目次
トニオ・クレーゲル
ヴェニスに死す
解説(高橋義孝)
トニオ・クレーゲル
冬の太陽は乳色にかすれて厚い雲におおわれたまま、狭い町の上にわずかにとぼしい光を投げていた。破風《はふ》づくりの家の立ち並んだ路地々々は、じめじめとして風が強く、時おり氷とも雪ともつかぬ柔らかい霙《みぞれ》みたいなものが降ってきた。
学校がひけた。石を敷きつめた中庭から格《こう》子《し》門《もん》へかけて、解放された生徒たちは、雪崩《なだれ》をうって外に出ると、右に左に思いおもい急いで帰って行った。年のいった少年たちは、勿体《もったい》ぶって本の包みを左の肩に高々と押しつけ、昼飯を目ざして、右手で舵《かじ》をとりながら風に逆らって歩いて行く。小さな生徒たちは、氷まじりの泥《どろ》をあたりにはね返しながら学校道具を海豹《あざらし》皮のランドセルの中でがちゃがちゃいわせて、嬉々《きき》として小走りに走って行く。けれどもときどき、落着いた足どりで歩いてくる上級教師の、ヴォータンのような帽子とユピテルのような髭《ひげ》に出会うと、みんな恭《うやうや》しい目つきでさっと帽子を脱ぐ。……
「やっと来たね、ハンス君」長いあいだ、車道で待っていたトニオ・クレーゲルは微笑を浮べながら友達のほうへ寄って行った。相手はほかの仲間たちと校門を出て、そのまま一緒に帰り去ろうとしていた。……「ええ」ときき返して友達はトニオを見つめた。……「ああ、そうだったっけ。じゃこれから少し一緒に行こう」
トニオはそれなり口を噤《つぐ》んで、目を曇らせた。今日の放課後二人で一緒に少し散歩しようと約束していたのをハンスは忘れてしまったのだろうか。それを今になってやっと思い出したのだろうか。それに引きかえて自分はハンスと散歩の約束をして以来、ほとんど忘れる間もなくそれを楽しみにしていたのに。
「それじゃ、みんな、失敬」ハンス・ハンゼンは仲間たちに言った。「僕はこれから少しクレーゲル君と散歩するから」――こうして二人が左手に向うと、ほかの連中はぞろぞろ右のほうへ歩いて行った。
ハンスとトニオとは、放課後散歩をするだけの時間があった。というのは二人とも、四時になってからやっと昼飯をとる家の子供だったからである。二人の父親たちはこの町の豪商で、数々の公職も帯びた名望家だった。ハンゼン家は、もう何代も前から下の河岸《かし》縁《べり》に広大な材木置場を持っていて、そこでは大きな機械鋸《のこ》がかまびすしい音をたてて丸太を切り裂いていた。それからトニオの父親は、手広く穀物商を営んでいる領事クレーゲルで、太くて黒いクレーゲル商会印を押した穀物袋が町を馬車で運ばれていくのが見られぬ日はなかった。それにクレーゲル家代々の大きな古い家は、町中に比べるもののない最も堂々たる屋敷だった。……知った人の多い二人は、ひっきりなしに帽子を脱がねばならなかった。いやそれどころか十四歳の少年たち二人が先に挨拶《あいさつ》されることも稀《まれ》ではなかった。……
二人は学校鞄《かばん》を肩にかけて、上等な暖かい身なりをしていた。ハンスが着ている短い水兵外套《がいとう》の襟《えり》から背にかけては、水兵服の幅の広い青い折返しが垂れていた。またトニオは灰色でバンド付きの片前外套にくるまっていた。ハンスは短いリボンのついたデンマーク風の水兵帽をかぶり、その下からは冴《さ》えたブロンドの髪の毛がひとふさ、外にのぞいていた。ハンスの姿格好のよさはちょっと類がなく、肩幅は広く腰のあたりはほっそりとしていて、眼《がん》窩《か》のくぼんでいない鋭い鋼色《はがねいろ》の目を持っていた。しかしトニオの丸い毛皮帽子の下には、全く南国風の、輪郭の鋭い褐色《かっしょく》がかった顔から、重たすぎる瞼《まぶた》の、瞳《ひとみ》の黒い、かすかに隈《くま》取りのある目が、夢み心《ごこ》地《ち》にまた多少おずおずと光っていた。……口つきと顎《あご》の形とは並はずれて柔らかだった。トニオの歩き方は投げやりで不規則だったが、ハンスは、黒い靴下《くつした》をはいたすらりとした足で、いかにもしなやかにきちんと拍子をとって歩いて行く。……
トニオはものを言わなかった。彼は苦しみを感じていた。少し斜めになった眉《まゆ》根《ね》を寄せ、口笛を吹くように口をすぼめて、首を横にかしげ遠くのほうを見ている。この様子と顔つきとはトニオ独特のものだった。
突然ハンスは自分の腕を相手の腕の下にくぐらせながら、横からトニオを見つめた。その気持をはっきりと察したからである。するとトニオは二足三足はまだやはり、黙ったままだったが、急に気持がすっかりほぐれてきた。
「むろん忘れたんじゃないのさ、トニオ君」ハンスは目を伏せて、足もとの歩道を見た。「ただね、今日はこんなにじめじめしていて風がひどいから、散歩をしたってしようがないだろうと思ったのさ。だけど僕はお天気なんかどうだっていいのさ、でもよく待っててくれたね。きっともう帰っちゃっただろうと思って、本当は怒《おこ》っていたところなんだ。……」
こう言われると、トニオは踊り出したいような、歓声をあげたいような気持になった。
「そうだ、じゃこれから土手を歩こうか」トニオは感動していた。「ミューレン土手とホルステン土手をさ。そうして君の家まで送って行ってあげよう。いいさ、帰りは一人だっていいよ。そのかわりこの次は君が僕を送ってくれたまえ」
実のところトニオはハンスの言葉をひどく信用していたわけではなかった。ハンスが自分たち二人の散歩を自分の半分ほどにも重んじていないということもトニオにははっきりとわかっていた。けれどもハンスが自分の忘れっぽさを後悔して、懸命になってなだめようとしていることは明らかだった。トニオには和解をこばもうなどという気持はさらになかったのである。……
つまりこうだった、トニオはハンス・ハンゼンを愛していて、そのためにもうこれまで幾度か苦悩をなめてきたのである。最も多く愛する者は敗者である、そして苦しまねばならぬ――トニオの十四歳の魂は、すでに人生からこの単純で苛《か》酷《こく》な教訓を受けとっていた。そして、こういう経験をしっかりと覚えていわば心に書きつけておいて、むしろこれをたのしみはするが、さりとてむろん自分をそういう経験に律してそこから実際上の利益をひきだすというでもない、トニオはそんな性《たち》だった。それにまた、彼は学校で押しつけられる知識なんぞよりも、こういう教訓のほうをずっと重要で面白いと思い、それどころかゴシック風の丸天井の教室で課業を受けているあいだも大概はこういう考えを底の底まで感じ尽し、あます隈《くま》なく考え抜いてみることに没頭するという具合だった。そしてこの仕事によって与えられた満足は、彼がヴァイオリンを手に(トニオはヴァイオリンをひいた)部屋の中を行きつ戻りつして、自分に出せるだけの柔らかな響きを、下の庭のクルミの老樹の葉陰に軽やかに立ち昇っている噴泉の囁《ささや》きの中に織り込ませるときの楽しさと変るところがなかった。……
あの噴泉、クルミの老樹、このヴァイオリン、それから遠い海、休暇になるとその夏らしい夢の数々をそっととらえることの許されていたバルチック海、彼が愛したのはこういうものだった。彼はこういうもので自分のまわりにいわば垣《かき》をめぐらせた。そしてその中で、彼の内面生活がくり拡《ひろ》げられていった。そういうものの名前は、詩のうちに使ってもいい効果があったし、また、トニオ・クレーゲルが折おりこしらえた詩のうちには事実幾度となく出てくる言葉だった。
これは――というのは彼が自作の詩を書き込んだノートを一冊持っていたことは、彼自身の過失から一般に知れわたってしまい、同級生や先生たちのあいだに大いに不評を招いた。領事クレーゲルの息子はそういうことで騒ぎたてるというのを愚劣に思った。彼のほうではそのかわり同級生や教師を軽蔑《けいべつ》した。そうでなくてさえこういう連中の行儀の悪さは我慢ならなかったし、彼はそういう人たち個人々々の弱点を不思議なほどの鋭さではっきりと見抜いていたのである。が、また一方からいうと、詩を作るということは彼自身にも、放埒《ほうらつ》な、もともと自分たちにふさわしくないことのように感ぜられて、それを不快な所行だと考える人たちすべてを、ある程度は是認せざるをえぬように思った。しかしながら、そう思ってみたところで、詩を作ることはやめられはしなかったのである。……
家にいると時間をむだに過してしまうし、授業時間中はなまけて精神が散漫だったし、それに先生たちのあいだでも評判がよくなかったから、家へ持って帰ってくる成績表はきまってお話にならぬほどみじめなものだった。すると父親は――背の高い、細心に身じまいした、瞑想《めいそう》的な青い目の、いつも野花を胸のボタン穴にさしていた彼の父親は、ひどく立腹して心痛の色を隠さなかった。が、母親は――黒い髪の毛の、美しい人で、その昔、父が地図で見るとずっと下のほうにある国から連れてきたコンスエロという名の、この町の婦人たちとはまるで様子の違った彼の母親は、成績表なんぞにはてんで見向きもしなかった。……
トニオは、ピアノとマンドリンのひどく上手な、髪の黒い情の激しい母を愛していた。この母が息子のあまり面白くない世評を気にかけないのを彼は大いに徳としていた。とはいうものの、父の怒りのほうがずっと正当で尊敬すべきもののように感ぜられて、たとい叱《しか》られはしても心の底では父と全く同じ気持であって、むしろ母親の朗らかな無関心を少々だらしがないと考えていたのである。トニオはよくこんなふうに思ってみることがある――自分はこんなありさまで、自分を変えようともせず、また、変えることもできず、ずぼらで天邪鬼《あまのじゃく》で、普通誰も考えないような事《こと》柄《がら》にかかずらっているが、それもちょうど今くらいがほどよいところなのだ。大人たちは、接吻《せっぷん》や音楽でごまかそうとせず、むきになって自分を叱ったり罰したりするが、それはさもあるべきことなのだ。なんといおうとわれわれは緑色の車に乗ったジプシーではない。われわれはきちんとした人間なのだ。領事クレーゲルの一族、クレーゲル家の人間なのだ。……またこんなふうに考えることも稀ではなかった。……いったい己《おれ》はどうしてこう風変りなのだろう。万事に折合いが悪く教師たちとは喧《けん》嘩《か》をするし、ほかの連中からは仲間はずれだ。あの善良な生徒たちや手堅い平凡な連中を見るがいい。あの連中は、教師たちをおかしがりもしないし、詩をこしらえたりなんぞせず、誰もが考え、誰もが大きな声で口に出せるようなことだけしか考えないのだ。あの手合いは自分らをまともだと思い、人とも世とも和合していると思っているのにちがいないのだ。さぞかし具合のいいことだろう。……ところでこの己はどうしたというのだ、このままで行けば、さきざきどういうことになるだろうか。
こういうふうに、自分自身と人生にたいする自分の関係とを観察する習慣が、ハンス・ハンゼンにたいするトニオの友情では重要な一役を演じていた。彼がハンス・ハンゼンを愛したのは、第一にハンス・ハンゼンが美しいからであった。しかし第二にそれは、相手があらゆる点で自分とは逆の、正反対の人間と思われたからであった。ハンス・ハンゼンは優等生だった。のみならず元気のいい少年だった。まるで英雄のように、馬にも乗れば泳ぎもする、体操もする。そして誰からも可《か》愛《わい》がられていた。先生たちはほとんどもう彼を愛《あい》撫《ぶ》せんばかりで、名前も苗字《みょうじ》では呼ばず、何かにつけて引立ててやろうとするし、友達は友達で彼の歓心を買おうとして夢中になり、外へ出れば出るで、行き会う紳士淑女の誰彼が彼を引留めて、冴えたブロンドの前髪をつかんで、こう言うのである、「おや、今日は、ハンス・ハンゼン、奇麗な髪の毛だね。まだクラス一番? パパやママによろしく、素敵な坊やだ。……」
これがハンス・ハンゼンだった。トニオ・クレーゲルは彼と相知って以来、その姿さえ見れば憧《あこが》れに、ねたましい憧れに、胸が熱くうずいた。君みたいに瞳が青くて、それから君みたいにきちんとして誰とでも睦《むつ》まじく暮せて行けたらなあ。君はいつだって、誰が見ても躾《しつけ》のいい尊敬されるようなことをやっている。宿題が片づくと、馬の稽《けい》古《こ》だとか鋸細《のこざい》工《く》をやるとか。休暇にだって君は海へ行くとボートを漕《こ》いだり、帆船を走らせたり、泳いだりして精を出しているのに、僕ときたらのらくらと砂の上にぼんやり寝そべって、海面をかすめ過ぎて不思議に交代していく水の表情のたわむれに眼《め》をこらしているだけなのだ。けれど、それだからこそ君の目はそんなに明るいのだ。君のようにしていられたらなあ。……
彼はハンス・ハンゼンのようになろうとはしなかった。またけっして本気になってそう望んでいたわけでもなかったのである。しかし、今あるがままの自分をハンスが愛してくれることを切ない思いで望んでいた。そこで彼は彼なりに、というのは激しくはなくとも痛切に、献身的に、苦しみながら憂鬱《ゆううつ》にハンスの愛情を求めた。しかし、この求愛には、彼の風変りな外貌《がいぼう》から期待しえられるようなどんなに強い激情よりも、いっそう深刻で身を焼くような憂鬱がまつわりついていた。
それも全く仇《あだ》な求愛ではなかった。ハンスはとにかく彼にある優越を、むずかしい事柄をやすやすと口に出す表現の才を認め、トニオが自分にたいしては並はずれて強いこまやかな気持を持っていてくれることを十分に理解して、明らかにそれを感謝し、好意を示して、トニオに幾多の幸福を与えてくれたからである。――が、反面また幾多の苦痛をも、嫉《しっ》妬《と》や幻滅や精神的に手を取りあおうとする空《むな》しい努力などをも課した。実際のところ、トニオがハンスを愛したのは、もともとハンスの生き方を羨《うらや》んだからこそであったのに、そのくせ絶えずハンスを自分の生き方に引寄せようと努めたのは奇妙な話であった。もっともこれはせいぜい瞬間的にしか、それも単にうわべだけしか成功しなかった。……
「僕はこのごろすばらしいものを読んだぜ、びっくりするような……」とトニオは言った。二人は、ミューレン通りの雑貨店イーヴェルゼンのところで十ペンニヒ出して買ったドロップスを、歩きながら一つ袋から食べていた。「ぜひ読んで見たまえ、ハンス君。シラーの『ドン・カルロス』だよ。……よければ貸すから。……」
「いや、いいよ」ハンス・ハンゼンが答える。「駄目《だめ》さ、僕には合わないよ。僕はやっぱりあの馬の本を読むよ、トニオ君。素敵な挿《さし》絵《え》が入っているんだ、本当だぜ。高速度撮影で、レ足《だくあし》やギャロップや跳躍や、いろいろな姿勢が全部撮ってあるんだ。普通はあんまり早く動くからどんな姿勢だか見られないのさ。……」
「全部?」トニオは丁重に言った。「そいつは凄《すご》いね。けれども『ドン・カルロス』ときたら、ちょっと口じゃ言えないんだぜ。その中にはね、嘘《うそ》じゃないよ、とってもいいところがあって、なんだか、こう、がんとやられるような物凄いところがあるんだ。……」
「がんとやられるんだって?」ハンス・ハンゼンはきき返した。……「どうして」
「たとえば王様が泣くところさ。王様は侯爵《こうしゃく》にだまされて泣くのさ。……けれど侯爵だってただ王子様のために王様をだますんだ。いいかい、侯爵は王子様の犠牲なんだ。そうすると御座所から次の間へ、王様が泣かれたという知らせが伝わってくるんだよ。『泣かれた?』『王が、泣かれたか』家来の人たちはみんなびっくり仰天してしまうんだ。みんなはっとするんだ。なぜかって王様はとっても頑《がん》固《こ》な、きびしい人なんだから。けれど王様がなぜ泣いたかっていうことは本当によくわかるのさ、だから僕は侯爵と王子様を一緒にしたより王様のほうがずっとかわいそうだ。いつでも全然ひとりぼっちで、誰にも愛されない。そら、そこへやっと一人の人間を見つけたと思ったら、その人間に裏切られるんだからね。……」
ハンス・ハンゼンは横からトニオの顔を見た。この顔の中にある何物かがハンスの気持をこの話にひきつけたらしい、というのは不意にまたハンスは腕をトニオの腕に組み入れてこうたずねた。
「どんなふうに王様を裏切るんだい、その人は、ねえ、トニオ君」
トニオはぞくぞくし出した。
「うん、それはこうなんだ」と彼は始めた。「ブラバントやフランデルンへ行く手紙が全部……」
「あっ、エルヴィン・イムメンタールだ」とハンスが言った。
トニオは黙ってしまった。消えてなくなればいいのに、イムメンタールの奴《やつ》、と彼は思った。なんだって生憎《あいにく》のところへ出てきて、邪魔をするんだろう。一緒についてこられて、終りまで馬の稽古の話をされては堪《たま》ったものじゃない。……エルヴィン・イムメンタールもやはり馬を稽古していたからである。銀行頭取の息子で、家は町はずれの市門の外にあった。もう鞄なしで、例の曲った足、切れたような目をして、並木道を二人のほうへ向って歩いてきた。
「今日は、イムメンタール君」ハンスが声をかけた。「ちょっとクレーゲル君と一緒に歩いているところさ」
「僕は町へ行くんだ」とイムメンタールは言った。「用事があって。けれど少し一緒に歩こう。……ドロップスかい、それは。うん、ありがとう、少し貰《もら》おう。明日はまた練習だね、ハンス君」――練習というのは、馬術練習のことである。
「素敵だね」とハンスが言った。「こないだの演習会のとき、一等をとったから、皮のゲートルを買ってもらうんだぜ、僕は。……」
「君は馬に通ってないんだな、クレーゲル君」とイムメンタールがたずねた。全くその目はきらきらする二筋の裂け目にすぎなかった。
「ああ」トニオの返答はひどく曖昧《あいまい》な調子だった。
「やりたまえよ」ハンス・ハンゼンが口をはさんだ。「お父さんに頼んでさ、通えばいいじゃないか、クレーゲル君」
「うん。……」トニオは急いでさり気なく答えはしたものの、瞬間喉《のど》が締めつけられるような気がした。ハンスに苗字で呼びかけられたからである。ところがハンスのほうでもそれに気づいたらしく、こう弁明し出した。
「クレーゲルって言ったのはね、君の名前がとても変だからさ。許してくれたまえ、だけど僕はきらいだよ、君の名は。トニオっていうのは。……名前じゃないぜ、こいつは。もちろん君のせいじゃないけどさ」
「そうさ、その名前は外国人みたいで一風変ってるから、だから、君についたんだろう。……」イムメンタールはとりなすようなふりをしてこう言った。
トニオの口はひきつった。彼は気を引締めた。
「そうだよ、いやな名前さ。実際、ハインリヒとかヴィルヘルムとかいうほうが、僕はずっといいんだ、本当だぜ。けれどもお母さんの兄弟で、僕の名づけ親になった人がアントニオっていうもんだからね。ほら僕のお母さんはずっと遠くのほうからきたんだから。……」
それなり黙って、二人には馬と皮具の話をさせておいた。ハンスはイムメンタールと腕を組んで、熱心にしゃべり立てた。『ドン・カルロス』にたいしてこれだけの熱心さを彼のうちに呼び起すのは思いも寄らぬことだったろう。……ときどきトニオは鼻の中がむずむずして泣き出しそうになる衝動を覚えた。そればかりか絶えず顎《あご》が震え出すのを押えつけようとして懸命だった。……
ハンスは自分の名前を好かない――といってどうしたらいいのだろうか。その彼はハンスというのだし、イムメンタールはエルヴィンというのだ。むろん世間一般に通用している名前だ、誰も不思議がりはしない。しかしながら「トニオ」という名は何か外国風で奇妙だった。いやどのみち、自分にはあらゆる点で風変りなところがあるのだ。自分は孤独で、きちんとした平凡な人たちからは仲間はずれにされているのだ。けれども自分はけっして緑色の車に乗ったジプシーなんかじゃなくて、領事クレーゲルの息子であり、クレーゲル家の一員なのに。……だが自分たち二人だけのときにはトニオと呼んでくれるハンスは、第三者が加わると、どうしてそれを恥ずかしがり始めるのだろう。ときたまハンスは自分の近くに寄ってきて、自分のものになってくれる、それはそうだ。一体その人はどんなふうにして王様を裏切ったんだい、トニオ君。ハンスはこうたずねて、腕を組んだではないか。けれどもそれからあのイムメンタールがやってくると、やれやれといった格好で、自分を見捨てて、なんの理由もないのに自分の耳慣れぬ名前を非難するのだ。そういうことすべてを見抜かざるをえぬとは、なんという苦しいことだろう。……ハンス・ハンゼンは、二人きりのときは嘘ではなく自分を好いていてくれるのだ。それはよくわかる。しかし第三者がやってくると、それを恥じて、彼を犠牲にしてしまう。するとトニオはまたひとりぼっちになる。彼はフィリップ王の身の上を思った。王様は泣かれたのだ。……
「大変だ」エルヴィン・イムメンタールが言った。「さあ本当に町へ行かなくちゃ。じゃ、失敬。ドロップス、ありがとう」そう言い終ると彼は道ばたのベンチに飛び上がって、曲った足でその上を駆け抜けると、急いで行ってしまった。
「イムメンタールって、いい奴だなあ」ハンスは力をこめて言った。彼には甘やかされた慢心のふうがあって、自分の好《こう》悪《お》を人にはっきりと告げて、いわば尊大にこれを頒《わか》ち与えた。……さてそれからは、いったん滑り出してしまったので、話は馬の稽古で持ちきりだった。そこまでくると、ハンゼン家もそう遠くはなかった。土手を越して行けば時間もたいしてかからない。二人は帽子をしっかりと手で押えて、木々の枯れ枝をきしませ呻《うめ》かせる湿った強い風に頭を下げて歩いて行った。ハンス・ハンゼンのお饒舌《しゃべり》には、トニオはただときどき気のない相槌《あいづち》を打つばかりだった。ハンスが話に熱中して、また腕を組み入れてきたときも、別にうれしいともなんとも思わなかった。それは、意味のない、うわべだけの接近にすぎなかったのである。
それから二人は、停車場に近いところで土手を下り、汽車ががたがたとせわしなく煙を吐きながら通り過ぎるのを眺《なが》めて、暇つぶしに車両の数を数え、最後尾車の屋根に毛皮にくるまって乗っている男に合図をした。リンデン広場に面した豪商ハンゼンのヴィラの前で二人は立ち止った。ハンスは、庭の扉《とびら》の下にのっかって蝶番《ちょうつがい》がぎいぎいいうくらい揺すぶると、とても愉快だといって詳しく実演して見せた。それが終ったところでハンスは別れをつげた。
「さあ、帰らなくちゃ。さようなら、トニオ君。このつぎは僕がきっと送って行ってあげるぜ」
「さようなら、ハンス君」トニオは言った。「散歩してよかったね」
握り合う二人の手の平はすっかり濡《ぬ》れて、庭戸の錆《さび》がついていた。しかしハンスがトニオの目に見入った時、その美しい顔には何か後悔めいた反省の色が浮んだ。
「そうだっけ、僕も今度は『ドン・カルロス』を読んでみよう」ハンスは口ばやだった。
「その御座所の王様はきっといいだろうね」こう言い終ると彼は鞄《かばん》を腕にかかえて前庭を駆けて行ったが、家の中へ入りしなにもう一度うしろを振向いてうなずいて見せた。
ところで立ち去って行くトニオは気もはればれとして、足も軽やかだった。風はトニオのうしろから吹きつけてきたが、彼がこんなに軽々と歩いて行ったのは、けっしてそのためばかりではなかった。
ハンスは『ドン・カルロス』を読むだろう。そうなると自分とハンスだけしか知らないあるものを持つことになるのだ。イムメンタールだって他の誰彼だってそれに嘴《くちばし》をいれることはできないのだ。ひょっとすると――ハンスにも詩を書かせることができるかもしれない。……いやいや、それはいけない。ハンスは自分のようになってはならない。ハンスには今のままでいてもらいたい。皆が愛し、とりわけ自分が最も愛しているような、明るい強い人間であってもらいたい。それにしたところが『ドン・カルロス』を読んだって差支えのあろうはずはないのだ。……トニオはこうして古いどっしりとしたホルステン門をくぐって、港沿いにしばらく歩いてから、風が強くてじめじめした、破風《はふ》づくりの家々の立ちならぶ急勾配《こうばい》の小道を上って両親の家へ帰って行った。そのころ、彼の心臓は生きていた。そこには憧れと、憂鬱な羨望《せんぼう》と、それから少しばかりの軽蔑《けいべつ》と、清らかに豊かな幸福感とがあった。
金髪のインゲ、インゲボルク・ホルム。高くとがって入り組んだゴシック式の噴水のある、あの中央広場のかたわらに住むホルム博士の娘が、十六歳になったトニオ・クレーゲルの意中の人だった。
どういうきっかけでそうなったのか。彼はそれまでにも幾度となくこの娘の姿を見ていたのである。ところがある夜のこと、彼はある照明の下で彼女を見た。女友達と話をしながら、彼女は声をたててひどく陽気に笑った拍子に頭を横にかしげて、その手を、けっしてことさらほっそりもしていないし、けっしてことさら花車《きゃしゃ》でもない小娘風の手をある種の仕草で後頭部へ持っていくと、白い紗《しゃ》の袖《そで》口《ぐち》が肘《ひじ》からずり落ちるのを彼は見た。また彼は、彼女がある言葉を、何かちょっとした言葉を一種の調子で口にすると、その声のうちに、ある暖かい響きがあるのを聞いた。と、ある恍惚感《こうこつかん》が彼の心をとらえた。それは昔あのハンス・ハンゼンを眺めたときに覚えた感動、彼がまだ小さな愚かしい子供だったころに覚えた感動よりもはるかに強烈なものだった。
その夜、彼は彼女のおもかげを胸にいだいて家に帰った。ふさふさとしたブロンドのお下げと、笑みを含んだ切れ長の青い目と、鼻の上にうっすらと見られるそばかすを。彼女の声にこもっていた響きが耳について、寝入られぬままに、あのちょっとした言葉を口にしたときの調子をひそかに真似《まね》ようとしてみた。そして身を震わせた。経験はこれが恋というものだと彼に教えた。恋は多くの苦痛と不幸と屈辱とをもたらすのみならず、平和を乱し、心を甘美な旋律でいっぱいにするので、あるものに十分な手間をかけて、あせらず悠《ゆう》々《ゆう》と何かまとまったものを刻み上げるだけの落着きのえられぬことはよくよく承知の上であったが、それでも彼はいそいそと恋を受けいれて、これに全身を投げかけ、心のあらゆる力を注いでこれをはぐくみ育てた。恋がひとを豊かにし、生きいきとさせることを知っていたからだった。そして彼は、あせらず悠々と何かまとまったものを刻み上げるかわりに、豊かに生きいきとしていることを切実に欲したのである。……
すなわちトニオ・クレーゲルが陽気なインゲ・ホルムに迷いこんでしまったのは、フシュテーデ領事夫人の、取片づけられた広間でのことだった。その晩は、舞踏講習を催すのがちょうどフシュテーデ夫人の番に当っていたのである。これは個人講習で、町の一流の家庭の子弟だけが参加して、順番にそれぞれの両親の家に集まって舞踏と礼儀作法の教授を受けることになっていた。そしてそのためにハンブルクから毎週わざわざ舞踏教師のクナーク氏が出張してきた。
先生の名はフランソワ・クナークというのだったが、これがまたなんという男だったろう。「お近づきを得まして光栄に存じまする。J'ai l'honneur de me vous repr市enter. 」というのである。「クナークと申しまする者で。mon nom est Knaak ……」ところでこれはお辞儀をしながら言ってはならない。ふたたび頭をあげたときに言うのである。――小声で、しかし明瞭《めいりょう》に。むろん毎日フランス語で自己紹介をするわけのものではないが、この国語で正確に非の打ちどころなく挨拶《あいさつ》ができれば、ドイツ語でならなんの造作もなかろうというわけだった。絹の黒いフロックコートはなんと見事にその太った腰にぴったりと合っていたことだろう。ズボンは柔らかな襞《ひだ》を作ってエナメル靴《ぐつ》の上に垂れ、エナメル靴は幅の広い繻《しゅ》子《す》リボンで飾られていた。そして彼の褐《かっ》色《しょく》の目は、それ自身の美しさに酔って、物憂《う》い幸福感をたたえてあたりを眺めていた。……
彼の度はずれの落着きと礼儀正しさとには、誰しも毒気を抜かれた。彼はその家の女主人の方へ向って歩いて行って――さてその歩き方だが、彼のようにしなやかに、踊るように、くねるように、晴れがましく歩ける人間はいなかった――お辞儀をして、手が差伸べられるのを待つ。手を出されると、これを押しいただいてから、小声でその礼を述べて、はずみをつけてうしろにさがり、爪先《つまさき》を下に向けた右足を床から横のほうに向けてさっと蹴《け》り上げて左足を軸にうしろを向き、尻《しり》を震わせながら遠ざかって行く。……
人の集まっている部屋を出ようと思うときは、あとしざりして、幾度もお辞儀をしながら戸口へしりぞく。椅子《いす》を動かそうとするときは、片足をつかんだり床の上を引きずったりせず、軽く凭《もた》れを持って引寄せて、床へおろすにも音をさせない。両手を腹のところで組んだり、舌で口のはしをなめたりしながら突っ立っていてはいけない。うっかりそういうことでもやろうものなら、クナーク先生は一種のやり方でそれを真似てみせる。するとそれを見た者は、それから以後は生涯《しょうがい》もう絶対にそうするのがいやになってしまうのである。……
これが礼儀作法であった。つぎにダンスのほうはどうかというと、クナーク氏はじつにその蘊奥《うんのう》をきわめていたといっていい。取片づけられた広間には、シャンデリアのガス灯が燃え、煖《だん》炉《ろ》の上には蝋燭《ろうそく》が輝いていた。床にはタルカム・パウダーがまいてある。お弟子たちは半円を描いて黙って立っている。しかしカーテンの向うの隣室には、お母さんや伯母さんたちがビロードの椅子にかけてクナーク先生の所作を柄《え》つきの眼鏡越しに見守っていた。クナーク氏は身をこごめてフロックコートの裾《すそ》をそれぞれ指二本でつまみ上げて、よくはずむ両足でマズルカの型を分析的に実演して見せる。けれども先生はいったん見物を仰天させてやろうと意を決すると、突然全くこれという理由もないのに床からさっとはね上がり、空中で両足を目の回るような速さで互い違いに巻きあわせ、いわば両足でトレモロを奏《かな》でて、それから鈍いけれども一切をその根本からゆりうごかすような、どすんという音をさせてこの地上に立ち戻ってくるのである。……
なんという不可解な猿《さる》だろう、とトニオ・クレーゲルはひそかに思った。しかしトニオは、インゲ・ホルム、あの陽気なインゲが時々うっとりとした微笑を浮べてクナーク氏の動作をわき目もふらずに見守っているのをよく知っていた。もっともトニオがクナーク氏の、すべてこういう堂に入った身ごなしを見て、結局は何か感嘆に似たものを覚えたのは、そのためばかりとはいえなかった。実際クナーク氏の眼《まな》ざしは落着きはらって物に動じなかった。あの目は事物の内面を見ようとはしない。事物が複雑になり物悲しくなるところまで入っていこうとはしない。あの目は、自分自身が褐色で美しいということのほかには何も知らないのだ。けれどもそれだからこそ彼の態度はあれほど誇らしげなのだ。いや馬《ば》鹿《か》でなければクナーク氏のように歩いて見せることはできはしない。そうすれば人から愛される。つまり愛嬌《あいきょう》があるからである。トニオにはインゲが、あの金髪の愛くるしいインゲがあんなふうにクナーク先生を見つめる理由がわかりすぎるほどよくわかっていた。しかしながら一体トニオ自身をそんなふうに見つめてくれる少女は一人もいなかったのだろうか。
いや、そうではなかった。弁護士フェルメーレンの娘、マクダレーナ・フェルメーレン、やさしい口元をした、大きな黒い光った目に生真面目《きまじめ》で夢想的な色をたたえた娘がそれだった。踊りのときにはよく転ぶ。けれども相手を選ぶときにはトニオのところへやってきたし、トニオが詩を作るのを知っていて、見せてくれと二度も頼んだことがある。また遠くのほうから顔をうつむけたままトニオに目を注いでいることも稀《まれ》ではなかった。しかしトニオにとってそんなことはどうでもよかった。彼は、トニオは、インゲ・ホルムを、あの金髪の陽気なインゲを、きっと詩なんぞ作るというので彼を軽蔑しているにちがいない少女を愛していたのである。……トニオは彼女を見つめる、幸福と嘲《あざけ》りとをたたえた切れ長の青い目を見つめる。そうすると嫉《しっ》妬《と》をまじえた憧《あこが》れが、彼女からは仲間はずれにされたまま永久に他人でいなければならぬという、鋭い苦痛が胸元にこみ上げてきて彼をさいなむのであった。……
「第一の組、前へ。en avant ! 」クナーク先生から声がかかる。この男がいかにすばらしく鼻音を出すかは筆舌のよく尽しうるところではなかった。カドリーユの練習で、トニオ・クレーゲルは心底から驚いたが、自分とインゲ・ホルムとは同じカーレだった。彼はできるかぎりインゲを避けたのだが、それでもいつの間にやら必ずインゲのそばに来てしまう。そちらを見まい見まいとするのだが、それでも彼の視線はきまってインゲの上に注がれてしまうのである。……いよいよ彼女が赤毛のフェルディナント・マッティーセンに手をひかれて小走りに滑るように近づいてきた。お下げをうしろにはね返して、ほっと息をつきながら、トニオと向いあわせに立つ。ピアノ伴奏のハインツェルマン氏は骨ばった手で鍵盤《けんばん》を打ち、クナーク先生の命令一下、カドリーユが始まった。
彼女は彼の前を前後左右に歩いたり回転したりする。すると、彼女の髪の毛からか、あるいは柔らかな白い地質のドレスからか、一種の芳香がときどき彼の鼻先をかすめる。そして彼の目はしだいに曇ってくる。僕は君が好きなのだ、いとしい可愛《かわい》いインゲ、と彼は心の中で呟《つぶや》く。そして、こんなに熱心に陽気に踊っている彼女が彼の存在などいっこう気にかけてくれないということにたいする苦痛のすべてをこの数語に託した、世にも美しいシュトルムの詩の一節が心に浮んできた、「いねましものを、踊らむとや」。この詩句の中に含まれた矛盾、恋をしながら踊らねばならぬというみじめな矛盾が彼の心を苦しめた。……
「第一組、前へ。en avant ! 」クナーク先生から声がかかる。新しい一節が始まった。「お辞儀をして。ご婦人は旋舞を。手を返して。Compliment! Moulinet des dames! Tour de main ! 」さて彼がどんなに優雅に de の無声の e をのみこんでしまうかは、何人もよく写しえぬのである。
「第二組、前へ。en avant ! 」トニオ・クレーゲルとその相手の番だった。「お辞儀をして」でトニオ・クレーゲルは頭を下げる。「ご婦人は旋舞を」でトニオ・クレーゲルはうなだれて眉《まゆ》を曇らせたまま自分の片手を四人の婦人たちの手の上に、インゲ・ホルムの手の上において、つい旋舞を踊ってしまった。
そこらじゅうから忍び笑いや高笑いが起った。クナーク先生は、様式化された驚愕《きょうがく》を表現する、あるバレーのポーズをとった。「さあ大事《おおごと》だ」と彼は叫んだ。
「中止、中止。クレーゲル君はご婦人のお仲間入りか。おあとへおさがりください。En arri俊e. クレーゲルのお嬢さま、おあとへ。はてさて。fi donc ! もう皆さまがおわかりなのに、君だけは駄目《だめ》だ、さあ、ほら。おあとへ、おあとへ」こう言いながら彼は黄絹のハンカチーフを引きだして、それを振りふりトニオ・クレーゲルをもとの場所へ追い戻した。
笑わない者はいなかった、少年たちも少女たちも、それからカーテンの向う側の婦人たちも。クナーク先生がこの突発事件をひどく滑稽《こっけい》なものにしてしまったからである。みんなは芝居を見ているときのようにうち興じた。ただハインツェルマン氏だけは白《しら》けた事務的な顔つきで、つづいてひき始める合図を待っていた。クナーク氏のあの手この手にはもうなれっこになっていたからである。
それからさらにカドリーユが続けられていった。終ると休憩になった。小間使が茶盆《ちゃぼん》にワイン・ゼリーを盛ったグラスをいっぱいにのせて、かちゃかちゃいわせながら入ってきた。するとプラム・ケーキを持った料理女がすぐそのあとにつづいた。しかしトニオ・クレーゲルは人知れず広間からそっと廊下へ忍び出て、両手を背中に組んで木の日《ひ》覆《おお》いの下りた窓の前に立った。日覆いが下りていれば何も見えず、だから外を見るような格好で窓の前に立っているのは滑稽だということには思いが及ばなかったのである。
けれども彼は心の中を眺《なが》めた。心は憤懣《ふんまん》と憧れとにあふれていた。なぜ、なぜ自分はこんなところにいるのだ。なぜ自分は自分の部屋の窓辺にすわって、シュトルムの『湖畔』を読みながら、クルミの老樹が物憂い音を立てて枝を鳴らしている薄暮の庭に時おり目をやっていないのだ。そここそ自分本来の居場所ではなかったか。ほかの人間は踊っているがいい、元気よく器用に熱中しているがいい。……いやいや自分の場所はやはりここなのだ。ここなら、たとえひとり寂しくインゲから離れて、向うの広間のざわめきや騒音や笑い声の中に暖かい生命のこもった彼女の声を聞きわけようとしながらも、インゲの近くにいるのだと自分に言いきかせることができるのだ。おまえの長く切れた青い陽気な目、金髪のインゲよ。おまえのように美しく朗らかにしているには、間違っても『湖畔』を読んだり、また自分もそういうものを書いてみようなどと思ったりしてはならないのだ。それは悲しいことなのだから。……
おまえは自分がこうして立っているところへ来なくてはならぬのだ。自分がいなくなったのに気がついて、自分の気持を察して、たといあわれみからにもせよ、そっと自分の跡を追ってきて、自分の肩に手をかけて、わたしたちのところへ戻っていらっしゃい、ね、元気を出してちょうだい、わたしはあなたが好きなのですと言ってくれるべきなのだ。彼は背後の気配をうかがって、いわれのない緊張のうちに、ひょっと、インゲがやってきはすまいかと待った。けれども彼女は来るはずがなかった。そういうことは、この世では起らぬのである。
彼女もまたほかの人たちと同じように自分を嘲り笑ったのだろうか。これは自分のためにも彼女のためにも否定したかったが、事実、彼女は笑ったのである。それをどうだろう、彼女のそばにいて、そのためにぼんやりしていたばかりに、つい女の踊りを一緒に踊ってしまったのだ。しかしそれがどうしたというのだ。みんないつかはきっと笑うのをやめるだろう。現にこのあいだはある雑誌が自分の詩を一編採用してくれたではないか。もっともその詩が活字になる前に、雑誌はつぶれてしまった。自分が有名になって自分の書くものがすべて印刷される日がやって来る。そうなった暁、インゲがどう思うか、まあ待っているとしようではないか。……いや彼女はなんとも思いはしないだろう。そうだ、そこのところなのだ。いつもよく転ぶマクダレーナ・フェルメーレンなら、あの娘なら間違いなく感心するだろう。けれども、インゲ・ホルムが、あの目の青い陽気なインゲが感心することは絶対にありえないのだ。そうだとすれば、有名になるというのもあだなことではあるまいか。……
こう思うと彼の心は痛ましく締めつけられた。すばらしい、軽妙な、憂鬱《ゆううつ》な力が内部に動くのを感ずる一方、自分が憧れ求めている人たちがのんきな別世界からそういう力に相対しているのを知るのは、じつに苦しいことだった。いや、なるほど彼は、孤独に、除《の》け者にされて、希望もなく日覆いの下りた窓の前に立って、傷心のあまり外を見ているようなふりをしていたが、それでも彼は幸福だった。なぜならあの当時、彼の心臓は生きていたからである。暖かく悲しく、自分の心臓はおまえのために、インゲボルク・ホルムよ、おまえのために鼓動していたのだ。それから自分の魂は、恍惚《こうこつ》たる自己没却のうちに、おまえのブロンドの、明るい、そして陽気に平凡な小さな人格をいだいていたのだ。
顔を上気させて、音楽や花の香りやグラスの触れ合う音がただかすかに伝わってくるような寂しい場所に佇《たたず》んだことも一度や二度にとどまらなかった。そして遠い宴《うたげ》のさんざめきのうちに、彼女のよく通る声音を聞きわけようとして、彼女のために胸をいたましめたのだったが、それでもやはり彼は幸福だった。いつもよく転ぶマクダレーナ・フェルメーレンと話をする機会をえたりすると、彼女は自分を理解してくれて、一緒に笑い、真面目になってもくれたのに、金髪のインゲは、彼と並んで坐《すわ》っているときも、彼の言葉は彼女に通ずる由《よし》もなかったから、彼からは遠くうとましく無縁に見え、それが彼の気持を傷つけたこともまれではなかった。しかし、それでも彼は幸福だった。なぜなら幸福とは、と彼は自分に言ってきかせた。愛されることではない。愛されるとは、嫌《けん》悪《お》をまじえた虚栄心の満足にすぎぬ。幸福とは、愛することであり、また、時たま愛の対象へ少しばかりおぼつかなくも近づいていく機会をとらえることなのである。そして彼はこの考えを心に刻みつけ、徹底的に考え抜き、あますところなく感じつくした。
誠実、とトニオ・クレーゲルは思った。自分は誠実でありたい、そして命のあるかぎりおまえを、インゲボルクよ、おまえを愛そうと思う。彼はそれほど純真だった。ところがその一方では、おまえは今でもハンス・ハンゼンに会わない日はないのに、あの男のことをもうなんとも思わなくなっているではないかと、恐ろしい悲しい声でかすかに囁《ささや》くもののあるのを感じた。このかすかな、少し意地の悪い声は正しかった。月日が流れて、トニオ・クレーゲルは自分なりに世の中で注目すべきたくさんの仕事を仕遂げようという意欲と力とを感じ出した。そのために、もう昔ほど絶対的に、あの陽気なインゲのためになら命も惜しくないとは思わなくなってきた。これはじつに浅ましい、みじめなことだった。
そして彼は、自分の愛情の清純で貞潔な炎が燃えている犠牲壇のまわりを用心深くめぐり歩いて、その前にひざまずき、誠実であろうと思ったから、あらゆる手だてを尽してその炎を煽《あお》ぎ立てて守った。それなのにしばらくすると、炎はいつの間にか人しれず消えていたのである。
しかしトニオ・クレーゲルはなおしばらく冷えきった祭壇の前に佇んで、誠実というものが、この地上では不可能であることを見て、驚きと失望とを味わっていたが、やがて肩をすくめて、それから自分の道を歩いて行った。
彼は自分の行かねばならぬ道を、いくらか投げやりに、また、不《ふ》揃《ぞろ》いな歩調で、われにもあらず口笛を吹き、頭を横にかしげて、遠くのほうを見ながら歩いて行った。迷うこともあったが、それはある人々にはそもそも正道というものがないからであった。いったい何になるつもりだと人にたずねられると、彼はそのつど違った返答をした。自分の中にはありとあらゆる生存形式への可能性があるが、他面、結局はそのどの一つをも採ることはできないというひそやかな気持があると言いいいしていたからである。(またこれはすでに書きとめてもいたのである)……
彼が自分の狭い生れ故郷の町を立ち去って行くよりも前に、彼をここにつなぎとめていた鎹《かすがい》や糸は知らぬ間にもう解けていた。由緒《ゆいしょ》あるクレーゲル家は、すでに没落瓦《が》解《かい》の道をたどりつつあったし、世間ではトニオ・クレーゲルのような人間の出てきたことをもやはりそういう状態の一徴候と見做《みな》していたが、それはまことに無理からぬ話であった。一門の長であった父方の祖母が亡《な》くなって間もなく、彼の父、背の高い、細心に身じまいした、瞑想《めいそう》的な青い目の、いつも野花を胸のボタン穴にさしていた彼の父がその跡を追った。クレーゲル家の大邸宅はその尊敬すべき歴史ぐるみ売り物に出て、商会は解散した。けれどもトニオの母親は、ピアノとマンドリンのひどく上手な、美しい、情の激しい母親には、そういったことすべては全くどうでもよかったので、忌《いみ》明《あ》けを待って再婚してしまった。しかも相手はある音楽家、イタリア名前の巨匠だった。彼女はこの人と一緒に空の青い南の国へ行ってしまったのである。トニオ・クレーゲルはこれを少々だらしがないと思った。しかし彼にそれをとやかく言う資格があっただろうか。詩を書くばかりか、いったい何になるつもりかとたずねられても、まともな返事一つできない彼ではなかったか。……
こうして彼は破風《はふ》屋根に湿っぽい風が音をたてている狭苦しい故郷の町を去った。庭の噴泉とクルミの老樹を、少年時代の慣れ親しんだ人たちを見捨てた。それからあれほどに愛していた海をもあとにした。そうして少しも苦痛を感じなかった。なぜなら彼はもう成人して賢明になっており、自分がどういう人間であるかをよく心得ていたし、また自分をこれほど長い間しっかりととらえていた愚かしい低俗な生活にたいする嘲りで心をいっぱいにしていたからである。
