スカーレット・レター
ナサニエル・ホーソン作/刈田元司訳
目 次
税関
一 監獄の大戸
二 市場
三 認知
四 面会
五 針仕事をするヘスター
六 パール
七 知事の邸宅
八 妖精の子と牧師
九 医者
十 医者とその患者
十一 胸の内部
十二 牧師の徹夜
十三 ヘスターに対する別の見方
十四 ヘスターと医師
十五 ヘスターとパール
十六 森の小道
十七 牧師と彼の信者
十八 日光のはんらん
十九 小川のそばのこども
二十 途方にくれる牧師
二十一 ニュー・イングランドの祝祭日
二十二 行列
二十三 緋文字の発覚
二十四 結末
解説
年譜
訳者あとがき
[#改ページ]
税関
「緋文字」の序として
少しおかしな話だが……親しい友人たちに、炉辺で自分のことや自分の仕事のことをぎょうぎょうしく話したいという気持ちなどにはならないくせに……自分を語りたいという衝動《しょうどう》が、今わが生涯で二度めにわたしをとらえて、世間の人たちに話しかけようとしている。第一回めはもう三年か四年前で、わたしは読者に対して……まったく弁解の余地のないことで、寛大な読者もでしゃばりの作家も想像できないような理由のために……旧牧師館の深い静けさのなかでのわたしの生活のもようを描写してお目にかけた〔一八四二年七月八日、ソフィア・ピーボディと結婚してから、ホーソンはコンコードの旧牧師館を自分たちの住居とした。ここはかつてエマソンの家族が生活したところである。ホーソンはここで書いたものを集めて、一八四六年に『旧牧師館の苔』という題名で出版した〕。そして今度は……前の場合に、過分にも、ひとりふたりの聞き手を見いだしたうれしさから……わたしは世間の人のそでを引きとめて、ある税関におけるわたしの三年間の経験をながながとお話ししようとするのである。
有名な「この教区の書記P・P・」の実例がこんなに忠実に手本とされたことはなかった〔十八世紀後半のイギリスの詩人アレグザンダー・ポープを中心とする保守党の作家たちはバーネット主教を都合のよい目標にした。『この教区の書記P・P・の回想』において彼らは主教が彼の『現代史』において示した思いあがった漫談的な書き方を風刺した。ホーソンは自分自身の回想を書くのに、自己中心的なP・P・を皮肉に引き合いに出しているのである〕。しかし真実はどうもこうらしい。作家が自分の原稿を風にのせて送り出すとき、彼が目標とするのは、彼の本をおっぽりだしたり、手に取り上げようともしない多数の人たちではなくて、彼の学校友だちや一生の友人たちよりも彼をよく理解してくれる少数の人たちであるということである。なるほど作家の中にはそれ以上のことをするものがいて、全面的に共感する心情の持ち主に向かってのみ、ひたすらに話しかけるのがいちばん適当なような徹底した打ち明け方をする。まるで広い世界にでたらめに投げ出された印刷本が、作家自身の性格の分身を必ず見つけ出し、それと霊的に交わることによって自分の存在の環《わ》を完成することができるかのようである。
だが、非人称的に話し合うような場所においてさえ、いっさいを話してしまうのは礼儀正しいことではない。しかし、話し手が聞き手となにか本当の関係にはいらないかぎり、思想というものは凍りつき、ことばは麻痺《まひ》してしまうものであるから、親友でなくとも、せめて気持ちのやさしい、よく理解してくれる友人がひとり、われわれの話を聞いていてくれるのだと想像してもかまわないであろう。
その場合、生来の遠慮深さもこの友人のやさしい思いやりのために和らぎ、われわれは周囲のいろいろな事情や自分たち自身のことまでもべらべらしゃべることができて、しかも奥にひそむ「わたし」をそのベールのうしろに深くかくしておくことができるかもしれない。この程度まで、そしてこういう制限の中で、作家は、思うに、自叙伝《じじょでん》を語りながら、読者の権利も自分自身の権利をも侵害しないですむのであろう。
また、この税関のスケッチに、ある妥当性のあることもわかるであろう。文学に必ず認められるような妥当性で、これから先の小説の大部分がどのようにしてわたしのものとなったかを説明し、また、そこにふくまれる物語が正真正銘《しょうしんしょうめい》確実であるという証拠を提供するものである。実際、このこと……すなわちわたしの著書を組み立てている作品の中で最も冗長なものの編者、あるいはそれより少しましなものとしてのわたしの本当の位置に自分を置きたいという願い……この願いのみが、世間の人たちと個人的な関係をつけたいと思うわたしの真の理由なのである。このおもな目的を果たすために、二、三余分のことを書き加えることによって、今まで書かれたことのない生活の様子を、作者がたまたまこの中のひとりとなって動きまわっている幾人かの人物たちとともに、かすかながら説明することは、許されることだと思われた。
わたしの生まれ故郷のセイレムに、半世紀前、ダービー老王〔エライアス・ハスケット・ダービー。一七三九〜一七六九。商人で船主。彼のはじめた東洋貿易がセイレム港の繁栄をもたらしたといわれる〕の時代に繁栄をきわめてにぎわった埠頭《ふとう》があった……だが今は、朽ちかけた木造倉庫が立ちならんでいるだけで、商業取り引きのさかんな生活の徴候などほとんどあらわれていない。ただ例外的に、三本マストの帆船や二本マストの帆装船《はんそうせん》が、その陰気な波止場《はとば》のまん中あたりで獣皮《じゅうひ》の荷揚げをしていたり、あるいはもっと手近いところでノヴァ・スコチアのスクーナー船がたきぎの荷をほうり出しているのだが……この荒れ果てた埠頭の先端に、ここでは潮がしばしばしぶきをあげ、それに沿って立ちならんだ建物の土台やうしろのほうにぼうぼうと草がはえており、そこに眠ったような長い年月の跡が見られるのだが……ここに、このあまり景気のよくないけしきを前がわの窓からながめおろし、その先の港全体を見わたしながら、れんがづくりの堂々たる建物が立っている。
その屋根のいちばん高いところから、毎日午前ちゅうのきっかり三時間半、共和国の旗が微風にひるがえり、風のないときはだらりとたれさがっている。だが星条旗の十三条のしまが横にではなく縦についているので、ここにはアンクル・サム〔漫画などで、赤白青のえんび服にしまのズボンをはき、シルクハットをかぶった、あごひげのある長身の姿で描かれるが、アメリカ、またはアメリカ政府を示している〕の政府の軍事的ではなく民事的な役所があるのだということを示している。その正面の飾りとなっているのは、バルコニーをささえている六本の木の柱の玄関で、バルコニーの下を広い花崗岩《かこうがん》の石段が通りのほうへくだっていた。入り口の上には、巨大なアメリカ鷲《わし》の見本がはばたいていた。両の翼をひろげ、胸の前のところに楯《たて》を持ち、もしわたしの記憶に誤りがなければ、両方の足のつめに雷電《らいでん》と、さかとげのついた矢とをごっちゃにして一束つかんでいる。この不幸な鳥の特徴である激しやすい習性をもつ鷲は、するどいくちばしと目のために、また獰猛《どうもう》な態度によって、罪のない公衆に危害を加えようとおびやかしているようだ。ことに身の安全を気づかう市民全体に、自分の翼でおおっているこの建物の中にはいらないようにと警告を発しているように見える。
それにもかかわらず、その鳥がどんなに意地悪そうな顔をしていても、多くの人たちは、この瞬間にも、この連邦の鷲《わし》の翼の下に身の保護をもとめようとしているのである。たぶん、彼女の胸が羽根枕のやわらかさと暖かさをそなえているとでも想像したのであろう。だが、彼女はいちばんきげんのいいときでさえも、そんなに大きなやさしさを持ってはいない。おそかれ早かれ……というよりはわりあいに早く……自分のつめでひっかくか、くちばしで一突きするか、あるいはさかとげのついた矢を食いこませて傷をおわせるかして、ひな鳥をほうり出しかねないのである。
今のべた建物……ここではっきりこの港の税関と呼んでもさしつかえないのだが……この建物のまわりの舗道《ほどう》は、そのすき間に草がはえていて、この道が最近はげしい人通りのために踏みならされていないことを示していた。だが、一年のうちのある月には、人の往来が、午前ちゅう今までにないような活気をもって行なわれることがある。そういうときには、年輩の人たちは、この前の対英戦争〔一八一二〜一五年にあった第二次対英戦争〕以前の時代、セイレムが独立した港であった時代、今のようにこの港の商人や船主たちからさえけいべつされていなかったころを思い出したといってもよかった。今のセイレムの商人たちときたら、波止場がくずれ、滅びていくのにまかせながら、思わく仕事でニューヨークやボストンの商業の大波をさらにうねらせている始末である。
このような朝、三、四隻の船がたまたま同時に……たいていはアフリカや南米から入港するようなとき、あるいはそういう方面へ出港しようとしているときは、花崗岩の石段を元気よく上がったりおりたりするせわしそうな足音がたえない。ここでは、港にはいったばかりで、さびたブリキの箱に船の書類を入れたのを小脇にかかえた海焼けのした船長に、彼が細君に迎えられる前に、会えるかもしれない。ここにはまた船主もやってくる。今完了した航海の計画による商品がすぐさま黄金に換《か》わるか、あるいはだれひとり取りのぞいてくれそうもない不都合な船荷の山の下に彼をうずめてしまったかによって、彼は上きげんになっているか、しかつめらしくしているか、あるいはいんぎんか、ぶあいそうな様子をしている。ここにはまた同じように……しわだらけのひたいで、白髪まじりのあごひげをした、悩みつかれた商人の幼芽ともいうべき元気な若い店員もいる。彼はおおかみの子が血の味を知るように、取り引きの味を知って、水車場の池におもちゃの舟を走らせていたほうが似つかわしい年ごろなのに、すでに主人の船で投機的な品を送ったりしている。
この場に見かける別の姿は、市民証明書をもらおうとする外国行きの船員か、あるいは病院への許可証を求めている、最近入港したばかりの青い顔をした弱々しい船員である。英国の属領〔英領カナダ〕からたきぎを運んでくる赤さびた小スクーナー船の船長たちをも忘れてはいけない。またヤンキー的な機敏《きびん》さは持ちあわせてはいないが、われわれの衰微《すいび》しつつある貿易に少なからざる重々しさを寄与《きよ》してくれる粗暴《そぼう》らしい水夫の一組も忘れてはならない。
こういう連中を、ときどき見かけるように、いっしょに集め、他の雑多な連中も加えて変化を与えると、しばらくはそのために税関は活気のある場所となった。しかし、もっとしばしば見かける場面は、石段をのぼると……夏ならば入り口に、冬や荒れもようの天候のときはそれぞれ適当に、そのうしろ足で壁へもたせかけた古風ないすに腰かけている、一列の威厳《いげん》のある老人たちの姿であった。しばしば彼らは眠っていた。だがときどきは話し声ともいびきともつかぬ声で話し合っていた。その力のない調子は、救貧院にはいっている人たちや、慈善、独占労働、自分の独立した努力以外の仕事に生活を依存しているような人たち特有の声であった。この老紳士たちは……マタイのように収税所にすわってはいるが、彼のように使徒の仕事のために召し出されることなどありそうもないが……税関の役人であった。
さらに、玄関をはいると左側にひとつの部屋、あるいは事務所がある。十五フィート平方くらいで高い天井である。アーチ型の窓のふたつは前にのべた、さびれた波止場を見おろしており、三番めの窓は細い小路を横切ってダービー通りの一部をながめている。この三つの窓は三つとも食料雑貨商、滑車製作者、既製服販売、船具商の店を見ることができた。そしてそれらの店の入り口のまわりには、海港の波止場近くに出没する老水夫や風太郎《ふうたろう》みたいなのが、笑ったり世間話をしたりしているのがたいてい見られる。部屋自身はクモの巣がかかり、古ペンキでうすぎたなくなっている。床には、ほかではもう行なわれなくなったようなやり方で、灰色の砂がまいてある。
この場所がいったいにだらしないところから判断して、ここは聖なるところで、魔法や、ほうきとぞうきんをもった女どもがめったに近づかないのだという結論がくだせそうである。家具の面では、大きなえんとつのついたストーブがある。古い松材の机と三本足の腰掛け、おそろしくがたがたになって今にもこわれそうな木の座部のついた二、三脚のいすがある。それから……蔵書《ぞうしょ》を忘れてはいけない……いくつかの棚には二十冊か四十冊の法令集と、かさばった税法要約がならんでいる。ブリキのパイプが天井をぬけて上にのびている。建物の他の部分と通話をする仕掛けである。
そしてここに、六か月ほど前……すみからすみへと歩きまわり、あるい長い足の腰掛けにだらしくなくかけて机にひじをつき、朝刊の新聞記事にあちこち目をさまよわせていたのは、読者諸賢よ、だれあろう、日光がやなぎの枝を通して気持ちよくきらめいた旧牧師館西側の楽しい小さい書斎に諸君を迎えいれたと同じ人物であった。だが今は、そこへ彼を捜しに行っても、民主党の輸入品検査官をたずねだすことはできないであろう。改革の枝ほうきが彼をその役から掃《は》き出してしまい、代わりのもっとりっぱな人物が彼の威厳《いげん》を身につけ、俸給をふところにしているからである。
このセイレムの古い町は……わたしの故郷で、わたしは少年時代もおとなになってからもずっと離れて住んではいたが……今も昔もわたしの愛情をとらえていた。その愛情の力は、ここに実際に住んでいたあいだはわたしには少しもわからなかった。まったくその町の物理的な外観に関するかぎりは、その平たい変化のない表面は主として木造家屋《もくぞうかおく》におおわれていても、建築の美を誇るものはほとんど、または、まったくなく……絵みたいでも風変わりでもなく、ただすなおであるという不規則さ……長いのろくさい通りが半島の全長をうんざりしたように走っていて、一方の端にギャローズ山とニュー・ギニア、もう一方の端には救貧院が見えている……これがわたしの生まれ故郷の姿なのだから、駒をばらばらにした将棋盤《しょうぎばん》をなつかしく思うような、たわいもない愛着であろう。だけど、他の土地にいたほうがたしかにいちばん幸福ではあるけれども、わたしの胸の中には昔のセイレムに対する感傷がある。ほかに適当なことばがないので、愛情と呼んで満足しなければならない感情である。この気持ちは、たぶんわたしの家族がこの土地に深く、長い年月にわたって、根をおろしてきたためであろう。
わたしの名を持った最初の移民の、もとブリテン人〔ウィリアム・ホーソンのこと。一六三〇年に新大陸に移住し、一六三六年セイレムに移り、商人ではあるが町の有力者となった〕が、その後都市にはなったが未開の森林にかこまれた開拓地に姿をあらわしたのは、もう二世紀と四分の一も前のことである。そしてここで彼の子孫たちは生まれては死に、その死体をここの土といっしょにしたのだ。だからここの土の少なくない部分は、わたしがしばしのあいだ街路を歩く際の肉体と必然的に同類ということになるのである。したがって、わたしが今、口にしている愛着なるものも、土が土を呼ぶ単なる感覚的な共鳴にすぎない。わたしの同胞で、それがなんであるか、わかる人はほとんどいない。また、血統のためには、ひんぱんな移植のほうがよいのだから、それのわかるのがのぞましいと考える必要もないのである。
しかしこの感情にはさらに精神的な性質がある。あの最初の先祖のおもかげは、家族に伝わる伝説のために、おぼろな陰うつな威厳を与えられて、わたしの記憶にある遠い幼年時代の想像につよく訴えた。それは今もなおわたしの心につきまとって離れず、現在のこの町の状態とは関係のない過去に対する一種の望郷の念を呼び起こす。わたしはこの謹厳《きんげん》な、あごひげのある、黒てんの外套を着た、とんがり帽子の先祖のために、いっそうここに居住する権利を持っていると思う。彼はむかし聖書と剣とを持ってこの国に来て、新しい道を堂々と歩き、戦争と平和の人として著名になった。その先祖のために、まだ無名で顔も知られていないわたし自身のためよりも、強い権利があるのだ。彼は軍人、立法者、裁判官であった。教会の支配者であり、善悪とも清教徒の特徴はみなそなえていた。彼はまたきびしい迫害者であった。たとえば、クェーカー教徒〔ジョージ・フォックスが十七世紀後半に創始したキリスト教の一派フレンド会の一員で、絶対平和主義者〕たちが彼らの歴史の中で彼を記憶し、同じ教派の一婦人に対する彼の残虐な行為の事件を今なお説明するのが証明となるように、彼の善行の数はたとえ多くとも、そのどんな記録よりも、残虐行為の事件のほうが長く残るのではないだろうか。彼の息子〔ウィリアムの息子のジョン・ホーソン。一六九二年のセイレムの魔女裁判のときの裁判官のひとりであった〕もまた迫害の精神をうけつぎ、魔女たちの殉難《じゅんなん》に名をとどろかせ、彼女たちの血が彼に汚点を残したといってもさしつかえないほどである。その汚点は、まったく、深くしみこんでしまったために、チャーター通りの墓地にある彼の昔の枯れた骨は、くずれて全部土に帰ってしまっていなければ、今なおその汚点をとどめているにちがいない!
わたしのこの先祖たちが後悔して、自分たちの残虐行為のために神にゆるしを求める気持ちになったかどうか、あるいは彼らが別の姿となってその行為の重い結果に呻吟《しんぎん》しているかどうか、わたしにはわからない。いずれにしても、この文章を書いているわたしは、彼らの代表者としてここに彼らのため恥を背負い、彼らの招いたのろいが……わたしの聞いたように、また長いあいだの一族のわびしいみじめな状態から考えても存在していると思われるのろいが、今後取りのぞかれるようにと祈るばかりである。
しかしながら、疑いもなく、このきびしい、ひたいを曇《くも》らせた清教徒たちのどちらも、長い年月の経過ののちに、家族の老木の幹がおごそかな苔《こけ》をいっぱいにつけて、その天辺の枝としてわたしのようななまけ者を持つようになったことを、自分の罪のじゅうぶんな報いとして考えたであろう。わたしが今までいだいてきたどんな目的も、彼らは賞賛すべきものとして認めてくれないだろう。わたしのどんな成功も……わたしの生涯が、家庭の範囲を越えて成功によって照りかがやくことがあったとしても……彼らは、はっきり不名誉とは見なさぬとしても、無価値以外のものとは考えてくれないであろう。
「あいつはなんだろう?」とわたしの先祖のひとりの灰色の影が、別の影に向かってつぶやく。「小説本の作家だって! それが人生にどんな役割があるのだろうか……神の栄光をたたえることができるのか、あるいは生きているあいだに人類に仕えることができるとでもいうのか? いや、あんな堕落したやつはバイオリンひきにでもなったがいいんだ!」
このような挨拶が、時の深淵をよこぎって、曾祖父《そうそふ》たちとわたし自身のあいだでかわされた。だが、彼らがどんなにわたしをけいべつしようとも、彼らの本性のつよい特徴はわたしの本性とからみ合っているのだ。
この町の最も早いころの幼児期と小児期に、このふたりの熱心な精力的な人物によって深く根をおろしたわたしの一族は、それ以来この土地に生存してきた。つねに世間の信用を得ていたし、わたしの知っているかぎりでは、ひとりとして尊敬に値しない人物によって家の名を汚したものもなかった。だが、他方、最初の二代ののちは、なにか記憶に残る活動をしたとか、大衆の注意をひくような働きをしたとかいうものはほとんど、いやひとりもなかった。しだいに彼らはほとんど視界の外に沈んでしまった。ちょうど街路のあちらこちらの古い家が、新しい土の積み上げられたために、軒《のき》まで半分うずまってしまうようなものである。父の代から息子の代へと百年以上も彼らは海に出た。どの世代でも、白髪頭の船長が後甲板から家庭へしりぞくと、十四歳の少年がマストの前の世襲の部署《ぶしょ》について、父や祖父にたけり狂った海のしぶきや疾風《しっぷう》と向かい合った。その男の子もまた、やがて、前甲板からケビンに移り、嵐の壮年期をすごすと、彼の世界放浪からもどって年老い、この世を去り、その死体を自分を生んでくれた大地といっしょにしてしまうのである。
一家族がひとつの地点を出生と埋葬《まいそう》の場所として、それとこういう関係を長く持ちつづけると、人間と場所とのあいだに、まわりの風景や精神的環境の魅力とはまったく関係のない親近感が生まれてくる。それは愛ではなくて本能である。新しい住民……自身が外国から来たものも、父や祖父が外国から来たものも……セイレム人と呼ばれる資格はない。彼には、すでに第三の世紀がその上にはいよってきている昔の開拓民が、代々の子孫たちのうずめられている地点にしがみついている牡蛎《かき》のような粘着性《ねんちゃくせい》など、まったく見当がつかないのだ。この場所が彼にとって楽しくないといっても問題ではない。彼が古い木造家屋や、泥とほこり、平垣《へいたん》な敷地や感情、はだ寒い東風、また冷えきった社交界の空気にあきているといっても問題ではない。そのようなことがらも、そのほかどんな短所を見たり想像したりしても、それらも問題はない。魔力が残っている。しかもこの生まれ故郷が地上の楽園ででもあるかのように力づよく残っているのだ。わたしの場合はそうであった。わたしはセイレムを自分の家とするのはほとんど運命であると感じた。だからこの土地で見慣れてきた目鼻だちや気質は……一族のひとりの代表者が墓にはいると、つぎの代表者がいわば本町通りの巡回をするのであるから……今なお、わたしのささやかな日にこの昔ながらの町で認めることができるかもしれない。それにもかかわらず、こういう感情それ自身は、今は不健全になってきたこの関係もついに絶つべきであるという証拠である。人間の性格はいつまでも活躍するものではない。ちょうどじゃがいもが同じくたびれた土地に何代もあまりに長いあいだ植えられ、また植えかえられたりするとよく育たないようなものである。わたしのこどもたちは他の土地で生まれた。彼らの運命がわたしの支配下にあるかぎり、慣れない土地に根をおろさせることにしよう。
旧牧師館を出てから、どこか他の土地へ行けば行けたものを、あるいはそのほうがよかったかもしれないのに、アンクル・サム〔アメリカ政府〕のれんがづくりの建物に就職するようになったのは、主としてわたしの生まれ故郷に対するこの異様な、無気力な、楽しくない愛着のためであった。運命がわたしをつかんだのだ。わたしが生まれ故郷を出て……まるで永久に出てしまうような気持ちで……だが悪い半ペニー銅貨のようになんの利益もなしにもどってきたのは、これが最初でもなければ、二度めでもなかった。あたかもセイレムがわたしにとっては必然的な宇宙の中心ででもあるかのようであった。
そこで、ある晴れた日の朝、わたしは懐中に大統領の辞令をもって花崗岩の階段をのぼってゆき、税関の執行部長としてのわたしの重い責任を助けてくれるはずの一団の紳士たちに紹介された。
わたしがひじょうに疑問としているのは……というよりは、まったく疑問としていないといったほうがよいのかもしれないが……文官武官のいずれにもせよ、合衆国の官吏で、わたしのようにその指揮下に練達《じゅくたつ》の長老たちを持ったものがこれまであったかどうかということである。大先輩の居場所は、彼らを見たとき、すぐにわかった。この時代まで二十年以上も徴税官《ちょうぜいかん》の独立した地位のために、セイレム税関は、任期を一般にはかないものにする政治的盛衰のうずまきの外に置くことができたのであった。軍人……ニュー・イングランドの最も著名な軍人……であるその徴税官がかくかくたる武勲の台座の上にしっかり立っていた。そして彼自身も歴代政府の賢明な寛大の中に安全に職をつづけ、多くの危険と心痛のときも彼は下僚たちの安全を守ることができたのであった。ミラー将軍〔一八一二年の戦争の英雄、アーカンソー准州の初代知事、一八二五から一八四九年までセイレム税関の所長となった〕は徹底的に保守的であった。そのやさしい性格に対して習慣が少なからぬ影響を与える人で、見慣れたなつかしい顔に対しては深く心をよせ、変革が疑問の余地のない進歩をもたらすような場合にも、容易なことでは変化に心を動かすことがなかった。
こうして、わたしが自分の部署についたとき、老人以外はほとんど見あたらなかった。彼らは大部分年とった船長たちであった。七つの海でもまれ、人生のはげしい嵐に頑強《がんきょう》にたち向かったあげく、この静かな避難所にただよいついたのである。大統領選挙という周期的な恐怖以外には、心をかきみだされるものはほとんどなく、彼らはひとりのこらず第二の人生を得ていたのである。同輩よりも老齢や疾病《しっぺい》に対する弱味が少ないというわけでは決してないが、彼らが死もよせつけないなにかの護符《ごふ》を持っていることは明らかであった。彼らのうちの二、三人は、確かに、痛風やリューマチをわずらっているために、あるいはことによると寝たきりの状態でいるために、年間の大部分を税関に出勤しようなどとは、夢にも思っていなかった。だが冬眠の冬が過ぎると、五月か六月の暖かい日光の中へそろそろとはい出してきて、彼らが義務と称するものを行ない、暇なときや都合のよいときにまたベッドにつくのであった。
私はひとりならず共和国のこういう敬愛する公僕たちの息の根をとめた覚えがあるといわねばならない。彼らはわたしの陳情によって、ほねのおれる仕事から休息するこを許され、その後まもなく……彼らの唯一《ゆいいつ》の人生の原理が祖国への奉仕の熱情であったかのように、わたしもそれにまちがいなかったと信じているが……もっとよい世界へ引退してしまった。わたしにとって心からのなぐさめと思われるのは、わたしが干渉したために、税関の役人という役人が当然のごとくおちいると思われる悪徳や腐敗行為を悔いあらためるじゅうぶんな場所が彼らに与えられたということである。税関の玄関も裏口も天国への道には通じていないのである。
わたしの部下の役人たちの大部分は、ホイッグ党員〔十九世紀の中ごろ、民主党に対抗した国家主義的な保守党〕であった。この敬愛すべき同僚たちにとって、新任検査官が政治家でなかったのはさいわいであった。彼は主義としては忠実な民主党員であったが、政治的な論功行賞によってこの職を得たのでも、また勤めたのでもなかった。もしもこれが反対で……活動的な政治家がこの有力な職につけられ、ホイッグ党員の徴税官に抵抗するという仕事を与えられでもした場合、その徴税官本人は、もうからだが弱っていてみずから勤務につくことができないので、対抗も容易であったが……その老人たちの集団のうちのひとりとして、この皆殺しの天使が税関の石段をのぼってから一か月とたたぬうちに、役人生活の空気を吸うことはなくなったであろう。こういう問題の場合の慣例によれば、その白い頭をひとつのこらずギロチンの斧《おの》の下に入れさせるのは、政治家の義務以外のものではないだろう。老人たちがわたしの手でそういう無礼な行動のとられるのを恐れていたのは、はっきりと見られた。
わたしの出現でそういう恐怖の起こってきたのをながめるのは、わたしの心を苦しめると同時に、おもしろがらせもした。半世紀の風雨に打たれて深いしわのできたほおが、わたしのような無害な人間を一瞥《いちべつ》しただけで蒼白《そうはく》になるのが見え、だれかがわたしに話しかけるとき、長い昔には伝声器を通してしわがれ声でどなりちらし、北風の神ボレアスをも恐怖で沈黙させたほどの声が、今はふるえているのがわかった。
この優秀な老人たちは、現実の規則によれば……また彼らのうちのあるものについては、事務能力の不足から考えてみて……自分たちよりも年も若く、政治も正統的な、われらが共通のサムおじさんに奉仕するのにはるかに適した青年たちに席をゆずるべきであることを知っていた。わたしもまたそれを知っていた。だがその知識にもとづいて行動しようという気持ちがどうしても心に浮かんでこなかった。したがって大いにわたしの恥さらしになることであり、それも当然だが、しかもまたわたしの役職の良心にとってかなり不利なことであったが、彼らはわたしの在職中、つづけて波止場をのろのろ歩きまわり、税関の石段をゆっくりのぼりおりしていた。彼らはまたいつもの片すみで、いすをうしろの壁にもたせかけて居眠りしながら大半の時間を過ごした。しかし午前中、一度か二度は目をさまして、彼らのあいだでは合いことばや合い図になっているような、今は昔の海上の話やかびくさいしゃれなどを、もう何千回めかにくりかえして相手をうんざりさせるのだった。
やがて、新任の検査官はあまり害意がなさそうだという発見がなされたと思う。そこで、はればれとした心で、しかもわれわれは愛する国のためでなくとも、少なくともわれわれ自身のためには有用な役人であるという楽しい意識をもって、この善良な老紳士たちはさまざま事務をとり行なった。したり顔に、めがねごしに彼らは船艙《せんそう》をのぞきこんだ。小さいことがらに大さわぎするのはりっぱだったし、ときどき大きなことがらを指のあいだからこぼれさせる愚鈍《ぐどん》さはみごとというほかはなかった! こういう災難の起こったときはいつでも……荷車一台ほどの貴重な商品が密輸で陸揚げされた、しかもおそらく真昼間、彼らの疑いを知らぬ鼻先で行なわれたときなど……彼らがその密輸船の通路という通路にすぐさま錠をおろし、二重錠をおろし、テープと封蝋《ふうろう》でかためてしまう用心深さと手まわしのよさにまさるものはなかった。災難が起こってからの彼らの殊勝な警戒ぶりを見ると、それまでの怠慢を非難するどころか賞賛が必要ではないかと思われたし、もうどうにも手のほどこしようのなくなった瞬間にたちまち示す熱意のほどは感謝して認めるべきではないかと思われた。
人びとが普通以上に不愉快でないかぎり、彼らに親切をつくすのがわたしの愚かな習慣である。わたしの友人の性格に、もし長所があれば、その長所がだいたいわたしの関心の最上位にくるもので、わたしがその人を認める際の象徴となる。これらの税関の老役人たちは美点を持っていた彼らとの関係でのわたしの立場が父親的であり保護者的で、友好的な感情を育てるには好都合であったので、わたしはやがて彼らが好きになっていった。
夏の日の午前中……人類の他の連中をほとんど液体化してしまうような燃えるような暑さが、彼らの半ば冬眠しているようなからだの組織に対して快適な暖かさを伝えるにすぎないようなときに……彼らが裏口で例のごとく一列になって壁にもたれながらおしゃべりをしているのを聞くのは愉快であった。そのときは過去の世代の凍結《とうけつ》された警句《けいく》が溶けて、彼らの口から笑いとともにあわだちながら出てくるのだった。外面的には、老人たちの陽気なのはこどもたちのはしゃぎと大いに共通点がある。深いユーモアの感覚と同様、知能もそのこととはほとんど関係がない。それは表面だけにさわって、緑の枝にも灰色の朽ちていく幹にも、明るい陽気な様相を与える微光である。しかし、こどもたちの場合、それはほんとうの日光であり、老人の場合は、朽ちていく木の燐光のかがやきにいっそうよく似ている。
読者に理解していただきたいのだが、わが優秀な老友人たちがみな耄碌《もうろく》しているようにいうのは悲しい不公平であろう。第一に、わたしの助手たちは必ずしも老人ではなかった。中には力のある血気ざかりの人たちもいた。いちじるしい能力と精力の持ち主で、悪い星のために投げこまれたこの不活発な従属的な生活様式にもまったく屈しなかった。さらにそのうえ、老年の白髪《しらが》がときには修理のゆきとどいた知能のアパートの草屋根であることもあった。だが、老練な部下の一団の大多数は、さまざまな人生経験から、保存に値するようなものはなにひとつ集めなかった退屈《たいくつ》な老人組だときめつけても、べつに悪くはないだろう。彼らは、いくたびか刈り入れの機会を楽しんだ実際的知識の黄金の穀粒をみな投げ捨ててしまって、その思い出だけをもみがらとともにたいせつにしまいこんでいるかのように思われた。彼らが四十年前、五十年前の難破や、若い目で目撃した世界の驚異よりも、もっとおもしろそうに熱心に話したのは、けさの朝食、きのうの、きょうの、あすの夕食のことであった。
この税関の父……この小さな役人の一群ばかりでなく、思いきっていえば、合衆国全体の尊敬すべき乗船税関監吏団の家長……は常任監督官であった。彼は一流の、というよりは高貴の生まれの、関税制度の嫡出児《ちゃくしゅつじ》と呼んでもさしつかえなかった。というのは、彼の父親は独立戦争時の大佐で、以前この港の徴税官であったが、生存者のほとんど記憶にないような初期の時代のある時期に、彼のためにある役目をつくり、彼をそれに任命したからである。
この監督官は、わたしがはじめて知ったとき、八十歳かそこいらで、一生捜しても発見できそうもないような常緑灌木《じょうりょくかんぼく》の最もめずらしい見本のような人物であった。血色のよいほお、がっしりしたからだつき、光るボタンの紺《こん》の上衣をいきに着こんで、元気よく活発に歩く足どり、その達者なかくしゃくたる様子は、まったく……なるほど若いとはいえないが……老齢も病弱も関係のないような、母なる大地がいわば新しいくふうをして人間の形をつくったかのように思えた。税関じゅうにたえずひびきわたる彼の声と笑いは、老人特有のふるえ声やかん高い笑いではぜんぜんなかった。彼の両の肺から、ちょうど雄鶏の鳴き声のように、あるいはクラリオンの吹き声のように、堂々と気どって出てくるのだった。一匹の動物としてながめると……他のながめようはほとんどなかったのだが……その身体組織の健康と健全さからみて、またそんな老齢にもかかわらず、彼が目標としたり考えたりした快楽は全部、あるいはほとんど全部楽しむことのできる能力からみて、彼はじつに満足すべき生物であった。定期の収入があり、転任の不安もほとんどめったにないために、税関の生活がなんの心配もない安定したものであったということは、時間が彼のうえを軽やかに過ぎてゆくのに役だった。
しかし、本来のもっと有力な原因は、彼の動物的性格のまれな完全さ、節度のある知能の調和、また道徳的精神的要素のわずかばかりの混合にあった。この最後の性質は、まったく、かろうじてこの老紳士を四つんばいに歩かせない程度のものであった。彼は思考の力も感情の深さも、わずらわしい感受性も持ち合わせていなかった。つまり、二、三の平凡な本能があるだけで、これが彼の肉体的幸福から必然的に生ずる陽気な気質に助けられて、世間に恥をかかずに認められるように、心情のかわりをしたのである。彼は三人の妻の夫であったが、三人ともとうの昔に死んでいた。二十人のこどもの父であったが、こどもたちの大部分は、幼年時代か壮年時代にみな土に帰ってしまった。これではどんなに明るい性質をも陰うつな暗い色合いで染めあげてしまうほどの悲しみがあったと想像されるだろう。だが、われらが老監督官はそうではなかった! みじかいためいきをひとつついただけで、この暗い思い出を一掃するのにじゅうぶんであった。つぎの瞬間には、ズボンをはかない幼児のように平気でふざけた。十九歳なのにもう彼より老成して謹厳《きんげん》に見える、徴税官の下級事務官よりもずっと平気であった。
わたしはこの家長的人物を、わたしの注意にのぼった他のどんな人間よりも、思うに、いきいきとした好奇心をもって観察し研究するのがつねであった。彼はまったくまれな現象であった。ひとつの見地からはじつに完全でいながら、他のあらゆる見地からはじつに浅薄《せんぱく》な、じつに当てにならない、じつに理解しがたい、絶対につまらない人物であった。わたしの結論は、彼に魂も心も知性もなく、あるのは、すでにいったように、本能だけだということである。だが、彼の性格のうちのわずかばかりの素材が巧みに結合されているので、わたしの側から、彼の中に見いだすものにまったく満足しているという以外には、欠陥を認めて胸の痛くなるようなことはなかったのである。こんなに地上的で感覚的に見えただけに、彼が今後どのように生存してゆくかということも考えるのはむずかしいであろうし、また事実むずかしかった。だがこの地上における彼の存在は、彼がさいごの息をひきとるとともに終わるものであると認めれば、不親切な与えられかたをしているものでは決してなかった。野の獣よりも高い道徳的責任がなくて、獣よりもひろい享楽の領域を持ち、老齢のわびしさと陰うつさから免れるという幸運を持っていたからである。
彼が四本足の同胞よりもはるかにまさっていた一点は、ごちそうを思い出すという能力で、そのごちそうを食べることが彼の生涯の幸福の小さくない部分となっていた。彼の食道楽はひじょうに愉快な特性で、彼が焼き肉の話をするのを聞いていると、つけ物か牡蛎《かき》のように食欲がそそられた。彼にはそれ以上の高い属性はなかったし、自分の全精力とくふう力をささげて胃袋の楽しみと利益に役だたせることによって、精神的な資性を犠牲にしたり損したりするようなことはなかったから、彼がさかなや鳥肉や肉屋の肉について、またそれらを食卓に用意するための最ものぞましい料理法についてくわしく説明するのを聞くのはいつも楽しかったし、またわたしを満足させた。彼のごちそうの思い出は、その実際の宴会の日づけがどんなに古いものであっても、豚や七面鳥の香気をすぐ鼻孔の下に持ってくるように思われた。彼の口蓋《こうがい》にはそこから六十年も七十年も消えていかない芳香があって、彼がけさの朝食にがつがつ食べた羊肉片の香気のように、まだなまなましいことは明らかであった。
わたしは彼が晩餐《ばんさん》のときに舌鼓《したつづみ》をうつのを聞いたことがある。そのおりの客人たちは、彼自身をのぞいて、もうとうの昔から虫の餌食《えじき》になっている。過去の食事の亡霊どもがたえず彼の前に、怒りや復讐のためにではなく、まるで昔よく味わってくれたことに感謝するかのごとくにあらわれて、影のようにぼんやりしていると同時に感覚的な喜びの無限の連続を倍加しようとしているのをながめるのは、すばらしいことであった。初代アダムズ〔第二代大統領であったジョン・アダムズのこと。一七三五〜一八二六〕の時代にたぶん彼の食卓をかざったであろう牛の腰肉、子牛の臀《しり》肉、豚の肉つき肋《あばら》骨、特別の若鶏、特別上等の七面鳥など、思い出されるであろう。
だがこれに反して、わが民族のその後の経験という経験、彼の個人の生涯をかがやかせたり暗くしたりした事件という事件はみな、すぎゆく微風のようにほとんど永久的な影響ものこさずに彼のうえを通過していった。わたしの判断しうるかぎりでは、この老人の生涯の主要な悲劇的事件は、二十年か四十年前に生きていて死んだある鵞鳥《がちょう》についての彼の不幸なできごとであった。じつに有望なかっこうの鵞鳥であったが、さていよいよ食卓にのぼせてみると、なんともはや堅くて、肉切りナイフではその胴体に傷あとさえつけることができず、ようやく斧《おの》とのこぎりで切りわけることができたのであった。
だが、このスケッチもやめるべきときが来たようだ。しかしもっとながながと語られたらうれしいと思う。というのはわたしの今までに知り合ったすべての人の中で、この人物がいちばん税関吏たるにふさわしかったからである。たいていの人は、ここにそのヒントを与える余白もないようないろいろな原因のために、この特殊な生活様式から道徳的損害を受ける。この老監督官はそういうことの不可能な人であった。永久につづけてその職にあったとしても、彼は相変わらず元気で、まったく同じ食欲をもって晩餐の席についたであろう。
もうひとつ肖像がある。これなくしてはわたしの税関肖像画の画廊《がろう》は、おかしな不完全なものとなるであろう。だがわたしの観察の機会は比較的少なかったので、ごく簡単な輪郭《りんかく》でしかスケッチができない。それはわれらが勇敢なる老将軍の徴税官の肖像である。
将軍はかくかくたる武功をたててのち、未開の西部の領土を統治し、それから二十年前にここへ来て、その多彩な名誉ある生涯の晩年を送ることになった。この勇敢なる軍人はすでに七十の年を数えようとしていた、あるいはもう数えていた。そして彼の地上行進ののこりを、士気を鼓舞《こぶ》する彼自身の回想の軍楽でさえも、軽微にするには役だたないほどの病弱の重荷を負って、行なおうとしていた。かつて突撃の先頭に立ったその足は今は中風にかかっていた。小使いに助けられ、鉄の手すりに片手をどたりとかけて、やっと彼はゆっくりと苦しそうに税関の石段をのぼり、床を苦心さんたんして進んで、炉辺にある自分のいつものいすにたどりつくのであった。そこに彼はいつもすわって、なんとくぼんやりしたような落ち着いた態度で、出たりはいったりする人たちの姿を見つめていた。紙のさらさらいう音、宣誓《せんせい》の実施、仕事の議論、事務所の雑談のあいだに身を置いていながら、そういう音も情勢も、彼の感覚にはほんのかすかに印象を与えるだけで、彼の瞑想《めいそう》の内部にまではいっていくとはほとんど思えなかった。このように休息しているときの彼の顔つきは温和でやさしかった。もし彼の注意が求められると、好意と興味の表情がその顔の上にかがやき出た。彼の内側に光があるという証拠であり、光の通過をさまたげるのは知性のランプの外部の媒体《ばいたい》にすぎないということを証明した。彼の心の本体まで貫通して近くなれば近くなるほど、それは健全であるように見えた。話したり聞いたりするのは、明らかに努力が必要だったので、そのどちらも、もはや彼には要求されなかったが、そういうとき彼の顔はまた、以前のきげんのわるくない静けさに簡単に落ちこんでいくのだった。こういう様子をながめるのは苦痛でなかった。曇《くも》ってはいても、老齢の痴愚《ちぐ》ではなかったからである。彼の性格の骨組みは本来がんじょうでがっちりしており、まだくだけて破滅していなかったのである。
しかし、こういう不利な条件のもとで、彼の性格を観察し、規定することは、タイコンデロガ〔ニューヨーク州のチャンプレン湖近くにあり、フランスとインディアンとの戦い、独立戦争のときの戦闘場所〕のような昔の砦を、その灰色のばらばらになった廃墟《はいきょ》をながめて、新しく想像しながら見取り図をつくり、再建することと同じく、困難な作業であった。おそらく、ここかしこに、城壁がほとんど完全にのこっているかもしれない。だが他のところでは、ただぶかっこうな塚《つか》が、それ自身にひそむ力のために形をくずし、長い年月の平和と無視のために、芝草や雑草がはびこっているだけかもしれない。
それにもかかわらず、この老軍人を愛情をもってながめる……というのは、われわれのあいだの交際はわずかではあったが、わたしの彼に対する感情は、彼を知っているすべての二足獣や四足獣の感情のように、愛情と呼んでもおかしくないであろうから……わたしには彼の肖像の主要な点を見わけることができた。そこにあらわれている特徴は高貴な英雄的な性質で、彼が名をとどろかせたのも単なる偶然からではなくて、正当な結果であることを示していた。彼の精神が落ち着きのない活動を示したことなどありえないと思う。人生のどんな時期においても、彼を行動させるにはなにかの衝撃が必要であったにちがいないが、しかしひとたび立ち上がるや、障害を克服し、正しい目標を達成して、彼がくずれたり失敗したりすることはなかった。昔彼の天性に充満していた熱は、今なお消えてはいないが、これは炎となってぱっと燃え上がって明滅《めいめつ》するといった種類のものではなくて、溶鉱炉《ようこうろ》の中の鉄のように、真紅のかがやきであった。
重量と充実と堅実、これが、わたしの今のべている時期に彼のうえに不当にしのびよってきた老衰の状態でも、彼の休息の中に見られる表情であった。しかし、そういうときにおいてさえ、彼の意識の中に深くはいりこむなにかの刺激があれば……たとえば、死んだのではなくて、ただ眠っているのにすぎない彼の精力をみな呼びさますくらいに大きなラッパの音によって引き起こされるような刺激があれば、彼は今でもなお自分の老衰を病人のガウンのように投げ捨て、老人の杖を捨てて軍刀をつかみ、もう一度軍人として立ち上がることができるのだと、わたしには想像できた。
そして、そういうしんけんなときでも、彼の態度は平静そのものであろう。しかし、こういう動きは空想の中でのみ描かれることで、予期もできなければ、望まれもしないことであった。わたしが彼の中に見たものは……最も適切な比喩《ひゆ》としてすでに引き合いに出した旧タイコンデロガの難攻不落《なんこうふらく》の塁壁《るいへき》のように明らかに……がんこな、どっしりした耐久力を示す容貌で、これは彼の若いころは強情といってもさしつかえないようなものであった。また他の多くの資質と同じようにいくらか重量感をもっていて、一トンの鉄鉱石のように鍛練《たんれん》も処理もできない誠実を示す容貌でもあった。また、チペワ砦〔ウィスコンシン州のチペワ河畔にある〕やイリー砦〔ペンシルベニア州北西のイリー湖畔にある〕ではげしく銃剣をふるいはしたが、当時の議論好きな博愛主義者のだれかを、あるいは全部を刺激するような正真正銘のものであると思う慈悲心を示す容貌であった。彼は、おそらく、自分の手で人を殺した! たしかに、彼の精神が勝利の力を与えた突撃の前に、彼らは鎌《かま》になぎ倒される草の葉のように、倒れた。だがたとえそうであったとしても、彼の心のなかには蝶の綿毛をはらい落とすほどの残虐《ざんぎゃく》な気持ちもなかったのだ。この人ほどその生まれつきの親切に信頼して訴えたいと思った人を、わたしは他に知らない。
多くの特徴も……スケッチを本物に似させるのに少なからず役だつものも……わたしが将軍に会う前に消えてしまったか、ぼんやりしてしまったにちがいない。単に優美な属性などというものは、たいてい最もはかないものであり、また自然は、タイコンデロガ砦の廃墟にニオイアラセイトウの種をまくように、腐食《ふしょく》の裂けめや割れめにのみ根を張って適当な養分を求める新しい美の花で、人間の廃墟を飾るものでもない。だが、優雅とか美とかいう点でも、注目するにたる点はいくつもあった。ときおりはユーモアの光がほの暗い障害のベールを通ってさしだし、われわれの顔にちらちらと気持ちよくかがやくことがよくあった。男性の性格では少年時代や青年の初期のあとではめったに見られない生まれつきの優雅な特性が、この将軍の、花の姿やにおいを愛する態度にあらわれていた。老軍人はひたいにかぶる血まみれの月桂冠《げっけいかん》をのみ重んじると思われるかもしれないが、ここにひとり、花の種を少女のように愛すると思われる人がいたのである。
そこの炉のそばにこの勇猛な老将軍はいつもすわっていた。そして検査官は……将軍と話をするというむずかしい仕事は、避けようと思えば避けることができたので、その仕事を引き受けることはめったになかったが……遠いところに立って、将軍の静かな、ほとんど眠っているような顔をながめるのがすきだった。将軍の姿はわれわれからわずか数ヤードのところにあったのに、彼はわれわれから遠く離れているように思われた。彼のいすのすぐそばを通っても遠くにいたし、手をのばせば彼の手に触れることができそうなのに、手のとどかない人のように思われた。徴税官の役所という課にふさわしくない環境よりも、自分の思考の中の生活のほうがいっそうほんとうであったといってもさしつかえない。閲兵《えっぺい》の展開、戦闘のさわぎ、三十年前に聞いた勇壮な軍歌の吹奏……こういう場面やひびきがおそらく彼の知的意識よりも前に生きていたのであろう。
このあいだにも、商人や船主たち、こぎれいな店員やぶこつな水夫たちが出たりはいったりした。この商業的な税関の生活のさわぎが、たえまなく彼のまわりで小さなざわめきをたてていた。そしてこの人びととも彼らの仕事とも、将軍はごくわずかな関係をさえも持っていないように見えた。彼は古い軍刀が……今はさびてはいるが、かつては戦闘の前線でひらめき、今も刀身にかがやく光を見せているその軍刀が、副徴税官の机の上で、インキつぼや書類ばさみやマホガニーの定規《じょうぎ》といっしょでは、場ちがいに見えるように、まったく場ちがいな存在であった。
わたしがナイアガラ戦線のこのたくましい軍人……真実質朴な力をそなえたこの人物を一新し更正する助けとなったことがひとつあった。それは彼の記憶すべき「努力してみます」ということば〔一八一四年ランディ・レーンの戦闘で、英軍の砲台を占領せよとの命令を受けたときに、ミラーの答えたことば〕の思い出で……これは必死の壮烈な活動の間ぎわに口にされたことばで、ニュー・イングランドの剛胆《ごうたん》さの精髄《せいずい》を解明し、あらゆる危険を理解し、それに対抗してゆくものである。もしもわが国において、剛勇が紋章《もんしょう》の栄誉によって報いられるものならば、このことばは……口にするのはやさしくみえても、こういう危険と栄光の仕事を目前にして、彼のみが口にしたものだが……この将軍の楯《たて》の紋章にきざむのに最も適した最善の題銘であったであろう。
人が、自分と同類でない人たちと親しく交わる習慣にはいるのは、その人の道徳的知的健康にとってひじょうに役だつものである。というのは、その人たちは彼の追求しているものなど少しも気にかけないし、また彼らの領域や能力を理解するためには、彼のほうも自分の外に出なければならないからである。生涯の思いがけぬできごとから、わたしはしばしばこういう利益を得た。だがわたしがこの役所に勤務していたあいだほど、充実したさまざまな利益を与えられたことはなかった。ことに、その性格を観察することによって、才能というものについての新しい概念を与えてくれたひとりの人物がいた。彼の天賦《てんぷ》の才は明瞭に実務家のそれであった。機敏で鋭敏で明晰《めいせき》であり、複雑なこみいったものを見ぬく目と、まるで魔法使いの杖のひと振りのようにそれらを消滅させる整理の能力を持っていた。少年時代から税関の中で育てられたので、ここが彼の活動の本来の場所であった。そして多くの錯綜《さくそう》した事務も、もぐりの人間には悩みのたねでも、彼の目には整然として完全に理解される組織としてうつったのである。わたしの考えでは、彼は彼の階級の理想的人物であった。彼はまったく税関そのものであった。あるいは、とにかく、さまざまに回転する車輪を動かしつづける主因であった。というのは、こういう役所では、その役人は彼ら自身の利益や便宜《べんぎ》を促進するために任命されるのであって、遂行すべき任務に対する適格性などほとんど考えられていないので、彼らは自分たちに欠けている器用さはどうしても他に求めなければならないからである。
したがって、やむをえない必然性によって、ちょうど磁石が鋼鉄のやすりくずを引きつけるように、われらが実務家もすべての人の出会った難題をみな自分に引き受けたのであった。気やすくいばったりせずに、または彼のような心にとっては犯罪としか思われかねないような愚直さに対しても親切にしんぼうして、その指をちょっと触れただけで、不可解なことがらを、まるで白昼の光のごとく明らかにしてくれるのだった。商人たちは、彼の秘密の友人であるわれわれに劣らず、彼の価値を認めた。彼の誠実さは完璧《かんぺき》で、彼の場合それは選択や原則というよりはむしろ、しぜんのおきてであった。
また仕事の処理においても、正直でかげひなたのないことは、彼のような明晰正確な知能の主要条件以外のものとはなりえないのである。彼の仕事の領域内で起こることについて、彼の良心にしみがついたりすることがあれば、差し引き勘定《かんじょう》が合わないとか、記録帳のきれいなページにインクのしみがついたとかということよりも、はるかに程度は高いけれども、それとまったく同じように、彼のような人間をなやましたであろう。つまりひと言でいえば、この税関でわたしは……生涯でもまれな例なのだが……自分の地位にまったく適合している人物に出会ったのである。
こういうのが、わたしと今かかわりのできた幾人かの人たちであった。わたしが自分の過去の習慣とあまり関係のない地位に投げ入れられたことを、神の摂理《せつり》のみ手によるものと善意にとって、そこから得られるかぎりの利益を集めようと、わたしはしんけんに努力した。ブルック・ファーム〔ボストン郊外のロックスベリーで行われた共同生活の実験。三十七歳のホーソンは一八四一年の四月これに参加した〕の夢想的な兄弟たちとの労役と非実際的な計画の共同生活ののち、エマソン〔詩人、哲学者で超絶主義運動の指導者〕のような知能の微妙な影響を受けながら三年間暮らしたのち、エラリ・チャニング〔超絶主義運動の詩人〕とともに枯れ枝のたき火のかたわらで空想的な思索にふけりながらアサベス河のほとりで自由奔放な日をおくってのち、ウォルデンの小屋で松の木やインディアンの遺物についてソーロー〔随筆家。傑作『森の生活《ウォルデン》』は一八五四年の出版〕と話し合ってのち、ヒラード〔編集者、法律家〕の教養の古典的に洗練されているのに共鳴して好みがむずかしくなってのち、ロングフェロー〔ボードイン大学時代のホーソンの同級生で、有名な詩人〕の炉辺で詩的情感をふきこまれてのち、ついに、わたしが自分の本性のうちの他の能力をも働かせ、これまであまり食欲をおぼえなかった食物で自分の栄養をつけるべきときとなったのだ。老監督官でさえも、オルコット〔教育者、哲学者。『若草物語』の著者のルイザ・メイ・オルコットは彼の娘〕を知っていた人間にとっては、新しい食物としては好ましかった。
わたしがこういう友人たちを記憶しながら、まったく違った性格の人たちとすぐさま交わることができ、しかもその変化になんの不平もいわなかったのは、生まれつきバランスがよくとれていて、完全な有機体の本質的部分をひとつも欠いていない組織体のある程度の証拠であるとわたしは考えた。
文学は、その実行も目的も今はわたしにはあまり重要とは考えられなかった。このころ、わたしは書物など意に介しなかった。書物はわたしから離れていた。
自然……それが人間の自然である場合をのぞいて……天地のあいだにひろがる自然は、ある意味では、わたしからかくされていた。そして自然を崇高《すうこう》にする想像的喜びは、すべてわたしの心から去ってしまった。天賦の才や能力が、もし消えていったのでなければ、わたしの内部で停止され、活気がなくなっていたのである。もしもわたしに過去において貴重であったものはなんでも随意に呼びもどすことができるという意識がなかったならば、このことはなんとなくさびしい、いいようもなくうら悲しいことであったろう。じじつこの生活は無難に長くおくることのできないものであったのかもしれない。さもなければ、この生活は変わりがいのある形にわたしを変えることなしに、今までの自分とは永久にちがったものになるであろう。だがわたしはそれを過渡的な生活以外のものとは考えなかった。あまり長くならないうちに、新しい習慣の変化がわたしのために必要なときはいつも、変化が起こってくるだろうという第六感がいつもあったし、耳もとに低くささやいてくれるものがあったからだ。
とにかく、わたしはそこで収入検査官であった。しかもわたしの理解できるかぎりでは、最良の検査官であった。思想と空想と感受性の持ち主は(そういう性質をこの検査官の十倍も持っていても)、もし彼がめんどうくさがらずにやる気になりさえすれば、いつでも事務家になれるであろう。わたしの同僚の役人たち、わたしの役所の仕事の関係からなんらかの交渉をもった商人や船長たちは、それ以外の形ではわたしを見なかったし、たぶんそれ以外の人物としてのわたしを知らなかったであろう。彼らのうちのひとりとしてわたしの書いた詩文を一ページも読んではいなかったであろうと思うし、もし読んだとしても、それだけわたしに対する関心を深めもしなかったであろう。
またそれらの無益な文章が、わたしと同じように若いころ税関の役人であったバーンズ〔ロバート・バーンズ。一七五九〜九六。スコットランドの叙情詩人〕やチョーサー〔一三四〇?〜一四〇〇?。『カンタベリ物語』で知られる英国の詩人。英詩の父と呼ばれる。〕のような筆で書かれていたとしても、そのために事態がすこしでもよくなっていたということもないであろう。文学的名声を夢み、文筆によって世界の文豪たちと同列になりたいと夢みているものにとって、彼の言いぶんを認めてくれる狭い社会から一歩ふみ出して、自分のなすこと、目的とすることすべてが、その社会の外では、いかにまったく無意味であるかを知ることは、ときにはつらい教訓かもしれぬが、よい教訓なのである。警告としてでも非難としてでも、わたしがとくにその教訓を必要としているかどうかわたしにはわからない。
だが、とにかくわたしはその教訓を徹底的に学んだ。これは楽しい思い出となっているが、この真理は、しみじみと理解できたときも、心の苦しみとはならなかったし、ためいきとともに投げ捨てる必要もなかった。じじつ文学論の点では、海軍士官が……わたしと同時に就任し、すこしおくれてやめた優秀な人物であったが……お得意の話題である、ナポレオンとシェイクスピアのどちらかの議論にわたしをよくまきこんだものだ。徴税官の下級の書記もまた……若い紳士で、ひそひそ話のうわさによると、ときおりアンクル・サムの用箋《ようせん》を(数ヤードの距離から見ると)、詩によく似たものでいっぱいにしていたというが……わたしなら話し相手になれそうな話題として、ときおりわたしに本の話をしたものである。これがわたしの文学的交際のすべてであり、わたしの必要にはそれでまったくじゅうぶんであった。
わたしの名まえが本のとびらに公表されることなど、もう求めもしないし、気にもしていないのに、わたしの名まえが別の流行のしかたをしていると考えて笑ってしまった。税関の標識係りが刷り込み型と黒ペンキで、こしょう袋、べにの木の実のかご、葉巻きの箱、税金のかかるあらゆる商品のたわらなどに、これらの商品が関税を支払って正規に税関を通過したという証拠に、わたしの名を押印した。こういう奇妙な名声の乗り物にのせられて、名まえによって伝えられるかぎりのわたしの存在は、わたしの今まで行ったこともない、また二度と行きたくもないようなところまで運ばれたのである。
だが過去は死んではいなかった。長いあいだに、あのようにいきいきとして活発であったのに、静かに休まされてしまっていたいろいろな思考がふたたびよみがえってきたのである。過ぎ去った日々の習慣がわたしの中で目ざめた最も特異な機会のひとつは、わたしが現在書いているこのスケッチを世間に知らせるのは文学の作法である、と考えさせるようなものであった。
税関の二階に大きな部屋があるが、そこはれんがも、はだかのたるきも、はめ板や漆喰《しっくい》でおおわれたことのない部屋である。この建物……本来はこの港の昔の商業的事業に適合するような規模で設計され、つづいての繁栄を予想したのであったが、これはついに実現されえない運命にあった……は、そこで働く人たちがその使い道を知っている以上の広さがある。したがって、徴税官の部屋の上にあるこの風通しのよい広間は、きょうまで未完の状態のままで、むかしのクモの巣が黒ずんだ梁《はり》をかざっているにもかかわらず、大工やれんが職人があらわれて、仕事をするのを待っているように見える。
部屋のいっぽうの端のへこんだところに、多くのたるが積み重ねられ、中には役所の書類のたばにしたのがはいっていた。同じようなくず紙がたくさん床にもごろごろしていた。いかに多くの日と週と月と年の努力が、これらのかびくさい紙の上で浪費《ろうひ》されたかと考えると悲しかった。その書類は今はただ地上のじゃまものとなって、この忘れられた片隅にかくされ、二度ともう人間の目に一瞥《いちべつ》を与えられることはないのだ。だが、なんという多量の他の原稿が……砂をかむような、役所の形式的な文章ではなくて、発明の才のある頭脳の生んだ思考や深い心情のゆたかな流露にみちているものであっても……それらもみな同じように忘却の淵に沈んでいるのであろう。しかもそのうえ、ここに積み上げられた書類のようにその当時なにかの役にたったわけでもなく。……ことに悲しいことには……それを書いた人たちに、この税関の書記たちがペンで走り書きをしたこういう無価値な記録によって得ていた安楽な生活費をさえも保証してくれなかったのだ。だが、この書類は、おそらく、地方史の材料としてはまったく無価値とはいえないだろう。この中に、疑いもなく、セイレムの商業の統計が発見されるだろうし、ダービー老王……老ビリー・グレイ〔ウィリアム・グレイ。一七五〇〜一八二五。一時マサチューセッツ州の代理知事もつとめた〕……老サイモン・フォレスター〔アイルランド生まれの船主。一七七六〜一八五一。死んだときはセイレムいちばんの金持ちであった〕たち豪商や他の多くの富豪連の繁栄をきわめた当時の思い出も発見されるだろう。
だが、彼らの粉をふった頭が墓にはいるやいなや、その山と積んだばく大な富は減じはじめたのであった。現在セイレムの貴族階級を形づくっている家族の大部分の祖先は、だいたい独立戦争からかなりあとの時代の彼らがこじんまりと無名で取り引きをはじめたときから、子孫たちが確立された階級としてながめているところまで、この資料の中で跡づけることができるかもしれない。
独立戦争より前は、記録はとぼしい。この税関の初期の文書や古文書は、英王の役人たちが英軍について全部ボストンから逃げたときに、たぶんハリファックス〔独立戦争当時英国軍の総指令部のあったノバ・スコシアの首府〕へ運ばれたためであろう。これはわたしにとっては残念なことである。というのは、おそらく護民官の時代〔オリバー・クロムウェルと彼の息子が英国の護民官であった時代。一六五三〜五九〕までさかのぼるこれらの書類は、今は忘れられてしまった人びと、あるいは記憶にのこる人びとや、昔の習慣に対する多くの言及をふくんでいるにちがいなく、かつて旧牧師館近くの野原でインディアンの矢の根をよく拾ったときに感じたと同じような喜びをわたしに感じさせてくれたであろう。
しかし、けだるいある雨の日、ちょっと興味のあるものを発見したのはさいわいであった。片すみに積み上げられたくず紙をかきまわし、掘り返しながら、あれこれ文書を開いて、ずっと前に海で沈没した船や、波止場《はとば》で腐朽《ふきゅう》した船の名前、また、今では取引所でうわさを聞くことも、苔《こけ》むした墓石にその文字をたやすく読みとることもできない商人たちの名まえを読んだり、生命活動の失われた死骸《しがい》に対してわれわれの与えるようなさびしい疲れたような半分気のすすまない興味をもって、こういうものを一瞥《いちべつ》したりしながら……あまり使わないためになまくらになっている想像力を働かせて、それらのからからにかわいた骨から、インドが新しい通商地域でセイレムのみがそこへ行く道を知っていたころの、この古い町のもっとかがやかしい姿を描きだそうとしていた……そのころわたしは偶然にも、一枚の昔の黄色い羊皮紙に念を入れてつつまれた小さい包みの上に手を置いた。この包みは、書記たちが現在よりもしっかりした紙に、堅い形式ばった書体で大きく書いていた、ずっと過去の時代の公文書のようであった。なにかしら本能的な好奇心をそそるようなところがあり、なにか貴重なものがここで日の目を見るのではないかという気持ちで、わたしはその包みをくくっている色のあせた赤ひもをほどいた。羊皮紙の包み紙のこわばった折りめをのばしてみると、シャーリー知事〔ウィリアム・シャーリーは一七四一年から五七年までマサチューセッツ湾植民地の知事をつとめた〕の署名|捺印《なついん》によって、ジョナサン・ピュー〔セイレム税関の監督官〕なる人物をマサチューセッツ・ベイ州セイレム港の国王税関監督官に任ずるという辞令であった。わたしは(たぶんフェルトの年代記の中だったと思うが)、八十年ばかり前のピュー監督官の死の記事を読んだ記憶がある。また同じように最近の新聞紙上で、聖ピーター教会の改修ちゅうにその小さな墓地に彼の遺骸《なきがら》を掘り起こしたという記事を読んだ記憶もある。もしわたしの記憶に誤りがなければ、わが尊敬すべき先輩の遺物としては、不完全ながいこつと若干《じゃっかん》の衣服の断片、それに威厳のある縮れ髪のかつらしか残っていなかった。そのかつらは、それがかつて飾っていた頭とちがって、きわめて満足すべき保存状態にあった。だが、羊皮紙の辞令が包み紙の役をしていた書類を調べてみると、あの縮れ髪のかつらの包んでいた、かの尊ぶべき頭蓋骨《ずがいこつ》そのものよりも、ピュー氏の精神的部分、彼の頭の内部作用の多くの証跡を知ることができたのである。
つまり、それは公文書ではなくて、私的な性格のものであった。あるいは少なくとも、私的な資格で、しかも彼自身の手で書かれたものであった。これが税関の紙くずの山にまぎれこんでしまったのは、ピュー氏の死が突然であったためであり、またたぶん、氏が役所の机にしまっておいたこの書類が、遺族たちにわからずじまいで、なにか税務に関係あるものと思われたためであろうと説明をつけることができた。古文書がハリファックスに移されたとき、この包みだけは公務に関係のないことがわかって、あとにのこされ、その後ずっと開かれないできたのであろう。
昔の検査官は……そういう早いころは役所に関係のある事務にあまり悩まされることもなかったものか……多くのひまな時間をいくらかさいて、地方好古家としての研究や同じような性質の調査に当てていたものらしい。これらは、さもなければさびついてしまいかねない心をいくらか活動させる材料を提供したのである。彼の事実の幾分かは、ついでながら本書に収めた「本通り」を準備する際に大いに役だった。その残りも今後同じように価値ある目的に応用できるかもしれないし、万一わたしが生まれた土地に対する尊敬の念から、セイレムの正史というような敬虔《けいけん》な仕事をする気にでもなった場合、そこに書いてあるだけは、そういう歴史に仕上げることもできない相談ではないであろう。
それはそれとして、この利益にもならぬ仕事をわたしの手から取り上げてやろうというお気持ちがあり、またその能力のある紳士がいられるならば、どなたにでもこの材料を自由に使用していただきたいと思う。最終的な処分として、わたしはこれをエセックス歴史協会に寄託《きたく》したいと考えている〔セイレムはエセックス郡にあり、この協会はホーソン関係の記録を所蔵してはいるが、この部分は虚構〕。
しかし、そのふしぎな包みの中でわたしの注意をいちばんひいたのは、すり切れて色のあせた美しい赤い布であった。金の縫い取りの跡がところどころにあったが、それはすっかりほぐれて、きたならしくなっていた。だから金糸の光などぜんぜん、あるいはほとんどのこっていなかった。見てすぐわかったのは、それがすばらしい針仕事の腕でなされていることで、針目は(こういう手芸に精通している婦人たちから確かめたのだが)糸を抜き取ってやってみても復元できない、今はもう忘れられた技術の証拠であるという。このぼろきれのような緋色の布は……時間と使用と罰当たりの虫のためにぼろきれ同然になってしまっていたが……注意して見ると、文字の形をしていた。それは、大文字のAであった。正しく測ると、両の足はきっちり三インチ四分の一の長さであった。それが着物の装飾として考えられたものであることは疑う余地がなかった。だがそれがどんなふうに身につけられていたのか、どんな階級、名誉、位階を昔は意味していたのか、それは謎で(こういう点では世間の流行などじつにはかないものなので)、わたしには解けるのぞみもほとんどなかった。それでいて、それは奇妙にわたしの興味をひいた。わたしの目はその古い緋の文字に釘づけになり、横にそらされそうになかった。たしかに、解釈の労をとるに価するようななにか深い意味があったのだ。いわばその神秘的な象徴から流れ出て、わたしの感覚にそれ自身を伝達しながら、わたしの心の分析を忌避《きひ》するような意味があったのだ。
このように迷いながら……また他にもいろんな仮想をたてて、この文字はインディアンの目をひくために白人が考案した装飾のひとつではなかったかどうかなどと考えながら……わたしは偶然それを胸に当ててみた。そのときわたしは……読者は笑われるかもしれないが、わたしのことばを信じていただきたい……わたしは必ずしも肉体的な感覚ではないが、まるで燃えるような熱の、ほとんど肉体的な感覚を経験したように思われた。その文字が赤い布ではなくて赤熱《しゃくねつ》した鉄の文字であるかのような感覚であった。わたしはぞっとして、思わずそれを床に落とした。
その緋の文字を夢中になって考えながら、わたしはそれが巻きつけられていたうすぎたない小さい紙の巻きものをしらべてみるのをそれまで怠っていた。今、それを開いてみると、老検査官のペンで事件全体のほぼ完全な説明がしるされているのを知って満足した。数枚のフールスキャップの紙〔通例十三×十六インチ大の筆記用紙。もと道化師の帽子のすかし模様があったので、こう呼ばれる〕で、そこには、われわれの先祖たちから見てわりに注目すべき人物であったらしいヘスター・プリンなる女性の生涯と交際についての詳細事《しょうさいじ》が多く書かれていた。
彼女が在世したのはマサチューセッツの初期と十七世紀末期とのあいだの時代であった。検査官ピュー氏は彼の時代に生きていた老人たちから話を聞いてこの記録をつくりあげたようだが、老人たちの若いころの記憶にある彼女は、ひじょうに年はとっていたがよぼよぼでない、品位のあるおごそかな様子の女性であったという。ほとんど人の記憶にないような遠い昔から、一種の篤志看護婦《とくしかんごふ》としていなかを歩きまわり、自分の力でできることはなんでも行なった。同様にまた、あらゆる問題について、ことに心の問題について、めんどうがらずに正しく忠告を与え、それによって、こういう性質の人が必然的に受けるように、多くの人びとから天使に払われるような尊敬を得たが、他の人たちからはじゃま者かうるさがたみたいに見られもしたと想像される。
その手記をさらにせんさくしてみると、この特異な女性の行状や苦悩の記録があったが、その大部分は『緋文字《ひもじ》』と題する物語において読者に示すことにする。そしてくれぐれも忘れていただきたくないのは、その物語の主要な事実が検査官ピュー氏の文書によって正当と認められ、確証を与えられているということである。もとの書類は、緋の文字……というまったく奇妙な遺物……とともに、今なおわたしの所有に帰しているが、この物語に大いに興味をそそられて、それを一見したいとおのぞみのかたにはどなたにでも自由にご覧にいれたい。ただし、この物語を扮飾《ふんしょく》し、中にあらわれる人物たちを動かした激情の動機や様式を想像する際に、わたしが終始、老検査官の六枚のフールスキャップの制限内にとじこもっていたとあくまでも主張するものとは受けとっていただきたくない。逆に、わたしはそういう点については、事実は全部わたし自身の創作であるかのような自由を、ほとんど、あるいはまったく行使したのである。わたしが強調しているのはこの手記の持つ輪郭《りんかく》の確実性である。
このできごとは、わたしの心をあるていど昔の軌道にもどした。ここにひとつの物語の基礎があるように思われた。まるで年とった検査官が百年前の服を着て、かの不滅のかつらをかぶって……このかつらは彼とともに葬られたが、墓の中でも死ななかったのだ……税関のひとけのない部屋でわたしに会ったことのあるような印象をうけた。彼の物腰には、国王陛下の任命を受け、したがって王座のまわりにまばゆく照りかがやく、一条の光輝によって照らし出された者の威厳があった。ああ悲しいことに、共和国の官吏のひくつな表情とはなんと似ても似つかぬではないか! 今の役人ときたら、国民の召使いとして、いちばん小さい主人よりも小さく、いちばん低い主人よりも低いと感じているのだ。そのぼんやりと見える、だが威厳のある人物は、その亡霊のような手で、あの緋の象徴と、小さく巻いた説明の手記をわたしに渡してくれた。その亡霊のような声で、わたしが、彼に対する子としての義務と尊敬を神聖に考えて……彼はみずからをわたしの役職上の先祖と考えているのは無理もないが……彼のかびくさい、虫のくった努力の結晶を、世間に出すようにとすすめた。「そうしたまえ」と検査官ピュー氏の亡霊は、その忘れがたいかつらの中で堂々と見える頭を力をこめてうなずかせながら、いうのだった。
「そうしたまえ、利益は全部きみにやる! きみはやがてそれが必要となる。役職が一生の権利で、ときには遺産ともなったようなわしとは、今のきみの時代はちがうのだ。だが、この老女プリンのことがらについては、きみの先輩の記憶に全幅の信頼を置くようにときみに命令する!」
そしてわたしは、検査官ピュー氏の亡霊に「そうします!」といった。
したがって、わたしはヘスター・プリンの話を深く考えた。わたしの部屋の中を行ったり来たりしながら、あるいは百回もくりかえして、税関の玄関から横の入り口への長い距離を横切って行ったり、またもどったりしながら、何時間も何時間もわたしが沈思黙考《ちんしもっこう》した問題はそれだった。
わたしの行ったり来たりする足音が情け容赦もなく長びいたために、せっかくの居眠りをじゃまされた老監察官や計量官や検査官はさぞうんざりし、迷惑を感じたことであろう。彼らは自分たち自身の昔の習慣を思い出して、検査官は後甲板を歩いているとよくいったものだ。彼らは想像したであろう、わたしの唯一《ゆいいつ》の目的は……そしてじじつ、正気の人間が自分の意思から動く場合の唯一の目的は……晩餐のための食欲を得るためであろうと。そして、じつをいえば、たいてい廊下を吹きぬけていた東風のためにはげしくされた食欲が、その根気づよい運動の唯一の貴重な結果であった。税関の空気は空想と感受性の微妙な収穫に対してほとんど適合していなかったので、今後十代の大統領のあいだ、そこにいたにしても、『緋文字』の物語が大衆の目の前に紹介されるかどうかうたがわしい。わたしの想像力は曇った鏡であった。わたしが最善をつくしてそこにうつし出そうとした人びとを、それはうつし出さないであろう。あるいはうつしてもみじめな暗いぼんやりとしたものであろう。物語の人物たちは、わたしがわたしの知性の炉で燃やすことのできる熱によっても、あたためられ、鍛《きた》えられることはないであろう。彼らは情熱のほてりも情感のやさしさもとらないで、死体の硬直をとどめ、けいべつしたような反抗的な表情で、じっと薄気味わるく歯をむいてわたしの顔をまともに見つめるだろう。
「わたしたちをどうしようというのですか?」とその表情はいっているようであった。「あなたはかつて非現実の人びとに対して力を持っていたかもしれないが、そのわずかばかりの力も、もうありませんよ! あなたはそれをわずかばかりの世間的な金貨と交換してしまった。さあ、出ていって給金をかせぎなさい!」
つまり、わたしの空想のほとんど冬眠しているような人物たちは、わたしを低能であるといって責めたが、正しい理由がなくもなかったのだ。このみじめな無感覚状態がわたしをとらえたのは、アンクル・サムがわたしの日常生活のうち彼の持ち分として要求した三時間半のあいだだけではなかった。わたしが旧牧師館の敷居《しきい》をまたいで出るやいなや、いつもあのような新鮮活発な思想を与えてくれた自然の、かの爽快《そうかい》な魅力を求めたいという気持ちになったときはいつでも……そういうことはめったになく、気もすすまなかったのだが……わたしの海岸の散歩やいなかへのぶらぶら歩きに、その無感覚状態がついてくるのであった。知的な努力ができるかどうかというときには、同じ無感覚状態がきまってわたしについてまわり、わたしがおこがましくも書斎と呼んだ部屋で、重くのしかかってくるのだった。夜おそくわたしが、ひとけのない居間にすわって、ちらちら燃える石炭の火と月の光に照らされながら、あすは色とりどりの描写でかがやくようなページの上にほとばしり出る想像上の場面をいろいろ描き出そうと努力しているときも、それはわたしのそばを去らなかった。
もしも想像の能力がこういうときにその活動を拒否するならば、それは絶望的な場合と考えてもよかった。月光が見慣れた部屋でじゅうたんの上にしらじらと落ちてその織り模様をはっきりと示し……あらゆるものがその細かい点まで明らかにされてはいるが、朝や真昼の明らかさとはちがっている……これはロマンスの作者が、彼の幻想の客人たちと親しくなるに最もふさわしい環境であった。
熟知している部屋の小さな家庭的な風景がある。それぞれ別個の個性をもったいす、針仕事用のかごと一、二冊の本と、火の消えたランプののっているまん中のテーブル、ソファ、本箱、壁の絵。……これらのものがすべてその異常な光のために完全によく見え、あまつさえ霊的化されたために、現実の実体を失い、知性のものになったとさえ思われる。どんな小さなものでも、つまらないものでも、この変化を受け、それによって威厳をそなえないものはない。こどものくつ、小さな柳の電車にのっている人形、木馬。……つまり日中、使われたり遊び相手にされたものは、なんでもすべて、もちろん今なお、ほとんど昼の光によるように鮮明に存在してはいるが、今は異様な遠隔《えんかく》のものであるという性格を与えられている。したがって、われわれの見慣れた部屋の床が、どこか現実の世界とおとぎの国とのあいだの中立地帯、現実のものと想像のものとがいっしょになり、それぞれに相手の性質がしみこんでくるような場所となったのである。亡霊も、われわれをおびやかさずにここにはいってくるかもしれない。われわれがまわりを見まわすと、かつて人に愛されたが今はもうこの世を去った人が、遠くからもどってきたのか、あるいは炉辺から身動きしたことがなかったのか、われわれに疑わせるような姿で、今こっそりとこの魔法の月光をあびてすわっているのを発見するようなことがあっても、それはあまりにまわりの光景と調和しているので、驚きを引き起こすようなことはないであろう。
ややほの暗い石炭の火は、わたしがこれから描写してみたいと思う効果を生み出すのに本質的な力を持っている。それは遠慮がちな色合いを部屋じゅうに投げて、壁や天井にほのかな赤みを与え、家具の光沢から微光を反射させている。このあたたかみのある光は月光の冷たい精神性とまじりあって、いわば人間のやさしさの心と感受性とを、空想によって呼び出されたいろいろな形のものに伝えている。それは雪人形を人間の男女に変えてしまう。鏡にちらと目を向けると……その幽霊じみた境界の中深くに……消えかけた無煙炭のくすぶっている赤らみ、床に落ちた白い月光、また鏡にうつった画像の光と影がもう一度くりかえされたために現実のものから遠のくと同時に想像のものに近くなっているのが見える。だから、こういうときに、しかもこういう光景を前にしながら、もしも人がただひとりすわって、不思議なことがらを夢みて、それを真実らしくすることができないならば、ロマンスを書こうなどという気を起こしてはいけないのだ。
しかし、わたし自身は、税関生活の全経験のあいだ、月光も日光も炉火の光のほのめきも、わたしの目にはまったく同じで、どれひとつとしてろうそくのまたたきより少しでも役にたつものはなかった。あらゆる種類の感受性も、それと関係のある才能……たいして豊富でも価値あるものでもなかったが、わたしの持っていた最善のもの……もわたしから去ってしまっていたのである。
しかしながら、わたしの信ずるところによれば、もしわたしが別の種類の文章をこころみたならば、わたしの能力はそんなに要領を得ない効力のないものとはならなかったであろう。たとえば、監督官のひとりで、もしひと言もその人に触れなければ恩知らずということになる老練な一船長の物語を書きあげたら満足できたと思う。話し家としての彼のすばらしい才能のために、一日として大笑いしたり感心したりしなかった日はなかったからである。彼の話し方の絵画的な力や、生まれつきの性格の教えによって文章の叙述をユーモラスに仕立てる方法を、もしもわたしが残しておくことができたら、その結果は、正直いって、文学のなにか新しいものになっていただろうと思う。
あるいは、わたしはもっと、まじめな仕事をはじめてもよかったのだ。具体性のあるこの日常生活がさしでがましく押しかかってくるときに、自分自身を別の時代へ投げもどそうとしたのは愚かであった。また、いつなんどき実体のないわたしのしゃぼん玉の美しさが、なにか現実の状況のあらあらしい接触のためにこわれてしまうかわからないときに、空虚な材料からひとつの世界に似たものを創造しようと強調したのは愚かであった。もっと賢明な努力のしかたは、今日の不透明な物質の中に思想と想像をまきちらして、それをかがやく透明体にしてしまうことであり、重量を増してきはじめた荷物を精神化し、わたしが現在親しく知っているちっぽけなたいくつな事件や、平凡な人物たちの中にかくれている真の不滅の価値を決然と捜し出すことであろう。悪いのはわたしであった。わたしの前にひろげられた人生のページが、いかにもたいくつで平々凡々に思われたのは、わたしがそのより深い意味を見抜かなかったからであった。わたしの書くよりももっとよい本がそこにあった。一枚また一枚と、あたかも飛んで行く時間の現実によって書かれ、書かれると同じくらい早く消えてゆくように、それがわたしに示されるのは、ただわたしの頭脳が洞察《どうさつ》力を欠き、わたしの手にそれを文字に直す手ぎわがなかったからである。いつかのちになって、ことによると、わたしは二、三のばらばらの断片やはんぱの文章を思い出して、それを書きとめ、それらの文字がページの上で黄金となるのを知ることがあるかもしれない。
こういう知覚はあらわれるのがおそすぎた。当時わたしの意識していたことはただ、かつては喜びであったものも今は見込みのない骨おりであろうということであった。このような状態をなげき悲しむおりとてなかった。貧弱な短編や随筆のたぐいを書く作家をやめて、かなりよい税関の検査官になっていたからである。それだけのことであった。
だが、それにもかかわらず、自分の知能がしだいに減少していっているのではないか、自分の知らないうちに薬びんからエーテルのように蒸発して、そのため、目をやるたびに、びんの中の揮発《きはつ》性の残りがだんだん少なくなっているという疑惑につきまとわれるのは、決して愉快なことではない。その事実についてはなんの疑いもありえなかった。そしてわたし自身と他の人たちとを調べてみて、わたしの達した結論は公職の人の性格に与える影響力は、当の人物の生活様式にとっては有利でないということであった。なにかほかの形式で、ことによるとわたしは、今後これらの影響を発展させることがあるかもしれない。ここではこういうだけでじゅうぶんであろう、税関の役人は長くつとめていると、多くの理由のためにあまり賞賛すべき人物やりっぱな人物にはなれないということである。理由のひとつは、在職の期間であり、他は仕事の性質そのもので、それは……やましいところなどないとは思うが……人間の一致団結した努力には直接参与しないような種類のものである。
ひとつの結果は……それはその地位を占めた人ならだれにでも、多かれ少なかれ認めることができると思うが……彼が共和国の強力な腕によりかかっているあいだに、彼自身の本来の力がなくなってしまうということである。もとの性格の弱さや強さに比例した程度に、自立の能力を失ってしまう。もし彼がなみはずれて多くの生まれつきの能力を持っているとか、場所というものの持つ気力を弱める魔法があまり長く彼に作用しなければ、彼の失われた力も回復できるかもしれない。はじき出された役人は……おりよく彼を送り出す不親切なひと押しに運よくめぐまれて、競争世界で苦闘する人は……自分自身にたちかえって、また以前の自分になることができるかもしれない。
だが、こういうことはめったに起こらない。人はたいてい一歩も引かずに自分自身の破滅を待つのがおちで、それから筋肉もがたがたになって突き出され、人生の困難な小道をせいいっぱいよろめきながら歩いていくのである。自分の弱点……すなわち自分の鍛えた鋼鉄も弾力も失われてしまったのだという弱さを自覚して、彼はそれからのちはたえず物ほしそうに自分の外にある支えを捜し求めている。彼の充満してつづいている希望は……がっかりするようなどんなことがらに直面しても、また不可能なことがらをほとんど問題とせずに、彼の生きているかぎり、つきまとい、また風変わりな想像をするならば、コレラのけいれん的な激痛のように、死後もしばらくのあいだ彼を苦しめる幻覚同様であるが……それは、さいごには、遠からぬうちに、なにか幸運なめぐりあわせで、復職するであろうということである。
この信念は、他のなにものよりも、彼が手がけようと夢みるどんな事業からもその核心と利用価値をぬすみとってしまう。もうしばらくすれば、サムおじさんの強力な腕が自分を引き上げ養ってくれるであろうに、なぜあくせく働き、自分で自分を泥沼から拾い上げる努力をしなければならないのか? 一か月ごとにおじさんのポケットからぴかぴか光る金貨が小山と積まれて、すぐにまたしあわせになれるのに、なぜここで生計のために働き、カリフォルニアへ金を掘りに行く〔ホーソンがこの作品を書いたのは、一八四九年の金鉱熱と同じころであった〕のか? ほんの少し役所の味を覚えただけで、こういう奇妙な病気をあわれな男に感染させるとは、悲しくもおかしなながめである。
サムおじさんの金は……このりっぱな老紳士に失礼なことをいうつもりはもうとうないが……この点では、まるで悪魔の報酬《ほうしゅう》のような魔力を持っているのだ。それに手を触れるものは、自分自身によく気をくばらねばならない。さもないとこの取り引きが自分に逆目に出て、魂でなくとも、魂の多くのよりよい特質、そのたくましい力、その勇気と節操、その真実、その自力本願、その他男らしい性格を強調するすべてをまきこんでしまうであろう。
遠くのほうに美しい眺望があった! この検査官がこの教訓を身にしみて感じたというのではないし、職にとどまっても、追い出されても自分はまったくだめになってしまうだろうと認めたわけでもない。だがわたしの考えは決して気楽なものではなかった。わたしは憂欝になり、落ち着かなくなりはじめた。たえず心の中をのぞきこんでは、心のまずしい特性のうちのどれが無くなったのか、そして残りのものに対してどの程度の損害がすでに生じたのかを発見しようとした。あとどれくらい長く税関にとどまることができ、しかも一人まえの男として出て行くことができるかどうかを計算しようとした。
白状すると、わたしの最大の不安は……わたしのようにおとなしい人間を追い出すのは、ある程度賢明な政策でもないだろうし、辞職は公務員の性格にはほとんどないので……わたしのおもな心配は、したがって、検査官をつとめているうちにわたしが白髪のおいぼれとなり、老監督官みたいな生き物になりかねないということであった。今目の前にある役人生活をだらだらつづけているうちに、さいごには、わたしもこの尊敬すべき友人と同じようになるのではないだろうか……食事の時間を一日の中核とし、残りは、老いぼれ犬がするように、日なたや日かげで寝て暮らすようになるのではないだろうか? 幸福の最上の定義は自分の能力と感受性の全領域を生き抜くことであると感じているものにとっては、これは荒涼《こうりょう》たる期待である! だがこのあいだじゅう、わたしは不必要な警告を自分に与えていた。神の摂理はわたしがたぶん自分で想像できるよりもよいことを考えていてくださったのだ。
わたしの検査官勤務第三年めの注目すべき事件は……P・P・の口調を用いれば……テイラー将軍〔メキシコ戦の司令官〕が大統領に選ばれたことであった。役人生活の利益を完全に評価するためには、反対党の統治がはじまったときの在職者をながめることが肝要である。彼の地位はそのときみじめな人間の落ち着いていられないほど最も奇妙にたいくつなものとなり、偶発事件の起こるたびに不愉快千万なものとなる。右を見ても左を見ても代わりとなるよいことはほとんどなく、それでいて彼にとって最悪の事態と思われることが案外最善かもしれないのだ。しかし誇りと感受性をもっている者にとって、自分の利害を左右するものが、自分に好意も持たず理解してもくれず、いずれはどちらかの結果に落ち着かざるをえないものなら、恩をきせられるよりはいためつけられたほうがましだと思うような人たちであるということを知るのは、異様な経験である。
また、抗争のあいだじゅう平静を保ってきたものにとって、勝利の瞬間に血にうえた残忍性があらわれてくるのをながめ、しかも自分自身がその犠牲者の中にいることを知るのも、異様なことである。人間の本性のみにくい特性の中で、ただ人に危害を加える力を持っているというだけで残忍になるような傾向……わたしはこれを隣人たちよりもとくに悪いとはいえない人びとの中に目撃したが……よりもみにくいものはほとんどない。もしも役人たちに対して使用されるギロチンが、最も適切な隠喩《いんゆ》ではなくて、まったくの事実であるならば、勝利に酔った政党の活動的な党員たちが必ずや興奮のあまり、われわれすべての首をちょんぎり、この機会を与えてくれた天に感謝したであろう、というのがわたしのいつわらぬ気持ちである。敗北のときも勝利のときもつねに平静な物好きな観察者であったわたしにとって……この凶悪にして痛烈な悪意と復讐の精神は、わが党のたびたびの勝利のときには、こんどのホイッグ党の勝利のときほどはげしくなかったように思われる。
民主党員が官職につくのは、通例、彼らがそれを必要としているからであり、多年の慣行でそれが政争のおきてとなっているからで、ちがった制度が布告されないかぎり、それをぶつぶついうのは弱虫であり臆病者であるだろう。だが長いあいだの勝利の習慣は彼らを寛大にしていた。理由があれば、彼らは寛大な扱い方を知っている。打ちおろすときは、斧《おの》はなるほど鋭いかもしれないが、その刃に悪意の毒のぬられていることはめったになかったし、今打ち落とした首を恥ずかしめるように足蹴《あしげ》にする習慣も彼らにはない。
要するに、わたしの状態は、いくらよく見ても、不愉快なものであったが、自分が勝利者の側よりも敗北者の側にいることをみずから祝すべき大きな理由をわたしは認めた。わたしはこれまで最も熱心な党員のひとりではなかったが、今この危険と逆境のときに、自分のひいきがどちらの党の側にあるのかとかなり強く意識しはじめた。また後侮と恥辱の感概めいたものもないわけではなかったが、いろんな機会を合理的に計算してみたところによると、わたしの留任の見込みは民主党の同僚たちよりもよいことがわかった。だが、鼻の先一インチの未来を見ることのできるものがあるだろうか? わたし自身の首がいちばん最初に切られた首だった!
