トーニオ・クレーガー
トーマス・マン作/植田敏郎訳
目 次
トーニオ・クレーガー
解説
年譜
訳者あとがき
[#改ページ]
トーニオ・クレーガー
冬の日は、厚い雲におおわれて、ミルク色にぼやけたまま、せまい町の上にかすかな明かりを投げていた。破風《はふ》造りの家々のたちならんだ小路は、じめじめして、風が吹きつけ、ときどき氷とも雪ともつかないやわらかいみぞれのようなものが降ってきた。
学校がひけた。解放された生徒たちは、石を敷きつめた中庭をよこぎって格子門の外へなだれ出ると、右に左に、わかれわかれになって、急ぎ足で帰っていった。上級の生徒たちは偉そうに本の包みを左手で高々と肩におしつけるように抱え、右腕で風にさからってかじをとりながら、昼食をめざしていった。下級の生徒たちはうれしそうにかけだしたので、氷まじりの泥がまわりにはね返り、あざらしのランドセルの中で勉強の七つ道具ががちゃがちゃいった。けれども、ときどき落ち着いた足どりで歩いていく古参の先生の、ヴォータンのような帽子とユピテルのようなひげに出会うと、みんな神妙なまなざしで、帽子をぬいだ……
「やっときたねえ、ハンス」
と、もう長いこと車道で待っていたトーニオ・クレーガーはいって、ほおえみながら友人の方へよっていった。相手はほかの友人たちと話し合いながら門を出て、もう仲間といっしょに帰りかけていた……
「え、どうして?」
と、友人は聞いてトーニオを見つめた……。「うん、そうだな。さあ、もう少しいっしょに歩こう」
トーニオは口をつぐんだ。目は曇った。今日の昼、いっしょに少し散歩しようと約束したのをハンスは忘れてしまい、今になってまた思い出したのだろうか?それなのに、ぼく自身は約束してからというもの、ほとんど忘れる間もなく楽しみに待っていた!
「じゃ、みんな、さよなら」
と、ハンス・ハンゼンは友人たちにいった。
「それではぼく、これからもう少しクレーガーと散歩するからな」
こうしてふたりは、他の連中はぶらぶらと右の方へ歩いていったのに、左手に向かった。
ハンスとトーニオは、どっちも四時にやっと昼食をとる家庭の子どもだったので、放課後に散歩をするひまがあった。ふたりの父親は大商人で、かずかずの公職にもあるこの町の有力者だった。ハンゼン家はもう何代も前から下の川のほとりに広い材木置場をいくつも持っていて、大きな機械|鋸《のこ》がぶんぶんしゅっしゅっと音をたてて木の幹を切り刻んでいた。ところがトーニオはクレーガー領事の息子で、肉太で黒いクレーガー商会の印をつけた穀物袋が通りを馬車で運ばれていくのが毎日のように見られた。クレーガー家代々の大きな古い邸宅は、町中でいちばん豪奢《ごうしゃ》なものだった。……知り合いの多いふたりは、ひっきりなしに帽子をぬがなければならなかった。それどころか、十四歳の少年たちが先におじぎされることもめずらしくなかった……
ふたりは、学校かばんを肩にかけていた。そしてふたりとも上等な暖かい服装をしていた。ハンスは短いセーラー外套を着て、その上に肩から背中にかけて、下に着ている青いセーラー服の広い折り返しがたれていた。トーニオは、灰色のベルトつきのオーバーを着ていた。ハンスは短いリボンのついたデンマーク風のセーラー帽をかぶり、その下から淡いブロンドの髪がちょっとはみ出ていた。ハンスはとてもかわいらしくて姿がよく、肩幅が広く、腰が細く、くぼんでいない、鋭い、鋼のような青い目をしていた。ところがトーニオの丸い毛皮帽子の下には、褐色がかった、まったく南国風の|ほり《ヽヽ》の深い顔から、厚ぼったいまぶたをした、黒みがかった、かすかなかげりのある目が、夢見心地に、いくらかおずおずとのぞいていた……口と顎《あご》はひどく柔らかな形だった。トーニオの歩き方は投げやりで不ぞろいだったが、ハンスは黒い靴下をはいたほっそりとした足でとてもしなやかに、きちんとした歩調で歩いていった……
トーニオは口をきかなかった。苦しみを感じていたのだ。少し斜めについている眉を寄せ、口笛を吹くように口をすぼめて、首を横にかしげ、遠くに目をやっていた。この姿勢と表情は、トーニオ独特のものであった。
急にハンスはトーニオの腕の下に腕をさし入れて、横から相手をじっと見た。トーニオがなぜうちとけないかがちゃんとわかっていたからだ。するとトーニオは、それから数歩はまだ黙っていたが、急に気持ちがすっかりほぐれてきた。
「もちろん、忘れていたんじゃないよ、トーニオ」
と、ハンスはいって、足もとの歩道に目を伏せた。「ただ、今日はこんなにしめっぽくて風がひどいから、散歩なんかできまいと思ったのさ。でも、ぼくは平気だよ。それでもぼくを待っていてくれたなんてすばらしいと思うよ。きっと、もう帰っちゃっただろうと思って、腹をたてていたんだ……」
そんなふうにいわれると、トーニオの心はすっかり踊りあがって歓声をあげるように動きだした。
「そう、それじゃ土手を歩こうじやないか」
と、トーニオは感動した声でいった。「ミューレン土手とホルステン土手を。それから、きみの家まで送っていくよ、ハンス……。そのあと、帰りはひとりになったって平気だよ。今度のときはきみがぼくを送ってくれよ」
トーニオは、ほんとうはハンスのことばをあまり信じていなかった。ハンスがこのふたりの散歩を自分の半分くらいしか重く見ていないことも、トーニオははっきりと感じていた。けれども、ハンスが自分の忘れっぽいことを悔《く》いて一生懸命になだめようとしていることはやっぱり見てとれた。トーニオには、仲直りをはねつける気などさらになかった……
つまりそれは、トーニオはハンス・ハンゼンを好きで、そのためにはもう何度か苦しい思いをしてきたということなのである。もっとも多く愛する者は敗者で、悩まなければならない、……この単純でむごい教えを、トーニオの十四歳の魂はもう人生から受けとっていた。そして、トーニオの性質としては、こうした経験をよく覚えておいて、それをいってみれば心の中に書きとめておき、それをいくらか楽しみにはするが、もちろん自分ではその経験に従って行動したり、それから実際的な利益をひき出したりすることはなかった。また、トーニオは学校でおしつけられる知識よりこの方がずっと大切でもあり、おもしろいとも思っていたし、そればかりかゴシック風の丸天井の教室で授業を受けている間にも、たいていこういう洞察《どうさつ》を底の底まで感じとり、残すところなく考えぬくことに没頭するたちであった。そしてこの仕事は、バイオリンを手に(トーニオはバイオリンを弾いたから)自分の部屋の中を歩きまわりながら、出せるだけ柔らかい響きを、下の庭のくるみの老木の枝のかげで踊るようにふき上っている噴水のぴちゃぴちゃいう音の中へしみこませるときとまったく同じ満足を与えるのだった……
噴水、くるみの老木、バイオリン、遠くには海、休暇にはその夏の夢に聞き耳をたてることのできたバルト海、それらのものがトーニオの愛したものであって、こういうものでいわば自分をとりまかせ、そういうものの間でトーニオの内部生活がくりひろげられたのであった。そういうものは詩の中に使ってもいい効果のある名前をもったものであったし、またトーニオ・クレーガーがときどき作った詩の中には、そういう名前は実際に何度となくひびいていたのであった。
これは、つまりトーニオが自作の詩を書きとめたノートを一冊持っていたことが、トーニオ自身の落ち度で人に知れわたってしまい、同級生の間でも、先生たちの間でも、とても評判を悪くした。クレーガー領事の息子は、そんなことで感情を害するのはばからしいし、卑しいと思って、そのかわり同級生や先生たちを軽蔑した。ただでさえトーニオはかれらの無作法さには反撥《はんぱつ》を感じていたし、かれらの個人的な弱みを不思議なほど鋭く見ぬいていた。けれども一方では、詩を作ることをトーニオ自身も常軌《じょうき》を逸した、もともとけしからんことのように感じて、それを不快な仕事と考える人たちみんなの意見を、ある程度はもっともと思わないわけにはいかなかった。が、そう思ったところでトーニオは、詩を作ることはやめられなかった……
家では時間をぐずぐずしたし、授業中はのんびりし、気が散っていたし、先生たちにも評判がよくなかったので、家へ持って帰る成績表はいつでもまったくひどいものだった。すると、父は……背の高い、こった身なりをしてボタン穴にいつでも野花をさしている、考え深そうな青い目の紳士だったが、ひどく腹をたて、心配そうな様子をした。けれどもトーニオの母……髪の黒い美しい人で、地図で見るとずっと下の方の国から父がかつて連れてきたので、コンスエーロという名前の、この町のほかの婦人たちとはまるで違っていたが……この母には成績などまったくどうでもよかった……
トーニオは、ピアノやマンドリンをすばらしく上手にひく、髪の黒い情熱的な母を愛していた。そして、母が人々の間での息子の、あまりぱっとしない評判を苦にしないことを喜んでいた。けれども他方では、父の怒りの方がずっと立派で尊敬すべきであると感じ、たとえ怒られても結局は父の気持ちがすっかりわかり、一方母の朗《ほが》らかな無関心さをちょっとだらしがないと思っていた。
ときどきトーニオはこんなふうに考えた……ぼくはこのままのぼくで、自分を変えようともせず、変えられもせず、投げやりで、あまのじゃくで、ぼく以外の誰も考えないようなことを頭においているけれど、もうこれくらいが程よいところだ。少なくともそのために本気でぼくを叱ったり罰をくらわしたりして、キスや音楽で見のがしてくれようとしないのは当たりまえだ。何といってもぼくたちは緑色の車に乗ったジプシーではなくて、ちゃんとした人間、クレーガー領事の家族、グレーガー家なんだ。……また、こんなふうに考えることもめずらしくなかった……どうしてぼくはこんなにふうがわりで、だれとでも争い、先生たちとは仲が悪く、他の生徒ともしっくりいかないんだろう。あの善良な生徒と手堅くて平凡な連中を見るがいい。かれらは先生たちをこっけいだとも思わないし、詩を作ったりもしないし、だれもが考え、だれもが大声でいえることしか考えない。あの人たちは自分たちをまともだと思い、だれとでも折り合っていると感じているにちがいない! それは具合のいいことだろう……ところが、ぼくはどうだ。このままでは先がどうなるだろう。
こんなふうに、自分自身のことや自分と人生との関係を観察するやり方が、ハンス・ハンゼンに対するトーニオの友情に重要な役割をはたしていた。トーニオがハンス・ハンゼンを愛したのは、第一にハンスが美しかったからである。でも、次にはすべての点で自分とは正反対で逆の人間に思われたからである。ハンス・ハンゼンは優秀な生徒であるばかりでなく、活発な少年で、まるで英雄のように馬にも乗るし、体操もするし、泳ぎもし、だれからも好かれていた。先生たちもほとんどなでさすらんばかりにかわいがって、苗字ではよばずにハンスといって、何かにつけて引き立てたし、友人もハンスのひいきをえようと気をつかい、往来では紳士も淑女《しゅくじょ》もハンスを引きとめて、デンマーク風のセーラー帽の下からはみ出ている淡いブロンドの髪をつかみながら、
「こんにちは、ハンス・ハンゼン、きれいな髪の毛だね。まだあいかわらずクラス一番なの? パパやママによろしく。すばらしい坊や……」
と、いった。
ハンス・ハンゼンは、そんなふうであった。
トーニオ・クレーガーはハンスと知り合ってからというもの、その姿さえ見れば憧《あこが》れを、ねたましい憧れをおぼえた。それは胸の上の方に宿って、ひりひりとうずいた。トーニオは考えた……だれがきみみたいに青い目をし、だれとでもきちんと、楽しく、なかよく暮らしていけるだろう! いつだってきみは、しつけのいい、だれにも敬われるようなやり方でやっている。宿題がすめば乗馬の稽古か、糸のこで工作をやるかする。休暇のときにさえきみは海岸でボートをこいだり、ヨットを走らせたり、泳いたりでいそがしい。それなのにぼくは、砂の上にのらくらとぼんやり寝そべって、顔の上をかすめていく謎めいた海の変化する表情のたわむれをじっと見つめている。ところが、だからこそきみの目はそんなに澄んでいるんだ。きみみたいになりたい……
トーニオは、ハンス・ハンゼンのようになろうと試みはしなかった。ひょっとしたら、この望みを抱いたのもそれほど本気ですらなかった。でも、あるがままの自分をハンスが愛してくれたらなあと、痛切に望んでいた。そして、トーニオはトーニオらしいやり方でハンスの愛を求めた。それはゆっくりとした、心からの、献身的な、苦しみながらの、ゆううつそうなやり方でであった。けれども、その異国ふうな見かけから期待されるかも知れないどんな激しい熱情よりも、いっそう深く、いっそう身をやくようなゆううつがともなっていた。
トーニオの求愛は、かならずしもむだであったわけではない。ハンスはともかくトーニオにある優越、むずかしいことをいいあらわすことのできるトーニオの弁舌の才を尊敬していて、トーニオが自分に対して異常に強いこまやかな感情をもっていることを十分よく理解し、それに感謝の色を示し、好意を示して、トーニオをいろいろと幸福にしたから……けれどもまた、嫉妬《しっと》や失望や精神的なつながりをつくろうとする空しい努力などのような苦しみもいろいろと与えた。トーニオはもともとハンスの生き方をうらやましく思ったのに、ハンスをたえず自分の生き方の方へひきよせようと努力していたのはとても奇妙であったからである。もっともこの努力はただ瞬間的にしか、それもただ見かけしか成功はしなかったけれど……
「ぼく、この頃、すばらしいものを読んだんだぜ。すごくすばらしいものを……」
と、トーニオがいった。ふたりはミューレン通りの雑貨店のイーヴァーゼンの店で十ペニヒで買った果汁入りドロップを、歩きながら一つの袋からいっしょに食べていた。
「ぜひ読んでごらんよ、ハンス。つまり、シラー〔ドイツの作家。その戯曲「ドン・カルロス」は、スペインの大王フェリーペ二世の子ドン・カルロスを主人公としている〕の『ドン・カルロス』さ。……読みたかったら貸してあげるぜ………」
「いや、いいよ」と、ハンス・ハンゼンはいった。「よそう、トーニオ。ぼくには向かないよ。ぼくはやっぱり、馬の本にしておくよ。すてきなさし絵がのってるんだぜ、ほんとに。ぼくのうちにきたら見せてあげるよ。早撮り写真でね、速足や、ガロップや、跳躍《ちょうやく》や、普通では動きが早すぎてとても見られないような、あらゆる馬の姿勢で出てるんだ……」
「あらゆる姿勢でだって?」
と、トーニオはおせじにたずねた。「そうか、そいつはいいな。でも、『ドン・カルロス』ときたら思いがけないところがあるんだぜ。ほんとだよ。とってもすてきで、衝撃を受けて、いわば、がんと一発くらうような箇所があるんだ……」
「がんと一発だって?」
と、ハンス・ハンゼンがたずねた……。「どうして?」
「たとえば、王さまが泣く箇所がある。侯爵にだまされたんでね。…でも、侯爵はただ王子さまのために王さまをあざむいたんだ。いいかい、侯爵は王子さまのために犠牲になるのさ。そうすると王さまの居間から次の間へ、王さまが泣いたという知らせがくる。
『泣かれたのか?』
『王さまが泣かれたのか?』
廷臣《ていしん》はみんなすごくどぎまぎするんだ。しみじみと胸にこたえるぜ。だって、すごくがんこで、きびしい王さまだからさ。王さまの泣いた気持ちはとてもよくわかるんだ。ほんとうは、ぼくは、侯爵と王子さまを合わせたよりもっと王さまの方をかわいそうだと思うよ。いつもまるきりひとりぼっちでだれからも愛されていない。その時、ひとりの人間を見つけたと思ったら、その人に裏切られる……」
ハンス・ハンゼンは、トーニオの顔を横から見た。この顔の中の何かが、この話にハンスの心をひきこんだにちがいない。それは不意にハンスが腕をまたトーニオの腕の下にさし入れてたずねたからだ。
「いったい王さまをどんなふうに裏切るのかい、その人は、トーニオ?」
トーニオは、興がのってきた。
「ああ、それはこうなのさ」
と、トーニオははじめた。「ブラバントやフランドルへいく手紙がすっかり……」
「あっ、エルヴィン・イマータールだ」
と、ハンスがいった。
トーニオは話をやめた。イマータールめ、消え失せちまえばいいのに、とトーニオは思った。何だってやってきて、ぼくらの邪魔をしなきゃならないんだ! いっしょについてきて終わりまで馬の稽古の話なんて、まっぴらだ。……エルヴィン・イマータールもやっぱり馬の稽古をしていたからである。銀行頭取の息子で、市門の外のこの辺に住んでいた。もう鞄《かばん》もなしで、あのまがった足で、切れ長の目をして、並木路をこっちへ歩いてきた。
「こんにちは、イマータール!」
と、ハンスはいった。「クレーガーといっしょに少し歩いているんだよ……」
「ぼくは、町へいかなきゃならないんだ」
と、イマータールはいった。「用事があるんでね。でも、ちょっときみたちといっしょに歩こう。…きみたちが持っているのは果汁入りドロップスだね。ああ、ありがとう、少しもらうよ。あしたはまた稽古だな、ハンス」
……乗馬の稽古のことだった。
「すばらしいな」
と、ハンスがいった。「この間の練習でぼくは一等をとったから、今度、革のゲートルをもらうんだ……」
「きみは乗馬の稽古はやらないんだね、クレーガー」
と、イマータールがたずねた。その目はほんとに、きらきら輝く二すじの裂け目でしかなかった。
「ああ」
トーニオはすごくあいまいな調子で答えた。
「おとうさんに頼むんだよ」
と、ハンス・ハンゼンが口をはさんだ。「稽古させてくれって、ねえ、クレーガー」
「ああ…」
トーニオは、せかせかと、どうでもいいように答えた。が、一瞬、のどをしめられるような気がした。ハンスから苗字でよばれたからである。すると、ハンスもそのことに感づいたらしい。説明めいて、こういったからである。
「きみのことをクレーガーってよぶのはね、きみの名前がとてもなみはずれだからだよ。ごめんね。でも、ぼく、きみの名前は気に入らないんだ、トーニオ……。これは名前なんてもんじゃないよ。もっとも、ちっともきみのせいじゃないけどね」
「そうだな、その名前は外国人みたいでちょっと変わってるもの。たぶんそれで特にきみの名前になったんだな……」と、イマータールがいって、とりなしでもするようなふうをした。
トーニオの口はぴくぴくした。それから気をとり直していった。
「そうさ、ばかげた名前だよ。ぼくはむしろハインリヒとかウィルヘルムという名の方が好きなんだ。ほんとだぜ。でも、おかあさんの兄弟で、ぼくの名付親になった人がアントーニオという名前だからそうなったんだよ。ぼくのおかあさんはあちらの国からきたもので……」
そういうとトーニオは黙りこくって、ふたりに馬や馬具の話をウせておいた。ハンスは、イマーダールの腕をとって、興味のままにべらべらと話していたが、「ドン・カルロス」のことでハンスにこれだけ興味をよび起こさせることは思いもおよばなかったろう……。トーニオは、ときどき泣きたくなる衝動が鼻の中にむずむずと上がってくるのを感じた。また、ひっきりなしにふるえだす顎《あご》をむりにおさえるのに苦労した……
ハンスはぼくの名前が気に入らない……だからといってどうすればいいんだ。その人はハンスという名前だし、イマータールはエルヴィンという名前だ。よろしい。もちろん世の中に認められた名前で、だれも変に思わない。ところが「トーニオ」という名前は何か外国らしくて特殊だった。いや、ぼくにその気があろうとなかろうと、ぼくはあらゆる点で特殊なんだ。ぼくは緑色の車に乗ったジプシーではなくて、領事クレーガーの息子で、クレーガー家のひとりだというのにぼくはいつもひとりぼっちで、まともな人、普通の人たちから相手にされないんだ……。
それにしても、ハンスはほかの友だちが加わると恥ずかしがりはじめるのに、どうしてふたりきりのときにはトーニオとよぶのだろう。ときにはぼくのそばへ寄ってきて、ぼくのものになってくれることもある。そうだ。いったいその人はどんなふうに王さまを裏切ったのかい、トーニオって、ハンスはたずねながら腕をとったじゃないか。
ところが、それからイマータールがやってきたら、やっぱりほっと息をついて、ぼくをふりきり、必要もないのにぼくのめずらしい名前をけなしさえした。こんなことをすっかり見すかさなくてはならないってことは、なんとつらいことだ……。ハンス・ハンゼンは、ふたりきりのときには、結局少しぼくを好きなんだ。それはよくわかるんだ。それなのにほかの友だちがくると、ぼくを好いていることを恥ずかしがってぼくを犠牲にする。そして、ぼくはまたひとりぼっちだ。トーニオはフィリップ王のことを考えた。王さまは泣かれた……
「あっ、しまった!」
と、エルヴィン・イマータールがいった。「さあ、でも、ほんとに町へいかなくちゃ! それじゃ、さよなら。果汁入りドロップスありがとう」
そういうと、道ばたのベンチにとびのり、曲がった足でその上を走り、大いそぎで去った。
「イマータールって、ぼく好きだな」
と、ハンスは力をこめていった。ハンスには、好き嫌いをはっきりいいあらわし、それをいわば聞かせてとらせるといったような、甘やかされたうぬぼれた|たち《ヽヽ》があった……それからハンスはいったん興にのってしまったので馬の稽古の話をつづけた。
そこまでくるとハンゼンの住まいはもうそう遠くはなかった。土手を越えていけばそれほど時間はかからなかった。ふたりは手でしっかり帽子をおさえて、枯れた木々の枝をぎしぎしときしませるしめっぽい強い風に向かって頭をかがめた。ハンス・ハンゼンはしゃべったが、一方トーニオはただときどきわざとらしく、「おや」とか、「そうだそうだ」とかいうだけで、話に夢中になってハンスがまた腕をとっても、うれしくなかった。それがただうわべだけの接近にすぎず、意味がなかったからである。
それからふたりは、駅に近いところで土手をあとにして、列車がぶざまにがたがたとあわただしげに音をたてながら通り過ぎるのを眺めながら、暇つぶしに車両の数をかぞえたり、一番後ろの車両のてっぺんに毛皮にくるまってすわっている男に手を振ったりした。リンデン広場の大商人ハンゼンの屋敷の前で、ふたりは立ち止まった。ハンスは庭の戸の下の方に乗って体を揺らせながら蝶《ちょう》つがいを動かすと、きしんでぎいぎい鳴っておもしろいのだといって、くわしく実演して見せた。でもそれから、別れを告げた。
「さあ、うちに入らなくちゃ」
と、ハンスはいった。「さようなら、トーニオ。今度はぼくが君を送っていくよ。きっとだ」
「さようなら、ハンス」
と、トーニオはいった。「散歩はよかったよ」
握手をしたふたりの手は庭の戸をつかんだので、びっしょりぬれてさびがついていた。けれども、ハンスがトーニオの目をのぞいたとき、ハンスの美しい顔に何やら後悔らしい反省の色が浮かんできた。
「それはそうと、ぼくはそのうち『ドン・カルロス』を読んでみるよ!」
と、ハンスは急いでいった。「御居間の王さまのところは、きっとすばらしいだろうなあ」
それから鞄をわきに抱えると前庭をぬけて走った。家の中に消える前にもう一度、ふり返ってうなずきかけた。
トーニオ・クレーガーはすっかり気分が明るくなって、足も軽く立ち去っていった。トーニオは後ろから吹く風に運ばれていったが、トーニオがこんなに軽々と歩いていったのは、決して風のせいばかりではなかった。
ハンスは「ドン・カルロス」を読むだろう。そしたら自分とハンスだけが知っているあるものを共有することになるのだ。イマータールも、他のだれも話に加われはしないんだ! ふたりはどんなによく理解し合うことだろう! わからないが……ひょっとしたらハンスに詩を書かせるようにすることだってできるかも知れない……いや、いや、それはよそう。ハンスをぼくみたいにならせたくない。ハンスはいつまでも今のまま、みんなが愛し、特にぼくが一番愛している、明るく強いハンスでなくてはいけない。だからといってハンスが「ドン・カルロス」を読んだところでさしつかえはなかろう……。
トーニオはやがて古いどっしりとした市門をくぐって、港にそって歩いてから、吹きさらしのしめっぽい、破風造りの家々にはさまれた急傾斜の小路を両親の家の方へ登っていった。当時トーニオの心は生きていた。心の中には憧れとゆううつな羨《うらや》みと、ほんのわずかな軽蔑と、欠けるところのない清い幸福感があった。
金髪のインゲ、インゲボルク・ホルム。高く、とがって、幾段にもなって、ゴシックふうの噴水のある市場に面して住んでいるホルム博士の娘、その人がトーニオ・クレーガーの十六歳のときに愛した相手だった。
どうしてそういうことになったのか? それまでにもトーニオは、何度となくインゲを見ていた。ところがある夜、トーニオはインゲをある照明の下で見た。インゲは女友だちと話し合いながら、とても朗らかな笑い方で笑って頭をかしげ、その手を、決して特に細くもないし、またしなやかでもない少女らしい手を、あるしぐさで頭の後ろへ持っていったとき、白い紗《しゃ》の袖口がひじからすべり落ちて二の腕がむき出しになったのをトーニオは見た。ある言葉、それも何でもない一つの言葉をあるアクセントをつけて口にすると、その声に何か暖かい響きのこもるのをトーニオは聞いた。すると、トーニオの心はうっとりした。昔トーニオがまだ愚かな少年だったころ、あのハンス・ハンゼンを眺めたときに覚えたあのうっとりとした感じより、ずっと強烈にであった。
その夜、トーニオはインゲのおもかげ、あの豊かなブロンドのお下げと、切れ長な笑っている青い目と、そばかすのうっすら見える鼻すじを心に抱いて家へ帰った。あの声にこもった饗きが耳について眠れなかったので、何でもない言葉をいったときのアクセントを小声でまねようとして、身をふるわせた。
経験が、これが恋というものだ、と教えてくれた。恋は多くの苦痛と苦悩と屈辱をもたらすばかりでなく、平和を乱し、心をメロディーでいっぱいにするので、あることをまとめあげ、あせらずに何かまとまったものにきたえあげる心の落ち着きなど見いだせなくなるということはよく知っていたにもかかわらず、それでもトーニオはやっぱり喜んで恋を受け入れ、それにすべてを投げ出してありったけの心をそそいで養い育てた。恋が豊かにし、生き生きとさせることをトーニオは知っていたからである。そこで、あせらずに何かまとまったものをきたえあげるかわりに、豊かに生き生きとしていることに憧れた。……
トーニオ・クレーガーが朗らかなインゲ・ホルムに夢中になったのは、フステーデ領事夫人が片付けて広くなったサロンでの出来事だった。その夜はダンスの講習をするのがちょうどフステーデ夫人の番にあたっていた。これは一流家庭の子弟だけが参加する私的な講習で、順々にめいめいの両親の家に集まっては、ダンスと礼儀作法を教わっていたからである。そのために毎週ハンブルクからダンスの先生のクナーク氏が、わざわざ出向いてきていた。
先生の名前はフランソワ・クナークといったが、これがまた何という男だったろう!
