エドガー・アラン・ポー作/安引宏訳
モルグ街殺人事件
目 次
モルグ街殺人事件
マリー・ロジェー事件の謎
盗まれた手紙
解説
年譜
モルグ街殺人事件
いかなる歌をあのシレネスはうたったか、いかなる名をあのアキレウスは、女たちのあいだに身をかくしたとき名乗ったのか、たしかに難問ではあるが、まったく推測できないわけではない。(サー・トマス・ブラウン)
ひとびとが分析的能力とよぶ精神の一面は、それ自身にたいする分析をほとんど許さない。わたしたちはただ、結果をみて、それを理解する。その能力を豊かに恵まれた者にとっては、つねに、何にもまして生きいきとした娯《たの》しみの源泉となることも、知らないわけではない。ちょうど強い男が自分の肉体的能力を誇り、筋肉をうごかす運動をよろこぶのと同じに、分析家は自分の知的能力を働かせる謎解きに夢中になる。彼は自分の能力を活動させてくれるものなら、どんなつまらない問題であっても、快楽を味わう。彼のおこのみは、謎、判じもの、秘密の文字で、それらを解明する手ぎわときたら、凡人の眼には超人的とうつるほどの明敏さをしめす。答えは方法論の精髄をつくしてえられるのだが、まったく直観的につかみとったとしか見えない。
この分析の能力は、たぶん数学の研究において、とりわけ数学最高の分野である解析学の研究において、おおいに活躍できるだろう。ただし解析学《アナリシス》を、ただたんに遡行《そこう》的な操作をおこなうというだけのことで、まるで分析《アナリシス》と等価値であるかのように、同じ名称で呼ぶのは不当だけれど。なぜなら、計算することそのもののなかに、分析することはふくまれていないのだから。たとえばチェスのプレイヤーは、計算はするけれども、分析するための努力をはらいはしない。したがって、テニスが知的能力に良い影響をあたえるなどというのは、とんでもない誤解だ。わたしはいま論文を書いているわけではなくて、ただたんに、いくらかふうがわりな物語の前置きとして、まったく思いつくままに私見をしるしているだけだから、このさい、はっきり言っておこう――思索的知性の高度な能力は、複雑ではあっても軽薄なチェスなどより、地味なチェッカーのほうに、はるかに決定的かつ有効に投入される、と。チェスは、駒の動きが一様でなくて奇怪だし、駒そのものが多様であり強さもまちまちなものだから、よくある錯覚だが、たんなる複雑さにすぎないものを、深遠さととりちがえることになる。このゲームでは[注意力]が強力に動員される。それが一瞬でもゆるむと、見落としが生じて痛手をこうむり、あるいは敗北につながる。その局面で可能な駒の動きがいくつもあるばかりでなく、入り組んでもいるために、こういう見落としの機会はますますふえる。だから、十中八、九まで、勝つのはより注意力にまさるプレイヤーであって、より明敏なプレイヤーではない。その反対に、チェッカーでは、駒の動きは一定で変化もほとんどないから、見落としの可能性はすくなくなり、たんなる注意力はそれほど必要ではなくなって、優劣をかちうるのは[明敏さ]にまさるプレイヤーとなる。話をもうすこし具体的にするために、チェッカーのゲームで盤面に駒がキング四枚だけになった場合を考えてみよう。この局面では、もちろん、見落としなどおきようもないから、プレイヤーの力がまったく互角なら、勝負はただ|読み《ルシェルシェ》のいかんによって、つまり知性を強力に働かせる結果によって、決定することはあきらかである。ふつうの手ではどうしようもないとき、分析家は相手の心のなかに分け入り、相手の心になりきることによって、ひとめで、相手を落手にさそい、あるいは誤算に追いこむ唯一の手を、ときにはまったくばかばかしいくらい単純な唯一の手筋を、読みとることもすくなくない。
ホイスト(トランプのゲームの一種。ふたりずつ組んだ二組によって勝負をあらそう)もいわゆる計算能力を養うゲームとして昔から知られている。最高級の知性の持主で、チェスの軽薄さをしりぞけながら、ホイストにはあきらかに無限の娯《たの》しみを味わっていたひとたちの歴史がある。たしかに同種類の遊びごとのなかで、これくらい分析能力を存分に発揮させるものはほかにない。キリスト教圏きってのチェスの名手といったところで、チェスの名人以外の何者でもないが、ホイストに堪能となると、精神と精神とが争うより重要な事業すべてに成功をかちうる能力を暗示している。わたしは[堪能]ということばを使ったが、これはゲームの完璧な力量を、つまりは、まぐれなどはいりこむ余地なしに優勢をもたらすすべての|つぼ《ヽヽ》を知りぬいていることを意味するのである。これらのつぼは多数あるだけでなく多様でもあって、しかもしばしば凡庸な理解力ではまったく近づきがたい思考の奥処《おくか》にひそんでいる。注意ぶかく観察することは、くっきりと記憶することだから、そこまでなら注意力の集中にひいでたチェスのプレイヤーもかなりうまくホイストをこなすだろう。またホイル(一六七二〜一七六九。英国人。種々のゲームに関する書物を出したが、なかでもホイストについての手筋本は、当時絶対の権威をもつとされていた)の手筋にしても、たんにゲームのメカニズムにもとづいているものだから、じゅうぶん、誰にも理解できるだろう。だから、すぐれた記憶力をもち、[手筋本]どおりにやっていくのが、良いプレイヤーのすべてだと、一般のひとたちは考えている。ところが、分析家が腕の冴えを見せるのは、たんなる手筋の範囲をこえたそのさきなのだ。彼は無言のうちに無数の観察と推理をおこなう。たぶん相手方もそうするだろう。だから、そのようにして手に入れる知識の範囲の差は、推理の妥当性よりもむしろ観察の質から生じる。何を観察すべきか、それを知っていることが不可欠である。分析家は自分の思考をけっして限定しない。ゲームが目的だからといって、ゲーム以外のことがらからの演繹《えんえき》を避けたりもしない。彼はパートナーの表情を検討し、それを相手方ふたりのそれぞれの表情と慎重に比較する。めいめいの手札の分類のしかたをじっくりと考え、一枚ずつ、切札は切札、絵札は絵札と、手札を見やる持主の眼つきによって、数えあげることさえしばしばである。ゲームの進行につれて変化する表情の動きをひとつとして見のがさず、確信、驚き、得意、無念などのあらわれかたの差から、自分の判断のための材料を集積する。ひとまわりして打ち出された四枚の札を集めるしぐさから、そのプレイヤーがもういちど同じ組の札で勝負に出られるかどうかを読みとる。札をテイブルに投げるしぐさから、見せかけの背後にあるものを見ぬいてしまう。なにげなく、あるいはうっかりもらすことば。不注意に札を落としたり表を見せてしまって、それを隠そうとするときに見せる不安そうな、それとも無頓着なようす。打ち出された札を数えるときの配列の順序。当惑。躊躇《ちゅうちょ》。熱心。狼狽《ろうばい》。これらのすべては、見かけは直観的に見える分析家の認識に、ことの真相をあかす手がかりとなる。だから、最初の二、三巡の勝負のあいだに、彼はめいめいの手のうちを読みつくしてしまい、以後は正確に絶対の自信をもって札を打つ。まるでほかの三人がみんな、手札の表をさらしているみたいに。
分析的能力をたんなる発明の才と混同してはならない。分析家はかならず発明の才をそなえているけれど、発明家はいちじるしく分析の能力を欠く場合がすくなくないからだ。発明の才は、構成力ないしは結合力という形をとってあらわれるのがふつうだが、骨相学者たちはこれを原始的な能力と想定していて、別の独立した器官をあてているくらいである――もっとも、彼らはまちがっているとわたしは信じているけれども。この才能は、しかし、ほかの点では白痴にちかい知能の持主にもしばしば見られるものであって、これまでも人間の性質について書いたひとびとがほとんど例外なく注目してきたことである。発明の才と分析能力のあいだには、じっさい、空想と想像力とのあいだにある差異にきわめて酷似した性質の、しかしそれよりもさらに大きな差異が存在する。じじつ、発明家はつねに空想的であり、真の想像力をそなえた人間は分析家以外の何者でもないことが、やがてわかるであろう。
以下の物語は、いままで述べてきた命題の注釈めいたものとして、読者の眼にうつるのではあるまいか。
一八**年の春から夏のはじめにかけてパリに滞在していたとき、わたしはC・オーギュスト・デュパンという紳士と知り合った。この若い紳士はりっぱな家柄の、まさしく名門の出であったが、さまざまの不幸な出来事が重なって貧窮に追いこめられてしまい、そのために生来の気力もくじけて、世のなかに出て努力することも、自分の資産を取りもどそうと試みることも、やめてしまったのだった。債権者たちのおなさけで、親ゆずりの財産がまだわずかばかり手もとに残ることになって、これからあがる収入でなんとか生活に必要なものだけはまかなっていた。もちろんずいぶん節約もしていたし、よけいな贅沢《ぜいたく》には縁がなかったけれども。本だけが、じつのところ彼の唯一の贅沢であったが、これならパリだからたやすく叶えることができた。
わたしたちがはじめて出会ったのはモンマルトル街の薄暗い図書館で、たまたまふたりとも同じ稀覯本《きこうぼん》をさがしていたことから、たちまち親しくなった。わたしたちはたびたび顔を合わせるようになった。わたしは彼の一族の小史にすっかり興味をそそられ、それをくわしく話す彼の語り口はフランス人が自分自身について話すときいつもしめすあの率直さそのものだった。わたしはまた彼の読書範囲の広さにも驚かされた。そしてとりわけ、彼の想像力の奔放な熱烈さと溌剌《はつらつ》とした新鮮さに、わたしの魂まで燃えたつ思いを味わった。わたしは、そのころ、自分の求めるものをパリでさがしていたのだが、このような人物と交際することは何ものにも代えがたい宝だと思い、この気持を率直に相手に打ちあけた。そこで、とうとう、わたしのパリ滞在中はいっしょに住むべきだということになって、わたしの経済状態は彼よりもいくぶんましだったから、彼の許しをえて家賃をもつことにし、ふたりが共有しているいささか幻想的な憂鬱質にふさわしい様式で家具一式をととのえた。フォーブール・サン・ジェルマンの奥まったものさびしい場所にある、いまにも倒れそうな、時代がかっていてグロテスクな邸《やしき》で、迷信のせいで長いあいだ住み手がなかったのだが、その迷信がどんなものか、ふたりとも聞いてみさえしなかった。
この邸での日常が世間に知れたとしたら、わたしたちは狂人――ただし、たぶん無害な狂人あつかいされたにちがいない。隠遁《いんとん》生活は完璧であった。来客はひとりも受けいれなかったし、じっさい、わたしはこの隠れ家の所在を以前の友人たちにも用心して秘密にしておいたほどだし、デュパンにしてもパリでひとづきあいをやめてしまってから何年もたっていたのだから。わたしたちは、まったくふたりだけの世界に生きていた。
夜そのもののために夜に溺《おぼ》れる、それがわたしの友人の奇怪な道楽(ほかにどう呼んだらいいのか?)だった。そしてこの奇癖《ビザルリー》にも、ほかのあらゆることと同じに、わたしは抵抗ひとつせずにかぶれてしまって、彼の奔放な気まぐれにとことんまで身をゆだねた。漆黒の女神はいつもわたしたちといっしょにいるわけにはいかないが、彼女がいないときでもいるみたいによそおうことならできる。曙《あけぼの》の光が射しそめると、わたしたちは古い邸の重い鎧戸《よろいど》をすべて閉ざす。そして一対の蝋燭《ろうそく》をともすと、つよい香《こう》のにおいがただよい、ただひどく蒼《あお》ざめて弱々しいあかりだけがうかびあがる。こうして、そのあとわたしたちは夢想にふけり――本を読み、ものを書き、会話をたのしんで、時計がほんものの闇の女神の到来を告げるまでの時をすごす。そこでいっしょに街へとくりだす。腕を組み、昼間の話をつづけ、あるいは夜がふけるまで遠く方々を歩きまわって、都会の雑踏の狂おしい光と影のなかに、ものしずかな観察のみが与えることのできるあのかぎりない精神の高揚をさがしもとめるのだった。
このようなときに、わたしはデュパンの特殊な分析能力に(彼の豊かな想像力からすでに予期していたにもかかわらず)いやおうなく眼をうばわれ、驚嘆させられるのだった。彼のほうもまた、その能力を活動させることに(見せびらかすことに、ではないにしても)心から喜びを味わっているように見えたし、またそのことによってえられる快楽を包みかくしもしなかった。低い含み笑いをしながら、自分の眼から見るとたいていの人間は胸に窓を開けていると自慢して、いつもわたし自身の心のなかを知っていることの具体的でじっさいびっくりさせられるような証拠をあげて、この主張を裏づけてみせた。こんなときのデュパンの態度はとっつきにくく、放心していて、眼もうつろで感情がない。いつもは豊かなテナーの声も甲高いトレブルに変わって、内容の正確さと発音の申しぶんない明瞭さがともなっていなかったら、まるで癇癪《かんしゃく》をおこしたみたいに聞こえただろう。こんな彼のようすを観察しながら、わたしはしばしば二重霊魂という古代哲学の命題について瞑想《めいそう》し、こっそり二重のデュパンという空想をたのしんだものだ――創造的デュパンと分析的デュパン、と。
しかし、二重霊魂などと言ったのだから、これから神秘な話がはじまるとか、荒唐無稽《こうとうむけい》な物語を書こうとしているなとか、考えないでほしい。わたしがこのフランス人について説明したことは、興奮した知性の、あるいはことによると病んでいる知性の、結果だけをとりあげたにすぎないのだから。だから、こういうときの彼の言動を判断してもらうためには、実例をひとつあげるのがいちばんだろう。
ある晩、わたしたちはパレ・ロワイヤルちかくの長いきたない通りをぶらついていた。ふたりともあきらかに自分のもの思いにふけっていて、すくなくとも十五分間は、どちらもひとことも口をきかなかった。と、とつぜん、デュパンがこう話しかけた。
「やつはまったく背が低いなあ。寄席《テアトル・デ・ヴァリエテ》むきだよね」
「まったく、疑問の余地なしだ」わたしは反射的に答えていた。夢中になって自分の考えを追っていたので、最初は相手が心のなかで考えていることにちゃんと相槌《あいづち》をうつなどというありえない事態にも気がつかなかった。が、一瞬おくれてわれにかえると、わたしはしんそこびっくりしてしまった。
「デュパン」とわたしは生まじめな口調でいった。「ぼくには理解できないな。白状しちまうと、度肚《どぎも》をぬかれちまった。自分の耳が信じられないくらいだよ。いったいどうしてわかったんだい? ぼくが考えていたのが……」ここで、わたしはことばをきった。わたしが誰のことを考えていたか、彼がほんとうに知っているのかどうか、はっきりたしかめておきたかったので。
「……シャンティリのことだって」と彼は言った。「どうしてひといきいれちまったんだい? あいつは小男だから悲劇にはむかないなんて、心のなかでつぶやいてたじゃないか」
まさしく、わたしが考えていた内容にぴったりだった。シャンティリはもとサン・ドニ街の靴直しだったが、芝居ぐるいをして、とうとうクレビヨン(一六七四〜一七六二。フランスの悲劇詩人。この悲劇は一七四一年の作品)の悲劇『クセルクセス』の主役に挑戦し、熱演したにもかかわらず、さんざんの悪評をこうむった男である。
「教えてくれよ、おねがいだ」わたしは思わず大きな声を出した。「この問題でぼくの心を見とおすなんてことが、いったいどんな方法でできたんだい? もし方法があったとしてさ」じっさいのところ、わたしは率直に口に出したことばより、もっとびっくりしていた。
「果物屋さ」と友人は答えた。「あいつがきみを、あの靴直しがクセルクセス|ならびに同種の《エト・イド・》|役柄にはすべて《ゲヌス・オムネ》不充分な身長の持主であるって結論にまでみちびいていったんだよ」
「果物屋だって! びっくりさせるなよ。ぼくは果物屋なんて誰ひとり知らないぞ」
「ぼくらがこの通りにはいったとたんにきみにぶつかった男さ――たぶん十五分くらいまえかな」
それで、わたしも思い出した。たしかに、林檎《りんご》の大きな籠《かご》を頭にのせて運んでいた果物屋と、C**通りからいまいるこの大通りにさしかかったとき、出会いがしらにぶつかって、あやうく突き倒されるところだった。が、このことがシャンティリとどんな関係があるのか、さっぱりわからない。
デュパンにも|ほら《シャルラタヌリ》をふいているようすはまったくない。「説明しようか」と彼は言う。「きみにもすべてがはっきり納得できるはずだよ。まずきみが心のなかで考えていたことの道筋を逆にたどってみよう。ぼくが話しかけたときから、問題の果物屋とぶつかったところまでだ。大きな鎖の輪はこんなふうにつながっている――シャンティリ、オリオン座、ニコルズ博士、エピクロス(前三四二〜二七〇ギリシアの哲学者)、截石法《ステリオトミー》、道路の敷石、果物屋」
誰しも、一生のうちには、どうして自分の心がこの特定の結論に達したのか、その過程をふりかえってみることに興味をいだいた覚えがあるだろう。この作業はしばしば興趣つきないものとなる。はじめてこれを試みる者は、出発点と到達点とのあいだの、見たところ無限に思える距離と脈絡のなさとにあきれることだろう。同じように、このフランス人がいましゃべったことばを聞いて、しかもそのことばが真実だと認めざるをえなかったときのわたしの驚きもまた大きかった。彼はそのあとをつづけた――
「ぼくの記憶が正しければ、C**通りをとおりすぎる直前には、ぼくらは馬の話をしていて、これがぼくらの交わした最後の話題だった。この通りにさしかかったとき、大きな籠を頭に乗せた果物屋が大急ぎですれちがって、そのはずみにきみを、修理中の歩道の敷石が積んであるところに突きとばした。きみはぐらぐらしてる敷石のひとつを踏んで足をすべらせ、踝《くるぶし》を軽くくじいて、いらだったか不機嫌になったかした顔つきでふたことみことつぶやくと、積んである敷石をふりむき、それから黙りこんで歩きだした。ぼくはとくに、きみが何をしたか、気をつけてたわけじゃない。でも、観察することは、このところ、ぼくの不可欠の習性みたいになってるものだから。
「きみはずっと地面を見てた――いらいらした顔つきで、舗道の穴ぼこや轍《わだち》のあとをちらちら見やりながらね。だから、きみはまだあの敷石のことを考えてるな、とわかったんだよ。ラマルティーヌ小路につくと、あそこは実験的に敷石を組んで鋲《びょう》を打つやりかたで舗装してあって、ここまできてやっときみの顔いろは晴れやかになった。ぼくはきみの唇がうごくのを見ただけだけど、きみがつぶやいたのは[截石法《ステリオトミー》]だなと確信したね。こういう舗装方法につけたひどく気どった呼び名なんだもの。きみが[截石法《ステリオトミー》]とひとりごとを言えばかならず原子《アトミー》を連想しないではいられなくて、そこからエピクロスの学説にとぶことまで、ぼくにはわかっていた。そして、このあいだエピクロスのことを論じたとき、このりっぱなギリシア人の漠然とした推測が最近の星雲宇宙起源説によって確認されたことは、じつにふしぎな出来事なのに、なぜかほとんど注目されていないときみに話したから、きみはきっと眼をあげてオリオン座の大星雲を見ないではいられないだろうとぼくは思い、きみがそうすることを期待してまちうけてたんだ。やはりきみは空をあおいだ。そこで、ぼくはきみの考えのあとを正確にたどっていると自信がもてたわけさ。いっぽう、昨日の[ミュゼー]に出ていたシャンティリにたいする辛辣《しんらつ》な批評のなかで、皮肉な筆者が、靴直しが悲劇俳優の半長靴《バスキン》をはくにあたって改名したことに、たちの悪いあてこすりをやろうとラテン語を一行引用していて、その一行のことはぼくらも何度か話しあってた。これだよ――
Perdidit antiquum litera prima sonum.
(始めの文字は古《いにしえ》の音を失いつ)
これはオリオンのことを言ってるんで、むかしはウリオンと書いていたって話をきみにしたことがあるから、それにああいう毒舌が結びついたんだから、きみが忘れるはずはないと思った。とすれば、きみがまちがいなくこのふたつの概念、オリオンとシャンティリを結びつけることはあきらかだ。じじつ、きみはこのふたつを結びつけて、そのことはきみの唇にうかんだ微笑のぐあいからぼくにもわかった。きみは槍玉《やりだま》にあげられたあのかわいそうな靴直しのことを考え、そこで、それまで背中をまるめて歩いていたのに、きゅうに背筋をしゃんと伸ばす。それを見て、きみはシャンティリの背の低い躯《からだ》つきのことを考えてることがたしかになった。このときだよ、ぼくがきみのもの思いにわってはいって、こう言ったのは――やつ、つまりシャンティリは、まったく背が低いなあ。寄席《テアトル・デ・ヴァリエテ》むきだよねって」
このことがあってまもなく、ふたりで「ガゼット・デ・トリビュノー」の夕刊をめくっていると、つぎの記事が眼にとまった。
|異様な殺人事件《ヽヽヽヽヽヽヽ》――本日、午前三時ごろ、サン・ロック区に住むひとびとは、幾度もくりかえされる恐ろしい悲鳴に眠りを破られた。悲鳴はあきらかにモルグ街の一軒の家の四階から聞こえてきた。居住者はレスパネエ夫人とその娘カミーユ・レスパネエ嬢のふたりだけのはずである。かけつけるのがすこし遅れたのは、ふつうに玄関からはいろうとしたが不可能だったからで、入口を鉄梃《かなてこ》でこじあけて隣人八、九人が警官二名とともに部屋にはいった。このときすでに悲鳴はやんでいたが、一同は一階の階段をかけのぼるとき、すくなくとも二回にわたって、はっきり、はげしく争う罵声《ばせい》を聞いており、それは上のほうの階から聞こえてきたようであった。ふたつめの踊り場についたときには、それもやんで、家じゅうがしいんと静まりかえってしまった。一同は手分けして、大急ぎで部屋から部屋へと走った。四階の裏に面した大きな部屋につくと(このドアも内側から鍵がかけてあることがわかって、むりにこじあけたのだが)、その場に居あわせた者すべてを驚愕《きょうがく》と、それにもましてつよい恐怖で立ちすくませる光景があらわれたのである。
室内は乱雑をきわめ、家具はたたきこわされて、ところきらわず撒《ま》きちらされていた。寝台はひとつだけで、そこから引きはがしたマットが床《ゆか》のまんなかに投げだされている。椅子の上に血まみれの剃刀《かみそり》が一本。暖炉の上に長いふさふさとした灰色の人間の毛髪が二束か三束、これも血にそまっていて、どうやら根元から引き抜かれたものらしい。床の上にはナポレオン金貨四枚、黄玉《トパーズ》の耳かざりが片方、銀の大匙《おおさじ》三本、洋銀《メタル・ダルジェ》の小匙三本、そして四千フランちかい金貨がはいっている鞄《かばん》二個があった。部屋の隅の箪笥《ビューロー》の抽斗《ひきだし》があけてあって、あきらかに物色されたあとがあるが、残っている品物もすくなくない。小さな鉄の金庫がマットの下から(寝台の下からではなく)発見された。あけられていて、鍵は蓋《ふた》にさしこんだまま、中身は古い手紙数通とたいしたものでもない書類のほかには何もはいっていなかった。
レスパネエ夫人の姿はこの部屋にはまったく見あたらず、異様に多量の煤《すす》が暖炉に見られたので煙突を調べてみると、語るだに身ぶるいのする話であるが、頭を下にした令嬢の死体がそこから引き出された。さかしまにして、狭い煙突のなかをかなり上まで、むりやり押しこんであったのである。躯《からだ》にはまだじゅうぶんぬくもりがのこっていた。調べてみると擦過傷《さっかしょう》多数がみとめられたが、もちろんむりやり煙突に押しあげ、またそこから引き出すときにできたものである。顔にはふかい引っかき傷多数、喉《のど》にも黒ずんだ内出血のあととふかい爪あとが残っていて、被害者が絞殺されたことをしめすかのようであった。
家じゅうくまなく、あらゆる場所を捜索したが、それ以上は何も見つからず、一同が裏にまわって敷石を敷きつめた小さな裏庭に出ると、そこに老婦人の死体が横たわっていたのである。喉をすっぱり切られていて、抱きあげようとすると、首が転がり落ちた。胴体も頭部同様、無惨なまでに切りきざまれて、ほとんど人間のものとも見えないくらいであった。
この恐るべき事件の謎を解く手がかりは、いまだに何ひとつつかめていないもようである」
翌日の新聞はつぎのような詳報をのせていた。
|モルグ街の悲劇《ヽヽヽヽヽヽヽ》――この異様きわまる恐るべき事件(事件《アフェール》ということばは、フランスではいまなお、わが国でのように軽々しく使われることはない)に関連して多数の者が取調べを受けたが、本件に光を投げかけるような発見は何ひとつなされていない。以下にかかげるのは、陳述された重要な証言のすべてである。
洗濯女ポーリーヌ・デュボアの証言によれば、被害者両名をこの三年間知っているとのこと。期間中、彼女らの洗濯物を引き受けていたためである。老婦人とその娘との仲は良さそうに――たがいにふかく愛し合っていたように見えた。金払いもきちんとしていた。彼女らの日常生活や収入については何も知らない。レスパネエ夫人が占いをやって暮らしをたてていると思っていた。小金を貯めこんでいるという噂《うわさ》もあった。洗濯物を取りに行ったり届けに行ったりしたとき、家のなかでほかの誰かに会うことなどいちどもなかった。使用人をやとっていなかったこともたしかである。四階以外には、家のどこにも家具をおいていなかったと思う。
煙草屋《たばこや》ピエール・モローの証言によれば、煙草と嗅《かぎ》煙草を少量レスパネエ夫人に売るようになって、かれこれ四年になるとのこと。この近所で生まれ、ずっとこのあたりに居住している。故人とその娘は、死体となって見つかることになった家に、もう六年以上も住んでいた。その前の住人は宝石商で、上の階の部屋をさまざまなひとびとに又貸ししていた。この家の所有者がレスパネエ夫人で、借家人の又貸しをきらって、自分で引っ越してくると、貸部屋はみんな断わった。老婦人には子供っぽいところがあった。証人が令嬢を見かけたのは、六年間で五、六回ていどのことにすぎない。ふたりは極端に引きこもった暮らしぶりで――金をもっているという評判だった。レスパネエ夫人が占いをするという近所の噂は聞いているが――自分はそうは思わぬ。老婦人と令嬢のほかには配達の男が一、二度と医者がまあ八、九回、出入りするのを見たことがあるだけで、ほかには誰ひとり知らない。
ほかにも大勢の近所のひとびとから同趣旨の証言が得られた。この家へしばしば出入りする人物をあげた者はひとりもいない。レスパネエ夫人とその娘に存命中の親戚があるかどうかも知られていない。表側の窓の鎧戸はめったに開けられたことがなく、裏側の鎧戸も四階の大きな奥の間のほかはいつも閉まっていた。家の造りは良く、それほど古いわけでもない。
警官《ジャンダルム》イジドール・ミュゼーの証言によれば、彼がその家に呼ばれたのは午前三時ごろで、すでに二、三十人ぐらいが玄関に集まっていて、なんとか中にはいろうとしていた。とうとう銃剣でこじあけた――鉄梃《かなてこ》ではなく。さほど苦労しなかったのは、二枚扉、つまり両開きの扉で、しかも上下ともボルトがさしこんでなかったためである。悲鳴は扉をこじあけるまでつづき、それから、とつぜんにやんだ。誰か、ひとりないし数人のおそろしい苦悶の叫び声のようで、大きく、長く尾を引いていた――短く、せきこんだ調子ではなく。証人は先頭に立って階段をのぼり、最初の踊り場についたとき、声高に言いあらそう声をふたつ聞いた――ひとつの声は荒々しく、いまひとつの声はいっそう甲《かん》高くて、じつに異様な声であった。第一の声はフランス人で、ふたことみこと聞きとることができたが、ぜったいに女の声ではなかった。聞きとったことばは「|くそっ《サタレ》」と「|畜生っ《ディアブル》」である。甲高い声は外国人で、男の声、女の声、どちらとも言えない。何を言ったのかわからないけれども、スペイン語ではないかと思う。室内および死体の状況についてのこの証人の陳述は、昨日既報のとおりである。
近所に住む銀細工商人アンリ・デュヴァルの証言によれば、最初に家のなかにはいった一同のひとりだとのこと。おおむねミュゼーの証言を確認。玄関をこじあけてなかにはいるとすぐ、一同は群衆をしめだすためにふたたび扉を閉ざした。群衆はいちはやく、こんな夜ふけであるにもかかわらず集まってきたので。甲高い声を、この証人はイタリア人だと考えている。フランス人でないことはたしかだけれども、男の声であったかどうかには自信がなく、女の声だったかもしれないと思う。イタリア語を知っているわけではなくて、ことばも聞きわけられなかったが、声の抑揚から話し手はイタリア人だと確信している。レスパネエ夫人とその娘を知っており、両人ともしばしばことばを交わしたから、あの甲高い声はどちらの被害者のものでもないことはたしかである。
料理店主オーデンハイメル。この証人は自発的に証言をおこない、フランス語を話せないので通訳つきで取調べを受けた。アムステルダムの生まれである。悲鳴が聞こえたとき、ちょうど家のまえを通りかかったとのこと。悲鳴は数分間、ことによると十分間もつづいたかもしれなくて、長く尾を引く大声で――とても恐ろしく苦しげだった。家のなかにはいった仲間のひとりで、ただ一点をのぞいて、前述の証言を確認している。甲高い声は男のもので、しかもたしかにフランス人だと言う。ことばを聞きわけることはできなかったが、大声で、早口で、高低があって、あきらかに恐れと怒りがないまざった話しかただった。声の調子は耳ざわりで――甲高いというより耳ざわりだった。甲高い声とは言えないと思う。荒々しい声のほうは、「|くそっ《サクレ》」と「|畜生っ《ディアブル》」とをくりかえしていたが、一度だけ「|なんてことを《モン・デュー》」と叫んだ。
ドロレーヌ通りのミニョー父子銀行の頭取ジュール・ミニョー。父親のほうのミニョーである。レスパネエ夫人には多少の財産があり、八年前の**年春に彼の銀行に口座をつくった。預金はしばしばだったが一回の金額はすくなかった。彼女の死の三日前までまったく払い戻しはなく、そのときは本人が来て四千フランを引き出した。支払いは金貨で、行員のひとりが金をもって彼女を送っていった。
ミニョー父子銀行の行員アドルフ・ル・ボンの証言によれば、当日の正午ごろにレスパネエ夫人につきそって、四千フランを鞄ふたつにつめて家まで送ったとのこと。扉が開くとレスパネエ嬢が出てきて鞄のひとつを受けとり、もうひとつを老婦人が引きとった。それで、おじぎをして帰ってきたのだが、そのとき、通りには誰ひとりいなかった。裏通りだし――とてもさびしいところなので。
仕立屋ウィリアム・バードの証言によれば、家のなかにはいった一同のひとりだとのこと。イギリス人で、パリに住んで二年になる。最初に階段をのぼったひとりで、言い争う声を聞いた。荒々しい声はフランス人で、数語聞きとれたのだが、全部はいま思い出せない。はっきり耳にしたのは「|くそっ《サタレ》」と「|なんてことを《モン・デュー》」である。そのとき、まるで数人が格闘しているようなもの音がしていた――引っかいたり、つかみあったりしているみたいな。甲高い声はとても大きく――荒々しい声よりも大声だった。イギリス人の声でなかったことはたしかで、ドイツ人じゃないかと思う。女の声だったかもしれない。ドイツ語はわからないけれども。
以上、名前をあげた証人のうち四名が再喚問されて証言したところによれば、レスパネエ嬢の死体が発見された部屋のドアは、一同がかけつけたときには内側から鍵がかかっていたとのこと。しいんと静まりかえっていて――呻《うめ》き声その他どんなもの音も聞こえなかった。ドアをこじあけたとき、誰の姿もなかった。窓は、表側の部屋も裏側の部屋も閉まっていて、内側からしっかり戸締まりがしてあった。ふたつの部屋をつなぐドアは、閉まってはいたが、鍵はかかっていなかった。表の部屋から廊下に通じるドアのほうは、鍵がかけてあって、しかも内側から鍵をさしこんだままになっていた。四階の廊下の突きあたりにある、表に面した小部屋だけが戸締まりがしてなくて、ドアがすこし開いていた。この部屋には古いベッドとか箱とか、そのほかいっぱいつまっていたが、どれも慎重にうごかして調べてみた。この家のなかは隅々まで入念に捜査をした。煙突のなかまでブラシを上げ下げしてみたくらいである。この家は四階建てで、屋根裏部屋《マンサルド》がついている。ここから屋根に抜ける引窓もしっかり釘づけされていて――もう何年も開けられたようすはない。言い争う声を聞いてから、部屋のドアをこじあけるまでに経過した時間にかんしては、証人によってさまざまに異なる。ある証言では短くて、三分といい――またある証言では長くて、五分という。ドアは簡単には開けられなかった。