人の首が落ちるという瞬間は、必ずしもその人の生涯で最も愉快なものであるとはかぎらないとわたしは考えたい。それにもかかわらず、われわれの大部分の不幸と同様、そういうしんこくな偶発事件でさえも、もし被害者が身にふりかかった事件を最低にではなく最高に利用すれば、救済と慰安をはこんでくるものである。わたし自身の場合も、なぐさめの話題はいろいろと近くにあって、じじつ、それを利用することが必要となるかなり前から、わたしの反省する材料となっていたのであった。わたしが前から役所の仕事にいや気がさしていたこと、かすかに辞職を考えていたことなどを思い合わせると、わたしの運命は、自殺をずっと考えていて、まったく希望以上に、殺害される幸運に会うような人物のそれになんとなく似ていた。
税関で、前の牧師館のときと同じように、わたしは三年を過ごした。つかれた頭脳を休めるにはじゅうぶんな期間であり、古い知的習慣を追い出して新しい習慣の席をつくるのにじゅうぶんな期間であった。また、どんな人間にとっても実際なんの利益にも喜びにもならないようなことをし、わたしの中の不穏な衝動を少なくともしずめてくれたであろう仕事を自分に手びかえさせながら、ふしぜんな状態の生活をしてきたほど長かったし、長すぎるくらいであった。さらにそのうえ、彼の容赦なく首を切られたことに関して、前検査官は自分がホイッグ党から敵と見なされたことを必ずしも不満としなかった。というのは、彼が政治活動に不活発だったのは……同じ家庭の兄弟たちもたがいに分かれねばならない狭い道に自分を限定するよりは、全人類の相会するひろい静かな野原を意のままに放浪したいとねがう彼の傾向から来たものだが……彼の同志の民主党員たちには、彼が友人であるかどうかをときに疑わせたからである。
今、彼が殉教《じゅんきょう》の冠をかぶってしまった以上(それをかぶる頭がもはやないとはいうものの)、この問題は解決ずみであると見てもよいかもしれない。けっきょく、彼はあまり英雄的ではなかったが、彼がすすんで支持していた政党の没落の中にみずからも倒れるというほうが、多くのりっぱな人たちが失脚していくときにひとり残存者としてのこり、四年間も反対党の統治のお情けで暮らしてきたあげく、ようやく自分の立場を明らかにして、友党のもっと屈辱的なお情けにすがらざるをえないということよりも、いっそう気品があるように思われた。
とかくするうちに、新聞がわたしの事件を取り上げ、わたしは一週間か二週間、まるでアービングの首なし騎手〔ワシントン・アービングの短編『スリーピー・ホローの伝説』に出てくる〕のごとく、首のないまま新聞のあいだをつっ走っていた。政治的に死んだ者が当然そうであるように、ぞっとするくらい青ざめて、埋葬を願っていた。このあいだじゅうも、本物の人間のほうは、なにもかも上首尾《じょうしゅび》であるとの結論を自分にくだして、インキと紙と鉄ペンに投資し、長く使用していなかった書きもの机を開いて、ふたたび文筆家になっていたのである。
今こそ、昔の大先輩検査官ピュー氏の労作が活動をはじめるときであった。長い怠惰《たいだ》のためにさびついているので、わたしの知能の器械がいくらかでも満足すべき効果をあげながらこの物語に作用させることができるまでには、少しばかりの時間が必要であった。そのときでさえも、わたしの気持ちはけっきょくその仕事に夢中になっていたのに、器械のほうは、わたしの目には荒れて黒ずんだ様子に見えて、あたたかい太陽の光もあまりうれしがらず、ほとんどあらゆる自然や、実人生の風景をやわらげ、それらを描く絵をもやわらげずにはおかないような、やわらかな気がねのない刺激を受けてもあまりくつろいではいないようだった。こういう感心しない結果になったのは、たぶんまだ革命の完成していない物情騒然たる時代に、この物語がつくられたためであろう。それは、しかし、作者の心に明るい気持ちが欠けていることを示すことにはならない。というのは、作者はこの日のささない幻想の暗闇の中をさまよっていたときのほうが、旧牧師館を去って以来のどのときよりも幸福であったからである。
この一巻をつくるに役だつ比較的短い文章のいくつかも同様に、わたしが公職生活の労苦と名誉から心ならずも引退して以来書かれたものであり、残りは、あまりに古い年代のために一周期を終えてまた目新しくなった年鑑や雑誌から拾い集められたものである〔この一文を書いていた当時、筆者は『緋文字』とともに数編の短編と小品文を出版する予定だった。だが思い直して延期した――原注〕。政治的ギロチンの比喩をつづけるならば、これは、「馘首《かくしゅ》された検査官の遺作集と考えてもよいもので、わたしが今書き終わろうとしているこの小文が、あまりに自伝的で謙虚な人物には、生存中の出版がためらわれるほどのものであるとしても、墓のかなたから書いている紳士の場合は申し開きもたつであろう。全世界に平和あれ! わが友人たちに祝福あれ! わが敵を許さしめたまえ! わたしは静寂の国にいるからである!
税関の生活は夢のようにわたしのうしろに横たわっている。老監督官……ついでながら、お気のどくにも、この人はしばらく前に馬から落ちて死んだ。さもなかったらきっと永久に長生きしたであろうに……彼も、その他、彼とともに関税徴収の場にすわっていた尊敬すべき人たちも、わたしの目には影法師《かげぼうし》にすぎない。その白髪頭のしわだらけの映像をわたしの空想はよく遊び相手にしたが、今はもう永久にふり捨ててしまった。商人たち……ピングリー、フィリップス、シェパード、アプトン、キンボール、バートラム、ハント……六か月前はわたしの耳に古典的な親しみを感じさせたこういう名まえや他の多くの名まえ……世界的に重要な位置を占めていたと思われるこういう貿易業者たち……たんに行為においてばかりでなく回想においても、彼らからわたしを切りはなすのになんと少ない時間しか必要でなかったことか! これら少数の人たちの姿形や通称を思い出すのには努力がいる。やがては、同じように、わが故郷の古い町も、上にもまわりにも霧がたちこめ、思い出の霞《かすみ》を通してぼんやりあらわれてくるだろう。それはまるで現実の大地の一部ではなくて、雲の国の大きくなりすぎた村のようで、ただ想像の人物たちがその木造家屋に住み、素朴な小道や、おもしろくもない冗長《じょうちょう》な本通りを歩いているだけのようである。
これからのちは、この町もわたしの生活の現実ではなくなるだろう。わたしはどこか他の土地の市民である。わが善良なる町民諸君もわたしをあまり残念とは思わないだろう。というのは……文学に精進しているとき、わたしが彼らの目にいくらか重要とうつり、わたしの多くの先祖たちが生活し葬られたこの土地にたいして楽しい思い出をつくることがたいせつな目的ではあったのだが……文学者が彼の心の最高の収穫を実らせるために必要とするような快適な雰囲気がわたしにとってはなかったからである。
しかしながら、ことによると……おお、有頂天な意気|揚々《ようよう》たる考えよ!……現在の人たちの曾孫《ひまご》たちは、遠い未来の好古家が、町の歴史の遺跡の中で、町のポンプの場所を指摘するようなときに、過ぎ去った日の三文文士のことをときにやさしく考えてくれるかもしれない!
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一 監獄の大戸
くすんだ色の服を着、ねずみ色のとんがり帽子をかぶり、あごひげをはやした一群の男たちが、ずきんをかぶったり、かぶらなかったりする女たちとまじって、木造の建物の前に集まっていた。その入り口の大戸はがっしりした樫《かし》材で、鉄の飾り鋲《びょう》が打ちつけてあった。
新しい植民地の創始者たちは、人間の美徳と幸福のどんなユートピアをもともと計画したとしても、いちばん最初の実際的な必要物の中に、その処女地の一部を墓地に割り当て、他の一部を監獄の場所としてさだめることを必ず認めた。この法則にしたがって、ボストンの先祖たちが最初の監獄をコーンヒルの近所に建てたのは、ちょうどアイザック・ジョンソン〔初期のボストン移民中、最高の金持ち〕の地所の彼の墓のまわりに最初の埋葬地をさだめたこととほとんど同じくらい時機を得たことであると考えても、まちがいではないであろう。ジョンソンの墓は、のちにはキングズ・チャペルの古い境内《けいだい》に集められたすべての墓の中心となった。この町がつくられて十五年か二十年後には、木造の監獄はすでに風雨のしみや老年を示す他の徴候があらわれていて、それがしかめ面《づら》の陰気な正面になおいっそう暗い表情を与えていたことは確かである。その樫材の大戸のどっしりした金具についたさびは、新世界のどんなものよりも古風に見えた。犯罪に関係のあるすべてのものと同じように、青春時代など知らなかったように見えた。
このみにくい建物の前に、そして建物と車道とのあいだに草地があって、ごぼう、あかざ、朝鮮朝顔その他、監獄という文明社会の黒い花をこんなにも早く咲かせた土壌に、なにかみずからと気の合ったものを見いだしたらしいみっともない草が、一面にはびこっていた。しかし正面の一方の側には、ほとんど敷居のところに根をおろして、野ばらのしげみがこの六月の月に、優美な宝玉をいっぱいにつけていた。囚人がはいってきたり、死刑の宣告《せんこく》を受けた罪人が罪に服するために出ていったりするときに、自然の深い心が彼をあわれみ、彼に親切である証拠として、野ばらの芳香とかよわい美を与えていると想像できるほどであった。
このばらのしげみは、不思議な縁で、歴史上に生きのこってきたのだ。もとそれをおおっていた巨大な松や樫の木がたおれてのちも長く、きびしい荒野からただ生きのびてきたにすぎないのか……あるいは、信ずべきじゅうぶんな根拠があるのだが、聖者とされたアン・ハッチンソン〔一六三四年夫とともに移住してきた宗教的指導者。インディアンに殺された〕がこの監獄の大戸をくぐったとき、その足跡からはえてきたのか、われわれはそれを決めないことにしよう。その不吉な監獄の正面から今はじまろうとしているこの物語のいちばんはじめに、それをさっそく見つけたので、われわれとしてはその花のひとつを折りとって、読者にささげるよりほかにいたしかたがないであろう。願わくば、その花が話の道すじに見いだされるなにか美しい精神の花を象徴し、人間のもろさと悲劇をかたる物語の暗い結末をやわらげるものとして役だつことをのぞむだけである。
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二 市場
二世紀も前のある夏の日の朝、監獄小路の監獄の前の草地には、ボストンの住民のかなり多数が集まっていた。みんなの目は一心に鉄の締め金をつけられた樫の大戸にそそがれていた。どこかほかの土地の住民のあいだであったら、あるいはニュー・イングランドの歴史上ののちの時代であったならば、ここに集まった善良な人びとのひげ面を石のようにこわばらせているいかめしい厳格さは、なにか恐ろしいことが今にも起こりそうであることを知らせる表情であったであろう。それはだれか有名な罪人に対して、法廷の判決も大衆感情の判断を確認したにすぎないような、予期されていた刑の執行の行なわれることを、ただ暗示しているにすぎなかったであろう。
しかし清教徒の性格の持つその初期の厳格さの中には、こういう推測ははっきりとくだすことができなかった。ことによると、怠惰《たいだ》な奴僕《どぼく》か、両親が官憲《かんけん》に引きわたした親不幸なこどもかが笞《むち》打ち柱にしばられて罰せられることになったのかもしれない。ことによると、道徳律廃棄論者〔キリスト教信者は福音に示されている神の恵みの救済を受けるから、世間的な道徳律を守る必要がないと主張する信仰至上論者。アン・ハッチンソンがその代表〕かクェーカー教徒か他の異端の信者が市外へ追い出されることになったのかもしれないし、なまけものの放浪インディアンが通りで白人の火酒に酔っぱらって大あばれして、苔で森のかげへ追われることになったのかもしれない。またことによると、はげしい気性の治安判事未亡人たるヒビンズ夫人〔ボストン商人で治安判事もつとめたウィリアム・ヒビンズの妻。夫の死んだ翌一六五五年、隣人たちから魔女のうたがいがかけられ、裁判の結果、有罪となり、一六五六年六月十九日絞首台で死刑となった〕のような魔女が絞首台で殺されようとしていたのかもしれない。
そのいずれの場合であったにしても、見物人たちのとった態度には、宗教と法律がほとんど一体であり、その性格の中に両者がまったく混合してしまって、一般の懲戒《ちょうかい》の決議はどんなにおだやかなものでもきびしいものでも、一様に畏敬すべきものと考えていた民衆に、いかにもふさわしいような厳粛《げんしゅく》さがあった。罪人が処刑台のまわりの傍観者たちから求めうる同情たるや、まことに貧弱で冷たいものであった。これに反し、今日だったらひやかし半分の不名誉やからかいの種にしかならないような刑罰も、当時はほとんど死刑の宣告のような断固《だんこ》たる威厳をそなえていたといってもさしつかえなかったのである。
われわれの物語のはじまろうとするその夏の日の朝、その群集の中に数人まじっていた女たちが、どんな刑罰がこれから行なわれるにせよ、それにとくべつの興味を持っていたらしいことは注目すべきことであった。そのころはまだあんまり上品な時代ではなかったので、ペチコートや張りスカートをはいた女たちが、公衆の中へはいりこんで、事情によっては、処刑の行なわれる処刑台のすぐそばの群衆の中へも、かよわいとはいえぬ肉体を割りこませていっても、べつに不体裁ともなんとも思われなかったのである。
英国で生まれて育ったそれらの人妻や娘たちには、精神的にも物質的にも、六代か七代あとの子孫の女たちよりもきめの荒い素質があった。というのは、親子のつながりを通して代々の母親は自分のこどもに、自分よりも力や堅実さの少ない性格とはならないとしても、もっとよわよわしい頬《ほお》のばら色、もっと繊細《せんさい》ではかない美、さらにはもっとほっそりとしたからだつきを伝えているからである。今、監獄の大戸のまわりに立っている女たちは、あの男まさりのエリザベス女王が必ずしも女性の不適当な代表ではなかった時代から半世紀とへだたっていない者たちだった。女たちは女王の同国人で、その生国の牛肉やビールが、それと同じくらいにしか洗練されていない精神の常食とともに、彼女たちの気質の中に広くはいりこんでいた。だから、かがやく朝の太陽が、あの遠くの島国で成熟した広い肩とよく発達したままニュー・イングランドの大気の中で、まだ青ざめもせず、やせ細りもしていない胸と、まるまるとした赤い頬にかがやいていた。さらにそのうえ、女たちの大部分を占めていたと思われる細君たちのあいだでは、そのことばの内容の点でも声量の点でも、今日《こんにち》のわれわれをおどろかすような傍若無人《ぼうじゃくぶじん》な話しぶりであった。
「おくさんたちよ」と顔のきつい五十女が言った。「わたしの気持ちはこうなんだがね。わたしたちは年をとって、うしろ指ひとつさされない教会の信者なんだから、このヘスター・プリンのような罪人は、わたしたち女の手で扱っても、そのほうが公共のためになるのではないかしら。あんたたち、どう思う? もしもあの浮気女が、今ここにこうして集まっているわたしたち五人の前で裁判を受けるとしたら、あのりっぱな判事さんたちのくだしたような判決ですまされるものかしらね。絶対に、そんなことはないと思うね!」
「人のうわさでは」と別の女が言った。「あの女の信仰あつい牧師のディムズデイル先生、こういう恥知らずの事件が自分の教会の会衆に起きたというんで、とても悲しんでいらっしゃるそうよ」
「判事さんたちは信心ぶかいかたがただけど、お慈悲のゆきすぎさね……まったくの話が」と三番目の中年女がつけ加えた。「少なくとも、ヘスター・プリンのひたいに焼き印を押してもよかったと思うわ。ヘスター夫人もこれには縮みあがるでしょうよ、ほんとに。だけど、あの女……行儀のわるい生意気《なまいき》女め……上着の胸になにをくっつけても、平気な顔をしていることよ! きっとブローチかなにか、あやしげな飾りでそれをかくして、相も変わらず平気な顔で町を歩くでしょうよ!」
「ああ、でも」とこどもの手をひいた若い人妻がもっとやさしい声で口をはさんだ。「印はいくらかくしたって、つらい心の痛みはいつも胸の中にありますわ」
「それが上着の胸の上でも、ひたいの肉の上でも、印や焼き印を押したってたいしたことじゃないんじゃない?」と別の女が叫んだ。この自称裁判官たちの中でもいちばん冷酷であるばかりか、いちばん醜い女である。「この女はわたしたち全体に恥辱を与えたんだから、死ぬのが当然よ。そのための法律があるんじゃない? たしか、聖書にも法令全書にもあるはずよ。だから、それを実行しなかった判事さんたちは、おくさんや娘がどんなに堕落《だらく》しても、自業自得《じごうじとく》よ!」
「おくさんよ、お手やわらかに」と群衆の中のひとりが叫んだ。「絞首台を恐れる気持ちからでなきゃ、ご婦人の徳はないもんでしょうかね? ずいぶんひどいおことばですね! さあ静かに、みなさん、監獄の大戸の錠がまわっている、プリン夫人自身が来ますよ」
監獄の大戸が内側からぱっと開かれると、まず最初に見えたのは、日光の中へ出てくる黒い影のように、腰に刀を、手に警棒《けいぼう》を持った、ぞっとするような気味のわるい顔つきの看守《かんしゅ》であった。この人物は清教徒の法典の陰惨《いんさん》な厳格さ全部を、その様子に示していて、その法典を徹底的にきびしく罪人に対して実施するのが彼の任務だった。左手で警棒を前にさしのばしながら、彼は右手を若い女の肩にのせて、彼女を前のほうへつれだした。だが、大戸の敷居《しきい》のところで彼女は、生まれながらの威厳と性格の力を示す動作で、彼を払いのけ、自分の自由意思によるかのように、戸外へ足を踏み出した。彼女は生後三か月ばかりの幼子を腕にかかえていたが、幼子は目をぱちぱちさせて、強すぎる日の光から小さい顔をそむけた。というのは、あかんぼうは今まで監獄の土牢《つちろう》や他の暗い部屋の灰色の薄明りばかりに慣れていたからである。
その若い女……この子の母親……が群衆の前に全部姿をあらわしたとき、幼子をしっかりと胸に抱きしめるのが彼女の最初の衝動《しょうどう》のようであった。それも母親の愛情の衝動によってというよりは、むしろそうすることによって、彼女の着物に縫いつけられているか、とめられているなにかの印をかくそうとするためかのようであった。しかし、すぐさま、身の恥を示すひとつの印はもうひとつの印をかくすのにあまり役だたないと、かしこくも判断して、彼女はあかんぼうを片腕に抱き、燃えるように顔を赤らめながら、しかも気高い微笑を浮かべ、きまりわるげな色など見せぬまなざしで、町の人や近所の人たちの顔を見まわした。上着の胸には、金糸の手のこんだ縫いとりと風変わりな飾りをまわりにつけた美しい赤い布地で、Aという文字があらわれていた。ひじょうに芸術的なできばえで、しかも豊富にして豪華な空想をほしいままにして細工してあったので、彼女の着ている衣服に最もよく似合う装飾となる効果があった。またその衣服はその時代の趣向にしたがったみごとなものであったが、この植民地のぜいたく規制令によって許される限度をはるかに越えるものであった。
若い女は背が高く、大がらで、非の打ちどころのない優雅な容姿《ようし》を持っていた。ゆたかな黒髪はつやつやして、日光を反射してかがやき、顔は端正《たんせい》で目鼻だちとゆたかな色つやのために美しいばかりか、めだつひたいと深沈たる黒い目が印象的であった。彼女はまた当時の上流婦人流の貴婦人らしく、現在その特徴とみなされているきゃしゃな、はかない、名状できない優美さよりも、ある種の堂々たる威厳がきわだっていた。そしてまたヘスター・プリンが監獄から出てきたときほど、そのことばの古風な意味において、貴婦人らしく見えたことはなかった。
彼女を前から知っていて、不幸な雲に曇らされて陰欝《いんうつ》になった姿を見るのではないかと予期していた人びとは、彼女の美がかがやきわたり、彼女を包んでいる不幸や屈辱をも後光にしているのを見ておどろき、いや唖然《あぜん》とさえしてしまった。敏感な観察者にとっては、その中になんともいえぬいたいたしいところがあったと真実見えたかもしれない。彼女の着物は、まったく彼女が監獄の中でこの日のためにつくり、しかも自分の空想どおりの型にしたものであるが、その奔放《ほんぽう》な絵画的な特異性のために、彼女の精神の態度、やぶれかぶれの向こう見ずな気分をあらわしているように思えた。しかし一同の目を引きつけ、いわば着ている本人を一変させてしまった点は……そのため以前ヘスター・プリンと親しくしていた男や女も、今はじめて彼女を見るような印象を受けたのだが……風変わりな縫いとりで彼女の胸に飾られた緋文字であった。それは彼女を普通の人間関係からつれ出して、彼女ひとりの世界に包みこんでしまうような魔力をそなえていた。
「あの女はきっと針仕事が器用なんだわ」と女の見物人のひとりが言った。「だけど、このあつかましい浮気女みたいに、こんなふうにそれを見せつけようなんて考えた女がいたでしょうか? だって、みなさん、信心ぶかい判事さんたちの前で笑ったり、あのりっぱなかたたちが罰のつもりで考えたことをじまんの種にするなんて、いったいあるかしら?」
「いい気味だわ」と年増《としま》の細君たちの中でいちばん冷酷な顔をしたのがつぶやいた。「もしもヘスターさんのりっぱな上着をあの上品な肩からはぎとってしまえたら。それから、あの人があんなにていねいに縫いとりをした赤い文字も、わたしのリューマチに使うフランネルの切れっぱしをくれてやったら、もっと似合うだろうにね!」
「まあ、お静かに、みなさん、お静かに!」いちばん若い仲間がささやいた。「あんたがたのことばがあの人の耳にはいらないようにしてやって! あの縫いとりの文字のひと針だって、胸に感じなかったものはなかったのよ」
例のこわい顔の看守が持っている棒で指図《さしず》をした。
「さあ、どいた、みんな、どいた、お上《かみ》の命令だよ」と彼は叫んだ。「道をあけてくれ。はっきり言うと、プリン夫人は、今から午後一時まで、男も女もこどもも彼女のしゃれた着物がじゅうぶん見られるような場所に立ってもらうんだから。まちがったことはみんな明るいところへひっぱり出してしまう正義のマサチューセッツ植民地に祝福あれだ! さあ進んで、ヘスターさん、市場でその緋文字を見せるんだよ!」
一本の通路がすぐさま見物人の群衆の中にひらかれた。看守を先頭にし、いかめしい顔つきの男や意地わるげな顔の女たちにぞろぞろつきしたがわれて、ヘスター・プリンは彼女の刑罰のために定められた場所へ進んでいった。熱心な物見だかい学校生徒の一群は、おかげで学校が半日休みになったということ以外この問題についてはなにもわからないながら、彼女の進んでいく前を駆け、たえずふり返っては彼女の顔をのぞきこんだり、彼女の腕の中で目をパチパチやっているあかんぼうを見たり、また彼女の胸につけられた不名誉な文字をながめたりした。
そのころ、監獄の大戸から市場まではたいした距離ではなかった。だが、この囚人の経験から考えれば、それはそうとう長い道程《どうてい》のように思われたかもしれない。というのは、態度こそ傲然《ごうぜん》としていても、彼女を見ようとして群がった人たちの足音のひとつひとつを聞くたびに、まるで自分の心臓が通りに投げ出されて、彼らから蹴《け》とばされ踏みつけにされるかのような苦悶《くもん》を、おそらく彼女は感じていたであろうからである。しかし、われわれの性質の中には、被害者がそのたえしのぶ苦悶のはげしさを知るのは現在の拷問《ごうもん》によってではなくて、主としてそのあとでうずきだす痛みのためであるという、すばらしいと同時に慈悲ぶかい要素がある。だから、ヘスター・プリンもほとんど落ち着きはらった態度で、身にうけた試練のこの段階を通過し、市場の西側の端にある一種の処刑台のところまで来たのだった。それはボストンで最初の教会のほぼ軒下にあって、まるで教会の付属のように見えた。
じじつこの処刑台は刑具の一部をなしていた。これは二、三代前からわれわれのあいだでは単に歴史的、伝説的なもののようにしか考えられていないが、昔は、ギロチンがフランスの暴力革命主義者のあいだで考えられたように、よき市民精神|高揚《こうよう》のための効果的な道具と考えられたのであった。要するに、それは首さらし台の壇《だん》で、その上に、人間の首をしっかりはさんで公衆の見物にさらすようにつくられた処罰《しょばつ》の道具のわく組みが立っていた。不名誉の理想そのものがこの木と鉄の装置に具体化され、明らかにされていた。思うに、われわれの普通の人間性に対する非道行為として……その個人の犯行がいかなるものであるにせよ……罪人が恥ずかしさのあまり顔をかくすのを禁ずることほど、はなはだしい非道はありえない。しかもそれがこの刑罰の要点だったのである。
しかし、ヘスター・プリンの場合は、他の場合でも珍しくないことだが、彼女のうけた判決は、壇の上に一定時間立つこと、ただしこの醜悪《しゅうあく》な器械のいちばん非道な特徴である処刑方法、すなわち、首のまわりをつかまえて頭を動かさないようにしてしまう罰は受けなくともよいということであった。
自分の役割をよく知っているので、彼女は木の階段をのぼり、町の通りから人の肩くらいの高さのところで、まわりをとりまいている群衆にその姿をさらしたのであった。もしもこの清教徒の群衆の中にカトリック教徒がいたならば、彼はこの絵の題材にもなるような服装と物腰の美しい婦人が胸に幼子を抱いている姿を見て、昔から多くの著名な画家たちがたがいに腕をきそいあって描こうとしてきた聖母マリアの像を思い浮かべたことであろう〔清教徒は十六世紀の後半にイギリス教会に反抗して起こった新教徒の一派で、娯楽やぜいたくをしりぞけ、きびしいおきてを守って清らかに生活することを主張した。カトリック教徒は、普通は、ローマ法王を首長とするローマ・カトリック教会の信者で、信仰の際に教会や神父の助けが必要であると考えているので、昔から美しい建築や音楽や美術の発達をうながした。聖母崇拝もさかんに行なわれた〕。それはこの世を救うべき幼子の純潔《じゅんけつ》な母の聖なる像を、ただ対照的にせよ、思い起こさせるようなものであった。だがここにあるのは、人間生活のどんなに神聖な性質の中にも深い罪の汚れがあって、この世はこの婦人の美のためにいっそう暗くなり、彼女の生んだ幼子のためにいっそう迷える世界になるという結果であったのである。
この場面には、社会が腐敗のあまりそれを見ても身ぶるいせずに微笑するようにならないうちは、罪と恥辱の光景が必ずや同胞の心に起こさずにはおかないような畏怖《いふ》の念がまじっていないことはなかった。ヘスター・プリンの恥辱を目撃した人びとは、まだその素朴さを失ってはいなかった。もし彼女に死刑が宣告されても、彼らはそのきびしさになんの苦情も言わずに、それをながめるくらい厳格であったが、現在のようなさらしものを見て、その中にじょうだんの種だけを見つけるようなちがった社会状態の冷酷さは少しも持ってはいなかったのである。もしまたこの事件を笑いぐさにしようとしている意向があったにせよ、知事におとらず威厳のある人びと、数人の参事官、一裁判官、一将軍、町の牧師たち全部がいかめしく臨席《りんせき》しているために、そういう意向は押えられ、圧倒されてしまったであろう。彼ら全部が集会所の露台にすわったり立ったりして、その壇を見おろしていたからである。
こういうお歴々が、その身分や職権の威厳や威徳をそこなうことなしに、このめざましい光景の一部を形づくることができるときは、法による刑の宣告がしんけんにして有効な意味を持っているのだと推測してもまちがいはなかった。だから、群衆も陰気で重々しかった。不幸な罪人は、千もの容赦《ようしゃ》しない目が自分にそそがれ、しかも自分の胸に集まっているその重圧のもとにありながら、婦人としてできうるかぎりみずからをささえていた。つれてこられるだけでもほとんど耐えがたいことだった。衝動的で熱情的な性格の彼女は、あらゆる種類の侮辱《ぶじょく》となってそそがれてくる公衆の傲慢《ごうまん》無礼の針や、毒をふくんだ突き傷をあまんじて身に受けようと心を固めていた。
だが、民衆の心の厳粛な気分にはもっと恐ろしいものがあるので、彼女としては彼らのこわばった顔がさげすむような笑い顔にゆがんで自分を目標としてくれたほうがよいと思った。大きな笑い声が群集のあいだから沸き起こったならば……どの男も、どの女も、小さなかん高い声のどのこどもも、めいめいが自分の役目の笑い声をたてて……ヘスター・プリンはにがにがしい軽蔑《けいべつ》したような微笑でみんなに応じたかもしれない。しかし、運命としてたえなければならなかった鉛《なまり》のような苦痛のもとにあって、彼女は、ときどき、もうこうなっては胸のはりさけるほど大声で叫んで、この処刑台から地面に身を投げてしまいたい、さもないと今にも気が狂いそうだ、と感じたのだった。
だが、彼女がいちばん目をひく目標となっているこの場面全体が、彼女の目から消えてしまったり、あるいは少なくとも、まるでひとかたまりの不完全な形をした幽霊じみた姿のように、目の前でぼんやり薄れてゆくようにも思われた。彼女の心、ことに彼女の記憶力は異常に活発で、西部の荒野の端にあるこの小さな町の、乱暴に切り開かれた街路よりも別の風景を思い浮かべ、あのとんがり帽子のふちの下からしかめ面をしてながめている顔とは別の顔を思い浮かべていた。まったくとるにたりないような些細《ささい》な思い出、すなわち少女時代や学校時代のできごと、遊び、こどもらしいけんか、娘時代の小さい家庭内のくせなどが、その後の生活に起こった重要な事件の思い出とまじりあって、彼女に群がるようによみがえってきた。ひとつの映像は他の映像とまったく同じくらいなまなましく、すべてが同じ重要性を持っているようにも、またすべてが遊びのようにも思えた。おそらく、こういう走馬燈《そうまとう》的ないろんな形をならべたてて、現実の残忍な重みと苦しさからのがれようというのは、彼女の精神の本能的な知恵であったのであろう。
それはともかくとして、このさらし台の処刑台は、ヘスター・プリンが幸福な少女時代以来歩んできた全行程を彼女に示すひとつの視点であった。そのみじめな高台に立って、彼女はもう一度本国のイングランドにある生まれ故郷の村と自分の父の家を見た。灰色の石造のくずれかかった家で、貧にやつれた様子はしていたが、古い家がらを示す、なかば消えかかった紋章が玄関の上に残っていた。彼女は父の顔も見た。ひたいがはげあがり、うやうやしい白ひげは古風なエリザベス朝式ひだえりの上にたれさがっていた。母の顔も見た。その注意ぶかい気づかわしそうな愛情の表情はいつも彼女の思い出の中にあって、母が死んでからも、娘の歩いてゆく道すじに立ちふさがってやさしく叱責することがしばしばあったのである。
彼女は自分自身の顔も見た。少女らしい美にかがやいて、彼女がいつもながめているうす暗い鏡の内側全部を明るく照らし出しているようであった。そこに彼女は別の顔も見た。老いさらばえて、青ざめて、やせた、学者のような顔つきで、多くの重苦しい本を夢中になって読むのに役だったランプの光のためにぼんやりとかすんだような目をしている男だった。だがそのかすんだ目も、いったん本人が人間の魂をよみとろうとのねらいをつけると、異様な、つらぬくような力を持つのだった。ヘスター・プリンの女らしい想像が思い出さずにはいられなかったこの書斎と修道院の人物は、左肩が右肩よりも少し高く、ややぶかっこうであった。
つぎに回想の画廊の中で彼女の前にあらわれたのは、ある大陸の都の入りくんだ狭い通り、高い灰色の家並み、巨大な大聖堂、それに時代の古い、建築様式の変わっている公共の建造物であった。そこで新しい生活が彼女を待っていたが、なおもあのぶかっこうな学者と関係があった。新しい生活ではあったが、くずれかかった塀の上に群生する緑の苔《こけ》のように、古びたものを養分としているのだった。
最後に、こういう移り変わるけしきの代わりに、清教徒植民地のそうぞうしい市場がもどってきた。町民全部が集まって、幼子を腕に、金糸で風変わりな縫いとりをした緋色のAという文字を胸につけて、さらし台の壇の上に立ったヘスター・プリンに……そうだ、彼女自身に……きびしい視線を浴びせているのだ!
こんなことがありうるだろうか? 彼女はこどもを胸にあんまりつよく抱きしめたので、こどもは泣きだした。彼女は顔の下の緋文字のほうへ目を向け、この幼子も恥辱も現実のものかどうか確かめるために、指でその文字にさわってみさえした。……そうだ!……このふたつのものだけ現実なのだ! 他はすべて消えてしまったのだ!
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三 認知
緋文字をつけたこの女性は、群衆のはずれに、いやおうなしに彼女の心をうばいとった姿を見て、自分がきびしい衆人環視《しゅうじんかんし》のまとであるというこのはげしい意識から、ついに救われた。ひとりのインディアンが土人の服を着てそこに立っていた。だが赤色インディアンは英国の植民地へしばしばやってくるので、今のような場合に、ヘスター・プリンの注意を引くようなことはなかったであろうし、いわんや彼女の心から他のことがらや考えのいっさいをのぞき去るようなことはなかったはずである。インディアンのそばに、明らかにそのつれであるようにして、文明人と未開人の衣装を奇妙にだらしなく着こんだ白人がひとり立っていた。
その男は背が低く、しわだらけの顔をしていたが、まだ老人とはいえないような顔である。彼の顔には、ちょうど精神的な方面をよく修養したので肉体の方面もひとりでに形づくられ、その精神がまぎれのない証拠で人目を引くようになった人物の場合のように、いちじるしい知性のかがやきがあった。からだに合わぬ服をわざと無造作《むぞうさ》に着こんで、からだの特徴をかくしたりやわらげようとしてはいたが、ヘスター・プリンにはその男のいっぽうの肩が他よりも高くなっていることがはっきりわかった。そのやせた顔と、少しかっこうのわるい姿をはじめて見た瞬間、彼女はふたたびあかんぼうを夢中になって胸に押しつけたので、かわいそうにあかんぼうはまた苦しそうに泣き声をたてた。だが母親の耳には聞こえないようであった。
市場に到着したとき、そして彼女に姿を見られる少し前に、この見なれぬ男はヘスター・プリンに目をとめていた。はじめは、いつも主として心の中だけを見ているので、外部のことがらも自分の心の中のなにかと関係がないかぎり、あまり価値も意味もないような人らしく、いいかげんな見方だった。しかし、やがて彼の目つきはするどく探るようになった。のたうちまわるような恐怖が、まるで顔の上をすべるようにしてきた蛇《へび》がちょっと立ちどまって、おおっぴらにとぐろを巻くのを見せるように、彼の顔を身をくねらせながら横切った。彼の顔はなにかはげしい感情のためか暗くなったが、すぐさま意思の力でそれを押えたのか、ほんの一瞬をのぞいて、その表情は平静ととられてもよいようになった。しばらくして、その苦悶はほとんど見わけがたくなり、ついには彼の本性の奥にかくされてしまった。ヘスター・プリンの目が自分の目とぴったり合ったのを知り、彼女が自分の正体を認めたらしいことがわかったとき、彼はゆっくりと静かに指を上げて、宙でなにか合い図をしたのち、それを自分のくちびるに当てた。
それからとなりに立っていた一町民の肩にさわって、あらたまった礼儀正しい態度で話しかけた。
「ちょっとお伺いしますが」と彼は言った。「あの女はだれですか?……またどうしてこんなところで恥さらしにされているのですか?」
「あなたはこの町は、はじめてのかたにちがいありませんね」と、その町民は答えて、もの珍しそうに質問者とつれの未開人を見た。「さもなけりゃ、ヘスター・プリンさんや、あの人のおかしたまちがいのうわさは聞いとられるでしょうからな。あの人は信仰のあついディムズデイル先生の教会で、それこそけしからぬことをされたんですよ」
「おっしゃるとおり」と相手は答えた。「わたしは旅の者で、心ならずもほうぼうまわっていました。海でも陸でもさんざん悲しい不幸事に会いましたし、長いあいだ南のほうの土人に監禁《かんきん》されていました。今こうしてこのインディアンにつれてこられたのは、身代《みのしろ》金で自由にしてもらうためです。だから、よかったら、ヘスター・プリン……たしかこういう名まえでしたかな?……この女のおかした罪のことや、どうして向こうの処刑台につれてこられたのか教えてくださらないでしょうか?」
「ほんとにね、荒野で苦労なさってきたんでは、やっとこの町へ来て、さぞうれしいでしょうね」とその町民は言った。「なにしろここでは、不正は必ずあばかれて、当局と人民の前で罰せられるんですからね。信仰のあついわがニュー・イングランドのここがそうなんですよ。あの女は、あなた、ある学者の細君なんですが、学者はイギリスの生まれで、長いことアムステルダムに住んでいたが、しばらく前に海をわたってマサチューセッツのわれわれといっしょに運命をためそうと決心したんですね。このために、彼はまず細君を先に送り、自分はあとに残って必要な仕事をかたづけていたわけです。ところが、あなた、女がボストンに来て住むようになって二年とたたぬうちに、この学者のプリン先生からなんの音さたもない。で、この若い細君、身をあやまるというしぎになって……」
「ああ、ああ……わかりました!」と見知らぬ男は、にがにがしげな微笑を浮かべて言った。「おっしゃるような学者なら、こういうことは本で読んでるはずですがね。ところで、よろしかったら、プリンさんが腕に抱いている……たしか……三、四か月くらいの……あのあかんぼうの父親はだれでしょうか?」
「じつのところ、あなた、その問題がまだ謎《なぞ》なんです。その謎を解いてくれるダニエルがまだいないんで」と町民は答えた。「ヘスターさんは絶対に口を開かないので、判事たち、頭を集めたんですが、だめだったようです。たぶん身に覚えのある男が、人間にはわからなくとも、神さまが見ていらっしゃることを忘れて、この気のどくな光景をながめていることでしょうよ」
「その学者は」と見知らぬ男は、また微笑を浮かべながら言った。「自分で来て、その謎をしらべるべきですね」
「生きているんなら、そうすべきですよ」と町民は答えた。「ところで、あなた、わがマサチューセッツの判事たちは、この女は若くて美しいので、つよく誘惑されて堕落したのだろう、またそのうえ十中八、九、夫は海の底に沈んでいるだろうと考えて、わが公正な法律による極端な手段を思いきってとろうとしなかったんです。その刑罰は死刑ですがね。だけど、大きな慈悲とやさしい心で、判事たちはプリンさんに、わずか三時間だけさらし台の壇上に立つこと、それからそのあとは、一生のあいだ恥辱の印を胸につけているようにと宣告したわけです」
「賢明な判決だ!」とその見知らぬ男は重々しくうなずきながら答えた。「そうなれば、あの女は、あの恥ずべき文字が墓石にきざまれるまでは罪に対しての生きたお説教となるでしょうて。だけど、女の不義の相手が、少なくとも処刑台に女のそばにならんで立たないというのはしゃくですな。だが、いつかは知れますよ!……知れますよ!……きっと知れますよ!」
彼は教えてくれた町民にていねいにおじぎをすると、二《ふた》こと三《み》ことつれのインディアンにささやいて、ふたりで群衆をかきわけて行ってしまった。
こうしているあいだも、ヘスター・プリンは、かの見知らぬ男のほうへ視線を向けたまま台の上に立っていた。あまりに熱心に見つめているので、我を忘れたような瞬間には、この目に見える世界のあらゆるものが、彼と彼女のふたりだけをのこして消えうせたかのように思われた。そういう顔の合わせかたは、おそらく、今の彼女のように暑い真昼の太陽に顔も燃えよとばかりに照りつけられてその恥をさらけだし、深紅の恥辱の印を胸につけ、罪の子を腕に抱き、まるでお祭にでも行くように町民全体を呼びだして、ただ炉辺のしずかなほの明りの中で、幸福な家庭のかたわらで、あるいは、教会の落ち着いたベールの下でのみ見せた顔をじろじろ見られながら、彼と顔を合わせるときよりももっと恐ろしかったであろう。それは恐ろしいことではあったが、この数千の見物人の面前にいることにかえって避難所を意識した。自分たちふたりきりで顔と顔をつき合わせて会うよりは、このように自分と彼とのあいだに大勢の人をはさんで立っているほうがよかった。彼女は、いわば、逃避として衆人の目にさらされることをえらんだ。そしてその保護が自分からうばわれるのを恐れた。
こういう考えにふけっていったので、彼女は自分のうしろの声がほとんど耳にはいらず、その声は群衆全体に聞こえるような大きないかめしい調子で二度も三度も彼女の名をくりかえした。
「わたしの言うことを聞きなさい、ヘスター・プリン」とその声は言った。
すでに注意したように、ヘスター・プリンの立っている壇のすぐ上に、集会所付属の一種の露台《ろだい》というか、むきだしの桟敷《さじき》があった。それは、当時のこういう公衆の行事には必ず付随した儀式をもって、治安判事の集まった中で、布告のよくなされた場所であった。ここに、今われわれの述べている光景を見ようとして、ベリンガム知事自身が、自分のいすのまわりに儀仗兵《ぎじょうへい》として≪ほこやり≫を持つ警部を四人したがえてすわっていた。知事は帽子に黒っぽい羽飾りを、マントには縫いとりの縁《ふち》をつけ、下には黒いビロードの上着を着ていた。年とった紳士で、苦しい経験が顔のしわにきざまれていた。彼は一社会の首長、代表者として不適任ではなかった。というのはこの社会の起源と進歩も、その現在の発展状態も、青年の衝動ではなくて、壮年のきびしい抑制《よくせい》された精力と老年のじみな英知のたまものであり、多くの業績をあげることのできたのも、想像と希望を少なめにしたためであったからである。
この政治の首長をとりまいている他の名士たちには、現在の権力の形式には神の授けたもうた制度の神聖さがあると感じられる、時代特有の、威厳のある態度がきわだっていた。彼らは、疑いもなく、公正賢明な善人であった。しかし、ヘスター・プリンが今顔を向けた厳格なようすの賢人たち以上に、ひとりのあやまちをおかす女の心をさばき、善悪のもつれた網目をときほぐすことのできない、かしこい有徳の人びとを同数えらぶことは容易ではなかったであろう。じじつ彼女は、もし同情が期待できるとしても、その同情はすべて群衆のもっと大きな暖かい心の中にあることを意識しているようだった。というのは、露台のほうへ目をあげたとき、この不幸な女は青ざめ、からだをふるわせたからである。
彼女の注意を呼んだ声は、有名なジョン・ウィルソン牧師〔一六三〇年に移住してきたボストン教会の有力な牧師〕の声であった。ボストンの長老牧師で、同じ時代の大部分の聖職者と同じく、大学者であり、さらに親切な温情のある精神の持ち主であった。この最後の性質は、しかし、彼の知的な才能ほど細心に開発されたものではなく、じじつ、彼にとっては喜ぶべきものというよりはむしろ恥ずかしい性質であった。彼はずきんの下に半白の髪の毛をのぞかせてそこに立っていた。書斎の笠《かさ》をつけた光に慣れている彼の灰色の目は、ヘスターの幼子の目のように、このまじりけのない日光の中でぱちぱちまたたいていた。彼は古い説教集の前によくつけられている黒ずんだ銅版の肖像画のようだったし、またそういう肖像画と同じように、今彼がしたように前に進み出て、人間の罪や熱情や苦悶などの問題に口をさしはさむ権利などなかったのだ。
「ヘスター・プリン」と牧師は言った。「わたしは、あんたに福音の教えを説いてきた、ここにいるわたしの若い兄弟と争ってきたんですよ」……ここでウィルソン氏は、かたわらの青白い青年の肩に片手をのせた……「この信仰のあつい青年が、ここで天の面前で、これら賢明にして高潔な支配者のかたがたの前で、また町民全体の聞こえるところで、あんたの罪の恥ずべき汚辱について処置するように説得しようと来たのです。わたし以上にあんたの気質をよく知っているので、どういう議論をしたら、いたわりの言葉かおどかしの言葉のどちらを用いたら、あんたの強情やがんこさに打ちかって、あんたを誘惑してこの悲しむべき堕落《だらく》をさせた男の名をもはやかくそうとしなくなるかを、彼ならばいっそうよくさばくことができるだろう。だが彼はわたしに反対するのだ(年のわりにはかしこいけれども、青年特有のやさしすぎるという性質のために)、こんな白昼に、しかもこんな大群衆の前で、胸の秘密をうちあけさせるのは、婦人の本性そのものを不当にはずかしめるものであると言ってね。実際わたしもこの人を納得させようとしたように、恥ずかしいのは罪を犯すことであって、それをうちあけることにあるのではない。ディムズデイル兄弟、もう一度きみの意見を聞きたい。このあわれな罪人の魂を処置するのは、きみなのか、わたしなのかね?」
露台に席を占めていた名士や牧師たちのあいだにささやきが起こった。ベリンガム知事はそのささやき声の言わんとするところに表現を与えて、彼のことばをかけた若い牧師に敬意を表して遠慮はしているけれども、権威ある声で口を切った。
「ディムズデイルさん」と彼は言った。「この婦人の魂の責任はもっぱらあなたにあります、だから、あなたは彼女を訓戒《くんかい》して悔いあらためさせ、その証明を結果として告白させる義務があります」
この直接の懇請《こんせい》は群衆全体の目を牧師ディムズデイル氏に引きつけさせた。イギリスの大きな大学のひとつを出た若い牧師は、当時の学問全部をわれらが野生森林国へ運んできたのだった。彼の雄弁と宗教的熱情はすでに聖職における高い位置を彼のために予約していた。彼はすぐれた容姿の人物で、高く秀でた白晢《はくせき》のひたいと、大きな褐色の憂欝《ゆううつ》そうな目と、かたく結んでいるとき以外はとかくふるえがちで神経質な感受性と、大きな自己抑制の力とを示す口がきわだっていた。高い生まれつきの才能と学者らしい素養を持っているにもかかわらず、この若い牧師には……自分がわき道にそれて人間生活の道にさからってしまったと感じ、どこかに隠遁《いんとん》してのみ安心できるというような……心配そうな、びくびくした、なかばおびえたような表情があった。したがって自分の職務のゆるすかぎり、彼はうす暗い間道を歩き、自分を素朴なこどもらしくしていた。が、機会があれば、多くの人の意見では、天使のことばのごとく感銘を与える新鮮な、かおり高き、露のように清純な思想をもってあらわれたのである。
ウィルソン牧師と知事が公然と公衆に紹介して、堕落はしても神聖な婦人の魂の秘密を、すべての人たちの聞いているところで、証言させるようにと命じられた青年は、こういう人物であった。自分のおかれた立場の苦しさに、彼の頬《ほお》からは血のけがひき、くちびるはわなわなとふるえた。
「兄弟よ、あの婦人に話しかけたまえ」とウィルソン氏は言った。「彼女の魂にとって重要なことです。だから知事閣下も言われるように、彼女の魂をあずかっているきみの魂にとっても重要なことです。彼女が真実を告白するようにすすめたまえ」
ディムズデイル牧師は、無言で祈祷《きとう》をしているかのように首をたれていたが、やがて前へ進み出た。
「ヘスター・プリン」と彼は、露台からからだをのりだし、じっと彼女の目をのぞきこみながら、言った。「あなたは、このおかたのおっしゃることを聞いているし、わたしの苦しんでいる責任の重荷もわかりますね。もしも自分の魂の平和のためと感じたら、また、あなたの受ける地上の刑罰が魂の救済のためにはいっそう役だつのだと感じたら、どうぞあなたの罪の仲間、苦しみの仲間の名を言ってください! その人に対するあやまったあわれみや慈悲心から、口をつぐまないでください。というのは、わたしのことばを信じてくたさい、ヘスター、その人が高いところからおりて、あなたの今立っている恥辱の台にならんで立たねばならないとしても、一生罪の心をかくし通すよりも、そうしたほうがよいでしょうから。あなたの黙秘《もくひ》がその人のために、何になるでしょう。ただその人をそそのかして……いや、いわば強制して……罪に偽善《ぎぜん》を加えさせることになるのではないでしょうか? あなたが胸の中の悪や、外の悲しみにはっきり勝利をうることができるように、天はあなたに公衆の前での恥を与えたもうたのです。あなたがその人に……おそらく自分でそれをつかむ勇気のない人に……今あなたのくちびるにさし出されている苦《にが》い、だが、心のためになるさかずきを与えないでいるのだということに留意してください!」
若い牧師の声はふるえながらもあまく、ゆたかで、深く、かつとぎれがちであった。その声にはっきりあらわれた感情のほうが、そのことばの直接の意味よりも、すべての人たちの胸の中に震動をおこし、聴衆を同情のひとつ心に一致させた。ヘスターの胸にいだかれたあわれなあかんぼうでさえも同じ力に動かされた。というのは、あかんぼうは今までのうつろな目をディムズデイル氏にひたと向け、なかばうれしいように、なかばむずかるようにぶつぶつ言いながら、その小さい両の腕をさし上げたからである。
牧師の訴えはひじょうに力づよかったので、人びとはみな、これでヘスター・プリンも罪を犯した男の名を口にするであろう、さもなければ罪人自身が、今の地位がどんなに高かろうと低かろうと、内心のさけがたい必然性によって引き出されて、処刑台にのぼらないではいられないであろうと信じざるをえなかったほどであった。
ヘスターは首をふった。
「女よ、天のご慈悲の限度を越えるな!」とウィルソン牧師は前よりもあらあらしく叫んだ。「その小さい赤子も、あんたの今聞いた勧告《かんこく》に賛成し、それを確認するために声を与えられている。名を言いなさい!その名を言って侮いあらためれば、その緋文字はあんたの胸から取れるのだ」
「決して取れません!」とヘスター・プリンは、ウィルソン氏を見ないで、若い牧師の深い当惑しきった目を見つめながら答えた。
「あまりに深く焼きつけられています。取り去ることはできません。それにその人の苦しみもわたしのと同じように耐えしのびたいものと願っています」
「言え、女」別の声が冷たく、またきびしく、処刑台のまわりの群衆から出た。「言え、その子に父親を与えてやれ!」
「言いません」
ヘスターは死人のように青ざめながらも、たしかに聞き覚えのあるその声に向かって答えた。「わたしのこどもには天の父を捜させます。地上の父は知らせません」
「彼女は言わないだろう!」胸に手を当て、露台からからだをのりだして勧告の結果を待っていたディムズデイルはつぶやいた。彼は長い吐息《といき》をついて、うしろへさがった。「女心のおどろくべき力と寛大さだ!彼女は言わないだろう!」
あわれな罪人の手に負えそうもない心理状態を認めて、先輩牧師は、かねてこのときのために注意深く用意していたので、群衆に向かって罪についての説教を、罪のいろいろな枝葉にわたりながらも、たえずあの恥ずべき文字に言及しながら述べた。この象徴《しょうちょう》について、人びとの頭の上に美辞麗句《びじれいく》をつらねながら、一時間、あるいはそれ以上も、力づよく強調したので、その文字は彼らの想像の中で新しい恐怖を持ち、その緋の色を地獄の底の炎《ほのお》から取ってきたように思われた。ヘスター・プリンは、そのあいだ、どんよりした目で、しかもつかれきった無関心の態度で、恥の台の上にじっと立ちつくしていた。
彼女は、その朝、人間性のたえうるものいっさいをたえしのんだ。また彼女の気質ははげしすぎる苦悩を失神によってのがれるというようなものではなかったので、動物的生命の機能はそのままにして、彼女の精神は石のように堅い無感覚の外皮の下にみずからを逃避させることしかできなかった。こういう状態にいるので、かの説教者の声も彼女の耳には冷酷に、だがむだに鳴りひびくだけであった。幼子は彼女の試練の後半のあいだ、つんざくような声で泣きわめいた。彼女は機械的にそれをしずめようとしたが、あかんぼうの苦しみに同情するようなふうはほとんどなかった。前と同じきびしい態度で、彼女は監獄へつれもどされ、その鉄の締め金のついた門の中へ公衆の目から消えた。そのうしろ姿をじっと見送っていた人たちは、緋文字が内部のうす暗い廊下に無気味な光を投げたとうわさしあった。
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四 面会
監獄へもどってから、ヘスター・プリンは神経がたかぶって、たえず監視の目を必要とした。自分に暴力を加えるか、半狂乱になってあわれなあかんぼうに危害を加えるのではないかと恐れられたからである。夜が近づいて、叱ったり刑罰のおどしをしたりしてみても彼女の反抗をしずめることは不可能とわかったので、看守のブラケット氏は医者を呼ぶのがいいと思った。彼の説明によると、その医者はキリスト教国のあらゆる医学方式に熟達《じゅくたつ》していると同時に、未開人が森にはえている薬草や薬根について教えることのできる知識にもよく通じているということであった。じつを言えば、ヘスター自身のためばかりでなく、それ以上にこどものために、医者の助けがひどく必要であった。というのは、こどもは母の胸から栄養を吸い取りながら、母親の体内に充満《じゅうまん》している動揺と苦悶と絶望をすべて同時に飲みこんでいたからである。こどもは今、苦痛の発作でもだえ苦しみ、その小さなからだに、ヘスター・プリンが昼間じゅう耐えしのんだ道徳的苦悶をそのまま力づよくあらわしていた。
看守のすぐあとにつづいてこのうす暗い監房に姿をあらわしたのは、奇妙な様子の人物で、群衆の中にその姿を見せて緋文字を胸につけた人に深い関心を払わせた男であった。彼は監獄の中に泊まっていたが、なにかの犯罪容疑のためではなく、判事たちが彼の身代金についてインディアンの族長と協議をするまでは、その身がらを処置する方法としてはこれが最も便利で適当な方法と考えられたからであった。彼の名はロジャー・チリングワースといわれた。看守は彼を部屋に案内してから、彼がはいってしばらくしーんとしずまりかえったのをいぶかしみながら、ちよっとのあいだそこにいた。というのは、こどもは相変わらずうめきつづけたにもかかわらず、ヘスター・プリンのほうはたちまち死んだように静かになったからである。
「どうぞ、きみ、病人とふたりっきりにしてください」と医者は言った。「信用してください、看守さん、じきに心配なくしてあげますよ。そして、約束します。プリンさんもこれからは今までよりずっと法の定めにおとなしく従うようにしてあげます」
「いや、もしあなたにそれができたら」とブラケット氏は答えた。「まったくたいした腕の人ということになります! まったくこの女はもののけに憑《つ》かれたみたいで、悪魔をむちで追い出すために処理すべきこともほとんどないような状態なんです」
見知らぬ人は自分がそのひとりだと名のった職業特有の落ち着きをもって部屋にはいった。監獄の番人がひきさがって、女と顔を向き合わせるようになっても、彼の態度は変わらなかった。彼女が群衆の中の自分をぼうぜんと見つめていたのは、自分と彼女とのあいだの密接な関係を示していたからである。彼の最初の関心はこどもに向けられた。じじつ手押し寝台に寝かされてもだえているこどもの泣き声は、他の仕事などいっさい捨てて、まずこどもをなだめることを緊急事とさせたからである。彼は幼子を念をいれて診察し、自分の着物の下から取り出した皮のかばんをあけはじめた。なにか薬剤がはいっているらしく、彼はそのひとつを茶わんいっぱいの水とまぜた。
「むかし錬金術《れんきんじゅつ》を研究したことがあるし、薬草のもつ自然の特性をよく知っている種族のあいだにここ一年以上もいたので、わしはなまじっかの学位をもつ多くの人よりもりっぱな医者になることができたよ。さあ、いいかね! この子はおまえの子だ……わしの子じゃない……こどもはわしの声や顔を父親のものとは思うまい。だから、おまえ自身の手でこの薬をおやり」
ヘスターはさし出された薬をしりぞけ、同時にひどく不安げに彼の顔を見つめた。
「あなたは罪のないあかんぼうに復讐しようとなさるんですか?」と彼女はささやいた。
「ばかな女だ!」と医者は、なかば冷たく、なかばなだめるように答えた。「どうしてわしがこの不義のみじめな妻子に危害を加えたりするものかね? この薬はよくきくんだよ。わしのこども……そうだ、おまえのこどもであると同時にわしのこども……であっても、これ以上のことはできないよ」
実際、まだ理性的になれずに、彼女はためらっていたので、彼は幼子を腕に抱いて、自分で薬を飲ませた。薬はやがてききめを示し、医者の約束を果たした。小さい患者のうめき声はしずまり、発作的にのたうちまわった苦しみもやがておさまった。そして数分後には、苦痛の去った幼子がよくやるように、深いすこやかな眠りに落ちた。
医者と呼ばれるだけのりっぱな資格のある男は、つぎに母親のほうの手当をした。落ち着いた熱心な診察のしかたで、彼は彼女の脈を見、目をのぞいた……見なれたまなざしではあるが、よそよそしいひややかなまなざしであるために、彼女の心をひるませ、ぞっとさせた……そして最後に、自分の診察に満足してから、別の薬を調合しはじめた。
「わしはリーシ〔いっさいを忘れさせる薬。麻酔のエーテル〕もネペンシ〔うさを忘れさせる薬。アヘン〕も知らない」と彼は言った。「だがわしは荒野でたくさんの新しい秘法をまなんできた。これもそのひとつだが……わしが古いパラケルスス〔一四九一〜一五四一。スイスの医学者、錬金術師〕の処方《しょほう》をいくつか教えてやったお礼にインディアンが教えてくれた処方さ。さあ、お飲み! 罪のない良心ほど神経を鎮静《ちんせい》させてはくれないかもしれんがね。それはわしには与えてやることはできない。だが、大荒れの海の波の上に油を流したように、おまえの激情の高まりや強まりをしずめてはくれるだろう」
彼が茶わんをヘスターにさし出すと、彼女はゆっくりと熱心な目で彼の顔を見ながらそれを受け取った。それは恐怖の目つきではなかったが、いったい彼の目的はなんなのかという疑惑にみちたものであった。彼女は眠っているこどもも見た。
「わたしは死のことを考えていました」と彼女は言った。「死ねたらと思いました……わたしのようなものがなにか祈ってもよいものなら、死を祈りたいとさえ思いました。でも、もしも死がこの茶わんの中にあるのなら、わたしがそれを飲みほすのを見る前に、もう一度考えてください。さあ! くちびるへつけましたわ」
「ではお飲み」と彼は、なおも前と変わらぬ冷静な落ち着きをもって答えた。「ヘスター・プリン、おまえはそんなにわしがわかっていないのかね? わしの目的はいつもそんなに浅薄かね? 復讐の計画を考えるにしても、おまえを生かしておくほうがわしの目的のためになるんじゃなかろうか……この燃えるような恥辱《ちじょく》がいつまでもおまえの胸にかがやくように……人生のあらゆる危害や危険をいやす薬を与えるよりはね」
こう言いながら、彼は長い人さし指を緋文字の上に置いたが、その文字はまるで灼熱《しゃくねつ》していたかのように、ヘスターの胸に焼けつくかと思われた。彼は彼女が思わず知らずからだを動かすのを見て微笑した。……「だから生きるのだ。そして大ぜいの男女の見ている前で……かつて夫と呼んだ男の見ている前でも……あのこどもの見ている前でも、自分の運命をになっていくのだ。そして生きてゆくことができるように、この薬を飲むのだ」
それ以上の忠告もためらいもなく、ヘスター・プリンは茶わんを飲みほした。そしてその熟練者に言われるままに、こどもの眠っている寝台に腰をおろした。彼のほうはその部屋にあるたった一脚のいすを引きよせると、彼女とならんで腰をおろした。こういうふうに用意おさおさおこたりないのを見ると、彼女は身ぶるいせずにはいられなかった。というのは、彼女は……彼が肉体の苦しみを救うために、人道や、主義や、いわば洗練された残虐《ざんぎゃく》性ともいうべきものが、彼に強制したことをすべてなし終えた今……つぎには彼女によって最も深く、取りかえしのできぬほどに傷つけられた男として、自分を扱おうとしていると感じたからである。
「ヘスター」と彼は言った。「わしはたずねないよ、なぜ、またどんなふうにして、おまえが地獄へ落ちたのか、というよりは、わしがおまえを見たあの不名誉な台の上へのぼったのか、などとは。その理由は遠く捜すまでもない。わしがおろかだったのだ、おまえが弱かったのだ。わしは……思索《しさく》の人間で……大きな書斎の本の虫だった……あこがれの知識の夢を追って自分の壮年時代をすごしたために、すでにおとろえた人間で……おまえのような若さと美をどう扱ったらよかったのか! 生まれたときからできそこないのからだだったわしは、若い娘の気持ちでは知的な才能があれば肉体の不具もかくされるだろうなどという考えに、どうして自分をあざむくことができたのだろうか? 人びとはわしをかしこいという。もしも賢者といわれる人が本人のためにかしこいのなら、わしも当然このことを予想していてよかったはずだ。広大な暗い森林から出て、このキリスト教徒の植民地へはいってきたとき、最初にわしの目にふれるのはおまえ、ヘスター・プリンが恥さらしの像となって民衆の前に立っている姿であろうということが、わしには当然わかっていてもよかったのだ。いや、わしたちが夫婦としてあの古い教会の石段をおりてきた瞬間から、あの緋文字のかがり火がわしたちの前途の端に燃えさかっているのを見ているはずだったのだ」
「ご存じのとおり」とヘスターは言った……ふさぎこんではいたけれど、自分の恥の印をこのように静かに突きさされて、彼女は忍耐することができなかった……「ご存じのとおり、わたしはあなたに対して正直でした。すこしも愛は感じませんでしたし、そんなふりもしませんでした」
「そのとおりだ!」と彼は答えた。「わしがおろかだったのだ! さっきも言ったとおりだ。しかしあの時期までのわしの生活はむだであった。世の中はなんの楽しみもなかった! わしの心は多くの客人をむかえることができるくらい広い住居であったが、さびしくて冷たくて、団らんの炉《ろ》もなかった。わしは炉に火をつけたかった! 及びもつかない夢とも思えなかった……年はとっているし、陰気で、不具者ではあったけれども……いたるところに散らばっていて、だれでも拾い集めることのできるあの単純な幸福も、まだ自分のものにすることができるかもしれないと思ったのだ。そこで、ヘスター、わしはおまえをわしの胸のいちばん奥の部屋へ招きいれ、おまえがいるためにできた暖かさでおまえをあたためてやりたいと思った!」
「わたしはあなたにたいへん悪いことをしました」とヘスターはつぶやいた。
「悪いのはおたがいさ」と彼は答えた。「まず悪いことをしたのはわしだ。おまえのつぼみの若さをだましてわしの衰えといつわりのふしぜんな関係を結ばせたのだからね。だからむだに思索したり哲学したりしなかった人間として、おまえに対してはべつに復讐も考えないし、不幸もたくらんだりはしない。おまえとわしのあいだは、責任はだいたい同じだ。だが、ヘスター、われわれふたりに悪いことをした男は平気でいる! そいつはだれなんだ?」
「聞かないでください!」ヘスターは相手の顔をきつい目で見ながら答えた。「それは絶対に申しあげません!」
「絶対に、と言うのかね?」彼は、暗い自信たっぷりの知性の微笑を浮かべながら、答えた。
「絶対に言わないって! うそは言わないよ、ヘスター、どんなことだって……外部の世界であろうと、またある深さまでは、目に見えぬ思考の領域であろうと……神秘な問題の解決にしんけんに無制限に専心している人の目からかくしおおせるものはないんだよ。おまえはせんさく好きな群衆からは、おまえの秘密をおおいかくすことができるかもしれない。また、牧師や判事たちがその男の名をおまえの胸からしぼりだして、あの台の上におまえの仲間をいっしょにのぼらせようとしたときに、きょうおまえが成功したように、彼らからもおまえの秘密をかくすことができるかもしれない。だが、わしは、彼らの持っているのとはちがった分別をもって検審《けんばん》に来たのだ。わしは書物の中に真理を求め、練金術で金を捜したように、必ずこの男を捜し出す。わしにはその男を意識させるような感応性がある。わしにはその男のふるえるのが見えるだろう。わし自身が突然だしぬけにふるえだすのがわかるだろう。おそかれ早かれ、その男は必ずわしのものになるよ!」
しわだらけの学者の目はじっと彼女にそそがれて燃えたつようだったので、ヘスター・プリンは胸の上で両の手を組み、そこにある秘密を今すぐ読みとられはせぬかと恐れた。
「その男の名まえを明かしたくないのかね? だけどその男は必ずわしのものになるよ」
まるで運命が自分と一体となったかのように、自信たっぷりの顔で、彼はまたつづけた。「その男は、おまえみたいに、不面目《ふめんぼく》な文字は自分の衣服に縫いつけてはいないが、彼の心の上のその文字を読むだろう。だが、その男のために恐れなくともよい! わしが天自身の懲罰《ちょうばつ》方法に干渉したり、その男の名をあばいて人間のつくった法に捕えさせ、わし自身の損になることをするとは考えないでくれ。また、わしがその男の生命に対してなにかをたくらむとか、もしその男が、わしの判断するように、りっぱな信用のある男なら、その名誉を傷つけようとしているなどと考えないでくれ。生かしておくよ! もしできるものならば、外部の名誉に身をかくさせておくよ! だがそれでもその男はわしのものにしてみせるよ」
「あなたの行為は慈悲に似ています」とヘスターは当惑し、青くなって言った。「でもあなたの言葉はあなたが恐ろしい人だということを教えています!」
「ひとつだけ、わしの妻だったおまえに申しつけたいことがある」と学者はつづけた。「おまえはおまえの愛人の秘密を守っている。同じようにわしの秘密を守っておいてくれ! この土地にはわしを知っているものはひとりもいない。おまえがかつてわしを夫と呼んだことをどんな人にも囁《ささや》かないでくれ! ここに、地上のこの未開のはずれに、わしはテントをはろう。というのは、他の土地では放浪者で、人間的な利害から孤立していても、ここには、わしとのあいだに切っても切れないきずなのある女と男とこどものいることがわかったんだから。愛のためであろうと、にくしみのためであろうとかまわない。正のためでも邪のためでもかまわない! おまえもおまえの持っているものも、ヘスター・プリンよ、わしのものだ。わしの家はおまえのいるところ、その男のいるところにある。だがわしを裏切ってはいけないよ!」
「どうしてそんなことを望むんですか?」
なぜかはわからなかったが、この秘密の約束にひるみながら、ヘスターはたずねた。「なぜ公然と名のり出て、ただちにわたしも追放しないんですか?」
「それは」と彼は答えた。「不実な女の、天が顔にぬられる泥をわしはかぶりたくないからだ。ほかにも理由があるかもしれない。人に知られずに生きて死ぬのがわしの目的だ、というだけでじゅうぶんだろう。だから世間に対しては、おまえの夫はすでになくなって、なんの音さたもないものということにしておいてくれ。ことばや合い図や顔色などでわしを知っているようなふりをしないでくれ! とりわけ、おまえのいちばんよく知っている男に対しては秘密を口ばしってはならない。万一裏切りでもしたら、気をつけるんだね! その男の名誉も地位も生命もわしの手に握ってしまうぞ。気をつけるがいい!」
「あなたの秘密は守ります。あの人のを守ってきたように」とヘスターは言った。
「誓え!」と彼が応答した。
彼女は誓った。
「そこでだ、プリンさん」これからロジャー・チリングワースという名になる老人が言った。「わしはおまえをひとりぼっちにして、おまえのあかんぼうと緋文字だけにして出てゆくよ! どうかね、ヘスター?おまえの受けた宣告で、眠っているときもその印をつけているのかね? うなされたりぞっとするようないやな夢はこわくないのかね?」
「なぜそんなに、にやにやしながらわたしを見るのですか?」
彼の目の表情に当惑しながらヘスターはたずねた。
「あなたは、わたしたちのまわりの森林に出没する黒い人間みたいな人ですか? わたしの魂の破滅となるような縄《なわ》に、わたしをむりやりしばってしまったのですか?」
「おまえの魂じゃない」と彼はまたにやにやしながら答えた。「ちがう、おまえのじゃない!」
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五 針仕事をするヘスター
ヘスター・プリンの監禁の期間は今や終わった。彼女のはいっていた監獄の大戸が開かれて、彼女は日光の中に出てきたが、すべての人を平等に照らす日光も、彼女の病める陰気《いんき》な心にとっては、胸の緋文字を照らし出す以外の目的はないかのように思われた。おそらく監獄の敷居から今こうしてはじめて付き添いもなく足をふみ出したときに感じた苦悩のほうが、前にのべたような見せ物まがいの行列をつくって、衆人環視の中で恥をさらし、呼び集められたすべての人たちから指をさされたときの苦痛よりも、ほんとうの苦悩であったであろう。あのときは彼女は神経を異常に緊張させることによって、また彼女の性格のもつ闘争的な全精力によってようやく自分をささえ、あの場面をぶきみな勝利に変えることができたのだった。そのうえ、あれは生涯にただ一度しか起こらないような単独の孤立した事件で、したがってそれに対処するためには、生命力の節約のことなど意に介さずに、多くの平和な年を持ちこたえさせるにたるような生命力を結集してもよかったのだった。
彼女に罪の宣告を与えた法律……いかめしい顔つきの巨人であるが、その鉄の腕に人を絶滅させると同時に支持する力もそなえている……がかえって、あの屈辱の恐ろしい試練のあいだじゅうに、彼女をささえてくれたのだった。
しかし今、付き添いもなく監獄の大戸から歩み出るとともに、毎日の習慣がはじまったのだ。そして彼女は、自分の性格のもつ平凡な力によって、その習慣を持続し前進させるか、その下に沈んでしまうかしなければならないのだ。彼女は現在の悲しみを切りぬけるために、もはや未来から力を借りることができなかった。あすはまたあすの試練を持ってくるだろう。そのつぎの日もそうであろうし、そのつぎの日もまたそうであろう。毎日毎日がその日の試練を持ってくるであろうが、それが、今でさえもこんなに言葉に言いあらわせぬほど悲しくたえがたいのに、それと同じものなのだ。遠い先の未来の日々もほねおりながら進むであろうが、彼女はなおも同じ荷物を取り上げて、それを背負っていかねばならず、それを投げ捨てるわけにはいかない。というのは一日一日と加えられていく日々、重ねられていく年が、恥辱《ちじょく》の山の上にさらに悲惨《ひさん》をつみ重ねていくことであろうからである。
それらの年月を経過するうちに、彼女は個性を失い、説教者や道学者が女のもろさや罪深い情熱についての彼らの心象を鮮明《せんめい》にし、具体化しようとして指摘する一般的な象徴となるであろう。かくて若い純情なものたちは、胸にほのおと燃える緋文字をつけた彼女を見よと教えられるであろう……りっぱな両親のこどもである彼女を……のちにひとりの女となるあか子の母たる彼女を……かつては純真であった彼女を……罪の姿、からだ、実体として見るように教えられるであろう。そして彼女の墓の上には、彼女がそこへ持っていかねばならない不名誉が彼女の唯一《ゆいいつ》の記念碑となるであろう。
それは不思議と思われるかもしれない。広い世界が目の前にあるのに……宣告文の拘束《こうそく》的な条文などにこだわらずに、この辺ぴな僻地《へきち》である清教徒植民地内にとどまって……生まれ故郷でも、他のヨーロッパのどこの国へでも戻って、まったく別の人間に生まれ変わるように、新しい環境のもとに自分の身分も正体も自由にかくせるものを……また暗い、はかり知りがたい森林の間道が何本でも利用できて、そこでは彼女の性格の奔放《ほんぽう》さが、彼女に罪を宣告した法律とは異質の習慣と生活を持つ人びとと同化してくれるかもしれないのに……彼女がいやでも恥辱の典型とならねばならないその土地を、この女が自分の故郷と呼ぶのは不思議としか言いようがないように思われる。
だが運命というものがある。宿命のような力を持つ、抵抗のできない、さけることのできない感情で、人間としてほとんどつねに、なにか大きないちじるしい事件のために生涯に独特の色彩を与えられた場所を、亡霊のようにうろつかせ、出没させる。しかもその生涯を悲しいものにする色彩が、いやおうなしに与えられれば与えられるほど、その色は、黒ずんでいるのである。彼女の罪、彼女の不名誉は彼女が土の中におろした根であった。あたかも新しい出生が、前よりもいっそう強烈な同化力をもって、他の巡礼者や放浪者にはまだ性分の合わない森林地帯をも、ヘスター・プリンの未開で荒涼としてはいるが一生の故郷というものに変えてしまったかのようであった。あらゆる他の地上の風景も……幸福な少女時代やけがれのない娘時代が、むかし脱ぎ捨てられた着物みたいに、まだ母親にたいせつに保管されているように思えるあの田園的な英国の村でさえも……これと比較すれば、彼女にはよそよそしいところだった。彼女をここにつないだ鎖は鉄の環の鎖で、彼女の心の奥の魂まで傷つけながら、断ち切ることはできなかったのである。
ことによったらまた……彼女はその秘密を自分にもかくしていて、それが穴から出る蛇《へび》のように、彼女の胸からもがきながら出るときはいつも、青くなっていたけれども、疑いもなくそうだったのだが……別の感情があのように致命的だった場所や小道の中に彼女をとどめていたのかもしれない。そこには、自分とひとつに結ばれたと思った人が住み、また歩いていて、その人との結びつきは、たとえ地上では認められなくとも、自分たちふたりをともに最後の審判《しんぱん》の庭に立たせ、それをふたりの結婚の祭壇《さいだん》として無限の応報の未来をともに迎えさせるものであるであろう。くりかえし魂の誘惑者はこの考えをヘスターの瞑想《めいそう》のまととさせ、彼女がそれをつかんで投げ捨てようとした熱情的な、また絶望的な喜びをあざ笑った。彼女はその考えをほとんど直視しようとせずに、急いでもとの土牢にとじこめようとした。彼女が自分自身にむりやり信じさせようとしたこと……けっきょくつづけてニュー・イングランドの住民となろうと思う動機として理由づけたこと……は、なかば真実であり、なかば妄想《もうそう》であった。
この土地は、と彼女は自分に言いきかせた、自分の罪の場所である、だからこの土地が自分の地上の罰を受ける場所とならねばならない。そうすれば、おそらく、毎日の恥辱の責め苦は、最後には彼女の魂を清め、前に失ったものとはちがった、苦難の結果のためにいっそう聖者のような純潔をつくり出してくれるであろうと。
ヘスター・プリンは、したがって、逃げなかった。町のはずれの、半島と接している内がわに、だが、他の住宅のあまり近くないところに、小さいわらぶきの小屋があった。それは初期の植民者によって建てられたが、まわりの土があまりにやせていて耕作《こうさく》に適さないので捨てられたものであった。またそれが比較的人里離れたところにあったので、すでに移住者たちの大きな習慣となっていた社交活動の領域の外にはみ出していたのだった。それは海岸にあって、内湾を越えて西の方に森林におおわれた丘陵《きゅうりょう》をながめていた。その半島にしかはえないようないじけた潅木《かんぼく》の群れも、その小屋を人の目からかくしているというよりは、むしろここにかくされたがっている、あるいは少なくともかくされるべきものがあるということを示しているように思われた。この小さなさびしい住みかに、自分の持っているわずかばかりの家財道具を持ちこみ、なお審問の目をゆるめなかった判事たちの許可を得て、ヘスターは幼いこどもとともに身を落ち着けた。
不思議な疑いの影がすぐさまこの場所につきまとった。まだ幼くて、なんのためにこの婦人が人間の慈悲の領域外にしめ出されてしまったのか理解できないこどもたちは、家の近くにしのびよって、彼女が窓ぎわで針仕事をしたり、戸口に立っていたり、小さい庭で仕事をしたり、あるいは町の方へ通じる小道を歩いていくのをながめたりしたが、彼女の胸の緋文字を見つけると、奇妙な、伝染的な恐怖をいだいて、あわをくって逃げ出すのだった。
ヘスターの境遇《きょうぐう》はさびしく、姿を見せてくれる友だちとてなかったが、不足しているものを危険を犯してまで求めるようなことはなかった。彼女にはひとつの技芸があって、その仕事のためには比較的機会の少ない土地においてさえも、大きくなっていく幼子と自分自身の口を養うにはじゅうぶんであった。それは……今と同様に当時も、婦人の習得できる唯一《ゆいいつ》の……針仕事の技芸であった。彼女は自分の胸に風変わりな刺繍《ししゅう》文字で、彼女のせんさいな、想像力ゆたかな技《わざ》の見本をつけていたが、宮廷の貴婦人たちは自分たちの絹と金の織り物に、人間の器用さによるもっと豪華な、もっと高尚《こうしょう》な装飾を付け加えるために、喜んでこれを利用したかもしれなかった。
この土地では、じじつ、清教徒の服装様式を一般に特徴づけている黒色の単純さに、彼女の手芸の美しい作品の要求されることは多くないと言ってもさしつかえなかったであろう。
だが、この種の製作品になんでも精巧《せいこう》なものを要求していた時代の嗜好《しこう》は、手ばなすのがつらかったらしい多くの流行を故国に捨ててきたわれらがきびしい先祖たちの上にも、その影響を与えずにはおかなかった。聖職授任式や判事の任命式のようなおおやけの儀式、新政府が国民に示す諸形式に威厳を与えることのできるものはすべて、政策上、たくみに指導された堂々たる儀礼と、じみではあるが計算された装麗さを特色としていた。
