないでしょ」
トラチャンは、バスケットに入るのをちっとも気にかけませんでした。ミルドレッドは台所のドアにむかいながら、トラチャンがバスケットの中で車のエンジンのように、のどをゴロゴロならすのを聞きました。台所の重いドアを押し開けると、テーブルの下から走りでたネズミたちが、暗いろうかににげだしていきました。イーボニイに狩りだされたのです。
ミルドレッドは、くすっとわらいました。バスケットののぞき窓からトラチャンの頭をなでながら「あんたには、とてもむりな仕事だったわね。あんたがいなくてさびしかったわよ」
7 クラヤミ入江にさあ出発!
トラチャン誘かい作戦が予想よりも長引いてしまい、ミルドレッドが校庭にでてきた時には、もう全員が――カックル先生やハードブルーム先生も――整列して出発にそなえていました。ミルドレッドは、おそろしく静まりかえった中、靴音をひびかせて、あたふたと自分の列にすべりこみました。
「おーや、ミルドレッド」ハードブルーム先生が、てきぱきと「あなたをおむかえできてうれしいこと。こんなに早く起きだすのは、すこしごむりだったようですね」
「すみません、ハードブルーム先生」ミルドレッドは、なんとか言いわけをひねりださねばと思いながら、「ええと、イーボニイがなかなか帰ってこなくて、それからイーボニイがバスケットの中に入りたがらなくて、そして……」
「もうけっこう」ハードブルーム先生がぴしゃりと言いました。「私はこの朝を、あなたのえんえんとつづく言いわけを聞いて、すごすつもりはありません。さて、あなたにおいで願ったからには、カックル先生のお許しをいただいて、クラヤミ入り江にむかい、すばらしい休日をすごそうではありませんか」
カックル先生はほほえむと、生徒たちにうなずきました。「けっこうですとも、ハードブルーム先生。すぐにでかけましょう! 楽しい休暇を一分たりともむだにしたくありません、そうでしょ、みなさん?」
二年生たちは、大歓声でカックル先生に答えました。
「もうよろしい!」ハードブルーム先生が、生徒たちをだまらせました。「カックル先生は、うかれ騒ぎを望んではおられません。さて、ミルドレッド・ハブル、これから言うことを、頭にたたきこんでおきなさい。ローワンウエッブさんがご親切にもこのたび私たちをお招きくださったについては、あなたの活躍があったわけです。そのため、あの方は少しょうあなたを買いかぶっておられるのではないかと思われます。どうか、あの方を失望させないでください。いいですか、ミルドレッド、この一週間、どんな違反も、どんな失敗も、どんな間違いも許されませんよ、わかりましたね」
「はい、ちかって、ハードブルーム先生」ミルドレッドは答えましたが、内心びくびくものでした。だって、そう言われるそばから、マントの下のバスケットには、ちがうネコが入れているのですから。
「よろしい」と、ハードブルーム先生。「ではでかけましょう。エセルを先頭にして、川ぞいを飛んでいきます」
生徒たちは、ほうきにうかぶように命じると、スーツケースとネコの入ったバスケットをぶらさげました。そしてほうきに横ずわりにこしかけ、ぼうしをできるだけ目深にかぶり、ほうきの柄をにぎりました。エセルは、電柱のように真っ直ぐな姿勢で、ほうきの柄にゆるやかに指をまきつけています。反対にミルドレッドときたら、指の関節が真っ白くなるほど固く柄をにぎりしめ、ほうきにおおいかぶさっていました。
エセルは、みんなの先頭にたって、校舎のへいを飛びこえ、山をくだり、朝日にそめられて紫とピンクのリボンのように見える川を目ざして飛んでいきました。
「すっごいじゃない、モード」と、ミルドレッド。「朝早くだと、こんなにきれいなのね。いいお天気になれるかも。けっきょく、すてきな休暇になるかもしれないわね」
「あんたのネコが、鳴きやまないかぎりだめじゃない?」
モードがミルドレッドのバスケットをふりかえって言いました。バスケットからは絶望的なさけび声が聞こえてきます。エセルが、スーッとミルドレッドのそばに寄ってきて、「お困りのようね、ミルドレッド・ハブル」と、意地悪くいいました。「イーボニイみたいなスーパーキャットでも、あんたのものになると、とたんにドジネコになりさがるのね。ドジってうつるのかしら、はしかみたいに」
エセルはそう言いすてて、また列の先頭にもどっていきました。全員の先頭にいたのがカックル先生とハードブルーム先生でしたが、エセルがふたりに話しかける声が、ミルドレッドの耳にもとどきました。「今、ミルドレッドのネコが鳴くので様子を見てきたんですけど、あの人のネコになったとたん、みんな飛ぶのをこわがるようになるみたいですね。イーボニイもそうなんですよ」
「ありがとう、エセル」と、ハードブルーム先生。「適切な行動でしたよ……ミルドレッド!」先生が肩ごしにふりかえってさけびました。「イーボニイは、いったいどうしたっていうんです?」
トラチャンは、バスケットを中からひっかいて、声をかぎりに鳴きさけんでいます。
「きっとネズミの食べすぎだと思います。ハードブルーム先生。なんだかぐあいが悪そうです」
「よろしい。しばらくしたら朝ごはんのために下におりますから、その時、見てあげましょう」
ミルドレッドは、ふるえあがりました。まだクラヤミ入江に着いてもいないのに、最悪の事態をむかえてしまったようです。
8 トラチャンはみつけられてしまうのか?
出発してから一時間たちました。太陽が昇りきっていないので、風はまだ冷たく、その上おなかがペコペコです。トラチャンの鳴きわめく声に、みんな、いらいらしだしました。
カックル先生とハードブルーム先生が、おりる場所の相談を始めています。どうやらその場所は、森をこえた先の川原のようです。
「やっと朝ごはんよ! あたし、うえ死にしそう」モードがミルドレッドにささやきました。
ところが、ミルドレッドは聞いていませんでした。どうやって、ハードブルーム先生の目からトラチャンをかくし通すか、考えるのに夢中だったのです。
「あの川原に着地しなさい!」ハードブルーム先生の号令で、みんないっせいに川原にむかいました。「休憩の時間は十五分だけです。できるだけ急ぎますからね!」
カックル先生とハードブルーム先生はみごとに到着しました。エセルを先頭に二年生全員が、それにつづきます。ミルドレッドをのぞいて。ミルドレッドは、着陸地点から数メートルそれた深いやぶのなかにつっこんでいたのです。さすがのトラチャンも鳴くのをやめてしまいました。
「すみません、ハードブルーム先生」ミルドレッドの声がしげみの中から、申しわけなさそうに聞こえてきました。「バランスをくずしちゃいました。荷物が重すぎたみたです。やぶにはまって動けません。でも、トラチャ……イーボニイのぐあいはよくなったみたいなんです。おとなしくなりましたから」
「助けにいっていいですか?」モードがたずねました。
「いいえ」ハードブルーム先生は、うんざりしたようにしげみの方をむくと、「そのままそこにいなさい、ミルドレッド。あなたの顔を見たら、朝食を食べる気もなくなりそうです。出発する時、引っぱりだしてあげますから」
ミルドレッドは、ホッとしてため息をつきました。やぶの中ですわりなおすと、スーツケースを引きよせてサンドイッチのつつみをとりだしました。
「うまくいったね、トラチャン!」ミルドレッドはささやきました。「みんな、あんたのこと忘れちゃったね。だから、もう鳴くのはやめてよ。もう一度、落っこちるふりをしたら、こんどは首の骨を折っちゃうわ。あら、ツナサンドだわ。よかったら、食べなさい。リンゴジュースはやめといた方がいいと思うけど」
しばらくの間、生徒たちは食べるのに夢中で、小鳥の声と紙ぶくろのカサカサいう音いがい、聞こえるものはありません。もっとも、ハードブルーム先生のいる所で、話をしようなんて勇気のある人は、いませんけどね。
「エセル」みんなが食べおえたところで、ハードブルーム先生が言いました。「ミルドレッドの苦境を救ってやってくれますか?」
エセルは、もったいぶった様子でロープを自分のほうきに結びつけました。そしてほうきに横ずわりになると、カウボーイの投げなわのようにロープを頭の上でふりまわしながら、ミルドレッドに用意はいいかと、声をかけました。
ミルドレッドは、スーツケースとバスケットを自分のほうきにぶらさげて、ロープをつかもうと手をのばしました。オット、もうすこしでロープに頭をひっぱたかれるところでした。
「まずい、まずい」とエセル。「ミルドレッド、いい? いくわよ、そら、一、二の三!」エセルは時速六十キロのスピードで、ほうきを走らせました。ほうきに結びつけられたロープの先にミルドレッドのほうきと、ミルドレッドの荷物と、ミルドレッドその人がぞろぞろとつながって、しげみから引っぱりだされてきました。
「おみごと、エセル!」と、カックル先生。ハードブルーム先生といっしょに、なりゆきを見守っていたのです。「よくやりましたね。ミルドレッドはぶじですよ」
幸運なことに、旅の残りの半分、トラチャンはずーっと静かにしていました。たぶんつかれきってしまったのでしょう。薄暗いバスケットの中でまるまって、眠りこんでいました。風がバスケットを吹きぬけようが、毛皮を逆立てようが、まるで気にせずに。
9 クラヤミ入江、ユーウツ城
ミルドレッドは、ぐったりとほうきの上にかがみこんでいました。トラチャンを台所からつれだすのに夢中で、そのあとどうするかをちっとも考えていなかったのに、たった今気がついたのです。ユーウツ城に着いたって、外にだしてやれないんだわ、バスケットにずっと閉じこめておくわけにもいかないし、どーしよう。
「あそこですよ、みなさん!」カックル先生の声が、ひびきわたりました。「あの入江のあのお城がユーウツ城です。なんて壮大なながめでしょう!」
たしかに壮大なながめではありました。壮大すぎて、ちっとも楽しげではなかったのですが。
