トーマス・マン短編集1
トーマス・マン/佐藤晃一訳
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目 次
幸福への意志
幻滅
小さなフリーデマン氏
道化者
トビーアス・ミンダーニッケル
衣装戸棚
ルイスヘン
トリスタン
解説
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幸福への意志
老ホフマンはその金を南アメリカの農場主として|儲《もう》けたのだった。彼は、その地で家柄の良い土着の娘と結婚してから、まもなく妻を連れて故郷の北ドイツへ引きあげてきたのである。彼らはぼくの生まれた町で暮らしていたが、そこにはホフマンの他の家族たちも住みついていた。パーオロはこの町で生まれた。
しかし、パーオロの両親をぼくはあまりよくは知らなかった。とにかく、パーオロはその母親に生きうつしだったのである。ぼくが彼をはじめて見たとき、というのは、ぼくらの父親たちがぼくらをはじめて小学校へ連れていった時、彼は黄ばんだ顔色の、痩せこけた少年だった。いまでもその姿が目に浮かんでくる。彼はそのとき黒い髪の毛を長く伸ばしていたが、それがもじゃもじゃとちぢれながら水兵服の襟に垂れかかって、細面の彼の小さな顔を|縁《ふち》取っていた。
ぼくらはどちらも家庭では非常に幸福に暮らしていたのだから、新しい環境、つまり殺風景な教室や、とくに、ぼくらにぜひともABCを教えようとする赤ひげの、みすぼらしい人間にはどうしても同意できなかった。ぼくは立ち去ろうとする父親の上着を泣きながらしっかりとつかんでいたが、パーオロはまるきり受け身の態度を取っていた。彼は身動きもしないで壁にもたれて、細い唇をきゅっと引きむすんだまま、涙でいっぱいになった大きな目で、希望に満ちた他の少年たちをじっとみつめていたのである。その連中は横腹をつつきあいながら、思いやりもなくにやにや笑っていた。
こんなぐあいに鬼のような連中に取りかこまれていたので、ぼくらは最初からおたがいにひきつけられるような感じがして、赤ひげの教育家がぼくらを並んですわらせてくれたときには、非常にうれしかった。そのときからぼくらは団結して、共同で教育の基礎をきずいたり、毎日弁当のバタパンを交換したりした。
ところで、いま思い出してみると、彼はもうその当時から虚弱だった。ときどきかなり長く学校を休まなければならなかったのだが、また出てくると、いつも彼のこめかみや頬には普段よりもいっそうはっきりと血管のうす青い筋が浮き出ていた。きゃしゃな、褐色のはだをした人にかぎって、よくそういううす青い筋を出しているものである。彼はいつもそれを出していた。それは、ぼくらがこのミュンヘンで再会したときにも、また、その後ローマでめぐり会ったときにも、第一番にぼくの目についたものだった。
ぼくらの親交は、それが生まれたのとほぼ同じ理由から、学校時代を通じてずっと継続した。理由というのは同級生の大多数にたいする「距離の激情」だったが、これは、十五歳でひそかにハイネを読み、高等学校の第三学級くらいで世界や人類に断固とした判断をくだすほどの者なら、だれでも知っている激情である。
ぼくらは――ふたりとも十六歳だったと思うが――ダンスの稽古にもいっしょに行って、その結果いっしょに初恋を体験した。
彼がすっかりまいった小娘は金髪の快活な子で、その子を彼は、年のわりにはたいへんな、ぼくにはときどきほんとに無気味に思われたほどの|憂欝《ゆううつ》な熱情であがめていた。
ぼくはとくに、ある舞踏会のことを思い出す。その少女が、彼ではないある少年にほとんどたてつづけに二度もコチリヨンを踊ってやりながら、彼には一度も踊ってやらなかった。ぼくは不安な思いで彼の様子に注意していた。彼はぼくと並んで壁にもたれたまま、身動きもしないで自分のエナメル革の靴をにらんでいたが、突然気を失って倒れてしまった。家へ運びかえされてから、彼は一週間病床についていた。その当時――この事件のときだったと思う――彼の心臓の申し分なく健全なものではないことがわかったのである。
すでに、この事件のときよりも前に、彼は絵を描くことをはじめていて、それにはすぐれた才能を発揮していた。木炭の走り描きで、あの少女の面だちをいかにもまざまざと現わした端に、「なれは花にも似たるかな!――パーオロ・ホフマン作」と書いてある一枚を、ぼくはいまでも持っている。
いつのことだったか正確には覚えていないが、ぼくらがもうかなり上級に進んでいたころ、彼の両親はぼくの生まれた町を去って、カールスルーエに住みついた。老ホフマンは、そこに何かと知り合いを持っていたのである。パーオロは学校を変えないことになって、ある老教授の家に下宿させられた。
しかし、この状態も長くは続かなかった。つぎの事件は、パーオロがある日両親のあとを追ってカールスルーエへ行ったことの、直接のきっかけではなかったとしても、とにかくそのうながしにはなったと思う。
つまり、ある日の宗教の時間に、担当の先生が相手をすくみあがらせてしまうようなすさまじい目つきで、つかつかとパーオロのほうへ歩みよると、彼の前にあった旧約聖書の下から一枚の紙をひっぱり出したのである。その紙には、左足だけまだ出来あがっていない、非常に女性的な姿が、いささかの|羞恥《しゅうち》の色も見せずに描かれていた。
そういうわけでパーオロはカールスルーエに行った、そしてときどきぼくらは葉書をやり取りしたが、この文通も次第に間遠になっていって、まったくとだえてしまった。
ミュンヘンでまた彼にめぐり会ったのは、別れてから五年ほど過ぎたのちのことだった。あるうららかな春の午前に、ぼくがアマーリエン街をくだってゆくと、だれかアカデミーの前面の階段をおりてくる姿が見えた。それは、遠くから見るとイタリア人のモデルとでもいうような感じだった。近づいて見ると、それはまさに彼だったのである。
中背で、ほっそりとして、濃くて黒い髪に帽子をあみだかぶりにして、青筋の浮き出ている黄ばんだ顔色をして、粋な服装なのに投げやりな着方をして――たとえばチョッキのボタンが二つ三つとめてなかった――、短い口ひげを軽くひねりあげて、というような様子をしながら、彼は持ちまえのぶらぶら身をゆするような|無精《ぶしょう》たらしい足どりで、ぼくのほうへ歩いてきた。
ぼくらはほぼ同時に気がついて、いともねんごろに挨拶をかわした。カフェー・ミネルヴァの前でたがいに最近数年間の過ごし方をたずね合っているあいだ、ぼくには彼が意気|軒昂《けんこう》とした、ほとんど熱狂的な気分でいるように思われた。彼の目はきらきらと輝き、身ぶりは大げさな大ぶりなものだった。それでいて顔色が悪く、実際にどこか病気のような様子に見えた。いまとなっては、ぼくはもちろんどうにでも言えるわけだが、しかし、そのときの彼の様子はほんとうにぼくの注意をひいたのだし、それどころか、ぼくは遠慮なしに彼にそう言ってやったのである。
「そうか、あいかわらずか?」と彼はたずねた。「うん、そうだろうと思う。ずいぶん病気をしたからね。つい昨年も長いあいだ、しかも大病をしたよ。ここが悪いんだ」
彼は左手で自分の胸をさした。
「心臓だよ。昔からいつもこれだったんだ。――しかし最近はとてもぐあいがいい、すばらしくいい。まったく健康だと言ってもいいくらいだよ。それにぼくはやっと二十三だからね――なんとも悲しかろうじゃないか……」
彼はほんとうに上機嫌だった。ぼくらが別れてからの彼の生活を、ほがらかに元気に物語った。ぼくと別れてからまもなく、画家になることをとうとう両親に許してもらって、九カ月ほど前にアカデミーを卒業してから――さっきは偶然そこに寄っただけのことにすぎない――、しばらく旅に出て、とくにパリで暮らしていたが、いまはほぼ五カ月前からこのミュンヘンに住みついている……「たぶんまだ長いこといるかもしれない――どうなるやら? ひょっとすると一生いるかもしれん……」
「そうかな?」とぼくはたずねた。
「というと? つまり――そうなったっていいじゃないか? この町が気に入ってるんだから、特別に気に入ってるんだから! 全体の調子も――どうだい? 人間も! それから――これはなかなか大事なことだが――画家としての、まったく無名でもだよ、社会的地位がじつにすばらしい、どこよりもいいんだよ……」
「愉快な知り合いでもできたかい?」
「うん。――数はすくないが、しかし非常にいいのがね。たとえばある一家だが、きみに紹介せずにはいられないな…… 謝肉祭のときに知り合いになった家だがね…… ここの謝肉祭はすてきだぜ――! シュタインという家なんだ。しかもシュタイン男爵だよ」
「いったいどんな貴族なんだ?」
「金力貴族というやつだよ。この男爵というのは株屋だったんだが、以前はヴィーンでどえらい勢力があって、王侯の全部と交際したりなんかしていたんだよ…… それから急にしぼんできて、百万ばかり残して――という噂だが――事業から手を引いた、そして、いまはこの町で、はなやかさはないながら貴族的に暮らしている」
「ユダヤ人かい?」
「男爵は、そうじゃないと思う。細君のほうはそうかもしれない。とにかく、ぼくは、みんな非常に愉快な上品な人たちだとしか言いようがないよ」
「子供は――いるのかい?」
「いない。――と言うのは、つまり――十九になる娘がひとりいる。両親は非常にあいそうのいい人たちだよ……」
彼は一瞬間うろたえたが、それからこうつけ加えた、
「本気ですすめるんだが、ぼくがきみをこの家に紹介することにしようよ。ぼくにはうれしいことなんだがね。承知してもらえないのかな?」
「承知だとも。感謝するよ。その十九の娘さんと知り合いになるためだけでもさ――」
彼は横目でぼくを見て、それからこう言った、
「じゃあそうしよう。そうなるとあまり先へ延ばさないほうがいい。きみの都合がよければ、あす一時か一時半ごろ誘いにゆく。シュタインの家はテレージエン街二十五番地の二階だ。あの人たちに同窓の友人を紹介するのは楽しみだよ。これで話は決まったぜ」
じっさい、ぼくらはその翌日の正午ごろ、テレージエン街の、あるりっぱな家の二階で鈴を鳴らしたのである。鈴の横には太い黒い字で、「フォン・シュタイン男爵」という名が書いてあった。
パーオロは途中ずっと興奮しつづけていて、ほとんど|有頂天《うちょうてん》なはしゃぎ方をした。ところが、いま、ドアの開くのを待っているあいだに、ぼくは彼の様子に奇妙な変化を認めた。ぼくと並んで立っている彼は、まぶたを神経質にひくひくさせているほかは、どこも完全に落ち着いていた、――それはむりにつくろった、緊張した落ち着きだった。彼は首をすこし伸ばしていた。額の皮が張りきっていた。その様子は、耳をぴくぴくとそば立てて、筋肉という筋肉を緊張させながら物音をうかがっている動物とでもいうような印象を与えた。
ぼくらの名刺を受け取って、いったん引っ込んだ召使が、また出てきて、奥さまはすぐお見えになりますから、しばらくお掛けになってください、とうながしながら、かなり大きな、濃い色の家具をあしらった部屋のドアを開けてくれた。
ぼくらがその部屋へはいってゆくのと同時に、往来に面した張り出し窓のところで、明るい色の春着をまとった若い婦人が立ちあがると、一瞬間、探るような表情でたたずんでいた。「十九の娘だな」と考えながら、ぼくは思わず、つれのほうへ横目を使った。すると、「男爵令嬢アーダ!」と彼がぼくにささやいた。
彼女は品のいい姿ながら、年のわりに成熟した身体つきをしていて、非常にやわらかな、ものうげとでもいうくらいな身のこなしを見ると、そんなに若い娘とはほとんど思えないほどだった。こめかみにかぶさりながら二つの巻き毛になって額まで出ている結い方にした髪の毛は、つやつやとした黒で、顔色のほの白さと印象的な対照をなしている。顔には、ふっくらとして濡れた唇と、肉ぶとな鼻と、ハダンキョウ形の黒い目と、その目の上に弓なりにかかった黒いやわらかな眉とがあるので、彼女がすくなくともいくらかユダヤ人の血を引いていることには疑いの余地もなかったが、しかし、その顔はまったく異常な美しさを持っていた。
「あら――お客さま?」と、彼女は数歩ぼくらを出むかえながらたずねた。その声にはすこし含み声の気味があった。もっとよく見ようとするためのように、彼女は片手を額にかざしながら、もう一方の手を壁ぎわにあるグランド・ピアノの上についた。
「それに、たいへんうれしいお客さまのようですこと――?」と、彼女は同じ語調で、いまはじめてぼくの友人をそれと認めたとでもいうようにつけ加えた。それからぼくのほうへ問うようなまなざしを向けた。
パーオロは令嬢のほうへ歩み寄って、選り抜きの享楽にふける人の、ほとんどものうげなほどゆるゆるとしたしぐさで、さしのべられた彼女の手の上へ、何も言わずに身をかがめた。
「お嬢さん」と、やがて彼は言った、「失礼ですが、ぼくの友人を紹介させていただきます。いっしょにABCをならった学校友達です……」
彼女はぼくにも手をさし出したが、やわらかな、骨のないような感じの手で、飾りは何もつけてなかった。
「お近づきになれて、うれしゅうございます――」と言いながら、彼女は、かすかにふるえる癖のある黒い目のまなざしを、じっとぼくにそそいだ。「それに両親も喜ぶことと存じます……もうお取りつぎしてありますでしょう」
彼女が低い長椅子に席を取ると、ぼくらふたりはそれに向かい合って椅子に腰をかけた。彼女の白い、力のなさそうな両手は、雑談のあいだ、膝の上から動かなかった。ゆるやかな袖は|肘《ひじ》をわずかだけ越していた。手首のやわらかな形がぼくの注意をひいた。
数分してから隣室に通ずるドアが開いて、両親がはいってきた。男爵はいきな身なりの、ずんぐりした、はげ頭の人で、灰色のとんがりひげをはやしていた。太い金の腕輪をカフスのなかへ押しもどす彼のしぐさには、だれにも真似のできないおもむきがあった。男爵にされた当時、彼の姓が二綴りか三綴りその犠牲になったのかどうか、はっきり確かめることはできなかった。彼にくらべると、夫人のほうは無趣味な灰色の服を着たみにくい小柄なユダヤ女というにすぎなかった。彼女の両耳には大きなダイヤモンドがきらきらと輝いていた。
ぼくは紹介されて、非常にあいそうのよい挨拶を受けたが、その一方、ぼくのつれはこの家の親しい友達として男爵夫妻と握手をかわした。
ぼくの出身や経歴についていくらか問答があったのち、パーオロの絵――女の裸体画――が出品されている展覧会の話がはじまった。
「じつにみごとな作品ですなあ!」と男爵は言った。「わたしはこのあいだ半時間もあの前に立っていましたよ。赤い|毛氈《もうせん》の上のあの肉色なんかは、ずば抜けて効果的ですな。いや、いや、大したもんですよ、このホフマン君は!」そう言いながら男爵はいかにもパトロンらしくパーオロの肩を叩いた。「それにしても、仕事をやりすぎちゃいかんよ、きみ! 後生だからやりすぎないように! きみはぜひとも身体をいたわる必要がある。いったい健康状態はどんなふうかね?――」
パーオロは、ぼくが主人夫妻にぼくのことで必要な説明をしていたあいだ、彼のすぐ差しむかいにすわっている令嬢と低い声で二、三言葉をかわしていた。ぼくがさきほど彼の様子に認めたあの奇妙に緊張した落ち着きは、すこしも失われていなかった。どこがそうだからとはっきりは言えないながらに、彼は、いまにも跳びかかろうとしている|豹《ひょう》のような印象を与えた。黄ばんだ細面の顔についた黒い目がいかにも病的な輝きを帯びていたので、男爵の問いに答えて彼がすこぶる確信ありげな調子でつぎのように言ったときには、ぼくはそれを聞いていてほとんど無気味な感じがした。
「いや、すばらしい状態です! どうもありがとうございます! とてもいいぐあいなんです!」
――十五分ほどしてぼくらが席を立ったとき、男爵夫人はぼくの友人に、二日後はまた木曜日だから、いつもの五時のお茶を忘れないようにと注意した。そのついでに夫人はぼくにも、どうかこの日のことを覚えていてもらいたいと言った。
往来へ出るとパーオロは紙巻きたばこに火をつけた。
「どう?」と彼はたずねた。「感想は?」
「いや、非常に気持ちのいい人たちだよ!」とぼくは急いで答えた。「あの十九の娘さんには感嘆させられたくらいだ!」
「感嘆させられた?」彼はちょっと高笑いして、首をそむけた。
「そうか、きみは笑うんだな!」とぼくは言った。「そのくせあの二階じゃ、ときどききみの目が――秘密なあこがれで曇るような気がしたがね。しかし、ぼくの思い違いかな?」
彼は一瞬間黙っていた。それからゆっくりと首を振った。
「ぼくにはわからないね、どうしてきみが……」
「いや、しらばくれないでくれよ!――問題はもうぼくにとってはただ、アーダ嬢のほうでも……」
彼はまた一瞬間黙ったまま足もとを見おろしていた。それから低い声で確信ありげに言った。
「ぼくは幸福になるだろうと思っている」
ぼくは、心のなかではある|危惧《きぐ》の念を抑えることができなかったのだが、ねんごろに彼の手を握りしめて、別れを告げた。
それから数週間すぎた。そのあいだぼくはときどきパーオロといっしょに男爵の客間で午後の茶を飲んだ。そこにはいつも、小人数ではあるが非常に気持ちのいい連中が集まった。宮廷劇場に出ている若い女優、医者、将校――ぼくはもういちいちは思い出せない。
パーオロの挙動には別に変化も見えなかった。不安な思いをさせる顔色ではあったが、彼はいつも意気軒昂とした、うれしそうな気分でいて、男爵令嬢のそばにいるときにはかならず、ぼくが最初彼の様子に認めたあの無気味な落ち着きを見せていた。
すると、ある日――パーオロには偶然二日間会わずにいたのだが――ぼくはルートヴィヒ街でフォン・シュタイン男爵に出くわした。馬に乗っていた男爵は、馬をとめて、鞍の上からぼくに手をさしのべた。
「いいところでお会いしました! あすの午後はうちへお見えくださるでしょうな?」
「お許しくださるのでしたら、かならずまいります、男爵。友達のホフマンがいつもの木曜日のように誘いにきてくれるかどうか、それがもしかしてはっきりしないような場合でも……」
「ホフマン? おや、ご存じじゃないんですか――彼は旅に出ましたよ! あなたにはお知らせしたろうと思っていましたがね」
「いや、ひとことも知らせません!」
「それじゃあ、まったく気まぐれに、ですね……芸術家的気まぐれというやつですね……では、あすの午後に!――」
そう言うと男爵は馬を進めて、すっかり当惑したぼくをあとに残していった。
ぼくはパーオロの住まいへ急いだ。すると――ええ、お気の毒ですが、ホフマンさんは旅にお出かけになりました。滞在地の所番地は残していらっしゃいませんでした、ということだった。
男爵が「芸術家的気まぐれ」などということ以上に知っているのは、明らかなことだった。彼の娘自身が、きっとそうにちがいないと最初からぼくの予想していたことを確かめてくれた。
それは、そういう企てがあってぼくも誘われた、イーザル川の谷間への散歩のときに起こったのである。みんなは午後になってからやっと出発した、そして、夕方も遅くなったその帰り道で、男爵令嬢とぼくとがたまたま最後の一組として一行のあとについてゆくことになった。
令嬢の様子にはパーオロが姿を消してからも何ひとつ変化は認められなかった。彼女は完全にその落ち着きを保っていて、両親のほうではパーオロの突然の旅立ちについていろいろと遺憾の意を述べたのに、そのときまでは、ぼくの友達のことをひとことも言ったことがなかったのである。
そのときぼくらは並び合って、ミュンヘン近郊のあの最も|雅致《がち》のあるところを歩いていた。月の光が木の葉の茂みをもれて、きらきらと輝いた。そして、しばらくのあいだぼくらは黙って一行の他の人々の雑談に耳をかたむけていたが、それは、ぼくらのそばを泡立ちながら流れてゆく水のざわめきと同じように単調なものだった。
すると令嬢が突然パーオロのことを話しはじめた、それも、非常に落ち着いた、非常にしっかりした調子で話しはじめたのである。
「あなたはずっとお小さいころから、あの方のお友達でいらっしゃいますわね?」と彼女はぼくにたずねた。
「ええ、そうです」
「あの方の秘密もご存じですわね?」
「いちばん大事な秘密まで知っているつもりです、彼が打ち明けてくれなくても」
「それでは、わたくし、あなたをお信じ申してもいいわけですわね?」
「それはお疑いにならないように願いたいものです、お嬢さん」
「それでは申しましょう」と言いながら、彼女はきっぱりとした身ぶりで首をもたげた。「あの方はわたくしに結婚の申し込みをなさいましたの、すると両親がおことわりしたのです。あの方にはご病気がある、重いご病気がある、と両親はわたくしに申しましたわ――けれども、ご病気がおありでもどうでも、わたくしはあの方を愛しております。あなたに、こんなふうに申しあげてもかまいませんわね? わたくし……」
彼女は一瞬間とまどったが、それからまた前と同じきっぱりとした調子で言いつづけた。
「あの方がいまどこにおいでなのか、わたくし存じません。けれども、あなたは、あの方にまたお会いになり次第に、あの方がもうわたくし自身の口からお聞きになっていらっしゃる言葉、あの方以外の方との結婚はけっしていたしませんという言葉を、くり返してあの方にお聞かせくださってもかまいませんわ、また、あの方のいらっしゃるお所がおわかり次第に、いまの言葉をあの方に書いておやりになってもかまいませんわ。ああ――いまにわかりますわ!」
この最後の叫びには、反抗と決意とのほかに、いかにも頼りなげな苦痛がこもっていたので、ぼくは彼女の手を取って無言のままそれを握りしめずにはいられなかった。
ぼくは当時ホフマンの両親に手紙を出して、息子の滞在地を知らせてもらいたいと頼んでやった。すると南チロルのある所番地を教えてもらったが、そこへ出したぼくの手紙は、受取人が行先を告げずにその土地から離れたという注意書がついて、ぼくのところへ戻ってきた。
彼はどの側からもわずらわされたくなかったのだろう。どこかで、ひとりぼっちで死ぬために、いっさいから逃げ出したのだ。たしかに、死ぬためにちがいない。ぼくがそう思ったのは、こうなった以上、もう二度と彼には会えないだろうという悲しい見こみがついたからであった。
この絶望的な病気にかかっている人間が、あの若い娘を、無言のままの、火を吐くような、燃えあがらんばかりに肉感的な情熱、彼の少年期の同じ種類の最初の衝動に匹敵する情熱で愛しているのは、明らかなことではないか? 病人のエゴイスティックな本能が、花咲くように健康な娘と合体したいという欲望を彼の心にあおり立てたのだ。烈火のようなこの熱望は、満たされずにいるからには、かならず、彼の最後の生活力までもたちまちのうちに燃えつきさせるにちがいあるまい?
そうして五年の月日がたったが、そのあいだぼくは彼の消息は何も聞かなかった、――しかしまた彼の|訃報《ふほう》にも接しなかったのだ!
ところで昨年ぼくはイタリアに、ローマやその近郊に滞在していた。暑い数カ月を山のなかで暮らしたぼくは、九月の末にローマの町なかへ帰ってきて、ある暖かい晩のこと、カフェー・アラニョーで紅茶をすすりながらすわっていた。持っていった新聞をあちこち拾い読みしたり、明るく照明された広い室内にくりひろげられるにぎやかな営みを、ぼんやりと眺めたりしていたのである。客が出たりはいったりする。給仕が急ぎ足にあちこち動く。そして広く開けはなされたいくつものドアから、ときどき、新聞売り子の長く尾を引いた呼び声が広間のなかまで響いてくる。
そのとき突然、ぼくは自分と同じ年かっこうの紳士がひとり、ゆっくりとテーブルのあいだを縫って、出口の一つへむかって歩いてゆくのを見た…… あの歩きつきは――? しかし、そう思ったときにはもうその紳士もぼくのほうへ顔を向けて、眉をあげて、うれしそうに驚いた「ああ!」という声を立てながら、ぼくのほうへやってきた。
「きみ、ここに来てたのか?」ぼくらはまるで一つの口からのように同じことを叫んだ。そして彼はこう付け加えた。
「それじゃあ、ふたりともまだ生きていたんだね!」
そう言いながら彼は目をすこし横にそらした。――この五年のあいだに彼はほとんど変わっていなかった。ただ顔がたぶん前よりも細くなって、目が前よりも落ちくぼんだだけである。ときどき彼は深い息をついた。
「もう長いことローマにいるのかい?」と彼はたずねた。
「町に来てからはまだいくらにもならない。ぼくは田舎に二、三カ月いたんだ。きみは?」
「ぼくは一週間まえまで海辺にいたんだよ。覚えてるだろうが、ぼくはもとから山よりも海のほうが好きなんだからね…… そうだ、きみと会わなくなってから、ぼくはかなりほうぼうの土地を見て歩いたよ」
そして彼は、ぼくと並んでシャーベットをすすりながら、この年月の暮らし方を物語りはじめたが、旅をしながら、いつも旅をしながら暮らしてきたということだった。チロルの山々をめぐって、イタリアじゅうを端から端までゆっくり歩いて、シチリアからアフリカヘ渡ったのだと言って、アルジールやチュニスやエジプトの話をした。
「おしまいにはしばらくドイツにいた」と彼は言った、「カールスルーエにね。両親がどうしてもぼくに会いたいと言ってきたからだが、離れるときにはまたなかなかすぐには離してくれなかったよ。イタリアに来てからもう三カ月ほどになる。南国にいるとくつろぐんだね、ほんとに。ローマはとても気に入ったよ!……」
ぼくはそれまでまだひとことも彼の健康をたずねていなかった。そこで、このときこう言った。
「いままでの話だと、きみの健康も大いに固まったと思っていいわけだね?」
彼は一瞬間けげんそうにぼくの顔をみつめたが、それからこう答えた、
「ぼくがいかにも元気そうに歩きまわっているから、という意味かい? いや、ほんとのことを言うと、歩きまわるのはごく自然な要求なんだよ。ほかにしようがないじゃないか? 酒も、たばこも、恋も禁じられているんだからね、――何か麻酔薬が必要だよ、わかるかい?」
ぼくが黙っていたもので、彼はこうつけ加えた、
「五年このかたのことだからね――非常に必要だよ」――
ぼくらはそれまで避けていた点に到達したのだった、そして、そのときに沈黙がおとずれたのは、ふたりとも途方にくれた証拠だった。――彼はビロードのクッションに寄りかかったまま、シャンデリアを見あげていた。それから突然こう言った、
「何よりも、――ねえ、きみ許してくれるだろうね、ぼくがこんなに長いあいだ全然便りをしなかったことを…… わかってくれるだろうね?」
「もちろんだよ!」
「きみはぼくがミュンヘンでぶっつかったことは知っているんだろう?」と、彼はほとんどぶしつけな口調で言いつづけた。
「この上もなく完全に知っている。そしてね、ぼくはこれまでずっときみあてのことづてを持ちまわっていたんだよ、わかるかい? ある婦人からのことづてだが?」
彼の疲れたような目がぱっと燃えあがった。それから彼は前と同じかさかさした鋭い口調で言った、
「まあ聞かせてもらおう、新しいことだかどうか」
「新しいことじゃないな。きみがもうその婦人から自分で聞いていることのたしかめにすぎないんだ……」
ぼくはおおぜいの客がおしゃべりをしたり手まねをしたりしているなかで、あの晩男爵令嬢がぼくに語った言葉を、彼のためにくり返した。
彼はゆるゆると額をなでながら、耳をすまして聞いていたが、それから何ひとつ感動の色を浮かべるでもなく、こう言った、
「どうもありがとう」
彼の口調はぼくをまごつかせはじめた。
「しかし、この言葉が口に出されてからもう何年もたっているんだよ」とぼくは言った、「五年という長い年月、彼女もきみも、きみたちのどちらも過ごしてきた年月がね…… たくさんの新しい印象や、感情や、思想や、願望が……」
ぼくは言葉をとぎらせた。彼が身体をまっすぐにして、しばらく消えたように思われていたあの情熱にふたたび声をふるわせながら、つぎのように言ったからである。
「ぼくは――あの言葉を重んずるよ!」
そしてこの瞬間にぼくは、彼の顔にも姿勢の全体にも、五年まえにぼくがはじめて男爵令嬢に会うことになって、そのときの彼の様子に見てとったあの表情を、ふたたび認めたのだった。無理につくろって、ひきつらんばかりに緊張したあの落ち着き、猛獣が跳びかかるまえに示すあの落ち着きである。
ぼくは話の方向を変えた。話題はふたたび彼の旅行のこと、旅すがらに描いた彼の習作のことになった。そういう習作はあまり多くなかったらしくて、そのことでの彼の話しぶりはかなり冷談なものだった。
真夜中を過ぎるとまもなく彼は立ちあがった。
「そろそろ寝たくなった、あるいは、せめてひとりでいたくなったよ…… あすの午前中はガレリア・ドーリアにいる。サラチェーニの模写をしてるんだよ。あの音楽を奏する天使に惚れてしまってね。どうか来てくれたまえ。きみがこのローマヘ来たのは、ほんとにうれしいよ。おやすみ」
そう言うと彼は出ていった、――ゆっくりと、落ち着いた様子で、活気のないものうげな歩き方だった。
つぎの一カ月間は全部、ぼくは彼といっしょにローマ市内を歩きまわった。ローマはいっさいの芸術のあふれるばかりに豊かな博物館である。南国の近代的な大都会である。騒がしくて、めまぐるしくて、はげしくて、気のきいた生活に満ちていながら、しかも暖かい風が東洋のむし暑いけだるさを運んでくる都会である。そのローマをぼくらは歩きまわったのだった。
パーオロの挙動はいつも同じだった。たいていはきまじめな顔をして黙っているが、ときどきは活気のない疲れた様子に沈みこんでしまうこともあり、そうかと思うと、やがて目を輝かしながら、だしぬけに気力をふるい起こして、とぎれた会話を熱心につづけてゆくこともあった。
ぼくは彼がつぎのような言葉をもらしたある日のことを、ここで言わなければならない。そのときの彼の言葉は、いまにしてやっと、ぼくにその本当の意味がつかめてきたのである。
それはある日曜日のことだった。ぼくらは、すばらしい晩夏の朝に誘われてアッピア街道へ散歩に出かけたのだが、この古代からの街道をはるか郊外までたどっていったあとで、いとすぎの木立ちにかこまれたあの小さな丘の上で休んだ。その丘からは、あの巨大な水道を走らせた明るいカンパニアと、やわらかな|靄《もや》につつまれたアルバーノの山々との、うっとりとするほど美しい眺望を楽しむことができるのである。
パーオロは半ば横になって、顎を手で支えたまま、ぼくと並んで暖かい草地の上に休みながら、疲れたような、ぼんやりとかすんだ目で遠くのほうをながめていた。やがてまたいつものように、完全な無感覚からだしぬけにふるい立つようにして、彼はぼくにこう話しかけた。
「この空無の感じ!――空無の感じがすべてなんだよ!」
ぼくは何か同調するようなことを答えた。そしてまたどちらも黙った。それから突然、まったくやぶからぼうに、押し迫るようなはげしさでぼくのほうへ顔を向けながら、彼はこう言った。
「ねえ、きみ、ぼくがいまだに生きているなんて、ほんとは妙なことだと思いはしなかったのかい?」
ぼくは当惑して黙っていた。彼はまたもの思いに沈むような顔つきで遠くのほうをながめた。
「ぼくは――妙なことだと思うね」と、彼はゆっくりした口調で言葉をつづけた。「結局ぼくは毎日それを不思議がってるんだ。いったいきみは、ぼくの身体がどんなふうだか、知っているのかい? アルジールにいたフランス人の医者がぼくにこう言ったんだよ、『どうしてあなたがそういつまでも旅行してまわれるものか、人間の頭でわかることじゃありません! 悪いことは言わないから、お国へ帰ってベッドにおつきなさい!』ってね。この医者は毎晩ぼくといっしょにドミノをやっていた相手だから、いつもそんな遠慮のない口をきいていたんだよ。
それでも、ぼくはあいかわらず生きている。そして、ほとんど毎日のようにだめになるんだよ。晩にくらがりのなかで横になっていると、――右を下にしてだよ、いいかい!――すると心臓が喉のところまで動悸を打ってくる、めまいがして、どっと冷汗が出てくる、そうなると突然、死の手にふれられるような気がしてくる。一瞬間からだのなかのものが全部とまってしまうようなぐあいで、心臓が鼓動しなくなり、呼吸ができなくなる。そこではっと飛び起きて、明りをつけて、深い息をつきながら、あたりを見まわして、そこらにあるものをまじまじとみつめる。それから水を一口飲んで、またもとどおりに横になる。いつも右を下にしてなんだよ! そうやってだんだんと寝つくんだ。
ぼくは非常に深く非常に長く眠る。じっさいいつも死ぬほど疲れているんだからね。そうしようと思えば、このままここで横になって死んでしまえるんだが、ほんとだと思うかい?
この数年間にぼくはもう何度と数えきれないほど死に直面したことがあると思う。しかし、ぼくは死にはしなかった。――何かに支えられているんだよ。――ぼくははっとして飛び起きて、何かを考える。ある文句にしがみついて、それを二十回もくり返す。そのあいだぼくの目は、身のまわりにあるいっさいの光やいのちをむさぼるようにまじまじとみつめるんだ…… ぼくの言うことがわかるかい?」
彼は身動きもしないで横たわったまま、返事などほとんど期待していないらしかった。その彼にどう返事したか、ぼくはもう覚えていない。しかし、そのときの彼の言葉がぼくに与えた印象は、ぼくはけっして忘れることはあるまい。
それからあの日のことになる――ああ、ぼくにはあの日の経験がまるできのうのことのように思われる!
それはあの灰色の、無気味なほど暖かい、初秋のある日だった。アフリカから渡ってくるしめっぽい、息苦しい風が往来を吹き抜けて、晩になると空一面にたえず稲妻がひらめくという日々のある日だった。
その日の朝、ぼくは散歩に連れ出すつもりでパーオロのところへ行った。ところが、彼の大きなトランクが部屋のまんなかに出してあって、戸棚も|箪笥《たんす》も広くあけ放してあった。東洋で描いた彼の水彩のスケッチとヴァティカンにあるユーノーの首の石膏の模像とだけが、まだもとの場所においてあった。
彼自身はまっすぐに身を伸ばした姿勢で窓辺に立っていたが、ぼくが驚きの叫びをあげながら立ちどまったときにも、じっと身動きもしないで外をながめつづけていた。それから彼はくるりとふり返って、ぼくに一通の手紙をさしのべながら、ひとことだけ言った。
「読んでみたまえ」
ぼくは彼の顔をみつめた。黒い目を熱ばませた、この|細面《ほそおもて》の、黄ばんだ病人らしい顔には、他の場合なら死だけが呼びおこすことのできる表情、ぞっとするような|厳粛《げんしゅく》さが浮かんでいた。その表情がぼくの目を、受け取った手紙の上に落とさせたのである。ぼくは読んだ。
[#ここから1字下げ]
敬愛するホフマン兄!
貴兄のご住所を知ることができたのは、わたしのおたずねにたいしてご親切にもお答えくださった貴兄のご両親さまのおかげですが、いまは貴兄がこの手紙をこころよくお受け取りくださることを願っています。
敬愛するホフマン兄、こう断言することを許してもらいますが、この五年のあいだわたしはつねに誠実な友情をもって貴兄のことを思っていました。もしあの貴兄にもわたしにも、非常に心苦しかった日の突然のご出立が、わたしやわたしの家族にたいするお腹立ちを示すものであると取らなければならないとすれば、そのことについてのわたしの悲しみは、貴兄がわたしに娘との結婚を申し込まれたときにわたしが感じた驚きや深い意外の念よりも、いっそう大きいものでありましょう。
あのときわたしは男対男として貴兄にお話ししました。なぜわたしが――これはいくら強調しても強調し足りないことですが――あらゆる点で非常に尊重している人に、わたしの娘との結婚をおことわりしなければならないかという理由を、|腹蔵《ふくぞう》なく正直に、残酷と思われる危険さえおかして、貴兄にお伝えしたのです。またわたしは、ひとり娘の末長い幸福を念頭においていて、もしも娘が結婚の可能性を考えるようなことにでもなったら、双方におけるその種の願望の芽ばえをあくまで摘み取ったにちがいない父親として、貴兄にお話ししたのです。
敬愛するホフマン兄、わたしはきょうも同じ資格で、すなわち、友人として、また父親として、貴兄にお話しします。――貴兄のご出立以来五年の月日が流れました、そして、わたしはこれまで、貴兄が娘に感じさせることのおできになった愛情がどれほど深く娘の心に根をおろしているのか、それを認める暇もなかったのでしたが、最近のこと、わたしの目を完全に開かせずにはおかないような一つの事件が起こりました。娘が、貴兄のことを思っているために、わたしが父親としてせつに取りなさずにはいられなかったある優秀な男の求婚をことわってしまったのです。このことをわたしが貴兄に隠しておかなければならないわけがあるでしょうか?
娘の感情と願望とにたいしては歳月もなんら力をふるうことなく過ぎ去ったのです、そして、もしも――これは腹蔵のない謙虚なおたずねです!――貴兄においても、敬愛するホフマン兄よ、同じ事情であるとしますなら、わたしども両親はこの先わが子の幸福の邪魔はすまいと思っているということを、わたしはこうして貴兄に言明いたします。
ご返事をお待ちしています。どんな意味のご返事であれ、わたしは非常に感謝することでしょう。この手紙にはわたしの心からの尊敬の言葉をつけ加えて結びといたします。敬具
男爵オスカル・フォン・シュタイン
[#ここで字下げ終わり]
――ぼくは目をあげた。彼は両手を背にまわして、また窓のほうに向いていた。ぼくはただ、
「立つわけだね?」とだけたずねた。
ぼくの顔は見ずに、彼は答えた。
「あすの朝までに荷物をまとめなければならない」
その日は、ぼくも手伝って、いろんな買い物や荷作りで暮れた。晩になってから、ぼくの提案で、ぼくらはローマのあの町この町と最後の散歩をした。
その日は晩になってからもほとんどたえきれないほどのむし暑さで、空には一秒ごとにぱっぱっと燐光がひらめいた。――パーオロは静かな疲れた様子だった。しかしその息づかいは深くて重かった。
黙ったり、どうでもいいような言葉をかわしたりしながら、一時間ほどぶらぶら歩きまわったのち、ぼくらはフォンターナ・トレーヴィのまえ、疾走する海神の車馬を表現したあの有名な噴水のまえに足をとめた。
ぼくらはそのときもまた長いあいだ、感嘆しながら、このきらびやかな活気にあふれた群像をながめていた。たえまもなしに青白い閃光を浴びるその群像は、ほとんど神秘的な感じがした。連れのパーオロはこう言った。
「いや、たしかに、ベルリーニはその弟子の作品を見ても|恍惚《こうこつ》とさせるね。彼をけなす者がいるなんて、ぼくにはわからないことだ。――もちろん、あの最後の審判が絵よりも彫刻に近いものとすれば、ベルリーニの作品はすべて彫刻よりも絵に近いものだよ。しかし、彼にまさる偉大な装飾家なんているだろうか?」
「ところで、きみは」とぼくはたずねた。「この噴水にどんないわくがあるか知ってるかい? ローマと別れるときにこの水を飲む者は、またローマに帰ってくるというんだ。さあ、ぼくの旅行用のコップがある――」と言ってぼくは噴きあげる水柱の一つでコップを満たした――。「きみはきみのローマに再会すべきだよ!」
彼はコップを取って唇へ持っていった。その瞬間、空が一面に、まばゆいばかりの長くつづく火光でぎらぎらと燃えあがった。そして、がちゃんと音を立てながら、薄いコップは水盤の縁にあたってこなごなに砕け散った。
パーオロは服にかかった水をハンカチで拭いた。
「神経質なもんで、へまをやらかしたよ」と彼は言った。「もう行こう。あのコップは別に大事なものじゃなかったんだろうね」
翌朝になると天気は晴れていた。ぼくらが駅へ馬車を走らせたときには、頭上に淡青の夏空が笑っていた。
別れは簡単だった。ぼくがパーオロの幸福を、多幸を祈ると、彼は黙ったままぼくの手を握った。
胸を張って大きな展望窓のそばに立っている彼の姿を、ぼくは長いあいだ見送っていた。彼の目には深い|厳粛《げんしゅく》さが宿っていた――そして勝利が。
ぼくにはこのうえ、なんの言うことがあるだろうか?――彼は死んだ。婚礼の夜の翌朝、――いやほとんど婚礼の夜に死んだのである。
それは当然そうなるはずのことだった。彼がこれほど長いあいだ死を克服してきたのは、ひとえに意志の、幸福への意志のおかげではなかったろうか? その幸福への意志が満たされたとき、彼は死なざるをえなかったのだ。闘争も抵抗もしないで死なざるをえなかったのだ。彼にはもはや生きるための口実がなかったのである。
ぼくは、彼が悪いことをしたのではないか、結婚をした相手の女にたいして意識的に悪いことをしたのではないかと考えてみた。しかし彼の葬式のときに、ぼくは彼の棺の枕がみに立っている彼女を見た、そして、彼女の顔にも彼の顔に見たのと同じ表情、勝利のはれやかな、力のこもった|厳粛《げんしゅく》さを認めたのである。
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幻滅
正直のところ、ぼくはこの奇妙な紳士の話にはまったく当惑させられてしまったのだ、そして、この話をなんとかくり返して、他の人々にもあの晩のぼく自身と同じような感動をあたえるなどということは、いまでもまだできないのではないかと思う。ひょっとすると、この話が感銘をあたえたのは、まるきり知らない男がぼくにこの話をしたときの、おかしいほどざっくばらんな態度のせいにすぎなかったのかもしれない……
あの知らない男がサン・マルコの広場ではじめてぼくの注意を引いたのは、秋の日の午前で、いまからほぼふた月まえのことになる。広場にはわずかな数の人々しか動きまわっていなかったが、おとぎ話にでも出てくるような豊かな輪郭や金色の装飾を、おだやかな淡青色の空の、うっとりさせるような明るさのなかにくっきりと浮き立たせた、あの多彩なすばらしい建物のまえには、そよそよと吹く海風になぶられて、旗がいくつかひるがえっていた。表玄関のすぐまえのところでは、若い女の子がひとり、トウモロコシをまいてやっていて、そのまわりに無数のハトがむらがり集まっていたが、四方八方からますます多くのハトがそこへ飛んでくる…… それはくらべものもないほど明るいはなやかな美しさを見せるながめであった。
そのときぼくは彼に出くわしたのである、そして、いまこれを書きながら、ぼくは異常なほどまざまざと彼の姿を目のまえに思いうかべている。彼は、中くらいの大きさもないほどの背丈で、ステッキを両手で背中に押しつけたまま、前かがみの姿勢でせかせかと歩いていた。黒い山高帽をかぶり、明るい色の夏オーバーを着て、濃い色の縞ズボンをはいていた。何かの理由でぼくは彼をイギリス人だと思った。彼は三十歳くらいらしかったが、ひょっとすると五十歳かもしれなかった。鼻がすこし厚ぼたくて、灰色の目が疲れた目つきをしている彼の顔は、ひげがきれいに剃ってあった、そして、その口もとにはいつも、謎のような、すこし間の抜けたうす笑いがただよっていた。ほんのときたま、彼は眉をあげながら、探るような目つきであたりを見まわして、それからまた目のまえの地面へ視線をおとし、ふたことみことひとりごとを言い、頭をふって、うす笑いをうかべるのであった。そんなようすで、彼は根気よく広場をあちこち歩いていたのである。
そのときからぼくは毎日彼を観察した、というのも、彼がほかには何もすることがないらしくて、天気の良い日も悪い日も、午前も午後も、いつもひとりで、いつも同じ奇妙な身ぶりをしながら、三十回から五十回ほど広場をあちこち歩いていたからである。
ぼくがいま心のなかで考えているあの晩には、軍楽隊の演奏があった。ぼくは、カフェー・フロリアンがずっと広場へ出して置きならべた小さなテーブルのひとつにすわっていた、そして、演奏会が終わってから、それまではぎっしりと詰まった人波になって、行きつもどりつ波を打っていた群衆がちりぢりになりはじめたとき、この知らない男が、いつものようにぼんやりとしたていのうす笑いをうかべながら、ぼくの横にあいたテーブルに席を取ったのである。
時間が過ぎていって、あたりはだんだんと静かになってきた、そして、テーブルはもうどこもみな空席になっていた。ときおりまだ、だれかがぶらぶら通りすぎてゆくということもほとんどないくらいで、どっしりとした平和の気配が広場にみなぎり、空は星におおわれていた、そして、はなやかな舞台効果のあるサン・マルコのファサードの上には半月がかかっていた。
ぼくは隣りの男に背を向けたまま、新聞を読んでいた、そして、彼をひとり残して立ち去ろうとしかかったちょうどそのとき、半ば彼のほうへ身を向けなければならないことになってしまった。それまでは身動きの音ひとつさえ聞かせなかったのに、その彼が突然ものを言いはじめたからである。
「あなたは、はじめてヴェニスヘいらしたのですか?」と彼はまずいフランス語でたずねた、そして、ぼくが苦労しながらイギリス語で答えようとすると、彼はなまりのないドイツ語を使いながら、低いしわがれ声で、話をつづけていったのである、そして、たびたび軽い咳ばらいをしては、その声に元気をつけようとするのであった。
「あなたはこういうものをみんな、はじめてごらんになるのですね? ご期待にそいますか?――それどころか、ひょっとするとご期待をしのぎますか?――ああ! もっと美しいもののようにはお考えにならなかったのですか?――それはほんとうのことですか?――そうおっしゃるのは、ただ、幸福な、羨望にあたいする人間のように思われたいからというだけのことではないのですか?――ああ!」彼はうしろにもたれかかって、せかせかとまばたきしながら、まったくの謎のような表情でぼくを見つめた。
会話がとぎれて、その合いの間が長くつづいた、そして、この奇妙な会話をどんなふうにつづけたらいいものかわからぬままに、ぼくがふたたび立ちあがろうとしかけたとき、彼はあわただしく前かがみに身を乗り出してきた。
「あなたは、幻滅とはどんなものだか、ご存じですか?」と、彼は両手でステッキにもたれかかりながら、低い感動的な声でたずねた。――「個々の事柄での不成功、失敗というのではなくて、大きな、普遍的な幻滅、いっさいが、人生全体があたえる幻滅をご存じですか? もちろん、あなたはそういう幻滅はご存じではない。しかし、わたしは幼いときからそういう幻滅を感じて歩きまわっているのです、そして、そういう幻滅のためにわたしは孤独になり、不幸になり、すこし風変わりになりました、そうでないとは言いません。
あなたには、わたしの話がまだおわかりにはなりますまいね? しかし、二分間だけお聞きくださるようにお願いできますなら、ひょっとすると、おわかりいただけるかもしれませんよ。二分間だけなぞといいますのは、申しあげてもよろしいのなら、話に手間は取らないからです……
それでは言わせていただきますが、わたしはごく小さな町の牧師の家で育ちました。その家の清潔すぎるほど清潔な部屋部屋には、古風で荘重な学者的楽天主義がみなぎっていて、家のなかで吸う空気は一種独特な、説教的雄弁の空気とでもいうものでした、――善と悪、美と醜とを言いあらわすあの大げさな言葉がかもす一種独特の空気だったのですが、こういう大げさな言葉をわたしは非常にはげしく憎んでいます、なぜなら、わたしが悩むようになったのは、ひょっとすると、こういう言葉のせいかもしれない、こういう言葉だけのせいかもしれないと思われるからです。
人生は、わたしにとっては、ただもう大げさな言葉から成りたっていました、というのも、わたしは人生について、こういう大げさな言葉がわたしの心に呼びおこした途方もない、そして中身のない予感のほかには何も知らなかったからです。わたしは人間からは崇高な善と身の毛もよだつような凶悪とを期待しました。人生からはうっとりさせるような美しいものと、ぞっとするような恐ろしいものとを期待しました。そしてわたしの心は、そういうすべてのものへの熱望でいっぱいになったのです。広びろとした現実への、どんな種類のものでもいいから体験への、酔わせるようにすばらしい幸福や、言うに言えないほど、予感もできないほど恐ろしい苦悩への、深い、不安でたまらないあこがれでいっぱいになったのです。
さて、わたしは悲しいほどにもまざまざと、わたしの人生の最初の幻滅を思い出しますが、どうか、この最初の幻滅がけっして何か美しい希望のしくじりというようなことではなくて、ひとつの不幸のはじまりだったことにお気づきくださるようお願いいたします。わたしがまだほとんど子供のときのことでしたが、ある夜わたしの父の家に火事がおこりました。火はこっそりと陰険に燃えひろがって、わたしの部屋のドアのところまで小さな二階家の全体が燃えあがったのです、そして、階段もやがて焔に呑まれそうになりました。この火事にだれよりも早く気がついたのは、わたしでした、そして、いまでもおぼえていますが、わたしは幾度も『そら、火事だぞ! そら、火事だぞ!』という叫び声を立てながら、家のなかを駆け抜けたのでした。わたしはいまこの言葉を非常にはっきりと思い出します、そしてまた、当時のわたしにはほとんど意識されなかったことでしょうが、いまのわたしにはこの言葉のもとになっていた感情がよくわかります。これが大火事というものなんだぞ、とわたしはそのとき感じたのです。いま自分は大火事を体験しているのだぞ! もっとひどいものではないのだろうか? これで全部なんだろうか?……
ほんとうに、この火事はぼやではなかったのです。家がすっかり焼けてなくなり、わたしたちはみんな、かろうじて最悪の危険をまぬがれたのでした、そして、わたし自身はかなり大きな怪我をしたのです。わたしの空想がいろいろな事件の先まわりをして、実家の火事ということももっと恐ろしいものに想像していた、というような言い方をするのも正しくないと思います。しかし、ある漠然とした予感、何かもっともっと恐ろしいことがあるという実体のない観念が、わたしの心のなかに生き生きと動いていたのでした、そして、それにくらべると現実は生気のないものに見えたのです。この大火事はわたしの最初の大きな体験でした、つまり、ある恐ろしい希望がそのために幻滅させられてしまったのです。
わたしが自分の幻滅をひとつひとつお知らせしてゆくのではないか、などというご心配はなさらないでください。わたしは、自分が不幸な熱中ぶりを発揮しながら、人生にたいするすばらしい期待を、たくさんの本、つまり、詩人たちの作品で育てあげたことを言うだけにとどめます、ああ、わたしは彼らを、この詩人たちを憎むようになりました、詩人なんて、自分たちの大げさな言葉を壁という壁に書きつけたがり、できればヴェスヴィオ火山にひたした杉の木を筆がわりにして、大げさな言葉を大空に書きつけたがるという連中です、――ところがわたしは、大げさな言葉はすべていつわりか、あるいはあざけりだと感じないではいられません!
有頂天になった詩人たちは、言語は貧しい、ああ、言語は貧しい、とわたしに歌って聞かせました、――いや、そんなことはありませんよ、あなた! 言語は豊かだ、とわたしは思います、人生のみすぼらしさや狭さにくらべるなら、言語は限りもなく豊かですよ。苦痛には限度があって、肉体的苦痛の限度は気絶ですし、精神的苦痛の限度は無感覚です、――幸福にしても同じことですよ! ところが、思うことを他人に伝えたいという人間の欲望が、この限度を越えて嘘をつく音声、つまり、大げさな言葉を発明したのです。
こうなるのはわたしのせいなのでしょうか? ある種の言葉の作用がわたしの|脊髄《せきずい》をつたいおりていって、それらの言葉が全然ありもしない体験の予感を呼びおこす、というだけのことなのでしょうか?
わたしは、何かわたしの大きな予感にぴったり合うような体験をしたいというこの熱望でいっぱいになって、有名な人生のなかへはいってゆきました。ところが、どうして、そんな体験はわたしにはあたえられなかったのです! わたしはあちこちさまよい歩いて、地上のもっともほめそやされた地方をいくつかおとずれてみたり、人類が最大級の言葉でたたえながら、そのまわりを踊りまわるいろいろな芸術作品のまえへ進み出てみたりしました。わたしはそのまえに立って、心のなかでこう言いました、これは美しい。それにしても、もっと美しくはないのだろうか? これで全部なんだろうか?
