オデュッセイア(下)
ホメロス/呉茂一訳
目 次
第十三巻〜第二十四巻
解説
[#改ページ]
第十三巻
オデュッセウス、スケリエ人の船で送られ故郷に帰る
【オデュッセウスの長い漂流譚もようやく終わる。話を聞いて感に堪えた人々は、王の発言で、オデュッセウスのため彼が失ったより多いほどの贈り物を用意し、彼を船に乗せてイタケ島へ向け送り出した。船は眠っているオデュッセウスを乗せて、イタケ島のポルキュスの入江に着き、彼を眠ったまま岸におろすと、贈り物をかたわらの洞窟の中におさめて帰島する。これを知ったポセイドンは憤慨のあまり、船を港外に化石とする。やがて眼ざめた英雄はアテネ女神の変じた少女に故郷であることを教わるが、用心してすぐにむかしの館に帰らず、ネリトス山下の牧場に住む従僕エウマイオスの小屋をさしてゆく、女神は彼の姿を乞食風にやつれさせた】
こういうと、人々はみな声も立てずに、ひっそりと静まりかえって、くらい影をさす広間のうちが、魔法の力におさえこまれたごとくであった。そこで今度は、アルキノオスが、彼(オデュッセウス)に向かって声をあげ、答えていうようには、
「おお、オデュッセウスどの、たとえどんなにいろいろ苦難を受けてこられたにしても、高い屋根に、青銅の敷居をもつ私の館《やかた》においでになったからには、もうこれ以上の漂泊を重ねて、帰国することはけしてないでしょう。それで、みなさん方、私の屋敷でいつも振舞《ふるま》い酒の真紅に輝くのをお飲みの方々、歌唱者《うたうたい》に耳をお傾けの方々のめいめいに、こう申しあげたい。衣類はもう客人のため、よく磨きあげた木箱に入れて置いてある、技《わざ》をつくして仕上げた黄金《こがね》やそのほかの土産《みやげ》の贈り物など、パイエケスの国務にあずかる方々がこのところへお待ちだったものがそっくりです。ところでさあ、さらに加えて、みなで彼に大きな鼎《かなえ》か鍋《なべ》かを一人ずつが贈ることにしようではないか。めいめいの郷《ごう》ごとにその代金をあとで取り立てればよいだろう、個人が無償《ただ》で贈り物をするというのは骨の折れることだからな」
こうアルキノオス王がいわれたが、その言葉に一同は満足の意を表わした。それでみなそれぞれ自分の家へ、寝ようとして帰っていった。さて、早く生まれて、ばらの指をもつ暁(の女神)が立ち現われたとき、みなみな船へと急いで馳けつけてゆき、また武士のかざりとなる青銅(の器)を運んでいった。するとその品々を尊いアルキノオス王は、自身で船中をまわっていって、漕席の下へおさめ、船員たちが船を遣《や》るとき、せっせと櫂を動かすのに邪魔にならぬようとの心|遣《づか》いから、よろしく片づけられた。それから一同はアルキノオスの館へおもむいた、馳走になるつもりである。
その人々のためアルキノオス王は、万物を統治される、クロノスの子の黒雲の御神ゼウスヘと牝牛を一頭犠牲に捧げられた。それで一同は腿《もも》のところを焼き御供《ごくう》にたてまつってから、立派な馳走を楽しみつつ、食事をした。その人々の間にはいって、神々しい歌唱者《うたうたい》のデモドコスが歌をうたった、国民から敬重されている歌い手である。ところでオデュッセウスはというと、輝《て》りさかる太陽のほうに、早く沈めとばかりに、頭を向けていたが、それもまったく帰国をしきりに望む(あまりのことであった)。ちょうど人が夕餉《ゆうげ》をしきりに待ち望むように――ぶどう酒色をした二匹の牛にしっかりした造りの犂《すき》をつけ、一日じゅう畑を耕し、やがて日が沈むと、膝をがくがくさせながらも、うれしい夕餉へと立ち帰る――それと同様にオデュッセウスにとっては、太陽の沈んだのはありがたいことだった。それですぐさま、櫂に親しみ馴れているパイエケスの人々の間にあって話をしたが、とりわけてはアルキノオス王に向かって訴えると、言葉をつづけた。
「アルキノオス王よ、すべての人のうちにも秀《ひい》でぬきん出る方、あなた方はいま、恙《つつが》なく私を遣《おく》り返すと神々に供御《くご》をささげて、送り出して下《くだ》さる、ではご自身がたも機嫌よくお過ごしのよう。というのも、私の心が望んだ事々、送り返しとありがたい土産の品々と、それらはいま、もはやすでに実現されているのですから。それを天上においでの神々が祝福してくださいますよう、また故国《くに》へ帰って家に、恙ない妻の姿を、無事な身内《みうち》の人々ともども、見出すことができますように。またあなた方は、そのままここにいつづけて、正式に縁組された奥さまやお子さん方と楽しくお暮らしなさい、そして神さま方が、ありとあらゆる福徳をお授けあって、国じゅうを襲《おそ》うわざわいなどが起こりませんように」
こう彼がいうと、宜《ぎ》に適った挨拶を彼がしたというので、人々はみなこれに心をあわせ、客人を送ってあげろといいはやした。その時にあたって、伝令使に向かってアルキノオス王がいわれるよう、
「パントノオスよ、混酒瓶《クラーテル》に上酒を和《あ》わせて、この広間じゅうの方々にお配りするよう、まずはじめにゼウス父神に神酒《みき》をまつって、この客人を、お故国《くに》もとへと送ってさしあげるように」
こう王がいうと、パントノスは心を楽しませる上酒を(水と)混ぜ和わせて、すべての人たちのそばへ寄って、配っていった。そこでみなみなそのままめいめいの席にいながら、広大な空を支配の神々へと神酒をそそいでまつった。それから尊いオデュッセウスは立ち上がって、アレテ(王妃)の手に、両側に耳のついた杯を置き、彼女に声をかけて、翼をもった言葉を述べるよう、
「王妃よ、ではいつまでも始終ご機嫌よくおいでください、老年と死がまいりますまで、それは人間を訪れるのが常です。ところで私はこれから帰ってゆきますが、あなたはこのお館においでになって、楽しくお子さま方や国の人々、わけてもアルキノオス王とお過ごしあるように」
こういうと、尊いオデュッセウスは、敷居を越えて出かけていった。彼といっしょにアキノオス王は伝令使をさし遣《つか》わして、速い船のあるところ、海の渚へと案内させた。またアレテは、後につけて召使いの女たちを遣わして、一人のほうにはよく洗い浄めた広幅布と肌着とを持たせてよこし、もう一人のほうには堅固にできた櫃《ひつ》を持っていっしょについてこさせた。さらに他の一人は穀類と赤いぶどう酒を持っていった。さて人々は船のところ、また海辺へと到着すると、すぐさま、ひろい船の中へ気高い送り人たちはその品々を、受け取って積みこんだ、飲料や食物などをすべて。それから敷物にと厚い布地をオデュッセウスのために船尾の方へ敷きつめ、ひろい船の板の間へ、彼が眼を覚まさずに熟睡できるようにした。それから(オデュッセウス)自身が船に乗りこみ、何も言わずに黙りこくったまま身を横たえると、(送り手の船員たちも)めいめい櫂架けの座席に悠然といならび、穴をあけた石から纜《ともづな》をほどいて取った。
ちょうど彼らが後ろへよりかかって、櫂《かい》で海水をはね上げているおりしも、快い眠りがオデュッセウスの瞼《まぶた》のうえに落ちてきた、けして覚まされぬ、このうえなく快い眠り、死ともっとも近似した眠りであった。そして船は、まるで平原の上を、四頭立ての牡馬どもが、そろっていっしょにみな革づくりの鞭にうたれて馳け出して、高く脚を蹴立てて、いともすみやかに行く路を縮めるように、船首が高く持ち上がり、船尾には、ごうごうとざわめいている大海の湧き立つ波が狂奔していたが、船は何の危なげもなく、しっかりと走っていった。まったく鷹のたぐいの鳶《とび》でさえ、鳥類のうちでいちばんに敏捷な鳥だというのに、ついていくことができまいくらいで、迅速に船は海波を断ち割って進んでいった、神々にもひとしい知謀をもった武士《さむらい》を運びながら。その人は以前に、ずいぶんたくさんな苦しみを受けて心に味わった、武士たちのたびたびの戦さや、難儀な波浪を経験して。だがこの時はまったく静かに身動きもせず眠りつづけていた、過去の苦難のすべてを忘れ去って。
さて、いちばんに輝かしい星(暁の明星)がさしのぼる頃――その星はとりわけて、早く生まれる暁の光を告げると現われるものであるが――その時分にいよいよ、海原を渡ってゆく船は、その島へと接近していった。さてイタケの里には、海の老人の(名を取って)ポルキュスの入江と呼ばれるところがある、その同じ港口に二つの岬が突き出ている、海辺は切り立った崖だが、入江のほうは低く下って平らかで、それが外海からの、荒く吹く風の大浪をさえぎりとめる囲いになっている。それで内側では、船は、目的の碇泊地へ来たおりに、纜《ともづな》なしで泊まるのが常である。ところでこの入江のいちばん奥には、長い葉のオリーブ樹が生えていて、そのすぐそばには、たのしげに薄暗い(内のおぼろに見える)洞穴があった。流れのニンフ(ナイアデス)と呼ばれるニンフたちの聖所である。その中には、石の混酒瓶《クラーテル》や両耳瓶《アンフォラ》がいくつも置いてあり、そこにはまた蜜蜂どもが巣をつくっていた。また石づくりの織り機のたいそう長いのがすえてあり、ニンフたちは潮紫《しおむらさき》の薄麻|衣《ぎぬ》の見るもおどろくばかりの品を織るのだという。泉も常住に流れていた。さてこの洞穴には二つの扉口《とぐち》があって、その一つの北へ向いたほうのは、人間にも降りてはいれるものであったが、いま一つの南向きのほうは神々のための扉口で、人間たちはそこからははいってゆかれず、神々だけの通路となっていた。
その場所へと、一行は、かねてより心得ている、船を走り入らせた。するとそのとき勢いよく進んだので、全体の(船の長さの)半分ほどが陸へと乗りあげた。それから一同座席のよい船から降りて陸へあがり、まず第一にオデュッセウスを、なかのうつろに広い船からかつぎあげて、彼自身といっしょに麻布や光沢のよい厚繊りの敷物ぐるみ、まだすっかり正体もなく寝こんでいるのを、砂浜へとおろして置いた。つぎにはパイエケスの長老たちが、度量も大きなアテネ女神のお力で、彼が故国へ帰ったときに贈ることになった、たくさんな財宝を運び出した。それらの品は、オリーブ樹の根元へ、通路から外れた場所に一まとめにして置かれた、路をゆく旅人のだれかがもしや、オデュッセウスが眼を覚まさぬうちに、やって来て奪いなどせぬようにと。そして彼ら自身はまた再び故国(スケリエ島)へと帰っていったのであったが、大地をゆるがす御神〔ポセイドン〕は、以前の威嚇を忘れていなかった、そのはじめ、神にひとしいオデュッセウスを威《おど》しつけていい放った(あの言葉である)。それでゼウスの神慮をうかがわれるよう、
「ゼウス父神よ、もはや私は、不死の神々の間にあって、尊敬を享受することはできますまい、人間のパイエケスのやからでさえが、けして私を敬わないようでしたら。というのも、オデュッセウスはさまざまな苦難を受けたのち、最後には故郷に帰ることであろうと思っていました。けして私は彼から帰国の途を奪い去るつもりはなかったのです、あなたが初めに約束なさり承諾をお与えだったことですから。ところが彼らは、速い船の中にオデュッセウスが寝こんでいるのを、海原の上を連れていって、イタケ島へおろしたうえにも、山のような贈り物を持たせてやったのです、青銅や黄金やをいっぱいに、衣類だの繊物だのも、トロイアからだって、けしてオデュッセウスが分捕《ぶんど》ることもできないくらいにたくさんです」
それにたいして、叢雲《むらくも》を寄せるゼウスが答えていわれるようには、
「やれやれ、大地を揺さぶる、勢力の広大な御神〔ポセイドン神のこと〕が、何ということをおいいなのか。けしてそなたを神々がないがしろにするなどいうことはない。とりわけて長老でもあり、素性も正しい方に無礼を働くというのは、むずかしいことであろう。だがもし人間のうちの誰なりが、腕の力なり権力なりにおごって、そなたに敬意を払わぬというならば、いつなりと後々で報復をすることは、そなたに許されているものだ。そなたの望むよう、そなたの心にとって好ましいように、されるがよかろう」
それにたいして、今度は大地を揺すぶるポセイドン神が答えられるよう、
「さっそくにもおおせのように私はいたしたいのです、黒い雲(を寄せる)御神よ、しかしあなたのお憤りを、私はいつも気遣って、避けるようにしております。いまだってまたパイエケスの人々のたいへん立派な船が、(オデュッセウスを)送ってから帰ってくるのを、おぼろに霞む海原でうち砕こうと欲しているところです、もう今後はさしひかえるよう、人間どもを送り返すことはきっぱりやめるようにと。また彼らの都城を大きな山で両側からとり囲んでやろうと思うのです」
それにたいして、叢雲を寄せるゼウス神が、返答としていわれるよう、
「ああ親しい神よ、私の心にいちばんの上策と思われるところを申せば、ちょうどそれこそすべての人が都城から、(遥かに)船の来るのを望んでいるとき、陸から近いところで、(その船を)速い船の形に似た石にしてしまうのです、それを見てすべての人間が驚嘆するように。彼らの都城を両側から大きな山でとり囲むのも悪くはない」
さて大地を揺すぶるポセイドンは、こういわれるのを聞くと、(さっそく)スケリエに出かけていった、パイエケスの人々が住んでいるところである。そこでしばらく待っているうち、海原を走る船は、すみやかに進んで来て、ごく間近なところへやって来た。その船の近くへ大地を揺する御神は行くと、それを石に変わらせてから、掌《てのひら》を下に向け(平手で)うちつけ、海底へ根を生やさせた。そしてそこから立ち去っておいでなされた。
そこで長い櫂をあやつり、船で名高いパイエケスの人々は、たがいに翼をもった言葉を交わして話しあい、このように誰彼もが、間近な者と顔を見合わせていうのであった。
「やれ、何としたことか、誰がいったい速い船が故郷《くに》へ帰ってくるところを、海原でもってがんじがらめにしたのか。まったくもうすっかり島の形が見えたものを」
こう人はいうのであったが、みなどうした事が起こったのか、わからなかった。その連中に向かって、アルキノオスは話しかけ、間に立っていわれるよう、
「やれやれ、いよいよ古くからいい伝えられた託宣が事実になったのだ。私の父の代からも、彼がつねづねいっていたが、ポセイドン神はわれわれにたいして含むところがあらせられる、われわれがあらゆる者を船で安全に送り届けてやるというので。それであるときいわれるよう、ポセイドン神は、パイエケスの人々のたいそう立派な船が、送り届けから戻ってくるところを、おぼろに霞む海原の上で、打ち砕いてやろう、そして大きな山でわれわれの都城を両側からとり囲んでやろうとするであろうと。こう私の老父は話していたが、それがいまいよいよすべて事実となって現われたのだ。さればさあ、これから私のいうとおりに、みな聞き従ってやってくれ。すなわち人間を送り届けるのはもうやめにしよう、誰かがわれわれの町にやって来た場合にも。そしてポセイドン神へと、十二頭の選り抜きの立派な牡牛を贄《にえ》としてまつることにしよう、すればご慈悲を垂れさせ、われわれの都城を両側から、たいそう高い山でとり囲むのは、おやめなさろうか(と願って)」
こうした次第で、人々はポセイドン神にたいして祈祷しつづけた、パイエケスの国の指揮を執り政治にあずかる人々が、祭壇をめぐり立ち並んで。一方尊いオデュッセウスは、父《おや》代々の土地で眠りから眼を覚ましたが、もう長いあいだ国を離れていたもので、いっこうにその識別《みわ》けがつかなかった。というのも、神さまがあたりに靄《もや》の気をふりそそがれたためであった。ゼウスの御娘のパラス・アテネで、それも彼自身を(他人にそれと)覚《さと》れぬようにしておき、万事を話して(打ち合わせて)おこうとのお考えからであった。求婚者たちにあらゆる思い上がった振舞いのつぐないをさせないうちは、妻も市民らも身内の者たちも、彼を識別《みわ》けることがないようにするためである。こうした次第で、何もかもこの領主にとって、ちがった様子に見えたのであった。細長い小径といい、すっかり碇泊に便な入江といい、険阻な巌《いわお》といい、繁茂した樹木といい。そこでオデュッセウスは立ち上がって、故郷の土地をよくよくながめ、ひとこえ嘆声を発すると、平手でもって自分の両腿をうちたたき、悲嘆にくれながらいいつづけた。
「やれやれ、情けないことだ。今度はまたどういう人間たちの国へ来たものか。ここの人たちは無法者や乱暴者で、掟《おきて》を守る人間ではないのだろうか。それとも他所《よそ》から来た人間に親切で、神を恐れる敬虔な人たちだろうか。いったいどこへ、このようなたくさんな財宝を運んでいったらいいだろう。またどちらへ私自身足を向けたらいいか。まったくあのままパイエケスの人たちの手もとにおいてくれたらありがたかったのに。そしたら私が誰か他《ほか》の、威勢のたいそう盛んな領主のところへ辿《たど》りついたうえ(お願いしたら)、おそらく私を歓待して故郷へ送り届けてくれただろうが。ところが今は、この財宝をどこへ置いたらいいかもわからないし、またもちろんこのままほうっておくわけにもいくまい、ひょっとして他人の餌食《えじき》にされては困るからな。やれやれ、何ということか、それではパイエケスの一族の指揮を執り政治にあずかる(長老たち)は、つまりどこからどこまで分別があり道を守る人たちでもなかったわけか、私を他の土地へ連れ去ったとは。私を島影のあきらかなイタケに連れてゆこうと約束したのに、実行しなかったのだから。祈願する人を護るゼウス神が、彼らに罰を与えてくださるように、神さまは他の人々の上にも見極めの眼を見張り、もしも責務《つとめ》を怠れば、処罰なさるということなので。ところでさあ、それよりもこの財宝を数えておこう、そしてなかのうつろな船へ載せて来たあいだに、何かなくなっていはしないか、見るとしよう」
こういって、とても立派な三足|鼎《かなえ》や鍋などの数を調べた、さらに黄金だの美しい織物や着物などを。しかしもちろん、それらは一つも失《なくな》ってはいなかった。それから彼は故郷のことを(思って)嘆き悲しんだ、波立ち騒ぐ海の渚に沿ってそぞろ歩きながら、非常な悲嘆にくれつつ。するとそのすぐわきにアテネ女神がおいでなされた、若い男の姿に似せて、羊の群を牧《か》う青年だが、領主たちの息子とも思われるとても華著《きゃしゃ》な体つきで。両肩のまわりには、こしらえのよい外套を二つ折りにしてかけ、ふくよかな足もとには鞋《くつ》をつけ、手には投げ槍をもっていた。その姿を見るとオデュッセウスは喜び立って、その直前にすすみ出で、かれに向かって声をかけ、翼をもった言葉をついでいうようには、
「なつかしい方、あなたが、この土地へ来ていちばん初めに出会った方なのですから、ご機嫌よう、またどうか私を迎えるのに邪念をもってしないでください。それでここにあるこれらの品々が無事なよう、また私の身が無事なよう護ってください。まったくあなたにたいして私は、神さまと同様にお願いするのですから、そしてあなたのお膝に祈願者としてすがるのです。また確かなところを聞かせてください、十分に諒解できますように、(ここは)何という土地、何という国なのですか、どういう人たちが住んでいるのでしょう。あるいは姿の明らかなどこかの島か、それとも土塊《つちくれ》のゆたかな大陸の、海へ向かって傾斜している浜辺でしょうか」
それにたいして、今度はきらめく眼の女神アテネがいわれるよう、
「見知らぬ方、あなたはわけもわからぬ者か、遠いところから着きたての方なのですね、まったくこの土地はどこかなどおたずねとは。だってそんなに世に知られていない土地ではないのですから。ここを知っている人間はずいぶんたくさんあります、東の、太陽に向かう方角に住む人たちにしろ、おぼろに霞む夕暮れの後ろの方(西)に住む人たちにしろ、みな知っているのです。確かに、突兀《とつこつ》として平地が少なく、馬を駆るには適しませんが、そうたいして貧しいわけではない、しかし、そう広々とした島でもありません。つまり島では穀物も驚くほど取れ、ぶどう酒もたくさんできます。いつも雨や霧がたっぷりと降るので、山羊を飼うにも、牛を飼うにも、好適の土地なのです。またあらゆる種類の樹木が繁り、年じゅう尽きない水汲み場もいくつもあります。それゆえ、見知らぬお客さま、イタケ島の名は、トロイアまでも響いているのです、アカイア(ギリシア)の国からは遠いところだということですが」
こういわれたので、辛抱づよい、尊いオデュッセウスはうれしく思い、自分の親代々の故郷の土地に帰った喜びを感じた。それも山羊皮楯《アイギス》をお持ちのゼウスの御娘神パラス・アテネがこうおいいだったからである。それで御神にたいし、声をあげ、翼をもった言葉をかけたものの、いつでも胸に狡滑な思慮をはたらかせている彼は、本当のことはしゃべらずに、いいかけた話を引っこめおさえておいた、
「話には聞いていました、イタケのことは、遠く海を隔てている広いクレテ島におりましても。それが現在はこうして自身、うわさのその島に財物とともに流れ着いたということですね。実は私は、子供たちに、このくらいのものを残して、国を逃げて来たのです、イドメネウス王の愛息を私が殺したものですから――脚の速いオルシロコスという息子です。クレテ中の人たちを、脚の速さでは負かしたという者ですが、トロイアの軍全体からの戦利品を私から奪い取ろうとしたものですから。その品々のために私は胸にさまざまな苦難を味わい、武士《もののふ》たちの戦いもつらい波浪も凌《しの》いで来たわけですのに。元はといえば、私がトロイアの里で彼の父親に従士として仕えるのは欲せず、他の仲間たち(部下たち)を指揮して戦ったからでした。それで私は、路傍に仲間の者と待ち伏せしまして、オルシロコスが畑から帰ってくるところを、青銅の穂先をつけた槍で殺害したのでした。たいへん暗い夜が空をこめ、誰一人私らを見た人間はいませんでした。私はさっそく立流なポイニキア人たちの船へとおもむき、心ゆくほど十分に戦利品を分《わ》け与えて、私をピュロスなり、またはエペイオイ族が支配する尊いエリス州なりへ、船に載せ連れてってくれと頼んだのです。ところが、あいにく彼らを風の力が、そこから押し遠ざけたのでした、まことに彼らの思惑《おもわく》とはちがったことで、(私を)欺すつもりはけしてなかったのでしたが。そこでかの地から道を外《はず》れて、夜のあいだにここへ着いたです。またやっとのことで入江の中へ船を漕ぎ入れたので、私らは夕餉《ゆうげ》を取ることもわすれていたくらいでした、みな食事にはたいそうかつえていたものですが。しかしそれでもともかくも船から降りて一同みな横になりました。そのおりに疲れきっていた私を快い眠りが襲ったのです。するとみなは、私の持ち物を、うつろに広い船から運び出して、私自身が臥《ね》ていた砂浜のところに置いたのです。そして彼らは船へ乗って、形勝の地を占めているシドンの海岸へといってしまいました。しかし私はかように取り残されて胸を痛めている次第なのです」
こう(オデュッセウスが)いうと、きらめく眼の女神アテネは微笑なさって、手をもって彼をなでおろされた。その姿は美しく丈が高く、みごとな手芸を心得ている婦人のように見えたのが、彼に向かって声をあげ、翼をもった言葉をついでいわれるよう、
「狡猾でずるっこい男でしょうね、あらゆる企らみで、おまえの上を越す者は、たとえそれが神さまだったにしても。強情でどの方面にも知恵がまわる、際限のない計略家のおまえは、自分の故郷に戻って来ていてもまだあい変わらずに、人を欺くいろんな作り話をやめようとはしないのですか。まったく心底《しんそこ》からそれが好きなのね。でもさあ、もうこうした話はやめにしましょう、二人とも企らみはお手のものなのだから。つまりおまえは、あらゆる人間のうち策略や作り話にかけてはいちばんの巧者、私のほうはあらゆる神々の仲間で知恵にかけてまた企らみにかけて名を獲た者なのだから。それにおまえとしたことが、ゼウスの娘のパラス・アテネを知らないのですか、始終おまえを、ありとあらゆる労苦のおりに助力をし護ってあげている者なのに。またさきほども、パイエケスの人たちみなに好かれるようしてあげたのに。いまもまたここへ来たのも、おまえといっしょに策をめぐらし、お財物《たからもの》を秘《かく》しておこうためなのですよ、立派なパイエケスの人々が、おまえの帰国に際して贈ってくれたものをみなすっかりね。それも私の計《はか》りごとや所存からでしたが。それからまた、つくりのよい館にいって、おまえが耐えねばならぬ運命《さだめ》の、いろいろな煩《わずら》わしさの次第をいちいち教えてあげようと思ってね。おまえは是《ぜ》が非《ひ》でもそれを耐え抜かねばならないのです。また誰にも明かしてはなりません、どんな男にも女にもね、おまえは放浪の身で帰国したのだから。それで黙って忍ぶのです、たくさんなつらいことも、男たちの乱暴を身に受けてもです」
それにたいして、知恵に富んでいるオデュッセウスが返答をしていうようには、
「女神さま、お出会いした人間が(アテネだと)識《し》りわけるのは、むずかしいことです、たとえどんなに物識りな人にしましても。というのも、あなたはありとあらゆる者の姿にお似せになるからです。でもそれは私とて十分によく存じております、もう前々から私にたいしてお優しくしてくださいますのは、トロイアの里でわれわれアカイア人の息子たちが戦っていました時分に。ところが私どもが険阻なプリアモスの城町《まち》を陥れてから、それぞれ船に乗りこんだところ、神さまはアカイア人《びと》らをちりぢりになさった、それから後は、もはやあなたをお見かけも、ゼウス神のおん娘神さまが、私の船にお乗りのことに気がつきもしなかったのです。それでいつでも自分の胸に切り苛《さいな》まれた心を持って、放浪をつづけていたのです、神さま方が災厄《わざわい》から私を解放してくださる日を待って。さきごろはともかくパイエケスの族のゆたかな国土で、お言葉をかけて私を激励し、またご自身で都までお連れくださいました、それで今度もあなたに、おん父神(祈願する人を護るゼウスさま)にかけ、お膝にすがりお願いいたします。というのも、どうも私の考えでは、この来た場所が島影のあきらかなイタケではなく、どこか他《ほか》の土地にまごまごしてる様子でして、それをあなたはおからかいで、あのようにおっしゃったのでございましょう、私の心をだまくらかそうとのおつもりから。どうかおおせくださいませ、本当に故郷の土地へ着いたのでしょうか」
それに答えて、今度はきらめく眼の女神アテネがいわれるようには、
「いつでもおまえは、そんなふうな考え方を心に抱いてるのだわね、それだからまったくおまえをほうっておけないのです、難儀をしているのをそのままね。もし他の者だったなら、放浪ののち故郷に帰って来たら大喜びで、自分の屋敷にいって子供たちや妻にあいたがることでしょう、ところがおまえときたら、けっして(そんなことを)知りたがりもたずねたがりもしない、妻の心を確かめてみないうちはね。その妻君はそのままあい変わらず屋敷の中に坐っていて、悲嘆のうちにしょっちゅう涙を流しながら、夜も日も過ごしているのです。ところで私は、よく知っていたのです、おまえがすっかり部下の者らを失《なく》してしまって故郷に帰って来ようというのを。ただポセイドン神とは喧嘩したくなかったものでね、何しろ父上の兄弟なのだから。それがおまえをたいそうお憎しみで怨みをもっておいでなのです、息子(単眼巨人ポリュぺモス)を盲目《めくら》にしたということでね。でもともかくも、さあ、このイタケの里の様子を見せてあげよう、(私の言葉を)信用するように。ここはポルキュスの入江というところです、あの海の老人のね。またそれが入江の奥にある、長い葉のオリーブの樹です。これがまた丸天井(の岩)をいただく、広い洞穴だわね、そこでそなたは何度もニンフたちに、申し分ない大贄《おおにえ》を奉納したものだったが。それからあれがネリトスの山ですよ、森にすっかり蔽われている」
こういって、女神は靄《もや》をすっかり消散させたので、土地がよく見え渡った。そこで辛抱づよいオデュッセウスは喜びを覚え、自分の郷里をうれしく迎えて、麦をみのらす畑土に接吻した。そしてすぐと両手をさし上げて、ニンフたちに向かって祈願するよう、
「流れのニンフさまがた、ゼウスの御娘たちの、あなたがたとお会いできようとは、私は思いもかけませんでした。どうかいまは(私の)ねんごろな祈りにお喜びくださいませ。それに供物もさし上げましょう、以前とまったく同様に。もしやお心をこめ、ゼウスの御娘の、獲物をもたらす女神さまが、私自身も生きながらえ、愛《いと》しい息子も生い立たせてくださろうか、と(願いまして)」
それにたいして、今度はきらめく眼のアテネ女神がいわれるよう、
「安心しなさい、そんなことはそなたの胸の中で気づかわなくてもいいのだから。それよりお財物《たからもの》を、その洞穴の奥へ蔵《しま》っておきましょう、いますぐ。それらが無事にそなたの手もとに残るようにね。それでどうしたらいちばん巧くいくか、わたしたち自身で思案しましょう」
こういわれると、女神は朧《おぼ》ろにかすむ洞穴へとはいってゆかれた、洞穴をずっと、秘し場所を探《さぐ》りながら。オデュッセウスはそのすぐそばに品物をみな運んでいった、黄金や消耗しない青銅やよく繊り上げられた衣類など、パイエケスの人々がくれたものである。それから(女神は)その品をよろしく(穴へ)蔵《おさ》め入れてから、石を戸口にあてがった、山羊皮楯《アィギス》をたもつゼウスの御娘神、パラス・アテネがである。それから両人は、尊いオリーブの樹の根元に腰をおろして、傲《おご》りたかぶる求婚者たちの破滅について思案をこらしたが、まずその話の先頭を切って、きらめく眼の女神アテネがいわれるよう、
「ゼウスの裔《すえ》であるラエルテスの子で、機略に富んでいるオデュッセウスよ、どのようにして恥知らずな求婚者たちを手にかけるか、思案しなさい、まったく彼らは三年越しに《おまえの》屋敷中を我が物顔に振舞っているのです。女神にひとしい(姿のおまえの)奥さんに求婚し、結納の品をくれるつもりでね。ところが奥さんのほうは、おまえの帰国を(待ちかねて)いつも悲嘆しながら、みなに希望を抱かせ、言伝《ことづ》てを遣《や》ってめいめいの男に約束するのですが、心の中ではちがったことをしきりに頼んでいるのです」
それにたいして知恵に富んでいるオデュッセウスが答えていうよう、
「やれやれ、まったくすんでのことに、アトレウスの子アガメムノンの不運な死にざまを、屋敷の中でまねることになるところでした、もしもあなたが、女神さま、順序よく詳《くわ》しい話を聞かせてくださらなかったならば。ではさあ、どうか策略を使ってくださいませんか、どうして彼らを罰したものか、そしてご自身が私の味方に立って、大胆な勇気をお吹きこみください、以前トロイアの富んだ城塞を陥《おと》した時と同様に。もしもあなたが、きらめく眼の(女神さま)、そのおりのように熱心に私のそばにおいでくださるならば、三百人の武士《つわもの》とでも私は戦えましょう、あなたがいっしょに、女神さま、心から進んで私にご助力くださるときは」
すると今度は、それに向かって、きらめく眼の女神アテネが答えるよう、
「いかにも十分に私はおまえのそばにいて助けてあげよう。いつでもその仕事で私らが骨を折る時には、けして私を見失うことはないだろう、それできっと求婚者の男たちの誰彼もが、血だの脳味噌だので広い地面をしとどにまみれさすことだろうよ、おまえの家財を食いつぶしている連中がね。ではさあおまえを、どんな人間にも解らないように仕立ててあげよう。まずよく曲がる手足のきれいな肌をひからびさせ、また亜麻《あま》色の髪も頭からなくならせ、身にまとうのは、着たのを見れば誰しも悪《おぞ》けをふるい、いやがるようなぼろにしよう、また両眼は霞み眼にしよう、以前はとても美しかったのをね。どの求婚者が見てもみっともない男に見えるように、また屋敷において来た奥方や息子さんにもです。ところでおまえ自身はまずいちばん先に豚飼いのところを訪ねてゆくのですよ、おまえの豚どもの番人をしている者だが、にもかかわらず気立てがよく、おまえの息子を大切にし、賢いペネロペイアにもよく尽くす男でね。豚どものそばにいるからわかるだろう。その豚どもは|からす《コラクス》が岩のあたり、アレトゥサの泉のほとりに、椎《しい》の実《み》を思う存分食べ黒い水を飲んでいます、それが豚どもをたっぷりとふとらせるものだからね。そこ(豚飼いの家)に逗留して、そのそばで万事をくわしく問い質《ただ》しなさい、その間に私は、女性の美しいスパルテヘいって、テレマコスを呼んで来ますから、おまえの愛する息子をね。オデュッセウスよ、彼はひろびろとしたラケダイモンヘ、メネラオスを訪ねて出かけたのです、もしやまだ生存しているかと、おまえの噂を聞こうというので」
それにたいして、知恵に富んでいるオデュッセウスが、返答をしていうようには、
「それならば、どうして彼にいってやらなかったのですか、何でもよくご存知なのに。彼もまたほうぼうをさ迷い歩いて、苦難を受けるように、というおつもりだったのでしょうか、荒涼とした海上を。そのあいだも他の者どもが生活《くらし》の糧《かて》を食いつぶしていきましょうに」
それに向かって今度は、きらめく眼の女神アテネが答えていうよう、
「あの子のことは、そうたいそうに心配しなくていいのです。私が自身で送りつかわしたのだからね、彼地《かのち》へいって、立派な誉れをあげるようにと。それに何の面倒なことも起きず、安楽にアトレウスの子(メネラオス)の屋敷に坐っているのです、また山ほどの(贈り物)をもらったのだし。もっとも(求婚者たちの)若者どもが、黒い船に乗って、彼が故郷に帰り着く前に殺害しようと逸《はや》り立ち、待ち伏せはしているが。でもそれはむだなことらしいわね、その前に求婚者たちは大地におさえこまれることだろうよ」
このようにアテネ女神はいうと、杖でもって彼に触《さわ》った。そしてよく曲がる手足のきれいな肌をひからびさせ、亜麻色の髪を頭から失くならせたうえ、体《からだ》じゅうに年とった老人の皮膚をかぶらせ、いままではとても美しかった両眼を、霞み眼にしてしまった。また体には、いままでのとは別な、汚ならしいぼろぼろの、ひどい煤煙でしみだらけなぼろ布を外衣や肌着に着せかけた。それから両肩に速い鹿の大きな皮の、毛をとったのをかけてやり、一本の杖とみすぼらしい提げ袋を持たせた、すっかりぼろぼろで、提《さ》げ紐《ひも》には縄が一本ついてるきりのを。
両人はこのように相談しあってから別れたが、女神はそれから尊いラケデイモンヘ、オデュッセウスの息子を訪《たず》ねに出かけてゆかれた。
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第十四巻
豚飼いエウマイオスの小屋での物語
【オデュッセウスは女神からイタケ島の実状を聞き、求婚者らが大勢寄って自分の屋敷を荒らし、テレマコスも不在と知ると、用心ぶかく古い忠実な従僕だった豚飼いエウマイオスの小屋へ一応ゆくことにした。丘の石道をたどって牧場の端にある小屋へつくと、犬が来て吠えつく、その声を聞きとめ、エウマイオスは出て来るが、乞食の姿をした二十年ぶりの主人をそれと見わけられない。しかし義理堅い男なので、頼ってきた者を快く受け入れ、食物を与えその身の上をたずねる。オデュッセウスはクレテ島出の船乗りと身を偽る。それが海賊にあい奴隷に売られ、やっと逃亡して来た者という。またエウマイオスの問いに答えて、その主人オデュッセウスの帰国のときも近いであろうと慰める】
一方オデュッセウスは、入江からでこぼことした小径《こみち》を、森の繁った土地をわけ、高みを抜けて登っていった。アテネ女神が尊い豚飼い(のいるところ)と教えてくれた場所へ向かったのである。この男は、尊いオデュッセウスが所有している家人(下僕、奴隷)たちのうちで、いちばんよく彼の生活《くらし》向きを心配してくれた者だった。
さてその人は、入口の土間に坐っているところだった。そこは周囲のよく見渡せる場所で、そこに、立派に大きく、ぐるりをとり巻いて、中庭囲いが設けられていた。その囲いは豚飼いが自分で、他国へ去った主人の豚どものために、こしらえたもので、女主人やラエルテス老人は知らないことだった。切り出した石を積んで、上には茨《いばら》の束《たば》で笠がこいをつけ、外側にはずっと一面、びっしりと、樫の木の黒材でたくさんの杭を打った。また中庭の内には、豚の檻《おり》が十二、たがいに近接して造ってあった。そのめいめいに地面に寝ころがる豚が五十匹ずつ囲いこまれていたが、みな子持ちの牝豚であった。牡豚のほうは檻の外に野宿するのだが、ずっと数も少なかった。というのも、神にも比せられる求婚者たちが、牡豚どもを食用に供して、数を減らしたからである。つまり豚飼いがいつもよく肥《ふと》らせた牡豚のなかから、いちばん上等のを送り出してやったからである。そこで豚はいま全体で、三百六十匹いたのであった。かたわらには野獣にも似た犬が四頭、いつも寝ていたが、これは人々の頭《かしら》である豚飼いが養っていた犬どもである。彼自身はいま自分の足に短鞋《サンダル》を合わせているところだった、よい色をした牛の皮を裁断して。他の者たちは、それぞれ群をなした豚といっしょに、ほうぼうへ出かけていって留守だった。三人の男たちで、四人目のは、傲慢な求婚者たちのところへよんどころなく豚を引っぱって、町へと送っていったのであった、その豚を贄《にえ》にして屠殺し、満足するまで肉を食うために。
突然にオデュッセウスを、吠え立てる犬どもが見つけた。それでやかましく叫びながら、馳け寄って来た。一方、オデュッセウスは抜け目なく腰を下《お》ろし、杖を手から落とした。このおりにあるいは彼も、自分が持ってる小屋のわきで、みたくもないひどい難儀にあいかねなかった。しかし豚飼いがさっそく、すばしこい足で追いかけて、扉口から走り出て来た。(サンダルのための)皮は手から取り落として、三匹の犬を叱りつけ、何度も石をほうりつけて、あちらこちらに追い払い、さて客人に向かっていうようには、
「お爺《じい》さん、まったくすんでのことであんたを犬どもが、さんざんに噛み殺しちまうところだった、不意なことでな。そしたらとんだ非難をあんたのために浴びたろう。いやもう他《ほか》にも神さま方は、苦労だの嘆息だのをいくらもくださったのだに。それというのも、神さまのようなご主人のことを泣き悲しみ、嘆息しながら暮らしてるのだから、そして他人のために肥《ふと》った牡豚を食用にと育てているのだ。ところがご主人のほうは、おそらく食べ物を探し求めて放浪しておいでだろう、よその言葉を話す人間どもの国や町をな、それももしまだ生きて、太陽の光をご覧だったらだが。だがともかくついて来なさい、小屋の中へいこう。それで爺さん、あんた自身も飯や酒やを存分に飲み食いしたら、どこから来たか、またどれほどの煩《わずら》いごとを凌《しの》いで来たか、話してくれ」
こう言うと、尊い豚飼いは先に立って、小屋へゆき、中へ連れこんで座につかせた。いちめんに柴《しば》の小枝を下へまいて、その上へ長い髯の野山羊の皮を敷きのべた。それは彼自身の臥床《ふしど》にいつも使っているもので、大きい疎毛《あらげ》のいっぱいついた毛皮だった。そこでオデュッセウスは、このようにもてなされたのにうれしく思って、その名を呼び、話をしかけて、
「ゼウスさまやその他の不死の神さま方が、あなたに、なあご主人、何なりといちばんお望みのものをお授けくださるように、こうねんごろに私を迎えてくださったかどで」
それにたいして、豚飼いのエウマイオスよ、返答しておまえはいったな、
「お客人、いや私《わし》として許されぬことだ、たとえあんたよりひどい(服装《みなり》の)男が来たにしても、客人を侮蔑するというのはな。それというのも、すべて他所《よそ》から来た客人や物乞いという者はみな、ゼウスさまからお遣わしの者なのだから。われわれの施物《せもつ》というのは、わずかだが心のこもったものだ。まったくのこと、神さま方があの仁《じん》の帰国をおさし止めなさったものでな、あの方ならばわしらにちゃんと尽くしてくださり、持ち物も分けてくださったろうが、住居なり土地なり、また望み手の多いかみさんなり、気前のいい旦那がいつも自分の家《うち》の下僕《しもべ》へ分けてくださるようなものを。ところが亡くなられた。ほんにまあ多勢の武士《さむらい》に生命を落とさせたへレネの一族がすっかりと滅びてしまえばよかったに。それにあの方だって、アガメムノンのため償《つぐな》いをさせると、駒のよいイリオスヘと、トロイア人らと戦さをしにお出かけだったのだから」
こういって、帯締めで手ばやく肌着をしめあわせると、豚小屋へと出かけていった。そこには豚どもが囲いに入れられていたが、そこから二匹を連れて来ると、二匹とも屠殺し、毛を焼いてから肉を切り刻み、いくつもの串に刺し貫いた。それから灸《あぶ》りあげると、そっくり運んで来て、まだ熱いのを串ごとそのまま、オデュッセウスの前に供えた。そして白い挽き割り麦を振りかけ、また蔦《つた》材の椀に甘いぶどう酒を混ぜ和《あ》えてから、自分も(オデュッセウスの)面前に坐りこんで、すすめながら話しかけるよう、
「さあ、どんどんあがりなされ、お客人、下僕たちがいつも食うものだが、小豚でな。肥った牡豚どもは、求婚者らの食い物になるのだ、神々のお仕置きも心に思わず、慈悲も知らない連中だが。もとより(そうした)非道な振舞いは、神さま方とてお好みなさらず、正しい道や人間どものわきまえのある所業やをおほめくださるのだ。道を守らぬ者どもが、他国へおしかけていって略奪品で船をいっぱいにして故郷へ帰ってくるおりには、そうした連中でさえ神のお裁《さば》き、仕返しに対する烈《はげ》しい恐れに、胸を襲われるのが常だという。いかにもあの求婚者らは何か知っているのだ、神さまのお声を何か聞いたのだ、ご主人の不幸な破滅について。それで正当な道をふんで求婚しようとも考えないし、自分の家へ引き取ろうとも思わずに、いい気でもって(ご主人の)身代《しんだい》を食い荒らしつづけるのだ、増長しきって、遠慮|会釈《えしゃく》もなしに。まったく夜となく昼となく、ゼウスさまがおよこしの毎日毎日、贄《にえ》として屠殺するのが一匹や二匹きりではない、ぶどう酒だって、増長して湯水のように使い減らすのだ。いかにも、ご主人のお暮らし向きといったら、もとはたいそうな身代《しんだい》だった。ご領主がたで、誰もこれほど持ってる者はいなかったのだ、黒ずんだ本土にも、このイタケ島そのものにも。まったく二十人が束《たば》になった、それくらいの分限者だったものだ。わしがいまためしに数えあげてみせよう。本土には、牛の群が十二ある、同じ数の羊の群に、同じ数だけの豚の群、同じ数の散らばった山羊の群を、他所《よそ》者の牧人や、またお家の者の牧人たちが飼い番をしている。またこの島では山羊どもの散らばった群が十一、島の端のところに飼われていて、役に立つ男たちが番をしてるが、その中から彼ら(求婚者)のために、いちばんよく肥えたのを、代わる代わるに毎日一人が、連れてゆくことになっているのだ。ところでわしは、これ、ここにいる豚どもの見張り番をし護っているうえ、彼らへと豚のうちからいちばん良いのを、選び出しては送ってやっているのだ」
こういったが、オデュッセウスは(その間も)よろしく肉を食い酒を飲みつづけていた、貪《むさぼ》るように、黙りこくって、ただ求婚者たちに禍いをもたらそうと工夫しながらも。
さて食事もすませ、心ゆくほど十分に食物を取ったとき、(豚飼いは)いつも自分が飲むのに使う、その盃にぶどう酒をいっぱいついで、彼に渡した。そこで彼はそれを受け取り、喜んで、彼に向かって声をあげ、翼をもった言葉をかけるよう、
「ああ親切な方、誰があなたのご主人です、その財産であなたを購《あがな》い求めたのは。そんなにたいそうな金持で力があると、お話しの方は。その方がアガメムノンの仇討ちのためなくなったとお言いだが。いってください、あるいはひょっと知っているかも知れません。それほどたいした方だとするならば。ゼウスさまなら、ともかくそれがおわかりでしょう、またほかの不死である神さま方も、私がその方に会っていて、知らせを伝えられるかどうかを。ずいぶんほうぼう遍歴してきたものですから」
それに向かって今度は、男たちの頭《かしら》である豚飼いが返事をしていうには、
「いや爺《じい》さん、遍歴をして来た人間が、あの方の知らせを伝えるといっても、けして誰も、奥方やご子息を信じさせることはできまい。接待をしてもらいたさから、放浪者は手あたり次第に嘘言《うそ》をついて、本当のことを語ろうとはしないものだ。放浪のすえイタケの郷《さと》に来た者は、うちの奥方さまのところへいってでたら目をしゃべり立てる、すると奥方はていねいにもてなして大切にし、一部始終をおたずねなさるのだ、それで悲しみ嘆きなさって、瞼から涙をおこぼしなのだ、それが女の習性《ならわし》なのだがな、夫が他国で身まかったおりには。それでさっそくあんたも、な、爺さん、作り話をでっちあげなさろうというのかな、誰かがおまえに外衣《うわぎ》や肌着や着物をくれるというならばね。だがもはやあの方は、脚の速い犬だの大鳥だのに寄ってたかられて、皮を骨から引きちぎられてしまったにちがいない。魂はもう(骨を離れて)あの世へいってしまったのだ。それとも海原で魚どもが食らったことか。そんな具合にあの方は、他国でお亡くなりになった、身内の者みなにあとあとの憂いを残しなさってな、とりわけこのわしにだ。というのも、もはやこんなに優しい主人にはまたと巡《めぐ》り会えなかろうからな、どこへ出かけてゆこうともだ。たとえばふたたび父親や母親の家へ戻ろうとてもな、そこで最初にわしが生まれて、親たちが養い育ててくれたところでもさ。いやまったく、両親のためにとてもそれほど嘆きはしないのだ、なるほど自分の生まれた国へ帰ってこの眼で見たいと焦《じ》れはするが。それよりもいなくなられたオデュッセウスさまへの恋しさがわしの胸をいっぱいにする。実際にわしはな、客人よ、あの方がここにいないのに、名を呼ぶさえも気がさすのだ。それというのも、とくべつにわしに目をかけ、気を使うてくださったでの、だからおいでがないときにも、旦那さまといつも呼ぶのだ」
それに向かって、今度は、辛抱づよく尊いオデュッセウスがいうよう、
「ああ親切な方、あなたは何もかも受け付けずに、もうあの方は帰って来ないというのだね、あなたの心はいつでも人を信用しないで。だが私はけして、そんなふうな話をしようというのではない、まったく誓っていうのです、オデュッセウスさまは帰って来ようと。すぐにも、ご主人が来て自分の屋敷にお帰りのうえは、よい知らせへの褒美がいただきたい。だがそれ以前には、たとえどのように入用でも、何も受け取りますまい。いやまったく、貧乏に負け、でたら目をしゃべる男は、私にとっては冥途の門と同じくらいな敵なのだから。さあまず第一に神々のうちではゼウスさまがご覧なされませ、それと客をもてなす四脚|卓《づくえ》、また欠けるところのないオデュッセウスのお屋敷(火炉)、それらを証人として、私のこれからいうことがそっくり事実になると断言しよう。この一年の終わらぬうち、オデュッセウスはこの島に帰って来よう。≪この月が過ぎ、(新しい)月が立ったとき家へ帰って来て、復讐するだろう、あの方の奥方や立派な息子をこの土地で侮蔑した者どもみなに≫」
それにたいして、おまえは返答をしていったな、豚飼いのエウマイオスよ。
「ああ爺さん、いやわしはな、このよい知らせの礼金は支払うまいよ、それにもうオデュッセウスさまはお家に帰って来られはすまい。それより心配せずに飲むがいい、そして話を変え他のことを思い出そうじゃないか、さっきのことはもう思い出させないでくれ。まったくわしの胸の中が痛んで苦しいのだ、いつでも誰かが大切な旦那のことを思い出させるとな。だからさあ、誓いはまあほうっておこうよ。だがオデュッセウスさまが来るといいが、わしが願っているようにな、またペネロペイアさまやラエルテス老人や、神さまみたいなお姿のテレマコスさまもが(お望みのように)。だが今度はまたご子息のために悲嘆するのだ、忘れる時もなく、オデュッセウスさまの子のテレマコスさまのことを。あの方を神さまがたが若木のようにお育てなさり、武士《さむらい》たちの間で自分の父御にもおさおさ劣らぬ殿御になろうと期待していた、なりにかけても姿にかけても見とれるばかりに。ところがそれを不死のどの神様か、あるいは誰か人間かも知れんが、たぶらかしたのだ。それで父御の噂をたずねるとて、神聖なピュロスヘと出かけなさった。それを威張った求婚者どもが、帰っておいでのところを待ち伏せしてるのだ、イタケから、神さまにも似たアルケイシオス〔ラエルテスの父、したがってオデュッセウスの祖父となる〕の血筋の者を、名もなしに滅びさせようというので。だがともかくもその方のことはほうっておこう、あるいは捕まろうにしろ、免れようにしろだ、クロノスの御子さまがお手をさしのべ護ってくださるかもしれぬ。それよりもさあ、あんたが、爺さん、自身のいろんな難儀の次第をいって聞かせろ、それでわしにこのことを真実かくさず話してくれ、よくわかるようにな、いったいあんたがどういう仁《ひと》で、どこから来たのか、あんたの国はどこか、両親はどこにおいでか。どういうふうな船に乗ってお着きだったか。またどのように舟子《かこ》たちはこのイタケヘ連れて来たか、いったいどういう者どもだと名乗っていたか。というのも、あんたが歩いてこの島に着いたものとは、どうにも思えないからな」
それに向かって、知恵に富んでいるオデュッセウスが返答をしていうようには、
「いかにも私はそうしたいっさいをこれから正確にお話しよう、ところでいま私ら二人が、相当のあいだ小屋の中にいて、落ちついて食事をするのに十分な、食べ物や甘い上酒はあるだろうね。他の人たちには、そのあいだ仕事をしてもらおう。まる一年間話しても、とうてい私の胸の苦悩をすっかり尽くすことはできないのだから。その数々もまったく神さま方の御意によって、苦しみ抜いたものなのだが。
はばかりながら私は、氏《うじ》からいうと広やかなクレテ島の生まれなのだ、裕福な地主の息子でな。ところで他にも息子たちがおおぜい屋敷の中で生まれ、育っていた、正妻からの嫡子《ちゃくし》たちが。ところが私は、買い取られた妾《めかけ》の腹に生まれた子だった。しかしヒュラクスの子のカストルは――これが私の父親だが――私を嫡出の子たちと同様に、大切にあつかってくれた。このカストルはそのころクレテ人の間でもって神さまのように尊敬されておりました、栄えでも富でも、また立流な息子たちによっても。ところが、もとより死の運命《さだめ》が来て、彼を冥王の館へと連れていってしまったので、元気のよい息子たちは、身代《しんだい》を分けることにし、籤《くじ》引きをしたのです。しかし(庶子《しょし》の)私はごく少ししか分け前をもらえなかった、それでも(一軒の)家を分配してくれたので、私は妻を娶《めと》ったのでした。土地持ちの家の娘だったが、それも私の技量を見こんでのこと、というのもけして私は役に立たぬ男でも、戦いを怖れて逃げるような者でもなかったのだから。いまではそれももうみな失《なく》してしまったが。
それでもなおこの切り株〔枝葉もなくした残骸の自身のたとえ〕をごらんになれば(もとはどうだったか)おわかりだろう。まったくずいぶんとひどい苦労におしひしがれて来たことだから。しかしアレス神とアテネ女神とは私に、まったく勇敢な心と、敵陣を破るわざとを授けてくれた。いつでも敵へと禍《わざわ》いをしかけ、いちばんの勇士たちを待ち伏せのため選ぶときには、私の勇敢な心はけして死などに目をくれることはなかったのだ。いちばんに先駆けをして跳びかかってゆき、敵の武者のうちで脚の速さにかけては私に劣る者を討ち取った。戦闘の際はそれほどの者だったのだ。並《なみ》の仕事はどうも好きにはなれないで、家の世話もしなかったし――それが立派に子供を育てるものなのだが――好きなのはいつも櫂を取ること、それに戦《いくさ》さ、またよく磨かれた槍を使うこと、弓矢のわざなど、不吉な、他の人なら戦慄するようなことばかりだった。ところが私にはそうしたことが好ましいので、おそらく神さまが私の心へそう仕向けなさったものか、つまりは人によって、それぞれ仕事も好きなもの、気の向くものがちがうということだ。
アカイア人《びと》の息子たちがトロイアの地に上陸(遠征)する以前に、私は九度も男たちを連れ、進みの速い船々を率いて、他所《よそ》の国へと出かけた、そしてずいぶんたくさんな獲物をいつもぶんどってきた。その中から心ゆくだけ十分に選び取ったうえ、また後で籤《くじ》引きでもたくさんもらい、たちまちのうちに家は裕福になり、それでクレテ島人の間でも有能で尊敬に値いする者と立てられるに至ったのだ。ところがとうとうあの悪《おぞ》ましい遠征を、遥かをみそなわすゼウス神が思い立たれたとき――多勢の武士たちの膝をくずおれさせたあの遠征ですが――そのときに島人たちは、私とそれから名高いイドメネウス〔クレテ王で『イリアス』にたびたび出る〕とに、イリオス(の遠征に指揮をとれ)と勧めたのでした。ことわる手段はまったくなかった。国じゅうの人の論議というのは抗《あらが》いがたいものだ。(されば遠征に参加したところ)そこで九年間われわれアカイア人の息子らは戦いつづけ、十年目にプリアモスの城町《まち》を攻め陥《たお》して、みなみな船を率いて帰国の途についたのだが、神さまはアカイア人らを散りぢりに分散させたのだった。
ところで、みじめな私にたいして、知謀の御主《おんぬし》ゼウス神は、わざわいをお謀りなさった。というのも私はたった一月きり、正式に娶《めと》った妻や子供らや財産などを、楽しむことができたばかりで、それからはエジプトへと私の心が、神にもひとしい仲間たちと航海するよう命じたのだった。そこで私が九隻の船を仕立てると、さっそく乗り手が集まって来た。それからの六日間、忠実な仲間たちは宴飲をつづけ、私はたくさんな犠牲のけものを提供して、神々を祭るのに、また彼ら自身の食物にあてたのでした。七日目にわれわれは船へ乗りこみ、広やかなクレテ島から、鋭く吹く北の追い風《て》に乗って、まるで流れを下るかのように、やすやすと船を進めていったのだ。一艘も面倒を起こさず、みなつつがなく病気もなしに坐っていると、風と舵《かじ》取りがまっすぐに船を遣《や》ってくれた。こうして五日目に、たいした流れのエジプト(ナイル河)に到着し、ナイル河口に、両側のそりかえった船をとめた。私は忠実な仲間たちに命じて、そのまま船のそばにとどまって、船を守っているようにさせ、いっぽうでは斥候をほうぼう偵察にゆかせるよう指令した。ところが彼らは、血気にはやるのにまかせて、暴慢のこころに身を委《ゆだ》ね、さっそくエジプト人たちのとてもみごとにできていた畑地を荒らしていったのだった。そして女たちや幼児をさらって来、男たちを殺したので、すぐとその騒動の知らせが都へ届いた。それで町の人たちは、夜のあけるとともに押し寄せて来て、平原じゅうを歩兵や騎兵や、青銅のきらめきでいっぱいに満たしたのだ。雷を転ずるゼウスは、私の仲間どもの胸に、ひどい敗亡の心をうちこまれたので、誰一人、敵を迎えて戦おうという者もない、八方からわざわいがわれわれをとり巻いたのだ。このおりに仲間の大勢が鋭い青銅の刃《やいば》でうち殺され、また生け捕りになって、敵のため労働を強いられた。そのとき、私の心にゼウスさまご自身が、こんな思案を起こさせたのでした――まったくそのままそこ、エジプトで死んでしまい、最期を遂げられたらよかったのだが。というのもつまりまだまだもっと災難が私を待ち受けていたからで――(その思案というのは)つまりさっそく頭から出来のよい兜《かぶと》をぬぎすて、肩から楯も取り、槍も手から外へ投げ出して、それから私は国王の馬車の真向かいへ進み寄り、そのお膝をとらえて接吻したのです。すると国王は私を庇護の下《もと》におき憐れんで、車台へ坐らせ、涙を流している私を屋敷へと連れていったのだ。もちろんずいぶん大勢の者が、たいそう憤激していたので、私を殺そうと逸《はや》り立って、とねりこの槍をもって押しかけた。しかし王はそれを止められたのでした、他国からの客を護るゼウスのお怒りを畏れなさったためでした。
その土地にはそのまま七年間逗留して、エジプトの人々からはたくさんな財物をもらい集めました、というのも誰も彼も贈り物をしてくれたからで。しかしいよいよ八年目の年がめぐって来たとき、一人のポイニキア人がやって来た、不正直な考えを持ったペテン師で、たんと悪事を世間にたいしやって来た男でした。此奴《こいつ》が私をだましてまるめこみ、連れ出してとうとうポイニキアへ行くことになりました。そこに彼の家や身上《しんしょう》があったのですが、その土地で彼のもとに、まる一年のあいだ逗留していました。しかしいよいよ月がたち日が過ぎ去り年がめぐってゆき、もとの季節がかえって来たおり、この男はリビュエ(リビア)へと海を渡る船に私を載せこんだのでした。いっしょに積荷を運んでくれという話でしたが、実はあちらで私を売り渡し、たくさんな代金を獲よう、との思惑だったのです。私は彼について船へ乗りました、察してはいたものの、止むを得ない仕儀ですので。さて船はつよく吹く北の順風に、クレテの沖を走っていきましたが、おりからゼウス神は、彼らの破滅をお謀りなさったのです。いよいよクレテ島も後ろにして、他にどこの陸地も見えなくなり、空と海ばかりという、まさにその時、黒々とした雲をクロノスの御子は(われわれの)船の上に停まらせ、その雲の下の海原をまっ暗になさいました。またゼウスは時をうつさず雷鳴をとどろかせ、船に落雷させたものですから、ゼウスの雷火に撃たれた船はきりきり舞いをして、硫黄の臭《にお》いでいっぱいになり、舟子《かこ》たちはみな船から外へ落ちこんだのでした。その者たちは鴎《かもめ》のように、黒塗りの船のめぐりを、波間に浮かびただよっておりました。神さまは(彼らの)帰国の望みを断ち切られましたが、私には、いままた災禍を免れるようにと、青黒い舳《へさき》のとても長い船の帆柱を両手につかませてくださいました。それにしっかり抱きついて、私は呪わしい風のまにまに、運ばれていったのでした。
九日の間(このように)漂っていったところ、十日目の暗い夜に大波が、私をテスプロティア〔ギリシア本土の西北海岸で、イタケ島の向いのあたり〕の岸に近づけました。そこではテスプロトイ人の王ペイドンさまが私を奴隷としてではなしに世話をしてくださった。というのも彼のご子息が、ちょうどそのおり荒天と疲労とにすっかり取り挫《ひし》がれている私に出会い、手を取って引き立たせ、屋敷へ連れていってくれたからでした。つまり父王の館へ(救いを求める祈願者として)赴《ゆ》かせようとのお計らいで。それで王は私に外衣や肌着や、また着る物も十分に着せてくれたのですが、そこで私はオデュッセウスの噂を耳にしたのです。すなわち王さまの話によると、故郷へ帰る途上のオデュッセウスを、ここで客としてもてなし懇《ねんご》ろに世話もしているというのです。そしてオデュッセウスがもらい集めたといういろんな財宝も見せてもらいました、青銅のや黄金や、たくさんな労力を要する鉄のものなど、恐らく十代目の子孫まで養っていくこともできようほど、積み上げられてありました。ところでご本人はドドネ〔テスプロティアの奥地にあるゼウスの聖地で、有名なオークの大樹がある〕ヘ出かけられたとの話でした。つまりそこにある神さまの高く繁ったオークの木から、ゼウスの御神慮をうかがって、どういうふうにしてイタケ島のゆたかな郷《さと》に帰るのがよいか、もはや長らく不在《るす》にしたので、公然と帰るのがよいか、それとも隠れてそっとがよいか(きめようとの考えからとのことでした)。王が館で神へ酒を捧げながら、私自身に誓っていうところでは、もう船は港に引きおろされてい、舟子《かこ》たちもすっかり用意ができてるとのこと、だから彼を(まもなく)懐かしい故郷へと送りかえすことでしょう。
しかしその前に私を送り出したわけで、というのもちょうど偶然テスプロティアの者らの船が、麦の多いドゥリキオンヘ出かけることになったからです。そこで国王は私を(その島の)領主アカストスのもとへ鄭重《ていちょう》に送り届けるよう命じたのです。ところが水夫たちは私に対して、もっとたっぷり災難に出遭えというつもりで、腹黒い企らみをめぐらすことにきめたのです。陸からとおく海原をわたる船が離れて進んだとき、彼らはさっそく私から外衣も肌着も、着た物をはぎ取ると、他のひどいぼろ衣と肌着とを投げてよこして着せたのです。ぼろぼろなその布は、いまあなた自身が、眼でご覧になるとおりのものです。それで夕方に、島影もあきらかなイタケの畑地に着きますと、そこで私を、板敷きのよい船中に、帆綱で厳重にしばりつけ、彼ら自身は船から上がって、すぐさま海の渚で夕餉を取ったのです。ところが私の縄目を、神さまがご自身でほどいてくださったか、らくらくと外れたので、私は頭を布切れでつつみ隠し、海へとはいりました。それからは両手の櫂で泳いで、たちまちのうちに彼らのもとから脱出したのでした。それであの、よく繁茂した森のしげみのところからよじ登って、身をかがめて隠れていますと、彼らは大声で喚き立てながら、あちこち馳けまわっていましたが、やがて、これ以上探しつづけるのは不得策だと思えたからでしょう、みなまたもとの、なかのうつろな船へ乗りこみ去っていきました。私がらくに身を隠せおおせたのは、神さま方ご自身(のお力でしょう)。そして私を分別のある方の小屋構えに近づけてくださったのです。というのも、まだ生きていくのが、私の定めということでしょう」