彼はこの地上で最も気高いと思った力、それに仕えるのが自分の天職だと感じていた力、彼に高貴と栄誉とを約束した力、すなわち無意識にしてもの言わぬ生の上に、微笑をたたえつつ君臨する精神と言語の力に全身をゆだねた。彼はその若々しい情熱をあげてこの力にささげた。そしてこの力はその贈りうるもの一切を贈って彼に報いたが、また、その代償に奪いとるのを常とする一切を、容赦なく彼から奪いとった。
この力は彼の眼光を鋭くし、人間の胸をふくれあがらせる大仰な言葉の正体を見ぬかせ、世間の人々の魂、彼自身の魂を解き明かし、透視力を授け、世界の内側や、また言葉や行為の背後にある一切の究極のものを教えてくれた。そして彼は何を見たか。滑稽と悲惨――彼は滑稽と悲惨とを見たのである。
すると、認識の苦悩と驕慢《きょうまん》とともに孤独が訪れてきた。無邪気で快活な愚かしい人々の仲間に入ってもいられず、また、彼の額の刻印がそういう人たちを狼狽《ろうばい》させたからである。他面また、言語と形式にたいする喜びも次第に甘美な味わいを増した。けだし彼はこう言うのを常としていた(そしてこれはすでに書きとめてもいたのである)、もしも表現のもたらすさまざまの快楽がわれわれをいつも生気溌剌《はつらつ》とさせていないならば、魂の認識だけでは疑いもなくわれわれは陰鬱になるだろうと。……
彼は諸方の大都会や南の国で生活した。自己の芸術のいよいよ豊かな成熟を南国の太陽に期待していたし、また母親の血が彼を南の国に誘ったのかもしれぬ。しかしその心臓は死して、愛情を持つことがなかったので、彼はやがて肉欲の冒険に陥り、快楽と身を灼《や》くような罪過の淵《ふち》に沈淪《ちんりん》して、言うべからざる苦楚《くそ》をなめた。南の国でそれほどにも彼を苦しめたものは、彼の父親の、あの背の高い、細心に身じまいした、瞑想的な、いつも野花を胸のボタン穴にさしていた、あの父親の血であったのかもしれぬ。また、かつては彼自身のものであり、今ではどんな快楽の中にも見あたらぬ魂の喜びへの、ほのかにやるせない追憶を時おり彼の心のうちによみがえらせたのも、やはりこの父親の血であったのかもしれぬ。
官能にたいする嫌悪と憎しみが、純潔と節度ある平和への激しい欲望が襲ってきた。とはいえその一方では、彼は芸術の空気を、生暖かくて甘美な、香料入りの常春《とこはる》の空気を吸っていた。そこでは人知れぬ創造の歓楽のうちに一切が煮えたぎり、うごめき芽生えていたのである。つまるところ彼は、あてどもなく激しい極端から極端へ、冷厳な知性と身を灼く官能の劫《ごう》火《か》とのあいだを行きつ戻りつしながら、数々の良心の呵責《かしゃく》のもとに、われとわが身を蝕《むしば》むような生活を、道ならぬ放埒《ほうらつ》な異常な生活を続けて行くよりほかはなかった。そして彼トニオ・クレーゲルは、心の底でこういう生活におぞけをふるっていたのである。なんたる彷徨《ほうこう》、と彼は時おり考えた。自分ともあろうものが、一体なぜこんな途方もない冒険の中にはまり込んで行くのだろうか。己《おれ》はもともと決して緑色の車に乗ったジプシーなんかではないのだ。……
しかし健康がそこなわれて行くのに反比例して、彼の芸術精神はとぎ澄まされて行った。気むずかしく、絶妙に、貴重に、繊細に、低俗なものにたいしては神経質に、技法と趣味の問題に関しては極度に敏感になった。彼が初めて世に出たとき、専門の人々のあいだからはさかんな喝采《かっさい》と歓喜の声とが起った。彼が差出した作品は諧謔《かいぎゃく》と苦悩の知識とにあふれ、丹精の末になった精妙をきわめたものだったからである。すると急速に彼の名は――その昔学校の教師たちが腹立たしげに呼んだこの名前、クルミの木と噴泉と海とにささげられた処女作の詩に署名したこの名前、南方と北国とが一緒になってでき上がったこの響き、この外国風な色どりをもつ市民の名前は、秀抜なものを意味するきまり文句になって行った。なぜなら彼が味わったさまざまな経験のいたましい徹底性には、たぐいまれな、牢《ろう》固《こ》として抜くべからざる、野心満々たる勤勉が加わり、これが彼の趣味の気むずかしい焦《いら》立《だ》たしさと争いながら、異常な苦しみのもとに非凡な作品の数々を生み出して行ったからである。
彼は生きるがために働く人間のようには働かなかった。彼は労作以外の何物も欲しなかった。それというのも、社会人としての自分には一顧の価値だに与えず、ひたすら創造者としてみられることを望み、不断は灰色にひっそりとして世を送り、ちょうど一歩舞台を降りると何者でもなくなる素顔の俳優のようにしていたからである。彼は沈黙のうちに閉じこもって、隠れて仕事をした。そして、才能を社交上の装飾と心得、貧富いずれにせよ粗野に漫然と闊《かっ》歩《ぽ》したり、ないしは変ったネクタイに贅《ぜい》をこらしたり、何はともあれ幸福に愛想よく芸術的に生きようと心がけたりしていて、すぐれた作品というものはただ苦しい生活の圧迫のもとにおいてのみ生れるということや、生きる人間は労作する人間でないということや、創造する者になりきるためには死んでいなければならぬということなど一向にご存じない小人どもを心から軽蔑《けいべつ》したのである。
「お邪魔ですか」トニオ・クレーゲルはアトリエの閾《しきい》に立ってたずねた。帽子を手に持って、ちょっと腰をかがめさえした。ところがリザヴェータ・イヴァーノヴナは、全然遠慮のいらない女友達だったのである。
「やめてちょうだいよ、トニオ・クレーゲルさん、儀式ぬきで入っていらっしゃいよ」いつもの調子の、跳ねるような抑揚である。「育ちがおよろしくって、万事にそつがおありにならないくらいのことはちゃんと知っていてよ」彼女はパレットを持った左手に、絵筆を持ち添えて右手を差出し、笑って頭をふりながらまっすぐに彼の顔を見た。
「けれど、お仕事ちゅうのようですね」と彼は言った。「どれ、拝見させてください。……ほほう、はかどりましたねえ」こう言って彼は、画架の両側の椅子《いす》に立てかけてある彩色したスケッチと、一面に格《こう》子《し》縞《じま》の網の目でおおわれた大きなカンヴァスとをこもごもに眺《なが》めた。ごたごたした輪郭だけの木炭デッサンに、最初の色がところどころに置き始められていた。
ところはミュンヘン、シェリング街の裏家の、何階か階段を登った部屋である。幅の広い北向き窓の外には、青空と鳥のさえずりと陽光とがあった。窓の開いたところから流れ入る春の若々しい甘美な息吹《いぶ》きが、広いアトリエをいっぱいに満たした定着液と油絵具の匂《にお》いにまざり合っていた。明るい午後の黄金色の光は、がらんとして広いアトリエの中に、何物にもさえぎられずみなぎりあふれて、少々いたんだ床板や、壜《びん》やチューブや絵筆でおおわれた荒削りの、窓の下にあるテーブルや、壁紙のはってない壁にかけられた額縁なしの習作を惜し気もなく照らしだしていた。また、戸口に寄ったところに居間兼休憩室用に使われている、凝った家具の置かれた小さな一角を仕切る、ところどころ裂けた絹のついたてを、画架上のできかけの作品を、その前にいる画家と詩人とを照らし出していた。
彼女は彼とほぼ同年輩、つまり三十をちょっと出たくらいであろう。濃紺の、しみだらけの前掛をかけ、低い腰掛に坐って、顎《あご》を片手で支えている。束髪に結った褐色《かっしょく》の髪の毛は、わきのほうにもうかすかな灰色をまじえて、頭の真ん中から軽く波を打って左右のこめかみをおおい、色の浅黒い、スラヴ人らしい、非常に感じのいい顔を縁どっている。団子鼻で、顴骨《かんこつ》が突き出て、小さな黒い光った目である。そして彼女はその目をしかめて、緊張して、疑ぐり深そうに、まるで怒《おこ》ってでもいるように、自分の仕事を横目に見ながら点検している。……
彼はその横に突っ立ったまま、右手を腰にあてがい、左手で気ぜわしく茶色の口髭《くちひげ》をひねっている。斜めの眉《まゆ》を陰気に苦し気に動かして、いつもの癖で、ぼんやりわれにもあらずかすかに口笛を吹いている。ひどく念の入った立派な身なりで、服は落着いた灰色の、地味な仕立てである。しかし黒い髪がひどくあっさりと、しかもきちんと分けてあるその下の、辛酸をしのいできた額は、神経質な表情をたたえていたし、南国風の輪郭をもった容貌《ようぼう》はすでにして鋭く、堅い鑿《のみ》でいわば抉《えぐ》られて成ったもののようであったが、それに引きかえて口元は大変やさしく、顎の形は非常にやわらかだった。……しばらくして彼は片手で額と目をなでて面をそむけた。
「来なければよかったかな」
「どうして、トニオ・クレーゲルさん」
「つい今しがたまで仕事をしていたんですよ、リザヴェータさん、だから頭の中はちょうどこの絵と同じことなのです。骨組だけで、色の薄い下書きの、消したり加えたりでよごれた輪郭、それにところどころ下塗りがしてある、そうなんですよ。で、ここへやってきてみれば、またぞろ同じものにぶつかってしまった。ここでも私は紛糾と矛盾にお目にかかるわけだ」彼は嗅《か》ぐように鼻で息をした。「うちで私を苦しめたのと同じやつだ。奇妙ですよ、ある考えにとらわれていると、どこへ行こうと、そいつにぶつかってしまう。いや風の中にさえ、そいつを嗅ぎつける。定着液と春の香り、そうでしょう。芸術と――さあ、もう一つはなんでしょう。『自然』? そうじゃありませんよ、リザヴェータさん、『自然』じゃ不十分だ。いや全く散歩すべきだったんだ。もっともそのほうが今より気持がよかったかどうか、こいつは疑問ですがね。五分ばかり前、この近くで同業のアーダルベルトに会ったんです、短編作家の。奴《やつ》は例の攻撃的文体でこう言うんですよ、『神よ、春を呪《のろ》いたまえ。なんたる醜悪な季節だ。なんだかこう血がいかがわしくむずむずして場違いの感興が盛んに沸いてきて落着かなくなるんだが、なに、よくよく見ればじつは徹底的に下らん、全然使いものにならん代物《しろもの》ばかりときている。そんなときに君、まともな考えが持てるかね、たといどんなに些《さ》細《さい》なものでもやま《・・》や効果をゆっくり作り出すことができるかい。そこで僕だが、僕はこれからカフェへ行く。カフェは中立地帯で、季節の交代に煩《わずら》わされないからね、君。文学的なものの、いわば超越的な崇高な領域だ。ここにいれば普通以上に高尚《こうしょう》な着想だけが沸くんだよ。……』であいつはカフェへ出かけて行ったんですが、そう、私もあいつのお伴《とも》をすればよかったんだ」
リザヴェータは面白がった。
「面白いのね、トニオ・クレーゲルさん。その『いかがわしくむずむずする』っていうのはいいじゃないの。なるほどね、その方のおっしゃるのもごもっともかもしれないわ、ほんとに春はどうも仕事がたいして巧《うま》くいきませんものね。でもね、よくって、それでもあたしはこれからこのちょっとしたところを片づけてしまうつもりよ、アーダルベルトさんのちょっとしたやま《・・》、効果をね。あとでそこの『サロン』へ移って、お茶をいただきながらご高説を拝聴するわ。だってあなたは今日おっしゃりたいことが山ほどおありになるんでしょう、どう、図星? それまでどこかその辺に、そうね、たとえばその箱の上に配置されていらっしってよ、その貴族的なお召しものが気におなりにならなければ。……」
「いやいや、服のことはほうっておいてくださいよ、リザヴェータ・イヴァーノヴナさん。ぼろぼろのビロード上着か赤絹チョッキでも着てうろついているほうがお気に召すんですか。一体この、芸術家って奴は内面的にはいつも相当ないかさま師ですからね、うわべだけは、仕方がない、服でもきちんと整えているべきなんですよ、そうして尋常な人間なみに振舞わなくてはいけないんです。……そうですね、山ほど言いたいことがあるというんじゃない」彼はこう言ってパレットの上で絵具を調合している画家の様子を眺めた。「今申したとおり、私がひっかかってしまって仕事を妨げられたというのは、つまりある問題と対照のためなんです。……ええと、なんの話をしていましたっけ、そうそう、小説家のアーダルベルト、たしかにあいつは自信家でしっかり者だ。『春は最も醜悪なる季節なり』、こう言って、カフェへ行っちまいました。欲するところはこれを知らざるべからず、そうじゃありませんか。よろしいですか、私だって春はいけない。春が呼び起す思い出や感情のやさしい平凡さにかかっては私だって混乱してしまいます。ところが、そうだからといって私には春を非難したり、さげすんだりする勇気がないのです。つまりこうです、私は春に恥じる、春の純真な自然さ、春の圧倒的な若々しさに赤面するというわけなんですよ。アーダルベルトはこの点では無縁の衆生《しゅじょう》だ、さてこいつは羨《うらや》んでしかるべきか、軽蔑してしかるべきか、そこのところはわかりかねるんです。……
春は仕事がやりにくい。これは確かだ、ではなぜなんでしょう。感ずるからですよ。それから、創造する人間は感じてもいいなんて思いこんでいる奴は大《おお》馬鹿《ばか》者《もの》だからですよ。本物の正直な芸術家なら誰だって、そういう浅はかなぺてん師式の妄想《もうそう》に会っては微笑してしまいます――たぶん憂鬱《ゆううつ》にね、けれども微笑しますよ。なぜかっていえば、人が口で言うことは絶対に肝心なものなんかじゃありえない。それだけをとって考えてみればどうだっていいようなものにすぎない。そういうものは、肝心かなめの美的形象が遊戯的な悠《ゆう》々《ゆう》たる優越さのうちに作り出されるための材料にすぎないんです。あなたが言うべきことをひどく大切に考えていたり、そのことのために心臓をあんまりどきどきさせたりすれば、まず完全な失敗は間違いのないところでしょう。悲《ひ》愴《そう》になる、センチメンタルになる。それでどうかというと、何か鈍重な、不手《ふて》際《ぎわ》で大《おお》真面目《まじめ》な、隙《すき》間《ま》だらけの、鋭さを欠いた、薬味の入っていない、退屈平凡なものが生れるだけなのです。そうしてその結果は、世間はつまり冷淡にそれを迎えるだけだし、あなた自身はといえば失望と苦痛だけしか手に入れられない。……全く事実はそのとおりなんです、リザヴェータさん、感情っていう代物は、暖かい心のこもった感情っていうやつは、いつだって平凡で使いものにならない。芸術的なのはね、われわれの破壊された、われわれの職人風の神経組織の焦立たしさと氷のような忘我だけなんです。人間的なものを演じたり、弄《もてあそ》んだり、効果的に趣味ぶかく表現することができたり、また露ほどでも表現しようという気になるにはですね、われわれ自身が何か超人間的な、非人間的なものになっていなければならないし、人間的なものにたいして奇妙に疎《そ》遠《えん》な、超党派的関係に立っていなければならないんです。様式や形式や表現への才というものがすでに人間的なものにたいするこういう冷やかで小むずかしい関係、いやある人間的な貧困と荒廃を前提としています。どのみち健全で強い感情は没趣味なものですからね。芸術家は、人間になって、感じ始めると、もうおしまいです。アーダルベルトはこれを知っていた、だからカフェへ、『超越的領域』へ行ってしまったんです、もちろんですよ」
「じゃ、そんな人のことなんかほうっておおき遊ばせよ、小父さま《パートゥシュカ》」こう言ってリザヴェータは、ブリキの金盥《かなだらい》で手を洗った。「あなたはその方についていらっしゃることはないわ」
「そうなんですよ、リザヴェータさん、私はついて行きはしない。ほかでもない、私は時おり自分の芸術家としての生活を春にたいして多少は恥じることができるからなのです。いいですか、私はよく余所《よそ》の人から手紙を貰《もら》います。読者の讃《さん》美《び》や感謝の手紙、感動した人たちの感にたえた手紙ですね。そういう手紙を読みますとね、私の芸術がこんなにも暖かい鈍重な感情を呼び起したんだと思うとさすがに心を動かされそうになります。そういう手紙の行間にあふれている素《そ》朴《ぼく》な感激にぶつかると一種同情の気持が抑えられない。けれど、もしこの実直な人間がひょっとしてわれわれの楽屋裏を覗《のぞ》いたら、どんなに興をさましてしまうだろうか、誠実で健全で尋常な人間というものはけっしてものを書いたり演じたり作曲したりするもんじゃないということをそういう無邪気な人たちが万が一にも知ったならば、まあどんなに驚くだろうと考えると、顔が赤くなるのです。……むろんそうは言っても、自分を高めたり刺激したりするために、私の才能にささげられたそういう讃美は利用するし、また、それを大仰に生《き》真面目に受取って、偉人を真似《まね》る猿《さる》みたいな顔をして見せる、構ったことじゃない。……いや、ちょっと待ってくださいよ、リザヴェータさん。実はね、私は人間的なものに参加せずに人間的なものを表現するという仕事に死ぬほど疲れてしまうことがあるんです。……芸術家っていうものはいったい男なんでしょうか。それは女に聞くがいい。私にはどうもわれわれ芸術家はみんなあの法王庁の不自然な歌い手といささか運命をともにしているように思えるのです。……われわれは全くいじらしいほどきれいな声で歌いますからね。けれども――」
「まあ少しは恥ずかしいとお思いなさいよ、トニオ・クレーゲルさん。さあお茶にいたしましょうよ、もうすぐお湯が沸きます、それから煙草《たばこ》はここにあってよ。ソプラノのところでしたわね。じゃどうぞそのお先を。だけど恥を知るものよ。あなたがどれほど誇らしい情熱でご自分の天職に身を捧《ささ》げていらっしゃるか、存じ上げているからいいようなものの。……」
「『天職』は願い下げです、リザヴェータ・イヴァーノヴナさん。いったいこの文学というものは天職じゃない、呪いですよ。――そうですとも、いつごろそれが感じられ始めるかと言いますとね、夙《はや》く、おそろしく夙くからなんです。われわれがまだむろん神とも人とも睦《むつ》み和《なご》んでいてしかるべき時からなんです。あなたは自分に刻印が打たれ、ほかの人間たち、平凡で尋常な人間たちと不思議な対立関係にあるのを感じ始める。風刺と不信と反抗と認識と感情の深淵《しんえん》が、あなたをほかの人たちから切り離して、次第に口を大きく開けていくのです。あなたは孤独だ、そうしていざそうなってしまうと、もう了解し合う道なんかありはしない。なんという運命でしょう。もしも心臓が、その運命を恐ろしいと感じるだけの生気、それだけの愛情《・・》を保っているとしたら。……どんなに大勢の人の中にまじっていても、あなたは自分の額に打たれた刻印を感じとるし、誰の目をのがれるということもないから、あなたの自意識はただれてしまうんです。昔知り合いにある天才的な役者がありましたが、この男は人間としては病的なぎごちなさと意志薄弱でひどく悩まされていました。それというのも、自己感情が極度に鋭敏だったところへ、いい役を振られなかったのでそんなになってしまったのですね。芸術家としては完璧《かんぺき》だったが、人間としてはかわいそうなものでした。……本物の芸術家、ですから芸術を浮き世の商売にしていない芸術家、宿命的な呪われた芸術家を群衆の中から見分けるには、たいした苦労はいりません。別物で場違いだという感じ、それと知られ観察されているという感じ、何かこう王侯のような、それでいて格好がつかないといったものがその顔つきにあるわけです。平服を着て平民の中を歩いている大公の顔つきにも、そういったものがあるんじゃありませんか。駄《だ》目《め》々々、平服なんか着こんだってなんの役にも立ちはしません、リザヴェータさん。変装しようと、お面をかぶろうと、賜暇《しか》中の大使館付き武官や近《この》衛《え》少尉《しょうい》かなんかのようなふうをしていたって、あなたが目を開くか開かないかのうちに、ひと言何か言うか言わないかのうちに、たちまちただ者でないことを知られてしまいますよ、何か別の、変てこな、奇妙な人間だってことをね。……
けれど芸術家とは何者《・・》なのでしょう。もともと人類は安易で認識に怠惰なんですが、まずこの問題の場合ほど強情にほおかむりをしつづけてきたこともないでしょう。『そういうことは天分の問題だ』こうです、ある芸術家の感化のもとにいる実直な人たちは諦《あきら》め顔にこう言うんです。それにね、そういう人たちの善意にあふれた意見に従うと、明るい気高い結果には絶対にまた明るい気高い原因がなければならんというわけですから、そのいわゆる天分なるものがどうやらひどく込み入った、ひどく胡《う》散《さん》くさいものらしいなんて誰も思いはしないんです。……ご承知のごとく芸術家というものはじつに気むずかし屋です。――ところでまた、正しい良心と堅実な地盤の上に立つ自己感情とを持った人たちには滅多にそんなことがないというのも、わかりきったことでしょう。……そこですよ、リザヴェータさん、私はね、心中ひそかに――精神的な意味でだけれど――芸術家というタイプの人間を全然信用していない《・・・・・・・》のです。あの北の狭い町にいた私の先祖たちは誰だって、自分の家にやってくる香具師《やし》やいかがわしい芸人なんかを信用しはしなかったでしょうがね、それと全く同じことなんですよ。こういうことがあるんです、私はある銀行家を知っています。長年叩《たた》き上げた実務家なんですが、小説を書くという天分があるんですね。で、その男は暇を見てはこの天分を発揮する。時によるとちょっとしたものを書きます。この崇高な天性にもかかわらず――さよう、かかわらずですよ――この男は完全にきず《・・》がないとは言えない。それどころかもう重禁固を食らったことがあるんです。それも、歴《れっき》とした理由があってです。つまりね、この男が自分の天分を自覚したのはそもそも監獄の中でのことだったんです、だから自分の囚人としての経験が書くものすべての根本主題になっているんです。だから大胆に言ってみればこうじゃありますまいか、詩人になるためには何か監獄みたいなものの事情に通じている必要がある。けれどもこういう疑いが起ってきますね、この男の獄中体験と、この男をそういうところへ追い込んだもの《・・》と、このどちらがこの男の作家精神の根底や源に密接な関係を持っているか。――小説を書く銀行家、たしかにそういう人間は珍しい。しかしね、犯罪なんかに無関係な、無きず《・・》の手堅い銀行家でしかも小説を書くような男――そういう人間は《・・・・・・・》絶対にいないのです《・・・・・・・・・》。……なるほど、お笑いになるのもごもっとも、けれども半分は本気なんですよ、私は。芸術家生活とその人間的作用の問題、まずこれほどややこしい問題はほかにありますまい。あの最も典型的な、だから最も力づよい芸術家の、最も不可解な例、『トリスタンとイゾルデ』のような、ひどく病的で曖昧《あいまい》きわまりない作品ですね、ああいう作品が、若くて健康で、ごくありきたりな感覚を持った人間に及ぼす作用を考えてごらんなさい。気持は高められ強められ、暖かな本物の感激が起るでしょう、ひょっとすると自分でも『芸術』に手を出せそうな気にもなる。……それですよ、ディレッタントの人の良さというやつは。そういう見物の衆が『暖かい心』と『真正直な感激』に乗せられて、うかつにも想像する境地は、われわれ芸術家の真相とはまず完全に食い違ったものなんです。芸術家が女こどもに取巻かれてわいわい言われているのをよく見かけますが、私にはそういう芸術家の正体がじつによくわかっているのです。……全く、この芸術家生活の由来や随伴現象や諸条件なんかでは、いつでも世にも奇妙な経験をするものですね。……」
「それはほかの人の場合じゃなくて、トニオ・クレーゲルさん――失礼だけれど――それとも、そうとばかりは言えないの」
彼は答えなかった。その斜めの眉《まゆ》根《ね》を寄せて、われにもあらず口笛を吹く。
「どうぞ、そのお茶碗《ちゃわん》を、トニオさん。濃くないのよ、このお茶は。それからお煙草、もう一本いかが。あなたみたいに、そんなふうにばかり考える必要もないってこと、ご自分でよく知っていらっしゃるんでしょう。……」
「ホレイショの返答はね、リザヴェータさん、『そうお考えになりまするは、ご穿鑿《せんさく》すぎにござりましょう』でしたっけね」
「いいえ、ただこう申上げたいのよ、それと全く同じように別のほうから眺《なが》めることができるのじゃないかってことよ、トニオ・クレーゲルさん。わたしは馬鹿な女絵かきですから、今あなたがおっしゃったことに何かご返事ができるとすればね、ですからあなたのご商売をあなたご自身のために少しでも弁護して上げられるとしてもね、あなたご自身先刻ご承知のことをちょっとご注意申上げるくらいのことしかできないのよ。……たとえばね、文学というものの、神聖にしたり清めたりする作用だとか、認識と言葉とで情熱を打破ることだとか、理解や寛容や愛情なんかへ行く道としての文学とか、言語の救済力とか、人間精神一般のもっとも高貴な現われとしての文学精神とか、完璧な人間としての、聖者としての文学者とか――こんなふうに物事を眺めるっていうのは、結局、物事を十分に詳しく眺めてみるっていうことじゃありませんの」
「あなたならそうおっしゃってもいいわけです、リザヴェータ・イヴァーノヴナさん、しかもあなたのお国の詩人たちの作品、それこそお話の神聖な文学の代表のような、あの尊敬すべきロシア文学についてはおおせのとおりです。しかし私はあなたの抗議を顧みなかったわけじゃない。そういう抗議もいま私が考えていることに含まれているんですよ。……この私を見てください。ひどく元気溌剌《はつらつ》というふうじゃないでしょう、ね。ちょっと老《ふ》け込んで線がきつく、疲れている、そうでしょう。そこでさっきの『認識』にあと戻りしますと、こういう人間が考えられはしませんか、根が善人で柔和で好意的で、それに少々センチメンタルなのが、心理的な明察力のために手もなく精根をすりへらして破滅してしまうといった人間ですね。この世の悲しさのために打負かされないで、どんなに辛《つら》いことでも観察し覚え込み、それに自分を適合させる。それでいて上機嫌《じょうきげん》にしている。生存というやりきれぬ発明にたいする完全な倫理的優越感を持つというだけでもね――そうですとも。むろん表現のもたらす快楽は大いにあるわけですがね、それにしたって時には少々やりきれなくなることがありますね。すべてを理解するとはすべてを許すってことでしょうか。どんなものですかね。認識の嘔《おう》吐《と》と言いたいような何かがあるんですよ、リザヴェータさん。ある事柄《ことがら》を見ぬくだけでもうそれが死ぬほどいやになってしまう(しかもそれを許すなんて気持には全然なれない)、そんな状態がある。――ハムレットの場合ですよ、あのデンマークの王子、典型的な文学者の場合ですね。知るために生れてきたんじゃないのに知るという宿命を受ける、こいつが一体どういうことか、ハムレットは知っていたんです。涙で濡《ぬ》れた感情の薄衣《うすぎぬ》を通してもなおかつはっきり見る、認識する、覚えこむ、観察する。そうして手と手がからみあい、唇《くちびる》と唇とが触れあい、人間の目が感動のために盲目になってもう見えなくなる瞬間でさえも、この観察したものを微笑しながらわきに取りのけておかなければならない。――恥ずべきことだ、これは。リザヴェータさん、卑《いや》しいことだ、我慢ならないことじゃありませんか。……しかしね、腹に据《す》えかねると言ってみたところでそれがどうなるものでもない。
それからこの問題のもう一方の、やはり同じように面白くない面は何かというと、いうまでもないことですが一切の真実にたいする鈍感、無関心、皮肉な倦怠《けんたい》です。事実そうじゃありませんか、海千山千の才人のあいだにいるほど話がなくて味気のないことはないでしょう。どんな認識も陳腐で退屈、まあ何か一つの真実を口に出してごらんなさい。その真実を得て所有していられることがあなたに一種の若々しい喜びをもたらすという具合なのですね。ところがあなたのそういう尋常な知恵になんと言って答えるでしょう、ふんと鼻を鳴らすだけですよ。……いや、文学は人を疲らせる、リザヴェータさん。人間の社会じゃ全くの話が、あんまり懐疑的で意見をさし控えていると、じつは高慢でその気がないというのが本当なのを、馬鹿《ばか》だと思われることがありますね。……『認識』についちゃこれだけ。さておつぎが『言葉』ですが、こいつは感情の解放というより、むしろ感情の冷却というか、感情を氷の上にのっける働きをするもんじゃありませんか。文学の言葉は、あっという間にあっけなく感情を始末してしまいますが、そこには何か冷酷で腹立たしいほど不《ふ》遜《そん》なものがあるわけですよ、正直のところ。あなたの心臓があふれんばかりになったり、何か甘いあるいは崇高な体験のために感動しすぎたりするような時はですね、話は簡単だ、文士のところへお出かけなさい。そうすればあれという間に万事片がつく。文士はあなたの要件を解剖し形式化し、そいつに名をつけ、口に出し、事件そのものに話をさせ、揚句のはてに一切が永遠に片づいてしまい、どうでもいいことになってしまい、しかもあなたにお礼なんか言わせはしません。それであなたのほうはどうかというと、熱がとれて気が軽くなり曇りが晴れて家に帰るんです。いったい今の今までなんであんなことに、ああまで現《うつつ》を抜かしていたんだろうと不思議がるのがおちです。さてこういう冷酷で虚栄の強い道化者をあなたは本気で弁護なさるというんでしょうか。文士の信仰告白はこうです、いったん口に出されてしまったことは、片づけられてしまったんだとね。全世界が口に出されてしまえば、全世界はそれで片づき救済され完結してしまうんです。……結構な話ですね。さりとて私はニヒリストじゃありませんが。……」
「もちろんよ――」とリザヴェータは言う。……ちょうど口のそばへ茶をすくった小《こ》匙《さじ》を持っていったなりの姿勢で動かなくなってしまった。
「まあまあ待ってください。……まだなんですよ、リザヴェータさん。生きた感情という点で、私がそうだというんじゃありません。いいですか、生命というやつはそれが口に出され『片づけられ』てしまったからといって、生きることをやめもしないだろうし、生きることを恥ずかしがりもしやしません。文士には実のところそういうことがわからないんですよ、ところでそこなんです、文学がどんなに生命を解放し救済しても、そんなことにはお構いなしに生命はあいも変らず罪を犯していく。つまり精神の目から見れば、どんな行動だって罪なのですから。……
さあ、やっと結論です、リザヴェータさん。よく聞いてくださいよ、私はこの人生を愛します。――これは一つの告白です。この告白をお受取りになって、しまっておいてください。――まだ誰にもしたことのない告白です。私が人生を憎んだり恐れたり軽蔑《けいべつ》したり忌避したりしているように世間の人は言いもし書きもし、それを印刷にまでしている。私はよろこんでそういう批評を聞いてきました。それというのもそういう批評は私に媚《こ》びるものだからです。けれどもね、それが間違いであることに変りはありません。私は人生を愛します。……笑っていらっしゃるのですか、リザヴェータさん、むろん何がおかしいのか私にはよくわかります。しかし誓って申しますが、私がここで言ったことを文学だなんぞと考えないでください。チェザーレ・ボルジアだとか、またこの男をかついでいるどこかの酔っ払い哲学のことなんぞ考えないでください。そんな男なんぞ私には三文の値打ちもありはしないんです。私はチェザーレ・ボルジアなんか全然尊敬していません。それにね、どういうわけで世間の人が非凡な魔力的なものを理想として崇《あが》める気になるのか、私には永久に合《が》点《てん》がいかないでしょう。そう、精神と芸術の永遠の対立物として立っているような『人生』は、血なまぐさい壮大さや荒々しい美しさの幻像として、また異常なものとして、われわれ変人どもの目に映っていはしません。――尋常な秩序正しい愛すべきものが、われわれの憧《あこが》れの国であり、誘惑的な平凡きわまりない人生なんです。ねえ、リザヴェータさん、その人の最後の一番底深い熱情が洗練された度はずれの悪魔的なものに向けられていて、無邪気で素《そ》朴《ぼく》な生きいきしたもの、少しばかりの友愛と献身と親愛と人間的な幸福なんかへの憧れに縁のないような人間はなかなかもってまだ芸術家だなんぞとは言えない。――つまりね、リザヴェータさん、平凡なもののもたらす数々の快楽へのひそやかな身を灼《や》くような憧れですね。……
人間好き。この世間で友達の一人も持てれば、それで私は誇らしく幸福になれる、こう申しても信じていただけるでしょうかしら。ところで今日まで、私の友達といえば悪魔や妖精《ようせい》や地下の化け物や認識のためにものの言えなくなってしまった亡霊ども、だから文士ばかりなんです。
時によると私はどこかの会堂の壇上なんかに立って、私のおしゃべりを聞きにきた人たちと向いあうことがあります。そうするとですね、私は聴衆のあいだを見回している自分の姿を意識することがよくあるんです。今日自分の話を聞きにきてくれたのは誰なんだろう、自分はどんな人間の喝采《かっさい》と感謝を受けるんだろう、今ここでどういう人間と自分の芸術が理想的に融合することになるのか、こういった問いをいだいてこっそり聴衆席のあいだをうかがい見ている自分をふと発見します。……私の捜しているものは見つからないのですよ、リザヴェータさん。私の話を聞こうというのは、珍しくもないいつもの人々の群れ、ご常連、いわば初期キリスト教徒、だから不器用な身体《からだ》と繊細な魂を持った人たち、いってみればよく転ぶ人たち、よろしいですか、文学を人生にたいする穏やかな復讐《ふくしゅう》と心得ている人たちなんです。――いつもきまって悩みを持った人たち、憧れを持った人たち、貧しい人たちだけで、もう一方の、精神なんぞは必要としない青い目を持った人たちはいた例《ためし》がないんですよ、リザヴェータさん。……
かりにそうでないとしましょう、しかしそれをうれしがるのは哀れむべき没論理というものじゃありますまいか。人生を愛していながら、その一方で人生を自分の味方、つまり繊細とか憂鬱《ゆううつ》とか、文学の病的な全高貴性の味方にしようとして躍起になるというのは不合理です。この地上では、芸術の国は広がって行くけれども、健康と純真の国は狭くなって行く。だからまだ残っているものをごく慎重に保存しなければいけない。高速度写真の入っている馬術の本のほうがずっと好きな人を文芸のほうへ誘惑しようとしてはならないんです。
なぜかというと、つまり――芸術にちょっかいを出す人生というものほど痛ましいものはありませんからね。われわれ芸術家は、折々ちょっと芸術家にもなれると思いこんでいるディレッタント、人生の強者をこそ何者よりも徹底的に軽蔑します。本当ですよ、これは口先だけでこう言うんじゃない、心《しん》からのことなんです。ある良家に集まりがあって、飲んだり食べたり、おしゃべりをしたり、万事好調子で、私はといえばしばらくは無邪気でまともな人間のあいだに彼らの同類としてまぎれこんでいられるのですこぶる上機嫌で、それをありがたく思っていたんです。と、突然(災難とでもいいますか)一人の将校がついと立ち上がった。好男子の、しゃんとした少尉《しょうい》さんです。まさかその名誉ある服装の手前、つまらぬ真似《まね》はすまいと思っていたその男がですね、断固たる調子で、自作の詩を朗読するからお許し願いたいと言い出した。みんなは度《ど》胆《ぎも》をぬかれて薄笑いをしながら、さあどうぞと言うわけです。すると少尉さんは、それまでは上着のポケットに隠していた紙きれを取出して、その朗読をやってのけました。何か音楽と恋をうたった詩で、まあ実感はこもっているが平板陳腐なものです。いやはや、少尉ですよ、俗世の紳士ですよ。そんなことをする必要はなかろうじゃありませんか。……結果はもう申すまでもありません、一座が白けきって、口をきく人もない。取ってつけたような喝采が少々、それからどうにもならん気づまりな空気です。私が気づいた最初のことはこうです、この無考えな若い男がしでかした不始末には私自身も罪があるという心的事実です。全くそのとおりだったので、この男がしくじったのは私の商売でなんですからね、嘲《あざけ》るような驚いたような視線が私の上に集まってきたわけです。しかし第二の事実は何かというと、私が今の今まであらん限りの尊敬を捧《ささ》げていたこの士官の全存在が見るみるうちに小さくなって行ってしまったことです。……私は好意的な哀れみの気持に襲われて、二、三の勇敢で人のよい紳士たちのようにつかつかとその男のそばに行って話しかけました。私はこう言ったものです、『お祝いを申上げます、少尉さん。なんというお見事なお腕前でしょう。いや実に結構なものでした』私はすんでのところで肩を叩《たた》きかねなかった。しかしね、好意なんていうものは、少尉ともあろう人間に寄せてしかるべき感情でしょうか。……その男の罪ですよ。その少尉はその場に立ちすくんで、途方に暮れたという格好で自分が犯したあやまちの償いをしていました。自分の生命を代償にすることなく、芸術の月桂樹《げっけいじゅ》からはただの一葉も摘み取ってはならないのですからね。そうですよ、やっぱり私は私の同業者、あの前科者の銀行家のほうに加勢しますね。――ところでリザヴェータさん、私は今日ハムレットみたいによくしゃべるとお思いになりませんか」
「おしまい、それで、トニオ・クレーゲルさん」
「おしまいじゃありません。けれどもう何も言いますまい」
「そうね、それで結構だと思うわ。――返事を待っていらっしゃるの」
「返事があるんですか」
「あると思うわ。――お話はよく拝聴していたのよ、トニオさん、始めから終りまで。そこでね、あなたが今日の午後おっしゃったこと全部にあてはまるようなご返事をして差上げようかと思うの。またそのご返事がね、あなたがそんなに悩んでいらっしゃる問題の解決でもあるのよ。いいですか、それはこうよ、そのお答えというのはね、そこにそうして坐《すわ》っていらっしゃるあなたという人はね、あっさり言ってしまえば俗人です」
「私が」と言って、トニオ・クレーゲルはややはっとした態《てい》である。
「ほらごらんなさい。痛いでしょう、そうね、それでなくちゃいけないのよ。ですからね、ちょっと減刑してあげましょう、なぜってその余地があるの。あなたはね、トニオ・クレーゲルさん、道を踏み迷った俗人です――迷える俗人なんです」
――沈黙がきた。続いて彼は決然と立ち上がり、帽子とステッキを手にとった。
「ありがとう、リザヴェータ・イヴァーノヴナさん。これで安心して家に帰れます。私は『片づけられて』しまったのです」
秋に向う頃《ころ》、トニオ・クレーゲルはリザヴェータ・イヴァーノヴナに言った。
「実はね、リザヴェータさん、私はちょっと旅に出てきます。息抜きをしなくちゃなりません。逃亡です。遠くのほうへ行ってこようと思います」
「おや、どうなさいまして、小父《おじ》さま。またイタリアへお越し遊ばしますの」
「とんでもない。真っ平ご免ですよ、イタリアなんか、リザヴェータさん。イタリアなんかどうだっていい、軽蔑したくなるくらいです。自分の領分はイタリアにあるなんて愚かしくも思い込んでいたのはひと昔前の話です。芸術、とこうでしょう、ビロードのように青い空、熱い酒、甘美な官能……要するにそんなものは願い下げです。諦《あきら》めますよ。そういった美《ベレッツァ》はすべて私を焦《いら》立《だ》たせるんです。それからまた、あすこに住んでいる動物みたいな黒い目の、やりきれないほど元気のいい手合いにも我慢がなりません。あのラテン人種の目の中には、良心というものがない。……ちがいます、私はこれからちょっとデンマークへ行ってきます」
「デンマークへ?」
「そうです。それに、きっと収穫があると思っています。どういうものか今まで一度もあすこへ行ったことがないんです。若いころはずっと国境近くにいたんですがね。行ったことはないんですが、デンマークは昔からよく知っているし、好きな国なんです。こんなふうに北国が好きだというのは、おそらく父親譲りなんでしょうね。なにしろ母親は、何事にも無頓着《むとんじゃく》だったんですが、それでも何か好きだったとすればむろん元来は例のベレッツァのほうだったでしょうからね。けれどもあの遠い北の国で書かれる書物、あの深刻で清純な、諧謔《かいぎゃく》にあふれた書物のことを考えてみてください、リザヴェータさん。――私には無上のものなんです、私はああいう書物を愛します。それからあの、スカンディナヴィアの食事ですね、あの比類のない食事、強い潮風に吹かれながらでなければ、とても食べられないような。(今でも私に食べられるかどうか、怪しいものです)ああいう食事は私も生れつき少しは知っています。私たちの町でもあれに変らない食事をとっているんですから。それからまああの人たちの名前はいかがです。あの北の国の人たちについている呼び名ですね。これもやっぱり私たちのところにも同じようなのがたくさんあります。たとえば『インゲボルク』なんて響きはどうです。一点非の打ちどころのない詩が竪琴《たてごと》でかき鳴らされたというようじゃありませんか。それから、あの海――あの北の国のバルチック海。……要するに私は出かけます、リザヴェータさん。もう一度バルチック海を見るんです、もう一度ああいう呼び名を聞くんです、そうしてああいう書物をそれが書かれた場所で読むんです。それから、『亡霊』がハムレットの前に立ち現われて、この哀れで高貴な若者に窮迫と死をもたらした、あのクローンボルクの高地へも行ってみるつもりでいます。……」
「どんなふうにいらっしゃるの、トニオさん、教えてくださいな。どういうコースをおとりになるの」
「普通の道順ですよ」と、トニオはちょっと肩をすくめたものの、目に見えて赤くなった。
「実はあの――私の出発点にちょいと立ち寄ります、リザヴェータさん。そうだ、あれから十三年たちます。ちょっとおかしな気持がすることでしょう」
彼女は微笑した。
「そこよ、伺いたかったのは、トニオ・クレーゲルさん。じゃ道中ご無事で。お便りをお忘れなくね、よくって。あなたの、ええと――デンマーク旅行でしたっけね、そのご旅行のいろいろなお話を書いたお便りがいただけるものと思ってお待ちしていますわ。……」
さてトニオ・クレーゲルは北の旅路に上った。贅沢《ぜいたく》な旅行だった。(普通の人よりは内的にはるか困難な生活をしている者は、外的に多少贅沢であっても一向に差支えないというのが彼の持論だったからである)そうして、その昔彼があとにした狭い町の塔が、灰色の空に浮んでいるのが見えるところに来るまでは、休まず旅を続けた。さて、この町での彼の短い滞在は奇妙なものであった。……
曇り日の午後がやがて黄昏《たそがれ》を迎えようとする時刻に、彼を乗せた列車は、狭くてすすけた、まるで昨日そこを発《た》ったように馴《な》染《じみ》深い停車場構内にすべりこんだ。煤煙《ばいえん》がもくもくとよごれたガラス屋根の下に丸まって、きれぎれな雲の棚《たな》を作って漂っているさまは、トニオ・クレーゲルが嘲侮《ちょうぶ》ばかりを胸に秘めてここを旅立った昔にことならなかった。――手荷物の始末をして、ホテルに届けさせるように手配してから、彼は停車場の外に出た。
構外には、高さも幅も馬鹿《ばか》に大きな、黒塗り二頭立ての、この町の辻《つじ》馬車が昔そのままにずらりと並んでいる。彼はそのどれをも雇おうとせず、ちらりと眺《なが》めただけだった。間口の狭い破風《はふ》づくりの家々、近所の家の屋根越しにはるか会釈《えしゃく》を送ってくる狭い破風とたくさんの尖《とが》った塔、早口の癖にだらだらと話す、彼のまわりの、愚かしく無骨なブロンドの人々など、すべて彼はただ眺めただけだった。すると神経的な高笑いが込み上げてきた。それは何か啜《すす》り泣きに近いものだった。彼は間断なく吹いてくる湿った風の圧迫を面に受けながら、車にも乗らず、ゆっくりと、欄干に神々の像が立っている橋を渡って、しばらく河沿いを歩いて行った。
なんとしたことだろう、見るもの聞くもの一切がせせこましく小さい。この十三年間、ここの破風屋根の小路はやはりこんな具合に奇妙な急勾配《こうばい》を作ったまま町のほうへ昇っていたのだろうか。濁った河《かわ》面《も》には、夕暮の薄明りの中を、吹く風に船のマストや煙突がかすかに揺れ動いている。いっそこのまま、あの通りを、自分の目ざす家のあるあの小路を昇って行ってしまおうか。いやそれは明日《あす》のことにしよう。今はひどく眠い。旅の疲れで頭は重く、霧のような想念がゆるやかに心の中を流れて行った。