わたしには実際の事実を理解する感覚がないのです。ひょっとすると、これが万事を説明してくれるのかもしれません。世界のどこかで、わたしはあるとき、山脈のなかの深い狭い峡谷のふちに立ちました。むき出しの岩壁が垂直に切り立っていて、下のほうには水が岩塊をおどり越えながら、ごうごうとたぎり流れていました。わたしは見おろして、もしころがり落ちたら、どうなるだろう? と思いました。しかし、わたしはもう自分にこう答えるだけの経験を積んでいたのです、つまり、もしそんなことになったら、わたしは落ちながら自分にこう言うだろう、いまおまえは落ちてゆくところだぞ、これは事実だぞ! それがいったいどうだというんだ?――
わたしにもすこしは人に語るに足るだけの経験があるということ、これは信じていただけるでしょうか? 数年まえのことですが、わたしはある娘を愛しました、やさしい、しとやかな娘でしたから、わたしはその娘を自分の手で引いて、保護してやりながら、導いてゆきたいものだと思ったのです、ところが、その娘はわたしを愛してくれなかった、それは別に不思議なことでもなかったのです、そして、わたしとは違う男がその娘を保護することになりました…… これよりも悩ましい体験があるでしょうか? 肉欲と残酷なまざり合い方をしているこのきびしい圧迫よりも苦しいものがあるでしょうか? わたしは幾夜かまんじりともしないで横になっていました、そして、そのあいだじゅう、ほかの何よりも悲しくて苦しかったのは、自分のこういう考えだったのです。これは大きな苦痛というものだぞ! いま自分はそれを体験しているのだぞ! それがいったいどうだというんだ?――
わたしの幸福のこともお話しする必要があるでしょうか? つまり、わたしは幸福も体験しましたし、幸福にも幻滅させられたからですがね…… その必要はありますまい、というのも、こんなことはみなぶざまな例ですから、わたしを幾度も幾度も幻滅させたものが全体としての人生、平凡な、退屈な、気の抜けたなりゆきをたどる人生そのものだということは、こんな例ではおわかりいただけないだろうと思います。
あの若いヴェールテルはこんなふうにも書いていますよ、『半神とまでほめそやされているこの人間とは、いったい、どういうものなのだ? 人間は、もっとも力を必要とするときにこそ、力が不足するのではなかろうか? 喜びに興奮したり、悩みに圧倒されたりするとき、人間はそのどちらの場合にも、みなぎりあふれる無限なるもののなかに没入したいとあこがれながら、そういうところでこそ、ひきとめられるのではなかろうか、そういうところでこそ、鈍感な冷淡な意識へつれもどされるのではなかろうか?』と。
わたしは、自分がはじめて海を見た日のことをよく思い出します。海は大きい、海は広い、わたしは視線を浜辺から沖のほうへさまよわせながら、これで解放されるのだなと思いました、ところが、海のはるかかなたには水平線があったのです。なぜわたしに水平線なんかがあるのでしょう? わたしは人生から無限なものを期待してきたのですからね。
ひょっとすると、この水平線、わたしの水平線は、ほかの人々のよりも狭いのでしょうか? わたしは、自分には実際の事実を理解する感覚が欠けている、と言いました、――ひょっとすると、その感覚がありすぎるのでしょうか? わたしはあまりにもすぐに力がなくなるのでしょうか? あまりにも早く疲れてしまうのでしょうか? 幸福にしろ苦痛にしろ、わたしはもっとも低い程度のもの、薄められた状態のものしか知らないのでしょうか?
そうだとは思いません、そして、わたしは人間を信じません、人生に直面して詩人連中の大げさな言葉に同意するような人間はもっとも信じません、――詩人連中の大げさな言葉に同意するなんて、卑怯で嘘なのです! それはそうと、あなたは、ひどく見えを張って、他人から尊敬されたり、ひそかに羨まれたりしたくてたまらないために、幸福についての大げさな言葉のほうだけを体験して、苦悩についての大げさな言葉は体験したことがないというようなふりをする人々がいることにお気づきですか?
あたりは暗いし、あなたはもうわたしの話をほとんど聞いておられない、ですから、わたしはきょうもう一度自分に白状しようと思いますが、わたしも、わたし自身も、かつては自分にも他人にも自分が幸福なように見せかけようとして、いま言った人々といっしょに嘘をつこうとしたことがあるのです。しかしもう何年もまえに、この見え張りは腰くだけになってしまいました、そして、わたしは孤独になり、不幸になり、すこし風変わりになりました、そうでないとは言いません。
わたしの好きな仕事は、夜の星空をながめることです、というのも、これは地上や人生から目をそらす一番いい方法ではないでしょうか? そして、星空をながめながら、わたしが、すくなくとも自分の予感をそのままに持ちつづけたいと願うのは、たぶん許されることではないでしょうか? 現実が幻滅の悩ましい残りかすなどをともなわずに、わたしの大きな予感にとけこむような、解放された人生を夢みること、水平線などはもうない人生を夢みること、それはたぶん許されることではないでしょうか?……
わたしはそういう人生を夢みています、そして、わたしは死を待ちもうけています。ところが、ああ、わたしはこの死というもの、この最後の幻滅を、すでにもうまざまざと知っているのです! これが死というものなんだな? とわたしは最後の瞬間に自分にむかって言うことでしょう、いま自分は死を体験しているのだぞ! ――〈それがいったいどうだというんだ?〉――
それにしても、あなた、広場が寒くなってきましたね。わたしにだってそれは感じられますよ、ヘヘ! ねんごろにおいとまをいたします。さようなら……」
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小さなフリーデマン氏
乳母の罪だったのである。――最初疑わしいと思ったときに、フリーデマン領事夫人は乳母に、そんな悪習はおさえつけてしまいなさいと、きびしくたしなめたのだが、それがなんの役に立ったろう? 夫人は乳母に、滋養分のあるビールのほかに毎日赤ぶどう酒を一杯ずつ飲ませてやったのだが、それがなんの役に立ったろう? この女はアルコール・ランプに使うはずのアルコールまでも飲んでしまうということが、突然わかったのである。そして、かわりの女中が来なくて、この女に暇をやることができずにいるうちに、あの不幸がもちあがったのであった。母とまだ幼い三人の娘とが、ある日外出から帰ってきたとき、生まれてひと月ばかりの小さなヨハネスは|襁褓《おむつ》台からころがり落ちて、びっくりするほどかすかなうめき声を立てながら、床の上に横たわっていた。そして、そのかたわらに乳母がぼんやりと立っていたのである。
医者は、曲がってひくひくふるえている|乳飲児《ちのみご》の手足を、慎重なたしかさで調べながら、非常に、非常に真剣な顔をした。三人の娘はすすり泣きながら部屋の片隅に立っていた。そしてフリーデマン夫人は心痛のあまりに、声に出して祈っていた。
気の毒な夫人は、まだこの子が生まれないまえに、オランダの領事だった夫を、突然のはげしい病気によって奪い去られるという目に会わなければならなかった。そのために夫人はまだあまりにも心がうちひしがれていて、小さなヨハネスには死んでもらいたくないと希望するだけの気力さえなかったのである。しかし、二日たつと、医者は夫人の手を励ますように握りしめながら、はっきりとこう言った、直接の危険というようなものはもうまったくない、何よりも脳の軽い障害が完全になおってしまった、それは視線から当初のような、すわった表情がすっかり取れてしまったのを見てもわかる…… もちろん、その他の点ではこれがどんなふうになってゆくか、経過を見るほかはないけれども――とにかく最善を期さなければならない、さっきも言ったように、最善を期さなければならない……
ヨハネス・フリーデマンが育った灰色の|破風《はふ》造りの家は、この古い、やっと中くらいな大きさの商業都市の北門のそばにあった。表口をはいると、床石を敷いた広い玄関の間があって、そこから白く塗った木の手すりのついた階段が上の階へ通じていた。二階にある居間の壁布に描かれた風景は、もう色がさめていた、そして、深紅のフラシテンの布を掛けた、どっしりとしたマホガニーのテーブルのまわりには、よりかかりの堅い椅子がいくつか置いてあった。
ヨハネスは子供のころ、よく、この部屋のいつも美しい花に飾られた窓辺で、母の足もとの小さな足台に腰をかけたまま、母のなめらかな灰色の髪や、人のよいおだやかな顔をながめながら、また、母のからだからたえずただよってくるかすかな香りを吸いながら、何か不思議なおとぎ話に耳をすましていた。あるいはまた、父の肖像を見せてもらうこともあったが、父は灰色の頬ひげをたくわえた、やさしそうな人だった。お父さまは天国にいらしって、そこでみんなを待っておいでなのよ、と母は言った。
家の裏手に小さな庭があって、近くにある製糖場からほとんどいつも、甘昧のある臭気が流れてきはしたものの、みんなは夏のあいだは一日の大半をそこで過ごすならいだった。そこには、ふしくれだった古いくるみの木が一本あったが、小さなヨハネスはよくその木かげで低い木椅子に腰をかけて、くるみを割った。その一方では、フリーデマン夫人と、もう大人になった三人姉妹とが、灰色の帆布で作った天幕のなかに集まっていた。しかし、母のまなざしは、しばしば手仕事から離れて、悲しげな親しみをこめながら小さな男の子のほうへすべってゆくのだった。
この小さなヨハネスは美しい子ではなかった。とがって突き出た胸と、高く盛りあがった背と、あまりにも長すぎる痩せこけた腕とをつけた彼が、うずくまるようなかっこうで低い|床几《しょうぎ》に腰かけたまま、すばやく、熱心に、くるみを割っている様子は、すこぶる奇妙な見ものだった。しかし、彼の手や足はきゃしゃな形ですらりとしていたし、目は大きくて、しか毛色で、唇の線はやわらかく、髪は細くて淡褐色だった。顔は、見るもむざんに、両肩のあいだにうずもれてはいたが、それでもほとんど美しいと言ってもいいくらいだった。
七つになったとき、彼は学校に入れられた、そして、その後の月日は単調にさっさと過ぎていった。彼は毎日、せむしによくある、あの変にもったいぶった歩き方で、|破風《はふ》造りの家々や商店のあいだを通って、ゴシック式の円天井のある古い校舎ヘかよっていった。そして、家では勉強をすませてしまうと、彩色した美しい口絵入りの本でも読むか、あるいは庭で何かをしたりした。姉たちは病気がちな母を助けて所帯のきりもりをしていた。彼女たちはまた社交的な集まりにも出かけていった。フリーデマン家がこの町の上流階級に属していたからである。しかし残念ながら彼女たちはまだ結婚していなかった。財産がそれほど大きいわけではなくて、しかも彼女たちがかなりみにくかったからである。
ヨハネスもやはり同年輩の友達からときどき招待を受けたが、彼はそういう友達との交際をあまり喜ばなかった。彼は彼らの遊びの仲間入りをすることはできなかったし、それに、彼らのほうでは彼にたいしていつもぎごちない遠慮ばかりしていたので、ほんとうの同輩関係というものの生まれるわけがなかったのである。
そのうちそういう時期になって、彼は、みんなが校庭で、よく、ある種の体験を語り合うのを聞くようになった。みんながそれぞれあの少女やこの少女に夢中になっているというような話に、彼は注意をこらして、目を大きくしながら聞き耳を立てていたが、しかし自分では口を出さなかった。こういう事柄は、明らかにみんなの頭をいっぱいにしているらしいが、体操やボール投げと同じように自分には向かないことなのだ、と彼は思っていた。そう思うと、ときどき、すこし悲しくなったが、しかし結局のところ、彼は前々から、自分ひとりで暮らして他人とは利害を共にしないという行き方に慣れていたのである。
それでもこんなことが起こった。彼は――そのとき十六になっていたが――同じ年のある少女が急に好きになったのである。その少女は彼の同級生の一人の妹で、金髪の、度はずれて陽気な娘だった。その兄のところで彼は彼女と知り合ったのである。彼女のそばにいると彼は妙な胸苦しさを感じた、そして、彼女もまたぎごちない、わざと親切ぶるような調子で応接するのが、彼の心を深い悲しみでみたした。
ある夏の午後ひとりで郊外の土手の上を散歩していたとき、彼はジャスミンの藪かげに、ささやく声のするのを聞きつけて、枝のあいだから注意深く様子をうかがった。そこにあるベンチに、あの少女が、彼の非常によく知っている背の高い赤髪の少年と並んで腰かけていた。片腕を少女のからだにまわしていた少年が、少女の唇に接吻すると、少女はくすくす笑いながら接吻を返した。そのさまを見とどけたヨハネス・フリーデマンは、きびすを返して、そっとその場を立ち去った。
彼の首はいつもより深く左右の肩のあいだに沈んで、両手はわなわなとふるえていた、そして、鋭い、急迫した苦痛が胸から|喉《のど》へこみあげてきた。しかし彼はそれをおし殺して、できるだけ決然と胸を張った。「よし」と彼は自分に言い聞かせた、「これでおしまいだ。こんなことはけっしてもう二度と気にしないぞ。ほかの人たちはこれで幸福になったり喜んだりするが、ぼくはこれでいつも悲しんだり苦しんだりするだけなのだ。こんなことはもう終わりにする。これはもうぼくには済んだことだ。けっして二度とはしないぞ――」
そう決心してみると彼は気持が楽になった。彼はあきらめた、永久にあきらめた。家へ帰ると、彼は本を手に取ったり、ヴァイオリンを弾いたりした。胸が奇形になってはいたものの、彼はヴァイオリンを習いおぼえていたのである。
十七歳で彼は商人になるために学校をひいた。彼の社会ではだれもが商人だったのである。彼は川ぞいの|下手《しもて》にあるシュリーフォークト氏の大きな材木店に見習いの格で入社した。みんなは彼を寛大に扱ったし、彼は彼であいそうよくみんなの意をむかえるようにしたので、時は平和にむらなく過ぎていった。ところが彼の二十一の年に、長らくわずらったあげくに母が死んだ。
それはヨハネス・フリーデマンにとって大きな苦痛だった。彼はその苦痛を長いあいだ胸に抱いていた。それを、その苦痛を彼は享楽したのである。大きな幸福に身をゆだねるときのようなやり方で、彼はその苦痛に身をゆだねると、幼少のころのかずかずの思い出でそれを養いながら、最初の強烈な体験として徹底的に味わいつくしたのである。
人生というものは、われわれがそれを「幸福な」と呼べるような形を取ろうが取るまいが、それ自体で良いものなのではないだろうか? ヨハネス・フリーデマンはそう感じた、そして彼は人生を愛した。人生がわれわれに与えることのできる最も大きな幸福をあきらめてしまった彼が、自分の手に入れうるかぎりの喜びを、どんなに細心の注意をはらいながら享楽することができたか、だれにもわかるものではない。春の季節に郊外の遊園地でする散歩、ある花の香り、ある鳥のさえずり――われわれはこういうものをありがたいと思わずにいられるだろうか?
それから、享楽する能力を持つためには教養が必要であること、いや、教養とはつねにそのまま享楽する能力であること――このことも彼は理解した、そして教養を積んだ。音楽が好きだったから、およそこの町で催されるような音楽会には彼はかならず出かけていった。そして自分でも、ひどく奇妙なかっこうをしながらではあったが、次第にヴァイオリンをうまく弾けるようになって、美しいやわらかな音をかなでることができると、そういう音の一つ一つを楽しんでいた。また彼は大いに本を読みながら、時のたつにつれて、おそらくこの町では彼と並ぶ者もないほどな文学的趣味をわがものにした。彼は内外の新刊書に通じていて、詩のリズムの魅力を味わいつくすこともできたし、微妙に書かれた短編小説の内密な気分を汲みとることもできた……ほんとに、彼は享楽主義者だと言ってもいいくらいだったのである。
どんなものにしろすべて享楽する価値があって、幸福な体験と不幸な体験とを区別するなどはほとんどばかげているということを、彼は理解するようになった。そして、自分の感情や気分はすべてどしどし受け入れて、ゆううつなものも、ほがらかなものも養い育てた。満たされない願望をも、――あこがれをさえも養い育てたのである。彼はあこがれをあこがれそのものとして愛して、もしあこがれが満たされたなら、そのいちばん良いところもなくなってしまうだろうと考えていた。ひっそりとした春の宵の甘い、せつない、定かならぬあこがれや期待のほうに、夏がもたらすことのできるいっさいの実現よりも、より多くの享楽があるのではないだろうか? そう考えていたのである。――そうだ、彼は、この小さなフリーデマン氏は享楽主義者なのだ!
往来で会うと、彼が昔からなれっこになっているあの思いやりをまじえた親しげな仕方で彼に挨拶をする人々は、おそらく、そんなことは知らなかっただろう。明るい色のオーバーを着て、ぴかぴか輝くシルクハットをかぶり――妙なことに彼はすこしおしゃれだった――例のおどけたようにもったいぶった歩き方で往来を行進してゆくこの不幸なかたわ者は、大きな感動などは持たないながら、自分で作ることのできた、もの静かなやさしい幸福にみたされて、おだやかに流れてゆく生活をやさしく愛していたのだったが、それを彼らは知らなかったのである。
ところで、フリーデマン氏の第一の趣味、彼がほんとうに情熱をかたむけていたのは、演劇だった。彼は非常に強い演劇感覚の持ち主で、何か大きな舞合効果があがるところ、たとえば悲劇の大詰めというようなところになると、彼の小さなからだの全体がわなわなとふるえ出すこともあった。市立劇場の二階に定席を取っておいて、彼は規則正しく観劇にかよったが、ときどき三人の姉たちが同行することもあった。姉たちは母が死んでから、自分たちと弟とのために、三人だけで古い家の家政をつかさどっていた。その家は姉たちと弟とが共同で持っていたのである。
姉たちは残念ながらいまだに結婚していなかったが、しかし、もうとっくにその分に安んずる年輩になっていた。長姉のフリデリーケなどフリーデマン氏より十七も年上だったからである。彼女とその妹のヘンリエッテとはすこし細長すぎたし、末の妹のプフィフィーはあまりにもちびで、ふとりすぎていた。それにこのプフィフィーには、何か言うたびにからだをゆすって、口のすみに泡を立てるというおかしな癖があった。
小さなフリーデマン氏は、いまだに結婚しないこの三人の姉たちのことをあまり気にかけなかったが、三人のほうでは誠実に団結していて、いつでも意見が一致していた。とくに、知人のあいだに婚約が結ばれると、そのたびに三人は口をそろえて、これは非常によろこばしいことですと強調するのだった。
弟はシュリーフォークト氏の材木店勤めをやめて独立してからも、やはり姉たちといっしょの家に住みつづけた。彼の独立というのは、代理店か何か、そういうたぐいのある小さな業務を引き受けたことで、それにはあまり忙しい仕事はなかったのである。彼は家の地階に二つ三つ自分の部屋を取って、食事のときだけ階段を昇っていけばいいようにしたが、それは、ときどき軽い|喘息《ぜんそく》をわずらうことがあるからだった。――
三十回目の誕生日、よく晴れた暖かい六月のある日のこと、昼食のあとで彼は、ヘンリエッテが作ってくれた新しい頭ささえにもたれて、口には上等の葉巻をくわえ、手には良い本を持って、庭の灰色の天幕のなかにすわっていた。そして、ときどき本をわきへ寄せては、くるみの老木にとまった雀どもの楽しげなさえずりに耳をかたむけたり、家のほうへ通じている清らかな砂利道や、とりどりの色を浮かべた花壇のある芝生をながめたりした。
小さなフリーデマン氏は、ひげをはやしていない。その顔は前とほとんど変わっていなかった。ただ目鼻立ちがすこし鋭くなっただけである。細い淡褐色の髪は横のほうへなめらかに分けてあった。
一度、本をすっかり膝の上へ落としてしまって、まばたきしながら青い明るい空を見あげたとき、彼は心のなかでこう言った、「これでもう三十年たったわけか。この先まだ十年生きるか、あるいはまだ二十年生きるか、神ならぬ身にはわからない。この先の年月も過ぎ去った年月と同じように、そっと音もなくやってきては、そっと音もなく過ぎ去っていくだろう。おれは安らかな心でその年月を待っているのだ」
同じ年の七月に、連隊区司令官の|更迭《こうてつ》ということが起こって、だれもかれもが興奮させられた。永年のあいだこの地位についていた肥満した陽気な人は、社交界で非常に人気があったので、人々は彼と別れるのを残念がった。ところで、どんな事情があってとくにフォン・リンリンゲン氏が首都からここへやってきたものか、それはだれにもわからない。
とにかく、この交代は悪くはなさそうだった。結婚してはいたものの子供のないこの新任の中佐が、南の郊外に、非常にひろびろとした別荘を借りたので、これはぜいたくな暮らしをするつもりだなと推量されたからである。いずれにしろ、彼の非常な財産家だという噂は、彼が下男を四人、乗馬と馬車馬とを五頭、四人乗りの馬車と軽い猟用馬車とを一台ずつ携えてきたことでも保証された。
中佐夫妻は到着後まもなく上流の家庭を訪問しはじめた、そして、夫妻の名はあらゆる人々の口にのぼった。しかし、いちばん人々の関心を集めたのは、けっしてフォン・リンリンゲン氏その人ではなくて、その夫人のほうだった。男たちはぼうぜんとして、さしあたりはなんとも判断をくだしかねていたが、しかし、女たちはゲルダ・フォン・リンリンゲンの人柄や態度にどうしても賛成しなかった。
「首都の空気が感じられるのは」と、ハーゲンシュトレーム弁護士夫人がヘンリエッテ・フリーデマンと話しながら言った、「それはまあ、あたりまえのことですわ。あの方はたばこをお吸いになる、馬にお乗りになる、――けっこうですとも! だけど、あの方の態度は、無遠慮というばかりじゃなくて、学生流の無作法ですわ、いえ、学生流といってもまだぴったりする言い方にはなりませんけど……ねえ、あの方はけっして不器量じゃありませんわね。それどころか、きれいだと思う人だってあるかもしれませんよ。それにしても、あの方には女らしい魅力というものがひとつもおありにならない。目つきにも、笑い方にも、身のこなしにも、男の方の気に入るようなところを何ひとつとしてお持ちにならないんです。あの方は、なまめかしくなんぞなさらない。もちろん、それだから感心できないなんて、けっして申すわけじゃありませんのよ。だけど、あんなにお若い婦人が――二十四ですのよ――生まれつきの品のよい魅力というものを……ぜんぜんお持ちにならないでいいものでしょうか? ねえ、わたくし口の達者なほうではありませんけど、それでも出まかせなことは申しませんわ。町の男の方たちはいまでもまだ、あっけにとられていらっしゃいますけど、見ていてごらんなさい、もう二、三週間もすれば、すっかりいや気を起こして、あの方からそっぽ向いておしまいになりますわよ」
「でも」とフリーデマン嬢は言った、「あの方はほんとにすばらしいご身分ですわ」
「そうですとも、ご主人のおかげですわ!」とハーゲンシュトレーム夫人は叫んだ。「だけど、そのご主人をどんなふうに扱っておいででしょう? それはぜひごらん願いたいと思いますわ! いずれはごらんになりますとも! わたくしだれよりも先にそう主張しておりますけど、夫のある既婚婦人というものは異性にたいしてある程度までそっけない態度をとらなければならないものなんですわ。それなのに、あの方はご自分のご主人にたいして、どんな態度を取っていらっしゃるでしょう? あの方にはね、氷のように冷たい目でご主人をみつめながら、あわれむような調子で『あんた』とおっしゃる癖があるんですよ。あれを見ると腹が立ちます! だって、そのときのご主人のご様子も見ないわけにはいきませんもの――礼儀正しくて、張りきっておいでで、紳士的で、四十代なのにまだすばらしく若々しくて、ほんとにりっぱな将校ですわ! 結婚なさってから四年におなりですって……あなた……」
小さなフリーデマン氏がはじめてフォン・リンリンゲン夫人を見る機会を得た場所は、大通りのほとんど商館ばかりが並んでいるあたりだった。この出会いが起こったのは正午ごろのことで、彼がちょっと用事のあった取引所から出てきたばかりのときだったのである。
彼は、ちびのくせにもったいぶった歩き方で、大商人シュテフェンスと並んで歩いていた。シュテフェンスはなみはずれて背の高い、骨格のたくましい紳士で、頬ひげをまるく刈りこみ、恐ろしく太い眉をつけている。二人ともシルクハットをかぶって、非常に暑かったからオーバーのボタンをはずしていた。彼らは拍子をそろえてステッキで歩道を突きながら、政治を論じていたのだが、大通りの中ほどまで来たとき、突然、大商人シュテフェンスがこう言った。
「むこうから馬車に乗ってくるのは、あれはたしかにリンリンゲン夫人ですよ」
「それだと、うまいぐあいです」と、フリーデマン氏は持ちまえのかん高い、すこし鋭い声で言って、待ちかねるようにまっすぐ前方をみつめた。「まだ一度も夫人の顔を見たことがないもんですからね。あれが例の黄色い馬車ですな」
じっさい、フォン・リンリンゲン夫人がきょう乗って出たのは黄色い猟用馬車だった、そして、夫人のほうがみずから二頭のほっそりした馬を御している一方、従者は腕を組んだまま夫人のうしろに腰かけていた。夫人はゆったりした非常に明るい色の上着を着ていて、スカートも明るい色のものである。褐色の革紐のついた小さなまるい麦わら帽子の下から、赤褐色の髪がはみ出ていて、耳を隠した|余《あま》りが太い結び目になって襟首の下のほうまで垂れている。卵形の顔の肌色は乳白で、なみはずれて近く寄り合った褐色の目の隅にはうす青いかげりが宿っている。短いけれども非常にかっこうのいい鼻の上に、すこしそばかすが浮き出ているが、それは夫人によく似合っていた。しかし、口が美しいかどうか、それを見分けることはできなかった。夫人が下唇を、上唇にこすりつけるようにしながら、たえず突き出したりひっこめたりしていたからである。
馬車が近づいてきたとき、大商人シュテフェンスは特別ていねいに挨拶した。小さなフリーデマン氏も帽子をぬいだが、そうしながら目を大きくして注意深くフォン・リンリンゲン夫人をみつめた。夫人は|鞭《むち》をおろして、軽くうなずくだけの挨拶を返すと、左右の家並みや飾り窓をながめながら、ゆっくりと通り過ぎていった。
二、三歩してから、大商人が言った。
「遠乗りをしたあとで、これから家へ帰るところですよ」
小さなフリーデマン氏は返事をしないで、足もとの鋪石に目を落としていた。それから急に大商人のほうへ目をやって、
「いまなんとおっしゃいましたか?」と尋ねた。
シュテフェンス氏はいましがたの、ご明察の言葉をくり返した。
三日後のこと、ヨハネス・フリーデマンは昼の十二時に、いつも規則的にしている散歩から家へ帰ってきた。昼食は十二時半からなので、それまでの三十分を、家の入口のすぐ右側にある自分の「事務室」へ行っていようと思っているところへ、女中が玄関の間を通ってきて、彼にこう言った。
「お客さまが見えておいでになります、フリーデマンさま」
「わたしのところにかい?」と彼は尋ねた。
「いいえ、二階の、お嬢さまがたのところでございます」
「どなたかな?」
「フォン・リンリンゲン中佐ご夫妻でございます」
「ほほう」とフリーデマン氏は言った、「それならわたしも……」
そう言って彼は階段を昇っていった。二階に来て、ドアまでの床を横ぎった彼は、すでに「風景の間」に通ずる高い白塗りのドアの取っ手に手をかけていたが、急に思いとどまって、一歩しりぞくと、きびすをめぐらして、来たときと同じように、またゆっくりと立ち去っていった。そして、まったくのひとりきりだったのに、大きな声を出してひとりごとを言った。
「いや、よしたほうがいい――」
彼は自分の「事務所」までおりていって、書きもの机について、新聞を手に取った。しかし、一分後には新聞をまた下において、横の窓から外をながめた。女中が来て、食事の用意ができたことを知らせるまで、彼は外をながめながら腰かけていたのである。それから二階の食堂へゆくと、姉たちがもう彼を待っていた。彼は譜本が三冊のせてある自分の椅子にすわった。
ヘンリエッテがスープを皿に注ぎながら言った。
「ヨハネス、だれが来たか知ってる?」
「だれさ?」と彼は尋ねた。
「新任の中佐ご夫妻よ」
「へえ、そうですか? ていねいなもんですね」
「そうねえ」と言いながらプフィフィーは口のすみに泡を立てた、「わたし、どちらもほんとに気持ちのいい人たちだと思うわ」
「とにかく」とフリデリーケが言った、「ご返礼をあまり遅らせるわけにはいきませんね。あさって行くことにしましょうよ、日曜日に」
「日曜日にね」と、ヘンリエッテとプフィフィーとが言った。
「あんたもいっしょに行くでしょうね、ヨハネス?」とフリデリーケが尋ねた。
「もちろんよ!」と言ってプフィフィーは身体をゆすった。フリーデマン氏はこの問いをまったく聞き流しにして、静かな、不安げな表情でスープをすすっていた。それは何か無気味な物音にでも耳をすましているような様子だった。
翌日の晩、市立劇場で「ローエングリーン」が上演されて、教養のある人々はみな出かけていった。狭い場内は上から下まで満員になって、|唸《うな》るようなざわめきと、ガスのにおいと、香料のかおりとに満たされていた。しかし、オペラグラスは、平土間のも|桟敷《さじき》のもすべて、舞台のすぐ右側にある仕切り桟敷の特等席十三号のほうへ向けられていた。そこにはきょうはじめてフォン・リンリンゲン氏が夫人同伴で現われていて、人々がこの夫妻を心ゆくまで吟味する機会を得たからである。
小さなフリーデマン氏は、非の打ちどころのない黒服で、輝くばかりに白いシャツの胸を突き出しながら、自分の仕切り桟敷の席――特等席十三号――にはいっていったとき、入口ではっとあとしざったが、それと同時に片手を額のほうへ持ってゆきながら、鼻翼を一瞬間ぴくりとひろげた。しかし、それから彼は自分の椅子に腰をおろした。フォン・リンリンゲン夫人の左隣りの席だった。
彼が腰をかけるあいだ、夫人は下唇を突き出しながら、しばらくまじまじと彼をみつめていたが、やがてふり返って、うしろに立っている夫と二言三言ことばをかわした。夫というのは背の高い肩幅の広い人で、褐色の善良そうな顔に|撫《な》であげた口ひげをたくわえていた。
序曲がはじまって、フォン・リンリンゲン夫人が手すりの上に身を乗り出したとき、フリーデマン氏はすばやく、あわただしく横目を使いながら、夫人の姿をながめた。夫人は明るい色の夜会服を着て、しかも、場内の婦人のなかでただひとり、すこし肩をあらわにしていた。袖は非常にゆるやかにふくらんでいて、白い手袋は肘までとどいていた。夫人の姿には、きょうは豊満なおもむきがあったが、それは、このあいだ、ゆったりした上着を着ていたときには認められなかったものである。夫人の胸は豊かにゆるやかに上下して、赤褐色の髪の|結《ゆ》い目が襟首の下のほうまで重たげに垂れていた。
フリーデマン氏は青くなっていた。ふだんよりもずっと青くなっていた。そしてその額の、なめらかに分けた褐色の髪の下には小さな汗の玉が浮いていた。フォン・リンリンゲン夫人が手すりの赤いビロードの上にのせた左の腕から手袋をぬぎとっていたので、何も飾りをつけていない手と同じように一面にうす青い脈管を走らせた、このまるまるとした乳白色の腕に、彼はたえず目をやることになった。どうしてもそうせずにはいられなかったのである。
ヴァイオリンが歌い、トロンボーンがそれにまじって鳴り響き、テルラムントが倒れて、オーケストラがいっせいに歓呼の声をみなぎらせたが、小さなフリーデマン氏は身動きもせずに、青い顔をして、首を肩のあいだに深く沈めたまま、一方の人さし指を口にあてがい、片方の手は上着の折返しにさして、じっとすわっていた。
幕がおりかけているあいだに、フォン・リンリンゲン夫人は立ちあがって、夫といっしょに仕切り桟敷から出ていった。フリーデマン氏は目を動かさずにその様子を見ていた、そして、ハンカチで軽く額をなでると、急に立ちあがって、廊下に出るドアのところまで行ったが、また引き返して、自分の席について、さっきと同じ姿勢になったまま、身動きもしないでじっとしていた。
合図のベルが鳴って、隣席の人たちがまた桟敷へはいってきたとき、彼はフォン・リンリンゲン夫人の目が自分に注がれているのを感じて、思わず、首を夫人のほうへもたげてしまった。ふたりの視線が合うと、夫人は目をそらすどころか、当惑の様子などすこしもなく、まじまじと彼をみつめつづけたので、とうとう彼のほうが負けて屈服しながら、目を伏せてしまった。それと同時に彼はいっそう青くなった、そして、奇妙な、甘ったるく焼きただらすような怒りが胸にこみあげてきた…… 音楽がはじまった。
この幕の終わりかかったころ、フォン・リンリンゲン夫人の手から扇がすべって、フリーデマン氏の横の床に落ちた。ふたりは同時に身をかがめたが、夫人は自分で扇を拾って、あざけるような微笑を浮かべながら、
「すみませんでした」と言った。
ふたりの頭が近々と寄り合っていたので、一瞬間、彼は夫人の胸の暖かい匂いを吸わないわけにはいかなかった。彼の顔はゆがみ、全身はちぢこまり、心臓は息もとまるほどのはげしさで、重苦しくどきどきと高鳴った。彼はもう三十秒ほどすわっていたが、それから椅子をうしろへずらして、そっと立ちあがって、そっと出ていった。
彼は、音楽の響きに送られながら、廊下を渡っていって、携帯品預かり所でシルクハットと明るい色のオーバーとステッキとを受け取ると、階段をおりて、往来へ出た。
それは暖かい静かな晩だった。ガス燈の光を浴びながら、灰色の|破風《はふ》造りの家々が黙々と空にそそり立っている。その空には、星が明るくおだやかに輝いていた。フリーデマン氏とすれちがうわずかな人々の足音が歩道に反響する。だれかが挨拶したが、彼は気がつかなかった。深くうなだれたまま、高く突き出た胸をぶるぶるふるわしているのである。それほど重苦しそうな息づかいだった。そして、ときどき小声で、
「ああ、せつない! ああ、せつない!」とひとりごとを言う。
彼は驚いた不安なまなざしで自分の心のなかをのぞきながら、これまではあれほどやさしくいたわって、いつもあれほどおだやかに賢明にあしらってきた自分の感情が、いまはあおり立てられ、舞い立たされ、かき乱されているのを見た…… そして突然、すっかりうち負かされて、目まいと酔いとあこがれと悩みとに圧倒された彼は、とある街燈の柱にもたれかかって、身をふるわせながら、
「ゲルダ!」とささやいた。――
すべてはひっそりとしたままである。あたり一帯には、この瞬間に人影ひとつ見えなかった。小さなフリーデマン氏は気を取りなおして、また歩きだした。これまでは、劇場があって、かなり急な傾斜になりながら川のほうへおりている通りを歩いてきたのだったが、こんどは本通りを北に取って、自分の家のほうへ向かっていった……
なんという目つきであの女はおれを見たことだろう! どうだ? あの女はおれに目を伏せさせたではないか? あの目つきでおれを屈服させたではないか? あっちは女で、こっちは男ではないか? それにあの女の奇妙な褐色の目は、あのとき、まぎれもなく、さもうれしげにふるえていたではないか?
彼はまたしてもあの無力な、情欲をそそるような憎しみが胸にこみあげてくるのを感じた、しかし、つぎには、彼女の頭が彼の頭にふれて、彼が彼女の身体の匂いを吸いこんだあの瞬間のことを考えた、そして、もう一度立ちどまると、せむしの上半身をのけぞらして、歯のあいだから空気を吸いこみながら、またしてもすっかり途方にくれ、絶望し、われを忘れて、
「ああ、せつない! ああ、せつない!」とつぶやいた。
それからまた彼は機械的に、ゆっくりと、人影もない往来に足音を反響させながら、むし暑い夜気のなかを歩きつづけて、とうとう自分の家のまえに出た。玄関の間で一瞬間たたずんだ彼は、そこにこもっている、ひえびえとした地下室めいた匂いを吸いこんで、それから自分の「事務室」へはいっていった。
あけ放しになった窓のそばの書きもの机につくと、彼は、だれかがそこのコップに挿しておいてくれた大きな黄ばらをじっとみつめた。それを手に取って、目をつぶってその香りを吸った。しかし、すぐに、力のない悲しげな手つきでそれをわきへ押しやった。いや、いや、こんなことはもうおしまいだ! こんな香りなんぞいまのおれになんの意味があろう? これまでおれの「幸福」を作りあげていたもの、そんなものはすべていまのおれになんの意味があろう?……
彼は横を向いて、外のひっそりとした往来をながめた。ときどき足音が聞こえてきては、反響しながら通り過ぎてゆく。星が空にかかってきらめいていた。彼はなんと疲れきって気力もうせていたことだろう! 頭のなかがからっぽで、絶望感は溶けて大きなやわらかな悲哀になりはじめた。詩の文句が二つ三つ心のなかをかすめていって、ローエングリーンの音楽がふたたび耳に響いてくる。彼はもう一度フォン・リンリンゲン夫人の姿を、赤いビロードの上におかれた夫人の白い腕を目のまえに見た。それから重苦しい熱ばんだ眠りに落ちていった。
十一
幾度となく目ざめかけたが、目ざめるのを恐れて、そのたびに彼はまた新たに無意識の状態へ沈んでいった。しかし夜がすっかり明けてしまったとき、彼は目をひらいて、大きな、せつなげなまなざしであたりを見まわした。何もかもすべてまざまざと心に残っている。彼の悩みはいささかも眠りのために中断されなかった、とでもいうようなぐあいだった。
頭は重苦しくて、目はひりひりと痛んだ。しかし、身体を洗って、額をオー・デ・コロンでしめしたあとは、前よりも気分がよくなったので、彼はまた静かに、あいたままになっていた窓のそばの席に腰をかけた。まだまったくの早朝で、五時ごろだった。ときどきパン屋の小僧が通り過ぎるだけで、ほかに人の姿は見えなかった。向かいの家ではまだどの窓にもブラインドがおりていた。しかし鳥どもがさえずっていて、空は輝くばかりに青い。いかにも美しい日曜日の朝だったのである。
小さなフリーデマン氏は気楽な、安心できるような感じがしてきた。何を恐れているのだろう? 何もかもすべていつものとおりではないか? きのうは悪性の|発作《ほっさ》があったことはたしかだが、しかし、あんなことはもうおしまいにするのだ! まだ手遅れにはなっていない。まだ破滅をまぬがれることはできるのだ! あの発作をくり返させることになりそうなきっかけはすべて避けなければならない。おれにはそうするだけの力が感じられる。それを克服して、心のなかですっかり窒息させてしまうだけの力が感じられる……
七時半が鳴ったとき、フリデリーケがはいってきて、奥の壁ぎわの革のソファーのまえにある円卓の上に、コーヒーを置いた。
「おはよう、ヨハネス」と彼女は言った、「朝食を持ってきたわ」
「ありがとう」とフリーデマン氏は言った。それから言葉をついで、「ねえ、フリデリーケ、残念だけど、姉さんたちだけであの訪問に行ってもらわなければなりませんよ。ぼくは気分が悪くて、お供ができません。よく眠れなかったもんで、頭が痛むんです、要するに、遠慮させてもらいます……」
フリデリーケは答えた、
「それは惜しいことね。あんたも一度はきっと行かなくちゃいけませんよ。でも、ほんとに加減が悪そうに見えるわ。わたしの頭痛薬を貸してあげましょうか?」
「いいえ、いいですよ」とフリーデマン氏は言った。
「じきになおりますよ」
それでフリデリーケは立ち去った。
彼は、円卓のそばに立ったまま、ゆっくりとコーヒーを飲んで、それに角形のパンを一つ食べた。彼は自分に満足して、自分の決断を誇らしく思った。食事を終えると、彼は葉巻を一本取って、ふたたび窓辺に腰をおろした。朝食が快感をもたらして、彼は幸福な、希望に満ちた気持になった。本を一冊手に取って、それを読みながら、葉巻を吸ったり、目を細めながら外の日なたを見たりした。
いまはもう往来がにぎやかになっていた。車のがらがら嗚る音や、話し声や、鉄道馬車の鈴の音などが彼のところまで響いてきた。そういう物音にまじって鳥どものさえずりも聞こえた。そして、輝くばかりに青い空から、やわらかな暖かい風が吹いてきた。
十時に彼は姉たちが玄関の間を通ってくる音と、玄関のドアがぎいと嗚る音とを聞いて、やがて三人の婦人が窓の外を通り過ぎるのを見たが、別段気にもとめなかった。そして一時間たった。彼はますます幸福な気持になっていった。
一種の気負ったような感じが彼の心を満たしはじめた。これはまたなんという風だろう、そしてあの鳥どものさえずりようはどうだ! すこし散歩してみたら、どんなものだろう?――すると突然、なんの連想もなしに、あの女のところへ行ってみたら? という考えが、甘い驚きをともないながら心にわき起こってきた。――そして、不安げに警告するすべての声を、文字どおり筋肉を動かして心のなかに抑えつけながら、彼はいかにもうれしそうに、きっぱりとこうつけ加えた。あの女のところへ行ってやるぞ!
そして日曜日の黒い晴れ着を着て、シルクハットとステッキとを取ると、急ぎ足に、せわしない息づかいをしながら、彼は町じゅうを通り抜けて南の郊外へ向かった。だれの顔も見ずに、われを忘れた有頂天な気持ちで、一歩ごとにせかせかと頭を上げ下げしながら急いでいって、ついに郊外の栗の並木道にある赤い色の別荘のまえに立った。その入口には「陸軍中佐フォン・リンリンゲン」という名が出ていた。
十二
ここで彼は戦慄に襲われた、そして、心臓の鼓動が|痙攣《けいれん》的に重苦しく胸にひびいた。しかし彼は玄関のたたきを踏んでいって、奥の呼鈴を鳴らした。これでもう事は決まった。もう逆もどりはできない。万事なるようになるがいい、と彼は思った。心のなかが急にひっそりと静まりかえった。
ドアがだしぬけに開いた。召使が玄関の間を通って彼のまえまで来ると、名刺を受け取って、それを持ったまま赤いじゅうたんの敷いてある階段を急いで昇っていった。その赤いじゅうたんをフリーデマン氏は身動きもしないでみつめていたが、やがて召使がもどってきて、奥さまがどうかおあがりくださいとのことです、と言った。
二階の客間のドアのそばで、そこにステッキをおきながら、彼はちらと鏡をのぞいた。顔が青ざめていて、赤くなった左右の目の上の額には髪の毛がねばりついていた。シルクハットを持った手はたえまもなくふるえていた。
召使がドアをあけて、彼はなかへはいった。それはかなり大きなうす暗い部屋だった。窓にはすべてカーテンがおろしてあった。右手にグランド・ピアノがあって、中央の円卓のまわりに褐色の絹を張った肘かけ椅子が並んでいた。左手の壁ぎわにおいたソファーの上には重そうな金の額縁にはまった風景画がかかっていた。壁布も黒ずんだ色だった。奥の張り出し窓には|棕櫚《しゅろ》が数本立っていた。
一分間たつと、フォン・リンリンゲン夫人が右手のとばりを左右に分けて、厚い褐色のじゅうたんの上を音もなく彼のほうへ近づいてきた。夫人は非常にあっさりと仕立てた、赤と黒との|碁盤《ごばん》縞の服を着ていた。張り出し窓のほうから光の帯が、なかに塵の踊るのを見せながら、ちょうど夫人のふさふさとした赤い髪の上へ落ちたので、一瞬間、髪は金色に光り輝いた。夫人はあの奇妙な目を探るように彼のほうへ向けたまま、いつものとおり下唇を突き出していた。
「奥さん」とフリーデマン氏は言いはじめて、夫人を見あげた。彼の背丈が夫人の胸のところまでしかないからである。「わたしのほうからもご機嫌をうかがいたいと思いましたような次第でして、姉たちのところへおいでくださったときは、惜しいことにわたしは留守で……ほんとに残念に思いました……」
彼はそれ以上もう何も言えなくなった。しかし、夫人はそこに立ったまま、むりやり彼にもっと言わせようとするかのように、無慈悲に彼を見つめていた。身体じゅうの血が急に彼の頭へのぼってきた。「この女はおれを苦しめて、あざけるつもりなんだ!」と彼は思った、「そしておれの心を見抜いているんだ! あんなに目をふるわしている!……」とうとう夫人は非常に明るい、非常に澄んだ声でこう言った。
「ご親切においでくださってありがとうございます。先日はお目にかかれなくて、わたくしも残念に存じました。どうぞ、おかけくださいませんでしょうか?」
夫人は彼の近くに腰をかけて、両腕を椅子の肘かけにのせて、うしろへもたれた。彼は前かがみに腰かけて、帽子を膝のあいだに持っていた。夫人は言った。
「十五分ほど前までお姉さまがたがここにおいでになっていらっしゃいましたけど、ご存じですかしら? お姉さまがたは、あなたがご病気だっておっしゃいましたよ」
「それはほんとのことです」とフリーデマン氏は答えた、「けさは加減がよくなかったのです。外出はできそうもないと思いました。こんなに遅くなりましたことをお許しねがいます」
「いまでもまだお加減が悪そうなご様子ですわ」と、夫人は非常に静かな調子で言いながら、まじまじと彼を見つめた。「お顔の色は青いし、お口が赤くなっていらっしゃいますよ。だいたいが非常にお丈夫というほうではおありにならないのでございましょう?」
「いや……」とフリーデマン氏は口ごもった。「だいたいのところは満足しております……」
「わたくしもよく病気をいたしますのよ」と、夫人は彼から目をそらさずに言いつづけた。「しかし、だれも気がつきませんわ。わたくし神経質で、とても変な気持になることがございますの」
夫人は口をつぐむと、顎を胸につけて、上目づかいになりながら、待ちもうけるように彼を見つめた。しかし彼は答えなかった。静かに腰かけたまま、大きく見ひらいて思いにふけっているような目をじっと夫人に向けていた。なんという奇妙な話し方をする女だろう、そして、そのかん高い、変わりやすい声がなんとおれの心を動かすことだろう! 彼の心臓の鼓動はもう静かになっていた。彼は夢を見ているような気がした。――フォン・リンリンゲン夫人がまた言いはじめた、
「ゆうべは、たしか、オペラが終わらないうちにお帰りのようでございましたわね?」
「ええ、そうです」
「わたくし残念に思いましたわ。とても熱心に聞いておいででしたから。もっとも、あの演奏は良くなかった、と申しますか、あるいは、比較的に良いというだけのものでしたけど。音楽はお好きでいらっしゃいますでしょう? ピアノをお弾きですか?」
「ヴァイオリンをすこし弾きます」とフリーデマン氏は言った。「と申しても――弾けないも同然ですが……」
「ヴァイオリンをお弾きなさいますの?」と夫人はたずねて、彼から視線をはずして宙を見ながら考えこんだ。
「それならほんとに、ときどき、ごいっしょに音楽ができますわね」と夫人は突然言った。「わたくしいくらか伴奏ができますから。この町にどなたかいてくださるとは、うれしいことですわ…… おいでくださいますでしょうか?」
「喜んでおっしゃるとおりにいたします」と、彼はあいかわらず夢を見ているような気特で言った。会話がとぎれた。すると突然、夫人の顔の表情が変わった。その顔はほとんど目にはとまらないくらいの残忍な嘲笑を浮かべてゆがみ、その目はまたしてもあの無気味なふるえを帯びながら、前にもう二度もそうしたように、じっと探るように彼のほうへ向けられた。それを見た彼の顔は燃えるように赤くなった。そして、どこを向けばいいのかわからずに、まったく困りきって途方に暮れた彼は、首をすっかり肩のあいだに沈めて、取り乱しながら、じゅうたんへ目を落とした。またしても、あの無力な、甘く悩ますような怒りが、短い悪寒のようにぞっと彼の全身を走った……
絶望的な決心をして彼がふたたび目をあげたとき、夫人はもう彼を見ていなくて、彼の頭越しに静かにドアのほうをながめていた。彼は苦労しながら、ふたことみこと、言葉を押し出した。
「それで奥さんは、いままでのところは、この町のご滞在にどうにか満足しておいでですか?」
「あら」とフォン・リンリンゲン夫人は冷淡な調子で言った、「もちろんですわ。どうして満足しないわけがございましょう? たしかに、すこし窮屈な、監視されているような気はいたしますけど、しかし…… ああ、ついでですから」と夫人はすぐに言いつづけた。「忘れないうちに申しあげますけど、わたくしども近いうちにすこしばかりお客さまをお招きするつもりでおります、小さな気楽な集まりでございますの。すこし音楽をしたり、何かおしゃべりでもいたしましょうというわけで……それにこの家のうしろになかなか感じのいい庭がございましてね、傾斜しながら川のところまで続いております。要するに、あなたにもお姉さまがたにも、いずれもちろん招待状を差しあげますけど、あなたにはいまここで、おいでをお願いいたしますわ、いらしていただけますかしら?」
フリーデマン氏が感謝や承諾の言葉を言い終わるか終わらないうちに、ドアの取っ手がぐいと押しさげられて、中佐がはいってきた。ふたりは立ちあがった、そして、フォン・リンリンゲン夫人が男同士を引き合わせると、夫は妻にもフリーデマン氏にも同じていねいさでお辞儀をした。中佐の褐色の顔は暖かさのせいでつやつやと輝いていた。
手袋をぬぎながら中佐は力強い鋭い声で何かフリーデマン氏に話しかけた。フリーデマン氏は大きな、放心したような目で中佐を見あげながら、いまにも中佐から好意的に肩を叩かれそうな気がしていた。しかし中佐は、両方の踵をそろえて上体をすこし前かがみにしながら、妻のほうへ身を向けて、ひどく低めた声で言った、
「フリーデマンさんにわれわれの小さな集まりに出てくださるようお願いしたかい? おまえがいいなら、一週間後にその会をしようと思う。天気が持ってくれて、庭にも出ていられるといいがね」
「どうぞお考えどおりに」と答えながら、フォン・リンリンゲン夫人は夫のわきのほうへ目をやった。
それから二分たってフリーデマン氏はいとまを告げた。ドアのところでもう一度お辞儀をしたとき、彼は夫人の目に出くわした。その目は、なんの表情もなく、じっと彼に注がれていた。
十三
彼は立ち去った、しかし、町のほうへ引き返したのではなくて、知らず知らずのうちに、並木道から分かれて川沿いの昔の塁壁へ通じている道をたどっていった。そこにはよく手入れされた緑地や木かげ道やベンチなどがあったのである。
彼は急ぎ足に、無意識に、目を伏せたまま歩いていった。耐えきれないほどの暑さで、身内には焔が高まったり低まったりしながら燃えており、疲れた頭のなかでは|容赦《ようしゃ》もなく|動悸《どうき》の打っているのが感じられた……
あの女の目はいまもおれに注がれているのではないだろうか? それも、別れしなのときのように空虚な無表情な目つきではなくて、あの妙に静かな調子でおれに話しかけたあとの、あの残忍なふるえを帯びた目つきで? ああ、おれを途方に暮れさせ、われを忘れさせるのがあの女にはおもしろいのだろうか? おれの心を見抜いているのなら、すこしはおれに同情できないものだろうか?……
彼は川に沿って、緑草におおわれた塁壁のそばを歩いていって、ジャスミンの茂みで半円形にかこまれたベンチに腰をおろした。あたりは一面に甘い重苦しい香りに満たされていた。彼の目のまえの、ちらちらふるえる水の上には、日光が蒸すように照っていた。
からだは疲れてへとへとになった感じなのに、心のなかではすべてが悩ましく湧き立っているではないか! もう一度あたりを見まわしてから、あの静かな水のなかへおりていって、ちょっとばかり苦しんだあとで解放され、平安のなかへ救い取られるというのが、いちばんいいことではなかろうか? ああ、平安、平安こそはおれの求めているものなのだ! しかし、それは空虚な無感覚な虚無のなかの平安ではなくて、良い、静かな考えに満ちた、おだやかな日の光に照らされた平和なのだ。
生活にたいする彼のやさしい愛のすべてと、失われた幸福にたいする深いあこがれとが、この瞬間、彼をわなわなと戦慄させた。しかし、それから彼は周囲の自然の黙々とした、限りもなく無関心な平安をながめて、川が日の光を浴びながら自分の道を進んでゆき、草が身をふるわし、花が、やがては枯れて消えうせるまで、咲いたところにたたずんでいるさまを見た。ありとしあらゆるものが無言のままに服従しながら、存在に頭をさげているのを見た、――するとたちまち、彼の心は、それを知っている人にはいっさいの運命を超えた一種の優越感を与えることのできる必然の定めと、親しく意志を通じ合っているような感じに襲われた。
彼は自分の三十回目の誕生日の、あの午後のことを考えた。あのときは、平和をわがものとして幸福を感じながら、恐れも持たず、望みも持たずに、生涯の残りを見はるかすように思ったのだった。そこには光も見えず、影も見えずに、目のまえのいっさいはおだやかな薄明のなかに横たわっていて、そのはては、ほとんど見分けもつかずに、かなたの|闇《やみ》のなかにぼやけていた、そして、おれは落ち着きはらった偉そうな微笑を浮かべながら、この先来たるべき年月を迎え見ていたのだった、――あれからどれだけの時がたったのだろう?
