シャルル・ペロー/江口清訳
ペロー童話集
目 次
眠れる森の美女
赤ずきんちゃん
青ひげ
長ぐつをはいたねこ
仙女たち
|サンドリヨン《シンデレラ》
まき毛のリケ
おやゆび小僧
グリゼリーディス
こっけいな願い
解説
眠れる森の美女
むかし、ある国に、王さまと王妃さまがいらっしゃいましたが、お子さんがないので、それはそれは残念がっていました。おふたりは、ありとあらゆる温泉に行ってみました。神さまにおねがいしたり、お宮におまいりしたり、ずいぶん信心をしたのですが、なんのききめもありませんでした。
そのうちに、やっと王妃さまにお子さんができて、お姫さまがお生まれになりました。お生まれになったのをお祝いする洗礼の式を、盛大にすることにしました。
その国にいた仙女《せんにょ》たちがみんなお母《かあ》さんの代わりになって、ひとりひとりお姫さまに、贈り物をすることになりました。それが、そのころの、仙女の風習だったのです。仙女の贈り物で、お姫さまは、りっぱに成長することになっていました。仙女はみんなで、七人みつかりました。
教会で洗礼の式がすみますと、みんな、王さまの宮殿にもどりました。宮殿で、仙女たちのために、大宴会が、ひらかれるのです。
仙女たちのひとりひとりのまえに、すばらしい食器がならべられました。大きな金の箱には、ダイヤモンドやルビーのかざりのある金のさじや、ナイフや、フォークがはいっていました。ところが、みんながテーブルにつこうとしたとき、ひとりの年とった仙女がはいってきました。この仙女は、招待されていなかったのです。なにしろ、五十年もまえから塔の中に閉じこもっていましたので、世間では、もう死んでしまったのか、それとも魔法にかかってすがたを消したのかと、思っていたのです。
王さまは、その仙女のために、もうひとそろい食器をださせました。けれども、ほかの仙女にだしたような、大きな金の箱をだすわけにゆきません。というのは、金の箱は、七人の仙女のために、七つだけしか作ってなかったからです。
年とった仙女は、みんなからばかにされたと思って、なにかおそろしいことを、口の中で、もぐもぐいっていました。そのそばにいたひとりのわかい仙女はそれを聞いて、年とった仙女が、なにか悪い贈り物をするのではないかと思いました。で、食事がすむと、そっとカーテンのうしろにかくれて、年とった仙女が、なにか悪いことをいったら、いちばんあとで話すことにして、できるだけ悪いことがおこらないように、工夫をしようと思いました。
やがて仙女たちが、お姫さまに、贈り物をしはじめました。いちばんわかい仙女は、お姫さまへの贈り物として、お姫さまは、世界じゅうでいちばん美しいかたになるでしょうといいました。そのつぎの仙女は、お姫さまは、まるで天使のように、かしこいかたになるでしょうと、いいました。
三番目の仙女は、お姫さまはなにをなさっても、たいへんおしとやかになさるようになるでしょうと、いいました。四番目の仙女は、とてもダンスがじょうずになるでしょうと、いいました。五番目の仙女は、お姫さまは、うぐいすのように、きれいな声でうたうようになるでしょうと、いいました。六番目の仙女は、お姫さまは、どんな楽器でも、ほんとうに申しぶんなくひけるようになるでしょうと、いいました。
さて、年とった仙女の番になりますと、さもいじわるばあさんらしいようすで、頭をふりふり、お姫さまは糸まき棒で手をつっついて、そのために死ぬだろう、といいました。
このおそろしい贈り物には、そこにいた者みんなが、ふるえあがりました。泣かない者は、ひとりもいませんでした。そのとき、わかい仙女が、カーテンのうしろから出てきて、大きな声で、こういいました。
「ご安心なさいまし、王さま、王妃さま。お姫さまは、死にはいたしませんから。年とった仙女がいったことを、すっかりくつがえすことは、なるほど、わたしの力ではできません。お姫さまは、糸まき棒で、手をつきさすでしょう。でも、死にはしなくて、ただ、ぐっすり眠りこむだけでしょう。その眠りは、百年もつづくのです。百年しますと、ひとりの王子さまがいらっしゃって、お姫さまを眠りから呼びさまします」
王さまは、年とった仙女がいった不幸をなんとかしてさけようとして、みんなに、≪つむ≫を使って糸をつむいだり、家に≪つむ≫をおいておくことを禁じるおふれをだしました。そして、おふれを守らない者は、死刑にすることにしました。
十五年か十六年ほどして、王さまと王妃さまとが、ある別荘のお城にいらっしゃったときのことです。ある日のこと、お姫さまは、お城の中を、走りまわっていましたが、部屋から部屋へと登って行くうちに、塔の上まできてしまいました。そこには、小さな、そまつな部屋があって、その中で、おばあさんがひとりぼっちで、つむざおで糸をつむいでいました。このおばあさんは、≪つむ≫を使って糸をつむいではいけないという王さまのおふれが出ていることを、聞いていなかったのです。
お姫さまは、いいました。
「おばあさん、そこで、なにしてるの?」
「うつくしいお嬢さま、糸をつむいでいるのですよ」と、そのおばあさんは、お姫さまであるとは知らずに、そう答えました。
「まあ、なんてきれいなんでしょう!」と、お姫さまは、またいいました。「これ、どうやってするの? ちょっと貸して。あたしにもできるかしら……」
お姫さまは、たいへん元気のいいかたでしたが、すこし注意がたりませんでした。それに仙女の判断で、こうなることにきまっていたのです。お姫さまが≪つむ≫を手にとると、すぐに≪つむ≫の先で手をつっついて、気を失ってしまいました。
おばあさんはたいへんびっくりして、助けをもとめました。人びとは、あちこちからかけつけてきました。お姫さまの顔に水をかけたり、コルセットの紐《ひも》をといたり、手をこすったり、ローションでこめかみをこすったりしましたが、どんなことをしても、お姫さまを正気に返すことはできませんでした。
さわぎを聞いてあがってきた王さまは、仙女たちの予言のことを思いだしました。そして、仙女がああいったのだから、こういうことになってもしかたがないとお思いになって、お姫さまを宮殿のいちばんきれいな部屋に連れて行かせ、金糸と銀糸でししゅうをしたベッドの上に、ねかせました。
お姫さまは、まるで天使のように、美しいおすがたでした。気を失ってはいましたが、顔色はいままでと同じようにいきいきとしていて、頬はばら色、くちびるは、さんごのようでした。ただ、目はつぶっていましたが、しずかに息をしているのが聞こえましたので、死んだのではないことは、わかりました。
王さまは、目がさめるときがくるまで、お姫さまをしずかに眠らせておくようにと、命じました。このさわぎが起こったとき、お姫さまの命を助けて、百年間ねむらせることにした、あの親切な仙女は、お城から五万キロメートルほどはなれたマタカン王国に行っていましたが、それをはくと、ひとまたぎで七里も歩けるという≪七里の長ぐつ≫をはいている小人《こびと》が、すぐにそのことを知らせました。
仙女はさっそく出発して、一時間後には、竜《りゅう》にひかれた、もえる火のような色をした車に乗って、宮殿に到着しました。王さまは、仙女が車から降りるのに、手を貸しました。
仙女は王さまがなさったことを、たいへんほめました。けれども仙女は、先の先まで見とおして、お姫さまが目をさましたとき、古いお城の中でひとりぼっちだったら、ずいぶんこまるだろうと考えました。で、仙女は、こういうことをしました。
仙女は、自分の杖《つえ》で、お城の中にいたすべての人たちにさわりました。王さまと王妃さまはべつとして、老女たち、侍女たち、女中たち、貴族たち、役人たち、料理人頭たち、料理人たち、皿あらいたち、走り使いたち、番兵たち、門番たち、小姓たち、供まわりたちみんなに、つぎつぎとさわりました。それから、馬屋にいた馬にも、馬丁にも、家畜小屋の大きな番犬にも、お姫さまのベッドのそばにいた、お姫さまの愛犬のプーフにも、杖でさわりました。
仙女が杖でさわると、みんな、すぐに眠りました。それは、お姫さまが目をさましたときに、いっしょに目をさまして、お姫さまのためにご用ができるために、そうしたのです。しゃこや、きじがいっぱいささっている焼きぐしまでが、火にかかったままで、その火といっしょに、眠ってしまいました。
こういうことは、あっというまに、なされました。仙女たちは、仕事となると、ぐずぐずしていないものです。
さて、王さまと王妃さまとは、目をさまさない、かわいいお姫さまにキスをして、お城から出て行きました。そして、このお城にだれも近づいてはいけないと、おふれをだしました。
でも、こんなおふれは、ださなくってもよかったのです。というのは、ものの十五分もたたないうちに、お城のかこいのまわりに、大きな木や小さな木が、にょきにょきはえてきて、それらに、やっぱりきゅうにはえてきた茨《いばら》や、とげのある木がからみついて、けものでも人間でも、そこを通れなくなったからです。ですから外からは、お城の塔のてっぺんしか見えなくなってしまいました。それも、よほど遠くへ行かなければ、見えませんでした。
人びとは、これもまた仙女が、お姫さまが眠っているあいだに、ものずきな人たちがはいってこないようにと、こうしたのだと思いました。
百年、たちました。そのときは、眠っているお姫さまとはちがう家の、べつの王さまが、この国をおさめていました。その王さまの王子さまが、このお城のある森のほうへ狩りにおいでになりましたが、あのふかい森の上に見える塔はなにかと、おたずねになりました。
みんなは、それぞれ聞いた話をしました。ある人たちは、あそこは古い城で、ゆうれいが出るといいました。ほかの人たちは、あそこは国じゅうの魔法使いが集まって、会議をするところですと、いいました。もっとも多い意見によると、あそこには、ひとりの人食いが住んでいて、つかまえた子どもをみんなあそこへ連れて行き、だれもついてこられないあそこで、自分のすきなときに子どもをたべるのだそうで、その人食いだけが、あの森を通って行けるのだといいました。
王子さまが、この話はどうも信用できないなと思っていますと、ひとりの年とった百姓がお話したいことがあるといって、こういいました。
「王子さま、わたくしは五十年以上もまえに父親から、こんな話を聞きました。あのお城には、この世でもっともおきれいなお姫さまがいらっしゃって、百年間ねむりつづけたあと、ひとりの王子さまに呼び起こされて、その王子さまと結婚なさるのだそうでございますよ」
若い王子はこの話を聞いて、からだじゅうが、かっかとしてきました。王子はすぐに、自分こそ、このすばらしい冒険談をおわらせてみせるぞと誓いました。そして、愛と名誉心に動かされて、それがどうなっているかを見に行こうと、ただちに決心しました。
王子さまが森のほうへ進んで行きますと、そうすることだけで、大きな木や茨《いばら》や、とげが道をひらいて、王子さまをお通ししました。王子さまが進んで行く広い並木道のはずれに、お城が見えてきました。そのお城めざして、王子さまはどんどん歩いて行ったのですが、ちょっとおどろいたことには、王子さまがお通りになってしまうと、木がまた道をふさいでしまって、だれひとりとして、王子さまのおともをして行くことができなかったことです。
王子さまは、どんどん道を進んで行きました。わかくて、愛情にもえている王子は、いつも勇気があるものです。
王子さまは、お城のまえの広い庭にはいりましたが、まず、そこで見たものにびっくりして、からだが、ぞくぞくしてきました。気味わるくしずまりかえって、あたりには死の影が、ただよっています。そこには死んでいるような人間や動物のからだが、よこたわっているだけなのです。
でも、門番たちの吹きでもののある鼻や、赤い顔を見ますと、ただ眠っているだけなのが、よくわかりました。手にもっているコップに、まだぶどう酒がすこしのこっているのを見ますと、門番たちはぶどう酒を飲んでいるうちに眠りこんでしまったことが、わかりました。
王子さまは、大理石をしきつめた大きな中庭を、通って行きました。それから階段をのぼって、番兵たちの部屋にはいりました。番兵たちは一列にならび、銃を肩にあてて、ぐうぐういびきをかいていました。王子さまは、いくつも部屋を通って行きましたが、そこには貴族や貴夫人たちが、ある者は立ったままで、またある者は腰かけて、みんな眠っていました。
王子さまは、金色にかがやいている部屋にはいっていきました。その部屋には、すっかりカーテンがひらかれたベッドがあって、その上に、いままで見たこともないような、美しいものを見たのです。
それは、年のころ十五か十六ぐらいのお姫さまで、まぶしいほどの光をはなち、こうごうしく光りかがやいていました。王子さまはうっとりと見とれて、からだをふるわせて近づきました。そして、お姫さまのそばに、ひざまずきました。
ちょうどそのとき、魔法がとけて、お姫さまは目をさましたのです。お姫さまは、はじめて会った人とは思われないほど、やさしい目で、王子さまを見ながら、こういいました。
「あなたが、あたしの王子さまなの? あたし、あなたさまを、ずいぶんお待ちしましたわ」
この声に聞きほれ、それに、その話しかたがなおいっそう魅力がありましたので、王子さまはよろこびと感謝の気持ちを、どうやって現わしたらいいか、わからないほどでした。王子さまは、ただ、こういいました。
「ぼくは、自分よりも、あなたがすきです」
そのことばも、うまく口から出ませんでしたが、お姫さまには、それがかえって、気持ちよく聞こえました。愛すれば愛するほど、口にだしては、いえないものだからです。
王子さまは、すっかりどぎまぎしていましたが、お姫さまは、それほどでもありませんでした。
これはなにも、それほどおどろくことではなかったようです。このことについては、このお話の中では、べつに語っていませんが、お姫さまは、王子さまに会ったらなんといおうか、ずっと考えていたからでした。なぜならば、あの親切な仙女は、お姫さまが眠っていたその長いあいだじゅう、ずっとたのしい夢を、見せてくれたにちがいなかったからです。
とうとう四時間も、おふたりは、お話しになっていましたが、まだまだ、お話しになりたいことの半分も、いえませんでした。
そのうちに、宮殿じゅうの人たちが、お姫さまといっしょに、目をさましました。そして、それぞれ仕事に取りかかろうとしました。なにしろ、だれもかれもが恋をしているわけではありませんから、おなかがすいて、死にそうでした。お姫さまのお付きの侍女も、ほかの人たち同様におなかがすいていましたので、とうとう待ちきれずに、大きな声で、お姫さまに申しました。
「お肉が、テーブルに出ております」
王子さまはお姫さまに手を貸して、立ち上らせました。お姫さまは、ちゃんと服を着ていました。とてもりっぱな衣裳です。でも王子さまには、それがおばあさんのころにはやった服装のように思われました。えりも、上のほうにあがりすぎています。王子さまは、そのことをお姫さまにはいいませんでした。そういう服装でも、お姫さまは、やはりおきれいだったのです。
おふたりは、鏡の間に行かれて、そこで、お姫さまの係りの人に給仕されながら、晩の食事をなさいました。バイオリンをひいたり、オーボエを吹いたりして、古い曲が、演奏されました。それはたいへんすばらしい曲でしたけれども、もう百年近くも演奏しなかった曲でした。
晩の食事がすみますと、すぐにお城にいる坊さんが、城の礼拝堂で、おふたりの結婚式をおこないました。侍女がお付きそいして、おふたりをベッドへおつれし、カーテンをひきました。
おふたりは、よくおやすみになりませんでした。お姫さまは、それほど眠くなかったのです。朝になると、王子さまはすぐに町へお帰りになるために、お姫さまのもとを立ち去りました。お父《とう》さまが、心配していられると思ったからです。
王子さまは、狩りに行って、森の中で道にまよい、炭やき小屋にとまって、そこで黒パンとチーズをごちそうになったと、お父さまにいいました。お父さまの王さまは、おひとよしでしたから、王子さまのいったことを信じてくれましたが、お母《かあ》さまは信用しませんでした。お母さまは、それから王子さまが毎日のように狩りに出かけて、二晩も三晩もよそにとまってきては、なんとかごまかしをいうので、きっと、すきな人がいるにちがいないと思いました。
王子さまは、二年以上もお姫さまとおくらしになって、ふたりもお子さんがあったのです。最初のお子さんは女の子で、オロール(あけぼのの意味です)といいました。二番目は男の子で、おねえさんよりもさらにいっそう美しいようでしたので、ジュール(お日さまの意味です)と呼ぶことにしました。
王妃さまはなんども王子さまにむかって、この世では、あたりまえの生活をしなければいけませんよといって、自分たちのことを話させようとしましたが、王子さまはどうしても、お母さまに秘密をあかそうとはしませんでした。というのは、王子さまはお母さまがすきでしたが、じつは、お母さまがこわかったのです。
なにしろ、王妃さまは、人食い人種の生まれだったのです。王さまがそんな人と結婚したのは、王妃に財産があったからでした。ですから、王妃には人食いの性質があって、小さな子どもたちが通るのを見ると、とびかかっていきたくなるのを、いっしょうけんめいにがまんしているのだと、お城の人たちも、ひそひそと話し合っていたほどでした。王子がお母さまになにもいいたくなかったのは、こういうわけだったのです。
ところが、それから二年して、王さまがおなくなりになりました。王子さまは王さまになりますと、ご自分の結婚を国じゅうにしらせました。そして、りっぱな行列をつくって、お姫さまを王妃としてお城におむかえするために出かけました。
都入りの式が、盛大におこなわれました。王妃さまは、ふたりのお子さんをつれて、都入りしました。
しばらくしますと、王さまは、となりの国のカンタラビュット皇帝と戦争をするために、出かけました。王さまは、るすちゅうの政治をお母さまにおまかせして、王妃とお子さんのことをよくおたのみしました。
戦争は、夏じゅうかかるはずでした。王さまが出発なさいますと、お母さまの王妃は、およめさんとその子どもたちを、森の中の別荘に行かせました。それはその別荘で、やすやすと、おそろしい望みをとげるためだったのです。
お母さまの王妃は、二、三日後に、別荘に行きました。そしてある晩、料理人頭に、こういいました。
「わたしは、あしたのおひるに、あのオロールをたべたいんだが……」
「まあ! 王妃さま……」と、料理人頭はいいました。
「わたしは、たべたいのです。玉ねぎいりのソースで、あの子をたべたいのです」と王妃は、あたらしい肉をたべたがっている人食い女そっくりのようすで、こういいました。
この気のどくな男は、人食い女にさからってはいけないと思いましたので、大きなほうちょうを持って、小さいオロールの部屋へ、あがっていきました。
オロールは、そのとき四つでした。料理人頭のほうへかけよって、にこにこ笑いながら、その首にとびついて、ボンボンをねだりました。料理人頭は、泣きだしました。持っていたほうちょうは、手からすべり落ちました。料理人頭は家畜小屋へ行って、子羊の首を切り、おいしいソースをそえてだしましたので、女主人は、こんなおいしいものは、これまでにたべたことがないと、いいました。そこで料理人頭は、小さいオロールを連れだして、自分の奥さんにあずけ、家畜小屋のすみにある住居の中にかくしておくことにしました。
一週間しますと、わるい王妃は、また料理人頭にいいました。
「わたしは夕飯に、小さいジュールをたべたいのだが」
料理人頭は、なんともいいませんでした。このまえと同じように、だましてやろうと思ったのです。料理人頭は、ジュール坊やをさがしに行きました。ジュールは小さな刀を手に持って、大きなさるを相手に、剣術ごっこをしていました。ジュールは、まだ三つだったのです。
料理人頭は、ジュールを自分の奥さんのところへつれていって、姉《ねえ》さんのオロールといっしょに、かくしておきました。そしてそのかわりに、ごくやわらかい小山羊の肉をだしました。人食い女は、たいへんおいしいといいました。
ここまでは、うまくいったのです。ところが、ある晩、わるい王妃は、料理人頭に、こんなことをいったのです。
「わたしは、わかい王妃も、子どもたちのと同じソースで、たべたいんだが……」
こんどこそ、もう王妃をだますことはできないと、料理人頭は思いました。
わかい王妃は、眠っていた百年はべつとしても、二十歳をすぎていました。まだきれいで、白いはだをしていらっしゃいましたが、皮膚はすこしかたくなっていました。王妃さまと同じくらいの固さの動物は、家畜小屋にいませんでした。
