目次
黒猫
アッシャー家の崩壊
ウィリアム・ウィルスン
メールストロムの旋《せん》渦《か》
黄《こ》金虫《がねむし》
解説(西村孝次)
年譜(西村孝次)
黒猫
私がこれから書こうとしているきわめて奇怪な、またきわめて素《そ》朴《ぼく》な物語については、自分はそれを信じてもらえるとも思わないし、そう願いもしない。自分の感覚でさえが自分の経験したことを信じないような場合に、他人に信じてもらおうなどと期待するのは、ほんとに正気の沙汰《さた》とは言えないと思う。だが、私は正気を失っている訳ではなく、――また決して夢みているのでもない。しかしあす私は死ぬべき身だ。で、今日のうちに自分の魂の重荷をおろしておきたいのだ。私の第一の目的は、一連の単なる家庭の出来事を、はっきりと、簡潔に、注釈ぬきで、世の人々に示すことである。それらの出来事は、その結果として、私を恐れさせ――苦しめ――そして破滅させた。だが私はそれをくどくどと説明しようとは思わない。私にはそれはただもう恐怖だけを感じさせた。――多くの人々には恐ろしいというよりも怪奇《バロック》なものに見えるであろう。今後、あるいは、誰か知者があらわれてきて、私の幻想を単なる平凡なことにしてしまうかもしれぬ。――誰か私などよりももっと冷静な、もっと論理的な、もっとずっと興奮しやすくない知性人が、私が畏怖《いふ》をもって述べる事がらのなかに、ごく自然な原因結果の普通の連続以上のものを認めないようになるであろう。
子供のころから私はおとなしくて情けぶかい性質で知られていた。私の心の優しさは仲間たちにからかわれるくらいにきわだっていた。とりわけ動物が好きで、両親もさまざまな生きものを私の思いどおりに飼ってくれた。私はたいていそれらの生きものを相手にして時を過し、それらに食物をやったり、それらを愛《あい》撫《ぶ》したりするときほど楽しいことはなかった。この特質は成長するとともにだんだん強くなり、大人になってからは自分の主な楽しみの源泉の一つとなったのであった。忠実な利口な犬をかわいがったことのある人には、そのような愉快さの性質や強さをわざわざ説明する必要はほとんどない。動物の非利己的な自己犠牲的な愛のなかには、単なる人間《・・》のさもしい友情や薄っぺらな信義をしばしば嘗《な》めたことのある人の心をじかに打つなにものかがある。
私は若いころ結婚したが、幸いなことに妻は私と性の合う気質だった。私が家庭的な生きものを好きなのに気がつくと、彼女はおりさえあればとても気持のいい種類の生きものを手に入れた。私たちは鳥類や、金魚や、一匹の立派な犬や、兎《うさぎ》や、一匹の小《こ》猿《ざる》や、一匹《・・》の猫《・・》などを飼った。
この最後のものは非常に大きな美しい動物で、体じゅう黒く、驚くほどに利口だった。この猫の知恵のあることを話すときには、心ではかなり迷信にかぶれていた妻は、黒猫というものがみんな魔女が姿を変えたものだという、あの昔からの世間の言いつたえを、よく口にしたものだった。もっとも、彼女だっていつでもこんなことを本気で《・・・》考えていたというのではなく、――私がこの事がらを述べるのはただ、ちょうどいまふと思い出したからにすぎない。
プルートォ――というのがその猫の名であった――は私の気に入りであり、遊び仲間であった。食物をやるのはいつも私だけだったし、彼は家じゅう私の行くところへどこへでも一緒に来た。往来へまでついて来ないようにするのには、かなり骨が折れるくらいであった。
私と猫との親しみはこんなぐあいにして数年間つづいたが、そのあいだに私の気質や性格は一般に――酒癖という悪鬼のために――急激に悪いほうへ(白状するのも恥ずかしいが)変ってしまった。私は一日一日と気むずかしくなり、癇癪《かんしゃく》もちになり、他人の感情などちっともかまわなくなってしまった。妻に対しては乱暴な言葉を使うようになった。しまいには彼女の体に手を振り上げるまでになった。飼っていた生きものも、もちろん、その私の性質の変化を感じさせられた。私は彼らをかまわなくなっただけではなく、虐待《ぎゃくたい》した。けれども、兎や、猿や、あるいは犬でさえも、なにげなく、または私を慕って、そばへやって来ると、遠慮なしにいじめてやったものだったのだが、プルートォをいじめないでおくだけの心づかいはまだあった。しかし私の病気はつのってきて――ああ、アルコールのような恐ろしい病気が他にあろうか! ――ついにはプルートォでさえ――いまでは年をとって、したがっていくらか怒りっぽくなっているプルートォでさえ、私の不機《ふき》嫌《げん》のとばっちりをうけるようになった。
ある夜、町のそちこちにある自分の行きつけの酒場の一つからひどく酔っぱらって帰って来ると、その猫がなんだか私の前を避けたような気がした。私は彼をひっとらえた。そのとき彼は私の手荒さにびっくりして、歯で私の手にちょっとした傷をつけた。と、たちまち悪魔のような憤《ふん》怒《ぬ》が私にのりうつった。私は我を忘れてしまった。生来のやさしい魂はすぐに私の体から飛び去ったようであった。そしてジン酒におだてられた悪鬼以上の憎《ぞう》悪《お》が体のあらゆる筋肉をぶるぶる震わせた。私はチョッキのポケットからペンナイフを取り出し、それを開き、そのかわいそうな動物の咽喉《のど》をつかむと、悠々《ゆうゆう》とその眼《がん》窩《か》から片《かた》眼《め》をえぐり取った。この憎むべき凶行をしるしながら、私は面《おもて》をあからめ、体がほてり、身ぶるいする。
朝になって理性が戻ってきたとき――一晩眠って前夜の乱行の毒気が消えてしまったとき――自分の犯した罪にたいしてなかば恐怖の、なかば悔恨の情を感じた。が、それもせいぜい弱い曖昧《あいまい》な感情で、心まで動かされはしなかった。私はふたたび無節制になって、間もなくその行為のすべての記憶を酒にまぎらしてしまった。
そのうちに猫はいくらかずつ回復してきた。眼のなくなった眼窩はいかにも恐ろしい様子をしてはいたが、もう痛みは少しもないようだった。彼はもとどおりに家のなかを歩きまわっていたけれども、当りまえのことであろうが私が近づくとひどく恐ろしがって逃げて行くのだった。私は、前にあんなに自分を慕っていた動物がこんなに明らかに自分を嫌《きら》うようになったことを、初めは悲しく思うくらいに、昔の心が残っていた。しかしこの感情もやがて癇癪に変っていった。それから、まるで私を最後の取りかえしのつかない破滅に陥らせるためのように、天邪鬼《・・・》の心持がやってきた。この心持を哲学は少しも認めてはいない。けれども、私は、自分の魂が生きているということと同じくらいに、天邪鬼《あまのじゃく》が人間の心の原始的な衝動の一つ――人の性格に命令する、分つことのできない本源的な性能もしくは感情の一つ――であるということを確信している。してはいけない《・・・・》という、ただそれだけの理由で、自分が邪悪な、あるいは愚かな行為をしていることに、人はどんなにかしばしば気づいたことであろう。人は、掟《・》を、単にそれが掟《おきて》であると知っているだけのために、その最善の判断に逆らってまでも、その掟を破ろうとする永続的な性向を、持っていはしないだろうか? この天邪鬼の心持がいま言ったように、私の最後の破滅を来たしたのであった。なんの罪もない動物に対して自分の加えた傷害をなおもつづけさせ、とうとう仕遂げさせるように私をせっついたのは、魂の自らを苦しめようとする《・・・・・・・・・・・》――それ自身の本性に暴虐を加えようとする――悪のためにのみ悪をしようとする、この不可解な切望であったのだ。ある朝、冷然と、私は猫の首に輪《わ》索《なわ》をはめて、一本の木の枝につるした。――眼から涙を流しながら、心に痛切な悔恨を感じながら、つるした。――その猫が私を慕っていたということを知っていればこそ《・・》、猫が私を怒らせるようなことはなに一つしなかったということを感じていればこそ《・・》、つるしたのだ。――そうすれば自分は罪を犯すのだ、――自分の不滅の魂をいとも慈悲ぶかく、いとも畏《おそ》るべき神の無限の慈悲の及ばない彼方《かなた》へ置く――もしそういうことがありうるなら――ほどにも危うくするような極悪罪を犯すのだ、ということを知っていればこそ《・・》、つるしたのだった。
この残酷な行為をやった日の晩、私は火事だという叫び声で眠りから覚まされた。私の寝台のカーテンに火がついていた。家全体が燃え上がっていた。妻と、召使と、私自身とは、やっとのことでその火災からのがれた。なにもかも焼けてしまった。私の全財産はなくなり、それ以来私は絶望に身をまかせてしまった。
この災難とあの凶行とのあいだに因果関係をつけようとするほど、私は心の弱い者ではない。しかし私は事実のつながりを詳しく述べているのであって、――一つの鐶《かん》でも不完全にしておきたくないのである。火事のつぎの日、私は焼跡へ行ってみた。壁は、一カ所だけをのぞいて、みんな焼け落ちていた。この一カ所というのは、家の真ん中あたりにある、私の寝台の頭板に向っていた、あまり厚くない仕切壁のところであった。ここの漆喰《しっくい》だけはだいたい火の力に耐えていたが、――この事実を私は最近そこを塗り換えたからだろうと思った。この壁のまわりに真っ黒に人がたかっていて、多くの人々がその一部分を綿密な熱心な注意をもって調べているようだった。「妙だな!」「不思議だね?」という言葉や、その他それに似たような文句が、私の好奇心をそそった。近づいてみると、その白い表面に薄肉彫りに彫ったかのように、巨大な猫《・》の姿が見えた。その痕《あと》はまったく驚くほど正確にあらわれていた。その動物の首のまわりには縄《なわ》があった。
最初この妖怪《ようかい》――というのは私にはそれ以外のものとは思えなかったからだが――を見たとき、私の驚愕《きょうがく》と恐怖とは非常なものだった。しかしあれこれと考えてみてやっと気が安まった。猫が家につづいている庭につるしてあったことを私は思い出した。火事の警報が伝わると、この庭はすぐに大勢の人でいっぱいになり、――そのなかの誰かが猫を木から切りはなして、開いていた窓から私の部屋のなかへ投げこんだものにちがいない。これはきっと私の寝ているのを起すためにやったものだろう。そこへ他の壁が落ちかかって、私の残虐の犠牲者を、その塗りたての漆喰の壁のなかへ押しつけ、そうして、その漆喰の石灰と、火炎と、死《し》骸《がい》から出たアンモニアとで、自分の見たような像ができあがったのだ。
いま述べた驚くべき事実を、自分の良心にたいしてはぜんぜんできなかったとしても、理性にたいしてはこんなにたやすく説明したのであるが、それでも、それが私の想像に深い印象を与えたことに変りはなかった。幾月ものあいだ私はその猫の幻像を払いのけることができなかった。そしてそのあいだ、悔恨に似ているがそうではないある漠然《ばくぜん》とした感情が、私の心のなかへ戻ってきた。私は猫のいなくなったことを悔むようにさえなり、そのころ行きつけの悪所《あくしょ》でそれの代りになる同じ種類の、またいくらか似たような毛並のものがいないかと自分のまわりを捜すようにもなった。
ある夜、ごくたちの悪い酒場に、なかば茫《ぼう》然《ぜん》として腰かけていると、その部屋の主な家具をになっているジン酒かラム酒の大樽《おおだる》の上に、なんだか黒い物がじっとしているのに、とつぜん注意をひかれた。私はそれまで数分間その大樽のてっぺんのところをじっと見ていたので、いま私を驚かせたことは、自分がもっと早くその物に気がつかなかったという事実なのであった。私は近づいて行って、それに手を触れてみた。それは一匹の黒猫――非常に大きな猫――で、プルートォくらいの大きさは十分あり、一つの点をのぞいて、あらゆる点で彼にとてもよく似ていた。プルートォは体のどこにも白い毛が一本もなかったが、この猫は、胸のところがほとんど一面に、ぼんやりした形ではあるが、大きな、白い斑《はん》点《てん》で蔽《おお》われているのだ。
私がさわると、その猫はすぐに立ち上がり、さかんにごろごろ咽喉を鳴らし、私の手に体をすりつけ、私が目をつけてやったのを喜んでいるようだった。これこそ私の探している猫だった。私はすぐにそこの主人にそれを買いたいと言い出した。が主人はその猫を自分のものだとは言わず、――ちっとも知らないし――いままでに見たこともないと言うのだった。
私は愛撫をつづけていたが、家へ帰りかけようとすると、その動物はついて来たいような様子を見せた。で、ついて来るままにさせ、歩いて行く途中でおりおりかがんで軽く手で叩《たた》いてやった。家へ着くと、すぐに居ついてしまい、すぐ妻の非常なお気に入りになった。
私はというと、間もなくその猫に対する嫌悪の情が心のなかに湧《わ》き起るのに気がついた。これは自分の予想していたこととは正反対であった。しかし――どうしてだか、またなぜだかは知らないが――猫がはっきり私を好いていることが私をかえって厭《いや》がらせ、うるさがらせた。だんだんに、この厭でうるさいという感情が嵩《こう》じてはげしい憎しみになっていった。私はその動物を避けた。ある慚《ざん》愧《き》の念と、以前の残酷な行為の記憶とが、私にそれを肉体的に虐待しないようにさせたのだ。数週の間、私は打つとか、その他手荒なことはしなかった。がしだいしだいに――ごくゆっくりと――言いようのない嫌悪の情をもってその猫を見るようになり、悪疫《あくえき》の息吹《いぶき》から逃げるように、その忌《い》むべき存在から無言のままで逃げ出すようになった。
疑いもなく、その動物に対する私の憎しみを増したのは、それを家へ連れてきた翌朝、それにもプルートォのように片眼がないということを発見したことであった。けれども、この事がらのためにそれはますます妻にかわいがられるだけであった。妻は、以前は私のりっぱな特徴であり、また多くのもっとも単純な、もっとも純粋な快楽の源であったあの慈悲ぶかい気持を、前にも言ったように、多分に持っていたのだ。
しかし、私がこの猫を嫌えば嫌うほど、猫のほうはいよいよ私を好くようになってくるようだった。私のあとをつけまわり、そのしつこさは読者に理解してもらうのが困難なくらいであった。私が腰かけているときにはいつでも、椅子《いす》の下にうずくまったり、あるいは膝《ひざ》の上へ上がって、しきりにどこへでもいまいましくじゃれついたりした。立ち上がって歩こうとすると、両足のあいだへ入って、私を倒しそうにしたり、あるいはその長い鋭い爪《つめ》を私の着物にひっかけて、胸のところまでよじ登ったりする。そんなときには、殴り殺してしまいたかったけれども、そうすることを差し控えたのは、いくらか自分の以前の罪悪を思い出すためであったが、主としては――あっさり白状してしまえば――その動物がほんとうに怖かった《・・・・》ためであった。
この怖さは肉体的災害の怖さとは少し違っていた、――が、それでもそのほかにそれをなんと説明してよいか私にはわからない。私は告白するのが恥ずかしいくらいだが――そうだ、この重罪人の監房のなかにあってさえも、告白するのが恥ずかしいくらいだが――その動物が私の心に起させた恐怖の念は、実にくだらない一つの妄想《もうそう》のために強められていたのであった。その猫と前に殺した猫との唯一《ゆいいつ》の眼に見える違いといえば、さっき話したあの白い毛の斑点なのだが、妻はその斑点のことで何度か私に注意していた。この斑点は、大きくはあったが、もとはたいへんぼんやりした形であったということを、読者は記憶せられるであろう。ところが、だんだんに――ほとんど眼につかないほどにゆっくりと、そして、長いあいだ私の理性はそれを気の迷いだとして否定しようとあせっていたのだが――それが、とうとう、まったくきっぱりした輪郭となった。それはいまや私が名を言うも身ぶるいするような物の格好になった。――そして、とりわけこのために、私はその怪物を嫌い、恐れ、できるなら思いきって《・・・・・・・・・・》やっつけてしまいたいと思ったのであるが、――それはいまや、恐ろしい――もの凄《すご》い物の――絞首台《・・・》の――形になったのだ! ――おお、恐怖と罪悪との――苦《く》悶《もん》と死との痛ましい恐ろしい刑具の形になったのだ!
そしていまこそ私は実に単なる人間の惨《みじ》めさ以上に惨めであった。一匹の畜生が《・・・・・・》――その仲間の奴《やつ》を私は傲然《ごうぜん》と殺してやったのだ――一匹の畜生が私に《・・・・・・・・》――いと高き神の像《かたち》に象《かたど》
って造られた人間である私に――かくも多くの堪えがたい苦痛を与えるとは! ああ! 昼も夜も私はもう安息の恩恵というものを知らなくなった! 昼間はかの動物がちょっとも私を一人にしておかなかった。夜には、私は言いようもなく恐ろしい夢から毎時間ぎょっとして目覚めると、そいつ《・・・》の熱い息が自分の顔にかかり、そのどっしりした重さが――私には払い落す力のない悪魔の化身が――いつもいつも私の心臓《・・》の上に圧《お》しかかっているのだった!
こういった呵責《かしゃく》に押しつけられて、私のうちに少しばかり残っていた善も敗北してしまった。邪悪な考えが私の唯一の友となった、――もっとも暗黒な、もっとも邪悪な考えが。私のいつもの気むずかしい気質はますますつのって、あらゆる物やあらゆる人を憎むようになった。そして、いまでは幾度もとつぜんに起るおさえられぬ激怒の発作に盲目的に身をまかせたのだが、なんの苦情も言わない私の妻は、ああ! それを誰よりもいつもひどく受けながら、辛抱づよく我慢したのだった。
ある日、妻はなにかの家の用事で、貧乏のために私たちが仕方なく住んでいた古い穴蔵のなかへ、私と一緒に降りてきた。猫もその急な階段を私のあとへついて降りてきたが、もう少しのことで私を真っ逆さまに突き落そうとしたので、私はかっと激怒した。怒りのあまり、これまで自分の手を止めていたあの子供らしい怖さも忘れて、斧《おの》を振り上げ、その動物をめがけて一撃に打ち下ろそうとした。それを自分の思ったとおりに打ち下ろしたなら、もちろん、猫は即座に死んでしまったろう。が、その一撃は妻の手でさえぎられた。この邪魔立てに悪鬼以上の憤怒に駆られて、私は妻につかまれている腕をひき放し、斧を彼女の脳天に打ちこんだ。彼女は呻《うめ》き声もたてずに、その場で倒れて死んでしまった。
この恐ろしい殺人をやってしまうと、私はすぐに、きわめて慎重に、死体を隠す仕事に取りかかった。昼でも夜でも、近所の人々の目にとまる恐れなしには、それを家から運び去ることができないということは、私にはわかっていた。いろいろの計画が心に浮んだ。あるときは死骸を細かく切って火で焼いてしまおうと考えた。またあるときには穴蔵の床にそれを埋める穴を掘ろうと決心した。さらにまた、庭の井戸のなかへ投げこもうかとも――商品のように箱のなかへ入れて普通やるように荷造りして、運搬人に家から持ち出させようかとも、考えてみた。最後に、これらのどれよりもずっといいと思われる工夫を考えついた。中世紀の僧侶《そうりょ》たちが彼らの犠牲者を壁に塗りこんだと伝えられているように――それを穴蔵の壁に塗りこむことに決めたのだ。
そういった目的にはその穴蔵はたいへん適していた。そこの壁はぞんざいにできていたし、近ごろ粗い漆喰を一面に塗られたばかりで、空気が湿っているためにその漆喰が固まっていないのだった。その上に、一方の壁には、穴蔵の他のところと同じようにしてある、見せかけだけの煙突か暖炉のためにできた、突き出た一カ所があった。ここの煉《れん》瓦《が》を取りのけて、死骸を押しこみ、誰の目にもなに一つ怪しいことの見つからないように、前のとおりにすっかり壁を塗り潰《つぶ》すことは、造作なくできるにちがいない、と私は思った。
そしてこの予想ははずれなかった。鉄梃《かなてこ》を使って私はたやすく煉瓦を動かし、内側の壁に死体を注意深く寄せかけると、その位置に支えておきながら、大した苦もなく全体をもとのとおりに積み直した。できるかぎりの用心をして膠泥《モルタル》と、砂と、毛髪とを手に入れると、前のと区別のつけられない漆喰をこしらえ、それで新しい煉瓦細工の上をとても念入りに塗った。仕上げてしまうと、万事がうまくいったのに満足した。壁には手を加えたような様子が少しも見えなかった。床の上の屑《くず》はごく注意して拾い上げた。私は得意になってあたりを見まわして、こう独言《ひとりごと》を言った。――「さあ、これで少なくとも今度だけは己《おれ》の骨折りも無駄《むだ》じゃなかったぞ」
次に私のやることは、かくまでの不幸の原因であったあの獣を捜すことであった。とうとう私はそれを殺してやろうと堅く決心していたからである。そのときそいつに出会うことができたなら、そいつの命はないに決っていた。が、そのずるい動物は私のさっきの怒りのはげしさにびっくりしたらしく、私がいまの気分でいるところへは姿を見せるのを控えているようであった。その厭でたまらない生きものがいなくなったために私の胸に生じた、深い、この上なく幸福な、安《あん》堵《ど》の感じは、記述することも、想像することもできないくらいである。猫はその夜じゅう姿をあらわさなかった。――で、そのために、あの猫を家へ連れてきて以来、少なくとも一晩だけは、私はぐっすりと安らかに眠った。そうだ、魂に人殺しの重荷を負いながらも眠った《・・・》のだ!
二日目も過ぎ三日目も過ぎたが、それでもまだ私の呵責者は出てこなかった。もう一度私は自由な人間として呼吸した。あの怪物は永久にこの屋内から逃げ去ってしまったのだ! 私はもうあいつを見ることはないのだ!私の幸福はこの上もなかった! 自分の凶行の罪はほとんど私を不安にさせなかった。二、三の訊問《じんもん》は受けたが、それには造作なく答えた。家宅捜索さえ一度行われた、――が無論なにも発見されるはずがなかった。私は自分の未来の幸運を確実だと思った。
殺人をしてから四日目に、まったく思いがけなく、一隊の警官が家へやって来て、ふたたび屋内を厳重に調べにかかった。けれども、自分の隠匿《いんとく》の場所はわかるはずがないと思って、私はちっともどぎまぎしなかった。警官は私に彼らの捜索について来いと命じた。彼らはすみずみまでも残るくまなく捜した。とうとう、三度目か四度目に穴蔵へ降りて行った。私は体の筋一つ動かさなかった。私の心臓は罪もなくて眠っている人の心臓のように穏やかに鼓動していた。私は穴蔵を端から端へと歩いた。腕を胸の上で組み、あちこち悠《ゆう》々《ゆう》と歩きまわった。警官はすっかり満足して、引き揚げようとした。私の心の歓喜は抑えきれないくらい強かった。私は、凱《がい》歌《か》のつもりでたった一言でも言ってやり、また自分の潔白を彼らに確かな上にも確かにしてやりたくてたまらなかった。
「皆さん」と、とうとう私は、一行が階段をのぼりかけたときに、言った。「お疑いが晴れたことをわたしは嬉《うれ》しく思います。皆さん方のご健康を祈り、それからも少し礼儀を重んぜられんことを望みます。ときに、皆さん、これは――これはなかなかよくできている家ですぜ」〔なにかをすらすら言いたいはげしい欲望を感じて、私は自分の口にしていることがほとんどわからなかった〕――「すてき《・・・》に《・》よくできている家だと言っていいでしょうな。この壁は――お帰りですか? 皆さん――この壁はがんじょうにこしらえてありますよ」そう言って、ただ気違いじみた空《から》威張《いば》りから、手にした杖《つえ》で、ちょうど愛妻の死骸が内側に立っている部分の煉瓦細工を、強くたたいた。
だが、神よ、魔王の牙《きば》より私を護《まも》りまた救いたまえ! 私の打った音の反響が鎮《しず》まるか鎮まらぬかに、その墓のなかから一つの声が私に答えたのであった! ――初めは、子供の啜《すす》り泣きのように、なにかで包まれたような、きれぎれな叫び声であったが、それから急に高まって、まったく異様な、人間のものではない、一つの長い、高い、連続した金切声となり、――地獄に堕《お》ちてもだえ苦しむ者と、地獄に堕《おと》して喜ぶ悪魔との咽喉《のど》から一緒になって、ただ地獄からだけ聞えてくるものと思われるような、なかば恐怖の、なかば勝利の、号泣――慟哭《どうこく》するような悲鳴――となった。
私自身の気持は語るも愚かである。気が遠くなって、私は反対の側の壁へとよろめいた。一瞬間、階段の上にいた一行は、極度の恐怖と畏懼《いく》とのために、じっと立ち止った。次の瞬間には、幾本かの逞《たくま》しい腕が壁をせっせとくずしていた。壁はそっくり落ちた。もうひどく腐《ふ》爛《らん》して血塊が固まりついている死骸が、そこにいた人々の眼前にすっくと立った。その頭の上に、赤い口を大きくあけ、爛々たる片《かた》眼《め》を光らせて、あのいまわしい獣が坐《すわ》っていた。そいつの奸策《かんさく》が私をおびきこんで人殺しをさせ、そいつのたてた声が私を絞刑吏に引渡したのだ。その怪物を私はその墓のなかへ塗りこめておいたのだった!
アッシャー家の崩壊
Son cマur est un luth suspendu;
Sit冲 qu'on le touche il r市onne.
「彼が心は懸《か》かれる琵琶《びわ》にして、触るればたちまち鳴りひびく」
ド・ベランジュ
雲が重苦しく空に低くかかった、もの憂《う》い、暗い、寂寞《せきばく》とした秋の日を一日じゅう、私はただ一人馬にまたがって、妙にもの淋《さび》しい地方を通りすぎて行った。そして黄昏《たそがれ》の影があたりに迫ってくるころ、ようやく憂鬱《ゆううつ》なアッシャー家の見えるところへまで来たのであった。どうしてなのかは知らない――がその建物を最初にちらと見たとたんに、堪えがたい憂愁の情が心にしみわたった。堪えがたい、と私は言う。なぜならその感情は、荒涼とした、あるいはもの凄《すご》い自然のもっとも峻厳《しゅんげん》な姿にたいするときでさえも常に感ずる、あの詩的な、なかば心地よい情趣によって、少しもやわらげられなかったからである。私は眼《め》の前の風景を眺《なが》めた。――ただの家と、その邸内の単純な景色を――荒れはてた壁を――眼のような、ぽかっと開いた窓を――少しばかり生い繁《しげ》った菅草《すげぐさ》を――四、五本の枯れた樹《き》々《ぎ》の白い幹を――眺めた。阿《あ》片耽溺者《へんたんできしゃ》の酔いざめ心地――日常生活への痛ましい推移――夢幻の帳《とばり》のいまわしい落下――といったもののほかにはどんな現世の感覚にもたとえることのできないような、魂のまったくの沈鬱を感じながら。心は氷のように冷たく、うち沈み、いたみ、――どんなに想像力を刺激しても、壮美なものとはなしえない救いがたいもの淋しい思いでいっぱいだった。なんだろう、――私は立ち止って考えた、――アッシャー家を見つめているうちに、このように自分の心をうち沈ませたものはなんだろう? それはまったく解きがたい神秘であった。それからまた私は、もの思いに沈んでいるとき自分に群がりよってくる影のようないろいろの妄想《もうそう》にうち勝つこともできなかった。で、そこにはたしかに、我々をこんなにも感動させる力を持ったまことに単純な自然物象の結合があ《・》る《・》のだが、その力を分析することは我々の知力ではとてもかなわないのだ、という頼りない結論に落ちるより仕方なかった。また、この景色の個々の事物の、つまりこの画面のこまごましたものの、配置をただ変えるだけで、もの悲しい印象を人に与える力を少なくするか、あるいはきっと、すっかり無くなすのではあるまいか、と私は考えた。そこでこの考えにしたがって、この家のそばに静かな光をたたえている黒い無気味な沼のけわしい崖縁《がけぶち》に馬を近づけ、灰色の菅草や、うす気味のわるい樹の幹や、うつろな眼のような窓などの、水面にうつっている倒影を見下ろした、――が、やはり前よりももっとぞっとして身ぶるいするばかりであった。
そのくせ、この陰鬱な屋敷に、いま私は二、三週間滞在しようとしているのである。この家の主人、ロデリック・アッシャーは私の少年時代の親友であったが、二人が最後に会ってからもう長い年月がたっていた。ところが最近になって一通の手紙が遠く離れた地方にいる私のもとへとどいて、――彼からの手紙であるが、――それは、ひどくせがむような書きぶりなので、私自身出かけてゆくよりほかに返事のしようのないようなものであった。その筆蹟《ひっせき》は明らかに神経の興奮をあらわしていた。急性の体の疾患のこと――苦しい心の病のこと――彼のもっとも親しい、そして実にただ一人の友である私に会い、その愉快な交遊によって病をいくらかでも軽くしたいという心からの願いのこと――などを、彼はその手紙で語っていた。すべてこれらのことや、なおそのほかのことの書きぶり――彼の願いのなかに暖かにあらわれている真情《・・》――が、私に少しのためらう余地をも与えなかった。そこで私は、いまもなおたいへん奇妙なものと思われるこの招きに、すぐと応じたのである。
子供のころ二人はずいぶん仲のよい友達ではあったが、私は実のところ彼についてはほとんど知らなかった。彼の無口はいつも極端で、しかも習慣的であったのだ。だが私は、ごく古い家がらの彼の一家が、遠い昔から特別に鋭敏な感受性によって世に聞えていて、その感受性は長い時代を通じて多くの優秀な芸術にあらわれ、近年になっては、それが音楽理論の正統的なたやすく理解される美にたいするよりも、その錯《さく》綜《そう》した美にたいする熱情的な献身にあらわれているし、また一方では、幾度もくりかえされた莫大《ばくだい》な、しかし人目にたたぬ慈善行為にあらわれている、ということは知っていた。また、アッシャー一族の血統は非常に由緒《ゆいしょ》あるものではあるが、いつの時代にも決して永続する分家を出したことがない、いいかえれば全一族は直系の子孫だけであり、ごく些《さ》細《さい》なごく一時的の変化はあっても今日まで常にそうであった、というまことに驚くべき事実をも知っていた。その屋敷の特質と、一般に知られているこの一家の人々の特質とが、完全に調和していることを思い浮べながら、また数世紀も経過するあいだにその一方が他方に与えた影響について思いめぐらしながら、私は次のように考えた、――この分家がないということと、世襲財産が家名とともに父から子へと代々よそへ逸《そ》れずに伝わったということのために、とうとうその世襲財産と家名との二つが同一のものと見られて、領地の本来の名を「アッシャー家」という奇妙な、両方の意味にとれる名称――この名称は、それを用いる農夫たちの心では、家族の者と一家の邸宅との両方を含んでいるようであった――のなかへ混同させてしまったのではなかろうか、と。
私のいささか子供らしい試みの――沼のなかをのぞきこんだことの――唯一《ゆいいつ》の効果がただ最初の奇怪な印象を深めただけであったことはすでに述べた。私が自分の迷信――そういってはいけない理由がどこにあろう? ――の急速に増してゆくことを意識していることが、かえってますますそれを深めることになったということは、なんの疑いもないことだ。こんなことは、前から知っていたことだが、恐怖を元としているすべての感情に通ずる逆説的な法則である。そして、私が池のなかにうつっている家の影からふたたび本物の家に眼を上げたとき、自分の心のなかに一つの奇妙な空想の湧《わ》き起ったのも、あるいはただこの理由からであるかもしれない。――その空想というのは実は笑うべきもので、ただ私を悩ました感情の強烈な力強さを示すためにしるすにすぎない。私は想像力を働かして、この屋敷や地所のあたりには、そこらあたりに特有な雰《ふん》囲気《いき》――大空の大気とはちっとも似てない、枯木や、灰色の壁や、ひっそりした沼などから立ちのぼる雰囲気――どんよりした、鈍《のろ》い、ほとんど眼に見えない、鉛色の、有毒で神秘的な水蒸気――が一面に垂れこめているのだ、とほんとうに信ずるようになったのである。
夢であったにちがいない《・・・・・》、こんな気持を心から振りおとして、私はもっと念入りにその建物のほんとうの様子を調べてみた。まず、その第一の特徴はひどく古いということであるらしい。幾時代もたっているのでまったく古色蒼然《そうぜん》としていた。微細な菌が、こまかに縺《もつ》れた蜘蛛《くも》の巣のようになって檐《のき》から垂れさがり、建物の外側一面を蔽《おお》いつくしている。しかし、こんなことはみな、ひどく破損しているということではない。石細工のどの部分も崩れたところはなかった。そしてその各部分がまだ完全にしっくりしていることと、一つ一つの石のぼろぼろになった状態とのあいだには、妙な不調和があるように見えた。その有様を見ているとなんとなく、どこかのうち捨てられた窖《あなぐら》のなかで、外気にあたることもなく、永年のあいだ朽ちるがままになっていた、見かけだけはそっくり完全な、古い木細工を思い出させるのであった。しかし、この広大な荒廃のきざしのほかには、その建物はべつに脆《もろ》そうな有様をほとんど示していなかった。ただおそらく、念入りに観察する人の眼には、ほとんど眼につかないくらいの一つのひびわれが、建物の前面の屋根のところから電光状に壁を這《は》いさがり、沼の陰気な水のなかへ消えているのを、見つけることができたであろう。
こんなことに眼をとめながら、私は短い土手道を家の方へと馬を進めた。そして待ち受けていた召使に馬をとらせると、玄関のゴシック風の拱廊《きょうろう》に入った。そこからはしのび足の侍者が、無言のまま、多くのうす暗い入り組んだ廊下を通って主人の書斎へと私を導いた。その途中で出会った多くのものは、なぜかは知らないが、前に述べたあの漠然《ばくぜん》とした感情を高めるだけであった。私のまわりの事物が――天井の彫刻、壁のくすんだ掛毛氈《かけもうせん》、黒檀《こくたん》のように真っ黒な床、歩くにつれてがたがた音をたてる幻影のような紋章付きの戦利品などが、自分の幼少のころから見慣れていたもの、あるいはそれに類したものであるにもかかわらず、――どれもみな自分のよく見知っているものであることをすぐと認められるにもかかわらず、――平凡な物の形が自分の心に煽《あお》りたてる空想のあまり奇怪なのに私は驚いた。ある一つの階段のところで、私はこの一家の医者に会った。彼の容貌《ようぼう》は卑屈な狡猾《こうかつ》と当惑とのまじった表情を帯びているように私には思われた。彼はおどおどしながら挨拶《あいさつ》して通りすぎて行った。やがて侍者は扉《とびら》をさっと開いて、主人の前に私を案内した。
その部屋は非常に広くて天井が高かった。窓は細長く、尖《とが》っていて、内側からはぜんぜん手がとどかないくらい、黒い樫《かし》の床から高く離れたところにあった。よわよわしい真紅色の光線が、格《こう》子《し》形《がた》にはめてある窓ガラスを通して射《さ》しこんで、あたりの一きわ目立つものを十分はっきりとさせていた。しかし、部屋の遠くのすみずみや、あるいは組子細工の円天井の奥の方は、どんなに眼を見張っても視力がとどかなかった。黒ずんだ壁掛けが壁にかかっていた。家具はたいがい大がかりで、わびしく、古びて、ぼろぼろにこわれかけていた。書物や楽器がたくさんあたりに散らばっていたが、それはこの場面になんの生気を与えることもできなかった。私は悲しみの空気を呼吸しているのを感じた。きびしい、深い、救いがたい憂鬱の気が一面に漂い、すべてのものにしみわたっていた。
私が入ってゆくと、アッシャーはながながと横たわっていた長椅子《ソファ》から立ち上がって、快活な親しみをもって迎えたが、そこには度をすぎた懇切――人生に倦怠《アンニュイ》を感じている俗人のわざとらしい努力――が大分あるように、初め私には思われた。だが一目彼の顔を見るとすぐ、彼の完全な誠実を信ずるようになった。二人は腰を下ろした。そして彼がまだ話し出さないあいだ、私はしばらくなかば憐《あわ》れみの、なかば怖《おそ》れの情をもって彼を見まもった。たしかに、ロデリック・アッシャーほど、こんなに短いあいだにこんなに恐ろしく変りはてた人間はいまい! いま自分の前にいるこの蒼《あお》ざめた男と自分の幼年時代のあの友達とが同一の人間であるとは、私にはちょっと信じられなかった。それでも彼の顔の特徴は昔と変らず目立つものであった。死人のような顔色。大きい、澄んだ類《たぐ》いなく輝く眼。すこし薄く、ひどく蒼いが、非常に美しい線の唇《くちびる》。優美なヘブライ型の、しかしそのような形のものにしては珍しい鼻孔の幅を持っている鼻。よい格好ではあるが、突き出ていないために精神力の欠乏を語っている顎《あご》。蜘蛛の巣よりも柔かく細い髪の毛。これらの特徴は、顳┥《こめかみ》のあたりの上部が異常にひろがっていることとともに、まったくたやすくは忘れられぬ容貌を形づくっている。そしていま、私が誰に話しかけているのだろうと疑ったほどのひどい変化は、これらの容貌の主な特徴と、それがいつもあらわしている表情とが、ただいっそう強くなっているという点にあったのだ。なによりも、いまのもの凄く蒼ざめている皮膚の色と、いまの不思議な眼の輝きとが、私を驚かせ恐れさせさえした。絹糸のような髪の毛もまた、まったく手入れもされずに生えのびて、それが小蜘蛛の巣の乱れたようになって顔のあたりに垂れさがる、というよりも漂うているのであったから、どうしても私は、この奇異な容貌と、普通の人間という観念とを結びつけることができなかったのである。
友の態度にどこか辻褄《つじつま》の合わぬこと――矛盾のあることに、私はすぐに気がついた。そして間もなく、それが絶え間のない痙攣《けいれん》――極度の神経興奮を、抑えつけようとする力弱い無駄《むだ》な努力からくるものであることがわかった。もっともこんなことがあろうとは、彼の手紙だけでなく、子供のころの特性の回想や、彼の特殊な体質と気質とから考えて、かねて私の期していたところであった。彼の挙動は快活になったり陰気になったりした。声ははっきりしない震え声(活気がまるで無いように思われるときの)から急に、酔いつぶれてしまった酔いどれや手のつけられぬ阿片喫煙者などの極度の興奮状態にあるときに認められるような、あの力のある歯切れのよい声――あの突然な、重々しい、落ちついた、洞声《うろごえ》の発音――鈍い、よく釣《つ》りあいのとれた、完全に調節された喉音《こうおん》――に変ったりした。
私の訪問の目的や、私に会いたいという切望や、私から得ようと期待している慰安などについて、彼の語ったのはこのような調子であったのだ。彼は自分の病気の性質と考えていることを少し詳しく話しだした。彼のいうところによると、それは生れつきの遺伝的な病であり、治療法を見《み》出《いだ》すことは絶望だというのであった。――もっともただの神経の病気で、いまにきっと癒《なお》ってしまうだろう、と彼はすぐつけ加えたが。その病気は多くの不自然な感覚となってあらわれた。そのなかの二、三は、彼が詳しく話しているあいだに、おそらくその言葉づかいや全体の話しぶりの関係からだったろうが、私にたいへん興味を感じさせ、また驚かしたのであった。彼は感覚の病的な鋭さにひどく悩まされているのだ。もっとも淡泊な食物でなければ食べられない。ある種の地質の衣服でなければ着られない。花の香はすべて息ぐるしい。眼は弱い光線にさえ痛みを感じた。彼に恐怖の念を起させない音はある特殊な音ばかりで、それは絃楽《げんがっ》器《き》の音であった。
私には彼がある異常な種類の恐怖の虜《とりこ》になっているのがわかった。「僕は死ぬのだ」と彼は言うのだった。「こんな惨《みじ》めなくだらないことで僕は死なねばならん《・・・・・》のだ。こうして、ほかのことではなくかならずこうして、死ぬことになるだろう。僕は未来に起ることを、それだけとしてはべつに恐れないが、その結果が恐ろしい。この堪えがたい心の動揺に影響するようなことは、どんなに小さなことでも、考えただけでぞっとする。実際、僕は危険が厭《いや》なのではない、ただその絶対的の結果――恐怖、というものが厭なんだ。こんな弱りはてた――こんな哀れな有様で――あのもの凄い『恐怖』という幻影とたたかいながら、生命も理性もともに棄《す》てなければならんときが、遅かれ早かれかならず来るのを感ずるのだ」
なお私はときどき、きれぎれの曖昧《あいまい》な暗示によって、彼の精神状態のもう一つの奇妙な特質を知った。彼は長年のあいだ一歩も出ずに住んでいる自分の住居に関して、――ここでもう一度述べることのできないくらいに漠然とした言葉で話した、ある想像的な力の影響――つまり、彼の言うところでは、先祖からの屋敷の単なる形態と実質とのある特異性が、長いあいだの放任によって彼の心に及ぼした影響――灰色の壁と塔とそれらのものが見下ろしているうす暗い沼との形象《フィジィク》が、とうとう彼の精神《モラル》にもたらした効果――に関して、ある迷信的な印象にとらわれているのであった。
しかし、ためらいながらも彼の認めたところによれば、このように彼を悩ましている特殊な憂鬱の大部分は、もっと自然で、よりもっと明らかな原因として、――長年のあいだ彼のただ一人の伴侶《はんりょ》であり――この世における最後にして唯一の血縁である――深く愛している妹の、長いあいだの重病を、――またはっきり迫っている死を、――挙げることができるというのであった。「彼女が死んでしまえば」と、彼は私の決して忘れることのできない痛ましさで言うのであった。「僕は(なんの望みもない虚弱な僕は)旧《ふる》いアッシャー一族の最後の者となって残されるのだ」彼がこう話しているあいだにマデリン嬢(というのが彼女の名であった)は、ゆっくりと部屋の遠くの方を通り、私のいるのに気もつかずに、やがて姿を消してしまった。私は、恐怖をさえまじえた非常な驚きの念をもって、彼女をじっと見まもった。――しかもそのような感情をどうにも説明することができなかった。眼が彼女の去りゆく歩調を追うとき、私は茫然《ぼうぜん》としびれるような感覚におそわれた。とうとう、扉がしまって彼女の姿が見えなくなると、私の視線は本能的に熱心にその兄の顔の方に向けられた、――が、彼は顔を両手のなかに埋めていた。そして私はただ、ひどく蒼ざめた色が痩《や》せおとろえた指にひろがり、そのあいだから熱い涙がしたたり落ちるのを認めることができただけであった。
マデリン嬢の病には、熟練した医師たちもはやずっと前から匙《さじ》を投げていた。慢性の無感覚、体の漸進《ぜんしん》的衰弱、短期ではあるが頻繁《ひんぱん》なやや類癇《るいかん》性の疾患などが、世にも稀《まれ》なその病の症状であった。これまでは彼女はけなげに自分の病気の苦痛をしのんで、決して床につかなかったのだが、私がこの家に着いた日の夕暮れ、(その夜、彼女の兄が言いようもなく興奮して私に語ったところによれば)病魔の力に屈してしまったのであった。そして、さっき私が彼女の姿をちらりと見たのがおそらく見おさめとなるだろう――少なくとも彼女の生きているうちに二度と見られぬだろう、ということを私は知った。
その後四、五日間は、彼女の名をアッシャーも私も口にしなかった。そのあいだ私は友の憂鬱《ゆううつ》をやわらげようとする熱心な努力に忙しかった。私たちはともに画《え》を描《か》き本を読み、あるいは彼の奏する流れるように巧みなギターの奇怪な即興曲を夢み心地で聞いた。こうしてだんだんと深く親密になって、隔てなく彼の心の奥へ入れば入るほど、痛ましくも彼の心をひきたてようとする企てのすべてが無駄であることがわかった。彼の心からは暗黒が、生来の絶対的な特性であるかのように、一すじの休むことのない憂鬱の放射となって、精神界と物質界とのあらゆる事物の上に注ぎかかるのであった。
アッシャー家の主人とただ二人だけでこうして過した多くのもの淋《さび》しい時の記憶を、私はいつまで心にとめているであろう。しかも彼が私を誘い、あるいは導いてくれた研究、あるいは仕事の正確な性質を、どんなに伝えようと試みてもできそうにもない。興奮した非常に病的な想像力が、すべてのものの上に硫黄のような光を投げていた。彼の即興の長い挽《ばん》歌《か》は、永久に私の耳のなかに鳴りひびくであろう。その他のものでは、フォン・ウェーベルの最後のワルツのあの奔放な旋律を奇妙に変えて複雑にしたものが、痛ましく心に残っている。彼の精《せい》緻《ち》な空想がこもり、また一筆ごとにおぼろげなものとなった、なぜとも知らず身ぶるいするために、なおさらぞっとするような画――それらの画(それはいまなお、ありありと眼の前に浮ぶが)から、ただ文字で書きあらわしえられるものをひき出そうとしても、ほんの一部分しかえられないであろう。完全な単純さによって、着想のあからさまなことによって、彼は人の注意をひき、これを威圧した。もし観念を画で描いた人があるとすれば、ロデリック・アッシャーこそまさにその人であった。少なくとも私には――そのときの私の周囲の事情にあっては――この憂鬱症患者が彼の画布《カンヴァス》の上にあらわそうとした純粋な抽象的観念からは、あのフュウゼリのたしかに灼熱《しゃくねつ》的ではあるがあまりに具象的な幻想を見つめてさえ、その影すら感じなかったほどの、強烈な堪えがたい畏怖《いふ》の念が湧き起ったのである。
友のこの幻想的な概念の一つは、それほど厳密に抽象性を持っていないので、かすかにではあるが言葉でそのだいたいをあらわすことができるかもしれぬ。それは小さな画で、低い壁のある、平坦《へいたん》な、白い、切れ目もなければなんの装飾もない、非常に長い矩《く》形《けい》の窖《あなぐら》または地下道《トンネル》の内部をあらわしていた。その構図のある付随的な諸点は、この洞穴が地面からよほど深いところにあるという感じをよく伝えている。この広い場所のどの部分にも出口がなく、篝火《かがりび》やその他の人工的な光源も見えないが、しかも強烈な光線があまねく満ちあふれて、全体がもの凄《すご》い不可解な光輝のなかにひたされているのであった。
病的な聴覚神経のために、絃楽器のある音をのぞいて、あらゆる音楽が彼には堪えられなかったことは、前に述べたとおりである。彼の演奏に大いに幻想的な性質を与えたのは、おそらくこのように彼がギターだけにせまく限ったためであったろう。しかし彼の即興詩を作る燃え立つような神速さ《・・・》にいたっては、同じようには説明することができない。彼の不思議な幻想曲の歌詞はもとより、その曲調も(というのは彼はちょいちょい韻を踏んだ即興詩を自分で伴奏したから)、前に述べたような最高の人為的興奮の特別の瞬間にだけ見られる強烈な精神の集中の結果であるべきだったし、また事実そうであったのだ。このような狂想曲の一つの歌詞を私はたやすく覚えてしまった。彼がそれを聞かしてくれたときそんなに強い印象を受けたのは、おそらく、その詩の意味の底の神秘的な流れのなかに、アッシャー自身が彼の高い理性がその王座の上でぐらついていることを十分に意識しているということを、私が初めて知ったように思ったからであろう。『魔の宮殿』という題のその詩は、正確ではないとしても、だいたい次のようなものであった。――
善き天使らの住まえる、
緑いと濃きわれらが渓谷《たに》に、
かつて美《うる》わしく宏《おお》いなる宮殿《みやい》――
輝ける宮殿――そびえ立てり。
王なる「思想」の領域に
そは立てり!