「J'ai l'honneur de me vous representer(失礼ですが自己紹介をいたします)」と、先生はいった。「mon nom est Knaak(わたくしはクナークと申します者で)……しかしこれは、お辞儀をしながらいってはいけないので、もう一度頭を上げるときにいうのです、……声をおさえて、けれどもはっきりとです。もちろん毎日フランス語で自己紹介をしなければならないわけではありませんが、フランス語で正確に非の打ちどころなくこれができれば、ドイツ語ではますます誤りなくできるというわけです」
絹の黒いフロックコートが、太った腰に何とぴったり合っていたことか。ズボンはやわらかなひだを作ってエナメル靴の上に垂れ、靴は巾の広いしゅすのリボンの飾りがついていた。褐色の目は、自分の美しさに対してものうい幸福感をたたえてあたりを見まわしていた……
その並はずれた落ち着きと礼儀正しさを見ると誰でも圧倒された。先生は……先生のようにしなやかに、波うち、揺れるように、王者らしい歩き方をするものはだれもなかった……家の女主人の方へいってお辞儀《じぎ》をし、手をさしのべられるのを待った。手をとると小声で礼をのべ、はずみをつけて後へさがり、左足を軸にして向きを変えると、右足の下に向けた爪先で横に床を軽くけってとび、腰を振ってあちらへいった……
人の集まっている部屋を出るときにはあとずさりし、何度もお辞儀しながら戸口を出ていった。片脚をつかんだり、床をひきずるようにして椅子《いす》を動かしたりはしないで、軽く背を持ってそっと引き寄せ、音のしないように置いた。腹の前で両手を組み合わせたり、口の端に舌をつき出したりしながら立っていてはいけなかった。それでもそんなことをするとクナーク氏は、そのとおりまねして見せるあるやり方を心えていたので、それからは生涯そういう態度がいやになるのであった…
これが作法だった。けれども、ダンスはどうかというと、クナーク氏はひょっとするともっと奥をきわめていた。片付けられたサロンにはシャンデリアのガスの炎が燃え、暖炉《だんろ》の上にろうそくがともっていた。床には滑石粉《かっせきこ》がまいてあって、弟子たちは黙って半円を描いて立っていた。でもドアのカーテンの向こうの次の間にはフラシテンの椅子に母や叔母たちが腰かけて、柄のついためがね越しにクナーク氏を観察していた。クナーク氏は身をかがめた姿勢で、フロックコートの裾《すそ》を二本の指でつまみ上げ、足にはずみをつけてマズルカの一つ一つのステップをやって見せていた。ところがクナーク氏は、見物人をあっといわせようという気になると、突然やむをえないわけもないのに床からはね上がって、両足を目がまわるほどの早さで宙で旋回させ、いわば両足でトレモロを奏でてから、鈍いとはいってもあらゆるものを根本から揺り動かすような、ずしんという音をたててこの地上に舞いもどった……
何とまあわけのわからない猿だろう、とトーニオ・クレーガーは心で考えた。けれども、インゲ・ホルム、あの朗らかなインゲがたびたびうっとりとしたような微笑を浮かべながら、クナーク氏の動きを目で追っていることを、トーニオはちゃんと見ていた。もっとも、クナーク氏のこういうすばらしくいうことをきく身のこなしを見てトーニオが結局何か感嘆するよう気持ちを覚えたのは、そのためばかりではなかった。クナーク氏の目はなんと落ち着いて、どきまぎしないで眺めていたことか。あの目は事物の中まで見ることはなかった。事物がややこしく、悲しくなるところまでは入っていけなかった。あの目は自分が褐色で美しいということだけしか知っていなかった。でも、だからこそクナーク氏の態度はあんなに誇りにみちているのだった。そうだ、愚かでなければあんなに歩くことはできなかった。それならば人に愛されたのだ。愛嬌《あいきょう》があったからだ。インゲが、あの金髪のかわいらしいインゲがあんなふうにクナーク氏を見るわけが、トーニオにはよくわかった。それにしてもいったいひとりの少女がトーニオ自身をそんなふうに見ることはけっしてないのだろうか?
いや、そうではなかった。それはあらわれたのだ。弁護士フェルメーレンの娘のマクダレーナ・フェルメーレンがそれだった。やさしい口もとで、大きな黒いきらきらした目にまじめさと夢見心地をいっぱいにたたえていた。ダンスのとき、よくころんだが、女性の方がダンスの相手を選ぶときにはトーニオのところへやってきたし、トーニオが詩を作ることを知っていて、二度もそれを見せてくれと頼みもした。遠くからうつむいたままトーニオをじっと見つめていたこともよくあった。けれども、トーニオにはそれがどうだったというのだろう? トーニオはインゲ・ホルムを愛していた。あの金髪の、朗らかな、たぶん詩を作るというのでトーニオを軽蔑しているにちがいないインゲを愛していたのだ……トーニオはインゲを見つめた。幸福と嘲《あざけ》りをたたえた切れ長の青い目を見た。すると、嫉《ねた》ましい憧れが、インゲから仲間はずれにされて永久に縁がないというひりひりするようなさし迫った苦しみが、トーニオの胸にこみ上げてくるのだった……
「第一の組 en avant!(前へ)」
と、クナーク氏がいった。この男がどんなにすばらしく鼻声を出すかはたとえようもなかった。カドリール〔四人が一組になっておどる社交ダンス〕の稽古だったが、トーニオ・クレーガーは自分がインゲ・ホルムと同じ組に入っていてとても驚いた。なるべくインゲを避けたが、でもひっきりなしにインゲのそばにきてしまった。そっちを見まいとしたが、でも目はひっきりなしにインゲの上に注がれるのだった……今度は赤毛のフェルディナント・マティーセンに手をとられて、滑るように、かけるようにこっちへきて、おさげを後ろに投げ、ほっと一息つきながらトーニオと向き合って立った。ピアノの伴奏のハインツェルマン氏がごつごつした手でキイをたたき、クナーク氏が命令して、カドリールは始まった。
インゲはトーニオの目の前を前後左右に歩いたり、くるりと回ったりして動いた。髪の毛からか、それともやわらかな白い生地からかただよい出る香りが、ときおりトーニオの鼻先をかすめ、トーニオの目がだんだんかすんできた。ぼくは君を好きなんだよ、いとしい、かわいいインゲ、と心の中でいい、インゲがこんなに熱心に朗らかに踊り、自分のことを気にもかけないことに対する苦しみをすべてこの言葉にこめた。「ぼくは眠りたい、でもきみは踊らざるをえない」という、シュトルム〔テーオドール・シュトルム(一八一七〜八八)。ドイツの作家。劇的な緊張のある小説を多数書いた。中でも「イメンゼー」(みずうみ)は青春小説としてもっとも有名である〕のとても美しい詩が心に浮かんだ。恋していながら踊らなければならないというところにある卑下した矛盾が、トーニオを悩ました……
「第一の組 en avant!(前へ)」
と、クナーク氏がいった。新たに旋回になったからである。
「Complimen t!(お辞儀をして) Moulinet des dames !(ご婦人は旋舞を) Tour de main(手をまわして)」
クナーク氏が de のサイレントの e をどんなにみやびやかにのみこむかは、だれも書きあらわすことができない。
「第二の組 en avant!(前へ)」
トーニオ・クレーガーと相手の女性が前へ出る番だった。
「Compliment!(お辞儀をして)」
で、トーニオ・クレーガーは頭を下げた。
「Moulinet des dames!(ご婦人は旋舞を)」
トーニオ・クレーガーはうなだれて眉を曇《くも》らせたまま、片手を四人の婦人の手の上に、インゲ・ホルムの手の上に置いて「旋舞」を踊った。
あたりにくすくす笑いや高笑いが起こった。クナーク氏は型で驚きを現わすバレーのポーズをとった。
「何ということ!」
と、大声でいった。
「やめて、やめて。クレーガー君はご婦人の中に入ってしまった。En arriere(後ろへさがって)、クレーガーお嬢さま、後ろへ、 fi donc!(困りますねえ)。もうみなさんおわかりなのにあなたけはだめですね。さっさといくんです。もどってください!」
そして、クナーク氏は黄色い絹のハンカチを出して、トーニオ・クレーガーを元の位置に追い返した。
少年たちも、少女たちも、ドアのカーテンの向こうの婦人たちも、みんな笑った。クナーク氏がこの出来事をひどく滑稽なものにしてしまったからで、みんなは、まるで芝居でも見ていようにおもしろがった。ただハインツェルマン氏だけはしらけた事務的な表情で、続けて弾きはじめる合図を待っていた。クナーク氏の用いる手にはもう慣れっこになっていたからである。
それからカドリールが続けられた。それがすむと休憩になった。小間使いがワイン・ジェリーのコップをいっぱいのせた盆を、かちゃかちゃいわせながらドアから入ってきた。女コックがプラム・ケーキを持ってその後に続いた。けれども、トーニオ・クレーガーはその場をはずし、こっそり廊下へ出ると、両手を後ろに組んでブラインドをおろした窓の前に立った。
このブラインドを通しては何も見えないのだから、ブラインドの前に立って外を眺めているふりをするなんて滑稽《こっけい》だなどと考えもしなかった。
けれどもトーニオは、悲しみと憧れにみちた自分の心の中を眺めていた。どうして、どうしてぼくはここにいるのだろう? どうして自分のへやの窓辺に坐ってシュトルムの「イメンゼー」を読みながら、くるみの古い木が重々しくきしんでいる夕方の庭をときどき眺めてはいないのだろう? そここそぼくのいるべき場所ではなかったろうか。他の人たちは踊っているがいい、元気に、器用にやってればいいんだ……。いや、いや、やっぽりぼくのいるべき場所はここだったんだ。ここにいれば、たとえひとり寂しくインゲから離れて立ち、向こうの部屋のざわめきや、がたがたいう音や、笑い声の中から温かい生命の響きのするインゲの声を聞きわけようとするだけでも、インゲの近くにいるという自覚があったのだもの。君の切れ長の、笑いの浮かんだ青い目、金髪のインゲ! 君のように美しく、朗らかにしているには、決して「イメンゼー」を読んだり、自分でそういうものを作ろうとしてはならない。それこそ悲しいことなのだ……
インゲはここへくるにちがいなかった。ぼくのいなくなったことに気づいて、ぼくの気持ちをくんで、たとえ同情からだけにしろそっとあとを追ってきて、ぼくの肩に手をかけ、わたしたちの所へいらっしゃいな、陽気におなりなさいよ、わたしはあなたを好きよ、というにちがいなかった。トーニオは後ろに聞き耳をたてて、わけもなく緊張しながらインゲがくればいいと待った。でも、インゲはちっともこなかった。そんなことはこの世では起こりっこなかった。
インゲも他のみんなと同じようにぼくをあざ笑ったのだろうか? インゲのためにも、ぼくのためにもこれは否定したかったのだが、実際インゲは笑ったのだ。しかもぼくはただインゲのそばにいるということで我を忘れて、 moulinet des dames(ご婦人の旋舞)をいっしょになって踊ってしまっただけだ。
でも、いったいそれがどうしたというんだ? ひょっとしたら、いつか笑うのはやめるだろう。最近ある雑誌がぼくの詩の一篇を採用してくれたじゃないか。もっともその詩が日の目を見る前にその雑誌はつぶれてしまったけれど。いつかはぼくは有名になって、ぼくの書くものすべてが印刷される日がくる。そうなったらインゲ・ホルムを感心させるかどうかがわかるだろう……いや、感心させはしないだろう。そうだ、そこが問題だった。それはいつもころんでばかりいるマクダレーナ・フェルメーレンを感心させるだろう。けれども、インゲ・ホルム、あの青い目の朗らかなインゲを感心させはしないんだ。そしたらこんなこともむだじゃないか?……
そう考えると、トーニオ・クレーガーの心はせつなくしめつけられた。すばらしい、軽快で、ゆううつな力が自分の中に動いているのを感じながら、一方では自分の憧れている人たちがそうした力に対して呑気に、近寄り難くかまえているのを知ることはとてもつらい。いや、でも、トーニオはひとりぼっちで、のけ者にされて、希望もなくブラインドのおりた窓の前に立って、悲しみに包まれて、ブラインドの向こうが見えるようなふりをしてはいたが、それでもやっぱり幸福だった。だって当時、トーニオの心は生きていたのだもの。この心は君のために暖かく、悲しく脈打っていたのだ、インゲボルク・ホルムよ、そしてぼくの魂は自分を否定することに恍惚《こうこつ》として、君の金髪の、明るい、朗らかで平凡な、小さな人格を抱きしめていたのだ。
一度や二度でなく、トーニオは顔をほてらせて、音楽や花の香やグラスの触れ合う音がかすかにしか伝わってこないような寂しい場所に立っては、遠くのにぎやかな音の中からインゲの響きのよい声を聞きわけようとして、インゲのために胸を痛めていたのだが、それでもやっぱり幸福だった。
いつもころんでばかりいるマクダレーナ・フェルメーレンとは話をすることができ、彼女ならトーニオを理解してくれるし、いっしょに笑ったりまじめになったりもするのに、金髪のインゲはトーニオがいっしょに坐っていても、トーニオに対しては距離をおき、よそよそしくし、何かしっくりしないものに見えることに、トーニオは一度や二度でなく気持ちを傷つけられたのである。だってトーニオのことばはインゲのことばではなかったから。それでもやっぱりトーニオは幸福だった。それというのも幸福とは愛されるということではないからだ、とトーニオは自分にいって聞かせた。愛されるとは嫌悪のまじった虚栄心の満足なのだ。幸福とは愛することで、もしかすると愛する対象にすばやく、束の間だけあぶなっかしく近づいていくチャンスをつかまえることかも知れない。トーニオはこの考えを心の中に書きとめて、それをとことんまで考えぬき、底の底まで感じとった。
誠実! とトーニオ・クレーガーは考えた。インゲボルクよ、ぼくは誠実に、生きているかぎり君を愛するつもりだ! トーニオはそれほど善意をもっていた。それにもかかわらずトーニオの心の中では、かすかな恐れと悲しみが、「おまえは毎日のようにハンス・ハンゼンに会っているのに、彼のことをすっかり忘れてしまったね」とささやいた。このかすかな、少し意地の悪い声のいうことは正しくて、時が経ち、日が流れていくうちに、トーニオ・クレーガーは自分なりに世の中で注目すべき多くの仕事をなしとげようという意欲や力を感じたので、もう前ほど無条件にあの朗らかなインゲのためなら死んでもいいなどとは思わなくなってきた。これは醜《みにく》く、浅ましいことだった。
トーニオは、自分の愛情の清純で純潔な炎の燃えさかっている犠牲の祭壇のまわりを、注意ぶかくまわり歩いてその前にひざまずき、あらゆる手を尽くして炎をかきたて、火勢をたもとうとした。誠実でいたいと思ったからである。それなのにしばらくすると炎はいつのまにか、人目もひかず、音もたてずに、やっぱり消えてしまっていた。
けれどもトーニオ・クレーガーは、しばらくは誠実はこの世では不可能なことだということに驚きと失望を感じながら、冷えた祭壇の前にしばらく立っていた。それから肩をすくめると、自分の道を歩いていった。
トーニオは、自分のいかなければならない道を、いくらか投げやりに、不規則な歩調で、口笛を吹き、頭を横にかしげて遠くを見やりながら歩いていった。道に迷うことはあっても、それはある人々にとって正しい道というものなどちっともありっこないからだった。いったい何になるつもりかと尋ねられれば、いろんな答え方をした。というのは、いつも自分にはさまざまな生き方の形式への可能性があるといっていたが(これはもう書きとめてもいた)、同時に、結局はどれもみんな、不可能性ばかりだとも意識していたからである……。
トーニオがせま苦しい故郷の町を立ち去る前にもう、トーニオをここにつなぎとめていた|かすがい《ヽヽヽヽ》やきずなは、知らず知らずのうちにゆるんできていた。昔から続いていたクレーガー家はだんだんとくずれかけて、がたがたの状態だったし、人々がトーニオ・クレーガーのような人と人となりさえやはりこの状態へのきざしと見ていたが、それはむりもないことだった。
一族の長であった父方の祖母が亡くなって間もなく、トーニオの父、背の高い、考え深い、ゆきとどいた身なりをした、野の花を胸のボタン穴にさしていた人が死んだ。クレーガーの大きな邸は、その尊敬すべき歴史ぐるみ売り物に出され、商会は絶やされた。けれどもトーニオの母、ピアノとマンドリンをひき、何ごとにも無関心な、美しい、情熱的な母は、一年後には再婚した。それも相手はある音楽家、イタリア人の名前をもった音楽の名手で、その人といっしょに遠い国へいってしまった。
トーニオ・クレーガーは、これはちょっとだらしがないことだと思った。とはいえ、母がそうするのをとめる資格がトーニオにあったろうか? 詩を書いて、いったい何になるつもりだと尋ねられても返事一つできなかったではないか……
こうしてトーニオは、破風《はふ》のまわりに湿っぽい風がびゅうびゅう吹きつける狭い故郷の町を見捨てた。子どもの頃の親しいものであった庭の噴水や、くるみの古木を見捨て、あれほど愛していた海まで見捨てた。それでもちっとも苦痛を感じなかった。もう成人して賢くなっていたので自分がどんな人間かをわきまえていたし、また自分をこんなに永くそのまん中にしっかりとひきとめていた野暮《やぼ》で、くだらない生活に対して胸いっぱいの嘲《あざけ》りを感じていたからである。
トーニオはこの世でもっとも気高いと思った力、それに仕えることが自分の与えられた天職であると感じた力、尊厳と名誉を約束した力、つまり無意識な、ものをいわない人生の上にほおえみながら君臨する精神と言葉との力に、全身を捧げた。若い情熱をこの力に捧げた。そしてまたその力は、与えられるだけのものを全部トーニオに報いてくれたが、その代償として取り上げるのが常であるすべてのものを仮借《かしゃく》なく奪った。
その力はトーニオの目を鋭くし、人の胸をふくれあがらせる大げさな言葉の正体をあばかせ、人々の魂、トーニオ自身の魂を解き明かし、透視力を授け、世界の内側や、また言葉や行ないの裏にかくれた究極のものを教えてくれた。が、トーニオがそこに見たものは、滑稽と悲惨……滑稽と悲惨であった。
すると、認識の苦悩や高慢といっしょに、孤独がやってきた。陽気で、感覚のにぶい、無邪気な人たちの仲間になっているのにたえられなかったし、トーニオの額の刻印がそういう人たちをうろたえさせたからである。一方また言葉や形式に対する喜びは、だんだん甘美なものになっていった。というのも、トーニオはもし表現の楽しみがわたしたちを溌剌《はつらつ》とさせておかなかったとしたら、魂についての知識だけではきっとふさぎこんでしまうだろうというのが常だった(この考えももう書きとめておいた)からである。……
トーニオは、あちらこちらの大都会で生活し、南国でも暮らしたが、南国の太陽から自分の芸術をいっそう豊かに熟させてもらおうと期待した。南国にひかれたのは、あるいは母の血のせいだったかも知れない。けれども心が死んで愛を持たなかったのだから、肉の冒険におちこんで、肉欲や身をこがすような罪の中へ深く落ちていきながら何ともいえないほど苦しんだ。南国でトーニオをそれほど苦しめたもの、そしてもとはトーニオ自身のものであったが今ではどんな快楽の中にも見つけ出すことのできないあの魂の快楽への、かすかな慕《した》わしい思い出をときどき心に浮かばせたものは、あるいはトーニオの中にある父の、あの背の高い、考え深げな、小ざっぱりとした身なりでボタン穴に野の花をさしている男の遺産だったかも知れない。
官能に対する嫌な気持ちにおそわれ、清らかさと礼儀正しい平和を渇望《かつぼう》したが、それでいてトーニオはやっぱり芸術の空気を呼吸していた。それは、ひそかな生みの快楽の中で何もかもがうごめき、湧《わ》きたち、芽生える、絶えることのない春の、なまあたたかい、甘美な、よい香りにみちた空気を呼吸していたのだ。だから支えるものもなく、はなはだしい極端と極端との間、水のような精神性と焼き尽くすような官能の炎との間を、あちらへこちらへと投げ出され、良心にせめられながら精根の尽きるような生活をするだけのことになったのだが、それは極悪な、ほしいままな、異常な生活で、かれトーニオ・クレーガーは結局はそういう生活を嫌っていたのだ。
何というさまよい歩きだろう! と、ときどきトーニオは考えた。いったいどうしてこんな異常な冒険におちいることがありえたのだろう? どんなことがあってもぼくは生まれつき緑色の馬車に乗ったジプシーなんかじゃない……
けれども健康が衰えるにつれて、トーニオの芸術精神は鋭くなり、好き嫌いがはげしくなり、えりぬきになり、たぐいまれになり、せんさいなものになり、月なみなものに対してかっとしやすくなり、調子や趣味の問題ではすごく敏感になっていった。
トーニオがはじめて世の中に出たとき、関係のある人たちは大|喝采《かっさい》して喜びの声を高くあげた。トーニオの発表したものが、ユーモアと、苦悩の知識にあふれた、りっぱにしあげられた作品だったからである。そして、あっというまにその名前は……昔、かれを叱るときに学校の先生たちが呼んだ名前、かれがくるみの木や噴水や海をうたった最初のかずかずの詩にサインした時の名前、南と北とが混じり合っているあの響き、エキゾチックな気分をただよわしているあの市民の名は、その優れたものを現わす一つのきまり文句になった。というのも経験の痛ましいほどな徹底ぶりにある、珍らしいねばり強さと、野心にあふれた勤勉さが加わって、その勤勉さ、趣味の好き嫌いのはげしい敏感さとたたかいながら、はげしい苦しみの中から異常な作品を生み出していったからである。
トーニオの仕事ぶりは生活のために仕事をする人のようでなく、仕事のほかは何も欲しくない人のようであった。というのは、トーニオは自分を生きている人間としては無に等しいものと見なして、ただ創造者としてだけとりあげてもらうことを希望し、他の点では何も演技しないでいるときは無に等しい素顔の俳優のように、生気のない、目立たない様子で歩きまわっているからである。
トーニオはだまりこくって、とじこもり、人中に出ないようにして仕事をしながら、才能を社交のための飾りものにしているくだらない連中をすっかりさげすんでいた。そういう人たちは、貧しかろうと、富んでいようと、粗野に、粗末な姿で歩きまわるか、独特のネクタイを結んでぜいたくをしてみたり、何よりもまず幸福に、愛想よく、芸術家らしく生活しようと努めて、良い作品は悪い生活の苦しみの圧迫のもとでだけ生まれるということ、生活する人は仕事をしないということ、そして完全に創造者であるためには死んでいなければならないということを、知らないでいた。
