ポオのSF 第1巻
エドガー・アラン・ポオ/八木敏雄訳
目 次
ハンス・プファールの無類の冒険
メロンタ・タウタ
瓶から出た手記
大渦への落下
シェヘラザードの千二夜の物語
ヴァルドマール氏の症状の真相
のこぎり山奇談
ミイラとの論争
使いきった男
解説
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ハンス・プファールの無類の冒険
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〔ハンス・プファール(Hans Pfaal)は、むろん、架空のオランダ人名。ただし、その姓がfall Phallus fail などの英語の音をしのばせることに注意。また Pfaal を逆に読むと Laugh(笑い)になるという指摘もあり、そうならこの名は作者によるこの作品のひそかな「品質表示」であるかもしれない〕
[#ここで字下げ終わり]
狂おしの幻想にみてる心を
意のままにあやなし
燃ゆる槍を手に、空気の馬にまたがり
荒野をめざして、われはゆく。
――トム・オ・ベドラムの歌
ロッテルダムからの最近の報道によれば、同市は高度に哲学的な興奮状態にあるらしい。実際、完全に予測不能な――まったく斬新な――従来の見解と完璧に矛盾する現象がこの都市に発生したのだから、私の見るところでは、時ならずして全ヨーロッパが大騒ぎになり、あらゆる物理学が沸きかえり、いっさいの理性と天文学が大乱闘をおっぱじめるにちがいないのだ。
某月某日(日付にはあまり自信がない)、おびただしい群衆が、特定されないある目的のために、整然たるロッテルダム市の取引所前の大広場に集まっていたらしい。その日は季節はずれの暑さで、ほとんどそよ吹く風もなかった。それゆえ、青天井にふんだんに散らばる大きな白い雲のかたまりから、時おり、しかもほんのしばらく、ほどよいにわか雨がぱらぱらと降りかかっても、群衆はべつに気を悪くしなかった。が、正午ごろ、かすかな、しかし、はっきりそれとわかる動揺の波が群衆のあいだに伝わり、つづいて一万の舌が音を鳴らし、一瞬後には、一万の顔がいっせいに天を仰ぎ、それと同時に一万のパイプがいっせいに口のはしから下に垂れ、そしてナイアガラのとどろきにも比すべき叫び声が、ロッテルダムの市内ばかりか郊外にまでも、長く大きく尾を引いて、すさまじくひびきわたった。
この騒ぎの原因はたちまち明らかになった。すでに言及した、あのくっきりと空に浮かぶ大きな雲のかたまりの一つの背後から、奇妙な、あきらかに雲とは異質な、一見したところ固体らしいが、あまりに妙な形をし、まことに気まぐれに組立てられているので、なんとも理解しかねる、どうしても感心できない物体が、雲間にぽっかりひらけた青空にゆっくり姿をあらわすのを、下界であんぐり口をあけて立ちすくむ一団の屈強な市民たちは見たのである。あれは何か? ロッテルダムのあらゆる悪魔の名にかけて問うが、あれはいったい何の前兆か? 誰も知らなかった。誰にも見当がつきかねた。ミンヘール・スペルブス・フォン・ウンデルドゥック市長でさえ、この謎を解明するいかなる手がかりも持ちあわせなかった。だから、ほかになすべき適切なこともないまま、誰もが、一人のこらず、パイプを口のはしに慎重にくわえなおし、この珍現象をじっと見すえながら、パイプの煙をふかし、ふとやめ、ふらふら歩き、意味ありげになにやらつぶやき――それから、またふらつき、つぶやき、歩をとめ、そしてまた――パイプの煙をふかすのだった。
しかし、こうするうちにも、かほどの好奇心をそそる対象にして、かほどの大量のパイプの煙の原因でもあった物体は、このうるわしの都市にむけて、低く、ますます低く、降りてきた。それは――しかり、一種の軽気球らしくみえたが、|かような《ヽヽヽヽ》気球はロッテルダムではついぞ見かけなかった。全体がきたない新聞紙でできている気球――そんな話を聞いた者があるだろうか。オランダじゅうにそんな者はいなかった。ところが、現に、群衆の鼻先に、いや鼻よりいくらか|上に《ヽヽ》――私はしかるべき権威にもとづいて言っているのだが――これまでかかる目的のために用いられたためしがない材料でつくられた、くだんの物体が姿を見せたのである。
これはロッテルダム市民の良識に対する重大な侮辱であった。この奇怪な物体の形態にいたっては、ますますもってけしからんものだった。なにせ、それは道化帽をさかさにした恰好にほかならなかったのだから。そのうえ、この類似をなおいっそう引きたてていたのは、もっと近くで見ると、そのてっぺんからは大きな|ふさ《ヽヽ》がぶらさがり、その上部のふち、つまり円錐体の基底部の周囲には、羊の鈴に似た小さな楽器がぐるりと並んでいて、それがベティー・マーティンの曲〔「ベティー・マーティンの曲」などというものはない。"All my eye and Betty Martin."(ばかばかしい! とんでもない! 冗談でしょう! ナンセンス!)という英語の俗な言いまわしからの借用〕にあわせてチリンチリンと鳴りつづけていたことだった。が、なおいけないことに、この珍妙な機械の下端部から青いリボンでぶらさがっているのは、籃《かご》ではなくて、巨大なとび色をしたビーバーの毛皮の帽子で、その鍔《つば》はたまげるほど広く、その半球状をした帽子の山には黒いバンドと銀のバックルがついていた。だが、いささか奇妙なことは、これとまったく同じ帽子を以前に何度も見たことがあると断言するロッテルダム市民がすくなからずいたことである。そして事実、群衆たちは、みななにやら見慣れたものを見ている目つきなのである。おまけに、グレッテル・プファール夫人は、それを一見するや驚喜の叫びをあげ、それがまさしく自分の夫の帽子にまちがいないと断言したのである。
当のプファールは、三人の仲間とともに、五年ほどまえ、まことに不可解な仕方で忽然とロッテルダムから姿を消し、この物語の一件が起こる日まで、彼らの消息を知ろうとするこころみはことごとく失敗に帰したのだから、プファール夫人のこの発言はますますもって聞き捨てならなかった。たしかに、人間のものと思える骨が、奇妙ながらくたにまじって、ロッテルダム市の東方のひっそりした場所で発見されたのはつい最近のことであり、この場所でおぞましい殺人がおこなわれ、その被害者はおそらくハンス・プファールとその仲間であろうと臆測する者さえいたからである――が、話を戻そう。
気球(たしかに気球にちがいなかった)は、いまや地上から百フィートの範囲内に降りてきて、下界の見物人にも、搭乗者の姿がはっきりと見えた。何者かはわかりかねたが、これはまことにもって奇怪な何者かであった。身長はせいぜい二フィートたらず。が、小なりとはいえ、この背丈でも平衡《ヽヽ》をくずすには充分なわけで、胸の高さまである、気球の索に結びつけられた円形のかこいがなかったら、この何者かはこの小さい籃のふちから落下していたかもしれない。この小男のからだは背丈に比して不釣合いに横幅が広く、その全体の体形は滑稽なほどまるまるとしていた。もちろん、足はまったく見えなかった。手はひどく大きい。髪は灰色で、弁髪のように束ねてうしろにたらしている。鼻はやたらに長く、ひんまがり、しかも炎症をおこしている。目はまるく、輝き、鋭かった。年のせいで皺がよっていたが、顎《あご》と頬《ほお》は大きく、ふくらみ、二重になっていた。ところが、耳らしきものは顔のどこにも見あたらない。この奇妙な小男の紳士は空色のゆったりした外套をはおり、それに似合う、膝のところを銀の留金で締めつけた、ぴったりしたタイツをはいていた。チョッキはあでやかな黄色い生地《きじ》でできていた。白い琥珀織《こはくおり》の帽子が小粋《こいき》に頭の片側にのっていた。こういう身なりに画竜点睛をほどこしていたのは、彼の首をくるんでいた血のように赤いハンカチで、それがすてきに大きい風変りな蝶結びに結ばれ、粋《いき》に胸の上に垂れていた。
さきに述べたように、気球が地表から百フィートほどのところまで降下すると、この小人《こびと》の老紳士は突然がたがたと身をふるわせ、これ以上|大 地《テラ・フィルマ》に近づくのはごめんだ、といったようす。そこで小男はズックの砂袋をやっとこさ持ちあげ、袋から砂をいくらか投げすてると、気球はぴたりと静止した。それから、あわてふためいた仕草で外套の脇ポケットからモロッコ皮製の大きな紙入れを抜き出した。これを彼はいぶかしげに手のひらにのせ、ひどく驚いた表情で眺め、あきらかに、その重さにたまげているらしかった。やがて男は紙入れをあけ、赤い封蝋《ふうろう》で封印され、赤いテープで入念にからげられた大きな手紙の束を取り出し、それをスペルブス・フォン・ウンデルドゥック市長の足もとにうまく落とした。市長閣下は身をかがめてそれを拾った。だが、飛行家はなおも落着かぬらしく、またロッテルダムにはこれ以上の長居は無用ときめこんだとみえ、手紙を落とすと、あわただしく出発の準備にとりかかった。そして、再上昇するためには砂袋の一部を投げすてる必要があったので、中身のつまったまま、六個の砂袋を次から次へとほうり投げたのだが、まことに不運なことに、そのことごとくが市長の背中に命中し、ために市長はロッテルダム全市民の面前で、まさしく六回にわたり、もんどり打ってひっくり返ったのである。しかし偉大なるウンデルドゥック市長が、小人の老人のこの無礼を黙認したと考えてはならない。それどころか、六度ひっくり返るごとに、その間もしっかり握りしめていたパイプから、死ぬまで(神が許したもうなら)しっかり握りしめているつもりのパイプから、まさしく六度にわたり、怒りのこもった煙を猛然と吐き出したということである。
こうするうちに、気球は雲雀《ひばり》のように舞いあがり、市の上空はるか彼方に天がけり、やがて、さいぜん忽然とそこから現れたのと同じような雲の背後に、しずしずと姿をかくし、ついにロッテルダムの善良な市民たちの驚き呆れる目から永遠にその姿をかき消したのである。かくして人びとの注意はくだんの手紙に集中することになったのだが、その手紙が天から降ってきたこと、および、それに附随する結果は、フォン・ウンデルドゥック閣下の身体と個人の威厳をすこぶる損うことになったのである。しかしながら、かの市長閣下は、とんぼ返りを打っているあいだにも、この手紙を確保するという重大な目的に考慮をはらうのを忘れなかったのであり、しかも、調べてみると、手紙はもっとも妥当な人物の手に落ちていたことが判明したのである。つまり手紙はロッテルダム天文大学学長という官職上の資格を有する市長自身と副学長のルバドゥブ教授に宛てられていたのである。したがって手紙は両人によって即座に開封されたのであるが、そこには次のような驚嘆すべき、かつまことに容易ならざる内容の通信が見出されたのである。
ロッテルダム市、国立天文大学学長フォン・ウンデルドゥック閣下、並びに副学長ルバドゥブ閣下。
閣下におかせられましては、五年ほどまえ、|ふいご《ヽヽヽ》直しをなりわいとするハンス・プファールなる名のしがない職人が、他の三人の者とともに、不可解な失踪をとげた事件をご記憶のことに存じます。はばかりながら閣下、この手紙の書き手なる私こそが、そのハンス・プファールにございます。わがロッテルダム市民の多くが承知のように、私は四十年にわたり、ザウエルクラウトなる袋小路のつき当りの、ささやかな四角い煉瓦造りの建物に住みつづけ、失踪当時もそこに住んでいました。私の先祖たちもそのむかしからここに住んでおりました――彼らも、私とおなじように、この立派でまことに実入りのある|ふいご《ヽヽヽ》直しという職業に代々たずさわってまいりました。
かように申しますのは、じつのところ、ちかごろのように人びとの頭が政治のことでいっぱいになるまえには、ロッテルダムの実直な市民が望みうる、あるいはそのような市民に価する商売で、私どもの職業ほど好ましいものはなかったからであります。信用はあり、仕事にこと欠くことはなく、したがって金銭にも善意にも不自由することはなかったのであります。しかし、さきほど言いかけましたように、自由とか大演説とか急進主義とかいったものの影響が出はじめました。以前には世界で一番のお得意さまだった人たちが、いまでは私どものことなど一顧だにしなくなったのです。革命についての本をできるだけ読みあさり、知性の進歩と時代の精神に遅れないように奮励努力しなくてはならなくなったからです。火をあおる必要があるときには、新聞紙であおればよろしいというわけです。政府の弱体化に比例して、革と鉄の耐久力は増加するものとみえます――と申しますのは、またたくまに、全ロッテルダム市から、糸で縫い合せたり、ハンマーの助けを必要とするような|ふいご《ヽヽヽ》は一組もなくなったからであります。
これは耐えがたい状況であります。私はたちまち文無しになり、そのうえ食べさせねばならぬ妻子がいましたので、ついにその重荷に耐えかねて、もっぱらいちばんやさしい自殺の方法を考えては時をすごすことになりました。そのうちに、借金取りにさいなまれて、そんなことを考えているひまさえなくなりました。私の家は、文字どおり、朝から晩まで包囲されっぱなしでした。とりわけ三人の男は執拗で、いつも戸口に張りこんでいて、告訴をもって私をおどし、これにはひどく悩まされました。もしうまいことこの連中を|はめる《ヽヽヽ》ことができるなら、世にも痛烈な復讐をしてやるぞ、と私は心に誓いました。短銃でおのれの頭を射抜いて自殺する計画がのびのびになったのは、そういう期待をおいてほかになかったものと私は信じて疑いません。けれども、好運がめぐってきて、復讐の機会にめぐまれるまでは、怒りはおさえ、約束と甘言をもって彼らを遇するのが最善の策、と私は考えました。
ある日、連中をまいて、いつもよりいっそう滅入った気分で、人通りのすくない街路を、ただ当てどもなく長時間歩きまわっているうち、とある町角で本屋の露店にぶつかりました。すぐそばに客用の椅子があったので、私はそれにどっかと腰をおろし、これといった理由もなしに、手の届くところにあった最初の本のページを開いてみました。それがたまたまベルリンのエンケ教授〔ヨハン・フランツ・エンケ(一七九一〜一八六五)は金星の太陽面通過の観察をもとにして、正確な地球と太陽の距離を計算した。エンケ彗星は彼が発見したのではないが、その軌道を計算し、それが戻ってくる正確な年月を予言したので、その名を得た。当時、エンケに「いくらか似た名のフランス人」の天文学者にアンケがいた〕か、それに似た名のフランス人が書いた「理論天文学」の小冊子でした。私はこの種のことについて多少の知識がありましたので、本の内容にだんだん夢中になってしまい――自分の境遇をふとまた思い出したときには、その本を二度も通読していました。見ると、あたりはすでにたそがれていたので、私は家路にむかいました。ところで、この論文はナンツ〔架空の町〕在住のいとこが重大な秘密として私に伝えてきた気体力学上のある発見とあいまって私の脳裏に消しがたい印象を与え、たそがれの街路をそぞろ歩きながら、私は著者の卓抜ながら時として理解しがたい理論を頭のなかで慎重に反芻しました。とりわけて私の想像力を刺戟する諸点が、この本にはあったのです。
それらの諸点について考えれば考えるほど、私の内部にかき立てられた興味はいっそうつのるのでした。私の教養のはばは狭く、ことに自然科学の諸問題については無知であったにもかかわらず、そのために、読んだものを理解する能力に欠けてはいないかと自信をなくしたり、読んだ結果として浮かんだ漠然としたいくつかの考えに不信をいだくこともなく、私の無知はかえって想像力をかきたてるのに役立ったのでした。混乱した頭脳が生みだすなまの思考はいろいろな面で本能や直観に似ていて、本能や直観がもつあらゆる力、真実性、その他のそれらに固有の資質のことごとくをそなえているのではなかろうか、と思ってみるほどのうぬぼれ、いや、おそらくは分別を私はもちあわせていたのです。
家につくとすでに夜もふけていて、すぐに床についたのですが、すっかり興奮していてねつかれず、その夜はまんじりともせず物思いにふけりました。翌朝早く起きると、さっそく露店の本屋にかけつけ、わずかばかりの有り金をはたいて力学と応用天文学の本を数冊買いこみました。本を手にして無事に家に帰ると、私は寸暇を惜しんで本を読みふけり、悪魔か、それとも守護神が私に吹きこんだにちがいないある計画を実行するのに充分なほど、その方面の知識をたくわえました。その間にも、悩みの種の三人の債鬼をなだめすかすため、あらんかぎりの努力をはらいました。これはどうやらうまくいきました――一つには、家財道具を売りはらって負債の半額を払ってやったからで、もう一つには、私がもくろんでいた計画を打ちあけて援助を乞い、それが完成のあかつきには残額を支払うと約束してやったからです。こういう手段で(というのは、彼らは無知な連中でしたから)私は難なく彼らを|はめて《ヽヽヽ》やったのです。
こういうふうに手筈をととのえると、私は家内に手伝わせて、こっそりと用心深く、残りの財産を処分し、さまざまな口実をもうけ、また(言うも恥しいことながら)将来の返済方法などには頓着せずに、すこしずつ借金を重ねてかなりの額の現金を調達しました。こうして用意した資金で、適当な間をおいては、上等の麻モスリンを十二ヤールずつ、それに麻糸、大量の弾性ゴムの塗料、特別あつらえの大きく深い枝編み細工の籃《かご》、そのほか巨大な気球の製作とその装備に必要な品物を買いそろえました。私はさっそくこの気球を作るように命じ、その工程のこまかい方法について必要な知識をみな授けました。いっぽう私は、麻糸をより合わせて充分な大きさの綱状のものにつくりあげ、それに輪《フープ》と索具を取りつけ、また上層大気圏での実験に用いるさまざまな実験道具や資材を購入しました。それがすむと、それぞれ容量五十ガロンの鉄板張りの樽五個、もっと大きい樽一個、直径三インチで長さが十フィートの、よく形のととのったブリキ管六本、名は言えませんが、|特殊な金属《ヽヽヽヽヽ》、|あるいは半金属《ヽヽヽヽヽヽヽ》と|ごくありふれた酸《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》を詰めた大瓶十二個などを夜陰に乗じて、ロッテルダムの東部の秘密の場所に運びました。この金属と酸によってガスを発生させた者は私以外にはなく――すくなくとも類似の目的のために利用した者はいません。それは、これまで永らく還元不可能と考えられていたアゾート〔アゾートは語源的には「生命を維持できない」という意味の語で、近代化学の祖アントワーヌ・ラヴォワジエは窒素をこの名で呼んだ〕の一成分で、その密度は|水素の密度《ヽヽヽヽヽ》の三七・四分の一程度で、無味ですが無臭ではなく、純粋状態でなら緑色の焔をあげて燃え、生物は一瞬にして死ぬほど有毒です。このガスの秘密の全貌を明らかにするのに困難はありませんが、その秘密は(すでに述べたように)フランスのナンツに住む市民に属するもので、私はこの人物から条件づきで伝授されたものです。この同一人物はまた、私の意図にはまったく気づかずにですが、ガス洩れなどまず絶対に考えられない、ある動物の薄膜を用いて気球をつくる方法も教えてくれました。ところが、この方法だと費用がかさみすぎることがわかりましたし、弾性ゴムで皮膜をほどこした麻モスリンで充分に役に立つのではないかと思われたのです。わざわざこういう事情を述べますのは、おそらく、くだんの人物は、いま言及した新しいガスと材料で気球飛行をこころみるだろうし、その独創的な発明の栄誉を彼から奪いたくないと思うからであります。
気球をふくらますときに、小さいほうの樽をそれぞれ置くことにした場所に、私はひそかに小さな穴を掘りました。こうしてできた穴は、直径が二十五フィートの円形に並びました。この輪の中心には大きな樽を置くことにして、そこにも、もっと大きい穴を一つ掘りました。小さいほうの五つの穴にはそれぞれ五十ポンドの火薬がつまった罐を置き、大きいほうの穴には百五十ポンドの火薬のつまった罐を置きました。これら――つまり樽と罐――を、適当な方法で被覆をした導火線でつなぎ、罐の一つに長さが四フィートほどの火縄の端をさし込み、穴を埋め、その上に樽を置き、火縄の一方の端が一インチほど地面から突き出るようにしておき、樽のこちら側からはほとんど見えなくしておきました。それから残りの穴を埋め、それぞれの上に予定どおりに樽をすえつけました。
以上挙げた品物のほかに、グリム氏が改良した大気を圧縮する装置をこの貯蔵所に運んで隠しました。しかしこの機械は、私が意図した目的に利用するためには、かなり手直しが必要なことがわかりました。大いに苦労し、忍耐を重ねたすえ、私はようやくあらゆる用意をととのえるのに完全に成功しました。私の気球も、まもなく完成しました。それは四万立方フィート以上のガスをはらみ、私の計算では、私自身とあらゆる器具、それに、うまく操作すれば、百七十五ポンドの砂袋をのせて、らくらくと浮上するはずでした。気球には三度ニスが塗られていて、麻モスリンは絹といささかも変らないばかりか、強度において絹に劣らぬのに、値段はずっと安くつくのでした。
準備万端ととのったので、私は家内に、露店の本屋を訪ねて以降の私の全行動について秘密を守るように誓わせ、私のほうとしては、事態が許すようになればすぐに戻ってくると約束し、わずかばかりの残金を家内に渡し、別れを告げました。家内のことについて心配はありませんでした。家内はいわゆる「世帯もちのよい女」で、私の援助がなくてもうまくやってゆけるはずでした。正直なところ、家内はいつも私を「ぐうたら」「ごくつぶし」「空中に楼閣を建てるよりほか能のない男」とみなしていたことは確かで、私を厄介払いできるのをむしろ喜んでいたにちがいないのです。家内に別れを告げたのは暗い夜でした。私は自分を大いに悩ませた三人の債権者を副官《ヽヽ》として従え、気球と吊籃《ゴンドラ》と装具を、遠道をして、その他の品物が置いてある例の場所へ運びました。それらの品物は無事にそこにあったので、私はただちに仕事に着手しました。
それは四月一日でした。すでに述べたように、その夜は暗く、星ひとつまたたいていませんでした。時おり雨がしとしと降り、ひどく不快でしたが、私がいちばん心配したのは気球のことでした。気球を保護するためにニスが塗られていたとはいえ、気球が水分をふくんで重くなり、火薬もだめになるおそれがありました。そこで私は三人の借金取りに、真ん中の樽のまわりに氷を砕いて置かせたり、ほかの樽の酸をかきまぜさせたり、とにかく忙しく立ち働かせました。しかし彼らは、こんな装置でいったい何をするのか、と詮索するのをやめず、こんな仕事をさせるなんて話がちがうではないか、と不平をこぼすのでした。こんな怪しげなまじないごとに一役買わされ、ずぶ濡れになってみたところで、いいことがありそうにはとても思えない、さっぱりわからん、と彼らは言うのでした。
私は不安になりだし、それをまぎらわすため、精いっぱい働きました。不安になりかけたのは、三人の間抜けどもは、私が悪魔と契約を結んでいて、つまるところ私のしていることは、その種の悪事にほかならない、と考えているらしいと信じたからです。だから、彼らに逃げられはしないかと心配になったのです。そこで彼らをなだめるために一計を案じて、いまの仕事が終わりしだい、借金は全額ただちに返済する、と約束してやりました。こういう言葉を、むろん彼らは彼らなりに解釈して、とにかく私が莫大な現金を手に入れるものと勝手に決めこみ、私が借金をみんな返済し、労働の謝礼として、それにいくらか色をつけるなら、彼らとしては、私の魂や肉体がどうなろうと知ったことではない、という料簡だったことはまずたしかです。
四時間と三十分ほどで、気球は充分にふくらみました。そこで私は吊籃《ゴンドラ》を取りつけ、器材のことごとくをそれに積みこみました――望遠鏡、重要な手直しをほどこした気圧計、温度計、電位計、羅針盤、磁針、秒読み時計、ベル、拡声器などです。そのほか、空気を抜き、憤重に蓋で栓をした球形のガラス容器――空気圧縮装置、若干の生石灰、棒状の封蝋、大量の飲料水、小量でも栄養満点のペミカンなども忘れませんでした。それに鳩二羽と猫一匹も搭乗させました。
はや夜明けも近づき、いまこそ出発の時だと判断しました。まるで偶然のように、私は火のついたタバコを地面に落とし、それを拾うふりをして身をかがめ、その機会を利用して、ひそかに火縄に火をつけました。火縄の端は、前に言いましたように、小さい樽の一つの底のむこうに、ちょっぴり顔を出すようにしておいたわけです。こういう仕掛に、三人の借金取りはまったく気づいていませんでした。そこで私はゴンドラに飛び乗り、気球を大地につなぎとめていた一本の綱をたちまち切り放すと、幸いなことに、百七十五ポンドの重い砂袋を積んだ気球は信じがたい速さで、いともたやすく空中に舞いあがり、さらに同量の砂袋を積んでも平気なほどでした。離陸したときの気圧計は三十インチを示し、摂氏寒暖計は十九度を指していました。
しかし五十ヤードの高さに達するか達しないかに、火と砂利と燃える木と灼熱した金属とちぎれた手足をまじえた強烈な爆風が、すさまじい爆音をとどろき響かせて吹きあげてきたので、私はすっかり度肝を抜かれて、恐怖にわなわなと打ちふるえながらゴンドラの床にはいつくばりました。実際、このときになってやっと、私はやりすぎだったこと、もっとすごい衝撃がすぐやってくることに気づきました。そう気づいて一秒もしないうちに、全身の血液がこめかみにのぼってくるのを感じましたが、その直後、生涯忘れようもない震動が夜空をゆるがせ、天そのものが裂けるのではないかと思えるほどでした。
あとで冷静に考えてみる余裕ができたときには、爆発がことのほか強烈に私に感じられた正しい理由をつきとめることができました――私は爆発の真上、つまり衝撃がいちばん強力な線上にいたのです。しかしその当座は、自分の命を守ることだけで頭がいっぱいでした。まず気球はつぶれ、それからひどくふくらみ、ついで胸がわるくなるほどの速度でぐるぐる回転し、ついには酔っぱらいのようにのたうち、よろめいて、私はゴンドラの、ふちから外へ投げ出され、おそるべき上空で、頭を下に、顔を外側にむけた恰好で、長さ三フィートばかりの細紐にぶらさがっていました。この細紐は枝編み細工の底に近いところにあいていた裂け目からたまたまぶらさがっていて、落ちる拍子に、それが運よく私の左足にからまったのです。こういう事態におちいった私の恐怖がどんなものであったか、とうてい想像がつくものではありません――絶対に想像は不可能です。私は息をしようとして痙攣的にあえぎました――まるで瘧《おこり》の発作に似た戦慄が全身の神経と筋肉を打ちふるわせました――目玉が眼窩《がんか》から飛び出すような感じでした――おそろしい吐気が私を圧倒し――やがて私は気絶し、まったく意識を失なってしまいました。
どれほどこの状態でいたのかわかりませんが、それがかなりの時間であったことはたしかです。というのは、いくぶん意識が回復したとき、夜は明けそめ、気球は大海原のはるか上空に浮かび、巨大な水平線にかこまれた範囲内には、どこを探しても、陸地の影さえ見えなかったからです。けれども、こうして意識を回復したときの私の気分は、意外にも平静なものでした。自分の立場を検討しはじめた私の冷静さには、たしかに、かなり狂気じみたところがありました。
私は両手を交互に眼に近づけ、血管がこんなにふくれあがっているのはなぜか、爪がこんなに黒ずんでいるのはなぜか、といぶかりました。それから頭を何度もふったり、入念に指でふれたりして、自分の頭を慎重にしらべ、やっとそれが気球より大きくないことを納得して安心するというあんばいでした。ついで私は、したり顔に、ズボンの両のポケットに手を入れてみて、手帳と爪楊枝《つまようじ》入れがなくなっているのに気づき、その紛失の理由を考えようとしたのですが、思いつかず、ひどく落胆したりしました。そのうちに左足のくるぶしの関節がひどく痛むのに気づき、それと同時に、自分のおかれている立場についてのおぼろな意識が私の頭に浮かびはじめたのです。しかし奇妙なことに、私は驚きもせず、恐怖にとらわれることもありませんでした。
そのとき何かを感じたとすれば、自分がこの苦境から抜け出すために発揮しようとしている手際に対する、ほくそ笑みたくなるような一種の満足感でした。そして一瞬たりとも、自分の最終的な身の安全について疑念をおぼえたことはありませんでした。二、三分のあいだ、私は深い瞑想にふけりました。いまなお明確に憶えているのですが、肘掛け椅子にくつろいで複雑な問題や重大な問題について沈思黙考する者がつねにそうするように、しばしば唇をかんだり、人さし指を小鼻にあてがったり、その他の身ぶりやしかめ面《つら》をしてみました。充分に想がまとまったと思えたので、私は細心の注意をはらい、慎重に両手を背中にまわし、もともとズボンのバンドに属していた大きなバックルをはずしました。このバックルは歯が三つあったのですが、いくらか錆びていたせいで、軸の上であまりなめらかに回転しません。ですが、あれこれやっているうち、どうやらその歯をバックルの本体に対して直角に立てることができ、ありがたいことに歯はその位置にしっかりと固定してくれました。こうして手に入れた道具を、今度は自分の歯でくわえて、ネクタイの結びを解きにかかりました。この仕事をやりとげるまでには数回手を休めねばなりませんでしたが、それもとうとうやってのけました。つぎに、このネクタイの一方のはしにバックルを結びつけ、さらに安全をはかって、もう一方のはしをしっかりと自分の手首にくくりつけました。そこで筋力を大いにふるいおこして、上体をもたげ、バックルをゴンドラのなかに投げあげると、たったの一度でうまくいき、期待どおりにバックルは枝編み細工の円い|たが《ヽヽ》にからまりました。
私のからだはゴンドラの側面に対して四十五度の角度で傾いていましたが、だからといって、垂直線から四十五度傾いていただけだと理解されては困ります。それどころか、私は水平面とほぼ平行に横たわっていたのです。というのは、からだの位置を変えたので、ゴンドラの底はもとの位置からかなり外側に移動して、私の体位は危険きわまりないものになったのです。しかしここで留意すべきことは、第一に、私がゴンドラから振り落とされたとき、現にそうだったように気球から顔をそむけた恰好でなく、気球に顔をむけて落ちていたなら――あるいは第二に、私が偶然にひっかかった紐がゴンドラの底近くの裂け目からでなく、その上端からぶらさがっていたとするなら――そのいずれの場合を想定するにせよ、いま私がなしとげたようなことをなしとげることさえできなかった相談で、したがってまた、いま話しているような物語を後世に伝えることができなかったことは想像にかたくないところです。ですから私はこの幸運を大いによろこんでしかるべきでしたが、実際には、すっかり気抜けしてまるで阿呆も同然、おそらく十五分間ほども、それ以上なんの努力もするではなし、ただ妙に平静な痴呆的なよろこびを感じながら、例のへんてこな姿勢でぶらさがっていました。
しかし、こんな気分がいつまでもつづくわけがなく、それは急速に消え、そのかわりに、恐怖と当惑、やりきれない絶望感と破滅感が襲ってきました。事実、それまで永らく私の頭と喉の血管に血が鬱積して、そのために精神が異常に高揚していたのに、いまや血はもとの血管に戻りだし、そのためにはっきりしてきた頭は危険に対する知覚を鋭くし、危険に立ちむかうために必要な沈着さと勇気を私から奪うのに役立つばかりでした。が、この無力感も、さいわいなことに、それほど永くはつづきませんでした。やがてすてっぱちな勇気がわいてきて、私は気違いじみた叫び声と力を出して、からだをうえに起こし、とうとう待望のゴンドラのふちに手をかけると、そこを万力《まんりき》のようにがっしりとつかみ、からだをくねらせてよじのぼり、ふるえながらも頭からまっ逆さまにゴンドラのなかに落ちこみました。
気球の世話がまともにできるほどまでに身心が回復したのは、その後しばらくしてからでした。そこで私は入念に気球を点検してみましたが、破損しているところはなく、胸をなでおろしました。器具はすべて正常で、さいわいなことに、砂袋も食糧も無事でした。時計を見ると、六時でした。気球はなおも急速に上昇をつづけ、気圧計の示す現在の高度は三マイル四分の三でした。眼下の洋上に、いくらか長円形をした、ドミノの駒ぐらいの大きさに見え、あらゆる点でこの種の玩具の一つによく似た、小さな黒いものが横たわっていました。望遠鏡の焦点を合せてみると、それは九十四門の大砲をそなえたイギリスの軍艦で、帆を詰開《つめびらき》にし、はげしく横揺れしながら、艦首を西南西に向けてすすんでいるのがはっきり見えました。
さて閣下、いまや私の飛行の目的をご説明申しあげるべき時がまいりました。閣下もご記憶のように、ロッテルダムにおける困惑すべき事態のために、私はついに自殺せざるをえないところまで追いつめられたのであります。しかしながら、私は人生そのものを積極的に嫌悪していたわけではなく、私の置かれた境遇にたまたま付随する悲惨の数々に耐えがたくなっただけであります。生きたい、しかし生きるのに疲れた、という精神状態のとき、例の本屋の書棚にみつけた論文とナンツに住むいとこの時宜をえた発見の両者があいまって、私の想像力を解き放ってくれたのです。そこで私は、ついに決心したのです。この世を去り、なおかつ生きる――この世に別れを告げ、なおかつ存在しつづける――つまり、早い話が、あとはどうなろうとこうなろうと、ともかく、できるものなら、なんとかして|月へ行こう《ヽヽヽヽヽ》と決心したのです。ところで、実際以上に狂人の気味があると思われるのは不本意ですので、なるほどこの種の仕事は困難と危険にみちているものの、大胆不敵な者にとって、それが絶対に不可能なわけではないと私が信ずるにいたった経緯をできるだけ詳細に述べさせていただきます。
まず最初に考慮すべきことは、地球から月への実際の距離でした。さて、この二つの天体の中心と中心を結ぶ平均距離は地球の赤道半径の五九・五六四倍、つまり二十三万七千マイルほどしかありません。私は平均距離のことを言っているのです――が、ここで忘れてならないのは、月の軌道は長軸の半径の〇・〇五四八四倍にあたる偏心率を有する楕円形で、地球の中心はその焦点に位置しているので、もしなんらかの方法で月にその近地点で出会うことができれば、上記の距離はかなり短縮されるわけです。当座のところ、その可能性は問題にしないにしても、たしかなことは、とにかく二十三万七千マイルから地球の半径《ヽヽ》四千マイルと月の半径千八十マイルとの計五千八十マイルを引かねばならず、すると普通の状況のもとで実際に飛行すべき距離は二十三万千九百二十マイルになります。となれば、これはさほど驚くべき距離ではない、と私は判断しました。地上を時速六十マイルで旅行するのは珍しいことではなく、それよりずっと速く旅行できる日もくるでしょう。が、この速度でも、月面に到達するのに要する日数は百六十一日です。しかし、多くの点を考慮すると、私の気球の平均飛行速度は六十マイルをはるかに超えていると信ずべき理由があり、そういう事情が私の精神に強烈な印象を与えないはずはなかったので、そのへんの事情については、のちほどなお詳しく述べるつもりです。
次に考えねばならなかったのは、これよりはるかに重要な問題でした。気圧計の示すところによれば、地表から上昇して千フィートに達すると、全大気圏の三十分の一を通過したことになり、一万六百フィートでほぼ三分の一、コトパクシ山〔エクアドルの火山〕の高さとさほど変らない一万八千フィートで大気圏の二分の一、つまり地球にのしかかっている|重さのある《ヽヽヽヽヽ》空気の全容量の半分を通過したことになります。また、ある推定によれば、地球の直径の百分の一をこえない高度で――すなわち、八十マイルをこえないところで――空気はきわめて稀薄になるので、動物が生命を維持することはとてもできず、大気の存在を検出するために現在われわれが所有するもっとも精密な手段をもってしても、その存在を確認することは不可能とされています。しかしながら、ここで気づかないわけにいかないことは、そういう推測の根拠とされているのは、地球の比較的|すぐ近辺《ヽヽヽヽ》の空気の諸特性についての経験的知識と、その膨脹と収縮にかかわる一般的法則にすぎないことです。さらにまた、地表から普通には到達できない高度においては、いかなる動物もその生命を維持することは本来的に不可能《ヽヽヽ》であり、またそれが理の当然とされていることです。
ところが、そのようなデータにもとづくあらゆる推理は、むろん、ただの類推にすぎません。これまでに人類が到達した最大の高度はゲイ=リュサックとビオの両氏が探険飛行によって達成した二万五千フィートであります。これは、問題の八十マイルと比較しても、まことにささやかな高度にすぎず、そこで私は、この問題には疑問の余地、考察の余地が大いにあると考えざるをえなかったのであります。
が、事実として、ある高度まで上昇して、|さらになお《ヽヽヽヽヽ》上昇する場合に通過する計量可能な空気の量は、あらたに上昇した高さに正比例するものでは決してなく、(すでに述べたことからも明瞭であるように)その比率《ヽヽ》はたえず減少するのです。それゆえ明らかなことは、いかほど高く上昇しようと、これから先は大気が存在しないという限度は実際には|ない《ヽヽ》ということです。私の考えでは、たとえ無限に稀薄な状態である|にせよ《ヽヽヽ》、大気はつねに存在するに|ちがいない《ヽヽヽヽヽ》のです。
とはいえ、そのさきには絶対に空気が存在しない、真の、明確な限界が存在することを証拠づけようとする議論がおこなわれてきたことを知らないわけではありません。しかしながら、そういう限界の存在を主張する連中が見落としてきた一つの現象があり、それは彼らの信念を完全にくつがえすものではないにせよ、なお慎重な検討に価いする問題であります。遊星間の引力に原因する妨害を厳密に計算に入れるとしても、エンケ彗星がくりかえし近日点に到達する所用時間を比較検討してみると、その周期はだんだん短くなってゆくようにみえます。つまり、エンケ彗星の長円形の軌道の長軸はゆっくりではあるが、着実かつ規則的に短縮しているのです。ところで、その軌道周辺に遍在するきわめて|稀薄なエーテルの媒体《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》から彗星が抵抗を受けると仮定するなら、以上の事態に不思議はありません。なぜなら、そのような媒体は彗星の速度を遅らせながら、その遠心力を弱めることによって求心力を強めることは明らかだからです。別言すれば、太陽の引力はたえず強くなり、彗星は一周するごとに太陽に引き寄せられるわけです。実際のところ、くだんの周期の変化は、その他の方法によっては説明がつきません。さらにまた、同じ彗星の星雲状球体の直径は太陽に近づくにつれて急速に収縮し、遠日点に向かうにつれて同様に急速に膨脹することが観測されています。ヴァルツ氏も私と見解を同じくしているわけですが、このように容積が収縮するように見えるのは、前に言及したのと同じエーテルの媒体によって圧縮されるからであり、エーテルが太陽周辺に近づくにつれ濃密になるからと仮定するのは正当ではないでしょうか?
黄道光ともよばれる、両凸レンズ状の現象も考察にあたいします。この光は熱帯地方でよく見かけられ、流星の光と見まちがえることはありえないのですが、これは地平線から斜め上方にひろがり、たいてい太陽の赤道の方向にむかってのびます。これは稀薄な大気に似た性質のものが太陽から外側にむかい、すくなくとも金星の軌道を越え、私の信ずるところによれば、さらに無限の彼方にひろがっている証拠であるように思われます[黄道光はおそらく古代人がトラベスと呼んだもののことであろう。「ドコスと呼ばれる光線《トラベス》が放たれる」プリニウス著『博物誌』第二巻]。実際、この媒体が彗星の楕円軌道や太陽周辺にだけあるとは考えられないからです。それどころか、この媒体はわが太陽系の全領域に拡散していて、それぞれの遊星で大気とよばれるものに凝縮し、またある遊星では純粋に地学的な理由によって変化をこうむり――つまり、それぞれの遊星から発散される物質によって、その成分(または性質そのもの)が変化し、あるいは変質すると想像するほうが、はるかに筋がとおっています。
この問題について、右のような見解を採用することにした以上、もはやためらうことはほとんどありません。飛行の途上にも、|本質的に《ヽヽヽヽ》地球の表面にあるのと同じ大気に遭遇できるとなれば、あとは、グリム氏創案になるまことに巧妙な装置によって、呼吸のために必要な量の大気を圧縮するのは容易であろうと判断しました。これで月旅行の主要な障害は排除されたわけです。実際に、この目的にかなうように装置を改良するのに、いくらかの資金とかなりの労力をついやし、もし妥当な期間中にこの旅行を遂行することさえできれば、この装置が立派に働いてくれるものと確信しました。となれば、どれほどの速度《ヽヽ》で飛行できるかが、またもや問題になってきます。
気球が地球から上昇する最初の段階では、その上昇速度が比較的ゆっくりしていることは周知のことです。さて、このさいの浮揚力は、気球内のガスより大気圏の空気のほうが重いという一事にかかっています。気球が上昇し、空気の密度が急激に減少する大気の諸層《ヽヽ》を通過してゆくにつれ――つまり上昇の過程で、上昇速度が次第に加速されることは、一見ありそうになく、また理窟にも合わないようにみえます。ところが、過去のどんな気球の上昇記録を見ても、上昇率が減少《ヽヽ》するという記事にお目にかかったことはありません。もっとも、ほかに原因はないにしても、気球の造作が悪いとか、通常のニスしか塗ってないとかの理由でガスがもれるような場合なら、そういうこともありうるでしょう。ですが、そのようなガス洩れがもたらす結果は、気球が重力の中心から遠ざかるにつれ獲得される加速の効果を相殺する程度にすぎなかろうと思われます。そこで考えたことは、上昇中にさきに想像したような媒体に出会いさえすれば、また、その媒体がわれわれが大気と名づけているものと|本質的に《ヽヽヽヽ》ちがわないなら、どれほど極端に稀薄な状態でそれが見出されようと――つまり気球の上昇力とのかかわりにおいてのことですが――そんなことは大した問題ではないということです。なぜなら、気球のなかのガス自体も同様に稀薄になるばかりか(その稀薄化に即して、気球の爆発を防ぐのに必要なだけのガスを放出することができます)、|そのままでも《ヽヽヽヽヽヽ》、とにかく、ただの窒素と酸素の化合物より、依然として絶対に軽いからです。かくして、『上昇中のいかなる時点においても、私の巨大な気球と、気球内の想像も及ばないほど軽いガスと、ゴンドラと、そこに載せてあるすべてのものの重量を合わせたものが、排除されたまわりの大気の重さに等しくなることはない』というみこみが――いや、強い可能性があったのです。そして私の気球の上昇をはばむものがあるとすれば、この条件以外にないことがおわかりいただけると思います。
しかし、もしそのような点にさしかかることになっても、私は砂袋やその他の品物を、あわせて三百ポンドほど投げすてることができるのです。そうこうするうちにも、重力の影響は距離の自乗に比例してたえず減少するわけですから、すさまじく加速された速度でもって、気球はやがて地球の引力が月の引力に取ってかわる点に到達することになるはずです。
しかしながら、もう一つの難問が頭に浮かび、いささか不安になりました。気球でかなりの高度にまで上昇すると、呼吸困難のほかに、頭やからだに大きな苦痛を感じ、しばしば鼻血やその他の憂慮すべき徴候をともない、到達する高度に比例してますます不快感が増すと言われています[ハンス・プファールの発表以後に、気球ナソー号で勇名をはせたグリーン氏その他の飛行士たちは、この点についてのフンボルトの主張を否定して、不快感が|減少する《ヽヽヽヽ》と語っている――それはここで述べられている理論と正確に合致する]。これはいささか困惑すべき性質の見解であります。こういう徴候が嵩じて、ついに死にいたることになるのだろうか?