最高天使《セラフ》も未《いま》だかくも美わしき宮の上に
そが翼をひろげたることなかりき。
黄なる、栄《はえ》ある、金色の旗、
そが甍《いるか》の上に躍りひるがえれり。
(こは――すべてこは――遠き
昔のことなりき)
戯《たわむ》れそよぐ軟風《なよかぜ》に
いともよきその日、
羽毛かざれる蒼白き塁《とりで》にそいて
翼ある香《かおり》、通り去りぬ。
この幸《さち》ある渓谷《たに》をさまよいし人々は、
輝く二つの窓より見たり、
調べととのえる琵琶《びわ》の音《ね》につれ
王座をめぐりて、精霊らの舞えるを。
その王座には
(紫の御子《ポーフィロジーニ》!)
その光栄《ほまれ》にふさわしき威厳もて
この領土《くに》の主《あるじ》坐《ざ》せり。
またすべて真珠と紅玉とをもて
美わしき宮殿の扉《とびら》は燦《きらめ》けり。
その扉より流れ、流れ、流れて
永久《とわ》に閃《ひらめ》きつつ「こだま」の一群《ひとむれ》来たりぬ。
そがたのしき務《つとめ》はただ
いとも妙《たえ》なる声をもて
歌いたたえるのみなりき、
そが王の才と智《ち》を。
されど魔もの、悲愁《かなしみ》の衣《ころも》きて
この王の高き領土《くに》を襲いぬ、
(悲しきかな、彼が上に暁は
ふたたび明くることあらじ、ああ!)
かくて、かつては彼の住居《すまい》をめぐりて
輝き栄えし栄光も、
埋もれはてし遠き世の
おぼろなる昔語りとなりにけり。
かくて今この渓谷を旅ゆく人々は
赤く輝く窓より見るなり、
調べみだれたる楽の音につれ
大いなる物影《ものかげ》の狂い動けるを。
また蒼白き扉くぐりて
魔の河の速き流れのごとく
恐ろしき一群永久《とわ》に走り出《い》で、
高笑いす、――されどもはや微笑《ほほえ》まず。
この譚詩《バラッド》から生じたさまざまの暗示が私を一連の考えに導き、そのなかでアッシャーの一つの意見を明らかにすることができたことを、私はよく覚えている。その意見をここに述べるのは、それが新奇なため(他の人々はそう考えている)よりも、彼が執拗《しつよう》にそれを固持したためである。その意見というのは大体において、すべての植物が知覚力を有するということであった。しかし彼の混乱した空想のなかでこの考えはさらに大胆な性質のものとなり、ある条件のもとでは無機物界にまで及んでいた。私は彼の信念の全部、あるいはその熱心な心酔を説明する言葉を持たない。が、その信念は(前にもちょっと述べたように)、彼の先祖代々の家の灰色の石と関連しているのだった。彼の想像によると、知覚力の諸条件はこの場合では、これらの石の配置の方法のなかに――石を蔽《おお》うている多くの菌や、あたりに立っている枯木などの配置とともに、石そのものの配列のなかに――とりわけ、この配列が長いあいだ乱されずにそのままつづいてきたということと、それが沼の静かな水面に影を落しているということとのなかに、備わっているのである。その証拠は――知覚力のあることの証拠は――彼の言うところでは(そしてそれを聞いたとき私はぎょっとしたが)、水や壁のあたりにそれらのもの独得の雰《ふん》囲気《いき》がだんだんに、しかし確実に凝縮していることのなかに認められる、というのであった。その結果は、幾世紀ものあいだに、彼の一家の運命を形成し、また《・・》彼をいま私が見るような彼――つまり現在の彼のようにしてしまったあの無言ではあるが、しつこい恐ろしい影響となってあらわれているのだ、と彼はつけ加えた。このような意見はべつに注釈を必要としない。だから私はそれについてはなにも書かないことにする。
私たちの読んだ書物――長年のあいだ、この病人の精神生活の大部分をなしていた書物――は、想像もされようが、この幻想の性質とぴったり合ったものであった。二人は一緒にグレッセの『ヴェルヴェルとシャルトルーズ』、マキアヴェエリの『ベルフェゴール』、スウェデンボルグの『天国と地獄』、ホルベルヒの『ニコラス・クリムの地下の旅』、ロバート・フラッドや、ジャン・ダンダジネエや、ド・ラ・シャンブルの『手相学』、ティークの『青き彼方《かなた》への旅』、カンパネエラの『太陽の都』というような著作を読みふけった。愛読の一巻はドミニック派の僧エイメリック・ド・ジロンヌの"Directorium Inquisitorum"の小さな八折判《オクテーヴォ》であった。またポンポニウス・メラのなかのサターやイージパンについての三、四節は、アッシャーがよく何時間も夢み心地で耽読《たんどく》していたものであった。しかし彼のいちばんの喜びは、四折判《クオートー》ゴシック字体の非常な珍本――ある忘れられた教会の祈《き》祷書《とうしょ》――"Vigiliマ Mortuorum secundum Chorum Ecclesiマ Maguntinマ"を熟読することであった。
私はこの書物にしるしてある奇異な儀式や、それがこの憂鬱症患者に与えそうな影響などについて、考えないではいられなかった。するとある晩、とつぜん彼はマデリン嬢の死んでしまったことを告げてから、彼女の亡骸《なきがら》を二週間(最後の埋葬をするまで)この建物の礎壁のなかにたくさんある窖《あなぐら》の一つに納めておきたいという意向を述べた。しかし、この奇妙な処置についての実際的な理由は、私などが無遠慮に口出しするかぎりでなかった。兄としてこのような決心をするようになったのは(彼が私に語ったところでは)、死者の病気の性質が普通のものではないことや、彼女の医師の側の差し出がましい熱心な詮索《せんさく》や、一家の埋葬地が遠い野ざらしの場所にあることなどを、考えたからであった。私がこの家に着いた日に、階段のところで出会った男の陰険な容貌《ようぼう》を思い出したとき、大して害のない、また決して不自然でもない用心と思われることにたいして、しいて反対する気がしなかった、ということは私も否定しはしない。
アッシャーの頼みで、私はこの仮埋葬の支度を手伝った。遺《い》骸《がい》を棺に納めてから、私たちは二人きりでそれをその安置所へ運んで行った。それを置く窖(ずいぶん長いあいだあけずにあったので、その息づまるような空気のなかで、持っていた火把《たいまつ》はなかば燻《くすぶ》り、あたりを調べてみる機会はほとんどなかったが)は小さくて、湿っぽく、ぜんぜん光線の入るみちがなく、この建物の私の寝室になっている部屋の真下の、ずっと深いところにあった。その床の一部分と、入って行くときに通った長い拱廊《きょうろう》の内面の全部とが、念入りに銅で蔽われているところをみると、それは明らかに遠い昔の封建時代には地下《ちか》牢《ろう》というもっとも悪い目的に用いられ、のちには火薬またはその他なにか高度の可燃物の貯蔵所として使用されていたものであった。巨大な鉄製の扉も同じように銅張りになっていた。その扉は非常に重いので、蝶番《ちょうつがい》のところをまわるときには、異様な鋭い軋《きし》り音をたてた。
この恐ろしい場所の架台の上に悲しい荷を置いてから、二人はまだ螺釘《ねじくぎ》をとめてない棺の蓋《ふた》を細目にあけて、なかなる人の顔をのぞいてみた。兄と妹との驚くほど似ていることが、そのとき初めて私の注意をひいた。するとアッシャーは私の心を悟ったらしく、妹と彼とは双生児で、二人のあいだには常にほとんど理解できないような性質の感応があった、というようなことを二言三言呟《つぶや》いた。しかし私たちの視線は長くは死者の上にとどまってはいなかった、――畏怖の念なしに彼女を見ていることはできなかったからである。青春のさかりに彼女をこのように棺のなかへ入れてしまったその病気は、すべてのはっきりした類癇《るいかん》性の病の常として、胸と顔とにかすかな赤みのようなものを残し、死人には実に恐ろしいあの疑い深くためらっているような微笑を、唇に残していた。私たちは蓋をして螺釘をとめ、鉄の扉をしっかりしめてから、やっとの思いでこの家の上の方の、窖とあまり変らぬくらい陰気な部屋へたどりついた。
さて、痛ましい悲嘆の幾日かがすぎると、目立った変化が友の心の病気の徴候にあらわれてきた。彼のいつもの態度は消えうせてしまった。いつもの仕事もうちすてられ、または忘れ去られた。彼は部屋から部屋へと、あわただしい、乱れた、あてのない足どりで歩きまわった。蒼白《あおじろ》い顔色はいっそうもの凄い色となった、――が眼《め》の輝きはまるで消えてしまった。かつておりおり聞いたしゃがれ声はもう聞かれなくなり、極度の恐怖からくるおどおどした震え声が、いつも彼の話しぶりの特徴となった。実際私は、彼の絶えず乱れている心がなにか重苦しい秘密とたたかっていて、その秘密を言いだすに必要な勇気を出そうともがいているのではなかろうか、とときどき考えた。またときにはすべてをただ説明しがたい狂気の気まぐれと決めこんでしまわねばならないようなこともあった。というのは、彼が聞えもせぬなにかの物音に耳をすましてでもいるように、非常に注意深い態度で長いあいだじっと空《くう》を見つめているのを見たからである。このような彼の様子が私を恐れさせ――私に感染したって怪しむことはない。私は彼自身の幻想的な、しかも力強い迷信の奇妙な影響が、少しずつではあるが確実に、自分にしのびよってくるのを感じた。
とくに、そのような感情の力を十分に経験したのは、マデリン嬢を地下牢のなかに納めてから七日目か八日目の夜遅く床についたときのことであった。眠りは私の枕辺《まくらべ》にもやって来なかった、――そして時は刻々に過ぎてゆく。私は全身を支配している神経過敏を理性で払いのけようと努めた。自分の感じていることのまあ全部ではないとしてもその大部分は、この部屋の陰気な家具――吹きつのってくる嵐《あらし》の息吹《いぶき》に吹きあおられて、ときどき壁の上をゆらゆらと揺れ、寝台の飾りのあたりで不安そうにさらさらと音をたてている、黒ずんだぼろぼろの壁掛け――の人を迷わすような影響によるものだと無理に信じようとした。しかしその努力も無駄《むだ》だった。抑えがたい戦慄《せんりつ》がだんだん体じゅうにひろがり、とうとう心臓の上にまったくわけのわからない恐怖の夢魔が坐《すわ》った。あえぎもがきながらこれを振いおとして、枕の上に身を起し、部屋の真っ暗闇《くらやみ》のなかを熱心にじっと見つめながら、耳をそばだてると――なぜそうしたのか、本能の力がそうさせたというよりほかに理由はわからないが――嵐の絶え間に、長いあいだをおいて、どことも知れぬところから、低い、はっきりしない物音が聞えてきた。わけのわからぬ、しかも堪えがたい、はげしい恐怖の情に圧倒されて、私は急いで着物をひっかけ(もう夜じゅう寝られないという気がしたから)、部屋じゅうをあちこちと足早に歩きまわって、自分の陥っているこの哀れな状態からのがれようと努めた。
こんなふうにして三、四回も歩きまわらないうちに、かたわらの階段をのぼってくる軽い足音が私の注意をひいた。私にはすぐそれがアッシャーの足音であることがわかった。間もなく彼は静かに扉を叩《たた》き、ランプを手にして入ってきた。その顔はいつものとおり屍《しかばね》のように蒼ざめていた、――がそのうえに、眼には狂気じみた歓喜とでもいったようなものがあり――挙動全体には明らかに病的興奮を抑えているようなところがあった。その様子は私をぎょっとさせた、――が、とにかくどんなことでも、いままで長く辛抱してきた孤独よりはましなので、私は彼の来たことを救いとして歓《よろこ》び迎えさえした。
「で、君はあれを見なかったのだね?」しばらく無言のままあたりをじっと見まわしたのち、彼はふいにこう言い出した。――「じゃあ、あれを見なかったんだね? ――だが待ちたまえ! 見せてあげよう」そう言って、注意深くランプに笠《かさ》をかけてから、一つの窓のところに駆けより、それを嵐に向ってさっとあけはなった。
猛《たけ》り狂って吹きこむ烈風は、ほとんど私たちを床から吹き上げんばかりであった。実に大荒れの、しかし厳かにも美しい夜、また、そのもの凄《すご》さと美しさとではたとえようもない不思議な夜であった。まさしく旋風がこのあたりにその勢いを集中しているらしく、風向きはしげしげと、また猛烈に変り、非常に濃く立ちこめている雲(それはこの家の小塔を圧するばかりに低く垂れていた)も、遠くへ飛び去ることなく、四方八方から互いにぶつかりあって疾走しながら飛んでくるその生《いの》命《ち》あるもののような速さを、認めることを妨げはしなかった。
いかにも、非常に濃く立ちこめている雲も、こういう有様を認めることを妨げはしなかった、――が月や星はちらりとも見えなかった、――また稲妻のひらめきもなかった。しかし、我々のすぐ周囲のあらゆる地上の物象だけでなく、騒ぎたっている雲の巨大な塊の下面までが、屋敷のまわりに垂れこめてそれを包んでいる、ほのかに明るい、はっきりと見えるガスの蒸発気の奇怪な光のなかに輝いているのであった。
「見ちゃいけない――これは君には見させない!」と私は、アッシャーをやさしくまた強く窓ぎわから椅子《いす》の方へ連れもどるときに、身ぶるいしながら言った。「君を迷わせるこの有様は、珍しくもないただの電気の現象なのだ。――それとも沼のひどい毒気が、このもの凄い有様の原因になっているのかもしれない。この窓をしめようじゃないか。空気は冷たくて、君の体には毒だ。ここに君の好きな物語が一冊ある。読んで聞かせてあげよう。――そして一緒にこの恐ろしい夜を明かすことにしよう」
私の取りあげた古い書物はラーンスロット・キャニング卿《きょう》の『狂える会合』であったが、それをアッシャーの好きな書物と言ったのは、真面目《まじめ》でというよりも悲しい冗談で言ったのだ。なぜかといえば、この書物のまずい、想像力にとぼしい冗漫さのなかには、たしかに、友の高い知的の想像力にとって興味を持つことのできるものはほとんどなかったからである。しかし、それはすぐ手近にある唯一《ゆいいつ》の本であったし、また私は、今この憂鬱《ゆううつ》症患者の心をかき乱している興奮が、これから読もうとする極端にばかげた話のなかにさえ慰安を見《み》出《いだ》すかもしれない(精神錯乱の記録はこの種の変則に満ちているのだから)、というかすかな希望をいだいたのであった。実際、彼が物語の文句に耳を傾けている、あるいは見たところいかにも耳を傾けているらしい、異常に緊張した生き生きした様子で判断することができるのなら、私は自分の計画のうまく当ったことを喜んでもいいわけであった。
私は、この本の主人公エセルレッドが隠者の住居に穏やかに入ろうとして入れないので、力ずくで入ろうとする、あの有名なところへ読みかかった。ここでは、人の知るとおり、物語の文句は次のようになっている。――
「かくて生れつき心猛《たけ》くそのうえに飲みたる酒の効き目にていっそう力も強きエセルレッドは、まこと頑《かたく》なにして邪《よこしま》なる隠者との談判を待ちかね、おりから肩に雨の降りかかるを覚えて、嵐の来たらんことを恐れ、たちまちその鎚矛《つちぼこ》を振り上げていくたびか打ち叩き、間もなく扉の板張りに、籠手《こて》はめたる手の入るほどの穴をぞ穿《うが》ちける。かくてそこより力をこめて引きたれば、扉は破れ、割れ、微《み》塵《じん》に砕けて、乾きたる空洞《うつろ》に響く音は、森もとどろにこだませり」
この文章の終りで私はぎょっとして、しばらくのあいだ言葉を止めた。というわけは、(すぐ自分の興奮した空想にだまされたのだと思いかえしはしたが)屋敷のどこかずっと遠いところから、ラーンスロット卿が詳しく書きしるしたあの破れわれる音の反響(抑えつけられたような鈍いものではあったが)にそっくりな物音が、かすかに私の耳に聞えてきたような気がしたからである。もちろん、ただその偶然の一致ということだけが私の注意をひいたのであった。窓枠《まどわく》のがたがた鳴る音や、なおも吹きつのる嵐のいつもの雑然たる騒がしい音のなかでは、そんな物音はただそれだけでは、もとより私の注意をひいたり、私をおびえさせたりするはずがなかったからである。私は物語を読みつづけた。――
「しかるにすぐれたる戦士エセルレッドは、いまや扉のなかに入り、かの邪《よこしま》なる隠者の影すらも見えざるに怒り、あきれ果てぬ。されど、そのかわりには、鱗《うろこ》生えて巨《おお》いなる姿の一頭の竜《りゅう》、炎の舌を吐きつつ、白銀《しろがね》の床しきたる黄金の宮殿の前にぞ蹲《うずくま》りてまもりける。しかしてその壁には輝ける真鍮《しんちゅう》の楯《たて》かかりて、次のごとき銘しるされたり。――
ここに入る者は勝利者たりしもの。
この竜を殺す者はこの楯を得む。
ここにおいてかエセルレッドは鎚矛を振り上げ、竜の頭上めがけて打ちおろしければ、竜は彼の前にうち倒れ、毒ある息を吐きあげて、恐ろしくもまた鋭き叫び声をあげたるが、その突き刺すばかりの響きには、さすがのエセルレッドも両手もて耳を塞《ふさ》ぎたるほどにて、かかる恐ろしき声はかつて世に聞きたることもなかりき」
ここでまた私はとつぜん言葉を止めた、今度ははげしい驚きを感じながら。――というのは、この瞬間に、低い、明らかに遠くからの、しかし鋭い、長びいた、まったく異様な、叫ぶようなまたは軋るような音――この物語の作者の書きしるした竜の不思議な叫び声として私がすでに空想で思い浮べていたものとまさしくそっくりな物音――を実際に聞いた(もっともどちらの方向からということは言えなかったが)ことは、なんの疑いもなかったからである。
この二度目の、しかも異常な暗合に出会って、主に驚きと極度の恐怖との勝《まさ》ったさまざまな矛盾した感情に圧倒されながら、それでもなお私は、なにかそのことを口に出して友の過敏な神経を興奮させることを避けるだけの落着きを失わなかった。彼の挙動にはたしかにこの数分間に奇妙な変化が起っていたけれども、例の物音に気づいているとは思われなかった。彼は私に向きあった位置から、その部屋の扉の方に顔を向けて腰をかけられるように、少しずつ椅子をまわしていた。だから私にはほんの一部分しか彼の顔が見えなかった。ただ聞きとれないほど低く呟いてでもいるように唇《くちびる》が震えているのが見えた。頭は胸のところへうなだれていたが、横顔をちらりと見ると眼は大きくしっかり見開いているので、眠っているのではないことがわかった。体を動かしているということも、眠っているという考えとは相《あい》容《い》れないものであった。――静かに、しかし絶えず同じ調子で、体を左右にゆすっているのである。すばやくこれだけのことをみんな見てとってから、私はラーンスロット卿の物語を読みつづけたが、それは次のようであった。――
「かくて今や竜の恐ろしき怒りをまぬかれたる戦士は、かの真鍮の楯を思い浮べ、そが上にしるされたる妖術《ようじゅつ》を解かんとて、竜の骸《むくろ》を道より押しのけ、勇を鼓して館《やかた》の白銀の床を踏み、楯のかかれる壁へ近づきけるに、楯はまことに彼の来たり取るを待たずして、そが足もとの白銀の床の上に、いとも大いなる恐ろしく鳴りひびく音をたてて落ち来たりぬ」
この言葉が私の唇から洩《も》れるや否《いな》や――まるでほんとうに真鍮の楯がそのとき銀の床の上に轟然《ごうぜん》と落ちたかのように――はっきりした、うつろな、金属性の、鏘然《そうぜん》たる、しかし明らかになにか押し包んだような反響が聞えたのだ。私はまったく度《ど》胆《ぎも》をぬかれて跳び上がった。がアッシャーの規則的な体をゆする運動は少しも乱れなかった。私は彼のかけている椅子のところへ駆けよった。彼の眼はじっと前方を見つめていて、顔面には石のように硬《こわ》ばった表情がみなぎっていた。しかし、私が手を肩にかけると、彼の全身にはげしい戦慄《せんりつ》が起った。陰気な微笑が彼の唇のあたりで震えた。そしてまるで私のいるのを知っていないかのように、低く、早口に、とぎれとぎれに呟いているのを私は見た。ぴったりと彼の上に身をかがめて、やっと私は彼の言葉の恐ろしい意味を夢中に聞きとった。
「聞えない? ――いや、聞える、前から《・・・》聞えていたのだ。長い――長い――長いあいだ――何分も、何時間も、幾日も、前から聞えていたのだ、――が僕には――おお、憐《あわ》れんでくれ、なんと惨《みじ》めなやつだ! ――僕には――僕には思いきって《・・・・・》言えなかったんだ! 僕たちは彼女を生きながら墓のなかへ入れて《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》しまったのだ《・・・・・・》! 僕の感覚が鋭敏なことは前に言ったろう? いまこそ《・・・・》言うが、僕にはあの棺のなかで彼女が最初にかすかに動くのが聞えた。幾日も、幾日も前に――聞えたのだ、――だが僕には――僕には思いきって言えな《・・・・・・・・》かった《・・・》のだ! そしていま――今夜――エセルレッドか――は! は! ――隠者の家の戸の破れる音、そして竜の断末魔の叫び、それから楯の鳴りひびく音か! ――それよりも、こう言ったほうがいい、彼女の棺のわれる音と、あの牢獄の鉄の蝶番の軋る音と、彼女が窖《あなぐら》の銅張りの拱廊のなかでもがいている音、とね! おお、どこへ逃げよう? もうすぐ彼女はここへやって来やしないだろうか? 僕の早まった仕業を責めに急いで来るのではないか? 階段を上がる彼女の足音が僕には聞えていないのか? 彼女の心臓の重苦しい恐ろしい動《どう》悸《き》がわかってはいないのか?気違いめ!」――こう言うと彼ははげしく跳び上がった。そして死にそうなくらいの努力で一語一語をしぼり出した。――「気違い《・・・》め《・》! 彼女はいまその扉の外に立っているの《・・・・・・・・・・・・・・・・・》だぞ《・・》」
彼の言葉の超人間的な力にまるで呪文《じゅもん》の力でもひそんでいたかのように――彼の差したその大きい古風な扉の鏡板は、たちまち、その重々しい黒檀《こくたん》の口をゆっくりうしろの方へと開いた。それは吹きこむ疾風の仕業だった、――がそのとき扉のそとにはまさしく《・・・・》、背の高い、屍衣《きょうかたびら》を着た、アッシャー家のマデリン嬢の姿が立っていたのである。彼女の白い着物には血がついていて、その痩《や》せおとろえた体じゅうには、はげしくもがいたあとがあった。しばらくのあいだは、彼女は閾《しきい》のところでぶるぶる震えながら、あちこちとよろめいていた。――それから、低い呻《うめ》き声をあげて、部屋のなかの方へと彼女の兄の体にばったりと倒れかかり、はげしい断末魔の苦《く》悶《もん》のなかに彼をも床の上へ押し倒し、彼は死体となって横たわり、前もって彼の予想していた恐怖の犠牲となったのであった。
その部屋から、またその屋敷から、私は恐ろしさで夢中になって逃げ出した。古い土手道を走っているのに気がついたときには、嵐はなおも怒りくるって吹きすさんでいた。とつぜん、道に沿うてぱっと異様な光がさした。私の背後にはただ大きな家とその影とがあるだけであったから、そのようなただならぬ光がどこから来るのかを見ようと思って私は振りかえってみた。その輝きは、沈みゆく、血のように赤い、満月の光であった。月はいま、その建物の屋根から電光形に土台までのびていると前に言った、以前はほとんど眼につかぬくらいだったあの亀《き》裂《れつ》をとおして、ぎらぎらと輝いているのであった。じっと見ているうちに、この亀裂は急速に広くなった。――一陣の旋風がすさまじく吹いてきた。――月の全輪がこつぜんとして私の眼前にあらわれた。――巨大な壁が真っ二つに崩れ落ちるのを見たとき、私の頭はぐらぐらとした。――幾千の怒《ど》涛《とう》のひびきのような、長い、轟々《ごうごう》たる、叫ぶような音が起った。――そして、私の足もとの、深い、どんよりした沼は、「ア《・》ッシャー家《・・・・・》」の破片を、陰鬱《いんうつ》に、音もなく、呑《の》みこんでしまった。
ウィリアム・ウィルスン
それをなんと言うのだ? わが道に立つかの妖怪《ようかい》、恐ろしき良心《・・》とは? チェインバリン「ファロニダ」
さしあたり、私は自分をウィリアム・ウィルスンという名にしておくことにしよう。わざわざ本名をしるして、いま自分の前にあるきれいなページをよごすほどのことはない。その私の名前は、すでにあまりにわが家門の侮《ぶ》蔑《べつ》の――恐怖の――嫌《けん》悪《お》の対象でありすぎている。怒った風は、その類《たぐ》いなき汚名を、地球のはてまでも吹き伝えているではないか? おお、恥しらずな無頼《ならず》漢《もの》のなかの無頼漢! ――現世にたいしてお前はもう永久に死んでいるのではないか? その名誉にたいして、その栄華にたいして、その燦然《さんぜん》たる大望にたいして? ――そして、濃い、暗澹《あんたん》とした果てしのない雲が、とこしえにお前の希望と天国とのあいだにかかっているのではないか?
私はいまここで、たといそれができたにしても、自分の近年のなんとも言いようのない不幸と、許しがたい罪悪との記録を書きしるそうとはしまい。この時期――この近年――に背徳行為が急にひどくなったのであって、そのそもそものきっかけだけを語るのが、私のさしあたっての目的なのである。人間というものは普通は一歩一歩と堕落してゆくものだ。ところが、私の場合では、あらゆる徳が一時にマントのようにそっくり落ちてしまった。わりあいに小さな悪事から、私は大またぎにエラガバルスだってやれないような大悪無道へ跳びこんだ。どうしためぐり合せで――どんな一つの出来事からこんな悪いことになったのか、私が語るあいだ、しばらく耳を貸していただきたい。死は近づく。それを前ぶれする影は、私の心をやわらげる。ほの暗い谷を歩みながら、私は世の人々の同情を――むしろ憐《あわ》れみをと言いたいのであるが――切望している。自分がいくらかは人間の力ではどうにもできない境遇の奴《ど》隷《れい》であったということを、私は世の人々に信じてもらいたいのだ。これから語ろうとする詳しい話のなかで、私のために、広漠《こうばく》とした罪過の砂漠のなかにいくつかの小さな宿命《・・》のオアシスを、捜し出してもらいたいのだ。以前にもこれほど大きな誘惑物は存在したではあろう。が、しかし、少なくともこんなふうに《・・・・・・》人間が誘惑されたことは前には決してなかった――たしかに、こんなふうに《・・・・・・》落ちこんだことは決してなかった――ということを認めてもらいたいのだ。――これは誰でも認めずにはいられないことであるが。とすると、こんなふうに苦しんだ人間はいままでに一人もなかったのであろうか? 実際、自分は夢のなかに生きてきたのではなかろうか? そして自分はいま、この世のあらゆる幻影のなかでももっとも怪奇なものの、恐怖と神秘との犠牲として死んでゆくのではなかろうか?
私は、想像力に富んで、しかもたやすく興奮する気質のために昔からずっと有名だった一族の子孫である。そして、まだごく幼いころから、この家族の性格を十分にうけついでいる証拠をあらわしていた。成長するにしたがって、その性格はいっそう強く発達し、いろいろな理由で、友人たちにはたいへん心配をかけたし、また自分自身には非常な損害をかける原因となった。私は我儘《わがまま》になり、もっとも放縦な気まぐれにふけり、まったく手におえない激情の虜《とりこ》となってしまった。両親は、気が弱く、私自身と同じような生れつきの虚弱に悩まされていたので、私の特徴となったその悪い性癖をとめることはとてもできなかった。幾たびかの弱い、方針を誤った努力は、親たちのほうの完全な失敗に、そしてむろん私のほうの完全な勝利に、終ったのだ。そのときから私の言葉は一家の法律となった。そして、普通の子供ならまだ手《て》引紐《びきひも》さえ放せないような年ごろから、私は自分の思うままにさせられ、名だけは別として、自分の行為の主人公となったのであった。
学校生活についての私のいちばん古い思い出は、霧のかかったようなあるイングランドの村にある、大きな、不格好な、エリザベス時代風の建物につながっている。その村には節瘤《ふしこぶ》だらけの大木がたくさんあって、どの家もみなひどく古風だった。実際、その森厳な古い町は、夢のような、心を鎮《しず》めてくれる場所であった。いまでも、私は、空想でそこの樹陰ふかい並《なみ》木《き》路《みち》のさわやかな冷たさを感じ、そこの無数の灌木《かんぼく》のかぐわしい芳香を吸いこみ、組子細工のゴシック風の尖塔《せんとう》がそのなかに包まれて眠っているほの暗い大気の静寂をやぶって、一時間ごとにふいに陰鬱《いんうつ》な音をたてて響きわたる教会の鐘《ベル》の深い鈍い音色に、なんとも言えない喜びをもって新たにうち震えるのである。
この学校と、それに関したこととの、こまかな思い出にふけることがおそらく、いま自分のどうやら経験できるいちばん多くの快楽を私に与えてくれるのだ。私は不幸のなかにひたされてはいるのだが――ああ! ただあまりに真実すぎる不幸――二、三のとりとめのない事がらを述べたてて、ほんの少しの一時的なものであろうとも、慰めを求めることは、許してもらえるだろう。そのうえ、これらの事がらは、まったく小さな、またそれだけとしてはばかばかしいものではあるが、のちに自分にすっかり蔽《おお》いかぶさった運命の最初のおぼろげな警告を自分が認めた時と所とに関係のあるものとして、私の空想には偶然的な重大さを持っているものなのだ。だから、回想させてもらいたい。
その家は、前に言ったように、古くて不規則なものであった。構内は広くて、てっぺんにはガラスのかけらを漆喰《しっくい》に植えつけた、高い、丈夫な煉《れん》瓦《が》塀《べい》が、その周囲をぐるりと取りまいていた。この牢獄《ろうごく》のような塁壁が私たちの領土の限界になっていたのだった。その外《そと》は、一週に三度しか見られなかった。――一度は毎土曜日の午後に、二人の助教師に連れられて、一団となってどこか付近の野原をしばらく散歩することを許されるときで、――あとの二度は日曜日に、村に一つある教会の朝と夕との礼拝式へ、いつも同じ決ったとおりに列を組んで行くときであった。その教会は、私たちの学校の校長が牧師なのであった。この校長が厳かな、ゆっくりした足どりで説教壇へ上がってゆくのを、私はいつも、廻廊《かいろう》にある遠く離れた私たちの座席から、どんなに深い驚きといぶかしさで眺《なが》めたことであろう! あんなにしかつめらしく温和な顔をして、あんなにつやつやした、あんなに僧《そう》侶《りょ》らしくひらひらした衣服を着て、あんなに念入りに髪粉をつけた、あんなにいかめしい、あんなに大きな仮髪《かつら》をつけたこの尊い人が、――この人が、ついさっきまで、苦虫をかみつぶしたような顔つきで、嗅《かぎ》煙草《たばこ》でよごれた着物を着て、木《き》箆《べら》を手にしながら学校の峻厳《しゅんげん》な法則を執行していた人なのであろうか? おお、あまりに奇怪でどうしてもわからない大きな不思議!