葬儀屋アルフォンソ・ガルシオの証言によれば、モルグ街に住んでいるとのこと。スペイン生まれで、家のなかにはいった一同のひとりではあるが、上の階には行かなかった。神経質なものだから、興奮すると、あとが心配だったから。言い争う声は聞いている。荒々しい声はフランス人であったが、何を言っているかまではわからなかった。甲高い声はイギリス人で――このことには自信がある。英語はわからないけれども、抑揚でそう思った。
菓子屋アルベルト・モンダーニの証言によれば、最初に階段をのぼったうちのひとりだとのこと。問題の声は聞いている。荒々しい声はフランス人で、数語は聞きとることができたが、叱っているような口調だった。甲高い声のほうのことばはわからなかったが、早口で、高くなったり低くなったりする話しかただった。ロシア人だと思う。それまでの証言の大筋を確認する。イタリア人で、ロシア人とことばを交わしたことはいちどもない。
ここで数人の証人が再喚問されて、四階のどの部屋の煙突も、そこを人間が通り抜けるには狭すぎることを証言した。ブラシとは円筒形の掃除用のブラシで、煙突掃除屋が使うもののことである。このブラシを家じゅうの煙突すべてに通してみた。一同が階段をのぼるあいだに、誰かが降りてゆけるような裏階段はない。レスパネエ嬢の死体は煙突のなかにぎゅうぎゅう詰めに押しこんであって、引きずりおろすためには四、五人が力を合わせる必要があったくらいである。
医師ポール・デュマの証言によれば、死体の検視のために呼び出されたのは夜明けごろだったとのこと。そのとき、死体はふたつとも、レスパネエ嬢が発見された部屋の寝台の麻布の上に横たわっていた。令嬢の死体は打撲傷と擦過傷がひどかったが、この所見は煙突に詰めこまれていた事実によって充分に説明できる。咽喉部は大きくすりむけており、顎《あご》のすぐ下にふかい引っかき傷がいくつかと、あきらかに指のあとと思われる鉛いろの斑点が並んでいた。顔は気味悪く変色し、眼球がとびだしていて、舌も一部分噛み切られていた。みぞおちに発見された大きな内出血傷は膝《ひざ》でおさえつけたためにできたものと思われる。デュマ氏の意見によれば、レスパネエ嬢は単独ないし複数の、正体不明の人物によって扼殺《やくさつ》されたものである。母親の死体は無惨に切りきざまれていた。右脚と右腕の骨はすべて多少とも砕けており、左の脛骨《けいこつ》と左側の肋骨《ろっこつ》はひどく切り裂かれていた。全身が無気味なくらい打撲傷を受けて変色しており、どのようにしてこのような傷害が加えられたのか判断に苦しむ。重い棍棒とか太い鉄の棒とか――椅子でもいい――何か、大きくて重い鈍器を、おそろしく力のつよい男がふりまわしたとすれば、このような結果になるかもしれない。女の力では、どんな凶器を使ってもこのような打撃を加えることはできないと思う。被害者の頭部は、証人が検視したときには、完全に胴体から切り離されており、また損傷もはなはだしかった。喉はあきらかに何かきわめて鋭利な凶器で切られている――おそらく剃刀だろう。
外科医アレクサンドル・エティエンヌはデュマ氏とともに検視のため呼ばれたが、デュマ氏の証言および意見を確認している。
このほか数名の者が取調べを受けたが、重要な証言は、これ以上何も引き出せなかった。あらゆる点で、これほど奇怪で不可解な殺人事件がパリで起きたことは、いまだかつてない――もちろん、この事件がじじつ殺人であるとしての話だけれども。警察はまったく途方にくれている――殺人事件においては稀有のことだけれども。しかも、手がかりらしいものの影さえうかんでこないのである」
夕刊は、サン・ロック区はいまなお非常な興奮につつまれており――現場は入念に再捜査され、新たた証人の取調べも開始されたが、何の得るところもなかったと報じていた。が、記事の末尾に、いまはいったニュースとして、アドルフ・ル・ボンの逮捕と留置が書きそえてあった――けれども、既報の事実のほかに彼を犯人とする材料は何ひとつ出ていない。
デュパンはこの事件の成行きに異様なくらい興味をそそられているように見えた――彼は何も言わなかったが、その態度は、すくなくともわたしの眼にはそのようにうつった。けれどもル・ボンの留置が報道されてはじめて、彼はこの殺人事件についてわたしの意見をたずねたのだった。
わたしはただ、不可解な謎と考えているパリじゅうのひとびとと意見を同じくしているにすぎなかった。殺人犯をつきとめる方法などひとつも思いうかばなかった。
「こんな形ばかりの捜査で、方法を論じてもはじまらないよ」とデュパンは言った。「パリの警察は明敏の評判が高いけれど、目はしがきくだけのことで、それ以上じゃないな。彼らのやりかたに方針なんてあるもんか。まあ、出たとこ勝負で、それ以上じゃないな。いろんな手段を並べたてて見せはするが、しょっちゅう課題への適用のしかたをまちがえるんで、あの『町人貴族』に出てくるジュールダン氏(モリエールの喜劇の主人公で、貴族にあこがれる成りあがりものの町人)を思い出させるくらいだよ――ほら、部屋着《ローブ・ド・シャンプル》をもってこい、音楽がもっとよく聞こえるよう《プール・ミュー・ザンタンドル・ラ・ミュジーク》にってのたまうだろ。警察はしばしば眼をみはる成功を収めるけれど、たいていはただ勤勉さと足まめに歩きまわることのおかげでね。だから、このふたつの手が役に立たないとなると、もうお手上げなんだよ。たとえばヴィドック(ユージェーヌ・フランソワ・ヴィドック。一七七五〜一八五七。軍人のち盗賊、そののちパリ警視庁刑事部長となった)にしても、勘はいいし忍耐づよくもあるんだが、無学だから、捜査に熱中するあまり、かえって失敗をくりかえしてばかりいた。対象にあんまり近づきすぎるせいで、よく見えなくなってしまう。たぶん、一、二の点はふつう以上にくっきり見えるだろうけれど、そのために必然的に全体像を見失うことになる。つまり、深読みがすぎるってことになるんだな。真実はいつも井戸の底にひそんでるわけじゃない。じっさい、勘どころの知識について言えば、ぼくはだんじて、つねに表面にあらわれているものだと信じてるんだよ。深さは谷間のほうにあるから、ぼくらはそこに真実をもとめようとする。そのために、真実を見いだすことができる山頂が眼にはいらなくなってしまう。こういう失敗の犯しかたとか原因とかのいい例が天体を観測するときでね。星はちらっと見るときが、いちばん光がよくわかる――つまり横眼でちらっと、網膜の外側の部分をむけて見ることが(網膜の中心の部分よりも光のかすかな印象を感じやすくできてるから)、星をくっきりとらえるこつなんだな。眼をまっすぐむけるにつれて、そのぶんだけ光はぼやけてしまう――このほうが、じっさいにはたくさんの光が眼にはいるわけだけれど、でもちらっと見るほうが、光をとらえる能力ではまさっているんだね。過度の深読みはぼくらの思考力を惑わしたり弱めたりすることになる。あの金星でさえ、あんまり長く、あんまり熱心に、あんまりまともに見つめてると、大空から消えてしまいかねないもの。
「この殺人事件については、意見をたてるまえに、ぼくらの手ですこし調べてみようじゃないか。捜査はきっといい気ばらしになると思うよ」
いい気ばらしという言いかたは、こんな場合に使うのは変だとは思ったのだが、ぼくは何も言わなかった。
「それに、ル・ボンは一度ぼくに力を貸してくれたことがあって、そのことではいまも感謝してるしね。現場に出かけて、この眼で見てみようじゃないか。警視総監のG**を知ってるから、必要な許可をもらうのも簡単だろうし」
許可を手に入れると、わたしたちはすぐさまモルグ街にむかった。リシュリュー通りとサン・ロック通りにはさまれた、れいのみすぼらしい通りのひとつである。この区画はわたしたちの住居のあるところからずいぶん遠かったから、到着したのは午後も遅くなってからだった。問題の家はすぐわかった。いまだにひとだかりがしていて、漠然とした好奇心をうかべて道路の反対側から鎧戸をおろした窓を見あげていたからである。パリではごくありふれた造りの家で、玄関があり、その脇《わき》にガラスをはめたボックスがあって、窓の引き戸に「門番小屋《ロジュ・ド・コンシェルジュ》」と書いてあった。なかにはいるまえに、わたしたちは家の前を通りすぎて横町にはいり、それからもういちど曲がって、家の裏手を歩いた。デュパンはそのあいだじゅう、家はもちろんのこと、隣近所まで細心の注意をはらって調べていたけれど、何の目的でそんなことをするのか、わたしにはさっぱりわからなかった。
歩いてきた道を逆にたどって、また家の正面にもどると、ベルを押し、証明書を見せて、見張りの警官に通してもらう。階段をのぼり、レスパネエ嬢の死体が発見された部屋にはいると、そこにはまだふたつとも死体がおいてあった。荒らされた部屋は、れいによって、そのままにしてある。だがわたしは「ガゼット・デ・トリビュノー」紙の記事以上のことは何も気づかなかった。デュパンは何から何まで綿密に調べた――被害者の死体も例外ではなかった。そのあと、わたしたちはほかの部屋を見てから、中庭にも出てみた――もちろん、警官《ジャンダルム》もひとり、そのあいだじゅうわたしたちについてまわった。暗くなるまで調べてから、家路につき、途中でデュパンは新聞社のひとつにちょっと寄っていった。
まえにも言ったように、友人の気まぐれにはいろんな種類があって、|わたしは気にしない《ジュ・レ・メナジュエ》ことにしていた――ここのところは、どうも英語ではぴったりこない。このときは、彼の気分は殺人事件をめぐる話題をすべて避けたいというのらしくて、それが翌日の昼ごろまでつづいた。それから、とつぜん、あの凶行の現場で何か変わったことに気づかなかったかとたずねるのである。
[変わったこと]というところに力を入れる彼の口調には、何かわたしを身ぶるいさせるものがあった。なぜなのかわからなかったけれども。
「いいや、変わったことなんかべつに何も」とわたしは言った。「すくなくとも、ぼくらが新聞で読んだ以上のことは何もなかった」
「あの[ガゼット]ね」と彼は答えた。「どうもこの事件の異常な恐ろしさにさわってもいないな。まあ、新聞の|わさび《ヽヽヽ》がきかない記事なんてどうでもいいけれど。ぼくにはこの奇怪な事件が解決不可能だと思われているまさにその同じ理由によって、簡単に解決できると考えるべきだって思えるんだがな――つまりこの事件の特徴である例外的な性格のことなんだけど。警察は一見、動機がないことにつまずいている――殺人そのものだけじゃなくて、殺人の残虐さにもね。それに、警察が困っていることがもうひとつある――言い争う声が聞こえたという事実と、階上にはレスパネエ嬢の惨殺死体のほかに誰も見つからず、しかも、のぼっていった一同に気づかれることなく外に出る手段がないという事実とを、どうつじつまを合わせるのか、一見、説明不可能なんだな。室内のひどい荒らされよう。頭を下に、さかしまに煙突のなかに押しこまれていた死体。老婦人の死体が無惨に切りきざまれていたこと。こういう事実に、さっき言ったつまずきの石や、そのほか改めて言うほどのこともないさまざまな事実を重ね合わせて考えようとすると、それだけでもう警察当局の力は麻痺してしまって、ご自慢の明敏さもすっかりお手上げになっちまったんだな。異常さと難解さとを混同するという、よくある大まちがいに落ちこんでしまったわけさ。だけど、こうした正常な次元からの逸脱のなかにこそ、人間の理性は真実をさがす道を何とか見つけるはずなんだ。ぼくらがいま追いかけているような捜査では、[何が起こったか]じゃなくて[いままで起きたことのないものとしては、何が起こったか]とたずねるべきなんだよ。じじつ、ぼくがこの謎を解くとき、というより、もう解いてあるんだけど、その易しさは、警察の眼には一見解決不可能とうつるその度合にまさしく正比例してるんだもの」
わたしはびっくりして、口もきけずに、まじまじと相手の顔を見つめた。
「いま、待ってるところなんだよ」部屋の入口を見つめたまま、彼はあとをつづけた。「ある男をね。といっても、たぶんあの血みどろの殺人の下手人じゃないんだけど、何らかのかかわりがあるにちがいない男をね。この犯罪の最悪の部分については、この男に罪はないと思う。この仮説があたっててほしいな。だって、ぼくはこの謎全体を、この仮説に立って解読しようとしてるんだから。ぼくはここで、この部屋で、その男をいまかいまかと待ち受けているんだよ。たしかに、来ないかもしれない。が、来る可能性のほうが高いね。もしやって来たら、引きとめておかなくちゃ――そこで、ピストルだ。ぼくのと、きみのと。いざ必要というときには、使いかたはわかってるね」
わたしはピストルを手にとったが、自分が何をしているのか気づかなかったし、自分が聞いたこともまるで信じられなかった。そのあいだも、デュパンはしゃべりつづけていた。まるでひとりごとのように。こういうときの、彼の心ここにないようすについては、すでに言ったと思う。わたしにむかって話しているというのに、そして声もけっして大きくはないのに、その口調ときたらとても遠いところにいる誰かにむかって話しているみたいなのだ。眼にも表情がなく、ただ壁を見つめているだけだった。
「階段をのぼっていった一同が聞いた言い争う声が」と彼は言った。「ふたりの女性の声じゃないってことは、証言によって完全に証明されている。これによって、ぼくらは、老婦人がまず娘を殺し、そのあと自殺したんじゃないかという問題については、いっさい疑いをさしはさまないですむことになる。といっても、ぼくがこのことを言うのは、まあ方法上の手続きとしてなんでね。だって、レスパネエ夫人の力じゃ、とても娘の死体を煙突に詰めこむなんて芸当はできないもの。発見されたときみたいにね。それに、彼女自身の躯《からだ》の傷のようすを見ても、自殺という見方はまったく成り立たないもの。とすれば、殺人は誰か第三者たちによって犯されたわけで、この第三者たちの声が言い争っているのが聞こえたことになる。そこで、このふたつの声に関する証言全体にじゃなしに――この証言のなかで何か[変なこと]に注目してみよう。きみは何か変なことに気がつかなかった?」
あの荒々しいほうの声がフランス人だと考えることでは、証人がすべて一致していたのに、あの甲高いほう、誰かのことばによれば耳ざわりな声のほうについては、証言がひどくくいちがっていたね、とわたしは言った。
「それは証言全体についての話だよ」とデュパンは言った。「証言の特異性についての話じゃない。きみは特異な点には何ひとつ気づいてないらしいけど、でも、気づかなきゃならない点はたしかにあったんだよ。証人たちは、きみの言うとおり、荒々しい声については一致している。この点では異議ひとつない。ところが甲高い声について言えば、特異な点は証言のくいちがいにあるんじゃなくて、イタリア人もイギリス人もスペイン人もオランダ人もフランス人も、その声を説明しようとして、めいめいが外国人の声だと言ってるところだよ。誰もが自分の同国人じゃないことには自信をもってる。そして誰もが、自分がよく知ってる言語を話す国の人間だと言わない――逆なんだな。フランス人はスペイン人の声だと思い、[スペイン語を知っていたら、ことばもいくつかは聞きわけられただろう]と言う。オランダ人はフランス人の声だと主張するが、[フランス語を話せないので通訳つきで取調べを受けた]と書いてあることにこちらは気がつくことになる。イギリス人はドイツ人の声だと考えるが、[ドイツ語はわからない]。スペイン人は[たしかに]イギリス人の声だったと言うけれど、[抑揚でそう思った]ので、しかも[英語はわからないけれども]とくる。イタリア人はロシア人の声だと信じているが、[ロシア人とことばを交わしたことはいちどもない]。さらにふたりめのフランス人は、はじめのフランス人とは別の意見で、イタリア人の声だと断定しているんだが、[イタリア語を知っているわけではなくて]、スペイン人と同じに[抑揚からそう確信している]ってしだいだ。さて、こんな証言を引き出すことができる声とは、じっさい、なんとも奇妙なまれにみる声だったにちがいないぜ! その口調には、ヨーロッパの五大国の国民ぜんぶに、聞きなれたところがまったくなかったんだからな! きみはアジア人の声だったかもしれないと言うだろう――それともアフリカ人の。ところがパリには、アジア人もアフリカ人もそんなにいやしない。でも、その推測も否定しないでおいて、ここではただ、三つの点に注意してほしいんだよ。第一に、ひとりの証言では、その声は[甲高いというより耳ざわり]だった。第二に、ほかのふたりの説明では、その声は[早口で高低があった]。第三に、その声は、どの証人も、ただの一語も――ことばらしい音さえも――聞きわけられなかったと言っている。
「ここまで話したことが」とデュパンは言った。「きみ自身の判断力にどんな印象をあたえたかわからないけれど、ぼくとしてはこれだけははっきり言いきれるな――証言のこの部分、つまり荒々しい声と甲高い声とにかんする部分からだけだって、正しい推論をしていけば、充分にひとつの疑問を生みだすことができるし、その疑問はこの奇怪な事件の捜査にあたって、今後の展開すべてを方向づけてくれるはずだ、とね。いま[正しい推論]と言ったけど、ぼくの言いたい意味はこれじゃまだ充分に言いあらわせない。ぼくが言いたかったのは、この推論が唯一の正しい推論であり、この疑問はその唯一の結果として必然的に生まれてくるってことなんだよ。でも、その疑問とは何かってことは、まだ伏せておくよ。ただ、このことだけは覚えておいてもらいたいんだな――この疑問は、あの部屋でのぼくの捜査にある明確な形を、あるたしかな傾向をあたえてくれるほどに強いものだった、とね。
「さて、ぼくらはこれから、空想のなかであの部屋に席を移すとしようじゃないか。ここでまず何をさがすかな? 殺人犯の使った逃走経路にきまってるよね。もちろん、ぼくらはふたりとも超自然現象なんて信じてないんだもの。レスパネエ親子は幽霊に殺されたんじゃない。この殺人の実行者は物質的存在であって、物質的に逃走した。じゃあ、どうやって? さいわいなことに、この点についての推理の方法はたったひとつしかないし、したがってその方法はまちがいなくぼくらを明確な結論にみちびいてくれるはずだ。ぼくらはひとつひとつ、可能な逃走経路を調べてゆくだけでいい。一同が階段をのぼっていったとき、加害者たちはレスパネエ嬢が発見された部屋か、すくなくともその隣の部屋にいたことはあきらかだ。とすると、ぼくらが出口を探さなくちゃならないのは、まずこのふたつの部屋からになる。警察は床も天井も四方の壁の石組みも、すべてはがしてみた。秘密の出口があったら捜査の眼をのがれることはできまい。でも、彼らの眼は信用できないから、ぼくは自分で調べてみた。そして、秘密の出口はないことがわかった。部屋から廊下に出るドアには、ふたつともしっかり錠がおりていて、内側から鍵がさしこんだままになってた。それじゃ煙突にうつろう。暖炉の上、八、九フィートあたりまではふつうの広さだが、そのさきは狭くなっていて、大きな猫でさえ煙突を通りぬけることはできまい。これまでのところでは、こうして絶対に逃走不可能なことがわかったから、残るのは窓しかないことになる。表側の部屋の窓からは、通りにいる群衆に見られないで逃げることなんて誰にもできない。となると、殺人犯は裏側の部屋の窓から出たにちがいない。さて、こんなに疑問の余地のない方法によってこの結論にみちびかれた以上、ぼくら推理する側は、一見不可能に見えるからといって、この結論をしりぞけるわけにはいかないんだな。ぼくらに残された道はただひとつ、こういう見せかけの不可能性が、実際はそうではないことを証明すること。
「この部屋の窓はふたつ。ひとつは家具にじゃまされてなくて、窓全体が見える。もうひとつのほうは窓ぎわにぴったり寄せてある大きな寝台のヘッド・ボードにかくれて、下の部分が見えない。第一の窓は内側からしっかり閉めてあって、何人かが渾身《こんしん》の力をこめて押しあげようとしても開かなかった。左側の窓枠に錐《きり》で大きな穴があけてあって、とても太い釘がほとんど頭のところまで差しこんである。第二の窓を調べてみると、ここにも同じように太い釘が見つかり、同じように差しこんであって、力いっぱい押しあげようとしてみたが、この窓もやはり開かなかった。そこで警察はこっち側にはもう出口はないと、完全にきめこんじまったんだな。だから、釘を抜いて窓を開けてみるなんて余計なことはやらなかったわけだ。
「ぼくの調べかたはもうちょっと念入りだったし、なぜそうしたかと言うと、さっき言ったように――ぼくは知ってたからだ。こここそ、あらゆる見せかけの不可能性が実際はそうではないことを証明しなければならない勝負どころだってことをね。
「ぼくはこんなふうに考えをつめていった――帰納的《ア・ポステリオリ》にね。殺人犯たちはこの窓のどちらからか、たしかに逃げた。そうなると、彼らには窓を内側からもういちど釘で留めておくことなんてできなかったはずだ。発見されたとき閉まっていたみたいにはね――ことはあまりにも明白だと考えたから、警察は窓を調べるのをやめちまった。でも、窓はたしかに閉まっていた。とすれば、自動的に閉まる仕掛けがあるにちがいない。この結論を避けてとおるわけにはいかない。で、ぼくはじゃまもののないほうの窓に歩み寄って、釘をぬいて窓を開けようとあれこれやってみたんだが、思ってたとおり、どうやってもうまくいかない。そこで、隠しバネがあるにちがいないとわかった。これはぼくの考えを裏づけるものだから、すくなくともぼくの前提は正しかったと確信はできた。まだ釘をめぐるいろんな状況は謎につつまれたままだったけれどね。丹念に探していくと、まもなく隠しバネが見つかった。押してみたよ。でも、この発見に満足して、窓を開けてまではみなかったけど。
「そこでぼくは釘をもとどおりに差しこんで、じっくり眺めた。この窓から出ていった人間は窓を閉めることができるし、バネもかかるだろう。しかし、釘をもとどおりに差しこむことはできまい。この結論は明白だから、ここでもぼくの捜査の範囲はさらにせばまったことになる――殺人者はもうひとつの窓から逃走したにちがいない。それなら、両方の窓枠のバネが同じだとすれば――きっと同じだろう――二本の釘には、すくなくとも二本の釘の差しこみかたには、何かのちがいが見つかるはずだ。ぼくは寝台のズックにのっかって、寝台のヘッド・ボードごしに第二の窓を仔細に見ていった。ヘッド・ボードの裏を手でさぐると、すぐバネが見つかって、押してみると、考えていたとおり隣の窓と同じ仕掛けだった。そこで釘を見てみると、隣の窓のと太さも同じなら、差しこみかたも見たところ同じで、ほとんど頭のところまで差しこんであるじゃないか。
「お手あげだね、と言いたいんじゃないか? でも、もしきみがそう考えるとしたら、きみは帰納法の本質を理解してないんだよ。狩猟用語で言えば、ぼくはいちども[|嗅ぎまちがい《アット・フォールト》]をやってない。臭《にお》いの跡を失ったことは一瞬もなかった。この鎖には、どの輪にもひびなんかはいってない。だから、ぼくは秘密を究極まで追いつめたんで、それが、この釘なのさ。いいかい、この釘はどこから見てももうひとつの窓の釘と同じに見えはしたけれども、これくらいの事実は(決定的に見えるかもしれないけど)まったくもののかずじゃないんだな――まさしくこの地点で、臭いの跡が終わっているという考えのまえじゃね。[この釘のどこかがちがっているにちがいない]とぼくはつぶやいて、釘にさわってみると、頭のところから四分の一インチくらいがぼろりと抜けて指のあいだにあるじゃないか。のこりは針穴に残ったまま。折れてたんだね。折れ口がすっかり錆《さ》びてたからずいぶんまえのことらしいが、あきらかに金槌《かなづち》で打ちこんだときできたもので、窓枠の下側に釘の頭がちょっとめりこんでいた。そこでこの釘の頭の部分を、折れ目の合わせぐあいに気をつけて抜きとった穴にもどしてみると、どう見てもちゃんとした釘に見えるじゃないか――折れたところが隠れちまうんだよ。バネを押して、窓をそっと二、三インチ押しあげてみる。釘の頭はちゃんと窓枠にのっかったまま、いっしょにあがっていった。窓を閉めると、また見かけはどう見てもちゃんとした釘にもどってるんだよ。
「この謎は、いまやここまでは解けたわけだ――殺人犯は寝台の上の窓を通って逃げた。犯人が出ると窓は自然に閉まって(それとも、犯人が閉めていったのかな)、バネがかかり、しっかりと止まった。警察はバネで止まっていたのを釘で打ちつけてあったと勘ちがいし、したがって、それ以上調べる必要もないと考えたんだね。
「つぎの問題は下へ降りる方法だ。この点については、きみといっしょに家のまわりを歩いたとき、すでに答は見つけてあった。問題の窓から五フィート半くらいのところに避雷針がある。この避雷針から、窓そのものに手をかけることは誰にもできないだろうし、まして窓からはいることなんて問題外だ。でもね、ぼくは四階の鎧戸が特殊なものだということに気がついた――パリの大工がフェラードと呼んでるやつで、最近ではめったに使われないんだが、リヨンやボルドオのごく古い邸ではしょっちゅうお目にかかる。造りがふつうの扉と同じになっていて(両開きのじゃなく、一枚扉のほうだよ)、ただ下半分が格子《こうし》模様ないしは格子造りになっているところがちがうだけなんだが、そのせいで手をかけるにはとても都合が良くできてる。この家の場合、鎧戸の幅はたっぷり三フィート半はある。ぼくらが家の裏手から見たとき、鎧戸はどちらも半開きになってた。つまり、壁から直角に突き出ていたわけだ。警察にしてもたぶん、ぼくと同じに、建物の裏側を調べただろうね。が、調べてみたにしても、ふたつのフェラードを彼らの判断力の幅のなかで眺めたわけだし(まあそうなるわね)、だから鎧戸のほうの幅の思いがけない広さには気がつかなかった――とにかく、そのことをしかるべく考慮はしなかった。じっさい、こちら側には出口などありえないときめこんでるんだから、しぜん、調べかたも雑になるよね。けれどもぼくには、寝台の頭のところの窓についている鎧戸を壁にくっつくまで全開すれば、避雷針まで二フィートたらずのところまで達するってことが、はっきりわかった。そしてまた、途方もない運動能力と勇気とを発揮すれば、避雷針から窓にはいることも、この手段によって不可能ではないということも。二フィート半も手をのばせば(いま、鎧戸がいっぱいに開いていたと仮定してだよ)、盗賊はしっかり格子をつかめるだろう。そこで避雷針をつかんでいたほうの手をはなし、足をぐっと壁にふんばって、思いきって跳べば、鎧戸はぐうんと振れて閉まるだろう。そのとき窓が開いてたとしたら、部屋のなかにだって跳びこめるじゃないか。
「とりわけ、いま言ったことはよく頭にたたきこんでおいてほしいんだ――こういう危険で困難なはなれわざをやってのけるためには、きわめて異常な運動能力がいるってことを。ぼくの心づもりはふたつあって、第一はこういうことができる可能性をきみに示すことなんだけれど、第二は、こっちのほうが肝心なんだが、こういうことをやってのける敏捷《びんしょう》さってものは、きわめて例外的で、ほとんど超自然的と言っていいくらいだってことを、きみの理解力に訴えることでね。
「もちろん、きみは反論するだろう。法律用語で言う[自己の主張を立証するためには]ってやつを使ってね――この事件に必要な能力を目いっぱいに見つもるよりは、すくなめに見ておくべきだって。法律の慣例ではそうかもしれないけれど、理性の習慣ではそうじゃない。ぼくの究極の目的は真実だけなんでね。そして目下の目標は、いまぼくが言った[きわめて異常な]運動能力と、あの[きわめて特異な]甲高い、ないしは耳ざわりな、高低のある声とを、並べて考えるようにきみをしむけることにある。どの国のことばなのか、ふたりとして意見の一致が見られず、その発声にいたっては一音節として聞きわけられなかった声とだよ」
そう言われてみて、はじめてデュパンの言おうとしている意味が、ぼんやりと半分くらいわかりかけたまま、わたしの心を通りすぎた。すぐにも思い出せそうでいて、けっきょくは思い出せないままになってしまうことがよくあるけれど、ちょうど同じように、いまにも理解できそうでいて、いまひとつ理解する力に欠けたままで。友人は話のさきをつづけた。
「気がついたと思うけど」と彼は言った。「ぼくは問題を逃走の方法から侵入の方法へとすりかえている。ぼくのつもりでは、どっちの場合も同じ手口で同じ場所を通ったんだってことを言いたかったんだが。それじゃ、室内にもどって、なかのようすをひととおり見てみようか。箪笥《ビューロー》の抽斗《ひきだし》はひっかきまわされてて、それでもまだ衣類がずいぶん残っていたということだが――こう断定するのはばかげてるよ。これはたんなる推測、それもかなり程度の悪い推測以外の何ものでもない。抽斗のなかの品物は、もともとあったものがそっくり残ってたわけじゃないと、どうしてわかるんだい? レスパネエ夫人とその娘は極端に引きこもった暮らしをしてた。来客もないし、めったに外出もしない。となれば、そんなにたくさん着替えをもっててもどうしようもないだろう。しかも残ってた衣類は、すくなくともこういう女のひとたちが持っていそうなもののなかでは、上等な品物だったんだぜ。もし泥棒が何かを盗んでいったのなら、なぜいちばんいいものを盗まなかったんだい? なぜ全部盗まなかったんだろう? 一言で言えば、なぜ足手まといになる衣類をひとかかえ持っていくために、四千フランもの金貨をほったらかしにしたのか? 金貨には眼もくれてないんだぜ。銀行家のミニョー氏が言ってた金は、ほとんど全額、床に転がってた鞄のなかから見つかってる。だからね、動機についてのあのくだらない思いつきは、きみの頭からきれいさっぱり追い出してくれよ。あんなもの、証言のなかのごく一部分、れいの戸口まで金を届けたってところから生まれた警察の連中の妄想さ。金が届けられて受け取った側が三日以内に殺される、なんてのより十倍もふしぎな暗合が、ぼくらみんなの人生に毎日起こってる。だれもまるでそんなことを気にかけないだけでね。一般的に言って、暗合は、教育は受けたにしても確率の理論についてはまったく無知な思索家連中にとって大きなつまずきの石となる――この理論のおかげで、人間のおこなう探究は、いちばんすばらしい分野でいちばんすばらしい方法をもつことができたというのにね。いまの例にしても、もし金がなくなっていたんなら、三日まえにその金を届けたという事実は、たんなる暗合以上のものになる。この動機についての考えを裏書きすることにもなっただろう。しかし、この件の実際の状況を考えてみれば、もし金がこの凶行の動機だったと仮定するなら、ぼくらは同時に、加害者は金といっしょに動機もほったらかしにするくらい、どうしようもない|ぐず《ヽヽ》で|あほう《ヽヽヽ》だったと想定しなくちゃならないやね。
「さて、いままでぼくがきみの注意をうながしてきた点をしっかりと頭に入れたまま――あの異様な声と、あの異常な運動能力と、これほどまでに残虐きわまる殺人なのに驚くべきことに動機がないってことをだよ――こんどは凶行そのものを見ることにしよう。ここでは、ひとりの女が手で絞《し》め殺されて、さかしまに煙突に押しこまれている。ふつうの殺人犯なら、けっしてこんな殺しかたはしないし、すくなくとも絶対にこんなふうに死体を片づけたりはしないさ。きみも認めると思うが、死体を煙突に押しこむやりかたには、何かきわめて例外的なところがある――何かぼくらが人間の行為についていだいている常識とまったく相容れないところがある。たとえ下手人がもっとも堕落した人間だと仮定してさえもだよ。それに、死体をあの狭い煙突に詰めこんだ力がどんなに強大だったか、考えてもごらんよ。あんまりぎゅうっと詰めこんであるものだから、何人も力を合わせて、やっとのことで、引きずりおろしたんだぜ!