それに向かって、豚飼いのエウマイオスよ、おまえは答えて、こういったな、
「ああまったく気の毒なお客人だ、まったくのこと、わしの胸をゆすり立てなさった。いまの話を聞くにつけ、どんなにまあ苦労をしなさり、放浪なさったことか。だがな、あれはどうも信じられん、オデュッセウスさまについての話はな。なぜあんたはそんなご仁であるのに、いい加減な偽りごとをいう必要があるのか。わしにしてもよく知ってるのだ、自分でもってな、ご主人がいつかは帰国なさるであろうと。またあらゆる神々から、たいそう憎まれておいでのこともな。それでけっしてトロイア勢の間に倒れたわけでも、身内の者らの腕に抱かれて死んだわけでもない。もしそうなら、アカイアじゅうの戦士らが、旦那のため墳《つか》を築いてくれたであろうし、またご子息へも大きな誉れを後の世にあげたことだったろうに。いまでは彼を、名を残すこともなく、暴風《あらし》の風の精霊がさらっていってしまったのだ。ところでわしは、豚どものところにいて、人々とも付き合わない、都へも出かけない。もしひょっとしてどこかから知らせ手が来たおりに、思慮のあるペネロペイアさまが来いとおっしゃらなければだが。そうしたときには、誰でもその知らせ手の脇に坐りこんで、一々くわしく問い質《ただ》す――長らく留守にしておいでのご主人のため胸をいためている人たちにしろ、また償いもせずに、その財産を食い潰して喜んでいる連中にしろ。だがわしはくわしく問い質すのもたずねるのも、好《す》かない、(以前に)アイトロスの男がわしをつくり話でだまくらかしてからこの方は。そいつは人を殺してから、ほうぼうの国をさんざ放浪したあげく、わしの家にやって来たのを、わしとしたことがずいぶん大切に世話してやった。するというには、旦那にクレテの国で、イドメネウス王のもとで会ったというのだ、そこで、颶風《ぐふう》にあって壊れてしまった船を修繕しておいでになったとか。それで、夏時分か初秋頃に、たくさんな財宝《たから》を持って、神にもひとしい仲間の人たちといっしょに帰られよう、ともいった。それゆえあんたも、ずいぶん難儀にあったご老人だが、神さまがあんたをここへ連れておいでになったからには、どうかけして虚言《うそ》を吐《つ》いて機嫌《きげん》を取ろうとかだまかそうとか思わんでくれ。わしがあんたを大切にしたり、いたわったりするのは、そのようなためではない、客人をお守りのゼウスさまを畏れかしこみ、またあんた自身を気の毒に思ってのことなのだから」
それに向かって、知恵に富んでいるオデュッセウスが答えていうには、
「いや、まったくあなたは胸の中に、いかにも人を信用しない心をお持ちなのだね、このように私が誓いをしてから話をしても受けつけられず、説得もできないとは。それならば、さあおたがいに取り定《き》めをしようではないか。それでこれから後はオリュンポスにお住まいの神さまが二人への証人だ、もしもあなたのご主人がここのお屋敷へお帰りだったら、外衣や肌着を私に着せて、ドゥリキオンヘゆけるよう送り届けてもらいたい、前からそこへ行きたいと思っていたので。もしまたご主人が、私のいうようには来なかった場合には、召使いたちを駆り立てて、大きな厳《いわお》から私を投げおろさすがいいだろう、このうえ他の物乞いがいい加減なことをいい立てるのを止めるように」
すると、それに向かって尊い豚飼いが、返答として声をあげるよう、
「お客人よ、そんなことをしたら、さぞわしのよい評判と働きとが世間にひろく伝えられよう、もしわしがあんたを小屋へ引き入れ、土産物まであげといてから、今度はまた殺して、いとしい命を取るようなことをしたらな。まったくそんなことをしようものなら、心《しん》からわざわざクロノスの御子のゼウスさまを(冒涜《ぼうとく》)することになるだろう。だが、さあもう夕餉の時刻で、さっそくにも仲間の者らが家へ戻って来ましょう、小屋の中でうまい夕餉の仕度をしようというのでな」
こんな具合に二人はたがいに話をしあっていたが、程もなく豚どもや豚飼いの男たちが近くへやって来て、まず豚どもをそれぞれ樫《オーク》の囲いに入れて、臥《やす》ませたが、たくさんな豚小屋にはいった豚どもの起こす騒々しさといったら、たいそうなものだった。ところで、尊い豚飼いは、自分の仲間たちに呼びかけていうよう、
「豚どものうちでいちばんよいのを連れて来なさい、遠国からの客人のため贄《にえ》にまつって馳走しようと思うから。そのついでにわしら自身も相伴にあずかろうとしよう、もうながいこと白い牙を剥《む》く豚どものために、いろいろ難儀も忍んできたのだから。それに他のやつらが、われわれの苦労のみのりを、駄賃も払わず食い潰しているのだから」
こう大声でいって、焚木《たきぎ》を青銅の刃物で断ち割ったが、下僕《しもべ》たちは、たいそうよく肥った豚の五歳になるのを連れて来ると、それから豚を炉のそばに立たせた。豚飼い(エウマイオス)はもともと心の純良な男だったので、不死である神々のことを忘れずにいた。それでまず式の初めに白い牙の豚の頭の毛を切り取って火中に投じ、ありとあらゆる神々に向かって、思慮に富んでいるオデュッセウスが自分の館に帰られるよう、と祈願をこめた。それから、燃やし残した焚木の一片をふりかざしてひと打ちすると、生命《いのち》は豚を離れ去った。それからは、豚ののどを切りさき、毛を焼くと、たちまちにしてすっかり切りほぐした。さて豚飼いはまず生肉をすべての脚から切り取ると、ゆたかな脂肉《あぶらみ》の中へ並べ、それへ挽き割り麦の粒を振りかけてから、火中に投じた。つぎには残りの部分を細かに切ると、焼串にさし貫いて火にかけ、よく気をつけて炙《あぶ》りあげてから、(火から)取りのけた。それからみないっしょくたに調理台へ投げ上げた。豚飼いが取り分けにと立ち上がった。もともと人にすぐれて程をよく心得ていた男なので、全部のものを切り分けて、七つの部分に取りそろえると、その一つをニンフたちへ、一つをマイアの息子のへルメス神へと、祈願をこめてからたてまつった。それから残部をめいめいに分配したが、白い牙の豕《いのこ》の背中の長い肉はそっくりオデュッセウスに、心づくしのもてなしとして贈り、こうして主人の心を栄誉をもって喜ばせた。そこで彼に向かって声をあげ、機略にゆたかなオデュッセウスがいうようには、
「どうかあなたが、エウマイオスさん、私にとってと同じように、ゼウス父神さまにとっても好ましい方でありますように。それもこんな姿《なり》をしている私に、立派なものをくれ、ねぎらってくださるにつけ」
それに向かって、豚飼いのエウマイオスよ、おまえは返事としていったな、
「まあどんどんあがりなさい、出したものを。ずいぶん変わったお客人だな、それで楽しんだらよかろうに。神さまがお授けなさるものもあれば、なさらぬものもあろうよ、人が心にのぞむことごとについても。つまりどんなことでもみな神さまはおできなのだからな」
こういって、御供物の肉を永遠においでの神々へ焼いて捧げた。そして赤くきらめく酒を地にそそいでから、城市《まち》を攻め落とすオデュッセウスの手に渡した。彼のほうは、自分への分け前の前に坐ると、メサウリオスが皆に食糧を配分してまわった、この男は豚飼いが主人の不在中に、女主人にもラエルテス老人にも助力を求めず、独力で買い求めた者だった。すなわちタポス島人から、自分自身の持ち物で(家畜などと交換して)買い受けたのである。そこで一同、調理して出されてある食べ物へ、しきりに手をさしのべた。そして食糧にも肉にもはや十分満ちたりて、さっそくにも臥床《ふしど》へ引き取ろうという段取りになった。
さて夜となったが、ひどい、月の暗い夜だった。すなわち一晩中ゼウスが雨をお降らしだったし、それに西の風も、しょっちゅう湿《しめ》りをもたらして、強く吹きそっていた。それで彼らの間にいて、オデュッセウスは豚飼い(エウマイオス)の心を試してみようと思い、こういった。彼に自分の上衣を脱いでよこすか、それとも仲間の誰かに脱いで渡すよう命じるだろうか、と考えてである。それも彼がオデュッセウスのために、並々でない心づかいをしてくれるからだったが。
「ところでさあよく聞いてもらいたい、エウマイオスさんも、他の仲間の方々もみな、祈願をこめてちょうどお話したいことがあるので。というのも酒がうながし立てるので、まったく気を変にするものだな、この酒というものは、しごく賢いものをさえ大声で歌わせたり、やさしく笑わせたり舞い踊らせたりもするのだから。それにいわないでおくのがよいことまで、他《ひと》に話してしまわせる。しかしもういったん口に出したからには、隠しておくのはやめにしましょう、まったく(あのおりみたいにいまでも)若くて私の力がしっかりしてたら、ありがたいのだが。以前トロイアのもとで、わたしらが待ち伏せ勢を組織して率いていった時みたいに。その指揮にあたったのは、オデュッセウスと、アトレウスの子のメネラオスとの二人だった、それに加えて三番目には私が指揮をしたものです、つまり彼ら自身がそう命じたからだが。ところでいよいよ城砦へ到着して、けわしい城壁のところへ来ると、私らは町のぐるりのびっしり繁った木立の中や、葦のあいだや沼地へと、武具《もののぐ》(楯)のかげに身をかがめて隠れていた。そのうちに夜になった、北の風が吹きまくるひどい夜で、凍《い》てつくよう、それに加えて雪が羊毛のように降りかかって来た。冷《つめ》たい(羊毛)で、楯のまわりにはすっかり氷柱《つらら》ができていた。そのおりに他の者どもはみな外衣にくるまっていて、安楽に眠れたものだ、楯に両肩を包みかくして。ところが私は外衣を出がけに仲間の者どもへ無思慮にも渡してきてしまった。そう寒かろうとは、思わなかったものだから。それで丸楯一つきり、それに派手な腰帯だけで出て来たのです。ところがいよいよ夜も三更にふけ渡り、星々も天頂を移《うつ》ろい下りていく頃となった。そのとき私はオデュッセウスに向かって声をかけた、間近にいたのを、肘でつついて。すると彼もすぐさま耳を仮《か》してくれたが。
『ゼウスの裔《すえ》であるラエルテスの子の、謀《はか》りごとに富んでいるオデュッセウスよ、もうはや私は生きている人間の中にはいられますまい、寒さにやっつけられてしまいます、外衣を持っていないのですから。まったく神さまが私をおたぶらかしだったのです、肌衣だけで出かけるなんて。ところがいまではもはやのがれようもない仕儀になりました』
こう私がいうと、それから彼はこういう思案を心の中で思いついたのだった、いつものあの方らしい調子でね、相談事でもまた戦いの際においても。そして声を低めて、私に向かい話しかけるよう、
『黙っていなさい、まあ、誰かアカイア勢の者が君のいうことを聞くといけないから』とこういうと、肘の上に顎をささえて、話しかけ、『おいみな、聞いてくれ、寝ているあいだに、霊夢が俺を訪れたのだ。俺たちは船陣から遠方に来すぎてしまった。それゆえ誰か、知らせにいってくれるといいがな、アトレウスの子のアガメムノン、軍兵たちの牧《まき》がしらにだ、もっと余計の兵士らを船陣から来させてはくれまいかと』こう彼がいいました。
するとアンドライモンの息子のトアスが、さっそくにも立ち上がり、真紅の外衣を脱ぎ捨て、船陣へと駈けていったものでした。それで私は彼の外衣にくるまって、ありがたく横になっていられた。そのうちに黄金の椅子にかけた暁(の女神)が輝きそめたという次第だった。その時のようにいまも、若くて力がしっかりとしていたらいいのだが。(そうしたらば)おそらく誰か、小屋にいる豚飼いのうちの一人が、外衣をくれたでしょう、親切心と、また立派な人物への敬意を表して。ところがいまはみんなが私を見下《みくだ》すのだ、なにせひどい格好をしているからな」
それに向かって返答としておまえはいったな、豚飼いのエウマイオスよ、
「ああご老人、まったく結構なお話だ、いまあんたが聞かせてくださったのは。それにまたけして分《ぶん》を忘れた言葉でもなければ、利益のないことをおいいだったのでもない。そのおかげであんたは着る物にも、ほかの何にも事を欠かんだろう、運のわるいみじめな祈願者が、もらうのにふさわしいたぐいのものは。しかし朝になったら、(またもとのように)あんた自身のぼろをぶらさげていくことになろうね、というのも、ここにはたくさん外衣もなければ、着換えの肌着もないのだ、つまりめいめい一人の男に一枚ずつきりなのだから。≪だがもしオデュッセウスの愛する息子が来なされば、自分で外衣も肌着もくださろうよ、またどこなりと、あんたの心が命ずるところへ、送りつけてくださることだろう≫
こういうと、とび起きて、火のすぐそばにオデュッセウスのため臥床を敷いてくれ、中へ羊や山羊の皮を投げ入れた。そこヘオデュッセウスが身を横たえると、その上に厚い地の大きな外衣を投げかけた。それはひどい寒あらしが起こった場合の用として、着換えとして取ってあったものであった。
このようにしてオデュッセウスはこの場所で眠りについた。他の若い男たちも並びあってわきにやすんだ。しかし豚飼い(エウマイオス)はそのままそこで、豚どもから離れたところで寝るのを快しとせず、外《そと》へ出かける身仕度にかかった。それを見てオデュッセウスはうれしく思った。というのは彼が、不在である主人の財産に、たいへん気を使ってくれている(のを知った)からだった。彼はまず初めに鋭い剣を、頑丈な肩のまわりに投げかけ、それから風を防ぐ外套をすっぽり着こんだ、とても地厚のを。つぎにはよく肥え育った大きな牡山羊の毛皮を取り上げ、また鋭い投げ槍を手に取ったのは、犬どもやまた男らから身を護るためである。そして白い牙の豚どもがいつも寝る、うつろな岩の蔭、北風の風よけ場所へ、寝に出かけていった。
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第十五巻
テレマコスが帰国して同じく豚飼いの小屋を訪ねて来る
【話かわってテレマコスは、スパルテ王の接待をうけ王宮内にやすんでいた。その枕もとヘアテネ女神は下降して、彼に帰国をすすめる。息子はすぐ王に訣別、ピュロスに戻りさらに船を仕度してもらって帰島、女神の指示に従って待ち伏せする求婚者らの意表をつき、イタケの町へはゆかず、へだたったポルキュスの入江へ船を着けて上陸する。小屋では昨夜いっしょにやすんだ乞食姿のオデュッセウスに、豚飼いは自分の身の上話を聞かせ、また主人の館の様子を話して、求婚者らの暴状を憤るとともに、帰らぬ主人を恋しがる。夜中に帰島したテレマコスは、ピュロスから同伴した予言者テオクリュメノスを船に乗せたまま、イタケの港へゆかせ、自分はエウマイオスの小屋へと向かう】
さてパラス・アテネはひろびろとしたラケダイモンヘお出かけだった、器量の大いなオデュッセウスの、立派な息子に帰国のことを思い出させ、帰途につくよううながそうというので。そしてテレマコスとネストルの立派な息子とが、誉れも高いメネラオスの広間に眠っているのを見つけた。ネストルの息子のほうは柔かい眠りにすっかり取りこめられていたが、テレマコスは快い眠りをいっこう得られずに、かぐわしい夜どおしを、胸にある父についての心配のために、目を覚ましていた。そこでそのすぐわきに立ち添って、きらめく眼のアテネは言葉をかけるよう、
「テレマコス、もうよいことではないのだよ、家を離れてこれ以上遠いところをぶらつきまわるのは。それに家財も置きざりにし、おまえの屋敷うちに、あのように思い上がって不埒《ふらち》な男たちを(ほうっておく)のは。家財もみな勝手に分けて食いつぶしてしまってはいけないから。それにせっかくの旅も役に立たずでは仕方なかろう。それゆえさっそくにも雄叫びも勇ましいメネラオスに催促して、送り還してもらうがよかろう、まだ家《うち》で申し分ない母親(がいるの)に出会えるように。というのも、先《せん》から(母ペネロペイアの)父親も兄弟たちもエウリュマコスへ再婚するように勧《すす》めているのだ。あの男が他のどの求婚者たちよりもよい贈り物をし、たくさんな結納金(女の父への)をよこすものでね。ひょっとしておまえの意向に反して、屋敷から家財を持っていかれてはなるまい、というのも女人の胸の中にもっている心というのが、どんなものかは知ってのとおりだからね。つまり自分が嫁《とつ》ぐ場合には、相手の男の身上をふやそうと(ばかり)心がけて、以前の子供たちとか、もう死んでしまった愛しい夫のことなどは、思い出しも、問い質《ただ》しもしないものだ。それゆえおまえがともかく自分で出向いて、召使いの女のうちでいちばん良いと思われるのに、一々のことを委《ゆだ》ね任《まか》すがよい、神さま方がおまえに立派な嫁をお示しなさろう時まではね。それからまた、もう一つ、いっておくことがある。よくよく胸にしっかり収めておくがよい。すなわち求婚者のうちの選り抜きの者どもが、イタケ島と険阻なサモス島との間の瀬戸に、おまえをしきりにつけ狙い、待ち伏せしているのだ、故国《くに》へ帰り着く前に殺してしまおうと逸《はや》り立ってね。だが、そうはゆくまいよ。その前に求婚者どもを、大地がしっかりおさえこもう、おまえの身上を食い潰している奴らだが。されば島々から遠くへ、こしらえのよい(おまえの)船を離しておいてね、夜の間もあい変わらず帆を馳《は》せるのだよ、不死である神々のうちの誰かが、順風を後ろから送ってくれよう、おまえを庇護し、守ってくれる神様がね。それでもしイタケのいちばん先の海岸に着いたならば、船のほうは仲間の者ども全部とともに、都へと(海上を)行かせ、おまえ自身は何よりも先に豚飼いのところへ行き着くのだよ、おまえの豚どもの番をしている男だが、おまえに忠実な、心の優しい者なのだ。そしてそこで一夜を明かすのだね、それから彼をうながして都のうちへ行かせ、心の賢いペネロペイアに知らせをもたせてやるのです、おまえが無事でいることと、ピュロスから帰って来てるということをね」
こういわれると、女神はオリュンポスの高嶺《たかね》をさしてお帰りになった。いっぽうテレマコスは、足でつっついて動かして、ネストルの息子を快い眠りから覚ました。それから彼に向かって話しかけるようには、
「目を覚ましてくれ、ネストルの子のペイシストラトスよ、固い蹄《ひずめ》の馬どもをつれて来て、車につないでください、われわれが旅立てるように」
それに向かって今度はネストルの息子のペイシストラトスがいうようには、
「テレマコスよ、とうていそれはだめだね、まあ旅を急ぐにしてもだ、こう暗い夜の間に馬を駆るというのは。もうじきに朝が明けよう。だから待ちなさい、アトレウスの子の、槍に名を獲たメネラオスの殿が、いろんな贈り物を運んで来て車の上に載せてくれるまで。そして情味のこもった言葉でもって話をしかけ、送り出してくれようから。それというのも、親切を尽くしてくれる亭主のことを、客としていた者は、いつの日までも忘れずに思い出すものなのだから」
程もなく黄金の椅子にいる暁(の女神)がやって来ると、雄叫びも勇ましいメネラオスは、髪の美しいへレネのそばを離れて臥床から起き上がり、両人のすぐと間近へ出かけて来た。オデュッセウスの愛しい息子は、その姿を認めるなり、大急ぎで光沢《つや》のよい下着を肌へとまといつけ、また大きなマントをがっしりした両肩に投げかけると、戸外へ出かけてゆき、そばへ寄って立ち、話しかけるようには、
「アトレウスの子で、ゼウス神の裔《すえ》である、兵士たちの頭領のメネラオスさま、ではもう私を愛する祖国へ向けて送り出してくださいませんか、もうすでに私の心は、故郷に帰るのを待ち望んでおりますので」
それに向かって、今度は雄叫びも勇ましいメネラオスが答えるようには、
「テレマコスよ、けして君を、私としては長いことこの土地に引きとめようとはしないだろう、帰国をしきりにお望みなのだから。また他の者でも、客人を泊めてもてなすのに、度を超えて愛着を持ったり、度を超えて疎《うと》んじたりするならば、不埒なこと。何につけても程を得るのがいちばんに結構なこと、帰国を望まぬ客人を急《せ》き立てて帰らそうとしたり、しきりに急いで(帰りたがるのを)引きとめるのは、ともによろしくない。客人が逗留するあいだは大切にもてなし、帰りたくなった場合は送り返すのが正しいこと。さればまあ待っていなさい、いろいろな贈り物を運んで来て、車の上に載せこむ時まで。立派な(品々)をだ。いっぽう私は女どもに、馳走を広間でさし上げるよう仕度を命じることにしようから。馳走に十分あずからせ、それから涯《はて》しのない、広大な土地への旅に送り出すというのは、私らにとっては名誉と光栄、(あなたには)利得というわけだ。それでもしまたあなたがへラスじゅうや、アルゴスの中をめぐってゆきたいとお望みで、私自身が随行するようお頼みなら、馬どもを車につけましょうし、諸国の町々も案内しよう。そのさいには、誰にしてもわれわれを手ぶらでそのまま送り出す者はいず、何かを一つにしろ、持っていくよう贈ってくれるであろう、よい青銅の三脚|鼎《かなえ》か、鍋のたぐいか、あるいは騾馬二匹とか、黄金の杯とかいったものを」
それに向かって今度は、賢いテレマコスが答えていうよう、
「アトレウスの子のメネラオスさま、ゼウスがご養育の兵士たちの頭領である方よ、いまはもうわたしの国に帰りたいと存ずるのです。というのも出かける際、私の家財にたいして見張りをする人間を、後に残して来ませんでした、それゆえ神にも比すべき父親をたずね探すうち、私自身が死んでしまっては(困りますし)家に納《しま》ってある立派な財宝のどれかが、亡失《なくな》ってもいけませんので」
すると、雄叫びも勇ましいメネラオスはそれを聞くなり、すぐさま自分の奥方や侍女たちに命じて、広間のうちで午餐の用意に取りかからせた、いっぱい蔵《しま》ってあるものから調えて出すようにと。そこヘボエトオスの子のエテオネウスが、いましがた臥床から起きたところで、彼のすぐそばへやって来た。メネラオスの館からたいして離れていないところへ住んでいたのである。彼に向かって雄叫びも勇ましいメネラオスが、火を燃やしたて肉を炙《あぶ》るように命じると、彼はもとよりいわれたように異議なく聞き従って(そのとおりにした)。一方メネラオス自身は、広々とした納戸《なんど》の間へ降りていった。ただ一人ではなく、いっしょにへレネとメガペンテスがついていったが、財宝が蔵《しま》ってあるところへ着くと、それからアトレウスの子は両耳付きの高杯を手に取った。そして息子のメガペンテスには、銀の混酒瓶《クラーテル》を持ってゆくように命令した。またへレネは衣裳|櫃《ひつ》のそばに寄ったが、そこには彼女の多彩な衣裳がしまってあった。それはみな彼女が自身で技を施したものだったが、その中から一枚を取りあげて、女人のうちにも神々しいヘレネが持って来た。その衣裳は技のたくみな刺繍でもいちばんに美しく、またいちばん大きな衣裳として、星のように輝きわたった、そして櫃のいちばん奥に蔵ってあったものなのである。(それらをたずさえて)三人はまた館の中を通りぬけ、テレマコスのいる玄関口ヘとやって来た。そして彼に向かって亜麻《あま》色の髪のメネラオスがいうようには、
「テレマコスよ、いかにもあなたの帰国のことは、ご自身心にお望みのように、雷を高く鳴りとどろかすヘレ女神の夫の神、ゼウスが実現させてくださることを(お祈りする)。さて土産として贈る品々には、私の屋敷に蔵ってある財宝のすべてのうちから、とりわけ値打ちのあるのをお贈りしよう。まず十分に技をつくした混酒瓶《クラーテル》をお贈りしよう、全体が白銀づくりで、それへ黄金で上の縁《ふち》が仕上げてあるもの、ヘパイストス神の制作である。私が帰国の途中に立寄り、その館に泊めてもらったシドンの王パイディモス殿が贈ってくれたものだが、その瓶をあなたにさしあげようと思うのだ」
こういって、アトレウスの子は(テレマコスの)両手に、両耳付きの高杯を置いてやった。すると剛勇のメガペンテスは輝く銀の酒和え瓶を運んで来て、テレマコスの前へすえて置いた。また頬の美しいへレネも両手に衣裳をささげ持ち、わきに立ち添い、彼の名を呼んで言葉をかけるには、
「贈り物として私もまた、若さま、これをさしあげます、ヘレネの手(の技)の記念としまして、心《しん》から待ち望まれる結婚の時のために、あなたの花嫁さまへの贈り物として。それまでは懐しい母上さまのお部屋にとっておきなさいまし。それであなたは恙《つつが》なく、故郷の土地へ、立派な造りのお館へ、お着きなさいますように」
こういって、(テレマコスの)手に渡した。それで彼は喜んで受け取った。そこでその品々をペイシストラトスの殿が受け取って、車台の籠に置き、そのいっさいに心の中で感嘆してながめ入った。さて一同を亜麻色の頭髪《かみ》のメネラオスは屋敷へと連れていって、それからソファや肘つき椅子へと座につかせた、侍女が手洗の水を美しい黄金の水さしに入れて持って来、銀の水盤に手をそそぐよう、注ぎかけ、かたわらに磨き上げた四脚卓をひろげて置いた。それへうやうやしい家事取り仕切りの侍女頭が麺食類を運んで来て、そばに置き、その上にもいろいろな料理の皿を、ありあうものから添《そ》えたして出したのである。またその脇でボエトオスの息子が肉を切りわけて、分け取ったのを配ってゆけば、誉れも高いメネラオスの息子が酒をついでまわった。それで一同は調理して出された馳走に、めいめいしきりに手をさしのべたが、さて飲む物にも食べる物にもはや十分に満ちたりたとき、いよいよテレマコスとネストルの立派な息子は馬どもを車につけて、細工をこらした二頭立て車へ乗りこんだ。そして響きの高く聞こえる柱廊から外へと馬車を走らせた。二人の後から、アトレウスの子の、亜麻の髪の毛のメネラオスが、右の手に、心を楽しませるぶどう酒を入れた黄金の杯を持ってやって来たのは、神々へ御酒《みき》をそそいでから二人を出発させようとの(心づかいから)であったが、やがて馬車の前に立ちどまると、杯をさし上げて(挨拶しながら)いいかけるよう、
「では御機嫌よく、若殿がた、それでつわものらの牧人であるネストル殿にも、そう(ご機嫌よくと)お伝えください。トロイアの里でわれわれアカイア族の息子らが戦さをしていた時分に、まったく私に父親同然やさしくしてくれた方なのだから」
それに向かって今度は利発なテレマコスが答えていうには、
「はいもちろん、あの方には、ゼウスがお育ての(殿さま)、おおせのとおりに、いまのことをすっかりお話ししましょう。それと同じように、ほんとうに私が、イタケへ帰国しまして、屋敷うちで父オデュッセウスに出会って、話すことができましたら(どんなにうれしいでしょうに)、あなたのお手もとから、ありとある親切なもてなしをいただいて来た次第、またたくさんの立派なお財宝《たから》を持って来たことを話せましたら」
このように彼がいったとき、右の方へ鳥が飛んでいった、一羽の鷲《わし》で、まっ白な鵞鳥《がちょう》を爪につかまえていた。そして男たちや女たちが叫びながら、そのあとを追って来たが、鷲は彼らのすぐ間近に来ると、馬車の前から右手の方へ飛び去っていった。これを見て一同は喜びを感じ、誰も彼も胸中に心の温まるのを覚えた。その人々にたいして、ネストルの子のペイシストラトスがまず話のいと口を切って、
「どうかおっしゃってください、ゼウスがお育てのメネラオスさま、つわものどもの頭領であるあなたが。もしやわれわれ二人のために神さまがこの異象《いしょう》(ふしぎな兆《しるし》)をお示しなさったのか、それともあなたご自身へか」
こういうと、軍神アレスのともであるメネラオスはあれこれと思案をした、それを見わけてちゃんと正しく解答するにはどうしたらよいかと。それにたいして、長い裳《もすそ》のヘレネが先を越して話をはじめ、
「ちょっと皆さま、私としてはこんなふうにあの鳥占《とりうら》を解釈しますの、それは神さまがたが私の心に思いつかせてくださるもので、またきっと真実《まこと》になろうと考えるのです。あの鷲は自分の眷属や子供らのいる山から飛んで来て、家の中で育てられた鷲鳥をさらっていった、そのようにオデュッセウスは、数多くの禍《わざわ》いを身に受け、ほうぼうを流浪したあげくにも、故国へ帰って報復《しかえし》を遂《と》げるでしょう。あるいはもう帰っているかも知れず、求婚者たち全体に禍いの種をまいているかも知れません」
それに向かって今度は利発なテレマコスが答えていうよう、
「どうかぜひそのようにゼウスさまが始末してくださいますよう、ヘレ女神の、高く雷鳴をとどろかす夫神が。そうなりましたら、あちらでも、神さまへと同様に、あなたへも祈願をこめたく思います」
こういって、二匹の馬へ鞭を当てた。すると馬どもは都を抜けて平原へと一心に気負い立って、たいそう速く馳けっていった、馬どもは、一日じゅう肩の両側にかかった軛《くびき》をふりふり(進んでいった)。やがて太陽が沈み、ほうぼうの街路はすべてみな蔭をさして黒ずんだころ、二人はペライにはいり、ディオクレスの館《やかた》に着いた、これはアルペイオス(の河神)が産んだオルティロコスの息子である。そこで一夜を泊《と》まり明かすと、領主(ディオクレス)が彼らを客として饗応した。そして早く生まれて、ばらの指をした暁(の女神)が立ち現われたとき、二人はまた馬どもを軛につなぎ、細工をこらした馬車に乗りこんで、玄関前の高く鳴りひびく柱廊から外へと馬車を駆った。鞭をふるって走らせれば、二匹の馬は指図のままにいそいそと馳けっていった。それからたちまちにしてピュロスの険阻な城町に到着したが、そのときテレマコスはネストルの息子にたいして声をかけるよう、
「ネストルのご子息、どのようにしたら、あなたは私のこれからいうことを約束したうえ、実行してくださるでしょうか。われわれは始終おたがいに入魂《じつこん》(な主客)の間柄とて、親代々の親密な家の者だと誇っております、それにまた同年輩でもあるのです。またこの旅が、われわれの心を一段と緊密なものにしてくれることでしょう。ゼウスがお育ての方、どうか私を、(私の)船のわきをそのまま通りすごして連れてゆかないで、そのままそこへ置いてってください。老人(のお父上)が私をてあつく饗応したいばかりに、お屋敷うちにむりやり引きとめなさるようでは(困りますから)、私はぜひとも早く帰国せねばなりませんので」
こういうと、ネストルの息子は慎重に考えこんだ、どのようにしたらちゃんと正しく約束して実行ができようかと。それでいろいろ考えるうち、こうするのがいちばんの上策だと思われたので、馬車をまわして速い船のあるところ、海の渚へと行き、船の舳に立派な土産の品々を運び出して載せた、衣類だの黄金だの、メネラオスが贈ってくれた品々である。そして彼を激励して、翼をもった言葉を話しかけるようには、
「さあ大急ぎで船へ上がり、乗り組みの仲間の方々みなにも乗りこむように命令なさい、私が家に帰り着いて、老父にそれを知らせないうちに。というのも、私の心にはよくよくそれがわかっているからです、どんなにあの方の気組《きぐみ》というのが横暴で一人よがりか、それであなたを放して帰そうとせず、きっと自身でここへ呼び寄せにやって来ましょう、それにけしてあなたの希望には承服しないと思われるのです。何といわれても、たいそう腹を立てることでしょうから」
このように声をかけてから、たてがみも美しい馬どもを駆って、ピュロスの都へと向かい、早々に城館へと到着した。一方、テレマコスは仲間の者らを激励して命令するよう、「さあ仲間の人々、船道具をみな黒い船のそれぞれの場所へ片づけて納めるように、そしてわれわれ自身も乗りこむのだ、これから旅をつづけるように」
こういうと、もとより一同はそのいうことに聞き従って、さっそく船に乗りこみ、櫂架《かいか》けへと並んで坐った。彼がこうしていろいろ立ち働きまた祈顔をこめて、アテネ女神を船の舳《へさき》のかたわらで祭っていると、一人の男がすぐ後ろにやって来た。遠国の者で、アルゴスから人を殺して逃げてきた占い師であって、家系からはメランプスの子孫にあたっていた。このメランプスこそは、かつて羊の群の養い母であるピュロスの里に住まいし、たいへんな分限者として、立派な屋敷をもって暮らしていた男だった。その後メランプスはネレウスににらまれ、アルゴスへと逃れた。ネレウスは、彼の持つたくさんな財物を、まる一年のあいだ、力づくでさしおさえていたのであった。そのあいだ彼メランプスは(テッサリアの)ピュラコスの館に幽閉され、ひどい苦悩を受けたが、もとはといえば、ネレウスの娘のためと、心の迷いのためであった。いたましい打撃を与える女神エリニュス(復讐の女神)が彼の心に背負わせた迷妄である。しかし彼は死を免れて、高い唸り声をたてる牛どもをピュラケからピュロスヘと追ってゆき、不当な仕打ちのつぐないをネレウスにさせ、兄(ビアス)に(ネレウスの娘ぺロを)妻として迎えることを得させたが、それから再びメランプスは他国へ、馬をやしなうアルゴスヘ行ったのだった。そこで彼は妻を娶《めと》り、高い屋根の館《やかた》を築き、アンティパテスとマンティオスの、二人の雄々しい息子をもうけた。アンティパテスは心のおおきなオイクレスを生み、さらにまたオイクレスは、つわものどもを唆《あお》り立てるアンピアラオス〔テバイ進攻七将の一人。自身すぐれた占い師で凶と出たのを、妻の強請で出陣、戦死をとげた〕をもうけた。アンピアラオスは山羊皮楯《アイギス》をお持ちのゼウス神とアポロン神とに愛されたが、老年の閾《しきい》に達するには至らずに、妻がもらった賄賂《まいない》のおかげで、テバイで討死した。だが彼からアルクマオンとアンピロコスとの二人の息子が生まれた。一方マンティオスのほうにはポリュペイデスとクレイトスとの二子があったが、このクレイトスを、黄金の椅子にいる暁(の女神)が、その美しさのゆえに、不死である神々たちの仲間にしようとさらっていった。また器量のすぐれたポリュペイデスのほうは、アンピアラオスが死んでのち、アポロンが人間のうちとりわけていちばんすぐれた占い師にした。この者は父親に怨みを抱いて、ヒュペレシエに住居《すまい》を移し、そこに住みついて、ありとあらゆる人々にたいし占いをおこなっていた。
このときテレマコスのわきに来て立ったのは、この人の息子で、名をテオクリュメノスといった。彼は、祈りをささげ灌奠《そそぎまつり》をしているテレマコスに向かって声をあげ、翼をもった言葉をかけ、
「お願いです、ちょうどあなたがこの場所で祭式をしておいでのところへ来合わせましたので、懇願申し上げるしだいです、この御供物や神様にお頼りしても、それからまたあなたご自身とまた随従するご家来がたにかけましても。どうか私の質問にたいして、間違いのない確かなところを隠し立てなくお聞かせください、あなたがどういう方で、どういう氏族のご出身かを。またあなたの国都や、ご両親はどこにおいでか」
それに向かって、今度は利発なテレマコスが答えていうよう、
「いかにも私は、見知らぬ方よ、確かなところをお話ししましょう、私は生まれからするとイタケの者で、父の名はオデュッセウスと申します。そういう者がかつて世にあったとしまして。だがいまはもう無慚な死を遂げたものです。そのためにただいまも仲間の者らを連れ、黒塗りの船に乗って、もう長いこと帰ってこない父親の知らせをたずね歩いていたのです」
それに向かって、今度は神とも見まがうテオクリュメノスがいうようには、
「私もまた、同族の者を殺害したかどで、国を逃れ出て来た者です。馬を飼うアルゴスじゅうには兄弟や親戚の数も多く、(その人々が)アカイア族に大きな威権をふるっているため、連中からの死と黒い運命《さだめ》を免れようと、このように国を遁《のが》れて来たしだい。諸国の人のあいだを放浪しあるくのが、私の運命でありましょう。ともかくも船へ私を乗せてください、亡命者として懇願申したわけなのですから。彼らが私を殺害できませんように。というのも、あいつらが跡を追って来たらしい様子なので」
これに向かって、今度は利発なテレマコスが答えていうには、
「いやけっして、あなたがそれを望まないのに、釣合のよいこの船から追い出すことは致しませんから、ついていらっしゃい。それであちらへ着いたら、私らの持ちあわすところによって、歓迎されるでしょうよ」
このように声をあげていうと、彼から青銅の槍を受け取って、それを両側の反《そ》りかえった船の板の間の上に横たえ、自身もまた海原をゆく船に乗りこんで、それから船の舳のところに腰をおろし、自分のわきにテオクリュメノスを坐らせた。そこで人々はともづなを解き放した。テレマコスは仲間の者らを励《はげ》まして綱具の類に手を着けるよう命令すれば、一同もさっそくそれに従って、樅《もみ》の木の帆柱を引き上げ、穴をあけた胴中づくりに嵌《は》めて押し立て、前綱を結わえつけた、そしてよくねじ合わせた牛皮の紐で、白い帆布を引き上げていった。その帆へと、澄んだ高空をはげしく吹き寄せる順風を、きらめく眼《まなこ》のアテネ女神がお送りなさった、すこしでも早く大海の波を馳せおおせ、(目的地につく)ようにと。≪そしてクルノイと流れの美しいカルキスの沖を通っていった≫さて太陽は沈み、ありとある道筋は蔭をくらくしていったのに、船はゼウスの順風に急《せ》き立てられてペアイ(の港)へ近づき、さらに尊いエリスの沖を通っていった、そこはエペイオイ人らの支配する土地である。そこからさらにまた島々へと彼は船を走らせていった、心中にはたして死を免れられるか、それとも(求婚者たちに)してやられるか、思いわずらいながら。
話かわってこちらの二人、オデュッセウスと尊い豚飼いとは、いましも晩餐を取っていたところで、そのわきでは他の男たちが晩の食事に向かっていた。しばらくたって、飲む物にも食う物にもはや十分に飽きたりたとき、一同のあいだにあってオデュッセウスは、豚飼い(エウマイオスの心)を試してみようとして(こういいかけた)。自分をまだ正当に手あつくもてなし、そのまま小屋に逗留するよう勧めるか、それとも町へ出てゆくようにうながすか、どちらであろうと思って。
「ではさあ、よく聞いてくれ、エウマイオスさんも他の仲間の方々もみな。あなたや仲間の連中のものを食い減らしてはなるまいから、私はあすの朝がた町へ向かおうと思うのだ、乞食をしてまわりにだが。それで有能な案内者をいっしょにつけてくださらんか、そこまで私を連れていってくれるのにだ。まあ町中は自分自身でうろつきまわらねばなるまいがな、誰かが酒の一杯か小麦のパンでもさし出してくれるのをあてにしてさ。それで尊いオデュッセウスさまの館《やかた》へ着いたら、気がよくおつきのペネロペイアさまに知らせをお伝えして、それからあるいは思い上がった求婚者どものあいだにまじりもできようか。もしあいつらが食事を分けてくれるなら、さっそく連中のあいだでもって、立派に仕事をしてみせよう、何なりとお望みどおりに。だがまあ私がいまとっくりということを心にこめて聞いてくだされ。お使い神のへルメスさまのおかげでもって――この神さまがありとある人間の仕事について首尾と誉れとをお授けくださる方なのだから――どんな人間でもお給仕のつとめにかけては私に敵《かな》う者はあるまい、火を上手に積み上げるのでも、乾いた薪《たきぎ》を割るのでも、肉を切り割き炙《あぶ》って焼き、酒の給仕をしてまわるのでも、また何なりと賎《いや》しい者が身分の高い人たちへお勤めにすることはどんなことでもだ」
それにたいして、たいそう顔をくもらせておまえはいった、豚飼いのエウマイオスよ、
「やれとんでもない、お客人、いったいなんという考えをあんたは胸に思いついたのか、まったくあんたはてんからそこで、そのまま命をなくしたいつもりなのかね、求婚者どもの群に仲間入りしたいなんぞと望んで。あいつらの無法さや乱暴さは、鋼鉄《はがね》づくりの天にまで鳴りとどろいているほどなのだ。まったくあいつらの召使いというのは、けしてそんなのじゃあない、若くてきれいな上衣や肌着を着ている男どもだ、いつでもてかてかしたとんぼ頭に、小ぎれいな顔付でね、それがあいつらのご用をたすのさ。それに食卓はよく磨かれていて、そこヘパン類やいろんな肉やぶどう酒などがいっぱいに置いてあるんだ。だからここにいるがいい、誰もあんたがいるといって気に病む者はいやしない、私にしろ他《ほか》の誰にしろ仲間うちにはな、私が置いている連中ならだ。それでもしオデュッセウスの愛しいご子息が来なさったら、あの方が外衣なり肌着なり着るものを着せ、どこへなりと、あんたの心が命じるところへ送ってくれることだろうよ」
それに向かって、今度は辛抱づよく、尊いオデュッセウスが答えるようには、
「まったく、エウマイオスさん、あなたが私にたいして親切なのと同じくらいに、ゼウス父神さまからも親身《しんみ》に思われなさるようお祈りするよ、私の放浪を、またつらい嘆きを止めてくれたのだから。まったく流浪を余儀なくされる事ほど人間を悩ますものはほかにないのだ、だが呪《のろ》わしい胃の腑のために人々はいろんなひどいわずらいを身に受けてゆく。ところで現在あなたが私を引きとめ、あの方を待ってるように命じなさるからは、どうか私にいってください、尊いオデュッセウスさまのお母儀《ふくろ》さまや父御のことを、老の閾《しきい》に置いたままお出かけだった、そのお二人がまだ日の光の下に生きておいでか、それとももはや死んでしまって、冥途《よみ》の館《やかた》におはいりだったかを」
それにたいして、今度は男たちの頭領である豚飼いがいうようには、
「いかにもわしが、客人よ、十分確かなところをお話ししよう。ラエルテスどののほうはまだ生きておいでだ、が始終ゼウスさまにお祈りしてござる、ご自分の屋敷うちで、手足から命が絶えて失《う》せるようにと。それというのも、出かけたきり帰って来ないご子息のことをたいそうひどく嘆き悲しんでおいでだから。それにまた賢い奥方さまのことでもだ、そのなくなられたのをたいそう苦にやみ、それでいち早い老《おい》の境《さかい》へ落ちこみなさった。その奥方とて、誉れも高いご自分の息子を嘆いて身を果てなさった、いたましいなくなりかたでな。
そのようには死んでもらいたくないな、ここに住居《すまい》をする人間で、わしと親身につきあい、もし親切にしてくれる者は誰でもみな。ところでほんとうにあの方が、まあ悲嘆にくれてはおられたものの、生きておいでなさったあいだ、そのあいだはわしとてまあお訪ねしたりお見舞いするのがうれしかったものだ、というのも奥方はご自身でわしを、長い衣をひくクティメネさまともども養育なさったのでな。この気高い娘御は、お子さま方のうちいちばん下の姫さまだったが、その方といっしょに育てていただき、ほとんど違わぬくらい大切にしてくださった。それで二人とも待ち望まれた年頃に達したとき、姫はサメへと嫁におやりで、たくさんな結納の代《しろ》をお受けだった。一方わしのほうには、奥方がとても結構な上衣と肌着を着せ、足もとへは穿《は》く靴をくださって、田舎へとお遣《つかわ》しだった。ところがいまではそうしたものも、みななくなってしまった、それでもわし自身は、幸福な神さま方のおかげで仕事も順調にはこび、自分の食べるものや飲む酒には不自由せず、大切にせにゃならぬ人たちへの布施《ふせ》くらいはまかなうことができた。だがお屋敷のいまの奥方(ペネロペイア)からうかがえることときたら、話にも実際にも、まったく慰めになるところなどてんでないのだ、あの禍いがお館にふりかかって以来というもの――思い上がった男たちのことさ。召使いたちは女主人の前へ出ていろいろと話もし一々をたずねもしたがり、食ったり飲んだりもしたあとは、嬉しい贈り物をもらって家路につきたいものだが、それも今はできなくなってしまった」
それに向かって、知謀に富んでいるオデュッセウスが返答をしていうようには、
「やれ気の毒なこと、何とまた小さい時から、豚飼いのエウマイオスさん、あなたはずいぶん放浪をなさったことか、故郷《おくに》を、また両親のもとをはなれて。ところで、確かなところを聞かせてください、あなたの父御やお母儀《ふくろ》さまが住んでおいでになったという城町は攻め落とされたのか。それともあなたが羊の群か牛の群の、わきに一人でいたところを、敵意を抱く者どもが船でさらってゆき、この土地までつれて来たのを、ここの殿様が買ったとでもいうのか」
それに向かって、今度は男たちの頭領である豚飼いがいうようには、
「客人よ、いかにもその次第をわしに問い質《ただ》し、たずねられるとあるからは、ではさあおとなしくして聞きなさるがいい、それで心を楽しませ、坐ったままで酒を飲んでいなされ。ちょうどいまは夜が、いいようもなく長い。寝るにもいいし、また楽しみながら話を聞くにもよい(時分だ)。それにまたあんたにしても、時が来ぬうち、床につくにもおよばぬだろうよ。そのうえにあんまり眠りすぎるのは、気の重いことだ。それゆえ他の者どもで、もしそうしたい者は、外へ出て寝るがよかろう。そして暁の立ち現われると同時に、食事をすませ、ご主人の豚どもについてゆくがいい。わたしら二人は、小屋の中にいて酒を飲み、料理を食い、たがいのつらかったことや苦しみや難儀やをまた思い出し(話を交わし)て楽しもうというのだ、それというのも、いろいろ苦労もし、ほうぼう流浪もしてまわった者には、後々でその苦難がかえって、喜びとなるということ。さればあなたがおたずねのこと、問い質されることの次第を、これからお話するとしましょう。
シュリエと呼ばれる島がある。お聞きおよびかも知らんが、オルテュギエ〔オルテュギアというのは諸方にある。これはどこか神話的な場所らしく、どこと定めがたい〕の上《かみ》のところで、太陽が向きを変える地点にあたるが、それほどたいして周囲が広くはないけれども、豊かな島で、牧《まき》によく羊群によく、ぶどう酒もいっぱい取れ、小麦の産も多い。飢饉もかつてこの郷《さと》を訪れては来ず、他のどんな忌まわしい疫病も、みじめな人間を襲ったことはなかった。それでもし人間が老年になると、銀弓の神アポロンがアルテミス女神といっしょにおいでになって、その手にお持ちの優しい征矢《まさや》でお射かけになり、殺してくれたものだった。そこに二つの町があって、何もかも両方の間で分配していた。この双方を王として私の父が治めていました、オルメノスの子クテシオスといって、不死の神々にも似かようほどの人物でな。
ところがそこへ航海で有名なポイニキアの男たちがやって来た。欲張りな、いかさま師どもで、装身具《こまもの》類を山ほども黒い船に積んで来たのだった。ところで親父の屋敷にはポイニキア生まれの女がいた。器量よしで背が高く、みごとな手先の技を心得た女だったが、それを口先のうまいペテン師のポイニキア人どもがうまくたらしこんだのでした。まず初めに、その女が洗濯に出たところをつかまえ、うつろに刳《く》った船のわきで、情を通じていっしょに臥《ね》た。そうしたことで情に脆《もろ》い女らは心をすかし惑わされるもの、たとえ働きのある女にしてもだ。そこで今度はたずねたのだ、おまえはどういう女で、どこから来た者かなど。女はすぐに親父の高々と屋根のそびえる屋敷をさし示した。『私は青銅に富んでいるシドンの町から来た者で、たいそう金持のアリュバスの娘なんです。それをタポス島人の海賊どもがさらって来たんです、畑から帰るところを。そうしてここへ連れて来て、あの方の屋敷へ売り渡し、こちらは見合いの代金を支払ったというわけなのです』
それに向かって今度は、例の男、娘とこっそり交わったのがいうには、『なるほど、ではどうかね、これからわたしらについていっしょに故国《くに》へまた帰っていっては。そしたら親父さんやお母儀《ふくろ》さんの高くそびえる屋敷も見、両親にも会えようじゃないか。まったくいまでもまだ存命で、分限者と呼ばれていなさるものな』
それに向かって今度は女が返答をし、口を開いていうようには、『それもまあ出来ないことじゃないですわね、水夫さんがた、もしも私を無事に家へ連れてってくれると堅く誓ってくださるならば』
こういうと、一同みな、女のいうとおりに、その誓言を立てたが、さて誓いもすみ、誓約もすべて終えると、今度はまた一同の間にいて、女が話を返しいうようには、
『ではちょっと静かにして。誰もわたしに声をかけちゃあいけないよ、あんた方の仲間の人たちは。道で出会ったときでも、ひょっとして泉のわき(水汲みの際)でも。誰かが家へいってお爺《じい》さん(旦那)にいうといけないから。そしたら私を疑って、縛《しば》り上げ、厄介ないましめに閉じこめようし、あんた方にも破滅を企らみ出そうからね。それより胸にそうした話は蔵《しま》っておいて、帰りの荷物の買い入れを急ぐのだよ。でもいよいよ船が貯蔵品《たくわえ》でいっぱいになったら、私に知らせをよこしてください。なぜっていうと、お金もね、手の届くところにあるのはみんなかっさらって持ってゆきたいから。そのうえにね、もう一つ、船賃に喜んであげたいものがあるのよ。つまり旦那さんの息子でね、お屋敷じゅうで私が育てているの。とても利口な子供よ、いっしょに外へいつも馳け出してゆくんです。それを船へ連れて乗ろうっていうのよ、そうしたらあんた方に、たいした売り値を儲《もう》けさしてくれるわ、どこへ売りに連れてゆこうとね』
女はこういって、立派な屋敷へ帰っていった。一方、連中はまる一年間そのままわしらの国へ逗留して、広くうつろな船中に、たくさんな品物を積みためた。それでいよいよ、うつろな船がそうした荷物で重くなったとき、女のところへ知らせの使いを送ってよこした。一人の男、知恵のまわるのが私の親父の屋敷へやって来たのだ、黄金の鎖を持ってな、それは琥珀《こはく》を間につづりあわせたものだった。それを広間で侍女《こしもと》たちや母さまが手にとりあげてまさぐったり、眼にながめたりしたうえ、買い値を約束したものだが、男は例の女にこっそりと合図を送り、そのまま船へ戻っていった。すると女は、私の手を取って、屋敷から外へ連れ出したが、そのおりに控えの間で、饗宴に来た人たちへの杯や食卓やが置いてあるのに目をとめた。その人たちは私の親父と交渉《かかわり》のある人々だが、そのおりはもう会議へと、市民らの話し合いに出かけていた。そこでさっそくその女は三つの酒杯をふところに隠しこんで持ち出した、それにわしは頑是《がんぜ》ない心からついていったものだった。そのうちに太陽が沈んで、道には暗い影がさして来た。私らはさっそくに名高い港へやって来たが、そこにはポイニキアの男らの、海を速く行く船がおいてあった。それから連中は船に乗りこみ私ら二人も甲板に引上げてから出帆したが、ゼウスさまは順風を送りなさった。こうして昼も夜も同じように、六日のあいだ進んでいって、さていよいよクロノスの子のゼウスさまが七日目の日を加えなさったとき、例の女をアルテミスさま、矢をふり注《そそ》ぐ女神さまがお討ちなされた。女は海に住むカツオドリみたいに、船底にひびきをたてて落ちこんだ、水夫たちは女を、海豹《あざらし》や魚どもの餌食《えじき》になれと、(海中へ)投げこんだが、わしにしてみると、置いてゆかれて胸を痛めたことだった。さて一同を風と波とがイタケ島へと運び寄せた。このところで私をラエルテスさまが、自分の財《たから》を払って買ってくださったのだ。こういう次第でこの土地を、私はこの眼で見るという仕儀なのだ」
それに向かって今度は、ゼウスの裔《すえ》であるオデュッセウスが返答にいうよう、
「エウマイオスさん、いやまったく私の胸を、いまの仔細なお話で揺すぶり立てなさった、どんなにまあいろいろと心に苦悩を嘗《な》めたことか。だがそれにしてもゼウスさまはあなたにたいして、禍《わざわ》いといっしょによいこともお授けだった、たいへん苦労は積みなさったが、優しい主人のお屋敷へ結局着いたことだからな。食べ物や飲み物もちゃんと与えてくださるし、それで結構いい生活《くらし》がおできなのだもの。ところが私と来ちゃあ、人間の棲《す》む町々をいくつとなくうろつきまわって、ここへ来たものなのさ」
こんな具合に二人はたがいにこのようなことを話し合っていたもので、たいして眠れずに、ほんのしばらく寝ただけだった、たちまちに立派な椅子の暁(の女神)が来たものだから。
さてテレマコスの一行の仲間たちは陸につくと帆を解き放し、たちまちに帆柱を取り下ろすと、櫂《かい》を取って船を泊り場まで漕いでいった。それから碇石《いかり》を投げこみ、ともづなをよろしく結《ゆ》わえつけた。そして彼ら自身は船を出て、波打ちぎわに降り立って、食事の仕度にかかり、赤く輝くぶどう酒を混ぜ合わせた。それから飲む物にも食べる物にもはや飽きたりたとき、皆に向かって利発なテレマコスが、まず先に話の端緒を切った。
「ではさああなた方は、黒い船を都へと馳《は》しらせていってくれ、私のほうはこれから耕作地へ出かけて牧人《まきびと》たちを訪ねよう、そして見回りをすませて夕方には都へおもむくつもりだ。それで朝になったら、あなた方にこの旅の賃金代わりに、立派な料理を出すことにしよう、肉だとか甘いぶどう酒とかの」
それに向かって今度は、神のような姿のテオクリュメノスがいうようには、
「では私はいったいどちらへ行けばいいでしょうか、若さま、誰の家へ頼りにいったものでしょう、この岩の多いイタケ島を支配している人たちのうちで。まっすぐに、あなたの母上とあなたのお屋敷へ行ったものでしょうか」
それに向かって今度は、利発なテレマコスが答えるようには、
「他《ほか》のおりなら、私はあなたにわれわれの家へ行くよう勧《すす》めたでしょう、そこならけして客のもてなしに事を欠きはしないからです。だがあなた自身にとっては、(いまの場合は)具合が悪いでしょう、私は家にいないし、母親もあなたにお会いしないでしょうから。それというのも、求婚者たちの面前には、屋敷内ではけしてたびたび姿を見せはしませんので。いつも離れて二階でもって、機《はた》を織《お》っているのです。それゆえいまは他の男の名をお教えします、エウリュマコスという人で、そこへおいでがよろしいでしょう。心の賢《さか》しいポリュボスの立派な息子で、いまではイタケ島民が神とひとしく敬っている男ですから。とび抜けて優れた人物ですが、私の母と結婚して、オデュッセウスの跡目を受け継ごうというのに、またとりわけ熱心なのです。ですが、そうしたことはゼウスさまだけがご存知です、婚礼のその前に、禍《わざわ》いの日を彼らにたいして来させるか、来させまいかは」
こう彼がいい終えるか終えないうちに、右手の方へ鳥が飛んでいった。アポロン神のお使い鳥の隼《はやぶさ》であったが、その址《あし》に鳩をつかんでむしったので、その羽根が地上へずっとまき散らされた。するとテオクリュメノスは、テレマコスを仲間の人々から離れたところへ呼び寄せ、その手をにぎりしめながら、名を呼んで言葉をかけ、いうようには、
「テレマコスさん、けしてあの鳥は神意によらずに右手へと飛んだのではありません、というのも、あれを目《ま》のあたりにながめて、すぐ鳥占《とりうら》だとわかったのですから。あなたがたの一族以外に、それよりもっと主権を執るのに応《ふさ》わしい家系というのはありません、あなたがたがいつまでも権力をお持ちになるはずです」
それに向かって今度は利発なテレマコスが答えていうよう、「もしもその言葉の実現される時が来るなら幸いですが。そうしたらすぐにも私からの友情とたくさんな贈り物とを、あなたはお受けでしょう、誰でもあなたに出会った人が、祝福するくらいに」
こういって、忠実な仲間であるペイライオスに向かって声をかけ、「クリュティオスの子のぺイライオスよ、君はピュロスまでいっしょに随行してくれた私の仲間のうちで、他のことにかけてもいちばんによくいうことを聞いてくれる。それゆえ今度も、この客人を君の家へつれていって、ちゃんとよろしくもてなして歓待してはくれまいかね、私が(家に)帰るまで」
それに向かって、今度は槍に名をえたペイライオスが答えていうよう、「テレマコスさま、まったくあなたが長いことこの場に逗留なさっていられれば幸いなのですが。この方は私がお世話いたしましょう、それでお客人への歓待に欠けることはけしてありますまい」
こういって船に乗りこむと、仲間の者らにも船に乗って、ともづなを解くようにと命じた。それで一同もまた船へ乗りこんで、櫂架けへと座席についた。テレマコスは足もとに立派な短鞋《あさぐつ》を着け、船の板の間から丈夫な槍を手に取った。その間に舟子《かこ》たちはともづなを解き、やがて神々しいオデュッセウスの愛し児であるテレマコスの命じたように、船を押し出して都へと航行していった。一方、歩みをすすめるテレマコスの両足は、(豚飼いの家の)中庭に着くまで彼を運んでいった。そこには彼の豚どもがとてもたくさんいたが、主人の一家にたいして実直な気立ての豚飼いの男は、その豚どものあいだに寝起きしていたのであった。
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第十六巻
豚飼いの小屋で父子再会
【夜が明けてエウマイオスは朝食の用意をする。ところヘテレマコスが到着、食事がすむと、母のもとへ帰国を知らせに豚飼いを町へと派遣する。テレマコスは父を見ながら、乞食の姿にそれと見分けられなかったが、二人きりになるとアテネ女神がオデュッセウスを立派な姿のもとに返した。変貌をあやしんでたずねる息子に父であることを明かし、とうとう二人はたがいに抱きあって涙にくれる。いっぽう豚飼いはちょうど港についた水夫とともに屋敷へいって、奥方ペネロペイアに息子の帰国を報ずる。求婚者らはこれを聞いて狼狽し、悪企みを相談しあう。夕方エウマイオスは帰って来て、都の様子を語り食事をすませ、一同眠りにつく】
さてこちらのオデュッセウスと、尊い豚飼いとの二人は小屋の中で、夜が明けるやいなや火を燃やしつけ、朝食の仕度をし、豚どもを寄せ集めると、それといっしょに牧人たちを送り出した。そこへテレマコスが家の近くへやって来たが、ふだんは吠える習《なら》わしの犬どもが、テレマコスをとり巻いて尾を振り、吠えもしないでいた。その様子に尊いオデュッセウスは気がつき、さっそくエウマイオスに向かって、翼をもった言葉をかけていうよう、
「エウマイオスさん、どうやら確かに誰かここへ来るようです、仲間の人か、それとも他の知り合いかが。犬どもが吠えないで、とり囲んで尾を振っています」
まだすっかりとその言葉もいいきらぬうちに、彼の愛する息子が、家の戸口に来て立った。それで、あきれたまげて豚飼いは跳び立ち、その手から、もてあつかっていたどんぶりが下へ落ちた。赤く輝くぶどう酒を混ぜ和《あ》えていたところであった。それから主人のすぐ面前に来て、彼の顔と両方の眼と、両方の手に接吻をし、またいっぱいにあふれる涙をこぼした。ちょうど父親が自分の、大切に思ってかわいがっている息子が、遠い国から十年目に、帰って来たのを迎えるように。このとき、神のような姿のテレマコスを、尊い豚飼いは、その体中に抱きついて接吻した、まるで死ぬところを免れて来たでもあるかのように。そしてうわずった泣き声で、翼をもった言葉をかけ、いうようには、
「お帰りでしたか、テレマコスさま、いとしい若さま。まったくもう私は、お会いできまいと思っていました、船でピュロスヘお出かけだったというので。ではさあ、ずっとおはいりください、坊ちゃま、いましがた他所《よそ》から帰って、うちへいらしたところを、よくよくながめて心から楽しむことができるように。だってけっしてたびたびは田舎へ出かけておいでがないし、牧人たちともお会いでないからね。町にばかりおいでだもの」
それに向かって、今度は利発なテレマコスが答えていうには、
「じゃあそうしよう、小父《おじ》さん、おまえ(にあう)ためにここへ来たのだ、おまえをこの眼に見て、話を聞こうと思ってさ。まだ母上は屋敷のうちに踏みとどまっておいでか、それとももうはや誰か他《ほか》の男が結婚して(連れていったか)、それであるいはオデュッセウスの臥床《ねどこ》は、床へ敷く敷物類もなしにからっぽになり、見苦しい蜘蛛の巣だらけに放置されてはいないかを」
それに向かって今度は、男たちの頭領《かしら》である豚飼いがいうようには、
「いえ、もちろんのこと、あの方は辛抱づよいお心で、あなたのお屋敷うちに踏みとどまっておいでです。でもしょっちゅう夜となく昼となく涙を流し、嘆いて過ごさぬ時とてはおありなさらんのです」
こう声をあげて、彼から青銅をはめた槍を受け取った。いっぽうテレマコスは奥へ入って、石の敷居を踏み越えていった。そのやって来るのを迎えて、父親のオデュッセウスは、座席を立ってゆずったのに、テレマコスのほうではまた、それを制止し、言葉をかけ、
「坐っていなさい、お客人、わたしらはまたほかのところに座席を見つけましょう、私らの小屋のうちに。それに席を設けてくれる男も、ここにいますから」