その重々しい塀の一つの角に、もっと重々しい一つの門が厳然として立っていた。それは鉄の螺釘《ねじくぎ》を方々に打ちつけて、上にはぎざぎざの鉄の忍返《しのびがえ》しを打ってあった。なんという深い畏怖《いふ》の感じを、それは起させたことであろう!
その門は、さきに述べたあの三回の定期の出入りのときのほかには、決して開かれることがなかった。そして開かれるときには、その巨大な蝶番《ちょうつがい》がぎいっと軋《きし》るたびごとに、私たちはその音のなかに、かずかずの神秘を――厳かな注意や、あるいはもっと厳かな瞑想《めいそう》をそそる多くの事がらを――見《み》出《いだ》したのであった。
広い構内は形が不規則で、大きなひっこんだ所がたくさんあった。そのなかのいちばん大きな三つ四つのが運動場になっていた。そこは平らかで、細かい堅い砂利を敷いてあった。そこには樹《き》もなければ、腰掛け《ベンチ》もなく、それに類したものがなにもなかったことを、私はよく覚えている。むろんその運動場は家の背後《うしろ》にあったのだ。前面には、黄楊《つげ》やその他の灌木類を植えた小さな花壇があった。しかし、この神聖な区画は、私たちは実際ほんのたまにしか通ったことがなかった。――たとえば、初めて学校へ上がったときとか、最後にそこを去るときとか、あるいはたぶん、親か知人かが迎えにきて、クリスマスや夏休みにいそいそと家へ帰るときとかだった。
だが、その校舎たるや! ――なんという奇妙な古い建物だったろう! ――しかも、私にとってはまったくなんという魔法の宮殿であったろう! その曲りくねりには――そのとても理解できない細かな区分は、ほんとうに果てしもなかった。いつであろうと、いま自分のいるところは一階か二階かということを、確信をもって言うことはむずかしかった。どの室《へや》からでも別の室へ行くには、きっと三段か四段のぼるか降りるかしなければならなかった。それから、脇《わき》へそれる道は無数にあって、――ほんとうに想像もできぬほど、――実に何遍も何遍ももとへ戻って来るものだから、この屋敷全体に関する私たちのいちばん正確な観念も、私たちが無限ということについて考える観念と、さほど大して違わないくらいだった。ここに住んでいた五カ年のあいだ、私は、自分自身と他の十八人か二十人ばかりの生徒とに割当てられた小さな寝室がどんな遠く隔たった場所にあったのか、はっきりと確かめることがどうしてもできなかった。
教場は建物のなかで――いっそ、世界じゅうで、と私は言いたい――いちばん大きかった。それは非常に長くて、狭く、陰気なくらい低く、上の尖《とが》ったゴシック風の窓がついていて、天井は樫《かし》であった。室の端っこの、なんとなく怖いような気のする一つの角に、八フィートか十フィートくらいの四角い囲いがあって、そのなかには、私たちの校長である尊師ブランスビイ博士の「祈《き》祷《とう》時間中」の聖室《サンクタム》があった。それは堅牢《けんろう》な造りで、がっしりした扉《とびら》がついていて、「先生《ドミイネ》」の留守中にその扉をあけようものなら、私たちはまったくいっそあの peine forte et dure(強い厳しい刑罰)で死んだほうがましだと思うくらいの目にあうのだった。他の角にも似たような仕切りが二つあり、実際、前のよりはずっと尊敬されてはいなかったが、それでもやはり非常に畏怖の念を起させるものだった。一つは「古典」の助教師の講壇で、もう一つは「英語および数学」の助教師のであった。室内のあちこちに、際限のない不規則さでごちゃごちゃに入り交って、無数の腰掛けと机とがあった。どれも黒くて、古風で、古ぼけていて、ひどく指垢《ゆびあか》のついた書物がめちゃくちゃに積み重ねてあり、名前の頭文字や、略さないで書いた姓名や、怪異な形の絵や、その他さまざまな小刀《ナイフ》で彫りつけたものなどの、創痕《きずあと》をつけられているので、かつては多少かたちを残していた原形の少しさえすっかり失《な》くなってしまっている。水を入れた大きな桶《おけ》が室の一方の端に立っていたし、もう一方の端には途方もない大きさの柱時計が立っていた。
この古びた学校のがっしりした壁に取りまかれて、私は、それでも退屈もせず厭《いや》にもならず、自分の生涯《しょうがい》の十歳から十五歳までの年月を過したのである。子供の豊かな頭脳というものは、それを満たしたり楽しませたりするにはなにも外界の出来事を必要としない。そして見たところ陰気なくらい単調な学校生活は、私が青年時代に奢《しゃ》侈《し》によって得たよりも、あるいは壮年時代に罪悪によって得たよりも、もっと強烈な刺激に満ちていたのであった。でも、私の最初の心の発達には普通ではないものが――常軌を離れたものさえ――よほどあったということは、信じないわけにはゆかない。一般の人々にとっては、ずっと幼いころの出来事は、大きくなってからはっきりした印象を残していることがめったにないものだ。すべてが灰色の影――かすかな不規則な記憶――あわい快楽と幻のような苦痛とのおぼろげな寄せあつめ――である。私にはそうではない。子供のころ、私は、いまもなおカルタゴの賞牌《メダル》の銘のようにありありした、深い、長もちする線で記憶に刻みこまれているところのものを、大人のような力をもって感じたのにちがいないのだ。
と言っても、事実は――世間の目から見れば――そこには思い出すことはなんと少ししかなかったことだろう! 朝の目覚めや、夜ごとの就寝命令、復習や、暗誦《あんしょう》、定期的な半休や、散歩、運動場での喧《けん》嘩《か》や、遊戯や、悪《わる》企《だく》み、――こんな事がらが、長いあいだ忘れられていた心の妖術《ようじゅつ》によって、あまたの感覚、かずかずの豊富な出来事、さまざまな悲喜哀楽の感情、もっとも熱情的な感動的な興奮などを味わわせてくれたのだ。"Oh, le bon temps, que ce si縦le de fer!"(おお、この草昧《そうまい》の時代の、楽しかりしころよ!)
実際、私の熱情的な、熱狂的なまた横柄《おうへい》な気性は、間もなく自分を学友たちのなかでのきわだった人物にさせ、また少しずつ、しかし自然な順序を踏んで、自分よりはさほど年が上ではない者全部に権力を揮《ふる》うようにさせてしまった。――ただし、それにはたった一人だけ例外があった。この例外というのは、なんの縁故もないのではあるが、私自身のと同じ洗礼名と姓とを持っている、一人の生徒なのであった。――このことは、事実、大して珍しいことではなかった。なぜなら、貴族の出ではあるが、私の名は、長いあいだ用いられてきた権利によってよほど昔から庶民の共有物となっているように思われる、あのごくありふれた名前の一つであったのだから。この物語では私は自分をウィリアム・ウィルスンと名づけることにしているのであるが、――これは実名とあまり違わぬ仮名なのである。学校の言葉で、「我々の仲間」と言っている者のなかで、この私の同名者だけが、あえて学科の勉強でも――運動場の競技や喧嘩でも私と競争し、――私の断言を盲目的に信ずることや、私の意志に服従することを拒み、――私の専断的な命令になんであろうと事ごとに干渉したのであった。もしこの世に最高無条件の専制政治というものがあるなら、それは一人のぬきんでた子供が、その仲間たちの気の弱い心にたいして揮う専制政治である。
ウィルスンの反抗は、私にはこの上ない当惑の種であった。――人前では彼や彼の言い草を空威張りであしらうようにとくに気をつかったものの、内心では彼を恐れていた。また、彼が私にたやすく対等に振舞っているのは、彼のほうがほんとうは上《うわ》手《て》である証拠だと思わずにはいられなかっただけ、ますます当惑の種であったのだ。だから負けまいとするためには、私は絶えず努力をしなければならなかった。だが、この彼のほうが上手であるということは――彼が私と対等であるということさえも――私自身のほかにはほんとうに誰一人として気がつかないのであった。私たちの仲間は、なにか妙な愚かさのために、そのことは疑いさえもしないらしかった。実際、彼の競争も、彼の抵抗も、ことに私の意図にたいする彼の無遠慮なしつこい干渉も、きびきびしたものというよりも、むしろ内々のものだった。また、私を駆りたてて卓越させようとする野心も、熱情的な心の力も、彼は持っていないようだった。彼の敵対は、ただ私自身を邪魔したり、驚かせたり、あるいは口惜《くや》しがらせたりしようとする気まぐれな欲望だけからやっているらしいと考えられた。もっとも、ときには、彼の無礼や、侮辱や、反抗のなかに、あるひどく不似合いな、たしかにひどく癪《しゃく》にさわる親切ぶかい《・・・・・》態度をまじえるのを、私は不審と屈辱と、立腹との気持をもって認めざるをえないことがあった。この奇妙な挙動は、人を保護したり、かばったりするような卑《いや》しい態度をとりたがる、完全な虚栄心から起るのだ、としか私には考えられなかった。
たぶん、ウィルスンの行為のこの後者の特徴が、二人の名が同じだということと、二人が同じ日にこの学校に入学したという単なる偶然の出来事と一緒になって、私たち二人が兄弟なのだという考えを、その学校の上級生の間にひろげたのであろう。上級生というものは普通は下級生のことを大して精確に詮《せん》議《ぎ》はしないものだ。私は前に言ったが、あるいは言うべきであったが、ウィルスンは私の一家とはどんなに遠い親族関係もなかったのである。しかし、もし私たちが兄弟であった《・・・》としたなら、たしかに二人は双生児であったにちがいない。なぜなら、ブランスビイ博士の学校を去ったのち、私は自分の同名者が一八一三年の一月十九日に生れたのであることを偶然に知ったのだ。――そしてこれはちょっと珍しい暗合であった。というのは、その日はまさしく私自身の誕生日なのであるから。
妙に思われるかもしれないが、ウィルスンが我慢ならない反抗精神で敵対して私を絶え間なしに不安にさせていたにもかかわらず、私はどうしてもまったく彼を憎むという気にはなれないのであった。たしかに二人はほとんど毎日のように喧嘩をしたが、その喧嘩では、彼は表向きは私に勝利をゆずりながらも、なにかの方法で、ほんとうに勝ったのは彼であることを私に感じさせるようにした。けれども、私の高慢と、彼の真実の威厳とは、いつも二人を「言葉をかわすくらいの間柄《あいだがら》」にしていたのであった。一方、二人の気質には実によく似た点がたくさんあって、それが、私に、二人がこんな立場でさえなかったら、おそらくは友情にまでなっていったかもしれないのにと思う気持を起させた。実際、彼にたいする私のほんとうの感情をはっきり定義することは、あるいはただ記述することでさえも、むずかしいのである。それは雑多な異質の混合物だった。――憎《ぞう》悪《お》というほどではない短気な怨恨《えんこん》もあり、尊敬の念もいくらかあるし、尊重の気持はもっと多くあり、恐れの心はよほどあり、不安な好奇心はうんとたくさんあった。倫理家には、ウィルスンと私自身とがまったく切っても切れない仲間であったということは、つけ加えて言う必要もないであろう。
疑いもなく、二人のあいだにあるその変則的な関係が、私のウィルスンにたいするすべての攻撃(それは公然とやるのも、こっそりとやるのもどちらもたくさんあったが)を、真面目《まじめ》なきっぱりした敵対でやるよりも、からかいか悪戯《いたずら》(ただふざけているように見せかけながら苦しめるのである)の方面に向けさせたのにちがいない。しかしこのことについての私の努力は、もっともうまく自分の計画を仕組んだときでさえも、決してみな成功するというわけにはゆかなかった。なぜかというと、鋭い冗談をやりながらも、ただ一つの弱みも持たず、また人から笑われることを絶対に許さない、あのたかぶらない静かな厳格さというものを、私の同名者はその性格にたくさん持っていたからである。実際、私はたった一つしか弱点を見出すことができなかった。それは、たぶん生れつきの病気からくる身体の特殊性にあるもので、私ほど知恵が尽きて他にどうにもしようがなくなった者でなければ、どんな敵手でも見のがしたものであろう。――私の競争者は咽喉《のど》の器官に悪いところがあって、そのためにどんなときでもごく低いささやき以上に《・・・・・・・・・・・》声を高めることができなかったのだ。この欠点に私はすかさず自分の力の及ぶかぎり、大したことでもないのにつけこんだのであった。
ウィルスンの返報は種類がさまざまであった。そしてそのなかで私をひどく苦しめた悪戯が一つあった。そんな下らないことが私を困らせるということを、どんなに利口な彼でもどうして最初にとにかく見つけたかということは、私になんとしても解けない疑問である。が、それを見つけると、彼はいつもそれで私を悩ませたのだ。私はいつも、自分の貴族的でない姓と、下品というほどではなくともごくありふれた名とを、嫌《きら》っていた。その言葉を聞くと耳のなかへ毒液を注ぎこまれるようだった。そして、私がこの学校へ着いた日に、もう一人のウィリアム・ウィルスンもまたその学校へ来たとき、私は、彼がその名を持っていることに腹立たしく感じ、また、他人がその名を持っていて、その男のためにそれが二倍もくりかえして呼ばれるのを聞かなければならないだろうし、その男は常に私の前にいるだろうし、その男が学校のいつもの普通の仕事でいろいろやることは、その厭らしい暗合のために、きっとちょいちょい私自身のと混同されるにちがいないのだから、その名を二重に嫌ったのだ。
こうして生れたいらだたしい感情は、競争者と私とが精神的にも肉体的にもよく似ていることを示すような事情が一つ一つ起るたびに、いよいよ強くなってきた。そのときは私はまだ二人が同い年であるというたいへんな事実を発見していなかった。が、二人が同じ丈であることはわかっていたし、大体の体つきや目鼻だちが奇妙に似てさえいることを認めていた。私はまた、上級生の間に流れていた、あの二人が血族関係だとかいう噂《うわさ》に悩まされた。とにかく、二人のあいだに心でも、体でも、あるいは身分でもの類似があるということをちょっとでも言われることほど、私をひどく苦しませることはなかったのだ(もっとも私はそういう苦痛をひた隠しに隠してはいたが)。しかし、(血族関係という事がらと、ウィルスン自身の場合とをのぞけば)この類似が学友たちの話題になったり、あるいは気づかれたりさえしたことが一度でもあった、と信ずべき理由はなに一つなかった。彼が《・・》そのことに、そのすべての方面において、また私と同じくらいはっきりと、気づいていた、ということは明らかであった。が、そういう事がらがそんなにひどく私を悩ませるということを彼が見抜いたのは、前に言ったように、まったく彼のなみなみでない眼力によるというよりほかはない。
私を完全に模倣するための彼の手がかりは、言葉と動作との両方にあった。そして実に見事に彼はそれをやったのだった。私の服装をまねるなどはたやすいことだった。私の歩きぶりや全体の態度は苦もなくまねてしまった。生れつきの欠陥があるにもかかわらず、私の声さえも彼はのがさなかった。私の大きな声はむろん出そうとはしなかったが、調子は――そっくりだった。そして彼の奇妙なささや《・・・・・・・・・・・》きは《・・》――私の声の反響そのままになってきた《・・・・・・・・・・・・・・・・》。
この実に精《せい》緻《ち》な肖像画(というのは、それはどうも戯画《カリカチュア》と名づけるわけにはいかなかったのだから)がどんなにひどく自分を悩ませたかは、いまここで書きしるそうとはしまい。たった一つだけ気休めがあったが、――それは、私一人しかその模倣に気がつかないらしいということだ。だから、私は自分の同名者自身の妙に皮肉な、わざとやってみせる微笑さえ我慢すればいいのであった。彼は、自分の企てたとおりの効果を私の胸のなかにひき起したことに満足して、自分の与えた苦痛にこっそりくすくす笑っているようだった。そして、自分の機知の成功で実にたやすくみんなの喝采《かっさい》を博することができたろうに、そんな喝采のことなどはまるで考えてみもしなかった。どうして学校じゅうの者がてんで彼の計画に気がつかず、それがまんまと成功していることもわからず、彼と一緒になって嘲笑《ちょうしょう》もしなかったかということは、多くの不安な年月のあいだ、私には解きえぬ謎《なぞ》であった。おそらく、彼が少しずつ少しずつ《・・・・・・・・》その模倣をやったために、そんなに造作なくは気づかれなかったのであろうか。あるいは、それよりも、模倣者の巧妙な態度のおかげで、私は助かったのかもしれない。彼は、文字(真似られた筆跡などは、どんな愚鈍な者でもみなわかるのである)などは軽蔑《けいべつ》して、私一人にだけよくわからせ口惜しがらせるために、彼の独創的な全精神を傾けたのだった。
彼が私をかばうようないまいましい態度をとったり、私の意志に幾度もおせっかいな干渉をしたりしたことは、すでにくりかえして言ったとおりである。この干渉はときどき不愉快な忠告の性質を持つことがあった。公然とする忠告ではなくて、それとなく言うような、あてつけて言うような忠告である。私はそれをされるのが実に嫌いだったが、その嫌《けん》悪《お》は年をとるにつれて強くなってきたのだった。だが、こんなに遠く月日がたったいまとなっては、彼のために当然この一事ぐらいは認めてやりたいと思う。それは、自分の競争者の忠告が、彼のような若い、未熟な者にはごくありがちな、誤りや愚かさに陥っていたことなど、一つも思い出すことができないということ。一般的な才能や世間的な知恵はとにかく、少なくとも彼の道義心は自分よりもずっと鋭かったということ。また、自分があの当時はただあまりに心から憎み、あまりにはげしく軽蔑《けいべつ》した、あの意味ふかいささやきのなかの忠告を、あんなに始終拒まなかったならば、いまの自分は、いまよりはもっと善良な、したがってもっと幸福な人間になっていたかもしれない、ということである。
しかしその時はそうではなかった。だから、私はとうとう彼の不愉快な監督にすっかり憤慨してしまい、私には我慢ならないその傲慢《ごうまん》さを、日ごとにますます公然と憎むようになった。前にも言ったように、二人が学友関係になった最初の一、二年は、彼にたいする私の感情は、たやすく友情にまでなっていったかもしれなかった。が、学校生活の終りごろになると、彼の普通の出しゃばりはたしかにいくらか減ってはいたけれど、私の気持は、それとほとんど同じくらいの割合で、非常に積極的な憎悪を持つようになった。あるとき彼はこのことを知ったらしく、それからあとは私を避けた。あるいは避けるようなふうをしてみせた。
もし自分の記憶が誤っていないなら、大体それと同じころのこと、私は彼と猛烈な争論をしたのであったが、そのとき、彼はいつもよりはずっと警戒の念をすてて、彼としては珍しくあけっ放しな挙動でしゃべったり振舞ったりしたが、その彼の口調や、態度や、全体の様子のなかに、私は最初は自分をぎょっとさせ、それから次には自分に深い興味を与えたあるものを、発見した。あるいは発見したような気がした。というのは、自分のごく幼いころのおぼろげな幻影――記憶力そのものがまだ生れないころの奇怪な、混乱した、雑然と群がってくる記憶――が自分の心に思い浮んだからなのだ。私は、自分の前に立っているものとは自分はよほどずっと以前のある時期――無限にとさえ言っていいくらい遥《はる》かな過去のあるとき――から知り合っているのだという信念を、なかなか払い落すことができなかった、というより以上に、そのとき自分を襲った気持をうまく書きしるすことはできない。しかし、この妄想《もうそう》は浮ぶとすぐさっさと消え去った。そして私は、ただ自分がその不思議な同名者とそこで最後の会話をした日のことを言うだけのために、このことを述べるのである。
数えきれないほどの区画のあるその大きい古い家には、互いに通じている大きな部屋がいくつかあって、そこに学生の大部分が寝ていたのだった。しかし、(そのように不器用に設計された建物にはどうしても当然あることだが、)建物の余ったところや端っこの、小さな隅《すみ》あるいは凹《へこ》んだところが、たくさんあって、それもまた、ブランスビイ博士の経済的工夫力によって、やはり寝室になるように造ってあった。もっとも、それはまったくほんの戸《と》棚《だな》のようなものなので、たった一人だけしか使うことができなかった。その小さな部屋の一つにウィルスンはいたのだ。
私がその学校へ入ってから五年目の終りごろのある晩、いま言ったあの争論をやったすぐあと、みんながすっかり寝しずまったのを見て、私は寝床から起き上がり、ランプを手にして、自分の寝室から自分の競争者の寝室へと、せまい廊下をいくつもいくつもそっと忍び足で通りぬけて行った。私は長いあいだあの意地悪な悪戯の一つを彼に加えてやろうとたくらんでいたのだが、これまではそれがいつも失敗してばかりいたのだった。今度こそ自分の計画を実行してやろうというのが、そのときの私の考えで、私は、自分のいだいている怨恨をいやというほど思い知らせてやろうと決心したのだ。彼の部屋へ着くと、ランプに笠《かさ》をかけて室の外へ残しておいて、音をたてずに内へ入った。私は一足踏みこんで、彼の静かな寝息に耳をすました。彼の眠っていることを確かめると、戻って、ランプを手に取り、それを持ってまた寝床に近づいた。寝床のまわりはカーテンでぴったり閉じこめてあったが、自分の計画にしたがって、そのカーテンをゆっくりと静かにひきのけたとき、明るい光線が眠っている者の上へきっぱりと落ち、私の眼《め》は同時に彼の顔の上へ落ちた。私は眺《なが》めた。――と、たちまち、しびれるような、氷のように冷たい感じが体じゅうにしみわたった。胸はむかつき、膝《ひざ》はよろめき、全心は対象のない、しかし堪えがたい恐怖に襲われた。息をしようとして喘《あえ》ぎながら、私はランプを下げてもっとその顔の近くへよせてみた。これが――これが《・・・》ウィリアム・ウィルスンの顔なのであろうか? 私はそれが彼のだということをちゃんと知っていた。が、そうではないような気がして、瘧《おこり》の発作にでもかかったかのようにぶるぶる震えた。その顔のなにが自分をそんなぐあいにどぎまぎさせたのであろうか《・・・・》? 私はじっと見つめた。――すると、さまざまな筋道の立たぬ考えが湧《わ》き上がって頭がぐらぐらとした。彼が目が覚めていて活溌《かっぱつ》でいるときは、彼はこんなふうには見えなかった、――たしかにこんなふ《・・・・》うには《・・・》見えなかった。同じ名前! 同じ体つき! この学校への同じ日の到着! それからまた、私の歩きぶりや、声や、服装や、態度などにたいする彼の執念ぶかい無意味な模倣! 自分のいま目にしているところのもの《・・・・・・・・・・・・・・・・・》が《・》、そういう皮肉な模倣を不断にやりつけていることの単に結果なのだということが、まことに、人間の力でできることであろうか? 畏怖《いふ》の念に打たれ、ぞっと身ぶるいしながら、私はランプを吹き消し、こっそりその部屋を出て、すぐにその古い学校の校舎を立ち去り、二度と決してそこへ戻らなかった。
それから幾月か家でただのらくらして過したのち、私はイートンの学生になった。そのあいだの短い月日は、ブランスビイ博士の学校でのあの出来事の記憶を弱めるのに、あるいは、少なくともその記憶にたいする感じ方を著しく変えるのに、十分であった。その劇の真実性――悲劇性――はもうなくなっていた。いまではあのときの自分の感覚が確かだったかどうかと疑う余裕さえできた。そしてたまにあの事がらを思い出すときには、ただ、人間というものはなんと物事を軽々しく信ずるものかと驚き、自分が遺伝的に持っている溌剌《はつらつ》たる想像の力に微笑《ほほえ》んだのだった。またこの種の懐疑は、自分がイートンで送った生活の性質のために減りそうにもなかった。私がそこですぐさま向う見ずに跳びこんでいった無分別な愚行の渦《うず》は、自分の過去の月日の泡《あわ》だけを除いてすべてを洗い去り、堅実な、または真面目な印象は一つ残らずさっさとのみこみ、以前の生涯《しょうがい》の全く浮薄なものだけしか記憶に残さなかったのだ。
しかし、私は、このイートンでの自分のあさましい乱行――学校の目を巧みにのがれながら、学校の規則などものともしなかった乱行――をいちいちたどって書こうとは思わぬ。愚行の三カ年は、ただ私に悪徳の根ぶかい習慣をつけ、またちょっと普通以上に私の背丈を伸ばしただけで、なんの得るところもなく過ぎ去った。が、そのころ、一週間もめちゃくちゃな放蕩《ほうとう》をしたのち、私はもっとも放縦な学生の数人を自分の部屋での秘密な酒宴に招待したのであった。私たちは夜がよほど更《ふ》けてから集まった。自分たちの乱行をまちがいなく朝までもつづけるつもりだったのだから。酒は豊かに満ちあふれていたし、それ以外のおそらくもっと危険な誘惑物なども欠けてはいなかった。というわけだったから、私たちの有頂天の乱痴気騒ぎがその絶頂に達しているうちに、東の方ははやかすかにほんのりと白みかかっていたのだった。骨牌《かるた》と酩酊《めいてい》とのために狂ったように興奮して、私がまさにいつも以上の不《ふ》埒《らち》な言葉を吐いて乾杯を強《し》いようとしていたちょうどこのとき、とつぜん自分の注意は、部屋の扉が少しではあるがはげしく開かれて、外から一人の小使がせかせかした声で呼んでいるのに、逸《そ》らされた。彼は、誰か急用のあるらしい人が、玄関のところで私に会って話したいと言っている、と告げた。
ひどく酒に酔っぱらっていたので、この思いがけない邪魔が入ったことは、私を驚かせるよりもむしろ喜ばせた。すぐさま私は前へよろめいてゆき、五、六歩歩くとその建物の玄関へ出た。その低い小さな室《へや》にはランプは一つもかかっていないので、そのときは、一つの半円形の窓から射《さ》しこんでくるごくかすかな暁の光のほかには、光はぜんぜん入っていなかった。その室の閾《しきい》をまたいだとき、私は自分と同じくらいの背の高さで、自分がそのとき着ていたもののように最新流行型に仕立てた白いカシミヤのモーニング・フロックを着た、一人の青年の姿に気がついた。それだけのことは、そのかすかな光で認められた。が、彼の顔の目鼻だちは見分けることができなかった。私が入ってゆくと、その男は急いで私の方へずかずかと歩みよって、怒りっぽいじれったそうな身ぶりで私の腕をつかみながら、私の耳もとで「ウィリアム・ウィルスン!」とささやいた。
私はたちまち、すっかり酔いがさめてしまった。
その見知らぬ男の態度には、また光と私の眼とのあいだに揚げた彼の指のぶるぶる震えていたことには、私にまったくの驚愕《きょうがく》の念を感じさせるものがあった。が、私をそれほどはげしく感動させたのは、そのことではなかった。それは、奇妙な、低い、叱《しか》るような声の厳かな警告の意味ふかさであった。また、とりわけ、過ぎし日の多くの群がりよる記憶を呼び起し、私の魂に電流に触れたような衝撃を与えた、あの短い、単純な、よく聞きなれた、しかもささやくような《・・・・・・・》声の性質、音色、調子《・・》であったのだ。私がやっと感覚の働きを回復したときには、その男はもう見えなかった。
この出来事は私の錯乱した想像力に強烈な効果をたしかに与えずにはいなかったが、それでもその効果は強烈であると同様に一時的なものだった。実際、何週間かは、私は熱心な詮《せん》議《ぎ》に没頭したり、病的な考究の雲に包まれたりした。私は、そのように根気よく自分のなすことに干渉し、あてつけに忠告をして自分を悩ませるその不思議な人物が誰であるかということを、知らないふりをしようなどとはしなかった。しかし、このウィルスンとは何者であるか? ――そして彼はどこから来たのか? ――また彼はなにをするつもりなのか? こういう事がらになると自分にはそのなかの一つも満足にわからなかった。――ただ、彼について確かめることのできたのは、彼の家族に突然なにかの出来事があって、そのために彼はブランスビイ博士の学校を、私自身が逃げ出したあの日の午後に退いた、ということだけであった。しかし、やがて私はその事がらについて考えることはやめてしまった。オックスフォードへ向って出発しようと思っていたので、それに自分の注意はすっかり取られたのだ。間もなくそこへ行ったが、私の両親の無考えな虚栄は、私に、すでに自分の心にはごく親しいものであった奢《しゃ》侈《し》に思いのままにふけることが――大ブリテンでももっとも金持の貴族の傲慢な子弟たちと金遣いの荒さでは張りあうことが――できるようにさせたほどの小遣いと年々の費用とを、あてがってくれた。
そういうような悪徳に都合のいい手段に励まされて、生来の気質はすぐに二倍もはげしくなり、私は常軌を逸した飲み騒ぎに惑溺《わくでき》し、普通の世間体の拘束さえも蹴《け》とばしてしまったのだった。しかし自分の乱行をここで詳しく書きたてるのはばかげたことであろう。ただ、自分が金遣いの荒い道楽者連中のあいだでも群を抜いていたということと、あまたの新しい愚行を考え出して、ヨーロッパじゅうでもいちばん放縦な大学でその当時常に行われていた悪徳の長い目録《カタログ》に、かなりの増補を加えたということとを、言っておくだけにしよう。
だが、ここでさえも、私が紳士としての身分からまったく堕落して、職業的の賭《と》博者《ばくしゃ》の陋劣《ろうれつ》きわまる手《て》管《くだ》を覚えこもうとし、また、その卑劣な術策の達人になってからは、いつもそれを実行して、仲間の学生たちのなかの愚鈍な連中から金をまき上げて、そうでなくとも莫大《ばくだい》な収入をいやが上にも増す手段としていた、ということはとても信じられないであろう。けれども、事実はそうだったのだ。そして、あらゆる立派な正しい情操に反するこの罪科のあまりに大きいというそのことが、疑いもなく、それが行われながら罰せられなかったことの唯一《ゆいいつ》のではなくとも主要な理由となったのだった。実際、私の放縦な仲間たちのなかで、あの快活な、率直な、寛大なウィリアム・ウィルスン――オックスフォードでもいちばん高潔でいちばん気前のいいあの自費生――彼の乱行は青年の放《ほう》肆《し》な空想のさせる乱行にすぎず――彼の過失はまねのできぬ気まぐれにすぎず――彼のいちばん暗い悪徳も無頓着《むとんじゃく》な血気にまかせてする放蕩にすぎない(と彼の取巻き連の言う)あのウィリアム・ウィルスン――がそういうようなことをしようと疑うよりは、むしろ自分の気が確かかどうかを問題にしようとしない者がいたろうか?
もうはや二年もそんなふうにして私はいつも首尾よくやってきたが、そのころ、その大学へ、グレンディニングという若い成金《なりきん》の貴族――人の噂《うわさ》によるとヘロオデス・アッティクスのような金持で――また彼の富はそのようにたやすく手に入れたものだそうであった――が、入ってきた。私にはすぐこの男の低能なことがわかったので、もちろん、自分の手練を揮《ふる》うに持って来いの相手として目をつけた。私はたびたび彼と賭博をやり、賭博者のいつもやる策略で、自分の罠《わな》にいっそううまく陥らせるために、彼にかなりの額を勝たせるように仕向けた。とうとう、もう自分の計略が熟してきたので私は彼と仲間の自費生(プレストン君)の部屋で(これを最後の終決的な会合にしてやろうと堅く思いながら)会った。プレストン君というのは二人とも同じく懇意なのであるが、彼のために言っておけば、彼は私の企図《たくらみ》はほんのちょっとばかりも疑っていはしなかったのである。この会合にさらにもっともらしい文《あや》をつけるために、私は八人か十人ばかりの連中が集まるように仕組み、それから骨牌《かるた》がいかにも偶然に持ち出されたように見え、しかも私の目をつけているその阿《あ》呆《ほう》自身が言い出して始まるように、よほど気をつけてやったのだった。この陋劣な題目について簡単に言ってしまえば、どうしてまだ一人でもそれにひっかかるほどの愚かな者がいるのかということがまったく不思議なくらいそういうような場合にはいつも決って用いられる、あの卑劣な術策は一つ残らず使ったのだった。
私たちは勝負をずっと夜までつづけ、私はとうとうグレンディニングを自分のただ一人の相手にする運びをつけてしまった。競技は、そのうえ、私の得意のエカルテだった。一座の他の連中は、私たちの勝負の大きいのに興味を持ち、自分たちの札を投げ出してしまって、二人のまわりに立って見物した。宵《よい》のうちに私の謀略でしたたか酒を飲まされていたその成金は、いまやひどく神経質な態度で札を切ったり、配ったり、打ったりしたが、その態度はいくらかは酔いのためであろうがそればかりではないにちがいないと私には思われた。またたく間に彼は私からずいぶんの額を借りることになったが、そのとき、彼はポルト酒をぐうっと一気に飲みほすと、まさに私が冷静に予期していたとおりのことをした。――そうでなくとも法外な額の賭金《かけきん》を、二倍にしようと申込んだのだ。いかにも厭《いや》なような様子をしてみせ、また幾度も拒絶して彼を怒らせて、おとなしくしている自分をもちょっとむっとさせるような言葉を彼に吐かせてから、とうとう私は応諾してやった。その結果は、無論、その餌《え》食《じき》がいかにまったく私の罠にかかっているかということを示すだけだった。一時間もたたないうちに彼は借金を四倍にしてしまった。少し前から彼の顔は酒のために染まった赤らんだ色合いを失いつつあったが、いまや、驚いたことには、それがまったく恐ろしいくらいの蒼《あお》さになっているのを私は認めた。驚いたことには、と私は言う。グレンディニングは、私が熱心に探ったところでは、測り知れないくらいの金持だったのだ。そしてそれまでに彼の損をした額は、それだけとしては莫大なものではあるけれど、さほど大して彼を困らせるはずはない、ましてそんなにはげしく彼に打撃を与えるはずがないと私は考えた。たったいま飲みこんだ酒に酔いつぶれたのだというのが、すぐさま胸に浮んだ考えであった。そこで、私は、それほど利己的ではない他のいかなる動機でよりも、むしろただ仲間たちの目に自分自身の品性を保とうというだけの目的で、勝負を中絶することをきっぱり主張しようとしたそのとき、一座のなかの私の近くにいた者の口にした二、三言と、グレンディニングの思わず発したまったくの絶望を表わす声とは、彼が、みんなの憐憫《れんびん》の的となって悪魔の仇《あだ》からでも保護されるくらいな事情のもとに、私のために完全な破滅をさせられたのだ、ということを私に理解させたのであった。
このとき私がどう振舞ったろうかということは、言うのがむずかしい。私にひっかけられた男のその惨《みじ》めな有様は、あらゆるものにせっぱつまったような陰惨な様子を投げかけていた。そしてしばらく深い沈黙がつづいたが、そのあいだ、私は、一座のなかの比較的真面目《まじめ》な連中が自分に投げる、軽蔑《けいべつ》や非難の焼くような多くの視線で、自分の頬《ほお》がちくちくするのを感ぜずにはいられなかった。そのとき不意の驚くべき出来事が突発したために、自分の胸からちょっとのあいだ堪えがたい苦痛の重みが取りのけられたくらいだ、ということを私は白状してもいい。その室の広い、重い両開き扉がとつぜんぱっといっぱいに開かれ、その力強い凄《すさ》まじい猛烈さのために、部屋じゅうの蝋燭《ろうそく》が一つ残らず、まるで魔術で消えたかのように消されたのだ。その蝋燭の明りが消えてゆくときに、私たちは、私くらいの背の、外套《がいとう》にぴったりとくるまった一人の見知らぬ男が入っているのを、ちょっと認めることができた。けれども、すぐにまったくの真っ暗闇《くらやみ》となり、私たちはただその男がみんなの真ん中に立っているのを感ずる《・・・》ことができるだけだった。この無作法に一同がすっかり驚き、まだ一人もその驚きが鎮《しず》まらないうちに、その闖入者《ちんにゅうしゃ》の声が聞えたのであった。
「諸君」と彼は、私の骨の髄までもぞっとするような、低い、はっきりした、決して忘れられないささやき声《・・・・・》で言った。「諸君、私はこの振舞いにたいしてなにも弁解はしません。こう振舞って、ただ私は一つの義務を果しているのだからです。諸君はたしかに、今夜グレンディニング卿《きょう》からエカルテで大金をまき上げた人間の本性をご存じない。だから、私は、そのきわめて必要な知識を得る手っ取り早い確かな方法を一つ、諸君にお授けしましょう。どうか、その男の左の袖《そで》のカフスの内側と、縫取りしたモーニング・ラッパーの広いほうのポケットのなかにあるはずのいくつかの小さな包みとを、ごゆっくりお調べください」
彼がしゃべっているあいだは、床の上へ針が一本落ちても聞えそうなほど、ひっそりと鎮まりかえっていた。言いおわると、彼はすぐに、また入って来たときのように突如として、行ってしまった。そのときの自分の感じを私は書くことができるだろうか――書かねばならぬだろうか? 私は地獄に落ちた者のあらゆる恐怖を感じたなどと言わねばならないだろうか? たしかに私には考えている暇はほとんどなかった。たくさんの手がすぐに私を乱暴にひっつかみ、明りはまたすぐに持って来られた。つづいて捜索が行われた。私の袖の裏から、エカルテにもっとも肝心なあらゆる絵札が発見され、ラッパーのポケットからは、たくさんの骨牌札が発見された。これは私たちの勝負に使った札とそっくりのもので、ただ一つ違っているのは、私のはその道の言葉で言えばアロンデという種類のものだった。すなわち、最高札《オナアズ》は上下の縁が少しばかり凸形《とつがた》になっているし、並の札は両横の縁が少しばかり凸形になっているのである。こんなぐあいになっているので、だまされる人は普通のように札を縦に切るものだから、いつも相手に最高札のほうを切ってやるし、だますほうは横に切るから、同様にきっと相手に点になるような札は一枚もつかませないことになるのだ。
このことが露顕したとき、みんなが一時に憤りたててでもくれたなら、それほど私も参らなかったろうが、みんなはただ黙って軽蔑の色を浮べ、または皮肉な様子で平然としていたのだった。「ウィルスン君」と部屋の主人は、体をかがめて、珍しい毛皮のすばらしく贅沢《ぜいたく》な外套を足の下から取り上げながら、言った。「ウィルスン君、これは君の物だよ」(寒い時候だったので、私は自分の室を出るときに、ドレッシング・ラッパーの上へ外套をひっかけてきて、その骨牌をやる部屋へ入ると脱いでおいたのだった)「この上のお手並の証拠を拝見するために、ここを」(と外套の襞《ひだ》のところを苦々しい微笑を浮べて眺《なが》めながら)「捜すのは余計なことだろうと思う。実際、あれだけでもう十分だ。君はオックスフォードを立ち去らねばならないことはわかっているだろうな。――ともかく、僕の部屋からはすぐさまね」
私はそのときすっかり面目を失い、ひどく屈辱を感じてはいたが、もし一つのもっとも驚くべき事実にその瞬間自分の全注意をひかれなかったならば、このいまいましい言葉にたいしてすぐさま直接行動に出たかもしれない。私の着ていた外套は世にも珍しい種類の毛皮でこさえたものだった。どんなに珍しいもので、どんなに途方もないほど高価なものであったかということは、あえて言うまい。その型もまた、私自身の風変りな考案になるものだった。そんなつまらぬ事がらにまで、私はばかげたくらいに気むずかしくめかしやだったからである。そういうわけだったから、プレストン君が部屋の両開き扉の近くの床の上から拾い上げたものを私に渡してくれたとき、私は、私自身のがはや自分の腕にかかっていて(たしかに自分でうっかり腕へかけておいたのだ)、自分にさしつけられたのは、どこからどこまで、実にもっとも細かな点に至るまでも、それにそっくり似せた物にほかならぬということに気がついて、ほとんど恐怖に近いくらいの驚きを感じたのであった。あんなに私の秘密をすっぱ抜いてひどい目にあわせたあの不思議な人物は、私の記憶しているところでは外套にくるまっていた。そして私たちの一座の者は、私をのぞいては、誰ひとり外套を着ていなかったのだ。多少の落着きは保っていたので、私はプレストンが差出してくれたのを取り、誰の目にもつかずにそれを自分の外套の上にかけ、にらみ返すような強い顰《しか》め面《つら》をしながらその部屋を出た。そして、翌朝まだ夜の明けないうちに、まったく苦しいばかりの恐怖と屈辱とを感じながら、オックスフォードから大陸へあたふたと旅立ったのである。
私はむなしく逃げまわった《・・・・・・・・・・・・》。私の邪悪な運命はまるで喜び勇んでのように私を追いかけて来て、その運命の不思議な支配がまだ始まったばかりだということを示した。私はパリへ足を踏み入れるや否《いな》や、このウィルスンが私のことに憎むべき関心を持っていることの新たな証拠を見た。幾年も過ぎ去ったが、そのあいだ私は少しも心の安まることはなかった。悪党! ――ローマでは、どんなに折《おり》悪《あ》しく、しかもどんなに妖怪《ようかい》のようなおせっかいをもって、私の野心の邪魔をしたことか! ウィーンでも――ベルリンでも――またモスコーでも! まことに、心のなかで彼を呪《のろ》うべき苦い理由を持たなかった《・・・・》所がいずこにあったか? 不可解な彼の暴虐《ぼうぎゃく》から、私はとうとう戦々兢々《きょうきょう》として疫病《えきびょう》から逃げるように逃げた。そして地球のはてまでも私はむなし《・・・・・》く逃げまわった《・・・・・・・》。
再三再四、私はそっとわが心に問うた、「彼は何者であるか? ――彼はどこから来たのか? ――また彼の目的はなんであるか?」と。しかし答えは一つも得られなかった。それから今度は、彼のあつかましい監督の形式と、方法と、主要な特徴とを、細かな詮索をして吟味してみた。けれどもそこにすら推量の基礎となるべきものはほとんどなかった。実際、気のつくことは、彼が最近私の邪魔をした多くの場合のすべてが、もしそれがほんとに実行されたなら忌《い》むべき害を生じたであろう計画や行為に限られていたのだ。だが、これは、あんなに横柄《おうへい》に揮った権力にたいするなんという貧弱ないいわけであろう! 自由行動という生得の権利をあんなに執拗《しつよう》に、あんなに無礼に否定されたことにたいするなんという貧弱な損害賠償であろう!