お日さまがかげったと思う間もなく、雨がふりだしました。目の下に見える海岸線は、うねうねとどこまでもつづく、切り立った断崖で、そのはては暗い海にとけこんでいます。クラヤミ入江は、のこぎりのような岩にかこまれたまん中にありました。入江の崖にうちあたりくだかれた波が、あまり高くしぶきをあげるので、空気にも潮の味がまじるほどでした。
「見て、ミルドレッド、あのお城ね」モードが、城を指さしました。あたりを見わたしても、その城いがい、人間の住み家らしいものは見あたりません。
ユーウツ城は、魔女学校よりももっと陰うつに見えました。城の下の方は、うすいスカーフをなん枚もかさねたようなもやにとりかこまれています。城の窓には、魔女学校と同じようにガラスがはめこまれていない上に、もっと大きな窓なので、さぞかしひどく風が吹きこむことでしょう。ブルブルなん羽ものカモメが、城の屋根や窓じきいに群をなしてとまっていました。
目の下のクラヤミ入江のまわりで目にうつる物は、岩だらけの海岸と気味の悪いほら穴、錨につながれた小さなボート、そして海岸から一キロほどの海中につきだしたネコの頭の形をした大きな岩でした。城から浜まではなん百段もの階段が崖にきざまれています。
ミルドレッドは、身ぶるいしました。「ほんとにねえ、クラヤミ入江って呼ばれるはずだわ!」
雨が激しくふりだしました。
「着陸しますよ!」ハードブルーム先生のきびきびとした声が、風の中でひびきわたりました。「中庭をめざしなさい」
着陸するのは、たいへんでした。第一に雨や風が吹きつけてくるので、目があけていられないのです。そして第二には、初めてきたお城ですから、中庭がどこにあるかのわかりません。
そんなわけで、みんなはヘリコプターのようにせん回しながら、ゆっくりおりていきました。これはエセルにさえ、なかなかやっかいな仕事でした。でも最後には、雨のふりしきる中庭に、全員ずぶぬれになって寒さでガタガタふるえながらおりたちました。ミルドレッドにとって幸運だったのは、激しい雨でバスケットの中もびしょぬれになってしまい、どのネコもすっかり頭にきて、ギャーギャー鳴きわめいていたことでした。トラチャンだけが注目の的になってしまうことがなかったのです。
生徒たちは整列し、ハードブルーム先生は髪をなでつけ、カックル先生がぼうしをかぶりなおした、その時……
なんのまえぶれもなく正面の門が開き、石段の上にローワンウエッブさんが立って、ほほえみながらみんなをでむかえていました。
「ようこそ! ようこそ! あいにくの天気で、たいへんな旅じゃったろう。すぐ中に入って暖まりなさい」
ローワンウエッブはまえにあった時より、ずっと元気そうでした。まえにあった時というのは、ハロウィーンの夜ミルドレッドが彼をヘリボア長老のまえにつれていって、カエルから魔法使いにもどしてもらった時のことです。その時、ローワンウエッブさんの服はボロボロでしたが、今は魔法使いの立派な正装をしていました。裏地がエメラルドグリーンで表が濃緑のマントをはおり、三角ぼうしもやっぱり深緑。マントには一面に、虹の七色で月と星が刺繍されていました。
カックル先生とハードブルーム先生が先に立って、生徒たちもおずおずとあとにつづきます。ぬれた足あとを残して生徒たち全員が中に入ると、背後で音もなくドアが閉まりました。それと同時に、外の薄明かりも閉めだされてしまい、壁に二、三メートルおきにさがっているランプの灯りだけがたよりになりました。
生徒たちの行進は、おかしな光景でした。生徒たちのわきに、荷物をさげたほうきが付きそい、バスケットの中ではおこったネコが鳴きわめいているのです。生徒たちが歩くにつれて壁のランプのおぼろな光が、大きな影をうつしだしました。
みんなが招き入れられたのは、魔女学校の講堂そっくりの大きな石づくりの部屋でした。ただちがっているのは、すきま風がもっとひどいことです。部屋のまん中に、大きなだんろがありましたが、残念なことに火が燃えていません。
「さあ、ご婦人方おかけなさい」ローワンウエッブさんはそう言って、古ぼけたソファやいすを指さしました。たいていのソファやいすは、スプリングやつめ物がとびだしています。「長旅のあとで、さぞかしおつかれだろうね」
ハードブルーム先生が、生徒ちをふりかえりました。みんな、びしょぬれで立ったままでいたのです。というのも“ご婦人方”と呼ばれた中に、カックル先生やハードブルーム先生だけでなく、自分たちもふくまれているのか、判断がつかなかったからです。
「こしかけていいですよ」と、ハードブルーム先生。「ほうきたちにも休むように言いなさい」
「こんなお天気であいにくじゃった」と、ローワンウエッブさん。「この季節には、めずらしいことなんじゃが。ま、ともかく寝室に案内するまで、暖かい火でぞんぶんに暖まっておくれ」
みんないっせいに、火のないだんろをふりむきました。
ローワンウエッブさんも、そちらに顔をむけました。
「おやおや、なんとしたこと。ご婦人方、許しておくれ。ここ数日、まったくぼんやりしてしまって」
ローワンウエッブさんは、おまじないをとなえると、両手をだんろにつきだしました。すると、シュッ! という音とともにすばらしい炎があらわれました。数十メートルも火の粉を吹きあげ、部屋のすみずみまでまたたくまに暖めてくれました。
「さて、おつぎはなんじゃったかな?」と、ローワンウエッブさん。「おおそうじゃ、寝室、寝室。西の棟に三つ部屋を用意した。ふたつの小部屋をカックル先生とハードブルーム先生に、大広間を生徒さんたちに。大広間には、急場しのぎにかき集めたベッドや寝具しかないんじゃが。ま、休暇の間だけじゃ、がまんしておくれ」
「昨日、帰ってきたばかりだというのに」ローワンウエッブさんは話をつづけました。「また明日からでかけねばならん。なん十年もカエルになっていたものじゃから、友人や親せきを訪問するのにいそがしくての。二、三日エセルバーガおばさんの城ですごすと約束したんじゃよ……さて、それからと……なにか言い忘れておらんじゃろか……そうそう、入江にはボートがあるが、乗らんほうがぶなんじゃろう。そこらじゅうに岩がつきでておるからの。ほかになにか聞いておきたいことはないかな?」
みんな黙ったままです。
「どうしたの、みなさん」と、カックル先生が明るく言いました。「はずかしがらずに、なんでもうかがいなさい」
イーニッドが手をあげました。
「この入江とかほら穴とかお城とかには、伝説みたいなものはないんですか」
「わしが知ってる伝説といえばひとつだけじゃが」と、ローワンウエッブさん。「入江のまん中にネコの頭の形をしたふしぎな岩があるじゃろ。昔、難破船からのがれたひとりの船乗りが、荒海を乗りきってネコの頭岩≠ワで泳ぎついた。その船乗りは、金貨や銀貨や宝石がいっぱいつまった箱を船から持ちだしていたそうじゃ。宝の箱を岩のわれ目にかくすと、海が静まるのを待って、船乗りは岸まで泳ぎ渡り、もう一度人を集めて、箱をとりにボートでもどってきたらしい。しかし、箱はみつからなかったのじゃ。伝説にしたがえば、宝の箱は今もあの岩場に眠っている。その箱がみつかるといいんじゃが。あの岩場は、わしの領地のうちだし、宝が手に入れば城を直すこともできるのでな。しかしまあ、言いつたえにすぎん。本当に宝物があるわけではないじゃろう。ほかに質問は?」
だれも口を開く者はいませんでした。
「よろしい」と、ローワンウエッブさん。「じゅうぶん暖まったら、寝室に案内しよう」
10 トラチャンをどうしよう。
大広間も、荒れはてた部屋でした。生徒たちは、立ちすくんでおそるおそる部屋を見まわしました。
両側の壁には、ガラスのはまっていない窓が一列に並んであいていて、部屋の中は、まるで風の通り道のようです。壁にそって、生徒たちの数だけベッドが並んでいましたが、ベッドもマットも毛布も、まったくみじめなものでした。おまけに、窓の近くのベッドには、雨が吹きこんでくるしまつ。
エセルは、部屋のまん中の一ばんましなベッドに目をつけると、いち早く、そのベッドの上に荷物をほうり投げました。
「このベッド、とった!」と、エセル。「なんて所でしょう! けっこうな休暇をありがとね、ミルドレッド・ハブル。まったくおわらい草だわ。こんな所に一週間もいたら、魔女学校なんてまるでご殿よ」
ミルドレッドは、言いかえすひまがありませんでした。二年生全員が、今やすこしでもましなベッドにありつこうと、いすとりゲームのようなさわぎの真っただ中だったからです。
「こっちにおいでよ、ミル」とイーニッドが、病院用ベッドをみつけてとびこみながら言いました。「となりに折りたたみベッドがある!」
「だめ! わたしのよ」と、エセルの友だちのドルーシラがさけんで、ミルドレッドを押しのけると、イーニッドのとなりのベッドに荷物をほうり投げました。おかげで、その折りたたみベッドは、パタンと折りたたまれてしまいました。
ミルドレッドが気がつくと、窓のそばにしいてあるマットしかあいていません。イ草をあんだマットの上にカビのはえそうな寝ぶくろが乗っているだけでした。
「イーニッド、心配してくれてありがとう」ミルドレッドは、スーツケースとほうきを片づけると、マットにすわりこんで、トラチャンの入ったバスケットを胸にかかえました。
ほかの二年生は、自分のネコをバスケットからだして、ぶらぶら歩きをさせたり、のびをさせたりで大いそがしです。大広間は、身づくろいしたり、飼い主に甘えたりする黒ネコの鳴き声であふれかえっています。
「イーボニイをだしてやらないの?」四つむこうのベッドから、モードが声をかけてきました。モードは自分のネコのヤミグロを、なでてやっています。
ミルドレッドは、足を投げだしました。
「ええと、ハードブルーム先生のとこへつれていこうかと思ってるの。あんな鳴き方をするなんて、本当に病気かもしれないでしょ」
そして、だれかがなにか言いだすまえに、ミルドレッドはバスケットをつかんで、部屋からとびだしてしまいました。
