エドガー・アラン・ポー/佐々木直次郎訳
アッシャー家の崩壊
目 次
アッシャー家の崩壊
早すぎる埋葬
落し穴と振子
罎の中から出た手記
奇態の天使
アッシャー家の崩壊
彼が心は懸《か》かれる琵琶《びわ》にして、
触るればたちまち鳴りひびく
(ド・ベランジュ フランスの抒情詩人)
雲が重苦しく空に低くかかった、もの憂《う》い、暗い、寂寞《せきばく》とした秋の日を一日じゅう、私はただ一人馬にまたがって、妙にもの淋《さび》しい地方を通りすぎて行った。そして黄昏《たそがれ》の影があたりに迫ってくるころ、ようやく憂鬱《ゆううつ》なアッシャー家の見えるところへまで来たのであった。どうしてなのかは知らない――がその建物を最初にちらと見たとたんに、堪えがたい憂愁の情が心にしみわたった。堪えがたい、と私は言う。なぜならその感情は、荒涼とした、あるいはもの凄《すご》い自然のもっとも峻厳《しゅんげん》な姿にたいするときでさえも常に感ずる、あの詩的な、なかば心地よい情趣によって、少しも和らげられなかったからである。私は眼《め》の前の風景をながめた。――ただの家と、その邸内の単純な景色を――荒れはてた壁を――眼のような、ぽかっと開いた窓を――少しばかり生いしげった菅草《すげぐさ》を――四、五本の枯れた樹々の白い幹を――ながめた。阿片|耽溺《たんでき》者の酔いざめ心地――日常生活への痛ましい推移――夢幻の帳《とばり》のいまわしい落下――といったもののほかにはどんな現世の感覚にもたとえることのできないような、魂のまったくの沈鬱を感じながら。心は氷のように冷たく、うち沈み、いたみ、――どんなに想像力を刺激しても、壮美なものとはなしえない救いがたいもの淋しい思いでいっぱいだった。なんだろう、――私は立ちどまって考えた、――アッシャー家を見つめているうちに、このように自分の心をうち沈ませたものはなんだろう? それはまったく解きがたい神秘であった。それからまた私は、もの思いに沈んでいるとき自分に群がりよってくる影のようないろいろの妄想《もうそう》にうち勝つこともできなかった。で、そこにはたしかに、我々をこんなにも感動させる力を持ったまことに単純な自然物象の結合が|ある《ヽヽ》のだが、その力を分析することは我々の知力ではとてもかなわないのだ、という頼りない結論に落ちるより仕方なかった。また、この景色の個々の事物の、つまりこの画面のこまごましたものの、配置をただ変えるだけで、もの悲しい印象を人に与える力を少なくするか、あるいはきっと、すっかり無くなすのではあるまいか、と私は考えた。そこでこの考えにしたがって、この家のそばに静かな光をたたえている黒い無気味な沼のけわしい崖縁《がけぶち》に馬を近づけ、灰色の菅草や、うす気味のわるい樹の幹や、うつろな眼のような窓などの、水面にうつっている倒影を見下ろした、――が、やはり前よりももっとぞっとして身ぶるいするばかりであった。
そのくせ、この陰鬱な屋敷に、いま私は二、三週間滞在しようとしているのである。この家の主人、ロデリック・アッシャーは私の少年時代の親友であったが、二人が最後に会ってからもう長い年月がたっていた。ところが最近になって一通の手紙が遠く離れた地方にいる私のもとへとどいて、――彼からの手紙であるが、――それは、ひどくせがむような書きぶりなので、私自身出かけてゆくよりほかに返事のしようのないようなものであった。その筆蹟《ひっせき》は明らかに神経の興奮をあらわしていた。急性の体の疾患のこと――苦しい心の病のこと――彼のもっとも親しい、そして実にただ一人の友である私に会い、その愉快な交遊によって病をいくらかでも軽くしたいという心からの願いのこと――などを、彼はその手紙で語っていた。すべてこれらのことや、なおそのほかのことの書きぶり――彼の願いのなかに暖かにあらわれている真情《ヽヽ》――が、私に少しのためらう余地をも与えなかった。そこで私は、いまもなおたいへん奇妙なものと思われるこの招きに、すぐと応じたのである。
子供のころ二人はずいぶん仲のよい友達ではあったが、私は実のところ彼についてはほとんど知らなかった。彼の無口はいつも極端で、しかも習慣的であったのだ。だが私は、ごく古い家がらの彼の一家が、遠い昔から特別に鋭敏な感受性によって世に聞こえていて、その感受性は長い時代を通じて多くの優秀な芸術にあらわれ、近年になっては、それが音楽理論の正統的なたやすく理解される美にたいするよりも、その錯綜《さくそう》した美にたいする熱情的な献身にあらわれているし、また一方では、幾度もくりかえされた莫大《ばくだい》な、しかし人目にたたぬ慈善行為にあらわれている、ということは知っていた。また、アッシャー一族の血統は非常に由緒《ゆいしょ》あるものではあるが、いつの時代にも決して永続する分家を出したことがない、いいかえれば全一族は直系の子孫だけであり、ごく些細《ささい》なごく一時的の変化はあっても今日まで常にそうであった、というまことに驚くべき事実をも知っていた。その屋敷の特質と、一般に知られているこの一家の人々の特質とが、完全に調和していることを思い浮べながら、また数世紀も経過するあいだにその一方が他方に与えた影響について思いめぐらしながら、私は次のように考えた、――この分家がないということと、世襲財産が家名とともに父から子へと代々よそへ逸《そ》れずに伝わったということのために、とうとうその世襲財産と家名との二つが同一のものと見られて、領地の本来の名を「アッシヤー家」という奇妙な、両方の意味にとれる名称――この名称は、それを用いる農夫たちの心では、家族の者と一家の邸宅との両方を含んでいるようであった――のなかへ混同させてしまったのではなかろうか、と。
私のいささか子供らしい試みの――沼のなかをのぞきこんだことの――唯一の効果がただ最初の奇怪な印象を深めただけであったことはすでに述べた。私が自分の迷信――そういってはいけない理由がどこにあろう? ――の急速に増してゆくことを意識していることが、かえってますますそれを深めることになったということは、なんの疑いもないことだ。こんなことは、前から知っていたことだが、恐怖を元としているすべての感情に通ずる逆説的な法則である。そして、私が池のなかにうつっている家の影からふたたび本物の家に眼を上げたとき、自分の心のなかに一つの奇妙な空想の湧《わ》き起ったのも、あるいはただこの理由からであるかもしれない。――その空想というのは実は笑うべきもので、ただ私を悩ました感情の強烈な力強さを示すためにしるすにすぎない。私は想像力を働かして、この屋敷や地所のあたりには、そこらあたりに特有な雰囲気《ふんいき》――大空の大気とはちっとも似てない、枯木や、灰色の壁や、ひっそりした沼などから立ちのぼる雰囲気――どんよりした、鈍《のろ》い、ほとんど眼に見えない、鉛色の、有毒で神秘的な水蒸気――が一面に垂れこめているのだ、とほんとうに信ずるようになったのである。
夢であったに|ちがいない《ヽヽヽヽヽ》、こんな気持を心から振りおとして、私はもっと念入りにその建物のほんとうの様子を調べてみた。まず、その第一の特徴はひどく古いということであるらしい。幾時代もたっているのでまったく古色|蒼然《そうぜん》としていた。微細な菌が、こまかに縺《もつ》れた蜘蛛《くも》の巣のようになって檐《のき》から垂れさがり、建物の外側一面を蔽《おお》いつくしている。しかし、こんなことはみな、ひどく破損しているということではない。石細工のどの部分も崩れたところはなかった。そしてその各部分がまだ完全にしっくりしていることと、一つ一つの石のぼろぼろになった状態とのあいだには、妙な不調和があるように見えた。その有様を見ているとなんとなく、どこかのうち捨てられた窖《あなぐら》のなかで、外気にあたることもなく、永年のあいだ朽ちるがままになっていた、見かけだけはそっくり完全な、古い木細工を思い出させるのであった。しかし、この広大な荒廃のきざしのほかには、その建物はべつに脆《もろ》そうな有様をほとんど示していなかった。ただおそらく、念入りに観察する人の眼には、ほとんど眼につかないくらいの一つのひびわれが、建物の前面の屋根のところから電光状に壁を這《は》いさがり、沼の陰気な水のなかへ消えているのを、見つけることができたであろう。
こんなことに眼をとめながら、私は短い土手道を家の方へと馬を進めた。そして待ち受けていた召使に馬をとらせると、玄関のゴシック風の拱廊《きょうろう》に入った。そこからはしのび足の侍者が、無言のまま、多くのうす暗い入り組んだ廊下を通って主人の書斎へと私を導いた。その途中で出会った多くのものは、なぜかは知らないが、前に述べたあの漠然《ばくぜん》とした感情を高めるだけであった。私のまわりの事物が――天井の彫刻、壁のくすんだ掛毛氈《かけもうせん》、黒檀《こくたん》のように真っ黒な床、歩くにつれてがたがた音をたてる幻影のような紋章付きの戦利品などが、自分の幼少のころから見慣れていたもの、あるいはそれに類したものであるにもかかわらず、――どれもみな自分のよく見知っているものであることをすぐと認められるにもかかわらず、――平凡な物の形が自分の心に煽《あお》りたてる空想のあまり奇怪なのに私は驚いた。あるひとつの階段のところで、私はこの一家の医者に会った。彼の容貌《ようぼう》は卑屈な狡猾《こうかつ》と当惑とのまじった表情を帯びているように私には思われた。彼はおどおどしながら挨拶して通りすぎて行った。やがて侍者は扉をさっと開いて、主人の前に私を案内した。
その部屋は非常に広くて天井が高かった。窓は細長く、尖《とが》っていて、内側からはぜんぜん手がとどかないくらい、黒い樫《かし》の床から高く離れたところにあった。よわよわしい真紅色の光線が、格子形《こうしがた》にはめてある窓ガラスを通して射《さ》しこんで、あたりの一きわ目立つものを十分はっきりとさせていた。しかし、部屋の遠くのすみずみや、あるいは組子細工の円天井の奥の方は、どんなに眼を見張っても視力がとどかなかった。黒ずんだ壁掛けが壁にかかっていた。家具はたいがい大がかりで、わびしく、古びて、ぼろぼろにこわれかけていた。書物や楽器がたくさんあたりに散らばっていたが、それはこの場面になんの生気を与えることもできなかった。私は悲しみの空気を呼吸しているのを感じた。きびしい、深い、救いがたい憂鬱の気が一面に漂い、すべてのものにしみわたっていた。
私が入ってゆくと、アッシャーはながながと横たわっていた長椅子《ソファ》から立ち上がって、快活な親しみをもって迎えたが、そこには度をすぎた懇切――人生に倦怠《アンニュイ》を感じている俗人のわざとらしい努力――が大分あるように、初め私には思われた。だが一目彼の顔を見るとすぐ、彼の完全な誠実を信ずるようになった。二人は腰を下ろした。そして彼がまだ話し出さないあいだ、私はしばらくなかば憐《あわ》れみの、なかば怖《おそ》れの情をもって彼を見まもった。たしかに、ロデリック・アッシャーほど、こんなに短いあいだにこんなに恐ろしく変りはてた人間はいまい! いま自分の前にいるこの蒼《あお》ざめた男と自分の幼年時代のあの友達とが同一の人間であるとは、私にはちょっと信じられなかった。それでも彼の顔の特徴は昔と変らず目立つものであった。死人のような顔色。大きい、澄んだ類《たぐ》いなく輝く眼。すこし薄く、ひどく蒼いが、非常に美しい線の唇《くちびる》。優美なヘブライ型の、しかしそのような形のものにしては珍しい鼻孔の幅を持っている鼻。よい格好ではあるが、突き出ていないために精神力の欠乏を語っている顎《あご》。蜘蛛の巣よりもやわらかく細い髪の毛。それらの特徴は、|こめかみ《ヽヽヽヽ》のあたりの上部が異常にひろがっていることとともに、まったくたやすくは忘れられぬ容貌を形づくっている。そしていま、私が誰に話しかけているのだろうと疑ったほどのひどい変化は、これらの容貌の主な特徴と、それがいつもあらわしている表情とが、ただいっそう強くなっているという点にあったのだ。なによりも、いまのもの凄く蒼ざめている皮膚の色と、いまの不思議な眼の輝きとが、私を驚かせ恐れさせさえした。絹糸のような髪の毛もまた、まったく手入れもされずに生えのびて、それが小蜘蛛の巣の乱れたようになって顔のあたりに垂れさがる、というよりも漂うているのであったから、どうしても私は、この奇異な容貌と、普通の人間という観念とを結びつけることができなかったのである。
友の態度にどこか辻褄《つじつま》の合わぬこと――矛盾のあることに、私はすぐに気がついた。そして間もなく、それが絶え間のない痙攣《けいれん》――極度の神経興奮を、抑えつけようとする力弱い無駄《むだ》な努力からくるものであることがわかった。もっともこんなことがあろうとは、彼の手紙だけでなく、子供のころの特性の回想や、彼の特殊な体質と気質とから考えて、かねて私の期していたところであった。彼の挙動は快活になったり陰気になったりした。声ははっきりしない震え声(活気がまるで無いように思われるときの)から急に、酔いつぶれてしまった酔いどれや手のつけられぬ阿片喫煙者などの極度の興奮状態にあるときに認められるような、あの力のある歯切れのよい声――あの突然な、重々しい、落ちついた、洞声《うろごえ》の発音――鈍い、よく釣りあいのとれた、完全に調節された喉音《こうおん》――に変ったりした。
私の訪問の目的や、私に会いたいという切望や、私から得ようと期待している慰安などについて、彼の語ったのはこのような調子であったのだ。彼は自分の病気の性質と考えていることを少し詳しく話しだした。彼のいうところによると、それは生れつきの遺伝的な病であり、治療法を見出《みいだ》すことは絶望だというのであった。――もっともただの神経の病気で、いまにきっと癒《なお》ってしまうだろう、と彼はすぐつけ加えたが。その病気は多くの不自然な感覚となってあらわれた。そのなかの二、三は、彼が詳しく話しているあいだに、おそらくその言葉づかいや全体の話しぶりの関係からだったろうが、私にたいへん興味を感じさせ、また驚かしたのであった。彼は感覚の病的な鋭さにひどく悩まされているのだ。もっとも淡泊な食物でなければ食べられない。ある種の地質の衣服でなければ着られない。花の香はすべて息ぐるしい。眼は弱い光線にさえ痛みを感じた。彼に恐怖の念を起させない音はある特殊な音ばかりで、それは絃楽器の音であった。
私には彼がある異常な種類の恐怖の虜《とりこ》になっているのがわかった。「僕は死ぬのだ」と彼は言うのだった。「こんな惨《みじ》めなくだらないことで僕は死な|ねばならん《ヽヽヽヽヽ》のだ。こうして、ほかのことではなくかならずこうして、死ぬことになるだろう。僕は未来に起ることを、それだけとしてはべつに恐れないが、その結果が恐ろしい。この堪えがたい心の動揺に影響するようなことは、どんなに小さなことでも、考えただけでぞっとする。実際、僕は危険が厭《いや》なのではない、ただその絶対的の結果――恐怖、というものが厭なんだ。こんな弱りはてた――こんな哀れな有様で――あのもの凄い『恐怖』という幻影とたたかいながら、生命も理性もともに棄てなければならんときが、遅かれ早かれかならず来るのを感ずるのだ」
なお私はときどき、きれぎれの曖昧《あいまい》な暗示によって、彼の精神状態のもう一つの奇妙な特質を知った。彼は長年のあいだ一歩も出ずに住んでいる自分の住居に関して、――ここでもう一度述べることのできないくらいに漠然とした言葉で話した、ある想像的な力の影響――つまり、彼の言うところでは、先祖からの屋敷の単なる形態と実質とのある特異性が、長いあいだの放任によって彼の心に及ぼした影響――灰色の壁と塔とそれらのものが見下ろしているうす暗い沼との形象《フィジィク》が、とうとう彼の精神《モラル》にもたらした効果――に関して、ある迷信的な印象にとらわれているのであった。
しかし、ためらいながらも彼の認めたところによれば、このように彼を悩ましている特殊な憂鬱の大部分は、もっと自然で、よりもっと明らかな原因として、――長年のあいだ彼のただ一人の伴侶《はんりょ》であり――この世における最後にして唯一の血縁である――深く愛している妹の、長いあいだの重病を、――またはっきり迫っている死を、――挙げることができるというのであった。「彼女が死んでしまえば」と、彼は私の決して忘れることのできない痛ましさで言うのであった。「僕は(なんの望みもない虚弱な僕は)旧《ふる》いアッシャー一族の最後の者となって残されるのだ」彼がこう話しているあいだにマデリン嬢(というのが彼女の名であった)は、ゆっくりと部屋の遠くの方を通り、私のいるのに気もつかずに、やがて姿を消してしまった。私は、恐怖をさえまじえた非常な驚きの念をもって、彼女をじっと見まもった。――しかもそのような感情をどうにも説明することができなかった。眼が彼女の去りゆく歩調を追うとき、私は茫然《ぼうぜん》としびれるような感覚におそわれた。とうとう、扉がしまって彼女の姿が見えなくなると、私の視線は本能的に熱心にその兄の顔の方に向けられた、――が、彼は顔を両手のなかに埋めていた。そして私はただ、ひどく蒼ざめた色が痩《や》せおとろえた指にひろがり、そのあいだから熱い涙がしたたり落ちるのを認めることができただけであった。
マデリン嬢の病には、熟練した医師たちもはやずっと前から匙《さじ》を投げていた。慢性の無感覚、体の漸進《ぜんしん》的衰弱、短期ではあるが頻繁《ひんぱん》な類癇《るいかん》性の疾患〔この病気については、「早すぎる埋葬」の中に詳しく説明されている。全身硬直し死と間違われやすい〕などが、世にも稀《まれ》なその病の症状であった。これまでは彼女はけなげに自分の病気の苦痛をしのんで、決して床につかなかったのだが、私がこの家に着いた日の夕暮れ、(その夜、彼女の兄が言いようもなく興奮して私に語ったところによれば)病魔の力に屈してしまったのであった。そして、さっき私が彼女の姿をちらりと見たのがおそらく見おさめとなるだろう――少なくとも彼女の生きているうちに二度と見られぬだろう、ということを私は知った。
その後四、五日間は、彼女の名をアッシャーも私も口にしなかった。そのあいだ私は友の憂鬱をやわらげようとする熱心な努力に忙しかった。私たちはともに画《え》を描《か》き本を読み、あるいは彼の奏する流れるように巧みなギターの奇怪な即興曲を夢み心地で聞いた。こうしてだんだんと深く親密になって、隔てなく彼の心の奥へ入れば入るほど、痛ましくも彼の心をひきたてようとする企てのすべてが無駄であることがわかった。彼の心からは暗黒が、生来の絶対的な特性であるかのように、一すじの休むことのない憂鬱の放射となって、精神界と物質界とのあらゆる事物の上に注ぎかかるのであった。
アッシャー家の主人とただ二人だけでこうして過した多くのもの淋しい時の記憶を、私はいつまで心にとめているであろう。しかも彼が私を誘い、あるいは導いてくれた研究、あるいは仕事の正確な性質を、どんなに伝えようと試みてもできそうにもない。興奮した非常に病的な想像力が、すべてのものの上に硫黄のような光を投げていた。彼の即興の長い挽歌《ばんか》は、永久に私の耳のなかに鳴りひびくであろう。その他のものでは、ウェーバーの最後のワルツのあの奔放な旋律を奇妙に変えて複雑にしたものが、痛ましく心に残っている。彼の精緻《せいち》な空想がこもり、また一筆ごとにおぼろげなものとなった、なぜとも知らず身ぶるいするために、なおさらぞっとするような画――それらの画(それはいまなお、ありありと眼の前に浮ぶが)から、ただ文字で書きあらわしえられるものをひき出そうとしても、ほんの一部分しかえられないであろう。完全な単純さによって、着想のあからさまなことによって、彼は人の注意をひき、これを威圧した。もし観念を画で描いた人があるとすれば、ロデリック・アッシャーこそまさにその人であった。少なくとも私には――そのときの私の周囲の事情にあっては――この憂鬱症患者が彼の画布《カンヴァス》の上にあらわそうとした純粋な抽象的観念からは、あのフュウゼリ〔アングロ・スイス人の画家。豊かな想像力と夢幻的な怪異な画風とで知られる〕のたしかに灼熱《しゃくねつ》的ではあるがあまりに具象的な幻想を見つめてさえ、その影すら感じなかったほどの、強烈な堪えがたい畏怖《いふ》の念が湧き起ったのである。
友のこの幻想的な概念の一つは、それほど厳密に抽象性を持っていないので、かすかにではあるが言葉でそのだいたいをあらわすことができるかもしれぬ。それは小さな画で、低い壁のある、平坦《へいたん》な、白い、切れ目もなければなんの装飾もない、非常に長い矩形《くけい》の窖《あなぐら》または地下道《トンネル》の内部をあらわしていた。その構図のある付随的な諸点は、この洞穴が地面からよほど深いところにあるという感じをよく伝えている。この広い場所のどの部分にも出口がなく、篝火《かがりび》やその他の人工的な光源も見えないが、しかも強烈な光線があまねく満ちあふれて、全体がもの凄《すご》い不可解な光輝のなかにひたされているのであった。
病的な聴覚神経のために、絃楽器のある音をのぞいて、あらゆる音楽が彼には堪えられなかったことは、前に述べたとおりである。彼の演奏に大いに幻想的な性質を与えたのは、おそらくこのように彼がギターだけにせまく限ったためであったろう。しかし彼の即興詩を作る燃え立つような|神速さ《ヽヽヽ》にいたっては、同じようには説明することができない。彼の不思議な幻想曲の歌詞はもとより、その曲調も(というのは彼はちょいちょい韻を踏んだ即興詩を自分で伴奏したから)、前に述べたような最高の人為的興奮の特別の瞬間にだけ見られる強烈な精神の集中の結果であるべきだったし、また事実そうであったのだ。このような狂想曲の一つの歌詞を私はたやすく覚えてしまった。彼がそれを聞かしてくれたときそんなに強い印象を受けたのは、おそらく、その詩の意味の底の神秘的な流れのなかに、アッシャー自身が彼の高い理性がその王座の上でぐらついていることを十分に意識しているということを、私が初めて知ったように思ったからであろう。「魔の宮殿」〔一八三九年四月に発表された作者自身の詩。精神が次第に狂い、理性が崩壊してゆくことを歌ったもの。ラフカディオ・ハーンはその講義集の中でこの詩を最もよく解説している。ポオの詩の傑作の一つに数えられている〕という題のその詩は、正確ではないとしても、だいたい次のようなものであった。――
善き天使らの住まえる、
緑いと濃きわれらが渓谷《たに》に、
かつて美《うる》わしく宏《おお》いなる宮殿《みやい》――
輝ける宮殿――そびえ立てり。
王なる「思想」の領域に
そは立てり!