私はまた、自分の迫害者が、非常に長いあいだ(そのあいだずっと、私と同じ服装をするという彼の酔狂を、注意ぶかく、しかも驚嘆すべき巧妙さをもって、つづけていながら)、私の意志にいろいろな干渉をする際に、彼の目鼻だちをどんなときでも私に見せないようにしていた、ということにも気がつかずにはいられなかった。ウィルスンがたとい何者であろうとも、少なくともこのこと《・・・・》は、実に衒《てら》いの、あるいは愚の最たるものにすぎなかった。イートンでの私の訓戒者――オックスフォードでの私の名誉の破壊者――ローマでの私の野心や、パリでの私の復讐《ふくしゅう》や、ナポリでの私の熱烈な恋や、さてはエジプトでの私の貪欲《どんよく》と彼が誤って名づけたものなどを、妨害した男――この私の悪魔であり悪の本尊である男が、私の学童時代のあのウィリアム・ウィルスン――ブランスビイ博士の学校でのあの同名者、学友、競争者――あの憎み恐れた競争者であることを、私が認められない、などと彼は一瞬間でも想像することができたろうか? そんなことはありえない! ――だが、私はこの劇の最後の重要な場面へ急ぐことにしよう。
これまで私は、この横柄な支配に意気地《いくじ》なく屈してきた。ウィルスンの気高い性格と、尊厳な叡《えい》知《ち》と、一見遍在していて全知全能であるように思われることとにたいして、自分の常にいだいていた深い畏怖《いふ》の情は、彼の性質のなかのある他の特性と傲慢《ごうまん》さとが自分に起させた恐怖とまで言うべき感じとあいまって、これまでは、私に、自分がまったく無力でどうにもできない者だという考えを与え、また彼の専断的な意志にひどく厭々ながら盲従するようにさせてきたのであった。しかし、近ごろになって、私はまるで酒びたりになり、それが自分の遺伝的な気質に狂おしいくらいの影響を与えて、いよいよ自分を抑えきれなくなった。私は不平を鳴らし――ためらい――抵抗しはじめるようになった。そして、自分自身の強さが増してくるにつれて自分の迫害者の強さがそれに比例して減っていくように私が信じたのは、ただ気のせいであろうか? それがいずれにしろ、私はいまや燃えるような希望の霊感を感じはじめ、とうとう、こっそりと、このうえ決して服従して奴《ど》隷《れい》扱いにされまいという断固とした決心を固めたのであった。
ローマで、一八――年の謝肉祭《カーニバル》のあいだ、私はナポリの公爵《こうしゃく》ディ・ブロリオの邸宅における仮面舞踏会に出席した。私はその日いつもよりももっとひどく酒を過していた。そしていま、こみ合った室内の息づまるような空気は、私を我慢のできないほどいらいらさせた。それに、ごった返している人込みのあいだを押し分けてゆく厄介《やっかい》さも、気持をいらだたせるのにかなり油を注いだ。というのは、私は、かの年をとって耄碌《もうろく》しているディ・ブロリオの、若い、浮気な、美しい細君をしきりに捜して(どんな卑《いや》しい動機でということは言わないことにするが)いたのだから。彼女は、ひどく不真面目な大胆さで、自分の着ける仮装衣装の秘密を前もって私に知らせてくれていたのだ。そしていまこそ、彼女の姿をちらりと認めたので、私は彼女のところへ行こうとして急いですすんだ。――と、その刹《せつ》那《な》、自分の肩に軽く手が触れるのが感ぜられ、あのいつも忘れたことのない、低い、いまいましいささやき《・・・・》が耳のなかに聞えたのだった。
まったく怒り狂って、私はすぐに自分をそうして邪魔した男の方へ振り向き、荒々しくそいつの襟首《えりくび》をひっつかんだ。彼は、私の予期したとおり、私のとまったく同じ衣装を身につけていた。剣をつるす深紅色の帯を腰のまわりに巻いた、青天鵞絨《びろうど》のスペイン風の外套を纏《まと》っているのだ。黒い絹の仮面が彼の顔をすっかり蔽《おお》いかくしていた。
「ごろつきめ!」と激怒のためにしゃがれた声で私は言った。私の口から出る一語一語は、自分の怒りをさらに焚《た》きつける新たな薪《まき》のようであった。「ごろつきめ! かたりめ! いまいましい悪党め! ――己《おれ》はきさまに――きさまに死ぬまでもつきまとわれてはいな《・・》いぞ《・・》! ついて来い! でなけりゃこの場で突き刺してやるぞ!」――そして私は、抵抗のできないように彼を一緒にひきずりながら、舞踏室から隣の小さな控《ひかえ》の間《ま》へと跳び込んだ。
そこへ入ると、はげしく彼を突きはなした。彼が壁につき当ってよろめいているあいだに、私は呪《じゅ》咀《そ》の言葉とともに扉《とびら》をしめて、彼に剣を抜けと命じた。彼はほんのちょっとのあいだ躊躇《ちゅうちょ》したが、やがて、かすかな溜息《ためいき》をつきながら、黙って剣を抜き、防御の身がまえをした。
仕合はごく短かった。私はあらゆる種類のはげしい興奮のために狂気のようになっていて、片腕に百千人の力がこもっているのを感じた。数秒のうちに怪力を揮って彼を羽目板のところへ押しつけ、こうして彼を自分の掌中に握ると、残忍凶猛に、幾度も幾度も彼の胸へ自分の剣を突き立てた。
その瞬間、誰かが扉の挿錠《さしじょう》をがちゃがちゃさせた。私は急いで誰でも外から入って来られないようにして、それからまたすぐその瀕《ひん》死《し》の敵手のところへとひき返した。しかし、そのとき眼前にあらわれた光景を見たとき自分をおそったあの《・・》驚愕《きょうがく》、あの《・・》恐怖を、どんな人間の言葉が十分にあらわすことができようか? 私が眼《め》を離していたそのちょっとのまに、室《へや》の上《かみ》手《て》の、つまり遠いほうの端の配置に、見たところ、重大な変化が起きていたのだ。大きな鏡が――自分の心が混乱していたので私には最初はそう思われたのだが――いまや前になにもなかったところに立っていたのだ。そして、私が極度の恐怖を感じながらそれに近づいてゆくと、私自身の姿が、だが真《ま》っ蒼《さお》な、血にまみれた顔をして、力のないよろよろした足どりで私の方へすすんで来た。
そんなふうに見えた。が、そうではなかった。それは私の敵手であった、――それは断末魔の苦《く》悶《もん》をしながらそのとき私の前に立ったウィルスンであった。彼の仮面と外套とは床の上に、彼の投げ棄《す》てたところに、落ちていた。彼の衣服中の糸一本も――彼の顔のあらゆる特徴のある奇妙な容貌《ようぼう》のなかの線一つも、まったくそのままそっくり、私自身のも《・・・・・》の《・》でないものはなかった!
それはウィルスンであった。けれども彼はもうささやきでしゃべりはしなかった。そして私は、彼が次のように言っているあいだ、自分がしゃべっているのだと思うことができたくらいであった。――
「お前は勝ったのだ《・・・・・・・・》。己は降参する《・・・・・・》。だが《・・》、これからさきは《・・・・・・・》、お前も死んだのだ《・・・・・・・・》、――こ《・》の世にたいして《・・・・・・・》、天国にたいして《・・・・・・・》、また希望《・・・・》にたいして死んだんだぞ《・・・・・・・・・・・》! 己のなかにお前《・・・・・・・・》は生きていたのだ《・・・・・・・》。――そして《・・・》、己の死で《・・・・》、お前がどんなにまったく自分を殺してしまっ《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》たかということを《・・・・・・・・》、お前自身のものであるこ《・・・・・・・・・・・》の姿でよく見ろ《・・・・・・・》」
メールストロムの旋《せん》渦《か》
自然における神の道は、摂理におけると同様に、われら人間《・・・・・》の道と異なっている。また、われらの造る模型は、広大深玄であって測り知れない神の業《わざ》にはとうていかなわない。
まったく神の業はデモクリタスの井戸よりも《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》深い《・・》。
ジョオゼフ・グランヴィル
私たちはそのとき峨々《がが》としてそびえ立つ岩の頂上にたどりついた。四、五分のあいだ老人はへとへとに疲れきって口もきけないようであった。
「まだそんなに古いことではありません」と、彼はとうとう話しだした。「そのころでしたら、末の息子と同じくらいにらくらくと、この道をご案内できたのですがね。それが三年ほど前に私は、どんな人間も遭ったことのないような――たとえ遭ったにしても、生き残ってそれを話すことなんぞはとてもできないような――恐ろしい目に遭って、そのときの六時間の死ぬような恐ろしさのために、体も心もすっかり参ってしまったものでしてね。あなたは私をずいぶん《・・・・》老人だと思っていらっしゃる――が、ほんとうはそうじゃないのですよ。たった一日もたたないうちに、真っ黒だった髪の毛がこんなに白くなり、手足の力もなくなって、神経が弱ってしまいました。だからいまでは、ほんのちょいとした仕事にも体がぶるぶる震え、ものの影にもおびえるような有様です。こんな小さい崖《がけ》から見下ろしても眩暈《めまい》がするんですからね」
その「小さい崖」の縁に、彼は体の重みの半分以上も突き出るくらい無頓着《むとんじゃく》に身を投げだして休んでいて、ただ片肘《かたひじ》をそのなめらかな崖ぎわにかけて落ちないようにしているだけなのであるが、――この「小さい崖」というのは、なんのさえぎるものもない、切り立った、黒く光っている岩の絶壁であって、私たちの下にある重なりあった岩の群れから、ざっと千五、六百フィートもそびえ立っているのである。どんなことがあろうと、私などはその崖の端から六ヤード以内のところへ入る気がしなかったろう。実際、私は同行者のこの危険この上ない姿勢にまったく度《ど》胆《ぎも》を抜かれてしまい、地上にぴったりと腹《はら》這《ば》いになって、身のまわりの灌木《かんぼく》にしがみついたまま、上を向いて空を仰ぐ元気さえなかった。――また吹きすさぶ風のために山が根から崩れそうだという考えを振いおとそうと一所懸命に努めたが、それがなかなかできないのであった。どうにか考えなおして坐《すわ》って遠くを眺《なが》めるだけの勇気を出すまでには、だいぶ時間がかかった。
「そんな弱い心持は、追っぱらってしまわねばなりませんね」と案内者が言った。「さっき申しましたあの出来事の場所全体がいちばんよく見渡せるようにと思って、あなたをここへお連れしてきたので――ちょうど眼《め》の下にその場所を見ながら、一部始終のお話をしようというのですから」
「私たちはいま」と彼はその特徴である詳しい話しぶりで話をつづけた、――「私たちはいま、ノルウェーの海岸に接して――北緯六十八度――広大なノルドランド州の――淋《さび》しいロフォーデン地方にいるのです。いまそのてっぺんに坐っているこの山は、ヘルゼッゲン、雲の山です。さあ、もう少し伸びあがってください、――眩暈がするようでしたら草につかまって――そう、そんなふうに――そうして、帯のようになっている靄《もや》の向うの、海の方をご覧なさい」
私は眩暈がしそうになりながらも見た。すると広々した大洋が見える。その水の色はインクのように黒いので、私の頭にはすぐヌビアの地理学者の書いたMare Tenebrarumについての記述が思い出された。これ以上に痛ましくも荒寥《こうりょう》とした展望《パノラマ》は、どんな人間の想像でも決して思い浮べることができない。右を見ても左を見ても眼のとどくかぎり、恐ろしいくらいに黒い突き出た絶壁が、この世界の城壁のように長くつらなっている。その絶壁の陰鬱《いんうつ》な感じは、永遠に咆哮《ほうこう》し号叫しながら、それにぶつかって白いもの凄《すご》い波頭を高くあげている寄波《よせなみ》のために、いっそう強くされているばかりであった。私たちがその頂上に坐っている岬《みさき》にちょうど向きあって、五、六マイルほど離れた沖に、荒れ果てた小島が見えた。もっとはっきり言えば、果てしのない波《は》涛《とう》の彼方《かなた》に、それにとり囲まれてその位置が見分けられた。それから約二マイルばかり陸に近いところに、それより小さな島がもう一つあった。岩石で恐ろしくごつごつした不毛な島で、一群の黒い岩がその周囲に点々として散在している。
海の様子は、この遠い方の島と海岸とのあいだのところでは、なにかしらひどく並々でないところがあった。このとき疾風が非常に強く陸の方へ向って吹いていたので、遠くの沖合の二本マストの帆船が二つの縮帆部《リーフ》をちぢめた縦帆《トライセール》を張って停船し、しかもなお、その全船体をしきりに波間に没入していたが、その島と海岸とのあいだだけは、規則的な波のうねりらしいものがぜんぜんなく、ただ、あらゆる方向に――風に向った方にもその他の方向と同じように――海水が短く、急速に、怒ったように、逆にほとばしっているだけであった。泡《あわ》は岩のすぐ近いところのほかにはほとんど見えない。
「あの遠い方の島は」と老人はまた話しはじめた。「ノルウェー人がヴァルーと言っています。真ん中の島はモスケーです。それから一マイル北の方にあるのはアンバーレン。向うにあるのはイスレーゼン、ホットホルム、ケイルドヘルム、スアルヴェン、ブックホルム。もっと遠くの――モスケーとヴァルーとのあいだには――オッテルホルムとフリーメンとサンドフレーゼンと、ストックホルムとがあります。これはみんなほんとうの地名なんですが――いったいどうしてこういちいち名をつける必要があったのかということは、あなたにも私にもわからないことです。そら、なにか聞えませんか? 水の様子になにか変ったことがあるのがわかりませんか?」
私たちはへルゼッゲンの頂上にもう十分ばかりいた。ここへ来るにはロフォーデンの奥の方からやってきたので、途中では海がちっとも見えなくて、絶頂に来て初めて海がぱっと眼の前に展開したのである。老人がそう言ったときに、私はアメリカの大草原《プレアリー》における野牛の大群の咆哮のようなだんだんと高まってゆく騒々しい物音に気がついた。と同時にまた、眼の下に見えていた船乗りたちのいわゆる狂い波《・・・》が、急速に東の方へ流れる潮流に変りつつあることに気がついた。みるみるうちに、この潮流はすさまじく速くなった。刻一刻と速さを増し――せっかちな激しさを加えた。五分もたつと、ヴァルーまでの海は一面に抑えきれぬ狂瀾怒涛《きょうらんどとう》をまき上げた。が、怒涛のいちばんひどく猛《たけ》り狂っているのはモスケーと海岸とのあいだであった。そこではひろびろとたたえている海水が、裂けて割れて無数の衝突しあう水路になったかと思うと、たちまち狂おしく痙攣《けいれん》し、――高まり、湧《わ》きたち、ざわめき、――巨大な無数の渦《うず》となって旋回し、まっさかさまに落下する急流のほかにはどこにも見られぬような速さで、渦巻きながら、突進しながら、東の方へ流れてゆく。
それからさらに四、五分たつと、この光景にまた一つの根本的な変化が起った。海面は一般にいくらか穏やかになり、渦巻は一つ一つ消えて、不思議な泡の縞《しま》がいままでなにもなかったところにあらわれるようになったのだ。この縞はしまいにはずっと遠くの方までひろがってゆき、互いに結びあって、いったん鎮《しず》まった渦巻の旋回運動をふたたび始め、さらに巨大な渦巻の萌《ほう》芽《が》を形づくろうとしているようであった。とつぜん――まったくとつぜんに――これがはっきり定まった形をとり、直径一マイル以上もある円をなした。その渦巻の縁は、白く光っている飛沫《しぶき》の幅の広い帯となっている。しかしその飛沫の一滴さえもこの恐ろしい漏斗《じょうご》の口のなかへ落ちこまない。その漏斗の内側は、眼のとどくかぎり、なめらかな、きらきら輝いている黒玉《こくぎょく》のように黒い水の壁であって、水平線にたいして約四十五度の角度で傾斜し、揺らぎながら恐ろしい速さで目まぐるしくぐるぐるまわり、なかば号叫し、なかば咆哮し、かのナイヤガラの大瀑《だいばく》布《ふ》が天に向ってあげる苦《く》悶《もん》の声さえかなわないような、すさまじい声を風に向ってあげているのだ。
山はその根からうち震え、岩は揺れた。私はぴったりとひれ伏して、神経の激動のあまり少しばかりの草にしがみついた。
「これこそ」と、私はやっと老人に言った、――「これこそ、あのメールストロムの大渦巻なんですね」
「ときには、そうも言いますが」と彼は言った。「私どもノルウェー人は、あの真ん中にあるモスケー島の名をとって、モスケー・ストロムと言っております」
この渦巻についての普通の記述は、いま眼の前に見たこの光景にたいして、少しも私に前もって覚悟させてくれなかった。ヨナス・ラムスの記述はおそらくどれよりもいちばん詳しいものではあろうが、この光景の雄大さ、あるいは恐ろしさ――あるいは見る者の度胆を抜くこの奇観《・・》の心を奪うような感じ――のちょっとした概念をも伝えることができない。私はこの著者がどんな地点から、またどんな時刻に、この渦巻を見たのかは知らない。が、それはヘルゼッゲンの頂上からでもなく、また嵐《あらし》の吹いているあいだでもなかったにちがいない。しかし彼の記述のなかには、その光景の印象を伝えるにはたいへん効果は弱いが、その詳しい点で引用してもよい数節がある。
彼はこう書いている。「ロフォーデンとモスケーとのあいだにおいては、水深三十五尋《ひろ》ないし四十尋なり。されど他の側においては、ヴェル(ヴァルー)に向いてこの深さはしだいに減り、船舶の航行に不便にして、静穏な天候のおりにもしばしば岩礁《がんしょう》のために難破するの危険あり。満潮時には潮流は猛烈なる速度をもってロフォーデンとモスケーとのあいだを陸に向って奔流す。されどその激烈なる退潮時の咆哮にいたりては、もっとも恐ろしき轟々《ごうごう》たる大瀑布も及ぶところにあらず、――その響きは数リーグの遠きに達す。しかしてその渦巻すなわち凹《くぼ》みは広くかつ深くして、もし船舶にしてその吸引力圏内に入るときは、かならず吸いこまれ海底に運び去られて岩礁に打ちくだかれ、水力衰うるに及び、その破片ふたたび水面に投げ出されるなり。しかれども、かく平穏なる間隙《かんげき》は潮の干満の交代時に、しかも天候静穏の日に見るのみにして、十五分間継続するにすぎず、その猛威はふたたびしだいに加わる。潮流もっとも猛烈にして暴風によってさらにその狂暴を加うるときは、一ノルウェー・マイル以内に入ること危険なり。この圏内に入らざるうちにそれにたいして警戒するところなかりしため、端艇、快走船、船舶など多く海底に運び去られたり。同様に鯨群《げいぐん》のこの潮流の近くに来たり、その激烈なる水勢に巻きこまるること少なからず、逃れんとするむなしき努力のなかに叫喚し、怒号するさまは筆の及ぶところにあらず。かつて一頭の熊《くま》ロフォーデンよりモスケーに泳ぎわたらんとして潮流に巻きこまれて押し流され、そのもの凄く咆哮する声は遠く岸にも聞えたるほどなりき。樅《もみ》、松などの大なる幹、潮流に呑《の》まれたるのちふたたび浮び上がるや、はなはだしく折れ砕けてあたかもそが上に剛《あら》毛《げ》を生ぜるがごとく見ゆ。こは明らかに、渦巻の底の峨々《がが》たる岩石より成り、そのあいだにこれらの木材のあちこちと旋転することを示すものなり。この潮流は海水の干満によりて支配せらる、――すなわち常に六時間ごとに高潮となり落潮となる。一六四五年、四旬《セク》斎前第二日曜《サゼシマ》の早朝、その怒号狂瀾ことにはげしく、ために海辺なる家屋の石材すら地に崩落せり」
水深については、どうして渦巻のすぐ近くでこういうことが確かめられたか私にはわからぬ。この「四十尋」というのは、モスケーかあるいはロフォーデンかどちらかの岸に近い、海峡の一部分にだけあてはまることにちがいない。モスケー・ストロムの中心の深さはもっと大したものにちがいなく、この事実のなによりの証拠は、ヘルゼッゲンの頂の岩上からこの渦巻の深淵《しんえん》をななめに一見するだけで十分である。この高峰から眼下の咆哮する phlegethonを見下ろしながら、私は鯨や熊の話をさも信じがたい事がらのように書いているかの善良なヨナス・ラムス先生の単純さに微笑せずにはいられなかった。というのは、現存の最大の戦闘艦でさえ、この恐ろしい吸引力のおよぶ範囲内に来れば、一片の羽毛が台風に吹きまくられるようになんの抵抗もできずに、たちまちその姿をなくしてしまうことは、実にわかりきったことに思われたからである。
この現象を説明しようとした記述は、そのなかのある部分は、読んでいるときには十分もっともらしく思われたようだったが――いまではひどく異なった不満足なものになった。一般に信じられている考えでは、この渦巻は、フェロー諸島のあいだにある三つの、これより小さな渦巻と同様に、「その原因、満潮および干潮にさいして漲落《ちょうらく》する波涛が岩石および暗礁の稜《りょう》に激して互いに衝突するためにほかならず、海水はその岩石暗礁にせきとめられて瀑布のごとく急下す、かくて潮の上ること高ければその落下はますます深かるべく、これらの当然の結果として旋《せん》渦《か》すなわち渦巻を生じ、その巨大なる吸引力はより小なる実験によりても十分知るを得べし」というのである。以上は『大英百科全書《エンサイクロピーディア・ブリタニカ》』のしるすところである。キルヘルやその他の人々は、メールストロムの海峡の中心には、地球を貫いてどこか非常に遠いところ――以前はボスニア湾がかなり断定的に挙げられた――へ出ている深淵がある、と想像している。この意見は、本来はなんの根拠もないものではあるが、目《ま》のあたり眺めたときには私の想像力がすぐなるほどと思ったものであった。そしてそれを案内者に話すと、彼は、このことはノルウェー人のほとんどみながいだいている見方ではあるが、自分はそう思っていないといったので、私はちょっと意外に思った。しかし、この見方については、彼は自分の力では理解することができないということを告白したが、その点では私はまったく同感であった。――なぜなら、理論上ではどんなに決定的なものであっても、この深淵の雷のような轟《とどろ》きのなかにあっては、それはまったく不可解なばかげたものとさえなってしまうからである。
「もう渦巻は十分ご覧になったでしょう」と老人は言った。「そこでこの岩をまわって風のあたらぬ陰へ行き、水の轟きの弱くなるところで、話をしましょう。それをお聞きになれば、私がモスケー・ストロムについていくらかは知っているはずだということがおわかりになるでしょう」
老人の言った所へ行くと、彼は話しはじめた。
「私と二人の兄弟とはもと、七十トン積みばかりのスクーナー帆式の漁船を一艘《そう》持っていて、それでいつもモスケーの向うの、ヴァルーに近い島々のあいだで、漁をすることにしておりました。すべて海でひどい渦を巻いているところは、やってみる元気さえあるなら、時機のよいときにはなかなかいい漁があるものです。が、ロフォーデンの漁師全体のなかで私ども三人だけが、いま申し上げたようにその島々へ出かけてゆくのを決った仕事にしていた者なのでした。普通の漁場はそれからずっと南の方へ下ったところです。そこではいつでも大した危険もなく魚がとれるので、誰でもその場所の方へ行きます。だが、この岩のあいだのえりぬきの場所は、上等な種類の魚がとれるばかりではなく、数もずっとたくさんなので、私どもはよく、同じ商売の臆《おく》病《びょう》な連中が一週間かかってもかき集めることのできないくらいの魚を、たった一日でとったものでした。実際、私どもは命がけの投機《やま》仕事をしていたので――骨を折るかわりに命を賭《か》け、勇気を資本《もとで》にしていた、というわけですね。
私どもは船を、ここから海岸に沿うて五マイルほど上《かみ》へ行ったところの入江に繋《つな》いでおきました。そして天気のよい日に十五分間の滞潮《よどみ》を利用して、モスケー・ストロムの本海峡を横ぎって淵《ふち》のずっと上手につき進み、渦《う》流《ず》がよそほどはげしくないオッテルホルムやサンドフレーゼンの近くへ下って行って、錨《いかり》を下ろすことにしていました。そこでいつも次の滞潮《よどみ》に近いころまでいて、それから錨を揚げて帰りました。行くにも帰るにも確かな横風がないと決して出かけませんでした、――着くまでは大丈夫やまないと思えるようなやつですね、――そしてこの点では、私どもはめったに見込み違いをしたことはありませんでした。六年間に二度、まったくの無風のために、一晩じゅう錨を下ろしたままでいなければならないことがありました。がそんなことはこの辺ではまったく稀《まれ》なことなのです。それから一度は、私どもが漁場へ着いて間もなく疾風《はやて》が吹き起って、帰ることなどは思いもよらないくらいに海峡がひどく大荒れになったために、一週間近くも漁場に留《とど》まっていなければならなくて、餓死《うえじに》しようとしたことがありました。あのときは、もし私どもがあの無数の逆潮流――今日はここにあるかと思うと明日はなくなっているあの逆潮流――の一つのなかへうまく流れこまなかったとしたら、(なにしろ渦巻が猛烈に荒れて船がぐるぐるまわされるので、とうとう錨をもつらせてそれを引きずったような有様でしたから)どんなに手をつくしても沖へ押しながされてしまったでしょうが、その逆潮流が私どもをフリーメンの風下《かざしも》の方へ押し流し、そこで運よく投錨《とうびょう》することができたのでした。
私どもが『漁場で』遭った難儀は、その二十分の一もお話しできません、――なにしろそこは、天気のよいときでもいやな場所なんです、――だが私どもは、どうにかこうにか、いつも大したこともなくモスケー・ストロムの虎《こ》口《こう》を通りぬけていました。それでもときどき、滞潮《よどみ》に一分ほど遅れたり早すぎたりしたときには、肝っ玉がひっくり返ったものですよ。またときによると、出帆するときに風が思ったほど強くなくて、望みどおりに進むことができず、そのうちに潮流のために船が自由にならなくなるようなこともありました。兄には十八になる息子がありましたし、私にも丈夫な奴《やつ》が二人ありました。この連中がそんなときにいれば、大橈《おおかい》を漕《こ》ぐのにも、あとで魚をとるときにも、よほど助けになったでしょうが、どうしたものか、自分たちはそんな冒険をしていても、若い連中をその危険な仕事のなかへひき入れようという気はありませんでした、――なんと言っても結局、恐ろしい危険なことでした《・・・》からね。
もう五、六日もたてば、私がいまからお話しようとしていることが起ってから、ちょうど三年になります。一八――年の七月十八日のことでした。その日をこの地方の者は決して忘れますまい、――というのは、開闢《かいびゃく》以来吹いたことのないような、実に恐ろしい台風の吹きあれた日ですから。だが午前中いっぱい、それから午後も遅くまで、ずっと穏やかな西南の微風が吹いていて、陽《ひ》が照り輝いていたので、私どものあいだでもいちばん年寄りの経験のある船乗りでさえ、そのあとにつづいて起ることを見とおすことができなかったくらいです。
私ども三人――二人の兄弟と私――は、午後の二時ごろ例の島の方へ渡って、間もなく見事な魚をほとんど船いっぱいに積みましたが、その日はそれまでに一度もなかったほど、たくさんとれたと三人とも話し合いました。いよいよ錨を揚げて帰りかけたのは、私の時《・・・》計で《・・》ちょうど七時。ストロムでいちばんの難所を滞潮《よどみ》のときに通りぬけようというのです。それは八時だということが私どもにはわかっているのでした。
私どもは右《う》舷《げん》後方にさわやかな風を受けて出かけ、しばらくはすばらしい速力で水を切って進み、危険なことがあろうなどとは夢にも思いませんでした。実際そんなことを懸《け》念《ねん》する理由は少しもなかったのですから。ところが、たちまち、ヘルゼッゲンの峰越しに吹きおろす風のために、船は裏帆になってしまいました。こういうことはまったくただならぬ――それまでに私どもの遭ったことのないようなことなので、はっきりなぜということもわかりませんでしたが、なんとなしに私はちょっと不安を感じはじめました。私どもは船を詰め開きにしましたが、少しも渦流《うず》を乗り切って進むことができません。で、私がもとの停泊所へ戻ろうかということを言いだそうとしたそのとたん、艫《とも》の方を見ると、実に驚くべき速さでむくむくと湧き上がる、奇妙な銅色をした雲が、水平線をすっかり蔽《おお》っているのに気がついたのです。
そのうちにいままで向い風であった風がぱったり落ちて、まったく凪《な》いでしまい、船はあちこちと漂いました。しかしこの状態は、私どもがそれについてなにか考える暇があるほど、長くはつづきませんでした。一分とたたないうちに嵐がおそってきました、――二分とたたないうちに空はすっかり雲で蔽われました、――そして、その雲と跳びかかる飛《しぶ》沫《き》とのためにたちまち、船のなかでお互いの姿を見ることもできないくらい、あたりが暗くなってしまいました。
そのとき吹いたような台風のことをお話ししようとするのは愚かなことです。ノルウェーじゅうでいちばん年寄りの船乗りだって、あれほどのには遭ったことはありますまい。私どもはその台風がすっかりおそってこないうちに帆《ほ》索《づな》をゆるめておきましたが、最初の一吹きで、二本の檣《マスト》は鋸《のこぎり》でひき切ったように折れて海へとばされました。その大檣《メインマスト》のほうには弟が用心のために体を結えていたのですが、それと一緒にさらわれてしまったのです。
私どもの船はいままでに水に浮んだ船のなかでもいちばん軽い羽毛《はね》のようなものでした。それはすっかり平甲板が張ってあり、舳《へさき》の近くに小さな艙口《ハッチ》が一つあるだけで、この艙口《ハッチ》はストロムを渡ろうとするときには、例の狂い波の海にたいする用心として、しめておくのが習慣になっていました。こうしてなかったらすぐにも浸水して沈没したでしょう。――というのは、しばらくのあいだは船はまったく水にもぐっていたからです。どうして兄が助かったのか私にはわかりません、確かめる機会もなかったものですから。私はと言いますと、前檣《フォアマスト》の帆索をゆるめるとすぐ、甲板の上にぴったりと腹《はら》這《ば》いになって、両足は舳のせまい上縁《うわべり》にしっかり踏んばり、両手では前檣の根もとの近くにある環付螺釘《リング・ボールト》をつかんでいました。それはたしかに私のできることとしては最上の方法でしたが――こんなふうに私をさせたのは、まったくただ本能でした。――というのは、ひどくうろたえていて、ものを考えるなんてことはとてもできなかったのですから。
しばらくのあいだはいま申しましたとおり、船はまったく水につかっていましたが、そのあいだ私はずっと息をこらえて螺釘《ボールト》にしがみついていました。それがもう辛抱できなくなると、手はなおもはなさずに、膝《ひざ》をついて体を上げ、首を水の上へ出しました。やがて私どもの小さな船は、ちょうど犬が水から出てきたときにするように、ぶるぶるっと一ふるいして、海水をいくらか振いおとしました。それから私は、気が遠くなっていたのを取りなおして、意識をはっきりさせてどうしたらいいか考えようとしていたときに、誰かが自分の腕をつかむのを感じました。それは兄だったのです。兄が波にさらわれたものと思いこんでいたものですから、私の心は喜びで跳びたちました、――が次の瞬間、この喜びはたちまち一変して恐怖となりました、――兄が私の耳もとに口をよせて一こと、『モスケ《・・・ー・《・・》ストロムだ《・・・・・》!』と叫んだからです。
そのときの私の心持がどんなものだったかは、誰にも決してわかりますまい。私はまるで猛烈な瘧《おこり》の発作におそわれたように、頭のてっぺんから足の爪先《つまさき》まで、がたがた震えました。私には兄がその一ことで言おうとしたことが十分よくわかりました、兄が私に知らせようとしたことがよくわかりました。船にいま吹きつけている風のために、私たちはストロムの渦巻《うずまき》の方へ押し流されることになっているのです、そしてもうどんなことも私たちを救うことができないのです!
ストロムの海峡《・・》を渡るときにはいつでも、たといどんなに天気の穏やかなときでも、渦巻のずっと上手の方へ行って、それから滞潮《よどみ》のときを注意深くうかがって待っていなければならない、ということはお話ししましたね。――ところがいま、私たちはその淵の方へ、まっしぐらに押し流されているのです、しかも、このような台風のなかを! 『きっと、私たちはちょうど滞潮《よどみ》の時分にあそこへ着くことになろう、――とすると多少は望みがあるわけだ』と私は考えました。――しかし次の瞬間には、少しでも望みなどを夢みるなんてなんという大《おお》馬鹿《ばか》者《もの》だろうと自分を呪《のろ》いました。もし私どもの船が九十門の大砲を積載している軍艦の十倍もあったとしても、もう破滅の運命が決っているのだ、ということがよくわかったのです。
このころまでには、嵐の最初のはげしさは衰えていました。あるいはたぶん、追風で走っていたのでそんなに強く感じなかったのかもしれません。がとにかく、いままで風のために平らにおさえつけられて泡《あわ》立《だ》っていた波は、いまではまるで山のようにもり上がってきました。また、空にも不思議な変化が起っていました。あたりはまだやはり、どちらも一面に真っ黒でしたが、頭上あたりにとつぜん円い雲の切れ目ができて、澄みきった空があらわれました、――これまで見たことのないほど澄みきった、明るく濃い青色の空です、――そして、そこから、私のそれまで一度も見たことのないような光を帯びた満月が輝きだしたのです。その月は私どものまわりにあるものをみな、実にはっきりと照らしました、――が、おお、なんという光景を照らし出したことでしょう!
私はそのとき一、二度、兄に話しかけようとしました、――がどうしたわけかわかりませんが、やかましい物音が非常に高くて、耳もとで声をかぎりに叫んだのですけれども、一ことも兄に聞えるようにはできませんでした。やがて兄は死人のように真《ま》っ蒼《さお》な顔をして頭を振り、『聴いてみろ《・・・・・》!』とでもいうようなふうに、指を一本挙げました。
初めはそれがどういう意味かわかりませんでした、――が間もなく恐ろしい考えが頭に閃《ひらめ》きました。私はズボンの時計衣嚢《かくし》から、時計をひっぱり出しました。それは止っています。私は月の光でその文字面をちらりと眺《なが》め、それからその時計を遠く海のなかへ放《ほう》り投げてわっと泣きだしました。時計はぜんまいが《・・・・・・・・》解けてしまって七時で止っていたのです《・・・・・・・・・・・・・・・・・・》! 私どもは滞潮の時刻に遅れたのです《・・・・・・・・・・・・・・・・》。そして《・・・》、ストロムの渦巻は荒れくるっている真っ最中《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》なのです《・・・・》!