「ここで眼をこのほかに、この驚嘆するほかない力が発揮された証拠のほうに向けてみよう。暖炉のうえに灰色の人間の毛髪の大きな房が、非常に大きな房がいくつかあった。根もとから引っこ抜かれてね。頭から髪の毛をこんなふうにむしりとるには、たとえ二、三十本まとめたくらいだってたいへんな力がいるってことは、わかるよね。問題の髪房《ヽヽ》はきみもぼくといっしょに見てるわけだが、まったくひどいものだったね! 髪の根もとには血まみれの頭皮までくっついてた――これこそはめったにない力がふるわれた証拠だよ。いわば何千本もの髪の毛を一気に引っこ抜いてるんだもの。そして老婦人の喉首《のどくび》はただ切られたんじゃなくて、頭が胴体からすぱっと切り離されてたね――しかも凶器はただの剃刀《かみそり》一本だもの。それに、こういう行為のけだものじみた残虐さにも注目しておいてほしい。レスパネエ夫人の死体にあった打撲傷について言ってるんじゃないよ。デュマ氏とその優秀な助手のエティエンヌ氏は何か鈍器によってできたものだと断定したけれど、そのかぎりでなら、おふたりの意見はきわめて正しい。でも、その鈍器なるものは、あきらかに裏庭の敷石なんだ。被害者はその上に、寝台の上の窓から落っことされたんだもの。いまとなってはじつに単純に見えるこの見方に警察が気づかなかったのは、鎧戸の幅に気づかなかったのと同じ理由からで――つまり釘のことがあったものだから、連中の眼はそこでぴったり眼かくしされちまって、窓が開けられた可能性があるなんてことは思いもよらなかったんだね。
「そこで、こういうことがら全部にくわえて、この部屋の奇妙な荒らされかたについてもきみがちゃんと考えをまとめてくれたら、いよいよぼくらはいくつもの判断を総合するところまでたどりついたことになる――驚くべき運動能力、超人間的な腕力、けだものじみた残虐さ、動機のない虐殺ぶり、人間性と極端にかけはなれた血も凍る|奇怪な行為《グロテスケリ》、そしていろんな国の人間の耳に外国語の話しかたに聞こえ、しかも音節ひとつ聞きとれず意味もわからなかった声。そうすると、どんな結論が出てくるだろう? ぼくのしゃべってきたことは、きみの空想にどんな形をあたえたのかな?」
デュパンがこうたずねたとき、わたしは思わずぞっとなった。「気ちがいの仕業だな」とわたしは言った。「近くの精神病院《メゾン・ド・サンテ》からぬけだした気ちがいだな」
「ある点ではきみの考えは当たってないわけじゃないが」と彼は答えた。「しかし気ちがいの声ってものは、たとえどんなに発作がはげしいときだって、けっして階段に聞こえてきた声みたいに変わってやしないよ。気ちがいだってどこかの国民だから、どんなにわけのわからないことを口走ろうとも、音節だけはいつだってまともだよ。それだけじゃなくて、気ちがいの毛はぼくがいま手にもっているような、こんなものじゃないしね。このわずかな毛はレスパネエ夫人の固くにぎりしめた手から取ってきたんだよ。きみはこれをどう思うね?」
「デュパン!」全身から血が引いてゆくのを感じながらわたしは言った。「この毛は、まったく変だ――人間の毛じゃないよ」
「人間の毛だとは言わなかったろ」と彼は言った。「でも、この点をきめちまうまえに、この紙に写してきたちっちゃなスケッチを見てほしいな。これはレスパネエ嬢の喉についてた、証言のある箇所では[黒ずんだ内出血のあととふかい爪あと]と述べられ、別の箇所ではデュマ、エティエンヌ両氏が[あきらかに指の圧迫によって生じた一連の鉛いろの斑痕]と述べているものの模写《ファクシミル》なんだよ。
「すぐ気がつくと思うんだが」と、友人はその紙をふたりのまえのテーブルにひろげながらあとをつづけた。「この図は喉を強くがっしりつかんだことを示している。指のすべったあとがまるでないんだもの。指の一本一本が、たぶん被害者が死ぬまで、最初に喉に喰いこませた爪あとそのままに、すこしのずれもなく、ものすごい力で絞めあげつづけている。そこで、きみの指を全部、同時に、ここに書いてある爪あとのひとつひとつに当ててみてくれないか」
やってはみたが、うまくいかない。
「これじゃフェアな実験とは言えないかもしれないな」と彼は言った。「紙を平面の上にひろげたままじゃね。人間の首は円筒形だもの。この薪がいいな。太さがだいたい人間の首と同じだから。これにこの図を巻きつけて、もういちど実験してみてくれ」
やってみた。が、うまくいかないことは、まえよりももっとあきらかだった。「これは人間の手のあとじゃないな」とわたしは言った。
「それじゃ、この部分を読んでみてくれ」とデュパンは答えた。「キュヴィエ(一七六九〜一八三二。フランスの博物学者。古生物学者)の本だ」
それは、東インド諸島に住む大きな黄褐色のオラン・ウータンにかんする詳細な解剖学的説明と一般的な概説であった。この哺乳類の巨大な体躯《たいく》、驚くべき腕力と運動能力、そして模倣性は、周知のところである。たちどころに、この殺人事件の恐ろしさのすべてを、わたしは理解した。
「指についての説明は、この図とぴったり合ってるね」読みおえるとすぐ、わたしは言った。「ここに書いてある種類のオラン・ウータン以外の動物じゃ、きみが写してきたような爪あとはつけられないだろう。それにこの黄褐色の毛も、キュヴィエの書いている動物の毛とそっくりだし。でも、ぼくにはまだこの恐ろしい謎のすべてはわからないな。そもそも、ふたつの声が言い争ってるのが聞こえたんだし、そのうちのひとつがフランス人の声だったってことは疑問の余地がないんだろ?」
「そのとおり。それに、覚えてるだろう。証言がほとんど一致してこの声だったと認めてる台詞《せりふ》に、[|なんてことを《モン・デュー》]というのがあったのを。あの場合、このことばは証人のひとり、菓子屋のモンダーニが説明したとおりに、たしなめている、あるいは叱っている台詞だったんだな。だからこそ、このことばをたよりに、中心において、この謎を全面的に解く手を打ったんだよ。フランス人なにがしはこの殺人を知っている。たぶん、というよりはほとんど確実に、彼はこの突発した血なまぐさい凶行に手をかしてはいない。おそらく彼のところからオラン・ウータンが逃げたんだろうな。彼はおそらくあの部屋までオラン・ウータンを追いかけたんだが、ああいう騒ぎがもちあがってしまっては、どうにもつかまえようがあるまい。オラン・ウータンはまだ歩きまわってる――まあ、推測はこのへんでやめておこう。たしかに推測の域を出てないしね。だって、基礎になる考えかたの綾《あや》にそもそも深みがないんだから、ぼくの知性も手が出ないし、したがってほかのひとに理解させることなんてとても無理な話さ。だから推測だということにして、そのつもりで聞いてくれよ。もしも問題のフランス人が、ぼくの考えてるように、ほんとうにこの凶行について潔白ならだよ、この広告が彼をぼくらのうちまで連れてきてくれるさ。昨日の夜、帰りに[ル・モンド]という海運関係の専門紙で船乗りがよく読む新聞のオフィスに寄って、頼んでおいたんだよ」
彼は新聞を手渡した。それにはこう書いてあった――
捕獲《ヽヽ》 於ブー口ーニュ森。今月**日早朝(つまり殺人事件のあった朝だ)特大黄褐色ボルネオ産オラン・ウータン。飼主・推定マルタ島船舶船員に返却|致度《いたしたし》。要所有証明・捕獲保管経費少額支払。乞《こう》来訪フォーブール・サン・ジェルマン**街**番地四階」
「どうして知ったんだい?」とわたしはたずねた。「その男が船乗りだとか、マルタ島の船に乗ってるだとか」
「知ってるわけじゃないよ」とデュパンは言った。「たしかでさえありゃしないんだ。でも、このちっちゃなリボンを見たまえ。形からみても、脂《あぶら》じみた見かけからしても、あきらかに船乗りが好んでやりたがる長い辮髪《キュー》の束ねにつかったものだ。そのうえ、この結び目は船乗り以外ではめったにやらない結びかたで、しかもマルタ島人独特のものなんだよ。このリボンを拾ったのは避雷針の下でね、死んだふたりのどちらのものでもあるはずがないもの。それにもし、けっきょくのところ、あのフランス人はマルタ島の船の乗組員だというこのリボンから帰納した推測がまちがってたとしても、やっぱり広告に書いておいてマイナスになるとは思えないしね。まちがいだったところで、あの男はぼくが何かの事情で誤解したんだなと思うだけだろうし、そのことでとやかくたずねたりはしないだろう。そして逆に、もしあってれば、プラスはたいへんなものになるもの。潔白だったにしろ、殺人のことは知ってるわけだから、あのフランス人は当然、あの広告に応じてオラン・ウータンを受け取りにくるのをためらうだろうな。そこで、こう考えるはずなんだ――おれに罪はない。おれは貧しい。おれのオラン・ウータンはたいへんな値打ものだ――おれみたいな身の上じゃひと財産じゃないか。何となく危険な気がするからって、あいつを失っちまっていいのか? あいつはいま、おれが手をのばせば取りもどせるところにいるんだぞ――ブーローニュの森でつかまったんなら、殺しの現場からはとっても離れてるし。ただの粗暴なけだものがあんな犯罪をおかしたなんて、夢にも疑われることはあるまい。じじつ警察は途方にくれてて、まったく手がかりらしいものさえつかんでやしない――万一、あのけだものを追ってったところで、おれがあの殺人を知ってることを証明できやしないし、まさか知ってるというだけでおれまで有罪にできるものか――何よりもおれの身許はばれてるんだぞ。広告を出したやつはおれを名ざしで、あのけだものの飼主だと言ってるんだから。たしかに相手がどこまで知ってるか、おれにはわからん。だからと言って、おれが飼主だとわかっちまってるあれだけの値打のある財産をもし引き取りにいかないとすると、すくなくとも、あいつに嫌疑がかかることにはなっちまうぞ。おれにしろあいつにしろ、ひとさまの注意をひいちゃまずいんだ。よおし、広告に応じることにしよう。オラン・ウータンを引き取って、この事件のほとぼりがさめるまで隠しておくのがいちばんだ」
このとき、階段から足音が聞こえた。
「ピストルの用意はいいか」とデュパンが言った。「でも、ぼくが合図するまで撃つなよ。見せるのもまずいな」
玄関の扉は開けてあったから、来訪者はベルも鳴らさずにはいり、階段を二、三歩のぼった。だが、そこでためらっているらしい。やがて降りてゆく足音が聞こえる。デュパンがすばやく玄関にむかったとき、ふたたび階段をのぼってくる足音が聞こえた。こんどは引き返さない。決然とした足どりで階段をのぼり、部屋のドアをノックする。
「どうぞ」デュパンが明るい快活な口調で言った。
男がひとり、はいってきた。ひとめで船乗りとわかる、背の高い、がっちりした体格の、筋骨たくましい男で、挑むような顔つきをしているが、かといって無愛想な感じでもない。すっかり日やけした顔は半分以上も頬ひげと|口ひげ《ムスタチオ》におおわれている。大きな樫《かし》の棍棒をもっているが、そのほかに武器をかくしているようすはなかった。ぎごちなく頭をさげると「今晩は」とあいさつする。男のフランス語のアクセントには、いくぶんヌーフシャテルなまりがあったけれども、なおじゅうぶんパリの生まれであることをしめしていた。
「ねえきみ、かけなさいよ」とデュパンは言った。「オラン・ウータンのことで見えたんでしょう。まったくのところ、おたくがうらやましい。じつにみごとで、まちがいなくたいへんな値打がある動物をお持ちなんだから。あれで何歳ぐらいになるんです?」
船員はほおっと長い吐息をもらすと、まるで耐えがたい重荷をおろしたというようすで、すっかり安心した口ぶりで答えた。
「はっきりはしねえんだが、四、五歳ってとこじゃねえかな。ここに置いてあるんで?」
「ああ、いや。ここじゃ飼えませんからね。すぐちかくのデュブール街の貸|厩舎《きゅうしゃ》に置いてあります。明日の朝連れていけますよ。もちろん自分の持物だって証明はできるでしょうね?」
「できますとも、旦那」
「あれを手放すのは残念だけど」とデュパンが言った。
「おれだって、これだけ面倒かけときながら、何もせんちゅうつもりはないです」と男は言った。「まさかそんなつもりは。よろこんで、あいつをめっけてもろうたお礼はしますです――つまり、それ相応のことなら何でも」
「なるほど」と友人は言った。「たいへんけっこうですな、たしかに。それでは、と――何をいただくかな? そうだ! こうしよう。謝礼はこれだ。きみの知ってるかぎりのことを洗いざらい話してもらおうじゃないか――れいのモルグ街の殺人事件について」
デュパンは最後のところを、とても低く、とても静かな口調で言った。そして同じように静かにドアに歩み寄ると、鍵をかけ、その鍵をポケットにしまった。それからピストルをふところから取り出すと、じつにおちついた態度で、テーブルの上に置く。
船員の顔はさっと血がのぼって、まるで息がつまったみたいに苦しげだった。立ちあがって棍棒をつかむ。が、つぎの瞬間にはがっくりと椅子に腰を落としてしまう。がたがたふるえながら、死そのもののように蒼《あお》ざめて。ひとことも口をきかない。わたしは心の底からこの男を哀れんでいた。
「ねえ、きみ」とデュパンはやさしく声をかけた。「心配しなくていいんだよ、そんなふうに。ほんとうですよ。ぼくらはきみに危害をくわえるつもりはこれっぽっちもない。紳士としての名誉にかけて、フランス人としての名誉にかけて、きみに危害をくわえるつもりはない。きみがモルグ街のあの凶行にかんして無罪だってことは、ぼくにはよくわかってる。だからと言って、きみがあの事件に何らかのかかわりを持っていることまで否定しようとしても、それは無理だな。これまで話したことだけでも、こちらにはこの事件について情報を得る手段があることは、きみにもわかったでしょう――きみには思いもよらない手段までね。いま、事態はこうなってるんだよ。きみは避けることができたことはみんな避けて、何もしていない。罪になるようなことは、たしかに、何もやってないんだよ。見つかる心配なしに盗めただろうときにも、その盗みさえはたらいていない。だから隠すことなんか何ひとつないんだよ。だって隠す理由がないんだもの。逆に、名誉にかけて知ってることをすべて話す義務のほうなら、きみにはいっぱいある。無実の男がひとり、いま、牢屋にはいってるんだからね。きみなら真犯人を指摘できる犯罪の、容疑者としてだよ」
デュパンがこのように話しているあいだに、船員はかなり落ちつきを取りもどしていた。もっとも、最初の勇ましいようすは跡形もなかったけれど。
「しょうがあるめえ!」しばらくして男は言った。「この事件でおれが知ってることは全部、あんたにぶちまけるよ――おれの言うことの半分も信じちゃもらえねえだろうが――そんなことを当てにするなあ、あほうだよな。でも、おれは無罪なんだよ。だから、殺されたっていいや、洗いざらいしゃべってさっぱりした気分になりてえよ」
彼の話は、おおよそ、つぎのとおりである。最近、インド諸島へ航海したとき、ある一行にくわわってボルネオに上陸し、奥地まで遊びに行った。彼は仲間とふたりでオラン・ウータンをつかまえたのだが、仲間が死んだので、これが彼ひとりの持物になった。帰りの航海ではこいつの手に負えない凶暴さに大骨を折ったが、とにかくパリの自分の住居に安全に閉じこめることができた。近所のうるさい好奇心の的になるのはいやだから、オラン・ウータンが帰りの船で木切れのために受けた傷がなおるときまで注意ぶかくかくまっておいた。けっきょくは売るつもりだったけれども。
殺人の起きた夜、というより朝がただが、船乗りのどんちゃん騒ぎから帰ってみると、オラン・ウータンが自分の寝室を占領していた。隣の小部屋にちゃんと閉じこめておいたつもりだったのだが。剃刀を手に、顔じゅう石鹸の泡をぬりたくって、鏡のまえにすわり、ひげそりにとりかかろうとしている。きっと、まえから、物置の鍵穴ごしに主人が顔をあたるのを見ていたのであろう。こんな危険な武器が、こんなに獰猛《どうもう》でしかもそれを自由に使いこなせる動物の手に握られているのを見たとき、男はすっかりおびえてしまって、しばらくはどうしたらいいか途方にくれていた。けれども、この野獣がどんなに荒れ狂っているときでも、これまでずっと鞭を使ってしずめてきていたので、こんどもまた鞭をふるおうとした。が、鞭を見ると、オラン・ウータンはたちまち部屋のドアから跳び出して、階段をかけおり、そこから運悪く開けっぱなしになっていた窓をこえて、通りに出てしまった。
フランス人は絶望にかられてあと追った。大猿は、まだ剃刀を手にしたまま、ときどき立ちどまってふりかえり、追いかける男の身ぶりをまねる。が、男がもうすこしで追いつきそうになると、そこでまた逃げ出す。追跡はこんなふうにして長いあいだつづいた。午前三時ちかくなので、通りはしいんと静まりかえっている。モルグ街の裏手の路地を通りかかって、逃げる野獣の眼がレスパネエ夫人の家の四階にある居間の開けはなした窓からもれる光をとらえた。その家へかけよると、避雷針を見つけ、信じられないくらい軽々とよじのぼり、壁のところまでいっぱいに開いていた鎧戸をつかんで、それにぶらさがったまま勢いよく宙に半円をえがいて、寝台のヘッド・ボードに直接跳びうつった。すべてが一分とかからない早業だった。鎧戸はオラン・ウータンが部屋に跳びこんだ反動で、またもとのように開いている。
船員はその一分のあいだ、喜びと当惑とをともに味わった。こうなると、オラン・ウータンを取りもどすのぞみは大きくなった。みずから跳びこんだ罠から逃げ出すためには避雷針を降りてくるしかないのだから、そこをつかまえればいい。だがその反面では、家のなかで何をしでかすか、心配の種はつきない。この心配に駆りたてられて、男はなおも逃げた野獣のあとを追った。船乗りにとって避雷針をのぼることなど何でもない。けれども窓の高さのところまでのぼってしまうと、左手にある窓までは遠すぎて、もう船の経験も役に立たない。彼にできるせいいっぱいのところは、身をのりだして部屋のなかをかいま見るくらいであった。覗《のぞ》き見たとたん、彼は恐怖のあまり避雷針をにぎる手をはなしそうになった。ちょうどこのとき、モルグ街の住民たちの夢を破るあの恐ろしい悲鳴が、夜のしじまにひびきわたったのである。レスパネエ夫人とその娘は、寝間着をきて、まえに述べた鉄の金庫を部屋のまんなかに引っぱり出し、そのなかの書類を整理していたところらしい。金庫は開いていて、中身はすぐそばの床に置いてあった。被害者ふたりは窓に背を向けていたにちがいない。野獣が跳びこんでから悲鳴がおきるまでの時間にずれがあったところを見ると、だぶん、すぐには気がつかなかったのだろう。鎧戸がばたんとはねかえる音など、風のせいだと思うほうが自然だから。
船員が覗きこんだとき、巨大な野獣はレスパネエ夫人の髪をつかみ(髪を梳《す》いたあとで解いたままだった)、床屋の手つきを真似て夫人の顔のあたりに剃刀をふりまわしていた。娘のほうは倒れ伏したまま身じろぎもしない。気を失ったのだろう。老婦人の悲鳴と抵抗にあって(そのとき髪が頭からむしりとられた)、それまではたぶん友好的な意図をもっていたオラン・ウータンも、一転して憤怒の発作にとらえられた。たくましい腕を思いきり振ると、そのひと振りで頭はほとんど胴体から切り離された。血のいろが憤怒に油をそそぐ。歯を噛《か》み鳴らし、眼をらんらんとひからせて、娘の躯にとびかかり、恐るべき爪を喉にうずめ、息絶えるまで絞めあげる。このとき、きょろきょろとあたりを見まわしていた野獣の怒りに狂った眼が、寝台のヘッド・ボードにとまり、ちょうどその上に主人の恐怖にこわばった顔が見えたのである。きっと恐ろしい鞭の記憶がのこっていたのだろう、野獣の憤怒は一瞬にして恐怖に変わった。罰を受けるようなことをしたのはわかっていて、オラン・ウータンは血まみれの凶行を隠そうと思ったらしい。落ちつきを失い、興奮して、身もだえながら部屋のなかを跳びまわり、そのたびに家具を引き倒し、たたきこわし、あるいは寝台からマットをひっぺがす。ついには、まず娘の死体をつかんであとで発見されたように煙突に詰めこみ、つぎに老婦人の死体をつかむと、すぐさま窓からまっさかさまにほうり投げた。
大猿が切りきざんだ死体をかかえて窓辺に近づくのを見て、船員はびっくりしてちぢみあがり、避雷針にしがみついた。そして、降りるというより滑り落ちて、あわてて家に逃げ帰った――この惨劇の結果を恐れるあまり、すっかり恐怖のとりことなって、オラン・ウータンの運命にたいする心配などよろこんでほうりだしてしまったのである。一同が階段で聞いたことばとは、この野獣の悪口のような甲高い声と、このフランス人の恐怖と驚愕の叫び声であった。
つけくわえるべきことはほとんどない。オラン・ウータンは部屋のドアがこわされる寸前に、部屋を逃げ出し、避雷針に跳びついたのだろう。窓から出て、あとを閉めていったにちがいない。のちにこの大猿は飼主自身の手によって捕えられ、きわめて高額で植物園《ジャルダン・デ・プラント》に売られた。ル・ボンは、わたしたちが警視庁に行って事情を話すと(デュパンの注釈がいくつかついた)、ただちに釈放された。警視総監はわたしの友人に好意をもっていたが、さすがに事件の逆転にたいする口惜しさを隠しきれず、各人は各人の仕事をしていればいいというふうな厭味《いやみ》を、ひとことふたことつけくわえずにはいられなかった。
「言わせておくさ」とデュパンは言った。返事の必要はないといったふうに。「しゃべらせておけば、それで気がすむんだから。彼の城のなかで彼を負かしてやったんだから、ぼくも満足だし。でもね、彼がこの事件を解決しそこなったのは、けっして彼が考えてるほど驚くべきことじゃないんだ。だって、ほんとうのところ、わが友、警視総監閣下は、深遠な思索家になるにはいささか利口すぎるもの。彼の知恵には雄しべがない。頭ばかりで躯がないんだな――女神ラヴェルナ(古代エトルリアの冥府の神のひとり)の像みたいにね。せいいっぱいで頭と肩かな――これじゃ鱈《たら》になっちまうか。でも、けっきょくはいいやつなのさ。とりわけぼくが彼を気に入ってるのは、ぴったりの名文句があるせいなんだよ。そのおかげで彼は世間から利口者と言われてるんだがね。彼の手口は、つまりは、これさ――de nier ce qui est, et d' expliquer ce qui n'est pas.(在るものを否定し、無いものを説明する)」
マリー・ロジェー事件の謎
――モルグ街殺人事件・続編
理念上の出来事の連鎖に並行して進行する現実の出来事の連鎖がある。両者が一致する場合はまれだ。人間と状況がこの理念上の出来事の連鎖を全面的に変更してしまうために、完全さに欠けるように思われることになり、またその結果も同じく完全さに欠けることになってしまう。宗教改革においても同じことがおこった。プロテスタンティズムのかわりにルーテル教会があらわれたのである。(ノヴァーリス『道徳論』)
〔前書き――『マリー・ロジェー』を最初に発表したときには、いまついている前書きは、まず必要あるまいとわたしは考えた。しかし、この物語のモデルとなったあの惨劇が起きてからすでに数年が経過したいまは、この前書きをつけておくほうが便利だろうし、またここで全体の構想について二、三、説明を加えたほうがいいと思う。メアリ・セシリア・ロジャーズという若い娘がニューヨーク近郊で殺害された。彼女の死はつよい興奮をまきおこし、しかもその興奮は長いあいだ持続したのであるが、その死をめぐる謎はこの原稿の執筆中も発表時(一八四二年十一月)にも、いぜんとして未解決のままであった。そこで、ひとりのパリの女店員《グリゼット》の運命を物語るという虚構のもとに、作者は現実のメアリ・ロジャーズ殺人事件の本筋にかかわる事実を詳細に追っていった(そうでない事実はただ類似させるだけにとどめたけれど)。したがって、この小説に書きこんだ論議はすべて現実にあてはめることができるし、この作品の目的もまた真実をつきとめることにあった。
『マリー・ロジェー事件の謎』は凶行の現場から遠く離れたところで綴《つづ》られたために、調査の手段としては入手可能な新聞のほかに何ひとつなかった。したがって、もしニューヨークにいて、近郊を訪れることができたなら利用できたであろう多くのものを、筆者は手に入れることができなかった。にもかかわらず、ここにふたりの人物の告白をしるしておいても、けっしてまちがいではあるまい(そのひとりは、この物語のなかのドリュク夫人である)、それぞれに別の時点で、しかもこの作品の発表後ずいぶんたってなされたものではあるけれども。ふたりの告白は、たんに全体の結論だけでなく、結論に到達するまでの主要な仮説までも、その詳細にいたるまで完璧に――つまりこの小説の論議のすべてを確認したのだった〕
あまりにもふしぎな感じがする[暗合]にぶつかって、理性ではとてもそれをたんなる暗合として片づけることができず、驚きのあまり超自然的なものの存在を漠然と、しかし戦慄《せんりつ》しながら、なかば信じはじめるという経験をしたことのないひとはめったにあるまい。たとえ、きわめて冷静な思索家にとっても、事情は同じだろう。このような感情は(というのも、いま言ったなかば信じはじめる気持にはけっして思考の力がじゅうぶんにそなわっているとは言えないからだが)、偶然の原理、すなわち学術用語を使うなら確率の計算に照らし合わせないかぎり、完全におさえつけることはむずかしい。ところでこの確率は、本質において純粋に数学的なものだから、したがって、もっとも厳密で正確な科学の一変種を、思索のなかでももっともとらえがたい、幻影と霊性とに適用することになる。
いまわたしが発表しようとしている異常な事件の詳細も、時間の順序から見て、ほとんど理解しがたい[暗合]の連鎖の第一の輪となるものであることがやがてわかると思う。その第二の、つまりいちばん新しい輪が、最近ニューヨークでおこったメアリ・セシリア・ロジャーズ殺人事件であることも、読者のすべてがやがてお気づきになるであろう。
一年ほどまえ、『モルグ街殺人事件』という題名の作品で、わたしは友人のシュヴァリエ、C・オーギュスト・デュパンの内面的性格に見られる非常にきわだった特徴をいくつか描きだそうとつとめたが、もう一度同じ主題をあつかうつもりはまったくなかった。この性格の描写がわたしの意図であって、この意図はあの凶暴な状況の連鎖によりデュパンの特異な性格が例証されたことによって充分にはたされたからだ。ほかの例をあげることならできるだろうが、彼の性格につけくわえるべきところは何もない。ところが、最近の事件が驚くような方向に進んでいくので、わたしも眼をさましてその後の事件の詳細をいくらか書いてみようと思う。いくぶん無理じいの告白めいた感じがつきまとうかもしれないけれど、最近の事件を耳にしながら、ずいぶん昔に自分で見聞した事件について沈黙をまもったままでいるのはもっと不自然なことだろうから。
レスパネエ夫人とその娘の死をめぐる悲劇が終わりを告げると、デュパンはすぐさま事件を頭のなかから追いだして、またもとの憂鬱《ゆううつ》質の夢想家の生活に逆もどりしてしまった。しじゅう空想にふける傾向があるわたしも、たちまち彼の気分に合流していた。そして、あいかわらずフォーブール・サン・ジェルマンのわたしたちの部屋に引きこもったまま、未来は風にまかせて、ひたすら現在を安穏に眠りすごし、まわりの退屈な世界を夢のなかに織りこんでいたのである。
しかしこの夢もまったく妨げられなかったわけではない。よういに察しがつくと思うが、モルグ街のドラマでわたしの友人の演じた役割は、パリ警察の空想力につよい印象を刻まないではおかなかった。刑事たちのあいだでは、デュパンの名前は日用語にまでなってしまった。彼があの事件を解きほぐすのに使ったあの明快な帰納推理は、わたし以外の誰にも、あの警視総監にさえ、一度も説明されなかったから、あの解決がほとんど奇跡にちかいものと考えられたり、デュパンの分析能力が、彼の直観力への信頼となって返ってきたことも、もちろん、驚くべきことではない。彼の率直さをもってすれば、ひとびとのこのような誤解をすべて解くこともできたはずなのだが、なにしろ不精なたちだから、自分がとっくの昔に興味を失ってしまった話題をこれ以上むしかえす気にはとてもなれなかったのである。こんなわけで、彼は警察の連中の注目の的になってしまい、警視庁が彼の力を借りようとした事件もすくなくなかった。なかでもとくに有名なもののひとつが、マリー・ロジェーという若い娘の殺害事件である。
この事件はモルグ街の惨劇の二年ほどあとにおこった。マリーは姓も名前も、あの不運な[葉巻売りの娘]メアリ・ロジャーズと似ていることにすぐ気づかれたことと思うが、未亡人エステル・ロジェーのひとり娘であった。父親はマリーが幼いうちに世を去り、以後、この物語の主題となる殺人事件のおきる十八カ月足らずまえまで、母と娘はパヴェエ・サン・タンドレエ街(現実ではナッソー街)にいっしょに住むことになる。ロジェー夫人はそこで下宿屋をひらき、やがてマリーも手伝うようになった。このようにして時が過ぎ、マリーが二十二歳になったとき、その美貌がひとりの香水店の主人の眼にとまった。パレ・ロワイヤルの地下商店街に店をもっていて、客筋は主としてそのあたりにはびこっている向こうみずな女たらしどもである。ル・ブラン氏(現実にはアンダスン氏)は美しいマリーを自分の香水店の売子にすればどんなに有利か気づかずにはいられず、思いきって給料をはずもうと申し出て、夫人のほうはすこしためらってみせたのだが、娘のほうが喜んでとびついてしまった。
店主の見込みは図にあたって、このはつらつとした女店員《グリゼット》の魅力で店はたちまち評判になった。マリーがそこで働くようになって一年ばかりたったとき、取り巻き連中は大さわぎをするはめになった。とつぜんマリーが店先から消えてしまったからである。ル・ブラン氏は彼女の不在を説明することができず、ロジェー夫人は心配と恐怖とで気も狂わんばかりであった。新聞はこの話題にとびつき、警察も本腰で捜査に乗りだそうとしていた矢先に、一週問後のある晴れた朝、マリーはきわめて健康で、いくぶん悲しげではあったけれども、香水店のいつものカウンターにふたたび姿を見せたのである。もちろん、すべての訊問《じんもん》は、個人的性格のものは別として、たちどころに打ち切られた。ル・ブラン氏はそれまでと同様いっさいあずかり知らぬと断言し、マリーと夫人はすべての質問に異口同音、先週は田舎《いなか》の親類の家で過ごしたと答えたのである。このようにして事件は消滅し、誰もがそのことを忘れてしまった。というのも、娘が表むきは無作法な好奇心に耐えられないという理由で、まもなく香水店から、こんどはほんとうに暇をとり、パヴェエ・サン・タンドレエ街の母親のもとに身を寄せてしまったからである。
こうして家庭にもどってからほぼ五カ月後に、マリーの友人たちはもう一度、彼女のとつぜんの失踪《しっそう》に驚かされることになる。三日たったが、何の消息もない。四日目に彼女の死体がセーヌ河(現実ではハドスン河)に浮かんでいた。発見地点はサン・タンドレエ街区の対岸ちかく、ものさびしいルール関門(現実ではウィーホークン関門)のあたりからほど遠からぬ場所である。
殺人の残酷さ(ひとめではっきり他殺とわかった)、被害者の若さと美貌、とりわけ被害者のこのあいだまでの知名度、この三つが重なったから、多感なパリ人の胸は強烈な興奮にゆさぶられた。これほど広く、これほど強い反響をまきおこした殺人事件は、わたしの記憶にない。数週間というもの、話といえばただひとつ、誰もがこの話題に夢中になって、時の重要な政治問題さえ忘れられてしまったかたちだった。警視総監もめざましい活躍ぶりをしめし、パリ警察はもちろん全機能をあげ、全力を投入してかかった。
最初に死体が発見されたとき、ただちにはじまった捜査の手を、殺人犯がしばらくのあいだでもまぬかれることなどありえないと、誰しも思った。賞金をかけることが必要だと判断されたのは一週間もたってからだし、そのときでさえ、賞金の額は一千フランどまりだった。その間も捜査は懸命に(必ずしもつねに賢明にとは言えないにしても)おこなわれ、無数の人間が取調べを受けたが収穫はなかった。その一方では、大衆の興奮は、事件を解く手がかりがまったくないままの状態がつづいたために、ますます大きくなるばかりだった。十日目の夜には賞金の額を最初の倍にすべきだということになり、とうとう二週目も何の発見もなしえぬままに過ぎ去ってしまうと、パリにはつねにわだかまっている警察への反感がくすぶりはじめ、騒乱事件《エムート》が何度がくりかえされるにおよんで、ついに警視総監みずからの名前で布告が出され、賞金は二万フランにはねあがった――「殺人犯の告発にたいし」、またもし犯行が二名以上によることが判明した場合には「殺人犯のいずれか一名の告発にたいし」てである。そして同じ布告は、自首して仲間を告発した共犯者に対する免罪措置までも約束していた。しかもそのうえ、布告が出ているところには必ず、ある民間協議会の掲示もいっしょに貼りだされていて、それには警視庁の賞金に加えてさらに一万フラン提供する旨、しるされてあった。こうして賞金の総額はじつに三万フランにおよぶにいたる。被害者が平凡な一市民にすぎず、大都市では同様の殺人事件がけっしてすくなくないことを考えると、この金額は異常なまでのものと考えていいだろう。
いまや、この殺人事件の謎もたちどころに明るみに出るだろうことを疑う者はひとりとしてなかった。けれども、一件落着を思わせる逮捕は一、二件あったものの、容疑者を事件に関連づける証拠は何ひとつ出ないままに、たちまち釈放されてしまった。ふしぎに思われるかも知れないが、死体が発見されて三週間が過ぎ、しかも解決の糸口さえ見つからぬままに過ぎ去ってしまうまで、これほど世間をさわがせている事件の噂さえも、デュパンとわたしの耳にははいってこなかった。ふたりとも全神経を集中して研究に没頭していて、ひと月ちかくも一歩も外に出ず、ひとりも客を迎えず、新聞でさえ一面の政治記事を一瞥《いちべつ》するだけですませていたからである。したがってこの殺人事件の第一報をわたしたちにもたらしたのは、ほかならぬG**警視総監そのひとだった。訪ねて来たのは一八**年七月十三日の昼すぎで、夜遅くまで話しこんでいった。殺人犯を狩りだそうという努力がすべて水泡に帰して、ひどくいらだっていた。自分の名声が危うくなっている――パリ人特有の調子で彼は言った――いや、いまは名誉までが問題になっている。世間の眼が自分に集まっているのだから。この謎を解くためとあらば、自分はほんとうに、喜んでいかなる犠牲をもはらうつもりだ……。警視総監は多少こっけいな演説を終えるにあたって、彼のことばで言えばデュパンの[こつ]なるものにお世辞を述べ、単刀直入に、たしかに気前のいい条件を出して助力を申し込んだ。ここで、正確な内容を洩《も》らすわけにはいかないけれど、それはこの物語の本題とはなんらかかわりのないものである。
お世辞のほうは、わたしの友人はけんめいに辞退していたが、申し込まれた件のほうはただちに引き受けた。報酬は完全に条件つきのものだったけれども。肝心の話がまとまると、警視総監はただちに自分の見解を講釈しはじめ、わたしたちがまだ見たこともない証拠について長たらしいコメントをちりばめるのだった。その滔々《とうとう》たる弁舌は、たしかに博識にはちがいないのだが、わたしはおそるおそる折りを見ては夜もすっかりふけて眠くなったことをほのめかすのに、デュパンときたら拝聴の見本みたいにいつもの肘掛椅子《ひじかけいす》に身じろぎもせず坐っている。来客中ずっとサン・グラスをかけていて、その緑のサン・グラスの下をときおりちらと見やるだけで、わたしにはデュパンがまことにぐっすりと、つまりひっそりと眠っていることがわかった。そのまま、鉛の足で歩くような七、八時間が過ぎ、いざ警視総監のお立ちという段になって眼をさましたのである。
夜が明けると、わたしは警視庁に行って、それまでに収集されたすべての証拠と証言の報告書を全部受け取り、新聞社をつぎつぎにまわってこの悲しい事件について決定的な情報を載せている新聞をすべて、はじめから終わりまで、一部ずつ手に入れて帰った。はっきり反証のあがったものをすべて除くと、この膨大な情報が伝えている内容は以下のとおりである――
マリー・ロジェーがパヴェエ・サン・タンドレエ街の母親の家を出たのは、一八**年六月二十二日、日曜の朝、九時ごろのことである。家を出るとき、彼女はジャック・サン・トウスタシュ(現実にはペイン)なる人物に、そして彼ひとりにだけ、デ・ドローム街に住む叔母を訪ねてゆっくりしてくると予定を話している。デ・ドローム街は短くて狭いが人通りは多く、セーヌ河岸からも遠くなくて、ロジェー夫人の下宿屋《パンシオン》からは最短距離で約二マイルである。サン・トウスタシュはマリーの許婚《いいなずけ》で、その下宿屋《パンシオン》に食事つきで部屋を借りており、日暮れに婚約者を迎えに行ってエスコートして帰ることになっていた。けれども午後になって大雨が降りだしたので、マリーは叔母の家に泊めてもらうことにするだろうと思ったから、(まえにもそんなときには泊まってきたので)、わざわざ迎えに行くまでもあるまいと考えたのである。夜が訪れたとき、ロジェー夫人(弱々しい老婦人で七十歳になる)が[もう二度とマリーに会えないかもしれないわ]と心配そうに洩らしたけれども、そのときは誰も気にかけなかった。
月曜日になって、マリーはデ・ドローム街へ行っていないことがわかった。そして、その日一日待っても彼女から何の連絡もなかったので、ようやく遅ればせながら市内や近郊の数カ所にひとをやってさがしはじめたのだが、失踪後三日間は何ひとつ満足なことはわからなかった。四日目(六月二十五日、水曜日)になって、友人ひとりとともにマリーをさがしていたボーヴェ(現実にはクロムリン)なる紳士が、ルール関門にちかい、パヴェエ・サン・タンドレエ街とはセーヌ河をはさんで対岸にあたる岸辺で、川面をただよっていた死体を漁師がいまさっき引きあけたところだという話を聞きこんだのだった。死体を見て、ボーヴェはしばらく躊躇《ちゅうちょ》したあげく、香水店の売子であることを認めた。友人のほうはもっとあっさり認めたという。
顔にはいちめんに黒ずんだ血痕《けっこん》があり、その一部は口から出たものである。単純な溺死《できし》の場合に見られる泡は認められなかった。細胞組織の変色はなかったが、咽喉《いんこう》部だけに内出血と指のあとがあった。両腕は胸を抱くように曲げられ、硬直しており、右手はしっかり握りしめているが、左手はすこし開いたままだ。左の手首にはぐるりと二重に擦《す》り傷があり、あきらかに二本、ないしは二重に巻いた一本のロープによってできたものである。右の手首の一部もかなり擦りむけており、同じく背中いちめんに擦過傷《さっかしょう》があって、とりわけ肩甲骨のあたりにいちじるしい。死体を岸辺に引きあげるにあたって漁師たちはロープを使ったが、しかし、これらの擦過傷はそのためにできたものではない。頸部《けいぶ》の肉がひどく腫《は》れあがっている。見たところ切傷はなく、打撲傷のあともない。一本の紐《ひも》が、外からでは見えないくらいぎっちりと首に結んであった。完全に首に喰いこんでいて、結び目は左耳の下にある。このことだけで死をもたらすに充分であった。医者は故人の純潔について確信をもって証言している――暴行を受けたと言うのである。発見当時、死体はこのような状態にあったのだから、友人がマリーと認めることに何の困難もありえたはずはない。
衣服はずいぶん破れ、しかも乱れていた。ドレスは裾《すそ》から腰まで一フィートの幅で裂けていたが、ちぎれてはいなくて、そのまま三重に腰まわりに巻きつけて、背中のところで一種の索結《さくむす》びにくくってあった。すぐ下は薄いモスリンの下着で、これから十八インチの幅で上から下まで、ほとんどまっすぐに、たぶんとても気をつけて、布切れが裂き取られており、こちらのほうは首にゆるく巻きつけてあって、堅結《かたむす》びにむすんであった。れいの紐とこのモスリンの布切れの上に帽子《ボンネット》の紐がむすんであり、帽子《ボンネット》もついたままだったが、この結びは女結びではなくて、引き結び、つまり水夫結びでむすんであった。