最高天使《セラフ》も未《いま》だかくも美わしき宮の上に
そが翼をひろげたることなかりき。
黄なる、栄《はえ》ある、金色の旗、
そが甍《いらか》の上に躍りひるがえれり。
(こは――すべてこは――遠き
昔のことなりき)
戯《たわむ》れそよぐ軟風《なよかぜ》に
いともよきその日、
羽毛かざれる蒼白き塁《とりで》にそいて
翼ある香《かおり》、通り去りぬ。
この幸《さち》ある渓谷《たに》をさまよいし人々は、
輝く二つの窓より見たり、
調べととのえる琵琶《びわ》の音《ね》につれ
王座をめぐりて、精霊らの舞えるを。
その王座には
(|紫の御子《ポーフィロジーニ》!)
その光栄《ほまれ》にふさわしき威厳もて
この領土《くに》の主坐《あるじざ》せり。
またすべて真珠と紅玉とをもて
美わしき宮殿の扉《とびら》は燦《きらめ》けり。
その扉より流れ、流れ、流れて
永遠《とわ》に閃《ひらめ》きつつ「こだま」の一群《ひとむれ》来たりぬ
そがたのしき務《つとめ》はただ
いとも妙《たえ》なる声をもて
歌いたたえるのみなりき、
そが王の才と智《ち》を。
されど魔もの、悲愁《かなしみ》の衣《ころも》きて
この王の高き領土《くに》を襲いぬ、
(悲しきかな、彼が上に暁は
ふたたび明くることあらじ、ああ!)
かくて、かつては彼の住居《すまい》をめぐりて
輝き栄えし栄光も、
埋もれはてし遠き世の
おぼろなる昔語りとなりにけり。
かくて今この渓谷を旅ゆく人々は
赤く輝く窓より見るなり、
調べみだれたる楽の音につれ
大いなる物影《ものかげ》の狂い動けるを。
また蒼白き扉くぐりて
魔の河の速き流れのごとく
恐ろしき一群|永遠《とわ》に走り出《い》で、
高笑いす、――されどもはや微笑《ほほえ》まず。
この譚詩《バラッド》から生じたさまざまの暗示が私を一連の考えに導き、そのなかでアッシャーの一つの意見を明らかにすることができたことを、私はよく覚えている。その意見をここに述べるのは、それが新奇なため(他の人々はそう考えている)よりも、彼が執拗《しつよう》にそれを固持したためである。その意見というのは大体において、すべての植物が知覚力を有するということであった。しかし彼の混乱した空想のなかでこの考えはさらに大胆な性質のものとなり、ある条件のもとでは無機物界にまで及んでいた。私は彼の信念の全部、あるいはその熱心な心酔を説明する言葉を持たない。が、その信念は(前にもちょっと述べたように)、彼の先祖代々の家の灰色の石と関連しているのだった。彼の想像によると、知覚力の諸条件はこの場合では、これらの石の配置の方法のなかに――石を蔽《おお》うている多くの菌や、あたりに立っている枯木などの配置とともに、石そのものの配列のなかに――とりわけ、この配列が長いあいだ乱されずにそのままつづいてきたということと、それが沼の静かな水面に影を落しているということとのなかに、備わっているのである。その証拠は――知覚力のあることの証拠は――彼の言うところでは(そしてそれを聞いたとき私はぎょっとしたが)、水や壁のあたりにそれらのもの独得の雰囲気がだんだんに、しかし確実に凝縮していることのなかに認められる、というのであった。その結果は、幾世紀ものあいだに、彼の一家の運命を形成し、|また《ヽヽ》彼をいま私が見るような彼――つまり現在の彼のようにしてしまったあの無言ではあるが、しつこい恐ろしい影響となってあらわれているのだ、と彼はつけ加えた。このような意見はべつに注釈を必要としない。だから私はそれについてはなにも書かないことにする。
私たちの読んだ書物――長年のあいだ、この病人の精神生活の大部分をなしていた書物――は、想像もされようが、この幻想の性質とぴったり合ったものであった。二人は一緒にグレッセの『ヴェルヴェルとシャルトルーズ』、マキアヴェエリの『ベルフェゴール』、スウェデンボルグの『天国と地獄』、ホルベルヒの『ニコラス・クリムの地下の旅』、ロバート・フラッドや、ジャン・ダンダジネエや、ド・ラ・シャンブルの『手相学』、ティークの『青き彼方《かなた》への旅』、カンパネエラの『太陽の都』というような著作を読みふけった。愛読の一巻はドミニック派の僧エイメリック・ド・ジロンヌの Directorium Inquisitorum〔宗教裁判法〕の小さな八折判《オクテーヴォ》であった。またポンポニウス・メラ〔スペイン生まれの一世紀頃のローマの地理学者。現存する世界最古の地理書 De Situ Orbis の著者〕のなかのサター〔半人半山羊。メラの地理書にアフリカにいた人種の一つとして書かれたものであろう〕やイージパン〔ギリシャ神話ではパン神のことであるが、メラはアフリカに住んでいる山羊のような形の人種をかく言ったのだという〕についての三、四節は、アッシャーがよく何時間も夢み心地で耽読していたものであった。しかし彼のいちばんの喜びは、四折判《クオートー》ゴシック字体の非常な珍本――ある忘れられた教会の祈祷書《きとうしょ》――Vigilioe Mortuorum secundum Chorum Ecclesioe Maguntinoe〔「マインツ教会合唱団による死者のための通夜」〕を熟読することであった。
私はこの書物にしるしてある奇異な儀式や、それがこの憂鬱症患者に与えそうな影響などについて、考えないではいられなかった。するとある晩、とつぜん彼はマデリン嬢の死んでしまったことを告げてから、彼女の亡骸《なきがら》を二週間(最後の埋葬をするまで)この建物の礎壁のなかにたくさんある窖《あなぐら》の一つに納めておきたいという意向を述べた。しかし、この奇妙な処置についての実際的な理由は、私などが無遠慮に口出しするかぎりでなかった。兄としてこのような決心をするようになったのは(彼が私に語ったところでは)、死者の病気の性質が普通のものではないことや、彼女の医師の側の差し出がましい熱心な詮索《せんさく》や、一家の埋葬地が遠い野ざらしの場所にあることなどを、考えたからであった。私がこの家に着いた日に、階段のところで出会った男の陰険な容貌を思い出したとき、大して害のない、また決して不自然でもない用心と思われることにたいして、しいて反対する気がしなかった、ということは私も否定しはしない。
アッシヤーの頼みで、私はこの仮埋葬の支度を手伝った。遺骸《いがい》を棺に納めてから、私たちは二人きりでそれをその安置所へ運んで行った。それを置く窖(ずいぶん長いあいだあけずにあったので、その息づまるような空気のなかで、持っていた火把《たいまつ》はなかば燻《くすぶ》り、あたりを調べてみる機会はほとんどなかったが)は小さくて、湿っぽく、ぜんぜん光線の入るみちがなく、この建物の私の寝室になっている部屋の真下の、ずっと深いところにあった。その床の一部分と、入って行くときに通った長い拱廊《きょうろう》の内面の全部とが、念入りに銅で蔽われているところをみると、それは明らかに遠い昔の封建時代には地下牢というもっとも悪い目的に用いられ、のちには火薬またはその他なにか高度の可燃物の貯蔵所として使用されていたものであった。巨大な鉄製の扉も同じように銅張りになっていた。その扉は非常に重いので、蝶番《ちょうつがい》のところをまわるときには、異様な鋭い軋《きし》り音をたてた。
この恐ろしい場所の架台の上に悲しい荷を置いてから、二人はまだ螺釘《ねじくぎ》をとめてない棺の蓋《ふた》を細目にあけて、なかなる人の顔をのぞいてみた。兄と妹との驚くほど似ていることが、そのとき初めて私の注意をひいた。するとアッシャーは私の心を悟ったらしく、妹と彼とは双生児で、二人のあいだには常にほとんど理解できないような性質の感応があった、というようなことを二言三言|呟《つぶや》いた。しかし私たちの視線は長くは死者の上にとどまってはいなかった、――畏怖の念なしに彼女を見ていることはできなかったからである。青春のさかりに彼女をこのように棺のなかへ入れてしまったその病気は、すべてのはっきりした類癇《るいかん》性の病の常として、胸と顔とにかすかな赤みのようなものを残し、死人には実に恐ろしいあの疑い深くためらっているような微笑を、唇に残していた。私たちは蓋をして螺釘をとめ、鉄の扉をしっかりしめてから、やっとの思いでこの家の上の方の、窖とあまり変らぬくらい陰気な部屋へたどりついた。
さて、痛ましい悲嘆の幾日かがすぎると、目立った変化が友の心の病気の徴候にあらわれてきた。彼のいつもの態度は消えうせてしまった。いつもの仕事もうちすてられ、または忘れ去られた。彼は部屋から部屋へと、あわただしい、乱れた、あてのない足どりで歩きまわった。蒼白《あおじろ》い顔色はいっそうもの凄い色となった、――が眼《め》の輝きはまるで消えてしまった。かつておりおり聞いたしゃがれ声はもう聞かれなくなり、極度の恐怖からくるおどおどした震え声が、いつも彼の話しぶりの特徴となった。実際私は、彼の絶えず乱れている心がなにか重苦しい秘密とたたかっていて、その秘密を言いだすに必要な勇気を出そうともがいているのではなかろうか、とときどき考えた。またときにはすべてをただ説明しがたい狂気の気まぐれと決めこんでしまわねばならないようなこともあった。というのは、彼が聞えもせぬなにかの物音に耳をすましてでもいるように、非常に注意深い態度で長いあいだじっと空《くう》を見つめているのを見たからである。このような彼の様子が私を恐れさせ――私に感染したって怪しむことはない。私は彼自身の幻想的な、しかも力強い迷信の奇妙な影響が、少しずつではあるが確実に、自分にしのびよってくるのを感じた。
とくに、そのような感情の力を十分に経験したのは、マデリン嬢を地下牢のなかに納めてから七日目か八日目の夜遅く床についたときのことであった。眠りは私の枕辺《まくらべ》にもやって来なかった、――そして時は刻々に過ぎてゆく。私は全身を支配している神経過敏を理性で払いのけようと努めた。自分の感じていることのまあ全部ではないとしてもその大部分は、この部屋の陰気な家具――吹きつのってくる嵐《あらし》の息吹《いぶき》に吹きあおられて、ときどき壁の上をゆらゆらと揺れ、寝台の飾りのあたりで不安そうにさらさらと音をたてている、黒ずんだぼろぼろの壁掛け――の人を迷わすような影響によるものだと無理に信じようとした。しかしその努力も無駄だった。抑えがたい戦慄《せんりつ》がだんだん体じゅうにひろがり、とうとう心臓の上にまったくわけのわからない恐怖の夢魔が坐《すわ》った。あえぎもがきながらこれを振いおとして、枕の上に身を起し、部屋の真っ暗闇《くらやみ》のなかを熱心にじっと見つめながら、耳をそばだてると――なぜそうしたのか、本能の力がそうさせたというよりほかに理由はわからないが――嵐の絶え間に、長いあいだをおいて、どことも知れぬところから、低い、はっきりしない物音が聞えてきた。わけのわからぬ、しかも堪えがたい、はげしい恐怖の情に圧倒されて、私は急いで着物をひっかけ(もう夜じゅう寝られないという気がしたから)、部屋じゅうをあちこちと足早に歩きまわって、自分の陥っているこの哀れな状態からのがれようと努めた。
こんなふうにして三、四回も歩きまわらないうちに、かたわらの階段をのぼってくる軽い足音が私の注意をひいた。私にはすぐそれがアッシャーの足音であることがわかった。間もなく彼は静かに扉を叩《たた》き、ランプを手にして入ってきた。その顔はいつものとおり屍《しかばね》のように蒼ざめていた、――がそのうえに、眼には狂気じみた歓喜とでもいったようなものがあり――挙動全体には明らかに病的興奮を抑えているようなところがあった。その様子は私をぎょっとさせた、――が、とにかくどんなことでも、いままで長く辛抱してきた孤独よりはましなので、私は彼の来たことを救いとして歓び迎えさえした。
「で、君はあれを見なかったのだね?」しばらく無言のままあたりをじっと見まわしたのち、彼はふいにこう言い出した。――「じゃあ、あれを見なかったんだね? ――だが待ちたまえ! 見せてあげよう」そう言って、注意深くランプに笠《かさ》をかけてから、一つの窓のところに駆けより、それを嵐に向ってさっとあけはなった。
猛《たけ》り狂って吹きこむ烈風は、ほとんど私たちを床から吹き上げんばかりであった。実に大荒れの、しかし厳かにも美しい夜、また、そのもの凄《すご》さと美しさとではたとえようもない不思議な夜であった。まさしく旋風がこのあたりにその勢いを集中しているらしく、風向きはしげしげと、また猛烈に変り、非常に濃く立ちこめている雲(それはこの家の小塔を圧するばかりに低く垂れていた)も、遠くへ飛び去ることなく、四方八方から互いにぶつかりあって疾走しながら飛んでくるその生命《いのち》あるもののような速さを、認めることを妨げはしなかった。
いかにも、非常に濃く立ちこめている雲も、こういう有様を認めることを妨げはしなかった、――が月や星はちらりとも見えなかった、――また稲妻のひらめきもなかった。しかし、我々のすぐ周囲のあらゆる地上の物象だけでなく、騒ぎたっている雲の巨大な塊の下面までが、屋敷のまわりに垂れこめてそれを包んでいる、ほのかに明るい、はっきりと見えるガスの蒸発気の奇怪な光のなかに輝いているのであった。
「見ちゃいけない――これは君には見させない!」と私は、アッシャーをやさしくまた強く窓ぎわから椅子《いす》の方へ連れもどるときに、身ぶるいしながら言った。「君を迷わせるこの有様は、珍しくもないただの電気の現象なのだ。――それとも沼のひどい毒気が、このもの凄い有様の原因になっているのかもしれない。この窓をしめようじゃないか。空気は冷たくて、君の体には毒だ。ここに君の好きな物語が一冊ある。読んで聞かせてあげよう。――そして一緒にこの恐ろしい夜を明かすことにしよう」
私の取りあげた古い書物はラーンスロット・キャニング卿《きょう》の『狂える会合』であったが、それをアッシャーの好きな書物と言ったのは、真面目でというよりも悲しい冗談で言ったのだ。なぜかといえば、この書物のまずい、想像力にとぼしい冗漫さのなかには、たしかに、友の高い知的の想像力にとって興味を持つことのできるものはほとんどなかったからである。しかし、それはすぐ手近にある唯一《ゆいいつ》の本であったし、また私は、今この憂鬱《ゆううつ》症患者の心をかき乱している興奮が、これから読もうとする極端にばかげた話のなかにさえ慰安を見出《みいだ》すかもしれない(精神錯乱の記録はこの種の変則に満ちているのだから)、というかすかな希望をいだいたのであった。実際、彼が物語の文句に耳を傾けている、あるいは見たところいかにも耳を傾けているらしい、異常に緊張した生き生きした様子で判断することができるのなら、私は自分の計画のうまく当ったことを喜んでもいいわけであった。
私は、この本の主人公エセルレッドが隠者の住居に穏やかに入ろうとして入れないので、力ずくで入ろうとする、あの有名なところへ読みかかった。ここでは、人の知るとおり、物語の文句は次のようになっている。――
「かくて生れつき心|猛《たけ》くそのうえに飲みたる酒の効き目にていっそう力も強きエセルレッドは、まこと頑《かたく》なにして邪《よこしま》なる隠者との談判を待ちかね、おりから肩に雨の降りかかるを覚えて、嵐の来らんことを恐れ、たちまちその鎚矛《つちぼこ》〔先に鉤針のついた矛で、中世の武器〕を振り上げていくたびか打ち叩き、間もなく扉の板張りに、籠手《こて》はめたる手の入るほどの穴をぞ穿《うが》ちける。かくてそこより力をこめて引きたれば、扉は破れ、割れ、微塵《みじん》に砕けて、乾きたる空洞《うつろ》に響く音は、森もとどろにこだませり」
この文章の終りで私はぎょっとして、しばらくのあいだ言葉を止めた。というわけは、(すぐ自分の興奮した空想にだまされたのだと思いかえしはしたが)屋敷のどこかずっと遠いところから、ラーンスロット卿が詳しく書きしるしたあの破れわれる音の反響(抑えつけられたような鈍いものではあったが)にそっくりな物音が、かすかに私の耳に聞えてきたような気がしたからである。もちろん、ただその偶然の一致ということだけが私の注意をひいたのであった。窓枠《まどわく》のがたがた鳴る音や、なおも吹きつのる嵐のいつもの雑然たる騒がしい音のなかでは、そんな物音はただそれだけでは、もとより私の注意をひいたり、私をおびえさせたりするはずがなかったからである。私は物語を読みつづけた。――
「しかるにすぐれたる戦士エセルレッドは、いまや扉のなかに入り、かの邪《よこしま》なる隠者の影すらも見えざるに怒り、あきれ果てぬ。されど、そのかわりには、鱗《うろこ》生えて巨《おお》いなる姿の一頭の竜、炎の舌を吐きつつ、白銀《しろがね》の床しきたる黄金の宮殿の前にぞ蹲《うずくま》りてまもりける。しかしてその壁には輝ける真鍮《しんちゅう》の楯《たて》かかりて、次のごとき銘しるされたり。――
ここに入る者は勝利者たりしもの。
この竜を殺す者はこの楯を得む。
ここにおいてかエセルレッドは鎚矛を振り上げ、竜の頭上めがけて打ちおろしければ、竜は彼の前にうち倒れ、毒ある息を吐きあげて、恐ろしくもまた鋭き叫び声をあげたるが、その突き刺すばかりの響きには、さすがのエセルレッドも両手もて耳を塞《ふさ》ぎたるほどにて、かかる恐ろしき声はかつて世に聞きたることもなかりき」
ここでまた私はとつぜん言葉を止めた、今度ははげしい驚きを感じながら。――というのは、この瞬間に、低い、明らかに遠くからの、しかし鋭い、長びいた、まったく異様な、叫ぶようなまたは軋るような音――この物語の作者の書きしるした竜の不思議な叫び声として私がすでに空想で思い浮べていたものとまさしくそっくりな物音――を実際に聞いた(もっともどちらの方向からということは言えなかったが)ことは、なんの疑いもなかったからである。
この二度目の、しかも異常な暗合に出会って、主に驚きと極度の恐怖との勝《まさ》ったさまざまな矛盾した感情に圧倒されながら、それでもなお私は、なにかそのことを口に出して友の過敏な神経を興奮させることを避けるだけの落着きを失わなかった。彼の挙動にはたしかにこの数分間に奇妙な変化が起っていたけれども、例の物音に気づいているとは思われなかった。彼は私に向きあった位置から、その部屋の扉の方に顔を向けて腰をかけられるように、少しずつ椅子をまわしていた。だから私にはほんの一部分しか彼の顔が見えなかった。ただ聞きとれないほど低く呟いてでもいるように唇が震えているのが見えた。頭は胸のところへうなだれていたが、横顔をちらりと見ると眼は大きくしっかり見開いているので、眠っているのではないことがわかった。体を動かしているということも、眠っているという考えとは相容《あいい》れないものであった。――静かに、しかし絶えず同じ調子で、体を左右にゆすっているのである。すばやくこれだけのことをみんな見てとってから、私はラーンスロット卿の物語を読みつづけたが、それは次のようであった。――
「かくて今や竜の恐ろしき怒りをまぬかれたる戦士は、かの真鍮の楯を思い浮べ、そが上にしるされたる妖術《ようじゅつ》を解かんとて、竜の骸《むくろ》を道より押しのけ、勇を鼓して館《やかた》の白銀の床を踏み、楯のかかれる壁へ近づきけるに、楯はまことに彼の来たり取るを待たずして、そが足もとの白銀の床の上に、いとも大いなる恐ろしく鳴りひびく音をたてて落ち来たりぬ」
この言葉が私の唇から洩《も》れるや否《いな》や――まるでほんとうに真鍮の楯がそのとき銀の床の上に轟然《ごうぜん》と落ちたかのように――はっきりした、うつろな、金属性の、鏘然《そうぜん》たる、しかし明らかになにか押し包んだような反響が聞えたのだ。私はまったく度胆《どぎも》をぬかれて跳び上がった。がアッシャーの規則的な体をゆする運動は少しも乱れなかった。私は彼のかけている椅子のところへ駆けよった。彼の眼はじっと前方を見つめていて、顔面には石のように硬《こわ》ばった表情がみなぎっていた。しかし、私が手を肩にかけると、彼の全身にはげしい戦慄《せんりつ》が起った。陰気な微笑が彼の唇のあたりで震えた。そしてまるで私のいるのを知っていないかのように、低く、早口に、とぎれとぎれに呟いているのを私は見た。ぴったりと彼の上に身をかがめて、やっと私は彼の言葉の恐ろしい意味を夢中に聞きとった。
「聞えない? ――いや、聞える、|前から《ヽヽヽ》聞えていたのだ。長い――長い――長いあいだ――何分も、何時間も、幾日も、前から聞えていたのだ、――が僕には――おお、憐《あわ》れんでくれ、なんと惨《みじ》めなやつだ! ――僕には――僕には|思いきって《ヽヽヽヽヽ》言えなかったんだ! 僕たちは彼女を生きながら墓のなかへ入れてしまったのだ! 僕の感覚が鋭敏なことは前に言ったろう? |いまこそ《ヽヽヽヽ》言うが、僕にはあの棺のなかで彼女が最初にかすかに動くのが聞えた。幾日も、幾日も前に――聞えたのだ、――だが僕には――僕には|思いきって言えなかった《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》]のだ! そしていま――今夜――エセルレッドか――は! は! ――隠者の家の戸の破れる音、そして竜の断末魔の叫び、それから楯の鳴りひびく音か! ――それよりも、こう言ったほうがいい、彼女の棺のわれる音と、あの牢獄の鉄の蝶番の軋る音と、彼女が窖《あなぐら》の銅張りの拱廊《きょうろう》のなかでもがいている音、とね! おお、どこへ逃げよう? もうすぐ彼女はここへやって来やしないだろうか? 僕の早まった仕業を責めに急いで来るのではないか? 階段を上がる彼女の足音が僕には聞えていないのか? 彼女の心臓の重苦しい恐ろしい動悸《どうき》がわかってはいないのか? 気違いめ!」――こう言うと彼ははげしく跳び上がった。そして死にそうなくらいの努力で一語一語をしぼり出した。――「|気違いめ《ヽヽヽヽ》! 彼女はいまその扉の外に立っているのだぞ」
彼の言葉の超人間的な力にまるで呪文《じゅもん》の力でもひそんでいたかのように――彼の差したその大きい古風な扉の鏡板は、たちまち、その重々しい黒檀《こくたん》の口をゆっくりうしろの方へと開いた。それは吹きこむ疾風の仕業だった、――がそのとき扉のそとには|まさしく《ヽヽヽヽ》、背の高い、屍衣《きょうかたびら》を着た、アッシャー家のマデリン嬢の姿が立っていたのである。彼女の白い着物には血がついていて、その痩《や》せおとろえた体じゅうには、はげしくもがいたあとがあった。しばらくのあいだは、彼女は閾《しきい》のところでぶるぶる震えながら、あちこちとよろめいていた。――それから、低い呻《うめ》き声をあげて、部屋のなかの方へと彼女の兄の体にばったりと倒れかかり、はげしい断末魔の苦悶《くもん》のなかに彼をも床の上へ押し倒し、彼は死体となって横たわり、前もって彼の予想していた恐怖の犠牲となったのであった。
その部屋から、またその屋敷から、私は恐ろしさで夢中になって逃げ出した。古い土手道を走っているのに気がついたときには、嵐はなおも怒りくるって吹きすさんでいた。とつぜん、道に沿うてぱっと異様な光がさした。私の背後にはただ大きな家とその影とがあるだけであったから、そのようなただならぬ光がどこから来るのかを見ようと思って私は振りかえってみた。その輝きは、沈みゆく、血のように赤い、満月の光であった。月はいま、その建物の屋根から電光形に土台までのびていると前に言った、以前はほとんど眼につかぬくらいだったあの亀裂《きれつ》をとおして、ぎらぎらと輝いているのであった。じっと見ているうちに、この亀裂は急速に広くなった。――一陣の旋風がすさまじく吹いてきた。――月の全輪がこつぜんとして私の眼前にあらわれた。――巨大な壁が真っ二つに崩れ落ちるのを見たとき、私の頭はぐらぐらとした。――幾千の怒濤《どとう》のひびきのような、長い、轟々《ごうごう》たる、叫ぶような音が起った。――そして、私の足もとの、深い、どんよりした沼は、「アッシャー家」の破片を、陰鬱《いんうつ》に、音もなく、呑《の》みこんでしまった。
早すぎる埋葬
興味の点ではまったく人を夢中にさせるものであるが、普通の小説にするのにはあまりに恐ろしすぎる、というような題材がある。単なるロマンティストは、人の気を悪くさせたり胸を悪くさせたりしたくないなら、これらの題材を避けなければならない。それらは事実の厳粛《げんしゅく》と尊厳とによって是認され支持されるときにだけ、正しく取りあつかわれるのである。たとえば、われわれはベレジナ河越え〔一八一二年、ナポレオンの軍隊がモスコーより退却しミンスクのベレジナ河を渡る時ロシア軍に襲撃せられ、十一月二十六日より二十九日にわたって数万のフランス兵が殺戮せられあるいは溺死した。捕虜となった者一万六千人〕や、リスボンの地震〔一七五五年十一月一日のリスボンの大地震。死者約四万人〕や、ロンドンの大疫病〔一六六五年よりその翌年にかけて、ロンドンに疫病が流行し、当時のロンドンの住民の約三分の一、七万人が死亡〕や、セント・バーソロミューの虐殺《ぎゃくさつ》〔一五七二年八月二十四日、セント・バーソロミューの祭日の夜半から始まったパリ及び各地方におけるフランスの新教徒の大虐殺〕や、あるいはカルカッタの牢獄における百二十三人の俘虜《ふりょ》の窒息死〔一七五六年六月二十日、インドの大守シュラジャー・ドーラアによって、百四十六人のイギリス人の俘虜が、カルカッタのわずか十八フィート四方の狭い牢獄の中へ押しこまれ、その翌朝、二十三人を除く百二十三人は窒息死していた〕などの記事を読むとき、もっとも強烈な「快苦感」に戦慄《せんりつ》する。しかし、これらの記事が人を感動させるのは、事実であり……現実であり……歴史であるのだ。虚構の話としては、われわれは単純な嫌悪の情をもってそれらを見るであろう。
私は、記録に残っている比較的有名で壮大な惨禍《さんか》の四、五を挙げたのであるが、これらがこんなに強烈に人の心に感動を与えるのは、その惨禍の性質によるのと同様に、その大きさによるのである。私がここに人類の災害の長い不気味な目録のなかから、これらの広大な一般的な災厄のどれよりも本質的な苦痛に充ちている、多くの個人的な先例を選び出してもいいことは読者に告げるまでもないであろう。実際、真の悲惨……どたんばの苦悩……は個人的なものであり、一般的なものではない。戦慄すべき極度の苦痛が単なる個人によって耐えぬかれ、けっして集団の人間によってではないこと……このことにたいしてわれわれは慈悲ぶかい神に感謝しよう!