船というものは、丈夫にできていて、きちんと手入れがしてあり、積荷が重くなければ、追風に走っているときは、疾風のときの波でもかならず船の下をすべってゆくように思われるものです、――海に慣れない人には非常に不思議に思われることですが、――これは海の言葉では波に乗る《・・・・》と言っていることなのです。で、それまで私どもの船は非常にうまくうねり波に乗ってきたのですが、やがて恐ろしく大きな波がちょうど船尾張出部《カウンター》の下のところにぶつかって、船をぐうっと持ち上げました、――高く――高く――天にもとどかんばかりに。波というものがあんなに高く上がるものだということは、それまでは信じようとしたって信じられなかったでしょう。それから今度は下の方へ傾き、すべり、ずっと落ちるので、ちょうど夢のなかで高い山の頂上から落ちるときのように気持が悪く眩暈《めまい》がしました。しかし船が高く上がったときに、私はあたりをちらりと一目見渡しました、――その一目だけで十分でした。私は一瞬間で自分たちの正確な位置を見てとりました。モスケー・ストロムの渦巻は真正面の四分の一マイルばかりのところにあるのです、――が、あなたがいまご覧になった渦巻が水車をまわす流れと違っているくらい、毎日のモスケー・ストロムとはまるで違っているのです。もし私がどこにいるのか、そしてどうなるのか、ということを知らなかったら、その場所がどんなところかぜんぜんわからなかったことでしょう。ところが知っていたものですから、恐ろしさのために私は思わず眼《め》を閉じました。眼瞼《まぶた》が痙攣《けいれん》でも起したように、ぴったりとくっついたのです。
それから二分とたたないころに、急に波が鎮《しず》まったような気がして、一面に泡に包まれました。
船は左《さ》舷《げん》へぐいとなかばまわり、それからその新たな方向へ電《いなずま》のようにつき進みました。同時に水の轟く音は、鋭い叫び声のような――ちょうど幾千という蒸気釜《じょうきがま》がその放水管から一時に蒸気を出したと思われるような――物音にまったく消されてしまいました。船はいま、渦巻のまわりにはいつもあるあの寄波《よせなみ》の帯のなかにいるのです。そして無論次の瞬間には深淵《しんえん》のなかへつきこまれるのだ、と私は考えました、――その深淵の下の方は、驚くべき速さで船が走っているのでぼんやりとしか見えませんでしたが。しかし船は少しも水のなかへ沈みそうではなく、気《き》泡《ほう》のように波の上を掠《かす》り飛ぶように思われるのです。その右舷は渦巻に近く、左舷にはいま通ってきた大海原《おおうなばら》がもり上がっていました。それは私たちと水平線とのあいだに、巨大な、のたうちまわる壁のようにそびえ立っているのです。
奇妙なように思われるでしょうが、こうしていよいよ渦巻の顎《あご》に呑《の》まれかかりますと、渦巻にただ近づいているときよりもかえって気が落ちつくのを感じました。もう助かる望みがないと心を決めてしまったので、初め私の元気をすっかり失《な》くした、あの恐怖の念が大部分なくなったのです。絶望が神経を張り締めてくれたのでしょうかね。
空《から》威張《いば》りするように見えるかもしれません――が、まったくほんとうの話なんです、――私は、こうして死ぬのはなんというすばらしいことだろう、そして、神さまの御力《みちから》のこんな驚くべき示《じ》顕《げん》のことを思うと、自分一個の生命《いのち》などという取るにも足らぬことを考えるのはなんというばかげたことだろう、と考えはじめました。この考えが心に浮んだとき、たしか恥ずかしさで顔を赧《あか》らめたと思います。しばらくたつと、渦巻そのものについての鋭い好奇心が強く心のなかに起ってきました。私は、自分の生命を犠牲にしようとも、その底を探ってみたいという願い《・・》をはっきりと感じました。ただ私のいちばん大きな悲しみは、陸《おか》にいる古くからの仲間たちに、これから自分の見る神秘を話してやることができまい、ということでした。こういう考えは、こんな危急な境遇にある人間の心に起るものとしては、たしかに奇妙な考えです。――そしてその後よく考えることですが、船が淵のまわりをぐるぐるまわるので、私は少々頭が変になっていたのではなかろうかと思いますよ。
心の落着きを取りもどすようになった事情はもう一つありました。それは風のやんだことです。風は私どものいるところまで吹いて来ることができないのです、――というわけは、さっきご覧になったとおり、寄波《よせなみ》の帯は海面よりかなり低いので、その海面は今では高く黒い山の背のようになって私どもの上にそびえていたのですから。もしあなたが海でひどい疾風にお遭いになったことがないなら、あの風と飛沫《しぶき》とが一緒になってどんなに人の心をかき乱すものかということは、とてもご想像ができません。あれにやられると目が見えなくなり、耳も聞えず、首が締められるようになり、なにかしたり考えたりする力がまるでなくなるものです。しかし私どもはいまではもう、そのような苦しみをよほどまぬかれていました。――ちょうど牢獄《ろうごく》にいる死刑を宣告された重罪人が、判決のまだ定まらないあいだは禁じられていた多少の寛大な待遇を許される、といったようなものですね。
この寄波の帯を何回ほどまわったかということはわかりません。流れるというよりむしろ飛ぶように、だんだんに波の真ん中へより、それからまたその恐ろしい内側の縁のところへだんだん近づきながら、たぶん一時間も、ぐるぐると走りまわりました。このあいだじゅうずっと、私は決して環付螺釘《リング・ボールト》を放しませんでした。兄は艫《とも》の方にいて、船尾張出部の籠《かご》の下にしっかり結びつけてあった、小さな空《から》になった水樽《みずだる》につかまっていました。それは甲板にあるもので疾風が最初におそってきたとき海のなかへ吹きとばされなかったただ一つの物です。船が深淵の縁へ近づいてきたとき、兄はつかまっていたその樽から手を放し、環《リング》のほうへやってきて、恐怖のあまりに私の手を環《リング》からひき放そうとしました。その環《リング》は二人とも安全につかまっていられるくらい大きくはないのです。私は兄がこんなことをしようとするのを見たときほど悲しい思いをしたことはありません、――兄はそのとき正気を失っていたのだ――あまりの恐ろしさのため乱暴な狂人になっていたのだ、とは承知していましたが。しかし私はその場所を兄と争おうとは思いませんでした。私ども二人のどちらがつかまったところでなんの違いもないことを知っていましたので、私は兄に螺釘を持たせて、艫の樽の方へ行きました。そうするのはべつに大してむずかしいことではありませんでした。というのは船は非常にしっかりと、そして水平になったまま、ぐるぐる飛ぶようにまわっていて、ただ渦巻がはげしくうねり湧《わ》き立っているために前後に揺れるだけでしたから。その新しい位置にうまく落ちついたかと思うとすぐ、船は右舷の方へぐっと傾き、深淵をめがけてまっしぐらに突き進みました。私はあわただしい神さまへの祈りを口にし、もういよいよおしまいだなと思いました。
胸が悪くなるようにすうっと下へ落ちてゆくのを感じたとき、私は本能的に樽につかまっている手を固くし、眼を閉じました。何秒かというものは思いきって眼をあけることができなくて――いま死ぬかいま死ぬかと待ちかまえながら、まだ水のなかで断末魔のもがきをやらないのを不審に思っていました。しかし時は刻々とたってゆきます。私はやはり生きているのです。落ちてゆく感じがやみました。そして船の運動は泡の帯のところにいたときと同じようになったように思われました。ただ違うのは船が前よりもいっそう傾いていることだけです。私は勇気を出して、もう一度あたりの有様を見わたしました。
自分のまわりを眺めたときのあの、畏懼《いく》と、恐怖と、嘆美との感じを、私は決して忘れることはありますまい。船は円周の広々とした、深さも巨大な、漏斗《じょうご》の内側の表面に、まるで魔法にでもかかったように、なかほどにかかっているように見え、その漏斗のまったくなめらかな面は、眼が眩《くら》むほどぐるぐるまわっていなかったなら、そしてまた、満月の光を反射して閃くもの凄《すご》い輝きを発していなかったら、黒檀《こくたん》とも見まがうほどでした。そして月の光は、さっきお話ししました雲のあいだの円い切れ目から、黒い水の壁に沿うて漲《みなぎ》りあふれる金色《こんじき》の輝きとなって流れ出し、ずっと下の深淵のいちばん深い奥底までも射《さ》しているのです。
初めはあまり心が乱れていたので、なにも正確に眼にとめることはできませんでした。とつぜん眼の前にあらわれた恐るべき荘厳が私の見たすべてでした。しかし、いくらか心が落ちついたとき、私の視線は本能的に下の方へ向きました。船が淵《ふち》の傾斜した表面にかかっているので、その方向はなんのさえぎるものもなく見えるのです。船はまったく水平になっていました、――というのは、船の甲板が水面と平行になっていた、ということです、――がその水面が四十五度以上の角度で傾斜しているので、私どもは横ざまになっているのです。しかしこんな位置にありながら、まったく平らな面にいると同じように、手がかりや足がかりを保っているのがむずかしくないことに、気がつかずにはいられませんでした。これは船の回転している速さのためであったろうと思います。
月の光は深い渦巻の底までも射しているようでした。しかしそれでも、そこのあらゆるものを立ちこめている濃い霧のために、なにもはっきりと見分けることができませんでした。その霧の上には、マホメット教徒が現世から永劫《えいごう》の国へゆく唯一《ゆいいつ》の通路だという、あのせまいゆらゆらする橋のような、壮麗な虹《にじ》がかかっていました。この霧あるいは飛沫は、疑いもなく漏斗の大きな水壁が底で合って互いに衝突するために生ずるものでした。――がその霧のなかから天に向って湧き上がる大叫喚は、お話ししようとしたって、とてもできるものではありません。
上の方の泡の帯のところから最初に深淵のなかへすべりこんだときは、斜面をよほど下の方へ降りましたが、それからのちはその割合では降りてゆきませんでした。ぐるぐるまわりながら船は走ります、――が一様な速さではなく――目まぐるしく揺れたり跳び上がったりして、あるときはたった二、三百ヤード――またあるときは渦巻の周囲をほとんど完全に一周したりします。一回転ごとに船が下に降りてゆくのは、急ではありませんでしたが、はっきりと感じられました。
こうして船の運ばれてゆくこの広々とした流れる黒檀の上で、自分のまわりを見渡していますと、渦に巻きこまれるのが私どもの船だけではないことに気がつきました。上の方にも下の方にも、船の破片や、建築用材の大きな塊や、樹木の幹や、そのほか家具の砕片や、こわれた箱や、樽や、桶板《おけいた》などの小さなものが、たくさん見えるのです。私は前に、不自然なくらいの好奇心が最初の恐怖の念にとってかわっていたことを申しましたね。その好奇心は恐ろしい破滅にだんだんに近づくにつれて、いよいよ増してくるのです。私は奇妙な関心をもって、私どもと仲間になって流れている無数のものを見まもりはじめました。どうも気が変になっていたにちがいあり《・・・・・》ません《・・・》、――そのいろいろのものが下の泡の方へ降りてゆく速さを比較することに興味《・・》を求めさえしていたのですから。ふと気がつくとあるときはこんなことを言っているのです。『きっとあの樅《もみ》の木が今度、あの恐ろしい底へ跳びこんで見えなくなるだろうな』――ところが、オランダ商船の難破したのがそれを追い越して先に沈んでしまったので、がっかりしました。このような種類の推測を何べんもやり、そしてみんな間違ったあげく、この事実――私がかならず見込み違いをしたというその事実――が私にある一つながりの考えを思いつかせ、そのために手足はふたたびぶるぶる震え、心臓はもう一度どきんどきんと強く打ちました。
このように私の心を動かしたのは新たな恐怖ではなくて前よりもいっそう心を奮いたたせる希望《・・》の光が射してきたことなのです。この希望は、一部分は過去の記憶から、また一部分は現在の観察から、生れてきたのでした。私は、モスケー・ストロムに呑みこまれ、それからまた投げ出されてロフォーデンの海岸に撒《ま》き散らされた、いろいろな漂流物を思い浮べました。そのなかの大部分のものは、実にひどく打ち砕かれていました、――刺《とげ》がいっぱいにつきたっているように見えるくらい、擦《す》りむかれてざらざらになっていました、――が私はまた、そのなかには少しもいたんでいないものも《・・・》あったことを、はっきり思い出しました。そこでこの相違は、ざらざらになった破片だけが完全に呑みこまれたもの《・・・・・・・・・・・》であり、その他のものは潮時を大分遅れて渦巻に入ったか、あるいはなにかの理由で入ってからゆっくりと降りたために、底にまで達しないうちに満潮あるいは干潮の変り目が来てしまったのだ、と思うよりほかに説明ができませんでした。どちらにしろ、これらのものが早い時刻に巻きこまれたり、あるいは急速に吸いこまれたりしたものの運命に遭わずに、こうしてふたたび大洋の表面に巻き上げられることはありそうだ、と考えました。私はまた三つの重要な観察をしました。第一は、一般に物体が大きければ大きいほど、下へ降りる速さが速いこと、――第二は、球形のものとその他の形の《・・・・・・》ものとでは、同じ大きさでも、下降の速さは球形のものが大であること、第三は、円筒形のものとその他の形のものとでは、同じ大きさでも、円筒形がずっと遅く吸いこまれてゆくということです。私は助かってから、このことについて、この地方の学校の年寄りの先生となんども話したことがありますが、『円筒形』だの『球形』だのという言葉を使うことはその先生から教わったのです。その先生は、私の観察したことが実際水に浮いている破片の形からくる自然の結果だということを説明してくれました、――その説明は忘れてしまいましたが、――そしてまた、どういうわけで渦巻のなかを走っている円筒形のものが、他のすべての形をした同じ容積の物体よりも、渦巻の吸引力に強く抵抗し、それらよりも引きこまれにくいかということを、私に聞かせてくれたのです。
このような観察を裏づけ、さらにそれを実地に利用したいと私に思わせた、驚くべき事実が一つありました。それは、渦巻をぐるぐるまわるたびに船は樽やそのほか船の帆《ほ》桁《げた》や檣《マスト》のようなもののそばを通るのですが、そういうような多くのものが、私が初めてこの渦巻の不思議な眺めに眼を開いたときには同じ高さにあったのが、いまではずっと私どもの上の方にあり、もとの位置からちょっとしか動いていないらしい、ということなのです。
もう私はなすべきことをためらってはいませんでした。現につかまっている水樽にしっかり身を結びつけ、それを船尾張出部から切りはなして、水のなかへ跳びこもうと心を決めたのです。私は合図をして兄の注意をひき、側《そば》に流れてきた樽を指さし、私のしようとしていることをわからせるために自分の力でできるかぎりのことをしました。とうとう兄には私の計画がわかったものと思われました、――がほんとにわかったのか、それともわからなかったのか、兄は絶望的に首を振り、環《リン》付螺釘《グ・ボールト》につかまっている自分の位置から離れることを承知しないのです。兄の心を動かすことはできないことですし、それに危急のさいで一刻もぐずぐずしていられないので、私はつらい思いをしながら、兄を彼の運命にまかせ、船尾張出部に結びつけてあった縛索《しばりなわ》で体を樽にしっかり縛り、そのうえもう一刻もためらわずに樽とともに海のなかへ跳びこみました。
その結果はまさに私の望んでいたとおりでした。いまこの話をしているのが私自身ですし――私が無事に助かってしまった《・・・・》ことはご覧のとおりですし――また助かった方法ももうはやご承知で、このうえ私の言おうとすることはみんなおわかりのことでしょうから、話を急いで切りあげましょう。私が船をとび出してから一時間ばかりもたったころ、船は私よりずっと下の方へ降りてから、三、四回つづけざまに猛烈な回転をして、愛する兄を乗せたまま、下の混沌《こんとん》とした湧きたつ泡《あわ》のなかへ、永久にまっさかさまに落ちこんでしまいました。私のからだを縛りつけた樽が、渦巻の底と、船から跳びこんだところとの、中間くらいのところまで沈んだころに、渦巻の様子に大きな変化が起りました。広大な漏斗の側面の傾斜が、刻一刻とだんだん嶮《けわ》しくなくなってきます。渦巻の回転もだんだん勢いが弱くなります。やがて泡や虹が消え、渦巻の底がゆるゆると高まってくるように思われました。空は晴れ、風はとっくに落ち、満月は輝きながら西の方へ沈みかけていました。そして私は、ロフォーデンの海岸のすっかり見える、モスケー・ストロムの淵がさっきま《・・・・》であった《・・・・》ところの上手の、大洋の表面に浮び上がっているのでした。滞潮《よどみ》の時刻なのです、――が海はまだ台風の名残りで山のような波を揚げていました。私はストロムの海峡のなかへ猛烈に巻きこまれ、海岸に沿うて数分のうちに漁師たちの『漁場』へ押し流されました。そこで一艘《そう》の船が私を拾いあげてくれました、――疲労のためにぐったりと弱りはてている、そして(もう危険がなくなったとなると)その恐ろしさの思い出のために口もきけなくなっている私を。船にひきあげてくれた人たちは、古くからの仲間や、毎日顔を合わせている連中でした、――が、ちょうどあの世からやってきた人間のように誰ひとり私を見分けることができませんでした。その前の日までは鴉《からす》のように真っ黒だった髪の毛は、ご覧のとおりに白くなっていました。みんなは私の顔つきまですっかり変ってしまったといいます。私はみんなにこの話をしました、――が誰もほんとうにしませんでした。今それをあなたに《・・・・》お話ししたのですが、――人の言うことを茶化してしまうあのロフォーデンの漁師たち以上に、あなたがそれを信じてくださろうとは、どうも私にはあまり思えないんですがね」
黄《こ》金虫《がねむし》
おや、おや! こいつ気が狂ったみたいに踊っている。タラント蜘蛛《ぐも》に咬《か》まれたんだな。
『みんな間違い』
もうよほど以前のこと、私はウィリアム・ルグラン君という人と親しくしていた。彼は古いユグノーの一家の子孫で、かつては富裕であったが、うちつづく不運のためすっかり貧窮に陥っていた。その災難に伴う屈辱を避けるために、彼は先祖の代から住み慣れたニュー・オーリアンズの町を去って、南カロライナ州のチャールストンに近いサリヴァン島に住むことになった。
この島は非常に妙な島だ。ほとんど海の砂ばかりでできていて、長さは三マイルほどある。幅はどこでも四分の一マイルを超えない。水鶏《くいな》が好んで集まる、粘土《ねばつち》に蘆《あし》が一面に生い繁《しげ》ったところをじくじく流れる、ほとんど目につかないような小川で、本土から隔てられている。植物はもとより少なく、またあったにしてもとても小さなものだ。大きいというほどの樹木は一本も見あたらない。島の西端にはモールトリー要塞《ようさい》があり、また夏のあいだチャールストンの塵埃《じんあい》と暑熱とをのがれて来る人々の住むみすぼらしい木造の家が何軒かあって、その近くには、いかにもあのもしゃもしゃした棕《しゅ》櫚《ろ》の林があるにはあった。しかしこの西端と、海岸の堅い白いなぎさの線とをのぞいては、島全体は、イギリスの園芸家たちの非常に珍重するあのかんばしい桃金《マート》嬢《ル》の下生えでぎっしり蔽《おお》われているのだ。この灌木《かんぼく》は、ここではしばしば十五フィートから二十フィートの高さにもなって、ほとんど通り抜けられないくらいの叢林《そうりん》となって、あたりの大気をそのかぐわしい芳香でみたしている。
この叢林のいちばん奥の、つまり、島の東端からあまり遠くないところに、ルグランは自分で小さな小屋を建てて、私がふとしたことから初めて彼と知りあったときには、そこに住んでいたのだった。私たちは間もなく親密になっていった。――というのは、この隠《いん》遁者《とんしゃ》には興味と尊敬の念とを起させるものが多分にあったからなのだ。私には、彼がなかなか教育があって、頭脳の力が非常にすぐれているが、すっかり人間嫌い《ミザンスロピー》になっていて、いま熱中したかと思うとたちまち憂鬱《ゆううつ》になるといった片意地な気分に陥りがちだ、ということがわかった。彼は書物はたくさん持っていたが、たまにしか読まなかった。主な楽しみといえば、銃猟や魚釣《さかなつ》り、あるいは貝殻《かいがら》や昆虫《こんちゅう》学の標本を捜しながら、なぎさを伝い桃金嬢の林のなかを通ってぶらつくことなどであった。――その昆虫学の標本の蒐集《しゅうしゅう》は、スワンメルダムのような昆虫学者にも羨望《せんぼう》されるくらいのものだった。こういった遠出をする場合には、たいていジュピターという年寄りの黒人がおともをしていた。彼はルグラン家の零落する前に解放されていたのだが、若い「ウィル旦《だん》那《な》」のあとについて歩くことを自分の権利と考えて、おどかしても、すかしても、それをやめさせることができなかった。ことによったら、ルグランの親戚《しんせき》の者たちが、ルグランの頭が少し変なのだと思って、この放浪癖の男を監視し後見させるつもりで、ジュピターにそんな頑《がん》固《こ》さを教えこんでおいたのかもしれない。
サリヴァン島のある緯度のあたりでは、冬でも寒さが非常にきびしいということはめったになく、秋には火がなくてはたまらぬというようなことはまったく稀《まれ》である。しかし、一八――年の十月のなかばごろ、ひどくひえびえする日があった。ちょうど日没前、私はあの常《とき》磐木《わぎ》のあいだをかきわけて友の小屋の方へ行った。その前三、四週間ほど私は彼を訪ねたことがなかった。――私の住居はそのころこの島から九マイル離れているチャールストンにあって、往復の便利は今日よりはずっとわるかった。小屋に着くと、いつも私の習慣にしているように扉《とびら》を叩《たた》いたが、なんの返事もないので、自分の知っている鍵《かぎ》の隠し場所を捜し、扉の錠をあけてなかへ入った。炉には気持のいい火があかあかと燃えていた。これは思いがけぬ珍しいものでもあり、また決してありがたからぬものでもなかった。私は外套《がいとう》を脱ぎすてると、ぱちぱち音をたてて燃えている丸太のそばへ肘掛《ひじかけ》椅子《いす》をひきよせて、この家の主人たちの帰ってくるのを気長に待っていた。
暗くなってから間もなく彼らは帰ってきて、心から私を歓迎してくれた。ジュピターは耳もとまで口をあけてにたにた笑いながら、晩《ばん》餐《さん》に水鶏を料理しようと忙しく立ち働いた。ルグランは例の熱中する発作――発作とでも言わなければほかになんと言おう? ――に罹《かか》っていた。彼は新しい種類の、世にまだ知られていない二枚貝を発見したのだが、そのうえまた、ジュピターの助けを借りて一匹の甲虫《かぶとむし》を追いつめて捕えたのだ。その甲虫を彼はまったく新しいものと信じていたが、それについてあす私の意見を聞きたいというのであった。
「で、なぜ今夜じゃいけないのかね?」と、私は火の上で両手をこすりながら尋ねた。甲虫なんぞはみんな悪魔に食われてしまえ、と心のなかで思いながら。
「ああ、君がここへ来ることがわかってさえいたらなあ!」とルグランが言った。「だがずいぶん長く会わなかったし、どうして今夜にかぎって訪ねてきてくれるってことがわかるもんかね? 僕は帰りみちで要塞のG――中尉《ちゅうい》に会って、まったくなんの考えもなしに、その虫を貸してやったんだ。だから君にはあすの朝まで見せるわけにはゆかんのだ。今晩はここで泊りたまえ。そしたら、日の出にジャップを取りにやらせるよ。そりゃあ実にすばらしいものだぜ!」
「何が? ――日の出がかい?」
「ばかな! 違うよ! ――その虫がさ。ぴかぴかした黄《こ》金色《がねいろ》をしていて、――大きな桃《くる》桃《み》の実ほどの大きさでね、――背中の一方の端近くに真っ黒な点が二つあり、もう一方のほうにはいくらか長いのが一つある、触角《アンテニー》は――」
「錫《ティン》なんてあいつにゃあちっとも入っていね《・・》え《・》んでがす、ウィル旦那。わっしは前《めえ》から言ってるんでがすが」と、このときジュピターが口を出した。「あの虫はどこからどこまで、羽根だきゃあ別だが、外も中もすっかり、ほんとの黄金虫でさ。――生れてからあんな重てえ虫は持ったことがねえ」
「なるほど。としてもだな、ジャップ」とルグランは、その場合としては不必要なほどちょっと真面目《まじめ》すぎると思われるような調子で、答えた。「それがお前の鳥を焦《こ》がす理由になるのかな? その色はね」とここで彼は私の方へ向いて、――「実際ジュピターの考えももっともだと言ってもいいくらいのものなんだ。あの甲から発するのよりももっとぴかぴかする金属性の光沢《つや》は、君だって見たことがあるまい。――が、これについちゃああすになるまでは君にはなんとも意見を下せないわけだ。それまでにまず、形だけはいくらか教えてあげることができるよ」こう言いながら、彼は小さなテーブルの前へ腰をかけたが、その上にはペンとインクとはあったけれども、紙はなかった。彼は引出しのなかを捜したが、一枚も見当らなかった。
「なあに、いいさ」ととうとう彼は言った。「これで間に合うだろう」と、チョッキのポケットから、ひどくよごれた大判洋紙《フールズキャップ》らしいもののきれっぱしを取り出して、その上にペンで略図を描いた。彼がそうしているあいだ、私はまだ寒けがするので、火のそばを離れずにいた。図ができあがると、彼は立ち上がらないで、それを私に手渡しした。それを受け取ったとき、高いうなり声が聞え、つづいて扉をがりがりひっかく音がした。ジュピターが扉をあけると、ルグランの飼っている大きなニューファウンドランド種の犬が跳びこんで来て、私の肩に跳びつき、しきりにじゃれついた。いままで私が訪ねて来たときにずいぶんかわいがってやっていたからなのだ。犬のふざけがすんでしまうと、私は例の紙を眺《なが》めたが、実を言えば友の描いたものを見て少なからず面くらったのであった。
「なるほどね!」と私は、数分間そいつをつくづく見つめた末に、言った。「こりゃあたしかに奇妙な甲虫だよ《・・》。僕には初めてだ。これまでにこんなものは見たことがない――頭《ず》蓋骨《がいこつ》か髑《どく》髏《ろ》でなければね。僕の《・・》いままで見たもののなかでは、なによりもその髑髏に似ているよ」
「髑髏だって!」とルグランは鸚《おう》鵡《む》返《がえ》しに言った。――「うん、――そうだ、いかにも紙に描《か》いたところでは幾分そんな格好をしてるな、たしかに。上の方の二つの黒い点は、眼《め》のように見えるし、え、そうだろう? それから下にある長いのは口に見えるし、――それに、全体の形が楕《だ》円形《えんけい》だからね」
「たぶんそうだろう」と私は言った。「しかしだね、ルグラン、君は絵が上手じゃないねえ。とにかく、その虫の本物を見るまで待たなくちゃならん、どんなご面相をしているのか知ろうと思ったらね」
「そうかなあ」彼は少しむっとして言った。「僕はかなり描けるんだがね、――少なくとも描けなくちゃならん《・・・・・・・》のだ、――いい先生に教わったんだし、自分じゃあそうひどい愚物でもないつもりなんだから」
「しかし、君、それじゃあ君は茶化しているんだよ」と私は言った。「こりゃあ、ちゃんとした普通の頭蓋骨《・・・》だ。――実際、生理学上のこの部分に関する一般の考えにしたがえば、実に立派な《・・・》頭蓋骨だと言ってもいいね。――そして君の甲虫というのが、もしこれに似てるのなら、それこそ珍無類の甲虫にちがいない。そうだな、この暗示《ヒント》でぞっとするような迷信が一つこさえられるぜ。きっと君はその虫をscarabマus caput hominis(人頭甲虫)とか、何かそういったような名をつけるだろうね。――博物学にはそういうような名前がたくさんあるからね。ところで、君の話したあの触角というのはどこにあるんだい?」
「触角!」とルグランが言った。彼はこの話題に奇妙に熱中しているようだった。「触角は君には見えるはずだと思うんだが。僕は、実物の虫についているとおりにはっきりと描いたんだし、それで十分だと思うんだがな」
「うん、そうかねえ」と私は言った。「きっと君は描いておいたんだろう、――でもやっぱり僕には見えない」そして、私は彼の機《き》嫌《げん》を損じないようにと、それ以上なにも言わないで、その紙を彼に渡した。が、私は形勢が一変してしまったのにはすっかり驚いた。彼の不機嫌には私も面くらったし、――それに、甲虫の図はと言えば、ほんとうに触角などはちっとも《・・・・》見えなくて、全体が髑髏の普通の絵にたしかに《・・・・》そっくりだったのだ。
彼はひどく不機嫌に紙を受け取り、火のなかへ投げこむつもりらしく、それを皺《しわ》くちゃにしようとしたが、そのときふと図をちらりと見ると、とつぜんそれに注意をひきつけられたようであった。たちまち彼の顔は真っ赤になり、――それから真っ蒼《さお》になった。数分間、彼は坐《すわ》ったままその図を詳しく調べつづけていた。とうとう立ち上がると、テーブルから蝋燭《ろうそく》を取って、部屋のいちばん遠い隅《すみ》っこにある船乗りの衣類箱のところへ行って腰をかけた。そこでまた、紙をあらゆる方向にひっくり返してしきりに調べた。だが彼は一ことも口をきかなかった。そして彼の挙動は大いに私をびっくりさせた。それでも、私はなにか口を出したりしてだんだんひどくなってくる彼の気むずかしさをつのらせないほうがよいと考えた。やがて彼は上衣《うわぎ》のポケットから紙入れを取り出して、例の紙をそのなかへ丁寧にしまいこみ、それを書机《ライティング・デスク》のなかに入れて、錠をかけた。彼の態度は今度はだんだん落ちついてきた。が最初の熱中しているような様子はまったくなくなっていた。それでも、むっつりしているというよりも、むしろ茫然《ぼうぜん》としているようだった。夜が更《ふ》けるにしたがって彼はますます空想に夢中になってゆき、私がどんな洒落《しゃれ》を言ってもそれから覚ますことができなかった。私は前にたびたびそこに泊ったことがあるので、その夜も小屋に泊るつもりだったが、なにしろ主《あるじ》がこんな機嫌なので、帰ったほうがいいと思った。彼は強《し》いて泊って行けとは言わなかったが、別れるときには、いつもよりももっと心をこめて私の手を握った。
それから一カ月ばかりもたったころ(そのあいだ私はルグランにちっとも会わなかった)、彼の下男のジュピターが私をチャールストンに訪ねて来た。私は、この善良な年寄りの黒人がこんなにしょげているのを、それまでに見たことがなかった。で、なにかたいへんな災難が友の身に振りかかったのではなかろうかと気づかった。
「おい、ジャップ」と私が言った。「どうしたんだい? ――旦那はどうかね?」
「へえ、ほんとのことを申しますと、旦那さま、うちの旦那はあんまりよくねえんでがす」
「よくない! それはほんとに困ったことだ。どこが悪いと言っているのかね?」
「それ、そこがですよ! どこも悪《わり》いと言っていらっしゃらねえだが、――それがてえへん病気なんでがす」
「たいへん《・・・・》病気だって! ジュピター。――なぜお前はすぐそう言わないんだ? 床《とこ》に寝ているのかい?」
「いいや、そうでねえ! ――どこにも寝ていねえんで、――そこが困ったこっで、――わっしは可哀《かえ》えそうなウィル旦那のことで胸がいっぺえになるんでがす」
「ジュピター、もっとわかるように言ってもらいたいものだな。お前は旦那が病気だと言う。旦那はどこが悪いのかお前に話さないのか?」
「へえ、旦那さま、あんなこっで気が違うてなぁ割に合わねえこっでがすよ。――ウィル旦那はなんともねえって言ってるが、――そんならなんだって、頭を下げて、肩をつっ立って、幽霊みてえに真っ蒼になって、こんな格好をして歩きまわるだかね? それにまた、しょっちゅう計算してるんで――」
「なにをしているって? ジュピター」
「石盤に数字を書いて計算してるんでがす、――わっしのいままで見たことのねえ変てこな数字でさ。ほんとに、わっしはおっかなくなってきましただ。旦那のすることにゃあしっかり眼を配ってなけりゃなんねえ。こねえだも、夜の明けねえうちにわっしをまいて、その日一日《いちんち》いねえんでがす。わっしは、旦那が帰《けえ》って来たらしたたかぶん殴ってくれようと思って、でっけえ棒をこせえときました。――だけど、わっしは馬鹿《ばか》で、どうしてもそんな元気が出ねえんでがす。――旦那があんまり可哀《かえ》えそうな様子をしてるで」
「え? ――なんだって? ――うん、そうか! ――まあまあ、そんなかわいそうな者にはあんまり手荒なことをしないほうがいいと思うな。――折檻《せっかん》したりなんぞしなさんな、ジュピター。――そんなことをされたら旦那はとてもたまるまいからね。――だが、どうしてそんな病気に、というよりそんな変なことをするように、なったのか、お前にはなにも思い当らないのかね? この前僕がお前んとこへ行ってからのち、なにか面白くないことでもあったのかい?」
「いいや、旦那さま、あれからあとにゃあ《・・・・・》なんにも面白くねえことってごぜえません。――そりゃああれより前の《・・》こったとわっしは思うんでがす。――あんたさまがいらっしゃったあの日のことで」
「どうして? なんのことだい?」
「なあに、旦那さま、あの虫のこっでがすよ、――それ」
「あの何だって?」
「あの虫で。――きっと、ウィル旦那はあの黄金虫に頭のどっかを咬《か》まれたんでがす」
「と思うような理由があるのかね? ジュピター」
「爪《つめ》も、口もありんでがすよ、旦那さま。わっしはあんないまいましい虫あ見たことがねえ。――そばへ来るもんはなんでもみんな蹴《け》ったり咬みついたりするんでさ。ウィル旦那が初めにつかまえただが、すぐにまたおっ放《ぱな》さなけりゃなんなかっただ。――そんときに咬まれたにちげえねえ。わっしは自分じゃああの虫の口の格好が気に食わねえんで、指では持ちたくねえと思って、めっけた紙っきれでつかまえましただ。紙に包んでしまって、その紙っきれの端をそいつの口に押しこんでやりましただ、――そんなぐあいにやったんでがす」
「じゃあ、お前は旦那がほんとうにその甲虫に咬まれて、それで病気になったのだと思うんだな?」
「そう思うんじゃごぜえません、――そうと知ってるんでがす。あの黄金虫に咬まれたんでなけりゃあ、どうしてあんなにしょっちゅう黄《こ》金《がね》の夢をみてるもんかね? わっしは前《めえ》にもあんな黄金虫の話を聞いたことがありますだ」
「しかし、どうして旦那が黄金の夢をみているということがお前にわかるかね?」
「どうしてわかるって? そりゃあ、寝言にまでそのことを言ってなさるからでさ、――それでわかるんでがす」
「なるほど、ジャップ。たぶんお前の言うとおりかもしれん。だが、きょうお前がここへご入来《じゅらい》になったのは、どんなご用なのかな?」
「なんでごぜえます? 旦那さま」
「お前はルグラン君からなにか伝言《ことづけ》を言いつかってきたのかい?」
「いいや、旦那さま、この手紙を持ってめえりましただ」と言ってジュピターは次のような一通の手紙を私に渡した。
「拝啓。どうして君はこんなに長く訪ねに来てくれないのか? 僕のちょっとした無《ブリ》愛想《ュスクリー》などに腹を立てるような馬鹿な君ではないと思う。いや、そんなことはあるはずがない。
この前君に会ってから、僕には大きな心配事ができている。君に話したいことがあるのだが、それをどんなぐあいに話していいか、あるいはまた話すべきかどうかも、わかり兼ねるのだ。
僕はこの数日来あまりぐあいがよくなかったが、ジャップめは好意のおせっかいからまるで耐えがたいくらいに僕を悩ませる。君は信じてくれるだろうか? ――彼は先日、大きな棒を用意して、そいつで、僕が彼をまいて一人で本土の山中にその日を過したのを懲《こ》らそうとするのだ。僕が病気のような顔つきをしていたばかりにその折檻をまぬかれたのだと、僕はほんとうに信じている。
この前お目にかかって以来、僕の標本棚《ひょうほんだな》にはなんら加うるところがない。
もしなんとかご都合がついたら、ジュピターと同道にて来てくれたまえ。ぜひ《・・》来てくれたまえ。重大な用件について、今晩《・・》お目にかかりたい。もっとも《・・・・》重大な用件であることを断言する。
敬具
ウィリアム・ルグラン」
この手紙の調子にはどこか私に非常な不安を与えるものがあった。全体の書きぶりがいつものルグランのとはよほど違っている。いったい彼はなにを夢想しているのだろう? どんな変な考えが新たに彼の興奮しやすい頭にとっついたのだろう? どんな「もっとも重大な用件」を彼が《・・》処理しなければならんというのだろう? ジュピターの話の様子ではどうもあまりいいことではなさそうだ。私はたび重なる不運のためにとうとう彼がまったく気が狂ったのではなかろうかと恐れた。だから、一刻もぐずぐずしないで、その黒人と同行する用意をした。
波止場へ着くと、一梃《ちょう》の大鎌《おおがま》と三梃の鋤《すき》とが我々の乗って行こうとするボートの底に置いてあるのに気がついた。どれもみな見たところ新しい。
「これはみんなどうしたんだい? ジャップ」と私は尋ねた。
「うちの旦《だん》那《な》の鎌と鋤でがす、旦那さま」
「そりゃあそうだろう。が、どうしてここにあるんだね?」
「ウィル旦那がこの鎌と鋤を町へ行って買って来いってきかねえんでがす。眼の玉がとび出るほどお金《あし》を取られましただ」
「しかし、いったいぜんたい、お前のところの『ウィル旦那』は鎌や鋤なんぞをどうしようというのかね?」
「そりゃあわっし《・・・》にゃあわからねえこっでさ。また、うちの旦那にだってやっぱしわかりっこねえにちげえねえ。だけど、なんもかもみんなあの虫のせえでがすよ」
ジュピターは「あの虫」にすっかり自分の心を奪われているようなので、彼にはなにをきいても満足な答えを得られるはずがないということを知って、私はそれからボートに乗りこみ、出帆した。強い順風をうけて間もなくモールトリー要塞《ようさい》の北の小さい入江に入り、そこから二マイルほど歩くと小屋に着いた。着いたのは午後の三時ごろだった。ルグランは待ちこがれていた。彼は私の手を神経質な熱誠《アンプレスマン》をこめてつかんだので、私はびっくりし、またすでにいだいていたあの疑念を強くした。彼の顔色はもの凄《すご》いくらいにまで蒼白《あおじろ》く、深くくぼんだ眼はただならぬ光で輝いていた。彼の健康について二こと三こと尋ねてから、私は、なにを言っていいかわからなかったので、G――中尉《ちゅうい》からもう例の甲虫《かぶとむし》を返してもらったかどうかと尋ねた。
「もらったとも」彼は顔をさっと真っ赤にして答えた。「あの翌朝返してもらったんだ。もうどんなことがあろうと、あの甲虫を手放すものか。君、あれについてジュピターの言ったことはまったくほんとなんだぜ」
「どんな点がかね?」私は悲しい予感を心に感じながら尋ねた。
「あれをほんとうの黄金《・・・・・・・》でできている虫だと想像した点がさ」彼はこの言葉を心から真面《まじ》目《め》な様子で言ったので、私はなんとも言えぬほどぞっとした。