死体の身許確認がすむと、れいのごとく死体公示所へ運ぶことなく(この形式は不必要になったわけだから)、引きあげられた地点から遠からぬ場所に、いそいで埋葬された。ボーヴェの努力によって事件はできるかぎり内密に処理されたから、数日間は何の騒ぎもひきおこさずに過ぎたのである。しかしながら、ついにある週刊誌(現実には「マーキュリー」)がこの事件を取りあげ、死体が掘りだされて再検視がおこなわれたが、すでに指摘された以上のことは何ひとつ発見されなかった。とはいえ、こんどは着衣が故人の母親および友人たちに見せられ、マリーが家を出るときに着ていたものであることが完全に確認されたのだった。
とやかくするうちに、騒ぎは刻々と大きくなっていった。数人が逮捕されて、釈放された。とりわけサン・トウスタシュの容疑はつよく、しかも彼は最初の訊問のさい、マリーが家を出た日曜日一日のアリバイをきちんと述べることができなかった。けれども、そのあと、問題の日の一時間ごとに充分なアリバイを説明する供述書をG**氏に提出したのである。ただ時がたつばかりで何ひとつ発見されないままに、無数の根も葉もない噂がひろがり、新聞記者たちは大わらわで彼らの[推理]を書き立てることになった。なかでも、ひときわ人目をそそがせたのがこの推理である――マリー・ロジェーはまだ死んでいない、セーヌ河で発見された死体は誰かほかの不運な女性のものであろう。この推理については、その中心となる記事の書き抜きを読者に伝えるのが、わたしの役目だろう。以下の書き抜きは、「レトワール」(現実には「ブラザー・ジョナサン」主筆H・ヘイスティング・ウェルド氏)からの逐語訳で、この新聞の記事は主筆のおかけできわめてすぐれたものである場合が多い。
『ロジェー嬢は一八**年六月二十二日、日曜日の朝、母親の家を出た。表向きの用件はデ・ドローム街の叔母とか親戚の者に会いに行くということだった。この時以後、彼女の姿を見たものはひとりもいない。足取りも消息も何ひとつわかっていない……。現在にいたるまで、当日、母親の家の戸口を出て以後は、彼女の姿をちらとでも見かけた者さえまったくあらわれないのである……。つまり、六月二十二日、日曜日の九時以後、マリー・ロジェーが生きていた証拠は何ひとつないが、九時までならたしかに生きていたことになる。水曜日の昼、十二時に、女性の死体がひとつルール関門の河岸ちかくに浮かんでいるのが発見された。このことは、マリー・ロジェーが母親の家を出てから三時間以内に河に投げこまれたと仮定しても、彼女が家を出てからわずか三日しかたっていない――きっちり丸三日しかたっていないことになる。しかし、たとえ彼女が殺害されたと仮定しても、死体を真夜中になるまえに河に投げこむことができるくらい早い時間に殺人をおこないえたとまで仮定するのはばかげている。かかる凶悪な犯罪をおかす者は、光より闇を選ぶものだから……。したがってセーヌ河で発見された死体がマリー・ロジェーであるとするならば、水中に二日半、最大限三日間しかつかっていなかったことになる。ところが、すべての経験が教えるところによれば、溺死体ないし殺害直後に水に投げこまれた死体は、水面に浮かびあがるほど腐敗するまでに六日ないし十日の期間を必要とするのである。大砲を河に撃ちこむことで、多くとも五、六日しか水につかっていなかった死体を浮きあがらせたときでさえ、ほうっておけばふたたび沈んでしまうのである。そこで、われわれはこうたずねたい――事物の自然の成行きが、この事件の場合だけ、ふつうとちがうあらわれかたをしたことには何か理由があるのか、と……。もし死体が惨殺されたままの状態で火曜日の夜中まで河岸に置いてあったのであれば、河岸には殺人犯の痕跡が何か発見されたはずである。また、たとえ死後二日たってから水に投げこまれたと考えても、死体がそんなに早く浮きあがるものかどうかは、なお疑問である。しかも、そのうえ、ここで想定されているような殺人を犯した悪党なら、何者であれ、死体に錘《おもり》をつけて河に沈めるであろうが、これくらいの用心はべつに手のかかることでもないのに、それさえもしなかったと考えるのはまったく理屈に合わない』
この主筆はさらに論を進めて、死体は水中に『ただの三日ではなく、すくなくとも三日の五倍の日数は』つかっていたと推定し、その理由として、腐敗があまりにも進行していたからこそ、ボーヴェが身許を確認するのにたいへん苦労したことをあげている。ただし、この理由のほうには完全に反証があがっているけれども。翻訳をつづけよう。
『では、ボーヴェ氏が死体の身許をマリー・ロジェーであると確認したのは、どんな事実にもとづいてなのか? ドレスの袖を裂き、身許を確認するに足る目じるしを見たからだという。世間のものは誰しも、その目じるしとは傷痕《きずあと》か何かであろうと想像した。ところが、氏はただ腕をさすって、そこに毛が生えているのを認めただけである。誰しもすぐ考えるように、これはまことに頼りない目じるしだとわれわれも考える――ほとんど袖のなかに腕を発見したというに等しいくらい、証拠としては不充分である。ボーヴェ氏はその夜帰宅しなかったが、水曜日の夕方七時にロジェー夫人に伝言して、娘さんの捜査はなお進行中であると伝えている。百歩ゆずって、ロジェー夫人は老齢と悲嘆のために現場には行けなかったとしても、誰かひとりくらいは現場におもむいて捜査に立ち会う必要があると考える者が必ずやいたはずであろう――もし彼らがほんとうに、その死体をマリーだと思ったのであれば。けれども、誰ひとり現場に出むかなかった。事件についてパヴェエ・サン・タンドレエ街では何ひとつ話題にのぼらず、同じ建物に住むひとびとの耳にも何ひとつ入らなかった。マリーの恋人であり未来の夫であるサン・トウスタシュ氏も、彼女の母親の家に下宿していたのだが、婚約者の死体が発見されたことを知らず、翌朝になって、ボーヴェ氏が部屋に来て教えてくれてはじめてわかったと証言している。このように衝撃的な知らせが、このようにきわめて冷静に受けとめられた事実は、われわれを驚かせずにはおかない』
こんなふうにして、この新聞はマリーの親族の冷淡さは、親族がその死体をマリーのものだと信じているという想定と喰いちがうとの印象を、つとめて与えようとしている。同紙の遠まわしに言わんとするところは、けっきょくのところ、こうなる――マリーは近しいひとたちの黙認のもとにパリから姿を消した。その理由のひとつに彼女の純潔にたいする世間の疑惑の眼差《まなざ》しがある。それゆえ、これらの近しいひとたちは、マリーに多少とも似ている娘の死体がセーヌ河に浮かんだのをこれさいわいと利用して、マリーは死んだと世間に思いこませようとしたのである、と。しかし「レトワール」紙はここでも早とちりをしている。記者が想像しているような冷淡さはけっして存在しなかったことが、はっきり証明された。老婦人はひどく弱っているうえに気が動転していてとうてい市民の義務を果たせるような状態でなかったし、サン・トウスタシュにいたっては婚約者の死の知らせを冷静に受けとめるどころか悲嘆のあまり惑乱して狂乱状態におちいり、そのためにボーヴェ氏は縁者でもある友人に彼の監視を頼み、死体の再発掘調査のときにも立ち会わせないようにしたくらいであった。「レトワール」紙はさらに、死体の二度目の埋葬が公費によっておこなわれたこと、一家の墓地に埋葬してもよいという有利な申し出が遺族に一顧だにされなかったこと、遺族がひとりとして埋葬に参列しなかったことを述べているが――あえて言えば、これらのことすべては「レトワール」紙が与えようとしている印象をいっそうつよめるために主張したものにすぎず、しかもこれらの主張にはすべて充分な反対証拠がある。同紙の続報は、ほかならぬボーヴェに嫌疑を投げかける。主筆は言う――
『ところが、ここにいたって事態は一変する。われわれのえた情報によれば、ある折りにボーヴェ氏は出かけようとして、ちょうどロジェー夫人の家に居合わせたB**夫人に、警官《ジャンダルム》がひとりここに来ることになっているが、自分が帰ってくるまで警官《ジャンダルム》に何も言ってはいけない、この事件は自分に任せるように、と言ったとのこと……。目下の状況では、ボーヴェ氏がすべてを自分の胸ひとつに収めてきっちりと蓋《ふた》をしめているように見える。ボーヴェ氏抜きでは事態は一歩も前進しないであろう。なぜなら、どの糸をたぐっていっても彼にぶつかってしまうのだから。……何らかの理由で、彼は自分以外の何人《なんびと》も捜査の進展にかかわらせまいと決意している。親族の男性たちの言うところによれば、ボーヴェ氏は彼らをまことに奇妙なふうに事件から遠ざけたままだとのことである。彼らに死体を見せることさえ非常にいやがっているように見えたという』
つぎの事実によって、このようにボーヴェにかけられた嫌疑にも、まんざら根拠がないことはないと判明した――娘の失踪の二、三日まえに彼の事務所を訪れたひとりの客が、相手は留守であったが、ドアの鍵穴に一輪の薔薇《ばら》がさしてあって、ドアの横にかかっている石板に「マリー」と署名がしてあったのを目撃していたのである。
世間一般の受けた印象は、新聞から知りえたかぎりでは、このようなものであったらしい――マリーはならず者一味の犠牲になった。彼らにセーヌ河の向こう岸まで連れて行かれ、暴行されたあげく殺されたのだ、と。「ル・コメルシエル」(現実には「ジャーナル・オヴ・コマース」)は広範な影響力をもつ新聞であるが、しかし、この大衆の見方と断固として戦った。同紙のコラムからも少し引用しておこう。
『ルール関門にこだわっているかぎり、いままでの捜査は的を外していると、われわれは考えざるをえない。この若い女性のように有名で、何千ものひとびとに知られている人物が、三街区ものあいだを誰の眼にもとまらず通り過ぎることは不可能である。しかも彼女ときては、知り合った男すべてが気をそそられたのであるから、誰かが彼女を見ていれば、そのことを忘れるはずがない。そのうえ彼女が家を出たのは、通りにひとがあふれる時刻である……。ルール関門であれデ・ドローム街であれ、彼女がすくなくとも一ダースの人目にもとまらないで行きつくことは不可能である。しかも、まだ、母親の家の外で彼女を見たという者はただのひとりもあらわれず、そのうえ、出かけるつもりだと彼女自身が言ったという証言のほかには、彼女がほんとうに出かけたという証拠も何ひとつない。マリーのドレスは引き裂いて躯《からだ》に巻きつけ、縛ってあった。そこを持って死体を運んだのである。もしこの殺人がルール関門でおこなわれたのであれば、こんな手間をかける必要はなかったはずだ。死体が関門ちかくに浮かんでいるところを発見されたという事実は、死体がそこから河に投げこまれたことを証明するものではない……。この不運な娘のペティコートは、長さ二フィート、幅一フィートぶん引きちぎられて、首のうしろからまわして顎の下で結んであった。たぶん悲鳴をたてさせないためであろう。かかる所業は胸にハンカチーフももたない連中のしわざである』
けれども、警視総監がわたしたちを訪ねてきた一日か二日まえのことになるが、ある重要な情報が警察にとどき、それによればすくなくとも「ル・コメルシエル」紙の主張の重要な部分はくつがえったのではないだろうか。ドリュク夫人の息子であるふたりの少年が、ルール関門ちかくの森で遊んでいて偶然、深い茂みを通りぬけてみると、茂みのまんなかに空地があり、大きな石が三つ四つ転がっていて、背もたれもあれば足をのせる台もついた天然の椅子みたいになっていた。背もたれの石には白いペティコートがかけてあり、座席のところの石には絹のスカーフがのせてあった。そのほか、パラソルと手袋とハンカチーフも発見された。しかもそのハンカチーフには「マリー・ロジェー」と名前が入れてある。ドレスの切れはしが周囲の茨に引っかかっているのも見つかった。地面は踏み荒らされ、茂みの枝は折れて、格闘の痕跡をはっきりしめしている。茂みから河に出る途中で、柵の横木がはずしてあるのが見つかり、地面には何か重い荷物を引きずっていったあとがはっきり残っていた。
週刊誌「ル・ソレイユ」(現実には「サタデイ・イヴニング・ポスト」編集長C・I・ピータースン氏)はこの発見についてつぎのような見解を載せた――といっても、パリのあらゆる新聞論調のたんなる反映にすぎないものだけれど。
『これらの物件はすべて、あきらかにすくなくとも三、四週間、その場にあったものである。どれも雨にあったためにすっかり黴《かび》がきて、その黴のためにぴったりとくっついていた。草がまわりに伸び、何点かは草におおわれていた。パラソルの生地は丈夫な絹だが、縁飾りの房はなかにくっついている。上の部分は二重になっていて、たたんであったからすっかり黴がまわって朽ちてしまったらしく、開くと破れてしまった……。茂みにひっかかってちぎれたドレスの切れはしは、それぞれ幅三インチ、長さ六インチぐらいである。ひとつは上着の裾でかがってあり、もうひとつはスカートの一部だが裾の部分ではない。むしりとられたように見えるこれらの布切れは、茨の茂みの地面から一フィートぐらいのところに引っかかっていた、したがって、この血も凍る惨劇の現場が発見されたことに、疑問の余地はまったくない』
この発見によって、新しい証拠が出てきた。ドリュク夫人の証言である。証言によれば、彼女はルール関門の対岸の河辺からほど遠からぬところで腰掛茶屋をいとなんでいるとのこと。あたりにはほかに人家はまったくない。日曜日にはいつもパリからよたものたちが、ボートで河を渡って遊びにくるところである。問題の日曜日の午後三時ごろ、ひとりの若い娘が顔の浅黒い若者といっしょに、その茶屋に来て、しばらくやすんでいった。店を出ると、ふたりは近くの深い森にむかう道を歩いていった。ドリュク夫人はとくに娘の着ていたドレスを覚えている。亡くなった親戚の娘のドレスと似ていたので。スカーフはとりわけはっきり記憶している。このふたり連れが行ってしまってからまもなく、ごろつきの一団があらわれて、飲んだり食ったりの大騒ぎのあげく、勘定を踏みたおして、さっきの若者と娘のあとを追うように、同じ道を行ってしまった。日暮れごろ茶屋にもどってきたが、ひどく急いでいるようすで河を渡って帰っていった。
その日の夕方、暗くなってまもなく、ドリュク夫人と上の息子は、茶屋のちかくでひとりの女の悲鳴を聞いた。鋭いが短い悲鳴だった。ドリュク夫人は茂みで発見されたスカーフだけでなく、死体の着ていたドレスまでも確認したのだった。ここでもうひとつ、乗合馬車の馭者ヴァランス(現実にはアダム)の証言があらわれた。マリー・ロジェーが問題の日曜日、顔の浅黒い若者といっしょに、セーヌ河を渡し船で渡るのを見たとのこと。証人ヴァランスはマリーを知っていたから、見まちがえるはずはないという。茂みで見つかった品々は、マリーの身内によって完全に確認された。
デュパンに言われてわたしが新聞各紙からこのようにかき集めてきた証拠や情報のなかには、このほかにもうひとつだけ問題点がふくまれている――しかも、非常に重大な意味をもっているとわたしには思えるのだが。つまり、いま述べた衣服が発見された直後に、マリーの婚約者サン・トウスタシュが死体で、とまでは言わないまでも瀕死《ひんし》の状態で、いまではすべての者が凶行現場と考えている場所のちかくで見つかったのである。「アヘンチンキ」とラベルを貼った小罎《こびん》が、空《から》になって、そのそばにころがっていた。呼吸のしかたも毒を飲んだことをしめしていた。彼はひとことも言わずに死んでしまった。身につけていた手紙には、簡単に自殺の意志と、マリーへの愛がしるしてあった。
「きみには言うまでもないことだけど」わたしの覚書を読み終えると、デュパンが言った。「これはモルグ街殺人事件よりはるかに入り組んだ事件で、しかも重要な一点ではっきりちがってるよね。こっちはたしかに残虐ではあるけれど、[普通の]犯罪の一例だよ。とりたてて[例外的]なところは何ひとつない。気がついたと思うけど、この理由のために、こんどの事件は簡単に片がつくと考えられてた。ほんとうは、この理由のために、解決は骨が折れると考えなくちゃならないのにね。こうして最初は賞金を出すにもおよばないと見られることになった。G**の手下どもにも、このような凶悪犯罪がおこなわれた方法も理由もたちどころに納得ができた。手口も動機も、さまざまに思い描くことができるし、この無数の手口、無数の動機のどれかが実際の手口であり動機であることもありえなくはない以上、連中は当然のこととして、そのなかのひとつが実際に起きたにちがいないと思いこむ。ところが、こんなにたくさんの空想が浮かぶたやすさと、それらがそれぞれまことにもっともに見える点こそ、じつは解明作業の容易さよりは困難さを示すものだと考えなくちゃいけないのにね。だから、ぼくがまえに言ったとおり、理性が真実を求めて手さぐりで進むときに手がかりになるのは、通常の次元から突きだしているものなんで、だからこそ、このような事件で問われるべき質問は[何が起こったか?]ではなくて[いまだかつて起きたことがない何ごとが起こったか?]なんだよ。モルグ街のレスパネエ夫人の家の捜査では、G**の部下の刑事たちはあの極端な異常性にがっくりきて途方にくれてしまった。じつはそれこそ、正確に論理的な知性の持主にとっては、確実な成功の前兆なのにね。ところが、こんどの香水売子の事件では、眼に入るものすべてが普通のことばかりだから、この同じ知性の持主は絶望しかねないほどなのに、警視庁のお歴々の眼にはたやすい勝利の前兆としかうつらなかった。
「レスパネエ夫人とその娘の事件では、ぼくらが捜査にかかった最初の段階で、すでに殺人がおこなわれたことに疑問の余地はなかった。自殺の可能性はすぐさま抹消できただろ。こんども、やはり、最初から自殺の線はみんな捨てていい。ルール関門で発見された死体は、この重要なポイントでとまどったりする余地のない状況で見つかったんだもの。でも、発見された死体はマリー・ロジェーじゃないという見方も出ている。ところが賞金が出るのは彼女を殺した犯人ないしは犯人たちの告発に対してだし、ぼくらが警視総監と契約したのも彼女にかぎってだけなんだな。ぼくらはふたりともこの紳士をよく知っている。信用しすぎたら馬鹿をみるぞ。発見された死体から捜査をはじめて、やがて犯人を追いつめたにしても、この死体がマリー以外の誰かのものだと気がつくことだってありうるし、逆にこの生きているマリーという見方から出発して彼女をつきとめたにしても、殺されていなかったことがわかる場合だってありうる――どちらでもぼくらは骨折り損になっちまうよ。だって、相手はムッシューG**なんだもの。だから、ぼくらの目的のためには、正義の目的のためにはどうかはさておいて、第一歩として、まずあの死体と失踪したマリー・ロジェーとの同一性の確定が不可欠になる。
「世間ではあの[レトワール]紙の論調は重く見られている。新聞自体も論調の重要性を確信してることは、この問題をあつかった記事の書き出しひとつを見てもわかる。何しろ、こうだものね。『本日の朝刊数紙は、本紙月曜版の決定的記事に言及している』もっとも、ぼくには、この記事で決定的なのは記者の熱心さだけみたいに見えるけどね。新聞がめざすのは真実の追求じゃなくて、論を立て、センセイションをまきおこすことだ、それがふつうなんだってことを覚悟してかからなくちゃ。真実の追求なんて、たまたまセンセイショナリズムと重なりでもしなきゃ、新聞の目的なんかになるものか。どんなにしっかりした根拠のある意見でも、ただまっとうな意見と同じことになっちまったら、その新聞は大衆の人気をえられやしない。大衆が深みを感じるのは、一般の通念に[辛辣《しんらつ》な反論]を投げかける記事だけなんだな。推論の場合でも、文学の場合とご同様、いちばん手っとり早く、いちばん広く理解されるのは警句《エピグラム》なんでね。どっちの場合でも、いちばん価値の低いしろものなのに。
「ぼくが言いたいのは、マリー・ロジェーはまだ生きている、なんてアイディアは、エピグラムとメロドラマのごたまぜだってことさ。[レトワール]紙がこんなことを思いついたのもそのせいだし、世間に好評をはくしたのもそのせいなんで、けっしてこのアイディアにいくらかでも真実らしさがあるせいじゃないってことさ。この新聞の論調を要所だけでも検討してみようじゃないか。そもそもの出発点に存在しているでたらめに引っかからないよう、気をつけながらね。
「この筆者の第一の目的は、マリーの失踪から漂流死体の発見までの期間が短いことを理由に、この死体はマリーではありえないと証明することなんだよ。したがって、この期間をできるかぎり縮めることが、まず、この論者の第一目標になる。そして、この目標をしゃにむに追っかけてるうちに、出発点からただの仮説に跳びこんじまったんだな。『しかし、たとえ彼女が殺害されたと仮定しても、死体を真夜中になるまえに河に投げこむことができるくらい早い時間に殺人をおこないえたとまで仮定するのはばかげている』ってわけだ。ぼくらとしてはすぐ、ごく自然に、なぜって聞きかえしたくなる。なぜ、娘が母親の家を出て五分以内に殺されたと仮定したら、ばかげてるんだろう? なぜ、殺人がその日の昼日なか、どんな時間にだっておこなわれたと仮定したら、ばかげてるんだろう? いままでだって、べつに殺人に一定の時刻をえらんでたわけじゃあるまいし。それに、日曜日の朝九時から夜十二時十五分まえまでのどの時刻に殺人がおこったとしても、まだ充分に『死体を真夜中になるまえに河に投げこむ』ゆとりはあるじゃないか。だから、彼の仮説は、正確にはこう言いかえなくちゃいけない――殺人はけっして日曜日にはおこなわれなかったって。そして[レトワール]紙にこの仮説を認めるんなら、ぼくらはどんなでたらめな仮説だって認めなきゃならなくなっちまう。『しかし、たとえ彼女が殺害されたと仮定しても』云々ではじまる文章は、[レトワール]紙の紙面ではああなってたけど、記者の頭のなかでは実際にはこうなってたんじゃないかな――『しかし、たとえ彼女が殺害されたと仮定しても、死体を真夜中になるまえに河に投げこむことができるくらい早い時間に殺人をおこないえたとまで仮定するのはばかけている――こういう仮定はみんなばかげてるんだ。だから、もうひとつ仮定しなくちゃならないことも――つまり、死体は真夜中をすぎてはじめて投げこまれたと仮定することも、やっぱり、ばかげてる』とね。まったく筋の通らない文章だけど、紙面に載ったのよりはまだしも、言わんとするところがわかるよね。
「ぼくの目的が」とデュパンはつづけた。「たんに[レトワール]紙のこの一節の論旨を反駁《はんばく》することだけなら、べつにもとのままだってかまやしないけど、でも、ぼくらの相手は[レトワール]紙じゃなくて真実なんだもの。問題の文章は、表にあらわれたかぎりでは、ただひとつのことしか言ってやしない。ぼくがはっきり解説したとおりのね。でも、たいせつなのはたんなる言葉じゃなくてその背後をさぐること、つまりこの文章があきらかに伝えようとしていて、うまく言えなかった考えをさぐることなんでね。新聞記者が言いたかったことはこうなんだ――殺人がおこなわれたのが日曜日の昼であれ夜であれどんな時刻であったにしても、犯人は死体を真夜中にならないうちに河まで運ぶなんて危険をおかすはずがない。ところが、ぼくがこの仮説に不服なのは、まさしくこの点なんでね。殺人がおこなわれたのは死体を河まで運ぶことが必要になる場所および状況のもとにおいてであると仮定してるわけだから。ところが、殺人がおきたのは河っぷちとか、河の上だったのかもしれないし、もしそうだとすれば、死体を水に投げこむのは、昼であれ夜であれ、いつだってかまわないことになる。いちばん簡単でいちばん手っとり早い死体の処理方法なんだもの。わかってると思うけど、ぼくはこういうことがありうるって言ってるわけでもないし、ぼくの見方に合うなんて言ってるわけでもないんだ。いままでのところ、ぼくはまだこの事件の真相について何も言ってやしない。ただ、この[レトワール]仮説の論法全体に用心しろと言ってるだけでね。そのために、そもそものはじめから存在する偏向《エクス・パルテ》に注意をうながしただけなんだよ。
「こんなふうに自分の先入観に合うように問題を限定しておいて、もしこれがマリーの死体だとすると、きわめて短いあいだしか水につかっていなかったという仮説を立てる。それから、こう論旨をすすめるんだよ――『すべての経験が教えるところによれば、溺死体ないし殺害直後に水に投げこまれた死体は、水面に浮かびあがるほど腐敗するまでに六日ないし十日の期間を必要とするのである。大砲を河に撃ちこむことで、多くとも五、六日しか水につかっていなかった死体を浮きあがらせたときでさえ、ほうっておけばふたたび沈んでしまうのである』
「この主張をパリじゅうの新聞が暗黙のうちに受け容れてるんだよ。唯一の例外が[ル・モニトウル](現実には[コマーシャル・アドヴァタイザー]主筆ストーン大佐)でね。いまの記事の[溺死体]にかんする部分に猛然と反論してるんだけど、溺死と判然された死体が[レトワール]紙の主張する期間よりも早く浮かびあがった例を五つか六つ引用してね。でも、何か致命的な論理的欠陥が[ル・モニトウル]紙側にあるんだな。だって[レトワール]紙の一般論を反駁するのに、それに反する特殊例を引用してみたってはじまらないじゃないか。二日後とか三日後とかに浮かびあがった死体の例を五つや六つじゃなくて、あと五十つけくわえることができたとしても、一般論そのものが論破されるときまでは、この五十例にしたってやっぱり[レトワール]紙の一般論の例外として認められるだけなんだもの。この一般論を承認するかぎり(しかも[ル・モニトウル]紙はこの一般論を否定してやしないんだよ。ただ、例外を主張してるだけでね)、[レトワール]紙の論旨は磐石《ばんじゃく》なんだな。だって、この反論は、三日以内に死体が浮かびあがる確率の問題以上にはふれようともしてないもの。そしてこの確率の問題じゃ[レトワール]紙の立場のほうが有利だものね。まったく無邪気に反対の例を数えあげて、膨大な数になるまでつづけていって、逆の一般論を確立するまで、どうにもなりゃしない。
「この仮説を反論するつもりなら、どうしてもこの一般論そのものをくずさなくっちゃならない――これはすぐわかるよね。この目的のためには、ぼくらもこの一般論の理論的根拠《ラシオナーレ》を検討しなくっちゃ。ところで人間の駆《からだ》ってやつは、一般に、セーヌ河の水よりそんなに軽くもなければ、そんなに重くもないんだよ。つまり体重は、自然状態では、排除する真水の総重量にほぼ等しい。太っていて肉づきがよくて骨が細いひとや一般に女の躯は、痩せて骨太のひとや男の躯より浮かびやすい。それに河の水の比重は海からの潮によって多少影響を受ける。でも、この潮のことを計算に入れなくても、たとえ真水のなかでだって人間の躯はひとりでに完全に沈んでしまうことはまずないと言っていいんだ。まず誰でも、河に落ちたって浮かんでることはできる――排除する水の総重量を自分自身の体重に充分近づけさえすれば、つまり、全身を水に沈めて、外に出てる部分をできるだけすくなくすればだよ。泳げないひとにとっていちばんいいのは、地上を歩くときと同じにまっすぐ立って、頭を思いっきりうしろにそらし、口と鼻だけを水の上に出して、水中に沈んでることでね。こうすれば、難なく、何もしないで、浮かんでいられるはずなんだ。でも、体重と排除した水の総重量のバランスは非常に微妙だから、ほんのちょっとしたことでもバランスが崩れることもはっきりしてる。たとえば片腕を水の外に突きだしただけでも、それだけ支えがへって重量がふえるわけだから、頭がすっかり沈んじまう。逆に、たまたま小さな木の切れっぱしひとつでも助けがあれば、頭をすっかり水からあげてあたりを見まわすこともできるわけさ。ところが、泳ぎのできないひとはまず例外なく両腕をふりあげてもがきながら、同時に頭もいつものようにまっすぐにしておこうとする。その結果は、口も鼻も水に沈み、水中で呼吸をしようとして肺のなかに水がはいることになる。胃のなかにはもっと大量の水がはいるから、全身がだんだん重くなる。肺や胃のなかに最初はいっていた空気の重さと、いまいっぱいはいってきた水の重さとの差のぶんだけね。この差は躯を沈めるのに充分だというのが原則なんだが、骨が細くて脂肪がいっぱいついてたり、太ってたりすると不充分で、こういうひとは溺死したあとでも沈みやしない。
「河底に沈んだ死体は、何らかの事情で、ふたたび比重が排除している水の比重より小さくなるまで、そのまま河底にとどまっている。比重を変えるのは、腐敗作用その他でね。腐敗の結果、ガスがひろがって、細胞組織や内臓すべてを膨脹させ、あの気味悪いはれあがった外観をつくることになる。ここまで膨脹がすすむと、死体の容積はふえたのに、それに比例して質量すなわち重さはふえないから、比重が排除する水の比重より小さくなり、そこで表面に浮かんでくるわけだよ。でも、腐敗作用は無数の条件の影響を受ける。つまり無数の要因で早くもなり遅くもなる――たとえば、季節の寒暖、水の清濁、河の深浅、流れのあるなし、死体の体質、死亡前の疾病の有無などでね。だから、死体が腐敗のために浮かびあがる時期を多少とも正確に決めるなんてことはできっこないんでね。ある条件のもとでは一時間で浮かんでくるだろうし、またある条件のもとでは沈んだままかもしれない。動物の体を腐敗から永久にまもる化学的な注入剤だってあるんだもの――塩化第二水銀もその一例でね。しかし、腐敗作用がなくても、胃のなかの植物性物質の酢酸発酵によってガスが発生し、他の内臓でも他の原因でガスは発生しうるから、そのために膨脹がおこって死体が浮かびあがることもありうるし、じじつよくあることなんだ。大砲を撃ちこむ効果は、ただ振動を与えるだけなんだけど、死体が埋まっている軟泥を吹きとばすか、死体を軟泥から解きはなすかして、他の要因ですでに浮きあがる状態になっていれば水面にあがってくるわけだし、あるいは振動によってどこか細胞組織の腐りかかった部分が破れてガスがひろがり、内臓をふくらませる場合だってあるだろうしね。
「こうしてこの問題に関する理論を全部、眼の前に並べておけば、[レトワール]紙の仮説を検討することなんか、何の造作もないよ。この新聞はこんなふうに書いている――『すべての経験が教えるところによれば、溺死体ないし殺害直後に投げこまれた死体は、水面に浮かびあがるほど腐敗するまでに六日ないし十日の期間を必要とするのである。大砲を河に撃ちこむことで、多くとも五、六日しか水につかっていなかった死体を浮きあがらせたときでさえ、ほうっておけばふたたび沈んでしまうのである』
「この一節はみんな、こうしてみると矛盾と撞着《どうちゃく》のかたまりとしか見えなくなるね。すべての経験は『溺死体』が水面に浮かびあがるほど腐敗するためには『六日ないし十日の期間を必要とする』なんてことを教えやしない。科学も経験もともに、浮かびあがるまでの期間は確定できないし、またできないはずだってことを教えるだけだもの。そのうえ、大砲を撃ちこんで水面に浮きあがった死体は、『ほうっておけばふたたび沈ん』だりしないしね。腐敗がもっとすすんで、充満したガスが漏《も》れちまうまで待ってれば別だけど。しかも、『溺死体』と『殺害直後に水に投げこまれた死体』との区別に注意してほしいな。記者はこの区別を認めておきながら、ふたつとも同じ範疇《はんちゅう》のなかに入れちまってるからね。ぼくはさっき、溺れる人間の躯がどうして同じ容積の水より比重が重くなるか話したね。もがいて両腕を水の上にふりあげ、水のなかで息をしようとしてあえぎ、もともと空気がはいっていた肺に水を送りこんだりさえしなければ、けっして沈みゃしないってことも。ところが、『殺害直後に水に投げこまれた死体』はもがいたりあえいだりしないわけだから、この場合は[死体は原則として決して沈まない]んでね――この事実について[レトワール]紙はあきらかに無知なんだな。腐敗が非常に進行して、肉が大量に骨からとれちまえば、たしかに死体だって沈むだろうけど、それまでは浮かんでるはずさ。
「そうなると、死体が浮かんでいるのが発見されるまでにわずか三日しかたってないんだから、この死体はマリー・ロジェーの死体じゃありえないっていう説を、ぼくらはどう判断すべきかな? 溺死だったとしても、女性だから沈んだりしなかったかもしれないし、沈んだとしても二十四時間後とか、それ以内にだって浮かびあがったかもしれない。でも、マリーが溺死したなんて誰も考えてやしないんだから、河に投げこまれるまえに死んでたわけで、投げこまれたあとならいつだって、浮かんでるところを発見されるだろうね。
「[レトワール]紙はこうも書いている――『もし死体が惨殺されたままの状態で火曜日の夜中まで河岸に置いてあったのであれば、河岸には殺人犯の痕跡が何か発見されたはずである』とね。ここのところは、ざっと読んだだけじゃ、論者の狙《ねら》いもわからないよね。こういう想像がなりたつと自分の理論に具合の悪いことになると考えて、あらかじめ手を打っておいたらしいんだが――つまり、死体は河岸に二日間置いてあって、腐敗は急速に進行した。水につかってたより早くだね――で、彼はこう考えたんだよ。もしそうだったとしたら、死体は水曜日に浮かびあがるかもしれない。そこで、そういう状況のもとでのみ、死体は水曜日に浮かびあがりうると思いこんだ。したがって、いそいで死体は河岸には置いてなかったと証明しようとして、もしそうなら『河岸には殺人犯の痕跡が何か発見されたはず』だと書いたんだね。この推論《セキテュール》にはにやにやせざるをえないだろ。死体を河岸に多少長いあいだ置いといたからって、それだけで殺人犯の痕跡がふえるって理屈は、きみには納得できないものね。ぼくだってそうさ。
「この記事には、まだつづきがある――『しかも、そのうえ、ここで想定されているような殺人を犯した悪党なら、何者であれ、死体に錘をつけて河に沈めるであろうが、これくらいの用心はべつに手のかかることでもないのに、それさえもしなかったと考えるのはまったく理屈に合わない』って。まったくここなんて、こっけいだねえ! 思考の混乱の見本だよ! 誰ひとり、[レトワール]紙だって、発見された死体が他殺であることに異議をとなえてやしない。犯行の跡はあまりにも歴然としてるんだもの。論者の目的はただこの死体がマリーのじゃないってことだけ、証明したいのはマリーは殺されていないってことだけで――この死体は他殺じゃないってことじゃないのに。ところが、彼の見方が証明してるのは、この他殺じゃないってほうだけなんだもの。ここに錘のついていない死体がある。これを投げこむとき、殺人犯なら必ず錘をつけるはずだ。したがって、殺人犯がこの死体を投げこんだんじゃない――この記事が証明してることは、これですべてなんだな。もし何かを証明してるとしてもね。身許確認の問題には触れてさえもいない。[レトワール]紙はただ、ついさっき自分が認めたことを、いまや大汗かいて否定しようとしてるだけなんだな。このまえにちゃんと書いてるんだもの――『発見された死体が殺害された女性のものであることを、われわれは信じて疑わない』って。
「これだけが唯一の例外ってわけじゃないんでね、この問題のこの部分についてだけでも、われらの記者先生がうっかり自説に反駁しちまってるところは。彼の目的は、まえにも言ったとおり、あきらかにマリーの失踪から死体発見までの期間をできるかぎり縮めることなのに、マリーが母親の家を出たとたん、そのあとではもう誰も彼女を見かけなかった点まで強調しちまってるだろ。こういうふうに――『六月二十二日、日曜日の九時以後、マリー・ロジェーが生きていた証拠は何ひとつないが』だってさ。どうせ、ひどく偏向《エクス・パルテ》した議論をぶちあげてるんだから、すくなくとも、こんな点には眼をつぶっちまえばよかったのにね。だって、月曜日にしろ火曜日にしろ、マリーを見かけた証人が出てくれば問題の期間はぐっと縮まるわけで、彼の推理にしたがえばあの死体があの女店員《グリゼット》のものである可能性はうんと減っちまうじゃないか。それなのに、変だよねえ――[レトワール]紙は自説全体を支える点だと信じこんで、不利な点を押しだしてるんだもの。
「こんどは、この議論のなかで、ボーヴェの身許確認について言及している部分をもういちど読んでごらんよ。腕の毛について、[レトワール]紙はあきらかにきたない手をつかってるんだ。ボーヴェ氏は馬鹿じゃないんだから、ただ[腕の毛]だけで死体の身許を確認したはずはないもの。毛の生えていない腕なんてありゃしない。[レトワール]紙の使った一般化の論法は、証人のことばづかいをわざと歪《ゆが》めたものにすぎない。彼は何か、この毛の特徴について言ったはずだよ。色とか、量とか、長さとか、生えている場所とかの特徴をね。
「この新聞は、こうも言ってる。『マリーの足は小さかったというけれど――小さい足ならいくらでもある。彼女のガーターは何の証拠にもならない、靴も同様である――靴やガーターは大量販売商品ではないか。ボーヴェ氏が強く主張している一点は、発見されたガーターが縮めるために留め金をずらしてあったことだが――これも何の意味ももたない。なぜなら、ガーターを買うとき、ふつうの女性なら、店で自分の足にはめてみてきめるのはいかにもはしたないから、家へ持って帰ってから自分の脚のサイズに合わせようとするからである』ここまでくると、いったいこの論者は本気で書いたのかどうか、ちょっと見当がつかなくなるね。ボーヴェ氏がマリーの死体をさがしていて、躯つきや見た目が失踪した娘にぴったりの死体を見つけたら、やっとさがしあてたと考えたとしても無理ないやね――服装の問題にはまったくふれなくてもだよ。もし、この躯つきや見た目に加えて、生前のマリーの腕に見たことがある特徴のある毛の生えかたを発見したとすれば、さっきの考えがいっそう強まるのも当然だろう。その毛の目じるしの特殊性ないしは異常性の度合に比例して確実性はますわけだもの。もし、マリーの足が小さくて、死体の足も小さければ、この死体がマリーだという確率は、たんに算術級数的にではなく、幾何級数的に、つまり累積的に、いちだんと飛躍して大きくなる。これらすべてに加えるに、失踪当日はいていたと確認されている靴をもってくれば、たとえその靴が『大量販売商品』だったとしても、これだけでもう確率はほぼ確実と考えていいくらい大きくなっている。それだけでは身許確認の証拠にはならないものでも、互いに補強しあう位置におくことによって、もっとも確実な証拠になるものなんでね。ここでもうひとつ、失踪した娘が帽子につけていた造花にぴったりの造花を加えれば、ぼくらはそれ以上証拠をさがす必要もなくなってしまう。たったひとつの造花だって、もうそれできまりなんだよ――まして二つ、三つ、あるいはそれ以上もあったとしたら? こういう一連の証拠は積として作用する――足し算の証拠能力じゃなくて、掛け算の、百倍にも千倍にもなった証拠能力をもつことになる。ここでマリーの生前使ってたガーターを被害者が身につけていたのが発見されたとなると、これ以上の詮索はほとんど馬鹿げて見える。しかもそのガーターは、マリーが家を出るちょっとまえに自分で縮めたのとまったく同じ具合に、留め金をずらせてきつくしてあったんだよ。ここまできてなお疑いをもつのは頭がおかしいんじゃなければ偽善なんでね。[レトワール]紙がこのガーターを縮めたことについて立てた説はまったくの無理筋で、救いがたい判断の誤り以外の何ものも証明してやしない。留め金つきのガーターには伸び縮みする弾力があるんだから、あきらかに、ふつうは縮めて使ったりするものじゃない。ひとりでに調節できるようにつくってあるものを、わざわざ留め金をずらして調節する必要が生じる場合はめったにありゃしない。マリーがガーターをそんなふうに縮める必要があったってことは、厳密に言えば、偶然と考えるしかない。このことだけでも、じゅうぶん身許の確認はできたと思うよ。しかも問題はね、死体が失踪した娘のガーターをつけていたこととか、彼女の靴をはいていたこととか、同じ帽子をかぶり、帽子には同じ造花をつけ、同じように足が小さく、同じように腕に特殊な目じるしがあり、同じような躯つきで見た目も似てたってことじゃないんで――この死体がこれらの点を全部兼ねそなえていたってことなんだよ。[レトワール]紙の主筆が、このような状況のもとでもなお、ほんとうに疑いをいだいているってことが証明されたら、ふつうなら精神鑑定《デ・ルナテイコ・インキレンド》の必要があるところなんだけど、彼の場合はそれにも及ばないさ――法律屋のくだらんおしゃべりの口まねをすることが賢いことなんだと思いこんでるだけだもの。ところがその法律屋が、そもそもたいていは法廷の四角ばったことばづかいの口まねをしてご満悦なんだものね。このさい言っておくと、法廷で却下された証拠の大部分は、知性ある人間にとっては最良の証拠になるものなんでね。なぜなら、法廷は証拠についても一般原則にしたがって、つまり慣例となり文書にもなった原則にしたがってうごくもので、個々の例に応じて原則からはずれるのを嫌うからなんだな。そして、この原則に固執して、それと相容れない例外を断固として無視するやりかたは、長い眼で見ればたしかに獲得しうる真実を最大限度まで獲得する方法なんだよ。だから、このやりかたは、全体としてなら合理的だけれど、膨大な個々の例でまちがいをおかすことも、同時に、避けられないんだな。