料理人頭は、自分の命をすくうために、王妃さまののどをえぐろうと、決心しました。そこで一気にやってしまおうと勇気をふるいおこして、王妃さまの部屋に行きました。
料理人頭は、ほうちょうをにぎりしめ、いきおいにまかせて、わかい王妃さまの部屋にはいりました。でも、いきなり切りつけるようなことは、しませんでした。うやうやしくおじきをしてから、母親の王妃から受けた命令をつたえました。
すると、王妃さまは、首をさしのべて、こういいました。
「さあ、命令されたとおりにしてください。おまえは、自分のつとめをはたすがいい。あたしも、子どもたちが行ったところへ行きたいと思います。あんなにかわいがっていた、かわいそうな子どもたちですもの!」
というのは、だれかが、だまって子どもたちをつれ去ってから、わかい王妃さまは、子どもたちが死んだものだと思っていたからです。
気のどくな料理人頭は、すっかり感動して、こう答えました。
「いや、いや、王妃さま、あなたさまは死んではいけません。あなたさまがお子さまがたにお会いになるのは、あの世ではありません。じつは、お子さまがたは、わたくしの家にいらっしゃるのです。わたくしが、おかくし申していたのです。もう一度、あの王妃をだまして、あなたさまのかわりに、子鹿《こじか》をたべさせてみましょう」
料理人頭はすぐに、わかい王妃さまを自分の部屋へつれて行きました。王妃さまは、子どもたちをだきしめて、みんないっしょに、うれしなみだにくれました。
料理人頭は、鹿の肉を料理して、わるい王妃の夕飯にだしました。王妃は、それをわかい王妃の肉だと思って、さもおいしそうにたべました。そして王妃は、ざんこくな望みがかなったので、すっかりご満足で、王さまが帰ってきたら、怒りくるったおおかみが、わかい王妃とふたりの子どもを食いころしてしまったと、いってやろうと思っていました。
ある晩のこと、いつものように、ざんこくな王妃は、お城の中庭や家畜小屋の付近を、あたらしい肉のにおいをかぎながら歩いていますと、小さいジュールの泣き声を聞きました。なにかわるいことをしたので、お母さんの王妃さまが、むちでぶたせますよ、といったからです。小さいオロールが、弟のために、ゆるしをこうている声も、聞こえました。
人食い女は、それが王妃と子どもたちの声だと、はっきりわかりました。だまされたと知って、気ちがいのように怒った人食い女は、あくる朝すぐに、おそろしい声でみんなをふるえあがらせて、中庭のまんなかに、大きなおけを持ってこさせました。ひきがえるや、へびや、まむしをいっぱい入れたそのおけの中に、王妃さまと子どもたち、料理人頭とその妻、それからその召使の女までも、投げ入れようというのです。人食い女は、王妃たちの手をうしろ手にしばりあげて、つれてくるように命じました。
わかい王妃たちは、中庭につれてこられました。首切り役人たちは、いまにも王妃たちを、おけの中に投げこもうとしていました。
そこへ、こんなに早く帰ってこようとは思わなかった王さまが、馬にのって中庭にはいってきたのです。王さまは、大いそぎで帰ってきたのでした。見ると、このおそろしいありさまでしょう、びっくりして、どうしたわけかとおたずねになりました。だれも、ほんとうのことを話そうとは、しませんでした。
そのとき人食い女は、もうこれまでと怒りくるい、自分からまっさかさまにおけの中にとびこんで、あっというまに、自分がしかけておいたいやな動物たちに、かみころされてしまいました。
王さまはこれを見て、いくら人食いでも母親でしたので、おこったところではじまりません。でも、そのうちに、きれいな王妃さまや、かわいい子どもたちのおかげで、お母さまのことを、すっかり忘れることができました。
[寓意]
お金持ちで、すがたがよく、親切で、やさしいご主人なんて、よっぽどしんぼうづよく待たなきゃあ、いないでしょうね。そのうえ、百年も、ずっと眠ったままで待っているなんて――、そんなにずっと静かに眠っている娘さんなんか、いまどきどこにいるでしょうか。
このお話はまた、こんなことをわからせようとしているらしいのです。おたがいに好《す》いた好《す》かれたなかならば、おそくなって結ばれようが、長く待っていようが、幸福になれないことはないってことを。
けれども女のひとは、たいへん熱心に、早く結婚したがっているので、わたしはこういうことを、おすすめする気持ちも、勇気もありませんね。
赤ずきんちゃん
むかし、ある村に、だれも見たことのないような、とてもかわいらしい女の子が、いました。お母《かあ》さんはその子を、たいへんかわいがっていました。おばあさんは、なおいっそうかわいがっていました。おばあさんはその子に、小さな赤いずきんを作ってやりました。それがたいへんよく似あうので、その子はどこへ行っても、赤ずきんちゃんと呼ばれていました。
ある日のこと、お母さんは、粉をやいてパンケーキを作り、赤ずきんちゃんに、いいました。
「おばあちゃまがどうしていらっしゃるか、見にいっておくれな。なんでも、おばあちゃまは、からだのぐあいがよくないそうなんだよ。このバターのつぼと、パンケーキをひとつ、持っていってあげてちょうだい」
赤ずきんちゃんはすぐに、おばあさんのおうちに行くために、出かけました。おばあさんは、べつの村に住んでいたのです。
森の中を通って行くと、おおかみのおじさんに、ひょっこり出会いました。おおかみは、赤ずきんちゃんがたべたくてしょうがなかったのですが、どうしてもできませんでした。森の中には、きこりたちがいたからです。おおかみは赤ずきんちゃんに、
「どこへ行くの?」と、ききました。
かわいそうにこの子は、おおかみのいうことなんか聞いてぐずぐずしていると、おそろしいことになることなんか、ちっとも知りませんでした。で、おおかみにこう答えました。
「おばあちゃまに、会いに行くのよ。バターのちっちゃな入れものといっしょに、パンケーキをひとつ持って行くのよ。お母ちゃんが、そうしろっていうもんだから」
「おばあちゃまのおうちは、遠いのかい?」と、おおかみが、ききました。
「ええ、そうよ」と、赤ずきんちゃんはいいました。「ほら、あそこに、風車が見えるでしょう。あの村の、最初のおうちよ」
「そうかい、じゃ、わたしも、おばあちゃんに会いに行くとしよう。わたしはこっちの道を行くから、おまえは、そっちの道を行きな。どっちが早くつくか、かけくらべだ」
おおかみは近道を、全速力で、走って行きました。女の子は遠まわりの道を、はしばみの実《み》をとったり、ちょうを追いかけたり、道ばたの小さな花をつんで花たばを作ったりして、あそびながら歩いて行きました。
おおかみがおばあさんの家につくのには、長くはかかりませんでした。すぐに、とん、とん、と戸をたたきました。
「だれだい?」
「あたいよ、赤ずきんよ」と、おおかみは女の子の声をまねして、いいました。「お母ちゃんにいわれて、おばあちゃんのとこへ、パンケーキと、バターのつぼを持ってきたのよ」
おばあさんはすこしぐあいがわるいので、ベッドにはいっていましたが、大きな声でいいました。
「くさびを抜きなさい、そうすると、さんがはずれるよ」
おおかみがくさびを抜くと、戸があきました。おおかみはおばあさんにとびかかって、あっというまに、たべてしまいました。三日間も、おおかみはなにもたべていなかったのです。
それから、おおかみは戸をしめると、おばあさんのベッドにもぐりこんで、赤ずきんちゃんの来るのを待っていました。しばらくすると、赤ずきんちゃんがやってきて、とん、とん、と戸をたたきました。
「だれだい?」
おおかみの太い声を聞いたとき赤ずきんちゃんは、まずびっくりしました。でも、おばあさんはかぜをひいているのだと思って、こう答えました。
「あたいよ、赤ずきんよ。お母ちゃんにいわれて、パンケーキと、バターのつぼを持ってきたのよ」
おおかみは、すこし声をやさしくして、呼びかけました。
「くさびを抜きなさい、さんがはずれるからね」
赤ずきんちゃんがくさびを抜くと、さんがはずれました。
赤ずきんちゃんがはいって来るのを見ると、おおかみは、かけぶとんをひっぱって顔をかくし、こういいました。
「パンケーキとバターのつぼは、その衣装箱の上において、わたしといっしょにおやすみな」
赤ずきんちゃんは服をぬいで、ベッドにはいろうとしましたが、はだかになってるおばあさんのすがたを見て、すっかりびっくりしてしまいました。赤ずきんちゃんは、いいました。
「おばあちゃま、おばあちゃまの手は、なんて大きいんでしょう!」
「それは、むすめや、おまえをしっかりだくためさ!」
「おばあちゃま、おばあちゃまの足は、なんて大きいんでしょう!」
「それは、かわいい子よ、早く走るためさ!」
「おばあちゃま、おばあちゃまのお耳は、なんて大きいんでしょう!」
「それは、かわいい子のいうことを、よく聞くためさ」
「おばあちゃま、おばあちゃまのお目は、なんて大きいんでしょう!」
「それは、かわいい子よ、おまえをよく見るためさ!」
「おばあちゃま、おばあちゃまの歯は、なんて大きいんでしょう!」
「それは、おまえをたべるためさ」
そういいおわると、このわるいおおかみは、赤ずきんちゃんにとびかかって、むしゃむしゃたべてしまいました。
[寓意]
小さな女の子、ことにきれいで、すらりとしていて、おとなしい娘さんたちは、どんな人のいうことでも、ただ聞いてはいけません。そのために、おおかみにたべられてしまうようなことも、めずらしくないからです。
いま、おおかみと申しましたが、おおかみがみんな、同じふうではありません。ぬけめなく取り入ることのじょうずなおおかみもいれば、おとなしく、あたりちらしたりしないで、怒りもせずに、なれなれしく、やさしいことをいいながら、わかい娘さんのあとについて、家の中まで、ベッドのそばまではいってくるおおかみもいるのです。ところが、ああ、こういうさもやさしそうなおおかみこそ、あらゆるおおかみの中で、もっとも危険なやつなんですよ!
青ひげ
むかし、あるところに、町にも田舎《いなか》にもりっぱな屋敷をもち、金銀のお皿や、ぬいとりのある家具や、金ぴかの四輪馬車をもっている人がいました。ところが、不幸なことに、この人には青ひげがあって、そのために、見るとたいへんみにくく、おそろしかったので、奥さんも娘さんも、この人に出会うとにげだしました。
近所の人の中で、身分のあるご夫人に、たいへん美しい娘さんが、ふたりいました。青ひげはそのご夫人に、どちらのかたでもいいから、およめさんにおもらいしたいと申しこみました。
お嬢さんたちはふたりとも、青ひげの男なんかを夫にする決心がつかないので、おたがいに、ゆずりあっていました。それに、もっといやなことには、この男はなんべんも結婚して、それらの奥さんがどうなったか、だれも知らなかったのです。
青ひげは、お知り合いになりたいからといって、お嬢さんたちを、お母さんと、そのなかのいい三、四人のお友だちといっしょに、別荘のひとつにつれてきました。それから、近所のわかい人たちを呼んで、まる一週間、そこですごしました。散歩をしたり、狩りや釣りをしたり、ダンスをしたり、ごちそうをたべたり、おやつをたべたりして、たのしくすごしました。夜もねむらずに、ひと晩じゅう、みんなしてふざけあっていました。
とうとう妹娘のほうは、この家の主人に青ひげのあるのをなんとも思わなくなって、それどころか、たいへんりっぱな人だと思うようになりました。そこで、町へ帰ってきますと、すぐに結婚することを承知しました。
ひと月たちますと、青ひげは奥さんに、だいじな用事で地方へ行ってこなければならない、すくなくとも六週間はかかるだろうと、いいました。そして、るすのあいだは大いにのんびりしてもらいたい、なかのいいお友だちを呼んできてもいいし、よかったらいっしょに田舎へ遊びに行ってもいいし、どこへ行っても、おいしいものをたんまりたべておいでと、いいました。そして、
「そら、これが、家具のはいっているふたつの大きな倉のかぎだ。これは、ふだん使わない金や銀のお皿のはいっている戸だなのかぎ。これは、金貨や銀貨のはいっている金庫のかぎ。これは、宝石がはいっている箱のかぎ。これは、どの部屋でもあけることのできる便利なかぎだ。それから、この小さなかぎは、階下の廊下のはずれにある小さな部屋のかぎだ。どこをあけてもいいし、どの部屋へはいってもいいが、あの小さな部屋だけは、はいってはいけない。いいかい、けっしてはいってはいけないよ。もし、あの部屋をあけるようなことをしたら、わたしはおこって、どんなことをするかわからないよ」と、いいました。
奥さんは、いわれたことは、かならず守りますと、約束しました。青ひげは奥さんにキスをすると、四輪馬車にのって、旅に出かけました。
近所の人たちやお友だちは、呼びにくるのを待たずに、さっそく、わかい奥さんのうちへ、押しかけてきました。みんなは、青ひげのうちがどんなにお金持ちか、ずいぶん見にきたかったのですが、ご主人がいるあいだは青ひげがこわくて、どうしても来られなかったのです。
そこで、みんなはやってくると、すぐに部屋や、小部屋や、衣裳とだなを見てまわりましたが、つぎからつぎへと、みんなきれいで、りっぱなものばかりでした。つづいて、家具のしまってある倉にはいりました。そこには、かぞえきれないほどたくさんの壁かけや、ベッドや、ソファーや、たんすや、円テーブルや、ふつうのテーブルや、足の先から頭のてっぺんまでうつる鏡があって、それらの縁かざりには、あるものはガラス、あるものは銀、または金めっきの銀がついていて、どれもこれも、いままで見たこともないような、きれいでりっぱなものばかりでした。
みんなは、友だちのこのわかい奥さんのことをしきりにうらやましがったり、おせじをいったりしていましたが、奥さんのほうでは、あの階下の小部屋を早くあけてみたくて、いろいろりっぱなものを見ても、いっこうに楽しくありませんでした。
とうとう奥さんは、好奇心にかられて、お友だちをほったらかしにしておくのはわるいことだと知りながらも、小さなかくし階段をおりて、階下へ行きました。あんまりいそいだので、二、三度、もうすこしで首の骨を折るところでした。でも、小部屋の入口まできたとき、奥さんはちょっと立ちどまって、ご主人に言われたとおりにしないと、なにかわるいことが起こるかもしれないと考えました。けれども、誘惑はひじょうにつよく、とうとう負けてしまいました。奥さんは小さいかぎを手にとると、ぶるぶるふるえながら、小部屋の戸をあけたのです。
最初のうちは、なにも見えませんでした。まどが、しまっていたからです。そのうちに、しばらくすると、床一面に、血がかたまっているのが見えてきました。そして、その血の上に、壁にそってぶらさがっている、たくさんの死んだ女の人のすがたが、うつっていました。それは、青ひげが結婚して、つぎつぎにころした女の人たちでした。
奥さんは恐怖のあまり、気をうしなうところでした。そして、錠からかぎを抜きとりましたが、かぎが手から落ちてしまいました。
やっと、すこしは気がたしかになってきたので、奥さんはかぎをひろうと、戸をしめて、自分の部屋へあがって行って、すこし気をおちつけようとしました。でも、とてもだめでした。それほど、おどろきは大きかったのです。
見ると、小部屋のかぎに、血がついていました。二、三度ふいてみましたが、血のあとはとれません。あらってみても、みがき粉《こ》でこすってみても、血のあとはとれません。というのは、このかぎには魔法がかかっていたので、どんなことをしても、血のあとをきれいにとってしまうことはできなかったのです。やっと消えたかと思うと、べつのところに血がついているのです。
その日の夕方、青ひげが旅行から帰ってきました。途中で受けとった手紙を見たら、用事がうまくかたづいたので、行かなくてもすんだということでした。奥さんは、ご主人が早く帰ってきてうれしいというようすを見せようと、いっしょうけんめいにそうしました。
あくる日、青ひげは、奥さんに、かぎを返すようにといいました。奥さんはかぎを手わたしましたが、その手はふるえていました。青ひげはすぐに、るすちゅうに起こったことを見抜きました。
「小部屋のかぎが、ほかのといっしょにないが、どうしたのかね?」
「きっと、あたしの部屋のテーブルの上に、おき忘れたんですわ」
「なくてはこまるんだから、すぐに持ってきてくれ」と、青ひげはいいました。
いくらのばそうとしたって、どうしてもかぎを持って来なければなりませんでした。青ひげは、よくかぎをしらべて、奥さんにいいました。
「どうして、このかぎに、血がついてるんだね?」
「あたし、知りませんわ」と、かわいそうな奥さんは、死神よりもまっさおになって、こたえました。
「おまえが、なんにも知らないって!」と、青ひげはさけびました。「わたしは、よく知ってるよ。おまえは、あの小部屋へはいろうとしたんだ! いいから、奥さん、どうぞおはいりください。そして、おまえがその目で見た奥さまがたのそばに、自分の席をみつけるがいい」
奥さんは泣きながら、ご主人の足元に身を投げだし、いいつけを守らなかったのはほんとうにわるかったといって、ゆるしてくれるようにたのみました。この奥さんのようにきれいなひとが、こんなに悲しんでいるのを見れば、岩だってほろりとすることでしょう。ところが青ひげの心は、岩よりもかたかったのです。青ひげは、こういうだけでした。
「死ぬんだ、いますぐにだ!」
奥さんは、なみだにぬれた目でご主人を見つめながら、いいました。
「どうしても死ななければならないのなら、神さまにおいのりする時間を、すこしください」
「では、七分とすこし、まってやろう。それ以上は、一瞬たりと待てないぞ」
奥さんはひとりきりになると、姉のアンヌを呼んで、こういいました。
「アンヌ姉さん、おねがいですから塔の上へあがって行って、兄さんたちがやって来ないか、見てください。兄さんたちは、きょう、うちへ来るって約束したの。もし、兄さんたちが見えたら、いそぐようにって、あいずをしてください」
アンヌ姉さんは、塔の上にあがりました。かわいそうに泣きじゃくりながら、奥さんはときどき下からさけびました。
「アンヌ、アンヌ姉さん、なんにも見えなくって?」
すると、アンヌ姉さんは、こたえるのです。
「ほこりっぽい道を照りつけてるお日さまと、みどりいろの草のほかには、なんにも見えないわ」
そうしていると、青ひげが大きなあいくちを手に持って、力いっぱい声をはりあげてさけびました。
「すぐおりてこい。さもなけりゃ、こっちからあがって行くぞ」
「おねがいですから、もうちょっと待ってください」
そういっておいて奥さんは、すぐに小声でききました。
「アンヌ、アンヌ姉さん、なんにも見えなくって?」
すると、アンヌ姉さんは、こたえます。
「ほこりっぽい道を照りつけてるお日さまと、みどりいろの草のほかには、なんにも見えないわ」
「すぐ、おりてこい、こっちから、あがって行くぞ!」と、青ひげはさけびます。
「いま行きます」
そういっておいて、奥さんはまたいいます。
「アンヌ、アンヌ姉さん、なんにも見えなくって?」
「見えるわ」と、アンヌ姉さんは、こたえました。「あっちのほうから、大きな土けむりを立てて、やってくるわ……」
「兄さんたちかしら?」
「いいえ、ちがうわ。羊の群れでしたわ」
「おりてこないのか?」と、青ひげがさけびます。
「もう、ちょっと、待ってください」と、奥さんはこたえて、またいいました。
「アンヌ、アンヌ姉さん、なにか見えなくって?」
「見えたわ」と、アンヌ姉さんは、答えました。「ふたりの馬にのった人が、こっちへやってくるわ。でも、まだ、ずいぶん遠いわよ」そういってから少しして、アンヌ姉さんは、またさけびました。「よかったわ、兄さんたちよ。あたし、いそいで来るようにって、できるだけ合い図をしたわ」
青ひげは、うちじゅうがゆれうごくほど大声で、どなりました。あわれな奥さんはおりて行って、髪をふりみだして、夫の足元に、泣きくずれました。
「そんなことをしたって、もうだめだ。さあ、死ぬんだ」
青ひげはそういって、片手で奥さんの髪をつかみ、あいくちをにぎった手をふりあげて、奥さんの首を切ろうとしました。奥さんは青ひげのほうにむきなおって、死人のような目でご主人を見つめながら、しずかに死にたいから、もうちょっと待ってくれるようにと、たのみました。
「だめだ。さあ、よく神さまにおいのりをしろ」
そういって、青ひげは、手をふりあげました……そのときです、だれかが入口の戸をはげしく、たたきました。青ひげは、はっとして、ふりあげた手をおろしました。
戸があいて、ふたりの軍人がはいってきました。ふたりとも剣をぬいて、青ひげにとびかかりました。