深いひだえり、苦心して細工された帯、豪華な刺繍をほどこした手袋は、権力のたずなをにぎる人たちの公式の状態には必要であると考えられ、緊縮令《きんしゅくれい》が、こういう、またこれに似たぜいたくを一般平民に対して禁じていたときでさえ、位や富によって威厳をつけていた人たちには、容易に許されていたのである。……葬式の服装にしても……死骸の衣装のためであれ、黒い布と雪白の寒冷紗《かんれいしゃ》をさまざまに表象的にくふうして、あとに残った人たちの悲しみをあらわすためであれ……ヘスター・プリンの供給できるような手仕事に対しては、しばしば特有の需要があった。あかんぼうのリネン製品も……当時のあかんぼうはりっぱな着物を着たので……報酬《ほうしゅう》の多いほねおりがいのあるものであった。しだいに、といってあまりゆっくりとでもなく、彼女の手芸は、今ならば流行とよばれるようなものになってきた。
そんなにみじめな運命の女に対する同情からか、ありふれたつまらない物に対してさえも自分なりの架空《かくう》の価値を与えようとする病的な好奇心からか、あるいは今と同じく当時も他の人びとが求めても得られないようなものをある人たちにはじゅうぶん与えてくれる別の不可解な事情によるものか、あるいはヘスターがいなければ満たされないままになっていたに相違ない穴を彼女が実際に満たしたためか、そのいずれにせよ、彼女は自分の針でじゅうぶんできると思っただけの時間のあいだ、容易に相当報酬のある仕事を持っていたことは確かである。華麗壮厳《かれいそうごん》な儀式のために、罪深い彼女の手によってつくられた衣服を身につけて、虚栄心はみずから屈辱を感じたかもしれない。
彼女の手芸は知事のひだえりに見られた。軍人たちはそれを肩掛けに、牧師はそれを帯につけた。それはあかんぼうの小さな帽子を飾った。それは、死者の棺《ひつぎ》に収められて、かびがはえ、くさってしまうのにまかせられた。だが、ただの一度も、花嫁の清らかな恥じらいをかくす白いベールを刺繍するために彼女の技倆《ぎりょう》が応援に求められたとの記録はない。この例外は、社会が彼女の罪に顔をしかめたあの相も変わらぬ冷酷な気力を示しているのだった。
ヘスターは自分自身のためには生きていくための最も簡単な、最も禁欲的な最低の生活用品、こどものためには質素なものでもたくさんあればじゅうぶんで、それ以上のものを手に入れようとはしなかった。彼女自身の着物はおよそ粗末な布地で、最もじみな色合いであった。装飾はただひとつ……緋文字……だけで、それを胸につけるのが彼女の運命であった。これに反して、こどもの衣装は、きばつな、というよりもむしろ空想的ともいえるようなくふうをこらしたもので、それはまったくこの小さな女の子に早くもあらわれはじめた軽やかな魅力を高めるのに役だちはしたが、またもっと深い意味を持っているようでもあった。そのことについては後に語ることにしよう。
幼子を飾りたてるのに必要なわずかな費用をのぞいて、ヘスターは余分の収入はみな慈善のために、自分ほどみじめでない人たちのために使ったが、彼らは自分たちを養ってくれるその手を侮辱することが珍しくなかった。彼女は自分の手芸をもっと活用するのにすすんで用いればよいような時間を多くさいて、貧しい人たちのために粗末な着物を作ってやった。たぶんこういう仕事のしかたは罪のつぐないのための苦行という考えがあったのであろうし、そんなに多くの時間をこういうはげしい手仕事に捧げることによって、喜びをほんとうに犠牲にしていたのでもあろう。彼女はその性格の中に強烈な、官能的な、東洋的な特質を持っていた……豪華な美しいものに対する嗜好《しこう》で、これは精妙《せいみょう》な針仕事以外には、彼女の一生のあらゆる可能な道においても、他に発揮することができなかったのである。女は繊細《せんさい》に針を動かして、男性には理解ができない楽しみを味わうものである。ヘスター・プリンにとって、これは生涯の熱情を表現する、したがってそれをなだめるひとつの様式であった。他のすべての喜びと同じように、彼女はそれを罪としてしりぞけた。
このように良心がささいなことにも病的に干渉することは、正真の断固たる後悔を示すのではなくて、なにか疑わしいこと、底でなにかがまちがっていることを示していたのではないかという恐れがある。
このようにして、ヘスター・プリンは、世の中で果たすひとつの役割を持つようになった。生まれながらの性格の力と、たぐいまれな能力をそなえていたために、世間はカインのひたいに押した烙印《らくいん》〔弟殺しのカインは地上の放浪者となったが、「主はカインを見つける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼にひとつのしるしをつけられた」〕よりも、女性にとってはもっとたえがたい印を彼女の胸に押しつけはしたが、彼女をまったく捨ててしまうことはできなかった。
しかし社会との交渉においては、彼女に自分も社会に属しているというような気持ちを起こさせるものはひとつもなかった。彼女の接触した人たちの動作のひとつひとつ、ことばの一言一句、またその沈黙でさえも、彼女が追放された女であること、まるで彼女が別の世界の住人で、他の人間とはちがった器管や感覚によって一般人と連絡をとっているかのように、まったく孤独なのであるということをそれとなく意味し、ときにははっきりと表現しているのだった。
彼女は人間界の利害関係から離れて、だが、そのすぐそばに立っていたが、ちょうど幽霊がなつかしい炉辺をまたおとずれても、もはや人に見られも感じられもしない、家庭の喜びにも、もはや微笑しないし、身内の悲しみにも嘆こうとしない、あるいは自分に禁じられている同情をあらわすことに成功しても、ただ恐怖と恐ろしい嫌悪感《けんおかん》を引き起こすだけであるというのと同様であった。じじつ、こういう感情と、それにしんらつな軽蔑《けいべつ》とが、彼女がすべての人びとの心の中に占めている部分であった。
当時は、他人の感情を思いやるような時代ではなかった。そして彼女の立場は、彼女は自分でもそれをよく理解していたし、忘れるような危険もほとんどなかったが、いちばん感じやすいところを乱暴にさわられると、まるで新しい苦悩のように、彼女の前になまなましくあらわされるのだった。すでにのべたように、彼女が自分の情愛の対象として捜しだした貧しい人たちも、援助のためにさしのべられた手をののしることがしばしばあった。また彼女が自分の仕事のことでその門にはいる上流階級の婦人たちも、同じように、彼女の心に皮肉のしずくをしたたらすのがつねであった。ときには、婦人たちが日常のささいなことから不思議な毒を作りだすあの静かな悪意の錬金術によって、またときにはもっと下品なことばによって、潰瘍《かいよう》になった傷を手荒くたたくように被害者の無防備の胸に落ちてくるのだった。
ヘスターは長いあいだ自分をよく訓練していたので、押えきれずに青白い頬《ほお》にのぼってきてはまた胸の奥へ沈んでいく深紅の赤らみを見せる以外は、こういう攻撃にはこたえなかった。彼女は忍耐づよく……まったく受難者だった……しかし敵のために祈るのはさしひかえた。許してやりたい気持ちはつよくても、その祝福のことばが頑固《がんこ》にもひとりでにねじけて呪《のろ》いに変わりはせぬかと思ったからである。
たえず、そして無数の他の形で、彼女は、あの清教徒の法廷の、いつまでも死なずに効力をもっている宣告によって彼女のために巧妙にもくろまれた苦悶の、数えきれない鼓動《こどう》を感じるのだった。牧師たちが街頭で立ちどまって訓戒のことばをかけると、このあわれな罪の女のまわりに、にやにや笑ったり、しかめ面をした群衆が集まった。全人類の父の安息日〔キリストの復活したのは日曜日なので、キリスト教では日曜日を休息の日として、教会で儀式を行なう〕の微笑にあやかれると信じて教会にはいれば、自分がその日の説教の主題にされているという不幸に会うこともしばしばあった。
彼女はこどもたちを恐れるようになった。というのはこどもたちは、ひとり娘のほかはつれもなく、だまって町をすべるように通りぬけるこのわびしい女には、なにか恐ろしいものがあるというぼんやりした考えを、両親から吸収していたからである。したがって、はじめは彼女をやりすごしてから、こどもたちは少しうしろから鋭い叫び声をあげながら追いかけ、こどもたち自身の心にははっきりした意味はまったくないけれども、彼女には無意識的にそれを口ばしるくちびるから出るものとして恐ろしいと思われるようなことばを叫ぶのだった。こどもたちのその叫びは、彼女の恥があまりに広くひろがって、今では全人類が知っているのだと言っているかのように思えた。たとえ木の葉が暗い話をささやき合ったにしても、……夏の微風がそれをつぶやいたにしても……冬の寒風が悲鳴に近い声でそれを叫んだにしても……これほど深い苦痛を彼女に味わわせることはできなかったであろう! 今までとはべつの特別の責め苦が新しい人の目で見つめられると感じられた。見知らぬ人たちが不思議そうに緋文字をながめると……見知らぬ人でそうしない人はひとりもなかった……彼らはまた新しくその文字をヘスターの魂に烙《や》きつけるのだった。
だから、しばしば、彼女はその表象を片手でかくしたい気持ちにならずにはいられなかったが、それでもいつもその気持ちを押えていたのだった。しかしまた、見なれた目も同じように苦悶を与えた。何もかもよく知っているという冷ややかな目つきはたえがたかった。
要するに、初めから終わりまで、ヘスター・プリンの目がその印の上にあると感じて、たえずこの恐ろしい苦悩を味わっていたのである。その感覚のなくなることは決してなかった。それどころか日ごとの責め苦のためにますます敏感になっていくようだった。
しかしときには、幾日ものあいだの一度か、あるいはおそらく幾月ものあいだの一度、彼女に一時的なやすらぎを与え、彼女の苦悩のなかばをわかちとってくれるような目……それも人間の目があの恥ずべき烙印《らくいん》の上にそそがれるのを感じた。つぎの瞬間、それはまたいっそう深い苦痛のうずきとともに急に退くのだった。というのは、その短い一瞬に、彼女はまた新しく罪を犯したからである。ヘスターはひとりで罪を犯したのだろうか?
彼女の想像力はややふしぜんであった。もし彼女がもっと弱い道徳的、知的素質の持ち主であったら、彼女の異様な、孤独な、苦悶に満ちた生活のために、さらにいっそう不自然となっていたであろう。外面的には接触のある小さな世界を、ひとりさびしくあちこち歩きながら、ときどきヘスターには……まったくの空想であったにしても、拒否できないほど強力であったのだが……緋文字が新しい感覚を自分に与えたと感じられる、いや空想されるように思われたのだった。彼女はその文字が他の人たちの胸の中にかくされた罪を探知する感応力を自分に与えていると信じて身ぶるいしたが、たしかにそう信じないではいられなかった。彼女はこのようにしてなされた発見に気づいて恐怖に打たれた。
その発見とはなんであったか? それはわるい天使の陰険《いんけん》なささやきにすぎないものだろうか? そして、まだ半分しか彼の犠牲になっていないこのもがき苦しむ女を説きふせて、外面の純潔の見せかけなどうそにすぎない、もしも真実がいたるところに見られるものなら、ヘスター・プリン以外の多くの胸の上にも緋文字が燃え上がるであろう、と信じさせようとするのではないだろうか? あるいは彼女はそういう暗示を……いかにもあいまいな、ぼんやりしているのを……真実として受け取らねばならないのだろうか?
彼女のあらゆるみじめな経験の中で、こういう意識ほど恐ろしく、またいまわしいものはなかった。それをなまなましく感じさせた場合がみな、思いがけないつごうのわるい時だっただけに、彼女はショックを受けると同時に当惑もした。ときには、老人崇拝のその当時の時代が、天使と交わっている人間を見上げるように、見上げていた敬虔《けいけん》と正義の典型である高徳の牧師や判事の近くを通るとき、彼女の胸の上の赤い恥辱は感応の動悸《どうき》を打つのだった。
「どんな邪悪なものが近くにいるのかしら?」とヘスターはよくひとりごちた。しぶしぶ目をあげても、見える範囲内にあるのは、ただこの地上の聖者の姿だけである! また、すべての人の口にのぼったうわさによれば、生涯を通じて胸の中に冷たい雪を持っていたといわれる年輩の婦人の信心ぶったしかめ面《づら》に会ったときも、神秘的な姉妹意識が反抗的な首をもたげてくるのだった。その婦人の胸中の日の当たらぬ雪と、ヘスター・プリンの胸の上の燃える恥の印と……このふたつに共通しているものはなんであろうか? あるいはまた、電気のような戦慄《せんりつ》が彼女に警告を与えるのだった……「見よ、ヘスター、ここに仲間がいる!」……見上げると、若い娘が緋文字を恥ずかしそうに横目でちらと見て、頬をかすかに染めながら、自分の純潔がその一瞬の一瞥《いちべつ》によってけがされたといわんばかりに、すばやく目をそむけるのを見た。
おお悪魔よ、この致命的な表象をお守りとしていながら、若者の中にも老人の中にも、このあわれな罪人の尊敬すべきものをなにひとつ残そうとしないのか?……こういう信仰の喪失こそ罪の最も悲しい結果のひとつである。ヘスター・プリンが自分のように罪深いものは仲間の人間にはいないとまだ信じようと苦しんでいたというのは、このみずからの人間的もろさのあわれな犠牲者の中でも、人間の苛酷《かこく》な法律の中でも、すべてが腐敗《ふはい》しているとはかぎらない証拠であると受け取っていただきたい。
荒涼たるその古い時代に、彼らの想像をおもしろがらせたものに奇怪な恐怖をいだいていた一般大衆は、われわれがたやすく恐ろしい伝説につくりあげることのできる緋文字について、ひとつの物語を持っていた。彼らはこの表象は地上の染め物つぼで染められた単なる緋色の布ではなくて、地獄の火で赤熱したもので、ヘスター・プリンが夜中に外を歩くときはいつも、真赤に燃えているのが見られると断言した。だからわれわれも、それがヘスターの胸をあまりに深くこがしていたから、そのうわさの中には、現代のわれわれの疑い深い気質でも認めたくなる以上の真実がおそらくあるであろうと、言わねばならない。
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六 パール
われわれはまだあの幼子についてはほとんどなにも言っていない。あの小さなこどもの汚《けが》れを知らぬ生命は、はかり知れない神の摂理《せつり》の定めによって、罪の情熱の過度のほとばしりから、美しい不死の花となって萌《も》えいでたものであった。この悲しい女にとって、日ごとにかがやかしくなる成長と美を見まもり、このこどもの小さな顔だちにためらいがちの日光を投げかける知能を見まもるとき、それがどんなに不思議に思われたことであろう! 彼女のパール!……そうヘスターはこどもに名づけたのだった。といっても彼女の顔つきをあらわす名まえとしてではなかった。というのはその顔にはその真珠との比較によって示されるような静かな、白い、冷静な光沢など少しもなかったからである。だが彼女は幼子を……自分の持ち物のすべてをもって買いとった……高価なものとして〔『マタイによる福音書』十三・四五〜四六。「また天国はよい真珠を捜している商人のようなものである。高価な真珠一個を見いだすと、行って持ち物をみな売りはらい、そしてこれを買うのである」〕、母の唯一《ゆいいつ》の宝として、「パール」と名づけた。まったく、なんという奇妙なことであろう! 人はこの女の罪を緋文字をもってしるしたが、その文字には、彼女と同じように罪深いものの同情をのぞいては、人間的な同情が近づいてこないような力づよい不吉な効能がそなわっていたのだった。
神は、人間がこのように罰した罪の直接の結果として、彼女に美しいこどもを与えたもうたのであるが、そのこどもの今いる場所はあの名誉を失った同じ胸の上であり、その親を永久に人間の種族と子孫と結びつけ、最後には天において祝福された魂とさせるためであった! だがこういう考えもヘスター・プリンには希望よりも不安の気持ちを起こさせた。彼女は自分の行為が悪であったことを知っていた。だからその結果が善になるであろうとは、とうてい信じることができなかった。毎日毎日、彼女はこどものもの心ついてゆく性格をながめ、こどもがこの世に存在するようになった自分の罪と符合するような、暗い無法な特性が見つかりはしないかといつも恐れていた。
たしかに肉体上の欠陥はひとつもなかった。その完全な姿、その元気、まだ試みられたことのない手足を用いる生まれながらの巧みさなどによって、この幼子はエデンの国〔キリスト教でいう人類の始祖アダムとイブが罪のけがれを知らずに暮らしていた楽園〕に生まれるだけの値うちがあった。世界の最初の両親が追放されてのちも、そこに残されて天使たちの玩具となるのにふさわしかった。このこどもには完璧な美とは必ずしも両立しない天性の上品さがあった。その着物は、どんなに簡単でも、見る人の目にはいつも、こどもにいちばんぴったり合った衣装であるかのようにうつった。しかし幼いパールは質素な衣服につつまれてはいなかった。母親は、のちになれば、いっそうよくわかるような病的な目的をもって、入手できる最も高価な織り物を買い求め、自分の想像の能力もじゅうぶんに働かせて、こどもが大衆の目の前で身につける衣装を準備し、飾ったのであった。
このように着飾ったときのその小さな姿はあまりにすばらしく、またいいかげんのかわいらしさなら消されてしまいがちな豪華な着物を通してかがやき出るパール自身の持ちまえの美しさがあまりにみごとだったので、うすぐらい小屋の床にいるとき、彼女のまわりにはたしかに光の輪が生じたほどであった。それでいて、こどもの乱暴な遊びでよごれたり裂けたりした赤茶色の荒い手織りの上着でも、同じように非の打ちどころのない彼女の絵をつくりあげるのだった。パールの姿には無限の変化がかわるがわるあらわれた。このひとりのこどものなかに、農夫のあかんぼうの持つ野の花のかれんさと、幼い王女の持つ小さいはなやかさとのあいだの、あらゆる種類にわたるものを持つ多くのこどもがいるようであった。
だが、それらすべてを通じて、彼女の決して失うことのなかった熱情の特質、ある深い色合いがあった。彼女のさまざまな変化の中のどれかひとつの変化で、もし彼女の色が弱くなったり、かすかになったりすれば、彼女は彼女自身ではなくなり……もはやパールではなくなったであろう!
この外面の変わりやすさは、彼女の内部の生命のさまざまな特質を暗示はしていたが、十二分に表現してはいなかった。彼女の性格は変化とともに深みも所有しているようだった。だが……もしそうでないとしたら、ヘスターの恐れが彼女をあざむいていたのだ……彼女の性格には彼女の生まれてきたこの世界との関連と適応性が欠けていた。このこどもは規則にしたがわせることができなかった。彼女にこの世の存在を与えようとして、すでに大きな法律がやぶられていた。その結果は、美しくかがやかしいかもしれないが、混乱している諸要素をもった存在、あるいはそれらの要素特有の秩序があって、その中では変化や整理の点を発見することの困難な、あるいは不可能な存在であった。ヘスターがこどもの性格を説明できたのは……そのときでさえまったくばくぜんと不完全にしかできなかったが……パールが精神的世界からその魂を吸収し、体格のほうは地上の物質から吸収していたあの重大な時期に、自分自身はどんな人間であったか、ただそれを思い出すことによってであった。母親の熱っぽい状態が媒介となって、まだ生まれてこない幼子にその道義的生活の光が伝えられたのであった。もとはどんなに白く澄みきったものであっても、その光は中間物の真紅と金の深刻なよごれ、燃えたつような光沢、黒い影、また手かげんしてない光を取りいれたのであった。とりわけ、その当時のヘスターの精神のたたかいは、パールの中に不滅のものとされた。彼女は自分の狂暴な、絶望的な、反抗的な気分や、気まぐれの気質、それに自分の胸の中にいだかれた暗闇と落胆《らくたん》の雲のような形さえ、こどもの中にそれを認めることができた。それらは今は朝のかがやきのような幼いこどもの気質によって明らかにされてはいるが、のち、地上生活の真昼には、嵐や旋風を生みだすかもしれないのだ。
家庭のしつけは、その当時は、今日よりもはるかにきびしいものであった。しかめ面や、はげしい叱責や、ひんぱんな答の使用が、聖書に命じられているとして、ただ単に実際の悪事を罰するためばかりでなく、すべてのこどもの美徳を成長促進させるための健全な方法として行なわれた。しかし、ヘスター・プリンはこのひとり子のさびしい母として、不当にきびしいしつけをするあやまちを犯す危険はほとんどなかった。だが、自分自身のあやまちと不幸を心にとめて、彼女は自分の手にゆだねられた幼子の不死のものをやさしく、しかもきびしく監督しようと早くから考えていた。しかしその仕事は彼女の手にあまった。ほほえみとしかめ面の両方をためし、しかもそのどちらの扱いかたも信頼できる効果のないことがわかったので、ヘスターは最後にはなにもしないで、こどもが衝動によって動くままにしておかねばならなかった。肉体的な強制や拘束は、もちろん、それのつづいているあいだは効果があった。他のしつけ方についてはそれが知性に向けられる場合でも心に向けられる場合でも、その瞬間を支配する気まぐれにしたがって、パールは押えられることもあり、押えられないこともあった。
パールがまだ幼かったころ、母親は、彼女がいくら強要しても、説きつけても、嘆願しても、それがむだな努力になるのだということを警告するようなとくべつな目の色をさとるようになった。それはとても聡明な、だが説明のできない、とても強情《ごうじょう》な、ときにはとても意地のわるそうな目つきではあったが、たいてい屈託《くったく》のない上きげんな色も見せていたので、ヘスターはこういうときはパールがはたして人間のこどもなのかどうか、あやしまざるをえないのであった。パールはむしろ空気のような妖精で、しばらく小屋の床で奇怪な遊びをしていてから、ついとあざけりの微笑を浮かべて飛び去っていくように思われた。
そういう表情がこどものはげしい、きらきら光る、真黒な目にあらわれるときはいつも、それがなにか異様な遠方の不可解なもので彼女を包んでしまい、まるで彼女が空中を舞いながら、どこからともなく来てどこへともなく去るほたる火のように、消えていくかのようであった。それを見ると、ヘスターはこどものほうへかけよらずにはいられなかった。……小さい妖精がきまってはじめるような逃亡を追いかけ……彼女をしっかり胸に押しつけてひたむきに接吻する……それもあふれ出る愛情のためというよりは、むしろ、パールが肉体をそなえたもので、まったく妄想の存在ではないということを自分に確信させるためであった。しかしつかまったときのパールの笑い声は、愉快そうで音楽に満ちてはいたが、母親をして今までより以上に疑わしい気持ちにさせるのだった。
彼女があれほど高く買った、そして彼女の世界のすべてであるこの唯一《ゆいいつ》の宝と彼女自身とのあいだにしばしばあらわれる、人を当惑させるこの不可解な魔力に胸をいためて、ヘスターはときどきはげしい涙にむせた。すると、たぶん……というのはそれがどんな影響を彼女に与えるかは予測できなかったので……パールは顔をしかめ、小さいこぶしをにぎりしめ、小さな顔だちをこわばらせて、きびしい、思いやりのない、不満の表情に変えるのがつねであった。人間の悲しみを味わうことも理解することもできないもののように、あらためて、また前よりも大声で笑うことも珍しくなかった。あるいは……といってもこれはもっとまれにしか起こらなかったが……はげしい悲嘆に身もだえして、むせび泣きながら母親に対する愛情をとぎれとぎれのことばで打ち明け、悲嘆にくれることによって自分にも愛情のあることをひたすら証明しようとしているかのようであった。
だが、ヘスターはその突発的なやさしさに安心してみずからをゆだねることはほとんどできなかった。その去るのも、あらわれるときと同じく急だったからである。こういうことがらを考えていると、母親は自分がまるで、精霊を呼び出しはしたが、魔法の手順が少し狂ったために、この新しい不可解な精霊を押える呪文を手に入れることのできなかった人のような気がした。彼女のただひとつのほんとうのなぐさめは、こどもがおとなしくすやすやと眠っているときであった。そのときは彼女はたしかに得心がいって、静かな、悲しい、甘美な幸福の時間を味わった。が、やがて……おそらく開きかけたまぶたの下からあの意地の悪そうな表情をちらちらさせながら、であろうが……小さいパールは目をさますのだった!
なんと早く……まったく、なんという不思議な速度をもって……パールは、母親のいつも待ちかまえている微笑や意味のないことばを越えて、社会的な交際のできる年齢に達したことであろう! また、もしヘスター・プリンが他のこどもたちのわめき声といりまじっている彼女のさわやかな小鳥のような声を聞いて、遊び好きの一群のこどもたちのもつれた叫び声の中に、自分の愛児の声の調子を聞きわけ、解明することができたならば、なんという幸福であったであろう!
だがこういうことはありえなかった。パールはこどもの世界の生まれながらの追放人であった。悪の小鬼、罪の表象、罪の子である彼女は、洗礼をうけた幼子の中にはいる権利がなかった。このこどもが自分の孤独を、自分のまわりに侵すことのできない円を描いた運命を、つまり、他のこどもたちにくらべて自分の位置の変わっていることを、理解できた本能ほどおどろくべきものはなかったようである。
監獄から自由にされて以来、ヘスターは彼女をつれずに公衆の目にむかえられたことはなかった。町を歩きまわるときは、パールもまたそこにいた。最初は腕にだかれたあかんぼうとして、のちには母の人さし指を力いっぱいにぎって、ヘスターが一歩歩くところを三、四歩のわりでちょこちょこ歩いていく、母の小さい友だちの少女としてであった。彼女は植民地のこどもたちが、通りの端の草地や、彼らの家の敷居で、清教徒の教育方針のゆるす範囲内のまじめくさった態度で遊んでいて、たぶん教会ごっこや、クェーカー教徒|虐待《ぎゃくたい》ごっこをしたり、インディアンとの戦いで戦利品として頭皮をとる遊びをしたり、いいかげんに魔女の妖術のまねをしてたがいにおどしあったりしているのを見た。パールはそれを見ると、目をこらしてじっと見つめていたが、仲間にはいろうとは決してしなかった。声をかけられても、彼女は二度と口をきこうとはしなかった。こどもたちが、ときによくしたように、パールのまわりに集まってきたりすると、彼女はこどもながらに腹をたててまったく恐ろしい形相《ぎょうそう》となり、かん高い、意味のわからない叫び声をあげながら、石をつかんではこどもたちめがけて投げつけたが、その声を聞くと、なにか知らない国のことばで叫ばれる魔女ののろいの声のようにも思われて、母親はからだがふるえてくるのだった。
ほんとうは、この小さな清教徒たちはおよそ狭量な連中で、この母と子の中に、なにかしら奇怪な、地上のものでない、一般の風習とそぐわないものをぼんやり感じとっていたので、心の中で彼らをけいべつし、しばしば口に出して彼らをののしったのだった。パールはそういう気持ちを感じて、こどもの胸に食いこんでいるとは思えないようなはげしい憎しみで報いたのである。こういうはげしい気性の突発《とっぱつ》は、母親にとっては一種の価値があり、なぐさめでさえあった。というのは、そういう怒りの中には、こどもがよくあらわして、彼女をがっかりさせた突発的な気まぐれの代わりに、少なくともそれとよくわかる熱意があったからである。
だが、それにもかかわらず、自分自身の中に存在していた悪の暗い影がここにもまた認められて、彼女はぞっとした。この敵意もこの激情もみな、奪うことのできない権利によって、パールはヘスターの胸から受けついだのだ。母と娘は人間社会から孤絶した同じ円の中にならんで立っていた。そしてこどもの性格の中には、パールの生まれる前のヘスター・プリンの心を狂わせはしたが、そののち、やさしい母親の力によってやわらげられはじめたあの落ち着かない要素が永存されているように思われた。
家庭では、母親の小屋の中でもまわりでも、パールは広くさまざまな友の仲間を求めなかった。生命の魔力が彼女のつねに創造的な精神からほとばしり出て、ちょうどたいまつがその向けられるところはどこにでもほのおを燃えたたせるように、無数のものに自分を伝えた。思いもよらないような材料、棒きれ、ぼろの束《たば》、花がパールの妖術《ようじゅつ》のあやつり人形で、外面は少しも変えずに、彼女の内部の世界の舞台に上演されるどんな劇にも精神的に順応させられた。彼女のあかんぼうの声ひといろだけで、無数の想像上の老若の人物に話をさせることができた。年老いて黒く、いかめしく、うめきの音や他の憂欝《ゆううつ》なことばを微風にのせてばらまいている松の木は、あまり形を変えなくともそのまま清教徒の長老たちの姿であった。庭のみにくい雑草でさえも彼らのこどもたちとなり、パールはこれを情けようしゃもなくなぎたおし、根こそぎにした。彼女が自分の知力を打ちこんでつくりあげたさまざまな形のものが、まったく、なんの連続性もなく、だが突進したり、おどったりして、いつも超自然的な活動状態のうちにあるが……やがて、そういう急速なはげしい生命の潮《うしお》のために疲労しきったかのように、勢いがよわって……別の同じような特異な精力の形のものに引きつがれるのは、不思議なことであった。それは北極光の走馬燈《そうまとう》的動きといってもよいほどのものであった。
しかし、ただ空想をほしいままにするとか、成長していく心の遊び好きというだけの点だったら、かがやかしい能力を持つ他のこどもたちに認められる以上のものはほとんどなかったかもしれない。ただパールは、人間の遊び仲間がないために、自分で創造した幻想的なもののほうを相手にしたという点がちがっていた。特異なのは、このこどもが自分の胸や心の生み出したものを眺めるときの敵意であった。彼女はひとりの友だちもつくらないで、いつも竜の歯をまいていたようすだった〔ギリシア伝説。フェニキアの王子キャドニスが竜を退治してその歯を地にまくと、たちまち軍兵となって逆襲してきた〕。その歯から武装した敵兵の大軍が生まれて攻撃してくると、彼女は突進していってそれと戦うのだった。こんなに幼い子の中に、このようにたえず逆らう世界を認め、つづいて起こるに相違ない争闘に自分の主張を有利にしようとして精力をはげしく訓練しているのを見るのは、言いようもなく悲しかった……、自分の胸の中にその原因を感じている母親にとってはなんという深い悲しみだったことであろう!
パールを見つめながら、ヘスター・プリンはしばしば仕事をひざの上に落とし、できるものならかくしておきたいとねがいながらも、ことばともうめき声ともつかずにはき出してしまう苦悶をいだいて、叫ぶのだった……「おお天なる父よ……もしもあなたが今なおわたしの父であるならば……わたしがこの世に生み落としたこの子は、いったいなにものなのでございましょう!」と。
パールは叫び声を聞き、なにかもっと微妙な道を通して、その苦悩の動悸《どうき》に気づくと、そのいきいきとした美しい小さい顔を母のほうへ向けて、妖精のように胸の奥まで見通せるといわんばかりにほほえみ、また遊びにもどるのがつねであった。
このこどものふるまいについてのひとつ特異な点はまだ語っていない。彼女の生活において彼女が最初に気がついたのは……なんであったであろうか……母親の微笑ではなかった。のちのちまではっきり記憶に残らず、しかもそれがはたして微笑であったかどうか、おろかな議論がなされるような、他のあかんぼうたちがするように、小さな口もとに浮かべるかすかな、きざしのようなほほえみでこたえる母親の微笑ではなかった。決してそうではなかった! パールの気づいたと思われる最初のものは……言ってもよいだろうか……ヘスターの胸の緋文字であった。ある日、母親がゆりかごの上に身をかがめたとき、幼子の目はその文字のまわりの金の刺繍《ししゅう》の薄光りにとらえられた。小さな手をのばすと、彼女は、けげんそうにではなく、もっと年上のこどものような表情を顔に与える決然たるきらめきをもって、微笑しながら、その文字をつかもうとした。すると、ヘスター・プリンははっと息をのんで、本能的にその致命的な印をもぎとろうとして、それをつかんだ。パールのあかんぼうの手がこちらの気持ちを見ぬくかのように触れたために受けた心の責め苦は、それほど大きかったのであった。また、母親のもだえ苦しんだようなしぐさがただ自分をあやしてくれるだけのためとでもとったかのように、小さいパールは彼女の目をのぞきこんで、にっこりした!
そのときから、こどもの眠っているときをのぞいて、ヘスターは一瞬の安全も感じなかった。こどもがいるという一瞬の静かな喜びも感じなかった。じじつ数週間もパールの目が一度も緋文字にそそがれずに過ぎることがときにはあった。しかしまた、その目が、まるで卒中のように、だしぬけに向けられて、きまってあの一種独特の微笑と奇妙な目の表情を示すのだった。
あるとき、ヘスターが、世の母親が好んでするように、こどもの目にうつる自分の姿をながめているとき、この気まぐれな妖精のような特色がこどもの目に浮かんできた。そしてとつぜん……というのは孤独で、心に悩みのある女たちは説明のできない幻想に苦しめられるものだから……彼女はパールの目の小さい黒い鏡の中に、自分自身の肖像の縮図ではなくて、だれか別の人の顔を見たと思った。それは悪魔のような、にやにやした悪意に満ちた顔であったが、ほとんど微笑を浮かべないし悪意もまったくない、彼女のよく知っている顔だちによく似ている顔であった。あたかも悪霊がこどもにのりうつって、嘲笑《ちょうしょう》するように顔をのぞかせているかのようであった。こののち何回となくヘスターは、これほど鮮明ではなくとも、同じ幻影になやまされた。
ある夏の日の午後、パールが走りまわるくらい大きくなってからのことであるが、パールは手にいっぱい野の花を集めては、それを一輪ずつ母の胸に投げつけて興じていた。そしてそれが緋文字に当たるたびに、まるで小さい妖精のように、おどりまわって喜んだ。ヘスターの最初の動作は、両手を重ねて胸をおおうことだった。だが、誇りのためか、あきらめのためか、あるいは自分の侮悟《かいご》はこの言うに言われぬ苦痛によって最もよく成就《じょうじゅ》するのだという気持ちのためか、彼女はその衝動をしりぞけて、すわりなおすと、死人のよう青ざめた顔で、小さいパールの狂気じみた目を悲しそうにのぞくのだった。なおも花の攻撃が加えられて、ほとんど百発百中で印に当たり、この世ではそれをいやす薬のない、あの世でも捜すめあてのない傷を母の胸いちめんに負わせた。とうとう弾丸がすべてつきると、こどもはじっと立ちつくしたままヘスターを見つめた。すると小さい笑っている悪魔の顔が、はかり知れない黒い目の淵からのぞいていた……いやのぞいていたのか、いなかったのか、どちらかはわからないが、とにかく母親はそう思ったのだった。
「あんた、あんたはだれなの?」と母親は叫んだ。「まあ、あたし、お母さまのパールよ!」とこどもは答えた。
だが、そう言いながら、パールは大声で笑うと、つぎには煙突《えんとつ》までものぼりかねない気まぐれな小鬼のこっけいな身ぶりでおどりはじめた。
「ほんとに、あんたはわたしのこども?」とヘスターはたずねた。彼女はこの質問をいいかげんにしたのではなくて、そのときはいくらかしんけんな気持ちもまじっていたのである。というのは、パールの人の心を見ぬく力たるや、おどろくべきものがあるので、母親もこどもがはたして自分の生まれてきた秘密の魔力をよく承知していて、今それを明らかにするのではないかとなかば疑ったほどであった。
「そうよ、あたしパールよ!」とこどもはなおもはねまわりながら、くりかえした。
「あんたはわたしのこどもじゃないわ! あんたはわたしのパールじゃないわ!」と母親はふざけ半分に言った。というのはじじつ最も深刻《しんこく》な苦悩の最中にもふざけたい衝動におそわれることがときにあったからである。「じゃ教えてよ、あんたはだれなの、だれがここへよこしたの?」
「教えて、おかあさん」とこどもは、ヘスターのそばへ来ると、ひざにぴったりくっつきながら、まじめな顔で言った。「教えてちょうだい!」
「天のおとうさまがおよこしになったのよ」とヘスター・プリンは答えた。
だがそのことばには、こどもの鋭さをのがれられないためらいがあった。ふだんの気まぐれに動かされたにすぎないのか、あるいは悪霊にそそのかされたのか、彼女は小さな人さし指をあげて、緋文字にさわった。
「そんなことないわ!」と彼女ははっきりと叫んだ。「あたしには天のおとうさまなんかいないわ!」
「おだまりパール、おだまり! そんなこと言ってはだめよ!」と母親はうめき声の出そうになるのを押えながら、答えた。「天のおとうさまがわたしたちみんなをこの世におよこしになったのですよ。あんたのおかあさんのこのわたしだってそうなの。それから、あんたもそうよ! でなかったら、不思議なおちゃめさん、あんたはどこから来たの?」
「教えて! 教えて!」とパールはくりかえしたが、もうまじめではなく、笑いながら、床をはねまわりながらであった。「教えてくれなくちゃいやよ!」
しかしヘスターは、自分自身が陰欝《いんうつ》な疑惑の迷路の中にいたので、この疑問をとくことはできなかった。彼女は、微笑と身ぶるいとのあいだに、となり近所の町民たちのうわさを思い出していた。彼らはこどもの父親をほかで捜してもわからず、こどもの奇妙な性質をいくつか見て、このかわいそうな小さなパールが悪魔の落とし子であると言いふらしていた。昔のカトリックの時代から、こういうこどもが母親の罪のために、そしてなにかよごれた邪悪《じゃあく》な目的を促進するためにときに地上に見られるというのである。ルーテル〔一四八三〜一五四六。ドイツの神学者で宗教改革者〕も、彼の敵の修道士たちの悪口によれば、そういう地獄の血を受けた小僧《こぞう》であった。またパールだって、ニュー・イングランドの清教徒の中で、こういう不吉な出生をした唯一《ゆいいつ》のこどもではなかったのである。
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七 知事の邸宅
ヘスター・プリンは、ある日、ベリンガム知事の邸宅へ一対の手袋を持って行った。知事の注文によってへり取りをし、刺繍《ししゅう》した手袋で、なにか大きな儀式のときに手にはめるものであった。というのは、一般選挙の機会が何回かあって、この以前の支配者は最高の地位から一段か二段おりなければならなくなっていたが、なおも植民地の治安官の中に名誉ある有力な位置を占めていたからである。
刺繍した手袋を配達するよりももっと重要な別の理由があったので、ヘスターは今この植民地の仕事に大きな権力をもって活動する人物とぜひとも面会しようとしているのであった。宗教や政治の方針をもっと厳格にしようと考えている指導的な住民のある人たちが、彼女からこどもをとりあげようとする計画をしているといううわさが彼女の耳に達していた。すでにのべたように、パールが悪魔の落とし子ではないかと仮定すれば、これらの善良な人びとが、この母親の魂に対してキリスト教信者として関心を持てば、彼女の進んで行く道からこういう障害《しょうがい》を取りのぞいてやる必要があると論じるのは無理からぬことであった。
またいっぽうでは、もしもこどもが道徳的宗教的成長がほんとうに可能であり、最後の救済の要素を持っているとするならば、ヘスター・プリンよりももっとかしこいりっぱな保護者の手に移されるほうが、以上のような利点をもっとよく利用できるという予想もできるであろう。このくわだてを促進した人びとの中で、ベリンガム知事が最も強硬《きょうこう》な分子のひとりであるとのことであった。のちの時代だったらせいぜい町の委員たちの司法権にゆだねられたであろうようなこういう問題が、おおやけに論議される問題となり、枢要《すうよう》な政治家までが論争のいっぽうを支持するというのは、奇妙な、そして少なからずおかしなことと思われるかもしれない。しかし、そういう素朴単純な時代には、ヘスター母子の幸福よりももっと公共の利害に関係のないことがらや、本質的に重要でないことがらまでも、立法者の審議や法令と奇妙にまじり合っていたのである。この時代は、豚《ぶた》一頭の所有権をめぐる論争が植民地の立法府にはげしい辛辣《しんらつ》な争いを起こしたばかりでなく、立法府の機構そのものにまで重要な変更をきたす結果になったようなわが国の歴史上の時代よりも、もし早かったとしても、それほど早いころではなかったのである。
したがって、心配でたまらなかったが……自分自身の権利をつよく意識してみれば、いっぽうの公衆と、しぜんの同情心にうしろだてされている孤独な女との勝負もあまり不公平なものではないと思って……ヘスター・プリンはさびしい小屋から出かけてきた。小さいパールがおともであったことはもちろんである。彼女は今はもう母親のそばを身がるに走っていく年ごろになっていたし、朝から日暮れまでたえず動きまわっていたので、きょうの道のりよりももっと長い距離だって行けるくらいだった。それにもかかわらず、しばしば彼女は、必要よりは気まぐれから、抱いてくれと要求し、だがすぐまたおろしてくれるようにと命令して、草のしげった小道をヘスターの前になってとびはねながら進んで、何度もつまずいたりころんだりしたが、けがはしなかった。
パールのあざやかな、はなやかな美しさについては前に述べたことがある。深いいきいきとした色にかがやく美しさ、晴れやかな顔色、深味とかがやき両方のはげしさを持つ目、すでに深い光沢のある茶色に満ちていて、のちにはほとんど黒に近くなるであろうと思われる髪の毛など、彼女の中には全身に火があった。彼女はある熱情の瞬間からふいと生まれてきたもののように思えた。母親はこどもの衣服を考案するときには、彼女の想像力の持っている豪華な傾向を十二分に働かせ、金糸を幻想的にはなやかに飾りたてて一面に刺繍した、とくべつじたての真紅のビロードの上着をこどもに着せていた。こういう強烈な色彩は、もっと赤みのうすいほおには病人じみた青ざめた様子を与えたにちがいないが、パールの美しさにはみごとに似合って、まるで彼女が大地の上で今までおどったこともないような炎《ほのお》の最もかがやかしい小さなほとばしりであるかのように見せた。
しかしこの衣装のおどろくべき特徴と、こどもの全体の様子の示すおどろくべき特徴は、まったく、それを見る人にいやおうなしに不可避的にヘスター・プリンが罰として胸につけねばならなかった例の印を思い出させるのだった。それは形のちがった緋文字であった。生命を帯びた緋文字であった! 母親自身が……あたかも赤い恥辱があまりに深く彼女の頭の中に焼きつけられてしまったために、考えることすべてがその形をとるように思えた……苦心して、それと相似したものをつくり出したのだ。幾時間か病的なくふう力を駆使《くし》して、彼女の愛情の対象と、罪と責め苦の表象とのあいだの類似したものをつくり出そうとしたのである。だが、じつを言って、パールは後者であると同時に前者でもあった。そしてその両者が同一であるという結果、はじめてヘスターはパールの外見の中に、緋文字をこのように完全に表現することができたのであった。
このふたりの歩行者が町の境界内にはいるや、清教徒のこどもたちは遊び……というよりは、それらの陰気ないたずらっ子たちにとって遊びとして通っていたもの……の手をやすめて顔を上げ、まじめくさった調子でたがいに言い合った……。
「ごらんよ、あそこに緋文字の女がいる。そのうえ、ほんとに、緋文字そっくりのやつがそばをかけて行くよ! さあ、みんなで泥を投げつけようじゃないか!」
しかし恐れを知らぬこどもであるパールは、顔をしかめたり、地団駄《ぢだんだ》をふんだり、小さい手を振り動かして威嚇《いかく》するようないろんなしぐさをしてから、急に敵の群れめがけて突進し、みんなを敗走させてしまった。はげしい勢いで追いかけていくさまは、若い世代のものたちの罪を罰するという使命を持った幼い疫病神《やくびょうがみ》……猩紅熱《しょうこうねつ》か、まだ羽毛のはえそろわない審判の天使……に似ていた。彼女は恐ろしく大きな声で叫び、どなったが、その声はたしかに逃げていくこどもたちの心をおののかせるにじゅうぶんであった。勝利をわがものとすると、パールは静かに母のところへもどってきて、にこにこしながら母の顔を見上げた。
それ以上はあまり変わったこともなく、母娘はベリンガム知事の居所についた。これは大きな木造家屋で、今でもわが国の古い町の通りにその見本の残っているような様式の建てかたで、そういう家は今は苔《こけ》がはえ、崩壊せんばかりにくずれ、そのうす暗い部屋の中で起こって消えていった多くの悲しい事件や楽しいできごとが忘れられなかったり忘れられたりするために、心中もの悲しいものとなっている。しかしそのころは、死がまだはいりこんだことのない人間の住居の外側には過ぎゆく年月の新鮮さがあったし、日当たりのよい窓からかがやき出る愉快さがあった。そこにはまったく楽しそうな様子があった。壁は、こなごなのガラスの断片をふんだんにまぜた一種の化粧しっくいで一面にぬられていた。だから日光がこの建物の正面にななめに落ちると、それはきらきら光りかがやいて、まるでダイヤモンドを両手いっぱいそこへ投げつけたかのようであった。そのかがやきは、きまじめな老清教徒の支配者の邸宅よりもアラディンの宮殿〔『千夜一夜物語』に出てくる人物。手に入れた魔法のランプと指輪によって、鬼をつかってあらゆる望みをとげた〕にふさわしいほどであった。それはさらにその時代の奇妙な趣味に合った異様な秘教的な模様や図形で飾られていて、それらは新しくぬられたときに化粧しっくいの中にはめこまれたものであろうが、今は堅く長持ちするようになって、のちの時代の賞賛のまととなっている。
パールはこのかがやくばかりの驚異の家を見て、はねたりおどったりしはじめ、正面いっぱいの日光をそこからはぎとって、おもちゃにほしいとしつこくせがんだ。
「だめよ、パールちゃん」と母親は言った。「あんたは自分の日光を集めなくちゃね。わたしにはあんたにあげるのがないのよ!」
母子は戸口に近づいた。アーチ形の戸で、両がわに細長い塔というか、この建物の突起したものがくっついていて、その両方に格子窓があり、必要のときにはそれをおおう木のよろい戸がついていた。玄関にさがっている鉄のハンマーを持ち上げると、ヘスター・プリンは合い図をした。知事の召使いのひとりが返事をして出てきた。自由に生まれついたイギリス人だが、今は七年間のどれいの身分である。その期間ちゅう、彼は主人の財産であり、牡牛や組立ていすのように交換したり売ったりする商品みたいなものであった。このどれいは青い上着を着ていたが、これはその時代の召使いの制服で、ずっと昔、イギリスの世襲《せしゅう》の古い邸宅で用いられていたものである。
「ベリンガム知事閣下はご在宅でしょうか?」
「いかにも」とどれいは答えて、目をまるくして緋文字を見た。この国に来たばかりなので、今まで見たことがなかったのだ。「いかにも、閣下はご在宅だ。が、牧師さまが、ひとりふたりごいっしょだし、医者もいらっしゃる。今はお目にかかれませんよ」
「だけど、わたし入ります」とヘスター・プリンは答えた。どれいは、決然たる彼女の態度や、胸にかがやいている表象から、彼女がこの国の貴婦人であろうとおそらく判断したのであろう、べつに反対はしなかった。
そこで母親と小さいパールは玄関の広間へ案内された。建築材料の性質、気候の違い、社交生活の異なった様式などを参考にして多くの変化を加えたが、ベリンガム知事は自分の新しい住宅を母国のそうとう財産を持つ紳士の邸宅にならって設計したのだった。だから、ここにある幅の広いかなり天井の高い広間は、家の奥行き全体にわたっていて、他のすべての部屋と大なり小なり直接に通じる媒介《ばいかい》となっていた。いっぽうの端でこのひろびろとした部屋は、入り口の両側に小さな引っこんだ場所をつくっている例のふたつの塔の窓によって、光がとられていた。もういっぽうの端のほうは、一部分はカーテンで包まれていたが、昔の本の中に出てくる、そして深いクッションのついた座席の用意されている弓形の張り出し窓からもっと強く光がとられていた。このクッションの上はふたつ折り判の本が置いてあったが、たぶんイギリス年代記か、あるいはほかのこういう内容のある文学書であろう。われわれの時代でも、まん中のテーブルに金ぴかの本を投げ出しておいて不時の客にそれをめくらせるようにしておくのと似ている。
大広間の家具は、その背中のところに樫《かし》の花輪を精巧《せいこう》に彫刻した、どっしりとした何脚かのいすと、同じ趣味のいすからなっていたが、全部エリザベス朝時代か、ことによるとそれ以前のもので、知事の父の家から運ばれてきた先祖伝来の家財であった。テーブルの上には……古いイングランドの歓待の気持ちもあとに残してこなかった証拠として……大きなしろめ〔すずと鉛などの合金〕製の柄のついたコップが置いてあったが、その底には、もしヘスターかパールがのぞいてみたら、最近飲んだビールのあわの残りが見えたであろう。
壁にはベリンガム家の先祖たちを描いた肖像画が一列にならんでかかっていた。あるものは胸によろいをつけ、他のものは平和時の堂々たるひだえりつきのゆるやかな長衣を着ていた。いずれもみな、古い肖像画がきまって帯びているあのきびしさといかめしさの特色をあらわしていた。まるで故人となった名士の肖像というよりは幽霊みたいで、冷酷な容赦《ようしゃ》しない批判の目で、生きている人間たちの仕事や楽しみをながめているかのようであった。
広間の内側にめぐらされた樫材のはめ板のまん中あたりに、一組のよろいがつるしてあった。肖像画のような先祖の遺物ではなくて、ごく最近の作品であった。というのは、これは、ベリンガム知事がニュー・イングランドにわたってきた年に、ロンドンの腕ききの武具師によって作られたものであったからである。鋼鉄のかぶと、胴よろい、首当て、すね当てが、それらの下につるされた一対のこてとひとふりの剣とともにあった。すべてが、ことにかぶとと胸当てはひじょうによくみがかれていて、白い光を放ってかがやき、床のいたるところに光をまきちらすほどであった。この光りかがやく甲冑《かっちゅう》一式は、ただ単なる見せ物用ではなく、実際に知事がおごそかな閲兵や練兵の場所で、いくたびも身につけたものであり、さらにピークォド戦争〔アメリカ・インディアンのピークォド族が数人のイギリス人商人を殺害したことから始まった戦争。一六三三〜三七年に、マサチューセッツ、プリマス、コネティカット植民地軍のために、ほぼ八百人のインディアンが殺された〕では連隊の先頭できらめいたのであった。というのは、法律家の教育を受け、ベーコン、コーク、ノイ、フィンチ〔いずれもその時代の慣習法の権威者〕をいつも同業の仲間として話してはいたが、この新しい国の急迫した事情はベリンガム知事を、政治家、支配者と同時に軍人にも変えていたからである。
小さいパールは……光りかがやく家の正面が気にいったと同じように、今また、きらめくよろいにすっかりうれしくなって……しばらくのあいだ、みがきたてた鏡のような胸当てをのぞいていた。
「おかあさん」と彼女は叫んだ。「ここに見えるわ。ごらんなさい! ごらんなさい!」
ヘスターはこどものきげんをとろうとしてのぞいてみた。と、彼女は、この凸面《とつめん》の鏡の特殊な働きのために、緋文字がものすごく大きく拡大されてうつり、まったく彼女の姿の中でいちばんめだつものとなっているのを見た。じじつ、彼女の全身はその背後にすっかりかくされてしまったようだった。パールはまた上のほうのかぶとにうつった同じような姿を指さすと、いつも見慣れた表情の小妖精の聡明《そうめい》さをその小さな顔に浮かべて、母にほほえんだ。いたずらっぽい陽気な表情も同じように鏡にうつっていたが、その大きさといい明暗の効果といい、たいしたものだったので、ヘスター・プリンにはそれが自分のほんとうの子の姿ではなくて、パールの形になりきろうと努力している小鬼の姿のような気がしてならないのだった。
「こっちへいらっしゃい、パール」と彼女は言って、こどもを自分のほうへ引きよせた。「こっちへ来て、このきれいなお庭をごらんなさい。たぶん花がありますよ。森にある花よりももっと美しいのがね」
パールは、そこで、広間の反対の端にある弓形の張り出し窓のほうへ走っていった。そして短く刈られた芝草がじゅうたんのように敷かれ、乱暴な未熟な手で植えこみにしようとした潅木《かんぼく》でふちどられている庭の散歩道の見通しをながめた。しかし持ち主は、堅い土とはげしい生存競争の中で、大西洋のこちらがわに故国イギリスの装飾用造園趣味を永久に残そうとする努力を、絶望であるとして、すでに放棄してしまったらしい。キャベツがみにくい姿ではえていた。また、かなり離れたところに根をおろしたかぼちゃのつるが、中間の土地をはってきて、その巨大な実を張り出し窓のすぐ下にころがせていた。あたかもこの大きな野菜の金色のかたまりこそ、ニュー・イングランドの大地の提供できるゆたかな装飾であると知事に警告しているかのようであった。しかし、二、三のばらの茂みもあったし、この半島の最初の植民者である牧師ブラックストーン氏〔ウィリアム・ブラックストーン。一五九五〜一六七五。英国教会の牧師で、一六二三年ボストン地区に最初の白人植民者として来た。この地区に清教徒が来るや、彼らをきらって一六三四年ロード・アイランドに移った。牡牛に乗ったということで神話のオイローパに比較されるのであろう〕によって植えられたりんごの木のたぶん子孫であるりんごの木も何本かあった。ブラックストーン師はわが国の初期の年代記の中を、牡牛の背にまたがって乗りまわしている、あのなかば神話的な人物である。
パールはばらの茂みを見ると、赤いばらがほしいといって泣きだし、容易なことではなだめられなかった。
「静かに、ね、静かに!」と母親はいっしょうけんめいに言った。「泣かないで、パールちゃん! お庭にだれかの声がするわ。知事さまがいらっしゃるのよ、それから他のかたたちもごいっしょに」
じじつ、見通しのきく庭の道を、数人の人たちが家のほうへ近づいてくるのが見えた。パールは自分をだまらせようとする母親の努力をばかにしきって、気味のわるい叫び声をあげたが、やがて静かになった。従順の気持ちからではなく、すばやく変わる気質の好奇心が、その新しい人たちの出現に刺激《しげき》されたからであった。
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八 妖精の子と牧師
ベリンガム知事は、ゆるやかなガウンにゆったりした帽子をかぶり……これは年輩の紳士たちが家庭でくつろいでいるときに好んで身につける服装である……先頭に立って、自分の屋敷を見せびらかし、改良計画をくわしく説明しているようだった。ジェイムズ王〔イギリスのスチュアート王朝初代の国王〕治政ちゅうの、今は古くなった流行による、白髪まじりのあごひげの下の幅の広い円形の手のこんだひだえりのために、彼の首は大皿にのせられた洗礼者ヨハネの首に少なからず似ていた〔ヘロデ王は義理の娘サロメの所望によって、バプテスマのヨハネの首を部下に切らせて与えた。『マタイによる福音書』十八・四〕。
彼の堅くるしくきびしい、秋も末の年齢のために霜枯れた顔の与える印象は、明らかに最善をつくして周囲に集めようとした世俗的楽しみのいろんな設備と、ほとんど調子が合っていなかった。しかし、われわれのきまじめな先祖たちが……いつも人間の生存を単に試練とたたかいの状態にすぎないと言ったり考えたりしていたが、また義務に命じられれば財産も生命も喜んで犠牲にするかくごではいたけれども……自分たちのつかんでいる安楽の手段やぜいたくをさえも拒否することを良心の問題としていたと考えるのは誤りである。こういう教義は、たとえば、その吹きだまりの雪のように白いあごひげが今ベリンガム知事の肩ごしに見える高徳の牧師ジョン・ウィルソンによって教えられたことはなかった。今そのひげの持ち主の言っているのは、梨や桃はまだニュー・イングランドの風土に慣らすことができるし、紫色のぶどうはたぶん日当たりのよい庭の塀にはわせて繁茂《はんも》させることができると思うということだった。
英国教会のゆたかなふところで育てられた老牧師は、すべて楽しい気持ちのよいものに対する確立した本格的な嗜好《しこう》を持っていた。説教壇において、あるいはヘスター・プリンの非行のような非行を公然と責めるような場合、どんなにきびしい態度をとろうとも、私的生活のやさしい慈悲心のために、同時代のどの同業者に与えられるよりも暖かい愛情を彼はかち得ているのであった。
知事とウィルソンのうしろから別のふたりの客人が来た。ひとりはアーサー・ディムズデイル師で、ヘスター・プリンの恥辱の場面で短い気のすすまない役割をはたした人物として読者も記憶されているかもしれない。彼にぴったりくっついているのはロジャー・チリングワース老人で、この町に落ち着いてすでに二、三年になる医術の大家であった。この学者はこの若い牧師の友人であると同時にかかりつけの医者でもあるということだった。というのは牧師の健康は、牧師関係の仕事と義務にあまりにも度を越えて自己犠牲をはらった結果、最近ひどく害されていたからである。
知事は、客人たちの先頭に立って石段を一段か二段のぼり、広間の大窓をさっと左右に開くと、すぐそばに小さいパールがいた。カーテンの影がヘスター・プリンの上に落ちていて、部分的に彼女の姿をかくしていた。
「ここにいるのはだれかね?」とベリンガム知事は言って、自分の前の緋色の小さい姿をおどろきの目で見た。「まったく、ジェイムズ王時代の昔、宮廷の仮面舞踏会へ出席できるのを名誉と考えていたわしの虚栄の時代以来、こんなこどもは見たことがない! 休みの日には、こういう小さい幻影のようなものの群れがよくいて、わしたちは彼らを無礼講《ぶれいこう》の君〔昔のイギリスの大邸宅で行なわれたクリスマス饗宴の進行係〕の子たちと呼んだ。だがいったい、どういう客人がうちの広間に来ているのかな?」
「まったくですね!」と善良な老ウィルソン氏が叫んだ。「これは、緋色の羽毛のかわいい小鳥でしょうか? 太陽がみごとな色の窓から射しこんで、床に金色や深紅の姿を描いているとき、これと同じようなのを見たことがある。だがそれは昔の国のことでした。ね、おじょうちゃん、おまえさんはだーれ? おかあさんはどうしてそんなおかしなふうにごてごて飾りたててくれたの? おまえさんはキリスト教徒のこども……え? 教義問答を知ってる? それとも、わしたちがローマ・カトリック教の遺物とともに楽しい英国においてきたと思った、あのいたずら好きな小人や妖精かな?」
「あたしはおかあさんの子よ」とその緋色の幻影が答えた。「そしてあたしの名はパールよ!」
「パールだって?……それよりもルビーか……さんごか……赤ばらのほうだね、少なくともおまえさんの色から判断すると!」と老牧師は答えて、片手をのばすと小さいパールのほおをかるくたたこうとしたが、むだだった。「だが、おかあさんはどこにいるの? ああ、そうか、わかった」と彼はつけ加えると、ベリンガム知事のほうへ向きなおってささやいた。……「これがわたしたちの話し合っていたこどもです。そしてここに、母親の、不幸な女ヘスター・プリンがいます!」
「ほんとですか?」と知事は叫んだ。「いやこういうこどもの母親なら当然緋色の女で、バビロンの女にふさわしいタイプだと判断すべきでしたよ!〔『ヨハネの黙示録』(十七章三〜五)を参照。「み使いはわたしをみ霊に感じたまま、荒野へ連れて行った。わたしはそこでひとりの女が赤いけものにのっているのを見た。そのけものは神を汚すかずかずの名でおおわれ、またそれに七つの頭と十の角とがあった。この女は紫と赤の衣をまとい、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものと自分の姦淫の汚れとで満ちている金のさかずきを手に持ち、その額にはひとつの名がしるされていた。それは奥義であって大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべきものらとの母というのであった」〕だが、彼女もちょうど都合のいいときに来てくれた。すぐこの問題をとりしらべましょう」
ベリンガム知事は三人の客人の先に立って大窓から広間へはいった。
「ヘスター・プリン」と彼は、生まれつきのきびしい目で、緋文字をつけたものを見つめながら言った。「最近おまえさんのことでいろいろ問題があった。論じられた点というのは、権威と力のあるわれわれが、そこのこどもの中にある不滅の魂を、この世の落とし穴につまずいて落ちたものの指導にまかせるだけで、われわれの良心をよく満足させられるかどうかという問題であった。こどもの母親として、おまえさんの気持ちを言ってごらん! その小さいこどもがおまえさんの監督から離れて、じみな服を着せられ、厳格にしつけられ、天と地の真理を教えられたとしたら、そのほうがその子の現世と永遠の幸福のためになるんではないだろうかね? おまえさんはこういうことは、どの程度までできるだろうか?」
「わたしはうちの小さいパールに、わたしがこれから学んだことを教えることができます」とヘスター・プリンは答えて、赤い印の上に指を置いた。
「女よ、それはおまえの恥の印だよ!」ときびしい知事は答えた。「わしたちがその子を他の人たちの手にゆだねようというのは、その文字の示している≪しみ≫のためなのだ」
「でも」と母親は、顔色を青くしながらも、静かに言った。「この印はわたしに教えてくれました……毎日教えてくれます……今も教えてくれているのです……わたしのこどもがわたしよりもかしこくりっぱな女になれる教訓を。わたし自身にとってはなんの利益にもなりませんが」
「わしたちは注意ぶかく判断して」とベリンガムは言った。「わしたちのなすべきことをよく考えてみよう。ウィルソン先生、どうぞこのパール……というのがこの子の名ですから……をしらべてこの子の年ごろにふさわしいキリスト教の教育を受けているかどうか見てくださいませんか」
老牧師はひじかけいすに腰をおろし、両ひざのあいだにパールを引きよせようとした。しかしこどもは、母親以外の人の手にさわられたり親しくされたりすることに慣れていなかったので、あいている窓から逃げ出すと、石段の上のほうに立ったが、その姿はまるで上空へとびたとうとする、はなやかな羽毛をつけた野生の熱帯の鳥のようであった。ウィルソン氏はこの突発事に少なからずおどろいて……というのは、彼は祖父のようにあまいところのある人物で、こどもたちにとても好かれていたからである……しかしこのこどもをしらべてみようとした。
「パールよ」と彼はうんと威厳をつくって言った。「おまえさんは気をつけて勉強するんですよ。そうすれば、やがて胸に高価なパール(真珠)をつけることができますよ。さあ、だれがおまえさんをお造りになったのか、言うことができますか?」
さてパールはだれが自分の造り主であるかはよく知っていた。というのは敬虔《けいけん》な家庭の娘であるヘスター・プリンは、天の父についてこどもと話し合ったすぐあとで、人間の精神が、どんなに未熟な段階でも、熱心な興味をもって吸収するような真理を、こどもに教えはじめていたからである。したがって、パールの三年間の生活のあいだに得た知識はひじょうに大きかったので、ニュー・イングランド入門書〔十七世紀後半に印刷されたマサチューセッツの有名な教科書で、旧約聖書の人物や教義をアルファベット順に韻をふんで対句にしている〕やウェストミンスター教義問答〔カルヴィン教義のこの長短の教義問答は一六四七年議会によって定められた。短いほうは百七の問答からなっている〕の第一欄の試験は、これらの有名な本の外形は知らなくとも、りっぱに受けることができるくらいであったのだ。しかし、すべてのこどもが多少とも持っていて、小さいパールが十倍も持っていたつむじ曲がりの気持ちが、今このいちばんつごうのわるい瞬間に彼女の心を占領して、彼女のくちびるを閉じさせ、まずいことばを言わせてしまったのである。指を口にくわえて、善良なウィルソン氏の質問に答えるのをぶあいそうにことわったあげく、こどもは最後に、自分は造られたのではなくて、母が監獄の大戸のそばにはえている野ばらの茂みからむしり取ったのだと言った。
この奇想天外な答えは、パールが窓の外に出たとき知事の赤ばらがすぐ近くにあったことと、ここへ来るときに通り過ぎた監獄のばらの茂みを思い出したために、たぶん暗示されたのであろう。ロジャー・チリングワース老人は、顔に微笑を浮かべながら、若い牧師の耳になにかささやいた。ヘスター・プリンはその熟練者の顔を見たが、自分の運命がどちらへころぶか未決定のそのときでさえも、なんという大きな変化が彼の顔をおそったことであろうとおどろいてしまった……彼の正体を知ったときからみても、なんとみにくくなってしまったのだろう……浅黒かった顔の色つやはいっそう黒くなり、姿形《すがたかたち》はなんといっそうぶかっこうになってしまったのだろう。彼女は一瞬彼と目を合わせたが、すぐさま全注意を現在進行ちゅうの場面に移さねばならなかった。
「これはひどい!」
パールの返答によって投げこまれたおどろきからじょじょに回復しながら、知事は叫んだ。「三歳にもなりながら、自分がだれによって造られたかが言えないとはね! この子がその魂についても、現在の堕落についても、未来の運命についてもみな知らないでいることは、疑う余地がありません! 皆さん、これ以上しらべる必要はないと思います」
ヘスターはパールをつかむと、力いっぱい抱きしめて、ほとんどすさまじいような表情で、清教徒の老知事と向かい合った。世の中でただひとり、世間から見放され、心に勇気を与えてくれるものといってはただこの宝しかない彼女は、世間に対してどうしても破棄できない権利が自分にはあるのだ、これは死んでも守りぬこうと感じたのだった。
「神さまがこのこどもをくださったのです!」と彼女は叫んだ。「あなたがたがわたしから取りあげておしまいになった他のすべてのものの報酬《ほうしゅう》としてくださったのです。この子はわたしの幸福です!……それでいてわたしの責め苦でもあります! パールのおかげでわたしは生きているのです!……パールはまたわたしを罰しもします! おわかりになりませんか、パールは緋文字です。ただわたしはこの子を愛しています、だからわたしの罪を罰する百万倍の力を持っているのです。決してこの子はおわたししません! それくらいならわたしがまず死にます!」
「きのどくな女よ」と不親切でない老牧師が言った。「こどもはよくめんどうをみてあげるよ!……おまえさんができるよりはずっとよくね」
「神さまがわたしに養育をおまかせになったのです」とヘスター・プリンは、ほとんど悲鳴に近いように、声を高くしながらくりかえした。「決しておわたししません!」……そしてここで、彼女はとつぜん衝動にかられたように、この瞬間までほとんど目を向けさえもしなかった若い牧師のディムズデイル氏のほうへ向きなおった。……「わたしのためになんとか言ってください!」と彼女は叫んだ。「あなたはわたしの牧師さんで、わたしの魂をあずかっていらっしゃいました。だからこのかたたちよりわたしのことはよくご存じです。わたしはこの子を失いたくありません! わたしのためになんとか言ってください! あなたはご存じです……このかたたちの持っていらっしゃらない同情心を持っていらっしゃいますから……わたしの胸の中にあるものを、また母親の権利がなんであるかを、しかも、その母親がただこどもと緋文字しか持っていないとき、その権利がどんなに強いものであるかをご存じです! 考えてください! わたしはこどもを失いたくありません! 考えてください!」
この狂気じみた異常な訴えは、ヘスター・プリンがこういう立場に追いこまれてほとんど狂乱に近い状態になったことを示していたが、この訴えを聞くと、若い牧師はすぐさま、まっさおな顔で、片手を胸に置いたまま、前へ出た。これはとくに神経質な彼の気質が急に動揺したときの彼のくせであった。彼の今の表情は、ヘスターが公衆の面前で恥をさらしたときにのべたよりも、さらに苦労でやつれ、やせ衰えているようであった。健康が衰えているためにせよ、あるいはその原因がなんであるにせよ、その大きな黒い目は、その不安そうな憂欝《ゆううつ》の奥に苦痛の世界をひそませていた。
「彼女の言うことには真実があります」と牧師は、やさしい、ふるえがちな声で、だが広間全体が反響し、うつろなよろいかぶとまでも鳴りひびくような力づよい声で、言いはじめた。「ヘスターの言うことにも、彼女にそう言わせる気持ちにも、真実があります! 神さまは彼女にこどもをお与えになった、またこどもの性格や要求……見たところはどんなに変わっていても……それらに対する本能的な知識もお与えになった。これは他の人間には決して持てないものです。そればかりでなく、この母親とこのこどもとのあいだの関係には、厳粛《げんしゅく》な神聖さがあるのではないでしょうか?」
「えっ!……どんなぐあいにでしょうか、ディムズデイル先生?」と知事は口をはさんだ。「どうぞ、それを説明してください!」
「それにちがいありませんよ」と牧師はつづけた。「というのは、もしそうでないと考えたら、あらゆる人間の造り主である天の父は、罪の行為をかるく見て、ふしだらな情欲と神聖な愛とのあいだの差別をあまり重要視しなかったと言えないでしょうか? 父親の罪と母親の恥から生まれたこのこどもは、いろいろな方法で母親の心を動かそうとする神の手から生まれてきたものでもあります。というのは母親はこんなに熱心に、しかもこんなに大きな心の苦しみを持ってこどもを手もとにおく権利を嘆願しているのですから。それは祝福を意味していたのです。彼女の生活の唯一《ゆいいつ》の祝福なのです。母親自身のことばにもあったように、疑いもなく、罪の報いでもあったのです。思いがけないときにたびたび感じられる責め苦です。不安な喜びの最中の苦しみ、突きさすような痛み、くりかえし起こってくる苦悩です! 彼女はこういう考えをこのきのどくなこどもの衣服に表現して、彼女の胸を焼く赤い表象を力づよくわたしたちに思い出させているではありませんか?」
「よく言われた」と善良なウィルソン氏は叫んだ。「わしはまたこの婦人はこどもを香具師《やし》にでもする考えではないかと恐れていたのだ」
「いや、そんなことはありません!……そんなことはありません!」とディムズデイル氏はつづけた。「彼女はまちがいなく、そのこどもの存在の中に、神の行ないたもうたおごそかな奇跡を認めています。そして願わくば彼女もまた……わたしには真理そのものと思われることですが……この賜物《たまもの》が、他のなにものよりも、母親の魂をいきいきとさせ、もしもこういうことがなかったならば、悪魔が彼女を投げこもうとしたかもしれないもっと黒い淵に落ちこまないようにするための意味を持っていたのだということを感じてくれますように! ですからこのきのどくな罪深い女が、永遠の喜びも悲しみも味わうことのできる幼い不滅の魂をまかせられて、世話をし……正義の道へと教育し……いつなんどきも自分の堕落を思い浮かべさせられ……だが、あたかも造物主の神聖な誓約によってのように、もしも自分がこどもを天国へつれていけば、こどももまた母親をそこへつれていくであろうということを数えられるというのは、彼女にとってよいことなのです! この点、罪深い母親のほうが罪深い父親よりも幸福です。ですから、ヘスター・プリンのために、そしてまたあわれなこどものためにも、神の摂理がふたりを置くのにふさわしいと見なした状態に、ふたりを残しておこうではありませんか!」
「きみはおかしいくらい熱心に言っているね」と、ロジャー・チリングワース老人は彼を見て微笑しながら言った。
「それにわしの若い兄弟の言ったことばには重要な意味がある」とウィルソ牧師はつけ加えた。「ベリンガム閣下、どうお考えですか? きのどくな婦人のためによく弁護したではありませんか?」
「いかにもそのとおりです」と長官は答えた。「そこで彼のあげた論証によって、わしたちはこの問題をしばらく現状のままでおくことにしましょう。少なくともこの女にこれ以上の醜聞《しゅうぶん》のないあいだはね。だが、あなたの手かディムズデイル先生の手で、定められた必要な教義問答の試験をこの子に対して行なうように留意しなければなりません。それから、適当な時期に、この子が学校へも行き、集会にも出るように、十人組の組長〔十七世紀マサチューセッツにおいては、住民を十家族単位にわけ、その代表者は警察官の任もはたした〕に注意してもらいましょう」
若い牧師は、話すのをやめると、一同から数歩しりぞき、窓のカーテンの重いひだの中に顔をなかばかくして立っていた。だが、日光のために床の上に落ちていた彼の影は、彼の懇請《こんせい》のはげしさのためにふるえていた。あの野生的な気まぐれな小妖精のようなパールはそっと彼のほうへしのびよると、彼の手を自分の両手にしっかりとつかみ、それに自分のほおを押し当てた。それがあまりにもやさしい、また慎《つつし》み深い愛撫《あいぶ》だったので、その様子をながめていた母親は、「あれがわたしのパールかしら?」とみずからたずねたほどであった。だが彼女は、こどもの胸に愛情のあることを知っていた。それが多くは激情となってあらわれ、今のようにこういうやさしさでやわらげられたことが今までほとんど二度となかったにしても。
牧師は……長いあいだ求めていた女性の心づかいをのぞいては、このような精神的本能によって自発的に与えられた、したがってわれわれの中にも真に愛される値うちのあるものがあるということを暗示しているように思われる、こどもらしい好意のあらわしかたほど、甘美なものはないので……牧師はまわりを見まわすと、こどもの頭に手をのせ、一瞬ためらってから、そのひたいに接吻した。小さいパールのめったにないこういう気分は長くはつづかなかった。彼女は大きな声で笑うと、広間をとびはねながら向こうへ行ってしまった。その様子があまりに軽快だったので、老ウィルソン氏など彼女のつまさきが床についたかどうかたずねたほどであった。
「あのちっちゃいおてんばは、たしかに、妖術をわきまえているね」と彼はディムズデイル氏に言った。「あの子は空を飛ぶのに老婆の箒《ほうき》など必要としないようだ」
「不思議な子だ!」とロジャー・チリングワース老人が言った。「あの子の中に母親の要素のあることははっきりわかる。みなさん、あの子の性格を分析して、その性質や型から、父親をうまく推測するというのは学者の研究範囲を越えることでしょうか?」
「いや、こういう問題で、世俗の学問による解決の手がかりを利用したりするのは罪深いことです」とウィルソン氏は言った。「それよりも断食してお祈りしたほうがいいでしょう。いやそれ以上に、神の摂理によりその秘密がひとりでに明らかにされないかぎり、それを今のままにしておいたほうがいいでしょう。だからりっぱなキリスト教徒はこのあわれな父なし子に対して父親の親切を示す権利があるのです」
問題がこのように満足のいくように決着したので、ヘスター・プリンはパールとともにこの家を去った。母子が石段をおりるとき、ある部屋の窓の格子が押し開かれて、ベリンガム知事の意地悪な妹で、数年後に魔女として処刑されたヒビンズ女史の顔が明るく日の照っている外へ突き出された、という確証がある。
「ちょっと、ちょっと!」と彼女は叫んだが、そのあいだにも彼女の不吉な人相はその家の気持ちのよい新しさの上に影を投げかけているように思われた。
「今晩いっしょに行きませんか? 森の中で楽しい仲間が集まるはずよ。わたし魔王にほとんど約束したのよ、美しいヘスター・プリンを仲間にいれるってね」
「おわびをしておいてくださいね、お願いします」とヘスターは、勝ちほこったような微笑を浮かべて答えた。「わたし家にいて、うちの小さいパールを見はっていないといけませんの。もしパールが取り上げられでもしたら、わたしきっとあなたといっしょに森へ行って、魔王の帳面にわたしの名を、それもわたし自身の血で書きこんだでしょうけれど!」
「じきにあそこへおつれするわ!」とこの魔女の婦人は言って、顔をしかめながら、首をひっこめた。
しかしここに……もしもこのヒビンズ女史とヘスター・プリンとの出会いがたとえ話ではなくて、確実なものであると考えるならば……ここにすでに、堕落した母と彼女の弱さから生まれたものとの関係を切り離そうという提案に対して反対した、若い牧師の議論の証明があったわけである。こんなに幼いときでも、こどもは母を悪魔のわなから救ったのである。
[#改ページ]
九 医者
ロジャー・チリングワースという名称の下には、読者も思い出されるように、別の名まえがかくれていて、昔の名まえの持ち主は二度とその名を人には言わせまいと決心していた。すでにのべたように、ヘスター・プリンが恥をさらすさまを目撃した群衆の中に立っていたひとりの年輩の、旅にやつれた男は、危険な荒野から出てきたばかりで、家庭の暖かさと楽しさの化身としてながめたいと願っていた女性が、罪の典型として公衆の前に立たされているのを見たのだった。彼女の既婚《きこん》婦人としての名誉はすべての人の足もとに踏みにじられてしまった。汚名が公衆の広場で音をたてて彼女をとりまいていた。彼女の身内のものにとっても、もしこの報道が聞こえたら、また彼女の汚れなき時代の朋輩たちにとっても、彼女の不名誉が感染するのにまかせるほかはなく、不名誉は以前の関係の親密さと神聖さに応じて、それに正確に比例して、必ずや分配されることになったであろう。だからどうして……その選択は自分自身のがわにあるのに……堕落した女との関係が最も親しく、また最も神聖であった人が、このようにのぞましくない遺産に対する権利をわざわざ立証しに出てこなければならないのであろうか?
