トーマス・マン短編集2
トーマス・マン/佐藤晃一訳
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目 次
予言者の家で
悩みのひととき
詐欺師クルルの告白
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予言者の家で
この世のなかには奇妙な場所がある、奇妙な頭脳がある、つまり、精神の住む奇妙な領域があって、高いところにみすぼらしくかまえている。大都会も場末になって、街灯はまばらになるし、憲兵は二人連れて歩いているというところへ出たら、そのあたりの家の階段を、それ以上は昇れないというところまで昇っていかなければならない。行きどまりになったところには、若い青白い天才たち、夢の犯罪者たちが腕を組んだまま、じっともの思いにふけっている、天井の斜めになった屋根裏部屋がある。孤独で、憤激して、精神をすりへらしている芸術家たちが、飢えながらも誇らかに、|濛々《もうもう》たる煙草のけむりのなかで、究極の荒涼たる理想と取っ組んでいる、安物に深い意味をもたせて飾りたてたアトリエがある。ここにあるのは、終局と、氷と、純粋と、虚無とである。ここでは、どのような契約も、妥協も、寛容も、尺度も、価値も通用しない。ここの空気はいかにも稀薄で清浄なものだから、人生の毒気がもはや栄えないのである。この場を支配しているものは、反抗と、極度の徹底と、絶望しながら王位についている自我と、自由と、狂気と、死とである……
受難日の晩八時のことであった。ダーニエルに招かれていた客のうちの数人が、同じ時刻にやってきた。彼らは四つ折判の招待状をもらっていたのだが、それには、抜身の剣を爪につかんで空を飛んでいる|鷲《わし》が猫いてあって、受難日の晩に催されるダーニエルの宣言書朗読の集会に出てもらいたいという勧誘が、独特な筆蹟で書いてあった。そこで彼らは、いま、定刻に、わびしくて薄暗い郊外の町の、平凡な借家のまえで落ち合ったわけである。この借家のなかに予言者ダーニエルの仮寓があるのであった。
客のなかには二、三知り合った人々がいて、挨拶をかわした。ポーランド人の画家、彼と同棲しているひょろ長い少女、背が高くて黒いひげをはやしているユダヤ系の抒情詩人、肥満して、青白くて、垂れさがったような衣裳をまとっているその妻、勇ましそうに見えるのと同時に病身らしくも見える人物である交霊信者の退職騎兵大尉、カンガルウのような風采の若い哲学者などである。ただ、短編小説の作家、というのは、山高帽をかぶって手入れのよい口ひげをたくわえている紳士だが、彼には知人がいなかった。彼は別の世界からやってきて、偶然この集まりにまぎれこんだだけのことなのである。彼は人生にたいして確実な関係を持っていて、その著書が市民階級に読まれていた。彼は、どこまでも謙遜にかまえて、感謝の意を示し、だいたいのところ、仲間入りを許された者というような態度をとることにきめていたのである。他の人々のあとから、すこし距離をおいて、彼は家のなかへはいっていった。
彼らは鋳鉄の手すりにつかまって階段を一つ一つ昇っていった。いずれも黙っていたが、言葉の価値というものを心得ていて、らちもないことは口にしないしきたりの人々だったのである。階段は幾度か曲がりになっていたが、曲がり角には、窓縁に小さな石油ランプが置いてあった。そのほの暗い光で、通りすがりに、住居のドアにかかげてある名前を読むことができる。彼らは、保険局員とか、産婆とか、高等洗濯婦とか、「代理人」とか、魚の目治療者などの住居や仕事場のそばを通って、静かに、軽蔑するのではないがよそよそしい気持で、昇っていった。狭苦しい階段を、薄暗い竪坑でも昇るようなぐあいに、確信をもって、立ちどまりもしないで、昇っていったのである。上のほうから、それ以上は昇れないというところから、ほのかな光がさしまねいているからであった。行きどまりの高みから、ちらちらとふるえる淡い光が彼らをさしまねいているからであった。
とうとう彼らは目ざす屋根裏に着いて、六本の蝋燭の光のなかに立った。蝋燭は、色のさめた小さな祭壇掛けをかけて、階段を昇りつめたところに置いた小さな机の上の、別々の燭台に立って燃えているのである。そこのドアはすでに天井裏の物置の入口とでもいったおもむきを出していて、表札にした灰色の厚紙がとめてあったが、それには、黒いチョークを使ってローマ字体に書いた「ダーニエル」という名が読まれた。彼らは呼鈴を嗚らした……
頭の鉢のひらいた、愛想のいい目つきの少年が、新調の青い服にぴかぴか光る長靴といういでたちで、彼らのためにドアをあけてくれた、そして、手に蝋燭を持っていて、彼らの足もとを照らしながら、小さな暗い廊下をはすかいに横ぎって、壁紙の張ってない屋根裏部屋めいた部屋へ案内する。そこには、木製の外套掛けのほかには何一つなかった。口はきかずに、|吃《ども》るような喉音のともなう身振りで促しながら、少年はみんなにオーヴァーをぬぐようにとすすめる、そして、小説家がみんなと同じ関心にかられて何か問いかけてみると、この子供は|唖《おし》だということがはっきりとわかった。子供は蝋燭の明りを見せながら、廊下を引き返し、客の人々をもう一つの戸口ヘ案内して、なかへはいらせる。小説家は一番あとからついていった。彼はフロックコートを着て手袋をはめていたが、教会のなかにいるときのような態度をとることにしようと決心していたのである。
彼らがはいっていった中位な大きさの部屋には、二十本か二十五本ほど燃えている蝋燭の、おごそかな感じでゆらめきちらつく明るさがみなぎっていた。簡素な服に白い折襟とカフスとをつけた若い娘、ダーニエルの妹で、純潔な愚かな顔つきをしたマリーア・ヨゼーファーが、戸口のすぐそばに立っていて、みんなに手を差しのべた。小説家は彼女を知っていた。ある文学的な茶会で出会ったことがあって、そのとき、彼女は茶碗を手にして端然と腰をかけたまま、澄んだ、真実味のこもった声で、自分の兄のことを話したのであった。彼女はダーニエルを崇拝しているのである。
小説家は目でダーニエルを探した……
「兄はここにはおりません」とマリーア・ヨゼーファーが言った。「留守でございまして、居場所は存じません。けれども、兄は心のなかではわたくしたちといっしょにいて、ここで宣言書が朗読されますあいだ、一句一句聞いておりますことと存じます」
「朗読はどなたがなさるのですか」と、小説家は低い声でうやうやしく尋ねた。真面目に尋ねたのである。彼は善意を持った謙遜な心の人間で、この世のあらゆる現象に深い畏敬の念をよせていたが、ものを学ぶことにしよう、そして、尊重すべきことは尊重することにしよう、という心がまえができていたのである。
「兄の弟子がいたします」とマリーア・ヨゼーファーが答えた、「その人はスイスから来ることになっております。まだ見えておりませんが、適当な時刻に着いてくれるものと存じます」
戸口の差し向かいに、|勢《いきお》いのよい線で描いた大きなチョーク画が、蝋燭の明りのなかに浮かんで見える。テープルの上にのせて、上端を斜めにさがった天井にもたせかけてあるのだが、ナポレオンが野暮たらしい横柄な態度で、筒長靴をはいた両足を煖炉であたためているところを描いたものであった。入口の右側に、祭壇ふうの棚が吊ってある。その上には、銀の枝形燭台にともった蝋燭のあいだに、彩色した聖者像が一つあって、目を天に向けたまま両手をひろげている。そのまえに祈祷台があった。近よってみると、聖者の片方の足にまっすぐ立てかけてある小さな素人写真が目につく。写真の主は、額がひどく高くて、青白く抜けあがった三十歳ばかりの青年だが、ひげがなくて、骨ばった、肉食鳥のような顔には集中した知性がみなぎっている。
小説家はこのダーニエルの肖像のまえにしばらくたたずんでいたが、それから思いきって、用心しながら部屋の奥のほうへ進んでいった。大きな円テーブルがあって、黄色い艶の出たその|上面《おもて》には、招待状で見たのと同じ剣をつかんだ鷲が、月桂冠にかこまれて焼きつけてある。この円テーブルのうしろに、低い木の床几のあいだから、いかめしくて、幅の狭い、急坂のようなゴシック式の椅子が一つ、玉座か何かのようにそびえ立っていた。安物の布をかけた、簡単な細工の長いベンチが、壁と天井とで形づくられた広いくぼみのまえに長々と置いてあって、そのくぼみには低い窓がつけてある。その窓が開けはなしになっているのは、たぶん、ずんぐりした形の陶瓦製の煖炉が熱しすぎているためであろう。窓越しに青い夜の一片をながめることができる。ながめやると、薄黄いろに燃える点また点になって、雑然とちらばっているガス灯が、次第に間隔をひろげていっては、はるかな夜の底にまぎれこんで、消えてしまう。
この窓の反対側は部屋が狭くなって、くぼみ間とでもいうような場所ができていた。そこは、この屋根裏部屋の他の部分よりも明るい照明になっていて、半ばは私室、半ばは礼拝所に使うものらしい。奥のほうには、薄い地の淡色の布をかけた寝椅子があった。右手には、カーテンをかけた本棚が見えた。その一番上の段に、枝形燭台に立てた蝋燭と古代風な形の石油ランプとがともっている。左手には、白布でおおったテーブルが設けてあって、その上に、キリストの磔刑像と、七本枝の燭台と、赤ぶどう酒を満たした杯と、皿に一つのせた乾ぶどう入りの菓子とが置いてあった。ところで、このくぼみ間の前面には、鉄の吊り燭台の下に、金色に塗った石膏柱が一本、平たい壇の上にそびえ立っていて、柱頭には真っ赤な絹の祭壇掛けがかけてある。その上に、何か書いた二つ折判の紙を重ねたもの、つまり、ダーニエルの宣言書がのせてあった。アンピール式の小さな花輪模様を印刷した明るい色の壁紙が、壁と天井の傾斜した部分とをおおっている。デス・マスクや、念珠や、一本の大きな錆びた剣などが、四壁にかかっている。それから、あの大きなナポレオンの肖像画のほかに、いろいろな描き方をしたルター、ニーチェ、モルトケ、アレクサンダー六世、ロベスピエール、サヴォナローラなどの肖像が、部屋のあちこちにかかげてあった……
「これはみんな兄の経験済みのものでございます」と言いながら、マリーア・ヨゼーファーは、室内の配置の効果を、小説家の、ていちょうにかまえて気心の知れなくなった顔から探り出そうとした。しかし、そのあいだに新しい客が数人、静かな厳粛な様子でやってきていたので、一同はもったいぶった態度でベンチや椅子に腰をかけはじめた。いま席についているのは、最初に来た人々のほかに、老人らしい童顔をした気まぐれな図案家と、いつも「女流恋愛詩人」として紹介してもらう|跛《びっこ》の婦人と、家族から追放された貴族出の女だが、精神的要求というものを何一つ持たずに、ただもう母になっているという理由だけでこの仲間に入れてもらった、正式の結婚をしていない若い母と、中年の閨秀作家と、せむしの音楽家とで、――全部で十二人ほどになる。小説家は、あの窓のあるくぼみへひっこんでいた。そして、マリーア・ヨゼーファーは戸口のすぐそばの椅子に腰をかけて、両手を膝の上にならべている。そうやって、みんなは、適当な時刻に着くはずの、スイスから来る弟子を待っていたのである。
そこへ、突然、もう一人、道楽でこういう催しに出るくせのある金持の婦人がやってきた。彼女は専用の絹張りの箱馬車に乗って、市内から、コブラン織とか淡黄の大理石を|枠《わく》にしたドアとかいうもののある華美な邸宅から出かけてきて、ここの階段を全部昇りつめると、戸口からはいってきて、黄いろい刺繍をあしらった青い服をまとい、赤褐の髪にパリ仕立ての帽子をいただいた、美しい、匂うような、きらびやかな姿をあらわし、ティツィアン好みの目でほほえんだ。彼女は、好奇心や、退屈や、自分と反対のものをおもしろがる気持や、いささか異常だというものなら何にたいしても持つ好意や、愛すべき常規はずれなどに駆られてやってきたのである。そして、ダーニエルの妹と、自分の家に出入りしている小説家とに挨拶してから、あの窓のついたくぼみのまえのベンチに腰をおろして、女流恋愛詩人とカンガルウのような風采をした哲学者とのあいだにはさまったが、それが順当だとでもいうような様子であった。
「もうすこしで遅れるところでしたわ」と、彼女は、うしろにすわっている小説家に、よく動くきれいな口でささやいた。「お茶のお客をしていましてね、それが長びきましたの……」
小説家はすっかり感動して、自分が見苦しくない服装で出ていたことをありがたがった。じつに美しいひとだなあ! あの娘の母として恥ずかしからぬひとだ、と彼は思った……
「で、ソーニャさんは?」と、彼は相手の肩越しに尋ねた。「ソーニャさんはつれておいでにならなかったのですね?」
ソーニャというのはこの金持の婦人の娘なのだが、小説家の目にうつるところでは、信じられないほどみごとに創造された人間、多方面な完成の奇蹟、文化の理想の達成ともいうべきものであった。彼女の名を二度も口に出したのは、それを発音することが彼には言うに言えない快楽になるからである。
「ソーニャは加減がよくないんです」と金持の婦人が言った。「そうなんですよ、足をいためましてね。いえ、たいしたことじゃございません、おできをこしらえて、すこしばかり|爛《ただ》れたとか|膿《う》んだとかいうくらいのことですの。切開しましたのよ。そんな必要はなかったのかもしれませんけど、自分でそうしたいと言うものですからね」
「ご自分でそうしたいとおっしゃったのですね!」と、小説家は感激をこめたささやき声で、相手の言葉をくり返した。「ソーニャさんらしいと思いますね。しかし、いったい、どうしたらお見舞いの気持をお伝えできるものでしょうか?」
「そうですね、わたくしからよろしくとお伝えしましょう」と金持の婦人は言った。すると、彼が黙っているので、「それだけでは足りませんかしら?」
「ええ、足りませんね」と、彼は非常に低い声で言った。彼女は彼の著書を高く買っていたので、ほほえみながら答えた、
「それじゃ、何か小さな花でもお送りなさいまし」
「ありがとう!」と彼は言った。「ありがとう! そうすることにいたします!」そう言いながら彼は、心のなかではこう考えていた、「何か小さな花でもって? いや、花束だ! 大きな花束にするんだ! あすは朝食まえに辻馬車で花屋へ行くぞ――!」――そして彼は、自分が人生にたいして確実な関係を持っていることを感じた。
そのとき、部屋の外にあわただしい物音が聞こえて、ドアが開いたかと思うと、すぐまたぱたんとしまった。そして、客の人々のまえに、蝋燭の光を浴びながら、黒っぽい色の背広を着た、ずんぐりとしてたくましい青年があらわれた。スイスから来た弟子である。彼は、脅かすような目つきで、ざっと部屋のなかを見まわしてから、猛烈な足どりで、くぼみ間のまえの石膏柱のところまで進んでいったが、その柱のうしろへまわって、まるでそこに根をおろすつもりとでもいうような力をこめながら、平たい壇の上に陣取り、原稿の一番上の一枚をつかんで、いきなり読みはじめた。
彼は二十八歳くらいで、|猪首《いくび》の醜い顔である。刈りこんだ髪が、たださえ狭苦しい皺のよった額へ、鋭角になって、妙なぐあいにぐっとせせり出ている。ひげのない、無愛想で、ぶざまな顔には、ブルドッグのような鼻と、とび出た頬骨と、くぼんだ頬と、まるくふくらんで突き出た唇とがついていて、その唇は、いかにも大儀そうに、しぶしぶと、いわば活気のない怒りに駆られながら、言葉をつくりだすように見える。この顔は粗野なくせに青白い。読む声は荒々しくて、やかましすぎるのだが、しかも奥底ではふるえて、よろめいて、息切れのために|勢《いきお》いをそがれるのである。原稿を持った手は大きくて赤らんでいるが、そのくせ小刻みにふるえている。この男は残忍と虚弱との不気味な混ぜ合わせの具体化であったが、また、彼の読んでいるものが、奇妙にもそれと調子を合わせるのであった。
それは説教であり、比喩であり、命題であり、法則であり、幻覚であり、予言であり、日令式の告諭であった。そして、そういうものが、詩篇や黙示録の調子に軍隊的兵学的な、また、哲学的批評的な術語のまざり合った文体で、乱雑な見きわめもつかぬつながりになったまま、どこまでも続いてゆく。恐ろしいまでに憤激した熱狂的な自我が、孤独な誇大妄想に駆られて伸びあがり、無法な言葉の千言万語をつらねて世界を威嚇するのである。至上皇帝キリストというのがこの自我の名で、彼は、地球を征服するために、決死隊をつのり、使命を布告する。峻厳な条件を出して、貧困と童貞とを要求する。そして、とめどもない|擾乱《じょうらん》のなかで、一種の不自然な快感にふけりながら、幾度となく、絶対服従という厳命をくり返すのである。仏陀も、アレクサンダーも、ナポレオンも、イエスも、彼に屈従する前駆者と呼ばれて、宗教的皇帝たる彼の靴の紐をとくにも値しない者どもということになる……
弟子は、一時間読みつづけたあとで、ふるえながら赤ぶどう酒の杯から一口飲んだ、そして、宣言書の続きのほうへ手を伸ばす。その狭苦しい額に汗の玉が浮き出て、まるくふくらんだ唇がわなわなとふるえている。それに彼は、言葉の合い間に、たえず、ふっ、ふっと短い音を立てながら、疲れきった吠え立てるような調子で、鼻から息をもらす。孤独な自我が、歌って、荒れ狂って、号令する。こんがらかった形象のなかにまぎれこんだり、非論理の渦に巻かれて沈んだりするかと思うと、突然また、まったく意外なところにものすごい姿で浮かびあがる。神を冒涜する言葉と賛美する言葉――香煙と血けむりとがまざり合う。砲声のとどろきわたる戦闘をかさねて、世界は征服され、救済される……
ダーニエルの宣言書が聴衆に及ぼした効果を確かめるのは、容易なことではなかったろう。二、三人は、頭をずっとのけぞらせたまま、どんよりとした目で天井を見あげていたし、他の数人は、膝の上に低くうつ伏して、顔を両手にうずめていた。女流恋愛詩人の目は、「童貞」という言葉が鳴りひびくたびに、妙なぐあいにかすんだし、カンガルウのような風采をした哲学者は、ときどき、長い曲がった人さし指で、何やらはっきりしないことを宙に言きつけるのであった。小説家はかなりまえから背中が痛んできて、それに適した姿勢を取るために無駄骨を折っていた。十時になったとき、彼のまえにハム・サンドイッチのまぼろしが現われたが、彼は毅然としてそのまぼろしを追いはらったのである。
十時半ごろ、一同の目には、弟子が最後の二つ折判の原稿紙を、赤いふるえる右手に持っているのが見えた。彼は終わりまで読み通したのである。「兵士らよ!」と、彼はもうその力の極限のところにきて、雷のような声を出しそこねながら、「予は|この世界を《ヽヽヽヽヽ》――汝らの掠奪にゆだねる!」と結んだ。それから彼は壇をおりて、脅かすような目つきで一同をにらみつけて、来たときと同じ猛烈な足どりで戸口から出ていった。
聴衆は、もう一分間ほど、最後に取っていた姿勢のまま、じっと身動きもしないでいた。それから、一同そろって同じ決心をしたとでもいうように、立ちあがったが、いずれも小声で挨拶をしながらマリーア・ヨゼーファーの手を握ったあとは、すぐに部屋の外へ出るのであった。マリーア・ヨゼーファーは、白い折襟をつけた姿で、静かに清らかに、ふたたび戸口のすぐそばに立っていたのである。
あの|唖《おし》の少年が戸の外に控えていた。彼は、客の人々の足もとを照らしながら、オーヴァーを置かせた部屋まで案内して、オーヴァーを着せかけてやった、そして、一番高いところから、つまり、ダーニエルの王国から、ゆらめき動く蝋燭の光が落ちてくる狭苦しい階段を、客の人々の先に立って、玄関口までおりていって、その戸を開けた。客の人々は順々に、わびしい郊外の通りへ歩み出る。
金持の婦人の箱馬車は、この家のまえにとまっていた。左右に明るい角燈のかがやく御者台で、御者が鞭の柄をつかんだ手を、帽子のところまで挙げるのが見えた。小説家は金持の婦人を馬車の扉のところまで送っていった。
「どんなお気持ですか?」と彼はたずねた。
「こんなことに自分の考えを言うのは好きじゃありません」と彼女は答えた。「たぶん、あの人はほんとうに天才か、でなくても、それに近いものなんでしょう……」
「ですが、いったい、天才とはなんでしょうか?」と、彼は考えこむような調子で言った。「このダーニエルには予定の条件が全部そろっています、つまり、孤独、自由、精神的な情熱、雄大な見通し、自己にたいする信仰、それから、犯罪や狂気に近いものまであります。何か足りないものがあるでしょうか? たぶん、人間味が足りないのでしょうか? 感情とか、あこがれとか、愛とかがすこし足りないのでしょうか? しかし、これはまったく即席の仮説ですがね……
ソーニャによろしくおっしゃってください」彼は、金持の婦人が箱馬車座席から別れしなに手をさしのべたとき、そう言った。そして、そう言いながら、自分が「ソーニャさん」とも「お嬢さん」とも言わないで、単に「ソーニャ」とだけ言ったことを、相手がどう受けとるだろうかと、緊張して彼女の顔色をうかがったのである。
彼女は彼の著書を高く買っていたので、ほほえみながらその言い方を許した。
「よろしくお伝えしますわ」
「ありがとう!」と言った彼は、希望に酔って、どぎまぎした。「これからひとつ狼よろしくの夕食にかかります!」
彼は人生にたいして確実な関係を持っていたのである。
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悩みのひととき
彼は書きもの机から、小さなぐらつく書きもの台から立ちあがった。絶望した人のように立ちあがって、うなだれたまま、部屋の反対の隅にある煖炉のほうへ歩いていった。煖炉は円柱のようにひょろ長い。彼は両手を煖炉のタイルに当ててみたが、タイルはほとんど冷えきっていた。真夜中ももうとっくに過ぎていたからである。そこで、ささやかな恩恵を求めながら、それにあずかりそこねた彼は、タイルに背をもたせて、咳をしながら、胸の折り返しから洗いざらしのレースのひだ飾りが垂れ出ている化粧着の裾を引き合わせた、そして、大儀そうに鼻息を強めながら、すこし呼吸を楽にしようとした。例によって彼は鼻風邪をひいていたのである。
それは何か特別な、気味の悪い鼻風邪で、直りきるということがほとんどなかった。そのために彼の眼瞼は赤くなっていたし、鼻孔の縁はすっかりすりむけていた。そして、頭のなかにも、からだのあちこちにも、この鼻風邪が重苦しい酔いのようによどんでいた。それとも、こんなにだるくて重苦しいのは、またぞろ医者の言いつけで何週間も前からしている不快な部屋ごもりのせいなのだろうか? こんなふうにしているのが、いいことかどうか、わかったものではない。このカタルが慢性で、胸や腹に|痙攣《けいれん》が起こるのだから、部屋にこもっている必要があるのかもしれない、それに、イェーナには悪い天気が続いている、何週間も前から、何週間も前から続いている、たしかにそのとおりだ、神経という神経にこたえる、みじめな、憎らしい天気が、あらくれて、暗く、冷えびえと続いているのだ、そして、十二月の風が煖炉の煙筒のなかで吹きすさんでいるが、神にも人にも見はなされたようなその音は、嵐のなかの夜の荒野のさまよいや、魂の救いようもない悲しみを思わせる。それにしても、これはよくない、こうして狭い部屋にとじこめられているのはよくない、思想のためにも、思想の出どころである血のリズムのためにもよくないのだ……
貧弱で、殺風景で、不便な六角形の部屋は、白く塗った天井の下に煙草のけむりがただよい、斜めにした市松模様の壁紙には卵形の枠をつけた影絵が幾枚かかかり、脚の細い家具が四つか五つ置いてあったが、書きもの台の上の原稿の頭のところで燃えている二本の蝋燭の光に照らされていた。窓の上枠には赤いカーテンがかかっている。カーテンとはいうものの、それは小さな旗にすぎない。左右を同じ形にからげたキャラコにすぎない。しかし、それは赤い。暖かな、ほがらかな感じの赤い色である、そして、彼はこのカーテンが好きだった。けっして手ばなすまいと思っていた。このカーテンが、彼の部屋の精神的な禁欲的なみすぼらしさに、いくらかでも|奢《おご》りと官能の楽しみとの|風情《ふぜい》を添えてくれるからである……
彼は煖炉にもたれて立ったまま、せかせかと、痛ましいほど真剣なまばたきをしながら、自分の作品のほうを眺めやった。重荷であり、圧迫であり、良心の|呵責《かしゃく》であり、飲みほすべき海である作品、彼の誇りであると同時に不幸であり、彼の天国であると同時に地獄でもあるこの恐ろしい任務から、彼は逃げだしてきていたのである。それは遅々としてはかどらなかった、進まなかった、立ちどまってしまった――またしても、またしてもだ! 天気のせいなのだ、このカタルと疲れとのせいなのだ。それとも作品のせいだろうか? 仕事そのもののせいだろうか? 絶望にささげられた不幸な受胎であるこの仕事そのものの?
その仕事からすこし距離を取ってみるつもりで、彼は立ちあがったのであった。原稿から空間的に離れると、その結果として大局を見通せるようになる、つまり、素材を一段と広く見わたせるようになって、あれこれ手を加えうるようになることがよくあるからである。それどころか、奮闘の場から離れてみると、気軽な感じになって、それが霊感を与えてくれるような場合もある。そして、そういう霊感は、リキュールとか黒い濃いコーヒーとかを飲む場合よりも害のない霊感である…… 小さな茶碗が小卓の上にある。一杯飲んだら、この障害が乗り越えられはすまいか? いや、いや、もうよそう! あの医者ばかりではなくて、もう一人の、もっとりっぱな医者も、そんなことはするなと慎重にとめてくれたのだ。もう一人とはあのヴァイマルにいる男、わたしがあこがれをまじえた敵意で愛している男である。あの男は賢明だ。あれは生活することも創造することも心得ている。自分を虐待しない。自分にたいしてじゅうぶんな思いやりがある……
家のなかはしんと静まりかえっていた。聞こえるものは、シュロッス小路を吹きおろしてくる風の音と、窓にぱらぱら吹きつけられる雨の音とばかりである。みんなは眠っていた。家主も、彼の家族、ロッテも子供たちも眠っていた。そして彼だけがひとり眠らずに、冷えきった煖炉にもたれて、悩ましげにまばたきをしながら、自分の作品のほうをながめやっていたのだが、容易なことでは満足しない病的なほどの気性から、彼はその作品に自信が持てずにいるのである…… 彼の白い首は襟飾りから長く突き出ていて、化粧着の裾のはだけたあいだからは、内側へ曲がった両脚が見えていた。赤い髪は、高くひいでたやさしい額からうしろへなであげられて、こめかみの上に青白い筋の浮かんだ|禿《は》げあがりを残し、薄い巻き毛になって両耳をおおっていた。大きなわし鼻の頭は急にとがって、うす白くなっているが、その鼻のつけ根のところで、髪よりも濃くて太い眉が左右から近く寄り合っている、そのために、くぼんでただれた目のまなざしが、いくらか悲劇的にものをみつめているようなおもむきを帯びていた。口で呼吸をしなければならないので、彼は薄い唇を開けていた、そして、部屋の空気にしかふれないために生色をなくした、そばかすのある頬はたるんで、落ちくぼんでいた……
だめだ、これは失敗だ、いっさいが徒労なのだ! 軍隊! 軍隊こそはぜひとも舞台に示されなければならなかったのに! 軍隊がいっさいの基礎なのだ! それを観客の目の前に持ってくるわけにはいかないとなると――それを無理にも想像させるような驚くべき技巧というようなものが考えられるだろうか? それにこの主人公は英雄になってはいない。卑しい冷たい人間だ! 構想が間違っている、言葉もまやかしだ、これは無味乾燥で生気のない歴史の講義みたいなものだ、長ったらしくて、熱がなくて、とても舞台には乗らない!
よし、これはもう終わりだ。敗北だ。やりそこないだ。破産だ。ありのままケルナーに書いてやろう、わたしを信じて、子供じみた信頼を寄せながらわたしの天才に愛着しているあの善良なケルナーに。|嘲《あざけ》るだろう、嘆願するだろう、がなりたてるだろう――あの友人は。多くの懐疑と苦労と変化とから生まれ出て、最後には、あらゆる苦悩のあげくには、非常にすぐれたものとして、光栄ある業績として認められたあのカルロスのことを思えと言うだろう。しかし、あれは事情が違っていた。あのころのわたしはまだ、何かあるものを器用につかんで、そのものから勝利を作り出すことのできる男だったのだ。|躊躇《ちゅうちょ》や闘争は? もちろん、それはあった。それに病気でもあった、おそらく今より以上に病気だったかもしれない。窮乏つづきの逃亡者で、世間とは相いれず、意気消沈して、人間としての生活では乞食同然に貧しかったのだ。しかし若かった、まだほんとうに若かった! どれほど低くおし曲げられても、わたしの精神はその都度しなやかにはね起きた、そして、悲嘆の幾時間かが過ぎされば、信念と内的勝利との幾時間かが来たものである。そういう時間がいまはもう来なくなった、ほとんどもう来なくなった。燃えあがるような気分の一夜、いつもこれほどの恵みを受けていられるなら、どのようなものが創造されることかと、これからの創造が、突然、天才的な情熱の光のなかに見てとれるような一夜、そういう一夜にたいしては、いまは暗黒と麻痺との一週間を支払わなければならない。わたしは疲れている、やっと三十七歳なのに、もうおしまいなのだ。あの信念、困窮のときに導きの星になってくれた、あの未来にたいする信念はもはや生きていない。そしてそのとおりなのだ、これが絶望的な真相なのだ、つまり、わたしが苦悩と試煉との年月だと思っていたあの|艱難《かんなん》と無名との年月、あの年月こそじつは豊かな、多産な年月だったのだ、そして、わずかばかりの幸福をさずかったいま、精神の冒険をやめていくらかかたぎになり、普通の市民生活と関係をつけ、職務を帯びて栄誉をにない、妻子のある身になったいま、わたしは消耗して疲れきっているのだ。不発と失望――残っているのはそれだけなのだ。
彼は呻いて、両手を目に押し当てたまま、追いたてられるように部屋のなかを歩きまわった。いましがた考えたことがあまりにも恐ろしいので、その考えの湧いてきた場所にとどまってはおれなかったのである。壁ぎわの椅子に腰をおろして、組み合わせた両手を膝のあいだにたらしたまま、彼はしょんぼりと床板をみつめた。
良心…… なんと|声高《こわだか》に自分の良心は叫んでいることだろう! 自分は罪をおかしてきたのだ、この年月のあいだずっと自分自身にたいして、自分の肉体という傷つきやすい器具にたいして罪をおかしてきたのだ。青年の血気にまかせたかずかずの不節制、眠らずに過ごした幾夜、煙草のけむりの立ちこめる部屋の空気を吸って過ごした幾日、精神だけを張りつめて肉体をかえりみず、仕事に向かう刺激に使ったかずかずの興奮剤――その報いが来たのだ、いまその報いが来たのだ!
そしてもしその報いが来たというのなら、自分は、まず罪をおかさせておいて、それから罰をくだす神々にたいして反抗しようと思う。自分はそういう生き方をしなければならないような生き方をしてきたのだ、賢明に生きる暇も、慎重に生きる暇もなかったのだ。ここに、胸のこの個所に、呼吸するたび、咳をするたび、|欠伸《あくび》をするたびに、いつも同じ場所に感ずるこの|疼痛《とうつう》、このささやかな、悪魔的な、刺すような、つらぬくような警告、五年前にエルフルトでカタル性の熱病に、あの高熱の胸部疾患にかかってからこのかた、ついぞ沈黙することのないこの警告――これはいったい何を言おうとするのだろうか? じつは、自分はこの警告の意味を知りすぎるほどよく知っている、――医者がどんなふりをするにしても。自分には、わが身を賢明にいたわって、おだやかな道徳に従いながら生活を立ててゆくという暇がない。しようと思うことは、自分はすぐさましなければならない、きょうのうちにも、急いで…… 道徳? しかし自分には、罪のほうこそ、健康をそこねて肉体を消耗させるようなことへの献身こそ、いっさいの賢明さや冷静な規律よりも道徳的に思えるのだが、それは結局どうしてなのだろう? 賢明さや規律、良心をやましくしないための軽蔑すべき手くだなどが道徳的なのではなくて、闘争と|艱難《かんなん》、情熱と苦痛とこそが道徳的なのだ!
苦痛…… この言葉がどんなに彼の胸を広やかにしたことであろう! 彼はからだを起こして腕を組み合わせた、そして、寄り合っている赤味がかった眉の下で、彼のまなざしは美しい嘆きをたたえながら輝いてきた。自分はまだみじめではない、自分のみじめさに誇りかな気高い名をつけることができるかぎり、まだみじめ一方にはなりきっていないのだ。ただひとつ必要なのは、自分の生活に偉大な美しい名を与えるだけの勇気である! 苦悩を、室内の濁った空気や秘結のせいにしないことだ! いつも感激することができるほど――肉体的なことにとらわれずに見たり感じたりできるほど、健全であることだ! その他の点ではすべてに知的であるとしても、この点でだけは素朴であることだ! 信ずることだ、苦痛を信じうることだ…… しかし彼はもちろん苦痛を信じていたのである、苦痛のうちに生ずるものは、この信念によって無益なものにも悪いものにもなりえない、と思うほど深く、心から信じていたのである。彼のまなざしはさっと原稿のほうへ向けられた、そして、彼の腕はいっそうかたく胸の上に組み合わされた…… 才能そのもの――それが苦痛ではないのか? そこにある|あれ《ヽヽ》が、あのいまいましい作品がわたしを悩ませるのなら、それはそれで筋が通っていて、ほとんどもうよい徴候なのではあるまいか? わたしにおいてはまだ一度も言葉が口をついてあふれ出たことはない、もしそういうことになったら、そのときこそはじめてわたしは自信を失いはじめるだろう。未熟な半可通の連中、才能の圧制と規律とのもとに生きていない、そこそこに満足してしまう無知な連中にだけ、言葉が口をついてあふれ出てくるのだ。それというのも、才能とは、そこの下の平土間にずらりと並んでおいでの紳士淑女の皆さまがたよ、才能とは軽やかなものではない、ふざけるというようなものではない、そのままで一つの能力と言えるようなものではない。根本においては|才能《ヽヽ》は欲求である、理想についての批判的な知識である、苦悩によってはじめて能力を作り出し高めてゆく容易に満足しない気持である。そしてもっとも偉人な人々、もっとも満足しない人々にとって、自己の才能はもっとも鋭い|笞《むち》なのである…… 泣きごとを言うな! 自慢をするな! 自分の担っている運命を、謙遜に、忍耐強く考えることだ! 一週間のうちの一日も、一時間も、苦悩から解放されることがないとしても――それがどうした? 重荷や成果、要求や労苦や辛酸を重く見ないこと、|小さく《ヽヽヽ》見ること、――それこそ人間を偉大にするのだ!
彼は立ちあがって、嗅ぎ煙草入れをひきよせると、むさぼるように嗅いだ、それから急に両手を背にまわして、蝋燭の炎が風でやらめくほどの猛烈ないきおいで部屋じゅうを歩きまわった…… 偉大! 非凡! 世界征服と不朽の名声! この目標にくらべるなら、永遠に名を知られない人々の幸福など、すべてなんの価値があるだろう? 名を知られること――地上の諸国民に名を知られて愛されること! この夢の甘さ、この衝動の快さを何も知らぬ諸君よ、利己主義とでもなんとでも言うがいい! 非凡な者はすべて、悩んでいるかぎりは利己的なのだ。非凡な者は言う、この地上でわれわれよりもはるかに楽に生きているきみたち、使命を持たぬ人々よ、きみたちはきみたちのことに気をつけるがいい! そして名誉心は言う、苦悩がむだだったというのだろうか? 苦悩はわたしを偉大にしなければならないのだ!……
彼の大きな鼻の両翼は張り切り、彼のまなざしはにらむようにけわしくなって部屋のなかを見まわした。彼の右手はぐいと深く化粧着の折り返しのなかにさしこまれて、左手は|拳《こぶし》をにぎり固めたまま下にたれていた。彼の痩せた頬にさっと赤味がさしていたが、それは彼の胸の底に消しがたく燃えつづけているあの自我への情熱、彼の芸術家的エゴイズムの赤熱から燃えあがってきた炎なのである。彼はこれを、この愛のひそかな陶酔をよく知っていた。ときどき彼は、自分の手をながめさえすると、自分自身にたいする感激的な愛情に満たされて、才能と芸術という形の武器として授かっているいっさいのものをあげてこの愛情に仕えさせようと決心するのである。自分はそうしてもいいのだ、そうすることに何もさもしいところはないのだ。この利己心よりもさらに深いところには、やはり何かある高いものに仕えて、もちろん利得などは考えずに、やむにやまれぬ気持で、無私無欲に自分を消耗させ犠牲にしているという意識が生動しているからである。そして、自分の競争心に言わせてもらうなら、この高いもののために自分よりも深く悩んだことのない者は、何者であろうと自分よりも偉大になってはならないのだ。
何者であろうと!…… 彼は立ちどまった、片手で目をおおって、上半身を半ば横に向けたまま、避けるような、逃げるような姿勢である。しかし、彼はすでにあの避けがたい考えに心が刺されるのを感じた、あの男、もう一人の男、あの明るい、豊かな官能に恵まれた、感覚的な、神々のように無意識的な男、あのヴァイマルにいる|男《ヽ》、彼があこがれのこもった敵意で愛している男のことを考えたのである…… そして彼はまたぞろ、いつものように、深い不安のうちに、あわただしく熱心に、この考えに続く働きが心のなかではじまるのを感じた、彼自身の本質と芸術精神とを相手の男のそれにたいして主張し限定しようという働きである…… いったいあの男のほうが偉大なのだろうか? どの点で? なぜ? あの男が勝つとき、それは血の出るような「それにもかかわらず」なのだろうか? 負けるとき、それが悲劇になることがあるだろうか? たぶん、神ではあるかもしれないが、――あの男は英雄ではない。しかし英雄であるよりは神であるほうが楽なのだ!――そのほうが楽なのだ…… あの男のほうが楽にやっているのだ! 賢明に手ぎわよく認識と創造とを分けることができるからこそ、あの男はほがらかに、苦悩もなく、わき出るように多産になれるのだろう。しかし、創造が神わざなら、認識は英雄の事業である、そして、認識しながら創造する者は、神であると同時に英雄であって、両者を兼ねているのだ!