外の暗いろうかで、ミルドレッドはトラチャンをどうしようと、思いました。エセルやドルーシラでなくたって、モードやイーニッドいがいのだれかにみつかったら、ハードブルーム先生に言いつけられるにきまっています。そんなことになったら、一巻の終わり。
ミルドレッドは困りはてて、窓の外に目をやりました。ずっと下の入江には、ボートがつながれて、さざ波にゆれています。ミルドレッドの胸に朝日がさしこむように、いい考えがひらめきました。
「さ、いこう、トラチャン。せまい所はいやかもしれないけど、これしかないわ」
11 ここなら安心よ。
モードはヤミグロをだいて、イーニッドのところへいきました。イーニッドは、荷物の整理から顔をあげました。
「ミルドレッドは、なんかかくしてるわ」モードが暗い顔つきで言いました。「あたしにはわかるの」
「まったく! あたしたちにうちあけてくれたらいいんだよ」と、イーニッドがぷんぷんしながら、「なん週間も、ほんとにへんてこだったよ。ぼんやりしちゃって」
ふにわらい声がひびきました。エセルでした。ふたりの話をぬすみ聞きしていたのです。
「あーら、ごめんなさい。あんまりわかりきったこと言ってるから、ついわらっちゃったわ。ミルドレッドがぼんやりしてるのは今に始まったことじゃないわ。ずーっと昔からよ。あの子がもしも急にキリッとしてあたしみたいにAばっかりとりだしたら、そっちの方がよっぽど心配だわ」
「黙んなさいよ、エセル」と、モード。「ミルドレッドが、あんたみたいに高慢ちきになるはずないんだから、そんな心配ご無用よ。とにかく、人の話をぬすみ聞きするなんて、はずかしいと思いなさいよ。むこういこう、イーニッド。エセルにぬすみ聞きされないように」
もしこの時、ふたりが窓の外を見ていたら、ミルドレッドがバスケットをかかえて、入江につづく石段を注意深くおりていく姿が見えるはずでした。雨は、じとじとする霧雨に変わっていて、小さな水滴が網のようにミルドレッドにまとわりつきます。風が急に弱まりましたが、だからといって下におりていくこわさは、ちっとも変わりません。木の手すりは所どころで、くさっていましたし、雨と波しぶきに洗われた石段は、すべりやすくなっていました。
ミルドレッドは、やっと小石だらけの浜辺におりたちました。ほっとしたのもつかの間、次つぎとおしよせる波が岩にくだける光景のものすごさに、見ていて胸がドキドキしました。
入江の中は、高い崖に守られているおかげで、風もいくらかおだやかでしたが、入江の外の海は、まるで巨大な怪物のように荒れ狂い、入江の入口にあるネコの頭岩は、荒波の攻撃をもろに受けて、たえず白い波しぶきをあげています。
「トラチャン、おっかない所ねえ」ミルドレッドは、バスケットの中のトラチャンにささやきかけました。「あんたをあったかい台所から引きはなして、こんな所につれてくるんじゃなかったわ。ごめんね。とんでもない飼い主よね、あたしは」
ミルドレッドは最初、トラチャンをほら穴の中にかくそうとしました。そこなら、岩棚もあるし岩のすきまもあるだろうと思ったのです。ところが、ほら穴の壁には、バスケットをかくしておけるようなくぼみやすきまがありません。残る場所はただひとつ――ボートの中です。
ミルドレッドは、バスケットを開けてトラチャンをだしてやりました。トラチャンは、あたりの光景をこわがる様子もなく、ミルドレッドのそばを離れると、ほら穴の探検にでかけました。そこでミルドレッドは、ボートを調べてみることにしました。
ボートは思ったより大きいものでした。こぎ手がふたりこしかけられるように、板が二枚わたしてあって、小さなドアと窓のついた船室があります。きちんとなわでしばりつけたオールが日本、船室のわきには救命具、それを見たミルドレッドは、ちょっぴり安心しました。
ミルドレッドが慎重にボートの中におりたつと、ボートはすこしゆれました。すぐにバランスをとって、ミルドレッドは船室のドアを開け中に入りました。中はおどろくほど、くつろげる場所でした。ほえたける風の音を聞いたあとでは、規則的に船腹をうつ波の音は、子守り唄のように心地よいものです。こここそ、トラチャンをかくすのに絶好の場所でした。
12 エセルは、やっぱりムカつくわ。
「イーボニイはどこ? ミルドレッド」ミルドレッドがからっぽのバスケットを持って大広間にもどってくると、モードが聞きました。「イーボニイのぐあいはどうだったの?」
「わかんない」と、ミルドレッド。「ハードブルーム先生の所へいく途中でいなくなっちやったの。窓からでていっちゃったのよ。きっと、すぐ変えるでしょ。ほら、イーボニイって、トラチャンより冒険好きだから」
すくなくとも、最後に言ったことばはほんとだわ! とミルドレッドは悲しく考えました。親友にこんなうそをつくのはとてもつらいことでした。
「カックル先生にお願いして、虫にくわれた毛布ぐらいはもらいなさいよ」自分の荷物の整とんをすっかりすませたエセルが、あざけるように言いました。「イーボニイは寝ぶくろに嫌気がさしてでてったんだわ」
エセルの言ったことに、あんまり腹がたったミルドレッドは、エセルをムカデに変えてやろうかと思いました。ミルドレッドはミルドレッドなりに一所けんめい、おまじないの勉強をしてきて、今では、人を動物に変えてまたもとにもどすおまじないのうち、いくつかは完ぺきにこなせるようになっていたのです。十分間ぐらいなら、いいかも……でも去年のことを思いだして、やっと思いとどまりました。去年のことというのは、ミルドレッドがエセルをブタに変えてしまい、とんでもない事件にまきこまれたことです(『魔女学校の一年生』)。
でも、やっぱりムカデに変えてやろうかと思った瞬間、いきなりハードブルーム先生が大広間のまん中に出現しました。
「けっこうですよ、エセル」ハードブルーム先生は骨ばった手を、エセルの整理整とんされた荷物の方にふってみせて「みなさん全員がエセルのような整理された頭脳を持っていればねぇ! エセルになら、どんなゴタゴタした所でも軍隊の兵舎のように整然とできるでしょう。エセルのネコを見ればわかります」
エセルのネコのナイトスターはカーディガンの上で、気をつけ≠していました。エジプトのネコの像のようです。
「へえ!」ミルドレッドがモードにささやきました。「あの人ができるのは、人を不愉快にすることだけじゃない?」
「それは、私のことを言ってるんじゃないでしょうね、ミルドレッド・ハブル」ハードブルーム先生が氷のような冷ややかな声で聞きました。
「いえ、とんでもない、先生」と、ミルドレッド。
「では、だれのことを言ったのですか?」
「エセルのとびぬけた才能をねたむなんて、とんでもないことです、ミルドレッド・ハブル」ハードブルーム先生は、いかめしく言いました。「エセルにあやまりなさい」
ミルドレッドは、口ごもりながら「ごめんなさい、エセル」
「あーら、よくってよ」エセルは、にんまりわらいながら、「あなたが、わたしをねたむのもむりないってこと、だれでもが知ってますものね」
「さて、みなさん」と、ハードブルーム先生。「今日はこのあと、自習をしたのちに自由時間とします。長旅でつかれたでしょうから、今夜は早く休んでください。明日、お天気が回復したら浜辺で、ゲームをしたり泳いだりしましょう」これだけ言うと、先生はあらわれた時と同じように、かき消えてしまいました。
生徒たちは、しばらく口をききませんでしたる先生が姿を消したからといって、本当にいなくなったのか、実はまだそこにいるのか、わからないからです。
もうだいじょうぶという時になって、最初に口を開いたのは、エセルでした「ベッドにすわって、おまじないのおさらいをしようっと。休暇だろうとなんだろうと、テストがあるにきまってるもん」
「いい子ですね、エセル」どこからともなく、ハードブルーム先生の声がひびきわたり、みんなとびあがりました。
全員大あわてで、自分のベッドにとびこむと、おまじないの本をとりだして、いかにも勉強に没頭しているように、口ぐちにおまじないをとなえだしました。
しばらくして、こんどこそ、やっとくつろいで、先生があらわれるまえのようにおしゃべりを始めました。
「イーボニイが帰ってこなかったら、どうするつもり?」四つ先のベッドからモードが声をかけてきました。
「あら、帰ってくるわよ」と、ミルドレッドはあいまいに「もしかして、二、三日帰ってこないとしても、休暇が終わるまでには、絶対帰ってくるわ」
13 ミルドレッドは早起きをしました。
次の朝、ミルドレッドが目をさますと、夜中に吹きこんできた風のせいで、首のあたりがカチカチにこわばっていました。外をのぞくと、たちこめた霧をとおして、弱よわしい朝の光が見えました。
まずミルドレッドが考えたのは、トラチャンのことでした。そっと寝ぶくろからはいだして、体操着に着がえました。灰色のシャツに黒い半ズボン、灰色のソックスに黒い運動靴(お休みの火には体操着を着ることが許されていました)。朝の早い時間でかなり寒かったので、上にマントをはおると大広間をぬき足さし足でぬけだしました。入江のあぶなっかしい階段をおりていくミルドレッドのまわりでは、カモメがかん高い声をあげて飛びかっています。
この時、雲間から太陽が顔をだしました。まるで、目に見えない手が霧のじゅうたんを、まきあげていくように、霧がどんどん晴れていきます。目の下の海は、きらきらとおだやかにかがやき、防波堤では、ボートがゆっくり上下していました。
太陽に暖められたミルドレッドは、心おどらせて海をながめました。海は一分ごとに青さをましています。昨日見た海とは、ぜんぜんちがう場所のように見えました。
ミルドレッドが船室の窓からのぞいてみると、トラチャンは、中に積んであるロープの上で、まるくなって眠っていました。
トラチャンは、ひとはねでミルドレッドの肩に飛び乗ると、首に体をこすりつけました。ゆれるボートの上で一晩すごしたというのに、元気いっぱいでした。