「この虫が僕の身代をつくるのだ」と彼は勝ち誇ったような微笑を浮べながら言いつづけた。「僕の先祖からの財産を取り返してくれるのだ。とすると、僕があれを大切にするのも決して不思議じゃあるまい? 運命の神があれを僕に授けようと考えたからには、僕はただそれを適当に用いさえすればいいのだ。そうすればあれが手引きとなって僕は黄金のところへ着くだろうよ。ジュピター、あの甲虫を持ってきてくれ!」
「えっ! あの虫でがすか? 旦那。わっしはあの虫に手出ししたかあごぜえません、――ご自分で取りにいらっせえ」そこでルグランは真面目な重々しい様子で立ち上がり、甲虫の入れてあるガラス箱からそれを持ってきてくれた。それは美しい甲虫で、またその当時には博物学者にも知られていないもので、――むろん、科学的の見地から見て大した掘出し物だった。背の一方の端近くには円い、黒い点が二つあり、もう一方の端近くには長いのが一つある。甲は非常に堅く、つやつやしていて、見たところはまったく磨《みが》きたてた黄金のようであった。この虫の重さも大したもので、すべてのことを考え合せると、ジュピターがああ考えるのをとがめるわけにはゆかなかった。しかし、ルグランまでがジュピターのその考えに同意するのはなんと解釈したらいいか、私にはどうしてもわかりかねた。
「君を迎えにやったのはね」と彼は、私がその甲虫を調べてしまったとき、大げさな調子で言った。「君を迎えにやったのは、運命の神とこの甲虫との考えを成功させるのに、君の助言と助力とを願いたいと思って――」
「ねえ、ルグラン君」私は彼の言葉をさえぎって大声で言った。「君はたしかにぐあいがよくない。だから少し用心したほうがいいよ。寝たまえ。よくなるまで、僕は二、三日ここにいるから。君は熱があるし――」
「脈をみたまえ」と彼は言った。
私は脈をとってみたが、実のところ、熱のありそうな様子はちっともなかった。
「しかし熱はなくても病気かもしれないよ。まあ、今度だけは僕の言うとおりにしてくれたまえ。第一に寝るのだ。次には――」
「君は思い違いをしている」と彼は言葉をはさんだ。「僕はいま罹《かか》っている興奮状態ではこれで十分健康なのだ。もし君がほんとうに僕の健康を願ってくれるなら、この興奮を救ってくれたまえ」
「というと、どうすればいいんだい?」
「わけのないことさ。ジュピターと僕とはこれから本土の山のなかへ探検に行くんだが、この探検には誰か信頼できる人の助けがいる。君は僕たちの信用できるただ一人なのだ。成功しても失敗しても、君のいま見ている僕の興奮は、とにかく鎮《しず》められるだろう」
「なんとかして君のお役に立ちたいと思う」と私は答えた。「だが、君はこのべらぼうな甲虫が君の探検となにか関係があるとでも言うのかい?」
「あるよ」
「じゃあ、ルグラン、僕はそんなばかげた仕事の仲間入りはできない」
「それは残念だ、――実に残念だ。――じゃあ僕ら二人だけでやらなくちゃあならない」
「君ら二人だけでやるって! この男はたしかに気が違っているぞ! ――だが待ちたまえ、――君はどのくらいのあいだ留守にするつもりなんだ?」
「たぶん一晩じゅうだ。僕たちはいまからすぐ出発して、ともかく日の出ごろには戻って来られるだろう」
「では君は、この君の酔狂がすんでしまって、甲虫一件がだ(ちぇっ!)、君の満足するように落着したら、そのときは家へ帰って、医者の勧告と同じに僕の勧告に絶対にしたがう、ってことを、きっと僕に約束するかね?」
「うん、約束する。じゃあ、すぐ出かけよう。一刻もぐずぐずしちゃあおられないんだから」
気が進まぬながら私は友に同行した。我々は四時ごろに出発した、――ルグランと、ジュピターと、犬と、私とだ。ジュピターは大鎌と鋤とを持っていたが、――それをみんな自分で持って行くと言い張って肯《き》かなかったのは、過度の勤勉や忠実からというよりも、そのどちらの道具でも主人の手のとどくところに置くことを恐れるかららしく、私には思われた。彼の態度はひどく頑《がん》固《こ》で、みちみち彼の唇《くちびる》をもれるのは「あのいまいましい虫めが」という言葉だけであった。私はというと龕灯《がんどう》を二つひきうけたが、ルグランは例の甲虫だけで満足していて、それを鞭索《むちなわ》の端にくくりつけ、歩きながら手品師のような格好でそいつをくるくる振りまわしていた。私は友の気のふれていることのこの最後の明白な証拠を見たときには、どうにも涙をとめることができないくらいであった。しかし、少なくとも当分のあいだは、あるいは成功の見込みのありそうななにかもっと有力な手段をとることができるまでは、彼のしたいままにさせておくのがいちばんいい、と考えた。一方、探検の目的について彼にさぐりを入れてみたが、まるで駄目《だめ》だった。私をうまく同行させることができたので、彼はさして重要でない問題など話したくないらしく、なにを尋ねても「いまにわかるさ!」としか返事をしてくれなかった。
我々は島のはずれの小川を小舟で渡り、それから本土の海岸の高地を登って、人の通らない非常に荒れはてた寂しい地域を、北西の方向へと進んだ。ルグランは決然として先頭に立ってゆき、ただ自分が前に来たときにつけておいた目標らしいものを調べるために、ところどころでほんのちょっとのあいだ立ち止るだけだった。
こんなふうにして我々は約二時間ほど歩き、ちょうど太陽が沈みかけたときに、いままでに見たどこよりもずっともの凄い地帯へ入ったのであった。そこは一種の高原で、ほとんど登ることのできない山の頂上近くにあった。その山は麓《ふもと》から絶頂まで樹木がぎっしり生えていて、ところどころに巨岩が散らばっていて、その岩は地面の上にただごろごろころがっているらしく、たいていはよりかかっている樹木に支えられて、やっと下の谷底へ転落しないでいるのだ。さまざまな方向に走っている深い峡谷は、あたりの風景にいっそう凄《せい》然《ぜん》とした森厳の趣をそえているのであった。
我々のよじ登ったこの天然の高台には茨《いばら》が一面を蔽《おお》っていて、大鎌がなかったらとても先へ進むことができまいということがすぐわかった。ジュピターは主人の指図によって、途方もなく高い一本のゆりの木の根もとまで、我々のために道を切りひらきはじめた。そのゆりの木というのは八本から十本ばかりの樫《かし》の木とともにこの平地に立っていて、その葉や形の美しいこと、枝の広くひろがっていること、外観の堂々たることなどの点では、それらの樫の木のどれよりも、また私のそれまでに見たどんな木よりも、はるかに優《まさ》っているのであった。我々がこの木のところへ着いたとき、ルグランはジュピターの方へ振り向いて、この木によじ登れると思うかどうかと尋ねた。老人はこの問いにちょっとためらったようで、しばらくのあいだは返事をしなかった。とうとうその大きな幹に近づいて、まわりをゆっくり歩きまわって、念入りにそれを調べた。すっかり調べおえると、ただこう言った。
「ええ、旦那、ジャップの見た木で登れねえってえのはごぜえません」
「そんならできるだけ早く登ってくれ。じきに暗くなって、やることが見えなくなるだろうから」
「どこまで登るんですか? 旦那」とジュピターが尋ねた。
「まず大きい幹を登るんだ。そうすれば、どっちへ行くのか言ってやるから。――おい、――ちょっと待て! この甲虫を持ってゆくんだ」
「虫でがすかい! ウィル旦那。――あの黄金虫でがすかい!」とその黒人は恐ろしがって尻《しり》込《ご》みしながら叫んだ。――「なんだってあんな虫を木の上まで持って上がらにゃなんねえでがす? ――わっしゃあそんなこと、まっぴらだあ!」
「ジャップ、お前が、お前みたいな大きな丈夫な黒んぼが、なにもしない、小さな、死んだ甲虫を持つのが怖いんならばだ、まあ、この紐《ひも》につけて持って行ってもいいさ。――だが、なんとかしてこいつを持って行かないんなら、仕方がないからおれはこのシャベルでお前の頭をたたき割らねばなるまいて」
「なんでごぜえます? 旦那」ジャップはいかにも恥ずかしがって承知しながら、言った。「しょっちゅう年寄りの黒んぼを相手に喧《けん》嘩《か》してばかりさ。ちょっと冗談を言っただけでがすよ。わっし《・・・》があの虫を怖がるって! あんな虫ぐれえ、なんとも思うもんかねえ?」そう言って彼は用心深く紐のいちばん端をつかみ、できるだけ虫を自分の体から遠くはなして、木に登る用意をした。
アメリカの森林樹のなかでもっとも荘厳なゆりの木、つまりLiriodendron Tulipiferumは、若木のときには、幹が奇妙になめらかで、横枝を出さずにしばしば非常な高さにまで生長する。しかし、年をとるにつれて、樹皮が瘤《こぶ》だらけになり、凹凸《おうとつ》ができる一方、たくさんの短い枝が幹にあらわれるのである。だから、いまの場合、よじ登る困難は、実際は見かけほどひどくないのであった。大きな円柱形の幹を両腕と両膝《りょうひざ》とでできるだけしっかり抱き、手でどこかとび出たところをつかんで、素足の指を別のにかけながら、ジュピターは、一、二度落ちそうになったのをやっとまぬかれたのち、とうとう最初の大きな樹《き》の股《また》のところまで這《は》い登ってゆき、もう仕事は実質的にはすっかりすんでしまったと考えたらしかった。地上から約六、七十フィートばかり登ったのではあるけれど、木登りの危険《・・》は事実もう去ったのだ。
「今度はどっちへ行くんでがす? ウィル旦那」と彼は尋ねた。
「やっぱりいちばん大きな枝を登るんだ、――こっち側のだぞ」とルグランが言った。黒人はすぐその言葉にしたがって、なんの苦もなさそうに、だんだん高く登ってゆき、とうとう彼のずんぐりした姿は、そのまわりの茂った樹の葉のあいだから少しも見えなくなってしまった。やがて彼の声が、遠くから呼びかけるように聞えてきた。
「まだどのくれえ登るんでがすかい?」
「どれくらい登ったんだ?」とルグランがきいた。
「ずいぶん高うがす」と黒人が答えた。「木のてっぺんの隙《すき》間《ま》から空が見えますだ」
「空なんかどうでもいい。がおれの言うことをよく聞けよ。幹の下の方を見て、こっち側のお前の下の枝を勘定してみろ。いくつ枝を越したか?」
「一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、――五つ越しましただ、旦那、こっち側ので」
「じゃあもう一つ枝を登れ」
しばらくたつとまた声が聞えて、七本目の枝へ着いたと知らせた。
「さあ、ジャップ」とルグランは、明らかに非常に興奮して、叫んだ。「その枝をできるだけ先の方まで行ってくれ。なにか変ったものがあったら、知らせるんだぞ」
このころには、哀れな友の発狂について私のいだいていたかすかな疑いも、とうとうまったくなくなってしまった。彼は気がふれているのだと断定するよりほかなかった。そして彼を家へ連れもどすことについて、本気に気をもむようになった。どうしたらいちばんいいだろうかと思案しているうちに、ジュピターの声が聞えてきた。
「この枝をうんと先の方までゆくのは、おっかねえこっでがす。ずっと大概《てえげえ》枯枝でがすよ」
「枯枝だと言うのかい? ジュピター」とルグランは震え声で叫んだ。
「ええ、旦那、枯れきってまさ、――たしかに参《まい》ってますだ、――この世からおさらばしてますだ」
「こいつあいったい、どうしたらいいだろうなあ?」とルグランは、いかにも困りきったらしく、言った。
「どうするって!」と私は、口を出すきっかけができたのを喜びながら、言った。「うちへ帰って寝るのさ。さあさあ! ――そのほうが利口だ。遅くもなるし、それに、君はあの約束を覚えてるだろう」
「ジュピター」と彼は、私の言うことには少しも気をとめないで、どなった。「おれの言うことが聞えるか?」
「ええ、ウィル旦《だん》那《な》、はっきり聞えますだ」
「じゃあ、お前のナイフで木をよっくためして、よほど《・・・》腐ってるかどうか見ろ」
「腐ってますだ、旦那、やっぱし」としばらくたってから黒人が答えた。「だけど、そんなにひどく腐ってもいねえ。わっしだけなら、枝のもう少し先まで行けそうでがすよ、きっと」
「お前だけならって! そりゃあどういうことなんだ?」
「なあに、虫のこっでがすよ。とっても《・・・・》重てえ虫でさ。こいつを先に落せば、黒んぼ一人ぐれえの重さだけにゃあ、枝は折れますめえ」
「このいまいましい馬鹿《ばか》野郎!」とルグランは、よほどほっとしたような様子で、どなった。「なんだってそんなくだらんことを言うんだ? その甲虫を落したが最後、お前のくびをへし折ってくれるぞ。こら、ジュピター! おれの言うことが聞えるか?」
「聞えますだ、旦那。かわいそうな黒んぼにそんなふうにどならなくてもようがすよ」
「よしよし! じゃあよく聞け! ――もしお前が、その甲虫を放さないで、危なくないと思うところまでその枝をずっと先の方へ行くなら、降りて来たらすぐ、一ドル銀貨をくれてやるぞ」
「いま行ってるところでがす、ウィル旦那、――ほんとに」と黒人はすばやく答えた。――「もうおおかた端っこのとこでさ」
「端っこのところ《・・・・・・・》だって!」と、そのときルグランはまったく金切り声をたてた。「お前はその枝の端っこのところまで行ったと言うのか?」
「もうじき端っこでがすよ。旦那。――わあ! おったまげただ! 木の上のここんとこにあるのあなんだろう《・・・》?」
「よしよし!」ルグランは非常に喜んで叫んだ。「そりゃあなんだ?」
「なあに、髑髏《しゃれこうべ》でごぜえますよ。――誰か木の上に自分の頭を置いて行ったんで、鴉《からす》がその肉をみんなくらってしまったんでがす」
「髑髏だと言ったな! ――上等上等! ――それはどうして枝に結びつけてあるかい?――なんでとめてあるかい?」
「なるほど、旦那。見やしょう。やあ、こりゃあたしかになんと不思議なこった。――髑髏のなかにゃでっけえ釘《くぎ》があって、それで木にくっついてますだ」
「よし、ジュピター、おれの言うとおりにするんだぞ。――わかるか?」
「ええ、旦那」
「じゃあ、よく気をつけろ! ――髑髏の左の眼《め》を見つけるんだ」
「ふうん! へえ! ようがす! ええっと、眼なんてちっとも残っていねえんでがすが」
「このまぬけめが! お前は自分の右の手と左の手の区別を知ってるか?」
「ええ、そりゃあ知ってますだ、――よく知ってますだ、――わしが薪《まき》を割るのが左の手でがす」
「なるほど! お前は左ききだっけな。で、お前の左の眼は、お前の左の手と同じ方にあるんだぞ。とすると、お前にゃあ髑髏の左の眼が、というのはもと左の眼のあったところだが、わかるだろう。見つけたか?」
ここで長い合間があった。とうとう黒人が尋ねた。
「髑髏の左の眼もやっぱり髑髏の左の手と同じ側にあるんでがすかい? ――でも髑髏にゃあ手なんてちっともねえだ。――なあに、かまわねえ! いま、左の眼を見つけましただ。――ここが左の眼だ! これをどうするんでがすかい?」
「そこから甲虫《かぶとむし》を通しておろすんだ。紐ののばせるだけな。――だが、気をつけてつかんでいる紐をはなさんようにするんだぞ」
「すっかりやりましただ、ウィル旦那。この穴から虫を通すなあわけのねえこっでさあ。――下から見てくだせえ!」
この会話のあいだじゅう、ジュピターの体は少しも見えなかった。が、彼のおろした甲虫は、いま、紐の端に見えてきて、我々の立っている高台をまだほのかに照らしている落陽の名残の光のなかに、磨《みが》きたてた黄金の球のようにきらきら輝いていた。甲虫はどの枝にもひっかからないでぶら下がっていて、落せば我々の足もとへ落ちて来たろう。ルグランはすぐに大鎌《おおがま》を取り、それで虫の真下に直径三、四ヤードの円い空地を切りひらき、それをやってしまうと、ジュピターに紐をはなして木から降りて来いと命じた。
ちょうどその甲虫の落ちた地点に、すこぶる精確に杭《くい》を打ちこむと、友は今度はポケットから巻尺を取り出した。それの一端を杭にいちばん近いその木の幹の一点に結びつけてから、彼はそれを杭にとどくまでのばし、そこからさらに、木と杭との二点でちゃんと確定された方向に、五十フィートの距離までのばした。――そのあいだをジュピターが大鎌で茨を刈り取る。こうして達した地点に第二の杭が打ちこまれ、それを中心にして直径四ヤードばかりのぞんざいな円が描かれた。それからルグランは、自分で一梃《ちょう》の鋤《すき》を取り、ジュピターに一梃、私に一梃渡して、できるだけ速く掘りにかかってくれと頼んだ。
実を言うと、私はもともとこんな道楽には特別の趣味を持っていなかったし、ことにそのときには進んで断わりたかったのだ。というのは、だんだん夜は迫って来るし、それにこれまでの運動でずいぶん疲れてもいたから。しかし、のがれる方法もなかったし、また拒絶してかわいそうな友の心の平静をみだしたりすることを恐れた。もしジュピターの助けをほんとに頼りにできるなら、私はさっそくこの狂人を無理にも連れて帰ろうとしたろう。だが、その年寄りの黒人の性質を十分にのみこんでいるので、私が彼の主人と争うようなときには、どんな場合にしろ、私に味方をしてくれようとは望めないのであった。私は、ルグランが金《かね》が埋められているというあの南部諸州に無数にある迷信のどれかにかぶれていて、また例の甲虫を発見したことのために、あるいはおそらくジュピターがそれをしきりに「ほんとうの黄金でできている虫」だと言い張ったことのために、彼の空想がいよいよ強められているのだ、ということを疑わなかった。いったい、発狂しやすい人間というものはそういう暗示には造作なくかかりがちなもので、ことにそれが前から好んで考えていることと一致する場合にはなおさらである。それから私はこの気の毒な男が甲虫を「自分の身代の手引き」だと言ったことを思い出した。とにかく、私はむしょうにいらいらし、また途方に暮れた。が、しまいにはとうとう、やむを得ぬことと諦《あきら》めて気持よくやろう――本気で掘って、そうして早くこの空想家に目《ま》のあたり証拠を見せつけて、彼のいだいている考えのまちがっていることを納得させてやろう――と心に決めたのであった。
角灯に火をつけて、我々一同は、こんなことよりはもっとわけのわかった事がらにふさわしいような熱心さをもって仕事にとりかかった。そして、火影が我々の体や道具を照らしたとき、私は、我々がどんなに絵のような一群をなしているだろう、また、偶然に我々のいるところを通りかかる人があったら、その人には我々のやっていることがどんなにか奇妙にも、おかしくも見えるにちがいない、ということを考えないではいられなかった。
二時間のあいだ我々は脇《わき》目《め》もふらずに掘った。ほとんどものも言わなかった。いちばん困ったことは犬のきゃんきゃん啼《な》きたてることだった。犬は我々のしていることを非常に面白がっているのだ。しまいにはそれがあまり騒々しくなったので、誰か付近をうろついている者どもに聞きとがめられはしまいかと気づかった。――いや、もっと正確に言えば、これはルグランの気がかりであったのだ。――なぜなら、私としては、どんな邪魔でも入ってこの放浪者を連れかえることができるならむしろ喜んだろうから。とうとう、そのやかましい声をジュピターがたいへんうまく黙らせてしまった。彼は、いかにもしかつめらしく考えこんだような様子をしながら穴から出て、自分の片方のズボン吊《つ》りで犬の口をしばりあげ、それから低くくすくす笑いながら、また自分の仕事にかかった。
その二時間がたってしまうと、我々は五フィートの深さに達したけれども、やはり宝などのあらわれて来そうな様子もなかった。一同はそれからちょっと休んだ。そして私はこの茶番狂言もいよいよおしまいになればいいがと思いはじめた。しかしルグランは、明らかにひどく面くらってはいたけれど、もの思わしげに額をぬぐうと、またふたたび鋤を取りはじめた。それまでに我々は直径四フィートの全円を掘ってしまっていたのだが、今度は少しその範囲を大きくし、さらに二フィートだけ深く掘った。それでもやはりなにもあらわれて来なかった。あの黄金探索者は、私は心から彼を気の毒に思ったが、とうとう、顔一面にはげしい失望の色を浮べながら穴から這い上がり、仕事を始めるときに脱ぎすてておいた上衣《うわぎ》を、のろのろといやいやながら着はじめた。そのあいだ私はなにも言わなかった。ジュピターは主人の合図で道具を寄せはじめた。それがすんでしまい、犬の口《くつ》籠《ご》をはずしてやると、我々は黙りこくって家路へとついた。
その方向へたしか十歩ばかり歩いたとき、ルグランは大きな呪《のろ》いの声をあげながら、ジュピターのところへ大股につかつかと歩みより、彼の襟頸《えりくび》をひっつかんだ。びっくりした黒人は眼と口とをできるだけ大きく開き、鋤を落して、膝をついた。
「この野郎!」ルグランは食いしばった歯のあいだから一こと一ことを吐き出すように言った。――「このいまいましい黒んぼの悪党め! ――さあ、言え! ――おれの言うことにいますぐ返事をしろ、ごまかさずに! ――どっちが――どっちがお前の左の眼だ?」
「ひぇっ! ご免くだせえ、ウィル旦那。こっちがたしかにわっしの左の眼でがしょう?」とどぎもを抜かれたジュピターは、自分の右《・》の眼《・・》に手をあてて、主人がいまにもそれをえぐり取りはしないかと恐れるように、必死になってその眼をおさえながら、叫んだ。
「そうだろうと思った! ――おれにゃあわかっていたんだ! しめたぞ!」とルグランはわめくと、黒人を突きはなして、つづけざまに跳び上がったりくるくるまわったりしたので、下男はびっくり仰天して、立ち上がりながら、無言のまま主人から私を、また私から主人をと眺《なが》めかえした。
「さあ! あともどりだ」とルグランは言った。「まだ勝負はつかないんだ」そして彼はふたたび先に立って、あのゆりの木の方へ行った。
「ジュピター」と、我々がその木の根もとのところへ来ると、彼は言った。「ここへ来い! 髑髏は顔を外にして枝に打ちつけてあったか、それとも顔を枝の方へ向けてあったか?」
「顔は外へ向いていましただ、旦那。だから鴉は造作なく眼を突っつくことができたんでがす」
「よし。じゃあ、お前が甲虫を落したのは、こっちの眼からか、それともそっちの眼からか?」――と言いながら、ルグランは、ジュピターの両方の眼に一つ一つ触ってみせた。
「こっちの眼でがす、旦那。――左の眼で、あんたさまのおっしゃったとおりに」と言って黒人の指したのは彼の右の眼だった。
「それでよし。――もう一度やり直しだ」
こうなると、私は友の狂気のなかにもなにかある方法らしいもののあることがわかった。あるいは、わかったような気がした。彼は甲虫の落ちた地点を標示する例の杭を、もとの位置から三インチばかり西の方へ移した。それから、前のように巻尺を幹のいちばん近い点から杭までひっぱり、それをさらに一直線に五十フィートの距離までのばして、さっき掘った地点から数ヤード離れた場所に目標を立てた。
その新しい位置の周囲に、前のよりはいくらか大きい円を描き、ふたたび我々は鋤を持って仕事にとりかかった。私はおそろしく疲れていた。が、なにがそういう変化を自分の気持に起させたのかちっともわからなかったけれど、もう課せられた労働が大して厭《いや》ではなくなった。私は奇妙に興味を感じてきた。――いや、興奮をさえ感じてきた。おそらく、ルグランのすべての突飛な振舞いのなかには、なにかあるもの――なにか先見とか熟慮とかいったような様子――があって、それが私の心を動かしたのであろう。私は熱心に掘った。そしてときどき、期待に似たようなある心持で、不幸な友を発狂させたあの空想の宝を、実際に待ちうけている自分に、ふと気がつくことがあった。そういう妄想《もうそう》がすっかり私の心をとらえていたとき、そして掘りはじめてからたぶん一時間半もたったころ、我々はふたたび犬のはげしく吠《ほ》える声に邪魔された。前に犬が騒ぎたてたのはあきらかにふざけたがりか気まぐれからであったが、今度ははげしい真剣な調子だった。ジュピターがまた口籠をかけようとすると、犬ははげしく抵抗し、穴のなかへ跳びこんで、狂ったように爪《つめ》で土をひっかいた。そして数秒のうちに、一塊の人骨を掘り出したが、それは二人分の完全な骸骨《がいこつ》をなすもので、数個の金属製のボタンと、毛織物の腐って塵《ちり》になったのらしく見えるものとが、それにまじっていた。鋤を一、二度打ちこむと、大きなスペイン短剣《ナイフ》の刀身がひっくり返って出た。それからさらに掘ると、ばらばらの金貨や銀貨が三、四枚あらわれた。
これを見ると、ジュピターの喜びはほとんど抑えきれぬくらいだった。が、彼の主人の顔はひどい失望の色を帯びた。しかし、彼はもっと努力をつづけてくれと我々を励ましたが、その言葉が言い終るか終らぬうちに、私はつまずいてのめった。自分の長靴《ながぐつ》の爪先《つまさき》を、ばらばらの土のなかに半分埋まっていた大きな鉄の鐶《かん》にひっかけたのだ。
我々はいまや一所懸命に掘った。そして私はかつてこれ以上に強烈な興奮の十分間を過したことがない。その十分間に、我々は一つの長方形の木製の大箱をすっかり掘り出したのだ。この箱は、それが完全に保存されていることや、驚くべき堅牢《けんろう》さを持っていることなどから考えると、明らかになにかある鉱化作用――たぶん塩化第二水銀の鉱化作用――をほどこされているのであった。長さは三フィート半、幅は三フィート、深さは二フィート半あった。鍛鉄《たんてつ》の箍《たが》でしっかりと締め、鋲《びょう》を打ってあって、全体に一種の格《こう》子《し》細工をなしている。箱の両側の、上部に近いところに、鉄の鐶が三つずつ――みんなで六つ――あり、それによって六人でしっかり持つことができるようになっている。我々が一緒になってあらんかぎりの力を出してみたが、底をほんの少しばかりずらすことができただけであった。こんな恐ろしく重いものはとうてい動かせないということがすぐにわかった。ありがたいことには、蓋《ふた》を留めてあるのは二本の抜き差しのできる閂《かんぬき》だけだった。不安のあまりぶるぶる震え、息をはずませながら――我々はその閂を引き抜いた。とたちまち、価《あたい》も知れぬほどの財宝が我々の眼前に光りきらめいて現われた。角灯の光が穴のなかへ射《さ》したとき、雑然として積み重なっている黄金宝石の山から、実に燦爛《さんらん》たる光輝が照りかえして、まったく我々の眼を眩《くら》ませたのであった。
それを眺めたときの心持を私は書きしるそうとはしまい。驚きが主だったことは言うまでもない。ルグランは興奮のあまりへとへとになっているようで、ほとんど口もきかなかった。ジュピターの顔はちょっとのあいだ黒人の顔としてはこれ以上にはなれないほど、死人のように蒼白《あおじろ》くなった。彼はあっけにとられて――胆《きも》をつぶしているらしかった。やがて彼は穴のなかに膝《ひざ》をついて、袖《そで》をまくり上げた両腕を肘《ひじ》のところまで黄金のなかに埋め、ちょうど湯に入って好い気持になってでもいるように、腕をそのままにしていた。とうとう、深い溜息《ためいき》をつきながら、独言《ひとりごと》のように叫んだ。
「で、こりゃあみんなあの黄金虫からなんだ! あのきれいな黄金虫! わっしがあんなに乱暴に悪口言った、かわいそうなちっちぇえ黄金虫からなんだ! お前《めえ》は恥ずかしくねえか? 黒んぼ、――返事してみろ!」
とうとう、私は主従の二人をうながして財宝を運ぶようにさせなければならなくなった。夜はだんだん更《ふ》けて来るし、夜明け前になにもかもみんな家へ持ってゆくには、一働きする必要があったのだ。が、どうしたらいいかなかなかわからず、考えるのにずいぶん長く時間がかかった。――それほど一同の頭は混乱していたのだ。とうとう、なかにある物の三分の二を取り出して箱を軽くすると、どうにか穴から引き揚げることができた。取り出した品物は茨《いばら》のあいだに置いて、その番をさせるために犬を残し、我々が帰って来るまでは、どんなことがあってもその場所から離れぬよう、また口を開かぬようにと、ジュピターから犬にきびしく言いつけた。それから我々は箱を持って急いで家路についた。そして無事に、だが非常に骨を折ったのちに、小屋へ着いたのは、午前一時だった。疲れきっていたので、すぐまたつづけて働くということは人間業ではできないことだった。我々は二時まで休み、食事をとった。それからすぐ、幸いに家のなかにあった三つの丈夫な袋をたずさえて、山に向って出発した。四時すこし前にさっきの穴へ着き、残りの獲物を三人にできるだけ等分に分け、穴は埋めないままにして、ふたたび小屋へと向ったが、二度目に我々の黄金の荷を小屋におろしたのは、ちょうど曙《あけぼの》の最初の光が東の方の樹々《きぎ》の頂から輝きだしたころであった。
一同はもうすっかりへたばっていた。が、はげしい興奮が我々を休息させなかった。三、四時間ばかりうとうとと眠ると、我々は、まるで申し合せてでもあったように、財宝を調べようと起き上がった。
箱は縁のところまでいっぱいになっていて、その内容を吟味するのに、その日一日と、その夜の大部分がかかった。秩序とか排列とかいったようなものは少しもなかった。なにもかも雑然と積み重ねてあった。すべてを念入りに択《え》り分けてみると、初めに想像していたよりももっと莫大《ばくだい》な富が手に入ったことがわかった。貨幣では四十五万ドル以上もあった。――これは一つ一つの価格を、当時の相場表によって、できるだけ正確に値ぶみしてである。銀貨は一枚もなかった。みんな古い時代の金貨で、種類も種々様々だった。――フランスや、スペインや、ドイツの貨幣、それにイギリスのギニー金貨が少し、また、これまで見本を見たこともないような貨幣もあった。ひどく磨《す》りへっているので、刻印のちっとも読めない、非常に大きくて重い貨幣もいくつかあった。アメリカの貨幣は一つもなかった。宝石の価格を見積るのはいっそう困難だった。金剛石《ダイヤモンド》は――そのなかにはとても大きい立派なものもあったが――みんなで百十個あり、小さいのは一つもない。すばらしい光輝をはなつ紅玉《ルビー》が十八個、緑柱玉《エメラルド》が三百十個、これはみなきわめて美しい。青玉《サファイア》が二十一個と、蛋白石《オパール》が一個。それらの宝石はすべてその台からはずして、箱のなかにばらばらに投げこんであった。他の黄金のあいだから択り出したその台のほうは、見分けのつかぬようにするためか、鉄鎚《かなづち》で叩きつぶしたものらしく見えた。これらすべてのほかに、非常にたくさんの純金の装飾品があった。つまり、どっしりした指輪やイヤリングがかれこれ二百。立派な首飾り、――これはたしか三十あったと記憶する。とても大きな重い十字架が八十三個。非常な価格の香炉が五個。葡《ぶ》萄《どう》の葉と酔いしれて踊っている人々の姿とを見事に浮彫りした大きな黄金のポンス鉢《ばち》が一個。それから精巧に彫りをした刀剣の柄《つか》が二本と、そのほか、思い出すことのできないたくさんの小さな品々。これらの貴重品の重量は三百五十ポンドを超えていた。そしてこの概算には百九十七個のすばらしい金時計が入っていないのだ。そのなかの三個はたしかにそれぞれ五百ドルの価はある。時計の多くは非常に古くて、機械が腐食のために多少ともいたんでいるので、時を測るものとしては無価値であった。が、どれもこれも皆たくさんの宝石をちりばめ、高価な革に入っていた。この箱の全内容を、その夜、我々は百五十万ドルと見積った。ところが、その後、その装身具や宝石類を(いくつかは我々自身が使うのに取っておいたが)売り払ってみると、我々がこの財宝をよほど安く値ぶみしていたことがわかったのだった。
いよいよ調べが終って、はげしい興奮がいくらか鎮《しず》まると、ルグランは、私がこの不思議きわまる謎《なぞ》の説明を聞きたくてたまらないでいるのを見て、それに関するいっさいの事情を詳しく話しはじめたのだ。
「君は覚えているだろう」と彼は言った。「僕が甲虫《かぶとむし》の略図を描《か》いて君に渡したあの晩のことを。また、君が僕の描いた絵を髑《どく》髏《ろ》に似ていると言い張ったのに僕がすっかり腹を立てたことも、思い出せるだろう。初め君がそう言ったときには、僕は君が冗談を言っているのだと思ったものだ。だがその後、あの虫の背中に妙な点があるのを思い浮べて、君の言ったことにも少しは事実の根拠がないでもないと内心認めるようになった。でも、君が僕の絵の腕前を冷やかしたのが癪《しゃく》だった。――僕は絵が上手だと言われているんだからね。――だから、君があの羊皮紙の切れっぱしを渡してくれたとき、僕はそいつを皺《しわ》くちゃにして、怒って火のなかへ投げこもうとしたんだ」
「あの紙の切れっぱしのことだろう」と私が言った。
「いいや。あれは見たところでは紙によく似ていて、最初は僕もそうかと思ったが、絵を描いてみると、ごく薄い羊皮紙だということにすぐ気がついたよ。覚えているだろう、ずいぶんよごれていたね。ところで、あれをちょうど皺くちゃにしようとしていたとき、君の見ていたあの絵がちらりと僕の眼にとまったのさ。で、自分が甲虫の絵を描いておいたと思ったちょうどその場所に、事実、髑髏の図を認めたときの僕の驚きは、君にも想像できるだろう。ちょっとのあいだ、僕はあんまりびっくりしたので、正確にものを考えることができなかった。僕は、自分の描いた絵が、大体の輪郭には似ているところはあったけれども――細かい点ではそれとはたいへん違っていることを知った。やがて蝋燭を取って、部屋の向う隅《すみ》へ行って腰をかけ、その羊皮紙をもっとよく吟味しはじめた。ひっくり返してみると、僕の絵が自分の描いたとおりにその裏にあるのだ。そのときの僕の最初の感じは、ただ、両方の絵の輪郭がまったくよく似ているということにたいする驚きだった。――羊皮紙の反対の側に、僕の描いた甲虫の絵の真下に、僕の眼《め》につかずに頭《ず》蓋骨《がいこつ》があり、この頭蓋骨が輪郭だけではなく、大きさまでが、僕の絵によく似ている、という事実に含まれた不思議な暗合にたいする驚きだった。この暗合の不思議さはしばらくのあいだ僕をまったく茫然《ぼうぜん》とさせたよ。これはこういうような暗合から起る普通の結果なんだ。心は連絡を――原因と結果との関連を――確立しようと努め、それができないので、一種の一時的な麻痺《まひ》状態に陥るんだね。だが、僕がこの茫然自失の状態から回復すると、その暗合よりもっともっと僕を驚かせた一つの確信が、心のなかにだんだんと湧《わ》き上がってきたんだ。僕は、甲虫の絵を描いたときには羊皮紙の上になんの絵もなかった《・・・・》ことを、明瞭《めいりょう》に、確実に、思い出しはじめた。僕はこのことを完全に確かだと思うようになった。なぜなら、いちばんきれいなところを捜そうと思って、初めに一方の側を、それから裏をと、ひっくり返してみたことを、思い出したからなんだ。もし頭蓋骨がそのときそこにあったのなら、もちろん見のがすはずがない。この点に、実際、説明のできないと思われる神秘があった。が、そのときもうはや、僕の知力のいちばん奥深いところでは、昨夜の冒険であんなに見事に証明されたあの事実の概念が、蛍火《ほたるび》のように、かすかに、ひらめいたようだった。僕はすぐ立ち上がり、羊皮紙を大事にしまいこんで、一人になるまでそれ以上考えることはいっさいやめてしまった。
君が帰ってゆき、ジュピターがぐっすり眠ってしまうと、僕はその事がらをもっと順序立てて研究することに着手した。まず第一に、羊皮紙がどうして自分の手に入ったかということを考えてみた。僕たちがあの甲虫を発見した場所は、島の東の方一マイルばかりの本土の海岸で、満潮点のほんの少し上のところだった。僕がつかまえると、強く咬《か》みついたので、それを落した。ジュピターはいつもの用心深さで、自分の方へ飛んできたその虫をつかむ前に、樹の葉か、なにかそういったようなものを捜して、それでつかまえようと、あたりを見まわした。彼の眼と、それから僕の眼とが、あの羊皮紙の切れっぱしにとまったのは、この瞬間だった。もっとも、そのときはそれを紙だと思っていたがね。それは砂のなかになかば埋まっていて、一つの隅だけが出ていた。それを見つけた場所の近くに、僕は帆船の大短艇《ロング・ボート》らしいものの残骸を認めた。その難破船はよほど長いあいだそこにあるものらしかった。というのは、ボートの用材らしいということがやっとわかるほどだったから。
さて、ジュピターがその羊皮紙を拾い上げ、甲虫をそのなかに包んで、僕に渡してくれた。それから間もなく僕たちは家へ帰りかけたが、その途中でG――中尉《ちゅうい》に会った。虫を見せたところ、要塞《ようさい》へ借りて行きたいと頼むのだ。僕が承知すると、彼はすぐにその虫を、それの包んであった羊皮紙のなかへ入れないで、そのまま自分のチョッキのポケットのなかへ突っこんでしまった。その羊皮紙は彼が虫を調べているあいだ僕が手に持っていたのさ。たぶん、彼は僕の気が変るのを恐れて、すぐさま獲物をしまってしまうほうがいいと考えたんだろうよ。――なにしろ君も知っているとおり、あの男は博物学に関することならなんでもまるで夢中だからね。それと同時に、僕はなんの気なしに、羊皮紙を自分のポケットのなかへ入れたにちがいない。
僕が甲虫の絵を描こうと思って、テーブルのところへ行ったとき、いつも置いてあるところに紙が一枚もなかったことを、君は覚えているね。引出しのなかを見たが、そこにもなかった。古手紙でもないかと思ってポケットを捜すと、そのとき、手があの羊皮紙に触れたのだ。あれが僕の手に入った正確な経路をこんなに詳しく話すのは、その事情がとくに強い印象を僕に与えたからなんだよ。
きっと君は僕が空想を駆りたてているのだと思うだろう、――が、僕はもうとっくに連《・》絡《・》を立ててしまっていたのだ。大きな鎖の二つの輪を結びつけてしまったのだ。海岸にボートが横たわっていて、そのボートから遠くないところに頭蓋骨の描いてある羊皮紙――紙ではなくて《・・・・・・》――があったんだぜ。君はもちろん、『どこに連絡があるのだ?』と問うだろう。僕は、頭蓋骨、つまり髑髏は誰でも知っているとおり海賊の徽章《きしょう》だと答える。髑髏の旗は、海賊が仕事をするときにはいつでも、かかげるものなのだ。
僕は、その切れっぱしが羊皮紙であって、紙ではないと言ったね。羊皮紙は持ちのいいもので――ほとんど不滅だ。ただ普通絵を描いたり字を書いたりするには、とても紙ほど適していないから、大して重要ではない事がらはめったに羊皮紙には書かない。こう考えると、髑髏になにか意味が――なにか適切さが――あることに思いついた。僕はまたその羊皮紙の形《・》にも十分注意した。一つの隅だけがなにかのはずみでちぎれてしまっていたけれど、もとの形が長方形であることはわかった。実際、それはちょうど控書として――なにか長く記憶し大切に保存すべきことを書きしるすものとして――選ばれそうなものなんだ」
「しかしだね」と私が言葉をはさんだ。「君は、甲虫の絵を描いたときにはその頭蓋骨は羊皮紙の上になかった《・・・・》と言う。とすると、どうしてボートと頭蓋骨のあいだに連絡をつけるんだい? ――その頭蓋骨のほうは、君自身の認めるところによれば、(どうして、また誰によって、描かれたか、ということはわからんが)君が甲虫を描いたのちに描かれたにちがいないんだからねえ」
