【どじ魔女ミルの大てがら】
ジル・マーフィ
1 どじな魔女のミルドレッドも、なんとか二年生になれました。
ミルドレッド・ハブルはカックル魔女学校の二年生になりました。今日は、はじめての登校日です。
魔女学校の一年間は、ふたつの学期にわけられています。一学期めは、九月に始まって、一月の終わりまで続きます。これは冬学期とよばれていて、そのあと、一月間の楽しい冬休みに入ります。二学期は、三月に始まって、七月いっぱいで終わり。げんみつにいえば、三月のはじめは、まだずいぶん寒くて、冬のような日も多いのですが、二学期は、夏学期とよばれています。二学期が終わったあと、九月のはじめまで、すてきな夏休みが一月、ひかえています。そして、九月から新しい学年の始まりになるのです。
あれこれ問題をひきおこして、さんざんな一年をすごしたあとで、ミルドレッドが学校にもどってこれたのは、きせきといってもよかったでしょう。ミルドレッドは、まったく運の悪い女の子で、どこに行っても、災難がつきまとって離れないのです。いつも、人の役にたつ、おぎょうぎのいい子でいたいと思っているのに、ひとたび問題がおこってみれば、いつのまにか自分が、さわぎの原因になってしまっています。まるで、災難を招きよせるとくべつな才能を持っているかのようでした。ふつうのおだやかな行事を、とんでもないドタバタさわぎにしてしまうのも(とくに、早がてんしたときなど)いつもミルドレッドでした。
ともかく、今年はミルドレッドも、二年生になったことだし、もっとかしこく(とはいえなくても、すくなくとも、前よりは注意深く)なるつもりでいました。そして学校一のふできな魔女だという評判を、なくしてやろうと、決意していました。
ほうきに乗って、ろうやのような学校の正門におりたったミルドレッドは、さくごしに、霧のうずまく校庭をのぞいてみました。今日ばかりはミルドレッドも早く着いたので、校庭には、まだひとにぎりの生徒しかいません。みんな、ひどい寒さの中で足ぶみしたり、マントにちぢこまったりしています。だいたいがこの学校は、いつも寒いのです。お城のような石づくりの建物ですし、松にかこまれた山のてっぺんに建っていましたから。おまけに、その松林は、びっしり密生しているため、たいへんじめじめしたいん気な所だったのです。こんな環境で、校庭ですごすことが多い生徒たちは、しょっちゅう、かぜをひいたり、インフルエンザにかかったりしていました。
「健康的でしんせんな空気!」体育担当のドリル先生は、校庭に集まってせきをしたり、鼻水をすすりあげたりしている生徒にむかって、いつも、こうわめきます。「体のために、これにまさるものはありません。ベルがなる前に、教室に入ったりしたら、反省文を五百回書かせますよ」
ミルドレッドは正門を飛びこすと、ものなれたようすで、ふわりと校庭に着地しました。
「まずまずの出だしだわ」と、考えて、まわりを見まわしました。こんなうまくいったんだから、だれかが見ていてくれたんじゃないかと思って。でも、だれも見ていません。人というものは、何かひどい失敗をしたときにかぎって、注目するもので、成功をした瞬間は、決して気づいてくれないのです。
ミルドレッドは、ほうきの上から、スーツケースをおろしました。ほうきは、つぎの命令を待って、おとなしくただよっています。ミルドレッドが、トラチャンを見ると、トラチャンは、目をしっかり閉じたまま、四本の足をつばさのようにひろげて、つめでがっちり、ほうきにしがみついています。このおくびょうな子ネコは、まだ、飛ぶのがこわくてしかたがないのです。ミルドレッドは、どこかに着くたびに、トラチャンをほうきから、引きはがさなければなりませんでした。
「こわがらなくていいのよ」ミルドレッドは、やさしくいって、片方の手でトラチャンをなでながら、もう一方の手で、トラチャンを引っぱりあげようとしました。「ばかねえ、着いたのよ。ごらんなさい! 終わったの。もう、飛びおりられるわよ」
トラチャンは、おそるおそる片方の目をあけて、本当に着いたのがわかると、ミルドレッドの肩に、飛びつきました。そして、大よろこびで、ミルドレッドのかみに、頭をこすりつけました。ミルドレッドは、この小さなネコが、かわいくて、たまらなくなりました。
「ミルドレッド! ミリー! わたしよ!」おなじみの声が、上の方からふってきました。ミルドレッドが見あげると、モードが、ぼうしをうちふりながら、正門を飛びこえるところでした。この最後にぼうしをふったおかげで、モードは、もうすこしでほうきからころげ落ちそうになって、ミルドレッドの足もとに、よろめくように、おりたちました。
「モード!」ミルドレッドは、うれしくなってわらいました。長い夏休みのあとで、こうしていちばんの親友に会えるのは、本当にすてきなことでした。「まあ、あんた、ずいぶんやせたわね。それに、かみものびたわ」
「そうなのよ」モードは、前のように、ただふたつにむすぶかわりに、みつあみにしたかみをなでながら、こたえました。「お母さんに、おそろしいダイエットをさせられたのよ。レタスとかセロリとか、ひどいものしか、食べられなかったの。でももう、お母さんの魔の手から、のがれたもんね。学校のなつかしいごはんにもどれたんだわ。プリンやクリームに、ばんざい三しょう!」ふたりは、声をたててわらいました。
「ねえ、どうしてこの学校に、門をわざわざつけておくのかしら」新しく三人の生徒が、ほうきに乗ってへいをこえてきたのに気がついて、ミルドレッドがいいました。
「たぶん、ふつうの人が訪問してきたときのためじゃない」と、モード。「ほら、ほうきを持ってない人たちってことよ。そういう人たちに、はしごを持ってきてくれなんて、カックル先生じゃ頼めないわよ。ところで、だれが着いたのかしら? 知ってる子、いる?」
「エセルだけよ。あの人、わたしに気がついたくせに、知らんぷりしたわ。わたしはもちろん、平気だけどね」
エセル・ハロウは、意地悪な気取りやで、ミルドレッドが、エセルをきらったとしても、むりはなかったのです。一年生だった間中、エセルは、ミルドレッドに意地悪をし続けましたし、エセルのせいで、ミルドレッドが退学になりそうになったことさえ、二回もあったのですから。
「ねえ、見て、モード!」ミルドレッドは、ふたりの小さな女の子を指さしました。ま新しいぼうしをかぶって、着ているマントも、あんまり大きすぎて、ピカピカのブーツに、とどきそうなくらいです。「あの子たち、きっと一年生よ。見て、見て、なんだか小さく見えない?」
「わたしたちだって、そうだったのよ」モードが、やさしい気持ちでこたえました。「本当に、年をとったと思うわね」
ふたりの一年生は、よりそって立っていました。どうしたらいいのか、わからないふうで、とてもはずかしそうに見えました。ひとりの子は、おどおどしながらも、まわりを見まわしていますが、もうひとりの子は、なくのをこらえきれないでいます。本当に、かわいそうなようすでした。
この子たちは、ふたりともやせていました。ないている子は、あごのとがった青白い顔をして、かみの毛は、細くてネズミ色。もうひとりの子は明るいオレンジ色のちぢれ毛を、ふたつにわけて、むすんでいます。どういうわけか、ミルドレッドは、ないている子が、だれかにとてもにていると思いましたが、だれだか、思いあたりません。
「あの子たち、なぐさめにいってあげない?」と、ミルドレッド。「心細いのよ。わたしたちだって、こわくってしょうがなかったじゃない?」
モードとミルドレッドは、ずいぶんおとなになって、かしこくなったような気がしながら、かわいそうなふたりの女の子のそばに、何気なく近づいていきました。
「こんにちは」と、ミルドレッド。「あなたたち、一年生ね」
「そうです」ふたりは、声をそろえてこたえました。
ミルドレッドは、すすりあげている子の肩を、ぎこちなくたたきながら、
「なかないで。そうひどいとこでもないわよ」
ところが、このミルドレッドのしんせつは、ことをよくするかわりに、いっそう悪くしました。すすなりきをしていた一年生は、わっと大声をあげてなきだし、ミルドレッドにすがりついてきたのです。
ミルドレッドは、あわててしまいました。校庭にいた生徒全員が、こちらを見つめていますし、いつなんどき、ハードブルーム先生(一年生のときのおっかない担任の先生)が、あらわれて、かわいそうな新入生をなかしたかどで、ミルドレッドをしからないともかぎりません。
モードが、いくらからんぼうに、一年生を引きはなして、肩をゆすぶりました。「今すぐ、ばかみたいに大声をはりあげるのをやめなさい!」モードはふきげんに、「あんたは、ミルドレッドを、イザコザにまきこもうとしているのよ。始業のベルが、なってもいないうちからね」
ミルドレッドは、しわくちゃにされたマントをなでつけながら、ききました。「名前はなんていうの?」
「シビル」しゃくりあげながら、その子がこたえました。
「わたしは、クラリスです」もうひとりの子は、自分からすすんでいいました。
「ここの先生方は、おっかない?」シビルが、ブカブカのマントで、なみだをふきながら、ききました。
「そうでもないわよ」と、モード。
「でも、ハードブルーム先生は、こわいわよ」と、ミルドレッド。「ほんというと、うんとこわいわ。たぶん、あんたたちの担任になるわよ。わたしたちはよかったわ、ギムレット先生だから。あの先生は、やさしいのよ。でも、ハードブルーム先生は、ものすごいわよ。とつぜん、どこからともなくあらわれたり――」ここまでいうと、ミルドレッドは、話をやめて、あたりを見まわしました。ひょっとして、本当に、そのとおりになるかもしれませんから。でも、先生は、あらわれませんでした。
「それから、クラスのみんなの前で、ひどいことばでしかったりするのよ。自分がばかになったような気がするわよ」と、モードがあとをひきとって、続けました。
「そのとおりよ」と、ミルドレッド。「それに、わたし聞いたわよ、ある生徒を、カエルにしちゃったことがあるんですって。授業に、たった二秒遅刻したっていうだけでね。ほんとかどうか知らないけど、裏庭の池には、たしかにカエルがいるのを、ときどき見かけるのよ。それにね、これも聞いた話だけど、その生徒は、一年生で――」
「わたし、そんな話、聞いたことないわ!」モードは、おどろきのあまり、息をせわしくしました。「それ、本当なの?」
「たぶん、そうだと思うけど」と、ミルドレッドは、こたえましたが、実は、ほんのでき心で、とっさにつくった話だったのです。自分でも、今さら、うそだといえなくなってしまったのでした。
ここだけの話ですが、ミルドレッドは、よく同じように、引くに引けなくなって、こまったはめになるのです。軽い気持ちでいい始めたつくり話なのに、はっと気がつくと、教室中のみんなが耳をかたむけていて、一言一句、信じこんでしまい、結局、話し始めたミルドレッド本人でさえ、どうしたらいいか、わからなくなってしまうのです。ただひとこと、この話は、自分でつくったお話なんだと、いえばいいのに。
かわいそうに、シビルは、このカエルの話を、すっかり信じてしまいました。そこで、前よりも、もっと大声で、なきだしたのです。あんまりけたたましいので、モードとミルドレッドは、さっさとにげだした方がいいと考えました。あとは、クラリスにまかせよう。