困難なものへの意志…… 一つの文章なり、一つの厳密な思想なりがわたしにどれだけの訓練と克己とを要求するか、それをおぼろげにでもわかる者がいるだろうか? それというのも、結局のところわたしはもの知らずで訓練が足りず、鈍感な、うっとりとした夢想家だからである。ユーリウスの手紙を一つ書くほうが、もっとも効果的な場面を作りあげるよりもむずかしい、――だから、それだけの理由でもう手紙を書くことのほうがより高いことなのではあるまいか? ――素材、材料、心情吐露の可能性、それを求める内的創造力の最初の、律動的な衝動から――思想、形象、言葉、文章にいたるまで、それはなんという力闘であろう! なんという苦難の道であろう! わたしの作品はあこがれが生んだ奇蹟なのだ、形式、形態、限定、具体へのあこがれ、直接に神のような口で明るい事物の名を呼ぶあのもう一人の男の明るく澄んだ世界へはいってゆきたいというあこがれが生んだ奇蹟なのだ。
それにもかかわらず、そしてあの男に張り合って、わたしはこう言う、わたしと、このわたし自身と同じような芸術家が、詩人が、どこにいるだろうか? だれがわたしのように、無から、自分の胸から創造しているだろうか? 詩は、現象の世界から比喩の衣裳を借りるよりもずっと前に、音楽として、存在の純粋な原像として、わたしの魂のなかに生まれているのではないか? 歴史、哲学、情熱などというものは、それらのものとあまり関係のないもの、オルフォイス的な深みのなかに故郷を持っているあるものを発現させるための手段、口実以上のものではない。言葉、概念は、わたしの芸術精神が隠れた絃楽を鳴り響かせるために叩く鍵盤にすぎない……人々はこのことを知っているだろうか? 彼ら、善良な人々は、あれこれの鍵盤を叩くわたしの信念の力のために、わたしを非常にほめそやす。そしてわたしの気に入りの言葉、わたしの究極の熱情、わたしが魂の最高の祭典へ人々を呼ぶために嗚らすあの大きな鐘、あの鐘は多くの人々を誘い寄せる…… 自由…… わたしは、たしかに、この自由という言葉を、歓呼する人々とは多少ともずれた意味に取っている。自由――それはどういうことだ? まさか王侯の玉座にたいしていささか平民の品位を保つなどということではあるまい? 一つの精神がこの言葉にあえてどんなにさまざまな意味を盛ろうとするか、それを諸君は夢にでも考えることができるだろうか? 何から自由になるというのだ? 結局のところ何から? おそらくは幸福からさえも、人間の幸福から、この絹のきずなから、このやわらかなやさしい義務からさえも……
幸福から…… 彼の唇はひくひくと動いた、彼のまなざしは心のなかへ向けられたように見えた、そして彼はそろそろと顔を両手にうずめた…… 彼は隣室にはいっていた。つりランプから青味がかった光が流れ、花模様のカーテンが動かぬ|襞《ひだ》を作って窓をおおっている。彼はベッドのそばに立って、枕をした愛らしい顔の上に身をかがめた…… 黒い巻き毛がひとすじ輪になって、真珠の青白さに輝く頬を横ぎっている、そして、子供のような唇はまどろみながらに開いている…… わたしの妻! 恋人! おまえはわたしのあこがれについてきて、わたしの幸福になるためにわたしのそばへ来てくれたのか? おまえはわたしの幸福なのだ、安心するがいい! そして眠るがいい! いまはこの愛らしい、深い影を作るまつげを開いてはいけない、ときどきするような、大きな暗い目つきになって、何かこうわたしに尋ねるように、わたしを求めるようなふうに、わたしの顔をじっとみつめてはいけない! 神かけて、神かけて、わかしはおまえを非常に愛しているのだ! ただ、ときどきわたしは自分の感情を見いだすことができなくなる、それはわたしが苦悩のために、また、わたしの自我がわたしに負わせるあの任務との闘いのために、しばしば非常に疲れるからなのだ。それに、わたしはおまえのものになりすぎてはならないのだ、けっしておまえのなかで幸福になりきってはならないのだ、わたしの使命になっていることのために……
彼は妻に接吻して、そのまどろみの好ましい暖かさに別れ、あたりを見まわして、仕事部屋へ戻った。時を告げる鐘の音が、もう非常な夜ふけになっていることを彼に注意した、しかしそれは同時に、悩みのひとときが終わったことをやさしく告げ知らせてくれるようにも思われた。彼は深く息をついた、その唇はきっと結ばれた、彼は仕事に向かってペンを握った…… くよくよ思いわずらわぬことだ! わたしはあまりにも深刻なのだから、くよくよ思いわずらっているわけにはいかない! 混沌のなかへおりていってはならぬ、すくなくともそこにとどまっていてはならぬ! むしろ、充満にほかならぬ混沌のなかから、形式を獲得するだけの力を持って熟しているものを、光明の世界へ引きあげることだ。くよくよ思いわずらわずに、仕事をしろ! 限定し、除外して、形づくり、仕上げることだ……
こうしてこの苦悩から生まれた作品は仕上げられた。それは、良い仕上げにはならなかったかもしれないが、しかし仕上げられたのである。そして仕上げられたとき、見よ、それは良い仕上げにもなっていた。そして彼の魂から、音楽と理念とから、かずかずの新しい作品が、響き輝く形象が、闘いを通じて生まれ出てきた、それらの形象は、海から拾いあげられた貝殻が海のざわめきを伝えるように、不思議にも、神聖な形式のなかに無限の故郷を予感させるものであった。
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詐欺師クルルの告白
第一部
第一章
わたくしは隠遁生活のあり余る暇にまかせて筆を|執《と》るのだが――とにかく健康だ。疲れてはいる。非常に疲れている(そこで、ほんのわずかずつ、たびたび休息しながら、書き進めてゆけるだけだと思う)。そういう次第で、わたくしに独特な綺麗な人好きのする書体で、真偽選ばず書かせてくれる辛抱強い紙にわたくしの告白をゆだねようとするわけだが、普通教育を|卒《お》えただけのわたくしが果たしてこの精神的な仕事をこなせるだけになっているかどうかという疑念が、チラと心に忍びこんでくる。しかし、語るべきことはすべてわたくし個人の最も直接な体験、|誤謬《ごびゅう》、情熱から成るもので、従ってわたくしは素材を完全に支配しているのだから、この疑念は、たかだかわたくしが気の利いた上品な言葉を駆使し得るかどうかにかかってくるわけだが、こういう事柄を決定するのは、正規に完成した学問よりも、生まれつきの才能や幼いときによい|躾《しつけ》を受けたかどうかということのほうだとわたくしは思う。幼時の躾という点でなら、わたくしに欠けるところはなかった。わたくしは、ふしだらではあったが上流の市民の家庭の出だからである。数か月間、姉のオリムピアとわたくしとは、スイスのウェーヴェ生まれの女の家庭教師に面倒をみてもらったが、このひとは、わたくしの母と女の意地にかけて張り合う関係――それも、わたくしの父をなかに|挟《はさ》んで――になったので、もちろん退却しなければならなかった。わたくしの名親シムメルプレースターは、わたくしとはごくうちとけた仲であったが、大いにもてはやされた芸術家で、その小都会では皆から「教授」と呼ばれていたけれども、この望ましい立派な称号が当局から彼に与えられたことなどおそらくなかったと思う。そして、わたくしの父は、肥満してこそいたが、その身に優雅なところを多分に|具《そな》えていて、いつも、選り抜きの|明晰《めいせき》な言葉づかいを尊重した。彼はその祖母からフランスの血を引いていて、みずからも勉学時代をフランスで暮らしたのであったが、その断言するところによると、パリには自分のチョッキのポケットも同然に通じているとのことであった。彼は好んで――それも巧みな発音で――「|そうだ《セ・サ》」とか「|素晴らしい《エパタン》」とか「|申し分ない《パルフェトマン》」とかいう言い廻しを話のなかに織りこんだものだし、また、よく「|この味がわかる《イヒ・グティーレ・ダス》」と言い言いしたが、この世を去る頃まで女たちのお気に入りだったのである。これはただ、あらかじめ番外として言っておく。しかし、よい形式に対するわたくしの持って生まれた才能はということになれば、わたくしの|詐欺《さぎ》生活全体が証明するとおり、それには昔からじゅうぶんの確信を持つことができたし、文章を綴って登場する今も、無条件にそれを信頼することができると思う。とにかく、わたくしは、記録を取るに当たってどこまでも率直に書き進めていって、うぬぼれという非難にも鉄面皮だというそれにも尻込みすまいと決心している。誠実という観点以外の観点に立って書かれた告白などに、道徳的な価値や意味を与えるわけにいくまいではないか。
ライン州、気候の点でも地勢の点でも温和で|嵯峨《さが》たる趣はなく、都市村落を豊かに擁して、ひとを楽しく住まわしめ、たしかに最も快適な住地の一つであるあの恵まれた地方が、わたくしを生み出してくれた。ここには、荒い風をライン州山脈に防がれ、真昼の太陽を浴びて幸福にひろがり、その名を呼べば酒客の心が笑い出すあの有名な都会がいくつも繁栄している。ここには、ラウエンタール、ヨハニスベルク、リューデスハイムがあり、ここにはまた、四十年前にわたくしがこの世の光を見たあの尊敬すべき小都会がある。それは、ライン河がマインツ近辺で描く|彎《わん》曲部のすこし西よりに位して、シャンペン醸造で名高く、ラインの流れを|忙《せ》わしく上下する汽船の主要碇泊地で、人口約四千を数える。従って、愉快なマインツもごく近くなら、ライン南東部の上品な温泉場、すなわち、ヴィースバーデン、ホムブルク、ランゲンシュヴァルバッハ、シュランゲンバートも程遠からずで、シュランゲンバートへなら狭軌鉄道に半時間乗れば届いた。好季節には、わたくしたち、父と母と、姉のオリンピアとわたくしとは、船に乗り、馬車を駆り、鉄道を利用して、それもあらゆる方角へ、いくたびとなく物見遊山を試みたが、いたるところ、自然と人間の機知とがつくりだした景勝名所が心を誘ったのである。細かい|碁盤《ごばん》縞の、軽快な夏服を着た父が、わたくしたちといっしょにとある料亭の庭に――ふとった腹が近よると、邪魔になるので、卓からすこし離れて――腰を掛け、限りもなく愉快そうに、河|海老《えび》料理をさかなに黄金いろのぶどう酒を味わっているさまが、今なお|彷彿《ほうふつ》として目に浮かぶ。わたくしの名親シムメルプレースターもよく行を共にしたもので、まるい画家の眼鏡越しに鋭く吟味しながら風土人情を観察し、大事も|瑣事《さじ》もすべてその芸術家だましいのなかに取り入れるのであった。
わたくしの気の毒な父は、今はなくなっている「ロルレー・エクストラ・キュヴェ」というシャンペンを醸造するエンゲルベルト・クルル商会の持主であった。ライン河畔の、桟橋から程遠くないところに、商会の地下倉庫があって、わたくしは子供のとき、その冷えびえする円天井の下をよく歩きまわり、高い台架のあいだを縦横に走っている石だたみの細道に沿って、もの思いにふけりながらぶらつき、半ば傾けてそこに積みかさねてある壜の山を眺めたものだ。おまえたちはそこに横たわっている、とわたくしは心に思った(もちろん自分の考えをそう的確な言葉で言いあらわせはしなかったのだが)、おまえたちは地下の薄明のなかに横たわっている。おまえたちの内部では、多くの胸の鼓動を早め、多くの目を目覚まして明るく輝かせることになるあのピリリとする黄金液が、静かに澄んで|醸《かも》されているのだぞ。今のところおまえたちは貧相で見栄えはしないが、いつの日かきらびやかに飾られて地上へ出て、祭典に、結婚式に、特別室でおまえたちの栓を陽気な響きとともに天井へ投げあげ、ひとびとのあいだに|酩酊《めいてい》と|放恣《ほうし》と歓喜とをひろげるのだ。子供のわたくしはこれに似たようなことを言ったのだが、すくなくとも、エンゲルベルト・クルル商会が、壜の外面、専門的にはコアフュールと呼ぶあの仕上げの美装を非常に重く見ていたことだけはたしかである。詰めこんだコルク栓は、銀線と金を塗った結び糸とで締めつけられて、まっ赤なラックで封じられていたが、なお特別に、教書や古い国家文書に見られるような荘重な円封印が、金モールにぶらさがっていた。|頸《くび》の部分は、きらめく|錫《すず》箔をたっぷりきせられ、胴の部分には、わたくしの名親シムメルプレースターが商会のために考案した、金いろの唐草模様で飾られたレッテルが見る目もあざやかに貼ってあったが、そのレッテルにはいくつかの紋章や星、金文字で印刷したわたくしの父の|花押《かおう》や「ロルレー・エクストラ・キュヴェ」という商標のほかに、腕輪と頸飾とだけを身にまとった女の姿が見られ、これは脚を組んで岩の頂きにすわり、腕をかざして波うつ髪を|梳《くしけず》っていた。それはそうと、このぶどう酒の品質は、こうしたまばゆいばかりの包装と完全には一致しなかったらしい。「クルル」と、わたくしの名親シムメルプレースターは父に言ったことがある、「あなたのお人柄は尊敬していますが、あなたのシャンペンはその筋の禁止ものですよ。一週間前、わたしはついふらふらと半壜飲んでしまったが、きょうになってもまだ、からだがこの攻撃から本復しない。いったい、この酒にはどんな酸っぱいぶどう汁をまぜるのですか。調合するときに足すのは、石油ですかね、フーゼル油ですかね。早い話が、毒を盛るんですね。法律というものがあるんだから、ご用心なさいよ」そういわれると、わたくしの気の毒な父は、どきつい言い方には張り合えない気弱い人間であったから、どぎまぎした。「あなたは気軽に冗談をいうけれどね、シムメルプレースター」と、彼は、その癖で指先でそっと腹をさすりながら応酬した。「わしは安く製造しなければならないんだよ、当地の製品に対する偏見がそうさせるんだがね――要するに、わしは大衆の思いどおりのものを供給するわけさ。それに、あなた、競争がうるさくてね、容易なことじゃないのだよ」父はそんなふうに言った。
うちの別荘は、なだらかな傾斜にもたれて、ラインの風景の眺望をほしいままにするあの雅趣のある貴族屋敷の一つであった。|勾配《こうばい》のある庭園には、|侏儒《こびと》や、茸や、本物と見違えるほどに模造した磁器製の獣類が豊かに飾りつけてあった。ひとの顔をきわめて滑稽に|歪《ゆが》めてうつすガラス球が、台脚の上に|据《す》えてあった。それからまた、風にふれて鳴る竪琴、いくつかの洞窟、巧妙なかたちの噴水を空にふきあげる噴泉があって、その水盤のなかには銀魚が泳いでいた。さて、屋内のことをいうと、父の趣味で、居心地がよくてほがらかであった。気のおけない張出し座席は、おすわりなさいと招くようで、その座席の一つには本物の紡車が置いてあった。たくさんのこまごまとしたもの、小さな置物や、貝殻や、小さな鏡箱や、香料壜などが、段棚やフラシテンを張った小卓の上にあんばいして置いてあった。絹や色とりどりの刺繍で|蔽《おお》ったおびただしい数の羽根蒲団が、いたるところのソファーや安楽椅子の上におかれてあったが、これは父が柔かに横になることが好きであったからだ。カーテンの支柱は一種の槍で、扉のあいだには、管と色さまざまな真珠の|緡《さし》とでつくった軽いカーテンが取りつけてあり、見たところは固い壁のようだが、手を挙げずに通り抜けられるもので、かすかなサヤサヤという音かチャラチャラという音を立てて分れて、また|繋《つな》ぎあわさる。車寄せの上には、工夫をこらした小さな仕かけが施してあって、扉が空圧にひきとめられながら、そろそろと閉まるあいだ、微妙な音を響かせて「よろこべ、生を」という歌の初めをかなでるのであった。
第二章
これが、五月のとあるなま暖かい雨の日に――それも日曜日に――わたくしの生まれた家であったが、これからはもう先廻りをしないで、綿密に時の順序を標準にしてゆこうと思う。わたくしの出産は、もしわたくしに教えられていることが本当だとすれば、非常に長びいて、当時うちのかかりつけの医者であったメークム博士の人工的な補助がなくてははかどらなかったそうだが、それも主としてわたくし――もしあの小さな奇妙な肉塊を「わたくし」と呼んでよいものならば――わたくしが、そのときはなはだ不活溌な無関心な態度をとって、母親の努力にはほとんどすこしも加勢せず、のちにはあれほど熱愛することになっていた世界に生まれ出るのに、こればかりの熱心さをも示さなかったからである。それにしても、わたくしは健康な、かっこうのよい小児で、優秀な乳母の胸に抱かれて、いかにも末頼もしく発育していった。しかし、わたくしは、幾度か突っ込んで考えたのち、出産のときのわたくしの怠惰な、気乗りしない態度、母胎内の暗さを昼の明るさと取り換えることをはっきり嫌がった態度を、幼いときからわたくしに特有な、睡眠に対する異常な愛着や才能に関係があるものと思わずにはいられない。わたくしはおとなしい子供で、泣きわめいて人騒がせするようなことはなく、あやしてくれる女たちに都合のよい程度でまどろみやうたたねにふけったそうである。そして、のちには世間と人間とを渇望するあまり、さまざまに名を変えてそのなかへまざりこみ、彼らの心を捉えるためにいろいろなことをしたのであるが、それでも夜と睡眠とがいつも心から好きで、からだの疲れがなくても楽々と眠りに入って、夢も見ずに、いっさいを忘れ果てて、十時間、十二時間、十四時間にもわたる長い熟睡ののちに、元気を回復して、昼のあいだの成功や満足で味わうよりもはるかにうれしい気分で目を覚ましたものだ。この異常な睡眠欲には、わたくしを|鼓舞《こぶ》して生活と愛とに駆りたてた大きな衝動――このことは適当な場所でもっと話すつもりだが――と矛盾するものがあるように見えるかもしれない。しかし、前にも言っておいたように、この点については幾度も熱心な熟考を捧げたのであって、わたくしはたびたび、ここには矛盾があるのではなく、どちらかといえば、隠れた従属関係と一致とがあるのだということが、はっきりわかるように思った。すなわち、わたくしが年老いて疲れて、もはやひとびとのもとへ駆りたてる好奇の感情もなくなり、まったく自分ひとりに引き籠って生きてゆく今は、今は初めてわたくしの睡眠の力も衰え、今は初めてわたくしは睡眠といわば疎遠になり、わたくしのまどろみは短く浅く一時的なものになったが、かつては監獄で、そこでは眠る機会も多かったのだが、おそらく、豪華なホテルの柔かなべッドに寝たときよりもはるかによく眠ったものであった。――しかし、わたくしは昔ながらの悪い癖で急ぎすぎたようだ。
わたくしは、よく、家族のものの口から、わたくしが幸運児だということを聞かされた。そして、わたくしはいっさいの迷信から遠ざけられて教育されてきたのではあるが、この事実に、幸福を意味するフェーリクス(わたくしの名親シムメルプレースターはわたくしにそういう名をつけたのだが)という自分の名と、上品で人好きのする自分のからだとを結びつけて、いつも、ある神秘的な意義を与えてきたのである。まことに、自分の幸福を信ずる心、自分は天の寵児であるという信念が、常にわたくしの心の奥底に生動していたのだが、この信念は大体において偽りだとして罰せられたことはないといえる。それというのも、苦しみや悩みに会ってもそれはすべて自分には縁のないことで、そもそもの神のおぼしめしにはかなわぬことのように思われ、そういう苦悩を貫いて、わたくしの本来本当の運命が常にいわば天日|煦々《くく》と輝きわたるということこそ、わたくしの生涯の著しい特徴をなしているからだ。これだけ横道にそれて一般論をもてあそんだのち、わたくしは少年時代の絵を大まかな筆で描きつづける。
わたくしは空想的な子供であったから、いろいろな思いつきや気まぐれで、よく、家のひとたちをよろこばせる材料を提供したものだ。今でも思い出せるような気がするし、ひともたびたび話してくれたことだが、わたくしはまだ小児服を着ていたころ、王さまごっこをするのが好きで、この想定を幾時間もがんとしてひるがえさなかったという。小さな柳枝細工の車に乗っかって、庭園の道や玄関の上を女中に押してまわってもらいながら、わたくしは、何かの理由から口をできるだけ下へ引きさげて、上唇が途方もなく長くなるようにして、そろりそろりと|瞬《またた》きをしたが、目は、顔をしかめたためだけでなく、内心の感動のためにも充血して、涙にあふれていた。自分の高齢と気高い品位とに感動して、わたくしは静かに小さな車にすわっていた。女中はといえば、この気まぐれな思いつきが無視されたなら、わたくしが非常に腹を立てたであろうから、会うひとごとに事のわけを知らせなければならなかった。彼女が、「わたしは王さまをここへ散歩にお連れ申しているのです」といって、やり方を知らないままに、敬礼をしながら手のひらを≪こめかみ≫にあてがうと、皆はわたくしに敬意を表するのであった。ことに名親のシムメルプレースターは、いつも茶番が好きで、そんなことをしているわたくしに出会うたびに、わたくしの意を迎えて、あらゆる方法でわたくしのうぬぼれを強めてくれた。「やあ、やあ、老英雄のお通りだぞ」と言いながら、彼は不自然なほど低く腰をかがめた。それから彼は、路傍に立ってわたくしを迎える国民の役を演じ、万歳を叫びながら、帽子、ステッキ、眼鏡までも空に投げて、わたくしが感激のために長く延ばした上唇の上に涙をころばせると、苦しくなりはしないかと思われるほど笑いこけるのであった。
わたくしはもっと大きくなって、もう大人の応援を求めることが許されなくなった時代にも、この種の遊戯にふけった。しかし、わたくしは、大人が加勢してくれなくても淋しいとは思わず、むしろ、自分の空想力が独立して自分だけで満足できるようになったことを喜んだ。たとえば、わたくしはある朝、目が覚めたときに、きょうはカアルという名の十八歳の王子になろうと決心する。そして、一日じゅう、いや、幾日間も、この夢想を持ちつづけたのだが、それは、この種の遊戯のすばらしい長所が、一瞬間たりとも、また、あの非常に煩わしい授業時間中にも、決して中断する必要がないというところにあったからだ。わたくしは、可愛らしく威儀を整えた服装をして歩きまわり、|師傅《しふ》か副官がいっしょにいるのだと想像して、これと快活な元気な会話を交えたのであったが、優雅な高貴な人になっているという秘密がわたくしの心に満たした誇りと幸福とは、どうにも書きあらわしようがない。幻想とは、いかにもすばらしい天の|賜《たまもの》ではないか、いかにもすばらしい享楽を味わわせてくれるものではないか。その小都会の他の子供たちは、明らかにこの幻想の能力を与えられていないらしく、したがって、わたくしが骨も折らず、また、これという外から見える準備もしないで、簡単に意志の決断をするだけで作り出した秘密な喜びにあずからなかったのだが、わたくしには彼らがどんなに愚かで損をしているように思われたか知れなかった。もちろん、彼らは髪の毛の硬い、赤い手をした、世間普通の子供たちで、自分が王子だなどと思いこもうとすれば、それは骨の折れることであったろうし、滑稽なことでもあったろう。ところが、わたくしは、男性にはなかなか見当たらない絹のように柔かな髪の毛を持っていて、それは金髪であったから、灰青色の目とともに、わたくしの明るい|鳶《とび》いろの皮膚と魅力のある対照をなしていた。そういうところから、そもそもわたくしはブロンドなのかブリュネットなのか、ちょっとはっきりしなかったもので、ブロンドだと言ってもブリュネットだと言っても、間違いにはならなかったのである。わたくしの手は、これには早くから注意をはらったが、細すぎない好ましい質のもので、決して汗ばむことはなく、適度に暖かく乾いていて、雅致のある形をした爪がつき、手そのものがはや一つの喜悦であった。それから、わたくしの声は、声変わりする前にもう耳ざわりのよいところがあって、ひとりでいるときには、よく、目には見えない想像上の|師傅《しふ》を相手に、楽しい、身振りたっぷりな、とにかく無意味なちんぷんかんぷんの、ただ漠然としたおしゃべりをして、自分の声を響かせるのが好きであった。こういう個人的な長所というものは、概して量り得べからざるもので、そのはたらきを見て決めなければならないし、卓越した才能を持っているとしても、なかなか言葉で書きあらわせるものではない。とにかく、わたくしは、自分が他のひとたちよりも高貴な材料でつくられている、つまり、普通の言い方をすれば、上質の木に刻まれた優秀な人間だということに気がつかずにはいなかったのだが、こう言ったところで、わたくしはうぬぼれだと非難されることをすこしも恐れはしない。そこいらのひとびとがわたくしをうぬぼれだと非難しようがすまいが、いっこうにかまわないのであって、もし自分は平凡普通の人間だと言おうとすれば、わたくしは馬鹿か猫かぶりでなければなるまい。わたくしは真実どおりに、自分は最上質の木に刻まれた優秀人だとくり返して言っておく。
孤独に成人しながら(姉のオリムピアとはずいぶん年齢が違っていたのである)、わたくしは風変わりな、頭を悩ます考えごとをするのが好きになったが、さっそくその例を二つ挙げてみよう。第一にわたくしは、人間の意志の力、往々にしてほとんど超自然的なはたらきをすることができるこの不可思議な力を、自分のからだに試して研究してみようという気まぐれな作為を思いついた。人間の瞳孔の運動は、それに当たる光の強度に左右されて拡大したり、収縮したりするということがわかっている。ところが、わたくしは、このわがままな筋の不随意運動を自分の意志の支配下に屈服させてやろう、と思いこんだものである。鏡の前に立って、雑念をしりぞけようと努めながら、わたくしは全精神力を集中して、瞳孔に命令して思いのままに収縮させたり、拡大させたりしようとした、そして、わたくしは断言するが、この|執拗《しつよう》な練習は実際に成功の栄冠をかち得たのである。初めのうちは、汗が出て顔色が変わるほども精神の努力をつづけて、やっと瞳孔が不規則に|顫《ふる》えてきただけであったが、のちには、じっさい自由自在に、瞳孔を収縮させて小さな点にしたり、拡大させて大きな黒く輝く輪にしたりすることができるようになったのだが、この成功がわたくしに与えた満足はほとんど恐ろしいほどのもので、人間性の秘密に直面したときに感じられるある種の恐怖の念を伴っていた。
その当時よくわたくしの精神を楽しませたもう一つの|穿鑿《せんさく》立ては、次のようなもので、こんにちでもまだその魅力や意味を失っていない。わたくしは、「この世をつまらないものだと思うのと大したものだと思うのとは、どちらが有益だろうか」と自問したのだが、それはこういう意味であった。偉人たち、すなわち、将軍とか、優れた政治家とか、権力を握ってひとびとの上に立つ各種の征服者や支配者はすべて、生まれつき、世界を将棋盤のように小さなものだと思うように出来ているのにちがいない。もしそうでなければ、彼らは、大胆に、個人の幸不幸には頓着せず、自分の概括的な計画に従って勝手に事を処理してゆく無情で冷酷な心を持ちはすまい。しかし、その反面、このように世界を小さく見る見方は、疑いもなく、人生を無為に終わらせるようになりやすい。それと言うのも、世界や人間を軽視したり無視したりして、若いときから世界や人間には価値がないという考えに徹底したひとは、――冷淡で、他人には関心を示さず、自分では努力をしないため、いたるところで衝突して、事ごとに自負心のある世間の感情をそこね、たださえままにならない成功の道をみずから|塞《ふさ》ぎ止めるようなことになる場合を度外視しても――無関心や怠惰に陥り、ひとびとの心にはたらきかけることはすべて軽蔑して、完全な隠遁生活を選ぶようになりがちだからである。それでは、世界と人間とのなかには、いささかその信望と尊敬とを獲得せんがためには、いかなる奮励、いかなる奉仕的努力をも払う価値のある何か偉大で、すばらしくて、重大なものがあると見るほうが得策であろうか。これには異論があって、世界は大したものであるとして尊敬する見方を持つと、自分を|卑下《ひげ》して当惑するような結果になりやすく、そうなると世界はほほえみながら、このおどおどした臆病な子供を乗り越えて、もっと男らしい恋人を探しにいってしまう、というのである。しかしながら、他面、こういうふうに世界に帰依する敬虔な態度には、どうしても大きな利益がある。というのは、あらゆる事物や人間を完全で重大なものと見るひとは、そう見ることで彼らに取り入って、確実にその引き立てを多く受けるようになるばかりでなく、自分の思想や態度のいっさいを真面目と情熱と責任感とで満たすようになるが、この責任感こそは、彼をひとに愛されるようにすると同時に重要な人物にして、最高の成功と勢力とを得させることができるからである。――わたくしはこう考えて、どちらを去りどちらに|就《つ》こうかと比較考量した。ともかく、わたくしは知らず識らずのうちに、また、自分の性質に従って、いつも第二の場合に就き、世界を偉大な限りなく誘惑的な現象だと考えたが、世界というこの現象はきわめて甘美な祝福を与えることができるもので、高度の努力をはらって求めるだけの価値があるものと思われたのである。
第三章
ところで、こういう夢想的な実験や思索は、ありきたりのやり方で暮らしているその小都会のわたくしの同年輩の学校友達とわたくしとを精神的に|隔《へだ》てるのに適したものであったが、その上に、ぶどう園主や役人の息子であるこれらの少年たちは、やがてわたくしが知らなければならなかったことだが、両親の側からわたくしを警戒するように注意されて、わたくしから遠ざけられたのであった。事実、試みに彼らの一人にわたくしの家へ来ないかと言って誘ってみたところ、きみの家の暮らし方は真面目じゃないから、きみと交際することもきみの家を訪問することも禁じられているのだと、面と向かってそっけない言葉で答えた。これにはわたくしも悲しくなって、いつもはどうでもよかったような交際というものを、欲しいものだなと思わせられたのである。しかし、わたくしの家の暮らし方に対するその小都会の意見には、幾分正しいところがあったということは否定できない。
わたくしはずっと前のほうに、ウェーヴェ生まれの女の家庭教師がいたために家庭生活にいざこざがもちあがったことについて暗示の言葉を|挿《はさ》んでおいた。じっさい、わたくしの気の毒な父はこの女に惚れてそのあとを追い廻し、十中八、九のところは所期の目的を達したらしかったが、このことで父と母とのあいだに意見の相違が生じた結果、とうとう父は数週間の予定でマインツヘ行って、そこで独身者の生活を営むことになったものの、これは彼が休養のために幾度もしたことだったのである。とにかく、わたくしの母は|秀《ひい》でた精神的才能などほとんど持たない目立たぬ女であったが、気の毒な父をそう厳格にもてなすというのはまったく不当なことで、母にしろ姉のオリムピアにしろ(姉は異常に肉欲に捉われた肥満した女で、のちにはオペレットの舞台に立って喝采を博した)、人間らしい弱さにかけてはまったく父に劣らなかったのだ。ただ、父の気軽さの底にはいつもある優雅なものがひそんでいたのに、彼女たちのむっとするような快楽欲には、そういうものがほとんどすこしもないところが違っていた。この母と娘とはまれに見る親しさを持ちあった遠慮のない仲であった。たとえば、母がメートル紐で娘の股の太さを測っているのを見たことがあったのを思い出すが、これはわたくしを何時間も考えこませたものである。またのとき、それはわたくしがこういうことをおぼろげながら理解していたものの、言葉ではどう言ってよいかわからない頃のことであったが、わたくしは、彼女たちがうちに来て仕事をしていたペンキ職工、白い上っ張りを着た黒い目の若者に、二人がかりでからかいながら近づいてゆくさまを、ひそかに目撃した。ついには、女たちがあまりに焚きつけたので、その若者は一種の激怒に駆られ、女たちになすりつけられた緑の油絵具の鼻髭をつけて、叫び立てる女たちを乾燥倉庫のところまで追っていった。
わたくしの両親はたがいに憤激したくなるほど退屈しあっていたから、マインツやヴィースバーデンから頻繁に客を招いたが、そうなるとわたくしたちの生活は非常にぜいたくになり陽気になった。客というのは雑多な集まりで、数人の若い工場主、男優女優、のちには姉に結婚を申し込むまでになった病身の歩兵中尉、ユダヤ人の銀行家と、一面に黒玉を縫いつけた服のいたるところから溢れ出ているようなかっこうがいかにも人目を引くその細君、来るたびに新しい生涯の伴侶を紹介する、額髪をつけてビロードのチョッキを着たジャーナリスト、その他であった。彼らはたいてい七時の晩餐に間に合うように到着して、それから、余興、ビアノ演奏、ダンスの足ずりの音、哄笑、嬌声、歓呼のどよめきの夜通しつづくのがならわしであった。とくに謝肉祭やぶどう摘みの季節には、歓呼の波がすこぶる高まったもので、そういうとき、父は庭で手ずから華麗な花火を打ちあげたが、これには彼は深い造詣と優れた技術とを持っていた。磁器製の|侏儒《こびと》は花火の夢幻的な光のなかに姿をあらわし、おどけた仮面をつけて集まったひとびとは歓天喜地の度を高めたという次第である。当時、わたくしは、その小都会の実科学校に通学させられていたが、朝の七時か七時半に、洗い立ての顔で、朝飯を食べに食堂へはいってゆくと、前夜の集まりが、顔を濁らせ、服は皺くちゃにし、目は朝の光をまばゆがりながら、まだコーヒーやリキュールを取りかこんでいて、やあ、やあと大声で叫びながら、わたくしを彼らのまん中に迎えるのであった。
わたくしはまだ大人になりきっていなかったが、食事とそれにつづく余興とには、姉のオリムピアと同じように出席させてもらった。わたくしの家では毎日食事に|奢《おご》って、父は昼飯のたびにソーダ水を割ったシャンペンを飲んだのである。しかし、客を招くときには献立が多くなって、ヴィースバーデンから出張した料理長がわたくしの家の料理女に手伝わせて極上の美味を調理したが、あいだあいだに気分をさわやかにして食欲を新たにする冷めたい料理や、ピリリと辛い料理があんばいされていた。「ロルレー・エクストラ・キュヴェ」は流れるばかりに注がれたが、多くの上等なぶどう酒、たとえば、とくにわたくしの気に入った味のベルンカスラー・ドクターなどが食卓にのぼされた。後年わたくしはもっとほかの一流の酒の商標をおぼえて、平気な顔で、グラン・ヴァン・シャトー・マルゴーとかグラン・クリュ・シャトー・ムートン・ロシールとかを注文するようになったが――この二つは品のある酒だ。
さて、わたくしは、先の尖った白い髭をつけ、白絹のチョッキで腹を包んで、食卓の上席についている父の姿を思い浮かべたい。彼はか細い声の持主で、とかく恥ずかしそうな顔をして目を伏せたが、楽しんでいることは顔が輝いて赤くなっているところから読み取れた。「|そうだ《セ・サ》」、「|素晴らしい《エパタン》」、「|申し分ない《パルフェトマン》」と彼は言った。そして、指先が上向きに反っている手を器用に操って、グラスやナプキンや食器を扱った。母と姉とは芸のない大食にふけって、ときどき拡げた扇のかげで隣席のひとを相手にクスクス笑っていた。
食事が終わって、ガス燈架のまわりにたばこのけむりが漂う頃になると、ダンスや罰金遊びが始まった。夜がふけると、わたくしは寝床へ行かされたが、音楽やどよめきの音で眠られないので、たいていはふたたび起きあがって、赤い毛織の蒲団に身を包み、巧みに仮装して、夜会の席へもどると、婦人たちは歓呼して迎えてくれるのであった。そこでは、朝のコーヒーが出るまで、ボーレやレモネードや|鯡《にしん》サラダやぶどう酒ゼリーなどの飲物やつまみ物が、間断なく運ばれたのである。ダンスは|放埓《ほうらつ》で猥雑で、罰金遊びは、接吻をしたり、そのほか肉体に触れる口実をつくった。胸を広くあけた服を着ている女たちは、笑いながら椅子のもたれに身をのけぞらせ、乳房をかいま見させては、男たちの心を捉えた。そして、こういう騒ぎの最高潮が、突然ガス燈の消される悪ふざけになるのは始終のことで、そうなるといつも、筆舌に尽くしがたい上を下への大騒ぎになるのであった。
わたくしの家の事情がその小都会のひとびとに疑わしく思われたのは、とくにこの社交的な娯楽のためで、わたくしもそれを耳にしたのだが、ひとびとは主としてこの事件の経済面に目をつけて、わたくしの気の毒な父の事業は絶望的な悪状態になっているとか、高価な花火や晩餐はそれを|賄《まかな》っている父の|止《とど》めを刺すにきまっているとか噂をしたが、いかにももっともなことであった。感受性の鋭いわたくしが早くから気づいていたこの公然の不信任は、前にも言ったように、わたくしの性格にある特異性と結びついて、わたくしの孤立状態を作りあげたのだが、これはわたくしに苦渋をなめさせることが多かった。それだけにますますわたくしを心から幸福にした一つの体験があるのだが、特別な満足を覚えながら、ここにその描写を挿むことにしよう。
わたくしの一家が夏の幾週間かを近隣の非常に有名なランゲンシュヴァルバッハで過ごしたのは、わたくしが八歳のときであった。そこで、父はときどき悩まされる痛風の発作に効く泥沼浴をやり、母と姉とは大げさなかっこうの帽子をかむって、遊歩道へ出ていって評判を立てた。その地で結ばれた交際は、他の場所でと同様、あまりかんばしからぬものであった。その界隈に住んでいるひとびとは相変わらずわたくしたちを避けたし、よそから来た高貴なひとびとは、高貴というものの本質に基づいて、交際をひろげない拒絶的な態度をとったので、わたくしたちと懇意につきあったのは上流のひとびとではなかった。それでもランゲンシュヴァルバッハはわたくしの気に入ったのだが、それは、わたくしがいつも温泉場に滞在することを好んで、のちには自分の活躍の舞台を幾度もこういう場所に置いたからである。温泉場の静けさ、何の|煩《わずら》いもない規律に従う生活ぶり、競技場や温泉公園で家柄のよい洗煉されたひとびとを眺めることなど、わたくしの心からの望みにかなっているのだ。しかし、最も強くわたくしを引きつける力を持っていたのは、熟練したオーケストラが毎日浴客のために公開した音楽会であった。音楽はわたくしを恍惚たらしめる、じっさい、演奏を習得する機会こそなかったが、わたくしはこの夢幻的な芸術の熱狂的な愛好者で、子供であったそのときも、ぴったりと身についた制服を着た楽団が、ジプシーの風貌を持った背の低い楽長の指揮で、雑曲やオペラ曲を演奏した|瀟洒《しょうしゃ》たる園亭から離れることができなかったのである。わたくしは何時間も美しい音楽堂の階段にうずくまって、優麗な秩序に満ちた音の輪舞に心を魅了されたが、それと同時に、演奏中の楽士たちがいろいろな楽器を操る身ごなしを面白がって、熱心な目でこれを追った。とくに気に入ったのは、ヴァイオリンの弾奏で、ホテルヘ帰るとわたくしは長短二本の棒を使って、第一ヴァイオリニストの身ごなしをできるだけ忠実に真似ようとして、自分をも家族のものたちをも興がらせたものである。魂をこめた音を出すためにする左手の振るような動かし方、一つの握り方から他の握り方へ移るときの柔かな滑るような上げ方や下げ方、巧妙な急調連続や装飾結尾の場合のすばやい指の動き、弓を使う右手首のすらりとしたしなやかな曲げ方、頬をかしげてうっとりと聴き耳を立てながら音を形成してゆく表情――わたくしはこのすべてを再現することに成功して、その完全さはとりわけ父をいともほがらかに喝采させた。湯治の効き目がよかったので上機嫌になっていた父は、ほとんど声の出ない背の低い長髪の楽長をわきへ連れていって、つぎのような面白い芝居を打つ約束をした。小型ヴァイオリンを一挺安く手に入れて、付属の弓には念入りにワセリンを塗る。わたくしの服装にはいつもあまり注意が払われなかったのに、このたびはバザーで飾紐と金ボタンとがついた可愛らしいセーラー服、それに添えて絹の靴下とピカピカ光るエナメル革の靴とが買い取られる。そして、ある日曜日の午後、湯治客が散歩に出る頃合に、人目を引くように着飾ったわたくしは、背の低い楽長と並んで音楽堂の舞台に立ち、ハンガリアン舞曲の演奏に加わって、前に二本の棒でしたことを、その小型のヴァイオリンとワセリン塗りの弓とでしたわけだが、これは大成功を収めたと言える。聴衆は身分の高きも低きも、四方八方から押し寄せてきて、園亭の前に黒山をつくった。彼らは神童を見たのだ。わたくしの忘我の態度、努力を示す表情の蒼白さ、片方の目の上に垂れかかった波打つ髪、上腕のところはふくれて下へさがるにつれて狭くなる青い袖で手首をぴったりと包まれた子供らしい手、――つまり、感動をそそる不可思議なわたくしの姿全体がひとびとの心を捉えたのだ。力いっぱいに四本の絃を一弾して曲を終えたとき、|急霰《きゅうさん》のような喝采が、高くまた低い歓呼の声とまじって温泉公園をゆるがした。背の低い楽長がわたくしのヴァイオリンと弓とを壊されないようにしまったのち、ひとびとはわたくしを地上に抱きおろして、むやみに讃めそやしたり、愛らしい名で呼んだり、撫でさすったりしてくれた。貴族の紳士や淑女たちがわたくしのまわりに押し寄せて、髪や頬や手を撫でて、末恐ろしい子だとか天使のように可愛い子だとか言った。着ているものはすみれいろの絹ずくめで、白い髪を耳の上で大きく縮らせたロシアの老侯爵夫人が、指輪をはめた両手のあいだにわたくしの頭を挟んで、汗ばんだ額に接吻した。それから彼女は興奮した手つきで、竪琴形の大きな|燦《さん》然たるダイヤモンドのブローチを首から取りはずし、たえずフランス語で話しながら、それをわたくしのブルースに付けてくれた。そこへわたくしの家族の者たちが進み出てきた。父は名を名乗って、わたくしの弾奏の欠点は年の若さに免じてもらいたいなどと言った。それから、わたくしは菓子屋へ連れていかれ、三度も席を換えて、チョコレートやクリーム菓子をご馳走になった。高貴な生まれの美しい立派な子供たち、わたくしがよくあこがれの目で眺めたが、これまではただ冷たい目つきしかわたくしに見せてくれなかったジーベンクリンゲン伯爵の子供たちが、いっしょにクロケットの勝負をしないかとていねいに申し込んできたので、双方の両親がいっしょにコーヒーを|啜《すす》っているあいだ、わたくしは胸にダイヤモンド入りの留針をつけて、喜びに酔って興奮しながら、彼らの誘いに応じた。この日は、わたくしの生涯の最も美しい日の一つであったが、おそらくは文句なしに最も美しい日であったろう。わたくしに演奏をくり返して欲しいという声が高くなり、温泉管理者もこの意味で父を訪ねてきた。しかし、父は、このたびはただ例外に許したことで、再度公開の場に出ることは子供の社会的地位にふさわしくないと声明した。それに、わたくしたちのランゲンシュヴァルバッハ温泉滞在も、終わりに近づいていたのである……。
第四章
こんどはわたくしの名親シムメルプレースターの話をするが、彼は尋常普通の男ではない。その風采を描いてみれば、早くから白くなった上に薄くなった頭髪を片方の耳のすぐ上で分けていたから、頭髪のほとんど全部が頭の鉢を越して一方だけになでつけられていた。|剃刀《かみそり》を当てた顔には、|鉤《かぎ》形の鼻、すぼんだ脣がついていて、セルロイド縁のばかに大きなまるい眼鏡をかけていた。そして、目の上が裸、というのは、眉毛がないので、ますます特色を放っていたが、全体としては鋭い|辛辣《しんらつ》な気質を示していて、その一例を挙げれば、わたくしの名親は、よく、自分の名には一種奇妙な、|憂欝《ゆううつ》な意味があると言うのであった。「自然は腐敗と|黴《シムメル》とにほかならんのです。そして、わたしは自然の|牧師《プリースター》に任ぜられています。だから、わたしの姓はシムメルプレースター、すなわち|黴《かび》の牧師です。しかし、名前はフェーリクスで幸福という意味ですが、この理由は神さまでなければわかりません」彼はケルンの生まれで、昔はそこで一流の家庭に出入し、謝肉祭のときには世話人になって立派な役を演じたという。しかし、決して人に言わない何かの事情か事件のため、彼はケルンの地を去らなければならぬ仕儀になり、この小都会へ退却してきたのであったが、ここではすぐさま、わたくしが生まれる数年前にすでに、わたくしの家族の懇意になっていた。彼は、わたくしの家の夜会にかならず|列《つら》なる、なくてはかなわぬひとで、集まる客の皆から大いに尊敬されていた。婦人たちは、彼が口をすぼめて、|梟《ふくろう》の目のようにまるい眼鏡越しに、注意深く、それでいて物品を吟味するように冷淡な態度で凝視すると、金切声をあげて、両腕をかざして身を守ろうとするのであった。「あらまあ、絵描さん」と彼女たちは叫んだ、「何という目で見るんでしょう。ああやって何もかにも心の底まで見透すのだわ。後生ですから、先生、お目をそらしてくださいよ」彼はひとびとから非常に賛嘆されたが、自分では自分の天職がそもそも尊いものだなどとは思っていなくて、しばしば、芸術家の天性についてきわめて疑わしい意見を述べた。「フィーディアスは」と彼は言った、「ファイーディアスとも呼ばれていますが、抜群の才能を持っていました。彼が|窃盗《せっとう》の罪を犯してアテネ監獄に繋がれたという事実からして、抜群の才能があったことを証明していますが、彼は、アテナ神像をつくるために託されていた材料の金と象牙とを着服したのです。彼の才能を認めていたペリクレスは、彼を獄舎から逃がしてやりました(このことで、ペリクレスという識者は、芸術ばかりではなく、はるかに重要なことですが、芸術家の本質にも理解を持っていたことを証明したのです)。それからフィーディアスまたはファイーディアスはオリムピアヘ行きましたが、そこでは金と象牙とでゼウスの巨像をつくるよう委託されました。彼はどうしたと思いますか。またぞろ盗んだのです。そして、オリムピアの監獄で死にました。芸術家というものはまったく奇妙な混合物ですね。だが、世の中はそうしたものですよ。世間では才能を珍重するが、才能というものはそれ自体がそもそも特異性なのです。ところが、特異性というもの、これはフィーディアスの場合でなくても才能と結びついている――おそらく必然的に才能と結びついているんでしょうがね――、その特異性というものを世間ではいっこうにありがたがらないし、理解してやろうとさえしないんです」わたくしの名親はそんなふうに言った。わたくしはこの言葉を一語一語覚えているが、それは彼が幾度も同じ言いまわしを使ってくり返したからである。
前にも言ったように、わたくしたちは心から愛情を傾けあっていた。じっさい、わたくしは彼から特別に寵愛されていたと言える。大きくなるにつれて、わたくしはたびたび彼の美術絵のモデルの役を勤めたが、彼が多種多様に集めて持っている、ありとあらゆる衣裳をわたくしに着せて仮装させてくれるだけに、これはますます楽しいものであった。彼のアトリエは、大きな窓のついた古着倉庫と言ってもいいもので、ライン河畔に孤立している小さな家の屋根裏にあった。彼はこの家を借りて、年取った女中といっしょに住んでいたが、そこで、わたくしは、彼が画布に向かって塗ったり削ったりして猫いてゆくあいだ、荒削りの壇の上に幾時間も、彼の言い方に従えば、「すわって」いた。また、ギリシア神話から題材を取った大幅の絵のために、幾度か裸体でモデルに立ったこともあるが、この絵はマインツのぶどう酒商の食堂を飾るはずのものであった。このときわたくしは芸術家の側から非常に称賛されたが、それというのも、わたくしがきわめて好ましい、神にも比すべきからだつきをしていたからで、手足は細く柔かく、しかも力強く、皮膚は金いろで、美しく均斉がとれている点ではほとんど非の打ちどころがなかったからである。ただ脚だけが、どちらかと言えばすこし短すぎたようだが、わたくしの名親は、精神界の王者ヴァイマルのゲーテも短すぎる脚の持主であったが、それでも一生を通じて大いに個人的な成功を収めることができたと言って、わたくしの欠点を慰めてくれた。――とにかく、こうしてモデルに立ったことは一種特別な思い出になっている。しかし、もっと楽しかったのは、いろいろな仮装をするのを許されるときで、これは名親のアトリエ内だけのことではなかった。すなわち、名親はわたくしの家で晩飯を摂ることにしたときには、しばしば、いろいろな衣裳や仮髪や武器を詰めこんだ|梱《こり》をあらかじめ届けさせたのだが、それを食後のほんの慰みにわたくしに着せてみて、最も彼の気に入った姿を板紙にスケッチしたものである。「この子には衣裳の才がある」と彼は言い言いしたが、それは、あらゆるものがわたくしに似合う、どんな仮装でもしっくりと自然に見えるという意味であった。というのは、どんな衣裳を着せられても――短い着物を着て、黒い縮れ髪に薔薇の花環をいただいたローマの笛吹きになっても、ぴったりと身についた繻子の服を着て、レース襟に羽根帽子をかむったイギリスの貴族の少年になっても、キラキラ光る短胴衣に広縁の中折帽をかむったスペインの闘牛士になっても、小さな僧帽に、襟から二条の麻布を垂らし、小外套に締め金つきの靴をはいた、髪粉を用いていた時代の若い教区僧になっても、白い軍服に肩帯をつけて剣を吊ったオーストリアの士官、長靴下に|鋲《びょう》を打った靴をはいて、緑いろの帽子に|羚羊《かもしか》の髯をつけたドイツの山地の百姓になっても、どんな場合でも、鏡もそれを保証してくれたのだが、いかにもわたくしが本来その服装をする運命を持って生まれたもののように見えた。どんな場合でも、皆の判断によれば、わたくしは自分がそのとき代表している人種の典型的な例を示したのであった。そればかりか、わたくしの名親は、わたくしの顔が衣裳や仮髪を用いれば身分や風土だけでなく、いろいろな時代にもふさわしくなるように思われると言ったが、彼がわたくしたちに教えたところによると、各時代はその時代の子たちに共通の特色を持った容貌を与えるものだという、――だが、もしわたくしの家の友シムメルプレースターの言を信じてよいならば、中世末期のフローレンスの|伊達《だて》者に扮したわたくしは、後世の一時代に上流紳士間の流行になったあの華麗豊かな縮毛を飾ったところなど、まるでその時代の絵画から抜け出してきたかと見えるほどであった。ああ、何というすばらしい時だったことか。それに引きかえ、楽しみが終わってふたたび没趣味な不断着に着かえると、抑えきれない悲哀とあこがれ、何ともいえない限りない退屈の感情に襲われがちで、この感情は、残りの宵を、荒涼たる気持のまま深い無言の沈欝のうちに過ごさせるのであった。
今のところ、シムメルプレースターのことは、このくらいにしておく。後年、精根を|涸《か》らすようなわたくしの人生行路の果てに、この非凡な人間は、断乎としてわたくしの運命に干与し、救いの手を差し伸べることになるのだが……。
第五章
さて、心のなかにその他の幼時の印象を探ってみると、家族のお伴をして初めてヴィースバーデンヘ観劇に行くのを許された日のことを思わなければならない。それはそうと、ここで一言しておかなければならないが、わたくしは幼時を描くに当たってこせこせと年代順にかかずらうことはしないで、この時期を一つの全体として取り扱い、そのなかを思いのままに動いてゆく。名親シムメルプレースターのためにギリシアの神のモデルに立ってやったのは、十七歳か十八歳のときであったから、学校では非常に遅れていたものの、ほとんど青年になっていた。しかし、初めての観劇はもっと幼い頃、すなわち、十四歳のときであるから――とにかく、わたくしの肉体や精神の成熟が(すぐにもっと詳しくお話するが)すでにかなり進んでいる上に、印象に対する感受性はとくに活溌というべき時期のことである。事実、この夕のいろいろな観察はわたくしの心に深く刻みこまれて、際限もない熟考の材料を与えてくれた。
わたくしたちはまずヴィーン風のカフェーに寄って甘いポンチを飲み、父はストローでアブサン酒を|啜《すす》ったが、こういうことがもうすべて、わたくしを心底から動かすにふさわしいものであった。しかし、辻馬車がわたくしの好奇心の目標へわたくしたちを運んで、燈火まばゆい桟敷広間がわたくしたちを迎えたときに、わたくしの全身を捉えた熱情は、誰が描けるものであろう。桟敷のなかで胸に扇子の風を送る婦人たち、話をしながらその上に身をかがめる紳士たち、わたくしたちもそのなかに加わっている平土間の観客のざわめき、頭髪や衣服から発散して照明ガスの臭いとまざった香気、調子を整えているオーケストラのやさしく|縺《もつ》れあったどよめき。広間の天井と緞帳とには、絢爛をほしいままにした絵画が、裸形の神々の一群と、遠景にばらいろで描いた瀧の全景までも見せている。まことに何もかにも、幼い感覚の目を開いて、精神に異常な感銘を受ける用意をさせるにうってつけのものであった。天井の高い華麗な大広間にこれほど人が集まっているのは、そのときまでにただ教会で見たばかりであったが、じっさい、劇場というもの、すなわち、一段と高い明るいところで、それを天職とするひとびとがはなやかな衣裳をまとい、楽の音に伴われて、あらかじめ定められた足をふみ、踊り、話し、歌って所作を演ずるこの荘厳に組みたてられた広間、じっさい、この劇場というものは、わたくしには満足の教会、教化を願うひとびとが澄明と完成との世界に向かいあって、薄闇のなかに集まり、口をあけたまま、自分たちの心の理想を見あげる場所のように思われたのだ。
上演されたものは肩のこらない種類のもので、よく裾の短い詩神の作品と言われるもの、つまり、オペレットであったが、遺憾ながら、外題を忘れてしまった。事件はパリを舞台とするもので(これはわたくしの気の毒な父をすこぶる上機嫌にした)、その中心になるのは若いなまけ者の公使随員で魅力のある女たらしの色男、これを劇場のスターでミュラー・ローゼという非常に人気のある歌手が演じた。この歌手の名は、彼と相識の仲であった父から聞いたのだが、そのおもかげは永久にわたくしの記憶のなかに生きるであろう。今では彼も、わたくし同様老い衰えていることは想像に難くない。しかし、あの当時、いかに彼が大衆をもわたくしをも眩惑し魅惑する術を心得ていたか、これはわたくしの生涯に最も影響を及ぼした印象の一つである。わたくしは|眩惑する《ヽヽヽヽ》と言うが、この言葉にはこの場合どれだけの意味が含まれているか、それはすこしさきで説明する。さし当たっては、今なお鮮かな記憶に頼って、ミュラー・ローゼの舞台姿を描き出してみよう。
初めて登場したときは、彼は黒い服を着ていたが、それでもまったく光り輝かんばかりであった。演技で見ると、彼は遊蕩社会の会合から来たところで、すこし酔っていたが、それを彼は快適な限度で、綺麗にみやびやかに演ずることができた。彼は繻子を張った黒い短外套をひっかけ、黒い燕尾服にエナメル革の靴をはき、光沢皮の手袋をはめて、当時の軍人の流行で頂きまで分け目を入れて理髪したピカピカ光る頭にはシルクハットをかむっていた。何から何まで隙がなく、|熨斗《のし》でかっこうをつけられ、現実生活でなら十五分間と長く保てない清潔なもので、いわゆるこの世ならぬものであった。とくに気軽く斜めにして額にかむったシルクハットは、じっさい、その種のものの夢に見るような模範で、塵もとめず野卑なところもなく、理想的な光輝があって、まったく絵に描いたようであった、――そして、一段と高い世界のこの人間の顔、極上質の蝋でこしらえたような顔が、この帽子にぴったり似合っていた。この顔はほんのりとしたばらいろで、黒く隈取った扁桃形の目と、短いまっ直ぐな小さい鼻と、きわめてあざやかに描かれた珊瑚のように赤い口とを見せて、弓なりの上脣の上には、毛筆で引いたような正確に左右同じ大きさの鼻髭が反っていた。|賤《いや》しい現実の酔漢には見られない軽快なよろめき方をしながら、彼は帽子とステッキとを従者に渡し、外套から滑り出て、燕尾服姿になって立ったが、豊かに襞をつけた胸衣にはダイヤモンドのボタンがきらめいていた。銀鈴のような声で話しながら笑いながら、彼は手袋をも脱いだが、見ると、手の外側はまっ白でやはり金剛石を飾り、内側は顔と同じくばらいろであった。舞台の片方で、女たらしの随員生活のこよなく気軽な楽しさを表現した歌の最初の句を震音で口ずさみ、それから陶然と腕をひろげて指を|弾《はじ》きながら舞台の他の片方へ踊っていって、そこで第二句を歌って退場したが、喝采に呼びもどされて、舞台の正面に出て第三句を歌った。それから彼は気がねのない優雅さで事件のなかへはいっていった。筋書によれば彼は非常な金持で、これがその姿に魅力を添えてますます美しくした。事件が進むにつれて、彼はいろいろな衣裳をつけて現われたが、赤いバンドを締めた雪白の運動服で、ぜいたくな空想的な制服で、それどころか、抱腹絶倒させるきわどい|葛藤《かっとう》のときには、空いろ絹のズボン下さえ出した。その生活ぶりは、侯爵夫人の足下に横たわり、二人の気むずかしい遊女を相手にシャンペンつきの夜食にすわり、根っからばかげた恋敵と決闘の仕度をしてピストルをかざすという、大胆で、放逸で、心を奪う冒険的なものであった。そして、これらの粋な難儀のどの一つとして、欠点のない彼の身なりをそこなったり、|熨斗《のし》を当てた着物の襞を乱したり、光輝を消したり、ばらいろの顔を不快にほてらしたりすることはできなかった。音楽の掟と劇の作法とに縛られると同時にきわ立たせられ、拘束されながらも自由で大胆で軽快な彼の身ごなしは、不注意な几庸さの影だにない優雅なものであった。彼の肉体は、一本の指に至るまである魔力に貫かれているかと見えたが、これこそ「才能」という漠然とした形容に当たるもので、あきらかにわたくしたち皆と同じく彼自身をも楽しませるものであった。彼がステッキの銀の握りを片手で抑えたり、両手をズボンのかくしに滑りこませたりするのを見ると、心から愉快になったが、安楽椅子から立ちあがったり、腰をかがめたり、あちこち歩いたりする彼の様子は得意げなもので、それは心を生の喜びでいっぱいにした。じっさい、そのとおりで、ミュラー・ローゼは生の喜びを、――もしこの言葉が、美しくて完全に幸福なものを見るときに人間のたましいを燃え立たせる羨望、憧憬、希望、恋の衝動というような甘くやるせない感情を言いあらわすものとすれば――生の喜びを押しひろめたものであった。