そこへあの女がやって来た。やってこなければならなかったのだ。それはおれの運命なのだ。あの女自身がおれの運命なのだ、あの女だけが! おれはそのことを最初の瞬間から感じなかっただろうか? あの女はやって来た、そして、おれはどんなにしても自分の平和を守ろうと努めたのだが、――あの女にたいしては、おれのなかのすべてが騒ぎ立たずにはいない、おれにとっては苦悩や破滅を意味するものだと感じられたから、おれが若いときから心のなかに押さえつけてきたすべてのものが騒ぎ立たずにはいないのだ。それは恐ろしい、抵抗できない力でおれをつかんでしまった、そしておれを滅ぼすのだ!
それはおれを滅ぼす。そうおれは感ずる。しかしこのうえなんのために闘ったり悩んだりするのだ? 何もかもすべてなるようになるがいい! おれはあの奥に口をあいている深淵には目をつぶって、運命に従い、のがれることのできないあの強大な、苦しめながらも甘い力に従って、自分の道を歩いてゆけばいいのだ。
水はきらめき、ジャスミンは鋭い重苦しい香りをただよわせ、鳥どもはまわりの木々でさえずり、木々のあいだには重い感じの、ビロードのように青い空が輝いていた。しかし、小さなせむしのフリーデマン氏はまだ長いあいだ同じベンチに腰かけていた。前かがみになって、両手で額を支えたまま腰かけていた。
十四
リンリンゲン夫妻のもてなしがすばらしいということには、みんなが同感だった。ほぼ三十人ばかりの客が、広い食堂に伸びた、長い、上品に飾られた食卓についていた。召使と臨時雇いのふたりの給仕とが、すでに急ぎ足でアイスクリームを運びまわっていて、食器はかちかち、がちゃがちゃと音を立てているし、料理や香料の暖かいかおりがあたりに立ちこめていた。ここには気楽そうな大商人たちが夫人や令嬢を同伴して集まっていたが、そのうえ守備隊の将校がほとんど全部、老人で人気のある医者がひとり、法律家が二、三人、そのほか上流階級に属する人々が来ていた。中佐の|甥《おい》で、親戚を訪問に来ている数学科の大学生も出ていた。彼は、フリーデマン氏のさし向かいの席についているハーゲンシュトレーム嬢ときわめて深遠な談話をかわしていた。
フリーデマン氏は食卓のしも手の端の席で、美しいビロードのクッションの上に腰かけていたが、隣りは美しくない高等中学校長夫人で、近くにフォン・リンリンゲン夫人がいた。夫人はシュテフェンス領事の導きで食卓についたのである。この一週間のあいだにフリーデマン氏に起こった変化は、驚くべきものだった。彼の顔がすごいほど青く見えるのは、おそらく、一つには広間を満たしているガスの白熱光のせいかもしれない。しかし、頬は落ちくぼんでいるし、赤くなって周囲に黒いかげのできた目には、言いようもないほど悲しそうな光がちらついていて、その姿かっこうはこれまでに輪をかけてかたわになったようなふうに見える。――彼はしきりにぶどう酒を飲んで、ときどき隣席の婦人に、ふたことみこと話しかけるのだった。
フォン・リンリンゲン夫人は食卓についてからまだフリーデマン氏と言葉をかわしていなかったが、このときすこし前かがみになって、彼に呼びかけた。
「わたくしこのあいだうち、むだにお待ちしてしまいましたわ、あなたとあなたのヴァイオリンを」
返事をするまえに、彼は一瞬間、まったく放心したような様子で夫人を見つめた。夫人は白い首をあらわにした明るい色の軽やかな服を着て、つやつやと輝く髪に満開の〈ニール元帥ばら〉を一輪とめていた。その頬はこん晩はすこし赤くなっていたが、目のすみにはいつものようにうす青いかげりが宿っていた。
フリーデマン氏は自分の皿に目を落として、何か返事らしいことを口に出したが、そのあとで、ベートーヴェンは好きかどうかという高等中学校長夫人の問いに答えなければならなかった。しかし、この瞬間に、食卓のずっとかみ手のほうにすわっていた中佐が、妻にちらりと目くばせをして、コップを叩いて、こう言った。
「みなさん、ひとつ提案がありますが、コーヒーは別の部屋で飲むことにいたしましょう。それに、こん晩は庭も悪くはないはずです。もしどなたか庭に出てすこし冷たい空気を吸おうとお思いなら、わたしもごいっしょにまいります」
一座が静まりかえったところへ、フォン・ダイデスハイム少尉が気転をきかして、しゃれをひとつ飛ばしたので、みんなは陽気な笑い声をあげながら席を立った。フリーデマン氏は、しんがりになった連中にまじって、相手の婦人といっしょに食堂を出ると、もうたばこを吸いはじめた人々のいる古ドイツ式の部屋を通り抜けながら、相手の婦人をうす暗い居心地のよさそうな居間へ送りこんで、そこで彼女と別れた。
彼は念入りな服装をしていた。燕尾服は非の打ちどころのないもので、シャツはまぶしいばかりに白く、形のよい細い足にはエナメル革の靴をはいていた。ときどき赤絹の靴下がちらちらと見えた。
廊下のほうへ目をやった彼は、かなり大きなグループがいくつか、早くも階段をおりて庭へ出てゆくのを見た。しかし彼は、男の客が数人集まって雑談しながら立っている古ドイツ式の部屋のドアのそばに、葉巻とコーヒーとを持ったまま腰をおろして、居間のなかを見ていた。
居間の入口のすぐ右手に、小さなテーブルをかこんですわっているグループがいた。その中心になっているのはあの大学生で、熱心にしゃべり立てている。彼は、ある直線にたいして、一点を通る平行線を一本以上引くことができると主張していたのである。ハーゲンシュトレーム弁護士夫人は「そんなことは不可能ですわ!」と叫んだ。すると彼がいかにも的確に証明してみせたので、みんなは納得したようなふりをするのだった。
ところで、居間の奥のほうには、赤いシェードをかけた背の低いランプのそばの、低い長椅子に腰をかけたゲルダ・フォン・リンリンゲンが、若いシュテフェンス嬢と話し合っていた。夫人は黄絹のクッションにすこし背をもたせて、足を組み重ねていたが、ゆっくりと紙巻きたばこを吸いながら、煙を鼻から出して、下唇を突き出していた。シュテフェンス嬢は夫人のまえに木彫り人形みたいなまっすぐな姿勢で腰をかけて、おずおずとした微笑を浮かべながら返事をしていた。
だれも小さなフリーデマン氏に注意をはらう者はいなかったし、彼の大きな目がたえずフォン・リンリンゲン夫人に向けられていることに気づく者もいなかった。だらりとたるんだ姿勢で腰かけたまま、彼は夫人を見つめていた。そのまなざしにはすこしも情熱的なところはなく、苦痛の色もほとんど見えない。そこに宿っているのは何か無感覚な死んだようなもの、力も意志もない、うつろな献身というようなものだった。
そのままで十分ほどたった。すると突然フォン・リンリンゲン夫人が立ちあがって、さっきからずっとひそかに彼の様子を観察していたとでもいうように、彼のほうを見もしないで歩みよってきて、彼のまえに立ちどまった。彼は立ちあがって、夫人を見あげて、
「フリーデマンさん、ごいっしょに庭へ出てごらんになりませんか?」という言葉を聞いた。
「喜んでおともします、奥さん」と彼は答えた。
十五
「あなたはわたくしどもの庭をまだごらんになっていらっしゃいませんわね?」と、夫人は階段の途中で彼に言った。「かなり大きなものでございますのよ。まだあまり大勢出ていらっしゃらないとようございますがね。わたくし、すこし息を入れたいと思いますの。食事のあいだに頭が痛くなりましたから。あの赤ぶどう酒がわたくしには強すぎたのかもしれません…… ここのドアから出ることになりますのよ」それはガラス戸だったが、ふたりは階段の中休み段からそのガラス戸を抜けて、小さな涼しい玄関へ出た。そこから二、三段ほどおりると、もう戸外に立っている。
すばらしく星の明るい、暖かい夜のなかに、花壇という花壇から芳香があふれ出ていた。庭は一面に月の光を浴びて、白く輝く砂利道には、客の人々が雑談をしたり、たばこを吸ったりしながら、あちこち歩いていた。噴水のまわりに一つのグループが集まっていたが、そこでは、あの老人で人気のある医者が紙の舟を浮かべて、みんなを大笑いさせていた。
フォン・リンリンゲン夫人は軽くうなずきながら、そこを通りすぎて、遠くのほうの、きれいなかぐわしい花園が黒ずみながら公園につづいているあたりを指さした。
「まんなかの並木道を通って、おりてゆきましょう」と夫人が言った。その入口には低くて太いオベリスクが二本立っていた。
ずっと向こうの、一直線になった栗の並木道のはずれに、月の光を浴びた川の薄緑にきらきらと光っているのが見えた。あたりは暗くて、ひんやりとしていた。ところどころに、曲線を描きながらやはり川のほうへ通じているらしい横道が分かれて出ていた。長いあいだ物音ひとつ聞こえなかった。
「水ぎわにですけど」と夫人が言った、「きれいな場所がございますのよ。わたくしもう何度もそこにすわっていたことがございますわ。そこでちょっとおしゃべりをいたしましょうか。――まあ、ごらんあそばせ、ときどき葉のあいだから星の輝くのが見えますわ」
彼は返事をしないで、緑色の、きらきらと光っている水面をながめた。その水面へふたりは次第に近づいてゆく。向こう岸の、塁壁のある緑地が見分けられるようになった。並木道を離れて、川のほうへ傾斜している草原へ出たとき、フォン・リンリンゲン夫人が言った。
「ここからすこし右へまいりますと、きれいな場所というのがございます。ほら、あいておりますわ」
ふたりが腰をかけたベンチは、並木道から六歩離れていて、公園に背をもたせていた。ここのほうが並木道よりも暖かだった。こおろぎが草のなかで鳴いていて、草は水ぎわでは細い|葦《あし》になっている。月に明るい川はおだやかな光を放っている。
ふたりともしばらく黙って、水のおもてを見ていた。しかし、やがて彼は心の底まで揺り動かされながら耳をすました。一週間まえに聞いた口調、あの低い、もの思うような、やさしい口調がいままた彼の心を動かしたからである。
「いつからそんなおからだになられたのでございますか、フリーデマンさん」と夫人は尋ねた。「お生まれになったときからですの?」
彼はごくりと|生唾《なまつば》を飲みおろした。喉が締めつけられるような思いだったからである。それから彼は低い声でおとなしく答えた。
「いいえ、奥さん。赤ん坊のときに床へ落とされたのです。それがもとなのです」
「そして、いまおいくつでいらっしゃいますの?」と夫人は問いを重ねた。
「三十になります、奥さん」
「三十に」と夫人はくり返した。「おしあわせではおありにならなかったでしょうね、この三十年のあいだ?」
フリーデマン氏は首をふった。その唇がふるえていた。「ええ」と彼は言った、「嘘と妄想ばかりだったのです」
「それでは、おしあわせだと思っていらっしゃったわけですのね?」
「しあわせになろうと努めたのです」と彼は言った。すると夫人は、
「それはおりっぱなことでしたわ」と答えた。
一分すぎた。こおろぎが鳴くばかりで、ふたりのうしろでは木々が、ほんのかすかにざわめいている。
「わたくしも、すこしはふしあわせというものを存じておりますのよ」と、やがて夫人が言った。「それには、こういう夏の夜に、水ぎわに出ているのがいちばんようございますわ」
夫人の言葉には答えずに、彼は力のない手つきで、闇のなかにひっそりと横たわっている向こう岸を指さした。
「あそこに、わたしはこのあいだすわっておりました」と彼は言った。
「わたくしのところからお帰りになるときに?」と夫人は尋ねた。
彼はうなずいただけである。
しかし、それから突然、腰かけたままわなわなとふるえながら身を起こすと、泣きじゃくって、声をあげた。嘆きの声でありながら、同時にどこか救ってくれるようなところのある声だった。そして彼はそろそろと夫人の膝もとへくずおれていった。それまで彼の手は自分のそばの、ベンチの上におかれた夫人の手にふれていたのだが、いまその手を堅く握りしめると、もう一方の手もつかんで、この小さな、まったくのかたわになった人間は、小刻みにひくひくとふるえながら夫人のまえに膝まずいて、顔を夫人の膝へ押しつけたまま、人間のものとは思えない|喘《あえ》ぐような声で、どもりながらこう言った。
「ご存じのはずです……どうかわたしを……わたしはもうどうにもできない……ああ、せつない……ああ、せつない……」
夫人は彼をとめもしないし、彼のほうへ身をかがめもしなかった。|反《そ》り身になって、すこし彼を避けるようなふうにうしろへもたれたまますわっていたが、水のおもての湿った微光をうつしているようなけはいの、小さな、近く寄り合った目は、またたきもせずに張りつめたまま、彼の頭を越して、まっすぐに、はるか遠くのほうを見つめていた。
それから突然、夫人は短い、高慢な、さげすむような笑い声をあげながら、両手を彼の熱い指から一気にぐいと引き抜くと、彼の腕をつかんで、横ざまに思いきり彼を地面へ投げ倒し、ぱっと立ちあがって、並木道に姿を消してしまった。
彼は顔を草にうずめたまま、感覚を失い、われを忘れて横たわっていた。そしてそのからだを貫いてたえずひくひくと|痙攣《けいれん》の波が走った。やがて急に起きあがって、二足ばかり運んだが、また地面に倒れてしまった。そこはもう水ぎわだった。――
いまのような目に会って、いったい彼の心にはどんな感情が頭をもたげているのだろうか? それは、おそらく、あの女に例の目つきで恥ずかしめられたときにいつも感じた、あの肉感的な憎しみかもしれない。あの憎しみが、あの女から犬のようにあしらわれて地面に倒れているいま、狂気のような憤怒に変わって、その憤怒を彼は、よしんば自分自身に向かってであれ、どうにしてでも形に現わさずにはいられなくなっているのかもしれない……あるいはおそらく自分にたいする嫌悪感かもしれない。その嫌悪感が、自分を滅ぼして、八つ裂きにして、消し去ってしまいたいという渇望で彼の心を満たしているのかもしれない……
腹ばいのままからだを前へ押し出すと、彼は上半身を持ちあげて、それを水のなかへ落とした。そのまま二度と頭をあげなかった。岸にのっている両脚さえもはや動かさなかった。
水のはねあがる音に、こおろぎは一瞬間声をひそめた。やがてまたそれが鳴きはじめて、公園の森もかすかにざわめいた、そして、長い並木道をつたって遠くの笑い声が低くひびいてきた。
[#改ページ]
道化者
いっさいのことの締めくくりとして、じっさい、いっさいのことの、それにふさわしい結末として、生活――ぼくの生活――が、「そのいっさい」、「その全体」がいまのぼくに感じさせるのは、胸のむかつくような嫌悪感である。この嫌悪感は、ぼくの喉を締めつけ、ぼくを駆り立て、ぼくをゆすぶってはまた投げ倒しているが、おそらく、遅かれ早かれいつかは、この滑稽な無価値な事件を残らずさっさと片づけて逃げ出してしまうのに必要な気力をぼくに与えてくれるだろう。あるいは、ぼくはまだ今月や来月くらいはこれまでどおりの生活をつづけるかもしれないし、まだ四半年なり半年なりは食ったり、眠ったり、何か仕事をしたりしつづけることになるかもしれない、――ぼくの外的な生活がこの冬のあいだ過ぎていったのと同じ機械的な、非常に規則正しい、落ち着いた仕方、ぼくの内面の荒涼とした解体過程とは恐ろしいほどの矛盾を示す仕方で。人間の内的体験というものは、その人間の外的な生活が束縛のない、世聞離れのした、静かなものであればあるほど、いっそう強烈な、いっそう身心を衰弱させるようなものになりはしないだろうか? しかしどうにも仕方がない。生きてゆくよりほかに仕方がないのだ。よしんば行動の人になることを避けて、どんなに平和な人跡まれな境地へひっこんだところで、人生の変転はわれわれの内心を襲ってくるだろうし、英雄であれ間抜けであれ、そういう変転のなかで自分の性格を確証しなければならないだろう。
ぼくはこの小ぎれいなノートを用意して、そのなかでぼくの「身上話」を物語ることにしたが、いったいなぜそんなことをするのだろう? おそらく、なんでもいいから何か仕事をするためなのだろうか? おそらく心理的なことにたいする興味から、このいっさいのことの必然性を味わい楽しむためなのだろうか? 必然性というものはたいへん慰めになるものなのだ! おそらくはまた、しばらくのあいだ自分自身にたいする一種の優越感と、無関心とでもいうような気分とを味わうためなのだろうか?――というわけは、ぼくは知っているが、無関心というものは一種の幸福だからである。
あの町はずっと向こうのほうにある。あの小さな古い町は。そこには、狭いうねうねと曲がった往来に|破風《はふ》造りの家々が立ちならび、ゴシック式の教会や噴水があって、勤勉な手堅い単鈍な人々が住んでおり、ぼくの育った大きな、古い、灰色の邸宅がある。
その邸宅は町のまんなかにあって、財産も声望もある商人の家族が四代にわたって住みつづけてきたものだった。玄関のドアの上にはラテン語で「祈れ、そして働け」と書いてあったが、上のほうに白いラックを塗った木の回廊をめぐらしてある玄関の広い石だたみの間から、幅広い階段を昇りつめると、さらに昇り口の広い床と小さな暗い柱廊とを通り抜けなければ、高い白塗りのドアの一つをはいって居間へ行き着くことができないのだった。居間ではぼくの母がグランドピアノに向かって何か弾いていたものである。
母は薄明りのなかにすわっていた。窓にはすべて重い深紅のカーテンがかけてあったからである。そして、壁布に描かれた神々の白い姿は、青い背景から浮き彫りのように浮き出てきて、ショパンのノクターンの一つの、弾きはじめの重い低い音に耳をすましているように見えた。このノクターンが母は何よりも好きで、一つ一つの和音の憂鬱さを残りなく味わいつくそうとでもするように、いつも非常にゆっくりと弾くのだった。そのグランドピアノは古いもので、音量が足りなくなっていたが、しかし、弱音ペダルを使うと、高い音がぼかされて、いぶし銀を思わせるようなものになったから、そうやって非常に珍しい効果をあげることができたのである。
ぼくはどっしりとした、背の堅い、どんす張りのソファーに腰かけて、耳をすましながら母をながめるのだった。母は小さな、きゃしゃなからだつきで、たいていはやわらかな淡灰色の地の服を着ていた。ほっそりとした顔は美しくはなかったが、分けて軽くウェーブしたほのかな金髪をいただいたところは、静かな、やさしい、夢みるような子供の顔とも見えた、そして、首をすこしかしげてピアノに向かっているところは、古い絵によく描いてある、聖母の足もとで熱心にギターを弾いているあの小さないじらしい天使に似ていた。
ぼくがまだ小さかったとき、母はよく低い静かな声で、母のほかにはだれも知らないようなおとぎ話を聞かせてくれたし、あるいは、母の膝にもたれているぼくの頭に両手をのせただけで、黙ったまま身動きもしないですわっていることもあった。ぼくには、あれがぼくの生涯の最も幸福な最も平和なときだったように思われる。――母の髪は白くならなかった。ぼくは母が年を取らないような気がした。ただ母のからだつきがますますきゃしゃになり、顔がますますほっそりと、静かに、夢見るようになってゆくだけだった。
父のほうは背の高い肩幅の広い男で、上等の黒らしゃの上着に白いチョッキをつけ、チョッキの上に金縁の鼻めがねをつるしていた。短い白い頬ひげのあいだに、上唇と同じようになめらかに剃った顎が、まるく、たくましく突き出ていて、眉のあいだにはいつも深いまっすぐな|皺《しわ》が二本きざまれていた。父は公共の問題に大きな影響をおよぼす勢力家だったが、ぼくは、人々があるいは息をはずませて目を輝かしながら、あるいはうちひしがれてすっかり絶望しながら、父のもとから去っていくのを見たことがある。というのも、ときどき、ぼくや、ぼくのほかに母や二人の姉たちもこういう場面に居合わせることがあったからで、そうなったのはおそらく、父がぼくに、父と同じくらいに出世したいという名誉心を吹き込もうとしたためかもしれないし、あるいはまた、父が見物人を必要としたためかもしれない、とぼくは疑っている。父には、椅子にもたれて片手を上着の折り返しにさしこんだまま、恵まれた人間やうちひしがれた人間を見送っているという癖があった。その癖がすでに子供のときのぼくにこういう疑惑を感じさせたのである。
ぼくは部屋の片すみにすわって、父と母とのどちらかを選ぼうとでもするかのように、そして、人生は夢見るようなもの思いのうちに過ごすのがいいか、それとも行動と権勢とのうちに過ごすのがいいかと思案でもするかのように、父と母とをかわるがわるながめた。するとぼくの目は最後には母の静かな顔のうえにとどまるのだった。
しかし、ぼくが表面にあらわれる行状から見て母に似ていたというのではない。ぼくのしていたことはたいてい、けっして静かなおとなしいものではなかった。そのなかの一つをぼくはいま思い出してみるが、同年輩の友達との交際や彼らのするいろいろな遊びよりもぼくが情熱をこめて好きだったことで、ほぼ三十歳になるいまも、それを思うと、ぼくの心はほがらかな喜びに満たされるのである。
それというのは大きな、設備もじゅうぶんな人形芝居の舞台のことで、ぼくはそれを持ってたったひとり自分の部屋にとじこもっては、その舞台で奇妙しごくな楽劇を演出したものである。ぼくの部屋は三階にあって、ヴァレンシュタインひげをはやした先祖の黒ずんだ肖像画が二枚かかっていたが、ぼくは部屋を暗くして、舞台のそばにランプを一つ置いた。この人工的な照明が気分を高めるのに必要だと思われたからである。ぼくは指揮者だったから舞台のすぐ前に陣取って、左手を大きなまるいボール紙の箱の上にのせた。この箱が目に見えるただ一つの管弦楽器だったのである。
こんどは共演する俳優たちが出てくる。それはぼくが自分でインキとペンで描いて、切り抜いて、木型をつけて立てるようにしたもので、オーバーを着てシルクハットをかぶった紳士たちや、いかにも美しい淑女たちだった。「こんばんは」とぼくは言う、「みなさん! どなたもお元気ですか? わたしはもう出てきました、いままですこし指図することがありましてね。しかし、もうそろそろ楽屋入りをする時間でしょう」
俳優たちは、舞台裏にある楽屋にはいっていって、それからまもなく、すっかり姿を変えて、さまざまな登場人物になって戻ってくると、ぼくが垂れ幕にあけておいた|孔《あな》から、劇場の入りのぐあいをのぞいて見る。入りはじっさい悪くはなかった。そこでぼくは、上演開始の合図に鈴を鳴らしておいてから、指揮棒をかざして、この身ぶりが呼びおこした深い静けさをしばらく楽しむ。しかし、たちまち、指揮棒の新しい動きに応じて、序曲の始まりにあたる太鼓の、不安な思いをそそるようにうつろな、急速な連打が鳴りとどろく。それはぼくが左手であのボール紙の箱を叩いて出すのである、――トランペットとクラリネットとフリュートとが鳴り出す。これもそれぞれの音色をぼくが口を使って、くらべようもないほどうまくまねるのである。こうして音楽がかなでられていって、やがて力強いクレッシェンドのところで垂れ幕があがり、暗い森か、あるいは、きらびやかな広間で劇がはじまる。
劇の筋書はあらかじめ頭のなかに組み立ててあったが、細部のところは即興で作っていかなければならなかった、だから、クラリネットの|顫音《トリル》とボール紙の箱のとどろきとを伴奏にしながら、情熱的な甘美な歌になって響きわたるものは、奇妙な、調子の高い韻文で、大がかりな思いきった文句に満ちていたし、ときにはつじつまが合いはしたものの、筋道の通った内容になることなどめったになかったのである。しかし、歌劇は進んでいって、そのあいだぼくは左手では太鼓を叩き、口では歌うかたわら楽器をかなで、右手では演技者ばかりか、そのほかのいっさいを、いとも慎重に指揮してゆくのだから、幕切れのたびに感激の|喝采《かっさい》が鳴りひびいて、垂れ幕は幾度もくり返して開かれなければならなかったし、ときには指揮者が自分の席でうしろをふり返って、誇らしげな、そしてうれしそうな態度で、場内へむかって挨拶する必要さえあるほどだった。
じっさい、こういう骨の折れる演出がすんで、まだ興奮しながら舞台をしまいこむたびに、ぼくの心はいつも、最善の技倆をかたむけつくした作品をもののみごとに完成した有為な芸術家の感ずるにちがいない、あの幸福なけだるさに満たされるのだった。――この遊びは十三か十四の歳までぼくのいちばん好きな仕事になっていたのである。
それにしても、地階の部屋部屋では父が業務を管理しているし、二階では母が安楽椅子にもたれて夢想にふけるか、あるいは、かすかにもの思わしげにピアノを弾いているかしていて、また、ぼくより二つ年上の姉と三つ年上の姉とのふたりが台所や下着類の戸棚のまえで何やら働いているという、この大きな家のなかで、ぼくの幼年時代や少年時代はどんなふうに過ごされたのだろうか? ぼくはほんのわずかしか覚えていない。
たしかなのはぼくがとほうもなく快活な少年だったことで、ぼくは、家柄がよいのと、教師の真似が模範的にうまいのと、俳優のせりふやしぐさをいくらでもやってのけるのと、一種偉そうなものの言い方ができるのとで、同級生たちからは尊敬され、人気を得ることができた。しかし授業のときはさんざんなていたらくだった。教師の動作から滑稽なところを見つけ出すのに没頭しきっていたので、そのほかのことに注意を向けるひまなどなかったからであるし、家にいるときには、歌劇の材料にする韻文やいろいろなナンセンスで頭がいっぱいになっていたので、本気になって勉強することなどできなかったからである。
「なんというざまだ」と言って、父は眉のあいだの皺をいっそう深くしたものだが、昼食のあとでぼくが成績表を居間にいる父のところへ持っていって、父が片手を上着の折り返しにさしたまま、その紙に目を通してしまうと、いつもそういうことになったのである。――「ほんとにおまえはわしをあまり喜ばせてくれないね。ひとつ聞かせてもらいたいものだが、いったい、どんな者になるつもりでいるんだ? おまえは一生きっと下積みのままでいることだろうよ」
そう言われると悲しくなったものだが、しかし、それは、ぼくがその日の午後に書いておいた詩を、夕食後に、両親や姉たちに読んで聞かせる妨げにはならなかった。そんなときに父は、鼻めがねが白いチョッキの上で跳ねおどるほど笑った。――「なんというばか騒ぎだ!」と父は何度も叫んだ。しかし母はぼくを引き寄せて、額にかかる髪をなであげてくれながら、「ちっとも下手じゃないよ、おまえ、二つ三つよく出来たくだりがあると思うよ」と言うのだった。
そのあと、もうすこし大きくなってからのこと、ぼくは独力でピアノの弾き方とでもいうようなものを覚えた。嬰へ長調の和音を出すことから始めたのは、黒いキーに特別な魅力を感じたからだったが、それから他の音調へ移っていこうとして、ピアノにむかって長い時間をついやしたから、拍子も旋律もないながらに諧音から諧音へと転じていく弾き方に、だんだんとある程度まで上達していった、そして、ぼくはいつも、この神秘的な音の波にできるだけ豊かな表情を盛りこんだものである。
母は、「この子の弾き方を聞くと、いい趣味のあることがわかりますわ」と言った。そしてぼくがピアノの教授を受けるようにしてくれた。しかし、それは半年しか続かなかった。ぼくには正式な指の運び方や拍子などまったく覚えこめそうもなかったからである。――
さて、歳月は流れてゆき、ぼくは、学校のためにいろいろと苦労をなめさせられながらも、きわめて快活に成長していった。ぼくはほがらかな人気者として知人や親戚の範囲を動きまわっていた。無味乾燥で空想を知らないこれらの人々を、ある本能からすべて軽蔑しはじめていたにもかかわらず、ぼくは如才なく、愛嬌者をよそおうのがおもしろくて、愛嬌をふりまいていたのである。
十八くらいになって学校では上級へ進みかけていたころのある午後、ぼくは両親の短い話し合いを立ち聞きした。両親は居間でソファーのそばのまるいテーブルについていたのだが、ぼくが隣りの食堂で、何もしないで窓にのっかったまま、|破風《はふ》造りの家並みのうえのうす青い空をながめていたのに気がつかなかった。自分の名が両親の話に出たのを聞きつけたとき、ぼくは半ば開いている白塗りの、両開きのドアのそばへそっと歩み寄った。
父は自分用の安楽椅子にもたれて、脚は組み重ねたまま、片手に持った経済新聞を膝のうえにあずけて、もう一方の手で頬ひげのあいだの顎をゆるゆると撫でていた。母はソファーに腰かけて、もの静かな顔を伏せたまま刺繍をしていた。ふたりのあいだにはランプが置いてあった。
父が言った、「わしは、あいつをもうじき学校からさげて、どこか手広くやっている店へ見習いに出そうと思っている」
「まあ」と母はいかにも悲しそうに言いながら、目をあげた。「あんなに才能のある子ですのに!」
父はしばらく口をつぐんで、上着についた糸くずを念入りに吹きはらっていた。やがて肩をそびやかして、両腕をひろげながら、両の手のひらを母のほうへ突き出して、こう言った。
「ねえ、おまえ、もしおまえが商人の仕事には才能など何もいらないとでも思っているなら、そういう考え方は間違っているよ。それにまた、あいつが学校では全然ものにならないということも、残念ながらますますはっきりと認めざるをえんのだからね。おまえのいうあいつの才能なるものは、まあ道化者の才能とでもいうものだよ、とは言うものの、急いでつけ加えておくが、わしはそういう才能をけっしてあなどるわけじゃない。あいつは、その気になれば愛嬌をふりまくことができる。みんなと交際したり、みんなを楽しませたり、みんなにおべっかを使ったりすることも心得ている。あいつは、みんなに好かれたい、そして、喝采を博したいとばかり思っているのだよ。こういう素質を持っていて成功した者は、いままでにいくらもいる。あいつにもそういう素質があるんだから、ほかにずぼらなところはあるにしても、まあかなりな程度の商人に、比較的には向いているわけだよ」
そう言った父は満足そうにうしろへもたれて、ケースから紙巻きたばこを一本取ると、ゆっくり火をつけた。
「たしかにあなたのおっしゃるとおりですわ」と言った母は、悲しそうに部屋のなかを見まわした。「わたくし、ただ、あの子はいずれは芸術家になるかもしれないと、たびたびそう思ったり、いくらかそう望んだりもいたしましたわ…… もちろん、あの子の音楽の才能は、じゅうぶんな稽古を受けないままになりましたから、重く見るというわけにはいかないでしょうけれども、あの小さな美術展覧会を見にいってから、近ごろあの子はすこしばかり絵を描いておりますのよ、あなたお気づきになりませんの? けっして下手ではないように思えますわ……」
父はたばこの煙を吹き出してから、椅子の上の姿勢を正して、きっぱりとこう言った。「そんなことはみんな道化芝居で、でたらめさ。それにしても、あいつ自身の希望はもちろん聞いてやっていいわけだよ、それが当然だからね」
ところで、ぼくにどんな希望があったというのだろう? 外的な生活が変わるという見込みは、ぼくの心にすこぶる愉快な作用をおよぼした。商人になるために学校はやめるということを、ぼくはまじめな顔で承諾した。そして、川しもにあるシュリーフォークト氏の大きな材木店に見習いとして入社したのである。
この変化はまったく外面だけのことだった。それは言うまでもない。シュリーフォークト氏の大きな材木店にたいするぼくの興味はすこぶるわずかなものだったから、ぼくは、狭くて暗い事務室のガス灯の下にある自分の回転椅子に、以前教室の腰掛けにすわっていたときと同じような、よそよそしい、ぼんやりとした気分ですわっていた。しかし、こんどは前よりも苦労がすくなくなって、その点に違いがあった。
シュリーフォークト氏は、白いごわごわの水夫ひげをはやした、赤ら顔の、ふとった男だったが、たいていは事務室や倉庫からかなり離れた製材所のほうにいたから、ぼくのことはあまり気にかけなかったし、店員たちはうやうやしい態度でぼくを扱った。ぼくが友達づきあいをした相手は店員のなかのただ一人だけで、家柄のよい、才能のある、愉快な青年だったが、すでに小学校時代からの知り合いで、ついでに言うと、シリングという名だった。彼はぼくと同じように世間の人々をすべてあざけっていたが、しかし、そのかたわらでは材木業に熱心な興味を示して、どうにかして金持になってやるぞという、確固とした決意を語らない日は一日もなかった。
ぼくはというと、どうしてもしなければならない仕事を機械的に片づけてしまって、そのほかは材木置場で板の山と労働者たちとのあいだをぶらぶら歩きまわったり、木格子の高窓から、ときどき貨物列車が岸を通り過ぎてゆく川をながめたりしたのだが、そんなことをしながら、芝居の演出のことか、聞きにいった音楽会のことか、あるいは読んだ本のことを考えていたのである。
ぼくは多読だった。手にはいるかぎりのものはすべて読んだ。そしてぼくの感受力は大きかった。どんな創作人物でもぼくは感情で理解して、その人物のなかにぼく自身を認めることができるように思ったから、新しい本の影響を受けとるまでは、ある本のスタイルに従って考えたり感じたりしていた。むかし人形芝居の舞台を組み立てた自分の部屋で、いまは本を膝に置いてすわったぼくは、あの二枚の先祖の肖像画を見あげながら、それまで読みふけっていた言葉の抑揚をくり返して味わうのだったが、頭のなかには、半ぱな思想やさまざまな幻像が、なんの実も結ばない混沌のままでいっぱいに詰まっていたのである……
姉たちは短期間にひきつづいて結婚してしまった。ぼくは店に出ないときにはよく下の居間へおりていった。そこには、すこし病気がちで、ますます子供らしい静かな顔になってきた母が、たいていひとりぼっちですわっていた。母がショパンを弾いて聞かせてくれたり、ぼくが新しく思いついた諧音の組み合わせを弾いてみせたりしてしまうと、そのあとで母はいつも、ぼくが自分の職業に満足しているかどうか、幸福かどうかと尋ねるのだった…… ぼくの幸福なことは疑いもなかったのである。
ぼくは二十を越してまだいくらもたたない年ごろだったし、ぼくの境遇は一時的のものにすぎなかった。だから、自分はシュリーフォークト氏の店なり、あるいはもっと規模の大きい材木店なりで一生を過ごすように強いられているわけでは全然ない、いずれは自由の身になって、この|破風《はふ》造りの家の多い町から出ていって、世界のどこかで自分の好きなように暮らす、つまり、出来のよい気のきいた小説を読んだり、芝居に行ったり、いくらか音楽もしたりして暮らすことができるのだと、そんなふうにぼくはいつも考えていたのである…… 幸福かどうかって? いや、ぼくはうまい物ばかり食って、上等ずくめの身なりで歩いているではないか。それにもう小学校のときから、身なりの粗末な貧しい同級生たちが習慣的にへりくだって、一種のおもねるような遠慮をしながら、ぼくやぼくの同類を喜んで主人としていただき、指導者として認めるのを見ていたのだから、ぼくは自分が、貧しい者や、不幸な者や、ねたむ者の階級を好意的な軽蔑の気持で見くだす権利を最初から持っている上層の、裕福な、ねたまれる階級に属しているということを、非常に早くから意識して、うれしく思っていたではないか。そのぼくがどうして幸福でないわけがあろう? すべては、なるがままになっていくがいい。しかし、さしあたりは、よそよそしい、優越した、ほがらかな気持で親戚や知人のあいだを動きまわっているのも、それなりにおもしろい。彼らの見解の狭さをあざけりながら、その一方では、気に入られたい気持から彼らに如才のない愛嬌をふりまいてやって、彼らのすべてが――はっきりとはつかめないながら何か反抗的な常軌を逸したところがあると思って――ぼくの性質や態度にたいして示してくれる漠然とした尊敬にひたりながらいい気持になっているのも、さしあたりはおもしろいのだ。
父の身にある変化が起こりはじめた。四時に食卓へ出てくる様子を見ると、眉のあいだの皺が日ましに深くなるように思われたし、偉そうなふうに片手を上着の折り返しにさしこむ身ぶりもしなくなって、沈んだ、いら立たしそうな、おずおずした態度を見せていた。ある日父はぼくにこう言った。
「おまえはもうそれだけの年になっているのだから、わしのからだを痛めつけているいろいろな苦労を、いっしょになって背負ってくれるだろうな。とにかく、わしは義務としてそういう苦労をおまえに知らせておかなければならない。おまえがこれからの境遇について、間違った期待をかけることのないようにするためだがね。おまえも知っているとおり、姉さんたちの結婚にはずいぶんの犠牲を払わされた。そのうえまた最近、商会は財産を大きく減らしてしまうほどの損をしてしまったのだ。わしはもう老人で、元気もないし、この事態が根本的に変えられるだろうとも思わない。だから、おまえには、将来自分だけに頼るほかはないんだということを、しっかり覚えていてもらうよ……」
父がそう言ったのは死ぬ二ヵ月ほど前のことだった。ある日、父は専用事務室の安楽椅子にかけたまま、顔が黄ばんで、手足はきかなくなり、もつれる舌で何か言っているところを見つけられたのである。そして一週間後には町全体が彼の葬儀につらなったのだった。
母は居間の円卓のそばのソファーに、なよなよと静かに腰をかけて、たいていは目をとじていた。姉たちやぼくが何かといたわってやると、うなずいて微笑することもあったが、それからまた黙って、両手を膝に組んだまま、大きな、異様な感じの、悲しそうな目つきで、壁布に描かれた神々の姿の一つをながめつづける。フロックコートを着た男たちが来て、清算の経過を報告するときも、母はそのたびにやはりうなずくだけで、すぐまた目をとじてしまうのだった。
母はもうショパンを弾かなかった、そして、ときどきそっと髪をなでるたびに、青白い、きゃしゃな、けだるそうな手がふるえた。父の死後半年たつかたたぬうちに母は床についた、そして、嘆きの声を立てるでもなく、生きるためにもがきもしないで死んでしまった……
これでもう万事がおしまいになった。いったい何がぼくをこの地にひきとめたろう? 取引は、よかれ悪しかれすべて片づいてしまって、その結果、約十万マルクの遺産がぼくのものになった。そして、それだけあればじゅうぶん独立することができた――何かどうでもいいような理由でぼくはすでに兵役免除になっていたのだから、それだけにいっそう世間のいっさいから独立することができたのである。
もはや何一つとしてぼくを周囲の人々に結びつけるものはなかった。ぼくは彼らのあいだで育ってきたのだが、彼らはますますいぶかしげな、あきれたような目つきをぼくに向けるようになったし、彼らの世界観はあまりにも浅薄なものだったから、ぼくはそれに従う気にはなれなかったのである。彼らはぼくという人間を正確に知っていた、しかも、まるきり役に立たない人間として知っていたかもしれないが、ぼくもまたぼくなりに自分を知っていたのだ。しかし、その知り方は――父の言葉を借りると――自分の「道化者の才能」なるものを明るい面から解釈できるほど懐疑的で宿命論的だったし、また、生活を自分のやり方で享楽しようという浮き浮きした気持もあったのだから、ぼくの自己満足にはなんら欠けるところがなかったのである。
ぼくは自分の小さな財産をもらい受けると、ほとんど別れも告げずに、まずは旅に出るために町を去った。
それにつづく三年間、ぼくがむさぼるような感受性で無数の目新しい、めまぐるしい、変化に富んだ印象に身をゆだねた三年間、それはいま思い出すと、何か美しいはるかな夢のようである。シンプロン峠の雪と氷とにうもれた僧院で新年を祝ったこと、ヴェローナでエルベ広場をそぞろ歩きしたこと、ボルゴー・サン・スピリトー街からはじめて聖ペーター寺院の柱廊へ歩みいって、おずおずとした目で広大な広場を夢のようにながめたこと、ヴィットーリオ・エマヌエーレ街から白く輝くナポリを見おろしたり、海の遠くにカプリ島の優美な影絵が青いもやのなかにぼうとかすんでいるのを見たりしたこと、それはどのくらい前のことなのだろう…… 実際にはそれから六年くらいしかたっていないのである。
もちろん、ぼくはできるかぎり気をつけて分相応に、ということは、質素な貸間や安直な下宿で暮らしていた――それでも、頻繁に移転したのと、はじめのうちはそれまでの裕福な暮らしの習慣を捨てにくかったのとで、支出がかなり大きくなることはどうにも避けられなかった。旅をしてまわる期間の費用は、基本財産のうちの一万五千マルクと決めておいたのだが、この額はもちろん超過してしまった。
それはともかく、ぼくは旅すがらにほうぽうで接触する人々のあいだでは愉快に感じていた。つまらない人もいたし、ときには非常におもしろい人もいたが、そういう人々にとってぼくはもちろん、ぼくのそれまでの周囲にとってと同じような尊敬の対象ではなかったにしろ、しかし、ぼくは彼らからいぶかるような視線や質問を受ける心配はなかったのである。
ぼくなりの社交的な才能のおかげで、ぼくは、ほうぼうの下宿でときどき他の旅客仲間から大いに持てはやされた、――というと、パレルモのミネリ館の客間での一場面が思い出される。いろいろな年齢のフランス人のグループにかこまれながら、ぼくは小型ピアノにむかって出まかせに、悲劇的な表情や美辞をつらねた歌や|轟《とどろ》くようなハーモニーをふんだんに使って、「リヒャルト・ヴァーグナー作」と称する楽劇を即興的に演じはじめたのだった。そして割れるような喝采を浴びながら演じ終わると、いきなり、ひとりの老紳士がつかつかとぼくのそばへやってきたのである。彼はもう頭にほとんど毛がなくて、白いまばらな頬ひげを灰色の旅行服の短い上着にひらひらとたらしていたが、ぼくの両手をつかんで、目に涙を浮かべながら、こう叫んだ。
「いや、驚きましたぞ! ほんとに驚きましたぞ、あなた! 誓って申しますが、三十年このかた、わしはこんなおもしろい思いをしたことはありませんぞ! いや、失礼ながら、心からのお礼を申させていただきますぞ、な! それにしても、あなたはかならず役者か音楽家におなりなさらんといかんですな!」
ほんとうに、こんな場合のぼくは、たとえば女達の集まりなどで調子をおろして、滑稽でありながらも気のきいた漫画をテーブルのおもてに描いてみせる偉大な画家の、天才的な傲慢に近いような気持を感じたのである。しかし、夕食がすむとぼくはひとりでまた客間へ引き返して、小型ピアノから調子の高い諧音を誘い出しながら、パレルモの光景がぼくの心に呼び起こした気分をそのなかへこめたつもりになって、孤独な悲しいひとときを過ごしたのだった。
ぼくはシチリア島から渡って、ほんのわずかアフリカに触れたのち、スペインヘ行ったが、はじめてドイツに帰りたいという願望と――おまけにその必要とを感じたのは、スペインのマドリッドに近い田舎の、あるうす暗い、雨のふる冬の午後のことだった。静かな規則正しい定住的な生活にあこがれはじめたことは別としても、ドイツに着くまでにはどんなにきりつめたところで二万マルクの支出になってしまうということが、わけなく計算できたからである。
あまり長くはためらわずに、ぼくはフランス経由でゆっくりと帰途についた。そして、途中あちこちの町にやや長めの逗留を重ねながら、帰り着くまでにほぼ半年をついやしたが、中部ドイツの首都の停車場に着いたあの夏の夕べのことは、もの悲しい感じでまざまざと思い出される。その町はぼくが旅のはじめにすでに選び出しておいたものだったが、――いまはいくらか賢くなって、すこしは経験や知識も積み、これからはここでのんきな独立の身で、ささやかな資力に喜んで従いながら、邪魔のはいらない静かな生活をきずくことができるのだ、という子供らしい喜びでいっぱいになって、ぼくはこの町に乗り込んだのだった。
そのときぼくは二十五歳だった。
場所の選び方は悪くなかった。ここはりっぱな町で、まだあまりにそうぞうしい大都会的な混雑も、あまりに不愉快な商業のいとなみもなく、そのかわり二、三のかなり大きな古い広揚があって、街頭の生活には活気もあれば、ある程度の上品さもある。近郊には気持のいい場所がいくつもあるが、ぼくはいつも、「レルヘンベルク」という細長く延びた丘の上を走っている風雅な作りの散歩道を選んだ。この丘には町の大きな一画がもたれかかっているが、そこへ登ると、家並みや、いくつかの教会や、ゆるやかにうねっている川を越して広大な眺望を楽しむことができる。丘のところどころは、ことによく晴れた夏の午後に軍楽隊の演奏があって、馬車や散歩の人たちがあちこち動いているときなど、ローマのピンチョーの丘を思わせる。――しかし、この散歩道についてはあとでまたふれることになると思う……
町のほぼ中央の、にぎやかなところに借りた寝室つきの広い部屋を、ぼくがどれほどすみずみまで満足できるように気をくばりながらととのえたか、それはだれも本当と思う者はあるまい。両親の持っていた家具はたいてい姉たちの所有になっていたが、それでもぼくの使ったものはぼくのものになっていた。そのどっしりとしたがんじょうな家具が、ぼくの書籍やあの二枚の先祖の肖像画といっしょに、ここへ届いたのである。そのなかには何よりもまず、母がぼくにくれることに決めておいたあのグランドピアノがあった。
じっさい、すべてのものが配置され、整頓されたとき、旅で集めた写真が四方の壁にも、重いマホガニーの書きもの机にも、弓なりにふくらんだ箪笥にも飾られたとき、そして、片づけを終えた安らかな気持で、窓辺の安楽椅子に腰をおろしながら、外の往来と自分の新居とをかわるがわるながめたとき、ぼくの心の楽しさは小さなものではなかったのである。それなのに――ぼくはこの瞬間のことを忘れはしない――、それなのにぼくの心のなかには、満足や信頼のほかに何か別のものがかすかに動いていた。何かしらかすかな不安や心配の感じ、脅かしてくるある力にたいするぼくの憤激と反抗とでもいうようなほのかな意識……これまではいつも一時的なものにすぎなかったぼくの境遇が、いまはじめて決定的な不変なものと見なされざるをえなくなったという、いささか意気をくじかれるような考えが動いていたのである。
こういう感情やこれに似たような感情はその後もときどきくり返されたが、それをぼくは隠しはしない。なぜって、戸外に迫ってくる夕闇かあるいはゆるやかに降る雨でもみつめながら悲観的な発作の犠牲になるという、そういうたそがれ時というものは、どうにも避けようのないものではないか? いずれにしろ、ぼくの将来が完全に保証されているのは確かなことだった。ぼくは八万マルクというまとまった金額を市の銀行に預けていて、その利息が――いや、こう不景気では仕方がない!――四半年に約六百マルクになったのだから、そのおかげで相当な生活をして、本を買うことも、ときどき芝居を見ることもできたし、――すこしは手軽な気ばらしもできないわけではなかったのである。
このときからぼくの日々は、じっさい、昔からぼくが目ざしていた理想どおりに過ぎていった。ぼくは十時ごろに起きて、朝食をすましてから正午までの時間は、ピアノを弾いたり文学雑誌か本を読んだりして過ごす。それから往来をぶらぶら歩いて、いつも寄ることにしている小さなレストランまで行くと、そこで食事をして、こんどはかなり長い散歩をしながら、いくつもの街を通り、画廊を一つ抜けて、郊外へ出て、レルヘンベルクに登る。家へ帰ると、また午前と同じ仕事に取りかかる、つまり、本を読んだり、音楽をしたり、ときには図画みたいなことをして楽しむことさえあるし、あるいは丹念に手紙を書くこともある。夕食後、芝居か音楽会へ出かけないときには、カフェーにねばっていて、寝る時間になるまで新聞を読む。ピアノにむかって新しい美しいもののように思われるモティーフを弾くことができたり、小説を読むとか絵を見るとかして、繊細な、いつまでも消えないような気分を汲みとることができると、その日は良い美しい日で、幸福を感じさせてくれる内容があったということになるのである……
とにかく、ぜひ言っておきたいが、ぼくはいろいろなことをするのに一種の理想に従ったやり方をして、日々の生活にできるだけ多くの「内容」を与えようと真剣に心がけたのだった。食事はつつましやかにし、服はたいてい一着しか持たず、つまり、肉体的な要求を慎重に制限して、そのかわりにオペラや音楽会の良い席に高い料金を払ったり、新刊の文学書を買ったり、いろんな美術展覧会に行ったりすることができるようにしたのである……
しかし日は一日また一日と過ぎ去って、それが幾週にも幾月にもなっていった、――退屈? もちろん、幾時間にもわたって内容を与えうるような本がいつも手もとにあるとはかぎらないし、また、ピアノで即興を試みても、いっこうにうまくいかないこともある。そこで窓辺に腰をかけて、紙巻きたばこをくゆらす、すると、いっさいの人々や自分自身にたいする嫌悪の感情が抵抗のしようもなく心に忍びよってくる。あの不安、あの不快な記憶のある不安がまた襲ってくる。そうなると、跳びあがって、逃げ出して、往来へ出ていって、幸福な人間のようにほがらかな顔で肩をそびやかしながら、精神的にも物質的にも暇を得て享楽するだけの力を持たない勤め人や労働者をながめるのである。
いったい二十七歳になる男が、自分の境遇はもう決定的に変わりようのないものになったということを、よしんばその変わりようのなさが大いに確からしいとしても、本気で信ずることができるものだろうか? 鳥のさえずりにしろ、ほんのわずかな青空にしろ、まとまりのないもうろうとした夜の夢にしろ、すべては漠然とした希望の流れを不意に彼の心へそそぎ入れて、何か大きな思いがけない幸福にあずかるのではないかという、はれがましい期待でその心を満たすことができるのである…… ぼくは一日からつぎの一日へとぶらぶら歩いていった、――静かに、あてもなく、何かささやかな希望、たとえそれがおもしろい雑誌の発行日というだけのことにしても、何かささやかな希望にかまけながら、自分は幸福なのだという力強い確信を持って、そして、ときどきはすこし孤独に疲れて。
じっさい、つき合う仲間のないのが不満に思えてくる時は、かならずしもまれではなかったのだが、――つき合いのなかったわけを説明する必要があるだろうか? ぼくにはこの町の上流社会、一流や二流の階級とのつながりは全然なかった。きらびやかな若い人たちのなかヘ浮かれ者として打って出るには、どうしてもぼくには資力が足りなかったのである、――それならボヘミアンはどうか? しかし、ぼくは教育のある人間で、清潔な下着に破れたところなどない服を着ているのだし、なりふりかまわぬ若い人たちとアブサン酒でべとつくテーブルについて無政府主義的な会話をかわすなどということは、すこしもおもしろいと思わない。要するに、ぼくが自明なこととして所属しておれる一定の階級というものがなかったのである。そして、何かのきっかけで自然に出来る知り合いというものは、たまにしかない、いいかげんな、そっけないものだった、――それはぼく自身に責任があることを認めなければならないなりゆきなのだが、つまり、ぼくはそういう場合にも自信の持てない気持で、だれかずぼらな絵描きにさえ、ぼくがそもそもどんな人間で何をしているかということを、簡単で明快な、なるほどと思わせるような言い方で説明してやることのできないのを不愉快な思いで意識しながら、控え目な態度を取っていたのである。
それにぼくは、社会にはなんら奉仕しないで勝手に自分自身の道を行くことにしたとき、もちろん、「社会」とは縁を切って、社会をあきらめてしまってはいたのだが、もし幸福であるために「世間の人々」を必要としていたのなら、いまごろはかなり大きな実業家として公共の利益になるようなふうに自分を富まし、世間から羨望もされ尊敬もされるようなことをしていたのではなかろうかと、あえて自分自身にむかって尋ねずにはいられなかったのである。
それにしても――それにしても、ぼくの哲学的な孤立がぼくをはなはだうんざりさせるという事実、そしてその孤立が「幸福」についてのぼくの見解や、自分は幸福なのだというぼくの意識や確信、それのゆらぐなどということは――疑いもなく――けっしてありえない確信などと、結局はどうしても一致しそうにないという事実は、やはり事実として存在したのだった。幸福ではなくて、不幸なのである。しかし、そんなことがそもそも考えられるだろうか? それは考えられないことなのだ。というふうに決めるとそれで問題は片づいてしまうが、しかし、いずれはまた、この独居、この孤独な生活や疎隔された立場が本当のものではなくて、どうしても調子はずれなもののように思われ、ぼくを恐ろしいほど不機嫌にする時がくるのだった。
「不機嫌」――これは幸福な人間が示す特徴の一つだろうか? ぼくは故郷の狭い範囲のなかで暮らしていたころのことを思い出す。あの範囲のなかでは、ぼくは自分の才気縦横な芸術的な素質を愉快に意識しながら動きまわっていた、――人づきあいがよくて、愛嬌があって、目には快活さと皮肉と世間にたいする優越的な好意とをあふれさせて、みんなの評判ではいささか変わり者ながら、それでも憎めない人気者として。あのころは、シュリーフォークト氏の大きな材木店で働かなければならなかったが、それにもかかわらず、ぼくは幸福だったのだ。そしていまは? そしていまは?……
ところが、非常におもしろい本が出版された。新しいフランスの長編小説で、ぼくはそれを買い求めた。そして、楽々と安楽椅子にもたれながら、ぼくはゆっくりとそれを味わうつもりでいる。これでまた、趣味と|駄法螺《だぼら》と卓抜な技巧とにあふれた三百ページが読めるのだ! ああ、ぼくは自分の生活をいかにも満足できるような形のものにしたではないか! ひょっとするとぼくは幸福ではないのかな? そんな疑問などお笑い草にすぎない……
これでまた一日が終わった。ありがたいことに、内容があったことを否定できない一日である。もう夜になっていて、窓のカーテンはとざされ、書きもの机の上にはランプが燃えている。もうほとんど真夜中である。ベッドについてもいいのだが、ぼくは半ば横になったかっこうで、いつまでも安楽椅子から離れずにいる、そして、両手を膝に組み合わせたまま、天井を見あげながら、追いはらうことのできなかった半ばおぼろげなある苦痛が、かすかに心を掘りかえしたり、むしばんだりするのを、忍従の気持で跡づけている。
つい数時間まえまでぼくはある偉大な芸術作品の作用に身をまかせていたのだが、それは、|放埓《ほうらつ》にも天才的なディレッタンティズムの堕落したけばけばしさで人の心をゆすぶり、しびれさせ、苦しめ悩まし、狂喜させ、打ちのめすという、あの巨大な残酷な創作の一つだった…… ぼくの神経はまだふるえている。空想はかき立てられて、不思議な気分、あこがれ、宗教的な熱狂、勝利、神秘的な平和などの気分が、心のなかに高くまた低く波打っている、――そしてそれと同時に、それらの気分をたえず新たにあおり立てて、外部へかり出したがる欲求、それらの気分を表現しよう、伝達しよう、人に見せてやろう、「それで何かを作り出そう」という欲求があるのだ……
もしぼくが実際に芸術家で、音か言葉か彫刻で自分を表現することができたら、――正直に言うと、同時にそれらのすべてで表現するのがいちばん好ましいのだが、もしそうできたら、どうだろう?――なぜって、ぼくはほんとにいろんなことができるではないか! たとえば、ぼくはピアノにむかって腰をおろして、静かな小部屋で自分の美しい感情をいくらでも自分に弾いて聞かせることができる。そしてそれだけでもう当然ぼくは満足できるはずなのだ。というのも、もしぼくが幸福であるために「世間の人々」を必要とするのなら、――いや、これはもうすべてわかったことだとしておこう! それにしても、かりにぼくが成功ということをも、名声、称賛、賛美、羨望、愛ということをもすこしは尊重するとしたら?…… ぼくは誓って言う! あのパレルモの客間での場面を思い出すだけでもすでに、ぼくは、もしあれに似た事件がこの瞬間に起こるなら、それはぼくにとって、くらべものもないほどありがたいはげましになるだろうということを認めずにはいられないのである。
よく考えてみると、ぼくはつぎのような詭弁的なばかげた概念の区別をしていることを白状せざるをえない。つまり、内的幸福と外的幸福との区別である!――「外的幸福」、それはいったいどんなものなのか?――世間には、その幸福が天才であり、その天才が幸福であるような、神の寵児とも思われるたぐいの人々、光の子たちがいる。彼らはその目に太陽の反射反映を宿して、軽快に、優美に、愛嬌を見せながら、たわむれるように人生を過ごしてゆく。すると世間の人々はみな、彼らを取り巻いて、称賛し、賛美し、羨望し、愛する。嫉妬も彼らを憎むことはできないからである。ところが彼らは子供みたいに見える。皮肉で、わがままで、気まぐれで、陽気で、ほがらかにあいそうよく、自分の幸福や天才を信じきっていて、まるでそのすべてがけっして変わることはないとでもいうような様子をしている……
ぼくはどうかというと、そういう人々の一人でありたいと願う弱みが自分にあることを否定はしない。それに、かつては自分もそういう人々の一人だったというような気が、当然かどうかは別として、たえずくり返して起こってくる。これはまったく「別として」の話である。それというのも、正直に言うことにしよう、肝心なのは、自分が自分を何と思っているか、何と認めているか、何と認める自信があるか、ということなのだ!