「ミルドレッド! モーディ! ヤッホー! わたしだよ!」
イーニッド・ナイトシェイドです。イーニッドは、一年生の二学期に、転校してきた生徒で、今ではふたりのなかよしです。木ぎのこずえをかすめて飛んできたイーニッドは、あんまりいきおいよくブレーキをかけたので、ネコやスーツケースをふり落としてしまいました。モードとミルドレッドも、ほうきにひき殺されないように急いでとびのいて、道をあけました。
そのとき、ベルがなりました。三人の魔女は、自分の持ち物をかき集め、校舎に急ぎました。
「なんとも、ありがたいよね。もうHBが担任じゃないんだから(HBというのは、ハードブルーム先生のあだ名です)」と、イーニッドがささやきました。
「そうよね」と、ミルドレッドも賛成して、「今年は、HBにかんしされないんだから、すっごく楽よ」
2 始業式での不吉なニュース。どじミル、またまた大失敗。
カックル先生が、始業式で最初に発表したのは、身の毛もよだつようなニュースでした。ハードブルーム先生が、ギムレット先生といれかわって持ちあがりで、新二年生の担任になるというのです。新二年生の全員から、うめき声がさざ波のようにあがりましたが、ハードブルーム先生のするどいひとにらみで、あっという間に、おさまってしまいました。どういうわけだか、ハードブルーム先生ににらみつけられると、生徒ひとりひとりが、直接自分に、まなざしをむけられたように、感じてしまうのです。
重い心をいだいて、ミルドレッドは第一日目の雑用を、みじめに片づけました。荷物をほどいたり、新しい教科書をつくえの上にならべたり、ネコにごはんをやったり、かぞえきれないほどいろいろな仕事があって、終わったときには、寝る時間になっていました。
二年生全員が、あんまりがっかりしていたので、友だちのへやにしのびこんで、おしゃべりをするのも、やめてしまったぐらいです。学校が始まった最初の日は、いつもやっていることなのに。ミルドレッドも、すっかりふさぎこんで、毛布にもぐりこみました。まくらの上ではトラチャンが、芝かり機みたいに、のどをゴロゴロならしています。ミルドレッドは、もう一年、ハードブルーム先生にかんとくされれば、何かいいことがあるかもしれないと、思いこもうとしましたが、とてもむりでした。
つぎの日の朝、ミルドレッドは、いつもよりはげしいベルの音で、びっくりしてとびおきました。ねむ気もすぐに、ふきとんでしまいました。火災警報がなっているのです。
急いで制服を着たらしく、みだれた服装のモードが、ミルドレッドのへやのドアを、らんぼうに開いてさけびました。「急いで、ミル!」モードは、そのまま走っていきながら、「火災訓練よ! 早くして!」
「なにも、こんな時間にやらなくたっていいのに」ミルドレッドは、パジャマの上から、ジャンパースカートをかぶりながら、ぶつくさいいました。「それとも、ほんとの火事かしら?」
モードは、ろうかを走っていってしまいましたが、ミルドレッドは、立ちどまって、窓をのぞいてみました。本当の火事かもしれないと思って。校庭には、ハードブルーム先生が、むらさき色のこいけむりにつつまれて立っていました。先生は、いつものように、腕を組んだまっすぐな姿勢で、けむりを見つめていましたが、まるで、周囲のものが目に入らないような、何かおかしなふんい気です。
「たいへん!」ミルドレッドは、考えました。「ショックで、動けないんだわ。助けてあげなくちゃ!」
ミルドレッドは、洗面所にとんでいって、雨もりを受けていたバケツをつかみました。バケツには、もうすでに、よどんだ雨水が、半分ほどたまっていたので、ミルドレッドは、それに、ふちぎりぎりいっぱいまで、水をたしました。そして、もとの校庭に面した窓のところへもどるとちゅう、自分のへやに寄って、ほうきをとってきました。
ミルドレッドは、もう一度、窓からのぞいてみました。見まちがいだったら、いいなあと思いながら。でも、ハードブルーム先生は、前の場所から動いていませんし、けむりが、いよいよこくなっています。先生の姿もかくれてしまいそうでした。
「さあ、いこう!」担任の先生が、どんなによろこぶかと思うと、胸が高なりました。「もしかしたら、表彰されるかもしれないな」
ふつうのときでさえ、ほうきに乗ってバランスをとるのは、むずかしいことなのです。まして、今のように、水がいっぱい入った、重いばけつを運ぼうとするのは、ほとんど不可能にちかいことでした。ミルドレッドは、けん命に考えて、バケツを、ほうきにつりさげて、運ぼうとしました。でも、それでは、飛びあがるときに、こぼれてしまうのは明らかでした。そこで、バケツをいったん窓のしきいに置くと、まず先にミルドレッドがほうきに乗り、それからバケツをひざの上にかかえました。こうすれば、いかにも安全そうに思えたので、ミルドレッドは、勇気をふるいおこして、ほうきに命じました。
「ほうきよ、下へ! 急いで!」
ほうきは直ちに急降下に移りましたが、あんまりとつぜんだったので、ミルドレッドの腕からバケツがすっぽりぬけて、石のように落ちていってしまったではありませんか。ミルドレッドは、あわててあとを追いかけましたが、ああ、遅すぎました。よごれた冷たい水が、ハードブルーム先生に、ざぶりとかかり、頭からつま先まで、ずぶぬれにしてしまったのです。一瞬ののちに、今度はバケツが、先生の頭にかぶさりました。破滅のときを知らせるような、ガーンという音をたてて。しかし、さすがこのおっかない担任の先生は、あんな高いところから、バケツがふってきたというのに、いささかもたじろぎませんでした。これは、先生の名誉のために、ぜひとも、お話しておかねばならないことでしょう。
ミルドレッドの気持ちとしては、むりもないのですが、そのままくるりとむきをかえて、さっさと、にげだしてしまいたくなりました。でも、のがれるすべはありません。けむりが晴れてみると、全校の生徒のすくなくとも半分が、先生の前に列を組んで、集合しているのがわかりました。先生の頭には、バケツが、みごとにスッポリかぶさっています。
一瞬ミルドレッドは、もしかして、これはハードブルーム先生の立像なのではないかしら、と期待しました。もっとも、なぜそんなものが、ここに立っているのかは、わかりませんが。でも、その立像が口をきいたものですから、ミルドレッドのむなしい期待も、すぐに、こなごなにくだけ散ってしまいました。
「だれがこんなことをしたのか、たずねる必要もありません。明白です」バケツの中から、おなじみの声が、聞こえてきました。「ミルドレッド・ハブル、まことにおそれいりますが、この苦境をのがれるために、手をかしてくれませんか?」
もし、だれかほかの先生が、バケツを頭からかぶって水をしたたらせている姿を見たら、生徒たちは大わらいをしたことでしょう。でも、何ものであれ、ハードブルーム先生の威厳をそこなうことは、できなかったのです。あたりは、針が落ちても聞こえるほど静まりかえり、だれの口もとにも、びしょうの影さえ浮かんでいません。ミルドレッドは、その中をすすみ出て、つま先立ちで、バケツをはずしました。
ハードブルーム先生のふたつの目は、物が見えるようになるやいなや、レーザー光線のように、ミルドレッドをさしつらぬきました。
「ありがとう、ミルドレッド」先生の声は、氷のようです。
「す、すみません。わ、わ、わたし、じ、じつは」ミルドレッドは、しどろもどろで、「先、先生が、火にかこまれていると、つまり、けむりが、見えたので、それで、あのう……」
「ミルドレッド」先生は、重おもしく、「あなたは、こう考えたようですね。わたくしが、地獄さながらもえさかる火のただ中につっ立って、平気で生徒を、そんな危険な場所に、集めるようなまねをしたと」
「けむりが、出てたものですから」ミルドレッドは、小さな声でこたえましたが、とつぜん、ジャンパースカートの下から、パジャマがのぞいているのに気がついて、ますます、ばつが悪くなりました。
「もし、あなたが火災訓練のことを、おぼえていたら」と、ハードブルーム先生。「正面の入口から、校庭に出たはずです。だれかさんが、勝手に考えたように、二階の窓からではなくて。それに、正しい入り口を通りさえすれば、校庭にいたわたくしのそばに出られて、わたくしから、説明を聞けたはずです。このけむりは、火災訓練らしくするための、魔法の煙にすぎないから、大さわぎする必要はないんだと。だれかさんは、すぐに、その大さわぎを、しがちなようですけどね」
「わかりました」ミルドレッドは、声をふるわせました。「ごめんなさい、ハードブルーム先生」
「列にならびなさい、ミルドレッド」ハードブルーム先生は、命令しました。「最後に、いっておきますが、あなたのまのぬけたいたずらも、今学期は、これっきりであってほしいものですね。エセル、すみませんけど、わたくしが、こおりついてしまう前に、タオルとマントを取ってきてくれませんか?」
「もちろんです、ハードブルーム先生」エセルは、担任の先生には、にっこりわらいかけましたが、ミルドレッドのそばをとおるとき、ものすごいしかめっつらをしました。
ミルドレッドは、モードとイーニッドのとなりに、ならびました。
「いいかけんにしないと、まずいわよ、ミルドレッド」と、モードがささやきました。
「そうよね」みじめな気持ちで、ミルドレッドがこたえました。「きっと、ねぼけてたんだわ」
「だけど、ほんというと」イーニッド。「まったくおかしかったね」
とたんに、この三人組は、なんともいえずに、おかしくてたまらなくなりました。そのあとの火災訓練の間中、三人は、ぜったい目をあわせないようにしました。目があったらさいご、わらいだすに、きまっていましたから。それだけは、なんとしても、さけなければならないと、三人とも(とくにミルドレッドは)かたく心にちかっていたのです。
3 朝食時の一波乱。トラチャン、面目を失う。
火災訓練のすぐあと、朝ごはんになりました。食堂にいってみて、まわりじゅうがおどろいたことに、エセルが、わざわざミルドレッドのとなりに、すわろうとするではありませんか、このふたりが、ぜったいなかよくなれないことは、みんなによく知られたことでした。
「あんたって、かわんないのねえ」エセルが意地悪をいいました。
ミルドレッドは、このいやがらせを無視して、ひからびたオートミールに、おさとうをふりかけました。
「ところでね」エセルが続けました。「わたし、あんたにもんくがあるのよ、ミルドレッド・ハブル」
「へえ?」と、ミルドレッド。「なによ?」
「あんた、わたしのいもうとを、こわがらせたわね」
「あんたのいもうとのことなんか、知らないわ!」ミルドレッドは、きっぱりといいました。
「あら、そうかしら?」と、エセル。「ほんとに、おぼえてないの? シビルっていう女の子に、くだらない話したでしょ。カエルにされちゃうとか、なんとかって」
「ええー! あれ、あんたのいもうとだったの?」
「そうよ、そのとおりよ」エセルが、こたえました。
「まったく、どうして、気がつかなかったのからしねえ、ミル」モードが、そばにきて、わって入りました。「あんなとんがった鼻を見たら、気がついてもよかったはずなのにね」