こういわれて、オデュッセウスはまたもとのところへいって、腰をおろした。またテレマコスのためには豚飼いが、緑の小枝を下に敷きつめ、その上に羊の毛皮をかけたのであった。それからそこヘオデュッセウスの愛する息子が腰をおろした。彼らのためにと豚飼いは、炙《あぶ》った肉の皿を供えたが、これは昨日《きのう》の食事から食べ残したものだった。またさっそくパン類も寵に積み上げて出し、蔦《つた》の木の椀に蜜の甘さのぶどう酒も混ぜ和えてから、彼自身も尊いオデュッセウスの面前に坐り込んだ。それから皆々すっかり用意して、前に出された馳走の品々に、手をさし出し、さし出しして(腹を満たした)。やがて飲む物にも食べる物にも十分に飽きたりたとき、いよいよテレマコスは、尊い豚飼いに向かって声をかけ、いうようには、
「小父さん、どこからこの客人は見えたのかね。どんなふうにして水夫たちは、この方をイタケヘ連れて来たのか。その連中は、どういう者どもだといっていたのか。だってけっしてこの方が徒歩でこの島へ到着したとは、思われないからな」
それに向かって、おまえは返事をしていったな、豚飼いのエウマイオスよ、
「いかにも、それでは私が、坊ちゃま、ほんとうのところを残らずお話しましょう。この方の家系といえば、クレテ島の生まれだということで、ずいぶんとほうぼう人の住む町々を経巡《へめぐ》って、流浪の旅をつづけて来たとのお話です。というのも、神さまが、そのようにすべてをこの人について、お取り定《さだ》めになったというわけで。ところでいまはテスプロティアの男どもの乗ってた船から逃げ出して、私の小屋に来たのでして、私はあなたにお引き渡しいたします。どうかお好きなようにご処置ください、あなたへの祈願人だと申しているので」
それに向かって、今度は利発なテレマコスが答えていうよう、
「エウマイオスよ、だがまったくおまえのいうことは、胸を苦しめる厄介な話だな。だってどうしてお客人を、この私が家に受け入れることができよう。私自身まだ若いことだし、けして腕にも自信がないのだから、もしも誰かが難癖をつけて来るようなとき、その男を追いしりぞけるだけのね。それに母上は気持が二つに別れておいでで、とやかくと思い惑っておいでなさる、このまま私のそばに踏みとどまり夫の臥床と町全体の噂とに遠慮して、家を護ってやってゆこうか、それとももうはや屋敷うちで求婚しに来るアカイア人《びと》のうちいちばんに優れた男、いちばん多くの結納《ゆいのう》をもたらす者についてゆこうかと。だがともかくもこの客人が、お前の家を頼んで来たからには、外衣と肌衣ときれいな着物を着せてあげよう、また両刃の剣《つるぎ》と足には短鞋《あさぐつ》をお贈りしようし、どこへなり気の向くところ、心の命ずるところへ送り届けてあげよう。またもしおまえが望むなら、小屋に引き止めておいて、おまえが世話をしたらよかろう、着物はここへ私が届けるからな、食糧もすっかり食べる分を、おまえや仲間の者たちのを食い減らしてはいけないから。ともかく私としては、この人を求婚者どもの間へは行かせたくないのだ、あんまり非道な乱暴者ぞろいだから、無茶ないいがかりをつけるかもしれないから。(もしそうなったら)私がたいそうつらい思いをしよう。まったく多勢な者の中にあっては、たとえ剛毅の人物だって、何かをしとげるというのは難儀なことなのだ、相手の力がずっと立ち優っているのだから」
それに向かって、今度は辛抱づよいオデュッセウスがいうよう、
「ええ旦那さん、でもまあ私が言葉をお返ししてもさしつかえがありませんならですが、まったくお話を聞くと、胸をつん裂くようなことではありませんか、求婚者どもがお屋敷うちで非道なたくみを図《はか》っているなど、おっしゃるしだいは。このように立派な方をないがしろにして。どうか聞かせてください。あるいはあなたが自分から好きこのんで負けておいでなのか、それともあなたに島じゅうの民衆が敵意を抱いてでもいるのか、神さまのお告げになり聞き従って。あるいはまた何か兄弟のかたがたを咎めだてするかどでもおありで。たいした諍《いさか》いごとが起こった場合でも、たいてい彼らは力を合わせて闘ってくれるものですが。もしも私が今の気力に加えて、そのくらい若さも持っていたらよかったのだが。あるいは私があの立派なオデュッセウスさまの息子であるか、またはそのご本人(オデュッセウス)が、放浪から帰っておいでだったらなあ。だってまだその希望を抱く余地はあるのですから。そのときにすぐさま、もしも私があの連中全体の禍いとして、ラエルテスの子オデュッセウスの館《やかた》に乗り込んでいかないようなら、私の首を誰にでも差し出しましょう。もしも彼らが多数を恃《たの》んで、ひとりきりの私をを討ち果たすなら、願わくは自分の屋敷うちで殺され死に果てるほうをえらぶでしょう、いつまでもこうした非道な、恥《はじ》多い所業を見過ごしているよりは。他所《よそ》から来た客人たちをひどくあつかったり、召使いの女どもを、非道な仕方で立派な屋敷うちを引きずりまわしたり、酒をやたらに汲んで空《あ》け、むやみと無駄に糧食を食いちらすのを(見過ごすよりは)。際限もなく、どういう事を仕遂げるあてもないくせにして」
それに向かって、今度は利発なテレマコスが答えていうよう、
「それならば私があなたに、お客人よ、すっかり確かなところをお話ししましょう。けっして私にたいして、島じゅうの者どもが敵意を抱いてつらくあたるというのでも、兄弟たちを咎めだてするところもありません。実のところは、クロノスの御子はわれわれの一族に、代々ひとりの男子しか恵んでくださらなかったのです。つまり(曾祖父の)アルケイシオスはただ一人ラエルテスだけを息子に持ち、さらにまたラエルテスは父としてオデュッセウスだけを子に儲《もう》けたところ、そのオデュッセウスがまた私ひとりを屋敷うちに息子として置いていったきりなのです。それゆえいまでは心よからぬ者どもが、とても多勢、館じゅうに押しかけているのです。そして、ドゥリキオンとかサメとか森の多いザキュントスとか、そういった島々に威権をふるう豪族たちや、また岩の多いイタケ島で権勢をたもつ有力者らが、みな争って私の母に求婚し、家産を使い減らしている次第なのです。ところが母親のほうも、この忌《いま》わしい結婚話を拒絶もしなければ、切りをつけることもできないのです。それで彼らは私の家産をどんどん食いつぶしていってるので、間もなく私自身まで潰滅させることでしょう。だがもちろんそうなるかどうかは、神さま方のご所存にかかっています。ところで小父さん(エウマイオス)、おまえはさっそく用心ぶかいペネロペイアのところへいって言ってくれ、私が無事で、ピュロスから戻って来てると。だが私のほうは、このままここに逗留しているつもりだから、おまえは母上だけに知らせを伝えてから、またここへ帰っておいで。他の者には、アカイア人の誰にも知られないようにしてね、私の破滅を図る連中が、いっぱいいることだから」
それに向かって、おまえは返事をしていったな、豚飼いのエウマイオスよ、
「よくわかりました、よく思案もしております。いやもう十分わかっている者においいつけで。それよりさあ、このことをお聞かせください、また確かなところをすっかり話していただきたいので。ラエルテスさまにも、同じ道のついでに知らせにあがりましょうか、お気の毒ですから。このあいだまでオデュッセウスさまの上をたいそう嘆きながらも畑作を監督なさり、召使いたちといっしょにお家の中で食事をしお酒を飲んだりしておいででした、気分がお向きのおりにはですが。ところが、あなたが船へ乗ってピュロスヘお出かけなさってからは、もうすっかり食事もお酒を飲むのもやめてしまわれ、畑仕事もご覧なさらぬとのお話で、ただ嘆息し泣き悲しんで坐ったきり、骨のまわりの肉も痩《や》せ細っておゆきということですので」
それに向かって、今度は利発なテレマコスが答えていうよう、
「それはいっそうつらいことだ。だが、われわれは嘆息しながらも、(爺さまは)そのままにほうっておこう。もし人が万事を自分で選ぶことができるなら、まず第一に、父上が帰国する日をえらぶことにしよう。だからおまえは、(母上への)使いをすませたら、戻って来なさい、あの方(祖父)を訪ねて田舎をうろつきまわるのはやめろ。その代わり母上にいうのだ、取締りの老女を遣わすようにと、できるだけ早くこっそりとね、そしたら老女が老人に知らせをもってゆくだろうから」
こういって、豚飼いを立ち上がらせた。そこで彼は手に短鞋《サンダル》をとり、足もとに結わえつけてから都へと出かけていった。ところで豚飼いのエウマイオスが小屋から出かけるのを、アテネ女神はもとより見逃がしはなさらずに、近寄っておいでだった、美しく丈高く、かつまた輝かしい技芸をわきまえた婦人に形を似せて、小屋の戸口に立って、オデュッセウスに姿をお示しなさった。しかしテレマコスは目の前にこれを見ず、気づきもしなかった、というのは、けして神さま方はすべての者に、はっきりと姿をお示しなさるものではないので。それでオデュッセウスと犬どもだけが見たものの、犬どもは吠えることもせず、すっかり恐れ入って鼻を鳴らしながら、小屋の向こうにすっこんでしまった。そこで女神が眉を動かし合図をされると、尊いオデュッセウスはそれを見てとり、部屋の中から外へ、中庭の璧がこいに沿って出て来て、女神のお前に立ちどまった、それに向かってアテネがいわれるようには、
「ゼウスの裔《すえ》であるラエルテスの子の知謀に富んでいるオデュッセウスよ、ではもういまはそなたの息子に話をしなさい。隠しておかないで、どういうふうにして求婚者どもに死の運命《さだめ》をたくみあげ、世にも名高い町へ向かって、そなたら二人が行くか、という段取りを。それに私自身にしても、このうえ長くそなたら二人からは離れていないだろうよ(もともと)闘《たたか》いたくてたまらないのだから」
こういわれると、黄金の杖でアテネ女神はおさわりなさった。すなわちまず初めには麻衣のよく湿ったのと肌着とを胸のまわりに着せつけ、その姿形を大きくし若さをお加えなさったうえ、肌色も黒ずんだのに変え、顎《あご》から頬《ほお》も皺《しわ》がのびて張り切れば、下顎のひげも黒々となり変わった。女神はかような作業を終えると、またもとの空へとおいでなさった。一方オデュッセウスは小屋の中へとはいっていった。そこで胆《きも》をつぶしたのは愛しい息子で、気おくれがして他所《よそ》の側へと眼をそらした、もしや神さまではないかと。そして彼に向かって声をあげ、翼をもった言葉をかけ、いうようには、
「お客人よ、いまとさきほどとでは、ちがった人のようにお見えですね、着ている衣服もちがっているし、肌の色も同じでありません。きっとおそらくどなたか神さまでおいででしょうか、広大な天にお住まいの。どうかお慈《めぐ》みを、神意《おこころ》を宥《なだ》めまいらす御供物や黄金のうつわなりとてまつりましょうほどに、たくみを凝《こ》らしましたのを。私どもにぜひご容赦を」
それに向かって、今度は辛抱づよく、尊いオデュッセウスが答えるようには、
「けして私は神さまではない、どうして私を不死の神々にたとえるのだね。それどころかおまえの父親なのだ、そのおかげでおまえが嘆息を吐《つ》きながら、さんざん苦労を積んで来たその親父だよ」
こう声をあげていうと、息子に接吻した。その頬からは涙が地面にこぼれて落ちた、これまではいつでもおさえとめていたものだったが。しかしテレマコスは、というのも、まだ少しも(これが)自分の父親だとは信じきれなかったので、またもや繰り返して、彼に向かい、言葉を返していうよう、
「まさかあなたが私の父のオデュッセウスではありますまい、神さまが私を術でお魅《あやか》しになってるのですね、なおいっそう悼み悲しんで嘆息するようにと。だってどうして死ぬべき人間の身でこんなことが巧み出せましょう、ともかく神々ご自身がいらしたのでもないのに、人間である自分の知恵で、容易《たやす》く思いのままに、若くなったり老人になったりできるでしょうか。だってまったく先刻は年寄りで、見苦しい様子をしておいででしたのに、いまはまた神さま方とそっくりです、広大な天にお住まいの」
それに向かって、辛抱づよいオデュッセウスが返答をしていうようには、
「テレマコスよ、愛する父親がうちに帰って来たというのに、度を超えてあやしんだり驚きあきれたりするのは、間違っているよ。なぜというと、私以外にもうひとり別なオデュッセウスがここへ来ることはなかろう、つまりこの私がその人なのだ。いろんな禍《わざわ》いを受け、ほうぼうを流浪したあげく、二十年目に故郷の土地へ帰って来たのだ。それにまたこの(ふしぎな)所業はアテネ女神のなさったことで、女神さまが私をこんなにお変えなさった、つまり(女神は)どうにでもお好きなようになされるのだから。あるときは乞食と同じ姿に、あるときは若い男で、美しい衣類を肌にまとった者にもなさる。広大な天にお住まいの神さま方にはいとも容易なことだ、死ぬべき人間を立派な姿にするのも、ひどい姿《なり》におとされるのも」
こう声をあげて、腰をおろした。するとテレマコスは立派な父親のまわりにくずおれ取りつくと、涙をこぼして、嘆きくやんだ。すなわち二人ともに、懐かしさが泣き声を立てさせ、その声高く泣き叫ぶのは鷙鳥《おおとり》のたぐいよりも、もっとはげしく暇《いとま》がなかった。さながら、海鷲《うみわし》や爪のまがった禿鷹が、まだ飛べない雛《ひな》を野の百姓に(巣から)奪い取られたときのように、彼らはあわれ気に涙を流しつづけた。二人はこのように、太陽が沈むまで、ともどもに泣き悲しんでいたかも知れない、もしテレマコスが、父親に向かってさっそくいわなかったら。
「ところでいったいどんな船で水夫たちはあなたをここへ、イタケ島までつれて来たのです、お父さま。どういう人たちだといっておりましたか。だってあなたが徒歩でこの島へおいでになったとは考えられませんもの」
それに向かって、今度は辛抱づよく、尊いオデュッセウスがいうには、
「それならば私が、間違いのない本当のことを話してあげよう。私を連れて来たのは、船に名を得たパイエケスの人たちである。そこの人たちは誰でも自分の島にやって来た者を、他国の人でもみな送り届けるのだ。それで私を速い船に乗せ海上を連れて来てから、寝ているうちに、イタケヘ降ろしていった。しかも、いろいろ立派な贈り物をくれたのだ、青銅や黄金のものや、織りの着物も十分にだ。だがその品々は、神々の思《おぼ》し召しで、洞穴の中に納めてある。それから今度はまたここへ、アテネ女神のご注意に従ってやって来たのだ、心よからぬ者どもを討ち取る手段《てだて》をみなで面策しようとの目的で。それゆえさあ、求婚者たち(の名)を数えあげて教えてくれ、何人ぐらい、またどういう人たちが加わってるかわかるように。そして心の中で、いろいろと熟慮して思案しよう、われわれが二人きりで、他人の力を借りずに、彼らをうち負かすことができようか、それとも他の人たちに援助を求めたがよいかを」
それにたいして、今度は利発なテレマコスが答えていうよう、
「父上、いかにもあなたのたいそうな評判は、いつも聞いておりました、腕は立派な槍使いの武者、また謀議にかけても十分心得のある方だと。しかしあんまり大きなことをおっしゃいますので、すっかり胆を潰《つぶ》しました。とうてい二人きりでは、多勢の力も強い人々と闘いようもないでしょう。それこそ求婚者たちといったら、十人や二十人きりではなく、もっとずっと多勢なのです。それはすぐにもいまここで、その数がおわかりなさいましょう。ドゥリキオンの島からは五十二人の選り抜きの若殿ばら、それに六人従者がついて来ております、サメからは二十四人のつわものがあり、ザキュントスからはアカイア族の二十人の若者たち、またこのイタケ自体からも十二人いる、そのいずれもがえり抜きのつわものなのです。そして彼らといっしょに伝令のメドンと尊い歌唱者《うたうたい》と、二人の従士の、肉切りの術に熟達したのがついております。もしそれらの全部を相手に闘うとなれば、ずいぶんと厳《きび》しい、また恐ろしい目に会わないともかぎりません。ですからあなたは、もしおできなら、誰か復讐の援助者をよく考えて探し出してくださいませんか、誰なりと私たちを、心から熱心に防ぎ護ってくれる人を」
それに向かって、今度は辛抱づよい、尊いオデュッセウスがいうようには、
「それならば私が話してあげるから、おまえにしてもよく心を引きしめ、聞くがいい。そして考えるのだ、私ら二人に、アテネ女神とゼウス父神さまが加わったら、たりるかどうか、それともまだ誰かほかの援助者をよく思案して(見つけねば)ならないか」
それに向かって、今度は利発なテレマコスが答えていうよう、
「これはたいそう有能な援助者たちですね、いまお話のふたりの神様がたでしたら。まあ高いところの雲の中に、坐っておいでですけれど、他の人間どもばかりか、不死の神さま方さえも、ご支配なさっておいでですから」
それに向かって、今度は辛抱づよい、尊いオデュッセウスがいうようには、
「いや、いかにもそのお両神《ふたり》は、そう長いことはげしい闘いのざわめきから離れてはおいでなさるまい、求婚者たちとわれわれとが、私の屋敷でアレス神の武勇をきそいあらそうおりには。それゆえおまえはもはや家に帰ってゆくがいい、朝の光がさし始めたら。そして傲慢無礼な求婚者たちの中に混じりこんでいろ。そうしたら私を町へと豚飼いが後から連れていってくれよう、あさましい乞食の老ぼれみたいな婆をしているのを。それでもし彼らが私を、館じゅうでないがしろにし、侮辱しても、おまえはいとしい心をおさえてじっと辛抱するのだ、私がひどいあしらいを受けるのを見てもね。たとえ私の足をとって戸外《そと》へ引きずり出そうと、または道具をもって打ちすえようとも。おまえはそれをながめていても、じっと我慢しているのだぞ。それでただ愚かなまねはやめるように命じなさい、穏《おだ》やかな言葉をわきからかけるにとどめて。だがあいつらは、いっこう聞き従おうとしないだろう。それというのも、彼らにとっては運命の日が間近になっているからだ。ところでいま一ついっておきたいことがある、おまえはそれをよくよく胸の中で思案するがいい。すなわち策謀に富んでおいでのアテネさまが、私の心にそれと示唆したおりは、私がおまえに頭を下げて合図《あいず》しようから、そうしたらおまえはそれを見て取って、家じゅうにあるすべての武器を、高い納戸の間の奥へ持っていってしまっておくのだ、全部をそっくりとな。一方、求婚者どもは、穏やかな言葉でもっていいくるめておけ、もし彼らが(武器のないのに気づき)、欲しがって、おまえにたずねるようなことがあったらな、『煙のかからぬところへ納《しま》っておいたのです。以前にオデュッセウスがトロイアをさして出かけたおり、残していったものとはもはや似ても似つかぬほど、煙でひどい始末になってるからです。それに加えて、もう一つ、もっと大切なことをクロノスの御子が私の心に思いつかせてくださったのです、もしひょっとして酒に酔ったあげく、あなた方が争いを始め、おたがいに傷つけあってせっかくの饗宴もめちゃめちゃになさってはいけませんから。それに求婚の話もです。というのも、鉄というものは、おのずから武士《さむらい》たちを引き寄せる(と申します)ので』(などいってだ)。だがわれわれ二人のためには、二本の剣と二本の槍を残しておきなさい、それと手に取るための牛皮の楯を二つ、われわれが(いざというとき)駈けつけて取れるようにな。それで彼らをパラス・アテネと知謀のおん神ゼウスとが、妖《あや》かしておしまいなさろう。またいま一ついっておきたいことがある、おまえは胸の中でよくよくそれを思案するがいい。もし本当におまえが私の子、われわれの血筋の者なら、オデュッセウスがうちに帰って来ていることを、誰にもいうな、ラエルテスどのにも豚飼いにもまったく知らせないように、召使いたちの誰にも、ペネロペイア自身にもいってはいけない。ただおまえと私と二人きりで、女中たちの心がけを識《し》り別けようではないか。それにまた召使いの男たちの誰彼についても、試してみよう、誰がいったいわれわれ二人を大切にし、心中に恐れているか、また誰がないがしろにし、おまえがこれほど(立派な)人物なのに、敬意も払わぬか、を吟味しよう」
それに答えて、名誉ある(オデュッセウスの)息子が声をあげるよう、
「父上、私の心は、いずれおわかりくださろうかと思います。というのも、けして私の頭の|たが《ヽヽ》はゆるんではいません。だが、どうにも今のお話はわれわれ二人にとって利益とは考えられないのです、それゆえよくお考えくださるように。なぜというと、畑地へ出かけていって、すべての人を吟味してまわるとしたら、ずいぶん長い時日を要しましょうから。その間、連中は屋敷じゅうで、増長しきって、遠慮|会釈《えしゃく》もてんでしないで、いい気でもって財産を食い潰しつづけるでしょう。それよりも女どもをお調べのよう、私としてはお勧めします、そのうちの誰があなたに無礼を働くか、誰が不埒者か、そうではないかを。しかし邸のうちにいる男たちのほうは、われわれがその吟味をいますることは、望ましく思われないのです、むしろ後々でそれは片付けたら(よいでしょう)、もしほんとうに父上が何か、山羊皮楯《アイギス》をお持ちのゼウス神の、お告げの兆《きざし》をご存知ならば」
このように、両人はこんなふうなことを話しあっていた。ところでテレマコスや仲間の者たちすべてをピュロスから載せて来たあの造りのよい船は、イタケの町へと運航をつづけ、一同はたいそう深い入江の内へ到着した。黒塗りの船は、陸地へと引き上げ、航海の道具類は元気のよい従者たちが運び出し、またとりわけ立派な贈り物類はさっそくクリュティオスの館へと持ちこまれた。それから伝令をオデュッセウスの屋敷へ派遣したのは、テレマコスが田舎の畑地に着いていること、彼が船を町へと走らせてゆくよう命じたことを、ペネロペイアに知らせてやるためで、それも気高い奥方が心中に危惧を抱いて、やさしい涙をこぼしなどされぬようにとの心づかいであった。
さてこの伝令と豚飼いとの二人は、奥方に知らせを伝えようという同じ役目をもってゆく途中で、出会ったのであった。しかしいよいよ尊い領主の屋敷へ着くと、伝令のほうは召使いの女たちの間にいって、こういった、「もう、奥方さま、ご愛息はご帰還なさいました」
いっぽう、豚飼いはペネロペイアのすぐ間近に寄り添って、その愛する息子が話すように命じた事柄をすっかり申しあげた。そしていいつけられた事柄をすっかり述べ終わると、さっそく豚どものいるところへ帰っていった。
いっぽう、求婚者たちはこの知らせに、すっかり意気消沈して思い悩んでいた。それで広間から出てゆき、中庭の高い囲いの璧にそい、外へ出るとその場所に寄り集まった。その連中にたいして、まずポリュボスの息子エウリュマコスが、先に立ち話をはじめた、
「皆さんがた、まったくだいそれた所業があつかましくも完遂されたというものだ、テレマコスのこの旅だが。われわれは、けっしてこれが無事に為しとげられようとは思わなかったのに。だがともかくも、黒塗りの船を海へ引き下ろそう、いちばん出来のよいのをな。それへ漕ぎ手に漁師たちを集め(て乗りこませ)、船で出かけたわれわれの仲間に少しでも早く戻って来るようにと知らせよう」
まだすっかりはいいきらないうちに、アンピノモスが、自分の席から身をよじって(後ろを向くと)、たいそう深い入江の内側に、一艘の船が認められた。いましも帆を下ろして、手に手に櫂を取っているところであった。そこでにっこりと笑い出して、自分の仲間の者どもに向かい、話しかけた。
「もう急いで使いを出すにはおよばないな。だってみんな、すでに町へ帰って来たから。あるいは神々のうちのどなたかが、彼らにそのことを告げられたか、あるいは彼らが自身で(テレマコスの乗ってる)船がわきを通り過ぎるのを目撃したか――だがその船をつかまえはできなかったのだ」
こう彼がいうと、みなみな立ち上がって、海の渚に出かけてゆき、さっそく黒く塗った船を陸地へ引き上げると、意気のさかんな従者らが船の道具類を運び去った。そして彼ら自身はみないっしょに会議の場所に向かったが、その場には誰一人、よその者は若者も年寄りも、参加するのを許さなかった。一同の間にあって、エウペイテスの息子アンティノオスがいうようには、
「やれやれ、何たることだ、あの男を神々が災難から放免なさったとは。日中はたがいに引きついで、張り番が風の吹きまく岬の鼻に坐って(見張りして)いたのに。夜は夜で、けして陸上で過ごしたことはなく、いつも海上で速い船を乗りまわして、輝く朝を待ち構えていたのだ、テレマコスを待ち伏せして、あの男をつかまえて殺してやろうというつもりでな。
ところがそのあいだに、神さまが彼奴《あいつ》を故郷に連れ戻したというわけだ。さればわれわれはここで、テレマコスヘのひどい破滅のたくらみを思案しようではないか、われわれの手を免れさせることなど断じて許さん。というのも、彼奴《あいつ》が生きている限り、われわれの望みが成就する見こみはなかろうからだ。彼奴《あいつ》自身がもう思慮も十分で、それに気もよくつく、それに加えて町の連中も、けして万事についてわれわれに好意を示す状況ではなくなった。だから、あの男がアカイア族の人々を会議へと一つところに集合させないうちに(何とかしようではないか)。というのも、彼奴《あいつ》はすこしもぐずぐずしてはいまいと思うからだ。きっとたいそう立腹し、みなの集まったところで立ち上がっていうだろう、われわれが彼の殺害をもくろんだが、つかまえられなかったのだと。すれば市民たちは、(そうした)悪い所業の話を聞いて、みなけしからんというだろう。彼らに(われわれにたいして)何かの害を加えたり、われわれを、所領の土地から追い出したりさせてはなるまい。それゆえこちらから先手を打って、田舎で彼奴《あいつ》をつかまえようではないか、町の外でか途中でか。そして(彼奴《あいつ》の)物資や財産をさし押さえ、適当にわれわれの間で分配するのだ。また家屋敷のほうはあれの母親なり、あるいはその結婚相手に持たせておこうではないか。だがもしあなた方に、この提案が気に入らないなら、そして彼奴《あいつ》が生きながらえて、親代々のものをそっくり持ちつづけるのをお望みとあれば、そのときはもう彼奴《あいつ》の財産をこうたくさん思う存分に食いあらすのはやめにしよう。その代わりめいめいが自分の屋敷から求婚をするがいい、結納のもので承知を求めることにして。そのうえで彼女が結婚したらよかろう、いちばん多く贈り物をし、天運によって婿と定められた男とでも」
こういうと、一同の者はみな声をひそめて静まりかえった。その間にあって、アンピノモスが口を開いた。これはアレティアスの子ニソス殿の、誉れ輝く息子とて、麦を多く産出し牧草に富んだドゥリキオンから、求婚者たちを率いて来た男だが、とりわけ話し上手でペネロペイアの気に入っていた。というのもすぐれた思慮を身につけていたからだが、この男がみなのためをよかれとはかって、話をはじめいうようには、
「みなさんがた、私としてはテレマコスを殺してしまうのは不賛成です、王たる者の一族を殺すというのはだいそれたこと。それよりもまずその先に、神々のご意見をうかがうのがよかろう。もしもゼウス大神のご託宣がこれをよしとされるならば、私自身も殺害に加わろうし、他の方々みなにも勧めるだろう。だがもしまた神々がいけぬとお戒《いまし》めなら、中止をお勧めするものだ」
こうアンピノモスがいうと、その言葉に人々も賛成の意を示した。それから間もなく一同は座を立って、オデュッセウスの屋敷へとおもむいたが、そこへ来るとみなみな磨いた石の腰掛けに坐りこんだ。
話かわって、よく気の届くペネロペイアは、前と変わった考えを起こして、分に超えた乱暴狼藉をはたらく求婚者どもに姿を見せようと思いついた。というのも彼らが自分の息子の破滅をたくらんでいるという知らせを聞き知ったからであった。すなわち前からこの相談を聞いていた伝令のメドンが奥方に、そのことを告げたのであった。それで彼女は召使いの女たちを引き連れ、大広間へと出かけていった。女人のうちにも神々しい(この奥方)は求婚者どものところへゆき着くと、しっかり造りあげられた屋敷の構えの(入口の)柱のわきに行って立ち、つややかな頭被《かしら》の布《きぬ》を両頬の前に掲げて、アンティノオスを非難してその名を呼び、言葉をかけていうようには、
「アンティノオスさん、あなたはずいぶん横暴な、悪だくみをする方です、イタケの国人たちは、あなたが同じ年輩の者の間では、思慮にかけても弁舌でも、いちばんに優れた方といっていますが、あなたはそんな人ではなかったのですね。狂人《きちがい》だわね、いったい何だってあなたはテレマコスを殺そうと、企らみをおめぐらしなのです、それに助けを求める願いびとも構いつけないのですか。その人たちへは、ゼウスさまが証人にお立ちなさいますのに。またおたがいに、他の禍《わざわ》いを謀るというのは、神意を犯し義にもとることです。一体全体あなたは覚えていないのですか、ここへあなたの父上が民の怒りに恐れをなして逃れておいでだったときのことを。父上がタポス島の海賊どもに加担して、テスプロティアの人々を害《そこな》い悩ましたというので、彼らがたいそう憤激したときのことです。そこの人々は、私たちイタケの民と親交を結んでいたのです、それで島の住民たちは、父上を殺して、それからその身代も、食い潰してやろうと望んでいたのを、オデュッセウスがおさえとめ、人々が逸《はや》り立つのを制御したのでした。その恩人の家財を現在あなたは、代《だい》も払わずただで食い物にし、その配偶《つれあい》に求婚し、息子を殺しにかかり、それで私をたいそうもなく悩まし苦しめつづけるとは。それゆえあなたに、やめるよう要求します、また他の方々にもそう命じなさるように」
それに向かって、今度はポリュボスの息子のエウリュマコスが答えていうよう、
「イカリオスの御娘の、気がよくまわるペネロペイアよ、安心なさい、そうしたことはいっさい気づかいをなさらぬよう。あなたの息子のテレマコスに手出しをしようなどいう男は、けしてあるはずも生まれるはずもありません、少なくも私が生きて、この地上で眼を見開いているかぎりは。なぜというと、こう私は宣言しますし、それはたしかに実現されるにちがいありません。そういう人間はたちどころに、黒い血をわれわれの槍のまわりに流すことでしょう。思えばあの城市《まち》を攻め陥《おと》すオデュッセウスはたびたび自分の膝に私を坐らせて、あぶった肉を手に載せて(食べさせて)くれ、また真紅の酒をさし出してくれたものでした。それゆえテレマコスさんは、どんな人よりもずっといちばん私の親愛する方です。けっして求婚者たちの手によるところの死を、彼のため恐れ気づかうことはしないようお願いします。それが神さまからのものならば、避けようもありませんが」
このように慰めていったが、その当人こそテレマコスの破滅を用意していたのであった。それで奥方は二階の間へと上がってゆかれ、それから愛する夫オデュッセウスを思って泣かれた、きらめく眼の女神アテネが、快い眠りをその瞼《まぶた》の上に投げかけられた時まで。
夕方になって、オデュッセウスと息子のところへ、尊い豚飼いが戻って来た。それから一年児の豚を贄《にえ》として屠殺したうえ、夕餉の仕度にかかった。またアテネ女神は、ラエルテスの子オデュッセウスのすぐわきに立ち添って、杖で打ってまたもとの老人の姿に変え、みすぼらしい衣類を肌によそおわさせた。豚飼いが面と向かってその姿を見て主人とさとり、用心ぶかいペネロペイアに報《しら》せにいって、自分の胸だけに蔵《しま》っておけないようではなるまいから。それで彼に向かってテレマコスが、先がけて話をはじめいうようには、
「帰って来たかね、尊いエウマイオス、いったいどんな噂《うわさ》が立ってるかね、町では。ほんとにもう傲慢な求婚者たちは待ち伏せから戻って、うちへ来ているのかね。それともまだ私が故国《くに》へ帰ってくるのを、そのままあそこで見張っているのか」
それに向かって、豚飼いのエウマイオスよ、おまえは答えていったな、
「町じゅうを歩きまわってそうしたことを問い質《ただ》そうとは、思いもしませんでした。つまりお知らせをすませ次第に、さっそくにも、またここへ帰って来ようと、気ばかり急《せ》いたものですから。実はお仲間からの速い使者が私といっしょに館に着きました、あの伝令使で、それがいちばん先に、母上さまにお話を申しあげました。ですがいま一つ、わかったことを(申しましょう)、それはこの眼でたしかに見たので。城町のうえの、ヘルマイオスの丘のあたりです、そこをやって来ますと、速い船が私らの港へはいってくるのが見えました。その船には多勢の男たちが乗っていましたが、楯だの両叉《ふたまた》の槍だのがいっぱいに突き立っておりましたので、それでそいつらはきっと例の連中だと思いましたが、確《し》かとは存じません」
こういうと、勇ましいテレマコスは父親へと眼を見かわして微笑した。しかし豚飼いにたいしては、眼を避けるようにした。
さて一同は、仕事を終わり、晩餐の仕度がすむと、食事にかかったが、ひとしく分けられた食事に、心ののぞむ何物も欠けるところはなかった。それで飲む物にも食べる物にもはや満ちたりたとき、人々は臥床《ふしど》を思い、眠りの贈る賜物《たまもの》を身に享《う》けとったのであった。
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第十七巻
テレマコスの帰館、オデュッセウスは乞食姿で自館に着く
【朝になると、テレマコスは父と求婚者退治の段取りを相談のうえ、身仕度して屋敷をさして出立、つづいてオデュッセウスも豚飼いとつれ立って旧館へおもむく。テレマコスは乳母や母に会いピュロスでの話を聞かせ、父の帰館も遠くあるまいと慰める。屋敷に近づいたオデュッセウスは戸口近くで昔飼った老犬アルゴスに遭う。広間にはいった乞食姿の彼を見ても誰も気づかず、嘲弄して物を投げつけたりした。ペネロペイアはその話を聞き、怒り悲しむ。そして乞食を招いて身の上をたずねようとするが、オデュッセウスは夕方まで待つようにと豚飼いに取り次がせる】
さて早く生まれてばらの指を持つ暁(の女神)が立ち現われたとき、尊いオデュッセウスの愛する息子テレマコスは、足もとに美しい短鞋《あさぐつ》をゆわえつけ、がっしりした槍を手に取った。ぴったりと掌《てのひら》によくはまる槍である。そして町へゆこうと志し、自分の豚飼いに向かっていうよう、
「小父《おじ》さん、ではこれから私は都へでかけるよ、母上に対面しに。だって母上はこの私自身を見ないうちは、いたましくお嘆きで、涙にくれて悲しむのをおやめになるまいと思うのでね。ところでおまえには、このようにいいつけておく、この気の毒な客人を都へ連れてゆくように、そこで食べ物を施してもらうようにだ。そうしたら、誰か心のある人がパンなり酒の盃なりを与えてくれることだろう。胸に苦悩を抱えているこの私には、すべての人間を支えていくことはできないものでね。もしその客人がたいそう立腹なさるにしても、彼自身にとって、それはいっそう辛いことになるだろう、私は、本当のことをいってしまうのが好きなものでね」
それに向かって、知恵に富んでいるオデュッセウスが、返事をしていうよう、
「ああ旦那さん、けして私自身にしても、引きとめられるのを望みはしません。乞食にとっては、町中や田舎路《いなかじ》を、物乞いして歩くほうがましなことです。誰なりと志のある人が物をくれましょう。だってもう私は、牧舎にずっと居着《いつ》いて、指図をする人のいいつけを一々みな聞いてやっていけるほど、年が若くはありませんから。だからおでかけなさい。私はこの人に連れてってもらいまさあ、あなたがお命じなさったように。それもまず火でからだを温ため、日光も強くなりましてから。というのも、この着ている衣類が、いかにもひどいものですので、明けがたの霜にからだがもたないのでは(困りますから)。それに町からはだいぶ遠いということですし」
こう彼はいった。それでテレマコスは小屋囲いを通り抜け、求婚者どもに災禍をもくろみながら、すばしこい足どりで歩みを進めていった。それから立派な構えの館に着くと、槍をまず丈の高い柱にもたせかけ、自身は内へとはいってゆき、石の敷居をまたいでいった。
彼の姿をいちはやく認めたのは乳母のエウリュクレイアで、細工をこらした台座の上に羊毛をくりひろげていたが、すぐに涙ぐんで、まっすぐに向かって来た。それからむろん他の、我慢づよい心をもつオデュッセウスの侍女《こしもと》たちも、まわりに集まってきて、よろこんで彼を迎え、顔だの肩だのに接吻しつづけた。それから気のよくまわるペネロペイアも、奥の間をでて来た。その姿はアルテミス女神か、または黄金のアプロディテかと見まがうばかり、愛しい息子に両腕を投げかけ、涙ぐんで、彼の顔と両方の美しい眼に接吻をし、痛ましく泣きながら翼をもった言葉をかけ、いうようには、
「帰ってきたの、テレマコス、愛しい大切な(私の息子)は。私はもうあなたには会えまいと思っていました。私が承知しなかったのに、お父さまについての噂をたずねようと、内緒でピュロスへおでかけだったからね。けれどさあ、すっかり話してください、どんなふうな事の様子にであいだったか」
それに向かって、今度は利発なテレマコスが答えていうよう、
「母上、私はたしかに険《けわ》しい破滅を免れてきたのですけれど、どうか私の胸の中を揺ぶり立てて悲嘆の気持ちを起こさせることはなさらないでください。それよりさっそく沐浴をなさり、肌に浄めた衣を着《つ》け、≪召使いの女たちを連れ、二階へと上がっていって≫もしもゼウス神が仕返しのわざを完遂させてくださるならば、ありとあらゆる神々に、申し分ない大贄《おおにえ》をたてまつろうと祈願をこめてくださいまし。私のほうでは、これから会議の場へでかけましょう、私がこちらへくるとき、いっしょに向こうから従ってきた客人(がありますので、その人)を呼ぶためにです。私はその人を仲間たちといっしょに、先にこちらへよこしておいたのです。そしてペイライオスには、その人を屋敷へ連れてゆき、私が帰るときまで、ちゃんと大切にもてなし、いたわっておくよう命じておいたのです」
このように声をあげていったが、彼女には話が羽根をもたずに終わった(なんの返事もせずに終わった)。それから彼女は沐浴をし、肌に浄めた衣を着け、ありとあらゆる神々に申し分ない大贄《おおにえ》をたてまつろうと祈願をこめた、もしもゼウス神が仕返しのわざを完遂させてくださるならばと。
一方テレマコスは槍をたずさえたまま、広間をよぎって歩みを進めた。彼といっしょに二匹の白い犬がついていった。また驚くばかりの品格をアテネ女神が彼に注ぎかけたもので、人々はみな彼が向かって来るのを感嘆してながめた。傲慢な求婚者たちは彼のまわりに集まって来て、いろいろうまいことをいったが、心の底には害意をふくんで悪いたくらみをめぐらしていた。テレマコスは彼らの群がっているのを避けて、メントルやアンティポスやアリテルセスなど、親代々の親しい間柄だった人たちの坐っているところへ行って腰を下ろした。すると人々は委細の顛末《てんまつ》を(彼に)問い質《ただ》すのであった。そこへ、名うての槍使いペイライオスが、城市《まち》を通って会議の場へと客人を連れてやって来た。それでテレマコスは、さっそく客人のそばに行ったが、それと見てペイライオスは、まず自分のほうから話しかけ、いうようには、
「テレマコスさま、もう一度女たちを私の家へゆくようにさせてください、メネラオスさまがお贈りの土産の品々をお届けしたいので」
それに向かって、今度は利発なテレマコスが答えていうよう、
「ペイライオスよ、この首尾がどうなることかは、まだわからないのだ。もしも私を傲慢な求婚者たちが屋敷うちでこっそりと殺害して、親からの財産をなにもかも仲間で分配するようならば、むしろ私はあなたがそれを手もとにおいて享受することを望むのだよ、この連中のうち誰かに奪《と》られるよりはね。またもし私がこの連中に、殺戮と死の運命をもたらすことができるなら、まったくそのときこそは喜んでいる私のために屋敷へと運んでくれ、あなたにもそれは喜ばしいに違いない」
こういって、気の毒な客人を自分の屋敷に連れていった。彼らは構えもよろしい館へ着くと、外衣をソファや肘つき椅子へと脱いでかけ、よく磨かれた浴槽にはいって、体を洗った。そこで侍女《こしもと》たちは彼らに湯を使わせて、オリーブ油を塗りつけ、体に羊毛の外衣と肌着とを投げかけ終えると、二人は浴槽からでてきて、ソファに腰をおろした。それから召使いが手洗いの水を美しい黄金の水さしに(入れて)持ってきて、手を洗うようにと、銀の鍋の上に注ぎかけた。それからそばによく磨きあげた四脚卓をひろげると、つつましやかな家事取締りの老女がパン類を持ってきて、そのうえに、さらにたくさんの料理を添えた。また母君はその真向かいに、部屋の(入口の)柱のわきに、ソファに身を横たえ、糸巻き棹《さお》をまわしながら腰を下ろした。さて一同は調理してだされた馳走の品々に、くり返し手をさしのべたが、とうとう飲む物にも食べる物にも、はや十分に飽きたりたとき、彼らに向かって、気のよくまわるペネロペイアがまず話をはじめ、
「テレマコス、ではもう私は二階へ上がっていって、臥床《ふしど》に身を横たえようと思います。オデュッセウスさまがアトレウス家の殿がたといっしょにイリオスヘとおでかけなさってこの方は、いつも私の涙にぬれているのだけれどね。それにまああなたとしたことが、父上のお帰りについては、はっきりとなにも知らせてはくれなかったのね」
それに向かって、今度は利発なテレマコスが答えていうよう、
「いかにもそれならば、母上、本当のことをすっかりお話しいたしましょう。私たちはピュロスヘ、衆民の牧者であるネストルのところへ行きました。すると彼は私を、高くそびえる館のうちに受け入れて、ていねいにもてなしてくれたのです、まるで父親が自分の息子の、長いことよそにいてから、やっと帰ってきたのを(もてなす)ように。そのようにあの方は私をよろしく接待してくださいました、誉れも高い子息たちともどもに。しかし辛抱づよい心のオデュッセウスが、生きながらえているとも、死んでしまったとも、この地上にある人々の誰からも聞くことはなかった、と申されるのです。しかし私を、アトレウス家の、槍に名高いメネラオスさまのもとへと、車で送り届けてくださいました。そこで私はアルゴスのヘレネさまに会ったのでした、その方のために多勢のアルゴス勢やトロイア勢が、神さま方の思《おぼ》し召しにより艱苦《かんく》を受けたものでしたが。それからすぐと、雄叫びも勇ましいメネラオスさまがおたずねになりました、なにを求めて私が尊いラケダイモンにやって来たのかと。そこで私が、本当のことを残らずお話しますと、そのおりにです、言葉をつらねご返事のようには、『やれやれなんということか。自分らは臆病者のくせにして、剛毅な心をもった丈夫の閨《ねや》に、身を横たえようなどと思うとは。それはあたかもたくましい獅子の臥処《ふしど》に、牝鹿が、生まれたてのまだ乳を飲む仔鹿どもを寝かしておいて、若草の生《お》う谷あいや山の端に草を食むようなものだ。獅子が自分の臥処《ふしど》へ帰ってくれば、母子ともどもみじめな死の運命《さだめ》が待ち受けているが、オデュッセウスは、そのように彼らをみじめな死の運命へ追いやろう。どうか願わくは、ゼウス父神とアテネ女神とアポロン神にかけて、(オデュッセウスが)以前にレスボスで、ピロメレイデスと角力をとってはげしく投げ倒したときのような、たくましい力をもって求婚者どもの群に立ち向かってもらいたい。そしたらみなひとり残らず死に急ぎをし、苦い求婚を嘆くに違いない。さてあなたが私におたずねあり、懇願されるその件については、私としては言葉をそらせ話を曲げて(ごまかしたり)欺いたりはせずに、あの海の老人が確かなことと私にいってくれた、その事柄を一々、少しのかくしだてもせず、すっかりお話し申しあげよう。つまり(海の老人は)、父上がある島でひどい苦難を受けておいでなのを見たというのだ。ニンフのカリュプソの館においでになって、そのニンフが父上を無理やりに引きとめているというのだ。父上は自分の故国《くに》へ帰ることもできない、というのも手もとに、大海の広い背をわたって、送り届けてくれるような櫂のそろった船も水夫たちも持っていないからである』アトレウス家の槍に名高いメネラオスはこうおいいでした。それを聞いてから、私は帰って来ました、不死の神々は順風を送ってくださり、早々となつかしい故郷へ送り届けてくれたのです」
こういって、ペネロペイアの胸に物思いを掻き立てたのであった。またこのふたりの間にあって、神にもひとしい姿のテオクリュメノスがいうようには、
「ああ、畏《かし》こいラエルテスの子オデュッセウスの奥方さま、この方ははっきりとはご存知ないので、私の申しあげることをよくお聞きください、私が間違いのない託宣をお伝えしましょうから、なんのかくしだてもせずに。ではなにとぞ神々のうちにもまず第一にゼウス神がご照覧ありますよう、さらには客人をもてなす食卓と、気高いオデュッセウスの火を焚《た》くところに誓って。まことにオデュッセウスさまはもうすでに祖国の土を踏んでおいでなのです、そしてこれらの悪業をもうご存知でおいでになる、それですべての求婚者どもへと禍いをかもし出しておいでのところだ。そうした占《うら》を私は、よい板敷の船の上に坐っていて、鳥の兆《きざし》で覚《さと》ったので、テレマコスさまに叫びかけたのでした」
それに向かって今度は、気のよくまわるペネロペイアがいうようには、
「まったくおっしゃるとおりに、お客人よ、事がすっかり運べばありがたいのですが、そうしたらすぐにもあなたは私の手もとから、たくさんな贈り物と歓待とをお受けになりましょう、あなたに出会う人から祝福されるほどに」
かように、彼らはたがいに、このようなことを話しあったのであった。いっぽう、求婚者たちはオデュッセウスの館の前の平らにならした地面のところで、いつもどおりの傲りたかぶった人もなげな様子で、円盤だの山羊の槍だのを投げあって楽しんでいた。だがいよいよ晩餐の時刻が迫ると、いつも通りの下僕《しもべ》たちに率いられて、四方八方の田舎から家畜が帰ってきた。そのときに正しく彼らに向かってメドンが言葉をかけた、というのも、この男がいちばんに伝令たちの間では求婚者たちの気に入っていて、いつも食事のおりにはかたわらに侍していた者だったので。
「さあ若殿がた、皆さんすでに十分競技をなさって心をお慰めになったのですから、屋敷へとおいでください。饗宴《うたげ》の仕度にかかりましょう、ほどよいときに正餐をとるというのも、けしてわるくはないことですから」
こういうと、一同はそのいうことに聞き従い、立ちあがって(そちらへ)向かった。さて人々は構えもよろしい館へ着くと、外衣を脱いでソファや肘掛け椅子の上に置き、大きい羊や肥った山羊を贄《にえ》にまつって屠殺にかかった。また太らせた牡豚だの、群の頭の牝牛だのを、晩餐の仕度をするのに、屠《ほふ》ったのであった。
そのころ、田舎から都へ向かって、オデュッセウスと尊い豚飼いも、ゆく仕度にかかっていた。それでまず男たちの頭領である豚飼いが、先がけて話を始め、いうようには、
「お客人、ではいよいよこれから都へでかけてゆきましょう。まったく私としちゃあ、このままここに小屋構えの護衛として置いてゆきたいところなのだが。しかし旦那に悪いと思うし、後々《あとあと》で咎められようかと恐れるのだ、ご主人がたのお叱りは難儀なものだからな。だからさあこれからでかけましょう。ほんとうに、もうたいそう日の足は進んでしまっている、それにもう夕方ちかくで、寒さもいっそうひどくなろうよ」
それに向かって、知恵に富んでいるオデュッセウスが返答をしていうようには、
「まったくお勧めのとおりと、気がついています、しかし、でかけましょう、これからあなたが始終、道案内をしてください。だがもしどこかに切りとって(作った)棒切れがあったら、くれませんか、ついていくのにね、路がたいそう危なっかしいということだから」
こういって、両肩に見苦しい頭陀《ずだ》ぶくろを掛けまわすと、エウマイオスが使い心地のよい杖をくれた。それでふたりは出かけていった。あとは小屋に犬どもと牧人の男たちが、残って番をした。こうして豚飼いは、見すぼらしい乞食の、しかも老人とそっくりな姿をし、杖をつき、肌にはむさ苦しい着物をまとっているオデュッセウスを都へと連れていったのであった。
ところでいよいよ険阻な道を辿って、町の間近まで来ると、浄らかな流れの、泉のほとりに着いた――この泉はイタコスとネリトスとポリュクトルがこしらえたもので、町の人々がいつも水を汲みに来るところで、あたりは水を養いとする白楊の木の林苑をなし、四方がずっと円い形になっている、そこへ高みの岩間から冷たい水が流れ落ちていた。小高いところにニンフたちへの祭壇が設けてあって、そこへ往来の旅人がみな供物をあげて祈願をこめるならわしだった――その場所で彼らはドリオス〔このドリオスは家宰のドリオスとは別人〕の息子のメランテウスにばったり出会った。こちらは求婚者たちの晩餐用にと、より抜きの山羊をつれて(町へゆく)ところで、ふたりの牧人がつき従っていた。そして(オデュッセウスの)一行を見ると、咎めだてをし、恐ろしく非道な言葉を浴びせてオデュッセウスを怒らせた。
「見ろあいつを、まったくけちな野郎がけちな野郎を引っ張ってゆきやがる、いつだって神さまは似た者同士をお引き合わせだからな。いったいどこへおまえはこの木偶《でく》のぼうを連れてくんだ、え、ありがたくもない豚飼いどんが、いやらしい乞食の、宴会も台なしにするような男を。こいつはほうぼうの戸口の柱に寄っかかって、肩をこすりつけようって奴だ、それも剣だとか鼎《かなえ》だとかをねだるんじゃなしに、パンの切れ片《はし》にありつくためにな。こいつをもしも小屋の番人にしろっておれにくれたらな、獣の檻の掃除をさせたり、かいばを仔山羊にやったりさせるためにな、そしたら乳の上澄《うわず》みくらいは飲ませて腿を太らせてもやろうがな。ところがどっこい、くだらん仕事を覚えたもんで、まじめに働こうとしたがるまい、それよりは身をかがめて里《さと》じゅうを乞食してまわり、がつがつしてる自分の腹を養ってゆこうって考えるだろうよ。だがな、しっかりいっておく、これは必ず本当のことになるだろう、もしもこいつが尊いオデュッセウスの屋敷へ行ったら、頭のまわりにいくつも足台が武士《さむらい》がたの掌から(飛んで来て)、胸にあたって砕けるだろうよ」
こういって、通り過ぎがてらに愚かな心から、(オデュッセウスの)腰を足蹴《あしげ》にしていったが、オデュッセウスはしっかり突っ立ち、小径《こみち》から突きとばされることはなかった。オデュッセウスも胸のうちでいろいろと思い惑った、後ろから跳《おど》りかかって棒で(打ちすえ)命を奪ってやろうか、それとも両脚をとって持ちあげ、頭を地面に打ちつけてやろうかと。しかしいっそう心を固くして、しっかと胸を抑えとめた。豚飼い(エウマイオス)はその男を面と向かってしっかとにらまえ叱りつけてから、両手を挙げて高々と祈っていうよう、
「泉のニンフさまがた、ゼウス神のお娘御のあなた方に、いつかオデュッセウスが腿《もも》の肉をゆたかな膏肉《あぶらみ》にくるんで、仔羊なり仔山羊なりのを、焼いて奉ったことがありますなら、どうかこの願いをお叶えください、なにとぞあの方が戻っておいでなさるよう、神さまがあの方を連れ戻してくださいますよう、そうしたらおまえのそうした偉がりもすっかり散々にぶち壊してくださろうよ。いまは始終町じゅうをうろつきまわって、たいそう威張りくさって見せびらかすがな」
それに向かって今度は、山羊飼いのメランテウスがいうようには、
「やれやれ、なんてことをいうんだ、この碌《ろく》でもない考えにとっつかれた犬めが。こいつはいまにおれが板敷もいい黒塗りの船へ載せて、イタケから遠いところへ連れてってやろう、たくさんな財物《しろもの》と引き換えにな。まったくテレマコスを今日、あの屋敷うちで、銀弓をお持ちのアポロンさんが討ちとってくださるとよいに、さもなくば求婚者らの手にかかって命をおとせばなあ、オデュッセウスが遠いところで帰国の望みが断たれたのと同じように」
こういって二人と別れた。二人はそのままゆっくりと歩みを進めていった。一方、山羊飼いのほうはたいそう速く主人の館に着くと、さっそくにも内へはいっていって、求婚者たちの間の、エウリュマコスの向かいの場所に坐りこんだ。というのも、彼といちばん仲がよかったのだ。すると給仕をする者どもが、彼のそばに肉の片《はし》をとりわけて置き、つつしみぶかい取締りの老女が、料理を運んで来て供えた。そのときオデュッセウスと尊い豚飼いがやって来て、屋敷のすぐ近くに立った。その瞬間、大竪琴のひびきが高く鳴りわたった。ペミオスが絃を鳴らして歌い始めたからであった。それで(オデュッセウスは)手をとりながら豚飼いに言葉をかけていうようには、
「エウマイオスさん、まったくとても立派なこのお屋敷が、たしかにオデュッセウスさまのものなんですか。たくさんの屋敷のうちでも、すぐにもこれは人目にそれと見わけられますね。いくつも棟が重なりあってて、囲い壁や上びさしで、中庭もうまく造られています、それに戸口の二枚扉もしっかりとできている。これを破って(はいりこめる)者はいないでしょうよ。それに、多勢の方がまさにこの内で宴会を催してるということが、よくわかります。だっていっぱい脂肉の焼ける香《か》が立ちこめてい、大竪琴がひびいて聞こえますものね、饗宴の伴侶と神さまがお定《き》めなさったその琴の音が」
それに向かって、豚飼いのエウマイオスよ、返答しておまえはいったな、
「他の事柄についてだって覚りの鈍い者ではないから、あんたにはすぐにわかったのだろう。ではさあ、とっくり思案しようではないか、これからどうするかを。どうだね、まず始めにあんたがこの結構な構えのお屋敷へはいっていったら。そして求婚者どものなかにはいりこむのだ。わしはこのままここに残っていよう。だがもしお望みなら、あんたが(ここで)待っていなさい、それで私のほうが先にはいってゆこう。しかしあんたもぐずぐずしてちゃいけないよ、誰かがあんたが外にいるのを見つけて、物を投げつけたり、打ったりするといけないからな。そいつをくれぐれも注意するよういっておくよ」
それに向かって、今度は辛抱づよく、尊いオデュッセウスが答えるよう、
「よくわかりました、それはいわれるまでもなく、考えていますよ。だからあなたから先にはいっていらっしゃい、私はこのままここに残っていましょう。私は、打たれるのも、ものを投げつけられるのも、もう経験ずみですから。私は気性が大胆でね、災難もこれまでたんと受けてきました、海の波やら戦さやらでね。今度のも、そいつらの仲間に入れてやりまさあ。ところががつがつしてる胃の腑ときちゃあ、どうにも隠しておけやしません、忌々《いまいま》しい奴でさ、それでいろんな難儀を人間にかけるんです。あの酒席をよろしくそろえた船がいくつも造られて、荒涼とした大海をわたり、敵国へ禍いを運んでゆくのも、この胃の腑のためでさ」
二人は互いにこうしたことを話しあった。そのときちょうどそこに臥《ね》ていた犬が、頭と尾とをもちあげた。アルゴスという、オデュッセウスの飼い犬で、かつては彼が自分から育てたものだが、まだ役にもたてないうち、その前に主人が聖いイリオスヘとでかけてしまったのであった。以前にはこの犬を若殿ばらが野山羊狩りだの、鹿狩りや兎狩りに連れていったものだが、この頃はまったく顧《かえり》みられずに、主人もいなくなったので、おびただしい汚物の中にねそべっていた。それは館の門口《とぐち》の前に、騾馬《らば》どもや牛どもが山のように落としていった糞で、下僕《しもべ》たちが、広い荘園に肥料《こやし》に運んでゆくまで、そのままになっていたものである。そこにアルゴスは、犬じらみをいっぱいつけて横になっていたが、オデュッセウスが近くに来たのを見てとると、すぐに尾を振り、両方の耳を下に垂らしはしたものの、もはや自分の主人に近よっていく力はなかった。一方オデュッセウスはそれを横目に見てとって、涙をそっとエウマイオスに気づかれぬよう拭《ぬぐ》ったが、すぐと(彼に)話しかけてたずねるよう、
「エウマイオスさん、この犬は、汚物の中に寝てはいるが、姿形《なり》はみごとなもんだ。だがこいつははっきりとわからないね、果たしてこうした外見《みえ》に加えて、速く馳けられるか、それとも単に旦那がたが食卓で飼う犬どものようなものに過ぎないかはな。旦那衆は、外見や飾りのために(よくこうした犬を)置いとくものだ」
それに向かって、豚飼いのエウマイオスよ、おまえはいったな、
「いやもちろん、この犬は遠方でなくなられた方のもんだが、これがもし、トロイアヘとオデュッセウスさまがおでかけのおり、置いていらしたときと同じようだったらな、姿形にしろ働きにしろ、直ぐにも足の速さや勇ましさを見て、感嘆なさったことだろうよ。なぜというと、深い森の奥でもって、こいつがなにを追いかけるにしろ、けして野獣が逃げおおせたことはなかった、足跡をつけてゆくわざを、とりわけよく心得ていたものな。ところがいまはすっかりひどいありさまになっている。それにご主人は故国を離れ、よそでなくなられたし、女たちはもうこの犬を構いつけずに世話もしない。召使いどもというのは、もう旦那がたが頭を抑えなくなると、もはやきちんと掟を守って働こうとはしなくなるのだ」
こういって、結構な構えの屋敷のうちにはいってゆき、直ぐに広間へ、高慢な求婚者たちのいるところへおもむいた。一方こちらのアルゴスは、二十年目にオデュッセウスに会うと間もなく、黒い死の運命のとりこになった。
いち早く、彼(豚飼いエウマイオス)を見たのは、神とも見える姿のテレマコスで、豚飼いが館のうちをくるところを見つけると、さっそく合図をして彼をさしまねいた。そこでこちちも目まぜをして、そこにありあわせた台椅子を取り――この椅子はいつも肉切り人がそこへ坐って、たくさんな肉を、館のうちで食事をしている求婚者たちに切りわけてやる、その場所だったが――それを運んで、テレマコスの食卓の真向かいへ持ってゆき、そこで自分も腰をおろした。すると伝令が分け前を彼へと取ってくれ、パンも籠からとってくれた。
その後を追ってすぐにオデュッセウスも館にはいった。見すぼらしい乞食の、しかも老人の姿をして、杖にすがり、肌にはむさ苦しい衣をまとっていた。そして扉口の内側の、糸杉の柱によりかかって、とねりこの木の敷居の上に腰をかけた。テレマコスは、自分のところに豚飼いを呼びつけると、まるまる一塊りのパンを、とりわけみごとな籠から取りあげ、肉をも(添えて)両手を並べてひろげさせ、持てるだけのを(持たせてから)いいつけるよう、
「これを持っていって、あの客人にあげなさい、またあの人にいって、求婚者たちのみんなのところをまわり、もらって歩くよう勧めるのだ、謹しみぶかいということも、窮乏の人にとっては、善い伴侶とは限らんからな」
こういうと、豚飼いはそのいいつけを聞いてすぐにでかけていって、(オデュッセウスの)すぐそばに立ち止まって、翼をもった言葉を述べ、
「テレマコスさまがな、客人、あんたにこれをさしあげろとおっしゃる。またあんたに勧めなさった、求婚者たちのところをまわり、もらって歩くがよかろうとな。謹しみ深さも物乞いをする男にとっては、善い仲間とも限らんとお言いなのだ」
それにたいして、知恵に富んでいるオデュッセウスが返答をしていうようには、
「ゼウス神よ、どうかテレマコスさまが、人間どもの間でも、恵まれた方でおありのよう、そして心に乞い願われることごとが、みななんでも成就されますように」
こういって、両手でもって受け取ると、そのまま両足の前のところへ、見すぼらしい提げぶくろの上におろして置いた。そして歌唱者《うたうたい》が屋敷のうちで歌いつづけていたその間は、(そのパンや肉を)食べていた。
ちょうど彼が食事をすっかり済ましたとき、神聖な歌唱者《うたうたい》も歌をやめたので、求婚者たちはさわがしい物音を、屋敷中に湧き立たせた。おりからアテネ女神は、ラエルテスの子オデュッセウスのすぐそばに来て立ち、求婚者たちの中をまわって、寄付金を集めて歩くようそそのかした、誰が分《ぶ》を違《たが》えぬ正しい者か、誰が掟を破る無法な男か、知りわけるようにと。ただし、女神は求婚者のどの一人にも、禍《わざわ》いを避ける手だては教えなかった。そこでオデュッセウスは右手の方から、めいめいの人間に物乞いをしてまわろうと、でかけていった。まるでとうのむかしから乞食をし馴れていたかのように、四方へ手をさしのべて。すると一同は、憐れみをかけて(なにかを)与え、また彼を見て驚き呆れ、いったい誰でどこから来たのか、たがいにたずねあった。
その人々の間にあって、山羊たちを飼う牧人のメランテウスがいうようには、
「よく聞いてください、世に名も高い王妃に求婚をしておいでの方々、そこのよそから来た男について、私のいうことを。私は前にもそいつを見ているんですから。まったくのところ、そいつをここへ案内して来たのは、豚飼いでさ。その男のほうは、いったいどこの国の生まれだと名乗っているかはっきりとは知りませんがね」
こう言うと、アンティノオスが言葉を挟《はさ》んで、豚飼いを咎めだてし、