ぼくは「社会」に奉仕することを回避して、「世間の人々」とは没交渉に自分の生活をしつらえたのだが、それと同時にぼくはこの「外的幸福」をもあきらめた、というのがおそらく本当の事情ということになるのだろう。しかし、ぼくがそれで満足しているということは、もちろん一瞬間も疑いのないこと、疑うことのできない、疑うことを許されないことである、――というのも、くり返して言うが、しかも絶望的に力をこめながらくり返して言うが、ぼくは幸福でありたいのだし、幸福でなければならないのだ! 「幸福」とは一種の功績、天才、高貴、愛嬌であるという解釈、「不幸」とは何か醜い、光をきらう、軽蔑すべきもの、一言でいえば笑止なものであるという解釈は、ぼくの心にきわめて深く根ざしているものなのだから、もしぼくが不幸であるとすると、ぼくはもう自分で自分を尊敬することなどできなくなると思う。
そのぼくがどうして不幸であることを自分に許せるものだろうか? そうなったらぼくは自分にたいしてどんな役を演じなければならないことだろう? こうもりかふくろうみたいに闇のなかにうずくまって、ねたましげに目を細めながら、「光の子たち」のほうを、愛嬌のある幸福な人々のほうをながめなければならないのではなかろうか? ぼくは、毒をふくんだ愛にほかならないあの憎しみで彼らを憎み、――そして自分を軽蔑せずにはいられないだろう!
「闇のなかにうずくまる!」ああ、こんな言葉を書くと、幾月も前からときどき自分の「疎隔された立場」や「哲学的な孤立」について考えたり感じたりしてきたことが、思い浮かんでくる! そしてあの不安、あの不快な記憶のある不安がまたぞろ頭をもたげてくる! そして、あの脅かしてくるある力にたいする憤激とでもいうような意識が……
――もちろん、そのとき、それからつぎのとき、さらにまたそのつぎのときというふうに、何か慰めになるもの、気ばらしになるもの、麻痺させるものがあったことは確かである。しかし、いま書いたようなことはすべてまたくり返された。月が過ぎ年もまた過ぎてゆくうちに、幾度も幾度もくり返されたのである。
十一
まるで奇蹟とでもいうような秋の日があるものである。夏はもう過ぎて、郊外ではとっくに木の葉が黄ばみはじめ、市内ではすでに幾日も風が町角という町角をめぐってひゅうひゅうと唸り、下水溝にはきたない水がほとばしり流れている。きみは観念して、いわば冬を耐え忍ぶ覚悟でストーブのそばに陣取った。ところが、ある朝、目ざめたとき、輝かしい空色の細いすじがカーテンのあいだから部屋のなかへきらきらとさしこんでくるのを認めて、きみは自分の目が信じられない。すっかり驚いて、きみはベッドから跳び出す。窓をあける。ちらちらとふるえる日光の波がきみのはうへ流れこむ。それと同時に往来のいっさいの騒音を通して、たえまもない元気のいい鳥のさえずりが聞こえてくる。そしてきみは、十月のある日のさわやかな軽やかな空気といっしょに、五月の風にしかないはずのあの無類に甘い、希望に満ちた芳香を吸いこむような気がする。これは春だ。暦とはくいちがうが、明らかに春だ。そう思って、きみは手早く服を着ると、輝く空の下を街から街へと抜けて、郊外へ急いでゆく……
こういう思いがけない珍しい日が、いまから四ヵ月ほど前にあって――いまは二月の初めである――、その日ぼくは格別にきれいなあるものを見た。朝の九時まえに家を出て、軽やかなうれしい気分、何がなしに変化や驚きや幸福を期待する気分で胸をいっぱいにしながら、ぼくはレルヘンベルクヘゆく道を取った。そして、右の端から丘へ登って、丘の背を縦にずっと伝わっていったが、いつも、いちばん広い散歩道の縁の、低い石の柵に沿って歩いたのである。それは、ほぼ三十分近くかかるその道をゆくあいだ、いくらか台地なりの形で傾斜している町や、うねりながら日に照らされて光っている川を、たえず眺めつづけられるようにするためだった。川の向こうには、丘や森のある風景が日光を浴びながら、もやのなかにかすんでいた。
この丘の上にはまだ人の姿はほとんど見えなかった。道の向こうがわのベンチもみんなカラで、ところどころ木のあいだから、彫像がのぞく。それは日を浴びて白く輝いているが、それでもときどき枯れ葉が一つ、ゆらゆらとその上へ舞い落ちる。かたわらの明るいパノラマから目を離さずに歩きながら、ぼくが耳をすまして聞き入っていた静けさは、丘の端に着いて、道が栗の老木のあいだを縫ってくだりになりはじめるまで、乱されずに続いていた。ところが、ここまで来たとき、うしろのほうから馬蹄の音と、がらがら走ってくる馬車の音とが聞こえてきた。馬を速歩で駆りながら近づいてくるその馬車に、ぼくは下り坂の中ごろで道をゆずらなければならない。ぼくは道ばたに寄って立ちどまった。
それは小さな、非常に軽快な二輪馬車で、二頭の大きな、つややかな、荒い息づかいをしている栗毛に引かれていた。手綱を取っているのは十九か二十くらいの若い婦人で、そのそばには堂々とした上品な風采の、ロシア式にはねあげた口ひげも白いし、太い眉も白い老紳士がすわっている。黒地に銀をあしらった簡素な仕着せを着た召使がひとり、うしろの座席を飾っていた。
馬の歩調は下り坂にさしかかるところで並み足にゆるめられた。二頭のうちの一方がいら立って落ち着かぬように見えたからである。それが|轅《ながえ》からずっと横のほうに離れて、首を胸に押しつけたまま、すらりとした脚をいかにもいやそうにふるわせながら運ぶので、すこし心配になった老紳士は、前かがみになりながら、上品な手袋をはめた左手で、若い婦人に手綱を引きしめる手伝いをしてやった。彼女はただ臨時に、冗談半分に手綱さばきをまかされているものらしく、すくなくとも何か子供らしいもったいぶりと同時に未熟さで馬車を駆っているようなふうに見えた。おじけてよろめく馬を落ち着かせようと努めながら、彼女はまじめくさって、怒ったようなふうに、首を小刻みに動かすのだった。
彼女は色が浅黒くて、すらりとしたからだつきだった。髪は襟首のところで固く束ねてあって、額とこめかみとに、ほんのわずかぱらぱらと、淡褐色の髪の毛が一本一本見分けられるほどにかかっていたが、その髪の上に、飾りとしてはわずかにリボンをあしらっただけの、まるい、黒っぽい色の麦わら帽子がのっていた。そして着ているものは、短い濃紺の胴着に淡灰色のらしゃの簡素な仕立てのスカートだった。
朝の風になぶられて、あざやかに赤らんだ浅黒い肌色の、卵形をした品のよい顔のなかで、最も魅力的なのは、たしかに、目であった。細い切れ長な二つの目であった。半分以上も隠れている虹彩はきらきらとして黒く、目の上には珍しいほどつり合いのとれた、ペンで描いたような眉が弓なりにかかっている。鼻はいくらか長い気味で、唇の線はともかくくっきりとして上品だが、口はもっと小さいほうがいいかもしれない。しかしこの瞬間には、輝くように白い、いくらかあいだのすいている歯並みが口に魅力を添えていた。少女は馬を駆る努力をつづけながら歯で下唇をぎゅっと噛みしめて、その歯といっしょに、ほとんど子供のようにまるい顎を突き出し気味にしていたのである。
この顔には人目を引くほどのすばらしい美しさがあると言ったら、それはまったくのいつわりになるだろう。その顔が持っているのは青春と快活な生新さとの魅力だった。そしてその魅力は、裕福からくる気楽さや貴族的な教育やぜいたくな手入れのおかげで、いわば滑らかにされ、静かにされ、上品にされていた。いまはわがままな怒り方で強情な馬を見つめながら、きらきらと光っているその細い目は、つぎの瞬間にはまた確実で自明な幸福の表情を浮かべるのだろう。それはたしかなことだった。――肩のところでゆるくふくらんでいる上着の袖口が、ほっそりした手首をぴっしりと締めつけていた。ぼくは、そのほっそりした乳白色の両手が手袋もはめずに手綱を取っている様子を見たときほど、選びすぐった上品さというもののうっとりとするような印象を受けたことは、いままでに一度もないのである!――
馬車が通り過ぎるあいだ、ぼくはだれの視線も受けずに、道ばたに立っていた、そして、馬車がふたたび速歩になって、みるみる消え去ったとき、またゆっくりと歩き出した。ぼくが感じていたのは、喜びと驚嘆との感情だった。しかし、それと同時に何か奇妙な刺すような苦痛が起こってきた。にがい、せきたてるような感じで――嫉妬から出たものか? 愛から出たものか?――ぼくはあえてつきとめようとはしなかったが、――あるいは自己軽蔑の気持から出たものだろうか?
こんなことを書いていると、宝石商の飾窓のまえに立ちながら、ある宝石の高貴な輝きをみつめているみじめな乞食の姿が思い浮かんでくる。この男は心のなかで、その装身具を所有したいというようなはっきりした願望を持つまでにはならないだろう。そんな願望を持とうなどと思うことがすでに、彼に彼自身を笑い物にさせるような、笑止な不可能事だろうからである。
十二
ぼくはある偶然のおかげで、この若い婦人を一週間後に早くも二度目に見た、それもオペラ劇場で見たのだが、それを話すことにしよう。上演されたのはグノーの『マルガレーテ』だったが、平土間の自分の席へゆこうとして、明るく照らされた場内へはいるといきなり、ぼくは、向こうがわの舞台寄りの桟敷に、彼女があの老紳士の左がわにいるのに気がついた。それと同時にぼくは、滑稽にも自分がいささかぎくりとして狼狽するような感じに襲われ、どんなわけからかすぐに目をそらして、別の特等席や桟敷を見わたしたことを、ついでながらに確認したのである。序曲が始まるころにやっと、ぼくは思いきって、老紳士や彼女を前よりもややくわしく観察した。
老紳士は胸開きの非常に狭いフロックコートに黒い蝶ネクタイを結んで、落ち着いた品位を見せながら椅子の背にもたれた形で座につき、褐色の手袋をはめた手の一方を桟敷のビロード張りの手すりに軽くのせて、もう一方の手でときどきゆっくりと口ひげをなでたり、短く刈った半白の頭髪をなでたりしていた。それに引きかえて少女のほうは――彼の娘に違いないが――扇を持った両手をビロード張りの手すりにのせたまま、おもしろそうに、元気よく座席から身を乗り出していた。そして、ときどき、淡褐色のおくれ毛を額やこめかみからすこしうしろへ送ろうとして、首をちょっと振るのだった。
彼女の着ているのは明るい色の絹のいかにも軽やかなブラウスで、その飾り帯に小さなすみれの花束がさしてあった。あの細い目は、明るく照らされて、一週間まえよりもいっそう黒く輝いていたが、ぼくは、あのときに認めた彼女の口つきが結局は彼女特有のものであることを見て取った。つまり、彼女は一様にあいだがすこしすけて輝いている白い歯並みをたえず下唇に押しつけては、顎を突き出し気味にするのである。媚態などすこしも示さないこの無邪気な顔つき、のんびりと楽しそうにあちこち眺めわたしているそのまなざし、胸着と同じ色の細い絹紐を巻いた、あらわで、きゃしゃな白い頸、オーケストラ席のなかとか、|緞帳《どんちょう》のところとか、どこかの桟敷のなかなどの何かあるものに老紳士の注意をうながそうとして、ときどき彼のほうをふり向くその身ごなし、――すべてが言いようもないほど上品で好ましい子供らしさの印象を呼び起こしたが、しかし、その子供らしさには、すこしでもいじらしいような、「同情」を誘うようなところは何もなかった。それは洗練された富裕な生活によって確実な優越的なものにされた、高貴な、威厳のある子供らしさだった、そして、自明なものだからすこしも有頂天なところのない、むしろ静かなおもむきのある幸福を示していた。
グノーの、気がきいていてやさしい音楽は、この光景の伴奏としてけっして場違いなものではないと思われた。そこでぼくは、舞台のことは気にしないで、音楽だけを聞きながら、おだやかな、もの思いに沈むようなある気分にひたりきっていた。その気分のわびしさは、もしこの音楽がなかったなら、もっとせつないものだったかもしれない。ところが早くも第一幕のあとの休憩時間に、まあ二十七から三十までぐらいの年輩の、ある紳士が平土間の座席から立ちあがって、姿を消したかと思うと、すぐに、ぼくが気をくばっている桟敷に、器用なお辞儀をしながら現われた。老紳士はすぐさまその男に手をさし伸べた。若い婦人も親しそうにうなずきながら手をさし出したが、その手を男は品のよいしぐさで自分の唇へ持っていった。それから彼はしきりにすすめられて、そこに腰をおろした。
ぼくは、この紳士の着ていたワイシャツの胸が、ぼくの生まれてこのかた見ることのできた最もたぐいまれなものだったことを、告白するのにやぶさかではない。そのワイシャツの胸はすっかりむき出しになっていた、というのも、チョッキは一本の細長い黒い線にすぎなかったし、燕尾服の上着は、胃のずっと下のところになってやっと一つのボタンで合わされているうえに、肩のところから、なみはずれて大きく弓形に広げた仕立てになっていたからである。上のほうは角を鋭く折り返した高い立ちカラーの、幅の広い黒い蝶ネクタイのところで終わっていて、正確な間隔を置きながら、大きな四角形の、やはり黒いボタンを二つつけたこのワイシャツの胸は、まばゆいばかりに真っ白で、驚くほど堅く糊をつけてあったが、そのためにしなやかさがなくなるようなことはなかった。胃のあたりでは気持よくくぼんでいるのに、その先はまた盛りあがって、感じのいい、輝くばかりの山になっていたのである。
このワイシャツがこちらの注意を大部分ひとり占めにしたことは言うまでもない。しかし、頭はどうかというと、完全にまるくて、脳天はごく短く刈った淡いブロンドの髪におおわれ、縁も紐もない鼻めがねと、あまり太くないブロンドの軽くちぢれた口ひげと、片方の頬の、こめかみまで細く幾本となく走っている決闘の傷あととが顔を飾っていた。それにこの紳士は申し分のない体格で、身のこなしには落ち着きがあった。
ぼくはこの晩のうちに――彼がその桟敷にすわりつづけたからだが――彼にとりわけ特有なものらしい二つの姿勢を見てとった。すなわち、老紳士や若い婦人との談話がとぎれた場合には、彼は脚を組み重ねて、双眼鏡を膝に置き、楽々とうしろへもたれて腰かけたまま、うつむいて口全体をぐっと前へ突き出し、自分の口ひげの両端をながめることに夢中になって、すっかり催眠術でもかけられたような様子になり、それと同時にゆるゆると静かに首を右から左へ、左から右へ向けているのである。それから、若い婦人と話をする場合には、彼は敬意を表して脚の位置を変えはするが、両手で椅子をつかみながら前よりもいっそううしろへもたれかかると、頭をできるだけもたげて、口をかなり大きくあけたまま、あいそうのいい、いくらか優越を示すという態度で、隣りの若い夫人を見おろしながら微笑するのである。この紳士は何かすばらしく幸福な自意識でいっぱいになっているのにちがいなかった……
まじめに言って、ぼくはそういうことの価値をよく知っている。彼の動作は、たとえその投げやりな様子に無理なところがあったにしろ、どれ一つとして間の悪い狼狽をあとに引くようなものではなかった。彼には自信があったのである。それも当然ではなかろうか? 明らかに、彼は、格別頭角を現わすということはなかったらしいが、これまで非の打ちどころのない道を進んできたのである。その道を歩きつづけて、彼は明瞭な有益な目標に到達するのだろう。彼は、世間とは了解し合った日かげで、そして一般の尊敬を受ける日なたで、生きているのだ。こちらがそんなことを思っているあいだに、彼はあそこの桟敷にすわって、若い娘とおしゃべりをしている。彼女の純粋なすばらしい魅力はたぶん彼にも感じられるのだろうし、もしそうなら彼は安んじて彼女に求婚することができるのだ。じっさい、ぼくはこの紳士を軽蔑するようなことはひとことも言う気がしない!
ところで、ぼくはどうなんだろう、ぼくのほうは? ぼくはこの低いところにすわっていて、あのたぐいまれな、得がたい人があんなろくでなしと喋ったり笑ったりしているのを、遠くから、闇のなかから、うらみがましく眺めるばかりなのだ! のけ者にされて、かえり見もされず、なんの権利もなく、よそ者として、異常者として、落伍者として、浮浪者として、自分で見てさえみじめな者として……
ぼくは終幕までいた、そして、あの三人の人たちには携帯品預かり所でまた出会った。そこではみんなが、毛皮を着るあいだ、しばらく足をとめて、こちらではある婦人と、あちらではある将校とというふうに、だれかかれかと二、三言葉をかわしていた…… あの若い紳士は老紳士やその娘と連れ立って劇場を出た。ぼくはすこし離れて三人を追いながら劇場の玄関を通り抜けていった。
雨は降っていなくて、空には二つ三つ星が出ていた。馬車は呼ばれなかった。くつろいで何かお喋りをしながら歩いてゆく三人のあとから、ぼくはおずおずとすこし離れてついていった、――意気消沈して、刺すように痛い、|嘲《あざけ》るような、みじめな気持にさいなまれながら…… みんなはいくらも歩く必要がなくて、往来を一つ過ぎたと思うと間もなく、簡素な正面を持ったあるりっぱな家のまえに立ちどまった、そして、それからすぐに老紳士とその娘とが連れの紳士に心をこめた別れの挨拶をして姿を消し、連れの紳士は急ぎ足に立ち去っていった。
その家の、彫刻をほどこした重いドアのかたわらには「法律顧問官ライナー」という名を読むことができた。
十三
ぼくはこの草稿を終わりまで書きとおす決心をしている。もっとも、内心ではうんざりして、いますぐにも跳びあがって逃げ出したい気がするのだが。この事件ではぼくはもうへとへとになるほど心を掘り返され掘り抜かれている! こんなことはすべてもう胸がむかつくほどいやになっているのだ!……
いまから三ヵ月足らず前のことだが、ぼくは、ある「バザー」が慈善のために当市の市役所で催されることにきまって、それには上流階級も協力するということを、新聞で知った。ぼくはこの広告を注意して読んで、それからすぐに、このバザーにゆく決心をした。あの女がたぶん売り子になって出ているだろう、そうだとすると、ぼくがそのそばへ近寄るのを妨げるものは何もあるまい、とぼくは思ったのである。落ち着いてよく考えてみると、ぼくは教養もあるし家柄もよい人間なのだから、もしあのライナー嬢がぼくの気に入っているのなら、こんな機会にはぼくだって、あの驚くべきワイシャツの胸を見せていた紳士と同じように、彼女に話しかけて、冗談の一つや二つくらいやり取りしてならぬというわけはないのだ……
ぼくが市役所へ出かけたのは、風が吹いて雨も降っている午後のことだったが、玄関先には人間や馬車がごった返していた。ぼくは|雑沓《ざっとう》を押し分けて建物のなかへはいり、入場料を払って、オーバーと帽子を預けてから、人でぎっしり詰まった、幅の広い階段をいくらか骨折りながら昇っていって、二階の会場へたどり着いた。ぶどう酒と料理と香料と|樅《もみ》の木の匂いとのまざった刺激的な臭気や、笑い声と話し声と音楽と叫び声と|銅鑼《どら》の音との入り乱れた喧噪がぼくを迎えた。
この非常に天井の高い広い部屋は、さまざまな旗や花輪でとりどりの色もあざやかに飾られ、壁ぎわにも中央にも売店がずらりと並んでいた。あけ放しの売り場もあるし閉じた仕切り部屋もあって、奇抜な仮面をつけた紳士たちが、仕切り部屋にもはいってみてくれと、声を張りあげながらすすめている。あたりのあちこちで花だの、手芸品だの、たばこだの、さまざまな飲食物だのを売っている婦人たちも、思い思いの仮装をしていた。広間のかみ手の端では、植木を飾った舞台の上で楽団が騒々しい音を立てていて、売店と売店とのあいだに出来た広くない通路には、すき間もなくつまった人間の行列がそろそろと前へ動いてゆく。
音楽や福引やおどけた広告などの騒音にいささかあきれながら、ぼくは人の流れに加わったが、それから一分とたたぬうちに、入口から四歩左寄りのところに、ぼくがここへ探しにきたあの若い婦人を見つけた。彼女は|樅《もみ》の葉の輪飾りをつけた小さな店で、ぶどう酒とレモン水とを売っていて、イタリア婦人の着つけだった。幾色にもなったスカートに白い角張ったかぶり物をいただき、アルバニアの女が着る短い胸着をつけて、その袖からきゃしゃな腕が肘のところまであらわになっていたのである。すこし興奮した様子の彼女は、売り台の横にもたれて、多彩な扇をもてあそびながら、彼女の店のまわりに立ってたばこを吸っている数人の紳士たちとおしゃべりをしていた。その紳士たちのなかにぼくはひと目で、あの見おぼえのある男がいるのを認めたが、彼は売り台のそばの彼女のいちばん近くに立って、両手の指を四本ずつ短い上着の脇ポケットに入れていた。
ぼくはそろそろと押し進みながらそこを通り過ぎたが、心のなかでは、機会のあり次第に、彼女がいくらか暇になり次第に、そのそばへ歩み寄ろうと決心していたのである。――ああ! ぼくがまだ快活な落ち着きと自信のある器用さとの名残りを自由に使いこなせるかどうか、それとも最近数週間のふさぎ込んだ半ば絶望的な気持が当然なものだったかどうか、それがいまこそ明らかになるのだ! いったいぼくは何に心を悩まされていたのだろう? この少女を目のあたりに見たとき、どうしてあんな羨望と愛と羞恥といら立たしい憤激とがまざり合った、苦しいみじめな気持になったものだろう? 白状すると、いまもまたその気持がぼくの顔をほてらせている。率直! 愛嬌! 才能にめぐまれた幸福な人間にふさわしいような、ほがらかな、上品な自己満足! たしかに、これが必要なのだ! そう思ったぼくはいらいらと熱中しながら、冗談めかした文句、気のきいた言葉、イタリア語の呼びかけを考えた。その呼びかけで彼女に近づいてやろうともくろんだのである……
のろのろと進んでゆく群衆にまじって広間を一周するまでには、かなりの時間がかかった、――そしてぼくがまたあの小さなぶどう酒の売店のそばヘ来たときには、はたして、半円を作っていたさっきの紳士たちはもう姿を消してしまい、あの見おぼえのある男だけがまだ飲み台にもたれて、いかにも元気よく若い女の売り子と話し合っていた。よし、それなら、あえてこの会話を中断するよりほかはない…… そこでぼくは、ちょっと身をかわしながら人の流れから離れて、飲み台のそばに立った。
何が起こったか? いや、何も起こりはしなかった! ほとんど何も起こりはしなかった! 会話が急にとぎれて、あの見おぼえのある男は一歩わきへ寄ったが、縁も紐もない鼻めがねに五本の指を全部かけておさえながら、その指のあいだからぼくをじろじろと眺めた、そして若い婦人は、落ち着いた吟味するような視線をぼくの上に走らせた、――服から靴のところまで走らせたのである。ぼくの服はけっして新しいものではなかったし、靴も往来の汚物にまみれていた。ぼくはそれを知っていた。そのうえぼくはのぼせていたし、髪もたぶん乱れていたろう。その場のぼくは冷静でもなく、気ままでもなく、非常な好調子でもなかったのである。よそ者で、なんの権利もない、ここにはふさわしくない人間である自分が、この場の邪魔をして、笑いものになっている、という感じがぼくを襲った。不安と頼りなさと憎しみとみじめさとが、ぼくの視線をうろうろさせた。要するに、陽気な企ての実行なるものは、眉を暗くしかめながら、しわがれた声の、そっけない、ほとんど無作法な調子で、こう言うことになったのである。
「ぶどう酒を一杯お願いします」
若い娘が嘲るようなまなざしをちらとその友人のほうへ走らせたように思われたが、そう見たのがぼくの間違いだったかどうか、それはまったくどうでもいいことである。彼やぼくと同じように黙ったまま、彼女はぼくにぶどう酒をよこした、そして、ぼくは目もあげずに、憤怒と苦痛とで赤くなって取り乱しながら、不幸な笑いものの人物になって、この二人のあいだに突っ立ったまま、ふたくちみくち飲んで、コップを飲み台の上に置き、どぎまぎしながらお辞儀をすると、広間を出て、建物の外へとび出した。
この瞬間からぼくはだめになってしまった、だから、数日後にぼくがつぎのような通告を新聞紙上に見いだしたことも、この事件にはほとんど何もつけ加えなかった。
「陪席判事・博士アルフレート・ヴィッツナーゲル氏と娘アンナとの婚約を謹んでご披露申しあげます。法律顧問官ライナー」
十四
あの瞬間からぼくはだめになってしまった。ぼくの幸福意識と自己満足との最後の残りは、精根尽きて腰くだけになってしまった。ぼくにはもうどうする力もない。そうだ、白状するが、ぼくは不幸なのだ、そして、ぼくは自分があわれむべき笑いものの人物だと思う!――しかし、ぼくにはそれは耐えられない! ぼくはもう破滅だ! きょうなり、あすなり、ぼくはピストルで自殺してしまうだろう!
それからぼくが、まず衝動的に、本能的に思いついたのは、この事件から通俗小説的なところを引き出して、ぼくのみじめな不快さを「失恋」だと解釈しなおそうという、ずるい試みだった。これはもちろんばかげたことである。人は失恋なんかで破滅するものではない。失恋というものは一つの悪くないポーズなのだ。失恋中は自分で自分が好きになるものである。ところが、ぼくは、ぼく自身にたいする好意というものがもう絶望的にすっかりなくなってしまったために、破滅してしまうのだ!
ぼくは――もし最後にこういう問いが許されるとすれば、ぼくはいったいあの少女をほんとうに愛したのだろうか?――たぶん、ほんとうかもしれない…… しかし、どんなふうに、どんなわけで? この恋は、もうずっと前からいらだって悩んでいるぼくの虚栄心が生み出したものではなかったのか? あの手に入れがたい貴重な人をひと目見たときに、ぼくの虚栄心ははげしくかき立てられて、|嫉妬《しっと》や憎悪や白己軽蔑の感情をひき起こしていたのであって、恋というのは単にその虚栄心の口実、逃げ道、打開策にすぎなかったのではないのか?
そうだ、これはすべて虚栄心なのだ! それに父もすでに昔ぼくを道化者と名づけたではないか?
ああ、ぼくには、ぼくにこそは、離れて立って「社会」を無視する権利などなかったのだし、ぼくは、社会の軽蔑や無視に耐えるにはあまりにも虚栄心がありすぎて、社会や社会の喝采なしにはやっていけないのだ! ――しかし、これは権利があるかないかの問題ではないのだろうか? 必然性の問題なのだろうか? そしてぼくの役に立たない道化癖は、どんな社会的地位に置かれても結局役に立たなかったのだろうか? よし、それなら、ぼくはまさにこの道化癖のためにどのみち破滅せざるをえなかったのだ。
無関心、これは、ぼくも知っているが、一種の幸福である…… しかし、ぼくは自分にたいして無関心であることはできない。ぼくは自分を「世間の人々」とは別の目で見ることはできない。そしてぼくは良心のやましさのために破滅する、――悪気などすこしもなしに…… いったいこの良心のやましさというのが、つまりは、虚栄心のうずきにほかならぬのだろうか?――
およそ不幸というものはただ一つしかない、それは、自分にたいする好意を失うことである。自分が自分の気に入らなくなる、それが不幸というものなのである、――ああ、しかもぼくはそのことをたえず非常にはっきりと感じていたのだ! そのほかのことはすべて生活の遊戯であり、生活を豊かにすることで、そのほかのどんな悩みの場合でも人はすこぶる自分に満足していることもできるし、いかにもすばらしい様子をしていることもできる。きみ自身との分裂、悩みながら覚える良心のやましさ、虚栄心との闘争、そういうものこそはじめて、きみをあわれな、いとわしい見ものに仕立てるのだ……
古くからの知人がひとり舞台に現われてきた。シリングという名の人で、昔ぼくがシュリーフォークト氏の大きな材木店で社会に奉仕していたころの仲間である。彼は、商用でこの町に立ち寄って、ぼくを訪ねてくれたのだが、――「懐疑的な人物」で、両手をズボンのポケットにつっ込み、黒縁の鼻めがねをかけて、現実的な寛大さを見せながら肩をすくめる癖がある。彼は夕方やって来て、「二、三日滞在するよ」と言った。――ぼくたちはぶどう酒を欽みにいった。
彼は、ぼくがいまでも彼の知っていたとおりの幸福な、自分に満足している男であるかのように、ぼくをあしらった、そして、ぼくにひたすらぼく自身の快活な意見を聞かせてやるという善意から、こう言った。
「いや、ほんとに、きみは自分の生活を愉快なものに作りあげているんだな! 独立! そして自由! というわけだな? じっさい、きみの言うとおりだよ、ほんとに! 一度しか生きないんだから、ね? そのほかのことは結局どうだっていいんじゃないか? きみのほうがぼくよりも利口だ、そう言わざるをえんよ。ともかく、きみはいつも天才だったからな……」そして彼は、以前のように喜んでぼくの価値を認めて、ぼくに好意を示しつづけたが、ぼくのほうで彼の気に入らなくなりはしないかと不安でいっぱいになっているということには、すこしも気がつかなかったのである。
ぼくは絶望的に骨折りながら、彼の目にそう見えているぼくの地位を維持し、昔に変わらず得意で、幸福で、自分に満足している様子を見せようと努力したが、――むだだった! ぼくにはなんの支えもなく、元気もなく、落ち着きもなかった。ぼくは気のぬけたうろうろした態度、卑屈なあやふやな態度で応対した、――すると彼はそれを信じられないほどの速さで見て取ったのである! 心から喜んでぼくを幸福な優越した人間と認める気になっていた彼が、ぼくを見抜き、驚いてぼくの顔をながめ、冷淡になり、お高くとまり、面倒くさそうな、うんざりしたような調子になって、ついには、いちいちの表情でぼくにたいする軽蔑を示しはじめるというなりゆき、それは見るからに恐ろしいものだった。彼は早々に引きあげた。そしてその翌日ぼくに二、三行の走り書きがとどいて、彼がやはり出発せざるをえなかったことを知らせた。
じっさい、世間の人々はみな、あまりにも熱心に自分のことにかまけているから、本気になって他人についての意見を持つ余裕などないのである。人々は、きみが自信をもってきみ自身に示すことのできる尊敬の度合いを、ものぐさにもそのまま喜んで受け入れてしまう。きみは、思いどおりなあり方をし、思いどおりな生き方をするがいいが、しかし、大胆な自信を示して、良心のやましさなどは見せぬことだ、そうすれば、だれにしろきみを軽蔑するほど道徳的な者はいないだろう。それにひきかえて、きみ自身との一致をなくし、自己満足を失うような目に会い、自分で自分を軽蔑している様子を見せてみたまえ、そうすると、人々はめくらめっぽうにきみの自己軽蔑をもっともだと認めるだろう。――ぼくはというと、ぼくはもうだめになってしまったのだ……
ぼくは書くことをやめる、ぼくはペンを投げ出す、――胸がむかつく、胸がむかむかするのだ!――決着をつける。しかし、それは「道化者」にとって、ほとんど英雄的すぎることではあるまいか? もしかすると、ぼくはこれからまだ生きつづけて、食って、眠って、何かすこし仕事をしていきながら、しだいに鈍感になって、「不幸な笑いものの人物」であることに慣れるようになるかもしれない。
ほんとうに、「道化者」として生まれることが、これほどの宿命で不幸であろうとは、だれが考えたであろう、だれが考え得たであろう!……
[#改ページ]
トビーアス・ミンダーニッケル
海岸通りからかなりけわしい上り坂になって町の中央部に通じている往来の一つに、灰色通りというのがある。この通りの中ほど、川のほうから来ると右手に、四十七番地の家が立っている。間口の狭い、くすんだ色の建物でどこにも隣り近所の家々と違ったところはない。この建物の地階には小さな店があって、ゴム靴やひまし油も買える。猫のうろついている中庭をのぞきながら、玄関の間を通ってゆくと、狭くて、踏みへらされていて、なんとも言いようのないほど|黴《かび》くさくて貧乏くさい匂いのこもっている木造の階段が、上の階へ通じている。二階の左手には指物師、右手には産婆が住んでいる。三階の左手には靴直し、右手には、階段に足音が聞こえるとすぐに大声で歌いはじめる婦人がひとり住んでいる。四階は、左手の部屋が空で、右手には姓をミンダーニッケル、おまけに名をトビーアスという男が住んでいる。この男のことで一つの話があるが、謎めいた、想像もつかぬほどあさましい話だから、ぜひそれを物語ることにしよう。
ミンダーニッケルの風采は奇妙な、風変わりな、おかしなものである。たとえば彼が散歩をするときに、痩せたからだをステッキで支えながら往来を通ってゆくところを見ると、彼は黒い服装であるが、それも頭から足の先まで黒ずくめなのである。旧式な、|反《そ》りのある、けば立ったシルクハットをいただき、窮屈そうな、古びて光っているフロックコートをまとい、裾がすり切れていて、編みあげ靴のゴムのさし込みが見えるほど短い、フロックコートと同じように古くなったズボンをはいている。それにしても、この服にはまことにきれいさっぱりとブラシがかけてあることは、ことわっておかなければならない。彼の痩せた頸は、低い折り襟から突き出ているせいで、いっそう長く見える。灰色になった髪は、ぺたりとこめかみへかぶさるように撫でつけてある。シルクハットの広い|鍔《つば》が影をつけている、ひげを剃った土色の顔の、頬は落ちくぼみ、ただれた目は視線をたまにしか地面からあげず、鼻から口の垂れさがった両端まで深い皺が二本気むずかしそうに走っている。
ミンダーニッケルはたまにしか家を出ないが、それにはそれだけの理由がある。つまり、彼が通りに姿を現わすと、すぐに子供たちが大勢駆けよってきて、かなりのあいだぞろぞろと彼のあとについてゆきながら、笑ったり、からかったり、「ほうい、ほうい、トビーアスほい!」と歌ったり、ときには上着をひっぱったりもするし、それを、人々が家のまえまで出てきて、おもしろがって見ているからである。しかし、彼自身は、それを防ごうともしないで、おずおずとあたりに目を配りながら、肩を高くもたげて首を前へつき出したまま、傘なしでにわか雨のなかを急いでゆく人のようなかっこうで歩いてゆく。そして、面と向かって笑われているくせに、彼はときどき、家のまえに立っている人々のなかのだれかに、へりくだったていねいさで挨拶する。そのあと、子供たちはもうついてこなくなるし、彼を見知っている人がいなくなって、彼のほうを見る人もほとんどないというようになっても、彼の挙動は大して変わらない。まるで無数の嘲笑的な視線が感じられるとでもいうように、あいかわらずびくびくとあたりに目を配りながら、頭をさげたままで前進の努力をつづける、そして、ためらいながらおずおずと目を地面からあげるたびに、奇妙なことが認められる、つまり、彼は、対象が人間にしろ、あるいは事物にすぎないにしろ、しっかりと落ち着いてそれに目を注ぐことができないのである。変に聞こえるかもしれないが、個々人が現象の世界を見るときにはたらかせるあの自然な、感覚的に知覚する優越性というものが、彼には欠けているようなふうで、どんな現象にたいしても彼は負けた感じになるらしく、それで、彼のきょときょとした目は人間や事物を避けて地面を|這《は》わずにはいられないのである……
いつもひとりぼっちでいて、並みはずれた不幸者らしいこの男には、いったい、どんな事情があるのだろうか? 無理に中流階級ふうにしている服装や、顎をなでる手の念入りな動かし方などは、彼が自分の住まいを取りまいて暮らしている人々の階級にはけっして数えこまれたくないと思っていることを暗示しているようにも見える。どんなふうにして彼が落ちぶれるようになったものか、それはわからない。彼の顔は、まるで人生が軽蔑の笑い声を立てながら|拳《こぶし》を固めてしたたかになぐりつけたとでもいうようなふうに見える…… それにしても、彼は運命の手痛い打撃を受けたというのではなくて、ただ単に生存そのものに適さないのかもしれない。彼の態度の受け身な無力さや内気さは、あたかも自然が彼に適度な均衡と力と、頭をもたげて生きてゆくのに足りるだけの背骨とを授けなかったとでもいうような、いたましい印象を与えるのである。
黒いステッキを支えにして、市内へ上ってゆく散歩をすますと、彼は、灰色通りで子供たちのはやし立てる声に迎えられながら、自分の住まいへ帰ってくる。黴くさい階段を昇って、みすぼらしい何の飾りもない自分の部屋へはいる。ただ箪笥だけは重い金具のついたアンピール式のもので、この家具だけは値打ちもあるし美しくもある。窓からの眺めは隣家の灰色の側壁で無残にふさがれているが、その窓のまえに、土をいっぱいに盛った花鉢が一つある。しかし、そのなかにはまったく何もはえていない。それなのにトビーアス・ミンダーニッケルはときどきそこへ歩みよって、花鉢をながめたり裸の土のにおいをかいだりする。――この小部屋の隣りに小さな暗い寝室がある。――小部屋にはいってから、トビーアスはシルクハットとステッキとをテーブルにのせて、緑の布を張った|埃《ほこり》くさいソファーに腰をおろし、顎を片手で支えて、眉をつりあげながら、目のまえの床を見おろす。彼にはこの世でほかにもう何もすることがないらしいのである。
ミンダーニッケルの性格はとなると、それを判断するのは非常にむずかしい。つぎの出来事は彼の性格のために有利なことを言ってくれるように思われる。ある日この風変わりな男が家を出て、いつものように子供たちが大勢集まってきながら、からかったり笑ったりして彼のあとについてきたとき、十歳ばかりの男の子が別の子供の足につまずいて、|鋪石《ほせき》の上へしたたかにぶっ倒れ、鼻や額から血を流して、そのまま起きあがらずに泣きつづけた。するとトビーアスはすぐに振り返って、倒れた子のほうへ駆け寄り、その上へ身をかがめて、やさしいふるえ声でその子をいたわりはじめた。「おお、かわいそうに」と彼は言った、「どこか痛くしたのかい? あっ、血が出てる! みんなごらん、この子の額から血が流れ出てる! うん、うん、ほんとにみじめなかっこうでころがってる! もちろん、泣くほど痛いんだね、かわいそうに! わたしはおまえがふびんでたまらないよ! そうなったのはおまえのせいだが、それでもわたしのハンカチをおまえの頭に巻いてやろうね…… そう、これでいい! さあ、しっかりおし、さあ、また起きあがるんだよ……」そう言いながら本当に自分のハンカチでその子の頭を巻いてやってから、彼はその子を注意深く助け起こして、そしてその場を立ち去った。ところがこの瞬間、彼の態度も顔も、いつもとはまるきり別の表情を示したのである。彼はしっかりとした足どりで、からだをまっすぐにして歩いていたし、胸は窮屈なフロックコートの下で深い息づかいをしていた、そして、目は大きく見ひらかれて輝きを帯び、人間をも事物をも自信を持って見つめていたし、口のまわりにはせつなげな幸福のけはいがただよっていた……
この出来事の結果として、灰色通りの人々の嘲弄癖はひとまずいくらか弱まった。それでも、しばらく時がたつと、彼の意外なふるまいは忘れられてしまって、またぞろ健康で快活で残忍なたくさんの喉が、この頭をさげた頼りない男のうしろから、「ほうい、ほうい、トビーアスほい!」と歌いかけるのだった。
よく晴れたある日の午前十時に、ミンダーニッケルは家を出て、町のなかを通りぬけながらレルヘンベルクに登っていった。レルヘンベルクはあの長く延びた丘で、いつも午後になるとこの町のいちばん上品な散歩道になるのだが、このところすばらしい春の天気がつづいていたので、この時刻でもすでに馬車や散歩の人々がいくらかやって来ていた。本通りになっている大きな並木道の、とある木の下に、ひとりの男が引き綱をつけた一匹の幼い猟犬を連れて立っていたが、明らかに売るつもりらしくて、その犬を通りすがる人々に見せていた。それは生後四ヵ月ほどの小さな、黄色い、筋肉のたくましい犬で、片方の目のまわりを黒い輪がかこみ、片方の耳が黒かった。
十歩離れたところからこの様子に気がついたとき、トビーアスは立ちどまって、片手で何度も顎をなでながら、思案するようなふうに、売り手と、元気よく尾をふっている小犬とをじっと眺めた。それから彼はまた歩きはじめたが、ステッキの握りを口に押しあてたまま、売り手の男がもたれている木のまわりを三度まわったのち、その男のほうへ歩み寄って、わき目もふらずに小犬を見つめながら、低い、せきこんだ声で言った。
「この犬はいくらですか?」
「十マルク」と男は答えた。
トビーアスは一瞬間黙っていたが、それからふんぎりのつかない調子で相手の言葉をくり返した。
「十マルク?」
「そう」と男が言った。
するとトビーアスはポケットから黒い革の財布を出して、そのなかから五マルクの札を一枚と、三マルクと二マルクとの銀貨を一つずつ取り出し、その金を手早く売り手に渡して、犬の引き綱を手に取り、二、三人ばかりこの買い入れをずっと見ながら笑っている人がいたので、身をかがめておずおずとあたりに目を配りながら、きゃんきゃん鳴いてさからう犬を急いでぐいぐいひっぱっていった。犬は途中ずっと抵抗しつづけた。前脚を地面にふんばっては、心配そうに尋ねるような様子で新しい主人を見あげたのである。しかしトビーアスは黙ったまま、力をこめてぐいぐいひっぱって、無事に町のなかを通りぬけながら灰色通りの坂をくだっていった。
トビーアスが犬を連れて現われたとき、灰色通りの町の子たちのあいだに途方もない騒ぎが持ちあがった。しかし彼は犬を抱きあげて、その上へ身をかがめたまま、からかわれたり上着をひっぱられたりしながら、あざけりの叫びや高笑いのあいだを抜けて、大急ぎで階段を昇って自分の部屋へはいった。部屋へはいると、彼はたえずくんくんと鳴いている犬を床の上におろして、いたわるように撫でてやりながら、あいそうよくこう言った。
「よし、よし、おれをこわがることなんかないんだよ、おまえ。そんな必要はないんだ」
そのあとで彼は置戸棚の引き出しから、煮物の肉とじゃがいもとを盛った皿を取り出して、その皿からいくらか分けたものを犬に投げてやった。すると犬は悲鳴をやめて、舌を鳴らし、尾をふりながら、食い物をたいらげてしまった。
「ところで、おまえの名はエーザウということにしよう」とトビーアスは言った、「わかったか? エーザウだぞ、簡単な音だから、よく覚えていられるだろう……」そして彼は自分の足もとの床を指さしながら、命令の口調で叫んだ。
「エーザウ!」
犬は、もっと食い物をもらえるとでも期待したらしくて、ほんとに近寄ってきた。トビーアスは、ほめそやすように犬の横腹を叩きながらこう言った。
「それでいいんだ、おまえ、ほめてやってもいいよ」
それから彼は二、三歩あとしざって、床を指さしながら、ふたたび命令した。
「エーザウ!」
すると、もうすっかり元気になっていた犬は、またしても駆け寄ってきて主人の靴をなめた。
この練習をトビーアスは、命令するとそれが実行されるのを飽きずに喜んで、十二回から十四回ほどもくり返した。しかし犬のほうではとうとう疲れたと見えて、休んで腹をこなしたくなったらしく、猟犬がよくするあの品のよいさかしげな姿勢を取って、床に腹ばいになった。長い美しい形の前脚を両方ぴたりとくっつけたままさし伸ばした姿勢である。
「もう一回!」とトビーアスは言った、「エーザウ!」
しかしエーザウは首を横に向けたまま、じっとその場を動かなかった。
「エーザウ!」と、トビーアスはつっけんどんに声を高めながら叫んだ、「疲れていたって来なくちゃならんのだ!」
しかしエーザウは首を前足にのせたまま、てんで来ようとしない。
「おいこら」とトビーアスは言った。その調子には、かすかながらに恐ろしい|威嚇《いかく》が満ちていた。「言うとおりにしろ、さもないと、おれをおこらせるのが利口じゃないことを思い知るようになるぞ!」
それでも犬はわずかに尾を動かしたか動かさないくらいにすぎなかった。
するとミンダーニッケルは度はずれた、つり合いの取れない、気違いじみた怒りに襲われた。彼はあの黒いステッキを握ると、エーザウの首の皮をつかんで宙づりにして、悲鳴をあげる小犬をぴしぴしと打ちすえながら、憤怒のあまりにわれを忘れて、すさまじくしゅっしゅっという声で何度となくこう言った。
「なに、言うことを聞かんのか? こしゃくにも、おれの言うことを聞かんというのか?」
とうとう彼はステッキをわきへ投げて、くんくん鳴いている犬を床におろしてやると、深い息をつきながら両手を背にまわして、犬のまえを大股に行ったり来たりしはじめた、そして、ときどき自負するような怒りのまなざしをエーザウのほうへ投げた。そういう散歩をしばらく続けてから、彼は、あお向けになって前足を哀願するように動かしている犬のそばに立ちどまって、両腕を胸の上に組み合わせると、ナポレオンが戦闘中に軍旗を失った中隊の前へ歩み出たときと同じような、おそろしく冷酷で無情な目つきと口調とでこう言った。
「おまえはどんなふるまいをしたのか、ひとつ聞かせてもらいたい!」
すると犬は、こうして近づいてこられたことをもう喜んで、さらに近くへ這い寄ると、主人の脚に身をすりよせながら、目を輝かせて何か願うように主人を見あげた。
かなり長いあいだトビーアスは、このへりくだった生き物を黙って上から見おろしていたが、しかし、やがて相手のからだのいじらしい暖かみを自分の脚に感じたとき、彼はエーザウを抱きあげた。
「それじゃ、あわれみをかけてやろう」と彼は言った。しかしこの善良な動物が彼の顔をなめはじめたとき、彼の気分は突然すっかり感動的な悲哀に変わった。彼はせつない愛情で犬をひしと抱きしめた。目には涙があふれた。そして完全な形にならない文句を、ひそめた声で何度もくり返した。
「なあ、おまえはもうおれのただ一つの……おれのただ一つの……」それから彼はエーザウを念入りにソファーの上に寝かせて、自分もそのそばに腰をかけ、片手で顎を支えながら、おだやかな静かな目でじっとエーザウをみつめた。
トビーアス・ミンダーニッケルは、いまでは家を出ることが以前よりもいっそうまれになった。エーザウを連れて人なかへ出る気にはなれなかったからである。そのかわりに彼はいっさいの注意をかたむけて犬の世話をした、じっさい、朝から晩までもっぱら犬に餌を与えたり、目を拭いてやったり、命令したり、しかりつけたり、いかにも慈悲深い態度で話の相手にしたりすることにかかりきっていたのである。それにしても、ほんとうのことを言うと、エーザウはかならずしも主人の気に入る振舞いばかりをするとはかぎらなかった。エーザウがソファーの上で彼のそばに横たわって、外気と自由とが足りないために眠そうな顔をしながら、メランコリックな目で彼をじっと見つめているというときには、トビーアスはいつもしんから満足だった。彼は静かな得意そうな態度ですわっていて、同情するとでもいうようにエーザウの背中をさすりながら、こう言うのだった。
「せつなそうにおれを見つめているじゃないか、ふびんなやつめ? いや、ほんとにこの世は悲しいものだよ、それがおまえにももうわかるんだね、まだそんなに若いのに……」
しかし、犬が遊戯と狩猟との衝動にかられながら、めくらめっぽうにあばれ出して、部屋のなかを駆けまわったり、スリッパにじゃれついたり、椅子の上へ跳びあがったり、途方もなく浮き浮きとしてとんぼがえりを打ったりするときには、トビーアスはすこし離れたところから、困ったような、いやがるような、そわそわした目つきで、醜い腹立たしげな微笑を浮かべながら、犬の動きを追っているが、ついには荒々しい口調で犬をそばへ呼び寄せて、がみがみとしかりつけるのだった。
「もう浮き浮きするのはやめろ。踊りまわるわけなんか何もないぞ」
あるときなど、エーザウが部屋から逃げ出して、階段をおりて往来へ跳び出し、そこでたちまち猫を追っかけたり、馬の汚物を食ったり、大喜びで子供たちと駆けずりまわったりしはじめたことさえあった。ところが、トビーアスがその通りの住人たちの半数から喝采され、大笑いを浴びせられながら、いたいたしく顔をゆがめて現われたとき、悲しいことに、犬は主人の前から大股に跳んで逃げ去ったのである…… この日トビーアスはエーザウを長いあいだ猛烈になぐりつけた。
ある日――犬が彼のものになってから数週間後のことだったが――トビーアスはエーザウに食わせるために、置戸棚の引き出しからパンの大きなかたまりを取り出して、前かがみの姿勢になりながら、いつもこういうときに使う骨の柄のついた大きなナイフで、パンを小さく切り取っては、床へ落としはじめた。ところが、食欲とばかふざけとで夢中になっていた犬は、むこうみずに跳びかかってきて、主人が不器用に持っていたナイフにぶっつかり、右の肩胛骨の下を切って、血を流しながら床に倒れて身もだえした。
驚いたトビーアスは何もかも投げ出して、傷ついた犬の上に身をかがめた。しかし、突然、彼の顔の表情が変わった。ほんとうに、安心と幸福との反映にほかならぬほのかな光がちらと彼の顔をかすめたのである。彼はうめいている犬を注意深くソファーの上へ運んだ。それから彼がどれほど献身的に病犬を看護しはじめたか、だれにも考えつくせることではない。昼のあいだは犬のそばを離れないし、夜は自分の寝床に犬を寝かせて、絶えることのない喜びと慎重さとを見せながら、犬を洗ったり、包帯したり、さすったり、なぐさめたり、いたわったりしてやったのである。
「ひどく痛むのかい?」と彼は言うのだった。「いや、ほんとにおまえははげしく苦しんでいるね、ふびんなやつめ! しかし、そっとしてるんだよ、我慢しなくちゃならんのだからね」――そんなことを言っているときの彼の顔は、静かで、悲しそうで、そして幸福そうだった。
ところが、エーザウが元気づいて、しだいに快活になり、傷も直ってくるのにつれて、トビーアスの挙動はしだいにそわそわとして不満そうになってきた。いまはもう傷にはかまわないで、ただ言葉と愛撫とだけで犬にあわれみをかけてやるのがいいだろう、と彼は思った。それにしても回復はみるみるはかどっていって、良い体質を持っているエーザウはもうまた部屋のなかを歩きまわりはじめたが、ある日のこと、一皿のミルクに入れた白パンをぴちゃぴちゃときれいにたいらげてから、もうすっかり丈夫になったからだでソファーから跳びおりると、うれしそうに吠えながら、以前のままの奔放さで、両方の部屋を走り抜けたり、ベッドの蔽い布を引っ張ったり、じゃがいもをころがしては追っかけたり、興に乗ってとんぼがえりを打ったりした。
トビーアスは窓辺の花鉢のそばに立っていた、そして、すり切れた袖口から長く突き出ている痩せた手の片方で、こめかみにずっとかぶさるように撫でつけてある髪を機械的によじっている彼の姿は、隣家の灰色の壁を背景にして黒々と奇妙に浮きあがっていた。顔は青ざめて、悲しみにゆがんでいたが、当惑したような、ねたましそうな、意地悪そうな横目を使いながら、彼はエーザウの跳びはねるあとを身動きもしないで追っていた。しかし突然、彼はきっとなって、犬のほうへ歩み寄ると、とっつかまえてそろそろと抱きかかえた。
「ふびんなやつめ」と彼はあわれっぽい声で言いはじめた、――しかし、浮かれていて、もうそんな扱い方をしてもらう気などてんでないエーザウは、自分を撫でようとする主人の手に元気よくぱくりとかみついて、彼の腕をすり抜けながら、床へ跳びおり、からかうような横跳びを一つして、わんと吠えたかと思うと、うれしそうに逃げ走った。
それから起こったことはあまりにも不可解な不名誉なことだから、わたしはそれをくわしく物語ることは好まない。トビーアス・ミンダーニッケルは両腕をからだにくっつけてだらりとさげたまま、いくらか前かがみになって立っていた。唇はきっと結ばれていて、目の玉は|眼窩《がんか》のなかで無気味にふるえていた。それから突然、彼はまるで気でも狂ったように跳びかかっていって、犬をむんずとつかまえたが、その手のなかで何か大きな光るものがきらりとひらめいた。すると、右の肩から胸の奥までとどくひと突きをくらって、犬は床にころがり倒れた、――わんともきゃんとも言わずに、そのままもろに横倒しになったのである、血を流してわなわなとふるえながら……
つぎの瞬間、犬はソファーの上に横たわっていた、そして、トビーアスはその前に膝まずいて、傷に布を押し当てながら、どもりどもりこう言っていた。
「ふびんなやつ! ふびんなやつ! 何もかもなんと悲しいことだろう! おれたちはどちらも、なんと悲しいことだろう! 苦しいのかい? いや、ほんとに、わかってるよ、おまえは苦しんでいるんだ、――ほんとにまあ横になって情ないかっこうだなあ! しかし、おれが、このおれがついているぞ! おれが慰めてやるぞ! おれのいちばん上等のハンカチを……」
しかし、エーザウは横になったまま喉をごろごろ鳴らすだけだった。曇った、もの問うような目は、無理解と無邪気と悲嘆との色をたたえて、主人のほうへ向けられていた、――やがてエーザウは脚をすこし伸ばしながら死んでしまった。
しかしトビーアスは身動きもしないで、いつまでも同じ姿勢をつづけていた。顔をエーザウのからだの上にのせたまま、はげしく泣いていた。
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衣装戸棚
ベルリン発ローマ行きの急行列車が、中くらいな大きさの、ある駅の構内に到着したのは、曇った、うす暗い、ひえびえとする時刻だった。フラシテンを張った幅の広い安楽椅子にレースの蔽いをかけた一等の車室で、ひとり旅の男が立ちあがった――アルブレヒト・ファン・デル・クヴァーレンで、いま目をさましたのだった。彼は口のなかに何かまずい味を感じたし、からだじゅうにあのあまり愉快でない感じが満ちていた。かなり長く走ってきたあとでの停止と、リズミカルにとどろいていた車輪の響きの急な沈黙と、呼び声や信号など、窓外の騒音を妙に意味ありげにきわ立たせる静けさとによって呼び起こされるあの感じが満ちていたのである…… この状況は陶酔なり麻酔なりからわれに帰るようなぐあいのものである。われわれの神経から、それまでもたれかかっていた支え、つまりリズムが、突然取り去られてしまう。そのために神経は非常な当惑と頼りなさとを感ずるのである。もしそれと同時に重苦しい旅路の眠りから目ざめるということであれば、この感じはいっそう強くなる。
アルブレヒト・ファン・デル・クヴァーレンは、すこし手足を伸ばしてから、窓辺に歩み寄って、窓ガラスをおろした。そして列車に沿って目を走らせた。向こうの郵便車のところでは、数人の男が忙しげに小包みを積んだり、おろしたりしていた。機関車は何度か音を立てて、蒸気をはき出し、ごろごろと鳴るような音をすこしさせてから、黙って、じっととまっていた。しかし、そのとまり方は、身をふるわせながら|蹄《ひづめ》をあげたり耳を動かしたりして、引きはじめる合図をじりじりと待っている馬そっくりの立ちどまり方だったのである。長いレインコートを着た、大きな、ふとった婦人がひとり、限りもなく心配そうな顔をして、いかにも重そうな旅行かばんを片膝でぐいぐいと前へ突きやりながら、たえず客車沿いにあちこちとひきずり歩いていた。黙ったまま、追い立てられるように、不安でたまらなそうな目つきで、そうやっているのである。とくに、ぐっと突き出して非常に小さな汗の玉を浮かべている彼女の上唇には、言うに言われないいじらしいおもむきがあった…… なんとも気の毒だね、おまえさん! とファン・デル・クヴァーレンは思った。助けてあげられるといいのだが。席を取って安心させてあげられるといいのだが。おまえさんの上唇のためだけでも! しかし、めいめい自分の世話をするよりほかはない。この世の中はそんなふうに出来ている。だから、この瞬間に何ひとつとして心配のないわたしは、ここに立ったまま、あおむけにころがったかぶと虫でも見るように、おまえさんをただ見ているだけなのだ……
ささやかな構内は薄明りに包まれていた。いまは夕方なのか、それとも朝なのか? 彼にはどちらともわからなかった。彼はいままで眠っていたのだが、二時間眠ったのか、五時間眠ったのか、それとも十二時間眠ったのか、まるきり見当がつかない。二十四時間以上も、ぶっ通しに、深く、非常に深く眠ったようにも思われるではないか?――彼はビロードの襟のついた裾の短い焦茶色の冬外套を着た紳士である。目鼻立ちからでは彼の年齢は非常に判断しにくかった。じっさい、二十五から三十代の終わりまでのあいだの幾歳とも決めがたい。顔色は黄ばんでいるが、目は炭のようにきらきらと黒くて、深い影にかこまれていた。この目は何もいいことを告げてはいない。何人かの医者が、彼とふたりだけの男と男との真剣で率直な話し合いをしたときに、彼のこのさきにはもう多くの月日を与えてくれなかったのである…… ついでに言うと、彼の黒い髪は横からなめらかに分けてあった。
彼はベルリンで――ベルリンが彼の旅の出発点というわけではなかったのだが――たまたま、赤革の手さげかばんをさげたまま、ちょうど発車しかけていたこの急行列車に乗り込んで、そして眠ってしまったのである。ところが、いま目をさましてみると、快感が身内を貫いて流れるほど、時間というものから完全に解放されたような感じがするのだった。彼は時計を持っていない。頸につるした細い金の鎖についているのは、チョッキのポケットのなかの小さなメダルだけだと思うと、彼は幸福な気になるのだった。時刻を知っていること、いや、曜日を知っていることさえ、彼はきらいだったのである。だからカレンダーというものも持っていなかった。かなり前から彼は、いまが何日か、いや何月か、それどころか何年かということを知っている習慣を捨ててしまっていたのである。すべては宙ぶらりんでなければならない、と彼はいつも考えていた。そして、これはいささかあいまいな言い回しなのに、彼はそのなかにかなり多くの意味を含ませていたのである。時間に関係のある事柄を知らずにいるという方針を妨げられることは、彼にはまれにしかないか、あるいは、まるでなかった。そういう妨げはいっさい寄せつけないように努めていたからである。いまはどういう季節なのか、それがおおよそわかれば、彼にはじゅうぶんだったのではあるまいか? いまはおおよそ秋だろう、と彼はうす暗くてしめっぽい構内を見やりながら考えた。それ以上のことはおれは知らんのだ! おれはいったい、自分がいまどこにいるか、それを知っているのか?