エセルは、いかりでまっさおになりました。
「まあ、聞いてよ、エセル」ミルドレッドは、なんとか、エセルをなだめようと、「ちょっと、つくり話をしちゃったのよ。あの子、それで、モヤシみたいに、おくびょうになっちゃったのよ。だいたい、最初は、はげましてあげようと思ったんですもの」
「あれが、人をはげまそうとした態度!」エセルが、はねつけました。
「あきれたもんだわ。シビルはまだ、おびえているのよ。――それに、わたしの家族を侮辱しないでほしいわね。シビルは、感じやすい子なのよ。モヤシじゃないわ」
「ちょっと、エセル」ミルドレッドも、だんだん腹立たしくなってきました。「もう、いいかげんにしてよ。あんたのいもうとかどうか知らないけど、なき虫の一年生のことぐらいで、けんかなんかしたくないわよ。それに、悪いけど、このおかゆ、あたたかくたってまずいのよ。冷たくなったら、食べられないわ。お昼ごはんまで、うんと間があるんですからね」
「わたし、忘れないわよ」エセルは、なおもくどくどと、いい続けました。「だれにも、家族のこと、ばかにさせませんからね。あやまったぐらいで、ゆるすと思ったら、大まちがいよ」
「モヤシ!」とうとう、ミルドレッドは、たまりかねて、さけんでしまいました。エセルをおこらせたら、あとで、どんなにおそろしいか、わかってはいたのですけれど。「ハロウ一族なんて、みんなモヤシよ。モヤシ、モヤシ!」
エセルは立ちあがると、食堂をとびだしていきました。それはそれは、おそろしい顔をして。
「おこらせたのは、まずかったね」と、イーニッド。「エセルが、どんなやつだか、知ってるだろうに」
「そうなんだけどね」と、ミルドレッド。「あのすました態度を見てると、あたまにきちゃうのよ。だれにも、家族のこと、ばかにさせませんからね」ミルドレッドは、エセルの口まねをしました。「あの人も、口だけよ。あしたになれば、忘れてるわ」
「わたしは、そうは思わないわ」モードが、心配そうにいいました。
朝ごはんのあと、ハードブルーム先生が、午前中の残りの時間に、ネコの訓練をするようにと、いいました。この学校の生徒は、全員が一年生のときに、黒ネコをもらうことになっています。そして、そのネコを、ほうきのうしろに乗れるよう、訓練しなければなりません。ところで、ミルドレッドがもらったのは、うすぼんやりしたトラネコでした。黒ネコがたりなかったのです。そんなネコにあたるのも、ミルドレッドの運の悪さを、あらわしているようでした。それにしても、ミルドレッドは、ハードブルーム先生が、このあまりかしこいとはいえないネコを、エセルかだれかにではなくて、わざとミルドレッドにくれたのではないかと、うたがってみずには、いられませんでした。
「お休みの間中も、訓練を、おこたらなかったことと思います」ハードブルーム先生は、目の前に整列している生徒にいいました。生徒たちのわきには、ネコを乗せたほうきが、浮かんでいました。あ、ちょっと待ってください。ほとんどのネコをのせた、といったほうが、正しいようです。
ミルドレッドのトラネコは、つめをたてて、必死にカーディガンにしがみついていましたから。顔には、絶望的な色さえ、浮かべています。
「ネコは、ほうきに乗せるように、いったはずですよ、ミルドレッド」ハードブルーム先生が、うんざりしたようすでいいました。
「はい、ハードブルーム先生」ミルドレッドが、トラチャンを、やっとの重いで、引きはがしたときには、カーディガンは、つめで、破かれてしまっていました。
絶望しきったトラチャンは、すぐさま四本の足をひろげると、ほうきにぴたりとしがみつきました。飛びあがっても、下を見なくていいように、目をしっかり閉じています。
「いったい、どのぐらいネコの訓練を、したんですか、ミルドレッド?」と、ハードブルーム先生。「ほかのネコを見てごらんなさい。ほうきに乗るだけで、大さわぎをするようなネコは、どこにもいませんよ。ほうきの曲乗りをしろなんて、いったわけでは、ないんですからね、ミルドレッド。ネコを自分のへやにつれていきなさい。残りの時間は、そこで、訓練しなさい。きちんと訓練されるまで、そんなネコ、見たくもありません。わが校のはじです」
「はい、ハードブルーム先生」ミルドレッドはみじめなき持ちで、ふできなネコを、今度はほうきから引きはがし、エセルがばかにして、あなのあくほど見つめる視線を、せなかにうけながら、校庭を出ていくはめになりました。
ミルドレッドは、へやにもどると、二、三分ベッドに入って、あたたまろうと思いました。その日は、こごえるような寒い日で、校庭で長い時間をすごしたあとでは、ミルドレッドの足は冷えきって、氷のようになっていました。
トラチャンは、きびしい試練が終わったのをよろんで、毛皮でできた湯たんぽのように、毛布の下にもぐりこみました。
ちょっと、あたたまるだけのつもりだったのですが、二、三分もするとすっかり、まぶたが重くなって、ぐっすり寝入ってしまいました。あんまり深く、眠ってしまったので、ドアがそっと開けられたのにも、気がつかないほどでした。
4 魔法をかけられたのは、いったい、どちら?
ドアが、バタンと閉まる音で、ミルドレッドは、はっとして、目がさめました。目がさめるやいなや、ミルドレッドは、恐怖とおどろきで、こおりついてしまいました。とてつもなく大きな動物が、池のように大きな緑色の目で、ミルドレッドを、じっと見つめているではありませんか。
ミルドレッドは、ぎゅっと目をつむりました。もしかすると、夢かもしれない。でも、もう一度こっそり目を開けてみると、かいぶつは、まだそこにいて、こんどは、大きな前足で、やさしくミルドレッドを、たたき始めました。
ミルドレッドが、ぎょっとしてあとずさりすると、何か、かたい物にぶつかりました。それは、巨大な鉄の棒で、頭上高くそびえ立っています。でも、こうして少し離れてみると、そのかいぶつが、ほかならぬトラチャンであるとわかりました。どういうわけだか、マンモスのように、大きくなっていましたが。
ミルドレッドは、トラチャンのことを、とてもよく知っていたので、トラチャンが、そんな姿をしてはいても、たいへんおびえているのに、気がつきました。そしてすぐ、これは、エセルのしわざだと思いました。ミルドレッドが、エセルの家族をばかにしたと思いこみ、しかえしをするつもりで、トラチャンに魔法をかけたのでしょう。
「こわがらなくていいのよ、トラチ……」ミルドレッドは、口を開きましたが、なんてことでしょう。口をついて出てきたのは、変てこなしゃがれ声でした。それは、「クワッ、クワッ!」というふうに聞こえます。
ミルドレッドは、しだいに、おそろしい事実に気づき始めました。いつもの何倍もの大きさになっているのは、トラチャンだけではありません。ベッドも家具も、天じょうからぶらさがっている、三びきのコウモリさえ巨大な大きさに、なっているではありませんか。つまりは、こういうことだったのです。まわりが大きくなったのではなく、ミルドレッドが小さく――うんと小さくなってしまったのです。
ミルドレッドが、ベッドのはじから下をのぞいてみると、そこはがけのようになっていて、ベッドカバーがはてしなく、石のゆかにたれさがっています。トラチャンが、のどをならし始めましたが、小さくなったミルドレッドにとっては、まるで、飛行機の団体が、発進する音のように、聞こえました。
「やめて、トラチャン。考えごとができないわ!」と、さけぼうとしましたが、ことばがのどにつまってしまい、出てくるのは、カエルのようなケロケロという声ばかり。
ミルドレッドは、たんすの所に、行ってみることにしました。鏡がありますから、どのぐらい小さくなったか、わかるでしょう。ベッドとたんすの間は、十センチほど、離れているだけでしたが、今のミルドレッドにとっては、一キロにも感じられました。しかし、なんとおどろいたことに、とつぜんミルドレッドは、その大きなすき間を、飛んでみたいような気持ちになって、気がついたときには、たんすのてっぺんに、楽々と着地していたではありませんか。
「へんなの」ミルドレッドは、考えました。「わたし、飛べるなんて思ったこともなかったわ!」
そのわけは、すぐにわかりました。とても悲しい発見でした。鏡の中にうつった姿は、お皿のような目をした、小さな、緑色のカエルだったのです。ミルドレッドは、まわりを見まわしてみました。ほかには、だれもいません。つぎに、手をのばしてみると、緑色のじめじめした前足がのびて、鏡のカエルの水かきのある足に、ふれたのです。ミルドレッドは、なきだしてしまいました。なみだをぬぐおうとすると、鏡の中のカエルも、同じことをします。
「ないたって、しょうがないんだわ」ミルドレッドは、きっぱりといいました。「すわりこんで、ないていたって、なんにもなりゃしない。だれかに助けてもらわなくちゃ」
ベッドに飛んでもどってみると、まくらの上に、何か置いてあります。ひとかたまりのモヤシでした。これで、エセルのしわざであるのが、はっきりしました。エセルは、だれが、なぜ、魔法をカけたのか、ミルドレッドに示したのです。
ミルドレッドは、ゆかの上に飛びおりて、少しの間、すわりこんで考えてしまいました。こんなすごい距離を、けがもしないで、ジャンプできるなんて、すてきだな。運動会の棒高飛びで、大失敗をしたのが、思い出されました。
一年生の運動会のとき、イーニッドが、ミルドレッドを助けようと、棒に魔法をかけたのですか、うっかりして、かけすぎてしまい、ミルドレッドは、空中に放り出されて、ハードブルーム先生のへやに、飛びこむはめになってしまったのです。
でも、ジャンプができるなんていうのは、今のミルドレッドにとって、ほんのささやかななぐさめにしかなりません。ミルドレッドは、急に心配でたまらなくなりました。この小さくて、きゅうくつなカエルの体に、閉じこめられてしまったと、感じたからです。ひざは、変なかっこうにまがっていますし、腕も短すぎます。その上、何よりもおそろしいのは、しゃべろうとしても、カエルのケロケロ声しか出せないのです。ミルドレッドのへやのドアと、ゆかの間には、大きなすき間がありました。そこでミルドレッドは、へやをぬけ出して、だれかに助けをもとめようと、決心しました。びっくりしているトラチャンを横目で見ながら、すき間をくぐりぬけ、ろうかに飛び出していきました。なんの助けもなく、へやの中で、ただすわりこんでいるより以上に悪いことなど、おこるわけがないと、信じこんでいたのです。
でも本当は、まくらの上で、おとなくしていたほうが、よかったのです。遅かれ早かれ、モードかイーニッドが、見つけてくれて、同じベッドに、ネコとカエルがよりそっているのを見れば、きっと、おかしいと思ったにちがいありませんから。そして、そのことを、ミルドレッドの失そうに、結びつけてくれたことでしょう。でも、自分のへやから、一歩でも外に出てしまったらさいご、ミルドレッドは、学校に迷いこんだ、ただのカエルになってしまうのです。ただのカエルを見ていったいだれが(こんなひどいことをした犯人以外)、これは魔法をかけられた二年生だなんて、思うでしょうか。
5 モード! わたしはここよ!