まだ生きているあいだに埋葬されたということは、疑いもなくかつてこの世の人間の運命の上に落ちてきた、これらの極度の苦痛のなかでも、もっとも怖ろしいものである。しかもそれが今までにしばしば、大へんしばしば、起ったということは、ものを考える人にはほとんど否定しがたいことであろう。生と死とをわかつ境界はどう見ても影のような漠然としたものである。どこで生が終りどこで死が始まるのか、ということは誰が言えよう? われわれは、生活力のすべての外見的な機能がまったく停止し、しかもその停止は、正しく言えば単に中止にすぎないような病気のあることを知っている。それはただこの理解しがたい機関が一時的に休止したにすぎない。ある期間がたてば、なにか眼に見えない神秘的な力がふたたび魔術の歯車を動かし、それから魔法の車輪を動かす。銀《しろがね》の紐《ひも》は永久に解けたのではなく、また金の皿は償いがたいほど砕《くだ》けたのでもないのだ〔旧約聖書伝道の書第十二章第六節、「そののち、銀の紐は切れ、金の皿はくだけ、水瓶は泉のかたわらで破れ、車は井戸のかたわらで砕ける。塵はもとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る」〕。だがいったい、そのあいだ霊魂はどこにあったのか?
しかし、こういう結果を生まなければならないというような……生活力の中止ということが周知のように起こることは、当然、早すぎる埋葬ということをときどき惹《ひ》き起こすに違いないというような……先験的《ア・プリオリ》な必然的結論は別として、われわれはこのような埋葬が実際に大へん多く、今までに起ったことを証明できる医学上の、また普通の、経験の直接の証拠を持っているのである。もし必要ならば私は十分信ずべき例をすぐに百も挙げることが出来るくらいである。そのたいへん有名な、そして読者のなかのある人々の記憶にはまだ新たな一件が、あまり古くはないころ、ボルチモアの付近の市におこり、痛ましい強烈な驚きを広く世人に与えたことがある。著名な弁護士で国会議員である名望ある一市民の妻が、とつぜん不思議な病気にかかり、その病気には医師もすっかり悩まされたのであった。彼女は非常に苦しんでから死んだ、あるいは死んだと思われた。実際、誰も彼女がほんとうに死んでいないのではなかろうかと疑ってみなかったし、疑うべき理由もなかった。彼女はあらゆる普通の死の外観をすべて示していた。顔は普通のとおり締まって落ちくぼんだ輪郭になった。唇も大理石のように蒼白かった。眼は光沢がなかった。温みはもう少しもなかった。脈拍は止んでいた。三日間その身体は埋葬されずに保存されたが、そのあいだに石のように硬くなった。手短かに言えば、死体が急速に腐乱するように想像されたので、葬儀は急いで行われたのであった。
夫人はその一家の墓地に納められた。その墓地はそれから三年間開かれなかったが、三年目の終りに、一つの石棺を入れるために開かれた。……ところが、おお! なんという怖ろしい衝撃が、みずからその扉をさっと開いた夫を待ち受けていたろう! 門が外側へまわったとたん、なにか白装束のものが彼の腕にがらがらと落ちかかってきたのだ。それは、まだ腐っていない経かたびらを着た彼女の骸骨《がいこつ》であった。
詳しく調べた結果、彼女が埋葬後二日以内に生き返ったということ……彼女が棺のなかでもがいたので、棺が棚《たな》から床《ゆか》へ落ちてこわれ、そのなかから脱けでることができたということが明らかになった。墓のなかには偶然、油のいっぱい入ったランプが残されてあったが、それは空《から》になっていた。だがそれは蒸発してなくなったのだったかも知れぬ。この恐ろしい室へ降りてゆく階段のいちばん上に、棺の大きな破片があった。この破片で彼女は鉄の扉を叩いて、誰かの注意をひこうと努めたものらしかった。そうしているうちに単に恐怖の念から大かた気絶したのか、あるいは死んだのであろう。そして倒れるときに、彼女の屍衣《しい》がなにか内がわに突きでていた鉄細工にからまった。こうして彼女はそのままになり、立ったまま腐ったのである。
一八一〇年に生きながらの埋葬という事件がフランスで起ったが、その詳しい事情は、事実はまさに小説よりも奇なり、というあの断言を保証するのに役だつものである。この話の主人公《ヒロイン》は、有名な家の、富裕な、また大へん美しい容姿を持った若い娘、ヴィクトリーヌ・ラフルカード嬢であった。彼女の多くの求婚者の中に、パリの貧しい文士か雑誌記者のジュリアン・ボシュエがいた。彼の才能と人好きのする性質とは彼女の注意をひき、また実際に彼は愛されていたようにも思われた。だが彼女の家柄にたいする矜持《きょうじ》はとうとう彼女に彼をすてさせて、かなり有名な銀行家で外交官であるルネル氏という男と結婚することを決心させたのであった。しかし結婚後この紳士は彼女を顧《かえり》みず、そのうえ明らかに虐待さえしたらしい。彼とともに不幸な数年をすごしたのち、彼女は死んだ、……少なくとも彼女の状態はそれを見たすべての人々をあざむくくらい、死によく似ていた。彼女は埋葬された、……墓所のなかではなく……彼女の生まれた村の普通の墓に。絶望にみたされ、しかもなお深い愛慕の追憶に燃え立ちながらボシュエは、死体を墓から発掘して、その豊かな髪を手に入れようというロマンティックな望みをもって、都会からはるばるその村のある遠い地方まで旅をした。
彼は墓にたどりついた。真夜中に棺を掘りだし、それを開いて、まさに髪の毛を切ろうとしているときに、恋人の眼が開いたのに気づいた。実際夫人は生きながら葬られていたのであった。生気がまったくなくなっていたのではなかった。そして彼女は愛人の抱擁によって、死と間違えられた昏睡状態から呼び覚まされたのである。彼は狂気のようになって村の自分の宿まで彼女を背負って帰った。それからかなりの医学上の知識から思いついた、ある効き目のある気付け薬を用いた。とうとう彼女は生きかえった。彼女は自分を救ってくれた者が誰であるかを知った。少しずつもとの健康をすっかり回復するまで彼といっしょにいた。彼女の女心も金剛石《こんごうせき》のように堅くはなく、今度の愛の教訓はその心を柔げるに十分であった。彼女はその心をボシュエに与えた。そしてもう夫のもとへは帰らずに、生きかえったことを隠して愛人とともに、アメリカへ逃げた。
二十年ののち二人は、歳月が夫人の姿をたいそう変えてしまったので、もう彼女の友人でも気づくことはあるまいと信じてフランスへ帰った。しかしこれは間違っていた。というのは一目見るとルネル氏は意外にも彼女を認めて、彼の妻となることを要求したからである。この要求を彼女は拒絶した。そして法廷も彼女の拒絶を支持して、その特殊な事情は、こうした長い年月の経過とともに、正義上ばかりでなく法律上でも夫としての権利を消滅させたものである、と判決を下したのであった。
ライプチヒの「外科医報」(誰かアメリカの出版者が翻訳して出版してもよさそうな高い権威と価値とを持っている雑誌)が、近ごろの号に同じこの性質のひどく悲惨な出来事を掲載している。
巨大な体躯《たいく》とたくましい健康とを持った一砲兵士官が、悍馬《かんば》からふり落されて頭部に重傷を負い、すぐ人事不省に陥った。頭蓋骨《ずがいこつ》が少し破砕されたのであるが、別にさし迫った危険もなかった。穿顱術《せんろじゅつ》〔穿顱錐で頭蓋骨を穿つ手術。あるいは円鋸術ともいう〕は首尾よくなし遂げられた。刺《し》らく法〔静脈を切って血を出す治療法〕もされ、そのほか多くの普通の救助法も試みられた。しかし彼はだんだんにますます望みのない昏睡状態に陥って、とうとう死んでしまったと考えられた。天気は暖かであった。そして彼は無作法にもあわただしく公共墓地に埋葬された。葬式は木曜日に行われたが、その次の日曜日、墓地の内はいつものとおり墓参者でたいへん雑踏していた。ところが正午ごろ一人の農夫が、その士官の墓の上に腰を下ろしていると、ちょうど下で誰かがもがいてでもいるように地面が揺れるのをはっきりと感じた、と言い立てたので、たいへんな騒ぎが起った。初めは誰もほとんどこの男の言うことを気にかけなかったが、彼のあからさまな恐怖と、その話をしきりに言いはる頑固なしつこさとは、とうとう自然に人々の心を動かしたのであった。鋤《すき》がいそいで持ちこまれた。墓は気の毒なほど浅かったので、二、三分でそのなかの士官の頭が見えるくらいに掘りだされた。彼はそのとき外見上は死んでいるように見えたが、棺のなかにほとんど真っ直ぐになって坐り、棺の蓋《ふた》は彼が烈しくもがいたためにいくらか持ち上げられていた。
彼はすぐにもよりの病院に運ばれたが、そこで仮死状態ではあるがまだ生きていると断定された。数時間ののち彼は生きかえって、知人の顔を見分けることができた。そしてきれぎれの言葉で墓のなかでの苦痛を語った。彼の言うところによると、彼が埋められて無感覚になってしまうまでに一時間以上も生存を意識していたことが明らかであった。墓は不注意に、また無造作に土で埋められて孔《あな》が非常に多かったので、必然的に空気がいくらか入ることができた。彼は頭上に群集の足音を聞き、いちいち自分のいることを知らせようとつとめた。彼の言うところでは、深い眠りから彼をよび覚ましたらしいのは、墓地のなかの雑踏であったが、眼が覚めるとすぐ、彼には自分の怖ろしい位置が十分にはっきりとわかったのであった。
記載されるところによると、この患者は経過がよくて、まもなく全快しそうに思われたが、とうとう藪《やぶ》医術の犠牲になってしまった。彼は流電池をかけられたのだが、ときどき起こるあの精神昏迷の発作がおきて、とつぜん絶息したのである。
流電池のことを言えば、私は有名な、またたいへん異常な好い例を思い出す。その流電池が、二日間も埋められていたロンドンの若い一弁護士を生き返らせた事件であって、一八三一年に起こり、その当時非常な評判となり、いたるところで人々の話題となったものである。
患者エドワード・ステープルトン氏はチフス熱のために外見上死んだのであるが、その病気は、医師たちの好奇心をそそるような異常な徴候をあらわしたのであった。彼がこうして外観上死ぬと、彼の親戚は死体解剖の許可を請《こ》われたが、彼らはそれを拒絶した。そのように拒絶された場合にはよくあるように、医者たちはこっそりと死体を墓から掘り出してゆっくり解剖しようと決心した。ロンドンのどこにでもたくさんいる死体盗人団〔イギリスでは一八三二年に解剖法令が出るまでは、ただ殺人者の死体だけが解剖を許されていたが、解剖学の進歩と共に死体が大いに不足するに至った。そこでこの「死体盗人」というものがたくさん出て、諸所の墓をあばいて死体を盗み、それを解剖者に売ることを業としたのである。スティーヴンスンの『死骸盗人』という短編は有名〕のあるものによってたやすく手配されて、葬儀がすんでから三日目の夜に、その死体だと思われていた体は八フィートの深さの墓から掘りだされて、ある私立病院の手術室に置かれた。
腹部に実際ある程度の切開をしたときに、その体がいきいきして腐敗していない様子なので、電池をかけることを思いつかせたのであった。つぎつぎに幾回となく実験がつづけられ、普通のとおりの結果があらわれたが、ただ一、二度おこった痙攣《けいれん》的な動作のなかに普通以上の生気があった他には、どんな点でも別に大して変ったことはなかった。
夜が更けた。そして間もなく明け方になろうとしていたので、とうとうすぐに解剖にとりかかった方がいいということになった。しかし一人の研究生がとくに自説を試してみたいと思い、胸部の筋肉の一つに電池をかけることを主張した。そこでちょっとした切りこみをこさえ、電線をいそいでつないだ。すると患者はたちまち、あわただしいが少しも痙攣的ではない動作で手術台から立ち上がり、床の中央へ歩きだして、ちょっとの間自分の周囲を不安そうに眺めまわしてから……しゃべった。なんと言ったのかわからなかった。が、確かに言葉であった。音節ははっきりしていた。しゃべってから、彼はばったりと床の上に倒れた。
しばらくの間、すべての人々は恐怖のために麻痺《まひ》したようになった、……が急ぎの場合でそうもしていられないので、まもなくみんなは気をとりなおした。ステープルトン氏は気絶してはいるが生きているのだ、ということがわかった。エーテルを吸わせると彼は生きかえり、それからさっさと健康を回復して、まもなく友人たちのあいだへもどった、……彼らには彼の生きかえったいっさいの事情は病気の再発の懸念《けねん》がなくなるまで知らされなかったが。彼らの驚き……彼らのうきうきの驚喜……はたやすく想像できよう。
しかしこの出来事のもっとも戦慄すべき特異性は、ステープルトン氏自身が言っていることのなかにあるのである。彼は、どんなときでもまったく無感覚になったことはない、……医師に[死んだ]と言われた瞬間から病院の床の上に気絶して倒れた瞬間にいたるまで、ぼんやり、雑然とだが、自分の身に起ったことはみな知っていた、と言っている。彼が解剖室という場所に気づいたときに、その窮境《きゅうきょう》にあって一所懸命に言おうとしたあの意味のわからなかった言葉というのは、「私は生きているのだ」という言葉であったのだ。
このような記録をたくさん並べ立てるのはたやすいことであろう、……が私は今そんなことはしまい、……早すぎる埋葬が実際に起こるものだという事実を立証するような必要は別にないからである。そのことの性質からいって、たいへんまれにしか、われわれの力ではその早すぎる埋葬を見つけることができないことを考えるならば、それがわれわれに知られることなく[ひんぱんに]起こるかも知れない、ということは認めないわけにはゆかない。実際、なんらかの目的で墓地がどれだけか掘り返されるときに、骸骨がこのいちばん恐ろしい疑惑を思いつかせるような姿勢で見出されないことはほとんどないのである。
この疑惑は恐ろしい、……が、その運命となるともっと恐ろしい! 死ぬ前の埋葬ということほど、この上もない肉体と精神との苦痛を思いださせるのにまったく適した事件が他にないということは、なんのためらいもなく断言してよかろう。
肺臓の堪えがたい圧迫、湿った土の息づまるような臭気、体にぴったりとまつわりつく屍衣《しい》、狭い棺のかたい抱擁《ほうよう》、絶対の夜の暗黒、圧しかぶさる海のような沈黙、眼には見えないが触知することのできる征服者|蛆虫《うじむし》の出現……このようなことと、また頭上には空気や草があるという考え、われわれの運命を知りさえしたら救ってくれるために飛んでくるであろうところの親しい友人たちの思い出、しかし彼らに[どうしても]この運命を知らすことができぬ……われわれの望みのない運命は、ほんとうに死んだ人間の運命と少しも異ならない、という意識、……このような考えは、まだ鼓動している心臓に、もっとも大胆な想像力でもひるむに違いないような驚くべき耐えがたい恐怖を与えるであろう。われわれは地上ではこんなにも苦しいことを知らない、……地下の地獄のなかでさえこの半分の怖ろしさをも想像することができない。そして、このようにこの題目に関する物語はみな、実に深い興味を持っている。しかもその興味はその題目自身の神聖な畏怖《いふ》をとおしてたいへん当然に、またたいへん特別に、物語られる事がらが真実であるというわれわれの確信から起こるものである。ここに私が語ろうとすることも、私自身の実際の知識……私自身の確実な個人的な経験による話なのである。
数年のあいだ私は奇妙な病気に悩まされていたが、医者はその病気を、それ以上はっきりした病名がないために類癇《るいかん》〔または全身硬直と訳される〕と呼ぶことにしている。この病気の直接的な、また素因的な原因や、また実際の症状さえもまだはっきりわからないのであるが、その外見上の明らかな性質は十分に了解されているのである。そのさまざまな変化は主として病気の程度によるものらしい。ときに患者はたった一日か、またはもっと短い間だけ、一種のひどい昏睡状態に陥る。彼は無感覚になり、外部的には少しも動かぬ。が、心臓の鼓動はまだかすかながら知覚される。温みもいくらかは残っている。かすかな血色が頬の真ん中あたりに漂っている。そして唇のところへ鏡をあててみると、肺臓ののろい、不規則な、たよ閧ネい運動を知ることができる。それからまた昏睡状態が幾週間も……幾月さえもつづく。そのあいだは、もっとも精密な検査やもっとも厳重な医学上の試験も、その患者の状態と、われわれが絶対的な死と考えるものとのあいだに、なんらの外部的な区別を立てることができない。
彼が早すぎる埋葬をまぬがれるのは、たいてい必ず、ただもと類癇にかかったことがあるのを近親の者たちが知っていること、それにつづいて起こる類癇ではなかろうかという疑い、とりわけ腐敗の様子の見えないこと、などによってである。病気の昂進《こうしん》するのは幸いにもごく少しずつである。最初の徴候は目立つものではあるが死とまぎらわしくはない。発作はだんだんにはっきりしてきて、一回ごとに前よりも長期間つづく。これが埋葬をまぬがれる主な理由なのである。しかしときどきあるように、最初の発病が過激な性質のものである不幸な人々は、ほとんど不可避的に生きながら墓のなかへ入れられるのである。
私自身の病症は、主な点では医学書にしるされているものと別に違っていなかった。ときどき、なんのはっきりした原因もなく、私は少しずつ半仮死、あるいは、なかば気絶の状態に陥った。そして苦痛もなく、動く力も、また厳密に言えば考える力もなく、ただ生きていることと、自分の病床をとりまいている人々のいることとをぼんやりと麻痺《まひ》したように意識しながら、病気の危機がとつぜん過ぎ去って完全な感覚がもどってくるまで、じっとそのままでいるのだった。またあるときは、急に猛烈におそわれた。胸が悪くなって、体がしびれ、ぞっと寒気がし、眼がくらみ、やがてすぐばったりと倒れる。それから数週間も、なにもかも空虚で、真っ黒で、ひっそりしていて、虚無が宇宙全体を占める。もうこれ以上のまったくの寂滅《じゃくめつ》はあり得ない。しかし、このような急な病気から目覚めるのは、発作がとつぜんであった割合いにぐずぐずしていた。ちょうど長いわびしい冬の夜じゅう、街をさまよい歩いている友もなく家もない乞食に夜が明けるように……そんなにのろのろと……そんなに疲れはてて……そんなに嬉しく、霊魂の光が私にふたたびもどってくるのであった。
しかしこの昏睡の病癖を別にしては、私の健康は一般にいいように見えた。また私は自分が一つの大きな疾患《しっかん》にかかっているとはぜんぜん考えることができなかった、……ただ私の普通の「睡眠」の特異性がもっとひどくなったものと考えられることをのぞいては。眠りから覚めるとき、私は決してすぐに意識を完全にとりもどすことができなくて、いつも何分間も非常な昏迷と混乱とのなかにとり残されるのであった。……そのあいだ一般の精神機能、ことに記憶が、絶対的中絶の状態にあった。
私のいろいろ耐えしのんだことのなかで、肉体的な苦痛は少しもなかったが、精神的な苦痛となると実に無限であった。私は死に関することばかりを考えた。「蛆虫と、墓と、碑銘」のことを口にした。死の幻想に夢中になって、早すぎる埋葬という考えが絶えず私の頭を支配した。このものすごい恐れが昼も夜も私を悩ました。昼はそのもの思いの呵責《かしゃく》がひどいものであったし……夜となればこの上もなかった。怖ろしい暗黒が地上を覆《おお》うと、ものを考えるたびに恐怖のために私は身震いした、……柩車の上の震える羽毛飾りのように身震いした。このうえ眼を覚ましているわけにはゆかなくなると、眠らないでいようともがきながらやっと眠りに落ちた、……というのは、眼が覚めたときに自分が墓のなかにいるかも知れないと考えて戦慄《せんりつ》したからである。こうしてやっと眠りに落ちたとき、それはただ、一つの墓場の観念だけがその上に大きな暗黒の翼をひろげて飛びまわっている幻想の世界へ、すぐにとびこむことにすぎなかった。