青ひげは、それが奥さんの兄さんたちだと、すぐにわかりました。ひとりは竜騎兵《りゆうきへい》で、もうひとりは、近衛騎兵《このえきへい》です。
青ひげは命がおしいので逃げましたが、ふたりの兄さんたちはすぐにあとを追いかけて、青ひげが入口の石段まで行くうちに、つかまえました。兄さんたちは、剣を青ひげのからだに突きさして、ころしました。青ひげと同じように、ほとんど死んだようになっていたかわいそうな奥さんは、立ちあがって、兄さんたちにだきつく力も、ありませんでした。
青ひげにはあとつぎがありませんでしたので、財産はぜんぶ、奥さんのものになりました。奥さんはその財産のいくらかをアンヌ姉さんにわけてあげて、まえから姉さんのすきだったわかいいい人と結婚させました。またその財産のいくらかを使って、ふたりの兄さんたちを隊長の地位につけるように運動しました。そして自分はのこりの財産をもって、たいへんりっぱな人と結婚しました。その人は、奥さんが青ひげといっしょにすごしたいやな思い出を、なくしてくれました。
[寓意]
好奇心というものは、ひじょうに魅力のあるものですが、よくあとで、たいへん後悔するものです。そういう例は、毎日、いくらでも見られます。女のひとの気にさわるかもしれませんが、それはごくつまらない楽しみでして、いったん手にいれてしまえば、たいしたものでもないのです。そしてそれは、いつもたいへん高くつくものです。
[もう一つ]
すこしでも思慮分別のある人なら、そして世の中のことがわかる人なら、この話はむかしのことだと、すぐにわかるでしょう。こんなおそろしい、できないことをしろというようなご主人はいくら奥さんに不満だろうが、またやきもちをやいていようが、現代にはいません。みんなおとなしく、奥さんのそばで、糸をつむいでいます。そして、どんなひげをしていようとも、だんなさんと奥さんとどちらがご主人なのか、見分けるのがむずかしいでしょうよ。
長ぐつをはいたねこ
ひとりの粉ひきが死んで、財産として、三人の子どもたちに、粉ひき小屋と、ろばと、ねこをのこしました。それらをどう分けるかは、すぐにきまりました。
公証人も、代訴人も、呼ばれません。そんなことをしたら、そのお礼だけで、わずかな財産は、なくなってしまうでしょう。いちばん上の息子は、粉ひき小屋をもらいました。二ばんめの息子は、ろばをもらいました。三ばんめの息子は、ねこをもらっただけでした。
三ばんめの息子は、そんなつまらぬ分けまえしかもらわなかったことを、どうしてもあきらめきれませんでした。そして、こういっていました。
「兄さんたちは、いっしょに財産をだしあって、りっぱにくらしていける。ところが、わたしときたら、ねこをたべちまって、その皮でマフでもつくってしまったら、あとは、うえじにするだけだ」
ねこはそれを聞いていましたが、それを聞いているようなふりはしないで、おちついた、まじめなようすで、こんなことをいいました。
「心配なさいますな、ご主人さま。わたしにふくろをひとつくださって、やぶの中を歩いていけるような長ぐつを一|足《そく》作らせてくださりゃ、それでいいんです。そうすりゃ、あんたの分けまえも、そんなにわるくないっていうことが、わかるでしょうよ」
ねこの主人は、ねこのいったことを、べつにあてにしてはいませんでしたが、このねこが、ねずみや、はつかねずみをとることにかけては、なかなかすばしっこいことを知っていました。はりに足をかけてぶらさがったり、死んだふりをして小麦粉の中にかくれたりして、ねずみをとっていたのです。ですから、ひょっとすると、このねこが、こまったときに助けてくれるかもしれないと、考えました。
ねこは、要求した品物を受けとりますと、じょうずに長ぐつをはき、首にふくろをかけて、その紐《ひも》を前足でもち、うさぎがたくさんいる森の中にはいって行きました。そして、ふくろの中に、ふすまと野げしとをいれ、寝ころがって死んだふりをしていました。こわい世間を知らないわかいうさぎが、ふくろの中のものをたべにとびこんでくるのを、待っていたのです。
ねこは横になったかとおもったら、すぐに目的をたっしました。そそっかしいわかいうさぎが、ふくろの中にとびこんだのです。ねこの先生は、すぐに紐をひっぱって、うさぎをつかまえ、あっさりころしてしまいました。
ねこはこのえものにすっかりとくいになって、王さまのもとに出かけて行って、おめどおりをおねがいしました。王さまの部屋に通されると、ねこはうやうやしく王さまにおじきをして、こういいました。
「王さま、これはわたくしの主人のカラバ侯爵《こうしゃく》が王さまへ持ってまいれとおおせられた森のうさぎでございます」(カラバ侯爵とは、ねこがその主人にかってにつけた名前です)
「わしはうれしく思っていると、感謝の気持ちをご主人につたえてほしい」と、王さまは答えました。
こんどはねこは麦ばたけにかくれて、例のふくろをひろげていますと、しゃこが二羽とびこんできましたので、またひもをひっぱって、二羽ともつかまえてしまいました。そしてまた、森のうさぎのときと同じように、王さまにそれをさしあげに行きました。王さまはよろこんで、二羽のしゃこを受けとられ、ねこに心づけをくださいました。
このようにしてねこは、ふた月か三月《みつき》のあいだに、ときどき王さまのもとへ、主人からだといって、狩りのえものを持って行きました。ある日のこと、ねこは、王さまが、世界じゅうでいちばんお美しいお姫さまとごいっしょに、川べりのほうへおいでになられることを知ったのです。ねこは主人に、こういいました。
「もし、わたしのいうとおりになさるなら、あなたはしあわせになれますよ。ただ、わたしが教える場所の川の中に、つかっていればいいんです。あとは、わたしにまかせてください」
カラバ侯爵は、それがなんの役に立つのか知りませんが、ねこのすすめにしたがうことにしました。そして、川の中につかっていますと、そこへ王さまがおいでになりました。するとねこが、大声をはりあげて、さけびました。
「助けて! 助けて! カラバ侯爵さまが、おぼれようとなさっていらっしゃいます」
さけび声を聞いて、王さまは馬車のまどから、お顔をおだしになりました。見ると、なんべんも狩りのえものを持ってきたねこが、いるではありませんか。王さまはお供の人たちに、すぐにカラバ公爵をお助けもうせと、お命じになりました。
お供の人たちが気のどくな侯爵を川からひきあげているあいだに、ねこは馬車のそばに行って、王さまにもうしあげました。主人が水におぼれているあいだに、どろぼうどもがやってきて、「どろぼう! どろぼう!」と、ありったけの声でさけんだのに、主人の着ているものを持っていってしまった、というのです。じつは、ねこのやつが、それを大きな石の下に、かくしたのでした。
王さまはすぐに、衣裳がかりの者に、カラバ侯爵のためにいちばんいい服を持ってくるようにと、お命じになりました。そしてカラバ侯爵に、いろいろとやさしいおことばを、たまわりました。
カラバ侯爵は、もともときれいな、りっぱなようすをしていましたが、衣裳がかりが持ってきた美しい服をきますと、いっそうひきたって見えましたので、お姫さまは、すっかり侯爵がすきになってしまいました。そしてカラバ侯爵が、とても崇拝するような、すこしやさしい目つきで、二、三度お姫さまを見ましたので、お姫さまはもうすっかりむちゅうで侯爵を恋するようになりました。
王さまは侯爵がご自分の馬車に乗って、いっしょに散策なされることを、おのぞみになりました。ねこは、自分の考えていることが成功しそうになったので、たいへんなよろこびようで、先ぶれをつとめました。そして、野原で草を刈っている百姓たちに出会いますと、きまって、こういいました。
「こりゃ、草を刈っている者ども。いまおまえたちが草を刈ってる野原はカラバ侯爵さまのものでございますと、そう王さまにもうしあげぬと、おまえたちはひき肉のように、こまぎれにされちまうぞ」
王さまは草を刈っている者たちに、この草を刈っている野原はだれのものかと、おたずねになりました。
「カラバ侯爵さまのものでございます」と、みんなはいっしょになって、もうしました。なぜなら、ねこにおどかされたので、こわかったからです。
「りっぱなお領地ですな」と、王さまはカラバ侯爵にいいました。
「ごらんのとおり、ここは、毎年たくさん取り入れのある土地でございます」と、カラバ侯爵は、お答えになりました。
ずっと先ぶれをして進んでいたねこは、麦を刈っていた者に出会いましたので、いいました。
「こりゃ、麦を刈っている者ども。この麦ばたけはみんな、カラバ侯爵さまのものでございますと、そう王さまにもうしあげぬと、おまえたちはひき肉のように、こまぎれにされちまうぞ」
すぐそのあとでそこへおいでになった王さまは、目のまえの麦ばたけはだれのものか知りたいものだと、おっしゃいました。
「カラバ侯爵さまのものでございます」と、麦を刈っていた人たちは、いいました。
王さまはまた、そのことを侯爵といっしょになって、よろこびました。馬車のまえを走っていたねこは、出会う人たちみんなに、同じようなことをいいました。王さまは、カラバ侯爵の領地がひろいのに、びっくりしてしまいました。
ねこの先生は、とうとう、りっぱな城に到着しました。この城の持ち主は人食いで、だれも見当がつかないほどの大金持ちでした。なにしろ、いままで王さまが通ってきた土地は、みんなこの城の持ち主のものだったのです。
ねこは、この人食いがどんなやつで、どんなことができるかよくしらべておいて、面会をもうしこみました。城の近くを通ったので、ごあいさつをしにきたのだと、いいました。
人食いは、それなりにていねいなやりかたでねこを迎え入れ、自分のまえにすわらせました。
すると、ねこがいいました。
「聞くところによると、あなたはいろいろな動物に、すがたを変えることができるそうですね、たとえば、ぞうだとか、ライオンになることができるそうで」
「ああ、できるとも」と、人食いは、ぶっきらぼうに答えました。「ひとつライオンになって、おれの力を見せてやろう」
ねこは、目のまえにライオンがあらわれたのを見て、びっくりしました。あわてて雨といにとびつきましたが、なにしろ長ぐつをはいているので、たいそうむずかしく、瓦《かわら》の上を歩くのは、あぶなっかしい芸当でした。
しばらくすると、人食いが元のすがたにかえったので、ねこはおりてきました。そして、ずいぶんこわかったといってから、こんどは、こんなことをいいました。
「こんなことも聞いてるんですが、ほんとうでしょうかな。なんでもあなたは、とてもちっちゃな動物、たとえば、ねずみだとか、はつかねずみにも、すがたをかえることができるそうですが。しかし、そんなことは、とてもできますまい」
「できないって! まあ、見ていろよ」
そういったかと思うと、人食いは一匹のはつかねずみになって、床《ゆか》の上を走りまわりました。ねこはそれを見ると、すぐに飛びかかって、たべてしまいました。
そのうちに王さまがお通りになって、人食い男のりっばなお城をごらんになり、なかへはいってみたいとおっしゃいました。ねこは、はね橋の上をお通りになる四輪馬車の音を聞くと、そのまえにかけつけて、王さまにもうしあげました。
「これは、これは王さまには、カラバ侯爵殿のお城に、ようこそおいでになりました!」
「ええっ、侯爵殿、この城も、あなたのものなんですか!」と、王さまは、びっくりして大声でいいました。「この中庭も、それを取りまく建物も、こんなりっばなのは、見たことがありません。よろしかったら、なかを見せてくださいませんか」
侯爵は、わかいお姫さまの手をとって、王さまのあとから、階段をのぼって行きました。三人は、大広間にはいりました。そこには、ちょうどその日に来ることになっていた人食いの友人のための、すばらしいごちそうが、用意されてありました。人食いの友人たちは、城の中に王さまがいるので、はいることができなかったのです。
王さまは、カラバ侯爵の人がらにすっかりほれこみましたが、お姫さまのほうは、もっと夢中でした。それに、侯爵がたくさん財産をもっていることもわかったので、王さまは五、六ぱいお酒を飲んでから、侯爵にむかって、こういいました。
「侯爵殿、どうじゃろう、わたしのむこになっては」
侯爵はうやうやしく一礼して、この王さまのおことばをお受けになりました。そして、その日のうちに、お姫さまと結婚なさいました。ねこも、りっばな殿さまになって、それからはただ気ばらしのために、ねずみのあとを追いかけるだけでした。
[寓意]
父から子へとおくられる、ゆたかな遺産がもらえることは、大きな利益であるとしても、わかい人たちにとっては、勤勉で世わたりのうまいほうが、もらった財産よりも、はるかにねうちがあります。
[もうひとつ]
粉ひきの息子が、こんなにも早く、お姫さまの心をつかんで、やさしい目で見られるようになったというのは、服装や、顔だちや、わかさが、やさしい気持ちをおこさせたからでして、こういったものも、けっしてばかにしてはいけません。
仙女たち
むかし、あるところに、夫に死なれたひとりの女の人と、その人のふたりの娘さんとがいました。姉のほうは、気持ちも顔もたいへん母親に似ていましたので、その娘を見ますと、母親に会っているようでした。母親も姉娘も、とても感じがわるくて、おまけに高慢ちきでしたから、だれもこのふたりとは、なかよしになれませんでした。
妹のほうは、なくなった父親そっくりの、親切な、やさしい気持ちの娘で、おまけに、だれも見たことがないほどの、美人でした。人はどうしても自分に似ている子のほうがすきなもので、この母親も、姉娘のほうをたいへんかわいがり、同時に妹をたいへんにくんでいました。ですから、妹には、ごはんを台所でたべさせ、しじゅう用事をいいつけていました。
いろいろな用事がありましたが、かわいそうにこの子は、一日に二回、家からたっぷり二キロほどはなれたところまで水をくみに行き、大きなかめに水をいっぱいくんでこなければなりませんでした。ある日のこと、いつもの泉へ水をくみに行きますと、ひとりのあわれな老婆がやってきて、水をのませてくださいと、たのみました。
「ええ、いいですとも、おばあさん」
美しい娘はそういって、すぐにかめをきれいにあらうと、泉のいちばんきれいなところの水をくんで、おばあさんにさしだしました。そして、おばあさんがよくのめるように、ずっとかめを持っていてあげました。
おばあさんは、水をのんでしまうと、こういいました。
「あなたはほんとうにきれいで、やさしくて、親切ないい娘さんなので、あなたになにかさしあげないでは、気がすまなくなりました」
この老婆は、じつは仙女《せんにょ》でしたが、この娘がどんなに親切だか知りたいと思って、いなかのまずしいおばあさんのすがたになって、やってきたのです。
仙女は、つづけて、いいました。
「あなたに、こういうおくりものをあげましょう。あなたがなにかいうと、そのたびに、口から、花がひとつと、宝石がひとつ出てきますよ」
美しい娘が家に帰ってきますと、母親は、泉から帰って来るのがおそかったといって、娘をしかりました。
「ごめんなさい、お母《かあ》さん。こんなに帰りがおそくなって」と、かわいそうな娘は、あやまりました。
ところが、そういったとき、娘の口から、ばらの花がふたつ、真珠がふたつ、大きなダイヤモンドがふたつ、出てきました。
たいへんびっくりして、母親は、いいました。
「これは、どうしたっていうの! 口から、真珠とダイヤが出てきたじゃないの。どうしてなんだい、娘や?」
この母親が、「娘や」なんていったのは、これがはじめてでした。かわいそうな娘は、自分におこったことを、なにからなにまで、正直に話しました。話しているあいだじゅう、ずっとダイヤモンドが、いくつもいくつも、口から出てくるのです。
「では」と、母親はいいました。「あたしの娘も泉へ行かせなくちゃ。ほら、ごらん、ファンション、おまえの妹が話をするたびに口から出てくるものを。あんたも、ああいう贈り物がほしくはないかね? 泉へ水をくみに行って、あわれなおばあさんが水をくれといったら、親切にしてやったらいいんだよ」
「そんなことをいったって、あたし、泉へなんか行くもんですか!」と、娘は、ぶっきらぼうにこたえました。
「さあ、行きなさい、いま、すぐに」と、母親はいいました。
姉娘は出かけましたが、やはり、ぶつぶついっていました。姉娘は、うちにあるいちばんいい銀の水さしを持って行きました。泉のそばまで来ると、すぐにりっぱに着かざったひとりの女の人が森の中から出てきて、水をいっぱいくれませんか、といいました。それは、妹にあらわれたときと同じ仙女なのですが、この子がどんなに親切でないかをためしてみるために、王女のすがたになってきたのです。
高慢ちきで無礼なその娘は、いいました。
「あたしは、あなたに水をあげようと思って、ここへきたのではないことよ! 奥さまに水をさしあげようと思って、わざわざ銀の水さしを持ってきたのではありませんわ。あたし、こう思いますわ、どうしても欲しいなら、どうかご自分でおのみあそばせ」
「あなたはやっばり、親切ではありませんね」と、仙女は、べつにおこりもしないでいいました。「よろしい! あなたがそんなに人を信用しないようなら、こういう贈り物をあげることにしよう。あんたが話すたびごとに、口からへびとひきがえるが、一匹ずつとび出てくるからね」
母親は娘のすがたを見ると、すぐ、声をかけました。
「どうだったい、娘や!」
「それが、お母さんたら!」と、そっけない娘がこたえますと、口から二匹のまむしと、二匹のひきがえるが、とびでました。
「たいへんだ! どうしたってわけだろう?」と、母親は、さけびました。「こんなことになったのも、妹が、あんなものをもらってきたからだ。よし、こらしめてやる」
そういって母親は、妹をぶとうとかけよりました。かわいそうな娘はにげだして、近くの森の中に、かくれました。
狩りから帰りがけの王子さまが森の中で、ひとりの娘に出会いました。王子さまは、こんなに美しい娘さんが森の中でひとりぼっちで、なぜ泣いているのかと、おたずねになりました。
「ああ、王子さま! あたしは、お母さんに、家から追いだされたんです」
王子さまは、そういう娘の口から、五つ六つの真珠と、同じ数のダイヤモンドがとびだしたのを見て、どこからそういう宝石が出てくるのかと、そのわけをおたずねになりました。娘は、自分におこったことを、みんな話しました。
王子さまは、この娘が、すっかりすきになりました。こういう仙女の贈り物は、結婚するときに娘に贈られるどんなものよりもねうちがあるとお考えになって、王子さまは、その娘を、お父さまの王宮へおつれになり、そして娘を王妃になさいました。
いっぽう姉娘のほうは、みんなのきらわれ者になって、自分の母親から、家を追いだされました。このふしあわせな娘は、どこへ行ってもだれにも相手にされず、さんざんあちこち歩きまわったすえに、森のかたすみで、死んでしまいました。
[寓意]
ダイヤモンドや金貨は、人の心にたいへん大きなはたらきをします。でも、やさしいことばは、それらよりももっと大きな力があり、もっと大きなねうちがあるのです。
[もうひとつ]
親切にするには、心づかいをしなければなりませんし、すこしは人の気にいるようにしなければなりません。けれども、いつかは、親切にしただけのむくいはあるものです。そしてそのむくいは、よくあることですが、そのことを忘れてしまったころになって、あたえられるものです。
|サンドリヨン《シンデレラ》
むかし、ある殿さまが、二度目の奥さんをおもらいになりましたが、この奥さんは、いままでこんな高慢ちきな人はいないというほど、たいへんに気ぐらいのたかい人でした。ふたりのつれ子がいましたが、どちらもお母《かあ》さんそっくりの気質で、なにからなにまで、お母さんに似ていました。
ご主人のほうにも、ひとり、娘さんがいました。たいへん善良な、やさしい娘さんで、とてもとてもいいかただったお母さんから、そういういい性質を、受けついでいたのです。
結婚式がすむとすぐに、あたらしいお母さんは、いやな性格を見せはじめました。このひとは、夫の娘のいい性質が、がまんできなかったのです。その娘がいるために、自分のふたりの娘たちが、いっそういやな娘に見えたからです。
そこであたらしいお母さんは、その娘に、家の中のいちばんきたない仕事を、させることにしました。皿をあらったり、階段をふいたり、奥さんの部屋や、つれ子のお嬢さんたちの部屋のそうじをさせました。つれ子の娘たちの部屋は、寄《よ》せ木の床《ゆか》で、そこには最新式のベッドや、足の先から頭のてっぺんまで見える鏡がおいてありましたのに、そのよい性質の娘のほうは、家のいちはん高い屋根裏部屋で、きたならしいわらぶとんの中に寝ていました。