私は、結局、そんなことはあるまいと判断しました。そういう徴候が出るのは、からだの表面に加えられていた普段《ヽヽ》の大気圧がしだいに除かれ、その結果として身体表層の血管が膨脹するためであって――大気の密度が心臓心室内で血液をしかるべく活性化するのに|化学的に不充分《ヽヽヽヽヽヽヽ》である呼吸困難の場合のように、動物の組織が積極的に破壊されるためではないのです。この血液の活性化が不可能でないかぎり、真空《ヽヽ》のなかにおいてさえ生命が維持できない理由を私は見出しかねたのです。なぜなら、一般に呼吸とよばれている胸部の拡張と収縮は純粋に筋肉的なものであり、呼吸の原因であって、その結果ではないからです。要するに、大気圧の不足にからだが慣れるにつれ、そういう苦痛の感覚もしだいにうすれてゆくものと私は楽観し、――苦痛が持続するあいだ、それに耐えることは、私の鉄のごとき頑健な肉体に安んじてまかすことにしました。
閣下、これまで私は、月旅行の計画を抱くにいたった事情の、ことごとくではないにせよ、その若干を詳細に述べてまいりました。そこでこれからは、着想においてまことに大胆不敵、そして、ともかくも人類の歴史において前例を見ないくわだての結果を閣下の前に披瀝させていただく所存にございます。
さきほど申し述べました高度――つまり三マイル四分の三――に到達したとき、私はひとにぎりの羽毛をゴンドラから投げたところ、気球はなおも満足すべき速度で上昇していることがわかりました。それゆえ、砂袋を投棄する必要はなかったわけです。私はこれに気をよくしました。というのは、月の引力も大気の密度も|はっきりしない《ヽヽヽヽヽヽヽ》という正当な理由のために、私は持ってゆける目いっぱいの重量を確保しておきたいと思っていたからです。いまだに私は肉体的な苦痛をおぼえず、呼吸もまったく楽でしたし、頭痛の気配もまるでありませんでした。猫は私が脱ぎすてたコートの上にすまし顔に横たわり、無頓着《ノンシャランス》な態度で鳩を見ていました。鳩たちは、逃げないように脚をしばっておいたのですが、ゴンドラの床に散らばっていた米粒をいそがしげについばんでいました。
六時二十分に気圧計は高度二万六千四百フィート、すなわち、ぴたり五マイルを示していました。視界は無限にひろがっているようにみえました。しかし、球面幾何学を応用すれば、そのとき私がどれくらいの範囲の地球の表面を眼下におさめていたかを計算するのはいともたやすいことです。ある球体のどの弓形にせよ、その凸面をなす表面の球体自体の全表面に対する比は、その弓形の|正 矢《ヴァースト・サイン》の、球体の直径に対する比に等しい。さて、私の場合、この正矢――つまり私の直下の球面弓形の|厚さ《ヽヽ》のことですが――それは気球の高度、すなわち地表上空の視点の高さとほぼ同じでした。そのとき私が見ていた地球の面積と高度との比率を表現するとすれば、「五マイル対八千マイル」ということになります。言いかえれば、私は地球の全表面の千六百分の一を見ていたことになります。海は鏡のようななめらかさながら、望遠鏡で見ると、荒れ模様であることがわかりました。さきほどの軍艦は、東の方に流されてしまったらしく、もはや見えません。ところで私は、ときどき、とくに耳のあたりに、はげしい頭痛を感じるようになりました――とはいえ、呼吸のほうはまだかなり楽にできました。猫と鳩たちはなんの不都合も感じていないようでした。
七時二十分前、気球は厚い密雲の層に突入し、ために圧縮装置がこわれ、私はびしょ濡れになり、大いに難儀しました。この種の雲がかほどの高度に浮かんでいるとは信じがたいことだったので、これはまさしく珍事《ヽヽ》でした。そこで私は、五ポンドの砂袋二個を投げすてても、まだ百六十五ポンドの重量が残るのだから、そうするのが最善の策だと判断しました。こうしてみると、気球はまもなく窮地を脱し、すぐ気づいたことですが、上昇速度はかくだんに増加しました。雲を脱出してから数秒後に、あざやかな稲妻が雲の一方の端から他方の端に走り、その巨大な雲塊全体が火のついた木炭のかたまりのように燃えあがりました。これが白昼の出来事であることにご留意いただきたい。もし同様な現象が夜の闇間《やみま》で起こったとするなら、そこに出現する眺めの荘厳さは、まことに想像を絶するものであったでしょう。地獄のさまもかくやと思われたかもしれません。昼間の眺めではありましたが、それでも、大きく口を開く深淵の底をはるかに見やり、空想のなかで、その底にくだり、奇妙な円天井の広間、血の海、悽惨で底知れぬ火が燃える無気味な谷間のあたりを歩きまわると、身の毛がよだつのでした。実際のところ、私は間一髪のところで危機を脱したのです。もし気球がいましばらく雲のなかにとどまっていたなら――つまり、ずぶ濡れになって不快だったことが砂袋をすてる決意をうながさなかったなら――その結果は身の破滅だったろうと思います。いや、きっとそうです。そのような危険は、あまり考慮されていませんが、おそらく気球が遭遇する最大の危険なのです。しかし、この時期までに気球はかなりの高度に達していましたので、この件についてもはや心配する必要はありませんでした。
気球は急上昇をつづけ、七時までには、気圧計は高度九マイル半を指し、呼吸がきわめて困難になってきたことに気づきました。頭は割れるように痛む。頬のあたりにさっきから湿っぽい感じがしていたのですが、それが血で、両耳の鼓膜からかなり大量に滲みでていることがわかりました。眼のことでも、私は大いにあわてました。手をやってみると、両の眼ともかなり眼窩から飛び出し、ゴンドラのなかのすべてのもの、気球そのものまでが、私の眼にはゆがんで見えるのでした。こういう徴候は予想外のことで、これにはかなり脅かされました。この危機に際して、まことに軽率にも、また無思慮にも、私は五ポンドの砂袋を三つ、ゴンドラから投げすてました。こうして、なおいっそう上昇速度をあげた気球は、あまりにも急速に、また、いきなり非常に稀薄な大気の層に突っこみ、その結果は、この探険にとっても私自身にとっても、ほとんど致命的なものとなりました。
私は突如として痙攣に襲われ、これが五分以上もつづき、それがいくぶんおさまったときにも、ゆっくり間をおき、あえぎながらでしか息ができないありさま――しかもこの間、鼻と耳からはたえず多量の血が流れ出し、眼からもいくらか血が滲んでくるのでした。鳩はひどく苦しいらしく、逃げようともがいていました。猫もあわれな声を出して鳴き、まるで毒でも飲んだように、舌を口からだらりとたらし、ゴンドラのなかをよろめきながらあちこちと歩きまわっていました。砂袋を投棄したのが大失敗だったことに気づいたのですが、時すでに遅く、私は周章狼狽するばかり。私は死を覚悟し、しかも二、三分のうちにそれがくるものと覚悟しました。それに肉体的苦痛を味わっていたこともあって、私は自分の生命を助けるためになすべきことをほとんど知りませんでした。
実際のところ、思考力もほとんど残っておらず、頭痛はいっそうつのる気配でした。こういうわけで、いまにも五感がまったく失なわれるものと思い、気球を降下させるつもりで、私はすでに弁《バルブ》の綱の一本をしっかりと手に握りしめていましたが、三人の債鬼をはめこんだ策略のことをふと思い出し、帰還したらいったいどういうことになるかを考えて、一瞬思いとどまりました。私はゴンドラの底に横たわり、気を落着けようとつとめました。そのおかげか、瀉血《しゃけつ》をしてみる決心がついたのです。しかし披針《ランセット》がなかったので、自分にできる最善の方法で手術をするしかなく、ついに小刀で左腕の静脈を切って、これに成功しました。血が流れ出すか出さぬかに、はっきりと気分がよくなるのがわかり、中くらいの鉢に半分ほど血を採ったころまでには、やっかいな症状はあらかた消えていました。それでも私はすぐ立ちあがるのはよくなかろうと考え、できるだけしっかりと腕をしばってから、そのまま十五分ほどじっと横になっていました。この十五分が経過したところで立ちあがってみると、上昇してきたこれまでの一時間と十五分のあいだのいつよりも、どんな実質的な苦痛《ヽヽ》からも解放されていることに気づきました。しかし呼吸のほうはほんのすこししか楽にならず、やがて圧縮装置を積極的に利用する必要があることを悟りました。ところで、猫のほうを見ると、またしてもコートの上にのうのうと座を占めていたのですが、まことにたまげたことに、私が不調をかこっているすきに乗じて、三匹の仔猫を生んでいたのです。乗客数がこんなふうに増えようとはまったく予想外でしたが、私はこの出来事をよろこびました。私がこの気球による上昇をこころみるのになによりも影響力のあった、ある推測の信憑性をためしてみる好機を、この仔猫の誕生が恵んでくれるものと思えたからです。地球の表層における大気の圧力に|習慣的に《ヽヽヽヽ》耐えていることが、はるか上空における動物の生存に伴う苦痛の原因、ないし原因に近いものであると私は想像していたのです。もし仔猫が|母猫と同じ程度に《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》苦痛を感じるとすれば、私は自分の理論のまちがいを認めねばなりませんが、そうでなければ、私の考えの正しさが確証されたと見なしてよいわけです。
八時までには、気球は地表から十六マイルの高度に達していました。となれば、気球の上昇速度は増しているばかりか、たとえ砂袋を投棄しなかったとしても、わずかながら上昇はつづいたにちがいないと思えました。頭と耳がまた時おりひどく痛みだし、鼻血はなおも出やみませんでしたが、全体としては、思ったよりずっと苦痛がすくないのでした。しかし呼吸のほうは刻一刻と困難になり、息を吸うごとに胸がいやな痙攣を起こすのです。そこで私は圧縮装置の梱包をほどき、すぐにも使用できるように準備しました。
この高度から見る地球の眺めはまことに美しいものでした。西と北と南のほうには、見渡すかぎり、なめらかな海が果てしもなくひろがり、しかも一瞬ごとにその青さを濃くしてゆくのでした。ですが、東方はるか彼方には、大ブリテンの島々、フランスとスペインの大西洋岸、それにアフリカ大陸北部の一部がはっきりと見えるのでした。個々の建物などはまったく見えず、人類が誇る大都市さえも地球の表面からすっかり姿を消していました。
眼下の眺めでいちばん予想外だったのは、地球の表面が凹んでみえたことです。上昇するにしたがい、地球の表層が実際に凸面状になっていることがいっそうはっきりしてくるものと、私は軽率にも信じていました。が、すこし考えてみれば、この予想ちがいのわけがすぐわかります。気球上の私の位置から地球に垂線をおろすと、それは底辺が直角に地平線に伸びる直角三角形の垂直線になり、その斜辺は地平線から私の位置に伸びることになります。しかし私の高度は視野のひろがりにくらべると、ほとんど無に等しい。別言すれば、この場合、仮定の三角形の底辺と斜辺は垂線と比較してきわめて長いので、その底辺と斜辺はほぼ平行であるとみなしてよい。こういうわけで、飛行家にとって地平線はいつもゴンドラと|同じ水準《ヽヽヽヽ》に見える。ところが、直下の地点は、はるか下方に見えるし、実際にもそうなので、むろん、その地点もまた地平線よりもはるか下にあるように見える。だからこそ、凹面状を呈しているように見えるのです。そしてこの印象は視界のひろがりに対する高度の比率がかなり大きくなり、くだんの底辺と斜辺との見かけ上の平行状態がくずれるまで、持続するのです。
このころになると、鳩がひどく苦しんでいるようなので、逃がしてやることにしました。まず灰色の斑点のある美しい一羽を自由にしてやり、ゴンドラの枝編み細工のふちにとまらせてやりました。鳩はひどく不安らしく、あたりを心配そうに見まわしたり、羽ばたいたり、大きな声でクークー鳴いたりするばかりで、どうしてもゴンドラから飛びたつ自信がないようす。そこで私は鳩をつかまえ、気球から六ヤードほど外へほうり投げてやりました。ところが鳩は、予想に反して、下に降りてゆこうとはせず、甲高く鋭い声を放ちながら、気球に取って返そうと猛列にあがくのでした。そしてどうやらゴンドラのふちに戻ってきたのですが、そのとたん頭をがくりと胸にたらし、ゴンドラのなかに落ちて死んでしまいました。もう一羽は、それほどあわれなことにはなりませんでした。仲間の轍を踏まないように、また戻ってこられないように、私が力いっぱい下界にむけて投げてやると、ほっとしたことに、鳩はゆうゆうと、まことに自然に羽ばたきながら、猛烈な速度で落下してゆくではありませんか。またたくまに鳩の姿は見えなくなり、きっと無事に古巣にたどりつくものと思われました。ところで猫はすっかり体調を回復したらしく、死んだ鳩をぺろりと平らげ、さも満足したように、ぐっすり眠りこんでしまいました。仔猫たちはまったく元気で、これまでのところ、不調の気配はまるでありません。
八時十五分、耐えがたい苦痛をしのばなければ息ができない状態になったので、私はただちに圧縮器の付属装置をゴンドラに取り付ける作業にかかりました。この装置については、いささかの説明を要するかと思いますが、閣下におかせられましては、以下のことにご留意いただきたいのでございます。私の目的は、まず第一に、周囲のきわめて稀薄な大気に対抗して、私自身とゴンドラをすっぽりと障壁《バリケード》でつつみこみ、この障壁の内部に、圧縮器を利用して、呼吸の目的にかなうほど充分に濃縮されたまわりの大気の一定量を取りこむことにありました。この目的のために、耐久性にとみ、絶対に空気洩れのない、しかも弾力性のあるゴムの袋を一つ用意しておいたのであります。この袋はかなり大きく、ゴンドラがまるごとうまくおさまる仕組です。つまり、それ(袋)はゴンドラの底面全体にかぶさり、その側面、さらにロープの外側を上へとくるみ、籃細工のゴンドラが取りつけてある上部の|たが《ヽヽ》ないし輪《フープ》までつつみこむのです。こうして袋をずりあげ、ゴンドラの側面を完全にかこむと、今度は籃細工の|たが《ヽヽ》の上に弾性ゴムの布をとおし、袋の|てっぺん《ヽヽヽヽ》ないし口を結ぶ必要が――言いかえれば、ゴンドラと輪とのあいだに弾性ゴムの布をとおす必要があったのです。が、これをとおすために、籃と輪とをはなすとなれば、その間ゴンドラを支えるためにはどうすればよいのか? 籃細工は恒久的に|たが《ヽヽ》に取りつけられていたわけでなく、いくつもの環《ループ》あるいは|ひっこき《ヽヽヽヽ》で連結してありました。そこで、一度に二、三個の環をはずすだけにし、ゴンドラは残りの環でぶらさげておくようにしました。こうして袋の上端にあたるゴム布の一部をさしこみ、環をふたたび取りつけました――ただし、輪にではなく(布が挿入されたので、そんなことは不可能です)――袋の口から三フィートほど下の布そのものにつけておいた大きな一連のボタンにです。ボタンとボタンの間隔は環の間隔と合わせておきました。それがすむと、もう二、三の環をはずし、布のべつの部分をさしこみ、はずした環をそれぞれのボタンに掛けました。このようにして、袋の上部をすべてゴンドラと輪のあいだにさしこむことができました。こうなると、輪はゴンドラのなかに落ち、ゴンドラそのものと、積荷をあわせた全重量がボタンの力だけでささえられることになるのは明らかです。一見、これはたよりない支えのようにみえますが、決してそうではありません。ボタンそのものがきわめて頑丈にできているばかりか、間隔がつめてつけてあるので、一個あたりのボタンがささえるのは全重量のごくわずかにすぎません。実際、ゴンドラとその積荷が三倍も重かったとしても、私はすこしも不安を感じなかったでしょう。それから私は弾性ゴムに囲われたなかで輪をまた上に持ち上げ、そのために用意しておいた三本の軽い棒で、それをほぼもとの位置に固定しました。こういうことをしたのは、もちろん、袋の上部をひろげておき、ゴンドラ内部を正常な状態に保つためです。残る仕事は袋の口をしばることだけですが、これは造作もないことで、ゴムの布地のひだを集めて、それを一種の据え付け絞庄器でねじりあげて内側にたらしておけばよいのです。
こうしてゴンドラのまわりに取りつけた隔膜に、厚いが透明な円形のガラス板を三枚はめこんでおいたので、いずれの水平方向も容易に見わたすことができました。布地の底にあたる部分には、同種の第四の窓があり、これはゴンドラ自体の床にあけておいた小さい穴と合うようになっていました。――これで真下《ました》を見ることはできたわけですが、袋の口を特殊なしめ方をしたので、布にしわができ、同様な細工をほどこすのは不可能で、真上《まうえ》にあるものを見ることは期待できませんでした。これは、むろん、たいしたことではなかったのです。というのは、たとえ頭上に窓をつけることができたとしても、気球自体が邪魔になって、使いものにはならなかったはずだからです。
側面の窓の一つの下方一フィートばかりのところに円形の穴があり、直径は三インチで、真鍮のリングがついており、その内側には螺旋状の溝が切ってあります。このリングに圧縮器の太い管をねじこみました。むろん、圧縮器の本体は弾性ゴムで囲われた部屋においたままです。この管をとおって、周囲の稀薄な大気が、機械の本体でつくられる真空《ヽヽ》によって吸いこまれ、それが凝縮された状態で放出され、すでに室内にある薄い空気と混合する仕掛です。こういう操作をいくどか繰り返すと、やがて室内は呼吸の目的には申し分のない大気でみたされました。しかし、こんな狭い場所では、空気はすぐに汚れてしまうのはさけがたく、肺に何度もふれるために役に立たなくなります。するとゴンドラの底の弁から汚れた空気を放出します――濃い空気はたちまち薄い大気のなかに消えてゆきます。いっときにもせよ、室内が完全に真空《ヽヽ》になる不便をさけるため、この浄化作業はいっぺんにやるわけにはいかず、徐々にやるのです――弁をほんの数秒間だけ開き、また閉じ、その間に圧縮器を一、二度作動させ、放出したぶんの空気を補充します。実験のために、私は親猫と仔猫を小さなバスケットに入れ、弁のすぐそばにある、ゴンドラの底のボタンにぶらさげました。その弁から、必要となれば、いつでも餌をやることができるわけです。私はこれをいくらか危険を冒してやりました。袋の口をしめるまえに、さきに言及した棒の一つに鉤《かぎ》をつけ、それでもってゴンドラの底にとどかせたのです。ところで濃い空気が室内に充満すると、輪も棒も不必要になりました。封じこめられた大気が膨脹して、弾性ゴムをはちきれんばかりに押しひろげたからです。
以上のような手筈が完全にととのい、室内に空気が充満したときには、九時まであと十分をあますのみでした。この仕事のあいだじゅう、呼吸が困難で恐しい苦しみを味わい、こんな大事な仕事を最後の瞬間までひきのばしていた自分の怠慢、いや無謀さ加減をひどく悔やみました。しかし、どうにかこの仕事をやってのけると、私はすぐに自分の発明の恩恵にあずかりはじめました。ふたたび私は易々楽々と息ができるようになったのです――当然至極なことだったのですが。それに、これまで私をあれほどさいなんだ苦痛があらかた消え、これは私にとってこころよい驚きでした。いま私が感じる苦痛といえば、軽い頭痛、それに手首、くるぶし、喉のまわりにむくんだような、はれあがったような感じがあるだけでした。これで大気圧の減少にともなう苦痛は、期待どおりに|消え失せ《ヽヽヽヽ》、過去二時間にわたって味わった苦痛の大部分はまったく酸素不足のせいであったことが判明したわけです。
九時二十分前――つまり、袋の口をしめるすこしまえ、気圧計の水銀柱は最低限度にまでさがりました。この気圧計は、まえに述べたように、改良をほどこしたものでしたが、そのとき高度十三万二千フィート、すなわち二十五マイルであることを示しており、したがって私は全地表の三百二十分の一を見わたしていたことになります。九時には、東のほうの陸地がまた見えなくなっていましたが、そのときはまだ気球が北北西に急速に流されていたことに気づいていませんでした。視界はたえずあちこちに動く雲のかたまりにさまたげられましたが、眼下の大洋はなおも凹面状に見えました。
九時三十分、私は弁からひとにぎりの羽毛を投げる実験をしてみました。羽毛は、私の予想に反して、宙に浮かばず、まるで弾丸のように|ひとかたまり《ヽヽヽヽヽ》になって垂直に落下し――二、三秒で見えなくなりました。気球の上昇力が突如として猛烈に加速されたとは信じられなかったので、はじめのうち私はこの異常現象をどう解釈してよいかわかりませんでした。しかし、すぐに頭に浮かんだのは、大気がいまや羽毛を支えることができぬほど稀薄になり、羽毛は実際に見たとおりの急速度で落下したのであり、私は羽毛の落下速度と気球の上昇速度があいまった速度におどろいたのだということでした。
十時になると、私がさしあたって注意をはらうべきことがほとんどないことがわかりました。万事は順調にすすみ、上昇速度の増加を確認する手段はもはやなかったのですが、私は気球が刻々と速度をあげながら上昇しているものと信じました。いかなる種類の苦痛も不安もなく、ロッテルダムを出発してからのいかなる時期よりも良好な精神状態にあって、私は各種の装置を点検したり、室内の空気を再生したりするのに精を出しました。私は後者の仕事を四十分ごとに規則正しくやることに決めました。そんなに頻繁に空気を換えるのが絶対に必要だったからというより、健康を維持する必要のためでした。そうするあいだにも、いろいろ予想をめぐらせないわけにはいきませんでした。空想は月の荒涼たる夢のような世界を浮かれまわり、解放された想像力は、影のようにさだかならぬ月世界の変幻きわまりない驚異のなかを気ままにさまよい歩くのでした。そこには古《ふり》にし神々しい森、険しい断崖、底なしの深淵に轟々とおちてゆく滝があるのでした。それから昼なお森閑として寂寥《せきりょう》たる場所にいたると、そこには天つ風もたえて吹くことなく、罌粟《けし》や、ほっそりとして百合に似た花が目路《めじ》はるかに咲きみだれる野原があり、なべてはとこしえに寂《せき》として声なく、動くものとてないのです。それからまたべつの所へゆくと、そこにはただ茫漠とひろがる湖があるだけで、その果てをくぎるのは雲でした。しかし私の頭をとらえたのは、そういう空想ばかりではありませんでした。きびしく、すさまじい自然の恐怖がこもごも私の心を襲い、それが現実のものとなるのではないかと思うだけで、魂の奥底まで打ちふるえるのでした。が、気球旅行にともなう現実の明白な危険にひたすら注意を向けるだけでたくさんだと判断し、そういう仮定上の危険にあまり頭を悩ますのはやめにしました。
午後五時、室内の空気を再生する作業をしているとき、弁の穴から親猫と仔猫のようすを観察してみました。親猫はまたひどく苦しんでいるようでしたが、この苦しみは主として呼吸困難のせいであろうと私はためらわずに結論しました。しかし仔猫の実験結果は、きわめて異常でした。親猫ほどではないにせよ、仔猫たちも苦痛の色をあらわしているものと予想して、そうなら、たえず大気圧にさらされていることからくる慣れについての私の意見がこれで充分に確認されるはずでした。しかし、意外なことに、よく調べてみると、仔猫たちの健康状態はきわめてよく、呼吸の仕方もやすらかで規則正しく、苦痛の気配はみじんもありません。こういうことをうまく説明するためには、私の理論を拡張解釈して、このあたりの非常に稀薄な大気も、私が当然そうだと考えていたように、生存の目的のためには化学的に不充分なわけではなく、また、そのような媒体《ヽヽ》のなかで生まれた個体は、もしかすると、呼吸にともなう不便を意識せず、かえって地球近辺のもっと濃い層《ヽ》につれてゆくと、私がさっきまで味わっていたのと同じ性質の苦痛をなめることになるのかもしれない、と考えるよりほかはなさそうでした。
ところが、このとき私は、ふとへまをしでかし、わが愛すべき猫の一族をうしなってしまい、もうすこし実験をつづけていたなら明らかになっていたはずの、この問題についての真相を知る手立てを奪われたのは、まことに痛恨のきわみでした。親猫に水をやろうとして、弁に手をさしこんだとき、シャツの袖がバスケットをつるしていた環にひっかかり、あっという間に、バスケットはゴンドラの底からはずれてしまいました。全部がほんとうに空中に消えたとしても、あれほど忽然と姿を消すことはできなかったと思われます。たしかに、バスケットがはずれ、猫もろともそれが視界からかき消えるのに、十分の一秒とはかからなかったでしょう。幸《さち》あれかし、と祈る私の気持は彼らを地上までも追いましたが、むろん、親猫にしても仔猫にしても、生きて彼らの不幸を物語ることができようとは思えませんでした。
六時になると、東に見えていた地球の大部分が闇につつまれているのが認められ、その闇は急速に前進しつづけ、ついに七時五分前、視界にはいる全地表は夜の闇につつまれました。しかし、夕日の光が気球を照らすのをやめたのは、これからかなり時間がたってからでした。このような現象は、むろん充分に予想していたことですが、私に無限のよろこびを与えずにはいませんでした。私はロッテルダム市民よりずっと東寄りにいるはずですが、朝になれば、彼らより数時間早く日の出を見ることになり、こんなふうに、日ごとに、高く昇るにつれ、ますます永く日光をたのしむことができるようになることは明らかでした。そこで私は、闇の期間を考慮に入れず、毎日を二十四時間で数えて、飛行日誌をつける決心をしました。
十時になると、眠くなったので、夜が明けるまで横になろうと思いましたが、ここで、ある困難がもちあがりました。それはわかりきったことなのに、この期《ご》になるまで思いつかなかったのでした。もし望むがままに眠っていたら、|そのあいだ《ヽヽヽヽヽ》、部屋の換気はどうなるでしょうか。この空気を、どんなに永くとも、一時間以上吸うことはできない相談です。たとえこの時間を一時間と十五分までのばすことができるにしても、結局は破滅的なことになりかねません。この窮状を思うと、私はすくなからず不安になりました。ほとんど信じがたいことでしょうが、あんなにいろんな危険を犯してきたくせに、私はこの件をあまり深刻に考えすぎたので、究極の目的を達成する希望をすっかり捨て、気球を降下させることもやむなしと意を決したほどです。しかし、こういうためらいはすぐに霧散しました。人間はまさしく習慣の奴隷で、日常生活のしきたりの多くを本質的《ヽヽヽ》に重大であるとみなしているけれども、そうみえるのは、それらが慣習化されているからだけのことではなかろうか、と私は考えました。たしかに眠らずに生きてゆくことはできません。しかし睡眠中、一時間ごとに目をさます癖をつけるのは、たやすいことかもしれません。すっかり換気するのに、五分とはかからない――そうするための唯一の実際的な問題は、しかるべき時刻に目をさます方法を工夫することだけ。
しかし白状しますが、これはなかなか容易に解決しがたい問題でした。本を読みながら眠るのをふせぐため、片手に銅の玉をもち、睡魔に襲われると、それが椅子のそばの床においてある同じ金属製の鉢に落ちてけたたましい音をたて、その音でうまく目をさます工夫をした学生の話をたしかに私は聞いたことがありました。ところが私の場合はこれとだいぶ事情がちがうので、同じような思いつきを生かす余地はありませんでした。私は目を|さましていたい《ヽヽヽヽヽヽヽ》のでなく、一定の間隔をおいて目を|さましたい《ヽヽヽヽヽ》のですから。ついに私は次のような手段を思いつきました。単純にみえるかもしれませんが、それを思いついたとき、望遠鏡、蒸気機関、印刷術なみの大発明とみなして、快哉《かいさい》を叫びました。
前置きとして述べておかねばならないのは、この高度に達すると、気球は順調、かつひたすらに上昇をつづけ、したがって、ゴンドラもまったく安定した状態でそのあとをつけ、いささかの震動も感じられなかったことです。この状況は、いま私が採用しようとしている計画にとってまことに好都合でした。水はそれぞれ五ガロン入りの樽につめてのせ、ゴンドラの内側のまわりに、動かぬようにしっかりしばりつけて並べてありました。私はこの樽の一つをほどき、それから二本のロープを取り、それを枝編み細工の一方の端から他方の端へ、一フィートほどの間隔で平行に張りわたし、一種の棚をつくりました。その上に樽をのせ、ぐらつかないよう水平にすえつけました。このロープから八インチほど真下、ゴンドラの底から四フィートばかり上のところに、私はもう一つべつの棚をつりました――これは薄板の棚で、私が持ちあわせていた唯一の木の板でした。後者の棚の上、樽の一方のへりの真下に、小さな陶器の水差しを一つおきました。さて、この水差しの上にある樽の底に、私は穴をあけ、先細りのかたち、つまり円錐形に削った、やわらかい木の栓をつめました。この栓をはめたり抜いたり、何度か実験するうち、穴からにじみ出る水が下の水差しに落ち、六十分たつとふちまでいっぱいになる、そういうほどよい栓のかたさがわかりました。これは、むろん、一定の時間内にどれぐらい水がたまるかを調べれば、容易に確認できることがらでした。これだけのことをやってしまえば、あとは簡単です。横になると、私の頭がちょうど水差しの口の真下にくるように、ゴンドラの床《ゆか》に寝床をしつらえればよかったのです。一時間たてば、水差しはいっぱいになり、ふちよりいくらか下についている口から水があふれ出てくることは明らかでした。また、こうして四フィート以上もの高さから落ちてくる水が確実に私の顔にかかり、その結果、どんなに深く眠りこんでいても、たちまち目がさめることも明らかでした。
こういう手筈を完了したときには、もう十一時をまわっていたので、自分の工夫がうまくゆくものと確信して、すぐに床につきました。確信は裏切られませんでした。かっきり六十分ごとに、わが信頼すべき精密時計《クロノメーター》によって私は目をさまし、水差しの水を樽の口にあけ、それから圧縮器を操作し、また床につくのでしたが、このように定期的に睡眠を中断されるのも、思ったほど不快ではありませんでした。最後に目をさましたときは、朝の七時で、太陽はすでに水平線をかなり高く昇っていました。
四月三日。気球は非常な高度に達し、地球はかなり明瞭に凸面状を呈する。眼下の大洋に一群の黒点が見え、あきらかに島とおぼしい。頭上の空はまっ黒で、星が燦然ときらめいて見える。星は、上昇を開始したその日から、つねに燦然ときらめいていた。はるか北方の水平線上に、きらきらと輝く細く白い線、ないし帯が見え、これは北極海の氷原の南の端にちがいないと即断する。大いに好寄心をそそられる。なぜなら、さらに北上すれば、ある時点で、北極の真上に到達する期待がもてたから。が、この場合、あまり高すぎて、期待どおりの正確な観察ができないおそれがある。しかし、かなりのことが確認できるはず。この日は、ほかに特別なことはなにも起こらなかった。装置はすべて正常に作動し、気球はほとんど微動だにもせず上昇しつづける。寒さはきびしく、外套にしっかりとくるまる。地球が闇につつまれるとともに、就寝。もっとも、そのあと何時間も、気球のまわりは昼のように明かるかった。水時計は正確に作動し、定期的に眠りを中断されながらも、翌朝までぐっすり眠る。
四月四日。心身ともに爽快な状態で目をさますが、海のようすに起こった奇妙な変化に驚かされる。それまで濃い青色だった海の色がひどくうすれて灰白色になり、まぶしいばかりに輝いている。大洋の凸面形がいちだんと顕著になってきたので、遠くに見える海水のかたまり全体が水平線の深淵めがけてまっしぐらに落下していくように感じられ、またその巨大な滝のとどろく音に爪先立って耳を傾けているような気分になる。もはや島は見えない。東南の水平線下に没し去ったのか、それとも高度のせいで視界から消えたのか、いずれとも判じかねる。が、どちらかといえば、後者の見解に傾く。北のほうの氷の帯はますます判然としてくる。寒さはさほどでもない。大したことは何も起こらず、たずさえてきた本を読んで、この日をすごす。
四月五日。視界に入る地球の全表面のほとんどがまだ闇につつまれているのに、太陽が昇ってるという奇妙な現象を見る。が、やがて光はあたり一面にひろがり、また北方に氷の帯が見えてくる。それはいまやきわめてはっきりとしてきて、大洋の水よりずっと黒ずんで見える。私は明らかに猛スピードでそれに接近しつつある。東のほうと西のほうに、細長い陸地が認められるように思ったが、確認は不能。天気は平穏。この日一日、重大なことは何も起こらず。早々に就寝。
四月六日。氷の端がかなり近くにあり、大氷原が北の水平線までひろがっているのを見て驚く。気球が現在のコースをたどれば、やがて北氷洋上に達することは明らかで、最終的には北極が見られることはほぼ確実。気球は一日じゅう氷原に接近しつづける。夜が近づくと、水平線に囲まれた範囲が急にはっきり広くなったが、これは地球が楕円体をしていて、気球が北極圏付近の偏平な地域のうえにさしかかっているせいにちがいない。とうとう気球にも闇がせまってきたので床についたけれども、私の強い好奇心の対象である北極の上空を、極そのものを見る機会にめぐまれぬまま、通りすぎるのではないかと不安になる。
四月七日。早く起きてみると、うれしいことに、まず北極そのものと考えてよいものが、ついに見える。北極が、まがいようもなく、私の足の真下にあるのだ。しかし、ああ! 気球はあまりにも高く上昇していたので、何ひとつはっきりとは見わけがつかない。実際、四月二日の午前六時から同じ日の午前九時二十分前(このとき気圧計が役に立たなくなったのです)にいたるまでの、それぞれの時点における高度を示す数字の変化から判断すれば、現時点で、つまり四月七日午前四時において、気球は|すくなくとも《ヽヽヽヽヽヽ》海面から七千二百五十四マイルの高度に達していたと推定してよい。これはたいへんな高さと思われるでしょうが、この算定の基準になった見積りにまちがいがあったらしく、どうみても実際よりはるかに控え目な数字です。いずれにせよ、いまや私は地球の長軸の全体を一望のもとにおさめ、全北半球が正射法による地図のように眼下に横たわり、赤道の大きな円周そのものが私の視界の境界線を形成していました。
しかし閣下には容易にご推察いただけるものと存じますが、北極圏内の、この前人未踏の禁域は、私の眼下にあり、したがって遠見に描いた絵のようではありましたが、なおそれ自体としては相対的にあまりにも小さく、また私の視点からはあまりにも遠すぎて、きわめて微細にわたる調査といったものは不可能でした。とはいえ、そこに見えたのは、珍しい、胸おどる自然の眺めでした。さきに述べた巨大な氷の周縁は、この地域における人間の探索がおよぶ限界であると言ってさしつかえないのですが、それから北に、一枚の、ほとんど途切れることのない大氷原がひろがっています。この氷原の最初の部分は、その表面がきわめて平坦で、さらに先へすすむにつれ、いちだんと低い平原につらなり、おしまいには|すくなからず《ヽヽヽヽヽヽ》凹面状を呈し、はっきりした輪郭の円の中心をなす北極そのものまでつづいています。この円の直径の気球に対する角度は約六十五度で、その黒ずんだ色は、たえず濃淡の度を変えながらも、目に見える北半球のいかなる地点よりもつねに暗く、ときには漆黒の黒さになるのでした。これ以上のことは、ほとんど何も確認できませんでした。十二時までには、円い中心部の円周はかなり縮小し、午後七時までには、すっかり見えなくなる。気球は氷原の西端を飛びこえ、赤道の方向に急速に流されていく。
四月八日。地球全体の色彩と外観がかなり変化したばかりか、地球の見かけの直径がはっきり短くなっているのがわかる。目に見える地球の全領域がさまざまな色合の淡黄色を呈し、ある部分は目に痛いほどきらめいている。地表近辺の濃厚な大気に雲がいっぱい出ていたため、眼下の眺望はかなりさまたげられ、地球そのものの姿はときおりちらりと見えるだけ。このように地球を直接に見るのが困難になったことに、私はこの二十四時間のあいだ多少とも悩まされてきたわけですが、現在のような途方もない高度になると、浮遊する水蒸気のかたまりは、いわば、おたがいに接近しあうかたちになり、観察上の不便は、むろん、上昇すればするほどいっそう顕著になったのです。にもかかわらず、すぐわかったのですが、いまや気球は北米大陸の五大湖地方上空をただよいつつあり、さらに真南に進路をとり、やがて熱帯地方の上空にさしかかることだろう。私はこの事態に心からの満足をおぼえ、これこそが私の究極的な成功をさきぶれする吉兆であるとよろこびました。事実、これまでとってきた進路は私を不安でいっぱいにしていたのです。というのは、もしこれまでの進路をそのままつづけるなら、月に到達する可能性がまったくないことは明らかだったからです。月の軌道は黄道に対して五度八分四十八秒という小角度でかたむいているにすぎないのです。奇妙なことですが、この時期になってはじめて、|月の楕円軌道面上の《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》ある地点から地球を出発しなかったという重大な過ちを犯していたことに気づいたのです。
四月九日。今日、地球の直径はひどく短縮し、地表の色は一刻ごとに黄色味を加える。気球は順調に南進し、午後九時、メキシコ湾の北端に達する。
四月十日。今朝五時ごろ、なんとも説明のつかない、大きな、はじけるような、おそろしい物音に、いきなり眠りを破られる。その物音がつづいたのは、ごくわずかな時間だが、それは私が聞いたいかなる音にも似ていない。とっさに、気球が爆発した音だと思い、むろん、ひどくうろたえる。そこで全装置を綿密に点検してみたが、なんの異状も発見せず。一日の大半をこの異常な出来事について考えながらすごしたが、納得のゆく説明を見出すことは不可能。不満な気持で、また不安と動揺のうちに就寝。
四月十一日。地球の直径がおどろくべきほど縮小し、月の直径がはじめて目立つほど大きくなる。月はもう二、三日で満月。生命を維持するにたる空気を部屋に充満させるためには、いまや長く苦しい労働が必要になる。
四月十二日。気球の進路に特異な変化が起こり、充分に予期していたものの、これにはまがいようもない喜びをおぼえる。気球は、以前の進路をたどりながら、南緯二十度付近に達すると、急に進路を東にむけて鋭角にまがり、それからまる一日、完全とはいわぬまでも、ほぼ|正確に月の楕円軌道面上《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》をすすむ。特筆すべきことは、進路の変更にともない、ゴンドラの振動がはっきりと感じられるようになったことで、この振動は、程度の差はあったものの、その後何時間にもわたってつづく。
四月十三日。十日に私をおびえさせた、例の大きな、はじけるような音がまたして、今度も私はひどく肝をつぶしました。この件について熟考しましたが、満足のゆく結論は出ませんでした。地球の直径はなおいっそう縮小して見え、気球からの俯瞰角度は二十五度をわずかにうわまわるだけ。月は真上にあったので、まったく見えない。気球はなおも楕円軌道面上にあり、東の方向にはほとんどずれていない。
四月十四日。地球の直径のいちじるしく急激な縮小。本日、気球が楕円軌道の長軸にそって近地点に確実に接近しつつあるという印象――つまり、月の軌道上の地球にいちばん近い部分で気球が月に直接に出会うようなまっすぐな進路をとりつつあるという印象を強く受ける。大気を圧縮するのに長時間にわたる重労働が必要になる。
四月十五日。いまや地球上の大陸や海の輪郭さえ判然としなくなる。十二時ごろ、これで三度目だが、以前にあれほど私をびっくり仰天させた、例のおそろしい物音をまた耳にした。しかし今度のは、しばらくのあいだ持続し、その間にも音は強まるのでした。とうとう、恐怖に打ちひしがれ、呆然として立ちすくみながら、おそるべき破滅を覚悟していると、得体の知れない巨大な燃えさかる物体が万雷のような音をとどろかせて接近し、気球のそばをうなりながらかすめていった。恐怖と驚きがいくぶんおさまると、すぐ頭に浮かんだのは、その物体は、いま急速に近づきつつある、かの世界から放出された火山の噴出物の大きな断片で、おそらく、ときおり地球で発見され、他によい名称もないまま隕石と呼ばれている特異な物体であろうという推測。
四月十六日。本日、ゴンドラの側面の窓のそれぞれから、かわるがわる、できるだけ上のほうを見てみると、うれしいかな、気球の巨大な円周の背後から、月の円盤のごく小部分が、いわば、はみ出しているのが認められた。私はひどく興奮しました。なぜなら、この危険な旅もおわりに近づいているのは、いまやほぼ確実だったからです。実際、圧縮器の操作に要する負担は、いまやたえがたいほど増え、休息するひまもほとんどなくなりました。眠ることなど、ほとんど問題外でした。気分がひどく悪くなり、疲労のためにからだが小刻みにふるえるのです。人間はこれほどの強度な苦痛に永らく耐えきれるものではない。いまや短かくなった夜のあいだに、隕石がまたしても気球の付近を通過し、こういう現象が頻繁に起こることに、私は憂慮の念を禁じえませんでした。
四月十七日。今朝は私の旅において一時期を劃する朝になりました。十三日には、地球が二十五度の幅に見えていたことはご記憶のことと存じます。十四日には、これが大幅に縮小し、十五日には、さらに急激な縮小が認められ、十六日の夜、床につくときには、この角度が七度十五分以下になっているのに気づきました。ですから、今日、十七日の朝、短かく浅い眠りからめざめ、眼下の球体の容積が突如として驚くべきほど|増大し《ヽヽヽ》、その直径に対する見かけの角度がすくなくとも三十九度はあるのを発見したときの私の驚きはいかほどでしたでしょうか! まるで雷に打たれたようでした! どんな言葉も、そのとき私を襲い、捉え、圧倒した極度の恐怖と驚愕をただしく伝えることはできますまい。膝はがたがた震え――歯はかちかち鳴り――髪の毛は逆立つ。「すると、気球がほんとうに破裂してしまったのだ!」これがまず最初に私の頭をよぎった思いでした。「気球がほんとうに破裂してしまったのだ! ――俺は落ちつつあったのだ! ――まっしぐらに、前代未聞の速度で落ちたのだ! あれほど莫大な距離をこんなにも速く落下したことから判断して、永くて十分もしないうちに、俺は地球表面に衝突し、破滅するのだ!」しかし、やがて内省的な気分が私を救いました。私は気を落ちつけ、考え、疑いました。そんなことはありえない。そんなに急速に落下したはずはない。それに、気球はたしかに眼下の地表に近づいているけれども、その速度は、私が最初に考えた速度とは比較にならぬくらいゆっくりしている。こう考えると胸さわぎはおさまり、とうとうこの現象を妥当な視点から見ることができるようになりました。実際のところ、眼下に見える表面と、わが母なる地球の表面の外見上の大きなちがいに気づかなかったとは、驚愕のあまり正気を失なっていたとしか思えません。実は地球は私の頭上にあり、月は――かの栄光にかがやく月は――私の下に、しかも足もとに横たわっていたのです。
事態のこのような異常な変化によって私が呆然としたり驚いたりしたことこそ、おそらく、この冒険でもっとも納得しがたいところでありましょう。というのは、この|どんでんがえし《ヽヽヽヽヽヽヽ》という現象自体はごく自然で不可避なことであるばかりか、地球の引力が月の引力にとってかわられる地点――あるいは、もっと正確には、気球が地球に引かれる力が、月に引かれる力よりも弱くなる地点に気球がさしかかるときには、いつでも起こる事態として、ずっと以前から予想されていたことだからです。たしかに私はすべての知覚が麻痺した状態で眠りからさめ、この驚嘆すべき現象――予想されていながら、そのとき起こるとは予想していなかった現象を考える羽目になったのでした。この反転自体は、むろん、ゆっくりとおだやかに行なわれたにちがいなく、たとえそれが起こったときに目ざめていたとしても、私がこの反転を内的《ヽヽ》証拠によって――つまり、身体の不快感や装置の異常によって、そのとき気づいていたかどうか、きわめて疑わしいのです。
言うまでもないことですが、自分の立場が妥当にわかるようになり、私の精神機能をすっかり麻痺させていた恐怖から抜け出すと、私の注意は、まず最初に、月の一般的な外観の観察に向けられました。月は眼下に地図のように横たわっていました――私の判断では、まだ相当な距離があったにもかかわらず、月の表面のしわは、どういうわけか驚くほどはっきりと目に見えました。大洋や海、それどころか湖や川、いや水といったものがいっさいないことが、月を一見したとき、その地質学的条件のもっとも顕著な特質であるように思えました。しかし、奇妙なことに、目に見える月の半球の大部分は円錐形をした、自然に隆起したというよりは人工的にできたような外観の無数の火山でおおわれていたにもかかわらず、明らかに沖積土からなる平坦な広い地域も目につきました。それらの火山のうちでいちばん高いものでも三マイル四分の三を超えることはなく、月の表面の一般的性格については、私がものするようなくだらない描写より、フレグレイ平原〔イタリアのプテオリとナポリのあいだの硫黄が噴出している地帯〕の火山地帯の地図を見るほうが正しい概念を閣下にお伝えできると存じます。火山のほとんどは明らかに活動中で、誤って隕石と呼ばれているものがくりかえし轟音をとどろかせて飛来し、ますます頻繁に気球のそばをかすめてゆくので、その猛威がひしひしと感じられ、恐しくなるのでした。
四月十八日。今日、月の見かけの容積がかくだんに増加しているのがわかり――気球の降下速度もいちだんと加速されていることに気づき、私は心配になりはじめました。ご記憶のことと存じますが、月旅行の可能性を検討する初期の段階で、私は月の近辺にはその容積に比例する濃度の大気が存在することを大きな前提としていました。その反対の学説が数多くあり、また、月には大気がまったく存在しないと一般に考えられていたにもかかわらず、そうでした。エンケ彗星と黄道光についてすでに私が主張したことに加えて、私の信念を補強してくれたのは、リリエンタール天文台のシュレーター氏が行なったある観測〔以下のジョン・ジェローム・シュレーターの観測の報告は『英国王立学士院会報』(第八十二号)に出ているが、ポオは直接にこの論文を見たのではなく、エブラハム・リーズの『百科辞典』(一八一九)を参照したものと思われる〕でありました。氏は月齢二日半の月を、日没直後のまだ暗い部分が見えないうちに観測し、その部分が見えてくるまで観測をつづけたのです。新月の二つのとんがりは非常に鋭くかすかな線になって伸びているわけですが、その二つの線の最先端は、月の暗い半球のどの部分も見えないまえに、太陽の光によってぽっと明るくなり、その後間もなく、暗い月の周辺全体が明るくなるというのです。このようにとんがりが新月の外側へ伸びるのは、月の大気によって太陽光線が屈折するために起こる現象にちがいない、と私は考えたのです。さらに私は、この大気(それは、新月の弧角が約三十二度のとき、地球からの反射光よりも明るい微光を放つほどの光を月の暗い半球に屈折させることができるのです)の高度を千三百五十六パリ・フィートと算定しました。こういう見方から、私は太陽光線を屈折しうる最大の高さを五千三百七十六フィートと推定しました。この問題に関する私の見解は、英国王立学士院会報第八十二号所載の一節によっても確認されていたのであります。それには、木星の衛星が他の星を掩蔽《えんぺい》するさい、三等星は一、二分のあいだぼんやり見えていてから消え、四等星は周縁《リム》の近くで消える、と書かれています。
[ヘヴェリウスが書いているところによれば、六等星や七等星さえはっきり見える澄みきった空で、同じ高度の月を、同じ地球との離角で、また同一の優秀な望遠鏡を用いて観測しても、月とその暗斑はいつも同様にはっきり見えるとはかぎらないことに何度か気づいたという。この観測の状況から判断して、この現象の原因は、地球の空気、望遠鏡、月、観測者の目にあるのではなく、月のまわりに存在する何か(大気?)に帰すべきことは明白であろう。
カシニの観測によれば、土星、木星、また恒星が月に近づいて掩蔽《えんぺい》されるとき、それらの円形が卵形に変ることがよくあったが、まったく変形しない場合もあったという。これから推定しうることは、いつもではないにしろ、|あるときには《ヽヽヽヽヽヽ》、星の光を屈折させるような濃厚な物質が月をとりまくことがあるということである]
私が安全に着地できるかどうかは、むろん、予想どおりの濃度で月に大気が存在するとして、その大気の抵抗、もっと正確には、その浮力にもっぱらかかっていたのです。ですから、もし私がまちがっていれば、その結果として私が望みうる冒険の結末《フィナーレ》は、月のごつごつした表面に激突して粉砕すること以外にはなかったのです。そして、事実、それを危惧する充分な理由があったのです。月と気球との距離は相対的にはもうわずかしかなかったのに、圧縮器の操作に要する労力はいささかも軽減されず、また空気の稀薄さがゆるんだ気配はさっぱりなかったのです。
四月十九日。今朝九時頃、月の表面がおそろしいほど近くなり、不安が頂点に達したとき、圧縮器のポンプがようやく大気に変化があったきざしを明瞭に示したので安堵する。十時、大気の密度がかなり濃くなったことがはっきりする。十一時、圧縮器の操作にほとんど労力がいらなくなり、そして十二時、いくらかためらいながらも、思いきって絞圧器のねじをゆるめてみたところ、べつに不都合は起こらなかったので、弾性ゴムのおおいを開き、それをゴンドラからはずす。予想されたことだが、この無謀で危険にみちた実験の結果はてきめん、痙攣とはげしい頭痛にみまわれる。けれども、呼吸にともなう困難は生命に別条あるほどのことはなく、月近辺の濃密な気層《ヽヽ》に近づくにつれ、そういう困難は刻一刻と消えてゆくものと考え、できるだけ我慢することにする。とはいえ、この接近の速度は依然として猛烈に速く、月の容積に比例する密度の大気が存在すると期待した点でまちがっていなかったにせよ、月の表層における大気の密度が気球のゴンドラが積載する大きな重量を支えるのに充分であろうと推測した点で、私はまちがっていたことがやがて明らかになり、愕然とする。もしその推測どおりであったなら、月においても地球においても、地球の表層におけると同じ度合で物体の実際の重力は大気の密度に比例する|はず《ヽヽ》。ところが、それが事実で|ない《ヽヽ》ことは、気球がまっしぐらに落ちてゆくのが何よりもの証拠。|なぜ《ヽヽ》そうなのかは、私がさきに述べた地質学上の撹乱を引き合いに出さねば説明がつきかねる。
それはともかく、いまや私は月に接近し、ひたすら猛然と落下しつつあったのです。そこで私は、時を移さず、まず砂袋を、次に水をつめた樽、それから圧縮器、弾性ゴムの袋、そして最後にはゴンドラ内のあらゆるものを投げすてました。それでも気球はなおも猛烈な速度で落下し、もう月の表面から半マイル以内のところにきていました。そこで、最後の手段として、私は上衣と靴と帽子を脱ぎ、かなりの重さがあるゴンドラそのものを気球から切りはなし、枝編み細工に両手でぶらさがりました。眼下の土地に、見渡すかぎり、ちっぽけな家がぎっしりと点在しているのを見てとるのがやっとで、私はたちまち異様な都会の、醜い小人たちがおびただしく群がるどまんなかに、もんどり打って墜落しました。小人たちは誰ひとりもの言うでなし、私を助けようとするでなし、ただ一群の白痴さながらに、間抜けた表情でにたにた笑いながら、腕を組んで、私と私の気球を横目で見ているだけでした。私は内心軽蔑をおぼえながら、彼らから顔をそむけ、さきごろ自分があとにした、そしておそらくふたたび戻ることはあるまい地球のほうを見あげると、直径が二度ほどの、鈍くかがやく巨大な鋼の盾が中天にかかって静止し、その一方の側は、燦然たる金色の三日月形に染めあげられていました。陸地と海の見分けはつかず、全体は刻々と変化する斑点におおわれ、熱帯と赤道地帯が帯のようにとりまいていました。
おそれながら閣下、かくして私は一連の大いなる不安、前代未聞の危険、無類の脱出ののちに、ロッテルダムを出てから十九日目に、旅の終りに無事到達したのですが、この旅行は、地球の住民がこれまで計画し成就した旅行のうちでもっとも異常にして、かつ重要なものであります。しかし私の冒険にはまだ先がございます。そして閣下には、さぞかし容易にご想像いただけると存じますが、それ自体の特異な性格ゆえに興味尽せぬものであるばかりか、その衛星としての資格において人類が住む世界と密接な関係を有するがゆえに二重に興味深い月に、私は五年にわたり住んだのでありますから、国立天文大学の諸氏にひそかに伝達したい情報を私はもちあわせています。
なるほど旅行そのものもまことに驚嘆すべきものでありましたが、この情報は、旅行《ヽヽ》そのものの詳細などより、はるかに重要なものであります。実際、そうなのであります。よろこんでお伝えしたいことが山ほど――まさしく山ほどございます。月世界の気候について、想像を絶する寒暑の差について、二週間にわたる仮借ない燃えるような日照りにつづく極地以上の酷寒をもたらす次の二週間について、真空状態《ヽヽヽヽ》におけるような蒸溜作用によって、太陽直下の地点から太陽からもっとも遠隔の地点へたえず移動する湿気について、つねに変化してやまぬ流水地帯について、月の住人そのものについて、彼らの風俗、習慣、政治制度について、彼らの特異な肉体的形質について、彼らの醜さについて、きわめて特異化された大気のなかでは無用の長物でしかない耳が彼らにないことについて、したがって彼らが言語の使用と特性について無知であることについて、言語にかわる彼らの奇妙な相互伝達の方法について、月における特定の個人と地球の特定の個人とのあいだの不可解な関係――地球の軌道とその衛星の軌道との関係に類似し、かつそれに依存する関係、それによって地球の住人の生活と運命が月の住人の生活と運命に織り込まれている関係――について、なかんずくまた、閣下のお気に召すならばでございますが――なかんずくまた、月の裏側――その軸を中心とする月の自転が地球の周囲をまわる月の公転と奇跡的に一致しているために人間の望遠鏡による詮策にいまだかつてさらされたことがなく、また神の慈悲によって、今後とも決してさらされることがない月の領域――にひそむ暗くおそろしい数々の神秘について、申し述べることが山ほどあるのでございます。こういうことや、その他あまたのことを――私はよろこんでお話しいたしたいのであります。
しかし、ずばり申しあげれば、私は報酬を所望しているのでございます。私は自分の家族のもとへ、自分の家庭へ戻ることを切望しております。このうえさらにお伝えするつもりの情報に対する代償として――また自然科学、形而上学のきわめて重要な諸分野に私が投げかけうる光明についても考慮されるとして――私は、貴大学のご尽力により、私がロッテルダムを去るにあたって債権者たちを死にいたらしめた罪を免じていただくべく懇願いたすものであります。これがすなわち、この手紙の目的であります。この手紙の持参人は月の住人で、私が地球への使者になるように依頼し、しかるべき指示を与えてある者でありますが、この者が閣下のご意向をうかがい、かなうことなら、くだんの赦免状をたずさえて帰還する手筈にございます。恐惶謹言。
ハンス・プファール
聞くところによれば、このひどく奇怪な文書を読みおえると、ルバドゥブ教授は驚きのあまりパイプを地面に落とし、スペルブス・フォン・ウンデルドゥック氏は眼鏡をはずして拭い、それをポケットにしまい、おのれも忘れ、おのれの威厳も忘れて、驚愕と賛嘆のあまりかかとを軸にして三回転したということである。この件について疑問の余地はない――赦免は与えられるべきだ。すくなくともルバドゥブ教授は大声でそう誓い、フォン・ウンデルドゥック閣下もついにそれに同意し、この学問上の同僚の腕をとり、講ずべき処置について熟考すべく、無言のまま、家路へと急いだ。ところが、市長の家の玄関についたとき、教授はあえて口を開き、例の使者は姿を消すのを妥当と判断したのだから――さだめしロッテルダム市民の野蛮な容貌に死ぬほど驚いたためであろうが――月の住人以外にかほどの遠距離旅行をくわだてる者はいないことにかんがみ、赦免状を発行してもほとんど無駄であろう、と指摘した。この見解の正当性に市長も同意し、ここでこの一件は落着した。
ただし、風説と臆測はそうはいかなかった。この手紙が公表されると、さまざまな噂と意見が巻きおこった。利口すぎる連中は、この事件全体が|ぺてん《ヽヽヽ》であるとけなし、かえって嘲笑をかった。しかし|ぺてん《ヽヽヽ》というのは、こういう連中にとっては、自分の理解を超えたものに対する一般的名称ではなかろうか。私としては、いかなる根拠にもとづいて、彼らがそのような難癖をつけるのか、理解に苦しむ。が、ともかく彼らの言い分を聞こう。
その一。ロッテルダム市の|ならずもの《ヽヽヽヽヽ》たちのうちに、市長と天文学者にある特殊な反感をいだく者がいること。
その二。何かの悪事を働いたため両耳をそっくり切り取られた小人の手品師が、ここ数日間、近隣のブルージェの町から姿を消していること。
その三。小さな気球の一面に貼りつけてあった新聞紙はオランダ発行の新聞で、したがって月でつくられたものではありえないこと。それはきたない――ひどくきたない新聞紙で、印刷工のグルックは、それがロッテルダムで印刷されたものであることを聖書にかけて誓うと言明した。
その四。飲んだくれの悪党ハンス・プファール本人と彼の債権者をよそおう三人のぐうたら紳士が、ほんの二、三日まえ、金をしこたまポケットにしのばせて海外旅行から帰ったばかりとかで、郊外の居酒屋にいるのが見かけられたこと。
そして最後に、ロッテルダム市の天文大学は、世界のすべての大学と同様に――大学と天文学者一般についてはさておき――ごくひかえめに言っても、大学が当然そうあってしかるべきほど、立派でも、偉大でも、良識的でもないことは広く受け入れられている見解であり、また広く受け入れられるべき見解であること。
***
付記。厳密に言って、以上のお粗末な物語とロック氏の高名な「月物語」とのあいだに類似点はまずないのだが、両者は(一方はひやかしの調子があり、他は大まじめであるとはいえ)ともに『騙《かた》り』の性格があり、また両者はともに月という同一主題を用いた『騙り』であり――おまけに、両者はともに科学的な記述によって真実めかそうとしている点でも共通しているので――「ハンス・プファール」の著者たる私は、|自己弁護のためにも《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、この幻想小説《ヽヽヽヽ》は、ロック氏の作品が『ニューヨーク・サン』誌に発表されるより三週間まえに『サザン・リテラリ・メッセンジャー』誌に発表されたことを明らかにしておく必要があると考えるものである。おそらく現実には存在しないのに、類似点があるものと思いこんで、ニューヨークの新聞のいくつかは「ハンス・プファール」を転載し、それを「月物語」と比較して、両者の作者が同一人物であることを証明しようとした。
この「月|物騙《ものかたり》」によって実際にだまされた者のほうが、いさぎよくだまされたことを認めようとする者よりはるかに数多いのだから、誰もがだまされてはいけなかった理由を示し――その本性を暴露するにたる諸点をこの作品に検証することは、いささか興味をひくことでありましょう。実際、この巧者な作品にいかほどゆたかな想像力が披瀝されているにせよ、事実と一般的類推に対してもっと細心な注意が払われていたならば獲得していたであろうような力に、この作品は欠けているのである。たとえ束の間にせよ、一般読者がたぶらかされたとすれば、それは天文学的性格の諸問題に対して一般大衆がいかに無知蒙昧であるかを証拠だてることにほかならない。
地球から月までの距離はおよそ二十四万マイルである。レンズによって月(あるいは、その他の遠い物体)をどれほど近くに見ることができるかを確めたければ、もちろん、その距離を、レンズの倍率、もっと正確には空間を透視する力で割ればよい。ロック氏は氏のレンズを四万二千倍としている。この数値で二十四万(月の実際の距離)を割れば、見かけの距離として五マイル七分の五という答が出てくる。こんなに遠くては、どんな動物も見えるはずがない。まして、氏が物語で述べているような特定の細部が見えるわけがない。ところがロック氏はジョン・ハーシェル卿が(罌粟《けし》、その他の)花をみとめ、小鳥の目の色や形まで確認したと語っている。また、このすこしまえに、このレンズでは直径十八インチ以下のものは見ることができないと述べているが、これでさえ、レンズに過大な拡大力を与えていると私は思う。ちなみに、この強力なレンズはダンバートンにあるハートレイ・アンド・グラント硝子工場で製作されたとされているが、この工場は、この物騙《ものかたり》が発表されるずっと以前から操業が中止されていることも指摘しておきたい。
パンフレット版十三ページの、野牛の一種の目にかかっている「毛状のヴェール」について語るくだりで、作者はこう書く――「これは月のこちら側に住むあらゆるものが定期的に見舞われる極端な明るさと暗さから動物の目を守るために神が考案したもうたものであることに、鋭敏なハーシュル博士はたちまち気づかれた」と。しかし、これを博士のきわめて「鋭敏な」観察と考えるわけにはいかない。月のこちら側に住む生物にとって、明らかに、闇などというものはまったく存在しないのであり、したがって、「極端な」明暗などはありえないのである。太陽がないときにも、晴れた夜の満月十三個分に相当する光を地球から受けるからである。
地形にしても、物語全体をとおして、ブラントの「月面図」に準拠していると称している場合さえ、この月面図やその他すべての月面図と完全に矛盾するばかりか、ひどい自己矛盾も犯している。方位についてもまた、どうしようもない混乱におちいっている。月の地図では、方位は地球のそれとはちがい、東が左になっていることなどについて、この著者はご存じないらしい。
古来の天文学者たちが月の暗い斑点に「雲の海」「静寂の海」「豊饒の海」などの漠たる名称を与えていることにたぶらかされてであろうが、ロック氏は月における大洋やその他の水域について詳細に述べているが、そのような水域が存在しないことほど天文学的見地から積極的に確認されているものはないのである。(新月ないし下弦の月に見られる)明暗の境界線が、暗い場所を横切る部分を調べてみると、この部分の線がぎざぎざしたのこぎりの歯のように見えるが、もしこの暗い場所が液体なら、その線はきっとなめらかであろう。
二十一ページの人間|蝙蝠《こうもり》の翼の記述はピーター・ウィルキンズの「空飛ぶ島民」の翼の記述の引き写しにほかならない。この単純な事実だけでも、この作品に疑念をいだかせるに充分ではないか。
二十三ページには次の文句がある。「月がいまだ時の子宮の胎児で、化学的親和力にただ左右されるだけだった時期には、その十三倍も大きいわが地球はどれほど強大な影響力をこの衛星に及ぼしたことであろうか!」なるほどお見事な文章だ。が、まともな天文学者ならこんな記事を、ことに科学雑誌などに、書くはずがないことを指摘しておきたい。というのは、作者の意図した意味では、地球は月より十三倍ではなく、四十九倍も|大きい《ヽヽヽ》のだから、結びの数ページ全体についても、同様の異議をさしはさむことができる。そこでは、土星に関する、ある新発見を紹介するというかたちで、この遊星について小学生相手のようなくだくだしい解説をしている――しかもそれが『エディンバラ科学雑誌』に対してである!