わたくしたちを取りかこむ平土間の観衆は、市民とその細君たち、店員たち、若い一年志願兵たち、ブルースを着た娘たちの集まりであった。そして、わたくしは何とも言えないほど興がってはいたが、それでもあたりを見まわすだけの落ち着きと好奇心とを持っていて、舞台の演技がわたくしと娯楽をともにしているひとびとに及ぼす効果を尋ね、わたくし自身の感情から推して、まわりにすわっているひとびとの顔を解釈しようとした。これらの顔の表情は愚かで楽しそうであった。目をかすめて無我夢中になって、どの|脣《くちびる》にも共通の微笑が漂っていたが、ブルースを着た娘たちではそれが甘く興奮したもの、細君たちではもっと眠そうな、だるそうな、身も心も捧げるような特色のあるものであったとすると、男たちでは、凡庸な父親が自分のものよりもはるかに高い生活を持った輝かしい息子が、自分の果たさなかった青春の夢を実現させるのを見るときの、あの感動的な熱心な好意を示していた。店員たちや一年志願兵たちはと言うと、あおむいた顔のなかの何もかにも、目も鼻孔も口も大きくひらいていた。同時に彼らはほほえんでいたが、こんなことを考えていたのであろう。もし自分たちがズボン下をはいてあの上に立ったら、どうしてやっていけるだろうか。それにあの男は何と大胆に持ちこたえて、あんなに気むずかしい遊女を二人もあやつることか。――ミュラー・ローゼが舞台を退くと、ひとびとは肩を落としたが、ちょうどある力が観衆から離れてゆくように見えた。彼が腕を挙げて高い音調を持ちこたえながら、勝ち誇った嵐のような足どりで背景から舞台へ躍り出ると、ひとびとの胸は彼を迎えてふくらみ、女たちの繻子の胴着の縫い目もきしむほどであった。実に、この薄闇のなかに集まったひと皆は、物も言わず目も見えず、極楽往生でもするようにきらめく焔のなかへ躍りこむ、夜の羽虫の大群にも等しかったのである。
わたくしの父の楽しみぶりは堂々たるものであった。彼はフランス流儀に帽子とステッキとを広間に持ちこんでいた。幕がおろされると、彼は帽子をかむり、狂気のような喝采に和して、ステッキで音高くつづけざまに床を|衝《つ》いた。「|素晴らしい《エパタン》」と、彼は幾度も低く満足げに言った。しかし、興行が終わって、すべては過ぎ去り、わたくしたちのまわりでは気分を昂められて陶然となった店員たちが、歩いたり話したり赤い手を見たりステッキを取扱ったりするしぐさに、当夜の英雄を真似ようとしているとき、父は外の廊下でわたくしに言った。「おいで、彼と握手しよう。ミュラーとわしとはよく知り合った仲なんだ。わしと再会したら、狂喜するだろうよ」そして、父が母と姉とに入口で待っているよう言いつけたのち、わたくしたちは本当にミュラー・ローゼに挨拶しに出かけたのである。
行く道は、舞台の隣りにあってすでに燈を消した劇場支配人の桟敷を抜け、そこから小さな桟敷戸を|潜《くぐ》って書割のうしろへ出た。半ば闇になった舞台には掃除人夫たちが幽霊のように散らばっていた。劇中でエレベーター・ボーイを演じた小柄な女が、赤い役服を着て、何かの思いにふけりつつ壁に背をもたせていたが、わたくしの気の毒な父は、女のからだが一番広くなっているところをからかいながらつまんで、探している衣裳部屋を尋ねた。彼女は不機嫌に方向を教えてくれた。わたくしたちは上塗りをした廊下を通っていったが、そこの密閉された空気のなかには裸のガス燈が燃えていた。廊下に面した多くの戸口からは、罵声や笑声や駄弁を弄する声が洩れてきた。父は快活にほほえみながら、親指で合図して、この生活の現われ方をわたくしに注意させた。それでもわたくしたちは廊下の下方の狭いところにある一番奥の戸口まで進んでいった。そこで父は、コツコツと叩く指関節のほうへ耳をかしげながら、ノックをした。内からは「誰だい」とか「何だ、畜生|奴《め》」というような返事があった。わたくしは明るいが不機嫌なその呼び声を正確には覚えていない。「はいってもいいかい」と父が尋ねた。すると、その返事は、はいるよりはむしろほかのことをするがいいと言うのであったが、それはこの紙の上には書けない。父は静かに恥ずかしそうに微笑して、「ミュラー、わしだよ――クルル、エンゲルベルト・クルルだよ。握手くらいはさせてもらえるだろう」と答えた。すると内では笑って、「やあ、きみが、老いぼれの放蕩者か。さあ、さあ、はいりたまえ」と言って、わたくしたちが急いではいりかけたところへ、「ぼくは裸なんだが、きみならかまうまい」と言い足した。わたくしたちはなかへはいった、と、忘れることのできない|厭《いと》わしい光景が子供のわたくしの前に現われた。
不潔な机に坐って、斑点のついた埃まみれの三面鏡に向かったミュラー・ローゼは、灰いろのメリヤスのズボン下のほかには何も身にまとっていなかった。袖まくりした男が一人、汗を浴びた歌手の背中をタオルで拭いている一方、歌手自身は、どぎつく光る香油を厚く塗った顔や首を、色のついた脂にまみれている広い布で、せっせとこすり落としていた。顔の半分は、前にその容貌を蝋でつくったように理想的に見せたあのばらいろの層で蔽われていたが、今はすでに色を拭いとった顔の他の半分のチーズのような土色とくらべて、滑稽な赤黄いろに見えた。あの随員に扮してつけた、分け目の通った美しい栗いろの仮髪が脱がれていたから、わたくしは彼が赤毛であることを知った。彼の片方の目はまだ黒く隈取ってあって、|睫《まつげ》には金属ように黒く輝く粉がついていたが、もう一方の目は隈を取り去って、気が抜けたようなふうに、あつかましく、こすられたために赤くなって、訪問者を迎えて|瞬《またた》きをした。こんなことはすべて、もしミュラー・ローゼの胸、肩、背中、上腕の一面に吹出物が出ていなかったならば、がまんできたであろう。この吹出物は赤い縁がついて、化膿した頭を出して、一部分は血がにじんでいる、見るからに嫌らしいもので、今なおわたくしはそれを考えるだけで戦慄を禁じ得ない。嘔吐を催す力は、欲望が活溌であればあるほど大きい、すなわち、そもそも世界とその催し物とに執着する度が熱烈であればあるほど大きい、ということをわたくしは言いたいのだ。冷静で愛情のない生まれつきのひとは、そのときのわたくしが揺り動かされたような嘔吐の感に揺り動かされることはできまい。なおその上に、鉄製のストーヴで過度に熱せられた部屋のなかには、一種の空気――汗と臭いと卓の上にところ狭く並べられた壺や|坩堝《るつぼ》や色脂棒から発散する匂いとがまざった空気が|漲《みなぎ》っていて、最初は、気分が悪くならずに一分間以上このなかで呼吸することができるとは思えなかった。
それにもかかわらず、わたくしは立って見ていたのだが――ミュラー・ローゼの衣裳部屋訪問についてはもう書くべき事実はない。じっさい、もしわたくしがまず第一に自分の楽しみのために、それから第二に読者の楽しみのために自分の回想を記すのでないとすれば、まったく何の理由もなく最初の観劇のことをこうも詳細に書いたことを、自分で咎めなければなるまい。わたくしは緊張とか均斉とかにはまったく注意しないのだ。こういう心遣いは、空想から創作し、考え出した材料から美しい秩序、正しい芸術品を組み立てることに努めているような作者たちにお任せする。わたくしは単に自分自身の独特な生涯を語るのであって、この材料を思いのまま処理してゆく。自分や世界についてとくに教訓し啓蒙してくれる経験や事件には長くとどまって、微細な点までほじくって書いてゆくが、自分にとってあまり価値のないその他のものは、軽くこれを省略する。
そのときミュラー・ローゼとわたくしの気の毒な父とのあいだに交された話は、ほとんどすべて記憶から消えているが、おそらく、わたくしがそれに注意する余裕を持たなかったためらしい。なぜかというに、感覚によってわたくしたちの精神に与えられる運動は、疑いもなく、言葉が精神のなかに生ぜしめる運動よりもはるかに強いからである。わたくしは、観衆の熱狂的な喝采が歌手にその勝利を保証したにちがいなかったのに、彼がたえず、受けたか、どの程度に受けたかと尋ねたことを思い出すが――わたくしは彼の不安な気持をよく理解することができた。それから、彼が会話のなかに織りこんだ|賤《いや》しい趣味の洒落が二つ三つ思い浮かぶが、たとえば、彼は、わたくしの父が何とか|揶揄《やゆ》したのに応酬して、「鼻を|掴《つか》め(黙れの意)」と言い、すかさず、「豚の脚のほうがけっこうかね」と付け加えた。しかし、こういう調子の彼の精神の思いつきには、今言ったように、ただ半分耳をかしただけで、そのときのわたくしは自分の感覚の体験を掘りさげようと熱心に努力していたのである。
それではこの――というのが、まあそのときのわたくしの考えであった――このいろいろなものを塗りたくった癩病やみの人間が、今しがた灰色の群衆が夢みるようなあこがれの目で見あげた、ひとの心を迷わす男なのか。この毛虫のように厭わしい人間が、未だに多数の欺かれた目が美と軽妙と完全との秘密の夢の実現を見たと思っている天国の蝶の姿なのか。この男は、夜の時がくると不可思議に輝くことができる、あの嫌らしい小さな軟体動物にそっくりではないか。しかし、あのように進んで、いや、熱心に、この男に欺かせた大人たち、普通に世故に通じている大人たちは、自分たちが欺かれていることを知らなかったのか。それとも、黙って承知していながら、欺瞞を欺瞞と見なかったのか。おそらく後者のほうであろう。というのも、正確に考えてみて、あの螢は、詩的な火花になって夏の夜空を飛ぶときと、賤しい見栄えのしない生物になってわたくしたちの掌の上にのたうち廻るときと、どちらが本当の姿で現われるのか。それは、用心して決めないがよい。むしろ、前に見たと思う光景、音もなく狂いながら誘いの焔のなかへ堕ちていった哀れな蛾や|蚋《ブヨ》の大群を思い返せ。あんなに一致して、誘惑させるという好意を示したではないか。明らかにここには神みずからが人間性に植えつけた普遍的な欲求が支配していて、ミュラー・ローゼの才能はこの欲求の意を迎えるように出来ているのだ。ここには疑いもなく、人生の家政のために欠くべからざる設備があって、そこの使用人としてこの男が雇われ、賃銀をもらっているのだ。この男は、今日成功し、明らかに毎日成功することに対して、どれほど拍手喝采されても当然ではないか。嫌悪の情を抑えて、彼がこの見る目も厭わしい吹出物をひそかに意識し感じながら、人目を欺く得意げな態度で観衆の前を動きまわることができたという点、そうだ、もちろん、光と脂粉と音楽と距離とに助けられてのことだが、観衆の心の理想を自分のなかに見させ、それによって観衆の心を限りもなく引き立て活気づけることができたという点を、完全に感じ取れ。もっと多く感じ取れ。何がこの無趣味な頓知家を動かして、夜になると自分を光らせる術を学ばせたのか、そこを問え。さきほど彼の肉体を、指のさきまで貫き領していた愛嬌の魔力の、かくれた出どころを問え。これに答え得るためには、螢に光ることを教えるものが、どんなに名づけようのない、言葉ではじゅうぶん甘美に言いあらわせない力であるか、それを思い出しさえすればよい(というのは、おまえはそれをよく知っているからだ)。考えてもみるがよい。この男は、自分が受けた、本当に非常に受けたという保証の言葉を、いくら聞いても聞き倦きることができないのだ。単に、あの何かを求めている観衆の気に入りたいという熱心な気持が、彼をその術に熟達させたのだ。そして、彼が観衆に生の喜びを与え、観衆はその代りに彼を喝采で飽かすとすれば、これはたがいに満足させることであり、彼の欲求と観衆の欲求とが遭遇して結婚式を挙げることではないか。
第六章
右に記したのは、わたくしの精神が興奮して熱心に、ミュラー・ローゼの衣裳部屋で進めた考え方をあらまし示したものだが、わたくしの精神はこれに続く数日間、いや、数週間、幾度も幾度もこの考え方に従って努力し夢想したものだ。この精神の探究の結果は、いつも、深い感動、憧憬、希望、酩酊、歓喜で、はなはだ強烈なものであったから、今でも、非常に疲れているにもかかわらず、このことを思い出すだけでわたくしの心は鼓舞されて、動悸を早める。しかし、当時、この感情はすこぶる激しい力を持っていて、ときにはわたくしの胸を張り裂かんばかりであったし、じっさいわたくしを幾分病気にして、学校をさぼる原因になるのもまれではなかった。
学校というこの憎い施設に対するわたくしの次第に高まってゆく反感の理由をことさらに述べるのは、余計なことだと思う。わたくしが生きてゆける唯一の条件は、精神と空想とを束縛されないということであって、それだから長年にわたって獄務に服した思い出は、あの小都会にあった箱のような白壁の家の、見かけは名誉のある訓育が、感じやすい子供のたましいに叩きこんだ奴隷根性と恐怖心との|桎梏《しっこく》を思い出すよりも、心に触れて厭わしくない。さらに、前にその原因を書いておいたわたくしの孤立状態を考えあわせるならば、わたくしが早くから日曜祭日にかぎらず通学を免れようと考えたことは、不思議とは思われないであろう。
こういう場合、長らく遊び半分に父の手蹟の真似を練習していたことが、立派に役に立ってくれた。父親というものは、いつも、自分を開発して大人の世界へはいろうと努める子供の、自然的な、最も手近な模範である。|骨骼《こっかく》の神秘的な類似と相似とに助けられて、子供は父親の立居振舞をわがものにすることを誇りとするのだが、これは、子供の無器用さが父親を賛美するのである――または、もっと正確に言うと、この賛美が、遺伝によってわたくしたちのなかにあらかじめ作られているものを、半ば無意識にわがものにし発達させるのである。いつかは父のように早く、事務的に軽々と鋼鉄ペンを操ろうというのが、まだ|罫《けい》を引いた石盤に下手な字を書いていたときからわたくしの夢になっていたが、のちには、父とちょうど同じ仕方で指をすらりとペン軸に当てて、父の手蹟を記憶から出して真似ようと、幾枚の紙に字をぬたくったかも知れない。これはむずかしいことではなかった、と言うのは、もともとわたくしの気の毒な父は、途中では全然書きやめない習字本通りの子供のような字を書いたからだが、ただ文字がばかに小さくて、ほかでは決して見たことのないほど非常に長い肉細な線で離れ離れに引き分けられていた。この書き方をわたくしはたちまちのうちに本物と見まがうくらいわがものにしてしまった。≪E. Krull≫という|花押《かおう》は、尖ったゴシック式の本文にくらべるとラテン的な書き方を見せて、渦巻模様に巻かれていた。この渦巻模様は、ちらと見たところでは真似るのがむずかしいように思われたが、単純な工夫のものであったから、わたくしは署名をすることにこそはほとんどいつも完全に成功した。すなわち、Eの下半分はずっと突き出て好ましい形に反り、その開いた膝のなかへ、真似をした小さい綴が綺麗に書き入れられた。しかし、上からは、uの|鉤《かぎ》をきっかけにして全体を初めからつつむ第二の渦巻模様が加わり、これはEの反りを二度切って、これと同じく横に飾り点をつけられて、太いS字形になって下へ流れていた。全体の形は幅広いというよりは縦に長く、バロック式で子供らしい工夫のものであったが、それだからこそ真似るにはしごく誂えむきで、花押の創案者自身でさえ、わたくしの書いたものをおのれの手になるものと認めたにちがいない。ところで、最初は自分の慰みだけに練習して得たこの器用さを、精神的自由のために役立てようと考えたのは、自然なことではあるまいか。「愚息フェーリクスこと」とわたくしは書いた、「本月七日苦しき腹痛のため余儀なく欠席致候間、右遺憾ながら証明仕候――E・クルル」また、こんなふうにも書いた、「愚息フェーリクスこと本月十日より十四日迄外出仕らず残念ながら通学を欠きしは、|歯齦《はぐき》の膿様腫瘍並びに右腕脱臼の故に候。敬具――E・クルル」これが成功すると、もうわたくしを妨げるものはなかった。一日または数日の課業を怠けて、わたくしはその小都会の近郊一帯を自由にぶらつき、緑の草地や葉ずれの音を立てる木蔭に寝ころんでは、自分の若い心に浮かぶ独特な思想を追いまわし、ラインの流れに面した昔の大僧正の城の絵のように美しい壁のあいだにかくれては、幾時間も夢想にふけり、また、天気のきびしい冬時には、名親シムメルプレースターのアトリエに隠家を求めた。名親はわたくしの所行を叱ったものの、その口調には、わたくしがそんなことをする理由を尊敬することができるという様子が見えた。
しかし、ときには学校日に病気と称して、家に、それもベッドのなかにとどまることもまれではなかったが、前にも明らかにしておいたように、精神的な理由がなかったわけではない。わたくしの説に従うと、何ら高い真理に基づかないまっ赤な嘘にすぎないようなごまかしは、すべて無器用で不完全で、だれの目にも見抜かれてしまう。はしからはしまで詐欺の名に値するというのではなく、完全に現実の世界にはいりこんでいるわけではないのだが生き生きとしていて、世間に認められ受け入れられるのに必要な物質的特徴を持っている真理が仕掛けるものにほかならぬような詐欺だけが、ひとびとのあいだで成功し|溌剌《はつらつ》たる効果を持つ見込みがあるのだ。わたくしはよく出来た子供で、軽微な経過をとる小児病を除いては、本気になって心配するほどの病気になることはなかったが、朝起きたときに、わたくしを不安と圧迫とで脅かすその日を病人になって過ごしてやろうと決心しても、手荒な嘘を使いはしなかった。わたくしは、自分の精神という暴君の力を、思いのままに|萎《な》えさせる術を自分が持っていることを知っていたのだから、手荒な嘘を使おうという努力をしなければならないわけはなかったのである。いや、前にその特徴を明らかにしておいたが、苦痛にまで高まったあの瞳孔の拡大と収縮とは、ある思考過程の結果であって、当時頻繁にわたくしを動きのとれぬようにしたものだが、強制労働にも似た毎日の仕事の厭わしさを嫌悪する心と相|俟《ま》って、一つの状態をもたらし、この状態が、わたくしの人をだます行為に確実な真理のこもった理由をつけてくれて、医者や家のひとたちを心配させ、いたわる気持にならせるのに必要な表現手段を無制限に与えてくれたのであった。
わたくしは、きょうは自分自身と自由とのものになろうという決心が、まったく簡単に、数秒間のうちに、ひるがえすことのできない必然的なものになってしまうと、見物人が出てくるのを待たずにさっそく、自分だけにすでに自分の健康状態を示しはじめたものである。起床のぎりぎりの時刻は、とつおいつ考えているうちに過ぎてしまう。食堂では女中に用意された朝飯が冷める。小都会の鈍感な子供たちはちょこまかと学校へ走ってゆく。仕事日が始まってしまう。そして、自分はひとりで独立して、仕事日の横暴な秩序の外へ出ようという決心がつく。この大胆な状態がわたくしの心臓や胃を襲って、気が気でない思いをさせる。わたくしは、指の爪が薄青い色を帯びたことを確かめる。おそらくこういう朝は冷えびえしていたから、わたくしは二、三分間夜具を取りのけて、部屋の気温にからだを|曝《さら》しさえすればよかった。じっさい、もともと自分をすこしほったらかして気をゆるめさえすれば、すこぶる印象的な、歯をがたがた震わせる悪寒の発作をひき起こすことができたのだ。ここに言っていることは、わたくしの性質の特徴をなすもので、わたくしの性質は昔から奥底に悩みのある、世話をしてやらなければならないものであったから、わたくしの生活が忙しく活動して示すものはすべて、自己克服の所産、いや、優れた道徳的所行と認めなければならないものである。もしそうでなければ、その当時もまたのちにも、肉体とたましいとを任意に弛緩させるだけで、なるほどと思わせる病人らしい様子を自分に与え、必要とあれば、周囲のひとびとの心を動かして、やさしい人情を起こさせるということはできなかったであろう。真に迫って病気のていを装うことは、筋骨たくましいひとにはほとんど成功すまい。しかし、上質の木で刻まれているひとという、この目に見えるような言い方をここにも用いれば、こういうひとは、あらっぽい意味で病気でなくても、常に病気と親しんでいて、内心の観察によって、病気の目印になるものに通暁する。わたくしは目を閉じて、それから目にもの問うような訴えるような表情をいっぱい満たして、グヮッと広く開いた。鏡を見るまでもなく、わたくしは、頭髪が寝乱れてバラバラと額に落ちかかり、この瞬間の緊張と興奮とが顔色を蒼白く見えるようにしていることを知っていた。また、やつれたように見えるために、わたくしはひとりで工夫して試した方法を用いたが、それは頬の内側の肉を軽く、ほとんど目立たぬくらい歯のあいだに挟むことで、そうすると頬が|窪《くぼ》み、|頤《あご》が長くなって、夜のあいだに生じた憔悴という見せかけが得られるのであった。鼻翼が感じやすく|顫《ふる》えることも、外側の|眥《まなじり》の筋肉があたかも痛そうに頻繁に収縮することも、どちらもその仕事を巧みにやってのけた。わたくしは爪の青みがかった指を胸の上に組んで、横の椅子の上に洗面盤をのせて、ときどき歯をカチカチいわせながら、だれかがわたくしを探しにくる瞬間を待っていた。
この瞬間はなかなか来なかった、というのも、わたくしの両親は朝寝が好きであったからで、わたくしの家を出なかったことが気づかれるまでには、二時間か三時間の授業時間が過ぎていたものである。その頃になって母が階段をあがってきて、「病気なの」と尋ねながら部屋へはいってきた。わたくしは、彼女が誰なのか見分けるのがむずかしいというような、または、自分にはこの状態がどういうものかはっきりわからないというような、大きな変な目つきで彼女を見つめて、ええ、確かに病気にちがいないと思う、と答えた。――「で、どこが悪いの」と彼女は尋ねた。――「頭が……。関節が痛い……。どうしてこんなに寒気がするんでしょう」と、たえず一方から他方へ寝がえりをしながら、わたくしは単調に萎えたような舌つきで答えた。母は同情を覚えた。彼女が本当にわたくしの病気を本気にしたとは思えない。しかし、彼女の感性は理性をはるかに|凌駕《りょうが》していたから、この遊びから離れるに忍びないで、いっしょに芝居に加わり、わたくしの演芸に伴奏をつけ始めるのであった。「かわいそうに」と彼女は言って、人さし指を頬に当ててうれわしげに頭を振った。「そして何も食べたくないのかい」|顫《ふる》えながら、わたくしは|頤《おとがい》を胸に押しつけて、何も食べたくないと言った。わたくしの態度がどこまでも鉄のように首尾一貫していることが、彼女の興を醒まし、彼女を本当にあきれさせ、いわば共同の幻想を楽しむことから彼女を引き離した。幻想のために飲食物を思い切ることができるなどということは、彼女の理解力の及ばないことであったからである。彼女は現実を吟味するときの目つきで、改めてわたくしを吟味した。しかし、彼女の実際的な注意がこの点に達すると、わたくしは、彼女の心を決定させるために、最も全力を尽くす最も効果の多い手管を演じた。突如としてわたくしはベッドのなかに立ちあがり、ガタガタ顫える飛ぶような身ごなしで洗面盤を引き寄せ、全身残らずもの凌く|痙攣《けいれん》させたり、|捩《ね》じ|歪《ゆが》めたり、収縮させたりしながら盤の上に屈みこんだが、このような激しい苦しみを見て心を動かされないためには石の心臓を持っていなければならないほどであった。「何もはいっていない……」と|喘《あえ》ぎながら合の手を入れて、わたくしは不快そうな苦しそうな顔を盤から挙げた。「夜のうちに、すっかり出してしまったんだ」それからわたくしは、喉が詰まる恐ろしい痙攣という奥の手の長期発作をして見せることに決めたが、それはもう二度と息をつくことはできまいというまでに見えた。母はわたくしの頭を抑え、正気にもどそうとして、気づかわしげな切迫した声で幾度もわたくしの名を呼んだ。ついにわたくしの手足が|弛《ゆる》みはじめると、彼女はすっかり圧倒されて、「デュージングを呼びにやるよ」と叫んで、部屋を走り出た。ぐったりと疲れたが、何とも言えない喜びと満足とを感じながら、わたくしは|褥《しとね》のなかへ沈みこんだ。
こういうことを実際にやって見せる勇気が出るまでは、わたくしは幾度こういう光景を思い描いたかしれない、幾度それを心のなかで練習したかしれない。他人にはわからないかもしれないが、初めてそれを実際にやって見せて完全に成功したとき、幸福のあまりにわたくしは夢を見ているのではないかと思った。こんなことは、だれしもやることではない。やってみようと夢想はするが、やりはしない。今もし何か感動させるようなことが自分の身に起こるならば、とはひとのよく考えることだ。気を失って倒れるなら、口から血を吐いて、痙攣に襲われるなら――そうすれば突然、世間のひとたちの冷淡や無関心は、注意や恐怖やさきに立たぬ後悔の念に変わるのだ。しかし、肉体は頑強に鈍感に持ちこたえるもので、たましいのほうではとっくに同情とやさしい看護とを欲しがっているのに、屈服しないで、皆の目の前に自分も苦しむことがあるのだと思わせるような光景を見せ、恐ろしい声で世間のひとびとの良心に呼びかける、あの警報を伝えるあきらかな病的徴候を与えてくれない。ところが、わたくしはこの病的徴候をつくり出した。そして、もしそれがわたくしのほうで何もしないで現われたものであったとすれば、どんな作用でも及ぼすことができたろうと思われるほどに、完全な効果を持たせた。わたくしは自然を改良して、一つの夢を実現させたのだ、――そして、だれにしろ、無から、まったく観念的な事物の知識と直観とから、つまり、空想から、おのれの身を大胆に働かせて、異論の余地のない有効な現実を創造することができたひとなら、当時わたくしが自分の創造を終えて休むときに感じた、不可思議な夢のような充足の気持がわかるのだ。
それから一時間のちに衛生顧問官デュージングがやって来た。彼は、わたくしの出産をなし遂げたあの老メークム医師が亡くなって以来、うちのかかりつけの医者になっていたが、直立した灰いろの頭髪を持った、姿勢の悪い、|屈《かが》んだ、背の高い男で、たえず、長い鼻を親指と人さし指とのあいだに入れるかと思うと、こんどはそのかわりに、大きな骨張った両手を擦りあわせるのであった。この男はわたくしの危険になりかねなかったのだが――医者としての彼の技倆のためではない。彼は技倆には乏しかったと思う(それに、学者として科学のために真面目に勉励するというような優れた医者こそ、最もたやすく欺くことができるのだ)。彼がわたくしの危険になりかねなかったのはその拙劣な俗才のためで、たいていの下らぬ人間と同じく、これが彼の性格の特徴をなし、彼の能力はすべてこの俗才に基づいていた。ばかなくせに努力家で、この医術の神エスクラープの不肖の弟子は、個人的なひっかかりや飲屋での顔見知りや|贔屓《ひいき》関係を通じて衛生顧問官の称号を手に入れたのだが、しげしげとヴィースバーデンへ通って、もっと立身出世をして高位にありつこうものと、その筋に対して運動していた。そういう彼の特色をよく現わしていることで、わたくしも自分で見て知っているのだが、彼は患者控室で順序順番に従わず、金持で名望のある受診者を、長いあいだ待っている普通の受診者よりも公然とさきにはいらせたし、また、境遇がよくて何かと勢力のある患者は誇張した不安や|愚癡《ぐち》を使って診察するかわりに、貧乏な勢力のない患者を診察するときは無愛想で不機嫌で、それどころか、そういう連中が訴える苦痛は根も葉もないものだと言って、はねつけることもあった。もしそうやればその筋の覚えがめでたくなり、それでなくても熱心な党人だとして時の勢力者の気に入るようになると思いさえすれば、彼はどんな偽証、どんな堕落、どんな陰謀でも厭わなかったろうとわたくしは確信しているが、これは彼の賎しい世間心にふさわしいものであったし、高い才能を持たない彼はこの世間心で成功しようと望んでいたわけだ。さて、わたくしの気の毒な父は、その地位は疑わしかったにもせよ、実業家として納税者として、ともかくその小都会の名望家の一人であったから、その上、この衛生顧問官が、かかりつけの医者として幾分わたくしの家のお蔭を|蒙《こうむ》っていたから、それからまた、おそらく彼は|悖徳《はいとく》なことをする機会をいつも喜んで捉えたからにすぎなかったのかも知れないが、このみじめな奴は、本当にわたくしと共同のことをしなければならないと思ったのだ。
いつでも、彼があの普通におこなわれている叔父さんめかした医者口調で、たとえば、「よし、よし、どうしたんだね」とか「いったい何ごとかね」とか言いながら、わたくしのベッドに近寄ってきて、身を屈めて、ちょっとわたくしの顔色をうかがいながら尋ねたとき、いつでも、――とわたくしは言うのだが、彼のほうから、ある沈黙が、ある微笑が、ある目くばせがわたくしを促して、こっそりと同じやり方で彼に答え、わたくしが、彼の下劣にも「学校病」と呼びたがった病気にかかっていることを白状させようとした。一度たりともわたくしは、こればかりも彼の意を迎えるものではなかったが、そうさせなかったものは、細心というよりも(と言うのは、おそらくわたくしは彼を当てにしてもよかったのだから)、むしろ自負と軽蔑とであった。わたくしと手を握ろうとする彼の試みに対して、わたくしの目はますます曇って途方に暮れ、頬は窪み、脣は|弛《ゆる》み、呼吸は短く切迫するばかり、もしそうするがいいと思われたなら、彼にも痙攣の発作をご馳走してやる用意をすっかり整えて、わたくしは頑として理解しない態度でこの試みに対抗したから、遂には彼が負けを白状し、俗才を捨てて、科学によって事態に近づくことを甘受しなければならなかった。
これは彼にとって骨の折れることであったろう。第一に彼が無知だからだが、第二に、わたくしが示したものは、実際のところ非常に一般的な漠然とした病気の姿であったからだ。彼はあらゆる方面からいろいろとわたくしを聴診し打診し、スープ|匙《さじ》の柄を喉頭へ突っこんで、検温器を当てるなどの厄介な目にあわせたが、さて、とにかく何とか診断をくださなければならなかった。「偏頭痛です」と彼は説明した。「ご心配には及びません。われわれはフェーリクス君にはこういう傾向があることを知っているのですからね。残念なことには、胃がまき添えを食って大いに苦しんでいます。安静にして、訪問はやめ、会話を避けることをおすすめしますが、部屋を暗くするのが一番いいでしょう。それから、クエン酸カフェインがとてもよく効きます。その処方をお書きしましょう……」しかし、ちょうどその小都会にインフルエンザがいくらか発生していたときには、彼はこんなふうに言った。「インフルエンザです、クルルの奥さん、それも胃が悪いのでいっそういけなくなっています。そうです、フェーリクス君もインフルエンザにやられたのです。気管の炎症はまだ大したものではありませんが、あることはあります。そうでしょう、きみ、咳が出るでしょう。体温上昇も確認されますが、今日中にもっと高まるものと思われます。それから脈搏が著しく早くて不規則です」そして、彼は野暮なことにも、薬局にある苦甘い強壮剤のぶどう酒を飲むようにすすめるのであったが、とにかく、わたくしは喜んでそれを飲んだし、それは戦いに勝ったのちのわたくしを、暖かな静かに満足した気分にならせるのであった。
言うまでもなく医者の職業も、これに従事している者の大多数が、ありもしないものをあると見るし、歴然としてあるものをないと言いがちな平々凡々のばか者だという点で、他の職業の異例をなすものではない。肉体のことに精通してこれを愛しているひとならだれでも、医学の素養がなくても、肉体の微妙な秘密を知っていることにかけてはこのばか者たちに勝るし、彼らを|瞞《だま》すにもわけはないのだ。わたくしは気管が炎症を起こしていると言われたが、これは全然あらかじめ考えたことではなく、暗示ほどにもわたくしの演技のなかに取り入れられはしなかった。しかし、衛生顧問官は、わたくしが「学校病」にかかっているという通り一遍の想像を捨てるように強いられたので、やむを得ず、わたくしがインフルエンザにやられたことにして、この診断を支持するために、わたくしが|咳嗽《せき》の刺激を感ずることを望み、わたくしの扁桃腺が|腫《は》れていることを主張したのだが、これも腫れてなどいなかったのだ。体温上昇については、彼の確認は確かに正しかったが、もちろん、この臨床現象に関して彼が学校で得た信仰の嘘をあきらかに咎めるものであった。医学は、熱はかならず発病素による血の中毒の結果で、身体的原因以外の原因から発熱することはないと主張する。滑稽なことだ。読者は確信を得られたであろうし、わたくしは名誉にかけて読者にお誓いするが、衛生顧問官デュージングが診察したとき、わたくしは見えすいた意味で病気なのではなかったのである。ただし、その瞬間の興奮、わたくしが引き受けた冒険的な意志の行為、病人としての自分の役割に熱心に没頭したことと、滑稽に堕さないためにはどの瞬間にも完全な名人芸でなければならなかった自分のからだの狂言とによって生じた一種の酩酊、ある非現実的なことが自分にも他人にも現実になるために必要であった、緊張であると同時に虚脱でもあるようなふうの|恍惚《こうこつ》境、というようないろいろな影響が、わたくしの挙動を、わたくしの全組織の活動をすこぶる高揚したから、衛生顧問官は事実これを検温器から読みとることができたのだ。|心悸亢進《しんきこうしん》も同じ原因からすぐ説明される。すなわち、衛生顧問官がわたくしの胸に頭をあてがって、わたくしが彼の乾いた灰いろの頭髪の動物的な臭いを嗅いでいるあいだ、わたくしは不意に激しい感情を起こして、心臓の鼓動にとどこおるようなまた躍り進むような拍手を与えることが完全にできたのだ。最後に、デュージング博士がいつも、どんな診断をくだしても、衰弱していると言ったわたくしの胃のことになると、この器官はもともと非常に|傷《いた》みやすく出来ていて、興奮しやすかったから、感情が動くたびに鼓動を始めるのであって、それどころか、わたくしは異常な境遇に陥ると、他のひとびとのように動悸が打つのではなく、胃悸が打つと言わなければならないほどなのである。衛生顧問官はこの現象を認めたのだが、これは誤たずにその印象を彼に与えたのであった。
そこで彼はわたくしのために、すこし酸味のある錠剤か苦甘い強壮剤ぶどう酒の処方を書いて、それからも暫くわたくしの母を相手にベッドの横でむだ口を叩いていたが、わたくしは弛んだ脣から切迫した呼吸をしながら、光沢のない苦しげな目で天井を見あげていた。わたくしの父もこういう場合によくその仲間入りをしたが、わたくしの目を避けながら、当惑した表情でわたくしのむこうを見て、この機会を利用しては、衛生顧問官に痛風のことを相談するのであった。ひとりきりにされて、わたくしはその日を――つづく二、三日をも――僅かとは言え、それだけますます口に合った食事をして、平和に自由に、世界や将来のことを甘く夢想しながら過ごした。しかし、濃いスープとビスケットとがわたくしの若い食欲を満足させないときには、用心深くベッドを離れて、音のしないようにそっと自分の小さな書卓の蓋を開け、そのなかにほとんどいつもかなりの量を貯えてあるチョコレートで埋合わせをつけるのであった。
第七章
どこからわたくしはチョコレートを持ってきたのか。それは、特殊な、いや、空想的な方法でわたくしのものになっていたのだ。というのは、その小都会のなかに、かなり活況を呈している商業街の一角に、小綺麗に人目を引くように飾りつけた菓子食料品店があって、ヴィースバーデンの商会の支店であったと思うが、上流階級の購買店になっていた。わたくしの通学の道は、毎日わたくしにこの食欲をそそる場所の横を通らせたし、もう幾度となくわたくしは、ニッケル貨を握って、自分の財力に応じた何か安い菓子、二つ三つの果汁入りドロップや咳止めボンボンを買って自分で食うために、その店にはいったことがあった。ところが、ある昼時のこと、店にはだれもいなかった。それも、買う人がいないばかりでなく、売る人もいなかった。入口の戸の上の鈴は、あけたてするときに短い金属棒の尖頭に掴まれて揺り動かされる普通の鈴で、これは鳴ったのだか、|襞《ひだ》のある緑いろの布でガラスを蔽った戸のうしろにある奥まった部屋でその音を聞き洩らしたのか、それとも、そこにもその瞬間にはだれもいなかったのか、わたくしはいつまでもひとりであった。自分をとりまく人気なさと静けさとのために、意外ないぶかしい夢のような気持にさせられて、わたくしはあたりを見まわした。前には一度もこんなに自由に邪魔をされずに、このぜいたくな場所を見ることができなかったのである。そこは広いというよりはむしろ狭かったが、天井が非常に高くて、ずっと上までたくさんの美味が詰めてあった。ハムやソーセージが円天井も暗くなるほどぎっしりと詰まった列をなしていたが、ソーセージには、白いのや、黄土いろのや、赤いのや、黄いろのや、弾丸のように張り切った円味のあるのや、長いのや、結節状のや、綱のようなのや、ありとあらゆる色や形のものがあった。罐詰類、ココアや茶、マーマレードや蜂蜜やジャムを入れた色とりどりのガラス壜、リキュールやポンス・エキスを入れた細長い瓶や|膨《ふく》れた瓶が、まわりの壁際を床から天井までいっぱいにしていた。店台のガラスの陳列箱のなかには、|鯖《さば》、やつめうなぎ、ひらめ、うなぎなどの燻製魚が、皿や鉢の上にのせられて|翫味《がんみ》を求めていた。イタリア風サラダを盛った平鉢も、やはりそこに置いてあった。氷塊の上には海ざりがにが鋏をひろげていた。ぴったりと押し合わされた|鯡《にしん》が蓋のない小箱のなかで黄金いろに脂ぎって輝いていた。選り抜きの果物、約束の地カナンのそれを思わせるような苺やぶどうの実が、|鰯《いわし》の罐詰や、塩漬の≪はらご≫と鵞鳥の肝のパイとを入れたうまそうな白い深鍋の小積みと、かわりあいに置いてあった。肥飼いした鳥が、上の方にある平鉢から、羽根をむしられた頸をたらしていた。かたわらに脂じみた細長い庖丁があるところから見て、切り売りされるものだとわかる肉類、|焙肉《あぶりにく》、ハム、舌、燻製の鮭、鵞鳥の胸肉などは、ずっと上の方に列べてあった。大きな鐘形のガラス蓋が、煉瓦色のや、乳白色のや、波形をつけたのや、うまそうな金いろの波になって銀いろの包みから流れ出すのや、考えられる限りのいろいろな種類のチーズの上に円屋根をつくっていた。そのあいだには食用朝鮮|薊《あざみ》、縁のアスパラガスの束、|松露《しょうろ》の小堆み、錫箔に包まれた高価な小さい肝臓の腸詰が、あり余るさまを誇るがように配置され、側卓には上等のビスケットをいっぱい詰めた蓋なしのブリキ罐がのせてあり、|褐《かち》いろに輝く蜜入菓子が十字形に積み重ねられ、食後のボンボンや砂糖をかけた果物を入れた|甕《かめ》形のガラス皿が高々と立っていた。
わたくしはうっとりとして立ち、聞き耳をそばだてながら、ためらう胸で、この場の甘い雰囲気を迎えたが、そのなかにはチョコレートや燻製魚の香が、松露から発散される気持のよい|黴《かび》の臭いにまざっていた。わたくしの感覚を捉えたものは、童話のような観念、極楽境の思い出、幸運児たちが何はばかるところもなくポケットや長靴のなかに宝石を詰めこんだという地下の宝庫の思い出であった。じっさい、それは童話でなければ夢であったのだ。わたくしは、仕事日の重苦しい秩序や法則がなくなったこと、普通の生活で欲望に逆らう|障碍《しょうがい》や煩わしい虚礼が、ふんわりと浮かぶような幸福な方法でかたづけられたことがわかった。珍味|佳肴《かこう》に充ちみちたこの一角が、まったく自分ひとりきりに従属しているのを見るうれしさが、突然強く心を捉えたので、わたくしはそのうれしさをからだじゅうに痛がゆいほど感じた。これほど多くの新奇と自由とに対する激しい喜びのあまり、ワッと歓喜の叫びを立てないように、自制しなければならなかった。わたくしは「こんにちは」と人気のないところへ言ったが、今でも、そのときの自分の声の圧し殺した不自然な響きが、静寂のなかに消えていったのが聞こえるような気がする。返事はなかった。そして、その瞬間、わたくしは文字どおり流れるように|垂涎《すいぜん》した。すばやく、音もなく、菓子を並べた側卓の一つに一歩近寄って、一番手近なチョコレート・ボンボンを詰めた水晶皿のなかを思いきり一掴みして、|拳《こぶし》の中身を外套のポケットヘ滑りこませて、戸口ヘ着いて、つぎの瞬間にはわたくしはもう町角を曲がっていた。
疑いもなく、わたくしがそこでしたことは、賤しい|窃盗《せっとう》であったと抗議されるであろう。それに対してはわたくしは黙って引きさがる。というのは、もしひとがそれで得心するというなら、このあさましい言葉を使うことを、わたくしはだれにも禁ずることができないし、禁じもしないからである。しかし、言葉というものは――安っぽい、使い古された、人生に下手な手出しをすると言ってよい言葉というものは、生き生きとした、独創的な、永遠に若い、永遠に新鮮で、一回かぎりのもので、比較することができないという性質を持って輝く行為とは別のものである。ただ習慣と怠惰とがわたくしたちをだまして、この二つを同一のものと思わせるのだが、むしろ、言葉というものは、行為を言いあらわすというかぎりでは、決して当たらない|蠅叩《はえたた》きに等しい。それに、行為が問題になるときには常に、まず第一に来るのは|何を《ヽヽ》でも|いかに《ヽヽヽ》でもなく(|いかに《ヽヽヽ》のほうが重要だが)、ひたすら|だれが《ヽヽヽ》ということである。わたくしがこれまでに為したことは、明白に|わたくし《ヽヽヽヽ》の行為であって、熊公八公のそれではない。そして、わたくしは、ひとがそれに無数の他の行為につけるのと同じ名をつけたこと、とくに市民裁判権のやり方を甘受しなければならなかったとはいえ、わたくしには、自分が創造力の寵児で、まさしく選抜された血肉の人間だという、不可思議ではあるが揺がしがたい感情があって、心のなかでは常にこの不自然な同等扱いに反抗してきた。――万が一にあるかも知れない読者に、こうもまったく純粋な考察にそれたことをお詫びするが、この道草は、あまり学問がなく、考える権能を持つ官職についているのではまったくないわたくしには、おそらく似合うまい。しかし、わたくしは、できるだけ読者とわたくしの生涯の特異性とを和解させるか、もしそれができなければ、手遅れにならないうちに、読者にこの紙片をめくりつづけることをやめさせるのを、自分の義務だと思うのである。
家へ帰りついたわたくしは、外套のまま自分の部屋へはいって、持ってきたものを机の上にひろげて吟味した。わたくしは、それが持ちこたえて残っているだろうとはほとんど信じていなかった。それというのも、夢のなかでは貴重なものが、手にはいるが目をさましてみると、手は空っぽということがよくあるからだ。|恍惚《こうこつ》たる夢に施してもらった財宝が、明るい朝になって、現実に掴み得るように蒲団の上にある、いわば夢の残りになっている、というさまを想像するひとだけが、わたくしの熱いよろこびを幾分ともにすることができるというもの。そのボンボンは最上品で、色のついた|錫箔《すずはく》につつまれ、甘いリキュールと上品な香のクリームとが詰まっていた。しかし、そもそもわたくしを酔わせたのは、ボンボンが上等なものだということではなく、ボンボンが現実のなかへ救い出すことのできた夢の財宝に見えたという状況であった。そして、これは心からの喜びであったから、ときどきまたその喜びを作り出すよう心がけざるを得なかったのである。ひとはこの事実を何とでも解釈するがよい――わたくし自身は、それを|穿鑿《せんさく》するのが自分の任務だとは思わなかった。事情はこうで、この菓子食料品店は昼時にはときどき空で店番がいなかった――それは頻繁なことでも規則的なことでもなかったが、長かったり短かったりする間隔をおいて、そんなときがくるのであった。わたくしはランドセルを背負って、この店のガラス戸のそばを通りすぎるとき、そのことを確かめたのである。店番がいないと見てとると、わたくしはなかへはいっていったが、非常に細心の注意を払って戸を開け|閉《た》てすることができたから、鈴は決して鳴らず、|撞槌《つち》がそれを動かさないで音もなくこするだけであった――万一の場合を|慮《おもんばか》って「こんにちは」を言い、そこにあるものを手早く取ったのだが、図々しくたくさんではなく、――ひと|掴《つか》みの菓子、ひとくくりの蜜入|胡椒《こしょう》菓子、一枚の板チョコレートというように――適度に選んで取ったのだから、一度でも何かなくなっていると気づかれたことはまずなかった。しかし、自分の本質を比較のできぬほども拡張したことは、人生のいろいろな菓子を自由に夢みるように掴みとることになったのだが、わたくしはこのことのなかに、ある種の考え方と精神的探究との結果として以前からよく知っていたあの|得《え》もいわれぬ感情を、ふたたびあきらかに認めたと思ったのである。
第八章
未知の読者よ、まず流暢な筆をかたわらに置いて、二、三熟考して気をしずめた上、さて、わたくしはこれまでの告白中でもすでにいろいろと触れてきた領域にはいるのだが、誠実が強いてそれを詳しく語らせるのである。前もってことわっておくが、ここでわたくしがふしだらな口調を使い、いかがわしい冗談を言うとでも期待するようなひとは、幻滅させられるであろう。むしろ、わたくしは、これからさきの文章では、この手記の冒頭で約束した率直さに道徳美風が命ずるかの抑制と真面目さとを念入りに結びつけるつもりなのだ。というのも、わたくしは、一般があのように猥談を慰みにするのがわからないし、口の放埓をいつも最も厭うべきものと思っているからだが、これは最も軽率なもので、情熱を口実にして申しわけをすることなどできないのである。ひとびとがあのように茶化したり駄洒落を言ったりしているのを聞くと、まさしく世の中で一番ばかげた一番笑止千万なことが問題になっているというように見えるが、事実はその正反対で、あつかましい、みだりがましくふざけた口調であのことを話すのは、自然と人生との最も重大な最も神秘なことを、賎民の|嘶《いなな》き声にまかせるというものなのだ。――だが、わたくしの告白へ進もう。
まず第一にわたくしは、あのことが非常に早くから、わたくしの生活のなかで一役を演じ、わたくしの考えを捉え、わたくしの夢想と子供じみた楽しみとの内容をなしはじめたことを言わなければならないのだが、すなわち、そのことに何とか名をつけるとか、その複雑な一般的な意義を想像することができるとかいうよりもずっと前のことであったから、わたくしは、ある種の観念に対する生き生きとした愛着と、そのことに感ずる身にしみこむような楽しさを、長いあいだ、他人にはまるきりわからないまったく自分だけの独特なものだと思っていたのである。しかし、これは奇異なことであるから、むしろ、語るべきではあるまい。これに対する本当の名称がなかったので、わたくしは、この感情と暗示とを自分では「最善のもの」または「大きな喜び」という名で総括して、貴重な秘密として守っていた。しかし、こういうふうに|嫉妬《しっと》深く秘密にしていたおかげで、それから、わたくしの孤立状態のおかげで、また、第三には、すぐつぎに語るいま一つの契機のおかげで、わたくしは長いあいだこの精神的童貞の状態にとどまっていたのであるが、それとわたくしの活溌な感覚とはほとんど一致しなかった。というのは、わたくしが「大きな喜び」と名づけたものは、考え得るかぎりの長いあいだ、わたくしの内生活のなかに支配的地位を占めていたのであって、そのはたらきは、明らかに、わたくしの記憶の限界のはるか彼方に始まっているからである。すなわち、子供たちはなるほど知らないのであって、この意味では童貞だが、しかし、真の純潔と天使のような神聖という意味で童貞だというのは、疑いもなく、冷静な吟味には堪え得ない感傷的な迷信である。すくなくともわたくしは、争う余地のない出どころから(それはすぐもっと詳しく書くが)、わたくしがすでに乳児のときに、乳母の胸で、きわめて明らかな感情のしるしを見せたということを聞いているが、――これは、わたくしがいつもすこぶる信じ得べきものに思い、わたくしの熱心な性質の特色を示すものと思っている言い伝えである。
事実、わたくしの恋を楽しむ才能は奇蹟に類していた。今でも信じているが、常規をはるかに|凌駕《りょうが》していた。こういうことを推量する理由は早くからあったのだが、この推量を確信に高めるのがあのひとの運命で、乳母の胸でわたくしが目ざめた態度を取ったことを知らせてくれたのもそのひとであるし、青春の数年間、わたくしはそのひとと秘密に関係していたのである。それはゲノフェーファという、うちの小間使で、わたくしの家へ来たのは幼い歳のことであったが、わたくしが十六歳のときには三十歳の初めになっていた。ある特務曹長の娘で、フランクフルト――ニイダーラーンシュタイン線のある小駅の駅長と前から結婚の約束をしていたが、社交的に上品なことがよくわかって、賤しい仕事をしてはいたものの、風采物腰の点では女中と令嬢との中間だと自分で言っていた。幸福になるために必要な金がなかったところから、彼女の結婚はこの頃でもまだ遠いさきの話で、うれしげな緑いろの目をして気取った身ごなしをする背の高い肥満したこの金髪の女には、いっかな見透しのつかない長いあいだを待っているということは、しばしば腹立たしくなるほどのものらしかった。それでも彼女は、盛りの年をあきらめて過ごすまいため、下流社会の兵隊や労働者や職工やが彼女の熟れた若さに向けた要求を聞き入れるというような真似はしなかったであろう、というのも、彼女は自分を賤民だとは思わなかったし、賤民の言葉や臭いを軽蔑していたからである。使われている家の息子となると話はすこし別で、彼は、好ましく成長するにつれて、女としての彼女の好みを動かしたらしく、彼を満足させることは、彼女にしてみれば、いわば彼女が家庭内でなさなければならない義務だという意味があった上に、上流階級に結びつくという意味もあった。そういうわけでわたくしの望みは何ら真剣な抵抗にあわなかったのである。
わたくしはある挿話を詳細に語ろうとはすこしも思わない。平凡な話であるから、仔細にわたったところで、教養のある読書人の心を捉えることはできまい。つまり、ある晩のこと、わたくしの名親シムメルプレースターがうちで夜食を摂って、それからわたくしにいろいろな新しい仮装をさせようと試みたとき、ゲノフェーファの力添えもあって、屋根裏のわたくしの小部屋の前の暗い廊下でふたりが落ち合い、それが一歩一歩と部屋のなかへ持ち越されていって、そこでたがいに相手を完全にわがものにしてしまったのである。今にして思い出すと、あの晩は、わたくしの「衣裳の才」がまたもや折紙をつけられたのち、わたくしの落胆、仮装が終わったあとでいつもわたくしの心を襲う、あの限りない憂欝と興醒めと退屈とが、とくにひしひしと感じられたのであった。あのように多くのはなやかな仮装をしたのち、ついには戻っていかなければならなかった不断着が、わたくしには厭わしかった。わたくしはそれをからだからかなぐり捨てたいという衝動をはげしく感じたが、それはいつものように、せわしない心の逃げ場を眠りのなかに求めるためばかりではなかった。真の逃げ場は、ただゲノフェーファの腕のなかにだけ見いだされるとわたくしは思ったのだが、本当に何もかにも言ってしまうと、彼女とすっかり遠慮のない仲になることは、あのはなやかな宵の楽しみの一種の継続になり完成になって、まさしくわたくしが名親シムメルプレースターの仮装衣裳室をさまよった目的になるように思われたのだ。これはいつもに変わらぬ事情であったろうが、わたくしがゲノフェーファの白い豊満な胸で味わった、骨髄を焼きつくすばかりの、まことに法外な快楽は、ともかくどうしても書きあらわせない。わたくしは叫び声を立てて、天に昇るのではないかと思った。そして、わたくしの享楽は利己的なものではなく、ゲノフェーファがわたくしとわりない仲になったことに対して示した喜悦によって初めて燃え立ったのだが、これはわたくしの性質に基づいている。いうまでもなく、この場合には比較の可能性はない。しかし、わたくしがそのときに得た個人的な確信は、証明もできず、反駁もできないが、わたくしの恋の楽しみは他のひとびとの二倍の強さと甘さとを持っているという、動かすべからざるものなのだ。
しかし、わたくしがこの持って生まれた特別な持参金を基にして好色の女たらしになったと考えるなら、それは間違いだ。わたくしの困難で危険な生活は、わたくしの抵抗力を要求したから、もしわたくしがそう徹底的に精力を使い果たそうとしたならば、わたくしの抵抗力は要求を満たすことができなかったであろう。それというのも、わたくしが観察したところでは、いま問題にしている行為が|些々《ささ》たることにすぎなくて、それを軽々とやってのけ、何事も起こらなかったような平気な顔で何かの仕事をしにゆくひとびとがいるのに、わたくしとなるとそれに多大の犠牲を払い、それを離れるときには、完全に疲労困憊していた、いや、さし当たり、人生のつとめに就こうとする意欲をすっかり奪い取られていたからである。わたくしはしばしば放蕩をしたが、それはわたくしの肉が弱かったし、女たちがいつもひたすら嬌態をつくってわたくしに迎合したからである。しかし、結局、大体に言って、わたくしの気質は真面目で男性的で、精力を衰えさせる肉欲からできるだけ早く厳格な緊張した行状へ立ちかえりたがった。|畢竟《ひっきょう》するところ、動物的に愛を実行することは、わたくしがかつて胸をとどろかせながら「大きな喜び」と名づけたものを味わうには、最も野卑なやり方にすぎないのではあるまいか。動物的な愛の実行は、あまりにも徹底的に満足させて、わたくしたちを衰弱させるし、一面には、時ならぬうちに世界から光沢と魅力とを奪い、他面には、わたくしたち自身から愛嬌を取り去って、世界を愛することの下手な恋人にしてしまう。それというのも、愛嬌というものは恋しがる者にだけあって、飽きた者にはないからである。わたくしとなると、結局は熱望を狭く限って偽って済ますことにすぎない粗野な振舞よりも、はるかに微妙な甘美な優雅な満足の仕方をたくさん知っているし、がむしゃら一方に取って食おうという目的を狙って努力するひとは、幸福というものをほとんど理解しないのだと思う。わたくしの努力は常に大きな全体的な広いものに向かっていって、他人が求めないようなところに微妙なかぐわしい満足を見いだしたが、昔からこの努力をあまり限定したり正確に規定したりすることはしなかった。そして、これは、熱烈な素質を持っているにもかかわらず、なぜわたくしが長いあいだ知らなくて童貞であったか、それだけでなく、生涯を通じてなぜ子供のような夢想家でいたか、ということの原因の一つである。
第九章
これでわたくしはこの題目を離れるが、これを取り扱うに当たって、然るべき規範を一瞬たりとも破らなかったと思う。さて、大股でさきを急いで、わたくしは自分の外的生活のあの転換期に近づくが、悲しくもそこでわたくしが両親の家にとどまることは終わるのである。まずわたくしは姉のオリムピアとマインツ駐屯ナサウ州第二歩兵第八十八連隊のユイベル中尉との婚約のことを言わなければならないが、この婚約はお祭騒ぎで祝われたものの、真面目な生活がそれにつづいたわけではなかった。それは、やむを得ない事情のために婚約が解消したからだが、花嫁はわたくしの家が破産したのちオペレットの舞台へ移った。――ユイベルは世間を知らない病身の若者で、わたくしの家の饗宴にはかかさず参加した。ダンス、罰金遊び、ベルンカスラー・ドクターぶどう酒、女たちが打算していかにも気前よく胸間をかいま見させたことなどに|煽《あお》られて、彼はオリムピア恋しさに燃え立ったのだが、胸の弱いひとにつきものの情熱の強さで彼女をわがものにしようと考え、世慣れないためにわたくしの家の状態が堅実なものだと思いすごしたところもあって、ある晩、|跪《ひざまず》いて、あせったためにほとんど泣かんばかりになって、是か非かの言葉を出した。今わたくしを不思議に思わせることは、彼の感情にはほとんど答えなかったオリムピアに、どうして彼のばかげた求婚を受けいれるような鉄面皮な真似ができたかということだが、彼女はわたくしよりもずっと詳しく事態を母に教えられていたはずである。しかし、彼女は、まだ間があるうちに、たとい壊れやすい屋根であろうと、どこかの屋根の下にはいって身の安全を保とうと考えたのかもしれないし、または、名誉ある軍服の着用者と婚約することは――さきの見込みがあろうとなかろうと――わたくしの家の外面的地位を支えて倒れないようにするのに適当であると言われたのかもしれない。わたくしの気の毒な父はさっそく同意を求められて、ひそかに狼狽しながらもこれを与えたが、それから、この家族の事件がその場に居合わせた客人たちに知らされて、多くの歓声に迎えられ、そのときひとが評したように、ロルレー・エクストラ・キュヴェをふんだんに「注がれた」。このときから、ユイベル中尉はほとんど毎日マインツからやってきて、病的な熱望の対象といっしょにいることで、すくなからずその健康をそこなった。この婚約した男女をしばらくふたりきりにしておいた部屋へわたくしがはいってゆくたびに、彼の様子はまったくうちのめされた屍のようであったが、その後間もなく事態が変わったことは、彼のためには疑いもなく真の幸福を意味するものであった。