「ああ、そこに全体の神秘がかかっているんだよ。もっとも、この点では、その秘密を解決するのは僕には比較的むずかしくはなかったがね。僕のやり方は確実で、ただ一つの結論しか出てこないのだ。たとえば、僕はこんなふうに推理していったんだ。僕が甲虫を描いたときには頭蓋骨は少しも羊皮紙にあらわれていなかった。絵を描きあげると僕はそれを君に渡し、君が返すまでじっと君を見ていた。だから君が《・・》あの頭蓋骨を描いたんじゃないし、またほかにそれを描くような者は誰も居合わさなかった。してみると、それは人間業で描かれたんじゃない。それにもかかわらず描いてあったんだ。
ここまで考えてくると、僕はそのときの前後に起ったあらゆる出来事を、十分はっきり思い出そうと努め、また実際《・・》思い出したのだ。気候のひえびえする日で(ほんとに珍しいことだった!)炉には火がさかんに燃えていた。僕は歩いてきたので体がほてっていたから、テーブルのそばに腰かけていた。だが君は椅《い》子《す》を炉のすぐ近くへひきよせていた。僕が君の手に羊皮紙を渡し、君がそれを調べようとしたちょうどそのとき、あのニューファウンドランド種のウルフの奴《やつ》が入ってきて、君の肩に跳びついた。君は左手で犬を撫《な》で、また遠ざけながら、羊皮紙を持った右の手を無頓《むとん》着《じゃく》に膝のあいだの、火のすぐ近くのところへ垂れた。一時はそれに火がついたかと思ったので、君に注意しようとしたが、僕が言いださないうちに君はそれをひっこめて、調べにかかったのだ。こういうすべての事がらを考えたとき、僕は、熱《・》こそ羊皮紙にその頭蓋骨をあらわさせたものだということを少しも疑わなかったんだよ。君もよく知っているとおり、紙なり皮紙《ヴェラム》なりに文字を書き、火にかけたときにだけその文字が見えるようにできる化学的薬剤があるし、またずっと昔からあった。不純酸化コバルトを王水《アクア・リージア》に浸し、その四倍の重量の水に薄めたものが、ときどき用いられる。すると緑色が出る。コバルトのユ《ひ》を粗製硝酸に溶かしたものだと、赤色が出る。これらの色は、文字を書いた物質が冷却すると、そののち速い遅いの差はあっても、消えてしまう。が、火にあてると、ふたたびあらわれてくるのだ。
僕はそこで今度はその髑髏をよくよく調べてみた。と、外側の端のほう――皮紙の端にいちばん近い絵の端のほう――は、ほかのところよりはよほどはっきり《・・・・》している。火気の作用が不完全または不平等だったことは明らかだ。僕はすぐ火を焚《た》きつけて、羊皮紙のあらゆる部分を強い熱にあててみた。初めは、ただ髑髏のぼんやりした線がはっきりしてきただけだった。が、なおも辛抱強くその実験をつづけていると、髑髏を描いてある場所の斜め反対の隅っこに、最初は山羊《やぎ》だろうと思われる絵が見えるようになってきた。しかし、もっとよく調べてみると、それは仔山羊《キッド》のつもりなのだということがわかった」
「は、は、は!」私は言った。「たしかに僕には君を笑う権利はないが、――百五十万という金は笑いごとにしちゃああんまり重大だからねえ、――だが君は、君の鎖の第三の輪をこさえようとしているんじゃあるまいね。海賊と山羊とのあいだにはなにも特別の関係なんかないだろう。海賊は、ご承知のとおり、山羊なんかに縁はないからな。山羊ならお百姓さんの畑だよ」
「しかし僕はいま、その絵は山羊じゃない《・・》と言ったぜ」
「うん、そんなら仔山羊《キッド》だね、――まあ、ほとんど同じものさ」
「ほとんどね。だが、まったく同じものじゃない」とルグランが言った。「君はキッド船《・》長《・》という男の話を聞いたことがあるだろう。僕はすぐこの動物の絵を、地《じ》口《ぐち》の署名か、象形文字の署名、といったようなものだと見なしたんだ。署名だというわけは、皮紙《ヴェラム》の上にあるその位置がいかにもそう思わせたからなんだよ。その斜め反対の隅にある髑髏も、同じように、印章とか、印判とかいうふうに見えた。しかし、そのほかのものがなに一つないのには、――書類だろうと自分の想像したものの主体――文の前後にたいする本文――がないのには、僕もまったく弱ったね」
「君は印章と署名とのあいだに手紙でも見つかると思ったんだろう」
「まあ、そういったようなことさ。実を言うと、僕はなにかしらすばらしい好運が向いてきそうな予感がしてならなかったんだ。なぜかってことはほとんど言えないがね。つまり、たぶん、それは実際の信念というよりは願望だったのだろう。――だが、あの虫を純金だと言ったジュピターのばかげた言葉が僕の空想に強い影響を及ぼしたんだよ。それからまた、つぎつぎに起った偶然の出来事と暗合、――そういうものがまったく実に《・・》不思議だった。一年じゅうで火の要るほど寒い日はその日だけと、あるいはその日だけかもしれんと、思われるその《・・》日に、ああいう出来事が起ったということ、また、その火がなかったら、あるいはちょうどあの瞬間に犬が入って来なかったなら、僕が決して髑髏に気がつきはしなかったろうし、したがって宝を手に入れることもできなかったろうということは、ほんとに、ほんの偶然のことじゃないか?」
「だが先を話したまえ、――じれったくてたまらないよ」
「よしよし。君はもちろん、あの世間にひろまっているたくさんの話――キッドとその一味の者が大西洋のどこかの海岸に金を埋めたという、あの無数の漠然《ばくぜん》とした噂《うわさ》――を聞いたことがあるね。こういう噂はなにか事実の根拠があったにちがいない。そして、その噂がそんなに長いあいだ、そんなに引きつづいて存在しているということは、その埋められた宝がまだやはり埋まったままになっている《・・・・・・・・》という事情からだけ起りうることだ、と僕には思われたのだ。もしキッドが自分の略奪品を一時隠しておいて、その後それを取り返したのなら、その噂は現在のような、いつも変らない形で僕たちの耳に入りはしないだろう。君も気がついているだろうが、話というのはどれもこれもみんな、金を捜す人のことで、金を見つけ出した人のことではない。あの海賊が自分の金を取りもどしたのなら、そこでこの事件は立消えになってしまうはずだ。で、僕はこう思った。キッドはなにかの事故のために――たとえば、その場所を示す控書をなくしたといったようなことのために――それを取りもどす手段をなくしたのだ。そしてそのことが彼の手下の者どもに知れたのだ。でなければ彼らは宝が隠してあるなどということを聞くはずがなかったんだろうがね。そこで彼らはそれを取り返そうとしきりにやってみたが、なんの手がかりもないので失敗し、その連中が今日誰でも知っているあの噂の種をまき、それからそれが広く世間にひろがるようになったのだ、とね。君は、海岸でなにか大事な宝が掘り出されたということを、いままで聞いたことがあるかい?」
「いいや」
「しかしキッドの蓄えた財宝が莫大《ばくだい》なものであることはよく知られている。だから、僕はそいつがまだ土のなかにあるのだと考えたんだよ。で、あんなに不思議なぐあいにして見つかったあの羊皮紙が、それの埋めてある場所の記録の紛失したものなのだという、ほとんど確信と言えるくらいの希望を、僕がいだいたと言っても、君はべつに驚きはしないだろう」
「だがそれからどうしたんだい?」
「僕は火力を強くしてから、ふたたびその皮紙を火にあててみた。が、なにもあらわれなかった。そこで今度は、泥《どろ》のついていることがこの失敗となにか関係があるかもしれん、と考えた。だから羊皮紙に湯をかけて丁寧に洗い、それから錫《すず》の鍋《なべ》のなかへ頭蓋骨の絵を下に向けて入れ、その鍋を炭火の竈《かまど》にかけた。二、三分たつと、鍋がすっかり熱くなったので、羊皮紙を取りのけてみると、なんとも言えないほど嬉《うれ》しかったことには、行になって並んでいる数字のようなものが、ところどころに斑点《はんてん》になって見えるんだね。それでまた鍋のなかへ入れて、もう一分間そのままにしておいた。取り出してみると、全体がちょうど君のいま見るとおりになっていたんだ」
こう言って、ルグランは羊皮紙をまた熱して、私にそれを調べさせた。髑髏と山羊とのあいだに、赤い色で、次のような記号が乱雑に出ている。――
「しかし」と私は紙片を彼に返しながら言った。「僕にゃあやっぱり、まるでわからないな。この謎《なぞ》を解いたらゴルコンダの宝石をみんなもらえるとしても、僕はとてもそれを手に入れることはできないねえ」
「でもね」とルグランが言った。「これを解くことは、決してむずかしくはないんだよ。君がこの記号を最初にざっと見て想像するほどにはね。誰でもたやすくわかるだろうが、この記号は暗号をなしているのだ。――つまり、意味を持っているのだ。しかし、キッドについて知られていることから考えると、彼にそう大して難解な暗号文を組み立てる能力などがあろうとは僕には思えなかった。僕はすぐ、これは単純な種類のもの――だが、あの船乗りの頭には、解《キイ》がなければ絶対に解けないと思われるような、そんな程度のもの――だと心を決めてしまったんだ」
「で君はほんとうにそれを解いたんだね?」
「わけなしにさ。僕はいままでにこの一万倍もむずかしいのを解いたことがある。境遇と、頭脳のある性向とが、僕をそういう謎に興味をもたせるようにしたのだ。人間の知恵を適切に働かしても解けないような謎を、人間の知恵が組み立てることができるかどうかということは、大いに疑わしいな。事実、連続した読みやすい記号が、一度それとわかってしまえば、その意味を展開する困難などは、僕はなんとも思わなかった。
いまの場合では――秘密文書の場合では実際すべてそうだが――第一の問題は暗号《・・》の国語が何語かということなんだ。なぜなら、解釈の原則は、ことに簡単な暗号となると、ある特定の国語の特質によるのであるし、またそれによって変りもするんだからね。一般に、どの国語かがわかるまでは、解釈を試みる人の知っているあらゆる国語を(蓋然率《プロバビリティ》にしたがって)実験してみるよりほかに仕方がない。だがいま僕たちの前にあるこの暗号では、署名があるので、このことについてのいっさいの困難が取りのぞかれている。『キッド』という言葉の洒落《しゃれ》は英語以外の国語ではわからないものだ。こういう事情がなかったなら、僕はまずスペイン語とフランス語とでやりはじめたろうよ。スパニッシュ・メインの海賊がこの種の秘密を書くとすればたいていそのどちらかの国語だろうからね。ところがそういうわけだったから、僕はこの暗号を英語だと仮定した。
ごらんのとおり、語と語とのあいだにはなんの句切りもない。句切りがあったら、仕事は比較的やさしかったろう。そういう場合には、初めに短い言葉を対照し、分析する。そしてもし、よくあるように、一字の語(たとえばaとか、Iとかいう語だね)が見つかったら、解釈はまずできたと思っていいのだ。しかし、句切りが少しもないので、僕の最初にとるべき手段は、いちばん多く出ている字と、いちばん少ししか出ていない字とを、つきとめることだった。で、すっかり数えて、僕はこういう表を作った。
8  という記号は   三十三 ある
;     〃      二十六
4     〃       十九
‡)    〃       十六
*     〃       十三
5     〃       十二
6     〃       十一
†1    〃        八
0     〃        六
92    〃        五
:3    〃        四
?     〃        三
¶     〃        二
一     〃        一
さて、英語でもっともしばしば出てくる字はeだ。それからaoidhnrstuycfglmwbkpqxzという順序になっている。しかしeは非常に多いので、どんな長さの文章でも、一つの文章にeがいちばんたくさん出ていないということは、めったにないのだ。
とすると、ここで、僕たちはまず手初めに、単なる憶測以上のあるものの基礎を得たことになるね。表というものが、一般に有益なものであるということは明白だ、――が、この暗号にかぎっては、僕たちはほんのわずかしかその助けを要しない。いちばん多い記号は8だから、まずそれを普通のアルファベットのeと仮定して始めることにしよう。この推定を証拠だててみるために、8が二つ続いているかどうかを見ようじゃないか。――なぜかというと、英語ではeが二つつづくことがかなりの頻度であるからだ、――たとえば、ヤmeet' ヤfleet' ヤspeed' ヤseen' ヤbeen' ヤagree'などのようにね。僕たちの暗号の場合では、暗号文が短いにもかかわらず、それが五度までも重なっているよ。
そこで、8をeと仮定してみよう。さて、英語のすべての語《・》のなかで、いちばんありふれた語は、ヤthe'だ。だから、最後が8になっていて、同じ配置の順序になっている三つの記号が、たびたび出ていないかどうかを見よう。そんなふうに並んだ、そういう文字がたびたび出ていたら、それはたぶん、ヤthe'という語をあらわすものだろう。調べてみると、そういう排列が七カ所もあって、その記号というのは;48だ。だから、;はtをあらわし、4はhをあらわし、8はeをあらわしていると仮定してもよかろう。――この最後の記号はいまではまず十分確証された。こうして一歩大きく踏み出したのだ。
しかも、一つの語が決ったので、たいへん重要な一点を決めることができるわけだ。つまり、他の語の初めと終りとをいくつか決められるのだね。たとえば暗号のおしまい近くの――最後から二番目の;48という組合せのあるところを見よう。と、そのすぐ次にくる;が語の初めであることがわかる。そうして、このヤthe'の後にある六つの記号のうち、僕たちは五つまで知っているのだ。そこで、わからないところは空けておいて、その五つの記号をわかっている文字に書きかえてみようじゃないか。――
t eeth
ここで、このヤth'が、この初めのtで始まる語の一部分をなさないものとして、すぐにこれをしりぞけることができる。というわけは、この空いているところへ当てはまる文字としてアルファベットを一つ残らず調べてみても、thがその一部分となるような語ができないことがわかるからなんだ。こうして僕たちは
t ee
に局限され、そして、もし必要ならば前のようにアルファベットを一つ一つあててみると、考えられる唯一《ゆいいつ》の読み方としてヤtree'という語に到達する。こうして(で表わしてあるrという字をもう一つ知り、ヤthe tree'という言葉が並んでいることがわかるのだ。
この言葉の少し先の方を見てゆくと、また;48の組合せがあるから、これをそのすぐ前にある語にたいする句切り《・・・》として用いる。するとこういう排列になっているね。
the tree;4(‡?34 the
つまり、わかっているところへ普通の文字を置きかえると、こうなる。
the tree thr ‡?3 h the
さて、未知の記号のかわりに、空白を残すか、または点を打てば、こうなるだろう。
the tree thr・・・h the
するとヤthrough'という言葉がすぐに明らかになってくるが、この発見は、‡、?、3であらわされているo、u、gという三つの文字を僕たちに与えてくれるのだ。
それから既知の記号の組合せがないかと暗号を念入りに捜してゆくと、初めのほうからあまり遠くないところに、こんな排列が見つかる。
83(88すなわちegree
これは明白にヤdegree'という語の終りで、†であらわしてあるdという文字がまた一つわかるのだ。
この、ヤdegree'という語の四つ先に
;46(;88*
という組合せがある。
既知の記号を翻訳し、未知のを前のように点であらわすと、こうなるね。
th・rtee・
この排列はすぐヤthirteen'という言葉を思いつかせ、6、*であらわしてあるi、nという二つの新しい文字をまた教えてくれる。
今度は、暗号文の初めを見ると、
53‡‡†
という組合せがあるね。
前のように翻訳すると、
・good
となるが、これは最初の文字がAで、初めの二つの語がヤA good'であることを確信させるものだ。
混乱を避けるために、もういまでは、わかっただけの鍵を表の形式にして整えたほうがいいだろう。それはこうなる。
5    は    a を表わす
†    〃    d
8    〃    e
3    〃    g
4    〃    h
6    は    i を表わす
*    〃    n
‡    〃    o
(    〃    r
;    〃    t
?    〃    u
だから、これでもっとも重要な文字が十一もわかったわけで、これ以上解き方の詳しいことをつづけて話す必要はないだろう。僕は、この種の暗号の造作なく解けるものであることを君に納得させ、またその展開の理論的根拠にたいする多少の洞察《どうさつ》を君に与えるために、もう十分話したのだ。だが、僕たちの前にあるこの見本なんぞは、暗号文の実にもっとも単純な種類に属するものだと思いたまえ。いまではもう、この羊皮紙に書いてある記号を、解いたとおりに全訳したものを、君に示すことが残っているだけだ。それはこうだよ。
ヤA good glass in the bishop's hostel in the devil's seat forty-one degrees and thirteen minutes northeast and by north main branch seventh limb east side shoot from the left eye of the death's-head a bee-line from the tree through the shot fifty feet out.'
(『僧正の旅籠《はたご》悪魔の腰掛けにて良き眼鏡四十一度十三分北東微北東側第七の大枝髑《どく》髏《ろ》の左眼《ひだりめ》より射る樹《き》より弾を通して五十フィート外方に直距線』)」
「だが」と私は言った。「謎は依然として前と同じくらい厄介《やっかい》なようだね。『悪魔の腰掛け』だの、『髑髏』だの、『僧正の旅籠』だのというような、こんな妄語《たわごと》から、どうして意味をひっぱり出すことができるのかね?」
「そりゃあね」とルグランが答えた。「ちょっと見たときには、まだ問題は容易ならぬものに見えるさ。まず僕の努力したことは、暗号を書いた人間の考えたとおりの自然な区分に、文章を分けることだった」
「というと、句《く》読《とう》をつけることだね?」
「そういったようなことさ」
「しかしどうしてそれができたんだい?」
「僕は、これを書いた者にとっては、解釈をもっとむずかしくするために言葉を区分なしにくっつけて書きつづけることが重要な点だったのだ、と考えた。ところで、あまり頭の鋭敏ではない人間がそういうことをやるときには、たいていは必ずやりすぎるものだ。文を書いてゆくうちに、当然句読点をつけなければならんような文意の切れるところへくると、そういう連中はとかく、その場所で普通より以上に記号をごちゃごちゃにつめて書きがちなものだよ。いまの場合、この書き物を調べてみるなら、君はそういうひどく込んでいるところが五カ所あることをたやすく眼にとめるだろう。このヒントにしたがって、僕はこんなふうに区分をしたんだ。
ヤA good glass in the bishop's hostel in the devil's seat――forty-one degrees and thirteen minutes――northeast and by north――main branch seventh limb east side――shoot from the left eye of the death's-head――a bee-line from the tree through the shot fifty feet out.'
(『僧正の旅籠悪魔の腰掛けにて良き眼鏡――四十一度十三分――北東微北――東側第七の大枝――髑髏の左眼より射る――樹より弾を通して五十フィート外方に直距線』)」
「こういう区分をされても」と私は言った。「まだやっぱり僕にはわからないね」
「二、三日のあいだは僕にもわからなかったよ」とルグランが答えた。「そのあいだ、僕はサリヴァン島の付近に『僧正の旅館《ビショップス・ホテル》』という名で知られている建物がないかと熱心に捜しまわった。むろん、『旅籠《ホステル》』という古語はよしたのさ。が、それに関してはなにも得るところがなかったので、捜索の範囲をひろげてもっと系統的な方法でやってゆこうとしていたとき、ある朝、まったくとつぜんに頭に浮んだのは、この『僧正の旅籠《ビショップス・ホステル》』というのは、島の四マイルばかり北方にずっと昔から古い屋敷を持っていたベソップという名の旧家となにか関係があるかもしれない、ということだった。そこで、僕はそこの農園へ行って、その土地の年寄りの黒んぼたちにまたいろいろきいてみた。とうとう、よほど年をとった一人の婆《ばあ》さんが、ベソップの城《・・・・・・》というような所のことを聞いたことがあって、そこへご案内することができるだろうと思うが、それは城でも宿屋でもなくて高い岩だと言ってくれた。
僕が骨折り賃は十分出すがと言うと、婆さんはしばらくためらったのち、その場所へ一緒に行ってくれることを承知した。大した困難もなくそこが見つかったので、それから婆さんを帰して、僕はその場所を調べはじめた。その『城』というのは崖《がけ》や岩が雑然と集まっているところのことで、そのなかの一つの岩は、ずっと高くて、また孤立していて人工的なふうに見えるので、たいへん目立っていた。僕はその岩のてっぺんへよじ登ったんだが、さて、それからどうしたらいいかということには大いに途方に暮れてしまったね。
さんざんに考えこんでいるうちに、僕の眼はふと、自分の立っている頂上からたぶん一ヤードくらい下の岩の東の面にあるせまい出っ張りに落ちた。この出っ張りは約十八インチほど突き出ていて、幅は一フィート以上はなく、そのすぐ上の崖に凹《くぼ》みがあるので、われわれの祖先の使ったあの背を刳《く》った椅子《いす》にあらまし似ているんだ。僕はこれこそあの書き物にある『悪魔の腰掛け』にちがいないと思い、もうあの謎の秘密をすっかり握ったような気がしたよ。
『良き眼鏡』というのが望遠鏡以外のものであるはずがないということは、僕にはわかっていた。船乗りは『眼鏡』という言葉をそれ以外の意味にはめったに使わないからね。そこで、僕は望遠鏡はここで用いるべきであるということ、ここがそれを用いるに少しの変《・・・・》更をも許さぬ《・・・・・・》定まった観察点であるということが、すぐにわかったのだ。また、『四十一度十三分』や『北東微北』という文句が眼鏡を照準する方向を示すものであることは、すぐに信じられた。こういう発見に大いに興奮して、急いで家へ帰り、望遠鏡を手に入れて、また岩のところへひき返した。
出っ張りのところへ降りると、一つのきまった姿勢でなければ席を取ることができないということがわかった。この事実は僕が前からもっていた考えをますます確かめてくれたのだ。それから眼鏡の使用にとりかかった。むろん、『四十一度十三分』というのは現視地平の上の仰角を指しているものにちがいない。なぜなら、水平線上の方向は『北東微北』という言葉ではっきり示されているんだからね。この北東微北の方向を僕は懐中磁石ですぐに決めた。それから、眼鏡を大体の見当でできるだけ四十一度の仰角に向けて、気をつけながらそれを上下に動かしていると、そのうちにはるか彼方《かなた》に群を抜いてそびえている一本の大木の葉の繁《しげ》みのなかに、円い隙《すき》間《ま》、あるいは空いているところがあるのに、注意をひかれた。この隙間の真ん中に白い点を認めたが、初めはそれがなんであるか見分けがつかなかった。望遠鏡の焦点を合わせて、ふたたび見ると、今度はそれが人間の頭《ず》蓋骨《がいこつ》であることがわかった。
これを発見すると、僕はすっかり喜びいさんで、謎《なぞ》が解けてしまったと考えたよ。なぜかと言えば、『東側第七の大枝』という文句は、木の上の頭蓋骨の位置を指すものに決っているし、また『髑髏の左眼より射る』というのも、埋められた宝の捜索に関して唯一の解釈しか許さないものだったから。僕は、頭蓋骨の左の眼から弾丸を落す仕組みになっているので、また、幹のいちばん近い点から『弾』(つまり弾丸の落ちたところ)を通して直距線、あるいは別の言葉で言えば一直線を引き、そこからさらに五十フィートの距離に延長すれば、ある一定の点が示されるだろう、ということを悟った。――そして、この地点の下に貴重な品物が隠されているということは、少なくともないとも言えぬ《・・・・・・・》ことだと考えたしだいなのさ」
「なにもかもすべて、実にはっきりしているね」と私は言った。「また巧妙ではあるが、簡単で明瞭《めいりょう》だよ。で君はその『僧正の旅籠』を出て、それからどうしたんだい?」
「もちろん、その木の方位をよく見定めてから、家へ帰ったさ。だが、その『悪魔の腰掛け』を離れるとすぐ、例の円い隙間は見えなくなり、その後はどっちへ振り向いてもちらりとも見ることができなかったよ。この事件全体のなかで僕にいちばん巧妙だと思われるのは、この円く空いているところが、岩の面のせまい出っ張り以外のどんな視点からも見られない、という事実だね。(幾度もやってみて、それが事実だ《・》ということを僕は確信してるんだ)
この『僧正の旅籠』ヘ探検に行ったときには、ジュピターも一緒についてきたが、あいつは、それまでの数週間、僕の態度のぼんやりしていることにちゃんと気がついていて、僕を一人ではおかぬようにとくに注意をしていた。だがその次の日、僕は非常に早く起きて、うまくあいつをまいて、例の木を捜しに山のなかへ行ったんだ。ずいぶん骨を折った末、そいつを見つけた。夜になって家へ帰ると、奴《やっこ》さんは僕を折檻《せっかん》しようというんだよ。それからのちの冒険については、君は僕自身と同様によく知っているはずだ」
「最初に掘ったときに」と私が言った。「君が場所をまちがえたのは、ジュピターがまぬけにも頭蓋骨の左の眼からではなくて右の眼から虫を落したためだったんだね」
「そのとおりさ。そのしくじりは『弾』のところに――つまり、木に近いほうの杭《くい》の位置に――二インチ半ほどの差ができた。そして、もし宝が『弾』の真下《・・》にあったのなら、この誤りはなんでもなかったろう。ところが、『弾』と、木のいちばん近い点とは、ただ方向の線を決定する二点にすぎなかったのだ。むろんその誤りは、初めは小さなものであっても、線をのばしてゆくにしたがって大きくなり、五十フィートも行ったときには、すっかり場所が違ってしまったのさ。宝がどこかこの辺にほんとうに埋められているという深い確信が僕になかったなら、僕たちの骨折りもすっかり無駄《・・》になってしまうところだったよ」
「頭蓋骨《・・・》を用いるという思いつき――頭蓋骨の眼から弾丸を落すという思いつき――は、海賊の旗からキッドが考えついたことだろうと、僕は思うね。きっと彼は、この気味のわるい徽章《きしょう》で自分の金を取りもどすことに、詩的調和といったようなものを感じたんだぜ」
「あるいはそうかもしれん。だが僕は、常識ということが、詩的調和ということとまったく同じくらい、このことに関係があると考えずにはいられないんだ。あの『悪魔の腰掛け』から見えるためには、その物は、もし小さい物なら、どうしても白く《・・》なくちゃならん。ところで、どんな天候にさらされても、その白さを保ち、さらにその白さを増しもするものとしては、人間の頭蓋骨にかなうものはないからな」
「しかし君の大げさなものの言いぶりや、甲《かぶと》虫《むし》を振りまわす振舞いといったら――そりゃあ実に奇妙きてれつだったぜ! 僕はてっきり君が気が狂ったのだと思ったよ。で、君はなぜあの頭蓋骨から、弾丸ではなくて、虫を、落させようと言い張ったんだい?」
「いや、実を言うと、君が明らかに僕の正気を疑っているのが少し癪《しゃく》だったので、僕一流のやり方で、真面目《まじめ》にちょっとばかり煙《けむ》に巻いて、君をこっそり懲《こ》らしてやろうと思ったのさ。甲虫を振りまわしたのもそのためだし、あれを木から落させたのもそのためなんだ。君があれを非常に重いと言ったので、木から落すというその考えを思いついたのだ」
「なるほど。わかったよ。ところで、僕にはもう一つだけ合点のゆかぬことがある。あの穴のなかにあった骸骨《がいこつ》はなんと解釈すべきだろうね?」
「それは僕にだって君以上には答えられぬ問題だよ。しかし、あれを説明するのにたった一つだけもっともらしい方法があるようだな。――僕の言うような凶行があったと信ずるのは恐ろしいことだがね。キッドが――もしほんとうにキッドがこの宝を隠したのならだよ。僕はそうと信じて疑わないが――彼がそれを埋めるときに誰かに手伝ってもらったことは明らかだ。だが、その仕事のいちばん厄介なところがすんでしまうと、彼は自分の秘密に関係した者どもをみんな片づけてしまったほうが都合がいいと考えたんだろう。それには、たぶん、手伝人たちが穴のなかでせっせと働いている時に、鶴嘴《つるはし》で二つも食らわせば十分だったろうよ。それとも、一ダースも殴りつけなければならなかったか、――その辺は誰にだってわからんさ」
解説
西村孝次
エドガー・ポー 人と作品
そのころ、アメリカはまだ芸術の荒地であった。
イギリスの清教徒の一団がメイフラワー号に乗って大西洋を渡り、はるかな「新世界」に着いてマサチューセッツ州の港プリマスに居を定めて以来、すでにおよそ百八十年の時が過ぎていた。しかし、かれらは、また、そのあとにつづいたヨーロッパ人たちも、はげしい開拓や残忍な征服に力を使いはたし、もともとそれこそが民族の精華であるはずの文化の花を咲かすにはいたらなかった。
そのような土地に、ひとつの種が蒔《ま》かれた、エドガー・ポーという種が。そしてそれがどのように生いそだち、どのような花をひらいて実を結んだか――ここに、この一冊に、その種と花と実がある。かれによってはじめて、アメリカは文学の世界で独立を宣言することができた。われらの文学はマーク・トウェイン(一八三五―一九一〇)とともに始まる、とはアーネスト・ヘミングウェイ(一八九九―一九六一)の有名な言葉であるが、かりに発端はそこにあるにせよ、トウェインも、ヘミングウェイも、ポーという透明な水源から流れ出ている大きな強い川にほかならない。
一八〇九年一月十九日、エドガー・ポーが生れたとき、かれの父親は二十五歳、アイルランド系のしがない旅役者だった。かれの母親もまた悲しい旅芸人、ふたりは、一八〇六年に夫婦となり、つぎの年の一月には長男のウィリアム・へンリーが生れていた。ところが、エドガーの生れたその年の十月の舞台に出たあと、ふっと父親は姿を消してしまった。おそらく不評と飲酒のためだったのであろうか。その翌年の八月に母親は二人をつれてリッチモンドへ移り、なお女優の稼業《かぎょう》をつづけた。忘れがたみのロザリーが生れたのは、たぶん、その年も暮のことだった。
はかない影みたいにいつのまにかこの世を去った夫のあとを追うとでもいうのか、それから一年すると妻も他界した。こうして三人は天涯《てんがい》の孤児となり、兄は父親の生地ボルティモアの親戚《しんせき》に、また妹はリッチモンドのさる婦人のもとにあずけられ、そして弟はジョン・アラン家に養子として迎えられる。ただし、スコットランドの出で、たばこ輸出業者のアランは、エドガーを正式に入籍することを考えず、その死に際してもいささかの遺産を与えようともしなかった。
このような商人をただ冷酷な俗物と罵《ののし》るのは、しかし、正しくないであろう。かれはかれなりに、できるだけのことはエドガーにしてやったからである。たとえば、六つの子供をイギリスへ伴い、そこでの見聞と教育を授けたのも、かれとしての温情であった。ふたたび帰国してのち、ヴァージニア大学へ入れてもやった。エドガーはよく勉強した。もともと利発な、おとなしい青年なのである。だからといって賭《と》博《ばく》に手を出さないとは限らない。それどころか、かれは大いに手を出した。それは射幸や遊びの哲学のためではなく、ただ学費の不足を補いたいためだった。そんな殊勝なこころがけは、まず失敗に終るものである。たちまち二千ドルとも二千五百ドルともいわれる借金をこしらえてしまった。とにかくろくに学費さえ出してくれない養父が、この不始末を許してくれようはずはない。わずか一年たらずでエドガーは大学から家にひきもどされたあげく、いまはかつての恋人さえ別な男と結婚することをかれは知らなければならなかった。
フランシスは、やさしい美しい女だった。この養母のなかに、かれは亡《な》き実母エリザべスのおもかげを求めていたのかもしれない。かれとかかわりのある女たちは、しかし、ほとんどすべて若く美しいままに死んでいく。そこから後年のかれの文学、とくに詩の主題である「青春――美――死――悲哀」という基調がつくられるようになる。さらに、これをもとに『ベレニス』(Berenice)や『モレラ』(Morella)、『ライジーア』(Ligeia)のような短編で若い美女の死を描くにいたるのである。ともあれ、エリザベスとフランシスという二つの点を結ぶ線は、おのずからマライア・クレム、すなわち、ポーの幼い妻ヴァージニアの母で、かれの父方の伯母にあたる女へと延び、そこに「永遠の女性」へのあこがれをいだき肉体の女への挫《ざ》折《せつ》に悩む身となる。かれの作品に現われる女性は、多かれ少なかれ、このマライア―ヴァージニアの映像を焦点にしているといってよい。
さて、エドガー・A・ペリーという男が志願して合衆国陸軍に入ったのは、一八二七年五月二十六日のことである。いうまでもなく、ポーの変名であって、「灰色の目、褐色《かっしょく》の髪、色白、身長五フィート八インチ」と名簿に書きこまれている。このときから数年間にわたる軍隊および陸軍士官学校での生活という、かれの人生の劇における奇妙な間《あい》狂言が、その幕を開ける。というよりもむしろ、かれの人生そのものこそが、ひとつの異様なインタールードとみられるのではなかろうか。
しかも、この間に、かれは三冊の詩集を出し、小説を書くようになり、しだいに作家・ジャーナリスト・批評家として自己を確立していく。それの詳細については年譜に明らかなとおりであるが、ここで小説というのは、『アーサー・ゴードン・ピム物語』(The Narrative of Arthur Gordon Pym)(一八三八)を除いて、すべて短編であり、かれが世界の文学に占める位置も、きわめてすぐれた短編作家としてのそれである。したがって、ここでかれの短編小説論に触れておくのは、かならずしも無益とはいえないであろう。かれは同時代人のナサニエル・ホーソン(一八〇四―六四)、あの『緋文字《ひもじ》』の作家を評した一節で、つぎのように説いている――
ひとりの有能な作家がひとつの物語をつくりあげたのである。かれは事件に適応するためにおのれの思考を形成したのではなく、生みだされるべきある単一の効果《・・・・・》を慎重に考えたうえで、それからかれはそのような事件を工夫するのである、それからそのようなもろもろの出来事を結び合わすのである、そしてこのあらかじめ考えられた効果をあげる点でもっとも役に立ってくれるような調子でそれらを論じるのである。もしかれの書き出しの最初の文章がこの効果の達成に役立たなければ、そのときそもそもの第一歩でかれは過失をおかしてしまったわけである。作品全体に、直接あるいは間接に、ひとつの予定された構想に寄与しないような言葉は一語もあるべきではない。そしてそのような方法により、そのような注意と熟練とをもって、ひとつの絵がついに描かれ、同種のわざをもってそれを眺《なが》める人の心のなかに、もっともゆたかな満足感を残すのである。その物語のイデー、それのテーゼは、乱されないがゆえに汚れなく表現されるのである――求められはするが、しかも、小説では、まったく達成できない目的である。
いいかえれば、ポーにとって短編とは文学における均斉《きんせい》と統一を探ろうとする特殊な事例なのであって、それをここでは一点に集中された効果、もしくは読者の反応にたいするすべての語や行や節の関係のなかに捜しだすわけである。それゆえ意図された効果を生むに十分なそれらの要素を、およそ作家の想像力による直観や詩的な知性は、正しい構造のなかで把《は》握《あく》し結合しなければならない。プロット(筋)のつくりかたを知らねばならず、また統一を求める以上、まず終りから始めなければならない。その統一は、あらゆる要素を究極の効果に向って結びつけることによってのみ達成されるからである。こうして、なによりもまず物語の全体が動いていく終点を決定しなければならないわけだが、こうなると、たとえば登場人物とか、かれらの心理や生理の明細、つまり性格描写とかいうようなものは、おのずから二の次にならざるをえない。ここからかれの作品における性格描写の問題が、ひとつの例をあげれば、かれが高く評価し濃い影響もうけたチャールズ・ディケンズ(一八一二―七〇)のそれと比較して、しばしば論議の対象とされるのである。(そのころのアメリカ作家のなかで、だれよりも早くポーはディケンズに注目し、このイギリス作家の小説『バーナビー・ラッジ』(一八四一)――いわゆるゴードン騒擾《そうじょう》をとり扱った一種のスリラーもの――をとりあげて精密な分析を試みている(一八四二)。そしてこのことは、そのころかれの探偵《たんてい》ものがつぎつぎと書かれていたことと関係のないはずはない。)
はじめに理論があり、それから実践(創作)がこれを実証するのか、それとも実践があってのちにそれを理論づけるのか、それは『詩作の哲理』(一八四六)や『詩の原理』(一八四九)などによって論じられているが、とにかくここに作家ポーはきびしくも貧寒をきわめるアメリカの文学風土に不吉なまでにあざやかな姿を現わすにいたるのである。
すなわち、これを年代順に挙げれば――『アッシャー家の崩壊』、『ウィリアム・ウィルスン』、『モルグ街の殺人事件』(The Murders in the Rue Morgue)、『メールストロムの旋《せん》渦《か》』、『赤死病の仮面』(The Masque of the Red Death)、『落穴と振子』(The Pit and the Pendulum)、『黄《こ》金虫《がねむし》』、『黒猫《くろねこ》』、『マリー・ロジェエの怪事件』(The Mystery of Marie Rog腎)、随筆集『マージネイリア』(Marginalia)、『早すぎる埋葬』(The Premature Burial)、詩『大鴉《おおがらす》』(The Raven)、評論『詩作の哲理』(The Philosophy of Composition)、『アモンティラードの樽《たる》』(The Cask of Amontillado)、『盗まれた手紙』(The Purloined Letter)、『アルンハイムの領地』(The Domain of Arnheim)、詩『ユーラリューム』(Ulalume)、評論『詩の原理』(The Poetic Principle)および『ユーレカ』(Eureka)、詩『黄金の国』(Eldorado)、『アニーに』(For Annie)、『アナべル・リー』(Annabel Lee)、『鐘』(The Bells)そのほか。
これらの作品、そのほとんどすべてがあらゆる詞華集に採られている名作は、それでは、どのような生活のなかで書かれたのか?