だが、この作品が嘘であることをとくにはっきりと露呈している一点がある。月面上の動物を実際に見ることができると仮定してみよう――そのさい、|まず最初に《ヽヽヽヽヽ》地球から観察する者の注意をとらえるのは何か? それはきっと、動物たちの形、大きさ、その他の特質ではなく、むしろ動物たちのおかれている異様な状態であろう。動物たちは、まるで天井の蝿よろしく、足を上にし頭を下にして歩いているように見えることだろう。ほんとうの観察者なら(いかほど予備知識によって心構えができていようと)動物たちのこの尋常ならざる姿勢に、たちまち驚きの叫びをあげたにちがいない。ところがこの|にせの《ヽヽヽ》観察者はその件に言及しないばかりか、見えてもせいぜい動物たちの頭の直径ぐらいであることは自明であるのに、そういう動物たちの全身を見たように語っているのだ!
結論として、次のように言っておいてもよかろう。人間蝙蝠の大きさ、とくにその諸能力(たとえば、月に大気があるとして――そのきわめて稀薄な大気のなかを飛ぶ能力)は――月の動植物についてのその他の空想があらかたそうなのだが、こういう諸問題に関する類推理論とあいいれない、と。しかも、このさいの類推は決定的実証にほぼひとしい。おそらく付言するまでもないことだが、この作品の冒頭にある「視覚の焦点となる対象に人工光線を放射すること」などについてブルースターおよびハーシェルの提案とされているものは、ことごとく無用の長談義と称するのが至当と思える種類の空疎な美文にすぎない。
星に関する視覚による発見には実際上のはっきりした限界がある――その限界の性質を理解していただくためには、それを述べればよかろう。大きなレンズをつくりさえすればよいのなら、人間の能力をもってすれば、やがてそれは可能になり、人間は望むかぎりの大きさのレンズをもつことになろう。ところが残念なことに、レンズの大きさが増加するにしたがい、つまり空間透視力が増加するにしたがい、光線の拡散によって、対象からの光量が減少する。そして、この障害を排除する能力は人間にはない。なぜなら、ある物体が見えるのは、直接にせよ反射によるにせよ、その物体から出てくる光のおかげなのだから。こういうわけで、ロック氏が利用できる唯一の「人工」光線は――「視覚の焦点となる対象」にではなく、観察すべき実際の対象に――つまり|月に《ヽヽ》とどくような人工光線ということになろう。ところで、容易に推定しうることであるが、よく晴れた月のない夜、ある特定の星から出る光が拡散されて、他のすべての星から出る自然光と同じほど弱くなれば、その星はもはや事実上見えないのである。
さきごろ英国で製作されたロス伯爵の望遠鏡は四千七十一平方インチの反射面をもつ反射鏡をそなえるが、ハーシェルの望遠鏡は千八百十一平方インチの反射鏡をそなえるにすぎない。ロス伯爵望遠鏡の金属反射鏡は直径六フィート、周縁で厚さが五インチ二分の一、中心部で五インチである。重量は三トン、焦点距離は五十フィートである。
私は最近、風変りで、なかなかたのしい小冊子を読んだが、そのタイトルページにはこうある――「月世界の人間、あるいはスペインの冒険家、すなわち飛行家ドミニック・ゴンザレスによってなされた月世界への架空旅行。J・B・D・A・パリによって仏訳され、ラ・フォンテーヌ・ド・サン・ブノア近くのフランソワ・ピオ、および一六四八年の会議が行なわれた議場近くの王宮大広間の第一柱寄りのJ・ゴアニァール発行」全一七六ページ。
筆者はダヴィソン〔『月世界の人間……』のほんとうの筆者はフランシス・ゴドウィン主教であるが、この小冊子は、最初、一六三八年に匿名で『月世界の人間、または月への旅の記録』と題されてロンドンで出版された。が、そのうち、一六四八年にフランス語版が出版され、ポオはこの版を参照したものと思われる。ただし仏訳者はJ・B・D・A・パリではない。ポオはこの「月物語」の原作者がフランス人であると信じていたようだし、ジュール・ヴェルヌもまたそう信じた。ちなみに『ガリバー旅行記』のスウィフトも、この作品を読んだと信じられている。なお、ゴドウィンの『月世界の人間……』は、物語に空想的・幻想的要素を組み入れることによって十七世紀のユートピア小説の性質を変え、科学的考察や記述を盛り込むことによってSF小説の|はしり《ヽヽヽ》になったとも言える〕なる者の英語から訳したと称しているが、次のような陳述はきわめて曖昧である。「本書は、医学に精通せるのみならず、文学その他とくに物理学に造詣深きダヴィソン氏の原書の翻訳である。筆者は、この英書のみならず、有徳のほまれ高きスコットランドの紳士トマス・ダナン氏の稿本も入手したことに対して、特にダヴィソン氏に謝意を表するものであり、またダナン氏の稿本から本書の案を得たことを断っておく」
本題とは無関係な『ジル・ブラス』流の冒険が本書の最初の三十ページを占めるわけだが、さてそういう冒険をかさねたすえ、著者の語るところによれば、航海中に病気になったために乗組員たちは彼を黒人の召使とともにセント・ヘレナ島に置きざりにしたのである。食物を獲得する機会を多くするために、二人はわかれ、できるだけ遠くはなれて住むことになる。そこで、二人のあいだの連絡のため、伝書鳩の役目をはたすように鳥を仕込む必要がでてくる。やがて鳥たちはいくらかの重さのある荷物も運ぶようになり――その重さもだんだん増える。とうとう大勢の鳥の力をあわせて、著者自身を運ばせようという考えが浮かぶ。その目的のために機械が考案され、その機械についてくわしく書かれているのだが、一枚の鋼版画がそえてあるので、大いに理解の助けになる。この図版に見るゴンザレス氏は手編みのレースのひだかざりと大きなかつらをつけ、ほうきの柄にひどく似た機械に打ちまたがり、尾のところからのびるひもで機械に結びつけられた野生の白鳥《ガンザス》の大群によって、空高く運ばれてゆくのである。
ゴンザレス氏の物語に詳述されている主題は、きわめて重大なある事実にもとづいているのだが、その事実は読者にはこの本の終り近くまで秘密にされている。氏がなじみになった白鳥は、じっはセント・ヘレナ島が本拠ではなく、月が本拠だったのである。月から年ごとに地球のある場所に渡ってくるのが、大昔から彼らのならわしだったのだ。むろん、適当な季節に彼らは月にかえる。作者はたまたまある日、彼らの助けを借りて小旅行をこころみるのだが、思いがけずも、そのまま上空に運びあげられ、時ならずして月に到着する。ここで氏はさまざまな奇妙なことを見聞するが、月の住人がきわめて幸福に生きていることを見出す。彼らには法律《ヽヽ》がない。彼らは苦痛を覚えることなく死ぬ。彼らの背丈は十から三十フィートで、五千年も長生きする。彼らはイルドノズルという皇帝をいただいている。彼らは六十フィートも跳びあがることができ、この高さになると重力の影響を受けないので、扇を用いて自在に飛びまわれる。
私はこの本の原理《ヽヽ》を示す一例をここに引用せずにはいられない。
ゴンザレス氏はこう言う――「さて、私はそのとき自分がいた場所の性質について述べなければならない。雲はことごとく私の脚下にあった。あるいは、お望みなら、私と地球のあいだにあったと言ってもよい。星についてだが、|私のいたところには夜がなかったので《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、|星はいつも同じように見え《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、|普通そうであるようにキラキラかがやくことはなく《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、|蒼白で《ヽヽヽ》、|ちょうど明方の月に似ていた《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》。が、そのいくつかはよく目につき、地球の住人が見るより(私の判断するかぎりでは)十倍も大きく見えた。満月を二日後にひかえた月は、ひどく大きかった。
ここで忘れてならないのは、星は地球の月に向いている側だけで見えたことと、それらの星は月に近ければ近いほど大きく見えたことである。また、おだやかな気候のときも嵐のときも、私は|つねに月と地球の中間にいた《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》こともお知らせしておかねばならない。私がこのことを確信した理由は二つある――第一に、私の鳥たちはいつも一直線に飛んでいたこと、第二に、休もうとするといつでも、|われわれは知らぬまに地球のまわりをまわっていた《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》ことである。なぜなら、私はコペルニクスの説を認めるからであるが、彼の主張するところによれば、地球は、通例世界の極と呼ばれている赤道面に対する極を軸にしてではなく、黄道面に対する極を軸にして、|東から西へ《ヽヽヽヽヽ》とたえず動いているのである。ところで、この問題については、私が若いころサラマンカで学び、それ以後忘れていた天文学についての記憶を新たにする余暇ができたおりに、もっとくわしく論じてみたい」
傍点をほどこしておいた部分のような誤りはあるとはいえ、当時の天文学上の通念の素朴な実例として、この本はなお多少の注目にあたいするだろう。そういう通念によると、「重力」は地表からほんのわずかの距離にしか及ばず、したがってわが飛行家は「知らぬまに地球のまわりをまわっていた」ことになるのである。
このほかにも「月旅行」の物語はいくつもあるが、いま言及した本よりましなのは一つもない。ベルジュラック〔『月旅行滑稽談』(一六五〇)〕のものなど、まったく無意味である。『アメリカ季刊評論』第三巻には、この種の「旅行記」についての大げさな批評がのっているが――この批評を読んでも、本の愚劣さを暴露しているのか、評者自身の天文学についての無知ぶりを暴露しているのか、いずれとも判定しがたい。私はこの本の題名を忘れてしまったが、その旅行の手段《ヽヽ》たるや、わがゴンザレス氏の白鳥《ヽヽ》とくらべてさえ、なおお話にならぬほどお粗末な思いつきにすぎない。この探険者は、地面を掘っているうちに、月に強く引かれる特殊な金属を発見し、さっそくその金属で箱をつくり、それを地球のいましめから解き放つと、箱は彼を乗せ、まっしぐらに月に向って飛んでゆくのである。『トマス・オールークの飛行』は|幻想もの《ヽヽヽヽ》としては、まんざら棄てたものではなく、ドイツ語に翻訳されてもいる。この主人公のトマスはアイルランドの貴族の猟場の番人で、この貴族の奇癖が物語の発端になる。「飛行」は、バントリ湾のはしにあるハングリー・ヒルという高い山から、鷲の背に乗っておこなわれる。
こういう小冊子の目的とするところは、つねに諷刺であり、その主題は地球人の習慣と比較して月世界の習慣を描くことにある。そのいずれにおいても、旅行自体の細部に真実性《ヽヽヽ》を付与しようという努力はなされていない。また、いずれの作者も天文学についてまったく無知であるようにみえる。ところが「ハンス・プファール」にあっては、科学的諸原理を(本書の気まぐれな主題が許すかぎり)適用して、地球から月への旅行に|真実らしさ《ヽヽヽヽヽ》を与えようとしている点で、その構想はまさしく独創的なものである。
[#改ページ]
メロンタ・タウタ
[#ここから1字下げ]
〔「メロンタ・タウタ」という言葉はギリシアの悲劇詩人ソポクレスの『アンチゴネー』(一三三三行)からの引用で、「これらは未来に生ずべし」の意〕
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから1字下げ]
レディーズ・ブック編集者殿
おそれながら、貴雑誌のため、ここに一篇の記事をお送りいたします。その価値につきましては、小生などより、貴殿方のほうが、むしろよくおわかりのことと存じます。それは、一年ほどまえ、|暗黒の海《マーレ・テネブラールム》 Mare Tenebrarum〔暗黒の海。ポオが好んで読んだジェイコブ・ブライアント『古代神話』(一八〇七)に「ヌビアの地理学者たちは大西洋のことを|暗黒の海《マーレ・テネブラールム》と呼んだ」とある〕 に浮かんでいるのを小生が見つけた固く栓をした水差しのなかにあった奇妙な文書を、小生の友人マーティン・ヴァン・ブーレン・メイヴィスヴィス〔心霊術《スピリチュアリズム》による社会改革をとなえた人物〕(氏はときに「パプキープシーの千里眼」とも呼ばれております)が翻訳したものであります。なお、|暗黒の海《マーレ・テネブラールム》と申しますのは、ヌビアの地理学者による記述がありますが、今日では、超絶主義者と奇想の探索者以外はめったに訪れることがありません。
敬具
エドガー・A・ポオ
飛行船「ひばり」号上にて
二八四八年四月一日
[#ここで字下げ終わり]
さて、親愛なる友よ――君は自分の犯した罪のつぐないに、長々しく冗漫な手紙を読む刑罰を受けることになったのだ。ずばり言うが、君の無礼をこらしめるため、私はできるだけ退屈に、散漫に、とりとめなく、また拙劣に書くつもりなのだ。それに、いま私は、遊興旅行としゃれこんでいる(ある種の人間は遊興について、なんと奇妙な考えをいだいていることか!)百人か二百人ほどの愚民《ヽヽ》たちとともに、きたならしい気球に閉じ込められていて、すくなくともむこう一ヵ月、大地《ヽヽ》に降り立つ見込みがない。話相手もなければ、することもない。することがなければ、それこそ友人に手紙を書くべき時ではないか。だから、なぜ私がこの手紙をしたためるか、もう君にはおわかりでしょうな――しかり、わが倦怠と君の罪のせいなのだよ。
眼鏡を用意し、受難を覚悟したまえ。いいかね、私はこのいまいましい旅行のあいだ、一日も欠かさず、君に手紙を書くつもりなのですぞ。
やれやれ! いつになったら人間の脳髄に発明《ヽヽ》がひらめくのだろうか? 気球にまつわる数々の不便を、われわれは永遠に耐えしのばねばならぬのだろうか? もっと速く飛ぶ手段を発明する者がどこにもいないのだろうか? こんなにのろのろした動きは、私にとっては拷問にひとしい。まさしく、離陸このかた、気球は時速百マイル以上を出したことがないのだ! 鳥でさえもが気球を追いぬく――すくなくとも、ある種の鳥は。私は誇張などしていない。なるほど気球の飛び方は実際より遅く感じられる――速度を知る手掛りになる対象がまわりにないからだし、気球は風に|乗って《ヽヽヽ》飛んでいるからだ。たしかに、ほかの気球に出会うときには、自分たちの速度を実感する機会があり、そんなときには、なるほどそんなに遅くないわい、という感じはする。気球旅行には慣れているのに、ほかの気球が頭上の気流に乗って通過するとき、私はいつも目まいのようなものを感じないではいられない。そんなときはいつも、巨大な猛禽に襲いかかられ、その爪で鷲づかみにされ、どこかに連れていかれるような、そんな気になる。けさも日の出ごろ、一つの気球がわれわれの頭上を飛びこえていったが、ほとんど真上だったので、その誘導索がわれわれの気球の、船をぶらさげている綱に実際にふれ、これにはわれわれは肝を冷やした。船長の話では、もし気球の材料が五百年か千年まえのようにニスを塗った「絹」のような安物だったら、きっと被害を受けていたところだということだった。
この絹というのは、船長が私に説明してくれたところによれば、一種のミミズのはらわたからできている繊維だった。この虫は桑の実――スイカに似た一種の果実――で大事に飼われ、充分に肥えたところで、臼ですりつぶされる。こうしてできたペーストは、最初の段階では|パピルス《ヽヽヽヽ》と呼ばれ、それがいろんな工程をへて「絹」になる。変な話だが、この絹がかつては婦人服《ヽヽヽ》の材料として大いに珍重されたそうだ! 気球もたいていはこの材料でできていた。その後、もっとすぐれた材料が、俗に|ユーフォービア《ヽヽヽヽヽヽヽ》と呼ばれ、当時は植物学的にトウメンと名づけられていた植物の果皮のまわりに生える綿毛に見出されたらしい。これからできた絹は耐久性にすぐれていたのでシルク・バッキンガム〔英国の探険家でエジプト学者にジェームズ・シルク・バッキンガムがいた。砂漠の探険を生きのび、「耐久力」があったため、長持ちのする「絹」の名にされたのだろう〕と呼ばれ、たいてい弾性ゴムの溶液を塗って使用されていた――この溶液はある点で今日一般に用いられている|グッタペルカ《ヽヽヽヽヽヽ》に似たものだったにちがいない。また、このゴムは、ときにはインド・ゴムとか、ねじれゴムとか呼ばれ、あきらかに数ある菌類の一種だった。いいかね、私のことを本物の好古家でないなどと、もう言うなかれ。
誘導索といえば――われわれの誘導索は、いましがた、眼下の大洋に群がる小型磁気プロペラ船の一艘から一人の男を海に投げ出してしまったらしい――六千トンほどの船で、どう見ても恥ずべきほどの混みようだった。こういう小型船に一定以上の船客を乗せるのは禁ずべきだ。その男は、むろん、ふたたび船にもどるのを許されず、救命具ともども、まもなく視界から姿を消した。親愛なる友よ、われわれが個人などは存在しないとみなされるほど文明化された世界に生をうけていることを、ともにことほごうではないか。人類が本気で心配しているのは集団なのだ。
ところで人類だが、わが不滅のウィギンズの社会的条件その他についての見解は、彼の同時代の人たちが信じたがっているほど独創的なものでないことを君は知っているかね? パンディットが断言するところによれば、ウィギンズと同じ考えを、千年ほどもまえに、猫やその他の毛皮をあきなう小売店を経営するために、ファーリア〔フランスの空想的社会主義者シャルル・フーリエをもじった名。フーリエは工業社会を、農業を主とするファランクスと呼ばれる八百ないしその倍数からなる共同体に再編成すべきだと主張した。この理想にしたがった超絶主義者《トランセンデンタリスト》たちの共同体ブルック・ファームが一八四四年にアメリカにでき、ナサニエル・ホーソーンも一時期このコミューンに住んだ〕というアイルランドの哲学者がほぼ同じような語り口で述べているということだ。いいかい、パンディットは|もの知り《ヽヽヽヽ》だ。彼の言うことにまちがいはありえない。かのヒンズーの哲学者アリエス・トットル〔アリストテレスのもじり〕の深遠な指摘が日々実証されてゆくのを見るのは、なんとすばらしいことではないか――(パンディットの引用によるが)その指摘とは「かくして、一度ならず二度ならず、数度ならず、ほとんど無際限に、同じ意見が人間のあいだをぐるぐるめぐりめぐっているのである、と言わねばならない」というもの。
四月二日。きょうは、浮揚電信線の中枢部を管理している磁力巡回船と通話した。この種の通信が最初にホース〔電信を発明したモース (わが国ではモールスの名で知られている)がホース Horse(馬)にされている〕によって実用化されたとき、海上に電線を渡すことは不可能とされていたということだが、どこに困難があったのか、いまではそれを理解することのほうが困難だ! 世界は変わる。|時は移る《テンポラ・ムタントゥーラ》――エトルリア語など引用して、失敬〔引用はエトルリア語ではなくラテン語で、オウィディウスの句とされている〕。大西洋電信なしで、われわれはやっていけるだろうか?(大西洋とは古い形容詞だとパンディットは言う)われわれは二、三分停止して、巡回船にいくつかの質問をすると、すばらしいニュースがたくさん返ってきたが、なかんずく、アフリシアで内戦が起こっており、ユーロープとエイシャーでは疫病が大活躍中という朗報を得た。人類が哲学に偉大な光明をそそぐまでは、戦争と疫病が災難と見なされていたとはじつに驚くべきことではないか? 古代の寺院では、実際に、こういう悪《ヽ》(!)が人頬を見舞わないようにと祈りがささげられたことを君は知っているかね? 多数の個人が破滅すれば、それだけ大衆にとって積極的な利益になるということが理解できぬほど、彼らはめしいだったのだろうか!
四月三日。気球のてっぺんに通ずる縄ばしごをのぼって、周囲の世界を眺めるのはたしかに極めつきのたのしみだ。下の船からでは、眺望はこれほど広びろとはしていない――真上や真下はほとんど見えない。しかし気球の頂上のふんわりとすわり心地のよい広場(私はいまそこで書いている)に腰をおろすと、四方八方で起こっていることが一目瞭然。ちょうどいま、かなりの数からなる気球の一群が見え、それがなかなか活気ある様相を呈し、また空気は何百万という人間の声のざわめきにみちている。最初に気球で飛行した人物と目されているイエロー〔前出の気球飛行家グリーン(緑)にかけた〕あるいは(パンディットならこう言う|かもしれない《ヽヽヽヽヽヽ》が)ヴァイオレット〔同様の言葉遊び〕が、適当な気流に出会うまで上昇したり下降したりするだけで、大気圏をどの方向にも自由に飛行できると主張したとき、同時代の人たちはほとんど彼の言うことに耳を傾けず、当時の哲学者(?)たちがそんなことは不可能だと宣言したこともあって、彼のことを奇抜な着想をする気違いとみなした、という話を聞いたことがある。
いまからすると、こんなに自明なことが、どうして古代の大学者《ヽヽヽ》たちの明敏な頭脳をもってしてわかりかねたのか、|まったく《ヽヽヽヽ》わかりかねる。が、いつの時代にせよ、技術の進歩を大いに阻害してきたのは科学者と呼ばれる連中だ。たしかに、|現代の《ヽヽヽ》科学者は古代の科学者ほど頑迷ではない――ところで、この件について、私はまことに奇妙な話を知っている。|真理に到達する道は二つしかない《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》という奇っ怪な考えから人びとを解放するのに形而上学者が同意したのは、やっと千年ほどまえのことだということを、君は知っているかね? 信じられるものなら、信じたまえ! むかしむかし闇夜の時代に、アリエス・トットルというトルコの(あるいはヒンズー)の哲学者がいたらしい。この人物は演繹的ないし先験的《ヽヽヽ》思考方法というものを紹介したか、すくなくとも普及させた。彼は公理《ヽヽ》ないし「自明の真理」と称するものから出発し、そこから「論理的に」結果へとすすんでいった。彼の最高の弟子はニュークリッドという人物と、キャント〔ユークリッドとカント〕という人物だった。ところで、このアリエス・トットルは「エトリックの羊飼い」という異名を持つホッグなる人物〔科学的帰納法を唱導したフランシス・ベーコンを、故意に「エトリックの羊飼い」と呼ばれたスコットランドの詩人ジェイムズ・ホッグと混同させた。なおホッグは「豚」hogと同じ発音であり、ベーコンは豚肉のベーコンと同じ音なので、ホッグと結びつけられて「豚」呼ばわりされている〕が出現するまで羽振りをきかせたが、ホッグは後天的《ヽヽヽ》ないし帰納的なる、まったく別の方法を説いたのだった。彼の方法はまったく知覚にたよっていた。彼は事実を――気取って言えば直接的自然《インスタンティエ・ナチューレ》を――観察し、分析し、分類して一般的法則を抽き出した。アリエス・トットルの方法は、早い話が、英知的実体《ヽヽヽヽヽ》にもとづき、ホッグのは現象にもとづいていた。さて、後者の方法が大喝采を博したので、それが最初に紹介されたとき、アリエス・トットルは大いに評判を落としたが、やがて失地を回復し、彼よりずっと新しい競争相手と真理の領域を二分することになった。そして学者たちはアリストテレス的方法とベーコン的方法だけが知識にいたる道だと主張した。「ベーコン的」とは、おわかりのように、ホッグ(豚)的と同義ながら、より婉曲で威厳ある形容詞として発明されたものである。
さて、親愛なる友よ、私はこの問題をもっとも健全なる権威にもとづき、公正に論述できると自信をもって断言できる。そうすれば君にも、どう見てもまことに愚かしいこの考えがいかほど真の知識の発達をさまたげるのに寄与してきたかが容易に理解できよう――真の知識とは、ほとんどつねに直観的飛躍によって前進するものだから。古代人は思考を|這いずりまわる《ヽヽヽヽヽヽヽ》ことに限定してしまい、何百年にもわたって、ことにホッグの邪説がまかり通っていたため、思考の名にあたいする思考は事実上おこなわれなくなり、自分の魂にのみ恩恵をこうむっていると感じているような真理を、誰ひとり口にしなくなったのである。ある真実が|証明可能な《ヽヽヽヽヽ》真実かどうかさえ、問題でなくなった。というのは、当時の頭のかたい学者先生《ヽヽヽヽ》には、真理に到達する道だけが問題だったからだ。彼らは到達点さえ|見よう《ヽヽヽ》としなかった。「手段を見ようではないか、手段を!」と彼らは叫んだのだ。手段を検討してみて、それがアリエス(つまり雄羊の)〔アリエス Aries はラテン語で「雄羊」だから、アリストテレスは「雄羊」呼ばわりされている〕の範疇にも、ホッグすなわち豚の範疇にも属さないとなれば、学者先生はそれ以上さきへすすもうとはせず、「理論家」を馬鹿呼ばわりして、その人格も、その唱える真理も無視したのである。
さて、這いずりまわる方法によっては、たとえ何百年かけようとも大量の真理を手に入れることはできないと断言したい。なぜなら、想像力の抑圧は、古代の思考法におけるいかにすぐれた確実性《ヽヽヽ》をもってしても、つぐないえない悪であるから。こういうジャーメン人、ヴリンチ人、イングリッチ人、アムリカ人(ところでこのアムリカ人がわれわれの直接の先祖なのだ)が犯した誤りは、ある対象を目に近づければ近づけるほどよく見えるはずだ、と信じこんでいる利口馬鹿の誤りによく似ている。こういう連中は細部に目をくらまされているのだ。彼らがホッグ流に思考をすすめるとき、事実はもはやかならずしも事実ではなかったのだ――それが事実らしく見えるので、事実であり、事実であるに|ちがいない《ヽヽヽヽヽ》と想定するのでなければ、ほとんど意味がないのだった。彼らが雄羊の道をすすむとき、その道はほとんど雄羊の角なみに曲がっていた。というのは、彼らには公理と言えるような公理はなかったからだ。当時にせよ、これが見えなかったとは、彼らは相当なめくらであったにちがいない。というのは、当時でさえ、長いあいだ「是認されていた」公理の多くが否定されていたからである。たとえば――「|無から有は生じない《エックス・ニヒロ・ニヒル・フィット》」とか、「肉体はそれが存在しないところでは行動しえない」とか、「正反対の事物は存在せず」とか、「暗黒は光明から生じえぬ」とか――こういう命題、また、それまでためらいなく公理と認められていた他の多くの命題が、私がいま言及している時代においてさえ、受け入れがたいものと目されていたのである。となれば、こういう人たちがなおも「公理」を真理の変らざる基礎として信じていたとは、なんと理不尽なことであろうか! しかし彼らのなかの健全な理論家の発言からでさえ、公理一般の無効性や無意味さを証拠だてることは容易なのである。ところで、そういう理論家のうちでもっとも健全な者は誰だったか? ちょっと待ってくれ! パンディットにおうかがいをたて、すぐ戻ってくるから。
……さあ、これこれ。ここに千年ほどまえに書かれ、最近イングリッチ語から翻訳された本がある――ちなみに、アムリカ語はこのイングリッチ語から出ているらしい。パンディットの保証するところによれば、これはくだんの問題、つまり論理について書かれた古代の本のなかではいちばんすぐれたものだそうだ。(当時は大いに尊敬されていた)その著者はミラーとかミル〔ジョン・スチェアート・ミル(一八〇六〜七三)。この付近の引用はミル『論理学体系』から〕とかいう人で、いくらか重要な関連事項として、この人にはベンタムという名の臼ひき馬〔功利主義を説いた哲学者ジェレミー・ベンタム(一七四八〜一八三二)をポオは嫌っていて、ここでは「|臼ひき馬《ミル・ホース》」にされている〕がいたという記録があるのをわれわれは知っている。が、ともかくその論文をのぞいてみよう!
ああ! ――「理解しうるかしえないかは、いかなる場合にも公理的な真実を判定する規準にはなりえない」とミル氏は正当にものたまう。まともな現代人《ヽヽヽ》で、この自明の理にあえて反対しようとする者がいるだろうか? われわれにとって不思議なことは、なぜミル氏がかほどに自明なことをわざわざ口に出して言わねばならぬと考えたか、だけだろう。ここまではよいとして――さて、ほかのページをめくってみよう。ここにはどう書いてあるか? ――「相互に矛盾するものは、ともに真実ではありえない――つまり、両者は自然において共存しえない」ここでミル氏の言わんとしていることは、たとえば、木は木であるか、木でないかのいずれかでなければならず――木が同時に木であって木でないということはありえない、ということである。よろしい、だが私は彼に|なぜか《ヽヽヽ》と問いたい。彼の答はこうであり――しかも、こうでしかありようがないように思われる――「相互に矛盾するものは、ともに真実ではありえないからである」と。しかし彼自身が示しているように、これはまったく答になっていない。「理解しうるか否かは、|いかなる場合にも《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》、公理的な真実を判定する規準にはなりえない」という自明の理を、いましがた認めたのは、彼自身ではなかったか?
さて、私がこれらの古代人に不満をいだくのは、彼らがみずから示しているように、まったく根拠に欠け、価値がなく、実にたわけているからというより、二つの馬鹿げた道――つまり忍びよるようにしてゆく道と這いずるようにしてゆく道との二つ――以外《ヽヽ》のすべての真理にいたる道、それ以外のすべての真理獲得の手段を、傲慢かつ愚劣にも、ことごとく排除したからであり、また、なによりも|天がける《ヽヽヽヽ》ことを好む魂をその二つの道に封じ込めたからである。
ところで親愛なる友よ、こういう古代の独断論者たちは、あらゆる真理のなかでもっとも重要にして崇高なかの真理が、実際には、この二つの道の|いずれ《ヽヽヽ》によって獲得されたかを断定するのに、大いになやんだことだろうと思わないかね? 重力についての真理のことだがね。ニュートンがそれを発見したのはケプラーのおかげだった。そのケプラーはかの三大法則を――あらゆる物理的原理の基礎であるかの原理に、イングリッチの偉大な数学者をみちびいた三大法則を――その背後をさぐるとなれば形而上学の領域に足を踏み入れることになる三大法則を――|ふと思いついた《ヽヽヽヽヽヽヽ》と称している。ケプラーは|思いついた《ヽヽヽヽヽ》――つまり|想像した《ヽヽヽヽ》のだ。彼は本質的に「理論家」だったのである――この呼称はいまでこそ神聖なものだが、むかしは蔑称だったのさ。だから、こういう古代のもぐらどもは、この二つの「道」のいずれによって暗号解読者が暗号を解くかを説明するのに、また、この二つの道のいずれによってシャンポリオン〔フランスのエジプト学者〕が象形文字を解読し、そこからもたらされた永続的な真理の数々へと人類をみちびくことになったかを説明するのに、大いに頭をなやまさなかっただろうか?
この問題についてもうひとことだけ述べ、それで君を退屈がらせるのをやめにしたい。こういう頑固な連中が、真理への道について際限なくおしゃべりをつづけながら、現代のわれわれがかくも明確に真理の大道だと理解しているもの――すなわち一貫性の道――を見こぼしていたとは|どはずれた《ヽヽヽヽヽ》奇妙さではないか? 彼らが神の創りたもうたものから、完全な一貫性こそが絶対的な真理で|なければならぬ《ヽヽヽヽヽヽヽ》という重大な事実を抽き出さなかったとは摩訶不思議なことではないか! この命題が提言されてからの人類の進歩は明々白々ではないか! 真理探求の仕事は、もぐらどもの手から取りあげられ、唯一の真の思索家である熱烈な想像力の持ち主に、課題として、与えられることになったのだ。想像力の持ち主は|理論づける《ヽヽヽヽヽ》。もしわれわれの先祖たちが私の肩越しにいま書いていることを見ることができるなら、彼がどんな悪口雑言を浴びせかけてくることか、君にも想像がつくだろう。くりかえすが、想像力の持ち主は|理論づける《ヽヽヽヽヽ》。そして彼らの理論はただ矯正され、整理され、体系化されて――つまり矛盾のかすが少しずつさらわれて――ついには、もっとも愚鈍な者でさえ、それが|一貫している《ヽヽヽヽヽヽ》がゆえに疑問の余地のない絶対の真理《ヽヽ》であると認めざるをえないような完璧な一貫性が洗い出されてくるのである。
四月四日。新しいガスは、グッタペルカの改良とあいまって、めざましい効果を発揮している。わが現代の気球はなんと安全で、ゆとりがあり、操縦しやすく、あらゆる点で便利なことだろうか! いま巨大な気球が時速百五十マイルでこちらに近づきつつある。それは乗客を満載しているようにみえる――たぶん三百か四百の客だ――それだのに、一マイルほどの高度を悠々と飛びながら、王者の風格をもってわれわれを睥睨《へいげい》している。だが時速百マイル、いや二百マイルにしたところで、まだゆっくりした乗物だ。君はわれわれがカナドー大陸〔南北アメリカ大陸〕を鉄道で横断したときのことをおぼえているかね? ――ゆうに時速三百マイルはあった――|あれが《ヽヽヽ》乗物さ。もっとも、何ひとつ見えなかったし――豪華なサロンで浮かれたり、飲んだり、踊ったりすること以外に何ひとつすることもなかったがね。汽車が全速力で走っているとき、たまたま窓外の景色に目をやると、妙な感じにとらわれたことを君はおぼえているかね? すべてのものがのっぺりと――一つの塊りに見えたものさ。私の好みとしては、時速百マイルのゆっくりした汽車で旅行するほうが好きだと言わざるをえない。この場合だったら、窓があるし――窓をあけておくこともできるから――その地方特有の景色といったものをたのしむこともできる……パンディットの言うところによれば、カナドー大陸横断鉄道のルートは九百年〔大陸横断鉄道が完成したのは一八六九年。だからこの作品が発表された一八四九年の時点におけるポオの「予想」は大幅に狂っていたことになる――彼はその完成を一九四〇年代と予想しているのだから〕ほどまえにある程度できていたにちがいないそうだ! 事実、彼はその道の跡がいまなお確認でき――その跡がさっき述べたほど古い時代のものであると推定しうるとさえ主張する。その道はたった二路線にすぎなかったようだが、現在では、君も知ってのように、十二路線あり、もう三、四路線が計画中だ。むかしの線路はごく軽量で、しかもひどく幅が狭かったので、現代の規準からすると、危険至極とまでいかぬにせよ、お粗末のかぎりだった。現在のレール幅は――五十フィート――だが、それでもまだ十分に安全だとは考えられていない。私としては、パンディットも言うように、ある種の鉄道がきわめて遠いむかしに存在していたことを信じて疑わない。というのは、私の見るところでは、ある時代に――かたいところ七世紀以上もまえに――南北カナドー大陸が|結ばれていた《ヽヽヽヽヽヽ》ことは明白だから。当時のカナドー人は、必要にせまられて、大陸横断鉄道の建設を思い立ったのだろう。
四月五日。私は死ぬほど退屈《ヽヽ》にさいなまれている。気球上で話ができるのはパンディットだけだ。ところがこのパンディットときたら、やれやれ、古代のことしか話したがらない。彼は一日じゅうかけて、古代アムリカ人は|みずからを治めていた《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》とか――そんな馬鹿げた話を聞いた者がいるかね? ――おとぎ話に出てくる「プレリー・ドッグ」みたいに、一人一党という流儀で生きていたとか、そんなたぐいのことを私に信じこませようとやっきになっているのだ。彼の言うところによれば、古代アムリカ人はおよそ考えうるかぎり奇妙な観念、すなわち、あらゆる人間は生まれながらにして平等であるという観念から出発したそうだ――しかも、精神界・物質界を問わず、あらゆるもののうえにはっきりと影を落としている階級《ヽヽ》の法則にまっこうから逆らってそうした、というのだ。彼らの用語を借りれば、各人が「投票」した――ということは、各人が公共のことに口出ししたということだが――そうするうちに、ついに、誰もが関与する仕事は誰の仕事でもないことがわかり、「共和制」(この馬鹿げた政体はそう呼ばれたのだが)とはまったく統治をしないことだということになった。しかしながら、この「共和制」を打ち建てた哲学者たちの自己満足をいたく脅かした最初の事態は、詐欺行為を恥じぬほど悪辣な党なら、妨害はおろか露見することもなしに、ほしいだけの票をいつでも集められるような詐欺的計画を実行に移す機会を、普通選挙が招来するという困惑すべき発見だった。この発見をいささか考察してみてわかったことは、結果として、悪党が栄えるに|ちがいない《ヽヽヽヽヽ》こと――共和政体は悪党の政体に|ほかならない《ヽヽヽヽヽヽ》ことであった。しかしながら、哲学者たちがこういう必然的悪を予見できなかった不明を恥じて、新しい理論の発明に熱中しているうちに、この一件はモブ〔普通名詞では「暴徒」「やじ馬」「大衆」などの意〕という名の男によって突然落着させられてしまった。モブはあらゆるものを掌中におさめて独裁制をしき、それにくらべれば名うてのゼロとかヘロファガバルス〔ゼロはネロ Nero のこと。ヘロファガバルス はローマの皇帝ヘリオガバルスのこと。ともに暴君として名高い〕の独裁政治は品がよく、ほほえましいぐらいのものだった。このモブ(ちなみに、外国人だった)はこの世に生をうけた者のうちでもっともいやらしい人間だったという。その体躯は巨人のように大きく――横柄で、強欲で、けがらわしく、ハイエナの心とクジャクの頭脳を持ち、去勢牛のように恥知らずだった。けっきょく彼は自分自身のありあまる精力のために疲れきって死んだ。とはいえ、なにごともそうであるように、下劣なりとはいえ、彼には彼なりの有用なところがあって、人類が今日まで忘れることができない教訓を残したのである――自然の範例にまっこうから反するようなことはするなかれ、と。共和政体については、それに似たようなものはこの地上に見出すことはできない――ただし「プレリー・ドッグ」の場合は、民主主義が――この動物《ドッグ》にとって――理想的な政治形態であることを示す例外的な事例として除外するとしての話だがね。
四月六日。昨夜、琴座の一等星ヴェガのすてきな眺めをたのしんだ。船長の望遠鏡で見ると、その円盤は二分の一度ほどの幅で、もやった日に肉眼で見る太陽によく似ていた。ヴェガ星はわれわれの太陽より|格段に《ヽヽヽ》大きいのであるが、その黒点、ガス体の状況、そのほか多くの細かい点で太陽にきわめて似ている。この二つの天体に連星の関係が存在するのではないかと疑われはじめたのは、パンディットによれば、やっと前世紀になってからである。わが太陽系が宇宙のなかを動いているという明らかな現象は(奇妙な話だが!)銀河系の中心にあるとほうもない巨大な星をめぐる軌道と関連づけられた。この星のまわりを、あるいはプレアデス星団のアルシオーネの近くにあるとされた、銀河系のすべての天体に共通する重力の中心のまわりを、これらの天体のことごとくがまわっていると断定され、わが銀河系も一億一千七百万年という周期でまわっているというのだ。|われわれは《ヽヽヽヽヽ》、現在の知識をもってしても、また非常に進歩した望遠鏡やその他をもってしても、そのような構想の根拠《ヽヽ》を理解するのは困難である。これを最初に言いだしたのはマドラー〔ドイツの天文学者ヨハン・フォン・ハインリッヒ・メドラーは、一八四六年、銀河系のすべての天体は「中心になる太陽」のまわりを回転しているという説を発表した〕なる人物だった。彼がこの大胆な仮説にみちびかれたのは、最初のうちは単なる類推によってだったと思われる。が、そうだとしても、彼はすくなくとも順を追って類推していったにちがいない。事実、中心になる巨大な天体が想定されたのである。ここのところまでは、マドラーは首尾一貫している。ところが、この中心となる天体は、力学的には、その周囲のすべての天体を合わせたよりも大きくなければならない。すると、こういう疑問が出てきたにちがいない――「なぜわれわれにその天体が見えないのか?」と。とくに、銀河系の中心部に位置を占める|われわれに《ヽヽヽヽヽ》――つまり、すくなくとも、その想像を絶する中心をなす太陽が位置するにちがいない場所のすぐ近くにいる|われわれに《ヽヽヽヽヽ》、なぜそれが見えないのか、と。おそらくこのところで、くだんの天文学者は非発光体という説を思いついて逃げを打ったのだろうが、ここで類推は突如として破綻したわけだ。しかし、その中心の恒星が非発光体であると是認しても、その周囲の四方八方で燃えさかる無数の明るい太陽の群れによって、それが目に見えるようにならない理由を彼はどうやって説明したのだろうか? 彼が最後に主張したことは、つまるところ、それが周囲をめぐるすべての天体の重力の中心であるにすぎないということだが――ここでまた類推は行き詰まらざるをえなかったのだ。なるほど、わが太陽系は共通の重力の中心の周囲をめぐっている。だが、太陽系がそれを中心にまわっているのは、それを除く他の太陽系のすべての天体の全重量に見合う以上の重量をもつ実質的な一つの太陽との関連において、またその作用の結果としてのことなのである。数学的な円は無数の直線からなる曲線であるが、この円の観念は――あらゆる地上の幾何学との関連おいて、われわれはそれを実際とは矛盾する単なる数学的観念であるとみなしているけれども――わが太陽系が銀河の一点を中心に回転していると考え、すくなくとも空想のなかでそういう巨大な円を想定しなければならぬとき、それに関してわれわれが抱いてしかるべき唯一の実用的《ヽヽヽ》概念である。活気あふれる想像力の持ち主に、このまことに把握しがたい円運動を理解させようとすこしでもこころみてみたまえ! この想像を絶した円周上を|永遠に《ヽヽヽ》走る一条の稲妻は|永遠に《ヽヽヽ》一直線に走ることになると言っても、ほとんど詭弁を弄していることにはならないだろう。そのような円周上にあるわが太陽の軌道が――したがってまた、そのような軌道上のわが太陽系の運動方向が――百万年のうちに、たった一度にせよ、直線からはずれるのを人間が知覚しうるという主張はとうてい受け入れがたいのである。しかるに古代の天文学者たちは、どうやら完全にたぶらかされたとみえ、彼らの短い天文学上の歴史の期間に――ほんの一瞬といった期間に――二、三年というまったく無にひとしい期間に――決定的なずれが生じたと信じこんでしまったのだ! こういう考察から、彼らがただちに事の真相に――つまり太陽とヴェガ星が共通の重力を中心にして連星運動をしているということに――気づかなかったとは、なんと信じがたいことであろうか!