彼は彼女の恥辱の台にならんで立ってさらしものにされないようにしようと決心した。ヘスター・プリン以外にはだれにもわかっていないし、彼女の沈黙の錠《じょう》と鍵は自分が持っているので、彼は人類の名簿から自分の名まえを取り去ってしまい、自分の以前の義理や利害関係については、人生から完全に姿を消して、うわさによってとうの昔に送られた海の底によこたわったようになりたいと思った。この目的がひとたびはたされれば、新しい興味と、同じように新しい目的がただちに起こってくるであろう。それはたしかに、やましいところはないにしても、暗いものであろう。だが、彼の才能の力をじゅうぶんに活用させるに足るだけの効果はあるであろう。
この決心にしたがって、彼はこの清教徒の町にロジャー・チリングワースとして居をさだめたのであるが、人なみ以上に持っている学問と知性以外の紹介状があるわけではなかった。以前、彼の研究はもっぱら当時の医学に彼を親しませたことがあったので、彼は医者としてこの土地にあらわれ、また医者として心から迎えられたのである。内科と外科の腕のたつ人は当時の植民地ではまれであった。彼らには、他の移住者をして大西洋を横断させた宗教的熱情というものがほとんどなかったように見えた。人間の構造を研究しているうちに、こういう人たちの、他の人よりも高い精密な能力が唯物的になってしまって、人生のいっさいをその中に包含《ほうがん》するに足るだけの技術をそなえているらしい不思議な機構の複雑さの中で、存在に対する精神的な見方を失ってしまったのかもしれない。
とにかく、この善良な町ボストンの健康は、医術に関するかぎり、これまで年とった教会代表の薬種商に保護されていた。というのは彼の敬虔な信仰とうやうやしい態度は、彼の提出できるどんな形の免許状よりも、有利なつよい証明書だったからである。ただひとりの外科医というのは、毎日習慣的にかみそりを動かすことと、あの高尚な技術をときどき行使することとをかねている人物であった。こういう医者仲間にとってロジャー・チリングワースはめざましい掘り出しものであった。彼はやがて昔の医術のどっしりした堂々たる体系をよく知っているということを明らかにした。そしてそういう古代医術ではどの薬もみな、むりな異質の諸成分をたくさん含んでいて、まるで不老不死の霊薬をつくるかのように巧妙に調合されているのだった。そのうえ、彼はインディアンに捕えられていたあいだに、この土地の薬草薬根の性質について多くの知識を得たし、いわば無知の野蛮人に与えられた自然の賜物《たまもの》であるこういう単純な医薬は、多数の学識ゆたかな医者たちが数世紀をかけて練りあげたヨーロッパの薬物類と同じように、彼が大いに信頼しているものであるということを、彼は患者たちにかくそうとはしなかった。
この学識のある新来者は、少なくとも宗教生活の外面的形式については、模範的で、この土地に到着してまもなく、自分の精神的指導者として牧師ディムズデイル氏をえらんだ。この若い聖職者は、その学者的名声が今なおオクスフォードにのこっている人で、熱烈な崇拝者たちの考えによれば、もし彼が人間の普通の寿命《じゅみょう》を生きて働いたならば、ちょうど初期の教父たちがキリスト教信仰の揺籃《ようらん》時代に対して行なったような大偉業を、今もなおよわよわしいニュー・イングランドの教会に対して行なうように運命づけられた、天より任命された使徒のような人物であった。
しかし、このころディムズデイル氏の健康は明らかにおとろえはじめていた。彼の習慣をよく知っている人たちは、この若い牧師のほおが青白くなったのは、彼があまりに研究に熱心なためであり、教区の義務をきちょうめんにはたしているためであり、それ以上に、この現世の状態のきたなさが彼の精神の燈火《ともしび》の燃えるのをさまたげたり薄暗くしたりしないようにと、しばしば断食したり、夜の祈祷《きとう》をしたりするためであると説明した。もしディムズデイル氏が真に死ぬようなことがあるとすれば、それはこの世界がもはや彼の足に踏まれるに値しないためだと断言するものもいた。これに反して、彼自身はその特徴とする謙虚な態度で、もしも神の摂理が自分を去らせることを適当とお考えになるならば、神の最もささやかな使命をさえも遂行する資格が自分にないためであろうと思うと公言するのだった。
彼の衰弱の原因についてこのように意見のちがいがあったにもかかわらず、衰弱の事実そのものには疑問の余地がなかった。彼のからだはやせ衰え、声はまだゆたかできれいであったとはいうものの、彼の衰えを予言するような憂欝な調子がこもっていた。また、なにかちょっとしたおどろきや突然のできごとが起こったりすると、手を胸にあてがい、最初は顔をさっと赤らめるが、やがて青白くなって苦痛を示すようになるのが、しばしば見られた。若い牧師の状態はこんなふうであった。そして彼の心に芽ばえた光が、まだその時が来ないのに今にも消えそうな切迫した状態になったときに、ロジャー・チリングワースがこの町にあらわれたのである。
彼がこの場面にはじめて登場したのは、どこから来たのかほとんどだれにもわからなかったし、いわば空から降ってきたか地からわいてきたかのようで、神秘のおもむきがあり、たやすく奇跡であるとまで誇張されたのだった。彼は今や老練の医者として知られていた。彼が草や野の花を集め、木の根を掘り、森の木から枝を折り取るのが見られたが、まるで普通の人の目には価値のないものの中に効能のかくされているのをよく知っている人のようであった。彼がサー・ケネルム・ディグビー〔英国の外交官、海軍軍人、文学者、科学実験家。一六〇三〜六五〕や他の有名な人たち……その科学上の業績はほとんど神わざと見なされていた……を自分の文通の相手であるとか仲間であるとか言っているのを人は聞いた。学問の世界にこのような位置を持ちながら、なぜ彼はこの土地へ来たのであろうか? その活動範囲が大都市にある彼が、この荒野にいったいなにを求めているのであろうか? この質問に答えての正しい答えと思われたうわさによれば……またこのうわさはどんなにばかげていても、そうとう分別のある人たちでも信じている人がいた……天帝が絶対の奇跡を行なって、すぐれた医薬の博士をドイツの大学から、からだごと空中をはこんできて、ディムズデイル氏の書斎の戸口におろしたのだということであった。もっとかしこい信仰を持つ人びとも、じっさい、天帝はいわゆる奇跡的な干渉《かんしょう》という舞台効果をねらったりせずに、その目的をすすめるものであるということを知っているくせに、ロジャー・チリングワースがこのように好時機に到着したということの中に神の摂理の手を見がちであった。
この考えを支持したのは、この医者が若い牧師に対して示したつよい興味であった。彼は教区民として牧師になじみ、牧師の生まれつき遠慮深い多感な性質から、友人としての好意と信頼を得ようとつとめた。彼は牧師の健康状態を見て大きな心配の気持ちをあらわし、なんとかして治療してやりたいと心をくだき、もし早くとりかかれば、好結果をのぞめないものでもないように思われた。ディムズデイル氏の信者たちのうちの長老たち、教会代表たち、母親らしいやさしい婦人たち、若い美しい娘たちはみな一様に、この医者が卒直にすすめる療法をためしてみてはどうかとうるさく言うのだった。ディムズデイル氏は彼らの懇願《こんがん》をやさしくしりぞけた。
「わたしは薬はいりません」と彼は言った。しかし、それからの安息日ごとに、ほおはますます青白くやせていき、声は前よりもふるえがちとなり……片手を胸に当てるのが、ときたまのしぐさというよりは今や常習となってしまっているときに、どうしてこの若い牧師はそう言うのであろう? 彼は自分の仕事がいやになったのであろうか? 死ぬことをのぞんでいるのであろうか? これらの質問は、ディムズデイル氏に対して、ボストンの先輩牧師たちにより、また彼の教会の代表たちによってなされた。彼らは、彼ら自身のことばを用いれば、神の摂理によってこのように明らかにさしのべられた助けの手を拒否することの罪について、「彼と論じあった」。
彼は無言で聞いていたが、最後に医者と相談しようと約束した。「もしも神さまのおぼしめしならば」と牧師ディムズデイル氏は、その約束を果たそうとして、老ロジャー・チリングワースの診察を求めたときに言った。「あなたがわたしのためにその腕を十二分にふるってくださるよりは、わたしの仕事や、わたしの悲しみや、わたしの罪や、わたしの苦痛が、わたしとともにやがて終わり、それらのうちの現世的なものはわたしの墓にうずめられ、精神的なものはわたしとともに永遠の国へ行くことになっても、わたしはきっと満足します」
「ああ」とロジャー・チリングワースはいつもの静かな態度で答えたが、その静けさは、無理にそうするときも、しぜんのままでいるときも、彼の態度の特徴であった。
「これはいかにも若い牧師さんの言いそうなことです。若い人というものは、深い根を張っていないものだから、そういうふうにたやすく生命から手を放してしまう! また神とともに地上を歩いている高徳な人びとは、喜んでこの世を去って、神とともに新エルサレムの黄金の舗道を歩こうとされるようだ」
「いや」と若い牧師は答えて、胸に手を置き、ひたいに苦痛のひらめきを走らせた。「もしもわたしがそこを歩くだけの値うちがあったら、ここで働くことにもっともっと満足することもできるでしょう」
「善良な人びとはいつも自分をいやしいものと解釈するものです」と医者は言った。
このようにして、この不可解な老ロジャー・チリングワースは牧師ディムズデイル氏の顧問医師となった。彼の病気が医者の興味をひいたばかりでなく、患者の性格や性質をながめてつよい感銘《かんめい》を受けたので、このふたりは年齢もひどくちがっていたのに、しだいにいっしょに時を過ごすようになった。牧師の健康のために、また医者が鎮痛剤《ちんつうざい》をふくんでいる植物を集めることができるように、ふたりは海岸や森の中を長く散歩して、波の大きな音やささやき、またこずえに鳴るおごそかな風の讃美歌を聞きながら、いろいろな話をしあった。同様に、前者が後者の客となって、その研究と隠遁《いんとん》の場所をたずねたこともしばしばあった。牧師にとって科学者と親しくするのは魅力があった。というのは科学者の中になみなみならぬ深みと広がりをもつ知的教養をみとめたからで、その合わせて持っている思想の幅と自由も、同業の牧師たちのあいだに求めて得られないものであった。じじつ彼はこういう特質を医者の中に見いだして、ショックを受けないまでも、おどろいた。
ディムズデイル氏は、ゆたかに発展した敬虔《けいけん》な感情を持った、また信仰の道を力強くたどらせ、時がたつとともにますます深くなる心を持った真の聖職者、真の宗教家であった。どんな社会状態の中でも、彼はいわゆる自由思想の人物ではなかったであろう。信仰の重圧がその鉄のわくの中に彼をとじこめながらも、彼をささえてくれているのを感じることが、彼の平和にとってはつねに肝要であったであろうからである。しかし、それにもかかわらず、わくわくするような喜びをもってではあるが、彼がふだん神と親しく交わっているときの知能とは別の種類の知能を通して宇宙をながめる気ばらしを、ときおり感じるのだった。それはあたかも窓をさっとあけて、もっと自由な空気をしめきった重苦しい書斎の中へ入れるようなもので、そこでは彼の生命は、ランプの光やさえぎられた昼の光の中で、また感覚的にせよ精神的にせよ、書物から発するかびくさいにおいの中で、すりへらされていたかのようであった。だがその空気はあまりに新鮮すぎ、冷たすぎて、気持ちよく長く呼吸していることはできなかった。だから牧師は、医者とともに、教会によって正統とさだめられたものの範囲内にまたもどっていくのだった。
このようにロジャー・チリングワースは彼の患者を注意深くしらべた。彼のよく知っている思想の領域で通いなれた道をたどっている日常生活における彼の姿と、彼の性格の表面になにか新しいものを呼び出す珍しさをそなえた他の道徳的風景の中に投げ出されたときの彼の様子との両方をくわしくしらべたのだった。チリングワースは病人の健康のためになることをしようとする前に、その人間を知ることが本質的に重要であると考えたらしかった。心と知能があるところでは、肉体の病気はこれらのものの特異な特徴によって色づけられる。アーサー・ディムズデイルの場合は、思想と想像がひじょうに活発であり、感受性がひじょうにはげしいので、からだの病気はそこに根源があるらしかった。だからロジャー・チリングワース……熟練者で、親切な好意的な医者……は、彼の患者の胸の中に深くはいりこんで、そのいろいろな原理をせんさくし、その思い出をのぞき、まるで暗い洞窟《どうくつ》の中に宝を捜す人のように、周到な手さばきをもって、あらゆるものをさぐり針でさぐろうと努力した。
こういうせんさくをする機会と自由を持ち、それを最後まで追求していく技量をもっている研究者からのがれることのできる秘密はほとんどないであろう。秘密の重荷を負った人はことに医者との親交をさけるべきである。もしも後者が生まれつきのかしこさを持ち、そのうえさらになにか名まえのつけられないあるもの……直覚とでもいうべきものを持っているならば、もしも彼がでしゃばりの利己主義や、不愉快なほど顕著《けんちょ》な彼自身の特性を示さないならば、もしも彼に生まれながらのものにちがいない力があって、自分の心を病人の心とひじょうに親和させ、病人が自分ではただかるく考えたにすぎないと想像するようなことまでも知らず知らずに口に出させてしまうということになるならば、もしもこういう暴露《ばくろ》をしても騒がれることなく、ことばに出しての共感というよりは、むしろなにもかもわかっているということを示そうとして、沈黙や、ことばにならぬ息づかいや、ところどころことばをはさんで、それが認められるならば、あるいは、もしも秘密をうちあけられる信頼できる人としてのこういう資格に、医者としての公認の資格から生ずる便益が加えられるならば……そういう場合は、いつかさけることのできないある瞬間に、病人の魂は分解し、暗い、しかし透明な流れとなって流れ出し、その秘密をすべて白昼の光の中へさらけ出してしまうであろう。
ロジャー・チリングワースは上に列挙したような特質のすべてを、あるいは大部分を所有していた。それにもかかわらず、時は経過し、われわれの前にのべたような一種の親密さが、人間の思想と研究の全領域をも対象とするくらい広い活動範囲を持つふたりの教養ある心のあいだに成長していった。
彼らは倫理や宗教、公共の事件、個人の性格などのあらゆる問題を論じ合った。彼らは自分たちにとって個人的と思われるようなことがらについて両方から多く話し合った。だが、医者が必ずあるにちがいないと想像したような秘密が、牧師の意識の底からしのび出て、彼の友の耳にはいるということなどたえてなかった。医者は、まったく、ディムズデイル氏の病気の性質がはっきり自分に明かされたことはなかったのではないかという疑惑を持っていた。それは不思議な遠慮深さであった。
しばらくしてから、ロジャー・チリングワースの示唆《しさ》によって、ディムズデイル氏の友人たちはふたりが同じ家に住めるように手配をした。こうなれば、牧師の生命の潮の満干《みちひ》はすべて、彼の健康を案じていっときもそばを離れない医者の目の下に置かれることになるであろう。この待望の手はずがととのえられたときは、町じゅうが喜んだ。それが若い牧師の幸福のためにとられる最善の方法であると考えられた。実際、そうするだけの権威があると感じられているような人びとによってしばしばすすめられたように、彼が精神的に彼に愛情をよせている多くの花の盛りのようなおとめたちの中のひとりをえらんで、自分の献身的な妻としていたならば、話は別である。だが、アーサー・ディムズデイルを説きふせて、この後者の方法を取らせることのできるような見込みは現在のところなかった。というのは、あたかも司祭の独身生活が彼の教会規律の条項のひとつででもあるかのように、彼はそういう提案をすべてしりぞけたからである。
したがって、ディムズデイル氏が明らかにそうであったように、自分からすすんでいつも他人の食卓でまずい少しの食事をとり、他人の炉辺でしかからだを暖めようとしない人の、当然の運命である生涯の寒気を耐えしのばねばならなくなった場合、若い牧師に対して父親の愛情と敬虔《けいけん》な愛を合わせて持っている、このかしこい、経験ゆたかな、なさけ深い老医師こそ、全人類の中で、たえず彼の声の聞こえるところにいてほしい人であるかのように思われたのである。
このふたりの友だちの新しい住居は、社会的地位の高い敬虔な未亡人の家で、彼女は、のちにキングズ・チャペルのこうごうしい建物の建てられた地面をほとんど占めている家に住んでいた。片側には、アイザック・ジョンソンの屋敷跡の墓地があり、牧師に対しても医師に対しても、各自の仕事にふさわしいまじめな思索を要求するのにまったく適していた。その善良な未亡人の母親らしい心づかいは、日がよく当たり、昼でものぞましいときは、どっしりと重いカーテンで月の影をつくり出すことのできる表の部屋をディムズデイル氏に割り当てた。壁にはゴブラン〔十五世紀中ごろパリに定住した有名な染物屋一家〕の機《はた》で織られたという掛けにしきが周囲にかけてあり、とにかくダビデとバテンバの物語および予言者ナタンが、今もあせていない色で描かれていたが、その場面の美女はほとんどわざわいを予言する予言者のように無気味に鮮明なものにされていた。
この部屋に、青白い顔の牧師は自分の蔵書を積み上げた。羊皮紙装丁の教父たちのふたつ折り版や、ユダヤ教律法博士たちの学問や、修道士の学問の書が豊富にあって、新教の聖職者たちはそういう種類の作家を中傷し非難しながらも、なおしばしば利用しないではいられないような書物であった。
家の反対がわの裏のほうに、老ロジャー・チリングワースは自分の書斎兼実験室を用意した。現在の科学者が、かなり完全であると認めるようなものではなくて、一個の蒸留器《じょうりゅうき》と、熟練した練金術師なら役にたたせる方法をよく知っている薬剤や化学薬品を調合するための器具が置かれていた。こういう間取りのじゅうぶんな位置を占めて、学識のあるこのふたりはそれぞれ自分の部屋に落ち着いたが、おたがいの部屋へ親しく往来し、相手の仕事をたがいに、好奇心をもってながめ合った。
そしてアーサー・ディムズデイル牧師の最善の明敏な友人たちは、すでに暗示したように、神の摂理の手が……多くの人たちがおおやけの、家庭内の、またひそかな祈りで願ったように……この若い牧師に健康を回復するという目的のために、すべてこのことをなしたもうたのだと想像したが、それは無理からぬことであった。しかし……ここで言っておかねばならぬことは……この部屋の他の一部の人たちは、さいきんディムズデイル氏と不思議な老医師とのあいだの関係に自分勝手な考えかたをしはじめていたのであった。教育のない大衆が自分の目で物を見ようとするときは、とかくひじょうに誤《あやま》られやすい。だが、よくやるように、その大きなあたたかい心の直観の上に立って判断をくだすときは、こうして得られた結論は、しばしば深遠で正確で、超自然的にあらわされた真理のような性質を持つものである。
今われわれの物語っているこの場合も、彼ら大衆は、まじめに反ばくするだけの価値のある事実や議論によってではなしに、ロジャー・チリングワースに対する偏見《へんけん》を正当とすることができた。じじつ、ひとりの年老いた手職人は今から三十年ほど前のサー・トマス・オーバーベリー殺害事件〔親友のロチェスター伯とエセックス伯爵夫人との結婚に反対した。エセックス伯夫人は策略によってオーバーベリーをロンドン塔にとじこめて毒殺した〕当時のロンドン市民であったが、彼の証言によると、医者が、この話の語り手は今はもう忘れてしまったが、なにか別の名まえで、オーバーベリー事件に巻きこまれた有名な老魔術師のフォーマン博士〔占星術師で医師〕といっしょにいるところを見たことがあるという。
二、三の人びとは、この熟練者はインディアンに捕えられているあいだに、野蛮人の祭司《さいし》たちのまじないに加わることによって医学の学識をひろげたのではないかと言った。というのは、野蛮人の祭司たちは強力な魔法使いで、その魔法の技術によって、一見奇跡的ともいえるような治療をしばしば行なうものであるとひろく認められていた。多数の人たちは……しかもその多くは、彼らの意見が他のことがらにおいても価値ありとされるような穏健《おんけん》な思想と実際的な観察眼の持ち主であったが……ロジャー・チリングワースの顔が、彼がこの町に落ち着いているあいだに、ことにディムズデイル氏といっしょに生活するようになってから、いちじるしく変わってしまったと断言した。はじめ、彼の表情は静かで、瞑想《めいそう》的で、学者的であった。今は、彼の顔にはなんとなくみにくい邪悪なものがあった。これは以前は人びとの気づかなかったもので、見れば見るほどますます目だつようになっていた。俗間の考えによれば、彼の実験室の火は地獄から持ってこられたもので、地獄のたきぎがくべられているという。だから、当然予想されるように、彼の顔たるやその煙のためにすすけてきているのだという。
要約すれば、アーサー・ディムズデイル牧師は、キリスト教世界のあらゆる時代の他の多くのとくべつの神聖さをもった人びとと同じように、老ロジャー・チリングワースの姿を借りた悪魔自身か、悪魔の使者につきまとわれているのだという見かたがひろくゆきわたった意見になった。この悪魔の代理は、しばらくのあいだ、この牧師との親交の中にもぐりこみ、彼の魂に対するたくらみをする神の許可をもらったのだ。分別のある人ならだれひとりとして、どちらの側に勝利がいくか疑うことはできないと、彼らは公言した。彼らは、牧師がその闘争の中から確実にかちとるであろう栄光のために形を変えてあらわれてくることを、ゆるぎない希望をもって期待した。だが、しばらくのあいだは、彼がおそらくは死にもの狂いの苦悩を通って、最後の勝利に向かい戦わねばならないことを考えて悲しかった。
ああ、あわれな牧師の目の底にある憂欝と恐怖から判断して、この戦いは苦しい戦いであり、勝利は確実とは言いきれなかった!
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十 医者とその患者
老ロジャー・チリングワースは、生涯を通じて、静かな気質の、愛情が深いというわけではないが、やさしい、しかしいつも世間との関係においては純粋なまっすぐな人であった。彼は、自分でも想像しているように、ある調査をはじめるにあたっては、裁判官のようなきびしい公平な誠実さではじめ、ただ真理のみをのぞんでいた。まるで自分のかかわり合った問題が、人間の情熱や自分の身の受けた被害ではなくて、幾何学の問題の空中に描かれた線や図形ででもあるかのようであった。
しかし、やっているうちに、おそろしい魅惑というか、なおも平静ではあるが、一種のはげしい宿命的なものがこの老人をしっかりとらえ、彼がその命令を全部なしとげないうちは、その手を放しはしなかった。彼は今やこのあわれな牧師の心を掘りすすんだが、その様子はまるで黄金を求める坑夫のようであった。というよりはむしろ、死者の胸の上にうずめられた宝石を捜しながらも、けっきょくは人間の死の運命と腐敗《ふはい》だけしか見いだしかねない墓を掘る寺男のようであった。ああ、もしもこれが彼の求めるものであったら、彼の魂はあわれである!
ときどき一条の光が医師の目からひらめき出て、青く不吉な色に燃えた。かまどの火の反射のようでもあり、あるいは言うなれば、バニヤンの語る山腹のすさまじい戸口〔十七世紀後半の英国の説教師・小説家ジョン・バニヤンの『天路歴程』の中で地獄に直接ひらいている戸は、天国の門に通じる丘の上にある〕からとび出して巡礼者の顔をふるえながら照らした、青ざめた光のかがやきのようでもあった。この暗い坑夫の働いているところの土がおそらく彼をはげます徴候を示したのであろう。
「この男は、」と彼はこういうふうにひとりごとを言った。「みんなから高潔《こうけつ》だと思われてはいるが……まったく精神的のようではあるが……彼の父親か母親から強烈な動物的性質を受けついでいるのだ。この鉱脈の方向をもう少し掘ってみることにしよう」
それから、牧師のうす暗い胸の中を長いあいだ捜索《そうさく》してから、思索と研究によって強化され、天の啓示によって明るくされた、人類の幸福に対する青い希望や、人間の魂に対する暖かい愛や、純粋な感情や、生まれながらの敬虔の念などの形をとった多くの貴重な材料を、ひっくりかえしながら……こういう価値のある黄金もすべてこの捜索者にとってはたぶんがらくた同然のものにすぎなかったであろうが……彼は失望して引きかえし、また別の方向へその探求をはじめるのだった。彼は、人がまだ半分目をさましている……あるいはことによるとまだすっかり目をあけている部屋へ、この番人がひとみのようにたいせつにしている宝をぬすみ出そうという目的ではいっていくどろぼうのように、こっそりと、用心深い足どりで、また、あたりに気をくばりながら、手さぐりですすんでいった。前から注意深く気をつけていたにもかかわらず、床はときどき、きしみ、着物はさらさら音をたて、彼の影までもこのせっぱつまったときに犠牲者の上に落とさせることがあるであろう。
ことばをかえて言えば、ディムズデイル氏はときに精神的感覚の効果を生み出す鋭敏な神経の持ち主であるがために、なにかしら彼の平和をみだすものが彼の身辺に割りこんできていることをぼんやりと感じるであろう。しかし老ロジャー・チリングワースもまた、ほとんど直覚的な知覚力をそなえていた。牧師がびくっとした目を彼のほうへ向けると、そこには医師が、やさしい、注意深い、同情心のある、だが決して出しゃばらない友人が、すわっているのだった。
だがディムズデイル氏は、もしも病気の心がかかりやすい病的な気持ちのために人間すべてを疑うようなことがなかったならば、この人物の性格をもっと完全に見ていたかもしれない。彼はだれひとり自分の友人として信用していないので、敵が実際に姿をあらわしても、それを敵として見わけることができなかった。したがって彼はなおも医師と親しい交際をつづけ、毎日のように老医師を自分の書斎にむかえたり、実験室をたずねて、気ばらしのために、雑草が効能のつよい薬剤に変えられていく工程をながめたりしていたのである。
ある日、片手にひたいをのせ、墓地をながめる窓をあけてその敷居にひじをついて、彼はロジャー・チリングワースと話をしていた。かたわらで老人はたばになったみにくい植物をしらべていた。
「どこで、」と彼はそれらの植物を横目で見ながら……というのは、このごろ、人間であろうと無生物であろうと、そのものをまっすぐにながめないのが、牧師のくせになっていたから……たずねた。「先生、どこで、こういう黒い、たるんだ葉っぱのついた草を集めたんですか?」
「すぐそばの、そこの墓地ですよ」と医師は自分の仕事をつづけながら答えた。「わたしにははじめての草です。墓石もない墓の上にはえているのを見つけたんですが、死んだ人を記念するものといっては、ただこういうみにくい草ばかりで、それがその死者を記憶する仕事を引き受けていたといってもいいようなんです。それらの草は、死者の胸からはえ出して、死者とともにうずめられていたなにか恐ろしい秘密をあらわしているのかもしれませんね。そういう秘密は生きているあいだに白状したほうがよかったんでしょうが」
「おそらく」とディムズデイル氏は言った。「その人は熱心にそれをのぞんだのに、できなかったんでしょう」
「またどうしてでしょう?」と医師は言いかえした。「どうしてできなかったんでしょう? 自然の力はみな熱心に罪の告白を要求しているために、こういう黒い雑草がうずめられた胸からはえ出して、口に出して言われなかった犯罪を明らかにしているのですからね」
「そりゃ、あなたの空想にすぎませんよ」と牧師は答えた。「もしもわたしの予感が正しければ、人間の心の中にうずめられているかもしれない秘密を、ことばであらわすにせよ、形や表象で示すにせよ、神のお慈悲をのぞいては、それを明らかにする力はありえません。そういう秘密を持つという罪を犯している心は、かくされたものすべてが明らかにされる日の来るまでは、力づくでもそれをかくしておかねばならないのです。そういう日が来て人間の思想や行動が明らかにされるのも、それは懲罪の一部としてなされるのだというふうには、わたしはこれまで聖書を読んできてもいませんし、また解釈もしておりません。それは、たしかに浅薄《せんぱく》な見かたです。そうです。こういうすべてを明らかにする啓示は、わたしがひどくまちがっていないかぎり、すべて知能をそなえたものの知的満足を促進するためのもので、彼らはその目にはこの人生の暗い問題が明らかにされるのを見ようとして待機しているのです。人びとの心に対する知識は、その問題の完全な解決にとって必要でしょう。さらにそのうえ、あなたの言われるそういうみじめな秘密を持っている心は、その最後の日には、いやいやながらではなくて、言いようもない喜びをもって、その秘密をうちあけるだろうと、わたしは考えています」
「では、なぜこの世でそれをうちあけないのでしょうか」とロジャー・チリングワースは、静かに横目で牧師をちらと見ながらたずねた。「なぜ罪のあるものたちはもっと早く、この言いようもない慰めを得ようとしないのでしょうか?」
「彼らはたいていそうしますよ」と牧師は言って、まるで苦痛のしつこい動悸にくるしめられているかのように、胸をぎゅっとつかんだ。「多くの人は、多くのあわれな人たちは、臨終の床《とこ》でばかりか、まだ元気で評判のよいときでも、わたしにうちあけています。そしていつも、こういうふうになにもかもうちあけたあとで、その罪深い兄弟たちが、ああ、どんなに安堵《あんど》の様子を示したのをわたしは見たことでしょう。ちょうど自分自身のよごれた息のために長いあいだ窒息《ちっそく》しそうであったのちに、やっと自由の空気を吸う人の場合のようでした。それ以外のことなんか考えられませんよ。たとえば、人殺しの罪を犯したみじめな男は、その死骸《しがい》をすぐに投げ出して、それを宇宙にまかせてしまわずに、どうして自分の胸にしまっておきたいとのぞんだりするでしょうか!」
「だけど、人によっては自分たちの秘密をそのように胸にうずめていますよ」と冷静な医師は言った。
「そのとおり、そういう人たちはいます」とディムズデイル氏は答えた。「しかし、もっと明白な理由をかれこれ言うまでもなく、彼らは彼らの性質のたちで沈黙をまもっているのかもしれません。あるいは……こうは想像できないでしょうか?……たとえ罪は犯していても、神の栄光と人間の幸福をねがう熱意を持っているがために、人びとの目の前にまっ黒なきたない自分の姿をあらわすことに二の足をふんでいるのではないか。というのは、そうなると彼らはいかなる善をもなすことができないし、もっとりっぱな奉仕によっても過去の悪事をつぐなうことができないからです。ですから、自分たちの言いようのない苦悶をあじわいながらも、彼らは今降ったばかりの雪のように清らかな顔をしながら、同胞のあいだを歩きまわってはいても、胸は、どうしても取りのぞくことのできない罪悪で、しみがつき、よごれてしまっているのです」
「そういう人たちは自分自身をあざむいているのです」とロジャー・チリングワースは、ふだんよりはいくらか力をこめ、人さし指で少ししぐさをしながら、言った。「彼らは当然彼らのものである恥辱を引き受けることを恐れている。人間に対する愛や、神に仕える熱意など……こういう神聖な衝動がその胸の中に共存しているのは、彼らの罪が扉をあけて中に入れた悪の同居人で、胸の中に地獄の子を繁殖《はんしょく》させるにちがいありませんよ。しかしもしも彼らが神の栄光をたたえたいと思うならば、そのきたない手を天のほうへさしのばさせてはいけません! もしも彼らが同胞のためにつくしたいと思うならば、自己卑下のうちにざんげしながら、良心の力と存在を明らかにさせて、そうさせるべきです! 賢明な信仰深い友よ、あなたはこの私に、いつわりの見せかけのほうが神自身の真理よりもよいということを……そのほうが神の栄光や人間の幸福のためになるとでも信じさせたいのですか? ほんとに、こういう人たちは自分をあざむいているのですよ!」
「そうかもしれませんね」と若い牧師は、自分には無関係な、あるいはふつごうと思われる議論を放棄するかのように、無頓着に言った。彼には、実際、彼のあまりに敏感な神経質な気性をかきみだすような話題から簡単に逃避《とうひ》する能力があった。……「しかし、名医の先生におたずねしたいのですが、ほんとうのところ、この弱いわたしのからだを親切に看護していただいて、何かうるところがあったとお考えでしょうか?」
ロジャー・チリングワースがその答えをする前に、彼らは幼いこどもの明るい大きな笑い声がとなりの墓地から流れてくるのを聞いた。本能的に開いている窓から……夏だったので……ながめると、牧師は、ヘスター・プリンと小さいパールが墓地の構内を横切る小道を通っていく姿を見た。
パールは真昼の光のように美しく見えた。だが、例の気分の起こるときはいつも、同情や人間的接触の領域から彼女をまったく立ち去らせてしまうようなつむじまがりの陽気な気分のとりことなっていた。パールは今、不敬にもひとつの墓から別の墓へととんでいたが、りっぱな故人……たぶんアイザック・ジョンソン自身……の広い、ひらべったい、紋章のついた墓石のところへ来ると、彼女はその上でおどりはじめた。もっとおとなしくなさいという母親の命令や嘆願にこたえて、小さいパールは動くのをやめると、墓のそばにはえている背の高いごぼうから、とげだらけのいがを集めはじめた。それを手にいっぱい取ると、彼女は母親の胸をかざっている緋文字の線に沿ってそれをならべた。いがは、その性質上、胸にしつこくくっついて離れなかった。ヘスターはそれらをもぎ取ろうとしなかった。
ロジャー・チリングワースはこのときには窓に近づいて、薄気味わるい笑顔で見おろしていた。
「あの子の性格には、法律も、権威に対する尊敬も、いいにせよわるいにせよ、人の命令や意見に対する敬意なども、全くまじっていない」彼は自分の友人と同時に自分自身に向かってこう言った。「先日も、あの子がスプリング小路の家畜用水槽で、知事に水をかけているのを見ましたよ。いったいあの子はなんでしょう? あのいたずらっ子は悪魔でしょうか? あの子に愛情があるでしょうか? なにかはっきりした人生の方針を持っているんでしょうか?」
「持っていませんよ……破られた法律の自由のほかはね」とディムズデイル氏は、あたかも心の中でこの問題を論じていたかのように、静かに答えた。「善をなすことができるかどうか、わたしにはわかりません」
こどもはたぶんふたりの声を聞きつけたのであろう。陽気さと知恵のまじった明るい、だがいたずらっぽい笑顔で、窓のほうを見上げると、とげだらけのいがのひとつを牧師ディムズデイル氏を目がけて投げつけた。敏感な牧師は、神経質な恐れをもって、その軽いつぶてをよけた。彼が気持ちを動かしたのを見ると、パールはうちょうてんになってかわいい手をたたいた。ヘスター・プリンも同様に思わずしらず顔を上げた。そしてこの四人は、老いも若きもみな、黙ったまま、たがいの顔を見つめ合ったが、やがてこどもが大声で笑って叫んだ……「おかあさん、いらっしゃいよ! いらっしゃいよ、来ないとあの年とった黒い人がおかあさんをつかまえるわよ! もうあの牧師さんをつかまえているわ。いらっしゃい、おかあさん。でないとつかまえられるわよ! でもパールちゃんをつかまえることはできないわ!」
そして彼女は死んだ人びとの塚のあいだを、まるでそういう過去のうずめられた世代の人たちとはなんの共通点もなく、またなんの関係もない人間のように、風変わりな足どりではねたり、おどったり、とびまわったりしながら、母親を引っぱって行った。その様子を見ると、あたかも彼女が新しい要素から新しく造られたもののようで、どうしても彼女自身のかってな生活を送ることが許されなければならないし、その特異な行動も彼女にとって犯罪とは考えられずに、彼女がみずからの法律とならなければならないかのようであった。
「あそこへ行く女は」とロジャー・チリングワースは、ちょっと間をおいてから、また言った。「彼女の落ち度がなんであろうとも、あなたが今胸の中に持つのはたいへんつらいと考えていられるかくされた罪の秘密などひとつも持っていませんよ。ヘスター・プリンは、あの胸の緋文字のために、それだけみじめでなくなっていると、あなたはお考えですか?」
「ほんとうにそうだと信じています」と牧師は答えた。「だが、彼女に代わって答えることはできません。彼女の顔には、見ないですむならこれにこしたことのないような苦痛の色がありました。しかし、苦しみ悩んでいるものにとって、苦しみを胸の中にしまっておくよりは、このきのどくな女のヘスターのように、自由に示せるほうがずっと楽にちがいないと、わたしは思います」
またことばがとぎれた。そして医師は集めてきた植物をまた新しくしらべたり、整理しはじめたりした。
「あなたは、ちょっと前に」と彼はとうとう口をきいた。「あなたの健康についての私の判断をおききになりましたね」
「おききしました」と牧師は答えた。「聞けたらうれしいのですが。命があってもなくってもいいですから、どうぞ正直に言ってください」
「では、かくしだてしないで、はっきりと申しましょう」と医師はなおも植物をいそがしくいじりながらも、ゆだんなくディムズデイル氏に目を向けながら言った。「この病気は奇妙な病気です。病気自体たいしたことはありませんし、外にもあらわれてもいません……少なくとも、症状が私の目に触れたかぎりにおいてですよ。これでもう数か月間、毎日あなたを見て、あなたのようすのいろんな徴候《ちょうこう》をながめていると、あなたはひどい病人のように思えるかもしれないけれど、学識のある注意深い医師なら治療してやりたいとねがわないような病人ではありませんよ。しかし……なんと言っていいかわからないが……この病気は私にはわかっているようでいて、よくわからない病気なのです」
「謎《なぞ》めいたことを言いますね、先生」と青白い顔の牧師は、窓の外に横目を走らせながら、言った。
「では、もっとはっきり言いますが」と医師はつづけた。「こうしてはっきり申しあげることが必要なのですが……お許しねがえるようだったら……許してくださいよ。まず、あなたの友人として……神の摂理のもとに、あなたの生命と肉体の健康をあずかっているものとして……たずねさせてください。この病気の作用をすべてあからさまにうちあけ、私に説明してくださったでしょうか?」
「どうしてそんなことをおききになるのですか?」と牧師はたずねた。「お医者さんを呼びながら、傷をかくしたりするのはまったくこどもじみたまねですよ」
「では、私がなにもかも知っているとおっしゃるのですね?」とロジャー・チリングワースはゆっくりと、つよい集中された知恵で光る目を牧師の顔にそそぎながら、言った。「そうしておきましょう! しかしですよ。ただ外側の肉体的な病気をうちあけられた人にわかっているのは、彼が治療を求められている病気の半分にすぎないということがしばしばあります。からだの疾病《しっぺい》は、私たちはそれが病気の全部であると見なしますが、けっきょく、精神的部分のなにかの病気の徴候にすぎないかもしれないのです。もしも私のことばが少しでもお気にさわったら、またお許しください。あなたは私の知っているすべての人たちの中で、そのからだが、いわばからだを道具としている精神と最も密接に結合し、しみこみ、ひとつになっている人です」
「では、もうこれ以上お願いする必要はありませんね」と牧師は、いくらかあわてていすから立ち上がりながら、言った。「あなたは魂のための薬は扱っていらっしゃらないと思いますから」
「そのように、あなたの病気は、」とロジャー・チリングワースは、前と変わらぬ調子で、途中さえぎられたことなど意にもとめずに……だが立ち上がって、やせおとろえて青白いほおをした牧師の正面に、自分の背の低い、黒ずんだみにくい姿を突きつけながら、つづけて言った。「あなたの病気、いやこう呼んでもさしつかえないなら、あなたの精神の中の痛い場所は、それにふさわしい印を、すぐさまあなたの肉体にあらわすのです。ですから、医者にその肉体の病気を直してもらいたいとお思いなんでしょう? まず、あなたの魂の中の傷や悩みを医者にうちあけなければ、どうしてそれができましょうか?」
「いや!……あなたにはうちあけません……地上の医者にはうちあけません!」とディムズデイル氏は、熱情的に、かがやく目を見開き、一種のはげしさで、老ロジャー・チリングワースを見ながら、叫んだ。「あなたにはうちあけません! しかし、もしこれが魂の病気だったら、わたしは自分をただひとりの魂の医者にまかせます! そのかたは、もしお気に召せば、直してくださるし、お気に召さなければ、殺してくださいます! そのかたに、正義と英知のうちに、適当とお考えのことを行なっていただきましょう。しかし、この問題に干渉されるあなたはだれなのですか?……悩んでいるものと神さまとのあいだに割りこんでこようとするあなたは?」
狂乱じみた身ぶりで、彼は部屋を走り出た。
「こういう手段をとったほうがよいのだ」とロジャー・チリングワースは、おもおもしい微笑を浮かべて牧師を見送りながら、ひとりごとを言った。「なにひとつ失われてはいない。またじきに友人になれる。しかし、おどろいた、この男はなんという激情にとらえられ、また自分を失ってしまったことだろう! 今までにも、この敬虔《けいけん》なディムズデイル氏は、心のはげしい熱情にかられ、なにか無法なことをしているのだ!」
このふたりの友人の親交を前と同じ立場、同じ程度にもどすことは困難ではなかった。若い牧師は数時間ひとりでいてから、神経が混乱したために自分は見苦しくもかんしゃくを起こしてしまったが、医師のことばの中には自分のかんしゃくの言いわけをしたり弁解したりする点などひとつもなかったことに気づいた。彼は、あの親切な老人がただ義務として忠告を与えているにすぎないのに、しかも牧師のほうからはっきりと求めた忠告を与えているにすぎないのに、彼を追いかえしてしまった自分の乱暴さに、実際のところ、おどろいた。こういう後悔の気持ちで、彼は時をうつさず、じゅうぶんなる言いわけをして、今までの看護が自分を健康体にもどすことに成功しなかったとしても、自分の弱い存在を現在まで引きのばす手段となってきたのであるから、これからもつづけてくれるようにと友人にたのんだ。
ロジャー・チリングワースはすぐに承諾し、牧師の治療をつづけた。牧師のために誠意をもって全力をつくしたが、医者としての面会が終わって、患者の部屋を去るときには、いつもきまってそのくちびるに不思議な、当惑したような微笑が浮かんでいるのであった。この表情はディムズデイル氏のいる前では見えなかったが、医師が部屋の敷居をまたぐと、つよくはっきりするのだった。
「めずらしい症状だ!」と彼はつぶやいた。「もっと深くしらべてみる必要がある。魂とからだとのあいだに奇妙な一致がある! 医学の技術のためだけでも、この問題を根底までつきとめねばならない!」
今のべたような場面があってからまもなく、牧師ディムズデイル氏は、真昼に、しかもまったく気づかずに、いすにこしかけ、大きな黒い文字の本を目の前のテーブルの上に開いたまま、深い深い眠りに落ちこんだことがあった。その本は大きな催眠《さいみん》の力をもった文学書であったにちがいない。牧師のその休息の深さは異常といってもいいほどであった。というのは、彼の眠りは、たいてい、小枝の上をとびまわる小さい鳥のように軽快で、発作《ほっさ》的で、またすぐこわがって逃げるような性質のものであったからであった。しかし、こういう今まで例のなかったくらい深く、彼の精神は中にこもってしまったので、老ロジャー・チリングワースがとくべつの警戒心もなしに部屋へはいったときも、いすにすわったまま身動きひとつしなかった。医師はまっすぐ病人の前へすすんでいくと、その胸の上に片手をのせ、これまで医師の目からさえもいつもさえぎられていた胸をおおっている衣服を押しひろげた。
そのときディムズデイル氏は、実際、身ぶるいすると、少しからだを動かした。
ひと息ついてから、医師は立ち去った。しかし、なんというおどろきと喜びと恐怖のあらあらしい表情をしていたことであろう! そのぞっとするような狂喜ぶりは、いわば、目や顔だけで表現するには大きすぎるために、そのみにくい姿の全体を通じてほとばしらせ、両の腕を天井に向かってふり上げたり、床を足でふみつけたりする、とほうもない身ぶりによってそうぞうしく明らかにするようなものであった! もし人がその狂喜の瞬間の老ロジャー・チリングワースを見たならば、その人は、尊い人間の魂が天国に行けずに地獄へむかえられたときに悪魔がどんなふるまいをするか、たずねる必要はないであろう。
しかしこの医師の狂喜を悪魔のそれと区別しているのは、その中にいちまつのおどろきがこもっていることだった!
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十一 胸の内部
さきほど述べた事件ののち、牧師と医師との交際は、外面的には同じであったが、実際は前とは別のものとなっていた。ロジャー・チリングワースの知能は今や前途にじゅうぶんに明白な進路があった。落ち着いておだやかで、冷静には見えても、今までかくされていた静かな底なしの悪意が、この不幸な老人の中で今や活動をはじめ、これまでいかなる人間も敵に対して晴らしたことのないような個人的な復讐を考えさせたのである。すなわち、自分がただひとりの信頼される友となって、どうしても追い出しきれない場所、自責の念、苦悶、かいのない悔恨《かいこん》、逆流してくる罪の思いなどをすべてうちあけられるようになることであった。世間からかくされている罪の悲しみは、世間の大きな胸はあわれみ許してくれるであろうが、その悲しみをすべて、あわれみの心のないものである自分に、許すことのないものである自分に明らかにさせることであった! あの暗い宝物をすべてあの男に惜しみなく与えるのだ、それ以外のものでは復讐の負債《ふさい》をじゅうぶんに彼に支払うことはできないのだから!
牧師の内気な敏感な自制がこの計画をさまたげた。しかし、ロジャー・チリングワースは事態のこういう局面に、まったくとはいわないまでも、満足していないわけではなかった。というのは、神の摂理が……復讐者とその犠牲者とをみずからの目的のために利用し、おそらくは、最も罰を与えて当然と思われる場合に許しを与えながら……復讐者の黒い計画の代わりにこういう事態を与えられたからである。
神の啓示《けいじ》が自分に与えられたのだと、彼はほとんど言うこともできたであろう。彼の目的のためには、それが天国からであろうと、あるいは別のどんな国からであろうと、あまり問題ではなかった。とにかくその助けにより、彼とディムズデイル氏とのその後の関係において、ただ単に後者の外観ばかりでなく魂の奥までも彼の目の前にさらけ出され、おかげでその動きのひとつひとつまでながめて理解できるように思われた。
そのとき以来、彼はこのきのどくな牧師の内部の世界の見物人となったばかりでなく、その主役の俳優ともなったのである。彼は牧師に対して自分の好きなようにふるまうことができた。牧師に苦悶の動悸を与えて目ざめさせようとのぞんだ場合はどうか? 犠牲者は永久に拷問台の上にいるのだから、この機械を管制《かんせい》しているバネを知りさえすればよいわけで、医師はそれはよく承知していた! 牧師に突然の恐怖を与えておどろかせようとのぞんだ場合はどうか? ちょうど魔法使いが杖を振ると、気味のわるい幻影があらわれるように……死やそれ以上に恐ろしい恥辱の無数の幻影が、さまざまな形であらわれて、牧師のまわりにむらがり、彼の胸を指さすのであった!
このことはすべて完全に陰微《いんび》になされたので、牧師は自分がなにか邪悪な力のものに看視されているということをたえずおぼろに感知してはいたけれども、その実際の本質がどういうものであるかはどうしても知ることができなかった。じじつ彼は疑わしそうに、また恐ろしそうに……ときには恐怖やはげしい憎悪《ぞうお》の念をもってさえも……その老医師の不具の姿をながめることがあった。彼の身ぶり、彼の歩きぶり、白髪《しらが》まじりのあごひげ、かすかなまったくなにげない行動でさえ、また着ている服の型までも、牧師の目にはいやらしくうつった。牧師の胸の中に彼がすすんで認めたいと思う以上の深い反感のひそんでいた証拠で、それは暗黙のうちに了解されていることであった。
というのは、こういう不信や嫌悪《けんお》の理由をはっきりさせることは不可能だっったので、ディムズデイル氏が、ある病気の一個所の毒が自分の胸の物質全体に感染しているのだと意識して、彼の予感全部を、他の原因に結びつけて考えなかったからである。彼はロジャー・チリングワースについて同情的でなかったことをみずから責め、そういう気持ちから引き出した教訓を無視し、できるだけそれらを根こそぎにしてしまおうとつとめた。これは容易なことではなかったが、彼は、主義として、老人との社交的親密をたもつ習慣をつづけ、こうすることによってこの復讐者……彼の犠牲者よりもはるかにみじめな、なんというきのどくな孤独な人間であろう……が献身《けんしん》していた目的を完成させる機会をたえず医師に与えていたのである。
このように肉体の病気に苦しみ、なにか黒い魂の悩みにむしばまれ、さいなまれ、また執念深い敵の策謀《さくぼう》に身をゆだねながらも、牧師ディムズデイル氏はみずからの聖職においてはすばらしい人気を博《はく》していた。しかも彼はそれを大部分はみずからの悲しみによって得たのである。彼の知的天分、道徳的知覚力、感動を経験してそれを伝達する力は、彼の日常生活のうずきと苦悶によって異常な活動状態に置かれていた。彼の名声は、まだのぼり坂にあったのに、すでに彼の同輩の牧師たち、そのうちの数人は高名な牧師であったが、彼らのもっとじみな評判をくもらせていた。同輩の牧師たちの中には、ディムズデイル氏よりも多くの年月をついやして聖職と関係のある深遠な学問を修めている学者もいた。したがって彼らはこういう堅実な価値ある学識において彼らのこの若い兄弟よりもはるかに深く通じているといってもさしつかえなかった。
また彼よりもたくましい性格を持ち、はるかに多くのするどい、かたい鉄のような、あるいは花崗岩《かこうがん》のような理解力にめぐまれている人たちもいた。そういう理解力は、相当量の教義の成分を適当にまぜ合わせると、きわめて尊敬すべき、効能のある、だがぶあいそうな種類の牧師をつくり出すものである。またほんとうに聖人のような神父たちもいたが、彼らの能力は、書物のあいだのたいくつな努力と、忍耐づよい思索によってみがきをかけられ、さらにそのうえ、これらの聖なる人びとが、今なお彼らにつきまとう死ぬべき運命の衣をまといながらも、そのきよらかな生活によってほとんど導かれていた、よりよい世界との精神的連絡によって、霊妙なものとされていたのである。彼らに欠けていたのは、五旬節〔聖霊降臨節。復活祭後の第七日曜日にあたるキリスト教の祝日で、聖霊が使徒たちに降臨したことを祝う日〕のおりに選ばれた弟子たちにほのおとなってくだった才能であった。それは外国語や未知のことばを話す力ではなくて、心の中の生来のことばで全人類の兄弟に語りかける力を象徴していると思われるであろう。
これらの神父たちは、他の点では使徒的であっても、彼らの職務に対する天の最後の、そして最もまれな証明であるほのおの舌を欠いていた。彼らはいくら求めても……彼らはどんなにそれを求めようと夢みたことであろう……聞きなれたことばや表象の、最も卑近《ひきん》な媒介《ばいかい》を通して最高の真理を表現することはできなかったであろう。彼らの声は、彼らがいつも住んでいる上のほうの高いところから、遠くぼんやりと聞こえてくるのであった。
ディムズデイル氏は十ちゅう八、九、彼の性格の多くの特質によって本来この後者の種類の人間に属していたといえるであろう。信仰と尊厳の高い山の頂まで登ろうとする気持ちが、もしも罪と苦悶の……それがなんであろうとも……重荷にさまたげられなかったならば、その重荷の下でよろめくのが彼の宿命であったが、彼はそこへ登っていたであろう。その宿命のために彼は、霊妙な特質の持ち主で、その声には他の場合なら天使たちも耳をかたむけ答えたかもしれないような彼が、最も低いものと同じ低さにさがってしまった。だが、この重荷があったればこそ、罪深い人類の兄弟に対するあのように親密な同情を持つことができたのである。そのために彼の胸は彼らの胸と調和してふるえ、彼らの苦痛を自分の胸の中に受けいれ、その胸の苦痛の動悸《どうき》を幾千という多くの人の胸の中に、説得力のある悲しい雄弁《ゆうべん》をほとばしらせながら、送りこんだ。それはしばしば説得力を持ってはいたが、ときには恐ろしい雄弁であった!
町の人びとはなんの力がこのように彼を動かしたのか知らなかった。彼らはこの若い牧師を神聖なるものの奇跡であると思った。彼らは彼を天の伝える知恵と叱責《しっせき》と愛の伝言の代弁者であると想像した。彼らの目には、彼の踏む地面さえも清められるとうつった。彼の教会の処女たちは、ある情熱にとらえられて彼のまわりで青ざめた。その情熱には宗教的情感がしみこんでいたために、彼女たちはそれをすべて宗教と思い、祭壇にささげて最も快く受けいれられるいけにえとして、自分たちの白い胸の中にそれを公然ともち出したのである。
彼の信徒のうち年とった人たちは、ディムズデイル氏のからだのよわよわしいのを見て、自分たち自身も老醜《ろうしゅう》の身に弱りはてながら、彼のほうが自分たちよりも先に天国へ行くだろうと信じ、自分のこどもに、この老いた骨をかの若い牧師の聖なる墓穴のかたわらにうずめてくれるようにと頼んだ。そして、このとき、おそらくあわれなディムズデイル氏は自分の墓のことを考えていたであろうが、そこにはのろわれたものがうずめられねばならないのであるから、はたしてその上に草がはえるであろうかと自問したのであった!