ミルドレッドは、運んで来た小さなつつみを開きました。小さなお魚三匹とマッシュポテトのかたまりです。昨日の晩ごはんからとりのけておいたのです。晩ごはんはお魚五匹とポテトとお豆の煮たのでした。お豆は、トラチャンがきらいでしたから、ミルドレッドが全部食べてしまいました。飲み物は、水で薄めた牛乳を小さなペットボトルに入れてもってきました。昨日の朝ごはんの残りです。
ミルドレッドは、浜辺にすわって、海草にじゃれついているトラチャンを、しばらく見守っていました。
「トラチャン、わたしそろそろいかなくちゃ。みんなが起きた時にいなかったら、さがしにくると思うの。暑くなりすぎないように船室の窓をすこし開けておくね。そよ風も吹いてるしだいじょうぶよね。夕方またくるから、心配しないで」
トラチャンは、船室にもどるのを断固として嫌がりました。ミルドレッドは、トラチャンをひっつかまえると、船室に閉じこめました。
ミルドレッドが大広間にもどると、全員が起きだしていて着がえの真っ最中でした。
「おーや、めずらしい」と、エセル。「ミルドレッド・ハブルが一ばん早起きだなんて。ほうき水上スキーの練習でもしていたの?」
「まあね」ミルドレッドは、あいまいに言いました。
「すばらしい朝ね!」モードがうれしそうにわらいながら、窓の外をながめて言いました。「ハードブルーム先生がさっきいらして、一日中、浜辺ですごしていいとおっしゃったのよ! あたしたちみんな、体操着の下に水着を着てるの、ミル。あんたもそうしたらいいわ。それから、海水帽とほうきを忘れちゃだめよ。今朝の朝ごはんは、海岸でいただくんですって。特別なごちそうなんですってよ!」
ボートの近くじゃありませんように、ミルドレッドは思いました。だれかがトラチャンを見たり、声を聞いたりしたらどうしよう。
カックル先生とハードブルーム先生は、中庭で待っていました。「みなさん、お早よう」と、カックル先生がほほえみながら言いました。「すばらしいお天気ですね」
「こんなすてきな休暇をすごせるなんて、みなさんに感謝してもらいたいものですね」と、ニガ虫をかみつぶしたようにハードブルーム先生。いつものことですけどね。
「感謝します、ハードブルーム先生」みんな、声をそろえていいました。
「そうですとも、そうですとも、ハードブルーム先生」と、カックル先生。「みんな大喜びだと思いますよ。さてみなさん、ほうきに乗りなさい。あぶなっかしい階段を使うかわりに、ほうきで下までおりましょう。ローワンウエッブさんが、浜辺にごちそうを用意してくださいましたからね、急いだ方がいいですよ! 崖がけわしいから、せん回しながらおりていきましょう」
14 浜辺で朝の大ごちそう。
朝ごはんは、ごちそうが山もりでした。みんなおどろきで口もきけませんいつもの朝ごはんは、冷えきった灰色のオートミールだけでしたから。
「つっ立って、じろじろ見てるんじゃありません」と、ハードブルーム先生。「お皿をとって、好きな物をいただきなさい。まるで、食べ物を見たことがないようですよ」
ごちそうは、二台の細長いテーブルの上にならべられていました。オレンジジュースがなみなみとつがれたジョッキがいくつか、二枚の銀のお皿に山もりのニシン(ミルドレッドは、一、二匹トラチャンにとっておこうと思いました。)、トーストをならべたトースト立てが十個、バターがたっぷりつまったつぼ、四つの大びんにはマーマレード、カリカリに焼かれたベーコンがもりあげられた三枚の銀の皿、焼きトマトの大皿、固まりのままのパンがふたつ。
そのほかにも、陶器の深皿には、山もりのコーンフレークス、ふちまで牛乳がいっぱいの陶器のジョッキがふたつ、それにお砂糖つぼがいくつか。ならんでいるお皿やつぼは、地が濃いブルーで、かざりに小さな金色の星が散らしてありました。生徒たちはまだ、見とれています。
「さあ、めしあがれ!」と、カックル先生。「私も、もうがまんできません!」
これがきっかけで、あたりはスプーンやお皿がカチャカチャいう音でいっぱいになりました。全員がお皿にもりつけられるだけ食べ物をつみあげています。
「えっ、そんなに食べるの、ミル?」ミルドレッドが、ニシンを三匹そっとトーストの下に押しこんだのを見て、モードが言いました。
「なんだか、おなかがペコペコなの」と、ミルドレッド。「磯のかおりのせいかしらね!」
ミルドレッドは、半ズボンのポケットに、ポリぶくろをしのばせていました。そしてだれも見ていないすきに、ニシンを三匹そっくり、その中にほうりこみました。
目に入るかぎりの食べ物をすっかり食べつくし、みんなが満腹と満足のため息を、ホッともらした時、カックル先生が手をたたいて、聞いたこともないおまじないをとなえました。すると、二台のテーブルが、大きなカモメのように、ふわりとうきあがったではありませんか。テーブルは、崖にそってまいあがり、城の中へ姿を消しました。
「ローワンウエッブさんが、このおまじないを教えてくださったのです」と、カックル先生。「朝のごちそうの一部ですよ。つまり、今朝は、だれもお皿洗いをしなくていいのです」
みんな、かん声をあげました。
「さて、みなさん」と、ハードブルーム先生。「ひとつ注意をしておくことがあります。それは、ほうきは湿気に弱いので水に近づけすぎると、魔法の力が弱まって、うまく操縦できなくなるということです。もっとも、水から百メートルも離れていても、うまく操縦できない人もいますけどね」ハードブルーム先生は、ここで、はったとミルドレッドをにらみつけました。でもミルドレッドは、ポケットの中のニシンのことで頭がいっぱいで、ろくに聞いていませんでした。ハードブルーム先生の話は続きます。「けれども、波からに、三メートル離しておけば、力が弱まることはありません。水上スキーのボートの役割りも立派にはたします。ほら穴の中の木箱にスキーとロープが入っていますから、おのおのとってきてください」
トラチャンを、ほら穴にかくさなくて、本当によかった。スキーを受けとる順番を待ちながら、ミルドレッドは思いました。
「おもしろそうだね!」スキーをかかえたイーニッドが、ミルドレッドのわきを通る時、言いました。
「まえにほうき水上スキーをやったことのある人、いますか?」スキーを持って浜辺に整列した生徒たちをまえにして、ハードブルーム先生がたずねました。
「えらぶるわけじゃありませんけど、ハードブルーム先生」と、エセルがじまん気に、「小学校ではチャンピオンでした」
「なんてすばらしい! それでは、ひとつお手本を見せてくれますか」
エセルは、ほうきの柄にロープを結びつけました。反対の端を輪にして手にまきつけても、ロープは充分な長さがありました。
「始めてもよろしいでしょうか?」と、エセル。
「いいですとも。お願いしますよ」と、ハードブルーム先生。
エセルは体操着をぬいで水着になると、水泳帽をかぶりました。それからスキーとロープをかかえて、波うちぎわに近づいていきました。
「うかべ!」エセルはほうきに命じましたが、ほうきはぴくりとも動きません。「ハードブルーム先生、ほうきがうかびません!」エセルは泣きだしそうです。「こんなこと、一度もなかったのに。ごめんなさい!」
「心配ありませんよ、エセル!」と、ハードブルーム先生。「水ぎわに近づきすぎただけですよ。ほうきを頭の上にさしあげてごらんなさい」
エセルはわらってごまかすと、つまさき立ちになって、これ以上高くあげられない所まで、ほうきをもちあげました。
「うかべ!」こんどはうまくいって、エセルが手を離してもほうきは空中にうかんだままです。「そのまま!」トンでいってしまいそうになるほうきに、エセルは、そう命じました。
それから、海の中に入ってスキーをはくと、その場にしゃがみこました。肩まで海の中です。エセルは、ロープの端の輪をつかんでさけびました。「出発!」
シューッ! ほうきはロケットのように飛びだしました。
エセルは海面に姿をあらわしました。スキーの上で完ぺきなバランスをとっています。スキーは水煙をあげて、海の上を飛ぶように進みました。と、その時、エセルは8の字を描いてスキーをすべらせました。まがる所では、かたむけた体がもう少しで海面にふれそうです。うまい! そして、浜辺にむきを変えると、こんどは一直線にスキーを進ませて、波うちぎわに近づいてきました。
「とまれ!」エセルが命じると、ほうきは急ブレーキをかけてとまり、そのまま空中におとなしくうかんでいます。
「こんなもので、いかがでしょうか?」と、エセル。
「おみごと!」と、ハードブルーム先生。「まったくもって、おみごとでしたよ、エセル。ほかのみなさんも週末までには、あのぐらいうまくなっていてもらたいものです。ま、期待はしてませんけれど、努力だけでもしてみたらいかがでしょうか。さて、あとで私もみなさんに合流いたしますが、カックル先生はどうなさいます?」
「えっ! スキーを私が?」カックル先生は、ぎょっとして顔をひきつらせました。「いえいえ、とんでもない」すっかりまごついたカックル先生は「ええと、私は、ちょっと海にひたるだけにします――お天気がもてばですけど」
カックル先生の水着姿を想像した生徒たちは、こっそり目を見かわしました。
「カックル先生が海に入ったら、水かさが増すんじゃないかしら」ミルドレッドがつぶやきました。
「なんですって、ミルドレッド?」と、ハードブルーム先生。
「ええと、あのう、ちょっと話しあっていたんです。ええと、物理の法則について!」と、ミルドレッド。「あのう、水の入ったコップに石を入れると、水かさが増します。そこで海の水について、ちょっとした実験を思いついて、そのう……」
「あなたが、かくも突然、物理法則に興味を持ちだしたなんて、喜ばしいかぎりですね」と、ハードブルーム先生。「あなたのように探究心のさかんな生徒には、こんなお休みなんてたいくつでしょうから、小テストでも用意しましょうかね」
「ありがとうございます、ハードブルーム先生」と、ミルドレッド。
モードとイーニッドとミルドレッドの三人は、たがいにひじでつつきあって、なんとか吹きだすのをこらえました。
15 えっ、HBったら、いつきたの?