かわいそうな娘は、じっと、そういうことをがまんして、お父さんに不服をいおうとはしませんでした。いったところで、しかられるだけだったからでしょう。なにしろお父さんは、なんでもお母さんのいいなりになっていたからでした。
娘は、いわれた仕事をおえますと、暖炉の片すみへ行って、灰の上にすわっていました。そこで、家ではみんな、この子のことを、キュサンドロン(おしりが灰だらけの子)と呼んでいました。姉さんほど失礼なことを口にしない妹娘のほうは、サンドリヨン(灰だらけの子)と、呼んでいました。けれどもサンドリヨンは、きたない服を着ていましたが、たいへん美しく着かざった姉さんたちよりも、百倍もきれいでした。
そのうちに、王子さまが舞踏会をおひらきになって、その国の身分のたかい人たちを、みんなご招待になりました。ふたりのお嬢さんも、おまねきを受けました。ふたりとも、りっぱな家のお嬢さんだったからです。
さあ、お嬢さんたちはたいへんなよろこびようで、いちばんよく似あう服や、髪のゆいかたをきめるのに、たいへんでした。そのためにサンドリヨンには、また新しい仕事がふえたわけです。姉さんたちの下着にアイロンをかけたり、袖口のひだをつけたりしなければならなかったからです。姉さんたちは、どういうふうに着かざったらいいか、そんな話ばかりしていました。
「あたしは、赤いビロードの服を着て、イギリスふうのかざりをつけるわ」と、姉はいいました。
「あたし、ふつうのスカートにするわ。でも、そのかわり、金の花もようのマントを着て、ダイヤのブローチでとめるわ。あのブローチは、たいしたものですもの」と、妹はいいました。
じょうずな美容師を呼んできて、髪を二列に高くゆいあげました。一流の店のつけほくろを買いにやらせました。サンドリヨンは呼ばれて、いろいろと意見をきかれました。なぜならサンドリヨンは、いいこのみをもっていたからです。
サンドリヨンは、ずいぶんいい注意をしてあげました。それから、姉さんたちがそうしてほしいといいますので、髪の形をなおしてあげました。サンドリヨンが髪をなおしていると、姉さんたちはいいました。
「サンドリヨン、あんたも舞踏会に行きたいでしょうね?」
「まあ、お嬢さまがた、あたしをおからかいにならないでください。あたしなどが、そのようなところへ、どうして行かれましょうか」
「そりゃそうね。キュサンドロンが舞踏会に行ったら、いい笑いものになるだけだわ」
サンドリヨンでなくて、ほかの娘だったら、姉さんたちの髪を、へんなふうになおしたでしょう。でもサンドリヨンはいい子でしたから、姉さんたちの髪を、ちゃんとなおしてあげました。からだを細く見せるために、あまりきつく紐《ひも》をしめたために、十二本も紐を切ってしまいました。そして姉さんたちは、ずっと鏡にむかいどおしでした。
やっと、たのしい日になって、姉さんたちは出かけました。サンドリヨンは、いつまでも姉さんたちを見送っていましたが、そのすがたが見えなくなりますと。わっと泣きだしました。サンドリヨンのお母さんがわりをしている仙女が、なみだにくれているサンドリヨンを見て、どうしたのかとたずねました。
「あたし、やっぱり……あたしだって、やっぱり……」
サンドリヨンは、はげしく泣いていましたので、いいおえることができませんでした。お母さんがわりの仙女は、いいました。
「舞踏会へ行きたいんだね、そうだろう?」
「ええ、そうなの」と、サンドリヨンはいって、ため息をつきました。
「よしよし、おまえはいい子だもの。行かしてあげるとも」と、仙女がいいました。
仙女はサンドリヨンを、その部屋へつれて行って、こういいました。
「庭へ行って、かぼちゃをひとつ、持っておいで」
サンドリヨンはすぐに庭へ行って、できるだけよさそうなかぼちゃを、持ってきましたが、舞踏会へ行くのに、どうしてかぼちゃが役だつのか、さっぱりわかりませんでした。
仙女は、かぼちゃの中身をとって、皮だけをのこし、それを杖《つえ》で打ちました。するとかぼちゃは、たちまち、金色に光る四輪馬車になりました。
つぎに仙女は、はつかねずみをつかまえる箱を見に行きました。箱の中には、六匹のはつかねずみが、まだ生きていました。仙女はサンドリヨンに、箱のふたをすこしあげさせました。そして、はつかねずみが出て来るところを、杖でひとつひとつ打ちました。すると、はつかねずみはりっぱな馬にかわったので、これで馬車をひく六頭の、白いねずみ色のりっぱな馬が、できたわけです。
仙女が、御者をなんでこしらえようかと苦心しているのを見て、サンドリヨンはいいました。
「ねずみとりの中にねずみがいないか、見てきますわ。ねずみで、御者をつくりましょうよ」
「なるほど、いい考えだ。行って、見ておいで」と、仙女はいいました。
サンドリヨンは、ねずみとりを持ってきました。その中には、大きなねずみが、三匹いました。仙女は、三匹の中で、いちばんりっぱなひげのはえているのをひとつえらんで、それに杖でさわり、大きな御者に変えました。その御者は、だれも見たことのないような、りっぱな口ひげをはやしていました。それから仙女は、サンドリヨンにいいました。
「庭へ行って、じょうろのうしろに六匹とかげがいるから、ここへ持っておいで」
サンドリヨンが、とかげを六匹つかまえて持ってくると、仙女はすぐに、それを六人のお供に変えてしまいました。お供たちは、金モールの服を着こんで、すぐに四輪馬車のうしろに乗りこみ、まるで、いままでずっとそのような仕事をしていたように、ぴったり馬車につかまりました。
そこで仙女は、サンドリヨンにいいました。
「さあ、これで舞踏会へ行けるね。うれしいだろう?」
「ええ、でも、こんなきたないかっこうで、行くんでしょうか?」
仙女はすぐに、ちょっと杖で、サンドリヨンに、かるくさわりました。すると、たちまちサンドリヨンの服は、宝石をちりばめた、金糸銀糸の服にかわりました。つぎに仙女は、この世のものとは思われない、きれいなガラスの上ぐつを、一|足《そく》くれました。
したくがすみましたので、サンドリヨンは、馬車にのりました。ところで仙女は、けっして夜中の十二時すぎまでいてはいけないと、くれぐれも注意しました。十二時すぎまですこしでもいると、馬車はかぼちゃに、馬ははつかねずみに、お供はとかげに、着ている服はまたもとのきたない服になってしまうというのです。サンドリヨンは、かならず夜中の十二時前に舞踏会を出ると、やくそくしました。そして、うれしさのあまり、むちゅうで出かけて行きました。
王子さまは、だれも知らない、たいへんごりっぱなお姫さまがおいでになったと聞いて、いそいでお出むかえに出てきました。そして、馬車からおりるお姫さまに手をかして、みんなの集まっている広間に、おつれしました。
すると、このだれも知らないお姫さまのあまりの美しさに見とれて、みんな、しいんとしずまり返ってしまいました。おどっていた人たちは立ちどまり、バイオリンをひいていた人たちも、ひく手をとめました。
「ああ、なんてきれいなかたでしょう!」というささやく声が、聞こえるだけでした。
王さまは、かなりお年よりでしたが、サンドリヨンにすっかり見とれてしまい、こんなに美しくてかわいらしいひとは、ずいぶん長いあいだ見たことがないと、王妃さまに小声でもうされました。ご夫人がたはみんな、サンドリヨンの髪かざりや服装を、じっと見ていました。あしたになったら早速、あれと同じような服地をさがし、じょうずな仕立屋さんをみつけて、同じようなものを作らせようと思っていたのです。
王子さまはサンドリヨンを、いちばんいい席につかせました。それから、いっしょにおどるために、その手をとりました。サンドリヨンは、たいへんきれいにおどりましたので、みんなは、なおいっそう感嘆して見とれました。
おいしそうなご馳走《ちそう》が出ましたが、王子さまはサンドリヨンのほうばかり見ていて、いっこうにめしあがろうとはしません。サンドリヨンはお姉さんたちのそばへ行って、いろいろと話しかけたり、王子さまからいただいたオレンジやレモンをおすそわけしましたが、お姉さんたちはこのお姫さまがどういうかただか知らないものですから、ひどくびっくりしていました。
こうして姉さんたちとおしゃべりしているうちに、時計が十二時十五分前をしらせました。サンドリヨンはすぐに、みなさんにていねいにあいさつをして、できるだけ早く立ち去りました。
帰るとすぐにサンドリヨンは、仙女のところへ行って、お礼をいってから、王子さまがあしたもきてくださいといったので、あしたも舞踏会へ行きたいのですが、といいました。そして、舞踏会であったいろいろなことを、むちゅうになって話していたところへ、姉さんたちが、入口の戸をたたきました。サンドリヨンは、戸をあけに行きました。
「まあ、ずいぶんお帰りがおそかったんですね!」
サンドリヨンは、あくびをしながらそういって、さも、いま目をさましたといわんばかりに、目をこすったり、背のびをしてみせました。ほんとうは、姉さんたちが行ってしまってからサンドリヨンは、ねむたいなんていうところではありませんでしたが。
姉さんのひとりが、いいました。
「あんたも舞踏会に行ってたら、退屈なんかしなかったろうにね。とてもおきれいな、だれもこんなすばらしいひとを見たことはないっていうようなお姫さまが、いらっしゃったのよ。あたしたちにいろいろとご親切になすってくださって、オレンジやレモンをくださったわ」
サンドリヨンは、うれしくてたまりませんでした。そして、そのお姫さまのお名前を、聞きました。けれども姉さんたちは、だれもそのお姫さまを知らなかったし、ことに王子さまはそのことをたいへんなやんでいらっしゃったから、そのお姫さまがだれであるか教えてくれる人があったら、その人になんでもくださるにちがいないと答えました。サンドリヨンは、ほほえみながら、いいました。
「まあ、そんなに美しいかたなんですの? ほんとうに、お姉さんがたは、よかったわね。あたしも、そのかたにおめにかかれないかしら? ねえ、ジャボットさま、あなたがふだん着ていらっしゃる黄色い服、あれを貸していただけないでしょうかしら?」
ジャボット嬢は、いいました。
「まあ、あたしが、そんなこと承知すると思ってるの! あんたのような、きたならしいキュサンドロンに服を貸すなんて、あたまが変にでもならないかぎりはね……」
サンドリヨンは、ことわられるのが、よくわかっていたのです。いや、ことわられて、安心したのでした。もし姉さんから服を貸してやるといわれたら、かえってこまったにちがいありません。
あくる日も、ふたりの姉さんは、舞踏会へ行きました。サンドリヨンも行きましたが、きのうよりも、もっときれいな服装をしていました。王子さまはサンドリヨンのそばにつきっきりで、ずっと、いろいろやさしいことをおっしゃっていました。
わかいお姫さまはすこしも退屈しないので、ついうかうかと、仙女にいわれたことを、すっかりわすれてしまいました。ですから、十二時が鳴りはじめたのを聞いたとき、まだ十一時だと思っていたのです。
サンドリヨンは立ちあがって、牝鹿《めじか》のようにすばしっこくにげだしました。王子さまはあとを追いかけましたが、つかまえることはできませんでした。そのとき、サンドリヨンは、ガラスの上ぐつの片っぽうを、おとして行ってしまいました。王子さまは、ひじょうにだいじそうに、それをひろいあげました。
サンドリヨンは、息をきらして、家に帰ってきました。四輪馬車もなくなり、お供もすがたを消して、服はいつものきたない服になり、のこっているものは、おとしてきたガラスの上ぐつと同じ上ぐつが片っぽうあるだけでした。
王子さまは、宮殿の門番たちに、お姫さまが出て行くのを見なかったかと、おたずねになりました。門番たちは、お姫さまではなくて、百姓の娘らしい、ひどいなりをした娘がひとり出て行っただけで、ほかにはだれも見なかったといいました。
ふたりの姉さんが舞踏会から帰ってきますと、サンドリヨンは、きょうもずいぶんたのしかったでしょう、あの美しいお姫さまもいらっしゃったんですかと、たずねました。姉さんたちは、お姫さまはいらっしゃったけれども、十二時がなるとにげだして行ってしまって、あんまりいそいだものだから、はいていた、この世のものとも思われないほど美しい小さなガラスの上ぐつの片っぽうをおとしていったと話しました。王子さまはその上ぐつをひろって、舞踏会がおわるまで、ずっとそれをながめていらっしゃったから、王子さまはきっと、そのかわいい上ぐつをはいた美しいお姫さまのことが、すきですきでたまらなくなったにちがいないんだわ、といいました。
姉さんたちのいったことは、ほんとうでした。二、三日しますと、王子さまは、その上ぐつにぴったり足のあうお嬢さんと結婚するというおふれを、だしたからです。はじめは王女さまがた、つぎは公女さまがた、それから王宮内のお姫さまがたに、つぎつぎにためしてみましたが、みんなだめでした。
サンドリヨンのふたりの姉さんのところへも持ってきました。ふたりはなんとかして足をくつにいれようといろいろとやってみましたが、どうしてもはいりません。サンドリヨンは、自分の上ぐつだとわかりましたので、ほほえみながらいいました。
「このくつが、あたしにあうかどうか、はいてみたいわ!」
姉さんたちは笑いだして、サンドリヨンをからかいました。くつをためす役をしていた役人は、サンドリヨンをじっと見ていましたが、この娘が美しいのと、どの娘たちにもためしてみるようにと命令を受けているので、はいてみさせようといいました。
役人はサンドリヨンをこしかけさせて、その小さな足にくつをあててみますと、足はぴったりとくつにはいって、ろうでくっつけたようにあいました。姉さんたちは、すっかりおどろいてしまいました。けれども、サンドリヨンがポケットからもうひとつの上ぐつをとりだしてはいたときは、さらにいっそうびっくりしました。そこへ仙女がやってきて、杖でサンドリヨンの服にさわりますと、その服は、どんな服よりもすばらしい服にかわりました。
もうふたりの姉さんも、舞踏会でおめにかかった美しいお姫さまはサンドリヨンだということが、わかりました。ふたりはサンドリヨンの足もとに身をなげだして、いままでいろいろとひどいめにあわせたことをわびました。
サンドリヨンはふたりを立ちあがらせて、キスをしながら、心からゆるすといい、これからも、ずっとなかよくしましょうといいました。
役人は、うつくしく着かざったサンドリヨンを、わかい王子さまのところへつれて行きました。王子さまは、サンドリヨンが、いままでにもまして美しいとお思いになりました。そして二、三日して王子さまは、サンドリヨンと結婚なさいました。
サンドリヨンは美しいばかりでなく、心のやさしいひとでしたので、姉さんたちを宮殿に住まわせて、自分の結婚したその日に、ふたりを宮中のりっぱな殿さまの奥さまにしてあげました。
[寓意]
女性にとって美しいということは、ひとつのめったにない宝です。人びとはいつまでも美しいひとに見とれて、あきないでしょう。けれども、しとやかであることは、もっとだいじなもの、もっとねうちのあるものです。
仙女がサンドリヨンにあたえたものは、しとやかさなのでした。仙女はそれをサンドリヨンにあたえ、そうなるようにしつけ、それがうまいぐあいにいったので、サンドリヨンを王妃さまにすることができたのです。(このお話が教えようとしていることは、このことでしょう)
美しいみなさん、この贈り物は、きれいな髪かざりよりも、ずっとねうちがあるのです。ひとの心をとらえ、すっかり魅惑してしまうものなのです。しとやかさこそ、ほんとうの仙女の贈り物なのです。それがなければ何もできませんし、それがあれば、なんでもできるのです。
[もうひとつ]
気がきいているとか、勇気があるとか、生まれがいいとか、まちがったことをしないとか、そのほかいろいろな才能をもっているということは、天からとくにさずかったもので、たしかに大きな利得ですが、いくらそういうものがあっても、立身出世するのには、それほど役にたたないでしょう、そういう才能をじっさいにねうちあるものにしてくれる、父がわりとなる人や、母がわりになる人がいなければ、どうにもなりません。
まき毛のリケ
むかし、あるところの王妃さまが、男の子をお産みになりました。それは、それは、みにくい、ぶかっこうな子なので、長いあいだ、みんなは、この子が人間らしく成長するかどうか、うたがっていたくらいでした。でも、この子が生まれたとき、そこにいあわせた仙女《せんにょ》が、この子にはたいへん知恵があるから、みんなからすかれる人になるでしょう、といいました。それから仙女は、また、こういいました。
「この子は、わたしがいまあげた贈り物のおかげで、自分のいちばんすきな人を、自分と同じくらい知恵のある人にすることができるでしょうよ」
みにくい子を産んだので、ずいぶんがっかりしていた王妃さまも、この仙女のことばを聞いて、すこしは安心しました。なるほど仙女がいったように、この子は口がきけるようになると、いろいろと、かわいいことをいうようになりました。それに、なにをしても、なんとなく気がきいたところがあるので、だれにもすかれました。いうのをわすれましたが、この子は生まれたときから、頭にひとにぎりほどのまき毛がはえていました。そこで、まき毛のリケと、呼んでいました。リケというのは、その家の名前です。
それから七、八年ほどたったころ、となりの国の王妃さまに、ふたりの女の子が生まれました。さいしょに生まれた子は、お日さまがきらきらかがやいているように、きれいでした。王妃さまのよろこびようは、そりゃたいへんなもので、あんまりおよろこびになって、からだにさわりはしないかと、まわりの人たちが心配したくらいでした。
まき毛のリケが生まれたときに、いあわせた同じ仙女が、そこへもきていましたが、王妃さまがあまりよろこんでいますので、すこししずめてやろうと、このお姫さまは知恵がたらないだろう、美しければそのぶんだけばかになるだろうといいました。
この仙女のことばを聞いて、王妃さまはたいへん悲しまれました。しかし、まもなく、もっと悲しいことがおこりました。つぎに生まれた女の子が、たいへんみにくい子だったからです。
仙女は、王妃さまにいいました。
「そんなに悲しがってはいけません。この子はみにくいけれども、そのかわりに、そのみにくさをわすれさせてしまうほど、知恵をさずかりますからね」
「どうか神さま、そうなりますように」と、王妃さまはもうしました。「でも、あんなに美しい姉のほうに、もうすこし知恵をあたえてやるわけにはいかないのでしょうか?」
仙女は、こたえました。
「そちらのかたは、いくらでも美しくはしてあげられますが、知恵のほうは、どうにもならないのです。わたくしとしましても、すこしでもあなたさまのご満足のゆくようにと思いまして、そちらのかたは、男でも女でも、自分のすきな人をうつくしくすることができるように、しといてあげましょう」
ふたりのお姫さまは、大きくなるにつれて、だんだんと、それぞれのすぐれた点が目だってきまして、どこへ行っても、姉さんの美しいこと、妹のりこうなことが、うわさになりました。と同時に、それぞれの欠点も、年とともに、だんだんと大きくなってきました。妹のほうは、ぶきりょうが目だってきましたし、姉さんのほうは、日一日と、ばかになってゆきました。人になにかきかれても、なんにも答えませんでしたし、でなければ、ばかげたことをいってしまうのです。それに、なにをさせても不器用で、暖炉のたなの上に陶器を四つならべようとすれば、きまってひとつはこわしてしまいますし、コップの水をのもうとすれば、その半分は、服の上にこぼしてしまうのです。
美しいということは、わかい女の人にとってはたいへんとくなことですけれども、おあつまりでみんなからほめられるのは、姉さんではなくて、妹のほうでした。はじめのうちはだれも姉さんのほうへ行って、その美しいのに見とれるのですが、しばらくすると、みんなはりこうなお姫さまのほうへ行って、いろいろとたのしいお話を聞くのでした。ほんとうにふしぎなくらいで、十五分もしますと、姉さんのそばにはだれもいなくなり、みんな妹のほうへ行ってしまうのです。
姉さんはばかではありましたが、そのことがよくわかりましたので、妹の半分でも知恵がもらえたら、自分の美しさをみんなやってしまってもおしくないと、思いました。
王妃さまはかしこいかたでしたけれども、おろかなお姫さまに、なんどもこごとをいわなければなりませんでした。それが悲しくて、かわいそうなお姫さまは、いっそ死んでしまおうとも考えました。