この公衆の尊敬によってさいなまれた彼の苦悶は、とても想像はできない! 真実をあがめ、どんなものでもその生命の中に神聖な生命としての本質を持っていないものは、すべて影のようなものであり、重味も価値もまったく無いと考えるのが、彼のまことの衝動であった。それでは、彼はなにものなのか?……ひとつの実体なのか?……あるいはあらゆる影の中での最もぼんやりした影なのか? 彼は自分の説教壇から、声をはりあげて語り、自分がなにものであるかを会衆に告げたかった。
「あなたがたのごらんになるこの黒い僧衣をつけたこのわたし……神聖な壇にのぼって白い顔を天のほうへ向け、あなたがたを代表して、いや高き全知の神との交わりを行なうことをつとめとしているこのわたし……日常の生活において、エノクの神聖を持っている〔旧約聖書『創世紀』五・二十二、二十四。「エノクは神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった」〕とあなたがたから見なされているわたし……わたしの歩む足跡は地上にかがやきをのこし、あとに従う巡礼者たちはそれによって祝福されたものたちのすみかに案内されるであろうと想像されているわたし……あなたがたのお子さんたちの上に洗礼の手を置いたわたし……あなたがたの死んでいく友人たちに別れの祈祷《きとう》をとなえ、その人たちには今去ってきた世界からアーメンの声がかすかに聞こえるようにしたわたし……あなたがたの牧師であり、あなたがたから尊敬と信頼を受けているこのわたしは、まったく堕落そのものであり、いつわりそのものなのです!」
一度ならず、ディムズデイル氏は、このようなことばを口から出してしまわないかぎり、段をくだるまいという目的をもって、説教壇にのぼった。一度ならず、彼はせきばらいをしてから、深くふるえがちな息を吸いこみ、ふたたびはき出すときは、魂の黒い秘密をになっていることがあった。一度ならず……いな、百度以上も……彼は実際に口に出して言った! 口で語った! しかしどうであったか? 彼は聴衆《ちょうしゅう》に向かって、自分はまったく下劣であり、だれよりも下劣な、最も下劣な仲間であり、最悪の罪人であり、いまわしい男であり、想像できないほど邪悪なものである、このみじめな肉体がみんなの目の前で全能の神の燃えるお怒りによって縮みあがってしまわないのがただひとつの不思議である、と語った。
これ以上に卒直なことばがありうるであろうか? 会衆はいっせいに衝動的に座席から立ち上がって、彼が神聖をけがした説教壇から彼を引きずりおろさなかったであろうか? 実際には、そういうことはなかったのだ! 彼らはそれをみな聞いた。そしていっそう彼を尊敬するばかりであった。この自己非難のことばの中にどんな恐ろしい意味がひそんでいるか、彼らはほとんど推察しなかった。
「神さまのような青年だ!」と彼らはたがいに言い合った。「現世の聖人だ! ああ、もしあの人が自分の白い魂の中にあのような罪の深さを見わけるのでしたら、あなたやわたしの魂の中にはどんなに恐ろしい光景を見られることでしょう!」
牧師は……彼はなんという巧妙な、だが良心の苛責《かしゃく》にたえない偽善者だったであろう!……自分のあいまいな告白がどんな光でながめられるか、よく知っていた。彼はうしろめたい心を公表することによって自分をあざむこうとつとめた。だが得たものはただ別の罪と自認の恥ばかりで、自分をあざむきおおせたという一時的な安心感さえもなかった。彼はほんとうの真実を語りながら、それをほんとうの虚偽に変えてしまっていたのだ。それでいて、彼は性質上、ほとんどだれひとりそうしたもののいないほど、真実を愛し、いつわりを憎んだ。したがって、他のなによりも彼の憎んだのは、みじめな自分自身であった!
彼は心の中の煩悶《はんもん》のために、生まれて育った教会のりっぱな光よりも、昔の腐敗したローマの信仰と一致するような行為をするようになった。ディムズデイル氏の錠《じょう》と鍵をかけた秘密の押し入れの中には、血によごれたむちがあった。しばしば、この新教徒にして清教徒である牧師は、そのむちで自分の肩を打った。そしてむち打ちながらにがにがしげに笑い、そのにがにがしい笑いのために、またいっそうようしゃなくむち打つのだった。他の多くの敬虔《けいけん》な清教徒たちの習慣のように、彼も断食を習慣としていた。しかし他の人たちのように、肉体を清めて天の光にさらによく照らされやすいものとするためではなくて……きびしく、ひざががくがくするまで、つぐないの苦行として、これを行なったのである。
彼はまた、来る夜も来る夜も、ときにはまっ暗闇の中で、ときにはほの明かりの燈火をともして、ときにはできるだけつよい光を鏡にうつる自分の顔にあててながめながら、徹夜をした。彼はこのようにして、自分をさいなみはしたが清めることのできなかったたえまない自己反省を表現した。こういう長くつづいた徹夜のうちに、彼の頭脳はしばしば動揺し、さまざまな幻影が目の前を飛ぶように思われた。おそらく半信半疑の目で見たためであろうが、幻影自身の発するかすかな光によって、部屋の遠い暗がりの中に、あるいはもっと鮮明に、自分のすぐそばの鏡の中に、見えたのである。あるときはそれは悪魔の形をした一群となって青ざめた牧師を歯をむき出してあざ笑い、自分たちといっしょに来るようにと手招きし、あるときはかがやく天使の一団となり、同じく悲哀に満ちて、天に向かって飛びたっても、のぼるにつれてしだいに空気のようになっていった。あるときは彼の青年時代のなくなった人たちや、白いあごひげをはやし、聖人のようにしかめ面をした父親や、顔をそむけて通っていく母親があらわれた。幽霊のような母親……かすかな幻想のような母親……彼女は息子に対して、せめてあわれみの視線くらい投げていってもよかったのにと思われる! またあるときは、こういう奇怪な幻想のために無気味となった部屋を、ヘスター・プリンが緋の着物を着た小さいパールの手を引きながらすべるように通っていった。そしてパールは人さし指で最初はヘスターの胸の緋文字を、つぎには牧師自身の胸を指さすのだった。
これらの幻影はどれひとつとして彼をまどわしはしなかった。どんなときにも、意志の力によって、彼は霧のように実体のないところを通して物の実体を見わけることができた。そしてそれらが彫刻したオーク材のあそこのテーブルや、あの大きな四角なかわの装丁《そうてい》をして真鍮《しんちゅう》の締め金のついた神学の書物のように、もともと堅いものではないことを確信することができた。しかし、それにもかかわらず、それらはある意味において、このあわれな牧師が今相手にしているものの中では最も真実の、最も実体のあるものであった。彼の生活のような虚偽《きょぎ》の生活のもつ、言いあらわすことのできない不幸は、そういう生活がわれわれのまわりにあるあらゆる現実からその真髄《しんずい》と核心《かくしん》……これは天によって魂の喜びであり養分であるとされていたものである……をぬすみ去ってしまうということである。真実でない人にとって、全宇宙は虚偽であり……さわってもわからないものであり……握りしめると縮んで無になってしまうものである。そして彼自身は、自分を虚偽の光の中にあらわしているかぎりは影となってしまう、いや実際は存在しなくなってしまう。ディムズデイル氏にこの地上における真の実在をつづけて与えていた、ただひとつの真実は、彼の魂の奥にある苦悶であり、彼の顔にあらわれたいつわらない苦悶の表情であった。もし彼が微笑したり、陽気な顔をする力をひとたび見いだしたならば、もうこういう人間はいなくなっていたであろう!
われわれが今までそれとなく暗示はしたが、それ以上を描くことをさしひかえたそういうみにくい一夜、牧師はいすからとび上がった。新しい考えが胸に浮かんだのだ。そうすれば一瞬の平和があるかもしれない。まるでおおやけの礼拝に出かけるみたいに念入りに、そしてまたそのときと同じように、着物を着ると、彼は忍び足で階段をそっとあけ、扉をあけると外へ出た。
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十二 牧師の徹夜
いわば夢見心地で、そしておそらくは実際には一種の夢遊病《むゆうびょう》にかかって、歩きながら、ディムズデイル氏は、今は昔ヘスター・プリンがはじめて公衆の前に恥をさらす一時間を過ごした地点についた。あのときと同じ壇、あるいは処刑台は、七年の長い年月の風雨や日光にさらされて黒ずみ、またその後そこにのぼった多くの罪人の足に踏みへらされながら、集会所の露台の下に今なお立っていた。牧師はその階段をのぼった。
五月はじめの暗い夜であった。単調な雲の幕が天頂から地平線までの空のひろがり全体をおおっていた。ヘスター・プリンが罰を受けていたあいだ、証人として立っていたあのときの群衆を今ふたたび呼び集めることができたとしても、深夜のこの黒ずんだ灰色の中では、彼らは壇上の顔はまったく見わけがつかなかったろうし、人間の形の輪郭《りんかく》もほとんどわからなかったであろう。しかし町は全部眠っていた。発見される危険はなかった。牧師は、もし気が向くならば、朝、東の赤らむまで、そこに立っていることもできたであろう。その場合の危険といえば、ただ、しめっぽい冷たい夜気がからだの中にしのびこんで、関節をリューマチでこわばらせ、のどをカタルやせきでふさぎ、そのためあすの祈祷《きとう》と説教を期待している聴衆《ちょうしゅう》をだます結果になるであろうということだけであった。
だれの目も彼を見ることはできなかった。見たのはただ押し入れの中であの血なまぐさいむちをふりまわしているのを見た、いつも日をさましている人だけであった。では、なぜ彼はここへ来たのか? 懺悔《ざんげ》のまねごとにすぎないのだろうか? まったくまねごとであった。だがそうしながら彼の魂がみずからをもてあそんでいるまねごとであった。それを見て天使たちは顔を赤らめて泣き、いっぽう悪魔たちはあざけりの笑い声をあげて喜ぶようなまねごとであった!
彼をここまで追いたててきたのは、どこへでも跡をつける良心の呵責《かしゃく》の衝動であったが、その妹であり、また親しい道づれになっているのは、他の衝動が彼をせきたててまさに自白させようとするときに、きまってふるえがちな手で彼をつかまえて引きもどす臆病であった。あわれな、みじめな人間よ! なんの権利で彼のような弱い人間が罪の重荷を負うことになったのであろうか? 罪は鉄の神経を持ったもののためにあるのだ。そういうものこそ、好んで罪にたえることも、あるいはもしそれがつよく圧迫する場合は、よい目的のためにそのはげしい兇暴《きょうぼう》な力をふるって、すぐさまそれを投げすてることもできるからである! このよわよわしい傷つきやすい人物には、そのどちらもできないのに、しかも彼はたえずそのどちらかをやっていた。だからそのふたつは同じ解けにくい結び目となって、天をあなどる罪とむだな悔恨の苦しみをからみ合わせるのだった。
このようにして、処刑台の上に立って、むなしい罪のつぐないのまねをしているあいだに、ディムズデイル氏は、あたかも宇宙が彼の心臓のすぐ上のはだかの胸についた緋の印を見つめているかのような、大きな恐怖心に圧倒されてしまった。その胸の上には、実際、今も、またずっと前から、毒の歯でかじられるような肉体的な痛みがあった。意志の努力も、自分を押える力もなく、彼は声高く悲鳴をあげた。その叫びは夜の闇をつんざき、家から家へとぶつかり、背後の山々から反響してきた。まるで悪魔の一隊がその中に多くの悲惨《ひさん》と恐怖を見いだして、その音響を玩具とし、それをあちらこちら投げかわしているかのようであった。
「やってしまった!」と牧師は両手で顔をおおいながら、つぶやいた。「町の人全部が目をさまし、急いでやってきて、わたしを見つけるだろう!」
しかしそうではなかった。悲鳴はたぶん彼自身のおどろいた耳に実際よりも大きな力をもってひびいたのであろう。町は目をさまさなかった。いや、目をさましたとしても、寝ぼけまなこの人たちはその叫びをなにか夢の中の恐ろしいものか、魔女の物音とでも考えたであろう。というのは当時は魔女の声が、彼女たちがサタンとともに植民地やさびしいいなか家の上空をかけているとき、しばしば聞こえたからである。牧師は、したがって、人のさわぐ物音が聞こえないので、両手を目から放して、まわりを見た。少し離れたところにあるベリンガム知事の邸宅の部屋の窓のひとつに、老知事自身が手にランプを持ち、白いナイトキャップを頭にかぶり、長い白いガウンにからだをつつんで、あらわれたのを彼は見た。知事は悪い時間に墓から呼び起こされた幽霊《ゆうれい》のように見えた。さっきの叫び声が彼をおどろかしたことは明らかだった。さらに、同じ家の別の窓に知事の妹の老嬢ヒビンズも姿を見せた。彼女もランプを持っていたが、そのために、そんなに遠く離れていても、彼女のふきげんな不満そうな顔の表情がわかった。彼女は格子《こうし》窓から頭を突き出すと、不安そうに上のほうを見た。露《つゆ》ほどの疑いもなく、この年老いた魔女はディムズデイル氏の叫び声を耳にし、無数のこだまと反響をともなったその声を、彼女がともに森の中へはいっていったとうわさの高い悪魔や魔女たちのさわぎたてる声と解したのであった。
ベリンガム知事のランプの光を見ると、老婦人はすばやく自分のランプを消して姿をかくした。あるいは彼女は雲の中にのぼっていったのかもしれない。牧師には彼女の行動はそれ以上なにも見えなかった。知事は闇を用心深く見まわしてから……だがその闇の中には、石うすの中をのぞくのと同じくなにも見えなかった……彼は窓から引きさがった。
牧師は比較的静かになった。しかし、彼の目はまもなく小さなまたたくような光を見た。その光は、はじめは遠く離れていたが、通りをしだいに近づいてきた。その光はこちらの柱やそちらの庭のかき根、こちらの格子造りの窓ガラスやそちらの水のいっぱいはいった水盤つきのポンプ、またこちらにある鉄のたたき金がついていて、戸口ののぼり段がわりに丸太の置いてあるアーチ型のオークの扉などを、さも承知しているといわんばかりに照らし出した。牧師ディムズデイル氏は、今耳にした足音の中に自分の存在の破滅が忍び足で迫っていることをつよく確信しながらも、そういうこまかなことをみな注意した。そしてあと数分もすれば、その角灯の光が自分の上に落ちて、長いあいだかくされていた秘密をあばくであろうと考えた。
光がしだいに近よるにしたがって、彼はその光の輪の中に、兄弟の牧師……いや、もっと正確に言えば、彼の職業上の父であると同時にひじょうにたいせつな友人である……ウィルソン氏を見た。彼は、今ディムズデイル氏が推測したように、だれか臨終の人の床のそばで祈祷《きとう》をしていたのであろう。そして事実そうであった。この善良な老牧師は、つい先ほど地上から天へのぼったウィンスロップ知事〔一六三〇年に知事としてマサチューセッツに到着し、何度も知事に再選された〕の臨終の部屋から出てきたばかりのところであった。そして今、昔の聖人然たる人たちのように、この陰鬱《いんうつ》な罪の夜の中で彼を明るく照らすかがやく円光にとりまかれ……まるでなくなった知事がその栄光の遺産を彼にのこしたかのように、あるいはまた、勝ちほこったかの巡礼者が天上の都の門をくぐるのを見ているあいだに、その天上の都の遠い光を身につけたかのように……つまり、善良なウィルソン神父は今明るい角灯で足もとを助けながら、家路をたどっているのだった。この角灯の光がこのような奇妙な考えをディムズデイル氏に暗示したのだ。彼は微笑した……いや、そういう奇妙な考えをほとんど笑った……それから自分は気が狂おうとしているのではないかと思った。
牧師ウイルソン氏が片手でジェネバ・マント〔ジョン・カルヴィンがスイスのジェネバと関係が深いので、カルヴィン派の牧師の着る黒マントはこう呼ばれた〕をからだにぴったり巻きつけ、もういっぽうの手で胸の前に角灯を持ちながら、処刑台のそばを通りすぎたとき、ディムズデイル氏は口をきかずにはいられなかった。
「こんばんは、ウィルソン神父さん! どうかここへあがってきて、わたしと楽しいときを過ごしてください!」
しまった! ディムズデイル氏は実際に口をきいたのか? 一瞬、彼はこれらのことばが彼のくちびるを通ったと信じた。しかし、それらは彼の想像の中で発せられたにすぎなかった。ウィルソン神父は足もとの泥道を注意深く見ながら、のろのろと歩きつづけ、一度もこの罪ぶかい処刑台のほうへ頭を向けなかった。
ちらちらする角灯の光が遠くへ消えていったとき、牧師は意識がなくなりそうになったので、自分の心は毒々しい悪ふざけによって心ならずも苦痛をやわらげようとはしたものの、先刻の数瞬間が、じつは恐ろしい不安の危機であったことを発見した。
しばらく経《た》つと、同じように気味のわるいわるふざけの気持ちが、ものものしい幻覚じみた彼の思いの中にまたしのびこんだ。彼は自分の手足が慣れない夜の冷気のために堅くこわばるのを感じ、はたしてこの処刑台の階段をおりることができるかどうかあやしんだ。朝があけてきても、自分はそこにいるだろう。近所の人たちもやがて起き出すであろう。いちばん早く起きた人は、うす暗い薄明の中に出てきて、恥辱の場所の上に、高くぼんやりした姿の人間がひとり立っているのを認めるであろう。そしておどろきの好奇心のために半ば狂気のようになって、家々の戸から戸をたたきながら、だれか死んだ罪人の幽霊……必ず幽霊だと思うにちがいない……を見るようにと人びとにすすめるだろう。うす暗い騒ぎが家から家へと羽ばたいて飛んでいくだろう。やがて……朝の光はなおますます強くなっていき……年老いた家長たちはめいめいフランネルの部屋着を着て、でっぷりとした年輩の婦人たちはゆっくりと寝まきをぬぎもせずに、大急ぎで起き出してくるだろう。礼儀ただしい人たちは、今まで髪の毛ひとすじ乱したところを人に見せたことがないのに、全部が全部、夢魔のようなとりみだした顔で、公衆の目の中へとび出してくるだろう。
ベリンガム老知事も、ジェイムズ王式のひだえりをななめに結んで、きびしい顔で出てくるだろうし、ヒビンズ嬢は、昨夜空をかけてからほとんど一睡もしていないので、スカートに森の小枝を何本かくっつけたまま、今までよりも気むずかしい顔をして出てくるであろう。また善良なウィルソン神父も、昨夜は半分も臨終の床で過ごしたばかりで、こんなに早く、栄光ある聖人たちを夢みていた夢からさまされるのはどうも気にいらぬという顔であらわれてくるであろう。またディムズデイル氏の教会の長老や執事たちも、この牧師を偶像視してその白い胸の中に彼のためのほこらをたてている娘たちも、ここへ来るであろうが、ついでながら、あわてふためいて、彼女たちはその白い胸をえりまきでかくすだけの余裕もほとんどなかったであろう。
つまり、すべての人びとは、めいめいの家の敷居《しきい》につまずきながら出てきて、この処刑台のまわりでぼうぜんと恐怖にうたれた顔を上げるのだ。彼らはだれが赤い東の光をひたいに受けてそこにいるかを見るだろうか? だれあろう、アーサー・ディムズデイル牧師が半ば凍え死にしそうになりながら恥辱に打ちのめされて、ヘスター・プリンの立ったことのある場所に立っているではないか!
この光景の奇怪な恐怖に我をわすれて、牧師は思いがけなく、しかも自分でひどくおどろいたことには、大きな声で笑いだした。すぐさまそれに答えたのは、軽やかな、うきうきした、こどもらしい笑い声で、その笑い声の中に、胸がどきりとしたが……はげしい苦痛のためか、同じようにはげしい喜びのためであったかはなにもわからなかった……彼はかわいいパールの声をみとめた。
「パール! パールちゃん!」
一瞬の間をおいてから彼は叫んだ。それから声を殺しながら「ヘスター! ヘスター・プリン! そこにいるんですか?」
「そうです、ヘスター・プリンです!」と彼女はおどろきの調子で答えた。そして牧師は、彼女の歩いてくる歩道から近づいてくる足音を聞いた。……「わたしです。そして小さいパールです」
「どこから来たんですか、ヘスター?」と牧師はたずねた。「なんの用があったんですか?」
「亡《な》くなったかたのそばでおせわをしていました」とヘスター・プリンは答えた……「ウィンスロップ知事さまの臨終のお床にいました。そして外衣の寸法をとって、今家へかえるところなのです」
「ヘスター、こちらへ来なさい、そしてパールちゃんも」と牧師ディムズデイル氏は言った。「おまえさんたちは前にここに立ったことがあるが、わたしはいっしょではなかった。さあ、もう一度ここへ上がってきて、三人でいっしょに立とう!」
彼女は小さいパールの手を引いて、黙って階段をのぼり、台の上に立った。牧師はこどものもういっぽうの手をさぐって、それを取った。そうした瞬間、彼自身の生命とはちがった新しい生命のはげしい流れのようなものが、急流のように彼の胸の中へ流れこんで、彼の血管全体を走りまわるように思われた。まるで母と子がその生命の暖かみを彼の半ばまひした器管に伝えているかのようであった。三人は電気の伝わる鎖《くさり》となった。
「牧師さん!」と小さいパールがささやいた。
「なにを言いたいの?」とディムズデイル氏はたずねた。
「あすの昼間、おかあさんとわたしと三人でここに立ってくださる?」とパールはきいた。
「だめよ、それはできないのよ、パールちゃん」と牧師は答えた。というのは、この瞬間の新しい力をもって、今まで長いあいだ彼の生活の苦悩であった、自分の秘密が世間に知られる恐ろしさがすべてよみがえってきたからであり、彼は自分の今置かれているせっぱつまっためぐりあわせに……不思議な喜びをまじえてではあったが……すでにふるえていた。「それはできないのよ。いつかおかあさんとあんたと三人で立つことは立つけれど、あすはだめなのよ」
パールは笑って、手を引きはなそうとした。しかし牧師はその手をしっかり握っていた。
「もう少しいましょうね!」と彼は言った。
「でも約束してくださる?」とパールはたずねた。「あすのお昼、あたしの手とおかあさんの手を引いてくださる?」
「あすはだめよ、パール!」と牧師は言った。「別のときにね!」
「別のときって、どういうときなの?」とこどもはなおもしつこくたずねた。
「さいごの裁きの日です!」と牧師はささやいた……そして奇妙なことに、自分は真理を専門的に教える牧師であるという意識がこどもにそう答えさせたのであった。「そのとき、そこで、裁きの庭で、おかあさんとあんたとわたしと三人いっしょに立たねばならないのです! しかしこの世の昼の光にわたしたちのいっしょにいるところを見せてはいけないのです!」
パールはまた笑った。しかしディムズデイル氏がそのことばを言い終わらないうちに、なにかにおおわれたような空いちめんに一条の光がきらめいた。それが、夜の空を見まもる人が大気のからっぽの部分でしばしば燃えつきて消えてしまうのを見る流星のひとつのためであることは確かであった。その光のかがやきは強力で、天と地のあいだの厚い雲の層をあますところなく明るく照らし出した。丸天井の大空は、丸屋根形の巨大なランプのように、かがやいた。真昼のような明るさで見慣れた町の通りの風景が見えたが、どんなに見慣れた事物でも光が尋常《じんじょう》でないと必ず与えられるようなすさまじさがあった。突き出た二階と奇妙な破風《はふ》の頂《いただき》のついた木造の家、早くもまわりに草のもえ出ている戸口の石段や敷居、新しく掘り起こされた土でくろぐろとしている庭地、あまり車の通りがなくて、広場でも両側が緑の草でふちどられている車道……こういうものがみなよく見えた。だが、奇妙な様子をしていて、この世の事物に今までとはちがった道徳的な解釈を与えているように思われた。牧師は胸に手を当てて立っていた。ヘスター・プリンは例の刺繍の文字を胸にちらちら光らせながら立っていた。そして小さなパールは、彼女自身ひとつの象徴として、またこのふたりを結ぶきずなとなっていた。三人はその真昼のような異様な荘厳《そうごん》なかがやきの中に立っていたが、そのかがやきはまるですべての秘密をあらわす光であり、たがいに愛しあうものをすべて結びつける夜明けであるかのようでもあった。
小さいパールの目には魔力があった。牧師のほうを見上げたとき、彼女の顔には、その表情をしばしば妖精じみたものにするようないたずらな微笑が浮かんだ。彼女はディムズデイル氏の手から自分の手を引きはなすと、通りの向こうを指さした。しかし彼は両手を胸の上で組んで、天の頂に目を向けていた。
その当時、流星の出現や、太陽や月の出没ほど規則正しく起こらないその他の自然現象が、超自然的原因からの啓示であるかのように解釈するのは珍しくないことであった。だから、深夜の空に見える、燃えるようにかがやく槍《やり》やほのおの剣《つるぎ》や弓や、ひとえびらの矢などは、インディアンとの戦争を予言するものであった。悪疫《あくえき》は雨のように降りそそぐ真紅の光によって予言されるものとされていた。
よかれあしかれ、植民の時代から革命の時代にいたるまでのニュー・イングランドに起こった大きな事件で、その住民たちが、なにかこういう自然の奇観《きかん》によって前もって警告されなかったようなことがあったかどうか疑わしい。多数の人がそれを見たこともまれではなかった。しかし、だれかただひとりの目撃者を信用してそれの信じられる場合のほうが多く、その目撃者はその驚異の現象を自分の想像という色のついた、ものを拡大し、ゆがめてしまう媒介《ばいかい》を通してながめ、あとでまた考え直して、それをいっそうはっきりした形にするのだった。諸国民の運命がそういう恐ろしい象形文字《しょうけいもじ》となって大空にあらわされるというのは、まことに壮大な思想であった。あのように広い巻き物でも、神の摂理が一国民の運命をその上に書きとめるにはさほど広いとは思われないかもしれない。
こういう信念は、われわれの祖先たちにとってはお気にいりの思想で、彼らの幼い共和国はとくべつの親密さときびしさをそなえた天の保護のもとにあることを示すものであると考えられていたのである。しかし一個人が彼自身にのみ呼びかけられた啓示を、例の同じ大きな紙の上に発見するときは、われわれはなんというべきであろうか? こういう場合は、ただひじょうに混乱した精神状態の徴候にすぎないのかもしれない。そのようなときは、長いはげしい秘密の苦痛のために病的に自己内省的となった男は、彼の利己主義を自然の全領域にひろげ、ついには天空までも、彼の魂の歴史と運命のためにふさわしいページにすぎないように思われるからである。
したがって、牧師が天頂を仰ぎ見ているうちに、くすんだ赤い光の線でかたどられた大きな文字……Aという文字……がそこにあらわれるのを見たというのも、われわれはもっぱら彼の目と心の病気のせいにするのである。そのとき、雲の幕を通してうす暗く燃えながら、流星が姿をあらわさなかったというのではない。だが、彼のうしろめたい想像力が考えたような形をしてはいなかったし、あるいは少なくともそんなにはっきりした形をしていたわけでもないであろうから、他の罪のある人の目は、そこに別の象徴を認めたかもしれなかったのである。
この瞬間、ディムズデイル氏の心理状態を特徴づけたひとつの奇妙な事情があった。天頂を凝視《ぎょうし》していたあいだじゅうも、処刑台からあまり遠くないところに立っていた老ロジャー・チリングワースのほうを小さいパールが指さしていたことを、彼は完全に意識していたのであった。牧師は例の奇跡の文字を識別したと同じ視線で、彼を見たようだった。彼の容貌にたいしても、他のすべての物にたいしてと同じように、流星の光は新しい表情を与えた。あるいは医者がこのとき、他のときと同じように、自分の犠牲者をながめる際の悪意を注意してかくそうとしなかったのも無理のないことかもしれなかった。確かに、もしも流星が大空に火をともして、最後の審判の日にヘスター・プリンと牧師を訓戒する恐ろしい勢いで、大地を明るく照らし出したならば、ロジャー・チリングワースも彼らにとっては、笑顔やしかめ顔でそこに立って自分の分けまえを要求する大悪魔のように思われたかもしれない。彼の表情はそれほど明瞭であった、というよりも牧師のそれを認めたのはそれほど強烈であったので、流星が消えてのちも、その表情は暗闇の上にくっきり描かれたまま残り、町の通りもその他のものも、すべてたちまち全滅してしまうようなおもむきをそなえているように思われた。
「ヘスター、あの男はだれですか?」とディムズデイル氏は、恐怖に圧倒されて、あえぎながらたずねた。「あの男を見るとからたがふるえてしまうんだ! あの男を知っていますか? ヘスター、わたしはあの男が大きらいだ!」
彼女は自分の誓いを思い出して、だまっていた。
「ほんとに、あの男を見るとわたしの魂はふるえるんだ」と牧師はまたつぶやいた。「あの男はだれなんだ? だれなんだろう? あんたはわたしのためになんにもしてくれることができないんですか? わたしはあの男にたいしてなんとも言いようのない恐怖を感じるのです」
「牧師さん」と小さいパールが言った。「あたし、あの人がだれだか教えてあげられるわ!」
「じゃ、早く教えてね!」と牧師は言うと、からだをかがめて耳を彼女のくちびるのそばに近づけた。「さあ早く!……そしてできるだけ小さい声でね」
パールはなにかもぐもぐと彼の耳にささやいた。それは人間のことばのように聞こえはしたが、こどもたちがよく何時間もひとりでしゃべりながら遊ぶときのようなちんぷんかんぷんなことばにすぎなかった。とにかく、そのことばの中に老ロジャー・チリングワースについてのなにか秘密の情報がふくまれていたとしても、博識の牧師にもわからないようなことばで話されたので、いたずらに彼の心の当惑を増したにすぎなかった。妖精のようなこどもはそれから大きな声で笑った。
「わたしをからかうのかね?」と牧師は言った。
「先生はだいたんではないのね!……正直ではなかったのね!」とこどもは答えた。「あすのお昼に、あたしの手とおかあさんの手を取ってくれると約束してはくれないんですもの」
「先生」と台の下まで進んできていた医師がそのとき言った。「牧師のディムズデイルさん! あなたじゃありませんか? これは、これは、どうも本に頭をつっこんでいるわれわれ書斎人は厳重に監視される必要がありますね! われわれは目をさましているときも夢をみるし、眠りながら歩いたりしますからね。さあさあ、親友、家まで案内させてください!」
「わたしがここにいるということが、どうしてわかったのですか?」と牧師は恐ろしそうに聞いた。
「ほんとうのところは、正直」とロジャー・チリングワースは答えた。「こんなこととは、わたしは知らなかったのです。わたしは今夜ずっとウィンスロップ知事閣下の病床にひかえて、わたしのつたない医術で閣下をお楽にしてさしあげたいと努力していたんです。閣下はあの世へお帰りになったし、わたしも家へ帰ろうとしてきたところ、この奇妙な光がかがやいたというわけです。さあ、牧師さん、いっしょに帰りましょう。さもないとあすの安息日〔仕事を休み、宗教的儀式を行なう聖日。キリスト教では日曜日〕のおつとめがうまくできませんよ。ああ、おわかりでしょう、あれが頭を苦しめるんですよ……あの本が……あの本が! あなたも勉強をひかえて、少しあそばないといけませんよ。さもないとこういう夜あそびがとりついてしまいますよ!」
「いっしょに帰ることにしましょう」とディムズデイル氏は言った。
まるで悪夢からさめて気力をなくしてしまった人のように、心もひえびえと気落ちして、彼は医師の言いなりになって、つれ去られた。
しかし、翌日は安息日だったので、彼は説教をしたが、その説教はこれまで彼のくちびるから出たものの中では最もゆたかな、最も力づよい、また最も天の力の満ち満ちたものであった。聞くところによると、ひとりならず多くの人びとがそのときの説教の効能によって真理にみちびかれ、こののち長くディムズデイル氏に対して聖なる感謝の念をいだくことを心の中で誓ったという。だが、彼が説教壇をおりてきたとき、白髪まじりのあごひげの寺男がそばにきて、黒い手袋をさしだした。牧師はそれが自分のものであることを認めた。
「これが見つかりましたのは」と寺男は言った。「けさがたで、悪いことをしくさる連中がその恥をみんなの前でさらされるあの処刑台の上でした。悪魔が先生さまに下品ないたずらをしようと考えて、あそこに落としたんでしょうよ。だが、ほんとに悪魔も、いつものことながら、めくらで、ばかじゃありませんか。けがれのない手は手袋などいりませんのにね」
「ありがとう、きみ」と牧師はおもおもしく、だが心の中ではびっくりしながら言った。というのは、記憶がすっかり混乱してしまって、昨夜のできごとは、ほとんど幻想のように思っていたからである。「さよう、まったくわたしの手袋らしいね!」
「で、悪魔はこれをぬすんでもいいと思ったんですから、先生もこれからは手袋なしで相手をなさる必要がありますよ」と年とった寺男は薄気味わるい微笑を浮かべながら言った。「しかし先生は、昨夜見えたきざしのことをお聞きになりましたか? 空に大きな赤い字で……Aという文字が出たということで、わたしたちは天使《エンジェル》の意味だと考えています。と申しますのは、わたしたちのウィンスロップ知事さまは昨晩天使におなりになりましたから、その知らせがなにかあるのもあたりまえだと思われたからでございます!」
「いや」と牧師は答えた。「わたしはまだ聞いていない」
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十三 ヘスターに対する別の見方
ディムズデイル氏との先夜の不思議な面会で、ヘスター・プリンは牧師の落ちこんでいた状態にひどくおどろいた。彼の神経はすっかりまいってしまっていたようだった。彼の道徳的な力はこどもよりも弱いものになっていた。彼の知的能力がもとの力をたもち、あるいは、病気によってのみ与えられるような病的な精力をかち得たかもしれないようなあいだでさえも、その知的能力は地面をたよりなく腹ばっていた。他の人たちにはすべてかくされている一連の事情を承知しているので、彼女は、ディムズデイル氏自身の良心の正当なはたらきのほかに、恐ろしいからくりが彼の幸福と安息とに影響を与え、今もなお作用しているのだと、容易に推測することができた。
このあわれな堕落した男が、かつてはどんな人物であったかを知っているので、彼が本能的に発見した敵に対して、自分のような社会から追放された女にまで助けを求めたときのあの身ぶるいするような恐怖心をみて、彼女の全心全霊は感動した。さらにそのうえ彼女は、彼には自分の最高の助力を求める権利があるのだと決心した。長いあいだ社会から離れて生活しているうちに、自分と縁のない標準によって正邪の観念を測定することにあまり慣れていないので、ヘスターはこの牧師に関して、ほかのだれに対しても、また世間の人全体に対しても負うていないような責任が自分にあることを知った……あるいは知ったと思った。自分を他の人類すべてに結びつけるきずな……花や絹や黄金やあるいは他のどんな材料のきずなも、すべて断ち切られてしまったのだ。ここにあるのは、彼も彼女も断ち切ることのできないおたがいの罪という鉄のきずなである。すべての他の拘束《こうそく》のように、これには義務もともなった。
ヘスター・プリンは、彼女が名誉を失った初期にわれわれの見たと同じような立場を今も占めているとは必ずしも言えなかった。年月は来たり、また去った。パールも今は七歳になった。奇妙な刺繍でかがやく緋文字を胸につけた母親も、もう長く町の人たちの見慣れた姿であった。人が社会の人たちの前でなにか目だつ存在となり、しかも同時に、公衆や個人の利害や便益と衝突しないときによく起こる現象のように、一種の一般的尊敬がついにヘスター・プリンに対して生じてきたのであった。人の心は、利己心の動きだす場合は別として、人を憎むより愛するほうが容易であるというのは、人間の心の名誉である。憎しみは、本来の敵意の感情がたえず新しい刺激となってさまたげないかぎり、徐々に、またおだやかに、愛へと変わっていきさえもするのである。
ヘスター・プリンの場合は、そういう刺激もうんざりするようなこともなかった。彼女は公衆とたたかわないで、不平ひとつ言わずにその最悪の慣例にしたがった。彼女は自分の苦しみなやんだことに対するしかえしとして、公衆になにひとつ要求はしなかったし、公衆の同情によりかかることもしなかった。それから、恥辱のために世間から隔離されていたこの年月のあいだ、彼女の生活の汚れのない潔白さもまたひじょうに彼女のためになった。人類の目から見て今はなにひとつ失うものもなく、それになにかをうるという希望も、また見るところそののぞみも持っていないので、このあわれな放浪者を世間の道につれもどしたのは、ただ美徳に対する正真の尊敬の念だけであった。
また、世間の人たちから認められたことは、ヘスターが世間のいろいろな特権に仲間入りするようなことは……共通の空気を呼吸し、自分の手の忠実な労働によって小さいパールと自分自身のために毎日のパンをかせぐという特権以上のことは……ごくわずかな要求さえもしたことがないということであり、なにかの利益の与えられようとするときはいつでも、自分が人類全体と姉妹であるということをいち早くみとめたことであった。貧しい人を見れば、彼女ほどすすんで自分のわずかなたくわえの中からめぐもうとするものはいなかった。ひねくれた心の貧民が、自分の戸口にいつもきまって運ばれる食べものに対して、あるいは帝王の衣服に刺繍《ししゅう》しても恥ずかしくないような指で縫ってくれた着物のお礼にあざけりのことばを投げかえすようなことがあっても、彼女は動じなかった。疫病《えきびょう》が町で猛成をふるったときも、ヘスターほど献身的につくしたものはいなかった。一般的な災害でも個人の災害でも、災害のあらゆる時期に、社会から追放されたこの女はすぐさま自分の持ち場を見いだした。彼女は災難のために暗くなった家へ客人としてではなく、正当な同居人として行った。まるでその陰鬱《いんうつ》なうす明かりが彼女にとっては同胞と交際する資格を与える媒介《ばいかい》となるかのようであった。この世のものとも思われないそのうす明かりの光の中になぐさめをこめて、あの刺繍された文字はかすかにかがやいた。他のところでは罪のしるしであるそれが、病室の小ろうそくであった。それは病人の苦しみの極限のとき、時の限界を越えて、その微光を投げさえもした。地上の光が急速にぼやけてきて、しかも未来の光がまだ病人のところまで達しないうちに、彼の足をふみいれるべき場所を示していたのである。
こういう危急のときにも、ヘスターの本性は暖かくゆたかにあらわれ、あらゆるまことの要求をうらぎることのない、また最も大きな要求によってもつきることない人間のやさしさの泉であった。恥辱のしるしをつけた彼女の胸は、まくらを必要とする頭にとっていっそうやわらかいまくら以外のなにものでもなかった。彼女は自己任命の慈悲の修道女であった。あるいは、世間も彼女自身もこういう結果になろうとは思いもおよばないでいるうちに、世間の重い手がかってに彼女をそのように任命してしまったのだと言ってもよいかもしれない。例の文字は彼女の職業の象徴であった。彼女にはひじょうにたよりになるというおもむきや……なにかをすることのできる大きな力や同情をよせるつよい力があったので、多くの人びとはAという緋文字をそのもとの意味で解釈することをこばむようになった。彼らはそれが Able (能力のある)の意味であると言った。女の力を持つヘスター・プリンはそれほどつよかったのである。
彼女を入れることのできるのは暗くなった家だけであった。日光がまたさしこんでくると、彼女はいなくなった。彼女の影は敷居を越えて消えていった。この調法《ちょうほう》な同居人が去るときは、彼女があのように熱心につくした人たちの胸の中にもし感謝の報いがあっても、それをかき集めようとしてうしろをふりかえってみることなどまったくなかった。その人たちに町で会っても、彼らの挨拶を受けるために頭を上げたことなど一度もなかった。もし彼らが思いきって彼女にことばをかけようとしても、彼女は緋文字の上に指を置いてそのまま通り過ぎてしまうのであった。これは誇りといってもさしつかえないであろうが、ひじょうに謙虚の念に似ていたので、この後者の謙虚の念のやわらかい影響が公衆の心におよんでいったのである。
公衆というものはその気質が横暴で、一般の公正でも、それがあまりにはげしく権利として要求されると、それを拒否することができる。だが、その寛大な心にもっぱら訴える場合は、暴君がそうされることを好むように、それは公正以上のものを報いてくれることが同じようにしばしばあるのである。ヘスター・プリンの態度をこういう性質の訴えと解して、社会は、以前の犠牲者に対して、彼女が受けたいとのぞんでいる以上の、あるいはことによると、彼女の当然受けてしかるべき以上のやさしい顔色を示そうとする気持ちになっていた。
統治者たちやこの社会のかしこい学識のある人たちは、ヘスターの善良な性質の影響を認めるのに民衆よりも時間が長くかかった。彼らが民衆と共有していた偏見《へんけん》のかずかずは、彼ら自身の中で論証という鉄格子によって固められてしまっていたので、それらの偏見を除去するのにははるかに困難な努力を必要とした。しかし日一日と彼らの気むずかしいきびしい顔のしわはゆるんでいって、やがて年月の経つうちに、ほとんど慈悲の表情となるようなものに変わっていった。高位の人びとも同様であった。というのは彼らの高い地位が公衆の道義をまもる責任を彼らに課していたからである。
とかくするうちに、私的な生活をいとなむ個人たちもヘスター・プリンの過失はすっかりゆるしてしまっていた。いや、それどころか、彼らは例の緋文字を、彼女があのように長いあいだ暗い刑罰を受けたひとつの罪のしるしとしてではなく、その後の彼女の多くの善行のしるしとしてながめはじめていたのである。
「あの刺繍のしるしをつけた女の人が見えますか?」と、彼らはよくよそから来た人たちに言うのだった。「あれはわたしたちのヘスターです……この町のヘスターです……貧しい人たちに対してはとても親切で、病人に対してはとても力になり、苦しんでいる人に対してはとてもなぐさめとなる人なのです!」
なるほど人間の性質には、他の人によって行なわれた場合には、人間性の最悪の欠点までも話したいというくせがあるので、彼らも過ぎ去った昔の黒い醜聞をささやきたい気持ちになるのが常だった。しかしそれにもかかわらず、現にそういった人たちの目にも、例の緋文字には修道女の胸の十字架のような効果があった。それはそれを身につけている人に一種の神聖さを与え、そのために彼女はあらゆる危険の中を安全に歩くことができるのだった。万一、盗賊たちのあいだに落ちても、それは彼女を安全にまもったであろう。うわさによると、しかもこれは多くの人たちが信じて疑わない話なのであるが、ひとりの土人が例の胸のしるしに向かって矢を引き、矢は当たったが、なんの傷も与えずに地面に落ちたという。
この象徴……いやむしろそれによって示される社会における位置……がヘスター・プリン自身の心に与えた影響は、力づよい特殊なものであった。彼女の性格の軽やかな優美な葉はすべて、この赤熱《せきねつ》の烙印のために枯れて、とうの昔に散ってしまい、はだかの目ざわりな輪郭《りんかく》だけしか残っていない。もし彼女に友だちや仲間がいたならば、それを見てきっと不快な気持ちになったであろう。彼女の外観の魅力でさえも同じような変化を受けていた。それはひとつには彼女が故意に服装を質素にしているためであろうし、また、ひとつには彼女の物腰に見せびらかしのふうの欠けているためもあったかもしれない。彼女のふさふさとしたゆたかな髪の毛も切られてしまったのか、あるいは帽子で全部かくされてしまったのか、かがやく巻き毛のひとすじも日光の中にはみ出していないのもまた悲しい変化であった。ヘスターの顔にもはや愛の女神のとどまるようななにものもないように思われたのは、半ばはこういう理由すべてによってはいたが、なおそれ以上のなにかほかの原因もあった。
すなわちヘスターの姿は威厳があり彫像のようではあったが、熱情が抱きしめたいと夢みるようなものはなにひとつなく、ヘスターの胸にもふたたび愛情のまくらにしたいようなものは残っていなかったのである。彼女をひとりの女としておくためにどうしても永続しなければならないなにかの特性が彼女から離れてしまっていた。これは、女がとくべつに苛酷な経験に会って、それを生きぬいたときに、彼女の女性らしい性格と姿がしばしばうける宿命であり、またこれがそういう性格と外観のきびしい発達でもあるのである。もし彼女が全身これやさしさであるならば、彼女は死んでしまうであろう。もし生きながらえるとすれば、そのやさしさは押しつぶされて彼女から消えてしまうか、あるいは……外観は同じでも……押しつぶされて胸の奥にしまいこまれて二度とあらわれることはないであろう。後者のほうがあるいはいちばん真実の道理かもしれない。かつては女であったが女であることをやめてしまった人は、転身を引き起こす魔法の接触さえあれば、いつでもまた女にたちもどることができよう。ヘスター・プリンがその後そういう接触を受けてそういう転身をしたかどうか、これからながめてみることにしよう。
ヘスターの印象の大理石のような冷たさの多くは、彼女の生活が熱情と感情から大きく思索に変わったという事情に帰さなければならなかった。世の中にひとりで立って……社会との依存関係についていえば、たったひとりで、しかも小さいパールをみちびき保護しながら……たったひとりで、たとい自分の位置を取りもどすことが良策だという考えをけいべつしなくとも、そういう希望もなく……彼女は切れた鎖の断片を投げ捨ててしまった。世間の法則は彼女の心の法則ではなかった。当時は人間の知力が新しく解放されて、これまでの数世紀よりもいっそう活動的な広い範囲にわたるようになっていた時代であった。剣の人たちが貴族や君主をくつがえしてしまっていた。また彼らよりも剛胆《ごうたん》な人たちが、古い原理の多くと結びついていた古い偏見の組織全体を……実際にではなくて、彼らのまことの住居である学説の範囲内において……くつがえし、それを配列し直していたのである。
ヘスター・プリンはこの精神を吸収していた。彼女は思索の自由を自分のものとしていた。この思索の自由は大西洋の向こう側では当時珍しくはなかったが、わが国の先祖たちは、もしそれを知ったならば、緋文字によって非難された罪以上に恐ろしい罪であると考えたであろう。海岸の彼女のさびしい小屋に彼女をたずねた思想は、ニュー・イングランドの他の住居にはいることをためらうようなものであった。それは影のような客人で、もしもそれが彼女の戸をたたいているところでも見られたら、それを歓待《かんたい》する人たちにとっては悪魔のように危険視されたであろう。
最もだいたんな思索をする人たちがしばしば最も完全な静けさをもって社会の外面的規則にしたがうというのはおどろくべきことである。思想が行為という肉と血につつまれなくとも、彼らにはじゅうぶんなのである。ヘスターの場合もそのように思われた。だが、もしも小さいパールが精神的世界から彼女のもとに来ていなかったら、事情ははるかにことなっていたであろう。そのときは彼女は宗教の一派の創始者として、アン・ハチンソン〔一五九一〜一六四三。彼女の説いた道徳律廃棄論=信仰至上主義は、仕事による救済をしりぞけて、信仰による救済をすすめ、神の内在する「恩寵」を直感的にあらわすことを説いた〕と手に手をとって歴史上の人物となったかもしれなかった。彼女は、その一面において、予言者といってもさしつかえなかったのかもしれない。彼女は清教主義体制の基礎をくつがえそうとくわだてたというかどで、当時の厳格な法廷から死刑に処されたかもしれない。またそれが無理からぬことであろう。しかしこどもの教育の中に、思想に対する母親の熱意はそのはけ口をいくらか見いだしていた。神の摂理は、この小さな少女を通して、婦人の芽と花がたくさんの困難の中でたいせつに育てられ発展していくことをヘスターのつとめとして命じたもうたのである。あらゆるものが彼女に敵対した。世間は敵であった。こども自身の性質にもどこかひねくれたものがひそんでいて……母親の無法の情熱が流れ出たために……自分があやまって生まれてきたのだということをたえず示していた。そしてしばしばヘスターに、にがにがしい気持ちで、このかわいそうなこどもの生まれてきたこと自体がわるいことだったのかよいことだったのかと自問させたのだった。
じっさい、これと同じような暗い疑問が、女性という種族全体についても、しばしば彼女の心に浮かんだ。女性の中で最も幸福なるものにとってさえも、人間の存在は受けるに値するものであろうか? 自分自身の個人的存在に関するかぎりでは、彼女はすでにずっと以前から否定して、解決ずみの論点として簡単にかたづけてしまっていた。思索の傾向は、男の心を落ち着かせると同じように、女の心を落ち着かせはするかもしれないが、悲しませもするものである。彼女は、たぶん、つぎのような希望のない課題を前途に認めているのであろう。すなわち、第一段階として、社会の全組織が破壊されて、新しく建設されなければならない。つぎに、異性の性質そのものが、あるいは本性のようになってしまった異性の長い遺伝的な習慣が、本質的に改められねばならない。そのときになってはじめて、女性は公正適切な地位と思われるものを得ることがゆるされるのである。最後に、他の困難のすべてが除去されたとしても、女性は、彼女自身がさらに大きな変化をとげないかぎり、こういう初歩的な改革を利用することができない。そしておそらくその大きな変化の中に、女性の真実の生命のひそむ霊妙な本質は蒸発してしまうのであろう。女性はこういう問題をどんなに思索をはたらかせても決して解決することができない。それらは解決のできない問題、あるいはひとつの面においてしか解決のできない問題である。女性の感情が浮かんでくるようなことがあると、それは消えてしまう。したがって、ヘスター・プリンは、その感情が正規の健全な動悸《どうき》をうたなくなってしまったために、暗い心の迷路の中を道しるべもなくさまよい、あるときは越えがたい断崖のために道をそらされ、あるときは深い岩の割れ目のために引きかえさざるをえなかった。まわりにあるのはただ荒涼とした身の毛のよだつようなけしきで、家庭のなぐさめはどこにもなかった。パールを今すぐ天国へ送って、自分自身も、永遠の≪正義によって≫用意されたような未来に行くほうがよいのではないかという疑いが、彼女の魂を占拠しようとしたこともときどきあった。
緋文字はその職務を終わっていなかったのだ。
しかし、ディムズデイル牧師が徹夜をした夜、彼と会ったことは、彼女に新しい反省の問題を与え、その達成のためにはどんな努力も犠牲もむだとは思われないようなひとつの目的を彼女に示したのだった。彼女は牧師がその下でもがき苦しんでいる、あるいはもっと正確にいえば、もがくことさえ中止してしまったはげしい悲情な状態を目撃した。彼女は、彼が狂気のまぎわに、もしすでにそれをふみ越えているのでなければ、そこに立っているのを見た。自責という秘密のとげの中にどれほどのいたましい効能があるにしても、救済を申し出た手によってそれ以上に恐ろしい毒がそそぎこまれたことは、疑うことができなかった。秘密の敵が、友人と救助者の仮面のもとに、たえず彼のそばにあって、与えられる機会を利用しては、ディムズデイル氏の性格の繊細《せんさい》な源泉をもてあそぶのだった。
ヘスターは、多くのわざわいばかりが予想され、さいさきのよいことなどなにひとつ希望されないような位置に牧師が投げこまれたのは、もともと自分のほうに真実や勇気や忠誠の欠陥があったためではないかと、自問しないではいられなかった。彼女の唯一《ゆいいつ》の弁明は、自分を打ちひしいでしまった破滅よりもっと黒い破滅から彼を救い出す方法は、ロジャー・チリングワースの正体をかくしておくという計画に黙従するという以外には見いだすことができなかったという事実だけであった。この衝動にかられて、彼女は自分からすすんで、今になってみると、ふたつの方法のうちのみじめなほうをえらんだようであった。彼女は自分の犯したこの誤りを、まだ可能ならば、つぐないたいと決心した。数年にわたるつらいきびしい試練によってつよくなった彼女は、あの牢獄の部屋で共に話し合ったときの、罪のために卑下《ひげ》し、今もなまなましいあの不面目《ふめんぼく》のために半ば狂気のようになっていたあの夜のように、自分がもはやロジャー・チリングワースに立ち向かうのに不じゅうぶんではないと感じた。彼女はあのとき以来もっと高い地点にのぼってきているのだ。それに反して、老人のほうは屈辱をしのんで思いたった復讐のために、彼女の高さまで近くなって、あるいはことによるとその下になっているのかもしれないのである。
つまり、ヘスター・プリンは前の良人に会って、彼ががっちりとつかんでしまったことの明らかな犠牲者を救い出すために、できるかぎりのことをしようと決心した。その機会は求める間もなくやってきた。
ある日の午後、半島の人目につかぬところをパールといっしょに歩いていたとき、彼女は老医師が片腕に篭《かご》をさげ、片手に杖をもって、自分の薬剤を調合するための木の根や芽をさがしながら、腰をまげて歩いている姿を見かけた。
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十四 ヘスターと医師
ヘスターは小さいパールに、自分が向こうの薬草を集めている人としばらく話し終わるまで、岸へ走っていって、貝がらやもつれた海草で遊んでいるようにと命じた。するとこどもは小鳥のように飛んでいき、小さな白い足をむき出しにして、しめった海の岸をぱたぱたとかけた。ここかしこで、彼女は急に立ちどまると、もの珍しそうに水たまりをのぞきこんだ。ひいていく潮の残したもので、パールが自分の顔をうつすにはかっこうの鏡となっていた。その水たまりの中から、頭のまわりに黒いかがやく巻き毛をつけ、目には妖精のような微笑をたたえたかわいい少女の顔が浮かび出て、パールを見た。パールはほかに遊び仲間もいないので、自分の手をとっていっしょにかけっこをしようと誘ってみた。しかし幻の少女のほうも同じように手招きして、まるで、「こっちのほうがいい場所よ! あなたこそ水たまりの中へいらっしゃいよ!」と言っているようであった。そこでパールがひざの深さまではいると、自分の白い足が底のほうに見えた。そしてもっと底のほうからきれぎれになった微笑のようなもののきらめきが、かきみだされた水の中に前後にゆれながら浮かんでいるのであった。
とかくするうちに、母親は医師に声をかけていた。
「ちょっとお話ししたいんですが」と彼女は言った。……「わたしたちにとても関係のあることで」
「ああ、老人のロジャー・チリングワースに話があるというのはヘスターさんですか?」と、彼は曲げていたからだを起こすと答えた。「喜んで聞きますよ!ほんとに、いたるところでおまえさんのいい評判を耳にしますよ! つい昨夜も、あるかしこい信仰のあつい判事さんが、ヘスターさんよ、おまえさんのことを話していて、会議でおまえさんについての問題の出たことを耳打ちしてくれましたよ。あの緋文字をおまえさんの胸からはずしても、社会の安寧《あんねい》にとって安全かどうかという議論だったという。わたしはね、ヘスターよ、そのりっぱな判事さんに、できるものなら直ちにそうしていただきたいと心からお願いしておきましたよ!」
「この印を取りはずすのは、判事さんたちのお気にいらないことなんです」とヘスターは静かに答えた。「万一はずしてもいい資格ができれば、それはひとりでに落ちるか、あるいはちがった意味をあらわすものに変わるでしょう」
「いや、似合うんなら、つけていなさい」彼は答えた。「女というものは身の飾りについては自分の好みにしたがう必要があるからね。その文字ははでに刺繍されていて、おまえさんの胸にはとてもみごとに見えますよ」
このあいだじゅう、ヘスターはじっと老人をながめていたが、この七年のあいだになんという大きな変化が彼に起こったかを見て、おどろきに打たれると同時に、衡撃をうけた。それは彼が前よりも年をとったということではなかった。というのは、寄る年波の跡は歴然とはしていても、彼はその老齢によくたえて、筋金《すじがね》入りの生命力と機敏さは持ちつづけているように思われたからである。しかし彼女のいちばんよく記憶している知的な学者らしい人物の確かな落ち着いた以前の容貌は、まったく消えてしまっていて、代わりに見られるのは熱心な、さぐるような、ほとんど狂暴なといってもいいような、だがきわめて用心深い顔つきであった。
こういう表情を微笑の仮面でかくすことが彼ののぞみであり、目的であるようだった。だがその微笑は彼をうらぎって、彼の顔の上に嘲笑するかのようにひらめいたので、見る人はそのために彼の腹黒さをいっそうよく見ることができたのである。また、ときおり、彼の目からぎらぎらと赤い光が放たれた。まるで老人の魂が燃えて、胸の中でうす暗くくすぶっているうちに、思いがけなく情熱の風が吹いたために、燃え上がって瞬間的にほのおとなったかのようであった。これを彼はできるだけ早く押えると、そういうことはなにひとつ起こらなかったかのような顔をしようと努力するのだった。
つまり、老ロジャー・チリングワースは、人間がある一定期間、悪魔の役目を引き受けようとのぞみさえするならば、自分を悪魔に変えてしまう能力があるといういちじるしい証明であった。この不幸な人物は、七年間というもの、はげしい苦悩に満ちた心のたえまない分析に専念し、そこから喜びを引き出し、分析して小気味よげにながめているそのはげしい苦悩に薪《まき》をくわえることによって、このような変貌をとげたのであった。
緋文字がヘスター・プリンの胸の上で燃えていた。ここにあるのは破滅の別の形で、その責任はあるていど彼女の胸にこたえた。
「わたしの顔になにかあるのかね」と医師はたずねた。「そんなにじろじろ見たりして?」
「泣けるだけの涙があれば、なんだか泣きたくなるようなものがあるのです」と彼女は答えた。「しかしその話はやめましょう! わたしが話したいのは、あのきのどくな人のことです」
「あの男がどうかしたのかね?」とロジャー・チリングワースは熱心に叫んだ。あたかもその話題が好きで、秘密をうちあけることのできるただひとりの人とその問題を論じる機会のできたことを喜んでいるかのようであった。「ほんとうのことをかくさないでいうとね、ヘスターさん、わしの心はたった今あの紳士のことでいっぱいなんだ。だから遠慮なく話してくれ、わしも答えるから」
「この前いっしょにお話ししたとき」とヘスターは言った。「もう七年も前になりますが、あなたとわたしの昔の関係について、秘密をまもるようにと約束をおさせになりました。あの人の生命も名誉もあなたの手の中にあったのですから、わたしとしては、あなたの命令にしたがって沈黙をまもるよりほかにどうしようもありませんでした。だがそういうふうに自分をしばるのは重い不安なしではなかったのです。というのは、他の人たちに対する義務は全部棄ててしまいましたが、あの人に対する義務だけは残っていましたし、あなたの忠告をまもろうと約束するのはあの人に対する義務をうらぎることになるのだと、わたしにささやくなにかもあったのです。あの日以来、あなたほどあの人に近づいている人はありません。あなたはあの人の足跡についてまわっています。寝ているときも覚《さ》めているときも、あの人のそばにいます。あなたはあの人の考えていることをさぐっています。あの人の胸を掘って食いこんでいっていらっしゃる! あなたはあの人の生命をつかんでいて、毎日生きながらの死をあの人に味わわせていらっしゃる。それでもなおあの人にはあなたがわからない。これをそのままにしておくのは、わたしの真実をつくすべきただひとりの人をたしかにうらぎっていたことになるのです」
「ほかにどんな方法があったかね?」とロジャー・チリングワースはたずねた。「わしの指は、あの男を指さしたら、彼を説教壇から地獄へ……それから、たぶん、絞首台《こうしゅだい》へも……投げこんだことだろうよ!」
「そうしてくださったほうがよかったんです!」とヘスター・プリンは言った。
「わしは、どんなわるいことをあの男に対してしたというのか?」とロジャー・チリングワースはまたたずねた。「正直にいうが、ヘスター・プリン、医者が王様からもらうどんな高額の謝礼でも、わしがこのみじめな牧師に対してついやしたようなせわを買いとることはできなかったろうよ。わしの助けがなかったら、彼の命は、おまえとふたりで罪を犯してから二年内に苦悩のうちに燃えつきてしまっていただろう。というのは、ヘスター、彼の精神には、あんたの精神のように、緋文字のような重荷の下にたえていくだけの力が欠けているのだ。おお、わしはりっぱな秘密をあばいてやることもできるんだ! だがそれはもういい! 医者の技術としてできることはなんでも、わしはあの男につくしてやった。彼がいま呼吸し、地上をはいまわっているのは、みんなわしのおかげなんだ!」
「あの人はすぐ死んでしまっていたほうがよかったのです!」とヘスター・プリンは言った。
「そうだ、あんたの言うとおりだ」と老ロジャー・チリングワースは、無気味な胸の火を彼女の目の前に燃え上がらせながら、叫んだ。「すぐ死んでしまったほうがよかったのだ! あの男の苦しんだような苦しみかたをした人間はいない。しかも、こともあろうに、その最悪の敵の見ているところでね! 彼はわしを最初から意識していた。なにかの力がまるでのろいのように、いつも彼の上に降りかかっているのを彼は感じてきている。彼はなにか精神的な感覚によって……というのは、造物主はあの男ほど感受性のつよい人間は他におつくりにならなかったから……彼は、決して好意的でない手が彼の胸の糸を引っぱっているのだということ、ひとつの目が物好きに彼の胸の中をのぞきこんでいたが、ただ悪だけを捜し出そうとしていて、ついにそれを見いだしたこと、などを知っているのだ。しかしその目と手がわしのものであることを彼はまだ知ってはいない! 彼の兄弟たちと共通の迷信によって、彼は自分が悪魔の手にわたされて恐ろしい夢や絶望的な考え、自責の刺すような痛みや罪のゆるしを受けねばならないという絶望感になやまされ、墓のかなたで待っているものを現在味わわされているのだと思った。だがそれはこのわしという存在の不変の影なのだ!……彼から非道な被害を受けて、最もおそろしい復讐のこの絶え間のない毒によってのみ生命をつなぐようになった男が、すぐそばにいるためなのだ! まったくそうなんだ!……彼はまちがってはいない!……悪魔がすぐそばについていて離れないのだ! かつては人間らしい心を持っていた男が、彼をとくべつに苦しめるために悪魔になったのだ!」
不幸な医師は、こういうことばを口にしながら、恐怖の表情で両の手を上げた。まるで彼にもはっきり見わけのつかない、なにか恐ろしい形のものが、鏡にうつった彼の姿に取って代わろうとしているのを見たかのようであった。それは人の道徳的なすがたがその心の目に忠実にあらわされる瞬間……数年の間隔をおいてのみ、ときにあらわれるような瞬間のひとつであった。たぶん彼も今のように自分自身のすがたを見たことはこれまでなかったであろう。
「あなたはもうじゅうぶんにあの人を苦しめたではありませんか?」とヘスターは、老人の表情に注意しながら、言った。「あの人はあなたに全部の借りを支払ったではありませんか?」
「いや、いや! 借りをふやしただけだ!」と医師は答えた。そして話しすすんでいくにつれて、彼の話しかたはそのはげしい特徴を失って、憂欝《ゆううつ》なものに沈んでいった。「ヘスター、あんたは九年前のわしがどんなであったかおぼえているかね? そのときでも、わしは人生の秋であった。しかも初秋ではなかった。だがわしの全生涯は熱心な、学問にはげみ、思索にくれる、静かな年月で、わし自身の知識の増大のために忠実に与えられた、また忠実に……といってもこのほうは前者にとって偶発的なことではあるが……忠実に人類の幸福増進のために与えられた年月であった。どんな人の人生も、わしの人生ほど平和で潔白なものはなかった。わしの人生ほどいろいろな思索にゆたかにめぐまれたものはほとんどなかった。昔のわしをおぼえているかね? あんたはわしを冷たい人間と思うかもしれないが、わしは他人に対して思いやりのある、自分のことはほとんどなにも求めない……親切な、真実の、正しい、そしてあたたかくはないにしてもいつも変わらない愛情をもった人間ではなかったろうか?わしはそういう人間ではなかったかね?」
「そうです、そしてそれ以上でした」とヘスターは言った。「だが今のわしはなに者だ?」と彼は彼女の顔をのぞきこみながら、そして胸の中の悪のすべてを顔の表情にあらわしながら、たずねた。「今のわしがなに者であるかはもうあんたに話した! 悪魔だ! だれがわしを悪魔にしたのだ?」
「わたしです!」とヘスターは身ぶるいしながら叫んだ。「わたしです、あの人だけではありません。なぜあなたはわたしに復讐なさらないのですか?」
「あんたのほうは緋文字にまかせた」とロジャー・チリングワースは答えた。「もしその緋文字がわしのあだを討ってくれなければ、わしにはそれ以上のことはできない」
彼は笑いながら指をその緋文字の上に置いた。
「その文字はあなたのあだを討ちました!」とヘスター・プリンは答えた。
「わしもそう判断した」と医師は答えた。「ところで、あの男についてあんたはわしにどうしてほしいのかね?」
「わたしは秘密をあかさねばなりません」とヘスターはきっぱりと答えた。「あの人はあなたのほんとうの性格を見わけなければなりません。その結果がどうなるかはわかりません。でも、わたしが破滅のもととなってしまったあの人に対する、この長いあいだの信頼の借りは、どうしても支払わなければなりません。あの人のりっぱな名声とこの地上における地位と、そしておそらくは彼の生命をくつがえすかもちつづけるかということについては、あの人はいわばわたしの手中にあるのです。それにわたしも……緋文字のためにきたえられて、魂の中にはいりこむ……赤熱《せきねつ》の鉄の真実かもしれませんが、真実を知るようになりましたものの……わたしはあの人がぞっとするような空虚な生活をこれ以上いとなんでいくことになんの利益をもみとめませんから、あなたの慈悲を乞《こ》いたいとも思わないのです。あの人をあなたのお好きなようにしてください! あの人のためによいことはひとつもありません……わたしのためにもよいことはないし……あなたのためにもよいことはひとつもありません! かわいいパールのためにもよいことはありません! この陰惨な迷路からわたしたちをみちびいてくれる道はないのです!」
「女よ、あんたをきのどくに思うね!」とロジャー・チリングワースは戦慄《せんりつ》のように走る賞賛の念を押えることができずに言った。彼女の表現した絶望の中にほとんど荘厳《そうごん》なものがこもっていたからである。「あんたには偉大な要素があった。おそらく、わたしの愛よりもりっぱな愛にもっと早く出会っていたら、こういう不運はなかったであろう。あんたの性質の中の浪費されてしまった善のために、きのどくに思うよ」
「そしてわたしもあなたをきのどくに思います」とヘスター・プリンは答えた。「かしこい正しい人を悪魔に変えてしまったにくしみのために! そのにくしみを清めて、もう一度人間らしくなっていただけませんか? あの人のためでなくとも、あなた自身のために二倍も! 許してあげてください。そしてこれ以上の懲罰《ちょうばつ》は、それを求める天の力にまかせてください! 今も申し上げたように、この暗い悪の迷路をいっしょにさまよいながら、わたしたちが道にまきちらした罪にひと足ごとにつまずいているあの人にも、あなたにも、わたしにも決してよいことはありません。そうなんです! あなたにとっては、あなただけにはよいことがあるかもしれません。あなたはひどく被害をお受けになったし、許すことはあなたの意思によることですから。そのただひとつの特権を捨ててくださいませんか? その貴重な特典を拒否してくださいませんか?」
「おだまり、ヘスター、おだまり!」と老人は陰惨なきびしさをもって答えた。「わしには許す権利は与えられていないのだ。あんたの言うような力はわしにはない。長いあいだ忘れていたわしの昔の信仰が、今もどってきて、わしたちの行なうこと、わしたちの苦しむことのすべてを説明してくれる。道をふみはずした第一歩のために、あんたは不幸の芽を植えつけた。だが、その瞬間以後はすべて暗い宿命なのだ。わしをうらぎったあんたも、一種のきわだった幻想にとらわれる場合は別として、罪はないのだし、悪魔の手からその役目をうばいとったこのわしも悪魔のようだとはいえない。これはわれわれの運命なのだ。黒い花はかってに咲かせるさ! さあ、あんたも向こうへ行って、あの男を好きなように扱いなさい」
彼は片手をふると、ふたたび薬草を集める仕事にとりかかった。
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十五 ヘスターとパール
こうしてロジャー・チリングワース……人びとの記憶の中で、いつまでも忘れられずに、しつこくつきまとう、あの不快な顔だちをしたみにくい老人……は、ヘスター・プリンに別れを告げると、腰をかがめてそそくさと去っていった。彼はあちこちで草を採り、木の根を掘って、それを彼の腕にかかえた篭《かご》の中へ入れた。彼の白髪まじりのあごひげは彼が前方へとはうように進んでゆくにつれて、ほとんど地面にくっつきそうであった。
ヘスターは彼のうしろをしばらく見つめていた。そして早春のやわらかい草が彼にふまれてしぼみはしないだろうか、そしていきいきとして緑草の上に枯れてとび色になってしまった彼の足跡が、うねりくねった一筋の小道を残しはしないだろうかと、半ば気まぐれの好奇心からながめていたのであった。彼女はあの老人があのように熱心に集めているのはいったいどんな草なのかしらと思った。大地が彼の目に共鳴して悪い目的に目ざめ、彼の指さすところに今まで知られなかった種類の毒草をはえさせて、彼をむかえるのではないだろうか。あるいはまた、あらゆる健全な草木も、彼の手が触れるやいなや有害な悪性の物に変わってしまうということだけで彼は満足しているのであろうか。いたるところであのように明るくかがやいている太陽は、ほんとうに彼の上にも光を放っているのだろうか、あるいは彼がどの道に足を向けようと不吉な影の輪が彼の不具のからだといっしょになって動いているのだろうか。どうもそうらしく見える。そして今、彼はどこへ行こうとしているのだろうか。とつぜん地面の中へ沈むのではないだろうか、そしてそのあとには、荒れて草木も枯れしぼんだ個所がひとつ残り、そこには時が来れば、あの劇毒《げきどく》のいぬほおずきや、水木や、ひよすや、その他こういう風土にはえることのできる邪悪な草木までもおそろしく繁茂《はんも》して、さかんに枝葉を伸ばすのではないだろうか。それとも彼は、コウモリの翼を広げて飛び去り、天のほうへ高く昇れば昇るほど、いっそうみにくい姿に見えるのだろうか?
「それが罪であろうとなかろうと」とヘスター・プリンはなおも彼のうしろ姿をながめながら、にがにがしげに言った。「あの男が憎《にく》らしい!」
彼女はそういう感情になる自分自身を責めた。しかしそれにうち勝つことも、それをやわらげることさえもできなかった。そうしようと試みると彼女は遠い国の、あの遠く過ぎ去った日々のことを思い出すのであった。そのころ、彼はいつも夕暮れになると閉じこもっていた書斎から姿をあらわし、家庭の炉の光と彼女の微笑との中にすわるのが常であった。彼は長い時間をひとりさびしく書物の中に過ごしたために生じた冷たさを、学者の胸から取り去るためには、その微笑を浴びることが必要なのだと言った。このような情景はかつて一度も幸福以外のものと思われたことはなかった。しかし今は、彼女のその後の陰うつな生活を通してみると、それらは彼女の最もみにくい思い出の中に分類されてしまうのだった。どうしてあのような場面がありえたのだろうかと彼女はおどろいた。よくもあんな男と結婚する気になれたものだと彼女自身おどろくのだった。彼女の犯した罪の中で最も後悔すべき罪は、彼のなまぬるい手に握りしめられることにたえ、またそれを握りかえしたことであり、彼女のくちびるや目に浮かぶ微笑を彼のそれとからませ、溶け合わせたことであると思った。そして彼女の心に分別のなかったときに、自分のそばにいるのが幸福だと考えるように彼女を説きつけたことは、ロジャー・チリングワースがそののちに身に受けたどんな被害よりも、いっそう卑劣な罪を彼が犯しているのだと思われた。
「そうだ、あの人がきらいだ」とヘスターは前よりもいっそうにがにがしげにくりかえした。「あの人はわたしをうらぎった! あの人はわたしがあの人にしたよりももっとひどいことをわたしにしているのだ」
女の手を得ても、女の心の最もはげしい熱情を共に捕えられないかぎりは、男たちよ、安心するな。さもないと、男たちの運命は、ロジャー・チリングワースの運命のように、悲惨なものになるであろう。というのは、なにかもっと力づよいものが触れると女の感受性が呼びさまれ、彼らがあたたかい現実として女の上に与えておいたであろう静かな満足や幸福の大理石像もかえって非難されるはめになってしまうからである。しかし、ヘスターはずっと昔にこういう不当な考えはやめてしまっているべきであった。それはなにを示しているのだろうか? 緋文字の責め苦のもとにあった七年の長い年月が、あれほど多くの悲惨を与えながら、しかもなんの悔いも引き出さなかったのだろうか?