「お邪魔ですか?」と、トーニオ・クレーガーはアトリエの入口で尋ねた。リザヴェータ・イヴァーノヴナが何でも話す女友だちなのに、帽子を手に持ったまま軽くお辞儀さえした。
「やめてちょうだい、トーニオ・クレーガーさん、そんなにかしこまらないで、早くお入りなさいよ」
と、リザヴェータは生まれつきのはねあがるようなアクセントで答えた。「育ちがよくて、礼儀作法を心得ておいでだってことは、みんなよく知っているんですからね」
そういいながら、パレットを持った左手に絵筆を持ちそえて、右手をトーニオにさし出すと、首を振って笑いながら顔をのぞきこんだ。
「でも、仕事中ですね」
と、トーニオはいった。「見せてください……おや、はかどりましたね」
トーニオは画架の両側の椅子に立てかけてある色をぬったスケッチと、四角い綱目に被《おお》われた大きなカンバスをかわるがわる見た。カンバスの方にはごちゃごちゃした、はっきりしない木炭の下絵に、色をぬりはじめた部分があちこちに浮きあがりはじめていた。
ミュンヘンのシェリング街の裏の家を何階かのぼった所だった。大きな北向きの窓の外は青空がひろがり、鳥のさえずる声が聞こえ、日の光がみなぎっていた。開いた回転窓から春の、若い甘い息吹きが流れこみ、広いアトリエにあふれている定着剤や油絵具のにおいと混じり合った。
明るい午後の金色の光が何にもさえぎられずに広い飾りけのないアトリエにみなぎって、いくらか傷《いた》んだ床や、小びんとチューブと絵筆をいっぱいのせて窓の下に置いてある白木の机や、むき出しの壁にかけられた額縁のない習作を思うぞんぶん照らし、ドアのそばの一隅を区切って趣味ゆたかな家具をならべた小さな居間兼休息所にしている裂け目のついた絹のついたてを照らし、画架にかけた描きかけの作品やその前の女流画家と作家とを照らした。
女流画家は、詩人と同じくらいの年輩で、つまり、三十をちょっと越しているらしかった。しみだらけのエプロン風の濃いあい色の上っぱりを着て、低い椅子に腰かけ、片手で顎を支えていた。きっちり束ね、脇の方が少し白くなりかけていた栗色の髪が、分け目からやわらかくウェーブして、こめかみを被い、褐色がかったスラブ系の形の、すごく好感のもてる顔をふちどっていた。鼻が低く頬骨が鋭く突き出て、小さな黒い目がきらきらしていた。緊張して、疑いぶかく、いらいらしたように目を細めて横から自分の仕事を吟味していた。……
詩人はその横に立って腰に右手をあてたまま、左手でせかせかと褐色の口ひげをひねっていた。つり上がった眉をひそめるように、緊張するように動かしながら、トーニオはいつものようにかすかに口笛を吹いていた。ひどくこった、堅実な身なりで、落ち着いたグレーの地味な仕立ての服を着ていた。けれども、黒っぽい髪をなみはずれて簡単な型にきちんと分けた下の、仕事にきたえられた額は、びくぴくと神経質に動いていたし、南国風の顔かたちはいわば鋭い彫刻刀でさらに深くきざんだように鋭くきわだっていた。それでも口の形だけはいかにもやさしく、顎のかっこうもとてもやわらかく見えた……しばらくすると、トーニオは片手で額や目の上をこすり、顔をそむけた。
「こないほうがよかったようですね」
と、トーニオはいった。
「おや、どうして、トーニオ・クレーガーさん?」
「ついさっきまで仕事をしていたんですよ、リザヴェータさん。ですから、ぼくの頭の中はちょうどこのカンバスと同じ状態です。骨組みと、修正だらけではっきりしない下絵と、色をぬった所が二、三か所。そうです。そして、今ここへきてみたらまたまた同じものに出会う。家でぼくを苦しめた葛藤《かっとう》と対立に、ここでもまた出くわすってわけです」
と、トーニオはいって、まわりの空気をくんくんかいだ。「不思議だなあ。ある考えにふけっていると、どこへいってもその考えの表情にぶつかります、風の中からもその考えをかぎとることになります。定着剤と春の香り、でしょう? 芸術と……そうだなあ、もう一方のものは何でしょうかねえ? 『自然』なんていわないでくださいよ、リザヴェータさん、『自然』ではことばがたりませんよ。まったくですよ、ぼくはむしろ散歩すべきだったでしょう、もっとも散歩したほうが気分がよかったかどうかは疑わしいですがね。
五分ほど前に、すぐそこで同僚のアーダルベルト、あの小説家に会ったんです。例のつっかかるような調子で、『神よ、春を呪いたまえ!』といっていましたよ。『いつでも春は一番いやな季節だし、いつまでもそうだ! 君は何かまともな考えをまとめられるかい、クレーガー、どんなささいなものにしても急所や効果を冷静にまとめあげられるかい? 血がいかがわしくむずむずして、余計な感覚がむくむくと頭をもたげてきて、心を落ち着かせないこんな時にさ。だがそういう感覚なんか、よくよく考えて見ればたちまち化けの皮を現わして、まったく陳腐《ちんぷ》な、何一つ役に立たないものだってことが分るんだからな。ぼくはねえ、これからカフェにいく。カフェは季節の変化に影響されることのない中立地帯だよ。カフェはいわば文学的なものの浮世を離れたおごそかな領分であって、あそこでこそ立派な思いつきも湧くというものさ……』ってね。そしてやっこさん、カフェにいってしまいましたよ。ひょっとしたら、ぼくもいっしょにいけばよかったかも知れません」
リザヴェータはおもしろがった。
「うまいいいまわしね、トーニオ・クレーガーさん、『いかがわしくむずむずする』なんて、うまいわ。確かにある程度その人のいうとおりだわ、だって、本当に春には仕事をしにくいんですもの。でも、よくお聞きになってね。春でもわたしはここのちょっとしたことをやってしまいますからね。アーダルベルトさんだったら、このちょっとした急所と効果を、というところでしょうがね。あとで『サロン』へいって、お茶を飲みましょう。そして、あなたの心の中を思いきり聞かせていただきましょうね。今日はいいたいことがたまっておいでになるってことが、よくわかりますもの。それまで、どこかその辺で待っていてくださいね、そこの箱の上ででも、といってもあなたの貴族的なお洋服さえご心配でなければのことですけれど……」
「おや、ぼくの洋服のことなどご心配なく、リザヴェータ・イヴァーノヴナさん。ぼくに、ぼろぼろのビロードの上衣か、赤い絹のチョッキでも着て歩きまわれとおっしゃるんですか? 芸術家というものはね、内面的にはいつでも十分に冒険家です。いまいましいことですが、せめて外面的にだけでも身なりをきちんとすべきですよ、まともな人間のようにふるまうべきです……いいえ、いいたいことがたまってなんかいませんよ」
と、クレーガーはいって、パレットの上でリザヴェータが色を混ぜ合わせているのを見やった。
「お聞きのとおり、ぼくの胸につかえていて仕事のさまたげになっていたものは、ある問題と対立にすぎないんです。……さて、たった今何の話をしていましたっけ? 小説家のアーダルベルトのこと、とても気ぐらいの高いしっかり者だってことでしたね。『春は一番いやな季節だ』といってカフェへいってしまったんです。自分の欲するところを知るべきですからねえ。
ところで、ぼくだって春には神経がいら立ってきますよ。春がよびさますやさしい、ありふれた思い出や感情に心を乱されます。だからといってぼくには、春を非難したり軽蔑したりする気持ちにはなれません。つまりそれは、ぼくが春に対して自分を恥ずるからです、春の純粋な自然さや、かちほこる若々しさに対して自分を恥ずるからです。ですから、アーダルベルトがこんなことを何一つ知らずにいることをうらやましがればいいのか、それともばかにすればいいのか、ぼくにはわからない……
春は仕事がやりにくい、確かにそうです。でもなぜでしょう? 感じるからですね。創造するものが感じてもかまわないなんて思うのは、粗末な仕事をする人だからです。本当の、まじめな芸術家なら誰だって、こういうけちな芸術家たちの感違いの素朴さに微笑をもらしますね、……たぶん、寂しげにでしょうが、微笑はします。それは、語る事がらは決して眼目であってはならず、それ自身としてどうでもいいような材料にすぎないからです。その材料から遊び半分の平静な優越した立場に立って、美的な構成物が組み立てられるのですがね。あなたが語らなければならないことがあなたにとって重要すぎたり、そのためにあなたの心臓が脈打ちすぎたりしたら、必ずあなたは完全に失敗します。悲壮になったり、めそめそしたりするだけで、あなたの手がけたものは何か重苦しいもの、無器用でくそまじめなもの、まとまりのないもの、イロニーのないもの、味もそっけもないもの、退屈なもの、月なみなものになってしまいます。そして世間の人たちは冷ややかな態度しか示さないし、あなた自身、幻滅と悲しみしか味わわないのが落ちでしょうよ……確かにそのとおりなんですからね、リザヴェータさん、感情というもの、温かい心からの感情なんて、いつでも月なみで、どうにもならないものです。芸術的なのはただ、われわれの頽廃した芸人らしい神経組織の興奮や、冷ややかな恍惚《こうこつ》だけです。人間的なことをやったり、もてあそんだり、効果的に趣味ゆたかに描き出すことができるには、いいえ、そもそもそんなことをする気になるには、何か人間からはずれた、人間的でないものでなくてはならないんです。つまり、人間的なこととは妙に縁の遠い、局外的な関係に立たなくてはならないんです。スタイルとか、形式とか、表現を生み出す才能をもつことが、すでに、人間的なことに対するこの冷ややかな、気むずかしい関係を、いや人間としては一種の貧困と荒廃におちいることを前提としていますよ。健康な力強い感情は趣味なんか持っていないにきまっていますからね。芸術家は、人間となり、感じはじめたらもうおしまいです。アーダルベルトはそれを知っていたんです、だからこそカフェという『浮世を離れた領分』へ出かけていったんですよ、そうですとも!」
「それじゃ、神、かれとともにいませ、ということにしておきましょうね、おじさま」
と、リザヴェータはいって、金だらいで手を洗った。「あなたは、アーダルベルトさんといっしょにいらっしゃることないわ」
「ええ、リザヴェータさん、ぼくはついてはいきません。というのも、ただときどきぼくが、春に対して自分の芸術心をいくらか恥じることができるからです。ねえ、ぼくは、ときおり見知らぬ人から手紙をもらいます、読者からの賞賛や、感謝の手紙、感動した人たちの賛美のあふれた手紙をね。ぼくはそうした手紙を読んで、自分の芸術がここでよび起こした温かい、無器用な、人間的な感情と向き合うと、ぼく自身も感動させられるんです。文の中から語りかける感動した素朴さに、一種の同情を覚えるんですよ。そしてこの正直な人がもし舞台裏をのぞき見たとしたら、つまり、この人の無邪気な心がもし、実直で健康なまともな人間なら、決して物を書いたり芝居をしたり作曲なんかはしないものだということにいつか気がついたとしたら、どんなに興ざめすることだろうと思うとぼくは赤面します……それでもぼくはそんなことすべてにおかまいなく、自分の天才に対する賛美を利用して自分を高めたり、鼓舞《こぶ》したりしてるんですからね。そうした賛美をくそまじめにとり入れて、偉い人のまねをする猿のような顔つきになるわけですよ……いや、ちょっと黙っていてください、リザヴェータさん! 人間的なことに参加しもしないで人間的なことを表現することに対して、ぼくはよく、死ぬほどあきあきするということはいえますよ……いったい芸術家は男でしょうか? それは『女』に聞け、です! 何だかわれわれ芸術家はどれもこれも、去勢された法王庁の歌手たちと似たような運命にあるって気がしますね……確かにぼくたちは、いじらしいほど美しい声で歌いますものねえ。それにしても……」
「少しはお恥しなさいな、トーニオ・クレーガーさん。さあ、お茶にいらっしゃい。もうじきお湯がわきますよ。そして、はい、たばこ。ソプラノを歌うところでお話がとぎれたんでしたね、さあ、先をお続けになって。それにしても恥を知るべきだわ。どんなに誇らかな情熱をかけてご自分の天職に身を捧げておいでになるかはよくわかっていますもの……」
「『天職』なんていいっこなしですよ、リザヴェータ・イヴァーノヴナさん! 決して文学は天職などというものではありません、それどころか、呪《のろ》いですよ、……確かに。この呪いはいつから感じはじめるでしょう? はやくからです、すごくはやくからですよ。まだ当然神や世間と仲よく、一致して生活できるはずの頃からです。あなたは、自分に印がつけられていることを感じはじめます。自分が他の人、つまり普通の人、きちんとした人とは、不思議に対立した関係にあることを感じはじめるんです。あなたを他の人から引き離すイロニーや、不信や、反対や、認識や、感情の深いみぞが、ますます深くあいていくのです。あなたは独りぼっちなんです。そうなったらもう考えを通じ合うなんてことはなくなるでしょう。何という運命でしょう! それを怖ろしいことだと感じるほど、まだ心が生き生きとしていて、愛にみちていればのことですがね……
大勢の人たちの中でも自分の額の印を感じ、その印をみんなに気づかれることも感じられるので、あなたの自意識は燃え上がってくるんです。わたしはある天才の俳優を知っていましたがね、人間としては病的なほどの内気と移り気に苦しんでいました。その男の自己感情がすごく高ぶっている上に、演ずべき役、俳優の使命がないんです。そうなると完全な芸術家ではあっても人間としては貧しいのですから、悩まずにいられなかったんですよ……芸術家、本当の芸術家、職業が芸術だというようなただの芸術家ではなくて、宿命的に呪われた芸術家なら、それほど目がきかなくても大勢の中からこの人だと見分けられるもんです。そういう芸術家の顔には、浮世離れした、世間には屈していないという気持ち、素性を知られ観察されているという気持ち、何か王様のように立派であると同時にうろたえているようなところが顔に現われていますからね。平服を着て民衆の中を歩く王侯の顔にも、これに似たようなものを観察できるんですよ。でも、平服を着たからといって、どうにもなりはしませんよね、リザヴェータさん! 変装したって、仮装したって、休暇中の大使官随員か近衛少尉ぶった身なりをしたって、目を上げてひと言ものをいうまでもなく、あなたが人間ではなくて、何か場ちがいな、または場ちがいな感じを起こさせるもの、別物だってことがだれにでもわかってしまうでしょう……
それにしても、芸術家って何でしょうね? いかなる問題においても、この問題ほど人類がめんどくさがりやで、認識を怠りつづけてきたかってことが執拗《しつよう》に証明されてはいません。『そうしたことは天分だ』と、芸術家の影響をうけている正直者たちは謙遜しています。そういう人たちの善良な意見によると、朗らかな崇高《すうこう》な影響というものは、やはりあくまで朗らかな崇高な起源を持たなくてはならないので、この場合、もしかしたら極端に悪い条件から生まれた極端に怪しげな『天分』かも知れないなんて疑う者はひとりもいやしません……芸術家は気分をそこねやすいことはわかっています、……それから、これもわかっていることですが、良心にやましくなく堅実な基礎のある自己感情をもつ人たちなら、普通は気分をそこねやすいなんてことはないんです……ねえ、リザヴェータさん、ぼくは心の底では……精神的な問題にうつしていうんですがね……芸術家というタイプに対して深い疑いを持っているんですよ。そういう疑いをバルト海沿岸の狭い町に住んでいたぼくの堅《かた》ぶつの祖先たちはだれでも、自分の家へ香具師《やし》か、それとも冒険を求めて歩く芸人が入ってきたらその人たちにかけたことでしょうが。
こういう話があります。ぼくはある銀行家を知っています。これは白髪の実業家で、小説を書く天分を備えているんです。暇々にその天分を発揮しますが、その作品にはときどきとても立派な出来のものがありますよ。そんなすばらしい才能があるというのに……ほんとに『あるというのに』なんですがね、その男は……完全に品行方正とはいえないんです。それどころかもう重|禁固《きんこ》刑を受けたことさえありました、それも確かな根拠があってのことでしたがね。しかも、この男が自分の才能に気づいたのがすっかり厳密にいえば、やっと刑務所の中でした。ですからどの作品も囚人としての経験がその根本主題になっているんです。
そこで、このことから少し思いきって結論を出せるでしょう、それは、作家になるためにはどうにかして刑務所の事情に通じている必要がある、ということですよ。しかしねえ、この男の刑務所での体験よりこの男を刑務所に送ったものの方が、この男の芸術精神の根底や起原にはもっと密接なつながりがあったかも知れないという疑いが、どうしても起こってくるんじゃないでしょうか? 小説を書く銀行家、これは珍しい例です、そうでしょう? しかし犯罪とは縁遠い品行方正な堅い銀行家でありながら、しかも小説を書くなどという男、……そんな男はいませんよ……そう、こんなことをいうと、あなたは笑う、でもねえ、ぼくは半分まじめに話してるんですからね。どんな問題でも、世の中のどんな問題でも、芸術精神とその人間的影響という問題ほど悩ますものはありはしません。そのもっとも典型的な、したがって、もっとも力強い芸術家のもっとも驚くべき作品を例にとってごらんなさい。『トリスタンとイゾルデ』〔ケルトの民族伝説が中世の叙事詩になった。これをもととしたリーヒャルト・ヴァグナー(一八一三〜八三)の楽劇〕みたいな病的で、またひどくあいまいな作品を例にとって、それがひとりの若くて健康できわめて正常な感じ方をする人間にどんな影響をおよぼすかを観察してごらんなさい。そしたらその人間は、高められ、力づけられ、暖かく真正直に感激して、刺激されて、ひょっとしたら自分も『芸術的』な創作をしてみようとするのが見られるかも知れませんよ。……善良なディレッタントですね! われわれ芸桁家の心の中は、そんな人が『暖かい心』や『正直な熱狂』などでかってに夢想しているのとは異なった有様なんですからね。ぼくは、芸術家が女性や若者たちにとり囲まれて喝采《かっさい》の的《まと》になっているのを見たことがあります。ぼくには芸術家の心持ちがよくわかっていましたのにね……芸術精神の由来とか、それにともなう現象や条件については、くり返しくり返し奇妙な経験をするものですよ……」
「それは他の芸術家についての経験でしょう、トーニオ・クレーガーさん……失礼ですけれど……それとも他人についてだけじゃないんですか?」
トーニオは黙った。例のつり上がった眉を寄せて、口笛を吹いた。
「どうぞ、お茶碗をこちらへ、トーニオさん。このお茶は濃くはないのよ。そして、もう一本たばこをどうぞ。それにしても、あなたはちゃんと知っていらっしゃるんでしょうけれど、あなたは物事を、別にそう見なくてもいいような見方でごらんになるのね……」
「それはホレーショの答え〔シェークスピアの「ハムレット」の登場人物。第五幕第一場にこのようなせりふがある〕ですね、リザヴェータさん。『物事をそんなふうにごらんになるのは、くわしくごらんになるということで』でしょう?」
「わたしがいうのは、物事は別の側からも同じように詳しく見られるものだってことですわ、トーニオ・クレーガーさん。わたしはばかな女の画家にすぎませんもの、およそ何かあなたにお答えできるとしても、またあなたの職業をあなたの攻撃から防いでさしあげられるとしても、わたしの申しあげることは決して何も新しいことではなくて、あなたご自身がもうよくごぞんじのことを思い出させてあげられるだけのことですわ……つまり、文学の清らかにする力、神聖にする力とか、認識と言葉で情熱を破壊することとか、理解やゆるしや愛にいたる道としての文学とか、言語の救済する力とか、人間精神一般のもっとも気高いあらわれとしての文学的精神とか、完全な人間としての、聖者としての文学者とかいうことですよ……物事をこんなふうに見るのは、物事を十分くわしく見ることにはならないかしら?」
「あなたには、そういうだけの権利がある、リザヴェータ・イヴァーノヴナさん。ことにあなたの国の作家たちの作品、あの尊敬すべきロシア文学についてはね。ロシア文学こそまさにあなたのおっしゃる神聖な文学ですからね。でも、ぼくはあなたの抗議を考えに入れていなかったわけじゃなくて、今日ぼくの心の中にあったことにはそれもいっしょに入っていたんですよ……ぼくをごらんなさい。とても元気そうだとは見えないでしょう? いくらか年をとって、顔だちが鋭く、疲れているでしょう? さあ、そこで『認識』の話に戻せば、こういう人間が考えられるでしょう。つまり、生まれつき善意の、おとなしい、親切な、少しセンチメンタルなのが心理的な洞察力のためにまったくあっさりと精魂を疲れさせ、破滅させられてしまう、という人間が。
この世の悲惨に圧倒されずに、どんな苦しいことでも観察し、覚えていて、利用し、しかも存在のいまわしい発明に対しては道徳的に優れていることを十分自覚し、さらに上機嫌でいること……もちろん、そのとおりでしょう。それにしても、いくら表現の楽しみがあっても、この表現すべきことはときどきちょっとやりきれなくなりますよ。何もかもを理解するということは、何もかもを許すということですか? ぼくにはどうもわからないな。ぼくが認識の吐き気と名づけているものがあります、リザヴェータさん。それはある事がらを見ぬくだけでもう死ぬほどいやになる(そして、どうしても和解する気になれない)、という状態です……ハムレット、あのデンマークの王子、この典型的な文学者の場合がこれですね。知るために生まれたわけではないのに、知るという使命を与えられるということがどんなことだか、ちゃんと知っていたんです。感情という涙のヴェールをつらぬいてまで洞察し、認識し、記憶し、観察して、手がからみあい、唇が触れあい、人間の目が感覚にくらまされて見えなくなってしまう瞬間にも、その観察したものを微笑しながら片寄せておかなければならないということ、……これは下劣なことですよ。リザヴェータさん、恥ずべきことですよ。腹立たしいことです……しかし、腹を立てたからといってなんの役にたつでしょうか?