〔原注――ここでランダーのことばを引用しておこう「ある対象の性質にもとづく理論は、数多くの対象に応じて展開することができない。そして、数多くの問題をそれぞれの原因に応じて処理する者は、それぞれの結果について価値判断をやめてしまう。このようにして、あらゆる国家の法制は、法が科学となり体系となるとき、もはや正義であることをやめてしまうことを示している。位置づけの原則への盲目的な献身が制定法を誤謬《ごびゅう》にみちびくことは、いかにしばしば立法府が前面に乗り出して、制定法の失った公正の機能を回復することを余儀なくされたかを見れば、わかると思う」〕
「ボーヴェにたいする当てこすりなんかは、きみもすぐさま退けることに同意してくれると思う。だって、この善良な紳士の本当の性格がどんなものか、とっくにわかってるはずだものね。おせっかいやきなんだよ。ロマンがいっぱい、分別はちょっぴりでね。こういう気質の人物は誰でも、ほんとうに興奮しちまうと、過敏な連中や悪意をもつ連中の眼には疑惑をいだかせてしまうような行動をしたがるものなんだ。ボーヴェ氏は、きみの覚書を見ると、どうやら[レトワール]紙の主筆と何回かふたりだけで会って、主筆の仮説に反対してあの死体はマリーだと断固として主張したりしたものだから、すっかりご不興を買っちまったんだね。こう書かれてるもの――『氏はこの死体がマリーのものであることを主張してゆずらないが、われわれがすでに論じた諸点のほかには、他人を納得させる事実を何ひとつつけ加えることができないのである』。だけど、これ以上に『他人を納得させる』強力な証拠は出せっこないって事実はくりかえさないまでも、こういった場合、相手側を納得させる理由は何ひとつ出して見せられなくっても、自分は露ほどの疑いもなく確信してるってことはありうるんじゃないか。ひとりの人間をその人間だと確認する印象くらい漠然としたものはないんでね。誰だって隣のひとを確認してるわけだけど、なぜ確認したかって訊《き》きかえされて、すぐさまその理由をあげられるひとなんてめったにいやしないもの。[レトワール]紙の主筆に、理由もあげずにそう信じこんでるからって、ボーヴェ氏を怒る権利はないね。
「この男をつつんでいるいろいろと不審な事情も、記者先生の有罪説より、ぼくの[ロマンティックなおせっかいやき]説のほうにずっとぴったりしてるってことがわかると思うよ。もうすこし寛容な解釈をとりさえすれば、すべてが造作なく理解できることばかりなんだ――鍵穴の薔薇だって、石板に書いてあった[マリー]って名前だって、親族の男性たちを『事件から遠ざけた』ことだって、『彼らに死体を見せることさえ非常にいやがった』ことだって、『自分が帰ってくるまで警官《ジャンダルム》に何も言ってはいけない』とB**夫人に注意したことだって、もうひとつ言えば『自分以外の何人も捜査の進展にかかわらせまい』と決意していたらしいことだってね。だって、ボーヴェがマリーに言い寄っていたことも、マリーのほうもボーヴェに媚態を見せていたことも、ボーヴェがマリーときわめて親密できわめて信頼が厚かったと思われたがっていることも、ぼくには疑問の余地がないもの。この点についてはもう何もつけ加えなくていいだろう。それに、[レトワール]紙が主張している母親や身内の冷淡さ――あの死体が香水売子のものだと言うにしては、この冷淡さは矛盾してるんじゃないかという主張――については全面的に反証があがってることだしね。だから、この身許確認の問題は完全に満足すべきかたちで解決したものとして、いよいよぼくらも捜査に乗りだすとしようか」
「じゃあきみはどう思ってるんだい?」とここでわたしはたずねた。「[ル・コメルシエル]紙の説だけど」
「精神においては、あの記事はこの問題について発表されたどんなものより、はるかに注目に価するな。前提から演繹《えんえき》していくところも理論的で鋭いしね。だけど、その前提が、すくなくともふたつの場合は不完全な観察にもとづいてるんだよ。[ル・コメルシエル]紙が言いたいのは、マリーは母親の家を出てそれほど歩かないうちに下等なごろつきの一味につかまったってことらしい。こう論じてるものね――『この若い女性のように有名で、何千ものひとびとに知られている人物が、三街区ものあいだを誰の眼にもとまらず通り過ぎることは不可能である』。これはパリに長く住んでる人間の着想だよ。しかも公人で、市内を歩きまわる範囲もだいたい官庁街近辺に限られてるな。自分の役所《ビュロー》から十二街区くらいのあいだを歩いていて、顔見知りに会ったり声をかけられたりしないことはめったにないと知ってるんだよ。そして、自分が知ってる他人の範囲と、自分を知ってる他人の範囲とをよく知ってるから、自分の知名度と香水売子の知名度とをくらべてみて、さして差はないことに気づいたんだね。そこでいっぺんに結論にとびついちまって、彼女もまた街を歩けば、彼が街を歩くとき同様に、必ずや知り合いに出くわすだろうと考えた。ところが、これは彼女の散歩が彼の散歩と同様に、毎日変わらず、規則的で、しかも同じように限られた範囲を歩きまわっていなければ、当てはまりゃしないんでね。彼は一定の時間帯に一定の地域内を往復する。しかも、そこは、職業も似かよっていて、しぜん彼の姿に気がつきやすい人間にあふれてるんだもの。しかし、マリーの散歩のほうは、だいたい、そんなにきちっとしてやしないよね。とくに今度のような場合には、ふだん彼女が歩きなれてる道筋よりずいぶんちがう通りを歩いたと考えるべきだろうからね。だから[ル・コメルシエル]紙のコラムニストの頭にあったろうとぼくらが想像する対比が成立するのは、このふたりがパリ全市を歩きまわった場合だけなんだよ。これなら、知り合いの数が等しいとすれば、チャンスもまた等しいわけで、出会う知り合いの数も等しくなりうるわけだけれど。ぼくとしては、マリーがある任意の時間に、彼女の家と叔母の家とを結ぶ多くの道のどれかひとつを、彼女が知っている人物ないし彼女を知っている人物に誰ひとり会わないで通ることは、たんに可能なだけじゃなくて、きわめてありうることだと思うよ。この問題を完全に、正確に判断するためには、たとえパリでいちばん有名な人物を例にとっても、その知り合いの数と、パリ全体の人口とのあいだには、比較にならない落差があるってことをしっかり頭に入れとかなくちゃね。
「でも、[ル・コメルシエル]紙の意見にまだ何がしかの説得力が残ってるように見えたとしても、この娘が外出した時間を考慮に入れると、ここでまたずいぶん弱くなっちまうんだな。『彼女が家を出たのは、通りにひとがあふれる時刻である』と[ル・コメルシエル]紙は書いてる。でも、ちがうんだな。彼女が家を出たのは朝の九時だった。そして朝の九時には、パリの通りはたしかに人ごみで雑踏してる――ただし、日曜日をのぞいてなんだよ。日曜の九時には、たいていのひとが家にいて教会に出かける支度をしててね、注意ぶかいひとなら毎安息日の八時ごろから十時ごろまでの街なかの、妙にひっそりとした様子を知らないはずがない。十時から十一時までなら街はごったがえすんだけど、問題の時間のように早いと、そんなことはないんだな。
「もう一個所、[ル・コメルシエル]紙の記事で観察不充分と思われるところがある。ここだよ――『この不運な娘のペティコートは、長さ二フィート、幅一フィートぶん引きちぎられて、首のうしろからまわして顎の下で結んであった。たぶん悲鳴をたてさせないためであろう。かかる所業は胸にハンカチーフももたない連中のしわざである』。この判断に充分な根拠があるかどうかは、のちほど検討することにして、ともかく『胸にハンカチーフももたない連中』っていうのは、筆者のつもりでは最下等のごろつきのことだろう。ところが、たとえワイシャツは着てなくても胸のハンカチーフだけはけっして手放さないっていうのが、そういう連中のきまりなんでね。きみもはっと気がついたおぼえがあるはずだけど、最近では、いっぱしの悪党にとっては、胸のハンカチーフは絶対に欠かせない小道具になってるんだよ」
「じゃあ[ル・ソレイユ]誌の記事については」とわたしは聞いた。「どう考えたらいいんだい?」
「あの筆者が鸚鵡《おうむ》に生まれてこなかったのは残念しごくってところかな――きっと不世出の、いちばん華々《はなばな》しい鸚鵡になれたのにな。こっちの新聞、あっちの新聞と、これまで発表された意見をあっぱれな勤勉さでかき集めてひとつひとつ口まねしてるだけじゃないの。『これらの物件はすべて、あきらかにすくなくとも三、四週間、その場にあったものである』とおっしゃる。『この血も凍る惨劇の現場が発見されたことに、疑問の余地はまったくない』ともね。この[ル・ソレイユ]誌が口まねしてる事実は、じつはぼくがこの問題についていだいている疑問をとうてい取りのぞいてはくれないんだけど、このことはもっとくわしく、この問題のもうひとつの側面と関連させながら、のちほど検討することにしようよ。
「いまのところ、ぼくらはほかのことをいろいろ調べてみなくちゃね。検視がひどくいいかげんだったことは、きみも気づいてるだろう。たしかに身許確認の問題はただちに確定されたけれど、当然のことでね。そのほかにも確認すべき点がいくつもあったんだが――死体から何か奪われていなかったか? 被害者は家を出るとき何か宝石類を身につけていなかったか? もし身につけていたのなら、死体で発見されたときはどうだったのか? こういう重大な問題に証言はまったくふれていないし、このほかにも同じくらい重大な問題で見のがされてることがいくつもある。ぼくらは納得がいくまで自分で調べるしかなさそうだよ。サン・トウスタシュの件も、もう一度調べてみなくちゃ。ぼくはこの男を疑ってやしないけど、でも、調査はきちんと方法をふまえてやりたいからね。日曜日のアリバイについての宣誓供述書も、信用できるかどうか、疑問の余地がなくなるまで確かめておこうよ。この種の供述書はごまかしが多いものだから。で、それでもあやしいふしが何ひとつ出てこなかったら、サン・トウスタシュを調査からはずす。彼の自殺は、もし、供述書にうそが見つかれば、たしかに疑惑をふかめる材料になるけれど、うそがなければ、けっして説明のつかないことがらじゃないし、また、ぼくらがふつう以上に立ち入って分析してみなくちゃならない問題でもないからね。
「調査にあたって提案しておきたいことがあるんだけど。ぼくらはこの悲劇の内部の問題は無視して、もっぱら周辺部分に眼を向けることにしないか。こういう捜査にけっしてすくなくない、まあふつうのまちがいは、取調べを直接関係してることだけに限定してしまって、付随的ないし周辺的な出来事をまったく無視することだからね。証拠も弁論も明白に関連する範囲に限定してしまうのは、法廷の不法行為だよ。ところが経験の教えるところでは、そして真の哲学がつねに教えるところでは、真理の多くが、というより、より多くの真理が、ほとんど無関係に見えるところから生まれてくるものなんだな。近代科学が[予見できないものを計測する]のは、正確にこう言っているかどうかはともかくとして、この原則の精神によってるんでね。でも、きみにはぼくの言うことがのみこめないかもしれないな。人間の知識の歴史が絶えず示しつづけてきたことがふたつあってね――ひとつは、非常に多くの非常に価値ある発見が、付随的ないし付帯的ないし偶発的な出来事のおかげで達成されるものであること。もうひとつは、将来の進歩のためには、ふつう予想しうる範囲からまったくはずれた部分から偶然に生まれる発明のために、ただ大きなぐらいではなくて最大の可能性を開いておくことが不可欠なところまできていること。つまり、いままでの積み重ねの上に未来のヴィジョンをえがくことは、もう合理的じゃないんだよ。偶然を基礎の一部に組みこんでおかなくちゃね。偶然を完全に計測の対象とするんだよ。予見しえないもの、想像不可能なものを数学の公式のなかにつかまえなくちゃいけない。
「くりかえして言うと、あらゆる真理の大部分が付随的なものから生まれるということは、まさしく事実なんだよ。そして、ぼくがこんどの事件で調査の方針を変えようというのも、いま言った事実が示す原則の精神にしたがおうというだけのことなんだ。さんざん荒らされて、しかもいままで収穫のなかった事件そのものの領域から、事件をとりまく当時の状況へと、調査をうつそうってことさ。きみが宣誓供述書の信憑《しんぴょう》性をたしかめているあいだに、ぼくのほうは新聞を、きみがこれまでやった以上に範囲をひろげて調べることにしよう。これまでのところは、調査ずみの分野を調べなおしただけだものね。でも、ぼくが提案したみたいに手をひろげて新聞を調べてみて、それでも調査の方向を確立するディテイルが出てこなかったら、ぼくにはむしろそのほうがふしぎなくらいさ」
デュパンに言われたとおり、わたしは供述書の件を徹底的に調べた。その結果、供述書は信用しうるものであり、したがってサン・トウスタシュは無罪であることを確信するにいたった。そのあいだ、友人はわたしの眼にはあまりにも綿密すぎて行きあたりばったりに見えるやりかたで、さまざまな新聞のファイルの調査に没頭していた。一週間後、彼はわたしのまえにつぎのような抜書きを置いた。
『三年半(まえの話と矛盾する。「五ヵ月前」とあるべきところ)ほどまえ、今回の騒動と酷似する事件がおきたことがある。パレ・ロワイヤルのル・ブラン氏経営の香水店《パルフメリー》から、この同じマリー・ロジェーが失踪したのだった。けれども、そのときは一週間後に、変わらぬ姿でいつもの売場《コムプトワール》にふたたびあらわれた。ただし、ふだんよりいくぶん顔色が冴《さ》えなかったけれども。ル・ブラン氏および彼女の母親の説明によれば、マリーはただ田舎のさる友人のもとを訪ねていただけのことであり、事件はたちまちおさまってしまった。今回の失踪も同様の気まぐれであり、一週間か、それとも一カ月たてば、彼女はふたたび姿をあらわすものとわれわれは考えるものである』――[夕刊新聞](現実には[エクスプレス])六月二十三日、月曜日。
『昨日の一夕刊紙はロジェー嬢のかつての謎めいた失踪事件にふれている。ル・ブランの香水店《パルフメリー》から姿を消した一週間、彼女が放蕩の悪名高いひとりの海軍士官とともにすごしたことは、知るひとぞ知る。おそらくいさかいがおこり、幸いにも家にもどることになったものであろう。われわれは現在パリ在勤中の問題の女たらしの名前を知っているが、公表はさしひかえる。理由は言うまでもあるまい』――[ル・メルキュール](現実には[ヘラルド])六月二十四日、火曜日、朝刊。
『もっとも悪質な暴行事件が、一昨日、当市近郊で発生した。妻と娘をともなった一紳士が、日の暮れちかく、セーヌの河岸ちかくであちこちのんびりとボートを漕いでいた六人の若者に金を与え、河を渡してもらった。対岸につくと乗客三人は降り、ボートが見えなくなるあたりまで歩いていったが、そこで娘がパラソルを置き忘れたことに気づいて、取りにもどった。連中は娘をつかまえ、河中に連れ出して、猿ぐつわをかませて暴行したのち、ようやく娘が最初両親といっしょにボートに乗った地点からほど遠からぬ河岸に置き去りにしたのである。犯人は目下逃走中だが、警察も追跡中で、うち若干名はまもなく逮捕の見込みである』――[朝刊新聞](現実には[クーリア・アンド・インクワイアラー])六月二十五日。
『本社は最近の凶悪犯罪をムネーに結びつける趣旨の投書を一、二受け取ったが、この紳士は法の定める訊問の結果、完全に無罪が証明されており、これら投書家の論議は熱意はあるが深い根拠はないように思われるので、公表することが有益であろうとは考えないものである』――[朝刊新聞](まえに同じ。なおムネーは、はじめ容疑者として逮捕された者のひとりであるが、証拠がまったくなく、釈放された)六月二十八日。
『本社はそれぞれに別人の筆になると見られる強硬な投書数通を受け取った。論旨は、不運なマリー・ロジェーが日曜日にパリ近郊を荒らしまわる無数の不良グループのひとつの犠牲となったことは確実だというものである。本社の見解もこの推論を断固支持する。本社は今後つとめて、これらの議論を紹介していきたいと思う』――[夕刊新聞](現実には[イヴニング・ポスト])六月三十日、月曜日。(原文では「六月三十一日、火曜日」となっている)
『月曜日、税関所属の艀《はしけ》の船頭のひとりが、セーヌ河にただよう無人のボートを発見した。帆をはずして船底に横たえてあり、船頭は艀事務所まで曳行《えいこう》した。翌朝、事務所の者が誰も知らぬうちにボートは持ち去られ、いまは舵《かじ》だけが残っているとのこと』――[ル・ディリジャンス](現実には[スタンダード])六月二十六日。
こういうごたまぜの抜書きを読んでも、わたしには何だか見当ちがいに思えただけじゃなく、どのひとつをとっても目下の事件とどうかかわるのかさえまるでわからなかった。デュパンが何か説明してくれるのを持つしかなかった。
「いまくわしく話すつもりはないんだよ」と彼は言った。「第一と第二の抜書きについてはね。ぼくがこれを写したときまず考えたのは、警察のひどい怠慢さをきみに見せることでね。警視総監の話しぶりから判断するかぎり、連中はここに出てくる海軍士官をまるっきり調べてさえいないんだもの。でも、マリーの第一の失踪と第二の失踪のあいだに何も関連が考えられないなんてのは、まったく馬鹿げた言いぶんでね。いちおう第一の駈落ちが恋人たちのいさかいに終わって、裏切られた娘が家に帰ったとしておこう。するとぼくらの眼には第二の駈落ちも(もちろん、また駈落ちだったとわかればの話だけれど)裏切った男がもういちどよりをもどそうとしたんじゃないかってふうにうつるようになる。第二の男に新たに持ちかけられて、というよりはね――つまり、焼け棒杭《ぼっくい》に火がついたんで、新しい情事《アムール》がはじまったんじゃあるまいって見方が出てくるわけさ。かつてマリーと駈落ちしたことのある男がまた駈落ちを持ちかける可能性を十と考えると、以前ひとりの男と駈落ちしたことのある娘にこんどは別の男が駈落ちを持ちかける可能性は一あるかないかだろうよ。そこで、この事実に注目してほしいんだが――つまり、第一の確認ずみの駈落ちと第二の仮定の駈落ちとのあいだに経過した時間は、わが海軍の軍艦が巡洋航海に要する通常の期間よりわずか二、三カ月多いだけなんだよ。この男は出航のために最初のときは悪だくみの実行を思いとどまるしかなかったけれど、今度は帰ってくるとさっそくまだ完了していない卑しいたくらみにまたとりかかったんじゃないか――それとも、この男はすくなくともまだ完了していない、と言いかえるべきかな? こういうことのいきさつは、まるでぼくらにわかってないんだよ。
「しかし、きみは指摘するだろうね。この第二の場合には駈落ちはしてないって、ぼくが想像するみたいにはね。たしかにしてない――でも、駈落ちの計画が失敗したんだとは言えるんじゃないかな? サン・トウスタシュと、それにたぶんボーヴェを加えて、このふたりのほかには、世間に認められた、公認の求婚者はマリーにはいないよね。このほかに噂にのぼった男はひとりもいない。とすると、秘密の恋人は誰なんだ? 身内が(すくなくとも身内のほとんどが)何も知らない、けれど日曜日の朝にマリーが会ってて、しかも日暮れまでルール関門のさびしい森のなかにいっしょにいることをためらいもしないくらい深く信頼している秘密の恋人とは? ぼくはこうたずねたいな――すくなくとも身内のほとんどが知らない秘密の恋人は誰か? そして、マリーが出かけた朝に母親が口にした奇妙な予言は何を意味するのか? [もう二度とマリーに会えないかもしれないわ]って言ってるんだよ。
「まあ、ロジェー夫人が駈落ちの計画を打ち明けられてたと想像することはできないにしても、すくなくとも娘のほうには駈落ちの心づもりがあったと考えていいんじゃないかな? 家を出るとき、マリーはデ・ドローム街の叔母を訪ねると思いこませてるし、サン・トウスタシュには日暮れに叔母の家まで迎えに来てくれと頼んでる――そこで、すぐ頭をかすめるのは、この事実がぼくの仮説の足を引っぱるみたいだってことだよね。でも、もっとつっこんで考えてみよう。マリーはたしかに誰か男友だちに会って、彼といっしょに河を渡り、午後三時という遅い時間にルール関門に着いたことまでわかってるんだよ。しかも、この男といっしょにこんなふうに出かけることに同意したとき(目的は何であろうと、また母親が知っていようといまいとだよ)、彼女は家を出るとき使った口実やサン・トウスタシュのことを考えたにちがいないね。約束の時間にデ・ドローム街に迎えに行って、彼女が来てないことを知ったときの、それだけじゃなくて、この驚くべき知らせをもって下宿屋《パンシオン》に帰り、彼女がまだ家にもどってもいないことがわかったときの婚約者が、心のなかでどんなに驚き、疑惑をいだくかということまで――彼女は考えたにちがいないね、きっとだよ。サン・トウスタシュの嫉妬や、みんなの疑惑まで、ちゃんと予想したにちがいない。それでも、帰る気にはならなかった。こういう疑惑すら顧みなかったんだね。もっとも、もし最初から家に帰るつもりがなかったと仮定すれば、こんな疑惑なんて彼女にはまったく取るに足りないものになっちまうけれども。
「マリーはこんなふうに考えたと想像してみてはどうだろう――[あたしはこれからあるひとに会うことになっている。駈落ちするために(あるいは、彼女しか知らないある目的のために)。絶対にじゃまされないようにしておかなくては。追手をのがれるためには、できるだけたくさんの時間がなくちゃ――口実には、デ・ドローム街の叔母さんのところへ行って一日じゅう過ごすっていうのはどうかしら。サン・トウスタシュには日暮れまで迎えには来ないでと言っとけばいいんだし――こうすれば誰にも疑われたり心配されたりしないで家を空けられるし、できるだけ長いあいだ留守にしてもだいじょうぶ。ほかのやりかたよりずっと時間ができるわ。サン・トウスタシュに日暮れに迎えに来てって頼んどけば、きっとそのまえに来たりはしない。でも、まるっきり迎えを頼まなければ、かえって逃げる時間がすくなくなってしまう。だって、きっと、もっと早く帰るはずだと思うでしょうし、そうなると早目に気をもみはじめることになってしまうもの――もし、けっきょくは家に帰るつもりなら(彼女のもくろみが、問題の男とたんに散歩をするだけだとしたら)、あたしだってサン・トウスタシュに迎えを頼んだりするものですか。迎えに来たら、彼はきっとあたしがうそをついたことに気づくにきまってるもの。それくらいなら、彼には何にも言わずに家を出て、夕方までに家に帰り、そのときデ・ドローム街の叔母さんの家に行ってたって言えば、あのひとと逢引《あいびき》したなんてことは、彼には永久に気づかれずにすむかもしれないんですもの――でも、けっして家には帰らないつもりなんだから(数週間は、あるいは、うまく身を隠すことができるまでは)、いまあたしの考えなくちゃならないことはたったひとつ、時間をかせぐことだけなの]
「きみの覚書にもあるとおり、この痛ましい事件にたいするいちばんふつうの見方は、終始一貫、マリーは不良グループの犠牲となったというものだよね。ところで、大衆の見方は、ある条件のもとでは、けっして無視してはいけない――自然に発生した割合には、つまり厳密に自然発生的にあらわれた場合には、ぼくらは一個の天才の特性である直観に似たものとして大衆の見方を考えるべきなんだよ。百のうち九十九まで、ぼくはその見方にしたがうね。だけど、そのためには、暗示を受けた痕跡がすこしでもあったらだめなんだよ。その見方はあくまでも大衆自身のものでなくちゃね――ところが、ここのところの見分けかたも、見分ける眼をもちつづけることも、きわめて難しいことがしょっちゅうなんだ。いまの場合、この不良グループ説という[世論]は、抜書きの三番目に書いてある周辺的な出来事の影響を多分に受けているとぼくは思う。パリじゅうが若くて美人で噂の的だった娘マリーが死体で見つかったために沸きかえっている。発見された死体には暴行を受けたあとがあって、セーヌ河に浮かんでたんだからね。ところが、この娘が殺されたと思われるちょうどそのころ、あるいはすくなくともその前後に、この娘が受けたのと同じような暴行を、こちらは殺されはしなかったけれども、もうひとりの若い娘が受けて、犯人は若い不良のグループだったってことが判明したんだ。この犯人《ほし》の割れた凶行が、もうひとつの未解決の凶行をめぐる大衆の判断に影響しても何のふしぎもないだろ? 大衆の判断は方向づけられるのを待ちうけていた。そこにタイミングよく、この犯人の割れた暴行事件がおきれば、大衆はこの方向づけにわっととびつくさ! マリーの死体が見つかったのもセーヌ河なら、この犯人の割れた凶行の現場も同じセーヌ河だった。このふたつの事件のつながりはあまりにもはっきりと眼につきすぎるから、大衆がそれに気づき、その方向にとびつかなかったら、それこそふしぎというものだろうよ。ところが、じつは、ひとつの凶行がそのようにおこなわれたと判明していることは、何よりもまず、もうひとつのほとんど同じころにおこなわれた凶行はそのようにしてはおこなわれなかったという証拠になるんだな。もし、あるごろつきの一団が、任意の地点でかつてない悪事を働いているとき、もう一団のならずものがまったく同じ場所でまったく同じ時間に同じ手口で同じ悪事を働いているとしたら、まあ奇跡とでも呼ぶしかないんじゃないか! それなのに、こんな奇跡めいた暗合の連鎖がじっさいにおこったと信じろっていうのが、偶然によって暗示を受けた世論ってものなんだからな。
「話を先にすすめるまえに、殺人の現場だとされるルール関門の茂みのことを検討しておこう。この茂みはたしかに深いけれど、道のすぐ脇にある茂みのなかには大きな石が三つ四つ転がっていて、背もたれも足のせ台もある天然の椅子みたいになっている。背もたれの石の上に白いペティコートが見つかり、座席の石の上に絹のスカーフがあった。パラソルと手袋とハンカチーフもいっしょに発見されてる。ハンカチーフは[マリー・ロジェー]の名前入りだ。ドレスの切れはしも周囲の小枝にひっかかってた。地面は踏み荒らされ、茂みの枝は折れて、格闘のあとも歴然、ということだね。
「この茂みの発見は新聞が大歓迎したものだし、凶行の現場をはっきり示すものだと意見も一致しているけれど、これだって疑問の余地はたっぷりあるってことを認めなくちゃね。これが現場だってことを、ぼくが信じる信じないは別問題として――ともかくいちおうは疑ってみるだけの理由はりっぱにあるんだよ。もしほんとうの現場が[ル・コメルシエル]紙の言うようにパヴェエ・サン・タンドレエ街の近くだったとすれば、犯人がまだパリに住んでると仮定すると、この記事で世間の眼がほんとうの現場のほうに正確に向けられることにたいして、当然、恐れおののいたことだろう。そうなれば、ある種の頭が働く人間なら、すぐさまこの世間の眼をほかにそらす手を打つ必要を感じたはずだよ。となれば、ルール関門の茂みにはもともと疑いがかかっていたんだから、あとで見つかった品々をここに置いておこうという考えだって、当然、思いついただろう。発見された遣品が茂みにあった期間はとても二、三日なんてものじゃないって[ル・ソレイユ]誌は言ってるけど、ほんとうの証拠は何ひとつありゃしない。それに反して、運命の日曜日から子供たちが見つける午後までの二十日間も、遺品が誰の注意もひかずに茂みのなかに置きっぱなしになってたはずはないという情況証拠のほうならいっぱいあるんだからね。[ル・ソレイユ]誌はとっくに発表されてる意見を受け売りしてこう書いている――『どれも雨にあったためにすっかり黴《かび》がきて、その黴のためにぴったりとくっついていた。草がまわりに伸び、何点かは草におおわれていた。パラソルの生地は丈夫な絹だが、縁飾りの房はなかにくっついている。上の部分は二重になっていて、たたんであったからすっかり黴がまわって朽ちてしまったらしく、開くと破れてしまった』でも、『草がまわりに伸び、何点かは草におおわれていた』っていうくだりだってあきらかに伝聞なんでね、したがってちっちゃなふたりの子供の記憶にもとづくものでしかない。だって第三者が見るまえに子供たちが品物をうごかしたり家に持って帰ったりしてるんだもの。それに草なんて、この殺人があったころみたいに暑くて雨の多い季節にはとりわけよく伸びるものでね、一日に二、三インチも伸びるときだってあるもの。新しく芝を植えたばかりの地面にパラソルを置いといても、ただの一週間で、どんどん伸びる草にすっかり隠れてしまうだろうな。そして黴について言うなら、[ル・ソレイユ]誌の編集長はいま引用したごく短い記事のなかでさえ三回も[黴]と書くくらいしつこくこだわってるようだけど、でもほんとうにこの黴の性質をごぞんじなんだろうか? たくさんある菌類のひとつで、いちばんふつうの特性は発生から枯死までを二十四時間以内におこなうことだってぐらいは知っといてもらわなくちゃね。
「したがって、遺留品の数々が『すくなくとも三、四週間』茂みにあったという判断を支える根拠としてさも得意げにあげているものが、じつはそのことの証拠としてはまったく無意味なお笑いぐさにすぎないってことは、ひとめでわかる。その一方、これらの遺留品が問題の茂みのなかに一週間以上、つまり日曜日からつぎの日曜日までより長い期間、ほったらかしになっていたなんて、とても信じられない。パリの近辺をすこしでも知ってたら、郊外もよほど遠くまで出かけないかぎり、人目につかない場所を見つけるのはどんなに難しいかわかってるはずさ。森のなかにしろ林のなかにしろ、誰も行ったことのない場所はおろか、めったにひとの来ない場所でさえ、とても想像できないものね。誰でもいい、心では自然の愛好者でありながら仕事のために大都会の埃《ほこり》と熱気にしばりつけられているひとに、週日でもいいから、パリをとりまく美しい自然の風景のなかで孤独への渇きをいやす試みをやらせてみたまえ。自然の魅惑がふかまると思う、そのもう二歩目には、ごろつきが姿をあらわすとか不良どもの一行のどんちゃん騒ぎが聞こえてくるとかで、その魅惑もどこかへふっとんじまうことがわかるはずだ。深い木立のなかに自分ひとりになる場所をさがしても、やっぱり無駄だね。こっちのかっこうの隠れ場所には薄ぎたない連中がうようよしてるし、あっちの神殿はすっかり世俗の埃《ほこり》にまみれちまってる。心も重く、この散策者は汚れたパリに逃げ帰るのがおちさ。だって、ごみためにしても不調和がないぶんだけいやらしさがすくないもの。でも、パリの近郊は週日でさえこんなにごみごみしてるんだから、いったい安息日になったらどうなるだろう! 労働の義務から解き放たれて、つまりふだんの悪事をはたらく機会を奪われちまって、町の不良どもが郊外へとくりだしてくる。むろん田園を愛するからじゃなくて、内心では軽蔑してるんだけど、ただ社会の束縛と慣習からのがれたい一心なのさ。奴らがのぞんでるのは新鮮な空気でも緑の木立でもなくて、ただ、田舎の完全な放縦だけなんだよ。そこで、道ばたの茶屋とか森の木かげとかで、自分の遊び仲間以外には誰の眼にも縛られないで、思いっきりいんちきな馬鹿騒ぎにふけるって寸法さ――放埓とラム酒の混血児のね。これ以上何も言わなくっても、冷静にものを見てれば誰にだって明白なことなんだけど――もう一度くりかえすと、問題の遺留品が置かれていた場所を考えれば、パリ近辺の茂みならどこだってかまやしないけど、日曜日からつぎの日曜日までより長い期間、見つからないでほうってあったなんて話は、まあ奇跡としか呼びようがないね。
「それに、茂みのなかにあった遺留品は凶行の現場から注意をそらすために置いてあったんじゃないかという疑惑には、ほかにもまだ根拠がないわけじゃないんだよ。そこでまず、遺留品が発見された日付に注意してほしいな。それから、ぼくが新聞から抜書きした五番目の記事の日付と対照してくれないか。[夕刊新聞]に緊急の投書が送られたほとんどすぐあとに(すこし矛盾する。発見の日付は七月十一日か十二日だったはずなので)、遺留品の発見がつづいてることに気がつくよね。投書はさまざまであきらかに筆者もさまざまだっていうけれど、全部の論旨が一点に向かってる――つまり、凶行の犯人としてはごろつき一味に、凶行の現場としてはルール関門付近に、注意を向けさせようとしてるね。さて、ここで、もちろん、投書の結果とか、そのせいで世間の眼がこちらに向けられた結果とかで、子供たちが遺留品を見つけたというふうに事が運んだわけじゃないよ。でも、こういう疑惑は成り立つし、またじゅうぶん考えられることじゃないのかな――子供たちが遺留品を投書のまえに見つけなかったのは、それまでは茂みのなかに置いてなかったからじゃないか。そこに遺留品が置かれたのは犯行のあとずいぶんたって、この投書の日付と同じころ、ないしはその直前になってはじめてのことで、しかも置いたのは、この投書を書いた犯人たち自身なんじゃないのか。
「この茂みはめずらしい――じつにめずらしい茂みでね。めったにないくらい深い茂みで、その天然の壁をめぐらしたなかには風変わりな石が三つあって、背もたれと足おき台のある椅子の形をしてるっていうんだもの。そして、このじつに凝った茂みはドリュク夫人の住居のすぐ近く、数ロッド(一ロッドは五・五ヤード。約五メートル)以内のところにあって、夫人の子供たちはサッサフラスの樹皮(くすのき科の木で、樹皮は強壮剤、香料に使われる)をさがして家のまわりの茂みをていねいに調べてまわる習慣だった。とすればこの子供たちのすくなくともどちらかが、緑の広間にかくれたり、天然の玉座で王様になったりすることを思いつかない日は一日もなかっただろうね――こっちのほうに賭けるのは、むこうみずかな? 千対一の賭けだよ。こんな賭けにしりごみするのは、子供だったことがいちどもないか、子供の心を忘れちまった連中にきまってるさ。もう一度言うけど、どうしてこの茂みのなかの遺留品が一日か二日以上ものあいだ、見つからないまま置きっぱなしになってたなんてことがありえたのか、とても納得できないね――したがって、[ル・ソレイユ]誌の無知からくる独断にもかかわらず、遺留品はかなりあとになって発見された場所に置かれたんじゃないかという疑惑には、りっぱな根拠があることになる。
「それに、これまで話してきた理由のほかにも、そんなふうにあとから置かれたと考えられるもっと強い理由があるんだな。そこでこんどは、あの遺留品のきわめて人工的な並べかたに注意してほしいんだよ。背もたれの石には白いペティコートがかけてあり、座席にあたる石には絹のスカーフがのせてあって、パラソルと手袋と[マリー・ロジェー]と名前のはいったハンカチーフがちらばっていたよね。これはすごく頭が切れるってほどじゃない人間がこういう品々を[ごく自然に]置こうとしたとき、ちょうどこんなぐあいになるといった並べかたで[ごく自然に]置いてはあるんだが、けっしてほんとうにごく自然には並んでやしない。むしろ、どれも地面にちらばってて、しかも足で踏みつけられてるほうがほんとうらしいやね。あの茂みに囲まれた狭い場所で何人もの人間が争ったとしたら、ペティコートもスカーフもあちこちふりまわされて、あんなふうにちゃんと石の上にのっかってるなんてことは、まあありえないよ。だって、地面は踏み荒らされ、茂みの枝は折れて、格闘のあとを歴然としめしているんだろ? それでも、ペティコートとスカーフは棚の上に置いたみたいなふうで見つかってるんだからね。『茂みにひっかかってちぎれたドレスの切れはしは、それぞれ幅三インチ、長さ六インチぐらいである。ひとつは上着の裾でかがってあり……むしりとられたように見える』と[ル・ソレイユ]誌は書いてるけれど、ここで手を抜いて非常にあいまいな表現を使ってるだろ。布切れは書いてあるとおり、たしかに『むしりとられたように見える』だろうけど、じつはわざと手で裂きとったものなんだよ。いま問題にしてるたぐいのドレスから、茨のせいで、布切れが『むしりとられ』るなんてことはめったにあるものじゃない。こういう布地はまさにその織りかたのせいで、茨とか釘とかに引っかかった場合には、直角に裂けるものなんだ――つまり、布切れはふたつのまっすぐな裂け目に分かれ、茨が喰いこんだところを頂点にして互いに垂直にまじわることになる。だけど、布切れが『むしりとられ』るなんてことは、まず考えられない。ぼくはそんな例など一度も見たことがないし、きみだってそうだろ? こういう布地から布切れを裂きとるためには、まずどんな場合にでも、それぞれ別な方向に働くふたつの力が必要なんだ。もし布地に縁がふたつあれば――たとえば布地がハンカチーフだとして、それから布切れを裂きとろうとするんだったら――その場合には、というよりその場合にだけ、ひとつの力でまにあうだろうけれど。でも、いまの場合、問題になってるのはドレスなんだから、縁はひとつしかない。まして縁のない途中のところから布切れを裂きとるなんてことは、茨の力じゃ奇跡でもおきないかぎり無理だ。一本の茨じゃ絶対にできやしないよ。それじゃ縁のあるところならどうかというと、茨が二本必要で、一本が直角にまじわるふたつの裂け目をつくり、もう一本がつくる裂け目のひとつと交差しなくちゃ裂きとれない。しかも、この場合だって、口がかがってないことが条件で、かがってあったら、まず問題にならない。こうしてみると、布切れがたんに[茨]の力だけで『むしりとられ』るためには、ちょっと障害が多すぎるし大きすぎることがわかるよね。それなのに、ぼくらは布切れが一枚だけじゃなく何枚もむしりとられたと信じろって言われてるわけさ。しかも『ひとつは上着の裾』で、もうひとつは『スカートの一部だが裾の部分ではない』――つまり、ドレスの縁のところじゃない内側の部分から、茨のせいで、きれいに布切れが裂きとられてるって話なんだぜ! ここまできちゃあ、まあ信じなくとも許してもらえるんじゃないのかな。しかも、これまでの疑問をいっしょにしても、まだ及ばないくらい大きな疑問点がのこってるんだ――つまり、誰がやったにしろ死体を動かすことを思いつくくらい用心ぶかい殺人犯どもが、いったいどうして、ああいう遺留品を茂みのなかに置きっぱなしにしたかという、信じられないような事態のことさ。でも、この茂みが凶行の現場だということを否定するのがぼくの目的だと思うんなら、きみはぼくの話をまちがって聞いてるんでね。この茂みが犯行の現場かもしれないし、あるいは、もっと考えられるのはドリュク夫人の茶屋でおきたことかもしれない。だけど、じつは、このことはさほど重大なポイントじゃないんだ。だって、ぼくらは犯行現場を見つけようとしてるんじゃなくて、殺人犯人をつきとめようとしてるんだもの。これまでぼくが例をあげて証明してきたことは、ずいぶんこまかなところまでやったけれど、目的の第一は[ル・ソレイユ]誌の独断的で軽率な主張がどんなに馬鹿げたものかをしめすことだったわけだが、第二の、肝心の目的は、この殺人が集団の犯行かいなかという疑問を、ごく自然な筋道をとおって、きみに掘りさげて考えてもらうためだったんだよ。
「この問題にもどる手はじめに、まず検視にあたった外科医の胸の悪くなるような報告書にちょっとふれておくことにしよう。彼の発表した犯人の人数にかんする推測は、パリじゅうの名のある解剖学者たちから、当然ながら、でたらめでまったく根拠がないと笑いものにされていると、まあそれだけ言っておけばいいんじゃないかな。事実は彼の推測とはちがうだろうって意味じゃなくて、この推測には根拠がないって意味でなんだけど――でも、もうひとつの推測だったらどうだろうか?