四月七日。昨夜も天体観測のたのしみがつづいた。海王星の近辺に五つの小惑星が美しく見えた。また月のダフニス〔当時、ジョン・ハーシェルが彼の望遠鏡で月に神殿に似た構造物を発見したという記録がある。なおローマ神話では、月の女神ダイアナは羊飼いダフニスの守護神である〕の新しい神殿の二対の|まぐさ石《ヽヽヽヽ》に迫持《せりもち》をのせる作業を興味深く観察した。月の住人のようにたいへん小さく、人間とはほとんど似ていない生物が、われわれよりもはるかにすぐれた技術的能力を有していると思うとたのしくなった。この連中がかくも容易に扱っている巨大な物体が、われわれの理性が実際にそうだと考えるほど軽いとは、とうてい思えないのだ。
四月八日。|でかした《ユリイカ》! パンディットは得意の絶頂にある。カナドーから来た気球がきょうわれわれと交信し、最近の新聞を数種類われわれの船に投げこんでくれた。その新聞にはカナドー人というよりはアムリカ人の古代に関するきわめて興味ある記事がのっていた。君も承知のことと思うが、皇帝の遊園地のなかでも随一のパラダイス〔パラダイスはもともと「囲われた庭」の意味。この場合はマンハッタン島のこと〕に新しい噴水をつくる場所を整地するために、ここ数ヵ月にわたって人夫がやとわれている。パラダイスは|文字通り《ヽヽヽヽ》、太古の昔から島であったらしい――つまり、その北の境界はずっと(記録にあるかぎり)小さな川、というよりむしろ狭い海の入江だった。この入江はしだいに広くなり、ついに現在の幅――つまり一マイルになった。島の全長は九マイル、幅は場所によってかなりちがう。この全域に(とパンディットは言う)八百年ほどまえには、家がぎっしり詰っていて、なかには二十階建のものもあった。この地域では、土地が(どういうわけだか)とくに貴重なものと考えられていたからだ。ところが二〇五〇年の大地震がこの町(というのは村というには大きすぎるからだが)を根こそぎに破壊してしまったので、われわれの考古学者のうちでもっとも熱心な者でさえもその原住民の風俗、習慣などについて理論めいたものをつくりあげられるほど充分なデータを(貨幣とか、勲章とか、碑文とかいった形で)その町跡から手に入れることができなかった。この原住民に関してこれまでにわれわれが知りえたことといえば、彼らが、金羊毛勲爵士のレコーダー・ライカー〔金羊毛勲章は神聖ローマ帝国の最高勲章だが、"fleece" には英語の俗語に「巻き上げる、くすねる」の意味がある。当時、ニューヨークの政治家にリチャード・ライカーなる汚職で金をもうけた政治家がいた。ポオはこの政治家が民衆から「黄金」をくすねたことを当てこすっているのだろう〕がこの大陸を最初に発見したときにはびこっていたニッカーボカー族〔ワシントン・アーヴィングの滑稽文学から、ニッカーボカーとは、もともとニューヨークがニューアムステルダムと呼ばれていた時代のオランダ移民のことであるが、のちにニューヨーカーを指す代名詞になった〕という野蛮人の一部族だったということぐらいだ。しかし、彼らはまったく文明化していなかったわけではなく、さまざまな芸術や科学さえ、彼らの流儀で発達させていた。彼らは多くの点で明敏であったが、古代アムリカ語で「教会《チャーチ》」と称するものを建造するのに偏執狂的に熱中したといわれる――その「教会」というのは「富」と「流行」という名で一般に知られていた二つの偶像を崇拝するために建立された一種の塔のこと。一説によれば、最後にはその島の十分の九が教会になってしまったという。それに女たちは腰のすこし下のところが自然に出っぱってきて妙な奇形になったらしいのだが――まことに奇怪千万なことに、この奇形が美しいものとみなされたらしい。こういう女たちの写真が奇跡的に一、二枚残っている。彼女らはまことに、|まことに《ヽヽヽヽ》奇妙にみえる――まるで七面鳥と|ひとこぶらくだ《ヽヽヽヽヽヽヽ》のあいのこだ。
さて、古代ニッカーボカー族についてわれわれに伝わっているのは、以上のような断片的なことぐらいだが、ところで、皇帝の庭園(君も知ってのように、それは全島にまたがる)の中央を掘りすすむうち、人夫たちは、重さ数百ポンド、立方体で、明らかに鑿《のみ》を加えたあとがある大理石を掘り当てたらしい。その保存状態はよく、それを地中に埋没させた地震によっても、ほとんど損傷を受けなかったものとみえる。その一面は大理石の板になっていて、そこには(驚くなかれ!)碑文《ヽヽ》が――|読みとれる碑文《ヽヽヽヽヽヽヽ》が刻まれていたのだ。パンディットは有頂天だ。石板をはずすと、空洞になっており、そこにはさまざまな貨幣、名前をしるした長い巻き物、新聞に似たいくつかの文書、考古学者にとって興味深いその他いろいろのものが詰った鉛の箱が入っていたのだ! これらがみなニッカーボカーと呼ばれた種族が属していたアムリカ人の正真正銘の遺物であることに疑問の余地はない。われわれの気球の船に投げこまれた新聞には、そういう貨幣、原稿、印刷物のファクシミリがいっぱいのっている。君のおたのしみのため、大理石の板に刻まれたニッカーボカー族の碑文を写しておこう。
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この記念碑の礎石は ジョージ・ワシントンを記念すべく ニューヨーク市ワシントン記念協会の後援を得て コーンウォリス卿が 西暦一七八一年に ヨークタウンにてワシントン将軍に降服した記念日に当たる 一八四七年十月十九日 適切なる儀式を取り行ない 据えつけられたものである〔一八四〇年代にワシントン記念協会はこの初代大統領の記念碑を建てる計画をたて、資金集めをし、にぎにぎしく着工式をもよおし、礎まで据えたが、記念碑そのもののデザインについての意見がわかれ、ついに未完成におわった〕
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これはパンディットがみずから逐語訳したのをそのまま引き写したものであるから、間違いは|ありえない《ヽヽヽヽヽ》。このようにして後世に伝えられることになったわずかばかりの言葉から、われわれはいくつかの重要な知識を抽き出せるわけだが、そのうちでもすくなからず興味をそそるのは、すでに千年もまえに――まことに妥当なことであるが――|実際に《ヽヽヽ》記念碑を建てる習慣はすたれ、現在のわれわれと同様に、人びとは将来いつか記念碑を建てるという意図を示すだけで満足していたという事実である。かくして礎石だけが「孤独に、ただひとり」(偉大なアムリカの詩人ベントンからの引用を許したまえ!)、その寛仁なる意図《ヽヽ》を保証するものとして、丁重に据えつけられたのである。さらにまた、このみごとな碑文から、くだんの大降服なるものの場所と内容のみならず、それがどのように行なわれたかについても、きわめて明確に知ることができるのである。場所《ヽヽ》、それは(どこにあるかはともかく)ヨークタウンというところで、内容《ヽヽ》、それはコーンウォリス将軍(おそらく富裕な穀物《コーン》商人ならん)である。彼《ヽ》が降服したのである。この碑文は――どういうわけだか――「コーンウォリス卿」の降服を記念しているのだ。残る唯一の疑問は、野蛮人たちは何のために彼を降服させようとしたか、である。が、この野蛮人たちがあきらかに人食い人種だったことを勘案するとき、彼らはコーンウォリスをソーセージにするつもりだったという結論に到達する。|どうやって《ヽヽヽヽヽ》そうされたかについては、次の言葉ほどはっきり物語るものはない。コーンウォリス卿は「ワシントン記念協会の後援を得て」(ソーセージに)されたのである――この「協会」は礎石を分配する慈善団体であるにちがいない。だが、いやはや! これはどうしたというのだ? ああ、わかった――気球が爆発したのだ。だから、われわれはやがて海に墜落するだろう。したがって、あまり時間がないので、新聞のファクシミリをざっと見たところ、当時のアムリカ人で偉《ヽ》かったのは、ジョンという鍛冶屋《スミス》とザッカリーという仕立屋《テイラー》〔十七世紀の初頭にヴァージニア州を開拓し、インディアンの酋長の娘ポカホンタスに救われたというジョン・スミスと、ポオがこの作品を書いたころの大統領ザッカリー・テイラー〕だったとわかったとだけ言っておく。
さようなら、また逢う日まで。君がこの手紙を受け取るか取らぬかは、さして重要なことではない。自分のなぐさめのためにだけ書いたのだから。しかしながら、この原稿をびんに詰めて栓をし、海に投ずるとする。
永遠に君のものなる
パンディッタ
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瓶から出た手記
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余命いくばくもない者に、嘘をつくことなどなにもない。
――キノー『アティス』
〔フィリップ・キノー(一六三五〜八八)はフランスの劇作家で、『アティス』はオペラ台本〕
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わたしの故国と家族については語ることはほとんどない。虐待と歳月の経過がわたしを故国から遠ざけ、家族からは疎遠にした。遺産のおかげで、わたしは人並み以上の教育を受けることができ、生まれつき思索的なたちだったので、若いころ熱心に蓄積した知識を体系化することができた。なかでもドイツ倫理家たちの著作がわたしを魅了したが、それというのも、彼らの雄弁な狂気の沙汰にあやまった賛嘆の念をいだいたからではなく、わたしの厳密な思考法によって、彼らの欺瞞性がいともたやすく見破れたからだった。
しばしばわたしは、その天性が無味乾燥だと非難され、想像力の欠如こそが罪悪だと責められ、考え方がピュロンのように懐疑的であったため評判はいつもかんばしくなかった〔ピュロンは極端な懐疑主義者で、ギリシャ懐疑学派の祖〕。思うに、物理学に対する過度の愛着心のために、わたしは現代にいちじるしく共通する誤謬に染っていたのかもしれない――つまり、あらゆることを、それにもっともふさわしくないものまでも、物理学の諸原理で説明するという誤謬に。要するに、わたしほど迷信の鬼火《イグネス・ファトウイ》によって厳格な真理の領域から誘い出されるおそれのすくない者はなかったのである。このような前口上をのべておくのが妥当と考えたのは、これから物語る信じがたい話が、夢想などは死語にも無にもひとしいと信じてきた者が実地に体験したことがらであって、おそまつな想像力の産物だなどと思われてはかなわないからである。
なが年にわたる外国旅行のすえ、一八――年、わたしは産物にも人口にもめぐまれたジャワ島のバタヴィア港からスンダ列島への船旅に出た。わたしは船客として行ったのである――悪鬼のようにわたしにとりついた一種の神経のいらだち以外に、これといった誘因はなかったのだが。
わたしたちが乗ったのはボンベイで建造された四百トンばかりの美しい帆船で、底は銅板で張られ、船体はチーク材でできていた。船はラカダイヴ諸島〔インド南西海岸、アラビア海の群島で、さんご礁がある〕で入手した綿花と油を積んでいた。そのほかヤシの繊維、粗糖、水牛のバター、ココナッツの実、それに数箱のアヘンが積荷だった。しかし荷の積み方がまずかったので、船はいくらか不安定だった。
あるかなしかの微風で出帆したので、船はいく日たってもジャワの東海岸をはなれることができず、この航海の退屈をまぎらわしてくれるものといっては、時おり、わたしたちがめざす列島からやってくる小さな帆船に出会うことぐらいだった。
ある日の夕暮れ、船尾の手すりに寄りかかっていると、きわめて異様な一片の雲が、北西の空にぽつりと浮かんでいるのに気づいた。それが私の注意をひいたのは、バタヴィアを出港して最初に目撃したものだったからばかりでなく、その色が奇妙だったからでもあった。日が沈むまで、わたしはその浮き雲をじっと眺めていたが、日が沈んだとたん、それはたちまち東西にひろがり、幅せまい水蒸気の帯となって水平線を取りかこみ、まるで低い浜辺の長い線のように見えた。それからまもなく、わたしは赤黒い色の月が出たこと、それに海のただならぬ様子に気づいた。
海は急激に変化しはじめ、水は異常にすきとおってきた。海底がはっきり見えたのに、測鉛を下ろしてみると、船は十五|尋《ひろ》の海上に浮かんでいることがわかった。あたりの空気はたえがたいほど熱くなり、まるで灼熱の鉄からとぐろを巻いて立ちのぼる湯気のようだった。夜になると吐息ほどの風も死に絶え、これほどの凪《なぎ》は考えられなかった。船尾楼のロウソクの焔はすこしのゆらぎもみせずに燃え、指にはさんだ一本の長い髪の毛は微動だにせず垂れさがった。だが船長はいかなる危険のきざしもないと言い、船体が岸めがけてただよいはじめると、帆をたたみ、錨を下ろすように命じるだけだった。見張りも立てず、ほとんどマレー人からなる船員たちは悠然と甲板に寝そべった。わたしは船室に降りた――なんとなく悪い予感に胸さわぎしながら。
たしかに、あらゆるきざしは熱疾風《シムーン》の発生を予告していた。わたしは船長に自分の危惧の念を告げてみたが、船長はわたしの言うことなどには耳もかさず、返事もせずに立ち去った。しかし、わたしは不安のために寝つかれない。そこで真夜中ごろ、甲板に出た。甲板昇降口の階段の最上段に足をかけたとたん、水車が急回転するときに出すような、大きなうなるような音がして、わたしはぎくりとしたが、その意味がわからぬうちに、船全体が中心部にいたるまで震動しているのに気づいた。次の瞬間、泡立つ怒涛が襲いかかって船を横だおしにし、大波は前後から船におおいかぶさり、船首から船尾にかけて甲板をきれいに洗い流した。
波涛がなみはずれて強烈だったことが、かえって船を救うことになった。完全に水浸しになりながらも、マストがことごとくもぎ取られてしまったので、しばらくすると船は重々しく海中から浮かび上り、嵐の強烈な圧力に抗して一瞬身ぶるいしてから、正常な姿勢に立ちなおった。
いかなる奇跡によってわたしが死を免かれたのか、それを語ることは不可能だ。波の衝撃で気を失ない、気づいたときには、船尾材と舵とのあいだにはさまれていた。やっと足掛りをみつけ、目まいを覚えながらも周囲を見わたすと、船は大波に取り巻かれていることがわかり、まずそれに愕然とした。山なし泡立つ海の大渦の最中《もなか》に船が呑みこまれていることに気づいたときの恐しさは、どんなに奔放な想像力をもってしても想像できない。しばらくすると、出港まぎわに乗船してきた老スウェーデン人の声がきこえてきた。声をふりしぼってその名を呼ぶと、老スウェーデン人はよろめきながらも船尾からすぐさまやってきた。ただちにわかったことは、生き残りはわたしたちだけだということ。この二人をのぞき、甲板にいた者はみな波にさらわれたのだ。船長と航海士たちは、船室が浸水したため、睡眠中に死んだにちがいなかった。手助けがなければ、わたしたち二人だけでは、船の安全を確保することはほとんど期待できなかったし、最初のうちは、いまにも沈没するのではないかという恐怖心で二人とも手足から力が抜けて、なす術《すべ》を知らなかった。船の錨索《いかりづな》は、もちろん、疾風の最初の一撃で、まるで細紐のように切れてしまい、さもなければ、船は一瞬のうちに転覆していたことだろう。船は風に追われて猛烈なスピードで海をかすめて走り、波しぶきはわれわれの頭上を飛びこえていった。船尾の構造はひどく破損し、その他のあらゆる部分で船はかなりの損傷を受けていたが、幸運なことに、排水ポンプはこわれておらず、積荷もそれほどひどく動いてはいなかった。暴風のやまはすでに去り、風による危険はさほど心配するにおよばなかった。しかし風が完全に吹きやむときのことを思うと、わたしたちは慄然とした。あとにつづく大きなうねりで、この難破船の沈没は避けがたい必然に思えたからだ。しかし、この正当な危惧がそれほどすぐに実証されるようすはなかった。というのは、五日五晩というもの――その間、わたしたちは船首楼から命がけで取ってきた粗糖だけで食いつないでいたが――突風は次から次へととだえることなく吹きつけ、それは最初の熱疾風の強烈さとは較べものにはならなかったけれども、それでも、わたしがそれまでに出会ったいかなる暴風よりも強烈なもので、その疾風に追われて、船はとうてい測定不可能な速度で飛ぶように走っていたからだった。
最初の四日間の船の進路は、多少のぶれはあったものの、南東南で、ニュー・ホーランド〔いまのオーストラリア〕沿岸ぞいに走っていたものと思われる。五日目になると、風は一度ほど北にまわったにもかかわらず、寒さはにわかにきびしくなった。太陽は陰気な黄色い光をおびて昇りながらも、水平線から数度以上は高く昇らず――光らしい光も放たない。雲は見当らないのに、風は勢いをます気配があり、しかも発作的に、気まぐれに吹きすさんだ。わたしたちに推定しうるかぎりのことだが、正午ごろ、わたしたちはまた太陽のようすに注意をうばわれた。その太陽は正当に光とよべるような光はいっさい放たず、そのすべての光線は偏光作用を受けているかのように内にこもり、光芒を放つこともなく、にぶく陰気にかがやくだけだった。荒れすさぶ海に沈む直前、その中心部の火は、何か説明しがたい力によってでもあるかのように、突如として消え、底知れぬ海に沈んでいったのは、にぶくかがやく、銀色の輪のみであった。
わたしたちは六日目の朝の到来を待ちわびた――が、その朝はいまだにわたしに訪れず、スウェーデン人にはついに訪れることはなかった。それからというもの、わたしたちは漆黒の闇につつまれたままで、船から二十歩先きの物体さえ見きわめかねた。わたしたちは永遠の夜にくるまれ、熱帯の海がよくそうであるように、海は燐光を発して闇をやわらげることもなかった。嵐はおとろえることなく吹きすさびながらも、これまで船を取りまいていた波も、飛沫も、もはや目には見えないのであった。船のまわりにあるのは、ただ恐怖と、深い憂鬱と、湿潤な暗黒の荒涼だけだった。
迷信じみた恐怖心がじわじわと老スウェーデン人の心にしのびこみ、わたし自身の魂は言葉にもならぬ驚嘆の念につつまれていた。わたしたちは船の手入れなど無益どころか有害であるときめこみ、後檣《ミゼンマスト》の折れた株に、できるかぎり身の安全をはかりながら腰をおろし、暗澹たるここちで海の世界に目をこらした。時間を測定する手段も、船の位置を推定するよすがもなかった。しかしわたしたちは、これまでのいかなる航海者たちより南下していることをよく承知していたので、ふつうなら行く手をはばむはずの氷塊に出くわさないのを大いに怪しんだ。その間にも、わたしたちは一瞬ごとに最後の危機を味わっていた――山なす波の一つ一つが船を呑みこむいきおいで迫ってきた。波の大きさはわたしの想像力をはるかにこえており、一瞬のうちに船が波に呑みこまれないことこそ奇跡だった。
わたしのあいぼうは積荷が軽いことについて語り、船のつくりが優秀であることをわたしに思い出させようとしたけれども、わたしとしては、希望をいだくことじたいが絶望的であると感じないわけにいかず、重苦しいここちで死を待ちかまえた。船が一|海里《ノット》すすむごとに、漆黒の驚嘆すべき波の高まりは、なおいっそう恐るべき様相を呈して、その死を一刻たりとも猶予しうるものは何もないと思わざるをえなかった。わたしたちは、時には|あほうどり《アルバトロス》より高く打ち上げられてあえぎ――時には、空気が重くよどみ、海の妖怪クラッケン〔北欧の神話で、海にすむ最大の怪物〕の眠りをさます物音ひとつ聞こえない水地獄の底へ落下する速度のすさまじさに目まいした。
こういう奈落のひとつに船が落ちこんだときのこと、わたしの仲間のおびえきった叫びが闇夜のしじまをつんざいた。「見ろ! 見ろ!」と彼はわたしの耳もとで叫んだ。「おお神よ! 見ろ! 見ろ!」その叫びにうながされて注意してみると、わたしたちの船がたたずむ巨大な波の谷間の側壁をにぶく無気味な赤い光が滑り落ちてき、それがわたしたちの船の甲板にちらちらと光を投げかけているのに気づいた。目をあげて目撃したその光景に、わたしの血はこごえた。われわれの頭上のおそるべき高みの、水の絶壁が切りたつふちに、およそ四千トンはあろうと思える巨船がただよっているではないか。その巨船じたいの高さの百倍以上もある波の頂上に打ちあげられているとはいえ、その船の大きさは、現存するいかなる軍艦、東インド航路に就航中のいかなる定期船よりも巨大にみえた。その船体は濃い墨色《すみいろ》で、ふつうの船には見られるような彫り飾りなどはいっさいなかった。開かれた砲門からは真鍮製の大砲が一列に砲口をのぞかせ、索条からぶらさがってゆれ動く無数の角灯《ランタン》の光が、その磨きあげられた表面に反射していた。しかし、なによりもわたしたちをおびえさせ、驚かせたのは、この尋常ならざる海の牙の、まさにその頂上で、兇暴な疾風をまともに帆に受けて、なおもそれに拮抗《きっこう》していることだった。その船を最初に見たとき、船は反対側の暗く、おそろしい波の奈落からゆっくりと上昇してきたところで、見えたのは船首だけだった。その緊迫した恐怖の一瞬、その船はおのれの荘厳さをたしかめるかのように、目くるめく波の絶頂にしばしたたずみ、身ぶるいし、ゆらめき、そして――落下してきたのだ。
この瞬間に、なぜわたしの精神に平静さがおとずれたのか、それはわからない。よろめきながらも、わたしはできるだけ船尾のほうに歩いてゆき、やがて襲う破滅をおびえることなく待ちかまえた。いまや、わたしたちの船もついに抵抗するのをやめ、船首から海に沈みつつあったのだ。そのために、わたしたちの船は、落下してきた巨船の衝撃をすでに海中に没した部分で受けとめ、その必然の結果として、わたしは抗しがたい力で宙に投げ上げられ、相手の船の索具のうえに落下したのだった。
わたしが落下したとき、その船は上手回《うわてま》わしにして、船首をめぐらせるところだった。船員たちに気づかれずにすんだのは、彼らが操船にいそがしかったせいだと考えた。わたしは、誰にも気づかれず、難なく主昇降口《メイン・ハッチウエイ》で歩いてゆき、それがなかば開いていたので、すぐにそこから船倉にもぐりこんだ。なぜそうしたのか、わたしにもよくわからない。おそらく、はじめて船員たちを見たときにわたしの心をとらえた、あの言いようのない恐怖感が、身をかくした主要な動機だったろう。最初の一瞥で、あれほど正体不明な異和感、疑念、恐怖をかきたてた連中に、とても身をゆだねる気になれなかったのだ。だから、わたしは船倉にかくれ場所をつくるのがよかろうと判断し、荷止め板をすこしずらし、船の巨大な肋材のあいだに、うまく身をかくす場所をこしらえた。
この作業がおわるかおわらぬかに、船倉に足音がしたので、さっそく、そこを利用せざるをえなくなった。わたしが身をひそめている場所のすぐそばを、一人の男が弱々しく、こころもとない足取りでとおりすぎた。顔は見られなかったが、その全体の風貌を見る機会はあった。その容姿には、どこか老齢と衰弱の気配があった。その足は歳月の重みによろけ、その全身もまた、その重みにたえかねるように小刻みにふるえていた。低く途切れがちな声で、男はなにやらつぶやいたが、その言葉はわたしには理解できなかった。彼は船倉の片すみにあった奇妙な機具や古びてぼろぼろになった海図などの山のあいだを手さぐりで歩きまわった。その物腰には、第二の幼児期の気むずかしさと、一種神のごとき荘重な威厳とが奇妙にないまじっていた。やがて男は甲板にもどり、わたしは二度とふたたびこの男を見かけることはなかった。
なんとも名状しがたい気分がわたしの魂をとらえていた――この感情は、いかなる分析もゆるさず、過去のいかなる事例に照らしても説明できず、おそらく来世にあっても解決の鍵を手にすることはあるまい。わたしのような精神構造の者にとって、解決不能とは悪にほかならない。そういう自分の想念の性質について、わたしは絶対に――どうあろうと絶対に――満足のゆく解答はえられないことはわかっている。にもかかわらず、そういう想念がまったく新しい源泉に由来するがゆえに茫漠としていることは、すばらしいことでなくはなかった。新しい知覚――新しい本質が、わたしの魂に加えられたのである。
この恐るべき船の甲板にはじめて足を踏みいれてから、すでにかなりの時がたち、思うに、わが運命の諸光線はひとつところに焦点を合わせつつあった。なんと不可解な人間どもであることか! わたしなどには見当もつきかねるたぐいの瞑想につつまれて、こちらの存在などには気づきもせずに行きすぎる。身をかくすことなど愚の骨頂だ――|彼らは見ようともしない《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》のだから。いましがたも、航海士の目前を横ぎってきた。さほど以前のことではないが、船長の個室にしのびこみ、そこから筆記用具を失敬してきて、いまこれを書いているのだし、これまでも書いてきた。折りにふれ、わたしはこの手記を書きつづけるつもりだ。なるほど、それを人間世界に送りとどける機会にめぐまれないかもしれない。だが、そうする努力はおこたらないつもりだ。もはやこれまでという瞬間に、わたしはこの手記を瓶につめ、海に投げこむつもりである。
あらたに想をめぐらすに価する事件がおきた。ああいうことが、たんなる偶然の仕業でありえようか? わたしは甲板に出てゆき、誰に見とがめられることもなく、救命艇の下の索具や古い帆布が山積みになっているところに身をおいた。おのれの数奇な運命に思いをはせながら、わたしはさりげなくタール刷毛《はけ》を手にして、近くの樽にきちんとたたんでおいてあった補助帆の側面にタールを塗りたくった。その補助帆はいまや船上に張られているが、わたしが無意識に塗りたくった刷毛のあとがDISCOVERY(発見)という文字を、えがきだしているのだった。
先ほどから、わたしはこの船の構造について考えている。充分に武装されているとはいえ、思うに、これは軍艦ではない。その艤装、船体、その他の一般的な装備など、ことごとくこれが軍艦であることを否定している。だが、この船が|何々でない《ヽヽヽヽヽ》ことは容易にわかるが、|何々である《ヽヽヽヽヽ》とは言いかねるのだ。その奇妙な船型や異様な帆げたの作り、船の巨大さや古色蒼然たる帆布、そのまことに飾りけのない船首や古風な船尾などを仔細に吟味していると、時おり、いつか見たことがあるといった感じがふとわたしの頭をよぎり、そしていつも、そのようなぼんやりした追憶の影のようなものが、なにか古い外国の年代記か遠い過去の時代についての説明しがたい記憶とないまぜになるのだった。
わたしはこの船の木材をさっきからじっと見ている。船はわたしの知らない素材でできている。その木材には、およそこのような目的に用いられるのにふさわしくないと思える特異な性質がある。つまり、あまたの海を航海してきた結果として虫食い状態になり、長い歳月のせいで腐蝕していることを別にしても、なお、その木材は極端に多孔質《ヽヽヽ》なのである。あまりにも奇想天外な考えだと思われるかも知れないが、スペイン樫《がし》がなんらかの自然力によってふくらまされることがありうるとして、これはあらゆる点でスペイン樫の特質をそなえているのである。
上記の文章を読みなおして、わたしは風雨に打たれて年をかさねたオランダ船員が語った奇怪な警句をはっきり思い出した。この老水夫は自分の言うことに疑いがはさまれると、きまって「船そのものが生きている船乗りのからださながらに大きくなる海があるのと同様に、それはたしかだ」と言うのだった。
一時間ほどまえ、わたしはあえて船員たちのあいだに身をさらしてみた。彼らはわたしにいかなる注意もはらわず、彼らのまんまんなかにいたにもかかわらず、わたしの存在をまったく意識していないようだった。船倉で最初に見かけた男と同じように、彼らはみな老齢の気配をおびていた。そのひざは力なく小刻みにふるえ、その背は老衰のせいで二重に折れまがり、そのたるんだ皮膚は風にはためき、その声は低く、ふるえをおび、途切れがちだった。彼らの目は老齢の涙にうるみ、灰色の髪の毛は強風にすさまじくなびいていた。彼らのまわり、甲板のいたるところには、きわめて奇妙で旧式な構造の計算機具が散乱していた……。
すこしまえに、補助帆が張られたことについてのべた。そのころから、船はすっかり風向きからはずれて、マスト最上端の木冠から補助帆の円材《ブーム》にいたるまでの、すべての帆に風をはらませ、横揺れするごとに、トガンマストの帆げたの先端を想像がおよぶかぎりすさまじい水地獄にひたしながら、おそるべき速度でなおも真南に走りつづけた。船員たちはべつに不便を感じていないようだったが、わたしはとても甲板に立っていることができなかったので、甲板から降りてきたばかりだ。この巨船が一瞬のうちに永遠の海に呑みこまれてしまわないことこそ、わたしには奇跡中の奇跡に思える。この船は、ついに深淵に没入することなく、永劫の周縁をいつまでもさまよいつづける定めであるにちがいない。わたしがこれまでに目撃したいかなる波よりも千倍も雄大な大波から、船は矢のように飛ぶカモメのように身軽にすべり抜けてゆくのだ。まるで深海の妖怪のように、巨大な波は高々とその頭をもたげるのだが、妖怪どもは威嚇するだけで、危害を加えるのを禁じられているかのようだ。これほどしばしば破滅を免れてきた理由の説明としては、たった一つの自然現象しか考えられない。船は強力な海流、あるいは激しい暗流に乗っているとしか考えられない。
わたしは船長と顔をつき合わせたことがある、しかも彼自身の船室で――しかし、予想どおり、彼はわたしになんの注意もはらわなかった。無関心な観察者なら、この船長の風貌に、彼が人間以上でも人間以下でもないことを示すようなものは何も見出さなかったろうが、わたしが彼を眺めたとき、驚嘆の念のないまじった畏敬の念をおぼえないわけにはいかなかった。その背丈は、ほぼわたしと同じで、五フィート八インチほど。よく引き締った筋肉質の体格で、頑健というのでもなかったが、極端にその反対でもなかった。その顔に浮かぶ奇妙な表情――その無類に極端な老齢をしのばせる、強烈で、驚異的で、戦慄的な証拠――がわたしの精神に、ある種の消しがたい印象、ないし感情をかきたてた。そのひたいにはほとんど皺がないのに、一万年もの歳月を刻んでいるようにみえた。その灰色の髪は過去の記録であり、もっと灰色をした目は未来への証言であった。その船室の床には、奇妙な、鉄条で綴じられた|二つ折り判《フォリオ》の書物、朽ちかけた科学器具、時代遅れになり、永らく世間から忘れ去られている海図などが、ところせましと散乱していた。彼は両手で頭をかかえるようにしてかがみこみ、命令書とおぼしきものを、鋭い、不安げな目つきで読みふけっていたが、ともかく、その文書にはどこかの君主の署名があった。船倉で最初に出会った男がそうであったように――船長は低く、いらだたしげな外国語でつぶやいていた。語り手は袖が触れんばかりの近くにいたのに、その声は一マイルもの遠くから聞こえてくるようだった。
船と船にあるすべてのものには「老齢」の気がしみこんでいた。船員たちは幾世紀もまえに葬られた者たちの亡霊のようにしのび歩いた。その目はひたむきで不穏な意味を秘めていた。こういう亡霊たちの姿がカンテラの妖しい光に照らされて横切るのを見ると、これまでずっと古いものを扱ってきて、自分の魂そのものが廃墟になるほどまでにバールベックやタドモアやペルセポリスのくずれ落ちた石柱の妖気を吸ってきたにもかかわらず、いまだに覚えたことがないような異様な感じにとらわれるのだった。
いま、あたりを見まわすと、あれしきのことに恐怖を覚えた自分を恥しくさえ思う。これまで船につきまとった嵐に恐れおののいたとすれば、大旋風《トルネード》とか熱疾風《シムーン》とかいう言葉でその概念を伝えようにも伝えきれず、無益でしかないところの、いま展開している風と海との争いに、わたしは茫然自失となってしかるべきではなかろうか? 船のすぐ近くには、永遠の夜の暗黒と泡立つさまも見えぬ海の混沌があるばかりなのに、船の両舷から三マイルほどのところには、おぼろに、また時おり、壮大な氷の城壁が、あたかも世界の果ての壁のように、荒涼たる空にそそり立つのが見られるのである。
想像したとおり、船が海流に乗っていることはあきらかになった――もしこのような潮の流れをそう呼んでよいとすればだが。この潮流は、白い氷塊のそばを唸り叫びながら、急転直下する滝さながらの速度で、雷鳴をとどろかせて南へと流れてゆく。
わたしのこの恐怖感を理解していただくことは、まず、とうてい不可能だが、しかし、この恐しい海域の秘密をさぐりたいとする好奇心がわたしの絶望感に打ちかち、そのためになら悲惨きわまる死に方さえいとわぬ気になってくるのだ。われわれは、なんらかの心ゆるがす知識――そこへ到達することは破滅にほかならないがゆえに絶対に伝達が不可能な秘密にむかって急ぎすすみつつあることはたしかだった。この海流は、おそらく、南極そのものにこの船を運ぶことだろう。一見途方もない、こういう仮説を支持する蓋然性がいくらもあることも言いそえておかねばなるまい。
船員たちはそわそわと、ふるえる足取りで甲板を歩いているが、彼らの顔や表情には、絶望からくる無力感より、むしろ希望の熱気のほうが多くみとめられる。
その間にも、風はなおも船尾のほうから吹きつけ、船はすべての帆を張っていたので、時として船体もろとも海面から飛びあがるのだった! ああ恐怖、また恐怖――氷塊は、突如として、右に左に姿をあらわし、船は巨大な同心円をえがきつつ、その頂上が遠く闇間に消える壮大な円形劇場の周辺をめまぐるしく旋回している。しかし、もはやおのれの運命について考えているいとまなど、ほとんどない! 旋回の輪は小さくなる――船は大渦の中心に狂ったように突進しつつある――唸り、咆え、とどろく海と嵐のなかで船はふるえる――おお、神よ――落ちてゆく!
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この「瓶から出た手記」はもともと一八三一年に発表されたものであるが、わたしがメルカトルの地図について知ったのは、それからずっとあとになってからである。その地図によれば、海は四つの穴から(北)極湾に流れこみ、地球の内臓に吸収されることになっており、極地そのものは、おどろくべき高みにまでそびえ立つ一つの黒い岩からなっているように表示されている
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〔「瓶から出た手記」は一八三三年に『ボルチモア・サタデー・ヴィジター』誌の懸賞に当選し、ポオに五十ドルの賞金をもたらし、作家としての道をひらいた作品で、「一八三一年に発表された」とはポオの誤記。
なお、当時はまだ南極・北極のようすはよく知られておらず、W・G・シムズの『地球の内部が空洞かつ居住可能にして、両極において大きく開いていることを証明する、同中心の球体に関するシムズの学説』(一八一八)がかなりひろく信じられていた。
メルカトル(一五一二〜九四)はオランダの地理学者で、メルカトル図法の創始者。赤道をとりまく円筒面上に地球の中心から経緯度線を投影するのが、その地図描法。この図法によると、経線と緯線がそれぞれ平行で、たがいに直交し、図上の各点における方位はつねに正しく示され、航海図に利用された。メルカトルが最初に発表した投影図には、北極は高くそびえる黒い岩塊として描かれていた〕
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大渦への落下
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自然における神のみわざは、摂理におけるごとく、人間わざとは異なる。人間がまねて創るものは、その雄大さ、深遠さ、不可解さにおいて、神の創造物には比すべくもない。神の作品はデモクリトスの井戸よりもなお深いのである。
――ジョーゼフ・グランヴィル
〔ジョーゼフ・グランヴィル『哲学と宗教における若干の重要な問題について』(一六七六)からの引用。「デモクリトスの井戸」とは、デモクリトスが「真理は深い井戸にあり、それを汲みあげてくるのが理性の役割だ」といったという故事にかかわる〕
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どうやらわれわれは、このあたりでいちばん高くそびえる崖の頂上にたどりついた。老人は疲れきってか、しばらくは口もきけぬありさま。
「すこしまえなら」と老人はようやく口を開いた。「末の息子に負けぬくらい、こんな道なんからくらくと案内してこられたんだが、ところが三年ほどまえ、どんな人間も出くわしたことがないような――いや、すくなくとも、どんな人間も生き残ってそんな話をすることができそうにない――そんな目に会いましてな、そのとき六時間にわたって味あわされた極度の恐怖のせいで、わたしは身も心もくたくたになってしまったわけです。あなたはわたしを|ひどい《ヽヽヽ》老人だと思っていらっしゃる――が、実際はそれほどの年ではないんです。真っ黒だった髪が白くなり、手足から力が抜け、神経がずたずたになり、おかげで、ちょっぴり力《りき》むだけでからだがふるえ、影にさえおびえるようになるのに、じつはたったの一日もかからなかったのです。こんな小さな崖から見おろすだけで、もう目まいがするんだからね」
この「小さな崖」のはじに老人はさりげなく身を伏せ、上半身を宙に乗り出し、そのすべすべした崖っぷちに片ひじを立て、それだけでどうやら墜落をまぬかれているといったありさまなのだが――この「小さな崖」は黒光りのする岩石からなり、さえぎるものなど、なにひとつない切り立つ絶壁で、そのふもとのごつごつした岩礁から千五、六百フィートもそそり立っている。なんといわれようと、わたしはその崖っぷちから数ヤード以内の範囲に近づく気にはなれなかった。
本当のところ、わたしは老人の危険きわまりない姿勢にすっかり度肝《どぎも》をぬかれて、地面にぴたりとはいつくばり、あたりの灌木にしがみつき、空さえ見上げる気になれなかった――そしてその間、吹きすきぶ強風のために、山が土台から崩れるのではないかという不安におそわれ、それを必死に払いのけようとするのだが、だめだった。どうやら自分を説きふせ、起きなおって遠方を眺める勇気が出てきたのは、かなりの時間がたってからだった。
「そんな妄想はやめてもらわなくては」とわが案内人は言った。「わざわざここへお連れしたのも、さきほどお話ししたような事件が起こった場所がいちばんよく見渡せるところにおさそいし――現場を眼下に見すえながら、話してさしあげようという趣向なのですから」
「わたしらがいまいる場所は」と老人は、彼一流のきちょうめんな語り口で言葉をつづけた。
「ノルウェー海岸のすぐそばで――北緯六十八度――広いノルラン州の――さびしいローフォーテン地方です。わたしらがいますわっているのはヘルセゲン、つまり雲の峰という山の頂上です。さあ、もうすこし背を伸ばして――目まいがするようだったら、草をつかんで――そう――そしたら、眼下にたなびく靄《もや》のむこうの海を見てください」
目まいをおぼえながらも見ると、広々とどこまでもひろがる大海原が見え、海の色は墨汁を流したようにあくまでも黒いので、わたしはただちにヌビアの地理学者が述べた「暗黒の海」のことを思い出したほどだ。これほどひどく荒涼とした眺めは、いかなる想像力をもってしても、思い浮べることはできまい。右手にも左手にも、目のとどくかぎり、海に突き出す崖の黒々とした線が、まるで世界をかこう城壁のようにどこまでも伸び、その陰惨の気は、崖に向かって白く不気味な波頭を高々と打ち上げ、休むことなく咆哮する寄せ波によって、いっそうその度を強めていた。ちょうどわたしたちが腰をおろしている岬の頂きの真向かい、沖合いおよそ五、六マイルのところに、小さいが荒涼たる眺めの島が見えた。あるいは、その小島を取り巻く寄せ波のさわぎによって、その位置が確認できた、と言ったほうが正確かもしれない。それより二マイルほど陸地寄りに、もっと小さい島があり、それはひどくごつごつとして不毛な感じで、黒い岩の群が不規則な間隔を置いて、その小島を取り巻いていた。
遠い方の島と岸とのあいだの海面には、なにかただならぬ気配があった。そのときは疾風が陸地に向けて強く吹きつけていたので、沖合いはるかの二本マストの帆船は縦帆《トライスル》を二重に縮帆し、船首を風上に立てて停船しようとしていたが、その船体はたえずすっぽりと波間に沈んで姿を消した。にもかかわらず、こちらの方にはうねりらしい波さえなく、ただ風上の方向からも、風下の方向からも――つまり、あらゆる方向から、小さく、せわしい波がはげしくせめぎ合っているだけ。泡にしても、岩のすぐ近くでわずかに認められるにすぎなかった。
「遠くの島は」と老人はまた語りはじめた。「ノルウェー人たちがヴルイと呼んでいる島です。中間のはモスコーエ島。一マイルほど北にあるのがアムボーレン島。むこうがイスレーセン、ホトールム、ヒエイルヘルム、スアルヴェン、それにブックホルムです。もっと遠く――モスコーエとヴルイのあいだにあるのが――オッテルホルム、フリーメン、サンドフレーセン、ストックホルムの諸島です。これらはみんな本物の地名ですが〔ポオも言っているように、すべて実在の島の名〕――どうして、こんな島にいちいち名前をつける必要があるのかということになると、わたしにしろ、あなたにしろ、そこはもうわかりかねますな。ところで、何か聞こえますか? 海面に何か変化が見えますか?」
ヘルセゲンの頂上に来てから、かれこれ十分ほどになっていた。ローフォーテンの内陸部から登ってきたので、山頂に着いたとたんに海の眺めが開けるまで、海などちらりとも見えなかったのだ。ところが、老人にそう言われてみると、なるほど、アメリカの大草原で野牛の大群がうめくような、大きな音がしだいに高まりながら聞こえてきた。と同時に、眼下の海は、さきほどまでは船乗りたちが「気ちがい波」と呼ぶ波が立ちさわぐばかりだったのに、いまでは東にむかう一つの潮流に急速に変化してゆくのに気づいた。見ているうちにも、この潮流はものすごい速度になってきた。一瞬ごとに、潮流は速さの度を加え――そのひたむきさの度を増すのだった。五分間のうちに、ヴルイ島までの全海域は手もつけられぬほどの荒れ模様になったが、もっともひどく荒れ狂ったのは、モスコーエ島と陸地の中間だった。このあたりの広い水面は無数のせめぎ合う水脈にひび割れ、裂け、また突如として狂ったように痙攣し――盛り上がり、沸き立ち、おたけびをあげ――無数の巨大な渦となって旋回し、断崖から落下する水ならでは見られぬ急速度で、ただもう渦巻きながら東へ東へと驀進していった。
それから数分たつと、また新たな急変がこの光景に起こった。海面全体はさきほどよりいくらか滑らかになり、渦巻きは一つまた一つと消えてゆき、そのかわりに、それまで何も見えなかったあたりに、幾条もの巨大な泡の筋が見えてきた。この泡の筋は、やがて、はるかかなたにまで伸び、たがいに結びつき、いったんおさまったかに見えた旋回運動を引きつぎ、また別の、より巨大な渦の源を形成する気配だった。突如として――まことに突如として――これが輪郭のはっきりした姿をとり、直径一マイルをこえる円になった。この渦巻きの周縁は光りかがやく幅広い水しぶきの帯になっていたが、その水しぶきの一滴として、この恐るべき|じょうご《ヽヽヽヽ》の中へ落ちてはいかなかった。その内側は、目のとどくかぎりのところ、滑らかな、つやつやと輝く黒玉色の水の壁で、水平線に対して約四十五度にかたむき、のたうち、ゆらぎながら、目くるめく速度でぐるぐると回転し、ナイアガラの大瀑布が天にむかってあげる苦悶すら及ばぬほどの、叫喚とも怒号ともつかぬ、恐るべき声を風に託して送ってくるのだった。
山は土台そのものまでふるえ、岩もまたゆらいだ。わたしは顔を伏せて腹這いになり、恐怖のあまり、あたりのわずかな草にしがみついた。
「これが」と、わたしはやっとの思いで老人に声をかけた。「これが例のメールシュトレームの大渦ってやつだね」
「そう呼ぶこともありますがね」と彼は答えた。「われわれノルウェー人は、あの途中にある島の名にちなんで、モスコーエ・シュトレームといっています」
この渦巻きについてわたしが読み知っていたことは、げんに見たものに対するなんの予備知識にもならなかった。この渦巻きについてのヨナス・ラムス〔ノルウェーの地誌学者〕の記述は、おそらくもっとも委細をつくしたものであろうが、それですら、この光景の壮大さ、恐ろしさ――見る者をして茫然自失たらしめる、あの圧倒的な戦慄の念の片鱗すら伝えることはできまい。この著者がいずれの地点から、また、いつこれを眺めたかは知らないが、それがヘルセゲンの山頂からでもなく、嵐のさなかでもなかったことは、まずたしかである。が、ラムスの記述の一部は、この光景の印象をつたえるには弱すぎるきらいがあるにしても、それが詳細であるゆえ、引用してみるねうちがあろう。
「ローフォーテンとモスコーエの間は」とラムスは書いている。「水深は三十六ないし四十|尋《ひろ》である。ところが反対側、つまりヴル(ヴルイ)にむかっては、水深は浅くなり、天気がきわめておだやかなときでも、岩に乗り上げて破損する危険があるので、船の航行には不便である。満潮時には、潮はローフォーテンとモスコーエの間の海域に猛烈な勢いで流れこむが、それが海にむかって奔流となって引いてゆくときの轟音は、いかほど大きな音をたてるすさまじい滝も及ぶところではない。その音は数リーグ(一リーグは約三マイル)はなれたところでも聞こえ、その大渦ないし淵は並はずれた大きさと深さがあるので、船がその吸引圏内に入ると、海底にまで吸いこまれ、岩盤に激突して粉砕されるのは避けがたい。船の破片は、潮がおさまると海面に浮上してくる。しかし海が静まるのは、潮の満ち干の変わり目、しかも好天のときにかぎられており、ほんの十五分もすると、海はまたしだいに荒れ模様にもどる。潮流がきわめて激しく、嵐によってその猛威がさらに加わるときには、渦から一ノルウェー・マイル〔ほぼ二・四キロメートル〕以内に近づくことは危険である。その範囲内に立ちいらぬ用心を怠ったために、これまでに幾多のボートやヨットや船が渦に巻きこまれている。鯨にしても、潮流に近づきすぎて、その猛威に抗しきれなくなることがよくある。そのようなさい、鯨がなんとか脱出しようとして、むなしくあがきながらほえさけぶさまは、とうてい筆舌に尽くしがたい。あるとき、一匹の熊がローフォーテンからモスコーエへ泳ぎ渡ろうとして潮流につかまり、水底に引きずりこまれたが、そのときの恐ろしいうなり声は岸でも聞えたほどである。樅《もみ》や松の幹なども、いったん潮に吸いこまれてから浮上するときには、折れたり裂けたり、剛毛をけば立てたようなありさまになる。これは海底がごつごつした岩からなり、木の幹がそこでもみくたになることを明らかに示している。この潮流は海の干満に起因し――干潮と満潮は六時間ごとに反復される。一六四五年の四旬節前第二日曜日《セクサジエシマ》の朝には、海流の荒れ狂う音と威力はことのほか激烈で、海岸の家々の石組のことごとくがくずれ落ちたほどである」
水深についてだが、大渦のすぐそばで、それがどうして確認できたのか、わたしには解しかねる。「四十尋」とは、モスコーエかローフォーテンの岸の近くの水路の一部についてだけのことだろう。モスコーエ・シュトレームの中心部の深さは、それよりずっと深いにちがいない。そのなによりもの証拠は、ヘルセゲンの絶頂から、この大渦の深淵をはすかいに一瞥するだけでたりよう。この頂上から眼下に咆哮する奈落をながめたとき、かの正直なヨナス・ラムスが、鯨や熊の話をいかにも信じがたいことのように書いた単純さに、わたしは苦笑を禁じえなかった。というのは、現在就航中の最大級の船舶にしても、この恐るべき吸引力の圏内にはいれば、疾風のなかの羽根のように抗するすべもなく、たちまち船体もろとも姿を没することは自明のことに思えたからだ。
この現象を説明するこころみはいくつかなされ――そのいくつかは憶えており、読んだ当座はなるほどと思ったものだが――いまとなっては、そういう説明はみな色あせ、納得しがたいものになってしまった。一般に認められている考え方によれば、この大渦も、フェロー群島〔アイスランドとスコットランドの中間にある〕にみられる、もっと規模の小さい渦潮《うずしお》の場合のように、「潮の干満にともなって上下する波が岩や暗礁の角《かど》にぶつかるのが、その原因にほかならない。岩や暗礁が海水をせきとめ、結果として、海水は滝のように落下する。それゆえ、潮が高く満ちれば、それだけ落ちこみようも深く、その当然の結果として、渦巻き、または渦潮が発生する。その吸引力の強さについては、もっと小規模な実験からでもじゅうぶんに推察できる」――これは「大英百科事典《エンサイクロペディア・ブリタニカ》」の説明である。キルヘルその他は、メールシュトレームの水路の中心には地球を貫通する深淵があり、それはどこかきわめて遠いところ――ある文献はかなり断定的にボスニア湾〔スウェーデンとフィンランドとの間に北に広がったバルチック海の湾〕であるとしているが――に出口があると想像している。それ自体はたわいもない見解であるが、眼前の光景をながめていると、わたしの想像力にはいちばんぴたりとするのだった。そこで案内人に話してみたところ、いささか意外なことに、ノルウェー人はほとんどみなそのように考えているけれども、自分の考えはちがう、という返事だった。また百科事典の説明については、彼はとうてい納得しかねると言ったが、その点ではわたしも同意見だった――というのも、紙のうえでの説明としてはなるほど筋がとおっているが、深淵のとどろきを耳にしていると、それはまったく納得しがたく、たわごとのようにさえ思えてくるのだった。
「さあ、これで大渦のほうは、たんとごらんになったことでしょう」と老人は言った。「この岩をまわって風の当らないところへゆけば、海鳴りもあまり聞こえなくなるだろうから、そしたら、このわたしがモスコーエ・シュトレームについて多少知っているのも当然、と納得されるような話をしてさしあげよう」
言われるままの場所に腰をおろすと、彼は語りはじめた。
「以前、わたしと二人の兄弟は、七十トン積みほどのスクーナー型の小型帆船を持っていて、ヴルイ島近くの、モスコーエ沖の島々のあいだで漁をやっていました。潮がはげしく渦巻くところでは、ころあいさえうまくつかめば、いい漁があるもので、ただ度胸がいるだけです。そういうわけで、ローフォーテン沿岸の漁師のうちでも、いま言った島々のある沖合いまで、いつもきまって漁に出るのはわたしら三人兄弟だけでした。普通の漁場はそこからずっと南に下がったところにある。そこでなら、たいした危険もなく、どんな時刻にも魚がとれ、だからみんなはそっちへゆくわけ。ところが、こっちの方の、岩と岩とのあいだの穴場ともなると、魚の種類もたんとあるばかりか、あがりもうんとある。だからわたしら三人は、臆病な仲間が一週間かけてあげるぶんを、たったの一日であげることなど、ざらでした。まったくのところ、わたしらは一《いち》か八《ばち》かの大ばくちを打ってたわけです――骨を折るかわりに命をかけ、度胸だけが元手というわけでした。
わたしらが船をつないでおいたのは、ここから海岸を五マイル上手《かみて》にいったところにある入江でした。天気のいい日には、十五分ほど潮がゆるむすきに、モスコーエ・シュトレームの淵のずっと上手で淵を横切り、オッテルホルムか、サンドフレーセンの近くのどこかで錨をおろすことにしていました。そのあたりは、どこよりも渦巻きがひどくなかったもので。ここで潮がまたゆるむころまでねばり、それから錨をあげてもどることにしていた。行きにも帰りにも横から順風が吹いているような日でなければ――つまり、帰りまでに風が落ちるきづかいがないような日にしか、漁には出なかったし、この点で見込みちがいをしたことは、まずなかった。六年のあいだに二度ばかり、ばか凪になって、一晩じゅう錨をおろしていなければならない目にあったことがあるけれど、そんなことは、このへんではめったにあることではない。それからもう一度などは、漁場についたとたんに疾風《はやて》が吹きだして、水路が荒れ狂い、とても渡りきれそうになかったので、飢えに苦しみながら、一週間ほどそこに足どめをくらったことがあります。このときは――今日はここにあっても、明日にはもうそこにないといった――無数の逆流の一つに船が流れこみ、おかげでフリーメン島の風陰にはいって、運よく船を停泊させることができなかったとしたら、どんなに手をつくしたところで、船が沖に押し流されていたことはたしかです(なにしろ、船はいくつもの渦巻きに巻きこまれて、ぐるぐると猛烈に旋回し、あげくには錨索をからませ、錨を引きずりまわすありさまだったのですから)
この『漁場』で――なにしろ、天気のいい日でさえ、手ごわい場所でしたからね――わたしらがなめた苦労は、その二十分の一にしろ、うまく伝えきれそうにありません。が、モスコーエ・シュトレームの難所をわたしらはいつもなんとか無事に乗りきってたわけです。もっとも、たまには、潮のゆるむころあいに一分かそこいら遅れたり、早かったりで、寿命のちぢむ思いをしたことはありますがね。ときには、出がけに思ったほど風が強くなく、おかげで思いどおりに船足がはかどらず、そのうえ潮のせいで船がうまくあやつれないことがある。いちばん上の兄貴には十八の息子がいたし、わたしにも二人の頑丈な男の子がいた。こんなときに息子たちがいてくれれば、長|櫂《かい》をこぐのにも、あとで漁をするのにも、大助かりだったはずですが――しかし、どういうわけか、自分たちがあぶないことをやっても、若い者にまでそんなめにあわせたくはなかったのですな――とにかく、どう言ってみたところで、それがあぶない仕事だったことはたしかなんで、それに掛け値はなかったのですから。
これからお話しするつもりのことが起こってから、あと二、三日で、まる三年になる。それは一八――年七月十日のことで――またとない暴風が吹きあれた日のことだから――この地方の者でこの日を忘れる者などいない。でも、その日の午前中いっぱい、いや午後もおそくまで、南西の順風が吹き、太陽はさんさんと輝き、このへんの最古老の漁師にしたところで、あんなことになろうとは夢にも思っていなかったにちがいない。
わたしら三人――二人の兄弟とわたしは、午後二時ごろ、例の島々があるあたりに渡り、すぐに船はみごとな魚でいっぱいになり、またとない大漁だ、などとみんなで言いあったものです。錨をあげて帰路についたのが|わたしの時計《ヽヽヽヽヽヽ》できっかり七時で、潮がゆるむのが八時と承知していたので、そのころあいにシュトレームの難所を乗り切るつもりでした。
わたしらは右舷後方から強い風を受けて出発し、しばらくは快適に船を走らせ、危険が迫っているなどとは夢にも考えていませんでした。なにしろ、そんな徴候はなにひとつなかったのだから。ところがいきなり、ヘルセゲンから吹きおろす疾風に逆帆《さかほ》をくらった。これはめったにないことで――いや、それまでに経験したこともないことで――はっきりした理由があってのことではないけれども、わたしはちょっぴり不安になってきた。帆を詰め開きにしても、船はさっぱり渦の方にすすまない。そこで、錨をおろせる場所にもどろうと言いかけ、ふと船尾のほうを見ると、水平線いったいは妙な赤銅色の雲におおわれ、それがおどろくほどの速さでもりあがっているではないか。
そうこうするうちに、向い風にまわった風さえぴたりとやみ、船はまったくすすまなくなり、ただあちこちにただようばかり。だが、この状態も、あれこれ考えているいとまがあるほど長くはつづかなかった。一分とたたぬうちに嵐が襲い――二分とたたぬうちに空はすっかり雲でおおわれ――雲と、それに波しぶきのせいで、あたりはにわかに真っ暗になり、船の中でさえ、おたがいの姿が見わけがつかなくなった。
あのとき襲いかかった暴風のことを話そうとすることが、もうそもそもばかげたことなのですな。ノルウェーで最古参の水夫にしたって、あんなのにぶつかったことはありますまい。そいつにまともにつかまらないうちに、むろん帆索《ほづな》はゆるめておいたものの、まず最初の一撃で、わがマストは二本とも、まるで鋸でひかれたみたいに、甲板からなくなっていた――それに、安全のためにメイン・マストにからだをしばりつけていた弟も、マストもろとも消えてしまった。
こうなると、わたしらの船は海に浮かぶ軽い羽根のようなもの。船は完全な平甲根《フラッシュ・デッキ》で、船首の付近に小さな昇降口《ハッチ》があるだけ。シュトレームを横断するときは、気ちがい波があぶないので、このハッチは閉めておくのがわたしらのならいだった。こういう用心をしていなかったら、たちどころに浸水して沈没していたはずです――なにせ、ちょっとのあいだ、船は完全に水中にもぐっていたのだから。兄がどうやって死を免かれたのか、ついに確めるおりもなく、わたしにはわかりかねる。わたしのほうは、前檣の帆索をゆるめると即座に腹ばいになり、船首の狭い船べりに両足をつっ張り、前檣のつけ根のそばにあったリング・ボルトを両手でにぎりしめていた。この場合、これが最上の策だったのですが、とっさにやったことで、べつに考えてそうしたわけじゃない。あまりにも突然のことでしたからね。
いま言ったように、しばらくは完全に水中に没していて、その間、わたしは息をとめ、ボルトにしがみついていたわけです。もうこらえきれなくなって、ボルトはしっかりにぎりしめたまま、ひざを立てて身を起こしてみると、頭が水面に出た。やがて、わたしらのちっぽけな船は、まるで犬が水から出てくるときのように、ぶるぶると身ぶるいし、こうやって、ある程度、海水を振りはらったわけです。そこで、わたしも、茫然自失の状態から抜け出し、頭を冷して、次の打つ手を考えなければと思っていると、誰かがわたしの腕をつかんだ。それが兄貴だったもんで、心臓が破裂するほどうれしかった。てっきり波にさらわれたものときめこんでいたものだから――ところが、これも束の間、よろこびはたちまち恐怖に変った――兄がわたしの耳に口をつけ、大声で『モスコーエ・シュトレームだぞ!』と叫んだからです。
そのときのわたしの気持ちは、どなたにも想像できますまい。猛烈な|おこり《ヽヽヽ》の発作にとらわれたように、頭のてっぺんから爪先《つまさき》まで、ぶるぶると震えだすしまつ。そのひと言で、兄貴の言わんとしたことが、たちどころにわかった――兄貴がわたしに呑みこませようとしたことがわかったのです。このまま風に追われてゆけば、たどりつく先はシュトレームの大渦にきまっており、そうなれば、助かる見込みはもはやない!