ある日のこと、美しいお姫さまがひとりで森の中にはいって、ふしあわせなご自分のことをなげき悲しんでいますと、そこへ、たいへんみにくく、感じのよくない、そのくせとてもりっぱな服をきた小男がきました。それは、わかい王子の、まき毛のリケでした。まき毛のリケは、世間でひょうばんの美しいお姫さまの絵すがたをごらんになって、お姫さまがすっかりすきになってしまい、ぜひおめにかかってお話したいと思い、お父さまの王国を出てきたのでした。
ですから、まき毛のリケは、そのお姫さまが、こうしてひとりっきりでいるのを見てたいへんよろこび、できるだけていねいな、うやうやしいようすで、お姫さまに近づきました。そして、ひととおりのごあいさつをしたあと、お姫さまがたいへん悲しそうなようすをしていらっしゃるのに気づいた王子は、こういいました。
「王女さま、あなたのようなお美しいかたが、どうしてそんなに悲しそうなようすをしていらっしゃるのか、ぼくにはさっぱりわかりませんね。ぼくはこれまで、ずいぶんたくさんのきれいなかたにお会いしたといってもいいんですが、あなたのような美しいかたには、まだ一度もおめにかかりませんでした」
「それは、おせじというものですわ」
お姫さまは、そういったきりで、あとはなんにもおっしゃいません。
まき毛のリケは、またいいました。
「美しいということは、たいへんありがたいことで、ほかのものはなんにもいらないくらいです。ですから、その美しさをもっていらっしゃるかたが、なにもそんなに悲しんでいらっしゃることはないと思いますが」
「いいえ」と、お姫さまは、いいました。「わたしのように美しくても、ばかであるよりは、あなたさまのようにみにくくても、りこうなほうが、ずっといいですわ」
「王女さま、自分がりこうでないと思っているのは、りこうななによりの証拠ですよ。知恵があればあるほど、知恵がたりないと思う。これが知恵というものの特質なのです」
お姫さまは、いいました。
「わたしには、そんなことはわかりませんわ。ただ、自分がとてもばかだということだけは知っています。ですから、自分で死にたいほど、つらいのです」
「そんなことで王女さま、あなたが悲しんでいらっしゃるのでしたら、ぼくがすぐに、あなたさまの悲しみをなくしてさしあげましょう」
「どうして、そんなことができるのです?」と、お姫さまはききました。
まき毛のリケは、こたえました。
「ぼくは、自分のすきな人に、その人がもてるだけの知恵をあたえることができるのです。王女さま、あなたはぼくのすきな人なのですから、あなたしだいで、あなたはご自分でもてるだけの知恵をもつことができるのです。それは、ぼくと、結婚してくださればいいのです」
お姫さまは、ただもうびっくりしてしまって、返事もなさいませんでした。
まき毛のリケは、またいいました。
「ぼくがこんなことをいったので、おこまりのようですね。むりもありません。では、一年間おまちしますから、よく考えておいてください」
お姫さまは知恵がたりなかったものですから、一年のおわりなんて、なかなか来るものではないと思いました。でも、やはり知恵がほしくてたまらないものですから、まき毛のリケのたのみを承知することにしました。そして、一年たったきょうと同じ日に結婚すると、約束しました。
そう約束したら、お姫さまは、まるでいままでとはちがった人になったような気がしてきて、なんでもいいたいと思っていることが、信じられないほどすらすらといえるようになり、そのうえ、上品で、ごく自然に口がきけるようになりました。お姫さまはすぐに、まき毛のリケとお話をしはじめ、ずいぶん長いあいだいろいろと気のきいたお話をとてもじょうずになさいましたので、まき毛のリケは、自分のためにとっておいた知恵を、あんまりあげすぎてしまったのではなかろうかと思ったくらいでした。
お姫さまが宮殿へ帰ってきますと、宮中では、どうして姫がきゅうにこんなに変わったのか、わけがわかりませんでした。なぜなら、いままであんなにばかなことばかりいっていたのが、こんどはきゅうに物わかりのいい、気のきいたことをいうからです。
宮中ではみんな、想像もできないほどよろこびました。あまりうれしくなかったのは、妹姫だけでした。なぜなら、いまでは知恵の点でもお姉さまにすぐれているわけではなく、お姉さまのそばに行くと、まるでみっともない≪牝《めす》ざる≫としか思われませんでしたから。
王さまは、なにをするにも姉のお姫さまに相談してなさるようになって、ときどきそのお部屋に、相談をしにいらっしゃいました。姉のお姫さまがすっかりお変わりになったという評判がひろがりましたので、近くの国ぐにの王子たちは、みんなそのごきげんをとろうとしてむちゅうになり、ほとんどの王子さまが結婚をもうしこんできました。
けれども、お姫さまからみますと、これといってりこうなかたもみつかりませんでしたので、ただだまっていうことを聞いているだけで、どなたとも約束はいたしませんでした。
そのうちに、たいへん強力で、お金持ちの国の王子で、とてもりこうで、りっぱなかたが結婚をもうしこみに来られたので、お姫さまもこのかたとならと、考えないわけにいきませんでした。お父さまも、お姫さまのお気持ちがわかったとみえて、だれを夫にえらぶかはお姫さまにまかせるから、ただ、その人の名をいえばよろしいと、もうされました。こういうだいじな問題になりますと、かしこい人であればなおさら決心がつかないものでありまして、お姫さまは、お父さまにお礼をいってから、もうすこし考えさせてくださいと、もうしました。
お姫さまは、どうしたらいいか、ゆっくり考えてみようと思って、ゆきあたりばったりに森の中にはいって行きました。その森は、まき毛のリケと会ったことのある森でした。お姫さまが考えこんで歩いていますと、歩いている足の下で、たくさんの人が行ったり来たりして、なにかをしているらしいざわざわした物音が聞こえてきます。じっと耳をすまして聞いていると、こんなことを、口ぐちにいっているのです。
「そのなべを、こっちへよこしな」
「その大きななべを、よこしてくれ」
「火に、まきをくべろ」
そのとき、地面がわれて、お姫さまの足もとに、大きな台所のようなところが見え、そこに、たくさんの料理人や、皿あらいや、そのほか、盛大な宴会をするために必要ないろいろな役をする人が、いっぱいいました。そのうちに、二、三十人の肉をやく料理人が地下からあがってきて、森の中の道にあつまり、たいへん長いテーブルをかこんで、手に手にかなぐしを持ち、耳に帽子のたれ尾をひっかけて、ゆかいな歌にあわせてひょうしをとりながら、仕事をしはじめました。
これを見てびっくりしたお姫さまは、どなたのためにこんなにはたらいているのかと、おききになりました。
すると、その中でもおもだったひとりが、こう答えました。
「まき毛のリケさまのために、はたらいているのです。あした、ご婚礼がありますので」
これを聞いてお姫さまは、なおいっそうびっくりしました。ちょうど一年前のその日に、まき毛のリケと結婚の約束をしたことをきゅうに思いだして、思わずはっとしました。お姫さまがそのことをわすれていたというのは、あの約束をしたころお姫さまはまだあたまがたりなかったからで、そのあと、まき毛のリケから知恵をもらってからは、それまでにしたことをみんなわすれていたからでした。
お姫さまが歩きだしてからまだ三十歩と行かないうちに、まき毛のリケが、やってきました。いかにもあした結婚式をあげる王子さまだというように、りっぱに着かざっていました。
「ごらんのとおり、王女さま、ぼくは約束をまもりました。あなたも、ぼくと結婚して、ぼくをこの世でもっとも幸福な男にしてくれるために、約束どおり、ここへきたのでしょう」と、まき毛のリケはいいました。
「正直にもうしましょう」と、お姫さまは、お答えになりました。「じつは、そのことについて、わたくしの決心はついていないのでございます。それに、わたくしには、あなたが望んでいらっしゃるように決心することが、どうもできないような気がするのです」
「これは、おどろきましたね」と、まき毛のリケはいいました。
「そうでしょうね」と、お姫さまもいいました。「もしも、乱暴な、わけのわからない人を相手に話をしているのでしたら、きっとわたくしは、ずいぶんこまったことでしょうね。そういう人でしたら、王女ともあろうものが、約束をまもらないなんていうことはない、いったん約束したんだから、どうしてもぼくと結婚しなければならない、なんていうでしょう。けれども、いま、わたくしがお話しているかたは、世界じゅうでいちばんかしこいかたなんですから、きっと、わたくしのいうことがわかってくださると思います。
いいですか、あなたはおわかりでしょうが、わたくしはばかだったときでさえ、あなたと結婚する決心はつかなかったんですよ。それが、あなたから知恵をいただいたいまでは、あのころよりもさらにいっそう、えりごのみをするようになったのです。あのころでさえ決心がつかなかったことを、いま、どうして決心がつけられるでしょうか? もし、あなたがどうしてもわたくしと結婚なさるおつもりでしたら、わたくしをりこうな、なんでも物事がわかる女にしてはいけなかったのです」
まき毛のリケは、答えました。
「あなたのおっしゃるとおりだと、あたまのわるい男なら、あなたが約束をたがえたといっておこってもしかたがないと、いうんですね。なぜ、ぼくがそうしてはいけないんですか? これは、ぼくがしあわせになれるかなれないかという、だいじなことなんですよ。りこうな者が、おろか者よりも条件がわるいなんてことが、あっていいものでしょうか?
あなたのようなりこうなかたが、りこうになりたいとあんなにのぞんでいらっしゃったかたが、そのようなことをおっしゃって、いいものでしょうか? まあ、よく考えてみてください。なるほどぼくはぶ男ですが、それ以外に、ぼくに、なにか気にいらないことがあるでしょうか。ぼくの生まれだとか、ぼくのあたまだとか、ぼくの性質だとか、ぼくの態度だとか、そういったもので、あなたの気にいらないことがあるのでしょうか?」
「いいえ、そんなことなんて」と、お姫さまは答えました。「いまおっしゃったようなことでしたら、あなたにはすきなところばかりありますわ」
「そうでしたら、ぼくは、しあわせになれるわけです」と、まき毛のリケはいいました。「なぜならあなたは、だれよりもぼくを、ご自分のすきな男にすることができるのですから」
「どうして、そんなことができるのでしょうか?」と、お姫さまは、おききになりました。
「あなたがぼくをすきになって、ご自分のすきなような男になってくれたらいいと、心の中で思いさえすれば、そうなるのです。そんなことってあるものかしらとお思いになるかもしれませんが、まあ、お聞きください。ぼくが生まれたとき、仙女はぼくに、ぼくのすきな人をりこうにする力をくれたのですが、その仙女があなたにも、あなたのすきな人で、そうしてあげたい人を美しい人にすることができる力をさずけてくれたのですよ」
「もし、それがほんとうでしたら、わたくし心から、あなたが世界じゅうでいちばん美しい、いちばん感じのいい王子さまになるようにとのぞみますわ。そして、わたくしのもっている美しいものは、みんなあなたにさしあげますわ」
お姫さまがそういったかと思うと、まき毛のリケはすぐに、いままでお姫さまが見たどんな人よりも美しい、りっぱな、感じのいい人になりました。
でも、ある人たちのいうには、これは仙女からさずかった力でそうなったのではなくて、ただ愛情によって、きゅうにこう変わったのだそうです。相手の男がよくがまんして一年間も待ってくれたことや、つつしみぶかくて、あたまがよく、性質のいい人なのをよく考えたお姫さまにはその男のぶかっこうなことや、顔のみにくいことなどはもはや見えなくなり、背中のこぶも、大きな背中のりっぱな男のように見え、いままでひどくびっこをひいていたように見えたのも、ちょっとからだをまげて歩いている美しいすがたに見えてきたと、いうのです。
その人たちはまた、まき毛のリケはやぶにらみだったが、お姫さまにはそのために魅力のある目のように思われたのでして、そのやぶにらみにしたって、あまりお姫さまがすきだったので、まっすぐに見られなかったのだと、いっています。また、王子の赤いだんごばなにしたって、お姫さまには、なんとなく勇ましく、男らしく見えてきたのだそうです。
まあ、それはともかくとして、お姫さまはすぐに、お父さまの王さまのおゆるしさえあれば、まき毛のリケと結婚すると約束しました。王さまは、まき毛のリケがとてもかしこくて、りこうな王子だということを知っていましたが、お姫さまが王子をたいへん尊敬していると聞いて、おむこさんにすることを、よろこんでゆるしてくれました。
ですから、そのあくる日には、まき毛のリケがまえから考えていたように、また、まえからずっとしたくをさせておいたとおりに、結婚式がおこなわれました。
[寓意]
ここに書かれてあるお話は、いいかげんな話ではなくて、ほんとうのことが書かれています。すきな人のものなら、なんでも美しく見え、すきな人は、みんなりこうに見えるものです。
[もうひとつ]
うまれつき美しい顔だちでも、また、どんなにおつくりしてもかなわないようないきいきした顔色でも、すべてそうした自然にそなわった美しさは、愛情がみつけだした、ほかの人には見えないただひとつの魅力ほどには、人の心をうごかさないものです。
おやゆび小僧
むかしあるところに、木こりと、そのおかみさんとのあいだに、七人の男の子がいました。いちばん上の子はまだ十歳で、いちばん下の子は、七歳にしかなっていませんでした。わずかな年月のあいだに、こんなにも子どもがいるなんてと、びっくりするかもしれませんが、それはおかみさんが、せっせと、一度にふたりずつ子どもを産んだからです。
木こり夫婦は、ひじょうにびんぼうでした。それに、七人も子どもがいては、いっそう生活がたいへんでした。子どもたちは、まだ自分ではたらけなかったからです。
もうひとつ木こり夫婦が心をいためていたことは、いちばん下の子がひじょうにからだが弱くて、口をきかなかったことです。だまっているのは知恵のあるしるしなのですが、それをあたまがたりないと思っていたのでした。
その子はたいへん小さくて、生まれたときにはおやゆびぐらいの大きさしかありませんでしたから、みんなからおやゆび小僧と呼ばれていました。
かわいそうなこの子は、うちじゅうの者からいじわるをされ、からかわれていました。そしていつも、いじめられていました。でも、ほんとうはこの子は、兄弟たちの中でもっともりこうで、なんでもよく気がつく子でした。めったに口をききませんでしたが、ひとのいうことは、よく聞いていました。
とても苦しい年が、やってきました。たべてゆくことができなくなったので、木こり夫婦は、子どもたちをすててしまおうと決心しました。
ある晩のこと、子どもたちが寝てしまうと、木こりはおかみさんといっしょに火のそばにいましたが、悲しくて、胸をしめつけられる思いで、こういいました。
「おまえもわかっているだろうが、わたしたちは、もう子どもをやしなってゆけない。目のまえで、子どもたちがうえ死するのを見てはいられないから、あした子どもたちを森の中にすてに行こうときめたよ。これなら、なんでもなくできるだろう。子どもたちがおもしろがってまきの山をつくっているあいだに、そっと、気づかれないうちににげてくればいいんだから」
「まあ、おまえさんは、自分の子をすてに行くなんて、よくそんなことができるものですね!」と、おかみさんはいいました。
こんなにびんぼうでは、そうするよりしかたがないと、いくら木こりがいっても、おかみさんは、子どもをすてるのに賛成しませんでした。いくらびんぼうしていても、やっぱりお母さんはお母さんです。
でも、子どもたちがたべものがなくなって死んでゆくのを見るのは、どんなにつらかろうと思うと、とうとう子どもをすてる気になりました。そして泣きながら、お母さんは寝に行きました。
おやゆび小僧は、お父さんとお母さんとが話しているのを、すっかり聞いてしまいました。ベッドの中で、ふたりが家計のことを話しているのを聞いたので、そっと起きだして、お父さんのまるいすの下にはいりこみ、だれにも見られずに、話を聞いてしまったのです。
おやゆび小僧は、またベッドにもどりましたが、ひと晩じゅう眠らずに、どうしたらいいかと考えました。そして朝になると、早く起きて、小川のへりに行き、白い小石をポケットにいっぱいつめて、家に帰ってきました。さて、みんなで出かけましたが、おやゆび小僧は、自分の知っていることを兄さんたちには、なにひとついいませんでした。
みんなは、木のおいしげった森の中に、はいって行きました。十歩もはなれると、おたがいにわからなくなってしまうほど、木がしげっていたのです。木こりは、木を切りはじめました。子どもたちは、小枝をひろって、まきのたばを作りました。
お父さんとお母さんは、子どもたちがいっしょうけんめいにはたらいているのを見ると、そっと子どもたちのそばをはなれて、それからきゅうに、近道にはいり、にげて行きました。
子どもたちは、自分たちだけになったのを見て、ありったけの声をだして、泣きさけびました。おやゆび小僧は、いくらみんなが泣きさけんでも、平気でした。どうやって家へ帰れるか、知っていたからです。というのは、ここへ来るまで歩きながら、ポケットに入れておいた白い小石を、道に落としてきたからでした。そこで、おやゆび小僧は、兄さんたちにいいました。
「兄さんたち、こわがることはありませんよ。お父さんやお母さんは、ぼくたちをここへのこして行っちまったけれども、ぼくが、家につれてってあげますよ。ただ、ぼくのあとについてくれば、いいんです」
兄さんたちは、おやゆび小僧のあとについて行きました。みんなはきたときと同じ森の中の道を通って、家に帰って行きました。みんなは、すぐに家の中にはいろうとはしませんでした。入口の外に立って、お父さんやお母さんがどんなことをいっているかと、聞くことにしました。
木こりと木こりのおかみさんが家に帰ったとき、ちょうどそこへ村の殿さまがだいぶまえに木こり夫婦から借りた五十フランのおかねを返しにきてくれました。そのおかねは、もう返してもらえないものだと、あきらめていたのです。うえ死にしそうだった木こり夫婦は、このおかねをもらったので生きかえったような気になりました。
木こりはすぐにおかみさんを、肉屋に行かせました。もうだいぶ長いあいだ何もたべていなかったので、おかみさんはふたりで夕飯にたべる三倍もの肉を買ってきました。そして、ふたりともおなかがいっぱいになると、木こりのおかみさんは、こういいました。
「ああ、わたしたちのかわいそうな子どもたちは、いまごろどうしているでしょうか? こんなにごちそうがあまっているくらいなんだから、子どもたちもおなかがいっぱいになったろうにね。だけど、ギヨーム」と、おかみさんは、ご主人に、またいいました。
「あんたが、すててこようといったのよ。あたしは、きっと後悔するだろうと、あんなにいったのに。いまごろ、森の中で、子どもたちはどうしているかしら? ああ、神さま、きっと、おおかみにたべられてしまったにちがいありませんわ! 子どもをすてるなんて、あんたはほんとうに人情がない人だわ」
木こりは、とうとういらいらしてきました。なにしろ二十回以上も、おかみさんが、きっと後悔するだろうといったのにと、くりかえしていったからです。木こりは、だまらないとなぐるぞといって、おどかしました。たぶん木こりは、おかみさんよりももっと悲しかったのでしょうが、あんまりおかみさんにいわれたので、あたまにきたのでしょう。だいたい男っていうものはそういうもので、正しいことをいう女のひとはたいへんすきなくせに、あまりしつっこく正しいことばかりいう女は、うるさくてやりきれないものなのです。
おかみさんは、なみだにくれながら、いいました。
「ああ、いまごろ子どもたちは、どうしているのでしょう、かわいそうな子どもたち!」
おかみさんがもう一度、大きな声でこういいましたので、入口の外にいた子どもたちにも聞こえました。子どもたちは、いっせいにさけびました。
「ここにいるよ、ここにいるよ!」
おかみさんは走りよって、戸をあけ、子どもたちをだきしめて、こういいました。
「ああ、おまえたちに会えて、ほんとうによかったよ! ずいぶんくたびれたろうね、おなかもすいたろう! まあ、ピエロ、どろだらけだね、さあ、あらってあげよう」ピエロという子は長男で、自分がちょっと赤毛なのに、この子もすこし赤毛なので、おかみさんは、いちばんかわいがっていたのです。