なんとも、最悪のタイミングとしか、いいようがありません。ミルドレッドは、ろうかの角をまがったところで、校庭から入ってきたハードブルーム先生と、ばったり、はちあわせしてしまったのです。
「おやおや」先生はかがんでカエルをつまみあげ、「なんで、ここにこんなものが、いるんだろう?」そして、それ以上さわぎたてもせず、ミルドレッドをポケットにおしこむと、そのま立ち去ってしまいました。
ポケットの中は、いごこちの悪い場所でした。かびくさい暗やみの中で、ミルドレッドは、たえず何かにぶつかりました。ふえや、輪ゴムをまいたノートや、かさばったハンカチで、中はいっぱいでしたから。
そのつぎに、気がついたときには、ハードブルーム先生が、ミルドレッドを引っぱり出して、実験室のたなの上にいるのが、わかりました。せの高い担任の先生は、さっさと出ていってしまいました。
ミルドレッドは、本当にこわくなりました。にげ出す方法はなさそうですし、たとえ、にげ出せたとしても、それからどうしたらいいのか、わかりません。エセルは、かわいそうだと思って、もとにもどしてくれるのかしら、それとも、永久に、カエルのままにしておくつもりなのかしら。それから、ハードブルーム先生や、クラスみんなは、わたしがどこに行っちゃったのか、心配してくれるかしら。
ところで、ミルドレッドが、そう考えていた、ちょうどそのころ、みんなは、ミルドレッドのゆくえを、さがしまわっていたのです。現に、ハードブルーム先生が、カエルに出くわしたのは、ミルドレッドのへやへ行くとちゅうのことでした。実験室を出ていくやいなや、先生は、ミルドレッドのへやへ行って、ミルドレッドが、そこにいないことを発見しました。先生は、すぐさま、学校中くまなく、ミルドレッドをさがしましたが、もちろん、みつけることはできなかったのです。生徒たちも、ミルドレッドのいどころをたずねられましたが、だれも知っている者はいません。まったく、なぞのようなできごとでした。
「もしかして、にげ出したんじゃないかな」昼ごはんを食べに、食堂へむかいながら、イーニッドが、モードにいいました。「ネコのことで、HBにこっぴどく、しかられたからさ」
「わたし、そうは思わないわ」と、モード。「にげるにしたって、ネコを置いていくはずないもん」
「それなら、どこに行っちゃったのか、わかんないや」イーニッドは、肩をすくめました。
「わたしだって、わかんないわ」と、モード。「でも、わたしの意見では、この件には、エセルがからんでるわよ、ぜったい。だって、あの人のようすを見てるとね、ほらわかるでしょ、だれも知らないことを、自分だけは知っているっていう顔、あんな顔してるもん」
「エセルから、しばらく目を離さないほうが、いいね」と、イーニッド。
一方、こちらは実験室。ミルドレッドがさっきから、よじ登ったり、押したりして、フラスコを、たおそうとしています。でも、ほんの少し、よじ登ったかと思うと、ずるずるすべり落ちてしまい、フラスコは、少しもかたむきません。もともと、このフラスコは、底に厚いガラスを使ってあって、バランスが、くずれにくくなっているのです。何度かがんばってみたあとで、ミルドレッドは、とうとうあきらめると、すわりこんで、失望のあまり、なきだしてしまいました。残る頼みのつなは、エセルが、やさしい気持ちになってくれることだけです(でも、エセルには、そのやさしい気持ちというのが、いちばん期待できないのです)。それと同時に、ミルドレッドは、たいへんなことに気がつきました。もしかしてエセルが、自分のやったことをうちあける気になったとしても、ミルドレッドが、まさかフラスコの中にいるなんて、だれも、思いもよらないでしょう。
昼ごはんのあと、二年生が、まじない薬の授業をうけに、実験室にやってきました。モードとイーニッドは、ミルドレッドのゆくえについて、あれこれ話しあいながら、フラスコのそばを通りかかりました。モードのいっていることを耳にしたミルドレッドは、ますます、情けない気持ちにさせられました。モードは、こういっていたのです。
「やっぱり、にげ出しちゃったのかしら、イーニッド。つまりね、こんなにさがしても、ミルドレッドは、どこにもいないし、たいした理由もなくて、今ごろのこのこ出てきたりしたら、どんなやっかいなことになるか、知らないわけないと、思うのよねえ」
「わたしは、ここだってば!」ミルドレッドは、さけぼうとしましたが、のどから出てきたのは、やかましいガーガー声だけでした。
「なんてうるさいカエルでしょう。こんなカエル、みたことがない」ハードブルーム先生が、おそろしい目つきで、フラスコをにらみつけながら、ぴしゃりといいました。ミルドレッドは、たちまち静かになって、今度は、じっとモードを見つめました。もしかしたら、ラジオの電波のように、空気を通して、気持ちを伝えられるかもしれないと、思いながら。これは、もう少しで、成功するところでした。
「イーニッド」姿を消す薬の材料を、えりわけながら、モードがいいました。「あのカエル、わたしを見つめているわ。さっきから、十分ぐらい、このテーブルから、目を離そうとしないわよ」
「ばかなこと、いわないで」と、イーニッド。「カエルが、人間を見つめたりしないよ」
「だって、あのカエルはしてるわよ。ほら見て!」
イーニッドも、見てみました。その小さなカエルは、明らかに、モードの方を、一心に見つめています。そして、イーニッドに目を移すと、飛びはねながら、むちゅうで、ガーガーなきました。
「モード」と、ハードブルーム先生。「すみませんけど、カエルをフラスコから出して、戸だなの箱の中に、移してくれませんか? そんな声を、午後中聞いていたら、たまりませんから」
「クワックワッ!」ミルドレッドは、抗議しました。「クワックワッ! クワックワッ!クワックワッ!」モードは、たなにそっと近づくと、フラスコに手をのばして、ミルドレッドを取り出しました。
ミルドレッドは、最後の望みをたくして、モードの目を、一心に見詰めました。でも、モードは、この大さわぎを演じているカエルが、自分の親友だということに、気がつきそうにありません。こうなったら、逃げる以外、なくなりました。
ミルドレッドは飛びました。新しい力強い足が、飛んでくれるかぎり、高く飛んで、モードとイーニッドのベンチに、パチャッと着地しました。
「ぼやっとしてないで!」ハードブルーム先生が、がなりたてました。
「つかまえるんですよ!」
教室にいた全員が、カエルを追いかけました。カエルは、すばやくベンチからベンチへと、飛び移ってにげました。とうとう追いつめられて、絶体絶命というところで、ミルドレッドはとつぜん、このクラスが、姿を消す薬をつくっていたことを、思い出しました(朝ごはんのあとで、ハードブルーム先生が、今日の授業について話していたのです)。ミルドレッドは、エセルのベンチに飛びこみました。エセルが、クラスでいちばんききめのある薬を、つくるにちがいないと、思ったのです。
薬は、そこにありました。あかるいピンク色をして、大がまの中で、あわだっています。つごうのいいことに、大がまから試験管にうつすとき、少しこぼれて、ベンチの上に薬の水たまりが、できていました。今やカエルの舌を持つミルドレッドは、舌をできるだけ長くのばして、その薬を、なめました。
「ハードブルーム先生!」エセルがさけんでいます。「カエルが、消えてしまいました!」
ミルドレッドは、ほっとしてためいきをつくと、ゆかの上に、飛びおりました。そして、ドアのそばの本だなの下にもぐりこんで、じっと息をひそめていました。
「ふしぎなこともあるもんだ」ハードブルーム先生は、すっかり考えこんでしまいました。「お目にかかったうちでも、いちばんさわがしいと思ったら、それだけじゃなくて、いちばん頭もはたらくとは……」
「ぜったい、あのカエル、わたしに話しかけようとしていたのよ」モードが、イーニッドにささやきました。「ミルドレッドのこと、何か知ってたんじゃないかしら?」
「カエルなんかが、いったい何を、知ってるっていうの?」と、イーニッド。
モードが、肩をすくめました。「わたしだって、わかんないわ。でも、あのカエル、ふつうのカエルじゃなかったわ。それだけは、ぜったい、確かなことよ」
6 ミルドレッドは池のほとりで、ふしぎな人(?)に出会います。
本だなのしたで、身をすくませながら、ミルドレッドは、姿が見えてきてつかまるとまずいから、もうしばらく動かないでいようと、思っていました(姿を消す薬をのんだときには、そのききめがうすれても、いっぺんで、もとにもどったりしないのです。まず、最初に頭があらわれ、つぎに肩、それから体のほかの部分というふうに、だんだん見えてくることになります)。
姿が消えているというのは、本当に、おかしな感じです。たとえば、見えない手をのばして、見えない足をさわっているところを、ちょっと、想像してみてください。歩くにしたって、足が動いている感じはあるのに、その足が、どこに向かっているのか、見えないのです。だから、ときどき行こうと思っている方角と、ちがう所にいってしまう、なんていうこともあります。これじゃ、やりきれないですよね。
ミルドレッドは、もう見えてきているかもしれないと思って、腕をのばしてみました。まだでした。それでも、じっとこらえつづけていると、とうとう、ハードブルーム先生が、みんなに、教科書を閉じるよう、いっている声が、聞こえてきました。みんなの話す声や、動きまわる音が、ひとしきりしたあとで、ドアが閉められ、実験室は、やっと静かになりました。ミルドレッドは、はね飛んで出ていくと、あたりを見まわしました。やっぱりここも、ドアの下に、十センチぐらいのすき間があります。だいたいこの学校は、どのドアにも、すき間があったり、どの窓にも(ほとんどが細長い窓ですが)ガラスがなかったり、ということを、売り物にしているようなふしがあります。まるで、この学校を、設計したときの目的はただひとつ、生徒を、こごえ死にさせることだったと思えるほどでした。
ミルドレッドは、すき間からはい出ると、大急ぎでろうかをぬけて、らせん階だんをはねおり、校庭に出ました。そこから、学校の裏手にある池に、はねていきました。池のモやトウシン草の間なら、安全にかくれていられる、その間に、なんとか解決する方法を見つけよう。
池のまん中にある石の上に、大きなカエルが、すわっていました。ミルドレッドは、このカエルをよく見かけていて、エセルの妹をこわがらせた、あのつくり話を、思いついたのです。