この十三年のあいだ、胃の調子が悪かったりすると、彼はよくこんな夢を見た。昔のように、勾配のついた小路に面した、古い、足音のこだまする両親の家にいる。父親もまたそこにいて彼の自堕落な暮しぶりを手ひどく叱《しか》りつける。そのつど、彼は父親の叱責《しっせき》をはなはだもっともなことだと思うのである。ところが今の状態も、追いのけることのできぬ、心を惑わすような、そういう夢の情景の一つと全然同じだった。人はよくそういう夢の中で、これは夢か現《うつつ》かとわれとわが身にたずねてみる、そうしていつもきまってこれは現実なのだと決めてしまうが、それでもさめて夢と知るのである。……人通りの少ない、風の吹きぬける通りを、彼は風に頭をこごめたなり、ホテルの方角へ夢遊病者のように歩いて行った。今夜泊るつもりのそのホテルは、この町では第一流だった。足の曲った男が、さきに小さな炎の燃えている棒を手に、水夫のようなうねる足どりで彼の前を歩いて行き、ガス灯の一つひとつに火を点じた。
奇妙な心持だった。疲れた心の灰の下で、ぱっと燃え上がりもせず、かすかにいたましく光っているもの、これはいったい何だろうか。静かにしているがいいのだ、口をきいてはいけない。ものをしゃべってはならぬ。彼はできればどこまでもこうした風の中を、夢のように懐《なつか》しい薄暮の小路を歩いて行きたかった。けれど町は狭く立てこんでいて、たちまち目ざす場所に行き着いてしまうのである。
小高い町の中心部には街灯が立ち並んでいて、ちょうど灯《ひ》が入ったばかりのところだった。ホテルはそのあたりにあって、玄関口には二頭の獅子《しし》が向いあわせになっていた。彼は子供の頃、この獅子を恐《こわ》がったものであった。昔に変らずこの二頭は今にも嚏《くさめ》をしそうな顔つきで互いに睨《にら》みあっていた。しかし昔から思うと随分小さくなったように見える。――トニオ・クレーゲルはそのあいだを通ってホテルの中へ入って行った。
歩いてきたので、出迎えは至極あっさりとしていた。門番と、それから左右こもごも小指でひっきりなしにカフスを袖口《そでぐち》に押し戻しながら挨拶《あいさつ》をする黒服の、ひどく洒落《しゃれ》た男とが、彼を頭の天辺《てっぺん》から爪先《つまさき》までじろじろと値踏みするように眺め回して、明らかに多少なりとも彼の社会的な地位を鑑定して、階級的市民的に品さだめし、自分らの尊敬の度合いをきめようとしたのだが、どうも満足な結論に達することができかねたので、中ぐらいの丁重さで扱うことに決定したといった様子だった。給仕の、薄い明るい色の頬髯《ほおひげ》をのばした物静かな男が、着古してぴかぴか光る燕《えん》尾《び》服《ふく》を着て、バラかざりをつけた音のしない靴《くつ》をはいて、彼を三階の、古風な調度の小ざっぱりとした部屋へ案内した。この部屋の窓からは、中庭や破風屋根や近所の教会の入り組んだ輪郭などの、絵を見るような中世紀風の展望が黄昏《たそがれ》の光の中にひらけていた。トニオ・クレーゲルはしばらくこの窓際《まどぎわ》に佇《たたず》んでいた。それから腕を組んで大きな長《なが》椅子《いす》にすわり、眉《まゆ》根《ね》を寄せて、われにもあらず口笛を吹いた。
明りがきて、手荷物が届いた。と同時に物静かな給仕が宿帳をテーブルの上に置いた。トニオ・クレーゲルは頭をかしげたまま、姓名、身分、出発地らしいものをそこに書きなぐった。それが終ると軽い夕食をあつらえて、またもとのように長椅子の片隅《かたすみ》に坐ったなり、いずこともしれぬ虚《こ》空《くう》を見つめた。食事が運ばれてきたのちも、しばらくは手をつけずにいたが、それでも二口三口食べると、あとは小一時間ほど部屋の中を行き来して、時おり足をとめて目を閉じた。やがてゆっくりと服を脱ぎ、床に入った。彼は長いあいだ眠った。混乱した、妙に切ない夢路をたどりながら。――、
目がさめてみると、明るい光が部屋いっぱいにあふれていた。混乱してせわしなく、自分はどこにいるのだろうと考え、それから身《から》体《だ》を起してカーテンを引いた。もう秋めいて色あせた青空には、風に吹き千切られた綿雲が一面に浮んでいた。しかし太陽は彼の生れ故郷の町の上にかがやいていた。
彼は不断よりもいっそう念入りに身じまいをした。顔を洗うにも髭《ひげ》をあたるにも入念をきわめて、ひどくさっぱりと身ぎれいになった。まるでどこかの礼儀正しい上流家庭を訪問しようとして、すっきりと非の打ちどころのない印象を与えねばならぬとでもいったふうだった。服を身につけているあいだにも、彼は心臓の不安気な鼓動に耳を傾けていた。
外はじつに明るかった。昨日のように町々が薄明りのうちに横たわっているのだったら、おそらく彼はもっと気が落着いたことであろう。ところが今日は、明るい日ざしを浴びて行き交う人々のあいだを歩かねばならぬ。ひょっと知人に出会って引留められ、この十三年のあいだどうして暮してきたのかとたずねられ、その返答をしなければならぬとしたら。いやそういうことはあるまい、もう誰も自分を知っている者はいないし、たとい自分のことを覚えているにしても、もうそれと見分けがつくまい。実際彼はこの十三年のあいだに多少変っていたのである。彼は鏡に映った自分の姿を仔《し》細《さい》にながめてみた。すると突然、この仮面、この歳《とし》よりも早く老《ふ》けこんだ、はやく辛酸をなめた顔ならば大丈夫だ、という気になった。……朝食を取寄せてから、部屋を出て、門番と黒服の洒落た支配人の値踏みするような視線を浴びて玄関口をとおり、二頭の獅子のあいだから外へ出た。
行く先はどこなのか。これはわからぬといってよかった。また昨日と同じことだった。破風や尖塔《せんとう》や拱廊《アーケード》や噴水など、妙にいかめしく馴染の深いものに、ふたたび自分がぎっしりと取巻かれているのを見、また、はるかな夢の数々の、やさしくも鋭い芳香を運んでくる風の、あの強い風の圧迫をふたたび顔に感じ取るやいなや、心の上には薄衣《うすぎぬ》と霧の帳《とばり》がおおいかぶさってくるのだった。……顔の筋肉はたるみゆるんだ。そうして人や物を眺める彼の眼《まな》ざしは鋭さを失った。ひょっとすると、あの向うの、あの町角で結局目がさめるのだろうか。……
行く先はどこなのか。自分が目ざしている方角は、昨夜の物悲しい、妙にうしろめたい夢とつながりがあるような気がする。……市会議事堂の拱廊《アーケード》を通り抜けて、彼は中央広場を目ざして歩いて行った。高くとがって入り組んだゴシック風の噴水がある中央広場では、肉屋が手を血だらけにして品物をさばいていた。そこのとある家の前に彼は足をとどめた。間口の狭い質素な、そこらにざらに見られるような、ぎざぎざの、小窓のある破風づくりの家である。彼は茫然《ぼうぜん》としてその前に佇んでいた。彼は戸口の表札を読み、しばらく窓の一つ一つに目をとどめていたが、ゆっくりと向きを変えてまた歩き出した。
行く先はどこなのか。むろん家へ帰るのだ。しかし彼は回り道をして、暇があるのでホルステン塔を出て散歩した。彼はミューレン土手とホルステン土手を越えて、木々をざわめかせ、きしませる風に帽子を取られまいとした。停車場からほど遠からぬところで土手を下り、汽車が、がたがたとせわしなく煙を吐きながら通りすぎるのを眺めて、暇つぶしに車両の数を数え、最後尾車の屋根に乗っている男を見送った。しかしリンデン広場では、そこに立ち並んでいるきれいな別荘風の家の一つの前に立ちどまって、長いこと庭の中をうかがい、窓を見上げてから、不意に格《こう》子戸《しど》をゆすぶって蝶番《ちょうつがい》をぎいぎいいわせてみた。そうして彼はしばらく自分の手のひらを見つめていた。手のひらは冷たく、赤錆《あかさび》がついていた。それが終るとさらに足を進めて、あの古いどっしりしたホルステン塔をくぐり河岸《かし》沿いに歩いてから、急勾配の風の強い小路を上って、彼の両親の家へ向った。
両親の家は、隣近所の家々の上にその破風をそびえさせて、三百年の昔からあるように、灰色にいかめしく立っていた。トニオ・クレーゲルは、入口の上に半ばかすれた文字で書かれてある敬虔《けいけん》な言葉を読んだ。それからほっと息をついて、中へ入って行った。
不安のあまり心臓が高鳴った。というのは、彼が歩いている平土間に面した扉《とびら》の一つから、事務服を羽織って鵞《が》ペンを耳にはさんだ父親が出てきて彼を引留め、はなはだもっともだと思われるように彼の常軌を逸した暮しぶりを手きびしく責めるような気がしたからである。しかし彼は何事もなくそこを通りすぎた。通風扉はただ寄せかけただけできちんと締めてない。彼はこれをだらしがないと思う。と同時に、障害がおのずから取りのぞかれて、すばらしい幸運のおかげで自由に前へ進んで行けるような、あの浅い夢を見ているような気もした。……大きな四角の化粧石を敷きつめた広い廊下には足音がこだました。ひっそりしている台所の向う側には、昔に変らず床からかなり高いところに、風変りで不細工な、けれどもきれいにニスを塗った木造の小部屋が壁から宙に突き出ている。女中部屋で、一種の釣《つ》り梯子《ばしご》でなければそこへ昇って行けぬのである。けれども昔ここに置いてあった大きな箪《たん》笥《す》と彫りのある櫃《ひつ》とはもう見当らなかった。……この館《やかた》の息子は、幅の広い階段を、一足ごとに白塗りで透し彫りのある手《て》摺《すり》に片手を置いてはまた放して昇って行った。この古い頑丈《がんじょう》な手摺への昔の暖かい気持がふたたび湧《わ》き出てくるかどうか、おずおずと試してみるといったように。……けれども彼は階段の中程の、中二階への入口の前で足をとめた。扉には白く塗った札が取りつけられて、その上には黒い文字でこう書かれてあった、大衆図書館。
大衆図書館?――よもや大衆も文学もここにはなんの関《かか》わりはあるまいと思っていたので、トニオ・クレーゲルは首をかしげた。彼は扉をたたいた。……どうぞという声がする、その声に従った彼が、息を詰めて暗い目つきで見やった部屋の内部は、想像もつかぬ変りようであった。
この階には部屋が三つ並んでいて、その間の扉は開け放しになっていた。壁という壁は、ほとんど天井までぎっしりと黒っぽい書架に長い列を作って詰められた同じ装丁の書物で埋められていた。どの部屋にも、売場台みたいなもののうしろに貧相な人間が控えて、ものを書いていた。そのうちの二人は、ただ頭をあげてトニオ・クレーゲルのほうを眺めただけだったが、とっつきの部屋にいた男は急いで立ち上がり、両手をテーブルについて首を突き出し、唇《くちびる》をとがらせ眉をつり上げて、せわし気に目をしばたたかせながら訪問者を見守った。……
「お邪魔します」と、トニオ・クレーゲルはたくさんの本から目を放さずに言った。「よその者で、この町を見物しているんですが、なるほど、これが大衆図書館ですね。少々蔵書を拝見させていただけますまいか」
「どうぞ、どうぞ」と役人は一層はげしく目《ま》ばたきした。……「もちろん、どなたもご随意にご覧になれます、さあご遠慮なく。……目録はご入用でしょうか」
「ありがとう」とトニオ・クレーゲルは答えた。「すぐに勝手はわかりますから」こう言って彼は、背の表題を読むようなふりをして、壁に沿ってゆっくり歩き出した。最後に一巻の書物を抜き出して、これを開き、手に持ったまま窓際に立った。
そこは昔の朝《あさ》餉《げ》の間だった。朝はここで朝食がとられた。青い壁掛に白い神々の像が浮き出している、上の大きな食堂ではなかった。……第二の部屋は寝室に使われていた。彼の祖母は高齢であったが、ひどく苦しんでその部屋で息を引取ったのである。祖母は快活な享楽《きょうらく》的な婦人で、人生に執着していた。それからのちには、やはりこの部屋で彼の父が世を去っていった。背の高い、端正な、いくらか憂鬱《ゆううつ》で瞑想《めいそう》的な、胸のボタン穴に野花をさした紳士だった人が。……トニオは父親の臨終の床の足下に坐《すわ》って、目を熱くしながら、静かな強い思いに、愛情と苦痛とに全く心から浸りきっていた。それからトニオの母親も、あの美しい、情熱的な母親も熱い涙にかきくれながら、やはりそこにひざまずいていた。けれども母はやがて南の国の芸術家と一緒に空の青い遠い国へ行ってしまったのである。……しかし一番奥の、小さいほうの部屋は、今では貧弱な男に監視されて、やはり本がいっぱい詰っているが、長年のあいだトニオの部屋だった。ちょうど今日みたいな散歩を終ると、彼は学校からこの部屋に帰ってきたのである。あすこの壁際には彼の机が据《す》えてあった。その引出しには、彼の最初の、切実な頼りない詩句がしまってあった。……クルミの老樹。……突き刺すような憂鬱が彼を襲った。彼は斜めに窓の外を見た。庭は荒れていた、が、クルミの老樹は物憂《う》げに風にきしみ、ざわざわ音をたてて、もとの場所に立っていた。さてトニオ・クレーゲルは手に持っていた書物の上に目を落した。彼のよく知りぬいた傑作である。彼はしばらく黒い行と数節とを目で追って、創造的情熱のうちに、あるや《・》ま《・》、効果へとたかまり、それから見事に結末へと運んで行く叙述の精妙な流れに身をゆだねた。……
いやじつに大したものだ、と言って、彼はその作品をもとに戻してうしろを向いた。すると役人はまだまっすぐに立ったなりでいた。仕事熱心と心配そうな疑惑の入りまじった顔つきで相変らず目をぱちくりやっている。
「結構なご蔵書ですな、お見受けしたところ」とトニオ・クレーゲルは言った。「これで大体のところがわかりました。お世話さまでした。失礼します」こう言って彼は戸の外へ出た。しかしこれは胡《う》散《さん》臭い幕切れだった。そして、この訪問に度《ど》胆《ぎも》を抜かれたあの役人がまだ数分間はそれなりつっ立ったまま目をぱちくりやっているだろうということを彼ははっきりと感じた。
それ以上どこかへ行ってみる気はしなかった。帰省は終ったのである。上のほうの、柱廊のうしろの大きな部屋々々には、知らぬ人たちが住んでいた。それはよくわかった。階段を昇りきったところにはガラス扉が立っていた。昔はそんなものはなかったのである。そこには名札みたいなものが下がっていた。彼は引返して、階段を下り、足音のひびく土間をとおって、自分の生家を去った。ある料理店の片隅で、彼は物思いに耽《ふけ》りながら重苦しい脂《あぶら》こい食事をしたためてから、ホテルへ帰って行った。
「用が片づいたので、この午後発《た》つことにします」彼は黒服の瀟洒《しょうしゃ》な支配人に告げた。そうして勘定書と、コペンハーゲン行きの船が出る波止場《はとば》へ行くための馬車とを頼んだ。それから自室へ昇って行きテーブルの前に腰を下ろし、頬杖《ほおづえ》をつきうつろな目を卓面に落したまま、静かにきちんと坐っていた。あとで勘定を済ませ、身の回りの始末をした。言いつけておいた時刻に馬車の到着した知らせがあったので、トニオ・クレーゲルは旅装を整えて下へおりて行った。
下の、階段の下り口では、黒服の瀟洒な支配人が彼を待ち受けていた。
「おそれ入りますが」と彼は言って、小指でカフスを袖口に押し戻す。……「失礼でございます。が、お客様、ちょっとばかりお引留め申上げたいのでございます。手前どものゼーハーゼさんが――主《あるじ》でございます――ほんの二言ばかりお話し申上げたいと申しておりますので。形式だけのことでございまして。……この奥におります。……なんでしたら手前とちょっとご足労を。……いえ、なにある《・・》じ《・》のゼーハーゼさんで」
こう言って彼は身ぶりよろしくトニオ・クレーゲルを帳場の奥の部屋へ案内した。なるほどそこにはゼーハーゼ氏が立っていた。トニオ・クレーゲルは彼を昔から見て知っていた。足の曲った、太った小男である。刈りこんだ頬髯は白くなっている。けれども胸の開いた燕尾服と、それに緑色の刺繍《ししゅう》のあるビロード帽子とは昔のままだった。ところでそこにはもう一人、別の人間がいた。ゼーハーゼ氏の横に、壁にとりつけられたテーブルがわりの小さな棚《たな》のところに、ヘルメットをかぶった警官が、小卓上の何かごたごたと書いてある書類の上に、手袋をはめたままの右手を置き、部屋に入ってくるトニオ・クレーゲルを実直そうな兵卒顔でまともに迎えたが、その様子はこの一睨《にら》みに会えばどんな相手もおそれ入って消え入るだろうとでもいわぬばかりであった。
トニオ・クレーゲルは二人をこもごもに見て、二人のほうで何か言い出すまで黙っていることにした。
「ミュンヘンから来られたんですな」と、とうとう警官が人のよさそうな鈍重な声でたずねた。
トニオ・クレーゲルはこれを肯定した。
「コペンハーゲンへ行かれるんですな」
「そうです。デンマークの海水浴場へ行く途中です」
「海水?――ふうむ、ちょっと書類を提示してもらえんですか」警官は提示という言葉をことさらうれしそうに発音した。
「書類。……」書類はなかった。紙入れを出して中を覗《のぞ》いてみたが、若干の紙幣のほかには、目的地で仕上げようと思っていたある短編小説の校正刷りしかなかった。彼は役人にかかわり合うのがいやだったので、これまで一度も旅券を作ってもらったことがないのである。……
「すみませんが、書類は何も持ちあわせていないんです」
「ない」と警官は言った。……「ただの一枚も。……あんたの姓名は」
トニオ・クレーゲルは彼に答えた。
「本当の名前でしょうな」警官はこう言って、ぐっと背をのばし、突然できるだけ大きく鼻の穴を開いた。……
「本名です」とトニオ・クレーゲルは答えた。
「職業は」
トニオ・クレーゲルはぐっと唾《つば》をのみこんで、自分の商売をきっぱりした声で言った。――ゼーハーゼ氏はひょいと首をかしげて彼の顔を物珍し気に見上げた。
「ほう」と警官は言った。「すると、あんたは、こういう名の人物と同一人でないと言われるんですな。――」彼は「人物」と言って、いろいろの種族の言葉から奇妙に綴《つづ》りあわされたように見える、ややこしいロマンチックな名前を、ごたごた何か書きこんである書類を見ながら拾うようにして読み上げた。トニオ・クレーゲルは聞いたあとからすぐ忘れてしまった。「――で、この人物は」と彼は続ける。「両親不詳身分不明であって、数度の詐欺《さぎ》その他の犯罪の廉《かど》でミュンヘン警察署手配中の男で、多分デンマークへ高飛び中だろうというんですが」
「同一人でないというばかりじゃありません」とトニオ・クレーゲルは言って肩を焦《いら》立《だ》たしく動かした。――これが一種の印象を呼び起した。
「なに。ああ、そう、そうでしょうな」と警官は言った。「しかし書類が何もないというのではどうもな」
ゼーハーゼ氏もなだめるように割って入った。
「つまりこれは形式でして」と彼は言った。「それだけのものでして。ご承知でもございましょうが、警察の方《かた》もまあこれがお勤めなのでございますから。何かこうご自身の証明になりますような……書類のような……」
三人とも口をつぐんだ。いっそ自分を明かそうか、自分は身分不明の詐欺師だの、緑色の車に乗った生れながらのジプシーだのではなく、領事クレーゲルの息子、クレーゲル家の出だということをゼーハーゼ氏に打明けてこの場のけり《・・》をつけたものであろうか。いや、彼には全くその気がなかった。それに公民的秩序を重んずるこの連中に結局のところは分があるのではあるまいか。ある意味で彼にはこの人たちの気持がよくわかっていた。……彼は肩をすくめて、沈黙を守った。
「それは一体なんですか」と警官がたずねた。「その紙入れの中は」
「これですか。なんでもありません、校正刷りですよ」とトニオ・クレーゲルは答えた。
「校正刷り? なんですか。ちょっと見せて下さい」
そこでトニオ・クレーゲルは自分の作品を相手に渡した。警官は作りつけのテーブルの上にこれをひろげて、読み始めた。ゼーハーゼ氏もそばに寄ってきて、一緒に読んだ。トニオ・クレーゲルは両人の肩越しに覗き込んで、どこが読まれているのかを見た。そこは彼が見事に仕上げたある一カ所、あるやま《・・》、効果だった。彼はみずからを慰めた。
「いかがです。そこに私の名前があるでしょう。これは私が書いたものです。で、やがて出版されるのです」
「いやもうこれで結構でございます」とゼーハーゼ氏はきっぱり言って、校正刷りを取りそろえ折り畳んで彼に戻した。「よろしいですね、これで、ペーターゼンさん」彼はこっそり目をつぶって、もうやめろという合図に頭を振りながら短く繰返した。「もうこれ以上お引留めするわけにはいかん。車が待っているし、お騒がせいたしまして、まことに申訳ございませんでした、お客様。警官も職掌柄《がら》どうもこれはやむをえませんので。もっとも手前はもうさきほど申したんでございますよ、これは見当違いだからと。……」
そうかしらと、トニオ・クレーゲルは思った。
警官はすっかり得心がいったというわけではないらしく、まだ「人物」だの「提示」だのとぶつぶつ言っていた。けれどもゼーハーゼ氏はお詫《わ》び文句たらたらで客を玄関口へ案内して二頭の獅子《しし》のあいだを馬車のところまで送ってきて、手ずから馬車の戸を締めて幾度も頭を下げた。そうすると、おかしいほど背の高い幅の広い辻《つじ》馬車は、がたぴし揺れながら、急な小路を港の方へ向ってがらがら音をさせて下って行った。……
これが故郷の市におけるトニオ・クレーゲルの奇妙な滞在であった。
夜がきて、トニオ・クレーゲルの船が広い海原《うなばら》に出たときには、ただよい揺れる銀色の輝きとともにもう月魄《つきしろ》がさしのぼっていた。彼は次第に強くなる風に、外套《がいとう》で体をくるんで舳《みよし》の柵《さく》に倚《よ》りながら、すぐ下の強いなめらかな波の、ほの暗いうねりと動きを見下ろしていた。波はもつれて揺れあい、音をたててぶつかり、思いがけぬ方向にさっと散り分かれて、突然きらきらした泡《あわ》になる。
ブランコに揺られているようでいて、しかも静かな恍惚《こうこつ》感が彼を満たした。生れ故郷で、詐欺師の嫌《けん》疑《ぎ》をかけられ逮捕されそうになったことで、彼はいささかしょげていた。――もっともある意味ではそれも無理からぬことだと思っていたのである。しかし船に乗り込んで、子供のころ父親と一緒によく見物したように、デンマーク語と低ドイツ語がまぜこぜになった掛け声につれて、荷物が深い船腹に吸いこまれていくのを見ていると気が晴れてきた。梱《こうり》や木箱はもとより、北極熊《ぐま》やインド虎《とら》が頑丈《がんじょう》な格《こう》子《し》檻《おり》に入れられ吊《つ》り下げられる。きっとハンブルクから送られてきたもので、デンマークの動物園にでも届けられるのであろう。船が低い河岸《かし》のあいだをなめらかに滑って行くうちに、警官ペーターゼンの尋問のことなどきれいに忘れてしまった。そしてそれ以前の一切のことが、あの夜の甘美な物悲しいうしろめたい夢が、散歩をしたことが、クルミの樹《き》のありさまがふたたびありありと心によみがえってきた。そのうちに海が開けてきたので、彼は子供の時分に海の夏らしい夢をそっとうかがうことのできた、あの岸辺を遠方から眺《なが》めた。灯台のまたたきと、両親と一緒に宿をとっていた海辺ホテルの窓の灯《ひ》を眺めた。……バルチック海。彼はまともに何物にもさえぎられずに吹きつけてくる、つよい潮風に頭をもたせかけるようにした。風は耳もとで轟々《ごうごう》と鳴り、軽い目まいを、かすかなしびれを呼び起した。すると一切の悪、苦悩と迷誤、意欲と労苦への追憶はもの憂く気《け》だるく消え去って行った。と、彼の周囲を包んでいるざわめきと水音と泡立ち喘《あえ》ぐ響きの中からは、クルミの老樹の風にきしむ物音が、どこかの庭戸のぎいぎいいう響きが聞えてきた。……暮色はしだいに濃くなって行く。
「どうです、まああの星を、あの星を見てごらんなさいよ」不意にそばで鈍重なうたうような声がする。樽《たる》の中から出てくるような声である。この声はもう聞き知っていた。声の持ち主は、赤味がかった金髪の、瞼《まぶた》を赤くした、湯上がりみたいに冷たく皮膚の濡《ぬ》れた、質素な身なりの男である。食堂での夕食のおりはトニオ・クレーゲルの隣に坐っていて、おずおず控え目な動作で驚くほどたくさんのえび《・・》のオムレツを平らげたのだ。それが今は彼の横で手《て》摺《すり》にもたれて、おや指と人さし指で顎《あご》をささえて空を見上げている。明らかにこの男は、あの常ならぬ、晴がましくも瞑想的な気分に浸っているのである。人と人とのあいだの垣《かき》がとれて、心が見知らぬ人に向ってうち拡《ひろ》げられ、当り前ならば恥じて容易に口にせぬような事柄をしゃべってしまうあの気分である。……「ねえ、あなた、まああの星をさ。ああやって高いところに光っている。なんと空一面ですわ。さてそこでね、こうやってあの星を眺めて、あの中のたくさんの星が地球よりも百倍も大きいんだということを考えてみると、さてどんなもんでしょうなあ。なるほどわれわれ人間は電信を発明した、電話を発明した。その他いろいろな近代の収穫物があるにはあります。むろんのことです。だけどいったん空を見上げると、われわれが結局うじ虫にすぎん、哀れなうじ虫以外の何者でもないっていうことを思い知らされる。――いかがでしょう、こう申すのは間違いでしょうか。いや全く、われわれはうじ虫だ」彼はひとり合《が》点《てん》して、謙遜《けんそん》に神妙な様子で大空を見上げてうなずくのであった。
これはたまらん……いや、こいつは詩文無縁の衆生《しゅじょう》だな、とトニオ・クレーゲルは考えた。そうすると、ふと彼が近頃《ちかごろ》読んだ有名なフランス文筆家の宇宙論的・心理学的世界観に関する論文が思い出された。それはひどく洗練されたおしゃべりだった。
彼は若い男の感動のこもった意見に何か返事のような相槌《あいづち》を打ち、手摺に倚りかかって、落着かぬ光を浴びてざわめいている薄暮の海面を見はるかしながら、そのまま話をつづけて行った。相手はハンブルクの若い商人で、休暇利用の保養旅行に出てきたというのである。……
「ちょっくら」と彼は言った。「蒸気船でコペンハーゲンへ行ってみようかと思いましてね、まあこうやっているわけですが、まずまず成績は上々でした。ところで例の、あのえ《・》び《・》のオムレツ、あれはいけませんでしたね、旦《だん》那《な》、全くの話が。夜は嵐《あらし》になるって船長が現に言ってるんですから。それを、ああいうありがたくない代物《しろもの》を腹に詰めこんでいたんじゃ、まずこりゃ見ものですぜ……」
トニオ・クレーゲルはすべてこういった相手構わぬ馬《ば》鹿話《かばなし》を、打ちとけた親密な気持できいた。
「さよう」と彼は言った。「この辺の人はいったいに食事が重すぎます。それで無性に憂《ゆう》鬱《うつ》になるんですよ」
「憂鬱に」若い男はこの言葉を繰返しながら、おやという顔つきで彼を見つめた。……「よそから来られたんですね、旦那は」突然彼がたずねた。
「むろんそうです。ずっと遠くのほうから」トニオ・クレーゲルは、曖昧《あいまい》な、拒否するようなふうに腕をうごかして答えた。
「おおせのとおり」と若い男は言った。「憂鬱とおっしゃるのは、まさにそのとおりですわ。わたしはいつもたいてい憂鬱です、けれど今日みたいに、空に星が出ている晩はことさらそうですよ」と言い終ると彼はふたたびおや指と人さし指とで顎をささえた。
この男は詩を書いているな、トニオ・クレーゲルは思った。嘘《うそ》いつわりのない実感にあふれて商人の詩を。……
夜がふけるにつれて、風はますます激しくなり話をするのにも差支えてきた。そこで二人は船室に引上げることにし、夜の挨拶《あいさつ》をかわした。
トニオ・クレーゲルは小さい船室の狭い寝台の上に身を横たえたが、寝つくことができなかった。烈風とその鋭い匂《にお》いとに、彼は奇妙に興奮し、胸をおどらせながら何か楽しいことを待つときのように落着かなかった。船が急なうねりの山をすべり下りて、推進機が痙攣《けいれん》を起したように空《から》回りするときの動揺もまた、彼に吐き気を催させた。そこで彼はまたすっかり服をきて、甲板に出た。
雲は月をかすめて飛んで行く。海は踊っていた。丸い形の同じような波が、秩序正しく押寄せてくるのではなく、見渡すかぎりの海面は、青白い震える光を帯びて、引き裂かれ鞭《むち》打たれ掻《か》き回され、波は大きくとがった炎のような舌になってのび上がりはね上がり、深い泡の谷の横にぎざぎざの不思議な形の水の山を作り上げ、まるで途方もなく大きな腕が力にまかせて気でも違ったかのように騒ぎながら四方八方に飛沫《しぶき》をはねとばしているように見えた。難航だった。船は横に縦に揺れてうめき声をあげながら狂乱の波間を進んで行った。時おり、船底の北極熊と虎とが荒海に苦しんで咆《ほ》えるのが聞えた。ゴム引き外套を着て頭《ず》巾《きん》をすっぽりかぶった男が、からだに角灯をくくりつけて、甲板上を大股《おおまた》に危っかしく重心をとりながら行ったり来たりしていた。ところがずっとうしろのほうには、船べり越しに身をかがめて、例のハンブルクの若い男が苦しんでいる様子であった。「いやどうも」と、彼はトニオ・クレーゲルの姿を認めてうつろなおぼつかない声で言った。「まずこの四大の荒れ狂ってる様子はいかがです、旦那」しかしそれなりものが言えなくなって、急いでそっぽを向いた。
トニオ・クレーゲルはそこらに張りめぐらしてある綱につかまって、奔放な海の喧噪《けんそう》に目をやった。波の中には歓呼の声のようなものが沸き上がってきた。そうしてこの声は暴風と怒《ど》濤《とう》の響きにまさるほどに強いもののように思われた。愛情に油を注がれて、海へ寄せる歌声が心の中に響きわたった。なんじわが若き日の猛《たけ》き友よ、今ぞわれら結ぼおれたり……しかしそのさきは続けられなかった。この詩は完成せず、十分に仕上げられず、また、悠々《ゆうゆう》として何か纏《まと》まったものに刻み上げられることがなかった。彼の心は生きていたからである。……
彼はそうやって長いこと立っていた。やがて船室に沿って置いてあるベンチに身を横たえて、星々のまたたく空を見上げた。少しまどろみさえもした。そして顔にかかる冷たい飛沫も、まどろむ彼には愛《あい》撫《ぶ》のごとくに思いなされた。
月光を浴びて不気味にそそり立つ白亜岩の絶壁が見えだして、次第に近づいてきた。メーエンの島である。するとまたまどろみが忍びよる、鋭く顔を刺し硬《こわ》ばらせる塩気を含んだ飛沫に妨げられながら。……目がさめきった時はもう夜が明けて、灰色に明るい、さわやかな朝になっていた。それに緑色の海も少しは穏やかになっていた。朝食のおり、昨夜の若い商人に出会ったが、彼を見てひどく顔を赤らめた。暗闇《くらやみ》の中であんな詩的な、みっともないことを口走ったのを恥ずかしく思ってであろう。五本の指ぜんぶを使って、赤味を帯びたちょび髭《ひげ》を撫《な》で上げて、兵隊のようにぶっきら棒に朝の挨拶をしたが、そのあとはびくびくもので彼を避けていた。
こうしてトニオ・クレーゲルはデンマークに上陸した。彼はコペンハーゲンに逗留《とうりゅう》して、祝儀《しゅうぎ》を貰《もら》う権利のありそうな顔つきをする者には誰にも祝儀を包み、小さな旅行案内記を拡げ持って、ホテルの一室を根城に三日間というもの町を歩き回り、見聞を豊かならしめんとする上品な外客然として振舞った。彼は国王新広場も、またその真ん中にある「馬」も見たし、聖母寺院の円柱をも恭《うやうや》しく見上げ、トールヴァルトセンの高雅にして愛すべき彫刻の前にも長いこと佇《たたず》み、円塔に昇り、城をいくつか見物もし、ティヴォリでは二晩を賑《にぎ》やかに過した。けれどもけっしてこれが本来彼の見たすべてではなかったのである。
彼の故郷の町の、曲りくねった、小窓の開いた破風《はふ》づくりの古い家々と全く同じ様子をした家々に、彼はとうの昔から馴《な》染《じみ》の、何かやさしい尊いものを言い告げているように見える名前を読んだ。そういう名前は、半面また何か非難、哀訴、失われたものへの憧《あこが》れのようなものを含んでもいた。また、湿っぽい潮風の中をいつもよりゆっくりと息をしながら考えかんがえ歩いて行くさきざきで、彼が生れ故郷の町で過したあのひと夜の奇妙に悲しいうしろめたい夢に見たのと全く同じように青い目、同じように金色の髪の毛、同じような作りの顔立ちにも出会った。どこかの路頭でふとある眼《まな》ざし、ある響きの言葉、ある高笑いが彼の心に食い入ってくるのも経験した。……
活気のある町中の生活は彼にはそう長いあいだ耐えられなかった。甘美な、子供臭い不安、追憶と期待の相半ばした不安が、どこかの海辺で静かに寝そべっていたい、そしてせかせかと歩き回る観光客のふりなどせずにいたいという気持と相まって彼をそそのかしたので、また船に乗り込んで、ある曇った日の午後(海は黒ずんでいた)ゼーラント島の岸辺に沿ってさらに北上してヘルジンゲールへと向った。そこから彼は国道を馬車でそのまま旅を続けた。小一時間ばかりして、いつも海を少々下手にながめながら、ついに今度の旅行最後の、本来の目的地、緑色の日《ひ》覆《おお》い扉《とびら》のある小さな白色の海浜ホテルに到着した。ホテルは屋根の低い小さな家々に取りかこまれていて、そこの木で葺《ふ》いた塔に昇ると、砂浜とスウェーデンの海岸が見えた。ここで彼は馬車を捨てて、かねて予約してあった明るい部屋を占領し、持ってきた荷物で本棚《ほんだな》や箪《たん》笥《す》をいっぱいにして、しばらく暮す準備をした。
九月ももう半ばをすぎて、アールスガールトの海水浴客の数はすくなくなっていた。ガラス張りのヴェランダと海のほうに向って高く切られた窓があり、天井に梁《はり》の見える一階の大食堂の食事時にはここの女主人が先頭に立って万事の采配《さいはい》をふっていた。髪は白く、目はほとんど色がなく、頬《ほお》はうっすらと赤味を帯びた老嬢で、とめどなく鳥がさえずるような声で話をし、いつもテーブル・クロースの上でその赤い両手を少しでも美しく見えるように組み合せようと気をつかっていた。それから、白に近い灰色の水夫髯《ひげ》をはやして青黒い顔をした猪《い》首《くび》の老紳士は、首都から出かけてきた魚商で、ドイツ語が話せた。全く鼻が詰まっていて卒中の気があるらしく、とぎれとぎれにせわしない息をし、ときどき指輪をはめた人さし指をあげて一方の穴をふさぎ、もう一方で強くふんとやって少しでも空気を通そうとする。それなのに、三度々々の食事には欠かさず自分の前においてある焼酎《しょうちゅう》の瓶《びん》にひっきりなしに手をのばすのである。そのほかの客といえばお守《も》り役ないしは家庭教師をつれた三人の背の高いアメリカ青年がいるばかりだった。家庭教師は黙って眼鏡をうごかして、日がな一日青年たちとフットボールばかりやっていた。彼らは橙色《だいだいいろ》の髪を真ん中から分けて、長い無表情な顔をしていた。「すまないが、そこの、腸詰《ヴルスト》みたいなもの、取ってくれないか」と一人が言う。「これは腸詰じゃない、ハムだよ」と別のが言う。以上が三人の青年ならびに彼らの家庭教師が食事時の会話に寄与するすべてだった。彼らはそれ以外は静かに坐《すわ》って、湯を飲んでいた。
これがトニオ・クレーゲルの願ってもない相客だった。彼は平和を楽しみ、魚商と女主人とが時おりかわす会話中のデンマーク語の喉音《こうおん》や、澄みあるいは濁った母音に聴き入り、時には魚商とお天気を話題に短い言葉をかわしたりして、やがて腰をあげて、ヴェランダを通って海辺へ、長いあいだ、朝の時間を過した海辺へもう一度下りて行ったりするのである。
海辺は時に静かにひっそりと、夏めいていた。青い、ガラス壜《びん》のように緑色の、あるいは赤味がかった縞《しま》模様を浮べて、まばゆい銀色の光をいっぱいに反射させながら、海は気だるくなめらかに休らい、海草は陽《ひ》に照らされて干からび、またクラゲがそこここに打上げられて蒸発していた。ものの腐ったような匂いが少しする。それからまた、トニオ・クレーゲルが砂浜にすわって背をもたせかけている漁船のタールの匂いも少しする。――彼はスウェーデンの海岸ではなくて、広やかな水平線が見えるようなふうに坐っていた。けれども海のかすかな息吹《いぶ》きはきよらかにすがすがしく一切のものの上を渡って行った。
また時には灰色の、荒模様の日もあった。波は突きかかろうと角を構えた牡《お》牛《うし》のように頭を下げ怒り狂って渚《なぎさ》に押寄せてくる。岸辺はずっと奥のほうまで波に洗われて、つややかに濡れた海草や貝殻《かいがら》や打寄せられた木片などでおおわれる。ながながと伸びた波の丘のあいだには、曇天の下に、色褪《あ》せた緑色に泡《あわ》立つ谷間が開けているが、太陽の隠れている雲のあたりを映す水の上は、白々としたビロードのような光を漂わせていた。
風と潮騒《しおさい》に包まれて、トニオ・クレーゲルはこの永遠の、重苦しい、しびれさすような喧噪に浸りきって佇んだ。彼はこの喧噪を心から愛した。ひとたび身を翻《ひるがえ》し、そこを立ち去ると、たちまち彼の身のまわりは静かに暖かくなるように思われた。けれども彼は背後に海を意識していた。海は、呼びかけ、誘い、挨拶を送ってきた。すると彼はかすかにほほえんだ。
彼は陸地の方向に、人気のない草原の道を歩いて行った。するとやがて、このあたり一帯に丘のようになって拡がっているブナの森に入った。彼は木の幹にもたれて苔《こけ》の上に腰を下ろし、木々のあいだから海が見られるような向きをとった。ときどき風が波の砕ける音を運んでくる。それは遠くのほうで板が重なり落ちるように聞えた。梢《こずえ》では鴉《からす》が、しわがれてうつろな、わびしい声で鳴いている。……膝《ひざ》には本がのせてあったが、一行も読まなかった。彼は深い忘却を、時《じ》空《くう》を越えた世界へと解き放たれた感じを味わい楽しんだが、それでも時おりは心の中を、ある悲しみ、憧れないしは後悔の、短い突き刺すような感情がかすめ過ぎた。彼は気だるく忘我の状態にあったので、この感情がなんであるかも、またどこから来るものであるかもあえて尋ねようとする気にはならなかった。
こうして幾日かが過ぎた。幾日過ぎたのかと問われても彼には答えられなかっただろうし、また、日数を知りたい気持もさらになかった。そのうちにしかし、ある事件の起る日がやってきたのである。太陽が照り、人々が居あわせた中にこの事件は起った。そしてトニオ・クレーゲルにはこの事件がひどく意外だったというわけでもなかった。
その日は朝の滑り出しからしてもう晴々とすばらしかった。トニオ・クレーゲルは非常にはやく不意に目をさまして、何かかすかな漠然《ばくぜん》とした愕《おどろ》きを覚えて寝床からはね起きた。そしてある奇《き》蹟《せき》を、ある妖精《ようせい》の国の光の幻を見るように思った。海峡のほうに向ってガラス扉と、バルコニーのある彼の部屋は、薄い白い紗《しゃ》のカーテンで居間と寝室とに分れていて、壁紙の色も柔らかに、軽快で明るい色の家具がしつらえてあったので、いつも明朗でさわやかな気分を漂わせていた。ところがその朝の彼の寝ぼけ眼《まなこ》には、この部屋がこの世のものならぬ浄化と光輝のうちに横たわっているように見え、壁と家具を金色に染め、紗のカーテンをやさしい赤色に燃え立たせるバラ色の光、言うに言われず優しい匂やかなバラ色の光があたりにあふれていた。……トニオ・クレーゲルは、長いこと何事が始まったのか合点がゆかなかった。けれどもガラス扉の前に立って外を眺《なが》めたとき、それは今しも昇ってくる太陽のためだということがわかった。
その朝までは、幾日も曇った雨がちの日がつづいていたのだが、この朝は空もさみどりに澄み渡って、海と陸地の上を絹のようにつややかに光っていた。そこへ日輪が空にちらばった雲を茜色《あかねいろ》に黄金色に染めながら、漣《さざなみ》の立っている海の面《おも》をきらきらと光らせ、しずしずとさし昇ってきたのである。海はわななきつつ赤々と燃え始めた。……この日はこうして始まった。そしてトニオ・クレーゲルは、思い乱れて心たのしく、服をきて、ほかの客よりもさきに下のヴェランダで朝食をしたためてから、海岸にある木造の掘立小屋で身仕度を整えて少しばかり沖へ泳ぎ、その後渚づたいに一時間ばかり歩いた。帰ってくると、ホテルの前には乗合バスのような馬車が幾台も止っていたし、食堂から見ると、隣の、ピアノの置いてある娯楽室にも、ヴェランダにつづくテラスにも、中流階級らしい身なりの人たちが大勢いて、円卓をかこんで活溌《かっぱつ》に話しながら、バターをつけたパンでビールの杯をあげていた。いずれも一家お揃《そろ》いで、老若はもとより子供さえ少しまじっていた。
二度目の朝食のとき(卓上には冷肉料理、燻製《くんせい》のもの、塩づけや焼いたものなどがいっぱいに盛られていた)トニオ・クレーゲルはこれはどうしたことなのだとたずねてみた。
「お客ですよ」と魚商が答えた。「ヘルジンゲールからきた遠足と舞踏会の連中でさ。やれやれ、これで今晩は寝られるかしらんて。踊りをやりますからな、踊りと音楽、しかもちっとやそっとのことじゃ終りませんぜ。家族懇親会ですか、社交をかねた遠足会ですか、つまり会員を募集して一日たのしく過そうってえのでしょう。小船や馬車で押しかけてきたんで、朝飯をやっているんですよ。あとでこのずっと奥のほうへやはり馬車で出かけて行くんですが、晩方にはまたここに舞い戻って、今度は広間で踊りのお楽しみというわけだ。いやどうも忌々《いまいま》しいかぎりですわい、おかげで一睡もできますまい。……」
「それも気分転換になっていいですよ」とトニオ・クレーゲルは答えた。
それからわりあいに長いあいだ、誰ももうものを言わなかった。女あるじは自分の赤い指を気にして、その置き具合を工夫する、魚商は少々空気を通すために右の鼻の穴をふんといわせる、それからアメリカ人たちは湯を飲んではつまらなそうな顔をしている。
そのとき、突然こういうことが起った、すなわちハンス・ハンゼンとインゲボルク・ホルムとがこの広間を通ったのである。――
トニオ・クレーゲルは、朝の水浴と足早な散歩とで気持よく疲れて椅子《いす》に倚《よ》り、トースト・パンに燻製の鮭《さけ》をそえて食べていた。――彼はヴェランダと海のほうに向いて坐っていた。すると突然戸が開いて、手をにぎりあった二人が入ってきたのである。――悠々と急がずに。インゲボルク、金髪のインゲは、クナーク先生の講習会のときよくそうだったように薄色の衣装だった。軽やかな花模様のあるドレスの裾《すそ》はせいぜい踝《くるぶし》のところに届くくらいで、肩のところには幅の広い白い網目のレースがついていて、背中が深く切り込んであるので、柔らかなしなやかな襟足《えりあし》がのぞいていた。帽子は、紐《ひも》を結びあわせて片方の腕にかけていた。見たところ昔とそう違わぬ背《せ》丈《たけ》で、あの素敵なお下げ髪は今では頭にまきつけていた。しかしハンス・ハンゼンは昔とちっとも変っていなかった。金ボタンのついた水夫風の半外套《がいとう》をきて、幅広の青いうしろ襟を外套の外へたらし、短いリボンのついた水兵帽を明いたほうの手にさげて屈託なさそうにぶらぶら振っている。インゲボルクはその切れの長い目をそらせた。食堂で朝食をとっていた人たちの視線を浴びてきっと少々恥ずかしくなったからであろう。しかしハンス・ハンゼンは決然と食卓の方に真正面から向い立って、その鋼色《はがねいろ》の青い目で食卓の一人々々を順々に挑《いど》むように、やや軽蔑《けいべつ》的にじろじろ見た。握っていたインゲボルクの手まで放してしまった。そしていっそう激しく帽子を振って、自分がどういう男であるかを知らせようとした。こうして二人は、静かに青味を帯びた海を背景にトニオ・クレーゲルの鼻先を通りすぎて、広間を縦に突切り、反対側の扉からピアノの部屋へ消えて行った。
午前十一時半のことである。逗留客がまだ朝食のテーブルについているあいだに、隣室やヴェランダの一座は席をたって、誰も食堂を通ることなく、わきの戸口から外に出てホテルをあとに出発した。外で冗談や高笑いのうちに馬車に乗りこみ、車がつぎつぎと国道を、車輪を軋《きし》ませながら動きだし、遠のいて行くのが聞えてきた。……
「じゃまた戻ってくるのですね」とトニオ・クレーゲルがたずねた。
「来ますともさ」と魚商が答えた。「なんと忌々しいこった。ようがすか、音楽を誂《あつら》えてゆきましたよ。わしはこの上で寝にゃならんのだが」
「気分転換によろしいでしょう」トニオ・クレーゲルは繰返した。やがて彼は立ち上がって、外へ出た。