「そこでこんどは[格闘の痕跡]について考えてみよう。まず、この痕跡が何をしめすものと考えられてきたか、それをたずねたいな。ごろつきの集団ってことだよね。でも、むしろ、集団の不在をしめしてるんじゃないだろうか? かよわい無防備の娘と、想像されてるようなごろつきの集団とのあいだで、どんな格闘がおこりえただろう――そこらじゅうに[痕跡]がのこるくらい激しく、えんえんとつづく格闘ってことになってるけれどね。あらくれどもが何人か、黙ってつかみかかれば、それで万事休すじゃないか。被害者は完全に彼らのなすがままになるしかないだろう。ここで頭に入れておいてもらいたいのは、この茂みが犯行現場じゃないという反論は、大部分は、[犯人がたったひとりではない]と考える場合にだけあてはまるってことなんだ。もしたったひとりの犯人を想像するとすれば、こんなにはっきり[痕跡]をのこすほど激しく執拗な格闘があったと考えられるし、また、こうしか考えようがないんだよ。
「それから、もうひとつ。問題の品々がともかくあの茂みに置きっぱなしになってるのが見つかったという事実によってかきたてられた疑惑のことはもう話したよね。ああいう犯罪の証拠を、うっかりしてあの場所に置きっぱなしにするなんてことは、まずありえない。だって死体を運ぶだけの心の落ちつきはあった(たぶんあったんだろう)。それなのに、死体なんかよりもっとはっきりした証拠のほうは凶行の現場によくめだつように置きっぱなしにしとくなんて――だって、死体の顔なんか腐ってまもなくわからなくなっちまうだろう? ところが被害者の名前入りのハンカチーフのほうは、ね。もしこれが過失のせいだとしたら、集団でやった過失ではないな。そんな過失が考えられるのは、たったひとりでやった場合だけさ。さあ考えてみよう――ひとりの男が人殺しをやってしまった。たったひとりで死者の亡霊とむかいあう。眼のまえに横たわる身じろぎもしない死体を見ていると肌が粟《あわ》だってくる。狂暴な情欲もいまは消えうせ、みるみるひろがる心のすきまに自分の行為にたいする当然の恐怖がしのびこむ。彼には自信のかけらもない、仲間がいれば何とか湧いてきただろうに。たったひとりで死体にむきあっているだけなのだ。彼は身ぶるいし、途方にくれる。それでも、死体を何とかしなくてはならない。死体を河に運んでゆくが、ほかの犯罪の証拠はあとにのこしたままだ。だって、全部のものをいっぺんに持っていくのは不可能ではないにしてもたやすくはないし、それに残しておいたものを取りに帰るのは難しいことじゃないからね。しかし死体を水辺まで苦労して運ぶうちに、彼のなかの恐怖はますますふくれあがっていく。生きているものの気配が彼の道をとりかこむ。自分を見ている人間の足音を聞いたり、あるいは聞いたように思ったことも十回ではきかない。街の灯にさえもびくついてしまう。それでも、やっと、深い苦悩のために何度も長いあいだ立ちどまったりした末に、彼は河岸につき、無気味な荷物を処分する――たぶん、ボートを使ってね。しかし、いまとなっては、この世のどんな宝にも、どんな復讐の脅迫にも、この孤独な殺人犯を、このつらい危険な道をとおって、血も凍る思い出のこもる茂みまでとって返させる力はない。彼は帰らない――結果がどうなろうとかまうものか。帰ろうとしても、できないんだよ。考えることはただひとつ、すぐさまこの場から逃げだすことだけ。彼はあの恐ろしい茂みに永遠に背を向け、まるで神の怒りから逃げだすみたいに、逃亡する――だろうね。
「ところが、ごろつきの一味だったらどうだろう? 数が多いことで度胸がつく。たとえ、たしかに、手に負えぬごろつきも心の底ではいつも臆病なものだとしても、それに、まあ、ごろつきの一味ってものはつねに手に負えぬごろつきばかりで成り立ってるものだけれどね。それでも数が多いってことは、さっきぼくが想像したようにたったひとりの男だったら立ちすくんでしまうほどの、あの途方にくれる不合理な恐怖は味わわなくてすむだろうな。だから、たとえひとりがうっかり見落としたとしても、ふたり目も、三人目もそうだとしても、四人目がこの見落としに気がつくだろう。連中は何ひとつあとにのこして行きやしない。だって人数が多いから、全部、いっぺんに運べるんだもの。だから、もどってくる必要もない。
「こんどは死体が見つかったときのドレスの状態をよく考えてみたまえ――裾から腰まで一フィートの幅で引き裂かれ、その布切れは三重に腰まわりに巻きつけて、背中のところで一種の索結びにくくってあった。これはあきらかに、死体を運ぶための把手《とって》にするつもりだったんだよ。でも、男が何人かいたんなら、こんな工夫に頼ろうなんて夢にも思わないね。三人か四人いれば、死体の手足をもつだけで充分だし、またいちばんいい方法なんだもの。この工夫はひとりだからやったんでね。しかも、この見方はちゃんとつぎの事実につながる――『茂みから河に出る途中で、柵の横木がはずしてあるのが見つかり、地面には何か重い荷物を引きずっていったあとがはっきり残っていた』だって、男が何人もいたんなら、どんな柵にしろ死体を持ちあげて上を越えさせればすぐ片がつくことなのに、死体を引きずって通り抜けるために柵をこわすなんてよけいな手間をかけるだろうか? 何人もいたんなら、みすみす引きずった痕跡をはっきりのこすのに、どうしてそんなに引きずってばかりいたんだろう?
「さて、ここで[ル・コメルシエル]紙の記事にふれとかなくちゃね。まえにもちょっとコメントを加えといた記事だけど――『この不運な娘のペティコートは……引きちぎられて、首のうしろからまわして顎の下で結んであった。たぶん悲鳴をたてさせないためであろう。かかる所業は胸にハンカチーフももたない連中のしわざである』
「本物の悪党は胸のハンカチーフを持ってないなんてことはけっしてないものだって、まえにも言ったよね。でも、いま、ぼくが強調したいのはそのことじゃないんだ。この布切れが使われたのは[ル・コメルシエル]紙が想像したみたいな目的に使うハンカチーフを持っていなかったためじゃないことはあきらかだよね。だって茂みにハンカチーフがあったんだもの。それに『悲鳴をたてさせないため』でもないこともあきらかだね。だって、そのためなら、はるかにふさわしいものがあるのに、わざわざこの布切れをえらんでるんだもの。ところが問題の布切れについて、証言にはこうある――『首にゆるく巻きつけてあって、堅結びにむすんであった』なんともあいまいなことばだけれど、やっぱり[ル・コメルシエル]紙の記事とはずいぶんちがう。布切れは幅が十八インチもあるんだから、生地はモスリンにしても、縦にたたむか、まるめるかすれば丈夫な紐《ひも》になるだろうね。そして、こんなふうにまるまって発見された。となれば、ぼくはこう推定してみたい。単独の殺人犯は、ドレスを裂いて胴のところに巻きつけた布をもってしばらく運んでいった。が(茂みからか、ほかの場所からかはともかくね)、このやりかたじゃ重すぎて力にあまることがわかった。で、死体を引きずっていこうと決心する――じじつ引きずっていった証拠があるよね。ところがそのためには、何か紐のようなものを死体の片はしにゆわえつけなくちゃならない。首のところにゆわえつけるのがいちばんだ。ここなら頭にひっかかるからすっぽりぬけない。そこで犯人はまちがいなく腰まわりに巻きつけた布のことを考えただろうね。でも、死体に巻きつけてあるし、やっかいなことに索結びにしてあって、しかもまだドレスから[裂きとって]ないことを思いうかべる――でなきゃ、この布を使っただろうね。でもペティコートから新たに布切れを裂きとるほうが簡単だった。で、犯人はペティコートを裂き、首のまわりにきっちり縛りつけ、そこに手をかけて犠牲者を河岸まで引きずっていった。この布切れは裂きとるのに骨も折れ、時間もかかり、しかも目的にはぴったりこない――それなのにともかくこの布切れが使われたということは、もはやハンカチーフが手にはいらなくなってから――つまり、さっき想像したように、茂みから(あの茂みが犯行現場だったとしてだよ)逃げだしたあとで、つまり茂みから河にむかう途中で、紐になる布切れを使う必要が生じたことを示してるわけだよ。
「でも、ドリュク夫人の証言がある! きみはそう言いたいんじゃないかな? とりわけ、あの茂みのちかくに、しかも殺人のあった時間ないしはその前後に、不良グループがいたことを、ちゃんと指摘してるんだから。それはぼくも認めてるんだよ。むしろ、ルール関門ないしはその付近に、あの惨劇がおきた時刻ないしはその前後に、ドリュク夫人が言ってるみたいなごろつきどもの一味が一ダースぐらいいなかったとしたら、かえって変だもの。いくらか遅まきの、かなり疑わしい証言にはちがいないが、ドリュク夫人の指弾をこうむることになった不良グループはそのなかのたった一組だけなんでね。つまり、正直で実直な老婦人のことばによれば、自分のところの菓子を食い、ブランディを飲んでおきながら、支払いをする手数を惜しんだだけなんだよ。|されば、この故にこの怒りあり《エト・ヒンク・イルロエ・イロエ》、じゃないのかな?
「だけど、ドリュク夫人の証言は正確には何を言ってるんだろう?――『ごろつきの一団があらわれて、飲んだり食ったりの大騒ぎのあげく、勘定を踏みたおして、さっきの若者と娘のあとを追うように、同じ道を行ってしまった。日暮れごろ茶屋にもどってきたが、ひどく急いでいるようすで河を渡って帰っていった』ということだけど。
「まず、この『ひどく急いでいるようす』というのは、たぶんまちがいなくドリュク夫人の眼には実際以上に急いでるように見えたと思うよ。だって彼女はいつまでもくよくよと食い逃げされた菓子や飲み逃げされたビールのことを思いわずらってたわけだから、まだ金を払ってもらうかすかな望みだけはもってたにちがいない。でなかったら、もう日暮れごろなんだから、わざわざ急いでいるようすだったなんて指摘するはずがないだろ? たしかに、いくらごろつきの一団にしたって、これから広い河を小さなボートで渡らなくちゃならないっていうのに、嵐が来そうで、しかも夜の闇が迫ってるとなれば、家路を急いだって怪しむ理由にはならないもの。
「ぼくは夜の闇が迫ってると言ったけど、これはつまり、まだ夜にはなっていないってことでね。この[ごろつきども]のぶしつけな急ぎかたが、きちんとしたドリュク夫人の眼にはしたなくうつったのはまだたそがれどきにすぎないんだよ。ところが、証言によれば、ドリュク夫人と上の息子とが[茶屋のちかくで女の悲鳴を聞いた]のは、同じ日の夕方のことだという。しかも、ドリュク夫人は悲鳴を聞いた夕方の時刻をどんなことばで表現してると思う? [暗くなってまもなく]と言ってるんだよ。[暗くなってまもなく]っていうのは、すくなくとも暗かったわけだし、[日暮れごろ]っていうのは、まだたしかに明るかったわけだ。したがって、ごろつきどもがルール関門を去ったのは、ドリュク夫人が聞いた悲鳴なるものよりまえのことだったと、申しぶんなく明白になるわけさ。だけどたくさんの証言の記録が全部、問題の前後関係をはっきりと異口同音に述べているのに――ちょうど、いまきみに話したのと同じふうにだよ――なぜかこれまで、このひどい矛盾に、どの新聞も、どの鬼刑事も、ちっとも注意をはらっていないんだ。
「もうひとつだけ、ごろつき一味犯行説への反論につけくわえておこう。でも、このひとつが、すくなくともぼくの考えるところじゃあ、ほとんど決定的な重みをもってるんだけど。多額の賞金がかかっててしかも共犯を自供した者には罪を問わないなんて条件がつけば、下等なごろつきの一味ならもちろんのこと、どんな集団からだって、こんなに長いあいだ仲間を裏切るやつがでてこないなんて、とうてい考えられない。こういう事情になると、連中は賞金に釣られるとか罪を何とかまぬかれたいとか考えるよりも、まず自分が裏切られるのがこわくなるものなんだ。自分自身が裏切られたくない一心で、はやばやと仲間を裏切ってしまう。いままで秘密がもれなかったってことが、そもそもこの犯罪が内密のものだってことの最上の証明になるんでね。この恐ろしい悪行を知っているものは、ひとりか、せいぜいふたりの地上の人間と、天の神さまだけなんだよ。
「このへんで、ぼくらがながながと分析してきた結果をまとめてみよう。貧しいかもしれないが、しかし確実な果実だからね。ぼくらの到達した結論では、殺人がおこなわれたのはドリュク夫人の茶屋のなかか、ルール関門の茂みのなかだし、犯人は恋人か、すくなくとも被害者ときわめて親しい秘密の知り合いだよね。この知り合いは浅黒い顔をしていて、紐の[索結び]といい、帽子のリボンの[水夫結び]といい、すべて船乗りであることを指し示している。被害者とつきあっていたことは――彼女は陽気ではあるがけっして卑屈な娘ではないから――彼は平《ひら》の水夫より上の階級に属していたことを意味する。ここで、新聞社に送られた至急便の投書のみごとな筆跡が、傍証としてずいぶん役に立つよね。[ル・メルキュール]紙が書いている最初の駈落ちの事情を考えあわせると、この船乗りと、この不幸な娘を最初に罪に導いたことがわかっているあの[海軍士官]とが、どうやら重なってくる。
「そしてここで、この浅黒い顔の男が、いまにいたってもまだ姿を消したままでいることをつっこんで考えてみるのが、いちばんの筋になるわけだよ。まずこの男の、顔の陽に灼けて浅黒いことに注目しよう。ヴァランスもドリュク夫人も顔の浅黒いことしか覚えてないんだから、めったにないくらい黒いんだよ。でも、なぜこの男は姿を見せないんだろう? れいのごろつき一味に殺されたのかな? もしそうだとすると、なぜ殺された娘の痕跡しか残っていないんだろう? このふたりの殺人現場は当然、同じだったはずなのに。そして、彼の死体はどこに行っちまったんだろう? 殺人犯たちは、たぶん、ふたつの死体を同じ方法で片づけたはずなのに。それとも、この男は死んではいなくて、殺人の罪を着せられるのをおそれて身を隠していると見ることもできなくはない。いまとなっては、つまりこんなに時間がたってしまっては、男はこんなふうに考えてもやむをえないかもしれない――だって、彼がマリーといっしょにいたのを見たという証言が出ちまったんだからね。でも、犯行直後だったら、そんな心配はなかったはずだ。もし無実なら、まず凶行を知らせて、犯人の割り出しに協力しようとするはずじゃないか。こうするのがいちばんだってことぐらい思いつきそうなものじゃないか。娘といっしょのところを見られてるんだし、屋根のない渡し舟でいっしょに河を渡ったんだし、嫌疑をまぬかれるためには殺人犯を告発することが、いちばん確実な、そして唯一の手段だってことぐらい、阿呆《あほう》にだってわかったはずだよ。運命の日曜日の夜に、この男が凶行に関係がなく、しかも凶行がおこなわれたことを知りもしなかったなんて、ぼくらにはとても考えられないやね。でも、そう考えない限り、この男が殺されてなくて、しかも犯人を告発できないってことは、想像もつかないんだけれど。
「そこで、真相をつかむにはどんな手があるだろうか? 調査をすすめるにつれて、手段はいくらでもふえるだろうし、筋もはっきり見えてくると思うんだけど。いまはまず、最初の駈落ちのことを洗いざらい調べあげようじゃないか。この[士官]の経歴をすべて、それに現在の状況と、あの殺人の時刻のアリバイも知りたいな。[夕刊新聞]に送ってきた、不良グループに罪を着せようとしてるいろんな投書を、ひとつひとつ、つきあわせてみよう。それがすんだら、この手紙を、そのまえに[朝刊新聞]に送ってきてたムネーに罪を着せようとやっきになってる投書と、文体と筆跡の両面から比較するんだ。この作業が全部終わったら、もういっぺん、こういういろんな手紙を、この士官が書いたことが判明しているいろんな書類と比べてみなくちゃね。つぎはこの[顔の浅黒い男]の躯つきや顔つきのことを、もっと確かめてみようじゃないか。ドリュク夫人や子供たち、それに乗合馬車の馭者のヴァランスに何度も問いただしてね。うまく質問を向ければ、この連中の誰かからきっとこの点とかそのほかの点についても情報を引き出せると思うんだ――連中が自分自身でさえ持ってることを気づいてもいない情報をね。そこで、つぎは、六月二十三日、月曜日朝に艀《はしけ》の船頭が拾いあげたボートの追跡だ。死体が見つかるすこしまえに、艀事務所から当直の役人も知らないうちに、舵《かじ》だけのこして持ってかれちまったボートのね。充分注意して忍耐づよくやりさえすれば、このボートはかならずつきとめられる。拾いあげた艀の船頭が確認できるだけじゃなくて、舵までこっちにあるんだもの。心にやましいところのない人間なら、帆走ボートの舵をたずねもしないで棄ててきはしないよ。それに、ここで、ひとつ疑問が出てくるんだな。ボートを拾得したという広告は出なかっただろう。黙って艀事務所に曳《ひ》いて行かれて、同じく黙って持ってかれたんだよ。でも、ボートの持主ないし借り主は、どうやってこんなにはやばやと――広告が出たわけでもないのに、月曜日に持ってかれたボートの所在を火曜日の朝にはすでに知ったんだろう? どうもこれは、海軍と何か関係があると思わないかぎり、説明のつけようがないんだよ――つまり、海軍のことならどんなささいなことでも、つまらない地方の情報までも知ることができるくらい、海軍と恒久的な関係をもっている何らかの人物を想定しないかぎりはね。
「たったひとり、殺人犯が死体を河岸まで引きずっていったことを話したとき、すでに犯人がボートを使った可能性にはふれたんだけど、ここまで見えてくると、ぼくらはたしかにマリー・ロジェーはボートから投げこまれたんだと考えるしかなくなる。当然、これが真相だろうね。死体を岸辺の浅瀬にほうりこんだんじゃ意味ないもの。被害者の背中と肩にあった特殊な痕も船底の肋材にぶつかったことを示してるし、死体に錘がついていなかったこともこの考えかたを支持してるしね。もし河岸からほうりこんだのなら錘がついてただろうな。錘がないってことは、殺人犯がボートを河に出すまえに錘を用意しておくのを忘れたんだと考えて、はじめて説明がつく。いざ死体を河に投げこむ段になって、もちろん犯人は自分の手落ちに気づいただろう。でも、そのときには、ボートのなかには錘のかわりになるものなんてありゃしない。といって、呪われた河岸にとってかえすくらいなら、まだしも危険な賭けのほうがましだと思ったにちがいないよ。薄気味わるい荷物を片づけちまうと、犯人は急いでパリに逃げ帰ったんだろうな。どこか、人気のない桟橋につけて、陸に跳び降りる。でも、ボートは――つないでおいただろうか? あんまりあわててたんで、ボートをつないでる暇なんかなかったのかな? いや、それよりも、桟橋にボートをつなぐことは、まるで自分に不利な証拠をはっきり残しておくような気がしたんだろう。自分の犯行に関係あるものはすべて、できる限り遠くに投げ棄ててしまいたい、そう考えても当然だよね。自分が桟橋から逃げだすだけじゃなく、ボートもそこに残しておきたくはなかったんだろう。まちがいなく、犯人が自分でボートを押し流したんだね――この想像を追ってみようじゃないか。朝になって、この罪におののいてる男は、言いようのない恐怖に打ちのめされることになる。だって、流れ去ったはずのボートが、毎日顔を出す場所に、つまり、おそらく勤務の関係で顔を出さなくっちゃならない場所に拾いあげられて、ちゃんとつないであるのを見つけたんだもの。その夜のうちに、舵のことなどたずねる勇気もないままに、男はボートを乗り逃げしてしまう。さて、この舵のないボートはどこへ行ったか? これを見つけるのがぼくらの最初の目標のひとつだな。この最初のかすかな手がかりさえ手にはいれば、もう、ぼくらの成功の幕開きでね。このボートはぼくらを導いて、ぼくら自身でさえ眼をみはるほどの速力で、運命の安息日の真夜中にこのボートを使った男のところへ連れてってくれるだろうな。確証が確証を生み、殺人犯人を追いつめてくれるよ」
〔とくに記すまでもなく、多数の読者がすでにご承知と思われる理由により、われわれに托された原稿からデュパン氏が一見それともわからぬ手がかりをつかみ、それを追いつめていったディテイルなどの部分は省略させていただいた。ただ簡単に、望みどおりの結果がえられたこと、そして警視総監はこのシュヴァリエとの契約を、喜んでとは言いにくいが几帳面に履行したことを述べておけば足りるであろう。ポー氏の記事はつぎのことばで終わっている。――編集部付記〕
わたしが語っているのは[暗合]についてであって、それ以上の何かについてではないことは了解していただきたい。この主題については以上に述べてきたことで充分なはずである。わたし自身の心には超自然的なものにたいする信仰など存在しない。自然とその神とはふたつの異なる存在であることは、このことについて考えたことのあるひとなら、誰しも否定はしないであろう。神が自然を創造し、意のままに制禦《せいぎょ》し変更しうることにも、疑問の余地はない。わたしはいま[意のままに]と言った。なぜなら、これは意志の問題であって、狂信的な論理が仮定しているような力の問題ではないのだから。神がみずからの法を変更できないという意味ではない。わたしたちが、変更の必要がありうると想像することが、すでに神への侮辱だと言うのである。神の法は、そのはじまりから、未来においてありうべきいっさいの偶発事をも包みこむようにつくられている。神にあってはすべてが現在なのだ。
そこで、くりかえしになるが、わたしはこれらのことをただ暗合として語っているのである。そしてさらに、わたしの述べてきたことによっておわかりいただけると思う――あの不幸なメアリ・セシリア・ロジャーズの今回までにわかっているところの運命と、マリー・ロジェーという娘のある時点までの運命とをとってみると、たしかに平行現象が存在し、その符合の驚くべき正確さを考えるとき、理性も判断に苦しむほどであるということを。わたしはいま、このことはすべておわかりいただけると思う、と言った。しかし、一瞬たりともつぎのように考えていただいては困るのである――このマリーの悲しい物語をいま言った時点よりさらに進めて、彼女をめぐる謎の解明まで追ってゆくことによって、この平行現象をさらに延長してみせるのがわたしのひそかな狙いだとか、あるいは、パリの女店員《グリゼット》殺しの犯人(現実には、スペンサーという海軍士官だったという。ただし、原注も、この名前だけは伏せたままである)をつきとめるために用いられた手段ないしは同様の推理にもとづく手段が、同様の結果をもたらすであろうとまで言っているのだとか、そんなことを考えていただいては困る。
なぜなら、犯人さがしにおいては、ふたつの事件におけるいちばんつまらない事実の相違であっても、ふたつの事件のたどる道筋を完全に変えてしまい、いちばん重大な誤算をもたらす可能性を考慮しなければならないからである。それはちょうど、算数においては、それひとつだけをとって見ればほとんど気がつかないくらいの誤差であっても、計算の全過程でそのたびに倍加されてゆき、最終的にはほんとうの答とひどくちがう結果が出てしまうのと同じである。また、平行現象の延長について言えば、さきほどわたしがふれた確率論そのものが、こういう考えかたをいっさい禁じていることを忘れてはいけない――しかも、これの平行現象がすでに長々と正確に見られたのであればそれだけ、それに比例して、断固として、決定的な力でもって禁じているのである。このことは数学的な思考力とは別な思考力に訴えるものであるかのように見えながら、じつは数学者のみが完全に理解しうる例の変則命題のひとつである。たとえば、何でもない一般の読者にどうしても納得してもらえないことの例に骰子《ダイス》をとってみよう。骰子で遊んでいて六の目が二回つづけて出た場合には、それだけで三回目のときには六の目は出ないことのほうに目いっぱい賭けていい理由になる、という事実がそれだ。この関係を口に出すと、とたんに反対するのが知識人というものらしい。すでに完了した二回の試みがいまや完全に過去にぞくするものであり、したがって、どうして未来にのみぞくする三回目の試みに影響を与えることができるのか理解できないのである。六の目の出るチャンスはいつもとまったく同じだと考えてしまう――つまり、ほかのいろいろな場合に試みるのと同じに、骰子の目の数だけに影響されると考えてしまうのである。そして、この考えかたはあまりにも明白に見えるものだから、これに反論しようとすると、傾聴などとんでもない話で、まずたいていは嘲笑をもって迎えられるのがおちである。この考えかたにふくまれている誤謬《ごびゅう》は、害毒を流すくらい大きなものではあるが、いま、限られた紙面のなかでこの誤謬を証明することができようとはとうてい思えないし、また、理論的なひとびとにとってはその必要もないだろう。したがって、ここではただ、こう言っておくだけで足りると思う――このことは、理性が細部にこだわりながら真理をもとめる傾向のために、理性の歴史においておきた無数の誤謬の連続の一例にほかならない、と。
盗まれた手紙
智慧にとってあまりに明敏にすぎるほど忌まわしいことはない。(セネカ)
パリで、一八**年の秋、ある風のつよい夜、暗くなってまもないころである。フォーブール・サン・ジェルマン、デュノー街、三十三番地、四階の奥にある小さな書斎兼書庫で、わたしはそこのあるじである友人のオーギュスト・デュパンとともに、瞑想と海泡石《ミアシャム》のパイプという二重の贅沢《ぜいたく》を味わっていた。沈黙の底に沈んで、すくなくとも一時間にはなる。誰かが偶然わたしたちを見かけたら、ふたりとも、部屋の空気を重苦しくするほど濛々《もうもう》と立ちこめた煙草《たばこ》のけむりの渦巻きに、ただひたすらに心をうばわれていると思ったかもしれない。けれども、すくなくともわたしは、そのまえまで話しあっていた話題のつづきを心のなかで追っていたのである。つまり、れいのモルグ街殺人事件と、マリー・ロジェー殺しをめぐる謎とのことを。だから、そのとき部屋の扉がいきおいよく開いて旧知のパリ警視総監G**氏がはいってきたのは、一種の暗合と思えてならない。
わたしたちは彼を心から歓迎した。この男にはあるいやしさとその半分くらいの面白味とが同居していて、しかも数年ぶりに会ったのだから。それまでわたしたちは暗がりのなかでくつろいでいたので、デュパンはすぐランプをともそうと立ちあがった。しかし、G**が、自分が訪ねてきたのは、職務上とても困ったことになっている事件についてわたしたちに相談にというか、むしろわたしの友人の意見を聞くためであると言ったので、デュパンはランプをつけるのをやめて、そのまま腰をおろした。
「何かよく考える必要があることなら」デュパンはちょっと首をかしげ、ランプの芯《しん》に火をつけるのをやめて言った。「暗がりのなかで話をうかがったほうがいいな」
「また、きみのおかしなくせがでたな」と警視総監は言った。自分にわからないことはすべて[おかしな]で片づけるくせがあり、したがって彼は[おかしなもの]の大軍に包囲されてくらしていたのである。
「そのとおり」とデュパンは言って、客にパイプを渡し、安楽椅子を押しやった。
「で、こんどの難事件は何です?」とわたしはたずねた。
「殺人事件はこれ以上ごめんこうむりたいな」
「いやいや、殺人なんてまったく関係ないんだ。じつのところ、事件はまったく単純きわまるものでね、われわれの手で充分処置できると確信しているよ。でもね、ふと、デュパンがくわしい話を聞きたがるんじゃないかと思いついてね。何しろ、いちじるしくおかしな事件だから」
「単純にして、かつおかしい、か」とデュパン。
「まあ、そうだ。また正確にはそうでない、とも言えるな。じつのところ、事件はあまりにも単純であって、にもかかわらず同時にわけのわからないもので、そのためにわれわれはみんな、弱りはててるしまつなんだよ」
「きみたちを途方にくれさせているものは、たぶん、事件の単純さそのものだね」と友人が言った。
「きみもまた馬鹿なことを!」と警視総監は答え、大きな声で笑った。
「だぶん、謎がすこし明白すぎるんだよ」とデュパン。
「おやおや! 驚くべき新説ですな」
「すこし自明すぎるのさ」
「ははは、ははは、ほほほ」訪問者はひどく面白がって大笑いする。「ああ、デュパン、こんなに笑わされちゃたまらんよ!」
「で、けっきょく、こんどの事件は何なんです?」とわたしはたずねた。
「うん、いま話すよ」と警視総監は答え、煙草の煙を、長々とひと息で、まるで考えを整理しているみたいに吐きだしてから、やっと椅子に腰をおろした。「いま要点だけ話すよ。でも、そのまえに断わっておくけど、この事件は絶対に秘密を要するものなんで、誰かにもらしたことが知れたら、たぶんまちがいなく、ぼくはいまの地位を失うことになると思う」
「話してみろよ」とわたしが言った。
「でなきゃ、やめるんだな」とデュパン。
「じゃあ、話そう。さるやんごとない方から内々でぼくに話があったんだが、決定的に重要なある書類が王宮から盗みだされた。誰が盗みだしたかはわかっていて、疑問の余地はない。何しろ持っていくところを見られてるんだから。それに、いまも彼が持っていることもわかってるんだよ」
「どうしてわかる?」とデュパンがたずねた。
「はっきり推論できるんだよ」と警視総監は答えた。「まずその書類の性質から、つぎにその書類が盗んだ男の手を離れたらただちにあらわれるはずのある結果が、まだあらわれていないことから――つまりその書類の使いかたから。彼がいずれその書類を使うつもりでいることはまちがいないんだからね」
「もうすこしはっきりたのむよ」とわたしは言った。
「じゃあ、思いきってここまで話そう。つまり、その書類はその所有者に、ある力をある方面において与えるんだよ。しかもその方面では、そういう力はきわめて重要なんでね」警視総監は外交官ふうの言いまわしがお得意だった。
「まだどうもよくわからんな」とデュパン。
「わからん? じゃあ――その書類が、名前は言うわけにはいかないが、さる第三者に暴露されると、さるやんごとない方の名誉が問題になるんだ。で、このことがあるから、書類の所有者は、名誉と心の安らぎが危険にさらされているその高名な人物にたいして力をふるうことができるというわけなんだよ」
「しかし、力をふるうと言っても」とわたしは口をはさんだ。「盗んだ男を盗まれた方がご存じだということを、盗んだ男が知ってることから生じることなんだろ。いったい誰がそんなあつかましい……」
「盗んだのは」とG**は言った。「大臣のD**だから、何だってやるさ。人間らしかろうと、らしからなかろうとね。その盗みの手口がまた大胆かつ巧妙なんだ。問題の書類は――はっきり言えば手紙は――盗まれた方が王宮の私室《ブドワール》にひとりきりでいらっしゃるときに受け取られた。それを読んでいられたとき、ふいにもうひとりのさる高貴な方が部屋にはいってこられ、その貴婦人にとってはとりわけその方から隠しておきたい手紙だった。で、あわてて抽斗《ひきだし》にしまおうとしたがそれさえできず、開けたままテーブルの上に置いておくしかなかった。でも、いちばん上は宛名だったから内容までは見えず、その手紙は注意をひかずにすんだんだな。ちょうどこの危険な場面にD**大臣がはいってきた。山猫のようにすばやい眼で手紙を見つけ、宛名の筆跡を読みとり、受け取った貴婦人のあわてかたを見てとると、その方の秘密まで嗅《か》ぎつけてしまった。いつものように手早く仕事の話を片づけると、彼は問題の手紙にちょっと似ている手紙をポケットから取りだし、開いて読むふりをしてみせたあと、れいの手紙のすぐわきに置いた。また十五分ばかり公務の話をする。それもすんで退出というとき、彼は自分のものではないほうの手紙をテーブルから取りあげた。正当な持主のほうはそれを眼のまえで見ていながら、もちろん、第三の方がすぐそばに立っていらっしゃるんだから、そのことを注意するわけにはいかない。大臣はさっさと出て行ってしまった――自分の手紙をテーブルに残してね。何でもない手紙さ、もちろん」
「なるほど、それなら」とデュパンはわたしに言った。
「きみの言う、その力を完璧にする条件がきちんとそろうわけだ――盗んだ男を盗まれた方がご存じだということを盗んだ男が知っている」
「そうなるな」と警視総監が答えた。「そうして、こんなふうに手に入れた力が、この数カ月というもの、政治上の目的に使われてきて、もうぎりぎり危険なところまできているんだよ。盗まれた方としては、手紙を取りもどす必要を日ごとに痛切に感じておられる。が、ことはむろん内密に運ばねばならない。とうとう、思いあまって、ぼくに事件をまかされたというわけなんだ」
「きみより賢いスパイなんて」煙の渦にすっぽりとつつまれてデュパンは言った。「ぼくの見るところ、望めもしないし、想像すらできないからな」
「お世辞がうまいな」と警視総監は答えた。「まあ、そういう意見もないことはないかもしれないがね」
「きみの言うとおり」とわたしは言った。「手紙はまだ大臣がにぎっていることは明らかだね。だって、その力を与えるのは、手紙を持っていることなんで、使うことじゃないものね。使ってしまえば、その力もなくなっちまうんだから」
「そのとおり」とG**は言った。「で、その確信のもとに捜査をすすめていった。手はじめは、大臣の邸《やしき》を徹底的に捜査することで、この場合、いちばん厄介《やっかい》なのは、大臣に気づかれないように捜査しなくちゃならないことでね。何よりも注意するよう言われていたのは、こちらの計画を勘づかれでもしたら、その結果はどんな危険にさらされる羽目になるかってことだったからね」
「だけど、そういう捜査は|お手のもの《オ・フェ》じゃなかったの」とわたしは言った。「パリ警察は昔からしょっちゅうやってるじゃないか」
「そうともさ。だからこそ、ぼくは希望を失わなかった。それに、大臣の習慣もこちらにはまことに好都合でね。ひと晩じゅう家をあけることがしょっちゅうだもの。使用人もけっして多くはなくて、眠るのは主人の部屋からずいぶん離れたところで、そのうえたいていナポリの出だから、酔わせるのはらくな話さ。ご存じのように、ぼくはパリじゅうの部屋とか戸棚とかを開けられるだけの鍵をもってる。この三カ月というもの、ひと晩だって、ぼく自身の手でD**邸を徹底的に調べあげるためについやさなかったことはない。しかも、ほとんど夜じゅうかけたんだよ。ぼくの名誉がかかってるし、もっとだいじな秘密を打ち明ければ、報酬も莫大だしね。だから、ぼくは、自分としては完全に納得がいくまで捜査を投げなかったんだが、けっきょく、泥棒のほうがぼくより抜け目がないってことになってしまった。手紙が隠しておけそうな場所は、家じゅう、すみからすみまでくまなく調べたつもりなんだが」
「でも、手紙は大臣が持ってるにしても、いや、まちがいなく持ってはいるが」とわたしが意見を出した。「自分の邸以外のどこかに隠してる可能性は考えられないのかい?」
「まず考えられないね」とデュパンが言った。「目下の特殊な条件をにらみあわせると、宮廷の事情と、とりわけD**も巻きこまれている陰謀とのふたつがあるんだから、その手紙はただちに使えることが――つまり、いざというときには即座に取りだせることが、それを握っていることとほとんど同じくらい重要なことになるもの」
「取りだせることって?」
「つまり、湮滅《いんめつ》しちまうことさ」とデュパンは言った。
「なるほどね」とわたしは言った。「そうなると手紙はあきらかに邸にあるな。大臣が肌身はなさず持ち歩いてるって可能性は、ちょっと考えられないし」
「ぜったいにないね」と警視総監は言った。「二回も待ち伏せをかけたんだから。追剥《おいはぎ》のふりをしてね。ぼく自身が立ち会って、躯《からだ》じゅう厳重に調べあげたんだよ」
「そんな手数までかけなくてもよかったのに」とデュパンは言った。「D**だってけっして馬鹿じゃあるまい。待ち伏せをくらうことくらい、当然、計算してただろうに」
「けっして馬鹿じゃないが」とG**は言った。「でも詩人ではあるからな。詩人と馬鹿は紙一重だとぼくは見てるんだが」
「詩人だね」海泡石《ミアシャム》のパイプからゆっくりと煙を吐きながら考えごとにふけっていたデュパンが、やっと言った。
「もっとも、ぼくにもたしかに、下手くそな詩をつくった覚えはあるんだが」
「もっとくわしく」とわたしは言った。「きみの捜査のやりかたを話してみないか」