しかし、またわたくしのことにかえって言うと、このときの数週間に主としてわたくしの心を捉えて没頭させたのは、結婚契約がかならず姉にもたらす姓の変更のことで、今でも鮮かに思い出すが、このことゆえにわたくしは|嫉《ねた》ましくなるほども姉を羨んだものである。長らくオリムピア・クルルと言っていた彼女が、将来はオリムピア・ユイベルと署名することになると思うと、これはそれだけであらゆる新奇と変化との魅力を持っていたのだ。書簡や文書に一生涯同じ署名をしなければならないとは、すこぶるがっかりする退屈なことではないか。嫌悪と倦怠とのために、ついには手が|萎《な》えてしまう。それにくらべて、新しい姓で名乗ったり、呼びかけられるのを聞いたりするのは、生活が恵まれ、刺激を与えられ、活気をつけられることなのだ。すくなくとも生涯の半ばに一度は姓を変えることができるというのは、男性にくらべて女性が大いに優遇されることだとわたくしには思われたのだが、男性にはこの清涼剤が法律制度によってほとんど禁止されている。もちろん、わたくしとなると、市民制度に保護されて、大多数のひとびとがいとなむ無気力な安閑とした生活を送るようには生まれついていなかったので、のちには工夫の才をも示して、わが身の安全にも娯楽を求める心にも逆らうこの掟を、ごく頻繁に無視してやった。そして、ここでわたくしは、初めて自分の公けの姓を着古した汗だらけの着物も同然に脱ぎすてて、自分に――あまつさえ一種の権能を以て――新しい姓を与えるときのことを書いた、わたくしの手記中の独特に軽妙な美しさを持った個所を参照されるようにと言っておくが、ともかく、この新しい姓は、|都雅《とが》なことや響きのよいことにかけて、ユイベル中尉のそれをはるかに凌駕するものであった。
ところで、姉が婚約の身にあるあいだに、|災殃《わざわい》は進行していって、破滅は、|譬喩《ひゆ》を用いていうと、固い指でわが家の戸口をたたいた。わたくしの気の毒な父の経済状態に関してこの地に拡まった意地の悪い噂、ひとびとがわたくしたちに示すに急であった疑い深いうち解けぬ態度、うちの家政に関してなされた不吉な予言――このいっさいが、いろいろな出来事によってきわめて残酷に確証され、是認され、実現されて、不吉を予言したがるひとびとの醜い心を満足させたのだ。明らかに、消費大衆は次第にうちで醸造されるシャンペンを斥けるようになった。価格をさげることによっても(もちろんこれは品質を改良することにはなり得なかった)、わたくしの名親シムメルプレースターが良心にそむいて、まったく商会に対する好意から考案した非常に誘惑的な広告図案によっても、享楽人士をうちの商品のために獲得することはできなかった。註文はついに零に等しくなり、わたくしが生涯の十八年目を|了《お》えた年の春のある日、わたくしの気の毒な父は破産したのである。
わたくしはあの幼い年頃には取引上の理解をすこしも持たなかった。そして、空想と自己訓練との上に築かれたわたくしの後年の生活も、商業上の知識を獲る機会をほとんど与えてくれなかった。それゆえわたくしは、自分の通暁しないことに筆を試みて、ロルレーシャンペン醸造場の破産に関する専門的な説明で読者を煩わすようなことはすまい。しかし、あのときの数か月間わたくしが気の毒な父に対して感じた心からの|憐憫《れんびん》の情は、これを述べたいと思う。彼は次第しだいにもの静かな憂欝に陥って、これは彼が家のなかのどこかで頭を一方にかしげて椅子に腰掛けている様子でそれと知れたが、そんなときに彼は上むきに反った右手の指でそっと腹をさすりながら、ひっきりなしに、かなり急速に|瞬《またた》きをしていた。幾度となく彼はマインツヘ出かけた、――これは確かに現金調達のため、新たな資源を見つけ出すための悲しい旅であったが、失望落胆して、麻のハンカチで額や目を拭きながら帰ってくるのであった。ただ、相も変わらずうちの別荘で催された夜会のとき、食卓について、ナプキンを巻きつけ、酒杯を手にして、飲んだり食ったりする客人たちの上席にすわるときだけは、まだ彼は昔の快活さを取りもどすことができた。しかし、こうしたある晩のこと、わたくしの気の毒な父とユダヤ人の銀行家とのあいだにきわめて悪意をこめた興醒めな口論が生じたが、この銀行家というのは、例の黒玉を飾り立てた婦人の夫で、わたくしがそのとき知ったところでは、これまで不如意になった軽率な商人をその網のなかへ誘いこんだ最も冷酷な高利貸の一人であった。それから間もなく、かの深刻な、はなはだ意義のある、わたくしにとっても非常に変化の多い、活気を与える日が訪れたが、この日、商会の醸造場と事務所とは閉鎖され、口をひきむすんで冷めたい目つきをした一群の紳士が、わが家の財産をさし押さえるために、別荘へ乗りこんできた。わたくしの気の毒な父は、洗煉された言いまわしを用い、わたくしがあのように巧みに真似ることのできた、忠実に渦巻模様で飾った花押を入れて、法廷で支払不能を声明し、破産手続がおごそかに開始されていたのである。
この日わたくしは、町じゅうがその噂で持ちきっているわが家の不面目のため学校へ出なかった、――これは前にも言ったように実科学校で、ついでながらここへ|挿《はさ》んで言っておこうと思うが、不幸にしてわたくしはこの学校を完全に卒業することができなかった。それは第一に、わたくしがこの施設の性格になっている暴虐な愚鈍に対する嫌悪をいささかでもかくそうと努めなかったからであるが、とくにまた第二に、わたくしの家の状態に悪評が立ってついには|瓦解《がかい》したことが、教師たちにわたくしを悪く思わせ、わたくしに対する憎悪と軽蔑とでいっぱいにしたからであった。わたくしの気の毒な父が破産してのち、そのときの|踰越祭《すぎこしのいわい》にも、わたくしは卒業証書を貰えなくて、自分の年にはもうふさわしくない支配権の侮辱をもっと我慢するか、それとも、卒業に伴う社会的な特権を断念して退学するか、どちらかを選ばなければならなくなった。そこで、この取るに足りない優先権を失っても、自分の個人的な特性がそれを償って余りがあるということを愉快に意識しながら、わたくしは退学の方を選んだのである。
瓦解は至れり尽くせりであった。明らかに、わたくしの気の毒な父は、破産すればまったくの乞食になるということを知っていたればこそ、できないことまでやって、あのように深く高利貸の網のなかにからみこまれたのであった。何もかにも、在庫品も(しかし、うちのシャンペンのような評判の悪いものに金を出すものがあったろうか)、不動産も、というのは、その価格の三分の二以上になる土地抵当の負債を蒙っていて、数年来その利子を支払うことのできなかった地下倉庫も別荘も、競売に付された。庭園の|侏儒《こびと》も、|茸《きのこ》も、磁器製の獣類も、ガラス球や風に触れて鳴る竪琴までが同じ悲しい道を辿った。家の内部からは、なつかしい飾り物がすべて取り去られた。紡車、羽根蒲団、鏡箱、香料壜が公売に付され、窓の上の槍や、色さまざまの管で編んだ風流なカーテンも用捨されなかった。そして、車寄せの上のあの小さな仕掛けが、いっさいの掠奪にまったく触れられずに、あいかわらず微妙な音を響かせて「よろこべ、生を」という歌の初めをかなでたのは、ただ、裁判所のひとたちがそれには気がつかなかったからである。
最初は、わたくしの気の毒な父が落胆した人間の顔つきをした、と言うことはできなかった。彼の表情は、整理するのが不可能事になっていた自分の用務が、確かなひとの手に渡ったことに対して、ある満足の意をあらわしていたし、わたくしの家の不動産を所有することになった銀行が、寛仁慈悲にもわたくしたちに当分は壁紙を取られた別荘の壁のあいだに滞在することを許してくれたので、父には顔を蔽う屋根があったのだ。生まれつき気軽でお人好しな彼は、隣人たちにも彼を本気で突き離すような残酷な|固陋《ころう》さがあろうとは思わなかった。事実、彼は無邪気にも、その地にあるシャンペン醸造株式会社へ支配人になろうと申し込んだのであった。それを軽蔑いっぱいにはねつけられても、再度人生に地歩を占めようとして、なおいろいろ試みるところがあったが、もしそれが実現したならば、彼は疑いもなくすぐにまた酒宴を催して花火を打ちあげたことであろう。言うまでもなく万事が失敗に帰したとき、彼は絶望した。その上、彼は、彼というものがわたくしたち他のものの邪魔になるばかりで、彼というものがなくてもわたくしたちがかなり楽に生計を立てていけると考えたらしく、この世をはかなむ決心をしたのである。
破産手続きが開始されてからちょうど五か月後のことで、秋になっていた。わたくしは|踰越祭《すぎこしのいわい》以来きっぱりと通学をやめて、これという確かな目当てもなく、当分は自由な過渡期の状態を楽しんでいた。わたくしたち、母と姉とわたくしとは、今では非常に品数がすくなくなった昼飯を|摂《と》ろうとして、まだ何とかかっこうをつけられている食堂に集まって、家長が来るのを待っていた。ところがスープを食べ終えたのちも、気の毒な父が出てこようとしなかったので、姉のオリムピアを彼の書斎へやって食事に呼ばせることにしたが、彼は姉にはいつもやさしい愛情を持っていたのである。しかし、彼女が出ていって三分経つか経たぬに、わたくしたちは彼女が間断なく叫び立てながら、階段を昇り、階段を降り、あてどもなくまた階段を昇って、家じゅうを走りまわる音を聞いた。背筋を凍らせ、万一を覚悟して、わたくしは父の部屋に駆けつけた。そこには彼が、着物をひろげて床に横たわっていたが、片手は弓形になったからだの上に安らい、横には、彼がやさしい心臓へ弾を射ち込んだキラキラ光る危険な道具があった。女中のゲノフェーファとわたくしとは、二人がかりで彼をソファーの上に寝かせた。そして、ゲノフェーファが医者へ走り、姉のオリムピアがあいかわらず叫び立てながら家じゅうを掻き乱し、母には食堂から出てくる勇気がなかったそのあいだ、わたくしは片手で目を蔽ったまま、生みの親の冷めたくなってゆくからだのかたえに立って、|潸然《さんぜん》たる涙の供物を捧げたのであった。
第二部(未定稿)
第一章
この草稿は長らく|筐底《きょうてい》に秘してあった。一年が程、気が進まないのと自分の企ての有益さが疑わしいのとに妨げられて、わたくしは、忠実に順を追って一枚また一枚と積み重ねながら、自分の告白を続けてゆくということができなかった。それというのも、これまでに書いたところで幾度も断言したとおり、わたくしがこの回想録を綴るのは、何よりもまず第一に自分の慰み仕事にするためであるが、この点でも真実を語ることにして、率直に白状すると、書く場合には、ひそかに、いわば目の隅からとでもいうようにして、わたくしはやはり読書界に幾分の|斟酌《しんしゃく》をしているのであって、読書界に関心を持ってもらえる、喝采してもらえるという希望に元気づけられなかったならば、たぶん、この仕事を現在の点まで進めるだけの根気さえ持たなかったことであろう。この場合、わたくしは、嘘を並べるのではなくて謙虚な態度で現実に即して自分の生涯の秘密を打ち明ける話が、小説家の作り話と競争できるものかどうかという問題を、自分に向かって提出しなければならなかった。競争というのは、すなわち、読者の愛顧を得るについての競争だが、読者というものは非常に極端な芸術品によってすでに食傷させられて、興味を持たなくなっているものだと考えていっこうにさし支えないのである。神さまなら、とわたくしはひとりごちた、標題からいえば犯罪小説や探偵物語と同列に並ぶもののように思われる著作から、どういう刺激や感動が期待されるものか、神さまならご承知というものだ、――ところがわたくしの伝記は、奇妙な、往々にして夢のような外観を帯びはするものの、だしぬけにアッと言わせるような効果や手に汗を握らせるような|葛藤《かっとう》がまったくないのである。そういう次第で、わたくしは、意気|沮喪《そそう》せざるを得ないものと思いこんだ。
しかしながら、きょう、偶然にも、前編の文章がふたたびわたくしの目についた。感動を禁ずる|能《あた》わず、わたくしは改めて自分の幼年時代と青年時代初期との記録に目を通し、活気づいて、心のなかで思い出の糸を紡ぎつづけた。そして、自分の生涯の幾つかのきわ立った瞬間がきわめてまざまざと思い浮かべられてくるがままに、わたくしは、わたくし自身に働きかけてこのように楽しませてくれるこれらの事どもは、公けの読書界をも楽しませることができるに相違ない、と考えずにはいられなかった。たとえば、ドイツのとある有名な首都で、ベルギー貴族の名をかたって、上流の社交界で、同じくその場に居合わせた警視総監、というのは、並外れて寛大で人心に通じた男であったが、これを相手に、コーヒーを啜り葉巻をくゆらせながら、詐欺と刑法問題とを論じて|饒舌《じょうぜつ》を弄したときの、あの境遇を思い起こすと、あるいは、手当たり次第の例を挙げてみるが、わたくしが初めて逮捕された運命的な瞬間、そのときは、踏み込んできた刑事のなかに若い新米が一人いて、この瞬間の大がかりなことに興奮し、わたくしの寝室の|豪奢《ごうしゃ》なことに狼狽して、開いている扉をわざわざ叩いて、靴を脱ぐという謙遜ぶりを示した上に、低い声で「失礼いたしますが」と言ったため、この一隊を指揮していた肥満漢から激怒の一睨みをもらったという、あの運命的な瞬間のことを思うと、わたくしは、自分の打明け話が露骨な刺激を与えたり俗悪な好奇心を満足させたりする点では小説作者の作り話に負かされるとしても、そのかわりに、ある種の上品な印象深さや気高い誠実さによっていっそう確実にそれを凌駕するであろうという、喜ばしい希望に目を閉じることはできない。そういう次第で、この回想録を書きつづけて完成しようという気持がふたたび燃えあがってきた、そして、わたくしは、この際、文体の清潔と表現の適切とに関しては、できるかぎり従来よりもいっそう大きな注意をはらうことにし、ごく上流の家庭にもわたくしの物語が迎え入れられ得るようにするつもりである。
第二章
わたくしは、この物語を、前に中止した丁度その個所から、すなわち、わたくしの気の毒な父が世間の冷酷さに追いつめられて、生命を棄てたところからふたたび続けてゆく。父を宗教の方式に従って埋葬するについては何かと故障があった、というのは、教会が彼の行為に対して面を覆ったからであるが、ともかく、教会に認められている教義に捉われない道徳とても、この行為は非とするにちがいない。それというのも、生命というものは、貴重なものだからと言って是が非でもしがみつかなければならないような最上の宝では決してないが、わたくしたちに課せられた、わたくしの思うところではある程度まで自分で選んだ難かしい厳しい任務と見なすべきもので、この任務を毅然として忠実に遂行することは無条件にわたくしたちの義務なのであり、時機にさき立ってこの任務から脱走するのは、疑いもなくだらしない行状ということになるからである。しかし、父の自殺というこの特別な場合には、わたくしの判断は停止して、きわめて純粋な同情に変わってしまう、――事実わたくしたち遺族は、宗教の祝福を受けないまま故人を墓へ送るようなことはしないという点にすこぶる重きをおいたのであって、母や姉は世間ていを|慮《おもんばか》るのと信心ぶる傾向とから(彼女らは熱心なカトリック教徒であった)、わたくしはといえば、生まれつき保守的な気質で、平板な進歩思想から生まれる不遜な振舞にくらべれば、いつも、気持のよい伝来の礼式のほうに自由な愛着を抱きつづけているからであった。そういうわけで、女たちには勇気がなかったから、わたくしが、所轄の市牧師である宗教顧問官シャトーを説いて、葬礼を担当してもらうようにするという役目を引き受けた。
わたくしたちの|市《まち》で職務をとりはじめてからまだ間もない、この快活で感覚的な僧侶に会ったのは、彼が野菜入りの卵焼と一壜の牛乳という献立の、二度目の朝飯を食べているときであったが、わたくしは親切に迎え入れられた。宗教顧問官シャトーは、洗煉された牧師で、所属教会の品位と光輝とをその身によっていかにもと|頷《うなず》かせるようなふうに代表し、だれの目にもそう見えるようにしていたからである。小柄で肥満してはいたが、彼は社交上の仕込みを多く受けていて、歩くときには腰で敏捷に好ましくからだを揺り、きわめて優美な隙のない身ぶりを自在に駆使することができた。彼の話しぶりは練習を積んだ模範的なもので、絹のように柔かな上質の黒布でこしらえた僧衣の下からは、いつも、黒絹の靴下とエナメル革の靴とがのぞいていた。秘密共済組合員やローマ法王反対派のひとびとは、彼がこの黒絹の靴下とエナメル革の靴とを用いるのは、もっぱら、足から臭い汗が出るのに悩まされているためだと主張したが、わたくしはこんにちでもそれを故意の取沙汰だと思っている。わたくしを個人的にはまだ知っていなかったにもかかわらず、彼は、白い肥えた手で誘ってわたくしを着座させ、食物を分けてくれて、こちらの申し立てを信用するとでもいうような社交家ぶりを見せた。わたくしの申し立てというのは、わたくしの気の毒な父が、長らく使わなかった火器を検査しようとして、思いがけなく発火した弾丸のため不幸にも射抜かれた、というものであった。それで、彼はこれを信用したらしかったが、ただし、政治的にそうしたのであって(というのは、こういう不景気な時代には、不正直なやり方であろうとも、教会の恵みを得ようと努める者があれば、教会はそれを喜ぶにちがいないからである)、わたくしに情のこもった|慰藉《いしゃ》の言葉を述べ、牧師として埋葬と追悼式とを執行することを承諾すると言明したが、その費用は、わたくしの名親シムメルプレースターが義侠的に自分の義務として出してくれることになっていたのである。それからシャトー師は故人の経歴に関し二、三を備忘録に記入したが、わたくしは、故人の経歴は品行方正なものであると同時に陽気なものであったというふうに述べることにこれ努めたのであった。そして、最後に師は、わたくし自身の境遇と将来の見込みとについて二、三問うところがあったが、それに対してわたくしは一般的な当たらず触らずな答え方をした。「あなたは」と、彼は大体こんなふうに言い返した、「これまでのところいささかだらしのない行状であったようだね。だが、まだ何もだめになっているところはない、というのも、あなたという人の印象はひとに快感を与えるからだ。そして、とくにわしはあなたが好ましい声を持っていることを褒めてやりたい。もし幸福の女神があなたに好意を示してくれなかったら、わしは不思議に思いますよ。幸福に歩き出したひとびとや、神さまに愛されるひとびとを、それと見分けるのが自分の義務だといつもわしは思っている。人間の運命はそのひとの額にちゃんと言いてあるが、その文字は、練達の士には読み解きにくいものではないからね」そう言って彼はわたくしを放免してくれた。
この才人の言葉をうれしく思いながら、わたくしは急いで家族のもとへ帰って、わたくしの使命が首尾よく果たされた旨を告げた。遺憾ながら、もちろん、葬式は教会の援助があったにもかかわらず、こうあって欲しいと思われたような立派な祭典にはならなかった。参列した市民の数が非常にすくなかったからで、これは、その小都会を問題にするかぎり、結局怪しむに足りないことであった。しかし、わたくしの気の毒な父が順境に在った頃には花火を見物して、父のベルンカスラー・ドクターぶどう酒を賞美した他所の友人たちは、どこにいたのか。彼らはついに来てくれなかったが、それも、おそらく、恩を忘れたというよりは、むしろ、しごく簡単に、彼らがまなざしを永遠的なものに向けさせる厳粛な催しに理解がなくて、こういう催しを不機嫌にならせるもののように避ける連中であったためらしく、これは確かに心の素質が賤しいことを示している。ただ一人マインツ駐屯ナサウ州第二歩兵第八十八連隊のユイベル中尉だけが、平服でではあったが出席していた。そして、彼のおかげで、揺れ動く棺を墓穴へ送っていったのは、わたくしの名親シムメルプレースターとわたくしとの二人きりではなかったということになるのである。
それにしても、あの牧師が請け合ってくれたことは、わたくしの心のなかで鳴りつづけていた。それがわたくし自身の予感や印象と完全に一致したばかりでなく、このように内密な問題においては特別な権威を持つものと認めてよいと思える場所から出たものだからである。なぜ特別な権威を認めてよいか、それを言うことは、だれにもできるというわけではあるまい。その理由を、すくなくとも暗示するだけの自信は、わたくしはじゅうぶん持っている。すなわち、第一に、カトリックの僧侶社会が現わしているような尊敬すべき順位に所属していることは、人間の等級を判断する感覚を、市民という平面上の生活がなし得るよりもはるかに繊細に発達せしめることは疑いない。しかし、この明らかな思想を危げのないものにするために、わたくしは、引き続き論理的であるように努めながら、もう一歩進む。この場合、一つの感覚、したがって、感性の一成分が問題になるのである。ところで、カトリックの礼拝形式は、超感覚的なもののなかへ導き入れるために、主として感性を頼りにし、感性に働きかけ、ありとあらゆる方法で感性を援助し、他に類がないほど感性を促してその神秘に沈潜させるという形式である。最も崇高な音楽、すなわち、天上の合唱を予感させるなかだちになるのにふさわしい諧音、それを聞き慣れた耳、――これは、人間の声音にこもる内的高貴を聞き取り得るほどに敏感なのではあるまいか。宗教的な華麗さ、すなわち、天国の栄耀栄華を代表する色彩や形式に精通した目、――これには、自然に作り出されたものが謎めいたやり方で与えられて持っている優美さを見る明が、とくにそなわっているのではあるまいか。礼拝所の雰囲気に慣れきっていて、燻香に|恍惚《こうこつ》となり、早くもすでに神聖さから発する好ましい芳香を知覚しているというような嗅覚器官、――これは、幸運児の、無形ではあるがまた具体的なものでもある発散物を感ずることができるのではあるまいか。そして、この教会の最高の秘密、すなわち、肉と血との神秘に通じて、これを管理しているひと、――彼には、優れた触覚によって高貴な人間と卑賤な人間とを区別する能力があるのではあるまいか。――以上の精選した言葉によって、わたくしは、自分の思想をできるだけ完全に表現したことをうれしく思う。
とにかく、わたくしが受けた予言の言うところはすべて、わたくし自身の感情や直観がこの上もなく縁起よくわたくしに請け合ってくれたことなのであった。なるほど、わたくしの精神はときどき憂欝に捉えられた、と言うのも、かつては芸術家の手で神話を表現するものとして画布に描きとめられたわたくしの肉体が、不恰好なぼろ服をまとい、その小都会におけるわたくしの地位は軽蔑すべきもの、それどころか、疑わしいものと呼ぶべきであったからである。評判の悪い家の出で、破産して自殺した男の息子で、堕落した生徒で、将来にこれといって見るべき見込みもなかったわたくしは、同じ市の市民のあいだでは、軽蔑的な暗いまなざしで見られる対象で、こういうまなざしは、わたくしから見れば気の抜けた魅力のない種類の人間から出るものであったとは言いながら、わたくしのような性質の者の感情を害して苦しい思いをさせずにはおかなかったし、わたくしが辛抱してこの地にとどまっていなければならないかぎり、表通りでひとに姿を見られるのはまったくいやなことだと思わせた。この時期に、遁世厭人の傾向が一段と養われたのだが、この傾向は昔からわたくしの性格にこびりついていたもので、世間や人間を恋しがる愛着の念と非常に睦まじく手を|携《たずさ》えてゆくことのできるものなのである。それにしてもやはり、あのまなざしの表情には――あまつさえこれはその市の住民の婦人の部分だけのことではなかったのだが――気の向かぬ関心とでも言ったようなあるものがまざっていて、それは、世間や人間に愛されたいというわたくしの内心の努力に、事情が許せば、結構しごくな満足を与えてやると約束してくれるものであった。顔は痩せ衰えて腹は太くなっている今日、わたくしは、自分が十九歳のときには、わたくしの|華奢《きゃしゃ》な若さが約束してくれたすべてのものを持っていたということ、そして、自分の信ずるところによってもきわめて人好きのする青年に発育していたということを、冷静な気持で言い得るのである。顔は|白皙《はくせき》であると同時に|鳶《とび》いろを帯びていて、碧い目には光沢があり、口は控え目な微笑をたたえ、声にはヴェールを|被《かぶ》せたとでもいうような魅力があり、左に分けて、適当な高さにしてからうしろへ撫でつけた髪は絹のように柔かにきらめいていたわたくしは、質朴な同郷人にも、のちには二、三の大陸の住民にも、わたくしのいかがわしい状態が意識を混乱させて彼らのまなざしを曇らせなかったとすれば、愛すべきものと見えたにちがいない。すでにわたくしの名親シムメルプレースターの芸術眼を満足させていたわたくしの体格は、決してたくましいというものではなかったが、四肢も筋肉もすべて、普通はスポーツやからだを鍛えて柔軟にする遊戯の愛好者にのみ見られるような、均斉の取れた適度の発達をしていた、――とは言うものの、わたくしは夢想家の流儀として、肉体的訓練というものは昔からまったく嫌いであったし、自分のからだの発育のために外部からは全然何もしていなかったのである。さらに記しておかなければならないのは、わたくしの皮膚のことで、これは異常に傷みやすい性質を持っていて非常に感じやすかったから、わたくしは、金には乏しかったものの、柔かな上質の石鹸を常用することを怠らないようにしなければならなかった。粗悪な品物では、ちょっと使うともう血が出るほど肌を傷められたからである。
自然から与えられたもの、すなわち、生得の長所は、その持主の心に自己の血統に対する敬虔で活溌な興味を起こさせるのが常である。そういうわけで、当時、わたくしの先祖の肖像、すなわち、写真や金属板写真やメダルや影絵などを探して、こういう参考物によって知り得るかぎりのことを研究するのがわたくしの熱中した仕事であったが、先祖の相貌のなかにわたくしの容貌の準備や暗示を探して、先祖のうちのだれにとくに恩義があるのか確かめようというのであった。しかし、わたくしの収穫は微々たるものであった。なるほど、わたくしは父方の親戚や先祖の面相や姿勢のなかに、自然の試験的練習ともいうべきものを認め得るような点をいくつか見いだしはした(事実わたくしがすでに強調したように、わたくしの気の毒な父からして、からだは肥満していたけれども、優美の三女神とは親密な間柄であったのだ)。しかし、おしなべたところ、わたくしは自分が血統に負うところは多くないということを確信せずにはいられなかった。そして、わたくしの一族の歴史にはどこと決めがたい個所で秘密な変則がまぎれこんでいる、だから、自分の自然的祖先のなかにはだれか廷臣貴紳といった人物がいると見なければならない、というふうには推測したくなかったから、自分の長所の出どころを|闡明《せんめい》せんがためには、わたくしは余儀なく自分自身の内部へおりていかなければならなかったのである。
それでは、一体全体、宗教顧問官の言葉は、何によって、わたくしにかくも異常な感銘を与えたのであったか。わたくしはそれを今日でも、当時すでに即刻その場で明らかに解したように、はっきりと言うことができる。彼はわたくしを褒めてくれた――どういう点でか。わたくしの声の好ましい響きをだ。しかし、それは、普通の解釈によれば決して功績というようなものとはいっしょにならない特徴もしくは天賦で、やぶ睨みだから、|猪首《いくび》だから、|蝦足《えびあし》だからと言って、だれかを叱る決心をするわけにはいかないのと同じく、普通ならば褒めるに値いしないものである。それというのも、|毀誉褒貶《きよほうへん》は、市民世界の意見によると道徳的なものにだけ向けるべきで、自然的なものに対してはなすべきでないというのであるから、自然的なものを褒めることは、市民世界から見れば不正な軽率なことと思われるであろう。ところで、市の牧師シャトーがこれとはまったく別な考えを持っているということは、完全に新しい大胆なことのような印象を与え、意識的な反抗的な独立を表明したもののようにも思われ、これには同時に異教的な素朴なところがあって、わたくしを促して幸福な瞑想にふけらせたのであった。いったい、とわたくしは自分に問うた、自然的功績と道徳的功績とを厳密に区別するのは非常にむずかしいことではないのか。叔父叔母曾祖父たちのこれらの肖像は、実に、自然的継承という方法でわたくしが得た美点のいかに|僅少《きんしょう》であるかを教えてくれる。わたくしは、本当に、これらの美点の形成に当たって精神的にまったく無関係であったのであろうか。それとも、むしろ、誤りのない感情が断言してくれるように、それらの美点は大部分わたくし自身が作り出したもので、もしわたくしの魂が実際よりもだらしのないものであったならば、苦もなくわたくしの声は賎しいものになり、わたくしの目は鈍いものになり、わたくしの足は曲がったものになりかねなかったのではあるまいか。世界を本当に愛する者は、世界から好まれるような形を取る。ところで、自然的なものは道徳的なものが作りあげたものだとすれば、あの牧師が、声が美しいと言ってわたくしを称賛したことは、見かけほど不正でも気まぐれでもなかったわけである。
第三章
父の遺骸を土に|委《ゆだ》ねてから数日後のこと、わたくしたち遺族はわたくしの名親シムメルプレースターともども集まって協議もしくは家族会議とでもいうものを開いたが、そのためにこの友人はうちの別荘を訪れていたのであった。新年には、というようにわたくしたちは法律上の義務を負わされていたのだが、この住宅を明け渡さなければならなかった。そういう次第で、わたくしたちの将来の所在を真剣に決議することは、じっさい、延期できない必要事になっていたのである。
わたくしは、ここで、わたくしの名親の助言と援助とをどんなに賞めても賞め足りるということはない。この非凡な人物が、わたくしたちの一人一人のために計画や指示を用意していてくれたことを、いくら感謝して賛美しても賛美し足りない。それらの計画や指示は、のちに、ことにわたくしの身に関しては、非常に上首尾な重要な示唆であることがわかった。かつては華麗軟弱に盛装されて、ごく頻繁に快楽や祝祭の気に満たされたが、今は裸で、装飾を剥ぎ取られ、どうにかこうにか家具だけが備えつけてあるという以前の客間が、この会合の悲しい舞台で、わたくしたちは、この客間の一隅、食堂の調度の一つであったくるみ材の縁をつけた籐椅子に腰をかけ、緑いろの小卓をかこんだが、この小卓というのは元来ぐらぐらする小さな茶卓もしくは調膳台を四つか五つ相互に押し込んで組み合わせたものであった。
「クルル」とわたくしの名親は切り出した(四角張らない親しい間柄なもので、彼はわたくしの母をも単に姓で呼びかけるならわしになっていたのである)。「クルル」と言って彼は鉤形の鼻や鋭い目を彼女のほうへ向けたが、その目は眉毛も|睫《まつげ》もなくて、眼鏡のセルロイド縁のなかに|嵌《は》まっているかっこうには奇妙な趣きがあった、――「あなたは意気沮喪してぐったりとしたご様子だが、それはまったくの間違いというものです。そういうわけは、人生の多彩な愉快な可能性は、適切な言い方ですが市民としての死と形容されているあの徹底的に|片《かた》をつけてしまう破局の彼方にこそ初めて始まるもので、われわれの境遇がこれ以上悪くなり得ないというほど悪い場合は、最も希望の多い境遇の一つなのです。奥さん、こういう境遇を、物質的な経験からではないにしても精神的な経験から実によく知っている男の言うことを、どうか信じてください。それにしても、あなたはまだそういう境遇には陥っていないが、それこそ確かに、あなたの精神の振動を妨げているのです。勇気をお出しなさい、奥さん、敢然として事に当たる気概をお持ちなさい。当地ではあなたの役割は終わりましたが、しかし、それが何だと言うのです。広い世界があなたの前に開けている。商業銀行にあるあなたのささやかな個人勘定は、まだ全部はなくなっていませんよ。銭を生む銭ともいうべきこの残金を持って、どこかの大都会の雑沓のなかへ身を投じてごらんなさい、ヴィースバーデンか、マインツか、ケルンか、何ならベルリンヘ出てごらんなさい。あなたは|庖厨《ほうちゅう》には熟達しておいでだ――こんな拙劣な言い方をして、ご勘弁ねがいますよ――あなたはパン屑を集めてプディングをつくり、一昨日の肉の残りで刻み肉をこしらえることがおできだ。加うるにあなたは客を招いて、饗応し、面白い話を出して楽しませることに慣れていらっしゃる。そこで、あなたは部屋をいくつか借りて、|賄《まかない》つきの下宿人を安直な料金で迎える用意ありという広告を出すのです。あなたは従前どおりの生活をお続けになるわけですが、ただ今後は、客に金を払わせて、利益を見いだすという点が違うことになります。あなたのところへわんさと寄せてくる客たちの気分を陽気な快適なものにしてやるために、あなたは辛抱強くいつも機嫌よくしていることですね。それでもしあなたの下宿が繁昌しない、次第に盛大になっていかないようなら、不思議というものですな」
ここでわたくしの名親は口をつぐんで、わたくしたちに賛成や感謝の心からなる言葉を述べる暇を与えたが、ついには母もいっしょになって賛成もし感謝もした。「リュンプヘンについては」と彼はそれから言葉をつづけた(リュンプヘンとは彼がわたくしの姉につけた愛称であった)、「もちろん、彼女は母を助け、母の客人たちの滞在を楽しいものにするのにうってつけだということがまず考えられようし、確かに、彼女は優秀な、人気を引く|慇懃《フィリア》な |娘《ホスピタリス》 だということが証明されるでしょう。それに、そうすれば、彼女は、自分を役立たせるというこの機会をのがさないわけだ。しかし、さし当たって、わたくしは彼女のためにもっとよいことを考えている。彼女は、あなたたちがはなやかに輝いていた時代に、すこし歌を稽古した。それは大したものではない。彼女の声には力はないが、さりとて、やさしい諧音がないわけではないし、目立って美しい顔つきが声の効果を深めます。ケルンのサリー・メールシャウムはわたしの昔からの友人で、彼の事業の主要部門というのが劇場代理業なのです。彼はオリムピアを、さし当たりは単純な段階の小歌劇一座か、それとも、唱歌劇の芸術家協会か、どこであれ文句なしに就職させてくれると思います。そして最初の衣装は、わたしが手持ちのがらくたから然るべく出してあげることにしましょう。彼女の行路の踏出しは、暗い苦しいものかも知れない。おそらく彼女は人生と格闘しなければならんでしょう。しかし、もし彼女が性格を発揮して(というのは、これは技倆よりも大事なものだからです)、非常に多数の才能が集まって出来ている自分の才能を利用することができるならば、彼女の道は急速に低地から上方へ向かい、ひょっとすると光り輝く高処に出るかも知れません。わたくしとしては、いうまでもないことですが、標準になる線を引いて、起こり得べき事のために路をひらいてやれるだけです。その他のことは、あなたたちがしなければならないのですよ」
喜びのあまりに金切り声を立てながら、姉は走り寄って助言者の首に抱きつき、彼がそのつぎの言葉を言っているあいだ、頭を彼の胸に埋めていた。
「こんどは」と、彼は言ったが、つぎの問題がとくに彼の心にかかっている様子がよくわかった。
「こんどは、第三に、衣裳の才の番だ」(読者はこの衣裳の才という名に含まれている暗示をご存知のはずである)「わたしは彼の将来如何にという問題を熱心に考えてみました。これを解決するには著しい困難にぶっつかりましたが、わたしは、一時的なものにすぎないとはいえ、つぎのような解決を見いだしたと思っています。この件では、外国へ、正確にいうと、パリヘ手紙を出すことさえした、――そのわけはすぐ言います。わたしの意見ですと、何よりもまず、彼のために人生を開いてやるということが肝要なのですが、長上のひとびとは誤解して、人生へはいる名誉ある入口を彼に与えてやるわけにはいかんと思ったのでした。まず彼を戸外に出してやりさえすれば、波はかならず彼を乗せて、わたしの確信どおり、|美《うる》わしの岸へ運んでゆくでしょう。そこで、ホテルの径路、給仕の径路こそ、彼の場合には最も好都合な見込みを持たせるものと思われます。それも、まっすぐな方向でも(まっすぐに進むと、この径路は非常に立派な身分へ導くことができます)、右や左といろいろな岐路にわたって不規則な横道にそれてもですが、横道といえば、幸運児のためには普通の大道と並んで幾本も開かれているものなのです。さっきほのめかした文通というのは、パリのオノレ街、ヴァンドーム広場からほど遠くないセント・ジェームス・アンド・アルバニー・ホテル(だから、目ぬきの場所になるわけで、それは地図でお目にかけます)の支配人イーザーク・シュトュルツリーとのあいだに交わしたもので、この男はわたしのパリ時代からの親友、きみぼくづきあいの仲なのです。わたしはフェーリクスの|躾《しつけ》や性質を非常に良く思われるようにし、礼儀作法の心得があることや器用なことについては太鼓判を捺すと言ってやった。彼はフランス語や英語をちょっぴりかじっているから、このさき機会のあり次第にできるだけその素養を強化するがよいでしょう。ともかく、シュトュルツリーはわたしの意を迎えて、フェーリクスを、試みに、さし当たりはもちろん無給で採用してみようと言ってくれました。フェーリクスは食料も宿料も先方持ちということになるでしょうし、勤労服をも引き受けてやるとホテルでは言明していますが、この勤務服は彼にはきっとよく似合うでしょうよ。要するに、ここに道ありというわけです、ここに彼の才能を発展させる場所と好都合な状況とがあるのです。わたしは、衣裳の才を持つわれらのフェーリクスが、セント・ジェームス・アンド・アルバニーの上品な客を満足させるような給仕ぶりをするものと予期しています」
わたくしがこのすばらしい男に対して、母や姉に劣らず感謝の意を表したことは、言わずもがなである。わたくしは、うれしさのあまりに笑い声を立てながら、まったくの無我夢中で彼を抱擁した。憎らしい窮屈な故郷は早くも心から消え失せて、広大な世界が早くも眼前に開かれた。そして、パリが、その光景を思い出すだけでもわたくしの気の毒な父が一生を通じて喜悦のあまりに気が遠くなったほどであったこの都会が、いとも晴れやかなはなやかな姿をとって、わたくしの心の目の前に浮かびあがったのである。ところが、これはそれほど簡単なことではなくて、むしろ、容易ならぬ点、あるいは俗に「|鉤《かぎ》」といわれる、やりにくい点を持っていた、というのも、兵役関係が決まらないうちは、どうしても故郷から逃げ出すわけにはいかなかったからである。国境は、わたくしの旅行免状がこの点の照会に満足な答えをすることができるようになるまで、越えがたい横木になると思われた上に、知ってのとおり、わたくしは教養のある階級の特権を獲得していなくて、合格と認められれば、普通の新兵として入営しなければならなかっただけに、この問題はますます憂うべき顔を示した。そのときまでは軽い気持で念頭から払いのけていたこの厄介な事情が、こうも希望に溢れて意気の揚がった瞬間に、重苦しくわたくしの心に落ちかかってきたのである。そして、わたくしがためらいながらそれを口に出してみると、母も姉もシムメルプレースターさえも、この事情に注意していなかったことがわかった。母や姉は女らしい無知からであったし、シムメルプレースターは、これまた芸術家のご多聞に洩れず、国家とか役所とかに関係した事柄にはほとんど注意を払わないならわしであったからだ。それに、彼は、この場合には完全に無力だと告白した。それというのも、と彼は腹立たしげに説明して、軍医との関係はいっこうにないから、徴兵執行官たちを内々で動かす手立てがないのだ、きみはどうすればこの難局をうまく切り抜けることができるか、何とかやってみるんだね、と言った。
そういう次第で、わたくしは、こうも取り扱いにくい事件で頼りになるのは自分ひとりだということがわかったわけだが、果たしてわたくしがそれにうちかったかどうか、読者は後章をお待ちねがいたい。さし当たりのところ、若々しくて動きやすいわたくしの精神は、出発という考えや、目前に迫っている移転や、それの準備やらで、いろいろと気をまぎらせたし、注意を他にそらされたのだが、それは、母が新年にはもう転借人なり下宿人なりを迎えたいという希望であったため、わたくしたちの移住はキリスト降誕祭が来ないうちにおこなうということになっていたからで、ただし、フランクフルト・アム・マインが、こういう大きな都会なら幸福をつかむ可能性が比較的多いというところから、目指す居住地として最後決定的に選ばれていたのである。
いかにも気楽に、性急に、軽蔑的な冷然とした態度で、遠方へ突進してゆく青年は、小さな故郷を背後に棄ててゆき、故郷の塔やぶどう山を、もう一度見返るということさえしないのだ。しかし、彼がどんなに大きくなって故郷とは合わなくなっていようとも、また、さらに大きくなってゆこうとも、滑稽だが親密しごくな故郷の像はやはり彼の意識の背景に立ちつづけているか、または、すっかり忘れて数年経ったのちに不思議にも意識の背景から浮かび出てくる、すなわち、愚劣なものが尊敬すべきものになるのである。人間は、故郷から離れたところで生活して、さまざまな行為をいとなみ、活動をくりひろげ、成功を収めながら、故郷というあの小世界にひそかな顧慮をはらう。生活が分岐点に立つたびに、向上するたびに、彼は心中ひそかに、あの小世界はこれに対してどういうだろうかと尋ねる。しかも、こういうことは、故郷が当の青年に対して不親切な、不公平な、無理解な態度を取る場合にこそ起こるのである。故郷の思いどおりに左右されていたときは、彼は故郷に反抗した。故郷がやむなく彼を解放して、おそらくとっくの昔に忘れてしまっているとき、彼はみずから進んで、自分の生活を故郷に判断させ、その意見を述べさせるのである。じっさい、彼にとっては事件の多い変化に富んだ多くの歳月が過ぎ去ったのち、いつの日か、彼はみずからひかれて故郷というあの出発点へ戻る。彼は、自分だということが認められようと認められまいと、とにかく、見慣れない輝かしい状態を獲得した自分の姿を|褊狭固陋《へんきょうころう》な故郷に見せてやって、心のなかには不安な冷笑を多分に抱きながらも、変わった自分の姿に故郷が驚嘆するさまを見て楽しむという誘惑に逆い得ないのである――これは、わたくしがその個所に至ったならばわたくしについて報告しなければならないことだが。
パリのシュトュルツリーに宛てて、わたくしは鄭重な形式で、どうぞもうしばらくお待ち願いたい、小生は今直ぐ国境を越えられる身ではなく、徴兵に合格するか否かの決定を待たざるを得ないのです、と書いてやったが、――この決定は、しかし、とわたくしは当てがあったわけではないが漫然と書き加えた、小生の将来の職業のためには重要でない理由から、たぶんは好都合な意味に決まることと存じます。たちまちのうちに、わたくしたちの財産の残りは運送荷物と手荷物とに変わった。そのなかには胸の部分に糊付けをしたぜいたくなシャツが六着はいっていたが、これはわたくしの名親が餞別にくれたもので、パリに行ってから立派に役立たせるはずのものであった。そして、ある冬の曇り日のこと、わたくしたちは急ぎ去ってゆく列車の窓から三人とも身を乗り出して手を振りながら、わが家の友シムメルプレースターの赤いハンカチがひらひらしながら霧のなかに消えてゆくのを見るのである。このすばらしい男にわたくしはもう一度だけ再会した。
第四章
わたくしたちのフランクフルト到着に続いた当初のごたごたした数日を、わたくしは急いで滑り越えてゆく。かくも豊かなはなやかな商業市でわたくしたちが演ずるようにと宣告されていた貧弱な役割を思い出すことを好まないからであるし、わたくしたちの当時の境遇を長たらしく描写すれば、読者の不興を買いはしないかと気づかわれるからである。僭越にもホテルと称してはいたが、決してその名に値しない不潔な旅人宿ないしは木賃宿のことをわたくしはいわない。その宿で、母とわたくしとが(というのは、姉のオリムピアはケルンの代理業者メールシャウムのもとで運試しをするために、すでにヴィースバーデン駅で、わたくしたちの道から別れていったからだ)倹約のために幾夜か過ごしたのだが、それも、わたくしはといえば、噛むのやら刺すのやら毒虫がうようよしている長椅子の上で過ごしたのである。それからわたくしたちがこの大きな、冷酷な、貧乏を憎んでいる都会のなかを、難渋しながらうろつきまわったこともわたくしは言わない。わたくしたちは財力相応の住居を探しまわって、ついに、細民街に、ちょうど空いていた住居を見つけ出したのだが、それは、わたくしの母の生活の計画に着手するにはほぼ適当なものであった。それには四つの小さな部屋と、さらに小さな台所が一つついていて、後屋の最下階、醜い中庭が見える位置にあったが、日光は全然当たらなかった。しかし、家賃が月に四十マルクしかしなかったし、あれこれ気むずかしいことを言うのはわたくしたちの柄になかったというわけで、即座に借り受けて、その日のうちにそこへ引っ越した。
新しいものといえば若い人には限りのない魅力を及ぼすもので、このみじめな住居は、故郷の快適な別荘とはまるで比較にも何にもならなかったものの、わたくしとしては、こうも慣れない環境にかえって活気づけられ、面白がらせられて、有頂天になるほどであった。わたくしはかいがいしく、喜んで母に手伝って、当初にまずしなければならない仕事を片づけた。家具を動かしたり、皿や茶碗を割れないように保護しているオガ屑から取り出したり、戸棚や箪笥を台所道具で飾ったりしたのである。そして、いやらしいほど肥満した男で立居振舞の非常に粗野な家主を相手に、住まいのなかでぜひともしなければならない修繕の件を談判することをも厭わなかったが、しかし、この布袋腹の男は修繕の費用は出さないと言って頑強に拒否したので、とうとう母が自腹を切って、客間がなげやりな様子に見えないようにしなければならなかった。自腹を切るのは母にはつらいことであった、というのも、移住や転居の費用が容易ならぬ額になっていたので、金を払ってくれる下宿人がなかなか現われないとすると、正式に開業しないうちに破産するおそれがあったからである。
最初の晩、台所で立ったまま落とし卵を二つ三つ夜食に食べていたとき、すぐに、わたくしたちは、この度の経営を敬虔で楽しい記念のために「ローレライ寮」と命名することに決めたが、この決心を母とわたくしと二人で署名した葉書にしたためて、わたくしの名親シムメルプレースターに通知して裁可を求めた。そして、早くもその翌日、わたくしはみずから、ローレライという詩的な名を肉太の文字で印刷して公衆に覚え込ませようという目的の、控え目であると同時に誘惑的な言き方をした広告を持って、最も読者数の多いフランクフルト新聞の発行所へ急行したものである。通行人の注意をこの寮に引くために、家の外側に看板を備えつけるべきであったが、わたくしたちは費用の点で幾日か思い惑っていた。ところが、わたくしたちの到着後六日目か七日目に、謎のような形をした郵便小包が故郷から到来して、その発送人はわたくしの名親シムメルプレースターだとわかり、中身は四つ孔をあけて四隅を反らせた|招牌《しょうはい》で、その上には、うちのぶどう酒壜のレッテルの装身具だけを身にまとったあの女の姿が、金いろの油絵具で書かれた「ローレライ寮」という題銘とともに、見る目も美しく、この芸術家シムメルプレースター自身の手で描かれていたというときの、わたくしたちの歓喜は筆舌には尽くしがたい。この招牌は、|巌頭《がんとう》の妖女の差し伸ばしている指環をはめた手が、わたくしたちの居住地へ通ずる下の通路を示すようなぐあいになるように、前屋の一隅に取りつけられたのだが、すばらしく効果的なものであることがわかった。
じっさい、客が来たのだ。最初に来たのは、若い技術家もしくは機械技師というところで、真面目な、寡黙な、むしろ陰気な、おのれの境遇にあきたらないという様子の明らかに見えるひとであったが、それでも支払いは几帳面で、品行は節度のある手固いものであった。彼が来てから一週間になるかならぬに、二人の客が同時に仲間入りをしてきたが、劇場関係のひとたちで――すなわち、声をすっかりつぶしてしまったために失職した喜劇部門の低音歌手、これは肥満した滑稽なかっこうをしていたが、不運のせいで荒びた気分になっていて、執拗に練習しては、その器官をもと通りに強めようと努力したが無駄であった。練習というのは、だれかが樽のなかで窒息しそうになって助けてくれと叫んででもいるようなふうに聞こえるものであった。そして、彼といっしょにその連れの女、汚ならしい寝間着をまとって、指の爪を長くしてばらいろに染めている赤毛のコーラス・ガールが来たのだが、――あわれなほど痩せこけていて、胸が完全に丈夫というのではなさそうな女であったのに、歌手は、何かの過失を咎めるためであろうと、または、漠然とした憤激を洩らすだけのことであろうと、しばしばズボン吊りで手痛く|折檻《せっかん》したものだが、それだからといって彼女の方では、彼というひとや、その彼の愛情というものがわからなくなって途方に暮れるというようなことは全然なかった。
そこで、この二人はいっしょに一室に住み、機械技師は他の一室に住んだ。三つ目の室はというと食堂に使われて、僅かな材料から手ぎわよくこしらえた共同の食事がそこで摂られたのである。そして、わたくしは、見やすい礼儀作法上の理由から、母と一つ室を分つということはしたくなかったので、台所で、敷布をかけた腰掛の上に寝て、水道から噴き出る水でからだを洗った次第だが、この状態は決して長続きするものではない、わたくしの道はどっちみち間もなく方向を変えることになるのだ、ということは忘れなかった。
ローレライ寮は繁昌しはじめた。すでに示したように、客のためにわたくしたち自身が窮屈な目に会うようになったのである。母が、いずれは企業を拡大し、女中を募集しようという考えを持ったのも当然なことであった。いずれにしても経営は軌道に乗って、わたくしの助力はもう必要でなくなった。そして、自由の身になってみると、わたくしの前には、パリに向かって出発するかそれとも軍服を着なければならなくなるまでに、ふたたび、かなり長い待つ間の閑暇があることになったが、こういう閑暇というものは、優秀な青年が静かに成長するためには大いに歓迎すべきもの、大いに必要なものである。教養というものは、愚昧な強制労働や苦役で獲得されるものではなく、自由と外面の怠惰との賜物である。努力して得られるものではない。呼吸のように吸い込まれるものなのだ。隠れていて目には見えない道具が教養のために働いている。感覚と精神とがひそかに勤勉な活動をつづけて、刻々に教養の宝を求めているのだが、この勤勉は、見たところまったくの|懶惰《らんだ》と思われるものとぴったり一致するのである。そして、選ばれた者なら、眠っているあいだに教養が飛んできてその身につくと言ってもよいであろう、というのは、もちろん、教養を得るためには、その身が教化することのできる材料で出来ていなければならないからだ。だれにしても、生まれながらに持っていないものを捉えることはないし、縁のないものを欲しがるわけはないのである。劣等なたちの者なら、教養を得ることはあるまい。教養を身につけた者が、粗野であったためしは決してないのだ。そして、ここでも、個人的な功績と、境遇の利といわれるものとのあいだに、公平で厳格な分界線を引くことは、すこぶる困難である。それというのも、確かに、親切な運命がちょうどよい時機にわたくしを大きな都会に移住させて、あり余るほどの閑暇を恵んでくれたのではあったが、それあってこそ初めてこういう都会の内的な享楽場や教育場の扉を開くことができる金というものを、わたくしがまったく持っていなかったこと、そして、わたくしの研究に際して、いわば外から自分の顔を愉快きわまる花園の豪華な柵に押しつけるにとどめなければならなかったことは、幸運の計らいから割引きしなければならないからである。
わたくしはあの頃ほとんど度を過ごして眠った。たいていは昼飯時までであったが、その時をはるかに越すことも多かったので、わたくしは、やっと遅ればせに台所で温め返したものか冷えたままのものをいくらか食って、それから、紙巻きたばこに火をつけるのであったが、これは客の機械技師がわたくしに贈り物としてくれたものであった(彼は、わたくしがこの生活の刺激を欲しくてたまらないでいながら、自分の金ではじゅうぶんに買えないでいることを知ったのである)。そして、午後も遅くなってからやっとわたくしはローレライ寮をあとにするのであったが、それは四時か五時で、町の上流の生活がたけなわになり、金持の女たちが馬車に乗って訪問や買物に出ているとき、喫茶店が満員になるとき、商店の飾窓がはなやかに明るくなりはじめるときなのである。そこで、その頃おいにわたくしは家を出て、ぶらぶらと歩きながら都心へ向かい、有名なフランクフルトの人出の多い街路から街路へとさまよって、あの楽しい研究の漫歩をはこび、往々にして朝の光がほの白む頃になってやっと漫歩を切りあげて、だいたいにおいて得るところ多く、母の家へと帰るのであった。
さて、みすぼらしい身なりの青年が、ひとりぼっちで、友もなく、雑沓裡に迷いこんで繁華な異境を通り抜けてゆく光景をご覧願いたい。彼は金がなくて、文明のさまざまな娯楽に本当の意味で参加することはできない。彼の目には、それらの娯楽が、どんなに鈍感な連中でも煽り立てて(彼はといえばとくに感受力が強いのだ)欲望や好奇心を起こさせることができるような押しつけがましいやり方で、広告柱の貼札に広告され吹聴されているのが見える――それなのに、彼はそれらの娯楽の名を読み取って、そういうものがあるということを知るだけで満足しなければならない。彼は、劇場の大玄関が壮麗に開かれているのを見るが、沸き立つように入場してゆくひとびとの流れに加わることはできない。音楽堂や寄席が歩道に投げる巨大な光のなかに、目をくらまされて立つと、その光のなかには、大きな黒人が、顔も緋衣も白い照明のために色あせて、三尖頭のある帽子をかむり、弓形の杖をついて、童話のなかにでもありそうなかっこうで|聳《そび》え立っていることがある、――それでも彼は、黒人が歯をむき出して、客引きの言葉であろうが何やらチンプンカンプンとわけのわからぬことを約束するのに従ってはいってゆくことはできない。しかし、彼の感覚は活溌にはたらいている。彼の精神は緊張しすぎるほどにも緊張して注意をこらしている。彼は見つめ、味わい、採り入れているのだ。そして、喧騒と幻覚とが押し寄せてきて、|睡気《ねむけ》を催させるような田舎の小都会の息子を、最初のほどは混乱させ、呆然自失たらしめ、不安にならせさえしたが、彼は常識と精神力とをじゅうぶんに持ち合わせていて、次第に喧騒を精神的に制御してゆき、自分の教養、自分の熱望する研究に役立たしめるのである。
飾窓というものは、何とうれしい設備ではないか。商店、勧工場、商品陳列所など、ぜいたく品の販売所や集散所が、その宝物を狭量にも奥深いところへ|匿《かく》すというようなことをしないで、広く豊かに、遺漏なく品を取り揃えて外へ投げ出し、華麗なガラス窓の背後に陳列して、燦然と提供するというのは、何とうれしいやり方ではないか。冬の午後、こうした陳列品は皆、昼を欺くばかりに明るく照明されている。窓の下端に備えつけた幾列かの小さなガスの焔が、窓ガラスに氷の張るのを防いでいる。そして、わたくしはその前に立って、防寒具とては首に巻きつけた毛織のショールだけで(というのも、わたくしの気の毒な父から形見にもらった外套は、とっくに僅かな手取金と引換えに質屋の倉にはいっていたからだ)、立派なもの、高価な高貴なものに目を食い入らせ、足のほうから上股までのぼってくる寒気や湿気をものともしないのであった。