おわかりでしょうが、シュトレームの水路を横切るときには、どんなにおだやかな日でも、まず遠まわりして大渦のずっと上手《かみて》までゆき、そこでじっくりと潮がよどむのを待つことにしていました――ところがです、いまは、こともあろうに、船はその淵めがけてまっしぐら、しかもこの嵐のなかを、突っ走っているのです!『いや、待てよ、あそこにつくころ、ちょうど潮がゆるむかもしれないぞ――わずかながら、そういう望みがまだあるわけだ』とも考えましたが――しかし、すぐさま、そんな望みを抱くなんて、なんとたわけたことか、とわれながら愛想がつき、自分を呪ったほどです。たとえ大砲九十門を積む軍艦の十倍も大きい船に乗っていたところで、助かるみこみがないことはよく承知していたのです。
そのころまでには、嵐の最初の猛威はおさまり、というよりは、風に追われて疾走していたので、それほど強く感じなかったのかもしれないけれど、それはともかく、それまで風に押さえつけられて平らに泡だっていただけの海が、こんどは山のように盛りあがってきたのです。空もようにも奇妙な変化がきざしてきた。あたり一面は墨を流したように黒いのに、ほぼ頭の真上あたりで、とつぜん、雲がまるく裂け、晴れた空が見えてきた――抜けるように澄みきった――明るい濃紺の空です――そして、そこに満月が、見たこともないような妖しい光をおびて輝いていた。その月の光は、あたりのあらゆるものをくっきりと照らし出していた――が、おお神よ、それが浮かび上らせた眺めといったら!
一、二度、兄貴に話しかけようとしてみた――しかし、どういうわけか、あたりの物音はつのるばかりで、兄貴の耳もとで大声をはりあげたのに、ひと言も通じない。すると兄貴は、死人のような顔を横に振り、『よく聞け!』とでもいうように指を一本立ててみせた。
はじめのうち、なんのことやらわからなかったけれども――すぐさま、不吉な思いがわたしの頭にひらめいた。わたしはポケットから時計を取り出して見てみた。時計は止まっていた。月の光で文字盤を見るなり、わたしはやにわにそれを海の遠くに投げすて、わっとばかりに泣き出した。|時計は七時で止まっていたのだ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》! |わたしらは潮のゆるみに遅れ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、|シュトレームの大渦はいまをさかりに荒れ狂っていたのだ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》!
船のつくりがよく、手入れがゆきとどいており、それに積荷もさほど重くなければ、強い追風《おいて》を受けると――陸《おか》のひとには納得できるかもしれないが――船の下を波が滑ってゆくように感ずるもので――これを船乗りたちは|波に乗る《ヽヽヽヽ》と言っているわけです。ところで、それまでのところ、わたしらの船はうまく波に乗っていたが、そのうち急に、大きな波が船尾突出部《カウンター》に真下からぶつかり出して、波が高まるにつれ、船は――高く、高く――天までとどけ、とばかりに持ち上げられることになった。波がこんなに高く盛り上がるなんて、わたしは夢にも思わなかった。するとこんどは、船は一挙に、滑るように、まっ逆さまに墜落してゆく。夢で山のてっぺんから墜落するときのような、あのむかつくような、目もくらむ感じだった。しかし、また持ちあげられたとき、わたしはちらりとあたりを見まわした――が、ちらりと眺めただけで、もうたくさんでしたね。一瞬のうちに、わたしは自分たちの正確な位置を見てとった。船の舳先《へさき》から四分の一マイルほどのところにモスコーエ・シュトレームがあった――しかも、それがいつものモスコーエ・シュトレームとは大違いで、それにくらべれば、いまあなたが見ていらっしゃる渦なんか、水車の水ぐらいのものです。もし船の位置を知らず、これから先の予測がつかなかったとしたら、あれが例の大渦だとは信じられなかったでしょうな。ところが、それがわかってしまったものだから、恐怖のあまり、わたしは目をつぶった。痙攣でもおこしたみたいに、まぶたが勝手にくっついてしまったわけです。
それから二分とたたないうちだと思いますが、ふと気づくと、波はおさまり、船はただ泡につつまれていた。すると船は左舷にふと半回転して、まるで稲妻のように新たな方向に突進しはじめた。と同時に、とどろく海鳴りの音は、一種の甲高い叫び声のようなものにかき消されてしまったのです――まるで何千もの蒸気釜がいっせいに排気管から蒸気を吐き出すような音だと想像していただけるとよい。すでにわたしらは、いつも大渦を帯状に取り巻く寄せ波のさなかにいたわけです。もちろん、次の瞬間、あの奈落にまっ逆さまに落ちてゆくものと覚悟はしたが――しかし、船があまりにも目まぐるしく運ばれてゆくので、奈落の底はぼんやりとしか見えない。船が沈没する気配はまったくなく、船はただ波の表面を空気の泡のようにかすめてゆくだけ。右舷のすぐ先は大渦に落ちこんでおり、左舷は、いましがた過ぎた大海原が盛り上がって、まるで船と水平線のあいだにのたうちながら立ちはだかる巨大な壁のようでした。
奇妙に聞こえるかもしれないが、こうやって、いざ深淵のとば口まできてしまうと、それに近づいているときより、かえって胆っ玉がすわってくるものです。希望なんか持つまいと心にきめてしまうと、はじめはあれほどわたしをおびえさせた恐怖もあらかた消えてなくなってしまった。絶望が、かえって気をひきしめてくれたわけです。
こんなことを言うと、虚勢をはっているように思われそうだけど――わたしは本当のことを言うんですが――こんなふうに死ねるなんて、なんとすばらしいことか、神の力のかくも壮大なあかしを目前にして、たかが自分のちっぽけな一命のことを思いわずらうなんて、なんとけちなことか、などとわたしは考えるようになっていたのです。ですから、こういう思いが頭をかすめたとき、恥しさのあまり、わたしはきっと顔を赤らめていたにちがいないのです。しばらくすると、こんどは、大渦そのものにわたしは強烈な好奇心をいだくようになった。たとえ一命を犠牲にすることになろうと、この深淵を探ってやろうという積極的な意欲《ヽヽ》がわいてきたわけです。ただ無念至極だったのは、これから自分が目にしようとしている神秘について、陸《おか》にいる古い仲間に話してやれそうになかったことでした。なるほど、こんなことは、こんな羽目に追いこまれた人間の頭に浮かぶ考えとしては奇妙なことにちがいない――たしかに、船が淵のまわりを回わっているうちに、頭がいくらかおかしくなっていたのではないか、と自分でもよく考えたことがあるほどです。
わたしの気持ちが落ちついてきたのには、またべつの事情もありました。風がやんだことです。つまり、そのとき船がいた位置には風がとどかなかったわけです――というのは、先刻ごらんになったように、寄せ波が帯状になっているところは、ふつうの海面よりかなり低くなっていて、この海面が、いまや、高く黒々と、まるで山のようにわたしらの頭上にのしかかっていたのですから。疾風が吹きまくる海に出たことがあるならべつだが、そうでないと、風としぶきがいっしょになってやってくると、どんなに精神が混乱するものか、ちょっとおわかりにはなりますまい。目は見えず、耳は聞こえず、息はつまるで、からだを動かす力も、頭を動かす力もなくなってしまう。ところがわたしらは、当座のところ、そういう苦労からあらかた解放されていたというわけです――牢屋につながれた死刑囚が、まだ死刑ときまらぬうちは禁じられていた、ほんのささやかなぜいたくを許されるのに似たようなものです。
この淵のまわりをどれぐらいまわったか、これは見当もつかない。たぶん一時間ほども、浮かぶというよりは飛ぶように、船はぐるぐるとまわりながら、だんだんと寄せ波の真ん中へ、それから身の毛もよだつ内側のへりへと近よっていったのです。その間、わたしはリング・ボルトをじっと握ったままだった。兄貴は船尾のほうにいて、これはからの小さな水樽《みずだる》にしがみついていた。それは船尾突出部《カウンター》の魚籠の下にしっかりと結びつけられていて、疾風の最初の一撃で甲板から洗い流されずにすんだたった一つのものだったのです。船がしだいに奈落のへりに近づくと、兄貴はこれを手放し、リングのほうにやってきて、恐怖で気がくるったのか、わたしの手をむりやりにそれからもぎ離そうとしたのです。なにしろリングは二人でいっしょにつかまっておられるほど大きくはなかったからね。こんなことをする兄貴を見たときほど、悲しかったことはないね――むろん、そんなことをするなんて、兄貴は狂っている――恐怖のあまり錯乱している、とは百も承知でしたが。しかし、わたしはそんなことで兄貴とあらそう気はなかった。どちらがボルトにしがみついていたところで、結果は同じだと思ったんです。そこで、わたしはボルトを兄にゆずり、船尾の樽のほうに歩いていった。こうするのに、さしたる困難はなかった。船は平衡を保ったまま、かなり安定した状態で飛ぶようにぐるぐるまわり――渦巻きが大きくのたうつときに、ときおり前後にゆれるだけだったから。ところが、わたしが新しい場所に落ちつくか落ちつかぬかに、船は右舷にぐっと傾き、深淵めがけてまっ逆さまに突っこんでいった。わたしは早口に祈りの文句をつぶやき、もはやこれまでと観念しました。
あのすうっと落下してゆくときの、吐気がするような感じに、わたしは思わず樽にしがみつき、目をとじた。数秒間、とても目をあける勇気はなかった――そのあいだ、いまにも死ぬと観念していたのに、まだ海中で断末魔の苦しみを味わっていないのがふしぎでした。だが、時は刻一刻とすぎてゆく。わたしはまだ生きている。落下してゆく感じも消えた。船の動きも泡の帯にいたときとさほど変らない。ただ以前よりもっと横にかしいでいるところがちがう。わたしはまた勇気をふるいおこして、あたりを眺めてみた。
このときの畏敬、恐怖、賛嘆の念、これは忘れようにも忘れられない。船はまるで魔法にでもかけられたように、広大な周辺と、とほうもない深みのある|じょうご《ヽヽヽヽ》の内側の中途にひっかかっている。そのまったく滑らかな|じょうご《ヽヽヽヽ》の側面は、もし目まぐるしい速さで回転していなかったら、またもし、さっき言ったように、まるく裂けた雲間からもれる満月の光を受け、妖しく明るい光を放ちながら黄金色に輝く光の束となって黒い壁を伝い、深淵の深い奥底まで照らし出していなかったら、その|じょうご《ヽヽヽヽ》の内側は黒檀とも見まがうばかりでした。
はじめのうちは、あまりうろたえていたので、何ひとつはっきりとは見えなかった。いきなり展開した恐しいばかりの壮麗さ、それだけがわたしの目にうつったすべてでした。だが、いくらかうろたえもおさまり、ふと本能的に見たのは下のほうでした。船は淵の斜面にへばりついていたのだから、この方向なら、目をさまたげるものもなく見おろせたわけです。船はちゃんと平衡を保っていた――つまり、甲板は水面と平行になっていたということですが――水面のほうが.四十五度以上に傾いていたので、船は横倒しになっていたようなものです。こんなありさまだったのに、船がまったく平らな海に浮かんでいるときと変らぬくらいに、足場を確保したり、手がかりを保つのに不便がないのに気づかないわけにはいかなかった。これは、思うに、船がすごい速度で旋回していたせいなんですね。
月の光は深淵のどん底まで照らし出しているらしかったのに、わたしには何ひとつはっきりと見わけられなかった。そこには濃い霧が立ちこめ、その上には、回教徒たちが「時間』と『永遠』をつなぐただひとつの、細くかよわい架け橋とよぶ、あのみごとな虹がかかっていました。この霧あるいは水しぶきは|じょうご《ヽヽヽヽ》の側面をなす壁と壁とがことごとく淵の底でぶつかりあって発生するにちがいなかった――だが、その霧から天にもとどけとばかりに湧きあがる絶叫は、とても語る気にはなれない。
最初に泡の帯から奈落にすべり落ちたときには、斜面をかなり下まで落下したのに、その後の降下ぶりはさしたることはなかった。ぐるぐると船はまわった――ただし、いつもいちような動きではなく――目まいがするほど速くまわるかと思うと、ぐいと引きとめられたりで、百フィートそこそこしか前進しなかったり――そうかと思うと、一挙に大渦を一回転してしまうこともあった。ひとまわりするごとの降下はゆっくりしていたが、降下してゆくことはたしかでした。
こうして船を運んでゆく、黒檀さながらの広大な水面を見まわしてみると、この大渦に巻きこまれているのはわたしらの船だけではなかった。船の上のほうにも下のほうにも、こわれた船の破片、大きな建築用の木材、木の幹、それに家具や、こわれた箱、樽や樽板などのこまごましたものがいっぱい目についた。最初の恐しさも忘れて、わたしが奇妙な好奇心にとらわれたことはもう話しましたね。ところが、破滅のときが近づくにつれ、この好奇心もつのるあんばいでした。さて、わたしはふしぎな興味にとらわれ、船といっしょに浮かんでいるものを眺めはじめた。こうなると、もう狂気の沙汰であったに|ちがいない《ヽヽヽヽヽ》――なにしろ、いろんなものが泡立つ下方に落ちてゆく速さをくらべて|おもしろがっていた《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》のだから。気がついてみると、『この樅の木が、きっと次にあの恐しい奈落に吸いこまれて消えるぞ』などとつぶやき――オランダ商船の破片がそれに追いついて先をこして落ちていったりすると、がっかりするあんばいでした。こういうたぐいの当てっこを幾度かやってみて、それがみんなはずれてみると――このこと――つまり、わたしの推測がことごとくはずれるということから、ふとある法則を思いつき、そのせいでわたしの手足はまたふるえ、心臓もまたはげしく打ちはじめました。
これはなにも、ことあらためて恐怖にとりつかれたからでなく、もっと胸おどらせるような希望《ヽヽ》が湧いてきたからです。希望が出てきたのは、ひとつにはあることを思いだしたからだし、ひとつにはいま観察したことのせいでした。思い出したことというのは、いったんモスコーエ・シュトレームにのみこまれ、また吐き出されてローフォーテンの海岸にまき散らされた大量のさまざまな浮遊物のことでした。たいていのものは、見るもむざんにやられていて――まるで一面に刺《とげ》がささったみたいにこすられ、きさくれていたのに――まったく無傷のものも|いくらか《ヽヽヽヽ》あったことを思いだしたのです。さて、そのちがいはこう考えてみるより説明のしようがなかった。けばだった破片は|完全にのみこまれた《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》ものばかりで――そのほかのは、潮時をかなりおくれてから渦にはいったか、またはなんらかの理由で、渦にはいってからゆっくりと落ちていったかで、満ち潮になるまでに、あるいは場合によっては引き潮になるまでに底に達しなかったものばかりなのだ。そこで考えたのですが、いずれの場合にせよ、無傷のものは、もっと早期に、もっと急速に渦に吸いこまれたものとは同じ運命をたどらないで、また海面に浮かびあがってくるという解釈がなりたつ。そのうえ、わたしは三つの重要なことを見てとった。まず第一は、一般的に、物体が大きければ大きいほど、その落ちる速度が速いこと。第二に、同じ大きさの物体の場合、球状のものと|その他《ヽヽヽ》の形状のものとでは、球状のもののほうが落ちる速度がまさっていること。第三に、同じ大きさの物体で、一方が円筒形で他方がその他の形の場合、円筒形のもののほうがゆっくりと落ちてゆくこと。
命拾いをしてからのことですが、この件について、土地の年とった学校の先生といくどか話しあった。『円筒形』とか『球形』とかいう言葉の使い方は、この先生から教わったのです。その説明はあらかた忘れてしまったけれど――とにかく先生は、わたしが見てとったことは、実のところ、水に浮かぶ物体の形からくる当然の結果なのだと説明してくれた――それから、渦巻きに浮かぶ円筒形のものは、かさが同じぐらいなら、ほかのどんな形をしているものよりも吸いこまれにくく、たとえ吸いこまれても、なかなか沈まないのだ、と教えてくれましたね。
こういうことに、わたしがいやでも気づき、それを実際に応用してみようという気になったのは、それなりの、驚嘆すべき事情があったからです。それというのも、一周するごとに、わたしらの船は、樽だとか、船のこわれた帆桁《ほげた》とかマストとかを追いこしてゆくのだが、そういうものの多くが、わたしがはじめて目をあけて大渦の驚くべき眺めを見わたしたときには船と同じ高さにあったのに、いまではわたしらよりずっと高いところにあり、しかも、もとの位置からほんのわずかしか動いていないように見えたからです。
もはや心にためらいはなかった。いま自分がしがみついている樽にしっかりとからだを結びつけ、船尾突出部《カウンター》から樽を切りはなし、樽もろとも海中にとびこむ決心でした。わたしは手真似で兄貴の注意をひき、船のそばに浮かぶ樽を指さし、これから自分がしようとしていることをなんとか兄貴にわからせようとしてみた。とうとう兄貴もわたしの計画がわかったような気がした――ところが、それはともかく、兄貴はあきらめたように首を横に振り、リング・ボルトのそばから離れようとしない。兄貴のところに行くことはできないし、事態は切迫していて、ぐずぐずしてもおられない。そこでわたしは心を鬼にし、兄貴の運は天にまかせ、樽を船尾突出部に結びつけてあった縄でからだをしばりつけ、もはや一瞬もためらうことなく、樽ごと海中に飛びこんだ。
結果は、わたしの予想どおりでした。この話をしているのは当の本人だし――わたしが|命拾いした《ヽヽヽヽヽ》ことはごらんのとおりだから――それに、どんなふうにして命拾いをしたかについても、すでにお話したのだから、このさきわたしが言わんとすることはおおよそ見当がおつきでしょう――だから、ずばり結論に話をもってゆくことにします。船を脱出してから一時間か、そこいらたつと、船は、はるか下まで落ちていて、三、四回はげしく旋回したかと思うと、わが愛する兄貴を乗せたまま、一瞬にして泡立つ奈落の底にまっ逆さまに突入して姿を消し、もうそれっきりでした。わたしがからだをしばりつけておいた樽は、淵の底と、大渦の様子が急変するまえにわたしが船から飛びだしたときの位置との距離の半分よりほんのわずか降下しただけでした。巨大な|じょうご《ヽヽヽヽ》の側面の傾斜は一瞬ごとになだらかになっていった。大渦の回転も、しだいに、ゆるやかになってきた。泡と虹も徐々に消え、淵の底がゆっくり持ちあがってくるようだった。ローフォーテンの海岸が見渡せ、先ほどまでモスコーエ・シュトレームの淵で|あった《ヽヽヽ》海面に浮かびあがってみると、空は晴れ、風はやみ、満月がこうこうと輝きながら西の方《かた》に沈みかけていた。すでに潮のゆるむ時刻だったのです――しかし、海は暴風のなごりでなおも山のように波立っていた。わたしはシュトレームの水路へとはげしく押し流され、数分のちには、漁師たちの『漁場』についていた。一艘の船がわたしを拾いあげてくれた――くたくたに疲れはて――(もう危険は去ったのに)恐怖の思いで口もきけないありさまでした。そんなわたしを甲板に引きずりあげてくれたのは、古くからの仲間で毎日顔をあわせていた連中だったのに――まるであの世からさまよい出てきた幽霊でも見るかのように、てんでわたしのことがわからないのだ。前日までは、まるでからすの濡れ羽色のように黒かったわたしの髪が、いまごらんのように真っ白になっていたのです。顔つき全体が変わってしまった、と連中は言います。わたしは連中にことの次第をきかせてやった――ところが、だれも信じようとしない。いま、それを|あなたに《ヽヽヽヽ》話しているわけですが――やはりローフォーテンの陽気な連中と同じことで、とても信じていただけないでしょうな」
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シェヘラザードの千二夜の物語
事実は小説よりも奇なり――古諺
最近、東洋学関係の調べものをしているうちに『テルミナウ・イズイットソーオアノット』をひもとく機会があったが、それは(シメオン・ヨハイデスの『ゾーハル』とおなじく)ヨーロッパでさえ、ほとんど知られておらず、私の知るかぎりでは、それに言及したアメリカ人はひとりもいない――いや、もっとも、『アメリカ文学の宝庫』の編者は除外しておいたほうがよかろう。それはともかく――前述の端倪《たんげい》すべからざる著作のページをくっていて、私はすくなからず驚いたのであるが、『アラビアンナイト』に出てくる大臣の娘シェヘラザードの運命について、これまで文学界は奇妙な謬見をいだいてきたことがわかり、また、物語の大団円《デヌーマン》は語られているかぎりのところ、まるっきりでたらめというのではないにせよ、すくなくとも、もっと先まで語りつづけなかったそしりは免れないことが判明したのである。
この興味ある話題について、もっとよく知りたいという好奇心旺盛な読者には、『イズイットソーオアノット』そのものをお読みいただくよりほかはないが、当座のところ、私がその本に発見したことの概略をここに紹介することでお許しねがいたい。
周知のように、流布本の『アラビアンナイト』によれば、ある国の王様が、嫉妬するにたる充分な理由があってのことだが、妃を死刑に処するばかりか、夜ごとに国でいちばん美しい娘をめとり、翌朝には死刑執行人にひきわたすことを、みずからの髯と予言者マホメットにかけて誓うのである。
この誓いを、長年にわたり、宗教的な規則正しさと厳格さをもって果たしたので、王は敬神の念あつく、分別すぐれた人物として大いに尊敬をあつめたのであるが、ある日の午後(疑いもなくお祈りの最中に)突如として大臣の訪問を受け、その娘が何事かを思いついたらしい、と告げられたのである。
その娘の名はシェヘラザードで、その思いつきとは、美女を根こそぎにする重税からこの国を救うか、さもなければ、すべての美女たちの例にならって花の命を落としたい、というけなげなものだった。
したがって、べつにその年は閏《うるう》年ではなかったようだが(潤《うる》う年でないだけに人身御供はありがたいものになる)、彼女は父なる大臣を代理に立て、王に身をゆだねることを申し出たのである。この身を王はよろこんでちょうだいする――(いずれにせよ、王はそのつもりでいたのだが、それを一日のばしにしていたのは、ただ大臣を恐れていたからだけのことである)――だが、この申し出を受けるにあたって、王はたとえ相手が大臣の娘であろうとなかろうと、おのれの誓いと特権をいささかなりと放棄する意志がないことを、あらゆる者に周知せしめたのである。それゆえ、美わしのシェヘラザードが、王と結婚すると言いはるばかりか、さようなことはしないがよかろうという父親の賢明なる忠告をしりぞけ、実際に結婚したとき――つまり、彼女ががむしゃらに結婚を望み、ついに結婚の運びになったとき、その美わしの黒い瞳は、かような場合に可能なかぎり大きく見開かれていたのである。
しかしながら、この策略にたけた若い婦人は(彼女がマキャヴェリを読んでいたことに疑問の余地はない)きわめて巧妙な策略を胸に秘めていたらしい。結婚の夜、どういう口実をもうけてだか失念したが、彼女は自分たち王夫妻の寝台のすぐわきに置かれた寝台に妹を寝かしつけ、妹と言葉が交わせるように按配しておいた。そして鶏が暁を告げるすこしまえ、彼女は夫である善良な王(夜が明けたら彼女を縛り首にするつもりだったからといって、王は彼女に悪意をいだいていたわけではなかった)を目覚めさせようとした――つまり彼女は妹に(むろん、終始つぶやくような低い声で)興味つきせぬ物語(鼠と猫の話だった、と私は思う)を話して聞かせるという手段によって(良心は安泰にして胃のこなれもよかったゆえ、ぐっすりと眠りこんでいたけれども)、王をどうにか目覚めさせるのに成功したのである。ところが夜が明けても、たまたま物語はまだ終りきらず、事の性質上、シェヘラザードにしても、そこでただちに話を打ち切るわけにはいかなかった。というのは、彼女はもう起きあがって、弓弦に吊されにゆかねばならぬ時刻だったからだ――それに、これは絞首刑よりいささか上品なだけで、すこしも快適なわけではなかったのだ。
しかし、残念ながら、王の好奇心はかの健全なる宗教的原則をも打ち負かし、あの黒猫(黒猫だった、と私は思う)と鼠がついにはどうなるか、それをその夜に聞きたいと念ずるあまり、今度ばかりは誓いの実行は翌朝まで延期しよう、という気になってしまったのである。
夜になると、しかしながら、王妃シェヘラザードは黒猫と鼠(鼠は青だった)の話に始末をつけてしまったばかりか、自分でもわからぬうちに、またべつのこみ入った話の深みにはまりこんでしまった。それは(もし私の記憶にまちがいなければ)藍色のネジで巻くと、ゼンマイ仕掛けで猛烈に動きまわる桃色の馬(緑色の翼もあった)の話だった。王はこの物語に以前のにもまして興味をひかれ――そして(王妃は弓弦絞首刑にまにあうよう懸命に努力したにもかかわらず)夜明けまえに話が終らなかったので、王はまたしても儀式の執行を二十四時間延期せざるをえなくなったのである。次の夜も同じことが起こり、同じ結果になり、その次の夜も――そのまた次の夜も、ということになり、とうとうこの善良なる君主は、千一夜の長きにわたり、やむなく誓いをはたす機会を奪われつづけ、そのころまでには、その誓いをすっかり忘れてしまうか、しかるべき手続によって誓いから赦免されるか、それとも(これがむしろありそうなことだが)そんな誓いはきっぱり破ってしまい、ついでに懺悔聴聞僧の頭もたたき割ってしまうか、そのいずれかであろう。ともあれ、シェヘラザードはイヴの直系で、あの話のいっぱい詰った七つの籠をエデンの木の下で拾いあげ、それをそっくり相続したらしいとは周知のことだが――そのシェヘラザードについに凱歌があがり、美女に課せられた重税は撤廃されたのである。
さて、こういう結末は(それが現在記録にとどめられている話の結末なのだが)、疑いもなく、まことに妥当で楽しいものであるが――しかし、残念ながら、楽しいものがたぶんにそうであるように、かならずしも真実ではないのである。そこで過ちを訂正する手段として、私は『イズイットソーオアノット』に全面的に依存することにする。「最善トハ善ノ敵ナリ」とはフランスの格言であるが、さきにシェヘラザードが七つの話の籠を相続したことに言及したとき、彼女がそれを元手に複利で貸付けて七十七箇にまで籠をふやしたことを私は言いそえておくべきだった。
「愛する妹よ」と彼女は千二夜目に言った(ここで私は『イズイットソーオアノット』の言葉を|そのまま《ヽヽヽヽ》引用する)。「愛する妹よ」と彼女は言った。「こうして絞り首という、ちょっと厄介な問題にもかたがつき、あの忌わしい課税もめでたく撤廃されてみると、あなたと王とに(こう言っては悪いけど、あのひとはいびきをかくのね――紳士のなさることではないわ)船乗りシンバッドのお話をすっかり終わりまでしなかったのが、ひどく気になるの。この船乗りは、私が話したより、もっともっと面白い冒険を山ほどしたのだけど、本当のこと言うと、あの晩、話の途中で眠くなり、はしょってしまったの――たいへんな過ちでした、アラーの神にお許しを乞うよりほかありませんわ。でも、この大きな怠慢をつぐなうのに、いまでは遅すぎるということはありません――ですから、ひとひねりか、ふたひねり王をつねって目ざめさせ、あの恐しい物音をやめさせてから、あなたに(また、お望みなら王にも)この奇想天外な話のつづきをしてさしあげましょう」
『イズイットソーオアノット』を読むと、ここでシェヘラザードの妹はそれほど深甚なる謝意を表すわけではないが、王のほうはたっぷりつねられたので、やっといびきをかくのをやめ、ついに「ふむ!」と言い、それから「ふう!」と言ったということである。妃はこれらの言葉を(疑いもなくアラビア語だった)、王は全身これ耳じゃ、もはやいびきはかかぬぞよ、の意だと解すると――つまり、妃は自分の満足のゆくようにことの次第をととのえると、さっそく船乗りシンバッドの物語を再開したのだった。
「『齢《よわい》を重ねたすえに』(これはシェヘラザードによって語られたシンバッド自身の言葉である)――『齢を重ねたすえに、また永年にわたりふるさとで静かに暮らしてから、私はまたもや見知らぬ国々を訪ねたいという願望にとらわれたのでございます。そしてある日、家族の者には内緒で、いちばん高価で、しかもかさばらぬ品物を包みにし、それを運ぶ人夫をやとい、二人で海に出むき、私をこの王国からつれだし、いまだ見ぬ土地につれていってくれる船はこないものかと、待ちかまえておったのでございます。
私たちは砂浜に荷物を置き、木の下に腰をおろし、船影を求めて沖に目をこらしていましたが、時はたてども何ひとつ見えてきません。ところが、ついに、何やらぶんぶんうなるような物音がするような気がしたのでございます――人夫も、しばらく聞き耳をたててから、自分にもはっきり聞こえると断言しました。その物音は大きく、ますます大きくなり、音を出す正体がこちらに近づいてくることにもはや疑問の余地はなくなったのでございます。やがて水平線に黒い点がぽつりと見え、それがぐんぐん大きくなり、はっきり姿がわかるようになったのですが、それは海面に体のおおかたを出して泳いでいる巨大な怪物でございました。それは胸のあたりに泡立つ大波をかき立て、それが通ってきたあたりの海を、はるかかなたにまでつらなる一条の火のすじであかあかと照らし出しながら、考えられないほどの速さでこちらにやってきました。
そいつが近づいてきたとき、私たちはしかとこの目で見たのでございます。その体長はこの世でいちばん高い木を三本あわせたほどもあり、その幅は、おお、いとも崇高にして寛大な回教主《カリフ》さま、あなたさまの宮殿の大広間ほどもあるのでございます。体はふつうの魚とはちがい、岩のごとく固く、水面に浮かぶ部分は、体をひとめぐりする血のように赤く細い縞をのぞけば、どこも黒玉の黒さでございます。腹は海面下にあって、怪物が波に乗って上下するとき、ちらりとかいま見えるだけでございますが、その全面は金属質の鱗《うろこ》でおおわれ、その色はまるで霧深い夜の月のような色でございます。背は平らで白っぽく、そこからは全体長の半分ほどもある六本の背骨がそそり立っています。
この恐しい怪物には口といったものは見あたらず、その代りとでもいうのでしょうか、八十ほどの目があり、それがトンボの目のように眼窩から突き出し、眉の役目をしているとおぼしい血のように赤い縞と平行に、二列横隊にずらりと並んで体をひとめぐりしているのです。この恐しい目のうち二つか三つはことのほか大きく、さながら純金でできているかのようでございました。
この怪物は、さきにも申しあげましたように、快速力で近づいてまいりましたが、もっぱら魔術の力で動いていたにちがいございません――この怪物には魚のようなひれもなければ、あひるのような水かきもなく、船のように風に吹かれて海を渡るという海貝のような翼もなく、うなぎのように体をくねらせて前進するのでもございません。頭も尾もまったく同じ形をしていますが、ただ、尾の近くに鼻の孔のかわりに小さい穴が二つあり、そこからこの怪物は猛烈な勢いで息を吹きだし、きしむような、不愉快きわまる音をたてるのでございます。
この醜い怪物を見かけたときの私たちの恐怖はたいへんなものでございました。しかし、そいつがもっと近づいてきて、背中のうえに背丈といい恰好といい人間そっくりの動物がたくさん群がっているのを見たときの驚きは、以前の恐怖にまさるものでございました。この動物はまったく人間によく似ていましたが、ただ(人間の着ているような)着物を身にまとわず、かわりに(きっと生まれつきのものでございましょう)醜悪な、着ごこちの悪そうな、布に似たもので身をおおっておりました。それがあまり肌身にぴたりとしていて、このあわれな連中はまことに滑稽にみえたばかりか、かなり苦しげでもございました。また彼らは頭に四角い箱のようなものをのせていて、はじめ見たときはターバンの代用品かとも思いましたが、それがひどく重くて固いものらしいところから、その重みで動物たちの頭をしっかり安全に肩のうえに据えておくための工夫であろう、と私は納得しました。首のまわりには黒い輪をはめていて(きっと奴隷のしるしでございます)、犬の首輪に似ていますが、ただ幅はもっと広く、ずっと固いのでした――ですから、このあわれな奴隷たちは頭を動かそうとすれば体も動かさねばならず、かくして永遠に自分の鼻先を見つめていなければならぬさだめなのでございます――しかもその鼻たるや、あえてひどい鼻とは申しませんが、じつに見事な獅子鼻なのでございます。
この怪物は私たちが立つ海岸に近づくと、やにわに目のひとつを大きく突き出し、目もくらむような閃光を発し、同時に入道雲のような黒煙を吐きだし、雷鳴にも比すべき轟音をとどろかせたのでございます。煙がおさまると、例の奇怪な人間動物のひとりがラッパを手にして怪物の頭の近くに立っているのが見えました。やがて彼は(それを口にあてがい)耳をつんざくような、甲高く不快なしらべで、私たちに話しかけてきましたが、それが鼻を通して出てこなかったとすれば、私たちは言葉と勘ちがいするところでございました。
こうあからさまに話しかけられましたものの、何を言っているのかちんぷんかんなのでございますから、答えようがありません。私は困りはて、恐怖で気を失ないかけている人夫に、いったいこれはいかなる種類の怪物か、何を求めているのか、背中に群がっているのはいかなる種類の動物か、と問いただしたのでございます。人夫は恐怖のあまり口もきけぬほどでございましたが、どうやら答えて申しますには――この海の怪物については聞いたことがあり、それは硫黄の内臓と火の血をもつ残忍きわまる怪物で、悪霊が人類に悲惨をもたらす手立てとして創ったものであり、その背中に乗っているのは、ときには猫や犬につくのと同じ種類の寄生虫で、ただすこしばかり図体が大きく、もっと野蛮なだけであり、これらの寄生虫はよこしまながらそれなりの用途があって、彼らは怪物を噛んだり刺したりして責めさいなみ、ついに怒り狂った怪物に火を吐かせたり邪悪な行為をするようにしむけ、かくして陰険な悪霊の悪意と復讐の意図はとげられるのだ、ということでした。
これを聞いて、私は逃げることに意を決し、たったの一度もふりかえることなく、ただ一目散に山にかけ登りました。人夫のほうも、ほとんど正反対の方向ながら、やはり同じように一目散にひた走り、こうして荷物を持ったまま逃げおおせたわけでございますが、荷物の世話だけはちゃんと見てくれたものと信じております――もっとも、それ以後この男を見かけたことがございませんので、この点について確認するわけにはいかないのでございますが。
私はといえば、人間寄生虫の群(彼らはボートで上陸してきたのでございます)にはげしく追跡され、やがて追いつかれ、手足をしばられ、化け物のところに連れてゆかれたのでありますが、するとこやつはたちまち海のさなかに泳ぎ出したのでございます。
いまや私は平和な家庭を捨てて、こんな冒険に乗り出したのをひどく悔みました。しかし、後悔しても無益なことゆえ、この状態で最善をつくすよりほかはあるまいと心に決め、トランペットを手にし、手下どもに権威をふるっているらしい人間寄生虫の好意をかちとろうとつとめてみました。この努力はことのほかうまくいき、二、三日後には、男は私になにかと好意のしるしを示し、ついには、この何とも正体の知れぬ言葉の初歩をわざわざ手ほどきしてくれるほどの気に入りようで、ですから、そのうちに、私はその言葉で難なく用をたせるようになり、世界を見たいという私の熱望を理解させることもできるようになったのでございます。
〈ウォシシュ・スクォシシュ・スクィーク、シンバッド、ヘイディドル・ディドル・グラント・ウント・グランブル・ヒス・フィス・ウィス〉と、ある日、夕食がすんでから彼は言いました――しかし、平にお許しのほどを。私はうかつにも陛下が鶏馬族《コックネーズ》の方言にお通じにならぬことを失念いたしておりました(あの人間動物どもはコックネーズと呼ばれておりました。彼らの言葉が鶏《コック》のときの声と馬の|嘶き《ネー》との合いの子だったせいだと忖度《そんたく》いたします)。それでは、おそれながら、訳させていただきます。
〈ウォシシュ・スクォシシュ……〉と申しますのは――〈お前がじつに見上げた男だとわかって、シンバッドよ、余はうれしい。余らはこれから、いわゆる地球周航という仕事にとりかかるところじゃ。お前がそんなに世界を見たいというのなら、そこは曲げて、特に無料で怪物の背中に乗せてやろう〉という意味でございます』」
『イズイットソーオアノット』によれば、王妃シェヘラザードがここまで話したとき、王は左から右に寝返りを打って、こう言ったということである。
「王妃よ、そなたがこれまでシンバッドのその後の冒険について話してくれなかったとは、|まったくもって《ヽヽヽヽヽヽヽ》驚くべきことだ。これはなかなか面白くて奇怪な話ではないか?」
王がこのように意見を述べると、美わしのシェヘラザードは次のような言葉で物語をつづけたという。
「シンバッドはこのように言葉をつづけております――『私がこの人間動物の親切に感謝したことは申すまでもありませんが、やがて私は、この驚くばかりの速度で大洋を泳ぎまわる怪物の背でも、すっかりくつろげるようになりました。もっとも、大洋と申しましても、世界も涯のこのあたりになりますと、その表面はすこしも平らではございません。ざくろの実のようにまるいのでございます。ですから、私たちは――いわば――いつも丘をのぼったり、おりたりしているようなものでございます』」
「そいつは、まことに奇っ怪じゃ」と王は口をはさんだ。
「にもかかわらず、それは真実でございます」と王妃は答えた。
「わしは疑うぞ」と王は応じた。「が、まあよい、先をつづけるがいい」
「まことに」と王妃は言った。「『怪物は』とシンバッドはつづけました。『いま申しあげましたように、丘をのぼったり、おりたりするようにして泳いでゆくうち、とうとうある島につきました。それは周囲が何百マイルもあるというのに、毛虫のようなものが集まって海の真ん中にできた島でございました[珊瑚礁]」
「ふむ!」と王は言った。
「『この島を立ち去って』とシンバッドは言いました――(と言ったのは、とりもなおさずシェヘラザードが夫の不作法な合の手を意に介さなかったからである)――『この島を立ち去って、私たちはまたべつの島にきましたが、ここでは森の木がみな固い石でできていて、鍛えぬいた斧で切り倒そうとしても、かえって斧のほうが粉々にくだける始末でございました(*)』」
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*「テキサスにおける自然の不思議の最たるものは化石の森で、パシゴノ川の水源の近くにある。それは数百本の木からなり、みな直立したまま化石になっている。なおも生長していながら、部分的に化石化している木もある。これは自然科学者にとっては衝撃的な事象で、現行の化石理論の変更を余儀なくされるにちがいない」――ケネディ。
この記事は最初は信じられなかったが、その後、ロッキー山脈のブラック・ヒルズに源を発するシャイアン河、あるいはシエン河の上流付近で、完全に化石化した森が発見されたことによって裏付けを得た。
地理学的、あるいは景観的見地からすれば、カイロの近くにある化石の森ほどすばらしい眺めは、おそらくこの地上には存在しないであろう。旅行者はこの都市の門のすぐ外側にある回教王《カリフ》たちの墓をすぎ、スエズ砂漠を横断する道路からほぼ直角に南にすすみ、昨日潮が引いたばかりのように新鮮な砂や小石や貝殻におおわれた低い不毛な谷をゆき、しばらく進路に平行してつづいた低い砂丘の連なりを越える。すると眼前にひらけるのは想像を絶する奇怪で荒涼たる眺めである。すべてが石と化し、馬の蹄が当たると鋳鉄のような響きをたてる樹木の断片の集まりが、朽ちはて倒れた森となって、何マイルにもわたってひろがる。樹木の色は黒っぽい褐色だが、完全に原形を保っていて、その断片は長さが一フィートから十五フィート、厚さが二分の一フィートから三フィートで、それらが見渡すかぎりぎっしり密集しているので、エジプトのろばでさえ、そのあいだを通り抜けることはできまい。しかもこれらの樹木は自然な形態を保っているので、もしこれがスコットランドかアイルランドにあったとすれば、水の涸れた巨大な沼から露呈した木々が日光を浴びて腐敗しかけているのだと見あやまたれることだろう。根と枝のつけねは、多くの場合、ほぼ完全で、樹皮の下の虫に食われた穴まではっきりわかるのもある。木の導管や中心部の微妙な部分もまったく完全で、いかなる強力な拡大鏡による検証にも耐えうる。全体は完全に珪酸化し、ガラスに傷をつけることもでき、ぴかぴかに磨きあげることもできる。――『アジア雑誌』
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「ふん!」と王はまた言ったが、シェヘラザードは気にもかけず、シンバッドの言葉をつづけた。
「『この島をすぎて、私たちは、大地の底を四十マイルも五十マイルにもわたって走る洞窟がある国につきました。その地下なる洞窟には、ダマスカスとバグダッドにあるすべての宮殿を合わせたより数多い、また、はるかに広大にして華麗な宮殿があり、その屋根からは人間よりも大きいダイヤモンドのような宝石が星の数ほどもさがっておりました。そして塔、ピラミッド、寺院などが立ち並ぶ街路をぬうように、黒檀のように黒い水をたたえた河が流れ、そこには目のない魚が群がり泳いでおりました[テキサスのマンモス洞窟]』」
「ふん!」と王は言った。
「『それから私たちはある海域に出ましたが、そこには高い山があり、その山腹にはどろどろに溶けた金属の奔流がいくつもの条《すじ》になって流れ、そのあるものは幅が十二マイル、長さが十六マイルもございました[一七八三年、アイスランドにて]。山頂の深い穴からは大量の灰が吹きだし、空の太陽をかき消し、あたりはどんな闇夜よりなお暗く、そのために、私たちは山から百五十マイルもはなれていたのに、どんなに目を近づけても、真っ白いものさえ見わけがつかぬありさまでございました(*)』」
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*「一七六六年のヘクラの噴火にさいしては、この種の雲が暗闇をかもしだし、山から五十リーグはなれたガラウンバにおいてさえ、人びとは手探りでしか道をすすむことができなかった。一七九四年のヴェスヴィオの噴火にさいしては、四リーグはなれたカセルタで、人びとは松明のたすけをかりねば歩けなかった。一八一二年五月一日、セント・ヴィンセント島の火山から噴出した火山灰や砂の雲が全バルバドス島を闇のとばりでおおいつくし、ために日中の戸外で、自分の近くの木や、その他のものを見ることができず、目から六インチのところに置かれたハンカチでさえ見えなかった」――マレー『哲学叢書』二一五ページ。
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「ふん!」と王は言った。
「『この海岸をはなれて、怪物はなおも航海をつづけ、私たちは何でもがあべこべになっているようにみえる土地にきました――と申しますのは、ここには大きい湖があって、その水面下百フィートの湖底には、丈高く豪奢な木々が青葉をしげらす森があったからでございます(*)』」
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*「一七九〇年、カラカスに地震が起こり、花崗岩質の土壌の一部が陥没し、直径八百ヤード、深さ八十から百フィートの湖をつくった。陥没したのはアリパオの森の一部で、木々は水中で数ヵ月にわたり緑を保った」――マレー 二二一ページ。
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「ふう!」と王は言った。
「『それからまた数百マイルすすみますと、大気がたいへん濃密なところにまいりました。ちょうど私たちの大気が羽根を支えるように、ここの大気は、鉄や鋼鉄を支えるのでございました(*)』」
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* これまで製造されたもっとも硬質の鋼鉄でも、吹管の作用を利用すれば、微細な粉末にすることができ、これは容易に大気に浮かぶ。
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「くだらん!」と王は言った。
「『さらに同じ針路をすすみますと、やがて私たちは世界でもっともすばらしい土地につきました。全長が数千マイルにおよぶ雄大な河がその土地をうねるように流れていました。この河は言いようもないほど深く、琥珀《こはく》よりもなおくもりなく透きとおっておるのでございます。幅は三マイルから六マイルで、両岸の高さ千二百フィートにそそり立つ堤には、とわに花咲く木々、永遠にかぐわしい花々がおい茂り、あたり一帯が豪華な庭園となっておりました。しかし、この豪奢な土地の名は〈恐怖の国〉と申し、そこにはいれば死は必定なのでございます(*)』」
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* ニジェール河流域。シモンズの『植民地雑誌』参照。
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「ふふん!」と王は言った。
「『私たちは大急ぎでこの国から退散し、数日後には、またべつの土地にやってまいりました。ここには頭に大鎌のような角をはやした奇怪な動物の大群がいて、これを見て私たちは仰天しました。これらの醜悪なけものたちは大地に巨大な漏斗《じょうご》状の洞穴を掘り、その側面には岩石を敷きつめるのですが、これは他の動物がさしかかると、たちまち崩れ落ちる仕掛になっておるのでございます。こうしてまっさかさまにこの怪物どもの穴ぐらに墜落した動物たちは、その場で血を吸いとられ、その屍骸はいとも無造作に穴ぐらから、はるかかなたに投げ捨てられるのでございます(*)』」
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* マーミリオン――獅子蟻のこと。「怪物」という名称は体形の大小にかかわらず奇怪なものに使われてよい。また「巨大な」という形容詞も相対的なものでしかない。マーミリオンの洞穴は普通の赤蟻の穴にくらべればたしかに巨大《ヽヽ》であると言いうる。珪土の一粒はまた「岩石」と称しうる。
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「ぷー!」と王は言った。
「『私たちは旅をつづけ、植物が地面にでなく、空中に生える地方を見物しました(*1)。ほかの植物の本体から生えているのもございました(*2)。また生きている動物の体から生えているのもありました(*3)。それからまた、全体が強烈な火で燃えている植物(*4)や、意のままに移動する植物(*5)もございました。さらに驚くべきことに、生きていて、息をし、手足を自在に動かす花を私たちは発見しました。そのうえこの花は、他の動物を奴隷にし、命じた仕事をやりとげるまで恐ろしくもわびしい牢屋に閉じこめておくという、あの人間独特の情熱まで持ちあわせていたのでございます(*6)』」
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*1 ラン科に属するエピデンドロン、すなわちフロス・エイリスは根の表面を木やその他の物に付着させるだけで、そこから養分を吸収することはない――まったく空気に依存して生きているのである。
*2 寄生植物。たとえば、あの驚くべきラフレシア・アルノルディのような。
*3 スハウヴは生きている動物に棲息する植物――プランタエ・エピゾアエ――について述べている。ヒバタマや藻もこの種に属する。
マサチューセッツ州セイラムのJ・B・ウィリアムズ氏は次のような報告を添えて、ニュージーランドで発見した一匹の昆虫を「学士院」に提出した――「ホッテ――あきらかに毛虫の一種である――はレイタの木の根に棲息しているが、頭に植物を生やしている。このきわめて特異な昆虫は、レイタおよびペリリの木を登りつめ、その頂上からなかにはいり、幹に穴をうがちながら食べすすんで根にいたると、根から外に出て死ぬか、仮死状態にはいる。すると頭から植物が生えてくる。体は完全にもとのままの姿を保つが、生きていたときよりは固くなる。この昆虫から土民は入墨の染料をつくる」
*4 鉱山の坑道や自然の洞窟中には強烈な燐光を発する真菌植物が見出される。
*5 オルキス、スカビウスおよびヴァリスネリア。
*6 この花(アリストロキア・クレマティティス)の花冠は管状をなすが、上端は舌状を呈し、基底部は球状にふくらんでいる。管状部の内側は下向きの剛毛におおわれている。球状部には雌蕊があり、これは子房と柱頭からなり、まわりには雄蕊がある。しかし雄蕊は子房より短かいので、花粉を柱頭にふりかけることができない。花は受精が終わるまで直立しているからである。ゆえに、何らかの特別な補助手段がなければ、花粉は花の底に落ちるほかない。さて、このさい自然が提供した補助手段はティピュラ・ペニコルニスという小さい昆虫である。それは花冠の管から蜜を求めて侵入し、すっかり花粉にまみれるまで動きまわる。しかし例の剛毛は下向きに生えており、鼠捕りの針金のように一点に集中しているので、虫はふたたび外に出られない。監禁されたことにいくぶん苛立った虫は、出口を求めて、あちこちと動きまわり、柱頭をなんども往復し、そのうちに受精するのに充分な花粉を柱頭になすりつけることになる。花は受精するとすぐにうなだれはじめ、剛毛はちぢんで側面に付着し、昆虫は容易に外に出ることができる。――P・キース尊師『植物生理学大系』
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「えへん!」と王は言った。
「『この土地に別れを告げ、私たちはまもなくまたべつの国につきました。この国では天才的で学殖ゆたかな数学者といえば蜂と鳥でしたので、彼らが毎日この帝国の賢人たちに幾何学を教えていました。ところで宮殿の王様がたいへんな難問二題を出され、それを解いたものには褒美をとらせるぞ、と布告されたところ、それはたちどころに解かれてしまいました――ひとつは蜂によって、ひとつは鳥によって。しかし王様はその解答を秘密にしておかれました。ですから、人間の数学者たちが、蜂と鳥とが即答したのと同じ解答に到達したのは、彼らが永年にわたり深遠な研究と研鑽を重ね、分厚い本をいく冊も書いてからのことでございました(*)』」
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* 蜜蜂は――それが存在してからこのかた――もっとも安定した構造を持ちながら最大限の空間を確保しうるような壁面、部屋の数、角度であると(もっとも深遠な数学上の原理を含む問題を解くことによって)証明された、まさにそういう壁面、部屋の数、角度でもって巣を作ってきた。
前世紀の後半、数学者たちのあいだで次のような問題が提起された――すなわち「風車の翼に関して、回転翼からのさまざまな距離、および回転の中心からのさまざまな距離に応じて、これに与えうる最良の形を与えること」である。これはきわめて複雑な問題である。なぜなら、これを別言すれば、無限の変化する距離において、また腕木上の無限の点において、可能なかぎり最上の位置を見出すことだからである。もっとも高名な数学者たちがこの問題に解答を与えようとこころみたが無益だった。しかし、ついに決定的な解答が発見されたとき、最初の鳥が空を飛んで以来、鳥の翼がすでに絶対的な正確さをもってこの問題に答えていたことが判明したのである。
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「やれやれ!」と王は言った。
「『この国が見えなくなったかと思うと、私たちはまたべつの国の近くにきていました。その海岸から、幅が一マイル、長さが二百四十マイルにおよぶ大群をなして鳥が飛んできましたが、鳥たちは毎分一マイルの速さで飛んでいたのに、それがみんな私たちの頭上を飛びこえてゆくのに四時間もかかりました――その群には数十億という数の鳥がいたのでございます(*)』」