子どもたちはテーブルについて、むちゅうになってたべました。それを見てお父さんもお母さんも、大よろこびでした。子どもたちは、ほとんどみんなが口をそろえて、森の中でどんなにこわかったかといいました。
木こり夫婦は、子どもたちが帰ってきたことをたいへんよろこんでいましたが、そのよろこびは、五十フランがあるだけしかつづきませんでした。けれども、そのおかねがなくなってしまうと、また、まえと同じような悲しいことになりました。木こりたちは、また子どもをすてることにきめ、こんどはやりそこなわないように、まえよりもずっと遠くにつれてゆくことにしました。
木こり夫婦は、ごくこっそりと話し合ったつもりですが、やはりおやゆび小僧に聞かれてしまいました。おやゆび小僧は、このまえやったと同じように、うまくやるつもりでした。しかし、小石をひろいに行こうと思って、朝早く起きたのですが、目的をたっすることはできませんでした。家の戸口が、げんじゅうに閉めてあったからです。
どうしようかと考えていますと、お母さんが朝食のために、パンをひとつずつ子どもたちにくれましたので、パンを小石のかわりに使おうと、思いたちました。パンをちぎって、通る道へ落としていけばいいと、思ったのです。そこでおやゆび小僧は、パンをポケットの中に、そっと入れました。
お父さんとお母さんは子どもたちを、木がおいしげっているうすぐらい森の中のほうにつれて行きました。そして、そこまで行くと、子どもたちをおきざりにして、べつの道からにげ帰りました。
おやゆび小僧は、それほど心配しませんでした。通ってきた道にパンくずをまいておいたので、なんでもなく家に帰れるだろうと思ったからです。ですから、パンくずをひとつもみつけられなかったときには、ひどくおどろきました。小鳥が、みんなたべてしまったのです。
さあ、ほんとうにこまりました。歩けば歩くほど道がわからなくなり、森の奥のほうへはいってしまうのです。夜になり、風がはげしくなりました。子どもたちは、すっかりおびえてしまいました。まわりじゅうからおおかみの声が聞こえてくるように思われ、いまにも自分たちをたべにやってくると、思われたのです。
子どもたちは、もうほとんどおたがいに口をききあわないし、うしろをふりかえって見ようともしませんでした。そのうちに大つぶの雨がふってきて、みんな、びしょぬれになりました。歩くたびにすべり、どろんこ道にころんだりして、どろだらけになって起きあがっても、手でふくこともできませんでした。
おやゆび小僧は、ひとつの木の上のほうによじのぼって、なにか見えやしまいかと、四ほう八ぽうを見まわしますと、はるか森のかなたに、ろうそくの光のようなあかりが、ちらりと見えました。木から地面におりてしまえば、もうなにも見えません。おやゆび小僧は、がっかりしました。けれども、兄さんたちといっしょに、いま見たその光の方向にむかってしばらく歩きますと、森を出たところで、またあかりを見ました。
子どもたちはやっと、ろうそくのついているその家まできました。ここへ来るまで、谷間へおりるとあかりが見えなくなるので、ずいぶん心配しました。戸をたたくと、ひとりの女のひとが、戸をあけてくれました。
「なんの用だね?」と、きかれたので、おやゆび小僧は、こういいました。
「森の中で道にまよったんです。どうか、かわいそうだと思って、とめてください」
女のひとは、かわいらしい子どもたちを見わたしてから、なみだを流していいました。
「まあ、かわいそうに! ここをどこだと思ってるの? 子どもたちをたべてしまう人食いの家なんですよ」
「ああ、おばさん、ぼくたちは、どうしたらいいんでしょう?」と、おやゆび小僧は、兄さんたちと同じように、ぶるぶるふるえながらこたえました。「もし、ここにとめてもらえなければ、ぼくたちはきっと今夜、森のおおかみにたべられてしまうでしょう。ですから、どうせたべられちまうなら、ここのおじさんにたべられたほうが、まだいいです。それに、おばさんがよくたのんでくれたら、ひょっとして、おじさんがぼくたちをかわいそうに思ってくれるかもしれない……」
人食いのおかみさんは、あしたの朝まで子どもたちを夫にわからないようにかくしておけるかもしれないと思い、子どもたちを家の中に入れて、もえている火のそばであたためてやりました。ちょうどおかみさんは、人食いの晩ごはんのために、羊を一匹まるやきにしていたところだったのです。
子どもたちがようやくあたたまったときに、入口の戸をつよくたたく音が、三つ四つしました。人食いが、帰ってきたのです。おかみさんはいそいで子どもたちをベッドの下にかくしておいて、戸をあけに行きました。
人食いはまず、晩ごはんのしたくはできているか、ぶどう酒は用意してあるかときいて、すぐにテーブルにつきました。羊の肉にはまだ血がたれていましたが、人食いには、そのほうがよかったようでした。人食いは、はなをくんくんならして左右を見まわしてから、あたらしい肉のにおいがするといいました。
「それはきっと、さっき切っておいた小牛のにおいですよ」と、おかみさんがいいました。
人食いは、横目でじろりとおかみさんをにらんで、またいいました。
「あたらしい肉のにおいがする。よくはわからないが、たしかに何かがここにいる」
そういいながら人食いは、テーブルを立って、まっすぐにべッドのほうにきました。
「そら、どうだい、おれをだまそうとしやがって、このくそばばあめ! おれが貴様《きさま》をとって食わねえのを、ありがたく思いな。もっとも、おいぼればばあじゃ、うまくねえがな。こいつぁ、おあつらいむきだ。二、三日すると、なかまが三人うちにやってくるから、ちょうどいいごちそうになる」
人食いは、子どもをひとりずつ、ベッドの下からひきずりだしました。かわいそうな子どもたちはひざまずいて、ゆるしてくれとたのみました。けれども、相手の男は、人食いの中でも、もっともむごい男でした。ですから、子どもたちをかわいそうに思うどころか、いますぐにも子どもたちをたべてしまいたいといった目つきをしながら、おかみさんに、こういいました。
「おまえが作ってくれるうめえソースをかけてたべたら、こたえられないだろうな」
人食いは大きなほうちょうを取ってきて、かわいそうな子どもたちのそばに行き、左手に良いといしを持って、ほうちょうをとぎました。そしていきなり、ひとりの子の手首をつかみました。いそいで、おかみさんがいいました。
「こんな時間に、どうしてそんなことを? あしたの朝、ゆっくりできるじゃありませんか?」
「だまってろ。肉があんまりあたらしいと固いからな」と、人食いは、いいかえしました。
「でも、まだ、たくさん肉があるじゃありませんか。子羊が一匹に、羊が二頭、ぶたが半分ありますわ!」
人食いは、いいました。
「おめえのいうとおりにしよう。こいつらにたくさん食わしておけ。やせちまわないようにな。めしがすんだら、ねかしてやれ」
おかみさんは大よろこびで、晩ごはんを、たっぷり子どもたちのところへはこんできました。けれども子どもたちは、こわくて、こわくて、たべるどころではありませんでした。人食いのほうは、友だちにこんなすばらしいごちそうをしてやれるので、すっかりいい気持ちになって、またお酒をのみはじめました。そして、いつもより十二はいもよけいにのんだために、かなりよっぱらいましたので、とうとう寝にゆきました。
人食いには、娘が七人いましたが、まだ子どもでした。この小さな人食い娘たちは、たいへんいい色つやをしていました。それは、父親と同じように、なま肉をたべていたからです。でも、目は灰色でまんまるく、はなはかぎばなで、口はばかに大きく、その口には、それぞれはなればなれの長くてするどい歯がはえていました。まだ、それほどわるいことはしませんが、大きくなったら何をするかわかりません。なぜなら、もうすでに、小さな子どもにかみついて、いき血をすっているのですから。
娘たちは、早くから寝ていました。七人とも、ひとつの大きなベッドに寝ていましたが、あたまには、みんな金のかんむりをかぶっていました。おなじ部屋に、もうひとつ、おなじ大きさのベッドがおいてありました。人食いのおかみさんは、そこへ七人の男の子を寝かせました。そうしてから、自分は夫のそばへ行って寝ました。
おやゆび小僧は、人食いの娘たちが金のかんむりをかぶっているのに気がつきました。そしてまた、人食いが晩のうちに自分たちをころしてしまわなかったことを残念がりはしまいかと思ったのです。
そこで、おやゆび小僧はま夜中になると起きあがって、兄さんたちと自分のナイト・キャップをとると、人食いの娘たちがかぶっていた金のかんむりをそっととって、そのあとにかぶせ、その金のかんむりを兄さんたちのあたまにのせて、自分もかぶりました。
こうしておけば、人食いは、男の子たちを自分の娘たちだと思い、娘たちを男の子たちだと思ってころすだろうと、そう考えたのでした。ほんとうに、そうなったのです。
人食いはま夜中になって目をさましましたが、晩のうちにしておけばよかったことをあしたの朝にのばしたことをくやしがり、ベッドからとびおりると、大きなほうちょうを手に持ちました。
「あのちびどもがどうしているか、見てこよう。ひと思いにやっちまおう」
そういって人食いは、手さぐりで、娘の部屋にはいって行きました。そして男の子たちの寝ているベッドに近づき、兄さんたちの頭にも、おやゆび小僧のあたまにもさわりました。兄さんたちは眠っていたからいいですが、おやゆび小僧だけは目をさましていたので、びくりとしました。人食いが手にふれたのは、金のかんむりだったのです。
「こりゃ、とんでもないことをするところだった。きのうの晩は、すこしのみすぎたわい」
そういって人食いの男は、こんどは自分の娘たちのベッドのほうへ行きました。そして男の子のナイト・キャップにさわってみました。
「さあ、ここに男の子たちがいたぞ。ひと思いにやっちまえ」
そういって人食いは、七人の娘たちの首をかききってしまいました。そして、仕事をてっとりばやく片づけたことに大いに満足して、またおかみさんのそばに行って、寝てしまいました。
おやゆび小僧は、人食いのいびきが聞こえてくると、兄さんたちをゆりおこし、いそいで服をきていっしょについてくるようにといいました。みんなは、そっと庭の中におり立って、へいをのりこえました。
おやゆび小僧たちは、ほとんど一晩じゅう、ずっとぶるぶるふるえながら走っていました。どこへむかっているのかも、わからなかったのです。
朝になって目をさました人食いは、おかみさんにいいました。
「さあ、二階へ行って、ゆうべのちびのしたくをしてこい」
人食いが「したくをしてこい」といったのは、「たべられるようにしたくをしてこい」といったわけなのですが、それをおかみさんは、「服を着せてやれ」という意味にとって、これはずいぶん親切なことをいうものだとおどろきながら、二階へあがって行きました。
おかみさんはそこに、七人の自分の娘が首を切られて、血の海の中によこたわっているのを見ると、おどろきのあまり、気が遠くなってしまいました。(女のひとは、こういうめにあうと、たいていこういうことになるのです)。人食いは、おかみさんがいいつけた仕事をするのにあまり時間がかかるので、自分も手つだおうと、二階にあがってきました。
人食いは、そのおそろしい光景を見て、おかみさんと同様にびっくりしました。
「ああ! おれは、なんということをしたんだ。あのろくでなしめに、思いしらしてやるぞ! いま、すぐにだ!」
人食いは、水をいっぱい、おかみさんのはなにぶっかけました。そして、おかみさんが息を吹きかえすと、こういいました。
「すぐ、七里の長ぐつを持ってきてくれ。あいつらをつかまえに行くからな」
人食いは、出発しました。まず、あっちこっちと、かなり遠くまで歩きまわってから、かわいそうな子どもたちが歩いている道にはいりました。
子どもたちは、あと百歩も歩けばお父さんの家につけるというところまできていたのですが、人食いが、山から山へとひとまたぎで、川をまるで小さな流れのようにとびこえて、こっちへ来るのを見たのでした。おやゆび小僧は、自分たちがいたすぐわきに、中ががらんどうな大きな岩があったので、そこへ兄さんたちを押しこみ、自分も中にはいって、人食いがどういうことをするか、ずっと見つづけていました。
人食いは、ずいぶん長いあいだ子どもたちをさがしまわったのに見つからず、なにしろ七里のくつをはいているとたいへんつかれるものですから、ひとやすみしようと思いました。そして、ちょうどそこにあった、子どもたちのかくれている岩の上に、こしをおろしました。ところが、なにしろつかれているものですから、こしかけたかと思うと、うとうととしてきて、まもなく大いびきをかいて寝こんでしまいました。
人食いの大いびきを聞いて子どもたちは、ゆうべ大きなほうちょうで首を切られようとしたときと同じようにふるえあがっていましたが、おやゆび小僧だけはそれほどこわがらずに、兄さんたちにむかって、人食いがぐっすり寝こんでいるうちに早く家に帰るように、自分のことは心配せずに大いそぎでにげてくれといいました。そこで兄さんたちは、いわれたとおりに、いそいで家に帰って行きました。
おやゆび小僧は、人食いに近づいて、そっと長ぐつをぬがせると、自分がその長ぐつをはきました。たいへんに大きくて、はばもある長ぐつでしたが、魔法がかかっている長ぐつでしたので、はく人によって大きくなったり、ちいさくなったりしました。ですから、おやゆび小僧がはくと、まるで注文して作らせたくつのように、ぴったり足にあいました。
おやゆび小僧はまっすぐに、人食いの家へ行きました。そこではおかみさんが、首を切られた娘たちのそばで、泣いていました。おやゆび小僧は、おかみさんにむかって、こういいました。
「ご主人が、たいへんです。どろぼうのなかまにつかまっちまったんで。どろぼうたちは、おたくの金貨や銀貨をみんなわたさなけりゃ、ころしてしまうぞというのです。ちょうど、どろぼうたちが、ご主人ののど首にあいくちを突きつけていたときに、ぼくがそこにいたもんですから、ご主人はぼくに、こんなめにあっていることをおかみさんに話してくれとたのんだのです。うちにあるかねめのものを、ひとつのこらず、ぼくにわたすようにって。でなけりゃ、ころされてしまうからって、そういってくれというんです。そこで、なにしろいそぐものだから、七里の長ぐつをはいて行くようにって、それに、これをはいて行けば、おまえがかたり者でないことが女房にわかるからって、おっしゃったんです」
おかみさんはたいへんびっくりして、もっているものをみんな、すぐに、おやゆび小僧にわたしました。というのは、この人食いは、子どもをとってたべるような男でしたが、おかみさんにとっては、なかなかいいご主人だったのです。
こうしておやゆび小僧は、人食い男の財産をすっかり手に入れて、お父さんの家に帰ってきました。うちではみんな大よろこびで、おやゆび小僧をむかえました。
このおしまいのところは、すこしちがっているという人が、たくさんいます。それらの人たちのいうのには、おやゆび小僧は人食い男の財産をとるようなことなどはしなかったというのです。ただ、人食い男は七里の長ぐつをはいて、小さな子どもたちをつかまえようとしていたのだから、おやゆび小僧が七里の長ぐつをとることはかまわないというのです。
そういうことをいう人たちは、その話をたしかな人から聞いたといっていますし、おやゆび小僧のお父さんのところへ行って、飲み食いして、つぎのようなことを聞いたともいっています。
それによると、おやゆび小僧は、人食い男のくつをはいて、宮殿へ行ったのです。王さまは八百キロほどはなれた遠いところへ軍隊を送って戦争をしていたのですが、勝敗の結果がわからなくて、たいへん困っていることを、おやゆび小僧はよく知っていたのです。そこでおやゆび小僧は王さまにおめにかかって、もしおのぞみでしたら、きょうじゅうに、軍隊のようすをおしらせしましょうといいました。王さまは、そうしてくれたら、たくさんおかねをあたえると、お約束になりました。
おやゆび小僧は、その日の夕方に、しらせをもって帰ってきました。このはじめてのお使いで、おやゆび小僧の名は知れわたり、ほしいだけのおかねが手にはいりました。というのは、王さまは軍隊に命令をおつたえできたので、たくさんおかねをくださいましたし、たくさんのご婦人がたも、戦地の恋人たちのようすを知ることができましたので、ごほうびをたくさんくださったからです。
それからまた、夫に手紙をとどけてくれというご夫人もいました。そのような夫人のなかには、たいしておだちんをくれない人もありましたが、そんなわずかなおかねは、まったくもうけのなかにはいりませんでした。
こんなふうに、おやゆび小僧は、しばらくのあいだお使いをしておかねをためてから、お父さんの家に帰ってきました。みんながおやゆび小僧の顔を見てどんなによろこんだかは、とても考えられないくらいでした。
おやゆび小僧は、家じゅうの者を、安楽にくらしていけるようにしました。お父さんや兄さんたちに、あたらしくできたいい地位を手に入れてあげたのです。そして、みんなりっばになって、よく宮廷におつかえしました。
[寓意]
子どもたちがみんな美しくて、りっぱで大きく、ようすがよかったら、いくら子どもがたくさんいても、こまりません。ところが、その中のひとりが弱かったり、口をきかなかったりすると、みんなはその子をばかにして、からかったり、いじめたりするものです。けれども、ときには、その小さなみにくい子が、一家の者をみんな幸福にすることもあるのです。
グリゼリーディス
名高い山々のふもとにポー河が
あしの茂みの下からこんこんとわきでる、
その新しいきれいな水の流れは
近くの野原の中へそそがれる、
そのような肥沃《ひよく》な地方に、
ひとりのわかくて勇ましい王子がいた。
神はこの王子にあたえたもうた、
偉大な王のみがもつ性格と、
ほかの王子とはまたちがった、
たいへんめずらしい性格とを。
神はまたあたえたもうた、
すぐれた心身と、あらゆる才能を、
たくましさと器用さを、さらに戦場での駆け引きを、
そして生まれつきの秘められた天分により、
王子は熱心な芸術の愛好者でもあった。
王子は戦闘を愛し、勝利を好み、
大きな望みを抱き、勇ましいことを望んだ、
そして史上に美しい名をとどめたいものと願った。
だがその大きく優しい心は、
ひたすら人民の幸福をねがう
大地に根をおろした栄誉にも、
けっして無関心ではなかった。
そのような雄々《おお》しい気質は
心を苦しめ沈みがちにする。
王子は暗いふさぎの虫に心をくもらせられ、
心の奥ふかくにしまいこまれていたものは
すべての女性がもつ不実と偽りの心。
たとえまれに見る才たけた女であったとしても、
王子はそこに偽りの心を感じ、
いい気になった倣慢《ごうまん》さを見た、
男を絶対におさえつけようとする無慈悲な心が、
たえず不幸な男を思うままにしようとするのを見た。
この世には尻にしかれた夫と、
裏切られた夫としかいないと見る考えは、
この地方特有の嫉妬《しっと》ぶかい風習とむすびついて、
王子の心にますます憎しみをかりたてた。
そこで王子は一再ならず誓いをたてた、
たとえ神から送られた
リュクレースのような心やさしい女であろうと、
断じて結婚はすまいということを。
かくて王子は朝のうちはまつりごとを治め、
この国の仕合わせのためにと
賢明にも諸事万端に意をくばった。
かよわい孤児や、しいたげられた寡婦《かふ》には
生きるすべをあたえ、
しかけられた戦争のための課税を免じた。
そして王子は残りの半日を
狩りについやしていた。
王子にとっては熊《くま》であれ、いのししであれ、
いかに猛《たけ》り立ち、いかに強かろうとも、
彼がなおも避けつづけている美しい女よりは、
はるかに気やすかった。
そうこうするうちに家臣どものあいだに、
世継ぎを得たいとの切なる望みがおこった。
王子と同じく、やさしい心で国を治めてくれる
子宝をあたえたまえと、
ひたすらに願った。
ある日のこと、一同宮殿につどい、
王子に結婚をすすめるための最後の努力がなされた。
一人の男は悲痛な面持《おももち》で、
「いかにしてもこればかりは」と、
家臣らの切なる望みを
最善を尽して述べ立てた。
国がいよいよさかんに栄えるには
どうしても血統正しい子孫が得たい、
あの仇敵《きゅうてき》トルコ人を顔色なからしむるためにも
純潔な結婚によるりっぱな世継ぎを仰ぎたいと、
男はこういって言葉をおえた。
王子は言葉すくなく声をおとして、
家臣にこうこたえた。
「予の世継ぎを見たいとか、
切なるそちらの願いはうれしい。
その言葉すべては、