家具商人の飾窓には、いっさいの家具調度が組み立ててあった。荘重な快適さを見せた紳士の居間、洗煉された私的な習慣をすべて紹介してくれる寝室、綾織の卓布をかけて、花を飾り、坐り心地のよい椅子でかこんだ卓が、銀器や精巧な磁器や割れやすいガラス器に人目を眩惑しながら輝いている、ひと招き顔な小食堂、枝付燭台や煖炉や織模様を張った肱掛椅子を配置した、形式趣味の堂々たる客間などがあって、わたくしは、高尚な家具の脚が、ペルシアじゅうたんのおだやかに燃えているような色の|表地《おもてじ》の上に、いとも優雅な、しっかりとした姿勢で光り輝きながら立っているさまを、あかず眺めるのであった。それから、紳士服と流行服飾品とを売る店の飾窓がわたくしの注意を引くのであったが、ここでは、わたくしは、ビロードの寝衣か繻子を合わせ縫いにした家庭用短上衣から、夜会に着る厳格な礼服に至るまで、精選し抜いた最新形式の雪白のカラーから、|華奢《きゃしゃ》な脚絆や鏡のように光るエナメル革の靴に至るまで、細かな線条か斑点をつけたカフスつきのシャツから、高価な毛皮服に至るまで、貴紳富裕のひとびとの衣裳を見るのであった。ここでは、わたくしの目の前に、貴紳の旅行用具、柔軟な|犢《こうし》革か、つぎはぎ細工のように見える高価な|鰐《わに》革で作った、ぜいたく品を詰めこんだ鞄が開かれていた。そして、わたくしは、他と区別された高等な生活をするのに必要な品、すなわち、香水壜、刷毛、化粧道具、一揃いの食器と極上のニッケル製折畳み式アルコール焜炉とを入れたケースなどを見覚えた。変わり模様の胴衣、すばらしいネクタイ、モロッコ革のスリッパ、繻子裏付の帽子、鹿革の手袋、薄絹の靴下などが、誘惑的な配置の仕方で、あいだあいだに陳列してあったが、最後に目についた手頃な優秀なボタンに至るまで、青年のわたくしは、粋な紳士の美装の付属品をしっかりと覚え込むことができたのだ。ところで、わたくしは、用心して見まわしながら、馬車やチリンチリンと鳴る市街鉄道のあいだを巧みにすり抜けて、通りを横切りさえすれば、美術品商店の飾窓の前に出られたと思う。そこでは、わたくしは、装飾工業の宝物、高等な洗煉された目の楽しみの対象、すなわち、巨匠の手になる芸術的絵画、さまざまな動物の姿態をあらわした風雅な磁器、美しい形の陶器、青銅の小像などを見たのだが、できることなら、さし伸べた高貴な肢体を愛撫の手で握りしめたことであったろう。しかし、数歩さきで、驚いて目を見はるわたくしをその場に金縛りにしたものは、どういう光輝であったのか。それは大きな宝石金細工商の陳列品であったのだ、――そして、そこでは、凍えているわたくしの熱望を童話の国のありとあらゆる宝物から隔てるものは、ただ壊れやすいガラスばかりであった。どこというなら、ここでこそ、最初は眩惑されたわたくしの恍惚感が、いとも大きな知識欲と結びついたのだ。蒼白い微光を放ちつつレースの小蒲団の上に並べられ、まん中のものは桜実大の大きさで、左右ヘ一様に小さくなってゆき、末端には金剛石の閉鎖装置がついている真珠|緡《さし》は、千万金の値である。ビロードの上に寝かされて、虹の七色にきらきらと烈しく光る|燦爛《さんらん》たる金銀細工は、女王の首や胸や頭を飾るにふさわしい、滑面の金製シガレット・ケースやステッキの握りが、ガラス板の上に誘惑的に並べられ、そのあいだあいだに、いたるところ、絶妙な色彩のたわむれを見せる宝石細工の類が、何げなく|撒《ま》き散らされている。すなわち、血のように赤い紅玉、草の緑いろでガラスのような緑玉、星形の光輝を放つ青くて透明な青玉、美しい紫色を帯びているのは有機物質を含むためといわれる紫水晶、見る位置を変えるにつれて色を変化させる真珠母猫目石、散らばっている黄玉石、色表のありとあらゆる明暗濃淡の差を示す幻想的な宝石類、――わたくしはそれらのすべてに自分の感覚を楽しませたばかりでなく、それを研究した。心からそれに沈潜したのだ。わたくしはそこここに備えつけられた価格を読み解こうと努めた。わたくしは比較して、目で|秤《はかり》にかけてみた。わたくしは、地中の宝石類に対する愛、ありふれた成分が単に自然の遊戯的な気まぐれのおかげで集まって貴重な形のものになっているにすぎない、材料の点ではまったく無価値なこれらの結晶に対する自分の愛を、初めてそれと意識したのである。そして、わたくしが、この魔術的な領域に通暁した後年のわたくしの確実な知識の最初の基礎を置いたのは、当時のことであったのだ。
わたくしは、この上、花屋のことも語らなければならないのだろうか。花屋の戸口が開いているときには、なまぬるい湿り気を含んだ天国の芳香が流れ出てきたし、飾窓の向こうには、溢れるばかりに盛りあげて大きな|繻子《しゅす》の蝶形結びのリボンで飾った花籠が見えたが、あの花籠は、女のところへ持たせてやって、|慇懃《いんぎん》の意を示すものなのだ。文房具店のことはとなれば、そこの陳列品は、わたくしに、上品な文通にはどういう紙を使うべきか、その紙にどういうぐあいに名前の頭字を印刷させて、その上に冠と紋章とをどう刷込ませるものか、それを教えてくれた。化粧品店や理髪店の飾窓のことはとなれば、そこでは、きらきらと光る首の長い壜に詰めたフランス産のさまざまな香水やエキスが見る目も美しく並んでいて、華美な張りの|函《はこ》のなかには、マニキュアや顔面マッサージに用いられるあの柔弱な道具が一覧に供されていた。しかしながら、わたくしは、こういうことをなおも長たらしく並べてゆくと、わたくしが物品、つまり、商品だけに関心を寄せ知識欲を向けて、どちらかと言えば人間には関心も知識欲も向けなかったとでもいうような外観を呈しはしないかと、気づかわれてくる、――ところが、この魅力ある大都会の人間世界、これはまた生命のない物品群とはまったくうって変わった趣きで、熱心に努力する青年のわたくしの渇望と注意との|的《まと》にならずにはいなかったものなのだ。
高価しごくな毛皮の短外套をまとった貴婦人が、二人の上品な子供、長いセーラー・パンツをはいた男の子と、短いビロードの小外套を着て、ちょこまかと走ってゆく美しい女の子とを連れて、街路上のわたくしの前を歩いていったとする(この場合、わたくしは、今日でもはっきりと眼前に浮かぶ完全にこれと決まった貴婦人、完全にこれと決まった子供たちのことを念頭に置いているのだ)――魔法にかけて金縛りにされたようになり、この立派な姿形にまったく没頭しきって、ほとんどわれを忘れたわたくしは、彼らから離れずにあとをつけてゆき、彼らを眺めながら、ランゲンシュヴァルバッハでならたぶん、もし彼らがそこにいたものとすれば、例のヴァイオリン演奏によってこの子供たちの仲間になれたことであったろうにとか、チンチラの毛皮をまとったこの貴婦人は、わたくしがもっとうろんくさくない身なりで、シルクハットやエナメル革の靴で飾り立てて彼女に出会うことができたのであったならば、愛想のよいほほえみを浮かべてすぐさまわたくしの挨拶に答えたことであったろうにというような、甘い空想にふけるのであった、――そして、手招きされて来た馬車とか、彼らが住まっている豪奢な家の大玄関とかが、わたくしの目から彼らの姿をかくしてしまうたびに、苦痛でいっぱいになってたたずむのであった。海外のひとと見える数人の若いひとびとが、フランクフルト館という大ホテルの露台に出てくる。これは、二階に陣取っている幸福な兄弟姉妹で、|手摺《てすり》越しに身を乗り出して笑いさざめきながら、街上の出来事を指さし合っていたが、それからすぐ、寒気と吹雪とに追われて、明るい部屋のなかへひっ込んでしまった、――彼らの姿が見えなくなってからも、長いあいだ、わたくしは街燈の柱にもたれて、彼らの生活の隅々までも思い描こうと努めながら、彼らの露台のほうを見あげているのであった。そして、その夜の残りのあいだ、さまよい歩いてあれこれと眺めたのに疲れ果てて、台所の腰掛の上に横になっているとき、わたくしの夢には彼らの姿が現われるのであった。
ああ、美しい世界のさまざまな場面よ。おまえたちは、わたくしほどに感受力のある目に見られたことはないのだ。わたくしは、数人の士官が町角で別れを告げあう光景を見た。彼らの外套の赤い裏をつけた襟はよく似合うかっこうに立ててあって、そのなかの二人は自信ありげな顔つきで片眼鏡をはめていた。彼らは辞儀をした。緊張した態度で、白手袋をはめた片手を帽子の|庇《ひさし》に当てて、彼らは自分に敬意を表した、相互に敬意を表し合いながら、自分自身に敬意を表するのであった。――そして、家で、ひとり台所で蝋燭をともして、わたくしは、彼らの騎士的な挙動を真似ること、彼らと同じように軽快に、踵をそろえたり、敬礼をする手を額へ持っていったりすることをじゅうぶんに練習したものだが、苦もなく彼らと同じようにすることに成功した。わたくしは、紐で縁をとった黄いろい短上衣を着たホテルの馬丁が街路へ飛び出してきて、携えた小笛を熱心に口へ持ってゆきながら、馬車を呼び寄せるさまを見た。続いて、派手な粧いをした一組の男女が、馬丁から非常にうやうやしい態度で迎えられながら、車寄せの差掛屋根の下へ歩み出てくるさま、紳士が淑女を馬車の扉へ案内するさま、給仕の少年が、帽子を上股につけて、馬車の扉を開けておくさま、繻子の靴をはいた小さな片足をすでに踏板にのせた淑女が、シルクハットを横ざまに持ってゆきながら、やさしく接吻するために、彼女の手の上に身をかがめる色男の頭の鉢を見おろしてほほえみかけるさまなどを見た……。わたくしは、巡査にでも追い立てられるまで、額や鼻を大きなガラス窓に押しつけて、クリーム色のカーテンの隙間から大きな料理店の内部をのぞいていた、――地下室の格子越しに料理場から立ち昇ってくる、さまざまな味のこんぐらかった芳香のなかに立って、フランクフルトの上流社会が、如才のない給仕にかしずかれて、小さな食卓に向かって晩餐を摂っているのを見たのだが、その食卓の上には枝形燭台にともした蝋燭と珍貴な花を盛った水晶の花瓶とが立っていた。それからまた、わたくしは、あの世界との接触を求めて若干見いだしたのだが、それは、もちろん、満足させるというよりは、むしろ、興奮させる接触であった。生まれながらの性質に駆り立てられてわたくしはあの世界に触れたわけで、劇揚がはねる頃、こういう施設の入口の前を歩きまわっていて、熱中して喋りながら甘美な芸術に興奮して玄関のほうへ流れ出てくる上流の観客のために、すばしこい世話好きな小僧という格で、馬車を呼び寄せるときに―― ―― ―― ―― ―― ――(ここで草稿が数頁なくなっている)
第五章
こういうふうにして、わたくしは、教養を獲得して自由に準備する可能性を利用しようと努めたのだが、親切な運命がうってつけの時機にそういう可能性をわたくしに与えてくれたのであった。しかし、わたくしは、読者の表情に、わたくしがいろいろなことに興味を持ったため、兵役関係という取り扱いにくい問題を軽率にも全然忘れてしまったのではないかとの懸念が浮かんでいるのを認める。そこで、わたくしは急いで保証するが、忘れるなどということはまったくなかったのであって、むしろ、わたくしはたえず憂慮を抱きながらこの運命的な問題に狙いをつけていたのである。もちろん、この不利な難問の解決について決心がつくにつれて、この憂慮は、わたくしたちが大きな、いや、大き過ぎる課題にぶっつかって自分の能力を測ろうとしかかる場合に感ずる、あのうれしいような胸苦しさに変わっていった。そして――ここでわたくしは筆に手綱をかけて、すぐに何もかにも言ってしまいたい誘惑に、思うところあってもうしばらく、陥らないようにしなければならない。というのも、この書きものをとにもかくにも書き終えることがあるとすれば、いつかはやはり印刷に付して公けにしようという志が、心のなかでいよいよ強くなってくるのであるから、小説家が好奇心と緊張とを生ぜしめるための手引きにする最も重要な規則原則に従わないのは、間違ったやり方であろうし、自分の性癖に|逆《さから》わないで、すぐさま取っておきを喋ってしまい、いわば時機にさき立って火薬を使い尽くしてしまえば、この規則原則にはなはだしく違反することになると思われるからである。
ただ、これだけは言っておくが、わたくしは非常に綿密に、それどころか、厳格に科学的な態度で仕事にとりかかったのであって、現われてくる困難を軽視することなどないようじゅうぶんに注意した。がむしゃらに踏み込んでゆくのは、真面目な仕事に着手する場合のわたくしの流儀ではなかったからで、むしろ、わたくしは、普通の大衆にはとても本当とは思えないような最も極端な冒険にこそは、最も冷静な思慮と最も敏感な性質とが結びつかなければ、結果が敗北、恥辱、もの笑いにならないようにすることはできない、と常々考えてきたのであって、わたくしはその冒険に成功したのである。わたくしは、徴兵検査事務の順序と執行及びこの事務の基礎になっている諸法令を詳しく研究したばかりでなく(この研究は、一部は、うちの下宿人で兵役を終えていたあの機械技師と話をして、一部は、自分の教育程度に満足していないこの男がその部屋に並べて置いてあった数巻の百科辞典に助けられて、済ましたのであった)、いよいよ計画の大体が出来あがったのち、馬車を呼び寄せてやってもらいうけた駄賃を倹約して、一マルク半だけ溜めて、本屋の飾窓で見つけた臨床講義式のある種の印刷物を手に入れ、それを熱心に読みふけって、熱心相当の利益を得たのであった。
船に砂荷がいるように、才能にはぜひとも知識が必要だが、わたくしたちが本当に取り入れる、いや、そもそも要求する権利がある知識は、わたくしたちの才能が焦眉の急の特殊な場合に求めて、飢えたように掻き集め、そこから、必要な底荷と堅牢な現実とを作り出すような知識だけだということも、同様に確かなことである。あの小冊子の教材はといえば、わたくしは非常な喜びをもって貪るようにそれをのみ込み、獲得した知識を、夜間に台所でひとりになったときに、蝋燭の明りで鏡に向かって、一定の目的を持った実地練習へと移したのであるが、この練習たるや、それを隠れて見ている者があったとすれば、その者には、たわけたことだという印象を与えたにちがいないけれども、わたくしにしてみれば、その練習によってはっきりとした合理的な目的を追求していたのだ。ここではこれ以上言うまい。読者には、今のところお預けを食わせるが、そのかわりに、できるだけ早く償いをつけることにしよう。
すでに一月の末に、わたくしは、現行規定に従って、わたくしの出生証書と警察署から取り寄せた品行証明書とを提出して、兵役局に文書をもって届出をしておいたのだが、出生証書はいうまでもなくきわめて整然としたものであったけれども、品行証明書のほうは、控え目に否定している書きぶり(すなわち、わたくしの行状に関して不利なことは何もその筋には知られていない云々)で、わたくしは愚かにも幾分不快を感ずるとともに不安な気持がした。三月になって、鳥はしきりに|囀《さえず》り、甘い微風がそよ吹いて、春が愛らしくその訪れを告げる頃、法令はわたくしが自身、徴兵区に出頭して第一次検査を受くべきことを要求したので、わたくしは、徴兵区のヴィースバーデンへ、四等車で、ともかくもかなり平静な心でおもむいた。それは、わたくしが、きょうは|骰子《さいころ》が投げられるようなことはまずない、ほとんど全部の者が、補充兵委員会なる名の下に次代の青年の合格並びに兵籍編入を最後決定的に決めるあの法廷に出ることになる、ということを知っていたからである。
わたくしの予想は確かめられた。手続きは簡単で、すぐ済んで、これということのないものであったから、その記憶はぼやけてしまっている。身長胸囲の測定があって、形式的に聴診器を当てがわれ、病気の有無を尋ねられたが、こちらの質問には全然応答がなかった。当分は放免された自由の身だが、いわば長い綱をつけられている形で、わたくしは、温泉の豊富なこの湯治場を飾っている立派な遊園を散歩し、温泉旅館の柱廊の華麗な売店を楽しく見物して目を肥やし、その日のうちに、故郷のように慣れ親しんだフランクフルトヘ帰ったのであった。
しかし、続く二か月が過ぎ去ったとき(五月の半ばは過ぎて、時ならぬ盛夏の暑熱が、当時、あの地方を|蒸《む》していた)、わたくしの期限が切れ、たとえて言ったあの長い綱が巻かれ、一も二もなく徴兵検査に出頭しなければならない日がやってきた。下層階級の雑多な連中といっしょにふたたびヴィースバーデン行きの汽車の四等室の狭苦しい腰掛にかけて、蒸気機関の振動に乗って決定の場へと運ばれてゆくのを感じたとき、わたくしの心臓はすくなからず高鳴った。盛んな蒸暑さは、道連れの連中にいねむりをさせて舟を漕がせたけれども、わたくしをたるませることはできなかった。眠らずに、気を張って、もたれかかることは知らず知らずのうちに避けて腰をかけていたが、わたくしは、自分がそれと証明されることになる状況を想像しようと努めていたのである。その状況は、昔の経験に徴すれば、あらかじめどんなに考え尽くすことができたにしても、予想とはまったく違ったものになるであろうと思われた。ともかく、わたくしの感情は喜ばしいものであると同程度に気おくれしたものであったのだが、それは、わたくしが、結果がどうなるかと本気で心配していたからというわけではなかった。結果は、わたくしの見るところでは確実なものであって、極端までやりぬく、いや、もし必要とあれば、心身のいっさいの原動力をそれに賭ける(この覚悟がなければ、何か異常な企てに携わるのは、たわけたことと思う)という堅い決心ができていたから、わたくしは、かならず成功する、ということは一瞬間も疑わなかったのだ。わたくしに不安の念を起こさせたのは、目的を達するためにはどれだけの犠牲をはらわなければならないか、どれほどの興奮や熱狂の犠牲をはらわなければならないか、その点が不確実だということにすぎなかった。つまり、自分自身に対する一種の思いやりがわたくしに不安を感じさせたのであって、わたくしの性格にはもとから自分をいたわる傾向があったのだが、男性的な諸性質がそれを訂正して均衡を保たせなかったならば、苦もなく変質して女々しい|怯懦《きょうだ》になりかねなかったであろう。
今でも、あの天井は低いがだだっ広い横材組みの広間が目の前に見える。兵隊流儀の粗野なあしらいで、はいれと言われて、控え目な態度で入場してみると、そこには大勢の青年が詰まっていた。市の外縁にある老朽して荒れ果てた兵営の二階にあったこの面白くもない部屋は、カーテンのない四つの窓越しに、場末の粘土質の草原を眺めさせたが、そこは、ブリキ鑵や、|瓦礫《がれき》や、塵芥など、いろいろなものが投げ棄ててあって、いかにも醜い光景であった。ありふれた料理台の向こうに、書類と筆墨とを前にして、鼻下髯をつけた下士官もしくは特務曹長というところが頑張っていて、裸体になるために、扉なしの戸口を通って板仕切をした部屋へはいっていかなければならない者の名を声高に叫ぶのであったが、この仕切部屋は、隣室、すなわち、検査の実際の舞台から仕切られていたのである。あの下士の挙動たるや、禽獣を思わせるようで、おどしつけてやろうという底意のあるものであった。彼はしばしば動物じみた|欠伸《あくび》をしながら手や足を伸ばしたり、壮丁名簿によって決定的な道へ踏み出させるひとびとの教育程度が高い場合には、これを嘲笑したりした。「哲学博士」と彼は叫んで、「目にもの見せてくれるぞ、おまえさん」と言おうとでもするように、嘲弄的に笑うのであった。こういうことがすべて、わたくしの心に恐怖や嫌悪の情を起こさせたのである。
徴兵事務は完全に運転していたが、|進捗《しんちょく》ぶりはのろくて、アルファべット順に進められたのであったから、名前があとのほうの文字で始まる者は、長いあいだ待つ覚悟をしなければならなかった。非常にさまざまな階級の青年が寄り集まった会衆は、圧しつけられたような沈黙を守っていた。途方に暮れたような田夫野人がいたし、都会のプロレタリアを代表する反抗気分の若衆もいた。やや上品な店員や、素朴な手職人がいるかと思うと、役者階級に属している者までいて、この男の肥満した要領を得ないかっこうは、あちこちに忍び笑いを挑発した。ネクタイは締めず、破れたエナメル革の長靴をはいた、何の職業ともわからない目の|窪《くぼ》んだ若者、ラテン語学校を出てきたばかりのお母さん子も目についたが、すでに尖った|顎髯《あごひげ》をはやした、顔の蒼白い、学者風のもの柔かな態度を持った、年齢の進んだ紳士たちもいて、自分たちの品位をそこなうような境遇にあることを感じて落ち着きをなくし、見るに忍びないほど緊張して、広間の一方の端から他の端へと歩いていた。出頭義務者のうちで、名前の順番がすぐまわってくるらしい三、四人の者は、早くもシャツだけになって、服を腕にかけ、長靴や帽子を手に持って、裸足で扉の近くに立っていた。一方ではその他の者たちが、部屋のぐるりにある狭苦しい腰掛にかけたり、片方の脚を窓|閾《しきい》にのせたりなどして、知り合いを作っては、体格のことや徴兵の運というものについて、低い声で思いつきを語りあっていた。ときどき、どういう道を通ってくるものかわからなかったが、会議室の方から、合格として選抜された者の数がもう非常に多くなったから、まだ検査を受けない者の幸運に当たる見込みが大きくなりつつあるという噂、だれにも確かめることのできない知らせがこちらへ漏れてきた。すでに呼び出されて、ほとんど丸裸になった姿を人目にさらさなければならなかっただれかれについて、冗談や粗野な悪口が参集者のそちこちに起こり、自由が増すにつれて嘲笑の声もあがったが、ついに、机に向かった下士の噛みつくような声が命令ずくの静粛を恢復させた。
さて、わたくしはといえば、いつもの流儀で孤立して、くだらないお喋りや粗雑な洒落にはすこしもかかり合わず、何か話しかけられるたびに、よそよそしい不得要領な返事をしてやった。開いた窓辺に立って(というのは、広間の人いきれが堪えがたいほどになっていたのだ)、わたくしは、あるいは窓外の荒涼たる風景を、あるいは室内の雑多な会衆を見わたしながら、時を過ごしていたのである。わたくしは、委員たちが判定をくだしている隣りの部屋を一瞥して、職務を執行している一等軍医の姿をすばやく見てとりたかったが、しかし、それは不可能であった。そこで、わたくしは、この男がどういう人物であろうとたいした問題ではない、自分の運命は彼の手中にではなくて、もっぱらわたくし自身の手中にあるのだということを、力をこめて自分に言って聞かせた。周囲のひとびとはすこぶる退屈に悩まされていたが、わたくしは|無聊《ぶりょう》に苦しむことはなかった。第一に、わたくしはもともと辛抱強い気質で、長いあいだ何もしないでよく堪え通すことができるし、感覚を麻痺させるような多忙というものによって忘れさせられ、食いつぶされ、おいはらわれることのない自由な時間を好むからだが、そのほかに、わたくしは、自分を待ちかまえている大胆にして困難な課題にとりかかることを決して急がずに、長い暇のあいだに精神を集中し、慣れをつくり、準備することができるのを喜んでいたのである。
Kの字で始まる名がわたくしの耳に聞こえてきたときは、日はすでに真昼頃になっていた。だが、運命が好意ずくでわたくしを|揶揄《やゆ》しようとでもいうのか、Kの字で始まる名は、きょうは非常に多くて、カムマッヘル、ケラーメンナー、キリアーネ、さらにはクノルやクロルといったつらなりがいつ果てるとも見えなかったので、わたくしは、ついに、自分の名が呼びあげられたときには、かなり気力を失ってぐったりとして、規定の身仕度をしはじめたのであった。それはそうと、わたくしは、この倦怠はわたくしの決心を妨げなかったばかりか、むしろ、いっそう強めた、と言うことができる。
わたくしは今日という日のために、わたくしの名親が人生の旅にいでたつわたくしに、はなむけとしてくれた、あの白い糊づけのシャツの一枚を着ていっていた。これは、いつもは大切にしてしまっておいたものだが、わたくしは、この検査場では下着がとくに問題になるということを、あらかじめ考慮していたのである。そこで、わたくしは、ひとに見られて恥ずかしくないかっこうだということを意識しながら、洗い|晒《ざら》した|碁盤縞《ごばんじま》の木綿のシャツを着た二人の若者のあいだにはさまって、更衣室へ通ずる入口に立ったわけだ。わたくしに聞こえたかぎりでは、広間のなかで、わたくしに対して何の嘲弄の言葉も起こらなかった。そして、机に向かったあの軍曹でさえ、こういう服従に慣れた身分の人間が高等な都雅な衣裳に対しては決して払うことを拒まないあの尊敬の念を以て、わたくしをじろじろと見たものである。わたくしには、彼が手許の名簿の記載とわたくしの風采とを比較研究しているのがよくわかった。じっさい、彼はこの研究にすこぶる心を奪われて、わたくしの名を改めて呼びあげることを当の瞬間にまったくぬかってしまったので、わたくしのほうから、はいってもよいかと彼に尋ねなければならない始末であったが、彼は、はいってよいと言った。そこで、わたくしは裸足になって|閾《しきい》をまたぎ、仕切部屋のなかで一人になって、自分の服を、さきに行った者の服の横、そこにあった腰掛の上に載せて、靴をその下に置き、糊づけのシャツをも脱いで、それをきちんと折り畳んでその他の衣裳といっしょにした。それから、わたくしは聞き耳を立ててつぎの指令を待ちかまえた。
わたくしの緊張は苦しいばかり、心臓は乱調子に鼓動した。思うに、顔から血が引き去っていたことであろう。しかし、こうした不安な思いに、もう一つの、喜ばしいような種類の感情がまじっていたが、その感情を伝える言葉はおいそれと用意できない。格言の形式であったかそれとも断想の形式であったか、監獄で読書していたときであったか、または、新聞紙に目を通していたときであったか――あるときのこと、わたくしはつぎのような見解というか|箴言《しんげん》というか、そういうものに出くわしたことがある。すなわち、自然がわれわれを生み出した状態、つまり、裸体は、平等化するもので、裸の生物のあいだには順位も不公平ももはやあり得ない、というのである。この主張は、すぐさまわたくしの憤怒と反抗とを呼び覚ましたものだが、賤民にはじゅうぶんにへつらうもので、なるほどと|頷《うなず》かれるであろう。しかし、こればかりも真実ではない。この主張には、訂正を施して、こう答えることができるように思う。すなわち、正真正銘の順位は、自然のままの状態においてこそ初めてつけられる。裸体は、人類の自然的には不公平な、品位を喜ぶ状態を意味するというかぎりでだけ、公平なものと呼ぶべきだ、と。早くから、というのは、わたくしの名親シムメルプレースターがわたくしの姿を不思議な力で画布の上に描き出して、一段と高い意義を持たせたときすでに、または、公衆浴場でのように、人間が偶然の制約から解き放たれて、それ自体で現われるという場合にはいつも、わたくしはこのことを感じていたのであった。そういうわけで、今も、うろん臭い乞食服を着てではなくて、自由な本然の姿で検査官一同の面前に立つことになった喜びと強い誇りとが、わたくしの心に湧き起こったのである。
仕切部屋は横側が検査室に対して無防備とでもいう状態で、板壁に妨げられて検査の舞台を見るわけにはいかなかったが、わたくしは耳でしごく正確に検査の経過を追うことができた。わたくしは、一等軍医が新兵に命令して、右を向いたり左を向いたりして前後左右からからだを見せるようにと要求する言葉や新兵に提出する簡潔な質問、新兵が答える返事などを聞いた。新兵は、肺炎にかかったことがあるという不手際なおきまり文句を並べたのだが、それは、じゅうぶんにはっきりと見え透いている目的を達しなかった、というのも、甲種合格という証言にそっけなく|遮《さえぎ》られたからである。この評決は別の声によって復唱され、その後の処理がおこなわれて、退場の命令がくだると、ぴちゃぴちゃという足音がこちらへ近づいてきた。そして、すぐにその新兵がわたくしのところへはいってきた。見ると、貧弱な肉づきで、首のまわりに褐色の条がはいり、肩は無骨なかっこうで、上膊の骨突起に黄いろな汚斑がついているし、膝は粗削り、大きな足は銅いろという若者であった。わたくしは、狭い場所ながら、彼と触れることを避けた。その瞬間、鼻にかかると同時に鋭い声でわたくしの名が呼ばれ、助手の下士官が目くばせをしながら脱衣室の前に現われたので、それではとわたくしは板壁のうしろから歩み出て、左に向きを変え、礼儀作法にかなった、とにかく謙遜な態度で、医者や委員たちがわたくしを待ち設けている場所へ進んでいった。
こういう瞬間には目が見えなくなるもので、目の前の光景は|朦朧《もうろう》とした輪郭だけが、興奮していると同時に昏迷しているわたくしの意識にはいってきた。長めのテーブルが一つ、部屋の右手の一角を斜めに区切っていて、前に乗り出したり、うしろにもたれかかったりした検査委員たちが、軍服を着たのも平服を着たのも一列になってそのテーブルにすわっていた。その列の左翼に医者が直立していて、わたくしの目には彼もすこぶる影のようなものに見えたが、それはとくに彼が窓を背にしていたからである。わたくしはといえば、自分に向かって追ってくるこうも多数のまなざしのために精神的に圧倒され、極端な|曝《さら》し者になっている状態の夢のような感じにぼんやりさせられて、自分はたった一人で、いっさいの関係から解き放たれ、名もなく、年齢もなく、自由純粋に虚空に浮かんでいるというような気がした。これは、悪い気持のものでないばかりか、貴重なものとして記憶にとどめている感情である。ともかく、わたくしのからだの繊維はなおも|顫《ふる》え、脈搏は興奮して不規則な|搏《う》ち方をしていたことであろうが、精神のほうは、今や、冷静とまではいかないにしても、完全に落ち着いていて、そのさきわたくしが言ったりしたりしたことは、いわばわたくしが手を加えずにごく自然なふうに出てきたものだが、じっさい、自分も当座にアッと驚くようなぐあいであった。言うまでもなく、長いあいだ練習を積んで、未来はこうもあろうかと良心的に沈潜すれば、そのたまものとして、実地に応用する瞬間には、行為と出来事、能動と受動とのあいだに夢中彷徨的な中間的なものが生じてきて、これはわたくしたちの注意力をほとんど要求しないものなのである。しかも、現実というものは、たいてい、わたくしたちの慎重な予想よりもすくない要求をするものであるから、これはますますわたくしたちの注意力を要求することのないものである。そうなると、わたくしたちは、全身武装して戦闘におもむくが、勝つためには、ただ一つの武器をちょっと|操《あやつ》りさえすればよいという男と同じ事情にあるわけなのだ。それというのも、体面を重んずる者は、しごく困難なことを練習しておいて、比較的容易なことではいっそうの熟練を示すからである。そして、勝ち誇るためには、いたってやさしい軽微な手段をはたらかせさえすればよいということになるのを喜ぶのだが、それはもともと粗野で乱暴な手段を好まないからで、一旦緩急の場合にだけ、そういう手段を取るのだ。
「これは一年志願兵だ」と、検査委員のテーブルから好意のこもった低い声が、説明でもするようなふうに言うのが聞こえたが、それにすぐ続いて、別の声、あの鋭く鼻にかかった声が、前の声を訂正しながら、わたくしがただの新兵にすぎないということを確かめるのが聞こえたので、わたくしはいささか不快を覚えた。
「もっと近くへ来たまえ」と軍医が言った。
彼の声は山羊が啼くようで、幾分弱いところがあった。わたくしは|唯々《いい》として彼の言葉に従ったが、彼のすぐ前に立って、ばかげてはいるものの不快なものではない断乎たる口調で、「わたくしは完全に合格であります」と言ってのけた。
「それはきみの判定することではない」と、軍医は、頭を突き出して猛烈に振りながら、腹立たしげに答えた。
「こちらが質問することに返答すればよいのだ。自分の考えを述べることは控えたまえ」
「かしこまりました、軍医総監殿」と、わたくしは、彼が軍医正にすぎないことはよくわかっていたが、そう低い声で言って、びっくりしたような目で彼を見た。このときわたくしは彼がどういう男であるか前より幾分よく見分けることができた。彼は痩せた体格で、軍服の上着は|皺《しわ》を寄せてだらりと垂れていた。ほとんど肘まで届いている袖口をつけた袖は、長すぎるために手の半ばを蔽っていて、骨と皮ばかりの指だけがのぞき出していた。顔一面の細長いまばらな髯は、逆立った頭髪と同じ色艶のない黒ずんだもので、彼の顔を長いものにしていたが、しかも、彼が口を半開きにして、頬を落ちくぼませて、下顎を垂らす癖があるため、いっそう彼の顔を長いものにしていた。赤くなって割れ裂けたような目には銀縁の鼻眼鏡がかかっていたが、それは曲がっていて、一方のガラスは眼瞼の邪魔になっていたし、他方のガラスは目からずっと離れていた。これがわたくしの相手の外貌であった。そして、彼は、軍医総監殿とわたくしに呼びかけられたことで音の響かぬ微笑をもらし、目の隅から検査委員のテーブルのほうを盗み見るのであった。
「両腕を挙げて。身分は何か」というと同時に、彼は、仕立屋がするように数字を白く目盛りした緑いろのメートル紐をわたくしの胸囲に当てがった。
「わたくしはホテルの職業を選ぶつもりでおります」と、こちらは答えた。
「ホテルの職業とは何だ。そうか、そのつもりでいるのだな。それは、どういう時期にか」
「わたくしと家族のものとは、わたくしが兵役義務を果たしたのちに、この経歴を踏み出すことにしようと申し合わせております」
「ふむ。きみの家族のことは尋ねておらんのだ。家族というのはだれかな」
「わたくしの名親シムメルプレースター教授と、わたくしの母とで、母はシャンペン醸造主の寡婦であります」
「そうか、シャンペン醸造主のね。それできみは目下何をやっているのか。きみは神経過敏なのか。なぜそう肩をぴくぴく|痙攣《けいれん》させるのか」
じっさいわたくしは、この場に立ってから、半ば無意識的に、まったく何の準備もなく、決して押しつけがましいものではないけれども、頻繁にくり返される、独特なやり方で肩が痙攣するようなふりをしていたのだが、これは何かの理由でこの場にふさわしいように思われたのである。わたくしは考え込むような調子で、「いいえ、神経過敏だなどいうことは、これまでついぞ思ったこともありません」と答えた。
「では、痙攣することはやめたまえ」
「はい、軍医総監殿」と、わたくしは恥ずかしそうに言ったが、しかし、そう言う瞬間にまたもやぴくりと痙攣した。それを相手は見のがしたらしかった。
「小官は軍医総監ではない」と、彼は山羊が鋭く啼くような声でわたくしをどなりつけて、突き出した頭をはげしく振ったので、鼻眼鏡が落ちそうになり、右手の五本の指を全部使ってそれを固定し直さなければならなかったが、しかし、曲がっているという根本的な欠点を矯正することはできなかった。
「それは失礼いたしました」と、わたくしはごく低い声で恥ずかしそうに言い返した。
「では当方の質問に答えたまえ」
何のことだかわからなくなって、途方に暮れて、わたくしは周囲を見まわし、いわば訴えるようなまなざしで委員たちの列をもずっと見わたしたが、委員たちの態度にはある種の関心と好奇心とが認められるように思われた、ついにわたくしは黙ったまま溜息をもらした。
「きみの現在の職業を尋ねたのだ」
「わたくしは」と、さっそくわたくしは喜びを抑えながら返事をした、「フランクフルト・アム・マインの相当大きな寄宿寮ないしは下宿屋を経営している母の手伝いをしております」
「立派なものだ」と彼は皮肉に言った。「咳をしてみたまえ」と、彼はそれからすぐに命令したが、こんどは黒い聴診器を当てがっていたのであって、身を屈めてわたくしの心臓の鼓動に耳を傾けたのである。彼が聴診器をわたくしのからだのあちこちへ動かしているあいだ、わたくしは幾度もわざと咳を出さなければならなかった。それから彼は聴診器を、横の小卓から取った小型ハンマーと取換えて、打診へ移った。
「重病にかかったことがあるか」と、彼は打診しながら尋ねた。
「ありません、軍医殿。重いのは一度もありません。自分の知っているかぎりではわたくしはまったく健康であります。また、健康状態がすこし不安定だという点を別としてよろしいなら、いつも完全に健康でありました。それで、どの兵科に対してもしごくうってつけだと感じております」
「黙りたまえ」と、突然聴診を中止して、屈んだ姿勢のまま怒り狂ってわたくしの顔を見あげながら、彼は言った。「きみの合格か否かは当方で決定することだから、余計なことは言わずにいたまえ」と、彼は、いわば本題から離れた形で、検査を中止して、からだをまっすぐにしてわたくしの前からすこし退きながら、「きみはのべつ余計なことを言っているぞ」とくり返して言った。「きみの話し方には締りのないところがあるが、もう最前から実に奇妙なことだと思っていた。そもそもきみはどうしたというのか。どういう学校に通ったのか」
「わたくしは実科高等学校の六級を修了いたしました」とわたくしは低い声で、見たところは、彼に奇異な感じを持たせて感情を害したことを悲しむような様子で答えた。
「なぜ第七級を|卒《お》えなかったのか」
わたくしは頭を垂れた。そして、下から、彼に一瞥を与えたが、それはじゅうぶんにものを言うまなざしで、それを受けた者の心を打ったことであろう。「なぜきみはぼくを苦しめるのか」と、わたくしはこのまなざしで尋ねたのであった。「なぜきみはぼくに語れと強いるのか。ぼくは敵意を抱く人生に殴打されて受けた深い傷を愛想のよい都雅な風采の下に隠している特別な美青年だが、いったいきみにはそれが見えないのか、聞こえないのか、感じられないのか。ぼくが恥じて隠していることを、こうも大勢の立派な委員たちの前で露出しろと強制するのは、きみとして思いやりのあることだろうか」わたくしのまなざしはそう言っていたのである。そして、判断力のある読者に言うが、わたくしのまなざしの苦しげな訴えは、この瞬間には意図して意識的に目的を達成しようと努力してやった行為ではあったが、決して偽ったものではなかった。虚偽偽善と認められなければならないのは、もちろん、感情が不正に贋造される場合だからである。贋造された感情のあらわれには、それと一致する何らの真実も実際の知識もないために、虚偽だと見破られるのだが、その結果は浅ましくも醜い不手際を生ずることであろう。しかし、わたくしたちは、自分の貴重な経験の表現を、任意の時期に有効に使って悪いわけはあるまい。すばやく、悲しげに、咎めるかのように、わたくしのまなざしは、人生の不公平や困難を早くから熟知しているということを語ったのである。それからわたくしは溜息をついた。
「返事をしたまえ」と軍医正は前より穏かな口調で言った。
わたくしは悶えながら、ためらいがちに答えた。
「わたくしは学校で落第いたしまして、学校の課程を卒えるにいたらなかったのでありますが、|微恙《びよう》のためにしばしば病臥して、当時、頻繁に授業を欠席しなければならなかったからであります。それに先生がたも、わたくしに注意力や勤勉さが欠けていることを非難しなければならないとお考えになったのですが、わたくしのほうではこの点何の過失も不行届も意識していなかったものですから、非常に失望落胆させられました。しかし、わたくしが多くのことに気がつかなかった、聞かなかったとか聞き分けなかったとかいうことは、非常にしばしば起こったのでありまして、たとえば、先生が話をされた教材とか、やって来いと言いつけられた宿題のことであるとしますと、その宿題を仕上げることをわたくしは怠っていたのでありますが、宿題が出たなどということをいっこうに知らなかったからであります、それも、わたくしが他の不適当な考えにふけっていたからというのではなく、この命令が出されたときに、わたくしが全然出席していなかった、教室にいなかったとしか考えようがないというようなぐあいのためで、これは先生がたの側では落第点をつけて断乎たる処置を取る動機になりましたが、わたくし自身の側では大きな……」ここに至ってわたくしはもう言葉が見つからなくなって、混乱して、口をつぐんで、肩を変なふうに痙攣させた。
「やめろ」と相手は言った。「きみは、いったい、|聾《つんぼ》なのか。向こうへずっとさがって、こちらの言うことを復唱したまえ」そして、こんどは彼は細い口や薄い髯をきわめて滑稽に|歪《ゆが》めながら、「十九、二十七」とかその他の数を注意深く囁きはじめた。それをわたくしのほうでは、苦もなく、即座に精確にくり返してやったが、わたくしはすべての感覚と同じく聴覚も普通の状態のものであったばかりでなく、特別に鋭敏で精緻なものであったからで、それを隠さなければならない理由があるとは思わなかったのである。そういう次第でわたくしは、彼がほんの気息ほどに発音する幾桁もの数字を聴き取って復唱したのだが、わたくしのすばらしい才能は彼の心を奪ったものらしく、彼はいつまでもこの試験を続けて、わたくしを部屋の一番遠い隅へやっておいて、六ないし七メートルの距離から、四位の数を、伝えるというよりは隠して言った。そして、わたくしが半ば推量して、彼自身が口に出して言ったとはほとんど思わなかったほどのものを全部捕捉して復唱するたびに、口をつぼめて、検査委員のテーブルのほうへ意味ありげなまなざしを向けるのであった。
「よし」と、彼はついに何でもないという態度をよそおって言った、「非常によい耳だ。また、こっちへ来て、ときどききみの通学を妨げた|微恙《びよう》というのは、どういう現われ方をしたものか、なるたけ詳細に言ってみたまえ」
わたくしは喜んで進み出た。
「うちのかかりつけの医者は」とわたくしは答えた、「衛生顧問官デュージングは、いつも、それは一種の偏頭痛だと説明しておりました」
「なるほど、かかりつけの医者がいたのだね。それは衛生顧問官だったのか。そして、彼はそれを偏頭痛だと説明したわけだな。では、どういう現われ方をしたのか、この偏頭痛は。発作の状況を述べてみたまえ。頭痛が起こったのか」
「頭痛もありました」と、わたくしは相手をうやうやしく見つめながら、驚いたように答えた。「同時に両方の耳が耳鳴りをしましたが、主として全身が非常に苦しくなって恐慌を感ずる、と言うよりはむしろ、がっかりと気落ちすると言ったほうがよいかも知れません、それがついには喉を絞められるような猛烈な痙攣に変わってゆくため、わたくしはほとんどベッドから投げ出されるほどなのであります……」
「喉を絞められるような痙攣か」と彼は言った。「そのほかの痙攣はなかったのか」
「はい、そのほかのは確かにありませんでした」と、わたくしはきわめて断乎と確言した。
「耳鳴りはしたのだな」
「耳鳴りは、確かに、よく同時に起こりました」
「それで、いつ発作が起こったのか。その前に何か興奮したというような場合にか。特別な原因があった場合にか」
「わたくしの思い違いでなければ」と、わたくしはためらいながら探るような目つきをして答えた、「この発作は、学生時代にときどき、教室でこういう差し支え、と言いますのは、さきほど申しあげたような種類の腹立たしいことがあった場合にはかならず起こりました……」
「きみがある事柄を聞いていなかったということだな、まるできみがその場にいなかったとでもいうように」
「はい、軍医長殿」
「ふむ」と彼は言った。「こんどは、きみが出席していないと思われたというような偶発事件に先行して、そういう事件をいつも予告するような何らかの徴候が、きみの注意を引かなかったかどうか、よく考えてみて、正直に言ってみたまえ。恥ずかしがることはない。きみがはにかむのはもっともだが、それを押し切って、徴候というようなものを、万一の場合に見なかったかどうか、うち明けて言ってみたまえ」
わたくしは彼を見つめた。重々しく、ゆっくりと、いわば一生懸命に考え込むという風情でうなずきながら、長いあいだ脇目もふらずに彼の目を見つめた。
「はい、わたくしはよく変な気持になることがあります。前にもそうでしたし、残念ながら今でもときどき変な気持になることがあります」と、わたくしはとうとう低い声で思い煩うような調子で言った。「ときどき、突然煖炉や火の近くに置かれたとでもいうようなふうに思われることがありまして、それから何か非常に熱いものが手足に、最初は脚、つぎに上のほうの部分に触れてきます。そして、その熱いもののなかには一種の|痒《かゆ》がらせるような、ちくちく刺すようなものがあって、それには驚かざるを得ません。それと同時に千変万化する色彩が目の前にあらわれますから、いよいよ驚くのほかないのであります。この色彩の変化は綺麗だと言ってよいほどのものなのでありますが、それでもわたくしをぎょっとさせます。それから、もう一度ちくちくと刺すような感じのことに戻って申しますと、それは蟻走感覚というようにも名づけることができると思います」
「ふむ。そのあとできみはいろいろなことを聞きもらしたのだな」
「はい、そうであります、|衛戍《えいじゅ》病院長殿。わたくしの性質には自分でもわからないことがたくさんあります、そして、家庭でもわたくしはそのために迷惑いたします、と申しますのも、わたくしはときどき、食事中に思わず知らず|匙《さじ》を取り落として卓布にスープの汚斑をつけていることに気がつくことがあります。そうしますと、母はあとで、わたくしが大人になっていながら、客――というのは主に俳優や学者ですが――客の前で、そういう無作法を演ずることを叱ります」
「そうか、匙を落とすのだな。すこし経って初めてそれに気がつくのだな。ところで、きみはかかりつけの医者に、この衛生顧問官殿に、まあその男がどんな社会的称号を帯びていてもいいが、一度もこの些細な異状のことを話さなかったのか」
低い声で悄然としてわたくしは彼の問いを否定した。
「なぜ言わなかったのか」と相手は問いの手をゆるめない。
「恥ずかしかったからであります」とわたくしは口ごもりながら答えた、「それに、だれにも言いたくなかったからであります。このことはいつまでも秘密にしておかなければならないような気がしたからであります。それにまた、わたくしは内々で、これはそのうちなくなるだろうという希望を持ったからであります。それに、わたくしは、だれかを非常に信用して、そのひとに、自分がときどきどんな変な目に会うかということを告白できるなどとは、決して考えもしなかったと思います」
「ふむ」と彼はいったが、まばらな髯が|嘲《あざけ》るようにふるえた。「だれかに告白したところで、そういうことはすべて簡単に偏頭痛だと説明されるばかりだと思ったわけだな。きみは」と、彼は続けて言った、「きみの父が火酒製造人だったと言わなかったか」
「はい、と申しますのはすなわち、父はライン河畔にシャンペン醸造場を所有しておりました」と、わたくしは相手の言葉を確認すると同時に訂正しながら、丁寧に言った。
「その通り、シャンペン醸造場だ。それではたぶん優秀なぶどう酒通だったろう、きみの父は」
「そうだと思います、軍医殿」とわたくしは欣然として言ったが、一方、検査委員のテーブルにはそれとわかる|朗《ほがら》かな動きが起こった。「はい、父はぶどう酒通でありました」
「そして彼個人としては、前屈みになってこそこそ歩くような卑屈者ではなくて、上等の酒を愛好する人だったのではないか。いわゆる神に恥じざる酒客だったのではないか」
「父は」と、わたくしは自分の元気をいわば取り返したという様子になって、要領を得ない返事をした、「人生の快楽そのものでありました。それだけは肯定することができます」
「なるほど、なるほど、人生の快楽か。それで彼の死因は何だったのか」
わたくしは唖になった。相手を一瞥して、顔を伏せた。それから調子の変わった声でわたくしは答えた。
「大隊医官殿に、このご質問をなにとぞこれ以上固執なさいませぬよう、伏して懇願いたしたいものでありますが……」
「ここでは如何なる質問をも拒むことはまかりならん」と彼は鋭い山羊の啼き声を出して答えた。「当方の質問は、熟慮した上の質問で、きみの申告は重大なものなのだ。きみ自身の利益のためにすすめるが、きみの父の死に方を事実どおりに述べたまえ」
「父は教会の葬式を受けたのです」とわたくしは胸をもがいて言った。わたくしの興奮は非常に激しいものであったから、わたくしは事柄を秩序立てて述べることができなかった。「父が僧侶の立会いの下に葬られたことにつきましては、証拠の書類を提出することができます。それに、照会をすれば、数人の士官とシムメルプレースター教授とが棺に|随《したが》ったことが明らかになると思います。宗教顧問官シャトーその人が追悼説教中で」と、わたくしはますます性急な口調になって続けた、「拳銃は、わたくしの父がそれを試しに取り扱っていたとき、不意に発火したのだということを述べましたが、父の手が顫えていて、父が自分を完全に制御していなかったのは、わたくしども一家が大いなる|煩累《はんるい》に悩まされていたからのことでありました……」わたくしは「大いなる煩累」と言ったし、そのほかにも常規を逸した夢のような言葉を二、三用いた。「破滅が固い指でわが家の戸口を|敲《たた》いていたのでありました」と、わたくしは説明するために人さし指を曲げて空を叩く真似までしながら、夢中になって言った、「と言いますのは、父が悪人ども、彼の首を切り落とした高利貸どもの網にはまり込んだのでありました、そして、一切合財が売りに出されて、捨売りにされてしまいました……。ガラスの……竪琴」と、わたくしは無意味なことを|吃《ども》って、目に立つほど顔色を変えた。いよいよまったく以て奇想天外なことがわたくしの身に起こることになっていたからである。「風……車……」そして、この瞬間、わたくしの身につぎのようなことが起こった。
わたくしの顔は歪んだ――いや、これでは言い足りない。わたくしの思うところでは、完全に新しい、ぞっとさせるようなやり方で、人間の激情ではなく、悪魔の影響や刺激だけが人間の顔を歪ませ得るようなふうに歪んだのだ。わたくしの面相は文字どおり四方へ、上下、左右へ|潰散《かいさん》せしめられて、それからすぐまたまん中へ無理強いに収縮せしめられた。つぎに、片方ずついやらしく歯を|剥《む》き出すしぐさがまず左の頬を、それから右の頬を引き裂くついでに、左頬なら左の目を、右頬なら右の目を物凄い力でつぼめさせると同時に、反対側の目を極端にひろげさせたので、眼球が飛び出すにちがいないという、はっきりした恐ろしい感じに襲われたほどであったが、眼球は飛び出すなら飛び出せばよかったろう――飛び出せばよかったのだ。眼球が飛び出したかどうかなど問題ではなかったし、いずれにしろ、眼球のことを思いやって心配する瞬間ではなかった。ところで、こうも不自然な表情術は、外部に向かってはたぶん、恐怖と名づけられるあの法外な|怪訝《けげん》の念を生ぜしめたことであろうが、しかし、それは、つぎの数秒間にわたくしの若々しい顔の上で演ぜられた、本物の魔女のしかめ面遊び、まったくの渋面競べとでもいうものの序の口であり、はしがきにすぎなかったのだ。わたくしの面相の冒険をひとつひとつ説明すること、わたくしの口、鼻、眉、頬、要するに顔面筋全部が取ったもの凄いかっこうを――それも、たえず変化していって、同じ歪み面がくり返されることはなかった――そのかっこうを詳しく描写すること、こういう叙述はあまりにも面倒な業であろう。ただ、この面相の現象に相応したと思われる心情の事象、こうもばか愉快な朗かさの、|劇《はげ》しい驚愕の、正気をなくした快楽の、残忍な苦悩の、歯をむき出した|躁狂《そうきょう》の感情はどうしてもこの世のものではなく、人間娑婆のもろもろの情熱が途方もない割合に拡大されて身の毛もよだつようなありさまになってめぐりあう地獄に属するものにちがいなかった、ということだけを言っておく。それにしても、わたくしたちが表情を取る基になる感動は、おぼろげな影のようなものながら確かにわたくしたちの魂のなかに生じてくる、というのが本当ではなかろうか。この間、わたくしの顔以外のからだは、わたくしが自分の位置にまっすぐ立ってはいたものの、動かずにじっとしていたのではなかった。頭はあちこちに激しく揺れ、たびたび、ほとんど首が折れんばかりになり、そのさま、あたかも悪魔がわたくしの首を折ろうとしているかのようであった。肩や腕は関節からはずされるかと見え、腰はねじれ、膝はたがいに反対の方向へ向き、腹がへこむ一方では、肋骨が皮膚を突き破ろうとするかに見えた。|足趾《あしのゆび》はひきつっていたし、指の関節は一つ残らず奇怪な|鉤爪《かぎづめ》のように曲がっていた。そういう言わば地獄の拷問にかけられたようなありさまを、わたくしは一分の三分の二ほど続けたのだ。
わたくしは、このように苛酷な条件の下では非常に長く感じられたこの時間のあいだ、意識を持たなかった。すくなくとも自分の周囲の目撃者のことは思い出さなかった。周囲に目撃者がいるという意識は、自分の状態があまりにも苛烈なものであったため、とうてい持ちつづけられるものではなかった。荒々しい呼びかけが、はるかな遠方からのようにわたくしの耳に届いてきたが、それに耳をかすことはできなかった。軍医正が慌ててわたくしの下へずらしてよこしてくれた椅子の上でわれに返って、わたくしは、この軍服の学者がわたくしに飲ませようと骨折っていたなまぬるく味の変わった水道の水に、はげしくむせた。数人の検査委員は跳びあがって、もの狂わしい顔、激昂した顔、嫌悪の情を起こした顔で、委員のテーブル越しに身を乗り出していた。その他の委員は、眼前に見た印象について、もっと穏かな仕方で驚愕の念をあらわしていた。見ると、一人は握った両手を耳に押しつけていて、たぶん一種の伝染によるものらしく、自分の顔を歪めてしかめ面をつくっていた。もう一人は、右手の二本の指を脣に押し当てて、異常な速さで|眼瞼《まぶた》をしばたたいていた。わたくしはと言うと、自然らしい程度ではびっくりしているが原状に返った表情で周囲を見まわすが早いか、急いで、うまくいったとは思われなかった芝居をおしまいにしてすばやく、うろたえながら椅子から立ちあがって、その横に軍隊式の姿勢をとったが、もちろん、その姿勢はわたくしの純粋に人間的な心的状態とはあまり一致しそうにもなかったのである。
軍医正は、あいかわらず水呑みを手に持ったまま、|後退《あとしざ》りしていた。
「正気になったか」と、彼はその声に不機嫌と同情とをまぜて尋ねた……。
「かしこまりました、軍医殿」と、わたくしは追従の口調で答えた。
「きみはたった今経験したことを覚えているか」
「どうかお許し願います」というのがわたくしの返答であった、「一瞬間ちょっとぼんやりいたしました」
短い、ほとんど|辛辣《しんらつ》な笑いが、検査委員のテーブルからわたくしに答えた。「ぼんやり」という語を呟きながらくり返す者もいた。
「きみは、確かに、完全に注意を集中してはいなかったようだ」と軍医正は無愛想に言った。「きみは興奮した状態でここへ出頭していたのか。合格の決定にはとくに緊張して期待をかけていたのか」
「白状いたしますが」と、わたくしはこれに答えて言った、「はねられることは、わたくしには大きな幻滅でありました。それに、不合格というような知らせを持って、どうして母の前へ出てゆけましょう。母は、以前、将校団に属する軍人を多数自宅に招いていたことがありまして、軍隊という組織をしごく熱心に賛美しているのであります。そのため、わたくしが服務せしめられる件は、母がとくに心にかけていることで、母はわたくしが服務すれば、わたくしの教養に大なる利益があるばかりでなく、ことに、わたくしのときどき変わりやすい健康状態が強化されて、願ったりかなったりになると期待しているのであります」
彼はわたくしの言葉を軽蔑して、相手にする価値はないと思うようであった。
「不合格」と言って、彼は水呑みを小卓の上に置いたが、そこには彼の商売道具、すなわち、メートル紐、聴診器、小型ハンマーが載っていた。「兵営は療養所ではない」と、彼はなおも肩越しにわたくしのほうへ一言投げて、それから、テーブルについた検査委員たちの方へ向いた。
「この応召義務者は」と、彼はかぼそい山羊啼き声で説明した、「|癲癇《てんかん》の発作にかかっていますが、これは、彼の服務資格を無条件で除外するに足る、いわゆる等価物であります。小官の検査によりますと、飲酒癖のある父の側から遺伝した素質が存在していまして、父というのは経済的破産ののちに自殺して死んだのであります。|前駆症候《アウラア》と言われる癲癇発作前の現象は、患者の説明はもちろん拙劣でしたが、明白にそれと認められました。さらに、われわれが聞きましたとおり、彼をときどき病臥させたというあの重苦しい不快感、市民階級の同職(ここで、またしても、音のない嘲笑が彼の細い脣のまわりに浮かんだ)が、いわゆる偏頭痛の意味に解すべきだと思ったあの重苦しい不快感なるものは、学問的に申しますと、発作が先行したのちの沈欝症状なのであります。この病気の性質の特徴を、きわだって示すものとしましては、患者が自己の経験に関して沈黙を守っていたということがありまして、患者は明らかに話好きな性格であるにもかかわらず、われわれが聞きましたとおり、それをだれにも秘密にしておいたのであります。今日もなお、多数の癲癇病者の意識には、古代がこの神経病に対して抱いた神秘的宗教的な見方の幾分かが生きているように思われますが、これは注目すべきことであります。この応召義務者は、興奮した緊張した心的状態で当所へ参りました。彼の突飛な話し方がすでに小官をあきれさせたのであります。それから、神経過敏な体質を暗示しましたのは、器官としては申し分ないが非常に不規則な心臓の動き方と、制御し得ないものと見える習慣的な肩の痙攣とでありました。とくに注意をひく徴候は、聴覚が真に驚くべきほど過度に敏感になっている点であると申したいのでありますが、これは患者がその後の検査において明らかにしたところであります。小官は|躊躇《ちゅうちょ》することなく、この異常な感覚の鋭敏化は、ただ今観察した相当に重い発作と関係があると断ずるものでありますが、発作そのものはおそらく数時間前から準備されていたもので、患者にとっては好ましくなかった小官の質問が、患者を興奮させたことが直接の誘因になって、惹起されたのであります。きみに勧めるが」と彼は、なげやりな尊大な態度でふたたびわたくしのほうへ向いて、明快博学な概観を結んだ――「思慮のある医者の治療を受けたまえ。きみは不合格だ」