意外なことに、このあのとミルドレッドは、おどろくほど楽しい一日をすごしました。お日さまは、さんさんと照りかがやき、波は浜辺を洗っています。ハードブルーム先生でさえくつろいで、おだかやな様子です。
カックル先生は、ほら穴で水着に着がえて浜辺にあらわれました。みんな大喜び。ひざまでたけのあるぴっちぴちの水着で、緑色の地に黒い水玉が散らしてあります。カックル先生は、その水着を着るとよけいふとって見えました。頭には、花びらの形の黒いゴムを一面にぬいつけた大きな菊の花のような海水帽。
「海水浴には絶好の日ですね、みなさん!」カックル先生は、こうさけぶと海にざぶんと飛びこみました。ものすごい水しぶきがあがりました。
「最高じゃない、ミル!」ミルドレッドのわきを泳いでいきながらモードが言いました。言われたミルドレッドは、腕で水をかいていましたが、片足は海の底につけたままです。どうみんなに、泳げないことを気づかれませんように!
「あら、ハードブルーム先生ったら、日なたぼっこしてるわよ、ほら、あそこ」と、モード。
ミルドレッドは、モードに言われた方に、ふりむきました。たしかに、ハードブルーム先生が、黒いドレスのまま岩によりかかっています。投げだした足には、ストッキングも靴もはいていません!
「わあ、見てみなよ!」と、イーニッド。「はだしだよ! どうしちやったんだろ!」
この瞬間、ハードブルーム先生は、すっくと立ちあがると、三人組をはったとにらみつけました。三人は、大あわてでむきを変えました。
「たいへんよ!」と、モード。「もしかしたら、ぜんぶ聞かれちゃったかもしれない」
「もしかしなくても、ぜんぶ聞こえましたよ、モード・スペルボディ」三人組のうしろで、ハードブルーム先生の声がひびきわたりました。「なにか話す時は、気をつけることですね。口はわざわいのもと」
三人がくるっとふりかえると、ハードブルーム先生がいつのまにかそこにいて、優雅にぬき手をきっているではありませんか。ぴっちりしたふじ色の水泳帽をかぶり、胸に紫色のV字が入った黒い水着を着て、三十秒もたたないうちに、これだけの変身をしてしまったのです。
ハードブルーム先生が、海水浴に加わってからというもの、もうだれもはしゃいだりせず、黙もくと浜辺にむかって泳ぎだしました。そして水からあがると、タオルにくるまって浜辺にすわりこみました。これだけの間に、だれも口をきく者はありません。
夕暮れがせまってきました。ミルドレッドは、まだトラチャンにニシンをあげにいくことができません。ボートはみんなの見える所にありましたから。その上やっかいなことに、ミルドレッドの半ズボンからは、むれたニシンのひどいにおいがしはじめました。
生徒たちは、したくのできた順にひとり、ふたりとほうきに乗って、帰っていきます。ミルドレッドは、わざとぐずぐずしてあとに残ろうとしました。タオルや水着を馬鹿ていねいにゆっくりたたんで、しまおうとしては、手をすべらして落っことし、また、ていねいにたたんで……ところが、おあいにく、イーニッドとモードが、しんぼう強くじっと待っていてくれるのです。運動靴のひもを、三回目に結び直そうとしたところで、とうとうモードが言いました。
「早くしてよ、ミル! あんたの気のすむまでやっていたら、晩ごはんにありつけなくなるわよ」
もう、このプンプンにおうニシンといっしょに、お城に帰るいがいないようです。あとで、なんとかだれにも気づかれないすきを見つけて、もどることにしよう、とミルドレッドは思いました。
16 トラチャンにごはんをやりたいの
チャンスは、あんがい早くやってきました。寝るまえの一時間が、自由時間になったのです。モードは、穴のあいたソックスをつくっていましたし、イーニッドは、ほうき水上スキーの教本に熱中していました。ほかのみんなも、おしゃべりをしたりなにやかやで、いそがしそうです。ミルドレッドが、そっとドアをすべりでたのに、だれも気づいていないように見えました。
ミルドレッドは、浜辺へむかう階段をわき目もふらず、おりていきました。半分ほどおりたところで、うしろからふいに声をかけられて、あやうく階段をふみはずすところでした。
「あーら、ミルドレッドじゃない。いっしょにいってもいい?」エセルでした。
「えっ、も、もちろんいいわよ」
「ところで、どこにいくの?」いんけんにわらいながら、エセルが聞きました。「こんなあぶない階段をおりてくなんて、あんたの足どりも、あぶなっかしかったわよ!」
エセルは、わざと明るく正直に言いました。エセルっていう人を知らなかったら、心から心配してくれてるんじゃないかと、信じこんでしまいそうに。だけど、本当のところエセルは、人の秘密をほじくりだしたいだけなのです。
「浜辺をぶらつこうと思っただけよ」と、ミルドレッド。「ちょっと頭がいたくなったの」
「それならハードブルーム先生に言えばいいじゃない。お薬をくれるわよ。頭がいたいなんて、うそでしょ。あんたなにかたくらんでるわね。あたし、ハードブルーム先生に言いつけちゃおうかなあ」
この時、ふたりは階段の一ばん下に着きました。
「それじゃ、エセル」と、ミルドレッド。「あたしがなにをしようとしてるか話したら、先生に言いつけないって、約束してくれる? モードやイーニッドだって知らないことなの」
エセルは、ミルドレッドの親友でさえ知らない秘密にかかわれると言われて、大いに喜びました。
「いいわ、約束する」と、エセル。
「つまりね……」ミルドレッドは、なんとかもっともらしい話をひねくりだそうと必死になって、「ほら、あの話、ネコの頭岩≠ノかくされた宝物の話よ、覚えてるでしょ? あたしね、ボートであの岩までいって、ちょっと調べてみようかと思ったの。こんなに海も静かだし、いい考えだと思わない? もし宝がみつかったら、ローワンウエッブもとっても喜ぶだろうしね。でも、今すぐいくつもりじゃなかったの。みんなが寝しずまってからよ。今は、ボートの様子を見にきただけ」
エセルは、ミルドレッドを見つめました。
「わたしは、とんでもない考えだと思うわ」と、エセル。「あのボートは使わないようにって言われてるのよ。きっと、乗ったらおぼれちゃうわよ。それに、宝なんてあるわけないんだから。ちょっと、ねえミルドレッド。あんたひどいにおいしてるわよ。お城に帰っておふろに入る方が、よっぽとましよ。くさった魚みたいなにおいなんだから」
「そういえば」と、ミルドレッド。「朝、ニシンの上にすわっちゃったの。時間がなくて、服を洗ってないのよ。たぶん、あんたの言うことが正しいんでしょうね。お城にもどって、もう宝のことは忘れるわ」
エセルが先に立って、ふたりは階段を登りはじめました。ミルドレッドは、エセルがむこうをむいたすきに、ポケットからニシンを引っぱりだすと、ボートのデッキめがけてほうり投げました。あとでもどってきて、船室にいるトラチャンにやろうと思ったのです。窓を開けておきましたが、トラチャンが出入りするには、せますぎましたから。昼間、トラチャンの姿は窓のむこうに見えていましたが、幸いだれにも気づかれませんでした。鳴き声も、波の音やカモメの声、生徒たちのかん声にかき消されたようです。
ハードブルーム先生は、窓の外をながめていました。ほうきで空を飛ぶのに、おあつらえむきの夜です。ハードブルーム先生が、人生をこんなに楽しいと思うのは、めったにないことでした。暖かい気候や海水浴で、すっかりなごやかな気分になっていたのです。生徒たちでさえ、いつもほど先生をいら立たせません。もちろんミルドレッド・ハブルをのぞいて。ハードブルーム先生のように、万事に秩序だったことを望む人にとって、ミルドレッドは、絶え間のないいら立ちの種でした。こんなすてきなきュ羽化をすごせるのも、ミルドレッドのおかげなのですが、それを思うとよけい腹立たしいのでした。でもまあ、いらいらするのはさておいて、先生はマントをはおると、ほうきに窓の外にうがふよう命じ、ネコを呼びました。モルガーナという名前の先生のネコは、特別すべすべした美しいクロネコでした。モルガーナは、先生が合図をすると、緑のひとみをきらめかせほうきの上にすんなり飛び乗りました。
「いけ! 入江へ」
一方、ミルドレッドとエセルは、もうすこしで階段を登りきるところでした。そこへ、ハードブルーム先生が、ふたりの頭をかすめて飛んできたのです。ふたりはあわてて身をかがめました。断崖の下をめざしていた先生は、ふたりに気づきませんでした。先生は、ボートがつながれている防波堤のわきに、おりたちました。
海から冷たい風が吹きつけるので、先生はマントをしっかり体にまきつけ、ほうきをぬらさないように、ほら穴にしまいました。
すぐにモルガーナが、いかにも目的あり気に防波堤をつたって、ボートに乗りこみました。ニシンのにおいをかぎつけたのでしょう。モルガーナがボートの中に姿を消すのを、目で追っていたハードブルーム先生は、もうひとつ、ちがうネコの鳴き声に気づきました。それは、トラチャンが窓のすきまから、なんとか外にでようともがきながら、あげた声でした。腹ペコのトラチャンは、目のまえでモルガーナが自分の晩ごはんを食べはじめるのを見て、もうがまんできなかったのです。
ハードブルーム先生は、中を調べようとボートに乗りこんできました。すぐにトラチャンに気づいた先生は、まゆをひそめて、船室にむかいました。ボートは波にゆられ、バランスをとるのがたいへんです。