「おいたいそう名高い豚飼いくん、なんでまたおまえはこの男を都へ連れて来たんだね、他にもまだ浮浪人がいくらもいるのが十分でないっていうのか、いやらしい乞食だとか、宴会をぶちこわしにする連中が。それとも満足しないのかね、そいつらがここへ集まって、おまえの旦那の蓄えを食い潰すだけじゃあ、それでおまえは、こいつまで呼び寄せたのか」
それに向かって、豚飼いのエウマイオスよ、おまえは返事をしていったな、
「アンティノオスさん、いただけませんや、そりゃああなたは立派な方だが、いまのお言葉はね。だって誰がいったい見知らぬ他国人を呼んで来ますえ、もしそれが占い師とか病気を癒すお医者さまとか、または大工さんや、歌をうたって人をたのします神聖な歌唱者《うたうたい》などいうような、町のために働く人でないならば。こうした人たちは、世間からも呼び招かれるものです、だが乞食などは誰も呼びはしないでしょう。しかし始終あんたは、すべての求婚者たちのうちでもとりわけ、オデュッセウスの召使いにたいして意地がわるい、とくにまたこの私にたいしては。だがともかく私としては気にもしませんや、しっかりとしたお心のペネロペイアさま、また神さまのような姿のテレマコスさまが、館のうちに生きておいでの間はね」
それに向かって、今度は利発なテレマコスがいい返すよう、
「黙っていなさい、この人にはあんまりいろいろいい返してくれるな。アンティノオスは、いつだって、意地悪な文句を並べて、人をひどく怒らせるのが癖なのだ」こういうと、またアンティノオスに向かって、翼をもった言葉をかけ、いうようには、「アンティノオスさん、あなたはまったく、父親が息子にたいするように、私のために気づかってくれるのですね、この広間から退出を余儀なくさせる(きびしい)言葉であの客人を追いはらうよう、いいつけなさるとは。だがそれは、神さまが実行には移させなさらぬように。どうか、彼に何かをやってください、私はけして苦情はいいませんから。もちろん、私の母にたいしてそれを遠慮なさるにも、他のどの召使いに遠慮も要りません、尊いオデュッセウスの屋敷のうちにいる者なら。それゆえどうかそんな考えは胸にお持ちなさらぬよう、自分だけがたくさん食《あが》ろうとお望みにしてもです」
それに向かって、今度はアンティノオスが返事をしていうようには、
「生意気をいうな、テレマコス、野放図《のほうず》に気勢をあげて、なんということをいいたてるか。もし、求婚者たちがみなそろって、この男にわしがやるのと同じくらいのものをやったら、三月くらいはこの館に寄りつかないでおかせられよう」
こういうと、食卓の下から足台を取りだした、(床に)おいて、食事をするあいだ、足を載せていたものである、だが他の人たちはみな(なにかを)くれ、提げ袋をパンだとか肉とかでいっぱいにしてやった。それですぐにもオデュッセウスは、また敷居のところに立ち戻って、アカイア族の人々からもらったものを味わえるはずだったが、アンティノオスのかたわらにいって立ち止まり、彼に向かって話しかけるよう、
「お願いします、あなた。いかにもお見受けするところ、アカイア族のかたがたのうち、いちばん偉い方ではなく、いちばん偉い方らしい、殿さまらしく見えますものね。そうとすれば、施《ほどこ》しをなさるはず、しかも他の方々よりはずっとたっぷり。そしたら私は涯しのない陸のすみずみまでも、あなたのお名を伝えましょう。というのも、以前は私も人さまの中でちゃんとした家に住まい、栄えてゆたかに暮らしていました。そしてどんなふうな人間にしろ、何度もさすらい人に施しもしたものです。召使いたちにしろ、とても多勢おりましたし、人が立派に暮らしていくのにいる品々、物持ちと呼ばれるにふさわしい財物も、十分持っていたのです。ところがクロノスの御子ゼウスがそれを奪い去られたのです、つまりはそうしたご意向だったにちがいありません、それで私を、諸国を流れる海賊どもといっしょに、エジプトヘとでかけさせなさった、長い旅路を、われとわが身を亡ぼすようにと。それでナイルの河口に、両側の反《そ》りかえった船々を停《と》めたのですが、そのおりに私は忠実な仲間たちに、そのまま船のかたわらに残っていて、船の番をするようにと命じたうえ、斥候どもを遣《つか》わして、ほうぼう偵察にゆくよう指令したのでした。ところが彼らは増長に身を委ね、自分らの血気に任《まか》せて、さっそくエジプトの人々が丹精したみごとな田畑を荒らしにかかり、女だの幼い児だのをさらってきて、男たちを殺していったのでした。ところがその叫び声はすぐと都にまでゆきわたり、叫喚を聞きつけた人々は、夜が明けるとともにやって来ました。そして野原じゅうを歩兵だの騎兵だの、青銅の(武具の)輝きだのが満たしたものです。すると雷をおよろこびのゼウス神は、ひどい恐慌を私の仲間どもへお撃ちこみなさったもので、誰一人として敵を迎えて戦おうという者はない、というのも四方八方から禍いが迫ったからです。われわれの多勢がするどい青銅(の刃)で殺されました、また生け捕りになったものは、彼らのために(奴隷として)働くことを強いられたのですが、私はというと、おりから来あわせた訪問者の、イアソスの子ドメトルに渡し、キュプロスヘ(と連れてゆかせた)のです。この人はキュプロス島に威勢を振るい治めていました。そこからして、まさにこのとおり、ここへといろんな苦難にあったすえ、渡って来た次第なのです」
それに向かって、今度はアンティノオスが返事をして声をあげるよう、
「いったいどの神さまが、こんな厄介者を、饗宴を悩ませようと、およこしなさったのか。そのとおりにまん中に立っていろ、私の食卓から離れたところへ。さっそくにも苦《にが》いエジプトだのキュプロスだのを見たくないなら。なんという図々《ずうずう》しいうえにも恥知らずな男か、この乞食は。順ぐりにみんなのところへ寄りつきやがる。ところがみんなはむやみやたらと物をやるのだ、他人のものをくれてやるのには、遠慮気がねも知らないものでな」
すると、引き退ってから、それに向かって知恵に富んでいるオデュッセウスがいうようには、
「やれやれ、なんということだ、それではあなたは見かけは立派だが、思慮は持ち合わせていなさらなかったか。あなたのお家《うち》の蓄えから、お膝にすがってきた者に塩一粒もやりなさるまいとは、現在|他家《よそ》の馳走にあずかっているのに、そこからパンを取り分けて、私にくださろうともしかねておいでだ、たくさん手もとにお持ちなのに」
こういうと、アンティノオスはいちだんと心底から怒りを発して、上目づかいににらまえながら、翼をもった言葉をかけて、いうようには、
「いまとなってはもうはや、おまえが無事にこの広間を抜けて、引きさがれようとは望むまいよ、まったくひどい悪口まで吐《ほざ》くからには」
こういって、足台をとり、オデュッセウスの右の肩へ投げつけた。だがオデュッセウスはよろめき倒れるどころか、巌《いわお》のようにしっかりと突っ立っていた。しかも物もいわずに、ただ頭を振っただけながら、胸の中では禍いをはかりめぐらしていた。それからまた元の敷居に立ち戻って、腰をおろし、十分いっぱいになった提げ袋も下へ置くと、求婚者たちの間で、いうようには、
「よく聞いてください、世に名も高いお妃の求婚者である方々、私のいうことを。それは私の胸の中なる心が言えと命ずることなのです。もとより、一人の男が、自分の所有財産を(護ろうとして)、あるいは牛どもやまっ白な羊らのために戦って、他に討たれた場合には、つらい嘆きとか悲しみを覚えるわけもありません。ところが私をアンティノオスが打ったのは、おぞましい胃の腑のせいなのです、それはまったく、人間にさまざまな禍いをもたらす、呪われた厄介ものです。しかしもしかして乞食ども(をお護り)の神さまなり、また復讐神《エリニュエス》たちというものがおいでならば、どうかアンティノオスが婚礼のまえに、死の果てにでくわしますよう」
それに向かって、エウペイテスの息子のアンティノオスがいうようには、
「おとなしく食事をしていろ、さもなくばよそへ立ち去れ、若い連中がおまえをこの屋敷中引きずりまわさないようにな、おまえがしゃべったことにたいして、足を取るなり、手を取るなりして。そしたら皮肉もすっかり破れるだろうよ」
こういったのに、人々はみなたいへんに(非道なことをいうと)腹を立てた。それでさすがに思い上がった若者どもの何人かは、このようにいったのであった。
「アンティノオスよ、ふしあわせな放浪者をきみが打ったのは、結構なことではなかったな、禍いを招いたものだ、もし本当にこの男が天においでの神さまだったら。神さま方は、他国からきた渡り者に身を似せて、ありとあらゆる姿をとり、人の住む所々方々の都をめぐっておまわりだという、傲《おご》りに長じ乱暴を働く者と掟を守る正しい者とを見張りなさって」
このように求婚者たちはいったけれども、アンティノオスは意に介しなかった。一方テレマコスは(父親が)打たれたのを見て、心中に悲嘆がいよいよ強まるのを覚えたが、瞼《まぶた》からすこしも涙を地面に落とさなかった、ただ黙ったまま頭を振って、胸のうちで禍いをたくみつづけた。
また彼(オデュッセウス)が広間でもって打たれたことを、よく気のつくペネロペイアは聞き込むと、侍女たちのあいだでこのようにいった、
「どうかそれと同じように、弓の名手とお聞こえのアポロンさまが、今度はおまえさま自身をお打ちなさるよう」
それにたいして今度は、取締りの老女エウリュノメがいうことには、
「どうか私どものこの呪いの実現されるときがきますように。(そうしたならば)ここにいる男どもの一人として、暁まで生きながらえはできまいものを」
それにたいして、今度はよく気のつくペネロペイアがいうようには、
「ねえばあや、みな誰もかも憎らしい人たちだわね、禍《わざわ》いを企らんでいるのですもの、とりわけアンティノオスときたら、黒い死に神みたいなもの。誰か不幸な他国の人が、この屋敷にさまよって来て、物乞いなさる、これも質しさ乏しさゆえのよんどころないこと。そのおりに他の人はみななにかを恵み、袋をいっぱいにしておやりだった、ところがあの方だけは、足台をとって、右背のつけ根を打ちすえなさったそうな」
このように奥方は、侍女《こしもと》の女たちの間にまじり、奥殿に坐ったまま、話を交わしておいでであった。一方尊いオデュッセウスはそのまま食事を続けていた。そのとき奥方は手もとに尊い豚飼いを呼び寄せて、いわれるよう、
「エウマイオスさん、あのお客人のところへ出向いていって、くるようにいいつけなさい、ちょっとあの方に頼みたいこと、また問い質したいことがあるから、もしやどこかで辛抱づよい心のオデュッセウスさまにつき聞きこんだか、あるいは眼に見たことがあろうか。ずいぶん諸国をめぐり歩いておいでらしいから」
それに向かって返答をして、豚飼いのエウマイオスよ、おまえはいったな、
「まったくお妃さま、アカイア族の者どもが静かになってくれると、ありがたいのですが。あの人が話すことといったら、きっとあなたさまの御心を魅惑しつくすに違いありません。だってもう三晩のあいだうちに置いてやりましたが、それなのにまだ自分の身に振りかかった災難の話をすっかり語りつくせないので。歌唱者《うたうたい》というのは神さまがたから教えを受けて、世の人々にとって懐しくあこがれの的である歌ものがたりを歌い、(世の人)はそれをしょっちゅう聞いていたいとしきりに顔うものですが――そのように、あの男はそばに坐って物語り、私をすっかり魅了したのです。その話によれば、オデュッセウスさまとは、父の代から懇意の仲で、クレテ島に住んでいました、その島でミノス王の身内の者だったと申します。そこからしてとうとうこの土地へ、いろんな苦難にあいながら、次から次へ転変をつづけて到着したわけですが、オデュッセウスさまの間近な噂を聞いたと、しきりにいい張るのです――テスプロトイの者どもの豊かな里に、しかもご無事で(生きて)おいでになると。それでおびただしい財宝をご自分のうちへお待ち帰りの途中だそうで」
それに向かって、今度は気のよくつくペネロペイアがいわれるよう、
「ではいって、こちらへ呼んで来てください、面と向かって自身で話してくれるように。あの連中は扉口のところへ坐ったまま、楽しんでいるがいいでしょう、このまま館のうちで。みんな自分たち自身の所有物《もちもの》はすこしも害《そこな》われずに、穀類にしろ甘い酒にしろ、家の中にそっくり残したまま、こちらの屋敷へしょっちゅうきて、毎日毎日牛や羊やふとった山羊を屠《ほふ》り殺し、宴会をして赤く輝くぶどう酒をただもうやたらに飲んでばかり、どんどん費《つか》いつくしてゆくのです。それもただオデュッセウスさまのような方がおいででないためですわ、禍いをこの家から防ぎ守ってくださる方が。もしオデュッセウスさまが来て、故国へ帰っておいでだったら、即座にも自分の息子と力を合わせ、人々の乱暴非道を罰し、償いをさせてくださるでしょうに」
こういった、(そのときちょうど)テレマコスが高々とくさめをした、(その音が)屋敷じゅうにおっそろしく鳴りひびいたのに、ペネロペイアは笑い声を立て、すぐとエウマイオスに向かって翼をもった言葉をかけ、いうようには、
「さあいって、お客人をこちらへ呼んで来てください。いま息子が、私のいったこと全体に対する返答みたいに、くさめをしてくれました。それゆえおそらく、求婚者がたの、それも全体にとって、死が実現されずにおくまいであろうという気がする、一人として死の運命《さだめ》をのがれる者はないかも知れぬ。だがいまひとつ私がおまえにいうことがある、おまえはそれをしっかり胸に収めておくがよい。もしもあの方のいわれることがすべて間違いなしに確かだとわかったならば、上衣も肌着も、きれいな衣類を着せてあげましょう」
こういわれた豚飼いは、奥方のおおせの言葉を聞くなりでかけていって、(オデュッセウスの)すぐそばへいって立ちどまり、翼をもった言葉をかけていうようには、
「お客の小父さん、よく気がおつきのペネロペイアさまがあんたをお呼びだ、テレマコスのお母上が。なにかお胸に、旦那さまについておききになりたいことがあるそうな、いろいろ苦労もお嘗《な》めでおいでだがな。それでもしあんたのいわれることがすべて間違いなしに確かだとおわかりだったら、上衣も肌着も、あんたがいちばん入用なのを、着せてくださるそうな。またパンなども里じゅうをもらって歩いて、胃の腑を養うこともできよう、誰でも志のある人々が、くれることだろうから」
それに向かって、今度は辛抱づよいオデュッセウスがいうようには、
「エウマイオスさん、さっそくにも私は、間違いなしの確かなところをすっかりイカリオスどのの御娘の、よく気がおつきのペネロペイアさまにお話しいたしましょうよ。というのも、あの方については、十分によく存じているので、二人ともに同様な悲しいつらい目にあってきたことですから。しかし意地の悪い求婚者たちの群れに、いささか恐れを感じるのです、あの連中の傲慢無礼と乱暴とは、くろがねをなす天にまで届いております。いまだって、あの男が、館のうちを私が往来するおり、なんのわるさもしていないのに、打ちすえて痛い目に遭わせましたが、テレマコスとて他の誰とて一人も防いでくれませんでした。それゆえいまのところはペネロペイアさまに、お部屋の中でお待ちのようにいってください、気はお急《せ》きであろうとも、日の沈むまで。そうしたらそのとき、旦那さまのことにつき、ご帰館の日も、おたずねなさるがいいでしょう、炉のかたわらの、いっそ間近にお坐りなさって。それというのも、見すぼらしい着物を私は着ているのでね、あなた自身も知っておいでのように、いちばん先にあなたのところへお願いにいったのですから」
こういうと、豚飼いはその言葉を聞いてから、立っていったが、敷居を跨《また》いで彼が歩いてくるのへむかって、ペネロペイアがいうようには、
「連れてこないのねおまえは、エウマイオス。どうしてそんな考えを起こしたのでしょう、あの放浪者は。誰かを非常に恐れてのことかしら。あるいはただわけもなく屋敷にいるのを謹しむべきだと思うのでしょうか。放浪者の身で、謹しみ深いというのも、困ったものだわね」
それに向かって、豚飼いのエウマイオスよ、おまえは返答するとて、こういったな、
「筋の通ったことを申し立てますので、他の者でもきっとそう思いましょう。思い上がって非道を働く男たちの横暴を避けようとてのこと。それであなたに、日の沈むまでお待ちいただきたいと申しております。まったくあなたさまご自身にとっても、そうしたほうがずっとよろしかろうと存じますがな、お妃さま、お一人きりで客人にお話しをかけられたり、お聞きなされたりするほうが」
それに向かって、今度はよく気がおつきのペネロペイアがおいいのよう、
「あの他国から来た客人の意見というのは、けして思慮のない人間の考えようではありません、たとえまあどんな人であるにしてもね。だってまあ死ぬはずの人間のうちでも、あの方々ほど横暴な殿がたたちはおりませんもの」
奥方はこんな具合にいった。そこで尊い豚飼いは求婚者たちの集まりの中へでかけていった、なにもかもみな相談をすましたあとで。そしてすぐさまテレマコスに向かって、顔をそばに寄せてから、翼をもった言葉を話しかけた。他の者らに聞こえて知られないようにと。
「ねえ若さま、私はこれから出かけてきます、豚どもやあちらのものの番をしに、あんたやわしの生活《くらし》の財《しろ》をです。さればあんたがここで万事をお取り計らいのようお願いしますよ。まずなによりもご自身につつがのないよう、よくよくお胸にとんだ目にお遭いなさらぬようお図《はか》りください。アカイア族に、禍いを企らむものも、多勢おりますからな、だがその連中をゼウス神が滅してくださいますよう、わしらにとっての難儀になりませんうちに」
それに向かって、今度は利発なテレマコスが答えていうよう、
「そのとおりにするとしよう、小父さん、それではおまえは夕餉をすましたなら、いってきなさい。そして朝早くにまたみごとな犠牲のけものを連れてきなさい。一方こちらのことは、万事私と不死の神さまがたとに、任しておくのだ」
こういうと、彼(豚飼い)はふたたびよく磨かれた台椅子に腰をおろした。そして思う存分食べる物や飲む物で腹を満たしてから、豚どものいるところへ出かけてゆき、馳走にあずかる人々でいっぱいな囲いのうちと広間とをあとにした。一方その連中は踊りと歌謡とにうち興じていた、それというのももはや、日も暮れ方になっていたので。
[#改ページ]
第十八巻
オデュッセウス、浮浪人イロスと格闘
【求婚者らの集まった広間の宴会場へ、浮浪人の乞食イロスが来て、オデュッセウスを同類と見て妬《ねた》みと怒りから愚弄、喧嘩を吹きかける。求婚者らも彼をけしかけ、とうとう二人の試合となる。イロスはさんざんに叩き伏せられ逃げ出す。ペネロペイアも婦人部屋を出て広間に降りて来、客人を侮辱したことにつき一同を非難する。また求婚者らをたしなめ、もし本当にそのつもりなら、このような寄食はやめ、めいめい立派な贈り物を求婚のため持参すべきだと責めてから、自室に引き返した。夕方になると、火を焚き松明を点じ、歌や踊りに興じはじめた。オデュッセウスは乱暴な求婚者と口論をはじめたが、テレマコスは彼らをたしなめ、食事がすんだらめいめい家へ帰れと命じる】
(そこへ一人の)乞食がやって来た、イタケの町じゅうを物乞いしていつもまわっている、郷《さと》全体の乞食だが、他《ひと》にすぐれて狂った胃の腑をもっていて、始終食うことと飲むことばかりにかかっていながら、気概もなければ腕力もない、姿ばかりが見るからにたいそう大きいだけであった。名前はアルナイオスというのだったが、それは生まれたときに母親がつけた名前で、若い者らはみな一様にイロス〔虹の女神イリスをもじったもので、イリスは神々の使者〕と呼びならわしていた。というのも、いつもどこかで誰かの命令《いいつけ》によって、使いをし歩いていたからだった。この男がやって来て、オデュッセウスを館から追いはらいにかかり、悪罵をあぴせ、翼をもった言葉をかけていうようには、
「爺《じじい》め、玄関から退《ど》いていろ、すぐにも足をとって引きずり出されたくないならばな。おまえには見えないのか、あのとおりみんながおれに目まぜをしてるのが。引きずりだせといってるんだ。ところがおれにしちゃあ、それでもまだ気恥ずかしくて(やらないだけだ)。だからさっさと立ちあがれ、さっそくにもおれたちふたりに争いが、それも腕ずくでよ、おっ始まらないようにな」
すると、その男を上目使いに睨《にら》まえて、知恵に富んでいるオデュッセウスがいうようには、
「けしからんことをいう、私はおまえにたいして、なにひとつ悪いことをしもしなければ、いった覚えもない、それにまた誰かがおまえにたくさんなものをくれてやっても、ちっとも妬《ねた》みはしない。それにこの敷居だって、二人の者に十分な広さがあるし、おまえにしろ、他人の物を妬みに思う筋合はない。どうやらおまえも私と同様に放浪者らしく見えるが、幸福というのは、神さまがたが授けてくださるものだ。だが腕ずくで、あんまり私に挑戦しないがいいだろう、私を怒らせないようにな。私は老人だけれども、おまえの胸や唇やを血潮でもって塗《まみ》れさせ(も容易にできるが、そうさせ)てはなるまいから。(そうなったら)いっそう私にとっては、もっと気楽に過ごせようがな。なぜなら、明日の日は、復《また》とふたたぴおまえがここへ舞い戻っては来まいだろうから、ラエルテスの子のオデュッセウスのお館へは」
それに向かって、放浪人のイロスが立腹して放言するよう、
「やれやれなんということをこの木偶《でく》のぼうがつべこべとしゃべくりやがるか、年寄りの釜炊《かまた》き姿《ばばあ》みたいに。いまにも両手で殴りつけて、ひどい目にあわせてやろうが、そして地面に顎から残らず歯をたたき出してくれよう、穀物畑を食い荒らす豚みたいにな。ではさあ身仕度をしろ、ここにおいでの皆さんもおれたちが闘うところを、よく見てわかってくださるように。どうしておまえが、ずっと年の若い男と闘えるものかよ」
こんな具合に、二人は高い扉の前で、磨いた敷居の上にいて、心底からむきになって、勢い鋭くやりあっていた。この二人の話を聞きとめたのは、剛気のつわものアンティノオスで、快よげに笑いだすと、求婚者たちの間で声をあげるよう、
「おい皆さんがた、けしてこれまでにはこんなことが起こったためしはなかった、それほどの慰みを神さまが、この屋敷へ持ちこんでくださったぞ。この遠来の客人とイロスとが、腕ずくで闘いあって、技くらべをするのだとよ。だからさっそくおれたちが仕合いをさせようではないか」
こういうと、人々はみな大笑いに笑いながら突っ立ち上がって、見苦しい着物を着た乞食たちの周囲《まわり》に群らがり寄った。その人々の間にあって、エウペイテスの息子のアンティノオスがいうようには、
「みなよくきいてくれ、剛勇の求婚者である方々、ちょっといいたいことがあるから。これここに、山羊の胃袋がいくつか火にかけてある、晩餐にと、脂肉《あぶら》と血とをいっぱいつめて、とっておいたものだ。二人のうちのどちらでも、勝ちを得て優勝者と決まった者は、そのうちのどれなりと望みのやつを、立ち上がって、自分で選び取らすとしよう。そしてこれからも、そのままここでおれたちといっしょに食事をさせようではないか、また他の乞食は一人も中へ、物乞いをしにはいりこむのを許さないことにしよう」
こうアンティノオスがいうと、一同みなその話に賛成した。彼らの間で、策略を胸に抱いて、知恵に富んでいるオデュッセウスがいうようには、
「みなさん方、とうていできませんや、年の若い男とやりあうなんて、さんざん苦難にいためつけられてる年寄りの者なのにね。だが私を悪さを働く胃の腑がけしかけるのでさ、さんざ打たれてまいるようにとね。ですから皆さん、どうかきびしい誓いをひとつ立ててください、けして誰もイロスにひいきをして、力強い手で私を打ちすえ、非道なことをしないと。この男に力ずくで、私を負かさせるために」
こういうと、人々はみな彼が求めたとおりに誓いを立てた。そこで彼らが誓いをし、誓いの文句をいいおえたとき、一同のあいだで今度は、剛勇のテレマコスがいうようには、
「客人よ、もしもあなたの心と雄々しい意気とがそう仕向けるなら、この男にたいして防戦するがいいでしょう、だがその他のアカイア族の者どもは、一人も恐れるに及びません。あなたを打とうという者は、ずっと多勢の人たちと闘わねばなるまいから。つまりこの家の主人役は私だし、主だった地主の二人の方も賛成しておいでなのだ、アンティノオスとエウリュマコスと、二人とも分別のある利発な方です」
こういうと、人々もみな残らず賛成した。さてオデュッセウスはぼろ布をとって腰のまわりに巻きつけたが、立派で太い両腿をあらわに見せ、幅の広い肩や筋金入りの両腕もあらわしていた、しかもアテネ女神が間近に立ち添って、この庶民の牧者に手足をいっそう太らせておやりなさった。それで求婚者どもはみなもちろん、とほうもなく感嘆して、近くにいる者と眼を見かわして、このようにいうのであった。
「まったくすぐにもイロスはイロスでなくなって、むりに招いた禍いを受けることだろう、ぼろの中からこの老人は、なんという立派な太腿を見せていることか」
と、こんなことを皆がいうのに、イロスは気もそぞろに乱れ立ったが、それにも構わず下僕たちは彼に身仕度させて、怖がっているのを無理やりに引っ張り出した。それで手足の肉もぶるぶると慄えているのへ、アンティノオスは小言を浴びせ、名を呼んでいうようには、
「まったくおまえはここにいなければよかったのにな、鈍牛め、さもなくば生まれなかったら、もし本当にこの男をひどく怖がり慄えるようなら。この年寄りで、身にふりかかった苦難にさんざん痛めつけられている男を。だがおまえにはきちんといっておく。もしこの男がおまえを負かし、優勝者ということになったら、黒塗りの船におまえを投げこみ、本土へと送りつけてやる、エケトス王〔伝説化した乱暴無法な領主か〕のところへな。ありとある人間どもに危害を加えようという男だ、それがおまえの鼻と耳とを無慈悲な刃《やいば》で切り落とし、ちんぼを引き抜き、生《なま》のまま犬どもに食らわすことだろう」
こういうと、なおいっそうこの男の下のほう、足腰にぶるぶるふるえがとりついた。だが無理やり真ん中へ引きだされたので、二人ともども手をあげて身構えた。このときまさに辛抱づよく尊いオデュッセウスはとやかくと思案をした。打ち倒して、そのままそこへ倒れたきり、生命《いのち》が絶えるようにしてやるか、それともそっと殴っておいて、地面へ延びて臥《ね》させたものかと。そこでいろいろ考えたうえ、アカイア族の者たちの注意を自分に寄せあつめぬよう、そっと殴っておくほうがよろしかろうと思いきめた。イロスは(相手の)右肩を突いたが、こちら(のオデュッセウス)は相手の耳の下の首筋を打ち、内の骨を叩きわった。イロスの口からたちまちまっ赤な血が噴きでて、呻くとともに砂塵の中へぶっ倒れ、地面を足で蹴りつけながら、歯を打ちあわせた。そこで気のよい求婚者らは、手をさし上げて死ぬほどに笑いこけた。ところでオデュッセウスは足をもって玄関先を横ぎって引きずってゆき、柱廊下の扉口の中庭まで着くと、庭の垣根に寄せかけて坐らせておき、その手に杖を持たせると、声をあげ翼をもった言葉をかけていうようには、
「ではこの場所に坐っていろ、豚だの犬だのを追っ払ってな、おまえなんかが他国から来た者や乞食などの親分になろうなど思わぬがいい、いじましい男のくせに、うっかりしてもっとひどい災難にあわないようにな」
こういって、両肩にみすぼらしい提げ袋を投げかけてやった、すっかりぼろぼろになったやつを。それには縄が提げ緒代わりについていた。それからまたもとの敷居のところに戻って腰をおろした。いっぽう彼ら(求婚者たち)はたのしく笑いこけながら、彼に挨拶の言葉をかけた。
「ゼウス神や他の不死である神々たちが、客人よ、おまえがとりわけ望むこと、おまえのこころに好ましく思うところを、叶えてくださるよう祈るぞ。あの欲張り男が国中をうろつきまわるのをさしとめてくれたのだからな。すぐにも彼奴《あいつ》は本土へ送りつけてやろう、ありとある人間どもに危害を加えようという、エケトス王のところへだ」
このように彼らがいうその言葉の占《うら》を幸先よしと聞きとめて、尊いオデュッセウスはうれしく思った。アンティノオスは脂と血とをいっぱいつめた大きな胃の腑を取ってくれ、アンピノモスは籠から二本のパンを取りあげ、彼に渡したうえ、黄金の杯を彼にさして挨拶の言葉を述べた、
「おめでとう、お客の小父さん、おまえが後々までも幸福でいられるように。だがいまのところは、ずいぶんいろんな災難にあっといでだね」
それに向かって知恵に富んでいるオデュッセウスが返答していうようには、
「アンピノモスさん、あなたはいかにも才智がおありとお見受けします、それというのも立派な親御をお待ちだからで、すぐれた誉れをお受けと聞いておりました。ドゥリキオンにおいでのニソスさまは立派な方で、また物持ちだと。そのご子息ということで、あなたは分別のある方とお見受けします。それゆえ申しあげるので、よくよく私のいうことを聞いて考えてくださいまし。この地上に養いをうけ息をするもの蠢《うごめ》くものに、人間以上にたよりない、か弱いものはありません。というのも、神さまがたが体もしっかり引き立たせ、よい働きをお授けなさる間は、後々で禍いを受けようなどとは、けっして予測もつかないからです。だがま幸《さき》くおいでの神々が禍いをもたらされる段になると、好まぬながら、辛抱づよい心でもって、その禍いを忍んでゆくほかありません。地上に住まう人間の心というのはそうしたもので、人間と神々とのおん父神(ゼウス)が送りつかわされる一日一日と同じこと。私にしても以前は、人様のあいだで富みかつ栄えていました。ずいぶんと腕の力や権力のあるにまかせて、乱暴や非道なこともしたものでした、父親や兄弟たちを恃《たの》みにしまして。こんな次第ゆえ、けしてどんな方《かた》にしても、道にはずれた振舞いはなさらぬのがよいのです、それでおとなしくして神さま方のくださるものを、なににしろ戴いておいでになることです。ところがなんという不法非道を求婚者の方々は企らんでおいででしょうか、ひとりの武士の身代《しんだい》をすり減らし、その奥方に無礼を働きなどしまして。しかもその方は、自分の故国《くに》の土からも長いこと離れていようと思えないのに。ええ、もうすぐ近くにきているのです。それゆえあなたを神さま方がそっと家へお連れ戻しのよう(祈るのです)、あの方に出会うことなどないように。それというのも求婚者がたとあの方とが、この一つ屋根の下へはいってこられようものなら、けして血を流さずに決着がつけられようとは思えませんから」
こういうと、蜜の甘さのぶどう酒を、まず御神へと注《そそ》いでから、飲み干すと、衆人の規律を正すその人の手にまた返した。アンピノモスは、胸をいろいろ悩ませながら、頭を振ってうなずいたりして、館の中へもどっていった。というのもなにかの災厄が気にかかったからだった。にもかかわらず、死の運命を免れはできなかった。アテネ女神が彼を拘束して、テレマコスの手によって、また槍のため、力ずくで討たれることになったのである。だが、(このときは)ふたたび以前に立ちあがったその椅子へと腰をおろした。
さてまたきらめく眼のアテネ女神が、イカリオスの娘御で、気がよくおつきのペネロペイアの心中に思いつかせたのは、求婚者たち(の眼の前)に姿を見せることであった。彼らに胸のほぐれを解かせ、また一方では以前にも増して自分の夫や息子にとって大切なものと思わせようとの思惑から。それでしょうことなしに笑顔をつくって、名を呼び話しをしかけていうよう、
「エウリュノメや、こんなことをやって見たい気がしますの、前にはけしてなかったのだけれど、求婚者の方々(の眼の前)に姿を見せてやろうかしらとね、ともかくも悪《おぞ》ましい人たちではあるけれど。それに息子にも一言いっておきたいのです、そのほうがましでしょうからね、すべてにつけ横暴な求婚者がたといっしょにつきあいしないようにと。あの方々は口では立派におしゃべりだが、後ろ向きには悪い企らみをめぐらしているのですから」
それに向かって、今度は家事取締りの老女エウリュノメがいうようには、
「はい、いましがたお話しの趣きはみな、条理《すじ》にかなったことでございます。さればさあ、おでかけなさってご子息さまに、かくし立てなくすっかりお話しなさいませ、お肌を洗い浄め、頬には膏《あぶら》をお塗りのうえで。まあそんなに涙ですっかりお顔をぬらしたままおでかけではいけませんわ、無差別にしょっちゅう悲嘆にくれておいででは、よろしくございますまい。それと申しますのも、もはやご子息さまとてお年の頃、あなたさまが不死である神さま方に、お髯を生《は》やしたお姿をご覧なさりたいとお願いなさいましたとおりですのに」
それに向かって今度はよく気がおつきのペネロペイアがいわれるよう、
「エウリュノメや、そんなことをいって勧めないでね、肌を洗い浄めたり、膏《あぶら》を塗りつけろなどとは。華やかな心はもう、オリュンポスをお保ちの神さまがたが、私からなくならせておしまいですもの、あの方が、中のうつろな船に乗り組み、おでかけなさったそのときから。それゆえどうかアウトノエとヒッポダメイアにくるようにいいつけておくれ、大広間で二人が私のそばに立ち添ってくれるように。ひとりでは殿方たちの間にはいってゆけますまい。それはさしさわりのあることですから」
こういわれて、年寄りの女は部屋をよぎって、女たちに命令を伝えるため、出かけていった。
このおりにまた別なことを、きらめく眼の女神アテネは思いつかれて、イカリオスの娘に快い眠りをおかけなさった。それで彼女はそのままそこのソファのうちに倒れかかって眠りこみ、体じゅうの節々もみな解けてゆるんだ。
その間尊い女神は神々しい贈り物を奥方にお授けになった、アカイアの者どもが感じいって眺めるようにと。すなわち女神は、まず第一に奥方の容貌《かおかたち》を、神々しい美しさで飾り浄めた、立派な冠をつけたキュテラの女神〔アプロディテのこと〕が、|典雅の神女《カリテス》たちの歌群《うたむら》においでのおりに、体へとお塗りのような、美しさで。次には(奥方の姿を)うち見たところいっそう丈高くゆたかな様子に、(肌色も)切りたての象牙の白さになさったうえで、このような業を終えてから、尊い女神はお立ち去りになったのである。すると腕の白い侍女たちがお部屋から、しゃべくりながらこちらへ来かかった。それで快い眠りが彼女を離れたもので、奥方は手をもって双頬をこすりながら、声をあげて(いわれるには)、
「まあほんとうに、たいそう悩んでいたせいか、柔らかな睡気《ねむけ》がすっかり私を包んだものです。どうかこのように柔らかな死を、聖《きよ》らかなアルテミスさまが私にお授けくださったら(うれしいでしょうに)、いますぐにでも、このうえ心に嘆き悲しみ、生涯を朽ち果たさずにすむように、愛《いと》しい夫のなににつけても秀でた徳を恋い募って。まったくアカイア族のつわものじゅうでも他《ひと》にすぐれておいででしたもの」
こういって、輝かしい二階の部屋を降りてゆかれた。独りではなく、彼女について二人の侍女がいっしょにいった。
さて婦人たちのうちでも神々しいこの方は、いよいよ求婚者たちのいるところへ着くと、しっかり造られた屋根の柱のそばに立ち止まり、頬の前にゆたかなヴェールをかざした。両側には忠実な侍女が一人ずつ立ち添っていた。(それを見るなり)そのままそこに求婚者の人々の膝が萎《な》えくずれたのは、恋しさのため心がすっかり魅惑し去られ、誰も彼も臥床《ふしど》を共にしたいと胸を焦がしたからである。さて奥方は自分の息子のテレマコスに向かっていうよう、
「テレマコス、あなたの心も考え方も変わってしまったのですね、これまでは子供にしても、いまよりは賢い分別を胸に持っておいででしたが。ところが現在、いよいよ背も高くなり、成人の域にはいり、富み栄えた方《かた》の息子と他からもいわれるはずですのに、あなたの心も分別も筋に適《かな》ったとはけしていえません。たとえば現在こうした事態が屋敷うちで起こりましたが、あなたは、客人がこのように恥かしめを受けられたのを、見過ごしになさったとは。これではどんなことになりましょう、もし客人が私たちの屋敷うちにおいでながら、おいたわしい取扱いのためこんな具合で、とんだ目にでもお逢いだったら。それこそあなたの恥辱として、世の人々の間でもって非難を受けることでしょうに」
それに向かって、今度は利発なテレマコスが答えていうよう、
「母上、これについてはあなたが立腹なさったにしろ、無理とはけして存じません。でも私には胸にちゃんと弁《わきま》えがあり、一々のこともわかっております、よいものとよくないものと。以前にはまだいかにも幼く愚かでしたが。しかしながら万事について賢い思慮を持つというのは、現在では不可能なのです、というのもここに見える方々が邪《よこしま》な思惑《おもわく》から、あれやこれやと、てんでにそばについてて(正道を)踏みはずさせるからです。それでもさきの客人とイロスの闘いは、求婚者たちの望んだようにはかたづきませんでした、客人のほうの力が強かったのです。まったく、ゼウス父神さまやアテネ女神やアポロン神にもお願いしますが、ちょうどいまあのイロスが庭の戸口で、酔っぱらいみたいに、首を垂れてへたばったきり、まっすぐ立ちも、家に帰りもできないように、求婚者たちが私どもの屋敷うちで、あるいは中庭で、うち負かされて頭を垂れ、みなへたへたとなりますように」
こんなふうに二人は話しあっていた、そこでエウリュマコスが言葉をつらねてペネロペイアにいうようには、
「イカリオスの娘御の、よく気がおつきのペネロペイアよ、もしこのイアソン・アルゴス〔南半島のアルゴス地区を指す〕中のアカイア族の者が残らずあなたの姿を見たならば、いっそう多くの求婚者があなた方のお屋敷に(集まって来て)、朝方から饗宴にあずかることでしょう。姿といい身の丈といい、あるいはまた胸の中の周到な思慮といい、あなたほど優れておいでなさる方はいらっしゃいませんから」
それに向かって、今度はよく気がおつきのペネロペイアが答えていうよう、
「エウリュマコスさま、私の夫オデュッセウスも含めてアルゴスの人々がイリオスに向け船出をしたときに、神さま方はほんとうに私の取り柄《え》を、姿でも身のつくりでも、すべてとりあげてお終いでした。もしあの人が帰って来て、私の暮らしを見護ってくれるなら、私の名誉もいっそうよく守られることでしょうが。いま私は苦しんでいるのです。というのもそれほど大きな禍いを神さまが私へお降しなさったからです。実際祖国を離れて出征するそのときに、夫は私の右の手首を握りしめながらこう申しました――妻よ、私の考えでは、よい脛当てをつけたアカイアの者どもがトロイアから、皆がみな、無事に帰国はできなかろう。というのも、トロイアの者どもとても、ひとかどの武士《つわもの》である、投げ槍やあるいは弓矢の使い手として、また脚の速い馬の乗り手としてよく知られている。それゆえ御神が私をはたして帰国させるか、そのままトロイアの地で果てさせるかもわからない。さればこの地でのすべてのことは、みなそなたに処置を一任する。屋敷うちでの父上や母上についても、いまのとおりに気をつけてくれ、いやなお一段とな、私が遠くにいっていないことゆえ。しかしもしもいよいよ息子が(生長して)大人《おとな》になったと見届けたら、そなたの家をあとに残して、そなたの好む相手に嫁ぐがよい。――このようにあの方は話してお発ちになりました。それらのことが、いまこそみな事実になったわけです。いつかはその夜が来ることでしょう、おぞましい婚礼がのろわしいこの身に迫ってこようという夜が。ゼウスさまが仕合わせを私からお奪いなさったうえは。しかしもうひとつ、はげしい苦悩が私の胸を攻めるのです、というのはつまり求婚をなさる方々の、正しい慣《ならわ》しというものは、以前はこんなふうではありませんでした。良家の婦女、分限者の娘に求婚をのぞみ、互いに競《せ》りあいをする方々は、ご自身でいく匹もの牛や羊を運んで来もし、乙女の身内《みうち》の人々を馳走でもてなし、立派な贈り物をよこしもしたものです。よその家の身代《しんだい》を償《つぐな》いもせず、無料《ただ》で食い潰しなどはしなかったはずです」
こういったのに、辛抱づよく尊いオデュッセウスはうれしく思った、というのも一同の者から贈り物を取り立てようとし、みなの心を甘い言葉で欺いて宥《なだ》めすかそうというものの、実の意《こころ》は他のところにあったから。
さて奥方に向かって、今度はエウペイテスの息子のアンティノオスがいうようには、
「イカリオスの娘御の気がよくおつきのペネロペイアよ、贈り物は、アカイア族のうち望みを抱く方々が、ここへお持ちするのがよろしかろう、それをきっとお受け取りなさるよう。というのも、贈り物を拒んで受けないのは、よろしいことではありませんから。また私らは、あなたがアカイア族の者のうち、いちばんに優れた男と結婚なさらぬうちは、けして持ち畑にも他のどこにも帰ってゆかない所存です」
こうアンティノオスがいうと、その話にみなみな賛成の意を表した。そこで贈り物を運んで来させに、それぞれ徒者を(家へと)送り遣わした。アンティノオス(の従者は贈り物に)大きな、とりわけみごとな、色とりどりの衣を持って来たが、それには全部で十二の黄金のブローチがつき、よく曲がった鈎《かぎ》がとりつけられていた。またエウリュマコスはさっそくに、いろいろ技巧を凝らした黄金の鎖の首飾りを持って来させたが、それについている琥珀《こはく》の珠《たま》は太陽のように(きらめいていた)。またエウリュダマスの徒者らは、一対の耳飾りを運んで来た。桑の実みたいな粒が三つついたもので、すばらしい色艶が、輝きわたるばかりだった。さてまたポリュクトルの子のペイサンドロスの殿のもとからは、とりわけみごとな飾りの首輪を従者がもたらしたが、このようにアカイア族のみなみなが、それぞれ立派な贈り物を持って来たのであった。
女人のうちにも気高い奥方は、それから二階へとあがってゆかれた、それにつき従って侍女たちが、とてもみごとな贈り物をいくつも運んでいった。いっぽう、人々は舞踊と胸をそそりたてる歌謡とに心を向けてうち興じ、夕暮れの来るのを待ち受けていた。
やがて、一同が楽しく時を過ごす間に、黒い夜がやって来た。ほどもなく大火鉢を三つ、大広間にすえて置き、それへぐるりと焚き木を並べた。もう長いこと乾かしたのを、ついこの頃青銅の斧で断ち割ったものである。それへ火をつけ、辛抱づよい心のオデュッセウスの侍女たちが、入れ代わって火の世話をした。ところで彼女らに向かって、ゼウスの裔《すえ》の、知恵に富んでいるオデュッセウスがいうようには、
「長いあいだご不在であるオデュッセウス殿の侍女《こしもと》である方々、畏《かしこ》いお妃さまがおいでのお館うちへおかえりなさい、そのおそばで糸車をおまわしがいい、奥方をお慰めしてな。お部屋のうちにみなさん坐って、あるいは毛糸を手で梳《す》いていなさい。ところで私のほうは、ここにあるこの(大火鉢)に灯火《あかり》の絶えぬようにしましょう。たとえ美しい台座に倚《よ》る暁の女神の到来までみなさんがここにおいでにしても、けして私に弱音をはかせはできますまい。とても辛抱づよい者ですから、この私はな」
こういうと、侍女たちは笑いこけて、たがいに顔を見合わせたが、そのとき、頬の美しいメラントが彼を口汚なく罵った。この女はドリオスの娘で、ペネロペイアが世話をして自分の娘同様に育てあげ、いつも気に入るような遊び道具を与えていた。にもかかわらず、ペネロペイアにたいしてのいたわりとか思いやりは持たず、エウリュマコスと親しくして情交をつづけていた。その女がいま非難の言葉をならべて、オデュッセウスを罵っていうようには、
「みじめったらしい渡り人《にん》さん、おまえはどうやら気が変になってるんだね、鍛冶《かじ》屋の店へでもいって寝ようって思わないのかえ、それともどこか公会堂の中へでもいってね。ここであつかましく多勢の殿方の間にはいって、長々としゃべくりまわしてさ、しかもてんでわるびれた気持ちも起こさないんだね。でたらめばっかりしゃべり散らすってえのは、お酒に飲まれちゃったてえのかえ、それともいつもこんなふうなのかえ。それとも浮浪人のイロスに勝ったっていうので、気が変になったのかえ。そんならまた誰か、イロスより強いのがすぐでて来て、おまえの頭を右左からぶん殴ったうえ、逞ましい手で屋敷の外へ放りだすことを(心配するがいいよ)、ひどく血まみれになったのをね」
それを上目使いに睨みつけ、知恵に富んでいるオデュッセウスがいうようには、
「まったくな、すぐにもテレマコスさまにいってやろう、牝犬め、なんてことをおまえがしゃべくったか、あちらへいってな。おまえを即座に手足を切ってばらしてしまうように」
こういって、言葉でもって女どもの度胆《どぎも》を抜いた。それで彼女らは屋敷の中を逃れていったが、みな体の節々が恐ろしさのため震えていた、というのも彼が本当のことをいったと思えたからであった。ところで彼(オデュッセウス)は燃えている火鉢のそばで、火に注意を払いながら突っ立って一同を眺めていた。そして心中に、いろいろとはかりごとを思いめぐらしていた。
さてアテネ女神は傲慢な求婚者どもの、オデュッセウスにたいする胸を痛めつける非道の仕打ちを、さし控えさせはしなかった。それはなお一段と、ラエルテスの子のオデュッセウスの心を苦悩に痛めつけさせようとのおつもりからであった。まずポリュボスの息子のエウリュマコスが、一同に先がけて話を始め、オデュッセウスにたいして悪態《あくたい》を吐《つ》いて、笑いものにしようとかかった。
「よく聞いてくれ、世にも名高いお妃の求婚者の方々、私のこれからいうことを。それはこの胸の中にある私の心が、いえと命ずることなのだから。この男がオデュッセウスの館へとやって来たのは、けだし神意によらぬことではないのだ、それにしても、この松明の輝きというものは、この男の頭からでているように思われてならない、こいつにはてんで髪の毛というものがないのだからな」
こういってから、今度は城市《まち》の攻略者オデュッセウスに向かっていうよう、
「客人よ、おまえは、もしも私がおまえを引きとることにしたならば、私の下男になる気があるかね、端《はし》っこの畑でもって、十分な給料を出してやろうがね。石を集めて垣を築いたり、高い木を植え育てたりするのだ。私は食糧もいつも絶やさずくれてやろうし、着るものも着せ、足には穿《は》き物も穿かせてやろう。それでもおまえは悪事ばかり習い覚えているから、畑仕事にでかけることはいやなのだろう。おまえのいつもがつがつしてる胃袋を養おうてんで、町村じゅうを乞食してまわるほうが好きなんだな」
それに向かって、知恵に富んでいるオデュッセウスが返事をしていうよう、
「エウリュマコスさん、わたしらふたりが、春の季節に仕事の競争をやれるようなら、ありがたいのですがね、日もながくなった時分に。牧草の刈りくらべでしたら、私はよく刃の曲がった草刈り鎌を手にとりましょう、それであなたもそのようなのを手に持って、食事も抜きで、すっかり暗くなるまで仕事のしくらべをやりましょう、刈草がたっぷりあるとしましてね。もしまた牛を追って耕すのでしたら、最上ので、大きな牛で赤茶色の、二頭とも草をいっぱい食い飽きていて、年もおなじ、背負う荷の重さも同じぐらい、その力量はけして馬鹿にはできないほどの牛どもをください。そして畑地として四|畝《せ》ほど、鋤《すき》のもとに土塊《つちくれ》がふかくしずむような畑地を用意してください。そうしたら、私のつくった畝《うね》がまっすぐに通ってるかどうか、ご覧になれましょうよ。もしまた話変わって、クロノスの御子神が、今日どこからか戦《いく》さを仕向けておいでだったら、そのおりは楯と二本の槍と、全体が青銅づくりのかぶとの、こめかみにぴったり合うのをもらえさえしたら、そのおりには私が一番前の先陣で働くところをご覧でしょう、そうなったら私の胃の腑をあしざまにけなしつけはなさらぬでしょうよ。だがずいぶんと非道なことをいったりしたり、あなたは心に情けを知らない方ですね、そしてどうやら自分をたいそう偉くて力があると思っておいでになるが、それというのも交際《つきあい》の範囲が狭く、それも碌《ろく》でもない者ばかりのせいだ。そこの扉は、ずいぶん広く開《あ》くようだが、玄関先からそこを通って逃げ出すおりには、狭く思えることでしょうよ」
こういうと、エウリュマコスはなおいっそう心底から腹を立て、彼を上目に睨《にら》まえながら翼をもった言葉をつらねいうようには、
「なにをくだらん奴が、すぐにもその悪たれに結着をつけてやるぞ、なんてあつかましいことを、多勢の方々のあいだで、しゃべくりたてるんだ、しかもてんで悪びれた気もおこさないとは。酒に心を奪われたのか、それともおそらくいつもこんなふうな考えでいるのか、でたらめばかりをしゃべり散らすのは。≪それともまた浮浪人のイロスに勝ったというので、気が変になったのか≫」
こう声をあげていうと、足台を手に取った。そこでオデュッセウスは恐れをなしたふうに(救いを求めて)、ドゥリキオンからきたアンピノモスの膝にとりすがった。エウリュマコス(の投げた足台)は、酒を注《つ》ぐ給仕の右腕にあたった。水差しがひびきを立てて地面に落っこち、給仕のほうもあっと叫び声をあげて、仰向けにひっくり返った。そこで求婚者たちは広間じゅうでさわぎたて、たがいに目を見合わせて、誰彼となくこのようにいいかわした。
「まったくあの他所者《よそもの》めが、放浪の途次にどこかで、ここへくる前に死んじまえばよかったのに。そしたら、けしてこんなひどい騒ぎにはならなかったろう。おかげで立派な馳走の楽しみはすっかり台なしだ、くだらぬことが幅を利かせているのでな」
その人々の間にあって、尊く勇ましいテレマコスがいうようには、
「へんなことをおいいなさる、あなた方は正気をなくして、もう十分食事も摂《と》り、飲み物も飲んだというのを、お忘れです、きっとどなたか神さまが、あなた方を唆《そそのか》しておいでなのでしょう。もう十分食事をなさったからは、うちへ帰っておやすみなさい、いつなりと気がお向きのときに。だがどなたも私のほうから追い帰しはしませんよ」
こういうと、人々はみな唇を歯で咬《か》みしめて、テレマコス(のいうこと)に眼を見張った、このように大胆な言葉を吐いたので。さて一同に向かって、アレティオスの優れた息子アンピノモスが話をしかけいうようには、
「皆さんがた、こうも道理にかなっていわれたことに、気をわるくして、反対の文句をつけて言葉を返しはしますまい。どうかこの他所《よそ》からきた客をこづきまわしたり、尊いオデュッセウスの館の他の召使いたちを打ったりはなさらぬように。それよりもさあ、酒|酌《つ》ぎの給仕に盃へ順ぐりについでまわらせましょうや、神々へ御酒《みき》をまつってから家に帰りましょう。その客人はオデュッセウスの屋敷内へ、テレマコスが世話するように置いていこう。彼の館に願い人として来たものだから」
こういうと、一同はみなこの提議に賛成して、よろしかろうと口々にいった。そこでドゥリキオンからきた伝令使で、アンピノモスの介添人であったムリオスが酒|和《あ》え瓶《がめ》に酒を混《ま》ぜ、みなについでまわった。一同は至福においでの神々へと御酒《みき》をそそぎまつってから、蜜の甘さのぶどう酒を心の欲するだけ十分に飲み、めいめいの家へと帰っていった。
[#改ページ]
第十九巻
オデュッセウスと妻との面会、足洗いの段
【オデュッセウスは広間に残って息子と相談、広間にあった武器を用心のため他所《よそ》へ運んでかくす。その後、ペネロペイアに面会、問いにたいして作り話を述べる。奥方は身の上を嘆き、求婚者の無法をさけるため、殯衣《ひんい》〔仮のもがりのための衣〕を織った話をするが、その計略も見破られ、いまは誰かを選んで嫁ぐほかない、と嘆く。オデュッセウスは、ご主人の噂を自分も聞いたが、帰国も遠くあるまいと慰める。奥方は彼のために臥床《ふしど》を設け、仕度をさせる。乳母エウリュクレイアは盥《たらい》に湯を入れ、彼の脚を洗ってやるとき、むかし猪の牙で受けた傷をみつけ、主人にちがいないとさとる。叫ぼうとするその口をオデュッセウスはおさえて止める】
さて尊いオデュッセウスは広間のうちにとり残されて、求婚者どもをアテネ女神のお力添えで退治する手段をいろいろ考えていたが、にわかにテレマコスに向かって翼をもった言葉をもって話しかけるには、
「テレマコスよ、戦いの用具を全部さっそくにも奥へしまいこまねばならない、いっぽう求婚者どもを柔らかな言葉でもって説きくるめるのだ、もし彼らが(武器を)欲しがってたずねるときには。『煙がかからぬように納《しま》っておきました』などいってな、『もはやオデュッセウスがトロイアヘでかけたおりに、残していったものとはまるで似もつかぬ有様でして、すっかりひどい姿に変わってしまったのです。そのうえもっと大切なことを神様が思いつかせてくださったのです、つまりもしひょっとしてあなた方が、酒に酔いでもなさって、いさかいを始めたあげく、お互いに傷つけあって、饗宴も求婚もだいなしにしておしまいになるおそれがあるからです。(諺にも)鋼鉄《はがね》というのは、自から武士《もののふ》を引きつける、ともうしますから』とな」
こういうと、テレマコスは愛する父のいうことにきき従って、乳母のエウリュクレイアを呼びだして、いうようには、
「ばあや、さあぜひとも女たちを部屋の中へ閉じこめてくれないか、奥の間へ父上の立派な武具を私がすっかり片づけてしまうまで。手入れもされずにほうっておかれ、いまでは煙のため光沢《つや》もなくなってしまった。それでいま納《しま》っておこうと思うのだ、火の勢いの届かぬところに」
それに向かって、今度は乳母のエウリュクレイアがいうようには、
「ほんにまあ若さま、まったくあなたが、心づかいをなさってくださればありがたいことです。ご身代を残らず護ってくださるなら。でもそれなら、誰かがいっしょについて、灯《あか》りを持ち歩かなければ。侍女たちがいれば間に合いますが、あなたはそれをお許しにならないのですから」
それに向かって、利発なテレマコスが答えていうよう、
「ここにいる客人が《するよ》、誰にしろ私のうちの桝《ます》に手を触れるかぎりは、なんの働きもせずにいさせることはできないのだから。遠方からやってきた人にしてもだ」
このように声をあげていったので、乳母は言葉に翼《はね》もつかないまま(返事もできずに)、構えもよろしい部屋部屋の戸を閉ざした。そこでオデュッセウスと誉れも高いその息子(テレマコス)との両人はとび立ちあがって、兜だの臍《ほぞ》のついた楯だの、先の鋭い槍だのを、いくつとなく奥へ運びはじめた。前方にはパラス・アテネが黄金の燭台を手に持ち、とりわけてきよらかな光明を照らしてゆかれた。まさにそのときテレマコスは、自分の父に向かって突然に話しかけるよう、
「父上、まったくたいへん不思議なことです、私の眼に映るこの有様は。なにからなにまで、部屋部屋の壁もみな、中仕切りも樅《もみ》の木の棟木も、高くつき立つ柱々も、この眼には燃えさかる火でできてるみたいに、照り輝いて見えるのです。きっと、どなたか神さまがうちにおいでなのでしょう、広大な空をお保ちになる」
それに向かって、知恵に富んでいるオデュッセウスが、返答をしていうようには、
「黙っていなさい、おまえの胸の中に収《おさ》めて、たずねることはしないがいい。これがオリュンポスにお住まいの神さまがたの、なさり方というものなのだ。それよりもおまえはもう寝にゆくがいい、私はこのまま後に残って、侍女たちやおまえの母の気持ちを、もう少し試《ため》してみようと思うから。彼女はきっと悼《いた》み嘆いて、いちいち詳しく、私に問い質《ただ》すことであろうよ」
こういうと、テレマコスは松明《たいまつ》の光に照らされながら、部屋を通って奥殿へとやすみにいった。そこは以前から、いつでも快い眠気に襲われたとき身を横たえる場所であった。彼はそこへ今度も横になってやすみ、輝く暁を待ち構えた。一方尊いオデュッセウスは部屋のうちに残り、求婚者どもをアテネ女神のお力添えで、退治する仕方をいろいろと考えていた。
そのとき、ペネロペイアはアルテミス女神か黄金のアプロディテのような姿で、奥殿から降りてきた。彼女のために、炉のかたわらに(侍女たちが)寄りかかり椅子をすえた。工匠《たくみ》のイクマリオスが造ったもので、象牙と銀とで渦巻をつけ、下には足台が、椅子自体に造りつけになっている。上には大きな羊の毛皮が敷いてある。よく気のまわるペネロペイアはそこに腰をおろした。白い腕をした侍女たちもやってきて、残されたたくさんのパンや四脚|卓《つくえ》や、乱暴な男たちが飲むのに使った杯などを運び去りにかかった。それから残り火を火鉢から床へと投げだし、新しい焚き木をたくさん積みあげ、明かりの用と暖をとるためにふたたび燃やしつけた。そのあいだにもまたメラントが繰り返して、オデュッセウスを罵《ののし》っていうようには、
「渡り人さん、まだここにいて、夜っぴて世話を焼かそうってのかえ。家《うち》じゅうをぐるぐるまわり歩いて、女たちをからかうつもりかね。とっととでておゆき、碌でなしが、食事にありつこうというつもりだろうが。さもないとすぐさま焼け木で殴《なぐ》られて、ほうりだされることだろうから」
すると彼女を上眼に睨《にら》まえて、知恵に富んでいるオデュッセウスがいうようには、
「おかしな人だな、なぜそのようにすっかり気をわるくして、私につらくあたるんだね。私が汚ない姿《なり》をして、ひどい着物を肌に纏《まと》っているからかね、またこの土地じゅうを必要に迫られて乞食してまわるせいでかね。だが乞食とか浮浪人というのはみな、こうしたものだ。いや私だって以前は世間でちゃんと住み家も持っていた、しあわせにゆたかな家をな、そしてたびたび浮浪人にも施しをしてやったものだ、どのような人間にも、またなにを求めてやって来たおりにもだ。また召使いたちも数限りなく多勢いたし、そのほか立派な暮らしに要《い》るもの、物持ちと世間でいわれる、資財もたくさん持っていた。ところがクロノスの御子ゼウス神が、それをすっかりお取りあげなさった。つまりはそれが御意《おこころ》だったのだろう。それゆえけっしておまえも、女中さん、その華《はな》やぎをそっくりなくなさないよう気をつけなさいよ、そのおかげでいまおまえさんが、侍女たちのあいだでも他《ひと》にすぐれて見えるのだから。奥方さまが気をわるくしておまえを叱りつけるかもしれんし、オデュッセウスどのが帰られるかもしれんからな。というのも、まだその望みも十分あるのだから。またもしたとえなくなられて、もはや帰還のときはこないにせよ、それでも子息のテレマコスがもう立派に成人しておいでではないか、アポロンさまのおかげをもってな。その方の眼を、この館にいる女たちの誰にしても、くらますことはできないのだ、不埒なことをやっているなら、はや(それに気づかぬ)年頃ではないのだから」
こういったが、その言葉を、気がよくおつきのペネロペイアが聞きとめて、侍女を叱りつけ、名を呼んでいわれるようには、
「まったくおまえは、あつかましいむこう見ずな牝犬だこと、だがけっして私の眼をごまかしはできないよ。だいそれたことをやっていれば、その咎《とが》はおまえが自分の首でつぐなうほかあるまいけれど。だってなにもかもみな十分に心得ているはずだもの、私自身から聞いていることだから、あのお客人は私が自分の部屋へ招《よ》んで主人についてのことをいろいろ問い質《ただ》すつもりなのを。私もさんざんいろんな苦労に攻めかけられていることだからね」
こういってまた家事取締りの(老女)エウリュノメに向かっていうようには、
「エウリユノメや、腰掛けと、その上に敷く羊の毛皮を持っておいで、お客人が腰をおろして話をしたり、私の問いに耳を傾けたり、おできのようにね。いろいろ詳しく尋《たず》ねてみたいと思っているのです」
このようにいわれた、そこで老女はまめやかに、よく磨いてある腰掛けを運んできて据え、その上に羊の毛皮を投げかけた、そこで辛抱づよく、尊いオデュッセウスはそれへ腰をおろした。
まず話をさきに始めたのは、よく気のまわるペネロペイアで、
「(他国《よそ》からおいでの)お客さま、ではまず初めに私のほうからあなたにおたずねしましょう、あなたはいったいどういう方で、どこからおいでなのですか、あなたのお国、また御両親はどこにおいでです」
それに向かって、知恵に富んでいるオデュッセウスが返答をしていうようには、
「ええ奥方さま、けして誰にもせよこの涯《はて》しもない地上にあって命死ぬ人間のうちに、あなたをとやかく申す者はおりますまい、まったく十全の王者に向かうと同様でして。その方《かた》は神を畏れ正道を持して、多勢のしかも武勇のもののふらを統《す》べ治められるに、その下《もと》にある黒い大地は大麦や小麦をみのらせ、樹々は果実をたわわにつけ、家畜は常住、子を産んで殖《ふ》え、海も魚をさしだす、それも指導の適当なためで、衆民も栄えてゆくというもの。されば私に、いま他のことはなんなりとお問い質《ただ》しも、あなたさまのお屋敷うちならば(是非もないこと)ながら、ただ私の氏素性、また故国《くに》のことをおたずねはご容赦いただきたいもので。どうか私にそれを思いだして、なおもいっそう心を悲嘆でいっぱいにさせるのはおやめください。もともと私はたびたびつらい目を見てきたもの、それに他所さまのお宅にいて、嘆き悲しんだり泣きの涙をこぼしたりして坐っているのは、なんともまったく筋のとおらぬことです、見さかいなしに始終悲嘆にくれているのは、いっそよくないことですから。もしも侍女のうちの誰彼とか、あるいはあなたご自身がお腹立ちではなりません、それで私が心からすっかり酒に酔いつぶれ、涙にひたっているなど思われましては」