このように夢のなかで私を苦しめた無数の陰鬱な影像のなかから、ここにただ一つの幻影を選びだしてしるすことにしよう。確か私はいつものよりももっと長く深い類癇《るいかん》の昏睡状態に陥っていたようであった。とつぜん、氷のように冷たい手が私の額にさわって、いらいらしたような早口の声が耳もとで「起きろ!」という言葉をささやいた。
私は真っ直ぐに坐りなおした。まったくの真っ暗闇だった。私は自分を呼び起こしたものの姿を見ることができなかった。どんな場所に横たわっていたかということも、思い出せなかった。そのまま身動きもしないで一所懸命に考えをまとめようとしていると、その冷たい手が私の手首を強くつかんで怒りっぽく振り、そしてあの早口の声がもう一度言った。
「起きろ! 起きろと言っているじゃないか!」
「と言って、いったいお前は誰だ?」と私は尋ねた。
「おれは今住んでいるところでは名前なんぞないのだ」とその声は悲しげに答えた。「おれは昔は人間だった、が今は悪霊だ。前は無慈悲だった、が今は憐れみぶかい。お前にはおれの震えているのがわかるだろう。おれの歯はしゃべるたびにガチガチいうが、これは夜の……果てしない夜の……寒さのためではないのだ。だが、この恐ろしさはたまらぬ。どうしてお前は静かに眠ってなどいられるのだ? おれはあの大きな苦痛の叫び声のためにじっとしていることもできない。このような有り様は、おれには堪えられぬ。立ち上がれ! おれと一緒に外の夜の世界へ来い。お前に墓を見せてやろう。これがいたましい光景ではないのか?……よく見ろ!」
私は眼を見張った。するとその姿の見えないものは、なおも私の手首をつかみながら、全人類の墓をぱっと眼前に開いてくれた。その一つ一つの墓からかすかな腐朽の燐光が出ているので、私はずっと奥の方までも眺め、そこに屍衣を着た肉体が蛆虫とともに悲しい厳《おごそ》かな眠りに落ちているのを見ることができた。だが、ああ! ほんとうに眠っている者は、ぜんぜん眠っていない者よりも何百万も少なかった。そして力弱く、もがいている者も少しはあった。悲しげな不安がみちていた。数えきれないほどの穴の底からは、埋められている者の着物のさらさらと鳴る陰惨な音がもれてきた。静かに眠っているように思われる者も多くは、もと埋葬されたときのきちんとした窮屈な姿勢をいくらかでも変えているのを私は見た。じっと眺めていると、例の声がまた私に話しかけた。
「これが……おお、これがみじめな有様ではないのか?」
しかし、私が答える言葉を考えだすこともできないうちに、そのものはつかんでいた手首をはなし、燐光は消え、墓はとつぜん烈しく閉ざされた。そしてそのなかからもう一度おおぜいで、「これが……おお、神よ! これがみじめな有り様ではないのか?」という絶望の叫び声が起ってきたのであった。
夜あらわれてくるこのような幻想は、その恐るべき力を眼の覚めている時間にも拡げてきた。神経はすっかり衰弱して、私は絶えまない恐怖の餌食《えじき》となった。馬に乗ることも、散歩することも、その他いっさいの家から離れなければならないような運動に耽《ふけ》ることもためらった。実際、私に類癇《るいかん》の病癖のあることを知っている人々のところを離れては、もう自分の身を安心していることができなかった。いつもの発作を起こしたとき、ほんとうの状態が確かめられないうちに埋葬されはしないかということを恐れたからである。私はもっとも親しい友人たちの注意や誠実さえ疑った。類癇がいつもよりも長くつづいたときに、彼らが私をもう癒《なお》らないものと見なすような気になりはしないかと恐れた。その上もっと、ずいぶん彼らに厄介をかけたので、非常に長びいた病気にさえなれば、それを厄介払いをするのにちょうどいい口実と喜んで考えはしまいか、ということまでも恐れるようになった。彼らがどんなに真面目に約束をして私を安心させようとしても無駄だった。私は、もうこのうえ保存ができないというまでに腐朽がひどくならなければ、どんなことがあっても私を埋葬しないという、もっとも堅い誓いを彼らに強要した。それでもなお私の死の恐怖は、どんな理性にもしたがおうともしなかったし……またなんの慰安をも受けなかった。私はたいへん念の入った用心をいろいろと始めることにした。なによりもまず一家の墓穴を内がわから造作なく開けることができるように作りかえた。墓のなかへずっと突きでている長い槓杆《こうかん》をちょっと押せば鉄の門がぱっと開くようにした。また空気や光線も自由に入るようにし、私の入ることになっている棺からすぐ届くところに食物と水とを入れるのに都合のよい容器も置いた。棺は暖かに柔かく褥《しとね》を張り、その蓋《ふた》には墓穴の扉と同じ仕組みで、体をちょっと動かしただけでも自由に動くように工夫したバネをつけた。なおこれらの他に、墓の天井から大きなベルを下げて、その綱が棺の穴を通して死体の片手に結びつけられるようにした。ああ! しかし、人間の運命にたいして、用心などはなんの役に立とう? このように十分工夫した安全装置さえも、生きながらの埋葬という極度の苦痛から、その苦痛を受けるように運命を定められている惨めな人間を救いだすに足りないのだ!
あるとき……前にもたびたびあったように……私はまったくの無意識から、最初の弱い漠然とした生存の意識へ浮かびあがりかかっている自分に気がついた。ゆっくりと……亀の歩みのように……霊魂のほのかな灰色の曙《あけぼの》が近づいてきた。しびれたような不安。にぶい苦痛の無感覚の持続。なんの懸念もなく……希望もなく……努力もない。次に長い間をおいてから、耳鳴りがする。それからもっと長い時間がたってから、手足のひりひり痛む感覚。つぎには楽しい静寂の果てしのないように思われる時間、そのあいだに眼覚めかかる感情が思考力のなかへ入ろうともがく。つぎにまたしばらくのあいだ虚無のなかへ沈む。それからとつぜんの回復。やっと目瞼《まぶた》がかすかに震え、たちまち、ぼんやりと烈しい恐怖のショックが電気のように走り、血がこめかみから心臓へどきどきと流れる。そして初めて考えようとするはっきりした努力。それから初めて思い起こそうとする努力。部分的なつかのまの成功。それから記憶がいくらかその領域を回復して、ある程度まで自分の状態がわかる。自分が普通の眠りから覚めたのではないのを感ずる。類癇にかかっていたことを思い出す。そしてとうとう、まるで大海が押しよせてくるように、私のおののいている魂はあの無慈悲なおそれに圧倒される、……あのものすごい、いつも私の心をしめている考えに。
この想像に捉えられたのち数分間、私はじっとして動かずにいた。なぜか? 動くだけの勇気を振い起こすことができなかったのだ。私は骨を折って自分の運命をはっきり知ろうとは無理にしなかった、……しかし心には[確かにそうだぞ]と私にささやくなにものかがあった。絶望(どんな他の惨めなことも決して起きないような絶望)だけが、たいぶ長くためらった末に、私に重い目瞼を開けてみることをうながした。とうとう眼を開いた。真っ暗……すべて真っ暗であった。私は発作がすぎ去ったのを知った。病気の峠がずっと前にすぎ去っていることを知った。私はもう視力の働きを完全に回復していることを知った、……それなのに真っ暗であった……すべて真っ暗であった、……一条の光さえもない濃い真っ暗な永遠につづく夜であった。
私は一所懸命に大声を出そうとした。すると、唇と乾ききった舌とはそうしようとして痙攣《けいれん》的にいっしょに動いた、……がなにか重い山がのしかかったように圧しつけられて、苦しい息をするたびに心臓とともに喘《あえ》ぎ震える空洞の肺臓からは、少しの声も出てこなかった。
このように大きな声を出そうとして顎《あご》を動かしてみると、ちょうど死人がされているように顎が結わえられていることがわかった。また、自分がなにか堅い物の上に横たわっているのを感じた。そして両側もなにかそれに似たものでぴったりと押しつけられていた。これまでは、私は手も足も動かそうとはしなかった、……がこのとき、今まで手首を交差して長々とのばしていた両腕を荒々しく突き上げてみた。すると顔から六インチもない高さの、私の体の上にひろがっている固い木製のものにぶっつかった。私は自分がとうとう棺のなかに横たわっているのだということを、もう疑うことができなかった。
この無限の苦痛のなかへ、いまや希望の天使がやさしく訪れて来た、……というのは、あの前からの用意のことを思い出したからだ。私は身悶《みもだ》えし、蓋《ふた》を押し開こうとして痙攣的な動作をした。蓋は動こうともしなかった。ベルの綱をさがして手首にさわってみた。それもなかった。そしてまた天使はもう永久に消え失せて、もっと苛酷な絶望が勝ち誇《ほこ》って君臨した。というのは、前にあれほど用心深く用意して張っておいた褥《しとね》がないことに気がつかないわけにはゆかなかったからである。それにまたとつぜん、湿った土の強い妙な匂いが私の鼻孔をおそってきた。結論はもう疑いない。私はあの墓穴のなかにいるのではないのだ。私は家を離れているあいだに……知らない人々のなかにいるあいだに……昏睡に陥ったのだ、……いつ、あるいはどうして、ということは思い出すことができないが、……そして彼らが私を犬のように埋めたのだ、……どこかの普通の棺のなかに入れて釘づけにし……深く、深く、永久に、どこか普通の名もない墓のなかへ投げこんだのだ。
この恐ろしい確信がこのように魂の底にまでしみこむと、私はもう一度大声で叫ぼうとつとめた。するとこの二度目の努力は成功した。長い、気違いじみた、とぎれない悲鳴、または苦痛の叫び声が、地下の夜の領土じゅうに響きわたった。
「おうい! おうい、しっかりしろ!」と荒々しい声が答えた。
「いったいどうしやがったんだい?」と二番目の声が言った。
「そこから出て来い!」と三番目の声が言った。
「山猫みたいにそんなに唸《うな》りやがって、いったいどうしたっていうんだ?」と四番目の声が言った。そして私は、荒っぽい男の一団につかまえられて、しばらく無遠慮にゆすられた。彼らは私を眠りから覚ましてくれたのではない、……というのは、私は叫んだときには、もうちゃんと眼が覚めていたのだから、……しかし彼らは私の記憶力をすっかり回復してくれたのであった。
この出来事はヴァージニア州のリッチモンドの付近で起ったのである。一人の友人といっしょに、私は銃猟の旅をして、ジェームス河の堤に沿って数マイル下った。夜が近づいて、私たちは嵐におそわれた。庭土を積みこんだ小さな一本マストの帆船が河の流れに碇泊していたが、その船室が唯一の役に立つ避難所であった。私たちはそれを利用してその夜を船で過した。その船に二つしかない棚寝床《バース》の一つに私は眠ったが、……六、七十トンの小さな帆船の棚寝床のことだから詳しく言うまでもあるまい。私の入ったのには寝具などはなにもなかった。幅はいちばん広いところで十八インチだった。その底と頭上の甲板との距離もちょうど同じほどであった。体をそのなかへ押しこむのに非常に骨が折れた。それにもかかわらず私はぐっすりと眠った。そして私の見たすべてのものは(というのはそれは夢でもなく夢魔でもなかったのだから)、私の寝ていた場所の周囲の事情からと、……私の普段からの考えのかたよっていたことからと、……前にもちょっと言ったように睡眠から覚めたのち長いあいだ我にかえるのが、ことに記憶力を回復するのが困難なことから、自然に起ったことであった。私を揺り動かしたのは、この帆船の船員と、その荷揚げをする人夫たちであった。その船の荷から土の匂いがしたのだ。顎のあたりに結わえてあったものというのは、いつものナイトキャップがないのでそのかわりに頭からまきつけておいた絹のハンケチなのであった。
しかし私の受けた苦痛は、そのときは確かに実際に埋葬された苦痛とまったく同じものであった。その苦痛は恐ろしく……想像もつかぬほど、戦慄《せんりつ》すべきものであった。しかし凶から吉が生まれるようになった、というのは、その過度の苦痛が私の心に必然的な激変を起こしたからである。私の心は強くなり……落ち着いてきた。私はどこへでもでた。活発な運動もした。大空のひろびろとした空気を呼吸した。死よりも他のことを考えるようになった。いろいろの医学書に手をふれないようになった。バッカン〔一七三八〜一七九一。スコットランドの宗教狂信家。彼女は自らヨハネ黙示録第十二章の婦人であると信じていた〕の書物を焼きすてた。「夜の思い」〔エドワード・ヤング、一六八一〜一七六五の有名な詩のことであろう〕も、墓地に関する嘘話も、妖怪物語も、……すべてそんなものは読まなくなった。要するに私は新たな人間になり、立派な男としての生活をするようになった。その記憶すべき夜から、私は永久に墓場の恐怖を忘れてしまった。それとともに類癇の病気も起こらなくなった。あの墓場の恐怖は病気の結果であるよりも、むしろその原因であったのであろう。
われわれの悲しい人類の世界が、理性の冷静な眼にさえも、地獄の相を示すときがある。……しかし人間の想像は、その地獄の洞窟を一つ一つ罰せられることなくして探るところのカラティスのようなもの〔カラティス。一七五九〜一八四四。その東洋ロマンス物語の主人公の母、占星術の達人をさす。一七八七年にフランス語で出版されて、当時ヨーロッパに広く流布した〕ではない。ああ! 墓場の恐怖の、あのものすごい幽霊らはまったく空想的なものと見なすことができないのだ。……しかしオグザス河〔中央アジアのアム・ダリア河の古名〕を下ってアフラシアブ〔九四O頃〜一〇二〇年のペルシアの大叙事詩人の「諸王の書」の登場人物。イラン諸王との永い戦争の後に捕えられて殺さる〕とともに旅をしたかの悪魔たちのように、彼らは眠らねばならぬ。でなければ彼らはわれわれを食いつくすであろう。……彼らは眠るようにさせられなければならぬ。でなければわれわれは滅びるのだ。
落し穴と振子
ここにかつて神を恐れざる拷問者の群、飽くことなく、
罪なき者の血に、長くそが狂暴の呪文を育《はぐく》みぬ。
今や国土やすらかに、恐怖の洞穴はうち壊され、
怖ろしき死のありしところ、生命と平安と現われたり。
(パリのジャコバン倶楽部の遺趾に建てらるべき市場の門扉に誌すために作られた四行詩)
私は弱っていた、……あの長いあいだの苦痛のために、死にそうなくらいひどく弱っていた。そして彼らがやっと私の縛《いましめ》を解いて、坐ることを許してくれたときには、もう知覚が失われるのを感じた。宣告……恐ろしい死刑の宣告……が私の耳にとどいた、最後のはっきりした言葉であった。それからのちは宗教裁判官たち〔十二世紀頃より、ローマ教会の教権擁護のために、異端その他宗教に関する罪悪を摘発撲滅するために行われた裁判。ことにスペインにおける宗教裁判は処刑が残酷なので有名〕の声が、なにか夢のような、はっきりしない、がやがやいう音のなかにのみこまれてしまうように思われた。それは私の心に[回転]という観念を伝えた。……たぶん、水車の輪のぎいぎいまわる音を連想したからであったろう。それもほんのちょっとのあいだであった、やがてもう私にはなにも聞こえなくなったから。
しかし少しのあいだはまだ、私には眼が見えた、……が、なんという恐ろしい誇張をもって見えたことであろう! 私には黒い法服を着た裁判官たちの唇が見えた。その唇は白く……今これらの言葉を書きつけている紙よりも真っ白に……そして怪奇なほど薄く、その冷酷……動かしがたい決意……人間の苦痛にたいするむごたらしい軽侮《けいぶ》を強く示してあくまでも薄く、私の眼にうつった。私は、自分にとっては運命であるところの判決が、なおその唇から出ているのを見た。その唇が恐ろしい話しぶりでねじれるのを見た。その唇が私の名の音節を言う形になるのを見た。そしてそれにはなんの音もないので、私は戦慄《せんりつ》した。私はまだこの無我夢中の恐怖の数瞬間に、その部屋の壁をおおっている黒い壁掛がしずかに、ほとんど眼にたたぬほどかすかに、揺れるのを見た。それから私の視線はテーブルの上にある七本の高い蝋燭《ろうそく》に落ちた。最初はその蝋燭が慈悲ぶかい様子をしていて、自分を救ってくれそうな白いほっそりとした天使たちのように思われた。だがその次には、たちまち非常に恐ろしい嫌悪の情が私の心をおそってきて、体じゅうのあらゆる繊維が流電池の線にでも触れたようにぴりぴりと震えるのを感じ、同時に天使の姿は焔《ほのお》の頭をした無意味な妖怪となってしまい、彼らからはなんの救いも得られないということがわかった。
それから私の空想のなかへは、墓のなかにはさぞ甘美な休息があるに違いないという考えが、美しい音楽の調《しら》べのように、しのびこんできた。この考えはゆっくりと、またこっそりとやってきて、それを十分味わえるようになるまでには、だいぶ長くかかったようであった。だが私の心がやっとはっきりとその考えを感じ、それを味わったちょうどその瞬間、裁判官たちの姿は魔法のように私の前から消えた。高い蝋燭は虚無のなかへ沈み、その焔《ほのお》もすっかり消えうせてしまった。真っ黒な暗闇がそれにつづいた。あらゆる感覚は冥府《めいふ》へ落ちる霊魂のように、狂おしい急激な下降のなかに飲みこまれるように思われた。そのあとはただ、沈黙と、静止と、夜とが、宇宙全体であった。
私は気絶していたのであった。しかしそれでも意識がすっかり失われていたとは言いたくない。それがどれくらい残っていたかということは、ここで断定しようとは思わないし、書こうとも思わない。だがすべてが失われていたのではなかった。深い眠りのなかでも……いや! 無我夢中のときでも……いや! 気絶しているときでも……いや! 死んでいても……いや! 墓のなかにあってさえも、すべてが失われる[ものではないのだ]。でなければ人間にとって不滅ということがなくなる。もっとも、深い眠りから覚めるとき、われわれは[なにかしら]薄紗《うすもの》のような夢を破るものである。しかし一秒もたつと(その薄いものはそれほど脆いものであろう)、われわれは今まで夢をみていたことをもう覚えていない。
気絶からよみがえるまでには二つの段階がある。第一は、心的もしくは精神的存在の知覚の段階であり、第二は、肉体的存在の知覚のそれである。もしわれわれがこの第二の段階に達したときに、第一の段階の印象を思い起こすことができるとするなら、これらの印象が彼岸の深淵の記憶を雄弁に語っているといってもよいようだ。そしてその深淵とは……なんであるか? われわれはどうして、少なくともその深淵の影を死の形と区別したらいいか? しかし私が第一の段階と名づけたものの印象がもし意のままに思い起こされないものとしても、長いあいだ経ったのちに、それらの印象が自然にやってきて、どこからやってきたのかと怪しむようなことはあるまいか? かつて一度も気絶したことのない人は、赤々と燃え輝いている石炭のなかに、不思議な宮殿やどこか見知ったような顔などを見る人ではない。世の多くの人々の眼にはうつらないような悲しげな幻影が空中に浮かんでいるのを見る人でもない。なにかの珍しい花の香を嗅いで、もの思いにふける人でもない。今まではなんの注意もひいたことのないような音楽の韻律の意味を考えて頭が乱される人でもない。
思いだそうとする考え深いいくたびもの試みの最中に、私の霊魂が落ちていったあの虚無らしい状態の形跡をよせ集めようとする熱心な努力の最中に、ときどきうまく思いだせたと思う瞬間があった。あとになって明晰《めいせき》な理性の保証するところによると、その無意識らしい状態にだけ関している記憶を呼びおこした、短い、ごく短い時期があった。この影のような記憶がぼんやりと語っているところによると、背の高い者たちが、無言のまま私の体を持ち上げて、下の方へ……下の方へ……なおも下の方へと運んでいったので、とうとう私はそのはてしない下降ということを考えただけで、気持の悪いめまいに圧倒されてしまったのだ。また私は、心が不自然なほど静かだったので、漠然とした恐怖を感じたのだ。次にはすべてのものがみな、急に動かなくなったという知覚がきた。まるで私を運んでいる者たち(怖ろしい一行!)が下降しながらとっくに限りないものの限界をも越えてしまって、彼らの労苦に疲れはてた歩みをとどめたかのように。そののちに思いおこすのは平坦と湿気との感じである。それからはすべてが[狂乱]……考えることを許されない忌まわしいもののあいだを忙しくとびまわる記憶の狂乱である。