そう考えたとき、彼の感じていた満足感は突然うれしい驚きに変わった。いや、自分がどこにいるか、それを彼は知らなかったのである! まだドイツにいるのだろうか? もちろんそうだ。北ドイツだろうか? それはわからない! まだ眠りからさめきらない、ぼんやりとした目で、彼は、自分の車室の窓が照明された一つの立て札のそばを通り過ぎるのを見てはいたのだった。たぶん、その札に駅の名が出ていたのかもしれない、――しかし、ただの一字の形さえ彼の脳には届かなかったのである。まだ寝ぼけたような気持で彼は車掌が二、三度その駅の名を呼ぶのを聞いてはいた、――しかし、その一つの音さえ聞き分けることができなかったのである。それにしても、そこには、朝のものとも夕方のものとも彼にはわからない薄明のなかに、見知らぬ土地が、未知の町が横たわっている…… アルブレヒト・ファン・デル・クヴァーレンは網棚からフェルトの帽子を取って、赤革の旅行かばんをつかんだ。かほんの革紐には赤と白との碁盤縞になった絹ウールの膝掛けがくくりつけてあるし、膝掛けにはまた銀の握りのついた雨傘がくるみこんであった、――そして、切符はフローレンスまでとなっていたのに、彼は車室から出て、ささやかな構内を歩いていって、荷物を預かり所に預けると、葉巻に火をつけて、両手を――彼はステッキも傘も持っていなかった――外套のポケットに入れたまま停車場から出ていった。
外の、薄暗くてしめっぽい、あまり人影のない広場には、辻馬車の御者が五、六人ほど鞭を嗚らしていた、そして、モールつきの帽子をかぶって長い外套にくるまりながらふるえていた男が、ものを尋ねるときの口調で「正直屋ホテルは?」と言った。ファン・デル・クヴァーレンはそれをていねいにことわって、まっすぐに歩いていった。彼とすれちがう人々はみな外套の襟を立てていた。そこで彼も同じようにして、顎をビロードの襟にすり寄せたまま、葉巻をくゆらせながら、早くも遅くもない歩調で歩いていった。
彼は低い壁のそばを過ぎ、どっしりとした塔の二つある古い門の横を通って、橋の上にさしかかった。欄干には彫像が立っていて、下には水が濁ってゆっくりと流れている。細長い、朽ちかけたような小舟が一つ通りかかった。船尾でひとりの男が長い|棹《さお》をさしている。ファン・デル・クヴァーレンはしばらく立ちどまって、手すりの上へ身を乗り出した。そら見ろ、と彼は思った。これは川だ。川というものだ。この川の普通の名なんか知らないというのは、愉快なことさ…… それから彼はまた歩いていった。
しばらくのあいだ、非常に広くも非常に狭くもない街路の歩道をまっすぐ歩いていって、それから彼はどこかで左へ曲がった。夕方だった。電気の弧光灯がぱっとともって、二、三度ちらついて、きらきらと光を放ち、ぶすぶすと燃えるようなぐあいになって、それから霧のなかで輝いた。店は閉じられた。つまり、あらゆる点で、いまは秋というわけだな、とファン・デル・クヴァーレンは思いながら、黒く濡れた歩道を歩いていった。彼はオーバーシューズをはいていなかったが、彼の靴は非常に底の厚い、しっかりとした、丈夫な出来のもので、しかも上品な感じに欠けてはいなかった。
彼はたえず左へ左へと歩いていった。いろんな人が急ぎ足に彼のそばを通りすぎてゆくが、用足しに行ったり、あるいは用をすませて帰ってくるのである。そしておれも彼らにまじって歩いている、と彼は思った。しかし、おそらくいままでこんな人間は一人もいなかったろうと思われるほど、おれは孤独で無縁なのだ。おれには仕事もなければ目標もない。よりかかるステッキさえない。これ以上に拠りどころのない、自由な、局外的な人間なぞ、ありうるものではなかろう。おれのおかげをこうむっている人はいないし、おれがおかげをこうむっている人もいない。神は一度もおれの上に手を差しのべたことはないし、どだいおれを知りはしない。施し物など受けない誠実な不幸というものは、いいものだ。おれは、神に負うところは何もない、と自分に言えるかもしれない……
町はまもなく尽きた。たぶん彼は町をまんなかあたりで横切ったものらしかった。彼はいま樹木や住宅の多い郊外の幅の広い往来に出ていたが、右に曲がって、ほとんど村のような感じの、ガス灯しかともっていない小路を三つ四つ通り過ぎてから、ついに、いくらか広くなった小路の、とある木の門のまえに立ちどまった。その門は、暗黄色に塗った、ありふれた家の右側にあったが、その家は、窓の板ガラスが完全に不透明で、ひどく中高になっている点に特色があった。ところが、その門に木札が一枚打ちつけてあって、それには「この家の四階に貸間があります」と言いてある。「そうかな?」と彼は言って、葉巻の残りを投げ捨てると、門を通り抜け、隣りの地所との境界になっている板塀沿いに歩いて、左手にある玄関のドアをくぐり、貧弱な敷物、というのは古い灰色の毛布を敷いた玄関口を二歩で横切って、粗末な木造の階段を昇りはじめた。
どの階の住まいのドアも非常にみすぼらしいもので、針金の網をかけた乳色ガラスがはまり、何か名札を出している。階段の中休み段は石油ランプで照明してあった。ところで、四階には――これが最後の階で、その上は屋根裏の物置になっている――階段のとっつきの左右にも入口があって、簡単な茶色がかったドアがついていたが、名札は出ていなかった。ファン・デル・クヴァーレンはまんなかのドアの|真鍮《しんちゅう》の呼鈴の引き手を引いた…… 呼鈴は鳴ったが、部屋のなかには何ひとつ動くけはいがなかった。彼は左のドアを叩いた…… 返事がない。右のドアを叩いた…… 大股の軽やかな足音が聞こえて、ドアが開いた。
あけたのは女だった。大きな痩せた婦人で、年寄りで背が高かった。くすんだ藤色の大きなリボンのついた頭布をかぶり、古風な、色のあせた、黒い服を着ている。落ちくぼんだ、鳥のような顔つきをして、額に吹出物を一つ出していた。それは|苔《こけ》のような出来物で、かなり不快な感じのするものだった。
「こん晩は」とファン・デル・クヴァーレンは言った。
「部屋を……」
老婦人はうなずいた。黙ったまま、何もかもわかったというように、ゆっくりとうなずいて、微笑して、美しい、白い、長い手をあげながら、ゆっくりとした、ものうげな、上品な身ぶりで、差し向かいのドア、つまり左手のドアを指さした。それから彼女は部屋のなかへ引っ込んで、つぎに鍵を持ってまた現われた。これはこれは、と彼は、彼女が錠をあけるあいだ、そのうしろに立っていて、こう思った。あなたはまるでお化けみたいですよ、ホフマンの描く人物みたいですよ、奥さん…… 彼女は石油ランプを|鉤《かぎ》からはずして、彼を部屋のなかヘはいらせた。
それは小さな、天井の低い部屋で、床は褐色だった。壁はすべて、ずっと上のほうまで|藁《わら》色のマットでおおわれていた。右手の奥の壁にある窓には、白いモスリンのカーテンが細長い|襞《ひだ》を作りながらかかっていた。別室に通ずる白塗りのドアもやはり右手にあった。
老婦人はそのドアをあけて、持っていたランプを高くかざした。この部屋はみじめなほど荒涼としていて、壁はむき出しの白いままである。淡紅色に塗った籐椅子が三脚、苺がクリームから浮きあがって見えるように、その白壁から浮きあがって見えた。衣装戸棚が一つ、鏡つきの洗面台が一つ…… ベッドは並みはずれに大きなマホガニー製のもので、部屋のまんなかに、いわば孤立させてある。
「何かご異存でもおありでしょうか?」と老婦人は尋ねて、美しい、長い、白い手で額に出来た苔のような出来物をそっとさすった…… それはまるで、この瞬間にふさわしいもっと普通な言い方を思い出せないために、つい間違ってそう言ってしまったとでもいうようなぐあいだった。彼女はすぐに、「まあご異存とでも申しますような――?」とつけ足した。
「いえ、異存など何もありません」とファン・デル・クヴァーレンは言った。「この部屋はどちらもかなり気のきいた設備ですよ。お借りします…… だれかに停車場からわたしの荷物を取ってきてもらいたいのですがね、これが預かり証です。どうか、このベッドとナイトテーブルとをととのえさせてください……いますぐ玄関の鍵と部屋の鍵とを渡してください……それからタオルを二、三枚持ってきてください。ちょっと顔を洗ったりなどしてから、町へ食事に行って、それから帰ってきたいと思います」
彼はポケットからニッケルめっきをした小箱を取り出すと、そのなかから石鹸を出して、洗面台で顔や手を洗いはじめた。その合い間にときどき、外へ向かってひどく中高に張り出している窓ガラス越しに、ずっと下のほうの、ガス灯に照らされた郊外の汚い往来や、弧光灯や住宅などを見おろした…… 両手を拭きながら彼は衣装戸棚のところへ行ってみた。それは四角な、褐色のワニスを塗った、すこしぐらぐらする戸棚で、あっさりした飾り方の上部装飾をほどこしてあったが、右の側壁のまんなかの、もう一つの白塗りのドアのかまちにきっちりとはまりこんでいた。そしてこのドアは、外の階段口のいちばん大きなまんなかのドアが入口になっている部屋部屋へ通じるものにちがいなかった。世の中にはいくつかうまく出来ているものもあるんだな、とファン・デル・クヴァーレンは思った。この衣装戸棚は、まるでそのために作ったとでもいうように、このドアのかまちにはまりこんでいる…… 彼はあけてみた…… 戸棚は完全にからで、天井に幾列か掛け釘がつけてある。ところが、よく見ると、この頑丈な家具にはうしろの仕切り板が何もなくて、奥は灰色の布、というのは粗い普通の亜麻布でふさいである。亜麻布は四隅を釘か留めびょうで留めてあった。――
ファン・デル・クヴァーレンは戸棚を閉めて、帽子を取ると、また外套の襟を立てて、蝋燭を消してから、部屋を出かけた。前のほうの部屋を通り抜けながら、彼は、自分の足音の合い間に、隣りの、あの別の部屋部屋で、ある音、かすかな、さえた、金属性の響きが聞こえるように思った、……しかし錯覚かもしれなかった。あたかも金の指輪が銀の水盤に落ちるような響きだ、と彼は住まいのドアの錠をおろしながら思った。それから階段をおりて、家を出ると、また町のほうへ歩いていった。
あるにぎやかな通りへ出たとき、彼は電灯の明るいレストランにはいって、前のほうのテーブルの一つに、他の客たちには背を向けて席を取った。彼は野菜スープとトーストパン、卵を添えたビフテキ、砂糖漬の果物とぶどう酒、緑色のゴルゴンツォーラ産チーズひと切れ、梨を半分食べた。勘定を払って外套を着るあいだ、彼はロシアたばこを二、三服吸ったが、それから葉巻に火をつけて、外へ出た。しばらくぶらぶらと歩きまわってから、郊外へ帰る道を探し出した彼は、急ぎもしないでその道をたどっていった。
窓に中高の板ガラスをはめたあの家は、ファン・デル・クヴァーレンが玄関のドアをあけて、暗い階段を昇っていったとき、すっかり明りを消して、しんと静まり返っていた。彼はマッチで行く手を照らしていって、四階の左手の、自分の部屋へ通じる褐色のドアをあけた。外套や帽子を長椅子の上に置いてから、彼は大きな書きもの机の上のランプをつけたが、そこには彼の旅行かばんも雨傘をくるんだ膝掛けの巻いたのも置いてあった。彼は膝掛けをひろげて、その中からコニャックのびんを取り出すと、旅行かばんから小さなコップを出して、葉巻を吸いつくすかたわら、安楽椅子にもたれて、ときどきコニャックをすすった。うれしいことだな、と彼は思った、世の中にとにもかくにもコニャックがあるということは…… それから彼は寝室へはいっていって、ナイトテーブルの上の蝋燭をともし、隣りの部屋のランプを消して、服をぬぎはじめた。灰色の、目立たない、持ちのよい服を順々にベッドのそばの赤い椅子にのせていったのだが、ズボンつりをはずすときに、長椅子の上へ置いたままにしてあった帽子や外套のことを思い出した。彼は隣りの部屋からそれを取ってきて、衣装戸棚をあけた…… 彼は一歩あとしざって、ベッドの四隅の飾りになっている大きな真っ赤なマホガニーの球の一つを、うしろ手につかんだ。
赤塗りの椅子が、クリームから浮きあがって見える苺のように、飾りのない白い壁から浮きあがって見えるこの部屋は、落ち着かない蝋燭の光のなかにあった。しかし、そこの、戸が広く開いている衣装戸棚、それはからではなかった。だれかがそのなかに立っていた。ある姿が、ある人が。それがあまりにもかわいらしい人の姿だったので、アルブレヒト・ファン・デル・クヴァーレンの心臓は一瞬間鼓動をとめて、それからまたふかぶかとした、ゆるやかな、おだやかな鼓動をつづけていった…… その女はまったくの裸で、ほっそりとしたきゃしゃな腕の片方をかざしながら戸棚の天井に並んだ掛け釘の一つに人さし指をかけていた。長い褐色の髪が波のようにうねりながら、子供めいた肩にかかっている。その肩から、すすり泣きで答えるほかにはすべのないような魅力がただよってくる。細長い黒い目には蝋燭の明りが映っている…… 口はいくらか大きいが、しかし、その表情はいかにもかわいらしくて、苦悩の幾日かが過ぎてからわれわれの額の上へおりてくる眠りの唇とでもいうようである。踵はひしと合わされて、すんなりとした両脚もぴったりと寄り添っていた……
アルブレヒト・ファン・デル・クヴァーレンは片手で目をこすって、じっと見つめた……彼は、戸棚の奥の右下の隅で灰色の亜麻布が戸棚から離れているのも見た……「どうです?」と彼は言った……「こちらへはいっていらっしゃいませんか?……それとも、どう言ったらいいか……こちらへ出ていらっしゃいませんか? コニャックを一杯お飲みになりませんか? 半杯でも?……」そうは言ったものの、彼は返事をもらえるとは思っていなかったのだし、じっさいなんの返事ももらえなかった。細長くて、きらきらと輝いている彼女の目は、あまりにも黒々としているために、無表情で底の知れない沈黙を宿しているように見えたが、――その目は彼のほうへ向けられてはいたものの、しかし、どこを見るというあてもない、ぼんやりとした目つきで、彼を見ているのではないようなふうだった。
「お話をしてあげましょうか?」と彼女は突然、静かな含み声で言った。
「話しておくれ……」と彼は答えた。彼は椅子に腰をかけるときの姿勢でベッドの端に腰をおろしていた。外套を膝の上に置いて、その上に重ねた両手を休めている。口はすこし開けたままで、目は半ば閉じている。しかし彼の血は暖かくおだやかに脈打ちながら、からだじゅうをめぐり、耳のなかはかすかに鳴っていたのである。
彼女は戸棚のなかに腰をおろして、立てた片膝をきゃしゃな両腕で抱きかかえながら、もう一方の脚は戸棚の外へ垂らしていた。小さな乳房は左右の二の腕に押しつけられ、膝の張り切った皮膚が輝いていた。彼女は物語った……蝋燭の焔が音も立てずに踊りつづけているあいだに、低い声で物語った……
二人の人間が荒野を横切っていった、そして女の頭は男の肩にもたれていた。雑草が強く匂っていたが、しかし、もう雲のような|夕靄《ゆうもや》が地面から立ち昇ってきた、という調子で物語は始まった。そしてたびたび韻文がはさまれ、われわれが熱にうなされる夜にときどき夢うつつのうちに経験するように、たとえようもないほど軽やかに好ましく韻をふむのだった。しかし物語は幸福な終わりにはならなかった。結末は、二人がひしと抱き合っていて、唇を重ね合わしているのに、一人が相手のからだの帯の上のあたりへ広刃の|匕首《あいくち》を、それもじゅうぶんな理由があって刺し通すというほど、非常に悲しいものだった。しかし、物語はそういう終わりになったのである。それから彼女は限りもなくもの静かな、しとやかなものごしで立ちあがって、戸棚の奥の仕切りになっている灰色の布の右下の隅をあげると、もうそこにはいなくなった。
そのときから彼は毎晩、衣装戸棚のなかに彼女を見いだして、その話に耳をかたむけた……幾晩だったろう? 幾日、幾週、あるいは幾月のあいだ彼はこの住まいに、そしてこの町に滞在していたのだろう?――ここに数字が並んだところで、だれの役にも立ちはすまい。だれが貧弱な数字なんかを喜ぶだろう?…… それにアルブレヒト・ファン・デル・クヴァーレンが数人の医者からもうあまり多くの月日を保証してもらえなかったことを、われわれは知っているのである。
彼女は彼に物語った。……それはみんな悲しい物語だった、慰めのないものだった。しかしどれもみな甘い重荷になって心臓の上につもっては、それをいっそうゆるやかに、いっそう幸福に鼓動させた。よく彼はわれを忘れた……からだじゅうの血がわき立つ。彼は両手を彼女のほうへ差し伸べる。すると彼女は拒まなかった。しかしそんなことがあったのちの幾晩かは、彼女の姿は戸棚のなかに見いだされなかった。それからまた現われても、やはりそのあと幾晩かは何も物語らずにいて、やがてまたそろそろ話しはじめる。そしてついにはまた彼がわれを忘れるのである。
それがどのくらいつづいたものか……そんなことをだれが知ろう? いったいアルブレヒト・ファン・デル・クヴァーレンがあの午後ほんとうに目をさましてこの見知らぬ町へやってきたのかどうか、それとも、じつは一等の車室に眠ったまま残っていて、ベルリン発ローマ行きの急行列車に途方もない速力ではるかかなたへ運ばれていったのではないか、それすらだれが知ろう? われわれのうちのだれが、あえてこの疑問にたいする答えをはっきりと、かつ責任をもって言いきれるだろうか? これはまったく不確かなことである。「すべては宙ぶらりんでなければならない……」
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ルイスヘン
世間には、どれほど文学的な訓練を積んだ空想でも、その成り立ちを思い描くことのできないような夫婦関係があるものだ。そういう夫婦関係は、われわれが劇場で、年取った愚鈍な者と美しくて溌剌とした者というような対照の空想的な結合、つまり、前提条件として与えられていて、ある笑劇の数学的な構成の基礎になる結合を受けいれるように、そのまま受けいれざるをえないものなのである。
ヤコービー弁護士の妻はというと、彼女は若くて美しくて、なみなみでない魅力のある女だった。いまから――まあざっと――三十年まえに彼女はアンナ・マルガレーテ・ローザ・アマーリエと名づけられたのだったが、しかし人々はこれらの洗礼名の頭文字を組み合わせて、昔から彼女をアムラとばかり呼んでいた。この名は異国ふうな響きがあるので、他のどんな名よりも彼女の人柄によくうつったのである。異国ふうというのも、横で分けて狭い額から両側へ斜めに|撫《な》でつけている彼女の豊かなやわらかな髪の色こそ栗の実色の褐色にすぎなかったが、しかし肌は完全に南国的な、くすんで黒ずんだ黄色で、しかもその肌が張り包んでいるからだつきも、やはり南国の太陽に照らされながら成熟したもののように見えて、その植物的な|無精《ぶしょう》なような豊満さがトルコ皇帝の後宮の女のそれを思わせたからである。情欲をそそるようにものうげな彼女の身のこなしの一つ一つが呼びおこすこの印象は、彼女の知能ももっぱら心臓の指図を受けているのにちがいないと思わせることと、まったく一致するものだった。これは、彼女がだれかをただの一度だけでも、独特な仕方できれいな眉をすっかり水平に、ほとんどいじらしいほど狭い額へつりあげながら、無知な褐色の目でみつめたことがありさえすれば、それでもう、その人には察しがついたことである。しかし彼女自身にしても、それを知らないほど単純ではなかった。彼女は、たまにしか口をきかないし、あまり多くを語らないという簡単なやり方で、弱点を見せることを避けているのだった。美しくて黙っている女になら、文句のつけようがないのである。そうだ!「単純な」という言葉はそもそも彼女には最もふさわしくなかったかもしれない。彼女の目つきは愚かなだけではなくて、ある種のみだらなずるさを持っていた、だから、この女がわざわいを引きおこすのを好まないほど融通がきかなくはないということは、すぐに見てとれたのである…… ついでながら、彼女の鼻は横から見るとすこし太くて肉がつきすぎている感じかもしれなかった。しかし、ふっくらとした大きな口は完全に美しい。ただし、そこには肉感的という以外のなんの表情も浮かばなかったのである。
この不安な思いをさせる女が、つまり、四十歳ほどになるヤコービー弁護士の妻だったのだが、――この男を見た者は、だれでもびっくりしてしまう。この弁護士は太っている、いや、太っているどころか、じつに巨像のような大男である! いつも灰色のズボンをはいている彼の脚は、円柱のように不恰好で、象の脚を思わせる。脂肪でまるまると盛りあがった背中は熊さながらである。途方もなくふくれた太鼓腹の上には、彼がいつも着ている奇妙な灰緑色の短い上着が、たった一つのボタンでどうにかこうにか合わされているだけなので、そのボタンがはずされると、短い上着はたちまち左右へ肩のところまではね返ってしまう。ところが、この偉大な胴体の上には、|頸《くび》という移り目をほとんど持たずに、かなり小さな頭がのっかっていて、顔には細いうるんだ小さな目と、短いずんぐりした鼻と、だぶつきながら垂れさがった頬とがついているが、その頬のあいだの非常にちっぽけな口は、両端を悲しげに引きさげながら、いまにも消えてなくなりそうなかっこうである。まるい頭と上唇とは、まばらな、ごわごわした、淡ブロンドの剛毛におおわれているが、餌をやりすぎた犬に見られるように、その剛毛のあいだからいたるところ裸の皮膚がのぞいていたのである…… ああ! この弁護士の肥満が健康な性質のものでないことは、だれの目にも明らかだったにちがいない。縦にも横にも巨大な彼の肉体は、脂肪過多なのであって、筋肉がたくましいのではなかった。そして、しばしば見うけられることだったが、彼のはれぼったい顔に突然どっと血がみなぎってきて赤く染めるかと思うと、やはりまた突然その血が引いて、顔色は黄ばんだ青白さになり、それと同時に彼の口が不快そうにゆがんだのである……
この弁護士の依頼者の範囲は非常に限られていた。しかし彼は、幾分かは妻のおかげで、かなりの財産を持っていたから、この夫婦は――ついでに言うと、子供はなかったが――カイザー街のある快適なアパートに住んで、いつも頻繁に社交的な交際をしていた。それは、いうまでもなく、もっぱらアムラ夫人の好みによったことである。というのも、ただ苦しげに努めながら社交に加わっているとしか見えない弁護士が、そんなことをして幸福に感じていたとは思えないからである。この太った男の性格は、まことに奇妙なものだった。彼ほどあらゆる人々にたいして礼儀正しい、あいそうのいい、従順な人間はなかったのだが、しかし人々は、彼の親切すぎる追従的な態度が何かの理由があって無理によそおわれたものであること、それが臆病と自信のなさとにもとづいていることを、はっきりと判断するまでにはいたらないかもしれないが、とにかく感じ取って、不愉快な印象を受けたのである。自分で自分を軽蔑しているくせに、卑怯と虚栄とにかられて、愛嬌をふりまこう、人の気に入られようとする人間ほど醜く見えるものはないのだが、わたしの確信するところでは、この弁護士こそまさにそれで、彼はそのほとんど這いつくばるばかりな|卑下《ひげ》の度を過ごしたから、なくてはならない個人的な品位というものを維持することができなかったのである。自分が食卓へ案内しようとする婦人にむかって、彼は、「奥さん、わたしはいやらしい人間ですが、ひとつお供をさせていただけませんでしょうか?……」と言うようなことができるのだった。しかもそれを彼は、自分を茶化す才能なぞなしに、泣き笑いでもするような、苦しげな、反感を起こさせるような調子で言ったのである。――つぎの逸話もやはり事実にもとづくものである。ある日この弁護士が散歩をしていたときに、乱暴な荷物運搬人が手押し車を押しながらやってきて、片方の車輪ではげしく弁護士の足を|轢《ひ》いた。そしてもう手遅れになってからその男は車をとめて、ふり返った、――すると弁護士はまるで度を失って、青くなり、頬をふるわせながら、帽子をはっきりとぬいで、どもりどもり「失礼しました!」と言ったものである。――こんなことを聞くと人は憤慨するだろう。しかしこの奇妙な巨人はたえず良心のやましさに苦しめられているらしかった。妻といっしょに、この町いちばんの散歩道になっている「レルヘンベルク」へやってくると、彼はいつも、驚くほど軽快にさっさと歩いているアムラのほうを、ときどき、おずおずとした目でちらとながめやりながら、四方八方へむかっていかにも熱心に、心配そうに、いそいそと挨拶をする。その様子はまるで、少尉という少尉の前にへりくだって身をかがめながら、ほかならぬ自分こそがこの美しい女をわがものにしていることの許しを乞わなければならない、とでも思っているかのようだった。そして、みじめなあいそうを浮かべた彼の口の表情は、どうかあざ笑わないでくださいと哀願しているように見えるのだった。
すでに暗示しておいたことだが、いったいアムラがなぜヤコービー弁護士と結婚したのか、それははっきりしない。しかし、彼は、彼のほうでは、彼女を愛していた、それも、彼のようなからだつきの人々にはたしかにあまり見あたらないほどの熱烈な愛で、そして彼のそのほかの態度にはふさわしい卑下した不安げな愛で、愛していた。夜おそく、高い窓に|襞《ひだ》のある花模様のカーテンをおろした大きな寝室でアムラがもうベッドについているとき、弁護士はしばしば、彼の足音は聞こえずに、ただ床や家具のゆるやかに揺れる音が聞こえるだけというほどの忍び足で、彼女の大きなベッドのそばまでくると、膝まずいて、いかにも遠慮がちに彼女の手を握ることがあった。そんな場合にアムラはいつも眉を水平につりあげながら、寝室用のランプの弱い光を浴びて彼女のまえに膝まずいている巨大な夫を、黙ったまま、肉感的な悪意の表情でながめるのだった。しかし彼のほうでは、無器用なふるえる手で彼女の腕から肌着をそっとまくりあげると、そのふっくらとした薄茶色の腕のやわらかな関節のところ、小さな青い血管が浅黒い色の肌に浮きあがって見えるところへ、自分のみじめにはれぼったい顔を押しつけながら、音をひそめた、わなわなする声で、常識のある人間なら日常生活では口にするためしのないようなことを言いはじめるのである。「アムラ」と彼はささやく、「かわいいアムラ! 邪魔じゃないだろうね? まだ眠っていたのじゃないんだろう? ほんとに、わたしはいちにちじゅう、おまえがどんなに美しくて、わたしがどんなにおまえを愛しているかと、そればかり考えていたんだよ!…… いいかい、これからわたしの言おうとすることをよく聞いておくれ(とても言いあらわしにくいことなんだからね)…… わたしはおまえを非常に愛しているから、ときどき心臓がぎゅっとちぢまってきて、どっちを向いたらいいのかわからなくなってしまう。わたしは自分の力以上におまえを愛しているのだよ! それはおまえにはわからないだろうが、しかし、わたしの言うことは信じてもらえるだろうね、そしてただの一度でいいから、すこしはそれをありがたく思うと言ってくれなくてはいけないよ、だって、いいかい、わたしがおまえにささげているような、こういう愛というものは、この世の生活ではそれ相当の価値があるものなんだからね……それから、おまえは、わたしを愛することはできないとしても、それでもわたしの愛にたいする感謝の気持から、ただその感謝の気持からだけでも、けっしてわたしを裏切ったり、だましたりはしないということを言ってくれなくてはいけないよ……そのことを頼みにわたしはおまえのところへ来たのだよ、心の底から、真心をこめて頼みに来たのだよ……」そしてこういう言葉のあげくには、弁護士はいつも、膝まずいたまま、忍び音に、はげしく泣きはじめるのだった。そうなるとアムラも心を動かされて、片手で夫のごわごわした髪をなでながら、足をなめに来る犬に言葉をかけるときの、長く引きのばした、なだめるような、からかうような調子で、「ようし!――ようし!――犬ころちゃん――!」と二、三度くり返すのである。
このアムラのふるまいは、たしかに、しとやかな婦人のそれではなかった。それにまたわたしがいままで伏せておいた事実を明るみに出すべき時も来たと思う。その事実というのは、すなわち、アムラがやはり夫をだましていたこと、実際に姦通していたこと、その相手はアルフレート・ロイトナーという男だったことである。これは天分のある若い音楽家で、おもしろい小曲をいくつか作ったために、二十七歳の若さで早くもかなりの名声を得ていたが、あつかましい顔つきの、ほっそりした男で、ブロンドの髪をなだらかにちぢらせ、目には非常に意識的な明るい微笑をたたえていた。彼は、自分にあまり大きな要求はしないで、何よりもまず幸福な愛嬌のある人間であろうとし、自分の個人的な愛嬌を高めるためにその愉快な小才を用い、人なかに出ると好んで無邪気な天才の役を演ずるという、こんにちいくらもいる、あの小芸術家の種族の一人だった。彼らは意識的に子供らしく、不道徳的で、ためらいがなく、快活で、うぬぼれていて、病気になってさえ得意になれるほど健康なのだから、彼らの虚栄心は、まだ一度も傷ついたことがないというあいだは、実際に愛嬌があるのである。しかしながら、これらの小さな幸福者のものまね師たちは、真剣な不幸、媚態を受けつけないような、もはや得意になれないような苦悩に襲われるというと、なんともあわれなことになってしまうのだ! 彼らは、りっぱな態度で不幸になっているということができないだろう。苦悩を「始末する」ことができずに、破滅してしまうだろう……しかし、それはそれだけで独立した話になるのだ。――ロイトナー氏はかわいらしい作品を作った。たいていワルツかマズルカだが、その楽しみぶりがいささか通俗的にすぎたので、もしそれらの作曲の一つ一つにちょっとした独創的な個所が含まれていなかったとしたら、彼の作品は(わたしが理解しているかぎりでは)「音楽」に数え入れられるわけにはいかなかったであろう。独創的な個所というのは、移調、挿音、和音の転換、つまり機知や小器用をほのめかす神経質な効果で、彼の作品はそういう機知や小器用のために作られたように思われ、そういう機知や小器用が彼の作品をまじめな|玄人《くろうと》にも興昧のあるものにしたのである。このワルツとマズルカという二つだけの拍子はしばしば妙に悲しい憂欝なおもむきを帯び、それが突然急速に消えてゆきながら、小曲のダンス・ホール的なほがらかさになって鳴りひびくのだった……
この若い男にたいして、つまり、アムラ・ヤコービーが罪になる情熱を燃やしたのだった。そして彼はまた彼で、彼女の誘惑に抵抗するだけの道徳心を持っていなかったのである。二人はここで会い、かしこで会いして、不貞の関係が数年このかた二人を結びつけていた、その関係は町じゅうが知っていて、弁護士に隠れておもしろい話題にしていたのである。そしてこの弁護士はどうだったのだろう? アムラはあまりにも愚かだったから、良心のやましさに悩まされて、そのそぶりで夫に秘密を見やぶられるということはありえなかった。どれほど弁護士の心がいつも心配や不安に悩まされていたにしろ、彼が妻にたいしてはっきりとした疑いをかけえなかったことは、あくまで確実なことと言わざるをえない。
さて、あらゆる人々の心を喜ばせようとして春がめぐってきた。そしてアムラは非常におもしろいことを思いついた。
「クリスティアーン」と彼女は言った――弁護士はクリスティアーンという呼び名だったのである――、「パーティーをしましょうよ、新しく出来た春のビールを祝う大きなパーティーを、――もちろん、ごく簡単によ、ただ子牛の冷肉を出すだけにして、そのかわり大勢の人に出てもらうのよ」
「いいとも」と弁護士は答えた。「しかし、もうすこし先へのばせるんじゃないかな?」
それには返事をしないで、アムラはすぐに細目の話へ移っていった。
「たいそう大勢になるでしょうから、ねえ、この家では狭すぎることになるわ。庭とホールのある郊外の料理店でも借りて、じゅうぶんな席と新鮮な空気があるようにしなければならないわ。おわかりでしょうね。わたしがまず第一に考えるのは、レルヘンベルクのふもとにあるヴェンデリーン氏の大きなホールだわ。このホールは独立の建物で、本当のレストランや醸造場とはただ廊下一つでつながっているだけなのよ。そのホールをはなやかに飾り立てて、そこに長いテーブルを並べて、春のビールを飲みましょう、そこでは踊りも音楽もできるし、たぶんちょっとしたお芝居もできると思うの、だって、わたしそこに小さな舞台のあることを知っているし、それのあるってことがわたしは特別大事だと思っているのよ…… 要するに、非常に独創的なパーティーにするのよ、そしてすばらしく楽しむんだわ」
弁護士の顔は、この話し合いのあいだすこし黄ばんできていた、そして唇の端が下へさがってふるえていた。彼は言った。
「わたしは心からそれを楽しみにしているよ、アムラ。万事おまえの器用さにまかせておけるわけだからね。どうかおまえの好きなように準備をしておくれ」
そこでアムラは彼女なりの準備にかかった。彼女は数人の男女と相談したし、自分でヴェンデリーン氏の大きなホールを借り受けた。そればかりか、彼女は、パーティーをいっそうはなやかにするためのおもしろい演技に協力することを求められたか、あるいはそれを買って出た人々から成る一種の委員会を作りさえした…… この委員会は、宮廷劇場の俳優ヒルデブラントの妻である女流歌手を除いて、男ばかりから成り立っていた。ついでながら、ヒルデブラント氏自身と、陪席判事ヴィッツナーゲルと若い画家と、アルフレート・ロイトナー氏と、ほかに数人の大学生とがこの委員会に加わっていたが、大学生たちは陪席判事が連れてきた連中で、黒人踊りを演ずることになっていた。
アムラがパーティーを開く決心をしてから早くも一週間後に、この委員会は、打ち合わせをするために、カイザー街の、アムラのサロンに集まった。このサロンは小さな、暖かい、もののいっぱい詰まった部屋で、厚いじゅうたんを敷き、たくさんのクッションを置いた低い長椅子と、扇葉のやしの木が一本と、イギリス式の革の安楽椅子がいくつかと、脚の|反《そ》ったマホガニーのテーブルとがあり、テーブルにはフラシテンを掛けて豪華本が数冊のせてあった。壁煖炉もあって、まだすこしあたためてあった。その煖炉の頭部の黒い石板に二つ三つ皿が置いてあって、おいしいサンドイッチと、コップと、シェリー酒を入れた酒びんが二つのせてあった。――アムラは片足を軽く他の足に重ねて、扇葉のやしの木かげになった低い長椅子のクッションにもたれかかっていたが、暖かい夜のように美しかった。その胸は明るい色のごく薄い絹のブラウスにつつまれていたが、スカートは黒ずんだ色の厚い服地に大きな花をいくつか刺繍したものだった。ときどき彼女は栗色のウェーブした髪を片手で狭い額からなであげた。――歌手のヒルデブラント夫人もやはりこの低い長椅子のアムラの横にすわっていた。彼女は髪が赤くて、乗馬服を着ていた。この二人の婦人と向かい合って、男たちが窮屈な半円を作って席を占めていた、――そのまんなかに弁護士が、どうにか見つけることのできた非常に低い革張りの椅子にすわって、言いようもないほど不幸な様子をしていた。ときどき彼は重苦しい息づかいをして、こみあげてくる嘔吐感とたたかっているとでもいうように、唾をのみおろすのだった…… テニス服を着たアルフレート・ロイトナー氏は椅子にすわろうとはしないで、スマートなかっこうで、うれしそうに壁煖炉によりかかっていたが、自分はあまり長いあいだじっとすわっていることはできない、という言い分だったのである。
ヒルデブラント氏はよく響く声でイギリスの歌謡曲の話をした。彼は非常に手がたく上手に黒服を着こなした男で、大きなシーザー式の頭をし、自信のある態度を見せている、――教養と、確実な知識と、洗練された趣味とを持った宮廷劇場の俳優なのである。彼はまじめな会話のときには、イプセン、ゾラ、トルストイを大いにやっつけて、彼らは同じようないまわしい目的を追っていると言うのが好きだったが、きょうは些細な問題だったから、あいそうよくしていた。
「みなさんは、たぶん、『あれはマリーアだ!』というすてきな歌をご存じでしょうね?」と彼は言った……「すこしきわどいところはありますが、効果はまったくなみはずれたものです。それからまだこういう有名なのがありますよ――」と彼はさらに二つ三つの歌を提案したが、とうとうみんなはそれに意見が一致して、ヒルデブラント夫人が、それを歌うことにしましょうと言った。――若い画家というのはひどい|撫《な》で肩で、ブロンドのとがったひげをはやしていたが、手品使のまねをすることになり、ヒルデブラント氏はいろんな有名人の模写をするつもりだと言った……要するに、万事が非常にうまく運んでいって、プログラムももう出来あがったように見えたとき、あいそうのよい身ごなしができて、決闘の傷あとをたくさんつけている陪席判事ヴィッツナーゲル氏が突然またこう言い出した。
「いかにもけっこうです、みなさん、すべてはじっさいおもしろいものになることを約束しています。しかし、わたしはもう一つ言いたいことがあります。つまり、まだ何か足りないものがあると思うんです、それも本番、ピカ一、さわり、クライマックスがね……何かまったく特別なもの、まったくびっくりさせるようなもの、笑いを頂点へ引きあげるような冗談……要するに、みなさんのお考えにまかせます、わたしにはこれというはっきりした考えはありません、しかし、わたしはそう感じるわけで……」
「それはまったくほんとうだ!」とロイトナー氏が壁煖炉のところからテノールの声を響かせた。「ヴィッツナーゲルの言うとおりです。本番で結びの一番がぜひ欲しいところです。みんなで考えましょう……」そう言って二、三度忙しく手を動かして赤いベルトの位置をなおしながら、彼は探るようにあたりを見まわした。その顔の表情にはほんとうに愛嬌があった。
「そうですね」とヒルデブラント氏は言った、「有名人たちをクライマックスと考えないのでしたら……」
みんなは陪席判事に賛成した。特別にふざけた本番が欲しい。弁護士までがうなずいて、低い声で言った、「ほんとに、――何かずば抜けて陽気なものが欲しい……」みんなはじっくりと考えこんだ。
会話が一分間ほどとぎれて、思いをこらすあまりの小さな叫びがもらされるだけだったが、そのあげくに奇妙なことが起こった。アムラは低い長椅子のクッションにもたれかかったまま、ねずみのようにすばしこく熱心に小指のとがった爪をかじっていたが、その顔にはまったく独特な表情が浮かんでいた。口のまわりに微笑がただよっていたが、放心したような、ほとんど気の狂ったような微笑で、せつないと同時に残酷な好色を物語っていた、そして非常に大きく見ひらかれてきらきらと輝いている目がそろそろと壁煖炉のほうへ向けられていって、ほんの一秒間ばかり若い音楽家のまなざしとからみ合った。しかし、それから急に、彼女は上体をすっかりわきのほうへ、夫の弁護士のほうへずらして、両手を膝に置いたまま、しがみつくような、吸いつくような目つきで夫の顔をみつめて、顔色を目に見えて青ざめさせながら、豊かなゆっくりとした声で言った。
「クリスティアーン、わたしの提案だけど、あんたが最後に赤い絹のベビー服を着た女歌手になって舞台に出て、すこし踊ってみせることにするといいわ」
このわずかな言葉の効果は、途方もなく大きかった。若い画家だけが親切に笑ってみせようと試みたが、ヒルデブラント氏は石のように冷やかな顔で袖口の塵をはらい、大学生たちは咳ばらいをしながら、無作法なほど高い音を立ててハンカチを使い、ヒルデブラント夫人はめったにないことだが、ひどく顔を赤らめ、陪席判事ヴィッツナーゲルはただもう逃げ出して、サンドイッチを取りにいった。弁護士は苦しげな姿勢で低い椅子にうずくまり、黄色い顔に不安でいっぱいな微笑を浮かべてあたりを見まわしながら、どもりどもりこう言った。
「いや、とんでもない……わたしは……とてもできそうもない……そんなことはとても……勘弁してもらいます……」
アルフレート・ロイトナーは、のんきそうな表情をなくしていた。彼はすこし赤くなったようなふうに見えた、そして首を突き出しながら、当惑したような、わけがわからぬというような、探るような表情でアムラの目をのぞきこんだ……
しかしアムラは、その押しつけがましい姿勢を変えずに、さっきと同じような意味深長な調子で話しつづけた。
「そして、クリスティアーン、あんたはロイトナーさんが作曲してピアノで伴奏してくださる歌を歌うことにする、それはわたしたちのパーティーの、いちばんいい、いちばん効果的なクライマックスになると思うわ」
会話がとぎれた。それは重苦しい中絶だった。しかしそれから、まったく突然、奇妙なことが起こった。ロイトナー氏がいわば伝染したとでもいうように、感動し興奮して、一歩前へ出て、一種の不意の感激にふるえながら、せかせかと話しはじめたのである。
「ほんとうに、弁護士さん、わたしは引き受けます、あなたのために何か作曲することをはっきりと引き受けますよ…… あなたにそれを歌ってもらいます、それを踊ってもらいます…… そのほかにこのパーティーのクライマックスは考えられません…… 見ていてごらんなさい、いまにわかりますよ、――それはわたしがいままで作ったものの、そしてこれから作るもののいちばんいいものになるでしょう…… 赤い絹のベビー服で! ああ、あなたの奥さんは芸術家です、ほんとに芸術家です! そうでなかったらとてもこんなことは思いつけなかったでしょう! やる、とおっしゃってください、お願いします、ご承諾ください! わたしは何か仕上げますよ、何か作りますよ、見ていてごらんなさい……」
ここにいたってみんなの緊張がゆるみ、みんなが動き出した。悪意からにしろ礼儀からにしろ、――みんなは弁護士を嘆願ぜめにしはじめた。ヒルデブラント夫人となると、ブリュンヒルデばりの声で、いかにもかん高くこうまで言いさえした、「弁護士さん、あなたはいつもは陽気なおもしろい方じゃございませんの!」ところが弁護士自身も、いまや、ものを言い出して、顔色はまだすこし黄色かったが、大いに決然としたところを見せながら、こう言った。
「みなさん、お聞きください――どう申しあげればいいのでしょう? わたしは適当ではありません、ほんとうです。わたしにはあまり滑稽の才能はありませんし、それを別としても……要するに、いや、これは残念ながら不可能です」
彼はいつまでも頑強にこの拒絶を主張しつづけた。そしてアムラはもう談話に口を出さなくなって、かなり放心したような表情でうしろへもたれたまますわっていたし、ロイトナー氏ももうひとことも言わずに、何かもの思いにふけりながら、じゅうたんの唐草模様をじっとみつめつづけたので、ヒルデブラント氏はうまく話題を変えることができた。それから間もなく、最後の問題についてはなんら決定を見ないままで、この集まりは解散した。――
しかしその日の晩、アムラがもうベッドについて、目を開けたまま横になっていたとき、重い足どりで夫がはいってきて、椅子をベッドのそばに引き寄せ、腰をおろして、低い、ためらいがちな声でこう言った。
「ねえ、アムラ、正直に言うと、わたしはとても重苦しい気持に悩まされている。わたしは、きょう、みなさんの言うことを拒絶しすぎたかもしれないし、みなさんを侮辱したかもしれないが――ほんとに、それはけっしてわたしがしようと思ったことじゃないんだよ! それともおまえは本気でそう思っているのだろうか……お願いだからおまえの気持を聞かしておくれ……」
アムラは眉をそろそろと額へつりあげながら、一瞬間黙っていた。それから肩をすくめて、こう言った。
「どうお答えしたらいいか、わからないわよ、あんた。あんたのふるまいは、わたしにはもうまったく思いもよらないものだったわ。あんたはぶあいそうな言葉で、上演に協力することをことわったんだわ。あんたの協力はみんなが必要だと思ったことで、そう言われたらあんたは得意に思うほかはないでしょうね。おだやかな言い方をすると、あんたはみなさんを思いきりひどく幻滅させたんだわ。そしてあんたは、このパーティー全体を、あんたの乱暴なぶあいそうで邪魔したのよ。主人役としてのあんたの義務はむしろ……」
弁護士はうなだれていた。そして重い息をつきながら彼は言った。
「いや、アムラ、わたしはぶあいそうにしようと思ったのじゃない、それは信じてくれ。わたしはだれをも侮辱しようとは思わないし、だれにも不愉快な思いをさせたくはない。もしわたしのふるまいが悪かったのなら、その取り返しをしたいと思うよ。結局はただの冗談、ただの仮装、罪のないふざけにすぎないんだからね、――やれないわけはないじゃないか? パーティーの邪魔はしたくない、はっきり承諾するよ……」
――翌日の午後アムラはまたしても、「買い物」をするために車で出かけた。彼女はホルツ街七十八番地に車をとめて、三階へ昇っていったが、そこで男が待っていたのである。身を横たえて、愛にとろけて男の頭を自分の胸に押しつけながら、彼女は情熱的にささやいた。
「二人で連奏する曲にしてよ、いいことね! あいつが歌ったり踊ったりするときに、あたしたちはいっしょに伴奏するのよ。衣裳のことはあたしが引き受けるわ……」
すると異常な戦慄、押さえつけた痙攣的な高笑いが二人のからだを貫き通るのだった。――
パーティーをしたい、戸外で相当大がかりな娯楽の会を催したいという人には、レルヘンベルクのふもとにあるヴェンデリーン氏の店を大いにすすめることができる。郊外の気持のよい往来から高い格子門をくぐって、この店に付属している公園のような庭へはいってゆくと、庭のまんなかに宴会用の大きなホールがある。このホールは狭い廊下一つだけでレストランや調理場や醸造場とつながっているのだが、いろいろな色でおもしろく塗った木材を使って、シナ式とルネサンス式とのおどけた混合様式で建ててある。ホールにいくつかつけた大きな両開きのドアは、天気のいいときには、木々の息吹きを入れるために開け放しておくことができる。そしてこのホールは大勢の人数を収容できるのである。
きょうは、ここへ登ってくる馬車はもう遠くから、色どられた光のまたたきに挨拶された。格子門の全体も、庭の木々も、ホールそのものも、色とりどりのちょうちんでぎっしりと飾られていたからである。そしてホールの内部はというと、いかにも喜ばしい眺めだった。天井の下に大きな花輪がいくつかつるしてあって、それらの花輪にはまた無数の紙ちょうちんがとりつけてある。もっとも、壁を飾っている旗とか樅の枝葉とか造花などのあいだから、たくさんの電灯が明るく輝き出していて、ホールをいかにもあかあかと照らしていたのである。ホールの一端に舞台があって、その両側に観葉植物が置かれ、赤い垂れ幕を見ると、そこには芸術家の描いた守護神が宙に浮かんでいた。ホールの他の端から、ほとんど舞台のところまで、花を飾った長い食卓が幾列か伸びていて、弁護士ヤコービーの客たちがそれらの食卓にむかいながら、春のビールと子牛の焼肉とを楽しんでいた。法律家や将校や商人や芸術家や地位の高い役人などが夫人や令嬢同伴で来ていて、――客の数はたしかに百五十を越えていた。みんなは、男は黒い上着、女はやや明るい色の春着という、ごく簡単な服装で来ていたが、きょうは陽気に随意にすることが建前になっていたのである。男たちは、一方の側壁のそばにすえてある大きなビールだるのところへ、自分でジョッキを持ってゆくのだった、そして、樅の枝葉や花や人間やビールや料理などの匂いや香りのまざり合った甘ったるい、刺激的な宴会の空気に満たされた、広い、多彩な、明るいホールには、ここに集まった人々すべての食器やジョッキの鳴る音、声高な、単純な話し声、明るい、礼儀正しい、にぎやかな、のんきな笑い声がいわば渦を巻いて立ち騒ぐとでもいうようだった…… 弁護士はある食卓の、舞台に近いほうの端に、ぶざまに頼りなげに腰をかけていた。彼はあまり飲まずに、ときどき隣席のハーフェルマン参事官夫人に、骨折って探し出した言葉をかけるのだった。彼は口の両端を引きさげて不快そうな息づかいをしていた、そして、はれぼったい、濁ってうるんだ目は、この宴会の空気、この騒々しい陽気さのなかには何か言いようもないくらいに悲しい、わけのわからないことがあるとでもいうように、じっと動かずに、一種の憂欝な不審の色をたたえて、楽しげな喧騒にじっと見入っていた……