それに向かって、今度はよく気のまわるペネロペイアが答えていうよう、
「お客人よ、まったく私の取り柄を、顔かたちにしろ姿にしろ、みな不死の神さま方がなくならせておしまいでした、アルゴス勢がイリオスに向け船出をし、それといっしょに私の夫のオデュッセウスがでかけていったそのときに。もしあの方が帰っていらして、この私の日々の生活《くらし》をいつも見とってくださったなら、私についての世上の聞こえもいっそ高まり、一段と結構なことでしたろうに。ところが現在私は嘆息に日々を過ごすというのも、それほど大きな禍いを神さまが私へとお仕掛けなさったものですから。つまりは島々に威勢をふるうありたけの利《き》け者たち、ドゥリキオンのもサメのも、森の多いザキュントスにいる方々も、この島影のあきらかなイタケ自身に住まっておいでの方々まで、私の望むところとは逆に、私に求婚なさるのです、そして家の財産を消耗してゆくのですもの。そんな次第ゆえ他国から来た客人や、願いごとを求めて来る人々や、また使節など、市民のために仕事をする方々にもまるで、お構《かま》いしてあげられません。ただオデュッセウスさまを慕《した》いこがれて、心をやつすばかりなのです。ところがあの連中は結婚をせきたてるので、私としてもいつわりの謀計《はかりごと》をめぐらしました。それでまず手始めには広幅の衣《きぬ》を織るという思いつきを、神さまが私の心に吹きこんでくださったのです、大きな織機《はた》を部屋のうちに据えましてね、細糸の、幅もたいそう広い衣を。そしてさっそく連中にいってやりました。私に求婚なさる若殿がた、尊いオデュッセウスはおなくなりだったのですから、私との結婚をみなさまおせきではありましょうが、お待ちなさってください、この衣を織りおえるまで、織り糸がいたずらに無駄になってしまわぬように。ラエルテスさまの葬儀につかう布なのです、長い悲しみをもたらす死の呪わしい運命が、あの方を奪い去ってゆくその日のために。もしも屍を巻く布なしにあの方が、横たえられておいでになったら、財産はたくさんあるはずなのにと、国中のアカイアの婦人たちから怪《け》しからず思われては困ります。とこうまあいってやりました。それでひとまず連中の勢いこんだ心も説得されたわけです。そこで昼の間は大きな織機《はた》を織っていましたが、夜になって松明《たいまつ》をかたわらにすえるたびにそれを解きほぐしたものでした。このようにして三年のあいだ私の所業は人に知られず、アカイアの殿方を納得させて過ごしましたが、さて四年目となり、月日の過ぎるにつれて季節も廻ってゆき、日数もずいぶん経ちました、そのときとうとう侍女たちの手引きでもって――まったく他人《ひと》の気も知らぬ牝犬どもですわ、やって来て私を捉《とら》えたのでした、そしていろいろ小言《こごと》をいわれました。こんなわけで、その衣もよんどころなくいやいやながら織り終えてしまったのです。それでいまとなっては、結婚を逃げることはできなくなり、他にどんな謀計《はかりごと》も見つけられない有様です。里の両親もしきりに結婚しろと勧めますし、息子も十分知ってるもので、みなが身代を食い漬してゆくのに、腹を立てております。彼《あれ》ももう一人前で、家のことを十分によく世話してゆけます、ゼウスさまが誉れをお授けくださるような。それはともかく、ではあなたの氏素性を、どこからおいでになったかを、話してください、あなたにしろ、昔話にあるように、槲《かし》の木からとか石からとか、生まれたわけではないでしょうから」
それに向かって、知恵に富んでいるオデュッセウスが返答をしていうようには、
「ラエルテスの子オデュッセウスのうやうやしい奥方さま、どうしても私の氏素性についてお問いただしをやめようとはなさらないのですね、それならすっかり申しあげましょう。いかにもそれは現在よりもいっそうよけいな悲嘆に私をお引き渡しになることですが。つまりはそれが世のならわしというものでしょう、いつでも人が自分の故国からながいあいだ、たとえば現在私が離れているくらい、それほどながく故郷を離れて、人の住む町々をほうぼうさまよい歩き、苦労を重ねているときは、そうしたもの。それにしても、ともかくも私にたいしてお問い質《ただ》しの、事の次第を申しあげるといたしましょう。クレテという国がございます、ぶどう酒色をした海原のさなかにあって、美しくもゆたかな土地で、まわりに海をめぐらした、そこには人が数限りなく多勢住まい、九十の町にも及んでおります。その町々が住民によって言語が異なり、まじりあっている、中にはアカイア族もあれば、意気のさかんなエテオクレテス(本来のクレテ人)も、キュドネス族や三部に別れるドリス族〔ドリス人の南下はトロイア戦役と同時代か以後なので、クレテ島のというのは、後代のことと判断される。しかしこの島が多民族の集まりで、言語も複雑だったことは推察される〕や、尊いベラスゴイ族などあって、そのうちでもクノソスは大きな城市《まち》として聞こえ、そこでミノス王が九年でもって(九年の期限ごとの)王位につき、ゼウス大神の御宣《みのり》をつたえたともうします。それが私の父、(心のひろい)デウカリオンのまた父にあたるのです。そのデウカリオンが私とイドメネウスを儲《もう》けましたところ、彼は他の曲がった船々を率いて、アトレウス家の両王と共にイリオスヘと遠征の途に上《のぼ》りました。私は世に聞こえた名もアイトンといって、生まれも年少、彼のほうが先に生まれて武勇もすぐれておりました。そのおりにオデュッセウスどのを私も見て、引き出の品も贈ったのでした。それというのも、風の力があの方をもクレテまで寄せつけたので、トロイアへと逸《はや》り立つのを、マレイアの岬から横ざまに吹き流して来まして。それでアムニソス(クノソスの外港)の港の、お産の女神エイレイテュイアの洞窟のあるところへ船を停められた、骨のおれる入江でして、ようやくのこと疾風《はやて》の力を避けられたのです。そこですぐさま町へとのぼって来られ、イドメネウスをお求《もと》めでした、というのも、(前から)親しく尊びあった懇意の間柄ということで。ところがもうはや、(イドメネウスが)舳《へさき》の曲がった船々を率いて、イリオスヘと出掛けてから、十日目か十一日日の朝だったのです。それであの方を私が屋敷へお連れして、よろしく客として歓待したことでした、家にいろいろ蓄えてあるものをさしあげ、鄭重にもてなしまして。またあの方自身についていっしょに来た他の仲間の方々にも、国じゅうからとり集めた挽き麦だの赤くきらめくぶどう酒だのをあげ、かつは犠牲にまつる牛どもまで、(心の望みを)満足さすようと、あげた次第でした。それから十二日のあいだ、尊いアカイアの方々は逗留された、というのも強《きつ》い北風が、地上に立っていることも許さぬほどに吹き荒れて、(彼らを)閉じこめつづけたので、どなたか意地悪な神霊が吹き起こしたもの(と見えます)。でも十三日日にやっと風が落ち、それでみなみな船出をしたわけでした」
ずいぶん彼はいつわりのことを述べながら、真実の話同様にいいたてたので、それを聞く奥方はただ涙にくれて、その面《おも》もちもすっかりしおれ、なよなよとした、ちょうど高みの山に積もった雪が融けて流れるように。西の風がそれを降りつもらせたあとから、東南の風がすっかり融かし去った、それで融けて流れる水を、いま河川が収めて一杯に水量をます、そのように奥方の美しい双頬は、流れる涙にぬれひじた。ところでオデュッセウスは、心中では悲嘆にくれる自分の妻をあわれに思いはしたものの、その両眼はさながら角《つの》か、あるいは鉄でできているかのように、じつと動《ゆる》がず、瞼《まぶた》のうちに収まっていた、謀りごとで涙をかくそうとしたものだった。さて奥方は、さんざん涙を流して思う存分泣き悲しむと、またもう一度彼に向かって、言葉を交《か》わしいわれるよう、
「では今度はいよいよ、お客人よ、あなたの話を、試してみたいと思うのです。もし本当にあちらでもってあなたのおうちに私の夫を、神にもひとしい仲間の人たちといっしょに、客としておもてなしだったかどうかを。どうかいってください、どんな風な着衣を夫は肌に着けておりましたか、また夫自身はどのような者でしたろうか、それから夫に従っていった仲間の者らについても」
それに向かって知恵に富んでいるオデュッセウスが返事をしていうようには、
「ええ奥方さま、それほどながいあいだ、離れておいでの方について話をするのは、まことに難《むず》かしいことです。というのももはや二十年目になりますので、その土地からでかけられ、私の故郷をお立ち去りなさってから。さりながらまずお話しいたしましょう、いま私の心に浮かんで来るお姿を。外衣《うわぎ》の紫紅色の毛で織ったのを、尊いオデュッセウスは着ておいででした。二重まわしのものをです、それでその留め金は、二本の黄金の管《くだ》でもってできていました。その前側に細工が施してあるものでして、両前脚に犬が色とりどりな仔鹿をつかまえ、それが喘いでいるのをおさえつけているところで、それを誰しもしきりに感嘆したものでした。両方ともが黄金《こがね》づくりの、その一方が仔鹿を抑えてしめつけていれば、もう一方は逃げだそうと一所懸命、脚でしきりにもがいている(ところでした)。また肌にお着けの下着には光沢《つや》のよい衣《きぬ》の、ちょうど乾いた玉葱《たまねぎ》の皮みたいに(光るのが)眼に着きました、それがまたそれほどもしなやかで、太陽みたいに輝いていたのに、まったく多勢の女どもが、あの方を感心して眺めたものです。それからもうひとつなお申し上げたいことがあります、よくよくそれを心にとめておききください。
もっともお家でもオデュッセウスが、こうした着物を肌につけておいでだったかは存じませんので、あるいは仲間のどなたかが、お出かけのおり、速い船のうちでさしあげたとか、またはどこかで(お立ち寄りの節)宿の主人が贈ったものかも知れませぬ、オデュッセウスさまは多勢の方と親しくしておいでになったので。まったくアカイア族の者のうちでも、かような方はごくわずかでした。私とても、あの方に青銅の剣と、二重にまわる美しい紫紅《しこう》の外衣と、縁《へり》つきの肌衣とを、お贈りしました、そしてうやうやしく、漕ぎ座もよろしい船へお乗りのをお見送りしたものです。ところでいかにも、殿にはすこしご自分より年上とみえる伝令がついていました。それがどんな方であったか、その方についてもまたお話ししましょう。両肩がまるくなってい、肌が黒く、羊毛みたいな頭髪をして、エウリュバテスという名前でした、オデュッセウスさまから他の仲間の人々以上にとりわけ重んじられておりました、それも素直な心根にわきまえをもっていたので」
こういって、奥方になお一段と嘆き泣きたい思いを湧き起こらせた、オデュッセウスが彼女に示した確固としたいろんなしるしを、認めたもので。それからいよいよ十分に涙をこぼして泣き足りると、そのとき彼に向かって返答の言葉をかけ、いうようには、
「いまでは本当に、お客人よ、従前とてもお気の毒ではありましたが、私の屋敷のうちでは、これからはいっそう親しい方、または大切な方におなりでしょう。それというのも、私自身がいまお話しのその衣類はみなさしあげたものでした、納戸の間から出して畳みあげ、きらきらしい留め金をそれにつけて、あの方のお飾りになるようにと。でもその夫も、けしてもう二度とこの懐かしい故国に立ち戻って来たのを迎えることはありますまい。それゆえオデュッセウスは、不運なめぐりあわせで、中のうつろな船に乗りこみ出征したものですわね、名を呼ぶべくもない禍《わざわ》いなイリオスを眼に見ようとして」
それに向かって、知謀に富んでいるオデュッセウスが返事をしていうようには、
「ああラエルテスの子オデュッセウスのとうとくかしこいお妃さま、どうかけっしていま、美しいお肌を害《そこな》うことがあってはなりません、またお心をご主人のため泣き悲しんでやぶられては。もとより少しも非難がましく申すつもりはありませんが、世にはいくらも、夫をなくして悲嘆にくれるご婦人もあることです、オデュッセウスさまとは違ったふうな方ながら愛情をもって契りあい、子供を儲けた正しい夫、しかもまた神々にもひとしかった、といわれるご主人をです。されば泣き嘆くのはもうおやめください、そして私の申すことをよくお心にとめるよう。と申しますのも、けして間違いのないところをお話しいたしましょうから、何事もかくしだてせずに。
つまりもう早々にオデュッセウスさまが帰国の噂を、すぐこの近所で、聞きこんだのです、テスプロティアの者どもが住む、豊かに肥えた里に、まだ生きておいでなので。それにまた国じゅうからお請い受けなさいました、たくさんの立派な宝物を持っておいでとのこと。しかしながら忠実な仲間の方々も、また胴中のひろやかな船も、ぶどう酒色をした海原でおなくなしでした、トリナキエの島をでてから、ゼウス神と太陽神とのお怒りにふれたもので、それは仲間の連中が、太陽神の牛どもを殺したせいで、その人々は一人残らず、大波のたゆたう海原で命をなくしたことでした。あの方だけは、船の龍骨に乗っていたのを、浜辺へと波が打ちあげた、そこがパイエケス族の国で、神々に近い生まれの人々とて、いかにも殿を心底から神同然に大切にもてなし、たくさんな土産を贈ったうえ、彼ら自身で、何にも禍いされずに故郷へ送り届けようとはかったものでした。それであるいはもうとっくに、オデュッセウスはこの土地へ帰ってもいたはずでした、ところがあの方は、こうしたほうが利益だと、心にお思いだったのでした、つまりでかけた先々で、財物《おたから》を掻き集めてゆくほうがです。それほどにも命死すべき人間のうちでも人に超えて、オデュッセウスはいろいろと儲け仕事に達者なので、他には誰も彼と競争のできる者はありますまい。このようにテスプロティアの王ペイドンは、私に話してくれたのでした。また屋敷うちで神々へお酒を注いだおり、私自身に向かって誓いをしてからいうようには、船はもう岸辺へおろしてあり、乗組みの船員も用意ができてい、いよいよすぐにも懐かしい故郷へ送り届ける手筈であるということでしたが、私をその前に送り出してくれたのでした。というのも偶然に、おりからテスプロティアの人々の船が、小麦に富んでいるドゥリキオンヘ出航したためでした。また(国王は)オデュッセウスが寄せ集めた財宝をすっかり見せてくれましたが、それは恐らく十代のあいだも、子孫を養うに足りようほど、それほどたくさんな財宝が、王のお屋敷に置いてありました。ところであの方はドドネヘ赴かれたということでした。葉ぞえを高くそびえさす神聖な樹の木から、ゼウスさまの神慮をうかがうためにで。それももうはや長いこと(国を)離れていたあとで、懐かしい祖国へ帰るとしたおり、おおっぴらに帰ったものか、それともこっそり人知れず行ったがよいかを。それで、こんなぐあいに、あの方は無事でおいでで、もうとっくにすぐと近くにおいでになりましょうし、このうえ身内の人々や祖国の土から、ながいこと遠ざかってはおられませぬ。
いずれにしても、これは誓って申しあげます。ではさあ第一にはゼウス神もご照覧くださいませ、神々のうちいと高くいと優《すぐ》れたまう御神さま、またその場所に私がいま庇護をいただく高潔なオデュッセウスさまのお囲炉裏(を護る荒神さまも)、かならずいま申すことはみな実現いたされましょう、私の話しますとおりに。すなわちこの年のうちにオデュッセウスはここへおいでなされましょう、それもこの月の過ぎないうち、新しい月の立つまえに」
それに向かって、今度はよく気のまわるペネロペイアがいうようには、
「ほんにまあそのいまの話が、お客人さま、実現されておりましたら(うれしいでしょうに)。そうなったらさっそくにも、心づくしの親切もたくさんな贈り物も私からお受けとりなさるでしょうに、誰なりと出会った者はあなたを祝福するほど。しかし、実際はこうなのに違いあるまい、と、そんなふうに胸の中では想像されるのです、つまりオデュッセウスどのはまだ帰宅されはしないだろうと、またあなたにしても送り返しをしてもらえますまい。家じゅうには誰も指図をする人間がおりませんから、以前にはオデュッセウスが殿がたの間でやりましたような――まったくもしいままでにあったならばね――大切なお客人衆を送りだしたり、受け入れたりするについては。
ともかくもさあ、侍女たちや、お客さまに湯をお使わせして、臥床におつかせしておくれ、寝台や掛衣や光沢のよい厚布をさしあげなさい、よく温かにして黄金の椅子にお寄りの暁(の女神)をお待ち受けのよう。そして朝になったら、ずいぶんと早くから沐浴をし膏油《あぶら》を塗り、屋内でテレマコスのそばで、大広間に腰をかけて、食事をなさるようにね。あの(求婚者の)連中のうちで、このお客人の心を悩ませ意地悪をする者があれば、その人はいっそつらい目を見ることでしょう、ここではもうなにも仕遂げることはもうできますまいから。もしもお客人が湯も使えず、ろくな着物も着せられずに大広間で食事をなさるようなことでしたら、どうして私が他の女たちよりも、心ばえすぐれ、よく気がついて思慮もあるなどといえましょう。いかにも人間というのは、もともと生命《いのち》の短いもの、もしある人が頑固《かたくな》で、その心ばえも頑固《かたくな》ならば、その人の生きているあいだ、すべての者が後々で苦難をその人の上に呪いくだしましょう、また死んでからも皆から謗《そし》り嘲られることでしょう。ところが自身も高く潔らかに、心ばえも潔くめでたいものならば、その評判をひろく全世界まで、客としてきた人々が伝えひろめることでありましょう、そしてその徳を多勢の者がたたえるというわけです」
それに向かって、知謀に富んでいるオデュッセウスが返事をしていうようには、
「ああ、とうとくかしこいラエルテスの子オデュッセウスのお妃さま、まったく掛け衣とか光沢のよい厚布とかには閉口しました、その始めクレテ島の雪をいただく山々を、長い櫂の船に乗って後にしたときこのかた。それで私は従前の、夜な夜なを寝ずに過ごしたときと同じように、やすみたく思うのです。それというのも、まったく幾夜も見苦しい臥床のうちに休みまして、美しい椅子による輝く暁(の女神)を待ちくらしたものですので。それにまた足の洗水ともうしますのも、けっして心に望みません、それに女の方などが、われわれの足に手を触れるのもおゆるしください、あなたのお屋敷うちに召使いとして働いている方々でしたら。ただ誰か古くからいる年寄りの、まめまめしい心ばえの方でしたら、それでいかにもさんざ苦労を、私みたいに、心にお積みの方があったら、そのご婦人には私の足に触れることも、あえて拒みはいたしませんが」
それに向かって、今度はよく気の届くペネロペイアがいうようには、
「好《この》もしいお客さま、と申しますのも、けしてこれほどよく気がおつきの方が、遠方からおいでの家に親しい客人中にも、私の屋敷へ、これまでおいでになったことがありませんので。それほどあなたはとても御思慮が行き届いて、なにもかもよく心得てお話しです。ちょうどこちらには年寄りの女で、しっかりとした分別をよくわきまえている者がおります、仕合わせの薄いあの子をよく育てあげ、自分の手に受けとって世話をしてくれた女です、はじめてあの子を母親が産み落としましてから。ではその女におみ足を洗わせましょう、もとよりすこし弱ってはおりますけれど。ではさあ立ちあがって、よく気の届くエウリュクレイアや、おまえのご主人と同じ年頃の方を洗ってさしあげなさい、あるいはオデュッセウスさまも、もはやこのような足、このような手をしておいでかも知れぬ。不幸のうちに沈んでいると、人間はみるみる老いこんでいくものだというから」
このように彼女がいうと、年をとった女は両手で顔をおさえ、熱い涙をはらはらこぼして、おろおろ声でいうようには、
「まあ情ないこと、あなたといったら、殿さま〔すでに死んだと思っているオデュッセウスに呼びかけて〕、どうにもしようがありませぬ、まったくあなたを、ゼウスさまが人間じゅうでもとりわけお憎しみだったのです、神を畏れる心をお持ちですのに。だってこの世の誰ひとりとしてあなたさまほど、雷鳴《かみなり》をとどろかすゼウス神に、ゆたかな腿《もも》を焼いてまつった者はありません、また選りぬきの百牛の贄《にえ》を、あなたさまほどに神に祈りをささげて、つね日頃からさしあげている者はおりません、ゆったりとした老境に入り、息子を立派に育てあげるまで。ところがいま神さま方は、あなたおひとりだけに、帰郷の時をすっかりなくしておしまいでした。おそらくこのように、あの方に対しても遠いところの見知らぬ国の女たちが、からかったり悪態を吐《つ》いたりしたことでしょう、どなたかの立派なお屋敷にいらしたおりには、ちょうどあなた(乞食)のことを、ここな牝犬どもがみな寄ってたかって、なぶりものにし悪態を吐くのと同様に。その女たちのいたずらとひどい侮辱を避けようといって、あなたは洗足をおことわりなのですが、私にしては、けしていやとはもうしませんの、イカリオスのお娘御の、よく気がお届きのペネロペイアさま。
ではあなたのおみ足をお洗いしましょう、ペネロペイアさまご自身のためにも、またあなたのためにも、いろいろな悩みのせいで私の胸が奥底までゆさぶり返されておりますので。それゆえさあ、いまは私のこれからいおうとすることを、よくよくお聞きとめくださいませ。それはいかにもお気の毒な他国の方が、ずいぶん多勢この土地へ頼っておいでなさいますが、けしてこれほど似かよった方は、いままでお見かけいたしません、姿といい声といい、足つきといい、あなたのようにオデュッセウスさまとそっくりな方は」
それに向かって返事をするとて、知謀に富んでいるオデュッセウスがいうようには、
「ああおばあさん、いつもそういわれるのです、私ら二人を眼に見る人間はね、とても互いに二人ともが似かよっていると。ちょうどあなた自身がよく観察しておいいのように」
このように彼はいった。さて老婆はとてもよく光っている大鍋をとり、それで(オデュッセウスの)両足をきれいに洗い浄めた。まずたくさんな冷たい水を中へ注ぎ入れ、それから熱い湯をそそぎこんだ。ところでオデュッセウスは炉辺に背を向け坐りなおして、さっそく暗いほうへと顔をそむけた、というのは急に心の中でこんな気がしたからだった、老女が彼(の足)を取ったとき、切り傷のあとをそれと認めて、すっかり事が露見しはすまいかと案じたのであった。さて老女は自分の主人のすぐそばへ寄り、足を洗いにかかったが、すぐとその傷痕を知りわけたのであった、それはむかし猪が白い牙で彼に負わせたもので、(祖父にあたる)アウトリュコスやその息子たちといっしょにパルナッソスヘ出かけたおりのことだった。(このアウトリュコスは)ペネロペイアの優れた父親で、世の人々にも盗みのわざと誓いのことでは超え優れていた、それはヘルメイアス神が彼に授けた技能だったが、それもこの神へと彼が、お気に召すような供物の仔羊や仔山羊の腿を焼いてまつったせいであった、それで御神はこころよく彼のそばにおつき添いだったのである。
このアウトリュコスが、イタケの肥沃な郷《さと》にやってきて、自分の娘の新しく生まれた子供に会った、というわけである、その幼児をエウリュクレイアが晩餐をすましてのちに、彼の愛《いと》しい膝の上に置き名を呼んで話しかけるよう、
「アウトリュコスさま、ではさああなたが御自分で(この幼児に)名を見つけてくださいませ、なんとなり、お娘御のかわいいお子に名をおつけのよう。ずいぶんお待ちかねのお子さまですから」
それに向かって、今度はアウトリュコスが返事をして、声をかけるよう、
「私の婿と娘よ、私がこれからいう名前をそれがどんな名にしろ、(この子に)きっとつけてくれ。すなわち私は、多勢の人の憎まれ者としてここまできたのであるから、それゆえオデュッセウス(憎悪、敵意を受けるもの)〔オデュッセウスの名は、「憎む」というオデュッサオマイ、オデュッサメノス(分詞)に近いので、この通俗語源解釈ができたものであろう〕という名乗りをこの子につけたがよい。ところで私は、この子がいまに成人して、母の里の大きな館を訪ね、パルナッソスヘきたならば、そこには私の家財が置いてあるのだが、私は彼にそれを分けて与え、喜ばせて彼を送り返してやろう」
こうしたとりきめのゆえにオデュッセウスはパルナッソスを訪ねたのであった、立派な贈り物を彼が分けてくれようというので。さればアウトリュコスとアウトリュコスの息子たちは、彼を手に手に、情愛のこもった挨拶で歓迎した、母親の母であるアンピテエはオデュッセウスに抱きついて、頭だの両方の美しい眼にもとより接吻した。またアウトリュコスは誉れも高い息子たちに呼びかけて、馳走の用意をととのえさせた。そこで彼らは父親の促がしに従って、すぐさま五歳になる牡牛を連れて来て、その皮を剥ぎ、こしらえに取りかかって、牛をすっかり解体し、手際よくこまかに切って、串にさしつらぬき、注意ぶかく焼きあげてから、それぞれの取り前に配分した。このようにして当時は一日じゅう太陽の沈むまで饗宴に時を過ごし、ひとしく分けられた馳走に望みの欠けるところはなかった(思う存分腹を満たした)。そしてやがて日が沈んで暗闇が訪れると、そのときいよいよ人々はみな臥床について、眠りがおくる賜物《たまもの》を味わったのであった。
さて早く生まれて、ばらの指をした暁(の女神)がたち現れると、狩犬どもや、アウトリュコスの息子たち自身もまた狩猟へとでかけてゆき、彼らについて尊いオデュッセウスもでていった。そしてパルナッソスの一帯の森におおわれたけわしい丘陵地帝に向かって進んだ。それからまもなく風の吹きまくる山ひだに着いた。その頃は太陽もようやくいま、しずかに流れる、流れの深い大洋河《オケアノス》から昇って、田畑の上を照らし始めたばかり、狩人《かりうど》たちは低い谷に行き着いた、すると人々よりも先に、犬どもが、(獣の)通った足跡をさぐりつけて跳んでいったので、その後からアウトリュコスの息子たちがついてゆき、それにまじって尊いオデュッセウスも、犬どものすぐそばにつき、長い影を曳く槍をうち握り、進んでいった。その場所に、すなわちびっしり繁った木立のかげに、大きな猪の臥《ふ》し処《ど》があったが、そこへは湿って吹くいろんな風の勢いも徹《とお》って来ず、輝く太陽の光の矢も射し入らず、雨もまたそれを通して降りこむことはできなかった。それほど堅固にびっしりとした木立に、木の葉もずいぶんたくさん降り積もっていた。その猪が、人間どもや犬どもの足音のまわりを囲《かこ》んで、狩り立てながら寄るのを聞きつけると、木の茂みから現れ、背筋の粗毛《あらげ》をすっかり逆《さか》立て、眼光には火を燃やし立てて、狩人たちのすぐと眼近《まぢか》に構えて立った。そのときいちばん先をかけてオデュッセウスが、がっしりとした掌《て》に長い槍をふりかざして突き進んだ、刺しとめようと勢いこんで。ところが猪のほうが先を越して向かって来て、膝の上へぶつかり、牙をしたたかに肉へと突っこんだもの、斜めに跳びかかって。だが骨にまでは届かなかった。またオデュッセウスのほうでも猪の右肩めがけて突き刺せば、ずっぷりときらめく槍のするどい穂先がはいっていった。たまらずに呻《うめ》きをあげて(大猪は)塵泥《じんでい》の中へ倒れこみ、命は猪をはなれて去った。それでその猪はアウトリュコスの息子たちがよろしくかたづけ、また神とも並ぶ誉れも高いオデュッセウスの負傷をも手際よく包帯して、禁厭《まじない》をもって黒々とした血(の流れ出るの)をとめたうえで、さっそく愛する父の館へと帰って来た。
その彼に、いうまでもなくアウトリュコスとアウトリュコスの息子たちは、十分に治療を加え、立派な贈り物をいろいろ与えたうえで、さっそく懐かしいイタケ島へと、まずは満悦している彼を、一同も満悦して、送っていった。息子が帰国したのに、父親も母御のうえも悦んで、一部始終をこと細かに問い質した、負傷について、どんな目にあったかを。そこで彼は両親によろしく委細を語った、すなわち彼が狩猟をするとて、アウトリュコスの息子たちとパルナッソスヘ出かけたおり、猪が白い牙で突き刺した次第をである。
その傷痕をいま年寄った乳母が掌を下に向けた両手でもって支えたとき、うわべをずっとさわっていって、それと認めると、足を放した、落ちるにまかせて。そこで脛《すね》が大鍋へと落ちこみ、青銅《のうつわ》がひびきわたって、一方へと逆にかしぎ、地面へ水がこぼれ出た。すなわち喜悦の思いと苦痛とが彼女の心を捉え、両方の眼は涙でもっていっぱいになり、湧き立つ声もとまってしまった。そこでオデュッセウスに向かって、その顎《あご》に手を触れながら、いうようには、
「ほんとうにたしかにオデュッセウスさまでおいでなさる、愛しいお方、それに私としたことが、前にはわかりませんでした、殿さまをすっかりおさわり申しあげるまでは」
こういって、両眼でペネロペイアのほうを見やった、いとしい夫君が館のうちにおいでのことを告げ知らそうと考えて。ところが彼女は、(乳母のほうを)まっすぐに眺めることも、気がつくこともできなかった、というのはアテネ女神が、彼女の心をよそへ向けさせたからであった。一方オデュッセウスは手をのばして掴《つか》まえかかり、右の手で(乳母の)咽喉《のど》を捉えた、そして左手でもって自身のそばに引き寄せると、声をかけていうには、
「ばあや、どうして私を破滅させようというのだ。おまえは自身がおまえの乳房で、私を育てあげてくれたのに。いまこそ私は、さんざん苦労を積んだあげく、二十年目に故郷へと帰って来たのだ。だからおまえが覚り知ったうえは、また神さまがおまえの心に(私の帰国を)思いつかせてくださったら、黙っていろ、屋敷うちにいる他の者らに気づかれぬように。それというのも私がいまはっきりというように、それは確かに実現されるに違いないのだから。もし神さまが私の手によって傲慢な求婚者どもを退治させなさるのならば、私の屋敷うちにいる他の召使いの女たちをうち殺すおりに、おまえがたとえ乳母だといっても容赦はしないだろうよ」
それに向かって、今度はよく気の届くエウリュクレイアがいうように、
「まあ若さまとしたことが、なんというお言葉を歯並みの垣からおもらしになります。ご存知ですのに、どれほど私の気力がしっかりしていて、けっしてへこたれなどしませんのを。ちょうど私がかたくなな石だったか、鉄でもあったかのように、持ちこたえましょう。ところでいまひとつ申しあげておくことがあります、それをあなたは、よくよく胸にお含みおきをお願いいたします。もし神さまが、あなたの御手によって傲慢な求婚者たちを退治させなさるのでしたら、そのおりにこそ屋敷うちにいる侍女たちを、すっかり数えあげてさしあげましょう、どの女たちが無礼を働くものどもか、どれがまた罪を犯していないものかを」
それに向かって、知謀に富んでいるオデュッセウスが返事をしていうようには、
「ばあや、どうしておまえがまたそんな女どもについて話すことがあろうか。ちっともその必要はないのだ。それはもう私自身で十分にしらべてみ、一々の女を知りわけることができよう。だからこの話については沈黙をまもって、神々にお委《まか》せしておくがいい」
こういうと、老女は部屋のうちを通り抜けて出ていった、洗足の水を持って来ようと。それというのも、前の分はすっかりこぼしてしまったもので。それから洗足を終わり、オリーブ油を肌に塗りこめてから、またもう一度もっと火に近いところへ、オデュッセウスは台座を引っ張ってゆき、乾かしにかかった、傷の痕はぼろ切れの下へかくして。
さて人々にさきがけて、よく気の届くペネロペイアが話の口をきるようには、
「お客さま、もう少し私が自分からおたずねしたいことがあります。といいますのも、いよいよじきに、快い臥床《ねどこ》にはいる時刻になりますので。どんな人でも、たとえ心に悩みをもつ者でも、甘い眠りのとりこになろうというわけですが、さりながら私には、測り知れないほどの悲嘆を、神さまはお授けなさったもの、それで日中はともかくもよし嘆いたり泣いたりはいたしましても、自分の手仕事に眼を向け、かつは家にいる女たちの仕事をながめて気を紛らせます。ところがいったん夜がきまして、誰も彼も眠りにとりこめられますと、臥床《ふしど》に身を横たえながら、絶えもやらぬはげしい物思いが私の胸をせわしく攻め立て、嘆き悲しむ身をなおさらに責め苛《さいな》むのです。ちょうどあのパンダレオスの娘の、萌黄《もえぎ》色のアエドン(歌鶯《うたうぐいす》)が、春の立ち初《そ》めたばかりのころ、きれいな声で歌をうたうように〔鶯になったのは、ふつうパンディオンの娘ピロメラ(後にはプロクリス)とされる。これは古い異伝で、父もパンダレオスとされるが、もともと説明神話。ただアエドンは元来ギリシア語の「うぐいす」(歌う鳥)で固有名詞ではない〕――森の木の生《おい》い茂った葉組みにとまって、いく度となく調べを変えて、あたりにこだましてわたる声音《こわね》を注ぎ、息子のいとしいイテュロスのことを嘆いて泣くのです。その子をむかしわきまえなしに青銅の刃で殺してしまった、ゼトスの殿の子息ですのを。それと同様、私の胸も、あちらへまたこちらへとふたつに別れて湧き立つのです、あるいは息子のそばに踏みとどまって、しっかりとなにもかも守ってゆこうか、自分の財産や、召使いたちや、棟を高くそびえさせる大きな館やをみな、夫の閨《ねや》や国中の人の評判やを大切にして――それとももはやアカイア人《びと》のうち、いちばんに優れた方で、この屋敷うちに結婚を求められる殿がたについていっしょにゆくことにしようか、数限りもなくたくさんな結納を送ってよこす方のところへ。息子がまだわけもわからぬ幼児であった間は、夫の家をあとに残して、他へ嫁ぐことは許されませんでした。それがいまでは、いよいよ子も大きくなり、成人の域に達したものですから、私に屋敷を出て(父親の手もとに)帰ってゆくようにと求めるのです、財産のために気をいらだてましてね、それをアカイア族の殿方が食い潰すものですから。
それは別として、さあ、この夢見の占《うら》を解いてくださいましな、まあお聞きになって。つまりうちのなかに二十羽もの鵞鳥《がちょう》が水の中から小麦の粒を食べているのです。それをながめて私は心をなぐさめていました。すると山の方から大きな鷲《わし》の嘴《くちばし》の曲がったのが飛んで来て、鵞鳥の頚《くび》を残らずとり挫《ひし》ぎ殺しました。それでみな、いっしょくたになり、部屋のうちにぐったり倒れかさなっているのに、鷲《わし》のほうは輝く高空へと舞いあがっていったのです。私はというと、泣きだして、夢の中ながらもすすり泣きしていますと、きれいに髪を編みあげたアカイア族の女たちが集まってきました、鷲が私の鵞鳥を殺したといって、悲しげに泣きじゃくる私のまわりに。ところがその鷲もまた戻ってきて、屋根の棟木《むなぎ》の突きでたところにとまりこみ、人間の声で私(が泣くの)をさしとめようとし、いいますよう、安心しなさい、遠国にまで名の聞こえたイカリオスどのの娘御よ、夢ではなくて吉祥な現実のことだ、それは必ずまこととなろう、鷲鳥というのは求婚者どもで、私は以前は鳥のワシであったが、いまはまたおまえの夫として帰ってきたのだ。そしてすべての求婚者どもに、みじめな死のさだめを与えることであろう、とこういいましたところで、私は蜜の甘さの眠りから覚めたのです。それでほうぼう見まわしますと、屋敷うちに鷲鳥の群が見えましたが、以前と変わらぬいつもの槽《おけ》のところに、小麦の粒をついばんでいるのでした」
それにむかって、知謀に富んでいるオデュッセウスが、返事をしていうようには、
「ああ、お妃さま、とうていその夢占《ゆめうら》を、ほかの仕方に解釈をゆがめて解くことはできません。いかさまオデュッセウスさまがご自身おあかしなさったのですから、どんな具合に片をつけるかを。それで求婚者ども残らずに、まったくの破滅が見えております、誰一人死のさだめをのがれる者はおりますまい」
それに向かって、今度はよく気が届くペネロペイアがいうようには、
「お客さま、もとより夢というのは、なんともわからぬ、いうところの定かでないものでして、またその説くすべてが、人のうえに実現されるわけではありません。つまりはかない夢々には二つの門があるというので。その門のひとつは角《つの》でできております、もう一方のは象牙でできているのです。ところが、夢のうちで、挽《ひ》いて切った象牙の門から出てくるものは、人を欺《だま》して、そのいうところも成就されない話を伝えるのに対し、磨《みが》いた角の門を通って外へ出て来る夢は、人間の誰かがそれを見ますと、実際そのとおりに事が運ぶ、ともうします。しかし私の見た恐ろしい夢は、そこ(角の門)を通って来たのではあるまいと存じますの、まったく(もしそうでしたら)私にも息子にとっても、うれしいことになりましょうが。でもいまひとつお話ししたいことがあります、それをよくよく胸に納めてお置きください。いよいよこれから明ける暁は、不吉なもの、というのも私をオデュッセウスの館から引き離すことになりましょうから。なぜならば、いまこそ私は競技の的《まと》に双刃《もろは》の斧を置かせましょう。その斧は、天が自分の部屋のうちに、(船造りに用いる)樫の船台みたいに、ちゃんといつも並べて置いたもので、すっかりで十二ございます。それをあの人は、ずいぶん遠方から、立ったまま矢を放って、よく射通したものでした。それを今度は、求婚者の方々に、技くらべの争いに掛けようというわけです。それで誰にもせよ、いちばん容易《たやす》く弓を掌《たなごころ》のうちに張りわたし、十二の斧を残らず射通した方、その方に従って、この嫁入って来た家を去り、出てまいりましょう。とても立派な財物に満ちみちた、この家のことは、夢になりともまた思いだすことでありましょう」
それに向かって、今度は知謀に富んでいるオデュッセウスがいうようには、
「ああ、とうとくかしこいラエルテスの子オデュッセウスのお妃さま、どうかけっしていまはもうお屋敷うちで、この競技を引き延ばしなさらないよう、といいますのも、その前にここへ知謀に富んでいるオデュッセウスどのがおいでになろうからです。あの連中がこのよく磨いた弓を手につかんで、弓弦《ゆづる》を張りあげ、(斧の柄の)鉄の穴を矢で射通し切るその以前に」
それに向かって、今度は気がよくお届きのペネロペイアがいわれるよう、
「もしもあなたが、お客さま、この部屋で私のそばに坐っていて、話をつづけてくださるおつもりなら、けして眠りが私の瞼《まぶた》に注がれることはありますまい。さりながら人間として、いつでも始終眠らずにいるというのは、とうてい不可能なことですので、それというのも不死の神々たちは、麦をみのらす田畑にくらす、死ぬべきもの人間について、いろいろなことごとにつけ、程合《ほどあ》いというものをお定めなさったのです。それゆえいかにも私にしても高殿《たかどの》へあがっていって、臥床につくことにいたしましょう。それはまあ嘆きに満ちたものですけれど、いつも絶えせぬ私の涙にすっかりぬれひじて、オデュッセウスどのが、あの禍いな、名を呼ぶべくもないイリオスを見にいっておしまいなさってからは。そこでやすむといたしましょう。それであなたは、この館うちにお泊りなさいませ、地面へ敷物をのべるなり、寝台を置くなりいたさせますから」
こういうと、きらやかに輝く高段へと上がってゆかれた、それも単独《ひとり》ではなく、彼女といっしょに他の侍女たちがついていった。そして二階へ召使いの女たちとあがってゆくと、それから愛する夫オデュッセウスを思って泣き続けた、きらめく眼のアテネ女神が、快い眠りを瞼《まぶた》の上に投げかけるまで。
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第二十巻
オデュッセウスヘの吉兆と求婚者ら騒擾《そうじょう》のこと
【オデュッセウスは床についたが、群がる思いになかなか眠れない。そこへアテネ女神が下降して、彼を激励し睡眠をその瞼《まぶた》にかけた。ペネロぺイアも悲嘆のため眠れないで、アルテミス女神へと祈りをささげる。朝になってテレマコスは起き上がり、槍を取って町へ出かけた。エウリュクレイアは侍女たちを集め広間の清掃にかかる。豚飼いエウマイオスも馳走にと豚を三匹連れて来た。牛飼いのピロイティオスも牛を一匹連れて来て、旧主人の懐旧談をする。求婚者らははじめ戸外に集まって悪企みをこらしていたが、左手から鷲《わし》が飛んで来た凶兆に気を悪くし、広間にはいる。オデュッセウスを見つけ、また嘲罵にかかり、牛の足を投げつけたりする。その様子に予言者テオクリュメノスは不吉の影を認め、注意をうながすが、一同は彼を侮《あなど》り、意に介しない】
一方尊いオデュッセウスは前室で臥床《ねどこ》についた。まず下へまだなめしてない牛の皮を敷き、それからその上に羊の毛房をいっぱい敷きつめた、それはアカイア族の人々(求婚者たち)がいつも祭りに屠殺して食った羊である。それヘエウリュノメが、横になった体の上へ外衣を掛けた。そこヘオデュッセウスは、求婚者たちヘどう禍いを仕掛けたものか心中に考えて寝つかれぬながら臥《ふ》していた。また侍女たちは部屋から外へ出かけていった、その女どもは前々から求婚者たちといつもいっしょに寝ていたので、おたがいに声を立てて笑ったり楽しく話し合ったりしながら。(それを見聞きする)オデュッセウスは、怒りに胸も湧きたつ思いで、いろいろと心中に思案しつづけた、あるいは後ろから跳《と》びかかって、一人一人を殺してやろうか、それとも傲りたかぶる求婚者どもと通じることを、これが最後の極《きわ》みとして、見過ごしておこうかと。
それで彼の心臓は胸の中で、犬のように吠え立てるのであった。ちょうど犬がまだひ弱な仔犬たち(を連れているところへ)知らない男が来かかると、仔犬のまわりを歩きまわってしきりに吠え立て、闘いかねない意気ごみを示す、そのように彼の心も怪《け》しからぬ所業に腹をすえかね、さかんに吠え立てるのだった。それで彼は胸をたたいて、心臓を叱りつけていうようには、
「辛抱しろよ、な、心臓よ、もっとひどい無慚《むざん》な所業を、いつかあの時におまえは我慢したではないか、あの勢いのどうにもできぬキュクロプス(単眼《ひとつめ》巨人)が、勇ましい私の仲間の者たちをとって食ったときだ。それでもおまえは耐えつづけた、頭を働かして謀計《はかりごと》を用い、洞穴からもう死ぬことかと思われたのを、救出するまでは」
こういって、胸の中にあるいとしい心に話しかけ慰めたので、心臓もそれでずっと変わらずにおとなしくして辛抱しつづけたのであった。しかしながら彼自身は、あちらへまたこちらへと、身を転々としつづけていた。まるで人が、脂肉《あぶらみ》と血のいっぱいつまった腸詰めを、勢いよく燃えさかる火の上で、あちらへこちらへと動かして(焼くとき)みたいに、すこしも早く炙《あぶ》りあげようと願って――そのように彼はあちらへまたこちらへと思案しつづけて身を転がした、どのようにして恥知らずな求婚者どもを手にかけようかと、こちらは一人、先方は大勢なのに。すると彼のすぐかたわらにアテネ女神が天から降りておいでになった、その姿は女の人のように見えた、そして彼の枕もとに立ち、彼に向かって話しかけ、いわれるよう、
「なぜまたそう目を覚ましているの、あらゆる人間のうちでも、おまえは特別に不幸な人間だわね。これがおまえのうちだし、その家におまえの奥さんもいるし、子供もいるというのにね、しかもまあ人として望める限りの(立派な)息子だというのに」
それに向かって、知謀に富んでいるオデュッセウスが返事をしていうようには、
「はい、いかにもまったく、そうしたことについては全部、あなたのおおせはあたっております。しかし一つだけ、私が胸の中で、心にとやかくと思いわずらうことがあるので。つまりいったいどのようにして、恥知らずな求婚者どもを手にかけようかということです、それもこちらは一人きり、あいつらはいつでもいっしょに集まって、うちの中にいるものですから。そのうえにまだこの、いっそう重要なことを、心中に思いわずらっております、というのはもしも私が、ゼウスさまやあなたさまの御意に従い、彼らを殺しましたうえは、どのようにしてその咎《とが》めを免れることができましょうか。それをどうか思案なさっていただきたいもので」
それに向かって、今度はきらめく眼の女神アテネがいわれるよう、
「がっちりしているのね、まったくもっと非力な仲間でさえも頼りにする人がいくらもいるのに。死ぬはずの人間で、それほど知恵をもたない者をさえ。それに反して私のほうは、女神だし、いつも変わらずおまえを護って来たものですよ、ありとあらゆる苦難に際してもね。それではおまえにはっきりといっときましょう、たとえはかない人間の五十の群れが伏せ勢として、私ら二人をとり囲み、戦いに殺そうと勢いこんでかかろうとも、それでもおまえは、その連中の牛どもや勢いのいい羊どもを(分捕って)追ってゆくことができるでしょう。それゆえともかく眠りに身を委《ゆだ》ねるがよい、まったく一晩じゅう、寝もやらずに、見張りつづけるというのは難儀なことです、もうすぐとおまえは、すべての禍いから抜け出すことができるのだからね」
こういわれて、眠りを彼の瞼《まぶた》の上にお注ぎなさると、女神たちのうちにも聖い、そのかた自身は、またオリュンポスヘと帰ってゆかれた。
さて、四肢をぐったりさせる眠りが彼をとらえて、いろいろな思いわずらいを心から引き離したころ、心がけの信実なその配偶《つれあい》は眠りを覚まして、軟らかな臥床に坐ってひそかに涙を流しつづけたのであった。しかし存分に泣き、自分の気持を満足させると、まず先にアルテミス女神へと、女人のうちにも尊い(かの奥方は)祈りをささげたのであった。
「アルテミス女神さま、ゼウス神のおん娘の、どうかもうこの胸に矢をお射かけなさって、命をお奪《と》りくださいますよう、すぐとこのいまに。さもなくば、こんどは颶風《はやて》が私をさらっていって、おぼろに霞む道程を運んでゆき、流れ逆まくオケアノスの河口〔世界の西の涯、夜に接するところなので、冥界の入口があると想像された〕へ投げこんでくれますように。ちょうどあのパンダレオスの娘たちを、颶風《はやて》が空へと高くつれていったように、――その両親は神さま方がお殺しでしたが、娘たちが屋敷うちに孤児《みなしご》として残されたのを、尊いアプロディテさまがお世話をなさり、チーズや甘い蜜や味のよいぶどう酒でお養いでした、するとヘレさまは娘たちに、あらゆる女たちにも超えすぐれた容姿と賢さを、きよらかに尊いアルテミスはすらりとした背丈《せたけ》をお授けなされば、アテネさまはすぐれた手技を仕上げる道をお教えになったということ。ところが尊いアブロディテが、オリュンポスの高嶺をさしてのぼっておいでなさると、それは娘たちに華やかな婚礼を首尾よくさせていただこうとのおつもりから、雷を転じてお喜びのゼウスのもとへおいでになった、というのも御神は、なにもかも、命死ぬ人間の仕合わせにつき、不仕合わせにつき、万事をよくご承知ですから。ところがその間にその娘たちを、颶風の風がさらっていってしまって、おぞましい|復讐の女神《エリニュス》たちに侍女として仕えさせたのでした。そのように私を、オリュンポスに宮居をお構えの神さま方が、私をなくしてお終いのよう、さもなくば私を、きれいに髪をお編みのアルテミスさまが、射あててくださいますように、せめてはオデュッセウスさまと、おぞましい地の下でなりと、会えますように。またずっとつまらぬ男の心を私が楽しますことなど、ありませんように。ともかくこうしたことは、とうてい我慢がならない嫌《いや》なことです、まあ昼のあいだはさんざ胸を痛めて、ひっきりなしに嘆き泣いていましょうとも、夜になると眠りのとりこになってしまうというのは。それ(眠るということ)が万事を、よいことも悪いこともみな、忘れさせるのですもの、人の瞼におおいかぶさって。それでまた私へと神さまはいやな夢をお仕向けなさいました。というのは今夜またもや私のわきに、あの方ご自身とそっくりな人が寝《やす》んだのです、それがまったくあの方が遠征軍にお立ちのおりのお姿なのです。それで私の胸も喜びにときめきました、もう夢だとは思いもよらず、すっかり現《うつつ》のつもりでしたので」
こういわれたが、まもなく(夜が明け)黄金の椅子にお寄りの暁が来た。その奥方の泣く声を尊いオデュッセウスは聞きつけて、それからとやかく思い惑ったが、心中でもう彼女が(夫をそれと)認めて、彼の枕もとに来て立っているように思われた。それで上にかけていた外衣と羊の毛房をひっ掴《つか》まえて部屋のうちへ、肘掛け椅子の上に置き、牛の皮は室外へ持って出てかたづけると、両手をさしあげてゼウスに祈りをささげるよう、
「ゼウス父神さま、もし皆さま方が私をわざわざ、陸のうえ、海のうえを引きまわし、私の故郷へお連れくださいましたなら、さんざん私をいたぶりつけたうえのこと、なにとぞ、いま家中で目を覚ましている人間の誰かに、幸先《さいさき》のよい言葉をいわせてくださいませ、また家の外でもゼウスさまからの異象をさらにお示しくださるよう」
こう祈っていった彼の言葉を、知謀の御主ゼウス神は聞こし召されて、すぐさま閃光の立つオリュンポス山から雷鳴をひびかせられた、空高い雲間から。それに尊いオデュッセウスはよろこび立ったが、家の中からも粉挽きの女が、すぐ近くから言葉の占《うら》を見せてよこした。そこには衆民の牧人(である王)のために挽き臼がすえてあって、全部で十二人の女たちが、人々の滋養である挽割りの大麦や小麦粉をこしらえるのに、せっせと働いていたのである。それで他の女たちはみな小麦を粉に挽いてしまって眠っていたが、その女ひとりはいちばん非力だったので、まだ粉挽きをやめないでいた。それがいま挽き臼の手をとめて、主人にとって兆《きざし》になる言葉を口にしたのであった。
「ゼウス父神さま、神さま方も人間もお治めなさる、あなたさまがほんにまあたいそう雷鳴《かみなり》をひびかせなさった、星のいっぱい光る大空から、それなのに雲はどこにも見えないとは。これはきっと誰かに異《かわ》った兆《きざし》をお示しなのだね。そんならこのみじめな私にもこの一言《ひとこと》を叶えてくださりませ、いま申しあげましょうから。求婚者どもが今日この日、オデュッセウスさまのお屋敷うちで、結構なご馳走にあずかるのも、これが最後のどんじりとなりますよう。まったくあいつらは、私に挽割り麦をこしらえさせて、命をちぢめる疲れでもって、膝も立てないようにならせた、いまが最後に酒宴をしたがいいわ」
こういったので、聞こえてくる言葉に、またゼウス神の雷鳴に、尊いオデュッセウスはうれしく感じた。科人《とがにん》どもに仕返しができようかと思ったからである。
さて(朝になったので)オデュッセウスの立派な館じゅうにいる他の侍女たちは集まって来て、火処に疲れを知らず燃えさかる火を焚《た》きつけた。一方テレマコスは臥床から起き上がって、神にも見まがう人柄に、衣類を着け、肩にはぐるりと鋭い剣を掛けまわした。また下のほうのゆたかな脚にはきれいな短鞋《あさぐつ》を結《ゆ》わえつけ、鋭い青銅の穂先をつけた手強い槍をひっつかんで、敷居のところへいって立ち、エウリュクレイアに向かっていうには、
「ねえばあや、どんなふうに客人を家ではおもてなししたかね、夜の仕度だの食事だのについてだが、それともそのままなにも構わず、放ったらかしにしてあるのか。だっていつも母上はそんなふうだからね、それは利口な方ではあるけれど。すっかり打ちこんで、一方の男を大切に奉りはなさるが、それがつまらない男でさ、もっと立派な男のほうは、ろくなもてなしもせず、送り返すことがよくあるのだ」
それに向かって、今度はよく気が届くエウリュクレイアがいうようには、
「まあ今度という今度は、若さま、咎《とが》もないのに母上さまをお咎めはなさらないでしょうね。だって(お客さまは)お坐りでぶどう酒をあがっておいででした、ご自身飲みたくお思いの間はね、でもパンはけして食べたくないとおっしゃってです。ところでいよいよ臥床についてお寝《やす》みになろうというとき、奥方さまは侍女たちに、寝床の用意をするようにお命じなさいました。しかしあの方はすっかり虐《しいた》げられた不運な男だと見えて、臥床の中に敷き物をかけて寝るのはご免だといいまして、なめしてない牛の皮や羊の毛房の中で、玄関先でおやすみでした。それで私どもが外衣を上にお掛けしました」
これを聞いてから、テレマコスは、部屋を横ぎって外へでていった、槍を携え、いっしょに二匹の脚の速い犬がつき従って、集会の場へと、脛当てをよろしく着けたアカイア族の人々の間へとでかけていった。一方、ペイセノルの裔《すえ》、オプスの娘であるエウリュクレイア、女人のうちでも尊いその婦人も、侍女たちにいいつけるよう、
「さあ掛かっておくれ、一手《ひとて》の者はせっせと動いてね、お家の中を掃除するんだよ、水を撒いて、それからこしらえのよい肘掛け椅子に、紫色の毛氈《もうせん》を掛けるんだよ。他の一手《ひとて》はスポンジでもって、ありたけの四脚|卓《づくえ》をすっかり拭き浄めるの、それから混酒器《クラテール》やこしらえのよい両耳付の杯をきれいにしなさい。もう一手は水を汲みに泉のところへ行っておくれ、それでいったら、すぐに持ってくるんだよ、そう長くは求婚者の方々は、大広間を離れてはいなさるまいからね、もう早々にも帰って来なさろうよ、(今日は)皆の衆にも祭日〔何の祭日か明らかでない〕なんだから」
こういうと、侍女たちは老女の命令をたいそうよく聞きわけて、いいつけどおりにひとつの組は二十人で、水の昏《くろ》ずむ泉へとゆき、一組はそのまま館《やかた》の中に残って、手際よく仕事をしていった。
するとそこへ、(求婚者どもの家来の)傲りたかぶる召使いたちがはいって来た。彼らはそれから焚き木を上手に手際よく割りにかかったが、女たちも泉から戻って来た。その連中に加えて豚飼い(エウマイオス)も三匹の肥えた牡豚を連れてやってきたが、この豚は豚全体の中からの選り抜きだった、それを美しい垣根がこいの中庭で、草を食《は》ませておいて、自分はまたオデュッセウスのところへ来て、やさしい言葉で話しかけるよう、
「お客さん、どうだね、少しはよけいにアカイア族の方々があんたに一目《いちもく》置いてくれるか、それとも以前と同様に、この館じゅうであんたに失礼なあしらいをするかね」
それに向かって、知謀に富んでいるオデュッセウスが、返事をしていうよう、
「いやまったく、エウマイオスさん、神さま方がこうした不埒な所業を罰してくださったらと思いますよ、この連中が思い上がって非道にもそうしたことを仕出かすのだ、しかも他人の家でだ、まったくてんで遠慮も謹しみも持ってないのだから」
こんな具合に、二人はこうした話をお互いにしあっていた。すると、彼らのすぐそばに、山羊たちの牧人であるメランティオスがやって来た、山羊どもを引き連れて。この山羊どもは、山羊の群全体のうちでも、とりわけて立派な山羊なのを、求婚者どもの饗宴の用に連れて来たものであったが、それへ二人の牧人がついて来ていた。そして山羊たちを、音の高く鳴りひびく柱廊下につないでおいて、自分はまたオデュッセウスに向かって、悪口を浴びせていうよう、
「おい渡り者、まだいまもこのお屋敷にぐずぐずしていて、旦那方にうるさくつきまとって物乞いをしようってんのか、それで外へ出てゆかないのかね。なにがあろうと、もうこうなりゃあ私ら二人が、互いに拳固を味わわずには別れることはあるまいだろうな、おまえの物乞いの仕方はまったくなっちゃいないから」
こういったが、それにたいして知謀に富んでいるオデュッセウスは、なにも返事をしてやらず、ただ黙りこくって頭を振っただけ、胸の裏《うち》でひどい目に逢わしてやろうといろいろ思いめぐらしたのであった。
そのところへ三ばん目に、人夫らの頭領《かしら》であるピロイティオスがやって来た、子を産まぬ牝牛を一匹、それと肥った山羊どもを、求婚者たちのために連れて来たものである、これらは渡し守らが本土から海を渡って運んでやったもので、この者どもは、頼めば人間も渡してくれる。ピロイティオスは獣らを、音の高く鳴りひびく柱廊下につないでおいて、自分は豚飼いのすぐそばへ立ち添って、たずねるようには、
「いったい全体どういう人だね、この客人は、豚飼いさん、新規にわしらのお屋敷へやって来たというのは。どうした氏素性の人間だといいなさるのか。いったいどこで生まれ、故郷はどこの国なんだね。不運な人だ、まったく容貌《かおかたち》など一国の領主さまみたいに見えるが。神さま方はほうぼうを流浪して歩く人間を、みじめにやつれさせなさる、領主だとてもな、彼らの上に痛ましい運命《さだめ》をお与えなさるときには」
それから彼に向かって声をあげ、翼をもった言葉をかけて、
「やあご機嫌よう、お客の小父《おじ》さん、まあ後々でなりと仕合わせになんなさるよう。だがいまのところは、ずいぶんいろんな難儀にかかっておいでのようだね。まったくゼウス父神さま、まったく神々のうちであなたほど無情な方は、他《ほか》にありませぬ、人間どもをちっとも憐れんではくださらないのだから、ご自分が(人間を)おつくりなさったものなのにさ、いろんな災難や、骨肉《ほねみ》を攻める苦しみやをいつも(彼らが)嘗《な》めさせられているのを。(まったくあんたを)見るからに、私は総身に冷汗をかいたよ、オデュッセウスさまのことを思い出してな、それで私の両眼もすっかり涙で曇ってしまった、あの方もこうしたぼろ布《きれ》をまとって、世間を流浪しておいでなさろうからなあ、もしもどこかにまだ生き存《ながら》えて、日の目を見ておいでならばだが。もしまたもはや死んでおしまいで、冥王《アイデス》さまのお館にいっといでなら、そのおりにはまったく情けないことだ、私にとってはな。気高いオデュッセウスさまを思うとなあ、まだ私が子供の時分に、牛どもの見張りの役にしてくださった。ケパレネスの里人の邑《むら》でのことだ。それがいまでは数えきれぬほどになってな、額のひろい牛どものやからが、どのような持ち主にしろ、これほど立派に、麦の穂みたいにたんと穂がでて栄えたことはあるまいよ。ところがそれを他の奴らが、自分たちの食《く》い料《しろ》にするというので、連れてこいとしょっちゅう私に命ずるのだ。そのうえてんでお屋敷うちのご子息を憚《はばか》る様子もなく、神さま方のお告げを恐れることさえない。それでいまではながらく帰っておいでなさらぬご主人の財産まで、分配してしまおうとしきりに願っている始末だ。ところで私の胸の中では、いろんな気持が渦まいているのだ、いかにもたいそう悪いことに違いない、ご子息がいるというのに、他所の土地へ、そっくり牛どもぐるみに他国の人間たちのところへいってしまうというのは。だが、このままここにいすわってて、他の家の牛どもの見張りで苦労するというのは、いっそうつらいことだろうさ。まったくそれでとっくにも、他《ほか》の有力な領主を頼んで逃げてってしまいもしたはずだったよ、それほど万事が我慢ならないものだったからな。だがそれでもなお、私はあの不運な方が思いきれなかったのさ、もしやどこからか帰ってきなさって、求婚者どもをお屋敷から追っ払ってしまいなさろうやも知れぬとな」
それに向かって、知謀に富んでいるオデュッセウスが返事をしていうようには、
「牛飼いさん、どうやらあなたは、悪い人でも愚か者でもなさそうだ、それに私自身としても、物わかりよさがあなたの頭を占めているのを知っています、それゆえにあなたにお話しておきましょう、たいした誓《ちか》いで誓ってもおきますが。いまこそご照覧あれ、神々のうち第一にはゼウス神、それと客人への四脚卓、また高潔なオデュッセウスの火処も、そこを頼って私がいま来ております、いかにもあなたがここにいるうちに、オデュッセウスは家へ戻って来なさろう、また自分の眼でご覧になれよう、もしもあなたがお望みなら、いまこのところで我物顔に振舞っている求婚者どもが、殺されてゆく現場を」
それに向かって、今度は牛どもの見張りをする役の男がいうようには、
「まったくいまの話をクロノスの御子神さまが実《まこと》にさせてくださったらなあ。そうなったら、あんたもわかってくださろうよ、どれほどの力や腕を私が身につけているかがな」
それとまったく同じように、エウマイオスもあらゆる神々に祈りをささげた、思慮に富んでいるオデュッセウスが、自分の家に帰ってくるようにと。
こんな具合に、彼らはこうしたことをお互いに話しあっていた。いっぽう求婚者たちは、テレマコスを殺害する計画を進めようとしていた。ところが彼にたいして左手の方角から鳥が飛んで来た、高所を飛ぶ鷲《わし》であったが、距《けづめ》に一羽のほろほろ鳴く鳩をつかんでいた。そこでアンピノモスが一同の間でもって話をはじめいうようには、