その日もこれまでと同じように、海辺と森で、膝に本を一冊のせて、太陽のほうをまばゆく見やりながら過した。彼はたった一つのことしか考えなかった。すなわち魚商が約束したように一行は戻ってきて広間で舞踏会を催すだろうということである。そして長い冷たい歳月のあいだ一度も味わったことのなかったほどの不安な甘美なよろこびを懐《いだ》いて、それを心待ちに待つ以外にはなんにもしなかった。ただ一度、何かの考えのつながり具合でふと遠いところにいる知人、短編作家アーダルベルトのことが念頭をかすめた。彼はおのれの処すべき道を知っていて、春風を避けてカフェへ行った。トニオ・クレーゲルは彼を思い出して、肩をすくめた。……
昼食はふだんより早目に出されたし、夕食も、食堂の広間でもう舞踏会の準備が始まっているので、ピアノの部屋で同じくいつもより早目にとられた。こんなお祭気分のうちに万事が片づけられた。そうしてもう暗くなりだして、トニオ・クレーゲルが自分の部屋にいたとき、通りのほうや家の中がまた騒々しくなってきた。遠足の一行が戻ってきたばかりか、ヘルジンゲールの方向から自転車や馬車でやってきた新しい客が加わったし、また、下からはヴァイオリンの調子をあわせる音や、クラリネットの甘えるような試奏の音も聞えてきた。……すばらしい舞踏会は今まさに始まろうとしていたのである。
いよいよ小オーケストラがマーチを奏し始めた。それはかすかに拍子正しく二階に響いてきた。舞踏はポロネーズで開始された。トニオ・クレーゲルはまだしばらくは静かに坐ったまま、その音に耳を傾けていた。けれどもマーチのテンポがワルツの拍子に移るのを聞いたとき、彼は身を起して音をさせずに自分の部屋を出た。
彼の部屋の前の廊下からは横手の階段を下りてホテルの脇《わき》玄関に出て、どの部屋も通らずにガラス張りのヴェランダに出ることができた。彼はまるで通行禁止の小道を通って行くように、こっそり足を忍ばせてこの通路をとり、用心深く暗がりを手さぐりで歩いて行った。この陳腐な、しかも楽しく心をゆすってくれる音楽に抗《あらが》いがたくひきつけられて。そこまで来るともう楽器の響きは明瞭《めいりょう》に何物にも遮《さえぎ》られずに聞えてきた。
ヴェランダには人影もなく灯もともっていなかったが、広間に通ずる扉《とびら》は開いたままになっていた。まばゆい反射板をつけた二つの大きな石油ランプが広間をあかあかと照らしていた。彼はそこへ抜き足で忍んで行った。そうやって暗がりに立って、人に見られずに明るい光の中で踊っている人々の様子をうかがい見るという盗人めいた享楽《きょうらく》は、何か肌《はだ》をむずむずさせた。彼はかねて追い求めていた二人のほうへ気ぜわしく貪《むさぼ》るような視線を投げた。……
始まってからまだ三十分もたってはいなかったのに、一座はもうすっかり調子づいていた。なにしろ一日じゅう一緒になって屈託なく楽しく過して、もういい加減熱っぽく興奮して戻ってきたのであるから、それも無理はなかった。少し体を乗り出せばピアノの部屋を見渡すこともできた。そこには年輩の男たちがカルタのテーブルをかこんで、煙草《たばこ》をくゆらせたり、酒を飲んだりしていた。また、別の連中は夫人同伴で広間寄りに、ビロードの椅子にかけたり、壁際《かべぎわ》に並んだりして、舞踏を見物していた。男たちは拡《ひろ》げた足の膝頭《ひざがしら》に両手を突っかって、ふところ具合のよさそうな顔つきで頬をふくらませていたし、母親たちは、縁のそり返った小さな帽子をかぶり胸に手を組み合せて、首を横にかしげて若い人たちの陽気な騒ぎに見入っていた。楽壇は広間の長いほうの壁際に設《しつら》えられ、楽師たちは力いっぱいの演奏をつづけていた。トランペットまで加わっていて、自分の声を割りはせぬかとおそれるように、多少びくびくもので用心深く鳴っていたが、案の定、絶えず音がわれて調子をはずしていた。……波打つように、またぐるぐる回りながら、幾組かの男女がかわるがわる動いて行くと、別の幾組かは腕を組んで広間を歩き回っていた。舞踏会ふうの服装をしていないで、戸外で過す夏の日曜日のようななり《・・》で、男たちは小都会ふうの仕立ての服を着込んでいるが、明らかに一週間着ずにおいたことがわかるし、若い女たちは明るい色の軽快な衣装で、胸着には野花の束をつけていた。広間には子供も少しいて、子供同士自分たちなりに、音楽が休んでいるときさえ踊っていた。燕《えん》尾《び》服《ふく》を一着に及んだ、足の長い人はいずれ田舎の顔役で、眼鏡をかけ髪を鏝《こて》で縮らせて、今日の舞踏会の幹事兼指揮者であるらしく、見受けたところ郵便局の局長代理かなにかで、さるデンマークの小説中の滑稽《こっけい》人物をそのまま地で行くような感じだった。せわしなく汗だくで精根を傾けて至るところに同時に居あわせ、器用に爪先《つまさき》でまず踏み出し、なめらかで先のとがった軍隊靴《ぐつ》めいた編上げをはいた足を複雑に互い違いに重ねて落しながら、広間じゅうを忙しくてたまらぬというふうに歩き回り、空に腕を振り、指図をし、音楽の方へ声をかけ、拍手をする。そのあいだも、彼の肩にその特別の役《やく》柄《がら》のしるしとしてとめてある大きな色とりどりの飾り紐が尾をなびかせて彼について回った。彼はときどき満足そうに首をまげてこの飾り紐に目をやった。
むろんあの二人も、今日の昼トニオ・クレーゲルのそばを通りすぎたあの二人もそこにいた。ほとんど同時に二人の姿を認めて彼は驚きに近い歓喜を覚えた。彼のすぐ近くの、戸口とすれすれのところにはハンス・ハンゼンが立っていて、足を開いてやや前かがみになり、大きなカステラのひときれをゆっくりと食べていた。こぼれ屑《くず》を受けるために、手のひらをすぼめて顎《あご》の下に当てがっている。それから向うの壁際には、インゲボルク・ホルムが、金髪のインゲが椅子にかけていた。ちょうどそこへ局長代理がしゃなりしゃなりと近寄ってきて、片方の手を背に回し、もう一方を優雅に胸に当てて選《え》り抜きのお辞儀をして、彼女を舞踏へ誘ったが、インゲは頭を振って息切れがするから少し休みたい旨《むね》を知らせたので、局長代理はそのまま彼女の横に腰を下ろした。
トニオ・クレーゲルは二人を、その昔自分がやるせない恋の悩みを味わわされた二人を――ハンスとインゲボルクとをじっと眺めた。この二人がともに彼を悩ませたのは、二人の一つひとつの特徴や衣服の共通性のためというよりも、種族と類型の同一性、清純と、貞潔と、誇りかであると同時に素《そ》朴《ぼく》な犯しがたい冷たさとの入りまじった印象を呼び起す明るい、目が鋼色に青い、金髪の種属の同一性のためなのであった。……彼は二人を見つめた。ハンス・ハンゼンは昔と寸分違《たが》わず引締って姿格好がよく、肩幅は広く腰はほっそりとして水兵服を着ているし、インゲボルクは一種はしゃいだ調子で声をたてて笑いながら頭を横にかしげて、一種の仕草でその手を、けっしてことさらにほっそりもしていないし、けっしてことさら花車《きゃしゃ》でもない小娘風の手を後頭部のほうへ持って行くと、軽い袖口《そでぐち》が肘《ひじ》からずり落ちる。――そういう二人を見つめていると、不意に郷愁が彼の胸を激しく締めつけた。彼は自分の顔の痙攣《けいれん》を誰にも見られまいとして、思わず一歩暗がりの中へ退いたほどだった。
自分は君たちを忘れていただろうか、と彼は自問した。いや、片時も忘れはしなかった。君も、ハンス。それからおまえも、金髪のインゲ。自分が仕事をしたのは、君たち二人のためだったのだ。そして自分は喝采《かっさい》の声を耳にするとき、こっそり周囲を見回してひょっと君たちもその中にいてくれるのではないかと思ったのだ。……ハンス・ハンゼン君、君はあの庭戸のところで自分に約束してくれたように本当に『ドン・カルロス』を読んだろうか。そんなことはやめたまえ、自分はもう君にそれを求めはしない。寂しいといって泣くような王様が君になんの係《かか》わりがあろう。君は詩と憂鬱《ゆううつ》とを見つめてその明るい瞳《ひとみ》を曇らせたり夢見心《ごこ》地《ち》にかすませたりしてはならぬ。……君のようにしていられたら。もう一度初めからやり直して、君のように成人して、堂々とたのしく素直に、まっすぐに秩序正しく、神とも人とも和解して無邪気な幸福な人たちに愛されたなら。そして、インゲボルク・ホルム、おまえのような娘を妻にめとり、ハンス・ハンゼン、君のような人を息子に持てたなら。――認識と創造の苦悩との呪縛《じゅばく》から解き放たれ、幸福な凡庸性のうちに生き愛しほめることができたなら。……もう一度やり直す。しかし無駄《むだ》だろう。やはり今と同じことになってしまうだろう。――すべてはまたこれまでと同じことになってしまうだろう。なぜならある種の人々はどうしたって迷路に踏み込んでしまうからだ。それは、彼らにとってそもそも正道というものがないからである。
音楽がやんだ。休憩で、飲食物が運ばれてきた。局長代理はみずから鯡《にしん》サラダを盛った盆を捧《ささ》げてうろつき回り、婦人連に給仕した。しかしインゲボルク・ホルムの前に来ると彼は片膝を床につきさえして皿を差出したので、彼女はそれがうれしくて面《おもて》を赤らめた。
広間の人々もついにはガラス戸のところにいる観察者の存在に次第に気づき始めた。美しい上気した顔から、いぶかるような探るような視線が彼にあたった。それでも彼は自分の場所を固守していた。インゲボルクとハンスも、ほとんど同時に、あの軽蔑に近い完全な冷淡さで彼のほうをちらりと見た。けれども彼は突然、ある眼《まな》ざしがどこかからか彼に注がれ、彼の上にとどまっているのを意識した。……彼は頭《こうべ》をめぐらした。するとたちまち自分を見ていると感じていたその目に出会った。細面で花車な青白い娘が彼のいるところからそう遠くない場所に立っていた。彼はとうにこの娘の存在に気づいていたのである。この娘はたいして踊りもせず、また、男たちのほうでもことさらにこの娘のことを気にかけていなかった。娘が寂しくきっと口を結んで壁際の椅子にかけているのを彼は見ていた。今もやはりこの娘は一人ぼっちだった。ほかの娘たちのように、やはり明るい色の匂《にお》やかな衣装だったが、薄地のドレスの下には、裸の肩が骨ばって貧相に白く透けて見えたし、肉づきの薄い首は貧弱な肩に深く突き刺さっている感じなので、この物静かな娘はもしかして身体《からだ》が悪いのではないかと思われぬこともなかった。そうして薄手の半手袋をはめた両手を、指先がかすかに触れあうほどに平たい胸の前にあてている。彼女は頭をたれて、黒い濡《ぬ》れた目で下からトニオ・クレーゲルのほうを見つめていた。彼は面をそむけた。……
ハンスとインゲボルクとは、すぐそこに、彼にごく近いところに坐《すわ》っていた。ハンスは自分の妹らしい若い女の横に腰を下ろしていた。彼らはほかの頬《ほお》の赤い人間どもにかこまれて食べたり飲んだり、おしゃべりをしたり興がったり、よく通る声で冗談を言いあったり、誰はばからず高らかに笑ったりしていた。少しでもこの人たちのそばに近づけるだろうか。ちょっとした思いつきの冗談をハンスやインゲに言えぬものだろうか。そうして二人がすくなくとも微笑でそれに答えてはくれぬものだろうか。そうしたら自分はどんなにか仕合せになれるだろう、彼は心からそう望んだ。そうなれば自分は今よりもずっと満足して、少しばかりあの二人に近づきになれたという意識をもって自分の部屋に引上げて行けただろう。彼は自分の言えそうな言葉をあれこれ考えてみた。けれどもそれを口に出す勇気はなかった。またそうしてみたところで例のごとくだったろう。彼らは自分の言うことをわかってくれないだろう。彼がやっとの思いで口にした言葉を、妙な顔をしながら聞くだけのことだろう。彼らの言葉はついに彼の言葉ではないからである。
やがてまた舞踏が始まるらしかった。例の幹事役は包括的活動を展開した。彼はあちらこちらを飛び回って、みんなに舞踏の約束をさせ、給仕人に手伝ってもらって椅子やグラスを片づけ、楽師たちに合図し、どうしていいかまごついている人たちの肩をつかんで前へ押出した。何が始まるのだろう。四組ずつの男女でカーレが作られた。……と、おぞましい追憶にトニオ・クレーゲルはその面を赤らめた。踊りはカドリーユである。
音楽が始まり、それぞれの組が入り乱れてお辞儀をしながら動きだした。幹事役が指揮をした。驚くなかれ、彼はフランス語を使った。そしてたとえようもなく洗練された仕方で鼻音を出した。インゲボルク・ホルムはトニオ・クレーゲルのつい鼻先の、ガラス扉のすぐそばのカーレの中で踊っていた。彼女は彼の眼前を前後左右に足を踏み身をひるがえしていた。髪の毛か、あるいはその軽い薄衣《うすぎぬ》が放つある芳香が時おり彼の鼻をかすめた。すると彼は、もう昔からよく知っているある感情に浸って目を閉じた。最近の幾日かのあいだ、彼はこの感情の芳香と鋭い刺激とにかすかながらも気づいていたのである。それは今またその甘美な苦痛をもって彼の全身を満たした。いったいそれはどんな感情なのか。憧憬《どうけい》か、愛情か、羨望《せんぼう》か自嘲《じちょう》か。……ご婦人は旋舞を、その昔、自分が旋舞を踊ってしまって大恥をかいたときに、おまえは、金髪のインゲよ、おまえは笑った、嘲笑《あざわら》った。しかし自分が少しは世の中に名前の知れた人間となった今日でもやはりおまえは笑うのだろうか。笑わぬはずはないのだ。全くそれでいいのだ。そうして自分が、自分全く一人で九つの交響楽と、『意志と表象としての世界』と、『最後の審判』とを完成したところで――おまえは永遠に笑って差支えないのだ。……彼はインゲを見守った。するとある詩の一行が心に浮んだ。長いこと忘れていたが、しかし彼にとってはひどく馴《な》染《じみ》の深い、気持の近い詩句である。「いねましものを、踊らむとや」。この詩の放散する感じの憂鬱で北方的な、切実で不器用な重苦しさ、これを彼は味わい尽していた。ねむり……行為したり踊ったりするという義務を負うことなく、心地よく気だるくそれ自身のうちに休らっている感情、そういう感情に従って素朴に完全に生きて行きたいと願う心が一方にありながら――しかも他方では手抜かりなく気を張りつめて芸術というじつに困難な危険このうえもない白刃《はくじん》の舞を舞いおおせねばならぬ――恋をしながら踊らねばならぬということのうちに含まれている屈辱的な矛盾をすっかり忘れてしまうことは絶対になく。……
突然人々は気の狂ったようなむちゃくちゃな動き方をし出した。カーレがとけて、飛んだり滑ったりしてみんながぐるぐる回り出した。カドリーユがギャロップで終ろうとしているのだ。各組は音楽の狂おしい急調子につれてトニオ・クレーゲルの目の前を飛んで行く。斜めにすり足をしながら、急いで、追いつ追われつ、息を切らして短く高笑いをしながら。ある一組が一座の騒ぎに巻きこまれてぐるぐる輪をかきながら勢い込んで近づいてきた。娘は顔色が青く面《おも》立《だ》ちが花車で、痩《や》せてとがった肩をしている。すると突然、彼のすぐ足もとで誰かがつまずき、滑り、たおれた。……顔色の青い娘が転んだのである。黙って見てはいられぬほど、ひどく激しくたおれた。続いて相手の男もたおれた。男のほうは、自分の相手を構っていられないくらいにひどい転びようをしたのに違いない。やっと半身起して、顔をしかめて両手で片方の膝をもみ始めた。ところで娘のほうは、転んで気が転倒してしまったのか、床に横たわったままだった。トニオ・クレーゲルは進み出て、娘の腕を軽くとって、助け起してやった。疲れきって、惑乱して、不仕合せに、彼女は彼を見上げた。すると突然その花車な面がさっと赤らんだ。
「ありがとう。ほんとうにありがとうございました。Tak ! O, mange Tak ! 」娘はこう言って下から黒いうるんだ目で彼を見つめた。
「もう踊るのはおやめなさい、お嬢さん」彼の声はやさしかった。それから彼はもう一度あの二人のほう、つまりハンスとインゲボルクのほうを見やって、そこを立ち去り、ヴェランダと舞踏会とに別れをつげて、二階の自分の部屋へ上がって行った。
彼は自分の加わることのなかった舞踏会に酔い、嫉《しっ》妬《と》の情に疲れた。昔と同じことだった、全く同じことだった。顔をほてらせて彼は薄くらがりに佇《たたず》み、彼らのために、あの金髪の、生きいきとした、幸福な人々のために心を痛ましめて、やがて寂しく立ち去ったのだ。誰か来てくれなければいけないのに。インゲボルクは今こそ来てくれなければいけないのだ。自分がいなくなったのに気づいて、そっと自分の跡を追ってきて、自分の肩に手をかけてこう言ってくれるべきところなのだ、「みんなのところへ戻っていらっしゃい、ね、元気を出してちょうだい。わたしはあなたが好きなのです」……けれど彼女は絶対に来はしなかった。そういうことはこの世では起らぬのである。全く昔と同じことだった、そうして彼は昔と同じように幸福だった。彼の心は生きていたからである。しかし彼が現在の自分を作り上げた歳月を通じていったいそこに何があっただろうか――凝固、荒涼、氷結、そして精神、そして芸術であった。
彼は服を脱ぎ、身を横たえて、灯《ひ》を消した。彼は二つの名前を枕《まくら》の中へ囁《ささや》いた。彼のためには本来の根本的な愛と苦悩と幸福との本質を、生命を、単純で切実な情念を、故郷を意味する、あの清らかな北方の幾綴《いくつづ》りかを囁いた。彼はあの当時から今日《きょう》の日までのあいだに流れ過ぎた幾年かを顧みた。自分が生きぬいてきた官能と神経と思想のすさんだ冒険を回想した。そして、皮肉と精神とに食い尽され、認識に荒らされ痺《しび》らされ、創造の熱と悪《お》寒《かん》とにもう半ばすりへらされ、極端な二つの世界のあいだを、神聖と激情のあいだを良心の苦悩にさいなまれながら翻弄《ほんろう》され、狡猾《こうかつ》になり、貧しくなり、冷たい人工的に作り上げられた興奮状態に精根を使い果し、混迷しすさみきって悩まされ病みほうけた自分の姿を見た。――そして、悔恨と郷愁にすすり泣いた。
あたりは静かで暗かった。けれども下からは、楽しく心をゆするような生の甘い陳腐な三拍子がかすかに耳元へ響いてきた。
トニオ・クレーゲルは北の国から、約束どおりその友リザヴェータ・イヴァーノヴナに手紙を書いた。
遠い楽園におられるリザヴェータさん、と彼は書いた。もう間もなくそちらへ帰りますが、その前にお約束どおり、ここに手紙みたいなものを書いてみました。けれどもこれを読まれてきっと失望なさることでしょう。つまり私は手紙というものを多少一般的に考えたいからです。さりとてお伝えすることが全然ないとか、私なりにあれこれと見聞したことがないとかいうのではありません。それどころか生れ故郷の町では警官につかまりそうにさえなったのです。……しかしそれはいずれお目もじのうえお話ししましょう。現在では話をするかわりに何か一般的なことをうまく言ってみたいという気持になる日がよくあるのです。
むろん覚えていらっしゃいますね、リザヴェータさん、あなたがいつか私を俗人、迷った俗人だとおっしゃったことを。そう、あれはその前に口をすべらした別の告白につられて、私が生命と名づけるところのものにたいする自分の愛情をあなたに告白した時のことでした。あの時あなたは、この言葉でどれほど深く真実を言いあてられたかを、また、私の俗人性と私の「人生」への愛情とが全く同一物であることを、ご承知だったかどうかと私は今自問してみるのです。今度の旅行は、この問題についてよく考えてみるきっかけを与えてくれたのです。
ご存じのように私の父は北国の人らしい気質でした。考え深く、徹底的で、清教主義《ピューリタニズム》を奉じているところから自然几帳面《きちょうめん》で、どちらかといえば憂鬱な性《たち》でした。ところで母のほうは、どこかの外国の血がまじっていて、きれいで官能的で率直で、けれども同時になげやりで情熱的で、一時の情に駆られて、だらしのないことも仕出かすといった人でした。こういう両親を持った私という人間は疑いもなく一つの混合なのです。この混合はすばらしい可能性と――恐ろしい危険とを孕《はら》んでいるわけです。さあそこから生れ出たものが芸術に迷い込んだこの俗人なのです。良い子供部屋への郷愁を持ったボヘミアン、良心にやましいところのある芸術家なのです。つまり私に一切の芸術家生活、一切の非凡なもの、一切の天才を、何かひどく怪し気なもの、ひどくいかがわしいもの、ひどく胡《う》散《さん》臭いものに思わせて、単純、誠実、快適な正常さ、天才的ならざるもの、礼儀正しいものへの盲目的な愛情で私の心を満たしているもの、それこそこの私の俗人的良心なのです。
私は二つの世界のあいだに立っています。そのどちらにも安住の地をえません。だから多少生活が面倒になるのです。あなた方芸術家は私を俗人呼ばわりにするし、それから俗人は俗人で私を逮捕しそうになる。……もっともそのどちらが私をひどく悲しませるか、それはわかりません。俗人どもは愚かです。しかし私を粘液質で憧《あこが》れがないときめつけるあなた方、美の崇拝者たちには次のようなことを考えていただきたいと思うのです。世の中には、平凡なもののもたらすもろもろの快楽への憧れに勝《まさ》って、甘美で感じ甲斐《がい》のある、いかなる憧れもありえぬ、と思われるほどに、それほどに深刻な、それほどに根源的で宿命的な芸術家気質《かたぎ》があるということを。
私は、偉大で魔力的な美の小道で数々の冒険を仕遂げて、「人間」を軽蔑《けいべつ》する誇りかな冷たい人たちに目をみはります。――けれども羨《うらや》みはしません。なぜならもし何かあるものに、文士を詩人に変える力があるならば、それはほかならぬ人間的なもの、生命あるもの、平凡なものへの、この私の俗人的愛情なのですから。すべての暖かさ、すべての善意、すべての諧謔《かいぎゃく》はみなこの愛情から流れ出てくるのです。この愛情は「たとい、わがもろもろの国人《くにびと》の言葉および御使《みつかい》の言葉を語るとも、もし愛なくば、鳴る鐘、響く鐃怐sにょうはち》の如《ごと》し」と記されてある、あの愛情と同じものなのだと言いたいくらいです。
私がこれまでにしてきたことは無にすぎません。たいしたものじゃない。まあ無といっていいのです。これからは、もう少しましなことをやるでしょう、リザヴェータさん。――これは一つの約束です。こうして書いているあいだにも、海の音がここまで聞えてきます。そして私は目を閉じます。私の心の目の前には、秩序と形成を待ち焦《こ》がれている未生《みしょう》の幻のような世界が浮び上がってきます。入り乱れた影と人間の姿が見えます。そうして、とらえられ解放されることを私に要求しています。悲劇的な、また、滑稽《こっけい》な、また、その両方を一緒にしたような陰のもろもろの姿が。――そして私はそういう姿に深い愛情をいだいているのです。けれども私の一番深い、もっともひそやかな愛情は、金髪で碧眼《へきがん》の、明朗に生きいきとした、幸福な、愛すべき平凡な人たちに捧げられているのです。
リザヴェータさん、どうぞこの愛情を叱《しか》らないでください。それは善良な、みのり豊かな愛情なのです。そこには憧れと、憂鬱な羨望と、それから少しばかりの軽蔑とあふれるばかりの清らかな幸福感とがあるのです。
ヴェニスに死す
グスタフ・アシェンバハ、あるいはその五十歳生誕日に公《おおやけ》に与えられた貴族の称号を付けて言えば、フォン・アシェンバハは、数カ月にわたってヨーロッパに深刻な危機的様相を与えた一九……年春の、とある一日の午後、ミュンヘンのプリンツレゲンテン街にある自宅から、一人でかなり遠くまで散歩を試みた。午前中の困難で危険な、まさしく今こそ最高度の慎重と配慮と、意志の強烈と細密とを必要とする仕事に興奮しすぎて、キケロが雄弁の本質だとした、あの「絶え間なき心の動き《モトウス・アニミ・コンティヌウス》」、つまり彼の内心の創造的な機関の前進的活動を、昼食ののちまでも抑えかね、しかも近頃《ちかごろ》とかく消耗せられやすい自分の力をいたわるためにも日に一度はぜひとも必要だった救済的なまどろみも見いだせぬまま、茶を飲み終ると間もなく、戸外の空気と運動とが気力を回復させ、晩を有効なものにしてくれないでもあるまいと思って、外へ出かけたわけだった。
五月の初めだった。じめじめとうすら寒い日が永く続いたあとで急に暑さがやってきた。イギリス公園は、まだ若葉を付けそめたばかりだったが、もう八月みたいにむしむししていて、郊外は馬車や散策者で賑《にぎ》わっていた。なるべく人通りのすくない道を選びえらびして、アシェンバハは料亭アウマイスターのところまで来てしまった。彼は辻《つじ》馬車や自家用馬車の幾台かにかこまれている料亭の庭をしばらく見渡した。庭は雑多な客で立てこんでいた。折から陽《ひ》も西に傾いてきたので、公園の外側の広い草地を突っ切って、疲れてはいたし、またフェーリングの向うには夕立雲も見られたりしたので、北墓地の停留所から電車に乗ってまっすぐに市中にとって返そうと思った。
たまたま停留所付近には人影がなかった。市電の線路がさびしく光ってシュヴァービングのほうへ伸びている舗装したウンゲラー通りにも、フェーリンガー街道にも乗物は一つも見えなかった。商品の十字架や墓碑や記念碑が立ち並んで第二のかりの墓地を作り出している石工場のまがき《・・・》のうしろも、それに相対した斎場のビザンティン風の建物のあたりも、傾く陽ざしの中にただひっそりと静まり返って動くものは何一つ見受けられなかった。ギリシア形式の十字架や、明るい色で描かれた寺院風の絵模様で飾られた建物の正面には、金文字で綴《つづ》られた銘文が左右均等に並んでいた。「彼ら神の家に入るべし」とか「久《く》遠《おん》の光彼らを照らさん」とかいったような、来世について語った文句が選ばれていた。二、三分のあいだ、アシェンバハはそういう文句を読み分けて、精神の目を透明な神秘の中にさまよわせて、厳粛な気散じを味わっていたが、そういった夢見心《ごこ》地《ち》の状態からふとわれに帰ると、入口の階段の左右にある二匹の黙示録風の動物の上のほうの柱廊に、男が一人いるのに気づいた。その男のやや唐突な風采《ふうさい》は彼の考えに全く別の方向を与えた。
ところでその男が堂宇の中から青銅の扉《とびら》を通り抜けて外へ出てきたところなのか、あるいは外からいつの間にかここへ歩いてきて上のほうへ登って行ったのか、それはわからなかった。アシェンバハは格別この問題に深入りすることもなく、きっと中から外へ出てきたのだろうと思った。背《せ》丈《たけ》は十人並だが痩《や》せていて髭《ひげ》はなく、ひどい団子鼻の赤毛タイプで、赤毛の人間の例に洩《も》れず乳色の皮膚にはそばかすがあった。この地方の人間でないことは明白だった。まっすぐで幅の広い経木帽子も、いかにもこの男が遠方からやってきた外国人だという感じを強めていた。むろんその上に、このあたりでは珍しくないルックザックを締金でとめて肩にかけていたし、一見粗《あら》毛織のバンド付きの黄色っぽい服を着ていて、脇腹《わきばら》に当てている左腕には灰色の雨頭《ず》巾《きん》をかけ、右手は石突きが鉄になっている杖《つえ》を握って、それを斜めに地面に突張って、両脚を組み合せて、その杖の握りのところに腰をもたせかけていた。頭を昂然《こうぜん》とのけぞらせているために、ゆったりしたスポーツ風のシャツから出ている痩せた首には大きな喉仏《のどぼとけ》がむきだしに飛び出していて、ひしゃげた鼻と奇妙な対照を示しつつ、赤い睫《まつげ》の、色のない瞳《ひとみ》を持った両眼のあいだには竪《たて》に深い皺《しわ》が二条《すじ》刻まれている。そういう姿勢でこの男は鋭くうかがい見るように遠方を眺《なが》めていた。だから――おそらくその男の立っている場所が場所だったからよけいこの印象が強められたのかもしれないが――この男の態度には、何かこう権柄《けんぺい》ずくに見下ろすような、不敵な、いや荒あらしいものがあった。夕陽に向い合って、眩《まぶ》しいので、顔をしかめているせいか、あるいはそれがこの男本来の顔つきなのか、そのいずれかであろうが、とにかく唇《くちびる》が短かすぎるようで、歯に押されてまくれて、歯は歯《し》槽《そう》までもむき出しになって、両唇のあいだに白く長く露出していた。
アシェンバハがつい無遠慮に半ばはぼんやりと、半ばは糾問するようにこの男をじろじろと見つめていたのにちがいない。相手が彼を睨《にら》み返しているのに突然気がついた。しかもそれはひどく挑戦《ちょうせん》的で、ひどく正面きった睨み方で、またひどく露骨に、文句があるなら言ってみろ、お前の目をそらさせずにはおかないといったほどのものだったから、アシェンバハは狼狽《ろうばい》して顔をそむけ、もうこの男のことは気にかけまいと即座に決心して垣《かき》根《ね》に沿って歩き出した。事実その男のことはすぐに忘れてしまった。しかし見知らぬその男の風采の中にある旅人めいたものがアシェンバハの空想力に働きかけたのか、ないしは何か肉体的あるいは心理的な影響がそこにあったのか、アシェンバハは自分の内部が奇妙に拡大されて行くのに気づいてわれながら驚いた。飛び立ちたいような一種の不安、若々しく遠い国をはげしく憧《あこが》れる気持、そういう感情があまりにも生きいきと、あまりにも新鮮によみがえってきた。とはいえまたあまりにもそういう感情を忘れはてていたので、彼は手を腰にあて視線を地面に伏せた格好で動けなくなってしまった。そしてこの感情の正体と目ざすところとを確かめようとした。
それは旅への誘《いざな》いだった。それ以外のものではなかった。しかしそれが発作的に現われて、情熱に、いや錯覚にまで高められたのだ。彼の欲望は予視的になり、空想力は午前の仕事以来さなきだにまだ平静をとり戻していなかったところであるから、それが一挙に思い描こうと努めていた複雑な地上のありとあらゆる奇《き》蹟《せき》と恐怖にたいする一つの実例を作り出した。彼の眼前には、靄《もや》の立ちこめた空の下に、湿って、草木の繁茂した、異様な熱帯の沼泥地《しょうでいち》が開けてきた。小島と泥沼《どろぬま》と、泥を流して行く水流とに織りなされた原始風景が開けてきた。――不気味に大きなシダの茂み、怪しげな花を咲かせて生《お》い繁《しげ》った植物の谷の中から、毛の生《は》えたシュロの幹が四方に腕をのばしている風景が開けてきた。醜悪な形をした樹木が、淀《よど》んで緑の影を浮べている流れの中へ宙に浮いた根を垂らし、またその浅瀬には、乳色に白く大きく、まるで大皿のような花が浮んでいるあいだを、肩の張った、不格好な嘴《くちばし》をした不思議な鳥どもが突っ立っていて、じっと動かず脇のほうを見ているし、節の多い幹の立てこんだ竹藪《たけやぶ》のあいだには身をかがめた虎《とら》の目が光っているし――アシェンバハは自分の心臓が驚愕《きょうがく》と謎《なぞ》めいた渇望《かつぼう》のためにはげしく鼓動するのを感じた。やがて幻影は薄らいだ。そうして彼は頭をひと振りふって、墓石工場の垣根に沿ってふたたび歩き出した。
彼はすくなくとも、世界交通の恩恵を随意に味わうだけの金ができて以来、旅行などというものは、好むと好まざるとにかかわらず時々やってみなければならぬ衛生上の処置ぐらいに考えていた。自分自身とヨーロッパ精神とが彼に課した問題の数々に忙殺され、創作の義務という軛《くびき》に縛りつけられ、多彩な俗世間の愛好者たるには保養などということを嫌《きら》いすぎていたところから、彼は人が自分の狭い生活圏から離れずにいて、地球の表面について持つことのできる見解に全く満足していて、ヨーロッパを出て旅をしてみようなどとはかつて試みたことさえなかったのである。ことに齢《よわい》も知命を過ぎ、自分の仕事が仕遂げられぬのではあるまいかという芸術家としての危懼《きぐ》――自分のもくろんだことをやりとげて、完全に自分というものを出しきってしまわぬさきに、ひょっと命数が尽きてしまいはせぬかという憂慮が、もはや単なる気《き》紛《まぐ》れとして斥《しりぞ》けてしまうわけにはいかなくなってきて以来、彼の外的生活は、彼にとっては第二の故郷となった美しいこの市《まち》と、田舎に建てた、雨の多い夏を過す粗末な別荘とに限られていたのである。
のみならず、たった今これほど遅く、また、突然彼を襲ったものも、理性と、若い時からの習慣になっていた克己とによってたちまち緩和され是正されてしまった。彼は畢生《ひっせい》の作品を田舎の別荘へ引移る前に、あるところまで進めておく心づもりをしていた。仕事を何カ月か中断しなければならぬような世界漫遊などという考えは、どう見てもあまりに放漫かつ無思慮で、問題にも何にもならない底《てい》のものだった。とはいえ彼には、この誘惑がなぜこうも突然現われてきたのか、ということも、わかりすぎるほどよくわかっていた。それは遁走《とんそう》の衝動だった。彼はこれを自認した。遠くのもの、新しいものへの、この憧れ、解放と解任と忘却とへの、この渇望は遁走の衝動だったのだ。――創作からの、凝然と冷たい、そして情熱的な勤行《ごんぎょう》が支配している毎日々々の仕事場からの離脱の衝動だったのだ。むろん彼はこの勤行を、勤務を愛していた。それからまた、自分の強い誇りかな、もういくたびも試練済みの意志と、余人の与《あずか》り知らぬ疲労、作品中に現われかねない不随意や弛《し》緩《かん》の片鱗《へんりん》によってすらも、絶対に外に洩《も》らしてはならぬ、日増しに深くなって行く疲労とのあいだの、神経をしびれさすような、日ごと新たに繰返される戦いをほとんどもう愛しているといってさえよかったのだが、それにしても弓の弦《つる》はあまり強く張らないほうが、また、これほど激しく湧《わ》き上がってきた欲望を何がなんでも抑えつけてしまわないほうが分別に叶《かな》ったことのようにも思われたのである。彼は自分の仕事の上に想《おも》いを馳《は》せた。今日もまた昨日のようにそこで筆を投げざるをえなかった個所、じっくりといじってみても、手早く始末しようとしてみても、どうにも手に負えぬ、あの個所のことを考えた。彼はまた新たにあの個所に吟味を加え、筆を阻《はば》んでいるものを突破しよう、あるいは取除こうと試みた。そして、不快の念に襲われ、身ぶるいしてその試みを中止してしまった。それは何も途方もない困難というようなものではなかった。彼の筆を鈍らせたのは、もはや何物によっても満足させられることのない不満という形で現われてきた嫌《いや》気《け》からくるルロ逡巡《ししょしゅんじゅん》であった。むろんこの不満ということは、若かった頃のアシェンバハが才能の本質でありかつその最も奥深い性状だと考えていたものであって、この不満の故《ゆえ》にこそ彼は感情を制御し冷却してきたので、それというのも、呑《のん》気《き》ないい加減なところで満足して、完璧《かんぺき》を狙《ねら》わぬというのが感情というもの本来の傾向だと心得ていたからである。とすると、感情は今彼を見棄《みす》て、彼の芸術をそれ以上支えたり生気づけたりするのを拒み、型態と表現とにたいする一切の快感、一切のよろこびを持ち去ってしまうことによって、あの抑圧されていた感情が今や彼に復讐《ふくしゅう》するというのであろうか。そうかといって彼が創《つく》り出したものは決して粗末なものではなかった。彼は自分の腕というものをどんな瞬間にも悠々《ゆうゆう》として誇っていられたが、それはすくなくとも彼の年輩の利益であった。国民は彼の腕前を尊敬していたのに、しかし彼自身はそれをよろこんではいなかった。自分の作物には火のように活動する感情の影、よろこびの産物であって、なんらかの内容以上の、ある重大な長所、鑑賞する人々のよろこびを形成している、あの感情の影がないように感じていた。彼は田舎で過す夏を恐れていた。小さな別荘には、食事の世話をする女中と、それを食卓に運ぶ従僕のほかには誰もいなかった。彼はまた見慣れた山々の頂きや山肌《やまはだ》の表情を恐れた。彼らは今度もまた自分の不満な遅筆をまわりから眺めることだろう。そういうわけで、夏がどうやら凌《しの》ぎやすい、意味あるものになるためには、ある切換えが、何か即興的な暮し方が、遊惰が、遠い国の空気が、新しい血液の注入が必要だった。とすれば、旅をする以外にはない。――彼はそう考えて満足した。ただしあまり遠方ではいけない。何も虎のいるようなところへまで出かけて行くことはいらない。寝台車で一晩過して行けるような、楽しい南の国の、どこかの有名な保養地で三週間か四週間、午睡をとればいいのだ。……
電車の音がウンゲラー通りをこちらに近づいてくるあいだ、彼はこんなふうに考えて、電車に乗りながら、今晩はひとつ地図と旅行案内を調べてみることにしようと決心した。乗降口のところでふと彼は、このいずれにしろいろいろの結果を招くことになった散歩の伴侶《はんりょ》、つまりあの経木帽子の男はどうしたかしらと思い出したが、さきほどの場所にも、広い停留所にも、それからまた車内にも、その姿はなかったので、どこへ行ってしまったのか、行《ゆく》方《え》は知れなかった。
プロイセンのフリードリヒ大王の生涯《しょうがい》を明《めい》晰《せき》で力強く描き上げた散文詩の作者、ある理念の陰に多くの人間の運命を集めた、たくさんの人物の登場する『マヤ』という長編小説をこつこつと書きあげた忍耐強い芸術家、最も深い認識の彼《ひ》岸《がん》に倫理的決断の可能性を一世の末頼もしい青年たちに示した、『哀れな人間』と題した力強い短編の創造者、最後に(これで彼の円熟期の諸作品を簡単に紹介したことになるが)、その整理的な力と対比的な名文とが真面目《まじめ》な批評家をしてシラーの『素《そ》朴《ぼく》文学と感傷文学』に関する論究に比肩するものと言わしめた、『精神と芸術』についての情熱的な論文の著者、つまりグスタフ・アシェンバハは、シュレージェン地方の郡役所所在地Lの町に、身分の高い司法官の息子として生れた。祖先は将校、裁判官、行政官など、つまり王や国家に仕えて、緊張した、律《りち》義《ぎ》で切りつめた生涯を送った人たちであった。切実な精神性は、かつてこれら祖先の人たちのあいだに、一人の説教師の形を採って具現した。それから、せわしない、官能的な血は、この一族に、一つ前の世代において、ボヘミアの一楽長の娘であった詩人の母によって注ぎ込まれた。詩人の外貌《がいぼう》に外国風の趣があるのは、この母親のためである。官僚的に冷静な謹厳が、妖《あや》しいはげしい衝動と結ばれて、一人の芸術家を、この独特な芸術家を生み出したのである。
彼の全存在は名声に照準を合せていたから、いわゆる早熟というのではなかったが、しかしその生活の調子が決然としていて、個人的には輪郭がはっきりしていたので、彼には早くから対世間的な構えができていて、そつがなかった。高等学校の卒業以前すでに彼の名は世間に知られていた。十年後には、書斎に坐《すわ》ったままで世間に相対し、自己の名声に心を配り、簡単ならざるをえぬ手紙の文句の中で(なぜかというと、この成功した、信頼すべき作家に向って世間は多くのものを期待したからだ)温厚に重々しくしてみせることを学んでいた。四十歳の彼は、本来の仕事の労苦と出来不出来に疲らされた上に、世界各国の郵便切手を貼《は》った大量の手紙の整理で毎日が明け暮れした。
低俗なものからも、また過激なものからも同じ程度に遠ざかって、彼の才能は広範な大衆の信仰と、気むずかし屋の讃《さん》美《び》し要求する関心とを同時に勝ちうるようにでき上がっていた。こうしてすでに青年時代から業績へ業績へと四囲に駆り立てられて――それはしかも非凡な業績である――彼はかつて怠惰というもの、若者らしい呑気な暮し振りというものを味わったことがなかった。三十五歳になってウィーンで病をえた時、ある烱眼《けいがん》な観察者がある席上でこう言ったことがある、「ねえ、アシェンバハは昔からこんなふうにしか生きてこなかったのです」――語り手はこう言いながら左手で握り拳《こぶし》をこしらえてみせた。「決してこうじゃなかった」と言って、手を拡《ひろ》げて椅子《いす》の肘掛《ひじかけ》の外へだらりと垂らしてみせた。事実そのとおりだった。つまり彼の勇敢にして道徳的な所以《ゆえん》は、まさしく彼の本性が決して逞《たくま》しくはなかった点に、絶えざる緊張に適したものではなかった点に、いや元々そういう生れつきではなかった点に求めてしかるべきであった。
医師の勧告に従って少年アシェンバハは学校へ通学させられずに、やむをえず家庭で教育を受けた。友達もなく、一人ぼっちで少年は成長していった。しかも、才能はありながら、それを実現するためには必要な肉体的な地盤がほとんどないようなタイプ――若い頃《ころ》にその最善のものを出してしまいがちで、能力が稀《まれ》にしか永持ちしないようなタイプに自分が属していることを早くから自分で認めざるをえなかった。彼のモットーは「頑《がん》張《ば》ること」であった。――彼は自分の小説『フリードリヒ』のうちに、苦悩しつつ活動する精神の象徴と思われたこのモットーの聖化以外のものを見ていなかった。また彼は早く老人になることを痛切に望んでいた。というのも、人生のあらゆる年齢段階において際《きわ》立《だ》った仕事をするように定められている芸術家のみが真に偉大、包括的、いや真に尊敬に値するものだと考えていたからである。
そういう次第で才能によって課せられた諸《もろ》々《もろ》の使命をかよわい肩に担《にな》い、遠い途《みち》を歩いて行こうと思ったから、彼は極度に規律ということを必要とした。――そしてありがたいことに、規律は父方から受継いだ彼の生れ持った相続分であった。四十歳を迎え、五十歳を迎えても、またほかの人たちが浪費したり熱狂したり、大きな計画の遂行を事もなげに延ばしたりするような年頃にも、彼は自分の一日を朝早く冷水を胸や背に浴びせて始め、それから銀の燭台《しょくだい》二つに長い蝋燭《ろうそく》を立てて、それを原稿の上《かみ》手《て》に据《す》えおいて、睡眠によって蓄えた力を、二、三時間の、激しく良心的な午前の時間のうちに芸術のために提供した。事情に疎《うと》い人たちは彼の描いた『マヤ』の世界や、フリードリヒの英雄的生涯の絵巻物の繰りひろげられている大叙事詩を、圧縮された精神と長い呼吸の所産だと考えたが、それも無理はなかった。いや、それこそ彼の道徳性の勝利を意味しているといって差支えなかった。ところがそれらの作品は、零細な毎日々々の仕事の中で、無数の霊感から遂《つい》に大きな容積をうるに至ったものであって、それらが完璧で、一点非の打ちどころがないのも、その作者が、自分の故郷の州を掌中に収めたフリードリヒ同様の意志の堅牢《けんろう》と執拗《しつよう》とをもって、永年にわたって同一の作品の緊張の下に頑張りとおして、本来の創作にはもっぱら自分の最も元気ある、最も厳粛な時間を捧《ささ》げたが故であった。
非凡な精神的所産がたちどころにして広範かつ深刻な影響を及ぼしうるがためには、作者の個人的運命と同時代人の一般的運命とのあいだに隠秘な親縁関係が、いや、一致がなければならぬ。世人はなぜ自分たちが一芸術作品を称揚するかを知らぬ。玄人《くろうと》っぽい鑑識の仕方とは全然無関係に、世人は自分たちの大きな関心を説明しようとして、その芸術作品のうちにあれこれの特徴を発見できると思い込む。しかし世人の賞讃の本当の根拠は何か計りがたいあるものなのだ。共感なのだ。アシェンバハはかつて目立たぬ個所で、現存する一切の偉大なものは、一個の「それにもかかわらず」として現存し、苦痛と憂苦、貧困、孤独、虚弱、病患、情熱、その他百《もも》千《ち》の障害にもかかわらずでき上がったものだと、はっきりと書いたこともある。しかしこれは単なる感想以上のものであった。それは実地の経験であった。まさにそれは彼の人生と名声の商標、彼の作品への鍵《かぎ》であった。であるからそれがまた同時に、彼の描いた最も独自な諸人物の倫理的性格、外的態度であったとしても、そこになんの不思議があろう。