「クワックワッ!」そのカエルがなきました。なんてうれしいんでしょう、ミルドレッドは、カエルが何をいったのか、わかりました。そのカエルは、「おや、まあ、おどろいた。おまえさん、体の残りは、いったいどうしたんだね?」といったのです。
「おどろかないでください」と、ミルドレッド。「わたし、姿を消す薬を飲んだんです。それで今、もとにもどり始めたところなんです。もう少ししたら、わたしの姿、全部見えるようになりますから」
「そんな薬、どこで手に入れたのかね?」カエルは、静かに石の上からすべりおりると、ミルドレッドの頭のほうへおよいできました。
「ええと」と、ミルドレッド。「それにこたえるには、ちょっと説明がいるんです。わたし、実はカエルじゃないんです。魔女学校の二年生で、エセル・ハロウっていうひどい子に、カエルにされちゃって、それで――」
「おや、まあ!」カエルがさけびました。
「こりゃあ、おどろいた! わしも、カエルじゃないんだよ。魔法使いなんじゃ。なんてふしぎな偶然だろうかねえ。何年もここにすんでおるが、人間と話したのは、これが初めてじゃよ。おどろいたのう! いやはや、信じられんぐらいじゃ。ついておいで、うまいハエを、ごちそうしよう」
「ハエですって?」と、ミルドレッドは、おどろきました。
「そうか、そうか」と、カエルにされた魔法使い。「おまえさんは、カエルになったばかりじゃったのう。ハエじゃよ、あのブーンていう。いったんなれてしまえば、うまいもんじゃよ。わしも、最初のころは餓死しそうになってな。たえられんかったからのう、つまりほら、虫なんかを食べるということにな。じゃが、なれさえすれば、なかなかのもんじゃよ」
ミルドレッドは、顔をしかめました。「わたし、なれる前に、もとにもどりたいと思います」(どんなに望みがないか、感じていたのですが、むりに元気を出していいました)「あなたは、どうやってここに、いらしたんですか?」
「ふーむ、それは」カエルにされた魔法使いは、石の上にどっしりすわり直して、「ずーっと、昔のことなのじゃ。わしも、ほとんど、忘れてしもうた。ふーむ……そうそう、この城が、まだ学校ではなかったころのことじゃった。そのころは、魔法使いの集会や、会議に使われておっての。夏は、ほんとにゆかいじゃった。キャンプのようなものかのう。みんなで、おやつを食べたり、勉強をしたり、魔法くらべをしたりして、すごしたもんじゃ。ま、それはともかく、手短にいえば、わしは、なかまとけんかをしたんじゃ、おまえさんのように。その結果が、このありさまじゃよ。そして、友だちの気が変わる前に、夏は終わってしまった。なかまはみな、家に帰り、わしはひとり、とり残されたというわけじゃ。それ以来、わしはずっとここにいる。白状すれば、ときたま、やりきれなくて、しかたなくなることもあるのう」魔法使いは、ふといため息をついて、暗い水面を、じっと見つめました。
「いっしょに、いらっしゃいません?」ミルドレッドが、あかるくいいました。「わたし、暗くなったらモードっていう友だちをさがしにいこうと思うんです。モードならわかってくれるし、なんとかしてくれるにちがいありません。あなたのことも、きっと助けてくれますよ」
大きななみだが、カエルにされた魔法使いの目から、ほとばしり出ました。「それじゃ、だめなんじゃ」魔法使いは悲しそうに、「わしの魔法は、魔法使いにしか、とけんのじゃ、あの学校に、まほうつかいは、おらんじゃろ?」
「ええ、いません」ミルドレッドは、考えこみながらいいました。
「それじゃともかく、わたしひとりで、モードをさがしにいきます。でも、もとにもどれたら、すぐに帰ってきますね。なんとかして、あなたを魔法使いのところにつれていかなくちゃ。わたし、ぜったい忘れません」
「ありがとうよ、じょうちゃん――なんという名前かね?」
「ミルドレッド・ハブルといいます。あなたのお名前は?」
「アルジェノン えーと、ウェッブなんとかじゃ。ひどい話じゃろ? あんまり長いこと、ここにいて、名字を忘れてしまったようじゃ。なんといったかな? ボーエンウェッブ? まてよ、ストーンウェッブかな? それとも、ウェブリーストーンだったかな? ごめんなさいよ、じょうちゃんや、どうやら、すっかり忘れてしまったようじゃ。そんなに長い間のことでな。それでもときたま、昔ながらのおやつが、食べたくてたまらなくっての。ハエとか、ボウフラなんかには、うんざりじゃ。ときどき、はっきり思い出してな、丸太のもえるだんろ、小さな丸テーブルには、テーブルクロスがかかっている。厚切れのバターののったトースト、ハチミツのたっぷりかかったホットケーキ、そして、ティーカップには、かおり高い熱いお茶が、湯気をたて――」
こうした思いでは、魔法使いにとってつらすぎました。とうとう、声をあげて、なきだしてしまったのです。本当に悲しそうななき声でした。
ミルドレッドは、ぴょんと飛びはねると、魔法使いのそばにいき、半分見えない腕で、肩をやさしくたたきました。
「なかないで、アルジェノンさん。きっとまた、ホットケーキを食べられますよ。心配しないで。何もかも、よくなりますから。わたし、約束します」
7 あのカエルはわたしです。
夜が来ました。魔女学校の生徒みんな、ねむりについています。おや、みんなではないようです。正しくは、ほとんどの生徒が、というべきところでしょう。イーニッドが、モードのへやへしのんできて、ミルドレッドのことを、相談していましたから。へやの中はたいへん寒く、ふたりは毛布をまきつけて、ベッドの上でちぢこまっていました。ネコは、足もとで、まるくなっています(モードは、ミルドレッドのトラチャンのめんどうをみていました)。
「わたし、もうあきらめたよ」と、イーニッド。「ミルドレッドが、にげ出したとしたって、洋服をみんな置いてっちゃったんだよ――マントもさ。今ごろ、どこかでこごえ死んでるよ」
「にげ出してなんかいないわよ」と、モード。「HBにしかられたぐらいで、にげたりしないわ。とにかく、トラチャンを置いてなんかいかないわ。だって、そもそもトラチャンのせいで、HBにしかられたんですもの。置いていくなんて、おかしいわよ。わたし、絶対、エセルが何か知ってると思うわ。あの人が、ミルドレッドに何をいったか、おぼえているでしょう? だれにも、家族のこと、ばかにさせませんからね。ゆるすと思ったら、大まちがいよ、てさ。わたし、ミルドレッドに、何か本当にひどいことを、したんだと思うのよ」
「どんな?と、イーニッド。
するとそのとき、ネコたちが、体中の毛をさか立てて、いっせいに立ちあがり、ドアの方を、キッとにらみつけました。ふたりは、心配そうに目を見かわしました。たぶん、ハードブルーム先生が、まだ寝ていないのを、しかりに来たのだろうと思ったのです。モードは、ドアにしのび寄り、そっと開けてみました。
外の暗いろうかには、実験室からにげ出した、小さなカエルがいました。モードもイーニッドも、同じカエルだと気がつきました。カエルの足が、まだ消えたままでしたから。
ミルドレッドが、ぴょんとはねて中に入ると、モードがつまみあげて、イーニッドのほうに、さしだしました。
トラチャンがすぐに、ぼく、よく知っているよ、というふうに、鼻をすりよせてきました。ほかの二ひきの猫は、まだうしろにさがって、せなかをまるめ、フーフーいっています。
「ねえ、へんじゃない? イーニッド?」と、モード。「トラチャンを、見てごらんなさい。前から、知っているみたいだわ」
ふたりの魔女は、おそろしい予感に、顔を見合わせました。
「ひどい!」ふたりは、同時にさけびました。
「そんなこと、あるわけない!」モードが、息をきらして、「でも、そうなのかしら?」「そうだと思うよ」イーニッドは、真剣な顔でこたえると、モードから、カエルをとりあげて、顔のそばに、持っていきました。
「もしかして、あんたは」イーニッドは、口を開きましたが、終わりまでいうことができませんでした。小さなカエルが、ぴょんぴょんはねながら、必死でうなずいて、大声でなき出したからです。ふたりは、だれかに聞こえはしないかと、心配しました。
「シイイイ!」イーニッドが、ささやきました。「頼むから、まあ落ちついて。さて、あんた、われわれの親友のミルドレッド・ハブルなのかい?」
カエルが、何度もうなずきながら、はねまわるところを見ると、それはあきらかでした。そして、これこそ、ミルドレッドが、とつぜん消えてしまった理由なのです。
「エセルがやったの?」と、モード。
カエルは、もっとはげしくうなずいて、なきたてました。これが、こたえです。
「わかったわ!」と、モード。「いこう、イーニッド」
エセルもまだ、寝ていませんでした。ベッドの上にすわって、明日のテストに出る、おまじないの勉強をしていたのです。モードとイーニッドが、おそろしい顔をして、中に入っていくと、エセルはおどろいてはねあがり、もう少しで、天じょうをつき破るところでした。
「これ、なんだかわかるでしょ?」モードは、カエルをつき出しました。
「だれかさんのこと、思い出さない?」
エセルは、まっさおになりました。「わたし――わたし、あんたがなんのことをいってるのか、ちっともわかんないわ」
「ならいいわ」と、モード。「わたしたち、ハードブルーム先生のとこにいくわ。イーニッド、いこう。じゃまして悪かったわね、エセル」
「やめて!」エセルがさけびました。「それ、ミルドレッドじゃない? ああ、ありがとう、みつけてくれたのね。わたし、ミルドレッドが、ゆくえ不明になるなんて、思わなかったんですもの。ちょっとおどかしてやろうと思ったの、それだけよ。さ、もどって来て。わたし魔法をとくわ」
「ちょっと待った」と、イーニッド。「やっぱり、ハードブルーム先生のところに行った方がいいや。だって、ミルドレッドがいなくなったわけをどうやって説明する?」
「朝になったら、行きましょうよ」エセルは、ことばたくみに、「夜なんかにおこしたら、すごくきげん悪くするわよ。それに、ミルドレッドが、かわいそうよ、きっとそのままじゃ、しんぼうできないわよ」
エセルが、おまじないをとなえました。するとたちまち、もとのすがたにもどったミルドレッドが、みんなの前に立っていました。