「不合格」と、鋭く鼻にかかった声が復唱したが、聞き覚えのある声であった。
生気をなくして突っ立ったまま、わたくしはその場を動かなかった。
「きみは兵役免除になったのだから、行ってよいのだ」と、同情と好意とをまじえたあの|低音《バス》の声が聞こえたが、その声の持主は、敏感にもわたくしを一年志願兵だと思ったひとであった。
そこでわたくしは爪先立って、哀願するように眉を引きあげて言った。
「試していただけないものでしょうか。軍隊生活がわたくしの健康を強くすることはできないものでしょうか」
委員席の検査委員が数人、肩をすくめて笑った。軍医正はあくまで冷酷峻厳であった。
「くり返して言うが」と、彼は無愛想に投げ返した、「兵営は療養所ではない。退場」と彼は山羊のような啼き声を立てた。
「退場」と鋭く鼻にかかった声が復唱して、新しい名が呼びあげられた。わたくしの記憶では、それは「ラッテ」という名であった。こんどはLの字の順番になっていたのである。そして、胸毛を逆立てた浮浪人が舞台に現われた。わたくしのほうは低頭して、仕切部屋へ引きあげた。服を着るあいだ、助手の下士官がわたくしにつきあってくれた。
喜んでいたとは言うものの、行ないながら苦しみながら没頭した非常に極端な、人間的なものの範囲内にはほとんどない経験によって、さすがに厳粛な気分になって、疲れ果てて、軍医正がわたくしをその持主だと見なしたあの神秘的な病気が昔は尊敬されていたという、軍医正の注目すべき言葉に関してとくに考えにふけっていたので、わたくしは、波紋を猫いた頭髪にひねりあげた小さな鼻髯をつけた、安っぽい笹縁のついた下士官がわたくしに向かって言った慣れ慣れしい饒舌には、ほとんど注意をしなかった。そして、あとになってやっと彼の単純な言葉を思い出したのであった。
「惜しいことだ」と、彼はわたくしのほうを見ながら言った、「きみは惜しいことをしたよ、クルルと言ったか何と言ったか知らんが。きみはこざっぱりとした男だ。軍隊では成功することができたろうになあ。だれでも、われわれのところで成功するかどうか、様子を見ればすぐにわかるもんだ。きみは惜しいことをしたよ。きみは一見して素質がある、確かに立派な兵隊になれるだろう。それに、再服役すれば、特務曹長になれたかもしれんがなあ」
すでに言ったように、この慣れ慣れしい挨拶は遅ればせにやっとわたくしの意識にたどりついたのである。矢のように疾駆する汽車が、わたくしを乗せてわが家へと運んでゆくあいだ、わたくしは心のなかで、あの男の言ったことはたぶん正しかったかも知れないと考えた。じっさい、軍服はどんなにすばらしく、自然らしく、いかにもと|頷《うなず》かせるようにわたくしに似合ったことか、軍服を身に着けているかぎり、わたくしという人間はどんなに満足してそれに同化されたことか、というような想像をめぐらしてみると、こうもよく似合う存在形式、自然のままの等級というものを理解する心が明らかに微妙な発達を遂げている世界へはいる入口を、あらかじめの|謀《はかりごと》を設けて無視してしまったことが、ほとんど遺憾に思われてくるのであった。
熟考した結果は、もちろん、この世界へはいることはやはり大きな間違いであり、見当外れというものであったろうとわたくしは悟った。何としてもわたくしは軍神の星の下には生まれていない、――すくなくとも特別な実際的な意味では生まれていないのである。それと言うのは、もちろん、戦士のような厳格さ、自制、危険というものがわたくしの数奇な生涯のきわだった特徴になってはいたが、しかし、わたくしの生涯は、まず第一に、自由という予備条件であると同時に根本条件であるものに基づいていたからである、――つまり、動きのとれない実際的な境遇につながれることとは絶対に両立しなかったと思われる条件に基づいていたからである。したがって、わたくしは兵士のような生き方をしたのだが、それだからと言って、兵士になって生きなければならないと思ったとすれば、それはどうしても愚鈍な思い違いというものであったろう。じっさい、自由の感情のような崇高な感情を理性のために規定し調整しなければならないとすれば、まさに兵士のようにではあるが、兵士になってではなく、|譬喩《ひゆ》的にではあるが、言葉どおりにではなく、譬喩のなかに生きることができるということこそ真に自由を意味する、というふうに言えるであろう。
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彼の生まれは無秩序なものであった。それだから彼は情熱的に秩序を愛した。犯すべからざるもの、命令や禁令を愛したのである。
彼は若いときに、逆上して人を殺した。それだから彼は、人を殺すのはすばらしいことではあるが、しかし、人を殺したことがあるというのははなはだいやなことである、人を殺すべきではない、ということを、経験のないだれよりもよく知っていたのである。
彼は多情であった。それだから精神的な、純粋な、神聖なもの、すなわち、目に見えないものを渇望した。目に見えないものが彼には宗教的で、神聖で、純粋に思われたからである。
彼は人を殺したために(くわしいことはすぐあとで述べる)生国エジプトから逃げ出して、砂漠に活溌に伸び拡がった遊牧民でもあり商業民でもあるミディアン人のもとに身を寄せなければならなかったのだが、ミディアン人のもとで彼は、人間の目には見えないが人間を見ているという神を知った。それは山に住む神であるが、同時に、目には見えないけれども、|担《かつ》いで運ぶことのできる|櫃《ひつ》の上に坐って、天幕のなかに住み、振り|籤《くじ》によって神託を授ける神であった。ミディアンの人々は、ヤアヴェと呼ばれるこの神を、他の神々と違うところのない神だと見て、その礼拝にはあまり意を用いず、ただ安全のため万一を|慮《おもんばか》って、他の神々同様に礼拝していただけのことである。彼らは、神々のなかにはひょっとすると人間の目には見えない神、形のない神もあるかもしれないと思いついたのであったが、何の手落ちもないように、いかなる神のご機嫌をもそこなわぬように、いかなる方面からも面倒なことを招かぬように、この目に見えない神に|供物《くもつ》を捧げていたにすぎない。
それにひきかえてモオゼは、純粋な神聖なものを熱望していたから、ヤアヴェが目には見えないということに深い感銘を覚えた、すなわち、目に見える神はいずれも、神聖さという点で、目に見えない神とはくらべものにならないと考え、彼にすればはかり知れない含みがあるように思われるこの「見えない」という特性に対して、ミディアンの人々がほとんど重きをおかないのに驚いたのである。荒野で、ミディアン女たる妻の兄の羊の番をしながら、ある場合などは彼の内心から離れて、燃えあがる外部の幻になり、また、厳命する告知や避けがたい委託の言葉になって彼の魂を訪れた霊感や啓示に感動させられ、長い、困難な、辛抱強い熟考を重ねるうちに、彼は、ヤアヴェとは唯一最高の神エル・エルヨン、「われを見そなわす神」エル・ロ・イにほかならないという確信に達した、――ヤアヴェとは、これまでいつも「エル・シャダイ」すなわち「山の神」と言われていた神、エル・オラムすなわち世界と永遠との神にほかならない、――一言で言えば、アブラハムの、イーツァクの、ヤアコプの神、祖先の神にほかならないという確信を得たのであるが、ここに祖先と言うのは、すなわち、いまエジプトに住んで奴隷になっている貧しい、|暗澹《あんたん》とした、礼拝の点ではすでにまったく混乱した、根なし草のような血族の祖先のことで、この血族の血が、父から伝わって、彼モオゼの血管に流れているのであった。
そういうわけで、心はこの発見に満ちあふれ、魂には重い使命を託されて、しかしまた、神の使命をなしとげようという熱望にふるえながら、彼は、ミディアンの人々のもとにおける多年の逗留をうち切って、その妻ツィポラ――ミディアンの祭司レグエルの娘でもあり、レグエルの息子で畜群の所有者たるイェトロの妹でもあったから、非常に身分の高い女――を|驢馬《ろば》に乗せ、ゲルゾムとエリエツェルという二人の息子をも伴い、七日間の旅をして多くの砂漠を越え、西の方エジプトの国へ帰ってきた、すなわち、ナイル河が分岐しているあたりの利用のできない低地へ帰ってきたのであるが、そこは、コオスまたはゴシェム、ゴオゼム、ゴオゼンといわれていた地方で、彼の父の血族が住んで、|賦役《ふえき》に服していた。
その土地で彼はただちに、行くところ、立つところ、掘立小屋のなかでも牧場や仕事場でも、この血族に、自分の偉大な経験を説き明かしにかかったが、そういう場合にはいつもおきまりの癖で、伸ばした両腕の|拳《こぶし》を身体の両側でぶるぶる震わせるのであった。彼は血族の人々に、祖先の神がふたたび発見されたことを報告したのであるが、この神はジン砂漠のホル山で、燃えているが燃えつきることのない|棘《しば》のなかから、モシェー・ベン・アムラムにこの神の存在を知らしめた。この神はヤアヴェと言う名で、その意味は「われは永遠より永遠にいたるまで変わらざるわれなり」ということであるが、また、吹く風とも大なる嵐とも解される。ヤアヴェはこの血族に関心を持っていて、場合によっては、この血族をあらゆる民族から選び出すための同盟を結ぶ用意があるが、それには前提条件があって、この血族はひたすらヤアヴェだけに献身を誓い、この目に見えない神だけを、偶像を作らないで礼拝するという誓いを立てなければならない、と言ったのである。
こう言って彼は|孔《あな》をうがつように人々の胸に入りこみ、かてて加えて、異常に幅広い手首についた拳を震わせた。それにしても彼は人々にすべてを腹蔵なく語ったわけではない。人々が臆病風に吹かれはしないかと|懸念《けねん》して、考えているいくつかのことを、いや、本来の考えを秘密にしておいたのである。目に見えないという性質に含まれていること、つまり、精神的であることや純粋であることや神聖であることについては、彼は人々に何も言わないで、目に見えない神に献身を誓った|僕《しもべ》になれば、他とは区別された、精神的な純粋な神聖な民族にならなければならないということも、むしろ、彼らに指示しないでおいた。彼らを驚愕させることを恐れて、彼はそれを言わずにおいたのだが、それというのも、彼の父の血族である彼らは非常に悲惨な、|抑圧《よくあつ》された、信仰について混乱した同胞で、彼は彼らを愛してはいたものの、信頼はしなかったからである。そうだ、彼が彼らに、目に見えない神ヤアヴェが彼らに関心を持っていると告げたとき、それは彼が、おそらくは神のことでもあるかもしれないが同時にすくなくとも彼自身のことでもあることを、神のことだと解釈して、神のなかへ持ちこんだのである、つまり、|石工《いしく》が美しくて気高い形姿、彼の手になる作品を、彫刻しようと考えながら、まだ形を与えられていない石塊に関心を持つように、彼自身が彼の父の血族に関心を持ったのだ――、だからこそ彼は、ミディアンから出発するにあたって、神の命令による大きな魂の重荷に満たされると同時に、身内も震えるばかりの熱望に満たされたのである。
しかし、彼が同じようにまだひっこめておいたものがあって、それは神の命令の後半であった、と言うのも、命令は二つの部分から成っていたからである。命令の内容は、血族に祖先の神の再発見と神の彼らに対する関心とを告げ知らせよ、というだけではなくて、同時に、奴隷になっている血族を主家エジプトから自由な土地へ連れ出し、多くの砂漠を越えて約束の国へ、祖先の国へ導くべし、というものであった。血族を約束の国へ導けという委託は、祖先の神を告知せよという委託と|蝶番《ちょうつがい》のようにからみ合っていて、引き離せないものなのであった。神――と帰国のための解放、目に見えない神――と異国の束縛を振り切ること、これは彼にとって同一の思想であった。しかし、人々には彼はまだこのことを語らなかった、そのわけは、彼は、一方が成就すればその結果として他方も成就するであろうということを知っていたからであるし、また、第二のことは自分が責任を負って、自分とはあまり縁の遠くないエジプト王ファラオに願って許してもらおうと思っていたからである。
しかし、彼の演説が人々の気に入らなかったためか――というのも、彼の話し方は|拙《まず》くて、つまりがちで、しばしば適当な言葉が見つからなかったからであるが――、それとも、人々が彼の拳のわなわなとうち震えるのを見て、目に見えないという神の性質や同盟という申し出に含まれている意味を予感し、努力を要する危険な事柄へ人々を誘ってゆこうとする彼の意図に気がついたためか、とにかく、――人々は彼の|孔《あな》をうがつような言葉に対して不信を抱く、頑固な、臆病な態度を示し、棒を持ったエジプトの親方のほうを見やりながら、ぶつぶつ言うのであった。
「おまえは何事を喋っているのだ。おまえの喋っているのは、何事だ。だれかがおまえを立てておれたちの親方や裁判官にしたとでもいうのか。そんなだれかのことは知らんがなあ」
これは彼にとって新しいことではなかった。かつてミディアンヘ逃亡する前にも、同族の人々からそう言われたことがあったのである。
彼の父は彼の父でなく、彼の母も彼の母ではなかった、――それほど彼の生まれは無秩序なものであった。ファラオであるラメスウの次女が、ナイル河畔の王室庭園で、衛兵に守られながら、遊び仲間の侍女たちを相手にたわむれていた。そのとき彼女は、水を汲んでいるヘブライ人の奴隷を認めて、彼を抱きたい情慾を覚えた。彼はもの悲しいまなざしをして、顎には若者らしい|薄鬚《うすひげ》をはやし、水を汲むところを見ると、たくましい腕の持ち主であった。彼は顔に汗して働いて苦労していたのだが、ファラオの娘には美しい姿に見えて、慾望の|的《まと》になったため、彼女は命じて、彼を園亭にいる自分のところへ引き入れさせた。そこで彼女は貴いかわいらしい手を汗に濡れた髪にさし入れ、彼の腕の筋肉に接吻し、彼の男根をからかったので、彼は彼女をわがものにした。異国人たる奴隷が国王の姫を征服したのである。彼女は情慾を遂げたのちに男を去らせたが、男はいくらも遠ざかることができなかった。三十歩遠ざかったときに打ち殺されて、たちまちに埋められてしまったのである。こうして太陽の娘の慰みは、あとに一物をもとどめなかった。
「かわいそうな人」と、彼女はその始末を聞いたときに言った。「おまえたちはいつもやりすぎます。あの男はきっと黙り通したことでしょうに。あれはわたくしを愛してくれたのですよ」ところが、その後彼女は身重になって、九カ月後、ごく内密のうちに男の子を生み落とした。侍女たちは葦で作って|瀝青《チャン》を塗った小さな箱舟にその子を入れて、その箱舟を河辺の葦のなかに隠しておいた。それから、それを見つけたというていにして、こう叫んだ、「まあ、不思議なこと、葦の子を拾ったわ、捨て子なのねえ。昔物語にあるみたいよ、水汲みのアキが葦のなかで見つけて、慈悲深く育ててやったというあのザルゴンとそっくり同じことだわ。こういうことは幾度も繰り返されるものなのね。ところで、この見つけものをどこへやったものかしら。一番りこうなやり方は、質朴な人たちのなかの、乳飲児を抱えていて乳が余分に出るという母親にこの子をやって、この子がその女と実直な夫との息子として育つようにしてやることだわ」そう言って侍女たちは、その子をヘブライ人のある女に渡した。この女が、その子をゴオゼン地方へ連れていって、レヴィの子孫でエジプト入国を許された仲間の一人であるアムラムという男の妻ヨヘベトに預けた。彼女にはアーロンという男の乳飲児があって、余分の乳が出た。そういうわけで、また、彼女の掘立小屋にときどきひそかに王室からけっこうな贈り物がくだされたので、彼女はこの|素姓《すじょう》の知れない子をアーロンといっしょにして慈悲深く育てたのである。そこで、世間ていは、アムラムとヨヘベトとがその子の両親になり、アーロンが兄ということになった。アムラムには牛や田畑があり、ヨヘベトは石工の娘であった。しかし、彼らは問題の男の子を何と名づけたものかわからなかった。そこで彼らは、この子に半ばエジプト風の名をつけた、すなわち、エジプト風の名の半分をつけた。それと言うのも、エジプトの男子はプタハ=モオゼとかアメン=モオゼとかラア=モオゼとか名乗ることが多くて、いずれもプタハとかアメンとかラアというような神々の子という意味の名をつけられていたのだが、アムラムとヨヘベトとは神の名を省略して、この子に単にモオゼという名をつけたからである。そういうわけで、この子はただ単に「息子」なのであった。だれの息子か、それはわからないという次第だったのである。
エジプトに入国を許された人々の一人として彼は成人し、この人々の言葉を使って話をした。この血族の祖先はかつて|旱魃《かんばつ》のとき、ファラオの書記がそう名づけているように、「エドムから流浪してきた餓民」として、国境官庁の許可を得てエジプトに入国し、低地になっているゴオゼン地方を牧場として使用するように指定されたのであった。彼らがそこで無償で放牧することを許された、と思う者があるなら、それは彼らの主人たるエジプト人の性質を知らぬ者と言うべきである。彼らは家畜でもって、重荷になるほどの税を納めなければならなかったばかりでなく、彼らのうち力のある者はみな労働奉仕をしなければならなかった。つまり、いろいろな建築の賦役につかなければならなかったのだが、エジプトのような国ではたえず各種の建築がおこなわれているのである。しかし、とくに、第二世のラメスウがファラオになってテエベンに都して以来、極端に建築がおこなわれ、それは彼の快楽であり王者としての喜悦であった。彼はエジプト全土に|豪奢《ごうしゃ》な神殿を建てて、ナイル河下流の三角洲においては、ナイル河の東の支流を|鹹湖《かんこ》と結ぶ、従って、地中海を紅海の尖端と結ぶ、長らくなおざりにされていた運河を修理して大いに改善したばかりでなく、この運河の岸にピイトムとラムゼスという二つの倉庫町を建設した、そして、このためにエジプト入国を許された人々の子孫、このイブリムが徴発され、エジプト人の棒の下で身体に汗を流して、煉瓦を焼いたり、ひきずって運んだり、あくせくと働いたのであった。
この棒はむしろファラオに使われている監督者たちの標識にすぎなかった。彼らは必要もないのにその棒でなぐられたわけではない。それに、賦役に従う彼らの食事は上等で、ナイル河の支流から取れる多くの魚類、パン、ビイル、牛肉などがまったくじゅうぶんにあった。だが、それにもかかわらず、賦役は彼らにはあまりふさわしくない、性に合わぬものであった、というのも、彼らは自由にさすらう生活の伝統を持った遊牧民の血をうけていて、時間ごとに割振った規則的な仕事で汗を流すことは、彼らにしてみれば心底ではうとましい、侮辱を感ずることだったからである。しかし、自分たちの不満を語り合って、それについて一致した意見を作りあげるためには、この血族はあまりにもその団結をたるませてしまって、じゅうぶんな自覚を持っていなかった。数代前から、祖先の郷土とエジプト本国との中間地域で|幕舎《テント》生活をしている彼らは、魂の形を失い、信頼できる教義も持たず、精神は|狐疑逡巡《こぎしゅんじゅん》してよろめいていた。彼らは多くのことを忘れて、いくつかのことを生半可に取り入れ、正しい中心を欠いているために、自分の気持をも、また、自分の気持のなかにある賦役に対する|忿懣《ふんまん》をも信ぜず、魚やビイルや牛肉にまどわされてその忿懣を疑っていた。
さて、表向きはアムラムの息子ということになっているモオゼも、少年の域を脱したので、本来ならばやはりファラオのために煉瓦を造らなければならないはずであったが、そういうことにはならないで、モオゼ青年は、両親の膝下から連れ出され、上部エジプトのある学校へ入れられた。その学校は、シリアの諸都市で王と称している者の息子たちがエジプト貴族の子弟たちといっしょに教育される非常に上品な寄宿制度のものであった。彼がこの寄宿学校へ入れられたのは、彼を葦のなかに生み落とした肉親の母に当たるファラオの姫が、色好みではあるが情深いたちで、薄鬚をはやしたもの悲しい目つきの水汲み男であった彼の父の地中に埋められたいきさつから彼のことを忘れていなくて、彼が野蛮人のもとにとどまることを好まず、彼の神聖な混血をなかば暗黙のうちに承認して、彼がエジプト人になるように教育され、宮内官職につくようになることを望んだからである。そういう次第でモオゼは、白いリンネルの服をまとい、頭には|鬘《かつら》をかぶって、天文、地文、読書、法律を学んだのだが、この上品な寄宿学校の|伊達《だて》な生徒たちのあいだで幸福ではなく、孤独な生徒であって、自分を生んだ好色の因になっているエジプト的上品さ全体を心から嫌っていた。この好色の言うことを聞かなければならなかったあの地中に埋められた男の血のほうが、彼の血のなかでエジブトの血よりも濃かったのである、そして、魂のなかでは彼は、忿懣を示す勇気もなく形態も持たない故郷のゴオゼンのあわれな人々に味方をし、彼らとともに、母方の血族の色好みなうぬぼれに反抗していた。
「きみの名は、いったい、何と言うの」と、彼はよく学友たちからきかれた。
「モオゼと言うのだよ」と彼は答えた。
「アハ・モオゼかい、それとも、プタハ・モオゼかい」と相手はきく。
「いや、ただのモオゼなんだ」と彼は答える。
「モオゼだけとは貧弱で風変わりだなあ」と伊達者たちは言うのであったが、彼はそういう奴らを打ち殺して地中に埋めてやりたいくらいに憤激するのであった。それというのも、彼らがこんなことをきくのは、漠然とした輪郭でだれにでも知られている彼の生まれの異常さをほじくるつもりにすぎないということが、彼にはわかっていたからである。彼自身が、自分はエジプト的な享楽の秘密の果実にすぎないということを知っていたのは、それが、たいていは不正確なものにすぎなかったにしても一般に知れている知識だったからであるが――この知識は、ファラオのところにまで達していたのであって、ファラオに自分の姫のたわむれが知られずにいなかったのと同じように、建築王ともいうべきこのラメスウが、あの卑劣な殺人的な享楽のせいでモオゼの好色の祖父になっているという事実は、モオゼに知られずにはいなかったのである。じっさい、モオゼはこのことを知っていたし、また、ファラオがこのことを知っている、ということをも知っていた、そして、そういうことを考えるときにはいつも、ファラオの玉座があるほうへ向って、威嚇的にうなずくのであった。
テエベンの学校の伊達者たちにまじって二年の歳月を送ったとき、彼はもうがまんができなくなって、ある夜、塀を乗り越えて逃げ出し、故郷ともいうべきゴオゼンの父の血族のところへ帰っていった。父の血族のもとで彼はにがにがしい顔つきをして歩きまわっていたが、ある日、運河のほとり、ラムゼスの新建築物の近くで、エジプト人の監督者が、賦役に服している者のなかで怠けたか反抗したかしたらしい一人を、棒でなぐっている光景を見た。彼は蒼くなって燃えるように目を怒らせながら、そのエジプト人に答弁を求めたが、相手は返事をする代りに彼の鼻骨を打ち砕いた。そのため、モオゼは一生、骨が折れて扁平にひしゃげた鼻をしていたのである。しかし、彼はその監督者から棒を奪い取ると、思いきり振りかぶって、その男の頭蓋を叩き|潰《つぶ》したので、相手は即座に死んでしまった。その前に彼は、だれも見ている者はないかと、一度ならずあたりを見まわしていたのである。しかし、そこは淋しい場所で、近くにはほかにだれもいなかった。そこで彼は打ち殺した相手を自分一人で地中に埋めた、というのも、彼が守ってやった男はすでに逃げ去っていたからである。このとき彼は、自分がもう前からいつも人を打ち殺して地中に埋めることを望んでいたような気がした。
彼が逆上のあまりにした行為は、すくなくともエジプト人にはいつまでも知られずにいた。彼らは仲間の男の居場所を探り出すことができなかった。そして、この行為があってからしばらくの時が経過した。モオゼは父の同族のあいだをあちこち歩きまわることを続け、同族同士が喧嘩をすると、妙に横柄な態度で干渉するのであった。あるとき、彼は、賦役に服している二人のヘブライ人が口論して、あわや腕力沙汰に及ぼうとしているのを見た。「なぜ口論なんかして、その上に掴み合いまでしようというんだ」と彼は彼らに言った。「おまえたちはたださえみじめで頼りない身なんだから、おたがいに歯をむき合う代りに、血族同士が助け合うべきじゃないか。そっちの者のほうが悪い、おれはちゃんと見ていたんだ。そっちのほうが譲歩してがまんしろ、しかし、こっちのほうも鼻を高くしちゃならんぞ」
しかし、ありがちなことだが、二人は突然ぐるになって彼に対抗して、「おれたちのことに何で口を出すんだ」と言った。とくに、彼から悪いと言われたほうの男はひどくがさつな奴で、いかにも大きな声をあげた、「こいつは実にとんでもないこった。自分に何のかかわりもないことにその|山羊《やぎ》鼻を突っこんでくるおまえこそ、いったい、何者だい。ははあ、アムラムのせがれのモオゼ奴か、しかし、モオゼだけじゃよくわからねえぞ、おまえが何者だかだれもよく知らんし、本人のおまえだって知っちゃいない。ところで、だれがおまえをおれたちの親方や裁判官にしたか、知りたいもんだな。おまえはたぶん、いつぞやエジプト人を叩き殺して地面に埋めたみたいに、このおれをも叩き殺すと言うんだろう」
「黙れ」とモオゼは驚いて言った、そして、どうしてあれが知れわたったのだろう、と考えた。その日のうちに彼は、エジプト国内にはとどまっていられないと悟って、警備の手薄な|鹹湖《かんこ》付近の浅瀬を渡って国境を越えた。シナイ地方の多くの砂漠をさすらい抜けた彼は、ミディアンに来て、ミネル人の祭司レグエルのもとに身を寄せた。
神を見出して委託を受けたことに心が満ちあふれて、ミディアンから帰ってきたときの彼は、圧しつぶされた鼻と、突き出た|顴骨《けんこつ》と、左右に分けた髭と、両方の間隔の広い目と、幅広い手首とを持った、たくましい、盛りの年に達した男になっていたが、その幅広い手首は、彼がよく考えごとにふけりながら、右手で口と髭とを蔽っているときにはとくに目立つのであった。彼は掘立小屋から掘立小屋へ、賦役場から賦役場へとまわっていって、腰のあたりで拳を震わせながら、目に見えない神のこと、同盟の用意をしている祖先の神のことを話すのであったが、もっとも、実のところ彼には整然とした話などできなかったのである。それというのも、彼はいったいに言葉がつまって停滞しているというような人柄で、興奮すると舌がこわばる傾向があったが、その上どの国語にもそれほど熟達していなくて、三つの国語をまぜこぜにして喋ったからである。父の血族が使っていて、彼が両親から習い覚えたアラム地方のシリア=カルデア語には、彼が学校で習得させられたエジプト語が覆いかぶさっていて、それに、彼が長らく砂漠で喋っていたミディアン地方のアラビア語がつけ加わっていた。そういうわけで、彼はこの三つの国語をごちゃまぜに使ったのである。
彼の兄アーロンは、髭も黒いし、縮れて|項《うなじ》に垂れた髪も黒くて、大きな厚ぼったい目ぶたをとかく信心深そうに伏せているという背の高い温和な人物であったが、非常に彼の助けになった。この兄に彼は何もかにも打ち明けて、目に見えない神やそこに含まれているいっさいのことを信ずるようにすっかり口説き落とした。そして、アーロンは髭でかこまれた口でもったいぶった流暢な話し方をすることを心得ていたので、モオゼが伝道にゆくときはたいてい随行して、モオゼの代りに話をしたが、もちろん、すこし口蓋にかかったもったいぶった喋り方で、人を感動させるには足りなかったから、モオゼは拳を震わせることでアーロンの言葉にもっと熱をこめようとしたし、また、あわてふためいてアラム語とエジプト語とアラビア語とをごちゃまぜにしながら、アーロンの言葉を|遮《さえぎ》ることもしばしばであった。
アーロンの妻はエリセバと言って、アミナダプの娘であったが、彼女も、モオゼとアーロンとの妹ミルヤムと同じく、誓いをともにして、伝道に加わった。ミルヤムは霊感を得た女で、歌を歌い太鼓を打ち鳴らすことができた。しかし、モオゼはとくに一人の若者に好意を寄せていたのだが、その若者のほうでも身心を挙げてモオゼを、つまり、モオゼの告知や計画を助けて、片時もモオゼのそばを離れなかった。彼は元来ホゼエアという名で、ヌン(すなわち「魚」)の息子であり、エフライムの|裔《すえ》であった。しかし、モオゼは彼にヤアヴェから取ったイェホシュア、略してヨシュアとも言う名を与えた。そして、彼はこの名を持つことを誇りとしたが、――縮れ毛の頭をして、喉仏を突き出し、|眉間《みけん》にくっきりと二本の皺を寄せた、姿勢の正しい、筋骨たくましい若者で、モオゼの計画全体に対して独自の見地を持っていた、すなわち、宗教的な見地というよりはむしろ軍事的な見地を持っていたのである、というのも、彼にとって、祖先の神ヤアヴェは何よりもまず軍勢の神で、主家ともいうべきこのエジプトから逃れ出るという、ヤアヴェの名と結びついた考えは、彼にとっては、ヘブライの血族のために新しい自分の植民地を獲得するという考えと符号するものだったからである、――それは矛盾のない考え方であった、というのも、彼らはどこかに住まなければならなかったのであるし、神が約束した土地であろうとなかろうと、どんな土地にしろ彼らに進呈されるようなことはないからである。
ヨシュアはまだ若かったけれども、関係のある事実はすべて、まっ直ぐに向いてぐらつかない目つきをした縮れ毛の頭のなかにのみこんでいて、年上の友人でもあり主人でもあるモオゼとそれらの事実についてたえず談合した。正確な人口調査の方法など用いずに、彼は、ゴオゼンで幕舎暮らしをしていたり強制都市ピイトム及びラムゼスに住んでいたりする血族は、奴隷になって広いエジプト国中にちらばっている同族者を含めて、その数の合計がおおよそ一万二千か三千名になり、それだけあれば武器をとることにたえる男子の総計が約三千名になる、と見つもった。これらの数はその後過度に誇張されたものだが、ヨシュアは概略正しいところを知って、それにはあまり満足していなかった。三千名というのは大して恐るべき兵力ではなかった、たとい彼らがひとたび行軍をはじめたならば、砂漠を流浪しているいろいろな同族が、この土地獲得の中堅に合流してくるだろうと予測したところで、たいして恐るべき兵力ではなかった。この程度の兵力に頼るだけでは、大がかりな事業は企て得なかった。この程度の兵力で約束の国へ乗りこむということは、実行できないことであった。ヨシュアはこれを見抜いたので、この血族がまず定住して――そして、ともかくも有利な状況のもとに、しばらくのあいだ自然に人口を増加するようにしていることのできる場所を、自由な土地のなかに求めようと努力したのだが、この血族の自然増加は、ヨシュアが知っていたように、毎年百人について二人半、ということになるのであった。この青年は、兵力が増加し得るようなこういう保護地とも|孵化《ふか》場ともいうべき場所を探し求めて、そのことでしばしばモオゼと相談したのであったが、そういう場合には、彼が、世界各地の相互の位置関係を驚くほど明瞭に展望していて、関心を抱かせる諸地域を、距離や、行軍日程や、水の|所在《ありか》や、とくに住民の戦闘力から見た一種の地図を頭のなかにおさめていることがあきらかになったのである。
モオゼは、このヨシュアを味方にしていることの意味を知り、将来彼を必要とするときのあることをよくわきまえて、彼の熱意を愛したが、ただし、その熱意の直接の対象にはそれほど関心をひかれなかった。口や髭の上に右手をかぶせて、この若者の戦術上の意見の発表に耳をかたむけながら、モオゼは別のことを考えていたのである。彼にとってもヤアヴェは行進ということを意味したのだが、しかし、土地獲得のための戦闘行進というよりは、むしろ、自由と分離とへの行進で、その目的は、彼が、この異民族の文化のあいだで迷って途方にくれている肉体、この子供をこしらえる男たち、乳を出す女たち、力試しをする若者たち、鼻汁を垂らす子供たち、つまり、彼の父の血族を、どこかエジプト国外の自由な土地で自分のものにして、彼らの心に、神聖な目に見えない神、純粋な、精神的な神のことを銘記させ、この神を彼らの集合や形成の中心にすることができ、彼らを自分が形づくったもの、すなわち、神に属し、神聖な精神的なものによって規定され、畏敬や、不作為や、敬神、つまり、純粋という思想に対する畏怖や、抑制する律法などによって他のあらゆる民族よりも秀でている民族の姿に形づくれるように、ということなのであったが、目に見えない神はもともと全世界の神であったから、この抑制する律法なるものは将来はあらゆる民族を拘束すべきはずのものであるのだが、まずは彼らのために発布され、異教徒のなかにいる彼らの厳格な特権たるべきものなのであった。
これは父の血族に対するモオゼの関心、形成者としての関心で、この関心は彼にとって神の恩寵による選抜や同盟の意向と一体をなすものなのであった、そして、モオゼは、神の心を体して形成することが若いヨシュアの念頭にあるいっさいの事業に先立たなければならないと考えたし、さらに、そのためには時間が必要だ、エジプト国外の自由な土地での自由な時間が必要だとも考えたので、――ヨシュアの計画がまだ進捗しないこと、それらの計画が武器をとることにたえる人員数の不足という問題にぶっつかっていることは、モオゼにとってはむしろ好ましいことなのであった。ヨシュアは、まずこの民族が自然に人口を増加するために時を必要としたが、――なおまた、彼自身がもっと年を取って、最高指揮官と称することができるようになるためにも時を必要とした、そして、モオゼは神の心を体して熱望している形成事業のために時を必要とした。そういうわけで二人はそれぞれ観点を異にしながら意見の一致を見たのである。
しかし、その間、神の委託を受けたモオゼは最も身近な味方、すなわち、能弁なアーロンや、エリセバや、ミルヤムや、ヨシュアや、ヨシュアとは同年輩の親友で、やはり強壮素朴勇敢なカアレプとかいう若者といっしょになって――、つまり、その間、この人たちは皆一日も怠ることなく、目に見えない神ヤアヴェや、その光栄ある同盟の申し出の知らせを血族仲間のあいだに広めると同時に、エジプト人の棒の下でする労役に対する彼らの憤激を煽り立てて、この束縛を脱するという考えや国外へ移住するという考えを彼らのあいだに起こさせるよう努めたのであった。そのやり方は各自各流で、モオゼ自身は言葉をつまらせては拳を震わしながら、アーロンは口蓋にかかった流暢な演説で、エリセバは喋りまくって説き伏せる手で、ヨシュアとカアレプとはそっけない合言葉で命令するような口調で、また、やがては「女予言者」と呼ばれるようになったミルヤムは太鼓を打ち鳴らしながら一段と高い調子でやったのである。それにまた、彼らの説教は石だらけの地面に落ちたわけではなかった、すなわち、同盟を結びたがっているモオゼの神に忠誠を誓い、偶像のない神に身を捧げてこの神の民になり、この神とその告知者モオゼとにつき従って自由な土地へ移って行こうという考えは、血族のあいだに根をおろし、彼らの団結の中心になりはじめた、これはとくに、モオゼが、自分さえ最高の地位にある国王にぶっつかって談判すれば、彼らのすべてがエジプトから移住できる許可が得られるであろうから、この移住は大胆な叛乱という形でおこなわれなければならないものではなくて、穏便な折合いがついたあとでうまくゆく可能性があると約束した、ないしは、希望に満ちた見込みを述べたからであった。彼らは、正確とはいかないにしても、彼がなかばエジプトの血をうけた葦の生まれだということを知っていたし、彼が一時上品な教育を受けたことも、宮廷と何やら関係があって、それを思いのままに操れるということも承知していた。これまでは彼に対する不信や忌避の理由になっていたこと、すなわち、彼が混血児で、片足をエジプト的なもののなかに突込んでいるということが、いまでは信頼の源に変って、彼に権威を与えたのである。たしかに、もしだれかというならば、彼こそは、ファラオの前に出て彼らの問題を取りはこぶべき人間であった。そこで、彼らは彼に委任して、建築王でもあり強制王でもあるラメスウのところへゆき、彼らを自由な土地へ去らせるよう尽力を試みてもらうことにしたが、――それを彼と彼の乳兄弟アーロンとに委任した、というのも、彼がアーロンを連れてゆこうと考えたからで、それは、第一に、彼自身は筋道を立てて話すということができないのに、アーロンはそれができたし、それからまた、アーロンはある種の曲芸をおこなうことができたからで、それを宮廷でやって見せてヤアヴェの名誉になるような印象を与えようということになったのである。すなわち、アーロンは眼鏡蛇の首を抑えつけて棒のように硬直させることができたのだが、その棒を地面に投げると、棒は輪になって「蛇に変わった」モオゼもアーロンも、ファラオの魔術師たちがやはりこの奇蹟的な術を心得ていて、従って、それがヤアヴェの威力の恐るべき証明にはなり得ないだろうということは予期していなかったのである。
要するに彼らは成功しなかった――ということをまず言っておこう――、彼らは、ヨシュアとカアレプという若者たちと協議した軍事会議の決定に従って、この件をすこぶる狡猾にたくらんだのだが、成功しなかったのである。決定というのは、ヘブライ人が集合して、国境を越える三日行程の砂漠におもむき、その国境外の地で、彼らを呼んだ主なる神に犠牲をそなえて祭典をおこなったのち、帰還して労役につくということの許可だけを主に願い出るというのであった。ファラオがこの口実にだまされて、彼らの帰還を信ずるだろうとは、ほとんど期待されなかった。それは、解放の請願を申し出るための穏便な丁重な形式にすぎなかったのである。しかし、王は彼らの心づかいに感謝などしはしなかった。
たしかに、彼ら兄弟は、ともかく王宮にはいってファラオの玉座の前に出ることには成功したのだが、それも一度だけではなくて、頑強に談判を続けながら幾度か成功したのである。この点では、モオゼは仲間の人々に約束しすぎるということがなかった。それというのも、彼は、ラメスウが彼の秘密な好色の祖父だということや、彼も祖父もおたがいに相手がこのことを知っていることを承知しているという事情に頼っていたからである。これによってモオゼは強力な圧迫手段を持っていたわけで、この圧迫手段は、王から解放の要請に対する承諾をかち得るには足りなかったものの、それでもそういう手段を握っているおかげで、モオゼは真面目に談判することができ、再三再四権力者たる王の面前にまかり出ることができた、というのも、王が彼を恐れたからである。いかにも、王者の恐れというものは危険なものである。そして、モオゼはずっと大胆な|博奕《ばくち》を打ち続けたのであった。彼は勇敢であった――どれほど勇敢で、血族の人々にどういう印象を与えたか、それはもうじき見られると思う。ラメスウとしては、こっそりと彼の息の根をとめて地中に埋めさせ、自分の娘の浮気の跡がいよいよ本当に何も残らないようにすることは、何の苦もなくできることであった。しかし、王女はあの享楽のひとときの甘い思い出をいつまでも心にとどめていて、彼女が生んだ葦の子に害が加えられることは断じて望まなかった、――彼女の配慮、つまり、教育を授けて取り立ててやろうという計画に対していかに恩知らずな態度で接したにしろ、彼は彼女の庇護のもとに立っていたのである。
そういうわけで、モオゼとアーロンとはファラオの前に出ることを許されはしたものの、しかし、彼らの神が彼らの血族を呼んでおこなわせるものと称された、自由な土地に出ていって犠牲をささげるための休暇をもらうということは、ファラオによってきっぱりとことわられた。アーロンがもったいぶった口調で筋道の通った話し方をするのに加えて、モオゼが腰のあたりで情熱的に拳を震わしたことは、何の役にも立たなかった。また、アーロンが手に持った杖を蛇に変えたことも何の役にも立たなかった、というのも、ファラオの魔術師たちが立ちどころにそれと同じことをして、モオゼとアーロンとがその名において述べている目に見えない神には何ら優れた力がない、だからファラオにはこの神の声を聞く必要がない、ということを証明したからである。「しかし、もしわれわれが三日行程の砂漠へ出ていって、主なる神の祭典をしないならば、われわれの血族は疫病か|殺戮《さつりく》かに会うことでございましょう」と兄弟が言った。しかし、王は答えて、「そんなことはわれわれを悲しませはしない。おまえたちはじゅうぶん数が多くて、一万二千人以上いる。疫病なり、殺戮なり、きびしい労役なりで数が減ることは、おまえたちの堪えがたいことではないのだ。おまえ、モオゼ、それに、アーロン、おまえたちの望むところは、人々を怠けさせて、当然なすべき奉仕を休めと言うことにほかならぬ。それはがまんならぬことで、許すつもりもない。わしは前代未聞の神殿をいくつか建築中であるし、その上、ピイトムとラムゼスとのほかに、それに加えて、第三の倉庫町を建てようと思っているのだが、それにはおまえたちの腕が必要なのだ。ただ今の流暢な上申はありがたく聞いておく、そして、モオゼ、わしがこのままおまえを退出させるのは、とにもかくにも特別な好意をこめた計らいであるぞ。それで、砂漠へ行くために休暇が欲しいなどいうことは二度と口にするな」
これでこの|謁見《えっけん》は終わったのであったが、その結果は、よいことが何一つ起こらなかったばかりでなくて、あとになってから、ひどく悪いことが起こってきた。建築をやりたくてたまらないという気持は傷つけられるし、モオゼの息の根をとめてやりたいと思っても、娘の猛烈な非難に会うことを恐れてそれができないという事態に気をくさらしたファラオが、ゴオゼンの奴らに従来以上の苛酷な労働を課して苦しめてやれ、怠けるようなことがあったら容赦なく棒でなぐりつけるのだ、いやが上にも働かせて、奴らの意識が消え失せるようにしてしまえ、奴らの神のために砂漠で祭典をおこなうなどいう余計な考えがいっさいなくなるようにしてしまえ、という命令を出したからである。そして、その命令通りのことがおこなわれた。モオゼとアーロンとがフォラオの面前に出て上申したために、賦役は一日一日と苛酷になっていった。たとえば、煉瓦を焼くために燃やさなければならない|藁《わら》がもはや提供してもらえなくなって、彼らは必要な藁を集めるためにみずから|刈後《かりあと》の畑へ行かなければならなくなったのであるが、それだからと言って、作らなければならない煉瓦の数が減らされるというわけではなく、規定の数は満たさなければならなかったのであって、さもないとあわれな彼らの背中で棒が踊ったのである。ヘブライ人の上におかれたヘブライ人の|頭《かしら》たちは、要求の不当を鳴らして官庁に請願書を提出したが、何の効果もなかった。請願書に対する返答は、「汝らは怠惰そのものである。それ故汝らは『国境外に出て犠牲を捧ぐることを欲す』などと叫びわめくのである。賦役の条件は変えない、すなわち、汝ら自身で藁を調達すると同時に従前と同数の煉瓦を焼け」というものであった。
モオゼとアーロンとにとっては、これは些細な困惑どころではなかった。|頭《かしら》たちは彼らに言った、「そら見ろ、おまえたちの神と同盟したり、モオゼの宮廷関係に頼ったりしたおかげで、こんなことになった。おまえたちのしでかしたことは、ファラオとその家来たちに対しておれたちの評判を悪くしたということだけで、おまえたちは、おれたちを殺す剣を彼らの手に握らせたのだ」
これにはうまい返事のしようがなかった。モオゼは|荊棘《いばら》の藪のなかから自己の存在を告げた神と二人だけで何時間も苦しい問答を交したが、そのときモオゼは神を非難してこう言った。わたしはこういう任務を託されることには最初から反対しました、わたしはしっかりした話などできないのだから、ほかのだれをファラオのもとへやってもよいが、わたしだけはやらないでくださいと最初から頼んだのです。ところが、主よ、あなたは、能弁なアーロンがついてゆくではないか、とお答えになりました。もちろん、アーロンが代表して話をしたにはちがいありませんが、あまりにももったいぶりすぎた話し方で、自分では口の重い者が能弁な他人に自分の代理をつとめさせなければならないというような場合に、こういう用件を引き受けるのはいかにも本末顛倒しているということがあきらかになりました、と言ったのである。しかし、神はモオゼ自身の心の底からモオゼを慰めるとともに叱りつけて、モオゼ自身の心の底からモオゼにこう答えた。おまえは自分の臆病を恥じなくてはならぬ、おまえのそういう弁解は純然たる気取りにすぎなかったのだ、というのも、結局のところおまえ自身がファラオのもとへやられることを熱望していたからで、それは、おまえがこの民族とその造形とに対して神と同じように大きな関心を持っているからである。じっさい、おまえ自身の関心は神の関心と全然区別がつかなくて、神の関心と同じものなのだ。つまり、おまえをこの仕事へ駆り立てたのは神の関心なのである。おまえは最初の失敗でこの関心を持ち続ける勇気を失うことを恥じなくてはならぬ。
モオゼは、この神の言葉をしっかと心にとめて、いっそうそれを肝に銘じた、というのも、ヨシュア、カアレプ、アーロン及び霊感を受けた女たちとの軍事会議において、圧迫の強化されたことは、悪感情をかもしてはいるものの、正確に観察すると、これは手初めの成功としては決して捨てたものではない、つまり、圧迫の強化はモオゼに対するのみならず、とくにエジプト人に対する悪感情をかもし、ヘブライ民族の心をして救いの神の招きや自由な土地への移住という考えをいっそうよく受けいれるようにならせると思われる、という結論に達したからである。事実その通りであった。賦役に服する人々のあいだに藁や煉瓦のことに対する激昂がつのってきて、モオゼは自分たちの評判を悪くして自分たちに損害をもたらしただけだという非難が、アムラムの息子にどうかまたその宮廷との関係にものを言わせてもらって、改めて自分たちのためにファラオのもとへ行ってもらいたいものだという願望のかげに退いたのである。
モオゼはファラオのもとへ行った。こん度はもうアーロンといっしょでなくて、自分の舌がどうなろうとかまわぬつもりで、一人だけで行ったのである。彼は玉座の前で拳を震わし、言葉を停滞させたり突進させたりしながら、砂漠で神に犠牲を捧げるための休暇をもらうという口実で、彼の同族が自由な土地へ移住できることを要求した。一度ではなくて、十度ほども彼はそう要求したのである。というのも、ファラオには彼が玉座の前まで出てくるのを拒むことができなかったからで、モオゼの宮廷との関係があまりにもよすぎたのであった。王と彼とのあいだに徐々に論争が生じて、執拗に長びくことになったが、この論争の結果は、王がモオゼの無理な要求を承諾するということには決してならなかったものの、エジプト人がやがてゴオゼンの人々をエジプトの国から解放する、というよりは、むしろ、国外へ|放逐《ほうちく》して、結局は彼らから離れるのを喜ぶということにはなったのである。この論争や、このとき強情に抵抗する王に対して加えられた圧迫手段については、いろいろと噂が多く、それは何の背景も持たぬただの噂というわけではないが、しかし、はなはだしく|尾鰭《おひれ》をつけたものという性格を帯びている。噂によると、ヤアヴェはつぎつぎに十の災厄をエジプトにくだして、ファラオを弱らせると同時に、ファラオの心を故意にモオゼの懇願に対して頑固にならせ、たえず新規の災厄をくだすことによって自分の力を示す機会を作った、ということである。血、蛙、毒虫、野獣、|疥癬《かいせん》、悪疫、|雹《ひょう》、|飛蝗《ばった》、暗闇、長子の死、というのがこの十の災厄の名だが、いずれも起こり得ないというようなものではない。ただ、事情が曖昧なために、まだ本当に解き明かされたことのない最後の災厄は別として、これらの災厄が終局の結果に本質的な寄与をしたかどうかは疑問である。ナイル河は事情によっては血のような赤い色に染まり、その水はしばらく飲めなくなって、魚類が死ぬ。これは、沼地の蛙が過度にふえるとか、いつもいる|虱《しらみ》の繁殖が災難に近いほどのものになるとかいうことと同様に起こり得ることなのである。また、砂漠の周辺をうろついたり、水の涸れた支流の|藪沢《そうたく》地にひそんでいたりするライオンもまだ多数いて、人畜を襲ってひき裂く数が増した場合には、それは災厄と呼ばれたことであったろう。エジプトではしばしば掻痕や|疥癬《かいせん》が流行するし、ともすれば、不潔から出る悪性の痘毒が脹れあがって、疫病のように国民のあいだで化膿するではないか。エジプトの空はたいてい青く澄んでいるが、それだけに、ときたま激しい暴風雨が起こって、真っ赤に焼けて落下する雲にまじって砂礫大の|雹《ひょう》が降りそそぎ、種子を打ち樹木を|擲《なぐ》るというようなことがあると、それには一定の意図が結びついていないにしても、一段と深い印象を与えずにはいないのである。|飛蝗《ばった》となると、エジプトを訪れるあまりにも有名な客で、押し寄せる飛蝗の大群に対して人間はいろいろな駆逐法や遮断法を考え出してきたのだが、それでも、飛蝗の貪欲がやはりそれらの方法にうちかって、結局は広汎な地域が食いつくされ、むき出しの裸になってしまう。また、日蝕時に暗くなった太陽が地上にひろげる不安な暗澹たる気分を一度でも経験したことのある者ならば、光に甘やかされている民族がこのような暗闇に災厄という名を与えることは、よく理解できるはずである。
さて、報告された災害の数はこれで尽きている、というのも、長子の死という十番目の災害はもともとこの数のなかにはいらぬもので、移住に伴った不明瞭な随伴現象であり、調べてみるのも不気味なことである。他の災害ならば、部分的に、または――長い期間にわたって分けて――全部起こったことであったろうが、しかし、われわれは九つの災厄の名を、多かれ少かれ、モオゼがラメスウに対して用いた唯一の圧迫手段を装飾的に言い換えたものと見なすことができる、すなわち、要するにいつも、ファラオがモオゼの好色の祖父で、モオゼはこれを言いふらそうと思えば言いふらすことができたという事実を装飾的に言い換えたもの、と見なすことができるのである。一度ならず王はこの圧迫に負けそうになった、すくなくとも大いに譲歩したのである。王は、男たちが犠牲を捧げる祭典に出てゆくことは承諾したが、女子供や家畜はあとに残っていなければならぬと言った。モオゼはそれを受けつけないで、老いも若きも、息子も娘も、羊も牛もいっしょに行かなければならない、主なる神の祭典をおこなわなければならないからである、と言った。そこでファラオは女子供も行くことを承諾したが、家畜だけは別にして、それは質として残しておけ、と言った。しかし、モオゼはそれに対して、家畜を連れていかないとすると、いったい、祭典の焼供物にする犠牲の獣はどこから手に入れるのか、と反問した。|蹄《ひづめ》一つあとに残ってはならない、と彼は要求したのであったが、――それによって、これは賜暇の問題ではなく、移住の問題だということがきわめて明瞭になったのである。
蹄のことから、エジプトの王とヤアヴェの委託を受けた者とのあいだに最後の激烈な口論がもちあがった。モオゼは談判の始終を通じて大きな忍耐を示していたのであったが、しかし、この忍耐と同じように、拳を震わせる短気も彼の性格のなかにあったのである。ついにファラオはどうにでもなれとばかりに、彼を文字通り広間から追い出してしまった。「去れ」とファラオは叫んだ、「二度とわしの目の前へ出るな。出ようものなら、死ぬことになるぞ」すると、いましがたまで非常に興奮していたモオゼは、まったく平静になって、「お言葉通り、わたしは去って、二度とお目通りはいたしますまい」とだけ答えた。この恐ろしい、冷静な訣別に際して彼が考えていたことは、彼の趣味にかなったことではなかった。しかし、それは、ヨシュアとカアレプという若者たちの望むところだったのである。
これは曖昧な一章で、ぼかした、曲飾した言葉でしか書き得ない。ある日、もっと正確に言うと、ある夜、ある不気味な暮夜、ヤアヴェもしくは死の天使が巡回して、最後の十番目の災厄をエジプトの子たち、すくなくともその一部分、すなわち、ゴオゼン並びにピイトムとラムゼスとの両都市のエジプト系住民にくだしたのだが、柱に血を塗って、それとわかるようにしてある幕舎や家は除外し、免除してその横を通り過ぎたのである。
彼は何をしたのか。彼は死、すなわち、エジプト系住民の長子の死をもたらしたのだが、そうすることによって多くのひそかな願望をかなえてやり、二番目に生まれた者を助けて、普通ならいつまでも与えられることのない権利を得させてやったのである。ヤアヴェとその死の天使との区別はじゅうぶんに注意しなければならない。巡回したのはヤアヴェ自身ではなくて、まさにヤアヴェの死の天使、――もっと正しく言うと、あらかじめ編成しておいた死の天使の一隊であったのだ。しかし、大勢いる死の天使をただ一人の姿に還元しようとすると、いろいろな証拠から見て、ヤアヴェの死の天使は縮れ毛の頭をして、喉仏を突き出し、眉間には決然たる皺を畳んだ、直立した姿勢の若者の姿をしたものと想像される、すなわち、いつも、無益な談判が終わりを告げて、行動に訴えることができるようになることを喜ぶ型の天使だと想像されるのである。
断乎たる行動に出る準備は、モオゼがファラオと執拗な談判を続けているあいだもたえずおこなわれていたのであるが、準備と言っても、モオゼ自身にとっては、面倒な事件が起こることを予想して、妻や息子たちをひそかにミディアンにいる義兄イェトロのもとへ送り返し、来たるべき事態に際して妻子のための心配にわずらわされないようにしたというだけのことであった、ヨシュアのほうは、彼のモオゼに対する関係があきらかに死の天使のヤアヴェに対する関係に似ているのだが、彼らしい行動を取っていたのであって、彼は、血族のうちで武器をとることにたえる三千名の者を自分の指揮下に置いて戦闘の準備をさせるには資力もない上にまだ権力もなかったので、すくなくとも、三千名のなかから一隊を選抜して、武装せしめ、訓練して、規律を守らしめ、手初めにはこの一隊でひとかどのことができるようにしておいたのである。
そのときの出来事は闇につつまれている、――エジプト人たちの目には、自分たちのあいだに住んで賦役に服しているヘブライの血族の祭典の夜だと見えた、あの虐殺の夜の闇につつまれている。見たところ、この血族は、砂漠で犠牲を捧げる祭典をおこなうことを禁じられた埋め合わせに、その場で、|松明《たいまつ》をともして饗宴を添えた神の祭典をおこなおうとするもののように思われたのであるが、その上、彼らはそのために金や銀の器物を近所のエジプト人たちから借り出していたのである。しかし、そのあいだに、または、その代りに、あの死の天使の巡回という事件、すなわち、ヤナギハッカ草の小さな束で血を塗ってしるしをつけてないすべての住居で長子が死ぬという事件が起こって、この神罰は、当然のこと、非常な混乱を生ぜしめ、権利や要求権の関係を突然ひっくりかえしてしまったので、モオゼの同族にとっては刻々と国外へ出る道が開けてきたばかりでなく、むしろ、その道を取ることをせき立てられ、エジプト人にしてみれば、モオゼの同族がどれほど早くその道を取って進んでも早すぎることはないというほどであった。事実、兄の地位を襲った次男たちは、兄の死の復讐をすることよりも、自分たちの昇格の原因になった連中を促して逃げさせることのほうに熱心であったように思われる。伝説の伝えるところによると、この十番目の災厄がついにファラオの自負を打ち砕いたので、彼はモオゼの血族を奴隷の境遇から解放した、とある。しかし、ファラオはただちに一隊の追撃軍を派して逃亡者たちのあとを追わせたのであるが、不思議にもこの追撃軍は失敗したのであった。
いずれにしろ、とにかくこの移住は放逐という形を取ったのであって、その放逐がどれほど早急におこなわれたかということは、この旅のためのパンにパン種を入れる暇がだれにもなかったという一事にはっきりと現われている、すなわち、彼らは膨らんでいない急場しのぎのまるくて平たい形の菓子しか用意できなかったのであって、モオゼはその後これをこの民族の永久に記念すべき事件として、その祭典をおこなう慣例を作った。その他の点では、彼らは大人も子供も完全に出発の準備を整えていたのである。旅の支度をした彼らは、死の天使が巡回しているあいだに、足にはすでに靴をはき、手には旅杖を持って、荷物を積んだ車のそばにすわっていたのであった。エジプト人たちから借りた金や銀の器物は、彼らはいっしょに持っていったのである。
読者諸君、エジプトからの移住に際しては、殺人も|窃盗《せっとう》もおこなわれたのである。しかしながら、モオゼの堅固な意志によれば、それはこれを限りにおこなわれる最後のものだったはずである。人間は、不浄に最後の犠牲を捧げて、その際もう一度徹底的に不浄に染まるということをしなければ、どうして不浄から身をもぎ離すことができようか。モオゼはその形成的関心の肉体的対象、この形なき民族、彼の父の血族を今や自由な土地に連れ出したのであったが、自由の地とは彼にとって浄化の地であった。