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* 一群の鳩が、すくなくとも幅が一マイルはあるフランクフォートとインディアナ地区の上空を飛んでゆくのが観察され、それが通過するのに四時間かかった。一分間に一マイルの速さで飛んだとすると、長さは二百四十マイルになる。一平方ヤードに三羽の鳩がいたとすると、全部で二十二億三千二十七万二千羽の鳩がいたことになる――F・ホール中尉の『カナダと合衆国の旅』
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「おお、とんでもない!」と王は言った。
「『これにはずいぶん迷惑しましたが、どうやらこの鳥たちをやりすごしたと思うと、またべつの種類の鳥が姿を現わし、私たちの肝を冷やしました。それは私が前回の旅で見かけたロック鳥よりはるかに大きかったのでございます。おお、いと寛大なる回教王《カリフ》さま、それはあなたさまの後宮のいちばん大きい円屋根よりも大きかったのでございます。この恐ろしい鳥には頭がなく、全体が胴体で、ひどくふくれて、まるまるとしており、柔らかそうで、すべすべと、つややかで、いろんな色の縞がはいっていました。この怪鳥は、屋根を打ち抜かれた一軒の家を爪につかみ、それを天なる自分の巣に運んでいるところでございました。その家のなかには人間の姿がはっきりと見えましたが、きっと彼らは自分たちを待ちもうける恐しい運命にひどく絶望していたにちがいございません。私たちは怪鳥をおどして獲物を落とさせようと、大声をあげてみましたが、怪鳥は、腹をたてたのか、唸り声めいた声を発し、やがて私たちの頭上に大きな袋を落としてよこしました。それには、なんと砂がいっぱい詰っておったのでございます』」
「たわごとだ!」と王は言った。
「『私たちがひろびろとし、驚くほど固い大陸に出会いましたのは、この冒険のすぐあとでございましたが、この大陸は四百本もの角をもつ空色をした牝牛の背にまるごとのっかっているのでございます(*)』」
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*「大地は四百本の角をもつ空色の牝牛に支えられている」――セールの『コーラン』
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「うん、|それなら《ヽヽヽヽ》信じるとしよう」と王は言った。「そんなことを書物で読んだおぼえがあるからな」
「『すぐさま私たちはこの大陸の下をくぐりぬけ(牝牛の脚のあいだを泳いででございます)、数時間後には、まことにすばらしい国に到着しました。人間動物が言うには、これこそ彼の生まれ故郷で、同類が住んでいるとのことでした。これを聞いて私はこの人間動物を大いに見直し、じつのところ、これまで彼をぞんざいな気やすい態度であしらってきたのを恥しく思いはじめました。と申しますのは、人間動物は概してすぐれた魔術師たちからなる連中で、脳のなかに蛆虫を飼っており(*)、それが身をくねらせてもがくのに刺戟を受けて、まことに摩訶不思議な想像力を発揮するのでございます』」
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* エントゾーア、すなわち体内寄生虫が人間の筋肉や大脳組織にいることは、しばしば観察されているところである――ワイアット『生理学』一四三ページ参照。
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「くだらん!」と王は言った。
「『この魔術師たちは、きわめて奇妙な数種の家畜を飼っております。たとえば、大きな馬でございますが、その骨は鉄、血は煮えたぎる湯でございます。穀物のかわりに、この馬が常食としていますのは黒い石。こんな固い食事をとっていても、この馬はまことに頑丈で足が速く、この都でいちばん大きい寺院よりも重い荷を、たいていの馬が飛ぶより速く引っぱることができるのでございます(*)』」
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* ロンドンとエクセター間を走る西部鉄道で、時速七十一マイルという速度が達成されている。また九十トンの列車がパディントンからディドコットまで(五十三マイル)を五十一分で走破した。
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「たわけた!」と王は言った。
「『それからまた、私はここで羽はないけれども駱駝より大きい牝鶏を見ました。この牝鶏は肉や骨でなくて、鉄やブリキでできております。その血は馬のときと同じように(じじつ、牝鶏は馬と近い親類のでございます)煮えたぎる湯です。また馬と同じように、これも木か黒い石しか食べません。この牝鶏はじつによく雛をかえします。一日に百羽もかえします。そして、かえった雛は母親の胃袋のなかで数週間すごすのでございます[人工孵化器]』」
「やれやれ!」と王は言った。
「『こういう強力な魔術師のひとりは真鍮と木と革で人間を創りあげ、これに非凡な才能をさずけたので、チェスを指すとなると、おそらく偉大な回教王《カリフ》ハルーン・アラスチャイルド[メルツェルの自動チェス・プレイヤー]は例外でありましょうが、全人類を打ち負かすほどでございました。またべつの魔術師は(同じ材料で)ある生き物を創りましたが、その才能たるや、それを創った当の本人のそれを恥じいらしめるていのものにございました。と申しますのは、その推理能力は抜群で、五万人の生身《なまみ》の人間が力をあわせてはげんでも一年はかかるような厖大な計算を、たったの一秒でやってのけるからでございます[バベジの計算器]。しかし、もっとすばらしい魔術師は、人間でもなければ動物でもない強力なものを独力で創りあげたのでございます。これはタールのような黒い物質とまぜあわせた鉛の頭脳をもち、その指は信じがたいほどすばやく巧妙に動き、一時間に二万部のコーランを苦もなく書き写すのでございます。しかもこれを正確無比にやってのけるので、写本のどれひとつをとりあげても髪の毛一本ほどの相違も認められないのでございます。このものは怪力無双、一息で帝国を建てたり、吹き飛ばしたりしたのでございますが、その力は善にも悪にも同様に用いられる次第でございます』」
「ばかばかしい!」と王は言った。
「『この魔術師たちの群のなかには、その血管に|火とかげ《サラマンダー》の血が流れている者もおりました。この者は灼熱したオーヴンの上にすわって長きせるをくゆらせながら、その鉄板上の食事がこんがり焼けるのを平気で待つのでございます(*1)。またべつの魔術師はありきたりの金属を金に変える能力を持っておりまして、その製造過程で点検する必要もないのでございます(*2)。さらにべつの者はきわめて繊細な触覚の持ち主でありまして、目に見えないほど細い針金をつくることができたのでございます(*3)。またまたべつの魔術師はたいへん目がはやく、一秒間に九億回も前後に振動する弾性体のいちいちの動きを数えることができたのでございます(*4)』」
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*1 シャベール、その後、彼につづく者多数。
*2 電鋳。
*3 ワラストンは望遠鏡の視野のめじるしのために、プラチナで一インチの一万八千分の一の太さの針金をつくった。これは顕微鏡でしか見ることができない。
*4 ニュートンは網膜がスペクトルの紫色の光線の影響下で一秒に九億回振動することを実証した。
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「ばかげている」と王は言った。
「『またべつの魔術師は、いまだ誰も見たことのない液体によって、死んだ友人の腕を振りあげさせたり、足を蹴り出させたり、闘わせたり、立ちあがらせて意のままに踊らせたりさえすることができました(*1)。またべつの者は大きな声が出せるように修業をかさね、ついに地球の端から端まで自分の声を聞かせることができるようになりました(*2)。さらにべつの者は非常に長い腕を持っていて、ダマスカスにいながらにしてバグダッドで――いや、じつのところ、どんな遠いところででも――手紙を書くことができるのでございます(*3)。またべつの者は稲妻に天から降りてこいと命ずると、稲妻は命に応じてやってき、それがやってくると、この者の遊び道具になりました。またべつの者は二つの大音響をとりあげて、これらから沈黙をつくりました。またべつの者は二つの明るい光から暗黒をつくりました(*4)。またべつの者は灼熱する炉のなかで氷をつくりました(*5)。またべつの者は太陽に自分の肖像画を描くように命ずると、太陽はその命にしたがいました(*6)。またある者は月や遊星の光を採集し、まずそれぞれの重さを厳密に測定し、その深部に探りをいれ、それぞれを形成している物質の固さを見出しました。しかし、この国の人たちはみな驚くべきほど魔術にひいでているので、赤ん坊でさえ、あるいは、普通の犬や猫さえ、存在していないものを見たり、その国が誕生するより二千万年もまえに宇宙から姿をかき消してしまったものを見たりするのに、なんの苦労もいらないのでございます(*7)』」
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*1 ヴォルタ電池。
*2 電信は情報を即座に伝える――すくなくとも地球上なら、どんなに遠くへも。
*3 電信印刷器。
*4 物理学ではあたりまえの実験。波長が〇・〇〇〇〇二八インチちがう二つの赤色光線を二つの光源から暗室に導いて白い表面に投射すると、光の強さは二倍になる。波長の差がこの分数の整数倍であれば、結果は同じである。そして二・二五、三・五などの倍数の場合は、一つの光線の強さにしかならない。しかし二・五、三・五などの場合には、まっ暗になる。紫色の光線についても、波長の差が〇・〇〇〇一五七ならば同様の結果になる――この差は紫から赤にかけて均一の率で増加する。音についての同様な実験も同様な結果をもたらす。
*5 プラチナの坩堝《るつぼ》をアルコール・ランプにかけて灼熱させ、そこに硫酸をそそぐ。硫酸は通常の温度ではもっとも蒸発しやすい物質だが、熱い坩堝のなかでは完全に凝縮して、一滴も蒸発しない。それ自体がつくりだすガス体に包まれて、坩堝の側面に接触しないからである。ここで数滴の水を落とすと、硫酸はたちまち熱せられた坩堝の側面に触れ、亜硫酸の蒸気になって四散するが、この反応がきわめて急速であるため、水の温度も同時に奪われ、坩堝の底に氷の塊が残ることになる。それがふたたび溶けないうちに取りだせば、灼熱した容器で氷の塊ができることになる。
*6 銀板写真術。
*7 光は毎秒十六万七千マイルの速度ですすむが、白鳥座六十一番星の距離(これは距離が確定されている唯一の恒星である)はきわめて遠いので、その光が地球に到達するのに十年以上かかる。これより遠い星の場合には、二十年――あるいは千年かかるとしてさえ、控え目な計算である。それゆえ、もし星が二十年まえ、あるいは千年まえに消滅していても、二十年まえ、または千年まえにその星の表面を出発した光によって、われわれは今日でもその星を見ることができるのである。われわれが毎日見ている多くの星がじつは消滅していることはありえないことではないばかりか――大いにありうることなのである。
父のほうのハーシェルは彼の大望遠鏡でかすかに見える星雲からの光が地球に到達するには三百万年かかっているにちがいないと主張する。すると、ロス卿の望遠鏡によって見える星雲のいくつかは、その光がとどくまでにすくなくとも二千万年はかかっているはずである。
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「でたらめな!」と王は言った。
「『これらの比類なく偉大で賢明な魔術師たちの妻や娘たちは』」とシェヘラザードは、夫の不作法きわまる差し出口の数々にいささかもたじろぐことなく、つづけた――「『これらの立派な魔術師たちの妻や娘たちは望みうるかぎり教養にとみ、気品にあふれておるのでございます。また、もしあの不幸な運命さえなければ、これらのご婦人たちは望みうるかぎり魅力的で美しかったはずでございますが、夫や父たちの超能力をもってしても、彼女たちをくだんの運命からいまだに救いえないでいるのが実状なのでございます。ところで運命はさまざまな形でやってまいります――しかし、いま私が話しております運命は、気まぐれという形でやってまいりました』」
「何と申した?」と王は言った。
「『気まぐれ、と申しました』」とシェヘラザードは言った。「『悪をなさんものとつねに待ちかまえている悪霊のひとりが、こういう教養ゆたかなご婦人たちの頭に、いわゆる個性美なるものは、ひとえに腰のうしろの隆起の仕方にかかっている、という考えを吹きこんだのでございます。美の極致はこの|こぶ《ヽヽ》の大きさと正比例する、とこう申すのでございます。もう永いあいだこの考えに毒され、そのうえ詰物もこの国では安価でございますゆえ、もうかなり以前から女性と|ひとこぶ《ヽヽヽヽ》駱駝を区別するのは困難になっているのでございます――』」
「やめろ!」と王は言った――「もう我慢ならん。また我慢するつもりもない。お前の嘘を聞かされたおかげで、わしはもうさっきから頭が割れるように痛いわい。それに、夜もそろそろ明けてきたようじゃ。結婚してどれくらいたつかな? ――わしの良心がまたうずきはじめたわい。それなのに|ひとこぶ《ヽヽヽヽ》駱駝とは何ごとじゃ――おまえはわしを間抜けだとこころえているのか? 結局のところ、おまえは起きあがって絞り首になるのがよかろう」
『イズイットソーオアノット』の記述によれば、この言葉はシェヘラザードを悲しませ、かつ驚かせたとあるが、彼女は王が良心の命ずるところに忠実なる人柄であり、一度口にしたことをひるがえすことはありそうにないことを承知していたので、いさぎよく運命にしたがうことにしたのであった。しかしながら、彼女は(弓弦が次第に首を締めつける束の間に)まだ話さない物語がたくさんあること、残忍な夫は癇癪をおこしたばかりに、摩訶不思議な冒険譚の数々を聞く機会を失なうという正当な報いをみずから招いたことを思い、大きな心のやすらぎをえたのであった。
[#改ページ]
ヴァルドマール氏の症状の真相
むろん私は、ヴァルドマール氏の世にも不思議な症状が議論のたねになったことを異とするにたりぬなどとうそぶくつもりはない。ことにあのような状況下で、氏の症状が議論をまきおこさなかったとすれば、それこそ不思議と言うべきだろう。すくなくとも当座のところ、あるいは、調査がもうすこしすすむまで、この事件の公表はさしひかえたいとする関係者一同の希望があだになって――また、隠そうとしたことが裏目に出て――ゆがめられ、誇張された話が巷間に流布し、あまたの不愉快な妄言虚説の源《みなもと》となり、当然のことながら、大いなる不信の念を生じさせることになったのである。
そういうわけで、私の理解しうるかぎりでのことだが、ここに真相《ヽヽ》を公けにする必要が生じたのである。真相とは、手短かに述べるとするが、以下のごとくである。
ここ三年間、私はたえず催眠術の問題に心奪われていた。そして九ヵ月ほどまえ、まことに忽然として頭にひらめいたことは、これまで行なわれてきた一連の実験にはきわめて重大にして看過しがたい欠陥があるということであった――つまり、臨終《ヽヽ》の人間に催眠術がほどこされた事例が一件もないことに気づいたのである。検討されてしかるべきことは、まず第一に、さような状況下にある患者が催眠術に感応するかどうか、第二に、もしそうなら、その感応力は死に瀕していることによって減少するのか増大するのか、第三に、どの程度、またどれほどの期間、催眠作用によって「死」の侵入を阻止できるか、ということであった。このほかにも確認しておきたかった問題はあったが、私の好奇心を最大にそそったのは以上の諸点で――なかでも第三点は、その結果がきわめて重大な性格のものだけに、格別であった。
こういう特定の事項を実験するのにふさわしい被術者はいないものかと思いめぐらしてみたところ、私の友人のエルネスト・ヴァルドマール氏のことが頭に浮かんだ。氏は『法廷弁論叢書』の高名な編纂者で、また(アイザッカー・マルクスという筆名を用いて)『ヴァレンシュタイン』と『ガルガンチュア』のポーランド語訳を出した人物である。一八三九年以来、ヴァルドマール氏はニューヨークのハーレムに住んでいて、極端に痩せ細っているのが(あるいは、いたのが)特徴である――氏の下肢は細いことではジョン・ランドルフ〔実在の政治家で、骸骨のように痩せていたといわれる〕のそれによく似ており、頬髯《ほおひげ》が真白で、髪の毛の黒さときわだった対照をなす――そのために髪のほうは|かつら《ヽヽヽ》であろうとみなに思われていた。その性格はきわめて神経質で、それゆえ催眠術の実験台には好都合な人物だった。
二度か三度、私は彼をいとも簡単に眠らせてみたが、彼の特異な体質のせいで私が当然期待した結果は得られず、落胆させられたものである。彼の意志は、いかなる場合も、積極的には、あるいは完全には、私の意のままにはならなかった。千里眼《ヽヽヽ》については、私は彼を被術者にしてなんら信頼すべき成果をおさめえなかった。そういう点についての失敗を私はいつも氏の体調が悪いせいにしていた。彼と知りあいになる数ヵ月まえ、私は彼の医者から、氏が慢性の肺結核にかかっていると聞かされていた。事実ヴァルドマール氏は近づきつつある自分の死滅について、避けがたいが嘆くにもあたらないことのように、物静かに語るのがつねだった。
だから、さきに述べたようなことを思いついたとき、まずヴァルドマール氏のことが私の頭に浮かんだのは至極当然なことだったのである。彼が悟りきった哲学の持ち主であることをよく承知していたので、その彼《ヽ》が実験台になるのを尻ごみする心配はまずあるまいと私は思った。それに、邪魔だてしそうな彼の縁者も、アメリカにはいなかった。私はこの件について卒直に彼に話してみた。すると驚いたことに、彼はいちじるしく興味をそそられたようだった。「驚いたことに」と断るのは、彼はいつでも自分の身体を唯々諾々と私の実験台に供したけれども、私のすることに心から共感を示したことはなかったからだ。彼の病気は、その性格上、いつ死をもって終焉をとげるかを正確に予知することができた。そこで話しあった結果、彼の主治医が死亡時刻を予告したら、それより二十四時間まえに私に通告するということで二人のあいだに折合いがついたのである。
私がヴァルドマール氏自身から次のような簡潔な手紙を受け取ったのは、およそ七ヵ月ほどまえのことになる。
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親愛なるP――君へ
|ただちに《ヽヽヽヽ》お出でを乞う。D――とF――の両医師は、私が明日の真夜中より長くはもつまいということで意見が一致した。私もだいたいその頃だと思う。
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私がこの手紙を受け取ったのは、それが書かれてから半時間後だったが、その十五分後にはもう、私はこの臨終の男の病室にいた。そのまえの十日間、私は彼を見舞うのを怠っていたのだが、そんな短期間に、彼が恐ろしいばかりに変貌をとげているのに、私は愕然とした。顔は鉛色をおび、眼からは輝きがまったく消えていた。肉があまり極端にそげたため、頬骨が皮膚から突き出ていた。おびただしい量の痰があふれ出ていた。脈はほとんど感じられないほど。にもかかわらず、意識は異常なほど明晰で、肉体的な力もある程度のこっていた。話しぶりははっきりしており――人手を借りずに緩和剤を飲んでいた――それに、私が部屋に入っていったときには、手帳に鉛筆で何やらしきりに書きつけていた。枕を支えに、彼はベッドの上で身を起こしていたのだった。D――とF――の両医師がつきそっていた。
ヴァルドマール氏の手をしっかり握りしめてから、私は二人の医師をわきに呼び寄せ、患者の容態を詳細にたずねた。左肺は十八ヵ月ほどまえから、なかば骨質化して軟骨状になっていて、むろん、生存の用にはまったくたっていなかった。右肺の上部も、全部ではないが、部分的に骨質化し、その下部は、混沌たる化膿した結節の|かたまり《ヽヽヽヽ》であるにすぎなかった。大きな空洞がいくつかあり、あるところでは、それが完全に肋骨に癒着していた。右肺葉にこのような現象が見られるようになったのは比較的最近のことだった。骨質化は異常に迅速に進行したのだった。そのような徴候は一ヵ月まえにはみとめられず、癒着が発見されたのは三日まえにすぎない。結核とは別に、患者の大動脈に動脈瘤ができている可能性もあったが、この点については、骨質化の徴候があるので正確な診断は不可能だった。両医師の見解によれば、ヴァルドマール氏は翌日(日曜日)の真夜中ごろに死ぬだろうということだった。以上は、土曜日の夜の七時現在のことである。
私と話をするために患者の枕頭をはなれるにさいして、D――とF――の両医師はヴァルドマール氏に今生の別れを告げていた。彼らはもうここに戻るつもりはなかったのだ。だが、私が懇願すると、両名とも翌日の午後十時ごろに患者の容態をみに立ち寄ると約束してくれた。
彼らが行ってしまうと、私はヴァルドマール氏と迫まりくる死の問題や、とくに、私が提案していた実験に関して腹蔵なく話しあった。氏はあいかわらず実験には大いに乗り気で、さっそく始めるようにとせがむのだった。男と女の看護人がついていたが、こういう性格の仕事をするにあたり、万一の事故を想定すると、証人としてこの二人だけしかいないのは、いかにも心もとなかった。それゆえ私は実験を翌晩の八時まで延期することにしたのだが、運よく翌日のその時刻に、私もいくらか面識のある医学生(セオドア・L――l)が姿を見せたので、証人問題については、それ以上頭を悩ます必要がなくなった。もともと主治医たちが来るまで私は待つつもりだったのだ。しかし私が実験を開始するつもりになったのは、まず第一に、ヴァルドマール氏がしきりに懇願したためと、第二には、患者が急速に衰弱していくのが目に見えていて、もはや一刻の猶予もなるまいと私にも思われたせいである。
L――l氏は親切な人で、これから起こることをみな記録してほしいという私の願いをきいてくれた。だから、私がこれから語ることのおおかたは、彼の記録の要約か、あるいは|そのままの《ヽヽヽヽヽ》引き写しである。
八時五分ほどまえ、私は患者の手をとり、自分(ヴァルドマール氏)はこのような容態のもとで小生から催眠術をほどこされることに完全に同意する、とできるだけはっきりL――l氏に述べてほしいと頼んだ。
彼は、弱々しくはあったが、はっきり聞きとれる声で、「はい、私は催眠術をかけてもらいたい」と答え――それにすぐつづけて、「もう遅すぎはしないかね」と言った。
彼がこんなことを言っているあいだに、私は、かねてから承知の、彼を眠らせるのにいちばん有効な催眠法を開始した。まず彼のひたいを横ざまに一撫《ひとなで》すると、あきらかに感応したようだったが、それ以上は、全力を傾注してみたものの、顕著な効果はあらわれなかった。そのうち十時もいくらかまわり、D――とF――の両医師が約束どおり姿を見せた。私はこのご両人に自分の意図を手短かに説明したが、患者はすでに死の苦痛にあえいでいると彼らは言い、べつに異議をとなえるふうもなかったので、私はためらわずに催眠術をつづけた――ただし、横に撫でていたのを下向きに撫でる方法に切り換え、患者の右の眼にこちらの視線を集中させた。
このころまでには彼の脈は感じられなくなり、いびきをかくような呼吸をし、しかも三十秒もとぎれることがあった。
この状態はほとんど変ることなく十五分ほどつづいた。が、この十五分がすぎると、きわめて深いとはいえ、自然な溜息が瀕死の男の胸から洩れ、いびきめいた呼吸はやんだ――つまり、いびきはもはや聞こえなくなったのだが、呼吸の途切れる期間に変化はなかった。患者の手足の先は氷のように冷たかった。
十一時五分まえ、催眠効果のまがいようもないしるしを見てとった。それまでガラス玉のような動きをしていた眼に変化がきざし、催眠状態にあるとき以外には見られることがなく、そして絶対に見まちがいようのない、例の|内省的な《ヽヽヽヽ》表情が眼にあらわれてきたのだった。手を二、三度すばやく横に動かすと、眠りかけによくやるように、まぶたがピクピクと動き、なおも手を二、三度動かすと、まぶたは完全に閉じた。しかし私はこれに満足せず、意志の力を最大限に発揮し、活発な手の操作をつづけ、やがて、患者の四肢をらくそうな位置においてから、それを完全に硬直状態にした。脚は充分に伸ばし、腕もほぼそうしたが、これは、ベッドの上の腰からほどよく触れるように按配した。頭はほんのすこし持ち上げておいた。
こういう作業が完了したときには、もうすっかり真夜中だったが、私は立合いの医者にヴァルドマール氏の容態を調べるように頼んだ。二、三の検査をしてから、医師たちは彼が異常なほど完璧な催眠状態に陥っていることを認めた。両名の医者の好奇心は大いにかきたてられた。D――博士は即座に夜どおし患者のそばにつきそう決心をし、F――博士は夜明けにまた来ると約束して出ていった。L――l氏と看護人はとどまった。
われわれはヴァルドマール氏を翌朝の三時までそのままの状態にしておいたが、三時に氏のそばにいってみると、F――博士が出ていったときとまったく同じ状態にあった――つまり、彼は同じ格好で横たわっていたのだ。脈は感じられず、呼吸は(鏡を唇に持っていかなければ、ほとんど気づかれないほど)おだやかで、眼は自然に閉じ、手足は大理石さながらに堅く冷たかった。それでも、全体のようすは死人のそれではなかった。
ヴァルドマール氏のそばにゆくと、私はためしに自分の右腕を彼のからだの上で静かに前後に動かし、彼の右腕を私の右腕の動きに感応させてみようとした。この患者にこのような実験をしてみて完全に成功したことはなく、いまそれに成功しようとはほとんど思ってもいなかったので、彼の腕が、ごくかすかにではあったが、私の腕の動きにつれて動いたときには、大いに驚いた。そこで私はすこしばかり会話をこころみてみようと決心した。
「ヴァルドマールさん」と私は言った。「あなたは眠っているのですか?」彼は答えなかったが、唇がかすかに動くのが認められたので、私は同じ質問を何度かくりかえしてみる気になった。三度目に、彼の全身がごくかすかにだが、わななき、まぶたは白眼《しろめ》が線になって見えるほどまでに見開かれ、唇はものうげに動き、そのあいだから、ほとんど聞きわけられないほどのささやき声で、言葉が洩れてきた。
「そうだ――眠っている。起こさないでくれ! ――このまま死なせてくれ!」
そこで私は手足に触れてみたが、これはあいかわらず硬直していた。右腕は、さっきと同じように、私の手の動きにしたがった。
「まだ胸は痛みますか、ヴァルドマールさん?」
今度はすぐに返事があったが、以前よりもなお聞きづらかった。
「痛みはない――私は死にかけている」
いまはこれ以上の負担を患者にかけるのはよくないと思い、F――博士が夜明けのすこしまえに到着するまで、私は何もせず、何の言葉もかけなかった。博士は患者がまだ生きているのに大きな驚きを示した。脈をとり、唇に鏡をあてがってから、彼は私に被術者に語りかけるようにうながした。私はそれに応じて、言葉をかけた。
「ヴァルドマールさん、あなたはまだ眠っているのですか?」
前回のように、返事があるまでには数分の間があった。その間に、この死に瀕した男は話すエネルギーを蓄積しているかのようだった。同じ質問を四度目にしたとき、彼はほとんど聞きとれないほどのかぼそい声で言った。
「うん、まだ眠っている――死にかけている」
こうなると医師たちの意見、というよりは希望は、死が訪れるまで、ヴァルドマール氏を現在の一見平静な状態のままにしておくべきだということになった――そして、一同の見るところ、その死はもはや数分のうちに訪れる気配であった。しかしながら、私はもう一度話しかけてみることにし、さっきと同じ質問をくりかえしてみた。
私が話しかけているあいだに、この眠りながらも意識のある男の表情に顕著な変化がきざした。眼球をゆっくり回転させながら眼が開き、ひとみは上部に隠れた。皮膚は全体に屍体のような色を呈し、それは羊皮紙というより白紙の色に近かった。それまで左右の頬の中心にはっきりと浮かんでいた消耗熱性の円い紅斑はたちまち|消えた《ヽヽヽ》。|消えた《ヽヽヽ》という表現を用いるのは、それが突如として見えなくなったさまは、何よりも私にロウソクの火が一息で吹き消されるさまを思い出させたからだ。同時に、それまで歯をすっかりおおっていた上唇が巻き上がって歯をむき出しにした。また下顎ががくんという音をたてて下に落ち、口があんぐりと開き、はれあがって黒くなった舌がまる見えになった。当時そこにいた連中はみな臨終の恐怖には慣れていたはずである。ところがヴァルドマール氏の死にざまの形相は想像を絶するものすごさで、だれもが思わず病床から尻ごみしたほどである。
話がここまでくると、読者はだれしも驚きあきれて積極的に不信の念をいだくことになるのではないかと心配だ。が、話をつづけるのが目下のところ私の義務である。
もはやヴァルドマール氏が生きていることを保証するほんのかすかな徴候さえなかった。われわれは彼が死んだものと断定し、あとは看護人の手にゆだねようとしていたところ、彼の舌にはげしい振動性の動きが見られた。これは、おそらく一分ほどつづいた。この期間がすぎると、あんぐり開いて動きのない顎から声が出てきたのだが――その声を説明しようとこころみるのは狂気の沙汰だろう。なるほど、この声を説明するのに利用できる二、三の形容詞がないわけではない。たとえば、その声はしゃがれ、とぎれ、うつろであったと言うことはできよう。だが、その全体の無気味さは筆舌につくしがたく、それというのも、それと似たような音がいまだかつて人間の耳をけがしたためしがないという単純な理由による。とはいえ、その声の調子の特徴をかなりよく伝達し――また、そのこの世のものならざる特異性をいくらかなりと伝えるために採用してもよいと当時も思い、いまも考えている特質が二つある。まず第一に、その声はわれわれの耳に――いや、すくなくとも私の耳には――きわめて遠方から、あるいは、地下深くの洞窟から聞こえてくるような感じがした。第二に、私の印象では(正直なところ、とうてい理解していただけないのではないかと思うのだが)その音にはゼラチンのような、ねばねばした物に触れたときの感じがあった。
私は「音」と言ったり「声」と言ったりしたが、音というのは、はっきりした――驚くほど、ぞっとするほど、はっきりした――音節のことである。ヴァルドマール氏は|話した《ヽヽヽ》のである――あきらかに、私が数分まえに氏に押しつけた質問に答えたのである。ご記憶のように、私は彼がまだ眠っているかと問うたのである。さて、彼はこう答えたのだ。
「うん――いや――私は|眠っていた《ヽヽヽヽヽ》――だが、いまは――いまは――もう死んでいる」
こういう言葉が、こういうふうに語られることによってかもし出されることになった名状しがたい戦慄的な恐怖を否定しようとしたり、抑圧しようとこころみたりする者は、その場にいあわせた連中のなかにはひとりもいなかった。L――l氏(医学生)は失神してしまった。看護人たちは一目散に部屋から逃げ出し、どう説得しようと戻ってこなかった。私自身の戦慄を読者にわかってもらえるように書けるとも思わない。ほぼ一時間ほど、われわれは黙々と――一語も発せずに――L――l氏の息を吹きかえさせるために懸命になった。彼が蘇生すると、われわれはまた語らいあってヴァルドマール氏の容態を調査することにした。
氏の容態は、あらゆる点で、さきに私が述べたままの状態だったが、ただ口許に鏡を持っていっても、もはや呼吸をしている証拠は見られなかった。腕から血液を採取しようとこころみたが、だめだった。それにこの腕も、もはや私の意志の自由にはならなかったことも述べておかねばなるまい。私はその腕を私の手の動く方向に動かそうと努力してみたのだが、無益だったのである。催眠術にかかっていることを示す唯一の実際的な徴候は、私がヴァルドマール氏に語りかけるたびに、舌がかすかに振動することだけだった。彼は返事をしようとつとめているらしかったが、もはや答えるだけの気力がなかったのだ。私以外のだれが質問しても、彼は反応を示さないようだった――そこにいあわせた連中には、みな彼と霊交《ヽヽ》状態におくように私は努力はしてみたのだが。この時点における被術者の状態を理解するのに必要なことは、これですべて述べたつもりである。別の看護人をやとい、十時に私は二人の医師、それにL――l氏とともに家路についた。
午後に、われわれはまた患者を見舞った。彼の状態にはなんの変化も見られなかった。彼の催眠を解くのが妥当か、また可能であるかについて、われわれはいくらか議論をした。しかし、そんなことをしてみても何の役にもたつまいということにわれわれの意見は難なく一致した。これまでのところ、死(あるいは、通例、死と呼ばれているもの)が催眠術の作用によって中断されていることは明らかだった。ヴァルドマール氏を覚醒させることは、彼を即座に、あるいは急速に、死滅に追いやるゆえであることは、われわれ一同には自明のことに思われたのである。
この時期から先週の末まで――つまり、|ほぼ七ヵ月にわたる期間《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》――われわれは一日も欠かさず、ときおり医者、その他の友人をともなって、ヴァルドマール氏の家を訪問した。その間、被術者は、さきほど私が記述したのと|そっくりそのまま《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》の状態を保持した。看護人たちによる世話はつづけられた。
先週の金曜日、ついにわれわれは、催眠を解く実験、あるいは彼をめざめさせる実験をする決心をした。そしてこの実験が(おそらく)不幸な結果を招くであろうという予測が各方面に物議をかもすことになったのだが――こういう一般大衆の感情のおおかたを、私は不当と断じざるをえない。
ヴァルドマール氏の催眠状態を解くために、私はいつもの按手《あんしゅ》法を用いた。だが、これはしばらくのあいだ功を奏さなかった。最初の蘇生のきざしは、眼球の虹彩がいくぶん下にさがったことだった。とくに注目すべきことは、虹彩がさがるとほぼ同時に、(まぶたの下から)刺戟性の、ひどい悪臭を放つ黄色味がかった脳漿がおびただしく流出したことだった。
ここで誰かが、以前のように患者の腕を動かしてみてはどうかと提案したので、やってみたが、だめだった。するとF――博士が質問をしてみるようにとほのめかすのだった。そこで私は次のように質問した。
「ヴァルドマールさん、あなたはいまどう感じ、何を望んでいらっしゃるか、言っていただけませんか?」
すると例の消耗性の紅斑がふたたび両頬にあらわれ、舌はふるえ、というより(両顎と唇は依然として硬直したままだったのに)舌は口のなかで猛烈にのたうちまわり、とうとう、私がさっき述べた、例のおそろしい声が発せられた。
「たのむから! ――早く! ――早く! ――眠らせてくれ――それとも、早く! ――目をさまさせてくれ! ――いいかい、|わしは死んでいるんだぞ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》!」
私はすっかり度胆《どぎも》を抜かれ、一瞬、どうしてよいかわからなかった。はじめ私は患者の気持を落ちつけようとつとめた。ところが、意志の機能が完全に一時停止してこれに失敗したので、こんどは逆に、彼を目ざめさせようと懸命に奮闘した。こうしているうちに、うまくゆく見込みがついてきた――すくなくとも、私のこころみは完全に成功するはずだという気になってきた――そして部屋にいた者は全員、患者が目をさますのをいまにも見られるものと予想していたことはたしかである。
ところが現実に起こったことは、誰の予想にも反していた。
「死んでいるんだ! 死んでいるんだ!」という叫びが患者の唇からではなく、舌から直接に|ほとばしり出る《ヽヽヽヽヽヽヽ》のを耳にしながら、私がいそがしく按手をこころみているうちに、彼の全身が――一分ぐらいのあいだに、いやそれより短い時間に、たちまちにして縮み――崩れ、私の手の下で|すっかり《ヽヽヽヽ》腐りはててしまったのだ。われわれ一同の眼前に、ベッドの上に横たわっているのは、ほとんど液体化した、胸くその悪くなるような――いまわしい腐敗物の|かたまり《ヽヽヽヽ》にほかならなかった。
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のこぎり山奇談
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〔「のこぎり山」はヴァージニア州のシャーロットヴィル南方にある山脈《やまなみ》で、せいぜい三百メートルどまりの丘のかたまり。なおシャーロットヴィルはヴァージニア大学の所在地で、この大学にポオは、一八二六年(この物語が設定されている年の一年まえ)、十八歳のとき、一年あまり在学した〕
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一八二七年の秋、ヴァージニア州のシャーロットヴィルに住んでいたとき、私はふとしたことからオーガスタス・ベドロー氏と知りあった。この若い紳士はあらゆる点で変っていて、それがいたく私の興味と関心をそそった。精神的にも肉体的にも、この男には、とらえようがないところがあった。彼の家族について、私は満足のゆく話を聞いたことはなかった。どこの生まれかも、確認できなかった。彼の年齢についてさえ――いま私は若い紳士と言ったけれども――すくなからず私をまどわせる何かがあった。たしかに彼は若く|みえた《ヽヽヽ》――彼自身も、若さを強調した――だが、彼が百歳であってもおかしくないと思える瞬間がよくあった。
しかし、なんといってもいちばん変っていたのは、その容姿だった。彼はえらく背が高く、痩せていた。ひどく前かがみだった。手足はなみはずれて長く、細かった。額は横に広いが狭い。顔色にはまるで血の気がなかった。口は大きく柔軟で、歯は丈夫だったが、その歯並びはひどく悪く、こんなひどい歯並びの人間を私はそれまで見たことはなかった。こうなれば、さぞかし彼の微笑は無気味だろうと思われそうだが、決して不愉快なものではなかった。ただ、いつも同じ微笑を浮かべているのだ。それは深い憂愁の情をおびた笑いで――つねに変らぬ、やむことのない悲しみをあらわしていた。眼は異常に大きく、まるで猫のそれのようにまるかった。その瞳孔も、まるで猫属のそれさながらに、光の強弱につれて大きくなったり、小さくなったりした。興奮したりすると、その眼は想像を絶する輝きをおび、その放つ光は、反射によるのではなく、ろうそくや太陽のように、自前の光を放つようだった。しかし普通の状態では、まるで生気がなく、どんよりと澱んでいて、長らく埋葬された死人の眼をしのばせるほどだった。
彼もこういう容貌上の特質を気にしていたらしく、いつも、なかば釈明じみた、なかば謝罪めいた口ぶりでそれに触れたので、はじめてそれを耳にしたときなど、私は痛々しい思いをしたものだ。しかし、私もそれにはすぐ慣れ、あまり気にしなくなった。彼のつもりでは、自分もむかしはこんな体ではなかった――永年にわたる神経痛の発作のために、かつては人並すぐれて端麗だった容姿が、ごらんのようなさまになってしまった、と直接には口にせずに、遠まわしに言っていたのだ。長いあいだ、彼はテンプルトンという医師の治療を受けていて――これは年のほど七十ばかりの老紳士だが――二人はサラトガで知りあい、その地で、この医師から受けた手当が大いに効いた、あるいは効いたと信じこんだのだ。その結果、裕福なベドローはテンプルトン博士と契約を結び、医師は高額の年収を受けることを条件に、自分の時間と医学上の経験をあげてこの病人の治療のためにささげることに同意したのだった。
テンプルトン博士は若いころ世界を放浪して歩き、パリでメスメル〔ドイツの医者で、動物磁気animal magnetismに対する関心から催眠術を利用する療法を発見した〕の学説の熱心な信奉者になった。だから博士が彼の患者の苦痛を軽減するのに成功した療法はもっぱら催眠術によるものであったが、この成功が患者に、当の療法が由来する学説にかなりの信頼感をいだかせることになったのは至極当然ななりゆきだった。だが、あらゆる熱心家の例にもれず、この医師は自分の弟子を完全な改宗者にしなければ気がすまず、大いに努力した結果、ついに、この病人にさまざまな実験を受けさせる同意を取りつけることに成功した。
こういう実験をたびたびくりかえしているうち、今日では珍しくなくなったのであまり注意をひかず、あるいは、まったく注意をひかなくなってしまったが、私が言及している時期のアメリカではほとんど知られていなかった、ある結果が生じてきた。すなわち、テンプルトン博士とベドローのあいだに、徐々にではあったが、きわめて歴然として強固な|精神的な結びつき《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》、つまり催眠術的関係ができあがってきたのである。この|結びつき《ヽヽヽヽ》が催眠状態をもたらす力の限界を越えていたとまで主張するつもりはないが、この催眠力そのものがきわめて強力なものになってきたのである。催眠状態をもたらす最初の実験では、この催眠術者は完全に失敗した。五度目か六度目には部分的に成功したが、それも長い努力を重ねたすえのことだった。十二回目になってやっと、実験は完全な成功をおさめた。それ以後は患者の意志は急速に医師のそれに屈服するようになり、その結果、私がはじめてこの二人と知りあいになったころには、患者は、術師の意のままに、術師の存在に気づいていないときでさえ、ほとんど即座に催眠にかかるほどになっていた。一八四五年現在では、こういう奇跡を何千もの人たちが毎日のように目撃しているので、こういう一見ありそうもないことをまじめな事実として記録する勇気も出てきたのである〔ポオがこの作品を書いた時点(一八四四)では、まじめな催眠術の研究はさほど進んでいなかったが、この現象に対する一般の関心はかなり高まっていた〕
ベドローの気質は、極度に感じやすく、興奮しやすく、また熱狂的だった。彼の想像力は異常に強力で、創造的だった。が、それというのも彼が大量のモルヒネ〔アヘンから精製される幻覚剤で、「それには外界のあらゆる事物に強い好奇心を持続させる効果……たのしく混沌として、もの狂おしく無秩序な思い」を生む効果がある。また英国の随筆家・小説家デ・クウィンシーに『アヘン吸飲者の告白』(一八二二)がある。当時はこれらの麻薬に対し社会は一般的に寛容だった〕をひごろ服用していたせいもあったにちがいなく、またモルヒネなしには生きていけなかったのでもあろう。毎朝、朝食のすぐあとに――というより、彼は午前中には何も食べなかったので、強いコーヒーを一杯飲んだ直後に――大量のモルヒネを一服やり、それからひとりで、あるいは犬を一匹つれて外出し、シャーロットヴィルの西方と南方に荒涼としてつらなる丘、この地方では「のこぎり山」と大仰に呼ばれている山脈《やまなみ》のあいだを散策するのが彼の日課であった。
十一月もおわりに近い、アメリカでは「小春日和《インディアン・サマー》」と呼ばれる奇妙な季節の空位期間《ヽヽヽヽ》の、とあるおぼろな暖いもやのかかった日に、ベドロー氏は、いつものように、丘に出かけた。ところが、その日が暮れても、彼は帰宅しなかった。
夜の八時ごろになっても、彼がまだもどってこないので、われわれも本気で心配になって、彼を捜しに出かけようとしていたやさき、彼はひょっこり姿を見せ、健康もいつもと変らず、いやむしろ精神的にはいつもより高揚しているようすだった。彼の話してくれたその日の探険や、帰宅が遅れた事情はまことに奇妙なものだった。
「おぼえていらっしゃるでしょうが」と彼は話した。「私がシャーロットヴィルを出たのは朝の九時ごろでした。私はすぐに山の方に足を向け、十時ごろに、まったく私には見おぼえがない谷間に入りこみ、この谷間の曲りくねった小道を私は興味をおぼえながらたどったのです。四方の眺めは、とても雄大とは言いかねるものの、そこには名状しがたい何かがあって、私には、その物悲しい荒涼の気が一種甘美なものに思えるのでした。この寂寥《せきりょう》感には、いまだ絶対に人間の眼にふれたことがないという感じがありました。私が足を踏み入れた緑の土や灰色の岩は、これまで人間の足が一度も踏みこんだことがないのだ、と思わないわけにはいかなかった。この谷間の入口は、まったく人里はなれ、よほどの偶然が重ならないかぎり、文字どおり近づきがたいところにあったので、私こそが最初の探険家――私こそがこの窪地に入りこんだまず最初の、そして唯一の探険家であることは大いにありうることなのです。
いますべてのものに垂れこめている『小春日和《インディアン・サマー》』につきものの、濃い独特のもや、ないし煙が、これらのものがつくりだす漠然とした印象をいっそうおぼろなものにしていることはたしかでした。この風情ゆたかな霧はたいそう濃くて、小道の行手はいつもせいぜい十ヤードほどしか見えません。この小道はひどく曲りくねっているうえ、太陽も見えなかったので、やがて私はどの方向に歩いているのかさっぱり見当がつかなくなりました。こうするうちにも、例のモルヒネの効果――外界のあらゆる事物に強い好奇心を持続させる効果はつづいていたのです。一枚の葉のふるえ――草の葉の色あい――三つ葉のかたち――蜂の羽音――露のしたたりのきらめき――風の息吹き――森からただよいくるかすかな匂い――それらすべてがゆたかな連想をはらみ――たのしく混沌として、もの狂おしく、無秩序な思いが頭をかけめぐるのでした。
こういう思いにふけりながら数時間も歩きつづけるうち、あたりのもやはいっそう濃くなり、ついには手探りでなければ歩けなくなってしまった。こうなると、ある名状しがたい不安が私をとらえた――一種の神経的なためらいと怯えでした。深淵にまっさかさまに落下するのではないかと、私は足を踏み出すのさえこわくなったのです。それに、この『のこぎり山』にまつわる奇妙な話や、茂みや洞窟にひそむ粗野で狂暴な種族のことなどを思い出したのです。無数のとらえどころのない妄想が頭に浮かび、私をおびえさせたのです――とらえどころがないだけに始末にわるい妄想でした。と、まさしくだしぬけに、太鼓を打つ大きな音がとどろきわたり、私の注意をうばったのです。
もちろん、私はびっくり仰天しました。こんな山中で太鼓の音がするなんて、聞いたこともないことでしたから。大天使のラッパの音を聞いたって、こんなに驚きはしなかったはずです。が、なおさら、意外なことがあらたに起こり、私の興味をそそり、当惑を深めたのです。まるで大きな鍵束をゆするような、けたたましいジャラジャラいう音がしてきた――と同時に、黒い顔をした半裸の男が叫び声をあげながら私のそばを走りぬけていった。私のからだのすぐそばを通っていたので、男の熱い息が私の顔に吹きかかったほどでした。その男は片手に鉄の環を束ねたような道具を持っていて、走りながらそれをはげしく振っていたのです。この男が霧のなかに姿を消したか消さぬかに、大きく口を開き、眼をぎらつかせた大きな野獣が、吐く息も荒々しく男のあとを追ってきたのです。獣の正体は明らかでした。ハイエナでした。
この野獣を見て、私の恐怖は高まったというより、むしろ、いくらかほっとした――というのは、これはもう夢を見ているにちがいないと思ったからで、私は眠りをさます工夫をこらしました。私は大胆に足を踏み出し、活発に歩をすすめた。眼もこすってみた。大声で叫びもした。手足をつねってもみた。小さな泉が見えてきたので、私はそこにかがみこみ、手や頭や首を水にひたしてもみた。こうしたおかげか、それまで私を悩ませていた曖昧模糊とした感じが消えたようでした。私は新しい人間に生まれ変ったように感じ、未知の小道をみちたりた思いで着実にすすんでいきました。
そのうち、疲れたのと、それにあたりの空気が妙に重苦しく感じられるようになったので、私はとある木の下に腰をおろした。すると、弱々しい日の光が射してきて、その木の葉の影をかすかにではあったが、はっきりと草の上に落とした。私はこの影をいぶかりながらも数分間にわたって、じっと見つめました。そして上を見た。それは椰子《やし》の木でした。
そこで私はあわてて立ちあがったものの、心は恐しい思いでいっぱいでした――というのは、もはや夢を見ているのだという考えは役にたたなかったからです。私にはわかったのです――五感はみなしっかりしているという実感があったのです――そしてこの五感が、いまや私の魂にまったく新しく特異な知覚の世界をもたらしたのです。暑さはきゅうに堪えがたいほどになってきた。そよ風は奇妙な香りを運んでくる。ゆたかな水をたたえ、ゆっくりと流れる河から立ちのぼるような低いつぶやくような連続音にまじって、大勢の人間がガヤガヤやっているような奇妙なざわめきが聞こえてくる。
どんなに驚いて私がそれに耳を傾けたか、それはもう言うまでもないことだと思いますが、やがて一陣の突風が吹いてきて、まるで魔法使いの杖のように、あたりの霧を一掃してしまったのです。
私は高い山のふもとにいて、広大な平野を見おろしているのですが、その平野を雄大な河がうねうねと流れていました。その河べりに東洋風の町が立ち、それはアラビアの物語に出てくるような町ではありますが、その町の性格はそういう物語に書かれているどんな町よりも風変りでした。私のいた場所は町よりずっと高いところにあったので、まるで地図を見るように、町のすみずみまでが見渡せるのでした。街路は無数にあるようにみえ、それらがおたがいに四方八方から不規則に交わりあい、街路というよりは長くうねる路地といったもので、そこに住民たちがひしめきあっているのでした。家々のながめには奇異な絵画美がありました。あちらにもこちらにもバルコニーや、ヴェランダや、尖塔や、聖堂や、異様な彫刻をほどこした出窓などが雑然とむらがっている。市場も随所にあって、そこには多種多様のゆたかな商品が数多く陳列されていました――絹、モスリン、眼もくらむようなきらめく刃物、このうえなく美しい宝石や宝玉などが。そのほかいたるところに、旗や駕籠《かご》、ヴェールですっかり顔をかくした貴婦人を乗せた輿《こし》、豪華に盛装した象、グロテスクに刻まれた偶像、太鼓、旗のついたゴング、槍、銀や金めっきをした矛《ほこ》などが見られた。そしてこうした群衆、喧噪、いたるところの錯綜や混乱のさなかに――ターバンを巻いたりローブをまとったり、長い顎鬚を生やしたりしている何百万という黒い肌や黄色い肌の人間のさなかに、聖なるリボンをつけた無数の牛たちがさまよい歩き、また汚ないが神聖なる猿たちの大群が、さわがしい叫び声をあげながら、回教寺院《モスク》の軒蛇腹《コルニス》によじのぼったり、尖塔や出窓にぶらさがったりしている。雑沓する街路から河岸にかけては、水浴び場にみちびく無数の踏石からなる階段が降りていて、河そのものは、見渡すかぎりの水面いっぱいに荷物を満載した船が群がり浮かんでいるので、水の流れもままならぬといったありさま。町の境界のかなたには、椰子やカカオの木があちこちに壮大な茂みをなして立ち、その他の年ふりた気味のわるいような巨木もまじっているのでした。また、あちこちに稲田も見え、農夫の茅《かや》ぶきの小屋、用水池、ぽつねんと立つ寺院、ジプシーのテント小屋、頭に水甕《みずがめ》をのせて大河の岸辺にひとり優雅に歩をすすめる娘の姿も見えました。
さて、むろん、みなさんは私が夢を見ていたのだとおっしゃるでしょうが、そうではないのです。私が見たもの――聞いたもの――感じたこと――考えたこと――には、あのまがいようのない夢の特質はいっさいなかったのです。すべてが厳然と理窟にあっていました。最初、私も自分がほんとうに目覚めているのかどうかあやしかったので、いくつか試験をしてみたわけですが、すぐに確信できたことは、私はたしかに眼が覚めているということでした。さて、夢をみていて、その夢のなかで、自分が夢みているのではなかろうかと疑う場合、その疑念は|かならず晴らされる《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》のです。つまり、眠っている人はほとんどただちに目が覚めるのです。ですから『われわれが夢をみていると夢みるときには目覚めは近いのだ』というノヴァーリス〔ドイツの叙情詩人・小説家。ポオは「マリー・ロジェの秘密」のエピグラムにもノヴァーリスの一節を引いている〕の言葉にまちがいはないのです。私がお話ししたような幻想が、夢かもしれないという疑念をともなわずに起こったとすれば、それが正真正銘の夢だった可能性はあります。ところが、ああいうことが実際に起こり、また実際に疑い、試験もしてみたのですから、私の体験したことを夢以外の現象とみなさないわけにはいかないのです」