それから、この問題のもう一つの、それにも劣らずありがたくない面は、そうするともちろん一切の真理に対する鈍感、冷淡、皮肉な倦怠なのです。もう海千山千の才子才人の集まりほど、黙々とした、あじけないところはこの世のどこにもないというのが事実であるようにね。あらゆる認識は古くさくて退屈です。あなたが一つの真理を征服し、自分のものにしていることにひょっとしたらある若々しい喜びを感じているとして、その真理を口に出していってごらんなさい。そしたらあなたの月なみな悟りは鼻から出るわずかな息で、ふんと答えられるだけですよ……ああ、まったく文学は疲れさせるものですよ、リザヴェータさん。人間社会では、これは保証しますが、疑い深いばかりで意見をいわずにいると、本当はただ高慢で勇気がないだけなのに、ばかだと思われることがあるのです……『認識』については、これだけです。
今度は『言葉』についてですがね、これは、ひょっとしたら感情の救済なんていうよりもむしろ、感情を冷やすこと、つまり氷の上にのせるということがひょっとしたら問題じゃないでしょうか。冗談はともかく、感情を文学的な言葉で手っ取り早く表面的にかたづけてしまうことは、水のように冷たい、腹が立つほど思いあがったことですよ。もしあなたの胸がいっぱいになったり、甘い体験や尊い体験のために感動しすぎたりしたら……これほど簡単なことはありませんよ。あなたは文士のところへいき、何もかも、ごく短い間に片づけられてしまいますよ。
文士はあなたの問題を分析し公式化して、名前をつけ、いいあらわし、語らせるでしょう。そうやってそれ全体を永久に片づけて、どうでもいいようなものにしてくれたあげく、それに対して一文の礼も受け取りはしないでしょう。一方あなたは、安心して、落ち着き、すんだ気分になって家へ帰り、いったいあの事件のどこがたった今まで心を甘美に迷わしていたのかと、不思議に思うでしょう。
それなのに、この冷たい、みえ坊の山師に、あなたは本気で味方なさるおつもりですか? 一度口に出していいさえすれば、それでももう片づいてしまうというのが山師の信条なんですからね。もし全世界がいいあらわされてしまえば、全世界が片づいて、救われ、終わってしまうんです……とてもけっこうです。しかし、ぼくはニヒリストじゃありませんよ……」
「あなたは、違います……」
と、リザヴェータがいった。ちょうど茶の入った小さじを口のそばまでもっていったところだったが、そのままの形で動かなくなった。
「まあね……まあね……しっかりしてください、リザヴェータさん。ぼくはニヒリストじゃないと、はっきりいいますよ。生きた感情に関してはね。だいたい文士には、言葉にあらわされて『片づけられて』しまってから、そのあとでも生きつづけていくかも知れないし、それを恥ずかしいとも思わないということが、結局わからないんですよ。ところがどうです、人生は文学のおかげで救済されたとしても、平気で罪を犯しているんです。だって、どんな行動も、精神の目から見れば罪ですからね……
もうおしまいです、リザヴェータさん。よく聞いてくださいよ。ぼくは人生を愛しています……これは、一つの告白です。どうか受け取って、しまっておいてください……まだ誰にもしたことがありません。ぼくが人生をにくんでいるとか、怖れているとか、ばかにしているとか、いやでたまらながっているとかいいました。それどころか、そう書いて印刷さえさせました。ぼくはそれを喜んで聞きました。それで得意にもなりましたよ。だからといって、それがうそだということに変わりはありません。ぼくは人生を愛しているんですよ……にやにや笑ってるんですね、リザヴェータさん。何がおかしいのかぼくはわかります。ですがねえ、ごしょうだから今ぼくのいっていることを、文学だなんて思わないでください。チェザーレ・ボルジャだとか、この男をリーダーにかつぎあげている酔っぱらった何かある哲学だとか思わないでください。あの男、チェザーレ・ボルジャなんかぼくにとっては何でもありませんよ。ぼくはあの男なんかほんの少しだって尊敬してもいないし、また、どうしてみんなが異常なもの、魔神的なものを理想としてあがめたてまつるのか、ぼくには永久にわかりっこないでしょう。
いやまったく、精神や芸術に永遠の対立として向かい合っている『人生』は、……血まみれな偉大さや、荒っぽい美とかいう幻として、つまり、われわれ異常な人間の目に、異常なものとしてうつっているわけじゃないんです。そうではなくて、正常な、礼儀正しい、愛すべきものこそわれわれの憧れの国であり、誘惑的な月なみな姿をした人生なんです。リザヴェータさん、洗練され、常軌をはずれた、悪魔的なものに最後にもっとも深く熱中している人、むじゃきな、単純な、生き生きとしたものを、いささかの友情、献身、親密、人間的な幸福に……つまり普通であるということの大きな喜びに対する、ひそかな、身を焼きつくす憧れを知らない人なんか、まだまだ芸術家とはいえませんよ、リザヴェータさん……
人間らしい友だち! 人間たちの中にもしひとりの友だちがいたとしたら、ぼくはそれをじまんし、幸福だと思うでしょう。といったら、あなたは信じてくれますか? ところがぼくはねえ、今まで、魔神や、妖精や、地の下の怪物や、認識のために唖になった幽霊ども、……つまり、文士たちの中にしか友だちがなかったんです。
ときどきぼくは、どこかの演壇に立って、ぼくの話を聴きにきた人たちと、広間で向かい合うことがあります。そんなとき、ぼくは自分が聴衆を見まわしているのに気がつくことがあります。いったいぼくのところにきてくれたのは誰なのか、喝采や感謝をぼくに送ってくれるのは誰か、ぼくの芸術が理想的に合う人は誰かってことを、自分の胸にたずねながら、聴衆の中をひそかにあちこちうかがってる自分にはっと気がつくってわけですね……しかし、ぼくのさがしているものは見つからないんですよ、リザヴェータさん。見つかるものといえば、ただぼくとなじみの深い群れ、あの団体、いわば初期のキリスト教徒たちの集まりみたいなものだけ。つまり、ぶきような身体に繊細な魂をもっている人たち、いつもころんでばかりいる人たち、……いわば、そういえばわかるでしょうが、文学というものを人生へのおだやかな復讐としている人たちですよ……要するにいつも悩んでいる人、憧れている人、あわれな人たちばかりで、それとは違う精神なんか必要ない青い目の人たちは、ひとりだってきてはいないんですよ、リザヴェータさん……
しかし、もしきてくれたとしても、それを喜ぶというのは、結局、残念ながら論理が首尾一貫してないということになりはしないかな? 人生を愛していながら、しかもあらゆる手を尽くして人生を自分の側へひきこもうと、つまり文学のこまやかさや、憂うつさや、病的な高貴さなどの味方にひきこもうと努力するなんて、不合理なことですよ。この世では、芸術の国は広がっていって、健康と無邪気の国は小さくなっていきます。その中でまだ残っているものは、できるだけ大切に保存すべきで、早取り写真のついた馬の本を読む方がずっといいような人たちを、文学へ誘いこもうとなんて思っちゃいけないんです。
なぜって、結局……芸術で腕だめししようとする人生ほど、みじめな姿があるでしょうか? ディレッタントであって、生き生きとした人間のくせにそのうえチャンスさえあればいつか芸術家になれるなんて思いこんでいる人たちほど、われわれ芸術家が腹の底からけいべつするものはありませんよ。本当のことですがね、こういうけいべつは、ぼくが自分でしみじみ体験したものなんですからね。
ぼくはある上流家庭の集まりに出ています。食べたり、飲んだり、おしゃべりしたりして、気ごころがとてもよく知れています。ぼくはしばらくのあいだは、この無邪気な、まともな人たちの中にまぎれこんでそのひとりになりすましていられることを、うれしく、ありがたく感じています。すると突然(ぼくはこんな目にあったんですよ)、ある将校が、少尉でしたが、立ちあがるんです。顔だちのいい、がんじょうな人でしたがね、ぼくはこの男が、その名誉の服装にふさわしくない行ないをしようとは夢にも思っていませんでした。この人が、はっきりした言葉で自作の詩を少しばかりひろうさせてくれとたのむんです。みんなはこまったようにほおえみながらその許しを与えます。将校は、上衣のポケットにそれまでかくしていた紙きれを取り出し、自分の作品を読みあげてその計画を実行するわけです。音楽と愛に寄せたものですがね、要するに深い感情がこもっていながら訴えるところもないものでしたよ。いまぼくは、だれにでもいいたいのです。少尉なんだとね。れっきとした人物なんだとね。ほんとにそんなことをする必要なんかないじゃありませんか………。
さて、そこであたりまえの結果が起こりましたよ。みんながっかりした顔つきで黙りこくってしまうし、ちらほらとわざとらしい喝采《かっさい》があっただけで、すっかり座が白けてしまったんです。まずぼくが気づいた心の事実は、この考えなしの青年が一座の者を気まずくさせてしまったことに、わたしも共同責任があるってことでした。実際、この青年に商売のなわ張りを荒らされたぼくにも、やっぱりあなどりの白い目を向けられていましたからね。
しかし、次に気づいた事実は、ついさっきまでその存在と性格に心から敬服していたこの青年が、急に影がうすれて、みるみる落ち目になっていくことでしたね……ぼくは同情からの好意をおぼえるんです。他にも二、三人、勇敢なお人よしの紳士たちがやったように、ぼくはその青年のそばに歩みよって、はげましてやるんです。『おめでとう、少尉さん。なんとお見事な才能でしょう。まったくすばらしいものでしたよ。』ってね。そういいながらぼくはもう少しでその肩をたたくところですよ。
しかし、好意なんてものは少尉ともあろう者に寄せるべき感情でしょうかねえ……あの人が|へま《ヽヽ》だったんですよ。そこにつっ立って、ひどくどぎまぎしながら、自分の生命をつぐないとして支払わないで、たった一枚の葉っぱでも芸術という月桂樹からつみ取ることが許されていると思った自分のあやまちのつぐないをしていましたっけ。いや、こうなるとぼくは、あの同僚、前科者の銀行家に味方しますね。……今日のぼくときたら、まるでハムレットみたいにおしゃべりだとは思いませんか、リザヴェータさん?」
「もう、それでおしまい、トーニオ・クレーガーさん」
「いいえ。でも、もう何もいいませんよ」
「それに、十分でもありますわ。……返事を待っていらっしゃるの?」
「返事がありますか?」
「あると思いますよ。……わたし、あなたのお話をよく聞いてましたわ、トーニオさん、はじめからおしまいまでね。ですから、きょうの午後にあなたがお話しになったことの全部にあてはまるょうな返事をしてあげたいの。そしてまた、あなたをいらいらさせている問題の解決にもなるような答をね。
それじゃ、いいますよ。解答はね、あなたはそこにそうやって坐っているあなたは、何のことはない、ただの、ひとりの市民だってことですわ」
「ぼくが?」
と、トーニオは聞きかえしながら、ちょっとがっかりした………。
「ね、こたえるでしょうね。まったくそれにきまっていますわ。ですから、わたしはこの判決をもう少し軽くしてあげますわ。ちゃんとそれができるんですもの。あなたはね、横道にそれた市民なのよ、トーニオ・クレーガーさん……迷える市民というわけ」
……沈黙。それからトーニオはきっとして立ちあがると、帽子とステッキをつかんだ。
「ありがとう、リザヴェータ・イヴァーノヴナさん。これでぼくは安心して家へ帰れます、ぼくは、片づけられたってわけですからね」
秋も近づいた頃、トーニオ・クレーガーはリザヴェータ・イヴァーノヴナにいった。
「ねえ、これからぼくは旅行しますよ、リザヴェータさん。新鮮な空気に当たらなくちゃ。ぼくは出かけるんです。逃げ出すんです」
「まあ、いったいどうして、おじさま。またまたイタリアへお出ましあそばすおつもりでございますか?」
「くだらない、イタリアなんかよしてくださいよ、リザヴェータさん! イタリアは、まったくけいべつしたくなるほどくだらん所です。ぼくが、自分をイタリアに属すべき人間だなんて思いちがいをしていたのは、もう昔のことですよ。芸術、でしょう? ビロードのように青い空と、熱いぶどう酒と、甘い肉感……要するにそんなもの、ぼくはきらいです。あきらめています。そんなベレッツァ〔イタリア語で、美のこと〕全体がぼくをいらいらさせるんです。それに、あの南国の、黒い動物的な目をした、すごく元気のいい人たちもぼくはみんなきらいです。あのロマン民族の目の中には、良心なんかあるもんですか……いや、ぼくはこれから少しデンマークへいくんです」
「デンマークへ?」
「そうです。きっといいことがあるらしいですよ。子どもの頃ずっと国境のすぐそばにいたのに、どういうわけかまだ一度もそこへ入ったことがないんですよ。でも、ぼくは昔からあの国はなじみが深くて、好きでした。北国を好きなのはきっと父から受けついだものでしょうね。だって母の方は、すべてに無関心でなかったとすれば、本当はやっぱりベレッツァの味方でしたからね。ともかくあの北の方で書かれる本、あの深みのある、純粋な、それでいてユーモアのある本のことを考えてごらんなさいな、リザヴェータさん、……あれほどりっぱなものはないと思いますね。好きだなあ。スカンディナヴィアの食事、あのくらべもののない食事のことを考えてごらんなさい。あれは強い汐風の吹く所で食べなくちゃ食べられませんよ(今ぼくがはたしてあれを食べられるかどうか、それはわかりませんがね)。あれはぼくも、もとから少しは知っています。ぼくの郷里でもあれそっくりのものを食べますからね。
それから、あそこの人たちを飾っている、その中のたくさんがやっぱりぼくの郷里にある名前のことを、よび名のことだけでも考えてごらんなさい。まあ「インゲボルク」といったようなひびき、けがれのない、詩の立琴の演奏を。それから、海を、……あそこにはバルト海があるんです……つまりぼくは北の方へ旅行するんですよ、リザヴェータさん。バルト海と再会し、あのよび名をまた聞き、ああいう本を本場で読むつもりです。『亡霊』がハムレットのところにあらわれて、苦しみと死を、あのあわれな、気高い青年にもたらしたクローンボルク城のテラスにも立つつもりです……」
「失礼ですけれど、どういうふうにいらっしゃるのかしら、トーニオさん。どんなコースでおいでになるの?」
「ありきたりのコースですよ」
と、トーニオは肩をすぼめて答えて、目立つほど赤くなった。「そう、ぼくは自分の……自分の出発点に立ち寄っていきますよ、リザヴェータさん、十三年ぶりにね。かなりおかしなことになるでしょうよ」
リザヴェータはほおえんだ。
「それよ、わたしがお聞きしたかったのは、トーニオ・クレーガーさん。では元気でいってらっしゃい。忘れないでお便りもくださいね、よくって? いろんな経験のたくさんあるお便りを、待っていますわ……デンマークの旅のね……」
トーニオ・クレーガーは、こうして北に向かって旅に出た。快適な旅をした(内面的に他の人たちよりずっとつらい目にあっている者は、いくらか外面的な快適さを望んでも当然だ、というのが口ぐせだったので)。そして、昔の自分の出発点である、あのせまい町のいくつかの塔が灰色の空にそびえているのを見るまで、休まずに旅を続けた。この町で短時日の不思議な滞在……せまくて、すすけた、妙に親しみのある駅のホームに列車が着いたときには、曇った午後がもう夕暮になりかけていた。きたないガラス屋根の下ではまだ相変わらず煤煙《ばいえん》がむくむくと固まりになったり切れ切れになったりしてあちらこちらへなびいていた。ちょうどそれは昔トーニオ・クレーガーが胸を嘲笑だけでいっぱいにしながらここを旅立った時と同じだった。……トーニオは荷物をまとめると、ホテルに届けてもらうように手配して駅を出た。
駅の構外にずらりと一列にならんでいたのは、二頭立てで黒くて、ずばぬけて高く、巾も広い、この町の辻馬車だった。トーニオはそのどれにも乗らなかった。ただ眺めただけだった、何もかもをただじっと眺めたと同じように、巾の狭い破風や、近くの屋根ごしに挨拶しかけてくるとがった塔や、ぐるりととりまいて長ったらしく、しかも早口でしゃべる金髪でなげやりでぶざまな人たちを。すると、すすり泣きとひそかに通ずるところのある神経質な高笑いがこみあげてきた。……トーニオは歩いていった。しめっぽい風の絶え間ない圧力を顔に受けながら、欄干《らんかん》に神話の神々の像のついている橋を渡って、しばらく港にそってゆっくり歩いていった。
ああ、その何もかもが何と小さくこせこせして見えたことだろう。ここではあれからこのかたずっと、破風造りの家々のならんだ小路がこんなに変てこに急な坂になって、町まで通じていたのだろうか。にごった川の上で、船の煙突やマストが風の吹く夕暮れの中で静かに揺れていた。あの通りを、心に描いていた家のあるあの通りを登っていってみようか。いや、あしたにしよう。今は眠くてやりきれなかった。旅疲れで頭は重くなって、のろのろとした霧のような考えが心の中を流れていった。
この十三年の間にも、胃の悪い時などトーニオはときどきこんな夢を見た。この坂になった小路にある、こだまのする古い家に自分はまた帰っている、父もまたそこにいて、トーニオの堕落した暮らし方を責めてきびしく叱り、トーニオはそのたびに、父が叱るのはあたりまえだと思った、あの夢だ。ところが今、目の前に見た現実も、あの人をまどわすような引き裂くことのできない夢幻と、何ひとつ異なるところがなかった。そんな夢幻に包まれていると、妄想なのかそれとも現実なのかと自問したあげく、やむをえず確信をもって現実なのだと決めてしまうのだが、それでも、結局、目をさますことになる……
トーニオはあまりにぎやかでない、風の吹きつける通りを歩いていった。風に向かって頭を下げたまま、夢遊病者のように、泊まることにしていたこの町の一流ホテルの方へ進んだ。先に小さな火の燃えている長い棒を持った、足のまがった男が、身をゆさぶるような水夫みたいな歩き方でトーニオの前をいきながら、ガス灯に火をともした。
いったいトーニオはどうしたというのだろう。この疲労の灰の下で、明るい焔《ほのお》にもなれないで、暗く、いたいたしくくすぶっているもの、いったいこれはみんな何なのか。静かに、静かに、お黙り! お黙り! トーニオはこうしていつまでも風に吹かれながら夕暮れの夢に見たように懐しい通りを歩いていたかった。しかし、何もかもがひどく狭苦しくくっつき合っていた。すぐ目的地に着いてしまうのだった。
町の山の手にはアーク灯があって、ちょうど火がともったところだった。そこにホテルがあって、黒いライオンが二頭いた。それはホテルの前に寝そべっていて、子どもの頃、こわがったものだった。ライオンは相変わらず今にもくしゃみをしそうな顔つきで向き合っていた。しかしあの頃よりずっと小さくなったように思われた。……トーニオ・クレーガーはこのライオンの間を通りぬけていった。
歩いてきたせいで、トーニオはあまり大げさな迎え方はされなかった。門衛と、すごく上品な、黒服を着て会釈をしながら、ひっきりなしにカフスを小指で袖の中へおしこんでいる男が、トーニオを頭のてっぺんから足の爪先まで吟味し、値ぶみしてじろじろ見た。明らかに、いささかでも社会的品定めをして、トーニオに階級的市民的に一定の地位を決め、適当な尊敬をあらわそうと努力したあげく、得心のいく結果がえられなかったので中ぐらいのていねいさで迎えることに決めてしまった。
ボーイは明るいブロンドのほおひげのあるおだやかな男で、古ぼけて、てかてかになった燕尾服を着、音のしない靴に、ばらの形の飾りをつけていたが、三階の小ざっぱりとした古めかしくしつらえられた部屋に案内した。窓の外には夕闇の中に中庭や、破風《はふ》や、ホテルのそばにある奇妙なかたまりのように見える教会の建物が、絵のような中世風の眺めをくりひろげていた。トーニオ・クレーガーはしばらくこの窓の前に立っていたが、やがて腕をこまぬいたまま大きなソファに腰をおろすと、眉を寄せて何となく口笛を吹いた。
明りが運ばれ、荷物が届いた。それといっしょにあのおだやかなボーイが届け出用紙をテーブルの上に置いた。トーニオ・クレーガーは、首をかしげたまま、姓名と身分と素姓らしいものを用紙に書きつけた。それから軽い夕食を注文して、ソファの隅からまた宙を見つづけた。食事が目の前にならんでもいつまでも手をつけずにいたが、やっと二口三口食べ、またまた一時間ばかり部屋の中をいったりきたりし、ときどき立ち止まって目をとじた。それからゆっくりと服をぬいでベッドに入った。こんがらかった、妙に憧れのこもった夢を見ながら、長いあいだ眠った。……
目をさますと、部屋は明るい昼の光に満ちていた。とまどいながらもトーニオはあわてて自分の今いる所を思い出すと、起きあがってカーテンをあけた。もう心もち色あせた晩夏の青空に、風に吹きちぎられた薄い雲の切れがいくつも長くつながっていた。でもトーニオの故郷の町の上には太陽が照っていた。
彼はいつもより念入りに身じまいした。とてもていねいに顔を洗い、ひげをそって、ひどくすがすがしくさっぱりした様子になった。それはちょうど小ざっぱりした申し分ない印象を与えなければならない、上流の礼儀正しい家を訪問でもしそうだった。服を着る所作をしながらトーニオは心臓の不安そうな鼓動に耳をかたむけていた。
外はまあ何と明るかったろう。きのうのように通りが夕暮れに包まれていたなら、その方が快かったのに。今はしかし人々に見られながら明るい日光の中を歩かなければならなかった。知った人に出会ってひきとめられ、十三年の間をどう暮らしてきたかと聞かれて答えなければならないようなことになるかしら?