ひとくちでいえば、それは、ジャーナリストとして最高の実績と栄誉を担《にな》いながら、およそ作家として最低の貧困と悲運のさなかにおいてであった。もしこれが今日ならば、かれの才能と志操の千分の一さえもたぬ連中が、かれの万倍にあたる収入と盛名に酔うている姿を、かれは目撃しなければならなかったことであろうに。さきに挙げた『モルグ街の殺人事件』や『メールストロムの旋渦』や『赤死病の仮面』は、かれが編集長を勤めていた「グレアム雑誌」(Graham's Magazine)に掲載され、ために雑誌は驚異的な売れゆきをおさめた、しかし、われらの編集長殿の収入は、ついに年俸《ねんぽう》八百ドルに据《す》えおかれたままであった。一八四二年の一月、ヴァージニアはピアノを弾きながら歌を歌っていたとき血管を破り、それからはもう半死半生の病人だった。ポーは五月に職を辞し、ペン一本で口を糊《のり》することの絶望的に不可能な時代に、まさにたった一本のペンで自分と妻と妻の母の三つの口を養っていこうとする。そのペンは、すでに記したような傑作のかずかずを生みはしたが、パンとぶどう酒をあがなうには足りなかった。もはや生きる望みの絶えはてた妻ヴァージニアは、まずしい夫の外套《がいとう》にくるまり猫を抱き、肺患に特有のあの消耗熱による悪《お》寒《かん》にあえぎつつ死んでいった。
そして、かれ自身も、それに劣らずあさましい落魄《らくはく》のうちに妻のあとを追う、かれの実母が実父のあとにつづいたのに倣《なら》うかのように。一八四九年の十月三日、どうしようもないほど泥酔《でいすい》してなかば意識を失ったかれの姿がボルティモアで発見された。その日は選挙日に当っていて、たまたま投票所にあてられた酒場の前で倒れていたところから、かれはだれかにしたたか飲まされ買収されて、いんちきな投票に利用されたのではなかろうか、などとの推測がなされた。すぐ病院にかつぎこまれたが、ときすでに遅く、十月七日、日曜日の五時ごろ、エドガー・ポーは最後の息をひきとった、「神さま、どうかこの哀れなたましいをお助けください!」と祈りながら。
こうして、ヨーロッパの近代の文学に、ひとつの鮮烈な「新しい戦慄《せんりつ》」を創造した詩人、およそ人工の極致をつくした詩によって絶妙な韻律をかなでた文学者、詩と散文の制作の秘密を説きあかした批評家は、飢えをしのぐための、ありとあらゆるその場かぎりのやっつけ仕事のあいだに、たえず貧困と病弱と酒乱に悩みぬいたあげくのはて、かれ自身があれほど自作のなかでくりかえし描いた墓場のかなたの世界へと消えていった。そのあとに残された作品は、しかしながら、フランスをはじめ近代の世界の文学に象徴主義を生み、そのことによってだけでも未曾有《みぞう》のものを寄与したのである。ある批評家も指摘しているとおり、かれは夢をみる幻想家であるとともに、あの『盗まれた手紙』に示されているような緻《ち》密《みつ》かつ独創的な心理学者であった。ふしぎな宇宙論『ユーレカ』においては科学とともに行きつもどりつした。『ライジーア』では事実に向って目を閉じ、しかもそれを『ランダーの小屋』(Landor's Cottage)で詳しく検証した。『アッシャー家の崩壊』で「憂鬱《ゆううつ》」を、『なぜフランスの小男は吊《つ》り包帯に片手を入れているか』(Why the Little Frenchman Wears His Hand in a Sling)で「ユーモア」を、『ボンボン』(Bon Bon)で「おどけ」を、さらに『アモンティラードの樽』ではリアリズムをとり扱った。『ヘレンへ』(To Helen)はジェーン・クレイグ・スタナードへの思いに触発されて、この世ならぬ美を、あえかに、うっとりと見つめた詩である。
かれの世界には恐ろしい悪夢、ぞっとするような幻覚、狂気じみた犯罪、さまざまな気味の悪い美がある。その反面、なにかうさんくさい修辞学の手なぐさみがあり、もっともらしい寓《ぐう》意《い》や苛《か》烈《れつ》な諷《ふう》刺《し》や揶揄《やゆ》がある。このように合理と夢想、でっちあげと形而上《けいじじょう》学、ユーモアと冷笑、また文学や社会にたいするきわめて抽象的でしかも生き生きとした批評がある。これらの矛盾と混合をすべて含みながら、なおかつそれらを超えたひとつの独自の個性、それがエドガー・ポーだったのである。
『黒猫・黄金虫』について
『黒猫』(The Black Cat)
ポーの短編は、その主題や表現や印象などによって、いくつかの種類に分けられる。たとえば、この小説は、『アモンティラードの樽』や『おしゃべり心臓』(The Tell-Tale Heart)そのほかとともに復讐《ふくしゅう》と殺害の物語に属するものであり、「フィラデルフィア合衆国土曜郵便」の一八四三年八月十九日号に掲載された。これは短編のなかでもっとも短いもののひとつであるが、そのわりに筋がすっきりと整理されにくいので、ここでは梗概《こうがい》をたどるような形で解きあかすことにしよう。
おとなしい情けぶかい少年は鳥や金魚や一匹の犬や小《こ》猿《ざる》や猫をかわいがり、若くて結婚した妻も同じ好みで、ふたりはとくにその一《・》匹の黒猫《・・・・》を溺愛《できあい》した。やがてかれは「酒癖という悪鬼」のために気質や性格が悪くなり、あの「天邪鬼《あまのじゃく》」(Perverseness)――してはいけないという、ただそれだけのことで邪悪な、あるいは愚かな行為をしないではいられない衝動にかられ、ある晩、ひどく酔って帰ったとき、プルートォというその猫の片《かた》眼《め》をペンナイフでえぐりとってしまう。さらに、ある朝、それを庭の木の枝につるす。その晩、不審火で家が焼け、いっさいを失ったかれは絶望におちいる。その後、ある酒場で、ふとプルートォそっくりの猫を見つけ、かりの住処《すみか》としていた古い穴蔵へつれてかえる。しかしその二匹めの黒猫にたいして嫌《けん》悪《お》の情と、それから恐怖の念がつのり、これもまた一種の天邪鬼から、ついに斧《おの》をふりあげて打ちおろそうとした途端、それをさえぎろうとした妻の脳天に斧を打ちこむ。その死体を壁に塗りこめ、きびしい訊問《じんもん》も家宅捜索もうまく切りぬけ、ひと安心する。ところが四日目に警官の一隊がふたたび調査に来て、なにごともなく引き揚げようとする、そのとき、みたび例の天邪鬼に促され得意げに例の壁を杖《つえ》で強くたたく。すると、そこから、ひとつの声が洩《も》れてくる。あいつの、あの黒猫の声だ! かれはそいつを妻の死《し》骸《がい》とともに塗りこめておいたのだったが、その声でかれの犯罪は暴露され、かれは絞刑《こうけい》吏《り》に引き渡されるのである。
『アッシャー家の崩壊』(The Fall of the House of Usher)
これは一八三九年九月号の「バートン紳士雑誌」に発表され、『ベレニス』、『モレラ』、『ライジーア』や『赤死病の仮面』と同じく死をめぐる物語である。
ヤDuring the whole of a dull, dark, and soundless day in the autumn of the year, when the clouds hung oppressively low in the heavens, I had been passing alone, on horseback, through a singularly dreary tract of country; and at length found myself, as the shades of the evening, drew on, within view of the melancholy House of Usher.'
たんにポー自身の作品だけでなく、おそらく世界の短編小説のなかでも、これほど主題と雰《ふん》囲気《いき》を、あくまで写実的に、しかも象徴的に、これほど巧みに書きはじめる冒頭の一節も珍しいであろう。これに照応して末尾もまた、すばらしい――
ヤWhile I gazed, the fissure rapidly widened――there came a fierce breath of the whirlwind――the entire orb of the satellite burst at once upon my sight――my brain reeled as I saw the mighty walls rushing asunder――there was a long tumultuous shouting sound like the voice of a thousand waters――and the deep and dark tarn at my feet closed sullenly and silently over the fragments of the House of Usher.'
こうして「首」と「尾」を特に重視する手法は、ほかの作品にも適当な変化を加えつつ用いられている。いま「首」の実例をあげれば――ヤI was sick――sick unto death with that long agony; and when they at length unbound me, and I was permitted to sit, I felt that my senses were leaving me.'(「私は弱っていた、――あの長いあいだの苦痛のために、死にそうなくらいひどく弱っていた。そして彼らがやっと私の縛《いまし》めを解いて、坐《すわ》ることを許してくれたときには、もう知覚が失われるのを感じた」――『落穴と振子』)
ヤTrue!――nervous――very, very dreadfully nervous I had been and am; but why will you say that I am bad?'(「ほんとうに!――神経過敏――ひどい、恐ろしくひどい神経衰弱だったのですし、今でもそうなんです。だが、なぜみなさんは私を気違いだと言いたい《・・》のですか?」――『おしゃべり心臓』)
ともあれ、その構成、心理、象徴などがひとつの象徴的なモザイクになって効果の統一をみごとにあげている点で、この短編は最高といってよいであろう。
『ウィリアム・ウィルスン』(William Wilson)
これも同じ「バートン紳士雑誌」の一八三九年十月号に『アッシャー家の崩壊』にひきつづいて掲載された。『群集の人』(The Man of Crowd)や『鋸山《のこぎりやま》奇談』(A Tale of the Ragged Mountain)と並んで幻想もしくは想像の物語であり、また恐怖小説の一種でもある。
「学校生活についての私のいちばん古い思い出は、霧のかかったようなあるイングランドの村にある、大きな、不格好な、エリザべス時代風の建物につながっている」――この「建物」とは作者が八つのときから三年間かよったマナー・ハウス学校のことなのであるが、ここで主人公は同じ日に入学した同じ姓と名と同じ年(一八一三年一月十九日生れ)と同じような目鼻だちと体と歩きぶりと言葉と服装と態度と動作の少年に会う。そしてこの瓜《うり》二つの、ほとんど双生児といってよいこの人物にたいして、ある奇妙できびしい親和と反発の感情をこもごもいだかずにはいられなくなる。まるで光と影のように、ふたりはイートンでもオックスフォードでも一緒になり、「私」の悪徳の影が濃くなればなるほど、もうひとりの私である「彼」の美徳の光は、いよいよその輝きを増すばかりである。「私」は「彼」から逃げようとする。だが「彼」はウィーンへもベルリンへもモスコーへも「私」のあとを追うてやまない。そのため「地球のはてまでも私はむなしく逃げまわった《・・・・・・・・・・・・》。」
いったい、そんな「彼」とは何者なのか?「彼」こそ「私」の良心にほかならなかったのだ。だから、一八――年の謝肉祭のローマでめぐり会ったとき、「私」は「彼」の胸へ剣を突き立てる。それは「私」の最後だった。すなわち、この小説は、ただ二重人格というようなものを扱っているだけではなく、人間の良心というもの、原罪とのたたかいともいうべきものまで掘りさげているのである。このような作品の系譜は、のちにロバート・ルイス・スティーヴンソン(一八五〇―九四)の『ジーキル博士とハイド氏』(一八八六)やオスカー・ワイルド(一八五四―一九〇〇)の『ドリアン・グレイの肖像』(一八九一)へと通じる。(そういえば、『アモンティラードの樽』の荒々しくも直截《ちょくせつ》な技法は、ヘミングウェイの『殺し屋』(一九二七)へ流れこんでいる。)
『メールストロムの旋渦』(A Descent into the Maelstr嗄)
これは「グレアム雑誌」の一八四一年五月号に掲載された。『壜《びん》の中から出た手記』(Ms. Found in a Bottle)や『落穴と振子』や『早すぎる埋葬』とともに恐怖の小説である。
メールストロムとは、訳注にもあるとおり、ノルウェー近海の大渦巻《おおうずまき》のことであり、土地の者はこれをそのまんなかにあるモスケー島の名をとってモスケー・ストロムと呼んでいる。それを、ある老人とともに「目撃」したことのある「私」が、こんどはそれを「経験」する。そのすさまじい実況と恐怖をなまなましく描きだしている。その点、これは『壜の中から出た手記』のほか、長い短編(もしくは短い長編)の『アーサー・ゴードン・ピム物語』ともつながる海洋ものであり、その卓抜な面においてはハーマン・メルヴィル(一八一九―九一)の『モービー・ディック(白《はく》鯨《げい》)』(一八五一)を偲《しの》ばせる。なお、これらは、いわゆるS・F・(科学的空想小説)として読むこともできるであろう――Beaver, Harold, collected and edited with an Introduction and Commentary by, The Science Fiction of Edgar Allan Poe. Penguin Books, 1976.
『黄《こ》金虫《がねむし》』(The Gold-Bug)
前記の『壜の中から出た手記』は懸賞に応じての当選作でポーは五十ドルを得たが、これも同様で、「フィラデルフィア・ドル新聞」に投稿して百ドルの賞金をかせいだ。そして同じ一八四三年の六月から七月にかけて連載された。すでに発表された『モルグ街の殺人事件』と『マリー・ロジェエの怪事件』につづく作品で、これらに『盗まれた手紙』を加えると、ポーの探偵小説、つまり謎《なぞ》と推理の物語の全部となる。
ポーの作品には、ほとんど例外なく初めにだれかの句なり行なりが引用されているが、これにも、「おや、おや! こいつ気が狂ったみたいに踊っている。タラント蜘蛛《ぐも》に咬《か》まれたんだな」という喜劇『みんな間違い』の一節が掲げられている。タラント蜘蛛というのはイタリアの南東端、イオニア湾にのぞむタラント地方に産する凶暴な毒蜘蛛で、これに咬まれた者は錯乱していつまでも踊りつづけて狂い死にする、といわれる。なにかにとり憑《つ》かれ、ひたすらそれにうちこんでいるような人間には、どこかこの毒蜘蛛にでも咬まれたみたいなところがある。南カロライナ州のチャールストンに近いサリヴァン島に住むウィリアム・ルグラン君こそ、まさにそうした人物にほかならない。かれは、あるとき一匹の甲虫《かぶとむし》を捕えた、そして、こいつから何かをさぐりだそうとして、いまや夢中になっているからである。
かつて作者自身がこの島の要塞《ようさい》に駐屯《ちゅうとん》していたことがあり、またひところ暗号法に熱中していたことがあっただけに、そこの状況や風景や暗号の解読がいかにも精細に具体的に描かれていて、そこで展開されていくルグラン君の言動や、なにか狂気じみた謎解きに確かな現実感を添えており、これはミステリーなんだぞと警戒しながらも、いつのまにか読者はそのなかへひきこまれ、ふしぎな暗号の分析にわれを忘れるようになってしまう。
これは、ほかの三編の推理小説と違って現実の犯罪とは無縁であり、いわゆる宝探しという点でスティーヴンソンの『宝島』(Treasure Island)のさわやかさを思わせるものがあり、およそだれの胸の底にもひそんでいる未知への知的な冒険心をかきたてずにはやまない。これが広く長く読まれているゆえんである。(一九七六年十月七日、ポー没後百二十七年の日)
(1) Pluto――ローマ神話の下界の王、冥《めい》府《ふ》の王の名。
(2) 旧約聖書創世記第一章第二十六―二十七節、「神いひ給《たまひ》けるは我《われ》儕《ら》に象《かたどり》て我儕の像《かたち》の如《ごと》くに我儕人を造り……と神其像《そのかたち》の如くに人を創造《つくり》たまへり。即《すなわ》ち神の像《かたち》の如くに之《これ》を創造《つくり 》云々《うんぬん》」
(1) Pierre Jean de B屍anger(一七八〇―一八五七)――フランスの抒情《じょじょう》詩人。
(2) この病気については、本文庫『モルグ街の殺人事件』所載の「早すぎる埋葬」のなかに詳しく説明されている。全身硬直しきわめて死と間違われやすい病であることだけは、後段のために特に記憶されなければならない。
(3) Karl Maria Friedrich Ernst von Weber(一七八六―一八二六)――有名なドイツの作曲家。浪漫派歌劇の祖としてもよく知られている。
(4) Johann Heinrich(John Henry)Fuseli(一七四一―一八二五)――アングロ・スイス人の画家。豊富な想像力と夢幻的な怪異な画風とをもって知られた。有名な『夢《ナイト》魔《メア》』の他、シェークスピア・ギャラリー、ミルトン・ギャラリーなどにその作品がある。
(5) メThe Haunted Palaceモ――一八三九年四月に発表された作者自身の詩。精神がしだいに狂い、理性が崩壊してゆくことを謳《うた》ったもの。ラフカディオ・ハーンはその講義集のなかでこの詩を最もよく解説している。宮殿は人の心であり、その王座に坐《ざ》せる王は理性であり、窓は眼《め》であり、真珠と紅玉とで燦《きらめ》く宮殿の扉《とびら》は、紅《あか》い唇《くちびる》と皓《しろ》い歯とを持つ口であり、「こだま」はその口から出る美しい言葉であろうか。かくて最初の四節は理性の健全な時の精神を歌っている。後の二節はその理性の崩壊を謳う。「赤く輝く窓」は狂人の血走った眼であり、「大いなる物影」は狂人の妄想《もうそう》であり、蒼白《あおじろ》き扉から出る「恐ろしき一群」は狂人のとりとめのない話である。狂人は笑う、が微笑はしない。(小泉八雲全集第十五巻二六―三一ページ参照)ポーの詩の傑作の一つに数えられている。ここではただその大意を訳しうるにすぎない。
(6) ウォトスン、パーシヴァル博士、スパランツァーニ、ことにランダフの僧正。――メChemical Essaysモ第五巻を見よ。(原注)
(7) Jean Baptiste Louis Gresset(一七〇九―七七)――フランスの詩人。
(8) Niccolo Machiavelli(一四六九―一五二七)――マキアヴェリズムでよく知られているイタリーの政治家、著作家。
(9) Emanuel Swedenborg(一六八八―一七七二)――有名なスウェーデンの神学者、神秘哲学者。
(10) Ludvig von Holberg(一六八四―一七五四)――デンマークの大詩人、小説家、劇作家。
(11) Robert Flud(一五七四―一六七五)――イギリスの医師で神秘哲学者。
(12) Jean D'Indagin写―十六世紀前半のドイツの僧侶《そうりょ》。
(13) Marin Cureau de la Chambre(一五九四―一六七五)――フランスの医師。ルイ十四世の侍医。
(14) Johann Ludwig Tieck(一七七三―一八五三)――ドイツの浪漫派の文人。Schlegelとの共同のシェークスピアのドイツ語訳はよく知られている。
(15) Tammaso Campanella(一五六八―一六三九)――イタリーの僧侶で哲学者。
(16) Eymeric de Gironne(一三二〇―九九)――スペインの宗教裁判官。
(17) 『宗教裁判法』
(18) Pomponius Mela――スペインで生れた一世紀ごろのローマの地理学者。メDe Situ Orbisモの著者。この本は現存している世界最古の地理書で、ラテン語で書かれ、古代の世界の地理、風俗、習慣などをしるしたものである。
(19) Satyr――半人半《はん》山羊《やぎ》。メラの地理書にアフリカにいた人種の一つとして書かれたものであろう。
(20) ョgipan――ギリシャ神話ではパン神のことであるが、メラはアフリカに住んでいる山羊のような形の人種をかく言ったのだという。
(21) 『マインツ教会合唱団による死者のための通夜』
(22) mace――先に鉤釘《かぎくぎ》のついた矛《ほこ》で、片手で振り、甲冑《かっちゅう》を破るなどに用いられた中世の武器。
(1) William Chamberlayne(一六一九―七九)――イギリスの詩人、劇作家。
(2) Elah-Gabalus(二〇五―二二二)――本名Varius Avitus Bassianus.ローマの皇帝。その放埒《ほうらつ》な乱行をもって知られている。
(3) the dim valley――旧約聖書詩篇第二十三篇第四節に出ている「死のかげの谷」のこと。
(4) leading-strings――歩き初めの子供につかまらせて歩き慣らせる紐《ひも》。
(5) ferule――学校で、懲罰として児童を、とくにその掌《てのひら》を、打つためにつくられた木の箆《へら》。
(6) 「強い厳しい刑罰」という意味のフランス語であるが、昔、普通の審問に答弁しない罪人に科したものであって、罪人を俯《うつ》伏《ぶ》せに臥《ふ》させてその上に重いものを載せ、白状しなければ死ぬまでそうしておいたという残酷な刑罰である。
(7) ポーの生年月日は今日では一八〇九《・・》年一月十九日であることが確かめられているが、作者自身は自己の誕生日を一八一一《・・》年とした手記をグリズウォルドに与え、のちにさらに一八一三《・・》年としたのである。なお、この物語の初めの追憶的の部分が作者の幼時に学んだイギリスのストーク・ニューイントンのブランスビイ博士の学校のことなどを描いたものであることは有名であるが、全編を「半自伝的」の作と考えるのは当を得たものではない。
(8) これはもちろん、ブランスビイ博士の学校寝室などと違って、学生の寄宿舎は学校の本館とは別の棟になっていて、一つ一つの室《へや》に小さな玄関の間がついているからである。
(9) Herodes Atticus(一〇四ころ―一八〇ころ)――本名Tiberius Claudius.ギリシャのアテネの市民であった富豪。修辞学者であったが、その著作は今日残っていない。彼の祖父の領地は反逆のために没収されたが、その後彼の父の家で莫《ばく》大《だい》な額の金が発見され、それを所有することを時の皇帝に許されてたちまちにして大財産家となり、彼の結婚によってもますますその富が増したという。彼はその私財をもって方々に劇場や音楽堂を建てたり、競技場や競走路をつくったり水道や温浴場をこさえたり、ギリシャ各地の滅びた都市を復旧再興させたり、実にさまざまの驚くべき大規模な公益事業をしているが、もってその富のいかに巨大であったかが察せられる。
(10) 残art氏@― 三十二枚の札で二人だけでやる骨牌《かるた 》 戯《あそび》。
(11) arrond仔s――正しくはフランス語でarrondiesと書き(もっとも英語化されてarondie, arondyなどとも書かれるようである)、「円くされた」、「円い」という意味(邦語では「マル札」とでも訳すべきか)。すぐあとに本文で説明されているように、札の縁が少し円味を帯びているからである。
(1) 「暗黒の海」――昔、地中海沿岸の住民に知られない外海(大西洋)のことをかく言ったのであるという。――前の「ヌビアの地理学者」というのは誰のことか、はっきりわかっていない。ポーの晩年の論文『ユウレカ』のなかには、「ヌビアの地理学者Ptolemy Hephestionによって記述された暗黒の《・・・》海《・》」云々《うんぬん》とあるが、これはポーの思い違いであるらしく、おそらくアレクサンドリアの天文地理学者Claudius Ptolemyではなかろうかと言われている。
(2) 強風のときに船が海上で安全のため、帆を低く下げあるいは絞って、できるかぎり風の方へ船首を向け、ほとんど静止していること。
(3) chopping――強い潮流の方向と反対に風が吹くとき、あるいは二つの潮流が合するときなどに生ずるように、波が短く不規則に乱れたように立ち騒ぐこと。かりに「狂い波」と訳しておいた。
(4) Maelstr嗄――ノルウェー北部の海岸にある有名な大旋《だいせん》渦《か》。モスケン(モスケー)・ストロムとも呼ばれる。原語読みならばメールシトルムとでも書くべきであるが、ここでは英語読みにした。前のノルドランド(ノルラン)以下の固有名詞も必ずしも原語読みにしたがわず、便宜上の読み方を用いた。島の名などは多く作者の創作にかかるものらしい。
(5) Jonas Rarmus(一六四九―一七一八)――ノルウェーの僧侶《そうりょ》。ノルウェーの地理および歴史に関する著述がある。
(6) ギリシャ神話の冥《めい》府《ふ》にある燃ゆる炎の河。
(7) アイスランドの東南、スコットランドの北方の洋上にある諸島。
(8) Athanasius Kircher(一六〇一―八〇)――ドイツの数学、言語学、考古学の学者。
(9) バルチック海の北方の海。
(10) 向い風のために帆がマストに吹きつけられること。
(11) できるだけ風の来る方に近く帆走し上がること。
(12) 船首から船尾にいたるまですっかり平坦《へいたん》に張られた上甲板。通し甲板。
(13) ring-bolt――綱などを結びつけるために甲板に取り付けられた環《かん》のついた螺釘《ねじくぎ》。環釘。
(14) マホメット教徒の信ずるところによれば、現世から天国へ至るには蜘蛛《くも》の糸よりも細い橋を渡るのである。その橋を渡るときに罪ある者は地獄の深《しん》淵《えん》に落ちるという。
(15) アルキメデスメDe Incidentibus in Fluidoモ第二巻を見よ。(原注)
(1) メAll in the Wrongモ――イギリスの俳優で劇作家のArthur Murphy(一七二七―一八〇五)の喜劇。一七六一年初演。一八三六年にニューヨークでも上演された。
(2) Huguenot――十六、七世紀頃のフランスの新教徒。一六八五年にルイ十四世によってナント勅令が廃棄され、新教が禁止されると、多くの新教徒《ユグノー》がアメリカの植民地に移住した。
(3) New Orleans――ミシシッピ河の海に注ぐあたりのルイジアナ州にある都会。
(4) Fort Moultrie――チャールストン港の防御のために一七七六年に建てられ、まだ竣功《しゅんこう》しないうちにアメリカ軍のWilliam Moultrie(一七三一―一八〇五)大佐がここに立て籠《こも》ってイギリス軍を防いだので、その名が付せられた。ポーは青年時代に軍隊にいたときしばらくこの要《よう》塞《さい》に勤務していたことがある。
(5) palmetto――南カロライナ州は一名メPalmette Stateモと言われるほどだから、この棕《しゅ》櫚《ろ》がよほど多いのであろう。
(6) Jan Swammerdam(一六三七―八〇)――オランダの有名な博物学者。ことに昆虫《こんちゅう》学者として、その蒐集《しゅうしゅう》と著述とが知られている。
(7) ルグランがantennマ(触角)と言いかけたのを、ジュピターはtin(錫《すず》)のことと思い違いをしたのであろう。ボードレールはメCalembour intraduisibleモだと書いているが、日本語でもやはり訳されないことは同様である。
(8) この「高い」loudという語は、ステッドマン・ウッドベリー版には「低い」lowとなっているが、ハリスン版、イングラム版、その他の諸版にはみな前者になっている。ボードレールの訳本もその意味に訳してある。ステッドマン版はこの語をグリズウォルド版に拠《よ》ったのであろうか。しかし、ここでは前者をとることにして、意味がまったく反対になっている相違なので特に注をしておく。
(9) dark lantern――光をさえぎる蓋《ふた》のついている角灯。
(10) guinea――十七世紀後葉アフリカ西海岸のギニー地方に産する金で初めて鋳造された往時のイギリスの金貨。一八一三年以降は鋳造されなかったのだから、この物語の書かれた当時にもすでに、一般に流通していなかったのである。
(11) 鉱物を溶解するときに炉床または坩《る》堝《つぼ》の底に沈澱《ちんでん》するもの。
(12) William Kidd(一六四五?―一七〇一)――十七世紀の末の有名な海賊。スコットランドに生れ、初め剛胆な船長として世に知られていたが、のち海上生活を退いてニューヨークに隠退中、その船舶操縦術の手腕を時の植民大臣Earl of Bellamontに認められ、当時アメリカの沿岸およびインド洋に横行していた海賊を剿滅《そうめつ》せよとの命を受けて、一六九六年にメAdventureモ号の船長としてイングランドのプリマス港から出帆し、ニューヨークへ行き、それからマダガスカル島へ航した。その後間もなく彼自身が海賊になったと噂《うわさ》が立った。一六九九年にアメリカの海岸へ帰り、やがてボストンで逮捕されて部下と共にイングランドへ送られ、海賊を働いたことを否認したが、船員の一人を殺害した廉《かど》で、九人の部下と共に絞刑《こうけい》に処せられた。これより前、彼はニューヨークの東方ロング島の東にあるガーディナア島に一部分の財宝を埋めておいたが、それはのちに発掘された。その没収された財宝の総額は約一万四千ポンドに達するものであった。しかし、「キッド船長の宝」が大西洋のどこかの海岸にまだ埋められているという噂は、その後も永く世間に伝えられていた。
(13) この暗号文のうち一カ所は、ステッドマン・ウッドべリー版およびハリスン版が、他の諸版と異なっている。他の諸版のメforty-one degreesモに当る記号がメtwenty-one degreesモになっているからである。(初めから四十四番目1‡(;:………………;)が8*;:………………)これは、のちに注18においてしるすような理由で、たぶん、作者自身が一八四五年出版の彼の『物語集』にのちの刊行の準備として自筆で推敲《すいこう》の筆を加えたときに、書き直したものであろう。ステッドマン・ウッドべリー版、ハリスン版は、そのポーの自筆を加えたいわゆるロリマー・グレアム本を参照して、それに拠ったのである。しかし、ハリスン版の訂正個所はまちがっているし、またハリスン版、ステッドマン版ともにあとの記号の数のところが訂正暗号に合っていないので、この訳本ではあとのほうの数字を訂正したりすることは避けて、普通の諸版のもとの暗号を用いることにした。他の諸版にもそれぞれ小さな誤りがあるので、以下暗号に関するかぎり、諸版から妥当と思うところを取ることにする。
(14) Golconda――インドの南部にある旧《ふる》い町。金剛石の市場として有名であった。
(15) Spanish main――往時、南アメリカの北海岸のオリノコ河またはアマゾン河の口からパナマ海峡に至る一帯の地方や、カリブ海のこれに接した部分を、漠然《ばくぜん》と指した名称。スペインと南アメリカとの航路に当り、昔さかんに海賊が出没した。
(16) この「十一」は、ステッドマン版、イングラム版、ハリスン版等の標準版にはみな前の行の「?〃u」を除いて「十」となっているが、これはたぶん作者自身の誤りであろう。「?〃u」を加えて「十一」となっている版もあるので、それにしたがう。
(17) 実際に見得《う》べき水と空との分界線。
(18) この「四十一度」は、ハリスン版とステッドマン・ウッドベリー版では、すべて「二十一度」となっている。事実、「四十一度十三分の仰角」で見て、「はるか彼方《かなた》に」見える大木というのは、あまりに高過ぎて不自然、あるいはむしろ不合理であろう。しかしこの変更は注13で書いたように、暗号文の記号と共に、おそらく、ポーがのちの刊行本のための用意にときどき筆を加えておいたいわゆるロリマー・グレアム本の、自筆の書き入れに拠ったものらしく、まだ決定的な、あるいは完全な、訂正ではないので、この訳本ではすべてもとの「四十一度」にしておいた。
(19) 以上の頭蓋骨云々《うんぬん》に関する二節の対話は、普通の諸版には全然ない。ボードレールの訳本にもない。同じくロリマー・グレアム本にポーがのちに書き加えておいた部分であろう。
年譜
一八〇九年(文化六年) 一月十九日、エドガー・ポー(Edgar Poe)はデイヴィッド・ポーとエリザベス・アーノルド・ホプキンズの次男としてアメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストンに生れる。
一八一一年(文化八年)二歳 十二月八日、ヴァージニア州リッチモンドで母を失う。すでに父は行方知れず、数日後、同じ町のジョン・アランに養子としてひきとられ、アラン(Allan)という中間名をつけられてエドガー・アラン・ポーとなる。ただしほとんどこれを使うことなく、エドガー・A・ポーもしくは元のエドガー・ポーを用いる。
一八一五年(文化十二年)六歳 七月二十八日、アラン夫妻に伴われてイギリスへ渡る。
一八一七年(文化十四年)八歳 ロンドンの近郊ストーク・ニューイントン在の私立のマナー・ハウス学校にかよいはじめる。
一八二〇年(文政三年)十一歳 七月二十一日、養父母とともにニューヨークに着き、八月二日、リッチモンドへもどる。
一八二一年(文政四年)十二歳 翌年の十二月までクラーク学校にかよう。
一八二三年(文政六年)十四歳 四月一日、ウィリアム・バーク学校に入る。年下の学友ロブ・スタナードを通じてその母ジェーンを知り、その美しさに「わが魂の最初の純粋に理想の恋人」を発見し、翌年に彼女の死に遇《あ》うや詩『ヘレンへ』をつくる。
一八二五年(文政八年)十六歳 ちかくに住む少女セアラ・エルマイラ・ロイスターと交わり、ひそかに「婚約」するが、彼女の両親にはばまれる。(ヴィンセント・ブラネルリの『ポー』〔一九六一年〕はこれを一八二六年の事柄《ことがら》としている。)ようやく養父とのあいだが険しくなりはじめる。
一八二六年(文政九年)十七歳 二月十四日、シャーロッツヴィル在のヴァージニア大学に入り、勉学につとめてすぐれた成績を収めるが、十二月十五日、退学する。けだし学費の不足を補おうとして賭《と》博《ばく》に手を出し、かえって大きな借金をつくり、そのため養父の援助を仰いだところ大学を去ることを強《し》いられたからである。
一八二七年(文政十年)十八歳 三月二十四日、養父との不和のためリッチモンドを去り、四月七日、ふるさとのボストンに帰る。五月二十六日、エドガー・A・ペリー(Perry)と名を変えて合衆国陸軍に入隊し、ボストン港内のインデペンデンス要塞《ようさい》に配属される。十一月八日から十八日まで部隊とともに南カロライナ州チャールストン港内のモールトリー要塞へ移動する。五月もしくは六月、「一ボストン人」の名で最初の詩集『タマレーンそのほか』をボストンで出版する。
一八二八年(文政十一年)十九歳 十二月十一日から十五日までヴァージニア州モンロー要塞に駐留する。
一八二九年(文政十二年)二十歳 一月一日、特務曹長《そうちょう》に昇進する。二月二十九日、やさしい養母のフランシスを失う。四月十五日、めでたく除隊となり、五月、ニューヨーク州ウェスト・ポイント陸軍士官学校へ進もうとし、ワシントンへおもむいて陸軍省に願い出るが、すぐには許可されず、秋をボルティモアの伯母マライア・クレムかたにその娘ヴァージニア(一八二二年八月十五日生れ)とともにすごす。十二月、第二の詩集『アル・アーラーフ、タマレーン、ほか小詩』を本名でボルティモアの一出版社から刊行する。
一八三〇年(天保《てんぽう》元年)二十一歳 六月、ウェスト・ポイント陸軍士官学校に入学する。
一八三一年(天保二年)二十二歳 やはり詩作をつづけているうちに学校生活が耐えがたくなり、かつ養父からの送金の絶えることもあって故意に軍務を怠り、ために放校処分となるが、その時を待つことなく、二月十九日、士官学校を去る。夏、ニューヨークを経てボルティモアへ行き、ふたたび伯母クレムのもとに身をよせる。八月、兄のウィリアム・ヘンリーを失う。おそらく四月、第三の詩集『ポー詩集』を上梓《じょうし》する。十二月、雑誌「フィラデルフィア土曜新報《クーリア》」の懸賞に応じて短編小説を投じておいたところ、賞は逸するが五編が採られ、翌年一月『メッツェンゲルスタイン』が発表され、つづいて他も掲載される。(ただしフィリップ・ヴァン・ドーレン・スターン編『ポー選集』〔一九四五年〕はこれを前年のことにしている。)
一八三二年(天保三年)二十三歳 おそらくボルティモアにおいて短編を書きつづける。
一八三三年(天保四年)二十四歳 四月、詩『セレナード』を雑誌「ボルティモア土曜訪《ヴィ》問者《ジター》」に発表する。十月、同誌の懸賞に応じて詩一編と『フォリオ倶楽部《くらぶ》物語』と題する短編を六編投じる。そのうち短編「壜《びん》の中から出た手記」が当選して賞金五十ドルを得、同誌十月十九日号に掲載される。
一八三四年(天保五年)二十五歳 三月二十七日、ジョン・アランが遺言状のなかにポーの名を記することなく死去する。
一八三五年(天保六年)二十六歳 二月、リッチモンドの雑誌「南部文学使者《サザーン・リテラリー・メッセンジャー》」に初めて書評を寄せ、以後しばしばこれを重ねるが、ほかに、三月には短編『ベレニス』を、また翌月、同じく短編『モレラ』を、さらに四編の短編を発表する。八月、同誌の編集への助力を求められ、ボルティモアを離れてリッチモンドへ移り、まもなく同誌の編集長となって活躍する。九月、ボルティモアへもどりヴァージニアとの結婚許可をとる。十月三日、クレム夫人、娘ヴァージニアを伴ってリッチモンドに移り住む。
一八三六年(天保七年)二十七歳 五月十六日、十三歳八カ月のヴァージニアと結婚する。
一八三七年(天保八年)二十八歳 一月三日、雑誌社を辞し、翌月、義母と妻をつれてニューヨークに出る。職を求めるが徒労に終る。
一八三八年(天保九年)二十九歳 七月、中編『アーサー・ゴードン・ピム物語《ナラテイヴ》』をニューヨーク市のハーパーズ社から出版する。おそらく八月、フィラデルフィアへ向う。短編『ライジーア』を発表する。
一八三九年(天保十年)三十歳 年のはじめに教科書用として『貝類学手引き』を出版する。六月(もしくは七月)、「バートン紳士雑誌」を手伝う。短編『アッシャー家の崩壊』、『ウィリアム・ウィルスン』、詩『幽霊宮』などを同誌に発表する。おそらく十一月、これまでの短編を集めた二巻本の『怪奇物語《グロテスク・アラベスク》』を出版する。(ただし表題紙には「一八四〇年」となっている。)
一八四〇年(天保十一年)三十一歳 暗号法に熱中する。六月、「ペン(Penn)雑誌」と名づけられるべき個人雑誌を発刊するため同社をやめる。
一八四一年(天保十二年)三十二歳 四月、前記「バートン紳士雑誌」を合併した「グレアム雑誌」の編集長となり、同誌の部数を五千から一挙に三万七千に躍進させる。小説『モルグ街の殺人事件』、『メールストロムの旋《せん》渦《か》』、『赤死病の仮面』その他を同誌に発表する。五月(もしくは七月)、人を介して財務省に職を求めるが不調に終る。
一八四二年(天保十三年)三十三歳 一月、ヴァージニアが歌をうたっていて血管を破る。五月、社を退く。『マリー・ロジェエの怪事件』を書く。一八四三年度版の「ギフト」に短編『落穴と振子』を寄せる。
一八四三年(天保十四年)三十四歳 一月、ふたたび個人雑誌「日時計の針《スタイラス》」を企てるが失敗に帰する。六月、フィラデルフィアの「ドル新聞」の懸賞に応じて短編『黄《こ》金虫《がねむし》』を投じ、当選して賞金百ドルを得る。八月、雑誌「合衆国土曜郵便」に短編『黒猫《くろねこ》』を発表する。この年、さきの『モルグ街の殺人事件』ほか一編を収めた小冊子型の短編集『ポー散文物語集《ロマンシズ》』の第一集をフィラデルフィアで出すが、後続なくて止《や》む。
一八四四年(弘《こう》化《か》元年)三十五歳 四月七日、フィラデルフィアからニューヨークへ転じる。十月、新聞「夕の鏡《イヴニング・ミラー》」の編集にあずかる。十一月、随筆集『欄外注《マージネイリア》』の第一回を同市の雑誌「民主評論」に発表、その後も同誌のほか数誌に分割して連載する。妻の健康しだいに衰える。
一八四五年(弘化二年)三十六歳 一月二十九日、詩『大鴉《おおがらす》』を「夕の鏡」に載せ、たちまち、そして初めて大評判となる。三月八日、週刊誌「ブロードウェイ・ジャーナル」の編集に加わり、のち十月二十四日、その所有者兼編集長となる。七月、『黄金虫』その他十二編を集めた『ポー物語集《テイルズ》』を公刊する。十一月、詩集『大鴉そのほか』を刊行するが、あまり世評は芳《かんば》しくない。
一八四六年(弘化三年)三十七歳 一月三日、「ブロードウェイ・ジャーナル」廃刊となる。四月、評論『詩作の哲理《ザ・フィロソフィー・オブ・コンポジション》』を「グレアム雑誌」に発表する。五月、ニューヨーク関係の作家三十八名をとりあげた『ニューヨークの文士連』を、フィラデルフィアの雑誌に発表しはじめる。五月(もしくは六月)、ニューヨークから約二十キロのフォーダム(Fordham)へ引っ越す。
一八四七年(弘化四年)三十八歳 一月三十日(既出のブラネルリによれば二十九日)、酷寒と極貧のうちに、猫を抱いてかろうじて暖をとりながらヴァージニアはこの世を去る。三月、短編『アルンハイムの領地』を「コロンビア雑誌」に載せる。十二月、詩『ユーラリューム』を発表する。
一八四八年(嘉《か》永《えい》元年)三十九歳 二月三日、散文詩による宇宙論「ユーレカ」(Eureka「われ発見せり」)を書き、これをニューヨークで聴衆に向って朗読する。おそらく六月、これを単行本として出版する。七月十七日、リッチモンドへおもむき、「泥酔《でいすい》のまま宿の酒場で『ユーレカ』を講じる」。九月、六歳年上の未亡人セアラ・ヘレン・ホイットマンと親しく交わり、結婚を約束するが、とつじょ破棄される。
一八四九年(嘉永二年)四十歳 四月、詩『黄金の国《エルドラド》』をボストンの週刊誌に発表する。六月三十日、新しい雑誌の創刊を促進するため、ニューヨークをあとにリッチモンドへと向う。おそらく七月二日、途中フィラデルフィアに「連合雑誌」の編集長ジョン・サーテンを訪れるが、そのときかれはすでにはなはだしい譫妄《せんもう》状態におちいっていたという。七月十三日、リッチモンドに着き、かつての恋人で今は未亡人となっているセアラ・エルマイラ・ロイスターにめぐり会い、にわかに結婚のことを考え婚約にまで進む。八月十七日、同地で「詩の原理《ザ・ポエティック・プリンシプル》」について講演し、九月十四日にノーフォークで、さらに二十四日と二十七日にはふたたびリッチモンドで同じ講演をくりかえす。月末、伯母のクレムを迎えるため、ニューヨークに向って去る。十月三日、ボルティモアの選挙投票所に使われた酒場の前で、なかば意識を失って倒れているところを発見される。ただちにワシントン大学病院にかつぎこまれて治療をうけるが、完全には意識を回復せず、十月七日、日曜日の朝五時、ついに命絶える。
西村孝次 編