予にたいする愛情のしからしむるところ、
予はいたく感動した、
明日《あす》にも早々そちらの意にそうように致そう。
だが結婚とは重大なことゆえ、
慎重であればあるほど心きまらぬものなのじゃ。
よくよく若き娘らを見よ、
なるほど娘らは家にあるかぎり、
有徳であり、善良そのものである、
羞恥《しゅうち》の心を知り、誠実でもある。
だが、ひとたび結婚すると
女はとたんに偽りの仮面を脱ぎすてる、
いったん運命がきまったとなると
女はもはやおとなしくはしていない、
いままで演じていた役柄をかなぐり捨て
なんらのためらいも見せずに、
家の中で思うがままにふるまう。
ある女はとたんに仏頂面《ぶっちょうづら》となり、
さもさも信心家ぶって、
人を楽しませようとはしなくなる、
金切り声を張りあげて、ぶつぶつ言っているばかり。
ある女は思わせぶりにしなを作り、
金棒《かなぼう》ひいてはべちゃべちゃとしゃべりまくる、
べつに男がたくさんあるというでもないのに。
またある女は美術に打ちこんで、
高慢ちきな鼻をぴくぴくさせ、
さもしたり顔に、
高名な作者をえらそうに批評する。
また他の女は賭けごとにうつつをぬかし、
金銭も宝石も指輪も、
高価な家具や衣服さえも無くしてしまう。
女がたどる道はこのようにいろいろだが、
たったひとつ予が信じて疑わないものは
女の命令欲求なのだ。
だが、ふたりで命令しあえるものではない、
だから予の意見では、結婚すれば、
人はけっして幸福に生きてはいけないのだ。
それでおまえたちが予に結婚を望むというなら、
わかくて美しく、
おごることなく虚栄心もない、
ただもう従順で忍耐づよく、
そして自分の意志などもたない、
そんな女をさがしてほしい。
そういう女がいたら予は結婚しよう」
王子はこんなお説教めいたことを言い終えると、
とつぜんひらりと馬にまたがり、
原っぱで待ち受けている猟犬の群れをめがけて、
息せききって駆けつける。
野を越え畑を越えて駆けつけてみれば、
勢子《せこ》たちは青草の上に寝そべっていたが、
主人の姿を見るや、がばと立ちあがり、
吹き鳴らす角笛《つのぶえ》は森のけものを震えあがらせ、
犬めらはほえながら駆けあつまる。
あちこちのわらぶき家《や》のあいだからは、
ブラッドハウンド猟犬が目を光らせている。
それらを引きつれた
たくましい従者たちは、
野獣の隠れ場からそれぞれの持ち場へ帰りくる。
用意万端ととのい出かけるばかりだと、
従者のひとりに教えられて、
王子はただちに狩りの開始を告げた。
鹿《しか》の肉を犬めにあたえる、
角笛《つのぶえ》の音《ね》はひびきわたり、
馬のいななきは空高くひびき、
活気づいた犬めらの鋭いほえ声は、
喧騒《けんそう》とざわめきで森じゅうを満たし、
山びこがなおいっそうそれらの騒ぎを高め、
その騒ぎに送られて王子は森の奥に入りこむ。
運命のいたずらか、はたまた偶然からか、
王子は脇道に入りこんだ。
狩猟の供はだれひとり従《つ》いてこない、
走れば走るほどひとり離れゆき、
とうとう道に迷ってしまった。
もはや犬の遠ぼえも角笛も聞こえない。
ふしぎなめぐり合わせで行きついた場所は、
みどり濃い、明るい小川のほとり、
そこへきた者になんとなく恐怖を吹きこむが、
そこはまた純真で飾りげのない自然に包まれていて、
それほど美しい純潔なすがたを見せている。
王子は道に迷ったことを心からよろこぶ。
森の茂み、水の流れ、草原のさなかで、
あまい夢にゆすぶられていたとき、
とつぜん王子の心と眼《まなこ》は、
かつてこの世で見たこともないほどの、
たいへんやさしくて、かわいらしい、
たいへん好ましい美女のすがたに打たれた。
それは羊の群れを追いながら、
小川のほとりを進んできた、
羊飼いの娘だった、
しとやかな手つきで、
つむ(むかし糸の手つむぎに用いた)を巧みにぐるぐるまわしながら。
娘は最も荒々しい心の持ち主も征服したであろう。
その顔は白ゆりに似て白く、
生まれたときからの清らかさを、
森の木蔭でずっと保っていた。
口は幼児のままのあどけなさをもち、
眼《まなこ》はとび色のまぶたでやわらげられ、
大空よりもさらにいっそう青く、
明るく輝いていた。
王子は夢中になって森の中にとびこむと、
心を魅了したその美しい女に見とれた。
ところで、王子が立てたその物音に、
はっとして美女の眼はそのほうに向けられた。
娘は自分が見られていると知ると、
その顔はさっととき色に染まり、
美しさはなおいっそう輝きをました、
顔いっぱいにひろがったその輝きは、
恥じらいにまして美しかった。
そのかわいらしい恥じらいのベールの下に
王子は娘の単純な、やさしい気持ち、
そのまじめな心を見てとった。
それらはいままでの女性のもっていなかったもので、
王子はそこに女性の美を見いだした。
いままで知らなかった恐怖にとらえられて、
王子は娘よりも臆病《おくびょう》になり、どぎまぎして近づいた。
そして声をふるわせてたずねた。
狩りするなかまからひとり道に迷ったこと、
森のどこかで狩りがおこなわれていないかと、
王子は羊飼いの娘にたずねた。
「このような人けのないところに見えたのは、
殿さま、あなたさまだけです。
けれどもご心配なさいますな、
わたくしがごぞんじの道までご案内申しあげます」
「このうれしいめぐり合いを神のお恵みと、
お礼の言葉もないが」と、王子はいった。
「いままでなんどもこの付近にきているのに、
こんなにすばらしいところがあったとは、
今の今まで知らなかった」
このとき娘は、小川のほとりの湿地の上に、
王子が身をかがめるのを見た、
はげしい渇きにたえられなくて、
流れで渇きをいやすために。
「お殿さま、しばらくお待ちを」
娘はそう叫ぶと、小屋めがけて走り去った。
やがて喜びに目を輝かし、いとしとやかに、
娘は新しい恋人へ茶碗《ちゃわん》を持ってきた。
綿密な細工が入念にほどこされ、
ところどころに黄金がきらめいている、
色つきクリスタルの貴重な器の
意味のない派手《はで》な美しさにしても、
羊飼いの女が持ちきたった
この粘土製の器ほどの美しさを
王子には与えなかったであろう。
だが王子を町へとみちびく、
たやすい道へ出るには
森をよこぎり、切り立った岩をよじ登り、
急流をよこぎらねばならなかった。
王子は新しい道へはいるとき、
また来るときを考えて、
付近に気をくばり心にとめた。
愛の神は巧妙にも、
地図を忠実に頭の中に叩きこんでくれた。
生い茂った枝葉の下の、
うす暗く、涼しげな森の中に
羊飼いの女は王子をみちびいた。
やがてはるか彼方《かなた》の平原の中に、
宮殿の金色の屋根が見えた。
王子は美しい娘との別れに、
心の痛みをはげしく感じながら、
ゆっくりした足どりで立ち去った、
心を射抜かれた矢の傷跡の
そのあまい思い出にゆすぶられながら。
だがその翌日から傷の痛みはさらにはげしく、
悲しみと嘆きにあけくれた。
王子は巧みに獲物を追うことで、
なんとか気をまぎらそうと、
また狩猟に立ちもどった。
だが、そうはいうものの、
王子は高い頂きに登り木によじ登って、
注意ぶかく観察した。
そして恋心のひそかな願いが、
いくつもの道から例の抜け道を見つけてくれた。
その道をたどってついに、
王子はまた羊飼いの娘の家に行った。
女は父親とだけのふたりぐらしで、
グリゼリーディスという名だった。
ふたりは牝羊《めひつじ》の乳をしぼり、
ひっそりとくらしていた。
羊の毛をグリゼリーディスがつむぎ、
だれの援助も受けずに、
親子ふたりでその日を送っていた。
娘を見れば見るほど王子の心はもえた。
王子はその心の美しさにつよくひかれ、
娘の中に持って生まれた貴重な才能を見た。
なんとこの羊飼いの娘は美しいのかと、
王子は女の才知のひらめきを、
心にはげしく感じとった。
王子は首尾よく初恋を得て、
大きなよろこびにひたりながら、
すぐその日に家臣をあつめると、
このように申しわたした。
「さて結婚のことについては、
おまえたちの願いをかなえることにしよう。
予は外国からは妻を迎えまい
おまえたちのあいだから、美しくて賢く、
祖先がいままでにそうしたように、
素姓正しいものをえらびたい。
だれをえらぶか知らせるまでその日を待つように」
その言葉が知れわたると
迅速にひろまっていった。
国民がどんなによろこんだかは申すまでもなく、
どこでもこの話でもちきりだった。
中でも最も満足したのは過日弁じ立てた男で、
自分の熱弁が王子の心を動かしたと思い、
自分が重大な役割を果たしたことに気をよくして、
「雄弁にまさるものなし」と、
しきりに宮廷内でいいふらしていた。
見ものは町の美女たちの
むだな努力だった。
王子さまの気に入ろう、そのめがねに叶《かな》うようにと、
王子さまがなんどもおっしゃったように
操《みさお》正しくつつましやかなのが、
なににもまして魅力があると言いあって。
女たちは衣服や態度をすっかり変えた、
信心家ぶって咳《せき》をしたり、
声をやわらげてものをいい、
帽子を十五センチほどもひき下げて、
胸をおおい袖を長めにだして
指先がちょっと見えるぐらいにしたりした。
近づく結婚の日のために、
町の中は大さわぎ。
だれもかれもがいそがしく、
こちらでは大きな馬車が作られ、
あちこちに光っている金ぴかは
それほどたいした飾りではないが、
最新式型の、たいへんきれいで
工夫をこらした馬車が作られた。
あちらでは障害物なしに、
容易に豪奢《ごうしゃ》な光景をのこらず見られるようにと、
長いさじきを作り、
こちらでは大きな凱旋門《がいせんもん》が、
勇士である王子が愛に打ち勝った
戦勝をことほぐために立てられた。
あちらでは巧みに仕かけられた花火が、
罪もない音を立てて地面をおどろかせ、
たくさんの星を空にちりばめようとしていた。
あそこでは上手《じょうず》なバレー団が
気持ちのいい乱舞をしようと相談し合っていた。
そしてここでは神がみのつどいたもう
イタリアでさえも演じられなかったほどのオペラが
美しい曲を奏でようとしていた。
いよいよ、みんなに知れわたった結婚式の
その日がやってきた
晴れわたった清らかな大空の上に、
青空に黄金色をまぜ合わせて
あかつきが目ざめると
あちこちで女たちが目ざめる。
物見だかい連中が四方八方から集まってくる。
衛兵たちが下層民を抑えて、
それぞれの場所に送りこむ。
宮殿中に、らっぱ、ふりゅーと、おーぼえ、
ミューゼット・パイプの音がひびきわたる。
それとタンバリンとトランペットの音しか
このあたりでは聞こえない。
やっと王子が家臣にかこまれて現われた。
よろこびの叫びがいつまでもつづく。
だが人びとのおどろいたことには、
森へはいる最初のまがり道を
王子がいつものようにとったことだ。
「やっぱり愛する気持ちよりも、
毎日のたのしみのほうがいいらしい、
狩りのほうがやっぱりいいんだね」
王子は疾風のように
畑をとばし野原をよこぎり山すそに到ると、
従ってきた家臣のおどろきを尻目に、
森の中にはいった。
いくつかの脇道をすぎたのち、
愛する心のみが知っている道をたどって、
ついに田舎《いなか》ふうの小屋についた。
そこには愛する人たちが住まっていた。
王子の結婚のうわさを聞いたグリゼリーディスは
壮麗なその式典を見たいものと、
身なりをととのえて、
ちょうどそのとき、
小屋から出たところだった。
「そんなに大急ぎで、足どりかるく、どこへ行くんだね?」
娘に近づいて王子はこういった、
やさしく娘をながめながら。
「そんなに急ぐことはないよ、かわいい娘よ
おまえが行こうとしている結婚式の、
新郎はわたしだ、それに
おまえがいなくては式は挙《あ》げられない」
「そうなんだ、わたしはおまえを選んだのだ、
たくさんのわかい娘たちの中から。
おまえと余生をすごすために、
もしおまえがわたしのこの願いを退けないならば」
「まあ、殿さま」と、娘はいった。
「わたしがそのような栄誉を受けるとは信じられませんわ、
あなたは気ばらしがしたいんでしょう」
「いや、いや、そうじゃない、まじめなんだ、
わたしはもう、おまえのおやじに話してある、
(王子は注意ぶかく、もうこのことは父親に話してあった)
だから羊飼いの娘よ、余が望みをかなえてくれ、
もうここまで話しがついているんだから。
わたしたちのあいだには固いきずなが、
永久にむすばれているのだ、
だからおまえもその気になって、
いっしょになると誓ってくれ」
「お誓いしますわ、お約束しますわ」と、娘はいった。
「かりに村のつまらぬ男といっしょになったとしても
わたくしは夫に従うでしょう、
めおとのきずなは甘いでしょうから。
ああ、それなのに! 殿さま、
あなたさまを夫としてえらぶとは!」
王子がこのようにはっきりいったのを聞いて
家臣の者はその選択を誉めたたえた。
王子は王妃らしい装飾で
羊飼いの娘を美しく装おうと、
係りの者を小屋の中にはいらせた。
その男は知識のあらんかぎりをつくし、
技巧をこらして、まめまめしく、
娘の服装を美々《びび》しくかざりたてた。
人で身動きもできない小屋の中で
女たちはひっきりなしに誉めそやした。
どのような技巧によってか、
貧しさは美しさのもとに隠されて
大きなプラタナスの木が涼しげにおおっている
ひなびた小屋は、女たちの目に
ほんとうに美しい住居のように見えた。
やっと、その住居から
はなやかに飾り立てた美しい羊飼いの女は出てきた。
その美しさと美々しい装いに、
賞賛の声がいっせいにおこった。
だがその奇妙な飾り立てた装いを見て、
王子はどんなにか、
あの羊飼いの娘のときの
簡素な装いをおしんだことか!
黄金と象牙《ぞうげ》づくりの大きな車の上に、
羊飼いの女は威儀を正して坐った。
王子も襟《えり》を正して車に乗ったが、
並んで坐《すわ》った恋人というよりも、
勝利を得てがいせんしてゆくような、
栄光のようなものしか感じられなかった。
家臣はそれぞれ順位に従い、
列を作ってそのあとにつづいた。
町じゅうの者がほとんどみな外に出て
付近の野原いっぱいに集まり、
王子のえらんだ相手を見ようと、
帰って来るのをじりじりしながら待っていた。
町と畑がつながったような、その人垣のあいだを
やっと進んでくる車が割れんばかりに、
人びとの喜びの声はながながとひびきわたった。
それで馬はおどろきあわて、
あと足で立つと、足ふみ鳴らし、走り出た、
だが人垣のために前へ出られず、あとずさりするしまつ。
やっと寺院へつくと、
そこで永遠にむすばれる
壮厳な誓いのもとに、
新郎新婦はむすばれた、
そしてふたりは宮殿に行った。
そこではさまざまな楽しみがふたりを待っていた、
ダンス、競技、競馬、騎馬試合が
さまざまの場所で歓声をあげて競《きそ》い合い、
夜ともなれば、ブロンドの婚姻の神が
清らかな甘い言葉でその日を飾った。
あくる日ともなれば、
さまざまな国、さまざまの地方から、
それぞれの高官たちが、
王と王妃とをことほぎに駆けつけた。
グリゼリーディスはまわりの貴夫人にたいし、
すこしも恐れるようなようすを見せずに
王妃として貴夫人らの言葉に耳かたむけ、
王妃としてそれに答えた。
すべてにたいして賢明に処理することのできる
そのような宝を、
神はおしげもなくグリゼリーディスの心と肉体に
与えたもうたように思われた。
心のはたらきとするどい目によって、
グリゼリーディスはすぐにみんなにたいして
それぞれに応じた態度をとった。
王妃は最初の日から貴夫人らの才能や気質に精通し、
良識で判断して、すこしもあわてず、
かつて牝羊をみちびいたように、
なんの苦もなく貴夫人たちをみちびいた。
その年のおわりに近く、
神は婚礼の果実をこの幸福なしとねに与えたもうた。
それは願っていたような王子ではなかったが、
みめうるわしきお姫さまだった。
みんなが、お姫さまの成長をひたすら願った。
王さまも姫のかわいらしさに打たれ、
ときどきその顔を見にきた。
母親はそれ以上のよろこびようで、
しじゅう姫の顔をながめていた。
グリゼリーディスは自分の手で娘をそだてたいと、
「まあ、この子の泣き声がわたくしを求めておりますのに、
母親の務めをまぬがれようとするのは
神への忘恩ではないでしょうか」といった。
「それは自然の道理からいっても、
愛するわが子にたいして、
母親の義務を半分しか尽していないことになりまする」と。
王さまははじめのころの熱した日々にくらべれは
いささか熱がさめたとはいえ、
またよこしまな気質から
全身の血がたぎったとはいえ、
そしてその濃い煙が
気持ちをくもらせ、心をゆがめたとはいえ、
王さまは王妃の行動の中に
誠実さをすこしも見ようとはしないで、
王妃の美徳にかえって傷つけられた。
それは王さまの軽信に張られたわななので、
じじつ王の不安な心、人を信じられない気持ちは、
その耳にするすべてを疑わせ、
王妃のこのうえない幸福を
すべて失わせることによろこびを感じさせた。
王さまは心の中の苦悩を癒やすために、
王妃のあとをつけまわし、
王妃の行動を監視する。
王妃に気がねさすような不安を与え、
おそれさすような心配を与え、
真実と見せかけとがわかるようにしむけて、
王妃の心を乱そうとした。
だが王さまはこう思った。
「こんなことをしていたって予の苦痛はやわらぎはしない、
もしも王妃の貞節がほんものなら、
このようなひどい仕打ちは、
王妃の気持ちをかたくなにするだけだろう」
王は王妃を宮廷内のあらゆる快楽から遠ざけて、
やっと日の光がはいるような部屋に、
ひとり閉じこめた。
女性の装飾品や衣裳は
人をよろこばすために自然が与えた魅力だが、
それを王はじゃけんにも
かつて彼が恋人から王になったときに、
愛のしるしとして王妃に与えた宝石類、
真珠、ルビー、指輪の返還を求めた。
べつにうしろめたいところもなく、
心にかけることといえば、
自分の務めを果たすことしか考えない王妃は、
すこしの動揺も見せずに宝石類を夫に返した。
さも満足そうにそれらを受けとる夫を見て、
それらをもらったときと同じよろこびを
王妃は感じていた。
「静かな安穏《あんのん》な生活ゆえに失くなろうとしている
あたしの貞節を呼びもどそうとして、
夫はあたしを苦しめ、あたしを試しているんだわ、
ただあたしを苦しめようとしているだけなんだわ。
もしもそうでないとしたら、
神があたしに試練を与えたもうているからで、
こんなにいやなことがつづくのは、
あたしの信仰、あたしの忍耐力をお試しになっているのだわ。
数かぎりのない不幸の種が、
さまざまな危険な道を、
思うがままに動きまわっているとき、
いつわりのはかない快楽のあと
神はそのゆるやかな裁きの御手《みて》で、
快楽を断崖のふちまで行くにまかせ、
その崇高な善意による純粋なお気持ちから
危険の一歩手前で食いとめなさろうと、
神はあたしを愛する子どもとしてお選びなされ、
あたしをこらしめようとなさっているんだわ。
この神のあらたかな、残酷なきびしさに感謝しよう、
人は苦しめば苦しむほど幸福なんだわ、
神の善意を、その下したもうた慈悲ぶかい御手《みて》を
あがめましょう」と、グリゼリーディスはいった。
王さまは無理難題に逆らうことなく、
ただもう従順に従う王妃を見ても心動かされず、
「このような偽りの貞淑の拠りどころが見たい、
わたしの打撃をみんな無駄にしてしまうものをじゃ。
わたしの打撃は、あれの愛情がもはやない
そのような場所にしかあたらないんだから。
王妃はわが子に、おさない娘に、
すべての愛情をそそいでいる。
わたしの打撃が成功するためには
わたしの疑心を明らかにするためには」
王妃が乳房をふくませ寝かしつけ、
その愛するものの顔を見てほほえんでるのを、
「おまえがこの子をかわいがってるのはわかるが、
おまえたちまわりの者のわるい空気からこの子を守り
この子をよくしつけておかねばならぬ。
さいわい気のきいた貴夫人がみつかったので
王女がもたねばならぬすべての徳、
すぐれた才をその人がさずけるであろう。
姫を手放す覚悟をきめてくれ
いま人をつかわすから」と。
王さまはこう言いすてて立ち去った。
さすがにふたりの愛情のただひとつのしるしを
王妃の手から奪いとるのを見ていられるほど
王は非人情ではなく、またそれほどの勇気もなかった。
王妃はさめざめと涙にくれ、
うちしおれて、待っていた、
不幸な瞬間がやってくるのを。
悲しくも残酷なことを平気でやってのける
憎らしい役人がやってきたとき、
王妃は、「いわれたとおりに致します」といった。
それから赤ん坊をとりあげて、しげしげと眺め、
母親の愛情をこめて接吻《せっぷん》してから
両腕でやさしく抱きしめて、
泣きながら手わたした。
ああ、なんとつらい悲しみだろう!