「おい仲間の人々、この相談はわれわれにとって、どうやら巧くはゆかんらしいぞ、テレマコスを殺す件はな。それゆえ宴会のほうに気を向けることにしようよ」
こうアンピノモスがいうと、その言葉に一同も賛成した。そこでまた尊いオデュッセウスの館へ出かけ、上衣をソファや肘掛け椅子にかけておいて、大きな羊どもや肥った山羊どもを贄《にえ》に屠ってゆき、太らせた牡豚どもや群のぬしの牝牛なども次々に屠殺していった。そして臓腑を炙《あぶ》り焼いてから一同に分けてまわれば、一方ではぶどう酒を混酒器《クラテール》に注いで(水を)和《あ》えた盃を豚飼いが配ってゆくと、人夫らの頭領であるピロイティオスがパンを彼らに配ってまわった、美しい籠《かご》に入れたのを。酒|注《つ》ぎ役はメランテウスが務めていた。そこで一同は、用意して出された料理に向かい、しきりに手をさしだした。
さてテレマコスは利害の分別を働かせて、オデュッセウスを、こしらえのよい広間のうちの、石の閾《しきい》のそばのところに座を取らせた、みすぼらしい台座と、小さな卓《つくえ》を側に引き据えて。そこへ(みんなに)配って分けた臓物を持って来て置き、黄金の杯にぶどう酒を注いでから、彼に向かって話すようには、
「ではこのところにしばらく坐って、男たちの間でもって酒を飲んでいてください。悪口をいったり手出しをしたり、求婚者のみなみながするようなら、私が自身でさしとめてやりますから。もちろんこの家は、公共用の建物ではなく、オデュッセウス自身のものなのですものね、私のためにあの方がもとめたものです。またあなたがた、求婚者の方々も悪口雑言や手だしをするのは、さし控えてください、争いごとや喧嘩などが起こらないように」
こういうと、人々はみな歯に唇を咬みしめて、テレマコスがかように思いきって勇気のある言葉をいい放ったのに胆《きも》をつぶした。その連中の間にいて、エウペイテスの息子のアンティノオスがいうようには、
「いやずいぶんと癪《しゃく》にさわる物いいだが、アカイア族の方々よ、テレマコスのいうことを、受け入れるとしておこうよ。ずいぶんと私らに強《きつ》いことをいい立てたがな。まあクロノスの御子のゼウス神が、おさしとめだったからな。(もしそうできたのだったら)もうとっくに彼奴を屋敷のうちで黙らせてしまったろうが、たとえ(どれほど彼が)声高な喋り手だったにしてもだ」
こうアンティノオスがいったけれども、こちらは平気で、彼の言葉をてんで意に介しようともしないのであった。さて伝令使らは町中を神々に献げる尊い百牛の贄《にえ》を連れて通った、そして頭髪を長くのばしたアカイア族の人々は、遠矢を射たまうアポロン神の、影をさす木立のしげみに集まって来た。
人々は上側の肉を炙《あぶ》りあげて、火から除《ど》けると、いくつもの均等な部分に分けて、たいそう立派な饗宴をつづけていった。そしてオデュッセウスのそばにも、料理の仕度をする者どもは、分け前を置いていった、自分たちと同じだけの臓物を。それは尊いオデュッセウスの愛する息子テレマコスが、このように命じたからである。
しかしアテネ女神は、傲慢な求婚者どもが、心を苦しめる罵詈《ばり》雑言をすっかりさし控えるようには、させないでお置きだった、それはラエルテスの子オデュッセウスの胸にいっそう深く、つらい思いがはいりこむように、とのお計らいからだったが、ここに一人、求婚者どものうちに、非道無法な心がけの男がいた。クテシッポスという名前で、サメ島に住居している者であった。これがまったく自分の父親の身代《しんだい》を恃《たの》みにして、出かけたままながらく帰って来ないオデュッセウスの奥方に求婚をしていたものである。そしてこのとき思い上がった求婚者どもの間にあっていうようには、
「よく聞いてくれ、ずいぶんと勇気のある求婚者の方々、私のいまいおうとすることを。いかにも客人はもうとっくに、当然あるべきように、(われわれと)同等な分け前をもらっている、というのも、この屋敷を当《あて》にして来たテレマコスヘの客人たちを冷遇するのは、よろしくないことだものな。だからさあ、私も彼に引《ひ》き出《で》の土産をやろうと思う、彼自身なり、または風呂番の者なり、それとも誰か他の召使いなりが、ありがたくちょうだいするようにだ、この尊いオデュッセウスのお屋敷うちにいる者でな」
こういって、がっしりした手で、牛の脚をほうってよこした、置いてあったのを、籠《かご》から取って。だがオデュッセウスは、そっと頭《かしら》を傍《わき》へ傾げて、それを避《よ》けた、そして心中でとても皮肉な凄い微笑を笑いかくしたが、牛の脚はしっかり造られている璧にあたった。(それを見た)テレマコスはクテシッポスを叱責していうようには、
「クテシッポスさん、まったくこいつは、あなたにとってとても巧い具合にいったものです、生命《いのち》にとってね、客人にあたらなかったのは。投げつけられたのを、自分のほうでうまく避《よ》けたのですから。だってきっとあなたの胴中を、鋭い先の槍でもって突いたでしょうよ、そうなったら結婚式の代わりに、ここであなたの父親は葬式の世話をすることになったでしょう。ですから、誰にしろこの館《やかた》うちで、見苦しい所業を示さないでもらいたい。私にしてももう十分に弁《わきま》えもあり、どんなことでもよく知ってるのだから、善にしろ悪にしろ、まあこれまではまだ子供だったろうけれど。それにしてもなおこうした状態を我慢してきたのです、目には見ていながらも、山羊や羊がどんどん殺されてゆき、酒が飲み干されるのも、穀類も。というのも、一人でもって多勢を制御するのは難かしいからだ。ともかくもさあ、これ以上私に悪意を抱いて乱暴を働かないでください。だがもしあなたがたが、もう私自身を刃をとって殺そうと切《しき》りに望んでおいでならば、いやそれだって結構です、まったくずっとそのほうがましなことでしょう、死んでしまうのが、こうした非道な所業をいつも見て過ごすのよりは。家を頼って来た客たちを、こづきあげたり、みっともなく召使いの女たちを引きずりまわしたりするのをです、このちゃんとした屋敷のうちで」
こういうと、人々はみな鳴りをしずめて、ひっそりとなった、やっと大分たってから、ダマストルの子のアゲラオスが皆の中でいうようには、
「ああ皆さんがた、いかにも正当な物いいに対しては、誰にしろ腹を立て反抗的な言葉でもってこれを非難はしないでしょう。客人をこづきまわすのも、尊いオデュッセウスの屋敷うちにいる他の召使いたちの誰にしろ(虐待するのは)やめにしましょう。またテレマコスには私から話をしたいことがあります、母上にもです。穏やかなことですので、二人とも快く聞いてくだされば幸いですが。あなた方は胸の中で思慮に富んでいるオデュッセウスが、自分の館《やかた》に帰って来ようと期待しておいでだった、そのあいだは、けっしてなにも不当だとして非難されるところはありませんでした、(彼を)待っていようと、屋敷うちにいる求婚者たちを押しとめられようとも、それが得策だったでしょうからね、もしオデュッセウスが帰って来て、屋敷に戻り着いたとしたなら。ところが現在はもう明らかなことです、彼がけっして帰国すべくもないというのは。ですからさあ、あなたの母上のそばに坐って、こう話してあげてください、誰なりといちばんに優れていて、いちばん多く贈り物をよこす人物と結婚されるように。つまりはあなたがよろこんで父上の遺産をすべて治《おさ》めてゆかれ、食事や酒を飲むにしてもです。また母上は他の方の屋敷の世話をなさるようにと申すことです」
それに向かって、今度は利発なテレマコスが答えていうようには、
「いやゼウス神にかけて、アゲラオスさん、また私の父の苦労につけても、――その人はどこかイタケから遠いところで、死んでしまったか、放浪の身か(は知りませんが)、けして私は母上の結婚を遅らせようとしているのではありません、それどころか、誰なりと好きな方と結婚するよう、勧めているのです。それに数限りないたくさんな持参の品もつけてあげるといっていますが、気に染まないのを屋敷から追い出すことは、道に背くと控えているだけなのです。無理強《むりじ》いに話をしましてね。そうしたことは、神さまも実現させはなさらぬように、と願うのですが」
こうテレマコスはいった。ところがパラス・アテネ女神は求婚者たちの間に、消えることのない哄笑をひき起こさせた、彼らの分別を迷わせ狂わせなさったのである。そこで彼らはもはや自分の物とはいえぬ顎で大笑いしつづけ、血で汚れた肉をとって喰い、彼らの両眼ときたら涙でもっていっぱいに満ち、心中には嘆き泣きたい思いがあった。その人々のあいだにいて、神とも見える姿のテオクリュメノス(予言者)がいうようには、
「ああなんという情けない人々か、君たちのこの有様はなんとしたみじめなことか、まったく黒い夜に君たちの頭も顔も、下のほうの膝も包まれているし、哀悼の叫びが漲《みなぎ》りわたり、頬はすっかり涙にぬれている、それに血でもってみごとな璧も中構《ちゅうがま》えもぬたくられているとは。前室にはまた幽霊がいっぱい、中庭もいっぱいで、それがみな暗闇のもとへ幽冥界にしきりにゆこうと逸《はや》っている、太陽は大空から姿を消してしまった、不吉な闇がすっかり一帯を占領して」
こういったが、人々はみな彼に向かって、うれしげに笑うばかりだった、そして一同の先に立って、ポリュボスの息子のエウリュマコスが話をはじめて、
「どこか他所からいましがた到着した客人は、正気ではないそうな。それゆえさっそく彼を、若殿がた、この館《やかた》から外へ送り出してやりなさい、集会場へゆくようにな、こちらは夜に見えるそうだから」
それに向かって、今度は神にも姿の似かようテオクリュメノスがいうよう、
「エウリュマコスよ、けしてあなたに送り手たちを付けてくれるよう、頼んでいるのではない、私には両眼も両方の耳も二本の脚もちゃんとある、それに胸にはしっかりとした分別もあり、すこしも人に劣りはしない。それらによって外へ出てゆくとしよう、いま禍いがあなた方を襲ってこようと見られるから。その禍いを、求婚者の方々の誰一人として、免れることも避けることもできないだろう、神にもひとしいオデュッセウスの館中で、人々に乱暴を働き、非道なことを企らむからは」
こういって、立派な構えの設けられている屋敷から出てゆき、ペイライオスのところへ赴いたが、この人は快く彼を迎えとってくれた。
さて求婚者たちはみなあい互いに顔を見合わせて、客人たちのことを笑い立て、テレマコスを怒らせにかかっていた。それで思い上がって威張りちらす若者たちの誰彼は、こんなふうにいうのであった。
「テレマコス、誰にしろあなたよりもっとくだらない客ばかりを持つ人間は、他にあるまい。たとえばいまそこに来ている男みたいに、欲張り屋の浮浪人だ。パンだの酒だのをやたらに欲しがり、しかもなにひとつ手につけた仕事もなし、戦さもできずで、ただそれっきり田畑の重荷となるばかりだし。もう一人のほうはといえば、これがいま占いをやろうといって立ちあがった男なのだ。だからまあちょっと私のいうことを聞いてくれたがいい、そのほうがずっと得だろうからな。こんな客人たちは、櫂掛けのたくさんついた船に乗っけて、シケリア人のところへ送りつけてやろうではないか、そうしたらそこへそれ相当の値で売れようというものさ」
このように求婚者たちはいうのであったが、テレマコスは彼らのいうことは相手にしないで、ただ黙りこくって父親のほうに眼を向けていた、いつになったらいよいよ恥知らずな求婚者どもを、手にかけるかと始終待ちかまえつつ。
ところでイカリオスの娘御の、よく気が届くペネロペイアは、とりわけみごとな台椅子を真向かいに据えさせ、広間のうちで男たちがてんでに話す言葉をみな聞いていた、というのも、昼の食事を彼らは笑いこけながら用意させたもので。思いきりたっぷりと美味なものを、それもとてもたくさん(獣を)贄に屠殺したからである。しかし晩餐となると、とても今度のぐらいありがたくない、ひどいものは、またとあるまい。けだしその馳走というのこそ間もなく、女神と武勇のつわものとが(彼らに対して)しつらえようとしていたものだからである。それも初めに彼らのほうで不埒なことを企らんでいたせいではあったが。
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第二十一巻
弓矢試しの段
【このときペネロペイアは二人の侍女を連れて広間に姿を見せ、オデュッセウスの古くあつかい馴れた大弓と鋼鉄の斧とを持ってこさせる。そして十二本の斧を並べて置かせ、この弓に弦《つる》をかけ、矢をもって並べた斧の目を射通した丈夫を自分の嫁ぐ夫と定めると宣言する。求婚者らは大騒ぎをし、みなみな弦をかけようとするが、誰一人かけおおせる者がない。首領株のアンティノオスやエウリュマコスもいろいろしたが、だめであった。それでアポロンの祭日まで延期というのを、オデュッセウスが乞い受ける。テレマコスも、館の主人として、これに賛同、試みさせると、たちどころに弦をかけおおせ、ついで矢を番《つが》えて斧の目を射抜いた】
さてきらめく眼《まなこ》の女神アテネは、イカリオスの娘御のよく気のまわるペネロペイアの心中にこういうことを思いつくようにおさせであった。すなわちオデュッセウスの屋敷うちで、求婚者どもに対して、弓と灰色の鋼鉄(の斧)とを競技の的として置くことである、それはまた殺戮の端緒《いとぐち》ともなったのだが。そこで妃は自分の館《やかた》の高い梯子段のところへゆき、よく曲がっている鍵をしっかりした手にお取りなさった。美しい青銅づくりのもので、象牙の柄がそれについていた。それから召使いの女たちを連れて、いちばん端のところにある納戸の間へとお出かけなさった。そこには主人の殿の財宝が納めてあった、青銅のもの、黄金のもの、さてはたいそうに手間をかけた鉄のものなど。そこにはまた弾《はじ》き返す弓や、矢を納める「やなぐい」も置いてあって、その内には悲嘆をもたらす矢がたくさんはいっていた。それはオデュッセウスが以前にラケダイモンで、別懇の間柄の、不死の神々にも似かよったイピトス(オイカリアの王でエウリュトスの子)に出会ったおり、イピトスが贈り物にくれたものであった。
この二人はメッセネの、勇敢な気象のオルティロコスの屋敷でもって、たまたま出会ったものだが、そのときオデュッセウスは債権を取り立てに来たので、それはこの国人みなが彼に対して負っている借財であった。つまりイタケ島からメッセネの人々が以前に、櫂掛けのたくさんついた船を寄せて、三百頭の羊を牧人ぐるみ奪い去ったことがあった、そうした使命を帯びてオデュッセウスは、まだ成人の前ではあったが、遠い道程を来たのであった。というのも父王や他の長老たちが、彼を使節にえらんだからであった。一方、イピトスは馬どもを探しに来た途中であった。これはその手もとから掠《さら》ってゆかれた十二頭の牝馬で、労働によく耐える騾馬《らば》(の仔)がまだ乳呑みについていた。この馬どもは実際にそれから後で、イピトスの死と禍いとの因となった、というのもイピトスはその後ゼウスの息子で剛毅の武士《さむらい》ヘラクレスを訪ねたからである。この男は大変な仕事の次第を心得た者だったが、それがイピトスを、客であるのに、自分の家で殺害したのである、まったく、神々のお諭《さと》しも恐れぬ不敵なおこないであった。ともかくもその馬どもを訪ねる道で、オデュッセウスに出会ったわけであった。それで彼に弓を与えたが、これは以前に(その父である)大エウリュトスが携えていたもので、それを息子に、高くそびえる屋敷のうちで世を去る際みに残していったのだった。それに対してオデュッセウスは親密な縁故関係のはじめをしるして、鋭い剣と頑丈な槍とを贈った。しかし彼らは二人とも、互いの家の食卓にはあずからなかった、というのもその前に、ゼウスの息子(ヘラクレ)》がイピトスを殺害したからである、不死の神々にも似かよう、エウリュトスの子で、彼に弓をくれた者だったが。だがその弓を、尊いオデュッセウスは、黒塗りの船へ乗って戦さへ出かけるおりには携えてゆかずに、そのまま家に、親しい縁故の客の記念に、館のうちに置いていった。自分の郷里でのみ、その弓を携行していたわけである。
さて女人のうちでも気高いその女《ひと》(ペネロペイア)は、いよいよその納戸の間に行き着いて、槲《かし》の木造りの敷居にさしかかったとき――この敷居はもと工匠《たくみ》が腕をふるって磨きあげ、準縄《すみなわ》でまっすぐにしてから、柱をそれへはめ込んで、ぴかぴかした扉をさらに取りつけたものだったが――そこでさっそく奥方はかけ金から革の結わえ紐をほどいて取り、鍵を中へさしこんで、両扉にある閂《かんぬき》を、まっすぐに狙いをつけて、叩き返した。そこで扉は、牧場で草を食っている牡牛のような唸り声をあげた、すなわち立派な板戸は鍵で打たれてそれほど大きな唸りを立て、早々に開いていった。奥方は高くなった板の間敷へと歩みを運んだ。そこにはいくつも櫃《ひつ》が置いてあって、中には香りのよい衣裳類が納めてある。その板の間から奥方は手をのばして、釘にかけてある弓を、蔽いの袋ぐるみに取り降ろしたが、この蔽いは弓のまわりを包むきらびやかなものであった。それから奥方はそのままそこへ坐りこむと、自分の膝に弓を置いて、たいそう高い声をあげて泣きつづけ、袋から主人の弓を取りだした。さて心ゆくまで存分に涙を流して嘆いたあげく、広間へと、高慢な求婚者たちが集まっているその部屋に、弾き返す弓と矢を納めたやなぐいとを手に、でかけていった、その中には悲嘆をもたらす矢がたくさんはいっていた。また奥方には、侍女たちがつき従って武具|櫃《ひつ》を運んでいったが、それには鉄や青銅づくりの、主人の殿の武具《もののぐ》がたくさん納めてあった。
さて女人のうちにも気高いかの奥方は、いよいよ求婚者たちのところへ行き着くと、堅固につくられた屋根の柱のかたわらに立ちどまった、両頬の前につややかなヴェールをささげ持って。まめやかな侍女がその両側に一人ずつ付き添っていたが、求婚者どもに向かって話をしかけるよう、
「私のいうことをよくお聞きください、まことに雄々しい求婚者のかたがた、あなたがたはこの家へ始終絶え間なく攻めかけて来て、食事をしたり御酒をあがったりお要《もと》めなさる。それも主人《あるじ》が長い年月でていったきりの館《やかた》へ押し掛けるのに、なにも他の題目を口実にはなされずに、ただ私と結婚したい、妻にしたいとお望みなさるとばかりおいいです。それならばさあ、求婚者の方々、ここに競技の仕度をしましたから、つまりはこれへ、尊いオデュッセウスの大弓を置きましょうから、誰にもせよいちばん容易にこの弓を掌にして弦を張り、十二の斧を残らず射通した方、その方に従ってまいることにいたしましょう、この、いかにも立派な、資財をゆたかに満ち溢れさす正式に嫁いだ家を離れまして。それについては、夢になりまた思い出すことでしょうけれど」
こういうと、尊い豚飼いのエウマイオスに、弓と灰白色の鋼鉄《はがね》(の斧)をすえて置くよう命令した。そこでエウマイオスは涙ぐんでそれを受けとり、下に置いたが、牛飼いも、主君の弓を目にすると、泣いたのであった。それをアンティノオスが見咎めて、その名を呼び、叱りつけていうようには、
「子供みたいになんのわきまえもないのだな、おまえたち田舎者は。その日一日のことしか考えない、まったく情けない奴らだ、二人そろって、なんで涙を流しなどして奥方のお胸の中のご機嫌をさわがし立てるのだ、それでなくても愛しい夫君をなくなされたので、気分がお悪く、心を苦しめ悩ませておいでなのに。だから黙っておとなしく座って食事をしているがいい、さもなくば部屋から外へ出ていって、泣いていろ、このままここへ弓を置いてってな、求婚者たちの競技の的に。まったく仇おろそかにはできないものだ、というのも私とて容易には、このよく磨いた弓を張ることはなるまいと思うのだから。ここにいる全部の男の間にも、むかしのオデュッセウスほどの強者《つわもの》はいないのだ。私は親しく彼を見ているから、いかにもよく覚えている、まだ稚い子供だったが」
こういったものの、胸のうちでは弓弦《ゆづる》を張って、鉄の斧を射通してやろうと期待していた。しかし、彼こそはやがていちばん先に、いま広間に坐っているのを侮《あなど》りさげすみ、仲間の人々をみなそのようにそそのかしていた誉れあるオデュッセウスの手から出た、矢の味を知るはずの身であったが。
この連中の間にあって、力づよくテレマコスがいい放つようには、
「まあなんということか、まったくクロノスの御子ゼウス神は、私から思慮分別を奪っておしまいなさったのか、私の大切な母上が、いかにも賢《さか》しくはおいでにしても、この館を立ち去って他の男についていこうとおおせなさる。それなのに私は高笑いして、愚かな心に楽しんでいるとは。さればさあ、求婚者の方々、いまこのように競技の的が出されたうえは、やってごらんなさい、現在かように優れた女人は、アカイイス全土をたずねても、神聖なピュロスにもアルゴスにも、ミュケーネにもありませぬ、〔イタケ自身にもまた土の黒い本土にもまた〕それにあなた方ご自身でもそれはよくご存知ですのに、なんで私が母親を褒める要がありましょう。さればさあ、いろいろ口実をつけてぐずぐず先へのばしておいたり、このうえながく弓を引くのを尻込みばかりしていないで、はっきりとけじめをつけるがよいでしょう。私とても自分から、この弓を試してみたいと思ってるのです。もしも私が弓弦《ゆづる》を張り、鉄斧を射通しましたら、こう私が思い悩んでいるのを措いて母上がこの屋敷を捨て、他の方についておいでになっても、あとにとり残される私も、今は父の立派な戦さ道具を取る力があると知って、悲しまずにすむからです」
こういうと、両肩から真紅の色の外衣を脱ぎすて、まっすぐに立ち上がって、鋭い剣を肩から外《はず》した。そしてまず初めに斧を立て、ずっと全部の斧に対して、一筋の長い溝を掘りわたし、準縄《すみなわ》でこれらをまっすぐにそろえてから、まわりの土をしっかり踏み固めた。このようにきちんと揃えて立て並べたのに、並みいる人はみなこれを見て感心した。それから彼は敷居《しきい》のところへいって立ち、弓をいろいろ試してみた。三度まで弓を引こうとしきりに努めて、ぶるぶる弓をふるわせたが、三度ともその努力をやめてしまった、心中では弓弦を張って、鉄の斧を射通そうと、待ち設けていたのであったが。それでいよいよ四度目に弦を張って、力をふるい上げもしおおせたかも知れなかったが、オデュッセウスがやめろと合図を送って、しきりにやってみたがる息子をおさえとめた。そこで再びテレマコスは力をこめて一同に向かっていうよう、
「ああなんということか、いかにもこれから先々私は弱虫で非力な者といわれるだろうか、それともまだ弱年で、もし誰かが先方から苦情を持ちこんでくるおりにも、その男を追い退けるに足りるだけの自分の腕に自信が持てないものか。ではともかくもさあ皆さん、私より膂力《りょりょく》において立ち優っている方々は、弓を手がけてごらんなさい、そしてこの競技をすっかり仕|終《お》えることにしましょう」
こういって、弓を自分の手もとから地面へおろし、しっかりつけ合わせ、よく磨きあげた板戸へと立てかけておいた。そのままそこへ、速く飛ぶ矢も、みごとなつくりの掛け金に、もたせかけたままで。そして前にそこから立ち上がった、もとの肘掛け椅子へと、再び腰をおろした。
そこでまた一同のあいだにあって、エウペイテスの息子のアンティノオスがいうようには、
「では仲間の皆さんがた、右手のほうへと順ぐりに立ってゆきなさい、酒注ぎがいつも最初に酒を注ぐ、その場所〔宴会の折、酒つぎは首座からと考えられるが、ここは混酒器《クラテール》の近くからのようである〕から始めるとして」
こうアンティノオスがいうと、一同もその言葉に賛成して、まず最初にオイノプスの息子であるレオデスが立ち上がった。この男は焚物《たきもの》調べの役として、いつもいちばん奥のところに、みごとな混酒器《クラテール》のそばへいって坐る習《なら》いであったが、みなの乱暴狼藉を彼一人だけは不愉快に思っていた、そして求婚者一同に対して憤慨を覚えていたのであった。その人がいちばん先に、弓と、速くとぶ矢を取ったのであった。そこで敷居のところへいって立ち、弓を試してみたが、弦を張ることはできなかった。というのも、その前に彼の軟らかな、鍛えられていない腕が疲れてしまったからだ。そこで彼は求婚者たちに向かっていうよう、
「やあ皆さん、私はまるきり張れません、他の方にやってもらいましょう、どのみちこの弓は、ずいぶん多数の勇士らに災難をもたらすことになりましょうが、命にも魂にもです。目的《めあて》のものを得そこなって生きてるよりは、ひと思いに死んだほうが、ずっとましですからね、それを得ようと私らはいつもここに集まってきてたのですから、毎日毎日あてにしまして。いまでは誰にしろ心中では、オデュッセウスの奥方のペネロペイアと結婚しようと望みをかけ、また切望しているのです。しかしながら、この弓を扱って見て知ったならば、今後は誰か他の、美しい衣を着たアカイアの女を心がけたがいいでしょう、引き出の贈り物なりで乞い求めて。奥方はそれから誰なり、いちばん余計に贈り物をし、定められた者として現れる男と結婚されたがよいでしょう」
こう彼は声をあげていうと、弓から手を離して、しっかりつけ合わせよく磨きあげた坂戸へと立てかけておいた、そのままそこへ、速く飛ぶ矢を、みごとなつくりの掛け金にもたせかけたままで。それから、もとの肘つき椅子へ戻って腰をおろした。するとアンティノオスが彼を非難して、名を呼んでいうようには、
「レオデスよ、なんという文句が君の歯並びの墻《かき》をもれてでたのか、恐ろしい、不愉快な言葉だ、聞くからに腹がたってくる、もしほんとうにこの弓が、勇士たちに災難をもたらすならばだ、命《いのち》なり魂なりに。それも君が弓弦をかけられないというのでな。だがつまりは君を母上が、弓矢の立派な引き手に生んでくださらなかったせいではないか、だがすぐにも他の雄々しい求婚者たちが、弓弦を張ることだろうさ」
こういって、山羊の飼い人であるメランティオスに命令するよう、
「さあとりかかれ、火をこの広間に燃え立たすのだ、メランティオスよ。大きな台座を据え置いて、羊の毛房をその上に敷け、またしまってある脂《あぶら》の大きな円い塊を持ち出して来い。その火で若殿ばらが身を暖《あたた》め、膏《あぶら》を塗ってから、弓|試《ため》しにとりかかって、この競技の始末をつけるとしよう」
こういうと、さっそくメランティオスは疲れを知らぬ火を燃やし立て、台座を運んで来てかたわらに据え、羊の毛房をその上に敷き、しまってあった脂の大きな円い塊を運び出して来た。そこでその火に暖まって若者たちは弓にとりかかったが、みな弓弦《ゆづる》を張りあげることはできなかった、膂力がたりないのであった。だがアンティノオスと、神にも姿が似て見えるエウリュマコスはまだあきらめずに、つづけていた、(この二人は)求婚者どもの首魁《しゅかい》で、その力量も抜群にすぐれていたのであった。
さて尊いオデュッセウスの牛飼いと豚飼いの二人は、連れ立って建物から外へでていったが、尊いオデュッセウス自身も彼らの後から館を出て来て、いよいよ皆が扉の外へ、中庭から外へでたところを見はかり、彼らに声をかけて、優しい言葉でいうようには、
「牛飼いさんとあんた豚飼いさん、ちょっと話をしたいことがあるのだが、それとも自分の胸に隠したものか。しかし私の心はいってしまえと勧めるのだ。どちらのほうに付くつもりかね、あなた方は、オデュッセウスさまの味方か敵か、もしどこからか帰っておいでになったならば。まったく突然に、どの神さまかがあの方自身を連れておいでなさろうならだ。求婚者たちを護って戦うつもりか、それともオデュッセウスのほうか、聞かせてくれ、あなた方の心や胸はどう命ずるかを」
それに向かって、今度は牛どもの飼養にあたるその人がいうようには、
「ゼウス父神さまが、どうかその願望をぜひ実現させてくださるように、そのように神さまがお連れなさってあの方が帰っておいでなさるとよいが。そしたら私の力がどんなものか、また私の腕がどんな働きをするか、あなたも解《わか》ってくれようが」
それとまったく同じように、エウマイオスも、すべての神々たちに祈りをささげて、知謀に富んでいるオデュッセウスが自分の屋敷に帰ってくるようお願いをした。そこでオデュッセウスは、彼らの心情を確実にたしかめると、もう一度二人に向かって、返事をしていうようには、
「ほんとうに家に帰ってるのだぞ、ここにいるこの私がそうなのだ。たくさんな災禍をやっと凌《しの》いで、二十年目に故郷の土地に帰ってきたのだ。私はよく見てとったぞ、召使いどものうちで、おまえたち二人だけが、私の帰国を待ち望んでいる、そこへ帰って来たということを。他の者らは誰一人として、私がまたもう一度故郷に戻ってくるよう、祈っているのを聞かなかった、それゆえおまえたち二人だけに、それがまったく当然なことではあるが、真実を語って聞かそう。もしも私の手で神々が高慢な求婚者どもを退治させられるのならば、おまえら二人には嫁をもらってやり、財産も与えてやろう、屋敷のわきによく建てあげた住居をな。そして今後はテレマコスの仲間とも兄弟ともなって暮らすがよい。いやそうだ、いいことがある、この上にも明瞭な証《あか》しをも一つ見せてやろう、十分に私を知りわけ、心中でも納得がいくようにな。この傷痕だ、むかしアウトリュコスの息子たちと、パルナッソスへ出かけたとき、野猪が白い牙で私に負わせたものだぞ」
こういって、ぼろ布を除《ど》けて、大きな傷の痕を示した。そこで二人はそれを眺めて、十分|委《くわ》しく一々を確認すると、両側から心の賢いオデュッセウスに手を投げかけて泣きつづけ、頭やら肩やらに、喜び迎える接吻を浴びせかけた。それとまったく同様に、オデュッセウスも、二人の頭や手に接吻した。それであるいは一同が涙にくれているうちに、太陽が沈んで昏《くら》くなりかねぬところであった、もしオデュッセウスが自分からそれを制止し、こういわなかったならば。
「さあ二人とも涙を流すのはやめろ、嘆き泣くのもな、誰かしら広間から出て来て見るといけないから、そしてまた内へはいって言われてはならぬ。だから一人ずつ家へはいってゆきなさい、みないっしよにではなくな、初めは私で、後からおまえたちがはいってこい。ところでこれを合図のしるしにするとしよう、つまり他の、高慢な求婚者どもはみな誰も彼も、私に弓とやなぐいとを渡すのを、拒《こば》もうとするだろう。そのときにおまえが、尊いエウマイオスよ、弓を持って屋敷の中を通って来、私の手に渡してくれるのだぞ。また女どもに命じて、ぴったりとよく合わさる広間の扉を閉めさせるのだ。もし誰かが男どもの呻き声や物音をわれわれの囲いの中で聞きつけても、けして扉から外へ出て来させてはならぬ、そのままそこで、おとなしく仕事をしているようにさせろ。またおまえは、尊いピロイティオスよ、中庭の扉口を閂《かんぬき》で閉め、さっそくにも縄で縛りつけろ」
こういうと、構えもよろしい館の中へはいっていった。それから前にそこから立ち上がった台座のところへいって、腰をおろした。つづいて、神のようなオデュッセウスの二人の召使いもはいって来た。
さてエウリュマコスはもう先刻から弓を両手にもて扱って、あちらこちらを火の輝きで暖めにかかっていた、しかしそれでもなお弦を張りわたすことができないので、名誉の心をたいそう苦しめ、とうとう機嫌《きげん》を悪くして、名を呼びあげ、いうことには、
「やれやれ、まったく厄介なことだ、私自身についても、また皆の衆についてもだが。まあ結婚に関してはそんなには胸を痛めはしないのだ、それはもちろん困ったとは思うがね。アカイア族の女どもは、他にもまだ多勢いる、この海をめぐらしたイタケ島自体にも、他の国々にもいるのだ。それでも、もしもこんなにわれわれが、神にも比べられるオデュッセウスより、膂力において劣るとあっては、後の世の人々に聞かれたおりにも、たいへんな恥辱だろう、弓を張ることもわれわれはできないとあっては」
それに向かって、今度はエウペイテスの息子のアンティノオスがいうようには、
「エウリュマコス、そんな事態には立ち至るまいよ、君自身にしても、それは解《わか》っていることだ。なぜというと、いまはこの郷《さと》じゅうが、ちょうどその神さま(弓神アポロン)の神聖な祭りの日だ、それゆえ誰が弓を引こうとするだろうか、だから安心して下へ置きなさい。いっぽう斧にしても、もしわれわれがそのままに立ち並ばせておいたにしろ、心配はないさ。誰もこのラエルテスの子オデュッセウスの館へ来て、取っていく者はなかろうと思うから。だからさあ、酒注ぎ役は杯に酒をつぎ始めてくれ、神々への献杯をすませて、曲がった弓を下へ置こうから。それで明日の朝になったら、山羊どもの牧人のメランティオスにいいつけて、山羊どもを連れてくるよう命じるがいい、山羊の群全体の中でも、より抜きの立派な奴をな。弓で名誉をお受けのアポロン神に、腿の骨肉をお献げしたうえ、競技をすっかり終えさせよう」
こうアンティノオスがいうと、一同もその言葉に賛成した。そこで伝令が人々の手に洗手の水を注《そそ》ぎかけると、小姓たちが混酒器《クラテール》になみなみと飲料を注《つ》ぎ充《み》ててから、まず(神々に)献杯したうえ、一同へと酒の酌をしてまわった。
さて一同が神々へと献杯して、またその心に望むだけ十分に酒を飲み終えたころ、知謀に富んでいるオデュッセウスは、みなみなの間にあって、計略を胸にめぐらしていうようには、
「世に名高い王妃の求婚者である皆さんがた、私の言葉をよくお聞きください〔胸の中にある私の心がいえと命ずることをいま申しましょうから〕とりわけてエウリュマコスさんと神にも姿の似かようアンティノオスさんにお願いします、まったくいまのお話はおりに適《かな》った言葉ですので。いまのところは弓は中止し、神さま方にお任せしようという。また明日《あした》の朝になったら、神さまが、誰なりと気に入った方に勝利をお与えなさりましょう。さればさ、私にそのよく磨《みが》かれた弓を貸してください、私もあなた方の中に交《まじ》って、腕の力を試してみたいと思うのです、もしやまだこのよく曲がった手足の中に、むかしどおりの力量が残っているかどうか、それとも、もうはや放浪して長年、手当てもせぬままに、力も失せてしまったろうかを」
こういうと、一同はみなたいへん腹を立てた、よく磨《みが》かれた弓にこの男が弦を張りはしないかと恐れたもので。そこでアンティノオスが叱責して、その名を呼びいうようには、
「やれやれ、けしからん渡り者だ、おまえは、弁《わきま》えというものを、てんで少しも持っていないのだな。誇り高いわれわれとひとつところで、落着いて気楽に馳走になりながら、ありがたいと思ってないのか、また料理の分け前になんの不足も知らず、われわれの話だのいうことだのをすっかり聞いているのに。外《ほか》には誰もわれわれの話を聞いてる者はないのだ、客人にも、ましてや乞食には。ぶどう酒がおまえを害《そこ》ねたのだな、蜜の甘さの酒が。これまでも他の者らを害なってきたものだ、誰でもやたらにがぶがぶやって、ほどよく飲むのを忘れるときには。酒はまた半人半馬《ケンタウロス》の音に聞こえたエウリュティオンさえ誤《あやま》たせた、器量の大いなペイリトオスの館でもってな、ラピタイ族のところへいったときのことだ。その馬人は酒のために分別《ふんべつ》をなくしてしまい、狂った心でペイリトオスの屋敷うちで不埒なことを仕出かした。そこで英雄たちは機嫌をそこね、みな立ち上がって玄関から外へと彼を引きずり出した、両耳を鼻もろともに容赦もない青銅の刃で殺《そ》ぎとってから。されば彼も狂い心に禍いを背負ったまま、正気をなくしていきり立ちつつ帰っていった。そのときから馬人どもと(ラピタイ族の)武士《もののふ》との間に争闘〔馬人族とラピタイとの争闘は、後者の首領ペイリトオスの婚礼の宴に馬人が酔って乱暴を働いたのに始まる。アクロポリスのパルテノン神殿のフリーズ彫刻で知られる〕が始まったのだ。酒を浴びるほど飲み啖《くら》って、まず第一に自分自身にとっての禍いを引き起こしたものだが。それと同様におまえにとっても大変な禍いが来ると予告しておくぞ、もしこの弓を張ろうなどするならばな。なぜなら、われわれのこの郷《さと》では、何人《なんぴと》の好意にもおまえはでくわすことはなかろうからな、その代わりにさっそくにも黒塗りの船に乗せて、あらゆる人間どもの傷害者であるエケトス王のところへ送りつけてやる、そこからはとうてい無事には帰れまいよ。だからおとなしくして酒を飲んでろ、そしておまえより年若なさむらいたちと争おうなどせぬがいいぞ」
それに向かって、今度は気のよく届くペネロペイアがいうようには、
「アンティノオスさま、テレマコスの客人をいじめなさるのは、よいことでも正しいことでもありません、この屋敷を頼って来たのですから。それとも、もしこの方が自分の腕と体力とを恃《たの》んで、オデュッセウスの大弓に弦を張りおおせたら、私を家へ連れていって、自分の妻にしようかと思い設けておいでなのですか。まさかそんなことは、この方自身にしろ、思いがけないことでしょう。また皆さん方の誰にしろ、そうしたことで心を苦しめながら食卓におつきではつまりませんでしょう、それはいかにもまったく理不尽なことですもの」
それに向かって、今度はポリュボスの子のエウリュマコスが答えていうようには、
「イカリオスのお娘のよく気の届くペネロペイアよ、いやけしてこの男があなたを連れてゆこうなど思っているのではありません、とんでもないことです。ただ世の男たちや女たちの風評をはばかるだけのこと、もしひょっとしてアカイア族のもっと卑しい他の男がいいはすまいかと。『ずっと劣った男たちだな、この連中は、申し分なく立派な男の配偶《つれあい》を妻にもとめているくせに、よく磨《みが》きあげた弓に弦も張れないとは。それで別な、乞食をしてる男がたまたま放浪のすえやって来て、らくらくとその弓に弦を張りわたし、鉄の斧を射通したそうな』などと、こんなことをいいかねません。そうなったら、私らが非難をうけることになりましょう」
それに向かって、今度はよく気のとどくペネロペイアがいうようには、
「エウリュマコスさま、それではとてもこの国じゅうであなたがたが、よい評判を受けなどはできません、立派な武士の家屋敷をないがしろにし食い潰《つぶし》しなどするのでしたら。またどうしてこれを非難の的《まと》とお思いなのです。それにこのお客様はたいそう丈もお高く、体もがっしりしておいでのうえ、生まれも立派な父上のご子息と誇っておいでなのですから。それゆえさあ、この方によく磨きあげた弓を渡しておあげなさい。私どもにもよくわかるように。それというのも、私はかように言明いたしましょうし、それはかならず実行いたしてお目にかけます。もしアポロンさまがこの方に誉れを授け、弓をお張りになったらば、この方に外衣と肌着と、立派な着衣をお着せしたうえ、犬や男を追い退ける先の鋭い投檜と両刃の剣をさしあげましょうし、また足下《あしもと》には穿《は》き物もさしあげましょう。そしてどこへなりと、お望みの気の向くところへ、送り届けることにいたします」
それに向かって、今度は利発なテレマコスが答えていうよう、
「母上、弓についてはアカイア族に一人として、私以上に権限を持っている者はいないはず、たとえば誰に私が渡そうとなり、渡すまいとなり思うにしろです。いかにもこの巍峨《ぎが》としたイタケ島に勢威を揮う方々でも、馬を養うエリス州に向かう途中の島々にいる方々でも、その中の誰一人として、私が承知しないのに、無理やりとめはできないでしょう、もしもいったん客人に、この弓を渡してやって扱わそうと思ったならば。それゆえあなたは、お館に帰っていって、ご自分の仕事の世話をなさいませ、織機《はた》を織ったり糸を巻いたり、侍女たちにも手仕事に精をだすよう命令《いいつけ》なさって。弓については、男たち一同でとりはからいますから。とりわけ、屋敷のうちを支配する権能はこの私にあるのですから」
奥方は吃驚《びつくり》されて、自分の殿《との》へと早々に帰ってゆかれた。ご子息の分別のある物言いに、心をつよく打たれたもので。それから二階へあがっていって、召使いの女たちといっしょにしばらく愛しい夫オデュッセウスの身の上を嘆いて泣いた、きらめく眼の女神アテネが快い眠りを瞼《まぶた》のうえに投げかけるときまで。
さてこちらでは曲がった弓を持って、尊い豚飼いが運んでゆくと、広間の中にいる求婚者どもは、もちろんみないっせいにこれを咎めてののしり立て、こんなぐあいに、威張り返っている若者の誰彼はいうのであった。
「いったいどこへ曲がった弓を持ってゆくのか、辛気《しんき》くさい豚飼いのごろつきめが、じきにおまえを今度は速い犬どもが、豚の近くで喰い殺すぞ、一人きりの、人間どもから離れた場所で、おまえの育てた犬どもがな、もしアポロン神やその他の不死の神さま方がわれわれに情《なさ》けをおかけくださるなら」
このようにみないうのであった、そこで彼も怯《お》じ気がついて、運んでいたのを、そのままその場に置いてしまった、広間にいた大勢の人々がてんでに咎め立てたもので。するとテレマコスが他の側から、また威勢高《いせいだか》に命じていうよう、
「小父さん、構わずどんどん弓を持ってゆくのだ、みんなのいうことを聞いたりしては、すぐにもまずいことになろうからな。年はおまえより若い私だが、おまえに石塊をぶつけて、田舎へ追い返さないともかぎらんからな。体力では私のほうが優ってるのだ。まったくこの屋敷中にいる求婚者たちの全部より、腕にかけても体力でも、それくらい私のほうが優っていたら、ありがたいのだが。そうなったらすぐにもみじめなざまで、わしらの家から誰彼を送り返してやろうに、悪い企らみをしているのだから」
こういうと、求婚者どもはみな彼のことを嘲笑い、テレマコスに対しての意地悪な敵意を和げたのであった。そこで豚飼いは館のうちを、弓を運んでいって、賢《さか》しい心のオデュッセウスのそばへ立ち、その手に弓を渡してやった。それから乳母のエウリュクレイアを呼びだして、いうようには、
「テレマコスさまがあなたにお命じだ、よく気のまわるエウリュクレイアさん、しっかりと広間の扉をしめるようにとな。それで内部《なか》でもし男たちの呻き声や物音などが、わたしらの囲いうちで聞こえたとしても、けして外へ出て来させてはいけない、そのままじっとおとなしく、仕事をつづけていさせるのだ」
こう彼は声をあげていったが、乳母はなにも翼をもった言葉を口に出さなかった、そしてしっかりとよく構えのできた部屋部屋の扉を閉めてしまった。一方、ピロイティオスも、音をたてずに館から戸外ヘ跳びだして、丈夫に囲いのできた中庭の扉を閉めてしまった。柱廊下のもとには、ビュブロスからの萱《かや》草でできている、両側の反りかえった船の綱具がおいてあったが、その網で扉を縛りつけてから、自分自身は中へまたはいってゆき、オデュッセウスに目配せをしながら、また元の台坐へいって腰をおろした。そのときこちらの(オデュッセウス)は、すでに弓を手に扱い、四方にそれを振りまわしては、あちらこちらを吟味していた、主人が留守であった間に角のところを虫が喰いはしなかったかと。その様子を見て、誰彼はとなりの人を顧みていうのであった。
「どうやらあの男は、弓の愛好家でまた内々の使い手に違いあるまい、あるいはまったくこのようなのが、あの男の家にもあるのかも知れぬ。それともやって見ようと掛かっているのだろうか、両手に弓をあちらこちらへ振りまわすところを見るとな、悪事に手馴れた浮浪人めが」
するとまた、威張り返っている若者のいま一人がいうようには、
「まったくあいつが、大きな利得を受けられたら、とお祈りするよ、まあそうなる見込みは、この弓を張り渡すことができる見込みと同じくらいだがな」
このように求婚者どもは話していた、いっぽう知謀に富んでいるオデュッセウスは、大弓を手にして、どこもかしこも隈《くま》なく見ると、すぐそのままに、ちょうど大竪琴《おおたてごと》や吟誦をよく心得た人物が、新しい弦をねじり止めにたやすく張り渡すように、両方のはじへ、よくねじった羊の腸(から取った糸)をとりつけて、――そのようになんの苦もなくオデュッセウスは大弓に弦を張った。それから右手に取って弦の具合を試してみた。すると弦は、手の下《もと》に、つばくらに似た声音を立てて、きよらかに歌いあげたので、求婚者たちはたいへんな心痛にとりつかれ、みなみな顔の色が変わった。そこヘゼウス神が大きな雷鳴をとどろかせて、しるしをお示しなさったので、辛抱づよく、尊いオデュッセウスはうれしく感じた、狡知に長《た》けたクロノスの御子神が、さいさきのよい象《きざし》を送ってくださったのを。
そこで後は速くとぶ矢を手に掴《つか》んだ、わきの四脚卓に、むきだしのまま置いてあったものである。他の矢はみな、中の広いやなぐいの内に納められていた、この矢はすぐとアカイア族の男たちが、効目《ききめ》をためすことになるのだったが。その一本(の外に出ていたの)を、(弓の中央の)継ぎ手に掛けて、その場で台座に坐ったまま、弓弦《ゆづる》と鏃《やじり》とを引きしぼった。それから狙いをまっすぐにつけ、矢を放した。すると並んだ斧を一つ残らず、あやまたずに射通した。いちばん手前の斧の柄から、まっすぐに穴を射通して、青銅の重みをつけた矢は向こうへ抜けて出た。そこでオデュッセウスはテレマコスに向かっていうよう、
「テレマコスよ、客人は、広間のうちに坐っていても、おまえに恥をかかせはしないぞ、けして的を射そこないもしなければ、弓を張るのに長い(こと骨をおり)もしなかった。私の力はまだ衰えずにしっかりしている、求婚者どもが侮辱していいののしったようではなくて。だがいまは正しくアカイア族の男らのため夕餉の仕度をすべき時刻だ、まだ日のあるうちにな、それがすんだら、今度は他の慰みごとにかかるとしよう、歌舞や竪琴やで。そうしたものは饗宴の華であるから」
こういって、眉をかしげて合図をすると、尊いオデュッセウスの愛する息子テレマコスは、鋭い剣を体につけ、おのれが手を槍のまわりに投げかけた、そしてそのまま(父の)身近く台座のわきへいって、立ちはだかった、閃々《せんせん》ときらめく青銅に身を武装して。
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第二十二巻
求婚者総退治の段
【オデュッセウスは広間の入口、敷居の上に跳びのって、テレマコスをわきに呼び、矢をつがえて求婚者らの頭株アンティノオスの胸に向け射放した。広間は大混乱に陥った。彼らの非難や叫びに答えて、彼ははじめて自分がオデュッセウスであると明かし、みなもう帰国はせぬと思って勝手な振舞いをやっていたが、いまこそ思い知れとばかり、つぎつぎと矢で射倒し、矢がなくなると剣をもって殺戮をつづけた。ただ伶人《うたびと》のペミオスと伝令のメドン、予言者テオクリュメノスには関係なしと手を触れない。向こう側では山羊飼いのメランティオスが、求婚者らに武具を蔵から持って来るのを、エウマイオスが目ざとく見つけ退治した。また乳母エウリュクレイアを呼んで、侍女らのうちの善良な者と、求婚者らに通じている不届き者との区別を求め、そして侍女たちを来させて広間の清掃を命じてから、悪い女をメランティオスといっしょに仕置きした】
さて知謀に富んでいるオデュッセウスはぼろ布を脱ぎすてると、大きな敷居に跳びあがった、弓と矢がいっぱいはいっているやなぐいとを持って。それから速くとぶ矢をその場に、足のすぐ前のところにぞろぞろ振りだすと、求婚者どもに向かっていうよう、
「いよいよこれから競技がすっかり執りおこなわれることになろうよ、仇おろそかにはできない競技だ。それにまたいまこそまた別な的《まと》を、まだかつて人が射かけたためしのない的をだ、ためして見ることだろう、あたるかどうか、アポロン神が私に誉れをお与えかを」
こういうと、アンティノオスに向け、鋭い矢の狙いをつけた。ところで彼はちょうどみごとな杯をとりあげようとしていたので、黄金でできた両耳つきのその杯を、両手でもっていましも酒を飲もうというので支えていた。殺しのことなどその念頭にはまったくなかったし、饗宴に列なっていた男たちにしても、たとえどれほど剛勇のつわものにせよ、一人だけで彼にたいして、わざわいな死と黒い非業のさだめとを、もたらすことができるなどと誰が思っていただろうか。その男(アンティノオス)をオデュッセウスは、のどぶえに狙いをつけて、矢で射てとった。まっしぐらに軟かい首筋をつき通して、鋭い矢尻がはいってゆくと、向こう側へと倒れかかり、杯が手から落ちた。それからすぐに、鼻孔から、血潮がどっとあふれて、管形をなしふきだしてきた、と見るまに、たちまち足で前の卓を向こうへと打って押しのけ、食べ物を地面へと撒きちらしたので、パン類や炙《あぶ》った肉が泥まみれになった。屋敷じゅうの求婚者どもは、アンティノオスが倒れたのを見ると、いっせいに騒ぎ立てた、そして座席から、吐胸《とむね》を突かれて跳びあがると、家じゅうを四方八方丈夫なつくりの壁に向かって目を走らせて探ねまわったが、楯もまたがっしりとした槍も手に取ろうにも見つからなかった。そこで彼らは腹を立て、オデュッセウスを非難していうようには、
「おい渡り者のくせに、武士《つわもの》たちへ向け弓を引くとは罰あたりめが。もうけして他の競技には参加させないぞ。いまにも峻《けわ》しい破滅がおまえにふりかかろう、それこそこのイタケ島で、若殿ばら中《ちゅう》第一番の人物を殺害しおったのだからな、それゆえおまえはここで、禿鷹どもの餌食になるのだ」
こう誰彼もてんでにいったが、それもみな(オデュッセウスが)その積もりもなく(思いがけず)武士を殺してしまったものと思っていたので。しかし彼らは愚かにも覚らないのであった、実際彼らにも一人残さず、破滅の縄目がかけられていたということを。さて人々を上目使いに睨《にら》まえて、知謀に富んでいるオデュッセウスがいうよう、
「おい犬ども、もはや私が故郷に立ち戻ってきはしないと、おまえらは思ってたのだな、トロイア人らの国からは。私の家財産を消耗させ、召使いの女たちをむりやりにいっしょに寝させ、また私自身がまだ生きているのに、その妻にいい寄るなどしたというのも。広大な天空を支配なさる神々を畏れずに、また世の人々の憤りを末《すえ》始終受けようとも(顧みないで)。いまこそおまえたちの、それこそ皆に、破滅の縄目がかかってきたのだ」
こういうと、一同残らず、(顔面も)まっ青な、怖気《おじけ》にすっかりとりつかれた。そしてみなみな、どちらのほうへ、唆しい破滅を逃れたものかと、八方を見まわすのであった。しかしエウリュマコス一人は、彼に向かって言葉を返し、いうようには、
「もし本当にあなたがイタケ人のオデュッセウスで、いま帰って来たというのであれば、いまあなたがいったことも、筋がとおっている。アカイア族の者どもがしでかしたいろんなことの、屋敷うちでした多くは、道にはずれた不埒な所業だし、また田舎でもたくさん不埒なことをした。だがそれらすべての悪業の張本人だったその男は、もうすでに倒れてしまっているのだ。つまりはアンティノオスという、この男がこうした所業をしでかしたのだが、それも格別それほど結婚をぜひともしたいとか、ましてや切望してというわけではなく、それよりも彼が自ら構えもよろしいイタケの郷《さと》全体の王になろうと思ってのことだったのだ、それはあいにくクロノスの御子神(ゼウス)が実現させてはくださらなかったが。それであなたの息子も待ち伏せして殺害しようと企らんだのである。だがいまはもうその男も分相応に殺されてしまっているのだから、あなたは自分の治める国人(であるわれわれ)を大目に見て容赦なさるがよいでしょう。そうしたらわれわれも後でもって、国じゅうからとり集め、屋敷のうちで飲んだり食ったり(して消耗)した家財を、めいめいが二十匹の分ずつ償《つぐな》いとして、別々にもって来てお渡ししましょう、青銅や黄金やも、あなたの心が宥和《ゆうわ》されるまで。それまでは誰にしろ、あなたがひどく立腹なさっていても、不当なことと非難する者はありますまいが」
それに対して、上目使いに睨まえながら、知謀に富んでいるオデュッセウスがいうようには、
「エウリュマコスよ、たとえおまえらが親代々の財産をすっかり賠償にだしたとしてもだ、現在おまえらが持っているものに、またどこからか得た他のものをつけ加えたにしろ、それでもまだ私は殺戮の手を休めはしないだろう、求婚者どもの不埒な所業をすっかりつぐなわせてやらないうちは。さあどちらを採るかはおまえらの勝手だぞ、面と向かって戦いあうか、それとも逃げてゆくかは。もし誰にしろ死と凶運とを避けられる者があるなら。だが峻《けわ》しい破滅を免れ得る人間は、まずはあるまい」
こういうと、一同の膝といとしい心とはそのままそこに崩れてしまった(腰が抜け胆《きも》もつぶれたごとくであった)。その人々の間にあって、エウリュマコスが、いま一度口を開いていうようには、
「仲間の方々、そこな男は、無敵な腕をもとよりおさえとめはしないだろう、よく磨きのかかった弓とやなぐいとを手にした以上、磨かれた敷居のところから、われわれ皆を殺しつくすまで、弓の手を休めはすまい。それゆえわれわれも、華々しく闘おうではないか、剣をみなみな引き抜いて、四脚づくえをまえに構えて迅《はや》い死を与える矢玉《やだま》を防ぎたまえ、彼に対して、われわれが皆で対抗しようではないか。それでもし彼を敷居のところ、または扉口《とぐち》から追い退《しりぞ》けることができ、町中へでていって、さっそくにも大声で叫び立てたら、そうしたらさっそくにもこの男が弓を射るのも、これが最後にしてやれよう」
こう声をあげていうと、両側に刃がついている青銅の鋭い剣を引き抜いた。そして恐ろしい喚声もろとも、オデュッセウスに向かってとびかかった。また尊いオデュッセウスのほうでも同時に矢を放って、胸の乳のわきへと射あてたのが、速い矢玉は肝臓へ突き刺さった。そこで手から剣を地面へ落として、卓《つくえ》の上によろめきかかると、体をかがめて倒れ伏したのに、食べ物や両耳つきの杯も地上へ一面にこぼれてしまった。(エウリュマコスは)断末魔の苦しみに、大地へ額《ひたい》をうちつけると、両足で肘掛け椅子を蹴りつけてうちふるわせたが、その両眼には暗いもやいが覆いかぶさった。
またアンピノモスはというと、誉れも高いオデュッセウスに面と向かってとびかかってゆき、鋭い剣を抜き放ってなんとかして扉口《とぐち》から退《さが》らせようと試みたが、それより早くテレマコスが青銅をはめた投げ槍で後ろから両肩のまん中辺を突き、胸までずっぷり突き通した。そこで彼は大きな地響きを立てて打ち倒れ、顔をそっくり大地へとぶつけていった。それからテレマコスはそのままそこへ、アンピノモスにささった、長い影をひく投げ槍をほうっておいて跳びすさった。というのも彼は自分が長い影をひく槍を引き抜いているところを、アカイア族の誰かが剣をもってとびかかって、または前へかがんでいるのを突《つ》いて来はしまいかと、一方《ひとかた》ならず気|遣《づか》っていたからである。そこで彼は馳けだしてゆき、たちまちにして愛する父のいるところへ行き着くと、そのすぐそばに立ち添って、翼をもった言葉をかけていうようには、
「おお父上、さっそくにも楯や二本の槍や、全部が鬢《びん》にぴったりよくはまる青銅《かね》の兜やを持ってきてさしあげましょう、また私自身もでかけていって武具をつけてまいります、また豚飼いや牛飼いにもそれぞれ渡してやりましょう、しっかり武装をしているほうが、確かですから」
それに向かって、知謀に富んでいるオデュッセウスが答えていうよう、
「馳けていって持ってこい。まだ手もとに防禦のための矢弾《やだま》があるあいだにな。たった一人だから、彼らのために扉のそばからどけられないように」
こういわれて、テレマコスは愛する父親の言葉どおりに、奥の納戸の間へと走っていった。そこには立派な武具類がしまってあるので、そこから四個の楯と八本の槍と、青銅をつけ、馬毛の飾りがついている四個の兜を取り出した。そしてそれらを運んできて、たいそう速く愛する父親のいる場所へ辿り着いた。そしていちばん先へ自分から、肌をずっと青銅の武器でよろい固めた。それから心のさかしい、さまざまな謀略をたくわえているオデュッセウスのそばへいって立ちはだかった。
ところで彼(オデュッセウス)はというと、手もとに禦《ふせ》ぐ矢弾が残っていたあいだ、そのあいだは求婚者どものともかく一人ずつを、自分の屋敷うちで、狙いをつけては射あてていった。それで彼らはつぎつぎに倒れていったが、とうとうしまいに弓を射る主人《あるじ》の手に矢がなくなると、つくりの堅固な大広間の扉口の柱に、たいそう白く輝きわたる壁に向かって、弓をもたさせかけて置き、彼自身は両肩に四枚の牛の皮を重ねた大楯を着け、力づよい頭《かしら》には馬の尾房の飾りをつけた、丈夫なつくりの兜《かぶと》をかぶった。その上からは恐ろしげな毛のふさが垂れゆらいでいた。それから手には二本の丈夫な槍の、青銅の先をつけたものを掴んだ。
さて堅固に築きあげられた璧囲《かべかこ》いには、裏《うら》口の扉が設けられていた。また敷居のいちばん高いところのそばには、立派なつくりの大広間から、側廊下への通路があって、そこにはしっかりはまった板戸がこれを固めていた。その戸をオデュッセウスは、尊い豚飼いに命じて、すぐそばに立って見張りをさせておいた。そこだけが唯一の攻撃地点だったのである。そこでアゲラオスが、みなのあいだで口を開き、告げ知らせていうようには、
「やあ皆さんがた、どうです、誰か裏口の扉《と》へ上がっていって、町の人たちに報せたらば、それがいちばん早い、援《たす》けを求める道でしょうが。そうなったらすぐさまこの男も、弓を射るのもこれが最後になりましょうよ」
それに向かって、今度は山羊の飼養者であるメランティオスがいうようには、
「それはとても駄目なことです、ゼウスが護りお育てのアゲラオスさん、だって恐ろしくすぐそばに中庭への立派な扉口《とぐち》があります、それで側廊下への口(を通るの)は難かしくて、一人の男が全部の者を押しとめもできましょう、もし勇敢な者でしたら。それゆえ、こうしましょう、私がいって納戸から武具を、皆さんが武装できるように、運んできましょう、というのもきっと、その中に、オデュッセウスと誉れも高いその息子とは、武具を納めておいたと思われますから」
こういうと、山羊どもの飼養者であるメランティオスは、オデュッセウスの奥殿へと、大広間のすきまを伝って上がっていった。そしてそこから十二枚の楯と、同じだけの槍と、同じ数の馬の尾房をつけた青銅づくりの兜とを取り出して来た。メランティオスはたいそう早く求婚者どもに運んで来て、渡したのであった。それでこのときオデュッセウスも、彼らが武具を身のまわりに着け、手に手に長い槍をうち振るのを見たときには、ほとほと膝の力も抜け、心もつぶれる思いをした。まったく彼自身にとり、たいした骨のおれる仕事と見てとったので、すぐさまテレマコスに向かって、翼をもった言葉をかけて、
「テレマコスよ、これはまったく確かに誰か屋敷うちにいる女どもの一人が、私らに向かって厄介ないくさを仕掛けているにちがいない、それともメランティオスかな」
それに向かって、今度は知恵才覚に富んでいるテレマコスが答えていうよう、
「父上、この過ちを犯したのは、この私自身で、他の誰の責任でもありません、しっかりととりつけられた納戸の扉を、開けたままにしておいたのですから。それをよくよく目の利いた者が見つけたのです。ではさあ、エウマイオス、おまえがいって、納戸の扉を閉めて来い、それからこんなことをやってるのは、女どものうちの誰かなのか、それともドリオスの息子のメランティオスか、調べてこい、きっと彼奴《あいつ》だろうと思うが」
このように彼らは互いに、こうしたことを話しあっていた。さてもう一度山羊飼いのメランティオスは奥の納戸へ出かけていった、美々しい武具を運んで来ようというので。だがそれを尊い豚飼いが見つけて、すぐさまそばにいあわせたオデュッセウスに言葉をかけた、
「ゼウスの胤《たね》であるラエルテスの子で、謀計《はかりごと》に富んでおいでのオデュッセウスさま、あの男がまたもう一度、けしからん奴です、わたしらが推量したとおりに、納戸の間へとでかけてゆきます。あなたがはっきり確かなところをお命じください、もしも私の力が立ち優っていたら、殺してしまいましょうか、それともここへ引っ張って来ましょうか、度《たび》かさなる不埒な所業のつぐないをさせるように、あいつめが、お屋敷うちで犯した罪をそっくりです」
それに向かって、知謀に富んでいるオデュッセウスが返答をしていうようには、
「いかにも私とテレマコスとで、傲慢な求婚者どもを、大広間の内に引きとめておこう、それは彼らもひどく勢いこんではいるがな。それでおまえら二人してあの男の手や足をねじりあげ、納戸の中へほうりこんで、後ろの板戸を固く閉めつけておけ。編んだ縄をしっかり彼奴に結びつけて、高い柱へ引きあげ、天井の梁《はり》近くへつるしておくのだ、長いこと生きていながら、ひどい苦しみを味わうようにな」