いや、幸いもう知っている者は誰もいなかった。たとえ自分のことを覚えている者がいたとしても、それと見わけられはすまい。十三年のあいだに、確かにいくらか変わったからだ。トーニオは鏡にうつる自分の姿をしげしげと眺めていたが、急に、その仮面のかげ、年よりふけているが、まだ若々しくて鍛練《たんれん》した顔のかげにかくれているから、安全だという気がした……朝食をとりよせた。それから部屋を出た。門番と、黒服を着た上品な男との、値踏みするようなまなざしを浴びながら玄関を通り、二頭のライオンの間をぬけて外に出た。
行先はどこか? 自分にもよく分らなかった。きのうと同じだった。破風や、小さな塔や、アーケードや、噴水などが妙にいかめしく、またずっと昔から親しみある感じでとりまいているのを見るか見ないかに、はるかな夢のやわらかな、しかも鋭い香りを運んでくる風の、強い風の圧力を顔に感ずるか感じないかに、トーニオの五官はまたまたヴェールのような、霧のとばりのようなものに包まれてしまった……顔の筋肉がゆるんだ。じっと動かなくなったまなざしで、人や物を眺めた。もしかしたら、あそこの町かどで、それでもまだ目をさますかも知れなかった……。
行先はどこか? 自分の行こうとしている方角が夜に見るあの悲しい、妙に後悔の多い夢とあるつながりがあるような気がした……市役所のアーケードをくぐりぬけて、市場の方へ歩いていった。そこでは肉屋が血まみれの手で商品の目方をはかっていた。そこには高い、とがって何段にもなったゴシック風の噴水があった。そこへくるとある家の前に立ち止まった。間口の狭い簡素な家で、他の家々と同じようにそり返った、すかし彫りの破風がついていた。トーニオはじっとその家を見つめた。戸口の表札を読んで、しばらく窓の一つ一つを眺めていた。やがてゆっくりと向きをかえて歩きだした。
行先はどこか? 家へであった。しかし暇があったので回わり道して市門の外まで散歩した。ミューレン土手からホルステン土手を越えていきながら、木々をきしませて吹きつける風に飛ばされないようにしっかりと帽子をおさえていた。やがて駅の近くで土手を下りると、不器用にせかせかと音をたてて通りすぎる列車を眺めながら、暇つぶしに車両の数をかぞえ、最後の箱のてっぺんにすわっている男を見送った。けれども、リンデン広場へくると、そこにならんでいる美しい別荘の一つの前に立ち止まって、長いあいだ庭の中をのぞいたり、上の窓の方を見上げたりしていたが、とうとうふと思いついて、喋つがいがぎいぎいいうほど格子戸をゆさぶってみた。それから冷えて錆《さび》だらけになった片手をしばらく眺めてから先へ歩いていった。古いがっしりした市門をくぐり、港ぞいに進んで、急な上りで風当たりのひどい小路を、両親の家へと登っていった。
その家は周囲をかこむ家々より高く破風がつき出して、三百年以来のように灰色に、いかめしく立っていた。トーニオ・クレーガーは入口の上に半分消えかかった字で書いてある敬虔な格言を読んだ。それからほっと息をついて中へ入っていった。
心臓は不安そうにどきどきした。自分が通りすぎていく一階のドアの一つから、今にも父が事務服を着てペンを耳にはさんだ姿で出てきて、自分をひきとめ、まともでない暮らし方をしているといって厳しく小言をいいそうな気がしたからだった。父がひどく叱っても、もっともだと思っただろう。けれども、何にも邪魔されずにそこを通りぬけた。通風扉がきちんとしまっていないで、ただ立てかけてあるのを、ひどいと思ったが、同時に自分は今あわい夢を見ているところで、邪魔ものはひとりでにこっちを避けていくし、自分はすばらしい幸運に恵まれて何の邪魔にもあわずに前進していくのだ、という気がしていた……大きな四角な敷石をしいた広い廊下に、トーニオの足音がこだました。もの音ひとつしない台所の反対側には、昔のままの奇妙でぶかっこうな、それでもきれいにニスを塗った木造の小部屋が、床からかなり高いところに張り出していた。これは女中部屋で、廊下からは一種のつりばしごみたいなものをのぼらなければいかれなかった。しかし、ここに置いてあった大きな戸棚や、彫り物のある長もちは見当たらなかった……
この家の息子であるトーニオ・クレーガーは大きな階段をのぼっていって、白ぬりのすかし彫りの木の手すりに片手でつかまった。ひと足ごとに手を持ちあげては、次の一歩でまた手すりにそっとおき、まるでこの古くて丈夫な手すりと自分との、昔の親しみをもう一度よみがえらせることができるかどうかを、こわごわためしているようであった……けれども、階段の踊り場の、中二階の入口の前までくると、立ち止まった。ドアに白い表札がうちつけてあって、黒い文字で、民衆図書館と書いてあった。
民衆図書館だって? と、トーニオ・クレーガーは考えた。ここは民衆とも文学とも関係ないはずなのに、と思ったからだ。トーニオはドアをノックした……お入りという声がしたので、そのとおりにした。緊張して眉をひそめながら、ひどく不にあいな変わりようをした部屋を見やった。
この階には、奥まで三つの部屋が続いていて、部屋と部屋との間のドアはあけっぱなしになっていた。壁はほとんど天井まで、黒っぽい棚にずらりと何列にも並んだ同じような装丁の書物で被《おお》われていた。どの部屋にも、カウンターみたいな机の向こうに、貧弱な男がひとりずつすわって、書きものをしていた。そのうちのふたりは、トーニオ・クレーガーの方へちらっと顔を向けただけだったが、最初の部屋の男は、両手を机につっぱって急いで立ち上り、頭をつき出し、唇をとがらせ、眉をつり上げ、気ぜわしげに目をぱちぱちさせながら訪問者をながめた……
「ごめんください」
と、トーニオ・クレーガーはたくさんの書物から目を放さないままでいった。「ぼくは、よそからきた者で、この町を見物しています。なるほど、これが民衆図書館なんですか。ちょっと蔵書を見せていただいてもいいですか」
「どうぞ!」
と、司書はいって、いっそう目をはげしくぱちぱちさせた……「もちろん、どなたでもごらんになれます!どうぞごらんください……カタログをお目にかけましょうか?」
「けっこうです」
と、トーニオ・クレーガーは答えた。「すぐ見当がつきます」
そういって、書物の背に書いてある書名をしらべるふりをしながら、壁に沿ってゆっくり歩きはじめた。とうとう本を一冊とり出して開くと、それを持ったまま窓ぎわに立った。ここは朝食の部屋だった。ここで朝食をしたので、青い壁かけに白い神々の像が浮き出て見える、上の大きい食堂ではなかった……あの部屋は寝室に使われていた。父方の祖母はそこで亡くなった。かなり年寄りだったが、享楽好きな社交婦人で、人生に執着していたのでひどい苦しみかたをして死んだ。そしてあとで、父自身もそこで息をひきとった。背の高い、きちんとした、いくらか寂しげで、瞑想的な、ボタン穴に野花をさしていた、あの父が……トーニオは父の死の床の足もとにすわって、目を熱くし、愛と苦しみの、無言の強い感情に心の底からひたっていた。母も、うつくしい情熱的な母も、やっぱり床のそばにひざまずいて、心から熱い涙にくれていた。そののち母は、それから南国生まれの芸術家といっしょに、はるか遠い国へいってしまったのだ……
けれども、あの奥のいくらか小さい三番目の部屋は、今はやっぱりぎっしり書物でつまっていて、それを貧弱なひとりの男が番をしているが、長年の間、トーニオ自身の部屋だった。学校がひけると、ちょうど今日のように散歩してからそこへ帰ったものだった。あの窓ぎわに机があって、そのひき出しの中には真心をこめたへたくそな最初の詩がしまってあった……くるみの木……ちくちく刺すような哀しみが心の中を通りぬけた。トーニオはななめに窓ごしに外を見た。庭は荒れはてていたが、あのくるみの老木は大儀《たいぎ》そうに風にきしみながら、ざわざわいいながら、もとのところに立っていた。
それからトーニオ・クレーガーは、手に持った本へ視線を戻した。それは優れた文学作品で、よく知っているものだった。その黒く印刷された行や節を見おろして、巧妙な叙述の流れを追いながら、その流れが作る情熱に運ばれて一つの山と効果にまでもりあがり、それから感銘ふかくとぎれるまでたどっていった……
「確かに、よくできている」
と、トーニオはいってその作品をもとへ戻し、ふり返った。すると例の司書があいかわらず直立したまま、おせっかいと考えぶかそうな疑いの入りまじった表情で目をぱちぱちしているのが見えた。
「お見うけするとけっこうな蔵書ですね」
と、トーニオ・クレーガーはいった。「あらましはもう拝見しました。どうもありがとう。さようなら」
そういってトーニオはドアを出た。しかしこれは怪しげなひきあげ方だった。この訪問で不安になった司書が、きっとまだしばらくは直立したままで目をぱちぱちさせていることだろうと、はっきり感じた。
トーニオは、もっとこの先まで入りこんでみようという気はしなかった。帰省をもうすませたのであった。上の柱廊の奥の大きな部屋部屋には、見知らぬ人々が住んでいた。それはわかった。階段を登りきったところは、前にはなかったガラス戸でふさがれていて、それに何か表礼がかかっていたからである。トーニオは去った。階段を降りて、足音の響く廊下を通って、自分の両親の家を立ち去った。一軒のレストランの片隅で物思いにふけりながら、胃にもたれるようなこってりした食事をとって、それからホテルへ帰った。
「もう用事はすみました。今日の午後には出発しますよ」
と、黒い服を着た上品な男にいった。それから勘定書《かんじょうがき》と、コペンハーゲン行きの汽船の出る港まで運んでいく馬車をたのんだ。
それから自分の部屋にいってテーブルに向かって腰をおろした。片手でほおづえをついて、うつろな目でテーブルの表を見おろしながら、静かにまっすぐな姿勢ですわっていた。あとで勘定をすませると、荷造りした。定めておいた時刻に、馬車のきたことが知らされたので、トーニオ・クレーガーは旅じたくをして下へ降りていった。
下で、階段を降りたところにあの黒い服を着た上品な男が待ちうけていた。
「おそれいりますが!」
といって、男は小指でカフスを袖の中へおしこんだ……「申しわけございませんが、ほんの一分間だけおひきとめ申しあげなければなりません。ゼーハーゼ氏……当ホテルの主人でございますが……ひとこと申し上げたいと申しております。形式的なことでございます……あの奥におります……どうか、ご案内いたしますからおいでくださいませ……ホテルの主人のゼーハーゼ氏だけでございます」
そういって、男は招くような身ぶりをしてトーニオ・クレーガーを玄関の奥の方へ案内した。そこには本当にゼーハーゼ氏が立っていた。トーニオ・クレーガーは、昔からこの人を見知っていた。太った、あぶらぎった、足のまがった小男だった。刈りこんだ頬ひげは白くなっていたが、あいかわらず胸の開きの広い燕尾服に、緑色のししゅうをしたビロードの帽子をかぶっていた。でも、ひとりではなかった。ゼーハーゼ氏のそばに、壁にとりつけてある机がわりの板のところに、ヘルメットをかぶった警官がひとり立っていた。警官は手袋をはめた右手を机の上の何かごたごた書いてある書類の上において、正直そうな兵隊づらをトーニオ・クレーガーの方へ向けた。自分を見れば相手は必ず地面にもぐりこむにちがいないと期待してでもいるようにであった。
トーニオ・クレーガーはふたりをかわるがわる見ながら、じっと待ちうけていた。
「ミュンヘンからおいでですな?」
と、とうとう警官が人のよさそうな、のっそりした声でたずねた。
トーニオ・クレーガーはそのとおりだと答えた。
「コペンハーゲンへおいでになるんですかね?」
「そうです、デンマークの海水浴場へいく途中です」
「海水浴場へ?……なるほど、いちおう身分証明書をご提示ください」
と、提示という言葉を特に満足げに発音しながら警官はいった。
「身分証明書を……」
トーニオ・クレーガーは身分証明書なんか持っていなかった。紙入れをひっばり出して中をのぞいた。しかし、紙幣が数枚あるほかには、行先でかたづけるつもりの小説の校正刷りしかなかった。役人とかかりあうのがきらいで、今まで身分証明書を交付してもらったことなど一度もなかった……
「残念ながら」
と、トーニオはいった。「パスポートは持っていません」
「ほう?」
と、警官はいった……「まるきり持っていないんですか?……お名前は?」
トーニオ・クレーガーは答えた。
「それも本当ですかね!」
と、警官はたずねて、ぐっと身をのばし、急に鼻の孔をできるだけ大きく広げた……
「完全に、本当です」
と、トーニオ・クレーガーは答えた。
「いったい、職業は?」
トーニオ・クレーガーはぐっとがまんすると、しっかりした声で職業を答えた。……ゼーハーゼ氏は首をもたげてものめずらしそうにトーニオの顔を見あげた。
「なるほど」
と、警官はいった。「するとあなたはこういう名前の人物と同一人ではないと申したてるんですな」
警官は「人物」といった。それから例のごたごた書きこんである書類から、えらく複雑なロマンティックな名前を、一字一字ゆっくり読みあげた。それは、さまざまな人種の音声を奇妙にまぜ合わせたように見えた。トーニオ・クレーガーは聞いたと思ったら次の瞬間にもう忘れてしまった。
「この人物は、」
と、警官は続けた。「両親不明、住所不定。いろいろな詐欺《さぎ》その他の犯罪でミュンヘンの警察から追跡されていて、どうやらデンマークへ逃亡中というんですがねえ」
「申したてているだけじゃありません」
と、トーニオ・クレーガーはいって、いらいらと肩を動かした。……そのそぶりはある印象をよび起こした。
「何ですって。ああそう。そうですとも!」
と、警官はいった。「しかし、あなたも何も提示できないとは!」
ゼーハーゼ氏もとりなすように間に入った。
「これは、みんな、ただ形式だけで」
と、ゼーハーゼ氏はいった。「ただそれだけのことでごさいますよ。このお巡りさんも勤めを果たしているだけのことだということをお考えいただかねばなりません。何とかご身分を証明おできになるとねえ……書類一つでも……」
三人とも黙りこんだ。自分の身の上をあかして、この場にけりをつけたものだろうか。自分は住居不定の詐欺師でもなければ、緑色の馬車に乗った生まれながらのジプシーでもなく、クレーガー領事の息子、クレーガー一家の者であることを、ゼーハーゼ氏にうちあけたものか。いや、そんなことをする気は毛頭なかった。それに、市民的秩序を大切にするこの人たちのいうことは、結局いくらか正しいのではあるまいか? ある程度までは自分だってこのふたりと同意見だった……トーニオは、肩をすくめて、黙りこくっていた。
「いったい、そこに何をお持ちです」
と、警官がたずねた。「その、紙入れの中にですよ」
「ここに? 何もありませんよ。これは校正刷りです」
と、トーニオ・クレーガーは答えた。
「校正刷り? どうして? ちょっと拝見」
そこでトーニオ・クレーガーは、警官に自分の作品を渡した。警官は、それを小机の上に広げて読みはじめた。ゼーハーゼ氏も近寄ってきて、いっしょに読んだ。トーニオ・クレーガーは、ふたりの肩ごしに見やりながら、どの辺を読んでいるかを見てとった。そこはちょうどさわりの所で、りっぱに書きあげた山と効果のあるくだりだった。自分に対して満足した。
「それごらんなさい!」
と、トーニオはいった。「そこにぼくの名前があります。それはぼくの書いたもので、そのうち出版されるんですよ」
「さあ、これで十分でございます」と、ゼーハーゼ氏はきっぱりいい、紙片をそろえて折りたたむと、トーニオに返した。「これで十分なはずですよ、ペーターゼンさん!」
と、ゼーハーゼ氏はそっと目をとじて、もうやめろという印に頭を振りながら、あっさりくり返した。
「これ以上お客さまをおひきとめするわけにはいきませんよ。馬車が待ってるんですからね。お邪魔いたしまして本当に申しわけございません、お客さま。お巡りさんもただ勤めを果たしただけのことでございまして。わたくしは、もうはじめから見こみちがいだよと申していたのでございます……」
そうかな? と、トーニオ・クレーガーは考えた。
警官はこれですっかり承知したというようすではなかった。あいかわらず「人物」だの「提示」だのというようなことをいっていた。しかしゼーハーゼ氏はくり返しくり返しわびながら客を案内して玄関を横切ってもどると、二頭のライオンの間をぬけて馬車までおともをした。そして、客が乗ったあと、うやうやしく自分で馬車の扉をしめた。それから、このおかしいほど高くて巾のある長い辻馬車は、揺れながらがたがたと騒々しく、急な坂になった小路を港の方へくだっていった……
これが故郷の町でのトーニオ・クレーガーの奇妙な滞在であった。
トーニオ・クレーガーの乗った船が沖あいに出たときはもう夜になって、早くも銀色の光をただよわせて月が昇っていた。ますます強くなる風を防ぎながら、オーバーにくるまってへさきの斜檣《しゃしょう》のそばに立ち、目の下の大きな滑《なめ》らかな波が黒ずんでうねっていくさまを見おろしていた。波はもつれ合い、音をたててぶつかり合いして、思いもよらぬ方向へさっとわかれては、急に泡立ちながらきらめいた……
トーニオは、ぶらんこに乗っているような、静かなうっとりとした気分に満たされた。故郷で詐欺師としてとっつかまりそうになったので、確かにいくらかしょげていた……もっとも、ある程度それは当然だと考えてはいたけれど。
けれども船に乗りこんでからは、子どもの頃にときどき父といっしょに、荷物の積みこみのようすを眺めたように、デンマーク語と低地ドイツ語のまじり合ったかけ声につれて、深い船腹の中へぎっしり積みこまれるのをながめ、梱《こおり》や箱のほかに、おそらくハンブルクから送られてきてデンマークの動物園へでも運ばれるらしい白熊とベンガル虎が一頭ずつ、どちらも太い格子のはまった檻《おり》に入ったまま、おろされるのを見ていると、それが気晴らしになった。
船が平らな岸にはさまれた川をくだっていくうちに、警官ペーターゼンの尋問《じんもん》のことなどけろりと忘れてしまった。そして、その前のすべてのこと……あの夜見た甘くて悲しい後悔の多い夢のことや、散歩をしたことや、くるみの木を見たことなどが、もう一度まざまざと心によみがえってきた。
そして今、海がひらけると、子どもの頃に夏の海の夢に耳をすませた浜が遠くに見えた。灯台の白光や、両親といっしょに泊まったことのある保養館の灯も見えた……バルト海だ! トーニオは強い汐風に頭をもたせかけた。風は思いのまままともに吹きつけては耳をふさぎ、軽い目まいのような、かすかなしびれのような感じを起こさせた。その感じにひたっていると、苦しみや迷い、意欲や骨折りのいやな何もかもの思い出が、ゆっくりと、快く消え去っていった。そして身のまわりのうなる音や、ぶつかり合い、泡立ち、うめく音の中から、くるみの老木のざわざわいう音やひしめき、どこかの庭の木戸のきしむ音などが聞こえてくるような気がした……だんだんあたりが暗くなっていった。
「おや、星ですね、まあ、あの星をごらんなさい」
と、だしぬけに、重苦しく歌うような調子で、まるで樽《たる》の中からでも響いてくるような声がした。その声には聞き覚えがあった。声の主は、赤みがかった金髪のじみな身なりの男で、まぶたを赤くし、たった今水を浴びてきたばかりのような、しめっぽい、冷たい顔をしていた。船室で、夕食のときにトーニオ・クレーガーの隣にすわって、おずおずと遠慮がちな身ぶりでえびがに入りのオムレツをびっくりするほどたらふく平らげた。その男は今、トーニオ・クレーガーとならんで手すりにもたれ、親指と人さし指であごをつまんだまま、空を見上げていた。疑いもなくあの異常な、おごそかで瞑想的な気分になっていた。そういう気分になると、人と人との間の垣がなくなり、心が見知らぬ人にも開き、ふだんなら恥ずかしくていえそうもないことまで話すものだ……
「ねえ、あなた、まああの星をごらんなさい。それ、あそこにあって、あんなにきらきら輝いていますよ、ほんとに、空一面にですよ。こうやってあれを見上げていて、あの星の中のたくさんはこの地球より百倍も大きいといわれていると思うと、いったいどんな気がします? われわれ人間は電信も、電話も、たくさんの近代の成果を発明しました、確かにそうです。しかしねえ、こうして空を見上げていると、やっぱりわれわれは結局は虫けらだ、けちな虫けらにすぎないんだと、つくづく思わずにはいられんですよ、……そのとおりじゃありませんか、それともちがいますか? そうですよ、われわれは虫けらですよ」
男は自分の問いに自分で答えて、つつましく、がっかりしたように空へ向かってうなずいた。
やれやれ……こいつはまったく文学には縁のない男だわい、とトーニオ・クレーガーは考えた。と思ったとたん、最近読んだ有名なフランスの作家の、宇宙論めいた心理学的世界観について書かれた論文のことを思い出した。それは全く気のきいたおしゃべりだった。
トーニオ・クレーガーは、その若者の実感のあふれた言葉に何か返事らしいことをいった。それからふたりは手すりにもたれて、落ちつきなく光をあびて荒れている宵《よい》を見わたしながら話し続けた。この旅の道づれはハンブルク生まれの若い商人で、休暇を利用してこの観光旅行に出かけてきていることがわかった……
「汽船に乗って、ひとつコペンハーゲンまでいってみようと思いましてね」
と、商人はいった。「それで今こうしてここにいるわけです。そこまでのところまったく上出来です。しかしあのえびのオムレツを食べすぎたこと、あれはいけませんでした、ほんとに。だって、今夜は荒れるって船長自身もいってましたから、あんなこなれの悪い食べ物が胃の中に入っていたんでは、ことですよ……」
トーニオ・クレーガーは、こうした人なつこいばか話に、気やすい親しみのある気持ちで耳を傾けていた。
「そうですね」と、トーニオはいった。「この北の地方は、だいたい食事が胃にもたれすぎますよ。それでものぐさで憂うつになるんです」
「憂うつにですって?」
と、若い男はくり返して、あきれたようにじっとトーニオを見た……「あなたは、よそからいらっしゃったんですね?」
と、不意にたずねた……
「そうですとも、遠くからやってきました」
と、トーニオ・クレーガーはあいまいに、こばむように腕を動かしながら答えた。
「でも、あなたのいわれるとおりですよ」
と、若い男はいった。「憂うつとおっしゃったが、確かにそのとおりです。わたしは、たいていいつでも憂うつなんですが、特に今夜のように空に星のあるときにはね」
そういって若い男は、また親指と人さし指であごを支えた。
きっとこの男は詩を書くな、深く、正直に感じた商人の詩を……と、トーニオ・クレーガーは思った。
夜がふけて、風は話の邪魔になるほど激しくなった。そこで、ふたりは少し眠ることにして、お休みのあいさつをかわした。