「うん。たっぷり時間をかけて、すみからすみまでさがしたんだ。こういうことには長年の経験があるからな。邸全体をひと部屋ずつ、それぞれ七晩ずつかけて調べていったんだよ。まず各部屋の家具を調べた。抽斗という抽斗はすべて開けてみたし――ご存じだろうけど、ちゃんとした訓練を受けた警察官にとっては秘密の抽斗なんてものはありえないんだ。この種の捜査をやってていわゆる[秘密の]の抽斗を見逃すなんてやつがいたら、阿呆《あほう》だよ。あまりにも明白なことでね。あらゆる箪笥《キャビネット》には一定の容積ないし空間があって、きちんと計算できる。そしてこっちには正確な物差しがあるんだもの。一ライン(一インチの十二分の一。二ミリ強)の五十分の一だって見逃すはずがない。箪笥のつぎには椅子で、クッションも細くて長い針でいちいちさぐってみた。いつか、ぼくが使ってるところを見てただろ、あれでね。テーブルからは上板を外してみたし」
「何でそんなことを?」
「ときどきいるんだな、物を隠そうとしてテーブルの上板とか、似たような造りの家具の上板をはずすやつが。そして脚に穴をあけてそのなかに物を隠してから、上板をもとにもどしておく。寝台の柱の根っことか頭のところとかにも、同じ手が使えるし」
「でも、穴なら叩いてみればわかるんじゃないの?」とわたしはたずねた。
「そうはいかん。もし物を隠して、そのまわりにたっぷり綿で詰めものをされたら、お手上げさ。それに、この場合、音を立てないでやることが条件になってるからな」
「だってはずせやしないじゃないか――つまり、きみが言ったようなやりかたで物を隠しておける家具を全部、ばらばらに分解してみることなんて、できやしないじゃないか。一通の手紙だけなら、こよりにしちまえば、形も容積も大きな編棒とさしてちがいがなくなっちまう。これなら、たとえば椅子の脚の横木にだって入れとけるじゃないか。きみだって全部の椅子をばらしてみたわけじゃないだろう?」
「まさかね。でも、もっとましな手なら使った――邸の椅子全部の横木を調べたし、じっさい家具と名のつくものすべての継ぎ目を調べてみたんだよ。非常に強力な拡大鏡を使ってね。もし最近いじった跡があれば、まちがいなく気がつくだろう。たちどころにね。たとえば錐《きり》のくずひとかけらにしても、林檎《りんご》みたいに大きく見えるんだから。すこしでも膠《にかわ》づけがほかと変わってたり、すこしでも継ぎ目のすきまがほかより開いてたりしたら、それだけで確実に気がついてしまう」
「鏡も見逃さなかっただろうね、裏板と鏡のすきまがある。それに寝台のマットや寝具、カーテンやカーペットも、同じように針でさぐってみたのかい?」
「もちろんだとも。こんなふうにして家具類を全部、完全に調べつくすと、こんどは邸そのものにとりかかった。建物の表面全部を区分して番号をつけ、捜査もれがないようにしておいてから、邸じゅうを一平方インチごとに、まえと同じに拡大鏡で精密に調べあげたんだ――地つづきの隣の邸二軒も含めて」
「隣の邸二軒もだって!」とわたしは叫んだ。「さぞかしたいへんだったろう」
「まあね。でも報酬もたいへんなものだから」
「邸の地面も含めてなんだね?」
「三軒とも地面は煉瓦《れんが》が敷いてあったから、おかげでそんなに苦労しなくてすんだ。煉瓦と煉瓦のすきまの苔を調べたんだが、動かした形跡なしさ」
「もちろんD**の書類や書庫のなかの本は見たんだろうし」
「当然だろ。包みも束もひとつのこらず開けてみたよ。本だって全部、ただ開けてみただけじゃないんだ。警察でも下っぱの連中がやるみたいにただ振ってみただけなんてのじゃなくて、一冊ずつ、一ページ一ページめくってみた。それに全部の本の表紙の厚さだって精巧そのものの計器を使って測ってみたんだぜ。そのうえ、拡大鏡を使って、念には念を入れて調べた。もし最近、装幀に細工したあとがあったら、その事実を見逃すことなんて絶対にありえないね。製本屋から届いたばかりの五、六冊の本なんかは、針を縦に入れて入念にさぐってみたくらいだから」
「カーペットの下の床《ゆか》も調べてみた?」
「言うまでもあるまい。カーペットはすべて剥《は》がして、床板を拡大鏡で調べたよ」
「じゃあ壁紙は?」
「調べた」
「地下室は見たの?」
「見たとも」
「そうなるときみは」とわたしは言った。「計算ちがいをしてたことになるな。手紙はきみが考えてたのとはちがって、邸にはないんだよ」
「きみの言うとおりかもしれない」と警視総監は言った。
「そこでだ、デュパン、きみの忠告をいただきたいんだが」
「邸を徹底的に再調査するんだな」
「その必要はまったくないね」とG**は答えた。「手紙があの邸宅にないことは、ぼくがこうして呼吸してることと同じくらいたしかだよ」
「これ以上の忠告はないんだがな」とデュパンは言った。「もちろん、その手紙の正確な説明はできるんだろうね?」
「できるともさ!」そう言うと警視総監は手帳を取りだし、盗まれた手紙の内容と、とりわけ外観を詳細に説明したものを読みあげた。くわしい説明の朗読が終わるとまもなく彼は帰って行ったが、この有能な紳士がこんなにも打ちひしがれているのを、わたしはかつて見たことがなかった。
それからひと月ばかりたって、警視総監がまた訪ねてきて、またまえのときとほとんど同じことをしているわたしたちに会った。パイプを受け取り、椅子に腰をおろすと、彼はごくありきたりの会話をはじめる。とうとう、わたしから口火を切った。
「ところで、G**、れいの盗まれた手紙はどうしたの? きみもとうとう、あの大臣を出しぬくことなんてできっこないとあきらめたみたいだけど」
「いまいましい奴め。ぼくだって――いや、そうなんだよ。デュパンが言ったとおり、再調査はしたんだけどね――まったく骨折り損だった。まあ、ぼくもそんなことだろうとは思っていたんだが」
「報酬はどれくらいもらえるって言ってたんだっけ?」とデュパンがたずねた。
「うん、まったく莫大でね、まさに金に糸目はつけないってやつさ。正確にいくらということは言いたくないんだが――でも、これだけは断言できるな。あの手紙を手に入れてくれたひとには、ぼく個人の小切手で五万フランさしあげるにやぶさかでない、とね。じつのところ、あの手紙は日一日と重要性をましているものだから、報酬のほうも最近、二倍になったんだよ。もっとも、たとえ三倍になったところで、ぼくにはもうこれ以上、手の打ちようがないんだけど」
「どうしてさ、まだあるだろう」とデュパンが言った。のんびりとした口調で、海泡石《ミアシャム》のパイプをふかす合間をぬいながら。「ぼくはほんとうにそう思うよ……G**、きみはまだ全力をつくしてないって……この事件ではね……もうすこしやれると……ぼくは思うんだがな」
「どうやって? 何をやれるって言うんだい?」
「うん」とデュパンは答えた。パイプをぷかぷかやりながら。「きみはこの事件を」ぷかぷか、「相談することもできたわけだろ?」ぷかぷか、「アパニシー(一七六四〜一八三一。イギリスの医者で解剖学者、生理学者。奇行で名高い)の話を思い出さないかい?」
「いいや。アバニシーなんぞ吊るしっちまえ!」
「ごもっとも! 吊るしっちまえ、けっこうだがね。しかし、昔むかしあるところに、ひとりのけちな金持がいましてね、このアバニシーの診断をただで聞きだそうと思いついた。そのために、友達どうしのさりげない会話のふりをしながら、自分の病状を架空の人間のことみたいにして医者にほのめかしたんだな」
「[たとえば、かりに症状がかくかくしかじかだとしますと]とそのけちんぼうは言ったんだな。[さて、先生、あなたなら何を服用しろとおっしゃるかな?]」
「アバニシーはこう言ったそうだ。[服用ですと! ふむ、もちろん、医者の診断を服用するんですな]」
「いや」いささかあわてて警視総監が言った。「ぼくはうそじゃなしに、よろこんで診断を受けるし、金もはらうよ。この事件で力を貸してくれるひとには、ほんとうに五万フランの礼をするとも」
「そういうことなら」とデュパンは答えて、抽斗を開け、小切手帳を取りだした。「ぼくにたいしてだって、いま言った金額の小切手を切ってくれてもかまわないだろう? サインがすんだら、れいの手紙を渡すよ」
わたしはびっくり仰天した。警視総監ときたら、まさしく雷に打たれたかのようで、しばらくは声も出ず、身動きもならず、口をぽかんと開けて、眼球が眼窩《がんか》からとびだしたみたいな目つきで、まるで信じられないものを見るように友人を見つめるばかり。それから、うわべだけはともかく我にかえって、ペンをつかみ、途中で何度も手を休め、うつろに視線をさまよわせたあげく、ようやく小切手に五万フランと書きこんでサインをすませ、テーブルこしにデュパンに手渡す。デュパンのほうは小切手を念入りに調べてから財布におさめ、それから鍵で書物机《エクリトワール》を開けてそこから一通の手紙を取りだし、警視総監に渡す。このお役人は歓喜に顔をひきつらせて手紙をつかみ、ふるえる手でひろげると中身をすばやく一瞥《いちべつ》する。と、よろめきながらかろうじて戸口にむかい、ついには礼儀作法などかなぐりすてて、部屋をとびだし、家を走りでてしまった。デュパンが小切手を切ることをもとめてからあと、まったくひとことも口をきかないままで。
警視総監が行ってしまうと、友人は何がしか説明をはじめた。
「パリの警察はね」と彼は言った。「それなりにきわめて優秀なんだよ。辛抱づよいし、工夫もできるし、抜け目がないし、職業柄まず必要と思われる知識にはまったくくわしい。だからG**がぼくらに、D**邸をどんなふうに家宅捜査したかくわしく話したとき、彼が申しぶんのない調べかたをしたことはまったく疑わなかったな――ただし、彼の手の及ぶかぎりでのことだけど」
「彼の手の及ぶかぎりって?」とわたし。
「そうさ」とデュパン。「使った手段がその種のもののなかで最上のものだっただけじゃなく、遂行にあたっても完璧だった。もし、あの手紙が彼らの捜索範囲に隠されてたら、まちがいなく、見つけてただろうよ」
わたしは笑っただけだったが――彼は終始大まじめで話しているみたいである。
「つまり、方法は」と彼はつづけた。「その種のもののなかじゃあ上等だったし、上手に実行されてもいる。ただ、欠点は、この事件とこの相手には不適当だったことでね。きわめて巧妙な方法の組み合せが、警視総監の場合は、一種のプロクルステスの寝台(ギリシア神話中の悪人ダマステスのあだ名で、引きのばす男の意。泊めた旅人を鉄の寝台に縛り、身長が高ければ手足を切り、低ければ同じ長さまで引きのばして殺していたが、ついにテセウスに退治された)として働いちまって、目的をむりやり方法のほうに合わせちまうんだな。だから彼は、自分の扱う事件をあまり深く考えすぎるかあまり浅く考えすぎるかして、失敗をくりかえしてる。小学生だって彼よりは正しく考えるのがたくさんいるよ。ぼくは八つくらいの小学生をひとり知ってるけれど、[丁半遊び]の勝ちっぷりで大評判だった。このゲームは単純でね、おはじきを使うんだ。ひとりがおはじきをある数だけ片手ににぎって、相手にその数が丁か半かとたずねる。答が当たってれば相手がおはじきをひとつ取り、まちがってればこっちがひとつ取るってわけさ。いま言った子は学校じゅうのおはじきをみんな取っちまった。もちろん、この子なりの当てる原理みたいなものがあってね――といっても、ただ、相手の抜け目なさを観察し測定するだけなんだけど。たとえば相手がまったくの阿呆だとすると、まあ握った手をあげて[丁か半か?]とたずねるわね。その小学生は[半]と答えて負けちまう。だけど二度目には勝つんだな。そのとき、自分にこう言いきかせるからなんだ――この阿呆は一度目はおはじきを偶数持ってた。そこでこいつの利口さの程度では二度目には奇数に変えるぐらいが関の山だろう。だから、半と言うことにしよう、とね。そこで彼は半と言って勝つわけさ。さて、いまのより一段ましな阿呆が相手のときは、こういうふうに考える――こいつは最初のときぼくが半と言ったから、まず反射的に、さっきの阿呆がやったように、偶数から奇数へという単純な変化をやろうと思いつくだろう。でも、そこで、つぎに、これじゃあんまり単純すぎると思いなおして、けっきょくまえと同じに偶数を握ることにきめるだろう。だから、丁と言うことにしよう、とね。彼は丁と言って勝つ。ところで、仲間からは[ついてる]と言われてるこの小学生の推理の方法なんだがね、分析してみるとけっきょく何だろう?」
「推理者の知的能力を相手の知的能力に一致させる」とわたしは言った。「ただそれだけのことだろうな」
「そうだよ」とデュパンは言った。「で、ぼくはこの子にたずねてみたんだ。成功のもとになる完全な一致をどんなふうに手に入れるのかってね。その子の返事はこうだった――誰かがどれくらい賢いか、どれくらい馬鹿か、どれくらい善い奴か、どれくらい悪い奴か、またそのときそいつがどんなことを考えているか、知りたいなって思ったときには、ぼくは自分の表情をできるだけ正確に相手の表情に近づけるんです。そうして、まるでその表情に合わせるみたいに、答えるみたいに、自分の心とか胸とかにどんな考えが、どんな気持がわいてくるか、わかるまで待ってるんです、とね。この小学生の答は、ロシュフーコー(一六一三〜八〇。フランスの文人。箴言で有名)やラ・ブリュイエール(一六四五〜九六。フランスの文人。箴言で有名)やマキャヴェルリ(一四六九〜一五二七。イタリアの歴史家、思想家。『君主論』で有名)やカンパネッラ(一五六八〜一六三九。イタリアの僧侶で哲学者)やなんかにあるとされているあのまがいものの深遠さなんかより、ずっと深いものね」
「そして推理者の知的能力を相手の知的能力と一致させるってことは」とわたしは言った。「きみの話をぼくがちゃんと理解してるとすれば、相手の知的能力を測定するときの正確さいかんにかかるってわけだね」
「実用的価値は正確さいかんにかかるね」とデュパンは答えた。「警視総監とその部下があんなにしょっちゅう失敗するのは、第一にこの一致が欠けてるせいだし、第二にこの測定がまちがってるせい、というよりむしろこの測定の欠如のせいなんだな――かかわりあってる相手の知的能力にたいしてだよ。連中はただ自分自身の才覚のことしか考えない。だから、何であれ隠してあるものをさがすときにも、自分たちならこうするだろうって隠しかただけにしか眼がいかない。連中のこのやりかたも多くの場合、まちがってない――だって、彼ら自身の知的能力なるものが、そもそも大衆の知的能力の忠実な代表にほかならないんだもの。しかし、ひとたび彼らの才覚とは性質のちがう特別な悪党の狡知《こうち》を相手にまわすとなると、もちろん、連中は悪党にしてやられてしまう。こういうことは悪党の知的能力が上のときにはかならずおきるし、下のときだってしょっちゅうおきるぐらいじゃすまない。連中の捜査にはいわゆる正攻法ひとつしかありゃしないんでね。せいぜい、何か異常な緊急事態にうながされたときに――めったにない額の懸賞だってそうさ――正攻法はもとのままで、おなじみの手口をむやみにひろげるか、むやみに徹底するだけなんだ。たとえばこのD**事件で、行動の原理を変えるために何かしたかい? 穴をあけたり、針でさぐったり、叩いて音を聞いたり、拡大鏡でこまごまと調べたり、建物の表面を平方インチに分割して番号をふったり――それがすべてじゃないか? これはみんな、ひとつの捜査原理、ないしはいくつかの捜査原理の組み合せを、徹底して適用しただけじゃないかい? それもこれも、警視総監が長い職歴のあいだに慣らされてしまった、人間の知的能力にかんする考えかたワン・セットにもとづいてるだけだろう? あの男は当然のこととして考えるんだな。人間誰しも手紙を隠そうとするさいには、かならずしも椅子の脚に錐で穴をあけてそこに隠さないまでも、すくなくともどこかとんでもないところにある穴とか、隅っことかには隠すものだと。つまりは、椅子の脚に錐で穴をあけてそこに手紙を隠すのが人間だと考える、同じ発想しか出てこないってことに気がつくだろう? また、こういう|とっておきの《ルシェルシェ》隅っこを隠し場所にえらぶのは、ただふつうの場合だけで、それもふつうの才覚の持主しか使やしないってことにも気がついてるね? だって、あらゆる隠し場所のなかでこういう|とっておきの《ルシェルシェ》手を使うってことは、ものを隠そうとするときまず最初に考えられることだし、逆にさがすほうもそう考えるわね。したがって、それを見つけだすにもべつに炯眼《けいがん》なんてかけらもいりゃしなくって、たんなる注意力と忍耐力と断固たる決意がさがす側にありさえすれば充分ってことになる。そして、この三つの特性は、重大事件ともなればまちがいなく総動員される――報酬が莫大なときにはと言ってもいいけどね、警察官の眼には同じことだから。ここまでくれば、きみにもさっきぼくが言おうとしたことの意味がわかるだろう――盗まれた手紙がもし警視総監の調査の手の及ぶ範囲内に隠されていたら、べつの言いかたをすれば、もし隠しかたの原理が警視総監の原理で理解できる範囲内にとどまっていたら、まちがいなく発見されてただろうよ。ところが、あのお役人はころりとごまかされちまった。敗北の遠因は、彼のこの三段論法にあるんだな――あの大臣は阿呆だ、なぜならば彼は詩人として名声が高いから。すべての阿呆は詩人である――これが警視総監がほんとに感じてることなんだな。だから、彼はたんに媒辞不周延《ノン・ディストリプティオ・メディイ》の誤謬《ごびゅう》をおかしただけでね、そのために大前提がこうなっちまったんだ――すべての詩人は阿呆である」
「でも詩人っていうのはほんとうかい?」とわたしはきいた。「ふたり兄弟だってことだし、どっちも文名がある。あの大臣にはたしか微分学にかんする博学な著作があったはずだよ。あの男は数学者だね、詩人じゃなくて」
「きみはまちがってるよ。ぼくはあの男をよく知ってる。あいつは両方なんだよ。詩人で、しかも、数学者だから、みごとな推理ができるんでね。たんなる数学者だったら、推理なんてまるでできやしなくって、警視総監にしてやられてただろうな」
「これはまた驚いたな」とわたしは言った。「きみの意見は世間の見方とまっこうから対立してるぜ。まさか何世紀ものあいだ親しまれてきた考えかたを否定しようっていうんじゃあるまいね。数学的推理こそ推理の華《パ・レクセランス》だと、長いあいだ認められてきたものなのに」
「Il y a a parier que toute idee publique, toute convention recue, est une sottise, car elle a convenue au plus grand nombre.(あらゆる世間の通念、あらゆる承認ずみの慣習は愚劣であるというほうに賭けてまちがいはない。だって、大衆むきのしろものなんだもの)」
シャンフォール(一七四一〜九一。フランスの文筆家。箴言、警句で有名)のことばを引用してデュパンは答えた。
「数学者たちは、なるほど、いまきみが言った通俗的な誤謬をひろめるのにベストをつくしてはきたさ。でも、いくら真理としてひろまったからといって、誤謬はやっぱり誤謬だよ。たとえば、連中はきれいな手をきたなく使って、[分析]ということばを徐々に[代数学]にあてはめていった。フランス人がこの特製の詐術の元祖なんだけど。でも、もしことばのなかに価値があるんなら、もしことばをあてはめることで価値が生まれるんなら、[分析]が[代数学]を意味する度合はこんなところだろうね――ラテン語の[戸別訪問《アンビトウス》]が英語の[野心《アンビション》]を、[律儀《レリギオ》]が[宗教《レリジョン》]を、[名士《ホミネス・ホネステイ》]が[偉人《オナラブル・メン》]を意味するていど。つまり何の関係もありゃしない」
「ほほう、きみはいまパリの代数学者を相手に戦ってるんだね」とぼくは言った。「まあいい、やりたまえ」
「ぼくが反論したいのは純粋に論理的な形式によらない、特殊な形式によって進められる推理の有効性であり、したがってまたその価値なんだよ。とりわけ反論したいのが数学的研究から演繹された推理でね。数学とは形式と数量の科学であって、数学的推理とは形式と数量を対象とした観察に論理をあてはめたものにすぎないんだもの。たとえ、いわゆる純粋代数学の真理といえども、それを抽象的ないし一般的真理と考えるのは大まちがいなんだよ。このまちがいはじつに明白であるにもかかわらず、こんなにもひろく受け容れられているのを見ると、ぼくなんかまごついちまう。数学の公理は一般的な公理ではないんでね。形式と数量との関係については真理であるものが、たとえば倫理においてはしばしばとんでもない虚偽になるってことがある。部分の総和は全体にひとしいなんてことは、倫理学ではまずたいていは真実ではないんでね。この公理は、化学にもやっぱり通用しやしない。動機を考えるときにもだめだね。だって、それぞれに負荷をもつふたつの動機があるとして、そのふたつが結びつけられても、その負荷はふたつの独立した負荷の総和に等しいなんてことにはかならずしもなりゃしないものね。数学の真理のなかには、形式と数量の関係の範囲内でのみ真理であるものが無数にあるんだよ。ところが数学者たちは、この有限の真理に立って、習慣になっているものだから、まるでそれが無限に適用できる普遍的真理ででもあるかのように論をすすめてゆき――世間もまた、まったくそうにちがいないと思いこんでしまうんだね。ブライアント(一七一五〜一八〇四。イギリスの考古学者)があのじつに該博な『神話学』のなかで、これによく似た誤謬の発生源にふれていてね、こう言ってるんだ――異教徒のおとぎばなしを信じる者はいないが、しかしわれわれはたえず自分自身を忘れ、それらが現実に存在するかのように、それらにもとづいてものを考えるのである、とね。ところが代数学者はそもそも異教徒なものだから、この[異教徒のおとぎばなし]を信じていて、それらにもとづいて推理するんだな。しかも、うっかり忘れるせいじゃなくて、ふしぎな頭脳の混濁のせいで、そうやっちまうんだからな。要するに、たんなる数学者であって、しかも等根以外のことで信用できる人物とか、あるいは x[2]+px(x[2]はXの2乗を表す)は絶対的かつ無条件にqに等しいという信条をひそかにいだいてなどいない人物とかに、ぼくはまだお目にかかったことがないんでね。まあ、ためしに、そういう紳士がたのひとりにこう言って見たまえ――場合によっては x[2]+px はかならずしもqに等しくないとぼくは信じてるんですが、とね。でも、きみの言わんとするところを相手にのみこませたら、できるだけすばやく相手の手のとどかないところまで逃げのびろよ。だって、相手はきみをノック・アウトしようとするにきまってるんだから」
「ぼくが言いたいのは」デュパンは、わたしがまだ彼の最後の台詞《せりふ》に笑っていてひとことも言わないうちに、もうあとをつづけていた。「もしあの大臣がたんに数学者であるだけだったら、警視総監はこの小切手をぼくにくれる必要もなかったということなんだよ。けれども、彼が数学者兼詩人だってことをぼくは知っていたから、自分の尺度を彼の能力に合わせたんだよ。彼のおかれてる周囲の状況を考盧に入れながらね。彼が廷臣であり、大胆な陰謀家《アントリガン》であるってことも、ぼくは知ってたしね。これほどの男が、まさか警察の凡庸な捜査方法を知らないはずはない――そうぼくは考えた。自分が待ち伏せされることぐらい覚悟していなかったはずはないし、そのことは事実が裏書きしてる。自分の邸が秘密捜査を受けることぐらい予想してたにちがいない。夜もしょっちゅう家をあけたのだって、警視総監は天の佑《たす》けみたいに大喜びしてたけど、ぼくの見るところじゃたんなる罠《リューズ》にすぎないんでね。警察に徹底的な捜査をする機会を与え、そうすることによって、手紙は邸内にはないという確信を一日も早く植えつけてやろうという罠なんで、じじつG**もけっきょくはその確信にはまりこんだんだからね。それから、こうも感じた――いまさっき少々骨を折ってきみにくわしく説明した、隠してある物を警察がさがすときの相《あい》も変わらぬ正攻法にかんする考えかたのすべて、この思考の全過程はかならずやあの大臣の心を通りすぎたはずだ、とね。そうすると、絶対確実に彼はふつうの隅っこにある隠し場所なんかには目もくれなくなるだろう。邸のなかのいちばん複雑でいちばん人目につかない隅っこにしたところで、あの警視総監の眼と探針と錐と拡大鏡にかかればいちばんありふれた戸棚みたいに開けっぱなしなんだってことがわからないほど、あいつが阿呆であるはずがない。つまり、彼は当然のこととして単純さに行きついただろうってことが、ぼくにはわかった。まあ、たとえ熟慮のあげくこの選択肢にしぼったんじゃないにしてもね。たぶん、きみも思いだすんじゃないかな、最初に話を聞いたとき、この謎はあまりにも答がはっきり出すぎてるからそんなに手を焼いてるのかもしれないってぼくが言ったら、警視総監が死ぬほど笑いこけたことを」
「うん。あのはしゃぎようはようく覚えてる」とわたしは言った。「発作をおこすんじゃないかと本気で心配したほどだった」
「物質の世界は精神の世界にたいする厳密な比喩にみちみちている」デュパンは話しつづけた。「そのために、隠喩や直喩が文章を飾るだけでなく論理をつよめるのにも役立つという、あの修辞学のドグマもなんとなくほんとうらしい感じがしてくるんだよ。たとえば、れいの慣性《ヴィス・イナーシェイ》の法則は、物理学でも形而上学でもほとんど同じに見える。物理学のほうが形而上学よりも厳密にあらわれるというだけでね。大きな物体は小さな物体よりも動かしにくいが、そのあとの運動量《モーメンタム》はこの動かしにくさに比例する。一方、よりすぐれた知的能力はより劣った知的能力よりも、行動中ははるかに力づよく着実で影響力も大きいが、逆に動きだすまでに時間がかかるし、行動の最初の段階でもはるかにとまどいがちでありためらいがちである。もうひとつ例をあげると――通りの商店の看板のなかでいちばん人目につくのはどんなやつか、きみは考えてみたことがあるかい?」
「そんなこと、いちども考えたことがないよ」とわたしは言った。
「地図を使うパズル遊びがあるだろう」と彼はあとをつづけた。「この遊びは一方がある固有名詞を言って相手にそれをさがさせるんだが――町、河、州、帝国、何の名前でもいいんだ。要するに色も形もごちゃごちゃした地図に書いてありさえすればね。ゲームに慣れないうちはたいていいちばん小っちゃな字で書いてある名前を言って相手をまいらせようとするんだけれど、上手になると大文字で地図のはしからはしまで伸びてるような言葉をえらぶ。そのほうが、あまり大きすぎる字を使った通りの看板や掲示と同じに、あまりにも目立つためにかえって見逃されてしまうからなんだな。そしてこの場合にも肉体的な見落としは精神的な不注意とじつによく似ている。あまりにもきわだち、あまりにも明瞭で、自明の考えかたは、かえって知的に気づかれにくいものでね。もっとも、ここまでくると、あの警視総監の理解力をいくぶん上まわるか下まわるかしてるらしい。だって、あの大臣が、世間のあらゆるひとの眼に気づかれないための最良の手段として、あの手紙を世間みんなの鼻っ先に置いといたかもしれないなんてことは、一度だって警視総監は考えたことがないらしいもの。
「でもぼくには、考えれば考えるほど――D**の大胆、華麗、明敏な知力を、そして手紙を効果的に使うつもりなら、いつも手もとにおいておく必要があるという事実を、そしてまた手紙は警視総監の凡庸な捜査範囲内には隠されていなかったという総監閣下みずからの決定的な証言を考えれば考えるほど――この手紙を隠すために、大臣はまったく隠そうとしないという、あまりにも目立ちすぎるという賢明な手段をえらんだことが、ますます納得できるようになったんだよ。
「こういう考えで胸をふくらませると、ぼくは緑いろのサン・グラスを用意して、ある晴れた朝、まったく通りがかりに思いついたみたいなふりをして、大臣の邸をたずねた。D**は在宅してて、いつものとおり、あくびをしたり、ぶらぶら歩いたり、ぼんやり放心してたりで、倦怠《アンニュイ》の極点にいる演技のまっさいちゅう。おそらくいま生きてる人間のなかでほんとうはいちばん精力的な男なのにね――でも、それは誰も見てないときだけなんだな。
「こっちも負けずに、眼が弱いことでぐちをこぼし、サン・グラスが手放せないと嘆く演技をやりながら、サン・グラスの陰で部屋じゅうを念入りに徹底的にさぐった。もちろん、そのあいだじゅう、主人の話に熱心に耳を傾けてるふりをしながらだよ。
「大きな書きもの机にはとりわけ注意をはらった。そのすぐそばに彼が坐ってたんだが、机の上にはいろんな種類の手紙が四、五通と書類のたぐいが、一、二の楽器や三、四冊の本といっしょに乱雑にのっかっている。でも、長い時間をかけて、とても綿密にじっくり調べたんだが、とくに疑いをいだかせるようなものは何ひとつ見つからない。
「部屋をひとわたり見まわしているうちに、とうとう、いかにも安っぽい透かし細工のボール紙でつくった名刺差しが眼にとまった。マントルピースのまんなかからちょっとさがったところにある小さな真鍮《しんちゅう》の把手《とって》から、薄よごれた青いリボンでだらしなくぶらさげてあってね。この名刺差しは三、四段になっていて、名刺が五、六枚と手紙がただ一通だけ差してあった。手紙はずいぶんよごれていて、しわくちゃで、おまけにまんなかからふたつに裂けかかっている――まるで、最初はいらないと思って破りすてようとしたんだけれども、ふと気が変わってやめにしたといったかっこうなんだな。D**の組み合せ文字のある大きな黒い封蝋《ふうろう》が押してあるのがひどく目をひくんだ。表書きはこまかな女の筆跡で、宛名はD**大臣ご本人になってる。これがひどくぞんざいに、むしろ軽蔑さえこめてといったふうに、名刺差しのいちばん上の段につっこんであった。
「この手紙がちらと眼にはいったとたん、もうぼくはこれこそさがしてたものにちがいないと決めこんじまった。念のため言っとくと、どう見たって、見かけは警視総監が読んでくれたじつにくわしい説明とはまるっきりちがってたんだけどね。こちらの封蝋は大きくて黒くてD**の組み合せ文字がついているのに、あちらのほうのは小さくて赤くてS**公爵家の紋章がついてるはずだった。こちらの宛名は大臣あてで細かな女文字なのに、あちらの表書きはさる王家の方あてでたいへん肉太にしっかりした字で書いてあるはずだった。似てたのは手紙の大きさただひとつなんだよ。でも、こうなると、ふたつの手紙のちがいはあまりにも徹底してて、極端すぎるよね――薄よごれた感じで、手紙もきたないうえになかば破けてるし、とうていほんとうのD**がもってる几帳面な習慣からは考えられないことだよ。それにまた、いかにもこの手紙はつまらないものだと見る者に信じこませようという意図が見えすぎてるしね――そのうえまた、この手紙は訪問者なら誰でもまちがいなく見えるような、あまりにも人目につきすぎる場所においてあって、したがってぼくがあらかじめ到達してた結論にぴったり一致してる。こういうことはどれも、疑いの眼をもってやってきた者にとっては、つまりは疑いを確実なものにしてしまう証拠として強力に働きかけるものなんだよ。
「ぼくは訪問をできるだけ引きのばして、大臣がかならず興味をもって夢中になるにちがいないことをよく知っている話題をとりあげ、とても熱心に議論をつづけながら、そのあいだじゅう注意力のほうはその手紙に、ほんとに釘づけにしっぱなしだった。こうやって調べることで、ぼくは手紙の外観や名刺差しのなかにどんなふうに入れてあるかを暗記していった。そしてまた、ついに、ひとつのことを発見したんだが、これが、たとえどんなにかすかなものにしろぼくの胸にわだかまっていたかもしれない疑念まで、きれいにぬぐいさってくれたんだよ。手紙のはしをていねいに見ていて、必要以上に手ずれがしてることに気がついた。わずかにささくれだってる感じで、一度堅い紙を折って箆《へら》をかけたものを、もう一度、最初に折ったときと同じ折り目を、同じはしにくるように、裏返しに折り返したことをはっきり物語ってるんだな。この発見でもう充分だった。手紙が手袋みたいに裏返しにされて、宛名を書きなおし、封蝋を捺《お》しなおしたものであることがはっきりしたんだもの。で、ぼくは大臣に別れのあいさつをして、すぐ帰ってきた。テーブルに金の嗅ぎ煙草入れをわざとおき忘れて。
「翌朝、ぼくは嗅ぎ煙草入れを取りに行って、ふたりで前の日の会話のつづきを再開したわけだ。ひどく熱っぽくね。しかし、そうしているうちに、邸の窓の真下でピストルの音みたいな轟音が聞こえ、つづいて恐ろしい悲鳴がいくつもあがり、恐れおののく群衆の叫びがあふれた。D**は窓ぎわに走りより、ばたんと開いて外を見ている。そのあいだにぼくは名刺差しに歩みよって、れいの手紙を抜きとってポケットにしまい、外観にかんするかぎりそっくりの模造品《ファクシミリ》をそのあとに差しておいた。家でたんねんにこしらえて準備しておいたんだよ――D**の組み合せ文字なんて、パンでこさえた封印で簡単にまねできるものね。
「通りの騒ぎはマスケット銃を持った男の気ちがいじみた行為によってひきおこされたものだった。女子供が大勢いるまんなかでぶっぱなしたんだ。でも、すぐ空砲だったことがわかって、そいつは気ちがいか酔っぱらいだろうということになり、その場で釈放された。その男が行ってしまうと、D**は窓辺からもどってきた――ぼくももちろん、お目当てのものを手に入れるとすぐさま彼のあとを追って窓ぎわに行ってたんだがね。それからまもなく、ぼくは大臣に別れをつげた。にせ気ちがいはぼくが雇った男なのさ」
「でも何だって」とわたしはたずねた。その手紙を模造品《ファクシミリ》とすりかえたりしたんだい? 最初の訪問のとき、おおっぴらに取り返してきてもよかったんじゃないの?」
「D**はね」とデュパンは答えた。「何でもやる男で、しかも、勇敢な男だ。それに邸にはあの男のためなら命を投げ出す従者だっていないわけじゃない。もしきみが言うような乱暴なまねをしてみろ、ぼくは絶対に大臣のおん前を生きて退出することなどかなわなかっただろう。それっきり、善良なるパリのひとびとはぼくの消息をご存じなくなっただろうな。だけど、こうした判断とはべつに、ぼくにもひとつ目的があったんだよ。ぼくの政治的な好き嫌いはきみも知ってるだろ。この事件では、ぼくは問題の貴婦人の味方として動いている。十八カ月ものあいだ、あの大臣は彼女を意のままにしてきた。こんどは彼女が大臣を思いのままにできる――だって大臣は、あの手紙が自分の手中にはないってことを知らないわけだから、まだあるつもりで無理を通そうとするだろうからね。こうして、彼はかならずや、いっきょに自分から政治的破滅にふみこんでしまうだろう。大臣の没落は、ぶざまなだけじゃなくて、急激だろうね。ウェルギリウスのあの[facilis descensus Averni](地獄へ降るは易し)について話すのもまことにけっこうだよ。でも、昇り降りについて言えば、どんなことだって――カタラーニ(一七八〇?〜一八四九。イタリアの名ソプラノ)が声楽について言ってるように――昇っていくほうが降りていくのよりはるかに易しいものなんだぜ。目下の例について言えば、ぼくは降りていく男に何の同情ももっていない。すくなくとも哀れだとは思えないね。同じウェルギリウスで言えば、あの男はれいの[monstrum horrendum](恐るべき怪物)で、破廉恥な天才だもの。しかし、白状すると、ひとつだけ心残りがあってね。大臣が総監のいわゆる[さるやんごとないお方]にないがしろにされて、やむなく、ぼくが彼のために名刺差しのなかに置いてきた手紙を開けなくちゃならなくなったとき、いったいどう思うか――そこのところをぼくはくわしく知りたくてたまらないんだよ」
「どうして? 何か変わったものでも入れといたの?」
「うん――中身を白紙のままにしとくのはあまり感心したことじゃないって気がしたものだから――やっぱり失礼にあたるよ。D**は昔ウィーンでぼくにひどい仕打ちをしたことがあってね、それにたいしてぼくはとても愛想よく、必ずお返しはいたしますよって言っといたんだ。だから、いったい誰に裏をかかれたのか、その人物の正体をつきとめることには彼も多少の好奇心をそそられるだろうと思ってね、手がかりも与えないんじゃかわいそうだから。彼はぼくの筆蹟をよく知ってるんで、ただ白い紙のまんなかに、こういう台詞《せりふ》を写しておいた――
――Un dessin si funeste, S'il n'est digne d'Atree, est digne de Thyeste.