こういうと、二人はさっそくその命令にきき従って、奥の納戸へと出かけていったが、中ににいるメランティオスには気づかれなかった。一方納戸の奥で、武具を探しもとめていたメランティオスは、一方の手に美々しい四つ角つきの兜を持ち、もう一方には古びた幅の広い大楯――これはもとラエルテスの殿が若い時分にいつも携えていたものだったが、このおりにはもはや捨て置かれて、かびだらけ、(提提《さげさ》げ緒《お》の縫い目もほころびていた――を抱え、入口の柱のそばで待ち構えている二人のところへやってきた。二人はいち早く躍りかかってとっつかまえ、髪をつかんで部屋の内へと引きずりこみ、すっかり困惑しきっているのを、床の地面へほうりだして、ラエルテスの息子の、辛抱づよく尊いオデュッセウスがいいつけた通りに、苦しいつらい縛《いまし》めにしっかりとねじりあげてからぐるぐると縛りつけた。そして編んだ縄をその体に結わえつけ、高い柱の上まで、天井の梁《うつばり》近くに引きあげて吊しておいた。それに向かって、おまえは悪態を吐《つ》いていったな、豚飼いのエウマイオスよ、
「いまこそまったく、おいメランティオス、一晩じゅう起きて見張りができるわけだな、軟かい臥床《ふしど》の中に横になってな、おまえ相当の臥床だよ。ともかくおまえは、早く生まれて黄金の座椅子においでの(暁の)女神が、オケアノスの流れのそばから現れるのを見逃しもしまいよなあ、その時にはおまえが山羊を求婚者どものところへ連れてゆくのだもの、お屋敷うちで食事の仕度をするようにと」
こんな具合に、この男はそのままそこに、呪わしい縛《いまし》めにつり下げられたまま置きざりにされた。ところで二人は武具に身を固めると立派な扉を閉めてから、心が賢《さか》しく、さまざまな謀計《はかりごと》に通じたオデュッセウスのところへ帰っていった。その場所に一同は勢いも烈しくあい対峙していた。一方は敷居のところに四人して立ちはだかり、他方は屋敷うちにいた大勢の手だれの者どもだった。
その連中に近々とゼウス神の御娘のアテネ女神が降りてこられた、その姿も声音《こわね》もメントルとそっくりにして。これを見るよりオデュッセウスはよろこび勇んで、話をしかけ、いうようには、
「メントルさん、この災難から(我々を)防ぎ護ってください、あなたにいろいろおつくしもした親しい仲間であるのを忘れないで。同年輩でおいでだから」
こういったのも、それがつわものどもを気おい立たせるアテネ女神だろうと推量したもので。一方、求婚者たちの側も、広間のうちで、てんでに罵り立てた、その先頭にはダマストルの子のアゲラオスが立ち叫びあげて、
「メントルよ、オデュッセウスにうまくいわれて説得などされないよう気をつけろ、自分のほうを防ぎ護って、求婚者たちと戦えなど。なぜなら、われわれの目論見《もくろみ》は、間違いなしにそのとおり実現されるだろうからな。こいつらを親父も息子ももろともに討ちとったとき、今度はおまえがこいつらといっしょに討ち果たされる番だろうぜ、屋敷うちでこうしたことをしでかそうと望むからは。そして自分の首で償いをすることになろう。それにもしおまえたちの乱暴を青銅の刃でもって取り除いたら、おまえの財産を残らず、内にあるのも外にあるのも、オデュッセウスの家財といっしょにしてくれよう、そのうえおまえの息子らも屋敷うちに生かしてはおくまい、娘たちやまめやかな配偶《つれあい》もイタケの町なかを自由の身で歩きまわりはできなくなろうぞ」
こういったのに、アテネ女神はいっそう心底から立腹なさって、オデュッセウスをいきどおろしい言葉をもってたしなめられ、
「オデュッセウスよ、あなたにはもう確乎とした気概も勇気もすっかりなくなったのか、むかし白い腕をした、立派な父親をもつへレネのために九年のあいだもトロイア勢と間断もなしに戦いつづけた時みたいな。あのときには多勢のつわものを恐ろしい戦闘のあいだに討ち取ったものだったが。またあなたの謀計《はかりごと》で路幅もひろいプリアモスの城市《まち》を陥《おとしい》れたものなのに、それがまったくどういうわけで現在の自分の家と財産とに帰り着いたとき、求婚者どもと対面し、勇気を出して防戦せねばと嘆いているのか。さればさあ、ここへきなさい、私のそばに立っていて、働きぶりを見るがいい、そうしたらあなたも敵の武士《つわもの》たちの間にあって、アルキモスの子メントルが(人の)友誼に報いるには、どれほど確かな者かおわかりだろう」
こういわれたが、まだけっしてすっかり一方的な勝利を与えようとはなさらずに、オデュッセウスや、誉れも高いその息子の気力や武勇を試してやろうとお思いだった。それでご自身は上へとびあがって黒く煤けた広間の天井組みに、見たところ燕《つばめ》にも似た姿で、とまっておいでになった。
さてこちらでは、求婚者どもをダマストルの子アゲラオスやエウリュノモスやアンピメドンやデモプトレモスに、ポリュクトルの子ペイサンドロスに勇敢なポリュボスなどが励ましたてた。この連中が求婚者らのうちでも、まだ生き残って、生命《いのち》を賭して戦いつづける者らとしては、とりわけ力も働きも、いちばん優れていたからだった。その他の者らは、もはや弓としげしげに飛ぶ矢のために、討ちとられていた。さて求婚者どもの間にあって、アゲラオスが皆に向かい、いうようには、
「おい皆の衆、いまはもはやあの男も、抗しがたい手(の働き)を停止することだろう、それにまったくあのメントル奴《め》も、空虚な大言を吐いたきりで、去ってしまったから、あいつが扉口の突っ端に一人きりで、とり残されているわけだ。それゆえ、さあ皆がいっしょに長い槍をほうりつけるのは控えておき、六人だけがまず初めに、槍を投げるとしよう、もしやひょっとしてゼウス神が、オデュッセウスに打ちあて、誉れをあげるのを許してくださろうやも知れぬ。他の奴らは気にかけるにもあたらぬ、あの男を倒してしまえば」
こういうと、一同は、彼の指図したとおりに、みなみなしきりに勢いこんで槍を投げつけたが、その槍をみなアテネ女神が外《そ》らしておしまいになさったので、一人の槍は造りも丈夫な広間の扉口《とぐち》の柱へぶつかり、いま一人のが、しっかり静まった扉にあたると、もう一人の青銅の重みをつけたとねりこ槍は壁に落ちた。そこでとうとう求婚者どもの槍を(味方の者らが)すっかり避けきると、彼らに向かって、辛抱づよく尊いオデュッセウスは、まず先に話しかけるよう、
「さあ仲間の者たち、今度は私のいう番がきたぞ、求婚者どもの群に向かって私らも槍を投げろと。あいつらは、以前の悪業の上にも、わたしらを殺そうとしきりに望んでいるのだ」
こういうと、(味方の者ら)一同そろって鋭い槍を投げつけた、真向かいによく狙いをつけて。そこでオデュッセウスはデモプトレモスを、テレマコスはエウリュアデスを、豚飼いはエラトスを、またペイサンドロスを牛どもの見張りの牧人(ピロイティオス)が打ち倒した。撃たれた連中がみな一様に、際限もなく地面を歯で咬む(のを見ると)、求婚者どもは広間の奥のほうへと引き退いた。そこでこちらも突き進んで、敵の屍から六本の槍を抜いて取った。
またもう一度、求婚者らは勢いこんで鋭い槍をほうりつけたが、そのたくさんな槍もみなアテネ女神が外《そ》らしておしまいだったので、一人の槍は造りも丈夫な広間の扉口《とぐち》の柱へぶつかり、いま一人のがしっかり嵌《は》まった扉にあたると、もう一人の、青銅の重みをつけたとねりこ槍は壁に落ちた。またアンピメドン(の槍)はテレマコスの手のくるぶしを打ちかすめたので、青銅の穂先が皮膚のうわべに損傷を与えた。一方、クテシッポスは楯の上を越して、長い槍でもってエウマイオスの肩に引っ掻き傷をつけたが、その槍も上を飛び抜け、向こうの地におっこちた。次にはもう一度、心の賢しい、さまざまな謀計に富むオデュッセウスをとり囲む人々のほうで、求婚者どもの群集の中へと、鋭い槍を投げつける番であった。この際にまたこちら側では城を攻め落とすオデュッセウスがエウリュダマスに投げあて、テレマコスはアンピメドンを打ち倒し、豚飼いはポリュボスを、それから牛どもの見張りの牧人(ピロイティオス)はクテシッポスの胸のところに槍を投げあてた。そして得意になって彼にいうよう、
「やいポリュテルセスの子よ、おまえは悪口の好きな奴だが、けっしてすっかり無分別な心に負けて、大口を叩かないがいいぞ、それより神さまがたに話はお任《まか》せしたがよかろう、ずっと力がおありだからな。それでこいつは、おまえがさっきよこした牛の足に対しての、お礼返しだ、神にもひとしいオデュッセウスさまが屋敷のうちを歩きまわっておいでの際の」
このように、曲がった角をした牛どもを飼う牧人がいった。一方オデュッセウスはダマストルの子(アゲラオス)を、間近に寄って長身の槍で突き刺した、またテレマコスはエウエノルの子レオクリトスの、腹のまん中を槍で刺し、青銅(の穂先)をずっぷり中へ突っこんだのに、どうとばかりうつ向けに倒れて、大地へ顔全体をうちつけた。
まさにこのときアテネ女神が、人類を壊滅させる山羊皮楯《アイギス》を、高々と屋根の棟からお掲げなさったのに、求婚者どもの胆魂《きもたましい》も宙外に飛び、人々は広間じゅうを、群をなす牝牛らのように、逃げまどった――ちょうど日が長くなってゆく春の季節に、あちこち飛びまわる刺《さ》し蝿《ばえ》がとびかかってはぐるぐると追いまわす牛どもみたいに。またこちらでは、距《けづめ》の曲がって、嘴《くちばし》が鉤《かぎ》状をなす禿鷹みたいに、その鳥が山々から来て小鳥どもに襲いかかる、すると小鳥らはすくんで平原を必死に逃れようとするが、禿鷹どもはとびかかって取り殺してゆき、小鳥らは身を防ぐことも逃げることもまったくできない。この鳥狩りの様子を見て人々は面白がるが、それと同様、彼らは求婚者どもに襲いかかって、屋敷じゅうを追いまわしては打ちとっていったもので、この連中のみっともない呻き声が、かれらの首がつぎつぎと打たれるにつけ湧きおこり、床の面はすっかり血潮を流すのだった。
さてレオデスはオデュッセウスを目がけて進み寄り、その膝にとりすがって、翼をもった言葉をかけて頼みこむよう、
「お膝にすがってお願いします、オデュッセウスさま、どうか私を(ゼウスによる懇願者として)つつしみの心をもってあしらい、憐れみをかけてください、というのも私はけっしてお屋敷うちの女たちには一人として言い寄ったことも不埒な所業に及んだこともないのですから。かえって、誰にしろそうしたことをやろうとしたらば、他の求婚者たちを制止したくらいなのです。それでも彼らは私のいうことを聞かず、悪事から手を引かなかったのです。それゆえまさに非道な振舞いに対して、みとうもない死の運命《さだめ》をとげることになったのでした。ところが私は彼らといっしょに、なにもしでかしてもいない犠牲の占い師を勤めただけなのに、いっしょくたに殺されようというのでは、そうなったらよいことをしても、後々になんの徳もないわけですが」
すると、その男を上目使いに睨まえて、知謀に富んでいるオデュッセウスがいうようには、
「もしほんとうにおまえが、彼らの間で犠牲の占い役を勤めたと広言するなら、おそらく何度となく屋敷うちで祈ったことがあるに違いない、楽しい帰国の実現の日が、私から遠いところにあるようにと、また私の愛する妻がおまえに従ってゆき、子供を儲《もう》けるようにと。それゆえにおまえも、死のひどい苦しみを免れることはかなうまいぞ」
こういって、そこに置いてあった剣をがっしりとした手に掴《つか》んだ、これはアゲラオスが殺されようというとき、地面へ投げておとしたものだったが、それをレオデスの頚筋《くびすじ》のまん中へと打ちこんだので、声を出していたその男の首が砂ぼこりに塗《まみ》れてしまった。
またテルピオスの子で、歌唱者《うたうたい》のペミオスは、まだ黒い死のさだめを免れ避けていた。この男は無理強いされて、求婚者どもの間で吟誦をつづけていた者だったが、両腕に音高く鳴る大竪琴をかかえて、後ろの扉口のすぐかたわらに立ちすくんでいた、そして心にあれこれと思い惑っていたのは、あるいは広間からのがれ出て、庭囲いの護り神なるゼウス大神の、立派なつくりの祭壇にとりすがって(宥恕《ゆうじょ》を願おう)か、それとも直接にオデュッセウスをめざして走り寄り、その膝にすがって懇願したものか、の二途だった。この祭壇には何度となく、ラエルテスもまたオデュッセウスも、牛どもの腿の骨肉《ほねみ》を焼いて献げたものであった。それで結局こうするほうが、いっそうましな方法だろうと、思案のあげくに思い定めた、すなわちラエルテスの子オデュッセウスの、膝を捉まえて(願う)ことである。そこで中のうつろな大竪琴を、混酒瓶《クラテール》と銀の留め金をうち並べた肘掛け椅子との中ほどの地面に置き、自分はオデュッセウスをめがけて馳け寄り、その膝を捉まえて、翼をもった言葉をかけて祈願するようには、
「お膝にすがってお願いします、オデュッセウスさま、どうか私をつつしみの心であしらい、憐れみをおかけください、あなた自身もきっと後で苦悩を味わいなさいましょう、もし吟誦者を殺しておしまいでしたら。元来それは神のため、また人間らのため吟誦をする者なのですから。わたしはこの道をおのずから修得した者です、つまり神さまが私の心に、ありとあらゆる歌の道をお植えつけなされたのです。いかにもあなたのそばで歌うのは、神に対して歌うような気がいたします、それゆえどうか私を首斬ろうなどとお望みなさらぬよう。それにおそらく、あなたの愛するご子息のテレマコスさまもそういってくださいましょう、けっして私はわれから進んで、また望みもとめて求婚者どものため饗宴《うたげ》のあとで吟誦しようと、お屋敷へきたのではなく、ただ彼らのほうがずっと大勢でまた勢いも立ち優るので、むりやりに私を連れて来たわけなのです」
こういったのを、武勇のつわものテレマコスが聞きつけて、さっそく手近なところにいる自分の父親に声をかけていうようには、
「おひかえください手だしは。この方は責任がないのだから、刃物で刺すのはおやめなさい、それと伝令使のメドンも助けてやりましょう、あの人は私をいつも世話してくれたものですから。私らの家で、子供の時分にです、もっとももしまだピロイティオスや豚飼い(エウマイオス)が殺してしまったのでなければ、あるいはあなたが家じゅうを暴れまわった時に、あなたとぶかったのでなかったらです」
こういうと、その声をメドンが聞きつけた。もともと利口な、わきまえのある男だが、このとき大椅子の下に、黒い死の運命《さだめ》をさけようと思って、体のまわりに剥ぎたての牛の皮をしっかり巻きつけていた。それがさっそく大椅子の下から立ち上がって、牛の皮を脱ぐなり、テレマコスをめがけてつと馳け寄り、その膝にとりすがって、翼をもった言葉をかけ、祈願をこめていうようには、
「ああ若さま、私はここにこうしております、どうかあなたさま、お手をおひかえくださいまし、お父さまにもおっしゃって。たいそう武勇におすぐれながら、鋭い刃で私をお討ちにはならないように、求婚者のかたがたにはもとよりたいへん立腹ではありましょうが。あの連中はお屋敷うちでご身代を食い潰してきたのですから、愚かにも、あなたをまったくないがしろにして」
それに向かって、知謀に富んでいるオデュッセウスは、微笑をおくっていうようには、
「安心しろ、いかにもこれ(息子)がおまえを庇護して生命《いのち》を保証したのだから、おまえが胸のうちで(それを)十分悟るようにとな。それにまた他人に向かってもいえるように、善いおこないをすることが、どんなに悪業を身につむより優っているかということを。ともかくもおまえたちは大広間から外へでて、戸外に腰をかけてるがいい、殺戮の場を避けて中庭でな、おまえと評判の高い吟誦者《うたうたい》とで、私が屋敷中でひと骨折ろうというあいだは。それをやらねばならないのだから」
こういうと、二人は広間から外へでていって、二人ともにゼウス大神の祭壇に向かったが、なお四方八方へ眼を配って、始終殺戮の手を恐れている様子だった。
さてオデュッセウスは自分の家の屋敷うちを八方に眼を配った、というのも誰かまだ求婚者のうちに生き残って、どこかに黒い死の運命を避け免れ、隠れこんでいる者はないかと(思ったからであった)。しかしその連中は残らずみな、血潮と砂塵とにまみれ、大勢まるで魚みたいに、転《ころが》っていた、漁師たちがいりくぼんだ波打ち際《ぎわ》へ灰色をした海から、目のたくさんある漁網でもって曳きあげて来た魚どもである、それがみな海の波に恋いこがれながら砂浜一面に散らばってるのを、照りつける太陽がかれらの命を奪っていった、それみたいに、このとき求婚者どもは肩をならべ、うちのめされて散らばっていた。
まさしくそのとき、知謀に富んでいるオデュッセウスはテレマコスに向かっていった。
「テレマコスよ、ではさあ乳母のエウリェクレイアを呼んで来てくれ、いまこの胸の中に考えていることを、彼女に話して聞かせようと思うから」
こういうと、テレマコスは愛する父親(の言いつけ)にきき従って、後ろの扉を動かして乳母のエウリュクレイアに話しかけた。
「こちらへさあ出てこいよ、昔生まれの婆やさん、おまえは召使いの女たちの監督なのだから、わたしらの屋敷じゅうのだ。おいで、父上がおまえをお呼びだぞ、なにか話をなさりたいそうだ」
こう声をあげていったが、彼女の言葉は翼をもっていなかった(物も言えずに黙っていた)。テレマコスが先に立って、しっかりと構えもよろしく造られた部屋部屋の扉を開けて連れて来たのだが。オデュッセウスはいましも殺された者の屍のあいだに立っていたが、血と汚れとを体に浴びたその姿はまるで獅子のようであった、野原にくらす牛をいましも啖《くら》って来た獅子である。その胸も両頬も血みどろになって、顔つきも見るさえ恐ろし気な、そのようにオデュッセウスは両脚も両手もすっかり血まみれだった。ところで彼女は屍やらおびただしい血潮やを眺めると、いきなり歓喜の叫びをあげた、たいした仕事が成就したのを見てとったので。しかしオデュッセウスはそれを引き留め、彼女がしきりに叫びたがるのを制止したうえ、彼女に向かい声をあげて翼をもった言葉をかけ、いうようには、
「胸の中だけに、婆やさん、喜ぶのも止めておいて、叫び立てはやめといてくれ、殺された人間どものいるところで、得意になって威張るのは、つつしみを欠くことだからな。この男らは、神々からの定運《さだめ》と無慚《むざん》な所業のために身を滅ぼしたのだ、つまり彼らは、この世に生きる人間のうちのなんぴとをも、賎しい者も貴い者も、大切にしてもてなすということがなかった、その人たちが彼らを頼ってきたときにだ。それゆえにこそ傲慢な非道なしわざのために、みじめな死を遂げたのである。ところでさあ、おまえは女どもを大広間に呼び集めてくれないか、私をないがしろにした女たちに、罪科《つみとが》のない女たちも」
それに向かって今度は、親しい乳母のエウリュクレイアがいうよう、
「それならば私が、若さま、本当のところをお話しいたしましょう。お屋敷じゅうには、召使いの女たちが五十人おりまして、その女たちにはいろんな仕事をして働くよう、しつけているのでございます。それは羊の毛を梳《す》くなど、はしための道をまもってゆくよう教えています、ところがそのうちすべてで十二人が、恥知らずな所業に身を任《まか》せておりまして、私をあなどるのみか、ペネロペイアさまご自身にさえ敬いを欠くありさまなのです。それにテレマコスさまはやっとご成人なさったばかり、母上さまはまだご子息に対して、召使いの女たちに指図なさるのは、お許しになりませんので。ともかくも、では私が光沢《つや》やかな二階へ上がっていって、奥方さまにお知らせしてまいりましよう、どなたか神さまが眠りをおかけしましたもので(お寝《やす》みですから)」
それに向かって、知謀に富んでいるオデュッセウスが返事をしていうようには、
「いやけして奥の眼をさますではない。おまえはここへ女どもにくるよういいつけなさい、以前に不埒なたくみをはかった女どもをな」
こういったので、老女は広間を横ぎって、女どもに命令を伝え、くるように促し立てようと、でかけていった。いっぽう彼(オデュッセウス)は、テレマコスや牛飼いやまた豚飼いを、自分のところへ呼び寄せて、翼をもった言葉をかけいうようには、
「ではこれから屍を運び出しにかかってくれ、また女たちにもそういいつけろ。それから今度はとりわけみごとな肘掛け椅子や四脚卓を、水や孔《あな》のたくさんあるスポンジやで洗い浄めるのだ。そしていよいよ家じゅうをすっかりきれいに整え終わったら、召使いの女たちを造りもみごとな広間から連れだして、中庭の非のうちどころもない垣囲いと円堂との間のところに(寄せ集めて)、刃の長い剣でぶった斬るのだ、女たちみなの生命《いのち》がすっかり断ちきられ、愛欲の念《おも》いがまったく消えてしまうまでは。そうした念《おも》いに駆られて求婚者たちと、こっそり交わりをつづけていたのだから」
こういううちにも、召使いの女たちがみないっしょになってやって来た、はげしく泣き声をあげ、大粒な涙を流しながら。そこでまず第一に絶命した者どもの屍を運びだして、垣囲いのしっかりできている中庭の柱廊下のもとへおろして、お互いに凭《もた》れかからせるように言いつけた。それはオデュッセウスが指図をして、自分から急《せ》き立てたので、女たちもよんどころないながらも運びだしていったのだった。それから今度はたいそう立派な肘掛け椅子や四脚卓を、水や孔のあいたスポンジやで洗い浄めたその一方では、テレマコスと牛飼いと豚飼いとで、しっかりと造りあげられた屋敷の床を、平らにならす均《なら》し鍬《ぐわ》でならしていった。侍女たちは(そのあいだも屍を)運びだして、家の外へ置いていったが、やがていよいよ広間がすっかり綺麗にとりかたづけられると、侍女たちを造りもみごとな広間から連れだして、中庭の非のうちどころもない垣根囲いと円堂との間の狭いところに閉じこめた、そこからはもう逃げ出すことも不可能な場所であった。さて彼らに向かって利発なテレマコスが、まずこのように話をはじめた。
「まったくのこと、正常な死にざまでは死なせたくないのだ、そうした女どもの生命を奪《と》るにしてもである、彼女らは事実わたしの顔にさんざん泥をぬりたくったのだから、またわれわれの母上に対してもだ。そして求婚者どものそばで夜をすごしなどした奴らだ」
こういって、青黒い舳《へさき》の船の太綱《ふとづな》を、円い堂の太い柱の上へ結びつけ、ぐるりへまわして、高いところへ張りめぐらした、そこから足が地面へ届かないように。そしてちょうど長い翼のつぐみや鳩などが、ねぐらへ帰ってゆこうとするとき、木立のしげみに仕掛けられた、霞網にひっかかったときみたいに――おぞましい寝床が彼女らを迎えとった。順ぐりに頭を並べた女たちの首筋にはみな縄がしばってあった、ことさらみじめな死にざまをするようにと。それでちょっとのあいだは、足をばたつかせてもがいたが、それもけして長くはなかった。
それから今度はメランティオスを、扉口からまた中庭から連れ出して来た、そして鼻と耳とを容赦もない青銅の刃で切り取ったうえ、陽根をも引きちぎった、犬どもに生のまま啖わせるようにと。また両手両足を、憎さの思いのつのるにまかせて、切り落とした。
それから一同手や足を洗い浄めたうえで、オデュッセウスのいるところへ、館のうちへと赴いたが、これで仕事はすべて遂行されたのであった。それからオデュッセウスは親しい乳母のエウリュクレイアに向かっていうよう、
「硫黄を持っておいで、婆やさん、禍いを癒やすものだ、それから火を持ってきてくれ、部屋を硫黄でくべるように。そいでおまえはペネロペイアにここへくるよういいなさい、侍女たちをいっしょに連れてな。また館じゆうの召使いたち一同に、(ここへ)来るよう督促しなさい」
それに向かって今度は親しい乳母のエウリュクレイアがいうよう、
「はいはい、いかにもおっしゃいますことは、若さま、条理にかなっております、それではさあ、外衣や肌着や、お着物を持ってまいりましょう、けっしてこんなふうに、すっかりぼろでお広い肩を包みかくして、大広間に立っておいではなりませぬ、それでは人がけしからぬことと申しましょうから」
それに向かって、知謀に富んでいるオデュッセウスが返事をしていうようには、
「火をいまのところは、いちばん先に大広間へ燃やし立ててくれ」
こういったのに、親しい乳母のエウリュクレイアも異議を唱えず承知して、火と硫黄とを運んできた、そこでオデュッセウスは、十分に硫黄を燃やして、広間も館も中庭もすっかりくすべ浄めた。老女はそれからまた立ち去って、オデュッセウスの立派な屋敷の中を通って、女どもに命令を伝え、(広間へ)来るよう促し立てた。それで女たちも(婦人)部屋から松明《たいまつ》を手に手に持って、出かけて来て、オデュッセウスのまわりに群がり、挨拶をして、その頭や肩や両手やにみなとりついては、愛情をこめて口づけるのであった。甘いなつかしさの思いが彼を捉えて、涙を流し嘆息《ためいき》を吐《つ》きたい気持を促し立てたが、もとより心中では、女たちみなの記憶をたどっていたのであった。
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第二十三巻
夫婦、晴れて再会のこと
【求婚者らがみな片づけられたこと、それにもまして館の主人オデュッセウスが帰って来て奥方をお呼びの旨《むね》を伝えに、乳母エウリュクレイアは奥殿へ馳け上がって来たが、ペネロペイアは本当にできない。二十年を経過してのことでもある。いろいろと問い質し、奥の間の様子をたずねてようやく納得できた。オデュッセウスはその間の辛労と浮浪の物語を語って聞かせる。翌日の朝、彼は帰宅と見舞いをかね、町からほどへだたる農園に住む老父ラエルテスを訪ねに出かける】
さて老女はほがらかに笑いながら、二階へと上がっていった、愛しい夫君がうちにおいでということを奥方に申しあげようと。だが膝はどんどん前へ進んでも、脚がつまずきがちで運ばなかった、それでもとうとう奥方の枕もとまでいって立ち、彼女に向かっていうようには、
「目をお覚ましなさいませ、ペネロペイアさま、ご自分の眼でごらんなさるように、毎日毎日お待ちかねでしたものを。オデュッセウスさまが戻ってらして、お館にお着きなのです、まあずいぶん遅くお帰りでしたが。それで威張りちらしてた求婚者たちを皆殺しになさったのですよ、お館にさんざ迷惑をかけ、身代《しんだい》を食いつぶし、お子さまを押しつけてばかりいたものですが」
それに向かって、今度はよく知恵のまわるペネロペイアがいうようには、
「ばあやさん、神さまがたがおまえを気がへんになさったのだね、それはもう神さまといえば、たとえ十分才覚のある人間さえも、正気をなくさせもおできなのだから。また反対に、頭ののろい人間に、思慮分別をつけておやりもね。それがいまおまえ(の頭)を狂わせなさったに違いない、前には気性もたしかだったものを。それがどうして私を担ごうっていうの、もう十分に胸を苦しめている私に、そんなでたらめをいって。そして気持のいい眠りから呼び覚ますなんて。私のいとしい瞼《まぶた》をすっかり蔽って、身動きもできないようにしていたのに。ほんにオデュッセウスさまが、あの禍いなイリオス、名を呼ぶのも忌わしい、あの町を見にお出かけなさってこのかたは、けして一度もこんなによく寝たことはなかったのです。ともかくもさあ、とっとと下へ降りていって、部屋にまた戻りなさい。もしまた誰かほかの女が、こんなことをいいに来て、寝ているところを起こしたのだったら、すぐにも私がひどい目にあわせ、自分の部屋へとまたもとに追い返してやったことでしょう。おまえは年寄りだから、助けておいてあげようが」
それに向かって、今度は親しい乳母のエウリュクレイアがいうようには、
「とんでもない、けしてお担ぎなどいたしません、奥方さま、まったく真実オデュッセウスさまがおいでで、うちに帰ってらしたのです、わたくしの申しますとおりに。あの他所《よそ》から来た客人、みなして広間で侮《あなど》りなぶったあの方がそうなので、テレマコスさまはもうとっくに家においでのことを知っていらしたのですわ。でも用心ぶかくお父上のはかりごとを隠しておいでになったのでした、思い上がった横道な男たちの乱暴をお罰しなさるまでは」
こういうと、奥方はうれしさに臥床から跳び起きて、老女に抱きついた、そして瞼から涙をこぼした、そして彼女に向かって声をあげ、翼をもった言葉をかけ、
「そんならばさあ、ばあやさん、確かなところを聞かせておくれ。もしほんとうにうちへ帰っていらしたのなら、おまえがいうとおりにね、それこそどのようにして、恥知らずな求婚者たちを手にお掛けだったか、たった一人きりなのに。あの連中はいつもいっしょに固まって、うちの中に居すわっていたもの」
それに向かって、今度は親しい乳母のエウリュクレイアがいうようには、
「わたくしは見も聞きもいたしませんでした、ただ呻き声だけを聞いたのでございますよ、みんなが殺されていったおりのね。わたくしどもは、しっかりとした造りの奥の間の隅にすっかり胆をつぶして坐っておりました、間はしっかり坂戸で立てきってありますので。はじめていよいよお子息のテレマコスさまが、部屋から(私を)お呼び寄せなさいましたまではね。それからいって見ると、オデュッセウスさまが死人の屍のあいだに突っ立っておいでなさり、連中はそのまわり一面に、堅い地面《じべた》にとりついて、重なりあって倒れていました。ご覧になったら、きっと心地よくお思いでしょう。いまではそれこそ中庭の扉口のあたりに、みないっしょくたになっていまして、たいそう立派なお屋敷は硫黄で浄められております、いっぱいに火を燃やしましてね。それで奥方さまをお呼びするよう私をお遣わしなさったのです。それゆえさあ、ついておいでくださいませ、お二人さまして喜悦の途へおのぼりなさいますように。お二人ともども、ずいぶん難儀をお重ねなさいましたことゆえ。いまこそもうはや、このようにして長いあいだのお望みが、すっかり実現されましたのです。殿さまがご自身生きてお家の炉辺にお帰りになり、あなたさまやご子息さまとお屋敷で再会なさいましたうえに、その方々に非道の仕打ちを働いた求婚者どもは、一人残らずお家の中で、お仕直きなさったことですから」
それに向かって、今度はよく知恵のまわるペネロペイアがいうようには、
「でもばあやさん、そんなにたいそう嬉しく笑って得意がるのはやめになさいよ、だっておまえも知っているわね、どんなにこの屋敷うちでは皆にとってあの方がおいでになったら歓迎されようかということは。とりわけ私に、また息子にとっては、私ら二人の子供ですもの。でもこの話は、けして本当のことではありますまい、おまえのいましゃべったことは。きっとどなたか神さまが、傲慢な求婚者どもを謀殺なさったのです、胸を悩ます不埒の沙汰やよくない所業に立腹なさいまして。それというのも、あの人たちは、この地上にある人間の誰一人にも敬意を払うということがなく、賎しい者と良家の者と見さかいなしに、彼らを頼って来る人をみな見くだしていたもので、その横暴不遜の振舞いゆえ、禍いを受けた(に違いありません)。それにしてもオデェッセウスさまはアカイアの国から遠いところで、帰国の途をおなくしになり、自身もおなくなりだったのです」
それに向かって、今度は親しい乳母のエウリュクレイアが答えていうよう、
「まあ奥方さまが、なんという言葉を歯並の垣からお洩らしなさるのです、殿さまがうちの中の、しかも炉辺《ろばた》においでになるのに、けしてお館に帰っておいではあるまいなどとおっしゃるとは。ほんとにいつも他《ひと》を疑うお心ですのね。そんならばさあ、いま一つはっきりした見分けのしるしを、申しあげましょう。あのむかし猪が白い牙を打ちこんでおつけした傷、その傷痕をお洗足《すすぎ》のおり見つけたのです、それであなたさまにもお知らせしようと思いましたのを、あの方がお手でわたしの咽頚《のどくび》をおつかまえになり、いわせてくださらなかったのです、とても思慮ぶかいおはかりごとから。ですからまあ、ついておいでくださいませ、そしたらわたしは、わたくし自身(の命《いのち》)を賭《か》けてもよろしゅうございます。もしもお騙《だま》しいたしましたら、このうえないみじめな死にざまで、命をお奪《と》りくださいませ」
それに向かって、今度はよく知恵のまわるペネロペイアが答えていうよう、
「ばあやさん、むずかしいことね、神さまがたのお企らみを覚り知るというのは、まあずいぶんおまえも物識りではあるけれど。でもともかくも息子のところへゆきましょう、殺されつくした求婚者のかたがたを見るためにも、またその殺した方に会うためにもね」
こういって、二階の梯子を降りて来られた。そしていろいろ心中で思いまどっていた、他人のいないところで、愛する良人《おっと》を問い質したものか、それともそのそばへゆき、両手を取って頭に接吻したものかと。そこで彼女は広間へはいり右の敷居をわたってゆくと、それからオデュッセウスに面と向かって腰をかけた、火があかあかと明るく照らす、もういっぽうの壁のところに。一方オデュッセウスは高い柱にもたれかかって、下を見ながら坐っていた、それで気高い奥方が、その眼で自分を見たときに、なにか話をしかけようかと待ち構えていたところ、彼女は長いことなにもいわずに坐っているきりだった、深い感動にうたれて、心がぼうっとなってしまい、その面貌《かおかたち》を眺めると、ときには(良人に)似ていると思う、しかしまたひどい衣を肌に着けている姿は、ちがう人にも思われる。(それを見て)テレマコスは非難して、その名を呼び、言葉をかけていうようには、
「母上はいけない母上だ、こうもすげない心をお持ちとは。何故そんなに父上から身を遠ざけておいでなのです、それに直々《じきじき》おそばに坐っていながら、一言《ひとこと》もおたずねがなく、問い質《ただ》しもなさらぬとは。まったく他の女ならば、このように我慢づよい心でもって良人《おっと》から離れて坐っていられますまい、さんざんひどい難儀に耐えて、二十年目にやつと祖国へ帰ってきたという良人《おっと》に対して、あなたのお心はいつもこんなに、石よりも固くすげないものなのですね」
それに向かって、今度はよく知恵のまわるペネロペイアがいうようには、
「私の息子よ、私の心は胸の中ですっかり呆れ魂消《たまげ》てしまい、一言だとて話しかけもできなければ、おたずねするのも、面と向かってお顔を仰ぐことさえもむずかしいのです、もしほんとうに(この方が)オデュッセウスさまで、家へ帰っていらしたことが真実なら、いかにもわたくしたち二人は、互いはそれと確認しあえましょう、しかもいっそ確かな道を心得ています、つまりわたくしたちには、二人だけが知っていて他人からは秘《かく》されているしるしのものがあるのですから」
こういうと、辛抱づよく、尊いオデュッセウスは微笑を浮かべて、さっそくテレマコスに向かって、翼をもった言葉をかけ、
「テレマコスよ、まあまあ母上には屋敷うちで、いろいろ私を試してみさせて置いたがいい。すぐにもおわかりだろうからな、しかもまたいっそう確かにだ。現在は私がみすぼらしいなりで、汚い着物を肌に着てるというので、それで私を見くだして、けして夫だと思わないのだ。ところで私らはむしろ、これからどうしたらいちばんいいか、その最善策を相談しようではないか。それというのも、一つ国に住む一人の男を殺した場合でさえも、その男に、大勢の味方をする者どもが後ろについていないときですら、親族どもを憚《はばか》って祖国を捨て、亡命するのがならいである。ところが私らは国都の支柱ともいうべき人々、イタケに住む若者中の、とりわけすぐれた者どもを殺害したのだから。その方策を一つ考えだしてくれ」
それに向かって、今度は利発なテレマコスが答えていうよう、
「ご自分でそれはお考えください、ねえ父上、だって世間の人のあいだでは、あなたがお建ての謀計《はかりごと》が、いちばん優れていると申しますもの、まったく命死ぬ人間界の誰一人として、(それをあなたと)競争しようという者はありますまい。わたしどもは一所懸命で(お建ての謀計についてまいりましょうし、わたしどもに力のあるかぎりは、けっして武勇におくれをとろうという心配はございません)」
それに向かって、知謀に富んでいるオデュッセウスが返事をしていうようには、
「それならば私がいうことにしよう、私にいちばんの上策と思われるところを。まず第一には、沐浴をすませ、肌着を体に着けるがよろしい、侍女《こしもと》たちにも自分の部屋で、衣裳をつけるよう命じなさい。それから神聖な吟誦者《うたうたい》に、音高く鳴る大竪琴をたずさえて、舞い踊りの先頭に立ち、われわれを率いてゆかせるのだ。外部から――道を追ってゆく人にしろ、あるいは近所に住む人たちにしろ――その音を聞く人が、結婚の祝いでもしているのだと思うように。こうして私らが町の外へでていって、樹のたくさんある、うちの畠地へ着かないうちは、求婚者の人々が殺害されたという評判が、町中に拡まらないようにするのだ。それからそこで(私らの農園において)、思案を練るとしよう、オリュンポスにおいでの御神が、どんな妙策をお授けくださるものかを」
こういうと、彼らは(オデュッセウスの)いうことをよくききわけて、従った。そしてまず初めに沐浴をして肌着を体につけ、侍女たちもそれぞれ身仕度をすませた。また神聖な吟誦者《うたうたい》は、中のうつろな竪琴を手に取って、一同のあいだにたのしく快い歌舞や申し分なくすぐれた踊りへの欲望をそそり立てた。そこで広大な館はすべて、戯れ遊ぶ男たちや帯の美しい女たちの(舞い踊る)足のひびきに鳴りとどろいた。それでこのように、屋敷の外からこの物音を聞く人たちは話しかわしたものだった。
「いかにもきっと誰かが、あの大勢から求婚されていた奥方といよいよ結婚されたにちがいない。ふがいない方だな、ちゃんと定まったご主人の大きな館を、帰っておいでなさるまで、ずっと守りとおすだけの、意気がおありなさらなかったとは」
こんなふうにみな話すのだった。つまり彼らは、実際におこった事を知らないのであった。ところで、心の大きいオデュッセウスに、彼の屋敷うちで沐浴させたのは家事取締りのエウリュノメで、それからオリーブ油を体に塗りつけ、綺麗な麻の衣と肌着とを身にまとわせた。またその頭上からたっぷりと、アテネ女神が美しさを注ぎかけられた〔いっそう立派にどっしりした姿に見えるようにと、また頭からゆたかな髪を、ヒヤシンスの花そっくりに、垂れなびかせた。それはさながら銀(の器《うつわ》)に、熟練した工匠が黄金《きん》をぐるりと注《つ》ぎかけるよう、ヘパイストスやパラス・アテネからあらゆる技術を教えこまれた男が、みごとな作品《しごと》を仕上げるさまに似ていた〕。それで浴槽《ゆぶね》から、不死の神々にも異ならぬ姿でもって立ちいでると、ふたたびもとの、前にそこから立ち上がった大椅子の、奥方のま向かいのところへと腰をおろした。そして彼女に向かって話をしかけ、いうようには、
「なんというおかしな人か、オリュンポスに館をお持ちの神さまがたは、かよわい女人のうちでもとりわけて、あなたの心を頑《かたく》なにお仕向けなさったものだな。いかにも他の女だったら、ともかくこんなに我慢のつよい心でもって、夫のそばから離れていはしないだろうに、さんざん苦労をしたあげく、二十年目に故郷へ帰って来たというのに。それはともかくさあ、ばあや(エウリュクレイアに)、臥床《ふしど》を敷いてくれ、わたし自身も横になりたいから。きっと妃の胸の中にある心臓は、鉄でできてるものだろうから」
それに向かって、今度はよく知恵のまわるペネロペイアがいわれるよう、
「まあなんというおかしな方でしょう、わたくしはべつに偉ぶりもいたさなければ、人を侮りもいたしません、またあまりに驚き訝《あや》しみもしていないのです。というのももともとよく存じておりますから、あなたがどのような方でおいでだったかを、イタケから、長い櫂をもつ船でお発ちなさいましたときに。ともかくもさあ、エウリュクレイア、あの方がご自身でおつくりなさったしっかり寝室の外に、あのしっかりした臥床を持ちだし、しとねを敷いて、羊の毛房や外掛けや、光沢のよい厚布なども用意して」
このように良人を試そうとしていったのであったが、オデュッセウスは不様嫌な顔をして、心づかいも信実な奥方に向かっていうよう、
「奥方よ、いましがたおいいのことは、たいそう私の胸を痛める言葉であった。誰が私の臥床をよそへ移すことなどできたであろう、もし神さまご自身がおいでなさるのでなければ。されば人間の分際では、いま生きている者にしたら、いかほど若くて元気があろうと、らくに動かしはできなかったはずだ。その臥床をしつらえあげた際に、たいそうな仕掛けを設けておいたのだから。ほかでもない、このわたしが手にかけ、つくったものだ。もともとそこには中庭の囲いの中に長い葉のオリーブ樹があった、勢いよく茂り栄えて、幹の太さが柱ほどにも達していた。その木をとり囲んでわたしは寝間を造営し、石材を堅く積みあげ、とうとうそれを完成して、よろしく上に屋根をふきあげた。それから堅くつけあわせた扉をぴったりとあてはまるように取りつけた。それから今度は、長い葉のオリーブの枝葉を切りおとし、根元《ねもと》から樹の幹を切り取って、青銅の刃でまわりをよく削り上手《じょうず》にしつらえ、すみなわでまっすぐにし、錐《きり》ですべてに穴をあけておいてから、寝床の柱にしたてあげた。これを最初の手はじめとして、臥床をすっかり仕上げるまで、磨きあげておいたものだった、黄金や銀や象牙の細工でとりどりに飾りをつけて。またその内には、牛皮の紐の、輝く紅に染めあげたのを張りまわした。こんなふうに、私の臥床はできていた。まだその臥床がしっかりしているかどうかは、私の知った限りではないが、誰かが、オリーブの木の根元から切り渡して、ほかへ置きかえたとでもいうのか」
こういうと、奥方の膝も心も、そのままそこで萎《な》えくずおれた、オデュッセウスが間違いなしにはっきりと説明した、その証拠を確かに知りわけたので。そこで涙にくれてまっしぐらにオデュッセウスをめがけて馳け寄り、両手を頚に投げかけると、頭にくちづけしていうようには、
「どうかオデュッセウスさま、おこわい顔をなさらないで、なににつけても人間のうちであなたはとりわけ優れて分別のあるお方ですもの。神さまがたが悲嘆をお与えなさったのです、わたくしたちがあい互いにいっしょにくらして、青春を楽しんだうえ、老年の閾《しきい》に達するのをお惜しみになりまして。それゆえどうかただいまは怪《け》しからぬこととお腹立ちになりませんよう、あなたをすぐさま、はじめにお目にかかったおり、このように愛想よくご挨拶しませんでしたのを。それというのもいつも不断から、私の胸のうちにある心は恐れおののいておりますもので、誰かどこかの人間が来てわたくしを欺きだましはすまいかと。それも世間にはずるい悪企みをする人間が大勢おりますことゆえ。いかにもゼウスからお生まれでしたアルゴスのヘレネさまとて、もしや再びアカイア族の武勇すぐれた息子たちが、愛しい故国へ自分を連れもどすだろうと心得ておいででしたらば、他国の男に、愛情と臥床とをもて、添い寝はけっしてなさらなかったに違いありませぬ。いかにもあの方を唆《そその》かして、そうしたみだりがましいおこないを、おさせになったのは、神さまでした。その罪ふかい過ち心を、前からお持ちではなかったのですが、おぞましいその初めの過ちから、わたくしたちまで悲嘆にまきこまれるに至ったのです。でも現在は、もはやわたくしどもの臥床の証しをはっきりと話してお見せくださったのですから、しかもそれは他の人間はまだかつて見たことがなく、わたくしとあなたと、ただ一人の侍女アクトリスだけしか知らないことなのです。その娘は、わたくしがここへ嫁いできたおり、父がつけてよこしたものでして、わたくしどもの堅固なつくりの奥殿の扉口をいつも守ってくれた女ですので。ほんとうにいまはもう私の心をすっかりお信じさせなさったのです、ずいぶん頑なでもございましたが」
こういって、夫の心になおいっそうの、嘆き泣きたい思いを起こさせた。そこで彼は信実を身につけた、心にかなう妻を抱きしめて涙にくれた、ちょうど難航して海を泳いでいる男に、陸の見えるのがありがたくうれしく思われるように。それはポセイドン神が、丈夫な造りの船に海原のさなかでもって、風と湧き立つ大波とをぶつけてうち砕き、ごく僅かな人たちだけが、灰色の潮を逃れ出て陸地へと泳いでゆき、ようやく災厄を免れて、いそいそとして陸へあがっていくようすにも似ていた。いっぽう、それと同様に奥方のほうも、夫の頚筋から白い腕をけっしてすっかり放そうとしないでいた。それでもしもきらめく眼のアテネ女神が別なことを思いつかれたのでなかったならば、このように嘆きあかしているうちに、ばらの指をもつ暁が立ち現れもしかねないところであった。すなわち女神は、夜をその終わりかたに長いこと引きとめておき、一方では黄金の椅子に寄る暁(の女神)を大洋河オケアノスのほとりにおさえ、人間世界に光をもたらす、脚の速い馬、ランポスとパエトンとの、暁の女神をお載せする二匹の馬を車につなぐことをお許しなさらなかったのであった。そのときまさに知謀に富んでいるオデュッセウスは、奥方に向かって話しかけるよう、
「奥方よ、まだ私らは、すっかりとこの苦業の終わりにゆき着いたわけではないのだ。それでまだ今後に、測り知れぬほどの難業が残っている、おびただしくまた骨のおれるのが。それを私はすっかり完遂しなければならない。というのも私が冥王《アイデス》の館の内へ降ってゆき、私の仲間たち、また私自身のため、帰国についてテイレシアスの魂魄に問い質《ただ》したとき、彼はそのように予言をしてくれたのだった。だがともかくも臥床に赴こうではないか、奥方よ、もはや快い眠りに身をゆだね、やすらかに寝て心をなぐさめるように」
それに向かって、今度はよく知恵のまわるペネロペイアがいうようには、
「臥床はいつでもお気の向いたそのおりには、間にあうようにできております、もとより神さま方が、造りも丈夫なお屋敷へ、ご自分の祖国へと、あなたが帰っておいでのように、なさったことですから。しかしあなたがいったんお思いつきなさり、神さまがお心にそうお思い立たせなさったからは、ぜひその苦業というのをお聞かせくださいませ、いずれはきっと後で聞くことになりましょうから。いますぐそれを伺っておいても、けっして悪くはございますまい」
それに向かって知謀に富んでいるオデュッセウスが返答をしていうようには、
「おかしなことを考える女だね、なぜまたそのようにきつく催促したてて、話せとせがむのかね、それならば私にしても、秘《かく》さずに話してあげることにしようが。きっとあなたが(聞いても)心によろこぶことはなかろうよ、だって私にしろ自身がうれしく思わないのだから。彼(テイレシアス)はずいぶんたくさんの人間のすむ町々へ私に訪ねてゆくようと命じたのであった、両手に使いぐあいのよい櫂を持ったままで。海というものをまったく知らない種族のところへ着くまでだ。その種族というのはまた塩のまじった食物を食うこともなく、頬(舳)を赤く塗った船や、船にとっての翼というべき使いぐあいのよい櫂の知識ももたない人々である。そして、次のようなしるべも、あの男はおしえてくれたが、それも秘《かく》さず報せてあげよう。もし一人の旅人が私に出会って、ずいぶん立派な籾殻《もみがら》を飛ばすシャベルをお前はかついでいるなといったときは、すぐ大地にその肩にかついだ櫂を突き立て、ポセイドンに立派な贄《にえ》をたてまつるようにと。すなわち仔羊や牡牛や牝豚にまたがる牡豚やの、三種の犠牲をささげてから、故郷に立ち戻り、また広大な空をたもたす不死の神々たちへ、すべての神へ次第もよろしく、百牛の贄をまつるようにと命じたのであった。その後、私自身には海から離れたところで、たいそう穏やかで、ゆたかな老年のもとに命がつきて死ぬような、そうした死にざまの死が訪れるであろうと。それでまわりの人々も幸福に富み栄えるだろう、それらがすっかり真実になるだろうと予言をしたのだ」
それに向かって、今度はよく知恵のまわるペネロペイアがいうようには、
「もしほんとうに神さま方が、もっとましな老年を授けてくださいますならば、あなたがこれからは、いろいろな災いを避け免れておいでなさる望みがまだございますね」
こんなふうに二人は互いに、こんな話を交わしあった。その間にエウリュノメと乳母とは、炎々と輝く松明のもとに、柔かい衣を延べて臥床の用意をととのえた。それでいろいろ仕度をして、しっかり臥床を敷きおわると、老女はまたもとの自分の部屋に帰っていった。そこで奥の世話掛りであるエウリュノメが、臥床へとおでかけの二人にたいし、松明を手に携えて、案内の役をつとめた、そして奥の間までお連れすると、帰っていった。それから二人は心もたのしく、古くからの臥床の定めを迎えたのであった。一方テレマコスは、牛飼いや豚飼いとともに、舞踊の足を休めると、女たちにも踊りをやめさせ、彼ら自身も、暗い影をさす館のうちで臥床についた。
さて二人はそれから、なつかしい愛のおもいに心をなぐさめ、また互いにいろいろ話を交わしてたのしんだ。奥方のほうは、女人のうちにも気高い女が、屋敷のうちで、求婚者の男らの見たくもない群集をいつも眺めて辛抱してきた次第の数々を。その連中が彼女のために、何匹となく牛や羊やを屠殺したり、何樽ものぶどう酒を飲み干したりしたことを話せば、ゼウスの裔《すえ》であるオデュッセウスは、どれほど彼が世の人々に煩《わずら》いをかけたか、またどれほど自身も悲嘆しながら苦労したかを、残らず話して聞かせた。奥方がその語を聞いてたのしむほどに、すっかり話を終わらぬうちは、瞼に眠りの訪れるひまもなかった。
まずその話は、最初にキコネス族を負かしたことから始まって、その次にはロトパゴイ(蓮の実食い)族の肥沃な郷《さと》に着いた次第と、それからはキュクロプスのしたことごとや、どんなふうにして(オデュッセウスの)立派な仲間への償いとして仕返しを受けたかという話である、その人々をキュクロプスが情け容赦もなく殺して食ったのであったが。次にはアイオロスの島へ着いての話で、彼が快く一行を迎えたうえ、また送りだしてはくれたが、まだけっして懐しい故国に帰り着く定めにはなっていないで、またもう一度、疾風が彼を攫《さら》って、魚がたくさん棲《す》んでいる海の上を、はげしく呻《うめ》き嘆いている彼を連れ戻した次第や、つぎにはライストリュゴネス族の都、テレピュロスに着いたところが、土民が一行を襲って船を壊し、脛当てもよろしい仲間の者らを殺したこと、それから妖女キルケがあやしい企らみやさまざまな謀計《はかりごと》をめぐらしたこと、また冥王の暗い館へたくさんな櫂掛けのある船に乗って赴いたこと、そしてテバイの人テイレシアスの予言を求めたそのおりに、(この世を去った)すべての戦友たちや、また彼を生み、幼いときに育ててくれた母親にも会ったことなどをも話した。次にはまたセイレネスの群がしきりに歌う歌声を聞いての次第、打ち合い岩プランクタイや恐ろしい渦の淵カリュブディスと犬に似た妖怪スキュレのこと、そこからはけっして死人をださずに一行が逃れではできなかった次第などを、また仲間の者らが太陽神の牛を殺した《もので》、高い空を轟《とどろ》きわたすゼウス神が、炎を立てる雷火を彼らの速い船に投ぜられたこと、そのためにすぐれた仲間の者どもがみなひとつところに命を落とし、自分だけがやっとのことでこの悲運を免れ、それからオギュギエの島へ、ニンフ・カリュプソのもとへ着いたところ、その若い女神は彼を引きとめ、良人になることを求めて、なかのうつろに広々とした洞窟にいて彼を養い、いつの日までも年老いず死ぬことのない身にしてやろうというのであったが、オデュッセウスの胸中にある心はけして動かされることがなかった。それからいろいろ苦難を重ねたすえ、パイエケス族のところに着いたが、彼らはオデュッセウスを神同様に心から大切にもてなして、船に乗せ懐しい祖国へと送り届けてくれたうえにも、青銅や黄金や、衣類などをたくさんに贈ってくれた。その話をいちばん終わりに語り終えたとき、手足をぐったりさせる快い眠りが彼らを襲い、胸にある心配ごともみな解消させた。
ところできらめく眼の女神アテネはまた別なことをお思いつきだった、それでいよいよオデュッセウスが思う存分奥方といっしょに伏してたのしみ、快い睡眠も十分とったと期待されるころ、さっそく|大洋の涯《オケアノス》から、黄金の椅子に寄り、早く生まれる暁の女神を(空に)昇らせ、世の人々に光をもたらすようになさった。そこでオデュッセウスも柔い臥床から起きあがって、奥方に向かい、かように指図をしたのであった。
「奥方よ、いまはもう二人とも十分に飽きるほどたくさんの苦業を味わってきた、あなたはここで、私がいろいろ苦労をした末に帰国するのを泣きながら待っていて、私のほうはまた、ゼウス神や他の神々たちがいろんな苦難を与えて、故郷の土地へ帰りたがっているものを、いつも妨害なさって来たために。しかし現在はもう二人とも、長年待ち焦れていたように、いっしょになれたことであるゆえ、これからはまだ現在残っている財産を、屋敷のうちによく監督していってくれ。また傲慢な求婚者どもが費消した家畜の類は、私が自身でたくさんとりたててくることにしよう、アカイア族の人々もまた別に、羊小舎がみないっぱいになるまでには、(家畜を)くれるだろうが。ところでだがな、私はこれから、樹木の茂った《うちの》畑地へでかけて来ようと思う、すぐれた父上にお目にかかりにだが。いつもたいそう私のためにお嘆き暮らしということだから。それで奥方よ、あなたはもとより十分に心得てはいようが、ひとつ指図しておくことがある、つまりさっそく太陽が昇るのと同時に、求婚者の男たちについての風評が伝えられよう、私がこの屋敷うちで殺した者どものだ。それであなたは、召使いの女たちを引き連れて、一階へ上がってじっとしていなさい、けして誰にも会見したり問い質《ただ》したりしないがよい」
こういうと、両肩に立派な武具をひっかついで、テレマコスや牛飼いや豚飼いやを起こし、一同に戦さの武具《えもの》を手に取るようと命令をくだした。そこでみなもさっそく承知をして、青銅の武具に身を固めると、門扉《もんぴ》を開いて、オデュッセウスを先頭に立て、打ち出ていった。すでにもう朝の光は地上に渡っていたが、この人々をアテネ女神が夜の闇につつみかくして、早々に市街から外へ連れ出したのであった。
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第二十四巻
求婚者の亡霊、冥途へゆくこと、彼らの一族とも和睦のこと
【広間で殺された求婚者らの亡霊はへルメス神の案内で冥界へゆき、アキレウスやアガメムノンらの霊に逢い、身の上話をする。一方オデュッセウスは老父の荘園に着き、たがいに抱擁して喜びあう。ところで館での不祥事の噂はやがてイタケの町中にひろがり、求婚者の親戚らは、あるいは報復をあるいは代償を求めてオデュッセウスの館に押しかけ、さらに彼の後を追って、農園にまで大挙して押し寄せた。これを聞いてオデュッセウス側も対抗の用意をする。これを天上からながめたアテネ女神は下降して、彼らを激励すれば、ラエルテス老人も勢いを得て槍を投げ、モッブの首領の、アンティノオスの父エウペイテスを倒す。そこでアテネは両陣を宥《なだ》め仲直りをさせた】
さてキュレネの(山に生まれた)ヘルメス神は、(殺されたばかりの)求婚者たちの魂魄《こんぱく》を呼び出しなさった。両手には、人間どもの眼を、この神さまが眠らそうとお望みのときは、あやかして眠らせ、また寝ている人を目覚ますというはたらきを持つ、美しい、黄金づくりの杖をお持ちだった。その杖をもって御神は集まって来た魂をゆさぶり立てて率いてゆくと、彼らは微かな声で囁きながら、(神さまに)ついていった。ちょうど蝙蝠《こうもり》どもが、たいそう広々とした洞窟の奥で細い声で囁きながら飛び交わすように。またそれは、お互いに重なりあって岩からぶらさがっている彼らが、離れて落ちてはしきりにちいちい囁く叫びにも似ていた。救いをもたらすへルメスは、その連中の先頭に立ち、朦朧とした道程を進んでいった。そして大洋河オケアノスの流れに沿って進み、「白岩《しろいわ》」の横を過ぎて、また太陽のはいる門や、夢のやからがたむろするところを経て、ほどもなく極楽|百合《ゆり》の咲く牧原に到着した。このところが、くたびれた(この世を去った)者どもの幻影である、亡霊たちの住居と定められているのであった。
そこで彼らは、ペレウスの子アキレウスの亡魂やパトロクロスや名誉あるアンティロコスやアイアスの亡魂などに出会った、この人は誉れも高いペレウスの子(アキレウス)をのぞけば、すべての他のダナオスの裔《すえ》のうちでも、容姿においても体格においても、いちばんに優れていた者である。この連中がアキレウスを取り巻いて群がっていたおりから、すぐそのそばヘアトレウスの子アガメムノンの亡魂がやって来た。悩ましげなようすをして、その周囲には他の亡霊たち、彼といっしょにアイギストスの館で死に、命を落とした者どもがいた。それ(アガメムノンの亡魂)に向かって、まず先に、ペレウスの子が言葉をかけていうようには、
「アトレウスの子よ、人の噂では、英雄といわれる武士《もののふ》たちのうちでも、あなたはとりわけていつも変わらずに、雷火を擲《なげう》つゼウス神から愛されておいでということですが、それもあなたが多勢の、武勇のつわものどもを統治しておいでだったからでした、わたしらアカイア族の者どもがさんざん辛い目にあった、あのトロイア人らの里でのことです。ところがあなたに対しても、呪わしい運命が、早々につきまとうことになっていたのですね、その運《さだ》めは、この世に生まれた人間は、誰一人として免れられないものですが。それでもなお、あなたが統治者として享《う》けておいでになりました、その栄誉をまだ保持なさったまま、トロイア人らのお国でおかくれになり最期をお遂げでしたらいっそよかったのでした。そうしたらアカイアじゅうの兵士らはあなたのために墳墓を築き、あなたの子孫に対しても後の代までたいした誉れをお残しだったでしょうに。ところが、このうえなく痛ましい死にざまで、お討たれなさる運命《さだめ》におあいだったのですね」
それに向かって、今度はアトレウスの子の亡魂が声をかけていうようには、
「しあわせなペレウスの息子の、アキレウスどの、神々にも似かようあなたは、アルゴスから遠方のトロイアの地でお残りだったが、あなたをめぐつて他にも大勢のトロイア方の、またアカイア族の、とりわけ武勇の息子たちが殺されていったのでした、あなたの屍を争って戦ううちに。だがあなたは砂塵のうずまきの中に、大きな姿をいとも鷹揚に倒れ伏しておいでだった、騎士のわざももう念頭にはなく。それでわれわれは一日じゅう戦いつづけてゆきました、いやまったく戦さをやめはしなかったでしょう、もしもゼウス神が電光でわたしらを制止しなかったならば。ところであなたをわれわれは戦場から船陣へと運んでいって臥床に置き、肌をきれいにぬるま湯と油でもって浄め、そして屍を囲んでタナオスの裔《すえ》たちは、熱い涙をさんさんと流し、垂れ髪を切ってささげたのです。また母上(女神テティス)も海の底から出て来られた、あなたの訃報を聞きつけ、海中にいる不死の女神たち(ネレイデス)を連れてこられて。そのすさまじい哀号の叫びは海原を揺すり立てたので、アカイア勢はことごとく脚のふるえにとり憑《つ》かれたくらいでした。そして、もしもむかしのことをいろいろ心得たつわもの、ネストルがみなを制止しなかったならば、みなして跳び立ってうつろな船に乗りこみもしかねないところでした。もともと以前からもその人の意見は傾聴されていたのだが、この老人が一同のためをよく慮《おもんばかっ》て、談義をはじめ皆に向かっていうようには、おい皆の衆、まあ止まりなさい、アルゴス勢よ、逃げようとしないがいい、アカイア族の若者たちよ、それこのように、母上が不死である海の女神たちを引きつれて、逝去されたご子息に対面されようとて、おいでなされたばかりなのだから。こういったので、意気のさかんなアカイア勢も潰走《かいそう》から引きとめられた。それであなたの周囲には海の老人(ネレウス)の娘たちが立ちならび、悲しげに哀悼の声をあげ、屍《かばね》のまわりに神さびた衣を着せかけたのであった。それに九柱のムーサたち(詩歌文芸の女神)がすべて美しい声で唱応しながら挽歌《かなしみうた》を歌いつづけた。その場にはアルゴス勢中一人として、涙を流さぬ者は認められなかったろう、それほどムーサたちの朗々とした歌声は(感動的な)ものであったのだ。このようにして十七日のあいだ、われわれは夜も昼もわかたずに、あなたのために泣き悲しんだのでした、不死の神々も、いのち死ぬ人間たちも。そして十八日目にわれわれは(あなたを)火葬に付した。あなたのために何匹もよく肥えた羊を屠《ほふ》り、また角の曲がった牛も殺した。それであなたは神々の贈った衣をつけたまま、たくさんな油やまた甘い蜜をそそがれて火葬にされ、多勢のアカイア軍の英雄たちは、武具をつけたまま、燃えてゆく薪の座をめぐって、あるいは徒歩で、あるいは馬車に乗って、進んでいった。そのためにおびただしい物音が湧きおこったものであった。さてへパイストスの火焔がすっかりあなた(の屍)を焼きつくしたのち、アキレウスよ、朝早くからいよいよわれわれは、白骨を拾い集めにかかった、水を混えぬ生《き》の酒とオリーブ油をそそぎかけて(火を消したうえで)。そのとき母上は、黄金の両耳|瓶《びん》をお贈りでした、それはディオニュソスの贈り物で、とりわけ名高い工匠《たくみ》の神へパイストスの作であるといわれるものであった。誉れも高いアキレウスよ、その瓶にあなたの白骨は納められているのです、先に死んだ、メノイティオスの子、パトロクロス(の骨)といっしょにされて。この二人の英雄の骨を埋めて、われわれは大きな、立派な塚をつきあげました、ひろやかなへレスポントスの瀬戸につきでた岬のほとりに、いまの世にある人たちにも、また後の世に生まれて来よう人々に対しても、海上からも遠くよりはっきり見えるようにだ。それから母神《テティス》が、(葬儀のための催しとしての)競技の会の催しに、神々たちにお願いなさって、アカイア勢の大将たちへ、とりわけ立派な勝者への賞品をさしだされた。これまでにもあなたは、多勢の勇士たちの葬儀に遭遇しておいでだろうから、そのおりの競技の賞品はご覧になっているだろう。しかしもしこの際に賞品としてあなたのために女神が提供されたいかにもみごとな賞品をご覧だったら、とりわけその立派さに、心から感嘆なさったことであろう、なにせ白銀《しろがね》の足のテティス女神は、神々とたいそう親しくしておいででしたからな。こんな具合で、あなたは死なれてからも、名声を失《なく》しはなさらなかった。それどころか、アキレウスどのよ、いつまでも立派な誉れが、世界じゅうの人間に伝えられることだろう。さりながら私にとっては、戦いをすっかりやりおおせたいま、それがなんのよろこびになろうか、帰国に際して、ゼウス神が私に対し無慚《むざん》な破滅を計画なさっておいたのだから、アイギストスと呪われた私の妻との手にかかるようにと」