「その点では、あなたがまちがっているとは断定できませんね」とテンプルトン博士は言った。
「話をつづけてください。あなたは立ちあがり、その都市に降りていったのですね」
「私は立ちあがり」とベドローは、いかにも驚いたというような顔つきで医師を見つめながら話をつづけた。「おっしゃるとおり、私は立ちあがり、その町に降りてゆきました。その途中、私はたいへんな人混みに出会いましたが、その群衆が、道という道にあふれ、それぞれが一挙手一投足にひどく興奮しているさまをあらわにしながら、いっせいに同じ方向にむかってすすんでゆくのです。そのうち突如として、説明しがたい衝動が私を襲い、いったい何が起こっているか、ぜひとも知りたいという強烈な好奇心が湧いてきたのです。それが何であるか自分でもはっきりわからぬまま、私には果たすべき重要な役割があるのだという気になっていたようです。しかし自分をとりまいている群衆に対しては、深い敵意を感じるのでした。私は群衆を振りきり、迂回する小道を通って、すばやく、町にたどりつき、市街に入りこみました。町はそれこそ大混乱と闘争の渦でした。なかばインド風、なかばヨーロッパ風といった衣裳を身につけた小人数の兵士たちの一隊が、なかば英国風の制服を着た士官に指揮されて、路地にむらがる暴徒たちとすさまじい戦闘を演じているのでした。私は、倒れた士官の武器を手にして、劣勢の側に加わり、相手の正体もわからぬまま、絶望的な勇気をふるって戦いました。が、なにせ多勢に無勢、われわれは|キオスク《あずまや》ふうの建物に逃げこまざるをえなくなりました。ここに立てこもっておれば、当座のところは、安全でした。キオスクのてっぺん近くの銃眼から見ると、怒り狂ったおびただしい数の群衆が、河に突き出している華やかな宮殿を包囲し攻撃をしかけているのでした。すると、この宮殿の高みにある窓の一つから、女性的な感じのする男が、従者たちのターバンでつくった紐にすがって、降りてきた。小舟がすぐ下にいる。男はその小舟に乗って対岸に逃げていったのです。
そこで、私の頭に新しい意図が浮かんだのです。私はこの意図を仲間の連中に、手短かに、だが、熱心に説明し、数人の者の同意を得たので、その連中とキオスクから死物狂いで打って出ました。われわれはキオスクを取りまく群衆のまっただなかに駈け入ったのです。はじめ、奴らは逃げた。が、すぐに陣容をたてなおし、気違いのように攻めたててきて、また退却した。そうしているうちに、われわれはキオスクから遠くはなれてしまい、頭上にのしかかるような高い家々が立ちならぶ狭い路地にたじたじと追いこまれてしまった。こういう家の軒下に日の光が射したことなどなかったはずです。暴徒は勢いづいて攻め寄せてきて、われわれを槍でおびやかし、矢の雨を射かけて圧倒するのでした。この矢はきわめて独特なもので、ある点では、曲りくねったマレーの短剣《クリース》に似ていた。それは身をくねらせる蛇の姿に似せてつくられており、長くて黒く、矢じりには毒が塗ってある。その一本が私の右のこめかみに命中した。私は身もだえして倒れた。同時に、ひどい胸のむかつき。私はもがき――あえぎ――死んだのです」
「|そうなると《ヽヽヽヽヽ》いくら君でも言い張るつもりはなかろうね」と私は笑いながら言った。「君の冒険がぜんぶ夢でなかったなんてね。君は自分が死んでいるなんて、まさか言うまいね」
私がこう言ったとき、むろん私はベドローが気のきいた返事で応酬してくるものと期待していたのに、驚いたことに、彼はためらい、からだをふるわせ、恐しいほど青ざめて、沈黙をつづけるのだった。私はテンプルトンのほうを見やった。彼はからだをこわばらせて椅子にすわっていた――その歯はがちがちと鳴り、眼は眼窩から飛びださんばかりだった。
「先をつづけるのだ!」と彼はやっとしゃがれ声でベドローに言った。
「長いこと」とベドローはつづけた。「私の感覚といえば――私の感じといえば――闇と不在の感覚、感じだけで、それに死の意識がともなっていました。そのうちに、まるで電流のように、強烈な衝撃が私の魂を不意に通り抜けるような感じがしました。それと同時に、身体のこわばりがほぐれる感じと、光の感じがもどってきました。この光は感じたのであって――見えたのではない。一瞬のうちに、私は立ちあがったように、感じました。しかし、私には眼に見え、耳に聞こえ、手に触れることのできる肉体はなかったのです。群衆は消えていた。騒ぎもおさまっていた。町はかなりひっそりとしていました。足もとには自分の死体が、こめかみに矢を受け、顔全体がみにくくふくれあがった状態で横たわっていました。しかし私はこれらを感じたのであって――見たのではなかった。私は何ごとにも興味をおぼえなかった。自分の屍体にさえ、まるで関心がありませんでした。意志といったものはまったくないのに、何かに強いられるように私は動いているらしく、さっきやってきた迂回路をたどって、町からただようように出てゆきました。さっきハイエナに出会った山のはざまに到達すると、私はまた蓄電池から放電されたような衝撃を感じました。そして重さ、意志、実体の感覚がもどってきたのです。私はもとの自分にもどり、ひたすら家路をたどったのです――が、過ぎ去ったことはいささかも生なましい現実感を失なわなかった――そして、いまなお、ほんの一瞬にせよ、あれが夢だったとは、私にはどうしても思えないのです」
「事実、夢などではなかった」とテンプルトンは、謹厳そのものの口調で言った。「しかし、それをほかに何と呼べばよいかとなれば、むずかしい。今日、人間の魂は驚嘆すべき心理的諸発見のとば口にまできている、とだけ想定しようではありませんか。当座のところ、そういう想定で足れりとしておこうではありませんか。その他のことについてなら、私にも説明できることがあります。ここに水彩画がある。もっと早く君に見せておくべきだったかもしれないが、なんとも説明しがたい恐怖感から、いままで君に見せずにおいたのです」
私たちは彼が差し出した水彩画を見た。私にとっては何の変哲もない絵だったが、ベドローの驚きようは格別だった。彼はそれを見ると、ほとんど気を失ないかけた。とはいえ、それは――たしかに、奇跡的なほどよく似てはいたけれど――彼自身の特徴ある顔立ちを描いた小さい肖像画であるにすぎなかった。すくなくとも私がこの絵を見て得た印象は、そうだった。
「ごらんのように」とテンプルトンは言った。「この絵は日付があって――ほら、ここに、ほとんど消えかけていますが、この隅にあって――一七八〇となっている。この年にこの肖像画が描かれたのです。それは私の亡友で――名はオルデブ(Oldeb)といいましたが――そのひとの肖像なのです。このオルデブ氏と、私はウォーレン・ヘスティングズの統治時代のカルカッタで親交を結ぶことになったのです。当時、私はまだ二十歳《はたち》でした。ベドローさん、サラトガであなたにはじめてお会いしたとき、私があなたに声をかけ、親交を求め、結局のところは、いつもあなたのそばにいることになる契約を結ぶことになったのは、あなたがあの肖像画と驚くほど似ていたからなのです。ああいう契約までしたのは、一つには、いや、たぶん原理的には、亡き友に対する哀惜の念にうながされたからなのですが、一つにはまた、あなた自身に対する、何か不安な、そして恐怖の念がないまじっていなかったわけでもない私の好奇心のせいでもありました。
あなたは山のなかで見た幻想をことこまかに話してくれましたが、あなたの語ったことは、インドの|聖なる河《ホーリー・リバー》のほとりのベナレスの町の正確きわまる描写だったのです。あの暴動、あの戦闘、あの虐殺は、どれひとつとっても一七八〇年のシェイテ・シンの反乱〔シェイテ・シンはベナレスの王侯。当時のイギリスの総督ウォーレン・ヘスティングズが過酷な重税をこの王侯に求めてきたとき、シェイテ・シンの反乱が起こり、この物語のテンプルトンが語るようなことが実際に起こったが、正確には一七八〇年ではなく、一七八一年のことである〕のさいに起こった事件そのままで、そのときヘスティングズはあやうく命を落とすところでした。ターバンの紐を伝って逃げた男はシェイテ・シンにほかならない。キオスクにたてこもったのは、ヘスティングズがひきいた土民兵とイギリス士官の一隊だった。私もその一員で、私は、ベンガル人の毒矢にあたって群衆のひしめく路地で倒れた例の士官の無謀で命知らずな攻撃をやめさせようとできるだけのことはしたのです。その士官こそが、私の親友でした。オルデブでした。この原稿を見ればおわかりでしょうが」(と、ここで語り手はノート・ブックをさしだしたが、その何ページかは最近に書かれたものらしく見えた)「あなたが山のなかでそういう幻想を見ていたのと同時刻に、私は家にいて事件の委細を書いていたのです」
こういう話しあいがあってから一週間ほどして、シャーロットヴィルのある新聞に次のような記事が出た。
「温厚な挙動と幾多の美徳によって永らくシャーロットヴィル市民の敬愛の的であった紳士オーガスタス・ベドロー(Augustus Bedlo)氏の逝去を告げねばならぬのは、われわれにとって苦しい義務である。
B氏は、ここ数年来、神経痛をわずらい、ために生命の危機に瀕することもさいさいであったが、今回の氏の死去は、それが直接の原因とは認めがたい。その近因はきわめて特異なものである。数日まえ、氏はのこぎり山に散策をこころみ、軽い風邪をひき、熱を出して、頭にひどく血がのぼった。その対策として、テンプルトン博士は局所瀉血療法を採用した。両のこめかみに|ひる《ヽヽ》があてがわれた。すると、患者は一瞬のうちに死んでしまった。|ひる《ヽヽ》を入れた壺のなかに、なにかの偶然で、この近所の池にときおり見られる有毒|蠕虫《ぜんちゅう》が一匹まぎれこんでいたものと思われる。この虫が右こめかみの小さな動脈に吸いついたのである。これは医学用の|ひる《ヽヽ》と酷似しているため、その誤りに気づいたときには、すでにおそかったのである。
付記。シャーロットヴィルの有毒蠕虫は、その黒さと、とくに、蛇の動きときわめてよく似る身をくねらせる動き、つまり蠕動によって、医学用の|ひる《ヽヽ》とはつねに区別しうる」
この異常な事件について、その後、当の新聞の編集者と話しているうち、ふと私は、なぜ故人の名前がBedloになっていたのか、と訊いてみたい誘惑にかられた。
「たぶん」と私は言った。「あの綴りには根拠があるんでしょうな。これまで私は、あの名前の最後にはeがつくんだとばかり思っていました」
「根拠? ――とんでもない」と彼は答えた。「あれは単なる印刷上のミスです。ベドローという名前は、世界中どこへいったって、最後にeがつくんで、そうでない綴りにお目にかかったことはありませんね」
「そうなると」と私はきびすを返しながら、つぶやいた。「そうなると、事実は小説よりも奇なり、ということが実際に起こったことになる――Bedloにeがなければ、Oldebを逆にしたってことじゃないか? ところが、この男はただの誤植だと言うのだ」
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ミイラとの論争
昨夜の酒宴は私の神経にはいささか度がすぎた。頭は割れるように痛み、無性《むしょう》に眠かった。それゆえ、予定していた夜の外出を取りやめ、夕食を一口だけ食べ、ただちに寝床にもぐりこむのが最善の策だという思いがひらめいたものだ。
むろん、|軽い《ヽヽ》夕食だ。私は溶かしチーズをかけたトーストをこよなく好む。とはいえ、一度に一ポンド以上食べるのは、つねにかならずしも好ましくない。それでも、二ポンド食べるのに格別の異議があるわけではない。それに二ポンドと三ポンドでは、一ポンドの差があるだけだ。思うに、私は四ポンド食べたことがある。私の家内なら五ポンドは食べるだろう――が、明らかに、家内は二つのはっきり異なるものを混同している。抽象的な五という数を認めるのに私はやぶさかではない。しかし具体的には、それは黒ビールの本数に関係があるのであって、この黒ビール抜きでは、さしもの大好物も食べられるものではない。
このようにささやかな夕食をすませ、ナイト・キャップをかぶり、翌日の正午までやすらかに眠らんものと念願しつつ、頭を枕に置くと、心になんのやましいこともなかったせいもあって、たちまち深い眠りにおちいった。
が、人間の願望がことなくかなえられるためしがあったろうか? 三度目のいびきをかきおわるか、おわらぬかに、表玄関の呼鈴がけたたましく鳴りひびき、ついでノッカーがいらだたしげに打ち鳴らされたので、私はたちまち眠りからさめてしまった。それから一分後、まだ私が眼をこすっているうちに、家内は私の鼻先に一通の手紙をつきつけた。それは私の旧友ポノナー医師からのもので、文面は次のごとくであった――。
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友よ、この手紙を受け取り次第、なにはともあれ、小生宅にご来訪を乞う。来て、喜びをともにしてくれたまえ。永いあいだの辛抱づよい交渉がついに実って、市立博物館の理事会が、君も知っての、例のミイラの調査に同意したのだ。望みとあらば、ミイラの布をほどき、中をあけてもいいという許可も得た。立会いは数人の友人だけ――もちろん、君もそのひとりだ。ミイラはいま小生宅にあって、今夜の十一時から布ほどきにかかることになっている。草々。
ポノナー
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ポノナー邸につくまでには、私の眼は人間に望みうるかぎりぱっちりと見開いていたように思う。私は驚喜のあまり、あたりのものは何もかもひっくりかえして寝台から跳び出し、まさしく奇跡的な迅速さで身仕度をととのえ、全速力で博士の家に駈けつけた。
そこにはすでに熱心きわまる連中がたむろしていた。彼らは私の到来を千秋の思いで待ちうけていたのだ。そして私がはいってゆくと、ただちに調査が開始された。
このミイラは、ポノナーのいとこにあたるアーサー・サブレタッシュ大尉が、ナイル河畔の町テーベからかなり上流のリビア山脈にあるエレイシアスの近くの墓から持ち帰った二体のミイラのうちの一体だった。この地方にある洞窟の数々は、壮麗さにおいてはテーベの墓洞に劣るとはいえ、エジプト人の私生活を知るための手掛りをより多く提供する点で、はるかに興味深いのであった。くだんのミイラがあった墓洞はそういう手掛りに富んでいたそうで、その壁面はすっかりフレスコの壁画と浮彫りでおおわれ、また彫像や花瓶や豪華なモザイク模様の副葬品は死者の巨万の富を物語っていた。
この貴重なミイラはサブレタッシュ大尉が発見したときのままの姿で博物館に保管されていた――つまり、棺はまったくの手つかずだったのだ。これまでの八年間、ミイラはもとのままの状態に保たれ、ただ外側からだけの観覧に供されていたのだ。だから、いまやわれわれは完全なミイラを自由に調査することができることになったわけである。人手に荒らされていない古物がわが国に渡来するのは異例中の異例であることを承知のむきには、この幸運にわれわれが歓喜したのも、けだし当然だと納得がいかれよう。
テーブルに近づいてみると、その上にあったのは、長さが約七フィート、幅が三フィートばかりで、深さが二フィート半の大きな箱ないし櫃《ひつ》といったもの。長方形で――いわゆるお棺の形はしていなかった。素材は、はじめプラタナス材とみえたが、切り込みを入れてみると、ボール紙、あるいは、もっと正確には、パピルスを材料にした張子だった。箱には、葬式の情景や、その他の死をいたむ主題を描いた装飾画が一面に描かれていて、そのあいだのあちこちに、死者の名を示すにちがいない一連の象形文字があしらってあった。さいわい、われわれの仲間にはグリドン氏〔ロビンズ・グリドンは英国のエジプト学者で、一八四〇年代にはボストン、ニューヨーク、フィラデルフィアなどの米国各地で講演し、米国人のあいだにエジプト熱をかきたてた〕がいて、それらの文字を難なく解読してくれたのだが、これはただの表音文字て「アラミステイク〔Allamistakeo "All a mistake o!" と読める〕」と読めた。
箱を破損せずに開《あ》けるのには、いくらか難儀したものの、これもなんとか無事にやってのけると、もう一つの、今度は棺の形をした箱が出てきた。これは外側の箱よりずっと小さかったが、その他の点では外側のとそっくりだった。両者のあいだには樹脂《やに》がつめてあったが、そのために内側の箱の色はいくらかあせていた。
この内側の箱を開けてみると(これはいとも簡単だった)、三つめの箱が出てきて、これも棺の形をしており、二つめの箱と格別な相違はなかったが、ただ材料がちがい、これは杉材で、いまだに杉特有の強烈な芳香を放っていた。第二と第三の箱のあいだには隙間がなく、ぴたりと入れ子になっていた。
第三の箱を開くと、遺体が出てきたので、われわれはそれを取り出した。麻布の包帯状のものでぐるぐる巻きにされているものとばかり思っていたのに、そうではなく、このミイラはパピルスでできた鞘《さや》のようなものに包まれており、その鞘には漆喰《しっくい》がぬられ、一面に金箔がはられ、絵が描かれていた。それらの絵は、霊魂が果たすべきもろもろの義務や、霊魂が各種の神の面前に伺候するさまを表現しており、それとともに、同じ人物の姿が数多く描かれていて、それはおそらくミイラとなった人物の肖像だと思われる。頭部から足先にかけて、縦割りに、つまり垂直に象形文字の銘が刻まれており、これも彼の名と称号をあらわしていた。
このように鞘に包まれたミイラの首のまわりには、円筒状の色さまざまなビーズからなる首飾りが巻いてあり、それらのビーズは神々や神聖甲虫《スカラビウス》をかたどるように排列されており、翼の生えた玉もついていた。腰のくびれたあたりには同じような腰飾り、または帯がしめてあった。
このパピルスをはいでみると、良好な状態に保存された肉体があらわれ、ほとんど臭いさえしなかった。色は赤味をおびていた。皮膚は硬く、滑らかで、光沢があった。歯と髪の毛の保存状態も良好だった。眼はくり抜かれ、かわりにガラス玉がはめこまれて(いるらしかったが)、それはたいそう美しく、そのまなざしがいくらかひたむきにすぎる点をのぞけば、驚くほど生きた眼に似ていた。手と足の爪はまばゆいばかりに金粉がぬられていた。
グリドン氏の意見によれば、上皮の赤さから判断して、防腐剤にはもっぱらアスファルトが使用されているということだったが、刃物で表面をけずり落とし、そうして手に入れた粉末を火に投じたところ、あきらかに樟脳その他の樹液の匂いがした。
われわれは、通例ならあるはずの、内臓を抜き出した穴をくまなく捜したけれども、驚いたことに、遺体にはそのような開口部はまったくなかった。その当時、一座の者は、無傷の、つまり開口部のまったくないミイラが珍らしくないことを誰も知らなかった。脳味噌《のうみそ》は鼻孔から、内臓は脇腹の切り口から抜き取るのが普通のやり方で、そうしてから体毛を剃り、洗い、塩づけにする。そして数週間そのままにしておいてから、いわゆる防腐措置がほどこされる。
開口部が見つからないので、ポノナー博士は解剖用具をととのえ始めたが、そのとき私は時刻がすでに二時をすぎているのに気づいた。そこでミイラの内部の調査は翌日の夕刻まで延期することにみなの意見が一致し、ひとまずこれで解散ということになったとき、一座の誰かが、ヴォルタ電堆《でんたい》〔アレサンドロ・ヴォルタ(一七四五〜一八二七)が発明し命名した蓄電池で、二つの異なる金属のあいだに起こる化学反応によって電流を発生させる装置。当時、死者に電流を通して蘇生させた事例が報告されている。またミイラにこの種の実験がおこなわれたこともあるらしい〕で一つ二つ実験をしてみようと提案した。
すくなくとも三、四千年はたっているミイラに電流を通してみようというのは、きわめて賢明とはいわぬまでも、充分に独創的なアイディアであったので、みんながその案に飛びついた。十分の一は真剣に、十分の九はふざけ半分に、われわれは医師の書斎に蓄電池をしつらえ、そこへエジプト人のミイラを運んだ。
さんざ苦労したあげく、われわれはやっとこめかみの一部を露呈させることに成功した。そこは遺体のどの部分よりも硬直度が軽微だったのだ。だが、誰もが予想していたように、電線を接触させてみても、電流に反応するきざしはまったくなかった。この最初の実験で、ことの次第は明白になったように思えたので、われわれは自分たちの愚かさに呵々大笑《かかたいしょう》して、おたがいに別れの挨拶をかわしているうち、たまたまミイラの眼にそそいだ私の眼は、たちまちそこに釘づけにされてしまった。事実、一瞥にして判明したことだが、それまで誰もがガラス玉だと信じていた眼、最初はなにやら奇妙なめつきだと思えた眼が、いまやまぶたで閉じられ、白目《しろめ》の一部が見えているだけではないか。
私は大声を発してこの事実に注意をうながし、みんなもただちにそれに気づいた。
私がこの現象に|驚愕した《ヽヽヽヽ》とは言えない。なぜなら、私の場合、「驚愕した」とは正確な言い方ではなかったからだ。しかしながら、もし黒ビールを飲んでいなかったら、私はいささかおびえていたかもしれない。だが、他の連中ときたら、彼らを襲った恐怖の念をいささかもかくそうとはしなかった。ポノナー博士の狼狽ぶりは見るもあわれであった。グリドン氏は、なにやら格別な手段を講じて、姿を消した。シルク・バッキンガム氏にしても、四つん這いになってテーブルの下に身をかくしたことを否定するほど厚かましくはないものと私は信ずる。
しかし最初の驚きがいえると、当然のことながら、われわれはさらに実験を続行することに意を決した。今度は、実験の目標を右足の親指に定めることにした。足の親指の種子軟骨の外側を切開し、外転筋のつけねにまでメスを入れた。われわれは電池を再調整し、電流を切断した神経に通した――すると、ミイラは、生きている人間さながらの動作で、まず右膝を腹に触れんばかりに引きつけ、それから、信じがたいほどの力で右足をぐいっと伸ばしてポノナー医師を蹴りあげたので、この紳士は、さながらカタパルトから発射された矢のように、窓から下の街路に放り出されたのだった。
われわれは無惨に変りはてたはずである犠牲者の死体を運びこもうと、一団となって部屋から飛び出したのだが、幸いなことに、階段のところで、なぜか大急ぎで昇ってくる医師に出会った。だが、その表情は真理探求の情熱にみちあふれ、この実験を強力かつ熱心に続行せねばならぬという断固たる信念に燃えているのであった。
そこで彼の指示にしたがい、われわれは即座にミイラの鼻先を深く切開すると、医師は手荒に鼻を両手でつまみ、乱暴にそれを電線に接触させた。
精神的にも肉体的にも――比喩的にも具体的にも――その効果はまさしく電撃的であった。まず最初に、死体は眼を開き、バーンズ氏〔ニューヨークのパーク・シアターに所属していた喜劇役者〕がパントマイムでやるように、数分間にわたって、あわただしくまばたきした。第二番目に、死体はくしゃみをした。第三番目に、それは起きあがった。第四番目に、ポノナー医師の眼前でこぶしを振るった。第五番目に、それはグリドン氏とバッキンガム氏に向きなおって、立派なエジプト語で次のように語りかけた――。
「紳士諸君、わしは諸君の行為に大いに屈辱を感じると同時に驚きを禁じえない、と言わねばならぬ。医師のポノナーがかような仕業におよぶのは仕方がない。彼は何も|わきまえぬ《ヽヽヽヽヽ》間抜けの太っちょにすぎん。わしは彼をあわれみ、許してつかわす。だが、グリドン君――それにシルク君――君たちは、生えぬきの土地の者かと思われるほどエジプトを旅し、エジプトに住んでいた――いいかね、諸君は、おそらく母国語を書くのと同じくらい巧みにエジプト語をあやつれるほど、わしらとともに暮していた――君らのことを、わしはいつもミイラの忠実な友であるとみなしたいと思ってきた――実際のところ、|君ら《ヽヽ》はもっと紳士的に振舞うものと期待していた。わしがこんな無作法な扱いを受けるのを傍観している君らを、わしはいったいどう考えればよいのじゃ? 君らが、トムやディックやハリーといった無学な連中が、この寒い土地柄でわしを棺から出し、衣類をはぎ取るのを黙って見ているのを、いったいどう考えたらよいのじゃ? 君らが(もっと端的に言うが)あのポノナー医師なる卑しむべき悪党がわしの鼻を引っぱるのを助けたり、そそのかしたりしたのを、どう解釈すればよいのじゃ?」
このような状況で、こんな話を聞けば、さぞかし、われわれはのこらず戸口めがけて突進したか、はげしい狂乱状態におちいったか、あるいは、ことごとく気絶したか、当然そんなことになったと思われるだろう。たしかに、そのようなことのいずれかが起こることが予想された。そのようなことのいずれか、または、そのことごとくが起こっていても不思議はなかった。ところが、正直なところ、そういうことのいずれもが起こらなかったのはいったいどういう理由からなのか、私には合点がいかない。が、おそらく、真の理由は時代精神に求められるべきであろう。当代の精神は対立の法則によって進行しており、いまやその法則は、あらゆるものを逆説と不可能性によって解決するための基準としてひろく承認されているのである。あるいは、おそらく、ミイラの言葉から恐しさを剥奪したのは、つまるところ、その語り手のきわめて自然で至極当然な態度にほかならなかったかもしれない。それはともかく、事実は明白で、一座の誰もが格別におじけをふるうこともなく、また事態がとくに悪化したと考えているらしいふしもなかった。
私は事態は正常であると確信していたので、ただエジプト人の拳《こぶし》がとどかぬ範囲に身を引いていただけだった。医師のポノナーは両手をズボンのポケットに突っこみ、ミイラをじっと見つめ、ひどく顔を紅潮させていた。グリドン氏はほおひげを撫でたり、シャツのカラーを引っぱりあげたりしていた。バッキンガム氏は頭をうなだれ、右手の親指を口の左端にくわえていた。
エジプト人は、数分のあいだ、バッキンガム氏をけわしい目つきで眺めていたが、にやりと笑ってから、言った。
「なぜ黙りこくっているのだ、バッキンガム君? 君にたずねたことを、君は聞いたのか、聞かなかったのか? 口から指を抜いたらどうかね!」
ここでバッキンガム氏はいくらかびくりとして、口の左端から右の親指を抜き、その代りに、左手の親指を前述の裂け目の右端に突っこんだ。
バッキンガム氏から何の回答も得られないとわかると、ミイラは不機嫌そうな顔をグリドン氏のほうに向け、それから、とがめるような口調で、いったいどういうつもりなのだ、とわれわれ全体に問いかけてきた。
グリドン氏は古代エジプト語で詳細に答えたが、もしアメリカに象形文字をそなえた印刷所があるなら、彼のみごとな答弁ぶりを、そっくりそのまま原文でお目にかけたいところである。
ついでながら、ここで述べておくとするが、以下の、ミイラが参加する会話は(すくなくとも一座のうちの私や他のエジプトとなじみのない者に関するかぎり)グリドン氏およびバッキンガム氏を介して古代エジプト語でおこなわれたものである。両氏はミイラの母国語を比類ない流暢さと優雅さをもって語ったが、ここで指摘しておかざるをえないことは(まったく現代的な概念、したがってミイラにとってはまったく新しい概念を紹介するにあたっては)二人のエジプト通も、ある特定の意味を伝えるために、ときおり知覚的な形象を用いることを余儀なくされたことである。たとえばグリドン氏は、あるとき、このエジプト人に「政治」という言葉を理解させることができず、ついに氏は一片の木炭を手にして、壁に、酒焼けした鼻をした小柄な男が、ひじのすり切れた服を着て、切株の上に立ち、左足を後方に引き、拳《こぶし》をにぎった右腕を前方に突き出し、眼を天に向け、口を九十度の角度であんぐりあけている図を描いたのであった。同様にバッキンガム氏も「かつら」という絶対的に近代的な観念を伝えることができず、ついに(ポノナー医師の示唆にしたがい)顔を真青にして、みずからのかつらを取ってみせたのである。
容易に理解しうるところであろうが、グリドン氏の議論は、主として、ミイラの衣類をはぎ取り解剖することから得られる科学上のはかり知れない利益について向けられており、そのために彼《ヽ》、とくにアラミステイクと呼ばれる特定のミイラに迷惑をかけることになった次第を弁明し、そして結論として、遠まわしにだが(というのも、それ以外の言いまわしがあろうとは思えないからだが)すでに委細は説明ずみゆえ、当初の実験をつづけてみるのはいかがなものだろうか、と述べた。するとポノナー医師は解剖器具の用意をととのえた。
語り手がした後者の提案に対して、アラミステイクはある種のためらいを示したようにみえたが、そのためらいの性質について、私には明確なことはわからなかった。だが彼は述べられた弁明に対して満足の意を表し、テーブルからおりて、一座のみんなと握手を交わした。
この儀式がすむと、われわれはただちに、わがミイラが解剖刀によって受けた損傷をなおす仕事に着手した。われわれはミイラのほおの傷を縫い合わせ、足には包帯を巻き、鼻先には一インチ四方の黒い絆創膏《ばんそうこう》をはった。
このとき伯爵(それがアラミステイクの称号らしかった)が小刻みにふるえているのがわかった――おそらく、寒さのせいだった。医師はただちに衣裳箪笥に走り、既製服屋のジェニングズ製としては最高の仕立ての黒い燕尾服、革帯つきの格子じま織りの空色のズボン、ピンクのギンガム製のシュミーズ、くたびれた金襴《きんらん》のチョッキ、白のゆったりした外套、鉤《かぎ》のついたステッキ、つばなしの帽子、人造皮の靴、淡黄色のキッドの手袋、片眼鏡、つけひげ、襟巻きなどを持ってもどってきた。伯爵と医師との体格の相違のために(二対一ぐらいのちがいだった)こういう衣裳をエジプト人の体に着せるのにはいささかの困難をともなったが、すっかり着せつけると、どうやら衣裳を身につけたというさまにはなった。そこでグリドン氏は彼に腕をかし、暖炉のそばの安楽椅子へと案内した。医師のほうはすぐに呼び鈴を鳴らして葉巻きタバコとワインを持ってくるように命じた。
会話はたちまち活気づいた。むろんのこと、アラミステイクがいまだに生きているといういささか驚嘆すべき事実に好奇心が集中した。
「あなたが死んでいても不思議はないころあいだと忖度《そんたく》していたのでございますが」とバッキンガム氏は言った。
「なんだと!」と伯爵はひどく驚いて答えた。「わしはまだ七百歳をちょっと超えただけじゃ。わしの父親は千年も生きたが、死んだときにも、ぜんぜん耄碌《もうろく》していなかった」
ここで一連の活発な質問が交わされ、計算がなされたのだが、その結果、わがミイラの年代について大きな誤算があったことがはっきりした。このミイラがエレイシアスの地下墓地《カタコーム》に埋葬されてから五千五百年と数ヵ月が経過していたのだった。
「しかし、わたしが指摘いたしましたこととは」とバッキンガム氏はまた話をつづけた。「あなたが埋葬されたときの年齢とは無関係なのでございます。(あなたがまだお若いこと、それはすすんで認めるものでございますが)わたしが驚いておりますのは、あなたのごようすから判断して、あなたがアスファルトにぬりこめられておられた時間の長さなのでございます」
「何にだって?」と伯爵は言った。
「アスファルトに、でございます」とバッキンガム氏はくりかえした。
「あ、なるほど、君が言わんとするところは漠然とわかる。きっと、その答になるだろうが――わしらのころには昇汞《しょうこう》〔塩化第二水銀〕のほかはほとんど使わなかった」
「しかしながら、わたしどもがとくに理解しかねておりますのは」とポノナー医師が言った。
「五千年まえにエジプトで死んで埋葬されたはずのあなたが、今日ここで生きておられ、しかも至極ご壮健に見うけられることでございます」
「君が言うように、もしわしが|死んでいた《ヽヽヽヽヽ》とすれば」と伯爵は答えた。「いまもなお死んでいる可能性は大いにある。わしの見るところ、君らはまだ電気療法の初期の段階にあって、昔わしらのあいだでは当り前だったことをまだ達成できないでいる。だが、実際のところ、わしは硬直症にかかっただけなのに、わしの親友たちは、わしが死んだか、死んでいるはずだと思いこみ、したがって、ただちにわしをミイラにした――君らはミイラの製法の根本原理は承知のことだろうな?」
「いいえ、そうはっきりとは」
「ふむ、なるほど――これはなげかわしい無知ぶりと言わねばならぬわい! が、いまはくだくだ説明しているひまはないが、是非とも知っておいてもらわねばならぬことは、エジプトでミイラにするとは(正確に言うなら)、この処置によって、|あらゆる《ヽヽヽヽ》動物的機能を無期限に停止させることなのだ。この『動物』という言葉を、わしはもっとも広い意味、つまり肉体的な存在のみならず、精神的な存在、|生命ある《ヽヽヽヽ》すべての存在を含めて用いる。くりかえすが、ミイラにすることの要点は、われわれの場合、その処置によって、|あらゆる《ヽヽヽヽ》動物的機能をただちに停止させ、永遠にその状態を|持続させる《ヽヽヽヽヽ》ことにあるのだ。つまり、ミイラにされるとき、その個人がどのような状態にあるにせよ、そのままの状態を持続することなのだ。ところで、わしは幸い神聖甲虫《スカラビウス》の血筋を引いていたので、現に君たちが見ているように、わしは|生きたまま《ヽヽヽヽヽ》ミイラにされたわけだ」
「神聖甲虫の血筋ですって?」
「しかり。神聖甲虫は、あるすぐれた、たぐいまれなる貴族の|しるし《ヽヽヽ》、つまり『紋章』なのだ。『神聖甲虫の血を引く』というのは、神聖甲虫を紋章とする一族の者であるということにすぎない。わしは比喩的に言ったまでだ」
「ところで、それはあなたがいま生きていらっしやることと何の関係があるのですか?」
「エジプトでは、ミイラにするまえに、死体から内臓や脳を抜き取るのが一般的なやり方だったが、神聖甲虫家に属する者だけは、この習慣に従わなかった。わしが神聖甲虫家の一員でなかったなら、わしは内臓も脳もなかったはずだ。そして、そのいずれが欠けていても、生きるのには不便きわまりないことだ」
「わかりました」とバッキンガム氏は言った。「そうしますと、われわれの手に入るあらゆる|完全な《ヽヽヽ》ミイラは神聖甲虫家の出ということになりますね」
「そのとおりだ」
「わたしはまた、神聖甲虫というのはエジプトの神々のひとりかと思っていました」とグリドン氏はおずおずと言った。
「エジプトの|何の《ヽヽ》ひとりだって?」
「神々です」とエジプト通はくりかえした。
「グリドン君、君の口からそんなことを聞こうとは、わしはほんとに夢にも思わなかったぞよ」と伯爵は椅子に坐りなおして言った。「この地球上のいかなる民族にもせよ、唯一《ヽヽ》の神以外を認めたためしはないはずだ。神聖甲虫とか朱鷺《とき》とかいうのは、エジプト人にとっては(他の民族にも似たような動物がいるようだが)象徴ないし媒体《メデア》であって、そういったものを媒介に、直接に近づくにはあまりにも尊すぎる創造主を礼拝したのだ」
ここでしばらく誰もが黙りこくったが、やがてポノナー医師が対話の口火を切った。
「すると、いまあなたが説明されたことから判断して、ナイル河畔の地下墓地《カタコーム》には、生きている状態の神聖甲虫家のミイラがまだいる可能性があるわけですね」と彼は言った。
「まさしくそのとおりだ」と伯爵は答えた。「神聖甲虫家の者で生きているうちにミイラにされた者は、いまもなお生きている。|意図的に《ヽヽヽヽ》こんなミイラになった者のうちにも、遺言執行人の怠慢によって、いまだに墓に眠っている者もいるかもしれない」
「『意図的にこんなミイラになった』とはどういう意味か、説明していただけませんでしょうか」と私は言った。
「よろこんで」とミイラは眼鏡越しにゆっくりと私を観察してから答えた――というのは、私が彼にあえて直接に質問したのはこれが最初だったからである。
「よろこんで説明しよう」と彼は言った。「わしの時代には、ふつうの人間の寿命はだいたい八百年だった。きわめて異常な事故でもなければ、六百歳以前に死ぬ者はめったになかった。なかには千年以上も生きる者もあった。しかし、まあ八百歳というのが平均的な寿命だと考えられていた。ところが、わしがいま君に説明したようなミイラ製造法の原理が発見されてからは、エジプトの哲学者たちの頭にこんな考えが浮かんだのだ――つまり、この通例の寿命を分割して生きることによって、賞賛すべき好奇心が満足させられるばかりか、同時に学問の進歩にも大いに寄与できるのではあるまいかという考えだ。実際、歴史学の場合、経験に照らして、この種のことが是非とも必要であることが明らかになった。たとえば、ある歴史家が五百歳になり、労作を発表してから、慎重にミイラにしてもらい、当座の遺言執行人に、ある期間をへたのち――たとえば五百年とか六百年後に――また蘇生させるように指示しておく。この期間がすぎて生き返ってみれば、この歴史家はかならずや自分の労作がでたらめな覚え書きのたぐいに堕していることを発見することだろう――つまり、おびただしい数の註釈者どもが憤然として相反する推測や謎や個人的な怨念をぶつけあう一種の文学的闘技場と化していることを発見するだろう。註釈とか校訂とかいう名でまかり通っているこういう推測のたぐいが、原典をすっかり隠蔽し、歪曲し、圧倒してしまっているので、こういう歴史家は自分自身の本を捜すのに堤燈をさげて歩きまわらなければならなくなるのだ。そのうえ、やっと捜し出してみると、自分の本も捜しまわるのに価しないものであることがわかるという始末だ。それを徹底的に書きなおすことが、つまり自分が最初に生きていた時代についての当代の伝承を自分の個人的な知識や経験に照してただちに訂正に着手することこそが、歴史家の重大な任務であるとみなされていたのである。さて、ときおりこのような賢者が出現して歴史を書き直したり、個人的な訂正をほどこしたりしたので、エジプトの歴史が完全な寓話に堕さずにすんだのじゃ」
「失礼ですが」と、ここでポノナー医師はエジプト人の腕にやさしく手をおいて言った――「失礼ですが、ほんのちょっとお話の邪魔をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「よろしいとも」と伯爵は姿勢を正して答えた。
「ちょっと質問させていただきたいだけなのです」と医師は言った。
「あなたはいま歴史家が自分の生きていた時代についての伝承《ヽヽ》をみずから訂正するとおっしゃいましたが、ところで、そういうカバラ〔カバラとはもともとユダヤのラビたちや中世の神学者たちが行なったユダヤ法典や聖書など経典の神秘的解釈の体系化されたもののことを言うが、ポオは、この作品にかぎらず、神秘的で不可解な説のことをカバラと呼んだ〕は、平均的には、ふつう、どれぐらいが正しいと判明したのでございましょうか?」
「いま君は適切にもカバラと言ったが、そういうでたらめな伝承は書き直されていない歴史に記録されている事実とほぼ正確に同数であることが判明したのだ――つまり、その事実なるものも伝承なるものも、いかなる場合においても、徹頭徹尾まちがっていなかったものは、たったの一つもなかったということだ」
「しかしですね」と医師はまたつづけた。「あなたが埋葬されてからすくなくとも五千年はたっていることは明白なのですから、その当時の伝承はともかく、歴史書は、天地創造という普遍的な興味の対象について、さぞかし明瞭に述べているものと忖度するのですが、たぶんあなたもご存知のように、天地創造というのは、それよりわずか一千年ほど以前に起こっているのでございます〔北アイルランドのアーマーの大主教ジェームズ・アッシャー(一五八一〜一六五六)は聖書の年代記を書き、天地創造を紀元前四〇〇四年と設定し、この説は二世紀にわたり公認されていた〕」
「なんだと!」とアラミステイク伯爵は言った。
医師は要旨をくりかえしたが、エジプト人がそれを理解したのは、いろいろと付加的な説明をしてからだった。しばらくしてから、彼はためらいがちに言った。
「正直なところ、君がいま言ったことは、わしにはまったく初耳だ。わしの時代には、そもそもこの宇宙に(あるいは、君がそう呼びたければだが、この世界に)初めがあったなどという奇想天外な考えをいだいていた者は一人もいなかった。わしの記憶では、一度、しかもたった一度だけだが、いろんな臆測をたくましくする男が人類《ヽヽ》の起源について、何やら定かならぬことを言っているのを聞いたことがある。そしてこの男も、君も使っているアダム(つまり赤土《あかつち》)という名称を用いていた。だが、この男は、この言葉を(ちょうど無数の下等動物がそうであるように)肥沃な土地から人間がおのずと発生してきたということに関連づけて、一般的な意味で用いていた――つまり、地球の五つの異った、そしてほぼ同じ大きさに分割された地域で、五種類の人類の大群が、同時に、自然的に発生したというのだ〔ゲッティンゲン大学教授ブルーメンバッハは、人類をコーカシア人、アジア人、アメリカ人、エチオピア人、マレー人の五つの人種に分類した〕」
ここで一座の者はみな肩をすくめ、そのうち一人か二人は、われわれの額に意味ありげに手を当てた。シルク・バッキンガム氏は、まず最初にアラミステイクの後頭部をちらりと見やり、ついで前頭を見て、次のように言った――。
「あなたの時代には寿命が長かったうえに、さきほど説明されたように、ときおり人生を分割して生きるという習慣があったのですから、総体的に知識が発達し凝縮される強い傾向があったにちがいありません。となれば、近代人、とくにアメリカ人と較べると、古代エジプト人が科学のあらゆる分野において顕著に劣っているのは、ひとえに、エジプト人の頭蓋骨が並はずれて堅かったせいにするよりほかはないように思えますな」
「実を言うと」と伯爵はていねいに言った。「またしてもですが、わしには君の言うことがいささか理解しかねる。君は、科学のどの分野のことについて言っているのかね?」
ここでわれわれ一座の者は声を合わせて、骨相学の仮説や催眠術の驚異について、こと細かに語りたてた。
われわれの話を最後まで聞いてから、伯爵は、ガルやスプルツハイムのような骨相学者の原型ともいうべき人間がエジプトでは大昔に幅をきかせ、やがて消えていったのでほとんど忘れ去られていること、メスメルの手管《てくだ》などは、しらみやその他の似たような動物を創り出したテーベの学者たちの驚嘆すべき奇跡に較べれば、まことに子供だましめいていること、などを実証する逸話をいくつか語ってみせた〔二人のドイツ人ガルとスプルツハイムは骨相学の本を書き、メスメルは催眠術の理論家で元祖である。ポオはかなり骨相学にこっていた気配がある〕
私は伯爵に、当時のエジプト人は日蝕や月蝕を算定できたかと問うたところ、彼はむしろ軽蔑の微笑を浮かべて、そんなことは難なくできた、と答えた。
これには私もいささかばつの悪い思いをしたが、話題を変えて、天文学の知識について質問をしはじめると、それまでまだ一度も口をきいていない一座のひとりが、私の耳もとで、そんなことなら(どんなプトレミーでもいいから)プトレミーか、『月の表面について』を書いたプルタークをひもといたほうが賢明だ、とささやいた。
そこで私はミイラに天日取りレンズやその他のレンズ、ガラスの製法一般について質問した。だが、私がぜんぶ質問をしおわらないうちに、またさっきの無口な男が私のひじをそっと突ついて、そんなことなら、後生《ごしょう》だからディオドラス・シクルス〔エジプトで占星術や天文学を学び、太陽や星の運行に関する天文学の著作を書いた〕を一読したまえ、と頼むのだった。
伯爵のほうは、私の質問に答えるかわりに、現代人はエジプト風に宝石に浮彫りをするための顕微鏡を持っているかと訊いてきた。これにどう答えようかと思案しているうちに、小柄なポノナー医師がとっぴょうしもない話題をひっさげて話に割りこんできた。
「われわれの建築を見てください!」と彼は叫んだものだが、これには二人のエジプト通もすっかり腹を立て、彼を青黒いあざができるほどつねったものだが、効果はなかった。
「ニューヨークのボーリング・グリーンにある大噴水を見てください!」と彼は熱狂的に叫んだ。「あるいは、こいつが大きすぎるというのなら、ワシントンの国会議事堂《キャピトル》を一目みてください」――そして、この善良なる小柄な医者はいま自分が言及した建築物の大きさを詳細に説明しはじめた。柱廊玄関《ポーティコ》だけでも、すくなくとも二十四本の柱で飾られており、その直径は五フィートもあり、柱と柱の間隔は十フィートもあると説明した。
伯爵は、アズナック市〔架空の都市名。ただしカルナックは実在〕の主要な建物の正確な大きさをど忘れして思い出せないのは残念至極だと言った。これらの建築物の基礎は「時」の闇夜にすえつけられたものだが、その廃嘘は、彼が埋葬された当時、テーベの西方の広漠たる砂漠のなかになお残っていた。ところで(柱廊玄関の話が出たので)彼は思い出したのだが、カルナックという郊外地に建つある平凡な宮殿の柱廊玄関は、百四十四本の柱からなり、それぞれの柱の周囲は、三十フィートあり、柱と柱の間隔はスフィンクス、彫像、オベリスクが並んでいて、それぞれ高さが三十フィート、六十フィート、百フィートといったものだった。その宮殿は(彼がおぼえているかぎりでは)奥行が二マイルあり、周囲となれば七マイルほどはあったにちがいない。その壁は、内側も外側も、一面に象形文字が色あざやかに描かれていた。伯爵は、ポノナー医師の言う国会議事堂とやらを五十や六十はこの壁の内側に建てることができたはずだ、などとあえて主張《ヽヽ》したりはしなかったが、それでも彼はそんなものなら無理をすれば二百や三百はそのなかに詰めこむことができると確信しているふうだった。所詮、カルナックの宮殿は取るにたりぬささやかな宮殿にすぎなかった。しかしながら彼(伯爵)は、医師の言うとおりなら、ボーリング・グリーンの大噴水の精巧さや巨大さや優秀性を認めるのにやぶさかでないと言った。それに類似したものは、エジプトでも、その他どこでも、見たことがないことを彼は認めざるをえなかったのだ。
そこで私は伯爵にわが鉄道について感想を求めてみた。
「格別に言うことはないね」と彼は答えた。鉄道というのは、むしろみみっちく、思いつきも貧弱で、組立て方も無細工《ぶさいく》だ。エジプト人が高さが百五十フィートもある宮殿やオベリスクをそっくりそのまま運ぶのに用いた、あの巨大で、平坦で、真すぐな鉄の溝をつけた堤道とは、むろん、較ぶべくもない、というのが彼の意見だった。
私はわれわれの巨大な機械力について語った。
彼は現代人もその方面について多少は知っていることを認めてから、あべこべに、君も、カルナックのあのささやかな宮殿のでもいいから、檐《まぐさ》の上に迫持《せりもち》を持ち上げる仕事をしに出かけていたらよかったのではないかな、と逆襲してきた。
私はこういう言いがかりには耳をかさぬことにし、ところで「掘抜き井戸」とはどんなものかご承知ですか、とたずねてみたところ、彼はただ眉をあげてみせただけだった。グリドン氏は私にきつく目くばせして、小声で、大オアシス地方で井戸を掘っていた技師たちがさきごろその種の井戸を発見したのだ、とささやいた。
そこで私は鋼鉄の話をしてみた。が、この異国人は鼻高々と、いったい君たちの鋼鉄はオベリスクに見られるような鮮明に彫刻された作品に仕上げることができるのかね、しかも、あれはみんな銅の刃物で彫られたのですぞ、と言った。
これには一同すっかりしらけてしまい、攻撃の対象を形而上学にむけるのがよかろうということになった。われわれは『ダイアル』〔『ダイアル』誌(一八四〇〜四四)は文学・哲学・宗教の諸問題を扱った季刊誌で、ニューイングランドの超絶主義者《トランセンデンタリスト》たちの意見を代弁した〕と題する本を一冊取りにやらせ、その本のなかの、何やらはっきりしないのだが、ボストンの連中が「大いなる運動または進歩」と称していることについて書いてある章を一つ二つ読んで聞かせた。
これに対して伯爵は、「大いなる運動」は彼の時代にはいくらもあったし、「進歩」とやらが大いに騒がれたこともいっときあったが、そいつが進歩したためしはなかった、とだけ言った。
それからわれわれは民主主義の大いなる美点と重要性について語り、自由選挙がおこなわれ、国王がいない国に住むことの利点を伯爵に納得させようと大いに苦労した。
彼はあらわな関心を示して耳を傾け、事実、すくなからず興味を覚えたようすだった。われわれの話がすむと、ずいぶん昔のことだが、きわめて似たようなことが起こった、と彼は言った。エジプトの十三の地方が、突如として、自分たちは自由になり、かくして他の人類に範を示そうと決意した。彼らは賢人を集めて、考えうるかぎり美事な憲法をでっちあげた。しばらくのあいだ、彼らはまことにうまく事を運んだが、ただ彼らの高慢ぶりは鼻持ちならなかった。ところが、この十三の地方に、あと十五か二十の地方が加わって、地球上では前代未聞の醜悪で我慢ならない専制国家をつくりあげることになったのがおちだった。
私はその政権を奪った暴君の名をただした。
伯爵が記憶するかぎりでは、その名は「暴民《モッブ》」というのだった。
これに対して何と言えばよいのかわからなかったので、私は声を張りあげて、エジプト人が蒸気について無知であるのは遺憾であると言った。
伯爵は驚き呆れた顔で私を見たが、なにも言わなかった。だが、例の無口な男が肘で私の肋骨に猛列な一撃を加え――私がついにすっかり馬脚をあらわしてしまったと言い――現代の蒸気機関はヘロ〔アレキサンドリアのヘロ(紀元前六二〜一五〇頃)は蒸気機関の原理をその著書に書いている。ソロモン・デ・カウス(一五七六〜一六二六)はフランスの技師で『各種機械の運動の原理』で蒸気を利用する機械の原理を説明している〕の発明にかかり、ソロモン・デ・カウスをへて完成されたのを知らぬほど、おまえは馬鹿者なのか、となじるのだった。
いまやわれわれの敗北は目睫《もくしょう》の間に迫っていた。が、幸いなことに、ポノナー医師は陣容をたてなおして、われわれの救援にかけつけ、エジプト人たちは衣類というきわめて重要な点について本気で現代人と対抗できると考えているのかとたずねた。
これを聞くと、伯爵は自分のズボンの革帯にちらりと眼を落とし、それから燕尾服の裾の一方の端を手に取って眼に近づけ、そのまま数分のあいだじっと見ていた。やっと手からそれを放すと、彼の口はゆっくりと耳から耳まで大きく開いたが、彼が返事として何を言ったか、私の記憶にはない。
ここでわれわれは元気を回復し、医師は大いなる威厳をとりつくろってミイラに近づき、エジプト人たちは、|いかなる《ヽヽヽヽ》時代にもせよ、ポノナー錠剤やブランドレス丸薬の製法を知っていたことがあるかどうか、紳士の名誉にかけて率直に言うように要求した。
われわれは深い不安をいだきながら答を待った――が、無益だった。答はすぐには返ってこなかった。エジプト人は赤面して頭をうなだれた。これほど完璧な勝利もなかったし、これほど不名誉な敗北もなかった。正直なところ、私はミイラが屈辱に耐えているさまを見るに忍びなかった。私は帽子を手にとり、ぎごちなくミイラに一礼して、この場を立ち去った。
家についてみると、すでに四時をすぎていたので、すぐに寝床にもぐりこんだ。いまは午前十時である。私は七時に起きて、それからずっと、わが家族と人類のためにこの記録を書きつづけた。家族の者とは、もはや再会することはあるまい。私の妻は口やかましやだ。実のところ、私はこの人生と十九世紀そのものが心からいやになっている。何もかもが悪い方向にむかっていると私は信じる。それに、二〇四五年には誰が大統領になっているかを是非とも知りたいと思っている。だから髯を剃ってコーヒーを一杯飲んだら、すぐさま私はポノナー氏のところへ行って、二百年ばかりミイラにしておいてもらうつもりなのである。
[#改ページ]
使いきった男
――さきごろのブカブーおよびキカプー両族との戦闘にまつわる話
[#ここから1字下げ]
〔キカプー・インディアンは、当時、フロリダで米軍と戦闘を演じた。ブカブー族とはポオの創作〕
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから1字下げ]
泣くがよい、泣くがよい、わが眼よ、そして涙のなかに溶《と》けてしまうがよい! 私の命の半分とも思っていたあの方が、私の命のもう半分であるお父様を墓場に送ってしまったのだもの!