さすらいの旅に出た民衆は、その頭数から言うと、伝説の数字が認めようとするよりもはるかに少数であったのだが、扱うにも導くにも世話をするにも、なかなか手に負えなくて、彼らの運命、自由な土地における彼らの生活に責任を持つ者にとってはじゅうぶんに厄介な重荷であった。彼らは、当然な理由があって、|鹹《かん》湖の北方から始まるエジプトの国境要塞を避けようとしたのであるが、その場合におのずから決まってくる道を取って進んだ、すなわち、その道は、シナイ半島を形成する紅海の二つの入江のうちの西側の大きな入江が流れこんでいる|鹹《かん》湖地帯を通り抜けていったのである。モオゼは、前にミディアンヘ逃亡するときも、そこから帰るときも、ここを通過したので、この地方を知っていた。抽象的な地図を頭のなかにおさめているだけの若いヨシュアよりも、モオゼはこの地方の性状、すなわち、この葦の密生した浅瀬の性質によく通じていたのであって、この浅瀬はときどき|鹹《かん》湖と紅海の湾とのあいだの自由に通行できる連絡路になるから、そこを通ってゆけば、事情によっては足を濡らさないでシナイ地方へ到達できるということを知っていたのである。すなわち、強い東風が起こって、海の水が退くと、浅瀬は自由な通路になったのであるが、――逃亡者たちは、ヤアヴェの恵みを垂れる摂理のおかげで、こういう状況になった葦の海を見たのである。
モオゼが神に呼びかけながら、その杖を水の上にかざして水を退かせ、この民族の通る道を開かせたのだという報知を民衆のあいだに広めたのは、ヨシュアとカアレプとであった。おそらく、モオゼは実際にそういうことをして、もったいぶった身ぶりでヤアヴェの名を唱えながら、東風に手伝ったのであったかもしれない。いずれにしろ、この民族がその指導者に寄せる信頼の念は、それがちょうどここで、そして、ここで初めて、困難な試煉にかけられただけに、いっそうの強化を必要としたのであった。それと言うのも、実にここでこそ、ファラオの軍勢、兵士と戦車、だれもが知りすぎるほどよく知っていた残忍な鎌を装備した戦車が移住者たちに追いついて、すんでのこと、神のもとへいたろうとする彼らの移住に流血の終止符を打とうとしたからである。
ファラオの軍勢が近づいてくるという知らせは、ヨシュアの後衛によって伝えられ、人々のあいだに極度の恐怖とはなはだしい落胆とを|惹起《ひきお》こした。たちまち「このモオゼという男」についてきたことに対する後悔が炎々たる焔になって燃えあがり、この後も困難に際会するたびに繰り返されてモオゼの心を痛め悩ますことになったあの群衆の不平が起こったのである。女たちは悲鳴をあげ、男たちは呪って、モオゼが興奮したときにいつもするのとそっくり同じように、腰のところで両手の拳を震わした。「墓ならエジプトにもあったではないか」と彼らは言った、「もし故郷に残っていたなら、死期が来たとき平和にその墓へはいることができたであろうに」これまでは賦役を課する異国であったエジプトが、突然「故郷」になったのである。「砂漠のなかで|剣《かたな》の|錆《さび》になり果てるよりも、エジプト人に仕えるほうが、ましに決まっている」こういう言いぐさをモオゼは数えきれぬほど何度も聞かされた。そして、それは、圧倒的なものであったこの脱出をさえ不愉快なものにしたのである。彼は「われわれをエジプトから導き出したモオゼという男」で――それは、万事がうまく行っているあいだは称讃を意味するものであった。しかし、うまくいかなくなると、たちまちその色合いを変えて、不平を鳴らす非難の意味になり、その非難たるや、石で撃ち殺そうという考えにさえ近いものだったのである。
さて、束の間不安な思いをさせられたのち、この場は、恥ずかしくなるほど、また、信じられないほどうまくいった。モオゼは神の奇蹟によって大いに男をあげ、「われわれをエジプトから導き出した男」ということになったが、――その意味はまたもや前とは別のものになったのである。ヘブライの血族がひあがった浅瀬をころがるように通り過ぎ、そのあとをエジプトの戦車隊が追う。そのとき風が吹きやんで、潮がもとへ戻り、人馬は潮に呑まれて喉を鳴らしながら死に果てたのであった。
この勝利は未曾有のものであった。アーロンの妹、女予言者ミルヤムは、輪舞する女たちに向って太鼓を打ち鳴らしながら、「主を讃えて歌え――絶妙のみ業――馬も人も――海になげうちたまえり」と歌った。彼女はこれを自分で作ったのであった。この歌は太鼓の伴奏がつくものと考えなければならない。
民衆は深く感動させられた。「力強いものだ、神聖なものだ、恐ろしいものだ、称讃すべきものだ、奇蹟的なものだ」というような言葉が、人々の唇から洩れて、いつまでも尽きなかった。そして、これらの言葉が神に向けられているのか、それとも、神を告知するモオゼに向けられているのか、あきらかではなかったが、人々は、モオゼが杖をかざして潮をさしまねき、エジプトの軍勢を溺らせたものと想像したのである。こういう混同はいつもおこなわれがちであった。人々が不平を鳴らさないでいるときには、いつも、モオゼは、人々が彼自身を神だと思う、つまり、彼が告げ知らせている神だと思うことを防ぐために手こずったのである。
それは結局そう滑稽なことではなかった、というのも、彼がこのあわれな人々に要求しはじめたことは、およそ人間普通のことをすべて超越していて、神ならぬ身の人間の頭から生まれ出たものとは、ほとんど考えることができなかったからである。それを聞いた人々の口はいつまでもふさがらなかった。ミルヤムが歌いながら舞ったあとで、すぐさま、彼はこれ以上エジプト人の溺死に歓声をあげることをいっさい禁止した。彼は人々に告げて、ヤアヴェの天使たちもこの勝利の歌に声を合わせようとしかかったところ、聖なる神は、「何ごとか、わが創造せる生物の海に沈むに、汝ら歌わんと欲するか」と天使たちを叱責した、と言った。この短いながらも驚くべき話を彼は人々のあいだに広めて、「汝、敵の死を喜ぶべからず、汝の心、敵の不幸を喜ぶなかれ」という彼自身の言葉をつけ加えた。このように、このだらしのない血族全体、すなわち、武器をとることにたえる者三千名を含めた一万二千数百人という人数が汝という称呼で話しかけられたのは、これが初めてであったが、この話し方は、彼らの全体を包含すると同時に、男女老若の一人一人に注目して、指でそこを突くとでもいうように各人の胸に訴えたのである。「汝、敵の死に喜びの声を挙ぐべからず」これはまことに不自然なことだ。しかし、この不自然さは、あきらかに、モオゼの神、われわれの神になろうと欲する神の、目には見えないという性格に関係があるのだ。暗褐色の肌をしたこのだらしのない血族のなかでもかなり意識のある連中にとっては、目に見えない神に忠誠を誓ったということが、どんな意味のことで、どれほど不気味な、要求の多いことだか、ぼんやりとわかりかけてきたのであった。
彼らはシナイ地方の、ズウル砂漠という、何とも殺風景な曠野にさしかかっていたのだが、そこを通過したとしても、やはり泣きたくなるような曠野であるパラン砂漠に到達するだけなのであった。この砂漠がなぜ二つの異なる名を持っているのか、不可解なことであったが、二つの砂漠はひからびたまま隣り合っていて、どちらも同じ石だらけの、不毛な丘陵になって延び拡がった、水もなければ産物もない、呪われた広野で、三日歩いても、四日、五日と歩いても同じことなのであった。モオゼが、葦の海のほとりで博した信望をすかさず利用してあの不自然な厳命を出したのは、適宜な処置だったのである。たちまちのうちに、彼はまたしても「われわれをエジプトから導き出したこのモオゼという男」になったが――それは「不幸へ連れこんだ」という意味で、騒然たる不平の声が彼の耳を打った。三日後には、携えてきた水が乏しくなってきた。頭上には無情な太陽が灼熱し、足下には、まだズウル砂漠であるにしろ、それとも、すでにパラン砂漠になっているにしろ、とにかく同じ慰めのない裸の曠野が続いて、数千の人々の喉が渇いた。「何を飲めばいいのだ」彼らは、責任を感ずる指導者の悩みなどには何の思いやりもなく、声高にそう叫んだ。指導者モオゼは、彼らにさえ何か飲物があって、「なぜおまえはわれわれをエジプトから連れ出したのか」という声を聞かずに済むのなら、自分だけは何も飲まなくてよい――このさきもう何も飲むものはいらない、とまで願った。自分ひとりが悩むことなど、こういうだらしのない民衆の責任を負わなければならない苦悩にくらべるなら、些細な悩みにすぎない。モオゼは非常に苦しみ悩んだ人間で、あらゆる時期を通じてそうであった――地上の何人にもまして苦しみ悩んだのであった。
さて、また、食料もたちまちにして尽きてしまった、というのも、人々が急いで携えてきた|膨《ふく》らまないパンは、幾日のあいだ持ち得たことであろうか。「何を食えばいいのだ」――こん度は、泣いて罵るこういう叫び声も響いたのである。モオゼは神と二人だけで苦しい幾時かを過ごし、神を非難して、この民族全体の重荷を神の|僕《しもべ》たる自分に負わせるのは、神のやり方としてあまりにも苛酷であった、と言った。「いったい、わたしがこの民族をすべて|孕《はら》んで生みだしたというのでしょうか」と彼は尋ねた、「それだから、あなたはわたしに、『この民族を汝の腕に抱け』と言われるのですか。この民族全部に与える食物をどこから取ればよいのでしょうか。彼らはわたしの前で泣いて、『肉を与えて食わしてくれ』と言っています。わたしは一人でこのような大勢の人々を抱えることはできません、それは重すぎます。もしそれをしろと言われるのなら、むしろ、わたしを締め殺して、わたしが自分の不幸も彼らの不幸も見なくて済むようにしてください」
しかし、ヤアヴェは彼を完全に見捨てたのではなかった。渇をいやすことについて言うと、彼らは五日目に、とある台地を越えていったときに、そこで、木立のある泉を見つけだしたのであるが、その泉は、ともかく、ヨシュアが頭のなかにおさめている地図にも「マアラの泉」という名で書きとめられていたものである。その水は、有害な混ざり物を含んでいたために、いやな味がして、痛切な失望を呼びおこし、遥かにうねり伝わる不平の声を生ぜしめはしたが、しかし、必要に迫られて発明工夫の心をはたらかせたモオゼは、一種の濾過装置を設け、胸のむかつくような混ざり物を、完全とはいえないまでも大部分遠ざけて、泉の奇蹟をなしとげた。その奇蹟が、悲鳴絶叫を歓呼喝采に変えて、大いに彼の信望を引き立てたのである。「われわれをエジプトから導き出した」という言葉が、たちまちにしてまた薔薇色の色彩を帯びたのであった。
それから、食事のことはというと、やはり奇蹟が起こって、最初のうちはひたすら喜ばれ驚かれるばかりであった。というのも、パラン砂漠の広汎な地域が、食用になるマナという地衣類に蔽われていることがわかったからである。このマナというのは、糖分を含んだ、まるくて小さい地衣で、|香菜《コエンドロ》の種子のようにもベデリオンのようにも見え、非常に腐りやすくて、すぐに食わないと、悪臭を放ちはじめるが、しかし、|磨《す》り潰し、|搗《つ》き砕いたものを灰のなかで焼いて菓子にすれば、じゅうぶんにがまんのできる緊急食糧になり、ある者は、蜂蜜つきの小麦粉パンとほとんど同じような味がすると言い、他の者は、油揚げの菓子みたいだと言った。
こうして最初は評判がよかったが、しかし、それは長続きしなかった。やがて、もう数日後には、人々はマナに飽きて、それで餓えを満たすのがいやになったからである。唯一の食物としてのマナがたちまちいやになり、胸がむかつくようになったので、彼らは不平を鳴らした、「エジプトでただで食っていた魚や、南瓜や、フェーベンや、|葱《ねぎ》や、|球葱《たまねぎ》や、|蒜《にんにく》のことが思い出される。ところが、いまは魂までだらけてしまった、目に見えるものといえばマナのほかにないからだ」
こういう不平を聞いて、モオゼは心を痛めたが、その不平は、言うまでもなく、「なぜわれわれをエジプトから連れ出したのか」という詰問を伴ったのである。モオゼが神に尋ねたことは、こうであった、「わたしはこの民族をどうすればいいのですか。彼らはもうマナを食おうとはしません。ご覧ください、彼らはいまにもわたしを石で撃ち殺さんばかりになっています」
もちろん、石で撃ち殺されるということに対しては、彼は、腹心の若者ヨシュアと武装隊とによってかなりの程度まで保護されていて、ヨシュアがすでにゴオゼンにおいて|糾合《きゅうごう》していたこの武装隊は、民衆のあいだに危険な不平の声が起こると、すかさず解放者モオゼの身辺を取りかこんだのである。武装隊というのはさしあたり青年によって組織した一小隊で、カアレプを副将にしていたが、ヨシュアは、武器をとることにたえる全部の者、すなわち、三千名全体を自分の指揮下に置くために、最高指揮官たるの実を示し、まっ先に立って戦う機会をひたすら待っていた。それに彼は、この機会が間近に迫っていることを知っていたのである。
モオゼは、神の名にちなんだ名をつけてやったこの若者に、大いに負うところがあった。この若者がいなかったならば、彼はときどきまったく絶望したことであったろう。彼は宗教的な人間であった、そして、彼の男らしさは、強壮でたくましく、石工のそれのように幅広い手首を持つものではあったが、宗教的で、自己の内心に向い、神から抑制されるとともにはげしく鼓舞激励されるという、外部の事物には縁遠くて、ひたすら神聖なもののことを気づかう男らしさであった。いつも口や髭を手で蔽いながらするのが癖の|穿鑿《せんさく》的な瞑想とは奇妙な対照をなしている、一種の軽率ぶりといわなければならないが、彼の考え狙うことはすべて、彼の父の血族を他と引き離して自分一人のものにし、それを形成して、彼が愛しているこの不信心な群衆から、邪魔入らずで、神聖な神の姿を彫刻し出そうとすることだけに限られていたのであった。自由な土地に横たわる危険、つまり、砂漠でぶっつかるいろいろな困難や、これほど多くの民衆にどうして無事に砂漠を通過させるかという問題、いや、彼らをどこへ連れてゆくつもりかという問題さえ、彼はあまり気にかけなかったか、または、全然思いわずらわなかったのであって、実際方面の指揮にはまったく何の用意もしていなかったのである。それだけに彼は、ヨシュアを身辺に持つことを喜び得たわけであるが、ヨシュアはヨシュアで、モオゼの宗教的な男らしさを尊敬して、自分の断乎とした、ひたすら外部にだけ向った若々しい男らしさを、無条件でモオゼのために用立てたのであった。
ともかくも砂漠のなかで目標を誤らずに進んでゆき、迷い歩いてのたれ死にしなかったのは、ヨシュアのおかげであった。彼は星座を見て行進方向を決め、日々の行程を計算し、がまんのできる間隔をおいて、と言っても、もちろんこれ以上のがまんはできないという間隔のときもあったが、水のある場所へ到着するように気を配った。円みを帯びた形の地衣が食用になるというのは、彼が発見したことであった。一言でいえば、彼は、師モオゼが指導者たるの信望を失わないように尽力して、「われわれをエジプトから導き出した男」――という言葉が、不平の声になった場合にはいつも、それがふたたび称讃の意味を帯びるように配慮したのである。彼は目標をはっきりと頭に入れておいて、星を頼りに、モオゼの同意を得て、目標に至る最短の道を進んでいった。それというのも、最初の目標、つまり、一時的なものであるにしろ堅固な避難所、生活ができて時をかせげるような滞在地、が必要だという点では、二人はもちろん意見が一致していたからである。時をかせぐと言っても、非常に多くの時をかせぐわけで、それは、一つには(つまり、ヨシュアの考えによれば)、この民族がさかんに人口を増加して、武器をとることにたえる者をさらに多数、彼に、すなわち、成熟しつつあるヨシュアに提供するようになるためであり、一つには(つまり、モオゼの考えによれば)、彼が何よりもまずこのだらしのない民衆を神へと形成し、神聖にして端正なもの、目に見えない神に捧げた純粋な作品、を刻み出すためであって――モオゼの心も手首もそれを渇望していたのである。
さて、この目標はカアデシュという|緑地《オアシス》であった。つまり、ズウル砂漠にパラン砂漠が隣接していたように、パラン砂漠の南にはジン砂漠が境を接していたが、――しかし、どこもかしこも直接に隣り合っているというのではなかった。というのも、そのあいだのどこかにカアデシュの緑地が横たわっていたからである。この緑地は、比較的に言うと、貴重な平地、水無き砂漠の緑の慰安ともいうべきところで、水量豊かな三つの泉があるほかに、まだ多数の小さな泉があり、長さは一日行程、幅は半日行程、みずみずしい草地や畑地に蔽われた魅惑的な地帯で、動物も多ければ産物も多く、この民族ほどの人口を宿らせ養うに足るだけの大きさがあった。
ヨシュアはこの魅力的な小さな土地を知っていて、それは彼の脳裡にたたんだ地図にはっきりと記載されてあった。モオゼもそれを知っていたのだが、しかし、その方向へ進んでカアデシュを目標にしたのは、ヨシュアの企てたことであった。彼の機会は――ここにこそあったのである。カアデシュのような珠玉ともいうべき土地は、もちろんのこと、所有者がないままになっているわけはなかった。この珠玉は頑丈な手に握られていたのである、――あまり頑丈すきる手中にあるのでなければよいが、とヨシュアは願った。この珠玉を手に入れようとする者は、その所有者と戦わなければならなかった、そして、所有者はアマレクであった。
アマレク族の一部がカアデシュを所有していて、それを防衛するものと考えられた。ヨシュアはモオゼに説明してこう言った。ヤアヴェとアマレクとは戦争をしなければならない。そのために両者のあいだに代々永遠にわたる敵対関係が生じようとも、一戦を交えるほかはない。あの緑地を、われわれは手に入れなければならないのだ。あれは、われわれが人口を増加するためにも、神聖になるためにも、恰好な場所である。
モオゼはすこぶる|躊躇《ちゅうちょ》した。彼にとって、隣人の家を欲すべからずということは、神が目に見えないという性格のなかに含んでいる教えの一つであった。そこで彼は、その点で若いヨシュアに抗議した。しかし、若者は答えて、カアデシュはアマレクの家ではない、と言った。自分は地理に通じているだけではなくて、過去の事柄にも通じている。カアデシュにはかつてすでに――とは言っても、いつのことであったかは言えないが――ヘブライ人が住んでいた。つまり、われわれに近い血縁を持つ一族、祖先の後裔が住んでいた。それがアマレク人に追い払われたことを自分は知っている。カアデシュは掠奪したものなのだ。掠奪したものを掠奪することはさし支えないと思う。
モオゼはヨシュアの言うことを疑ったが、しかし、カアデシュがもともとヤアヴェの領域で、ヤアヴェと同盟した人々に帰属すべきものであるということに対して、彼は独自の理由を持っていたのである。カアデシュがカアデシュ、すなわち、「聖地」と呼ばれているのは、そこに天然自然の美があるためだけではなかった。それは、いわば、モオゼが祖先の神であることを知ったミディアンのヤアヴェの聖地なのであった。そこからほど遠からぬところ、東のかたエドムの方角に、モオゼがミディアンから登っていったホレプの山が、群山の連なるなかに|聳《そび》えていたが、この山の斜面で神が燃える|棘《しば》になってモオゼに顕現したのである。このホレプの山は、ヤアヴェの住みたもうところであった、――すくなくとも住みたもう場所の一つであった。神の本来の|住処《すみか》が、はるか南方の山脈中にあるシナイ山だということは、モオゼは知っていたのである。しかし、シナイと、モオゼが神託を受けたホレプとのあいだには、ヤアヴェがこの二つの山に住みたもうということによってこそ、密接な関係があるわけで、この二つの山は同一視することのできるものであり、ホレプをシナイと呼んでもかまわないのであるし、また、カアデシュは、すこし勝手な言い方をすると、神聖な山の麓にあるからこそカアデシュ(聖地)と言われる、ということになるのであった。
こういうわけでモオゼはヨシュアの計画に同意して、彼に、ヤアヴェ対アマレクの戦闘準備をなさしめた。
十一
その戦闘はおこなわれた。それは歴史上の事実である。非常に困難な、一進一退の戦闘であったが、ついに、イスラエル民族は首尾よく勝利を得た。すなわち、イスラエルという名は「神が戦う」という意味だが、モオゼは戦闘に先立って、このイスラエルという名を血族の人々に与えて激励し、これは忘れられてはいたが非常に古い名で、あの族長ヤアコプがすでにこの名をかち得てみずからイスラエルと称し、一族の人々をもイスラエルと呼んだものである、という説明をつけてやった。それが血族の人々を大いに鼓舞した。この血族の結びつきは、これまで非常にまとまりのないものであったのだが、彼らはいまやことごとくイスラエルと名乗り、この勇壮な名の下に団結して、最高指揮官たる若者ヨシュアとその副将カアレプとによって戦列に並べられ、その指揮に従って奮闘したのである。
アマレク人は、この流浪の民が接近してくることの意味を疑わなかった。こういう接近には、いつも|一つの《ヽヽヽ》意味しかないのである。緑地が攻撃されるのを待たず、彼らは大挙して、緑地から砂漠へ進み出ていたが、その数はイスラエルよりも多く、装備も優秀であった。そして、高く渦巻きあがる砂塵と喧騒と雄叫びとのうちに戦闘がはじまったが、これは、ヨシュアの指揮する人々が喉の渇きに苦しめられていた上に、もう何日ものあいだマナ以外に食うものがなかったという理由から言っても、不平等な戦闘であった。その代りに、彼らの側には、たじろがぬまなざしで彼らの行動を指揮する若者ヨシュアと、神の|僕《しもべ》モオゼとがついていたのである。
モオゼは、戦闘の開始されるにあたって、乳兄弟のアーロンや女予言者のミルヤムとともに、とある丘の上に退いていたが、そこから戦場を見渡すことができたのである。彼の男らしさは、戦争にふさわしい男らしさではなかった。むしろ、両腕を挙げて神に呼びかけることこそ、神に仕える人としての彼の任務であった――そして、これだけが彼の任務たり得るという点では、皆がなんら疑念を抱くことなく、彼と同じ意見だったのである。そこで、モオゼは熱烈な言菓で神に呼びかけて、「立て、ヤアヴェよ、数万数千のイスラエルの神ヤアヴェよ、立ち現われて、汝の敵を塵の如く飛散せしめ、汝を憎む者どもを汝の面前から逃げ走らしめたまえ」というようなことを叫んだ。
敵は逃げ走りもしなかったし、塵のように飛び散りもしなかった。逃げ走ったり飛び散ったりしたにしても、それはさしあたりのところ、ただ部分的で、まったく一時的なことにすぎなかった、というのも、イスラエルは喉の渇きやマナに飽き飽きしたことのために怒り狂ってはいたものの、数万のアマレクのほうが多勢であって、アマレク勢は束の間だけ意気|沮喪《そそう》することはあっても、たえずまた盛り返し、ときには展望の丘が危険になるほどの近間まで押し進んできたからである。ところが、モオゼが祈りながら両腕を天のほうへさし上げているあいだはいつもイスラエルが勝つのに、その両腕をおろすとアマレクが勝つ、ということが明瞭にわかってきた。そこで、モオゼが自分の力でたえず両腕をさし上げきりにしているということはできなかったから、アーロンとミルヤムとが両側から彼の腋の下を支えた上に、彼の両腕をもつかんで、いつも高くさし上げていれるようにしたのである。それにしても、これがどういうことであるか、その意味は、戦闘が朝から夕刻まで続いて、そのあいだじゅうモオゼはこの苦しい姿勢を保っていなければならなかったということで推測されるであろう。これを見れば、宗教的な男らしさが祈りの丘でどれほど辛い思いをしたか、――丘の下の喧騒裡で斬ってかかることのできた男らしさよりも、たしかに、いっそう辛い思いをしたということがわかるのである。
それにしても、一日じゅうそういう姿勢を取り続けることはできなかった。左右に立って助けている二人は、ときどきちょっと師の腕を下へおろさざるを得なかったのだが、しかし、そうするたびに、たちまち、ヤアヴェの戦士たちは多くの血を流し、大いに圧迫されるのであった。そこで、二人がまた腕を持ちあげる。すると、丘の下の人々はそれを見て、新たな勇気を汲み取るのであった。これにヨシュアの|統帥《とうすい》の才が加わって、戦闘を有利な結末へ導いたのである。彼は妙案を湧かして意図を達成する計画的な青年戦士で、まったく新しい、すくなくとも砂漠においてはそれまでまったく未曾有の機略を案出したが、その上、陣地の一時的な放棄を静観し得る度胸を持った指揮官であった。彼は、配下の最も精鋭な兵力、選びすぐった一隊、すなわち、あの死の天使たちを敵の右翼に集結し、決定的な圧迫を加えてこの右翼を押し退け、その場所で勝利を得たのであったが、一方では、もちろん、アマレクの主力がイスラエル陣に対して有利な地位に立ち、嵐のように前進して、イスラエル勢から多くの陣地を奪い取ったのである。しかし、ヨシュアが右翼を突破して、アマレクの背後へ出たので、アマレクはヨシュアに立ち向かわなければならないと同時に、すでにあらかた撃破されていたのだが、勇気を取り戻して前進してきたイスラエルの主力とも戦わなければならなくなった。そのため、アマレク側では混乱がはなはだしくなって、自信を失うにいたったのである。「裏切りだ」と、アマレクは叫んだ。「万事休す。もはや勝つ見込みはない。われわれはヤアヴェに負けた。ヤアヴェははかり知れない悪企みの神だ」この絶望の言葉を合言葉にしながら、アマレクは剣を捨てて斬り殺された。
アマレク勢のうち少数だけが北方へ逃げ走ることができて、そこで一族の主流と合体した。イスラエルのほうではカアデシュの緑地に乗り込んだが、ここは、幅の広い|滔々《とうとう》たる小川が貫流していて、有用な灌木や果樹が茂り、蜜蜂や鳴禽類や|鶉《うずら》や兎などふんだんにいることがわかった。この部落の小屋のなかにおきざりにされたアマレクの子供たちは、アマレク自身の子孫の数をふやしたが、アマレクの女たちは、イスラエルの妻や|婢《めしつかい》になったのである。
十二
モオゼは、その後も長いあいだ両腕が痛みはしたものの、幸福な男であった。彼があいも変らず地上のあらゆる人間にまして非常に苦しみ悩んだ人間であったということは、いずれあきらかになるであろう。しかし、さし当たりのところ、ものごとが都合よく運んだので彼は非常に幸福であった。移住は成功し、ファラオの復讐軍は葦の海に沈み、砂漠の旅はうまくはかどり、カアデシュの争奪戦にはヤアヴェの加護によって勝利を得たのであった。彼は、成功に伴う信望を担い、「われわれをエジプトから導き出したモオゼという男」として、父の血族の前に大きく立ちはだかったのである。これは、彼が自分の仕事、すなわち、目に見えない神のしるしのなかで浄化し形成する仕事、同胞の骨肉に|孔《あな》をうがち、切り開いて、形を与える仕事をはじめ得るために必要なことであった。彼はこの仕事を渇望していたのである。いまや他から分離して自由の土地にあるこの骨肉を、「聖地」という名の|緑地《オアシス》のなかで独占して、彼は幸福であった。この緑地は彼の仕事場だったのである。
彼は人々に、カアデシュの東の砂漠のかなた、群山のあいだに見える山を指し示した。それはホレプで、シナイと呼んでもよい山だが、麓から三分の二までは叢林に蔽われ、その上は禿げていて、ヤアヴェの|住処《すみか》であった。ホレプがヤアヴェの住処だということは、信じてよいことだと思われた、というのも、ホレプは、一つの雲がかかっているために、附近の山々よりも目立つ、独特な山で、その雲は決してうつろうことがなく、ホレプの頂の上に屋根のような形でかかっていて、昼間は灰色に見えるが、夜間には光り輝いたからである。人々は、あの山の岩だらけの頂の下方、叢林の茂る中腹で、ヤアヴェが燃える|荊棘《いばら》の藪のなかからモオゼに言葉をかけて、血族の人々をエジプトから導き出せという神託を授けたのだ、ということを聞いた。彼らは恐れて|顫《ふる》えながらそれを聞いたのであるが、彼らにとってはまだ恐れや顫えが畏敬や敬虔の代りになっていたのである。事実、モオゼが彼らに不断の雲をいただいている山を指し示して、おまえたちに関心を抱き、おまえたちの唯一の神たらんと望みたもう神はあの山に住みたもうのだ、と告げるたびに、彼らは皆、有髯の男までが、夢中になった臆病者のように膝をがくがくとふるわせるのであった。そして、モオゼは拳を震わしながら、彼らのだらしない身振りを叱りつけ、彼らがヤアヴェに対してもっと勇気を持って親しくなるように気を配ったが、じっさい、彼らのただ中に、このカアデシュに、ヤアヴェの聖所を建てたのである。
それというのも、ヤアヴェはどこにでも動いてゆける神だからで、――これは、他の多くのことと同様、ヤアヴェが目に見えない神であるということと関連があった。ヤアヴェはシナイ山に住み、ホレプ山にも住んでいたのだが、――いまモオゼは、人々がカアデシュのアマレク人の部落にはいってすこし居住の準備を整えるやいなや、そこにヤアヴェの|住処《すみか》を作った。すなわち、モオゼ自身の幕舎の近くに一つの幕舎を建てて、それを会合ないし集会の幕舎、または、聖会堂とも呼び、そのなかに、この姿を持たない神を崇敬する手がかりになる神聖な品々を納め入れたのである。それは、主として、モオゼが記憶をたぐってミディアンのヤアヴェ礼拝から取った品々で、まず第一に、担ぎ棒をつけた|櫃《ひつ》のようなものがあったが、モオゼの言うところによると――彼は当然それを知っていたはずだが――目には見えないけれども神がその上に鎮座ましましていて、たとえばアマレクが押し寄せてきて復讐しようと試みるような場合には、戦場へ担ぎ出していって、戦闘のさきがけをさせることができるものであった。この|櫃《ひつ》のかたわらに、杖頭を蛇頭形にして、青銅の蛇とも呼ばれた青銅の杖が保存してあった。これは、アーロンがファラオの前でおこなった善意の手品を記念するためのものであると同時に、モオゼが葦の海を二つに分かれさせるためにその上へさし伸べた杖でもある、という意味をかねたものであった。また、とくに、ヤアヴェの幕舎には、いわゆるエフォートと称する振り出し袋が収めてあったが、人間同士では解決のできない面倒な訴訟問題が起こって、直接ヤアヴェの仲裁裁判を仰がなければならないという場合には、応か否か、正か非か、善か悪かを決める、「ウリムとトゥミン」という託宣の|籤《くじ》がこの袋から飛び出すのであった。
しかし、たいていはモオゼ自身がヤアヴェに代って、人々のあいだにもちあがる各種のもめごとや法律問題に裁きをつけたのである。それどころか、裁きの場を設けて、一定の日にもめごとを調停し判決をくだすことは、彼がカアデシュでした最初の仕事であった。すなわち、彼は、以前からメ=メリイバ、つまり、審判の泉といわれていたもっとも水量豊富な泉の湧き出ているところで、判決をくだし、水が大地からほとばしり出るように、神聖な判決をよどみなく流れさせたのである。しかし、彼一人の権能に服する人々が全部で一万二千五百人に及んだことを思うならば、彼がどれほど苦しみ悩んだ人間であったか、推測されるであろう。それと言うのも、頼るものもなくて堕落したこの血族にとっては、正義というものがまったく目新しいもので、そういうものがあるということはそれまでほとんど知られていなかっただけに、それだけいっそう多くの人々が正義を求めて、たえず泉のほとりに設けられたモオゼの裁きの場へ押しかけてきたからである、――彼らはいまにしてはじめて、第一に、正義というものは神にそなわっている目に見えないという性格や神聖という性格とまったく直接に関連していて、それらの性格に保護されているものだということ、第二に、正義は不正をも包含するものだということを知ったために、たえずモオゼのもとへ押しかけてきたわけであるが、正義は不正をも包含するということは、この|烏合《うごう》の衆には長いあいだ理解できないことであった。それは、彼らが、正義の流れ出るところではだれもが正しい者と認められるべきだと考えて、不正といわれてすごすご引きさがらなければならない場合があっても、そうしてこそ正義を得ることができるものだということを、最初のうちは信じようとしなかったからである。不正といわれてすごすご引きさがらなければならなかった者は、むしろ以前のやり方に従って、手に石を持って相手ともめごとの決着をつければよかった、そうすれば別な結果になっていたかもしれないと後悔するようなことになりがちで、そういうことは神の目に見えないという性格に反することであるし、法律上不正ということになった者も決してすごすご引きさがるのではない、というのも、正義は、ある人を正しいとしようがまたは不正としようが、神聖で目に見えないという点ではどの場合にも同じように美しくておごそかなものだからである、という事情を、骨折りながらやっとのことでモオゼから学んだのであった。
こういうわけで、モオゼは、判決をくださなければならなかったばかりか、加うるに、法律を教えなければならなくて、非常に悩み苦しんだ。彼自身はかつてテエベンの寄宿学校で法律を学んだことがある。巻物本にしたエジプトの法典やユウフラテス河畔の王であったハムラピイの法典を学んだのである。これが審理される事件の判定にしばしば役立った。たとえば、牡牛が男か女かを突き殺した場合には、その牡牛を石で撃ち殺して、その肉は食うべからざるものとするが、牡牛の持ち主には責任がない。ただし、その牡牛に人を突く癖のあることが前から知れていて、持ち主が注意を怠ったということであれば、銀三十シケルの代償を出せないかぎり、持ち主も死刑に処せられる。また、ある人が穴を掘って、それをじゅうぶんにふさいでおかなかったため、牡牛なり驢馬なりが落ちこんだという場合には、穴を掘った人は損害を受けた人に償金を払わなければならないが、動物の屍体は穴を掘った人のものになるのである。その他、身体傷害、奴隷虐待、|窃盗《せっとう》、強盗、田畑侵害、放火、背任などの審理があったが、これらの事件やその他多数の事件に当たって、モオゼはハムラピイの法典に頼って判決をくだし、正不正を裁定した。しかし、裁判官は一人しかいないのに、事件の数はあまりにも多く、泉のほとりの裁きの場は殺到する人々でごったかえした。裁き手のモオゼは、個々の事件を幾分でも忠実に取調べると、決着がつかなくなって、その他の多くの事件を遅らせなければならなかった。しかも、新しい事件がたえず詰めかけてくる。彼はあらゆる人間にもまして苦しみ悩んだのであった。
十三
こういうわけで、義兄のイェトロがミディアンから来てモオゼをカアデシュに訪れ、良策を授けてくれたことは、大きな幸福であった。モオゼだと、良心的に自力に頼るという主義であったから、ひとりでこういう策を思いつくことはなかったであろう。モオゼは、カアデシュの緑地に着いてからまもなく、ミディアンの義兄のもとへ人をやって、エジプトで|艱難《かんなん》に会っていたあいだ義兄の幕舎に頂けておいた妻のツィポラと二人の息子とを送り返してくれるようにと、長兄に頼んでやっておいたのであった。ところが、イェトロは、親切にも、妻や息子たちを手ずからモオゼに渡し、彼を抱擁して、彼の身辺をながめ、これまでの一部始終を彼から聞こうものと、みずからやってきてくれたのである。
イェトロは肥満した族長で、ほがらかな眼差をし、身のこなしはなめらかでそつがなく、世才にたけた男で、進歩して社会的にもよく訓練された民族の長であった。非常に盛大な迎えを受けて、モオゼの幕舎の客になった彼は、自分が仕えている神々のなかの一神、しかも、神々のなかでも形を持たない神が、モオゼやその一族の人々に対して非常に特別な神であることがわかったということや、この神がモオゼたちをエジプト人の手から救い出すことができたということを聞いて、大いに驚いた。「そんなことは考えもしなかったことだ」と彼は言った。「この神は、あきらかに、われわれが想像していたよりも偉大な神である。おまえの話を聞くと、われわれがこれまでこの神の礼拝をあまりにもなげやりにしていたことが懸念される。わたしは心がけて、この神がわれわれのところでももっと尊敬されるようにしよう」
翌日公開の|全燔祭《ぜんはんさい》をおこなおうという取りきめになったが、モオゼはそういう祭典をめったにもよおしたことがなかった。犠牲というものを彼は特別に重んじてはいなかったのである。目に見えない神に対しては、犠牲を捧げるのは重要なことでない。犠牲を捧げることは、われわれ以外の世界の諸民族もおこなうのである。ヤアヴェは「何よりもまず我が声を聞け、すなわち、我が|僕《しもべ》モオゼの声を聞け、然らば我れは汝らの神にして、汝らは我が民たらん」とのたもうのだ、とモオゼは言っていた。しかし、このたびは、ヤアヴェの鼻に燻香を捧げるためにも、また、イェトロの到着を祝うためにも、犠牲の獣を焼いて供える全燔祭があったのである。それからまたつぎの日のすでに朝まだきから、モオゼは義兄を「審判の泉」へ連れていって、義兄を公判に立ち会わせ、モオゼが審理して人々を裁く様子を見させた。人々は朝から晩までモオゼを取り巻いて立ち、とても裁き尽くせるものではなかった。
モオゼといっしょに裁きの場から離れたとき、客は、「弟よ」と言った、「切にお願いするが、おまえは何もこうまで自分を苦しめ悩ますことはないではないか。裁くのはおまえ一人で、皆が朝から晩までおまえを取り巻いて立っている。いったい、おまえはなぜそういうことをするのだ」
「そうせざるを得ないのです」とモオゼは答えた。「人々がわたしのところへやってくるのは、わたしが彼らの一人一人とその隣人とのもめごとを裁いて、彼らに神の正義や掟を示してやるためなのです」
「それにしても、おまえ、ずいぶん不器用なやり方ではないか」とイェトロは言い返した。「いったい、支配とはこういうことなのだろうか、支配者というものは、何もかにも自分一人でするというほど苦労しなければならないものだろうか。おまえは気の毒なほど疲れ果てている。目も見えないくらいになっているし、裁判のために声も嗄れている。それに、人々もおまえに劣らず疲れているのだ。こんなことをやりはじめてはだめだよ、いつまでも一人で何もかにもやれるものではない。いや、そんなことをする必要は全然ないのだ、――わたしの声を聞いてもらいたい。おまえは、神に対して人々の代表になり、人々の全体に関する重大事を神の前に持ち出せば、それでもうまったくじゅうぶんなのだよ。そこで」と、彼はくつろいだ身ぶりを見せながら言った、「おまえのだらしない民衆のなかから実直な人間、すこしでも信望のある人間を探し出して、それを人々の上におくがよい、つまり、千人の上、百人の上、五十人の上、十人の上というふうにおいて、それぞれ配下の人々を、おまえが人々に与えた法律や掟に従って裁くようにするがよい。そして、大事件がある場合だけ、それをおまえのところへ持ってくることにして、小さな事件はすべて彼らが片づけることにする、――小さな事件のことはおまえは何も知る必要がないわけだ。わたしにしても、おまえのように何もかにも知らなくてはならないと考えて、おまえのようなやり方をしようなどと思おうものなら、こんなふうに腹が肥ってくることもなかろうし、おまえを訪ねるために出てくるというわけにもいかなかったろうよ」
「しかし、そういう裁判官たちは|賄賂《わいろ》を取るだろう」とモオゼは憂欝そうに答えた、「そして、神を信じない者を正しいことにするだろう。賄賂は目の見える人々を|盲《めくら》にして、正しい人の訴訟をひっくりかえしてしまうからね」
「それはそうだ」とイェトロは答えた。「わたしもそのことはよくよく知っている。しかし、そういうことは多少はがまんしなければならないものなのだ。とにもかくにも判決がくだされて、秩序が保たれるかぎリ、その秩序が賄賂のためにいくぶんこんがらかるとしても、大したことではない。いいかな、賄賂を取る連中は普通の人間なのだ、しかし、一般の民衆というものも普通人から成り立っている。だからこそ、民衆は普通のことが好きで、団体生活のなかでも普通のことのほうが気持がよいのだ。それに、もし十人をつかさどる裁判官が神を信じない者から賄賂を取ったために、自分の訴訟をひっくりかえされたという人がある場合には、その人は審級の順序を|辿《たど》って、漸次上級の裁判所へ上訴すべきである。その人は、五十人をつかさどる裁判官に訴え、百人をつかさどる裁判官に訴え、ついには千人をつかさどる裁判官に訴えるべきである、――千人をつかさどる裁判官は一番多く賄賂をもらうし、従って、下級の裁判官よりも自由な限界を持っているわけだから、もしその人が途中で退屈しないで押していったならば、千人をつかさどる裁判官のところでかならずその正しさを認められることになるだろう」
イェトロは、見るからに生の重荷が軽く感じられてくるような、滑らかな身ぶりで意見を述べて、発達した砂漠の民の祭司たる実を示した。モオゼは憂欝そうに彼の話に耳を傾けていたが、うなずいた。彼は、孤独な宗教家の他から規定されやすい魂を持っていたので、この世俗的な賢明さに対して、気づかわしげにうなずきながら、それがおそらく正しいことであろうと認めたのである。じっさい、彼はこの器用な義兄の忠告に従った――それはどうにも避けがたいことだったのである。彼は普通の人を裁判官に任命したが、この素人の裁判官たちは大きな泉や多くの小さな泉のほとりで、モオゼから教えられた通りに判決をくだし、日常の事件を判定した(たとえば驢馬が穴に落ちたというような場合である)。そして、大きな事件だけが神の祭司たるモオゼのところへ持ちこまれたが、非常に大きな事件は例の神聖な|籤《くじ》によって決定された。
こうして彼はもはや過度にいろいろな仕事にまきこまれることがなくなり、この不様な民族の身体に対してするつもりでいた形成の仕事を続けるために自由に腕を使えるようになったが、この仕事のために、若い戦術家ヨシュアは、彼の仕事場、すなわち、カアデシュの緑地を戦い取ったのである。疑いもなく、正義ということは神の目に見えないという性格に含まれていることの重要な一例であったが、それにしてもただ一例というにすぎなかった。この無作法な遊牧民族から、普通なことがしっくりして気持のよいことだという、他の民族と同じような民族を形成するばかりでなく、普通の域を抜け出た、他とは区別のある民族、目に見えない神のために形づくられ、その神のために浄められた純粋な形体を形成するということは、いかに驚くべき、長い暇のかかる、憤怒と忍耐とによって成し遂げなければならない仕事であろうか。
十四
血族の人々は、やがて、目に見えない神に対して責任を負い、憤怒しては忍耐するというモオゼのような職人の手中におちいったことの意味に気がついた。そして、敵の溺死に対して喜びの声をいっさい挙げてはならぬというあの不自然な命令は、ほんの端緒にすぎなかったということ――しかも、それは、純粋さや神聖さの領域にすでに深くはいりこんでおり、将来のことを早目に取りあげる端緒なのであって、敵の死を喜ぶなというような要求をまったく自然なものと感ずるところにまで到達するには、それに先立って満たさなければならない多くの前提を持っている端緒だということに気がついた。このだらしのない民衆がどんな様子をしていたか、いかに彼らが血と肉とからなる単なる原料にすぎなくて、どれほど純粋や神聖という根本概念さえ持たなかったか。モオゼがどれほど初歩からはじめて、彼らに最も初歩的なことを教えなければならなかったか。そうしたことは、彼が、まずもって必要な規則を立てて、それによって彼らにあちこちから働きかけ、|鑿《のみ》で彫りくずしはじめたことを見ればわかったのだが――それは彼らの気に入らなかった。無作法な彼らは工匠に加勢しないで反抗するし、彼らを形成するためになされる最も初歩的なことが、彼らには何よりも不自然なことに思われるというわけなのである。
モオゼは刺すような目と扁平にひしゃげた鼻とをもって、ここかしこ、この民家あの民家というように、たえず彼らのあいだに入りこんでいって、幅広い手首についた拳を震わし、彼らの生活を揺すぶり、難癖をつけ、あら探しをし、規則を立てて取締まり、あちこちから非難し、整頓し、清潔にしたが、その際に彼は、神、すなわち、彼らを自分の民にするためにエシプトから導き出したヤアヴェ、自分が神聖であるのと同じように彼らを神聖な人々にしようと望むヤアヴェの目に見えないという性格を試金石にしたのである。さし当たって彼らは賤民以外の何ものでもなかったのだが、それを彼らは、便意を催すと簡単に宿舎内で用を足すということによってすでに暴露していた。それは恥ずべきことであり、いとわしいことである。おまえは宿舎の前の戸外に場所を決めておいて、用が足したいときにはそこへ出て行くようにしなくてはいけない。わたしの言うことがわかったか。そして、小さな|鍬《すき》をそなえておいて、用を足す前にそれで穴を掘り、用を足したあとではその穴を埋めなくてはいけない。それというのも、おまえの主なる神は、おまえの宿舎のなかをお歩きになるからだが、だからこそ、おまえの宿舎は神聖な宿舎でなくてはいけない、つまり、神が鼻をふさいでおまえに顔をそむけることがないように、清潔な宿舎でなくてはいけないのだ。それというのも、神聖は清潔からはじまり、この無作法な点を清潔にすることはいっさいの清潔の大体の発端だからだ。どうだ、アヒマン、それから、妻のナエミ、このことがのみこめたかな。わたしがこのつぎに来るときには、皆が小さな鍬を用意しておくのだ。さもないとおまえたちは死の天使に襲われるぞ。
おまえは清潔にして、健康のためにしばしば清水を浴びなくてはならない。健康でなくては純粋も神聖もないし、病気は不潔なものであるからだ。それなのに、卑賤の振舞いのほうが清潔な習慣よりも健康によいなどと思うなら、おまえは低能で、そんな奴はエジプトの|黄疸《おうだん》や|腫瘍《しゅよう》や|瘰癧《るいれき》にとりつかれるがよい。清潔にしなければ、悪性の黒い吹出物が脹れあがってきて、黒死病の病菌が血から血へと伝染するであろう。清潔と不潔とを区別することを学べ、さもないとおまえは目に見えない神の前に立つ資格がなくて、賤民にすぎないのだ。だから、男にしろ女にしろ、腐蝕する癩病にかかるとか、身体に病気のおりものがするとか、|疥癬《かいせん》や|湿疹《しっしん》のある者は、不潔な者として宿舎内に入れておかず、主なる神がおまえたちを清潔な者にするために隔離したのと同じように、宿舎の外へ出して、不潔な者として隔離しなければならない。そして、こういう者が触れたもの、横たわったもの、乗った鞍などは焼きすてなければならない。そうして隔離されていた者が清潔になったならば、本当に清潔になったかどうかを見るために、七日間待って、水で身体を徹底的に洗ってから戻ってくるがよい。
区別せよ、いいか。そして、神に対して敬虔であれ。さもないとおまえは、わたしが望んでいるような敬虔な者ではあり得ないぞ。わたしの見るところ、おまえは何でもかまわず手当たり次第に食って、そこにいささかの選択も敬虔の念もないが、それはわたしにはぞっとするほどいやなことだ。おまえはあるものは食い、あるものは食わないようにして、誇りと嫌悪の念とを持たなくてはならぬ。動物のなかで蹄が割れていて反|芻《すう》するものは、食ってもよろしい。しかし、反芻して蹄を持っている動物でも、|駱駝《らくだ》のように蹄が割れていないものは、不浄なもので、食ってはならない。だが、よく注意しろ、善良な駱駝は神が創造した生物としては不浄なものではないのだが、食物としてはふさわしくないのだ。それは豚とても同じことで、豚も食ってはならない。豚は蹄が割れているが、反芻しないからだ。だから、区別しろ。水のなかにいて|鰭《ひれ》と|鱗《うろこ》とをそなえているものはすべて食ってよろしい。しかし、鰭も鱗もなくて水中をぬたくりまわっているもの、山椒魚のやからは、やはり神の作りたもうたものだが、食物としては厭うべきものである。鳥のなかでは、|鷲《わし》、蒼鷹、|鶚《みさご》、|禿鷹《はげたか》の類をしりぞけなければならない。それから、いっさいの鳥、駝鳥、|梟《ふくろう》、|郭公《かっこう》、小さい|梟《ふくろう》、白鳥、|鷲耳木菟《わしみみずく》、|蝙蝠《こうもり》、さんかのごい、こうのとり、|蒼鷺《あおさぎ》、みやまかけす、並びに、燕もしりぞけなければならない。やつがしら鳥のことを言い忘れたが、これも避くべきものだ。|鼬鼠《いたち》、鼠、ひきがえる、はりねずみを食う者はだれだ。|蜥蜴《とかげ》、むぐらもち、|無脚蜥蜴《あしなしとかげ》、その他、地面に這って|爬行《はこう》するものを食うほど賤しい奴はだれだ。ところが、おまえたちはそういうことをして魂を醜くしている。こん度また|無脚蜥蜴《あしなしとかげ》を食っている者を見たら、二度とそういうことをしないように、そいつには痛い目を見さしてやるぞ。それというのも、そいつのために死にはしないし、それは有害なことでもないが、しかし、恥ずべきことだからだ。そして、お前たちは恥ずべきことがたくさんあるのだぞ。だから、おまえたちは腐れた肉を食ってはならない。腐肉は有害でもあるのだ。
このように彼は彼らのために食事の規則を作ってやって、彼らの飲食物に制限を設けたが、しかし、規則や制限を設けたのはこのことばかりではなかった。色慾恋愛の事柄にも同じようなことをしたのだが、それというのも、彼らはこの点でもまったくの賤民流儀で大混乱を呈していたからである。姦通して夫婦関係を破ってはならぬぞ、夫婦関係は神聖な垣根だからだ、と彼は彼らに言った。ところで、姦通しないということの意味が本当にわかっているかな。それは、神の神聖さを顧慮した百の制限を意味することで、単に隣人の妻を欲しがってはならぬということを意味するだけではない。隣人の妻を欲するなかれということは最小限のことなのだ。それというのも、おまえは肉体のなかで生きているが、目に見えない神に忠誠を誓った身であるし、夫婦関係というものは、神の見そなわす肉体のなかのいっさいの純潔を総括したものであるからだ。だから、一例を挙げると、おまえは一人の妻をめとった上に、その母親までもめとってはならない。それは無作法なことだ。また決して姉や妹と同衾して、おたがいに隠しどころを見せあってはならぬ。それは近親相姦というものだからだ。伯母や叔母とも決して同衾してはならない。それはおたがいにふさわしくないことなのだ。そういうことは恐れてとび退かなくてはならない。女が病気の場合には、おまえは女を避けて、女の血の源に近づいてはならぬ。だが、眠っているあいだにその身に恥ずかしいことが起こった男は、つぎの晩まで不浄の者として、水で念入りに身を洗わなければならないのだ。
聞くところによると、おまえは自分の娘に肉体を売らせて、その金を娘から取っているというではないか。そんなことはもうするな。もし続けてするようなら、石で撃ち殺させるぞ。おまえは、また、どうして女と寝るようにして稚児と寝るのか。それはけしからぬ|忌《いま》わしいことだ。そんなことをする奴は二人とも死んでしまうがよい。だが、獣を相手にそんなことをする者がいたら、男であろうと女であろうと、徹底的に|殲滅《せんめつ》され、獣もろとも絞殺されてしまうのだぞ。
こういうぐあいにして設けられた制限のすべてに対して、彼らがどれほど当惑したか、思ってもみるがよい。彼らは、まず、もしこうした制限にすべて従うならば、この楽しい人生にはほとんど何も残るものはないという感じを持った。モオゼが|鑿《のみ》をふるって彼らのここかしこを粉砕したので、破片が飛び散ったのだが、これはいかにも文字通りに取ってよいことであった、というのも、彼が制限を犯す最悪の違反には懲罰を加えると言ったのは決して冗談ではなくて、彼の禁令の背後にはヨシュアと死の天使とが控えていたからである。
「わたしは主であり、おまえたちの神なのだ」と、彼は、彼らから本当に神と思われる危険を冒してそう言った、「わたしはおまえたちをエジプトから導き出して、他の民族から隔離したおまえたちの神なのだ。だから、おまえたちも純潔なものを不浄なものから隔離し、他の民族を真似て姦淫することなどなく、|浄《きよ》らかであってもらいたい。それというのも、主であるわたしは浄らかな神で、おまえたちを隔離してわたしのものにしたからである。最も不浄なことは、わたし以外の何かの神を気にかけることだ。わたしは嫉妬深い神だからである。最も不浄なことは、男の像であれ、女の像であれ、牡牛の像であれ、はいたかの像であれ、魚の像であれ、虫の像であれ、何か偶像を作ることだ、というのも、それは、たといその偶像がわたしを現わそうとするものであっても、すでにわたしに背くことで、そういうことをする者は姉妹や家畜と共寝しかねない。そういう所行は偶像を作ることにほど近いことで、偶像を作ることからたちまち生じてくるのだ。用心するがよい。わたしはおまえたちのなかにいて、万事を見ているのだ。エジプトの動物神や死人神を礼拝する者がいたら、その仕返しをするぞ。そういう奴は砂漠へ追いやって、糞尿同然に隔離してやる。同じく、おまえたちがまだ|牛身の火神《モオロッホ》のことを覚えているのはわたしもよく知っているが、この牛身の火神に犠牲をそなえて自分の精力を燃やす者は、邪悪な者であって、わたしはそういう者は虐待するつもりだ。だから、おまえは他の民族の蒙昧なやり方を真似て、息子や娘に火のなかを通り抜けさせてはならない。また、鳥の飛び方や鳴き声にいろいろな意味をつけたり、易者や吉凶を見て日を選ぶ者や星その他の現象を占う者などとこそこそ相談したり、死人にものを尋ねたり、わたしの名を使って魔術をおこなったりしてはならぬ。もしだれか悪者が魔法をおこなって、その|証《あかし》にわたしの名を口に出すならば、それはわたしの名を最も役に立たないことに使う者で、そんな奴は食い殺してしまう。しかし、|刺青《いれずみ》をしたり、眉毛を剃ったり、死者を悼むために顔を傷つけたりすることも、すでに魔術であり忌わしいことなのだ、――わたしはそういうことも許しはしないぞ」
彼らの当惑はどんなに大きかったことであろう。彼らは死者を悼むための切傷をつけることもならず、ちょっとばかり|文身《いれずみ》をすることもならなかった。彼らは、神の目に見えないという性格がどれほど大したことであるかということに気がついたのである。ヤアヴェと同盟しているということは、大きな制限を意味することであった。しかし、モオゼの禁令の背後には死の天使が控えていたし、彼らにしても砂漠へ追いやられたくはなかったので、モオゼが禁止したことは、まもなく、彼らには恐ろしく思われるようになった、――最初はただ刑罰と関連して恐ろしく思われたのであるが、しかし、刑罰はかならず事柄自体に悪の極印を押したのであるから、悪をおこなう場合には、もはや刑罰のことを考えなくても、気持が恐くなるのであった。
心の動きを抑制しろ、と彼は彼らに言った。欲しいと思って、他人の所有物に目を注いではならぬ。それはとかく、卑怯にもこっそりと盗むか、野蛮にも他人を殺すかして、その所有物を奪わせることになるからだ。ヤアヴェもわたしも、おまえたちが卑怯であったり野蛮であったりすることを望まない。おまえたちは卑怯と野蛮との中間、すなわち、端正でなければならないのだ。これだけのことは呑み込めたか。盗むのは人目を忍ぶ卑劣なことだが、人殺しは、憤怒からにしろ貪慾からにしろ、または、貪慾の憤怒からにしろ、憤怒する貪慾からにしろ、炎々と燃える凶行である。この凶行をなす者にはわたしの顔を突きつけて、どこに隠れたらよいかわからないようにしてやるぞ。それは彼が血を流したからだが、血は神聖な畏怖すべきものであり、大いなる神秘であって、わたしのためには祭壇の供物、|贖罪《しょくざい》のしるしなのだ。おまえたちは血を飲んではならないし、血にひたった肉を食ってはならぬ。血はわたしのものだからだ。それなのに人間の血にまみれた者があるなら、そういう奴の心は寒々とした恐怖に悩むべきで、わたしは彼を追いはらい、彼が自分自身から逃げるために世界の果てまでも走っていかなければならないようにしてやる。おまえたちはこれを承諾して、アーメンと言え。
そこで彼らはアーメンと言ったが、まだ、殺人とはつまり人を殺すことだけを意味するものと思いこんでいたのであって、人を殺したいなどいう気のある者はそう多くはいなかったし、いたとしても、ときたまそういう気になるにすぎなかったのである。ところが、ヤアヴェはこの殺人という言葉にも姦通という言葉と同じように広い意味を持たせて、殺人という言葉にあらゆる意味を含ませているために、人殺しということはほんの端緒にすぎない、ということがわかってきた。すなわち、虚偽や瞞着によって他人に損害を与えることは、ほとんどすべての者がしたい気を持っていることであったのだが、そういうことがすべてすでに他人の血を流すことになる、ということがわかってきたのである。彼らはたがいに瞞着し合ったり、偽りの証人になって他人に不利なことを申し立てたりしてはならなかったし、正しい物差、正しい|秤《はかり》、正しい|桝《ます》を用いなければならなかった。これは、彼らにとってはきわめて不自然なことであった。そして、こういう命令や禁令を自然なことらしく思わせたものは、さしあたりのところ、刑罰に対する自然な恐怖にすぎなかったのである。