まったくとつぜんに、私の魂に、運動と音とが……心臓の烈しい運動と、耳にひびくその鼓動の音とが、もどってきた。それからいっさいが空白である合間。やがてまた音と、運動と、触覚……体じゅうにしみわたるぴりぴり疼《うず》く感覚。つぎに思考力をともなわない単なる生存の意識、……この状態は長くつづいた。それからまったくとつぜんに、思考力と、戦慄するような恐怖感と、自分のほんとうの状態を知りつくそうとする熱心な努力。つぎには無感覚になってしまいたいという強烈な願望。それから魂の急速なよみがえりと、動こうとする努力の成功。そして今度は審問や、裁判官たちや、黒い壁掛や、宣告や、衰弱や、気絶などの完全な記憶。それからは、その後につづいたすべてのことの、後日になって熱心な努力でやっと漠然と思いおこすことのできたすべてのことの、完全な忘却。
これまでは私は眼を開かなかった。私は縛《いましめ》を解かれて仰向けに横たわっているのを感じた。手を伸ばすと、なにかじめじめした硬いものにどたりと落ちた。何分間もそこに手をおいたまま、自分がどこにいて[どうなっている]のか想像しようとつとめた。眼を開いて見たかったが、そうするだけの勇気がなかった。身のまわりのものを最初にちらと見ることを私は恐れたのだ。怖ろしいものを見るのを恐れたのではない。[なにも]見るものが[ない]のではあるまいかと思って怖ろしくなったのだった。とうとう、烈しい自暴自棄《じぼうじき》の気持で、眼をぱっと開けてみた。すると私のいちばん恐れていた考えが事実となってあらわれた。永遠の夜の暗黒が私を包んでいるのだ。私は息をしようとしてもがいた。濃い暗闇は私を圧迫し、窒息させるように思われた。空気は堪えがたいほど息づまるようであった。私はなおじっと横たわって、理性を働かせようと努めた。宗教裁判官のやり方を思いだして、その点から自分のほんとうの状態を推定してみようと試みた。宣告が言いわたされ、それから非常に長い時間が経っているような気がした。しかし自分が実際に死んでいると想像したことは一瞬時もなかった。そのような想像は、物語では読むことはあるが、ほんとうの生存とはぜんぜん矛盾するものである。……だが、いったい私はどこに、どんな状態でいるのであろう? 死刑を宣告された者が通常 aut-da-fe「信仰の行為」〔ポルトガル語。宗教裁判所の異教徒処刑の判決宣告式、その処刑、殊に火刑をいう。ここではその火刑の意味である。宗教裁判で有罪と決定されたものは死刑を宣告され、刑吏の手で生きながら焚き殺される〕で殺されることは私も知っていた。そしてそれが私の審問された日のちょうどその夜にも執行されたのであった。私は自分の牢へ送りかえされて幾月ものあいだ起こりそうにもない次の犠牲を待つことになったのであろうか? そんなことがあるはずはないと私はすぐさとった。犠牲者はすぐに必要なのだ。そのうえ私の前の牢は、トレドにあるすべての監房と同じように石の床であって、光線がぜんぜんさえぎられてはいなかった。
恐ろしい考えがこのとき急に念頭にうかび、血は奔流のように心臓へ集った。そして少しのあいだ、私はもう一度無感覚の状態にあともどりした。我にかえるとすぐ、全身の繊維が痙攣《けいれん》的にふるえながらも、すっと立ち上がった。頭の上や身のまわりやあらゆる方向に両腕を乱暴につきだしてみた。なんにも触れなかった。それでも[墓穴]の壁につきあたりはしないかと思って、一歩でも動くことを恐れた。汗が体じゅうの毛孔から流れでて、額には冷たい大きな玉がたまった。この不安な苦痛にとうとう堪えられなくなった。そこで両手をひろげ、かすかな光線でもとらえようと思って眠を眼窩《がんか》からつき出すようにしながら、注意ぶかく前へ動いた。私は何歩もすすんだ、しかしやはりすべてが暗黒と空虚とであった。私は今までよりも自由に呼吸をした。私の運命が少なくともいちばん恐ろしいものではないことはまず明らかであるように思われた。
そしてなおも注意ぶかく前へ歩きつづけているあいだに、今度はトレドの恐怖についてのいろいろの漠然とした噂が、私の記憶に群がりながら浮かんできた。牢については前から奇妙なことが言いつたえられていた。……つくり話だと私はいつも思っていたが……しかしいかにも奇妙な、声をひそめてでなければ繰りかえして話すことができないくらいにものすごい話であった。私はこの地下の暗黒の世界で餓死させられるのであろうか? さもなければ、たぶん、それよりもっと恐ろしいものではあろうが、どんな運命が私を待っているのであろうか? その結果が死であり、それも普通の苦しさ以上の死であろうということは、あの裁判官らの性質をよく知っている私には疑う余地もなかった。ただその方法と時間とが、私を考えさせ、あるいは悩ましたすべてであった。
ひろげていた手はとうとうなにか固い障害物につきあたった。それは壁であったが、石造らしく……ひどく滑《なめ》らかで、ぬらぬらしていて、冷たかった。私はそれについて行った。昔の物語が教えてくれた注意ぶかい警戒の念をもって、一歩一歩すすんだ。しかし、この方法は牢の広さを確かめる手段とはならなかった。というのは、一まわりしてもとの出発点にもどっていても、そのことがわからないからであって、それほどその壁は完全に一様なものらしかった。
そこで私は、宗教裁判所の部屋のなかへつれて行かれたときにポケットのなかにあったナイフを探した。がそれはなかった。私の衣服は粗末なセルの着物にかわっていたのだ。出発点を認められるようにそのナイフの刀身をどこか石の小さいすきまにさしこんでおこうと思ったのであったが。しかしこの困難は、心が乱れていたので初めはどうにもできないもののように思われたが、じつはちょっとしたものに過ぎなかった。私は着物のへりを一部分ひき裂いてその布片をずっと伸ばして、壁と直角に置いた。牢獄のまわりを手さぐりして回っているうちに、完全に一周すればこの布片に出逢うことはまちがいない。少なくともそう私は考えた。だが、この牢の広さや、または自分の衰弱を、勘定に入れていなかった。地面はじめじめして滑った。私はしばらくのあいだ前へよろめきながら進んでいたが、そのうちにつまずいて倒れた。ひどい疲労のために倒れたまま起き上がれなかった。そして横になるとすぐ眠りが私をおそった。
眼がさめて、片腕を伸ばすと、かたわらには一塊のパンと水の入った水差とが置いてあった。ひどく疲れきっていたので、私はこの事がらを十分考えてみることもなく、がつがつと貪《むさぼ》るように食ったり飲んだりした。それからまもなく牢獄のなかをまた回りはじめ、かなり骨を折ってやっとあのセルの布片のところへやってきた。つまずいて倒れるときまでに五十二歩を数え、また歩き始めてからさらに四十八歩を数えて……そのときに布片のところへ着いたのであった。してみると全体で百歩あることになる。そして二歩を一ヤードとして私はこの牢獄の周囲を五十ヤードと推定した。しかし壁のところで多くの角に出逢ったので、この穴蔵……穴蔵であろうことは想像しないわけにはゆかなかった……の形状を推測することはできなかった。
このような調査には私はほとんど目的を……たしかに希望などは少しも……持っていなかった。けれども漠然とした好奇心が私を駆ってその調査をつづけさせた。私は壁のところを離れて、この構内の地域を横断してみようと決心した。初めは非常に用心しながらすすんだ。床は固い物質でできているらしかったが、ねばねばしていて油断がならなかったからだ。しかしとうとう勇気を出して、ためらわずにしっかりと足を踏みだした、……できるだけ一直線によぎろうとつとめながら。こんなふうにして十歩か十二歩ばかり進んだときに、さっきひき裂いた着物のへりの残片が両足のあいだにからまった。私はそれを踏みつけて、ぱったりと俯《うつ》むけに倒れてしまった。
倒れた当座は狼狽していたので、一つのちょっと驚くべき事がらにすぐ気づくわけにはゆかなかったが、何秒かたつと、まだ倒れているあいだに、それが私の注意をひいた。それはこういうことであった。私のおとがいは牢獄の床の上についていたが、唇や頭の上部が、おとがいよりも低くなっているらしいのに、なににも触れていないのである。同時に額がしっとりとした湿気にひたっているように思われ、腐った菌類の独得の臭いが鼻をついてきた。私は片手をつきだした。すると自分が円い落《おと》し穴のちょうどふちのところに倒れていることに気がついたので、ぞっと身ぶるいした。その落し穴の大きさはもちろん、そのときには確かめる方法もなかったが。私はそのふちのすぐ下の石細工のあたりを手さぐりして、うまく小さな石のかけらをとりだし、それをその深淵のなかへ落してみた。何秒ものあいだ、石が落ちてゆくとき落穴の壁につきあたる反響に、私はじっと耳を傾けていた。とうとう陰鬱《いんうつ》に水のなかへ落ちて、高い反響がそのあとにつづいた。それと同時に、頭上で戸をぱっと開け、また同じようにすばやく閉めるような音がして、一すじの弱い光線がとつぜん暗闇のなかに閃《ひらめ》いたかと思うと、またたちまちにして消えてしまった。
私は自分のために用意されてあった運命をはっきりと知った。そしてちょうど折よく偶然におこった出来事によって助かったことを喜んだ。倒れる前にもう一歩すすむ、すると私はふたたびこの世に出ることができなかったのだ。そして今まぬがれた死こそは、宗教裁判所に関する話のなかで、荒唐無稽《こうとうむけい》な、愚にもつかぬものと私のそれまで思いこんでいた種類のものであったのだ。宗教裁判の暴虐の犠牲者には、もっとも恐るべき肉体的苦痛をともなう死か、またはもっとも忌まわしい精神的な恐怖をともなう死か、どちらかを選ぶのである。私はその後者を受けることになっていたのだ。長いあいだの苦痛のために、私の神経は自分の声にさえ身ぶるいするほど衰弱し、どんな点からでも、自分を待ち受けているこの種の迫害にはたいへん適当な材料となっていたのであった。
手足をぶるぶる震わせながら、私は壁の方へ手さぐりでもどった、……私の想像力が今この牢獄のいろいろな位置にたくさん描きだした落し穴の恐怖をおかすよりも、むしろその壁のところで死のうと心をきめながら。もっとも、他の心持でいたときなら、私はこれらの深淵の一つへ跳びこんでひと思いに自分のみじめな運命の結末をつけてしまう勇気があったろう。だが、そのとき私はもっとも完全な臆病《おくびょう》者であった。私はまた、これらの落し穴について前に読んだこと……[とっさに]生命を絶つということは彼らの怖ろしい計画のなかには少しもないということ……も忘れることができなかった。精神の興奮は幾時間も私を眠らせなかった。が、とうとう私はふたたび眠りに落ちた。眼をさますと、前と同じように一塊のパンと水の入った水差とが置いてあった。焼くような渇きを覚えたので、私はその水差の水をひと飲みに飲みほした。それには薬がまぜてあったに違いない、……飲むか飲まないうちにたまらなく睡《ねむ》くなったから。深い眠りが私におそいかかってきた、……死の眠りのような深い眠りが。どれだけ長くそれが続いたか、もちろん私にはわからない。しかしまた眼を開いたときには、今度は身のまわりのものが見えるようになっていた。どこにその光源があるのか初めはわかりかねた異様な硫黄《いおう》色の微光によって、この牢獄の広さや様子を見ることができたのだ。
牢獄の大きさについて私はひどく思いちがいをしていた。壁の全周囲は二十五ヤードを超えていなかった。この事実は数分のあいだ、私に役にもたたない非常な苦労をさせた。まったく役にもたたない、……なぜなら、私のとりまかれているこの恐ろしい事情のもとにあって、牢獄の面積などということよりも下らないことがあろうか? だが、私の心はつまらないことに異常な興味を持っていた。そして、測量をするときに自分が犯した誤ちの理由を明らかにしようとする努力に没頭した。とうとう真相が頭に閃いた。最初に探索しようと試みたときには、倒れるまでに五十二歩を数えていた。そのときはセルの布片へもう一歩か二歩というところへまで来ていたに違いない。実際、私はほとんど穴蔵を一周していたのだ。それから眠った、……そして眼がさめると、前に歩いたところを逆にもどったに違いない、……こうして周囲を実際のほとんど二倍に想像したのだ。心が混乱していたので、私は壁を左にして歩きだし、もどったときには壁を右にしていたことに気づかなかったのだ。
私はまた、この構内の形についてもだまされていた。手さぐりながら歩いたときに角がたくさんあったので、ずいぶん不規則な形だという考えを持っていたのであった。昏睡や睡眠からさめた者に与える全くの暗闇の効果というものはこんなに強いものなのだ! 角というのはただ、不規則な間隔をおいた幾つかの凹み、あるいは壁龕《へきがん》にすぎなかった。牢獄の全体の形は四角であった。私が前に石細工だと考えたものは、今度は鉄か、あるいはなにか他の金属の大きな板らしく思われ、その継ぎ目が凹《へこ》みになっているのであった。この金属板を張った構内の壁の全面には、修道僧の気味の悪い迷信が生みだした恐ろしく厭《いと》わしい意匠の画が、不器用に描きなぐってあった。骸骨の形をして脅すような容貌をした悪鬼の姿や、そのほか実に恐ろしい画像などが、一面に拡がって壁をよごしていた。私はこれらの怪物の輪郭は十分はっきりしているが、その色彩が湿った空気のためであろうか、褪《あ》せてぼんやりしているらしいことを認めた。それから今度は床にも注意してみた……が、それは石造だった。その真ん中に、さっきその虎口を逃れたあの円い落し穴が口を開いていた。がそれはこの牢獄のなかにただ一つしかなかった。
こういうことをすべて私はぼんやりと、しかも非常な努力をして、見たのだ。……というわけは、体の状態が眠っているあいだにひどく変っていたからである。今度は仰向けになって体をながながと伸ばし、低い木製の枠組のようなものの上に臥ていた。その枠に馬の上腹帯に似た長い革紐でしっかりと縛りつけられているのだ。革紐は手足や胴体にぐるぐると巻きつけてあって、頭と左腕とだけが自由になっていたが、その左腕も非常な骨折りをしてやっと、かたわらの床の上に置いてある土器の皿から食物を取ることができるだけの程度にすぎなかった。恐ろしいことには水差がなくなっていた。恐ろしいことには……というのは、堪えがたいほどの渇きのために体が焼きつくされるようであったからだ。この渇きを刺激するのが私の迫害者どもの計画であったらしい、……なぜなら皿の中の食物はひりひりするように辛《から》く味をつけた肉であったから。
眼を上の方へ向けて、私はこの牢獄の天井をしらべた。高さは約三、四十フィートであって、側面の壁と非常によく似た造りであった。その天井の鏡板の一枚に、あるたいへん奇妙な画像が、私の注意をすっかり釘づけにするように強くひきつけた。それは普通によく描かれているような「時の画像」〔大鎌を肩にし、砂時計を手にしている老人の画〕であって、ただ違うのは大鎌のかわりに、ちょっと見たところでは、古風な掛時計についているような巨大な振子《ふりこ》を描いたのであろうと想像されるものを、持っていることであった。しかしこの機械の様子には、なにかしら私にもっと注意ぶかく眺めさせるものがあった。まっすぐに上を向いてそれを眺めると(というのはそれの位置はちょうど私の真上にあったから)、なんだかそれが動いているような気がした。まもなくその考えは事実だということがわかった。その振動は短かく、もちろんゆっくりしていた。私はいくらか恐怖を感じながらも、それよりももっと驚異の念をもって、数分間それを見まもっていた。とうとうそののろい運動を見つめるのに疲れてしまって、監房のなかのほかの物に眼をうつした。
かすかな物音が私の注意をひいたので、床の方に眼をやると、大きな鼠《ねずみ》が何匹かそこを走っているのが見えた。彼らはちょうど私の右の方に見えるところにある例の井戸からでてきたのだ。私が眺めているときでさえ、彼らは、肉片の匂いに誘われて、がつがつした眼つきをして、あわただしそうに群をなしてやってきた。彼らをおどして肉片によせつけないようにするには、たいへんな努力と注意が必要だった。
ふたたび視線を上の方へ向けたときまでには、半時間か、それともあるいは一時間も(というのは完全に時間を注意することはできなかったから)たっていたかも知れない。そのとき見たことで、私はすっかり狼狽し、驚かされた。振子の振動は一ヤード近くもその振幅を増しているのだ。当然の結果として、その速度もまた大きくなっていた。しかし、私がもっとも不安だったのは、それが眼に見えて[下降してくる]という考えであった。それから私は、その振子の下端がきらきら光る鋼鉄の三日月形になっていて、先端から先端までは長さが一フィートほどあり、その先端は上の方を向き、下刃は明らかに剃刀《かみそり》の刃のように鋭いということを見てとった。……それを見てどんなに恐ろしく感じたかは言うまでもない。それは剃刀のようにがっしりしていて重いらしく、刃の方からだんだんに細くなって、上は固くて幅の広い部分になっている。そして真鍮《しんちゅう》の重い柄につけてあって、空気を切って揺れるときに全体が[しゅっしゅっと音をたてた]。
私はもう、拷問の巧みな僧侶によって自分のために用意された運命を疑うことができなかった。私があの落し穴に気がついたということは、とっくに宗教裁判所の役人どもには知れていた。……[あの落し穴]……その恐怖こそ私のような大胆不敵な国教忌避者のために用意してあったのだ。あの落し穴……それこそ地獄の典型であり、うわさによれば彼らのあらゆる刑罰のなかの極点と考えられているものだ。この落し穴に落ちこむことを、私はまったく偶然のでき事によってのがれたのであった。そして私は驚愕、つまり拷問の罠《わな》に落ちこんで苦しむことが、この牢獄のいろいろな奇怪な死刑の重要な部分となっていることを知った。深淵へ落ちなかったからには、私をその深淵のなかへ投げこむということは、かの悪魔の計画にはなかった。そこで(ほかにとるべき方法もないので)それより別の、もっとお手やわらかな破滅が私を待つことになったのだ。お手やわらかな! こんな言葉をこんな場合につかうつことを思いつくと、私は苦悶のなかでもちょっと微笑したのだった。
鋼鉄の刃のものすごい振動を数えているあいだの、死よりも恐ろしい長い長い幾時間のことを、話したところでなんになろう? 一インチずつ……一ライン〔一インチの十二分の一の長さ〕ずつ……長い年月と思われる間《ま》をおいて、やっとわかるような降りかたで……下へ、もっと下へと、降りてくる! それがひりひりするような息で私を煽《あお》りつけるくらい身近かに迫ってくるまでには、幾日かすぎた、……幾日も幾日もすぎたに違いない。鋭い鋼鉄の臭いが私の鼻孔をおそった。私は祈った、……それがもっと速く降りてくるようにと、天がうるさがるほど祈った。気が狂ったようになり、揺れているその偃月刀《えんげつとう》の方へむかって自分の体を上げようともがいた。それからまた急に静かになって、子供がなにか珍しい玩具を見たときのように、そのきらきら輝く死の振子を見て微笑しながら横たわっていた。
もう一度、まったく無感覚のときがあった。それは短いあいだであった。なぜなら、ふたたび我にかえったときに振子は眼につくほど下っていなかったから。しかしあるいは長いあいだであったかも知れない、……というのは、私の気絶するのに気をつけていて、振子の振動を思うままに止めることもできる悪魔どものいることを、私は知っていたから。正気づくとまた、私はひどく……おお! なんとも言いようもないほど……気分が悪く衰弱していることを感じた、ちょうど長いあいだの飢え疲れのように。その苦痛のあいだにさえ、人間の本能は食物を求めるのであった。私は苦しい努力をして左腕を紐の許すかぎり伸ばし、鼠が食い残しておいてくれた食物のわずかな残りを手に入れた。その一片を口のなかへ入れたとき、私の心には、なかば形になった歓喜の……希望の……念が湧きあがった。しかし[この私が]希望などになんの用があろう? それはいま言ったとおり、なかば形になった考えであった。……人はよくそんな考えをもつが、それは決して完成されるものではない。私はそれが歓喜の……希望の……念であることを感じた。しかしまたそれが形になりかけて消えてしまったことを感じた。それを仕上げようと……とりもどそうとつとめたが無駄だった。長いあいだの苦しみは、私のあらゆる普通の心の能力をほとんど絶滅させてしまっていた。私は低能者になっていた、白痴になっていた。