ある頭のいい論評家が、彼の好んで描く、新しい、多くの点で個性的な形で繰返し現われてくる主人公のタイプについてすでに夙《はや》くこう書いたことがある、つまりそれは「剣《つるぎ》や槍《やり》がからだを刺し貫いているのに平然として、誇りかな羞恥《しゅうち》のうちに歯を食いしばって立っている」ところの、「知的で若々しい男らしさ」の象徴なのだ。この評言は一見あまりにも消極的であるが、それにしても美しく、頭のいい、正確なものであった。あまりにも消極的、と言ったのは、運命の甘受、苦痛を身に受けてなお優雅を失わぬということは単なる受動的な我慢辛抱以上のことを意味するからである。むしろそれは積極的な一業績、積極的な一勝利であって、聖セバスティアンの姿こそ、芸術一般のとはいわないが、すくなくともたしかに今問題になっている芸術ジャンルの最も美しい象徴なのである。この散文世界を覗《のぞ》き込む者は、そこに見るだろう、内部の空洞《くうどう》と生物学的衰弱を最後の瞬間まで世人の目から隠しおおせようとする高雅な自制を。いぶる情念を煽《あお》り立てて清純な炎にすることのできる、いや、美の王国の支配者たらしめることのできる黄色の、肉体的に不利な醜悪さを。精神の燃える深淵《しんえん》から力をえて、傲《おご》れる一民族を十字架の下に、その《・・》足下に屈服せしめる蒼白《そうはく》の無力を。形式というものに、うつろに厳粛に奉仕する優美な姿勢を。生れつきのいかさま師の、嘘《うそ》と危険とから成り立った生活を、急速に麻痺《まひ》させる憧《あこが》れと芸術を。こういう運命一切を、その上またこれに似通ったものその他を眺《なが》めるならば、弱さの英雄主義にもましてすばらしい英雄主義がそもそもこの世にあろうとは考えられなくなるのである。だがしかしこの英雄精神にもまして時世に適《かな》った英雄精神があるだろうか。グスタフ・アシェンバハは、疲労の極限にあって働く人間、過重な任務に喘《あえ》ぐ人、すでに精根をすりへらしている人、しかもなお毅《き》然《ぜん》としている人、生れつき虚弱で、資力にも乏しく、意志の恍惚《こうこつ》と賢明なやりくりによってすくなくとも暫《しば》しがほどは偉大な諸作用をわが身に奪い取るような、業績を目ざすすべてこれらのモラリストたちを描く詩人であった。そういうモラリストの数は多い。彼らは世紀の英雄である。そして彼らはみなアシェンバハの作物の中に自分たちの姿を、確かめられ、高められ、賞讃されている自分たちの姿を見いだし、これを徳とし、アシェンバハの名を喧《けん》伝《でん》した。
彼はその時代のごとく、若々しく粗野であった。また、時代に教え導かれることのすくなかった彼は、世間的に躓《つまず》いたり、しばしば失策を演じたり、弱点をさらけ出したり、良風と思慮分別に悖《もと》るような間違いを実生活の上でも仕事の上でもやってしまったのだが、しかし彼は威厳を身につけることに成功した。この威厳への衝動と策励とは、彼の主張するところに従えばすべての大才には生れながら具《そな》わっているのである。いや、それどころか、こう言っても差支えはなかろう、そもそも彼の人生行路は懐疑と反語の側からくるすべての抑制を乗り越えて、意識的に昂然《こうぜん》として威厳への道を辿《たど》ることであった、と。
作物が生きいきとしていて、精神的に自由でわかりやすいということが一般大衆をとらえる秘《ひ》訣《けつ》であるとすれば、血気さかんな青年層をとらえるには問題を孕《はら》んだものをもってしなければならないが、アシェンバハは問題を提起し、そこらにいる青年の誰彼と寸分違《たが》わず向う見ずであった。彼は精神に隷属《れいぞく》して、認識によって濫作《らんさく》し、種子をすり潰《つぶ》し、秘密を開放し、才能を胡《う》散《さん》臭いものと見、芸術に裏切りをはたらいた。――いや、彼はその労作によって恭《うやうや》しく味わい楽しむ人々をよろこばせ、高め、活気づける一方では、若さにまかせて、芸術や芸術家の疑わしい本質に毒舌を浴びせかけて二十歳の青年たちを金縛《かなしば》りに縛ってしまった。
ところでどうやら高貴で有能な精神をたちまちにして完全に消耗せしめるのには、認識の鋭い苦い刺激によるにしくはないらしい。それにまた、青年であった頃の憂鬱《ゆううつ》で良心的な徹底性は、押しも押されぬ大家となったこの作家の決意に比べるならば浅はかと評することもできるのだ。つまり知識が意志を、行為を、感情を、そして情熱をすら、すこしでも麻痺させ沮《そ》喪《そう》させ辱《はずか》しめる傾向を見せるかぎりは、この知識を否定し拒絶し、太々しくそれを乗り越えて行くという決意である。現にあの『哀れな人間』という有名な短編小説にしてからが、無気力、背徳、道徳的な気《き》紛《まぐ》れなどから自分の妻を一人の若造の懐《ふとこ》ろへ追いやり、深刻であれば下劣な行為も許されると信じて、一つの運命をかすめ取る、柔弱卑劣な小悪党の人物に刻みあげられたところの、当代の不潔な心理主義に対する嫌《けん》悪《お》感の爆発としてより以外には解釈のしようがないではないか。この作品において唾棄《だき》せられるべきものの唾棄せられている、その表現の重々しさこそは、一切の道徳上の懐疑精神から、堕落にたいする一切の同情からの離反を、また一切を理解することは一切を寛恕《かんじょ》することだという同情の命題のだらしなさへの訣別を語り告げていた。そしてここで準備せられていたもの、いや、すでに完成せられていたものが外ならぬあの「再生せる無邪気の奇《き》蹟《せき》」――あの作品から少々のちにこの作家の一対話編中にはっきりと、少しも秘密めかすこともなく論ぜられた「再生せる無邪気の奇蹟」なのであった。奇妙な関連ではあるまいか。ちょうどその当時、世人はアシェンバハの美的感覚がほとんど度を過して高まったのを認めた。それ以後の諸作品には、誰の目にも見《み》紛《まご》うことのない、不自然なくらいの巧みさと古典性とを与えた、様式のかの高貴な純粋、簡素、均整が認められたのだが、これはこの「再生」の、この新しい品格と峻厳《しゅんげん》との精神的な結果ではなかったであろうか。しかしながら知識や分解的で阻止的な認識の彼岸に立つ道徳的決断――これもやはり、世界と魂との一種の簡素化、倫理的単純化、だからつまり悪や禁断のものや倫理的に不可能なものにたいする強化を意味してはいなかったであろうか。それにしても形式というものは二様の面貌を持っているのではあるまいか。形式は倫理的であって、また同時に不倫なものではあるまいか。――つまり規律の所産、現われとしては倫理的なのであるが、しかし形式が本来一種の道徳的無関心を内蔵し、のみならずそもそもの初めからとかく道徳的なものを自己の誇りかな無際限な支配の下に屈せしめようとするものであるかぎりは不倫な、というかむしろ進んで倫理に敵対するものなのではあるまいか。
それはとにかく、発展というものは一つの運命なのだ。しかしまた、広い世間の関心や信頼を伴った発展が、名声の栄光も名声の課する義務もなしに行われる発展と同じものであるはずがあろうか。一個の大才が自由気《き》儘《まま》な子供くさい状態から脱《ぬ》け出て、精神の尊厳を重々しく感じとることに慣れ、助言してくれる者もなしの、困難な独立不羈《ふき》の苦悩と戦いとのうちに、権勢と栄誉とを勝ちえた孤独というものの厳粛なポーズを採るとき、これを退屈として、ややともすれば侮《ぶ》蔑《べつ》しようとするのは救いがたい浮浪人根性というものである。いずれにせよ才能の自己形成のうちには、戯《たわむ》れと反抗と享楽《きょうらく》とが充《み》ちあふれているのだ。時が経《た》つにつれて、アシェンバハの作品中には何か官僚的で教育的なものが現われてきたし、その文体ものちには直截《ちょくせつ》な大胆さや、手の込んだ新しい陰影を欠くようになり、模範的で固定したもの、みがきあげられた伝統的なもの、保守的なもの、形式的なもの、きまりきったものにさえ変化して行った。ルイ十四世がそうだったと言われているように、老熟していくアシェンバハは自分の語彙《ごい》から一切の卑俗な言葉を放逐した。文部省が彼の著作から数ページを選んで官定教科書中に採用したのもその当時のことである。これは彼の心に叶《かな》ったことだった。そしてあるドイツの君主が、即位したばかりに、『フリードリヒ』の詩人の第五十回生誕日に貴族の身分を授けたとき、彼はそれを辞退しなかったのである。
落着かぬ生活、そこここに試しに暮して二、三年を過したのちに、彼は早くもミュンヘンを永住の地と定め、特別な例外的場合に精神に与えられるような市民的栄位のうちにミュンヘンで暮した。まだ若かった頃に学者の家に出た娘と結んだ夫婦生活は、幸福な短い共同生活ののち妻の早世によって破れた。今はすでに人の妻となっている娘が一人、彼に遺《のこ》された。息子というものは生れなかった。
グスタフ・フォン・アシェンバハは人並よりやや背が低く、髪は褐色《かっしょく》で髯《ひげ》はなかった。花車《きゃしゃ》といってもいいからだつきに比べて頭がやや大きめで、うしろへ掻《か》き上げた頭髪は天《てっ》辺《ぺん》で薄くなっていたが、こめかみのあたりでは非常に濃く、もうすっかり白髪《しらが》になっていて、額は高く秀《ひい》でて刀傷ででもあるような、深い皺《しわ》ができている。縁なし眼鏡の金のブリッジは、品よく曲った短い鼻のつけねに食い込んでいた。大きな口は、よく締りなく見えもするが、また時によると突然細くなって引締る。頬《ほお》はこけて、深い皺がある。形のいい顎《あご》はやわらかく左右に割れている。深刻な人生体験の数々が、いつも痛ましくかしげた頭の上を通り越していったらしく見える。普通ならばこういう顔かたちを作りあげるのは、困難で波《は》瀾《らん》の多い生活なのだが、アシェンバハの場合にはそれが芸術であったのだ。この額の背後にこそ、ヴォルテールとフリードリヒ大王とのあいだに交された戦争に関する息詰るような応酬が生れたのである。眼鏡の奥深く物憂《う》く光っているこの目は、七年戦争野戦病院の血まみれの地獄絵図をまざまざと見たのだ。個人的にいっても、芸術はいうまでもなく高められた人生である。芸術は普通の人生よりも人を深く幸福にするが、また人を急速に疲らせる。芸術は、自己の奉仕者の面《めん》貌《ぼう》に幻想的で精神的な冒険の痕跡《こんせき》を遺す。芸術はまた、情欲をその赴くがままに赴かしめる享楽生活がほとんど結果しえぬがごとき、神経の驕慢《きょうまん》、過敏、疲労、好奇心を、たとい外面的な生活が僧院のように静かなものであっても、永いあいだには結果するのである。
世俗的な、また文筆上の用事がいろいろとあって、あの散歩の日からまだ二週間ばかりは、旅に出ようとするアシェンバハはミュンヘンに引留められていた。それでもやっとのこと田舎の別荘を四週間以内に、いつでも出かけられるように準備をしておけと言いつけて、五月下旬のある日、夜行列車でトリエストに旅立ち、まる一日トリエストで過しただけで、あくる日の朝、ポーラへ向けて船に乗り込んだ。
彼が求めていたものは、何か外国風でその場かぎりの、それでいてすぐ手に入れることのできるようなものであったから、彼はアドリア海の、この数年来有名になったある島に逗留《とうりゅう》することにした。島はイストリアの岸辺に近く、色さまざまのぼろ服をまとった、粗野でわけのわからぬ言葉を話す住民がいて、海の開けているほうは風光明《めい》媚《び》な断崖《だんがい》になっていた。ところが雨がちで空気が重苦しい上に、相客はオーストリアの小市民たちばかりでせせこましく、起伏のない砂地の浜辺でしか味わえないような、海との静かな切実な関係はもとよりこの断崖の島では望みうべくもないので、ほどなく嫌《いや》気《け》がさして、自分の思う場所をぴたりと選びえたという気持にはなれず、それに何か自分の心の中に、どこを目ざしているのかまだはっきりとはわからないが、とにかく動くものがあって、それが彼を落着かせないところから、船の連絡を調べたり、周囲を捜し求めたりするような姿勢でいたが、そのうち突然、それとわかってみれば至極当然だったとはいうものの、その時はわれ知らず驚きつつ、自分が本来どこへ行くべきであったかを悟ったのである。一夜にして、比類なき幻想的な異国情緒に浸ろうと思うならば、いったいどこへ行くべきだったか。それはいわずと知れているではないか。こんな島の上にいてはどうなるものでもない。自分は道を誤ったのだ。自分は実はあすこ《・・・》へ旅行しようと思っていたのだ。彼は誤った滞在を中止するのに躊躇《ちゅうちょ》しなかった。一隻《せき》の快速モーターボートが、島に到着して一週間半を過した彼とその手荷物とを、朝靄《あさもや》のかかった水上をトリエスト軍港に連れ戻した。そして彼がトリエストの陸地を踏んだのはただ、すぐさま踏板を渡ってヴェニスへ向けて発《た》つばかりになっている船の、湿った甲板を踏むためであった。
イタリア船籍の老朽船で、煤《すす》けて陰気な船だった。乗り込むとすぐさま、猫《ねこ》背《ぜ》の汚ならしい水夫が、いやらしい慇懃《いんぎん》な態度で彼を船内の、洞窟《どうくつ》めいた、電気のともった船室へ案内した。そこには前にテーブルを控えて、山《や》羊《ぎ》ひげの男が一人、帽子を斜めにかぶり、煙《たば》草《こ》の吸いさしを口の隅《すみ》にくわえたまま坐《すわ》っていたが、どう見ても古風な曲馬団の団長という顔つきで、わざとらしく顔をしかめた事務的な態度で旅客の住所氏名を聞いて乗船券を発行していた。「ヴェニス行き」と男はアシェンバハの言葉を繰返して、腕を差しのべ、斜めに傾いたインキ壺《つぼ》にまるで粥《かゆ》のように残っているインキの中ヘペンを突込んだ。「ヴェニス行き、一等。ヘい、かしこまりました」そう言って大きな下手《へた》糞《くそ》な字を書き、その上へ小箱から青い砂を取ってふりかけ、砂を瀬戸物の小皿に払い入れ、黄色い骨ばった指で紙片を畳んで、それにまた何事かを書き入れた。「結構なご旅行先で」彼は仕事を続けながらおしゃべりをした。「ヴェニスでございますか。素敵な町ですな。なにしろその歴史といい、現在の魅力といい、教育のあるお方にはこたえられない町ですからな」仕事さばきの滑らかさと、仕事をしいしい愚にもつかぬことをしゃべるその様子には、何か人の心を麻痺させるような、気を紛らわせるような趣がある。まるで相手がひょっとしてヴェニス行きの決心をぐらつかせはしないか、そんなことになっては困ると心配でもしているようなふうであった。そそくさと金を受取って、賭場《とば》の世話役のようななめらかさで釣銭《つりせん》をしみだらけの羅紗《ラシャ》張りのテーブルの上へ落した。「ごゆるりとお楽しみを」男は舞台の上でやるようなお辞儀をした。「ご乗船、まことにありがとう存じました。……さあ、皆さん」と彼はすぐに腕を高々と挙げて、忙しくてたまらぬといったふうを見せたが、この部屋に詰めかけている船客はもう誰一人いなかった。アシェンバハは甲板へ引返した。
彼は甲板の手《て》摺《すり》に片腕をかけて、船の出帆するところを見物しようとして岸壁をうろうろしている閑人《ひまじん》たちと、甲板上の旅客とを眺めた。二等船客の男女は、箱や包みを腰かけ代りに、前部甲板にうずくまっていた。第一甲板には団体旅行にでも出かけようとするらしい若い人たちがひとかたまりになっていた。ポーラの町の商店員らしい。ちょっとイタリアへ旅しようというので、浮きうきして大騒ぎをしている。しゃべる、笑う、自分のおどけた格好を自分で笑ったり、鞄《かばん》をかかえた自分たちの同僚が商用で海岸通りを歩いて行って、浮かれている船の連中に向ってステッキをふり上げて威《おど》かすのに対して、若者たちは手摺から上半身をのり出させて、へらず口をたたいている。赤ネクタイに、ひどく縁のまくれ上がったパナマ帽、最新流行のクリーム色の夏服という出《いで》立《た》ちの一人が、鴉《からす》の啼《な》くような声を立てながら、ほかの誰よりもはしゃいでいた。しかしアシェンバハは、ちょっと注意して見るとたちまちこれがうわべは青年らしくとも、実は老人であることを発見して、ぎくりとした。よく見ると正真正銘の老人だった。目や口のまわりは皺だらけであるし、頬の薄桃色は頬紅《べに》であるし、色リボンを捲《ま》いた夏帽の下からはみ出ている褐色の髪はかつらだったし、襟足《えりあし》はやつれて筋張っているし、鼻の下の髭《ひげ》と下唇《したくちびる》のすぐ下のちょび鬚《ひげ》は染めてあるし、笑うときに現われる歯並は、なるほど揃《そろ》っているが、黄色で、安物の入れ歯であるし、左右の人さし指に認印つきの指輪を嵌《は》めた手は、老人の手であった。アシェンバハはぞっとする想《おも》いで、仲間と一緒にわいわい騒いでいるこの老人を観察した。この老人が柄《がら》にもなくこんなに洒落《しゃれ》た派手な衣装を身につけていることや、青年たちの一人のように振舞っていることに、彼らは気づかぬのであろうか。それを知らないのであろうか。青年たちはどうやらこの老人を仲間に入れることを当然のことのように、また、それが仕《し》来《きた》りのように考えているらしく、同類の一人として怪しまずに相手が脇腹《わきばら》を突けばこっちも突き返すという有様である。一体これはどういうことなのだろう。アシェンバハは額を手で覆《おお》って、目を閉じた。前夜寝が足りなかったせいか、目がほてった。どうも万事の調子が狂っているような気がする。なんとなく世界が夢の中でのようによそよそしいものとなり、奇妙なものへ変って行きつつあるような心《ここ》地《ち》だった。だから目の前を少し暗くし、改めて四囲を眺《なが》めたならば、ひょっとこの奇態な気分からのがれられるかもしれぬとも思われた。ところがその瞬間、泳いでいるような感情が彼を襲った。わけもなしに驚いて、目を挙げると、重たい陰気な船体が徐々に岸壁から離れて行くのに気づいた。機関が前後に動いて行くあいだに、岸壁と船の腹とのあいだの、光る汚水の帯が少しずつ幅を拡《ひろ》げて行き、のろのろした動作ののち、汽船は船首斜《しゃ》檣《しょう》を広々とした沖合に向けた。アシェンバハは右《う》舷《げん》のほうへ行ってみた。そこには先刻の猫背の水夫がいて、彼のために寝椅子《ねいす》を拡げておいてくれてあった。しみだらけの燕《えん》尾《び》服《ふく》を着た給仕が、ご用はとたずねた。
空は曇り、風は湿っていた。港も島々の影も遠のいて、陸地はまたたく間に視界から没し去る。こまかな石炭の粉が、湿気でふくらんで、洗われた甲板の、いっかな乾こうとせぬ上へ降ってくる。一時間ほどすると、雨が落ちてきたので、甲板には雨除《よ》けの帆布が張り渡された。
外套《がいとう》をまとって、書物を一冊膝《ひざ》に彼は休息していた。われ知らず時刻が移っていった。雨は上がった。雨除けが取払われた。水平線は何物にも乱されなかった。曇った天空の下には、荒涼とした海の大きな円盤がひろがっているばかりだった。しかし空虚な、境目のない空間の中では、感覚は時間の尺度をも失い、われわれは計ることのできぬ境界に夢見心地でいるばかりである。亡霊のように奇怪な人の姿、薄気味のわるい洒落者の老人や船の奥のほうにいる山羊ひげの姿が、曖昧《あいまい》な身ぶり、とりとめもない夢の言葉を囁《ささや》きながら、休息するアシェンバハの脳《のう》裡《り》を掠《かす》め過ぎて行く。彼はねむり込んだ。
ひる頃《ごろ》、中食だというので起されて、廊下のような細長い食堂へ連れて行かれた。この食堂に向って寝室兼用の船室の扉《とびら》が通じている。長い食卓の最上席にアシェンバハは座を占めた。その末座には、例の老人をも含めた店員たちの一群が、十時以来、元気な船長と酒をのんでいた。食事は粗末で、早々に済ませた。外へ出て、空が見たかった。ヴェニスのほうは雲が切れてきはしないかと思ったので。
晴れるにちがいないというよりほかのことは考えなかった。現にこれまで彼がヴェニスを訪れた時はいつも晴天だったからである。けれども空も海も濁って、鉛のようで、それに時時霧雨も降ってきた。彼は、水路を採ってヴェニスに近づくときは、陸路を通って訪れるときとはちがったヴェニスを見ることになるのだと観念した。彼は陸地を期待しながら、前檣のそばに立って遠方を見ていた。そしてかつて、この潮《しお》路《じ》の中から夢に見た円《まる》屋根や鐘楼の浮び上がってくるのを眺めた憂鬱《ゆううつ》で熱狂的な詩人を想った。彼はまたあの当時均整のとれた歌となった畏怖《いふ》と幸福と悲哀の若干を心の中で繰返し、そして早くも形成された感覚にたやすく心を動かされながら、新しい感激と混乱が、感情の遅まきの冒険が、己《おれ》という旅行くなまけ者におそらくはまだありうるであろうかと、自分の厳粛で疲れた心臓を吟味した。
すると右手に当って平板な渚《なぎさ》が現われ、漁船が海上を賑《にぎ》わせ、海水浴場のある島が見え、それを左手に船は速度をゆるめて、その島の名をとった狭い港を通り、潟《かた》の、ごみごみとしたみすぼらしい家々を前にしたあたりで完全に停止した。そして検疫《けんえき》のはしけを待たなければならなかった。
一時間ばかりして、はしけがきた。目的地に到着したような、到着しないような具合であった。別に急ぐ旅ではないものの、それでも何か焦《いら》立《だ》たしい。ポーラの若い連中は、公園のあたりから水を渡って聞えてくる軍隊の信号ラッパにその愛国心を刺激せられたのであろうか、甲板に上がってきて、アスティ酒の勢いで、対岸で教練をしている狙《そ》撃兵《げきへい》たちに向って万歳を浴びせかけた。しかし見てもいやらしかったのは、若い人たちの中へ割込んでいた例の洒落のめした老人の状態だった。若くて元気な人たちのように酒が持ち耐えられないで、もうひどく酔っていた。震える指のあいだに煙草をはさんで目もうつろに、からだを前後にふらふらさせながら、やっと平衡をとっているといった格好でひとつところをよろよろしていた。足を踏み出せばたちまち倒れたかもしれないので、ひとところから動こうとしなかったのだが、それでも虚勢を張って、近寄る誰彼の服のボタンをつかまえたり、くだをまいたり、目くばせしたり、くすくす笑いをしたり、指輪のはまった皺だらけの人さし指を立てて愚劣ないたずらをやらかしたり、ぞっとするような猥褻《わいせつ》なやり方で舌のさきで口のはたをなめたりしていた。アシェンバハは陰鬱に眉《まゆ》根《ね》を寄せて老人の様子を眺めた。すると再び麻痺《まひ》したような感じに襲われた。世界全体が奇態な醜悪なものに歪《ゆが》められて行く、ちょっとした、しかしとどめがたい傾きを見せているような感じである。もっともその感じに身を委《ゆだ》ねきってしまうことはむろんできなかった。ちょうどまた改めて船の機関が動き始めて、目的地のすぐそばまで来ながら中断された航行を、今はサン・マルコの運河を通ってふたたび開始したからである。
こうして彼はふたたびあの最も驚嘆すべき船着場を眺めることとなった。近寄る航海者の敬虔《けいけん》な視線に共和国が示しうる、あの幻想的建築物の華麗な構図を眺めることとなった。宮殿の軽快な美観、溜息橋《ためいきばし》、岸辺に沿った獅《し》子《し》と聖者との円柱、童話風の殿堂のはなやかに突き出ている側面、門道と大時計とを見通す景観、そういうものを眼《め》に入れながら、陸路を経てヴェニス停車場に到着したのでは宮殿に入るのにわざわざ裏口を選ぶも同然であって、この世にも奇《き》蹟《せき》的な都を訪れる者は現在の自分のごとく船で、大海を越えてやってこなければならぬのだと悟った。
機関がとまり、ゴンドラが群がり寄り、舷《タラ》梯《ップ》が下ろされ、税関の役人たちが乗り込んできて、いい加減に仕事をした。もう下船しても差支えなかったので、アシェンバハはゴンドラが一艘《そう》欲しいと注文した。リドと市街とのあいだを往復している小蒸気船の発着所へ荷物と一緒に行きたかったからである。海辺に宿をとろうと考えたからだ。希望はすぐに通じて、船の人間が下の水面で土地の言葉で言い争っている船頭たちのほうに向ってその由《よし》を叫んで伝えた。しかしまだ下船できなかった。梯子《はしご》のようになっている階段を、苦心して引《ひき》摺《ず》り下ろされて行くトランクのために彼は妨げられていた。そのために彼は例のおぞましい老人の無遠慮な振舞いから逃げられなかった。酔った老人はなんということなしに、この見ず知らずの船客に別れの挨拶《あいさつ》をした。老人は足をうしろへ引いて山羊の啼くような声を出していった、「上乗のご滞在を祈り上げます。どうぞお見知りおおきのほどを。ではご機《き》嫌《げん》よろしゅう、ご免下さいまし、ボン・ジュール、閣下」口からはよだれが流れ、目はつぶって、口の端をなめている。下唇の下の染めた鬚が逆立っている。彼は二本の指のさきを口へあてて、回らぬ口でこう言った。「どうか一つ、可愛《かわい》いお方に、可愛い、飛びきりお美しいお方に、よろしくお伝えくださいまし。……」突然、上顎《うわあご》の義歯が下唇に落ちてきた。アシェンバハは身をかわすことができた。「お美しい、お可愛いお方に、な」と、うしろではまだ鳩《はと》の啼くような、うつろな、呂《ろ》律《れつ》の回らぬ声がしている。アシェンバハは手摺代りの綱にすがって舷梯《タラップ》を降りて行った。
初めて、あるいは永らく乗らなかったあとで、ヴェニスのゴンドラに乗り込もうとするとき、ある軽い戦慄《せんりつ》、密《ひそ》かな尻《しり》込《ご》みの気持、困惑を覚えて、これと戦わざるをえない者がないであろうか。古い物語的な時代から引続きそのままの形で伝わっていて、この世の中にあるものの中では棺だけがそれに似ている、この異様に黒い不可思議な乗物――ゴンドラは小波《さざなみ》の音しか聞えぬ夜の、静けさの中に行われた犯罪的な冒険を想い起させる。いや、それよりもなお死そのものを思わせる。棺台と陰惨な埋葬式と、最後の、声なき野辺《のべ》の送りを。そして、ゴンドラの座席、棺のように黒くニスを塗った、鈍い黒布を張った肘掛《ひじかけ》椅子が、この世の最も柔らかな、最も豪奢《ごうしゃ》な、最も人をだらけさせる座席であることを人は知っているであろうか。船首のところにきちんとまとめられた自分の荷物と向い合せになって、船頭の足元に腰を下ろしたとき、アシェンバハはこのことをはっきりと認めた。船頭たちはあい変らず言い争いを続けている。乱暴に、わけのわからぬ言葉で、おどすような手ぶりよろしく。けれども水の都の特別な静けさは、船頭たちのわめく声をふわりと受けとめて、骨ぬきにし、潮の上に散らせてしまうようだった。港の中はなまあたたかかった。シロッコ風の息吹《いぶ》きになまぬるく撫《な》でられ、揺れ動く水の上でクッションにもたれかかって、船客は、異常でもあればまた甘美でもある気《け》だるさを味わいつつ目を閉じた。きっとすぐ着いてしまうのだろうが、と彼は考えた。どうかこのままであってくれればいいが。かすかに揺られながら、彼は自分が水上の雑踏ややかましい叫び声などから次第に遠のいて行くように感じた。
彼の周囲はその静けさを増してきた。橈《かい》の水音、急な傾斜で黒く、戟《ほこ》のようにとがった先で武装して水上に浮んでいるへさき《・・・》に当る波の音、それからもう一つ別のもの、つまり船頭の話すような呟《つぶや》き声――歯のあいだから間歇《かんけつ》的に、腕の動きにつれて押し出されるひとりごとの外には、聞えるものは何もない。アシェンバハがふと面《おもて》を挙げると、周囲の水面が次第に開けて進路が沖に向いているのを知って怪しみいぶかった。どうもあまり呑《のん》気《き》に構えていてはいけないような、逆に少々は自分の意志の貫徹も考えてみないわけにはいかないような状況らしい。
「汽船の発着所だよ、君」半ばうしろを向いて彼はこう言った。呟きは熄《や》んだ。返事はない。
「汽船発着所だよ、君」と彼は繰返した。今度はすっかりうしろへ向き直って、船頭の顔を見上げた。船頭は少し高い船板の上に立って、その姿は色あせた空を背にそびえていた。不快な、というより残忍な人相の男だった。水夫らしく青色の服を着て、黄色の飾り帯をしめ、編目もほどけかかった、形の崩れた麦《むぎ》藁《わら》帽子を伝法に阿弥陀《あみだ》にかぶっている。顔立ち、上向きの短い鼻の下の、ブロンドで縮れた口髭を見ると、イタリア人とは思われない。どちらかといえば花車《きゃしゃ》なからだつきであるから、こういう商売にことさら向いているともいわれないのに、橈のひと押しひと押しに満身の力をこめて、一所懸命に漕《こ》いで行く。二、三度、力を入れすぎて唇を左右に引張ったから、白い歯並がむき出しになった。赤味がかった眉をしかめて、客の頭越しに視線を投げながら、きっぱりと、いけぞんざいな調子で答えた。
「リドへ行くんでしょう」
アシェンバハは答えた。
「いずれはそうだ。しかし今はただサン・マルコへ渡してもらうためにゴンドラに乗ったのだ。わたしは小蒸気を利用したいのだ」
「小蒸気は駄目《だめ》ですよ、旦《だん》那《な》」
「駄目とはまたどうしてだ」
「小蒸気は荷物を載せてくれませんや」
まさにその通りであった。アシェンバハは思い出した。彼は黙った。しかしこの男の突っけんどんで高飛車な、外国人にたいしてこのあたりの人間らしくもない態度は腹に据《す》えかねた。アシェンバハはこう言った。
「それは君に無関係のことだ。荷物は保管させようかとも思っている。引返してもらいたい」
しんとした。橈が水をぴちゃぴちゃいわせ、水は鈍い音を立ててへさきに当る。するとまた先刻の呟き声、ひとりごとが始まった。船頭は何やら口の中でもぞもぞ言っている。
どういう処置を採ればいいのか。この奇妙に片意地で、気味悪くはっきりとものを言う男と二人きりで水の上にいては、自分の意志を通すべきこれという手段も見当らない。自分がもし腹を立てなかったら、どんなにかくつろいでいられたことであろう。現に自分はこの船路の続くことを願ったではないか。自然の成行きに任せるのが最上の策であった。のみならずそうすれば大変気持もいいのだ。うしろで船を漕いでいる独断的な船頭の橈の動きにつれて柔らかに揺られながら、低い、黒いクッションのついた肘掛椅子からは、人をだらけさせるような力が出てくるように思われた。悪党の手中に陥ったという考えが朦《もう》朧《ろう》としたアシェンバハの脳裡をふと掠めた――自分の考えを振い立たせて、どんなにかして身を護《まも》ろうとすることもできずに。結局今の場合問題はゆすりなのだと思うと腹が立ってきた。一種の義務感情ないしは自尊心、いわばなんとか手を打つべきだという気持が、彼の勇気をもう一度振い起させることができた。彼はふたたび口を切った。
「船賃はどうなるかね」
船頭は客の頭越しに視線を投げながら答えた。
「お払いください」
返事ははっきりときまっていたから、アシェンバハはただ機械的にこう言った。
「私は払わないよ、一文も払わない。もし君が私の望むところへ船をやってくれるのでなければ」
「リドヘ行くんでしょう」
「しかし君に連れて行ってはもらわない」
「巧《うま》くお連れしますよ」
それにちがいない、とアシェンバハは思って、緊張を解いた。それにちがいない、君は巧く己《おれ》を連れて行ってくれる。たとえ君が己の現金に目をつけて、うしろから橈でひと打ちに己を殺してしまったとしても、君は己を巧く連れて行ったことになるわけだ。
しかしそういうことは起らなかった。それどころか道づれさえ現われた。ギターやマンドリンにつれて歌をうたう艶《えん》歌師《かし》の男女が一隻《せき》のボートにのって、厚かましくゴンドラとすれすれに船を進めて、静かな水の上に祝儀《しゅうぎ》目あての外国の歌を響かせた。アシェンバハは差出された帽子に金を投げ入れた。すると連中は歌をやめて、船を漕ぎ去った。間歇的に、きれぎれな、船頭のひとりごとがまた聞えてきた。
こうして、町に向う蒸気船の残した波に揺られながら、ゴンドラが着いた。顔を海に向け、両手を背中に回した市庁の役人が二人、岸辺を往《い》ったり来たりしていた。アシェンバハは、ヴェニスのどの船着場にもきっと鉤竿《かぎざお》を持って立っている老人に助けられて、踏板を渡ってゴンドラから上陸した。小銭がなかったので、蒸気船発着所のとなりにあるホテルまで足を運んで、両替をして、ゴンドラの船頭に適当に船賃をやろうとした。ホテルのロビーで両替を済ませて、元のところに戻ってみると、荷物は手押し車にのせて岸辺に置いてあったが、乗ってきたゴンドラとその船頭の姿が見えない。
「逃げましたよ」と釣竿を持った老人が言った。「悪い奴《やつ》でね、鑑札なしでやっているんですよ、旦那。鑑札のないのはあいつただ一人です。ほかの船頭からここに電話があって、自分が待ち伏せされてるってことがわかったもんだから、逃げちまったんでさ」
アシェンバハは肩をすくめた。
「旦那はただで乗ってらしったわけさ」老人はこう言って、帽子を差出した。アシェンバハはそれに貨幣を投げ入れた。荷物を海水浴ホテルへ運ぶように言いつけて、手押し車のあとについて並木道を歩いて行った。両側に酒《さか》亭《や》や雑貨店や下宿屋のある、島を斜めに貫いて海辺まで通じている、白い花をつけた並木道であった。
彼は宏壮《こうそう》なホテルの裏のほうから、つまり庭を控えたテラスから入って、大きなロビーを通り抜けて玄関の帳場へ行った。かねて通知はしてあったので、慇懃《いんぎん》に迎えられた。痩《や》せた、物静かな、こびるように腰の低い小男、黒い口髭《くちひげ》を生やし、フランス風に仕立てたフロックコートを着た給仕が、リフトで彼を三階へ案内した。宛《あ》てがわれた部屋は、桜材の家具を備えた気持のいい部屋で、香りの強い花が活《い》けてあった。大きな窓が海に面して開けていた。給仕が引きさがってから、彼はその窓の一つに歩み寄った。やがて荷物が運び込まれて、適宜に部屋の中に配置されて行くあいだ、彼はひるさがりの、人気のない海岸と、折から満潮で、低い、長くのびた波を静かに規則正しく岸へ運んでくる曇った海とを眺《なが》めた。
孤独でものを言わぬ者の行う観察や、出会う事件は、他人と一緒にいる者のそれよりも朦朧としており、また同時に痛切でもあるし、その思念は重苦しく風変りで、一脈の哀愁を帯びているのがつねである。一つの眼《まな》ざし、一つの笑い、一つの意見交換で容易に片がつくような情景や見聞が、そういう孤独な者を普通よりも余計に煩《わずら》わす。彼の思念は沈黙のうちに深化し、意義深くなり、体験となり、冒険となり、感情となる。孤独は独創的なものを、果敢に異様な美しいものを、詩を産み出す。しかし孤独はまたあべこべのものを、釣《つり》合《あ》いのとれないものを、不条理で許すべからざるものをも産み出す。――そういう次第で、ヴェニスに来るまでの旅路の見聞、「お可愛いお方」がどうのこうのといった、あのいやらしい老人の洒落《しゃれ》者《もの》や、退《の》け者の、賃金を貰《もら》い損ねたゴンドラの船頭などが、今もなおアシェンバハの心頭を去来していた。それらの事どもは、理性に困難を呈するというのでも、そもそも沈思のきっかけとなるというのでもなかったが、それでも本来どうやら皆ひどく風変りに見えた。そしておそらくこの矛盾によって何か人の気持を落着かせなかったのであろう。そんなあいだにも彼は目で海に挨拶して、ヴェニスをこれほどまでに近々と見るよろこびを感じた。やっと窓辺を離れて、顔を洗い、女中に、居《い》心《ごこ》地《ち》よく暮せるように若干の指図をし、緑色の服を着たスイス人が動かしているリフトで階下《した》へ降りた。
海に臨んだテラスで茶を飲んでから、外へ出て、ホテル・エクセルシオールの方向へかなりの道のりを海岸の散歩道を歩いた。帰ってきたときは、もう夕食のために着換えをする時刻になっていた。彼は例の伝でゆっくりと几帳面《きちょうめん》に身じまいをした。身じまいをしながら物事を考えるという癖があったからだ。それでもロビーに降りてみると多少早目であった。ロビーには滞在客の大部分がみな食事を心待ちに集まっていた。互いによそよそしく、うわべだけは無関心を装って。アシェンバハはテーブルの上にあった新聞を採り上げて、革張りの肘掛椅子《いす》に腰を下ろし、彼の最初の滞在地の相客とは、彼にとって気持よく相違している一座を眺め渡した。
寛容に種々雑多なものを包容する広やかな光景であった。諸大国の国語の響きが、声を低められたままにまざり合って聞えてくる。文明の制服、各国通用の夜の正装が外面上は、種種雑多な人間たちを礼儀正しい一団にまとめ上げていた。アメリカ人の味もそっ気もない馬面《うまづら》も見えれば、家族だくさんのロシア人の一家も、英国の婦人も、フランス人の保母のついているドイツの子供たちもいた。スラヴの血が優《まさ》っているらしい。すぐそばではポーランド語が話されていた。
籐《とう》の小卓をかこんで坐《すわ》っているのは、家庭教師かお相手役かと見える一婦人に見守られた子供や娘の一群であった。十五から十七ぐらいまでの少女が三人、十四歳ぐらいかと思われる少年がひとり、この少年は髪を長くのばしていた。この少年のすばらしい美しさにアシェンバハは唖《あ》然《ぜん》とした。蒼白《あおじろ》く優雅に静かな面持《おももち》は、蜂蜜色《はちみついろ》の髪の毛にとりかこまれ、鼻筋はすんなりとして口元は愛らしく、やさしい神々《こうごう》しい真面目《まじめ》さがあって、ギリシア芸術最盛期の彫刻作品を想《おも》わせたし、しかも形式の完璧《かんぺき》にもかかわらず、そこには強い個性的な魅力もあって、アシェンバハは自然の世界にも芸術の世界にもこれほどまでに巧みな作品をまだ見たことはないと思ったほどである。その上もう一つ目立っていたことは、この姉弟《きょうだい》たちの身なりや行儀作法の基準となっているらしい教育的な観点のあいだにある極めて著しいコントラストであった。一番上の姉はもう大人と変らぬほどであったが、この姉をも含めた三人の娘たちの服装は、醜いといえるまでに地味で控え目なものであった。三人が三人とも僧院風の身なりで、スレート色の、たけ《・・》も長からず、わざと着にくいように仕立てたとしか思われぬ服で、白い堅い襟《えり》がたった一つの飾りであって、姿かたちの好ましさというものはすべて押し殺されてしまっている。頭にぴったりと撫でつけられた髪の毛は、顔つきを無表情に、尼《に》僧《そう》のようにしている。万事がたしかにお母さんの差金《さしがね》のようだ。この母親は娘たちに示した教育的な厳格を男の子にも適用しようとは夢にも考えていないらしい。明らかに柔弱と甘やかしとが男の子の生活を規定している。鋏《はさみ》を加えることを差控えたらしい美しい髪の毛は、「とげを抜く少年」像そのままに額へ垂れ、耳を覆《おお》い、さらにうなじに伸びていた。たっぷりとした袖《そで》が下へ行くに従って狭く細くなって、まだ子供々々した、しかし花車な手の手首にぴったりとついている英国風の水兵服は、その紐《ひも》やネクタイや刺繍《ししゅう》などで、この少年のなよやかな姿にどことなく豊かで豪奢な趣を添えている。少年はアシェンバハに横顔を見せて、黒いエナメル靴《ぐつ》をはいた一方の足を他方の足の前に置いて、籐椅子の腕に一方の肘を突いて、握った片方の手に頬《ほお》を寄せ、ゆったりと、しかも不作法でなく坐っているが、その様子には姉たちの習性となっているらしい、あの嫌《いや》味《み》とさえ言えるぎごちなさが全然見受けられないのである。病気なのであろうか。そういえば顔色は、まわりを隈《くま》どっている黒味を帯びた金髪に不似合いなほどに、象《ぞう》牙《げ》さながらの白さであった。それともそこらにざらにいる甘やかされた秘《ひ》蔵児《ぞうっこ》なのであろうか、両親からことさらに、気《き》紛《まぐ》れに愛されているような。アシェンバハはどうやらその辺らしいと考えた。芸術家というものは誰しも、美を創《つく》り出す不公平を承認し、貴族主義的な優遇に関心と賛意とを表明するという、派手好みな裏切り的な傾向を生れながらにして持っているものである。
給仕が一人、ロビーの中を食事の用意が整ったと英語で触れ歩いた。客は徐々にガラス扉《とびら》から食堂の中へ入って行った。玄関やリフトから遅れた客たちがやってきてロビーを通り抜けて行った。食堂では料理が出され始めたが、ポーランドの子供たちは依然として籐のテーブルを囲んで動こうとしなかった。安楽椅子に深々と身を埋めたなり、アシェンバハは眼前の美少年を眺めて心を遣《や》りながら彼らの立ち上がるまでは腰を上げずにいた。
赤ら顔で肥《ふと》った小作りな家庭教師役の女性が遂《つい》に立ち上がる合図をした。灰白色の衣装にたくさんの真珠を飾った大柄《おおがら》な婦人がロビーに入ってきた。家庭教師の女は椅子をずらせて、夫人に向って一礼した。この夫人の態度は冷やかでぎくしゃくしていた。軽く髪粉を打った髪の結い方も、着ているものの仕立て方も、敬虔《けいけん》ということが上品さの主要成分と考えられている場合にいつも趣味を規定している簡素の趣を持っていた。ドイツの高官夫人と見立てることもできなくはなかった。身につけている真珠の飾りは値踏みもできぬぐらいの代物《しろもの》で、イヤリング、それと桜んぼぐらいの大きさの、にぶく光る、三重になった長い首飾りであった。これらの装身具だけでひどく贅沢《ぜいたく》で豪奢《ごうしゃ》な趣を作り上げられていた。
姉弟たちはさっと席を立った。みな母親の手の上に身をかがめてこれに接吻《せっぷん》した。手入れの行届いた、しかしどこか疲れの見える、鼻のつんとした顔に控え目な微笑を浮べて、夫人は子供たちの頭越しに目をやって、家庭教師に二言三言フランス語で話しかけた。それからガラス扉のほうへ歩いて行った。姉弟たちがそのあとについて行く。年の順に姉たちが先に立ち、それから家庭教師の女、最後が少年だった。少年は食堂のしきいをまたぐ前に、どういうわけかわからなかったが、一度うしろを振向いた。けれどももう誰もロビーにはいなかったので、自然と少年の、灰色に翳《かげ》のさした目がアシェンバハの目と合った。アシェンバハは新聞を膝《ひざ》の上に置いたなり、この姉弟たちに見惚《みほ》れて、じっとそのあとを見送っていたのである。
見惚れたといっても、何もこの一団に特に人目を惹《ひ》くような節があったわけではない。彼らは母親より先に食卓へ就かなかった。母親を待って、うやうやしくお辞儀をして、食堂に足を踏み入れるときも守るべき作法は守った。けれどもそうした様子の万事がひどくきちんとしていて、規律、義務、躾《しつけ》がことさらに強調されているので、アシェンバハは奇妙に心を打たれた。彼はなおしばらくためらっていたが、やがて自分も食堂の中へ入り、席を指定してもらった。生憎《あいにく》と彼の食卓はあのポーランド人の一家のいるところからは大変離れたところにあったので、それが少々残念であった。
からだは気《け》だるかったが、精神のはたらきは活溌《かっぱつ》で、手間のかかる食事の間じゅう、彼は抽象的な、というよりも先験的な事柄についてあれこれと思いをめぐらせ、人体の美というものが生れるために、法則的なものが個性的なものと取結ばねばならぬ神秘的な関係について考察し、そこから形式や芸術の一般的な問題の数々に立ちいたって、最後には、自分の思考や結論が、昼間の冷静な精神にとっては全く浅はかで役に立たぬものと思われるような、夢の中の一見見事な着想などによく似ているということを発見した。煙草《たばこ》をすったり、ベンチにかけたり、そこらをぶらついたりして、夕暮どきの馨《かぐわ》しい庭で食後の時間を過し、早目に部屋に引上げて、夜はぐっすりとねむった。ぐっすりねむったとはいうものの、あとからあとからいろいろのことを夢に見た。
翌日、天気は前日とさして変りがなかった。風は陸のほうから吹いてきた。どんよりとした空の下に、海は不器用に静まり返って、いってみれば萎縮《いしゅく》して、平凡な水平線がすぐ近くに迫って、長々とした砂洲《さす》がいくつも見えるほどに潮が引いていた。窓を開けると、入江の水の腐ったような匂《にお》いがするように思われた。
不快が彼を襲った。この時すでにいっそ帰ろうかとふと考えた。幾年か以前、やはり一度、うららかな春の何日かをこのヴェニスで過したあと、同じような不快な天気にぶつかって、からだの調子をひどくわるくして逃げるようにしてここをあとにしたことがある。そういえばどうやらあの時と同じような熱っぽい不快感、こめかみの辺りの重苦しさ、重たい瞼《まぶた》などという徴候が現われてきたようではないか。今また場所を変えるというのはやりきれないことにはちがいなかったが、これでもし風が変らないとすると、ここに滞留していることはできない相談であった。そんな場合のことも慮《おもんぱか》って荷物も全部はほどかなかった。ロビーと食堂とのあいだにある軽食用のビュフェで九時に朝食をしたためた。
朝食の部屋には、一流のホテルが自慢のたねにするおごそかな静けさがあった。給仕たちは足音を立てないで往《ゆ》き来する。茶器の音、小声の会話が耳に入ってくるすべてであった。彼の席からテーブル二つばかりを距《へだ》てた、出口と斜めに向った一隅に、家庭教師と一緒にいるポーランドの娘たちの姿があった。背筋をまっすぐにし、淡いブロンドの髪をなでつけ直して、目の縁を赤くし、小さな白いカラーとカフスのついた、ごわごわした碧色《あおいろ》のリンネルの服を着て、砂糖漬《づけ》の入ったガラス容器を互いにやったりとったりしていた。食事はもう終るところだった。少年の姿はなかった。
アシェンバハはちょっと笑った。ふふん、怠け者め、と彼は考えた。君にはどうやら姉さんたちとは違って、思う存分に寝る権利があるらしいな。と、突然気分が明るくなって、彼はこんな詩句を口ずさんだ。