モオゼは、父母を敬えと要求したが、これにも、最初すぐに想像されたよりも広い意味があった。生みの親に対して手をあげて、親を呪う者がいたら、――そうだ、そんな奴は痛い目を見さしてやる、とモオゼは言った。ところが、この尊敬は、自分の親になればなり得たような人々にも及ぼすべきものだったのである。白髪の年寄りの前では直立して、腕を十字に組み、おまえの愚かな頭をさげなければならぬのだぞ、わかったか。それは神が礼儀作法として望まれることなのだ。――こうなると、ただ一つの慰めは、隣人も自分を撃ち殺してはならないのだから、自分にも年を取って白髪になる見込みがあるわけで、そうなれば他の人々が自分の前で直立しなければならなくなるのだ、ということであった。
しかし、結局、老人というのは、一般に古いもの、昨日今日出来たものではなくて、はるか昔に由来するいっさいのもの、すなわち、敬虔に伝えられてきた古来のもの、祖先伝来の習慣の譬喩であることがあきらかになった。祖先の習慣はこれを尊敬して神のようにあがめなければならなかったのである。だから、おまえはわたしの祭日、すなわち、わたしがおまえをエジプトから導き出した日、パン種を入れなかったパンの日と、わたしが創造をやめて休息した日とを常に神聖なものとしてあがめなければならない。わたしの日である安息日をおまえは労働の汗で不浄にしてはならない、それは禁ずるぞ。それというのも、おまえが奴隷として牛馬のように使役されていたエジプトという主家から、わたしは力強い手のついた腕を伸ばして、おまえを導き出したからで、わたしの日はおまえの解放の日たるべきものであり、おまえはわが身の解放を祝うべきである。六日のあいだは、おまえは、農夫としてなり、鋤作りまたは壺作りとしてなり、銅細工師または指物師としてなり仕事をすべきだが、わたしの日には式服を着て、もっぱら人間たるべきであり、おまえの目を目に見えない神に注がなくてはならぬのだ。
おまえはエジプトにおいては虐待される奴隷であった――だから、おまえは、おまえたちのなかにいる異邦人、たとえば、神がおまえたちの手中に与えたもうたアマレクの人々を遇するのにこのことを忘れないで、彼らを虐待しないようにしろ。彼らを自分と同様に見て、同等の権利を与えよ、さもないとわたしは干渉するぞ。それというのは、彼らもヤアヴェに保護されている者たちだからだ。自分と他人とのあいだにむこう見ずな差別をつけて、自分だけが実在しているのであって、すべては自分の心次第だが、他人は仮象たるにすぎないなどと考えるようなことをしては決してならぬ。おまえたちは生命を共有しているのであって、おまえが彼でないのは偶然のことにすぎない。だから、自分だけを愛さないで、彼をも同じように愛し、彼とおまえとが立場を変えた場合におまえが彼から遇してもらいたいと願う通りに彼を遇するがよい。おたがいに愛想よくして、行き交うときには指先に接吻し、礼儀正しく頭をさげて、「ご無事におすこやかで」と挨拶せよ。他人がすこやかであることは、おまえがすこやかであるのと同様に大切なことだからである。そして、こういうふうにして指先に接吻することは、外面的な礼儀作法にすぎないとしても、こういう振舞は結局、隣人に対しておまえたちの心のなかになければならないものの若干をおまえたちの心に注ぎこむことになるのだ。――だから、こういうことをすべて承諾してアーメンと言え。
そこで彼らはアーメンと言った。
しかし、アーメンと言っただけではあまり役に立たなかったのである、――彼らがアーメンと言ったのは、ただ、彼が彼らを首尾よくエジプトから導き出し、ファラオの戦車を沈没させ、カアデシュ争奪戦に勝った男だったからにすぎなかった。そして、彼が彼らに教え、彼らに課したもの、命令や禁令などのいろいろな制限が、どうにかこうにか、または、見かけだけでも彼らの血肉にはいりこむまでには、長いあいだかかったのである。彼があえて試みたこと、すなわち、このだらしのない民衆から主のために神聖な民族を作り出すこと、目に見えない神の前に立つ資格のある純粋な形体を作り出すことは、大事業ともいうべき仕事であった。彼は、仕事場になったカアデシュで、間隔の広い両の目を四方八方に配りながら、額に汗してこの仕事に従った、――粘り強い忍耐を見せながら、寛大さを繰り返し、しばしば許してやり、また、憤怒を燃やしたり、仮借なく罰したりしながら、この不承不承な丸太同様の愚物を彫刻し、砕き、形づくり、滑かにしていったのだが、しかし、仕事の対象であるこの肉体が非常に反抗的で、忘れっぽくて、命令や禁令を繰り返して犯すものだということがわかるたびに、つまり、人々がまたしても小さな鋤で穴を掘ることを怠ったり、無脚蜥蜴を食ったり、姉妹やまた獣とも交合したり、刺青をしたり、易者と相談したり、こっそりと盗みをしたり、打ち殺しあったりするたびに、しばしば絶望しかかったのである。そういうときには彼は彼らに向って、「ああ、おまえたちは賤しい奴らだ。おまえたちはいずれ、突然、主に襲われて、皆殺しにされてしまうぞ」と言うのであった。しかし、主そのものに対しては彼はこう言うのであった、「この肉体をどうすればいいのでしょうか。なぜわたしからお恵みを取りあげて、背負いきれぬ重荷を背負わせなさるのですか。あなたのためにこの肉体から純粋な形体を作り出すよりは、むしろ、七年ものあいだ水でも鋤でも手入れしなかった家畜小屋を掃除したり、密林を素手で切り開いて肥沃な土地にするほうがましです。どういうわけでわたしは、まるでわたしが生んだとでもいうように、この民族を腕に抱かなければならないのでしょうか。わたしとこの民族とは、父方の関係で半分だけ血がつながっているのにすぎません。そういうわけですから、どうか、この課題を免じて、わたしに自分の生活を楽しませてくださるようお願いします。さもなければ、むしろ、わたしを締め殺してください」
しかし、神がモオゼ自身の心の奥から非常にはっきりとした声で答えたので、モオゼはそれを耳に聞いて、ひれ伏した。
「地中に埋められた父との関係で彼らと半分だけ血続きになっているからこそ、汝は、わがために彼らを細工して、神聖な民族に仕立てる適任者なのだ。それというのも、もし汝がまこと彼らの一人であって彼らのただ中にいるのであれば、汝には彼らが見えないし、彼らに手を加えることもできまいからである。かつまた、汝がわれに対して泣きごとを並べ、この仕事から放免してもらいたいと頼むのは、すべて気取りにすぎぬ。それというのも、汝は、彼らに対する仕事がすでにうまく運んでいることをよく知っているからであるし、悪事をおこなえば気持が悪くなるというほどの良心をすでに彼らのために作ってやっているからである。だから、われに対して、汝は、おのが苦悩にきわめて大なる喜びを持っていないというが如きふりをするな。汝の喜びはわが喜び、神の喜びなるぞ。その喜びなくしては、生きることは汝にとって、マナが民衆にとってしかありし如く、数日後には、早くも嘔吐を催させるものになるであろう。いうまでもなく、われが汝を締め殺す場合にのみ、汝はこの喜びを失うわけである」
苦しみ悩むモオゼはヤアヴェのいうことを理解して、ひれ伏したまま頭でうなずき、ふたたびその苦悩に立ち向うのであった。だが、彼は民族の形成者としてだけ苦しみ悩んだ人間ではなかったのであって、苦悩や心痛は彼の家庭生活にもはいりこんできたのである。すなわち、家庭内でも彼のせいで|忿懣《ふんまん》や嫉妬や口論があり、彼の小屋には風波が絶えなかった、――その責任は彼にあった、と言えば言えよう、というのも、彼の情慾が不都合の原因だったからである、――仕事のために興奮した彼の情慾は、黒人の女、あのだれでも知っている黒人の女に執着したのであった。
周知のように、彼は当時、最初の妻で子供たちの母であるツィポラとのほかに、ある黒人の女と同棲していたのだが、――この黒人女はクシュの国の生まれで、すでに子供のときからエジプトに来ており、この血族にまじってゴオゼンで生活していて、移住に参加したのであった。疑いもなく彼女はすでに多勢の男を知っていたのだが、それにもかかわらずモオゼは彼女を同衾の相手にしたのである。乳房は山のように盛りあがり、目はくるくるとよく動き、唇は、それへの接吻に耽ることが冒険ともいうべきほどによく膨らみ、肌には香しい匂の満ちた彼女は、まことに見る目もはなやかな女であった。モオゼは心身の緊張を|弛《ゆる》めるためにはなはだしくこの女に執着し、家内じゅうの反対を忍ばなければならなかったにもかかわらず、彼女から離れることができなかった。反対というのは、ミディアン生まれの妻やその息子たちからばかりでなく、とくに、乳きょうだいのミルヤムやアーロンからも出たのである。それというのも、兄イェトロの|角《かど》立たない俗心を多分にそなえていたツィポラは、まだ何とか競争相手の女と折合ってゆけたのだが、それは、とくに、競争相手の女がツィポラに対する女性としての勝利を隠し、ツィポラに対して非常にへりくだった態度に出たからである。ツィポラはこの黒人女を取り扱うのに憎悪よりはむしろ軽蔑をもってし、この問題についてはモオゼに対しても、嫉妬のおもむくままにまかせるというよりは、むしろ、皮肉な態度を取ったのであった。息子たち、すなわち、ヨシュアの武装隊に属していたゲルゾムとエリエツェルとは、規律というものを理解する心を多分に持っていたので、父に対して反抗的な態度に出るというようなことはなく、ただ、彼らが父のことで腹を立てて恥ずかしがっている様子だけが、それとわかるくらいのものであった。
女予言者のミルヤムともったいぶったアーロンとの場合は、事情がまったく別であった。モオゼと同衾する黒人女に対する彼らの憎悪は、他の人々のそれよりももっと毒を含んだものであったが、なぜかと言うと、彼らの憎悪は多少とも、もっと深い一般的な嫉妬のはけ口だったからで、その嫉妬がモオゼに対抗して彼らを団結させたのである。すなわち、すでにかなり前から、彼らは、モオゼと神との親密な関係や、モオゼが宗教上の師であることや、モオゼだけが選ばれて仕事をしていることなどを嫉妬しはじめていたのであって、そういうことは大部分がモオゼの妄想だと思ったのである。それと言うのも、彼らは自分たちもモオゼと同様に立派である、いや、モオゼよりも優れていると考えたからで、おたがいにこう言い合ったものであった、「いったい、主はモオゼを通してだけ語りたもうのだろうか。われわれを通しても語りたもうのではあるまいか。このモオゼという男は、何者なればこそ、こうもわれわれを眼下に見くだすようになったのだろう」――こういうことが根柢に横たわっているために、彼らはモオゼと黒人女との関係を邪魔したのであった。そして、彼らが乳きょうだいのモオゼに向って、がみがみ言いながら、夜間の愛慾のことで非難を加えて悩ますときには、いつも、そういう非難は、それに引続く|弾劾《だんがい》の出発点になるにすぎず、まもなく彼らはそういう非難から離れて、モオゼが偉大なために自分たちは不当な目に会っているという問題へ移ってゆくのであった。
こういうわけで、とある日没時のこと、二人は彼の小屋へ行って、いつものように彼を苦しめていた。黒人女にちやほやして下へもおかぬもてなしようだが、あの黒い乳房にかかりきりではないか。何という醜聞だろう。最初の妻ツィポラを侮辱することもはなはだしい。また、自分自身が世のもの笑いになることではないか。神の第一人者で、地上におけるヤアヴェの唯一の代弁者たることを要求しているくせに……。
「要求しているだと」とモオゼは言った。「わたしは、神がわたしにあれと命じたもうたものであるのだ。おまえたちは、わたしが黒人女を愛し、彼女の乳房にすがって緊張を|弛《ゆる》めることを好まないが、それは醜いことだぞ、本当に醜いことだぞ。それというのも、これは神に対する罪ではないし、神がわたしに暗示されたいっさいの禁令のなかに、黒人女と寝てはならぬという禁令はないからだ。よくわからぬが、そうだろうと思う」
これはしたり、と彼らは言った。おまえは禁令を自分の好みで選んでいるが、まもなく、黒人女と寝ることは神の命令にほかならぬなどと言い出すだろう、というのも、おまえは自分がヤアヴェの唯一の代弁者だと思っているからだ。それに、われわれ、ミルヤムとアーロンとは、レヴィの子孫たるアムラムの本当の子であるのに、おまえは結局のところ葦のなかから拾われた子にすぎないのだから、すこしは謙遜すべきなのだ、というのも、おまえがこのように皆の憤慨を無視して、黒人女に執着しているのは、ただもうおまえの高慢やうぬぼれのあらわれにほかならないからだ。
「神に使命を授けられることは、授けられる者の|咎《とが》ではあるまい」と彼は言った。「また、燃えている|荊棘《いばら》の|藪《やぶ》にたまたま行き当たるのも、行き当たる者の咎ではあるまい。ミルヤム、わたしはいつもおまえの予言の才能を尊重してきたし、おまえが上手に太鼓を打ち鳴らせるということも否定したためしはないのだ――」
「それでは、おまえはなぜわたしの讃歌『馬も人も』を禁止したのですか」と彼女は尋ねた、「そして、なぜ、神がその天使の群れにエジプト人の溺死を見て歓呼することを叱ったなどと称して、わたしが女たちの輪舞のなかで太鼓を打ち鳴らしてやるのを厳禁したのですか。あれは非道な仕打ちでした」
「それから、おまえ、アーロン」と、攻めたてられたモオゼは言いつづけた、「わたしはおまえを聖会堂の高僧に任じ、|櫃《ひつ》やエフォートや青銅の蛇を委ねて管理させることにした。それほどわたしはおまえを高く買っているのだ」
「それはおまえが為し得た最もわずかなことにすぎない」とアーロンは答えた、「それというのも、おまえは口下手なのだから、もしわたしの雄弁がなかったら、決して人々をヤアヴェの味方にすることもなかったろうし、また、人々を動かして移住させることもできなかったであろうからだ。ところが、おまえはわれわれをエジプトから導き出した男と称している。もしおまえがわれわれを高く買っていて、高慢にもわれわれ本当のきょうだいを眼下に見くだしているのでないと言うのなら、なぜ、おまえはわれわれの言うことを聞かないで、黒人女との情事によって民族全体を危くするという警告を頑として受けつけないのだ。それというのも、この情事は、おまえのミディアン生まれの妻ツィポラにとっては胆汁のように苦い飲物で、そのためにおまえはミディアン全土を侮辱することになり、その結果、おまえの義兄のイェトロがわれわれに戦争を仕掛けてこないともかぎらないからだが、すべてはおまえの黒人女に対する不吉な気まぐれのおかげなのだ」
「イェトロは」と、モオゼは大いに自制しながら言った、「角立たない世慣れた立派な人だから、ツィポラ――彼女の名に敬意をはらう――がわたしのような大きな苦悩を持ち重い使命を帯びている男に、もはや必要な緊張の弛みを与え得ないことをよくわかってくれるだろう。ツィポラに引きかえて、あの黒人女の肌はわたしの鼻には肉桂や|丁子《ちょうじ》油のように思われる。わたしの感官は挙げて彼女に執着するのだ、だから、親しい友であるおまえたちにお願いする、どうか彼女をわたしに与えておいてくれ」
しかし、彼らはそれを承知しなかった。彼らはがみがみ言いながら、彼は黒人女と別れて彼女を彼の寝床からしりぞけるばかりでなく、水も与えずに砂漠へ追放すべきだと要求した。
そこでモオゼは青筋を太く膨らまし、両の拳を股のところではげしく震え動かしはじめた。しかし、彼が何か返事をしようとしてまだ口を開け得ないでいるうちに、まったく別な震動が起こった、――ヤアヴェが干渉して、アーロンとミルヤムという冷酷なきょうだいに神の顔を突きつけ、神の僕たるモオゼのことを引受けたので、きょうだいはその光景を決して忘れることができなかった。恐ろしい未曾有のことが起こったのであった。
十五
大地の基が震動したのである。地面が彼らの足の下で揺れ動いて、縦に揺れ、横に揺れしたので、彼らは足で立っていることができずに、三人とも皆小屋のなかをあちこちよろめいたのであるが、小屋の柱は巨人の拳にかかったように揺り動かされた。ところで、大地は一つの方向にだけぐらついたのではなく、まったく複雑な、目まいがするようなやり方で、あらゆる方向に向って同時にぐらついたので、それは身の毛もよだつ恐ろしいことであった。そして、それと同時に地下からは咆哮するような轟々たる音、上空や戸外からは非常に音の強い|喇叭《らっぱ》から出るような響きが起こり、さらに、その他の鳴動や雷のような音やぱちぱちという音が加わった。まさに怒りを爆発させようとしていたときに、主なる神がこちらの口から怒りの言葉を取って、――こちらが爆発させ得たであろうよりもはるかに力強く――みずから爆発させ、こちらは両の拳を震え動かすくらいのことしかできなかったであろうのに、世界を揺り動かすということは、まことに稀有のことで、妙に恥ずかしい思いのされることである。
モオゼは三人のなかでも恐怖に色を失うことが最もすくなかった。いつも神の出現を待っていたからである。しかし、恐怖に色を失ったアーロンやミルヤムとともに彼は戸外へ飛び出した。そこで彼らは、大地がその口を開いているのを見た、そして、小屋の直ぐ前に大きな割れ目が開いていて、それはあきらかにミルヤムとアーロンとを呑み込むために出来たものであったのだが、間一髪のところで彼らを捉えそこなったのであり、もしそうでなかったら、大地は彼ら二人を呑み込んだことであったろう。また、彼らは見た。砂漠のかなた、東のほうにある山、ホレプもしくはシナイが、――いや、ホレプもしくはシナイの山には、いったい、何ということがもちあがっていたのであろう。山はすっかり煙と焔とに包まれて、灼熱した岩塊を、たえまもなく轟く速い爆音とともに天空へ投げあげ、火の川が山の側面を流れ落ちていた。山が吐き出す|濛《もう》々たる煙は、|閃光《せんこう》をまじえながら、砂漠の空の星を暗くし、緩慢な灰の雨がカアデシュの緑地に降りはじめた。
アーロンとミルヤムとはその場にひれ伏した。さきには、彼らを落とすために出来た大地の割れ目が彼らを大いに恐怖せしめ、いまは、山に現われたヤアヴェの啓示が、彼らのこれまでの行き過ぎと愚かな失言とを教えさとしたからである。アーロンは叫んだ。
「ああ、わが主よ、この女、わたしの妹は、醜い|譫言《うわごと》を申しました。しかし、なにとぞわたしのとりなしをお聞き入れくださいまして、彼女が主に選ばれたモオゼに対して犯した罪を永久に彼女の上にとどまらせることはなさらぬようにお願いします」
そして、ミルヤムもモオゼに向って叫びながらこう言った。
「主よ、わたしの兄アーロンが喋ったよりも愚かなことを言い得る者はございません。けれども、彼を許して、その罪が永久に彼の上にとどまることのないようにし、彼が黒人女のことでああもだらしなくあなたをからかったために、神が彼を呑み込んでしまうことなどないようにしてください」
モオゼとしては、このヤアヴェの示威が本当にアーロン及びミルヤムのきょうだいと彼らの無慈悲とに向けられたものなのか、それとも、たまたま、ヤアヴェがこの民族のことや形成の仕事について彼と語るために、ちょうどこのとき彼を呼び招いただけのことなのか、そのどちらとも完全に決めることはできなかった、――というのも、彼はいつもこういう神の招きを期待していたからである。しかし、彼はきようだいの思うがままにまかせておいて、こう答えた。
「おまえたちにもわかったろう。しかし、アムラムの子たちよ、勇気を出すがよい、わたしは、かなたの山の上からわたしを呼び招いている神のところへ行って、おまえたちのことをとりなしてやるつもりだ。それというのも、わたしは、おまえたちのきょうだいたるわたしが黒人女との情事のために衰弱しているかどうか、それとも、心のなかに、だれにも劣らないほどの神の勇気を宿しているかどうか、いま、おまえたちにもこの民族全体にも見てもらおうと思うからなのだ。あの火を吐く山へわたしは登ってゆく。ただの一人で神のもとへ登っていって、人々から遠く離れてではあるが、人々の問題について、神の思召を伺い、恐ろしい神に対して恐れることなく、親しい対等の立場で話をしようと思う。それというのも、わたしはもう久しい前から知っているのだが、神は、神聖な神に対して神聖なものたらしめるために、わたしが人々に教えたすべてのことを、簡明な文章、永遠に伝わる簡潔な文章にして、わたしがそれを持って神の山からおまえたちのところへ降りてゆき、それをこの民族があの|櫃《ひつ》やエフォートや青銅の蛇とともに聖会堂に安置しておけるようになることを望みたもうのだ。おまえたちよ、さらば。わたしはあるいは神の激動のなかで、山の火のなかで、身を滅ぼすことになるかもしれない、――そういうことにならぬともかぎらないから、わたしはその覚悟をしなければならない。しかし、もし戻ってくるとすれば、わたしは、神の雷鳴のなかからおまえたちのところへ、永遠に伝わる簡潔な文章、すなわち、神の掟を携えて降りてくるのだ」
じっさい、これは彼の確乎とした意図であった、生死を賭して彼はそう決意していたのであった。それというのも、この強情で、あやまちを繰り返しがちな、だらしのない民衆を神の礼儀作法に封じ込めて、命令を恐れさせるためには、彼だけが唯一人でヤアヴェを恐れながらあえて火を吐く山へ登ってゆき、そこから彼らのもとへ、神の口授する命令を携えて降りてくるより以上に効果のある方法は何もなかったからである、――こうすれば彼らは命令を守るであろう、と彼は考えたのであった。そこで、こうしたさまざまな|徴《しるし》のため、また、なおも一、二度前よりは軽く繰り返された大地に割れ目の立つ動揺のために膝をがくがく震わしながら、人々があらゆる方向から彼の小屋へ走ってきたとき、彼は彼らの下品な震え方を叱責して、上品な落ち着いた態度を取れと言った。神がおまえたちのためにわたしを呼んでおられる、と彼は言った。わたしはヤアヴェのもとへ、山の上へ登っていって、神の思召があれば、おまえたちのために何かを携えてきてやろうと思う。おまえたちは家へ帰って、一人残らず出立の準備をしてもらいたい。身を清めて、衣服を洗い、女を遠ざけるのだ。それというのも、明日、おまえたちはカアデシュから砂漠へ出てあの山の近くへ行くことになるからだが、あの山のさし向いに幕舎を張って、わたしが神との恐ろしい会合からおそらくは何かを携えておまえたちのところへ戻ってくるまで、わたしをそこで待っていてもらうことにする。
そこで、モオゼが言ったこと、または、それに似たことがおこなわれた。というのも、モオゼは、いつもの流儀で、衣服を洗ったり女に近づかなかったりするということだけしか考えていなかったからである。しかし、戦術に長じた若者ヨシュア・ビン・ヌンは、そのほかにこういう民族全体の遠出に必要なもののことを考え、その武装隊とともに、必要ないっさいのもの、砂漠のなかで暮らす数千人のために携行すべき水や食料の用意をした。そればかりか、彼は、カアデシュと山に向い合った幕舎とのあいだの連絡のことにも気を配ったのである。彼はその副将カアレプに警察部隊を指揮させて、カアデシュにとどまらしめ、この遠出に参加できない者または参加を欲しない者たちのもとにおいた。その他の人々は、三日後に万端の用意が整ったとき、車を押し屠畜を引いて、例の山に向って出発し、一日半行程の旅をしたが、そこでヨシュアは、濛々と煙を吐いているヤアヴェの御座所から適当に離れたところに柵でかこんだ|囲地《かこいち》を設けて、何者たりとも山へ登ってはならぬし、また、山の麓に近づくことすらしてはならぬと、モオゼの名において厳禁してこう言った。神のすぐそばまで行くことは、師モオゼだけがしてよいことである。それに、神に近づきすぎることは生命の危険を伴うのだ。山に触れる者は、石で撃ち殺すか矢で射殺すことにするぞ。彼らはあっさりとヨシュアの命令に従った。それと言うのも、賤民たる彼らには、神のすぐそばまで行きたいという気など全然なかったからであるし、また、平凡な人間にとっては、ヤアヴェが電光の疾過する密雲に包まれて山上に立っている昼間も、この雲が山頂全体とともに燃えるように輝く夜間も、問題の山はすこしも誘い招くようには見えなかったからである。
ヨシュアは彼の主たるモオゼの神勇を非常に誇らしく思った。モオゼは早くも最初の日に、人々全部が見ている前を、ただ一人、徒歩で、旅杖にすがり、土製の壜と、数個の小麦パンと、石割槌、|鑿《のみ》、|箆《へら》、彫刻刀などという若干の道具とを携えて、山に向って出発していたのである。若者ヨシュアはモオゼを非常に誇りとし、こういう神聖な大胆さが大衆に強い印象を与えずにはおかなかったことを喜んだ。しかし、また、彼は尊敬するモオゼの身を憂慮して、あまり直接にヤアヴェに近づきすぎないように、また、山腹を流れ落ちる熱い熔岩に気をつけるようにと、大いに頼みこんでおいた。とにかく、わたしはかならずときどき山上にあなたをお訪ねして、あなたの身に間違いのないように注意し、師たるあなたが神の荒地でぜひとも必要なものに事欠かないようにいたします、と彼は言っておいたのである。
十六
そこでモオゼは、|竈《かまど》のように煙を出してときどき火を吐く神の山に、間隔の広い目を注ぎながら、杖にすがって砂漠を横断した。その山は独特な形になっていた、すなわち、その周囲を取巻く割れ目や不規則なくびれは、山を数段の階層に分かつように見えて、登り道に似ていたが、しかし、登り道などというものではなくて、黄色い後壁のついた段階にすぎなかったのである。神に呼ばれたモオゼは、三日目には前面の丘陵を越えて、目ざす山の荒れ果てた麓に辿りつき、そこから、片手に握りしめた旅杖を足の前へ突きおろし突きおろしして登りはじめた。そして、道というようなものは何もないところを、熔岩に焼かれてまっ黒になった藪をくぐり抜けて、何時間も一歩一歩と辿りながら、ますます高く、人間の身で進み得るかぎりは神の近くへ登っていった、というのも、熱した金属から出る硫黄のような臭の蒸気があたりの空気に充満していて、それが次第に彼の呼吸を奪い、咳が出るようになったからである。それでも彼は山頂の下の一番高いくびれが台地になっているところまで辿りついたのであって、そこからは、両側につらなる荒涼とした不毛の山脈を遠望し、砂漠のかなたはカアデシュのあたりまでを見はるかすことができた。また、イスラエルの民がいる|囲地《かこいち》も近くの谷底に小さく際立って見えた。
咳にむせびつづけていたモオゼは、この絶壁のなかに、突き出た岩を屋根にした洞穴を見つけたが、その岩屋根は投げ出される岩塊や流れ落ちる熔岩から彼の身を護ってくれることのできるものであったので、彼はそこに住むことにして、ちょっと一休みしたのち、神に命じられた仕事に取りかかる準備をした。そして、この仕事は、こういう難儀な状況のもとに――というのも、金属から出る蒸気がたえず彼の胸に重苦しくのしかかり、水にさえ硫黄の味を帯びさせたからだが――彼をたっぷり四十日四十夜だけこの山上に縛りつけておくことになるものであった。
だが、なぜそう長くかかったのか。愚問というものである。モオゼは、永遠に伝わる簡潔な文章、簡明で拘束力のある文章、神の圧縮した道徳律を確立して、神の山の石に彫りつけ、それを、地中に埋められた父の血族である動揺しがちな賤民のために、彼らが待っている囲地へ持って降りて行き、この人倫の精髄が彼らの心や血肉にも刻みこまれて、代々犯されることなく、彼らのあいだで守られてゆくようにしなければならなかったのだ。神はモオゼの胸から大きな声を出して、山から二枚の石板を切り取って神の口授を書き入れよ、一方の石板に五つの文章、他方の石板に五つの文章、全体で十の文章を書き入れよ、とモオゼに命じた。石板を作って、表面を平滑にし、永遠に伝わる簡潔な文章を記載するのにいくらかでもふさわしいものにすることは、わけもなくできる仕事ではなかった。それは、この孤独な男にとって、たとえ彼が石工の娘の乳を飲んだ幅広い手首の持主であるにしても、多くの失敗を重ねなければならなかった仕事で、これだけでも四十日の四分の一を要求したのである。また、石板を彫りつける字体も問題で、それを解決するためには、モオゼが山上にとどまった日数は苦もなく四十日以上になりかねなかったことであろう。
それというのも、彼はどういう字で書けばよかったのであろうか。テエベンの寄宿学校で、彼は、エジプトの装飾的な象形文字やそのくずし字、また、世界の諸王が粘土板に書いて意見を交換し合った、ユウフラテス河地方で用いられる、三角形が押し合ったような形の楔形神聖文字を習得していた。それに加えて三番目に、ミディアン人のところで、目や十字形や甲虫や曲線やいろいろな形の蛇行線からなる魔術のような意味表現法を知ったのである。それは、砂漠の住民がエジプトの象形文字を無器用に見真似たもので、シナイ地方で用いられていたが、その符号は完全な言葉になって物の観念をあらわしているというのではなく、そういうものの部分にすぎず、総合して読まなければならない未決定な綴りの符号なのであった。思想を固定するこの三つの方法は、いずれも彼には適当と思われなかった、――その理由は簡単で、これらの方法はいずれも、方法が意味を語る言語に結びつけられていたからであるし、また、モオゼが、神の口授する十の文章をバビロニア語なり、エジプト語なり、または、シナイ地方を流浪するアラビア人のわけのわからぬ言葉なりで石に刻むことなど、とてもできる相談ではないということを完全に承知していたからである。これは、ひたすら、父の血族の言語、すなわち、父の血族が話していて、彼が彼らに道徳的な細工をほどこす際に使っている方言でだけ為すことができるし、為してよいことであった、――彼らがそれを読みとれるかどうかは別問題である。しかし、どうして彼らにそれが読みとれたことであろう。それを書くことがまずまったくの不可能事で、彼らの話の意味を表現する方法など全然ないという事情だったのである。
モオゼは、こういう意味を表現する方法を得たいものだと熱烈に願った、――すなわち、彼らがすぐに、本当にすぐに読みとれるようになれる表現法、つまり、彼らのような子供にも数日で習得できるような表現法、従ってまた、神の近くにいるおかげで数日のうちに考察し発明できるような表現法を得たいものだと、熱烈に願った。文字というものがなかったために、ぜひともそれを考案し発明しなければならなかったからである。
何という緊急な急迫した任務であろうか。彼はこの任務を事前に吟味してみるということを全然しなかった。ただ「書くこと」だけを考えて、文字がないのにいきなり書くわけには全然いかないという点を考慮に入れなかったのである。彼の頭はそのために|竈《かまど》のように、また、この山の頂もさながらに灼熱して煙を吐いたが、熱烈な民族的希望に鼓舞激励されていたのである。彼は熱望する努力や簡単な啓発によって頭が光を発し、額から角が出てくるような気がした。彼は、この血族が使っているすべての言葉の記号、または、これらの言葉を組み立てるすべての綴りの記号を発明することはできなかった。山の下の囲地のなかにいる人々の|語彙《ごい》はわずかなものではあったが、そのための符号は、限られた山上の日数で作るにしては数が多すぎるし、また、何よりも、その読み方を急いで覚えようとするには数が多すぎる、と思われたのである。そこで彼は別の方法を取った、そして、その神来の妙案を誇らしく思うあまりに彼の額から角が突き出た。彼は、唇や舌や口蓋や喉によって作られる言葉の音を集め、そのなかから少数の空虚に響く音を区別したが、それらの空音は、他の音に取りかこまれて、交互に言葉のなかに現われ、他の音によってはじめて言葉にされるものであった。それに、空音を取りかこむ雑音のような音の数も過度に多くはなくて、二十あるかないかくらいであった。そして、これらの音に記号を与え、その記号が、協定通りに、息を吐く音、ふうという音、もぐもぐいう音、がたがたいう音、はじける音、舌鼓を打つ音などを出すことを要求するならば、それらの音からおのずと出てくる基礎音は使わずに、これらの記号を組み合わせて言葉を作り、事物の象徴にすることができたのである、――これは、父の血族の言語においてのみならず、あらゆる言語においても、すべての任意の言葉、存在するあらゆる言葉に組み合わせることのできるものであった、――さらに、この記号を使えばエジプト語やバビロニア語も書くことができたであろう。
これは神来の妙案であった。角をはやした着想であった。この着想は、その出どころになったもの、すなわち、目に見えない精神的な神に似ていたが、世界は神のものであり、神は、山の下にいる血族をとくに選んだとはいうものの、地上いたるところにあまねき主だったのである。この着想は、また、それが生まれる原因にも出所にもなった最も身近な最も緊急な目的、すなわち、石板の文句、簡明で拘束力のある文句を表現するのにきわめて適当なものであった。それというのも、この石板の文句は、さし当たりのところ、神とモオゼとがともに関心を持ったがゆえにモオゼがエジプトから導き出した血族に当てたものではあったのだが、しかし、この少数の記号を用いて、必要とあれば諸民族のあらゆる言語の言葉を書くことができるように、また、ヤアヴェが世界いたるところの神であるように、モオゼが書こうと考えたもの、すなわち、簡潔な文句は、地上いたるところの民族のあいだで人倫の根本命令であり|礎《いしずえ》であるものとして役立ち得るような性質のものだったからである。
そこで、モオゼは、火のように熱した頭で、シナイ人の符号にある程度頼りながら、舌足らずにいう音、はね返る音、ぱちぱちいう音、しゅっしゅっという音、泡立つ音、ぶんぶんという音、ぶつぶついう音などをあらわす記号を、彫刻刀で岩壁に彫って、じゅうぶんに吟味してみた、そして、彼がこれらの|印《しるし》を、ある程度気に入るようによく区別して寄せ集めたとき、――見よ、それでもって、全世界を書くことができるのであった、場所を占めているものも、場所を占めていないものも、作り出されたものも、考え出されたものも――まったく一切合財を書くことができるのであった。
彼は書いた、すなわち、石板を作った割れやすい石に彫刻刀や|鑿《のみ》や|箆《へら》で彫り刻んだ。彼はまずその石板を苦労して作ったのであったが、文字を作ることはすでに石板の製作と同時に進行していたのである。しかし、こうしたいっさいのことが四十日もかかったということには、何の不思議もあり得ない。
二、三度、彼に従う若者ヨシュアが、彼のところへ登ってきて、水やまるくて平たい形の菓子を持ってきてくれたが、それは民衆にはかならずしも知らせる必要のないことであった。というのも、民衆は、モオゼは山の上で神の近くにいて神と話を交えるだけで生きていると思っていたし、ヨシュアは戦術上の理由から民衆にそう想像させておきたいと願ったからである。だから、彼の訪問は束の間のもので、夜間におこなわれたのであった。
モオゼはというと、エドムの上に日の光が昇ってから、砂漠のかなたへ消え去るまで、すわりつづけて仕事をした。山上にすわっている彼の姿を思い描くならば、上半身裸体で、胸は毛に蔽われ、残酷な目に遭った父譲りのものらしい腕はたくましく、――目は左右の間隔が広くて、鼻はひしゃげたまま、白くなりかけた髭を二つに分けて、まるくて平たい形の菓子を噛みながら、ときにはまた山の金属から発散する蒸気にむせて咳をしながら、額に汗を流して石板を作り、|鑿《のみ》で仕上げて、擦り磨いてなめらかにし、岩壁にもたせかけた石板の前にうずくまって、念入りに細かに仕事を進めながら、|金釘《かなくぎ》流の拙い文字、すなわち、一切合財を書きあらわせるルーネ文字ともいうべき文字を、石板の表面に、まず彫刻刀で下書きしてから、刻み入れていたのである。
一方の石板に彼はこう書いた。
[#ここから1字下げ]
われ、ヤアヴェは汝の神なり。汝わがほかに他の神を持つべからず。
汝神の像を作るべからず。
汝わが名をみだりに口にすべからず。
わが日を覚えてこれを|聖潔《きよく》すべし。
汝の父母を敬え。
[#ここで字下げ終わり]
それから、他方の石板にはこう書いた。
[#ここから1字下げ]
汝殺すなかれ。
汝姦淫するなかれ。
汝盗むなかれ。
汝隣人のために偽りの|証拠《あかし》をたつるなかれ。
汝隣人の|所有《もちもの》を見てそれを欲するなかれ。
[#ここで字下げ終わり]
これが彼の書いたもので、書かなくてもおのずとわかる響く空音は省略してあった。書いているときにはいつも、彼は、額の髪のなかから二本の角のように光線が差し出ているような気がしたのである。
ヨシュアは、最後に山に登ってきたときにはいつもよりすこし長くいて、まる二日間そこにとどまった、というのも、モオゼがまだ仕事を終えていなかったし、二人はいっしょに山をおりることにしたからである。この若者は、彼の師がなしとげたことを正直に讃嘆して、モオゼが細心の注意と愛情とを傾けたにもかかわらず、二、三の文字がかけて見分けのつかなくなったことを慰めた。モオゼはそれを悲しんだのだが、ヨシュアは、そのために全体の印象がそこなわれるということはない、と請け合ってやったのである。
モオゼが最後にヨシュアの前でしたことは、彫り抜いた文字に自分の血を塗って、いっそうよく際立たせるということであった。血のほかにはそうするための顔料が手もとになかったのである。そこで彼は彫刻刀で自分のたくましい腕を刺し、ぽたぽたとしたたる血を念入りに文字にすりこんだので、文字は石のなかでうす赤く輝いて際立った。文字が乾いたとき、モオゼは両腋にそれぞれ一枚の石板を抱え、登るときにすがった杖を若者ヨシュアに持たせた。そうやって、二人は相携えて、山の向いの砂漠のなかにある民衆の囲地へ向って、山から降りていった。
十七
さて、二人が物音の聞き取れるあたりまで宿営地に近づいたとき、鼠でも鳴くような声をまじえた、はっきりしない騒音が耳にはいってきたが、何の音なのか二人には説明がつかなかった。最初にそれを聞きつけたのはモオゼであったが、最初にそれを話題に出したのはヨシュアであった。
「向うの奇妙な騒ぎが聞こえますか」と彼は尋ねた、「あの喧噪、あのどよめきが聞こえますか。向うで何かもちあがったのだと思います、喧嘩か、格闘ですよ、きっと。ここまで聞こえてくるくらいですから、猛烈なもので、皆でやっているにちがいない。もしわたしの想像通りだとすると、われわれが来合わせたのは、よいぐあいというものです」
「われわれが来合わせたことは、いずれにしてもよいことだ」とモオゼは答えた、「しかし、わたしが聞き分けるところでは、あれは喧嘩や格闘ではなくて、何かの祝宴か歌舞みたいなものだ。一段と高い歓声や太鼓の音が聞こえないかね。ヨシュア、あの連中のあいだに何事が起こったのだろうか。急いで行ってみよう」
そう言った彼は二枚の石板を腋の下に高く抱えあげて、頭を振っているイェホシュアとともに足を早めた。「歌舞だ……」と彼はたえず心配そうに繰り返していたが、ついにはあからさまに驚いて、「歌舞だ」と言った、それというのも、これは、片方が上になり他方が下になる掴み合いというようなものではなくて、皆が一致してやっている歓楽だということは、じきにもう疑う余地がなくなったからである。ただ、どういう種類の一致で彼らが歓声をあげているのか、それが問題であった。
そういう問題があったにしても、それもじきにもう問題ではなくなった。何とも恐ろしいことがもちあがっていたのである。モオゼとヨシュアとが宿営地の高い角材の門を急いで通り抜けたとき、その恐ろしいことが恥ずかしげもなく歴然と二人の目の前に暴露された。民衆は野放しの状態であった。彼らは、モオゼが彼らを神聖なものにするために課したいっさいのもの、神の礼儀作法をすべて投げ捨てていたのである。彼らは身の毛もよだつような恐ろしい逆戻りぶりを示してころげまわっていた。
門のすぐうしろに、幕舎を建ててない広場、集合のための広場があったが、そこで騒ぎがもちあがっていたのである。そこで彼らがころげまわって、みじめな自由を祝っていたのである。歌舞に先立って一同がたらふく食った様子はひと目で知れた。広場のいたるところに屠殺と飽食との跡が残っていたからである。いったい、何者のために犠牲を捧げ、屠殺し、たらふく食ったものなのか。その相手はそこに立っていた。広場のまんなかの石の上に、祭壇の台座の上に立っていた。偶像が、不手際な作り物が、ばかげた偽神が、金の子牛が立っていた。
それは子牛でなくて、牡牛であった。世界の諸民族のもとに見られる、まぎれもない、普通の、生産生殖を象徴する牡牛であった。それを子牛というのは、あまり大きくなくて、むしろ、小さかったからだが、また、鋳そこなったもので、滑稽な形をした不細工な怪物であったけれども、牡牛だということは、たしかに、わかりすぎるくらいによくわかったのである。この不手際な作り物のまわりを、輪舞の輪が十二ばかりも取り巻いていて、手に手を取った大勢の男女が、シンバルや太鼓の音に合わせて、白目をむき出しながら頭をのけぞらせ、膝を顎のほうまで蹴あげて、金切り声を立てたり、交尾期の鹿のような声を出したり、偽神に敬意を表する無作法な振舞いにふけっていた。醜悪な輪舞のまわり方はまちまちで、一つの輪はたえず右にまわり、別の輪は左にまわるというぐあいであったが、そういう渦巻の中心、子牛の前には、アーロンのぴょんぴょん跳んでいる姿が見えた。彼は、聖会堂の管理者として着る長袖の衣をまとっていたが、その裾を高くからげて、長い毛脛を蹴あげやすいようにしていた。そして、ミルヤムは女たちの前で太鼓を打ち鳴らしていた。
これは子牛のまわりの、薔薇花のような形になった輪舞にすぎなかった。しかし、その周囲の空地で、輪舞の添えものがおこなわれていたのである。民衆の恥知らずな振舞いは、あからさまに言いにくいほどであった。ある連中は|無脚蜥蜴《あしなしとかげ》を食っていたし、他の連中は姉や妹と交合していたが、子牛に敬意を表して公然とそうしているのであった。また、他の連中は、小さな鋤を使うことなど忘れて、簡単にしゃがんで大便をしていた。牡牛のために自分の精力を燃やしている男たちの姿も見えた。どこかでだれかが生みの母親の横面を左右からなぐっていた。
この言語道断な光景を見て、モオゼの青筋は破裂せんばかりに|膨《ふく》らんだ。満面に朱を注いだ彼は、輪舞の輪を押し破って、まっ直ぐに、渦巻の中心、罪から生まれた子牛のところへ突き進んでいったが、輪舞はよろけながら静まって、それをやっていた犯人どもは、師の姿を認めたので、当惑そうに口を歪めて笑い、驚いた目つきでみつめた。彼は、掟を誌した石板の一つを、力強い腕で高々とふりかざし、それを笑止な畜生に叩きつけたので、畜生は脚を折られてしゃがみこんだが、激怒にまかせて繰り返し打ちつけたので、石板も粉々に砕けはしたが、不手際な作り物のほうもたちまち形のない塊りになってしまった。それから、第二の石板を振りかぶって、不細工な怪物のとどめを刺し、完全に粉砕してしまったが、それでも第二の石板がまだ割れていなかったので、彼はそれを石の台座に叩きつけて一撃のもとに打ち砕いてしまった。その場に突っ立った彼は、拳をわななかせながら、胸の奥底から呻くようにこう言った。
「汝、賤民ども、汝は神に見捨てられた|輩《やから》だ。そこにころがっているのは、わたしが神のもとから汝のところへ運びおろしてきたもの、神が汝のために手ずから書きしるして、無教養のみじめさに対する護符たらしめようとしたものだぞ。それはこなごなになって、汝の偶像の残骸のそばにころがっている。主が汝を食い殺さないようにするためには、いったい、わたしは汝をどうすればよいのか」
それから、彼は、さきほど踊り跳ねていたアーロンが自分のかたわらに立っているのを見た。背の高いアーロンは伏目になって、頂に油っこい捲毛を垂らし、恥ずかしそうな様子をしていた。彼はアーロンの衣の前をつかんで、ゆすぶりながら、こう言った。
「この金の|悪魔《ベーリアル》、この不潔な代物はどこから来たのだ。民衆がおまえに何をしたわけで、おまえは、わたしが山にいるあいだに、民衆をこのように堕落させ、自分から先頭に立ってこの淫蕩な輪舞に加わったのか」
アーロンは答えた。
「ああ、主よ、わたしにも、妹にも、激怒を浴びせかけないでください。わたしたちは譲歩しなければならなかったのです。彼らは、ご存知通りの悪い奴らで、わたしたちに強制しました。あなたがあまりに長く暇取って、いつまでも山にとどまっていましたから、わたしたちは皆、あなたはもう帰らないものと思ったのです。そこで、彼らはわたしに反抗して、集まってきて叫び立てました、『われわれをエジプトから導き出したこのモオゼという男がどうなったか、だれにもわかりはしない。彼はもう帰ってこないのだ。たぶん、彼は山の口にからかって、そのためにかえって呑みこまれてしまったのだろう。さあ、アマレクが攻め寄せてくるときに、われわれの先頭に立てるような神々を作ってくれ。われわれも他の民族と同じような民族で、他の民族の神々と同じような神々の前で大いにはしゃぎたいのだ』――そう彼らは言いましたが、主よ、失礼ながら、それは彼らがあなたから解放されたと思ったからなのです。それにしても、彼らがわたしに反抗して集まってきたとき、わたしはどうすればよかったのでしょうか。わたしは彼らに、耳から金の耳輪をはずして全部持ってこいと言いつけて、それを火で|鎔《と》かし、恰好をつけて、子牛を鋳て彼らの神にしてやりました」
「おまけに、鋳上った奴は本物とは似てもつかない」と、モオゼは軽蔑の言葉を挿んだ。
「非常に急な仕事だったのです」とアーロンは答えた、「それと言うのも、彼らがもうつぎの日に、つまり、今日という日に、力強い神々の前で大はしゃぎしたいということだったからです。そういうわけで、わたしは彼らに鋳上ったものを渡してやったのですが、どうか、本物とはすこしも似ていないなどと言わないでください。彼らは喜んで、『イスラエルの人々よ、これこそ汝をエジプトから導き出した汝の神々だ』と言いました。それから、わたしたちはその前に祭壇を築きましたが、彼らは焼供物や感謝の供物を捧げて、食って、そのあとですこし音楽をかなでながら踊ったのです」
モオゼはアーロンをそのままにしておいて、輪舞を解いた人々のなかを突き抜けてふたたび門のところへ取って返し、樹皮つきの木材を組み合わせた門の下にイェホシュアとともに立って、力の限り、「主に従う者は、わたしのところへ来い」と叫んだ。
すると、すこやかな心の持主で、はしゃぐことを喜ばなかった者が大勢彼のところへやって来た、そして、ヨシュアの武装青年隊が二人の周囲に集まった。
「汝ら、不幸な者ども」とモオゼは言った、「汝らは何ということをしたのだ。ヤアヴェが汝らを改善しがたい強情な民族と見なして、汝らを見捨てたり、汝らを食い殺したりしないようにするためには、いったい、わたしは汝らの罪をヤアヴェにどうして|贖《あがな》えばいいのか。わたしの顔が見えなくなると、たちまち汝らは金の|悪魔《ベーリアル》を作るようなことをする。それは汝らの恥辱であるばかりか、わたしの恥辱でもあるのだ。あれにころがっている破片が見えるか、子牛の残骸のことではない、そんなものはくたばってしまえ、わたしはもう一方の破片のことを言っているのだ。あれは、わたしが約束して汝らのために山から持って降りてきた贈り物、永遠に伝わる簡潔な文章、人倫の礎なのだぞ。それはわたしが神のもとで汝らのために汝らの言語で書いた十個の文章なのだ。わたしはそれをわたしの血で、わたしの父の血で、汝らの血で書いたのだ。ところが、そうして持ってきたものが打ち砕かれてしまったのだ」
すると、それを聞いた大勢の人々が泣いて、宿営地の広場はすすり泣きや鼻をかむ音に満たされた。
「たぶん、その代りのものを作ることができるかもしれない」とモオゼは言った。「それというのも、神は寛容で非常に慈悲深く、|悪《あく》や|過《とが》を許したもうからだ――しかし、罰すべき者があれば、何人であれ許されないのだぞ」と、彼は、満面が朱を注いだように紅潮して、青筋がまたもや破裂しそうに膨らむとともに、突然、雷のような声を出した、「いや、われは悪を罰して三、四代に及ぼす者なり、われは|嫉《ねた》む神なり、と神は言われたのだ。ここで裁判をおこなうことにして」と彼は叫んだ、「血の粛清を命ずる。あれも血で書かれたものだったからだ。まっ先に金の神々を要求する叫びをあげて、われひとりが為したことにもかかわらず、厚顔にも、子牛が汝らをエジプトから導き出したと主張した首謀者どもを見つけ出すべし――と主はのたもう。その者どもは、死の天使に引き渡すことにして、その際、人物の如何は問わない。彼らは、よしや三百人いようとも、石で撃ち殺し、飛道具で射殺してしまうのだ。その他の者どもは、いっさいの装身具を取りはずして喪に服し、わたしの帰るのを待て――というのも、わたしはふたたび神の山へ登り、汝らのために、あるいはまだ何か為しとげ得ることがあるかどうか、試みようと思うからだ、汝ら、|項《うなじ》の|強《こわ》き民どもよ」
十八
モオゼは、子牛のことで命じた死刑の場には立ち会わなかった。それは強壮なヨシュアの仕事だったのである。彼自身はふたたび山に登って、民衆が喪に服しているあいだ、鳴動する山頂の下の洞穴の前にいたが、またしても、四十日四十夜ひとり煙霧のなかにとどまったのである。しかし、なぜふたたびそう長いあいだとどまっていたのか。その答えはこうである。すなわち、そう長いあいだとどまっていたわけは、ヤアヴェが彼に、もう一度石板を作り、神の口授をふたたび書き入れよと命じたから、というだけではない。というのも、この仕事は、彼がすでに練習を積んでいた上に、何よりも文字をすでに持っていたため、今回は前回よりもすこし早くはかどったからである。仕事のやり直しというだけではなくて、主が石板の改作を許す前に、モオゼは、主を相手の長い闘争に堪えて、それを切り抜けなければならなかったから、こうも長いあいだ山上にとどまっていたわけで、その格闘に際しては、憤怒と、慈悲と、企てた仕事に対する愛情とが三つ巴になって戦場を争ったのであるが、神がイスラエル民族との同盟を破れたものと声明して、この強情な賤民との関係を絶つのみならず、モオゼが燃えあがる怒りにまかせて|掟《おきて》の石板を叩き壊したのと同じように、この賤民を打ち亡ぼすことをもするというようなことのないよう、神を止め立てするために、モオゼはいろいろと説得の術をつくし、賢明な訴えを持ち出さなければならなかったのであった。
「われ、彼らの先頭に立ちて、彼らを祖先の国へ導き入るることを欲せず」と神は言った、「そをわれに願うことなかれ。われはわが忍耐を信ずること能わず。われは|嫉《ねた》む神にして、激し易く、いつの日にか、われを忘れ、途上にて彼らを食い尽くすことあるべし」
そして、神はモオゼにこう申し込んだ。この民族は結局あの金の子牛と同様の鋳損ないで、まったく改善の見こみがない、――これを神聖な民族たらしめることなどは不可能で、打ち砕くよりほかに仕様がない、――イスラエル民族はこのまま粉砕し|殲滅《せんめつ》することにして、モオゼその人を大いなる民族たらしめ、モオゼと同盟して生きることにしよう、と神はモオゼに申し込んだのである。しかし、モオゼはそれを望まないで、「いやです、主よ」と言った、「彼らの罪をお許しください。それがかなわぬなら、わたしをもあなたの帳簿から抹殺していただきたい。わたしはこの民族よりも長く生きていたくはありませんし、彼らの代りにわたしだけが神聖な民族になろうとも思いません」
それから彼は神の名誉に訴えてこう言った、「聖なる神よ、どうかこの点をお考えください。もしあなたが一人の人間を殺すようにしてこの民族を殺しでもしようものなら、異教徒どもはその悲鳴を聞きつけて、『へえ、主はこの民族を約束の地へ連れてゆくことなど決してできなかったのだ。主は彼らに誓ったことを果たせなかったのだ。だから、主は砂漠のなかで彼らを虐殺したのだ』と言うでしょう。あなたは世界の諸民族からこういう|陰口《かげぐち》をきかれたいのですか、だから、主よ、あなたの力を大きくして、この民族の悪行をあなたの慈悲で寛大に扱ってやってください」
モオゼが神を説き伏せて、赦免するということにさせたのは、とくに、この神の名誉に訴えた論拠がものを言ったからだが、ただし、それにはやはり制限があった、というのも、モオゼは、もちろん、ヨシュアとカアレプとのほかにはこの民族中の何人にも祖先の地を見せない、というお告げを受けたからである。「汝の子らは連れ行くものとす」と神は決定した、「されど、現在年齢二十を過ぐる者はもはや約束の地を見ざるべし。彼らはその身砂漠に朽ち果てるものなり」
「よろしい、主よ、それでけっこうでございます」とモオゼは答えた。「それに決めておきましょう」彼は、この決定が自分やヨシュアだけの意見とよく一致したので、これに対してはもう論争しなかった。「さて、石板を作り直させてください」と彼は言った、「そして、人々のもとへあなたの簡潔な掟を持って降りて行かせてください。わたしが最初の石板を怒りにまかせて打ち砕いたのは、結局、文句なしによいことでした。最初の石板には、どうせ、二つ三つ出来損いの文字があったのです。白状いたしますが、あれを叩き壊したときに、わたしはひそかにそのことを考えていたのでした」
そして、彼はふたたびすわりこんで、ヨシュアからこっそりと飲食物の供給を受けながら、彫り、刻み、擦り磨いて滑かにした、――ときどき手の甲で額をぬぐいながら、彫刻刀を使ったり、|箆《へら》を用いたりして、すわりつづけて石板に文字を書き入れたが、――石板は最初のときよりもよく出来たのであった。それから彼はふたたび文字に自分の血を塗り、この掟を両腋に抱えて、山をくだった。
イスラエルの民は、服喪をやめてふたたび装身具をつけよ、という通告を受けたが、――もちろん、耳輪は別で、それは邪悪な目的のために使い果たされていたのである。そして、すべての民衆がモオゼの前に集まり、モオゼは、携えてきたもの、山に住むヤアヴェのお告げ、十誡を誌した石板を彼らに渡すことになった。
「これを受け取れ、父の血族よ」と彼は言った、「そして、神の幕舎に安置して祭り、それに書いてあることを、汝のいっさいの行動において守れ。それというのも、それは簡明で拘束力のある簡潔なもの、人倫の礎であり、神がわたしの彫刻刀を用いて石に簡勁に書きこまれたもの、人間の作法のいっさいだからである。汝らの言語で神はそれを書きたもうたが、しかし、その記号は、必要とあればそれを用いてもろもろの民族のいっさいの言語を書きあらわし得るものである。それというのも、神はいたるところにあまねき主であるからで、従って、ABCは神のものであり、神のお告げは、イスラエルよ、汝に向って言われたものである。にしても、まったく知らず識らずのうちに万人に向って言われたお告げなのである。
山の石にわたしは人間の作法のABCを刻みこんだが、イスラエルよ、それは汝の血肉にも刻みこまるべきもので、十誡のいずれなりと破る者はだれでも、ひそかに、おのれみずからと神とに対して恐れを抱き、神の|結《ゆ》いたもうた垣を越えたからには、心が冷めたくなるべきである。神の誡律が守られないであろうことは、わたしもよく知り、神もあらかじめ知りたもうところ。十誡に対する違反は随時随所に起こるであろう。しかし、どの誡律にしろ、それを破る者はだれでも、すくなくとも心が氷のように冷たくなるべきである。なぜなら、十誡は彼の血肉にも書きこまれていて、彼は、十誡の通用することをよく知っているからである。
しかし、現われ出でて、『十誡はもはや通用しない』という人間は、呪われよ。汝らに向って、『さあ、十誡を捨ててしまえ。嘘をつけ、人を殺せ、奪え、姦淫しろ、凌辱しろ、父母を刀にかけろ。そうするのが人間にふさわしいからだ。そして、われは汝らに自由を告げ知らせたのだから、わが名を讃えよ』と教える者に、呪いあれ。子牛を作って、『これは汝らの神だ。この神に敬意を表して、いま言ったすべてのことをおこない、この偶像をかこんで、淫蕩な輪舞をしてまわれ』という者、彼は非常に力強くて、金の椅子に坐り、人間の心の求めるものは幼時からして悪いものだということを知っているがために、最大の賢者と仰がれるかもしれない。しかし、それがまた彼の知っていることのすべてであろうが、それだけしか知らない者は、暗い夜のように暗愚な者で、生まれなかったほうがましであろう。それというのも、彼は、神と人間との同盟のことは何も知らないからだ。この同盟は、神も人間もどちらも破り得ないものである。犯すべからざるものだからだ。彼の暗い愚かさのために血が河のように流れるであろう。流血のために、人類の頬の赤らみは失せるが、しかし、人類にはこの悪人を打倒する以外に道はない。われは足を挙げて、と主はのたもう、彼を糞尿のなかへ蹴落としてやる、――神を|涜《けが》す者を百十二尋の地底へ蹴落としてやる。人も獣も、われが彼を蹴落とした場所を避けて通れ。空の鳥も高々と翼の向きを変えて、その上を飛ばぬようにせよ。そして、彼の名を呼んだ者は、四方へ唾を吐いたのち、口をぬぐって、『まっ平ご免』と言うべきである。大地はふたたびもとの大地にかえり、窮乏の谷間ではあっても、淫蕩の草原たるべきではない。汝ら、これを承諾して、皆、アーメンと言え」
そこで民族は一人残らずアーメンと言った。