振子の振動は私の身の丈《たけ》と直角になっていた。私は三日月形の刃が自分の心臓の部分をよぎるように工夫してあることを知った。それは外衣のセルを擦《す》り切るだろう、……それから返り、そしてまたその動作を繰り返すだろう、……二回……三回と。振幅がものすごく広くなり〔約三十フィートか、またはそれ以上〕、しゅっしゅっと音をたてて降りてくる勢いが鉄の壁さえ切り裂くくらいであっても、数分間というものはそれのすることはやはり私の外衣を擦り切ることだけであろう。ここまで考えてくると私の考えはとまった。この考えより先へは行けなかった。私はしつこくこの考えに注意をあつめた……ちょうどそうすれば鋼鉄の刃の下降を[そこで]とめることができるかのように。私は偃月刀が衣服を切って通るときの音を……布地が摩擦されることが神経にさわる奇妙なぞっとするような感覚をわざと考えてみた。こうしたくだらないことを、いろいろと歯の根が浮くくらいになるまで考えてみた。
下へ……じりじり下へ、振子は這い降りてくる。私はその振子の横にゆれる速度と、下へ降りてくる速度とを照らしあわせて、狂気じみた快感を感じた。右へ……左へ……遠く広く……悪鬼の叫びをあげて! 私の心臓めがけて、虎のような忍び足で下へ! この二つの考えのどっちかが力強くなるにしたがって、私はかわるがわるに笑ったり叫んだりした。
下へ……まちがいなく、無情に下へ、それは私の胸から三インチ以内のところを振動しているのだ! 私は左腕を自由にしようとして激しく……猛《たけ》りくるって……もがいた。その左の腕はただ肘《ひじ》から手首までだけが自由になっていた。手は非常な苦心をして、やっとかたわらの皿から口のところへ動かせるだけで、それ以上は動かせなかった。もし肘から上の紐を切ることができたら、私は振子をつかまえて止めようとでもしたことであろう。それは雪崩《なだれ》を止めようとするのと同じようなことだ! 下へ……なおも休みなく……なおも避けがたく下へ! それが振動するたびに私はあえぎ、もがいた。ひと揺れごとに痙攣《けいれん》的に身をちぢめた。眼は、まったく意味のない絶望からくる熱心さで、振子が外の方へ、上の方へと跳びあがるあとを追った。そしてそれが落ちてくるときには発作的に閉じた。死は救いであったろうが。おお、なんという、言うに言われぬ救いであろう! あの機械がほんの少しばかり下っただけで、あの鋭いきらきら光る斧を私の胸に突きこむのだ、ということを考えると、体じゅうの神経がみなうちふるえた。この神経をうちふるえさせ……体をちぢませるものは[希望]であった。宗教裁判所の牢獄のなかであってさえ、死刑囚の耳にささやくものは、[希望]……拷問台の上にあってさえ喜びいさむ希望……であった。
もう十回か十二回振動すれば、鋼鉄の刃が私の外衣にほんとうに触れるということがわかった。……そしてそれがわかると、ふいに、私の心には鋭い落ちついた絶望の静けさがやってきた。この幾時間ものあいだ……あるいはおそらく幾日ものあいだ……今初めて私は[考えた]。すると、自分を巻いている革紐、つまり上腹帯は[一本だけだ]ということを思いついた。私は何本もの紐で縛られているのではなかった。剃刀のような偃月刀《えんげつとう》の最初の一撃が紐のどの部分をよぎっても、その紐が切りはなされて、左手をつかって体から解きはなすことができるにちがいない。だが、その場合には鋼鉄の刃のすぐ近くにあることがどんなに恐ろしいことだろう! ほんのちょっとでももがいたら、どんなに危いことになるだろう! その上に拷問吏の手下どもが、こんなことがありそうだと察して、それに備えておくということもありそうなことではなかろうか? 紐が、私の胸の振子の通るところに巻いてあるということがありそうだろうか? このかすかな、そして最後と思われる希望が破られるのを恐れながらも、私は胸のところをはっきり見られるくらいにまで頭を上げてみた。革紐は手足も胴も縦横にぐるぐると堅く巻いてあった、……[ただ人をうち殺すその偃月刀の通り路だけはのけて]。
頭をもとの位置に下ろすとすぐ、前にちょっと言ったところの、そしてその半分が、燃えるような唇に食物を持って行ったときにぼんやり浮かんだところの、あの救いという考えのまだ形をなさない半分、というより以上にうまく言いあらわせないものが、私の心にひらめいた。全体の考えが、今あらわれてきたのだ。……弱い、あまり正気でもない、あまりはっきりしないものであったが、……それでもとにかく全体であった。私はすぐに自暴自棄の勇気で、その考えの実行にとりかかった。
もう幾時間も、私の臥ている低い枠組のすぐ近くには、鼠が文字どおり群がっていた。彼らは荒々しく、大胆で、がつがつして飢えていた。……彼らの赤い眼は、ただ私が動かなくなりさえしたら私を餌食にしようと待ちかまえているように、私の方を向いてぎらぎらと光っていた。「この井戸のなかで、あいつらはいったいどんな食物を食いつけてきたのだろう?」と私は考えた。彼らは、私がいろいろ骨をおって追い払おうとしたのに、もう皿のなかの食物をちょっぴり残しただけで、すっかり食いつくしてしまっていた。私はただ手を皿のあたりに習慣的に上げ下げして振っていたのだが、とうとうその無意識に一様な運動はききめがなくなってしまった。貪欲《どんよく》にも鼠どもはちょいちょい鋭い牙を私の指につきたてた。私は残っている脂っこい香りのする肉片を、手のとどくかぎり革紐にすっかりなすりつけて、それから手を床からひっこめて、息を殺してじっと臥《ふし》ていた。
初めはその飢えきった動物どもも、この変化に……運動の中止されたのに……驚きおそれた。彼らはびっくりしてしりごみした。井戸の方へ逃げたやつも多かった。しかしこれは、ほんのしばらくのことに過ぎなかった。彼らの貪欲を当てにしたのは無駄ではなかった。私が身動きもしなくなったのを見てとると、いちばん大胆なやつが一、二匹、枠の上に跳びあがって、革紐を嗅いだ。これがまるで総突撃の合図のようであった。彼らは井戸から出てきて、あらたに群をなして駆けあつまってきた。枠の木にかじりつき……それを乗りこえ、そして幾百となく私のからだの上に跳びあがった。振子の規則正しい運動などはちっとも彼らの邪魔にはならなかった。彼らは振子に撃たれるのを避けながら、油を塗った革紐にいそがしく群らがった。彼らは押しよせ……群らがって私の上に絶えず積みかさなった。咽喉《のど》の上でのたうち回った。その冷たい唇が私の唇をさがした。彼らの群らがってくる圧迫のために、私はなかば窒息しかかった。なんとも言いようのない不快な感じが胸に湧きあがり、じっとりとした冷たさで心臓をぞっとさせた。それで一分もたつと、私はこの争闘もやがて終わってしまうだろうと感じた。私は革紐のゆるむのをはっきりとさとった。すでに一カ所以上も切れているに違いないことがわかった。超人間的な決心をもって、私は[じっと]横たわっていた。
私の予想はまちがっていなかった、……忍耐も無益ではなかった。やっと私は自由になったのを感じた。革紐は幾すじかになって体からぶら下った。しかし振子の刃はもう胸のところに迫った。それは外衣のセルを裂いていた。その下のリンネルも切っていた。またも二回揺れた。すると鋭い苦痛の感覚があらゆる神経につたわった。しかし逃げでる瞬間がきているのだ。手をひとふりすると、私の救助者どもはあわてふためいてどっと逃げさった。じりじりと身を動かし……気をつけて、横ざまにすくみながらゆっくりと……革紐からすりぬけて、偃月刀《えんげつとう》のとどかないところへ身をすべらした。少なくとも当分は、[私は自由になったのだ]。
自由!……宗教裁判所の手につかまれながら! 恐怖の木のベッドから牢獄の石の床に足を踏み出すとすぐ、あの地獄のような恐ろしい機械の運動がぴたりととまり、なにか眼に見えない力でするすると天井の上にひき上げられるのを私は見た。これは非常に強く身にしみた教訓であった。私の一挙一動がみな看視されていることは疑いがない。自由!……私はただ苦悶の一つの形式による死を逃れて、なにか他の形式の、死よりもいっそう悪いものの手に渡されることになったにすぎないのだ。そう考えながら、私をとりかこんでいる鉄の壁をびくびくして見まわした。なにか異常なことが……初めははっきりと見分けることのできなかったある変化が……この部屋のなかに起こったことは明らかであった。何分間も、夢み心地にわななきながら茫然《ぼうぜん》として、私はただいたずらにとりとめのない臆測にふけっていた。そのあいだに、この監房を照らしている硫黄色の光の源をはじめて知るようになった。それは幅半インチほどのすきまからくるのだ。そのすきまというのは壁の下の方で牢獄をぐるりと一まわりしている。だから壁は床から完全にはなれているように見えたし、またほんとうに離れていたのである。そのすきまからのぞこうと骨をおったが、もちろん無駄であった。
この試みをやめて立ちあがると、この部屋の変化の神秘が急に理解されるようになってきた。私は前に、壁上に描かれている画の輪郭は十分はっきりしてはいるが、その色彩がぼんやりしていて明瞭ではないようだということを述べた。ところがその色彩がいまや驚くほどの強烈な光輝を帯びて、しかも刻一刻とその光輝をまし、その幽霊のような悪鬼のような画像を、私の神経より強い神経をさえ戦慄させるほどの姿にしたのだ。狂暴なものすごい生き生きした悪魔の眼は、らんらんとして前にはなにも見えなかったあらゆる方面から私をにらみつけ、気味のわるい火の輝きでひらめくので、むりにも想像力でそれを幻《まぼろし》だと考えてしまうわけにはゆかなかった。
幻どころか!……呼吸をするときでさえ、灼熱した鉄の熱気が鼻をついてくるのだ! 息のつまるような臭いが牢獄にみちた! 私の苦悶をにらんでいる眼は一刻ごとにらんらんとした光を強くした! 血の恐怖の画の上には真紅のもっと濃い色がひろがった! 私はあえいだ! 息をしようとしてあえいだ! 私の迫害者どもの計画についてはなんの疑いもない、……おお、人間のなかでもいちばん無慈悲な! おお、いちばん悪魔のような者ども! 私はその真赤に熱した鉄板から監房のまんなかの方へあとじさりした。眼の前にさし迫った火刑の死を考えると、あの井戸の冷たさという観念が、苦痛をやわらげる香油のように心にうかんできた。私はその恐ろしい井戸のふちへ走りよった。眼を見はって下の方を見た。燃えたった屋根のぎらぎらする光が井戸の奥そこまで照らしていた。それでもしばらくは、私の心は錯乱していて自分の見たものの意味を理解しようとはしなかった。やっとそれが私の心に入ってきた、……無理に押し入った、おののきふるえる理性に焼きつけた。おお、ものを言う声が出たらいいのだが!……ああ、怖ろしい!……ああ、このほかの怖ろしさならなんでもよい! 鋭いさけび声をあげて私はそのふちから駆けもどり、両手に顔をうずめた、……はげしく泣きながら。
熱は急速に増した。私は瘧《おこり》の発作のようにぶるぶる震えながら、もういちど眼をあげた。監房のなかには二度目の変化がおこっていた、……そして今度の変化は明らかに形に関するものであった。前と同様に、初めのうちは起こりつつあることを感知し理解しようとつとめたが、無駄だった。だが、疑念のなかにとり残されているのも長くはなかった。二回も私が逃れたので、宗教裁判所は復讐をいそいでいた。そして、懼怖《おそれ》の王〔「死」のこと。旧約ヨブ記第十八章第十四節、「やがて彼はその頼むところの天幕より引き離されて、懼怖の王の許に追いやられん」〕とこの上ふざけているわけにはゆかなくなったのだ。部屋は前には四角形であった。私は今その鉄の四隅のなかの二つが鋭角をなしているのを……したがって当然ほかの二つは鈍角《どんかく》をなしているのを認めた。この恐ろしい角度の違いは、低くごろごろいうような、または呻くような音とともに急速に増した。またたくまに部屋はその形をかえて菱形《ひしがた》となった。しかしこの変化はそれでやみはしなかった、……私はそれがやむのを望みもしなければ願いもしなかった。その灼熱した壁を私は、永遠の平和の衣服として胸にぴったり着けることができるのだ。私は言った、「死……この落し穴の死でさえなければ、どんな死でもいい!」
ばかな! [この落し穴のなかへ]私を駆りたてるのが、この燃える鉄板の目的であることを、知らなかったのか? その灼熱に耐えることができるか? あるいはもしそれに耐えることができるとしても、その圧力にさからうことができるか? そしていまや菱形は、なにも考えるひまを与えないくらいの速さでますます平たくなってきた。その中心、つまりその幅の広いところは、大きく口を開いているあの深淵の真上であった。私はたじろいだ、……が迫ってくる壁は抵抗できないように私を前へ押しすすめた。とうとう焼けこげて悶えくるしむ私のからだには、もう牢獄の堅い床の上に一インチの足場もなくなった。私はもうもがかなかった、が私の苦悶は、一こえの高い、長い、最後の、絶望の絶叫となってほとばしった。私は自分が落し穴のふちへよろめきよったのを感じた、……私は眼をそらした……
がやがやいう人ごえが聞こえた! 多くのラッパの音のような高らかな響きが聞こえた! 百雷のような荒々しいきしり音が聞こえた! 焔の壁は急にとびのいた! 私が失神してその深淵のなかへ落ちこもうとした瞬間に、ひとつの腕がのびて私の腕をつかんだ。それはラサール将軍〔ナポレオン一世の部下の有名な将軍。彼がスペインに攻め入ったのは一八〇八年〕の腕であった。フランス軍がトレドに入ったのだ。宗教裁判所はその敵の手に落ちた。
罎の中から出た手記
いのち一瞬の後に迫れる者は、
何ものもいつわり隠すところなし
(キノオ「アティス」)
自分の故郷と家族とについては、私はほとんど言うことがない。逆境と長い星霜《せいそう》とは、私を故郷から追いたて、家族から遠ざけてしまった。親ゆずりの財産によって私は普通以上の教育を受け、また瞑想的な気質によって若いときから孜々《しし》として蓄積した学識を組織だてることができた。なによりもドイツの倫理学者たちの著作は私に大きな喜びを与えた。それは決して彼らの雄弁な狂愚に対して浅はかに驚嘆したからではなく、私の厳正な思索の習癖が容易に彼らの虚妄を見抜くことができたからだ。私は今までにしばしば自分の資質にうるおいがないということで非難された。想像力の欠乏は一つの罪悪として私に負わせられた。そして私の意見の懐疑的なことは常に私を有名ならしめていた。実際、物理学に対する強い興味は、現代におけるきわめてありふれた誤謬《ごびゅう》……というのは世の出来事を、そういう参照を許しそうにない出来事をさえ、その科学の原則に参照する習癖を言うのだが……を、私の心にしみこませているらしい。要するに、私ほど迷信の鬼火のために真理の厳正な境界の外へ誘い出され難い人間はなかったろう。
これだけの前置きをするのを私は適当と考える。というのは、これから語らねばならぬこの信じがたい話が、気まぐれな空想などが無力無意味になっている人間の確実な経験とは考えられないで、粗雑な想像力の譫言《うわごと》と考えられることを恐れるからである。
外国の旅行に長年を過したのち、一八××年に私は、豊饒《ほうじょう》で人口過密なジャヴァ島のバタヴィア港から、サンダ群島〔マレイ群島中の諸島〕への航海に旅立った。船客として行ったのであるが、……悪霊のごとく自分につきまとう神経の不安に誘われたというよりほかに動機はない。
船は銅張りの、マラバア・チーク材でボンベイで建造された、四百トンばかりの美しい船であった。ラカダイヴ諸島〔インド洋の珊瑚礁の諸島〕からの綿花と油とを積みこんでいた。また椰子皮《やしがわ》繊維、椰子糖《やしとう》、乳酪油《にゅうらくゆ》、椰子の実、数箱の阿片《あへん》などを載せていた。積み込みがまずかったので、そのために船はぐらぐらした。
われわれはわずかの微風で出帆した。そして幾日もジャヴァの東海岸に沿って進んだが、その航路の単調をまぎらす出来事といえば、ただわれわれの行こうとしている群島から来る小船と時々出逢うことだけであった。
ある夕方、船尾|欄干《らんかん》によりかかっていると、北西に当って私は非常に妙な孤雲《こうん》を認めた。その雲は、バタヴィアを出帆して以来初めて見るものである点のみならず、その色からいっても、目に立つものであった。日没まで私は注意ぶかくそれを見まもっていたが、日が没すると俄然《がぜん》その雲は東の方と西の方とへ拡がり、水平線を細長い水蒸気でとり巻き、渚の長い線のように見えた。私の注意はその後まもなく、月の赤黒いのと、海の様子のただならぬのとに惹《ひ》かれた。海の様子は刻々に変わり、水は常よりも透明なように思われた。底ははっきり見えたが、それでも測鉛を投げて水深を測ってみると、船が十五|尋《ひろ》のところにいることがわかった。
やがて空気は堪えがたいほど暑くなり、灼熱した鉄から発するような、螺旋《らせん》状にたちのぼる蒸発気がこもっていた。夜になると、そよとの風もなくなり、これ以上の凪《なぎ》は想像することもできないくらいだ。蝋燭《ろうそく》の焔は船尾高中板でわずかの揺らぎも見せずに燃えていたし、人差指と親指とで長い髪の毛を持ってみても、少しも震えないで垂《た》れ下った。しかし、船長は何らの危険の徴候をも認めぬと言い、また船はそっくり岸の方へ漂っていたので、彼は帆を巻き収めて錨《いかり》を下ろせと命じた。見張りは置いてなく、主としてマレー人からなる船員は甲板の上に悠々と寝そべっていた。私は下の船室へ降りて行った……が禍《わざわい》の予感が多分にないではなかった。実際、ありとあらゆる様子が、ことごとく私に熱風《シムウン》を気づかわせるに十分であったのだ。私は船長に自分の懸念《けねん》を話した。が、彼は私の言うことに何の注意も払わず、一言の返事も与えないで行ってしまった。けれども、不安のために私は眠られず、真夜中ごろになって甲板へ出た。後甲板階段の最後の踏段に足をかけた時、私は水車が急速に回転する時に起こるような、騒々しい、ざあざあ唸《うな》るような物音を聞いてぎょっとした。そしてその原因も確かめることができないうちに、船がその中心まで震えたのに気づいた。次の瞬間、一面に泡立つ大|怒涛《はとう》が、船をくつがえしそうにどっと打ちよせ、船を縦に走って船荷から船尾に至るまで全甲板を洗い去ったのであった。
この突風の極度の猛烈さが、むしろ船を救うことになったのだ。すっかり浸水したのだが、檣《マスト》が折れて波にさらわれたので、船は一分の後には海からゆっくりと起き上がり、しばらくは烈しく吹きつける嵐の下でぐらついていたが、ついに真っ直ぐになった。