その時、ボートがひとゆれしました。先生は不運にもニシンをふんずけて、足をすべらせました。ステン! たおれたひょうしに、こんどは頭をうってしまいました。先生が最後に見たのは、自分の目からでた火花でした。ハードブルーム先生は、不覚にも意識をうしなったのでした。あたりに聞こえるのは、トラチャンのあわれな鳴き声と、モルガーナがむしゃむしゃニシンをほおばる音、そしてボートの船体をひたひたとうつ波音だけでした。
17 エセル、あんたって……
エセルは、ミルドレッドがネコの頭岩≠ヨいくのをあきらめたと言ったのを、ちっとも信じていませんでした。きっと、暗くなったらいく気だわ。ミルドレッドの大うそつきるそのうち、正体をあらわすにきまっている。こうエセルが思うのもむりのないことで、ミルドレッドは、窓の外を見つめながら、大広間の中をいったりきたりしています。モードやイーニッドでさえ、どうしたのだろうかと、あやしみだしました。
「いったいどうしたのよ、ミル?」と、モード。「さっきからずっと、そわそわしっぱなしよ」
「べつに!」ミルドレッドは、わざと明るく言いました。「べつに、どうもしてないわ!」
エセルは、ひとりでにんまりしました。エセルが、心配したのは、ミルドレッドが、本当に宝物をみつけてしまうかもしれないということでした。そんなことになったら、みんながミルドレッドをほめそやすでしょうから、それは頭にくる。もっとも、宝物をみつけるよりボートが沈没してしまう可能性の方がありそうでした。それでも、ミルドレッドはやるかもしれない。
いいわ、とエセルは考えました。ミルドレッドにそんなことさせない絶対たしかな方法があるんだから。
ミルドレッドは、トラチャンに、今夜ごはんをあげるのを、とうとうあきらめました。暗くなってからあの断崖にたちむかう気になれなかったからです。今は寝て、明日のあけがたになってからにしよう。トラチャンの晩ごはんのことばかり気がかりだったミルドレッドは、エセルに話したことなんか、すっかり忘れていました。だいたいエセルのことさえ、忘れていたぐらいでしたから、エセルがいつの間にかいなくなったことにも気づきませんでした。
エセルは、勝ちほこった笑みをうかべて、大広間に入ってきました。エセルが城の外へでていたのは、明らかです。髪は風に吹きみだされ、肩にはマントをはおっていましたから。エセルは、マントをぬいで、スーツケースの上にたたんで置くと、ミルドレッドが寝ているマットの足もとに立ちました。
「あんたの計画、あきらめた方がいいわよ」と、エセル。
「なんの計画?」ミルドレッドは、一瞬、なんのことだかわからずに聞きかえしました。「ああ、そうね! ネコの頭岩≠ワでいくっていうやつ、ええ、やめたわよ。あんたが言うとおりですものね、エセル」
「もしかして、また気が変わるかもしれないでしょ」エセルは陰険な声で「ちょっと、窓の外を見てみたら」
ミルドレッドは、飛びあがると窓から外の闇を、のぞいてみました。目の下の闇の中に、黒ぐろとした入江の影が見えます。そして、ボートが。ボートは、もう防波堤につながれていませんでした。今まさに、外海に運ばれていくところです。
「エセル、あんたって、あんたって……」ミルドレッドは、それいじょう、言葉がつづけられず、パジャマの上にカーディガンとマントをはおると、ドアに突進していきました。「どうして、人のこと、ほっといてくれないの」
「ばかなことやめなさいよ、ミルドレッド!」ミルドレッドの見幕におどろきながら、エセルが言いました。今や、クラスの半分がベッドから首をつきだして、聞き耳をたてています。「たかがボートのことじゃない」
たかがボートですって! ミルドレッドは石のろうかを走りぬけ、ぐらぐらする階段をかけおりていきました。トラチャンを助けたい一心で、夜の闇がこわいと思うひまもなかったのです。
18 魔法のほうき、大活躍
ミルドレッドは、波うちぎわに立つと、目をこらしてボートをさがしました。風がすこし強まり、海は白い波がしらをたてています。満月の光に照らされて、浜辺からだいぶ離れたところに、ゆれるボートが見えました。でも、ボートを救う手だては、なにもありません。ミルドレッドは、犬かきさえもできなかったのです。
とつぜん、ほら穴からネコの鳴き声がきこえました。はじめびくっとしたミルドレッドは、次の瞬間大喜びでほら穴にかけよりました。トラチャンが、ボートからのがれ、ほら穴にかくれているんだと思ったのです。
「トラチャン!」ミルドレッドはクラヤミをのぞきこみました。でも、中から走りでて、ミルドレッドの足に体をこすりつけたのは、トラチャンではありません。すべすべした美しいクロネコでした。ほら穴には、ほうきも立てかけてありました。ミルドレッドはかがんで、クロネコをだきあげました。
「あなたのご主人はだあれ?」そして、ミルドレッドは、ほら穴の中に呼びかけました。「だれか、いませんか?」
ほら穴の中は静まりかえったままです。この時、ほうきがぐらりとゆれて、ミルドレッドの方にたおれかかりました。ミルドレッドがあわててほうきの柄をつかむと、クロネコがほうきに体をまきつけました。
「そうだわ! これでトラチャンを助けられる! ほうきに乗れば、ボートまであっという間だし、すぐにトラチャンをつれてこられるわ。それに、ボートももどしておけるかもしれない。そしたら、なにがおこったか、だれにも知られずにすむわ」
ミルドレッドは、ほうきやネコが、だれのものだろうかと思いはしましたが、まさかハードブルーム先生のものだとわかるはずがありません。ほうきはハードブルーム先生の一ばんいいほうきだし、ボートの中には、ほかならぬハードブルーム先生その人が、横たわっています。もしもその時ミルドレッドがそのことを知っていたら、ふるえあがったにちがいありません。
「まったくエセルったら!」ミルドレッドは、ぶつぶつ言いながら、マントをかきよせました。「あの人がトラチャンのことを知らなかったのはわかっているけれど、ボートのとも綱をといて、海に流しちゃうなんて、とんでもないことだわ。それに、朝までにボートを防波堤にもどさなかったら、あたしのせいにされるんだわ。さ、あんたはここにいなさい。ほら穴の中は暖かいわよ。すぐにもどってくるからね」
おどろいたことに、クロネコは、ミルドレッドの命令で空中にうかんいでいるほうきに、飛び乗ろうとしたのです。ミルドレッドは、クロネコをほら穴に押しこみました。
「出発!」ミルドレッドがほうきに乗って、こう命じるとほうきは、ホバークラフトのように波をかすめて飛びはじめる……と思ったら、海の中につっこんでしまいました。ほうきは水に近づけすぎると、魔力が弱まると注意されたことを、ミルドレッドはすっかり忘れていたのです。
幸運にも、肩のマントが広がって、しばらくの間、ミルドレッドの体は波間にうかんでいました。その間にミルドレッドは、ほうき水上スキーの時のエセルの失敗を思いだしました。ほうきを持ちあげていなくちゃいけなかったんだ! なんとか気持ちを落ちつかせて、ミルドレッドは、えいっとばかりほうきを持ちあげました。
「飛んで! お願い、飛んで!」ミルドレッドは声をかぎりにさけびました。「上にあがるのよ、すてきなほうきさん、きれいなほうきさん、お願い」
ほうきは、すっかり水びたしになっていましたが、どうやらミルドレッドの願いはとどいたようです。ほうきは、ぴくりと動くと、ミルドレッドの体を水の中から、ぐんぐん引っぱりあげました。ミルドレッドの体から水が滝のように流れおちています。
「とまれ!」ミルドレッドは、はっとしてさけびました。月が雲におおわれて、どのぐらい海面から離れてしまったのか、わからなくなってしまいました。実際には、三メートルばかりだったのですが、不吉な黒雲のせいで、あたりは、真っ暗闇になっていました。
暗闇の中、自分のいばしょわからないまま、両手でほうきにぶらさがっているだけでもたいへんなのに、海に落ちたおかげで、服がふだんの倍の重さです。だんだん指がしびれてきて、もうこれいじょうぶらさがっていられそうにありません。すぐにボートをみつけなければ。ミルドレッドは、絶望的な気持ちであたりの暗闇を見まわしました。
するとその時、ほうきが急に、グイッと動きだしたではありませんか。まるで、自分のいき先がわかっているような、けつぜんとした動き方です。そうです、わかっていたのです。魔法のほうきというのは、とてもふしぎで、長いことあるひとりの人のものでいると、その持ち主のいどころに対して、特別な勘が働くようです(ハードブルーム先生は、このほうきを二十五年も持っていました)。犬とその飼い主の関係ににていますよね。ほうきは持ち主が近くにいて、なにか災難にまきこれている時、特に勘がするどくなるようです。
ほうきは、空をすっ飛んでいったかと思うと、いきなり急ブレーキをかけました。そのまま空にうかんでいます。ミルドレッドは絶望的になりました。
「動いて、ほうきさん! さっきのでよかったのよ」
ほうきは、てこでも動きません。ミルドレッドの腕も指も、寒さとつかれで、かじかんできました。このまま指がはなれてしまったら、どうしよう。たったひとりで、夜の海へ落ちていってしまうのです。その上、ミルドレッドは泳げません。ミルドレッドは泣きだしました。
そして、ミルドレッドの最悪の予感は的中しました。ほうきをつかんでいる指の力が、しだいに弱まり、とうとうミルドレッドは、暗闇の中、待ちかまえている海へと、落ちていったのです。
19 ミルドレッドが落ちたとこは?