トーニオ・クレーガーは小さい船室のせまいベッドに身体をのばしたが、寝つかれなかった。激しい風とその強い香りに妙に興奮させられ、心は何か快いことをびくびくしながら待ってでもいるように落ち着かなかった。それに、船が山のような波をすべり落ち、スクリューがけいれんでもしたように水の外で空回わりするときの動揺も、とてもむかむかさせた。トーニオはもう一度すっかり身じたくをして、甲板にのぼっていった。
雲が月をかすめて流れていた。海は踊っていた。丸みをおびた一様な波が規則正しく寄せてくるのではなくて、海は遠くまで青白いちらちらする光の中で引きさかれ、打ちくだかれ、かきまわされて、とがった炎のような形の大きな舌になってなめまわし、はねあがり、泡だらけな奈落の横にぎざぎざな奇妙な波を投げかけ、巨大な腕の力をふるってばか騒ぎしながら空中の四方八方へしぶきをはねとばしているように見えた。
難儀な航海だった。縦にゆれ、横にゆれ、あえぎながら、船は混乱の中を進んでいった。ときどき、あの白熊と虎がこの航行になやまされて、船腹でほえたけるのが聞こえた。
防水マントを着て頭に帽子をかぶった男が、腰にカンテラをくくりつけて、大またに、やっと平均をとりながら甲板をいったり来たりしていた。ところが、あのうしろには船べりにぐっと身をのり出しながら、ハンブルクからきた若い男が立っていて、ゲーゲーやっていた。
「おや」
と、トーニオ・クレーガーに気がつくと、さえない、たよりない声でいった。「この水と風のひどい荒れようを、まあ見てごらんなさい!」
けれどもそれきり何もいえなくなって、あわてて脇を向いた。
トーニオ・クレーガーは張ってある綱につかまって、何にもさえぎられずに荒れほうだいに荒れ狂っているようすをながめた。胸の中に、勢いよく歓声がわきあがってきて、それは嵐や潮の音をかき消すほど力強いもののような思いがした。海に寄せる歌が、愛の感激をこめて胸にひびきわたった。
おまえ、わたしの青春の荒々しき友よ、こうしてわたしたちはまたいっしょになった……
が、詩はこれだけで終わってしまった。それは完成しなかった。まとまった姿はとられなかった。余裕のある態度で完全なものに仕上げられなかった。トーニオの心は生きていた……
そのままトーニオは立ちつくしていた。それから、船室のそばのベンチに身をのばし、星のきらめく空を見上げた。いくらかうとうとさえした。冷たい水しぶきが顔にかかっても、夢うつつのうちに愛撫されているような気がした。
月の光をあびて幽霊のように、垂直の白亜岩《はくあがん》の壁が現われて、だんだん近づいてきた。メーエン島だった。鋭く突くように降りかかって顔をこわばらせる塩からい水しぶきに邪魔されながらまたうとうととした……
トーニオがすっかり目をさましたときは、もう夜が明けていた。淡い灰色のすがすがしい夜明けだった。緑色の海は前よりおだやかになっていた。朝食のとき、またあの若い商人に会った。きのう、暗闇の中であんな詩的な、みっともないことをしゃべったのが、たぶん恥ずかしかったのだろう、すごく赤面し、五本の指を全部使ってちっぽけな赤ちゃけた口ひげをなであげると、兵隊のようなぶっきらぼうな朝のあいさつをのべてきただけで、それからはびくびくとトーニオ・クレーガーを避けていた。
こうして、トーニオ・クレーガーはデンマークに上陸した。コペンハーゲンに着いて、もらう権利がありそうな顔つきをする者には誰にでもチップをやった。そして三日間というものホテルの部屋を根拠地にして、案内書を開いたまま手にもって市内を歩きまわって、見るからに見聞をひろめたがっている上等な外人客らしくふるまった。国王新広場や、その中央にある「馬」を見たり、聖母教会の円柱をうやうやしく見上げたり、トールヴァルセンの気高く愛らしい彫像の前に長いことたたずんだり、円塔に登ったり、城をいくつか見物したり、ティーヴォリで派手な二晩を過ごしたりした。けれども、本当はトーニオの見たのはこれが全部ではなかった。
故郷の町のそりかえった格子模様《こうしもよう》のある破風造りの古い家々と、しばしばそっくりそのままに見える家々に、トーニオは昔からなじみの深い名前を見た。その名は、何かやさしく貴いものを意味しているように思われたが、それでいてまた何か非難や、嘆きや、失われたものを憧れるようなものを含んでいた。また、しめっぽい汐風をゆっくりと考えにふけって呼吸しながら、あの故郷の町で過ごした、あの夜の妙に悲しく後悔の多い夢の中で見たと同じような青い眼や、同じようなブロンドの髪や、同じような姿かたちをした顔を見かけた。往来で、あるまなざしが、ある響くことばが、ある高笑いが、トーニオの心の底にぐっとこたえることもないではなかった……
トーニオは、このにぎやかな町に長くはいる気になれなかった。思い出と期待とが半々の甘くてばかばかしい不安が、どこかの海岸で気ままに寝ころがっていたい、せかせかとさがしまわる観光客のまねなどしたくないという願いといっしょになって、トーニオを動かした。
そこで、あらためて船に乗って、ある曇った日に(海は黒く動いていた)、ゼーフラント島の岸に沿って北に向かってヘルシンゲールへと北に進んでいった。そこからすぐに馬車に乗って旅を続け、いつでも少しずつ海を見おろしながら国道を四十五分も進んだあげく、とうとうこの旅行の最後の、本来の目的地についた。それは、みどり色のよろい戸のある小じんまりした、白い海水浴宿で、低い家々がいくつか集まった部落のまん中にあって、木でふいた塔から海峡と、スウェーデンの海岸を見渡していた。ここで馬車をおりて、用意されていた明るいへやを占領し、持ってきたものを棚やたんすにつめて、しばらくここで暮らす準備をした。
もう九月になって日もたっていた。アールスガールトにはあまりたくさんは客がいなかった。ガラス張りのベランダと海の見える高い窓のある一階の、角材を組んだ天井の大きな食堂で食事をするたびに、ホテルの女主人が主人席にすわっていた。白髪のハイ・ミスで、目がうすい色で、淡いバラ色の頬をして、しまりのない、さえずるような声を出しながら、いつも赤い両手をテーブルクロスの上にいくらかでもかっこうよくならべようと努めていた。
ごましおの水夫ひげを生やして、青黒い顔をした猪首《いくび》の老人がいた。首都からきた魚商人で、ドイツ語がうまかった。ひどい便秘症らしく、卒中の気があるようであった。というのは、短くふうふうと息をして、ときどき指輪をはめた人さし指をあげては片方の鼻の穴をふさぎ、もう一方から強くふんとやって、やっと空気を通そうとしたからである。それなのに、朝食のときにも昼食や夕食のときにも、自分の前においてあるアクァヴィート〔ラテン語で「生命の水」の意。蒸留酒の一種〕のびんから、ひっきりなしに飲んでいた。
ほかにまだ、背の高いアメリカ青年が三人、家庭教師といっしょに顔を見せた。この家庭教師は黙々としてひっきりなしに眼鏡の位置ばかりなおしながら、一日じゅう青年たちとフットボールをやっていた。三人の若者は赤黄色の髪をまん中からわけて、細長い、無表情な顔をしていた。
「Please give me the wurst-things there!(ちょっと、そのソーセージみたいなのをとってくれよ)」
と、ひとりがいった。もうひとりが、
「That's not wurst, that's schinken!(これはソーセージじゃないぜ、ハムだよ!)」
といった。三人の若者と家庭教師とが会話に加わるといえば、これが全部だった。その他のときは黙りこくってすわったまま、湯ばかり飲んでいたからである。
トーニオ・クレーガーは、もっと種類のちがう食卓仲間を欲しいとは思わなかったろう。この和やかさを楽しみ、魚商人と女主人とがときどき話し合うときのデンマーク語の喉音や、かん高い母音やあいまいな母音に耳を傾けたり、ときどき魚商人と気圧計の示度についての簡単なことばをかわしたりして、それから席を立ち、朝のうちに長い時間を過ごした海辺の方へ、ベランダを通っておりていった。
海辺は、ときにはひっそりと夏めいていることもあった。海は青や、ガラスびんのようなみどり色や、うす赤い縞《しま》をなして、ゆったりとなめらかに安らぎ、銀色にきらめく光の反射を一面にただよわせていた。日にあたって海草が乾し草のようにからからにひからび、くらげがそこにころがって水気をなくしていた。ちょっと物のくさったようなにおいと、またちょっと漁船のタールのにおいもした。
トーニオ・クレーガーは砂にすわったまま、漁船に肩をもたせていた……スウェーデンの海洋側でなく、トーニオはひろびろとした水平線の見える方を向いていた。そして海のかすかないぶきが、清らかに、ここちよくいっさいのものの上をなでて通り過ぎていった。
また、灰色の荒れもようの日々もあった。波は、角をかまえて突っかかろうとする牝牛のように首を下げて荒れ狂いながら、浜辺めがけて突進した。浜辺はずっと上の方まで波に洗われて、ぬれて光る海草や、貝がらや、打ちよせられた木で被《おお》われた。長々とつらなる波の丘の間には、曇った空の下にうすみどり色の泡立つ谷がつづいていたが、雲の向こうに日がかくれているあたりには、海面もほの白いビロードのような輝きを見せていた。
トーニオ・クレーガーは、風ととどろきに包まれて、大好きだったこの永遠の、重々しい、耳をろうするようなどよめきの中にひたりながらたたずんでいた。向きを変えて立ち去っていくと、急に身のまわりがすっかりおだやかにあたたかくなっていくような気がした。それでも、うしろに海のあることを意識していた。海はよび、さそい、あいさつした。すると、トーニオはほおえんだ。
陸の方へ向かって草原づたいに静けさの中を通って歩いた。やがて、そのあたり一帯に丘のように広がっているぶなの森に迎えられた。トーニオは、木の間ごしに海の一部が見えるように、木によりかかって苔《こけ》の上に腰をおろした。風がときどき波のひびきをトーニオのところへ運んできた。まるで遠くの方で板が落ち重なるような音だった。ぶなのこずえの上からからすの鳴き声が、しゃがれて、わびしく、たよりなく聞こえてきた……本を一冊ひざの上にひろげてはいたが、一行も読みはしなかった。深い忘却と、時と空間を超えた上にうかびただよっているような解放感をあじわっていた。ただときたま、心臓があこがれか、それとも後悔の短い刺すような感じでどきどきするような気がした。しかし、その感じが本当は何という名で、どうして生まれたものかをたずねるには、あまりにものうく、また夢見ごこちになっていた。
こんなふうにして何日か過ぎた。何日過ぎたかはいえなかったろうし、それを知りたいとも思わなかった。が、そのうちにある出来事の起こる日がやってきた。それは、空に日が出ていて、みんながいあわせているところで起こり、トーニオ・クレーガーは別にそのためにひどく驚いたというわけでもなかった。
その日は、朝から晴れ晴れとしていて、うっとりするようだった。トーニオ・クレーガーは、とても早く、しかもまったく不意に目がさめると、何とはなしにわけのわからない驚きにかられてぱっとはね起きた。まるで、ふしぎなものでも、妖しい照明の魔術でものぞくような気がした。
部屋はガラス戸とバルコニーが海峡の方へ向いていて、居間と寝室とはうすい白の紗《しゃ》のカーテンでしきられて、うす色の壁紙で、備えつけの家具もあっさりした明るい色のものであったので、いつも晴れやかで、こころよい感じがした。ところが今、トーニオがねぼけまなこで見ると、へやはまるでこの世のものでないような輝きと照明にみたされ、なんともいえないやさしい、かぐわしい、バラ色の光がすみずみまでみちみち、壁や家具を金色にそめ、紗のカーテンをやわらかく、赤くもえあがらせているのだった……トーニオ・クレーガーは、何が起こったのかしばらくの間わからなかった。けれども、ガラス戸の前に立って外をのぞいて見ると、それが日の出のせいだということがわかった。
ここ数日間は曇って雨がちだった。それが今、ぴんと張った水色の絹で作られたように空がきらきら澄みきって輝き、海と陸の上にひろがっていた赤や金色に輝く雲にさえぎられたり、とりかこまれたりしながら、きらめくさざ波の立つ海の上へ、おごそかに日輪がのぼってきた。その下で、海はふるえながらもえたつように見えた……この日はそんなふうにはじまった。
トーニオ・クレーガーは、とまどいながらもうきうきして、急いで服を着ると他のだれよりも早く下のベランダで朝食をすませ、小さな木造の海水小屋から海峡の方へ少し泳いで、それから浜づたいに一時間ばかり歩いた。
帰ってみると、ホテルの前に乗合馬車のような馬車が数台止まってた。食堂から見ると、ピアノの置いてある隣の社交室にも、ベランダにも、その前のテラスにも、小市民ふうの服装をした男や女が大勢、丸テーブルをかこんですわり、にぎやかにおしゃべりしながら、ビールを飲んだり、バタつきパンを食べたりしていた。それは、年寄りも若い者もいる家族づれで、子どもまで数人いた。
二度目の朝食のとき(テーブルにはくん製や、塩漬けや、焼いたものなどの冷肉料理が山盛りだった)、トーニオ・クレーガーは、いったい何ごとがはじまるのかと聞いた。
「お客さんでさあ」
と、魚商人が答えた。「ヘルシンゲールからきた、遠足と舞踏会のお客でさあ。いやはや、たいへんなこってすよ、とても寝られたもんじゃありませんぜ、今夜は。ダンスがあるでしょう、ダンスと音楽がね。きっと長びくんじゃないかと心配ですよ。こいつはまあ家族会か、社交をかねたピクニックか、つまり人をつのった旅行みたいなもんですなあ。みんなこのすばらしい日を、楽しむんです。やっこさんたちは、船や馬車でやってきたんですがね。今は朝めしってわけです。あとでもっと奥の方まで馬車でいくんですが、夕方にはまた戻ってきて、この広間でダンスを楽しむんです。やれやれ、まったくえらいことですよ、今夜は一睡もできんでしょうよ……」
「いい気晴らしじゃありませんか」
と、トーニオ・クレーガーはいった。
それからしばらくの間、だれも何もいわなかった。女主人は赤い指をそろえ、魚商人は少し息を通そうと、右の鼻の穴から息をはき出し、アメリカ人たちは湯を飲んでしょげた顔をした。
このとき、急にあることが起こった。ハンス・ハンゼンとインゲボルク・ホルムが、食堂を通りぬけていったのだ。……
トーニオ・クレーガーは、水泳をしたり足ばやに歩いたりしたあとで、快い疲れで椅子によりかかって、くん製の鮭《さけ》をのせたトーストパンを食ベていた。……ベランダと海の方へ向いてすわっていた。すると、突然ドアがあいて、手と手をつないで例のふたりが入ってきた……急ぐふうでもなく、ぶらぶら歩きながら。
インゲボルク、あの金髪のインゲは、クナーク先生のダンスの時間のときにいつもそうしていたように、淡い色の服を着ていた。軽快な花もようのついた服は、くるぶしまでしかなくて、肩には巾の広い、とがったようにくった白いチュールの飾りがついていた。それがやわらかな、しなやかな首すじをあらわにしていた。帽子はリボンをむすんで片方の腕にかけていた。むかしよりほんのちょっと大きくなったかも知れなかった。あのすてきなおさげは、今は頭に巻きつけてあった。ところが、一方ハンスときたら、全然あいかわらずであった。金ボタンのついた例のセーラーふうの衣で、肩と背は、巾の広い、青いえりに被われていた。短いリボンのついたセーラー帽をだらりと下げた手に持って、のんきそうにぶらぶら振っていた。
インゲボルクは、食事をしている人たちに見られて少しためらったのだろう、例の切れ長の目をそむけた。それなのにハンス・ハンゼンは、今まっすぐに、すべての人々にさからうように、朝食の食卓の方へ顔を向けて、あの鋼《はがね》のような青い目でつぎつぎにひとりずつ、いどむように、いくらかばかにしたようにじろじろ見ていた。そればかりか、インゲボルクの手を放し、自分がどんな男かを見せつけようとして、もっとはげしく帽子をあちこち振った。こうしてふたりは、静かな青い海を背景にして、トーニオ・クレーガーの目の前を通りすぎ、食堂を縦に突っ切って、反対側のドアからピアノのある部屋へ姿を消した。
これは午前十一時半に起こったことだが、まだ泊まり客たちが朝のテーブルから離れないうちに、隣の部屋やベランダにいた団体客は立ちあがって、今度はひとりも食堂へは入らずに横の出入口からホテルを立ち去った。外でみんながふざけたり、笑ったりしながら、馬車に乗りこむのが聞こえ、馬車が順々にきしみながら動きだし、国道を走り去るのが聞こえた……
「みんなはまた帰ってくるんですね?」
と、トーニオ・クレーガーがたずねた……
「戻ってきますとも」
と、魚商人がいった。「だから困るんですよ。やっこさんたち、音楽を注文したんですぜ、おまけに、わたしの寝るのはこの食堂の上ときてるんですからねえ」
「まあ、いい気晴らしじゃありませんか」
と、トーニオ・クレーガーはくり返した。それから立ちあがって出ていった。
トーニオは、ほかの日のように、その日も浜辺や森の中で過ごし、膝に本をのせたまま、まばたきしながら太陽をながめた。たった一つのことを考えていた……それは、魚商人が期待したように、みんながまた戻ってきて食堂でダンスを楽しむだろう、ということだった。そして、それをただ楽しみに待つこと以外には何もしなかった。死んだような長い年月の間、一度も味わったことのないほどの、不安な、甘い喜びを抱きながら。一度、何かの連想から、遠くにいる知人、あの自分の望むところを知っていて春風から逃れるためにカフェに入っていった、小説家アーダルベルトのことを、ちらっと思い浮かべた。そして、トーニオはその男を思って肩をすくめた……
昼食はいつもより早めにすんだ。夕食もやっぱりいつもより早く、ピアノの部屋でとられた。食堂はもうダンスパーティーの準備にかかっていたからだ。こんな具合に、何もかもがお祭り気分の調子で狂っていた。
そのうちにもう暗くなって、トーニオ・クレーガーが自分の部屋に坐っていると、国道や家の中がまたまたがやがやしはじめた。ピクニックに出かけた連中が戻ってきたのだ。それどころか、ヘルシンゲールの方から自転車や馬車で新しいお客たちまでやってきた。階下では、もうバイオリンの調子を合わせたり、クラリネットの甘ったるい音で音階の練習をしたりするのが聞こえてきた……何もかもがすばらしいダンスパーティーのはじまることを約束していた。
やがて、ささやかなオーケストラがマーチを奏《かな》ではじめた。その音が、かすかではあるがしっかりした拍子で二階まで響いてきた。ダンスはポロネーズではじまった。トーニオ・クレーガーは、まだしばらくじっとして坐ったまま、耳を傾けていた。しかし、マーチのテンポがワルツの拍子に変わっていくのを耳にすると、立ち上がって音をたてずにそっと部屋を出た。
部屋の外の廊下から裏階段を通ってホテルの横の入口に出、そこからどの部屋も通りぬけないでガラス張りのベランダにいくことができた。
トーニオはこの道をとり、まるで禁じられた小道をたどりでもするように、足音をしのばせて、もうはっきりと何ものにもさえぎられないで迫ってくる、このばかげた、しかも幸福に心をゆさぶる音楽にさからうこともできないで引き寄せられて、暗い中を用心深く、手さぐりでいった。
ベランダには人影もないし、明りもついていなかった。しかし、てかてかの反射板のついた大きな石油ランプが二つ、明るく輝いていた。食堂に通ずるガラス戸は開け放たれていた。トーニオはぬき足さし足でその戸口へしのび寄った。この暗やみに立って明るいところで踊る人たちを誰にも気づかれずにのぞき見るという、泥棒じみた楽しみに、皮膚がむずむずするような気がした。トーニオは、自分の捜しているあのふたりの方へ、せかせかと、むさぼるように目を走らせた……
ダンスがはじまってからまだ三十分もたっていないのに、お祭り騒ぎはもう十分に高まっていた。何といっても一日中のんびりといっしょに楽しく過ごしたあと、もう夢中になり、はしゃいだ気分でこの場へやってきたのだもの。
トーニオ・クレーガーがもう少し身をのり出しさえすれば、ピアノの部屋まで見渡すことができたが、そこには数人の年配の紳土たちがたばこをふかしたり、酒を飲んだりしながらトランプをしていた。しかし、ほかの男たちは前景や食堂の壁ぎわのビロードの椅子に、奥さんとならんで腰かけてダンスを見物していた。男たちは広げた膝に両手をつっぱって金持らしいおももちで頬をふくらませていた。一方、母親たちは小さい婦人帽を頭にのせたま両手を胸の下に組み合わせ、首をかしげて若い人たちの大騒ぎを見まもっていた。食堂の壁の一方に舞台が設けてあって、そこで楽師たちがベストをつくして奏でていた。トランペットまで一本入って、まるで自分の声を怖れでもするように、おずおずと用心深く鳴っているが、それでもひっきりなしに音が割れたり、調子が狂ったりしていた……幾組もの男女がうねったりぐるぐるまわったりしながら入り乱れて動いている一方、他の幾組かは腕を組み合わせて食堂の中をいったりきたりしていた。だれもかれも、ダンスパーティーらしい身なりではなしに、夏の日曜日を外で過ごすときのようないでたちにすぎなかった。若者たちは、仕事のある日には着ないでしまっておいたことがわかるような都会的な仕立ての服を着ていた。また娘たちは、明るい軽やかな服に、胸衣のあたりに野花の束をつけていた。子どもも数人食堂にいて、その仲間だけで自己流に踊り、音楽の休んでいるときにさえ踊り続けていた。
燕尾服まがいの上着を着た、足の長い人、片めがねをかけ、髪にアイロンをあてた田舎《いなか》の名士か、郵便局の助役のような人、デンマークの小説に出てくるふざけた人物そのままのような男が、この集まりの世話役でもあり、舞踏会のリーダーでもあるようすだった。せかせかと、汗だらけになって、一生けんめいで、あっちにもこっちにも顔を出しては、忙しげに食堂中をねり歩いていた。まず爪先で器用に踏み出すと、なめらかで先のとがった軍人風のあみあげ靴をはいた両足を、ややこしいやり方で交差するように運び、両腕を宙にふりまわし、さしずをして音楽の方へ声をかけ、手をたたいた。こうしてとびまわるたびに、役目の印として肩にとめてある大きな五色の飾りリボンがひらひらとうしろへなびき、そのなびくリボンをときどきふりかえって懐しそうに見ていた。
そうなんだ。そこにいたんだ、今日の昼の光をあびて、トーニオ・クレーガーのそばを通りすぎていったあのふたりは。
またふたりを見かけた。ふたりをほとんど同時に見つけたとき、喜びのあまりぎょっとした。こっちには、トーニオのすぐそばのドアのすぐそこには、ハンス・ハンゼンが立っていた。足を開いて、ちょっと前こごみになって、大きなカステラを落ち着いて食べながら、くずがこぼれないようにてのひらをくぼませて、あごの下にあてがっていた。そして、向こうの壁ぎわには、インゲボルク・ホルム、あの金髪のインゲがすわっていた。