いかなる奇跡で私が破滅を免れたかということを言うのは、とうてい不可能だ。波に強く打たれて気絶していたが、我に返ってみると、船尾材と舵との間に挟まっているのだった。ようようのことで起きあがり、眩暈《めまい》しながらもあたりを見回すと、最初は船が砕《くだ》け、波の間にいるのだと思ったものだ。それほど、船をのみこんだ山のような泡だつ大海の渦は、どんな奔放な想像も及ばぬくらい凄《すさ》まじいものだった。しばらくたってから、船が港を出るまぎわに乗船した年寄りのスウェーデン人の声が聞こえた。私はあらん限りの声を出して彼に呼びかけた。するとやがて彼はよろめきながら船尾の方へやってきた。われわれは間もなく、自分たち二人だけがこの災難で生き残った者であることを知った。甲板にいた者はわれわれ二人を除いてみんな、船から水中にさらわれてしまったのだ。船長や運転士らは眠っているうちにやられたに違いない。船室も水浸しになったのだから。手助けがなくては、われわれは船を安全にすることは何もできそうにもなかったし、初めのうちは今にも沈没するだろうという恐れのために、われわれの努力は麻痺《まひ》していた。錨綱《いかりづな》はもちろん颶風《ハリケーン》の最初のひと吹きで梱索《からげなわ》のようにちぎれてしまった。でなかったら船はたちどころに沈んでしまったに違いない。船は潮流に押し流されて、ものすごい速さで走り、波は砕けないままで甲板を越えて行った。船岸の骨組みはひどく打ち砕かれており、またほとんどあらゆる点で船はかなりの損傷をうけていたが、非常に嬉しいことには、われわれはポンプがつまっていないし、底荷《バラスト》もたいして位置が変っていないことを知った。暴風の烈しい頂上はすでに過ぎ去っていて、風の強さからくる危険はほとんどなかった。しかしその風のまったく落ちた時のことを考えると恐ろしくなった。船のこの破損した状態では、風が止んだ後にくるあの凄まじいうねり波にあえば必ずやられるに違いないと思いこんだからだ。しかしこの至極《しごく》もっともな危惧《きぐ》は決してすぐには起こりそうでもないようだった。まる五日五晩というもの……その間われわれの唯一の食糧は水夫部屋からやっとのことで取ってくる少量の椰子糖であったが……船体は、あの最初の熱風の烈しさには及ばないとしても、私がその以前に遭ったどの暴風よりも恐ろしい、つぎつぎに続いてくる烈風に吹きつけられて、測りがたいほどの速さで、飛ぶように走った。初め四日の間、船の進路は、わずかの変化があっただけで、南東微南であった。だから船はニューオランダ〔オーストラリアの古名〕の海岸に沿って下ったに違いない。五日目になると、風が一方位だけ北の方へ変ったとはいえ、寒気は非常に厳しくなった。太陽は病みほうけた黄いろい光をして昇り、水平線の上をほんの数度ほどよじのぼっただけで……はっきりした光は少しも放たない。雲らしいものは一片もなかったが、風は次第につのって、気まぐれに、さだめなく吹き荒れた。
ほぼ正午と思われる頃、われわれの注意は再び太陽の様子にとらえられた。それは光らしい光は少しも出さず、ただ反射のない鈍《にぶ》い陰鬱な輝きで、まるでそのすべての光線が偏光《へんこう》させられたようであった。ふくれ上がった大海のなかへ沈む直前、その中心の光輝は、あたかも何かわけのわからぬ力で慌ただしくかき消されるかのように突然消えてしまった。底知れぬ大洋の下へ落ちこむ時には、太陽はただ、もうろうたる、銀のような縁《ふち》だけであった。
われわれは空しく六日目の到来を待った、……その日は私にはまだこないし……あのスウェーデン人には永久にこなかったのだが。太陽の沈んだ後は、われわれは真っ暗な闇の中にすっかり包まれてしまったので、船から二十歩先の物を見ようとしたって見られなかったろう。永遠の夜がずっとわれわれを取り巻き、熱帯地方では見慣れていたあの海の燐光もまるで見られなかった。それからまた、暴風はなおその猛威を減じないで荒れ狂ってはいるけれど、これまでわれわれについてきた寄せ波や白波などの普通の現象がもう見られない、ということにわれわれは気づいた。四辺のものすべては、恐怖と、濃い暗黒と、黒い、流れる黒檀《こくたん》の砂漠とであった。迷信的な恐怖が次第にあの老スウェーデン人の心にしのびこみ、私自身の魂も無言の驚愕に包みこまれてしまった。二人はどうせ何をしても無駄だと思って船のことはいっさい投げやりにし、後檣《こうしょう》の折れ残りの根もとにできるだけしっかりと身を結びつすて、漫々たる大海原《おおうなばら》を悲痛な心持で眺めていた。われわれは時を測る手段もなかったし、また少しでも自分たちの位置を推測することもできなかった。しかし今までのいかなる航海者よりもずっと南の方へ来ているということはよくわかっていた。そしてあの氷の障害に出遭わないことが非常に不思議に感じられた。一方では各瞬間ごとに今度こそ最後かと脅《おびや》かされ……一つ一つの山のような大波は、われわれを呑みつくそうとあせっていた。そのうねりはそれまで私の想像していたいかなるものをも超え、われわれがたちどころにのみこまれなかったのは、まったく奇蹟だ。仲間の男は船荷の軽いことを話し、またわれわれの船の質のいいことを想い起こさせてくれた。しかし私は希望することそれ自体、まったく絶望であることを感じないではいられなかった。そして暗い気持で死のくるのを覚悟していた。船が一ノットでも進むごとに、黒い巨大な波のうねりがいよいよものすごく恐ろしくなってくるので、どうしてもその死は一時間以上延ばすことができまいと考えたのだ。時には、われわれは信天翁《あほうどり》よりも高いところで喘《あえ》ぎ……時にはまた、空気もよどみ、海坊主《クラーケン》〔海の怪物。本来の意味はノルウェーの沖に現われるという巨大な怪物〕の眠りを乱す音もない海底の地獄へ船の落ちこむ速さのために、目がくらむのであった。
この深淵の一つの底にいた時、突然、仲間の男の叫び声が恐ろしく夜の闇をつんざいた。
「見ろ! 見ろ」と彼は私の耳のところで叫んだ。「おお! 見ろ! 見ろ!」
彼がそう言った時、私は、ぼんやりした陰鬱《いんうつ》な赤い灯火《ともしび》の閃きが、われわれのいる広大な波の裂け目の面を流れおちて、船の甲板にちらちらする輝きを投げているのに気がついた。目を上へ向けると、私は血も凍ってしまうほどの光景を見た。われわれの真上の恐ろしいほど高いところに、そしてまさにまっさかさまに落ちかかろうとして、おそらく四千トンくらいの大きな船がそびえているのだ。その船はその高さの百倍以上もある波の頂上に押し上げられていながら、うち見たところの大きさは、現存のいかなる軍艦や東インド通いの大商船などの大きさをも凌駕《りょうが》していた。巨大な船体は、濃い、すすけた黒色で、船に普通ついているあの彫刻などは少しも施していなかった。一列の真鍮《しんちゅう》の大砲が開いた砲門から突き出ていて、その磨きあげた砲身には、索具のまわりにゆらゆら揺れている無数の交戦灯〔夜間の交戦において甲板の上を照らすために、軍艦の砲装甲板上の各砲に装備しておく灯〕の火が反射して光っていた。しかし何よりもわれわれに恐怖と驚愕の念を起こさせたのは、その船がこの超自然的な海と、この手におえぬ颶風《ハリケーン》とを物ともせずに、満帆を張って進んでいることであった。われわれが最初にこの船を見つけた時には、船はその向うの怖ろしい深淵からゆっくりと上りかけたところであったので、船首の方だけが見ることができたのであった。烈しい恐怖の一瞬間、その船は、眩暈《めまい》のするほどの高い頂上で、あたかも自己の壮烈さを瞑想するかのように立ちどまり、それから身震いし、よろめき、そして……落ちかかってきた。
この瞬間、どういう不意の沈着が自分の心に起こったのか私は知らない。できるだけ遠く船尾の方へよろけて行きながら、私は襲いかかってくる破滅を大胆に待ったのだ。われわれの船はついにその争闘をやめて頭から海へ沈みつつあった。したがって、かの落下してくる船体はすでに水中に没していたその部分を強く打ち、当然の結果として、私は猛烈によその船の索具のところへ投げつけられたのであった。
私がそこへ落ちたとき、船は上手《うわて》回し(船首を風上に回して進路を転ずる)をして、進路を転じた。そのどさくさまぎれのために、私は乗組員の目にとまることを免れたのだろうと思う。たいした困難もなく、人にも見つけられないで、一部分開いている主艙口《メイン・ハッチ》のところまで行くと、すぐうまく船倉の中へ身を隠す機会を得た。なぜそんなことをしたのか、自分にもほとんどわからぬ。おそらく、この船の船員を一目見たとき私の心をとらえた漠とした畏敬の念が、私の身を隠した動機であったのだろう。私は、ちらりと見て漠然たる奇異の感や、疑惑や、危惧などを自分に与えた人々に、自分の身を委《ゆだ》ねたくなかったのだ。だから船倉の中に隠れ場所を工夫する方がよいと考えた。で、仕切板〔船倉の底荷が移動することを防ぐための仕切りの板。荷止板ともいう〕の一部分を動かして、大きな肋材の間にちょうど都合のいい潜伏《せんぷく》所ができるようにした。
この仕事を終えるか終えないうちに、船倉内に足音がしたので、私は早速それを利用しなければならなくなった。一人の男が私の隠れ場所のかたわらを、力のない、よぼよぼの足どりで通って行った。その顔は見ることができなかったが、全体の体つきは見る暇があった。その体つきにはどことなく非常に年をとっていて弱々しい様子が現われていた。膝《ひざ》は寄る年波のためによろめき、全身はその重荷のためにぶるぶる震えていた。彼は、低い弱い声で、私にはわからぬ国語を二言三言ひとりでつぶやき、一隅の奇妙な格好をした器具やぼろぼろの海図を積み重ねてある間を手探りしていた。その様子は、老年の気むずかしさと、神のような重々しい威厳とが、奇妙にまじりあったものであった。やがてその男は甲板へ上ってゆき、そのまま帰ってこなかった。
名づけようのないある感情が、私の魂を占めている、……分析することを許さない感じ、過去の時代の学問もそれを分析するには不十分であり、将来もおそらくその分析の鍵を与えてくれることはあるまいと思われる感じである。私のような心の者には、この後の方の考えは一つの苦痛だ。私は決して……私は知っているが決して……自分のこの概念の性質について納得させられることはあるまい。しかし、これらの概念はまったく新奇な原因から出ているのだから、それがはっきりしていないのは不思議なことではない。一つの新しい感覚が……一つの新しい実在が私の魂に加えられているのだ。
この怖ろしい船の甲板を初めて踏んでから、すでに長くたっている。そして私の運命の光線は一つの焦点に集まりつつあるように思う。不可思議な人々! 私には推測のできないような黙想に耽《ふけ》りながら、彼らは私に気づきもしないで通り過ぎてゆくのだ。私の方で身を隠しているなどということは、まったく馬鹿げたことだ。あの人々は見ようともしないのだから。
今しがた私は運転士のちょうど眼の前を真っ直ぐに通ってきた。つい先刻も船長の私室へ入りこみ、今まで書いてきた、そして今も書いているこの材料をそこから取ってきたのだ。私はこの日記をときどき書き続けるだろう。いかにもこれを世に伝える機会は得られないかも知れぬ、が試みるだけはやってみるつもりだ。最後の瞬間がきたら、この手記を罎《びん》の中に封じこんで、海中に投じよう。
新たに私に黙想の余地を与える出来事が起こった。こういうようなことは、まったく偶然の時のはずみの業《わざ》であろうか? 私は思い切って甲板へ出て、雑用艇《ヨール》〔四本または五本のオールのある小形短艇。この船に載せてある〕の底の、索梯子《なわばしご》や古い帆などを積み重ねた間に、誰にも見つけられないで横たわっていたのだった。自分の運命の不可思議なことをいろいろと思いめぐらしながら、しらずしらずに私はタール刷毛《はけ》で、かたわらの樽の上にきちんとたたんであった副横帆《スタンスル》の縁をぬたくった。その副横帆は今船の上に張ってあるが、何気なく刷毛でなすりつけた痕は「発見《ディスカヴァリー》」という言葉となって拡がっているのだ。
私はこの頃この船の構造について多くの観察をした。ちゃんと武装してはいるが、これは軍艦ではなかろうと思う。索具や、造りや、全体の艤装《ぎそう》など、すべてがこの種の推測を否定する。軍艦|ではない《ヽヽヽヽ》ということは容易にわかる、が、何|であるか《ヽヽヽヽ》ということは私には言いかねるようだ。なぜかは知らないが、この船の奇妙な型や円材(船のマスト、桁、防材などの円い林木)の異様な形、この巨大な船体や大き過ぎる帆布、何の飾りもない船首や古風な船尾などをつくづく眺めていると、よく見慣れたものだという感じが折々私の心に閃《ひらめ》き、そのような記憶のぼんやりした影が、古い異国の年代記や、遠き昔の時代などの、説明しがたい思い出といつもまじりあっているのだ。
さっきから私は船の肋材を眺めている。この船は私の見たこともない材料でできている。木材には妙な特質があって、それがその用いられている目的には合っていないように私に思わせるのである。というのはひどく多孔性《ヽヽヽ》なことであって、それはこのような海を航海したためにそうなるあの虫の食った状態とは別に考え、また船の古くなることに伴う腐食とも離れて考えてのことなのだ。あるいは少々詮索がまし過ぎる意見のように思われるかも知れないが、この木材は、もしスペイン樫《かし》を何か不思議な方法で膨脹させることができるとするなら、そのスペイン樫のあらゆる特質をみんな具えているようだ。
以上の文章を読んでいると、ある年寄りの老練なオランダの航海者の奇妙な箴言《しんげん》が、はっきりと私の記憶に浮かんでくる。「確かなことだよ」と彼は自分の言葉のほんとうであることを疑われる時にはいつでも、よくこう言ったものだ。「確かなことさ、船が、船乗りの生きた体みてえに大きく脹《ふく》れてゆく海があるようにな」
一時間ばかり前、私は乗組員の一群の間へ、はばからずに入って行った。彼らは私に注意するような素振りも見せず、またみんなの真ん中に立っているのに、私のいることにまったく気もつかないようであった。最初船倉で見かけた男と同じように、彼らはみんな、白髪の老年の風貌をそなえていた。彼らの膝は病弱のために震えている。肩は老衰のために弓なりになっている。萎《しな》びた皮膚は風に鳴っていた。声は低く、震え、とぎれがちだ。目は老年の涙で光っている。そして灰色の髪の毛は嵐の中にものすごく吹かれてなびいていた。彼らのまわりには、甲板上のいたるところに、非常に風変わりな旧式な造りの製図機械がとりちらかしてあった。
少し前に、私は副横帆を張ったことを記した。その頃から、船は風を真後ろに受けるようになって、檣冠《トラック》〔檣の頂上に取り付けてある木の円盤。穴があけてあって、帆、帆桁、旗などを揚げ下げする動索を通す〕から副横帆までの下桁《ブーム》までありとあらゆる帆をみんな揚げ、絶えまなしに上檣帆《トップ・ギャラント》の桁端を人間の心の想像し得る最も凄まじい海地獄の中にころがしながら、正南へとその恐ろしい進路を続けている。私は今しがた甲板から降りてきたところだ。その甲板で足場を保っていることは、乗組員たちはほとんど何の不自由をも感じていないようだが、私にはとてもできないことだ。この膨大な船体が今すぐ、そして永久に、のみこまれてしまわないのは、私には奇跡中の奇跡と思われる。まさしくこの船は、深淵の中へ最後の突入をなすことなく、永劫《えいごう》の縁を絶えずうろつき回るように、運命を定められているのであろう。かつて私の見たいかなる波よりも千倍も大きな波涛《はとう》の上を、船は矢のごとく飛ぶ鴎《かもめ》のように軽々と滑り去る。そして巨大な波は大海の悪魔のようにその頭をわれわれの上にもたげる。だがこの悪魔はただ脅《おびや》かすだけにとどまり、破滅させることを禁じられているのだ。私は、このようにしばしば破滅を免れることを、かかる結果を説明し得る唯一の当然な原因に帰せざるを見ない。すなわち、この船がある強い潮流か、あるいは猛烈な逆潜流の影響を受けているのだ、と想像しなければならぬ。
私はこの船の船長に、面と向かって、しかも彼自身の船室《キャビン》で、会った、……が、思ったとおり果たして、彼は私に何の注意も払わなかった。ちょっと見たところでは、彼の容貌には普通の人間以上や以下のところがちっともないが、それでも、私が彼を眺めたときの驚異の感じの中に、抑えられぬ崇敬と畏懼《いく》との気持がまじっていた。身の丈は、ほぼ私と同じぐらいである。すなわち、五フィート八インチほど。丈夫なひきしまった体格で、逞しいということもなく、またその他の目立つところもない。しかし私の心にある感じ……ある言いようのない感情をひき起こしたのは、その面上にみなぎる異様な表情である。……まったくの極度の老齢の、烈しい、不思議な、ぞっとするような徴《しるし》である。その額には、皺《しわ》こそ余りよっていないが、数万年の歳月の刻印が押されているように思われる。彼の灰色の髪の毛は過去の記録であり、それよりもっと灰色の目は未来の予言者である。船室の床には、妙な、鉄の締金《しめがね》のついた二折判《フォリオ》の本や、朽ちた科学の器具や、長く忘れられた不用な海図などが、一面にまき散らしてあった。彼は両手で頭をかかえ、火のような落着きのない目で、一枚の紙片をじっと見つめていた。それは委任状だと私は思ったが、とにかく君主の署名がしてあった。彼は何か異国の言葉を低く気むずかしい調子で……あの船倉で見た最初の船員のように……一人でつぶやいた。そして、つぶやいている当人は私のすぐ身近かにいるのに、その声は一マイルもの遠方から私の耳に届いてくるような気がするのであった。
船と、船中のすべてのものとには、「古代」の精神がしみこんでいる。乗組員たちは埋もれた世紀の幽霊のようにあちこちと音もなく歩いている。彼らの目には熱心な不安な思いがある。そして彼らの姿が交戦灯の強い閃きの中に、私の行く手を横切って現われるとき、私は、今までの生涯を古物商として過ごしてきて、自分の魂までが廃墟になってしまうくらいにまで、バルベック〔シリアの古都〕や、タドモア〔ソロモン王によって建設されたと言われるシリアの東の砂漠の中にあった都〕や、ペルセポリス〔かつてペルシャ帝国の首都〕の崩れた円柱の影が身にしみこんでいるのではあるが、これまでかつて一度も感じたことのないような気持がするのである。
周囲を見渡すと、私は前の危懼《きく》を恥かしく思う。もしこれまでわれわれに吹きつけてきた疾風などに戦慄《せんりつ》するくらいなら、今の風と大洋との戦いには胆をつぶしはしないだろうか? その有様をちょっとでも伝えるには、旋風《トーネードー》とか熱風《シムウン》とかいう言葉は、たかの知れた役にも立たぬものだ。船のすぐ近傍のいっさいは、ただ永遠の夜の暗黙と、泡の立たぬ波浪の混沌である。が、われわれの両側一リーグほどのところには、巨大な氷の城壁が、宇宙の壁のように、荒涼たる天空にそびえ立っているのが、ぼんやりと時々見える。
私の想像したとおり、船は果たして潮流に乗っているのだ……もし、白氷に咆哮《ほうこう》し絶叫しながら、あたかもまっさかさまに落下する濠布《ばくふ》のような速さをもって南の方へと轟《とどろ》き流れる奔流を、潮流などと名づけてもよいものならば。
私の気持の怖ろしさを想像するのは、まったく不可能のことだろうと思う。それにもかかわらず、このおそるべき区域の神秘を見きわめようとする好奇心は、私の絶望の念にさえうち勝っているのだ。そして、この好奇心は私をして最も恐ろしい死に平然と向かわしめるだろう。われわれが何かある素晴らしい知識……それを知ることは身の破滅になるような、決して知らすことのできないある秘密……に向かって突き進んでいることは明らかだ。多分この潮流は、われわれを南極そのものへ運んでゆくのであろう。一見はなはだ奇妙なようなこの想像は、どうも確かに当っていそうなのだ。
乗組員は落ち着きのない、ぶるぶるした足取りで甲板を歩いている。しかし彼らの面上には、絶望の無感動の表情よりも、熱心な希望の表情が浮かんでいるのである。一方、風は依然として船尾に吹きつけていて、船はたくさんの帆を揚げているので、折々、そっくり海から持ち上げられるのだ! おお、何という怖ろしさ!……水は突然右に開き、また左に開く。そしてわれわれはめまぐるしく、広大な同心円を描いて、その壁の頂きが遠く闇の中に消えている巨大な円形劇場の縁をぐるぐると旋転している。しかし自分の運命のことを考えている時間もほとんど残されてはいまい! 円は急速に小さくなる、……今われわれは渦巻の真っただ中へ遮二無二《しゃにむに》とびこんでいる、……それから大洋と暴風との咆哮《ほうこう》し、怒号し、雷鳴している中に、船はぶるぶる震え、……おお神よ! そして……沈んでゆく!