彼女が老いたロジャー・チリングワースの曲がったうしろ姿を見送りながら立っていたあのつかの間の感動が、ヘスターの心の状態に暗い光を投げて、さもなければ彼女自身今まで気づかなかったような多くのことがらを明らかにしてくれたのであった。
彼が行ってしまったので、彼女はこどもを呼びかえした。
「パール! パールちゃん! どこにいるの?」
パールの精神活動はおとろえるということを知らないので、母親が草を採っていた老人と話をしているあいだも、彼女は楽しみに困るようなことはなかった。最初は、前にも話したように、水たまりにうつる自分の影に、空想にふけりながらたわむれ、その幻の影を招きよせようとしたが……それが彼女の招きに応じてやってこないので、……今度は、さわってもわからない大地と手のとどきそうもない大空のうつる世界へ自分からはいっていこうとした。しかし、まもなく彼女は、自分か影のどちらかが真実でないことを発見したので、もっと楽しい遊びを求めて他のほうへ向かっていった。
彼女は樺《かば》の皮で小さな舟をいくつもこしらえると、カタツムリのからをのせ、ニュー・イングランドのどんな商人がするよりももっと冒険的な船荷を大海に送り出した。だがそれらの大部分は岸の近くで沈没してしまった。彼女は、生きたカブトガニのしっぽをつかまえ、ヒトデを五、六匹捕獲し、クラゲを一匹あたたかい太陽の下にひろげて溶かしてしまった。
それから彼女は押しよせて来る潮の線にしまをつけている白い泡を取ると、それを微風にのせて投げつけ、それが大きな雪片のようになって落ちてくるのを地面につかないうちにつかまえようと、翼のはえたような足どりで追いかけるのであった。海岸で餌をひろって食べたり羽ばたきをしている浜べの鳥の群れを見つけると、このいたずら娘はエプロンいっぱいの小石をひろい上げ、それらの小さな海鳥を追って岩から岩へと這《は》いつたって、おどろくべきみごとさで石を投げつけた。白い胸をした一羽の小さな灰色の鳥に、パールはたしかに小石が当たったと思ったが、その鳥は翼を折られてぱたぱたと飛んでいった。しかしそれを見ると、この妖精のような子はため息をつき、その遊びを止めた。というのは、海の風のように奔放な、あるいはパール自身のように奔放な小さな生き物を傷つけてしまったことが、彼女を悲しませたからであった。
彼女が最後にしたことは、さまざまな種類の海藻《かいそう》を集めて、自分でスカーフや外套《がいとう》や頭飾りをつくり、小さな人魚の姿になってみようとしたことである。彼女は掛布や衣装をくふうする母親の才能を受けついでいた。人魚の衣装の最後の仕上げとして、パールはいくらかのアマモをとると、できるだけじょうずに、自分の胸の上へ、母親の胸の上でよく見慣れている飾りをつけた。ひとつの文字……Aという文字……はしかし緋の色ではなくて、さわやかな緑色であった! こどもはあごを胸につけると、不思議な興味をもってこのくふうした文字にじっと見いった。あたかも彼女がこの世に送られてきた唯一《ゆいいつ》の目的が、そのかくされた意味を明らかにすることであるかのように見えた。
「おかあさんが、これはどういう意味なのってたずねるかしら!」とパールは思った。ちょうどそのとき、母親の声が聞こえた。すると彼女は小さな一羽の海鳥のように軽く飛んで、踊りながら、笑いながら、そして胸の飾りを指さしながら、ヘスター・プリンの前にあらわれた。
「まあ、パールったら」とヘスターは一瞬の沈黙ののちに言った。「その緑色の文字は、あんたのようなこどもの胸の上にあっても、なんの意味もないのよ。それともあんたは、おかあさんがつけなければならないこの文字にどんな意味があるのか知っているの?」
「ええ、知っているわ、おかあさん」とこどもは言った。「これは大文字のAよ、おかあさんがABCの本で教えてくれたじゃないの」
ヘスターはその小さな顔をじっと見た。彼女の目にはこれまでもしばしば見られた独自の奇妙な表情があったけれど、パールがほんとうにその象徴になにかの意味を結びつけているのかどうかなっとくできなかった。彼女はその点を確かめたいという病的な欲望を感じた。
「ねえ、あんたはおかあさんがどうしてこんな文字をつけているのか、知っているの?」
「知ってるわ」とパールは明るく母親の顔をのぞきこみながら答えた。「あの牧師さんが胸の上に手を置いていらっしゃるのと同じためなのでしょう!」
「それじゃどういうわけなの?」とヘスターは、こどもの観察がばかばかしいほどつじつまの合っていないことに半ば微笑しながら、しかしまたふと考えなおして、青ざめながらたずねた。「おかあさん以外のほかの人の心とその文字とどんな関係があるの?」
「ねえ、おかあさん、わたしは知っていることはみんな言ったのよ」
パールは、いつも話す調子よりもずっとしんけんになって、言った。「おかあさんが今話していらした、あのおじいさんにたずねてごらんなさいな! あの人ならわかるかもしれないわ。だけどほんとうに、おかあさん、この緋文字はどういう意味なの?……そしてなぜ胸にそれをつけているの?……それにあの牧師さんはなぜいつも胸に手を当てていらっしゃるの?」
彼女は両手に母親の手をとり、あの奔放で気まぐれな性質の中にめったに見られないような熱心さで、母親の目を見つめるのだった。この子はこどもらしい信頼をもってほんとうに自分に近づこうとのぞんでいるのだという考えが、ヘスターの胸に浮かんだ。そして、こどもはできるだけのことをし、わかるかぎり知恵をはたらかせて、ふたりの心の共鳴の点をうちたてようとしているのだ。だから、パールはいつにないようすをしているのだ。
これまでひたむきな愛情のはげしさでこどもを愛してはいたが、母親は、愛情のおかえしとして、四月の微風のような気まぐれ以上のものはのぞまないようにしていた。それはうきうきした遊びに時を過ごしたり、説明のできないような熱情を急にはげしくはき出したり、きげんの最高によいときに急にすねてみたり、あるいはまた相手を胸に抱いてやっても、やさしく抱きかえすというよりも冷淡な態度にでることのほうが多いというわけである。
だがときにはそういう失礼なまねをする代わりに、なにかはっきりしない魂胆《こんたん》でもあるのか、首をかしげたくなるようなやさしさでこちらのほおに接吻をしたり、髪の毛を静かにもてあそんだりして、やがてこちらの胸に夢のような、快さを残しながら、別のたわいもない遊びへと移ってゆくのである。さらにそのうえこれがこどもの性質に対する母親の評価でもあった。他の人びとだったらこれをほとんどぶあいそうな性質と考え、実際以上に暗いものと見なしたであろう。
しかし、今ヘスターの胸につよく浮かんできた考えは、パールもおどろくばかりの早熟さと鋭敏さのために、母親の友だちとなり、母親の悲しみを伝えられるだけうちあけて、母親もこどももたがいに尊敬しなくなるようなことにはならない年ごろにすでに近づいているのかもしれないという考えであった。まだいくらか混沌《こんとん》としているパールの性質の中に……最初からそうであったが……物に動じない、勇気のあるしっかりとした信条……他人の支配をゆるさない意志……訓練によっては自尊心になることのできるしっかりとした誇り、また調べてみると一抹《いちまつ》の虚偽を含んでいるかもしれないような多くのものをはげしく嘲笑するような気質……が見られた。彼女はまた、これまではにがにがしくて不愉快なものであったが、未熟のくだものの最もゆたかな風味のような愛情を持っていた。こういうりっぱな性質をそなえていても、もしも高貴な婦人がこういう妖精のようなこどもからは生まれてこないものであるならば、彼女が母親から受けついだわるい性質はまったく大きいにちがいないと、ヘスターは思った。
緋文字のなぞのまわりをさまよおうとするパールのさけがたい傾向は、彼女の生来の性質のように思われた。物心のつきはじめた幼いころから、彼女は自分の定められた使命としてこういうことをはじめていた。ヘスターは、神の摂理には正義と応報の構想があって、この子に対してもこのようないちじるしい性癖《せいへき》を付与したのだと想像したことがしばしばあった。がしかし今まで、この構想と結びついて、慈悲と恩恵の目的が同じようにあるのではないかと考えたことは一度もなかった。もしも小さなパールが地上のこどもとしてばかりでなく神のみ使いとして、忠実と信頼を与えられているならば、母親の心の中に冷たく横たわって、その胸を墓に変えてしまった悲しみをやわらげて忘れさせるのが、彼女の使命ではないのだろうか?……そして母親を助けて、かつてはあのようにはげしかった、そして今でさえも死にも眠りもせずに、ただ同じ墓のような胸の中にとじこめられているその情熱にうちかたせようとしているのではないだろうか?
これが今、ヘスターの心の中にうごめいている考えの幾つかで、まるで実際に彼女の耳もとでさきやかれているかのように、いきいきとした印象を与えたのである。しかも小さなパールは、そのあいだじゅう、母親の手を自分の両の手に握り、顔をあお向けにしながら、つぎのような鋭い質問を一度ならず、二度、三度とくりかえすのだった。
「その文字はどういう意味なの、おかあさん?……なぜそれをつけていらっしゃるの?……牧師さんはどうしていつも手を胸に置いていらっしゃるの?」
「どういったらいいのかしら」とヘスターは心の中で考えた。「いや、よそう! もしこれでこどもの同情を買うことができても、私にはそれを支払う力がない!」
それから彼女は声に出して言った。
「パールのおばかさん」と彼女は言った。「どうしてこんなことをきくの? こどもがたずねてはいけないことが、この世の中にはたくさんあるのよ。牧師さんの胸のことなんか知るわけがないでしょう! 緋文字はね、金糸があまり美しいので、つけているのよ!」
過ぎ去った七年のあいだ、ヘスター・プリンは自分の胸の象徴に対して今まで一度もごまかしをしたことはなかった。それはきびしくて厳格な、だが保護者でもある精霊のお守りであったのかもしれないが、その精霊も今や彼女を見捨ててしまったのだろうか。彼女の胸をきびしく監視していたにもかかわらず、なにか新しい悪がその中に忍びこんできたとか、あるいはなにか古い悪がいまだに追い払われていないのをみとめて、そうしたのかもしれない。パールのほうでは、前の熱心さはまもなくその顔から消えてしまっていた。
しかしこどもはその問題を止めてしまうのがよいとは考えていなかった。親子が家路に向かう道すがら二、三度、夕食のときにも二、三度、またヘスターが彼女をベッドに寝かしつけているあいだも、またもうとっくに眠ってしまったと思われてからも一度、黒い瞳の目にいたずらっぽいかがやきを浮かべながら、顔を上げた。
「おかあさん」と彼女は言った。「緋文字はどんな意味なの?」
そして翌朝こどもが目をさましたという最初の表示は、頭をまくらからひょいと上げて、どういうわけか緋文字についての彼女の探究と結びついてしまったもうひとつの質問をするのであった。
「おかあさん! おかあさん!……牧師さんはなぜ胸に手を当てていらっしゃるの?」
「おだまり、いたずらっ子!」母親は以前には決して見せたことのないきびしい調子で答えた。「おかあさんをいじめるのはよしてちょうだい。言うことを聞かないと、暗い押し入れへとじこめてしまいますよ!」
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十六 森の小道
ヘスター・プリンは、ディムズテイル氏に「現在の苦痛がどのようであろうとも、あるいは将来の結果がどうなろうとも、それらの危険を冒《おか》して、彼との親密な関係にはいっているあの男の本性を知らせようという決意をたゆまず持ちつづけていた。しかし数日のあいだ、彼女は彼が半島の海岸沿いや、隣の森の丘で、いつも瞑想にふけりながら散歩をしているとわかるおりに話しかける機会を求めたが、むだであった。実際、彼女が彼の書斎を訪問したとしても、その牧師の神聖な潔白な名声に対して、悪評も起こらなかったであろうし、危険もなかったであろう。今までにだって、そこへは多くの懺悔《ざんげ》者がおとずれて、おそく緋文字によって示される罪と同じくらい色の濃い罪を告白したのだった。しかしひとつには、老ロジャー・チリングワースのひそかな、あるいは包みかくしのない干渉を恐れたし、ひとつには疑う必要のないところに自分から意識しすぎて疑いをさしはさんだりしたために、またひとつには牧師と彼女のふたりが語り合うときは、広い世界全体が必要でもあったために……こういう理由のために、ヘスターは大空の下よりも狭いかくれた場所で彼に会おうなどとは考えたこともなかったのである。
ついに、牧師ディムズデイル氏もかつて祈祷《きとう》のために呼ばれてきたことがあるというある病人の部屋にいって看病しているときに、彼女は彼が、その前の日に、キリスト教に改宗した土人のあいだにいる使徒のエリオット〔ジョン・エリオット。一六〇四〜一六九〇。「インディアンの使徒」とよばれた彼はロクスベリ教会の牧師で、インディアンのあいだに伝道した少数の清教徒のひとりてあった。彼はインディアン語に聖書を翻訳した〕をたずねて出かけていったということを知った。彼はおそらくあすの午後のある時刻にはもどるだろうということであった。
そこで翌日、時間を見はからって、ヘスターは小さなパールをつれて……彼女がそばにいるのがどんなにふつごうでも、いつも必ず母親の外出のときはいっしょだったので……出かけた。
ふたりが半島から本土のほうへ越えると、道はほんの小道にすぎなかった。小道は、神秘な原始林の中へうねうねとつづいていた。森は狭くるしくその小道をとじこめ、両側にうっそうとしてくろぐろと立ちならび、頭上の空はときどきちらと見える程度だったので、ヘスターの心には、自分が長いあいださまよってきた精神上の荒野をこの情景がぴったりうつし出しているような気がしてならなかった。
その日はひえびえとしてうっとうしかった。頭上には灰色の雲のひろがりがあったが、微風によってわずかに動くこともあって、ちらちらする太陽の微光がときどき小道へさびしくさしてくることもあった。このちらちらさしこむ心地よい光は、いつも森をつらぬいて走る長い見通しの向こうの端にあるのであった。遊び好きな陽光は……哀愁に満ちたこの日のこの場所においては、せいぜいよわよわしいたわむれであったが……ふたりが近づくにつれて引きさがり、今までおどりたわむれていた地点は、ふたりともそこが明るい場所であろうとのぞんでいたので、いっそうものさびしくなるのだった。
「おかあさん」と小さなパールは言った。「お日さまの光はおかあさんを好きじゃないのね、逃げていってかくれるんだもの、おかあさんの胸にあるのがきっとこわいんだわ。ほら、ごらんなさい! ずっと向こうのほうで遊んでいるわ。ここに立っていてね。わたし走っていってつかまえてくるわ。わたしはこどもだから、きっと逃げていかないわ。だってわたし、まだなんにも胸なんかにつけていないもの!」
「いつまでもつけないようにしてもらいたいわ」とヘスターは言った。
「でも、なぜ、おかあさん?」パールは、かけだそうとしていたのが、急に立ちどまるとたずねた。「わたしもおとなになったら、それがひとりでにやってくるんじゃない?」
「さあ、走っていって」と母親は答えた。「お日さまの光をつかまえなさい。すぐなくなってしまいますよ」
パールは大急ぎでかけだした。そしてヘスターがほほえみながらながめているうちに、実際に光を捕え、そのまん中に笑いながら立っていたが、美しいかがやきにいっぱい照らされ、すばやい動作のために快活になってきらきら光っていた。光はあたかもこういう遊び友だちを得て喜んでいるかのように、そのさびしそうなひとりぼっちのこどものまわりを立ち去りかねていたが、そのうちに母親も近づいてきて、ほとんどその魔法の円の中に足を踏みいれようとした。
「さあっと逃げるわよ」とパールは頭をふりながら言った。
「ごらん!」ヘスターもほほえみながら答えた。「おかあさんだって手をのばせば、ちゃんとそれをつかまえることができるわよ」
彼女がそうしようとしたとき、日光は消えた。いやパールの顔に踊っている明るい表情から判断して、母親は、こどもがその光を吸収してしまって、ふたりがどこかもっと陰うつな影の中にはいりこんだとき、自分の小道をほの明るくして、ふたたびそれを放出するのではないかと想像することができたくらいであった。この消えることのない活発な元気ほど、パールの性質の中には親からゆずられたのではない新しい活気があるという印象をヘスターに与えるものはなかった。彼女には悲しみという病気がなかった。この病気は最近のこどもはほとんどみな彼らの祖先のなやみから、るいれきとともに受けついで持っているものである。おそらくこのパールの元気もまた病気であったろう。が、ヘスターがパールの生まれる前から、自分の悲しみとたたかってきたはげしい力の反映にすぎないのかもしれなかった。それはたしかにその子の性格に堅い金属的なかがやきを与えている疑わしいほどの魅力であった。彼女に欠けていたのは……ある人びとは生涯それが欠けているが……深く彼女の心に触れ、そして彼女を人間的にし、他人に同情させることのできるようにする悲哀であった。
しかし小さなパールにはまだこれからじゅうぶんな時間があった。
「さあ、あんた!」ヘスターは、パールが先ほどじっと日光の中に立っていた場所から、まわりを見まわしながら言った。「もう少し行って森の中で腰をおろして休みましょうね」
「おかあさん、わたし疲れていないわ」と小さな少女は答えた。「でもしばらくわたしにお話ししてくださるのなら、おすわりになってもいいわ」
「お話ですって!」とヘスターは言った。「なんのお話なの?」
「悪魔のお話よ!」パールは母親の上着をつかまえ、半ば熱心に、半ばふざけて、彼女の顔を見上げながら答えた。「悪魔はよくこの森にやってくるのね、そして本を一冊持って歩くのね……大きくて重い鉄のとめ金のついてる本よ。そしてあのみにくい悪魔は、この木立ちの中で会う人ごとに、その本と鉄のペンをさし出すのね、そうするとみんなは自分の血で名まえを書かなければならないのよね。それから悪魔はみんなの胸に自分の印をつけるのね! おかあさん、悪魔に会ったことある?」
「パールちゃん、だれがそんなお話してくれたの?」
母親はそれがその当時の一般の迷信であると気がついてたずねた。
「おかあさんが昨晩看病にいらしたおうちの炉ばたにいたおばあさんよ」とこどもは言った。「でもね、おばあさんはお話しなさっているあいだ、わたしが眠っていると思ってたのよ。おばあさんは言ってたわ、ここで何千人もの人たちが悪魔に会って、本の中に名まえを書いたので、みんな悪魔の印がついてるんですって。あの意地のわるいヒビンズおばさんもその中のひとりなのよ。そしてね、おかあさん、この緋文字も悪魔がおかあさんにつけた印だとおばあさん言ってたわ。そしてこの暗い森の中で真夜中におかあさんが悪魔に会うと赤く燃えて光るのですって。ほんとうなの、おかあさん? おかあさんは夜中に悪魔に会いにいらっしゃるの?」
「あんたが目をさましたときに、おかあさんのいなかったことがあって?」とヘスターはたずねた。
「そんなこと覚えていないわ」とこどもは言った。「もしおかあさんが、おうちにわたしを置いていっておしまいになるのが心配なら、連れていってもいいわ。わたし喜んで行くわ! でも、おかあさん、教えてよ、ほんとうにそのような悪魔っているの? お会いになったことあるの? そしてそれは悪魔の印なの?」
「ねえ、もし一度話してあげたらうるさくしない?」と母親はたずねた。
「ええ、全部お話ししてくだされば」とパールは答えた。
「今までに一度だけ、おかあさんは悪魔に会いました!」母親は言った。「この緋文字は悪魔の印です!」
このように話しながら、森の小道をときおり通る人たちに見とがめられないほど深く森の中へふたりははいっていった。そこでふたりは苔《こけ》のこんもりとはえている上にすわった。それは前世紀のある時期に、暗い森かげに根や幹をはり、空高く頭をもたげていた巨大な松の木だったのであろう。ふたりが腰をおろしたところは小さな谷間で、枯れ葉の散った堤《つつみ》がゆるやかに両側に隆起し、そのまん中には小川が落ち葉の沈んだ川床を流れていた。その上にたれさがった木々はときどき大きな枝を投げおろして、流れをせき止め、ところどころにうず巻きやくろぐろとした淵《ふち》をつくっていた。一方、流れの早くはげしいところでは、小石の川底があらわれたり、茶色のきらきら光る砂が見えたりした。流れの方向に沿って目をやると、水から反射する光を森の中の少し離れた場所から捕えることができた。しかしすぐに木の幹や下ばえや、灰色の苔《こけ》でおおわれたあちこちの大きな岩の散乱している中に流れの跡を見失ってしまうのだった。
すべてこれらの巨大な木や花崗岩《かこうがん》の丸石は、この小さな流れの方向を秘密にしておこうと一心になっているように思えた。ことによると、この小川がとめどのないおしゃべりをして、その流れ出てくる古い森のことを胸からもらしてしまうかもしれないし、あるいはとある淵のなめらかな水の面にそのすっぱぬきをうつし出してしまうかもしれないと恐れていたのであろう。まったく、たえずひっそりと流れているあいだ、この小川はやさしく、静かな、人の心をなだめるような、だが憂欝《ゆううつ》そうなおしゃべりをつづけていた。まるで愉快に遊ぶこともなく幼年時代を過ごし、さびしい知り合いの人びとや陰気な色合いのできごとの中で楽しむすべも知らなかったこどもの声のようであった。
「ああ小川! なんてばかなたいくつな小川なんでしょう!」小川のおしゃべりにしばらく聞き耳をたてていたのち、パールは叫んだ。「あんたはなぜそんなに悲しそうなの? 元気をお出しなさい。そしてしじゅうため息をついたり、ぶつぶつ言ったりするのはおやめなさいね!」
しかし、小川は森の木立ちの中のわずかな生涯のあいだに、いとも厳粛《げんしゅく》な経験をしたので、それについて話をしないではいられなかったのであろう。またその他にはなにも言うことはないようであった。パールは、彼女の生命の流れが同じように神秘的な源泉からほとばしり出ていることや、同じように重くるしく、うす暗闇におおわれた場所を通って流れてきたことなどの点で、この小川に似ていた。だがこの小さな流れに似ず、彼女は歩きながら、踊りきらめき、軽快におしゃべりをした。
「この悲しそうな小川はなんて言ってるの、おかあさん?」と彼女はたずねた。
「もしあんたに悲しいことがあれば、この小川がその説明をしてくれるでしょうよ」と母親は答えた。「ちょうどわたしの悲しみをわたしに話してくれるようにね。おや、パール、だれか道を歩いてくる足音が聞こえるわ、枝をかきわける音も。あんたひとりで遊んでいて、わたしに向こうから来る人とお話しさせてちょうだいね」
「悪魔なの?」とパールはたずねた。
「さあ、いい子だから、向こうへ行って遊んでくれない?」と母はくりかえした。「でもあまり森の奥のほうへ迷いこんじゃいけませんよ。そして呼んだらすぐもどっていらっしゃいよ」
「ええ、おかあさん」とパールは答えた。「でも、もしもその人が悪魔だったら、ちょっとだけここにいさせて、大きな本を腕にかかえているところを見させてくださらない?」
「あちらへ行ってらっしゃい、ばかな子ね」母親はいらいらしながら言った。
「悪魔ではありませんよ。ほら、木のあいだから見えるでしょう。牧師さんですよ」
「そうだわ!」とこどもは言った。「そしておかあさん、あのかたは胸に手を置いていらっしゃるわ! 牧師さんが本に自分の名まえをお書きになったとき、悪魔があの場所に印をつけたからなのね? でもなぜあのかたは、お母さんのように、胸の外にそれをおつけにならないのかしら?」
「さあ、お行きなさい。おかあさんをいじめるのはまたあとにしてちょうだいね!」とヘスター・プリンは叫んだ。「でも遠くへ行ってはいけませんよ。小川のさらさら流れる音の聞こえるところにいるんですよ」
こどもは歌いながら、小川の流れに沿って、その小川の憂欝《ゆううつ》な声にもっと軽快な韻律《いんりつ》をまじえようとつとめながら、離れていった。しかしその小さな流れはなぐさめを受けようとはせずに、なおも、この暗い森の中で昔起こった、なにかもの悲しい神秘のわかりにくい秘密をかたりつづけ……あるいはこれから起ころうとすることを予言しながら嘆きつづけていた。そこでパールは、自分の小さな人生の中にじゅうぶんの影を持っていたので、この不平を言いつづける小川とは絶交することにした。彼女はそこでスミレやヤブイチゲを摘んだり、高い岩の割れ目にはえている紅オダマキをとりはじめた。
妖精のようなこどもがいなくなったので、ヘスター・プリンは森をつらぬいている道のほうへ一、二歩すすんでいったが、まだ深い木立ちのかげにいた。牧師がたったひとりで、道ばたで木を切ってこしらえた杖にすがりながら、その小道をすすんでくるのが見えた。彼はやつれてよわよわしく見え、その態度には無気力な失意のさまがあらわれていた。植民地を歩きまわるときや、人に見られていると思うような場合には、こんなにきわだったようすを示すことは決してなかった。森の中のこういう人里離れたところでは、それが痛ましいばかりに目に見えるのであった。また人里離れているということ自体が、彼の心にとっては重い試練であったのであろう。歩きぶりもたいぎそうで、あたかも一歩一歩とすすむことになんの理由も見つからないし、また歩きたいという欲望もなく、なにかうれしいことができるものなら、すぐ近くの木の根もとに身を投げ出して、永久に身を動かさずに寝ていたいというようなありさまであった。そこに生命のあるものがいようといまいと、木の葉は彼の上に散って彼をつつみ、土はしだいに彼のからだの上につもって小さな丘をつくるであろう。死はあまりにはっきりした目的なので、求めることもさけることもできなかった。
小さなパールが指摘したように、ヘスターの目にも、牧師ディムズデイル氏は胸に手を当てている点をのぞけば、なんら積極的ななまなましい苦悩の徴候を見せてはいなかった。
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十七 牧師と彼の信者
牧師はゆっくりと歩いていたけれども、ヘスター・プリンが彼の注意をひくだけの声を出せないでいるうちに、ほとんどそばを通り過ぎようとしていた。とうとう彼女は声を出すことに成功した。
「アーサー・ディムズデイル!」彼女は初めはかすかに、それから大きく、だが、かすれた声で言った。「アーサー・ディムズデイル!」
「だれだ?」と牧師は答えた。
彼はすばやく勇気をふるい起こすと、からだをまっすぐにしてとまった。まるで目撃者のほしくないような気持ちでいるときに不意を打たれた人のようであった。声のするほうに不安そうに目をやると、木立ちの下にぼんやりと人影が見えた。とてもじみな服装をしており、曇った空と重苦しい木の葉のために昼なお暗い灰色のうす闇の中からほとんど浮かび上がってこないので、それが女か影か、彼にはよくわからなかった。おそらく人生の彼の道も、彼のもの思いのあいだからしのび出た幽霊がこのようにうろつくかもしれない。
彼は一歩近づいた。そして緋文字を発見した。
「ヘスター! ヘスター・プリン!」と彼は言った。「あなたですか、あなたは生きているのですか?」
「そうですわ!」と彼女は答えた。「この七年間生きてきたと同じように生きていますわ! そしてあなたは、アーサー・ディムズデイル、あなたもまだ生きていらっしゃるのですか?」
彼らが相手が実際に肉体的に生きているのかどうかをたずね合い、自分たち自身の存在を疑いさえもしたのは、おどろくにあたらない。彼らがこのうす暗い森の中で出会ったのは不思議な出会い方であったので、まるで前世においては親密に結ばれていたふたつの精霊が、墓のかなたの世界ではじめて会って、相手の今の状態にはまだ慣れていないし、さりとて肉体のなくなったものとの交際にも不慣れのために、今は相手を恐れて冷たくおののいているかのようであった。そして、両方とも幽霊で、相手の幽霊を恐れているのである! 彼らはまた同じように自分自身にも恐れをなしていた。というのは、この危急の事態が彼らに意識を呼びもどし、こういう息をのむような場合をのぞいては、人生は決してこんなことはしないのだが、おのおのの心にその歴史と経験を明らかにしたからであった。魂がそれ自身の姿を過ぎゆく瞬間の鏡の中に見たのである。恐れをもって、おののきながら、そしていわば、ゆっくりと気がすすまないながらも、必然性にうながされて、アーサー・ディムズデイルは死人のような冷たい手をさし出し、ヘスター・プリンの冷たい手に触れた。その握手は冷たかったが、この会見につきまとった最も荒涼としたものをとりのぞいた。彼らは今や自分たちが少なくとも同じ世界の住人であることを感じたのである。
それ以上なにも言わずに彼も彼女もどちらが案内するというふうもなく、無言の同意によってふたりはヘスターが出てきた森のかげの中へゆっくりともどり、さっきまでパールとふたりですわっていた苔《こけ》の重なりはえているところに腰をおろした。ふたりがやっと声に出して口をきくようになったときには、だれでも知り合いのふたりがするように、暗い空や今にもおそってきそうな暴風雨や、つぎにはたがいの健康などについて、なにか言ったり、たずねたりするばかりであった。こうして彼らは大胆《だいたん》にではなく、一歩一歩と、ふたりの胸の奥深くにわだかまっていた問題にはいりこんでいった。長いあいだ、運命と周囲の事情のために疎遠《そえん》になっていたので、ふたりのほんとうの考えに敷居を越えさせることができるように、なにか軽い日常的なことを誘い水として交渉の扉を開く必要があった。
しばらくしてから、牧師はヘスター・プリンの目に自分の目をすえた。
「ヘスター」と彼は言った。「あなたは平和を見いだしましたか?」
彼女は自分の胸を見おろしながら、悲しげにほほえんだ。
「あなたは?」と彼女はたずねた。
「だめです!……絶望ばかりです!」と彼は答えた。「わたしはこういう人間だし、わたしのような生活をしていて、ほかのなにを求めることができるでしょうか? わたしが無神論者で……良心のない男……下品なけもののような本能をもつ恥知らずの男だったら、もうずっと以前に平和を見いだしていたでしょう。いや、平和を失ってはいなかったはずです。しかし、わたしの魂の今の状態のように、わたしの中にもとからあったすばらしい素質も、優秀な神さまからの賜物《たまもの》もみな、精神を苦しめるものとなってしまった。ヘスター! わたしはひどくみじめな人間です!」
「人びとはあなたを尊敬しています」とヘスターは言った。「そしてあなたは確かに人びとの中でよいことをしていらっしゃいます。それでもなぐさめは得られないのですか?」
「ますますみじめです、ヘスター!……ただいっそうみじめになるだけなのです!」苦しそうな微笑を浮かべながら牧師は答えた。「わたしがしているように見える善行について、わたしは信じてはいません。妄想にちがいありません。わたしのような堕落した魂が、どうして他の人たちの魂を救うことができましょう?けがれた魂が他の人たちの魂を清めることができましょう? そして人びとが尊敬しているというが、それがけいべつと憎しみに変わればいい。わたしが説教壇に立つと、まるで天の光がそこから射しているかのように、わたしの顔を見上げるたくさんの目に出会うが、ヘスター、それがわたしのなぐさめになると思いますか?……また、わたしの教会の信徒たちが真実に飢えていて、わたしのことばをあたかもペンテコストの舌が語っているかのように耳を傾けているのを見なければなりません〔ペンテコストは過ぎこしの祝いののち五十日めに行なうユダヤ人の祭りで、この日に聖霊が使徒の上に降臨したという〕。……しかもつぎに自分の心を見ると、彼らが偶像のように崇拝しているものが実際はまっ黒なのだということがわかるのですが、これがなぐさめになると思いますか? わたしは、自分の外観と自分の実際との対照を見て、にがにがしい苦しい気持ちで笑ってしまいました。魔王もそれを見て笑っています!」
「その点はまちがっていらっしゃいます」とヘスターは静かに言った。「あなたは深くつよく後悔していらっしゃる。あなたの罪はもう遠い過去のものになっています。あなたの現在の生活は、人びとの目にうつるのと同じように、まったく神聖なものです。かずかずのよい行ないによってこのように保証され、証明された悔悟《かいご》の中に真実はないのでしょうか。どうしてそれがあなたに平和をもたらさないのでしょうか?」
「いや、ヘスター、ちがいます」と牧師は答えた。「そんなものには真実はないのです! 冷たく死んだもので、わたしにはなんの役にもたちません! 悔い改めの苦行はじゅうぶんにした! だが懺悔《ざんげ》はまだひとつもしていないのです! さもなかったら、わたしはとうの昔に、こんないつわりの聖なる着物など脱ぎすてて、裁きの席で見られるような姿を人びとの前に示していたでしょう。ヘスター、公然と胸に緋文字をつけているあなたは幸福です! わたしの胸はひそかに燃えているのです! 七年間人をあざむいて苦しみなやんできたあとで、ほんとうのわたしをみとめてくれる人の目に会うということがどんなに心の安らぎになるか、あなたにはわからないでしょう! わたしにもしひとりの友だちがいて……それが最悪の敵であっても……わたしが他のすべての人たちの賞賛のことばにうんざりしているときに、毎日その人にわたし自身をゆだねて、最悪の罪人であることを知ってもらえたら、わたしの魂はそのためにいきいきとしてくるだろうと思います。こんなふうな真実だけでもわたしは救われるのです。だが、今はみんないつわりです!……みんな空虚です!……みんな死です!」
ヘスター・プリンは彼の顔をじっと見つめたが、口を開くのをためらった。だが、彼が長いあいだ押えに押えてきた感情をこのようにはげしく口に出したそのことばは、彼女が言いたくてやってきたことばをさしはさむきっかけを与えてくれた。彼女は自分の不安を押えて話しだした。
「あなたが今おのぞみになったような友だちは」と彼女は言った。「そしていっしょにあなたの罪を泣く友だちは、罪の片割れのわたしです!」……ふたたび彼女はためらったが、努力してまたことばを引き出した。……「あなたは長いあいだそういう敵を持っていらっしゃるのです。そして同じ屋根の下に住んでいらっしゃるのです!」
牧師は、息をのみ、まるで自分の胸から心をむしりとってしまいたいといわんばかりに、胸をつかみながら、おどろいて立ち上がった。
「えっ! なにを言うんです?」と彼は叫んだ。「敵だって! しかもわたしの屋根の下に! それはどういう意味です?」
この不幸な人をあのように長い年月のあいだ、いや一瞬たりとも、悪意以外の目的を持たない男の手にまかせておいて、彼に深い傷を負わせてしまった責任を、ヘスター・プリンは今やじゅうぶんに感じていた。どんな仮面の下に身をかくしていようとも、自分の敵がすぐそばにいるということは、アーサー・ディムズデイルのような鋭敏な人の磁石《じしゃく》のような心を乱すにはじゅうぶんであった。これまでにヘスターは、今ほどこういう考えに敏感でなかった時もあった。つまり彼女はおそらく、自分の苦しみのために人間ぎらいになり、彼女にとってはもっとがまんのしやすいと思われる運命を牧師にになわせておいたのであろう。
しかし最近、牧師が徹夜して苦しんでいた夜以来、彼によせる彼女の同情はやさしくなると同時につよめられもしたのである。彼女は今や彼の心をいっそう正確に読むことができた。ロジャー・チリングワースがたえずそばにいること……まわりの空気を全部汚してしまう彼の悪意から発する秘密の毒……牧師の心身の弱味に、医師として、公然と干渉していること……こういうわるい機会がすべて残忍な目的に用いられていることを彼女は疑わなかった。こういう手段によって、病人の良心はいつもいらだたしい状態に置かれたが、その傾向は、健康的な苦痛によって治癒《ちゆ》するというのではなくて、精神の状態を破壊し、堕落させようとするのである。その結果は、この世においては、必ずや乱心となり、来世においては「善」と「真」から永久に疎外されることであり、その地上における形式がおそらく狂気なのであろう。
このように、彼女がかつて……いや、なぜそれを言ってはいけないのか……今もなお、はげしく愛している!……人を破滅させてしまったのだ。ヘスターは、すでにロジャー・チリングワースに言ったように、牧師の名声を犠牲にすることも、死そのものさえも彼女が自ら選んで取った道よりもはるかに好ましいものであろうと感じた。だから、今この悲しい悪事を告白しなければならないくらいなら、森の落ち葉の上に倒れて、アーサー・ディムズデイルの足もとで死んだほうがうれしいと思った。
「ああ、アーサー」と彼女は叫んだ。「許してください! ほかのことではなんでもうそは言うまいとつとめてきました。うそを言わないことは、わたしがしっかりと守ってきた、また、どんなに苦しいときでもわたしがちゃんと守っていたひとつの徳でした。ただあなたの幸福が……生命が……名誉が問題になったときは別でした! そのとき、わたしはうそを言ってしまったのです。けれど、たとえ死が向こう側からおどかしているときでも、うそをつくことはよくありません。わたしがなにを言いたいか、おわかりになりませんか? あの老人は……あの医者は……ロジャー・チリングワースという人は……あの人はわたしの夫だったのです!」
牧師は、一瞬、はげしい激情をあらわして彼女を見た。その激情は……ひとつ以上の形で、彼のもっと高い、清らかな、やさしい性質と結びついていたが……じつは、悪魔が彼に対して要求もし、またそれを通して残りの部分をも勝ち取ろうとしていた性質の一部であった。ヘスターが今見た顔ほど、険悪《けんあく》なものすごいしかめ面はなかった。その表情のつづいた短い時間、それは黒い変貌であった。しかし彼の性格は苦悩のためにひどく弱っていたので、その弱りぎみの精力でさえ、一時的なあがき以上はなにもできなかった。彼は地面にくずおれると、両手で顔をおおった。
「知っていてもよかったのだ!」と彼はつぶやくように言った。「知らなかった! 初めてあの男に会ったときも、その後たびたび会っているときもいつも、わたしの心がしぜんにちぢみあがったのだから、そのとき、その秘密もわかったのではないか? どうしてわからなかったのだろう? ああ、ヘスター・プリン、あなたはこの恐ろしさを少しも、少しもわかっていない! ほくそ笑んで見ている人の目に、罪深い病める心をさらすことが、どんなに恥ずかしいことか!……なんという不謹慎《ふきんしん》か!……なんて恐ろしくみにくいことか! あなたに、あなたに責任がある! 許すことができない!」
「許していただきます!」とヘスターは彼のかたわらの落ち葉の上に身を投げて叫んだ。「罰するのは神さまにまかせてください! あなたには許していただきます!」
不意に必死の愛情をこめて、彼女は両の腕を彼にまわし、彼の頭を自分の胸に押しつけた。彼のほおが緋文字に当たっていても、意に介しなかった。彼はからだを離そうとしたが、だめだった。ヘスターはきびしい目でにらまれるのがこわくて、放そうとはしなかった。世間の人全体が彼女に顔をしかめていた……七年という長い年月、世間はこのさびしい女に顔をしかめていたのだ……それでも彼女はすべてにたえ、そのきつい悲しい目をそらそうとしたことは一度もなかった。天も同じように彼女に顔をしかめたが、彼女は死ななかった。だが、この青ざめた、弱々しい、罪深い、そして悲しみにうちひしがれた男のしかめ顔だけは、ヘスターにはとうていたえ忍んで生きていくことのできないものだった!
「まだ許してくださるでしょうか?」と彼女は何度もくりかえして言った。「顔をしかめたりなさらないで。許してくださいますか?」
「許してあげるよ、ヘスター」と牧師は、ついに、悲しみの底知れぬ淵《ふち》から出る深い声で答えた。が、それは怒りから出た声ではなかった。「もう惜しみなく許してあげるよ。神さま、どうかわたしたちふたりをお許しください! ねえ、ヘスター、私たちはこの世の中でいちばんわるい罪人ではない。この堕落した牧師よりももっとわるいのがいる! あの老人の復讐はわたしの罪よりもっとよごれている。あの男は、むざむざと、人間の心の神聖さを犯したのだ。あなたとわたしは、ヘスター、決してそんなことはしなかった!」
「決して、一度だって!」と彼女はささやいた。「わたしたちのしたことには、神聖なものがありました。わたしたちはそういう気がしていました。おたがいにそう言い合っておりました。お忘れになりましたか?」
「静かにしなさい、ヘスター!」とアーサー・ディムズデイルは、地面から立ち上がりながら言った。「いや、忘れてはいない!」
ふたりはまたならんで、手と手を握り合い、倒れた木のこけむす幹に腰をおろした。ふたりの生涯にこれほど陰うつな時はなかった。というのは、これがふたりの道の今まで長いあいだ向かってきていた最終点であり、しのびやかに進むにつれてますます暗くなるばかりであったからである。……それでもそこには立ち去りかねる魅力があって、もうしばらく、もうしばらく、もうしばらくと残りたい気持ちにさせるのだった。あたりの森はほの暗く、吹きぬける突風にきしみ鳴いた。大枝は頭上でおもおもしく揺れ動き、一本のおごそかな古木は他の木に向かって悲しげにうめいた。まるでその下にすわっているふたりに悲しい物語をかたっているかのように、あるいは来たるべきわざわいを予言しないではいられないかのようであった。
それでもふたりはそこを去りかねていた。植民地のほうへもどる森の小道はなんとわびしく見えたことだろう。というのは、そこではヘスター・プリンはまた恥辱の重荷を負わねばならないし、牧師は空虚な見せかけの名声を負わなければならないからである。そこでふたりは、もう一瞬そこを立ち去りかねていたのだ。どんな金色の光も、この暗い森の闇ほど貴重なことはなかった。ここでは見ているのは彼の目だけであるから、緋文字もこの堕落した女の胸を焼く必要はない。ここでは見ているのは彼女の目だけであるから、神と人とにいつわっているアーサー・ディムズデイルも、一瞬のあいだは真実にしていることもできるだろう!
彼は急に胸に浮かんできた考えにぎょっとした。
「ヘスター」と彼は叫んだ。「もうひとつ恐ろしいことがある! ロジャー・チリングワースはあなたが彼の正体を明らかにしようとする目的を知っている。それでも彼はわたしたちの秘密をつづけて守るだろうか? 今度は彼の復讐のしかたはどうなるのだろう?」
「あの人の性質には妙に口の堅いところがあります」とヘスターは考えこみながら答えた。「そしてかくれて復讐を行なってきたので、その口の堅さがますますつよくなってきています。秘密をもらしたりはしないと思います。自分の暗い熱情を満足させる他の方法をきっと捜すでしょう!」
「わたしのほうは!……あの恐ろしい敵と同じ空気を吸いながらわたしはどのように生きていったらいいのでしょう?」とアーサー・ディムズデイルは叫んで、ちぢみあがり、神経質に胸に手を当てた。……それは無意識のうちに彼にとりついてしまった身ぶりであった。「わたしのために考えておくれ、ヘスター! あなたはつよい。わたしのために決定しておくれ!」
「あなたはもうあの人といっしょに暮らしてはいけません」とヘスターはゆっくりと、またしっかりした口調で答えた。「あなたの心をあの人の邪悪な目の下に置いてはいけません!」
「そんなことは死よりもわるいことだ!」と牧師は答えた。「だがどうしてそれをさけたらいいのか? どんな方法が残されているだろうか? あの男の正体を教えてくれたときに、わたしの倒れたこの枯れ葉の上に、また横になったほうがいいのだろうか? そこにくずおれて、すぐに死んでしまわねばならないのだろうか?」
「ああ、あなたはなんてなさけない人になってしまったんでしょう!」と、目に涙を浮かべながら、ヘスターは言った。「あなたは心がよわっているために死んでしまいたいのですか? ほかにはなんの原因もないはずですわ!」
「神さまの裁きが来たのだ」と良心に責められている牧師は答えた。「その裁きはつよすぎて、わたしには争う力もないんだ!」
「神さまはお慈悲をかけてくださいます」とヘスターは答えた。「それを利用するだけの力さえおありになれば!」
「あなたはわたしのためにつよくなっておくれ!」と彼は答えた。「どうしたらいいのかわたしに教えておくれ!」
「では、世界はそんなに狭いものでしょうか?」とヘスター・プリンは叫んで、深いまなざしを牧師の目に向けると、ひとりではもうほとんどまっすぐには立っていられないほどうちひしがれ、圧倒されてしまった心の上に、磁石のような力を本能的に働かせていた。「ついこのあいだまでは落ち葉の散りしいた荒野にすぎなくて、今わたしたちのいるここらあたりと同じようにさびしかったあの町の中だけに宇宙があるのでしょうか? 向こうの森の小道はどこへ続いているのでしょう? 植民地へもどる道だとあなたはおっしゃるでしょう! たしかにそうです。でも、その先までもつづいているのです! 深く荒野へはいって行けば行くほど、一歩ごとに人に見られなくなっていきます。そしてここから数マイルも行けば、黄色い落ち葉で白人の足跡なんてわからなくなります。そこではあなたは自由なのです。ほんの少し旅をするだけで、あなたが最もみじめだった世界から、今でも幸福になれる世界へ行けるのです! このはてしない森の中にだって、ロジャー・チリングワースの目からあなたの心をかくすだけのかげがないでしょうか?」
「あるよ、ヘスター。だけどそれは落ち葉の下だけさ!」と牧師は、悲しい微笑を浮かべて、答えた。
「では、海という広い道もあります!」とヘスターはつづけた。「海があなたをここまで連れてきたのです。もしおのぞみになるなら、また連れもどってくれるでしょう。故国へ行けば、どこか辺ぴないなかの村でも、あるいは広いロンドンでも……またはドイツや、フランスや、楽しいイタリアでも……あの男の力の及ばない、知らないところへ行けるのです! ここにいる鉄のように冷たい人たちや彼らの意見をどうしようとなさるのですか? あの人たちはもう長いあいだ、あなたのよいほうの性質を束縛してきたのです!」
「そんなことはできない!」と牧師は、夢の実現を要求されてでもいるかのように耳を傾けながら、答えた。「わたしには行くだけの力がない! みじめな罪深い人間だけれど、わたしは神さまが置いてくださった場所でどうにか生きていくことしか考えていない。わたし自身の魂は迷ってはいるが、それでも他の人の魂のためにできるだけのことをしたい! わたしは忠実でない番人で、わびしい見張りの仕事が終わるときに、受ける報酬が死と不名誉であることにきまっていても、わたしは今の持ち場を捨てようとは思っていない!」
「あなたはこの七年間の不幸の重みに押しつぶされておしまいになったのです」とヘスターは、自分の力でなんとか彼の心を引きたてようと堅く決心して、答えた。「でも、そんなものは全部あとに捨てておしまいなさい! 森の小道をお歩きになるときのように、そんなものに歩みをじゃまされてはいけませんわ。また海を渡るのもおのぞみなら、そんなものを船に積んではいけません。こんな破壊された残がいは、その起こったこの場所に捨てていらっしゃい。もうこれ以上干渉なさってはいけません! なにもかも新しくはじめてください! このたった一回の試みの失敗のために、将来の可能性まで使いつくしておしまいになったのですか? そんなことはありません! 未来はまだ試みてみることも成功もじゅうぶんにできます。楽しむことのできる幸福もあります! しなければならない善もありますわ! 今のような虚偽の生活を真実の生活とおとりかえなさい。あなたのお心が今のような仕事を命じているのなら、インディアンを教える伝道師におなりなさい。あるいは……あなたの性質にもっと合うでしょうけれど……文明国のもっともかしこい人びとや名のある人たちの中で、学者となり賢人となってください。お説教なさい! お書きなさい! 活動なさい! 倒れて死ぬ以外は、なんでもなさい! アーサー・ディムズデイルというこの名を捨てて、別の恐れたり恥じたりしないでつけていることのできるりっぱな名をおつけなさい。あなたの生命をあのようになやましてきた責め苦の中に、なぜさらに一日もためらっていらっしゃるのです……その責め苦のためにあなたの意志も行動も鈍くなり……懺悔《ざんげ》する力さえなくなっておしまいになったのに! さあ元気をだして、行ってください!」
「おお、ヘスター」とアーサー・ディムズデイルは叫んだ。彼の目には彼女の熱意によってともされた光が発作的に燃え上がって、また消えた。「あなたはひざが、がくがくしている人間にむかって、かけ足競争をしろと言っているのです! わたしはここで死ななくてはならない。あの広い、見知らぬ、困難な世界へ出かけていく力も勇気も残ってはいないのです。ひとりでは!」
それは衰弱した精神の落胆の最後の表現であった。彼は手のとどくところにあると思われるもっとよい運命をつかむ力を欠いていたのだった。
彼は最後のことばをくりかえした。
「ひとりでは、ヘスター!」
「おひとりでは行かせません!」深いささやきの声で彼女は答えた。
これで言いのこされたことはなかった!
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十八 日光のはんらん
アーサー・ディムズデイルは、希望と喜びにかがやく表情で、ヘスターの顔を見つめた。が同時に不安と、彼女の大胆《だいたん》さに対する一種の恐怖もその表情にまじっていた。というのは自分がばくぜんとほのめかしはしたが、思いきって口に出すだけの勇気のなかったことを彼女がはっきりと言ったからである。
しかしヘスター・プリンには、生まれつきの勇気と活動的な心があって、長いあいだ社会から疎外されていたばかりでなく、追放もされていたために、牧師の身にはまったく縁のない奔放《ほんぽう》な考え方に慣れていたのだった。彼女は規則も案内もなしに、道徳の荒野をさまよってきたが、そこは原始林のように広漠《こうばく》として、道路がいりくんで形も深く、しかもそのうす暗闇の中で彼らふたりは自分たちの運命を決しようとする話し合いをしていたのだ。
彼女の知性と心は、いわば、荒涼たる場所に家を持っているようなもので、そこを彼女はあたかも未開のインディアンが自分の森をさまようかのように自由にさまよっていたのである。この数年のあいだ、彼女はこの疎外された観点から人間のいろいろな制度や、牧師や立法者の打ちたてたものをながめてきたが、ちょうどインディアンが牧師の帯、法服、さらし台、絞首台、炉辺、あるいは教会をながめるときと同じていどの尊敬しか持たずに、それらを批判したのである。彼女の運命と運勢の方向は彼女を自由にすることであった。緋文字も、他の婦人たちのすすんで足を踏みいれようとしない土地への通行許可証だった。
恥辱! 絶望! 孤独! これらも彼女の教師……きびしいあらあらしい教師であった……そしてそれらが彼女をつよくしたのであったが、誤ったことも多く教えたのだった。
いっぽう牧師は、一般に受け入れられている掟《おきて》の範囲を越えて彼をみちびいていくと推定されるような経験をしたことはなかった。もっともたった一度だけ、最も神聖な掟のひとつをあのように恐れおののきながらやぶったことはあった。しかしあれは情熱の罪であって、主義の罪でもなければ、目的のための罪でさえもなかった。あのみじめなとき以来、彼が病的なまでの熱意と細心の注意を払って見守ってきたのは自分の行動ではなくて……行動は調整するのが容易であるから……感情のひとつひとつの呼吸と自分のあらゆる思考であった。当時の牧師がみなそうであったように、社会組織の頂上に立っていた彼はそれだけにいっそうその社会の規則や主義やその偏見にさえも拘束されていたのだった。牧師として彼の階級のわくが必然的に彼を閉じこめていた。一度罪を犯しはしたが、いやされない傷口を痛めつけることによってその良心をつねに目ざめさせ、いたいたしいほどに敏感にさせてきた人間として、まったく罪を犯さなかったよりも、徳性の点ではもっと安全であったと考えてもさしつかえなかった。
したがって、ヘスター・プリンについては、追放と恥辱の七年間は、今のこの時に対する準備期間にすぎなかったように思われる。しかしアーサー・ディムズデイルは? このような人がふたたび堕落したとしたら、彼の罪の酌量《しゃくりょう》をするためにどのような弁解をすることができるだろうか? なにもない。ただし、いくらか彼に有利な弁解としては、彼は長年のはげしい苦悩のために押しつぶされてしまったのだとか、また彼の心はそれをかきむしる良心の苛責《かしゃく》のために暗くされ混乱してしまったのだとか、あるいは罪人と自認して逃げることと偽善者としてとどまることとのあいだにはさまれて良心は平衡《へいこう》を保つことが困難になったのではないかとか、あるいは死や不名誉の危険をさけ、敵の測り知りがたい策謀をさけるのは人間的なことだとか、あるいは最後に、わびしい荒涼たる道において息もたえだえの、病みつかれた、みじめな、このあわれな巡礼者にとって、人間的な愛情と同情がのぞき、新しい人生とほんとうの人生が、今彼のつぐなおうとしている重苦しい運命の代わりにあらわれてきたのだとかいう弁解であった。
しかもきびしくも悲しい真実を語るならば、罪のためにひとたび人間の魂の中につくられたさけ目は、この人間の状態においては、決して修理されることはないのである。敵がふたたび城砦《じょうさい》に押し入ることのないように、また敵のその後の攻撃において、前に成功した道より先に別の進路を選んでくるかもしれないのにそなえて、そのさけ目を見張り、警戒することはできよう。だがそこにはなお破壊された城壁があり、その近くには、あの忘れ得ぬ勝利をもう一度わが手におさめようとする敵のひそかに忍びよる足音が聞こえる。
この戦いは、たといあったとしても、ここにしるす必要はない。牧師は逃げる決心をした、しかもひとりではなく、というだけでじゅうぶんであろう。
「もし、この過去七年のあいだに」と彼は考えた。「平和の一瞬、あるいは希望の一瞬でも思い出すことができたら、天のお慈悲の約束であるとして、わたしはまだたえしのびもしよう。だが今はとりかえしのつかぬほどのろわれている身だから……死刑を宣告された罪人がその処刑の前に許されるなぐさめを、どうしてつかんではいけないのか? それとも、ヘスターがわたしを説得しようとしているように、これがよりよい生活への道であるならば、この道をたどったとしても、たしかにもっと明るい前途をあきらめることにはならないのだ! それにわたしは彼女がいっしょにいてくれなくてはもう生きていけない。彼女の不屈の力はあのようにつよく、なぐさめはあのようにやさしいのだ! おお、わたしが目を上げて見ることのできない神さま、それでもわたしをお許しくださいますか?」
「いらっしゃいますわね」とヘスターは、彼の目が彼女の視線に会ったとき、静かに言った。
一度心がきまると、不思議な喜びのほてりが彼の胸のわだかまりの上にちらちらと光を投げかけた。それは、さきほど自分の胸の牢獄からのがれてきたばかりの囚人に対して……神の救済を受けない、キリスト教化されない、無法の国の、未開の自由な空気を呼吸するという、ことさら気分を引きたたせる効果を持っていた。彼の魂は、いわばはずみでもつけたかのように、とび上がり、今までいつも彼を地面にはわせていたどんな苦悩の中でよりも、いっそう近くに空を見る気持ちだった。深い宗教的気質のために、彼の気分は敬信の色合いのあることはさけられないことだった。
「わたしは、また喜びを感じているのだろうか?」と彼は自分自身におどろきながら叫んだ。「喜びの芽なんて、もうわたしの中で死んでしまったと思っていたのに! おおヘスター、あなたはわたしのよい天使だ! わたしは……病に苦しみ、罪に汚れ、悲嘆にくれて……この森の落ち葉の上に倒れ伏したと思ったのに、まったく新しくつくりかえられて、慈悲深かった神を賛美する新しい力を受けて起き上がったようだ!これだけでもう前よりもすばらしい生活だ! なぜわたしたちはもっと早くこのことに気がつかなかったのだろう?」
「過去はふりかえらないことにしましょう」とヘスター・プリンは答えた。「過去は過ぎ去りました。どうして今そんなものの上にためらう必要がありましょう? ごらんなさい! この印といっしょに、わたしは過去をもとにかえし、なかったのと同じにしてしまいますわ!」
そう言いながら、彼女は緋文字を結びつけている留め金をはずすと、胸からそれを取って、遠くの枯れた葉の中に投げ捨てた。その奇妙な印は小川のこちらがわのふちに落ちた。手の幅ほど先へ飛んだら、水の中に落ちただろう。そして小川は今もなおつぶやきつづけているわかりにくいお話のほかに、もうひとつの悲哀を運んでいかせることになったであろう。しかしその刺繍の文字は、なくした宝石のようにきらきらかがやいて、小川のふちに落ちていた。だれか運の悪い旅人がそれを拾い上げ、そののち不思議な罪の幻影にとらわれ、心は沈み、説明のできない不運に見舞われることになるかもしれない。
汚名の印は消え、ヘスターは長く深いため息をついた。とそれとともに恥辱と苦悩の重荷も、彼女の精神から去った。ああ、なんという解放感であろう! 彼女はこの解放の自由を感ずるまでは、束縛の重さを知らなかった! 別の衡動によって、彼女は髪をつつんでいたかた苦しい帽子をとった。すると髪の毛は両肩の上に黒くゆたかにたれさがり、同時にそのふさふさした中に影と光が生まれて、彼女の容貌にやわらかい魅力を加えた。彼女の口もとにたわむれ、両の目からかがやき出るまばゆい柔和な微笑は、まさに女性の心底からほとばしり出てくるかのようであった。長いあいだあのように青白かった彼女のほおが、くれないの色に染まっていった。彼女の女性らしさも、青春も、そしてすべてのゆたかな美しさも、人びとのいわゆるとりかえしのつかない過去からよみがえり、彼女のおとめのころの希望と、今まで知らなかった幸福感とをともなって、この瞬間の魔法の輪の中に集まってきたのだった。しかも、天と地の暗闇さえ、このふたりの人間の心から流れ出したものにすぎなかったかのように、ふたりの悲しみが消えるとともに、なくなってしまった。まったく突然、まるで天が突如ほほえんだかのように、日がかがやきだし、光の洪水をうす暗い森の中にそそぎ、緑の葉の一枚一枚を喜ばせ、黄色く枯れ落ちた葉を黄金色に変え、おごそかな木々の灰色の幹をかすかに光らせた。それまで影になっていたものが、今は光るものになった。小川の流れのゆくえも、神秘な森の奥までずっとその陽気な光を追ってたどってゆけるだろう。神秘の森は今や歓喜のあふれる神秘のものとなっていた。
このふたつの精神の幸福に対して「自然」……一度も人間の掟《おきて》に屈したこともなく、より高い真理に照らされたこともないこの森の未開の野蛮な「自然」が示した同感はこのようなものであった! 愛はたとえ新しく生まれたものであろうと、死んだような眠りからさめたものであれ、つねに日の光を生み出し、人の胸をかがやきでいっぱいに満たし、外の世界にまであふれ出るものである。たとえ森が今なおうす暗闇をつづけるとしても、ヘスターの目には明るくかがやいて見えたであろうし、アーサー・ディムズデイルの目にもかがやいていたことであろう! ヘスターはふたたび喜びにふるえながら彼を見た。
「あなたはパールをご存じでしょう!」と彼女は言った。「わたしたちのかわいいパールを! あなたは会ったことがありますわね……わたし知っています!……でも今度は前とちがった目であの子をごらんになるでしょう。あの子は変わった子です! わたしにはよくわかりませんの! でもあなたはあの子をきっと、わたしと同じように、かわいがってくださるでしょうし、どのようにあの子を扱ったらよいか、教えてくださるでしょう」
「あの子はわたしを知って喜ぶと思いますか?」と牧師は、いくぶん不安そうに、たずねた。「わたしは長いあいだこどもたちをさけてきました、わたしを信用しようとしないで……なかなかわたしと親しもうとしないので。わたしは小さいパールをこわいとさえ思っていた」
「それは悲しいわ!」と母親は答えた。「でもあの子はあなたを大好きになるでしょうし、あなただってあの子をかわいらしくお思いになりますわ。あの子はそんなに遠くへは行っていないはずです。呼びましょう。パール! パール!」
「あの子が見える」と牧師は言った。「向こうにいる。日光のひとすじ射しているところに立っている。ずっと向こうの、小川の向こうがわに。それで、あの子はわたしになつくとお思いになるんだね?」
ヘスターは微笑して、またパールを呼んだ。パールは、牧師が言ったように、少し離れたところにアーチ型の木の枝を通して彼女の上に降りかかる日光を浴びて、かがやく着物を着た幻のように、見えていた。光が前後に揺れて、かがやきが消えたり、あらわれたりするたびに、少女の姿がぼんやりしたり、はっきりしたりして……あるときはほんとうのこどものようにも見え、あるときはこどもの精のようにも見えた。こどもは母の声を聞きつけると、ゆっくりと森の中をこちらに近づいてきた。
母親が牧師とすわって話しているあいだも、パールは時間がたいくつに過ぎていくとは思わなかった。偉大な暗黒の森は……その胸に人間世界の罪やなやみを持ってきたものにとってはきびしく見えても……さびしいこどもにはできるだけよい遊び仲間になっていた。陰気ではあったが、こどもを暖かく迎えようと最上の親切な気分を示していた。森は彼女にツルアリドウシの実を与えた。それは去年の秋にはえたものだが、春になってようやく熟し今は枯れ葉の上でしたたる血のようにまっ赤になっているのだった。それをパールは集めて、その野生の味を楽しんでいた。
森林の小さな生息者たちも、彼女の進んでゆく道からほとんど動こうとはしなかった。実際、一羽のヤマウズラは、ひな鳥を十羽も連れて、おびやかすようにとび出してきたが、すぐに自分の乱暴さを恥じて、ひな鳥たちにこわがることはないと鳴いてきかせた。低い枝にただ一羽止まっていたハトは、パールがそのすぐ下まで来ても動かず、警告とも挨拶ともとれる鳴き声をあげていた。リスが自分の住み家の木の高い茂みから、怒っているのか喜んでいるのか、ぺちゃくちゃしゃべっていた。……リスはとてもかんしゃくもちのおかしなちびすけなので、その気分を聞き分けるのはむずかしい……だからリスは少女になにかしゃべっていながら、彼女の頭へくるみを投げ落としたりした。それは去年のくるみで、すでにリスの鋭い歯でかじられていた。キツネが落ち葉をふむ少女の軽快な足音に眠りからさめて、パールのほうを物問いたげにながめた。まるでそっと逃げるべきか、またこのままここで昼寝をつづけるべきかと迷っているようであった。オオカミは、話によると……ここで話は信じられなくなってしまうのだが……そばに来て、パールの着物のにおいをかぐと、少女の手でなでてもらおうとその野蛮な頭を突き出したという。実際のところは、しかし、母なる森とその森の育てた野生のものが、みなこの人間のこどもの中に、自分たちと同じ血の、野性を認めたということであろう。
そして少女もここでは、草にふちどられた植民地の通りや、母親の家にいるときよりもやさしかった。花もそれを知っているように見えた。そして彼女が通るとたがいにささやいた。「わたしでご自分をお飾りなさい、美しいこどもさん、わたしでお飾りなさいな!」と。……そこでパールは、彼らを喜ばすために、スミレやアネモネやオダマキや、老木が少女の目の前にたれさがらせてみずみずしい緑の小枝を取って集めた。これらのもので少女が髪や若い胸を飾ると、妖精の子か、幼い木の精か、あるいはまた太古の森と親しく共鳴し合うものの姿になるのだった。パールはそういう姿に自分を飾っていたときに、母の声を聞いて、ゆっくりともどってきた。
ゆっくりと……というのは、彼女は牧師を見たからである。
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十九 小川のそばのこども
「あなたはあの子が大好きになりますわ」とヘスター・プリンは、牧師とふたりで腰をおろして小さなパールを見守っているときに、くりかえして言った。
「あの子を美しいとお思いになりませんか? それに、ごらんなさい、なんと自然のたくみさで簡単に花を身の飾りにしていることでしょう! もし森の中で真珠やダイヤモンドやルビーを集めたとしても、あれほどあの子をひきたてはしませんわ。すばらしい子ですわ! でもだれの額《ひたい》と似ているか、わたしにはわかりますわ!」
「あなたは知っていますか、ヘスター」とアーサー・ディムズデイルは、落ち着かない微笑を浮かべて、言った。「あの子がいつもあなたのそばにくっついてちょこちょこ歩いているのを見て、わたしがとてもはらはらしたことを? わたしはねえ……ああヘスター、なんという考えだろう。そんなことを恐れるとはなんとあきれはてたことだろうね……わたし自身の顔つきが、一部あの子に生きうつしなので、それもたいそうはっきりしているから、世間の人が気づくだろうと、思ったのだ。しかしあの子は大部分あなた似だ!」
「いいえ、いいえ! それほどではありませんわ!」とやさしい微笑を浮かべて母親は答えた。「もう少したてば、あの子がだれの子かわかっても、こわがる必要はありませんわ。でもあの子があんな野の花を髪につけていると、なんて奇妙に美しく見えるのでしょう。私たちがふるさとのイギリスに残してきた妖精のひとりがおめかしをして、わたしたちに会いにきたみたいですわ」
ふたりは、どちらも今まで一度も経験したことのないような感慨《かんがい》にうたれながら、ゆっくりと近づいてくるパールの姿を、すわったままながめていた。その子の中に、ふたりを結びつけるきずなが見えた。彼女はこの過ぎ去った七年間、生きた象形文字として世間にさらされてきたが、そのなかには、ふたりがあれほどひそかにかくそうとした秘密も明らかにあらわれていて……すべてがこの象徴の中に書かれ……もしもほのおの文字を読む学をそなえた予言者か魔法使いがいたら、それもすべて明白になっていたであろう。そしてパールはふたりの生命の結晶であった。過去の悪がどのようなものであれ、彼らふたりが出会い、ともに永遠に住んでいくべきこの肉体の結合であると同時に精神的理念でもあるこのこどもを見たとき、彼らふたりの地上の生活と未来の運命とが離れがたく結ばれているという事実をどうして疑うことができるだろうか? このような思いが……そしてまたおそらく彼らにもわからないし、はっきりさせられない他のいろいろの思いが……近づいてくるこどものまわりに畏怖《いふ》の念を投げかけたのであった。
「あの子にはなにも変わったようすを見せないようにしてください……はげしい感情もしんけんな気持ちも……あの子に声をかけるとき」とヘスターはささやいた。「わたしたちのパールはときどき発作的な気まぐれな小妖精みたいになるのですもの。ことに、理由のじゅうぶんにわからないときは、感情におぼれるのにはたえられないようです。でもあの子は愛情深い子です! わたしを愛していますし、あなたをも愛するようになりますわ」
「あなたには想像もつかないでしょう」と牧師はヘスターを横目で見ながら言った。「わたしの心がどんなにあの子に会うのを恐れているか、そのくせそれを待ちこがれているかを! でも、ほんとうにさっきも言ったように、こどもはなかなかわたしになついてはくれない。わたしのひざにのってもこないし、耳うちしてくれたり、わたしの笑いに答えてくれもしない。ただ少し離れたところから、へんな目つきで私を見るのです。小さなあかんぼうでさえ、わたしの腕に抱かれると、はげしく泣くのだ。でも、パールは今まで二度もわたしに親切にしてくれた。一度は……あなたもそのときのことはよく知っているね! 二度めは、あなたがあの厳格な老知事の家にあの子を連れていったときだった」
「あのときあなたはあの子とわたしのためにとても勇敢に弁護してくださいましたわね!」と母親が答えた。「よくおぼえています。小さいパールだってそうですわ。恐れることなんてありません! あの子もはじめはちょっとへんに恥ずかしがるかもしれませんが、すぐにあなたを愛するようになりますわ!」
このときには、パールはもうすでに向こうがわの川岸まで来て、立ったまま、こけむした木の幹に自分の来るのを待ちながら肩をならべてすわっているヘスターと牧師を、じっと見つめていた。彼女が立ちどまったところで、小川はたまたま淵《ふち》のようになっていて、そのなめらかな静かな水面は、花や環にした木の葉で飾って、かがやかしい絵のような美しさを持った少女の姿を寸分たがわず、ただ本物よりもいちだんと優雅に高尚にして、うつし出していた。この水にうつった影はあまりにも生きているパールとそっくりなので、影特有のおぼろげなとらえがたい性質を、そのこども自身にまで伝えているかのように思われた。
パールがそこに立ったまま、ぼんやりした森のうす暗闇を通してふたりをじっと見つめているようすは異様だった。そのあいだも彼女自身はある共鳴のためなのか、そちらにひきよせられた日光によって飾られていた。下の小川にも別のこどもが……別のこどもであり、また同一のこどもであるが……同じように黄金色の日光を浴びて立っていた。ヘスターはなんとなくはっきりしない、いらだたしい思いで、パールが自分から離れていってしまったことを感じた。まるでその子はひとりで森の中をさまよっているうちに、母親といっしょに住んでいた世界から迷い出て、今むなしく元の世界にもどろうとつとめているかのようであった。
その印象には真実もまちがいも両方あった。こどもと母親が離れてしまったのは、ヘスターの罪のためであり、パールの罪ではなかった。後者が母親のそばを離れてさまよい出て、別の住人が母親の感情の世界の中にはいることをゆるされて、感情の様相をすっかり変えてしまったので、放浪からもどってきたパールは、自分のもとの居場所も見つからず、いったい自分が今どこにいるのかもわからなくなっているのだった。
「わたしは奇妙なことを考えているんです」と敏感な牧師が言った。「この小川がふたつの世界の境界線で、あなたはもう二度とパールに会えないのだというような。あるいはあの子はわたしたちのこどものころの伝説が教えてくれたように、流れている小川をわたることを禁じられた妖精のような精なんだろうか? どうかあの子をせかしておくれ。こう待たされていてさえわたしの神経はもう高ぶってきているんだから」
「いらっしゃい、いい子だから!」とヘスターははげますように両腕をさしのばしながら、言った。「なんてのろのろしているの! 今まで、こんなにぐずぐずしていたことがあって? ここにいらっしゃるかたはおかあさんのお友だちで、あんたのお友だちにもなるかたよ。これからはおかあさんがひとりで与えることのできた愛情の二倍もの愛情を受けることができるのですよ! 小川をとび越えて、こっちへいらっしゃい。小鹿みたいにとべるんだったわね!」
パールは、この蜜のようにあまいことばにもまったく答えようとぜずに、小川の向こう岸に立ったまま動かなかった。そのきらきらしたするどい目を母親にすえたかと思うと、今度は牧師のほうに向け、かと思うと今度はふたりをいっしょにちらっと見て、ふたりがたがいに持っている関係を見さだめて自分自身に説明しようとしているかのようであった。
アーサー・ディムズデイルはこどもの目が自分にそそがれているのを感じたとき、なにか説明のできない理由のために、彼の手は……無意識に動くようになってしまうほどくせになってしまった例の身ぶりで……胸の上へそっと行ってしまった。ついに、独得の威厳のあるような態度で、パールは片手をのばし、その小さな人さし指をつき出して、母親の胸のほうを明らかに指さした。すると足元の小川の鏡にも、花の飾りをつけて日光を浴びた小さいパールの影が、やはり小さな人さし指を突き出しているのだった。
「おかしな子ね、どうしてわたしのところへ来ないの?」とヘスターが叫んだ。
パールはなおも人さし指で指さし、額にしわを寄せてむずかしい顔をした。そういう表情をする顔だちがこどもっぽい、ほとんどあかんぼうみたいなようすであるだけにいっそう印象的であった。母親がなおつづけて手で招き、祝日のときのように見慣れぬ微笑を顔に浮かべているので、こどもはなおいっそう傲慢《ごうまん》な表情と身ぶりをして足をふみならした。すると小川の中でもまた、不思議に美しい姿がしかめつらや突き出した指や、傲慢な身ぶりをそのままうつして、実際の小さいパールのようすを強調していた。
「急ぎなさい、パールったら。さもないと怒りますよ!」とヘスター・プリンは叫んだが、他の場合にもこの妖精のような子がよくこういう振舞《ふるまい》をするのに慣れっこになってはいたものの、今はもっとお行儀をよくしてくれればいいのにと願ったのは当然であった。「小川をとび越えて、あきれた子、こちらへ走っていらっしゃい! そうしないと、わたしがあんたのほうへ行かなくてはね!」
しかし、パールは母親のおどしも聞かなければ、頼みのことばにも耳をかさずに、今度はとつぜん激情の発作を起こし、らんぼうな身ぶりをしながら、その小さなからだをおよそ大げさにねじまげた。彼女はこのはげしい感情の爆発に加えて切りさくような金切り声をあげ、その声が森の四方にこだましたために、実際は彼女がひとりでこども特有のわけのわからぬ怒りをぶちまけていたにすぎなかったのに、まるでかくれていた群衆が少女に同情し、応援しているかのようであった。小川の中には、またもや、花の冠や飾りをつけて、らんぼうな身ぶりをしながらじだんだをふんでいるパールの姿のぼんやりした怒りがうつっており、その影は、その最中にもなお小さな人さし指でヘスターの胸をさしているのだった。
「なにがあの子の気にさわっているのか、わかりましたわ」とヘスターは牧師にささやいた。そして心の動揺や困惑をかくそうとけんめいになってはいるが、その顔はまっさおになっていた。「こどもというのは、毎日目の前にある見慣れたものに、どんなに少しでも変化があるとがまんできないのです。パールは私がいつもつけていたものがないので怒っているのですわ!」
「お願いだ」と牧師は答えた。「もしあの子をなだめる方法を知っていたら、すぐなだめてくれ、ヒビンズさんみたいな年寄りの魔女のぞっとする怒りかたは別として」と彼は、微笑しようとしながら、つけ加えた。「こどもがこんなに癇《かん》を起こしたりするのを見たいとは思わない。あのしわだらけの魔女の場合のように、このパールの若い美しい姿の中にも、不可解な趣きがある。わたしを愛しているなら、あの子をなだめておくれ!」
ヘスターは、ほおをまっ赤にそめ、牧師のほうを横目で見やりながら、もう一度パールのほうを向いた。それから大きなため息をついたが、口を開きもしないうちに、ほおの血の気は消えて死人のようにまっさおになってしまった。
「パール」とヘスターは悲しそうに言った。「あんたの足もとを見てごらん! そこよ!……あんたの前よ!……小川のこちらがわよ!」
こどもは言われたところに目を向けた。と、そこには緋文字が、小川のすぐふちに落ちていたので、黄金色の刺繍が水にうつっていた。
「それをこっちへ持ってきてちょうだい!」とヘスターは言った。
「ご自分で来てお取りなさいよ!」とパールは答えた。
「なんていう子でしょう!」とヘスターがわきの牧師に言った。「まだまだあの子についてはあなたにお話ししなければならないことがたくさんあります。でも、ほんとうのところ、このにくらしい印については、あの子のほうが正しいのです。もうしばらくわたしはこの責め苦にたえていかなければなりません……あとほんの数日だけれど……わたしたちがこの土地を去って、夢にみていた国をふりかえって見るような気持ちでこの土地をふりかえって見るときまでは。森もその印をかくしてしまうことはできませんわ! 大洋のまん中でわたしの手からこれを棄てて、永久に海にのみこませてしまいましょう!」
こう言いながら、彼女は小川のふちへ行き、緋文字を拾い上げると、またそれを胸につけた。ヘスターがその緋文字を深い海の底に沈めてしまおうと言ったときは、希望に満ち満ちていたが、それは一瞬前のことで、このように運命の手からこののろわしい印をふたたび受け取ったとき、彼女の上にさけることのできない宿命が感じられるのだった。彼女はその印を無限の空間の中に投げ捨てたはずなのに!……一刻の自由の空気を呼吸したのに!……またもとの場所に緋色の悲嘆がかがやいているとは! このように象徴されようが象徴されまいが、いつも悪事は宿命の性格を帯びるものなのだ。
ヘスターはつぎにふさふさした髪の毛をまとめあげると、帽子の下に押しこんでしまった。その悲しい文字には、物をしぼませる魔力でもひそんでいるかのように、彼女の美しさも女らしい暖かみもゆたかさも、まるでかげってゆく日光のように消えて、灰色の影が彼女の上に落ちてくるように思われた。
このわびしい変化を行なってから、彼女はパールのほうに手をさし出した。
「さあ、これであんたのおかあさんでしょう?」と彼女は責めるように、だが同時に感情を押えた調子で、たずねた。「さあ小川をわたって、またおかあさんをあんたのものにしてくれるわね、おかあさんはこのとおり恥ずかしい印をまたつけたのだから……またかわいそうな身になったのですから」