さて、大きなショートケーキがみんなのあいだに回されて、それといっしょに人々は甘いぶどう酒を飲みながら、スピーチをしはじめた。宮廷劇場の俳優ヒルデブラント氏は、ふんだんに古典から引用した文句、それどころか、ギリシア語の引用句までも盛ったスピーチで春のビールをほめたたえた。陪席判事ヴィッツナーゲルはいかにもあいそうのよい身ごなしで、非常に気のきいた言い方をしながら、食卓に飾られた花瓶のいちばん手近なのから、ひと握りの花を取って、その花の一つ一つを婦人になぞらえ、居合わす婦人たちの健康を祝して乾杯した。薄い、黄色い絹の服をまとってヴィッツナーゲルの差し向かいにすわっていたアムラ・ヤコービーは、「ティーローズのより美しい姉妹」と呼ばれた。
それからすぐに彼女は片手でやわらかな髪をなでながら、眉をあげて、夫のほうへまじめにうなずきかけた、――すると太った夫は立ちあがって、苦しそうな様子に醜い微笑を浮かべながら、ふたことみこと、貧弱な言葉をどもりどもり言って、すんでのことに全体の気分をすっかりぶちこわしてしまうところだった…… わざとらしいブラヴォーの声が二つ三つあがっただけで、一瞬間重苦しい沈黙が支配した。しかしすぐさま陽気さがまた沈黙に勝って、もうみんなは、たばこを吸いながら、かなり酔いもして、席から立つと、大騒ぎをしながら自分たちの手でテーブルをホールから運び出しはじめた。ダンスをするつもりだったのである。
もう十一時すぎだった。気ままにやる式が頂点に達していた。客の一部は新鮮な空気を吸いに、色とりどりに照明された庭へ流れ出ていったが、他の一部はホールに残って、グループを作りながら、たばこを吸ったり、雑談をしたり、ビールをたるから注いで、立ち飲みしたりしていた…… すると舞台から高いラッパの音が響いて、みんなをホールヘ呼び入れた。楽士たち――吹奏者や弦楽器奏者――が到着して、垂れ幕のまえに腰をおろしていた。赤い色のプログラムをのせた椅子が幾列にも並べられていた。婦人たちが着席すると、男たちは婦人たちのうしろか両側に立ち並んだ。場内は期待に満ちてしんと静かになった。
それからそのささやかなオーケストラがざわめくような前奏曲をかなでて、垂れ幕が開いた――すると、舞台には気味の悪い黒人が数人、ぞっとするような服装で、血のように赤い唇をして立っていたが、その唇が歯をむき出して野蛮に|咆《ほ》え立てはじめた…… これらの出し物がじっさいアムラのパーティーのクライマックスになったのである。感激の拍手喝采がまき起こった、そしてたくみな構成のプログラムが番組をくりひろげていった。ヒルデブラント夫人は髪粉をふったかつらをつけて登場すると、長い杖で床を突きながら、高すぎるほどの声で「あれはマリーアだ!」を歌った。勲章をいちめんにつけた燕尾服を着た手品使が現われて、なんとも驚嘆にたえないような芸当をやってのけた。ヒルデブラント氏は、ゲーテやビスマルクやナポレオンを驚くばかりにまざまざと模写した。そして編集者のヴィーゼンシュプルング博士は、最後の瞬間に、「春のビールの社会的意義」というテーマで滑稽な講演を引き受けた。しかし、とうとう緊張はその頂点に達した。いよいよ最後の番組が目前に迫ったからである。それは神秘的な番組で、プログラムでは月桂冠の枠に入れてあり、「ルイスヘン。歌と踊り。音楽、アルフレート・ロイトナー作」と題してあった。――
楽士たちが楽器をわきへ寄せて、これまで黙ったまま、無頓着に反りかえった唇のあいだに紙巻きたばこをくわえてドアの一つによりかかっていたロイトナー氏が、アムラ・ヤコービーといっしょに、垂れ幕の前の中央にすえたピアノにむかって席を占めたとき、一つの動きがホールの全体に伝わって、人々は目を見合わせた。ロイトナー氏の顔は赤くなっていた、そして彼はいらいらするようなふうで、手書きの楽譜をめくった。その一方、アムラは逆にすこし青ざめていたが、片腕を椅子の背にもたせたまま、うかがうような目つきで観衆を見ていた。それからベルの鋭い合図が鳴りひびいて、みんなは首を伸ばした。ロイトナー氏とアムラとは、重要でない前奏の二、三小節を弾いた。垂れ幕が巻きあげられて、ルイスヘンが現われた……
この悲しげな、ぞっとするようなふうに飾り立てた巨体が、骨を折って熊踊りのステップをふみながら舞台に出てきたとき、あきれかえって立ちすくむ動きが、大勢の観客のなかを伝わっていった。それは弁護士だった。足のところまで垂れた血のように赤い絹の、広い、|襞《ひだ》のない服が彼のぶざまな身体を包んでいた、そしてこの服は、メリケン粉をまぶした首がいやらしくむき出しになるように仕立ててあった。袖も肩のふくらみだけのような、非常に短いものだったが、長い、淡黄色の手袋が太った筋肉のない腕をおおい、頭には淡ブロンド色の高い巻き髪のかつらがのっかっていて、それに挿した緑色の羽根がひらひらゆれていた。このかつらの下から黄色い、はれぼったい、不幸な、絶望的に浮き浮きとした顔がのぞき出していて、頬はたえず同情をそそるようなふうに、ぶるぶると上下にふるえ、縁の赤い小さな目は、伏せ目になって懸命に床ばかり見ていた。そしてこの太った男は骨折りながら脚を片方ずつあげてはおろすのと同時に、着ている服を両手でつまんでいるか、あるいは力のない両腕で二本の人さし指を上へあげるかする、――彼はこの二つのジェスチュアしかできなかったのだ、そして、しぼるような喘ぐような声で彼はピアノの音に合わせてばかげた歌を歌ったのである……
このみじめな姿からは、これまでにもまして、苦悩の冷たい息吹き、――とらわれない陽気さをすべて殺して、苦痛に満ちた不機嫌の、のがれられない重圧のようにこの客たち全体の上へのしかかる冷たい息吹きが吹き出てきたのではなかったろうか?…… 呪縛されたようにまっすぐ、この光景に、ピアノのそばの二人と舞台の上の夫とに注がれている無数の目のすべての底には、同じような恐怖が宿っていた…… この静かな、言語道断なスキャンダルはたっぷり五分ほども続いた。
しかし、それから、それに立ち会っただれもが一生のあいだ忘れないであろうような瞬間が来た…… この短い、恐ろしい、複雑な時間のあいだに何が起こったのか、それを思い浮かべてみることにしよう。
諸君は「ルイスヘン」という題のおどけた小唄を知っておられて、つぎの数行を覚えておいでにちがいない。
[#ここから1字下げ]
ワルツでござれ、ポルカでも、
あたいほど上手な者はない。
あたいは人気者ルイスヘン、
男を大勢まよわせた……
[#ここで字下げ終わり]
――これは、かなり長い三節の歌詞のリフレインになっている、美しくない軽はずみな詩句である。ところで、この文句に新しい曲をつけながら、アルフレート・ロイトナーは彼の傑作を作りあげていたが、卑俗な滑稽な駄作のまんなかで高尚な音楽の突然の曲芸を見せてびっくりさせるという手法を極端におし進めていたのである。嬰ハ長調で揺れているメロディーは、最初の数節のあいだは、かなりきれいな、まったく平凡なものだった。ここに引いたリフレインの初めのところで拍子が前よりもにぎやかになってきて、不協和音が生じ、それは短調のロ音が次第に活気づいて高く鳴り出すことによって嬰へ長調への移行を期待させる。この不協和音は「上手な者」という言葉のところまで複雑化してゆく、そして錯綜と緊張とを完全なものにする「あたいは」のあとで、嬰へ長調への解決が生じなければならない。そのかわりに極端な不意打ちが起こるのである。つまり、ほとんど天才的な思いつきの急激な転換によって、ここで調がヘ長調へ変わる、そして、二つのペダルを使って「ルイスヘン」という言葉の二番目の綴りを長く引きのばしながら導入されるこの変調には、なんとも言いあらわしようのない、まったく法外な効果があった! それは完全にあきれさせる不意打ち、背筋をぞくぞくとつたいおりる神経への急激な接触、奇蹟、暴露、突然なためにほとんど残酷な|露顕《ろけん》、急に裂ける垂れ幕とでもいうものだった……
そしてこのヘ長調の和音のところで弁護士ヤコービーはダンスをやめた。彼は静止した、舞台のまんなかで根がはえでもしたように、二本の人さし指をまだ高く――片方をすこし低くして――かざしたまま立っていた、――「ルイスヘン」のイが彼の口から突然ぷつりと消えて、彼は口をつぐんだ、そして、ほとんど同時にピアノの伴奏もはたと中絶するなかで、舞台の上のこの奇怪な、ぞっとするほどおかしな姿は、動物のように頭を突き出しながら、赤くただれた目でまっすぐ前をみつめた……彼はこの飾り立てられた、明るい、人のいっぱい詰まったホールのなかをみつめたが、そこには、集まったすべての人々の発散するにおいのように、ほとんど雰囲気という形にまで圧縮されたスキャンダルが立ちこめていた…… 彼は、舞台のほうを見あげながら、ぎらぎらする照明を受けてしかめているこれらの顔また顔をみつめ、どれも同じように、知っているぞという表情を浮かべながら彼の前の、舞台の下にいる二人と彼自身とに注がれている幾百もの目をみつめた……  何ひとつ中断する音もない恐ろしい静けさがみんなの頭上にわだかまっているなかで、彼は、ますます大きく見ひらかれてゆく目を、ゆるゆると不気味に、ピアノのそばの二人から観客のほうへ、観客から二人のほうへとさまよわせた…… 突然、わかったぞという認識の色が彼の顔をかすめるように見えた、その顔にどっと血がさしてきて、着ている絹服のように赤くふくれあがらせたかと思うと、すぐまた引いて、あとの顔色はろうのように黄色くなった、――そしてこの太った男はがっくりとして、床板をきしませながらくずおれた。
――一瞬間だけ静けさが続いた。それから叫び声がいくつかあがって、人々の入り乱れる騒ぎが起こり、若い医者も一人まじって、勇気を出した二、三人がオーケストラ席から舞台へ跳びあがった。垂れ幕がおろされた……
アムラ・ヤコービーとアルフレート・ロイトナーとは、たがいに顔をそむけたまま、まだピアノのそばにすわっていた。彼は、頭をたれてヘ長調への移行句にまだ耳をすましているような様子だった。彼女は、頭が足りないものだから、何が起こったのかそう急には理解することができずに、まったくのうつろな顔であたりを見まわしていた……
それからすぐに、あの若い医者がまたホールに現われた。まじめな顔に黒いとんがりひげをはやした小柄なユダヤ人である。ドアのところで数人の客に取り巻かれた彼は、肩をすくめながら彼らにこう答えた。
「もうだめです」
[#改ページ]
トリスタン
ここは「アインフリート」といって、療養所である! 横に長い本館と側翼とが、広い庭園のまんなかに、白い直線を引いたような姿を横たえている。庭園には、洞窟や木陰道や樹皮作りの小亭などが、おもしろい趣向にしつらえてあって、療養所のスレート屋根のかなたには、|樅《もみ》の緑におおわれた山々が、どっしりとした形で、やわらかな裂け目を見せながら、空高くそびえている。
この療養所の所長は、あいかわらず、レアンダー博士である。博士は、家具に詰める馬の毛のように堅くてちぢれた、黒いひげの両端をひねりあげて、部厚い眼鏡の玉をぎらつかせ、科学のために冷やかにされ、きびしくされて、もの静かな、がまん強い厭世観に満たされた男というような顔つきをしている、そして、無愛想な、うちとけないやり方で、患者たちを自分の呪縛のとりこにしている、――虚弱すぎるために、自分で法則を立ててそれを守ってゆくということができないところから、博士に財産をゆだねて博士の厳格さに保護してもらおうとする人々のすべてを、呪縛にかけているのである。
フォン・オステルロー嬢のことをいうと、彼女は家事の切りまわしに献身して、疲れを知らない。いやはや、階段を昇ったり降りたりして、療養所の端から端まで忙しげに動きまわるその姿は、いかにもまめまめしいものである! 彼女は、調理場や貯蔵室で采配を振る。洗濯物を入れる戸棚のなかをあちこちよじ登る。使用人たちに号令する。倹約と、衛生と、味のよさと、見かけのよさという点に目をくばりながら、療養所の食卓をしつらえる。彼女は慎重な上にも慎重にここの世帯を切り盛りしているのだが、その極端なまめまめしさのなかには、男性全体にたいする絶え間のない非難がひそんでいるのである。男性のうちでまだ、だれひとりとして、彼女を妻にめとろうなどという考えを起こした者がないからであった。それにしても彼女の両頬には、いつかはレアンダー博士夫人になれるだろうという消しがたい希望が、二つの丸い深紅の斑点になって燃えているのである……
オゾンと静かな静かな空気……この「アインフリート」は、レアンダー博士の羨望者や競争者が何を言うにしたところで、肺を病む人にはいともねんごろに推薦できるところなのである。しかし、ここに滞留しているのは、結核患者だけではない。ありとあらゆる種類の病人、男子や婦人や、子供までが滞留している、つまり、レアンダー博士はきわめて多方面にわたって成果をあげているのである。ここには、シュパッツ市参事会員夫人のような胃の悪い人たち(シュパッツ夫人はおまけに耳を病んでいる)、心臓に故障のある人たち、進行性麻痺患者、リューマチス患者、神経病者など、さまざまな容態の病人がいる。糖尿病にかかったひとりの将軍が、たえず何やらぶつぶつ呟きながら、ここで恩給を食いへらしている。頬のこけた紳士が数人、脚を投げ出すようにして歩いているが、こういうふしだらな歩き方は良い徴候ではない。ヘーレンラウフ牧師夫人という五十歳になる婦人は、十九人の子供を生んで、もう絶対にものを考えることができなくなっているのだが、それでもまだ心の平和を得ることができず、何か愚かな焦燥にかり立てられて、すでに一年このかた、付き添い看護婦の腕にすがりながら、目を見すえて無言のまま、あてどもなく薄気味悪く、療養所じゅうをさまよい歩いている。
部屋に寝たきりで、食事にも談話室にも出てこない「重いの」がいて、ときどき、そのうちのだれかが死ぬ。しかし、だれひとり、隣室の者でさえも、それにはまるで気がつかない。蝋のように青ざめた客は深夜ひそかに取り片づけられて、「アインフリート」のいとなみは、なんの支障もなくつづけられる。マッサージ、電気療治、注射、シャワー浴び、入浴、体操、発汗、吸入などの療法が、現代のあらゆる成果を設備したいろいろな部屋でつづけられるのである……
じっさい、ここでは何もかも溌剌としている。この療養所は繁昌しているのである。側翼の入口に控えた門番は、新来の客が着くたびに大きな鐘を鳴らし、レアンダー博士はフォン・オステルロー嬢とともに、退所してゆく人たちを|丁重《ていちょう》に馬車のところまで見送る。「アインフリート」はどんなにかいろいろな人間を泊めてきたことだろうか! 作家さえひとり泊まっているのだが、何やらの鉱物だか宝石だかと同じ名を持った風変わりな人物で、ここでのらくらと日を送っているのである……
それからなお、レアンダー博士のほかに、もうひとりの医者がいて、軽症の患者と絶望の患者とを担当している。しかし、この医者はミュラーという名で、まったく問題にする価値がない。
一月のはじめに豪商クレーターヤーン(A・C・クレーターヤーン商会の)が、夫人を「アインフリート」へつれてきた。門番が鐘を鳴らし、フォン・オステルロー嬢がこの遠来の夫妻を地階の応接間で迎えた。応接間の作りは、この上品な古い建物の全体とほぼ同じように、驚くほど純粋なアンピール様式である。まもなくレアンダー博士も姿を現わした。博士は腰をかがめた、そして、初対面の、おたがいの事情に通じ合う会話がはじまった。
外は冬景色の庭で、|蓆《むしろ》におおわれた花壇や、雪にうもれた洞窟があり、小さな園亭がぽつりぽつりと淋しげに立っている。療養所の小使が二人、格子門のまえの鋪道に停まっている馬車から――というのも、ここには車寄せがないからだが――新来の客のトランクをひきずるようにして運んでくる。
「そろそろとお歩き、ガブリエーレ、|気をつけて《テーク・ケヤー》ね、わたしの天使、それから口をしめて」と、クレーターヤーン氏は、さきほど、夫人をつれて庭を通るときに言ったものであったが、この「テーク・ケヤー」には、ガブリエーレという女性の姿を見るほどの人ならだれでも、やさしい気持になって心をわくわくさせながら、ひそかに声を合わせずにはいられなかった、――ただし、クレーターヤーン氏がそれをあっさりドイツ語で言ってもよかったろう、ということはいなみがたいのだが。
この夫妻を停車場から療養所まで乗せてきた御者は、粗野で、がさつで、鈍感な男だったが、豪商が夫人を馬車から助けおろしているあいだ、心配ながらどうにもならないもどかしさのあまりに、それこそ舌を歯でぎゅっとかみしめたのであった。それどころか、二匹の栗毛までが、静かな冷気のなかで湯気を立てながら、目をうしろのほうへまわし、これほどまでにかよわい優美や、あえかな魅力にはどうにも気がかりでならないという風情で、この心配な成りゆきを緊張してながめているように見えたのである。
クレーターヤーン氏がバルト海のほとりから「アインフリート」の所長あてに出した入所通知状にはっきりと書いてあるとおり、この若夫人は気管支をそこねているのである。ありがたいことに、肺ではないのだ! しかし、もしかして肺だったとしたら、――この新来の婦人患者は、頑丈な夫とならんで、直線の味を生かした白ラック塗りの安楽椅子に弱々しく、ぐったりともたれかかったまま、会話を追っているいまのこの瞬間ほど、あえかに気高く、この世のものならぬ非物質的な印象を与えることはできなかったであろう。
簡素な結婚指輪のほかになんの飾りもない彼女の美しい青白い両手は、厚い黒っぽい毛織の上衣の膝にできた|襞《ひだ》のなかにやすらっている。しっくりと身についた銀鼠の胸着は、堅い立ち襟つきのもので、高く浮き出たビロードの唐草模様に隈なくおおわれている。しかし、こういう重たい暖かい服地も、ほっそりとした首の言うに言えないしなやかさや、愛くるしさや、力のなさを、ますますいじらしい、浮世ばなれのした、かわいらしいものに見せるばかりなのだ。|項《うなじ》の低いところで束ねた淡褐色の髪は、なめらかに|撫《な》でつけてあって、ただ右のこめかみの近くで、ちぢれたおくれ毛がひとふさ額に垂れかかっている。そのあたり、くっきりと引かれた眉の上に、小さな奇妙な血管が浮き出ていて、この透き通るような額の明るく澄んで一点の曇りもないなかに、青白い病弱な感じの分枝を走らせている。この目の上の青い血管は、上品な卵形の顔全体に君臨していて、見る人の心をなんとなく不安にする。それは、夫人が話しはじめると、いや、微笑するだけでも、すぐにひとしおあざやかに浮き出てきて、顔の表情に何か緊張しているような、いや、困っているような色を添えるのだが、それが漠然とした心配な気持を呼び起こすのである。それでも夫人は話したり微笑したりする。すこししゃがれたところのある声で、気さくに愛想よく話したり、いささかものうげな、ときどき閉じ合わさりそうな気配を見せる目や、美しい大きな口で微笑したりするのである。目がしらは、か細い鼻のつけ根の両側で深いかげを宿し、血の気のない口が、そのくせ輝くように見えるのは、たぶん、唇の輪郭がいかにもくっきりとしてあざやかなためらしい。ときどき彼女は軽い咳をする。すると、ハンカチを口もとへ持っていって、それからそのハンカチをじっとみつめる。
「咳をしちゃ駄目だな、ガブリエーレ」とクレーターヤーン氏が言う。「うちのヒンツペーター博士が特別に禁じられとったじゃないか、|かわいいおまえ《ダーリング》、ちょっとこらえさえすりゃいいんじゃよ、ねえ。せんにも言うたとおり、気管支なんじゃから」と、彼はくり返して言う。「そいつが始まったときにゃ、ほんとに肺かと思うたもんで、いやはや、ぞっとしたよ。ところが肺じゃないんだ。いや、いや、とんでもない。そんなものとかかり合いになってたまるもんか、そうじゃろう、ガブリエーレ? へ、へ!」
「たしかにそのとおりです」と言いながら、レアンダー博士は目がねの玉をキラリと夫人のほうへ向けた。
それからクレーターヤーン氏はコーヒーが欲しい、――コーヒーにバタパンが欲しいと言ったが、彼には、Kの音を喉のずっと奥のほうで出して、だれもが食欲をそそられずにはいないようなぐあいに「ボタパン」と発音する、はっきりと目立つ癖があった。
彼は望みのものをもらった。自分たち夫婦の部屋ももらった。そして部屋をととのえた。
それはそうと、レアンダー博士は、この患者についてはミュラー博士をわずらわさずに、自分で治療を引き受けたのである。
この新来の婦人患者の人柄は「アインフリート」に異常なセンセーションをまきおこした。こういう成功に慣れているクレーターヤーン氏は、夫人にささげられるかぎりの敬意を、いちいち満足そうに受けいれるのであった。糖尿病の将軍は、はじめて夫人を見たときに、一瞬間ぶつぶつ呟くことをやめたし、頬のこけた例の紳士たちは、夫人の近くに来るたびに、微笑を浮かべながら、緊張して脚をふらつかせないようにしようと努めたし、シュパッツ市参事会員夫人はすぐさま年上の友達という格で夫人につきまとった。じっさい、クレーターヤーン氏の名を名乗るこの婦人は、たいした印象を与えたのである! 二、三週間まえから「アインフリート」で時間をつぶしているひとりの作家、これは何かの宝石と同じような名を持った、おかしな変人なのだが、廊下でクレーターヤーン氏の夫人とすれちがったとき、彼はすっかり顔色を変えてしまい、立ちどまって、彼女の姿がとっくに見えなくなってしまってからも、そのまま根がはえたようにじっと立ちつくしていた。
二日とたたぬうちに、療養客の全部が彼女の身の上に通じてしまった。彼女はブレーメンの生まれで、それは、ものを言うときに音声がどこか愛嬌のあるゆがみ方をするのでもわかるのだが、そのブレーメンで二年まえに豪商クレーターヤーンと生涯をちぎったのであった。それから夫に従って、バルト海のほとりにある夫の生まれ故郷の町へゆき、いまから十ヵ月ほどまえに、それこそは非常に危険な難産で、夫に子供をひとり、感心するほど活発で出来のよい跡取息子をひとり授けたのである。ところが、この恐ろしい幾日かを過ごしてからというもの、彼女はもう以前の元気を回復しなかった、ただし、以前は元気だったと仮定しての話である。極度に衰弱して、極度に生活力を失った彼女は、|産褥《さんじょく》から離れたか離れないうちに、咳といっしょに血をすこし吐いた、――なあに、いくらでもない、ほんのわずかな血だったのである、しかし、そんなものは全然出ないに越したことはなかったのだし、気がかりなのは、このちょっとした気味の悪い出来事がしばらくしてまた起こったことであった。さて、これには対策があったわけで、かかりつけの医者のヒンツペーター博士がそれを用いた。絶対の安静が命ぜられ、氷のかけらが|嚥《の》みくだされ、咳止めとしてモルヒネが与えられ、心臓はできるだけ静かにしておかれたのである。しかし回復のきざしは見えなかった、そして、子供が、つまり、特製の|赤ん坊《ベビー》ともいうべきアントーン・クレーターヤーン二世が、途方もないエネルギーと無遠慮ぶりとを発揮しながら、人生に地歩を占めて、それを確保してゆくあいだに、若い母親のほうはおだやかに静かに燃えながら、消え去ってゆくように思われた…… 前にも言ったとおり、悪いのは気管支なのだが、この気管支という言葉は、ヒンツペーター博士の口から出ると、聞くかぎりの人の心に驚くほどの慰めを与え、落ち着かせ、ほとんどほがらかにするばかりの作用をおよぼすのであった。ところが、肺が悪いのではないのに、博士は結局、もっとおだやかな気候の土地へ行って療養所にはいるのが、全快を早めるためには切に望ましいことであると認めたのである、そして、その後のことは、「アインフリート」療養所ならびにその所長の評判が決めたのであった。
以上のような事情であったが、それをクレーターヤーン氏自身が、興味を示す人にはだれにでも話して聞かせたのである。彼は、消化の調子もよければ金まわりも好調という男のように、大声で、ぞんざいに、機嫌よく話をするのであった。唇をずっと突き出すように動かしながら、北の海岸に住む人たちの、冗漫なくせに早口なしゃべり方で話したのである。言葉を口から投げ出すように発音することが多いので、どの音も小さな爆発のように聞こえる、すると、彼はうまく落ちた洒落でも笑うように、それを笑うのであった。
彼は中背で、肩幅が広く、肥え太っていて、脚が短い。はち切れそうな赤ら顔には、非常にうすいブロンドのまつげにおおわれた水色の目と、大きな鼻孔と、濡れた唇とがついている。イギリス式の頬ひげをたくわえて、身なりもすっかりイギリスふうにしている彼は、この「アインフリート」でイギリス人の一家族、父と母と三人のかわいらしい子供と|子守り《ナース》という一家族に出合って、ひどくうれしそうな様子をした。この家族は、ほかに泊まるところを知らないという、ただそれだけの理由でここに泊まっているのだが、彼は毎朝この家族といっしょにイギリスふうの朝食をしたためたものである。いったいに彼は、うまいものをたらふく飲み食いするのが好きで、料理にも酒にも本当の通であるところを見せ、故郷の知人仲間でもよおされる宴会の話をしたり、ここではだれも知らない何か選り抜きの料理の描写をしたりして、療養客たちを大いに興がらせた。そういうときの彼は、目か細くなって愛想のよい色をたたえ、話しぶりがどこか上顎や鼻にかかるようになって、それと同時に喉のところでぴちゃぴちゃと軽く舌鼓を打つような音を立てるのであった。また、彼が飲食以外の現世の喜びをも原則的にきらっているのでないことは、廊下でどこかの小間使をかなりけしからぬやり方でからかっているところを、「アインフリート」の療養客になっているある職業作家に見つけられた晩に証明された、――それは些細な、滑稽な事件だったが、現場を見たこの作家はおかしなほど胸の悪そうな顔をしたのである。
クレーターヤーン氏の夫人のほうはどうかというと、彼女が心から夫に愛着しているのは明々白々に見てとれることであった。彼女は微笑しながら夫の言葉や動作についてゆくのであったが、それは、とかく患者が健康な人間に示すあの思いあがった寛容という態度なのではなくて、おとなしい病人が身体になんの故障もない人々の頼もしい元気の現われに寄せる、あのやさしい喜びや思いやりの態度なのであった。
クレーターヤーン氏は「アインフリート」に長くは滞在しなかった。彼は夫人をここまでつれてきたのだが、一週間たって、夫人は確かな手にゆだねられて手厚く介抱されている、ということを見とどけると、もうここでぐずぐずしてはいなかった。同じように重大な義務、つまり、彼の栄えてゆく子供と、やはり栄えてゆく商売とが、彼を故郷へ呼びもどすわけなのである。子供と商売とに強いられた彼は、最善の看護を受けている妻をあとに残して、出発した。
数週間まえから「アインフリート」で暮らしている作家はシュピネルというが、デトレフ・シュピネルというのがその名で、そして彼の外貌は風変わりなものであった。
三十歳を越してまもない、堂々たる体格をした、褐色の髪の男を思い浮かべていただきたい。この男の髪の毛はこめかみのところがもう目立って白くなりかけているが、丸くて、白い、むくみ気味の顔には、ひげらしいものが全然はえていない。剃ってあるのではない、――それは見ればわかることなのだ。やわらかい、ぼかしたような、少年めいた顔で、ところどころにぽつぽつとうぶ毛がはえているだけなのである。それはなんとも奇妙な眺めであった。うすい栗色のきらきらする目のまなざしは、おだやかな感じのもので、ずんぐりした鼻はいささか肉が厚すぎる。さらにシュピネル氏は弓形の、海綿に似た、ローマ人ふうの上唇と、大きな虫くい歯と、まれに見る大きな足とを持っている。脚に締まりのない例の紳士たちのうちの、悪口屋で|頓知《とんち》家でもあるひとりが、シュピネルにひそかに「腐れ坊や」という名をつけたことがあったが、これは悪意がこもっているうえに、あまり適切でない。――シュピネルはいつも上等な流行の身なりをして、長いフロックコートに色づきの斑点模様をあしらったチョッキを着ていた。
彼は非社交的で、だれの相手にもならなかった。ただ、ときたま、愛想のよい、情のこまやかな、あふれるような気分に襲われることがあって、それはシュピネル氏が美的状態におちいるとき、つまり、二つの色の調和だとか、高雅な形の花瓶だとか、落日の光を浴びた連山だとか、何かある美しいものを見て、ひたすら感嘆させられるというときには、いつもかならず起こることなのである。そういうときの彼は、首をかしげて肩をそびやかし、両手をひろげて鼻や唇をひくひくさせながら、「じつに美しいなあ!」と言う。「なんとまあ、見てもごらんなさい、じつに美しいじゃありませんか!」と言うのである。そして、こういう瞬間の感動にかられると、彼は盲めっぽう、男女のおかまいなしに、いともやんごとなき人々にさえ抱きつきかねないのであった……
彼の机の上には、彼の部屋にはいるかぎりの人の目に見えるようなところに、いつも、彼の書いた本がのせてあった。それは中編程度の小説で、カヴァーにはまったくこんぐらかった絵が描いてあり、コーヒーを|濾《こ》す紙のような目の荒い紙に印刷した文字は、一字一字がゴシック式の寺院のように見える。フォン・オステルロー嬢が十五分ばかり暇のあったときにこれを読んで、「あか抜けしたもの」だと批評した。しかし、それは彼女が「おそろしく退屈なもの」という批評の言い換えに使う、おきまり文句なのである。この小説の舞台は流行を追うサロンだとか贅沢な婦人の居間などで、そこには選り抜きの品々が満ちあふれている。ゴブラン織だの、時代のついた家具だの、高価な陶器だの、金では買えないような布地だの、ありとあらゆる種類の芸術的な宝石だのが満ちあふれている。こういう品々の描写にはいかにも愛情にあふれた熱がこもっていて、それを読んでいると、鼻にしわを寄せながら「じつに美しいなあ! なんとまあ、見てもごらんなさい、じつに美しいじゃありませんか!」と言うシュピネル氏の様子が、たえず目先にちらつくのであった……それはそうと、彼がこの一冊のほかにはまだ本をあらわしていないというのは、なんとしても不思議なことであった、というのも、彼は明らかに情熱をこめて書いているからである。一日の大部分を彼は書きながら自分の部屋で過ごしているし、また、非常にたくさんの手紙を郵便局へ持っていかせる、ほとんど毎日のように一通か二通ずつ持っていかせるのである、――そのくせ彼のほうではごくたまにしか手紙を受け取らないというのは、ただもう奇妙な滑稽なことに思われるのであった……
シュピネル氏は食卓でクレーターヤーン氏の夫人と差しむかいの席についた。この夫妻が加わった最初の食事のとき、彼はすこし遅れて側翼の地階にある大きな食堂にあらわれ、やわらかな声で一言みんなに向けた挨拶をしてから、自分の席についたのである。すると、レアンダー博士がかなり略式なやり方で彼を新来の夫妻に紹介した。彼はお辞儀をして、それから、明らかにすこしうろたえ気味になって、非常に狭い袖口からのぞき出している、大きな、白い、恰好のよい手でナイフやフォークをかなり気取ったふうに動かしながら、食事をはじめた。しばらくすると彼は楽な気持になって、クレーターヤーン氏とその夫人とをかわるがわる落ち着いて観察した。クレーターヤーン氏のほうでも、食事の進むあいだに、「アインフリート」の施設や気候についての質問やら感想やらを二つ三つ彼にむかって述べ立てたが、それには夫人もかわいらしい調子で、ふたことみこと口をはさむのであった。シュピネル氏はていねいに返事をした。彼の声はおだやかで、非常に気持のいいものだが、その話し方には、歯が舌の邪魔になるとでもいうような、どこかぎごちない、つかえるようなところがあった。
食後、みんなが談話室に移ってから、レアンダー博士がとくに新しい客の夫妻に食後の挨拶をしたとき、クレーターヤーン氏の夫人は自分と差しむかいになっていた人のことをたずねた。
「あの方はなんとおっしゃいますの?」と彼女はたずねた……「シュピネリでしょうか? お名前がよくわからなかったものですから」
「シュピネルです…… シュピネリじゃありません、奥さま。いいえ、イタリア人なんかではなくて、ほんのレンベルク生まれにすぎないんですよ、わたしの知っているところでは……」
「あんた、さっき、なんと言われましたかな? あの男は作家だとか? それとも違いますかな?」と、クレーターヤーン氏がたずねた。彼は両手をゆったりとしたイギリスふうのズボンのポケットにつっこんだまま、耳を博士のほうへかしげて、そんなしぐさをする人がよくいるものだが、耳をすましながら口を開けている。
「さあ、わたしは知りませんが、――何か書きものをしていますね……」とレアンダー博士は答えた。「何か本を一冊出版したことがあるんだと思います、小説みたいなものを。わたしはほんとに知らないんです……」
「わたしは知らない」というせりふがくり返されたのは、レアンダー博士がこの作家を重んじていなくて、彼についてはいっさい責任を負わない気でいることをほのめかすものであった。
「でも、それは、とても興味のあることでございますわ!」と、クレーターヤーン氏の夫人が言った。彼女はまだ一度も作家というものにお目にかかったことがなかったのである。
「そうですとも」と、レアンダー博士は迎合的な返事をした。「あれでいくらか名が売れているということですからね……」それきりでもうこの作家のことは話題にのぼらなかった。
ところが、それからすこしたって、新しい客の夫妻がひきさがってしまい、レアンダー博士も同じように談話室から出ようとしたとき、シュピネル氏が博士をひきとめて、やはりこうたずねたのであった。
「あの夫妻の名はなんというのですか?」と彼はたずねた……「もちろん何もわからなかったものですから」
「クレーターヤーン」と答えたきりで、レアンダー博士はもうまた歩きだした。
「ご亭主のほうはなんというのですか?」とシュピネル氏はたずねた……
「クレーターヤーンというのですよ、あの人たちは」と言って、レアンダー博士はさっさと行ってしまった。――博士は全然この作家を重んじていないのである。
われわれの話はもうクレーターヤーン氏が故郷へ帰ったところまで進んでいただろうか? そうだ、彼はまたバルト海のほとりで、商売をしたり、彼の子供、というのは、母親に非常な難儀をかけて、軽い気管支の故障まで起こさせた、あの無遠慮な生気溌剌とした赤ん坊を見ながら暮らしている。しかし、この赤ん坊の母親である若い妻のほうは、「アインフリート」に残っていた、そして、シュパッツ市参事会員夫人が年上の友達という格で彼女につきまとっていた。それは、しかし、クレーターヤーン氏の夫人が他の療養客、たとえばシュピネル氏と親しくつき合うことを妨げるものではなくて、シュピネル氏は、みんなが意外に思ったことだが(というのも、彼はこれまでだれの相手にもならなかったからである)、最初から夫人に異常な帰依と追従とをささげていたし、夫人のほうでも、厳格な療養の日課が許してくれる休みの時間には、いやがらずに彼とよもやまの話をするのであった。
彼は途方もなく慎重な、ていねいな態度で夫人に近づいてきて、夫人に話しかけるときには、いつもかならず注意深く声をひそめる。それで、耳を病んでいるシュパッツ夫人には、彼の言うことがたいていは全然何もわからない。彼はその大きな足をつま立てながら、クレーターヤーン氏の夫人がやさしく微笑を浮かべてもたれかかっている安楽椅子へ歩み寄り、二歩のへだたりをおいて立ちどまると、片脚をうしろへ引いたまま上体を前にかがめて、どこかぎごちない、つかえるような口調で、ぼそぼそと、印象的な話し方をするのだが、夫人の顔に疲れたとか飽きたとかいう色が見え次第にさっそく、いつでも急いで引きさがって姿を消すつもりでいるのである。しかし、彼は夫人を不愉快がらせはしなかった。夫人は彼に、自分やシュパッツ夫人のそばへ腰かけるようにすすめて、何か問いをかけておいてから、微笑を浮かべたままもの珍しげに、彼の言うことに耳をかたむける。それは、彼の話が、ときどき、夫人にはまだ一度も出くわしたことがないほどおもしろくて風変わりに聞こえるからであった。
「いったい、どんなわけでこの『アインフリート』にいらっしゃいますの?」と夫人がたずねる。「どんなご療治をなさっていらっしゃいますの、シュピネルさん?」
「療治?…… ちょっと電気をかけてもらっています。いえ、これは問題にするほどのことではありません。わたしがここにいる理由を申しあげましょう、奥さん。――建築様式のためなのです」
「まあ!」と言ったクレーターヤーン氏の夫人は、片手で顎を支えて、何か話をしようとする子供にわざと見せてやるような、誇張した熱中ぶりで彼のほうへ向いた。
「そうなんです、奥さん。この『アインフリート』はすっかりアンピール式です。かつては城であった、離宮であった、ということですがね。この側翼はもちろん後代に建て増したものですが、本館は古い本物です。ところで、わたしにはこのアンピール式がないとどうにもやっていけないときがあります。わずかばかりの快適な状態に達するのに、アンピール式が絶対に必要だというときがあるのです。わかりきったことですが、みだらな感じのするほど柔弱で気楽な家具のあいだに身をおくのと、こういう直線的なテーブルや椅子や壁掛けのあいだに立つのとでは、気分が違いますからね…… この明るさと堅さ、この冷やかで渋い簡素さと、控え目なきびしさ、それがわたしに落ち着きや気品を与えてくれるのです、奥さん、それが長いあいだには心のなかを浄化して元気を回復させてくれるのです、それがわたしを道徳的に高めてくれるのです、疑いもなく……」
「まあ、妙なことですわね」と夫人は言った。「でも、わかりますわ、骨を折ってみれば」
すると彼は、これは骨を折るなどというかいのあることではない、と答えた。そこで二人はいっしょになって笑った。シュパッツ夫人も笑って、それは妙なことだと思うと言ったが、わかるとは言わなかった。
談話室は広々として美しかった。隣りの撞球室に通ずる高い白塗りの、両開きのドアは、広く開けはなしになっていて、そこでは、あの脚に締まりのない紳士たちやその他の人々が玉突きに興じている。反対側はガラス戸で、広いテラスと庭とをながめることができた。ガラス戸の近くにピアノが置いてある。緑の布を張ったカルタ台もあって、そこではあの糖尿病の将軍が二、三人の紳士たちとホイストをしている。婦人たちは本を読んだり、手仕事をしたりしている。鉄のストーヴが煖房の役をつとめているのだが、模造の石炭に細長い真っ赤な紙片を貼ったものを入れた、風格のある壁煖炉のまえには、くつろいで雑談のできる席がいくつか設けてあった。
「あなたは早起きでいらっしゃいますわね、シュピネルさん」と、クレーターヤーン氏の夫人が言う。あなたが朝の七時半に外にお出かけになるところを、偶然にですけど、わたくしもう二、三度お見かけしましたわ」
「早起きですって? いや、大違いですよ、奥さん。本当のところは、つまり、わたしは元来が朝寝坊なもので、それで早起きするというわけなのです」
「それはご説明がないことにはわかりかねますわ、シュピネルさん!」――シュパッツ夫人も説明を聞きたがった。
「そうですね、……早起きの人だとしますと、何も非常に早く起きる必要なんかあるまい、とわたしは思います。良心ですがね、奥さん、……この良心なるものが始末の悪いものなんでしてね! わたしやわたしみたいな連中は、一生この良心と取っ組み合いをして暮らすわけですが、ときどき良心をあざむいたり、ちょっと、うまいぐあいに喜ばせてやったりするために、手いっぱいの忙しさです。わたしたちは役立たずなのですよ、わたしやわたしみたいな連中はね、そして、わずかばかりの楽なときをのぞけば、自分たちが役立たずだという意識を引きずっていて、まるで負傷者か病人かというていたらくなのですよ。わたしたちは役に立つものを憎みます。そういうものが|賤《いや》しくて醜いということを知っています。そして、わたしたちは、絶対に必要な真理を守るときの守り方で、この真理を守ります。そのくせ、良心のやましさに噛み破られて、わたしたちはもうまるで|完膚《かんぷ》なしといったありさまなのです。かてて加えて、わたしたちの内的生活の在り方全体、わたしたちの世界観や仕事の方法などが……恐ろしく不健全な、掘りくつがえすような、精根をからすような作用を持ったものときますからね、これがまた事態を悪化するわけですよ。ところで、これにはちょっとした緩和剤がいくつかありますが、そういうものがなかったら、とてもやりきれないでしょう。たとえば、生活の仕方をなんとか行儀よくして、衛生的にきびしい態度を取るというようなことは、わたしたちの多数が必要を感ずることなのです。早く起きる、残酷なほど早く起きる、冷水浴をする、それから雪のなかへ散歩に出かける…… そうしますと、一時間くらいはいささか自分に満足していられるようになるというわけです。もしも自分のありのままにしていようものなら、わたしなんか、昼過ぎまでベッドに寝ているでしょう、本当のことですよ。わたしが早起きをするとしても、それはじつは偽善なのです」
「いいえ、そんなことはありませんわ、シュピネルさん! それは克己というものですよ…… ねえ、シュパッツの奥さま、そうでしょう?」――シュパッツ夫人もそれは克己というものだと言った。
「偽善とでも克己とでも、お好きなようにお呼びください、奥さん! ただ、わたしはなんとも悲しくなるほど正直に出来ているものですから、それで……」
「そこですよ。たしかにあなたは悲観なさりすぎるのですわ」
「そうです、奥さん、わたしは悲観しすぎるのです」
――よい天気が続いていた。あたり一帯は、山々も療養所も庭園も、風のない明るい冷気のなかに、まぶしい光と薄青い影とのなかに、白く、きびしく、きよらかに横たわっていた。そして、ちらちらする光の小粒が、きらきらきらめく結晶体が数限りもなく踊っているように見える淡青の空が、ものみなの上に一点の汚れもない丸天井をひろげていた。クレーターヤーン氏の夫人は、このところ、かなり加減がよかった。熱がなくて、咳はほとんど出ないし、ものを食べることもあまりいやがらなかった。彼女はよく、療養の規定どおりに、何時間も日なたの寒いテラスにすわっていた。すっかり毛布や毛皮にくるまって、雪のなかにすわり、気管支を丈夫にするために、希望を持って、清らかな、氷のような空気を吸っていたのである。そういう機会に彼女はときどき、やはり暖かそうな身ごしらえをしたシュピネル氏が、足をとてつもなく大きく見せる毛皮の靴をはいて、庭をそぞろ歩きしているのを見かけた。彼は何か慎重そうな、不自然に上品ぶった腕のかまえ方をしながら、踏みためすような足どりで雪のなかを歩いてゆくのだが、テラスのほうへくると、いつもうやうやしく夫人に挨拶をする、そして、階段を下の二、三段だけ昇ってきて、ちょっとした会話をはじめるのであった。
「けさ、散歩をしていましたら、ひとりの美人を見かけましてね…… ほんとに、美しい人でしたよ!」と言いながら、彼は首をかしげて、両手をひろげる。
「ほんとですの、シュピネルさん? ぜひその方のご様子をお話しねがいますわ」
「いえ、それはできません。お話しすれば、その人の偽りの姿をお伝えすることになります。わたしはその婦人を、通りすがりにほんのちらと目でかすめただけで、実際には見ていないのですからね。しかし、わたしがとらえたその人の淡い影だけでもう充分にわたしの空想は刺激され、わたしは一つの美しい姿を抱いて帰ることができたのです…… ほんとに、美しい姿ですよ!」
夫人は笑った。「それがあなたの美人観察法ですの、シュピネルさん?」
「そうです、奥さん。それに、無作法な態度で現実を渇望しながら美人の顔をじろじろとみつめて、欠点のある実際の印象を受け取るよりも、このほうがましな方法ですよ……」
「現実を渇望しながら…… 奇妙な言葉ですわね! いかにも作家らしい言葉ですわ、シュピネルさん! でも、わたくし感心させられましてよ、ほんとに。この言葉には、わたくしにもすこしはわかるようなことが、いくつも含まれていますわね、何か独立で自由な、現実にさえ敬意をはらわせるようなものが含まれていますわ、といっても、現実こそ世の中で最も尊敬すべきもの、いえ、尊敬すべきものそれ自体なのですけれど…… それからまた、わたくしにわかりますことは、手でつかめるもののほかに何かがある、何かもっと微妙なものがあるということですわ……」
「わたしの知っている顔は一つきりなのです」と、彼はだしぬけに、妙にうれしそうな感動のこもった声で言いながら、にぎり固めた両手を肩のところまで挙げて、うっとりとした微笑のなかに例の虫くい歯をのぞかせた……
「わたしの知っている顔は一つきりなのです。その顔の気高い現実をわたしの想像で修正しようなどとするのは罪になることだと思われるような顔、何分間、何時間どころか、一生のあいだ眺めていたい、見つづけていたいという顔、それにすっかり没頭しきって、浮世のことはいっさい忘れてしまいたいという顔なのです……」
「ええ、ええ、そうでしょうとも、シュピネルさん。でも、フォン・オステルロー嬢はかなり耳が飛び出ていらっしゃいますわね」
彼は口をつぐんで、ていねいにお辞儀をした。そして、身を起こしたとき、彼の目は狼狽と苦痛との色を浮かべながら、夫人の透き通るような額の明るく澄んだなかに青白い病弱な感じの分枝を走らせている例の小さな奇妙な血管の上に、じっと注がれていた。
変人だわ、ほんとにおかしな変人だわ! クレーターヤーン氏の夫人はときどきあの変人のことを考えてみるのであった、というのも、考えごとをする時間がふんだんにあったからである。転地の効力がなくなりはじめたものか、それとも、何か積極的に有害な影響がおよんだものか、とにかく彼女の容態は前より悪くなっていた。気管支の状況に遺憾な点があるらしく、彼女は衰弱と疲労と食欲の不振とをおぼえて、よく熱を出すのである。レアンダー博士はいともきっぱりと、安静にして動きまわらずに用心していなければならない、とすすめた。そこで彼女は、横になっていなくてもいいときには、シュパッツ夫人を相手に静かにすわっていて、膝にのせた手仕事には手をつけないまま、あれこれ思いにふけるのであった。
じっさい、あの男、あの|奇態《きたい》なシュピネル氏は、彼女にいろいろなことを考えさせた、そして、不思議なことには、彼のことというよりはむしろ彼女自身のことを考えさせた、というのも、彼は彼女の心に、自分自身の存在にたいする奇妙な好奇心、これまで感じたこともない興味を呼びおこすのである。ある日のこと、彼は会話の途中でこんなことを言った、
「いや、女というものは、これはほんとに謎のような事実ですね……別に新しい事実でもないのに、どうしてもその前に立って目をみはらずにはいられません。ここに一人の絶世の美人がいるとしますよ、風の精か、匂いの精か、おとぎ話の夢の姿かというような美人です。この人がどんなことをするとお思いですか? ふらりと出かけていって、歳の|市《いち》に出るような怪力男か肉屋の若衆なんぞに身をまかせてしまいます。そして、そんな男の腕にすがってやってきます。ひょっとすると男の肩に頭をもたせかけたりさえする。そして、ずるそうにほほえみながら、あたりを見まわすのですが、それはまるでこう言いたげな様子なんですよ、さあさあ、みなさん、この光景を見て頭を悩ましなさい、とね。――で、わたしたちは頭を悩ますというわけです」――
このシュピネル氏の言葉を、クレーターヤーン氏の夫人は幾度もくり返して考えてみた。
それから別の日には、つぎのような会話が二人のあいだにかわされて、シュパッツ夫人をあきれ返らせた。
「ちょっとおたずねしたいのですが、奥さん、――さしでがましいとは存じますが――奥さんはなんとおっしゃるのですか、本当のお名前はなんとおっしゃるのですか?」
「でも、クレーターヤーンでございますよ、シュピネルさん!」
「ええ。――それは存じております。というより、わたしはそれを否定します。わたしの申しますのは、もちろん、あなたご自身のお名前、結婚なさるまえのお名前です。奥さん、あなたは公平にお考えになって、あなたを『クレーターヤーンの奥さん』などとお呼びする者は鞭をくらうのが当然だとお認めなさいますでしょう」