きゃーっ! どたん! ミルドレッドが落ちたところは、冷たい波の中ではなくて、固いしっかりした板の上でした。ゆらゆらゆれています。ボートの上だったのです! と、その時ニャオウと、ネコの鳴き声が聞こえました。ミルドレッドは自分の幸運が信じられませんでした。「トラチャンだわ」あまりのうれしさに、ミルドレッドはしばらくぼうっとしてしまい、はっとわれにかえると、ほうきのことを思いだしました。ほうきは、しんぼう強くボートの上でうかんだままで、次の命令を待っています。
「ほうきよ、下へ!」と、ミルドレッド。「下におりて、休みなさい!」
ほうきがミルドレッドの横におりてくると、ミルドレッドは、ほうきに腕をまわしてだきしめました。
「すてきなすてきなほうきさん! 百万回ありがとう、千万回ありがとう、億万回ありがとう!」ミルドレッドにこう言われても、ほうきはどこかの物置のすみにでもたてかけてある古ぼうきのように、ミルドレッドの腕の中で、固まったままでした。ミルドレッドが休むように言うと、ほうきはデッキをカタカタ鳴らして、むこうにいってしまいました。
ミルドレッドは起きあがって、手探りで船室にむかいました。すると、なにかやわらかい物につまずいて、たおれそうになりました。いったいなんだろう、手をのばしてみると、冷たい骨ばった指にさわりました。ミルドレッドは、ぞっとして飛びのきました。
ちょうどその時、飛びさる雲のすきまから、月がわずかな間顔をだしました。ほんの一瞬に照らしだされた光景を見てとって、ミルドレッドは息をのみました。まず、あのおそろしいハードブルーム先生が、目のまえにたおれているではありませんか。明らかに気を失って、デッキに横たわっています。おつぎはせますぎる窓のすきまから、外に、もがきでようとがんばっているいとしいトラチャンの姿。最後に、ほんの数メートル先にせまっているネコの頭岩≠ナす。巨大な怪物が、立ちはだかっているように見えました。
ミルドレッドに事態をのみこませてくれた月の光は、ほんの数秒でまた雲のかげにかくれてしまいました。でもこんどは、まえほどの真っ暗闇ではありません。雲のむこうからさしてくる月のうす明かりの中、ネコの頭岩≠煬ゥえましたし、ハードブルーム先生の姿も見えています。
ミルドレッドは、ボートの先に手探りでたどり着くと、船首に結びつけられた長いロープをたぐりよせました。ロープの先は海の中です。今、やるべきことはただひとつ。数秒間、明るかった間に、ミルドレッドは岩がぎざぎざで、われ目がたくさんあったのに気がついていました。もし、われ目のひとつにボートを押しこんで、つきでた岩にロープを結びつけられたら、明るくなるまで、そこで安全にすごせるでしょう。そのうちハードブルーム先生が目をさまして、危機をきりぬける方法を思いついてくれるかもしれません。
とはいえ、今は風も波も刻こくと強まってきています。どうするか、早くきめねばなりません。実際、ミルドレッドの次の行動は、あっぱれなものでした。ドジ魔女と言われているミルドレッドが、恐怖心にたえながらやったにしては、目をみはるばかりです。
「ほうきよ、おいで」と、ミルドレッド。「さあ、これからよ」
ミルドレッドは、ロープをほうきの柄に、できるだけしっかりと結びつけました。そして、これもできるだけ高くほうきをさしあげると、「ほうきよ、飛べ!」と、命じました。「あの岩、めざして真っ直ぐに! できるかぎり早く飛べ!」
ほうきは、ロケットのように飛びだしました。ロープでつながれたボートも、ぐいとすべりだしました。おどろくほどかんたんです。
「とまれ!」ミルドレッドはさけびましたが、ちょっと遅かったようです。
ボートは、ちょうどボートの形をしたわれ目に、すっぽりとおさり、そのはずみで、ミルドレッドは、デッキにほうりだされました。
よろよろと立ちあがったミルドレッドは、ほうきを呼びもどすと柄からロープをはずして、そばの岩にできるだけしっかりと、まきつけました。ボートがはさまれた岩のわれ目は、りっぱに避難所の役目をはたし、そこは風も波もおだやかです。
ミルドレッドは、船室のドアを開けて、ハードブルーム先生を暖かい船室の中に引っぱりこもうとしました。でも、ミルドレッドには重すぎます。そこでミルドレッドは、ずぶぬれのマンとをぬいで固くしぼり、ハードブルーム先生の体の上にひろげました。これでいくらか寒さが防げるでしょう。ミルドレッドは、先生のかたわらにしゃがみこみ、先生の骨ばった手を必死にさすりました。
ふと気がつくと、いつの間にかトラチャンが船室をぬけだして、ミルドレッドの肩に乗っかっていました。びっくりするほど暖かです。そうだ、トラチャンに先生を暖めてもらおう。ミルドレッドはトラチャンを先生の首にまきつけて、そこにいるのよ、と言いました。ミルドレッドは、あんまりつかれてしまい、もうなにも考えることができません。そこで船室のドアに寄りかかって目を閉じました。これが本当は夢で、今にも起床ベルが鳴ってたたき起こされるといいな、と思いながら。
20 救出!
ミルドレッドは、自分のなまえをなん度も呼ぶ声で目がさめました。最初、すっかり大広間のマットの上にいるのだと思いこみ、窓からのすきま風のせいで体が痛いんだと思いました。でも、この痛さは昨日の朝の百倍にも感じます。ミルドレッドは、やっと目をこじあけ、目のまえの光景に改めておどろきました。ハードブルーム先生は、昨夜と同じ場所に横たわったままだし、トラチャンは、ミルドレッドのひざの上でまるくなり、のどをゴロゴロ鳴らしています。ほうきはベンチの上に横になっていました。空はすっかり晴れわたり、雲ひとつありません。ミルドレッドはぬれた服で一晩すごしたせいで、体のしんまで冷えきって、暖かいってどんなことだか、わからなくなったほどでした。
「ミルドレッド! ミルドレッド・ハブル!」と呼ぶ声がネコの頭岩≠フむこう側から聞こえます。
「ここよ!」と、ミルドレッドはしわがれ声で、「岩の反対側にいるの、ここよ、ここ!」
なんとうれしいことに、ほうきに乗ったモードとイーニッドが、またたく間にあらわれて、ボートのすぐ上の岩に着地しました。ふたりとも、ハードブルーム先生がそこにいるのを見て、心からおどろいたようでした。
「あれまあ!」と、モード。「あんたと先生って、こんなになかよしだったっけ。いったいなにがあったの?」
「わたしにもわからないの」と、ミルドレッド。「トラチャンを助けようとしたら、ボートにハードブルーム先生がたおれていたの。息はしているけど、ずっと気を失ったまんまよ。早く、つれて帰らなくちゃ」
「なんでトラチャンが、ここにいるんだよ」と、イーニッド。「学校に残っているはずじゃなかったの?」
「あとでみんな話すわ」と、ミルドレッド。「とにかく、あんたたちにあえて、どんなにうれしいかしれないわ。昨晩はひどかったのよ。きりぬけられたのが信じられないわ」
「みんなで、あんたたちのことさがしてるのよ」と、モード。「カックル先生ったらお気の毒。心配しすぎて、どうかなりそうよ。ハードブルーム先生までいないんだもの。わたしたち、今朝からグループになってみんなでさがしにでかけたのよ」
「じゃあ、早く帰らなくちゃね」と、ミルドレッド。「このほうきの柄にロープを結びつけましょう。引っぱってってくれるわ。このほうきったらね、すごかったのよ。海岸のほら穴でみつけたんだけど、ボートがどこにあるか、わかってたみたいなの」
「あたりまえじゃない、ハードブルーム先生のほうきなんだから、バカねえ!」と、モード。「海岸に先生のネコがいたわ。先生が自分のほうきをほら穴に置いていったのよ……ねえ、ミル、エセルったらあせりまくってたわ。ボートを流したのは自分だって言ってたし……あの人、先生がボートの中にいたのを知ってたんじゃない?」
「もしかしたら、先生をぶんなぐって、ボートを沖に押しだしたのかも!」と、イーニッド。
「いくらエセルでも、そこまでワルじゃないわよ」と、ミルドレッド。「あの人がボートを流したのは、あたしがボートで宝さがしをするつもりだって、言ったせいなのよ、うそだけどね。トラチャンにごはんをやろうと思って外にでたら、エセルにあとをつけられて、なんとかごまかさなくちゃならなかったの。あたしに宝をつみけられたらしゃくだって、あの人、思ったのよ。トラチャンが乗ってたのも知らないし、ハードブルーム先生がいらしたなんて、夢にも思わなかったはずだわ。とにかく、HBを早くお城につれていかなくちゃ。こんな所じゃ、なんの手当てもできないんですもの。エセルは、大バカよ。あたしが本当に宝の箱をみつけちゃったりしたら、いい気味だけどね」
ミルドレッドは、そう言いながら、岩にしばりつけたロープを、ほどきはじめました。ほどいていくにつれ、なんだか変わった形の岩だと気づきました。全体にフジツボと海草におおわれていますが、ぎざぎざでもなければ、とがってもいません。ミルドレッドが海草をこすりとってみると、大きな鍵穴があらわれました。もっとこすると、がんじょうな板が姿をあらわしました。
「箱だわ!」ミルドレッドは、あえぎました。「見て! 本当に宝の箱だわ!」
「けど、岩からはがせそうにもないよ」と、イーニッド。「まるで岩から生えてるみたいに見えるよ」
「ほうきで引っぱったらだいじょうぶかも」と、ミルドレッド。「ハードブルーム先生のほうきって、雄牛みたいに強いのよ」
「やってみましょうよ!」と、モード。
そこで、ボートにつながれていたロープをはずすと、ハードブルーム先生のほうきの柄に結びつけました。
「ほうきよ、引っぱれ!」と、ミルドレッド。「引っぱれ、引っぱれ、力のかぎり!」
ほうきは、海の上、二、三メートルのところを、ピストルの弾のようにふっ飛んでいきました。ロープがぐんぐん伸びていき、ピンと張ったと思うまもなく、箱ははがれて、ゴロリ、ちょうどボートの中に落ちました。もうちょっとで、ハードブルーム先生にぶち当るところでした。
「とまれ!」と、ミルドレッド。ほうきは、ぴったりととまりました。
「おりて、休め」
「ねえ、開けてみてもいい?」と、モード。
「すっごいさびてる」と、イーニッド。「かなてこがいるんじゃない?」
「それどころか、ダイナマイトがいるかも」と、ミルドレッド。「今はそれより、HBをお城につれもどすのが先よ。HBのほうきが、ボートごと引っぱっていってくれるわ。あんたたちは、自分のほうきできてね、その方が軽くなるから」
「よかったら」と、モード。「あんたとトラチャンは、あたしのうしろに乗らない? そしたらHBと箱だけになるから、ほうきも引いていくのが楽じゃない?」
「それがいいわね」と、ミルドレッド。
「ねえ、モード」と、イーニッド。「あたしたち、マントをぬいでHBにかけてあげようよ。冷えきっちゃってるよ。なんでもっと早く気がかなかったんだろ」
モードは、自分のマントを先生の上に、やさしく広げてあげました。イーニッドは、マンとをまるめてまくらにしました。
ところで、今までの話を聞いていたトラチャンは、ほうきのうしろに乗って帰ると知って、いち早く船室にかくれてしまいました。いくら呼んでもでてきません。
「まあ、いいわ」ミルドレッドは、モードのうしろに乗りこみながら「トラチャンなら、たいして重くもないし。ボートの中にいなさい」
ミルドレッドの言葉が聞こえたのでしょう。トラチャンは、やっと船室から顔をだしました。
一方、カックル先生は、ほかの二年生たちと海岸にいました。捜索の報告を受けていたのです。「みなさん、あちらをごらんなさい!」カックル先生がさけびました。「あすこに見えるのは、ボートとうちの生徒じゃありませんか?」
みんな、お日さまのまぶしさに目を細めながら、先生の指さす方をみつめました。ボートが近づくにつれ、飛んでいるのは、ミルドレッドをうしろに乗せたモードと、イーニッドだとわかりました。ボートは、もう一本のほうきに引っぱられています。
「ミルドレッド・ハブル!」と、カックル先生。喜ぶべきか、おこるべきかふくざつな顔つきです。「すぐここにきて、いったいなにがおこったのか説明なさい! みんなにこんなに心配かけて、まったくもう!」
ボートは防波堤に着きました。ミルドレッドの命令で、ほうきが立派に舵をとったのです。防波堤にかけつけた全員が、マントにくるまれて横たわるハードブルーム先生をみつけて、いっせいに立ちどまりました。その瞬間、トラチャンが鳴きながら、ミルドレッドの肩に飛び乗りました。
カックル先生はおどろきのあまり、口もきけずに立ちつくすばかり。ほかの二年生全員も同じでした。
「えーと、あのう」と、ミルドレッド。「一度に全部、お話するのは、とってもむずかしいんです」
21 それで、トラチャンはどうなるの?