――コルネイユ『ル・シッド』
[#ここで字下げ終わり]
まことに容姿端麗なる男性、特別進級のジョン・A・B・C・スミス准将にはじめてお目にかかったのが、いつ、どこでだったか、いまのところ私には思い出せない。誰かが私にこの紳士を紹介してくれたこと、それはたしかである――ある公けの席上においてだったことも、よく承知している――ある重要な会合の席上であったこともたしかである――つまり、どこかでお目にかかったこと、それには確信がある――だが、その場所の名となると、どういうわけだか、すっかり忘れてしまったのだ。実際のところ――紹介されたとき、私はかなりな程度どぎまぎしていたので、それが正確な時と所を記憶するさまたげになったのだ。私は生まれつき神経質である――だが、私にしてみれば、これは遺伝的欠陥であって、どうしようもないことである。とりわけ、ほんのすこしでも神秘めいたところがあると――いかなる点にせよ、はっきり理解しかねるところがあると――私はたちまち憐むべき混乱状態におちいってしまうのだ。
くだんの人物の風貌の全体には、どこか奇異なところがあった――なるほど、|奇異な《ヽヽヽ》などという言葉は私の感じを充分に伝えるには弱すぎるが。この男の身長はおよそ六フィートで、きわだってあたりを威圧する存在だった。その全人格からは|高雅な気品《ヽヽヽヽヽ》がただよい、それはすぐれた血統を物語り、名門の出であることをしのばせた。この話題――つまりスミス氏の風貌の話題となると、ことこまかに語るのに私は一種の憂うつな満足を覚える。
その髪の毛はブルータス〔ブルータスはローマの政治家・軍人でシーザーの暗殺者の一人だが、その髪は美しかったと言われている〕ほどの人物の頭を飾るにふさわしい――あれほどゆたかに垂れ、あれほどつややかに輝く髪はめったにあるものではない。それは漆黒だった――そのみごとな頬髯も同じ色、もっと妥当に言うなら、色の欠如だった。頬髯のことになると、つい私の話に熱がはいるのにお気づきだろうが、これは世界でもっともみごとな頬髯だと言っても過言ではない。とにかく、この頬髯が、これまた比類なくみごとな口をかこみ、ときにはその一部をかくすのであった。この口には、完璧にそろい、考えうるかぎり白い、輝く歯があった。そのあいだから、あらゆる好機を逸することなく、すぐれて明快で、抑揚にとみ、力強い声が発せられるのであった。眼についてもまた、わが知人はひとなみすぐれていた。あのような一対の眼は、片方だけでも、常人の視覚器官の二つぶんのねうちがあった。その眼は深いはしばみ色をおび、きわめて大きく、つややかだった。そして、ときおり、この眼が斜視ぎみであることが認められたが、それも表情にゆたかさをそえるにふさわしい程度のものであった。
将軍の上半身は、疑いもなく、これまで私が見た最上のものであった。そのみごとな均整には、どう詮索しようと、欠点など見つかるはずはなかった。このまれにみる特質は、大理石のアポロ像さえ劣等感に頬をそめるかと思われる一対の肩をいちだんと引き立てていた。私は美しい肩には趣味があるのだが、あれほど完璧な肩にお目にかかったことはないと断言してよい。腕は両方とも、文句なしのできだった。下肢もまた、負けず劣らず、みごとなものであった。まさしく、|これ以上のものはあるまい《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》といったみごとな脚だった。この道にかけての目ききなら、誰だって、この脚をみごとなものだと認めるだろう。肉づきは多からず、少なからず――粗野でもなければ華奢でもなかった。私には、あれほど優美な曲線をえがく大腿骨は想像もできかねたし、腓骨の背面には適度なふくらみがあり、それがみごとに均整のとれたふくらはぎの形成をたすけていた。私の若く才能ある友人の彫刻家チポンチピーノに特別進級のジョン・A・B・C・スミス准将の脚をひとめ見せてやりたいものだと念願している。
しかし、これほど非の打ちどころのない美丈夫がそうざらにいるわけでないことは承知していながらも、それでもなお、いましがた述べたような、あの|奇異な《ヽヽヽ》何かが――つまり、わが新しい知己の身辺にただよう|名状しがたい《ヽヽヽヽヽヽ》異様な雰囲気が――このきわめてめぐまれた肉体に、どことはなしに、いやたしかに、あるということは、私には納得のゆきかねるところであった。おそらく、その原因は彼の物腰《ヽヽ》に求められるかもしれない――が、この点でも、私は確信はもちかねる。彼の身ごなしには、ぎくしゃくしたとは言わぬまでも、どこかこわばったところがあった――いくらか規則的な、そう言ってよければだが、四角ばった正確さがあって、それが彼の一挙一動につきまとい、もっと小柄な人物の場合なら、これはすくなからず気取っていて、尊大で、固苦しい感じをあたえることになっただろうが、その同じことが、この疑問の余地なく巨大な人物に見られるとなると、それはたちまち謙虚さ――いや、大柄な人物にふさわしい、いい意味での|気ぐらいの高さ《ヽヽヽヽヽヽヽ》のしるしとなるのだった。
私にスミス将軍を紹介してくれた親切な友人は、この人物を評して私の耳にこうつぶやいたものだ。将軍は|特異な《ヽヽヽ》人物だ――まことに|特異な《ヽヽヽ》人物だ――当代|きって《ヽヽヽ》の特異な人物の一人だ、と。また、主として勇猛果敢であるという評判のせいで――彼はことのほかご婦人たちに人気があった、とも。
「勇気《ヽヽ》の点にかけては、彼にかなうものはなかった――将軍はまったくの命知らずだ――掛け値なしの無鉄砲者だ」と、わが友はここで一段と声を落として言い、神秘めかした口調で私をぞくぞくとさせた。
「徹底した無鉄砲者であることにはまちがい|ない《ヽヽ》。|そいつ《ヽヽヽ》を大いに発揮したのは、せんだって南部の沼地でおこなわれたブカブーとキカプー・インディアンとの大戦闘でだ」(ここでわが友は両眼をいくらか大きく見開いてみせた)「すさまじいものだった! ――血と叫喚の修羅場だった! ――なんたる猛勇《ヽヽ》! ――むろん、評判は聞いているだろうね? ――いいかね、あの男は――」
「生きていたんだね、ご機嫌いかがです? 元気ですか? ほんとにお目にかかれて光栄です!」と、ここで将軍その人が姿を現わし、友人に近づいて手を握り、私が紹介されると、ぎごちなくはあったが、ふかぶかと頭をたれた。そのとき私は思ったし(いまも、そう思っているのだが)、これほど澄んでよく通る声は聞いたことがなかった。また、これほどみごとな歯も見たことはなかった。しかし白状しておくが、そのとき話の腰を折られたのは残念であった。というのは、さきにも述べたように、ささやかれたり、ほのめかされたりしたせいで、このブカブー・キカプー戦役の英雄にたいする私の関心はいたくかきたてられたからである。
しかしながら、この無念な思いも、特別進級の准将ジョン・A・B・C・スミスと心なごむ明快な会話を交わしているうちにたちまち消えた。わが友はすぐにその場を立ち去ったので、私と将軍はながいこと|二人だけ《ヽヽヽヽ》で話しあい、たいへん楽しかったばかりか、|まことに《ヽヽヽヽ》有益でもあった。これほど流暢な話し手は知らなかったし、これほど博識な人物にお目にかかったこともなかった。だが、そのとき私がいちばん関心をいだいていた問題――つまりブカブー戦役にまつわる神秘的な状況に話題が触れると、将軍はふさわしい謙遜ぶりを示して、口をつぐむのだった。そこで、私としても、じつは切り出したくてうずうずしていたのだが、やはり謙譲の美徳なるものを発揮して、その話題に触れるのは遠慮した。この優雅な軍人は哲学的な興味のある話題を好むとみえ、ことに、近年における機械の発明の長足の進歩について弁ずるのに喜びを覚えるようであった。実際のところ、私がどこに話を持ってゆこうとしても、将軍はきまってこの話題に引き戻してしまうのだった。
「こんなすばらしいことはありませんぞ」と将軍は言うのだった。「われわれはすばらしい国民であり、しかもすばらしい時代に生きている。パラシュートに鉄道――人捕りわなにバネ銃〔「人捕りわな」「バネ銃」はともに個人の領地に侵入するのを防ぐために発明された〕! わが蒸気船は七つの海に浮かび、ナソー軽気球船はロンドン=ティンブクトゥー〔ティンブクトゥーは中央アフリカのマリの都市名で、当時、文明人が訪ねうる最遠隔の都市とされていた〕間を(片道たった二十英国ポンドという料金で)定期航路につこうとしている。それに、あの偉大なる電磁気の原理の直接の成果が社会生活――芸術――商業――文学に及ぼす甚大な影響には、測り知れないものがありますぞ! いいですか、それだけではありませんぞ! 発明の進展には際限がないのです。もっとも驚異的な――もっとも独創的な――それにですな、ええと――ええと――トムソンさん、たしか、そういうお名前でしたね、トムソンさん――いいですか、もっとも|有益な《ヽヽヽ》――真にもっとも|有益な《ヽヽヽ》機械的創意工夫が、もしそう言ってよければですが、日ごとにキノコのように発生しているのです。あるいは、もっと如実に言えばですね、バッタのように――バッタのようにです、トムソンさん――われわれのまわりに発生しているのです――そう――そう――われわれのまわりにです」
むろん、トムソンとは私の名前ではない。しかし、私がその人となりにいっそうの興味をいだいてスミス将軍とお別れしたことは言うまでもない。将軍の巧妙な話術には感嘆せざるをえなかったし、この機械時代に生を享けることによってわれわれが得ている貴重な特権について深く納得させられるところがあった。しかしながら、私の好奇心は完全に満足させられたわけでなく、そこでさっそく、特別進級の准将その人について、とくにブカブー・キカプー戦役において|彼自身が重要な役割を果した《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》とほうもない事件について、知人たちにきいてまわる決心をした。
機会は向うからやってきたので、(思い出すだに身の毛のよだつことだが)私はなんのためらいもなくそれをつかんだ。それが起こったのはドラムマップ博士の教会でだが、ある日曜日のこと、ちょうど説教のとき、席についてみると、わが愛する、おしゃべりのタビタ・T嬢が、同じベンチであるばかりか、すぐ隣りにいるではないか。こういうめぐりあわせになった好運を、当然のことながら、私は心からよろこんだ。もし特別進級の准将ジョン・A・B・C・スミスについて何かを知っている者がいるとすれば、それこそタビタ・T嬢をおいてほかにないことは明らかだったからだ。私たちは二、三の信号をかわし、さっそく|額を寄せあい《ヽヽヽヽヽヽ》、|小声で《ヽヽヽ》話しはじめた。
「スミスですって!」と彼女は私の熱心な質問に答えた。「スミスって――ああ、ジョン・A・B・C将軍のことじゃなくって? まあ、|あのひと《ヽヽヽヽ》のことなら、なにもかも|ご存知《ヽヽヽ》だと思っていたわ! いまはすばらしい発明の時代ですわ! あれは、ぞっとするような事件ですわ――あのキカプー族ってのは、ほんとに野蛮な連中ですことよ! ――そんな連中と、英雄らしく戦われたのですわ――勇猛果敢――不滅の名声。スミス! ――特別進級の准将ジョン・A・B・C! ――そりゃ、わかっていらっしゃるんでしょう、あの人は――」
「人は」と、ここでドラムマップ博士は大声を張りあげ、まるで説教壇をぶちこわさんばかりにドスンとたたいて言った。「婦《おんな》が産《う》む人はその日少《ひすく》なして艱難《なやみ》多し。その来《きた》ることば花のごとくにして散る〔「ヨブ記」より〕!」
私は長椅子の端に移動したが、聖職者の熱気をおびた表情から判断して、私が令嬢とささやいていたことが、説教壇ではあるまじきほどの怒りをひき起こしてしまったことに気づいた。なんとも仕方のないことだった。そこで私はすすんで恭順の意を表し、その遠大な説教にふわしい謹厳なる沈黙の殉教者となって耳をかたむけたのであった。
その翌晩、いささか遅れはしたが、ランティポール劇場を訪れた。愛想がよくって世話に通じたアラベラ、ミランダ・コノセンティ姉妹のボックスに足を踏み入れさえすれば、私の好奇心はたちどころに満足させられるものと確信したからだった。あのすぐれた悲劇役者クライマックスが満員の観衆を相手にイヤゴーを演じているところで、私は姉妹に自分の意向を理解してもらうのにいささか難儀した。ことに、われわれのボックスは|そで《ヽヽ》のすぐそばにあり、舞台を完全に見おろすところにあったからだった。
「スミスですって!」とアラベラ嬢は、やっと私の質問の意図を察して言った。「スミスですって? ――あら、ジョン・A・B・C将軍のことじゃなくって?」
「スミスですって?」とミランダはもの思わしげに訊いた。「まあ、あんなにすてきなお方って見たことがおあり?」
「いや、ありませんとも。でも、|どうぞ《ヽヽヽ》教えてください――」
「それとも、比類のない優雅さっていうのかしら?」
「まさしく比頬がございません――しかし、どうか教えて――」
「それとも、みごとな演出効果というのかしら?」
「マダム!」
「それとも、シェイクスピアに出てくる、まことの美女たちのように繊細な感覚をお持ちの方と言ったほうがいいかしら? あのおみ脚をごらんになったら!」
「畜生!」とつぶやいて私は妹のほうに向きなおった。
「スミスですって?」と彼女は言った。
「あら、ジョン・A・B・C・スミス将軍のことじゃなくって? ――あれはおそろしい事件でしたわ、そうじゃございませんこと? ――あのブカブー族ときたら、ほんとにひどい奴らですわ――野蛮で、それに――でも、私たちはすばらしい発明の時代に生きていますものね! ――スミス将軍――ええ、そうですとも、偉大なお方だわ! ――まったくの命知らず――不滅の名声――勇気のかたまり! |知らないんですって《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》!」(ここのところは金切声だった)「まあ、おどろいた――だって、あの人《マン》は――」
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――|マン《ヽヽ》ドラゴーラだろうと、世界じゅうのどんな睡眠薬を飲んだって、もうきのうまでのように気持よく眠らせてはもらえませんぞ!〔シェイクスピア『オセロー』より〕
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こうクライマックス氏が大声でわめき、私の顔に向ってこぶしを振りつづけたので、これには私も|耐えがたく《ヽヽヽヽヽ》、また|耐えるつもりもなかった《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》。私はただちにコノセンティ姉妹のもとを離れ、舞台の背後にまわり、この下劣な悪党に生涯忘れることのないような一撃をくらわしてやった。
美わしの未亡人キャサリン・オトランプ夫人の夜会でなら、同じような失望にはあうまいという自信があった。そこで、わが美わしの女主人とカードのテーブルに向かいあってすわると、とっさに、その解決が私の心の平和にとって不可欠な問題についての質問を開始した。
「スミスですって?」と相手は言った。「あら、ジョンA・B・C将軍のことかしら? ――あれはおそろしい事件でしたわ、そうじゃないこと? ――ダイヤっておっしゃった? ――キカプー族ときたら、ほんとにひどい奴らだわ! ――ごめんなさいね、タトルさん、ホイスパトをやっているんですわ――でも、いまは発明の時代ですものね、たしかに、そういう時代――|なによりもまず《パール・エクセランス》そういう時代――あら、フランス語ごぞんじでしたわね? ――ええ、ほんとの英雄――まったくの命知らずですわ! ――ハートがないの、タトルさん? ――信じられないわ! ――不滅の名声に、あれやこれや――勇気のかたまり! |知らないなんて《ヽヽヽヽヽヽヽ》!  まあ、あきれた、あの人《マン》は!」
「マンですって? ――マン大尉のこと?」と、部屋のいちばんすみから女の金切声が邪魔に入った。「マン大尉と決闘のお話なさってるでしょう? ――まあ、聞きたいわ――ね、話して――つづけて、オトランプさん――さあ、つづけて話して!」そういうわけでオトランプ夫人は話をつづけたが――それがマン大尉とかの話ばかりで、この男は銃殺刑に処せられたか絞首刑になったか、あるいは銃殺刑と絞首刑をいっぺんにくらったらしかった。しかり、オトランプ夫人は話をつづけ――私はつづけて出ていった。その晩は、特別進級の准将ジョンA・B・C・スミスについて聞く機会にはついにめぐまれなかった。
それでもなお、永遠に不運の波が自分にさからうことはあるまいとみずからなぐさめ、あの魅惑的な天使、優雅なピルエット夫人にじかにぶつかって情報を求めることに意を決したのだ。
「スミスですって?」と、二人でつま先旋回をしているとき、P夫人は言った。「スミスですって? ジョン・A・B・C将軍のことじゃない? ブカブー族のやることったら、ひどいものね、そうじゃなくって? ――インディアンてのは、おそろしい野蛮人ね! ――つま先は開いてお立ちになるものよ! ――あなたって、ほんとにだめね――ほんとうに勇ましいお方だったのに、おかわいそうに――でも、いまはすばらしい発明の時代だわ――あら、私としたことが、息切れがするわ――まったくの命知らず――勇気のかたまり――|知らないなんて《ヽヽヽヽヽヽヽ》! 信じられないわ――腰かけて、教えてあげるわ――スミスってね、あの人《マン》は――」
「マン・|フレッド《ヽヽヽヽ》よ!」と、私がピルエット夫人を椅子のほうにつれてゆこうとしていると、バ・ブルー嬢〔Bas-blue はフランス語で、英語なら Blue-stocking となるが、Blue Stocking Society とは十八世紀中葉にロンドンで組織された知識婦人たちの結社。それからブルーストッキングとは文学・学問好きの婦人、才学をほこる女性、文学かぶれの女の意味に変質した。この作品のバ・ブルー嬢もあきらかにその気配がある〕が大声で割りこんできた。「そんな名前は聞いたこともないわ。あれはマン・|フレッド《ヽヽヽヽ》よ、絶対にマン・フライデーなんかじゃないわ」ここでバ・ブルー嬢は断固たる態度で私に来るように手招きし、こちらは心ならずも、バイロン卿の書いたある詩劇〔もちろん、バイロンの詩劇『マンフレッド』(Manfred)のこと〕の表題に関する議論に決着をつけるためにP夫人のもとを離れざるをえなくなった。きわめて正確な発音で、ほんとうの表題はマン・フライデーであって、決してマン・フレッドではないと言ってやったが、ピルエット夫人をさがしに戻ってみると、もはや夫人の姿は見えず、私はこういうバ・ブルーのような利口ぶるてあいに対してはげしい憎悪をもやしながら、その家から退出した。
事態はまさしく深刻な様相を呈してきたので、私はすぐさま、親友のセオドア・シニヴェイト氏を訪ねることにした。そこに行けば、すくなくともなにがしか確かな情報を得られるものと承知していたからだ。
「スミスだって?」と、彼は独特の間のびしたしゃべり方で言った。「スミスだって? ――ジョン・A・B・C将軍のことじゃないかね? キカプー族との戦いってのは野蛮なものだったな、そうじゃないかね? え、そう思わんかね? ――まったくの命知らーずだ――ほんまに、気の毒なことさ! ――すばらしい発明の時代だからな――勇気のかーたまりだ! ところで、君はマーン大尉のことをお聞きおよびかね?」
「マン大尉なんてのは、糞くらえだ」と私は言った。「話をそらさないでください」
「ふん! ――まあ、よろしい――ほとんど|同じこと《ラ・メーム・ショーズ》さ、フランス語で言えばね。スミスね? 特別進級の准将ジョン・AーBーCーね? いいかね」(ここでS氏は鼻のわきに指をあてるのが妥当と考えた)「ほんとかね、まこと正直に、良心にかけて、君はスミスの件について、わしが知っているようには知っていないと言うつもりかね? スミスのことをね? ジョン・AーBーCのことだよね? こりゃたまげた、あの男はだね――」
「シニヴェイト君」と私は懇願調で言った。「鉄仮面の男だとでも言うのかね?」
「いーや」と彼は考えぶかげに言った。「それに月世界の男でもないね」
私はこの返答を、とげのある積極的な侮辱と受けとめ、猛烈に腹を立て、即刻その家を辞したものだが、そのときは、わが友シニヴェイト氏の紳士らしからざる行為と無礼に対してすみやかに釈明を求めることに固く意を決したものだった。
こんなことがあったとはいえ、情報収集の途が完全に閉ざされたなどとは思わなかった。まだ情報源がひとつ残っていた。その源泉に当ってみることだ。すぐに将軍その人を訪ね、この摩訶不思議な神秘の真相を明快に説明するよう要求しよう。そのさい、すくなくとも、言を左右する機会をあたえてはならない。ずばり、単刀直入、有無を言わせぬ態度でのぞむとしよう――パイの皮のように歯切れよく――タキトゥスやモンテスキューのように簡潔に。
訪問したのは早朝だったので、将軍は着替えの最中だった。だが私は緊急の用件だと主張して、黒人の老従僕にただちに将軍の寝室に案内させたが、この黒人従者は訪問中ずっと私のそばを離れなかった。部屋にはいると、むろん私はその部屋の主を求めて見まわしたが、すぐには彼を発見できなかった。床の私のすぐ足もとに、大きな、ひどく奇妙な感じのする何かの|かたまり《ヽヽヽヽ》があった。私はとてもご機嫌うるわしいといった気分ではなかったので、そいつをどけるために足でけとばしてやった。
「えへん! えへん! もっとお手やわらかにねがえませんかね」とその|かたまり《ヽヽヽヽ》は言ったが、そのきしるような、うめくような小声は、私が生まれてこのかた聞いたこともないような妙な声だった。
「えへん! もっとお手やわらかにと申すのじゃ」
私はあられもない恐怖の叫びを発して、とっさに部屋のいちばんすみに逃げこんだ。
「いやはや、なんたることだね、君」とまた|かたまり《ヽヽヽヽ》が口をきいた。「いったい――いったい――いったい――ぜんたい、いったい、なんたることかね? 君はわしのことをまったく知らんとみえるな」
こんなことに、いったい私がどう答えることが|できた《ヽヽヽ》だろうか――いったい私が? 私は肘掛椅子にへなへなと腰をおろし、眼をむき、口をあんぐりあけ、事態の解明を待った。
「それにしても、君がわしを知らんとは奇妙だな」と、ここでまた、例の名状しがたい|かたまり《ヽヽヽヽ》がきしみ声をあげ、それが、靴下を引きあげるときの恰好にきわめてよく似た、なんとも言いようのない動きを床のうえで示すのに私は気づいた。だが、見えたのは片足だけだった。
「それにしても、君がわしを知らんとは奇妙だな。ポンペイ、そこの脚をとってくれ!」
そこでポンペイは、すでに身づくろいのすんだ、みごとなコルク製の脚をわたした。あっという間にそれをねじこむと、それはすっくと私の眼のまえに立った。
「血なまぐさい戦闘だったな、あれは」と、それは独白のように言葉をつづけた。「ブカブーやキカプー族と戦って、かすり傷だけですむなんて考えてはならんのだ。ポンペイ、すまんがあの腕をたのむ。トマスって男は」(私のほうを向いて)「コルク製の脚にかけては断然第一人者だ。しかし、腕が必要なときにはだね、君、ぜひともビショップを紹介させていただくよ」ここでポンペイは腕をねじこんだ。
「ひどい戦闘だったよ、あれは。おい、ポンペイ、肩と胸をつけるんだ! 肩にかけてはペティットが最高だが、胸となるとダクローのところへ行かねばなるまいね」
「胸ですって!」と私は言った。
「ポンペイ、かつらのほうはまだかね? インディアンがやる頭の皮はぎってのは、かなり手荒らなもんだね。が、そんな目にあったら、ドゥ・ロルムのところでりっぱな半かつらを買うことだ」
「半かつら!」
「さあ、黒んぼめ、わしの歯だ! こんなすばらしいのがほしければ、さっそく歯医者のパームリーのところへ行くといいね。値段は張るが、仕事はたしかだよ。ブカブー族の大男にライフル銃の台尻でなぐられたとき、わしは自分のりっぱな歯をあらかたのみこんでしまったもんでね」
「台尻で! なぐられた! ひどい|め《ヽ》にあったもんだ」
「ああ、そう、眼《め》だ――さあ、ポンペイ、ぐずぐずしないで、そいつをはめこむんだ! キカプー族の奴らは、眼玉をえぐり抜くのにかけては相当な腕だな。しかし、あいつはぺてん師だがね、あのウィリアムズという医者は。だが、彼のつくった眼でどれほどよく見えるか、君には想像もつくまい」
ようやく私は、自分のまえに立つのが、わが新しい知己、特別進級の准将ジョン・A・B・C・スミスその人にほかならないことが、はっきりしだした。ポンペイの操作によって、この人物の外見がまことにみごとに変貌したことを私は告白しないわけにはいかない。しかし、声について、私はなおもすくなからず理解しかねるところがあったが、この謎も、すみやかに解かれることになった。
「ポンペイ、この黒んぼの悪党め」と将軍はきしり声をあげた。「口蓋なしでわしを外に出すつもりだな」
すると黒人は、なにやら言いわけがましいことをぶつくさ口にしながら主人に近づき、馬丁のようになれた手つきで口をあけさせ、そこへ、私にはさっぱり見当もつかぬ、いくらか奇妙な形の機械を、まことに器用にはめこんだ。すると将軍の表情全体はたちどころに驚くべき変貌をとげた。彼がふたたび語りはじめたとき、その声は、われわれが最初に知りあったときに気づいた、あのゆたかな抑揚と力強さをとり戻していた。
「あの野蛮人たちめ!」と彼は明快な口調で言ったが、その変りように私は驚きを禁じえなかった。「あの野蛮人たちめ! 奴らはわしの上顎をたたきつぶしたばかりか、わざわざ舌を八分の七ほど切りよった。しかし、こういう種類の上等な器具をつくることにかけては、アメリカでは、ボンファンティにかなうものはいないね。君にも自信をもっておすすめできる」(ここで将軍はおじぎをした)「ほんとに、あの男に頼んでよかったとわしは思っているんだ」
私は心から将軍の親切に感謝し、すぐにいとまごいをした。私は事件の真相を完璧に理解したのだ――あれほど長く私を悩ませた神秘をあますところなく知りえたのだ。もはや自明のことだった。事態は明白だった。特別進級の准将ジョン・A・B・C・スミスという男は――|使いきった男《ヽヽヽヽヽヽ》だったのである。
[#改ページ]
解説
ポオのSF、ポオのサイエンス・フィクション、そのうえ「傑作選集」と銘打てば、さてはSFばやりの時流に棹さす魂胆か――といぶかられる向きもあるかもしれない。ポオといえば「アッシャー家の崩壊」「赤死病の仮面」「ライジーア」「黒猫」などの幻想・怪奇小説の名手、「モルグ街の殺人」「盗まれた手紙」「マリー・ロジェの秘密」などの推理小説の元祖、「大鴉」や「アナベル・リー」などの詩人、「創作の哲理」や「詩の原理」を書いた詩論家、そして(これはあまり読まれているとは信じられないが)壮大な宇宙再構想のこころみである散文詩『ユリイカ』の書き手であることはよく知られていても、SFの巨視的歴史に通暁しているファンならともかく、ポオがまたかなりの数のサイエンス・フィクションを手がけ、ひょっとすると今日隆盛をきわめるこの文学ジャンルの創始者の一人であったかも知れないことは、さほど周知のことではないからである。
SF元祖となれば、通例、エドガー・ポオ(一八〇九〜四九)よりあとに生まれ、『気球旅行の五週間』『地底旅行』『ハトラス船長の冒険』『海底二万リーグ』『八十日間世界一周』などの空想冒険小説を数多くものしたジュール・ヴェルヌ(一八二八〜一九〇五)、それに『タイム・マシン』『透明人間』『宇宙戦争』などを書いたH・G・ウェルズ(一八六六〜一九四六)ということになっていて、ポオの名を思い出す人はあまりなかろう。異議をさしはさむものではない。たしかにヴェルヌこそ、当時の科学《サイエンス》と科学技術《テクノロジー》が生み出し、生み出す可能性があった潜水艦や飛行機や宇宙ロケットを「発明」して――つまり、はっきりとサイエンスとテクノロジーに肩入れし、サイエンスとフィクションを結びつけて、読者を地球の内外を含めた宇宙への「|尋常ならざる旅《ヴォワヤージュ・エクストラオルディネール》」にいざなう奇想天外な小説のジャンルを確立・普及させた作家にちがいないのだから。ウェルズもまた、科学的・合理的な思索と奔放な想像力を結びつけ、時間を自由にあやつる機械を発明したり、火星人を出現させたりして、それこそ「地球人」の「時・空」を格段に拡張し、その座標軸を混乱させ、おびえさせ、結果として文明批評性の高い、ヴェルヌとはいささか異質の思弁的なSFのジャンルを確立した作家であることに疑問を呈する者はおるまい。
ところが、そのヴェルヌ自身、ポオに対する文学的負債を自認し、ポオへの最大級の讃辞を惜まず、「この一風変った黙考型の天才」に〔ここからあとはミシェル・ビュトールの「至高点と黄金時代――ジュール・ヴェルヌの若干の作品を通して」(一九四九)からの引用になるが〕「文学の旧式な概念を決定的に乗りこえようとする意志にもとづいた、文学作品の典型を発見したのである」。さらにビュトールはヴェルヌを「知《ヽ》の想像力を徹底的に新しく作り変えた」者と称し、かつ「こうしたやり方にはすでに先行者がいたが、とくにエドガー・ポオがいた」と述べている。ボオドレール以来、フランスにはポオの賛美者にこと欠かないのだが、一九〇五年、モーリス・ルナールはある論文でポオを「空想科学小説の真の創始者」と断定し、本書にも収録した「ヴァルドマール氏の症状の真相」と「のこぎり山奇談」と「大渦への落下」とをその原型としてあげている。そして、もっと後年になるとアングロ・サクソン圏の批評家もこの種の意見に唱和して、ピーター・ペンツォルトはその『フィクションにおける超自然』(一九五二)で、ヴェルヌ以前に「サイエンス・フィクションを書いたのはポオだけである」と断定している。またクラーク・オルニーは「サイエンス・フィクションの創始者――エドガー・アラン・ポオ」(一九五九)と題する論文で、ポオのことを「その作品で合理的な外挿法《エクストラポレーション》を利用して、断固として超自然性を排除した」最初の作家と称している。外挿法とは耳なれない言葉かもしれないが、もともと統計学上の用語で、対象の変化を時間的に調べて将来を予測する方法のことである。さらに、サイエンス・フィクション史の定本の一つと見られてよい『無限の開拓者たち』(一九六三)でサム・モスコウィツは「ポオがサイエンス・フィクションに及ぼした影響の全範囲ははかりがたいものであるが、彼のこのジャンルに対する最大の貢献はあらゆる日常性からの逸脱は|科学的に《ヽヽヽヽ》説明されねばならぬという法則を確立したことにある」と述べる。ポオとウェルズの影響関係についてはあまり資料がなく、ウェルズ自身がポオ賛美の言を口にしたとは思えず、それというのも英語圏には英語圏なりのお家の事情があるからでもあるが、ボオドレール、マラルメ、ヴァレリーなどのフランス人の目を通してポオを|見なおす《ヽヽヽヽ》ことをすすめたアメリカ生まれの英国人T・S・エリオットのエッセイ「ポオからヴァレリーへ」(一九四九)に次のくだりがある――「H・G・ウェルズの初期の科学的冒険や発明の物語はポオの物語にかなり刺戟を受けているように思われる――たとえば『ゴードン・ピムの物語』や『大渦への落下』や『ヴァルドマール氏の症状の真相』などに。証拠を集める仕事は、こういう調査に興味をお持ちの方にお任せしたい」と。
ポオがサイエンス・フィクションの書き手で、しかもその開拓者の一人であることの傍証といったものは以上で足りるとしたい。しかしサイエンス・フィクションないしSFという名称自体が定着したのは一九二〇年代のことであり、ヒューゴー・ガーンズバックが主宰する世界初のSF専門誌『アメージング・ストーリイズ』が米国で発刊されたのが一九二六年、その後この書きもののジャンルは大繁盛して、西部劇の馬をロケットに乗りかえたようなスペース・オペラや宇宙活劇もの、スーパーマンなどが登場していくらかSFの低俗化も招いたが、第二次大戦前後からはSFの主流は社会科学や価値観の相対化をめざし、かつそれを楽しませる方向にむかい、科学派から幻想派までの多彩な作風を生み出し、現在ではカート・ヴォネガットやトマス・ピンチョンの作品に見られるように、SFは純文学や前衛文学とも接合して、いまや文学界ではSFの拡散と浸透と風化が同時進行しているありさま――そういう時点から眺め返してのSFの書き手、創始者としてのポオであることも忘れてはなるまい。別言すれば、ポオがSF作家、その元祖の一人となったのは、現在におけるサイエンス・フィクションの普及・拡散・浸透・風化の結果であることも否めないのである。
ところで、このさき議論をすすめる、あるいはポオの方に議論をたぐり寄せるためには、当然のことながら、SFまたはサイエンス・フィクションの定義が必要になってくるわけだが、これが大問題で、SFの定義はSF作家の頭の数だけあると言ってよく、その最大公約数的定義を見出すのははなはだ困難である。すでに言及引用したビュトール、オルニー、モスコウィツの記述もみな一種のSFの定義であろう。またアイザック・アシモフのようにサイエンス・フィクションを科学と科学者の未来に関する物語と簡単かつ積極的に定義する者もいれば、セオドア・スタージョンのように、SFとはその物語から科学的要素を取り除けば無効になるような作品とネガティヴに定義する者もいる。また『サイエンス・フィクション百科図鑑』(一九七七)で、ジョージ・ターナーは「サイエンス・フィクションは伝統的に確立されている諸ジャンル――たとえば冒険、風刺、文明批評、笑劇、恐怖、推理ものなど――の大部分をおおうものであり、その相違は内容にあるというより、内容に対する作家のアプローチの仕方にある。別言すれば……知られている人生の事実や環境に依存する、かの大量のフィクションが持つ通常の関心に対して別種のアプローチを提供するのがサイエンス・フィクションである。この『大量の』フィクションなるものは写実的《リアリスティク》なフィクションと解されてよく、それは生存の現実をあるがままに受け入れることによって規定されているフィクションのことである。その反対の非現実的フィクションは、ふつう幻想ものというジャンル名で呼ばれているが、そこでは生存の知られている規準は奔放な幻想によって無視されている。この二つのフィクションの中間にサイエンス・フィクションがあり、それは別種の生存様式(未来における、他の世界における、あるいは登場人物の精神内部における)を提供し、そこでは想像的要素を論理的に発展せしめることを要請されていながら、その生存様式を現実生活と結びつける事実に基礎が置かれている」と、納得的ではあるが、いささか廻りくどく定義している。が、このような多種多様な定義に律義につきあっていては、一冊の本の分量があっても足りまい。
そこで、私自身の好みでもあるが、簡潔でもあるので有益と思われる『十億年の宴』(一九七三)のブライアン・オールディスの「定義」を採用して、本書の解説の手掛りとしたい。
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サイエンス・フィクションは、われわれの進歩しているが混乱している知識(科学)に直面する宇宙における人間およびその状態を定義する探求であり、かつそれはゴシックないし後期《ポスト》ゴシックの鋳型によって性格づけられている。
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この定義の特色は人間を科学との関連において定義しようとするこころみをもってSFを定義しようとしたところにあり、その便利なところは、その作中人物が強力であればあるほど、その作品は本来的(科学を核心とする)科学小説になり、作中人物が弱体であればあるほど、それから遠ざかって幻想小説にむかうというSFのいわば変動係数《パラミーター》を与えられているところにある。が、後半の「ゴシックないし後期ゴシック」とは何か。あらゆる定義の例に洩れず、この定義もまた定義されなければならない部分を残しているだけのことだが、この「ゴシックないし後期ゴシックの鋳型」とは、一七六五年にホーレス・ウォルポールが『オトラント城』を発表して以来、ベックフォード(『ヴァセック』)、ルイス(『マンク』)、ラドクリフ(『ユードルフォの城』)、ゴドウィン(『ケーレブ・ウィリアムズ』)、メアリー・シェリー(『フランケンシュタイン』)、マチューリン(『放浪者メルモス』)、そしてアメリカに渡ってはブラウン、ポオ、ホーソーン、メルヴィル、ジェイムズ……フォークナー、ピンチョンと綿々とつづくゴシック・ロマンスと称される物語の形式ないしパターンのことであることは明らかだが、このゴシック・ロマンスの正体を明らかにするとなると、また一冊の書物を必要とするほどの難事業なのだ。しかしオールディスにとっては、そのSFの定義にこの最後の一行を挿入しておくことは是非とも必要だったのだ。なぜなら、オールディスの考えによれば、「広い意味における幻想はあらゆるサイエンス・フィクションを包含する」からであり、その「幻想」にしても「狭い意味」では純粋な非現実である「神話」に向かい、いかほど「幻想的」であっても、現実や人間との構造的対応を持たねばならぬサイエンス・フィクションの特質とするわけにはいかないけれども、いかほどありうべからざることが起ろうと、どんな悪行がなされようと、血もこごえる恐怖心がかき立てられようと、なおも社会構造や人間の暗い情念とひそかな対応関係を保つウォルポールなどのゴシック小説を仲間はずれにするわけにはいかなかったからだろう。事実、オールディスはメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』(一八一八)を近代SFの原型と見なしている。フランケンシュタイン博士は当時の科学的知識を結集して人造人間をつくることに成功する。すると、たちまちそこに人間と人造人間の関係、つまり人間を創造した絶対者と創造された人間との逆転劇ないし簒奪《さんだつ》劇が展開するのだが、それが窮極的に人間に不幸をもたらすというのが『フランケンシュタイン』の一つのテーマなら、なんと多くの後世のSFがこのパターンに従ったことか。それにシェリー夫人は|当時の《ヽヽヽ》(|現在の《ヽヽヽ》ではない)「進歩しているが混乱している知識(科学)」という一定の枠にそって現実を離れようとしていたのであって、現実から離脱しようとしていたのではない。彼女は現実を拡大し、拡張しようと意図していたのであり、絶対者によって創られた人間がまた人間を創ろうというのは、絶対者と人間との関係を逆転する意図ではあっても、その関係の放棄ではなく、したがって「人間の定義」のこころみであることもたしかである。オールディスは『フランケンシュタイン』に標的を定めて、あの定義を作製したにちがいない。そして、それはポオの方向にもむいているので、われわれにとっても好都合なことである。
ゴシック・ロマンスの「美学」がエドマンド・バークの『崇高と美の観念の起源についての哲学的考察』(一七五六)に由来することには定説があり、その中心的主題は「胸おどらせる恐怖、それこそが崇高のもっとも真正なる効果であり、その崇高さが本物であることの証左である」というもので、そうなら、その「美学」は今日のSFにも通用するものであるが、いまはそこまでくだるのはやめ、ポオのあたりで引っかかってみれば、「大渦への落下」の漁夫が船ごと大渦に呑まれて、その大渦の円錐状の壁面が「まるく裂けた雲間からもれる満月の光を受け、妖しく明るい光を放ちながら黄金色に輝く光の束となって黒い壁を伝い、深淵の深い奥底まで照らし出している」さまを見たときの「畏敬、恐怖、賛嘆の念」や、「瓶から出た手記」の書き手が南極の氷壁に囲まれた大渦に船もろとも呑みこまれようとする寸前にかいま見る荒涼・壮大なる「世界の果て」の眺めを前にして次のように記録するいきさつが|より《ヽヽ》よく理解できよう。
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わたしのこの恐怖感を理解していただくことは、まず、とうてい不可能だが、しかし、この恐しい海域の秘密をさぐりたいとする好奇心がわたしの絶望感に打ちかち、そのためになら悲惨きわまる死に方さえいとわぬ気になってくるのだ。われわれは、なんらかの心ゆるがす知識――そこへ到達することは破滅にほかならないがゆえに絶対に伝達が不可能な秘密にむかって急ぎすすみつつあることはたしかだった。この海流は、おそらく、南極そのものにこの船を運ぶことだろう。一見途方もない、こういう仮説を支持する蓋然性がいくらもあることを言いそえておかねばなるまい……
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この手記の書き手が乗る、陸(日常世界)から隔絶した絶海を破滅へと向かって驀進する古色蒼然たる幽霊船とは、アッシャーの屋敷やユードルフォやオトラントの城のような一種の動く城であり、また城とは言うまでもなくゴシック・ロマンスの典型的な舞台であって、その意味でも「瓶から出た手記」がゴシック仕掛けの作品であることはたしかだが、それにもまして大切なことは、この主人公が「好奇心」のために「恐怖に打ちかち」、「知識」の獲得がすなわち「破滅」であるが|ゆえに《ヽヽヽ》「知識」への到達を願望する情熱もまたゴシック・ロマンスの主人公に共通する情念であり、ひいてはサイエンス・フィクションの主人公たちの多くが共有する衝動であることだ。
また、このポオの主人公は船の進路について「仮説」を立ててもいる。SFとは、また仮説の文学ではないか。「大渦への落下」の漁夫もまた渦巻のなかでの物体の形状と落下速度について(流体力学的には無根拠な)「仮説」をもうけて、一命をとりとめる。つまりポオはこの作品で一見「合理的な外挿法《エクストラポレーション》を利用」したのである。こういう(一見)合理的な仮説をもうけて未来を予測することがプロットそのものになっている点で、「大渦への落下」はまがいようもないサイエンス・フィクションなのである。が、両作から、オルニーが言うように「断固として超自然が排除されている」わけではない。「瓶から出た手記」の大波の高さや幽霊船は言うに及ばず、「大渦への落下」にしても、直径が一マイルにもなる大渦が自然現象として海に出現するとは思えない。これはむしろゴシック・ロマンスの系譜に属する超自然現象だろう。このようなこと、それに先に述べた主人公の好奇心と破滅をも辞さない知識欲(「大渦への落下」の漁夫も「しばらくすると、こんどは、大渦そのものにわたしは強列な好奇心をいだくようになった。たとえ一命を犠牲にすることになろうと、この深淵を探ってやろうという積極的な意欲《ヽヽ》がわいてきたわけです」と語る)を重ね合わせるとき、この二作において、ゴシック・ロマンスとサイエンス・フィクションはみごとに結びつく。
「ハンス・プファールの無類の冒険」は、以上の二作とくらべると、よほどヴェルヌ流の本格的(?)科学的空想冒険小説に近いように思われる。しかし、このどうしても落下《フォール》のひびきがある名の持ち主ハンス・プファールが地球から気球に乗って月へ向かって上昇する日が四月一日であることに注意したほうがよい。現に人間をロケットで月に送ってしまったわれらの時代にこの作品を読む場合にはなおさらのことだ。月と地球との間が真空地帯であることを承知のわれわれは気球による月旅行が不可能なことを知っている。ただハンス・プファールに月旅行を可能ならしめたのは、作者ポオが希薄なりとはいえ全宇宙空間に大気が存在すると仮定《ヽヽ》したからだけなのだ。
ここで、この月旅行談の翻訳にまつわる裏話を一つ紹介しておくが、たとえば、講談社の有能かつ良心的な校閲者は私の「ハンス・プファール」の翻訳の、ポオがフィートで記述した高度をことごとくメートルに換算し、『理科年表』その他を参照したうえ、ゲラの余白に「この三つの数字によれば大気圏は(三万フィート=九・一五キロ、三万一千八百フィート=九・七〇キロ、三万六千フィート=一〇・九八キロ)となり、誤差が大きい。また、いわゆる大気圏とは地上一千キロまでをいい、この数字は小さすぎるがよいか? 対流圏ならいいのですが」と注意書きを添えてくれた。これは私のような粗忽な訳者にとっては有難いことであるが(たとえば、気球が離陸したときの大気圧について、私は「気圧計は十三《ヽヽ》インチを示し」と訳してしまったが、インチをミリに計算しなおしてくれたおかげで、そんな低気圧が地表上ではありえないことがたちまち判明し、訳者が英語の三十《ヽヽ》を十三《ヽヽ》と読みちがえていたことがわかり、そんな中学生的な誤訳を公表しなくてすんだのである)、大気圏や宇宙空間の状態については、ポオの時代にはほとんど知られていなかったので、そのことを忘れ、現代の知識に照らして、ポオの数字や上空からの地球の眺めの不正確さをあげつらってみてもはじまらないのだ。ポオはただ、|当時の《ヽヽヽ》科学知識や|知られていた《ヽヽヽヽヽヽ》数値から類推してハンス・プファールを月に送りこんだだけなのである。
が、こんなことを書いているのをポオが天国で見ているとすれば、いまごろ彼は抱腹絶倒しているにちがいない。「月へ送りこんだ」だって? ――は、は、は、は、と。ハンス・プファールが失踪してから五年後に、彼が月からの使者を乗せて地球につかわした気球の一面にはオランダ発行の新聞紙を貼りつけておいたではないか? それを目撃した印刷工の一人に「それがロッテルダムで印刷されたものであることを聖書にかけて」誓わせておいたではないか? ながながと真実めかして陳述したすえ、最後のところで先行する陳述を否定し、そこまで付合ってきた読者に一杯喰わす――そして一杯喰わされた読者もたぶらかされた自己を笑う、という趣向がいわゆるポオのホークス(hoax)で、この作品はいわばポオのサイエンス・ホークスなのである。
「メロンタ・タウタ」は二八四八年四月一日という日付のついた未来から送られてきた「瓶から出た手記」である。時代を未来に設定するのはむしろSFの常套手段だが、ポオは「タイム・マシン」を発明してそうしたわけでもなく、無媒介にいきなり未来の「新世界」に突入したわけでもない。この作品が発表された一八四八年当時、ポオが「固く栓をした水差しのなか」から発見した千年後《ヽヽヽ》の日付のある文書の翻訳がこの作品であるという設定になっている。これは「不可能な時間」の操作であり、その点、この作品はサイエンス・フィクションとしてはフェアとは言いかねる。ポオは「水差し」というお粗末なタイム・トンネルを通して千年後の世界を読者にかいま見せようとしたのだろうが、その世界はすくなくともテクノロジカルには驚くにたらない世界で、海に浮かぶのは磁気によって推進する船らしいが、空を飛ぶのは時速百マイルほどの飛行船、それにまだ無線も発明されておらず、とても情報社会にまでは到達していないありさま。「メロンタ・タウタ」にかぎらないことだが、この作品もまた十九世紀のフィクションがサイエンスを追いこせなかったことを示している。
だが、そのサイエンス・フィクションとしての価値、ポオのSF作家としての独創性は、十九世紀中葉の時点で、「アムリカ」という国家も、その民主主義も、ニューヨークという都市とともに消滅させ、埋没させ、廃墟と化したところにある。パンディットが(つまり当時の「メロンタ・タウタ」の読者が)飛行船上から廃墟と化したニューヨークを眺めて得た感興は、一九六〇年代にわれわれがSF映画『猿の惑星』の画面で砂浜に半分埋もれた自由の女神の頭を見たときの感興とさほど異質なものではなかったのではなかろうか。ポオのこの作品で、くずし去られ、土に埋められ、揶揄《やゆ》されているのは当時のジャクソン流の民主主義の理念であるなら、『猿の惑星』で砂に埋められているのは自由という人類の理念であろう。遠い未来から現在の日常世界を崩壊させてみせる――それはすぐれてSF的な文明批評の技法、恐怖と悪夢の生み出し方、衝撃の与え方であることに異議はなかろう。だが、これを見ている「未来人」もまた安全ではないのだ。「それは未来に起こるべし」という意味の題名のこの作品には、この手記の書き手を乗せた飛行船は爆発して墜落するという|落ち《ヽヽ》がつく。
「ミイラとの論争」では、この逆の視点から当時の現在を見すえる趣向の物語である。五千五百年も以前にミイラにされたエジプト人、つまりミイラそのものに、当時の最先端をゆく技術である電撃ショックを加えてみたところ、このミイラは忽然として蘇生する。そしてミイラと、当時の科学技術の進歩を誇りにするアメリカ人たちとのあいだに論争が始まるのだが、驚いたことに、当時のアメリカにあったテクノロジーはことごとく五千年以上も昔のエジプトにはすでにあったばかりか、それを凌駕する状態にあったことが判明する。これに気落ちし、また「二〇四五年には誰が大統領になっているかを是非とも知りたい」という好奇心も手伝って、この物語の語り手は「二百年ばかりミイラにしてもらうつもり」になってしまうのである。このように、古代には現在よりもはるかに高度なテクノロジーをもった人類がいたことを発掘やその他のテクノロジーの利用によって発見し、人間の営みはつまるところ先人のあとをなぞる苦労にすぎないと発見することになるサイエンス・フィクションもまた数多い。つまり、ミイラ取りがミイラになるという逆説はSF好みの逆説であり、かつSFというジャンルが本来的に孕んでいる逆説なのである。その意味でも「ミイラとの論争」はSF史上に記憶されてよい作品である。
「シェヘラザードの千二夜の物語」には「事実は小説より奇なり」というエピグラムがついているが、要するに、王妃シェヘラザードは千一夜目で寝物語をやめればよかったのに、『アラビアン・ナイト』の時代にポオの現代の「事実」を先取りして物語めかして話したために王の不興をかい、ついに絞首刑になるという話だが、その「事実」とは十九世紀のなかばにかけて進歩してきた科学技術のおかげで発見が可能になった自然の驚異や発明品のことである。となれば、時代を過去に設定して現代の「事実」を語れば、それは際限もなく荒唐無稽な話になってしまい、ために聞き手の猜疑心をそそることになるという寓意を秘めた物語かもしれない。別言すれば、この『アラビアン・ナイト』のパロディは「サイエンスはサイエンス・フィクションより奇なり」という警告を、そのジャンルの名のもとにいまやすべてのフィクションを封じ込めかねないほどの凶暴性をおびるにいたった現代のサイエンス・フィクションそのものに投げかけているとも受け取れなくはない。そしてこの警告は、このパロディの書き手であり「メロンタ・タウタ」という未来物の作者であるポオ自身に対して向けられても適切・有効であることはいささか皮肉なことではある。この物語や「ハンス・プファールの無類の冒険」「メロンタ・タウタ」「ミイラとの論争」のような、なんらかの仕方で時間の操作をふくみ、しかもポオの時代のサイエンスを規準にする作品は、もし今日の読者にポオの時代の科学に波長を合わせる辛棒心がなければ、そういう読者の不興をかわずにすむという保証はない。私がかような解説めいたことを書いているのも、もっぱら今日の読者がネガティヴな想像力を発揮してアメリカ十九世紀中葉の科学ないし科学精神に同化しながら、これらの物語を読んでいただきたいがためなのである。
そこへゆくと「ヴァルドマール氏の症状の真相」と「のこぎり山奇談」については、そういう杞憂も懇願も、それに解説めいた言辞も必要がなく、安心できる。「ヴァルドマール氏」については、ただ催眠術が当時の最先端をゆく科学であったことを強調しておけば足りよう。そのような先物《さきもの》をすばやく利用して、あれほどグロテスクな、恐怖をそそる、そして人間誰しも避けることができぬ肉体と意識の消滅である死をテーマにした作品をものしたポオには脱帽しないわけにはいかない。「のこぎり山奇談」もまた、小品ながら、現代のわれわれが充分に関心をいだき、抵抗なく受け入れられる諸問題をちりばめてまとめあげられた秀作であろう。そこにはテレパシーがあり、麻薬による別世界(あるいはインナー・スペース)への旅立ちがあり、自己が自己であることにかかわるアイデンティティの問題があり、医者と患者、科学者と被実験者の関係があり、知識としての歴史と無意識としての過去との入りくんだイメージがあり、死があり、複写人間の原型さえもがある。読者はもっとほかのことを発見されるであろう。これはもうただ読んでいただけばよいのである。
最後に残ったのは「使いきった男」だが、ここに至って私も精力を使いきって、あまり多くを書く気力も素材もない。また、その必要もない作品だ。これはインディアンの暴力によって最小限度の肉体に縮小された勇名高い将軍が当時の科学技術のおかげで並みの人間より立派な風采に再構成されるというお話。しかし、この一種の人造人間も、いかなる必要があってか、夜寝るときには各部品に分解され、最小限度の肉体に還元されて眠るところなど、私などには無類に面白い。またある読者はこの作品に、人間が創る人間が、それを創った人間より利口になり立派になるという倒錯した恐怖をお覚えになるのも自由である。(訳者)