「ええ、今行くわ!」とこどもは答えると、小川をぴょんととび越えて、ヘスターに抱きついてきた。「また、ほんとにわたしのおかあさんだわ! そして、わたしはおかあさんのかわいいパールよ!」
彼女にしては珍しくやさしい気持ちで、母親の首を引きよせると、母親の額と両のほほに接吻した。しかし、つぎには……彼女がたまたま人になぐさめを与えようとするときは必ずそれに苦悩の動悸をまぜずにはいられないというある種の力によって……少女はくちびるを上げると、緋文字にも口づけしたのだった。
「なんてことをするの!」とヘスターは言った。「少しやさしい気持ちを示してくれるときは、わたしをからかいもするんだから」
「どうして牧師さんはあそこにすわっていらっしゃるの?」とパールはたずねた。「あんたを待っていらっしゃるんですよ」と母親は答えた。「さあ行って祝福をしていただきなさい! あのかたはあんたをかわいがってくださるのよ。パールちゃん、そしてあんたのおかあさんもよ。あんたはあのかたを好きにならないの? さあ、あんたに挨拶したがっていらっしゃるのよ!」
「あの人はわたしたちをかわいがってくださるの?」とパールは言って、するどい、りこうそうな目で母親の顔を見上げた。「あの人はわたしたちと、手をとり合って三人いっしょに町へもどってくださるの?」
「今はだめよ、あんた」とヘスターは答えた。「でも、いつかそのうち、あのかたはわたしたちと手に手をとって歩いてくださるわ。わたしたちだけのお家と炉ばたを持つの。そしてあんたはあのかたのひざにすわるのよ。あのかたはあんたにいろんなことを教えてくださるし、とってもかわいがってくださるわ。あんたもあのかたが好きになれるわね?」
「それで、あの人はいつでもご自分の胸に手を当てていらっしゃるの?」とパールがたずねた。
「おばかさんね、なんてことをきくの?」と母親は叫んだ。「さあ、祝福をしていただきなさい!」
しかし、かわいがられているこどもが危険なライバルに対して本能的にいだくような嫉妬心のためか、あるいはとっぴな性格の気まぐれのせいか、ともかく、パールは牧師に対してなんの好意も示さなかった。ぐいぐい力まかせに引っぱってやっとのこと母親は、しりごみして、へんなしかめ面をしていやがるこどもを彼のところに連れてきたのだった。しかめ面といえば、あかんぼうのころから彼女には珍しくいろんな種類のしかめ面があり、その変わりやすい顔つきを、どれもこれも新しい茶目っ気を持ったさまざまな表情に変えることができるのだった。牧師は……いたいたしいほどまごついていたが、それでも接吻が不思議な力で少女の心をやわらげて、今までよりもやさしい気持ちで自分を受け入れてくれはしまいかと望みながら……前かがみになると、少女の額に接吻した。するとパールは、急に母親から身を離すと、小川へ走り、水の上にかがむとそのうれしくない接吻がすっかり洗い流され、小川のゆるやかな長い流れの中に散ってしまうまで、額を水につけていた。それから少女は離れた位置から、ヘスターと牧師を無言で見つめていた。ふたりのほうは、自分たちの新しい情況によって考えなければならないいろいろなてはずや、やがて実行しなければならない目的を定めようと、話し合っていた。
こうして、この宿命的な会見は終わった。谷間はふたたび暗い老木のあいだにさびしい場所としてとり残されねばならなかったが、それらの老木はその無数の舌をもって、そこで起こったことがらを長くささやきつづけるであろうし、またこのためにかしこくなる人間はひとりもいないであろう。そしてあの憂欝《いんうつ》な小川は、その小さな心にとって重すぎる荷物となっている神秘を、今までの長い年月よりも少しも明るい調子でなしに、今なおぶつぶつつぶやきつづけているが、その神秘にさらにもうひとつこの物語を加えるであろう。
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二十 途方にくれる牧師
牧師はヘスター・プリンや小さなパールの先になって出かけるとき、ちらっとふりかえってみた。森のうす暗がりの中へしだいに消えてゆく母と子の顔や姿がかすかにでも見えないだろうかと、半ば期待のまじった気持ちがあったからであった。彼の生涯におけるこれほど大きな変化は、とうていすぐには真実なものとして受けいれることはできなかった。だがヘスターは灰色の着物を着て、まだ例の木の幹のそばに立っていた。その木の幹がずっと以前に突風に吹き倒され、時がそののち苔《こけ》でおおいかくしてきたのも、この地上のいちばん重い荷を負うこの宿命のふたりが、ともに腰をおろし、一刻の憩《いこ》いとなぐさめを見いだすためだったのだ。そしてパールもまた小川のふちから足どり軽く踊りながら来ていた……今はじゃまな第三者がいなくなっていたからで……そして母親のかたわらにいつもの座を占めたのだった。だから牧師は眠って夢をみていたわけではなかった。
このように印象がもうろうとして重なり合っているために、わけのわからぬ不安に騒ぐ心を解きほぐそうと、彼は、出発についてヘスターとふたりでたてた計画を思い出し、それをさらにはっきりと明らかにした。ふたりのあいだで定まったことは、インディアンの小屋や、海辺に沿ってまばらに散在するヨーロッパ人のわずかな植民地しかない荒野と言ってもいいニュー・イングランドやアメリカ全体よりは、群衆や都市の多い旧世界のほうが、かくれて身を寄せる場所が多いであろうということであった。森の中での生活の苦難をたえしのぶには適当でない牧師の健康状態はいうまでもなく、彼の生まれつきの才能、教養、知識の発展は、ただ文明と洗練の中にのみ安住の場を確保できるかのようであった。つまり文明の状態が高ければ高いほど、この人物にはいっそうぴったりと適しているのである。
こうして選んだ道を実行させようとして、たまたま港には一|艘《そう》の船が停泊していた。これは当時珍しくなかったいかがわしい巡洋船のひとつで、必ずしも海を徘徊《はいかい》する無頼《ぶらい》の船ではないにしても、やはりきわめて無責任な資格で海上をうろついていたものであった。この船はカリブ海沿岸地方から最近着いたもので、三日のうちにはブリストルへ向かって出帆する予定であった。ヘスター・プリンは……自分から進んで慈善婦人会の一員となって仕事をしていたので、船長や乗組員とも知り合いになっていたから……いろいろな事情のために絶対秘密を守って大人《おとな》ふたりとこどもひとりの乗船の役を引き受けてもらうことができた。
牧師は、少なからぬ興味をもって、船の出帆する正確な時間をヘスターにたずねてあった。それはたぶん今から四日めであろうということであった。
「それはまったく運がいい!」と彼はそのとき考えた。さて、なぜ牧師ディムズデイルがそのように運がいいと考えたのか、われわれはうちあけるのを躊躇《ちゅうちょ》する。だが……読者にかくしだてをせずに言うと……今から三日めに、彼は選挙祝賀の説教をすることになっていたからであった〔毎年九月か六月に新知事が選ばれ、その就任の最初に著名な牧師が説教を行なった。この慣行は一六八四年に廃止された〕。そして、こういう機会はニュー・イングランドの牧師の生涯においては名誉のあるものであったから、彼が、自分の職を終えるにあたって、これ以上ふさわしい方法や時期にめぐりあうことはできなかったであろう。
「少なくとも彼らはわたしについてこう言うであろう」とこの模範的な人物は考えた。「わたしがおおやけの義務をはたさなかったことはないし、またまずくもなかったと!」
まったく、この不幸な牧師の内省のように、深く鋭い内省があのようにみじめに裏切られるとは、じつに悲しいかぎりだ! 彼については、これまでにももっとわるいことがあったし、またこれからもあるだろう。しかし、これほどあわれにも弱いことはないと思う。またずっと前から彼の性格の本質に食いこみはじめていた微妙な病気の証拠として、こんなに軽微であると同時に争う余地のないものはないであろう。どんな人でも、かなり長いあいだ、ひとつの顔を自分自身に、別の顔を大衆に向けていて、ついにはどちらが本物なのか迷わないでいることはできないのだ。
ヘスターに会っての帰り道、ディムズデイル氏の感情は興奮していたので、いつにない体力が出て、町への足どりも早かった。森の中の小道は、行きの記憶よりももっと荒れ果て、手の加わらぬ自然の障害物で、さらに異様に思われ、また人跡もほとんどなかった。が、彼は泥だらけの場所をとび越え、まつわりつく下ばえを押しわけ、坂を登り、くぼみへととびこんで、つまり、困難な道を、われながらおどろくほど疲れも知らず、元気にのり越えたのだった。わずか二日前にはいかにもよわよわしく、しばしば立ち止まっては息をつき、この同じ道をほねおって歩いたことを、彼は今思い出さずにはいられなかった。町に近づくにつれ、目にうつる見慣れた物のひとつひとつが前とは変わってしまっている印象を受けた。この前に見てから、一日や二日どころか、何日も何年もたっているようにも思われた。
彼の記憶しているように、じじつ、通りにはそれぞれ以前のおもかげはすべて残っていたし、家々の特徴もすべてそのままで、破風《はふ》の尖端は前と同じ数だけたくさんあり、記憶でひとつあったと思う場所には風見《かざみ》がひとつあった。とはいえ、それにもかかわらず、このうるさいくらい押しつけがましい変化の感じが離れなかった。彼の出会う知り合いの人たちについても、この小さい町のまわりの人間生活の周知の形についても、同じことが言えた。彼らは年をとったようにも若くなったようにも見えなかった。老人のあごひげが白くなったのでもなければ、きのうまではっていた赤子《あかご》がきょうは自分の足で歩きだしたというわけでもなかった。どんな点で、彼らがつい先ごろ別れるときにちらりと見た人びとと違っているかを説明することは不可能であった。それでいて、牧師の心の底の感じは、その人たちの変わってしまったことを告げているように思われた。
それと同じような印象が最もつよく彼の心を打ったのは、彼が自分の教会の壁の下を通り過ぎたときであった。その建物はひじょうに見慣れないものであるようでいながら、しかもどこか見慣れたもののようでもあるので、ディムズデイル氏の心はふたつの考えのあいだを揺れ動いた。すなわち、これまでそれを見たのは夢の中だけであったのか、あるいは今その夢をみているにすぎないのだろうかというふたつの考えであった。
さまざまな形であらわれるこの現象は、外面の変化を示すものではなく、見慣れた場景を見る人の心にひとつの突然の重要な変化が起こったことを示すものであったので、たった一日の介入が彼の意識にとっては数年間の経過のような作用をしたのだった。牧師自身の意志とヘスターの意志と、そしてふたりのあいだに生じた運命が、こういう変貌を引き起こしたのだった。この町は以前と同じ町であったが、森からもどった牧師は同じではなかったのだ。彼に挨拶する友人に彼はこう言ってもよかったかもしれない……「私はあなたの考えているような人間ではない! 私はその人間を向こうの森に、ひっそりとした谷間に、苔《こけ》むした木の幹のそばに、また陰欝《いんうつ》な小川のほとりに置いてきました! 行ってあなたの牧師を捜してごらんなさい。そしてやせ衰えた姿、こけたほお、白い重苦しい苦痛のためにしわのよった額が、まるで投げ捨てられた着物のようにそこにほうり出されていないかどうか見てきてごらんなさい」と。
彼の友だちは、疑いもなく、彼に主張しただろう……「きみがその人間ですよ」と……しかし誤まっているのは彼らであって、彼ではなかったであろう。
ディムズデイル氏が帰宅する前に、彼の内部の人間は彼に思想と感情の領城で起こった大改革のいろいろな別の証拠を示してくれた。実際、その内面の王国においては、王朝と道徳律がすっかり変わったというほかには、この不幸なびっくりした牧師に今伝えられた衝動を、じゅうぶんに説明するものはなにもなかった。一歩歩くごとに彼は、なにかとんでもない狂暴なわるいことをしたい思いにかられ、またそれは不本意であると同時に意図的でもあるという気持ちを持ち、われしらずすることであっても、それは衝動に反対する自我よりもさらに深い自我から生じるものだという感じも持つのだった。たとえば、彼は自分の教会の執事《しつじ》に出会った。その善良な老人は、彼の老齢と正直な信心深い性格と、教会での地位から許される父親の情愛と長老の特権とをもって、彼に話しかけた。そのうえさらに、この牧師が職務上から、また個人として同じように要求している心からの、ほとんど礼拝せんばかりの尊敬の気持ちを、この老人は示したのだった。社会的地位の低い、才能もおとっているものが、すぐれているものに対して示すように、老齢と知恵をそなえたものが当然の従順と尊敬をあらわす例として、これほど美しいものはなかった。
さて、牧師ディムズデイル氏とこの白いあごひげのりっぱな執事が二、三分ことばをかわしているうちに、牧師が聖餐《せいさん》に関して心に浮かんできたある不敬な考えを口に出さずにすんだのは、細心の自制のおかげであった。自分の舌がこのような恐ろしいことをことばにしようと動きだし、じゅうぶん同意もしないのに、そうすることに賛成だと言ってしまいはしないかと、彼はがたがたふるえ、灰のように青白くなった。しかも、こういう恐怖を心にいだきながらも、彼は、この敬虔《けいけん》な長老らしい老執事が自分の仕えている牧師の不敬を聞いたら、きっと茫然自失《ぼうぜんじしつ》してしまうであろうと想像すると、ほとんど笑いださずにはいられなかった。
またこれと同じような別の事件もあった。通りを急いでいると、牧師ディムズデイル氏は教会員の中のいちばん年長の婦人に出会った。ひじょうに信心深い模範的な老婦人で、貧しい孤独なやもめ暮らしで、なくなった夫やこどもたちや、ずっと以前に亡くなった友人たちについての思い出を、由来をしるした墓石のたくさんある墓地のように、胸いっぱいに満たしている人であった。しかも、こういう思い出は他の人の場合には大きな悲しみになったであろうに、この信心ぶかい老いた魂にとっては、三十年以上もたえず心の糧《かて》となってきた宗教上のなぐさめと聖書の示す真実によってほとんどおごそかな喜びになっていたのであった。そして、ディムズデイル氏が彼女を教会員として以来、この善良なる老女のこの世のおもなるなぐさめは……もしこれがあの世のなぐさめとならなければ、なんの意味もなかったろうが……気まぐれのときと目的のある場合とを問わず、牧師に会って、あたたかい、かぐわしい天国の息吹《いぶ》きのある福音のことばを、愛する牧師のくちびるから、彼女の鈍《にぶ》くなりはしたが夢中になって傾ける耳へ注いで元気づけてもらうことであった。
だが、この場合、のぞむように、老婦人の耳もとへ自分の口を近づける瞬間まで、ディムズデイル氏は、魂の大敵がのぞむように、聖書の文句は一行も思い出すことができず、人間の霊魂の不滅に反対するような、短い力づよい、そしてそのときの彼には反論できない議論と思われたような議論以外には、なにも思い浮かばなかった。彼女の心の中にこの議論を注入すれば、はげしい毒物を注入する効果と同様、この老女はたぶんたちまち倒れ死んだことであろう。実際はなにをささやいたのか、牧師はあとになっても思い出すことができなかった。おそらく、彼のことばが幸運にも混乱していたために、この善良な未亡人の理解できるような明確な意味を伝えることはできなかったのであろう。あるいは、神慮がその独自の方法でそれを説明してくれたのであろう。たしかに、牧師がふり向くと、そのしわのよった灰のように青ざめた顔には、天の都のかがやきにも似たこうごうしい感謝と恍惚《こうこつ》の表情が浮かんでいたのである。
そしてまた第三の例があった。その年老いた教会員に別れを告げたあとで、彼は、すべての教会員のうちでいちばん若い女の信者に出会った。それは最近教会員となった娘で……牧師ディムズデイル氏が徹夜の行ののちの安息日に行なった説教を聞いて教会いりしたのだった……彼女は、この世のはかない歓楽の代わりに、自分の人生がしだいに暗くなってゆくにつれていっそうかがやかしくなるようなものをわがものとし、最終の栄光によって徹底した陰うつさを金色にするであろう天上の希望を求めたのだった。彼女は楽園に咲く百合の花のように美しく、清らかだった。牧師は、自分が彼女の汚れない清浄無垢《せいじょうむく》な心の中に祭《まつ》られているのを知っていた。彼女はそこで、雪のように白いたれ幕を彼の姿のまわりにかけて、信仰に愛のあたたかさを授け、愛には信仰の清らかさを与えていたのだ。
その午後は、たしかに魔王が、そのあわれな若い娘を母のかたわらから連れ出して、この誘惑に屈してしまった男、言いかえれば……言ってはならないだろうか……この自暴自棄の迷える男の通る道へ、彼女をいざなっておいたのである。
彼女が近づくにつれて、大悪魔は彼に、小さな塊に凝縮《ぎょうしゅく》して彼女のやさしい胸の中へはいりこみ、悪の芽となるようにとささやいた。その悪の芽は必ず悪の花を咲かせ、時がいたれば、悪の実をつけるだろう。このおとめの魂に対して彼の持っている力の感じは、そのようなものであった。彼女は確かに彼を信じていたので、牧師がただ邪悪な顔つきをしさえすれば、その無垢《むく》の心の花園すべてを枯らせることもでき、たったひと言であらゆる悪を彼女の心にひろげることもできると思われた。そこで……今までに彼がたえてきたよりもっと強い努力で……彼は、顔をジェネバ・マントにかくし、気のつかないふりをして、彼の無礼を認めたければ認めるがよいとばかりに、その若い信者を無視して、先へと進んでいった。
彼女は……まるで彼女のポケットや裁縫箱のように、むじゃきなちっぽけなものに満ち満ちている……彼女の良心をくまなく捜しまわって、かわいそうに、いろいろの過失を想像して、自分自身を責めたてた。そして、つぎの朝にははれあがったまぶたをして、家事にしたがっていた。
牧師は、この最後の誘惑に打ち勝った勝利を祝う間もなく、もっとばかばかしい、ほとんど同じくらい恐ろしい衝動をおぼえたのだった。それは……それを口にするだけでも顔が赤くなるが……道のまん中に立ち止まって、そこで遊んでいるやっと口がきけるようになったばかりの小さな清教徒のこどもたちの群れに、なにかひじょうに悪いことばをいくつか教えたいという衝動だった。この気まぐれを自分の法衣にふさわしからぬこととして押えているうちに、彼は、中米スペイン領から来た船の乗組員のひとりの酔っぱらった水夫に出会った。すると、今まで勇敢にすべての他の悪をたえしのんできていたので、このあわれなディムズデイル氏は、せめてこのまっ黒な無頼漢と手を握り合って、このように放らつな船乗りがよく知っている、あのふとどきな冗談を言ったり、善良で、いせいよく、実のある、満足できる、天などものともしないような悪態を連発して、気ばらしをしたくてしようがなくなった。この危機を無事に通り抜けられたのは、ひとつには彼の生れつきのよい趣味によってであり、またそれより以上に、彼の牧師としての礼儀作法のかたくるしい習慣のおかげであった。
「このようにわたしにつきまとって、わたしを誘惑しようとするのはいったいなんだろう?」と、牧師はついに街のまん中に立ち止まると、額を手で打ちたたきながら、自分に言った。「わたしは気が狂ったのだろうか? それとも、わたしはまったく悪魔に引きわたされたのだろうか? わたしは森で悪魔と契約し、血でそれに署名したのだろうか? それだから悪魔は今、彼のもっとも邪悪な想像力が思いつく限りの悪をわたしに実行するようにと暗示して、その約束の履行《りこう》のためにわたしを呼びよせているのだろうか?」
牧師ディムズデイル氏がこのように沈思《ちんし》内省して、手で額をたたいているときに、評判の魔女のヒビンズ老女史が、そばを通りかかったと言われている。彼女は、きわめて堂々たる様子をしていた。高い頭飾りをつけ、びろうどの豪華な上衣を着て、彼女の特別の友であるアン・ターナーがサー・トマス・オーバーベリーを殺したかどで絞首刑に処せられる前に、その秘訣を彼女に教えてくれたという有名な黄色いのりで仕上げられたひだえりをつけていた。この魔女が牧師の考えを読みとったかどうかはわからぬが、彼女は立ち止まると鋭く彼の顔をのぞきこみ、ずるがしこそうに笑って、今まで牧師とことばを交わすなどということはほとんどなかったにもかかわらず、話しはじめた。
「牧師さん、森へ行ってきなすったね」と、その魔女は高い頭飾りを彼に向かってうなずかせながら言った。「このつぎには、お願いですから、ちょっとわたしに声をかけてくださいな。喜んでお供しますから。じまんじゃありませんが、わたしがちょっと口添えすりゃ、どんな見知らぬ紳士でも、あなたも先刻ご存じのあそこの王さまは大歓迎してくださいますからね!」
「だけど」と牧師は、その婦人の地位に対してふさわしい、また牧師自身の育ちの良さがそうさせるおもおもしい礼節をもって答えた。「じつを申しますと、あなたのおっしゃる意味が理解できません! わたしは王さまを捜しに森へ行ったのでもありませんし、これからもそのようなかたの恩恵を受けるためにそこへ行くつもりもございません。わたしの森へ行くただひとつのじゅうぶんな目的は、わたしの信心深い友人である使徒のエリオットと会って、彼が異教徒の中から得た多くの貴重な魂のことを彼とともに喜び合うことだけです!」
「は、は、は」とその老魔女は、なおも高い頭飾りを牧師に向かってうなずかせながら、かん高い声で笑った。「ええ、ええ、昼間はそういうふうな話し方をしなくてはね! てぎわがおよろしいですわ! だけど真夜中になったら、また森の中でいっしょに別の話をしましょうね!」
彼女は、年寄りの持つ威厳を示して通り過ぎていった。しかし何度もふりかえっては、おたがいの関係の秘密の親密さを喜んで認めているもののように彼に笑いかけた。
「それではわたしはこの身を売りわたしてしまったのだろうか」と牧師は考えた。「人びとの言うのが正しいとすれば、この黄色いのりづけをして、びろうどを着た老いた魔女が彼女の王として、また主人として選んだ悪魔に、この身を売りわたしてしまったのだろうか?」
かわいそうな牧師よ! 彼はそれと似たような取り引きをしたのだ。しあわせの夢にたぶらかされて、慎重に選択したうえで、前にはしたこともないような、恐ろしい大罪として承知しているものに、彼は自分をゆずりわたしてしまったのだ。そしてその罪の伝染性の毒がこのようにすぐさま彼の道徳心の組織の中にひろがってしまった。それはすべての祝福された衝動をまひさせ、ありとあらゆる悪の衝動をいきいきと目ざめさせたのだった。けいべつ、いやみ、理由のない悪意、いわれのない悪の欲求、すべて善なるもの神聖なるものに対する嘲笑《ちょうしょう》、それらすべてのものが目ざめ、彼をびくつかせながらも誘惑するのだった。そして彼がヒビンズ老女史と出会ったことが、もしもほんとうのできごとであったとするならば、それは彼が悪人たちや、邪道に踏みこんだ霊たちの世界に対して共感をおぼえ、友情を感じたことを示すものにほかならなかった。
そうこうしているうちに、彼は墓地のはずれにある彼の家へたどりついていた。そこで急いで階段を登ると、彼は書斎へと逃げこんだ。町を歩いているあいだじゅう、たえずそそのかされていたあの奇妙な邪悪な奇行のどれかを実行することによって、はじめて自分の本性を世間にさらけだすというようなまねをせずに、このかくれ家へたどりつけたことがうれしかった。
彼は住みなれた部屋へはいると、まわりの本や、窓や暖炉や、つづれ織りの壁掛けのかかった心なぐさむ壁を見まわしたが、森の谷間から町まで、それからここまで歩いてくるあいだじゅう、彼につきまとっていたあの奇妙な知覚がまだ残っていた。ここで彼は勉強をし、書きものをした。ここで断食と不寝の苦行をして、半ば死んだようにもなった。ここで一心になって祈りもささげた。ここで数知れぬ苦しみに耐えたのだった! ここにはゆたかな古いヘブライ語で書かれた聖書もあって、モーゼや予言者たちが彼に語りかけ、神の声が全体にひびいていた! 机の上には、インクでよごれたペンのそばにまだ書き終えていない説教がのっていた。それは、二日前に思想がページの上に湧きでてこなくなったために、文章の途中で切られているものだった。こういういろいろのことをしたり悩んだりしながら、選挙祝賀の説教をここまで書きすすめてきたのがこの自分自身であり、やせおとろえた青白いほおの牧師であることを彼は知っていた。しかし今の彼は、一歩離れて、以前の自分を嘲弄《ちょうろう》するような、あわれむような、だが半ばうらやましいような好奇心をもってながめているようであった。あの自我はもうなくなっていた! 森からもどってきたのは別人の、もっとかしこい男で、前の男の単純さではとうていたどりつくことのできないかくされた神秘についての知識をそなえていた。しかも痛ましい知識であった!
このような考えにふけっているとき、書斎の扉をたたく音が聞こえた。牧師は「おはいりください!」と言ったが……邪悪な精霊を見るのではないかという気がしないでもなかった。たしかにそのとおりだった! はいってきたのは、老ロジャー・チリングワースだった。牧師は片手をヘブライ語の聖書にのせ、もういっぽうの手は胸の上に置いたまま、蒼白《そうはく》になって、ことばもなく立ちつくしていた。
「お帰りなさい、牧師さん!」と医師は言った。「あの信心深いかたのエリオット使徒はいかがでしたか? だけど、あなたは顔色が青いようですね。荒地の旅行があなたにはきつかったのかもしれませんね。選挙祝賀の説教をするための心と体力をつけるのに、わたしの助けが必要ではありませんか?」
「いいえ、けっこうです」と牧師ディムズデイル氏は答えた。「旅行と、あちらで神聖な使徒にお会いできたことと、自由な空気を吸ったりしたおかげで、たいへんぐあいがよいようです。長いこと書斎に閉じこもっていたあとですから。あなたの薬は、たしかによい薬だし……親切な友人の手から与えてもらってはいるんですが、もう必要はないと思います」
このあいだじゅうロジャー・チリングワースは、医者が患者に対するときの、あの厳格で一心な注意をもって牧師を見つめていた。しかし、この外面の見せかけにもかかわらず、牧師は、彼がヘスター・プリンと会ったことをこの老人が知っているか、あるいは少なくとも自信のある疑いをいだいているのを、ほぼ確信していた。医師のほうでも、牧師の心の中で自分がもはや信頼されている友人ではなくて、うらみ重なる敵となっていることを悟った。
これだけのことがわかった以上、その一部が表に出るのは当然であろう。しかし、ことばが物事を具体化して言いあらわすまでに、どんなにしばしば長い時間がかかるかは奇妙なくらいであり、ふたりがある話題をさけようとしているために、そのふちまで近寄りながら、じゃまもせずにどんなに安全に引きあげてくるかもまた奇妙千万である。したがって牧師は、ロジャー・チリングワースがあからさまなことばで彼らがおたがいに対して持つほんとうの立場に触れるのではないかという不安を少しも感じなかった。だが医師は、彼特有の陰険なやり方で、恐ろしくもその秘密の近くまでしのびよってきたのだった。
「今晩はこうしたらどうでしょう」と彼は言った。「わたしのまずい技術でもためしてみたら? まったく牧師さん、今度の選挙の説教のときのために、あなたをつよく元気にしておくのに全力をつくさねばなりませんよ。人びとはあなたから大きなことを期待していますからね。来年になったら、もう自分たちの牧師さんがいないのではないかという心配もありますしね」
「そうですとも、あの世に行ってしまって」と牧師は、信心深いあきらめをもって答えた。「よいほうの世界にしてもらいたいものです。実際、わたしはもう一年、過ぎゆく四季を信者たちといっしょに過ごせるとはほとんど思っておりません! だが、あなたの薬は今のわたしのからだの状態では必要ありません」
「それをうかがってうれしいですよ」と医師は答えた。「長いことききめがなかったのに、どうやらわたしの治療が当然の効を奏しだしたのかもしれませんね。わたしはしあわせだし、ニュー・イングランドの感謝をじゅうぶん受ける資格もあるでしょう、もしもこの治療が成功すれば!」
「ずっと見守ってきてくれたあなたに、心からお礼を申しあげます」と牧師ディムズデイルはまじめくさった微笑を浮かべて言った。「わたしは感謝します。そしてあなたのりっぱな行為に対しては、お祈りで報いることができるだけです」
「りっぱな人のお祈りは黄金の報酬《ほうしゅう》です」と老ロジャー・チリングワースは、別れを告げながら答えた。「まったくそういう祈りは、王自身の造幣《ぞうへい》所の印のついた『新しいエルサレム』〔『ヨハネの黙示録』二十一・二に「聖なる都、新しいエルサレム」とあり、神と聖徒たちの住みたもうところである〕の通用金貨です!」
ひとりになると、牧師は家の召使いを呼んで、食事を求め、それが前に運ばれると、がつがつした食欲で食べた。それから、すでに書きあげられていた選挙祝賀の説教の原稿を火に投ずると、ただちに別のを書きはじめた。それを書くとき、思想と感情が流れ出てきたので、自分に霊感がくだったと思ったほどで、天が自分のようなよごれたオルガンの音管を通して、壮大厳粛な神託《しんたく》の音楽を伝えるのを適当とお思いになったことをただただ不思議に思うばかりだった。しかし、その神秘はひとりでに解けさせることにして、あるいは永久に解かれないままにしておいて、彼はしんけんに急ぎながらも、我を忘れる恍惚境《こうこつきょう》のうちに、仕事をつづけた。
こうしてその夜は、あたかも翼のある駿馬《しゅんめ》のように、しかも彼がそれに乗って疾走するかのように、飛び去った。やがて朝が来て、顔を赤らめながらカーテンからのぞきこんだ。そしてついに日の出が書斎の中へ黄金色の光を投げこみ、牧師の幻惑された目にまともに当たった。そこに彼は、まだ指にペンをはさんだまま、文字に書いた広大なはかりしれないような空間をうしろにしてすわっていたのである。
[#改ページ]
二十一 ニュー・イングランドの祝祭日
新しい知事が、人民の手からその職権を受ける日の朝早く、ヘスター・プリンと小さなパールは、町の広場へとやってきた。そこはもうすでに職人や町のその他の一般|庶民《しょみん》でかなりこみ合っていた。その中には、また、多くのあらくれ者たちもまじっていた。彼らの着ている鹿皮の服によって、彼らが植民地の小さな都市をとりまく森の新開地のどこかから、やってきたのだということがわかった。
過去七年間、すべての場合にそうしてきたように、きょうのおおやけの祝祭日にも、ヘスターは、あらい灰色の地の服に身をつつんでいた。それは、その色合いによってというよりもむしろ、そのようすの言いあらわすことのできない特異性によって、彼女の姿をすっかり形も輪郭もぼやけさせる効果を持っていた。が、いっぽう、緋文字が、この夕闇のようなうす暗がりから、彼女をひきもどし、その文字の照らす道徳的な明りで彼女の姿をあらわしていた。町の人びとが長いあいだ見慣れたヘスターの顔は、いつもの大理石のような静けさを滞びていた。それは仮面のようだった。いや、むしろ死んだ女の顔だちの凍《こお》りついたような静けさとたとえたほうがいいかもしれない。このぞっとするような類似は、ヘスターがなんらかの同情を求めるという点では死人同様であり、また彼女がいまだに交わっているように見える世間とは、隔絶《かくぜつ》しているのだという事実を考え合わせれば、うなずけるのであった。きょうという日は、前には見られなかったような表情があったのかもしれないし、そのときそんなにいきいきとしていないために、認められるまでにはいたらなかったのかもしれない。もしなにか超自然的な力を持った観察者がまず最初に心を読みとり、それからのちにそういう心と符合するような顔つきや物腰の変化を捜し出した場合は、話は別である。そういう人の心を見抜くことのできる観察者であったならば、彼女がみじめな七年間を、宿命ででもあるかのように、また一種のざんげとして、また耐えねばならないきびしい宗教ででもあるかのように、衆人の目にさらされつづけてきたあとで、今、最後にもう一度、長いあいだ苦悩であったものを一種の勝利へと変えるために、心ゆくまで進んで衆人の凝視を受けようとしているのだということを悟ったかもしれない。
「この緋文字とそれを着《つ》けている女をご覧なさい。これが最後ですよ!」……人びとの犠牲であり、生涯の奴隷であると思われていた女は、彼らに向かってこう言いたかったのであろう。「でももう少したてばこの女は、もうあなたがたの手の届かないところへ行ってしまうのですよ! もう二、三時間もたてば、あなたがたがこの女の胸に燃えさせていた象徴を、あの深い神秘の海が永遠に消しとめ、かくし去ってしまうのですよ!」
彼女の存在自体とこのように深く結び合わされていた苦痛から解放されようとしているこの瞬間に、ヘスターの心の中に後悔の情が起こったと考えても、それは人間の性質に帰することなど考えられないような矛盾したことでもあるまい。ほとんど女盛りの年月をたえず味わってきたニガヨモギやロカイのコップを、これを最後に長く息もつかずに飲みほしたいという押えきれない欲求があったのではないだろうか? こののち彼女のくちびるにさし出される人生の酒は、浮き彫りのある金のコップに盛られた豊潤《ほうじゅん》なうまみの、うきうきさせるようものであるにちがいない。さもなくば、もっともはげしい効力を持つ強壮剤を飲んだときのように、彼女が飲まされたにが味の≪おり≫のあとに、避《さ》けがたいけだるい倦怠感《けんたいかん》を残すことであろう。
パールはうきうきするほど華美に飾りたてられていた。この明るい快活な幻影のようなこどもが、険気な灰色姿の人から生まれたのだということは、想像だにできないことであったろう。また、こどもの服装を考え出すのにどうしても必要であったにちがいない、あのように豪華であると同時に繊細な想像力が、ヘスターの質素な衣服にあのようにはっきりとした特異性を与えるという、たぶんもっと困難な仕事を成しとげたのと同じ想像力なのだということは、考えもつかないであろう。
小さなパールにぴったり似合っているその服は、パールの性格の流出であり、あるいはその性格の必然的な発展であり、外面へのあらわれであって、どうしても彼女から切り離せないのは、ちょうど蝶《ちょう》の羽から多彩なかがやきを切り離すことができないのと、あるいはまた、かがやく花びらから色彩のあざやかな光沢を取り去ることができないのと同様であった。花やちょうの場合と同じく、このこどもの場合も、彼女の服は彼女の本質とまったく同じ観念をあらわしていた。そのうえ、この重大な日、彼女の気分には、ある異常な動揺と興奮とがあった。それは、ダイヤモンドが飾られた胸のいろいろな動悸に伴って、きらきらきらめいたり、ぴかっと光ったりする、その微光に似ているとしかたとえようがない。こどもたちはいつも自分たちと関係のある人びとの動揺に対して共鳴するもので、特に、家庭内の事情に対しては、それがどんな種類のものであれ、なにか問題が起きかかっているのではないか、なにか大きな変革がさし迫っているのではないかという気持ちをいつもいだくものである。だから、母親の動揺する胸の上の宝石ともいうべきパールも、その心の踊りによって、ヘスターの額《ひたい》の大理石のような静けさの中からだれひとり見いだすことのできない感情を、はっきりとあらわしていたのだった。
この興奮のために、パールは母親のそばを歩かずに、小鳥のような動きでとびまわっていた。そして絶えまなく乱暴な、はっきりしない、またときには突き刺すような歌の叫びをあげていた。彼らが広場についたとき、その場所を活気づけている人の動きやざわめきを見て、パールは、なおさら落ち着かなくなった。というのは、ここはいつもは、町の商業の中心というよりはむしろ、村の教会堂の前のひろびろとしたものさびしい草地といった感じだったからである。
「ねえ、どうしてなの、おかあさん?」と彼女は叫んだ。「どうしてみんなはきょうお仕事を休んでいるの? きょうは世界じゅうのお休み日なの? ごらんなさいな、鍛冶屋《かじや》さんがいるわ! すすだらけの顔を洗って安息日の晴れ着を着ているわ。だれかがうれしがりかたを教えてくれたら、大喜びでうれしがりますって顔しているわ。それに、あそこに年寄りの牢番《ろうばん》のブラケットさんが、わたしに笑いかけてうなずいているわ。どうしてあんなことするの、おかあさん?」
「あんたのちっちゃい赤ちゃんのときのことを覚えているからですよ」と、ヘスターは答えた。
「それだからって、わたしを見てうなずいたり、笑ったりすることはないわ……黒い気味の悪い、やな目をしたおじいさん!」とパールは言った。「そうしたいんなら、おかあさんにうなずけばいいんだわ。だっておかあさんは灰色の服を着て、緋文字をつけているんですもの。でも、ごらんなさいよ、おかあさん、なんてまあ知らない人の顔がいっぱいいるんでしょう。それにインディアンも水夫さんもまじっているわ。この広場にいったいみんななにしに来たのかしら?」
「みんな、行列の通るのを見ようと待っているのよ」と、ヘスターは言った。「知事さんや判事さんたちがお通りになるのよ。それから牧師さんたちや、偉いかたやりっぱな人たちも、音楽といっしょにね。そして、兵隊さんがその前を行進していくのよ」
「それじゃ、あの牧師さんもいるの?」とパールはたずねた。「そしてわたしに両手をさし出してくださるかしら? おかあさんがわたしを小川のそばからあのかたのところへ連れていったときみたいに」
「いらっしゃるわ」と母親は答えた。「でもきょうはあんたに挨拶はなさらないし、あんたもご挨拶してはいけませんよ」
「なんて変わった悲しいかたなんでしょう!」とこどもは、半ばひとりごとのように言った。「まっ暗な夜には、あのかたはわたしたちを呼んで、おかあさんとわたしの手をお取りになる、いつかわたしたちが向こうの台の上にいっしょに立ったときのようにね! それから深い森の中では、古い木だけが耳をすまし、空の切れっぱしがのぞいているようなところで、あのかたは苔《こけ》の山に腰をおろしておかあさんと話をなさるのね! それから、わたしの額に接吻もなさって、小川の水では洗い流せないわ! だけどここでは、日の照っている昼間、多勢の人の中では、わたしたちを知らんふりをするのね。わたしたちも知らないふりをしなくちゃならないのね! おかしな悲しいかたなのね、手をいつも胸に置いていて」
「お黙りパール! あんたにはまだわからないの」と、母親は言った。「もう牧師さんのことは考えないで、まわりを見て、きょうのみんなの顔がなんて楽しそうかごらんなさい。こどもたちは学校から、おとなは仕事場や畠からやってきて、楽しもうとしているのよ。なぜって、きょうは新しいかたが知事さんにおなりになる日なの。だから……国がはじめてできて以来、人びとの習慣となっているように……みんな陽気に楽しんでいるの。まるで今までのあわれな世界に、ついにすばらしい金色の年がやってきたようにね」
人びとの顔を明るくかがやかせているいつもにない陽気さについては、ヘスターの言ったとおりであった。一年のうちのこのお祭りの時期の中に……二世紀の大部分のあいだ、前にもそうであったし、またその後も続いてそうであったように……清教徒たちは、彼らが人間の弱点として見のがしてもいいと思う陽気さやおおやけの喜びならなんでも、圧縮していたのである。それによっていつもたれこめている雲をすっかり追い散らしてしまったために、ただ一日の休日のあいだは、彼らは他の多くの社会が一般的な不幸の状態にあるときよりは、気むずかしい顔をしていないように見えた。
しかしわれわれは、たぶん、その時代の気分や風習を特徴づけている灰色や黒い色合いを過大視しすぎているのであろう。ボストンの広場に今集まっている人びとは、清教徒の陰気さを生まれながらにして受けついできたわけではない。彼らは、きっすいの英国人であり、その父親たちはエリザベス朝時代のかがやく豊富さの中で生涯を送ったのだった。しかも、そのエリザベス朝という時期は、英国の生活をひとつの偉大なかたまりとして見た場合、世界がこれまで目撃したこともなかったほど堂々とした壮厳な楽しいものであったと思われる時代であった。もしも彼らの遺伝的な趣味に従っていたならば、ニュー・イングランドの植民者たちは、かがり火や宴会や見せ物や行列などによって、おおやけの重要なすべてのできごとを飾りたてたことであろう。また壮厳な儀式を守る場合にも、楽しい娯楽と厳粛さとを結びつけて、いわば、こういうお祭りのときに国が身につけるいかめしい礼服に異様なかがやく刺繍をほどこすことも実行不可能なことではなかったろう。
この植民地の政治の歴史の始まった日を祝うやりかたには、わずかながらもこういう種類の試みがあった。彼らの誇るなつかしいロンドンにおいて見たもの……国王の戴冠式のときのとは言わないまでも、ロンドン市長|就任披露《しゅうにんひろう》行列のときに見たもの……のうち、まだ記憶にのこる華麗さのおぼろな反映や、色もあせてすっかり薄くなってしまったくりかえしなどが、例年の長官就任に関してわれわれの先祖たちの定めた慣例の中に残っていると言ってもよいだろう。この共和国の父祖であり建設者である人たち……政治家や牧師や軍人……は、外見の儀式と威厳を装うことが、その当時の義務であると思っていた。というのは、そういう態度は古風なしきたりに従えば、おおやけの地位や社会的地位の高さにふさわしい衣装と見られていたからであった。これらすべてのものが、人民の目の前に行列をなして進んできて、新しく建設された政府の簡素な機構に必要な威厳を添えたのであった。
するとまた人民たちも、よしんば激励はされないにせよ、他の場合には彼らの宗教と同じ性質のものと見なされているいろいろなつらいきびしい仕事にしゃにむに従事する緊張をゆるめてもよいという気持ちになれるのだった。たしかに、ここには、エリザベス女王時代や、ジェームズ王時代のイギリスにはたやすく見いだせたような一般の娯楽施設はひとつもなかった。……芝居《しばい》がかった騒々しい見せ物も、竪琴をかき鳴らして伝説のバラードを歌う吟遊詩人《ぎんゆうしじん》も、音楽に合わせて踊る猿をつれた大道芸人もいなかったし、魔女まがいのトリックを使う手品師も見あたらなかった。
また、おおかた百年も昔からのものでありながら、今もなおききめのある冗談《じょうだん》を言って、たやすく笑いに共鳴してまきこまれる人びとの広い胸に訴えて、群衆を湧きたたせる道化師もいなかった。こういう種々さまざまの笑いをさそう専門家たちは、かたくるしい法律の規則によるばかりでなく、法に生命を与える一般感情によっても、きびしく抑圧されていたであろう。だが、それにもかかわらず、人民の大きな正直な顔は、陰気だったかもしれないが、おおっぴらに笑っていた。また、植民者たちがずっと昔イギリスのいなかの市場や村の芝生の上で見たり、いっしょにやったりした運動競技もないわけではなかった。それに、こういう運動競技は、その必要条件である勇気や男らしさのために、この新しい土地でも残しておくほうがよいと思われていたのである。
コーンウォルとデヴォンシャーの方式のちがった流儀で、すもうの試合が、広場のまわりのあちこちで見られた。ある町かどでは六尺棒試合が仲よく行なわれていた。それに……もっとも多くの人の興味をひいたのは……この書物の中にすでにしるされた処刑台の上で護身術《ごしんじゅつ》の先生がふたり、円楯と≪だんびら≫で試合をはじめていた。しかし、群衆がひどくがっかりしたことには、この試合は町役人の横やりで中止させられてしまった。町役人は、町の神聖な場所のひとつがこのように乱用されて、法の威厳が冒されることをとうてい許す気にはなれなかったからである。
だいたいにおいて、彼らは(当時の人びとは、楽しみのない生活態度の第一段階にあり、しかも全盛時代には楽しむ方法を知っていた人たちのすぐの子孫に当たるので)休日を祝う点では彼らの子孫たちに比べ、われわれのようにずっとへだたった年代の者と比べてさえも、有利であったと断言してもゆきすぎではないであろう。彼らの直系である初期移民のつぎの世代は、清教主義の最も暗い影をまとっていて、国民の顔つきをすっかり陰気に暗くしてしまったために、それにつづくすべての歳月もその雲を払いのけるのにじゅうぶんではないほどであった。われわれは今でも、忘れ去られた陽気になる方法をもう一度学び直さねばならない。
広場における人生模様は、その全体の色合いはイギリス移住者たちの悲しい灰色や茶色や黒色ではあったが、それでもいくつかのちがった色合いで活気づけられていた。インディアンの一群……奇妙に縫いとりされた鹿皮の服を着て、貝がら玉のベルトをしめ、赤や黄色の絵の具で顔を塗り、羽毛をつけて、野蛮人らしくめかしたて、弓と矢、石の頭のついた槍《やり》を持って身を固めていたが……彼らは、清教徒たちも顔まけのかた苦しいきまじめな表情で、人びとから離れて立っていた。これらの絵の具を塗りたくった蛮人たちも、野蛮ではあったが、この場所のいちばんあらあらしい特色にはなっていなかった。いちばん特色をあらわしていたのは、なんと言っても、幾人かの水夫たちで……カリブ海沿岸地方から来た船の乗組員の一部で……彼らはこの選挙日の楽しみを見に上陸したのだった。彼らは粗野《そや》な風采《ふうさい》の命知らずで、日に焼けた顔をして、ひげをぼうぼうとはやしていた。彼らの、幅のだぶだぶの短いズボンはベルトで腰のあたりにとめられていて、ときには金の平板でとめているものもいたが、いつも長い小刀をつるし、ある場合は、剣をつるしていた。しゅろの葉で編んだ広つばの帽子の下からは、上きげんでうれしがっているときでさえも、一種の動物的|獰猛《どうもう》さを帯びた目が、ぎらぎらとかがやいていた。彼らは、恐れもためらいもなく、他のすべての人びとを束縛している行動の規則を破って、町役人の鼻のすぐ下でたばこをふかしていた。町の人だったら一服ごとに一シリングの罰金はとられたであろう。そして、気のむくままに、ポケットびんからブドウ酒や、ブランデーをがぶがぶと飲み、口をぽかんとあけて見とれているまわりの群衆に向かって、気まえよくすすめたりした。
これは明らかに、われわれがいくら厳格だと呼んでも、船乗り階級に対しては、陸の上での気まぐれな行為ばかりではなく、本来の持ち場の海上におけるもっとむこうみずの行為に対してさえも、過度の自由を与えているその時代の道徳の不完全な面を特徴づけていたのである。その当時の船乗りは、現代ならば、海賊としてとがめられるものに近かった。たとえば、この船の乗組員は、特に船員仲間では好ましくないほうではなかったにせよ、今日の法廷だったら首の危うくなるような略奪をスペイン貿易に加えて、われわれの言う有罪ということになったであろうことは疑いをいれない。
しかし、昔は、海はかって気ままに波打ち、うねり、泡だって、服従するのはただ暴風雨に対してのみ、人間の法律などに統制されようとはしなかった。波の上の海賊は、その職業を捨てれば、その気にさえなれば、直ちに、陸の上では廉潔《れんけつ》な信心深い人間にもなることができたであろう。そればかりか、その無頼な生活を送っているときでさえ、彼と取り引きしたり、まんぜんと交際しても、べつに不面目《ふめんぼく》なことではなかった。したがって、黒い外套を着、のりでかためた垂れえりをつけ、先のとがった帽子をかぶっている清教徒の長老たちも、これらの陽気な船乗りたちの騒々しい粗暴な振舞を、まんざらやさしくなくもない微笑を浮かべてながめていた。だから、ロジャー・チリングワース老医師のような尊敬すべき市民が、このいかがわしい船の船長と親しそうになれなれしく語り合いながら広場へやってくる姿が見られても、おどろきや非難を起こすことはなかった。
船長は、衣装に関するかぎりは、最も目だつはなやかな姿をしていたので、どんな人ごみの中にいてもすぐ目についた。上衣にリボンをいっぱいつけ、帽子には金色のレースをつけ、さらにそのまわりを金のくさりで巻き、てっぺんには羽毛を飾っていた。腰には剣をさし、額には刀傷があったが、その傷を、髪の毛の分け方によって、彼はかくすよりもむしろ見せびらかしたいと思っているように見えた。陸の人なら、このような服装をして、こんな顔を見せることはできなかったであろう。また、もしもこのように陽気にこういう服装や顔を見せたとしたら必ずや判事の前できびしい訊問《じんもん》を受け、そのあげくは、たぶん罰金か禁固《きんこ》の刑を受けるか、あるいはおそらく台の上でさらしものにされることになったであろう。しかし、この船長の場合は、すべてのものが、さかなにとってのかがやくうろこのように、その性格に付随《ふずい》するものと見なされていた。
医者と別れてから、このブリストルの船の船長は、広場をぶらぶら歩いていた。が、たまたまヘスター・プリンの立っているところへ近づくと、彼女に気づいたらしく、ちゅうちょせずに話しかけた。ヘスターがどこに立っても、いつもの例のごとくまわりに小さな空地……一種の魔法の円のようなもの……ができるのが常で、少し離れたところではどんなに人びとが押し合いへし合いしていても、だれひとりその中に立ち入ろうとはしなかったし、またそうしたいと思うものもいなかったのである。それは、緋文字がそれを胸につけている宿命の女をつつんでいる道徳的孤立の力づよい象徴で、半ばは彼女自身の遠慮によってであり、半ばは、もはやそれほど不人情なものではなかったとはいえ、本能的な彼女の同胞たちの引っこみじあんのためでもあった。
以前はこんなことはなかったが、今は、ヘスターと船長が立ち聞きされる心配なしに話し合うことができて好都合であった。しかも、ヘスター・プリンの大衆間の評判は一変していたために、貞操堅固で聞こえている既婚婦人といえども、彼女ほどの悪評もたてられずに、このような交際をすることはできなかったであろう。
「それで、おくさん」と船長は言った。「おくさんが予約なさったよりもひとつ余計に事務長に寝台を用意させなきゃならないようですよ! 今度の航海では、壊血病《かいけつびょう》や発疹《はっしん》チフスの心配はありません! 船医のほかにもうひとり医者がいることになったので、あぶないのは薬や丸薬が原因となる危険ばかり。ほかにはありませんよ。そのうえさらに、スペインの船と取り引きをしたんで、薬屋の材料がいっぱい積んであるんですよ」
「なんですって?」とヘスターはたずねたが、顔にあらわしたより心の中ではもっとおどろいていた。「もうひとり乗客がいるんですか?」
「おや、ご存じじゃないんですか?」と船長は叫んだ。「今ここにいたお医者さんで……チリングワースさんとか名のっていた……あの人が、あなたがたとわしの船の食事をいっしょにしたいんだそうですよ。いやあ、あなたはご存じのはずですよ。彼はあなたがたの仲間で、あなたが言っていなすった紳士とはなかのよい友だちだと言っていましたよ……なにか、その紳士は、ここの意地のわるい老いぼれの清教徒の役人たちのために生命の危険にさらされているんだそうですよ!」
「あのかたたちは、なるほど、お知り合いはお知り合いです」とヘスターは、静かな態度で答えたが、じつはおそろしく狼狽《ろうばい》していた。「おふたりは長いあいだごいっしょに住んでいらっしゃったんです」
それ以上は、ヘスター・プリンと船乗りとのあいだにはことばは交わされなかった。だが、その瞬間、彼女は、ほかならぬロジャー・チリングワースその人が、広場のはずれに立って、彼女に笑いかけているのを見た。その微笑は、その広い、雑踏する広場をよこぎり、群衆の話し声や笑い声や、さまざまの考えや気分や興味を通り抜けて……かくされた恐ろしい意味を伝えているのだった。
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二十二 行列
ヘスター・プリンが考えをまとめて、この新しいおどろくべき事態に対して実行できる方法を考え出せないでいるうちに、軍楽の響きが隣接する通りから近づいてくるのが聞こえた。それは、役人や市民たちの行列が教会堂のほうへ向かって進んでいることを示すもので、そこでは、そのころすでに定められ、それからのちもずっと守られてきている習慣にしたがって、牧師ディムズデイル氏が、選挙祝賀の説教をすることになっていた。
やがて行列がゆっくりと堂々と行進しながら、町かどをまがり、広場を横断して、その先頭をあらわしてきた。先頭は楽隊だった。それはさまざまな楽器で構成されていた。おたがいに完全に調子が合っていなかったし、たいしてうまく吹奏されなかったかもしれないが、しかし、太鼓《たいこ》とクラリオンの調和が大衆へ呼びかける大きな目的……目の前を通りすぎる人生の情景に、より高い、より英雄的な雰囲気を与えるという目的は果たしていた。小さなパールは最初のうちは手をたたいていたが、やがて一瞬、朝じゅう彼女をずっと興奮させていたあの落ち着きのない心の動揺を失っていた。彼女は黙って見つめていた。そして、波にただよう海鳥のように、音響の長い高まりうねりにのって、上へ上へと運び上げられるように思えた。しかし、彼女は、楽隊のうしろからついてきて、その行列の名誉ある護衛《ごえい》となっている軍隊の武器や、かがやく鎧《よろい》に照りつける太陽のちらちらする光を見ると、またもとの気分へともどるのであった。
この兵士の一隊は……今もなお団体としての存在をつづけ、昔の名誉ある名声をもって過去の時代から今へと行進してきているが……傭兵《ようへい》から成っているのではなかった。その隊列をなしているのはみな紳士たちで、彼らは武勇の血が湧きたつのを感じ、一種の軍事学校を創立しようとしていた。その学校では、テンプル騎士団〔一一一八年聖地巡礼者を保護するために十字軍の中につくられた団体〕という団体のように、軍事科学をまなび、また平和的な訓練で教えられるかぎりの戦争の訓練をしようと計画されていた。その当時軍人に対して払われていた高い評価は、その軍隊の各人のどうどうとした態度にもあらわれていた。彼らの中には、実際、オランダ地方やヨーロッパの他の戦場に従軍したことによって軍人としてのはなやかな名声を帯びる資格をりっぱにかちとったものもいた。そのうえぴかぴかにみがきあげた甲冑《かっちゅう》を身にまとい、かがやくかぶとに羽毛をうなずかせている全体の装いは、どんな現代の美しい見せ物も及ばないほどのかがやかしい効果をあげていた。
が、護衛の軍隊のすぐあとにつづいた地位の高い文官たちは、思慮ある人の目から見れば、もっと価値あるものであった。外がわの振舞においてさえも彼らは、軍人たちのごうまんな歩きぶりが、ばかげているとまではいかないまでも、下品に見えさせるような威厳のあるようすを示していた。そのころはいわゆる才能というものが今日よりもずっと考慮されないで、人格の落ち着きと品位を与えるどっしりとした要素が、はるかに重んじられていた時代であった。当時の人びとは、世襲《せしゅう》の権利として、敬愛の性質を持っていた。しかし、それは、子孫の代になると、たとえ残っていても、前よりは少ない割合で、公人を選出したり評価したりする場合にはきわめて弱まった力しか残っていない。この変化はよかれあしかれ、両者のためかもしれないし、今はおそらく部分的に両者のためになっているのであろう。
遠い昔、この未開の海岸に植民したイギリス人は……王も、貴族も、他のすべての恐ろしい階級をもあとに残してきながら、いっぽうにはまだ敬愛の能力も必要もつよかったので……年老いた白髪のこうごうしい顔つきの人や、長く試練を受けた高潔の士や、充実した知恵と悲しい体験を持った人や、永久不滅という概念を与えたり、尊敬という一般的な定義に値するようなまじめな重々しい種類の性質の持ち主に、その敬愛の気持ちを払ったのだった。したがってあの初期の政治家……ブラッドストリート、エンディコット、ダドレイ、ベリンガム〔いずれもマサチューセッツ州の知事〕、および彼らの仲間たちは……初期の人民の選挙によって権力の地位にのぼったが、さほどはなばなしくはなかったようで、名まえをあげたのは知能の活動よりもむしろ重々しい厳粛な態度によってであったように思われる。彼らは不屈の精神と、独立独行の心意気を持っていたので、困難や危機の際には、怒涛《どとう》逆まく海に対する断崖の列のように、国家の幸福のために立ち上がった。
ここにあげたような性格の特徴は、新植民地の長官たちの四角ばった顔つきや大きなからだの発育によくあらわれていた。しぜんの威厳をそなえた態度に関するかぎりは、母国イギリスは、これら実際の民主々義の先輩たちが、もし上院へいれられたり、国王の枢密《すうみつ》顧問《こもん》とされるのを見ても、恥じるにはおよばなかったであろう。
役人たちのつぎには、かの若い名声の高い聖職者がつづいてきたが、この人の口から、きょうの記念日の宗教講話が期待されているのであった。彼の職業は、その時代においては、政治生活よりも、はるかに知的能力の発揮される職業であった。というのは……より高い動機は問題外としても……この職業は、世間からほとんど拝まんばかりの尊敬を受けていて、最も野心のあふれている人をもその職へと引きいれるだけの強力な誘因をそなえていたからである。政治的権力でさえも……インクリース・マザー〔最も有力な清教主義の指導者。一六八五〜一七〇一年にはハーバード大学の学長もつとめた〕の場合のように……有力な牧師の手ちゅうにあったのである。
今、ディムズデイル氏を見た人びとの意見によると、彼がはじめてニュー・イングランドの海岸の土をふんで以来、この行列に参加して行進している彼の歩きぶりや態度に見られるような満ちあふれる活力を示したのは、これまで一度もなかったということだった。いつものように足どりは弱々しくはなかったし、からだも前かがみになってはいなかったし、手を陰気に胸に当ててもいなかった。しかし、もしも牧師を正しく観察したならば、彼のつよさが肉体のものではないことがわかったであろう。それは精神のつよさであり、天使の助けによって授けられたものであったのかもしれない。それは、真剣《しんけん》な長くつづけられた思索のかまどの火の中でしか蒸溜《じょうりゅう》されない、つよい強壮剤によるはしゃいだ気分であったのかもしれない。あるいは、おそらく、彼の感じやすい気質が、天に向かって高まり、その波に彼をのせて運んでいく高い突き刺すような音楽によって、活気づけられたのであろう。
それにもかかわらず、彼の表情はぼんやりしていて、ディムズデイル氏がその音楽を聞いているのかどうかさえもあやしまれるほどであった。からだは前へ前へと、しかもいつもになく力づよく進んでいた。だが彼の心はどこにあったのだろう? 心はその領域の中の奥深いところで、異常な活動力によって、やがてそこから湧きあがる堂々たる思想の行進を整理するのに多忙をきわめていたのである。だから、彼にはなにも見えず、なにも聞こえず、なにもわからなかった。ただ精神的な要素が弱いからだを抱き上げて、その重さも意識せず、それを自分のように精神的なものに変えて運んでいったのである。なみなみならぬ知力の持ち主は、病気になっても、こういう偉大な努力のできる体力を持つことがときにあり、その努力の中に彼らは何十日間の生命を投げこんでしまうために、そのあとはちょうど同じ日数だけ生命を失ってしまうことがある。
牧師をじっと見つめていたヘスター・プリンは、なにかものわびしい力が自分を襲ってくるのを感じた。だが、どうして、どこから来るのかはわからなかった。ただ、彼が彼女自身の世界からかけ離れた、彼女のまったく手のとどかないところにいるように思われるのだった。たがいにみとめ合うまなざしが必ずふたりのあいだにかわされるものと彼女は想像していた。彼女はうす暗い森のことを思った。そこには人里離れた小さな谷間があり、愛があり、苦悩があり、苔《こけ》むした木の幹があった。そこで手と手を取り合って腰をおろし、ふたりは自分たちの悲しい情熱的な話に小川の憂鬱《ゆううつ》なつぶやきをまぜ合わせたのだった。あのときわたしたちはたがいになんと深く知り合えたことだろう! これがあのときの人なのだろうか? こんな人はわたしは知らない! この人は、いわばゆたかな音楽につつまれて、荘厳ないかめしい長老たちの行列とともに、誇らしげに通り過ぎていく! この人は世間的な高い地位にあってとても手がとどきかねるし、いわんや、今わたしがながめているように、わたしの心に答えてくれようとしない。彼の気持ちの展望を通してながめると、なおさら手がとどきかねる! すべては幻想であったにちがいない、いくらまざまざと夢みたとはいえ、牧師と自分のふたりのあいだには、ほんとうのきずななどありえないのだと考えると、彼女の気持ちは沈んでいくのだった。
こうなると、ヘスターの胸にたぶんに女らしい心が起こってきて、とうてい彼を許すことができなかった。……いわんや、近づく運命の女神の足音がしだいに近く聞こえようとしている今となっては……なぜって、彼は自分たちふたりの共通の世界からこのように完全に手を引くことができるのに、彼女のほうは暗闇の中を手さぐりして、いくら冷い手をさしのべても、彼を捜し出せないでいたからである。
パールは母親の感情を知ってそれに反応したのか、あるいはまた牧師のまわりにたちこめたつかみどころのないよそよそしさを自分自身で感じとったのであろう。行列が通るあいだ、こどもは落ち着かなく、今にも飛び立とうとする鳥のように、そわそわしていた。行列が全部行き過ぎてしまったときに、彼女はヘスターの顔を見上げた。
「おかあさん」と彼女は言った。「あれが、小川のそばでわたしに接吻したのと同じ牧師さんなの?」
「黙ってらっしゃい、パールちゃん」と母はささやいた。「森の中であったことを、この広場では言ってはいけないのよ」
「わたしは、あれがあのかただなんてどうしても思えないわ。だって、とっても変わって見えるもの」とこどもはつづけた。「そうでなかったら、わたしあのかたのところへ走っていって、さあみんなの前で接吻してくださいな、あの暗い森の中でしてくださったようにって、言うつもりだったの。おかあさん、そうしたら、おかあさん、あの牧師さん、なんておっしゃったかしら? 胸をたたいて、わたしをにらみつけ、あっちへ行けっておっしゃるかしら?」
「パール、あのかたのおっしゃるのは」とヘスターは答えた。「ただ、今は接吻するときじゃない、接吻は広場でするもんじゃありませんとおっしゃるだけよ。だけど、おばかさん、あのかたに話しかけたりしなかったのはおりこうだったわ!」
ディムズデイル氏について別の陰影をもった同じような感情が、あるもうひとりの人によって口にされた。その人は奇行……というよりも狂気と言ったほうがよいかもしれぬが……によって、町の人のあえてしようとはしないことをしたのだった。すなわち公衆の面前で、緋文字をつけた女と話しはじめたのだった。それはヒビンズ女史だった。彼女は三重のひだえりや、刺繍をした胸着や、美しいビロードの上着や、金の飾りのついた杖などで、すばらしく飾りたててこの行列を見るために出てきていた。この老女は当時もつづけて行なわれていた魔術のあらゆる活動において主役をつとめているという名声を得ていたので(その名声のためにのちに彼女は命までも失うことになるのだが)、群集は彼女の前では道をゆずり、その豪華なひだのあいだに疫病《えきびょう》でもひそんでいるかのように、彼女の着物が触れるのも恐れているようだった。
彼女がヘスター・プリンといっしょにいるのを見ると……多くの人たちは今はヘスターに対してやさしい気持ちをいだいていたので……ヒビンズ女史によってかきたてられた恐怖は倍加し、人びとはみな広場のふたりの女が立っているところからしりぞいた。
「ところで、人間の想像力であんなことが考えられるでしょうかね!」と老女はこっそりとヘスターにささやいた。「あの牧師さんですがね! 地上の聖者さまとみんなはもち上げているし……わたしの意見を言わねばならないとしたら……たしかに見かけはそうですよね。だけど、あの人が今こうして行列に加わって通っていくのを見た人で、想像できる人があるでしょうか、あの人が書斎から出て……きっと口の中でヘブライ語の聖書の文句をぶつぶつ唱えながら……森へ散歩にでかけたのが、ついこのあいだだってことを! へへえ! ヘスター・プリンさん、わたしたちにはそのわけがわかりますよね。それにしても、まったくのところ、あれがあのときの人だとはどうしても思えませんね。わたしは教会員がたくさん楽隊のあとから歩いてゆくのを見ましたが、あの人たちは、『だれかさん』がバイオリンひきになって、たぶんインディアンのまじない師かラップランドの魔術師〔北欧のラップ族の住む地域は寒気がきびしく、住民はせまい住居に生活しなければならないために神経症患者が多く、そのために祈祷師や魔術師が多い〕がわたしたちと手を取り合っておどったときに、同じようにわたしといっしょに踊った人たちですよ。そんなことは、女が世間を知れば、たいしたことじゃありませんよ。だけど、この牧師は! ねえ、ヘスターさんや、あれが森の小道であんたに会った人と同じ人かどうか、はっきり言えますか?」
「さあ、あなたのおっしゃることはわかりませんわ」とヘスター・プリンは、ヒビンズ女史は頭が弱いのだと思って、答えた。だが、女史が(自分自身をもふくめて)そんなにも多くの人たちと悪魔との個人的な関係を、確信をもって断言しているのを見て、奇妙なおどろきに打たれ、また恐れをなしたのだった。
「牧師のディムズデイル先生のような、学識のある敬虔《けいけん》な福音《ふくいん》のお使いのことを、そんなに軽々しく口になどできませんわ」
「まあ、あきれた!」と老女は、ヘスターに向かって人さし指をふり動かしながら、叫んだ。
「あんたは、わたしがそんなにたびたび森へ行っていながら、だれがそこへ行ったか、判断する業《わざ》も知らないとでも思っているんですか? 知っていますよ、そりゃ踊っているあいだかぶっていた野生の花輪は、葉っぱ一枚だって髪には残ってはいないがね。ヘスターさん、わたしはあんたを知っていますよ。なぜってその印を見たからね。お日さまの照っているときにはだれだってその印が見えるし、暗けりゃ暗いで、まっ赤なほのおのようにかがやいているからね。あんたはそれをおおっぴらにつけているから、問題はないがね。だがあの牧師ときたひにゃ。耳を貸してくださいな!魔王さまは、牧師のディムズデイルさんのように署名もし、捺印《なついん》もした部下のものが、その契約を白状することを恥ずかしがったりするのをごらんになると、いずれ白昼の光の中で全世間の人たちの目にその印がさらけ出されるように、ことをお運びになる方法をご存じなのさ。いつも胸に手を当てて、あの牧師さんはいったいなにをかくそうとしているんだろうね? ねえ、ヘスター・プリンさん?」
「いったい、なんなの、ヒビンズおばさん?」と熱心に小さなパールはたずねた。「あなたはそれをごらんになったの?」
「なんでもないの、あなた」とヒビンズ女史はパールに深い敬意を表しながら答えた。「いつかそのうちに、あんたは自分で見えるようになりますよ。あんたは魔王さまの血統をひく人だという評判だからね。いつか晴れた晩に、あんたのとうさんに会いに、わたしといっしょに飛んでいきませんかね? そうすりゃ、なぜ牧師さんがいつも胸に手を当てているかわかるでしょうよ!」
広場全体に聞こえるかと思うほどかん高い声で笑いながら、その気味のわるい老女は去っていった。
このころには、教会堂では式の初めのお祈りも終わり、牧師ディムズデイル氏が、説教を始めている声が聞こえていた。感情を押えきれなくなって、ヘスターはその場から離れられなくなった。その神聖な建物はもうひとりもはいれないほどこみ合っていたので、彼女は例の処刑台のそば近くに立っていた。そこは、牧師の特徴のある声が、はっきりとはしないまでも、さまざまなつぶやきや流れになって、説教全体が彼女の耳にはいってくるほど近いところだった。
この彼の声帯そのものがひとつのゆたかな天賦《てんぷ》であったので、聴衆は牧師の話すことばは一語も理解できなくとも、その声の調子や抑揚《よくよう》だけでからだを左右に揺り動かされたと言ってもよかった。それは、あらゆる他の音楽のように、聞く人がどこで教育されようと、その心に固有のことばで、情熱と悲痛、高いあるいはやさしい感情を語りかけたのだった。その声は教会の壁を通り抜けてくるために、不明瞭《ふめいりょう》になってはいたけれども、ヘスター・プリンは一心になって耳をかたむけ、心からの共感を覚えたので、ことばははっきりしないが、そんなこととはまったく関係なく、彼女にとっては、その説教は完全なひとつの意味を持っていたのであった。これらのことばはおそらく、もしもっとはっきり聞こえていたら、ただより大ざっぱな媒介《ばいかい》にすぎなくなって、精神的な感覚をさまたげてしまったであろう。今彼女の耳にはいったのは、風がしだいにしずまって休止してしまうような低い声である。だがつぎにその声がだんだんさわやかさと力づよさを増して高まっていくにつれて、彼女の心も興奮して、ついにはその音量が畏怖《いふ》の念とおごそかな壮麗さの大気をもって彼女をつつみこんでしまうように思われた。
とはいえ、その声はときにはどんなに荘厳であっても、その中にはつねに訴えるような本質の性格がこもっていた。高くあるいは低く苦悶を表現し……なやめる人類のささやきや絶叫のようにも思われ、それはあらゆる人の心の琴線《きんせん》にふれるものであった! ときにはこの深い悲痛の調子だけが耳に聞こえ、もの悲しい沈黙の中でため息がかろうじて聞こえるにすぎないときもあった。しかし牧師の声が高く冒しがたいものになって……おさえきれない勢いでほとばしり出て……最高の広がりと力を発揮して教会の中に満ちあふれ、その堅い壁を突き抜けて外へあふれ出ようとするときに……そういうときでさえ、もしも聴衆が一心に耳をかたむけ、またそのつもりで聞いていたならば、同じ苦痛の叫びを聞きわけるとができたであろう。それはなんであったのか? 悲しみを背負い、あるいは罪を犯した人間の心が、それが罪であれ悲しみであれ、その秘密を人類の大きな心に向かって訴えている叫びなのだ。……どの瞬間にも……どの語調の中にも……人類の大きな心の同情と許しを求めていて、しかもそれはむだではなかった! 牧師にもっともふさわしい力を与えていたのは、この深い休みのない低音であった。
このあいだじゅう、ヘスターは、彫像のように、処刑台の下に立っていた。もしも牧師の声が彼女をその場に足止めしていたのでなかったにしても、彼女の屈辱の人生の出発点となったその場所は、なにかさけられない磁気があったのであろう。彼女の胸の中には……ひとつの考えとしてまとるにはあまりにばくぜんとしていたが、彼女の心に重くのしかかっている……意識があった。それは、彼女の生涯全体が、その前後とも、それに統一を与えるひとつの点と同じように、この地点と結びついているという意識であった。
小さなパールは、そのあいだに母のそばを離れて、自分かってに広場を遊びまわっていた。彼女は、そこの陰気な群集を、彼女の風変わりな、かがやくばかりの光によって明るくしていた。ちょうどきらきら光る羽毛の小鳥が、ほの暗い木の葉の茂みの中を、見えかくれしながらあちこち飛びまわって、うす暗い葉のむらがる木全体を明るくするのに似ていた。彼女は波のうねりのような、だがときどきは鋭い不規則な動作をした。それは彼女の精神の休みのない快活さを示していて、つま先で踊りまわってもいつもの倍も疲れを知らなかった。というのは、彼女の精神は母親の心の動揺につれてかきたてられ、揺れ動いていたからである。パールは、彼女のつねに活動的な、うろつきまわる好奇心を刺激するようなものを見つけると、すぐさまそちらへ飛んでいった。そして、人でも物でも、それがほしければ、自分のものとしてつかみかかったということができよう。だがそのおかえしに、自分の動作をほんの少しでも控えるなどということはまったくしなかった。清教徒たちは、彼女を見て、たとい微笑を浮かべても、説明のできないような、美しい風変わりな魅力がその小さな姿からかがやき出て、動きまわるたびにきらめくことから判断して、この子は悪魔の申し子だと言わないわけにはいかなかった。
彼女が走っていって、野蛮なインディアンの顔をのぞきこむと、インディアンは、自分よりももっと野性的な性格に気づいた。それから、生まれつきの大胆《だいたん》さをもって、だが彼女特有の遠慮深さをもって水夫たちの群れの中へ飛びこんでいった。彼らは、インディアンが陸の野蛮人であるように、日に焼けた海の野蛮人だが、おどろきと賞賛の目でパールを見つめた。あたかも、海の泡《あわ》の一片が小娘の形をとって、夜中にへさきの下できらめく海火の魂を与えられたかのようであった。
こういう海の男たちのひとり……じつは、ヘスター・プリンに話しかけた船長……は、パールのようすにひどく打たれて、接吻するつもりでパールに両手をのせようとした。パールにさわるのは飛んでいる蜂鳥をつかまえるのと同じくらいむずかしいことがわかったので、彼は帽子のまわりに巻きつけてあった金の鎖をはずすと、それをこどもに投げてやった。パールはすぐさまそれを首と腰に巻きつけた。しかもそれがじつに巧みなので、そこに巻きつけられたところを見ると、まったく彼女のからだの一部になってしまって、それをはずしたパールを考えることなどできないほどであった。
「あんたのおかあさんは、あそこの緋文字をつけた人だろう」とその船長は言った。「おかあさんに言《こと》づてを持ってってくれないかね?」
「その言づてがわたしの気にいったら、してあげるわ」とパールは答えた。
「それじゃ、伝えておくれ」と彼は答えた。「わしは、あの顔の黒い、肩にこぶのある年とったお医者と、もう一度話してみたがね、あの人は、彼の友だちでおかあさんの知っている紳士たちを連れて船に乗ると言ってたよ。だから、おかあさんはあんたと自分のことだけ考えていればよろしいと、言ってくれないかね、魔法使いのおじょうさん」
「ヒビンズのおばさんが、あたしのおとうさんは魔王だって言ってるわ!」とパールは、いたずらっぽい微笑を浮かべながら、叫んだ。「もしおじさんがわたしをそんなひどい名で呼ぶんなら、悪魔に言いつけてあげるから、そうしたら、悪魔が嵐でおじさんの船を追いかけまわるわよ!」
広場をジグザグに歩いて、パールは母親のところへもどると、船長の言ったことを伝えた。ヘスターのつよい、落ち着いた、しっかりと耐えしのんでいる精神も、このさけることのできない宿命の暗い苛酷《かこく》な顔を見ては、ついに沈んでしまいそうだった。その宿命は……牧師と彼女自身にとって悲惨な迷路から外へ抜け出る道がまさに開かれたと思ったその瞬間に……無慈悲な笑みを浮かべて、ふたりの行く道のまん中に姿をあらわしたのであった。
船長の情報によって巻きこまれた恐ろしい困惑に心を苦しめられながら、彼女はまた別の試練をも受けていた。近在のいなかからやってきていた多くの人たちは、緋文字のことをしばしば聞いて、何百というまちがったうわさや誇張されたうわさのためにそれを恐ろしいものと思っていたが、今まで自分の肉眼で見たことはなかった。この連中は、他のさまざまの楽しみを見終わってから、今度はヘスター・プリンのまわりに無作法ないなか者のずうずうしさで集まってきた。彼らは無遠慮ではあったが、しかし、数ヤードの円よりも近くははいってこなかった。その距離で彼らは、その神秘な印の引き起こす嫌悪感《けんおかん》の遠心力によって、その場にくぎづけにされていた。水夫たちの一群も、同様に見物人が押しかけるのを見たり、緋文字の意味を知ると、やってきて、日に焼けた無法者らしい顔をその輪の中へ突き出すのだった。インディアンたちでさえも、白人の好奇心の冷たい影のようなものに影響されて、人ごみをするすると通りぬけ、蛇《へび》のような黒い目をヘスターの胸に据えた。そしてたぶん、このかがやかしく縫いとりされた印をつけた人は、白人のあいだでは高い地位にある人にちがいないと思ったことであろう。
最後に、この町の住人たちも(この珍しくなくなったものに対する彼らの興味は、自分たちの目撃した他の人たちの感動に共鳴して、またのろのろと復活してきたので)、同じ場所へとぶらぶらとやってくると、おそらく他の連中以上に、その見慣れた恥辱の印を、前と変わらぬ冷たい目でじろじろと見て、ヘスター・プリンを苦しめたのだった。ヘスターは、七年前に自分が牢獄の大戸から出てくるのを待ちうけていたあの婦人たちの一群と同じ顔をみとめた。その中でいちばん若い、ただひとり同情を示してくれた人の顔はなかった。あのことがあってから、その人のかたびらを彼女は縫ったからである。今にもこの燃えるような文字をかなぐり捨てようというこの最後のときになって、その文字がこれまでよりいっそうの注目と興奮の中心となって、これを身につけた最初の日以来のいかなるときよりも、苦しく胸を焼くように思われたというのは不思議であった。
ヘスターが、彼女の受けた宣告の狡猾《こうかつ》な残忍さが永久に彼女をとじこめてしまったかのような、その恥辱の魔法の円の中に立っていたとき、かのりっぱな牧師のほうは、神聖な説教壇から、心の底の精神までも支配してしまっている聴衆を見おろしていた。教会の中の高徳の牧師! 広場にいる緋文字の女! いかなる想像力が、同じ焼けつくような恥辱の印がこのふたりの胸にあったなどと、不敬な推測をすることができたであろうか?