お城の中庭に、あざやかな色の煙のうずが立ちのぼりました。中からあらわれたのは、ローワンウエッブさんです。ハードブルーム先生がけがをしたという知らせを受けて、すぐさまお城にもどってきたのです。二年生全員が大広間の窓からみつめる中で、ローワンウエッブさんは、マントのちりを払うと、お城の中に歩みいりました。
ミルドレッドとモードとイーニッドの三人組は、窓から離れて、ミルドレッドのマットの上にすわりこみました。それぞれ自分のネコをかかえています。
「すくなくとも一日は、トラチャンといっしょにいられたんだわ」ミルドレッドは、陰気に言いました。「これから、どんな×をうけるかわかんないけど。運を天にまかせるしかないわね」
エセルは、いつになくびくびくしています。
「もしも、だれかが」と、エセル。「あたしがボートを流したことをしゃべったら……あたし……あたし……」
「心配ごむようよ、えばりんぼさん」と、モードがぴしゃりと言いました。
「だれも、つげ口なんかしないわよ、あんたとちがってね」
モードはその気になれば、人をへこませることができるのです。
とつぜん、ドアがノックされました。みんな飛びあがって、自分のベッドのわきで、気をつけの姿勢をとりました。カックル先生がきたのだと、思ったのです。ハードブルーム先生は、ベッドの中で、毛布の山にうずまっているのを、みんな知っていましたから。
でも、カックル先生ではありませんでした。ローワンウエッブさんだったのです。おまけにローワンウエッブさんは、にこやかにほほえんでいるではありませんか。
「ミルドレッドや、きておくれ。わしといっしょに、ハードブルーム先生の見まいにいこう」
ミルドレッドは、どうなることかとはらはらしながら、ローワンウエッブさんのあとについていきました。
ハードブルーム先生は、頭をほうたいでぐるぐるまきにされていましたが、湯タンポをかかえて、もうベッドに起き直っていました。ミルドレッドは、びくびくしながらも、すこしほっとしました。カックル先生が、ベッドのそばのいすにこしをかけ、ふたりが入っていくとにっこりほほえみました。でも、ハードブルーム先生は、しかめっつらをしたままです。
「いらっしゃい、ミルドレッド」と、カックル先生。「ハードブルーム先生のけがは、もう心配ないそうですよ、安心したでしょ。ただお休みの間、ベッドにいなければなりません。先生のご指導なしでも、やっていけるでしょうね」
「はい、カックル先生!」ミルドレッドは答えましたが、少しょう熱心すぎたようです。とたんに、ハードブルーム先生に、じろりとにらみつけられました。
「えー、つまり」ミルドレッドは、あわてて「もちろん、わたしたちはがんばるつもりですが、ハードブルーム先生のお導きぬきでは、とてもむずかしいことであり……」
「もう、けっこう」ハードブルーム先生が、つぶやきました。「そのぐらいにしておきなさい」
「さて、ミルドレッド」カックル先生が、めがねを額の上におしあげながら、立ちあがりました。「今回の事件についてですが」
そら、きた、いよいよだわ。ミルドレッドはかくごをきめました。
「あなたが言われたことを守って、台所でネズミとりをしているはずのあのネコをつれてこなければ」カックル先生は、きびしい表情で「ハードブルーム先生が、調べるためにボートに乗りこむこともなかったし、すべって頭をうつこともなかったのですよ」
「はい、そのとおりです」ミルドレッドは、うつむいて答えました。
「そして、さらには」カックル先生の話はつづきます。「あなたが、宝の箱をみつけることもなかったはずです。あなたが、ネコの頭岩≠ゥら持ち帰った箱は、あの伝説の箱でした。そうですとも、ミルドレッド、箱の中は、金貨や宝石でいっぱいだったのです」
ミルドレッドは、なんと答えていいかわからずに、部屋の中を見まわしました。カックル先生は、興奮しきっていますし、ローワンウエッブさんは、ふしぎな笑みをうかべて、優しくミルドレッドをみつめています。ハードブルーム先生は、今すぐその場で、このぶてきな生徒を退学させてやりたそうな顔をしていました。
やっと、口を開いたミルドレッドは、「それで、トラチャンはどうなるんですか?」とたずねました。
それを聞いたローワンウエッブさんが進みでて、ミルドレッドの肩に手を置きました。
「カックル先生、あんたはこの子を誇りに思うべきじゃな。ハードブルーム先生、あんたは特にじゃ。この子に命を救われたんじゃもの……どんな子だって、まず宝のことを知りたがるのに、この子はちがう。この子が知りたがり、この世のなによりほしがっているのは、たった一匹のコネコなんじゃ。しかしまた、どうしてそのネコがこの子のものにならないのかね?」
「その件につきましては……」ハードブルーム先生が説明を始めると、ローワンウエッブさんがさえぎりました。
「ハードブルーム先生、あんたに言っておくことがある。そのネコは一晩中、あんたを暖めつづけていたんじゃよ。そのほうびに、ミルドレッドのもとにもどしてやってもいいのじゃないかな?」
「あなたさまが、そうお考えになるのなら」ハードブルーム先生は、ほほえもうと努力しながら言いました。
「ところで、宝物のことじゃが」と、ローワンウエッブさん。「この城の修理に使ったとしても、まだだいぶありそうでの。残りはカックル先生の学校のために役立ててくだされ」
「まあ、ローワンウエッブさん!」と、カックル先生。「なんてすばらしいのでしょう。屋根の修理費をどうしようかと、思ってたところなんですの。それに、そうだわ、プールもつくれます!」
「あの、もう大広間にもどってもよろしいですか?」これいじょう余計なことを聞かれないうちに早くにげだそう、と思いながら、ミルドレッドが言いました。
「いいですとも」と、カックル先生。
「大広間まで、送ってあげよう」ローワンウエッブさんは、ミルドレッドをつれて大広間の扉のまえまでくると、ミルドレッドに小さなつつみをくれました。
「あの箱の中にあったものじゃ。あんたが持つのにぴったりの品じゃよ。このまえのことといい、こんどのことといい、あんたがしてくれたことは、永久に忘れはせんよ。残りの休暇を楽しみなさい。担任の先生はベッドので静養じゃ、きっと大いに楽しめるじゃろ」
大広間に残っていたのは、ネコだけでした。みんなは、朝ごはんを食べに食堂にでかけたのです。ミルドレッドは、みんなに、残りのお休みの間中、ハードブルーム先生はベッドの中よ、と伝えたくてたまりませんでした。食堂にいくまえに、ミルドレッドはトラチャンをだきしめると、もらったつつみを開けてみました。
それは、金のくさりのついたカエルのペンダントでした。それぞれの目に、エメラルドとルビーがはめこまれた二匹のカエルは、まじめくさって、たがいに手をとりあっていました。ミルドレッドは、ペンダントをつけると、外から見えないように、シャツの下にかくしました。これから、幸せを運ぶお守りとして、大人になってもずっとつけているつもりです。たしかに、お守りのおかげでしょうか、みんなの待つ食堂へと日のあたる階段をかけおりていくミルドレッドは、世界で一ばん幸せな女の子でした。学校一ふできな魔女じゃなくってね。