「幾たびも変えし身の飾り、温かき浴湯《ゆあみ》、暖かき寝床」
彼はゆっくりと朝食をしたためた。金モールのついた帽子を脱いで部屋に入ってきた玄関番の手から回送せられてきた郵便物を受取り、煙草をふかしながら、二通三通封を開いた。そんな次第で、姉たちに待たれている寝坊の少年がこの部屋に入ってきたときも、アシェンバハはまだそこにいた。
少年はガラス扉を抜けて、静かな部屋の中を斜めに突き切って姉たちのいるテーブルのほうへ寄って行った。歩きつきには、上体の保ち方にも、膝の曲げよう、白靴を穿《は》いた足の運びようにも、いうにいわれぬみやびかな趣があり、ひどく軽やかで、しかも優美に誇りかで、途中二度ばかり部屋の中を見回して目を挙げ目を伏せた、その子供々々した恥じらいでなおさら美しいものになっていた。柔らかに口ごもったような小声で何か言って少年は微笑しつつ席についた。はっきりと横顔を見せた今になって、アシェンバハは事新たに、この少年の神々しいほどの美しさに驚いた。いや度肝をぬかれたといってもよかった。今日少年は青と白の縞《しま》模様の、胸のところには赤い絹のリボンのついたリンネルの軽快なブラウスを着ている。首はあっさりとした白い立襟《たてえり》で締められている。しかしこの、服装全体の感じにことさら上品にうつっているともいえぬ襟の上には、たぐいない愛らしさをたたえて花の咲いたような顔が載っていた。――パロス産の大理石のような黄色がかった光沢を帯びたエロスの神の首だった。眉《まゆ》は細く、生真面目《きまじめ》で、こめかみと耳とは、直角に垂れかかった捲《まき》毛《げ》で暗く柔らかく覆われている。
芸術家が傑作を前にしてよく彼らの恍惚感《こうこつかん》や感動を示す、あの玄人《くろうと》らしく冷静な是認のうちに、アシェンバハは、なるほど相当なものだ、と頭の中で呟《つぶや》いた。彼はさらに言い続けた、全く、海や渚《なぎさ》が己《おれ》を待っていなかったにしろ、己はお前がここにいるかぎりやはりここにいることにしよう。けれども彼はそれから、ホテルの使用人たちが見ている中をロビーを通り抜けて、広いテラスを降り、ホテル専用の、柵《さく》にかこまれた渚へ、踏板を渡ってまっすぐに下って行った。浜辺にははだしの老人が一人いた。麻のズボン、水夫服に麦《むぎ》藁帽《わらぼう》子《し》をかぶって、海水浴をするお客の世話を焼く男だった。彼はこの老人に浜辺の貸小屋を割当ててもらって、椅子とテーブルとを砂でざらざらしている板張りの壇に出させ、自分でさらに渚近く、黄蝋《おうろう》色の砂地へ引っぱって行った寝椅子の中にゆっくりとくつろいだ。
浜辺の有様、水際《みずぎわ》で海水浴を楽しむ人々の屈託のない官能的な様子は、いつ見ても変ることなく面白かった。灰色で平たい海はもう水をはね返す子供らや泳ぎ手たちや、両腕を頭の下に組んで砂の上に寝ころんでいるいろいろな人々で賑《にぎ》わっていた。赤と青に塗られた、竜骨《りゅうこつ》のないボートを漕《こ》いで、それを転覆させて笑い合っている者もいた。水浴小屋が長々とつらなって列をなしている、その前には――小屋の前には壇が小さいヴェランダのようについていて、そこに坐っている人もいた――遊び戯《たわむ》れる動き、ねそべる安逸、訪問、おしゃべり、海辺の気安さを存分に味わい楽しむ裸の人たちもさることながら、念入りな朝のお上品も見受けられた。小屋の立ち並んだ前の、湿った堅い砂地には、白いケープや、ゆったりとした、色のはっきりしたシャツをきた人たちがぶらぶら歩いていた。右手には子供たちがこしらえた、入り組んだ砂の城があった。世界各国の小さな国旗が城のまわりに挿《さ》してあった。貝殻《かいがら》や菓子、くだものなどを売る商人は、しゃがんで砂地に商品を拡《ひろ》げていた。左手には、ほかの小屋とは斜めに向い合って海に向けて立っているいくつかの小屋があった。その辺が自然と浜辺の一方の端になっていたが、その小屋の一つの前にはロシア人の一家族がテントを張っていた。髭《ひげ》をはやして、大きな歯を持った男たちや、ぐったりと物《もの》憂《う》げな女たちだった。バルチック地方の人らしい娘が、画架を立てて、絶望の叫び声を挙げながら海を描いている。人のよさそうな、醜い子供たちに、やさしくへり下った奴《ど》隷《れい》風の、頭に布をまきつけた老《ろう》婢《ひ》。彼らは楽しげにそこに坐って、いうことをきかずに騒ぎ回っている子供らの名を絶えず呼んだり、菓子を売るおどけた老人とたどたどしいイタリア語で永々と冗談を言い合ったり、互いに頬に接吻し合ったり、その自分たちの様子が人に見られようが見られまいが全く無関心であった。
やはり滞在することにしよう、とアシェンバハは思った。ほかへ行ったところで、やはり大したことはあるまい。こう考えて彼は両手を膝の上に組んで目を遥《はる》か沖合にさまよわせた。はてしのない水平線の単調な靄《もや》の中に視線はずれ動き没した。彼は深刻な訳合《わけあい》から海というものを愛していた。目まぐるしい諸現象の、扱いにくい多彩な型態をのがれて、単純で巨大な海の懐《ふとこ》ろに身を隠したいと望む芸術家の、辛《つら》い仕事を続ける芸術家の、休息への欲求から彼は海を愛していた。秩序を持たぬ、節度のない、永遠のもの、虚無への、まさに自己の使命に悖《もと》る禁制の、またそれ故《ゆえ》にこそ誘惑的な愛着から彼は海を愛していた。完璧なものに倚《よ》って静かにしていたいということは、優秀なものを作り出そうと心を砕く人間のあこがれなのだが、この虚無というものはつまり完璧なものの一形式ではあるまいか。こんなふうにアシェンバハの想いが虚《こ》空《くう》のうちをさまよっていたとき、突然一つの人影が視野を横ぎった。はてしのない境界から視線を身近に戻して凝らすと、彼の視界を横ぎったのは例の美しい少年だった。少年は左手からやってきて、彼の前の砂地を通って行った。浅瀬を渡る用意なのか、はだしで、すんなりとした脚は膝頭《ひざがしら》のところまでむき出しになっており、靴をはかずに歩くのによく慣れているといったように身軽に誇りかに、悠《ゆう》然《ぜん》と歩いていた。そしてほかの海水小屋とは斜めになっている小屋の方を眺《なが》め渡した。ところがいい気持になってがやがややっているロシア人の一家が目にとまるや否《いな》や、少年は腹立たしい軽蔑《けいべつ》の念にその面をさっと曇らせた。額はゆがみ、口はひきつり、唇《くちびる》は一方の側にはげしく寄せられ、そのために一方の頬の肉が形を崩し、また眉根をつよく寄せたために、その下の目が奥へ引っ込んでしまったように見え、意地悪く陰鬱《いんうつ》に憎《ぞう》悪《お》の光を放った。少年は下を見、もう一度脅かすように振向いて、肩で烈《はげ》しく投げ棄《す》てるような、身を翻《ひるがえ》すような仕草をして、敵に背を向けた。
一種の共感ないしは驚愕《きょうがく》の気持、何かこう尊敬と羞恥《しゅうち》のような気持のために、アシェンバハは何も見なかったように面《おもて》をそむけた。たまたまこの激情を目撃した厳粛な観察者は、自分の見たことを自分自身にたいしてさえ利用するのが堪《たま》らなく不快だったからである。とはいうものの気分が明るくなり、同時に感動を覚えた。つまりいい心持になったのである。実に無邪気に罪のない一片の人生絵図に対して向けられた、この子供っぽい狂熱主義――これは神的な無意味を人間的な関係の中に置き据《す》え、ただ目を楽しませるのだけに役立った自然の貴重な創造物を、少しばかり真面目に考えるに値するものたらしめた。この狂熱主義は、さなきだに美しさによって意味深いものになっている少年の形姿に、少年という条件を度外視してこれを真剣に考えてみることを許すきっかけを与えたのである。
顔をそむけたまま、アシェンバハは少年の声に、澄んだ、少し弱々しい声に耳を傾けた。少年は遠くのほうから、砂の城を作っている子供たちに自分がやってきたことを知らせようとした。すると遊び仲間の子供たちも少年の名前を、あるいは少年の名前の愛称の一つを幾度も口にして答えた。アシェンバハは多少の好奇心でその名前を知ろうとしたが、はっきりしたことは聴きとれなかった。なんでも「アッジオ」とか、またよく「アッジウ」というように聞える、二綴《ふたつづ》りの響きのいい、終りに長く伸ばされるuの音のある名前だった。彼にはこの名の響きが快かった。この快く響く名前はいかにも少年にふさわしいと思い、そっと自分の口でその名を繰返して、満足した気分で携えてきた手紙や原稿の仕事に取りかかった。
旅行用の紙挟《かみばさ》みを膝の上に拡げて、彼はあれこれと万年筆で手紙の返事を書き始めた。だがものの十五分も経《た》たないうちに、これほどにも愉快な場合をこんな具合に心で見すてて、どうでもいい仕事でつぶしてしまうのはいかにも惜しいという気になったので、紙や筆をわきに置いて、また海を相手にすることにした。そして程なく、砂遊びの子供たちの声にさそわれて、寝椅子《ねいす》に寝たままの頭をゆっくりと右へめぐらした。あの美しいアッジオはどうしているだろうかと思ったからである。
少年はすぐ見つかった。胸の赤リボンで所在を知るのは造作なかった。ほかの子供たちを相手に、砂の城の水を通した壕《ほり》に橋代りに古板を渡そうとして、何事か叫んだり頭で合図したりして指図を与えている。十人ばかりの男女の子供たちが、年頃《としごろ》も似たり寄ったりで、中にはもっと小さいのもまじって、ポーランド語、フランス語、バルカン半島地方の方言なども聞える。けれど最も頻繁《ひんぱん》に口にされるのは少年の名前であった。明らかに少年はみなから慕われ、恋しがられ、讃《さん》美《び》されているのだ。ことに少年の名に近い「ヤシュウ」というような名で呼ばれているがっちりした若者で、やはりポーランド人らしく、黒い髪にポマードをつけ、バンドつきのリンネルの服を着たのは、少年の一番の家来で友人らしく、どうやら城もでき上がったので、二人してもつれるように渚を歩いて行き、「ヤシュウ」と呼ばれていたほうが美しい少年に接吻した。
アシェンバハは、その若者に指で警告したい気持だった。彼は微笑しながら考えた、「しかし君にはすすめたい、クリトブロスよ、一年間旅に出るがいい。なぜって君が治るのにはすくなくともそのくらいの時間はかかるのだからね」それからアシェンバハは大道商人から買い求めた大きな、よく熟した苺《いちご》を食べた。ひどく暑くなっていた。もっとも空には靄があって、陽《ひ》がさしてくるわけではなかった。五官は静かな海の、とりとめもない、しびれさせるような感触を味わい楽しんでいるのに、精神はだらけきっていた。「アッジオ」というふうに聞える名前が、本当はどういう名前なのかを推量し、詮索《せんさく》するというくらいのことが、現実この厳粛な作家にとっては程のいい、ちょうど時間を充実させてくれる課題であり仕事であった。わずかに知っていたポーランド語をたよりに、それは「タドゥツィオ」というのにちがいない、本来は「タデウス」で、それが短くなるとこの「タドゥツィオ」となり、呼んだりする時には「タッジウ」と聞えるのだという結論に達した。
タドゥツィオは海に入っていた。その姿を見失っていたアシェンバハは、少年の頭と腕とを遠い沖合に発見した。少年は抜き手を切るようにして海の中を歩いていた。海はよほどの遠浅らしい。しかしそれでも海辺に残っていたみんなには彼のことが心配になり出したと見えて、小屋からは女たちがしきりに少年の名前を呼んだ。少年の名はまるで一つの合言葉のように渚を支配した。柔らかな子音と、名前の終りの、永く引く「ウ」という母音とを聴いていると、「タッジウ」という名前には甘たるくしかも何か荒々しいものがあった。足にもつれる水を泡《あわ》立《だ》て、少年は、頭をのけぞらせて駆け戻ってきた。少年らしく、優しく引締った、生きいきとしたからだつき、捲毛からは水を滴《したた》らせ、空と海との深みから出てきた優雅な神のように美しく、水を出て、水をのがれてきた有様を見ていると、神話の世界の事どもも思い出された。少年の姿は、大昔の、ものの根源と神々の誕生とについて物語る詩人の言葉のようであった。アシェンバハは両眼を閉じて、心の中に響き初《そ》める太古の歌に耳を澄ませた。そうして彼はまた改めて、ヴェニスはいいところだ、滞在しようと思いかえした。
水から上がるとタドゥツィオは右肩の下に敷いた白い布にくるまって、頭を裸の腕にのせて砂上に寝た。アシェンバハは、少年の姿を見ていないで、持ってきた本のページに目をやっていたときでも、少年が身近にいて、自分は頭をちょっと右へ向けさえすればすばらしいその姿を見ることができるのだということをほとんど忘れることがなかった。自分がここにこうして坐《すわ》っているのは、ああして休息している少年を他所《よそ》ながら見守るためなのだとさえ思われてきた。――自分の仕事をあれこれとやりながら、しかも右手の、あの高貴な人間像から遠くないところで常に見張りを続けているというふうに。父親のような愛情、自分を犠牲にして心の中で美しいものを創《つく》る人が、美をもっている人間に対していだく感動的な愛着が彼の心を満たし、動かした。
ひるすぎ浜辺を去って彼はホテルに戻り、リフトに乗って自分の部屋の前に運ばれた。部屋の中でかなり永いこと鏡を前に自分の姿を、灰色の髪を、疲れて輪郭の鋭い顔を眺めた。彼はふと自己の名声を思った。多くの人間が道などですれちがいざまに彼を見つけて、うやうやしい目つきで眺める。それも彼の適切な、優雅の衣をまとった文章のためである。彼はそんなことも思ってみた。――いや、思い出してみることのできるかぎりの、自己の才能が呼び起したことごとくの外的成功を呼び起した。それどころか自分が貴族に列せられたことさえ考えてみた。それから午《ご》餐《さん》をとりに下の広間へ降り、自分の小卓で食事した。食後リフトに乗ると、やはり中食を済ましてきた若い人たちが彼のあとからどやどやとリフトに乗り込んできた。タドゥツィオもやってきた。タドゥツィオはアシェンバハのすぐそばにきた。これほど身近にいたことは初めてだった。だから今は、絵や彫刻を見る時のように遠方からでなく、間近に、仔《し》細《さい》にその全体の様子を観察することができた。少年は誰かに話しかけられて、なんとも愛くるしい微笑を浮べて何事か答えているうちに、二階がきて、呆《あっ》気《け》なく降りて行ってしまった。美は人をはにかみ屋にする、とアシェンバハは考えた。そしてなぜであるかを徹底的に考えてみた。しかしタドゥツィオの歯があまりよくないのも見てとった。先がぎざぎざして、色が蒼白《あおじろ》く、からだの丈夫な人間の歯が持っている光沢がなく、妙に脆《もろ》そうな、萎黄病《いおうびょう》の人によく見かけるような透明な歯だった。ひよわく、病気がちなのだ、とアシェンバハは思った。どうも永生きしそうにはない。しかしアシェンバハは、そう考えた時に感じた満足ないしは安《あん》堵《ど》の気持の、拠《よ》ってきたるところを究めることは断念した。
部屋で二時間を過してから、小蒸気で、もののくさったような匂《にお》いのする入江を渡って街へ行った。サン・マルコで下船し、広場にあった喫茶店で茶を喫し、ヴェニスでの日程に従って町を散歩した。ところでこの散歩こそ彼の気分を、彼の決心を完全に覆《くつがえ》させるものになった。
狭い街路は不快にむし暑く、空気はよどんでいて、人の住居や店舗や小料理屋などから流れてくる臭気、油の匂い、香水の靄、その他いろいろなものの匂いが立ちこめていて動かなかった。煙草《たばこ》の煙も、喫《す》った場所にとどまっていて、容易に消え去らない。人が押合いへしあって、この孤独な散策者を楽しませるよりも苦しめた。歩いて行けば行くほど、海から吹いてくる風がシロッコと一緒になって作り上げるたまらない状態がますます彼を苦しめた。この状態は興奮と弛《し》緩《かん》とを同時に意味した。脂汗《あぶらあせ》が流れ出た。視力に異常をきたし、胸が締めつけられ、からだがほてって、血が頭に上った。雑踏する商店街から、橋をいくつか渡って、貧民街の路次に逃げた。貧民街では乞《こ》食《じき》にうるさくつきまとわれ、運河の発散する不快な臭気に息も詰りそうになった。ヴェニスの町の内部にある、忘れられたような、魔法にかけられたように静かな広場の一つの、噴水の縁に腰を下ろして、彼は額を拭《ぬぐ》い、この町にはとうてい滞在することはできぬと悟った。
ヴェニスもこういう陽気の時には自分にとってひどく有害だということが二度も証明されたわけであった。片意地に頑《がん》張《ば》りとおすのは馬鹿《ばか》げているし、天候一変ということも全く当てにはならなかった。決断は急を要した。このままドイツヘ帰ってしまうことはできない相談である。自分を迎える夏の住居も、冬の家もまだ支度を整えてはいない。しかし海と渚とがあるのは、何もヴェニスに限ったことはない。入江と入江の発散する瘴気《しょうき》ぬきで、海と渚とのある土地はほかにもある。トリエストから遠くないところに、いつか人がほめていたのを聞いたことのある小さな海水浴場がある。そこへ出かけてみない法はなかろう。しかも、またぞろ滞在地を変更するということが無駄《むだ》になってしまわないように、即刻それを実行に移すべきだ。そうしようと意を決して、彼は立ち上がった。最寄《もよ》りのゴンドラ発着場で一艘《そう》雇うと、彼は運河が運河に続く薄暗い迷路を、獅子《しし》の像をわきにつけた、美しい大理石のバルコニーの下をいくつかくぐり抜けて、ぬるぬるした壁の角をまがり、揺れる水の面に大きな看板を斜めに写している、物悲しい館《やかた》の正面を通り過ぎてサン・マルコにきた。そこに着くのにも手間がかかった。レース屋やガラス商と結託している船頭が、方々で見物や買物をさせようとして、彼を案内しようとしたからである。なるほどヴェニスの水の迷宮をこうしてさまようことは面白いにはちがいなかったが、凋落《ちょうらく》した女王の、こういう巾着《きんちゃく》切りのような商売根性は、改めて不快の念を増さしめるのに役立つばかりであった。
ホテルに帰りつくと、彼は夕食前に逸早《いちはや》く、突発した用件のために明朝出発しなければならなくなったと帳場に告げた。それはどうもお名残り惜しゅうございますというので勘定書が作られた。なまあたたかい夕方は、ホテルの裏側にあるテラスの揺り椅子にかけて、雑誌類などを読んで過した。就寝前に、すっかり荷物をまとめて、いつでも旅立つことのできるように用意した。
旅立ちを翌日に控えたせいか、熟睡はできなかった。翌朝、窓をあけると、空は昨日と同じに曇っていたが、それでも空気はいくらか澄んできたようであった。すると――彼はもう後悔し始めた。こう性急に見切りをつけたのは間違ってはいなかっただろうか、病人めいた気《き》紛《まぐ》れからついああしたのではあるまいか。もう少し我慢して、こう早々と兜《かぶと》を脱がずに、ヴェニスの空気に慣れるように試みるとか、天候の回復を待ってみるとかしたら、時間を気にしたり重い荷物の心配をしたりする代りに、つい鼻さきの、昨日に変らぬ渚《なぎさ》に出てゆっくりすることもできたのだ。今となってはもう遅い。今となっては昨日考えたことを実行に移すよりほかはない。服を着て、八時に、朝食のために一階へ降りて行った。
小さい食堂にはまだ一人の客も姿を見せていなかった。食べたり、注文の品を待っていたりするうちに、ぼつぼつ客が入ってきた。茶碗《ちゃわん》を口に当てたなり、彼は例のポーランドの少女たちが家庭教師につき添われて入ってくるのを見た。少女たちは厳格な、朝らしくきびきびとした様子で目の縁を赤くして、窓《まど》際《ぎわ》の隅《すみ》にある自分たちのテーブルへ行った。それからすぐ門番が帽子を脱いで、出発だと言いにきた。彼やほかの客たちをホテル・エクセルシオールまで乗せて行く自動車の用意ができた。ホテルからはモーターボートで、会社専用運河を通って停車場までお送りする、時間はもうあまりない、というのである。――時計を見ると、時間がないなどということはない。汽車が出るまでにはまだ一時間以上もある。発《た》つ客をなるべく早目に追い出してしまおうとするホテルのやり口に腹が立ったので、自分はゆっくりと朝食をしたいのだからと門番に言ってやった。門番はしぶしぶ引っ込んだが、五分もするとまたやってきた。これ以上車を待たせておくわけにはいかないという。「それなら、自分の荷物をのせて先へ行ってしまっていい」とアシェンバハは腹を立てた。「わたしは時刻通りに乗合いのモーターボートに乗って出かけるから、あとは任せておいてもらおう」門番はお叩頭《じぎ》をした。小煩《こうるさ》くせきたてられるのを免《まぬか》れて、アシェンバハは悠々と朝食をしたためた。給仕に新聞を持ってこさせもした。それでどうやら腰を上げた時にはもう愚図ぐずしてはいられない時刻だった。と、その時偶然タドゥツィオがガラス扉《とびら》を排して部屋に入ってきた。
少年は姉たちのいるテーブルを目ざしてアシェンバハの前を横ぎった。額の高い、灰色の髪をした彼を見ると一旦《いったん》は大人しく目を伏せたが、すぐにまたいつものように優雅に目を挙げて、やさしくまじまじと彼を見詰めて通り過ぎた。さようなら、タドゥツィオ、短いお付き合いだったね、とアシェンバハは頭の中で言った。――そして彼は習慣とは逆に考えたことを本当に唇《くちびる》の形で現わして、われにもあらずこう付け加えた、「仕合せにお暮しよ」――それから彼は旅立った。心づけを配分する。フランス風のフロックコートを着た、小男のものやさしい支配人の挨拶《あいさつ》を受け、到着した時と同じように徒歩でホテルをあとにし、手荷物をさげた下僕に伴《とも》をされながら、白い花をつけている並木道を通って島を斜めに横ぎって乗合汽船の出る橋のほうへ歩いて行った。無事に行き着いて、席を占めた――さてそれに続いたのは、後悔の情にさいなまれて、心悩ましい苦痛の路《みち》であった。
入江を渡り、サン・マルコを横手に見て大運河を通って行く船路は馴《な》染《じみ》の途《みち》であった。彼は船首の丸い腰かけに腰を下ろし、腕を手《て》摺《すり》に置き、手で目を覆《おお》っていた。公園をいくつかあとにし、小さな広場がもう一度豪華な美しさを見せて眼前に現われては消え、高い館の堂堂たる列が現われたが、運河を横に切れると、涙橋の見事に彎曲《わんきょく》した大理石の橋が迫ってきた。アシェンバハは目を凝らした。その胸はうずいた。ヴェニスという町の雰《ふん》囲《い》気《き》、かすかにものの腐ったような匂いのする海と入江、どうあってもそれをのがれねばと思ったその臭気、その雰囲気――彼はいま深々と、やさしく切ない想《おも》いでその空気を吸い込んだ。自分の心がいかほどこれら一切のものに懸けられていたかを悟らず考えずにいたとはわれながら迂《う》闊《かつ》ではなかったか。つい今朝ほど自分の行動の是非に対して感じていたかすかな疑い、多少の名残り惜しさが、今は本物の残念、苦痛になり変って、彼は胸の切なさに幾度か目に涙を浮べたほどであった。己《おれ》にはこの苦しさを前もって見抜くことはとうていできなかったのだとひとりごちた。とても辛《つら》く、時としては全く堪えられぬとさえ思ったのも、自分はもう二度とヴェニスを見ることはあるまい、これが永久の別れなのだと考えたからであった。ヴェニスに来て、二度ともこんなふうにからだや神経の具合がわるくなったのだから、また、あわてて逃げ出さざるをえぬ仕儀に立ち至ったのもこれが二度目なのだから、これからさきふたたびこの土地を訪れるということはもう考慮の他《ほか》のことであった。自分はこの土地に合わないのだ。今後またここへやってくることは無意味だろう。それどころか、今ここを旅立ってしまえば、一度ならず二度までも自分を肉体的に駄目にしてしまった、自分の大好きな古都をもう一度でも訪れようなどというのは、羞恥心《しゅうちしん》と反抗心とに妨げられてとうていできない相談なのだということを感じた。そして気持の上の愛着と肉体の無能力とのあいだに起ったこの争いは、この初老の作家に突然きわめて重々しく深刻に、またからだが堪えられなかったということがきわめて屈辱的に、どんな手段を尽くしても食いとめねばならぬものに思われてきたので、つい昨日深く考えもせずこの敗北に堪えてこれを承認しようと軽率に諦《あきら》めてしまった自分の態度が今では不可解なものに見えてきた。
そのあいだに蒸気船は停車場に近づいて行った。苦悩と困惑とはほとんど混乱にまで高まった。旅立つことも不可能なら、取って返すことも不可能に思われた。そんな惑乱状態で彼は停車場に足を踏み入れた。もう時間は全くなかった。汽車に乗ろうと思うならば一刻も猶《ゆう》予《よ》ならなかった。彼は汽車に乗りたかった。そして乗りたくなかった。しかし時は迫る。時は彼を前方へ追い立てた。急いで切符を買おうと思って、人のごった返す構内を駅にホテルから出向いているはずの係員を捜した。その係員が現われて、大きいほうのトランクはもう託送いたしましたと知らせた。もう託送した? はい、たしかに引渡しました――コモ行きといたしました。コモ? さてそれからせわしない問答が、怒りを含んだ問いとまごまごした答えとが往反した揚句、トランクはホテル・エクセルシオールの荷物取扱所ですでに、ほかの、別の人たちの荷物と一緒に全くの方角ちがいに送り出されていたことがわかった。
アシェンバハは、こんな場合にただ一つもっともだと思われるような顔つきを保つのに苦心した。冒険へのよろこび、信じられぬほどの朗らかさが、からだの中から湧《わ》き起ってきて、ほとんど痙攣《けいれん》的に胸をゆすぶった。ホテルの係員は、託送した荷物をなんとかして食いとめようとして、あわてふためいて飛んで行ったが、果せるかな為《な》すところなく引返してきた。そこでアシェンバハは、あの荷物がなければ旅をしたくない、引返すよりほかはない、引返して、ホテルで荷物の帰ってくるのを待つことにすると宣言した。ホテル会社のモーターボートは駅に来ているのかときくと、すぐそこにつけてあるという。またその係員はイタリア語でまくし立てて切符の払い戻しを受け、荷物を早く送り戻させるために電報を打ち、費用も手間も惜しまないと誓った。こうして――停車場到着の二十分後には、旅立とうとしたアシェンバハがリドに引返すべく大運河を通って行くという奇妙なことになったのである。
これは実に奇妙な、信ずべからざる、恥ずべき、滑稽《こっけい》で夢想的な一場であった。つい今の今、深い悲愁のうちに永遠の別れをつげた場所を、今は運命の手によってくるりと向きを変えさせられ、もとの場所へ向って吹き流されて、同じ一刻のうちにまた見ようとは。側面から風を受けながら、へさきに泡《あわ》を立て、ゴンドラや蒸気船のあいだを器用にすばしこく走りぬけて、この小さな速い船はまっしぐらに目的地へ進んで行った。そしてその中には乗客がたった一人、怒ったような諦めの表情の下に、脱走した少年のような不安で気負った興奮を隠して坐っているのであった。あい変らず間を置いて、こんどの不運に対する哄笑《こうしょう》が彼の胸をゆりうごかした。この不運は、彼が自分に言いきかせた通り、好運な人間にも、これ以上に好意的には襲いえない底《てい》のものであった。ホテルに帰りつくと、何かと説明したり、驚いた顔を我慢しなければならないが――そののちは、と彼は自分に言いきかせた――万事がよくなるのだ。そののちは一つの不幸が予防され、一つの大きな過誤が訂正され、またすべて背後に残したと信じたものはふたたび彼の眼前に展《ひら》かれ、自分がそうしたいと思うあいだだけ自分の自由になるのだ。……とはいえ船脚が速いのは自分が錯覚を起しているからなのであろうか。それとも、ただでさえ速いモーターボートが、その上なお海からの風でこうも速く走っているのか。
島からホテル・エクセルシオールに通ずる狭い運河のコンクリートの壁にはさざ波が打当っていた。ホテルに戻ってくる彼を一台の乗合バスが待っていた。バスは縮緬《ちりめん》のような皺《しわ》を寄せた海を見下ろす直線の道路を通って彼を海辺ホテルへ運んだ。ゆったりとしたフロックコートの、小《こ》柄《がら》で、髭《ひげ》を生やしたマネージャーが外の階段を下りて彼を出迎えた。
小声で、お世辞を言うような調子で、支配人はこんどの突発事件を悔んで、こういうことは自分や会社にとってはまことに心苦しいことだと言ったが、荷物が帰ってくるまでこのホテルで待とうというアシェンバハの決心には断然賛成の意を表した。むろん以前の部屋はもうふさがってしまったが、似よりの部屋をすぐお役に立てるというのである。階上へリフトで昇って行く時、係のスイス人は「運がお悪うございましたね」とフランス語で言った。こうしてこの逃亡者はふたたびホテルの客となった。部屋は位置からいっても、設備から見ても、以前の部屋とほとんど同じだった。
奇妙な午前中のさわぎのために疲れ、頭もぼんやりして、手《て》提《さげ》カバンの中身を部屋の中へ適当に置き分けると、開いた窓のそばの安楽椅子《いす》に腰を下ろした。海は浅い緑色になっていた。空気も前よりは薄くすがすがしく、空は依然として曇っていたが、海辺は小屋やボートで昨日よりもさらに賑《にぎ》わっていた。彼は両手を膝《ひざ》に組んで外を眺《なが》めた。またここにいられることに満足であった。しかしまた自分の気紛れや、自分で自分の望みを知らなかったことにたいしては、頭をふりながら不満の意を示した。そんな姿勢で彼は一時間ばかりじっとしていた。からだと心とを休めて、ぼんやりと夢見心《ごこ》地《ち》に浸っていた。午頃《ひるごろ》、彼はタドゥツィオを見かけた。少年は海のほうから、赤ネクタイのついた、縞《しま》リンネルの服で、渚の柵《さく》を抜け板張りの通路に沿ってホテルに帰ってきた。アシェンバハははっきりと少年の姿を認め知る前すでに、ホテルの窓からすぐそれがタドゥツィオだということを見てとった。そしてたとえばこんなことを考えてみようと思った、「おや、タドゥツィオ、やっぱり君もいたんだね」が、その同じ瞬間、このくだらぬ挨拶の言葉が自分の心の真実の前にはかなく折れ崩れて沈黙してしまうのを感じた――それからまた、自分の血潮の感激、自分の魂のよろこびと苦しみを感じて、ヴェニスからの別離をあれほど辛いものにしたのはほかならぬこのタドゥツィオあるがためだったということをはっきりと知った。
彼は身じろぎもせず、高い階上の部屋の中で、人に見られもせず、坐《すわ》ったまま、自分の心の中を覗《のぞ》き込んだ。彼の顔には生気がみなぎってきた。眉《まゆ》は上へあがり、注意深い、好奇心に燃えた賢明な微笑が彼の口元を包んだ。それからは彼は頭を挙げ、椅子の肘掛《ひじかけ》から外にだらりと垂らしていた腕で、掌《てのひら》を前のほうへ向けながら、ゆっくりとまわすような、持ち上げるような動作をした。腕を開いて拡《ひろ》げるような。それは、ようこそという、ゆったりと受《うけ》容《い》れようとする身ぶりであった。
熱い頬《ほお》の、裸の神が、今では来る日も来る日も炎を噴く四頭立ての馬車を広い天空に駆っていた。そして彼の黄色い捲《まき》毛《げ》は、それと同時にもう収まりかけていた東風の中にひらひらしていた。ものうく身をくねらせる海の沖合には白絹のような光沢があった。砂も燃えていた。銀色にちらちらする青味がかった大気に包まれて、カーキ色の粗布が浜辺の小屋の前に張り渡され、砂地にくっきりと落ちたその日陰に人々は午前の時を過した。しかし公園の樹樹《きぎ》がかぐわしい匂《にお》いを放って、天上には星辰《せいしん》が輪舞し、闇《やみ》の中に没した海の呟《つぶや》きが、かすかに押し迫ってきて人の心に語りかける夜もまたすばらしかった。そういう夜は、ざっと区分けされた、のんびりした一日、好ましい偶然の無数の可能性が、ぎっしりと並んでいる新しい天気のいい一日を頼もしく約束していた。
実に好運な不運によってここに足どめを食ったわれわれの客は、たとい荷物が戻ってきても、ここを出発して行こうなどとはもう全く考えてはいなかった。二日ばかりは何かと不便な想いをさせられ、大食堂での食事にも旅行服で出なければならなかったが、例のとまどった荷物が戻ってくると、彼はまたすっかり荷をほどいて、中身をそれぞれ戸《と》棚《だな》や抽《ひき》斗《だし》に納めた。さしあたりいつまでいようとは考えてもいない。絹の服で渚に時を過し、食事時にはまた格式通りの礼装で食卓に就くということに満足していた。
この生活の気持のいいリズムに彼はすでに魅せられていた。こういう暮し方の、当りのいい、派手な柔らかさはたちまちにして彼を恍惚《こうこつ》とさせた。実際ここにこうして滞在していると、南国の岸辺で味わう念の入った海水浴生活のいろいろな魅力と、ヴェニスという、この珍らかな風変りな都市の人なつこくそばによってくる気分とを併せ知ることができるのだ。アシェンバハは享楽《きょうらく》を好まなかった。お祭騒ぎをしたり、休息したり、面白い目を見たりするようなめぐり合せになると、彼はたちまち――ことに若い頃はそれがひどかった――不快になり落着かなくなって、自分の日常の高貴な労苦の中へ、神聖で味気ない奉仕生活の中へ帰りたくなるのであった。ただこのヴェニスという土地にかぎって、彼を魅了し、彼の意欲を弛《し》緩《かん》させ、彼を幸福にした。午前中などにはよく自分の小屋の前に張った日覆いの下で南の国の海の碧《あお》さを夢見心地で眺めたり、あるいはまた生温かい夜などをサン・マルコの広場で時間潰《つぶ》しをしたりしたあと、またそこから大きな星のまたたく夜空の下を、リドまで乗って行くゴンドラのクッションに身をもたせかけながら、賑やかな灯やセレナーデの甘たるい響きをうしろに残して水の上を滑って行ったりするとき、山地にある別荘のことがふと彼の念頭をかすめ過ぎることがあった。雲が低く庭を流れて、夕方になると恐ろしい嵐《あらし》が家中の灯火を消してしまい、彼が餌《え》をやる鴉《からす》どもが高い松の梢《こずえ》をめぐって飛んでいる、あの夏の労苦の場所である。そんな時、彼には自分が今、この世ならぬ境に連れてこられているように思うことがある。人々は少しも生活に悩まされることなく、雪もふらず冬もなく、嵐も襲ってこなければ大雨もなく、海の神は絶え間なくやさしく冷たい息吹《いぶ》きを送ってきて、日々は幸福なのどけさのうちに、苦痛もなく、戦いもなく、ただもう太陽とその祝祭とに捧《ささ》げられて流れすぎて行く、そういった地球の果てに連れてこられたように思うことがある。
アシェンバハはいくどもいくども、いやほとんど絶えずタドゥツィオの姿を見た。生活する場所が限られていて、日々することもきまりきっていたから、自然と彼は一日じゅう、短いあいだを別にして少年の姿を見る結果になった。どこへ行っても彼は少年にぶつかった。ホテルの階下の部屋、町へ往《ゆ》き帰りする涼しい船路、美しい広場の上、また偶然の力添えがあるときはその合間あいまに町の大通りや小路などで彼は少年に出会った。しかし主として、また非常に幸福な規則正しさで、渚《なぎさ》で過す午前の時間が、この少年の優雅な姿を礼讃《らいさん》し研究する機会を十分に提供してくれた。いや、こんな具合に幸福が縛られていること、四囲の事情がこんな具合に毎日きまってふたたび始まることこそ、彼の心を満足と生活のよろこびとで満たし、この滞在をこよなきものとし、朗らかな一日をこんなふうに愛想よく続けさまに並べてくれる原因であった。
いつも仕事への欲望がはげしい時のように、彼は早く起きて、まだ太陽の光が柔らかで、海が白々と輝きながら暁の夢からさめきらぬうちに、大抵の人よりもさきに海辺に出た。ホテルの柵の番人にも愛想よく挨拶をして、はだしの、白い髭を生やした老人にも同じように親しく挨拶をした。この老人は彼の小屋の面倒を見、カーキ色の日除《ひよ》け布を張って、小屋の中に置いてある家具を、おもての壇へ移してくれるのである。それから腰を下ろす。そして、三時間、四時間、気《き》儘《まま》な時を過す。そのあいだには太陽は次第に高く登り、恐ろしい力を発揮し始め、海もまた次第にその青さを増して、さてタドゥツィオの姿を眺めることができるわけである。
少年は左手の、波打ち際《ぎわ》に沿ってやってくることもある。またうしろの小屋のあいだからやってくることもある。また時には、うっかりしていて、少年がいつやってきたかを知らずにいて、海辺ではもういつもこれしか着ていない青と白の海水着になって、あい変らずの砂遊びや水泳ぎをやり始めているのを突然発見して、よろこびかつ驚くこともある。――少年の示すものは見るからに愛らしく、しかし無意味で、のんびりとしていながらも、せわしない動きだった。それは遊び、安息であり、ぶらぶら歩き、水を渡ることである。砂を掘る、何かをつかまえる、寝そべる、泳ぐ。壇の上で見張っている女たちは甲高い声で時々「タッジュウ! タッジュウ!」と呼び立てる。呼ばれた少年はせわしない身振りを見せながら走り戻ってくる。そうして、自分が見たりしたりしてきたことをみんなに話してきかせる、見つけ出したり、つかまえたりしたものをみんなに見せる。貝、たつのおとしご、くらげ、横《よこ》這《ば》いする蟹《かに》などを。少年の言っていることは、アシェンバハには一言もわからぬ。むろんひどくありふれたことにちがいない。彼はわけのわからない、快い声音を耳にするのである。言葉がわからないから、少年のおしゃべりは音楽になる。気負った太陽が少年の上に惜しげもなく光を浴びせかける。海の崇高な、奥行きの深い眺めは、そんなときいつも少年の姿に箔《はく》をつけ、背景をなした。
ほどなくこの観察者は、このかくも高められ、かくも自由に自己を表現する小さな肉体の、あらゆる線、あらゆるポーズを知《ち》悉《しつ》し、もう知り尽した美しさに新たに出会うたびにうれしくそれを歓迎し、いくら感嘆してもし足りず、いくらやさしく味わい楽しんでも楽しみ足りぬという有様であった。女たちが小屋のそばでお相手をしているお客に挨拶《あいさつ》させようとして、少年が呼び寄せられる。少年は走り戻る。泳いできたばかりからか、からだから滴《しずく》を垂らしながら駆け戻ってくる。捲《まき》毛《げ》の頭をふる。片方の足で立ちながら、もう一方の足を爪《つま》立《だ》てて、手を差しのべながら、からだを可愛《かわい》らしくよじったり回したりする。優雅に緊張しながら、愛嬌《あいきょう》を見せることを恥じながら、貴族的な義務感からなるべく愛想よくしようとして。少年はタオルを胸のところにたくし上げて、たくみに彫られたような腕を砂について、あごを掌にのせて長々と横になる。「ヤシュウ」と呼ばれている別の少年が彼のそばにしゃがんで、少年のご機《き》嫌《げん》をとる。さてこのみんなの寵児《ちょうじ》が、目下の、かしずく別の少年を見上げるときに見せる目と口の微笑ほど魅惑的なものはないのだ。少年はまたときによると波打ち際にたった一人で、みんなからはなれて、アシェンバハのすぐそばに立っている。――まっすぐに、両手を首のところに組み合せ、足を爪立てたなりにゆっくりとからだを揺りながら、ぼんやりと青い海を眺めている。すると小さな波が打寄せてきて、少年の足さきにたわむれかかる。蜂《はち》蜜《みつ》色の髪の毛はこめかみや首にまきつき、陽光が脊椎《せきつい》の上のほうのうぶ毛を光らせ、肋骨《ろっこつ》の花車《きゃしゃ》な線と、胸腔《きょうこう》の均整のとれた輪郭とが、胴体をわずかに覆《おお》っている海水着の下にそれと見てとられ、腋《わき》の下は彫刻像のようにまだすベすべしていて、ひかがみ《・・・・》は輝き、青味がかった血管はそのからだが何か普通のからだよりも清らかな物質ででき上がっているように思わせる。こののびのびとした、若々しく完璧《かんぺき》な肉体には、なんという規律が、なんという精妙な思想が表現されていることだろうか。目に見えぬところで働きつつ、この神のごとき人間像を創造しえた厳粛にして清純な意志――この意志は芸術家たるアシェンバハにとっては既知の、馴《な》染《じみ》のものではなかっただろうか。冷やかな情熱をたたえながら、言語という大理石の大塊から、精神が眺め見たものを、精神的な美の塑《そ》像《ぞう》として鏡として人間たちに示し見せる、そのしなやかな形を創《つく》り出すとき、この意志はまた彼の内部にも働いていなかっただろうか。
塑像と鏡。アシェンバハの目は、そこの海辺に立つ高貴な立像を抱きとった。そして抑えがたい恍惚感のうちに、彼はこの注視によって美そのものを、神の思想としての形式を、精神の裡《うち》に生きている唯一《ゆいいつ》の、そして純粋の完全さを――この完全さの、人間の形を採った模像と象徴がここに軽やかに優雅に、われに拝《はい》跪《き》せよとばかり打立てられているのだ――把《は》握《あく》しえたと信じた。これは陶酔であった。そして老年を迎えたわれらの芸術家は躊躇《ちゅうちょ》することなく、いや貪欲《どんよく》にこの陶酔をよろこび迎えた。精神は陣痛の苦しみを味わい、教養は沸きたぎった。記憶は遠い昔の、自分の青春時代に引渡されてしまっていた。そしてそれまではただの一度も自分の炎で燃え上がることのなかった思想を呼び戻した。太陽はわれわれの注意を知的な事柄から官能的な事柄へ転じ向けるといわれているではないか。太陽はわれわれの分別と記憶とを麻痺《まひ》させ魅了するから、魂は快感のあまり自己本来の状態を全く忘却し、驚きつつ感嘆しつつ、陽光を浴びた事物の中の最も美しいものに縛りつけられたままでいるものだといわれているではないか。いや、魂はただ肉体の助けがあって初めてもっと高い観照へと高まることができるというではないか。まことに愛の神は、愚かな子供たちに純粋形式のわかりやすい姿を教えてやる数学者に劣らぬのである。すなわちこの神もやはり、人間に精神的なものをはっきり示すためには好んで若い人間の型態と色彩とを使用して、それを美の一切の反映で飾り立てて記憶の道具とし、それを見るときにわれわれは間違いなく苦痛と希望とのうちに振い立つのである。
熱狂したアシェンバハはこう考えた。彼はそう感じることができたのだ。そして海の響きとはげしい陽光の中から一つのすばらしい光景が紡《つむ》ぎ出されてきた。それはアテネの外壁からほど遠からぬところに立っている鈴懸《すずかけ》の老樹であった。ニンジンボクの花の香りに満たされた、あの涼しい樹陰の場所であった。そこはニンフやアケロオスを祀《まつ》るために、奉納の絵や敬虔《けいけん》な供物で飾られていた。枝を張った老樹の根元には、すべすべした小石の上を澄んだ小川の水が流れていて、コオロギの声も聞える。なだらかな斜面をなしている芝生の上には――それは横になったまま頭をまっすぐに立てていられるほどの傾斜だった――暑い陽《ひ》ざしをここに避けて、二人の人間がねそべっていた。年をとった醜い男と、美しい青年とである。愛らしい若者と老いたる賢者とである。愛想を言ったり、気のきいた取入るような冗談を言ったりしながら、ソクラテスはパイドロスに憧《あこが》れと徳義とについて教えを垂れていた。ソクラテスは、情を解する人間の目が永遠の美の似姿を見たときに受ける、あのはげしい驚きについて語りきかせている。美の似姿を見ながら美を考えることもできず、美に畏《い》敬《けい》の念をいだくこともできぬ不純な、そして邪悪な人間の欲望の数々について語りきかせている。神に似た面《おも》ざし、完全な肉体に出会った高貴な人間が襲われる、あの神聖な不安について語りきかせている。そのとき、高貴な人間は戦《おのの》き震え、我を忘れ、ほとんどまともに見る勇気さえもなく、その美しい人間を崇拝し、はたからとやかく言われる心配さえなければ偶像に供物を捧げるように供物を捧げるのだと語りきかせている。なぜなら美は、パイドロスよ、美のみが愛するに足るものであると同時にこの目にはっきりと見えるものなのだ。よく聴くがいい、美こそはわれわれが感覚的に受容れ、感覚的に堪えることのできるたった一つの、精神的なものの形式なのだ。事実また、もしそうでなくて神的なものが、つまり理性と真理とがそれ以外の途《みち》でわれわれの前に感覚的に現われてくるものなら、われわれは一体どうなってしまうだろうか。むかしセメレがゼウスの前で身を焼き尽してしまったように、われわれもまた愛のために身を焼き尽してしまうにちがいあるまい。だから美は情を解する人間の、精神へ至る道なのだ。――しかしただ道にすぎぬのだ。小さなパイドロスよ、ただ一つの手段にすぎぬのだ。……続けてソクラテスは、この狡猾《こうかつ》な求愛者はこの世にある最も微妙な事柄《ことがら》を話した。愛する者は愛せられる者よりも一層神に近い、なぜなら愛せられる者の中に神はいないのに、愛する者の中には神がいるのだから――賢者はこの、かつて人間によって考えられた思想の中で、おそらくは最も心こまやかな、最も嘲弄《ちょうろう》的な思想を語った。憧れというものの持つ一切のずるさ、最も密《ひそ》やかな快楽はつまりこの思想に端を発するのである。