このとき、ちょうど、あの助役が彼女の方へくねくねと歩み寄ってきて、片手を背にまわし、もう一方の手を優美に胸に当てながら、ひどくていねいなおじぎをしてダンスを申しこんだ。が、インゲは首を振って、息切れがしているので少し休みたいという意味のことを知らせた。そこで、助役はインゲの横に腰かけた。
トーニオ・クレーガーは、ふたりを、昔自分が愛のために苦しんだ……ハンスとインゲボルクとを、じっと見つめた。ふたりがハンスとインゲボルクだというのは、一つ一つの特徴や服装が似ているためではなく、むしろ種族やタイプが同じだからだ。ほかでもない、あのあかるくて、鋼《はがね》のような色の目と、金髪のある種類としての同一さ、純潔と明朗と快活と、そして傲慢《ごうまん》で、同時に単純で、とりつくしまもないような冷ややかさを思わせる、あの種類としての同一さのためだったのだ……
トーニオはふたりを見つめていた。ハンス・ハンゼンが昔そのままの不敵な顔で、かっこうよく、肩巾が広く、腰は細くセーラー服で立っていた。インゲボルクは何かはしゃいで笑いながら首をかしげ、特に細くもないし特に美しくもない少女らしい手を一種独特なしぐさで頭のうしろへもっていった拍子に、軽い袖口がひじから肩の方へずれ落ちた。すると、突然郷愁が激しい苦しみとなって胸をゆさぶったので、顔のひきつるのを誰にも見せまいとして、思わず暗やみの中へあとずさりした。
ぼくは君たちを忘れただろうか? と、トーニオはたずねた。いや、決してない! ハンスくん、君のことだって、ブロンドのインゲさん、君のことだって! ぼくが仕事をしたのはまったく君たちのためだったのだ。喝采《かっさい》を受けるたびに、君たちがその中に入っていはしないかと、そっとあたりを見まわしたものさ。……君はいつか君の庭の木戸のそばで約束したように、もう「ドン・カルロス」を読んだかい、ハンス・ハンゼン? 読むのはやめたまえ。ぼくはもうきみにそんなことは望みはしないよ。ひとりぼっちだからといって泣くような王さまのことなんか、君に何のかかわりがあろう。君は、詩や憂うつを見つめて、その明るい目を曇らせたり、夢見るようにかすませたりしてはいけないんだ……ああ、君みたいになれたらなあ! もう一度はじめからやりなおし、君のように実直に、快活に、ごく素朴に、正規に順序正しく、神とも世間とも仲よく生長して、無邪気な幸福な人々から愛され、ねえインゲボルクさん、君を奥さんとして、それから、ねえ、ハンス・ハンゼンくん、君みたいな息子を持つことができたらなあ。……認識ののろい、創造の苦しみからとき放されて、とても楽しい平凡のうちに、生き、愛し、たたえることができたらなあ。……もう一度はじめからやるって? しかし、そんなことしたって何にもなるまい。また同じことになるだろう。……すべてのことはまたあったとおりになってしまうだろう。なぜといって、ある人々にとっては、もともと正しい道というものはないのだから、必然的に道に迷うのだもの。
このとき、音楽がやんだ。中やすみで、間食が渡された。助役は自分で|にしん《ヽヽヽ》サラダを盛った盆を持って、あちこちかけまわりながら、婦人たちへサービスした。ところが、インゲボルク・ホルムの前にくると、小皿を渡すときに片ひざを折りさえした。インゲボルクはうれしがって顔を赤らめた。
しかし、今はそれでも広間の中の人たちは、ガラス戸のところにいる見物人に気づきはじめ、美しいのぼせた顔をトーニオの方へ向けて、よそよそしい、さぐるようなまなざしで眺めた。けれども、トーニオはびくともしないで、そこに立っていた。インゲボルクとハンスも、ほとんど同時にトーニオをちらっと見た。それはほとんど人をばかにしたような、あの完全な無関心さであった。
ところが、トーニオは突然、どこからか一つの視線が迫ってきて、自分にじっと向けられているように感じた……首をまわすと、目はたちまち自分を見ていたらしいその目とぶつかった。トーニオがもう前から気付いていた、青白い、ほっそりした、きゃしゃな顔をした娘が、あまり遠くないところに立っていた。
娘はあまり踊らなかったし、若者たちも彼女にそれほどかまわなかった。娘が唇をきっと結んで壁ぎわにひとりぽつんと坐っているのを、トーニオは見ていた。今も娘はひとりぼっちで立っていた。ほかの娘たちのように淡い色のうす地のやわらかい服を着てはいるのだが、そのすきとおった布地の下には、ごつごつした肩の皮膚がちらちらのぞいていたし、みすぼらしい肩と肩の間にやせこけた首が深くはさまっているので、このおとなしい娘は何だか少しせむしではないかとさえ思われた。うすい半手袋をはめた手を、ぺしゃんこな胸の前にかすかに、両手の指先がふれ合うぐらいに上げていた。
娘はうつむいたまま、黒いうるんだ目で、トーニオ・クレーガーを上目づかいに見つめていた。トーニオは顔をそむけた……
このトーニオのすぐそばに、ハンスとインゲボルクが坐っていた。ハンスが、妹であるらしいその娘のところへきて、腰かけたのだ。そして、頬を赤くした他の連中にとりかこまれながら、ふたりは食べたり、飲んだり、しゃべったり、ふざけたり、響きのいい声でからかい合ったり、高笑いしたりしていた。あのふたりのそばへ、少し近づいてみることはできないだろうか? ハンスにでも、インゲボルクにでも、何かちょっとした思いつきの冗談でもいって、せめて微笑で答えてもらうというわけにはいかないものだろうか? そうできたらしあわせだろう。トーニオはそうしたくてたまらなかった。もしそうできたら、あのふたりとちょっとした結びつきを作れたという考えをもって、満足して自分の部屋へ戻っていけるだろう。
トーニオは、何かいえそうな文句をじっと考えた。が、それを口にする勇気がなかった。まったく昔とちっとも変わってはいなかった。あのふたりはトーニオのいうことを分ってはくれないだろう。トーニオが何かいったところで、トーニオがいえることをふたりはいぶかしいと思って聞くだろう。だって、ふたりのことばとトーニオのことばとは違うのだもの。
このときダンスがまたはじまりそうだった。助役があちこち活躍した。せかせかと歩きまわっては、みんなに次のダンスの約束をしておくようにとすすめ、ボーイに手つだわせて椅子やグラスを片づけ、バンドの人々に命令し、どこへいこうかとまごまごしている二、三人の肩をつかまえて押していった。
何をはじめようというのだろう。四組ずつの男女がグループを作った……すると、あるぞっとするような思い出が、トーニオ・クレーガーを赤面させた。カドリールを踊ろうというのだった。
音楽がはじまり、組んだ男女はおじぎをしながらたがいちがいに歩く。助役が号令をかけていた。ほんとうに、フランス語で号令をかけて、鼻音をたとえようもないほどうまく発音した。
インゲボルク・ホルムは、トーニオ・クレーガーのすぐ前のガラス戸のすぐ近くにいる組に入って踊っていた。トーニオの目の前で右へ、左へ、前へ、後ろへと、ステップをふみ、ターンをしながら動いていた。その髪からか、それとも服のやわらかな布地からか、ときどきある香りがトーニオをかすめた。すると、トーニオは目をつぶって、ある感じにひたった。それはトーニオが昔からよくなじんでいる感じだった。その香りと強い魅力は、この二、三日ずっとかすかに感じていたものだったが、それが今もう一度、甘ったるく、切なく胸にあふれた。
いったい、この感じは何だろう? あこがれ? 愛情か? ねたみか? 自分をあざける気持ちか?……Moulinet des dames!(婦人の旋舞だ)ぼくが旋舞を踊ってすごく恥をかいたとき、君はぼくのことを笑ったな、金髪のインゲよ、君はぼくをあざ笑ったな? そして、ぼくが何とか名の知れた人となった今でも、君はやっぱりぼくのことを笑うだろうか? そうだとも、君は笑うだろう。そうするのが当然だろう! たとえぼくがたったひとりで、あの「九つのシンフォニー」〔ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが作曲した第一から第九までのシンフォニー〕と、「意志と表象としての世界」〔アルトゥール・ショーペンハウァー(一七八八〜一八六〇)の主著〕と、「最後の審判」〔ミケフランジェロ(一四七五〜一五六四)がヴァティカンのシスティナ礼拝堂に描いた〕とをしあげたとしても、……君は永久に笑う権利をもっているだろう……
トーニオは、インゲをじっと見ているうちに、ふと、ある詩句が心にうかんだ。長いあいだ思い出さなかったものだが、とてもなつかしい、親しみのあるものだった。
「ぼくは眠りたい、でも、君は踊らざるをえない」
この詩が語っているゆううつで、北国的な、誠実で、不器用な感じの重々しさ、それはトーニオがよく知っているものだった。眠りたい……行為とか踊りとかへの義務をもたないで、甘く、ものうく、その中に安らっている感情……ただすっかりその感情だけに生きられるようになりたいというあこがれ……、それでもやっぱり踊らなければならないのだ。機敏に心を集中して、むずかしい上にもむずかしくて危険な芸術という白刃の踊りを踊らずにはいられない、恋をしているのに踊らなければならないという、屈辱的な矛盾を、一度でもすっかり忘れきることができないで……
急に、全部の人たちが狂ったようなかって気ままな動きをはじめた。組がばらばらになって、みんながとびはねたりすべったりしながら、四方へ散った。カドリールが、終わりにギャロップに変わったのだ。それぞれの組が音楽の激しい急テンポに合わせて、すり足で、すばやく、互いに追いこしながら、トーニオ・クレーガーのそばを短く息をはずませて笑いながら飛びすぎていった。
ある一組が一同のかけ足にまきこまれながら、ぐるぐるまわって嵐のように進んできた。娘は青白く、きゃしゃな顔で、やせて高すぎる肩だった。すると、突然トーニオの目の前で、この男女がつまずいて、すべってころんだ……青白い娘が倒れたのだ。見ていてはっとするほど女はひどく、激しくころんだ。同時に相手の男もころんだ。よほど痛かったと見えて、男は踊りの相手のことなどすっかり忘れてしまった。というのは、半分身を起こしただけで、しかめつらをしながら、両手でひざをさすりはじめたもの。
娘の方はころんだはずみにすっかり気を失ったのだろう。まだ床に横たわったままだった。そこでトーニオ・クレーガーは、進み出ると、そっと娘の腕をつかんで抱き起こした。ぐったりとし、とり乱し、情なさそうなようすで、娘はトーニオを見上げた。すると、急にそのほっそりとした顔がほんのりと赤くそまった。「Tak! O, mange Tak!(ありがとうございます。ほんとにありがとうございます)」と、娘はいって、黒くうるんだ目で、上目づかいにトーニオを見つめた。
「もうダンスはおやりにならない方がよろしいでしょう、お嬢さん」
と、トーニオはやさしくいった。それから、もう一度ふたりの方……ハンスとインゲボルクの方へ目をやってから、そこを立ち去り、ベランダとダンスパーティーをあとにして自分の部屋へ上った。
トーニオは自分の参加しなかったパーティーに酔い、ねたみのためにくたくたになっていた。昔のとおり、ほんとに昔のとおりだったのだ。顔をほてらせながら暗いところに立って、君たち、金髪の生き生きとした幸福な人々、君たちのために苦しみにひたって、それからさびしく立ち去ったのだ。今、だれかがここへきてくれてもいいはずなのだ! インゲボルクがきてくれてもいいはずなのだ! ぼくがいなくなったことに気がついて、そっとあとをつけ、戸に手をかけて、
「わたしたちのところへ入っていらっしゃいな。元気におなりなさいよ。わたしはあなた好きなのよ」
と、いわなきゃならないところだ。
しかし、インゲボルクは決してきはしなかった。そんなことは起こらないものさ。そうだ、ちょうどあの頃とそっくりだ。そしてぼくはあの頃と同じようなんだ。だって、ぼくの心は生きているもの。それにしても、ぼくが今のぼくになるまでの年月には、いったい何があったのだろう? 無感覚と、荒涼と、水、そして精神! それから芸術だ!……
服をぬいでベッドに横たわり、明りを消した。枕に向かって二つの名前をささやいた。それは、トーニオにとってもともとそうである根源的な恋と悩みと幸福との種類を、また人生を、そして素朴で誠実な感情を、故郷を意味する、あの清らかな北国的な幾つづりであった。
トーニオは、あの頃から今日までの年月をふり返ってみた。体験してきた官能と神経と思想との荒れた冒険を思いうかべた。イロニーと精神とにむしばまれ、認識に荒らされて無感覚になり、創造の熱と悪寒《おかん》とに半ばすりへらされ、神聖と情欲というはっきりした極端と極端の間を、よるべもなく、良心にせめられながらあちらこちらへ投げとばされ、冷めたい、わざと選んだ興奮の中で、過敏にされ、貧しくされ、へとへとにされたあげく、まどい、荒廃し、くたくたになり、病気になっている自分の姿を見た……そして、後悔と郷愁のあまりむせび泣いた。
あたりはひっそりとして、暗かった。しかし、階下からはかすかに、揺すって寝つかせようとでもするように、人生の甘い平凡な三拍子が響いてきた。
トーニオ・クレーガーは、北国にいて、友だちのリザヴェータ・イヴァーノヴナに、約束したとおり手紙を書いた。
はるか南のアルカディアにおいでのリザヴェータさん、ぼくももうすぐそこへ帰ります、と、トーニオは書いた……
ではこれが手紙みたいなものですが、たぶんこれはあなたをがっかりさせるでしょう。いくらか一般的な調子で書くつもりだからです。もっともお話しすることが何もないわけでもないし、ぼくなりにあれこれと見聞きしなかったわけでもないんですがね。
故郷で、ぼくの生まれた町で、ぼくは逮捕されそうにさえなったんです……しかし、そのことは会ってから話しましょう。この頃ぼくは物語を語るより、何か一般的なことをうまく言ってみたいと思う日がよくあるのです。
リザヴェータさん、いつかぼくのことを、あなたは、市民、横道にそれた市民だといいましたね、まだ覚えているでしょうね? そういわれたのは、ぼくがその前にうっかり口に出してしまった他の告白につられて、ぼくの人生とよんでいるものに対して愛を告白したときのことでした。そこでぼくはあなたの言葉がどんなによく真相をうがっていたか、どんなにひどくぼくの市民精神とぼくの「人生」への愛とが同一か、はたしてあなたがあのときそれをご存じだったかどうかと考えています。今度の旅行はそれについてじっと考えてみるチャンスを、ぼくに与えてくれましたよ……
ねえ、ぼくの父は北方的な気質でした。瞑想的で、徹底的で、清教主義のせいできちょうめんで、ふさぎこむ傾向がありましたね。母の方は漠然と異国的な血統で、美しく、官能的で、むじゃきで、投げやりでいて同時に情熱にあふれ、何とはなしに衝動的なだらしなさをもっていました。これはまったく疑いもなく異常な可能性と……また、異常な危険とを宿した混合でしたね。そして、そこから生まれ出たものは、これ、つまり芸術の中にまぎれこんだ市民、良家の子ども部屋への郷愁をもったボヘミヤン、やましい良心を抱く芸術家だったんです。というのも、ぼくの市民的な良心は、すべての芸術精神、すべての異常さ、すべての天才の中に、何かすごく怪しげなもの、すごくいかがわしいもの、すごく疑わしいものをぼくに認めさせます。単純なもの、誠実なもの、快くてふつうなもの、非天才的なもの、きちんとしたものにおぼれる愛で、ぼくの胸をいっぱいにするんです。
ぼくは、二つの世界の間に立っていて、そのどっちの世界にも安住してはいません。ですから、いくらか生きにくい思いをしています。あなたがた芸術家はぼくを市民とよぶし、市民はぼくを逮捕しようという気にさせられます……どっちがぼくをひどく傷つけるか、ぼくにはわかりませんがね。市民は愚かです。
しかし、ぼくのことを粘液質であこがれを知らない者だというあなたがた天の崇拝者に考えてほしいことがあるんです。それは、世の中にはふつうであることの喜びに対するあこがれほど、甘く味わいがいのあるあこがれはないと思っているくらいに、それほど深く、それほど生まれつきの、運命的な芸術精神というものがあるのだ、ということです。
ぼくは、偉大な魔神的な美の小道で冒険をやりながら、「人間」をばかにするあの誇り高い冷ややかな人たちには感心します……でも、こういう人々をうらやましいとは思いません。なぜかというと、もし文士を詩人にすることのできるものがあるとしたら、それは人間的なもの、生き生きとしたもの、平凡なものに対する、このぼくの市民愛なんですからね。いっさいのあたたかさ、いっさいの好意、いっさいのユーモアは、この愛から生まれるんです。そしてぼくには、この愛こそ、「たとえ人々の言葉やみ使いたちの言葉を語っても、もし愛がなければ、やかましい鐘やさわがしい鐃釟《にょうはち》とおなじである」〔新約聖書、コリント人への第一の手紙より、第十三章第一節参照〕と書かれている、あの愛と同じもののように思われるんです。
ぼくがこれまでにやったことは、無です。わずかです。無に等しいのです。リザヴェータさん、ぼくはこれからもっと良いものを作るでしょう。……これはまあ約束です。今こうして書いている間にも、海のざわめきが聞こえてきます。ぼくは、目をとじます。整えられ、形づくられたがっている、まだ生まれない幻のような世界に見入ります。ぼくは、人間の姿らしい影のうごめいているのを見ます。その姿はぼくに、魔を払いのけて救い出してくれと合図しているんです。悲劇的な姿も、こっけいな姿も、また同時にその両方とも思える姿もあるんです。……そしてぼくは、この両方を備えた姿がとても好きなんです。しかし、ぼくのもっとも深い、もっともひそかな愛は、金髪の青い目の人たち、明るくて生き生きとした人たち、幸福で愛嬌《あいきょう》のある平凡な人たちに寄せられているんです。
この愛をとがめないでください。リザヴェータさん。これは、良い、みのりの多い愛です。その中には、あこがれと、憂うつなねたみと、ほんの少しのけいべつと、それから、あふれるほどの清らかな幸福とが宿っているんです。(完)
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解説
人と文学
パウル・トーマス・マン Paul Thomas Man は一八七五年にリューベック市の穀物商トーマス・ヨーハン・ハインリヒの二男として生まれた。作家ハインリヒ・マンの弟である。
リューベックが栄えると同じにマン家は一七九四年以来、穀物商として繁栄をほこったが、一八九〇年トーマスが十五歳の時、父が死に、商会は廃業し、家族はミュンヘンに移った。
父は北ドイツ系らしい実直な人がらであったが、ブラジル生まれでスペイン系の、いかにも異国風な母のユーリア・ダ・ジルヴァ・ブルーンスは音楽と物語の才があり、マンに後まで大きい影響を与えた。
父の死によってトーマスは死について考えるようになった。これがトーマスを後にショーペンハウアーの形而上学に結びつけるきっかけとなった。
トーマスは残ってリューベックの実科高等学校に通っていたが、一八九三年にミュンヘンに移った。兄のハインリヒと同じように、トーマスも作家になる準備を既にリューベックで始めて、それをミュンヘンでも続けていた。
一八九三年ミュンヘンで一時火災保険会社の見習社員になった。一八九四年に処女作「転落」が発表され、デーメルに認められた。これに勇気づけられて文学に専心することになった。見習社員をやめてミュンヘンの工業大学の聴講生になった。「転落」はトーマスの高く評価したポール・ブールジェの「ディレッタンティズム」の影響によるものである。芸術家とその世の中に対する距離についてはトーマスはニーチェからも学んだ。このテーマは後に「トーニオ・クレーガー」にとりあつかわれた。
一八九六年から九八年まで兄とともにイタリアに滞在し、「ブッデンブローク家の人々」を書きながらトルストイを熟読した。トルストイは人生の享楽と禁欲の教の二律背反としてトーマスに方向を示した。
一八九八年に最初の小説集「小男フリーデマン氏」が出版されたが、これがトーマスを作家として立つことを容易にした。
一九〇〇年から一年志願兵として入隊した間も「ブッデンブローク家の人々。ある家族の没落」の執筆はずっと続けられた。ニーチェとショーペンハウアーとトルストイがこの小説の特徴を与えた。この作が一九〇一年に出版されるとトーマスは一人前の作家として認められた。
一九二九年にはこの作品によってノーベル文学賞が授けられたことでこの作品がいかに優秀であったかがわかる。当時トーマスはトルストイのような作品が書きたく、トルストイに小説構成技術の手本を発見した。トルストイの前にはゴンチャロフがその技術を心得ていることを知った。そこでゴンチャロフの小説も読みふけった。そしてその小説「オブモーロフ」を読むうちに「トーニオ・クレーガー」の企画が知らず知らずの間にできてきた。「トーニオ・クレーガー」は小説集「トリスタン」(一九〇三)に含まれている。
しかしまたトルストイによって、自伝を書く方法で芸術作品を書くことを学んだ。なおトルストイの創作の自伝的教育的要素との連関からメレジコフスキーも知るようになった。「肉」と「精神」との問題はずっと後に「魔の山」(一九二四)や「ヨゼフとその兄弟たち」(一九三三〜四三)を書く時に影響を与えた。
フィレンツェにいた時の思い出と、リューベックを経てオルストゴルトへいった時の思い出は「フィオレンツァ」(一九〇四)と「トーニオ・クレーガー」(一九〇三)となったが、いずれも精神的にはニーチェを読んだ結果である。「大公殿下」(一九〇九)はカーチャ・ブリングスハイムとの結婚(一九〇五)が素材になっている。
そのうちにトーマスはしだいにゲーテの著作ばかりでなく、その人となりと環境についても知識をえようとした。しかし普通書かれてないゲーテの生活の悲劇的側面にも興味をもった。これは「ヴェニスに死す」(一九一二)を書いたことに密接に関係があった。
トーマスは孤独な時代に、素材の探索をしながら「ブッデンブローク家の人々」を越える道をさがそうとしてゲーテに近づいたともいえる。
この頃トーマスはもう「ファウスト」について書く計画をいだいていた。トーマスがあとで描いた主題と形姿はもう一九〇〇年と一九一四年との間に根ざしている。いずれにしても「ブッデンブローク家の人々」と「トーニオ・クレーガー」と「ヴェニスに死す」には一つのつながりがある。
トーマスの最後の物語的小説「詐欺師フェーリクス・クルルの告白」は一九一〇年に、自分の発展を描いた小説「魔の山」は一九一三年に着手された。しかし「フェーリクス・クルル」は一九二二年に「魔の山」は一九二四年に刊行されたのだからどちらにも長い年月が経過している。