付記……この「罎の中から出た手記」は初め一八三一年に発表されたのであるが、その後数年ならずして、予はメルカトル〔フランドルの地理学者。一五一二〜一五九四。メルカトル式投影図法の世界地図によって知られている〕の世界地図を知るようになった。それには大洋は、四つの口から北極湾に奔流し、地球の内部に吸いこまれてしまうように記されてあり、「極」そのものは恐ろしく高くそびえ立つ黒い岩として表わしてある。
奇態の天使
狂文《エクストラヴァガンザ》
冷え冷えする十一月の午後のことであった。僕はちょうど、あの消化不良の松露《トリュフ》なんぞの余り重きをなしていない、非常に豊富な午餐を平らげてしまって、両足を灰止〔暖炉の火が、床の上に散らないように、暖炉の前に置く鉄格子様のもの〕の上におき、自分で暖炉のところまでころがしていった小さなテーブルに肱《ひじ》をつきながら、食堂にただ一人腰をかけていた。そのテーブルの上には、ほんの申しわけばかりのテザートと、葡萄酒や、火酒や、リキュー酒などのさまざまな瓶とがのっていた。午前中、僕はグラヴァーの「リオニダス」と、ウィルキーの「エピゴニアッド」とラマルティーヌの「聖地巡礼」と、バーローの「コランビアッド」と、タッカーマンの「シシリー」と、グリズウォルトの「珍奇集」とを読んでいた。だから、その時はいささか頭がぼんやりしていた、ということは潔《いさぎよ》く白状する。僕はラフィット〔ボルドーの赤葡萄酒の上等のもの〕の杯をしきりに重ねて目を覚まそうと努めたが、うまくゆかなかったので、やけになって偶然そのへんにあった一枚の新聞紙をとり上げた。「貸家」欄と、「飼犬紛失」欄と、それから「女房と下男出奔す」という二段の記事とを丹念に精読してしまうと、一大決心をもって社説にとりかかり、そいつを初めから終りまで読んだがついにひと言もわからなかったので、こりゃあ中国語かも知れんぞと思いつき、それで今度はおしまいの方から初めへと読み直したが、やはり大して満足な結果が得られなかった。僕は厭になって、
この四頁の二折本《フォリオ》、批評家すらも
批評せざる幸福なる著作
を投げ出そうとしていた時に、次のような記事に自分の注意が若干《じゃっかん》喚起されたのを感じた。……
「あの世へ行く路はいろいろで、また奇《く》しきものである。ロンドンの一新聞紙は一人の男が奇妙な原因で死亡したことを報じている。彼は、毛糸にさした長い針を錫《すず》の管《くだ》を通して的《まと》に吹きつける『矢吹き』の遊びをしていたが、その針を管のあべこべの端に入れて、力をこめて矢を前方へ吹こうとして強く息を吸いこんだので、針を自分の咽喉《のど》の中へ吸いこんでしまった。その針は肺臓へ入り、数日にしてこの男を殺してしまったのである」
これを見ると、僕は何故ということは正確にはわからないが、かっと癇癪《かんしゃく》を起こした。
「こういうことは」と僕は大声で言った。「卑劣な嘘だ、まずい法螺《ほら》だ、……どこかの哀れな三文文士めの、よその世界の出来事のみじめな製造者めの、思いつきのカスなんだ。こういう連中は、今の時代の、とほうもなく騙されやすいことを知っていて、ちょっとありそうもないが、ひょっとしたらあるかも知れん、というようなことを……彼らの称するところによれば、奇態《きたい》な出来事を……考え出すことに自分たちのありったけの知恵を働かしているのだ。だが、よく物事を考える知性には、だ。(わが輩みたいにね)」と僕は、自分の人差し指を無意識に鼻の横へあてながら、挿み文句にしてつけ加えた。「わが輩の所有するごとき瞑想的な理知には、だね、近来のかかる『奇態な出来事』の驚くべき増加こそ、まさに最も奇態な出来事であるということは、明白なことに思われるだろう。わが輩自身はと言えば、今後は何事でも『奇妙な』ようなところのある物事はいっさい信じないつもりだ」
「おやおや、つぉんなことを言うなんて、お前は何てぱかたろう!」と、今までかつて聞いたことのないような、実に不思議な声が答えた。最初は、僕はそれを自分の耳の中のごろごろ鳴る音……非常に酔ったときに時々人が経験するような……だと思ったが、考え直してみると、どうもその音は、空っぽの樽を大きな棒で叩くと出る音の方にもっとよく似ているようだと思われた。そして、音節や語がちゃんと分かれていなかったなら、事実、僕はたしかにそうだと結論を下したに違いない。僕は生まれつき決して神経質な方じゃない。その上、さっきちびちびやった、ほんの数杯のラフィットも、少しは僕を大胆にするのに役立った。だから、僕は少しも恐怖などを感じないで、ただ自分の目をゆっくりと上げて、闖入《ちんにゅう》者を見つけようと注意ぶかく部屋を見まわした。だがいっこう、何者をも認めることができなかった。
「えへん!」僕がまだ見回している時に、例の声がまた言い出した。「わしかここにお前のつぉばにつわっているのに、わしか見えないなんて、お前はきっとぷたみたいに酔っぱらっているにちかいないな」
ここにおいて、僕は自分のすぐ真正面を見ることを思いついた。すると、そこには果たして、僕にむかいあってテーブルの傍に、全然筆紙にも尽されぬというほどではないが、とにかくちょっと名状すべからざる人物が、腰をかけているのであった。彼の胴は、葡萄酒の大樽か、ラム酒の大樽か、それとも何かそういったようなもので、まったくフォールスタフ〔シェイクスピアの「ヘンリー六世」や「ウインザーの陽気な女房たち」に出て来るビール樽の化け物のように太った有名な人物〕のような格好をしている。その下端には二つの小樽がさしこんであって、それが足のすべての役目をするらしい。腕の代わりとしては、胴体の上の方の部分から二本のかなり長い瓶がぶら下っていて、その瓶の外側の首が手になっている。この怪物の持っている頭部はと言うと、蓋《ふた》の真ん中に穴のある大きな嗅煙草《かぎたばこ》入れに似ている、あのヘッセ(ドイツ南西部の国の名)の水筒なのだ。この水筒……そのてっぺんには、目深《まぶか》にかぶった騎士の帽子のように、漏斗《じょうご》をのっけている……は例の樽の胴の上についていて、その穴を僕の方へ向けている。そして、いやにかた苦しい老嬢の口みたいにつぼめたようなこの穴から、そいつは、自分では明らかに立派に人にわかる談話のつもりでいる、あのごろごろいうような、ぷつぷついうような音を出しているのだ。
「お前は」と彼は言った。「つぉこにいて、ここにいるわしか見えないなんて、きっとぷたみたいに酔っぱらっているにちかいないんた。つぉしてまた、しんぷんに書いてあることを信ちないなんてのは、お前は|かちょう《ヽヽヽヽ》みたいなぱかにちかいない。つぉれはほんとうなんた……たしかに……とのことぱもみんなたよ」
「君はどなたですか、え?」僕は、多少は当惑しながらも、大いに威厳を保って言った。「どうしてここへ入ってきたのですか? そして君の話しているのは、いったい何のことですか?」
「わしかとうしてここへ来たかってことあ」とその男が答えた。「お前の知ったことてはない。つぉれから、わしの話しているのは何かってことについてあ、わしはわしの適当とかんかえることを話しているのた。つぉれからまた、わしかたれかってことあ、つぉれこつぉ、お前にちぷんてわからちぇようと思って、わしのここへきたことなんたよ」
「君は酔っぱらいのごろつきだ」と僕は言った。「わたしはベルをならして、召使いに君を街へ蹴り出すように言いつけるぞ」
「へ、へ、へ!」とそいつめは言った。「ふ、ふ、ふ! お前はてきまいよ」
「できないって!」と僕はいった。「それあどういう意味だ?……何ができないって?」
「ペルを鳴らつことつぁ」と、小さな、気味のわるい口でにたにた笑おうとしながら、彼は答えた。
そこで僕は、自分の脅迫を実行に移すために、立ち上がろうと努めた。が、この悪魔めはただ非常に落ちついてテーブルの上に身をかがめ、一方の長い瓶の首で僕の額をぶんなぐって、僕をなかば立ち上がっていた肘掛《ひじかけ》椅子の中へたたき下ろした。僕はすっかりびっくりした。そしてしばらくの間は、どうしたらいいか、まったく途方に暮れていた。そのうちに、彼は例の話を続けた。
「お前は」と彼は言った。「つぉこにちっとつわってるのかいちぱんいいってことかわかったろう。つぉして今こつぉ、わしかたれたか、わかるたろうよ。わしを見なつぁい! つぁあ! |わしは奇態なものの天使《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》なんた」
「そしてまた実際、奇態ですよ」と僕はあえて返答してやった。「だが、わたしはいつも、天使というものは羽根を持っているものだと思っていましたがね」
「羽根たって!」彼は大いに激して叫んだ。「わしか羽根なんつぉてとうするんた? 怪《け》しからん! お前はわしを|ぴよっこ《ヽヽヽヽ》たと思っとるのか?」
「いいえ……いえいえ!」僕は非常にびっくりして答えた。「あなたはひよっこじゃありませんとも……たしかに」
「それじゃあ、ちっとつわって、おとなしくしていなつぁい。てないと、またけんこつて、こつんとやるつぉ。羽根を持ってるのはぴよっこた。つぉれから、羽根を持ってるのはフクロウた。つぉれからあ、羽根を持ってるのは小鬼た。つぉれからあ、羽根を持ってるのは悪魔のかしらた。天使は羽根なんつぉを持っていないんた。つぉして、わしは|奇態の天使《ヽヽヽヽヽ》たつぉ」
「で、現在、わたしについてのあなたのご用件というのは……そのう……」
「わしのようちたと!」とそいつは叫んだ。「紳士て天使てある者にそのようちをたつねるなんて、お前は何てつぉ、たちの悪い奴なんた!」
この言葉は、天使の口から出たものとしても、とうてい僕の耐え得るところではなかった。で、勇気を振い起こして、僕は手の届くところにあった塩壷をつかんで、それをこの闖入者の頭めがけて投げつけてやった。しかし、彼が身をかわしたのか、それとも僕の狙《ねら》いが不確かだったのか、僕のできたことといえば、ただ、マントルピースの時計の文字盤を蔽《おお》っているガラス板をぶっ壊したことだけだった。かの天使はといえば、彼は前のように僕の額をこっぴどく二つ三つ続けざまに叩きつけて、僕に対する攻撃の意を明らかにした。これは僕をただちに屈服させてしまった。そして、ちょっと恥かしくて白状しかねるが、痛かったからか、それとも口惜しかったからか、僕の目には二、三滴の涙が浮かんだのである。
「おやおや」と奇態の天使は、僕の苦痛を見て明らかによほど穏《おだや》かになって、言った。「おやおや、にんけんって奴はひとく酔っぱらってるか、てなけりゃあ情けないもんた。お前はつぉんなにしたたか飲んではいかんつぉ、……つぁけの中にみつをまちえなけれあいかん。つぁあ、立派な男のようにこれを飲みなつぁい。つぉしてもう怒るな……怒るな!」
そう言うと、奇態の天使は、僕の杯(それには三分の一ほどポートワインが入っていた)に、自分の一方の瓶の手から注ぎだした無色の液体をつぎ足した。僕は、その両方の瓶には首のところにレッテルがあり、そのレッテルには、|Kirschwasser《キルシュヴァッセル》〔Kirsche は「桜の実」で Wasser は「水」であるが、Kirschwasser は「桜実製ブランディー」のこと〕と書いてあるのを認めた。
天使のいかにも思いやりのある親切は、僕の心を少なからずなだめた。そして、彼が一再ならず僕のポートワインに割ってくれた水のおかげで、僕はようやく、彼のはなはだ奇妙な談話に耳を傾けるだけの落ち着きを回復した。僕は彼の語ったことを一つ残らずくわしく話そうとする訳にはゆかぬ。が、彼の言ったことから僕の察したところによれば、彼は人類の突発的故障《コントルタン》をつかさどる精霊で、その仕事といえば、懐疑論者を絶えず驚かせるあの|奇態な出来事《ヽヽヽヽヽヽ》を惹き起こすことだというのだ。
一、二度、僕は、彼の言い分に関しては自分はまったく懐疑的だということをあえて述べてみたところ、彼はまったく非常に腹を立てたので、とうとう僕は、全然何も言わないで彼の思うとおりにさせておくのが、もっとも賢明な政策だと考えるようになった。というわけで、彼はなおくどくどしく語り続け、一方、僕は目を閉じたまま、ただ椅子によりかかり、乾葡萄《ほしぶどう》をむしゃむしゃ食って、その軸《じく》を部屋じゅうにはじき飛ばしながら、面白がっていた。ところが、やがて、天使は突然この僕の振舞いを侮辱の意に取ったのだ。彼は恐ろしく怒り出して、自分の漏斗《じょうご》を目深にずっと下ろし、大きな呪いをかけ、僕にははっきりわからぬような脅迫を口にし、おしまいに、僕に低くお辞儀をして、ジル・ブラス〔十八世紀後半のフランスの小説家ル・サージュの小説〕の中の大僧正の言葉で僕に、「多くの幸福ともっと多くの思慮と」を祈りながら、出て行ってしまった。彼の立ち去ったことは僕を安堵《あんど》させた。さっきちびちびやった、あの|ほんの《ヽヽヽ》数杯のラフィットで、僕はうとうとと睡くなってきたので、いつも午餐の後に習慣にしているように、十五分か二十分くらい、うたた寝をしたいと思った。六時には僕は重大な約束があって、それはぜひ守らなければならんのだった。僕の家にかけてある保険の契約が前日に期限がきれていて、ある悶着《もんちゃく》が生じていたので、六時にその会社の重役会の連中と会って書き換えの期日をきめることになっているのだ。上を向いてマントルピースの上の時計をちらりと見ると(というのは、あんまり睡くて自分の懐中時計をとり出すことができなかったからだ)、有難いことには、まだ二十五分だけ余分にあることがわかった。五時半なのだ。保険会社までは五分で楽に歩いて行ける。そして僕のいつもの午睡はかつて二十五分を超えたことがない。だから僕はじゅうぶん安全だと思い、ただちに眠りに入った。
自分の眠りたいだけじゅうぶんに眠ってから、ふたたび時計を見ると、いつものように十五分か二十分ではなく、たった三分だけまどろんだことがわかったので、僕は、奇態な出来事というものはないとも言えぬということを、なかば信ずるような気になった。約束の時間までにはまだ二十七分あるのだ。僕はもう一度うたた寝をはじめ、ようやく二度目に眼が覚めると、まったく仰天したことには、|まだやはり《ヽヽヽヽヽ》六時までには二十七分ある。跳びあがって行って時計を調べると、そいつが止まっていることがわかった。僕の懐中時計は七時半を示していた。もちろん、二時間も寝てしまったので、約束にはも、とっくに間に合わぬのだ。「なあに、かまわんだろう」と僕は言った。「朝になったら会社へ行って言いわけすればいい。それはとにかく、この時計は一体どうしたんだろう?」
そいつをよく調べてみると、さっき奇態の天使の話している間、僕が部屋じゅうにはじき飛ばしていた乾葡萄の軸が一つ、割れたガラス板から飛びこんで、実に奇妙にも鍵穴の中に突き立って、端を外の方へつき出し、そうして分針の回転を止めているのだった。
「ああ、そうか!」と僕は言った。「わかったぞ。こいつあ一目瞭然《いちもくりょうぜん》たることだ。当然な出来事さ。こういうようなことなら時々起こる|だろうよ《ヽヽヽヽ》!」
僕はこの事柄をこれ以上考えないで、いつもの時間に寝床に就いた。床へ入ると、蝋燭《ろうそく》を枕もとの読書台の上に置き、「大帝の遍在《へんざい》」を何ページか読みもうとしながら、不幸にも明りをともしたまま二十秒に足りぬほどで眠りに落ちた。
僕の夢は、あの奇態の天使の幻覚のために恐ろしく乱された。彼がベッドの裾《すそ》のところに立ち、カーテンをひきのけ、ラム酒の大樽の例の洞声《どうごえ》の厭らしい声で、さっきの侮蔑に対してうんと手ひどい復讐をしてやるぞと僕をおどしつけたように思われた。彼は長い大演説を終えると、自分の漏斗の帽子を脱ぎ、その管を僕の咽喉へさしこみ、そうして、腕のかわりになっている首の長い瓶の片方から絶え間なしに滔々《とうとう》と注ぎだすキルシュヴァッセルで、僕の体が一杯になって溢れるようにした。僕の苦痛はついに堪えられなくなった。そして目が覚めると、ちょうどその時、一匹の鼠が台から火のともった蝋燭を取って走ってゆくのが見えたが、それをくわえたまま穴を通って逃げてゆくのを妨げるには、間に合わ|なかった《ヽヽヽヽ》。まもなく、息のつまるような強い臭いが僕の鼻孔を襲った。家に火がついているのを、僕は明らかに認めた。数分のうちに火焔が猛烈に起こり、信じられぬほどの短い間に建物全体は炎に包まれてしまった。部屋からの出口は、窓を除いてはみんな、遮《さえぎ》られていた。だが、群集はさっそく長い梯子《はしご》を持ってきて、かけてくれた。これを伝って僕は大急ぎで、まず助かったと思いながら降りていたが、その時、一匹の大きな豚が……そいつの丸々と太った腹や、それからまた全体の風采《ふうさい》や人相には、何となく僕にあの奇態の天使を思い起こさせるところがあったが……それまでぬかるみの中に安らかに眠っていたこの豚めが、突然自分の左の肩を掻《か》かなければならんと思い立ち、それにはこの梯子の脚のところより以上に都合のいい擦り柱〔家畜が体を擦りつけて掻くために立ててある木、あるいは石の柱〕はないと思ったのだ。たちまちにして僕は真っ逆さまに落ち、不幸にも腕を挫《くじ》いてしまった。
この出来事は、保険金のとれなかったことと、それよりもっと重大な髪の毛をなくしたこと、それは火のためにみんな焼きとられてしまったのだが、この二つとともに、僕に重大な感銘を与えたので、ついに、僕は女房を貰うことに決心をしたのであった。七番目の亭主を亡くして悲嘆にくれている金持ちの後家さんがいたが、彼女の傷ついた魂に、僕は自分の誓いの香油を捧げた。彼女は僕の懇願に対して、不承不承《ふしょうぶしょう》の承諾をあたえた。僕は感謝と崇敬との念にみちて彼女の足もとにひざまずいた。彼女は顔を赤らめ、自分の房々した髪の毛と、グランドジェイン〔理髪店の名と思われる〕が僕に一時的につけてくれた髪の毛とが、ぴったり触れるくらいに、うなだれた。どうしてなったのかわからないが、とにかくそいつがもつれてしまった。僕は仮髪《かつら》なしに、光り輝く頭を現わして立ち上がり、彼女は侮辱と憤怒とにみちて、他の髪の毛になかば埋もれて立ち上がった。かくて、この後家さんと結婚しようという僕の希望は、たしかに予想することのできぬ、しかし当然な事件の連続のもたらした出来事のために、終りをつげてしまったのである。
しかし、絶望せずに、僕はもっとおとなしい心の人を口説《くど》くことを企てた。今度もまた、僕の運命は、しばらくのあいだは順調にいったが、また些細《ささい》な出来事が邪魔をしたのだ。この市の花形《エリート》がたくさん群らがっている大通りで自分の約婚の女に逢ったので、僕は大急ぎで最敬礼のお辞儀で挨拶をしようとしていた時、何か小さな異物が僕の眼の隅っこに入って、しばらくの間僕をまったく盲目にした。僕が視力を回復することのできないうちに、僕の恋人は立ち去ってしまった、……僕が無作法にも知っていながらわざと挨拶をせずに通りすぎていったのだと考えて、ひどく腹を立てながら。この出来事の唐突なのに(しかし、これは日の下では誰にでも起こりそうなことだが)、あっけに取られて突っ立っているうちに、そしてまだ目が見えないでいたときに、僕に言葉をかけたのは奇態の天使で、彼は僕にはまるで思いがけないくらい慇懃《いんぎん》に、助力をしてやろうと言ってくれた。彼は非常に優しく、また手際《てぎわ》よく、僕の悪い方の目を調べて、粒が中に入っているのだと告げ、そして(どんな性質の「粒」だろうが)それを取り出し、僕を救ってくれた。
僕はもういよいよ死ぬべき時だと考えたので(何しろ運命がどうしても僕を迫害するようになっているのだから)、一番近くの川へ行った。そこで、着物を脱ぎ棄てて(何故なら、われわれが生まれたようにして死んではならぬという理由はないのだから)、僕は流れの中へ真っ逆さまに身を投げた。僕の最期の唯一の目撃者は、ブランディーのしみこんだ穀粒にそそのかされて、仲間から離れていた独りぽっちの鴉《からす》であった。僕が水へとびこむや否や、この鳥めは、僕の着物の最も必要欠くべからざる部分を持って飛び去ることを思いついたのだ。こういう次第だったから、僕は差し当り自殺の計画を延期することにして、両足をどうやらこうやら上着の袖の中へつっこむと、この場合の必要とする、かつまたその事情の許す限りの敏捷さをもって、あの罪人めを追跡し始めたのである。しかし僕の凶運はやはり僕につきまとっていた。鼻を大気中に上へむけて、僕の物を盗んでいった奴のことだけしか考えないで、全速力で走っているうちに、僕は突然、自分の足がもう陸地《テラ・フィルマ》についていないことに気がついた。事実はこうなのだ。僕は断崖から跳び落ち、すんでのことに粉々に打ち砕かれてしまうところだったが、ちょうど運よくも、通って行く軽気球から垂れさがっている長い誘導綱《ガイド・ロープ》の端をつかんだのだ。
僕が意識を回復して、自分の立っている、否、もっと正確に言えば、懸《かか》っている、恐ろしい苦痛を理解するや否や、この苦痛を頭上の飛行家に知らせるために、自分の肺臓の全力を働かした。だが、長いあいだ僕はいたずらに努力していただけであった。間抜けめが僕を認めることができなかったのか、それとも悪党めが僕を認めようとはしなかったのだ。とかくしているうちに、機は急速に高く飛び上がり、一方僕の力はそれ以上にも急速に弱ってきた。まもなく、僕がまさに自分を運命にまかせて、静かに海の中に落ちようとしていたとき、上の方から、オペラの歌をものうげに鼻声で唸っているような洞声《どうごえ》を聞いて、僕の元気は急によみがえった。仰いでみると、僕は奇態の天使を認めた。彼は両腕を組みながら、吊り篭の縁《ふち》にもたれ、パイプを口にくわえて、それを悠々とプカプカ吹かしながら、素晴らしく上機嫌らしく見えた。僕はしゃべることもできないほど疲れ切っていたので、ただ哀願するようなふうに彼を見つめた。
数分の間、彼は僕をまともに見ていたけれど、何も言わなかった。とうとう、注意ぶかく海泡石《かいほうせき》のパイプを口の右の隅から左へ移しながら、彼は口を利いてくれた。
「お前はたれてあるか?」と彼は尋ねた。「つぉして、一体つぉこて何をしとるのか?」
この図々しい、残酷な、気取った言葉に、僕はただ一語「たすけてくれ!」と叫んで答えることができたばかりであった。
「注《つ》いてくれ、って!」〔「助ける」という言葉にはまた「酌をする」「注ぐ」という意味がある。奇態の天使はその方にとったのである〕と悪党めが、オウム返しに言った。……「わしはこめんた。つぉれ、ぴんかあるよ、……ちぷんて勝手について飲んで、くたぱれ!」
そう言うと彼は、キルシュヴァッセルの重い瓶を落としたが、そいつはちょうど僕の頭のてっぺんに落ちて、脳髄《のうずい》が完全に叩き割られてしまったと僕に想像させたのだ。こういう考えに打たれたので、僕はまさにつかまっている手を放していさぎよく往生《おうじょう》を遂げようとしていた時、つかまっていろと命ずる天使の叫び声を耳にした。
「つかまってろ!」と彼は言った。「あわてるな! お前はもう一つ、ぴんかほしいか、つぉれとも、もう素面《しらふ》になって正気に返るか?」
そこで、僕は急いで頭を二度うち振った、……一度は、当分もう瓶はほしくないということを意味して否定的に……もう一度は、自分は前から素面|であった《ヽヽヽヽ》し、また碓実に正気に返って|いた《ヽヽ》ということを意味しようとして、肯定的に。こうして僕はいくらか天使のご機嫌を和らげた。
「つぉれては、お前はとうとう信つるか?」と彼は尋ねた。「奇態なことがあるかも知れんということを、信つるようになったか?」
僕は同意しますという意味でもう一度頭を振った。
「てはお前はわしを、奇態の天使を、信つるか?」
僕はもう一度うなずいた。
「つぉれては、奇態の天使につっかり服ちゅうつる証拠に、お前のみきの手をひたり手のツポンのポケットに入れなつぁい」
これは、はなはだ明瞭な理由によって、まったく不可能なことであると僕は思った。第一に、僕の左腕はいつか梯子から落っこちた時に挫《くじ》かれているので、右手でつかまっているのを放すなら、僕は全然両手とも放さなければならん。第二に、僕はあの鴉君に出くわすまでは、ズボンを穿《は》くわけにはゆかんのだ。だから僕は、大いに遺憾ながら、自分の頭を否定的に振らざるを得なかった。……それによって、天使に、あいにくちょうど唯今は、あなたの至極ごもっともな御いいつけ! に従うのには私は不自由を感じているのであります、ということを理解させようと思って。ところが、僕が頭を振るのを止めるか止めないに……
「つぉれなら、悪魔にくわれてしまえ!」と奇態の天使は怒鳴《どな》った。
この言葉を口にしながら、彼は鋭利なナイフで、僕のぶら下っている誘導綱をぷつりと切った。そして、そのとき僕たちはちょうど僕の家(それは僕の遍歴している間に、きれいに建て直してあった)の上へさしかかっていたので、僕は広い煙突の中を真っ逆さまにころげ落ち、食堂の炉のところへと着陸したのであった。
正気づくと(というのは墜落のために全く気絶していたのだから)、朝の四時頃であることがわかった。僕は軽気球から墜落した場所に大の字になって横たわっていた。僕の頭は、消えた火の灰の中にころがっていたし、僕の両足は、壊れているひっくり返った小さなテーブルの上に、また、新聞紙や、砕《くだ》けたガラス器や、こわれた瓶や、シーダム・キルシュヴァッセルの空っぽの、ジョッキなどとまざった、さまざまなテザートの破片の真ん中に、投げ出されているのであった。こうして奇態の天使は復讐したのだ。
◆アッシャー家の崩壊◆
エドガー・アラン・ポー/佐々木直次郎訳
二〇〇三年五月二十五日 Ver1