「ありがとう、とはいわないわよ、エセル・ハロウ」ミルドレッドは、手足をこすりながら、「うーん、この大きさに、またもどるって、へんな感じ。ああ、モード、実験室では本当にこわかったわ。もう、おしまいだって思ったわよ」
とつぜん、雷がとどろくような勢いで、ドアが開いて、そこに、ハードブルーム先生が、立っていました。
「パーティを開いているのですか?」先生は、冷たくききました。「おや、ミルドレッド、また、なかま入りすることにした、というわけですか? ま、どこにいようと、ゆかいにやっていたとあれば、けっこうなことですがね。ところで、どこにいたか、話してもらうのは、手に負えないほど、むずかしい仕事ですか、え?」
三人組が、不安気に見守る中で、エセルはとくい満面、すすみ出ました。口もとには、ニヤニヤわらいさえ、ちらつかせています。「わたしが、ここにいたら、ミルドレッドが、モードやイーニッドといっしょになって、ろうかを、そっと歩いていくのを、みつけたんです」エセルは、正直そうにいいました。「それでわたし、三人に中に入ってもらって、ちょうど今、先生を、およびしようと、思っていたところなんです」
「エセル!」モードが、さけびました。イーニッドやミルドレッドもいっしょにです。
「そんなのうそです。ハードブルーム先生」ミルドレッドは、ふんがいのあまり、声をはりあげました。「エセルが、わたしを、カエルにしたんです。わたしが、どこにいたかっていえば、カエルの中だったんです。それは、エセルのせいです。エセルは、たった今、わたしを、もとにどしたところなんです」
「そんなこと、してません」エセルは、うそをつきました。いかにももっともらしく、おこった声さえ出しました。「わたしが、そんなこと、するわけがありません――ここにいるだれかさんとは、ちがうんですから」エセルは、最後のことばを、小声でつけ加えました。一年生の一学期に、ふとしたはずみで、ミルドレッドが、エセルをコブタにかえてしまったのを、ねにもって、ひきあいに出したのです。
「ミルドレッド」と、ハードブルーム先生。「これからいう反省文を、五百回書きなさい。完ぺきにやるんですよ。『わたくしは、想像力をおさえることを、学ばなければなりません。そして――』おやまあ! ミルドレッド、足をどうたんですか?」
みんな、いっせいに、ミルドレッドの足もとを見ました。ミルドレッドは、もとの人間のすがたに、もどっていましたが、薬の影響が、全部消えていってしまわずに、残っていて、まだ、脚の先があらわれていなかったのです。
「これが証拠です!」ミルドレッドは、うれしくなってさけびました。「ハードブルーム先生、実験室にいたカエルは、わたしだったんです。先生が、ろうかで、みつけたあのカエルです。薬のききめはうすれてますけど、まだ完全になくなってないので、足が見えないんです。ああ、そうだわ! 証拠は、まだほかにもあります。わたし、先生のポケットのなかみを、知っているんです。ハンカチと、ふえと、輪ゴムをまいたノートでしょう!」
ハードブルーム先生は、エセルのほうに、むき直りました。
「それで?」先生は、四人が四人とも、思わず、壁ぎわにあとずさりしたほど、すごみのある声で、たずねました。
「あの――あの、えええと――あの――ミルドレッドが、わたしの家、家族を、ばかにしたんです」エセルは、弱よわしく、「それに、ほんとに、ミルドレッドが、ゆくえ不明になるなんて思わなかったし、ちょっと、こわがらせようと思って、それで、あの……」エセルの声は、消えていきました。
「エセルにミルドレッド」と、ハードブルーム先生。「明日の朝、朝食の前に、ふたりで、わたくしのへやにいらっしゃい。今は、ともかく、寝ることです。みんなにいってるんですよ」
担任の先生は、三人組を、それぞれのへやに、連れていきました。ミルドレッドのへやは、いちばん最後でした。「朝までに、足がもとの場所にもどっていたら、けっこうなことですがね、ミルドレッド」ハードブルーム先生の冷たい声に送られて、ミルドレッドは、へやにとびこむと、急いでドアを閉めました。
8 ハードブルーム先生のお説教とミルドレッドの新たな悩み
起床のベルのすぐあとのこと、エセルとミルドレッドは、ハードブルーム先生のへやの前で、ドキドキしながら、待っていました。エセルにとって、ほめられること以外で、担任の先生に呼びだされることなどというのは、初めての経験なのです。
「あんたのせいよ、ミルドレッド・ハブル」エセルは、ろうかを行ったり来たりしながら、ぶつくさいいました。「あんたが、あんなばかな話をシビルにして、こわがらせたりしなければ、わたしだって、あんなことするはずなかったんですもの。それにさ、わたしはほんとにすぐ、魔法をとこうと思ってたのに、あんたったら、かってに、にげだしたりしてさ。だから、こんな困ったはめになったんだわ」
「ずうずうしい人ね、あんたって!」と、ミルドレッド。「自分が悪いことをしたのを、認めたくないだけなんでしょ? 少しは、考えてごらんなさいよ、実験室中、追いまわされるなんて、ものすごく楽しくなんかないのよ。フラスコに、つっこまれたりして――」 ドアが開いて、ハードブルーム先生が、手まねきしました。
「すわりなさい」先生は、ふたつのいすを指さしました。みんなが、せきについたところで、
「わたしのせいじゃないんです、ハードブルーム先生」いきなり、エセルが、口を開きました。「ミルドレッド・ハブルが、わたしの妹につくり話をしてこわがらせたんです。一年の生徒が、先生にカエルにされたとか、学校の池にいるカエルが、そのカエルだとかいって。だからわたし、ミルドレッドを、こらしめてやらなければ、思ったんです」
「先生、その話、正確にはそうじゃありません」と、ミルドレッド。
「わたし、エセルの妹を、なぐさめてやろうと思ったんです。とっても悲しそうにしてましたから。それに、エセルの妹だなんて、ちっとも――」
「いいわけは、たくさんです」ハードブルーム先生が、さえぎりました。
「もうこれ以上、聞きたくありません。いっておきますけど、こんどの事件がだれのせいかなど、わたくしには、まったく興味はありません」先生は、少し間をおいて、「ふたりをここへ呼んだわけは、あなた方に、新二年生の自覚を持ってほしかったことと、それから、こんなばか気た争いを続けるのは、こんりんざい、やめてほしいからなのです。わかりましたか?」
「はい、ハードブルーム先生」ふたりは、おとなしくこたえました。
「エセル」先生は、続けました。「あなたがたまたま、優秀な成績をおさめていて、クラスでも信頼にたる生徒だからといって、自分を正当化するために、うそをついていいということに、はなりません。わかりましたか?」
「はい、ハードブルーム先生」
「さらに」と、ハードブルーム先生。「魔女法典に違反するのも、許せません。第七条第二項に、いかなる理由があろうと、なかまを、いかなる動物にも変身させてはいけない、とあります。わかりましたか?」
「はい、ハードブルーム先生」
「よろしい。それなら、わたくしが、反省文を書けというのも、じゅうぶん理解できることと思います。『いかなる場合にも、真実のみを、語らねばなりません』という文章を、百回書きなさい」
先生は、ミルドレッドに、注意をむけました。
「ミルドレッド、お願いですから、この学校に関するろくでもないお化けのつくり話で、一年生をこわがらせるのは、やめていただけないものでしょうかね。それから、むこうみずな行動にはしる前に――もしできるなら――ちょっと、考えてみるようにしてもらえたらと、思うんですが」
「はい、ハードブルーム先生」と、ミルドレッド。「ああ、そうだ、先生、わたし、ちょうど思い出しました。池にカエルがいるんです。本当に、魔法にかけられたカエルなんです。また、つくり話をいっているように聞こえるかもしませんが――」
「ミルドレッド・ハブル」ハードブルーム先生はうんざりして、「わたくしが、今、なんといいましたか? いいえ、口ごたえは許しません。どうやら、いわれたそばから、忘れはててしまったようじゃありませんか? ときどき、あなたに物をわからせようと、どんなに苦労しても、まったく時間のむだだという気持ちになりますよ」先生は、ため息をつきました。
「さて、いうべきことは、もうほとんど、いいおわりましたが、最後に、ミルドレッド、『こんご、ばかなことはしないよう、一所けん命努めます』という文章を百回書きなさい。さあ、朝食を食べにいってよろしい。お話は、おしまいです」
ミルドレッドは今や、池に年とった魔法使いがいることを、だれかに信じさせるという、困難な事態に、直面していました。最初、モードとイーニッドに話しました。でも、ふたりとも、カエルの話など、たくさんだというのです。とくに、ミルドレッドが、シビルにした話は、つくり話だったと、うちあけたものですから、なおさらでした。
もう、望みはなさそうでした。残された道は、魔法使いをハロウィーンの会場に、連れていくことだけでしたが、どうも例の編隊飛行の失敗以来、ハロウィーンと聞いただけで何かとんでもないことが、待ちかまえていそうな気がしてならないのでした。
ミルドレッドは、しょっちゅう池のほとりに行って、カエルの魔法使いに話しかけました。わたしは、あなたを忘れていませんよ、とか、もし、ほかにどんな方法もなくなったら、あなたを連れて、外に出ていくつもりです、とか。カエルは、いつも、決してミルドレッドに、近寄ろうとはしませんでしたが、ミルドレッドのことは、わかっているようでした。暗い水の中に、半分かくれた、いかにもカエルらしい顔を、ながめていると、ミルドレッドはつくづく、このカエルが、カエル以外の何物かであるなどと、信じるのは、本当にむずかしいことだと思いました。同時に、自分がカエルだったとき、だれも気がついてくれなかったわけも、やっと、わかったのです。
9 ヘリボア長老のきびしいお達し。ミルドレッドの最後の手段は……
ハロウィーンの一週間前のこと、ハードブルーム先生は、むずかしい顔をして、教室に入ってきました。