作家の幸福とは、全く感情になりきってしまえる思想を持つことである。全く思想になりきってしまえる感情を持つことである。こういう脈打つような思想が、こういう精密な感情が当時この孤独な作家に属し、服従していた。つまり、精神が神妙に美の前に頭を垂れる時、自然は歓喜のあまり震え戦くという――彼は突如として、書きたくなった。なるほどエロスは怠惰を好み、怠惰のためにのみ創られているといわれる。しかし危機の、この点で、この熱狂した作家の興奮は創造に向けられていた。きっかけなどはほとんど問題にならなかった。文化と趣味との、ある一つの重大焦眉《しょうび》の問題について所懐をお洩《も》らし願いたいというアンケートが、諸所の知識階級に属する人々に発せられて、この旅に出た作家の許《もと》にも届けられていた。テーマは彼の知り抜いているものだった。彼には身に覚えのある問題であった。思うさまこの問題を論じてみたいという衝動が抑えようもなく起ってきた。しかも彼は、タドゥツィオのいる前で仕事をし、書きながら少年のからだつきを手本にし、自分の文体を神のように思われるこのからだの線に合せて、かつて鷹《たか》がトロヤの牧童を天高く連れ去ったように、少年の美しさを精神的なものに移し置いてみることを望んだ。初老の作家は日覆いの下の粗末なテーブルに倚《よ》って、偶像を眼前に、その声を耳底に、タドゥツィオの美に従って自分の小文を書いたが、彼はこの危険にも甘美なときほど文を作ることの醍《だい》醐味《ごみ》を、言葉のうちに含まれたエロスを感じとったことはかつてなかった。――それは洗練せられきった一ページ半の散文であった。その至純、その高貴、その張りつめた感情の弦《つる》は必ずや程なく多数の人人の驚嘆を招かずにはおかぬものであった。世間が美しい成果のみを知って、その出所を、その成立の諸条件を知らぬということはまことに具合のいいことだ。なぜといって世人がもし、芸術家に霊感を吹き込んだ源泉を知ったならば、おそらく世人は当惑したり、尻《しり》込《ご》みしたりして、そういうわけでせっかくの優れた作品の効果は台なしになってしまうだろうから。奇妙な時間であった。奇妙に神経を麻痺させるような労苦であった。ある肉体と精神が交渉を持って、ものを産み出す奇妙な状態であった。仕事を片付けて、浜辺を立ち去る時、彼は疲れきっていた。いや、ふらふらになっていた。何かよからぬことをした果てに、良心がひどく苦情を言っているとでもいうような気分だった。
翌朝、彼が外出しようとして、ホテルの外の階段に出ると、タドゥツィオはちょうど海へ行こうとして――珍しく一人で――海辺の柵《さく》へ近寄って行くところであった。ひょっとこの機会を利用して、自分ではそれと知らずに彼にあれほどの精神の昂揚《こうよう》と活動とを恵んでくれたこの少年と気軽に近づきになり、話をしかけて、少年の返答や眼《まな》ざしを見聞きして楽しみたいという考えが起ってきた。美しい少年はゆっくりと歩いて行くので、追いつこうとすれば追いつけた。そこで彼はやや足を速めた。彼は小屋のうしろの板橋のところで少年に追いついた。手を頭や肩に置いて、何かちょっとした言葉を、何かフランス語の軽い文句をもうすんでのところで言おうとした。と、そのとき、きっとあまり早足に歩いてきたせいか、心臓がひどくどきどきするので、こんなことでは何かものをしゃベっても口が思うようにいうことをきくまいと思った。彼はためらった。自分を抑制しようとした。突然、もうあまりにも永いあいだ少年のすぐあとをつけて歩いているので、少年が妙に思いはしないかと心配になってきた。少年がうしろを振向きはしないかと不安になってきた。それでも、もう一度いっそのことと身を構えたが、力が抜けて、諦《あきら》め、頭を垂れて通りすぎてしまうことになった。
彼はその瞬間、しまった、と思った。もう遅い。しかし本当に遅すぎたか。踏み出すのを怠ったその一足も、ひょっとしたらいいほうへ、さりげないもののほうへ、よろこばしい結果に、ありがたい覚醒《かくせい》に向くことができたかもしれないのだ。しかしアシェンバハは実はその覚醒を欲せず、陶酔をあまりにも大切に思っていたというのが本当のところだったのだろう。芸術家というものの正体と特長との謎《なぞ》を解けるものがいるだろうか。芸術家という存在がそこに根を下ろしているところの、規律と放逸とが、深く本能的にまじり合っている状態を誰が理解するだろうか。なぜなら、ありがたかるべき覚醒を欲しえぬということは放逸なのだから。アシェンバハは今ではもう自分を批判する気分になってはいなかった。彼の年齢からくる趣味と精神状態、自負心、成熟、老年の簡素などのために、彼は自分が良心から自分の意図を実現しなかったのか、あるいはまた放漫と弱さとから実現しなかったのか、その動機根拠を分析し決定する気持にはなれなかった。彼は心を取乱し、たとい海水浴場の番人にしろ、誰かが自分の走ったのを、自分の失敗したのを見ていはしなかったかと恐れた。物笑いになることをひどく恐れた。それはそれとして自分で自分の滑稽《こっけい》で神聖な不安を興がった。「喧《けん》嘩《か》の途中で怯《おび》えて羽根を垂れてしまう雄鶏《おんどり》のように、己《おれ》はしてやられた。あの愛らしい少年を見て、われわれの勇気を挫《くじ》き、誇らしい精神をかくもむざんに叩《たた》き伏せるのは、たしかに神なのだ……」彼はこの一件を笑いごとにし、空想的にした。一つの感情を恐れるには、彼はあまりにも高慢であった。
もう彼は自分自身に与えていた安逸の時期が過ぎて行くのを監視してはいなかった。引上げることなどは夢にも思ってみなかった。金はたっぷりと送らせてあった。ただ一つの心配は、あのポーランドの一家が旅立ちはせぬかということであった。しかし彼はこっそりとさりげなく、ホテルの理髪師の口から、この一家の到着は彼が到着したほんの少し以前だったということを探り出していた。太陽は顔と手とを黒くし、刺激的な潮風は感情の力を強くした。これまでずっと彼は、睡眠や食事や自然などが贈ってくれるエネルギーはすべてこれを直ちに創作に振向けてきたのであるが、今では太陽や閑暇や潮風が毎日供給してくれる精力の一切を陶酔と感受とに惜しげもなく不経済にも振向けた。
眠りは浅かった。楽しくも単調な毎日は、幸福な不安に満ちみちた短い夜々によって区切られていた。むろん彼は早目に部屋へ引上げた。というのもタドゥツィオが舞台から姿を消す九時ともなれば、彼にとって一日は終ったも同然であったから。しかし空が白み始める頃《ころ》になると、彼はやさしく心を貫く驚きのために目をさます。心は冒険を思い起す。もう寝床の中に横になっている気がしない。ちょっとしたものをからだにまとって夜明けの寒さを防ぎながら、開け拡《ひろ》げた窓際《まどぎわ》に腰を下ろして日の出を待つ。すばらしい日の出は、眠りによって浄《きよ》められた魂を敬虔な想《おも》いで満たしてくれる。まだ空も大地も海も、気味のわるい硝子《ガラス》のような、暁方《あけがた》の青色の中にある。星が一つ、まだ消えずに大空にかかっている。そこへそよ風が吹いてくる。曙《あけぼの》の女神エオスが良人《おっと》のかたわらに身を起し、遠い彼方《かなた》の空と海との一部分がかすかに赤らみ初《そ》めて、創造の日をここに新たに再現することの、人間には近づきがたい棲《す》み家から送られてきた迅速な知らせなのだ。女神が近づいてくる。クレイトスとケパロスを奪い、オリュンポスの神々の妬《ねた》みに抗《あらが》いながら美しいオリオンの愛を享《う》ける、美しい青年を誘惑する女神である。向うの、世界の果てにバラの花が撒《ま》かれ始めた。なんともいいようもないやさしい光と輝き、清らかな雲は聖化され、光に浸され、仕えかしずく愛の童神たちのように、薄桃色の、青味を帯びた大気の中に漂い、深紅の色が海の上にさっと落ちる。海はその深紅の色を沸きたちつつ前へ前へと押進めて行くように見える。黄金の槍《やり》が水平線から大空の高みにすいと伸びる。光耀《こうよう》は燃える炎となり、音もなく神々《こうごう》しい壮大な力で炎熱と火炎とが立ちのぼり、湧《わ》き返る炎がめらめらと燃え上がり、蹄《ひづめ》で蹴《け》りながら、女神の弟の馭《ぎょ》する神馬が地上に姿を現わす。この神の壮麗な光を浴びて、孤独に、目ざめた作家はじっと坐《すわ》って、目を閉じ、光耀に瞼《まぶた》を接吻《せっぷん》させていた。昔のいろいろな感情、若かった頃の、心の貴重な悩みの数々、生活への厳粛な奉仕の中に死んでいたそれらが、今奇妙に姿を変えて立ち戻ってきた――彼は困惑した、いぶかしげな微笑を浮べてそれを眺《なが》めた。彼は思いに耽《ふけ》り、夢み、その唇《くちびる》はゆっくりと一つの名前をいうような形をとった。そして依然として微笑を浮べながら、顔を仰《あお》向《む》けにして両手を膝《ひざ》に置いたままでもう一度安楽椅子《いす》の上で寝入った。
しかしはげしく晴やかに始まった一日は、全体から見て奇妙に浮きうきとした、神秘的に変化させられた一日であった。突然かくもやさしく意味深く、神の啓示にも似て、こめかみと耳のあたりとをめぐり流れる息吹《いぶ》きはどこからやってきたのか。白い羽根のような雲は、神々の飼っている畜群のように空一面にちらばっていた。少し強い風が起って、海神ポセイドンの馬が跳ねながら走ってきた。そしてまたこの青い捲《まき》毛《げ》を持った神に仕える牡《お》牛《うし》たちも、吠《ほ》えながら角を伏せて駆けてきた。遠い岸辺の岩石のあいだにはしかし、波が跳ねる山羊《やぎ》のように飛び上がっていた。パンの神の生活に似た、神聖に歪《ゆが》められた一世界が、うっとりとしたこの作家を包んだ。彼の心はやさしい物語を夢みていた。いくたびも、ヴェニスの背後に太陽が没し去るとき、彼は公園のベンチに腰を下ろして、タドゥツィオを見つめて過した。少年は白い服に色のついたバンドを締めて、砂利の敷いてある広場で球遊びに打興じていた。少年はヒュアキントスのように見えた。ヒュアキントスは二人の神に愛されたがために死なねばならなかったのだ。いつも美しいヒュアキントスと一緒に遊ぼうとして、神託を忘れ、弓を忘れ、キタラを忘れてしまった恋敵《こいがたき》に対してゼフュロスがいだいた痛ましい嫉《しっ》妬《と》の気持をアシェンバハは感じた。アシェンバハは、円盤が残忍な嫉妬心に操られて少年の美しい額に当るのを目《ま》のあたりに見る想いだった。彼は――彼も蒼《あお》ざめながら――崩れ伏す少年のからだを受けとめる。ヒュアキントスの甘美な血の中から咲き出た一輪の花には、彼の無限の悲愁が刻印を捺《お》している……
顔見知りというだけのことで、日々刻々顔を合せながら、互いに見合いながら、挨拶《あいさつ》もせず言葉も交さず、作法や自分の気《き》紛《まぐ》れなどに強制されて、さりげない冷淡さを装うという人間同士の関係ほど不思議で微妙なものはあるまい。そういう人間のあいだには落着きのなさと、極度に敏感な好奇心と、満足させられていない、不自然に抑圧された知識欲と交際欲のヒステリー的状態、ことにまた一種の緊張した尊敬心とがある。けだし人間というものは、相手に判断を下しえないでいるあいだだけ、相手を愛し、敬うものだからだ。憧れは認識不充分の一産物なのである。
アシェンバハと若いタドゥツィオとのあいだには必然的に一種の関係、一種の交情が成立せずにはいなかった。アシェンバハは自分の関心と注意とが必ずしも相手から応《こた》えられないではいないということをたしかめえて、うずくようなよろこびを覚えた。現に少年はどういう理由から、朝、浜辺に出てくるとき、今では小屋のうしろの板橋を渡らずに、いつも前のほうの道を通って、つまり砂地を横ぎってアシェンバハのすぐそばを通って、時によると不必要なくらいに近いところを通って、彼のテーブルや椅子に触れんばかりにして自分の一家がいる小屋のほうへぶらぶら歩いて行くのか。ある優勢な感情の吸引力、眩惑《げんわく》力が、そんなふうにあのやさしい無心な少年に働きかけるのだろうか。アシェンバハは毎日少年が姿を現わすのを待ち望んだ。彼は時折、いよいよ少年が姿を現わしてきたとき、わざと何か仕事に気取られているようなふりをして見せることもあった。そして気がつかぬような様子で、少年をやり過す。ときによるとまたふと目を挙げる。ふたりの視線が出会う。そんなときは、二人ともひどく真剣な顔つきである。老作家の端正で威厳のある顔つきは心のうごきを露ほども外へ現わさぬ。しかしタドゥツィオの目の中には、探るような、考え深くもの問いたげなものがあり、その歩きつきにはためらいが混入し、目を地面に伏せ、また可愛《かわい》らしく視線を挙げて、通り過ぎる。通り過ぎたあとでは、いつも彼の姿勢の中のあるものが、自分はただ躾《しつけ》に妨げられているからうしろを振返らぬだけの話なのだと語り告げているように見えるのであった。
けれどもある晩のこと、いつもと変ったことが起った。このポーランド人の一家が、家庭教師をも含めて、大食堂での晩餐《ばんさん》に姿を見せなかったのである。――アシェンバハはこれを発見して、心が穏やかでなかった。そのためにひどく落着かなくなってしまった彼は、食後、夜の正装に麦藁《むぎわら》帽子という格好でホテルの前のテラスのあたりをぶらぶらしていると、突然例の尼《に》僧《そう》みたいな姉妹と家庭教師、そのあと四歩ぐらいのところをタドゥツィオが街灯の光の中に姿を現わした。何かの理由で外で食事を済ませて、汽船発着所から歩いてきたらしい。水の上はきっと涼しすぎたのだ、タドゥツィオは濃紺の短い水兵外套《がいとう》の金ボタンを締めて、頭には服と揃《そろ》いの縁なし帽子をかぶっている。太陽も潮風も少年の肌《はだ》をやきはしなかった。肌は最初の頃と変らず大理石の黄色味を帯びたままだった。しかしその晩は、涼しすぎたせいか、街灯の月光に似た青白い光のせいか、いつもより蒼ざめて見えた。平らな眉《まゆ》毛《げ》はいつもよりくっきりとして、目にはいつもより深々とした色があった。なんともいいようのない美しさだった。言語は感性的な美をほめ讃《たた》えることのみなしえて、よくこれを写しえないということをアシェンバハは今また身にしみて感ずるのであった。
彼はこの突然の心楽しい出現を予期していなかった。それはあまり思いがけなかったので、自分の表情を落着かせ、威厳を保つ暇《いとま》がなかった。彼と少年との視線がぶつかり合ったときには、彼の顔にはよろこびと驚きと讃《さん》嘆《たん》とがはっきりと現われていたにちがいない。――そしてこのときに、タドゥツィオがほほえんで見せたのだ。話しかけるように、親しく、愛らしく、はっきりと、微笑しつつ徐々に開いていく唇で笑いかけたのである。それは水に映った自分の姿の方へ屈《かが》み込むナルキッソスの微笑であった。われとわが美しい影に腕を差しのべる、あの深刻な、うっとりした、誘い寄せられたような微笑であった。――ほんの少し苦汁を交えたあの微笑であった。というのもつまり自分の影のやさしい唇に接吻するという望みはないからなのだ。なまめいて物珍しげな、かすかに苦痛の色を浮べた、うっとりとした、人の心をまどわせる微笑であった。
この微笑を享けた男は、禍《わざわい》多き贈物をでも受取ったように、倉皇としてそこを立ち去った。彼はテラスと前庭の灯とを避けずにはいられなかったほどに、また慌《あわ》てふためいた歩き方でホテルのうしろの公園の闇《やみ》を求めたほどに、ひどいショックを受けたのだ。奇妙に腹立たしい、しかし愛のこもった忠告の言葉が口を衝《つ》いて出た、「お前はそんなふうに笑ってはならないのだ。いいかね、誰にだってそんなふうにほほえみかけてはならないのだよ」彼はベンチに身を投げかけた。気もそぞろに、植物が放つ夜の香気を胸に吸い入れた。腕をだらりと下げて、上体をのけぞらせ、たたきのめされ、幾度も戦慄《せんりつ》に襲われつつ、彼は憧憬《どうけい》のきまり文句を囁《ささや》いた。――こんな場合とうてい考えられぬような、つじつまの合わぬ、唾棄《だき》すべき、滑稽で、しかも神聖な、とはいえこんな場合にもやはり荘重なきまり文句、「己《おれ》はお前を愛するのだ」を。
リドに滞在して四週間目に、グスタフ・フォン・アシェンバハは周囲の世界に関して不気味なことを若干経験した。第一に彼には、シーズンも頂上に近づいて行くというのにホテルの客の出入りがどうやら増すよりも減るように思われた。ことに彼の周囲でドイツ語の話されることが次第にまれになり、ついには消え去ってしまって、食堂でも海辺でも、彼の耳に入るのは外国語ばかりになってきた。ある日のこと、このごろでは頻繁《ひんぱん》に出かけて行く理髪師のところで、話をしているうちにふと一語、聞き棄《ず》てにならぬことを耳にした。理髪師は、とあるドイツ人の一家のことを口にした。その一家は、ここにやってきてまだ間もないというのに、もう旅立ってしまったのである。理髪師はしゃべったり、お世辞を言ったりする合間にこう付け加えた、「旦《だん》那《な》はお残りですな。旦那は例の病気をおこわがり遊ばさないのですな」アシェンバハは相手を見た。「病気を」と彼は繰返した。おしゃべり男は口をつぐんで、忙しそうなふりをして、アシェンバハの反問を聞き流しにした。アシェンバハがもう一度はっきりと繰返すと、「なに、手前どもは何も存じませんので」と言って、困惑をおしゃべりで隠しながら話題を転じようとした。
これは午頃《ひるごろ》のことであった。午後、アシェンバハは風のない、はげしい陽《ひ》ざしの中を街へ渡った。ポーランド人の姉弟たちが家庭教師と一緒に汽船の発着所のほうへ歩いて行ったのを見かけたので、その跡をつけずにはいられなくなったからである。少年の姿はサン・マルコには見当らなかった。しかし、サン・マルコの広場の、陰になった側の喫茶店の、小さな鉄製の円卓で茶を飲んでいると、彼は空気中に突然ある独特の匂《にお》いを嗅《か》ぎつけた。それはもう数日前からはっきりとは意識せられなかったにせよ、実はとにかくぼんやりとわかっていた、というような気がし出した。――悲惨と傷と怪しげな清潔を思い起させる、甘ったるい、薬品めいた匂いである。彼はその匂いを調べ、考えつつその正体をはっきりととらえ、ちょっとした食べものを食べ終ってから、サン・マルコ寺院の反対側を通ってその広場を立ち去った。狭いところにくると例の臭気は濃くなって行った。街の角々には印刷物が貼《は》り出されている。その掲示は、現在のごとき時候には胃腸病のある種の病気が流行する懼《おそ》れがあるので、牡蠣《かき》、貝類を食べぬよう、また運河の水も飲まぬようにとの、ヴェニス市の警告を伝えていた。この布告の、奥歯にもののはさまったような調子は誰の目にも明らかであった。町の人たちが黙って橋や広場にかたまっていた。アシェンバハは彼らのあいだに、うかがいつつ、考え込みつつ立っていた。
珊《さん》瑚《ご》の首飾りと、模造紫水晶の装身具とのあいだにはさまって、売店の戸口によりかかっていた一人の店主に、彼はこのいやな匂いは何だとたずねてみた。男は重そうな瞼で彼をじろじろと見ていたが、やがて急に元気になって身ぶりよろしくこう答えた、「予防の措置でございますよ、旦那。警察がやりましたことなんで。仕方がございません。なにぶん陽気が陽気で、シロッコはからだに悪うございますからな。ま、つまり、おわかりでございましょうが。――これほど用心しなくても、と存じますがな……」アシェンバハは礼を言って、立ち去った。さてこうなってみると、リドへ帰る蒸気船の上でも例の消毒剤の匂いが感じられた。
ホテルに帰ると彼はすぐロビーの新聞掛けのところへ行って、あれこれと新聞を調べてみた。外国語の新聞には何事もなかった。ドイツ語の新聞はいろいろの噂《うわさ》をのせ、ふたしかな数字を挙げ、官辺の否認をそのまま載せて、しかもその否認の真実性を疑っていた。これでドイツ人やオーストリア人の引揚げた理由がはっきりとした。ドイツ以外の国の人々はたしかに何も知らず、なんにも感づいておらず、まだ騒ぎ出していない。アシェンバハは新聞をテーブルの上に投げ返しながら興奮して考えた、これは黙っていなければならぬ、と。しかし同時に彼の心は外界が今まさに陥ろうとしている冒険に対する満足の気持でいっぱいになった。なぜなら日常生活の確固たる秩序と幸福とは、犯罪にとってもそうだが、情熱にとってもあまりありがたくはないものであって、市民生活のどんな動揺も、世間のどんな混乱や災厄《さいやく》も、情熱にとっては歓迎すべきものであるからなのだ。けだしそんな場合、情熱は間違いなくなんらかの利益にありつくことができるからである。そんなわけでアシェンバハは、ヴェニスの汚ない裏町の、官辺が隠蔽《いんぺい》しようとしている事件に対して、わけのわからぬ満足の情を覚えた。――この都市の、この性《しょう》のよくない秘密、これは彼自身の最も奥深い秘密と融《と》け合っていて、これを守ることは彼自身にとってひどく大切なことだったからだ。まことに、恋する者アシェンバハにとっては、タドゥツィオの旅立ちにも増して心配なことは何一つなかったのであるし、もしタドゥツィオが旅立ってしまいでもしたら、自分はもう生きていく法を知らぬということになるだろうと、省みてやや愕然《がくぜん》とした。
このごろでは彼はもう少年の姿を見たり、そのそばにいたりするのを毎日々々の偶然や仕《し》来《きた》りにまかせておくだけでは満足できないようになっていた。そこで少年の跡をつけたり、待ち伏せしたりした。たとえば日曜日、ポーランド人の一家は絶対に海辺へ姿を見せない。きっとサン・マルコ寺院のミサに出かけているのに相違ないと推測して、彼はサン・マルコへ急いだ。陽ざしのはげしい広場から聖堂の薄暗がりに足を踏み入れながら、礼拝中、祈《き》祷《とう》机に身を屈めている少年の姿を見つけ出した。それからアシェンバハは、うしろの、跪《ひざまず》いたり、ぶつぶつ何事かを唱えたり、十字を切ったりする群衆の中にまじって、ひびの入ったモザイクの床の上に立った。この東洋風の寺院の、ずっしりとした壮麗さが重々しく彼の五官を圧した。祭壇の近くでは、重たく着飾った僧侶《そうりょ》が一人、しずしずと歩いたり、ものを手にとったり、歌ったりしている。立ちのぼる香煙が、祭壇上の蝋燭《ろうそく》の弱々しい炎にまつわりつく。が、重苦しい甘い犠牲の香気の中にも、かすかに別の匂いがまじっているように思われた。つまり病めるヴェニスの臭気である。しかし靄《もや》と灯明《とうみょう》の光を通して、アシェンバハは、ずっと前のほうにいるあの少年がうしろを振向いて、アシェンバハの姿を捜し求め、遂《つい》に探し当てたのを見た。
さてそれから群衆が開け放った正面扉《とびら》をくぐって、外の光り輝く、鳩《はと》の群がる広場に流れ出ると、眩惑された男は寺院の軒下に身をかくし、少年たちをやり過す。ポーランド人の姉弟たちが教会を立ち去り、他人行儀な挨拶をして母親と別れる。母親はホテルへ帰ろうとして、小さな広場のほうへ歩いて行くのをちゃんと見届ける。美しい少年と、尼僧めく姉たちと、女の家庭教師とが道を右にとって時計台の下をくぐって、商店街のほうへと歩いて行くのを見定める。そしてそのまま連中を少し先に歩かせておいてから、彼は彼らがヴェニスの町々を散歩して行くあとをこっそりつけて行く。向うが立ち止ったりすると、こっちも立ち止らねばならぬ。引返したりすると、小料理屋や家々の中庭などに身を隠して連中をやりすごさねばならぬ。姿を見失ってしまったりすると、息せききって橋を渡り、汚ない袋小路に迷い込んだりもせねばならぬ。いきなり身のかわしようもないアーケードで真向いからやってこられたりすると、その暫《ざん》時《じ》の苦しさは死ぬ想《おも》いである。とはいうものの、アシェンバハがそれを辛《つら》がったと言うことはできまい。頭と心とは酔っていたのであるし、またその歩みは、人間の理性と尊厳とを足下に蹂躙《じゅうりん》して快哉《かいさい》を叫ぶ魔神の指図に従っていたからだ。
タドゥツィオたちはどこかでゴンドラを雇ったりすることもある。彼らがゴンドラに乗り込むあいだ、よその家の軒下や噴水などの陰に隠れていたアシェンバハは、相手の船が岸をはなれたと見るや、すぐ自分もゴンドラを一艘《そう》雇う。彼は声をひそめて口早に、あのたった今向うの角を曲ったゴンドラのあとをこっそりつけて行ってくれ、そのかわり酒代をはずもうと船頭に言う。すると客ひきのような悪がしこい従順さで、船頭は彼と同じような口調で、へいへい、かしこまりましたとも、と答える。それを聴くと彼はぞっとする。
そんなふうにして、黒い、柔らかなクッションに身をもたせて、もう一方の、船首の突き出した黒い河船のあとを滑るように、揺られつつつけて行く。その小船の残す船跡に彼の情念はがんじがらめになっているのだ。時々行方《ゆくえ》を見失うこともある。すると心配で落着かなくなってくる。しかし船頭は、こういう仕事には慣れきっているかのように、うまく船を操り、急いで斜めに漕《こ》いだり近径《ちかみち》をとったりして、かならず先方の小船を見つけ出す。大気は静かで、ものの匂いがする。空をスレート色に染めた靄を通して太陽は、うっとうしく燃えている。水はちゃぶちゃぶと音を立てながら木と石にあたる。半ばは警告の、半ばは挨拶の意をこめた船頭の呼び声に、この迷路の静けさの中から、しめし合せたように返事をするものがある。小さな高いところにある庭園からは、白や深紅の花のふさが、アーモンドの匂いを放ちながら、朽ちた塀《へい》越しに垂れている。アラビア風の窓縁が、薄く濁った大気の中にくっきりと輪郭を見せる。とある寺院の大理石の階段が水の中に没している。乞《こ》食《じき》が一人、その上にかがんで、自分の哀れな有様を訴えながら帽子を差出して、盲目ででもあるかのように白目をむいて見せる。一人の道具屋が店の前に立って、いやらしい身ぶりで、行きすぎるアシェンバハの足をとめようとする。むろんだまして何かつかませようというのだ。これがヴェニスである。お世辞上手で、胡《う》散《さん》臭い美しいヴェニスである。――半ばは夢物語、半ばは外客をとらえるわなのヴェニスである。この都の腐ったような空気の中で、かつて芸術は放《ほう》恣《し》なまでに栄え誇り、人の心を軽くゆすって、媚《こ》びつつ寝入らせる響きを音楽家にもたらした。われわれの冒険者は、目にその華麗を見、耳にその旋律を聴く想いであった。彼はわずかに、この都が病んでいて、それを利欲のために秘していることを思い出す。そしてまた更にうずうずとした気持で、前を行くゴンドラのほうをうかがい見るのであった。
そんなふうにして、この血迷った男は、自分を燃え立たせる対象を間断なく追跡し、もしそれが見られぬときはそれを夢に見、恋をする者の例に洩《も》れずその単なる気配や影に向っても心のこもったやさしい言葉をかけるということ以外には何も知らず、欲しなかった。孤独、異境、幸福――遅まきの深刻な陶酔の幸福は、どんな突拍子もないことをも躊躇《ちゅうちょ》することなく顔を赤らめもせずにあえてやってのけるように彼を勇気づけ、説得した。それで彼がある夜、ヴェニスからリドへ戻ってきて、ホテルの二階で少年の部屋の扉の前に足をとどめ、額をうっとりと酔いしれたふうにドアの蝶番《ちょうつがい》のところにぴたりとつけて、永いことそこを離れられずにいたというようなことも起った次第である。こういう狂気染《じ》みた状態でいるところを人に見られるという危険は万々承知の上で。
とはいうものの、ふと足をとどめて、せめて少しは反省してみるという折もないことはなかった。己《おれ》はまあなんという道を歩いているのだ、と、そんな時彼は呆然《ぼうぜん》として思うのである。なんという道を。自然の功績によって自分の血統に対する貴族的な興味を吹き込まれているすべての男のように、彼は自分の生涯《しょうがい》の業績や成功に際して祖先を顧み、祖先の賛同と満足とやむにやまれぬ尊敬とを心の中にたしかめてみるということに慣れていた。アシェンバハは、許すべからざる事件にまき込まれ、感情のかくもエキゾティックな放埒《ほうらつ》に浸りつつある現在も、祖先のことを思い、祖先の人々の節度ある厳格と折目正しい男らしさを考えて、憂鬱《ゆううつ》に微笑した。彼らは現在の自分を見てなんと言うであろうか。いやいや己のこの生活にたいして何か言うことのあろうはずはないのだ。彼らの生活とは全然別といってもいいほどにかけはなれた、芸術に呪縛《じゅばく》せられたこの生活にたいして、彼らになんの言うことがあろうか。自分はかつて、祖先の市民的精神に則《のっと》って、きわめて嘲弄《ちょうろう》的な意見を公《おおやけ》にしたことがある。とはいえ彼らの生活も実のところは自分の生活にひどく近いものだったのだ。自分だって勤務したのだ、自分だって兵士であったのだ、軍人であったのだ、祖先の多くの人たちと同じように。――なぜなら芸術とは一個の戦争であった、今日では人が永くは堪えることをしかねる、身も心もすりへらす苦闘であったのだから。自己克服と「それにもかかわらず」の、苦しい、毅《き》然《ぜん》たる、禁欲的な、彼が繊細で時代的な英雄主義の象徴として刻み上げた生活――おそらく彼はこの生活を男らしいと呼び、雄々しいと見て一向に差支えはなかったのだ。そして彼は、自分を虜《とりこ》にしてしまったエロスの神が、こういう生活にはことのほかにぴったりとしていて、好意を寄せていてくれるような気さえした。エロスの神は、最も勇敢な諸民族のあいだですらも非常に尊信せられていたではないか。エロスの神は勇敢さによってそれらの都市で勢力をうるにいたったといわれているではないか。大昔のたくさんの勇士たちは、よろこんでエロスの神の課する桎梏《しっこく》を担《にな》ったのだ。なぜならこの神が下す屈辱はじつは屈辱を意味しなかったからであり、また、ほかの目的のために行われたのであれば、卑《ひ》怯《きょう》の証拠として非難せられたかもしれぬ行為の数々、つまり平伏、誓言、切なる願い、奴《ど》隷《れい》的な仕草など、そういったものも、恋をする者には恥辱とならず、むしろそういうことをすれば逆に人の賞讃《しょうさん》をさえ得られるのである。
心迷ったこの男は、こんなふうの考え方をした。こんなふうに自分を支えて、自分の品位を保とうとした。しかし同時にまた彼はヴェニスの町の中で起っている不潔な事件に絶えず探るような、強情な注意を向けていた。それは、彼の心の冒険とかくれたところで融け合っていて、彼の情熱を漠然《ばくぜん》たる無法な希望で養っている外界の冒険であった。疫病《えきびょう》の現況や蔓延《まんえん》度《ど》について何か新しいこと、何かはっきりしたことを知りたいと、矢も楯《たて》もたまらずに、町の喫茶店という喫茶店を歩き回ってドイツの新聞をあさった。というのがここ四、五日以前から、ホテルのロビーの卓上からドイツ語の新聞は姿を消していたからである。新聞紙上ではさまざまな主張と取消しとが交代していた。罹病者数《りびょうしゃすう》、死亡者数は、二十ともいえば四十ともいう。いや百以上ともいう。そうかと思うとそのすぐあとでは、疫病の出現はどれもこれも、むろんもうはっきりと否定はされないが、しかし全く稀《まれ》な、系統立ったものでなく、みな外国から持ち込まれたものばかりだといわれている。確実なことは知られなかった。
それにもかかわらず、孤独な男は、自分にはこの秘密にあずかる特別の権能があるのだと思っていた。そして彼もやはり秘密の外に立たされた一人ではあったが、それでも事情に通じている人たちにわなをかけるような質問をして、沈黙を申合せている人たちに真っ赤な嘘《うそ》をつかせることに奇妙な満足を覚えた。ある日、大食堂での朝食の折、彼はホテルの支配人をつかまえて話をした。あの、フランス風のフロックコートを着て、静かに歩く小男である。支配人は客に挨拶《あいさつ》をしたり、監督したりしながら食堂の中を歩き回って、アシェンバハの食卓にもちょっと足をとどめて、二言三言何か言うのである。客は投げやりな、さりげない調子でこうたずねた、「いったいどういうわけでヴェニスじゃ消毒をやっているのかね、少し前から」「つまり、それは」と足音を忍ばせて歩く男は答える、「警察のやりましたことでございまして。なにぶんこの通りむしむしと、度外れの暑さでございますから、その、万が一にも公衆衛生に悪いことがあってはと申す次第で、これはまあ義務でございましてな、時々これをやりませんとな」――「結構な警察だね」とアシェンバハは答えた。それからしばらく天気のことで言葉を交して、支配人は立ち去って行った。
その同じ日の夕方、夕食後のホテルの前庭に町からやってきた流しの音楽家の小さな一団が現われた。男が二人、女が二人という一座で、外灯の鉄柱のところに立って、白く光る顔を、大テラスのほうへ向けた。テラスには海水浴客があるいはコーヒーを、あるいは冷たい飲物を前に控えて、この大衆的な演芸をきこうとしていた。ホテルの従業員たち、エレヴェーター・ボーイ、給仕、帳場の事務員などはロビーに通ずる扉のところに集まって耳を傾けた。ロシア人一家は、楽しみ事にかけては熱心でぬかりがない。籐《とう》椅子《いす》を庭に並べさせて、芸人たちのそば近くに居ようというわけで、もうそれぞれに半円に席を占めて、満足げな様子であった。そのうしろには、ターバンのような布で頭をくるんだ老女奴隷が立っている。
大道芸人たちはマンドリン、ギター、ハーモニカ、顫《ふる》える音を出すヴァイオリンを器用にこなした。器楽演奏の間には歌も入った。二人の女の若い方が金切り声でうたうのに、甘ったるい裏声のテノールが唱和して、煽情《せんじょう》的《てき》な恋の二重唱がうたわれた。しかし本当に腕があって、この一座の頭《かしら》を勤めているのが、二人の男のうちの一人であることは明らかであった。この男はギターを弾く。役どころは一種の軽歌劇のバリトンであろう、声はほとんど出さないくらいであるが、身ぶりが堂に入ったもので、著しい喜劇役者の才があった。いくどか彼はギターをかかえたまま仲間から離れて、所作とともに階段近くにすすみ出る。人々は彼のおどけた身ぶり手ぶりに哄笑《こうしょう》して喝采《かっさい》を惜しまない。ことにいわば平土間のロシア人一家は、これほどに南国的な活溌《かっぱつ》さにもうすっかりと恍惚《こうこつ》とさせられてしまって、もっと大胆にもっと厚かましくやってみろといわんばかりに喝采したり声援を送ったりしている。
アシェンバハは欄干のところに席を占めて、ルビーのように赤いざくろの汁とソーダ水とをまぜた飲物を前に置いて、時折唇《くちびる》をうるおした。彼の神経は、拙劣な音や、低俗で甘ったるいメロディーをむさぼるようにとらえた。なぜなら情熱は繊細な感覚を麻痺《まひ》させ、ひとが正気であったならば冗談半分に受入れるか、さもなければ不興気《げ》に拒否するにちがいない刺激を大《おお》真面目《まじめ》で承認するからである。彼の表情は、道化師の跳躍のために、凝然たる、すでに苦痛を交えた微笑を示していた。極度の注意力が心を緊張させているのに、外面はだらしない格好で彼は椅子にかけていた。というのもそこから二、三間さきには、タドゥツィオが石の手《て》摺《すり》にもたれていたからである。
晩餐《ばんさん》の折によく着て出る白い、ベルト付きの服であった。左の腕を手摺に置いて、脚を組み合せ、右手を支えになっている腰に当て、微笑ともいわれぬ一種のかすかな好奇心、一種の礼儀正しい応対といったようなものを示す表情で、大道芸人たちのほうを見下ろしているその様子には、なんとも言いようのない、天成の優雅があった。時々少年はからだをまっすぐに伸ばして、胸を張って両腕を美しく動かして革バンドの下へ白い上着を引下ろす。そうかと思うとまた、アシェンバハはこれを見て誇りを、理性のよろめきを、しかしまた驚きをも感じたのであるが、おずおずと用心深く、あるいはまたさっと突然、不意を襲ってやろうとでもいうような具合に、左の肩越しに、自分を慕っている男のいるほうへ顔を向ける。少年はアシェンバハの視線をとらえることができぬ。どぎまぎしたアシェンバハは、恥ずべき憂慮からやむをえず自分の視線を不安げに抑えつけたからである。テラスのうしろのほうには、タドゥツィオを見守っている女たちが坐《すわ》っていた。そしてどうやら恋をする男が、人目に立って、邪推もされかねないような形勢に立ち至った。いや、これまでにも、あるいは海辺で、あるいはホテルのロビーで、あるいはサン・マルコの広場で、タドゥツィオが彼のそばにいると、女たちはわざわざ少年を近くへ呼び戻したり、アシェンバハから遠ざけようと考えたりしているらしいことを、幾度か目撃して、顔がこわばるような想いをさせられたことがある。――そしてとうてい堪えがたい屈辱感を味わわされた。そのために彼の誇りはかつて識《し》らざる苦痛の下に身もだえし、またその屈辱を自分から遠ざけることは彼の良心によって妨げられて、これをしかねたのであった。
その間、ギター弾きの男は弾き語りで独唱を始めていた。いくつかの節を持った、ちょうど今全イタリアに流行しつつある俗謡で、リフレインのところにくると、一座全部が一緒に歌い楽器を鳴らす。これを彼は芝居もどきに身ぶり手ぶりで巧みに歌った。痩《や》せぎすで、頬《ほお》もこけて精気がなく、ぼろぼろになったフェルト帽をあみだにかぶって、その下からひとつまみの赤毛をのぞかせて、一座の者からはひとり離れて度胸の据《す》わった態度で小砂利の上に立ち、ギターをかき鳴らしながら迫力のある語り口でテラスの人々に冗談を投げかける。熱演のために額の血管か怒張《どちょう》している。この土地の人間ではないらしい。ナポリあたりの芝居者くずれらしい。商売女の情夫らしくもあり、喜劇役者らしくもある。残忍で不敵で、剣呑《けんのん》で面白い人物だった。歌の文句も、そのままでは何ということもない俗なものなのに、それが彼の手にかかると、表情や身ぶりで味をつけられ、いわくありげのまばたきや、舌を口の端で妙な具合に動かしたりすることのために、何かこうおかしな、わけもわからず人の気を惹《ひ》くようなものになる。どうやらこうやら都会風の服に着込んだスポーツ・シャツの柔らかい襟《えり》からは、馬鹿《ばか》に大きく見える喉仏《のどぼとけ》をむき出しにした、痩せた首が突き出ていた。蒼白《あおじろ》くて鼻の低い顔。髭《ひげ》がなくて顔を見ただけでは年のほどは推量しかねる。渋面と悪いこととでのこるところなく鋤《す》き返されたといったふうの顔だ。赤毛の眉《まゆ》のあいだの反抗的で横柄《おうへい》で、狂暴といってもいいほどの二筋の皺《しわ》は、よく動く口が歯をむいてみせるのになるほどよく釣《つ》り合っている。しかしそもそも孤独な作家アシェンバハの深い注意を惹いたのは、この胡散臭い人物もまた、それ自身の独特な胡散臭い雰《ふん》囲気《いき》をひきずっているらしいということであった。すなわち例のリフレインが始まる度《たび》ごとに、この男はおどけたり、手を挨拶のために振ったりしながら、グロテスクな歩き方でぐるりとひと回りする。その時、アシェンバハの席のすぐ下を通る。するとその都度、男のからだや服から強い石炭酸の匂《にお》いがテラスに流れてくるからであった。
歌をおえると、男は金を集めにかかった。進んで金をやろうとしていたロシア人一家のところを手始めに、男はテラスの上に上がってきた。演出の時は実に厚かましく大胆だったのが、テラスの上にくると逆に今度は実に腰を低くする。背をまるめたり、摺り足をしてぺこぺこしたりしながら、テーブルのあいだを歩き回る。ずるそうで屈従的な微笑を浮べる。すると大きな歯が外からよく見える。しかし赤毛の眉のあいだに刻まれた二筋の皺は気味悪くそのままになっていた。ホテルの客たちは、金を集めて回る、この異様な男を、好奇心と若干の嫌《けん》悪《お》感をもってじろじろと眺《なが》めた。そして指のさきに貨幣をつまんで、男のフェルト帽の中に投げ入れて、なるべくその帽子には手がさわらないようにしていた。この男と上品なホテル客とのあいだの事実上の距離がなくなってしまうと、なるほど一座の熱演はみなを大いに興がらせたとはいうものの、やはりそこにどうしても一種の気まずさが生ずる。男はそこに気がついていて、お追従《ついしょう》でそれをごまかそうとした。例の匂いと一緒に男はアシェンバハのところへやってきた。ところが周囲の人たちは誰もこの匂いを変に思わぬらしかった。
「おい」とアシェンバハはほとんど機械的に、声を低めて言った、「ヴェニスは消毒されているようだが。何かあるのか」――男はかすれた声で答える、「警察がいたしますことでございまして。用心のためでさ、旦《だん》那《な》さま。なにしろこの温《うん》気《き》にシロッコでござんすからね。このシロッコという奴《やつ》はうっとうしゅうございます、からだによくはございませんので。へい。……」そんなことを今さらどうしてきくのだといわぬばかりの口ぶりで、いかにシロッコがうっとうしいかを手を拡《ひろ》げて身ぶりよろしく説明する。――「じゃ別にこれという病気なんかがはやっているわけじゃないんだね」とアシェンバハは囁《ささや》くようにごく低い声でたずねた。――男の筋張った顔は滑《こっ》稽《けい》な当惑の渋面に変った。「病気。病気と申しますと。シロッコは病気じゃござんせんよ。それともヴェニスの警察が病気なんでございますか。旦那さま、おからかいになっちゃいけません。病気。そんなもののご心配はさらさらございません。陽気がうっとうしいんで、万一の場合を考えて、警察が手を打ちましたんで。……」男は手真似《てまね》をしてみせる。――「もういい」アシェンバハはもう一度低く短く言って、素早く相手の差出してる帽子の中へ大層な金を投げ入れた。それから、もう行ってもいいという目くばせをした。男は顔をしかめ、お辞儀をしいしい遠のいて行ったが、まだ階段のところまで行かないうちに、ホテルの事務員が二人、駆け寄って、顔をぴったりとつけながら、囁き声で男を訊問《じんもん》した。男は肩をすくめて、いろいろと断言し、何も言わなかったと誓った。それが手にとるようにわかった。放免された男は前庭に戻って、外灯の下で仲間の連中と何やら相談したのち、お礼とお別れの歌をうたうためにもう一度進み出た。
これまでに聴いた記憶のない歌で、文句はわけのわからぬ方言で、リフレインのところは笑い声になっている。そこへくると一座はありったけの声を出して一緒に笑った。何かどぎつい流行歌らしい。その笑うところでは、歌の文句はもとより、楽器の伴奏もぴたりと熄《や》んで、リズミカルに一応秩序のある、けれども非常に自然らしい笑い声以外のものは何もきかれない。ことに例の男は実に真に迫って生きいきと笑った。今では見物人たちと自分とのあいだにふたたび距離があるので芸が仕易《やす》く、男はまた最前の大胆不敵な調子に立ち戻った。テラスの人たちに向って臆面《おくめん》もなく投げつけられる彼の作り笑いの声は嘲笑《ちょうしょう》であった。歌の一節の、文句がいよいよ終ろうというところまでくると、男はもうこみ上げてくる笑いを抑えるのに苦労するらしい。むせぶようなふうで、声が乱れる、口に手を宛《あ》てる、肩をくねらせる、そしていよいよ笑う段取りになると、抑えるに抑えようのない哄笑が男のからだの中から、どっと一時に堰《せき》を切って流れ出る、爆発する。それがまた実に真に迫っているので、はたの者にも伝染する。テラスの客たちにも伝わって行く。そこで上の見物席の中にも、何がおかしいということもないのに、自然と笑い声が拡がる。ところがそれを見ると、男は逆にまた余計おかしくなってくるらしい。もうそうなると膝《ひざ》を曲げ、腿《もも》を叩《たた》いて、脇腹《わきばら》を抑える。笑って笑って、笑い抜こうとする。もう笑い声ではなくなって、ただ叫んでいるだけなのだ。男は、上のほうで笑っているホテルの客たちほど滑稽なものはまたとないとでもいうように、指でテラスのほうを差す。するとしまいには、庭やヴェランダにいる者すべてが笑いころげる。戸口のところに立っていた給仕も笑えば、エレヴェーター・ボーイも笑う。下男も笑うという始末であった。