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二十三 緋文字の発覚
耳をかたむけて聞いている聴衆の魂を、海の波のうねりに乗せたかのように高く運んでいた雄弁な声も、ついに休止することになった。まるで神託の告げられたあとのような深い一瞬の静寂があった。それから、つぶやきと半ば声を押えたざわめきがつづいて起こった。それはまるで聴衆が今までの他の人の心の世界へ運びこんでいた大きな呪文《じゅもん》から解放されて、まだ畏怖と驚異の念に押えられながらも、本来の自分にもどっていくかのようだった。つぎの瞬間には、群集は教会の戸口から流れ出はじめた。もう終わりとなったので、人びとは、牧師がほのおのようなことばに変えて、彼の思想ゆたかな芳香をしみこませたあの空気よりも、彼らのもどっていく粗雑な世俗の生活を送るのにいっそうふさわしい別の呼吸を必要としたのだった。
戸外へ出ると彼らの恍惚《こうこつ》としていた気持ちは急にことばとなった。通りも広場も、すみからすみまで、牧師を称賛する声でわきたった。彼の説教を聞いた人たちは、各自が語ったり聞いたりできる以上のことを知っているのだということをたがいに話し合うまでは落ち着かなかった。彼らが口をそろえて証言したところによると、きょう話をした人ほど、かしこい、高い、神聖な精神で話をした人は今までひとりもいなかったという。また神の霊感が彼の口を通してあらわれたよりもはっきりと、人間の口を通してあらわれたことはなかったという。神の力が、いわば、彼に天下《あまくだ》って、彼をわがものとし、前に置かれた説教の原稿からたえず彼を引き上げ、聴衆にとってと同じように彼自身にも驚異であったにちがいないような思想で彼を満たしていたように見えたのだった。
彼の説教の主題は、神と人間社会との関係についてであったようで、彼らが今ここの荒野に建設しようとしているニュー・イングランドへ特に言及《げんきゅう》していた。そして終わりに近づくにつれて、予言の精神のような精神が彼に押しよせてきて、かの昔のイスラエルの予言者たちがしいられたように力づよく、その目的に彼を強制したようである。ただ違いは、ユダヤの予言者たちが彼らの国に裁きと破滅の到来を告発したのに反して、彼の使命が、新しく集まった主の民に高い栄光ある未来を予言することであった。
しかし、全体を通して、またこの説教全体を通じて、ある深い、もの悲しい悲痛の底流があったが、それは、やがてはこの世を去らねばならないもののしぜんのなごり惜しさとしてよりほかは解釈のできないものであった。そのとおり、ため息をつかないでは天へ去ることもできないほど、人びとから愛され……また彼もその人たちすべてを愛していた……彼らの牧師には、時ならぬ時に死ぬきざしがあって、やがて彼らを涙にくれさせることであろう。この、彼がこの世にとどまる期間もつかのまであるという考えが、牧師によって与えられた効果を最後につよめた。それは、あたかも天使が空へのぼってゆく途中、一瞬のあいだ、そのかがやく翼を人びとの上にはばたいて……それは影であると同時にかがやきでもあった……彼らの上に金色の真理の雨を降りそそいだかのようであった。
このようにして、牧師ディムズデイル氏にとって……さまざまな世界の多くの人たちにとっては、ずっとあとになってそれを見るまではほとんどわからないとはいえ……今までのどの時期よりも、あるいはこれから起こりうるいかなる時期よりも、はるかにかがやかしい、勝利に満ちた生涯の一時期がやってきたのだった。この瞬間、彼は最も誇らしい優越の高い位置に立っていたが、その位置は、牧師という職業自体が高い地位であったニュー・イングランドの初期においては、天賦の知性、ゆたかな学識、人を説伏《せっぷく》する雄弁、また清純潔白な名声によって、牧師の登ることのできた位置であった。
この牧師が、選挙祝賀の説教の終わりに、説教壇のクッションの上にひざまずいて頭をたれたとき、彼の占めた位置はこのようなものであった。そのあいだもヘスター・プリンは処刑台のそばに、胸に緋文字をなお燃えつづけさせながら立っていた。
やがて、音楽の騒々しいひびきと、教会の戸口から出てくる護衛兵の足並みそろえたくつ音がまた聞こえてきた。行列はそこから町の公会堂まで進み、そこでおごそかな晩餐会が行なわれて、この日の祝賀を完了することになっていた。そこで、もう一度、高徳のいかめしい長老たちの列が、人びとのあける広い道のあいだを動いてゆくのが見られたが、人びとは、知事や高官たちや、かしこい老人たちやこうごうしい牧師たちや、すぐれた有名な人たちが彼らの中へ進んでくると、両側にうやうやしくひきさがるのだった。
彼らが全部広場へはいると、彼らは歓声にむかえられた。これは……その時代が統治者に払うこどもっぽい忠誠心のために、その叫び声によけいの力と量が加わることは確かであるとはいえ……今なお彼らの耳に鳴りひびいているあの高く張りつめた雄弁によって、聴衆の心に火を点じられた熱狂が、押えきれなくなって爆発したように感じられた。各人が自分の心のなかにこの衝動を感じ、同時にそれを隣の人からも感じとった。教会内では、その衝動は、やっとのことで押えられていたのに、大空のもとでは、天頂までひびきわたった。人間の数もじゅうぶんにあったし、巧みにつくられた協和音的な感情もあったので、突風や雷鳴や海のうなりなどの音響よりもはるかに印象的な音を作り出すことができたのだった。そして多くの心からひとつの広大な心をつくる普遍的な衝動によって、ひとつの偉大な声に融合された多くの声の力づよいうねりさえもあったのである。
ニュー・イングランドの土地から、このような歓声のあがったことはかつてなかった! ニュー・イングランドの土地に、この牧師ほど現世の兄弟たちから尊敬を受けた人の立ったこともかつてなかった! そのとき彼はどうであっただろう? 彼の頭のまわりには、かがやく後光の分子が空中になかったであろうか? こんなに精神のために霊化され、崇拝する賛美者たちから神格化されていても、行列の中を歩む彼の足は実際に大地のちりを踏みしめていたのだろうか? 軍人や文官の長老たちの列が移動するにつれて、すべての人びとの目は、かの牧師が彼らにまじって近づいてくる地点へと向けられた。群集の一部からつぎの一部へと彼の姿が見えていくにつれて、叫び声は消えてつぶやきに変わった。あのかがやかしい勝利につつまれながら、彼はなんと弱々しく青ざめて見えたことであろうか! あの精力……いや、むしろ、その力づよさを天からもってきたあの神聖なことばを伝え終わるまで、彼を支えていた霊感、と言おう……それは、その任務を忠実に果たしてしまった今、回収されてしまっていた。つい先ほど人びとが彼のほおに燃えているのを見たかがやきも、残り火の中に望みなく沈み落ちるほのおのように、消えていた。死人のような顔色をしているために、生きている人の顔とはとうてい信じられなかった。自分の道を力も尽き果ててよろめき歩き、よろけながらも倒れないでいるその姿は、生命ある人とは思えなかった!
彼の牧師の兄弟のひとりは……それは老ジョン・ウィルソン師であったが……ディムズデイル氏の知力と感覚が引き潮のようになくなってしまったのを見ると、急いで歩みよって彼をささえようとした。牧師はふるえながらも断固《だんこ》としてその老人の手をはらいのけた。彼はそのまま歩みつづけた。もしもその動作を歩いていると言えるならば、たしかに歩いてはいたが、それよりもむしろ、母親が両腕をさしのべて前へ歩かせようとさそっているのを見て、よたよたと歩いていく幼児の歩きぶりに似ていた。そして今、彼のこどものような歩きぶりはほとんど目で見ても感じられないほどではあったが、彼はいつのまにか、忘れもしない風雨にさらされた処刑台のまっ正面へとやってきていた。そこは、わびしく過ぎ去った年月を隔てた遠い昔に、ヘスター・プリンが世間の恥ずべき凝視にさらされたところであった。
そこにヘスターは小さなパールの手を引いて立っていた! しかも胸には緋文字もつけていた! 楽隊は堂々《どうどう》としたお祝いの行進曲を奏し、それに合わせて行列は動いていったが、牧師はここまでくると立ち止まった。楽隊は彼に進めと……お祭りへ行けと……命じていたが、彼はここで立ち止まってしまった。
ベリンガムは、その少し前から彼を心配そうに見守っていた。彼は行列の中の自分の位置を離れると、助けようと進んできた。ディムズデイル氏のようすを見て、助けなければ倒れてしまうにちがいないと判断したからである。しかしディムズデイル氏の表情には、この行政長官をたじろがせるようななにものかがあった。もっとも知事は、ひとつの精神から他の精神に通ずるようなばくぜんとした暗示などにたやすく従うような人ではなかったが。
そのあいだ、群集は、畏怖と驚異の念に打たれて見守っていた。彼らの目から見ると、この牧師の肉体の衰弱は、彼の天上におけるつよさの別のあらわれにすぎなかった。たといもし彼が人びとの目の前で昇天して、しだいに影をうすくしながらかがやきを増し、ついには天の光の中へ姿を消してしまっても、彼のように神聖な人にとっては、たいしてりっぱな奇跡が行なわれたとも思われなかったであろう。
彼は処刑台のほうへ向いて、両手をさしのべた。「ヘスター」と彼は言った。「さあ、ここへおいで!かわいいパールもおいで!」
まるで幽霊のような顔つきで彼はふたりを見た。しかし、その顔つきには、なにかやさしいと同時に、奇妙に勝ち誇ったようなところがあった。こどもは、彼女の特性のひとつである小鳥のようなすばしこさで、彼のところへ飛んでいって、彼のひざのあたりに両腕を巻きつけた。ヘスター・プリンは……ゆっくりと、あたかもさけられない運命にうながされたかのように、そして彼女のつよい意志に反するかのように……同様に近よっていったが、彼のそばまで行かないうちに立ち止まった。この瞬間に、老ロジャー・チリングワースが群集のあいだから飛び出してきて……あるいは、彼の顔色はいかにも陰険で、不安そうで、邪悪であったから、どこか地獄から出てきたかのようであったが……彼の犠牲者のしようとしていることをさまたげようとした! それはともかく、老人は前に走り出ると、牧師の腕をつかんだ。
「気が違ったのか、待て! どういう目的なんだ?」と彼はささやいた。「あの女をおっぱらえ! この子をふり捨てろ! 万事うまくいくんだ! きみの名誉を汚して、不名誉のうちに死ぬんじゃない! わたしはまだきみを救ってやれる! きみの神聖な職業に汚名をきせる気か?」
「ははは、誘惑者め! もうおそいと思うよ!」と牧師は、恐ろしそうに、だがしっかりと相手の目を見ながら、答えた。「おまえさんの力はもう前とはちがうんだ。神さまのお助けによって、わたしは今こそ、おまえさんから逃げられるんだ!」
彼はもう一度緋文字の女に片手をさしのべた。
「ヘスター・プリン」と彼は、突きさすような熱意をもって、叫んだ。「七年前に……わたし自身の重い罪とみじめな苦しみのために……実行をさしひかえたことを、今この最後の瞬間に、することのできる恩恵を与えてくださる恐ろしくも慈悲ぶかい神のみ名において、さあ、こちらへ来て、あなたの力をわたしに巻きつけておくれ! ヘスター、あなたの力を。だが、それが神さまにお許しいただいた意志によってみちびかれますように! この卑劣で非道な老人は、全力をあげて……彼自身のあらん限りの力と悪魔の力をもって……それに反対しようとしている。さあ、ヘスター、おいで! あの処刑台の上へわたしを連れていっておくれ!」
群集はそうぜんとした。牧師のすぐまわりに立っていた高位高官の人びとはおどろきあきれ、自分たちの見たものの意味についてまごまごして……ひとりでにあらわれた説明を了解することも、他の説明を想像することもできずに……いたので、黙って、手をこまねいたまま、神の摂理の行なおうとするらしい審判の傍観者となっていた。彼らは、牧師がヘスターの肩によりかかり、彼女の腕にささえられながら、処刑台に近づき、その段々をのぼっていくのをながめていた。そのあいだも罪によって生まれたこどもの小さい手は牧師にしっかりと握られていた。老ロジャー・チリングワースがそのあとからついていった。まるで彼ら全部が役者となって演じた罪と悲哀の劇とに密接な関係があり、そのためにこの大詰めに登場する資格をじゅうぶん持っているかのようであった。
「きみが世界じゅうを捜しまわっても」と彼は、陰気に牧師を見ながら、言った。「わしからのがれられるような高い場所も低い場所も……秘密の場所はないのだ……この処刑台の上を除いてはね!」
「わたしをここに案内された神さまに感謝する」と牧師は答えた。だが彼はふるえていた。そして、ヘスターのほうに向けた彼の目には疑惑と不安の表情があり、口に弱々しい微笑の浮かんでいたことも明らかであった。
「このほうがよいだろう」と彼はつぶやいた。「森の中でわたしたちが考えたことよりもね?」
「わたしにはわかりません! わかりません」と彼女は急いで答えた。「このほうがよいんですって? そうです、わたしたちはいっしょに死ぬのですね。小さなパールもわたしたちと死ぬんですね!」
「あなたとパールは、神さまのお命じになるままにしよう」と牧師は言った。「神さまはお慈悲深い! わたしは神さまがわたしの目の前にはっきりさせてくださったご意志を、これからは行なおう。というのは、ヘスター、わたしは死んでいく身だ。だから、急いでわたしの恥を自分につけさせておくれ」
半ばヘスター・プリンにささえられ、小さいパールの片手を握ったまま、牧師のディムズデイル氏は威厳《いげん》のある年老いた者たちのほうへ、彼の兄弟であった神聖な牧師たちのほうへ、またまったく動転はしていたが、涙もろい同情に満ちあふれる大きな心の持ち主の人びとのほうへと向きなおった。彼らはなにか深い人生のだいじが……たとい罪に満ちていても、また苦しみや悔恨《かいこん》にも満ちているだいじが……今、彼らの前にあばかれようとしているのを知っていたのだ。正午を少し過ぎたばかりの太陽が牧師に照りつけ、神の裁きの庭で自分の罪の申し開きをしようと大地から突き出た彼の姿をくっきりと浮かび上がらせていた。
「ニュー・イングランドのみなさん」と彼は叫んだ。その声は、高く、おごそかに、人びとの上にひびきわたったが……その声にはつねにふるえがこもり、ときどきは悔恨と悲しみの底知れぬ深淵から浮かび上がろうとあがくようなするどい悲鳴があった。「わたしを愛してくださったみなさん! わたしを聖なるものと考えてくださったみなさん!……ここにいるわたしを見てください。この世界のただひとりの罪人であるわたしを! とうとう!……ついに! 七年前わたしが立たねばならなかった場所にわたしは立っています。今ここにいっしょにいるこの婦人の腕が、わたしがここまではってきたときの小さな力以上に、この恐ろしい瞬間に、わたしが倒れ伏してしまわないようにささえてくれているのです! ごらんなさい、ヘスターのつけている緋文字を! あなたがたはそれを見て、ふるえおののきました! この人がどこを歩いても……みじめな重荷を負っているために、どこかに休息を求めようとしても……この文字が彼女のまわりに恐怖の無気味な光りと恐ろしい反感を投げかけていたのです。しかし、あなたがたの中に立っていたひとりの男の罪と恥辱《ちじょく》の烙印《らくいん》に対しては、あなたがたはおののきはしませんでした」
ここまで来ると、牧師は彼の秘密の残りをうちあけないままにしておかねばならないのではないと思われた。しかし彼は、彼を打ち負かそうとする肉体の衰えに打ち勝ち……さらにそのうえ、心の弱さにも打ち勝った。彼は助けの手をすべてふりきると、熱情的に、婦人とこどもの一歩前へ進み出た。
「その印はこの男の胸にあったのです!」と彼は、一種のはげしさをもって、つづけた。全部を話してしまおうと決意していたからである。「神さまの目はそれをごらんになりました! 天使たちいつもそれを指さしていました! 悪魔もそれをよく知っていて、燃える指でふれては、たえず悩ませていたのです! しかしその男はそれを巧みに人の目からかくし、あなたがたのあいだを、悲しみに沈んだ精神を態度にあらわして歩いていたのです。罪深い世界の中で、彼の精神はそれほど清純であったからです!……そして悲しそうであったのは、天国の一族を見失ってしまったからです! 今、この死のときに、その男はみなさんの前に立っています! 彼はあなたがたにヘスターの緋文字をもう一度ごらんくださいとお願いします! その男はこう言います、ヘスターの緋文字がいかに神秘の恐ろしさを持っていても、それはその男の胸の上にあるものの影にすぎないと。そしてまた、その男自身の赤い印でさえも、その男の心の奥を焼きこがしたものの象徴にすぎないのだと! 罪人に対する神さまの裁きを疑う人はだれでも、ここに立ってください! ごらんなさい! その恐ろしい証拠をごらんなさい!」
けいれん的な動作で、彼は前の胸から牧師のたれえりを破り取った。証拠があらわれた! しかしそのあらわれたものを描写するのは不敬なことだ。一瞬、恐怖に打たれた群衆の凝視は、この身の毛もよだつ奇跡《きせき》の上に集中した。いっぽう牧師は、顔に勝利の感激を浮かべて立っていた。あたかも、最も苦しい苦痛の極点で勝利を得た人のようであった。
それから、彼は処刑台の上にくずれ落ちた! ヘスターは少し彼のからだを抱き起こし、彼の頭を自分の胸に当ててささえた。老ロジャー・チリングワースは彼のそばにひざまずいたが、その表情のない沈んだ顔からはまるで生命が去ってしまったかのようであった。
「きみは、わしから逃げてしまった!」と彼は一度ならずくりかえした。「きみはわしから逃げてしまった!」
「神さまがおまえさんをお許しくださるように」と牧師は言った。「おまえさんもまた深く罪を犯した!」
彼はその死にかけている目を老人から転ずると、女とこどもにじっとそそいだ。
「わたしのかわいいパール」と彼は弱々しく言ったが……彼の顔には、あまくやさしい微笑が浮かび、深い安息へと沈んでいく精神の微笑のようであった。いや、重荷が取りのぞかれた今は、ほとんどそのこどもとたわむれているかのようにも思われたのだった……「かわいいパール、さあ、接吻してくれるね? あの森の中ではしてくれなかったね! でも今はしてくれるだろう?」
パールは彼のくちびるに接吻した。呪文は解かれた。この野性の子も一役買っていた悲しみの大きな場面が、彼女の同情心をすべて発達させていたのだ。そして彼女の涙が父親のほおに落ちたとき、その涙は、彼女が人間の喜びや悲しみの中に成長し、世間とは永久にたたかわないで、その中でひとりの女となるであろうという誓いであった。母親に対してもまた、苦しみの使者としてのパールの使命はここで終わったのである。
「ヘスター」と牧師は言った。「さよなら」
「もうお会いできないでしょうか?」と彼女は、彼の顔に自分の顔を近づけて、ささやいた。「わたしたちは不死の生活をいっしょに送れないでしょうか? 確かに、確かに、わたしたちは、この苦しみのすべてをもって、おたがいの罪をあがないましたわ。あなたはこの世を去るそのかがやかしい目ではるかな永遠を見つめていらっしゃる! なにが見えるか、教えてください!」
「しっ! ヘスター、静かに!」と彼はふるえる声でおごそかに言った。「わたしたちの破った掟《おきて》!……ここでこのように恐ろしくもあらわにされた罪!……これだけを考えておくれ! わたしは恐ろしい! 恐ろしい! ことによると、わたしたちが神さまを忘れたとき……おたがいの魂に対する尊敬を破ったとき……そのときから、わたしたちが今後永遠に、清らかに結ばれていっしょになるという望みは、むだになってしまったのだ。神さまはご存じだ。神さまはお慈悲深い! 神さまはこのお慈悲を、とりわけ、わたしが苦しみなやんでいる最中にお示しになった。この燃えるような責め苦をわたしの胸におつけくださることによって! この責め苦をつねに赤熱にしておくために、あそこにいる陰険な恐ろしい老人を送ってくださることによって! またわたしをここに連れてきて、人びとの前で、恥辱にさらされながらもこのように勝利の死にかたをさせてくださることによって! これらの苦悩のうちのどれが欠けていても、わたしは永遠に失われていただろう! 神のみ名はほむべきかな! 神のみ旨《むね》を遂げさせたまえ! さよなら!」
この最後のことばは牧師の絶えんとする息とともに出た。そのときまで黙っていた群集は急に畏怖と驚異のこもった奇妙な太い深い声をあげた。それは、今は亡き霊を追って重々しくころがり出るこういうつぶやき以外には、まだことばにならないものであった。
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二十四 結末
何日もたって、人びとが前に述べた場面について自分の考えをまとめるだけの時間が過ぎたとき、彼らが目撃した処刑台の上のできごとに関する解釈はひとつならずあった。見物していた人たちの大部分は、その不幸な牧師の胸に……ヘスター・プリンがつけているのとまったく同じ……「緋文字」が肉に刻まれているのを見たと証言した。その原因については、いろいろな説明があったが、そのすべてが必然的に推測であったにちがいない。牧師のディムズデイル氏は、ヘスター・プリンがはじめてあの恥辱の印を身につけたその日に、自分自身に恐ろしい責め苦を与えることによって、罪のあがないの苦行をはじめ……その後もずっとさまざまなむだな方法でつづけていったと断言するものもあった。他の者はそれに反対して、その恥辱の印のあらわれるようになったのはずっとのちになってからのことで、有力な魔術師であるロジャー・チリングワース老人が、魔法と毒薬の力によってあらわれるようにしたのだと、言った。他の者はまた……それに牧師の特殊な感受性や、彼の精神が肉体に及ぼす不思議な作用をいちばんよく理解することのできる人たちは……あの恐ろしい印は、良心の苛責の歯がたえまなく動かされて、心の奥底から外がわへかみ切り、ついにその文字を人の目に見えるようにすることによって、天の恐ろしい裁きを明らかにしたものなのだという彼らの信念をささやき合った。
読者はこれらの説のどれを選ばれようと、かまわない。われわれはこの不吉な意味のものに対し、入手できるかぎりの光を投じてみた。そしてその役目もすんでしまった今は、われわれ自身の頭からその深い印象を喜んで消してしまいたいと思う。長く考えていたために、もういやになるほどくっきりと頭にこびりついてしまっているからである。
それにもかかわらず、奇妙なことは、その場面を全部見ていて、牧師ディムズデイル氏から一度も目を離さなかったと公言しているある人たちが、彼の胸には生まれたばかりのあかんぼうの胸のようになんの印もなかったと否定していることである。そればかりか、彼らの報告によれば、牧師の息をひきとるときのことばは、ヘスター・プリンがあのように長いあいだ緋文字をつけていたその罪と、彼のほうにはほんの少しの関係でもあったなどということをみとめもしなかったし、暗示さえもしなかったという。
これらのひじょうに尊敬すべき目撃者たちによれば、牧師は自分の死期の迫っていることを意識し……また群衆が尊敬のあまり彼をすでに聖人や天使の中に置いていることを意識して……あの堕落した女の腕の中で息をひきとることによって、人間の正義の最高のものでさえもいかにつまらないものであるかということを世間の人たちに知らせようとのぞんだのだという。人類の精神的善を求める努力のうちに生命を使いつくしてのち、彼は自分の死にかたをひとつの寓話《ぐうわ》としたが、それは「無限の純潔」という観点から見ると、われわれはみな同じように罪人であるという大きな陰気な教訓を、彼の崇拝者たちに銘記させるためであった。その教訓が彼らに教えようとしたことは、われわれの中の最も神聖なものでさえも、いつもわれわれを見おろしていたまう神のお慈悲をもっとはっきり見わけることができるように、また野心的に上をのみ眺めようとする人間的価値の幻をもっときっぱりと拒否できるように、その仲間たちからぬきん出ているにすぎないのだということであった。
このように重大な真理を論ずることなどしないで、ディムズデイル氏の物語のこういう解釈が、人というものは……ことに牧師の友人となると……ときに自分の友人の人格を持ち上げようとするとき、どんなに頑固《がんこ》に忠義だてするものであるかの一例にすぎないと考えることを許していただきたい。しかも、緋文字を照らす真昼の太陽のような明々白々の証拠があって、彼が罪に汚れた偽《にせ》のちりの人間であることを明らかに示している場合でも、そうなのである。われわれが主として従ってきた典拠は……古い日づけの手記で、いろいろな人たちの口頭の証言から書かれ、彼らのうちのあるものはヘスター・プリンを知っており、他のものは、その当時の目撃者から話を聞いたようである……今までの数ページで述べた見方をじゅうぶんに確証している。あわれな牧師の悲惨な体験からわれわれに押しつけられる多くの教訓の中で、つぎのことだけを明記しておこう……「真実であれ! 真実であれ! 真実であれ! 世間に対し、きみの最悪の特性でなくとも、その最悪のものが推測されるような特性を、遠慮なく世間に示せよ!」
ディムズデイル氏が死んでほとんど直後に、ロジャー・チリングワースとして知られた老人の風采《ふうさい》や態度に起こった変化ほどめざましいものはなかった。彼の体力も精力も……生命力や知能の力も……すべて一度に彼を見離したかに思われた。そのために、彼はほんとうにしぼみ、ちぢみ、根こぎにされた草が太陽の光のもとにしおれていくように、人間の視界からほとんど消えてしまった。この不幸な男は、復讐の追及とその体系的な実行に人生の方針を定めていた。そして、復讐の完全なる成功と完成によって、その邪悪な方針にそれを支持するそれ以上の材料がなくなってしまったとき……つまり、この地上において彼のなすべき悪魔の仕事がもはやなくなってしまったとき、この非人間的な男に残されたのは、彼の主人が仕事をたくさん見つけてくれ、それにじゅうぶんな給料を払ってくれる場所へおもむくことだけであった。しかし、長いあいだわれわれの親しい知己であったこれらの影のような人たちに対して……ロジャー・チリングワースにも、彼の友だちに対するのと同じように……われわれは喜んで慈悲深くありたい。
にくしみも愛も、その根底においては同じものではないかという問題は、観察と検討に値する興味ある問題である。その極限の発展状態においては、どちらも高度の親密さと心の通じ合いが予想され、どちらもその愛情と精神生活の食物を相手に求めさせる。またその対象がなくなると、どちらも熱情的な恋人やあるいはそれにおとらぬ熱情的な仇敵《きゅうてき》を、孤独なさびしい人間にさせてしまうのである。だから、哲学的に考えれば、このふたつの情熱は、本質的には同じもので、ただいっぽうがたまたま天のかがやきを持つものとして見られ、他方がうす暗い無気味なかがやきのものとして見られるというだけである。精神の世界においては、老医師と牧師は……おたがいに犠牲者であったが……彼らの地上におけるにくしみと反感の蓄積《ちくせき》が、思いがけなく、金色の愛に変えられているのを見いだしたかもしれない。
この論議はさておき、われわれは読者に伝えねばならぬことがらがある。ロジャー・チリングワース老人の死亡(それはその年のうちに起こったが)に際し、彼の最後の意志と遺言状によって、遺言の執行者はベリンガム知事と牧師ウィルソン氏であったが、彼はこの植民地とイギリスにある相当額の財産を、ヘスター・プリンの娘である小さなパールにゆずったのである。
そこでパール……あの妖精のこども……ある人たちはその当時までも彼女を悪魔の申し子だと言い張っていたが……は、その新世界において、最も金持ちの女相続人となったのだった。この事情が一般人の評価にひじょうに大きな変化をもたらしたということもありえないことではなかった。そしてもしこの母と子がここにずっととどまっていたならば、小さなパールは、結婚適齢期に達したあかつきに、清教徒の中のもっとも敬虔なものの血統に彼女の野性の血液をまぜることとなったかもしれなかった。しかしその医師の死後まもなく、緋文字をつけた女は姿を消し、パールもいっしょに見えなくなった。何年ものあいだ、ときおり、雲をつかむようなうわさが海を越えてもたらされることがあったとはいえ……それは形のくずれた流れ木の一片が名まえの頭文字だけつけて岸へ打ち上げられるようなもので……疑いもなく信ずるにたる彼らについての便りは、ひとつもなかったのである。
緋文字の物語はしだいに伝説になっていった。とはいえ、その魔力はいまだにつよくて、あわれな牧師が死んだ処刑台も、ヘスター・プリンが住んでいた海辺の小屋も同じように恐ろしがられていた。
この小屋の近くで、ある日の午後、何人かのこどもたちが遊んでいたとき、彼らは灰色の服を着た背の高い女の人がその小屋の扉へ近づいていくのを見た。この長い年月のあいだ、その扉の開かれたことは一度もなかった。しかし、彼女がその錠をあけたのか、あるいは朽ちかけた木や鉄が彼女の手でこわされたのか、あるいは、彼女が影のようにこれらの障害物をすり抜けていったのか……ともかくも、彼女は中にはいっていった。敷居のところで彼女はちょっと立ち止まって……少しふりかえってみた……たぶん、たったひとりで、しかもまったく変わってしまった姿で、あの昔の苦しい生活を送った小屋へはいっていくことが、たえられないほどにわびしくさびしいことであったからであろう。しかし、彼女のためらいはほんの一瞬であったが、胸につけた緋文字を見せるにはじゅうぶんの長さであった。
こうしてヘスター・プリンはもどってきて、長いあいだ見捨てていた恥辱をまた身につけたのだった。だが、小さなパールはどこにいるのだろう? もしもまだ生きているならば、今ごろは花のようなおとめ盛りであるにちがいなかった。あの妖精の子は早世しておとめの墓へ行ったのか、あるいは彼女の野性的なゆたかな性格がやわらげられ、しずめられて、女のやさしいしあわせをつかんだものか、だれも知らなかったし……完全な確実な情報をじゅうぶんに得て確かめたものもいなかった。
しかし、ヘスターの余生を通じて、この緋文字の世捨て人は、他の国に住むある人の愛と関心の的《まと》であったことを証拠だてるものがいろいろあった。イギリスの紋章学では知られていない紋章ではあったが、紋章のついた手紙が来た。その小屋には、ヘスター自身は使いたいとは思わないが、富のみの買うことのできる、そして愛情のみの想像できるような、生活をゆたかにするぜいたく品がいろいろあった。小さな品もいろいろとあった。小さな飾りとか、いつまでも記憶してもらうための美しい記念の印で、愛情のある心の衝動によって、きゃしゃな指によってこしらえられたものにちがいなかった。またあるときは、ヘスターがあかんぼうの着物に刺繍をしているのが見うけられた。奔放《ほんぽう》な金色の空想を惜しみなく発揮したような着物で、もしもそんな着物を着たあかんぼうが、われわれのこのじみな色合いの社会にあらわれたならば、ひと騒ぎ持ち上がるところであったであろう。
けっきょくその当時のゴシップ屋たちの信じていたところによれば……また一世紀後に調査をした監督官ピュー氏の信じていたところによると……またさらに最近彼の仕事の後任になっているひとの、忠実に信じているところによれば……パールは生きているばかりでなく、結婚し、幸福な生活を送っていて、いつも母親のことを心にかけており、またこの悲しい孤独の母親を自分の炉辺へ喜んで迎えたがっているということであった。
しかしヘスター・プリンにとっては、パールが家庭を見いだした未知の土地よりも、このニュー・イングランドのほうにほんとうの生活があった。この土地で彼女は罪を犯し、悲嘆に暮れた。ここにはなお彼女の悔いが残っていた。だから彼女はもどってきて、ふたたび……まったくの自分の意志で、というのは、その苛酷《かこく》な時代のいかに厳格な役人といえども、それをしいはしなかったであろうから……ふたたび、今まで述べてきたこの暗い物語の印を身につけたのだった。その後は一度も、それは彼女の胸から離れたことはなかった。しかし、ヘスターの生涯をつくり上げた苦しい、思いやりのある、自己犠牲の年月の経過するあいだに、その緋文字はもはや世間のあざけりと毒舌をまねく烙印《らくいん》ではなくなって、なにか悲しみを感ずるもの、恐れながら尊敬の念をもってながめるべきもののひとつの典型となったのだった。そして、ヘスター・プリンは利己的な目的はなにひとつ持っていなかったし、自分自身の利益や楽しみのためにはまったく暮らしていなかったので、人びとは悲しいことや困ったことはみな彼女のところへもってきて、みずから大きな困難を乗り越えてきた人として、彼女の忠告を求めた。とくに、婦人たちは……その熱情を傷つけられたり、むだにされたり、不当に扱われたり、違った人に与えたり、あるいは誤った罪深い情熱などという、いつもくりかえされる試練を受けたときには……また重んじられもせず、手を求められもしないために、かたくなになった心のつらい重荷を背負ったときには……ヘスターの小屋をおとずれ、なぜわたしたちはこんなにみじめなのか、どうしたら救われるのかをたずねるのだった!
ヘスターはできるだけその女たちをなぐさめ、忠告を与えた。彼女は、またその女たちに自分の堅い信念を語り、この世が成熟していって、いつかもっとかがやかしい神の時代のような時節になれば、新しい真理があらわれて、男と女のあいだのすべての関係もたがいの幸福というもっとたしかな土台の上に築かれるようになるだろうと話すのだった。もっと若いころ、ヘスターは自分が予言者としての運命を持って生まれたのではないかとむなしい想像をしたこともあったが、もうずっと以前から、そんな神聖な神秘の真理を語る使命が、罪に汚れ、恥にうつむき、一生の悲しみを背負った女になど託されるはずはないということをよく知っていた。未来の啓示を示す天使や使徒は、実際、女性であるにちがいなかろうが、しかし気高く、清く、美しい女でなければならない。そのうえ、暗い悲しみを経験したものではなく、霊妙な喜びの媒体を通ったかしこい人でなくてはならない。そして、そういう目的にかなった人生の最も真実な試験によって、神聖な愛がどんなにわれわれを幸福にするものかを示しうるような女性でなくてはならないのだ!
ヘスター・プリンはそう言うと、悲しい目で胸の緋文字をちらと見た。それから、何年も何年も過ぎて、新しい墓が掘られた。のちにキングズ・チャペルの建てられた場所の隣にある墓地の古い落ちくぼんだ墓の近くであった。それはその古い落ちくぼんだ墓の近くにはあったが、ふたつの墓のあいだには隔たりがあって、あたかもそこに眠るふたりの遺体は、いっしょになる権利がないかのようであった。しかし、ひとつの墓石が両者のために役だった。まわりには、紋章の刻みつけられた記念碑がいくつも立っていた。そしてこの墓石とされた粗末な石板の上には……好奇心のつよい研究者なら今でも見分けられても、その意味にまごつくであろうが……盾形の紋地に似たものが彫られているのが見えた。それには図案があって、その紋章の意味することばは、今話し終わったこの物語の題辞とも、簡単な説明ともなっていた。この物語は、あまりに暗く、ただ、その影よりもなお陰うつな光の一点がたえず燃えていることによってのみ救われているのである。……
「暗黒の野に、真紅の文字A」
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解説
人と文学
ナサニエル・ホーソンは十九世紀アメリカ文学を代表する偉大な小説家であるばかりでなく、アメリカ文学全体を代表する世界的な文学者でもある。だが、彼がどうしてそのように有名なのか、その名声の理由を説明することはやさしくない。批評家のなかには、ホーソンの才能は浅薄であるといってあまり高く評価しないものもいる。
すぐれた小説も短編もそれほど数が多くないのだから、このような高い評判はおかしいというのである。
そういえば一流の傑作は五本の指で数えることができるほどである。また反対に、ホーソンの芸術は非常な深みはそなえているけれども、さほど広くはないという批評家もある。だが今日は文学作品の価値を決定するのに、深さやあいまいさを重視しているので、ホーソンの作品のような複雑な芸術性をもったものは、多くの読者をひきつけるだけの要素をふくんでいるわけで、彼が賞賛されるのは無理もないと思う。作品の物語そのものは単純なので、子どもでもたのしんで読むことができる。だがそういう単純な物語も、きわめて巧妙に構想されていて、いろいろの問題を提供し、また強い分析を要求し、分析の結果は、彼が単なる物語作家ではなくて、深い象徴的な意味をもつすぐれた芸術家であることを示している。
だから、作品とそれを生みだしたホーソンという作家には、人をあざむくところがある。単純でありながら深い意味をもち、慎重でありながら激しいところがあるように思われる。
生いたち
ナサニエル・ホーソンの生涯は、波乱万丈の生涯ではない。伝記作家が問題にしたいような罪もないし、心理学者が心の傷としてながめたいようなあやまちもない。逆に、ホーソンの生涯は平凡な、波のないものであった。
彼は一八〇四年七月四日の独立記念日にマサチューセッツ州セイレムに生まれた。セイレムという小さな港町は十七世紀のはじめに、いわゆる植民時代の開始とともに開かれた漁村であり、最初は世界最大のタラ漁場として有名なカナダ東岸のグランド・バンクス方面への出漁の基地であった。革命戦争のあいだは、イギリス商船を攻撃するアメリカ船舶の停泊基地となった。独立以後は大西洋の遠洋漁業ばかりかインドや中国との貿易の中心となっていた村である。
父は同名のナサニエル・ホーソン、母はエリザベス・クラーク・マニング・ホーソンで、先祖のウィリアム・ホーソンは一六三〇年に信仰の自由をもとめて、ウィンスロップ知事とともに新大陸にわたってきた清教徒で、初期植民地に大きな役割を果たした。十七世紀末の有名な「セイレムの魔女裁判」に判事をつとめたジョン・ホーソンはその息子で、一六九二年の裁判では十九人の魔女に死刑を宣告した。小説家のナサニエル・ホーソンは『緋文字』の「税関」の章のなかで、「彼の息子もまた迫害の精神を受けついで、魔女たちの殉難に名前をあげ、そのために魔女たちの血が彼の上にしみを残したと言ってもさしつかえないだろう……」と書き、その呪いが今もなお自分の上にふりかかっているのではないかと恐れていた。家運はその後は衰えていったようである。
ナサニエル少年の記憶に残っている父親は船長で、彼が四歳のとき、遊んでいた部屋から母に呼ばれて、父がオランダ領ギアナのスリナムで熱病のために死んだことを知らされた。父はまだ三十三歳の若さで、二十八歳の若い未亡人に幼い三人の子どもの養育をゆだねたわけである。このときナサニエルは四歳、姉のエリザベスは六歳、妹のマリア・ルイザはこの年生まれたばかりであった。姉のほうが頭はよく機知にとんでいたが、妹のほうが彼のお気に入りであった。資産とてもない若い未亡人は実家のマニング家の援助を得て暮らしたが、いずれも独身の多くの叔父や叔母たちからかわいがられた。姉の記憶によると、少年時代のナサニエルは「ハンサムで頭がよく、とくべつにかわいがられたのは体が弱く、ときどき病気をしたから」だという。
ホーソンは七歳のとき、イエールの卒業生ウースター氏の学校へ通いだしたが、やはり病気がちのために、学校へ行くのをいやがったらしい。九歳のとき、学校でボール遊びをしている最中に足をくじき、それから三年間も家にとじこもって松葉杖で歩くか、横になって猫と遊ぶか、読書をせざるを得なくなった。そしてバニヤンの『天路歴程』やシェイクスピア、スペンサーの『仙女王』やトムソンの『怠惰の城』など、寓意的な作品を愛読した。遊び相手の二匹の猫にアポリオンとベーゼルバブという名をつけ、のち自分の長女にスペンサーの女主人公ユーナという名前をつけたのを見ても、その影響の大きかったことがわかる。
十二歳のときには一家はメイン州レイモンドのセバゴ湖畔にある伯父ロバート・マニングの家に移り、二年間の戸外生活で、健康を回復した。のち彼は自分が「のろわしい孤独の習慣」を身につけたのは、この自由な年月のあいだであったとよく言った。だが、彼の孤独が半ばは内気な気質か半ばは足のけがからきていたにしても、多くは家庭の生活環境からきていたということができる。というのは、十七歳でボードン大学へ行ってから彼は友人たちから孤立するようなことはなく、トランプ遊びをしたり、ワインを部屋においたり、釣りや狩猟にも出かけたからである。またセバゴ湖畔にいたころ、近くの町で一夜、納屋の火事があったとき、彼がどんなに喜んだかということを、いっしょに行っていた姉のエリザベスがのち書いている。「弟は一生、火事を喜びました。……セイレムでも、彼は火事があるといつも出かけていきました。一度か二度誤報にだまされてからは、出かける前にまずわたしを二階にあがらせて実際に火事があるかどうかを見させました」と彼女は書いている。
青年時代
一八二一年の秋、ホーソンはロバート伯父とともに駅馬車にのってメイン州ブランズウィックのボードン大学に向かった。伯父が十月にホーソンの母に書いた手紙によると、「旅行のあいだ中、彼は半信半疑だった。学長の部屋からもどってきたときも、不合格は決定的だといって、すぐ帰るしたくをしてくれといった」という。だが幸いにして合格したホーソンはボードン大学でも古典文学や英語の文法や修辞学などの必修課目以外に、広い範囲の読書をし、大学にあった二つの文学クラブのひとつにはいり、終生の友人のホレーシオ・ブリッジや、のちの大統領フランクリン・ピアスと親しくなった。同級にロングフェローがいたが、彼とはボードン時代はあまり親しくはしなかったようである。酒場、トランプ、玉突き、酒、タバコ、花火、釣り、狩猟などは学則で禁止されていたが、ホーソンも他の学生たちと同じようにこういう規則をよくやぶり、またトランプ遊びや、教会をさぼったりして罰金を課されたこともあった。姉は弟がボードン時代に作家になる決心をしたといっている。彼の英語の作文は学生からも教師からも賞賛された。卒業は一八二五年、三十八人中十八番の成績であった。
セイレムの母の家にもどったホーソンは、母と姉妹がひっそりと暮らしている陰うつな空気のなかで、町の人との交際もあまりなく、ひとりで食事、散歩をし、さかんに読書し、あるときは希望をもって物を書き、瞑想と夢にふけりながら、青春の十二年間を過ごした。この「孤独の年月」は、ちょうどシェイクスピアやモリエールの「失われた年月」と同じように、偉大な作家をそだてあげるのに必要な培養土となったのだということもできよう。彼はじっくりと腰をおしつけて自分の天職を捜し求めていたわけで、作家になろうという決意はますます堅いものになっていった。そしていろいろな雑誌やクリスマス贈答集に短編小説や小品を書き、その数は六十編にもおよび、名前はかなり出てきたとはいうものの、収入は知れたもので、生計の資とすることはできなかった。
一八二八年には大学時代の経験をもとにして『ファンショー』という小説を匿名《とくめい》でだしたが、不満で、すぐこれは回収してしまった。彼は外面的には世間を捨てた形をとって、セイレムのわびしい道をひとり歩き、暗い海岸をひとり歩いた。「ノートブックス」のなかで、また許婚《いいなずけ》のソフィア・ピーボディにあてた手紙のなかで、自分がいかに自己否定に苦しみ、無用な文学に献身したかを書いているが、愛する女性にあてた手紙のなかの告白に、多少誇張気味のあることは当然としても、全部が全部虚構であったということはできないであろう。じじつ、友人を訪問したり、山登りをしたり、ナイアガラへ行ったり、殺人事件の裁判を見に行ったりして、青年らしい行動的な生活もしていた。それらはいずれも、のちの小説家の心のかてとなっていたのである。
一八三七年には親友ホレーシオ・ブリッジの欠損保証で、これまで書きためた短編をあつめた『トワイス・トールド・テイルズ』を出版することができ、少数の賛美者もあらわれたが、収入にはならなかった。
だが、この出版のおかげで、彼はセイレムのナサニエル・ピーボディ医師の娘のソフィアと知りあうことができ、病身の彼女と一八三九年に婚約した。彼女の姉のエリザベスは教師で、幼稚園教育の先駆者であった。もう一人の姉メアリー・タイラーは教育者のホレス・マンの妻となった人である。
生活の方便として、ホーソンはボストンで編集の仕事をし、つぎにボストン税関の職を得た。そして一八四一年四月から十一月まで、一種のユートピア運動であるブルック農場に千ドルを出資して参加した。別にその農場の主体である超絶主義者たちの社会哲学に共鳴したわけではなかった。
最初のうちは周囲の自然の風景の美しさを賞賛し、農場の友愛の精神に満足したようで、「このようなたのしい生活は、初期のクリスチャンの時代以来、地上に見られたことがない」などとソフィアにあてて書いたりした。ブルック農場が、ソフィアと結婚してからの経済的に満足のいく家庭の場所となることができるかどうか、また労働と創作を結合することができるかどうかと考えたためであろう。だが日中のはげしい労働と夜の社交のために、執筆の時間も精力もうばわれたホーソンは、一年たらずでブルック農場を去ってしまった。
作家活動
一八四二年七月九目、三十八歳のホーソンはソフィアと結婚し、コンコードの旧牧師館に住んだ。この旧牧師館はエマソンが一八三六年に「自然論」を書いた家である。近所にはエマソン、ソーロウ、マーガレット・フラーたちがいて、彼らの最も幸福な牧歌的な生活であった。彼は雑誌に寄稿し、二巻目の短編集『旧牧師館の苔』に収める作品をあつめた。これは一八四六年に出版された。
だが、同年の六月二十二日、二番目の子どものジュリアンが生まれて、家計はますます苦しくなり、彼はセイレムにもどって、税関の仕事を得た。『緋文字』のいわば序として書かれた「税関」の章に説明されているように、その税関の仕事も政治的な理由のために失ってしまい、仕方なく文学にもどり、ロマンスを書きだした。この『緋文字』を書いているうちに、経済的にはますます逼迫《ひっぱく》し、さらに母親の死による悲歎もはげしかったが、執筆の速度は例のないほど早く、一八五〇年の二月三日に原稿は完成した。三月十六日に初版千五百部が七十五セントで発売され、二週間で売り切れるほどの好評であった。
この成功によって小説に専念する自信を得た彼は、レノックスに居を移して、『七破風の屋敷』と、子ども向けの書物を数冊つづけて出版した。
レノックスのレッド・ハウスに居住中に、ホーソンは近くにいたメルヴィルと知り合いになった。メルヴィルは当時『モービー・ディック(白鯨)』を書いており、ホーソンこそ浅薄な肯定の時代に雷鳴のごとく「否」と叫んで、深淵を測った作家であると考え、『モービー・ディック』をホーソンに献じている。ホーソンは、しかし、やがて赤い農家の単純な生活と山の風景に恐れをなして、コンコードにもどり、「ウェイサイド」と名づけた家を買って住んだ。
つぎの作品『ブライズデイル・ロマンス』は、ブルック農場の経験をもとにした作品であるが、せっかくつかんだ読者を失望させた。しかし大学時代の級友フランクリン・ピアスが大統領に当選したので、彼のために選挙運動用の伝記を書いたホーソンは、報酬としてリブァプールの領事の職を与えられた。ピアスは歴代の大統領中もっとも人気のない大統領の一人であったが、ホーソンは旧友を信じて疑わなかったようである。ホーソンは一八五三年から五七年までリヴァプールに領事としてつとめ、五七年から五九年までローマやフロレンスに住んで、多くの美術館をたずね、さいごのロマンス『大理石の牧羊神』の素材を得ることができた。
晩年
ホーソン一家は、一八六〇年にアメリカにもどった。のこる四年間を彼はけんめいになって創作に打ちこんだが、もはやどの作品も完成させることはできなかった。使いなれた風物や象徴的な形象をもう一度使ってみても、原稿の余白に「これはどういう意味か?」と書きこむほど意識過剰になり、思うように書くことができなかった。自分の死後の家族のためを考えて大きな作品を書きのこしたいとねがいながらも、ロマンスは形をととのいはしなかったが、イギリスの生活に対する郷愁を示す『われらが故郷』と題するエッセイは、なお彼の力量をあるていど示している。
南北戦争が起こり、ホーソンはただぼうぜんとして、現実の世界と彼の想像の世界の破滅していくさまを見まもるだけであった。一八六二年には首府のワシントンに行き、マサチューセッツの代表者とリンカーン大統領をたずねたことがある。戦争に対しては嫌悪《けんお》の情を示しながらも、リンカーンに対しては信頼感をいだいたことが、彼の文章によってうかがわれる。そして、ホーソンの衰えを気づかう友人たちにすすめられて転地、旅行をしたが、一八六四年五月十九日、前大統領ピアスとニュー・ハンプシャーへ旅行をしたとき、プリマスで死んだ。そして五月二十三日、コンコードのスリーピー・ホロウ墓地に葬られた。葬式の翌日、エマソンは自分の日記に、「私は彼を彼のどの作品の示すよりも偉大な人間であると思った……」と書いた。このエマソンの言葉は、人間としてのホーソンの偉大性を示しているであろうが、芸術家はやはりその作品によって価値を判断されるべきで、ホーソンはいくつかの短編、ロマンスによって、彼の時代の世界の本質をあきらかにしようと努力したばかりでなく、人間の心の内部の秘密をも解きあかそうと努め、そこに彼の芸術の価値があるのである。
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作品解説
ホーソンは自分の長編をロマンスと呼んで、普通の小説と区別しようとした。『七破風の屋敷』の序文で彼はつぎのようにロマンスを定義した。
作家が自分の作品をロマンスと呼ぶとき、その方法や素材の両方について、「小説」を書いていると公言する場合には、自分のものにすることができないと考えられるある領域を、主張したいとのぞんでいることは、今さら言う必要もないことである。この後者の創作形式は、単に可能であると考えられる人間の経験ばかりでなく、普通にありそうな人間の経験に、きわめて微細な点まで忠実であることを目的としていると考えられる。前者は……芸術作品として厳密に芸術の法則に従わねばならないし、人間の心の真実から逸脱するかぎりは、宥《ゆる》しがたい罪を犯すことになるが……その真実を、大部分は作家自身の選択と創造による情況のもとに表現するという権利を明らかに持っている。
つまりホーソンがロマンスをえらんだのは、事実と真実を区別したからである。実をいうと、この小説とロマンスの区別はややあいまいで、真実を描こうとする作品も現在は小説と呼んでいるが、ホーソンは外部の世界の現実的な事実ではなく、「人間の心の真実」を描こうとし、それをロマンスと呼んだのである。だから、幻想的な出来事でも人間の心の真実を語ることができるし、逆に村や教会や書斎や森や丘も存在の内的状態の外的投影と考えられるから必ずしも現実のものとはならない。ホーソンは生きている人間には興味がなく、ただ類型として、道徳的存在物としてのみの男女に興味を持ったにすぎないと言う人がいる。この非難は正しい。ホーソンとしては、あくまでも、現実の事件や人物をつかって、人間の真実や道徳的な問題を考えようとしたのである。
『緋文字』を書くまでのホーソンの小説は、すべて「テイル」(物語)の形式であった。みじかいテイルというのは、ホーソンが道徳的な問題に幻想を用いて心理的洞察を加えようとしたアレゴリーである。出版者のジェイムズ・T・フィールズによれば、ホーソンの最初の計画は『緋文字』を他の数編の物語といっしょにして『昔の伝説』と題する一巻にまとめることで、『緋文字』は二百ページくらいにする構想であったという。しかしフィールズは最初の数章を読んでから、これをさらに練りあげて別の作品として出版するようにとホーソンにすすめた。だが、ホーソンがどの程度に物語に手を加えたかは不明である。
『緋文字』の原稿は制約された条件のなかでわりあいに早くできあがりはしたが、しかし小説の筋やテーマ、人間の性格などはかなり以前からホーソンの心のなかで温められていたことがある。『アメリカン・ノートブックス』のなかには、その発展の様子を示す文章があり、パールの性格に具体化された娘のユーナの挙動にたいする観察もしるされている。一、二の例をそのノートブックスから引用してみると、
一八三六。満足のいく復讐の効果を示すこと。例として、女が約束の違反で恋人を告訴し、長期にわたり分割で金を取る。……
一八三七。男の心の不誠実は、彼の楽しみすべてを非現実的なものにしてしまうに相違ない。そのため彼の全生活はただ劇のように見えるにちがいない。ある場所では邪悪な生活をおくり、同時に他の場所では徳の高い宗教的生活をおくっている男。
ある心が、他の心と親しく交わって、後者を狂気に追いやってしまう。
一八三八。群衆のなかにいながら、生命もろとも他の男の支配下にあり、ふたりとも深い孤独の状態にいるような男の情況。
一八四二。父の告白者……その秘密の罪をすべて知っている会衆を見まわしながら、内的な人間と外的な人間との対照を考える。……
氷のように冷たい手を持った人……その右手を一度にぎった人びとはのちのちまで忘れない。恐ろしい恥ずべき非行が生まれつき高貴な性格を堕落させ破滅させる経過をたどること、その犯罪を知っているのは本人だけ。
パール……物語の少女には美しい名前。
一八四四。赤ん坊は、先日、日光を手につかもうとした。子どもはまたろうそくの光のなかで、物の影をつかむ。
宥《ゆる》しがたい罪とは人間の魂にたいする敬愛の気持ちの欠如。……
一八四四〜五。性格の力、あるいは他の条件を借りて、相手を絶対的奴隷状態におとしいれ、支配してしまう男の素描。……
一八四五。植民地の法律により、姦通を犯した印として着物にAという文字を縫いつけていなければならない女の生涯。……
ジョン・ウィンスロップ(一五八八〜一六四九)は彼の日誌のなかで、Aという刺繍した緋文字を胸につけさせられたメアリ・レイサムという女のことをしるしている。またホーソン自身も一八三七年の「エンディコットと赤十字」という短編において、植民地の清教徒社会の厳格さをのべ、「すくなからぬ美貌の持ち主の若い女は、世間の人たちや自分の子供たちの見ているところで、着物の胸にAという文字をつけねばならなかった」と書いている。
この短編に描かれている緋文字を胸につけた姦通女は、たしかにヘスターや世間の人の彼女にたいする態度までも暗示していることはたしかであるが、ホーソンの物語の方法や調子や、清教徒の先祖にたいする彼自身の最終的評価は、この萌芽《ほうが》をとりあげて書いているうちに、変わってきた。短編のせまい枠では十分に発揮できなかった力量が、小説のひろい領城のなかで円熟の極致を示すことができたのである。
なぜ古典といわれるか
よく文学の古典という言葉が使われるが、古典の定義はむずかしい。想像力をしげきし、霊感または教訓をあたえ、時の試練にたえたもの、というふうな定義をあたえる人もある。また複雑な素材をゆたかにもち、重要な主題をふくみ、その表現方法が独創的で興味あるものであり、性格描写が鮮明で、再読するたびに新しい発見のよろこびをあたえる作品というようにいう人もいる。こういう定義が完全とは思われないが、『緋文字』が古典的な作品であるということを疑う人はひとりもいないであろう。
この小説は、清教主義が支配的な勢力であった十七世紀のボストンを舞台にした月並な恋愛の三角関係が表面の物語である。だが恋愛小説としても普通の恋愛小説ではない。いわゆる「事件の中途から」(イン・メディアス・レス)はじまる小説で、冒頭すでに若い恋人たちの恋愛は終わっていて、その恋愛の結果が発端となっているからである。また小説の背景として十七世紀ボストンの植民地の社会や宗教の状態がくわしくのべられてはいるが、決して歴史小説ということも、社会学的小説ということもできない。となると、この小説の価値は、その技巧や性格描写、あるいは道徳的な精神の問題、ことに罪の問題についての深い洞察にあるわけで、じじつ、そういう構成、性格、テーマがこの作品を古典たらしめているのである。
構成
小説を読む読者の多くは、作品の構成などあまり気にしない。とにかく全体を読みおわって考えてみなければ、すべての部分が果たして単一の全体をつくりあげているかどうかはわからないものである。
まずこの小説の構成上の統一をつくっているのは、皮肉にも読者のあるものを反発させる、全体を通じての暗い陰うつなムードである。序章の「税関」でさえもその全体の色調に調和して暗い。さらにそれ以上に、最初とまん中と終わりに出てくる三つの処刑台の場面が小説に緊密な統一感をあたえている。あるいは劇の手法にならって五幕にわけることもできる。
すなわち第一幕第一場一〜三章、第二場四章。第二幕第一場七〜八章、第二場十章。第三幕十二章、第四幕第一場十四〜十五章、第二場一六〜十九章。第五幕二十一〜二十三章。
しかし発端、転換、終幕の重要な三つの場面はいずれも処刑台の場面である。第一の場面では、ヘスターは牢獄の暗闇から光のなかに引きだされるが、彼女のこれから果たすべき役割は自由に決定することはゆるされていない。第二の場面では、彼女とディムズデイルはまだ暗闇のなかにいて、ウィルソン氏の角灯からの光も二人にはとどかない。第三の場面において、二人はいっしょになり、自分の意思で光のなかにあらわれ、この光を自分のものとすることができる。このように処刑台の場面を三回設けることによって、はっきりとした統一があたえられているのである。
テーマ
前にものべたように、この小説のテーマは恋愛でもなく、宗教でもない。ヘンリー・ジェイムズは彼の有名な『ホーソン論』のなかで『緋文字』とジョン・ギブソン・ロックハートの『アダム・ブレア』との類似を指摘している。アダム・ブレアは夫のある婦人の愛人となるカルヴィン派の牧師で、彼は罪への悔悟《かいご》にさいなまれ、罪を告白して、牧師の職を辞し、農夫となって罪のつぐないをするのである。だが、もしジェイムズのように『アダム・ブレア』との類似を強調すれば、ホーソンの小説の主人公はディムズデイルということになるが、これには異論をさしはさむ人もいるであろう。あるいは、他の多くの短編の場合のように、知識の人チリングワースを主人公と考えるべきであろうか? これも決定的な主人公となることはできない。たしかなことは、姦通の罪がその当事者と被害者にどういう影響をあたえたか、その影響のあとをたどることが重要なテーマのひとつであるということである。罪の弁証法と呼んでもよい。罪にたいする道徳的な努力と道徳的な失敗、あるいは他人と社会との関係、公認の罪に比較して秘密の罪がどういう心理的、道徳的効果をあたえるか? これらがこの象徴的ロマンスのテーマではないかと思う。
作品鑑賞
ホーソンは『アメリカン・ノートブックス』のなかで一八四二年に、「道徳的または精神的病気を肉体の病気によって象徴化する」計画を立て、心理的または精神的現実を外部の現実の事象と対応させる方法を、すでに『トワイス・トールドテイルズ』のために用い、二重の説明という技巧で物語を展開した。すなわち、ひとつは外部からながめる方法で、実際的な原因と結果を提供して、行動を日常の出来事の次元から説明し、もうひとつは室内からながめる方法で、心理的、超自然的説明をくわえようとするもので、これなくしては自然の説明も浅薄にしか見えないであろうし、あまり重要ではなくなるであろう。彼はこの両方の視点をたがいに排除しあうものとはせずに、両方同時に受けとるような機会を読者に与えようとしたのである。
前にものべたように、有夫の人妻と敬虔な牧師との恋愛は、小説のはじまる前にすでにおこなわれていて、不義の子どもさえ生まれている。その不義の結果をながめるのがこの小説の目的であるようにさえみえる。第一に強調されるべき結果は、その非行が神にたいする罪であり、その社会の神聖を犯す犯罪であるということで、はじめの数章は、それを目撃する人びと、ボストンの住民たちの立場からの見方を発展させている。
小説は、つぎに、社会から被害をうけた当人のロジャー・チリングワースにたいして、この罪がどういう結果をおよぼしたかをながめる。従来の社会や教会のあたえる罰に満足しない彼は、個人的な復讐をしようと計画し、そのために彼は悪魔的となる。彼の行為はもくろんでいた罰を牧師にあたえることに成功したばかりでなく、それ以上の悪をさえも引きだしてしまう。裏切られた夫の無念の恨みに、あるていどの理解と同情を感じながらも、シャイロックの場合と同じように、さいごまで彼についてゆけないのは、けっきょく彼のいだくすさまじい悪のためなのである。
ヘスター自身にたいする影響を考えると、問題はもっと複雑になる。というのは、ヘスターは表面的には自分の行為をみとめ、その刑罰を英雄的にたえしのぶけれども、心のなかでは社会の法律もチリングワースの考えもうけいれてはいない。自分が社会の禁ずる犯罪を犯したという事実はみとめながらも、自分が実際の罪を犯したという意識はまったくない。自分の行為には神聖なものがあるという自信はゆるがない。わたしはときどきチリングワースばかりか、ヘスター・プリンも一種の怪物のような気がして恐ろしくなることがある。これは、ホーソンが彼の考えていた理念の体現者としてのヘスター、あるいはチリングワースにたいする肉づけが十分でなかったためではないかという気もする。パールは最初から現実ばなれのした妖精のように描いているから当然であるとしても、ヘスターたちまでも悪鬼じみた相を示すというのは、どういうわけであろうか。
とにかく、ヘスター・プリンには一歩あやまれば、チリングワースと同じように、悪魔と化してしまうような要素がある。それは若さというものに裏打ちされた勇気の形を変えたものかも知れない。だがその危機を救ってくれたのは、ディムズデイルの犠牲であろう。しかしディムズデイルの受けた影響はもっとも悲惨であったということができよう。社会の規範を受けいれ、ある意味ではその価値の代表者とみなされているだけに、彼は偽善者とならざるを得ず、チリングワースにとっては好都合の餌食《えじき》となったのも当然であった。
この三人の中心人物はそれぞれ外と内との二重の生活をおくっている。外面はすぐれた学識者として尊敬されながら、心に邪悪な復讐の呪いをいだくもの、表面は自分の非行をみとめて社会の制裁を甘んじてうけながら、心はそれに承服せずに抗議しているもの、表面は公衆の尊敬をうけながら、心は犯した罪になやむもの、三種三様の存在である。そしてこの三人の個人と社会との関係を考えてみると、罪のために社会から疎外されていたヘスターがさいごには社会に暖かく迎えられて復帰することができ、最初は社会に所属していた魂も最後には自分から疎外されていく。また社会に所属していると誇称《こしょう》していたのが、実際は所属していたのではなく、ただ仮面をかぶっていつわりの所属をよそおっていたために、さいごの疎外がもっとも悲劇的となる人物もいるのである。
いずれにせよ、これは道徳の劇、あるいは人間の罪と罰を扱ったロマンスなのである。(刈田元司)
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年譜
一八〇四 七月四日の独立記念日に、マサチューセッツ州セイレムのユニオン街に生まれた。セイレムは、古くから栄えた港町であったが、当時はすでに昔の栄光を失っていた。父は同名のナサニエルで船長、母はエリザベス・クラーク・マニング・ホーソン。ホーソン家の先祖は一六三〇年、信仰の自由を求めて新大陸にわたってきた清教徒、母のマニング家の先祖は一六七九年にイギリスから移住、セイレムに移ってきたのは一七七六年であるから、父と母の両家ともセイレムでは珍しい旧家であった。姉のエリザベスは二年前の一八〇二年に生まれている。
一八〇八(四歳) 妹のマリア・ルイザ生まれる。また父はオランダ領ギアナのスリナムで黄熱病のため、三十三歳の若さで死亡。三人の幼な子をかかえた若き未亡人は、実家マニング家の援助を得て暮らすことになったが、父親の留守のために暗くなりがちであった家は一層陰鬱になった。
一八〇九(五歳) 一家はハーバート街のマニング家に移った。マニング家は駅馬車会社を経営していた大家族であった。
一八一三(九歳) 学校でボール投げをしているとき足をくじき、そのため三年間も家にとじこもらざるを得なくなった。しかしおかげで読書はよくし、スペンサーの『仙女王』やバニヤンの『天路歴程』やシェイクスピアを愛読し、後年の寓意的な作品の基礎はこのころに作られたといってもよいであろう。
一八一六(十二歳) メイン州レイモンドに母たちとともに移り、母方の伯父ロバート・マニング所有の家に住んだ。セバゴ湖畔の森林にかこまれた村の生活によって、病弱な体の健康も回復した。
一八一九(十五歳) 七月、ひとりセイレムにもどり、サミュエル・アーチャーの学校に通った。
一八二〇(十六歳) 大学入学準備のため弁護士オリバー・L・オリバーの指導をうけた。一家はセイレムにもどる。八月二十一日〜九月十八日まで「スペクテーター」というペン書きの週刊家族新聞を七号まで発行。
一八二一(十七歳) レイモンドからあまり遠くないメイン州ブランズウィックにあるボードン大学に入学。終生の友フランクリン・ピアス(のちの第十四代大統領)、ホレイシオ・ブリッジたちと親しくなった。同期生にのちの詩人ロングフェローもいたが、彼とはあまり親しくなかった。
一八二五(二十一歳) ボードン大学卒業、席次は三十八人中十八番。セイレムの母の家に帰り、文学者になる大望を固く抱いていたために、職業につくことなく、もっぱら読書と執筆に終始。これから約十二年間を伝記作者はよく「孤独の年月」と呼んでいるが、それほど孤独だったわけではなく、旅行も社交もたのしんでいる。この期間に六十篇もの短編、小品の類を書く。
一八二八(二十四歳) 大学時代の経験をもとにスコットばりの小説『ファンショー』をボストンのマーシ・アンド・ケイプン社から匿名《とくめい》で自費出版したが、ほとんど売れなかった。ホーソン自身もその小説に不満で、友人のブリッジの言葉によれば、できるだけ回収して焼いてしまったという。またこの頃『わが故郷の七つの物語』も書いていたようであったが、この原稿をほとんど焼いてしまった。十月ニュー・ヘイブンへ旅行。
一八三〇(二十六歳) セイレムの「ガゼット」紙にはじめて『三つの丘の盆地』という短編をのせた。これは『七つの物語』のうち焼却をまぬがれたものの一つである。またこの年から三十七年までサミュエル・グッドリッチが発行している贈答用の文集『トークン』に、約二十篇の短編、小品文を匿名でのせた。
一八三一(二十七歳) 八月、ニュー・ハンプシャーに旅行。
一八三二(二十八歳) 九月、ヴァーモントとニュー・ハンプシャーを旅行。ホワイト山脈のワシントン山にも登った。
一八三三(二十九歳) 夏、セイレム近くのスワンプスコットを訪問。ナイアガラ方面へも旅行した。
一八三六(三十二歳) グッドリッチの依頼によりボストンの「アメリカン・マガジン」の編集者となったが、半年ほどで辞職。
一八三七(三十三歳) ピーター・パーレーの『万国史』出版。グッドリッチのピーター・パーレー・シリーズの一冊で、これは姉のエリザベスと二人で書いたものである。親友ホレイシオ・ブリッジの財政的保証(二百五十ドル)によって、これまで雑誌に発表した短編と小品十八編をあつめて『トワイス・トールド・テイルズ』と題し、ボストンのアメリカン・ステーショナーズ・カンパニーから出版した。ホーソンの本名で出版された最初の本で、好評であった。
一八三八(三十四歳) セイレムの歯科医ナサニエル・ピーボディの娘ソフィアと知りあい、婚約。七歳年下で病弱であったが、ゆたかな感受性の持ち主であった。
一八三九(三十五歳) ボストン税関の塩、石炭の計量官となる。年俸千五百ドル。勤務は二年つづいたが、創作はほとんどできなかった。
一八四一(三十七歳) 一月、税関を辞職。児童向きの歴史小説『おじいさんの椅子』をソフィアの姉エリザベス・ピーボディの経営する書店から三部にわけて出版した。四月、ボストンの南ウェスト・ロックスベリの新しい村ブルック・ファームに参加した。超絶主義者によるこの一種の共産社会に対して必ずしも思想的に共鳴したわけではなかった。
一八四二(三十八歳) 四月、児童向きの『伝記物語』(ニュートン、フランクリン、クロムウェル等六人の伝記)、および『トワイス・トールド・テイルズ』の続巻を出版。七月九日ボストンでソフィアと結婚。コンコードの「旧牧師館」に移り、エマソン、ソロー、マーガレット・フラーなどと親しく交際した。
一八四四(四十歳) 三月、長女のユーナ出生。
一八四五(四十一歳) 十月、「旧牧師館」を去り、家族とともにセイレムの母のもとに帰る。
一八四六(四十二歳) 生活のため、四月よりセイレム税関に輸入品検査官として勤務。年俸千二百ドル。六月、短編集『旧牧師館の苔』二巻をニューヨークのワイリー・アンド・パトナム社より出版。同じく六月、長男ジュリアン出生。ジュリアンものち小説家となり、両親のことを書いた。
一八四九(四十五歳) 前年十一月の大統領選挙でホイッグ党が勝ち、民主党員であったホーソンは六月職を失った。七月三十一日、母のエリザベスは六十八歳で亡くなった。『緋文字』を書きはじめた。
一八五〇(四十六歳) 二月三日『緋文字』完成。三月十六日初版二千五百部が一部七十五セントでボストンのティクナー・リード・アンド・フィールズ社から売りだされ、二週間で売り切れた。しかし序文の「税関」がセイレムの一部の人たちの怒りを買い、五月にはセイレムを去ってバークシャーのレノックスに移った。八月十七日と二十四日の週刊「文学世界」にメルヴィルは「ホーソンと彼の苔」と題する評論を匿名でのせ、この二人の偉大な作家の交友がはじまった。
一八五一(四十七歳) バークシャー滞在中に書いた『七破風の屋敷』を四月ティクナー・リード・アンド・フィールズ社から出版した。二年間に約一万部も売れた。五月、末娘のローズ出生。十一月『ワンダー・ブック』を同じ出版社より出版。十二月短編集『雪人形その他』を同社より出版。この年から翌年にかけて、マサチューセッツ州ウェスト・ニュートンに移った。
一八五二(四十八歳) 五月『ブライズデイル・ロマンス』完成、七月ティクナー・リード・アンド・フィールズ社から出版された。五月、知人の超絶主義者オルコットから買いとったコンコードの屋敷に移り、これをウェイサイドと命名した。ボードン大学時代以来の親友ピアスが民主党の大統領候補になったので、選挙運動のための『ピアス伝』を九月に出版した。
一八五三(四十九歳) 大統領に就任したピアスの好意でリヴァプール領事に任命され、七月、家族とともにイギリスへわたり、四年間その職にあった。九月『ワンダー・ブック』の続編『タングルウッド・テイルズ』出版。
一八五八(五十四歳) 一月、フランスを経てローマに行き、五月まで滞在。五月、フロレンスに行く。十月、ローマにもどったが、長女ユーナ、ホーソン夫妻ともども健康を害した。
一八五九(五十五歳) 五月、ローマを出発、ジェノア、マルセイユ、パリを経てイギリスにもどる。前年フロレンスで書きはじめた『大理石の牧羊神』を完成。夏、イギリスのレッドカーに住んだ。
一八六〇(五十六歳) 二月、『大理石の牧羊神』出版。英米ともに好評であった。六月、帰国、コンコードのウェイサイドの家に落ちついた。
一八六一(五十七歳) 九月ころから「グリムショー博士の秘密」、「セプティミア人・フェルトン」、「祖先の足跡」、「ドリヴァー・ロマンス」等の作品にとりかかったが、ひとつも完成しなかった。
一八六二(五十八歳) 三月〜四月、ワシントンを訪問、リンカーン大統領に会う。
一八六三(五十九歳) 九月、『アトランティック・マンスリ」誌にのせた小品をあつめ、『われらの故郷』と題してティクナー・アンド・フィールズ社から出版。南部に好意的であった前大統領ピアスに献呈したために、ホーソン自身まで不評を得た。
一八六四(六十歳) 健康のため旅行に出たが、同行した親友ティクナーが四月十日に突然死亡、ショックをうけた。五月十一日ふたたびピアスとニュー・ハンプシャーに向かったが、十八日夜半ニュー・ハンプシャー州プリマスの宿で永眠した。五月二十三日コンコードのスリーピー・ホロウ墓地に埋葬された。ニュー・イングランドの著名な文学者たち、ロングフェロー、ローウェル、エマソンたち多くが立ちあった。
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訳者あとがき
アメリカ文学の歴史は浅いけれども、十九世紀中頃のホーソンまでくると、ようやく世界的な作家に出あったという感じがする。十九世紀はよく小説の世紀といわれるように、ヨーロッパは文字通り小説の花ざかりであった。それはただ読者層を形づくる中産階級の勢力の増大が、小説の需要をたかめるのに一役かったという外的な理由によるばかりではない。産業革命以来の社会の大きな変動に加えて、進化論や社会学をはじめとして経済学や心理学などの発達が、これまでの平和な人間の心を動揺させ、その懐疑の眼が人間の世界の現象を新しい観点からながめるようになったということも、原因のひとつにかぞえられるであろう。
モンテーギュという十九世紀フランスの批評家はすでにホーソンのことを、良心や罪や地獄に関心をもつ人間ぎらいの暗い心の作家であると論じたことがある。今日でもこの評価は変わらない。
だが、なぜホーソンのような、暗い人間の罪の問題をあきることなく追求しようとする道徳的な作家が、今もなお多くの読者から愛されているのであろうか。考えられるのは、現代の世界が、外面の文明ははなやかに進歩しているようにみえても、人間の個人個人の生活には昔と変わらず悲惨な要素が多いから、ということである。人間のもつ宿命的ともいえるような暗さを、ホーソンは単純な形で描写している。危険な作家のようにもいわれるフランツ・カフカが、最も純枠な、最も孤立した状態の人間個人の物語を書いているという意味において現代的であるといえるならば、ホーソンもまた人間の暗い旅を描いているという意味で、同じようにきわめて現代的であり、彼が今日も多くの読者をもつのは当然であると思われる。
考えさせる小説には、力づよさがある。ことにそれが人間の愛と憎しみ、罪の重荷に悩む魂のことを書くときは、人に強く訴えるものがある。すでに幾種類もの翻訳があるところへ、さらに翻訳する機会をあたえられたことに、深く感謝する次第である。
〔訳者紹介〕
刈田元司(かりたもとし) 英米文学者。上智大学文学部教授。東京女子大、東京教育大学講師。一九一二年(明治四五年)新潟県に生まれる。上智大学英文科、ジョージタウン大学院卒業。のちハーヴァード大学に学ぶ。専門はとくに一九二〇年代、南北戦争前後のアメリカ文学の研究。著書『アメリカ文学史』『アメリカ文学の周辺』、訳書『トロイルスとクリセイデ』『一生の読書計画』『ララミーへの道』『ある黒人奴隷の半生』『オーギー・マーチの冒険』他多数。一九九七年没。