「おすわりなさい」生徒たちの列をきびしい顔で見まわしながら、いいました。「今ここに、ヘリボア長老からのお手紙が、届いています。みなさんご存知のように、長老は、ハロウィーンのお祭りを、つかさどっている方です。お手紙の中で、長老は、このようにはっきりと、おっしゃっています。昨年の催物を、めちゃくちゃにした張本人の出席を拒絶する、と。編隊飛行を大失敗させたような生徒を閉め出せば、安心して、お祭りを楽しめるというわけです。その生徒とは、エセル・ハロウとミルドレッド・ハブルです。たしかに、こんどばかりは、ミルドレッドに事件の責任はありません。エセルが、ミルドレッドの使うほうきに、魔法をかけたために、おこったことだったのですから。ただ、今朝、ふたりとちょっと、話したことからすると――」先生は、ここで、エセルとミルドレッドを、ちらっと見ました。ふたりは、それぞれの席で、落ち着かずにもじもじしています。「こうするのが、ふたりにとって、最もふさわしい処罰だと思うのです。ハロウィーンの前夜祭の夕べに、ベッドに引きこもって、自分がどれほど、心おどる機会をのがしてしまったのかを、とくと考えてみれば、こんなばかばかしいけんかを、続けようという気は、なくなるかもしれません」
ミルドレッドは、ハロウィーンに出席できないと聞いて、ふんがいしました。それには、いくつか理由がありました。ひとつには、この決定が、不公平きわまりないということ。エセルが、ミルドレッドに貸してくれたほうきに、おまじないをしておいて、そのために催物が失敗したのですから、ミルドレッドに、まったく責任はないのです。それに、楽しいお祭りの間中、ベッドですごすなんて、たえがたいことでした。それにしても、何にもまして困ったのは、不幸にみまわれた友だちを、もとの姿にもどすために、連れ出せないことです。ハロウィーンの夜が、一年中でただの一度、魔法使いに会える機会でしたから。
こうなったら、思いきって、やることはひとつです。だれかと、いれかわるのです。まずは、だれかを説得するという方法がありますが、それでだめなら、むりやり誘かいしてでも、強引にいれかわるしかありません。こんな計画は、考えるだけでもおそろしいことでした。どんなに危険なことか、じゅうぶんわかっていましたから。でも、カエルにされた魔法使いを助けたいと思ったら、ほかに、とるべき道はないのです。
モードとイーニッドは、とうぜん、いちばん頼みやすい人たちでした。ところが、ふたりにも、きっぱりことわられてしまったのです。
「頭がおかしくなったんじゃない、ミルドレッド」モードは、ぴしゃりといいました。「もしみつかったら、わたしたちふたりとも、HBに殺されちゃうわよ。それはともかく、なんのために、そんなことするの? つまりは、わたしなら、がまんしてベッドにいるわ。帰ってきたら、イーニッドとわたしがハロウィーンのことは、全部話してあげるってば」
「モード、聞いて」ミルドレッドは必死です。「信じるの、むずかしいってわかっているけど、池にいるカエルは、本当に魔法使いなのよ。ほかの魔法使いにしか、魔法がとけないの。魔女じゃだめなのよ。わたしといれかわるのがいやだったら、どうかカエルだけでも連れてって、長老に助けてくれって、頼んでもらえない? お願いよ」
「とんでもない!」モードとイーニッドは、声をそろえていいました。
「あのねえ、ミルドレッド」イーニッドが、やさしくいいました。「そりゃあ、カエルになっていたあいだ、いろいろつらかったと思うよ。実験室では、危機一髪だったし、ほかのことでも、なんやかやとね。でも、ちょっと、カエルや池のことを、気にしすぎじゃない? なんか、とりつかれてるみたいだよ。モードとわたし、あんたが、なんにもないただの水にむかって、おしゃべりしてるのを、見たことあるけどね。やっぱり、ひとばん、ゆっくりベッドで休むっていうのも、今のあんたにとっては、なかなか、いいことだよ」
ミルドレッドは、すっかり絶望して引きさがりました。これ以上、何かいっても、むだなようです。でも、ほかの友だちをあてにしても、モードやイーニッドでさえ、ミルドレッドの頭がおかしくなったと思っているのです。いったいだれが、助けてくれたりするでしょう。いよいよ、最後の手段を実行するかしかないようでした。だれかを誘かいするのです。ミルドレッドは、考えただけでも、ぞっとしました。
ハロウィーンの日の朝がきました。きょう一日、みんなは、いちばんいい服にアイロンをかけたり、ほうき飛行やおまじないの練習をしてすごすのです。ミルドレッドとエセルは、悲しい気持ちで、自分の席にこしかけていました。みんなのにぎわいから、とり残されてしまったような気分です。
その日の午後、夕暮れにさしかかるころ、ミルドレッドは、そっと階だんをおりて、たそがれの校庭に出ていきました。池に急いで、水草の間をのぞいて、友だちをさがしました。
「アルジェノンさん。出てきてください。お話があるんです」
暗い水面は、静まりかえったままでしたが、しばらくすると、さざ波がおこって、潜望鏡のような緑のふたつの目が、水の中からのぞきました。
「ああ、アルジェノンさん!」ミルドレッドは、ほっとしました。カエルが、いつものように、石の下にかくれてしまう前に、水の中に、すばやく手をつっこんで、カエルをすくいあげました。カエルは、つかまえられたのを、少しもよろこんでいませんでした。ミルドレッドが、どこに行こうとしているのかを話して、なだめようとしても、死にものぐるいでさわぎ立て、ミルドレッドを疑っているように見えます。ミルドレッドは、カエルを、そっとポケットにおさめて、階だんをかけあがりました。へやに着いたミルドレッドは、この旅行のために、前から用意しておいた箱をとりだして、カエルをの中に移しました。息が苦しくならないように、ふたには、あなが、あけてあります。
「しばらくそこで、がまんしてくださいね」ミルドレッドは、ひもで、箱をしばりながらいいました。「心配いりませんよ。きっと、何もかも、うまくいきます」
つぎにやることは、誘かいして閉じこめておく『いけにえ』を、さがすことです。もちろん、いちばんかんたんな方法は、だれかを魔法で小さな動物(たとえば、カエルとかヘビとか)にかえてしまって、もどってくるまで、箱の中にでも、閉じこめておくことです。でも、正直なところミルドレッドは、この学校の中で、動物の魔法を使うのは、もうこりごり、と思っていました。一生かかって使えるだけ、使ったような気がしていましたから。それに、魔法を使ったりとかいう、まわりくどい方法をとらずに、ただ閉じこめておくだけのほうが、まだおだやかなように思えます。
ミルドレッドがへやを出ると、ちょうど三年生が、ネコをだいて階だんを、おりてくるのに出あいました。名前は、グリセルダ・ブラックウッドといいます。
「ちょっと待って!」ミルドレッドが、さけびました。「えーと、もしよかったら、助けてくれないかしら?」
「いったいなあに?」と、グリセルダ。「どうしたの、ミルドレッド。あんた、まっさおよ」
「ベッドの下に、なんかこわいものがいるの。それ、出すの手伝ってくれない?」
「なんかこわいものですって?」グリセルダは、あわててあとずさりました。「いったい、それなによ? なんだか正体もわからないのに、ベッドの下をさがせなんて、あんた、本気でいってるの?」
「それは、えーと、カブト虫なの!」ミルドレッドは、思いついて、ほっとしました。「たぶん、カブト虫だと思うのよ。いやな茶色で、つのがあるもの。いつか、パジャマのズボンに、登ってきたのよ。あんなの、さわれないわ。お願い、助けて、グリセルダ。ベッドの下にいられたら、今晩、一睡もできないわ」
「カブト虫ですって!」グリセルダは、わらいだしました。「それっぽっちのこと? あんまり大さわぎするから、てっきり、毒グモでもいるのかと思ったわ。いいわ、いらっしゃいよ」
グリセルダが、ベッドの下にもぐりこんで、そこらをさがしているうちに、ミルドレッドは、こっそり、ブーツのひもを結んでしまいました。
「なんにもいないわよ」グリセルダは、うしろむきのままはい出て、床にしゃがみました。
電光石火の早技で、ミルドレッドは、たんすから、輪にしたロープを引っぱり出して、びっくりしているグリセルダの頭から、するりとかぶせ、ぐいと引っぱって腕を体にしばりつけました。それから、グリセルダがさけび出す前に、口にさるぐつわをはめてしまいました。グリセルダは、最後の手段で、にげ出そうとしましたが、ご存知のように、くつのひもが結んでありましたから、床にぱったり、たおれてしまいました。
「こんなことして、本当に悪いと思ってるのよ、ごめんなさい」ミルドレッドは、グリセルダの足を、サッシュベルトでしばりながら、心からあやまりました。「でもね、ちゃんとした理由があってのことなの。帰ってきたら、きちんと説明するわ。ごめんなさい、本当よ。ふつうなら、こんなこと、絶対しないわ。あんまりおこらないでね、お願い」
グリセルダは、床にころがったまま、おそろしい目つきで、ミルドレッドを、にらみ返しました。
「ムムムムムム!」さるぐつわの下から、なんとか声を出そうとしています。「ムムム――ムムム、ムムムム――ムム、ムムムムム!」
ミルドレッドは、ベッドから毛布をはがして、グリセルダの上に、ふんわりとかけました。
「大声を出してもしょうがないわ」ミルドレッドは、ぎせい者の頭の下に、まくらをあてながらいいました。「だれにも聞こえないもの。悪いけど、あなたのネコ、かしてね。わたしのは、ほうきに乗るのをこわがるし、トラネコだから、すぐ、見つけられちゃうのよ」
ミルドレッドは、制服をぬいで、儀式とかとくべつの場合に着る、魔女の正装に着かえました。それから、みつあみをほどいて、髪をまっすぐたらしました(魔女学校では、先生も生徒も、正装をしたときには、いつも髪をたらします)。最後に、マントをはおると、えりを立ててぼうしを目深にかぶり、顔がよく見えないようにしました。
戸だなの上から、ニャーンというトラチャンの声が聞こえました。ミルドレッドが見あげると、置いていかれると知って、悲しそうです。
「ああ、トラチャン」ミルドレッドは、トラチャンのあごを、くすぐりながらいいました。「あんたを、連れていくわけにはいかないのよ。そんなことしたら、学校中に、すぐかえ玉だって、ばれちゃうでしょ」
ミルドレッドは、魔法使いの入った箱をとりあげて、マントのポケットに、おしこみました。そしてグリセルダのネコを肩に乗せ、壁に立てかけてあったほうきを、手にしました。
「行ってきます、グリセルダ」ミルドレッドは、犯罪者になったような気分で、へやを出ていきながらいいました。「そんなに遅くならないわ。それに、帰ってきたら、何もかも説明するから。きっとあなたも、わかってくれると思うわ」
10 正体がばれた!? 魔法使いは、もとのすがたに、もどれるのでしょうか?