夫人がひどく笑ったので、眉の上の青い血管が心配になるほどあざやかに浮き出てきて、やさしい、かわいらしい顔に、緊張したような困ったような表情を帯びさせた。その表情は非常に不安な思いをさせるものであった。
「いいえ! とんでもない、シュピネルさん! 鞭ですって? 『クレーターヤーン』がそんなにおいやですか?」
「そうです、奥さん、はじめて聞いたときから、わたしはこの名を心の底から憎んでいます。滑稽な名で、やりきれないほどみにくい名です。しきたりとはいいながら、あなたのご主人の名をあなたにまでおし及ぼすというにいたっては、もう野蛮というもの、卑劣というものです」
「それでは、『エックホーフ』はいかがですか? エックホーフのほうが美しい名でしょうか? わたくしの父はエックホーフと申しますのよ」
「それ、ごらんなさい! 『エックホーフ』となると、まるで別ですよ! エックホーフという偉大な俳優がいたくらいですからね。エックホーフなら合格です。――お父さまのことしかおっしゃいませんでしたね。お母さまは……」
「ええ、母はわたくしがまだ小さかったときに亡くなりました」
「そうでしたか。――どうか、もうすこしご自分のことをお話しくださるわけにはまいりますまいか? そのためにお疲れになるようでしたら、お願いはいたしません。それならあなたは静かにしていらしてください、わたしのほうで、このあいだのようにパリの話を続けることにいたします。でも、ごく低い声でお話しくださってもいいわけですね、いや、もしささやくようにしてお話しくだされば、何もかもいっそう美しくなるにちがいありません……ブレーメンでお生まれになったのでしたね?」彼はこの問いを、ほとんど抑揚なしに、うやうやしげな意味深長な響きをこめて口にのぼせたが、それはあたかもブレーメンが比類のない都会、名状しがたい冒険と秘められた美とに満ちた都会で、そこで生まれた者は何か神秘的な高貴さを与えられる、とでもいうようであった。
「ええ、そうですわ!」と夫人は思わず言った。「わたくしブレーメンの生まれですわ」
「一度あそこに行ったことがあります」と、彼は思いにふけるような調子で言った。――
「まあ、〈あそこにも〉いらしたことがおありですって? いえ、ほんとに、シュピネルさん、あなたは、テュニスからシュピッツベルゲンまでのあいだにあるものは何もかもごらんになっていらっしゃるのでしょうね!」
「ええ、一度あそこに行ったことがあります」と彼はくり返して言った。「夕方の、ほんの二、三時間のことですがね。いまでも、ある古い狭い通りのことが思い浮かびます。その通りの|破風《はふ》屋根の上には斜めなりの奇妙な形をした月がかかっていましたよ。それから、ぶどう酒や|黴《かび》の匂いのする地下室の酒場にもゆきました。これは胸にしみ通ってくるような思い出です……」
「ほんとですかしら? どこの通りだったのでしょうね? ――ええ、そうですわ、そういう灰色の破風屋根の家で、音のよくひびく板敷きの床や白塗りの回廊のある古い商人の家で、わたくし生まれましたの」
「すると、お父さまは商人でいらっしゃるのですね?」と、彼はすこしためらいながらたずねた。
「ええ。でも、そのほかに、そして本当のところはまず第一に芸術家なんだと思いますわ」
「ははあ! どういう範囲で?」
「ヴァイオリンを弾きますの……でも、それだけではどうというほどのこともありませんわね。父の弾き方ですわ、シュピネルさん、かんじんなのはそれなんですよ! いくつかの音など、聞くたびにいつもきまって妙に熱い涙が目ににじみ出てきましたわ。このほかにはどんな経験をしても、そんな涙の出ることなんかなかったのですけれどもね。でも、あなたは本当とはお思いにならない……」
「思いますとも! いや、思わなくてどうするものですか!…… 奥さん、お聞かせねがいますが、お宅は古いお家柄なのでしょうね? もう何代も何代もの方々がその灰色の破風屋根の家に住んで、働いて、お亡くなりになったのでしょうね?」
「ええ。――ですが、どうしてそんなことをおたずねなさいますの?」
「それはですね、実務的な、市民的な、無味乾燥な伝統を持った一族が、いまにも滅びようとするときになってから、もう一度、芸術によって明るく光り輝くという例がときどきあるからですよ」
「ほんとでしょうか?――ええ、父のことを申しますとね、父はたしかに、自分で芸術家だと名乗ってもてはやされている多くの人たちよりも、もっと芸術家なのですわ。わたくしは、ほんのすこしピアノを弾きますだけ。それもいまは禁じられてしまいました。でも、実家にいましたころは、まだ弾いておりましたのよ。父とわたくしと、二人で合奏もいたしました……ほんとに、あのころのことは何もかもみんな、なつかしい思い出ですわ。とくに庭のこと、家のうしろの庭のことをよく覚えております。その庭はみじめに荒れはてて、草がぼうぼうとおい茂り、くずれて苔のむした壁にかこまれていましたのよ。でも、それがかえって庭にたいそう|風情《ふぜい》をそえておりましたわ。まんなかに噴水があって、そのまわりをアヤメが花輪のように取り巻いて、ぎっしりと茂っておりました。夏には、お友達といっしょに、そこで何時間も過ごしたものでしたわ。みんなで噴水のまわりを取り巻いて、小さな庭椅子に腰をかけましてね……」
「じつに美しいなあ!」と言ってシュピネル氏は肩をそびやかした。「腰をかけて、そしてお歌いになったのですか?」
「いいえ、たいてい編み物をしておりましたわ」
「それでも……それでも……」
「ええ、編み物をしながら、おしゃべりをしましたわ、六人のお友達とわたくしとで……」
「じつに美しいなあ! いや、もう、じつに美しいじゃありませんか!」とシュピネル氏は叫んだ。その顔はすっかりゆがんでいた。
「まあ、〈この話〉のどこがそう特別に美しいとお思いになりますの、シュピネルさん!」
「ええ、こうですよ、つまり、あなたのほかに六人いて、あなたはその数のなかにはいっておられなくて、いわば女王としてその数のなかから抜け出ておられたというところですよ…… あなたは六人のお友達にまさる特別なしるしをつけておいででした。小さな金の冠が、すこしも目立たないながら意味深長にあなたの髪にのせられて、輝いていたのです……」
「いいえ、ばかなことをおっしゃる、冠なんてありはしませんでしたわ……」
「ありましたとも、ひそかに輝いていたのです。あなたたちがそうしておられたときに、もしわたしがそっと木立ちのなかに立っていたとしたら、わたしにはそれが見えたでしょうよ、あなたの髪の上にはっきりと見えたでしょうよ……」
「何をごらんになりましたことやら。でも、あなたがそこにお立ちになったのではなくて、ある日のこと、わたくしの父といっしょに茂みのなかから出てきたのは、わたくしの現在の夫でしたわ。二人は、わたくしたちのおしゃべりをいろいろと聞いていたのかもしれません……」
「すると、ご主人とお知り合いになられたのは、そこでだったのですね、奥さん?」
「ええ、そこで知り合ったのですわ!」と、彼女は大きな声でうれしそうに言った、そして彼女が微笑するのにつれて、あのうす青い小さな血管が眉の上に浮き出てきて、緊張したような奇妙な表情を帯びさせた。「あの人は商売の用事でわたくしの父をたずねてきたのでしたわ。その翌日あの人は午餐に招かれました、そして、それから三日後にはもうあの人はわたくしに求婚しましたの」
「ほんとですか! 万事がそう特別に早く運んだのですか?」
「ええ…… つまり、それから先の運びはすこしゆっくりになりました。わたくしの父が、この話にはそもそも全然気乗りがしなくて、かなり長いあいだ考えさせてもらうということを条件にしたものですからね。第一に父はわたくしを手もとにおいておきたかったのですし、それからまた父には別のためらいもありました。けれども……」
「けれども?」
「けれどもわたくしが、その気になりましたのよ」と、彼女は微笑しながら言った、そしてまたしても、あのうす青い小さな血管が彼女の愛らしい顔の全体に悩ましげな病弱そうな表情をみなぎらせた。
「ああ、あなたがその気になられたのですね」
「ええ、そしてわたくしは、それこそ確固としたりっぱな意志を示したのですわ、ごらんのとおり……」
「お見受けするとおり。そうですね」
「……それで父もついにはわたくしの意志に従わないわけにいかなかったのです」
「そこであなたはお父さまとそのヴァイオリンとを捨て、古いお家と、草のおい茂った庭と、噴水と、あなたの六人のお友達とを捨てて、そしてクレーターヤーン氏とともに行かれたのですね」
「そしてともに行った…… あなたは特別な言い方をなさいますわね、シュピネルさん! まるで聖書にでもありそうですわ!――ええ、わたくしはそういうものをみんな捨てましたわ、それが自然の意志ですもの」
「そう、それがたぶん自然の意志でしょう」
「それにまたわたくしの幸福の問題だったのですわ」
「たしかに。そしてそれがおとずれてきたのですね、幸福が……」
「それがおとずれてきたのは、シュピネルさん、わたくしのところへはじめて小さなアントーンが、わたくしたちの小さなアントーンが連れてこられたときでした、そして、アントーンが小さな丈夫な肺でとても力のこもった泣き声をあげたときでしたわ、強くて丈夫な子だものですから……」
「あなたの小さなアントーンさんがお丈夫だというお話をお聞きするのは、これがはじめてではありませんよ、奥さん。まったくずばぬけてお丈夫なお子さんにちがいないようですね?」
「そうなんですの。そしてもうおかしいほど主人によく似ておりますのよ!」
「ははあ!――いや、つまりそういう次第だったのですね。そしていまあなたはもうエックホーフとはおっしゃらなくて、別の姓でいらっしゃる、そして、小さな丈夫なアントーンさんがおありで、すこしばかり気管支をわずらっていらっしゃる、というわけですね」
「ええ。――そして〈あなたという方〉は、もうまったく謎のようなお方ですわ、シュピネルさん、ほんとにそう思いますわ……」
「ええ、もうほんとのところ、あなたはそういうお方ですわ!」とシュパッツ市参事会員夫人は言った。ともかく彼女もまだその場にいたのである。
しかし、この会話のこともクレーターヤーン氏の夫人は幾度か心のなかで考えてみた。それは別段これというほどのこともない会話だったのだが、それでも自分のことをあれこれ考える夫人のもの思いに養分を与えるようなものを、いくらかその底にひめていたのである。これが夫人に悪い影響をおよぼしたのだろうか? 衰弱がつのって、夫人はしばしば熱を出した。それは静かな白熱であったが、その熱のなかで夫人はおだやかな高揚を感じながら休らっていた。もの思いにふけるような、わざとらしい、うぬぼれた、すこし怒ったような気分でその熱に身をまかせていたのである。夫人がベッドに寝ていないときには、シュピネル氏がその大きな足の爪先で歩きながら、おそろしく慎重に夫人のほうへ近づいていって、二歩ほど離れたところに立ちどまると、片脚をうしろへ引き、上体を前へかがめて、うやうやしく低めた声で夫人に話しかけることがあった。あたかもおずおずと|帰依《きえ》しながら、夫人をそっと高く持ちあげて雲のしとねに寝かせ、かん高い音も聞こえず地上の物のふれることもないようにしてやる、とでもいうようにである…… そんなときには夫人はいつも、クレーターヤーン氏が口癖のように言うあの「あぶないよ、ガブリエーレ、|気をつけて《テーク・ケヤー》、かわいい天使、口をしめて!」という言い方、好意をこめながら、したたかに他人の肩を打つとでもいうような感じのあの言い方を思い出す。しかし、夫人は急いでこの思い出にそっぽを向いて、衰弱したからだに高揚を感じながら、シュピネル氏がいそいそと敷きのべてくれる雲のしとねに休らうのであった。
ある日のこと、夫人は出し抜けに、自分の生まれや娘のころについてシュピネル氏とかわした、あの短い会話に話をもどした。
「それではあれは本当のことなんですね」と彼女はたずねた、「シュピネルさん、あなたが冠をごらんになったろうとおっしゃったことは?」
すると、あのおしゃべりはもう二週間も前のことだったのに、彼はすぐさま何の話だかわかって、自分ならあのころ噴水のそばで、夫人が六人の女友達のあいだにすわっていたとき、小さな冠が輝いているのを、――小さな冠が夫人の髪のなかでひそかに輝いているのを見たことでしょう、と感動的な言葉で保証するのであった。
それから二、三日して、ある療養客がお世辞に、故郷にいる小さなアントーンの安否を夫人にたずねた。夫人は、近くにいたシュピネル氏のほうへちらと視線をすべらせながら、いくらか退屈そうな口調でこう答えた、「ありがとうございます、あの子がどうしているかとおっしゃるのですね? ――あの子も主人も元気にしておりますわ」
二月のすえのある寒い日のこと、その日は、それまでのどの日よりも清らかな輝かしい日であったが、「アインフリート」ではだれもかれもが浮き浮きと陽気になっていた。心臓に故障のある人たちは頬を赤くして何やら相談し合っていたし、糖尿病の将軍は青年のように何か歌の節を口ずさんでいたし、脚に締まりのない紳士たちはすっかりはめをはずしていた。何が起こっていたのだろうか? ほかでもない、みんなで遠乗りをしよう、数台の|橇《そり》をつらねて、鈴の音をひびかせ、鞭の音を鳴らしながら、山のなかへ遠乗りをしようということになったのである。レアンダー博士が患者たちの気ばらしのために、この遠乗りの会をすることに決めたのであった。
もちろん「重いの」は療養所に居残らなければならなかった。「重い」連中は気の毒だ! みんなはうなずき合って、重い患者たちには遠乗りのことをいっさい知らせないように申し合わせた。すこしでも同情したり|斟酌《しんしゃく》したりできることが、みんなをいい気持にならせたのである。しかし、この楽しみに造作もなく加われるような人々のなかでも、数人が仲間はずれになった。フォン・オステルロー嬢はというと、彼女は簡単に弁解することができた。彼女のようにしこたま義務を背負いこんでいる者は、橇の遠乗り会などということを本気で考えるわけにはいかない。療養所のきりもりが、|有無《うむ》を言わさずに、彼女のそこにいることを要求するからである。で、要するに、彼女は「アインフリート」に居残った。しかし、クレーターヤーン氏の夫人も療養所に居残るつもりだと宣言したことは、みんなの気分をそこなった。レアンダー博士が夫人に、すがすがしい空気のなかを遠乗りするのはいい効果がありますよ、と説きすすめたが、むだであった。夫人は、気が向かない、偏頭痛がする、ぐったりした感じだ、と言いはった。そこでみんなはあきらめざるをえなかった。しかし例の皮肉なとんち家はこれをきっかけにして、こう言った、
「よく見ていてごらんなさい、こうなるとあの腐った赤ん坊もいっしょには行きませんよ」
そして皮肉屋の言うとおりになった。シュピネル氏が、きょうの午後は仕事をするつもりだ、と言ったからである、――彼は自分の疑わしい行動を言いあらわすのに「仕事をする」という言葉を使うのが非常に好きであった。とにかく、彼がいっしょに来ないことは、だれひとりとして悲しみはしなかった、そして、シュパッツ市参事会員夫人が、乗り物に乗ると酔うからと言って、年下の女友達のお相手をする決心をしたことも、みんなはあまり残念がらなかった。
この日はもう十二時まえに昼食がすまされたが、その直後、数台の|橇《そり》が「アインフリート」の前にとまった、そして、暖かな身ごしらえの療養客たちが、好奇心にかられて興奮しながら、いくつかのにぎやかなグループを作って、庭を通っていった。クレーターヤーン氏の夫人はシュパッツ市参事会員夫人といっしょに、テラスヘ通ずるガラス戸のそばに立ち、シュピネル氏は自分の部屋の窓辺に立って、出発の様子を見ていた。この三人が見ていると、冗談を言いかわして大きな笑い声をあげながら一番いい座席を取ろうとするこぜり合いが起こり、首に毛皮のえり巻きをしたフォン・オステルロー嬢が、この橇からあの橇へと走りまわって、食料品のはいった籠を座席の下へ押しこんでやり、毛皮の帽子をまぶかにかぶったレアンダー博士が、めがねの玉をきらきら光らせながら、もう一度全体の様子を見わたして、それから自分も座席について、出発の合図をした…… 馬が橇を引いて走りだす。二、三人の婦人が金切声をあげて、あおむきに倒れた。鈴が鳴り、|柄《え》の短い鞭がぱちっぱちっとうなりながら、長い鞭なわを橇の滑り木のうしろの雪のなかに引きずってゆく。フォン・オステルロー嬢は庭の門のそばに立って、滑ってゆく橇が国道を曲がって見えなくなり、ほがらかなざわめきが聞こえなくなるまで、ハンカチをふっていた。それから彼女は急いでいろいろな義務をはたすために、庭を通ってひきかえす。二人の婦人はガラス戸のそばから去った、そしてほとんど同時にシュピネル氏も見はらしのきく窓辺からひきさがった。「アインフリート」はひっそりと静かになった。遠乗りの人々は夕方まで帰ってこないだろうと思われた。「重いの」たちは、めいめいの部屋で横になって苦しんでいた。クレーターヤーン氏の夫人とその年上の女友達とは、短い散歩をしてから、それぞれの部屋へ帰った。シュピネル氏も自分の部屋にこもって、彼流の仕事をしていた。四時ごろ婦人たちはそれぞれ半リットルの牛乳をあてがわれ、シュピネル氏はうすい紅茶をもらった。それからまもなく、クレーターヤーン氏の夫人が、自分の部屋とシュパッツ市参事会員夫人の部屋との仕切りの壁を叩いて、
「談話室へおりてみようじゃありませんか、奥さま? ここではもう何をしたらいいかわかりませんもの」と言った。
「すぐまいりますわ、奥さま!」と市参事会員夫人は答えた。「失礼ですけど、ちょっと靴をはきますわ。だって、わたくしベッドで横になっておりましたのよ」
思ったとおり、談話室にはだれもいなかった。婦人たちは壁煖炉のそばに席を取った。シュパッツ市参事会員夫人が刺繍用のカンバスに花を刺繍すると、クレーターヤーン氏の夫人も刺繍の針を二、三度動かしたが、それなりに手仕事を膝へおろしてやって、安楽椅子のひじ掛け越しに|空《くう》を見やりながら夢想にふけった。やがて夫人は何か言ったが、それはわざわざ口をひらいて言うほどのことではなかったのである。それなのにシュパッツ市参事会員夫人が「ええ?」とたずねたので、夫人は恥ずかしい思いをしながら、言ったことをすっかりくり返さなければならなかった。シュパッツ市参事会員夫人はもう一度「ええ?」とたずねた。しかし、この瞬間、談話室の入口に足音が聞こえ、ドアがひらいて、シュピネル氏がはいってきた。「おじゃまでしょうか?」と、彼はまだ|敷居《しきい》に立ったまま、やさしい声でたずねながら、もっぱらクレーターヤーン氏の夫人だけをみつめたまま、上体をしなやかに、宙に浮くような仕方で前へかがめた……
若い夫人は、
「まあ、そんなことってありますでしょうか? 第一にこの部屋はだれでも出入りできる自由港でしてよ、シュピネルさん、それから、あなたがわたくしたちのじゃまになるわけなんてございませんもの。わたくし、きっとシュパッツの奥さまを退屈がらせているにちがいありませんわ……」と答えた。
そう言われると彼はもう何も言いかえすことができなくなった。ほほえみながら例の虫くい歯を見せただけで、婦人たちの視線を浴びながら、かなりぎごちない足どりでガラス戸のところまで歩いていって、そこで立ちどまると、いくらか無作法なしぐさで婦人たちに背を向けたまま、戸外を眺めやった。それから彼は半ばうしろをふり返ったが、やはり外の庭を眺めつづけながら、
「太陽が沈みました。いつのまにか空は曇っています。もう暗くなりはじめるのですね」と言った。
「ほんとに、そうですわね、何もかも影につつまれてしまいましたわ」とクレーターヤーン氏の夫人が答えた。「遠乗りにゆかれた人たちは、やっぱり雪にふられそうですわね。きのうのいまごろは、まだ明るい昼でしたのに、きょうはもう暗くなってゆきますわ」
「ああ」と彼は言った、「このところ何週間も明るすぎる日がつづいたあとのことですから、この暗さは目に気持よく感じられます。美しいものも|賤《いや》しいものも同じように押しつけがましい明るさで照らすこの太陽が、やっとのことですこし雲のかげになってくれたのを、わたしはそれこそありがたいことだと思います」
「太陽がお好きじゃございませんの、シュピネルさん?」
「わたしは画家ではありませんから…… 太陽のないほうが内面的になりますよ。――厚い、灰白の雲が積みかさなっていますね。これは、たぶん、あすは雪どけの天気になるということでしょう。それはそうと、そんな奥のほうでまだ|刺繍《ししゅう》に目をお使いになるのは、よくないと思いますね、奥さん」
「あら、ご心配なさらないでください、刺繍なんかもともといたしておりませんもの。でも、なにをしたらよろしいでしょう?」
彼はピアノのまえの回転椅子に腰をおろして、片方の腕を楽器のふたにもたせていた。「音楽です……」と彼は言った。「いまここで、すこし音楽が聞けたらどんなにいいでしょう! ときどきイギリスの子供たちがつまらない|黒人《ニグロ》の歌をうたいますが、それだけですからね」
「きのうの午後はフォン・オステルロー嬢が、大急ぎででしたけれど、『修道院の鐘』をお弾きになりましたわ」と、クレーターヤーン氏の夫人が言った。
「しかし、あなたがお弾きくださるのですよ、奥さん」と、彼は頼むように言って立ちあがった……「あなたは以前は毎日お父さまと合奏なさったのですから」
「ええ、シュピネルさん、昔はそうでしたわ! あの噴水のころには、ね……」
「それを、きょうなさってください!」と彼は頼んだ。「この一度きりでけっこうですから、二、三拍子お聞かせください! わたしがどんなに聞きたがっているか、お察しくださるとありがたいのですが……」
「それは、うちのかかりつけの医者にもレアンダー博士にもはっきりと禁じられておりますのよ、シュピネルさん」
「彼らはここにはいませんよ、どちらも! わたしたちは自由です…… あなたは自由なのです、奥さん! ちょっとした和音を二つ三つ……」
「いいえ、シュピネルさん、なんとおっしゃってもだめでございます。わたくしがどんなにうまく弾くかと、ご期待なさっていらっしゃいますのね! それなのにわたくし何もかも忘れてしまいましたのよ、ほんとに。そらで弾けるものなんか、あるかないかくらいですわ」
「ああ、それならその『あるかないか』をお弾きください! おまけにここには楽譜がありますよ、ここの、ピアノの上にあります。いや、これはつまらないものです。しかし、これはショパンですよ……」
「ショパン?」
「ええ、夜曲です。あとはもう|蝋燭《ろうそく》をつけさえすればいいのです……」
「わたくしが弾くだなんてお思いにならないでください、シュピネルさん! 弾いてはいけないのでございます。もしからだにさわりでもしましたら?」――
彼は口をつぐんだ。大きな足、長いフロックコート、しらがまじりの頭、|刷毛《はけ》でぼかしたような、ひげのない顔、そういう風釆の彼は、ピアノの上においた二本の蝋燭の光のなかに立って、両手を下へたらしている。
「それではもうお願いはいたしません」と、彼はとうとう低い声で言った。「おからだにさわることがご心配でしたら、奥さん、あなたのお指の下で音になりたがっている美を、死んだままに、黙ったままにしておおきなさい。あなたはかならずしもいつも、それほどまでに思慮深いというわけではなかったのです、すくなくとも、いまとは反対に美を捨てなければならなかったときには、そうではありませんでした。あの噴水を見捨てて、あの小さな金の冠をおぬぎになったときには、あなたはおからだのご心配などなさらなかったし、いまよりもためらいのない、もっと確固とした意志をお示しになったのです…… お聞きください」と、彼はしばらく間をおいてから言ったが、その声はいっそう低くなった、「もしいまあなたがここへおかけになってですよ、以前お父さまがあなたの横にお立ちになって、そのヴァイオリンであなたを泣かせるような音をかなでられたときと同じように、あなたがピアノをお弾きになれば……、そうすれば、たぶん、あれがまたひそかにあなたの髪のなかで輝くのが見えるかもしれませんよ、あの小さな金の冠が……」
「ほんとうに?」と夫人はたずねて、ほほえんだ…… たまたま夫人の声がうまく出なかったので、この言葉は半ばかすれた、半ば抑揚のない音になって出てきた。夫人は軽く|咳《せき》をしてから、
「そこにお持ちのは、ほんとうにショパンの夜曲ですの?」と言った。
「たしかに。もう開けてあります。準備はすっかりととのっています」
「そう、それでは思いきって夜曲を一つ弾いてみることにいたします」と夫人は言った。「でも、一つだけですよ、ようございますか? どっちみち、一つお聞きになれば、もうたくさんだとお思いになるでしょうけれど」
そう言って立ちあがると、夫人は|刺繍《ししゅう》をわきへおいて、ピアノのところへ行った。そして、本綴じの譜本が二、三冊のせてある回転椅子に腰をかけて、燭台の位置をなおし、楽譜をめくった。シュピネル氏は椅子を一つ夫人のわきへずらしてやって、音楽の先生とでもいうように夫人の横に腰をおろした。
夫人は作品九の二、変ホ長調の夜曲を弾いた。実際にいくらか忘れてしまった個所があったにしろ、それでも、夫人の演奏は以前は完全に芸術的なものだったにちがいないと思われた。ピアノは普通の品にすぎなかったが、最初の数タッチを試みたあとでは、夫人はそれをもう確実な趣味で扱いこなすことができた。夫人は音色の微妙なニュアンスにたいする神経質な感覚を示し、空想の領域にまで高まるリズムの軽快な動きにたいする喜びを示した。その弾き方は確固としていて、同時にやわらかであった。夫人の手の下でメロディーはその究極の甘美さまで歌いつくし、装飾音がためらうような優美な感じでメロディーの節々にまといつくのであった。
夫人は「アインフリート」へ着いた日と同じ服をまとっていた。高く浮き出ているビロードの唐草模様におおわれた、黒っぽい、重たそうな胸着をまとっていて、それが夫人の頭や手をいかにもこの世ならぬやさしいものに見えさせる。夫人の顔の表情は演奏のあいだに変わりはしなかったが、唇の輪郭がいっそうはっきりしてくるような、目のすみの影が深まってくるようなふうに見えた。弾き終わると、夫人は両手を膝において、楽譜を見つづけた。シュピネル氏は声も出さず身動きもせずに、じっとすわっていた。
夫人はさらに夜曲を一つ弾いた。二曲目を弾き、三曲目を弾いた。それから夫人は立ちあがったが、しかし、それはただピアノの上蓋の上に別の楽譜を探そうとしたのにすぎなかった。
シュピネル氏はふと思いついて、回転椅子の上にある黒い厚紙表紙にはさんだ数冊の楽譜を調べてみた。突然彼は何かはっきりしない声を立てた、そして、彼の大きな白い両手が、なおざりにされていた譜本の一つを情熱的にいじくった。
「これは驚いた!…… 本当とは思えない!……」と彼は言った…… 「それにしても、わたしの思い違いではない!…… これが何か、おわかりですか?…… ここに何があったか?…… わたしがいま何を持っているか……」
「なんでございますの?」と夫人はたずねた。
すると彼は黙ったまま夫人に題とびらを示した。そして、まっさおになって、その譜本を下へおろしながら、唇をふるわせて夫人をみつめた。
「本当に? どうしてそれがこんなところへ来ているのでしょうか? では、お貸しください」と夫人は無造作に言って、その楽譜を譜面台に立てると、腰をおろして、一瞬間息をひそめてから最初のページを弾きはじめた。
彼は夫人の横に腰をかけて、前かがみになり、両手を膝のあいだに組み合わせて、うなだれていた。夫人は曲の始まりのところを、悩ましくなるほど極端なゆるやかさで、音形と音形とのあいだに不安になるほど長い合い間をおきながら弾いていった。あこがれのモティーフ、夜のなかをさまよう孤独な声が、かすかにその不安な問いを響かせる。そして静まりかえったなかで、待っている。すると、ああ、答えるものがある。問いと同じくためらいがちな、孤独な響きではあるが、ただもっと明るくて、もっとやさしい。そしてまたすべてが沈黙する。それから、情熱が急にわき起こって喜びにあふれながら騒ぎたつとでもいうような、あの低音のすばらしいスフォルツァンドで、愛のモティーフがはじまり、上へ昇ってゆき、うっとりと身をよじりながら高まっていって、ついに甘美なもつれあいになり、やがて離れて、ふたたび沈む、すると、重苦しい悲痛な歓喜の歌を低音にかなでながら、チェロが出てきてメロディーをつづけてゆく……
演奏する夫人は、弾いている貧弱な楽器で、たくみにオーケストラの効果を暗示することができた。急調子に大きく高まってゆくヴァイオリンの連続音は、輝くばかりに精密に鳴り響いた。夫人はいかにも心をかたむけつくした|風情《ふぜい》で弾きつづける。どの音形のところにも敬虔にとどまって、牧師が聖体を頭上にかざすように、いちいちの細部をうやうやしく、はっきりときわ立たせるのである。何が起こったのか? 二つの力、夢中になったふたりの人間が、苦悩と浄福とのうちに、たがいに近よる努力を重ねたあげく、|恍惚《こうこつ》として気も狂わんばかりに永遠絶対のものを熱望しながら、たがいに抱き合ったのである…… 序曲は燃えあがって、そして消えていった。夫人は、幕が左右にひらくところで弾きやめて、それから黙ったまま楽譜を見つづけた。
これまでのあいだに、シュパッツ市参事会員夫人の退屈ぶりは、退屈さが人間の顔をゆがませて、目の玉を顔から飛び出させ、死顔のような、ぞっとさせるような表情を取らせる程度に達していた。そのうえ、こういう種類の音楽は彼女の胃の神経に作用して、この消化不良の組織体を不安の状態におとしいれ、|痙攣《けいれん》の発作が起こるのではないかと市参事会員夫人に心配させたのである。
「わたくし、どうしても自分の部屋へいかなければなりませんわ」と、彼女は力のない声で言った。「さようなら、わたくし帰りますから……」
そう言って彼女は立ち去った。たそがれはすでに色濃くなっていた。戸外を見ると、雪がすき間もなく、音もなくテラスの上に降っていた。二本の|蝋燭《ろうそく》の光はゆらゆらとゆれて、限られた範囲しか照らさない。
「第二幕を」と彼がささやいた、すると、夫人は楽譜のページをめくって、第二幕を弾きはじめた。
|角笛《つのぶえ》の響きが遠くで消えた。いや、それとも木の葉のざわめきだったのか? 泉のやさしいせせらぎだったのか? 夜はすでに森をも家をもその沈黙にひたしていた、そして、どれほどせつにいましめても、もはやあこがれのみなぎるのをとめることはできなかった。神聖な神秘が成就した。灯火は消えた。異様な、突然にやわらげられた音色で、死のモティーフがおりてくる、そして、あこがれがその白いヴェールを、いても立ってもいられないようなあわただしさで、恋人にむかってひらひらとはためかす。恋人は両腕をひろげたまま|闇《やみ》のなかをこちらへ近づいてくる。
おお、事物の永遠の彼岸における合体の、熱狂的な、飽くことのない歓喜の叫びよ! 悩ましい|誤謬《ごびゅう》をまぬがれ、空間や時間の束縛をのがれて、わたしとおまえ、おまえのものとわたしのものとが融け合って崇高な歓喜になった。昼の陰険な|眩惑《げんわく》は二人をひき離すことはできたが、しかし、魔法の水薬の力が二人のまなざしを清めてからは、昼のけばけばしい嘘も、もはや夜目のきく二人をだますことはできなかった。愛をいとなみながら死の夜とその夜の甘美な秘密とを見てとった者には、光の妄想のなかでただ一つのあこがれだけが残った――神聖な夜へのあこがれ、永遠の、真実な、すべてを一つにする夜へのあこがれだけが残った……
おお、愛の夜よ、沈みおりてきて、彼らの熱望するあの忘却を彼らに与えよ、おまえの歓喜で彼らをひしと取りかこみ、虚偽と分離との世界から彼らをひき離せ。見よ、最後の灯火が消えた! いっさいの考えも思いも、世界を救いながら妄想の苦悩の上にひろがる神聖な薄明のなかに沈んでいった。眩惑が色あせ、わたしの目がうっとりとかすむとき、昼の嘘がわたしからひき離していたもの、だましながらわたしのあこがれの的にして、静めることのできない苦悩をなめさせていたものが色あせるとき、――そのときすらも、おお、実現の奇蹟よ! そのときすらも、わたしは世界である。――それに続いてブランゲーネの「心せよ」という暗い歌に伴奏するヴァイオリン群の、いっさいの理性よりも高いあの高昇が起こった。
「わたくし何もかもわかるわけではございませんのよ、シュピネルさん。ただこうおぼろげに感じるだけのことが非常に多いのですわ。この『そのときすらも――わたしは世界である』というのは、いったいどんな意味でございましょう?」
彼はその意味を夫人に低い声で簡単に説明してやった。
「そう、そういう意味なんですね。――ただ、そんなによく理解していらっしゃるあなたが、お弾きになれないというのは、どういうわけでございましょう?」
妙なことに、彼はこの無邪気な問いに対抗することができなかった。彼は顔を赤くして、手をもみ、いわば椅子もろとも沈没するような|恰好《かっこう》になった。
「それはめったにいっしょにはなりませんよ」と、彼はとうとう悩ましそうに言った。「いや、弾くほうはわたしはだめです。――まあ、おつづけください」
そして彼らは中世神秘劇の陶酔した歌をつづけていった。愛はいつか死ぬであろうか? トリスタンの愛が? おまえの、そしてわたしのイゾルデの愛が? おお、死の打撃も永遠の愛にはとどかないのだ! われわれを妨げるもの、和合したふたりをだましてひき離すもの、それ以外の何が死の手に落ちるであろうか? 甘美な連辞「と」によって愛は彼らを結びつけたのである…… 死がその結びをひき裂くとすれば、一方の者に死を与えて、他方の者を生かしておくほかはあるまい? そして神秘な二重唱が、愛死という名状しがたい希望のなかで彼らを合体させた。夜の仙境で永久にひき離されずに抱き合っているという名状しがたい希望のなかで彼らを合体させたのである。甘美な夜よ! 永遠の愛の夜よ! いっさいのものを抱き包む至福の国よ! 予感しながらおまえを見てとった者は、どうしてまた心配もせずに目をさまして、荒涼とした昼へ帰ってゆけるだろうか? やさしい死よ、このような心配をはらいのけてくれ! 思いこがれている彼らを、目ざめの苦しみから完全に解放してやれ! おお、旋律の取り乱した嵐よ! おお、形而上的認識の半音ずつ押しあげる恍惚よ! 昼の光の分離の苦悩から遠く離れたこの歓喜に、彼らは手の舞い足の踏むところも知らないようではないか? 虚偽も心配もないやさしいあこがれ、高貴な、苦悩のない消滅、無限のなかの至福のまどろみ! おまえはイゾルデ、わたしはトリスタン、いや、もはやトリスタンでもなく、もはやイゾルデでもない――
突然どきりとさせるようなことが起こった。演奏していた夫人は急に弾きやめて、片手を目の上にかざしながら、くらがりをうかがい、シュピネル氏はすわったまま急いでふり返った。奥のほうの、廊下へ通ずるドアが開いて、ひとつの黒い人影が、もうひとつの人影の腕にすがって、はいってきたのである。それは「アインフリート」の客のひとりで、やはり|橇《そり》の遠乗りに加わることができずに、この夕刻を利用して、本能的にもの悲しく、療養所のなかを歩きまわっているのであった。それは、十九人の子供を生んで、ものを考えるということができなくなってしまったあの病人、看護婦の腕にもたれたヘーレンラウフ牧師夫人であった、彼女は目もあげずに、のろのろとした、さすらうような足どりで、部屋の奥のほうを横ぎり、反対側のドアを通って消えていった、――黙りこくって目をすえたまま、無意識のうちにさまよいながら。――あたりがしんと静まりかえった。
「あれはヘーレンラウフ牧師の奥さんでした」と彼が言った。
「ええ、お気の毒なヘーレンラウフさんでしたわ」と夫人が言った。それから夫人は楽譜をめくって、全体の終曲を、イゾルデの愛死を弾いた。
夫人の唇の、なんと色つやをなくして、しかもくっきりとしていることであろう、そして、目のすみの影の、なんと濃くなってゆくことであろう! 眉の上の、透きとおるような額には、あのうす青い小静脈が、緊張したような、気がかりな|風情《ふぜい》で、ますますはっきりと浮き出てくる。忙しく動く夫人の手の下で、法外な上昇が、あの|放埓《ほうらつ》といっていいほどな突然のピアニシモに細分されながら実現された。足もとの地面がすべり落ちるとでもいうような、微妙な欲望のなかに沈みこむとでもいうようなピアニシモである。それから急に、途方もない解決と実現とがあふれるばかりの勢いで始まって、際限のない満足の耳をつんぼにするようなどよめきを、飽くこともなく幾度も幾度もくり返してから、引き潮のようにしりぞきながら形を変えて、いまにも消えてしまいそうに見えたが、いま一度あこがれのモティーフをその諧音のなかへ織りこんで、それから息が絶え、死んでゆき、音をぼかしながら、ただようような風情で消えていった。深い静けさ。
彼らはどちらも耳をすました。頭をかしげて耳をすました。
「あれは鈴でございますわ」と夫人が言った。
「あれは橇です」と彼は言った。「わたしはゆきます」
彼は立ちあがって、部屋を横ぎっていった。奥のドアのところで彼は立ちどまると、ふり返って、一瞬間、おちつかぬ様子で足ぶみをした。それからつぎのようなことが起こった、夫人から十五歩か二十歩ほど離れたところで、彼が膝まずいたのである、音もなく両膝をついたのである。彼の長いフロックコートが床の上にひろがった。彼は両手を口の高さのところで組み合わせていた、そして、その肩はひくひくとふるえていた。
夫人は腰かけたまま、両手を膝において、前かがみになり、ピアノから身をそむけて、彼をみつめた。あいまいな、困ったような微笑が夫人の顔に浮かんでいて、その目は、何か考えこむように、いくらか焦点がぼやけかけるほど大儀そうに、薄闇をうかがった。
はるか遠くのほうから、鈴の音と、鞭のうなりと、入りまじる人声のひびきとが近づいてきた。
あとあとまでみんなの話題になった|橇《そり》の遠乗りは、二月二十六日におこなわれたのであった。二十七日は雪どけの天気で、あらゆるものがとけて、したたり落ち、ぴしゃぴしゃとはねかえし、流れたが、この日はクレーターヤーン氏の夫人は非常にぐあいがよかった。二十八日には夫人はすこし血を吐いた……いや、大したことではない、しかし、血にはちがいなかったのである。同時に夫人は、かつてなかったほどのひどい衰弱にみまわれて、ベッドについてしまった。
レアンダー博士は夫人を診察した、そして、診察中の博士の顔は石のようにひややかであった。それから博士は科学が命ずるとおりの処方をした。氷片とモルヒネと絶対安静とを命じたのである。ただし、その翌日、博士は多忙を理由にしてこの治療から手をひき、それをミュラー博士にまかせた。ミュラー博士は義務と契約とに従って、いともおとなしくこの治療をひき受けたが、彼は活気のない、青白い、貧相な、もの悲しげな男で、その控え目な、はえないはたらきは、健康に近い患者と見こみのない患者とにささげられていたのである。
彼が何よりも先に発表した意見は、こういうものであった。クレーターヤーン夫妻の別居はもう非常に長く続いている。もしクレーターヤーン氏の繁昌している商売がなんとか許すとするなら、彼がまた一度「アインフリート」へ見舞いに来てくれることは、せつに望ましいことである。彼に手紙を出してもいいし、なんならちょっと電報を打ってもいいと思う…… そして、もし彼が小さなアントーンをつれてくるなら、若い母はきっと喜ぶだろうし、元気にもなるだろう。その健康な小さなアントーンと知り合いになるのは、医者たちにとっても興味深いことだろうが、それは別としての話である。
すると、どうだろう、クレーターヤーン氏が現われた。彼はミュラー博士のちょっとした電報を受け取って、バルト海岸からやって来たのである。彼は馬車からおりて、コーヒーとバタパンとを取り寄せたが、ひどく当惑した顔をしていた。
「あんた」と彼は言った、「どうしたんかな? なぜわしは家内のそばへ呼ばれたんかな?」
「それは」とミュラー博士が答えた、「いまのところ奥さまのおそばにおいでいただくのが、望ましいことだからです」
「望ましい…… 望ましい…… しかしまた必要でもあるんかな? わしは自分の金を大事にしとるんじゃからな、あんた、このごろは不景気で、汽車賃は高い。この一日がかりの旅行は、避けるわけにはいかなんだのかな? これがたとえば肺のことででもあるのなら、わしは何も言わんじゃろうが、ありがたいことに気管支なんじゃから……」
「クレーターヤーンさん」とミュラー博士はおだやかに言った、「第一に気管支は重要な器官です……」彼は「第一に」のつぎに全然「第二に」を続けもしないくせに、語法を無視して「第一に」と言ったのである。
ところで、クレーターヤーン氏といっしょに、豊満なからだつきの、どこもかしこも赤と金と格子縞とにくるまったひとりの女性が、「アインフリート」に到着していた、そして、彼女こそはアントーン・クレーターヤーン二世、すなわち、小さな健康なアントーンを腕に抱いていたのである。いかにも、彼は来ていた、そして、だれにしろ、彼が本当に度はずれて健康なことを否定するわけにはいかなかった。バラ色と白との、きれいな、さっぱりとした服を着せられた彼は、ささべりをつけた女中のあらわな赤い腕の上に、まるまると太った、においのするからだを乗せて、牛乳や刻み肉を驚くほど多量にたいらげたり、わめいたりしながら、あらゆる点で本能のままにふるまうのであった。
自分の部屋の窓から、作家シュピネルは若いクレーターヤーンの到着を観察した。若いクレーターヤーンが馬車から療養所のなかへ連れこまれるあいだ、彼は、かすんでいるくせに鋭い、奇妙な目つきで、じっとこの子をみつめていたのである、そして、そのあとかなり長いあいだ、同じ表情でその場に立ちつづけていた。
そのときから彼は、アントーン・クレーターヤーン二世に出会うことを、できるかぎり避けた。
シュピネル氏は自分の部屋にすわって、「仕事をしていた」。
それは「アインフリート」のすべての部屋と同じような部屋で、つまり、古風で、簡素で、上品なものであった。どっしりとした箪笥には獅子の頭にかたどった金具が打ちつけてある。背の高い壁鏡は一枚のなめらかな平面ではなくて、小さな正方形のガラスを何枚となく鉛の枠にはめてつなぎ合わせたものである。淡青のラックを塗った床には|絨毯《じゅうたん》が敷いてなくて、家具の四角ばった脚がはっきりと影をうつしながら床につづいている。大きな書きもの机が窓の近くにすえてあって、その窓には小説家が黄色いカーテンをかけていたが、いっそう内面的な気持になるために、そうしたものらしかった。
黄ばんだ薄明のなかで書きもの机にむかった彼は、机のおもてに身をかがめて、書いていた、――彼が毎週郵便局へ持たせてやって、おもしろいことには、たいていの場合まるきり返事を受け取らない、あのおびただしい数の手紙のなかの一通を書いていたのである。大きな厚い紙が一枚彼のまえにひろげてあった。その紙の左上の隅の、複雑な描き方をした風景の下に、デトレフ・シュピネルという名が、まったく新式な書体で書いてある。そして、彼はこの紙を、小さな、念入りに描いたような、非常にきれいな字で埋めてゆくのである。
「拝啓!」と、そこには書いてあった。「貴下にこのお手紙を差しあげますわけは、そうしないではいられないからであり、貴下にお伝えしなければならないことが小生の心に満ちて、小生を悩まし、戦慄させるからであり、言葉が非常なはげしさで小生の胸にわき起こってきますために、それをこのお手紙に書いて払いのけることが許されないとしますと、小生はそれらの言葉のために窒息してしまうだろうからであります……」
真実を尊ぶことにすると、この「わき起こってくる」というのはもう全然本当のことではなかった。シュピネル氏がどんなうぬぼれた理由からそう主張するのか、神でなければわかるものではなかった。言葉が彼の胸にわき起こってくるなどというようには、全然見えないのである。市民としての職業が書くことであるという人にしては、彼はあわれなほど筆の運びが遅かった。そして、彼を見た者なら、作家とは他のすべての人々よりも書くことにてこずる男のことである、という見解に到達したにちがいない。
二本の指先で、頬にはえた奇妙なうぶひげの一本をつまんで、十五分間ほどそれをひねりまわしながら、彼は|空《くう》をみつめたまま、一行も先へ進まずにいるが、やがて、きれいな字で二、三語書いたかと思うと、またしても停滞してしまう。それでいて、いよいよ最後に出来あがったものが|流暢《りゅうちょう》な溌剌とした印象を与えるということは、認めなければならないのである。もっとも、その内容となると、変妙な、疑わしい、しばしば不可解にさえなる性格を帯びていた。
「これは」と手紙は続けられた、「いやおうなしの欲求なのでありますが、小生は、小生が見ていること、数週間まえから消しがたい幻像になって小生の目のまえに浮かんでいることを、貴下にも見せてあげたいのです、そのことが小生の心の目に浮かんでいるとおりの言語的照明をあてがって、それを貴下が小生の目を使って見るようにしてあげたいのです。忘れがたく、そして燃えあがるようにぴたりと当てはまる的確な言葉で、小生の体験を世人の体験たらしめよと強いるこの衝動に、小生は従うならわしになっております。それゆえ小生の申すことをお聞きください。
小生は、かつてあったことと、いまあることとを申す以外のことは欲しません、小生は単にひとつの話、ごく短い、なんとも言いようのないほど腹立たしい話を物語るだけです、それを注釈抜きで、弾劾もせず、判断もくださずに、ただ小生の言葉で物語るだけなのです。それはガブリエーレ・エックホーフの、貴下よ、貴下がご自分の妻と呼んでおられる婦人の話です……そしてよくご注意ください! この話を体験したのは貴下ですが、しかし、小生の言葉によって高められてこそはじめて、この話は貴下にとってほんとうに体験という意義を持つことになるでしょう。
貴下よ、あの庭園のことを、素封家の灰色の邸宅の裏手の、あの古い、草のおい茂った庭園のことをおぼえておいででしょうか? 夢でも見ているようなこの荒れほうだいの庭をかこむ、くずれかけた石塀の継ぎ目には、緑の苔がはえていました。庭の中央の噴水のこともおぼえておいででしょうか? 淡紫のアヤメが噴水の朽ちた縁の上へかたむきかかり、噴きあげられる白い水のすじは、さやさやとひめやかな音を立てながら、ひび割れた石畳の上に落ちていました。夏の日がかたむいてゆくところでした。
七人のおとめがこの噴水のまわりに、輪になってすわっていました。そして、七人目のおとめ、最上の唯一のおとめの髪のなかへ、沈んでゆく太陽がひそかに、きらきらと光る最高位のしるしを織りこむように見えたのです。彼女の目はおびえた夢のようでしたが、それなのに彼女のくっきりとした唇には微笑が浮かんでいました……
彼女たちは歌いました。彼女たちはそのほっそりとした顔を、噴きあげられた水の高さ、噴水のすじがものうげな品のよい曲線をえがきながら下へ落ちかかるあたりへ、あおむけたままにしていました、そして、彼女たちのやさしい澄んだ声は、噴水のすじのしなやかな踊りをかこんでただようのでした。おそらく彼女たちは、歌いながら、きゃしゃな手を組み合わせて、膝を抱いていたのかもしれません……
貴下にはこの絵が思い出されますか? 貴下はそれをごらんになりましたか? ごらんにはならなかったのです。貴下の目はそれを見るようには出来ていなかったし、貴下の耳は、この絵のかなでるメロディーの純潔な甘さを聞きとるようには出来ていなかったのです。もしそれをごらんになったのなら――貴下はあえて呼吸するなどということはできずに、心臓の鼓動を禁ぜずにはいられなかったはずです。貴下はその場を去って、生活へ、貴下の生活へ帰ってゆき、貴下がまだこの世に生きておられるあいだ、ここでごらんになったものを、ふれることもそこなうこともできない神聖な宝として、貴下の魂のなかにしまっておかずにはいられなかったはずです。それなのに貴下は何をなさったでしょうか?