(かかる怖ろしき企みは、アトレにはふさわずとも、ティエストにはふさわし)
クレビヨンの『アトレ』にあるよ」
解説
ひとつの悪夢のような生涯であった。ポーがこの世に書きのこしたどの作品の描いているのよりも怖ろしい悪夢のような、かれ自身の一生であった。
一八〇九年一月十九日、北米の古い町ボストンで、しがない旅役者の子として、エドガー・ポー Edgar Poe は生まれた。生まれてまもなく、かれは母とともに、父に捨てられた。不和と落魄のうちに、妻子のもとを離れ、どこかへ消えてしまったこの男から、エドガーは、アイルランド人独特の夢想とロマンティシズム、はげしい、自分でも制しきれぬ癇癖《かんぺき》、そして不吉な、破滅的な酒乱の傾向、などを受けついだ。あまりありがたくない遺産である。しかしまた、逆説的にいえば、こうした血統こそ、作家ポーを作りあげる不可欠の要素であったとみられなくもない。
エドガーを中に男と女の三人の子を抱えた母エリザベスは、なんとか暮らしをたてていたが、一八一一年の十二月八日、巡業さきのリッチモンドで急死した。かの女は、エドガーにとって、「女の原型」であった。むろん、まだ満三つにもならぬかれに、そんなことがわかろうはずもない。しかし、精神分析の観点からすると、エドガーのこころの深層にエリザベスは「母」と「女」のイメージを、やきつけてしまったのだ。なぜなら、その後のかれの実生活と作品の上に、それは異様に明らかなしるしを残していくことになるからである。たとえば、今は天涯の孤児となったエドガーは、やがて同じリッチモンドの町の、たばこ商をいとなむジョン・アランに引きとられた。エドガー・ポーがエドガー・アラン・ポーとなった。ただし、ポーはこれを好まず、Edgar A. Poe と署名するのを常とした。その理由のひとつは、ジョンとの確執であった。ジョンはスコットランドの出、若いころは詩のひとつも書こうとしたほどの男ではあったが、今は物堅い実利本位の商人でしかなかった。ある種の名声と富は、かれを健全な俗物に仕立てあげた。しかも、所は、北東部の文化と消費の町ボストンと違って、南部の農業州ヴァージニアの首都リッチモンドという繁栄の巷であった。
はやぶさと、コウモリのような親子の間柄ともいえようか。コウモリのジョンも、はやぶさのエドガーに、できるだけのことはしてやった。一八一五年の七月二十八日、かれは妻とエドガーを(子を、というわけにいかない。エドガーは、ついに正式の養子とはならなかったのだから)伴って、イギリスへ渡り、一八一八年から二年間、ロンドン近郊の、ストーク・ニューイントンにある寄宿学校マナー・ハウス・スクールに通わせた。そこでの生活と気分は、ほとんどそのまま『ウィリアム・ウィルスン』(一八三九年)で伝えられている。帰国後も、いろいろな学校を経て、一八二六年二月十四日、ヴァージニア大学へ入った。そして、一年も経たないうちに、退学させられた。賭博や飲酒その他の放埒が重なって多額の、二千五百ドルもの負債をこしらえたからである。翌年の三月二十四日、エドガーはアラン家を出奔した。おやじが、けちだからさ、と十八歳の青年は訴え、おやじはあの子は愛情に薄く、それに嘘つきだから、と愚痴をこぼす。つまりはアランというコウモリが、愛してもいず愛することもできない生きものを飼おうとして、そのはやぶさの感謝を強いたところに不幸の基がひそんでいたのであろう。
アランは、しかし、少なくともひとつだけ、エドガーについて正確な、同時にあまりにも悲劇的な予言を下している……「あの子の才能ってやつは、当の本人にとっちゃ決して楽しいものとはなりえないようなものだろうよ」
こうしたアランにひきかえ、その妻フランセスは、やさしい女であった。かの女のなかに、エドガーは亡くなった美しい母エリザベスのおもかげを求めたのではなかったろうか? フランセスさえ生きていてくれたら、あるいはエドガーもどうにかアラン家のひとりとしておさまるようになったかもしれなかった。ところが、エドガーとつながりをもつ女たちはほとんどすべて、美しいままに若くて死ぬのである(ここから、かれのもっとも愛した詩の主題である「青春…美…死…悲哀」の理論が編み出される。また、これを素材として『ベニレス』や『モレラ』や『リジア』のような、若い美女の死をめぐるかずかずの短篇が作られる)。そして、エリザベスとフランセスを結ぶ線は、のちにマライア・クレムヘと延び、そこに「永遠の女性」への思慕と、肉体の女への挫折という残酷な人間図を織りなすにいたるであろう。
リッチモンドを去ったエドガーが、ふるさとのボストンに姿をあらわしたのは、四月七日のことである。五月二十六日、エドガー・アラン・ペリーという変名で、合衆国陸軍に入った。「灰色の目、褐色の髪、色白、身長五フィート八インチ」というふうに名簿に書きこまれている。一方、そのボストンで、はじめて、本を出した。ささやかなこの詩集『タマレーン、そのほか』の著者の名は、ただ「一ボストン人」となっているだけである。ほとんど売れなかった。その年の十一月の八日から、十八日まで駐屯した南カロライナ州チャールストンのモウルトリー要塞は、その後『黄金虫』(一八四三年)の舞台として使われることになった。
一八二九年の一月一日には特務曹長に昇進、四月十五日に満期除隊し、ウェスト・ポイントの陸軍士官学枝へ入る手続きをすますため、ワシントンヘ赴いた。その秋、かれはボルティモアヘ行き、叔母のマライア・クレムの家に身をよせた。その娘ヴァージニアとのめぐりあいは、そのときに始まる。十二月、第二の詩集を出した。ついで、翌一八三〇年の六月、かねての志望どおり陸軍士官学校に入った。優秀な生徒であったが、きびしい規則や拘束や訓練を嫌い、わざと違法の行為を犯し、一八三一年の二月十九日、放校に処せられた。こうして、奇妙な合い狂言は、みじめに終る。
その後ニューヨークヘ出て第三の詩集を出し、夏にはまたボルティモアの叔母の家に舞いもどり、それから一八三五年の八月まで、この地での生活がつづく。作家ポーが誕生したのは、その間のことに属する。すなわち、一八三二年に五つの物語が『フィラデルフィア・サタディ・クーリア』に載った。ただし、いずれも署名なしであるが、そのうちのひとつが『息をなくす話』である、次の一八三三年の十月十二日、『罎の中から出た手記』が、『ボルティモア・サタディ・ヴィジター』の懸賞で第一等を占めた。『メールストロムの渦』(一八四一年)、『落し穴と振り子』(一八四三年)および『早すぎる埋葬』(一八四四年)とともに、「恐怖」小説の部門を形成する作品である。ようやく作家としてただ一本のペンをもって世に立つ決心をつけたポーは、実質上の結果においてアメリカ最初の職業文士たる栄誉を、しかも堪えがたい苦痛にみちみちた栄誉をになうことになるのだが、同時にまた、一八三五年の八月、かつてかれの小説四篇を掲載した『サザン・リテラリー・メッセンジャー』の副主筆に聘《へい》せられ、想い出の地リッチモンドに向かってボルティモアを去ったとき、はからずもアメリカ最初のジャーナリストたる光栄をうけるようになるのである。しかも、なんという汚辱にまみれた光栄であったことか!
その年の九月二十二日、ボルティモアヘ帰り、いとこのヴァージニアと結婚する許可を得、一八三六年の五月、正式に結婚した。一八二二年八月十五日に生まれたヴァージニアは、まだ十四歳になっていなかった。その上、虚弱でもあったので、これは文字どおりの「幼な妻」であり、ポーの心身の状況と照らし合わせてみると、それが世の常の男女の結婚であったとは考えられない。ポーが性交不能であったと断じる医学的明証こそないとしても、かれの作品という文学的明証からすれば、やはりその断定は正しいようである。そして、イギリス文学におけるジョナサン・スウィフト(一六六七〜一七四五)とステラとの、奇怪でしかも哀切をきわめた結婚を、大西洋をへだてて唯一の類似とするアメリカ文学史上およそ謎と貧困と言語に絶した幸福とにあざなわれた、二つのたましいのこの結合を、神の名においてわれわれは祝うべきであろうか? それとも、まさにそのことのゆえに、神を呪うべきなのか?
ポーの呪われた、憑かれた、ボードレール(一八二一〜六七)のいわゆる「八方塞がり」の孤独な、倨傲《きょごう》な、限りなく傷つきやすいたましいが、ほんとうに求めていたのはヴァージニアではなく、その母マライアであった、とも考えられる。すでに触れたように、マライア…フランセス…エリザベス、とさかのぼっていく「母・女イメージ」は、ポーのような資質と性向の人間にとって、それだけでも正常な性生活を不可能とするものであったかもしれない。一般にポーの文学的自伝と呼ばれている『ウィリアム・ウィルスン』で、その主人公の「ローマでの私の非望」や、「ナポリでの私の熱烈な恋」などが挙げられているが、それは普通の悪人や犯罪者に見られる強烈な肉欲ではなく、むしろ極度に純潔で繊細な精神の自虐的な補償作用のようなものとしてさえ受けとられるのである。
さて、次第に酒がポーの、脳髄をではなく、処世の道を狂わせはじめる。かれは酒好きとか酒豪とかいうのではない。酒を愛して陶然とする、などという心境と生理ほど、この作家から遠いものはなかった。わずかな、いや、たった一滴の酒すらが、たちまちかれの言動を乱し、品位と金品のすべてを奪ってしまうのだ。せっかくの勤め口も、そのために失い、一八三七年の二月、ニューヨークヘ移らねばならなかった。唯一の長篇『アーサー・ゴードン・ピム物語』が公刊されたのは、一八三八年七月のことであり、その夏、一家をあげてフィラデルフィアに転じ、翌年の六月、『ジェントルマンズ・マガジン』の副主筆となった。前記の『ウィリアム・ウィルスン』や『アッシャー家の崩壊』が発表されたのは、この雑誌によるものだった。最初の短篇集『怪奇物語集』が刊行されたのは、一八四〇年、作者二十一歳のときである。世界文学のなかで、まことに宝玉のような硬い、妖しい光りを放つこの作品が作者にもたらしたものは、しかし、文学界の無視と、友人への幾冊かの献本にすぎなかった。
ポーのはげしい願いは、自分の個人雑誌をもつことであった。一八四〇年代は、ポーの生活にとって、もっとも悲惨な十年間であったが、それはまた、制作の上ではもっとも実りゆたかな時期であるのだが、それらを通じて、かれを支えていたもの、いや、欺いていたものといいたいくらいだが、それは自分の雑誌を出すことであり、それによって、「アメリカで、唯一の真正な貴族主義…知性のそれを樹立し、その優位を確保し…それを指導し管理」しようとした。かれには強い自信があった。このような知性の貴族主義にたいして、およそ冷淡であり侮蔑的である十九世紀前半のアメリカの精神風土に、敢えて挑戦するだけの夢と理想があった、まさに破れるほかないような悲願が。
一八四一年の四月、『グレアムズ・マガジン』の主筆となり、同誌に『モルグ街殺人事件』を発表、はしなくも近代における最初の推理小説家となった。その主人公オーギュスト・デュパン氏は、シャーロック・ホームズやアルセーヌ・ルパンほど有名ではないが、実は名探偵ホームズの先輩であり、怪盗ルパンを相手に張りあえる厳正な推理と創造的な直観に富む人物である。作者はこれを自画像とは考えなかったであろうが、しかし、いくらか理想像めいたところはなくもない。ともあれ、生き生きとした性格の創造こそが、すぐれた文学の基準であるとすれば、ひとりのデュパン氏を生み出しただけでも、作者の名は永遠に忘れられないはずである。
『モルグ街殺人事件』につづいて同じ雑誌に『メールストロムの渦』が、さらに『赤い死の仮面』が出た。雑誌の売れ行きは、にわかによくなった。だが主筆ポー氏の収入は年俸八百ドルの据え置きだった。富めるものはいよいよ富み、持たざるものはますます奪われる……イエス・キリストは真理を説いた。
じれったいほどの、どやしつけてやりたいほどのだらしなさと貧乏である。一八四二年の一月、妻が歌を歌っていたおり血管を破り、それからというものはもう、半死半生の病人であった。それだのに、ポーは五月には職を辞し、ペンだけでもって立つことの絶望的な時代に、ペンだけでもって三つの口を養っていこうとする。しかもその口のひとつは後悔と苛責のすえに、また狂ったように酒を飲み、酒をくらっては錯乱する。そんな最悪の条件が揃っているまっただなかで、疎隔と敵意に包まれながら、かれの細いペンは、走ることをやめない。ぞくぞくと傑作を生んでいく。
『エドガー・エイ・ポー散文物語集』が、一八四三年にフィラデルフィアで刊行された。『黄金虫』が百ドルの賞金を得たのもその年であったが、翌年の四月七日、ニューヨークに出、次の一八四五年の一月、むかし副主筆だったことのある『イヴニソグ・ミラー』に『鴉』を載せた。ポーの詩のなかで、最高とはいいがたいが、もっともひろく知られている作品である。三月八日には『ブロードウェー・ジャーナル』の編集陣に加わり、夏には『ポー物語集』を上梓した。そして、十月二十四日、やっと、その雑誌の所有者となることができた。しかしそれも、三カ月の命でしかなかった。そればかりか、一八四七年の一月三十日、ニューヨークを去る十三マイルの、フォーダムという村のあばら屋で、妻ヴァージニアが息を引きとった。外套と猫とだけが、肺患に特有のあの消耗熱で悪寒に慄えているこの病人を暖める唯一の手段であった。一八四八年の二月三日、『ユーレカ』を朗読、六月に単行本として出版した。壮大な宇宙論であり、今日の人工惑星の現出にみられるような新しい宇宙を予想せしめる、科学と散文詩のふしぎな結晶である。
それから、ポーの人生行路に、いろいろな女との交渉がつづく、そうしてそれらのすべてが、無と失望とに終る。一八四九年の八月十七日、「詩の原理」について講演、九月二十四日にもふたたびこれを行った後、二十七日リッモンドを離れての帰途、十月三日、かれの姿が、泥酔し、意識を失ったばかりか、今や死に瀕しているかれの姿が、ボルティモアで発見され、病院へかつぎこまれた。選挙日に当っており、選挙場で倒れていたところから、誰かにしたたか飲まされ、買収されて、いんちきな投票に使われたのではないか、などと推測された。そして、十月七日の日曜日、朝の五時ごろ、エドガー・ポーは死んだ。「神さま、この哀れなたましいをお助けください!」というのが、最後のことばであった。
こうして、近代の文学に、「新しい戦慄」を創造した稀有の詩人、人工の極致をつくしたかずかずの詩によって、絶妙な韻律をかなでた文学者、詩の制作の秘密を説き明かした詩学者、食うためのあらゆるその場かぎりのやっつけ仕事のあいだに、貧窮と病弱と酒乱にたえず悩まされつつ、フランスをはじめに近代の文学に象徴主義を生み、そのことによってまったく新しいものを寄与したこの作家は、かれ自身があれほど作品のなかで描いた墓場のかなたの世界へと姿を隠した。
あとに残された作品、とりわけ小説類は、すでにいくらか見てきたとおり、いくつかの種類にこれを分けることができるであろう。推理小説としては、『モルグ街殺人事件』につづいて同じ主人公の登場する『マリー・ロジェー事件の謎』(一八四二年)があり、これは前作が異常な、ほとんどありえないほどの殺人事件であるのに反し、ごくありふれた種類の犯罪を扱ったものであるが、そこに示された分析的推理の精妙と直観の鋭利は変るところはない。第三作の『盗まれた手紙』(一八四五年)は、人間の盲点をついて難事件を解決してみせる作品で、たんにこの種のものとしてだけでなく、ポーの全作品のなかで、たったひとつ明るい笑いに溢れた小説である。『黄金虫』こそは、数学と心理とを最大限に生かした典型的な推理小説である。
第二の種類は、これと無関係ではないが、直接に復讐と殺害をテーマとしたものであって、とりわけ『おしゃべり心臓』(一八四三年)と『黒猫』(同年)の二つは、姉妹篇とみることができよう。両者に共通する別な要素として、「目」が指摘される。「そうだ、あの眼だ! 彼の片方の眼は禿げ鷹の眼に似ていました……薄い膜のかかった、ぼんやりした青い眼」をした老人と、黒猫の目には、何か人間のもっとも怖ろしい心理の奥底まで見抜かずにはやまないというような凄さが堪えられているではないか。
第三は、これも第一および第二とおのずから関連しているのであるが、死を主題とした一群の作品であって、『アッシャー家の崩壊』(一八三九年)を代表作とする。この小説は、ひとつの心理と雰囲気を精細に描いた文章としても、世界文学の散文のなかで特異な第一級に位する作品である。「雲が重苦しく空に低くかかった、陰欝な暗い、寂寞たる、秋の日の終日、私はただひとり馬に跨って妙にもの淋しい地方を通り過ぎて行った」に始まるこの短篇は、一読して深く読者に印象づけられるにちがいない。
第四は、これもやはり以上のものとつながるのであるが、とりわけ恐怖を主体とした短篇である(量的には、短篇よりも中篇に近く、第一の推理ものの次に長いのが多い)。『壜の中から出た手記』をはじめ、『メールストロムの渦』、『落し穴と振り子』である。おそらく、鬼気迫るその怖ろしさという点からいえば、これらに匹敵する小説は、他に求めて得られないであろう。まさに、ポーの独壇場ともいうべきところである。
第五に、想像もしくは幻想の小説、というのを挙げなくてはなるまい。『息をなくする話』(一八三二年)、『群集の人』(一八四〇年)、『妖精の島』(一八四一年)、および『奇態の天使』(一八四四年)などは、この部門にくり入れられる。しかし、この種類のなかでいちぱんよく知られているのが『ウィリアム・ウィルスン』であって、これはただ二重人格というようなことを扱っただけではなく、人間の良心というもの、原罪とのたたかいといったようなものを、掘りさげているのである。オスカー・ワイルド(一八五六〜一九〇〇)の『ドリアン・グレイの肖像』(一八九一年)が、ポーのこの小説を、いわば下敷きにしていることは、いうまでもない。ロバート・ルイス・スティーヴンスン(一八五〇〜九四)の『ジーキル博士とハイド氏』(一八八六年)もまた、この作品のテーマやモティーフに触媒されたものといえるであろう。(西村孝次)
年譜
一八〇九 一月十九日、ボストンにて、父デイビッドと母エリザベス・アーノルドの二男として生まれた。父はメリーランド州ボルチモアに生まれ、十九歳のときに初舞台をふんだ旅役者で二十五歳。母は九歳のときから舞台に立ったイギリスから渡ってきた同じ旅役者で二十一歳。兄のウィリアム・ヘンリーは一八〇七年一月に生まれている。父は十月の舞台を最後に妻子を捨てて姿を消した。
一八一〇(一歳) 八月、母は幼子をつれて、バージニア州リッチモンドにいき、舞台に立った。十二月頃、妹ロザリーが生まれた。
一八一一(二歳) 十二月八日、母は困窮のうちにリッチモンドで死んだ。ポー自身の言葉によると、父も数週間後に死亡したという。兄のウィリアムはボルチモアの父方の祖父に引きとられ、妹のロザリーはリッチモンドの慈悲ぶかいウィリアム・マケンジーの家に引きとられた。ポーはスコットランド出身の裕福なタバコ輸出業者ジョン・アラン家の養子となった。アラン夫人、フランセスが心のやさしい人で子どもがなかったからである。しかし、義父はついにポーを正式に自分の籍に入れなかった。
一八一五(六歳) 七月、アラン夫妻につれられて、英国に渡った。スコットランドへ数週間旅行したほかは、主にロンドンにいた。
一八一七(八歳) 帰国するまでロンドンのスローン通りにあるデュバーグ姉妹の学校、およびロンドン近郊のストーク・ニューイントンにあるマナー・ハウス・スクールに通った。
一八二〇(十一歳) 八月、アラン夫妻とともに、リッチモンドに帰り、一、二の学校に通った。
一八二二(十三歳) 八月十五日、のちに彼の妻となる従妹のバージニア・エライザ・クレムが生まれた。
一八二三(十四歳) 四月、ウィリアム・バークの学校に入学。級友の母親ジェイン・スタイス・スタナード夫人を知り、その美しさに魅せられる。
一八二四(十五歳) スタナード夫人の死はポーにつきぬ悲しみを与え、のち有名な「ヘレンに寄せる歌」を書いた。
一八二五(十六歳) 近所の娘セアラ・エルマイラ・ロイスターと親しくなり、ひそかに婚約した。
一八二六(十七歳) 二月、バージニア大学に入学。成績はよかったが、学費の不足をおぎなうために賭博に手をだし、多額の借財をつくり、十二月には退学。ロイスターはポーがジョン・アランの正式の養子になれないのを見越してか、他の男と結婚することにした。
一八二七(十八歳) しばらくジョン・アランの事務所で働いたが、三月、義父と争ってリッチモンドを出奔、四月ボストンに到着。五月、エドガー・A・ペリーの変名のもとに合衆国陸軍に入隊、ボストン港内のインディペンデンス要塞に配属された。しばらくしてサウス・カロライナ州チャールストン港内サリバンの要塞に移り、一年ほどそこにいた。「黄金虫」の背景となったのはこの島である。六月頃、ボストンで匿名の最初の詩集「タマレーンその他」を出版した。
一八二八(十九歳) バージニア州マンロー要塞に転勤。
一八二九(二十歳) 一月、准尉に昇進。二月、アラン夫人が死亡したのでジョン・アランと一時和解。五月、ウェスト・ポイント陸軍士官学校に入学しようとして、陸軍省と交渉。ボルチモアの父方の叔母クレム夫人の家に行き、従妹のバージニアと親しくなる。十月、ジョン・アランが再婚。十二月、第二詩集「アル・アーラーフ、タマレーンその他小詩」をボルチモアにて出版。
一八三〇(二十一歳) 七月一日、ウェスト・ポイント陸軍士官学校に入学。
一八三一(二十二歳) 三月六日、軍務怠慢のため、士官学校を放校となり、ボルチモアのクレム叔母の家に身をよせた。四月、「詩集第二版」をニューヨークにて出版。十二月、「フィラデルフィア・サタデー・クリア誌」の懸賞短編小説応募した五編が採用となり、「メルッンゲルスタイン」以下が同誌に発表された。
一八三二(二十二歳) たぶんボルチモアのクレム夫人の家にいたと思われるが、ヨーロッパにいったという説もある。
一八三二(二十四歳) 十月、「ホルチモア・サタデー・ビジター誌」に、「壜の中から出た手記」を投稿して、賞金五十ドルを得た。選者の一人、ジョン・P・ケネディと知りあい、彼をとおしてリッチモンドの「サザン・リテラリ・メセンジャー誌」と関係ができた。
一八三四(二十五歳) 三月、ジョン・アランが死亡した。遺書にポーの名は記載していなかった。
一八三五(二十六歳) 二月、「サザン・リテラリ・メセンジャー誌」に寄稿をはじめた。八月、同誌の編集助手として、リッチモンドへ移り、暮れには編集主任となった。
一八三六(二十七歳) 五月十六日、従妹のバ[ジニア・クレムと結婚。「メセンジャー誌」の発行部数を増加させる手腕を発揮したが、飲酒がたたって健康を害した。
一八三七(二十八歳) 一月、「メセンジャー誌」の編集の職を失う。二月、クレム夫人と妻をともなってニューヨークへ出る。
一八三八(二十九歳) 七月、「アーサー・ゴードン・ピムの物語」をニューヨークのハーパーズ社から出版。八月頃フィラデルフィアヘいく。
一八三九(三十歳) 六月から約一年間「バートンズ・ジェントルマンズ・マガジン」の編集に参加し、「アッシャー家の崩壊」は同誌の九月号に、「ウィリアム・ウィルソン」は十月号にのせた。
一八四〇(三十一歳) 六月「ジェントルマンズ・マガジン」の編集をやめ、「ペン・マガジン」という自分の雑誌を創刊しようとした。それまでの短編を集めて、二巻からなる「グロテスクな物語とアラベスクな物語」をフィラデルフィアで出版した。
一八四一(三十二歳) 「グレイアムズ・マガジン」の主筆となる。同誌の発行部数は五千部から三万七千部になったといわれる。「モルグ街の殺人」「メールストロームの渦」やマコーレイ「試論集」の書評などを同誌にのせた。
一八四二(三十二歳) 一月、妻のバージニア病気となる。五月、「グレイアムズ・マガジン」を去る。自分の雑誌「スタイラス」を発行しようとしたが、実現しなかった。短編「赤死病の仮面」「マリー・ロジェの怪事件」やディケンズの「バーナビ・ラッジ」、ロングフェローの「バラッドその他」、ホーソーンの「トワイス・トールド・テールズ」の書評などを書いた。
一八四三(三十四歳) 六月、フィラデルフィアの新聞「ダラー・ニュースペーパー」に「黄金虫」を投稿して賞金百ドルを得た。作品は六月二十四日号から七月八日号まで連載された。八月、「ユナイテッド・ステーツ・サタデー・ポスト誌」に短編「黒猫」を発表。
一八四四(三十五歳) 四月、ニューヨーク市へ移る。十月、「イブニング・ミラー紙」の編集に関係する。
一八四五(三十六歳) 一月二十九日の「イブニング・ミラー紙」に詩「大鴉」を発表。ようやく名前を知られるようになった。三月、「ミラー紙」をやめ、週間紙「ブロードウェイ・ジャーナル」の編集に加わり、十月には同紙の所有者兼主筆となる。七月、「黄金虫」その他十二編を集めた「物語集」をニューヨークにて出版。これはのちにロンドンでも出版された。十一月、詩集「大鴉その他」を出版。
一八四六(三十七歳) 一月、「ブロードウェイ・ジャーナル」を廃刊。四月、評論「詩作の哲学」を「グレイアムズ・マガジン」に発表。五月頃、フォーダムの田舎家に移る。
一八四七(三十八歳) 一月三十一日、妻のバージニアは長い病気ののち、貧困のうちに死亡。十二月、詩「ユーラリウム」を「アメリカン・ウィッグ・レビュー誌」に発表。
一八四八(三十九歳) 六月、散文詩「ユリイカ」を出版。シュー夫人やホイットマン夫人(詩人のウォルト・ホイットマンとは無関係)との不幸な恋愛。
一八四九(四十歳) 四月、詩「黄金の国」をボストンの週刊紙に発表。六月、新しい雑誌を出す計画で、リッチモンドへ向かう。七月、リッチモンドに到着。少年時代の恋人で、今は未亡人となっているシェルトン夫人(セアラ・エルマイラ・ロイスター)に会って、婚約した。八月、リッチモンドで「詩の原理」について講演。九月末、叔母のクレム夫人をリッチモンドにつれてくるために、北へ向かったが、十月三日、ボルチモアの投票所に使われた、ある酒場の前で、酔っぱらって倒れているのを発見された。十月七日朝、病院で死んだ。死体は同市のウェストミンスター・プレスビテリアン教会に葬られた。
[訳者紹介]
安引宏《あびきひろし》一九三三年、山梨県大月市に生まれる。東京大学文学部英文科を卒業。「展望」編集部、「すばる」創刊編集長を経て、七五年「祝祭のための特別興業」(「死の舞踏」所収、中央公論社)で再開第一回中公新人賞を受賞、文筆活動に入る。小説に「印度の誘惑」(河出書房新社)、「背教者」(同)など。紀行に「カルカッタ大全」(人文書院)、「新アルハンブラ物語」(新潮社)など。訳書にT・E・ロレンス「知恵の七つの柱」、J・A・ミッチェナー「わが青春のスペイン」、H・ウッド「インド大いなる母」などがある。
◆モルグ街の殺人
エドガー・アラン・ポー作/安引宏訳
二〇〇三年五月二十五日 Ver1