ミルドレッドは、らせん階だんをおりながら、窓の外をのぞいてみました。いつも、ハロウィーンのパーティが開かれる古い城あとで、かがり火が、たかれているのが見えました。ミルドレッドは胸をドキドキさせながら、みんなの列に、もぐりこみました。薄暗くなった校庭で、全員がかみをたらし、長い黒マントと、ぼうしを身にまとっている姿は、まったくすばらしいながめでした。
「ああよかった。もう暗くて見えないわ」ミルドレッドはほっとして、三年生の列の最後にならびました。担任の先生が、生徒の数を数えています。
「てんこはすみましたか?」カックル先生が聞きました。
すべての担任の先生が、「はい」と、つぎつぎにこたえて、生徒たちは城あとにむけ、出発しました。
生徒が、木ぎをかすめて飛んでいくにつれて、学校は、だんだん遠くなっていきました。ミルドレッドは、やれやれとほっとしました。というのは、飛んでいる間は、話をするのが禁じられていましたから、だれも、正体がばれてしまうような、やっかいな質問をしかけてこなかったのです。グリセルダからかりたネコは、バランスをとるのが、すばらしくじょうずだったので、トラチャンには悪いと思いながらも、ミルドレッドもつい、こんなにきちんとした、スマートな黒ネコが、自分のものだったら、どんなに鼻が高いだろうと、考えてしまいました。
ところでお話しかわって、こちらは魔女学校です。エセルが、ベッドにおき直って、ぷんぷんおこりながら、窓の外を見ています。生徒たちが、コウモリのむれのように、まいあがって、たそがれの空に消えていきました、エセルを残して。エセルは、ろうそくをとりあげると、ミルドレッドのへやに行って、もんくのひとつもいってやろうと、決心しました。
エセルは、ミルドレッドのへやの前まで行って、ドアに耳を押しつけてみました。すると、おどろいたことに、中からきみょうな声が、聞こえてくるではありませんか。
「ミルドレッド?」エセルは、そっとノックしながら、いいました。声は大きくなりました。
「ムムムムムム! ムムムム、ムム、ムムム!」
エセルは、ドアを開けてろうそくをかかげました。ろうそくの光の中に、ミルドレッドの『いけにえ』がしばられて、床にころがされている姿が、うかびあがりました。
「いったいぜんたい、どうしたっていうの?」エセルは、さるぐつわをはずしたり、ロープやサッシュベルトを、ほどいたりしながらききました。
「ミルドレッド・ハブルがやったの!」グリセルダが、なきべそをかきながらいいました。「あの人、どうかしちゃったのよ。うそをついて、わたしをへやに入れてしばったの。ネコもぬすんでいっちゃったわ。わたしのふりをして、ハロウィーンに出かけたの。ねえ、エセル、あの人、本当に変なことをいってたわよ、カブト虫が、パジャマのズボンをはい登ってきたとか、なんとか。どうしたらいいかしら?」
「追いかけるのよ。もちろん!」エセルはこたえながら、とてもよろこんでいました。ミルドレッドのけしからぬふるまいを、あばいてやったら、どんなにほめられるかしら、と考えて。
「行きましょう、グリセルダ。わたし、着がえてくるから、五分後に、ほうきを持って、校庭でおち会いましょう。急がなくちゃ。いったい、ミルドレッドったら、何をする気なのかしら?」
「わかったわ。わたしも、ほうきを取ってくる」
一方、こちら魔女学校の一同は、城あとのある山の斜面に、おりたちました。そこで、長老をはじめ、すべての魔女や魔法使いのかんげいをうけました。長老は、ヘリボア老といって、中でもいちばん堂どうとしています。月や星をししゅうした、むらさき色の服を着て、たけの高いとんがりぼうしをかぶっていました。何もかも、わくわくする光景で、ミルドレッドも、先におそろしい仕事をひかえていなかったら、心から楽しめたにちがいありません。
魔女学校の一同が到着してから、祝賀会が始まるまで、長い時間がありました。その間に、カックル先生や先生方が、友だちや知りあいの人にあいさつをしてまわっています。生徒たちは、気をつけの姿勢で立ち続け、こざっぱりとしておぎょうぎよく、学校の評判を高めるのに、じゅうぶんな態度でした。
とつぜん、空から大声が、ふってきました。全員が見あげると、エセルとグリセルダが、ほうきで急降下してくるところで、手をふったり、どなったりしています。
「ミルドレッド・ハブルがそこにいます!」エセルが、金切り声をあげました。
「わたしを閉じこめたんです!」グリセルダがさけびました。「わたしをしばりあげて、かわりに、ここに来たんです!」
「もうじゅうぶん、けっこうですよ」カックル先生が、命じました。自分の生徒が、こんなに見苦しくさわぎたたているのを、にがにがしい気持ちでいるようです。
ハードブルーム先生が、ずいと生徒たちの前に進み出ました。ミルドレッドは、ぼうしをもっと顔にかかるように、引っぱりました。ぼうしのふちから、長老が近くにいるのが見えました。この大さわぎは何事かと、びっくりしています。
「ミルドレッド、もしここにいるのなら」と、ハードブルーム先生。「忠告します。すぐに出てきて、自分で説明しなさい」
生徒たちは、たがいに顔を見あわせ始めました。この分では、すぐに発見されてしまう、とミルドレッドは思いました。こうなったら、ぐすぐずしてはいられません。つかまえられる前に、長老と話をしなければ。あるかぎりの勇気をかき集めて、ミルドレッドはとつぜん、生徒の列をかきわけ、ヘリボア長老の前に、とび出しました。
「どうかお許しください、長老さま」友だちの入っている箱をさし出しながら、ミルドレッドがいいました。「今夜、わたしに出席する資格がないのは、よくわかっています。でも、この箱の中には、魔法をかけられた魔法使いがいて、その人に約束したんです。長老さまのところに連れていってあげるって。そしたらきっと、長老さまが、もとにもどしてくださるだろうって。こんな大さわぎになって、本当に申しわけありません。でも、ほかにどうしたらいいか、わからなかったのです」
「このたわごとは、どうしたことじゃ?」長老は、きびしくいいました。
「わしの目がおかしくなかったのかな、それとも、お前さんは、去年の編隊飛行をめちゃくちゃにした生徒じゃないのかな? でなければ――」
「いくえにも、おわび申しあげます、長老さま」ハードブルーム先生が、へりくだっていいながら、万力のような力で、ミルドレッドの腕を、つかみました。「どうも、この生徒は、正気でないようで――」
「そんなことありません、ハードブルーム先生!」ミルドレッドが、さえぎりました。「お願いです、長老さま、ヘリボアさま、本当に魔法使いなんです。名前は、アルジェノン・ウェッブなんとかで、ストンリーウェッブとか、なんとかいうんです。忘れちゃったんだそうです。そんなに長い間、カエルでいるんです」
「なんということじゃ!」ヘリボア老はいいました。「ハードブルーム先生、このカエルは、アルジェノン・ローワンウェッブにちがいない。わしの級友じゃったのだ。あなた方の学校が、まだ、魔法使いのサマーキャンプや何かに使われておったころのことじゃ。アルジェノンが、実のところ消えてしまい、わしらはみな、家に帰ったんじゃろうと考えたのじゃ。しかし、何十年も前のことじゃがー―なんて気のどくな! ハードブルーム先生、ちょっと失礼しますよ」
長老が箱のふたを開け、魔法をとくまじないを、となえている間、ミルドレッドは、目をしっかり閉じていました。とつぜん、みんなが、はっと息をのむ音が聞こえました。ミルドレッドは、おそるおそる目を開けると、ほっとして、大きなため息をつきました。
みんなの前に、とても年をとった魔法使いが、立っていたのです。長いひげは、地面にとどき、白いかみも、せなかに流れるようになっています。腰をかがめて、とても信じられないというふうに、目をこすっていました。
「アルジー、なあ、おい!」長老は、よろこびのあまりさけんでいます。
「エグバートだよ、お前さんの友だちだ、忘れたのか?」
「エグバート!」アルジェノンがこたえました。「もちろん、おぼえているとも。じゃが、お前さん、もっとわかかったがなあ。ちょっと失礼。すわらせてもらうよ。長い間、カエルでいたから、少しょうつらくてな、足や腕がのびきらないようじゃ。エグバート・ヘリボア! はてさて、なんと幸運じゃったろう」
「その幸運は、お前さんの小さな友だちが、もたらしてくれたのじゃよ」ヘリボア老は、ミルドレッドの肩に、手をおきながらいいました。「この子は、お前さんを助けたい一身で、われわれの立腹をものともせずに、お前さんをここに連れてきてくれたのじゃ」
ミルドレッドは、はずかしくてたまりませんでした。こんなに多くの人たちが、静まりかえって、みないっせいに、ミルドレッドをみつめているのですから。
「わたしをおぼえていらっしゃいますか、ローワンウェッブさん?」と、ミルドレッド。「わたしたちふたりとも、カエルだったんです」
「おぼえているかって?」と、アルジェノン。『ミルドレッド、どうしてお前さんを、忘れたりするものかね。これほど、だいじな友だちはいないよ。お前さんがいなかったら、わしは、永久にカエルのままじゃった。どうか、アルジェノンとよんでおくれ」
「さて、ハードブルーム先生」と、ヘリボア老。「こんな立派な行いをした生徒を、すぐに学校にもどすというわけには、いかんのだがね?」
ハードブルーム先生は、歯ぎしりをして、おそろしい顔で、つくりわらいをしました。「何事も、お心のままに、長老さま」
「さて、ごほうびに、何をあげようかね?」ヘリボア老は、やさしくほおえみながら、ミルドレッドを、見おろしました。
ミルドレッドは、少し考えました。「ああ、そうだわ! ひとつだけ、お願いがあります」
ミルドレッドは進み出て、つま先で立つと、長老の耳にささやきました。
「たった、それだけかね?」ヘリボア老は、わらいました。長老は、アルジェノンの方にからだを寄せて、ミルドレッドが頼んだものを、小さな声でつげました。アルジェノンは、夢見るように、ほおえみました。
「なんてすてきじゃ。おぼえていてくれたんじゃね。そうじゃ、それは、本当に、本当にすばらしい」
みんなが静まりかえり、むちゅうで目をこらす中で、ヘリボア老は、パチンと指をならしました。すると、長老の手に小さなテーブルが、にぎられているではありませんか。テーブルの上には、白いテーブルクロスがかかり、三人分のお茶、山もりのトースト、それから、ホットケーキとバターが、のっていました。アルジェノンはテーブルをみつめて、指をならしました。今度は、ハチミツの入ったつぼが、あらわれました。「これをわすれちゃいけない」アルジェノンはそういって、テーブルの上に、ミツのつぼをおきました。ミルドレッドは、ほこらしさでいっぱいになりながら、この祝賀会で、もっとも重要なふたりの人に、両側から手をとられ、歩いていきました。かがり火のいちばん近くで、昔ながらのおやつを食べに……。