貴下よ、この絵は一つの終局でした。貴下は、そこへやってきて、この絵を破壊して、その続きを俗悪と醜い悩みというものにしないではいられなかったのですか? それは、没落と解体と消滅との夕ばえにひたされた、一つの感動的な、なごやかな神化だったのです。行為し生活するためにはすでに疲れすぎ、高貴になりすぎた一つの古い家系が、その生涯を終わろうとしている、そして、その最後の言葉は芸術の音、死ぬまでに熟したことを知っている悲哀に満ちたヴァイオリンの二つ三つの響きなのです…… この二つ三つの響きに涙を誘われた目を、貴下はごらんになりましたか? おそらく、六人の女友達の魂は生活に属していたかもしれません、しかし、その六人の姉妹のような女王の魂は美と死とに属していたのです。
貴下はこれを、この死の美をごらんになった。それをつらつらごらんになって、それを手に入れたいという欲望をおこされた。この死の美の感動的な神聖さにたいして、すこしの畏敬も、すこしの遠慮も貴下の心を動かさなかった。ながめるだけでは貴下は満足されなかった。所有し、利用しつくし、|冒涜《ぼうとく》しないではいられなかったのです…… なんとたくみに貴下は選ばれたことでしょう! 貴下は美食家なのです、いやしい美食家、味のわかる百姓なのです。
どうかよくご注意ねがいますが、貴下の感情をそこなってやろうというような望みなど、小生はけっして持ってはおりません。小生の申しておりますことは、|悪罵《あくば》ではなくて、公式なのです、貴下の単純な、文学的にはまったく興味のない人格にあてはまる簡単な心理的公式なのです、そして、小生がこの公式を言いあらわすのは、貴下のために貴下ご自身の行動や本質をいささか解明してあげたい、といううながしに駆られるからにすぎないのです。事物の本当の名を呼んで、事物をして語らしめ、無意識的なものをくまなく照らし出すのが、この地上における小生の避けがたい天職だからなのです。世間は小生が「無意識的なタイプ」と呼ぶものに満ちています、そして、小生には彼らが、これらすべての無意識的なタイプの人々ががまんならないのです! 小生には、これらすべての鈍感な、無知な、認識のない生活や行動、小生のまわりのこのいらいらさせる素朴な世間というものががまんならないのです! 小生は苦悩に満ちた、さからうことのできない力に駆られて、周囲のあらゆる存在を――小生の力のおよぶかぎり――解明し、言いあらわし、意識のあるものにします、――その結果が促進的に作用するか、あるいは阻止的に作用するか、慰めや救いをもたらすか、あるいは苦痛を与えるかなどということにはおかまいなしに、そうするのです。
貴下は、すでに申しましたとおり、いやしい美食家、味のわかる百姓であります。もともと粗野な体質で、きわめて低い進化の段階にある貴下は、富と座業生活とによって、神経組織の突然な、非歴史的な、野蛮な頽廃を招かれたのですが、そのような頽廃には享楽欲の一種みだらな洗練がともなうものなのです。貴下がガブリエーレ・エックホーフをわがものにしようと決心されたときには、おそらく、貴下の喉の筋肉は、美味なスープか珍しい料理を目のまえにしたときのように、舌鼓を打つ動き方をしたことだろうと思われます……
事実、貴下は彼女の夢うつつな意志を迷わし、彼女を草のおい茂った庭園からみにくい生活のなかへつれこみ、彼女に貴下の下品な姓を与え、彼女を妻に、主婦に、母にされたのです。貴下はこの疲れた、内気な、そして高貴な無用さのなかに花咲いている死の美しさをおとしめて、平凡な日常生活に奉仕させ、自然と呼ばれているあの間抜けな、粗野な、軽蔑すべき偶像に奉仕させながら、そのような仕打ちのはなはだしい卑劣さについては、貴下の百姓的良心のなかにこればかりの予感もきざさないのです。
もう一度たずねますが、何が起こったのでしょう? おびえた夢のような目をした彼女は、貴下にひとりの子供を贈りました。その父の低級な存在の続きであるこの生物に、彼女は自分が持っているかぎりの血や生活力をすべて与えて、そして死ぬのです。彼女は死ぬのです、貴下よ! そしてもし彼女が俗悪にまみれたままはかなくならずに、それでも最後には屈辱の底から身を起こして、誇らかに、喜びにあふれながら、美の致命的な接吻のもとに絶え入るとすれば、それこそはこの〈小生の〉はからいだったのであります。その一方、貴下のはからいは、人げのない廊下で女中とたわむれるくらいのことだったと思われます。
しかし貴下の子供、ガブリエーレ・エックホーフの息子は、生きて、勝ち誇りながら成長しています。たぶん彼はその父と同じ生活をつづけてゆくのでしょう、商業をいとなみ、税金をおさめ、美食をする市民になるのでしょう。あるいは、軍人か官吏か、無知で有能な国家の支柱になるかもしれません。いずれにしろ、音痴で普通の働きをする人間、思いまどうことのない、頼もしい、強くて愚かな人間になることでしょう。
貴下よ、つぎの告白をお聞きください、すなわち、小生は貴下を憎みます。貴下と貴下の子供とを憎みます。それは小生が、生活そのものを、貴下が代表している俗悪で滑稽なくせに勝ち誇っている生活を、|不倶戴天《ふぐたいてん》の敵として永遠に美と対立している生活を憎むのと同じことなのです。小生は、貴下を軽蔑するというわけにはいかない。そういうことは小生にはできません。小生は正直に言います。貴下のほうが強者なのです。貴下との闘争において小生が貴下に対抗させうるものはただ一つ、弱者の崇高な武器で復讐の道具である精神と言葉とだけなのです。きよう小生はそれを使いました。すなわち、この手紙は――貴下よ、この点でも小生は正直に言います――復讐の行為にほかならないのです、そして、もしこのなかのただの一語でも、貴下を狼狽させ、貴下に貴下の知らない力を感じさせ、貴下の鈍感な落ち着きぶりを一瞬間なりとぐらつかせるほどに、鋭く、輝かしく、美しいならば、小生はまさに小おどりして喜ぶことでしょう。
デトレフ・シュピネル
この書面をシュピネル氏は封筒に入れて切手をはり、きれいな字で宛名を書いて、郵便局にゆだねた。
十一
クレーターヤーン氏はシュピネル氏の部屋のドアを叩いた。彼は、きれいに字を書きならべた大判の紙を片手に持っていて、断固とした処置を取ることを決心した男のように見えた。郵便局がその義務をはたして、あの手紙は指定された道をたどり、「アインフリート」から「アインフリート」へというおかしな旅をして、間違いなく名宛人の手に届いていたのである。いまは午後の四時であった。
クレーターヤーン氏がはいっていったとき、シュピネル氏はソファーに腰をかけて、カヴァーにこんぐらがった絵の描いてある自作の小説を読んでいた。彼は立ちあがって、びっくりしたような、不審そうな様子で訪問者をみつめたが、それでいてはっきりと顔を赤くしたのである。
「こんにちは」とクレーターヤーン氏が言った。「お仕事のじゃまをして、あいすみません。しかし、ひとつおたずねしたいんだが、あんたがこれをお書きになったんですかな?」そう言いながら彼は、きれいに字を書きならべた大判の紙を左手でかざして、それを右手の甲ではたいた。紙がぱちぱち嗚るほどはげしくはたいたのである。それから彼は右手を、広いゆったりとしたズボンのポケットにさしこむと、首をかしげて、よくそんなしぐさをする人がいるものだが、耳をすまして聞くために口を開けた。
妙なことにシュピネル氏は微笑した。あいそうよく、すこしうろたえたように、半ば言いわけでもするように微笑して、何か思い出そうとでもするようなふうに片手を頭にあてがいながら、
「ああ、そのとおり……そうです……失礼でしたが……」
事実を言うと、彼は、きょう、ありのままにふるまって、正午ごろまで眠っていたのである。その結果として彼は良心のやましさと頭の濁りとに悩まされ、いらいらした、あまり抵抗力のない気持になっていた。かてて加えて、吹きはじめた春風のためにぐったりとして、絶望しかけてもいた。こうしたことはすべて、彼がこの場面ですこぶるとんまな態度を取ることの説明として、言っておかなければならない。
「そうか! ははあ! わかった!」と言いながら、クレーターヤーン氏は|顎《あご》を胸に押しつけたり、眉をつりあげたり、両腕を伸ばしたり、その他いろいろと似たような用意をした。形式的な質問をすませたあとで、|容赦《ようしゃ》なく本題へはいるための用意だったのである。ところが、自分の風采を喜ぶあまりに、彼はこの用意をすこしやりすぎた。最後に出来あがった態勢は、この身ぶりでした用意の|威嚇《いかく》的なまわりくどさと完全には一致しなかった。しかしシュピネル氏はかなり青くなっていた。
「よくわかった!」とクレーターヤーン氏はくり返した。「それじゃ、ご返事を口で申しましょう、あんた、つまり、一時間ごとにでも会って話のできる相手に長たらしい手紙を書くなんというのは、わしはばかげとると思いますからな……」
「まあ……ばかげています……」と、シュピネル氏は微笑しながら、言いわけをするような、ほとんどへりくだるような調子で言った。
「ばかげとる!」とクレーターヤーン氏はくり返して、はげしく首を振った。自分の確信の犯すべからざるものであることを示そうとしたのである。「本来ならわしは、こんなつまらん手紙のために一言でもついやす気はないし、あからさまに言うと、こんな紙きれなぞ、それこそバタパンの包み紙にもひどすぎると思うくらいだが、しかしこの手紙は、これまでわしにわからなかったある事柄を説明してくれた、つまり、ある変化を説明してくれた…… ただし、それはあんたには関係のないことで、いまの問題でもない。わしは忙しい人間で、あんたの言いあらわしがたい幻像などというものよりもましなことを考えなけりゃならんのだ……」
「わたしは『消しがたい幻像』と書いたのです」とシュピネル氏は言って、背筋をまっすぐに伸ばした。これは、この場面のあいだに彼がいささか|威厳《いげん》を見せた、ただ一つの瞬間であった。
「消しがたい……言いあらわしがたい……!」と答えながら、クレーターヤーン氏は書面をのぞいて見た。「あんたはなんともひどい字を書く人だなあ。わしの事務所で働いてもらおうとは思わんよ。ちょいと見にはいかにもきれいなようだが、よくよく見ると、|隙間《すきま》だらけでぶるぶるふるえとる。しかし、これはあんた自身のことで、わしには関係のないことだ。わしがここへ出かけてきたのは、あんたがまず第一には道化者だということを、あんたにじかに言ってやるためなんだが、――どうかな、これはたぶんもうご存じじゃろう。しかし、そのうえにあんたはまた非常な臆病者だ、そして、これもわしからくわしく証明してあげる必要はあるまい。家内がいつか手紙に書いてよこしたが、あんたは出会うおなごの顔をまともには見ずに、現実はこわいから、美しい予感だけをとらえるというわけで、ただ横目でちらっとぬすみ見るだけだそうな。残念なことに、家内はその後手紙であんたの話をするのをやめてしもうた。そうでなければ、わしはまだいろいろとあんたの話を知っとることだろう。だが、あんたはそんな人間なんだ。『美』というのがあんたの〈おはこ〉の言葉だが、それはけっきょく、臆病や偽善や|嫉妬《しっと》のことにほかならんのだ。だからこそあんたは、『人げのない廊下』なんぞという恥知らずなことを言ったんだろう。あれは、おそらく、思いきりわしの胸をえぐるつもりの言いぐさだったんだろうが、わしにはただおもしろかっただけのことだ。じつにおもしろかったよ! どうだ、これでわけがわかったか? わしはあんたの……あんたの『行動や本質』をこれで『いささか解明』したか、どうだ、弱虫さん? と言うても、そんなことをするのはわしの『止めがたい天職』じゃないんだがな、へっ、へっ!……」
「わたしは『避けがたい天職』と書いたのです」とシュピネル氏は言ったが、しかし、彼はまたすぐにその主張をやめてしまった。そして、叱りつけられたままで、どうすることもできず、まるで大きな、あわれな、しらが頭の小学生みたいに突っ立っていた。
「避けがたい……止めがたい…… いや、はっきり言うが、あんたはじつに卑劣な臆病者だよ。毎日あんたは食事のときに、わしに会う。あんたはわしに挨拶しては、にこにこと笑い、わしに皿を渡しては、にこにこと笑い、おいしくおあがりくださいと言っては、にこにこと笑う。それでいて、だしぬけに、こんなばかげた侮辱だらけの紙くずを送ってよこす。へっ、いかにも、書くことでならあんたはなかなか勇気がある! そしてこの笑止な手紙だけならまだしものことだ。しかし、あんたはわしにたいして陰謀をくわだてたんだ、わしにかくれて、わしにたいして陰謀をくわだてたんだ。わしにはそれがいまはっきりとわかる……とは言うものの、それがすこしでもあんたの役に立ったなんぞと、うぬぼれる必要はないのだ! もしもあんたが、家内の頭に気まぐれを吹きこんでやったというような期待にふけってでもいるんなら、ごりっぱなあんたさん、そりゃお間違いでございますな。家内はそれほど分別のない人間じゃございません! あるいはまた、わしと子供とがここへ来たときに、家内が何かいつもとは違った迎え方をしたとでも、あんたが万一思っとるなら、あんたの悪趣味もきわまれりというもんだ! 家内が子供に一度もキスをしてやらないのは事実だが、それは用心してそうしとるんだ。最近になって、気管支じゃなしに肺らしいという見立てが出とるんだからな、そして、そうなると、どちらともわからんのだからな……もっとも、この肺かどうかということにはまだまだ証明しなければならない点があるんだ、それなのにあんたは『彼女は死ぬのです、貴下よ!』ときやがる。あんたはまぬけだ!」
ここまで来たクレーターヤーン氏は、すこし呼吸をととのえようとした。彼はもうひどく腹を立ててしまって、右手の人さし指でたえず宙を突き刺しては、左手に持った書面をむざんな目にあわせている。イギリス式にしたブロンドの頬ひげにはさまれた顔は恐ろしく真っ赤になって、曇った額には、怒りの稲妻とでもいうように、ふくれあがった血管が縦横に走っていた。
「あんたはわしを憎んどる」と彼は言いつづけた、「もしもわしのほうが強くなかったら、あんたはわしを軽蔑するというんだろう…… そうだとも、わしのほうが強いんだ、畜生め、わしの心臓はちゃんとあるべき場所にあるが、あんたのはたいていズボンのなかにでもあるんだろう。もしも禁じられてないことなら、わしはあんたを、あんたの『精神と言語』もろとも叩き殺してやるところなんだ、この陰険な白痴め。しかし、こう言ったからって、あんたの人身攻撃をそのまま黙って聞き流すという意味じゃないんだぞ、いいか、もしもわしがあの『下品な姓』というくだりを、うちの弁護士に見せてやったなら、あんたが目をまわすようなことになるかならないか、それこそは見ものというもんだ。わしの名はりっぱな名なんだ、それもわしの働きでりっぱなものになったんだぞ。あんたの名にたいして、五十円銀貨一つでもあんたに貸してくれる人がいるかどうか、この問題はあんた自身に解いてもらうよ、のらくらの風来坊め! あんたみたいな人間には法律で立ちむかうほかに手はない! あんたは公安を害するおそれのある人間なんだ! みんなを気違いにしてしまうんだ!…… とはいうものの、こんどはうまくいったなんぞと、うぬぼれる必要はないんだぞ、こそこその卑劣漢め! あんたみたいな野郎どもに、おめおめうち負かされるようなわしではない。わしの心臓はちゃんとあるべき場所にあるんだ……」
クレーターヤーン氏はじっさいもう極度に興奮していた。わめきながら何度もくり返して、自分の心臓はちゃんとあるべき場所にあると言った。
「『彼女たちは歌いました』句読点。いや、歌ってなんぞいはしなかった! 編み物をしとったんだ。それに、わしが聞いたかぎりでは、ジャガイモのパンケーキの作り方を話しとったんだ。もしもわしがあの『没落』だの『解体』だのいうことを家内の父に話したら、わしと同じに家内の父もきっとあんたを正式に告訴するにきまっとる!……『貴下はこの絵をごらんになられたか、これをごらんになりましたか?』もちろん見たとも。しかし、見たからというて、なぜ息をとめてその場から逃げださなければならんのか、わしにはわからん。わしはおなごの顔を横目でちらっと見るようなことはせんぞ。わしはまともに見てやる。もしもおなごがわしの気に入って、おなごのほうでもわしに気があるなら、わしはそのおなごを自分のものにするんだ。わしの心臓はちゃんとあるべき場……」
ドアを叩く音がした。――いきなり九度か十度つづけざまに部屋のドアを叩く音がした。控え目ながら、はげしい、気が気でないような連打で、それがクレーターヤーン氏に口をつぐませた。そして、おろおろと揺れているような、心痛のあまりに、たえず調子はずれになってしまうような声が、非常な早口で、「クレーターヤーンさん、クレーターヤーンさん、ああ、クレーターヤーンさんはいらっしゃいますか?」と言った。
「はいってきちゃいかん」とクレーターヤーン氏は乱暴に言った……「なんだ? わしはいま話があるんだ」
「クレーターヤーンさん」と、そのよろめいているような、かすれるような声が言った、「来ていただかなくてはなりません……お医者さまがたも見えておいでです……ああ、とてもとても悲しいことでございます……」
それを聞くと彼はひと足でドアのところまで行って、ぐいと引きあけた。外にはシュパッツ市参事会員夫人が立っていた。彼女はハンカチを口にあてがって、大粒の細長い涙が二つずつ、そのハンカチのなかへころがり落ちていた。
「クレーターヤーンさん」と彼女はやっとのことで言った……、「とてもとても悲しいことでございます…… 奥さまがとてもたくさん血をお吐きになりました、すごいほどたくさん…… べッドにそうっとすわっていらして、何かちょっとした曲を口ずさんでおいでになりましたが、すると出てきたのでございます、ああ、とんでもなくたくさん……」
「もう死んだんですか?」とクレーターヤーン氏は叫んだ…… そう叫びながら彼はシュパッツ市参事会員夫人の二の腕をつかむと、敷居の上で彼女をあっちへ引いたりこっちへ引いたりした。「なに、すっかり死んでしまったんじゃないのか、ええ? まだすっかり死んだんじゃない、まだわしの顔が見えるんだな…… またすこし血を吐いたのか? 肺からか、ええ? そうかもしれん、ひょっとすると肺から出たのかもしれん…… ガブリエーレ!」と突然叫んだ彼の目に涙があふれた。それを見ると、彼の胸のなかに暖かい、善良な、人間的な、誠実な感情のわきおこったことがわかった。「よし、行くよ!」と言った彼は、シュパッツ市参事会員夫人を引きずりながら、大股に歩いて部屋から出ると、廊下づたいに去っていった。廊下の遠く離れたあたりから、「すっかり死んでしまったんじゃないんだな、ええ?…… 肺からなのか、ええ?……」という彼の声がまだ聞こえてくるが、それはどんどん遠のいてゆく。
十二
シュピネル氏は、こうも突然に中絶したクレーターヤーン氏の訪問のあいだじゅう立っていた場所に立ちつづけたまま、開け放しのドアをみつめていた。そのあげくに彼は二、三歩前へ歩いて、遠くのほうへ耳をすました。しかし何もかもひっそりとしているので、ドアを閉めて部屋のなかへ戻った。
しばらくのあいだ彼は鏡にうつる自分の姿をみつめていた。それから彼は書きもの机のところへ行って、引き出しから小さなびんとコップとを取り出して、コニャックを一杯飲んだが、それはだれにしろ非難のできないしぐさであった。それから彼はソファーの上に身をのばして、目をつぶった。
窓の上半分が開け放しになっていた。戸外の、「アインフリート」の庭では小鳥がたくさんさえずっていた、そして、これらの小さな、やさしい、元気なさえずり声のなかに、春の全体が、微妙に、しみ通るように表現されていた。一度シュピネル氏は低い声で「止めがたい天職……」とひとりごちた。それから首を左右に動かしながら、神経のはげしい痛みでも感ずるように、歯のあいだから空気を吸いこんだ。
落ち着いて精神を集中することなんかできはしない。おれはこんな粗野な経験には向かないんだ! 分析するとひどく長たらしいことになりそうな心的過程をたどって、シュピネル氏は、起きあがってすこし運動をしよう、すこし戸外を散歩しよう、という決心に到達した。そこで彼は帽子を取って部屋を出た。
戸外に歩み出て、やわらかな、かぐわしい空気につつまれたとき、彼は首をめぐらして、その目をゆっくりと、建物にそって上のほうにある窓の一つのところまですべらせていった。それはカーテンをおろした窓である。その窓に彼のまなざしは、しばらく、真剣に、しっかりと、暗くそそがれていた。それから彼は両手を背中にまわして、砂利道を歩いていった。深いもの思いにふけりながら歩いていったのである。
花壇はまだ|莚《むしろ》におおわれていて、木も|藪《やぶ》もまだ葉をつけない裸のままであった。しかし、雪はもうなくなって、道にはところどころに湿った跡が見られるだけであった。岩窟やアーケードや小さな園亭などがいくつもある広い庭は、はなやかに色づいた午後の日ざしのなかに、くっきりとした影と豊かな金色の光とを交錯させながら横たわっていた、そして、木々の黒ずんだ枝は明るい空を背景にして、あざやかな、しなやかな網細工を見せていた。
それは太陽がはっきりと形を取る時刻、形のない光のかたまりが目に見えて沈んでゆく円盤になって、それまでよりも満ち足りておだやかになった円盤の輝きが目で見ていられる時刻であった。シュピネル氏は太陽を見なかった。彼の歩いてゆく道が太陽をかくして見えないようにするのである。彼はうなだれて歩きながら、何かちょっとした曲を口ずさんでいた。短い楽句、不安げに訴えながら高まってくる音形、あのあこがれのモティーフである…… しかし突然、短い、|痙攣《けいれん》のような息をもらして、彼は縛られでもしたようにはたと立ちどまった、そして、はげしくしかめた眉の下から、大きく見ひらいた彼の目が、恐れて防ぎとめようとする色をうかべながら、じっと前方を見すえた……
道が曲がりになって、沈んでゆく太陽のほうへ通じている。縁を金色に染めた二すじの細長い明るい雲に横ぎられた太陽が、大きくななめに|空《くう》にかかって、木々の梢を燃え立たせ、赤黄いろい光輝を庭一面にそそぎかけている。そして、この金色に光りかがやく浄化のただなかに、日輪を巨大な後光として頭にいただいたまま、豊満なからだに赤と金と格子縞ずくめの着物を着た人物がすっくと身をのばして、道のゆくてに立ちはだかっている。右手をふくれあがった腰につっぱって、左手で、きゃしゃな作りの乳母車を軽く押したり引いたりして動かしている。その乳母車のなかにあの子が乗っていた。アントーン・クレーターヤーン二世が乗っていた。ガブリエーレ・エックホーフのふとった息子が乗っていたのである!
白い粗ラシャの上着を着て、大きな白い帽子をかぶり、まんまるな頬っぺたをした彼は、いかにもみごとに肥えふとってクッションのなかにすわっていた、そして、そのまなざしは楽しそうに、たじろぎもせずにシュピネル氏のまなざしを迎えた。小説家は勇気をふるいおこそうとしかけた。彼も男である。この思いがけない、光り輝かされた現象のそばを通りぬけて、散歩をつづけてゆくくらいの気力は持っていたことであろう。ところが、そのとき、ぞっとするようなことが起こった。アントーン・クレーターヤーンが笑いはじめたのである、きゃっきゃっと歓声をあげはじめたのである。彼は不可解な喜びのあまりに金切声をあげた。それは気味が悪くなるくらいであった。
何が彼を刺激したのか、彼にむかい合った黒い姿が彼をこの猛烈な笑いに誘ったものか、それともどんな動物的な快感の|発作《ほっさ》が彼を襲ったものか、それはわからない。彼は片手には何かの骨で作った輪型のおしゃぶりを、片手にはブリキ製のがらがら箱を持っていた。この二つのおもちゃを彼は歓呼しながら日光のなかへさしあげて、振ったり、ぶっつけ合わせたりする。あざけりながら、だれかを追っぱらおうとでもするようなふうである。その目は満足のあまりにほとんど閉じられてしまい、口は大きく開かれて、バラ色の口腔がすっかり見えるほどである。歓声をあげながら彼は頭を左右にゆすぶりさえした。
それを見たシュピネル氏は、まわれ右をしてその場から立ち去った。クレーターヤーン二世の歓呼に送られながら、一種の|慎重《しんちょう》な、ぎごちないながらに優雅な腕のかまえ方をして、砂利の上を立ち去っていった。その歩き方は、精神的に逃走しつつあることを隠そうとする人の、無理に歩調をゆるめた歩き方であった。
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解説
トーマス・マンの生涯
トーマス・マンは、一八七五年六月六日、ハンザ同盟に属する自由市であった、北ドイツの、バルト海沿岸のリューベックで生まれ、由緒のあるこの自由市の市参事会議員であった穀物商人トーマス・ヨーハン・ハインリヒ・マンの五児中の次男である。四歳年上の兄ハインリヒ・マンは、弟と同じく二十世紀前半のドイツ文学を代表する作家の一人である。
裕福な商館の次男坊トーマスの幼年時代は、苦労のない幸福なものだったが、自由な空想や静かな読書にふけることを好んだから、通学するようになると学業はかんばしくなかった。商人になるものと決められた彼は、実科高等中学校にかよったが、学校の「強制的な勉強」が性に合わないうえに、ようやく文学熱が燃えさかってきたから、詩を作り、戯曲を試み、「春嵐」という生徒仲間の同人雑誌を発行して得意になっていた。結局、学校のほうは幾度か落第して、一年志願兵の資格証明書をもらうところまでは漕ぎつけたものの、卒業するにはいたらなかったのである。
彼が十五歳の年に父が死んで、それと同時にマン家が破産し、家業が整理された。母は間もなくトーマスの弟妹(妹二人と弟一人)を連れて、リューベックからミュンヘンヘ移住する。通学の事情でリューベックに残っていたトーマスも、十八歳になるとミュンヘンヘ出て、一時の腰掛けのつもりで、ある火災保険会社の無給見習社員になった。そして、会社の事務机の上でひそかに書きあげた処女作の短編小説『ころぶ』が、社会主義的な傾向を持った自然主義の機関誌「社会」に掲載されて、十九歳のトーマス・マンに最初の文学的成功をもたらす。それは、この処女作が青年層の好評を博したばかりでなく、すでに詩人として名をなしていたリヒャルト・デーメル(一八六三ー一九二〇)に認められたからである。トーマス・マンは間もなく見習社員をやめて、身内の人たちにむかってはジャーナリストになるつもりだと宣言しながら、ミュンヘン大学やミュンヘン工科大学の講義を聞いていたが、当時ローマに滞在して絵の修業をしていた兄ハインリヒに誘われて、イタリアヘおもむき、パレストリーナで長編小説『ブデンブローク家の人々』を書きはじめた。このイタリア滞在中、彼の二十三歳のときに、最初の短編小説集『小さなフリーデマン氏』がフィッシャー書店から発行されている。その後、若干の例外を除くと、トーマス・マンの著作はすべてフィッシャー書店から発行された。
イタリアからミュンヘンヘ帰ったトーマス・マンは、諷刺的な文学雑誌「ジムプリツィスムス」の編集にたずさわったりもしたが、ねばり強く『ブデンブローク家の人々』を書きつづけて、着手してから二年半ののち、二十五歳で脱稿して、フィッシャー書店へ送った。その原稿の採否決定は、たまたまこの歳で兵役についたトーマス・マンが足の関節の|腱鞘炎《けんしょうえん》症を起こして|衛戌《えいじゅ》病院にはいっていたときに当たったが、首尾よく採用と決まる。作者自身も足の痛みを理由にして兵役免除願いを出し、一九○一年の初めに除隊になった。この年に刊行された『ブデンブローク家の人々』は、初版は二巻本だったが、一九○三年に一巻本の廉価版が出てから増版に次ぐ増版の売れ行きがはじまって、トーマス・マンの名が国外にまで喧伝されるようになる。彼は二十五歳のときに完成した最初の長編小説によって早くもヨーロッパ的な名声を得たのだった。そう言うのは誇張ではない。後年トーマス・マンがノーベル文学賞をもらうようになったのも、この『ブデンブローク家の人々』が早くから北国の人々の共感を得ていたからである。
最初の長編小説で文学的地位を確立したトーマス・マンは、『トリスタン』『トーニオ・クレーガー』など短編小説の名作を発表していよいよ名声を高めたが、一九○五年に三十歳で、ミュンヘン大学の裕福な数学の教授の娘カーチャ・プリングスハイムと結婚した。
トーマス・マン夫妻の結婚生活は、初めから終わりまで幸福なものだったようで、男三人女三人の六人の子供が生まれたが、夫は一九三〇年五十五歳のときに公表した『略伝』のなかで、作家生活という何よりも忍耐を必要とする、困難な、疲れやすく妨げられやすい生活を、もし抜群な伴侶の賢明な、勇敢な、やさしくて根気強い助力がなかったならば、これまでに維持できたかどうかわからない、という感謝の言葉を妻にささげている。また、長女エリーカは父の『最後の年』を報告したなかで、両親、つまりトーマス・マン夫妻はその五十年余にわたる共同の生活のあいだ、おたがいに一瞬間も退屈し合ったことのない仲良しだった、と書いている。とにかく、一九○九年にトーマス・マンは新婚生活の収穫である長編小説『大公殿下』を発表した。しかし、これは大人の童話とでもいう喜劇ふうな軽い味のものだったから、深刻な重みのあるものでなければ歓迎しないドイツ批評界の受けが良くなかった。そういう『大公殿下』の作者の名誉を回復したのは、一九一二年に発表された短編小説の名作『ヴェニスに死す』である。
一九一二年に三十七歳で『魔の山』を書きはじめたトーマス・マンは、精神的に戦争の準備をするなどということは何もないままで、第一次世界大戦をむかえることになった。一九一四年八月にはじまったこの大戦では、外的現実的ドイツすなわちカイゼルの帝国主義的ドイツが攻撃を受けたばかりでなく、内的精神的ドイツすなわちドイツ文化もまた攻撃されたので、内的精神的ドイツに生きていたトーマス・マンは創作の仕事をつづけることができなくなり、ドイツ文化とドイツ精神とを弁護し擁護するために理論闘争の筆をふるうことになった。素質や教養が道徳的形而上学的なもので、政治的社会的なものでなかったトーマス・マンは、保守的な、ドイツ・ロマン主義的な立場に立って、西ヨーロッパの文明とデモクラシーとを|反駁《はんばく》し嘲笑したのだったが、――そして論敵は、個人的に名をあげると、早くからフランスを教養上の故郷にして民主主義者になっていたハインリヒ・マン、弟トーマスが「文明文士」と呼んだ兄ハインリヒだったのだが、この理論闘争はいわば思想的な従軍で、戦時下の興奮にゆがめられた考え方をもふくめながら『非政治的な一人間の考察』という総題のもとにまとめられた。『考察』はトーマス・マンが自分の精神構造を分析し検討したものでもあり、結局、彼が言っているように、「ドイツ・ロマン主義的な市民性の最後最終の退却戦」になったのである。いずれにしろ、この理論闘争の収穫は、デモクラシーとはヒューマニズムの政治的な表現にほかならないし、人間にたいして責任を持とうとするかぎり芸術家といえども政治を度外視することはできないという根本的な認識を得たことで、今後の彼は死ぬまでこの認識にもとづいて行動した。
第一次世界大戦の戦火がしずまるとともに、トーマス・マンはかつての交戦国との精神的融和をうながすための文化使節というような格で、オランダ、スイス、デンマーク、イギリス、フランス、ポーランドなどへ講演の旅を重ねる。一九二二年、ゲールハルト・ハウプトマンの六十回誕生日を記念しておこなった『ドイツ共和国について』と題する講演では、トーマス・マンは、デモクラシーをヒューマニズムの政治的表現と見る考えにもとづいて、文化国家としてのドイツ共和国において精神的生活と政治的生活との調和が実現されることを期待した。
一九二四年秋には、アンドレ・ジードをして「比較するもののない作品だ」と言わせた長編小説『魔の山』が発表されたが、翌一九二五年がトーマス・マンの誕生五十年に当たったので、フィッシャー書店からトーマス・マン全集十巻が出版された。そして、一九二九年には五十四歳でノーベル文学賞を授与されたのである。
このようにトーマス・マンはドイツ共和国の文学的代表者だったが、そのために、この共和国の墓掘り人アードルフ・ヒトラーのファシズムとは最初から対立して、両立しえない運命にあった。人間の自由を脅かすファシズムの傾向がドイツにきざしてきたのは、早くも第一次世界大戦直後からのことだったが、それとほぼ同時にトーマス・マンのほうでもこの傾向の危険にたいして警告を出しはじめていたのである。ハインリヒとトーマスとの兄弟がヒトラーのファシズムにはげしく抵抗したことは、すでに周知の常識だが、一九三〇年には、事態はついに、トーマス・マンが真正面からヒトラーの一味徒党を弾劾して、ドイツ市民の『理性に訴う』と題する講演をしなければならないまでになった。この年に発表された短編小説『マリオと魔術師』は、イタリアを背景にしているが、民衆に催眠術をかけて時代錯誤の野蛮な踊りを踊らせているファシズムという人間蔑視の古くさいイデオロギーの末路を予告したもので、ムソリーニがこれを禁書にしたのも不思議ではない。
一九三二年はゲーテ百年祭の年に当たり、トーマス・マンは当然のことながら、「ゲーテのドイツ」を維持して「ヒトラーのドイツ」の出現を阻止すべきことを説き、デモクラシーに味方してファシズムに敵対するという態度をいよいよ明らかにした。一九三三年一月には、ついにヒトラーがドイツ国の首相になったが、その直後の二月におこなったヴァーグナー五十年祭の記念講演『リヒャルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大』においても、トーマス・マンはあくまで偏狭な国粋主義をしりぞける世界市民主義の立場に立って、世界にたいして開放的な「真のドイツ」を主張している。そして、このヴァーグナー講演の翌日から国外講演旅行に出かけた彼は、三月にミュンヘンの自宅がヒトラー政権によって接収されるとか、五月にあの悪名高い|焚書《ふんしょ》事件が起こるとか、独裁化したヒトラー政権の無数の非行を見て、帰国を断念し、亡命生活にはいった。
亡命の生活にはいってからもトーマス・マンの創作の筆が休まなかったばかりか、いささかも衰えなかったのは、第一次世界大戦中に保守的な立場に立って論戦した、つまりドイツ・ロマン主義的な市民性の退却作戦をおこなった当時とは違って、このたびは文化の擁護に協力しながら、ファシズムという文化の敵にたいして攻撃の前進作戦をおこなっている、という意識があったからだと思われる。作家にとっては自分の作品の成立し享受される文化的地盤が必要だが、その地盤を確保するためにも、また新たに開拓するためにも、理論闘争のほかに、何よりも創作の実践、作品の完成がなければならない、という考えがあったからだと思われる。この作品によってトーマス・マンはついに「生の詩人」になったと言われる四部作の長編小説『ヨゼフとその兄弟たち』は、トーマス・マンが一九三五年にヨーロッパのヒューマニズムにたいして戦闘的になれと要求するとか、ヒトラー政権が一九三六年に六十一歳のトーマス・マンのドイツ国籍を剥奪し財産を没収するとか、さらに一九三八年におけるトーマス・マンのアメリカ移住、一九三九年における第二次世界大戦の勃発など、世界のいっさいが揺れ動いて火をはくような状況のなかで、十六年の制作年月をかけながら一九四三年に完成された。
一九四〇年からカリフォルニアに住んでいたトーマス・マンは、一九四四年に六十九歳でアメリカ市民権を獲得した。そして翌一九四五年五月に「ヒトラーのドイツ」が滅亡して、第二次世界大戦は終結したものの、世界は息をつく暇もなくアメリカとロシアとの対立から起こった冷戦にまきこまれて、ドイツは東西に二分される。アメリカとロシアとの対立にたいして、また、東西に二分されたドイツにたいして、トーマス・マンが取った態度は、対立を激化させて戦争へ持ちこむというような態度ではなく、自由な人類の平和と繁栄とをもたらすために協調して対立を克服すべきであると説く態度だった。ヒューマニストといわれた彼は、十九世紀的な国家主義の見地からでは現代の問題は何一つ解決されないとして、世界市民主義の立場に立ったが、人間の神秘、すなわち、人間においては精神と生とが結合し合一しているという神秘にたいする畏敬の念が、彼のヒューマニズムの基礎になっていたのである。
第二次世界大戦の終結後、ドイツからの帰国をうながす声を聞きながらも、トーマス・マンは早速ドイツを訪れるということはしなかった。一九四六年に七十一歳で肺膿瘍の手術をするということがあったし、また、すでに一九四三年から長編小説『ファウスト博士』を書きつづけていたからでもあるが、亡命を強いられたトーマス・マンとして、ヒトラー政権を出現せしめて世界に大きな不幸をもたらしたドイツとドイツ人とにたいしてすぐに握手の手をのべがたかったのである。当時の困難な状況は、トーマス・マンの長男で作家になっていたクラウス・マンが、一九四九年五月に絶望のあげく自殺したことからもほぼ想像されよう。それでもこの一九四九年に、ゲーテの生誕二百年を祝うというきっかけがあって、七十四歳のトーマス・マンは五十八歳で亡命の生活にはいってから初めてドイツをおとずれた。そして、冷戦の影響からアメリカで非米活動調査委員会の、それこそ不快な活動がつのってきた一九五二年に、ふたたびヨーロッパに帰ることを決意して、スイスのチューリヒ湖畔キルヒベルクに移住した。
ドイツ的性格を深く掘りさげた問題作『ファウスト博士』を七十二歳で発表してからも、一九五一年七十六歳で長編小説『選ばれし人』を、七十九歳では同じく長編小説『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』を発表するというように、トーマス・マンの創作力は最後まで衰えを見せなかった。しかし、一九五五年にはいって心臓冠状動脈血栓症を病み、六月に八十回目の誕生日を迎えたこの「言語の巨匠」は、八月十二日夜、チューリヒ市内の州立病院でついにこの世に別れを告げたのである。
トーマス・マンの作品
自然主義がドイツ文壇の主流を形成する一方で、総括的に新ロマン主義と呼ばれるさまざまな反自然主義的傾向が進出しかけていた十九世紀末に創作活動を開始したトーマス・マンは、その発展においてドイツ・ロマン主義の克服と、ゲーテによって代表されるドイツ・ヒューマニズムの復活とをしめし、二十世紀文学の一高峰を築いた。
そのトーマス・マンの芸術的(同時に思想的)発展を概観するために、便宜上彼の生涯を三つの時期に分けて考えることができる。ただし、これはまったく便宜上のことで、それぞれの時期のあいだに明確な断絶があるというのではない。初期の特色は中期では抑制されているとか、中期に頭をもたげて後期に強調されたものが初期にも目立たぬ姿ながらすでに存在しているとか言うほうが、じつは正確なのである。
そこで、十九歳(一八九四年)で処女作の短編小説を発表してから三十歳(一九〇五年)で結婚するまでを初期ということにする。『ブッデンブローク家の人々』を中心とする初期の作品(本巻収録作)では、人間が精神的に洗練されると、その反面に肉体が虚弱になって、生活力の衰弱をきたすが、しかし、頑健な肉体の旺盛な生活力とは精神的零にすぎないと見て、生(自然)と精神、普通人と芸術家とを対立関係に置く人生観が表現された。精神と美との関係も対立の面で捉えられて、精神の世界に住む人間は醜い顔やぶざまな姿を与えられることが多く、屈託のないかわりに凡庸な生の世界の人々はたいてい溌剌とした美しい姿を与えられている。これは、生よりはむしろ死に共感を寄せるロマン主義的生活感情の影響(とくに『トリスタン』において見やすい)であり、市民社会(資本主義社会)における芸術や芸術家の孤立的な在り方から生ずる苦悩の反映にほかならなかった。
つぎに、一九〇五年の結婚以後の『大公殿下』から、第一次世界大戦をなかにはさんで、『魔の山』の完成までを中期と見ることにする。この中期では初期の対立的人生観の克服が試みられ、そして成就された。短編集2所収の『予言者の家で』『悩みのひととき』『詐欺師クルルの告白』によって、この中期と呼んだ時期の発端がうかがわれる。健康で問題のない、幸福で明るい生の世界に対立する精神と認識との国に住む身だと思い、「芸術家は人間になって感じはじめたらもうおしまい」で「文学は天職などというものではなくて呪いだ」(『トーニオ・クレーガー』)とも言っていた孤独な芸術家トーマス・マンは、まず、『大公殿下』において、愛と結婚とによって孤立と孤独との殼を打ちやぶり、「我」と「汝」とを結びつけて、生の世界と握手することを試みた。この試みは、政治的に翻訳すると、デモクラシーに結びつこうとする試みだったのだが、しかし、一九一四年、第一次世界大戦の勃発という画期的な事件が、そういうことにたいする精神的準備を持たなかったトーマス・マンに襲いかかって、彼をふたたびドイツ・ロマン主義的な保守主義の立場に逆戻りさせてしまう。ドイツを愛する彼は、ドイツ精神とドイツ文化とを擁護して、西ヨーロッパのデモクラシーに抵抗した。デモクラシーすなわち政治だと見なして、政治的でないところにドイツ精神・ドイツ文化・ドイツ音楽などの本質があると考え、ドイツの精神・文化・音楽の政治化に反対したのだが、その論争の記念が『非政治的な一人間の考察』(一九一八年)である。
しかし、この論争はトーマス・マンの政治的良心を覚醒させた。デモクラシーを攻撃した彼は、論争の経過につれて逆に自分が民主主義者になったこと、いや、自分がじつはもともと多分に民主主義者であったことに気がついたのである。文学的には最初からヨーロッパ主義の立場に立って、ゲーテやハイネやニーチェのようにドイツ的であると同時にそのままヨーロッパ全体にも通用するような散文を書くことを理想にしていたトーマス・マンは、戦後には政治的倫理的にもヨーロッパ主義を採用し、後年みずから「民主主義的人類宗教」と名づけた立場(世界市民主義の立場)を確立する方向へ進んでいった。だから、第一次世界大戦後のドイツ文学が世界主義的な国際協調の傾向と国粋主義的民族主義的な孤立の傾向とにほぼ二大別される形勢をしめしたときには、トーマス・マンはもちろん世界主義的傾向の代表者の一人だったし、また、そういう姿勢でヒトラーのファシズム運動に抵抗し、ドイツ国民に警告を発しながら、弱体のドイツ共和国を擁護したのである。
そういう事情で、『魔の山』は、初期の対立的人生観を克服して、対立に支配されずに、逆に対立を支配しながら前進するのが人間の理想的な生き方だとする思想を打ちだしたトーマス・マンの思想的組織替えの一大記念碑、ドイツ・ロマン主義的な保守主義にたいする訣別の本になった。
ロマン主義的な「死にたいする共感」を民主主義的な「生にたいする好意」に変化させる「精神のメタモルフォーゼ」――それを完成したことがトーマス・マンの中期の特色といえよう。『魔の山』までの創作活動によって、ドイツの小説芸術を世界的水準に高める任務を果たしながら、新しい人間観の樹立に努力したトーマス・マンは、一九二九年度のノーベル文学賞を与えられた。自然主義的リアリズムを洗練して、写実を象徴の域に高め、深層心理学と音楽的構成法とを利用しながら、抒情と認識、描写と思索とを織り合わせてゆく彼独自のスタイルも、『魔の山』までで確立されたと言うことができるが、また、『魔の山』以後こそ、彼の特色がますます重厚にみごとに展開されたとも言わなければならない。
一九二六年には『ヨーゼフとその兄弟たち』の制作が開始されたが、だいたい五十歳を転期にしてトーマス・マンの後期がはじまり、初期のロマン主義的ペシミズムが抑制されて、成熟したヒューマニズムの思想が展開される。この後期では、トーマス・マンは生(自然)と精神(と霊魂)との調和する人間像を求めて、人生のもろもろの対立を実際に克服して生きた人々を祝福しながら描きだす。『ヨゼフとその兄弟たち』のヨゼフ、『ヴァイマルのロッテ』のゲーテ、『選ばれし人』のグレゴーリウスは、もろもろの対立の模範的な架橋者・克服者として描かれていて、ヨゼフは政治家、ゲーテは芸術家、グレゴーリウスは宗教家として生きるのだが、彼らは、生(自然)と精神、本能と知性、現実と認識とを対立抗争させたり、一方を否定して他方だけを肯定したりするのではなく、対立する諸力を調和協調させて人間性の全体を擁護しながら前進する人間、まことに人間らしい人間なのである。
生きてゆくのに必要なことは、それぞれの人間の個人的自我(主観性)と社会的自我(客観性)とが調和することである。主観と客観とが対立したり、一方が他方を抑圧したりするかぎり、人間性の全面的解放はありえない。個々人は、人間的なものにたいする共感と好意とによって成熟しながら、つまり、社会的自覚を深めながら、個別と集団との対立を止揚しなければならない。そういう人間的発展が理想的に実現された場合を、トーマス・マンはヨゼフやグレゴーリウスやゲーテによって描きしめしたのである。ヨゼフは「上なる天の祝福と、下に横たわる|淵《ふち》の祝福」とによって二重に祝福された人間だが、それは生(自然)と精神との対立を止揚した人間にほかならないから、ヨゼフのように二重の祝福を受けることをトーマス・マンは「わたしの人間性の理念をもっとも簡潔に言いあらわしたもの」とするのである。ところで、このような人間的完成を祝福することは、生を祝福することにほかならない。初期においては「死にたいする共感」を色濃く見せて、生にたいしては皮肉な傍観的な態度を取りながら、没落現象の記録者とでもいう姿勢を取りがちであったトーマス・マンは、『魔の山』を踏破してからは、ファシズムの非人間性に抵抗しながら、どこまでも人間性を全面的に擁護する努力をつづけ、ますます深く広く生に根をおろしていって、ついに偉大な生の肯定者になったのである――ゲーテに私淑してゲーテの足跡をたどりながら。というのも、トーマス・マンは第一次世界大戦前まではだいたいショーペンハウアー、ニーチェ、ヴァーグナーというドイツ後期ロマン主義の思想的影響下に立って、生(自然)と精神とを対立させる「ペシミスティックなロマンティックな世界観に惑わされて」いたのだが、政治的良心を覚醒させられてからは、「魔神的なものと都雅なものとの驚くべき合同をしめしている」ゲーテを、「精神の世界においてなんらの留保もなく全幅の信頼を寄せうる人」として、ほとんどもっぱらゲーテに私淑し傾倒していったからである。そして彼もゲーテのように、思想とは精神が生に寄せる感謝の贈物だと見る境地に達し、芸術は生を精神的に鼓舞するためにあると言う。初期に発せられた「文学は呪いだ」という言葉は、偽りのない気持の表現ではあったろうが、真理ではなかったのである。
トーマス・マンは何よりもまず芸術家だったのであって、政治はけっして彼の情熱的な関心事でもなく、得意の領域でもなかった。その彼が第一次世界大戦以後不慣れな政治の闘技場に立って、政治的な発言をつづけたのは、「人間の問題に責任を感ずる以上、政治的態度をも決定しなければならなくなる」と考えたからだし、「芸術と政治とをまったく隔絶した世界だと見るドイツ的思考習慣」を危険なものと思い知ったからである。第一次世界大戦中に西ヨーロッパのデモクラシーを攻撃した彼は、かえって自分が民主主義者であることを自覚して、何よりもまず人間の尊厳さを認めるのがデモクラシーの根本精神であることに思いおよび、それではデモクラシーとはヒューマニズムの別名にほかならないし、したがって人類はデモクラシー以前の段階へ逆戻りすることはできないと確信したのだった。
そういう確信に立った彼は、人間性の真の全体をつかさどる芸術という高い領域から、政治という部分領域を見おろして、神話ではなくて啓蒙を説き、暴力の一時的な見せかけの勝利の正体をあばきながら、新しいヒューマニズム、戦闘的ヒューマニズム、社会的ヒューマニズムを唱道しながら、人類の敵ヒトラーを倒せと叫んだのだったが、しかし、そうしてファシズムに抵抗しながら完成された『ヨゼフとその兄弟たち』や『ヴァイマルのロッテ』や『ファウスト博士』などの作品によってこそ、ファシズムに抵抗せずにはいられなかった人間並びに芸術家としてのトーマス・マンの面目がいっそうよくうかがわれる。本訳書でそのようなトーマス・マンを思わせるのは、『掟』の作者としての彼であろう。トーマス・マンは社会的ヒューマニズムを唱えて、個人主義的ヒューマニズムを社会化しなければならないと説いていた。彼は、責任をわきまえた自由な個人が共同体にたいして自己を閉鎖することもなく、また、「大衆」ないし「国民」と呼ばれる集団中の無名の一部分になって自主性を失うこともない生活状態を目ざしていたのだが、主観的夢想的な状態から客観的現実的な状態へ成熟すること、これが『大公殿下』以後の作品の根本主題だったのである。
トーマス・マンは第二次世界大戦後間もないころ、ロシアの共産主義に媚態をしめす者と非難されたことがあった。そのとき彼は、現実のロシアと共産主義の理念とは別物である、自分のような人間はスターリンのロシアには住みえない、と言明した。それでは彼は資本主義社会に安住していたのだろうか。安住していたとはかならずしも言えない。「資本主義はアードリアン・レーヴァキューンを生む」と彼は言った。アードリアンは『ファウスト博士』の主人公で、『ファウスト博士』は制作年代から言えばトーマス・マンの後期に属する作品だが、生と精神との対立を解消した調和的な人間像を描いて生を祝福したものではなく、悪魔に魂を売り渡して非人間的な音楽作品を生みだす天才的な作曲家の没落の悲劇を物語っている。そしてこの作品は――非常に簡単化して言えば――思弁的要素が社会的・政治的要素を圧倒して肥大した抽象的で神秘的なドイツ魂を掘りさげながら、理性と啓蒙主義の精神とにたいする絶望的な反動であったナチズム(民族社会主義と称したドイツのファシズム)という悪魔的非合理主義がドイツに発生した原因や過程を追究している。トーマス・マンが資本主義はアードリアンのような人間を生むと言ったのは、資本主義社会における芸術並びに芸術家の孤立という彼の初期からの問題にからんで言ったことと見なければならない。スターリン治下のロシアの現実にもあきたらず、また、資本主義社会に安住していたわけでもなかったトーマス・マンは、たとえば、「コミュニズムとは一つの理念である。現実においては、はなはだしくゆがめられた理念である。だが、この理念の根はマルクス主義やスターリン主義よりも深いところに達している。そして、この理念の純粋な実現ということは、再三再四人類の要求になり、課題になることであろう」と言った。彼はゲーテに学びながら、人間は生(自然)と精神とを総合して世界市民になるべきだと考え、個人的自己完成という教養理想に社会的責任の自覚をともなわせて、個々人が責任をもって政治生活に参与することを要求していたのである。
『ファウスト博士』において人間性喪失の悲劇を物語ったトーマス・マンは、『選ばれし人』においては、どのような大罪でも悔悟懺悔のまことを尽くすことによって許され、罪人の人間性が回復されるという信仰の奇蹟を物語った。人間性喪失の物語と人間性回復の物語――第二次世界大戦後に相次いで発表されたこの二つの長編小説だけを取って考えてみても、トーマス・マンがどれほど「ドイツとドイツ人」の運命に密着しながら創作していたか、だれでも想像がつくと思う。むしろ、『ブデンブローク家の人々』以来、彼の作品はすべてドイツの在り方、ドイツ人の生き方の問題と深くからみ合って制作されたものと言うべきで、彼にはその自覚があった。個人主義の作家などと言われていたトーマス・マンこそ、むしろ国民作家だったのである。
『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』は『大公殿下』完成後に着手されて、一九二二年と一九三七年とに部分的に発表された(短編集2には一九三七年までに発表された部分をおさめた)が、自由に生きることを人生の目的にする主人公に世界を周遊させる予定であったらしいこの小説は、一九五四年に第一部を完成しただけでトーマス・マンの絶筆になった。それは彼が、一九五五年に、シラー百五十年祭の記念講演『シラー試論』において、世界の平和とドイツの統一とを心から願ったのち間もなく、病を得て八十年の生涯を終えたからである。
ドイツ文化に深く根ざしたもっともドイツ的な作家でありながら、トーマス・マンはアメリカに帰化してアメリカ市民として死んだ。彼の亡命を指して、ドイツを見捨てたものと見るのは間違っている。郷土を持たない世界主義は根なし草にすぎないことを心得た上で世界市民主義を|標榜《ひょうぼう》した彼は、つねにドイツ文化の基盤を離れずに、みずから「翻訳不可能なほどドイツ的」と称する、きわめてドイツ的な作品を書きながら、ドイツを民主化する事業にたずさわっていたのである。これは、世界を征服してドイツ化しようとしたヒトラーによって代表される軍国主義的帝国主義的ファシズムの行き方とは正反対の行き方だった。民主主義にたいするドイツの絶望的な反抗の非を正確に見抜いていた彼は、ドイツ人が人類の厄介息子であることをやめ、ヨーロッパの田舎者と呼ばれる劣等意識を捨てて、国際社会の平和な一員になり、人類の自由と繁栄とに貢献することを願っていたのである。(短編集2におさめた『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』は、一九五四年版のものの最初の四分の一に当たる部分である。一九五四年版全体の訳本と区別するために、この短編集では、この小説の表題を『詐欺師クルルの告白』としておいた) 佐藤晃一