こんな具合に、彼らはこうしたことをたがいに向かって話しあった。するとそのすぐ間近に、アルゴス殺しのお使い神(ヘルメス)が、オデュッセウスに討たれた求婚者たちの亡霊を、地上界から引き連れてやってきたので、二人はびっくりして、この様子を見てとるなり、すぐさまそばへ馳けつけた。するとアトレウスの子アガメムノンの亡霊は、知り合いであるメラネウスの愛児である、名誉の士《つわもの》アンピメドンを(その中に)認めた。というのは、この男はイタケ島に家を構えて、以前から彼と懇意の間柄だったので。この男の亡霊に向かって、まずさきにアトレウスの子の亡霊が話しかけ、いうようには、
「アンピメドンよ、いったいどういう事態でもって、きみたちはこの暗い地下の世界へ降りてきたのか、みな選り抜きの、しかも同年輩の人たちではないか。いやけっして間違いなしに、人がもし町じゅうから最上の勇士らを選《よ》り抜くとしたなら、こうした人々を選《よ》りとったことであろう。あるいはきみらをポセイドン神が、船に乗っていたおりに、ひどい暴風《あらし》や大波を起こして、水死させたのか、それともあるいは陸上で、敵意を抱く人開どもに討たれたのか、牛の群やみごとな羊の群などを、きみらが手あたり次第に掠奪しようとかかっていた際に。または城市《まち》や女子供を守ろうとして(彼らがきみらを)殺したのか。私の質問に答えてくれ、私ははばかりながらきみ(の家)とは別懇の間柄なのだから。それともきみはもう忘れたのか、あそこ(イタケ島)へ私が赴いてきみらの屋敷を訪ねたときのことを。それは神にもたぐえられようメネラオスといっしょに、オデュッセウスをうながし立て、板敷もよろしい船隊を率いてイリオスヘの遠征軍に随行させるためだったが。まる一カ月を費して、私らは広い海原をすっかり渡りきったのだった、やっとのことで城市を攻め陥《おと》すオデュッセウスを説得してから」
それに向かって、今度はアンピメドンの亡霊が声をあげいうようには、
「いと誉れあるアトレウスの子で、つわものどもの君であるアガメムノンよ、それらのすべてはよく記憶しております、ゼウスが養育されたあなたが、いまおおせられたとおりに。それであなたに、私としても残らずすっかり確かなところを、間違いなしにお話しいたしましょう、私どもがどのようにして無漸な死を遂げたかという一部始終を。オデュッセウスがもう長いこと遠征したきり帰らないので、その奥方に私どもは結婚を申しいれたのです、すると彼女は、われわれにたいし死と暗い運命とを企らんで、この求婚を忌わしいものと拒否するのでもなく、さりとて始末をつけようともしません。そして狡《ずる》い計略をいまひとつ、心中にはかりめぐらしたのでした。すなわち大きな繊機《はた》を屋敷のうちに設置して、しなやかな、幅もとりわけ広やかな布を織りつづけるのでした。そしてすぐさま私どもの間でいうには、私にたいして求婚なさる若殿がた、尊いオデュッセウスが身まかりましたうえは、私との結婚をお急ぎでもありましょうが、しばらくどうかお待ちください、この広幅布を私がすっかり繊り終えるまで。これが役にも立たない織りものとしてむだになりませんように、ラエルテスさまの葬儀用の布なのですから、あの方を長い苦悩をもたらす死の呪わしい運命がつかまえるそのおりのための。もしも屍に巻く衣《きぬ》もなく寝かされておいでなさろうものなら、ずいぶんと身代《しんだい》もおありでしたのに、国じゅうのアオイア族の女たちが私のことをけしからぬ女《もの》と非薙することのないように。こういいますので、私たちにしましても、逸《はや》り立つ心をおさえ、いうことに従っていたものでした。このようにして奥方は、昼のあいだは大きな織機《はた》を織りつづけ、夜になるごと布をまた解きほぐしてゆくのでした、松明をそばに置きまして。こんな具合で三年間は、偽《いつわり》のたくみでアカイア族の男たちの眼を盗み、従わせてきたのでしたが、四年目となり、季節がめぐって来ますと、とうとうそのとき、侍女《こしもと》たちの一人で、よく事情を心得た女が通報しましたもので、私たちは奥方の、いましも輝かしい布を解きほぐしている現場をとりおさえたのでした。それでやむを得ずに、心ならずも奥方はその布を、とうとう織り終えた次第です。
奥方がとうとう大きな織り物を仕上げ終えてから、洗いあげて、太陽かあるいは月さながらに輝きわたるのを、人々に公表したおりしも、ちょうどそのときにオデュッセウスを、わざわざ神霊がどこからか、連れて来ました。そして豚飼いが家を構えている、畑地のいちばん外れのところへ上陸したものです。そこへ神のようなオデュッセウスの愛する息子も、砂丘のつづくピュロスから、黒く塗った船に乗り、到着しました。そこで二人は、求婚者たちにたいしておぞましい死の計略をめぐらしてから、世に名高い町へ向かったものです。もっともオデュッセウスは後からおくれて到着したので、テレマコスのほうが先に立って道案内をし、オデュッセウスはひどい着物を肌にまとって、みすぼらしくやつれはてた乞食の、しかも老いぼれと見える姿で杖をつきながら、豚飼いに連れられて来たのでした。まったく汚いひどい衣を肌に着ていたものでした。それで私らのうちの一人として、それがかの男だと識別できる者はいませんでした。彼が突然に立ち現れたとは、年をとってる者たちでさえまったく覚らないで、意地悪な言葉でなぶり、物を投げつけなどしたものです。
ところが彼はしばらくの間は、自分の屋敷うちで物を投げつけられたり嘲弄されたりしても、辛抱づよい心をもって忍耐していました。けれどもいよいよ霊楯《アイギス》をお持ちのゼウス神が彼をお起たせなさいますと、テレマコスと力をあわせ、世にもみごとな物の具を取りあげまして、奥殿へ納《しま》っておき、閂をかけ閉めこんでしまったのです。そして自分の妃に命じ、たいそう狡い企みをもって、求婚者たちにたいして、弓と灰色をした鉄(の斧)とを設置させました。これが恐ろしい死の運命《さだめ》にあう私たちへの競技の道具、殺戮の初めとなったわけです。ところが私らのうちの一人として、その強弓に弦《つる》を張ることができないで、とても力がそれにおよばないのでした。ところがその大弓がオデュッセウスの手もとに渡りますと、そのおりにわたしらはみな口をそろえて、弓をやってはならぬと喚《わめ》きたて、たとえどんなに彼が弁じ立てようと、だめだ、と主張したものですが、テレマコス一人は彼をけしかけ、やれと命令したのでした。そこで辛抱づよく、尊いオデュッセウスは、その手に(弓を)受けとると、容易に弦を張りわたし、鉄の斧の孔目をすっかり射通したものです。そして敷居のところへ行って立ち、速い矢をつぎつぎと射かけました、恐ろしい面持ちで八方を睨《にら》まえながら、まずアンティノオスの殿を射あてたのです。それから今度はつぎつぎと、他の人々にたいして、呻きに富んだ矢を、面と向かって狙いをつけ、射かけたので、その人たちがつぎからつぎへ倒れていったのでした。明らかに、どなたか、神さまがたのうちの一人が、加勢についておいでだと、覚られるのでした。彼らは程もなく屋敷中を、勢いのあたるに任せ、ぐるぐるまわって殺戮をつづけていきましたので、頭《こうべ》をうたれた人々の無漸な呻き声が湧きあがったのでした。そして地面はすっかり流血にまみれました。このようにして私たちは、アガメムノンよ、命《いのち》を失《なく》したのです、しかもまだ私たちの亡骸《なきがら》は、いまもなおオデュッセウスの屋敷うちに、手あてもされず、放置されているのです。というのも(私たち)めいめいの家にいる身内の者らもまだ少しも(このことを)知らないからで、(もしわかったら)黒い凝血を傷口から拭きとって、柩におさめ、哀悼してくれるでしょうが。そうしたことが、死んだ者らへの手向《たむ》け(栄典)というものですから」
それに向かって、今度はアトレウスの子(アガメムノン)の亡霊が声をあげて、いうようには、
「しあわせなラエルテスの子の、謀計《はかりごと》に富んだオデュッセウスよ、いかにもきみは、たいそうな美徳を具えた配偶《つれあい》を獲られたことだったな。なんという立派な心がけを、気高いペネロペイアはお持ちだったか、イカリオスの娘御は、正式に嫁いで来た良人であるオデュッセウスの(帰国)を、忠実に待っていたとは。それゆえに、彼女の徳行の誉れは、いつまでもけっして滅びることがないであろうし、不死の神々は地上に住まう人間に対して、いつも弁《わきま》えを失わぬペネロペイアヘと、美しい歌謡をつくられることだろう、テュンダレオスの娘(クリュタイムネストラ)のように悪いことを計画して、正式の夫を殺してしまったのとは、異なっているから。(かの女にたいしては)おぞましい長歌が、人間世界に伝えられよう、またやさしい婦人たち、よいおこないの女にたいしてさえも苛酷な評判を加えさせる因《もと》になるだろうよ」
こんな具合に、彼らは、こうしたことをあい互いに話しあっていた、地の奥に秘《かく》されている冥王の館うちに立ちつくして。いっぽう(オデュッセウスの)一行は、都から出かけてゆくと、程もなくラエルテスの、よく手入れされているみごとな畑地へ着いた、これはむかしラエルテスが自身で獲得した土地で、たいそう苦労をした報いとしてもらったものだった。この場所に彼の住居《すまい》があり、それを囲んで四方に寝小屋がずっと連なっていた。そこで召使いたちが食事をしたり坐って休み、また寝泊りをするならわしだった。この召使いたちは強制奴隷で、彼の思うがままに労働せねばならないのであった。また住居にはシケリア人の老女が働いて、老人(ラエルテス)の世話をよろしく見てきたのだった。そこでオデュッセウスは召使いたち(豚飼いのエウマイオスと牛飼いのピロイティオス)や息子に向かって話すようには、
「ではおまえたちはこれからしっかりと造営された館のなかにはいっていって、さっそくにも豚どものうちいちばんみごとなのを、昼食のため屠殺しなさい、その間にわたしのほうは、われわれの親父を試してみるとしよう。もしやわたしを知りわけて、眼に見てそれと覚るだろうか、それとも長いあいだ別れていたことだから、見わけがつかないだろうかなど」
こういって、召使いたちに戦さに使う物の具を渡してやった。そこで二人の召使いはさっそく館をさしてでかけていった。一方オデュッセウスはゆたかに実をむすぶぶどう畠の近くへ、(父親を)試しに赴いたところ、そこにはドリオスの姿は見えず、他の下僕らやその子供らも見えなかった。ドリオスは大果樹園にでかけた後だったし、下僕らはぶどう畑の垣根をつくるための石塊を拾いあつめにでかけていったのであった。老人(ドリオス)は一同の先に立って、道案内をつとめていったのであった。そこで(オデュツセウスは)父親が一人きりでいるところへゆきあうことになったのである。ちょうどよく手入れをされた段畑で、植木を掘り返していたところで、つぎだらけの、見すぼらしくひどく汚れた着物を着て、引っかかれるのを避けるために、脛《すね》のまわりには牛の皮の、つぎのあたった脛当てをまといつけ、両手には長い手袋をはめていた。野いばら(の刺《とげ》をよける)ためである。一方上のほうは頭に、山羊皮の頭巾をかぶり、苦悩を胸に育てていた。
さてとうとく辛抱づよいオデュッセウスは父親が老年のためやつれはて、大きな苦悩を胸に抱いているさまを見てとると、丈の高い野生の梨の木の下に立ちどまって、涙がこぼれて来た。それから胸のそこ、心の中で、とやかくと思いまどった、自分の父に抱きついて接吻をし、どのようにして故郷に帰ってきたかの一部始終をすっかり話して聞かせたものか、それともまず委細の様子を問い質《ただ》して、吟味をこころみたものか、と。それで思案をするうちに、こうするのが得策だと考えられた。つまり初めに意地のわるい文句をいいかけ、心を試してみることである。そう考えて、尊いオデュッセウスは、まっすぐに彼をめざして進んでいった。おりから老父は頭を下げて、植木のまわりをいましも掘り起こしているところだったが、そのそばに進みよって、誉れも高い息子が声をかけて、いうようには、
「ああお爺さん、けっしてあんたは心得がない人間ではないな、果樹園を経営してゆくのに。まったく立派に手入れがしてある、なにもかも、植木といい、いちじくといい、ぶどう樹といい、それにオリーブの木も梨の木も、野菜畑も、庭じゅうすっかり世話がゆきとどいている。だがいま一つ文句をつけたいことがあるんだが、あんたはどうか腹を立てんでもらいたいな。つまりあんた自身に十分な世話がゆき届いているとはいえないね、そのうえに厭わしい老年にとりこめられてすっかりひどくからからになり、着ているものも見苦しい。べつにあんたが働かないからとて、ご主人があんたを構いつけぬというのではなさそうだ、あんたの様子にはすこしも人の下僕《しもべ》らしいところはないからな。姿といい体つきといい、拝見するところは、むしろ領主の旦那がたらしく見えるよ。だがそういった人間は、湯を使って食事をしてから、柔らかな床で寝るのがあたりまえだろう、それがつまり老人たちの習《なら》わしというものだから。それにしても、私にぜひはっきりと話して聞かせてもらいたいものだ、あなたはなんというご主人の召使いなのか、どういう方の果樹園をあんたは世話しているか、ということをな。
それにこのことを、たしかにはっきりと話してもらいたい、十分納得いくようにな、つまりほんとうに私の着いたこの土地がイタケか、ということだ、いましがた私がここへ来るおりに出合った、あの男のいったとおりとすればだが。けっしてあまり気質《きだて》のいい人間ではなかったよ、私が自分の懇意な人のことをたずねたのに、一々くわしく話してくれず、私の言葉に耳を貸そうともしなかったからな。その人がまだこの世に生きながらえているか、それとももはや死んでしまって、冥王《えんま》の館にいってるか、とな。それならすっかり話をするから、あんたもよく心をとめて聞いてもらいたい。私は以前に自分の故国《くに》で、ある方が私のうちへおいでになったとき、泊めて世話したことがある。しかも遠国から私の家へやって来た懇意の家の人間で、彼よりも親しく思える者は、他には誰もいないほどだったのだ。その男が名のっていうようには、自分はイタケ島の生まれで、父親はアルケシオスの子ラエルテスというのだそうな。それを私は屋敷へ連れてゆき、よろしく泊めてもてなしたうえ、家に十分蓄えてある品々から、しかるべく愛想をして、ふさわしいだけ、贈り物もいろいろ土産に持たせてやった。すなわち黄金《きん》も、まじりけのない十タランタの重さのを、またすっかり銀の混酒瓶《クラテール》の、花の模様がついたのも贈り物にした。また十二枚の一重の毛の上衣や、同じ数の毛のおおい掛け、同じ数の美しい広布、そのうえにまた同数の肌着もだ。また特別に、立派な腕の技に通じた婦人の、姿もよいのを、四人まで贈ってあげたが、その女たちは彼が自分で望んで、選びだした者どもだった」
それに向かって、今度は親父が、涙を流しながら答えていうよう、
「他所《よそ》の方、いかにもあなたは、おたずねなさるその土地へお着きなさったのだ。がしかし、この土地には、乱暴な男どもの、しかも非道な無法者らが、勢いをふるっておりますのじゃ、それであなたがせっかく好意からお贈りなさったその品々も、まあ山ほどくださったにしろ、みなむだになったというほかあるまい。というのも、もし当人が生きながらえて、このイタケの里にいるのへお会いだったならば、そのおりにはかならずあなたに十分な土産を返礼にさしあげてから、行く先へ送り出してもあげただろう、心をこめて歓待したうえでな。それがつまりさきに(尽くした親切)への、当然な定《きま》りの礼というものですからな。だが、それにつけてもうかがいたいことがある、たしかなところを聞かせてくださるまいか、あなたが彼をもてなしてくださったのは、いったいいまから何年ぐらい前になりますかな。あなたの客になったという、その不運な男は、私の息子じゃ。むかしはともかくそうだったが、仕合わせの悪いその子は多分、身内の者らや故郷から遠く離れたところで、あるいは広い海原で、魚に食われてしまったか、あるいは陸地で野獣どもや大鳥どもの餌食となったものでしょうか。母親もその亡骸に死に装束を着せてから哭《な》いてやれず、父親も涙を注ぐことができない、二人の子だというのに。それにまた配偶《つれあい》の、持参の品をたくさんつけた、心の堅固なペネロペイアさえ、しかるべき寝棺に収め、自分の夫の瞼を閉じさせたうえ泣き嘆きもできなかった、それが死者にたいする心づくしというものだが。また私に、このことも確かなところを話してくだされ、はっきりわかりますようにな。いったいあなたはなんという方で、どこの国からおいでなのか、どこがあなたの都で、両親がおいでか。そもそもどこに速い船をお泊《と》めでしたか、あなたをここにお連れしたその船は。それとも乗客として、他人の持ち船に乗って来られたのか、その船はあなたを降《お》ろしてもう立ち去ったので」
それにたいして、知謀に富んでいるオデュッセウスが、返答としていうようには、
「それならばいかにも私が、なにもかも十分はっきりとお話ししましょう。私はアリュバスから来た者で、そこの名高い館に住居《すまい》している、ポリュパンモン(大福長者)の一族のアペイダス(物呑しみせぬ)殿の息子です、それで私の名前はエペリトスといいますが、神さまがシカニエ(シチリアの古名)から道を迷わせ、思いもかけず、この土地へ来させたのです。私を乗せてきたその船は、あちらの、都はずれの田舎に泊まっています。ところでオデュッセウスどのが私の故郷にやって来て、そこを出発されてから、今年でちょうど五年目にもなるのです、気の毒な方ですが。出発のおりの鳥占いは大吉と出たのでした、右手の方に現れましてね、それに気をよくして私もあの方を送りだしたものでした、あの方も大喜びでお出かけだったのに。それで私ら二人は、心中にまだ期待をもっていたのです、さらに友情をとり交わして、立派な土産を何度も何度も贈りあおうと」
こういうと、老人を黒い苦悩の雲がつつんだ、そして両方の手で、黒くすすけた灰燼をつかんで、しきりに呻きあげながら、灰色の頭髪の上からふりそそいだ。愛する父親のこの様子を見るからに、彼オデュッセウスの心は揺すぶり立てられ、鼻孔からはもうさきから、はげしい吐息が勢いきって注ぎ出された。そこで親父にとび立ってとりすがり、接吻をして話しかけるよう、
「その人というのが、それ、ここにいるこの私なのです、お父上、あなたがたずねておいでの。二十年目に、いま故郷へ帰って来たところです、だからもうやめてください、泣くことも、涙をこぼして嘆くのも。ほんとにすっかりお話ししますから、でもたいへん急がなければなりません。求婚者どもを、みなを悩ませ苦しめた非道の沙汰と悪行との報いとして、皆殺しにしたのですから、私どもの屋敷うちでね」
それに向かって、今度はラエルテスが返事をしていうようには、
「もしほんとうに、ここへ来なさったあなたが、私の息子のオデュッセウスだとおいいならば、ではさあ、なにかそのはっきりとした証拠をいってくだされ、私が本気に信じられるように」
それに向かって、返答として知謀に富んでいるオデュッセウスがいうようには、
「ではまず最初に、ほれこの傷痕を、ご自分の眼で見極めてください、これはもとパルナッソスヘ、私が(狩に)いったとき、猪が白い牙で負わせたものです。あなたと、それから母上とが、母方の祖父アウトリュコスのところへ私をお遣《つか》わしなさったときに。それは、祖父さまがこちらへおいでになったおりに、私にくれると承知して約束された贈り物を受け取るためでしたが。それからもひとつ、今度はしつらえのよい段畑の、むかし私にくださった植木の数々について申しあげましょう。私は一々いろんなものを、子供らしい心から、おねだりしたことでした、果樹園にお伴しましてね。するとそうした木の間を二人して歩いてゆくうち、あなたは一々木の名をいって、約束してくださったものでした。まず梨の木を十三本と、それから林檎の木を十本に、いちじくの木を四十本と。また同様に歩きながら、ぶどう樹の列も五十までくださろうとおっしゃいました。そのめいめいが、年じゅう果実を摘むことができ、あらゆる種類のぶどうの房がさがっていました、まったくいつでもゼウス神の季節が空から強く働きかけてきたときには」
こういうと、老人の膝もそのままその場にくずおれ、愛しい心もつぶれる思いがした。そして、はっきりとオデュッセウスがいって聞かせた、確かな証拠をみとめるなり、愛しい息子に、両腕をかけて抱きつくと、気を失って倒れかかるのを、こちらも老父の体を自分の身へと、辛抱づよく、尊いオデュッセウスは、引き寄せたのであった。しかしそれから息を吹き返し、正気をふたたびとり戻したとき、改めて(息子に向かい)言葉をかけ、返答をしていうようには、
「ゼウス父神さまよ、いやほんとうに神々たちは空高いオリュンポスにおいでなさるのだ、もし求婚者どもが、無法な乱暴沙汰のつぐないをしたというのが本当ならば。ところがさて、心底から私が心配するのは、イタケの者どもがじきにみなして、ここへ押し寄せて来るにちがいない、ということだ、それにまた四方からケパレニアの町々へも使いを急いでやるであろうし」
それにたいして、知謀に富んでいるオデュッセウスが、返答をしていうようには、
「ご安心ください、けっしてそうしたことに、あなたのお心を煩わせはなさらぬように。それよりも家に帰りましょう、果樹園のすぐわきに建っています。そこへはさきにテレマコスや、牛飼いと豚飼いとをやっておきました、さっそくにも食事の仕度をしておくようにと」
二人はこんな話を交わして、みごとな館のほうへと赴いた。そしてとうとう彼らが、立派な構えのその屋敷へ着いたおりには、そこでテレマコスや、牛飼いと豚飼いとが、いましもたくさんな肉を切りわけ、赤く輝くぶどう酒を混ぜあえているところだった。その間に、気象のひろいラエルテスを、彼の館のうちで、シケリア生まれの侍女が、沐浴させオリーブ油を肌に塗りつけ、その(肩)に美しい上衣をかけまとわせた。するとアテネ女神は、そのそばに間近に立ち添い、この庶民たちの頭領(牧人)の四肢をゆたかに肥《ふと》らせて、見たところ以前よりもずっと大きく、厚味もあるものにした。それで浴室からあがってでると、愛しい息子も驚嘆するばかりだった、面と向かって見たところ、不死の神々とその姿がまるでそっくりだったもので。それで彼に向かって声をあげ、翼をもった言葉をかけていうようには、
「ああ父上、きっとたしかにどなたか、永遠においでなさる神さまがたのうちの一人が、あなたの姿や背丈《せいたけ》を、ながめたところいっそう立派にしてくださったのですね」
それに向かって、今度は分別のあるラエルテスが、答えていうようには、
「まったく、ゼウス父神さまやアテネさま、アポロンさまにかけて、もしも私が、あの十分に構えの堅い城市《まち》のネリコスを陥《おと》したときほど強かったらなあ、本土の先へでたところで、私はケパレニアの人々に号令していたのだが。私がそれほどの強者《つわもの》だったら、昨日《きのう》だとても、私らの屋敷うちで、武具《もののぐ》を両肩によろっておまえの傍に立ち、求婚者どもと戦ったであろうに。そうなったら屋敷うちで、何人となく、彼らの膝をくずおれさせ、おまえにしても心中にうれしく思ったことだろうに」
こんな具合に、彼らはこうしたことをお互いに話しあっていた。さて彼らは食事の仕度もすっかりでき、仕事をやめると、それから順序よくソファや肘掛け椅子に腰をおろし、そこで彼らは食事にとりかかった。すると老人ドリオスがそのすぐそばへやって来て、いっしょに老人の息子たちもつき従って来た、畑仕事にすっかり疲れたところを、母親のシケレ婆さんが呼びに出かけて来たもので。この婆さんが彼らを養育し、またかの老人を、老年が彼をすっかりとりこめてからは、しかるべく世話して来たのであった。それで彼らはオデュッセウスに会って、心にそれと覚《さと》ると同時に、すっかり魂消《たまげ》て、部屋のうちに棒立ちになっていた、それをオデュッセウスは、優しい言葉で話しかけて、いうようには、
「おい爺さん、まあ腰かけて食事にかかっているがいいよ、たまげることは、すっかり忘れておくとしてな。もう長いこと、一心に飯にありつきたいと思って、私らは待っているのだから、部屋の中でずっとおまえさん方を待ち受けていて」
こう彼がいうと、ドリオスはいきなり両方の手をひろげて、彼をめがけてやって来た。そして、オデュッセウスの手を取って、その手くびに接吻をし、彼に向かって声をあげ、翼をもった言葉をかけていうようには、
「まあ、お懐かしい、旦那さま。とうとう待ちこがれておりました私らのところへ帰っておいでなさった。もうはや予想もしないでいた、それを連れ帰しなさったのは、神さま方ご自身にちがいない。めでたいことだ、ほんにまあとてもご機嫌よく、神さま方が福徳をお授けなさいますように。それでひとつ、このことをはっきりと私らにお聞かせいただきたいもので、私もたしかにのみこめますように。つまりもうはや知恵分別のよく行きとどくペネロペイアさまもはっきりと、旦那がここへお帰りのことをご存知なのか、それとも、急いで報《しら》せの使いをおだししたものかを」
それに向かって、知謀に富んでいるオデュッセウスが、返事をしていうようには、
「いや爺さん、もうとっくに知っているよ。どうしておまえがそんなことで苦労する要があるのかね」
こういったので、彼はまたもとの、よく磨かれた椅子に腰をおろした。それとまったく同じように、ドリオスの息子たちも、名高いオデュッセウスをとり囲んで、その手にとりつき、口々に歓迎の言葉を述べて挨拶した。そして順序よく、父親のドリオスのかたわらに腰かけた。
こんな具合に、彼らは屋敷うちで、食事をするのに忙しかった。ところで脚の速い報せ手である風評(噂《うわさ》)は、町じゅうを四方八方とびまわって、求婚者たちのおぞましい殺され方や非業《ひごう》の運命《さだめ》を伝えてあるいた。それで人々はこの噂を聞くとすぐさま、めいめい四方八方から出かけて来て、嘆息したり呻吟したり、オデュッセウスの館の前により集まり、屋敷から遺骸をてんでに運び出して、それぞれ葬儀をとりおこなった。また他国の都からきた者たちについては、それぞれ進みの速い船に載せて、水夫らに各自の家へ連れてゆくよう、送り出してやった。そして彼ら自身はみないっしょになり心をいため悲嘆にくれて、会議の場へと出かけていった。そこで一同寄り集まって、ひとつところに会合したとき、人々の間に立ち上がって、エウペイテスが話をした。というのも、息子アンティノオスヘの癒《い》やしがたい悲嘆が、心中にわだかまっていたもので。この男はいちばん先に、尊いオデュッセウスが討ち取った人物だが、その息子のため涙を流しながら、彼は会議の座に立ち、人々に向かい、いうようには、
「ええ皆さん方、まったくたいした所業を、あの男は、アカイア族の者らにたいしてやっつけたものです。以前には、大勢のしかも有能な者たちを、船に乗せて(遠征に)でかけたあげく、なかのうつろな船々は失くしてしまい、つわものどもも失くしてしまった。それがまた今度は帰って来ると、ケパレニアの人々の中でも、とりわけ優れた者らを殺害したのです。さればさあ、その男が、ピュロスなり尊いエリスなりへ逃げてゆかないうちに、こちらから押し寄せてゆこうではないか。あちらはエペイオイが支配する土地だ。さもないと、さきざきまで、しょっちゅううつむいていて、恥辱の思いをせねばなるまい。それでは後の世の人々に聞かれても、不名誉|極《きわ》まることだからな、もしいっこうに息子たちや兄弟たちを殺した男に、われわれが復讐もしてやれぬとあっては。そうなったらともかく私にとっては、生きているのも心中にたのしいことと思えなくなろう。それよりいっそ早々に死んでしまって、あの世へいった人たちの仲間入りをしたがましだ。だからさあ出かけてゆきましょう、あいつらが、先を越して海を渡って逃げてしまったら大変だから」
このように涙をさんざ流しながらいったのに、アカイア人《びと》の誰も彼も、哀悼の念にとらえられた。そのとき人々のすぐと間近に、メドンと神聖な歌誦者《うたうたい》とが、眠りから解放されて、オデュッセウスの屋敷から出かけて来た。そして一同のまん中に立ちどまったので、驚きがなみいる人々をひとり残らず、とりこにしてしまった。そのとき、一同に向かって、よく分別をわきまえたメドンがいうようには、
「さあどうか私の話に、よくよく耳を貸してください、イタケ島のかたがたよ、けだしオデュッセウスさまは、神さまがたのご同意なしに、これらの所業をお図りなさったのではない。この私が自身でもって、神々しい神の姿をおがんだのですから、オデュッセウスのすぐわきにお立ちのところを。それがそっくりなにもかも、メントルさまのお姿でした。そのおりに、不死のおん神は、オデュッセウスのすぐ前にお現れで、殿さまを激励なさった、その一方では求婚者たちの胸を騒がせ、広間のうちを狂おしく馳せまわられれば、方々《かたがた》はつぎからつぎと倒れておいでだったのです」
こういうと、なみいる人らは、誰も彼もみな、色蒼ざめて恐怖にとらえられた。そのときまた一同に向かって、マストルの子の、年老いたアリテルセスの殿が話しかけた。というのも、この殿だけは、(皆のうちで)ただ一人、むかしのことも、将来のことも、見通していられたもので、それがいま一同のためを図って、会議の座に立ち、いうようには、
「さあどうか、よくよく耳をお貸しください、イタケ島のかたがたよ、私がこれからいうことに。皆さんがた、こうした始末になったのも、みなあなたがたの心弱さのためなのですぞ。なんとなれば、あなたがたは、私の言葉に従おうとなさらなかったし、庶民らの牧人であるメントルどのが、あなたがたの息子たちの愚かなしわざをやめさせろといわれたのにも従わなかった。彼らは悪質な思い上がりで、首領《かしら》である人物の財産にたかったり、配偶者《おつれあい》にたいして無礼を働いたりしまして、ひどい所業をやったのです。彼がもうけっして帰国はしまいと思いこんだものですから。さればいまは、私がいうそのとおりにしてもらいたい、私の勧めに従ってください、行くのはやめにしましょう、ひょっとして、自分から招いた不幸を蒙《こうむ》るようではいけませんから」
こういうと、一同のうち、半分より多い人数が、高い叫び声をあげながら(席から)つっ立ち上がった、一方、他の人々(より少数)はいっしょにあつまって、そのままそこに残留した。すなわち彼ら(大多数者)には(アリテルセスの)いったことが気に入らないで、エウペイテスの言葉に従って(同意して)いたからである。そこで彼らはさっそく武具をとりに急いでいった。それから肌にぴかぴか光る青銅(の甲冑)を着こむと、ひろびろとした場所の町の入口に、みな一団に集合して、その先頭にはエウペイテスが、愚かな心構えから立って進んだ。つまり息子が殺された報復をしようと考えたのであったが、ふたたび帰ってくることはできないで、そのままそこで最期を遂げる運命だったのである。
話変わって(天上では)アテネ女神が、クロノスの御子ゼウスに向かっていわれるよう、
「ねえ、私どもの父上の、クロノスの御子神さま、王者のうちにも最高の、あなたさまはそのお胸のうちに、どんな思案をお隠しですか、私の問いに、どうかご返事を。なおこれからもひどい戦《いく》さと恐ろしい斬りあいをさせるおつもりでしょうか、それとも両側の者どもに、和睦を結ばせようとお考えですか」
それに向かって、雲を集めるゼウスが答えていわれるよう、
「私の娘よ、どうしてそなたは、そうしたことをいろいろ私に質問し、たずねだそうとされるのか、そもそもこうした方策を企み出したのは、そなた自身ではなかったか、すなわち彼ら(求婚者ども)を、オデュッセウスが帰国して、討ち懲らしめて仕返しする、という段取りをだ。そなたの望むとおりに、されたがよい。だがいっておこう、いかようにすれば、宜《ぎ》に適《かな》うかを。つまり尊いオデュッセウスが求婚者どもを討ち懲らしめたうえは、たがいに犠牲をささげて固い誓約をとり交わし、彼のほうは末長く王位を保ち、一方(町の者どもは)息子たちや兄弟たちの殺戮《さつりく》を忘れるように、われわれが仕向けようではないか。それで彼らは以前のとおりに親しみあい、富と平和とをゆたかに享受させるとしよう」
こういわれて、前々からもう勢いこんでいるアテネをうながし立てた。それで女神はオリュンポスの峯々からとび立って、降りてゆかれた。
さてこちらでは、一同が心を和《なご》ます糧食を思う存分とりおえたときに、辛抱づよく尊いオデュッセウスがまずさきに話をはじめていうようには、
「誰か外へでていって、見てくるがいい、それこそ(町の者どもが)押しかけてきて、近くにきてては大変だから」
こういうと、ドリオスの息子(のひとり)が、いわれたとおりにでかけていって、敷居の上に立って見ると、もはや町の連中が近くにすっかり姿を見せていたもので、さっそく(とって返して)オデュッセウスに向かって、翼をもった言葉をかけ、いうようには、
「大変です、連中はもうすぐ間近にきています、ですからさっそくにも武装しなくては」
こういうと、一同はみな立ち上がって、武具を身につけた。オデュッセウスの一行四人と、ドリオスの息子たち六人、それにラエルテスとドリオスも、髪の毛は白くなったが、よんどころなく戦士となって、甲冑を身に着こんだ。それで彼らもぴかぴか光る青銅(の甲冑)を肌に着けると、門の扉を押し開けて、オデュッセウスを先頭に立て、外へ繰《く》り出していった。
その人々のすぐ間近に、ゼウス神のおん娘、アテネ女神が、その恰好《かっこう》なり声音《こわね》なりもメントルにそっくりで、おいでなされた。その姿を見て、辛抱づよく尊いオデュッセウスはすっかりよろこび、さっそくに、自分の愛しい息子であるテレマコスに声をかけ、いうようには、
「テレマコスよ、いまはもうおまえにしても自分がその場に到ったからは、覚悟ができているであろうな。戦さに臨《のぞ》む武士たちが、誰がいちばん優れているか、決定するところだ。すなわち父祖代々の家名を恥ずかしめないという覚悟だ、われわれの族は以前からも、武力においても勇敢さにおいても、世界じゅうに卓越するものであったのだからな」
それに向かって、今度は利発なテレマコスが答えていうよう、
「ごらんなさいましょう、もしお望みならばね、愛する父上。これ、このような気概をもって、おおせのとおりに、けっしてあなたの家の名を恥ずかしめはしないことを」
こういうと、ラエルテスは(それを聞くと)よろこんで、言葉をついでいうようには、
「そもそも今日は、なんという日だろうか、ご親切な神さまがた、いかにもまったくうれしいことじゃ。息子と孫とが武勇について、たがいに競《きそ》いあうというのですから」
すると、そのかたわらに立ち添って、きらめく眼のアテネ女神が、彼に向かっていうようには、
「これ、アルケイシオスの子よ、そなたはすべての戦友のうちで、とくに親しい友だちだが、きらめく眼のおん娘神とゼウス大神とに祈願をこめたうえで、さっそく長い影をひく投げ槍を、よく振りかざして投げつけるがよい」
こういって、パラス・アテネは、たいした気力を(老人に)吹きこまれた。そこで彼もそれからゼウス大神のおん娘に祈りをこめたうえで、さっそく長い影をひく投げ槍を、よく振りかざして投げつけて、エウペイテスのかぶった兜に打ちあて、その青銅の頬当てをぶち抜いた。すなわち兜は槍をささえきれずに、青銅の穂先はずっぷり中へはいっていった。それで物音をたててうち倒れれば、武具《もののぐ》がその体の上にからからと鳴り立った。そこでオデュッセウスと誉れも高い息子とは(敵軍の)先陣へと襲いかかって、あるいは剣で、あるいはまた双股《ふたまた》の槍でもって、(敵を)突きまくった。それであるいはそれこそ残らず討ちとって、一人も生きては帰れぬようにもしかねなかった、もしも山羊皮楯《アイギス》をたもつゼウスの娘のアテネ女神が声高くお叫びなさって、敵勢をみな引きとめられなかったならば。
「戦闘から手を引きなさい、イタケの人々よ、みじめたらしい戦さから。すこしも早く血を流さずに事を落着させるように」
こうアテネ女神がいわれると、色蒼ざめた恐怖が彼らを引っとらえたので、声高な女神のみことを聞くとひとしく、恐れに打たれた者どもの手からは武器《えもの》が飛び離れて、残らず地上に落ちた。それでみなみな町へ向かって、生命《いのち》(の助かること)を願って逃げ帰ってゆくのに、辛抱づよく尊いオデュッセウスは、恐ろしい叫び声をあげて、身を前|屈《かが》みにして、高空を飛ぶ鷲みたいに彼らに襲いかかっていった。そのときまさしくクロノスの御子(ゼウス神)が、火焔を放つ雷火《いかずち》をなげうちなさると、それがきらめく眼の、重々しい父神をお持ちの女神〔アテネ)のすぐ前方に落ちた。そのときまさにオデュッセウスに向かって、きらめく眼《まなこ》のアテネがいわれるようには、
「ゼウスの裔《すえ》であるラエルテスの子で、知謀に富んでいるオデュッセウスよ、踏みとどまったがよい、血なまぐさい戦いはもうやめなさい、もしかしてそなたにたいし、広い空に雷鳴を轟かすゼウス神が立腹なさってはいけないから」
こうアテネ女神がいわれたので、彼もみことにきき従ったが、心中ではよろこんでいた。そこで今度はその後で、両側にたいしパラス・アテネが、犠牲をささげて和睦の誓いをとり結ばせなさったが、山羊皮楯《アイギス》をおたもちなさるゼウスの御娘のこの女神は、姿形といい声音といい、メントルにそっくりだった。(完)
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解説
一 上代ギリシア口誦詩について
『イリアス』と『オデュッセイア』との二大叙事詩編は、最古の西洋文学なるのみならず、全世界に現代完全に伝わる文学作品としても、たんに最古というだけでなく、スケールの雄大さや叙述の巧み、構想の多趣多様、人生観照の深さ等々においても、他に比類を見ないといえよう。しかし現代とはいろんな点で様相をまったく異にする古代の、しかもギリシアという特異な地域のことであるから、これを読むにも理解するにも、若干の予備知識がなくてはならない。
その第一はこれが近世の文学作品のように、一個人の作者の創造によるのではなく、幾世代となく語り伝えられた、いわゆる口誦詩を、ここに仮りにホメロスと呼ばれるところの優れた吟遊詩人《ラプソードス》が、まとめあげ、完成したということである。
口誦詩 oral poetry とは、要するに書かれたテクストを有せず、もしくは書いたテクストに頼らないで、もっぱら、あるいは主として、口伝によって伝承され生命を維持してゆく文学(詩)をいうので、日本にも古くから現代まで、これに属すると考えてよいものが認められる。たとえば古い時代では『古事記』とか諸地方の『風土記』のうちに、また『日本書紀』の中核をなしたと推定される史伝などに、また『万葉集』中の古い歌や『のりと』『さいばら』などにもこの類《たぐい》が見られよう。
中世では『平家物語』や、同一項に属する『源平|盛衰《じょうすい》記』、あるいは『太平記』などがこのカテゴリーに入ろう。近代としては、記述されたテクストが時には併存しても、講談とか落語、琴歌(盲人の間ではたしかに)、浪花節の類にこの趣が多く見出される。また本土以外でも、アイヌ族の『ユーカラ』、琉球の『おもろ草紙』はともにその一種と考えられるし、ユーゴスラビアをはじめ西アジアから中央アジアにかけての南部草原地帯に居住する種々な遊牧民族などに、もっぱらこの伝承法、その手法による英雄歌謡の存在が、ミルマン・ペリーらの研究でも確認されている。
古代ギリシアでも、すでに有史前をはるかなミュケーネ文化の盛時に、おそらくもうこの類の英雄歌謡や祭儀歌が存したという可能性は、相当強く推定される。同年代にもうエジプトでは、神話、宗教詩、讃歌などが実際に存在していた。ギリシアではオリュンポスの神々への信仰が、そのあるものについてはいわゆるミュケーネ文書(B型線文字による)中に認められる(ことにピュロス文書に、また全体的には成立時期がも少し下がるが)。またこれら文書中には、ホメロスらの英雄詩がもつ格律の基礎となるべき律動を有するものが見られると主張する学者もある。また『イリアス』の成立は、ほぼ前八世紀前葉と多くの学者によって推定されるが、その用語や叙述の中には、同年代のイオニアあるいはギリシア本土の風俗や状況、言語などよりずっと古い、すなわちミュケーネ期、または亜ミュケーネ期に属するものが明らかに識別される場合がよくある。つまりずっと古い時代の歌謡を含む、というわけだが、これについてはまた後段でも触れるであろう。
口誦詩はその性質上テクストがかならずしも固定せず、はなはだしくは口誦の都度《つど》に、それほどでなくても演者の好みや創案、場合によっては聴衆の求めに応じて、少しずつ変改が加えられもし、一般に流動的といわれる。ホメロスのテクストに異動が多いのも、一つにはこれに基づくが、その成立自体についても種々な説が提出される理由でもある。つまりこの主張による一通りの歌謡ができあがってからも、あるいはできあがるのに、いろいろな操作を経て、あるいは拡大され、変改を加えられ、追加などされ、首尾一貫した叙事詩編にまとめ上げられた、それがすなわち現存する『イリアス』というわけである。
二 題材について
それならばその主題とするところは何であるか。これは英雄歌謡と呼ばれるように、上代ギリシア伝説に現われる英雄の物語ながら、ホメロスがこの両詩編で扱ったのは、いずれもその中のトロイア戦役(紀元前千二百年頃)に関する挿話を主とし、いわゆる「トロイア詩圏《キュクロス》」に属する。トロイアは小アジア西北端の、黒海への入口を扼《やく》するダーダネルス海峡(昔のヘレスポントス)に臨む地方で、普通トロアスと呼ばれる。ここに紀元前二千年代から栄えた城市イリオス(後にイリオン、ローマではイリウム)があり、景勝の地を占める丘上に城壁をめぐらしていた。シュリーマンの発掘でその実在が証明された城市であるが、どういう種族がこの遠征当時この地に占拠していたかは、まだ確認されていない。おそらくはギリシア(アカイオイ)民族とは違って、付近の島嶼《とうしょ》、あるいは近くの小アジア、クレテ島などと同一か、あるいは違うか、またその辺は学者間でもいろいろである。
『イリアス』中に現われるトロイア方の将士の名前も、だいたいギリシア語名だが、若干は非ギリシア系の名もある。風俗などにも異なる点がいろいろ見出される。一方ギリシア人は一般にアカイオイ(アカイア人としておく)と呼ばれ、時には詩中でタナオスの裔《すえ》(タナオイ)とかアルゴス勢(アルゲイオイ)とかいわれるが、これが主としてギリシア民族(多少とも混血があろう)であることは、先に記したミュケーネ、ピュロス、テバイその他彼らの主要城市に出る文書が、ギリシア語の古形によることからも確実視される。もっともこの古語は後代ギリシア文字でなく、上記のB型線文字(linear B)で記されてい、従ってその解読はかならずしも確定的ではないが、相互推論により要項については十分な信憑《しんぴょう》性をもつとされる。
ミュケーネ時代の盛期はほぼ前十四世紀を頂上とし、前後二、三百年の間にわたろう。アカイオイが南下してギリシア半島に入ったのは、前二千年を少し下る頃と推定され、おそらく一度にではなく、相当長い期間にわたったであろう。テッサリアからペロポネソス半島にわたって、先住民族(主として小アジア種族系で、ペラスゴイとかレレゲスとか呼ばれたものがこれにあたろう。文化度は進んでいたので、ギリシア人はことに文化財については彼らに負うところが多かった。また種々な程度の混血がおこなわれたと推定される)を征服し、時にはこれを隷従させ、あるいは駆逐し、あるいはこれと融合した。こうしてギリシアの地形に従って生じた多くの小国家は、おおむね中央に城市をもち、これを統治の根拠としたので、都市国家の形態をなしたが、もちろん古い時代ではこれも確然とはせず、一方では農牧が、一方では防衛や攻撃のための武士の組織が、国家経営の中心をなした。それに加えて古代国家の常として、神々への奉仕と祭祀、占筮《せんぜい》予言を司《つかさど》る神官祭司の一族が大きな勢力を有したらしい。彼らは従って同じく支配階級として領主や豪族らと密接な関係に立っていた。また彼らは多くの最高神やその他有力な神々(その部族の保護神)の子孫と誇称するのを常とした。
中でもいちばん有力な都城はアルゴス地方の、海岸からやや遠いが見晴らしの利く丘地を占めるミュケーネで、前十三世紀前後には宗主権をほとんど全ギリシアに及ぼしたらしい。例のB型線文字が全土に大差なくおこなわれた様子なのも(流布範囲は極めて限られていたと考えられる)、一つにはこうした政治情勢に関連しよう。ミュケーネ文化・時代の名称もそこから出ているわけだが、これも本来はクレテ島のミノア文化によるもので、もとは優勢なその文化的政治経済的な影響下にはじめて発達したに違いなく、芸術的な稟質《りんしつ》ではクレテ島に及ばないところが多い。しかしいったん収得してからはかえってこれを凌駕《りょうが》し、ついには前千四百年頃クレテ島を征服した形跡がある。現にこの時期以後はクレテ島クノッソスの都城内でも、本土と同じくギリシア語(アカイオイ古方言)で文書を記した。つまり王宮の主人がギリシア系に変わったのであった。
ミュケーネ以外では、テバイや由緒《ゆいしょ》の古いオルコメノス、またアテナイ、北はテッサリアのイオルコス、西はカリュドン、ピュロスなどが地方の中心をなし、有力な領主家がそれぞれ占拠していたらしい。後代の系図を見ると、これらの王家は相互に関連していたが、半ばは真実かもしれない。またギリシア神話伝説の主体もこのミュケーネ時代後期から以降、混乱期の二、三百年間にだいたいでき上がったもので、それゆえこれらの都城がその中心をなしている。たとえばミユケーネはアルゴス地方の 要《かなめ》をなし、その他に海岸近く、ティリュンス、アルネ、後のアルゴス、いくぶん入ってミデアなどの諸城を控え、北へ進めばシキュオンからコリントスへ出る。これらの町はペルセウスやヘラクレスらの英雄伝に、またエジプトに関連をもつダナオスやイオなどの物語に現われる。一方ヘラクレスはオルコメノス、テバイにも深いつながりをもつが、例のオイディプス関係の説話にはあまりつながりをもたないようである。ギリシア上代の英雄伝を主題とする口誦の民族叙事詩編は、これらの諸地方をめぐって、とりわけトロイア遠征にかかわるものと、テバイ関連の詩歌が大きな部分を占めていた。前者を「トロイア詩圏《キュクロス》」、後者を「テバイ詩圏《キュクロス》」と呼び、ヘラクレス、メレアグロス、メランプスらの英雄《へロス》、アルゴ遠征などの物語詩がこれに加わる。
三 「トロイア詩圏《キュクロス》」の叙事詩群
そのうちギリシア軍のトロイア遠征にまつわる一団は、とりわけ数が多いのと、内容も変化に富み哀切な挿話を多く有することで卓越している。しかしその成立年代は、現在その名が伝えられているものでは、ホメロスの両詩以外は前七世紀以降に属し、彼以前に存在したと見られるものは残っていない。ところが、ホメロスの詩中には、しばしばそれらの存在が既定のこととして述べられてい、オイディプスやヘラクレス、メレアグロスらの英雄伝説もたびたび言及されているので、彼以前にもうそれらの説話が、多数に口誦詩形をもって歌い継がれていたことを推定させる。トロイア詩圏そのものについても同様で、現に『オデュッセイア』の中で、パイエケス族の宴会の折に「木馬の段」の吟誦が叙べられ、またオデュッセウスの館での求婚者らの遊宴には、伶人《れいじん》ペミオスが遠征軍の大将たちの「帰国《ノストイ》の段」を歌ったとされ、つまり遠征の一部始終が、いくつもの段にわけて、もうこの時代に吟遊詩人によって歌われていたことが知られる。
もっともここに現われる吟誦者《アオイドス》は、竪琴を掻き鳴らして歌い上げるので、実際のホメロス以下の時代の習俗だった吟誦者の、長い杖を取り、ただ声を上げ朗誦するとは著しく違っていたらしいのがわかる。おそらく豪奢なミュケーネ王朝の饗宴に、ととのった設備の下での歌い手と、乱世の後ようやくととのいかけまだ十分なゆとりももたぬ世の吟誦者とには、種々な相違もあったであろう。ただ音楽に欠けたところを、後代の吟遊詩人《ラブソドス》は、詩術の巧みや緩急自在の律動、また勇壮に、あるいは悲痛のまたは鮮麗な描写や叙述の美をもって、十二分に補いえたであろう。
さて後代でこの「トロイア詩圏《キュクロス》」に含まれるとされた叙事詩篇には次の数編が数えられる。
1 『キュプリア』Kypria(十一巻)発端から『イリアス』の事件まで。
2 『イリアス』Ilias(二十四巻)
3 『アイティオピス』Aithiokis(五巻)さらにアマゾンの女王ペンテシレイアやエチオピアの黒人王メムノンの出陣からアキレウスに討たれること、ついで彼自身もパリスの矢に倒れ、その武具をオデュッセウスとアイアスが争うことなど。
4 『小イリアス』Ilias Mikra(四巻)その後陥落に至るまでの種々な事件で、アイアスの発狂、ピロクテテスの召喚、アキレウスの子ネオプトレモスの来会、オデュッセウスらがアテネ女神像パラディオンを盗んで来ること、木馬の計などを含む。
5 『イリオスの落城』Iliou Persis(二巻)木馬の製造から城内への引き入れ、神官ラオコーンのこと、夜中襲撃と落城、殺戮《さつりく》、トロイアの滅亡。
6 『ノストイ(帰国の諸物語)』Nostoi(五巻)ギリシア方諸大将の帰国の次第、あるいは死にまた殺され、難船し、無事帰国したのはネストル、ディオメデス、イドメネウスらだけ。
7 『オデュッセイア』Odysseia(二十四巻)
8 『テレゴノス物語』Telegoneia(二巻)オデュッセウスがキルケとの間に設けた息子が、生長して父を訪ね、誤ってこれを殺害する。
これらの大部分はホメロス以後の作で、内容も穴埋め的なのが多く、詩としても大分に落ちる。現在は梗概とごく小断片が伝わるだけだが、おそらくホメロス以前の伝統、形態とはそれほどかかわりがなかったろうと想像される。従って彼以前の英雄歌謡の実際については、この両詩から、その内容から、推察するほか途がない、といってよかろう。
四 『オデュッセイア』について
「トロイア詩圏《キュクロス》」の第七に挙げられる本詩は『イリアス』の後、アキレウスの死その他種々な事件につづくはずで、イリオス城も結局|潰滅《かいめつ》、トロイアは亡んで、ギリシア方の大将たちは戦死者を除きみな本国へ凱旋した。本詩はもともとこの「ノストイ」(帰還の物語)中の一部ともいうことができる。ただとりわけて諸々な事件や挿話で飾られ、帰国後も多彩な叙述をもっているので、とくにホメロスによって取り上げられ、『イリアス』に匹敵する長編に仕立てられたものと考えられる。
これも『イリアス』と同じくアレクサンドリア期の学者によって二十四巻に分かたれたが、その前半はまず主人公オデュッセウスの帰郷までの諸国流浪の物語、後半はイタケ島に上陸してから忠実な豚飼いエウマイオスや息子テレマコスらと協力して、暴慢な多数の求婚者たちをことごとく討ち取るまでとなる。その本質的な内容からすると、英雄の武勲の歌より民間説話の要素が根底をなし、前半は古代の船乗りが語り伝えた、異国巡遊の冒険奇談を、後半は主人の長期にわたる不在のあいだに、その妻がさまざまな試練にあい苦労する、いよいよという最後の時に彼は帰国し、悪人どもに復讐するという不在良人談を骨格とする。これを多彩な挿話と、古代風の装いで仕立てたものといえる。
人も知るごとくに、わが国にも中世後期から「百合若《ゆりわか》大臣」の物語が、同様な口誦詩「語り物」として九州地方を中心に広く伝播していた。これについてオデュッセウスのラテン語形ウリクセスの漂流譚の作り換え、と見る説もないではない。同じく長らくの孤島への漂浪、良人不在のための苦労、ことに弓術の達人という特徴など、その可能性を思わせるところも少なくないが、実証はまことに困難である。ただイソップ物語などと同様、古代ギリシア文化東漸の一端として、インドや西域から唐人に受け継がれ、遺唐留学生などにより九州へ渡ったこともけっしてあり得ないことではない。
五 ホメロス問題の諸相
この両詩の成立についての諸問題、制作年代(むしろ成立時期というべきか)、作者について、あるいは両詩が同一作者の手になるか、また単一な作者をもつか、その言語、詩律、そこに歌われる世界がいかなる時代、いかなる性格を示すかなど、これに関する論争、研究は古来無数というくらい多趣多様である。ことにアレクサンドリア時代(前三世紀)から、両詩を違った作者に帰しようという見解が(Chorizontesと呼ばれる)、かなり有力でもあった。現代でもペイジ教授をはじめこの説を採《と》る学者も多い。それは内容、ことに宗教思想や倫理思想、美意識の相違などと共に、外形の修辞法や詩のリズム、格律、また用語や文法のきわめてデリケートなニュアンスにも及んでいるが、だいたいにおいて両詩の間に、五十年ないしは百年の隔たりがあろうと推定する。前者を紀元前八世紀の前半とすれば、後半または終わりというわけである。そしてへシオドスの主作品をこの両詩の中間におこうとする見解も時に見られる。
従って前者『イリアス』の作者をホメロスとすれば、『オデュッセイア』の作者は同じくおそらくイオニア人でも、多少とも派や出所を異にする詩人であろうと想定する(ペイジ教授)。これは一つには古来あるホメロスの生伝が、ほとんどまったく信憑性に欠けるのに基づくもので、その生地もエーゲ海をめぐる十以上の都邑《とゆう》によって争われている。おそらくはスミュルナあたりの、イオニアとアイオリスとの境界といわれるものの、これも使用するいわゆる叙事詩方言が、イオニア方言の古形にアイオリス的な語形や成句の諸要素を交えるのに出ているもので、この「方言」がすでに彼以前に早く成立していたとすれば(例えばへシオドスの場合のごとく)、根拠とするには不十分である。これらについては私見もあるが、ここでは述べない。ともかく彼がイオニア生まれなこと、その子孫か門弟かが、同海岸のキオス島に残り、これを中心に数世紀間吟遊詩人として活動したことは、諸伝承や史実によって認定されよう。ただ彼が一部伝説のように盲人だったとは信じがたく、これはホメロス風讃歌の一、デロスのアポロンヘの作者が盲人だったこと、また吟遊詩人に盲人が多かった(ホメロスの詩中にも現われるように)ためと思考される。日本でも平家法師や琴の検校など、演者に盲人が多く見られるのは、人の知るごとくである。
六 ホメロスの伝承について
彼(としておく)の両詩が、どのようにして後代に、また現代まで伝わったかは、多くの読者が関心をもつことであろう。まずその制作、あるいは成立は口誦詩として、書かれたテクストの有無は論外といえる。両詩編中に見出されるいろんな矛盾撞着、二様の語り口の併存、テクストの不確定などの問題中には、この口誦詩の本質によるところが多いと考えられる。もっともこのような長編ものが、はたして暗記だけで「正しく」伝えられるか、を疑う学者もないではない。そしてちょうどこの時代、あるいはいま少し古い時代は、古代ギリシアで新しいアルファベット式表音文字成立の時期にあたる。それゆえこの詩人、ホメロスが初めて文字を使って、口誦詩である自作品を「固定化」した、そこではじめて叙事詩の伝承が成文化されたと考えるのが、多くの欧米の学説である(西洋式の考え方)。
しかし本当に彼によってテクストに固定され、そのテクストで朗誦が現実にいくたびとなく繰り返された(祭儀や饗宴のたびに)とするならば、テクスト中の矛盾や重複やはおそらくとり除かれたに違いない。それにまだテクストは判然と確定されたものではなかったろうから、必ず後継者によっても訂正が加えられたであろう。従ってテクストは本格的に書き下ろされたのではなく、文字の使用もまた一般的ではなく、使用された場合でもメモ風な簡単なもので、主体は口誦による伝達だったと考えてよかろう。そして祭儀の朗誦などでは、長い詩の部分が場合に応じ、聴衆の好みに応じ、吟誦されたと見るのが妥当である。
それならばテクストはいつ書写されたか。その最初はいま測り難いが、通説のようにペイシストラトス、またはその子の時代(前六世紀後半)に、アテナイで、ホメロスの吟誦が国家的な祭典にとり入れられ、テクストの検定が要求されたとき、と見るのが、現存するテクスト中のアッティカ方言形の混在とも照応して、適当と考えられる。さもなければ何ゆえに古イオニア方言を主とする地の文章に、アテナイの語形が混ったか、説明が困難である。これはサッポーやピンダロス、またへシオドスなど、方言形による古代詩の伝承に照らしても推測されることである。
それでもアテナイ以外の諸地方には、種々な異伝が残存したに違いない、詩句の異読はきわめて多かったらしい。それらを統一したのは、アレクサンドリアの学者アリスタルコス(前二世紀の中葉)で、彼は諸国からホメロスの多くのテクストを集め、以前の学者たちの説も参考にして、彼の正しいと信ずる校訂本を作った。これが現代まで伝わるホメロスの流布本 Vulgata の原形とされる。その注訳もこれらの学者を主とし、ローマ時代の初めに集成された。これが古注釈 Scholia Vetera である。現存するテクストは東ローマ帝国に伝えたものを、『イリアス』については十世紀末にビザンティンで書写された古写本 Venetus A, 454(ヴェネチアのサン・マルコ寺院書庫所蔵)を最良とし、多数の古写本を校合して作られているが、この中には前三世紀からのパピルス断片(エジプトから多数出土)も含まれる。いま行なわれるのは、多くの学者が協力し、校合作製したので、だいたい無難である。
なおホメロスの詩の特異点を二、三あげると、由来が口誦詩の習いとして、一定のあるいは、ほとんど同様な一種のきまり文句を多くもつこと、わが国の古歌の枕ことばと似たところのある事物についての一定の形容句がいろいろと出来ていることなどがある。前者はたとえば「声をあげ、翼をもった言葉をかけて」とか、二人の決闘者が「互いに進み寄り、すでに間近となったとき」などいうたぐい、後者は「早く生まれて、ばら(色)の指をもつ暁の(女神)」とか、「雲を集め雷を転ずる(とどろかす」ゼウス神、「黒いいろの、釣り合いのとれた」船、「ぶどう(酒)色の」また「灰白色の海」などで、共に朗誦者の語り易さを増し、聴者に事物や英雄などの明らかなイメジをもたらし、印象を強める働きをもつ。中には元来「聖《とうと》い」とか「神々しい」という意の dios(ディオス)のように、やたらに人や物に使われるため、形容力の低下を来たし、たんに埋め言葉と近くなったものもある。「尊い豚飼い」、つまらぬ弱い「神々しい」武士などもある。
一方ホメロスの使用する言語も、大体は古い形のイオニア方言による古代ギリシア語だが、これもその生成発展史にもとづく種々な要素を含み、ことにあるいは有史前ミュケーネ時代末の歌謡に由来するかも知れないアカイア方言らしい語形や、中間のアイオリス方言の要素、綜合収録時期と関連するらしいアテナイ方言形、後期イオニア方言形なども多少認められる。その多くは叙事詩特有の格律、長短々六脚律への便宜にもとづくことが多いのも当然のことながら、大きな特色をなしている。(訳者)