アシェンバハはもうゆったりと腰を下ろしてはいず、防いだり逃げたりできるような身構えで、からだをまっすぐに起して坐っていた。しかし爆笑と、上へ匂ってくる消毒液の臭気と、美しい少年が身近にいることとが入りまじって、夢の中でからだを縛られている時のように金縛りに縛られていて、頭も心もどうにも動きのとれない状態なのである。みんながわいわい大騒ぎをやっている中で、アシェンバハは思いきってタドゥツィオのほうをうかがい見た。すると少年は彼の視線に応《こた》えるかのように、彼と同様に真面目くさっていることがわかった。まるで自分の表情や態度を、アシェンバハのそれに合せようとしているかのように。またアシェンバハがみんなの浮れ調子に乗っていないので、ほかの人たちの気分が少しも少年には影響を及ぼしえなかったかのように。この純真で、思わせぶりな従順さのうちには、何かこうとろけさせられるような、たたき伏せられるようなものがあって、アシェンバハは辛うじて手に顔を埋めるのを我慢できたほどであった。タドゥツィオが時々のびをしたり、深い息をはいたりするのも、溜息《ためいき》や、胸の苦しさを示すもののように思いなされた。「病身なのだ。永生きはできまい」とアシェンバハは思った。陶酔と憧《あこが》れとがときとすると奇妙に急転して生ずる、あの冷静さで。すると純粋の心づかいと、放埒《ほうらつ》な満足感とが同時に彼の心を満たした。
大道芸人たちはその間に演技を終って、引揚げて行こうとしていた。大喝采だった。一座の頭《かしら》は、引揚げ際《ぎわ》をさえ冗談で飾ることを忘れなかった。彼が足を引いて礼をしたり、投げキッスをしたりすると、みんなは大笑いをした。それで彼もその仕草を繰返した。仲間がもう外へ出てしまっているのに、彼は前を向いたまま後へさがってわざと外灯の柱にがんとぶつかったように見せかけて、さも痛そうに身をかがめて、こそこそと門のほうへ出て行った。しかし門のところまで来ると、彼は突然道化者の仮面をかなぐりすてて、身をすっくと起し、いや、ぴんと立ててテラスの客共に向ってぺろりと舌を出して見せて、ひらりと闇《やみ》の中へ消え失《う》せた。海水浴客は四散した。タドゥツィオももうかなり前から欄干のところにはいなかった。しかしアシェンバハはそれからもかなりの時間、ざくろの汁の飲み残しを自分のテーブルの上に置いたまま坐っていた。給仕たちはけげんな顔をした。更《こう》たけて、時は流れた。両親の家に、幾年か以前、砂時計が一つあった。――突然その壊れ易そうな、意味深いガラスの砂時計がアシェンバハの眼前に現われた。音もなく、こまかに、赤錆色《あかさびいろ》に染めてある砂が、ガラスの細くくびれたところを通って下へ落ちて行く。そして上のほうの砂が残りすくなくなってくると、そこに小さな、急激な渦《うず》ができるのであった。
そのあくる日の午後にはもうまたアシェンバハは世間の調査に新しい手を打って、こんどは大成功を収めた。つまりサン・マルコ広場から、広場に面した英国の旅行案内所へ入って行って、少々の金を両替したのちに、安心できぬ外国人の表情を装って、自分を応対してくれる英国人の事務員に例の宿命的な質問を向けたのである。毛織の服を着た、まだ若い英国人で、頭髪は頭の真ん中からぴたりと左右に分け、両方から迫った目で、ずるくすばしこい南国ではひどく異様に、ひどく目立って見える、あの落着いた誠実さを持った男であった。「別にご心配なさるほどのことではございません。そう深い意味もない処置でございますから。シロッコや暑さのひどい時にはよく予防の意味でこういうことをやりますようです……」しかし若い英国人の碧《あお》い目が、客の疲れて、何か物悲しい目を見る。客の目は彼の唇にかすかな軽蔑《けいべつ》を浮べて注がれていたのだ。すると英国の男は顔を赤らめた。そして今度は小声で、少しうろたえたように付け加えた、「つまりそれが公《おおやけ》の声明なのでございまして、当地ではその声明通りに受取るのが得策だとみな考えているわけでございます。しかし申上げてしまいますが、実はそれには裏があるのでございましてね」それから彼は誠実で楽な英語で真相を話し始めた。
数年前から既にインドのコレラが次第に蔓《まん》延《えん》と拡大の徴《しるし》を示しつつあった。ガンジス河三角洲《す》の暑熱の湿地帯から生れて、無人の鬱《うっ》蒼《そう》たる、なんの役にも立たぬ原始の島々の荒野――竹藪《たけやぶ》の奥には虎《とら》が目を光らせていようという――の瘴気《しょうき》を含んだ息吹《いぶ》きとともに立ち登って、コレラは全インドを持続的に、かつ異常に猛烈に荒れ狂った揚句、東は中国、西はアフガニスタン、ペルシアに及んで、隊商の主要な交通路を通って恐怖をアストラカンに、いや、モスクワにまで及ぼした。ひょっとしてそれが陸路を通ってヨーロッパにやってきはしないかとみな恐れ戦《おのの》いていると、はたして疫病神《やくびょうがみ》はシリアの商船で海を渡って地中海の港々にほとんど同時に姿を現わし、トゥーロンとマラガに、パレルモとナポリに幾度か顔を見せ、もうカラブリアとアプリア全土からいっかな引《ひき》退《の》こうとはしない有様になった。イタリア半島の北部はそれでもまだ安全であったのが、今年の五月中旬にこのヴェニスで、しかも同じ日のうちに、ある水夫と野菜売りの女との、憔悴《しょうすい》しきった黒ずんだ死体の中に恐るべき螺《ら》旋菌《せんきん》が見いだされた。この事件は闇に葬《ほうむ》られた。しかし一週間もすると、それが十件にふえ、二十件となり、三十件にふくれ上がって、しかも諸地区にコレラ患者が現われるに至った。オーストリアの片田舎から、二、三日ヴェニス見物にきていた男は、家へ帰ってから発病して死んだ。紛れもないコレラの症状であった。そんなわけでヴェニスにはコレラがはやっているという最初の噂《うわさ》がドイツ各地の新聞にも出るようになったのである。ヴェニス当局は、当市の保健状態は目下最良であると回答せしめて、一方に最も必要とする駆逐手段を執った。しかしどうやら野菜とか肉類とか、牛乳などに菌が付着しているらしい。否認されても、ぼかされても、死は裏町のごみごみした中にはびこって行った。それにときならず始まった夏の炎熱に運河の水はなまぬるく温められ、それが蔓延の好条件となった。見ようによっては、コレラは一層勢いづいて、病源体のしつっこさと増殖力も倍加されたような具合であった。一命をとりとめる者は稀《まれ》であった。罹《り》病者《びょうしゃ》の百人中八十人は無残な死にざまで死んで行った。とにかく非常な狂暴さで、例の「乾性」と名づけられている最も悪質の形で流行したからである。この場合、肉体は血管から多量に分《ぶん》泌《ぴ》される水分を排出することさえできない。わずか二、三時間のうちに患者はひからびて、瀝青《れきせい》のように濃くなった血液のために、痙攣《けいれん》としわがれ声の叫びのうちに息が絶えてしまうのである。発病が軽度の不快感ののちに深い意識喪失の形をとることもあるが、その眠りから目覚めるのは至極稀だとはいうものの、そのほうがせめてもの仕合せなのだ。六月の初めには市民病院の隔離病棟が人知れず満員になり、二つの孤児院もそろそろいっぱいになり、新埋立地の波止場《はとば》と墓地のあるサン・ミケレ島とのあいだは往復の人で混雑した。しかし一般的忌避への恐怖と、最近諸公園に開催されたばかりの絵画展や、事が世間に露《あら》われた場合に、ホテル業者や商店やその他複雑な観光業全体を脅かす莫《ばく》大《だい》な損害への顧慮が、ヴェニスという街では真実への愛や国際協定尊重心よりも勢力があった。官辺を動かし、黙殺と否定の政策を執《しつ》拗《よう》に維持せしめたのは、かかる顧慮にほかならない。ヴェニス市保健長官は、功績のあった人であるが、憤慨のあまり職を退いた。もっと融通の利《き》く人物がこっそりそのあとがまに坐《すわ》った。町の人々はそれを知っていた。そして町の有力者間の腐敗は、一般的不安や猛威を揮《ふる》う死のためにこの町が陥った非常事態と相まって、下層階級の人々のあいだにある種の道徳的弛《し》緩《かん》をもたらした。明るみを恐れ、公安を乱す諸衝動がこれに力をえて、無節度、厚顔無恥、増大する犯罪の形をとって現われてきた。夜、酔漢が多数横行するのも例にないことであったし、夜道に追《おい》剥《は》ぎが出没するという噂もある。泥棒《どろぼう》や人殺し事件の数がふえる。もうそれまでに二度も、コレラで死んだはずの人間が、実は身内の者の手で毒殺されていたという事件が明るみに出ていた。営業上のふしだらは、これまでこの町には見られなかったような、ただイタリアの南部や東洋の各地でのみ見られるような、厚かましくも放埒な形を採るようになってきた。
そんなことを話してくれた揚句、若い英国人は最後の切り札を出した。「ご都合がおつきになるのでしたら」というのが彼の結論だった。「明日といわず今日お発《た》ちになったほうがよろしかろうと存じますが。交通遮断《しゃだん》になりますのも、もう二、三日のうちでございましょうから」――「どうもいろいろと」とアシェンバハは礼を言って、旅行案内所を出た。
サン・マルコの広場は、太陽の姿は見えぬままにひどくむし暑かった。知らぬが仏の外国人たちが、喫茶店の前に並べた椅子《いす》にかけたり、サン・マルコ寺院の前に立って鳩《はと》に取りまかれ、くぼめた掌《てのひら》にのせて差出された唐もろこしの粒を羽《は》搏《ばた》きながら押し合いながら啄《ついば》む様子を眺めたりしていた。孤独な男は、熱病にかかったような興奮の裡《うち》に、真相を手に入れたあまり勝ち誇って、そのくせ口の中に不快な味を感じ、心に幻想的な戦慄《せんりつ》をいだきつつ、豪華な中庭の敷石の上を往《ゆ》きつ戻りつしていた。彼は一切を清めるような、筋目の通った一つの行為について思案を重ねていた。たとえば今夜、夕食後に、あの真珠で身を飾った婦人のところへ近づいて行って、以下のような考えぬいた言葉で話しかけたらどんなものだろうか、「はなはだ失礼ですが、奥様、見ず知らずの私が、一つご警告申上げたいことがあるのですが。ご忠告なのです。これはこの町の利己心が奥様に差上げるのを怠っているものなのですが。奥様、すぐご出立なさい。ご子息さんやお嬢さんをお連れになって。ヴェニスにはコレラがはやっているのですよ」そう言ってから、ある皮肉な神の道具になっている美少年の頭に、告別のしるしに手を載せて、身を転じて、この泥沼から逃げ出せばいいのだ。だが、彼は同時に、自分がそういうことを本気でやる気になっているとはとうてい思ってもみなかったのである。そういうことをすれば彼はまだとりとめられるかもしれぬ。自分が再び自分の手に戻ってくるかもしれぬ。けれども、自分の外へ飛び出してしまった者は、自分の中へ戻るのを、何にも増していやがるというのが常である。彼は、夕《ゆう》陽《ひ》を受けてきらきらと光る銘のある、白い建物を思い出した。その銘文の透明な神秘の中へ、彼の心の眼は没し去っていたのだった。それからあの奇妙な旅行者の姿を思い出した、とうに不惑を越えた自分の中に、遠い異国への、とりとめのない若々しい憧れを呼びさました旅行者の姿を。帰国、思慮、冷静、労苦、名人芸などについては考えるだけでもぞっとした。顔が肉体の不快感のために歪《ゆが》むほどに、そんなことを思うのはたまらなかった。「黙っているべきだ」と彼ははげしく囁く。それから、「己《おれ》は黙っていることだろう」と。共犯意識が、疲れた頭を酔わせる少しの酒のように、彼を酔わせた。疫病《えきびょう》に襲われて、見棄《みす》てられた都ヴェニスの姿が、彼の心の前に陰気に漂い動きつつ、彼の裡にいろいろな希望を――不思議な、理性を超えた、そしてなんとも言いようのないほど甘美な希望を燃え上がらせた。それらの期待に比べるならば、彼がついさきほど想像した、やさしい幸福など、何ほどのことがあろうか。混沌《こんとん》のもたらす利益の数々を前にしては、芸術だの道徳だのはものの数ではないのだ。彼は黙っていた。そしてふみとどまった。
その夜は恐ろしい夢を見た。――もしも次のような肉体的で精神的な体験を夢と呼んで差支えないのならば。彼は昏々《こんこん》と眠っていた。また完全にひとりきりで、感覚的にのみ目ざめていた。その彼に夢が襲いかかった。自分が夢裡《むり》のいろいろの出来事の外側にいて、それをはたからぶらぶらしながら眺《なが》めていたというような夢ではなかった。むしろそれらの出来事の舞台は、彼の魂そのものであった。そして出来事のほうが外から押迫ってきて、彼の抵抗を――深刻な精神的な抵抗を強引に叩き伏せて、彼の内部を通過して、彼の存在を、彼の生活の文化を、蹂躙《じゅうりん》し破壊し去ったのである。
最初やってきたものは、不安だった。不安と歓楽と、まさに訪れきたろうとするものへの居たたまれぬ好奇心とであった。夜は深かった。彼の感覚はじっと待機の姿勢をとっていた。というのは遠くのほうから、雑踏、喧《けん》噪《そう》、物音がまざり合って近づいてきたからだ。がらがらいう音、叩きつけるような音、鈍い轟《とどろ》き、それに甲高《かんだか》い歓呼の声と、長く引っぱったuの音の、一定した叫び声――それらのすべてを、低い鳩のぐるぐるいうような、ひどくしつこいフリュートの音が貫いていて、その音をきくとぞっとするほどの快感が起った。腹の立つほど厚かましいその音に、五《ご》臓《ぞう》六《ろっ》腑《ぷ》はとろけて行くようであった。しかし彼は、おぼろげながらも、そこへやってきたものにそれと名づける一つの言葉を知っていた。それは「異国の神」であった。煙を吐く炎がめらめらと燃える中に、彼は自分の別荘付近にあるような山岳地帯を認めた。そして途切れとぎれの光の中を、森で覆《おお》われた山頂から、樹々《きぎ》の幹と、苔《こけ》の生えた岩石とのあいだを、人間が、動物が、何物かの集団が、荒れ狂う群衆がころびつつ、渦をまきつつ、どっとなだれ落ちてきて、ために山腹は肉体と火炎と狂乱と、そしてよろめける輪舞とで氾濫《はんらん》した。女たちは帯から下へさげた長すぎる毛皮の衣につまずきつつ、うめいてのけぞらせる頭の上でタンバリンを振ったり、火の粉を散らす松明《たいまつ》の炎を振ったり、抜き身の短刀をかざしたり、舌をぺろぺろと出す蛇《へび》の胴中をつかんだり、あるいは金切り声をあげて両の乳房を手で抑えたりしていた。額に角を生やし、毛皮の前垂れをした毛深い男たちは、首を垂れて腕と股《また》とを高く挙げて、青銅の鉢《はち》を打鳴らしている。すると裸の少年たちは、牡山羊《おやぎ》の角にしがみついて、歓呼の声を挙げながら、牡山羊を勝手に跳ねさせている。そしてこれら熱狂する人間の群は、やわらかな子音の、終りのuの音を永く引く呼び声を吠《ほ》えるように響かせていた。この呼び声は、かつて聞いたことのあるどんな呼び声よりも甘ったるく、また荒々しい響きを持っていた。こっちのほうでは鹿《しか》の啼《な》き声のようにこの呼び声が空高く響く。向うではそれが合唱のようになって、荒々しい勝利の歌声となり、みんなはそれにつれてけしかけ合い、踊ったり手足を振回したりして、決して叫ぶことをやめない。しかしそれらすべてを貫き支配するのが、あの深い、誘うようなフリュートの音であった。この笛の音は、抵抗しつつそれらを見聞きしているアシェンバハをも恥知らずにもしつっこく、この言句を絶する犠牲の祭典へ、放埒へと誘い寄せた。彼の嫌《けん》悪《お》は大きかった。彼の恐怖は大きかった。最後までもこの見知らぬものに、落着いた威厳ある精神の敵に対して自分の存在を護《まも》りぬこうとする彼の意志は健《けな》気《げ》であった。しかし喧噪と咆哮《ほうこう》とは、こだまする岩壁に倍加されて増大し氾濫し、気も遠くなるような狂気へとふくれ上がって行った。妖《よう》気《き》が心を麻痺《まひ》させ、牡山羊の放つ鋭い臭気、喘《あえ》ぐ肉体の匂《にお》い、それに腐りつつある水から出てくるような匂い、そのほかお馴《な》染《じみ》の、傷口と蔓延する病気の臭気が彼の精神を麻痺させた。太鼓の響きとともに彼の精神はとどろき、頭脳は旋回し、怒りと眩惑《げんわく》としびれるような快感とが彼をとらえた。彼の魂はなんとかしてこの神の輪舞の圏外に出ようと願っていたが、木でできた巨大な淫《みだ》らな陽物の象徴が現われて、高々と差上げられて、群衆がまたますます放埒に合言葉を絶叫し、口から泡《あわ》を吹き、荒れ狂い、淫猥《いんわい》な身ぶりといやらしい手で互いにつつき合い、笑いつつ、喘ぎつつ、とげのついた棒で互いに肉を刺し合って、手足から流れる血を啜《すす》り合う時、夢見る男は今や彼らとともに、彼らの中にあって見知らぬ神のものとなってしまった。いや、この群衆こそ彼自身だったのだ。引裂き、殺しつつ、けだものに襲いかかり、湯気の立っている肉きれを嚥《の》み下し、踏みしだかれた苔の上で、かの神への犠牲のために果てしのない混淆《こんこう》を始めた群衆はすなわち彼であった。そして彼の魂は没落の不倫と狂気とを味わい尽した。
夢からさめると、彼は神経が参って、心身ともに憔悴し、力なく魔神のとりこになっていた。彼はもう人目をはばからぬようになった。胡《う》散《さん》臭く思われようと思われまいと、もうどうでもよかった。それに海水浴客たちも逃げ出し始めた。出発し始めた。無数の浜小屋が空になり、食堂には空席がいくらもでき、町ではもう外人客の姿を見かけなくなっていた。遂《つい》に真相が洩《も》れて、私利に汲々《きゅうきゅう》たる土地の人々が一致団結して秘密を守ったにもかかわらず恐慌はもはやそれ以上は抑止しがたかった。しかし真珠を飾った婦人は一族とともに踏みとどまっていた。噂が彼女にまでは及ばなかったからなのか、そのために逃げ出すにはあまりに尊大で大胆であったからなのか、とにかくとどまっていた。したがってタドゥツィオもいたわけである。血迷った男は、逃亡と死とが周囲の邪魔物を一切遠ざけて、彼と美しい少年との二人だけがこの島に残りとどまるかのような錯覚にとらわれることがよくあった。――さよう、午前中の海辺で彼の視線が重苦しく無責任にぴたりと美しい少年に吸いつけられ、また夕方は人目をはばかって忌《い》まわしい死がうろつき回っている狭い路地々々を少年のあとを追い回したりするときには、途方もないことが実現有望に見え、道徳の掟《おきて》も遂にはゆらぎ崩れて行くように思われた。
恋をする者は誰しもそうだが、彼もまた相手に気に入られることを望んで、その一方では、とてもそんなことはありえないと考えて苦い不安を味わった。彼は自分の服に自分を若やいで明るく見せるような品々を添え、宝石を飾り、香水を使い、日に幾度も身じまいにたっぷりと暇をかけ、しゃれのめして興奮して緊張して食卓についた。自分が惚《ほ》れている甘美な少年にくらべて、自分の老いかけた肉体はいかにも忌々《いまいま》しく醜悪だった。白髪や、きつい顔つきを鏡で見ると、羞恥《しゅうち》と絶望とに陥った。なんとか肉体的に若返って立ち直ろうという気が起ってきた。そして頻繁《ひんぱん》にホテルの美容室へ出かけた。
理髪衣を羽織らされ、おしゃべりな床屋が手入れをする手の下で、椅子に倚《よ》りかかりながら、鏡に映る自分の姿を忌々しい想《おも》いで眺める。
「白いね」と口を歪めて言う。
「何、ほんの少々のことで」と床屋が言う。「手入れを怠っていらっしゃるからで。ご身分のおありになる方々にはありがちのことでございますが、あまりこういう方面にお気をお使い遊ばさぬせいでございます。とは申しましても、それはどうもお賞《ほ》め申してよろしいとばかりは申せませんので。つまりそういう方々が自然か人工かということにおこだわり遊ばすというのは似つかわしくはあるまいと、手前どもは考えておりますから、余計さようでございますよ、旦《だん》那《な》さま。しかしそうかといって、そういう方々がいくらしち堅くやかましく申されましょうとも、では歯をいじったりすることもいけないということになりましたら、これにはさすがの厳格な方々だってお困りでございましょうからな。つまりこの、お歳《とし》なんてものも、お気の持ちよう一つでございましょうから、時と場合によれば、白《しら》髪《が》のままにしてお置きになるほうが、お染め遊ばすのよりも、嘘《うそ》をおつきになっていらっしゃるということにもなるわけではございますまいか。旦那さまなどは、おつむりは自然のままのお色にしておおきになって一向に差支えございますまい。いかがでございましょう、元の自然のままにして差上げましては」
「というと」とアシェンバハはたずねた。
すると理髪師は、澄んだ液と黒い液との二通りの溶液で客の頭髪を洗った。かみの毛は若かった頃《ころ》の色に戻った。その上、こて《・・》をあてて、柔らかなウェーヴをつけ、うしろに下がって、仕上がった客の頭を点検した。
「さて、これで、お顔のお肌《はだ》を少々お直しすればよろしゅうございます」
それから、一旦《いったん》始めたらいくらやってもやめることはできかねるといった人のように、理髪師はこまめにつぎからつぎへといろいろのことをした。アシェンバハはのうのうと手足をのばしたまま、やめてくれとも言わずに、むしろ理髪師のすることに楽しく心を興奮させられながら、鏡の中の自分の眉《まゆ》が今までより更にくっきりとなだらかな弧を描き、まなじりが長くなり、瞼《まぶた》の下にちょっと手が加えられて目が一層輝きを増し、下のほうの、肌が薄茶色の革のようだったところも、薄く紅をさされてほんのりと赤味を帯び、血の気のなかった唇《くちびる》が苺色《いちごいろ》にふくれ上がり、頬《ほお》や口の回りの皺《しわ》、目の周囲の小皺が、クリームを塗られ、若返らされて消え失《う》せて行くのを見た。――胸をどきつかせながら、彼は鏡の中に一人の若々しい男を発見したのである。美容師はやっと満足したと見えて、こういう種類の人間にありがちの、お追従《ついしょう》まじりの丁重さで客に礼を言った。彼はアシェンバハの頭に最後の手を加えながら、「ちょっとお手入れ申上げましただけのことで」と言った。「さあこれで、たんとお浮気遊ばすことができます」うっとりとした客は、夢を見ているように幸福に、格好のつかない、びくびくものの気持で出て行った。ネクタイは赤で、つばの広い麦藁《むぎわら》帽子にはきれいな色のリボンが捲《ま》いてあった。
なまぬるい烈風が吹き出していた。雨は時々ほんのちょっと降ってくるだけであったが、大気はじめじめと重苦しく、ものの腐った匂いに満ちていた。ばたばたという音や、ぴちゃぴちゃいう音、ざわざわいう音が耳を押包んだ。化粧して、熱に浮かされたようなわれわれのアシェンバハには、性悪な風の精霊どもや、宣告を下されたこの男の食べるものを引掻《か》き回したり突つき散らしたり汚物で滅《め》茶《ちゃ》苦《く》茶《ちゃ》にしてしまったりする意地悪な海の鳥どもが空中を我物顔に荒れ回っているように思われた。というのは、このむし暑さのために食欲がすっかりなくなってしまい、それに食べものを見ると、これにもバクテリアが付着しているのだという気がすぐに起ってきたからである。
とある日の午《ひる》さがり、アシェンバハは朝の病める町中深く、美少年のあとをつけて踏み入って行った。迷宮の朝の裏町や運河や橋や小さい広場はどれもこれもよく似ている。その上、方角さえもはっきりしなくなったために、見当がつかなくなり、なんとかして恋い慕っている少年の姿を見失うまいと一所懸命であった。そしてみっともないほどの用心のために、塀《へい》にからだを押しつけたり、前を歩いている人の背中に身を隠したりしながら、感情と不断の緊張とが彼の肉体や精神に加えた疲労を彼は永いこと意識せずにいた。タドゥツィオはいつも一行のしんがりだった。狭い場所に来たりすると、いつも女の家庭教師と姉たちを先に行かせて、自分は一人ぽっちでゆっくりと歩きながら、時々うしろを振向いて、アシェンバハがついてくるのを、いつもの曇った灰色の目で肩越しにたしかめるのであった。アシェンバハは少年の視線をしっかりととらえた。そしてそれを自分の胸一つに畳み込んでおいた。この認識に酔い、その目に前へ前へと誘われ、情熱が繰出す馬鹿《ばか》者《もの》を引張る綱にひかれて、恋に溺《おぼ》れた男は自分の不当な希望のあとを密《ひそ》かにつけて行った。――しかし結局少年の姿を見失ってしまった。ポーランド人の一行は短い弓なりの橋を渡った。その弓なりの橋の頂点が、一行を追跡者の目から隠してしまったのである。彼もむろんその橋を渡ったが、一行の姿はもう見えなくなっていた。彼は三方へ向って捜した。まっすぐの道と、細い汚れた岸壁に沿った両側の道とを。しかし駄目《だめ》だった。遂に疲労と衰弱とが、追跡と探索とを断念せしめた。
頭はずきずきし、からだは汗にまみれ、膝《ひざ》頭《がしら》がふるえ、喉《のど》がかわいてもう我慢がならなかった。なんでもいいから何か飲むものはあるまいかとあたりを見回した。小さな青物屋の店頭でくだものを少々、熟しすぎて、柔らかくなった苺を買って、歩きながらそれを食べた。人気のない、魔法にかけられたような小さな広場が眼前に現われた。一度きたことのある場所だった。数週間以前、水泡《すいほう》に帰した逃亡の計画を練ったのがこの広場だった。広場の中央の、水槽《すいそう》の階段の上に、彼は崩れるように腰を下ろして、石の壁に頭をもたせかけた。静かだった。舗石のあいだから草が生え出ていた。ごみが散らばっていた。広場をかこむ、崩れかけた、高さも不《ふ》揃《ぞろ》いの家々の中に、宮殿めいて見えるのが一つあった。奥のほうには空虚が住んでいる尖《とが》った長い窓と、獅子《しし》の飾りのある小さなバルコニーと。別の一軒の一階は薬屋だった。暑い突風は時々石炭酸の臭気を運んできた。
そこに坐《すわ》っていたのは、われらの巨匠、声望揺るぐことなき芸術家、『哀れな人間』の作者、模範と呼ぶにふさわしい純粋な形式のうちに、胡散臭い放浪生活や濁れる深みと絶縁し、深淵《しんえん》に対しては同情を拒絶し、堕落せるものを断固として卻《しりぞ》けた作家、自己の知識を克服し、一切の反語より高く成長して、大衆の信頼に応《こた》える術《すべ》に慣れきった、あのえらくなった男、その名誉は公《おおやけ》のもので、その名前には貴族の称号が与えられ、その文体は若い人たちのお手本として崇敬されている作家、彼、グスタフ・フォン・アシェンバハであった。――瞼を閉じ、ただ時々、嘲《あざけ》るような、驚いたような視線が、その瞼の下から側《わき》のほうへ流れ出て、また素速く隠れてしまう。そして美顔術で仕上げられた、たるんだ唇は、奇妙な夢の論理をたよりに、半ばまどろむ脳髄の産み出すことを呟《つぶや》いている。
「なぜなら美というものは、パイドロスよ、覚えておくがいい、美というものだけが神のものであって、同時に人間の目に見えるものなのだ。だから美は、感覚的な人間の歩み行く道であるのだし、小さなパイドロスよ、芸術家が精神へ赴くための道なのだ。しかし君は、こういうことを信じているのだろうか、つまり精神的なものへ行くために感覚を通って行かねばならぬ者は、いつか叡《えい》智《ち》と真の男性の品位を手に入れることができるのだ、と。それとも君は――これは君が自分で自由に決定するがいい――それは危険で、しかも愛すべき道であり、本当は邪道であり、罪の道であって、必ず人を間違った道へ導くものだと思うだろうか。なぜなら、これはぜひとも言っておかねばなるまい、エロスの神がわれわれの道づれとなり、よろこんで東道《とうどう》主人を勤めてくれるのでなければ、われわれ詩人は美の道を歩いて行くことはできないのだ。たしかにわれわれは、たといわれわれがわれわれなりに英雄であろうと、したたかな軍人であろうと、それでも女のようなところを持っているものなのだ。なぜなら、情熱はわれわれを高めてくれるものだから。そしてわれわれの憧《あこが》れはいつも恋でなければならないのだから。――これがわれわれの快楽なのだ。しかしまた恥辱でもあるのだ。これで君は、われわれ詩人が賢明でもなければ尊厳を持っていることもできないということがわかっただろうね。われわれが必ず邪《よこしま》な路《みち》に踏み入らなければならず、また必ず放《ほう》恣《し》で、感情上の冒険家でいなければならないということがわかっただろうね。すばらしい文章を書くということは虚偽であり阿《あ》呆《ほう》のする業《わざ》なのだし、われわれの名声と輝かしい身分とは茶番にすぎないのだし、われわれにたいする世間の信頼は世の中で最も滑稽《こっけい》なものなのだ。芸術によって世間の人たちや青年たちを教育しようというのは、向う見ずな、禁ぜらるべき企てなのだ。なぜといって生れつき奈《な》落《らく》へと志す、改良しがたい天性を持っている人間がどうして教育家として有能であろうか。われわれは深淵を否定したい。人間の品位を保っていたいのだが、われわれがどうじたばたしようと、深淵はわれわれを引寄せるのだ。そんなわけでわれわれは、解放的な認識といったものを拒否したいのだ。なぜなら認識は、パイドロスよ、威厳も厳格も持たぬから。認識はものを知り理解し赦《ゆる》し、性根を持たず、体裁も顧みぬ。認識は奈落に、深淵に気脈を通じているのだ。いや、認識こそは《・・・》奈落なのだ。だからわれわれは断々固として認識を拒絶する。そして今後われわれは唯《ただ》ただ美を尊重しようと思う。つまり簡素を、偉大さを、新しい厳格を、第二の純真を、そして形式を。しかし、パイドロスよ、形式と純真とは陶酔と欲望とへ導き、高貴な人間をおそらくは、彼自身の美しい厳格さが恥ずべきものとして拒否するような、おぞましい感情の放恣へと導き、奈落へと導くのだ。その美しい厳格ささえも奈落へ導いて行くのだ。いいかね、われわれ詩人をそこへ連れて行くものは、そういうものなのだ。なぜならわれわれには高く翔《かけ》る能力はないのだ、われわれにはただ彷徨《ほうこう》することしかできないのだから。さあ、パイドロスよ、わたしはもう行く、君はここにいるがいい。そして、わたしの姿が見えなくなってから、君も行くがいい」
それから二、三日して、なんとなく気分が勝《すぐ》れないので、グスタフ・フォン・アシェンバハはいつもよりよほど遅くホテルを出かけた。一種の、肉体的ばかりでないめまいの発作があった。それにははげしい不安の気持が伴っていた。逃げ道も先の見込みもないという感情である。ただしそれが外界に関するものなのか、彼自身の存在に関するものなのか、その辺ははっきりしなかった。ロビーには発送されるばかりになっている荷物がたくさんあった。ドアをあけたてするボーイに誰が出発するのかたずねてみた。予想にたがわずボーイはポーランドの貴族の名を言った。この返事をきいても、彼は憔悴《しょうすい》した顔つきをいささかも変えるようなことをしなかった。ただ頭をちょっと上げただけだった。別に知る必要もないことを、まあ序《ついで》にちょっと知っておくというようなときの仕草である。それから更に「いつお発《た》ちだね」とたずねた。「ご中食ののちでございます」と返答があった。彼はうなずいて、海辺へ出かけて行った。
海辺はさびれきっていた。渚《なぎさ》と、最初の長い砂の洲《す》とを距《へだ》てている広い浅瀬の水の上には、縮緬皺《ちりめんじわ》のようなさざなみが前からうしろへと走っていた。かつてはあれほどまでに賑《にぎ》わいを見せていたこの海水浴場、今ではさびれて、砂さえもう掃き清められていないこの海岸の上には、かすかな秋色と盛りのすぎた趣とが漂っていた。三脚に載った写真機が一つ、主がいないままに、波打ち際《ぎわ》に置かれて、それにかかっている黒い布が肌さむい風にはたはたとひるがえっている。
彼に残された三、四人の遊び仲間と一緒に、タドゥツィオは自分の浜小屋の右手の前で遊んでいた。アシェンバハは膝に毛布をかけて、海と浜小屋の行列との真ん中ぐらいのところに、いつもの籐《とう》椅子《いす》にもたれて、もう一度少年の様子を見守っていた。女たちは旅の支度で忙しいらしく、誰も監督していないので、子供たちの遊びには埒《らち》がなくなって、次第に乱暴になってきた。バンドのついた服で、ポマードをつけた「ヤシュウ」と呼ばれていたからだのたくましい青年は、顔に砂をかけられたので腹を立て、目をくらまされて、タドゥツィオに挑《いど》みかかったが、美しい少年はたちまち組み伏せられた。しかしこの出発のときにあたって、身分の低い青年の奉仕的な気持が残忍な野性に一転して、永いあいだの隷《れい》属《ぞく》生活の恨みを晴らしてやろうとでもいうように、いつまでも敗者から手を放さず、相手の背に膝をついて、少年の顔を永いこと砂にぐいぐい押しつけたので、そうでなくとももうくたくたになっていたタドゥツィオは、今では窒息せんばかりの様子であった。少年は上にのしかかっている相手を撥《は》ねのけようとしたが、その試みも痙攣《けいれん》的に終って、その効はなかった。それさえ数瞬間は全然やんでしまい、それからはただもうぴくぴくとからだを動かす程度の抵抗が繰返されるばかりであった。アシェンバハはびっくりして助けに出ようとしたが、ちょうどそのとき、たくましい青年は遂《つい》に自分の犠牲を解放した。真っ蒼《さお》になったタドゥツィオは半ば身を起して、片腕を地面に突いたまま、二、三分間はじっと動かなかった。髪は乱れ、目は次第に曇って行く。それからすっと立ち上がって、ゆっくりとその場を離れて行った。みんなが彼の名を呼んだ。初めは元気よく呼んだが、呼び声のうちには次第に不安と哀願との調子がまじって行った。タドゥツィオはこれに耳を貸さなかった。自分がやった乱暴をたちまち後悔し出したらしい黒い髪の青年は、彼に縋《すが》りついて、宥《なだ》めようと試みた。少年は肩をそびやかしてこれを撥ねつけた。タドゥツィオは砂浜を斜めに歩いて海へ向って行った。はだしで、赤いネクタイのついた、縞《しま》模様のリンネルの服だった。
少年は渚に立ちどまった。一方の足のつまさきで、湿った砂の上に何か描きながら、頭を下に垂れている。が、やがて浅い水の中へ入って行った。その一番深いところでも膝まで濡《ぬ》らすことはなかった。浅瀬を突っ切ると、投げやりな歩き方で砂洲のあるところまで行った。少年は顔を沖合に向けたまま砂洲にほんのしばらく立っていたが、すぐその狭い長い砂洲を左のほうへゆっくりと歩き始めた。陸地とは幅の広い水の帯で距てられ、自尊心の気まぐれから仲間の者とは離ればなれになり、何かひどくかけ離れた、取りつきようのない姿で、少年は髪を風になぶらせつつ、離れた海の中を、模糊《もこ》として煙る果てしない海を背景に、ぶらぶらと歩いて行く。ふたたび立ちどまって少年はあたりを眺《なが》める。と、突然、ふと何事かを思い出したかのように、ふとある衝動を感じたかのように、一方の手を腰に当てて、美しいからだの線をなよやかに崩し、肩越しに岸辺を振返った。岸辺にあって少年を見守っていた男は、最初その砂洲から送られてきた灰色に曇った視線を受けとめたときは、もとの通り椅子に坐ったままであった。椅子の背にもたれていた頭は、ゆっくりと、海の中を歩いて行く少年の動きを追っていた。ところが今、彼は少年の視線に応じ答えるように、頭を起した。と、頭は胸の上にがくりと垂れた。そこで目は下のほうから外を眺めているような具合だったが、彼の顔は、深い眠りの、ぐったりとした、昏々《こんこん》とわれを忘れている表情を示していた。けれども彼自身は、海の中にいる蒼《あお》白い愛らしい魂の導き手が自分にほほ笑みかけ、合図しているような気がした。少年が、腰から手を放しながら遠くのほうを指し示して、希望に溢《あふ》れた、際限のない世界の中に漂い浮んでいるような気がした。すると、いつもと同じように、アシェンバハは立ち上がって、少年のあとを追おうとした。
椅子に倚《よ》って、わきに突っ伏して息の絶えた男を救いに人々が駆けつけたのは、それから数分後のことであった。そしてもうその日のうちに、アシェンバハの死が広く報道されて、人々は驚きつつも恭《うやうや》しくその死を悼《いた》んだ。
解説
高橋義孝
トーマス・マン Thomas Mann は一八七五年六月六日正午、北ドイツの由緒《ゆいしょ》ある町ハンザ同盟市リューベックに、富裕な旧家の次男として生れ、生家の没落後、家族とともにミュンヘンに移り住み、一九〇一年、長編小説『ブデンブローク一家』Buddenbrooks, 1901によって作家として俄《にわ》かに世の注目を浴びるに至った。ここに収めた短編『トニオ・クレーゲル』Tonio Kr喩er は最初まず雑誌に発表され(一九〇三年二月)、のち短編集『トリスタン』Tristan, 1903に収録され、一九一三年に単行本として刊行された。マンは『小自叙伝』Lebensabriss, 1930においてこの短編に触れ、自分の心に深く結びついた、忘れ難い作品だとしている。時にマンは二十七歳であった。
文学的にも経済的にも生活の安定したマンは、ミュンヘン大学教授の娘、カーチャ・プリングスハイム Katja Pringsheim と結婚(一九〇四年)、ミュンヘンに居を構えて、幸福で多産的な作家生活に入ったが、たまたま夫人が病を得てスイスのダヴォスの療養所へ赴いたのに同行し、この地での見聞をもとに小編を書こうとして書き出したのが、マンをしてヨーロッパの大作家たらしめた長編小説『魔の山』Der Zauberberg, 1924である。
『魔の山』の稿を起した一九一三年に先立つこと二年、一九一一年から同一二年にかけて書かれ、同年夏に出版された短編が『ヴェニスに死す』Der Tod in Venedig である。マンは三十七歳で、すでにドイツ文壇に不動の地位を占めていた。
『魔の山』は完成までに十年の歳月を費し、その間に第一次世界戦争が勃発《ぼっぱつ》し、終結している。戦争中は『非政治的人間の考察』Betrachtungen eines Unpolitischen, 1918 を書き継いで、ドイツのロマン主義的保守主義を擁護する論陣を張った。
しかし戦後には新しく誕生したドイツ共和国に味方し、デモクラシーと社会主義の側に立った。一九二九年には『ブデンブローク一家』以来の文学的業績によってノーベル賞を授けられている。
その間、ドイツでは国粋主義的・ファッショ的運動が次第に高まりを見せ、ついに一九三三年一月三十日にはナチス党のアードルフ・ヒトラー Adolf Hitler が完全に政権を掌握した。これに対してマンはかねてからドイツ文化と精神の危機を感じ取って、陰に陽にナチスを批判していたが、同年二月十日、ミュンヘンで『リヒャルト・ワーグナーの苦悩と偉大』Leiden und Gr嘖se Richard Wagners と題する講演を行い、翌十一日、この講演草稿を携えてオランダを振出しに講演旅行の途に上った。いずくんぞ知らん、これがマンの祖国ドイツとの永遠の別離の日となった。当然のことながら、この講演やそれまでの彼の述作、政治的姿勢がナチスの忌諱《きい》に触れ、のち財産は没収され、市民権は剥奪《はくだつ》されて、彼は一九三八年アメリカに移住するまでの五年間を、不安定であわただしい亡命生活のうちに過さなければならなかった。アメリカでのマンは講演『来たるべきデモクラシーの勝利について』を始めとして、評論、講演、ラジオ放送等によってきわめて活溌《かっぱつ》な反ナチス政治活動を行なった。しかしその間にも創作の筆を措《お》くようなことはなかった。一九四四年にはアメリカ市民権を獲得している。
マンがまだドイツで活躍していた頃《ころ》に書き始められた四部作『ヨーゼフとその兄弟たち』Joseph und seine Bru歸er は起稿から十六年の歳月を閲《けみ》して一九四三年、アメリカで全編の完結を見た。このような巨大な量は、すでに何か質的なものを指向している。この徹底性、堅忍不抜、息の長さは恐らくわれわれ日本の作家たちとは無縁のものであろう。
戦後のマンの大作としては、『ファウスト博士、一友人の物語るドイツの作曲家アードリアン・レーヴァーキューンの生涯《しょうがい》』Doktor Faustus. Das Leben des deutschen Tonsetzers Adrian Leverk殄n, erz撹lt von einem Freunde, 1947『選ばれし人』Der Erw撹lte, 1951『詐欺師《さぎし》フェーリクス・クルルの告白、回想録第一部』Bekenntnisse des Hochstaplers Felix Krull. Der Memoiren erster Teil, 1954 があるが、マンの最後の労作は講演『シラー試論』Versuch 歟er Schiller, 1955 であった。
『魔の山』に至るまでのマンを陰に陽に導いて行ったのは、ショーペンハウアー Schopenhauer とニーチェ Nietzsche とワーグナー Wagner であったが、今やおもむろにゲーテ Goetheの光耀《こうよう》がこれら三者のそれを凌《しの》ぎ始める、作家としてのマンの生涯には「ゲーテのまねび」といった趣さえ看取される。汎《はん》人類的で明朗なヒューマニズム、これが晩年のマンの念頭を去来していたものであろう。一九五二年、彼はこう書いている、自分は「同時代人の間に、もう少々ばかり余計によろこびと認識と高級な朗らかさを広めるために」仕事をしてきた人間だ、と。
しかしトーマス・マンは厳密かつ完全な意味において「十九世紀」であった。彼はかつて「私は十九世紀をその風格の故《ゆえ》に愛する」(『わが時代』Meine Zeit, 1950)と書いた。そして「すべてその種において完全なものは、その種を超越する」(ゲーテ)の論理に従って、マンは自己の十九世紀性を超越して、自己の作品と世界観とを時空を絶した汎人間的平面へと高めて行った作家であったと考えられる。
一九五二年末、マンは反動の色を濃くして行くアメリカを去って再びヨーロッパの人となり、スイスに居を定め、彼が『小自叙伝』中に預言していたように「切りのいい年」、一九五五年八月十二日午後八時、チューリヒ近郊のキルヒベルクにおいて没した。享年《きょうねん》八十歳であった。
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ここに収めた二編は、いずれも芸術家(文士)を主人公にし、芸術家・文士の本質に関する問題を取扱っている。マンにおいては、芸術家、特に文士、作家は、マンの作品を論評する人たちの常套語《じょうとうご》で言えば「生」と「精神」、「市民気質《かたぎ》」と「芸術家気質」、感情と思想(『ヴェニスに死す』中の言葉)、感性と理性、美と倫理、陶酔と良心、享受と認識――こういう相反する二つのものの板挟《いたばさ》みに会っている人間として捉《とら》えられている。そして『トニオ・クレーゲル』では、主人公は今挙げた幾組かの対立概念のうち、後者に縋《すが》ってかろうじて自己の文士としての生活を支えて行くが、『ヴェニスに死す』においては、主人公はこれらの対立概念の前者のために敗北し、死んで行く。『魔の山』に至るまでの、というのは「市民的・個人的」段階(『フロイトと未来』)にあったマンの作品は、上述の両極的に対立する二つの力の間を往《ゆ》きつ戻りつした、その傷《いた》ましい彷徨《ほうこう》の記録であった。そして彼は『魔の山』の制作を転機として「神話的・典型的」な創作段階へと移って行き、その最後の報告書とも言うべきものが四部作『ヨーゼフとその兄弟たち』である。
「美と廉《れん》恥《ち》」(ゲーテ『ファウスト』)の作り出す緊迫関係の中に身を置いて、そのどちらにも完全に屈服することなく活動し生きて行くという作家の秘密を、トーマス・マンは奇妙な牧歌詩『幼児の歌』Gesang vom Kindchen, 1919の冒頭でさり気なく洩《も》らしている。すなわち文士をして詩人たらしめるものは「良心」だというのである。「なぜなら良心《・・》こそ、心情の良心と繊細な耳の良心こそ、私はいつも散文の意味であり問題であると思ってきた。いや、散文は私にはモラルであると同時に音楽であると思われた―――そういう考えで私はこれまで散文の仕事をしてきた」主観的概念「良心」を客観的概念で言い換えるならば、それは「言語」であろう。おそらくこの「良心」と「言語」という二つのものの持つ一切の可能性をぎりぎりのところまで、いわば「底の底まで」(『トニオ・クレーゲル』)究め尽し、味わい尽した作家がトーマス・マンではなかったか。すなわち彼は言葉の最も厳格な、最も深刻な意味における「文学者」であった。
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翻訳底本には一九二二年の『短編集・巻二』(初版本)を使用した。この初版本には誤植と思われる箇処が二、三あるので、訳者は直接トーマス・マンに手紙を送ってこれについて問いただした。戦後出版された全集では、『ヴェニスに死す』は五章に分けられ、『トニオ・クレーゲル』も九章に分けられている。しかし本訳稿では初版本の体裁に従った。
(一九六七年九月)