この辺でまた少しトーマスの生活に話をもどすと、トーマスが一九〇五年にミュンヘンの大学教授の娘カーチャ=ブリングスハイムと結婚したことにはもう触れたが、一九一四年にはミュンヘンのポシンガー街一に別荘風の家を建てて越したこともトーマスの生活には大きい変化であったといえよう。
この年八月に第一次世界大戦が起こった。トーマスはイギリスやフランスが「文明」のために戦うのにドイツは文化のために戦うのだと主張し、評論を書いたり演説をしたりしてそれらをあとでまとめて刊行した。「魔の山」の話を中途で切ったが、この作品には次のような事情がある。
一九二一年に、妻が肺を病んでスイスのダヴォスの療養所に入ったのをトーマスは見舞いにいき、自分も気管支カタルにかかり半年の療養をすすめられ、その時の観察が「魔の山」の材料に用いられたのである。そのために「フェーリクス・クルル」の執筆が一時中断された。しかし「魔の山」も戦争のため中止された。けれども十二年の長い年月をかけたことがこの小説の内容を豊富にし、りっぱな発展小説にした。一九二四年にこれが出版されるとたいへんな反響をまき起こしたのも当然といえよう。
ヒューマニズムに徹するトーマスは一九二二年にムッソリーニが政権をとった時にはすぐにファシズムに反対の意を表明した。しかしヨーロッパのファシズム化はその後だんだんと拡大してきた。
一九三〇年十一月にナチスが国会で驚異的な議席の増加を示した。この時トーマスは「ドイツのあいさつのことば、理性への警告」を講演したが、この講演はナチスによって妨害された。
そればかりか一九三三年一月にヒトラーが宰相になり政権を完全に掌握するまでにいたった。ワーグナーの死後五十年の記念講演に国外にいたトーマスは、ナチスの国へは帰ることができず、そのまま亡命生活に入った。ミュンヘンの家はナチスに接収されたのである。はじめサナリ・シュール・メール、次にチューリヒのそばのキュスナハトにいき、ここに家を見つけて五年住んだ。ドイツの国籍を失い、財産は没収されたので、チェコの国籍を得た。
一九三八年の春「デモクラシーの来るべき勝利」についてアメリカの諸都市を講演してまわった。この間にアメリカへの移住を決心した。
たえず変化するいやな周囲の事情がトーマスに「ヨゼフとその兄弟たち」をもうドイツで書きはじめるようにさせた。つまり一九二五年の終わりにもうこの計画ができ、翌年第一章が書かれた。一九三三年から四三年にかけて発刊されたこの四巻の小説はゲーテの「ファウスト」に比較される。ゲーテの自然と精神を包括する知性を尊敬するあまりに書かれたものである。
この作品は旧約聖書「創世記」のヨゼフ物語を拡大し深化しながら、「人類の詩」としてうたいあげたトーマスの最大傑作の一つである。その分量からいってもこの作品以上のものはない。
トーマスは一九三八年にアメリカに移住し、プリンストン大学の客員教授を三年間勤めた。そしてその間一九三九年には第二次世界大戦がはじまった。トーマスは一九四二年にカリフォルニアに住居を作り、ヨーロッパへ帰る一九五二年までここに住んだ。またトーマスはヨーロッパのファシズムに追われて続々と亡命した人々の救護活動の音頭《おんど》をとった。
トーマスは一九三九年に「ワイマルのロッテ」を刊行したが、この作品はゲーテを主人公として、その天才性を明らかにし、ヒトラーの独裁下のドイツとは別に、ゲーテ的なドイツのあることを示した作品で、トーマスが今や若い頃の導きの星であったショーペンハウアー、ニーチェ、ワーグナーをすっかりはなれてきたことをあらわしている。
トーマスが一九四七年に刊行した「ファウスト博士。一友人の物語るドイツの作曲家アードリアン・レヴァーキューンの生涯」は天才的な作曲家が悪魔と結託して没落する悲劇的な物語であるが、ナチズムという非合理主義がドイツに発生した原因や過程をほのめかすものを含んでいる。
「選ばれし人」はアメリカで書かれヨーロッパへ帰る少し前の一九五一年に出版された。「ファウスト博士」は人間性の喪失を描いたが、「選ばれし人」は人間性回復の物語である。
一九四四年の半ばにトーマスはアメリカの国籍を得た。しかしアメリカはついにトーマスの永住の地にはならなかった。トーマスは四度訪問したあとで、一九五二年に故郷に帰ることを決心した。はじめにチューリヒの近郊のエルレンバッハに家を借り、後にキルヒベルクに別荘を買った。そしてキルヒベルクで一九五五年八月十二日他界した。
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作品解説
マンの生まれ故郷リューベックの破風造りの、風の吹き通す、坂の多い小路が舞台である。トーニオ・クレーガーが父の破産で自分のものでなくなり、公共図書館として見知った人のいない家を見、デンマークの海岸の町アアルスガルトで旧友ハンス・ハンゼンと昔好きだったインゲボルクと偶然再会することがテーマになっている。マンの体験がゴンチャロフの「オブモーロフ」を読むことによって、この作品に結晶したものである。
北国人らしく落ちついた領事クレーガーと南国系の妻コンスエラとの息子トーニオは普通の少年とはちがっている。可愛らしく皆の寵児《ちょうじ》のハンス・ハンゼンは詩も書かず、美への繊細な感覚もなく、魂の苦痛も知らない。トーニオが自分のうちに希望の像を見て尊敬し、愛していることなどにもちっとも気づいていない。
トーニオはハンスに音楽や詩歌に対する興味を起こさせようとするが、ハンスがちっともそれに応じないので苦々しく感ずる。トーニオはブロンドのインゲボルク・ホルムにダンスの稽古で出会って好きになる。ところがインゲボルクはそれにまったく無関心で、かえって嘲笑さえされる。
トーニオの父は死に、母は再婚する。トーニオは故郷の市をすてて文学をもって身を立てようとする。南方へいってわがまま勝手な生活にふけり、また仕方なく文学の仕事をする。しかし、上品な趣味と洗練された形式のために三十代で有名な作家になる。
女流画家のリザヴェータにトーニオは、自分は人間的なものを描くだけで人間的なものには関与しないのだと告白する。人生は陳腐《ちんぷ》に見えるが、それでもそれに憶れを持っているともいう。トーニオはリザヴェータがいうように芸術家の中に迷いこんだ市民にすぎないのかも知れない。
トーニオはデンマークへ保養に出かける。その途中、本名をあかさないでかつてすてた故郷の市を訪れ、なつかしい思い出のものを見て歩く。公共図書館に変わった父の家を訪れ、味気ない思いをする。ホテルを出発する時あやうく犯罪者とまちがえられそうになる。
デンマークで海岸の小さな町アルスガルトへくる。見ず知らずの人の間で海を見て、とても幸福に感ずる。するとある日ハイキングの一行がやってくる。その中にハンス・ハンゼンとインゲボルク・ホルムもいる。夕方ダンスがあり大騒ぎが行なわれている時にトーニオはひそかにふたりを見、ふたりの声も聞く。ふたりは純粋と明白の化身とさえ見える。悔いと郷愁がトーニオをとらえたがこれを克服する。トーニオは市民と芸術家の間に分裂しない人物に生長していくであろう。
健全な規律正しい生活をし、勤勉で忍耐強く世を渡っていく市民に対して、物事の知識を求め、人生とは何ぞやを追求し、精神の座を主張するのが芸術家だと思われていた。トーニオはこの対立のために悩んでいた。しかし市民が都市に住み、政治的な階級の意味を持つようになった以前は、市民と芸術家はしっかり手をにぎっていた。市民は自分の芸術をりっぱに開花させていた。市民は精神と生との対立に悩み、精神と芸術を混合し、自分は芸術の世界に迷いこんだ市民と名のっていたのである。これは世紀の変わりの頃の市民社会の現実であった。しかしこの二つの対立解決の方向はもう「トーニオ・クレーガー」の終わりに見えている。クレーガーは市民にして芸術家という力強い一歩をふみ出さざるをえない。こうしてブールジェやニーチェは克服されていく。「トーニオ・クレーガー」がいつまでも読まれるのは、芸術と生活、芸術家と人間などの問題があらゆる角度からくまなくとりあつかわれているところにあるからであろう。
トーマス・マンの作品には自伝的要素が多い。「ブッデンブローク家の人々」「トーニオ・クレーガー」「ヴェニスに死す」がその代表的なものである。
「トーニオ・クレーガー」についてその自伝的なものの現われを観察してみよう。舞台になるのがリューベックであり、人物として現われるのはことに自分の両親である。いつでも野の花をボタン穴にさして、きちんとした身なりをし、誠実そのもののリューベック人としての父の面影が現われている。つぎに南国生まれのラテン系の母が描かれている。母の音楽はしろうとばなれしていて、市立劇場の楽長がマンの家へ合奏しにきたほどであった。こうして北ドイツ的な要素と南国的な要素から本当にトーニオの特性が形作られるのである。
父が領事をしていたことも、家が殺物商として長い歴史をもっていたことも実際と同じである。しかも父の死とともに家が没落することも事実である。
マンがリューベックのカタリネウムという実科高校の生徒としての経験のあることは少年トーニオに反映している。マンは十五歳の時にベートケ先生にシラーの叙事詩を習ったが、この先生をマンはあとまで尊敬している。この先生が当時シラーの「ドン・カルロス」についても教え、この作品の中の自由への情熱と要求に注意を向けさせたことがわかっている。トーニオがハンス・ハンゼンに急に「ドン・カルロス」の話をし、この本を読むようにすすめているのも、マンがいいかげんに頭にうかんだフィクションでないことがわかる。なおベートケ先生が「ドン・カルロス」に現われた自由という道徳を問題としたことは後のマンにあとまで残った印象である。マンがヒューマニストとして、ドイツ文化の擁護者として、あれほどファシズムやナチズムに反対したのも遠くさかのぼればこんなところに原因があったといえよう。
マンはもうリューベックで兄のハインリヒと同じように作家になる準備をはじめる。人形芝居の上演を試みたあとで、トーマスは「アイシャ」とか「牧師たち」のような劇の試みをするが、そのあとの方は明らかに「ドン・カルロス」の模倣であるといわれている。
トーマスは高等学校とブルジョア的俗人的環境へ嫌悪をいだいたが、これは美的情緒的な性質のものである。この間の事情は「トーニオ・クレーガー」にも現われている。これがしかしトーマスがリューベックを非常に嫌わせる原因でもある。
ミュンヘンに移ってからもトーマスは文学の修業にいそしむが、その時まずトーマスに大きい影響を与えるのはフランスの作家で批評家ポール・ブールジェである。デーメルにほめられた「転落」も実はブールジェの考え方を頭において書いたものにほかならない。ブールジェによれば芸術家は追放感と自己放棄によってあらゆるものに役立つか、それともまた何にも役に立たない「ディレッタント」の一つのタイプである。芸術家は音楽をやったり、詩作したり、描いたりできるが、これはすべては道化であり、|だぼら《ヽヽヽ》にすぎなく、一種の道化役の才能にすぎない。こうしてブールジェは芸術の非道徳性を説いている。
一方トーマスがイタリアで一八九六年の十月五日から読みはじめたニーチェにも芸術家の世の中に対する距離についてのテーマがとりあつかわれている。そこでトーマスには市民精神の尊敬すべき伝統と美的享楽という人間の生活態度の対立の問題が注目をひきはじめる。このいわば迷った市民の根を失った状態を考えるとトーマスは本当の仕事をするしっかりと土に根をおろした市民を芸術家と比較せざるをえなくなる。
こうした芸術家の素質はもう少年のトーニオに現われていて、それがハンスに対立せられている。しかしトーニオにはまだ、その問題意識がはっきりとは現われてこない。しかし家が没落していよいよ作家となろうとするときのトーニオにはそれが切実な問題として迫ってくる。画家として同じ芸術家であるリザヴェータを訪問した時のトーニオの態度はまじめそのものである。本当にまじめに毎日の勤めにはげむ市民と、いわばディレッタントとして知的享楽主義者として市民生活をながめている芸術家のにえきらない態度がふたりの話題になる。そして自分も迷った市民であるかも知れないと感じて旅に出る。
トーマスは一八九九年の秋リューベックを経てエルスンドのほとりのオルスコルトで休暇をすごすが、その際にゴンチャロフの「オブモーロフ」を読み、「トーニオ・クレーガー」を着想したといわれる。トーマスはデンマークの海のほとりの小さい町を舞台にして少年時代の友であるハンス・ハンゼンといわば初恋の相手であるインゲボルク・ホルムを再会させる。しかもそこには少年の頃自分がインゲボルクに夢中になって大失敗をした時のダンスまで行なわれて、少年時代の思い出がまざまざとよみがえるようになっている。小説をただ筋をたどって読む人には、ほとんど同じ場面をまた出して同様な情況が描かれるのを見てがっかりするであろう。しかし少年のトーニオと芸術と人生の問題をまじめに考え、没落したわが家を再び訪れ、犯人とさえ疑われるようなきわどい体験をしたトーニオの間には長足の進歩がある。
今のトーニオには市民として足も地につき、しかも芸術家としてちゃんとした、ふらふらしない澄んだ目をもっている。いわばこれまでの体験を通して真の意味の芸術家が誕生しているのである。このようなトーニオの発展を、余計な枝葉をすて、不必要な小道具も省略し、いわばまっしぐらにたどって、読者に印象深い作品にしあげたのがこの「トーニオ・クレーガー」である。前にものべたようにこの作品は多くの要素を自伝からとっているが、それはルポルタージュのようなものには終わらなくて明らかに昇華をとげて、何ものにもびくともしない本当の芸術家マンの開眼という明らかな事実として結晶しているのである。
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年譜
一八七五 六月六日リューベック市で、殺物商トーマス・ヨーハン・ハインリヒ・マンの二男として生まれる。父はオランダの領事で、後に都市国家リューベックの政府委員。
一八九二(十七歳) 父(一八四〇年生まれ)が死ぬ。ヨーハン・ズィークムント・マン商会が廃業する。
一八九三(十八歳) 詩や戯曲の試作をし、「春の嵐。芸術、文学、哲学雑誌」の共同出版者になる。リューベックの高等学校を中退。ミュンヘンに移る。
一八九四(十九歳) 火災保険会社の無給見習社員になる。処女作小説「転落」を書き、発表してリヒャルト・デーメルに認められる。
一八九五(二十歳)〜一八九六(二十一歳) ミュンヘンの工業大学に学ぶ。ハインリヒ・マンの出している「二十世紀。ドイツの芸術と福祉のための草紙」に寄稿。
一八九六(二十一歳)〜一八九八(二十三歳) ローマとパレストリアに滞在。一八九七年に「ブッデンブローク家の人々」に着手。
一八九八(二十三歳)〜一八九九(二十四歳) 漫画雑誌「ジンプリチスムス」の編集。一八九八年最初の小説集「小男フリーデマン氏」を刊行。
一九〇〇(二十五歳) 一年志願兵として入隊。
一九〇一(二十六歳) 除隊。「ブッデンブローク家の人々。ある家族の没落」二巻を刊行。これで有名になる。
一九〇三(二十八歳)「トーニオ・クレーガー」をはじめ六つの小説を集めた「トリスタン」を出版。
一九〇四(二十九歳) 戯曲「フィオレンツァ」が完成。
一九〇五(三十歳) ミュンヘン大学教授アルフレート・プリングスハイムの娘カタリーナと結婚。娘エーリカ出生。
一九〇六(三十一歳)「フィオレンツァ」を発表。息子のクラウスが生まれる。
一九〇九(三十四歳)小説「大公殿下」を発表。別荘バート・テルツへ行く。息子ゴーロが生まれる。
一九一〇(三十五歳)「詐欺師フェーリクス・クルルの告白」に着手。娘モーニカが生まれる。妹カルラ(一八八一年生まれ)が自殺。
一九一一(二十六歳) 五月頃ヴュニスに滞在し、「ヴェニスに死す」の構想をいだき、着手。
一九一二(三十七歳)「ヴェニスに死す」を発表。
一九一三(三十八歳)「魔の山」に着手。
一九一四(三十九歳) ミュンヘンのポシンガー街一に家を建てて移る。八月に第一次世界大戦が始まる。
一九一五(四十歳) 論文「フリードリヒ大王と大同盟」発表。
一九一八(四十三歳) 論文集「非政治的人間の考察」出版。娘エリーザベトが生まれる。
一九一九(四十四歳) 小説「主人と犬」、韻文「おさな児の歌」を発表。息子ミヒャエル出生。
一九一二(四十七歳)「詐欺師フェーリクス・クルルの告白、幼年時代」出版。「ドイツ共和国について」講演。ファシズムに対抗する。イタリアでムッソリーニ政権をとる。
一九二三(四十八歳) 母ユーリアナ(旧姓ズィルヴァ・ブルーンス、一八五一年生まれ)死ぬ。スペインへ旅行。
一九二四(四十九歳) 小説「魔の山」を刊行。
一九二五(五十歳) 誕生五十年記念「全集」全十巻刊行。
一九二六(五十一歳) 小説「無秩序と幼い悩み」刊行。「ヨゼフとその兄弟たち」に着手。プロイセン芸術院の文芸部の会員になる。
一九二七(五十二歳) レール家にかたづいていた妹ユーリア(一八七七年生まれ)が自殺する。
一九二九(五十四歳) 小説「マーリオと魔術師」を執筆。「ブッデンブローク家の人々」でノーベル文学賞受賞。
一九三〇(五十五歳)「マーリオと魔術飾」、「ドイツのあいさつのことば、理性への警告」刊行。ニッデンの別荘へいく。エジプトとパレスチナを旅行。
一九二二(五十七歳) ゲーテ生誕百年祭にあたり記念講演を行なう。ナチス第一党になる。
一九二二(五十八歳) ヒトラー、ドイツ宰相になる。小説「ヨゼフとその兄弟たち」の第一部「ヤコブ物語」刊行。国外旅行中ナチスにミュンへンの家を接収される。亡命。はじめサナリ・シュール・メール、次にチューリヒのそばのキュスナハトへ行き一九三八年までいる。ドイツの国籍を奪われる。
一九三四(五十九歳)「ヨゼフとその兄弟たち」の第二部「若いヨゼフ」刊行。第一回目のアメリカ旅行。ヒトラー元首となる。
一九三五(六十歳)「ヨーロッパに告ぐ」を発表。
一九三六(六十一歳)「ヨゼフとその兄弟たち」の第三部「エジプトのヨゼフ」刊行。ドイツ国内の財産と国籍を奪われる。チェコの国籍を取る。
一九三八(六十三歳) アメリカに移住。プリンストン大学の客員教授となり、プリンストンに住む。ナチスによるオーストリアの合邦が行なわれる。
一九二九(六十四歳) 第二次世界大戦が始まる。小説「ワイマルのロッテ」刊行。
一九四〇(六十五歳) カリフォルニアに移る。「すげかえられた首……インドの伝説」を刊行。
一九四一(六十六歳) カリフォルニアのパシフィック・パリセーズに自分の家を建てる。この家に一九四二年から一九五二年まで住む。
一九四二(六十七歳) リューベックは空襲で壊滅。「ドイツの聴取者よ! 二十五のドイツへのラジオ放送」を発表。ワシントンの図書館会議のドイツ文学のコンサルタントになる。
一九四三(六十八歳)「ヨゼフとその兄弟たち」の第四部「養う人ヨゼフ」を完成して四部作が完結する。「ファウスト博士」に着手。
一九四四(六十九歳) アメリカの市民権を得る。
一九四五(七十歳)「ドイツとドイツ人。ドイツの聴取者よ! ドイツへの五十五の放送」を講演。ナチスドイツが崩壊し、第二次世界大戦が終わる。
一九四七(七十二歳)「ファウスト博士」を刊行。戦後最初のヨーロッパ旅行。
一九四九(七十四歳)「ファウスト博士の成立」出版。ゲーテ生誕二百年の記念講演をする。弟ヴィクトール(一八九〇年生まれ)が死ぬ。息子クラウスが自殺する。戦後はじめてのドイツへの旅行。
一九五〇(七十五歳) シカゴおよびソルボンヌ大学で「わたくしの時代」を講演。兄ハインリヒ(一八七一年生まれ)が死ぬ。
一九五一(七十六歳) 小説「選ばれし人」を出版。
一九五二(七十七歳) ヨーロッパへ帰る。スイスに定住の許可をもらう。チューリヒ近郊のエルンバッハに住む。それ以来毎年のようにドイツを訪問する。
一九五三(七十八歳) 小説「欺かれた女」と評論集「古さと新しさ」を刊行。
一九五四(七十九歳) 小説「詐欺師フェーリクス・クルルの告白、回想録の第一部」を刊行。最後の家をチューリヒ近郊のキルヒベルクに獲得する。
一九五五(八十歳)「シラー試論」というシラー死後百五十年祭の記念講演をする。リューベック市名誉市民となる。八月十二日、心臓症のため、チューリヒの病院で死ぬ。同月十六日キルヒベルクの教会の墓地に葬られる。
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訳者あとがき
トルストイは小説を書く前に、ほとんどかならず、モーパッサンの「女の一生」を読んだ。川端康成も小説を書く前に鴎外の「雁」を読むことにしているとのべているのを読んだことがある。小説家はこれらの小説を読むことによって、自分の人生や人物やその他の事物を見る目をきめるある。
小説を書くのは新聞の三面記事やルポルタージュを書くのとはわけがちがう。いわば作家がその描く対象と白刃でわたりあって、少々大げさにいえば命を取るか取られるかの対決をする一つの行為である。作者の世界観や人生観は千差万別であるが、いよいよ真剣勝負をする直前、自分の好む世界観なり人生観をもつ作家から、その人の勝負のこつについて何かのヒントを得ることは、作家にとってどんなに役に立つことであろう。
わたしはどこかで北杜夫が、「トーニオ・クレーガー」がいちばん好きな作品であると書いているのを読んだことがある。その時、北杜夫がどの作品を書く時にも「トーニオ・クレーガー」を読むと書いてはなかった。北杜夫はこの作が好きで、自分の読めるドイツ語がどんな訳になっているかに興味があるいうところがあるような気がした。しかし北杜夫にも「ブッデンブローク家の人々」を連想させるような「楡家の人々」の著さえあるほどだから「トーニオ・クレーガー」への興味が作家の視点の問題と関係があるかも知れない。
わたしは「トーニオ・クレーガー」を読みながら作家志望の人々にはこの作品は短いながらいい勉強になるのではないかと思った。市民と作家との問題がこれほど深く立ち入ってのべられた作品も少ないからである。しかし作家になるかどうかは問題外としても、われわれが市民を、広く世の中を見る目もこの作品によってずっと鋭くなるだろうという気がした。
〔訳者紹介〕
植田敏郎(うえだとしろう)ドイツ文学者。一橋大学社会学部教授。一九〇八年広島県に生まれる。東京帝国大学独文科卒業。ドイツ・オーストリア留学、ドクトル・フィロソフィー(ウィーン大学)。日本ペンクラブ、日本独文学会、児童文学会各会員。著書「巷のドイツ語」「涙なしのドイツ語」「ドイツ語・ビール・ドイツ語」など。訳書「グリム童話集」「アルプスの山の少女」「アルト・ハイデルベルク」ベル著「ムルケ博士沈黙集」他多数。