子どもを奪うなんて、
愛する母親にとっては、
胸から心臓をもぎ取られるようなものだ。
町の近くに修道院があった。
古くから知られている修道院で、
情けぶかい高名な修道院長のもとに
尼僧たちが規律きびしい生活をしていた。
生まれも知らさず、ただだまって、
その子をあずけたのは、その修道院だった。
高価な指輪がいくつか、
これから取られるであろう世話いっさいの
報酬という意味で置かれてあった。
自分のあまりの残酷な仕打ちに
はげしい悔恨を感じ、
王は狩りによってその思いを忘れようとしたが
王妃と会うことをおそれていた。
だいじな鹿の子を奪われたばかりの
勇猛な牝虎に出会うのをおそれているように。
だが王は、王妃からやさしく、愛情をもって、
かつての仕合わせだったよき日にそうであったように
ふかい愛情によって愛されていた。
このような大きな素直な仕打ちに
王は恥ずかしさをおぼえ、後悔した。
だが王の憂慮はさらに大きくなるばかりだ。
かくて二日後には、いつわりの涙をうかべて
なおいっそうはげしい打撃を王妃に与えた。
ふたりのあいだのかわいい子が死によって奪われたと
王妃に告げることによって。
この思いもよらぬ打撃に王妃はふかく傷ついた。
だがその悲しみにもかかわらず、
夫が顔色を変えているのを見て、
王妃は自分の不幸を忘れているようだった。
そして夫をなぐさめるために
悲しみをかくし、ただやさしくなぐさめた。
この人のよさ、
比べものもない夫婦愛のふかさに、
王はとつぜんかたくななきびしさを捨てて
王妃の心にふれ、いままでの気持ちを変えて、
ふたりの子どもはまだ生きているのだと
大声で言いたい気持ちになった。
だが傲慢《ごうまん》なわるい気質は、
秘密を明かさないように
だまっているほうがいいと邪魔した。
この幸福な日以後、ふたりの夫婦は
たがいに愛し合った。
だがその愛情はかつての日の
愛し合っていたころほどのはげしさはなかった。
十五回太陽は、四季をつくるために、
黄道十二宮の中に代わるがわる住まった。
それらの宮を不和にするようなこともなく、
だがときには怒らせてたのしみもしたが、
それはただ愛情にゆるみができるのを防ぐためで、
ちょうどかじ屋が火力のおとろえた大釜《おおがま》の火のおきに
水をちょっぴりくれてやって、
火熱をつよめて仕事を進めるようなものだった。
そのあいだに幼い姫は、
才知と知恵とをましていった。
その愛すべき母親からは
やさしさと純真さとを、
その名だたる父親からは
好ましい高貴な品位を受けて、
それらが一緒になって完全な美となった。
ふとしたことで宮廷のひとりの殿さまが、
きらめく星のような姫のすがたをかいま見た。
太陽よりも美しくりっぱなその青年は、
修道院の鉄格子《てつごうし》の外から姫を見て、
姫にぞっこんほれこんだ。
自然が女性に与えたもうた本能の力で、
すべての女性は男性の目の中に、
目に見えない傷痕を見るものだが、
そのとき姫は、
自分がやさしく愛されていることを知った。
同じようなやさしい愛情を抱くまでに
だれでもがするように、
姫はしばらくは抗《あらが》がってみたものの、
ついに青年を愛するようになった。
美しくて勇敢で、由緒《ゆいしょ》ある家に生まれたこの愛人には、
非の打ちどころがなかった。
ずっと前から王さまは、
この男を婿《むこ》にしようと目をつけていた。
それゆえ王はこのことを知ってよろこんだ、
わかいふたりが燃やしあっている
はげしい愛情の炎を。
だが王は、奇妙な欲望をもった、
ふたりに残酷な苦痛を与えて、
この世のもっとも大きな幸福をあがなわせてやろうと。
「ふたりを満足させてやることは、
わたしにとってもうれしいことだ。
でも不安があるほうが、つらいだろうが、
ふたりの愛情をしっかりさせるのには必要だ。
それに王妃にたいしても忍耐をしいるとしよう、
わたしの気ちがいじみた不信感をたしかめるためばかりではなく、
わたしがあの女の愛情を
今後けっして疑わなくなるその日まで。
だがこれはみんなの目に
王妃の善良さ、そのやさしさ、ふかい知恵を、
この世の模範となるほどそんなにも大きな、
そんなにも気高い王妃の徳を見せてやるために、
みんなに尊敬されるために、
そして王妃に神への感謝の思いをおこさせるためにだ」
かくて王は公衆に告げる。
世継ぎがなくては、国はいつか新しい王を求めるだろう。
おろかな結婚から得た娘は、
生まれてまもなく死んだので、
ほかにもっと大きな幸福を求めねばならぬ。
いま求めようとする王妃は由緒ある生まれで、
今日の日まで僧院にあって
純潔にそだてられてきた、
その女と結婚して予の愛情を与えたいと。
このしらせはふたりのわかい恋人たちにとって
どんなにおそろしい残酷なものであったことか。
それから王は苦痛も悲しみも見せずに
忠実な王妃に別れ話をもちだした。
王妃の卑しい生まれに怒った人民が
ほかの身分相応の結婚を王にしいるといった。
最悪の不幸を避けるためにもそのほうがいいと。
「おまえはしだとわらぶきの屋根の下に
身をかくしたほうがいい、
わたしが用意させておいた、
羊飼いの服をふたたび着て」と王はいった。
しずかにじっと押しだまって、
王妃は王の言葉を聞いた。
表面はおだやかな顔をして、
王妃は心の悲しみをのみこんだ。
悲しみのために容色のおとろえこそ見せなかったが、
その美しい眼からは大粒の涙が落ちた。
春がふたたびやってくると、
太陽が出ているのに、よく雨が降るように。
「あなたはわたくしの夫であり、殿さまでご主人なのです」
王妃はこういって溜息《ためいき》をつき気絶せんばかりだった。
「わたくしがいま聞いたことがどんなに恐ろしくとも、
あなたのいうことをきくことがどんなに大切であるか
あなたに知っていただきとうございます」
すぐに王妃は自分の部屋に閉じこもり、
いままで着ていた美しい衣裳をかなぐり捨てて、
ひとことも言わず平静になって、
心の中では溜息をつきながらも、
かつて牝羊の番をしていたときのように、
ごくあっさりした身なりをして、
王さまのもとへ行き、こういった。
「どうしてご不興《ふきょう》をこうむったか知らないで、
わたくしはあなたさまのもとを去ることはできません。
自分の惨めな境遇には耐えられるでしょう、
けれども殿さま、
あなたさまのお怒りには耐えられないのです。
このような後悔している心に、
なにとぞ憐れみを垂れたまえ!
わたくしはあのわび住居に満足して生活するでしょう。
時のへだたりもけっして、
わたくしのささやかな尊敬心や忠実な愛情を
変えるようなことはないでしょう」
ごく粗末な服装をしていても、
このような絶対の服従、その大どかな気持ちを見て、
そのときの王の気持ちに、
最初のころの恋情《こいごころ》が目ざめた。
王は王妃を追放するのをやめようと思った。
そのようなつよい衝動にかられて、
まさに涙を流さんばかりにして、
王は王妃を抱かんと、
一歩あゆみよったとき、
またしても王の心にふかく根ざした、
おごりたかぶった気持ちが、
とつぜんその愛情を押しのけて、
このようなむごい言葉をいわせたのだ。
「予はかつての日についての記憶を失った。
おまえの悔恨の気持ちには満足であるが、
行け、もはや出発のときぞ!」
王妃はすぐに発《た》った、父親のほうをかえり見て。
いなかふうの服装をふたたびした父親も、
このようなとつぜんの王の心変わりに、
胸はりさけんばかりに泣いていた。
「わたしたちの暗い森に帰りましょう、
荒れはてた小屋にもどって住まうことにしましょう。
このような王宮の豪奢《ごうしゃ》など惜しくありませんわ。
わたしたちの小屋はこのようにりっぱではないけれど、
そこはもっと潔白で、そこには平和と、
休息とがありますわ」と、王妃は父親にいった。
やっと荒れはてた小屋につくと、
王妃はつむざおとつむとを手にもって、
かつて王とはじめて出会った、
あの川のほとりにつむぎに行った。
王妃の心は平静で、すこしも悪意などはなく、
日に百度も神に願った、
夫に栄光と富とを与えたまえと、
夫の欲するものを拒絶なさらんようにと。
これほどのつよい夫婦の愛情を、
だれも思わなかったであろう。
これほどまでに尽した王妃の夫は、
なおも王妃の心をためさんとして、
その住居へ人をやり、
ふたたび来るようにと言いやった。
王妃のすがたを見るなり王はいった。
「グリゼリーディス、明日、予は寺院で、
あの王女と結婚するだろう。
これでおまえも、このわたしも満足であろう。
さてわたしは、おまえに世話してもらいたいのじゃ。
わたしはどうしたら王女に気にいられるか
おまえに手助けして欲しいのじゃ。
おまえは恋する王がどういう態度をとったらいいか、
知っているだろうからな。
おまえのもつあらゆる手だてを尽して、
王女の部屋を飾って欲しい。
すべて豊富に美々しく、
清潔にきれいに。
なんとしても予の愛する
わかい王女であることを忘れないように。
この仕事をしてもらうために、
さあ、いまからおまえは、
予の命令どおりにしてもらいたい王女を、
ここからかいま見てもらおうか」
≪東門≫に、あたかも登る朝日のように、
美しい姫がすがたを見せた。
グリゼリーディスは近づいてよく見ると、
心の中にあたたかい感情が伝わってくるのだ。
これぞ母親としての愛情で、
かつての日、あの幸福だった思い出が、
こつぜんとしてよみがえった。
「まあ、娘じゃないの!」王妃は心の中で叫ぶ。
「ほんとうに大きく、きれいな娘になったわ。
ありがたい神さまが、
あたしの願いをお聞き入れくださったのだわ!」
このとき王妃は姫にたいして、
このうえなく激しい愛情を抱いた。
で王妃は姫のいないところで王にむかい
こういった。その言葉には、
それとは知らずに、本能のようなものがあった。
「殿さま、このようなことを申しあげるのをお許しください。
あなたさまが結婚なさろうとする姫君は、
由緒あるお生まれで、
何不足なくお暮らしになったかたです。
わたくしがあなたさまから受けたような仕打ちには、
生命をあやうくすることなしに姫君は、
耐え忍ぶことはできないでしょう。
貧乏と生まれがいやしいということで、
わたくしはつらいことに耐えられました。
苦痛も感ぜず、不平ひとついわずに、
わたくしはどんないやなことにもがまんできました。
でもいままで悩みを知らなかった姫は、
すこしでもつらいことがあれば、
ほんの少しのきついお言葉、じゃけんなお言葉にあっても、
きっと死んでしまうでしょうよ。
ああ、殿さま、お願いですから、
姫にたいしてやさしくなさいますように」
「いいかね」と、王はきびしい声でいった。
「おまえはおまえのできることを尽してくれればよい。
たかが羊飼いの女のくせに
教訓めいたことをいい、おこがましくも、
わたしのなすべきことを指図するのか!」
グリゼリーディスはこの言葉を聞くと、
何も言わずに目を伏せて引き退《さが》った。
そのうちに結婚式に招かれた殿さまたちが、
あちこちから集まってきた。
王は豪奢な広間に人びとを集め、
婚礼のたいまつに火を点ずるまえに、
このようなことを一同に告げた。
「この世には、≪期待≫のあとでの≪見かけ≫ほど、
人をまどわすものはない。
ここにそのいい例がある。
予と結婚して王妃になろうとしているわかい女が、
幸福ではなく満足してはいないと、
だれが信じないだろうか?
だがそうではないのだ。
あの光栄に輝くわかい騎士、
どの騎馬試合でも向かうところ敵なしというあの男が、
この結婚をいい目で見ていないと、
だれが信じさせまいとできるだろうか?
だがそれはほんとうではない。
それにグリゼリーディスが怒りのあまり泣きもせず、
絶望してはいないとだれが信じないだろうか?
あの女は少しも嘆かずにすべてを受け入れている、
これほど耐え忍んでいる女はいない。
わたしに誓う女の美しさを見て、
わたしほど恵まれた人生行路を歩んでいる者はいないと、
だれが信じないだろうか?
だがそのような夫婦の縁をわたしが結んだならば、
この世の王という王の中で、
わたしほど不幸な者はないことになる。
このなぞをわからせるのはむずかしそうだ。
たったひとことでわからせることができるのだが、
そのひとことを聞けばすぐに、
すべての不幸がはっきりわかるのだが。
いいかね、おまえたちが予の心を射たと思った、
その愛すべき女こそ、わたしの娘なのだ。
そして予は、その女を、
あのわかい男の妻に与えたい、
あの男は娘をたいへん愛しているし、
娘からも同じように愛されている。
それからいいかね」と、王はなおつづけた。
「わたしが不当にも退けた、
賢くて忠実な王妃の
あの忍耐と熱情に感じ入った予は、
ふたたび王妃を迎え入れて、
愛情のみがなし得るすべてを尽し、
予の嫉妬心ゆえに王妃がこうむった
つらい無情な仕打ちを、
つぐないたいと思うのじゃ。
王妃がふかい悲しみのあまり、
わたしの心の平静さを乱すようなこともなく、
すべての望みを知らしてくれたなら、
このような予の配慮は、さらに大きくなるだろう。
そして少しも打ち負かされなかった、
絶望の思い出をいつまでも持ちつづけてくれたら、
人はさらに王妃のことを賞賛するだろうし、
予もその高徳をたたえるだろう」
濃い黒雲が日の光をさえぎり、
空一面がまっ黒になって恐ろしい嵐を告げるとき、
もし風がおこって黒いベールを取りのぞき、
かがやかしい日の光が、
さっと風景を照しだしたとしたら、
すべては笑い、その美を取りもどすだろう。
このようにして、悲しみに沈んでいたすべての眼《まなこ》に、
とつぜんいきいきとした光がさしこんだ。
きゅうに何もかもはっきりして、
わかい姫のよろこびようったらなかった。
姫は自分が王から生を受けたのだと知って、
王のひざに身を投げかけ、はげしく抱いた。
王もかくも可憐《かれん》な娘の姿にほろりとなって、
その身をひき起こし口づけをし、母のもとへ伴った。
そのとき王妃はよろこびのあまり、
まったく自分を忘れてしまって、
いままでなんどとなく深い不幸の数々に
とらえられていたその心は、
あれほどまでに悩みに耐えたその心は、
よろこびのうれしい重みにくず折れた。
王妃は神が送りたもうた愛するわが子を
ひしと抱きしめると、
ただ涙にくれるばかりだった。
「もういい、またの機会に心ゆくばかり泣くがいい」
王はやさしくそういった。
「さあ、おまえにふさわしい衣裳を着なさい、
婚礼の式に出なければならないからね」
ふたりのわかい恋人たちは、
殿堂へとみちびかれた。
そこでふたりはやさしく愛し合うと
永遠の愛を誓いあった。
盛大な騎馬試合、運動競技、ダンス、音楽、
そしてたいへんおいしいご馳走《ちそう》が出たとき、
みんなの視線はグリゼリーディスにあつまった。
そこでは数々の試練を経た忍耐が、
多くの人から輝かしい賞賛をはくして、
空の高みにまで達していた。
人民のよろこびようといったらたいへんなもので、
気まぐれな王さまにたいしても、
その無慈悲な試練をたたえるほどで、
ましてやグリゼリーディスにたいしては、
これほどまでに美しい徳の持ち主はなく、
女性としてふさわしい、どこにも見られない
これほど完全なモデルはないと、
ただただ王妃をほめそやした。
こっけいな願い
もしもあなたが思慮分別のない人でしたら、
あまり上品でないばかげたこの寓話《ぐうわ》を、
お話しするのはさしひかえますが。
さてこれから話そうとする話というのは、
一メートルほどの腸詰がそのテーマなのです。
「まあ、一メートルもの腸詰ですって、あなた!
ごしょうですからやめて! おそろしいですわ」と、
ある才女ぶった婦人は叫びましたよ。
いつもまじめくさって神経質なその女は、
情事を話すのを聞くことしか興味がなかったのです。
だがだれよりもすぐれていられるあなたは、
言い方さえいつも素直《すなお》なら、
聞いてるほうでも目のあたりに見るような思いで、
話し方で相手を魅することができると知っていられる。
あなたは物語を美しいものにするには、
テーマよりもさらに
それで何かが作られる
表現の仕方にあると知っていられる。
あなたはわたしの寓話とその教えを好むでしょう。
いってみれば、わたしもそうだと信じていますよ。
むかし、ひとりの貧乏な木こりがいた。
つらい生活に疲れはて、こんなことをいっていた。
よみの国の川アケロンのほとりに
休みに行きたいものだと。
この男はふかい悲しみにくれて、
この世に生まれて以来、無慈悲な神は、
いまだかつてたった一つの願いごとさえ叶《かな》えてくれなかったと、
いつもそういっていた。
ある日のこと森の中で、そんな不平を言いはじめたら、
≪雷撃≫を手にしてジュピターが現われた。
それを見た木こりがどんなに恐怖をおぼえたか、
描写するのもむずかしかろう。
木こりは地面にひれ伏していった。
「わたくしは何も欲しくはございません、
願いごとはもう致しませんから、雷だけは!
何ごともなかったということにお願いします」
「何もこわがることはない」と、ジュピターは
「わしはおまえの嘆きを聞いてやってきたんだよ、
それはわしの顔に泥を塗《ぬ》るようなものだとわからせるためにな。
いいかい、この世の支配者であるこのわしが、
おまえの最初の願い三つをかなえてやると約束しょう。
それがどんな願いかはおまえしだいだ。
おまえを幸福にすることのできるもの、
おまえを満足させるものがいい。
おまえの幸福はすべておまえの願いごとしだいだから、
願いごとをするまえに、
よくそのことを考えるんだね」
そういってジュピターは、また天に昇った。
木こりは両手で薪《たきぎ》の束をつかむと、
家に帰ろうと背中へほうりあげた。
うれしさで薪の重みが少しも感じられないほどだった。
「こういうことは」と、歩きながらいった。
「かるがるしくなすべきではない、
なにしろことは重大だから
女房のやつの意見も聞かなくちゃ」
木こりはしだの屋根のわが家へ入るなりこういった。
「火を焚《た》いてくれ、ファンション、
おれたちは金持ちになるんだ、
ただ願いごとをすりゃいいんだよ」
そういって木こりはことのしだいを女房に話した。
話を聞いた女房は、すばしっこい女だから、
すぐといろいろな計画を考えだしたが、
ことの重大なのを考えて、
慎重にことをはこぼうと、
「ねえ、ブレーズ」と、夫にいった。
「せいてはことを仕損じるからね、
ふたりでゆっくり考えましょうよ。
まあ、こういうときには
最初の願いごとは明日にしたほうが無事だわね。
よこになって相談しあうとしましょうよ」
「そのほうがいい」と、お人よしの木こりは、
「とっておきの酒をもってきてくれ」といった。
酒がくると木こりは火のそばでぬくぬくと暖まって
ちびりちびりやりながら、
椅子《いす》の背中にもたれて、こういった。
「火のおきのぐあいもいいし、
こういうときに一メートルもある腸詰があるとな!」
この言葉をいいおわるとすぐに、
おかみさんがびっくりぎょうてんしたことに
たいへん長い腸詰が
いろりのひとつのはしから出てきて、
蛇《へび》のようにうねうねと近づいてきた。
おかみさんは瞬間さけび声をあげたが、
まったく阿呆《あほ》らしい願いごとを
軽はずみな夫がしたからにちがいないと、
夫を責めののしるばかりか、
怒りにまかせて恨みごとをいった。
「ひとつの国も、黄金も、真珠も、
ルビーも、ダイヤモンドも、
きれいな衣裳も手に入れられるというのに、
なにもこんな腸詰なんかを望まなくても!」
「まったく、えらいものを選んじまった、
えらいしくじりさ」と、木こりはいった。
「こんどこそ、うまくやってみせるよ」
「まあ、あてにしないでいますよ、
こんな願いごとをするなんて、なんて間抜けよ」
夫は毎度のことながら怒りのあまり
やもめ暮らしのほうがよっぽどいいなと、
もう少しのところで口にするところだった。
「男なんて苦しむために生まれてきたようなもんだ!
えい、腸詰なんかくそくらえだ!
あの阿呆な女の鼻っ先にでもぶら下りやがれ!」
この願いは、ただちに神に聞き入れられた、
夫の木こりがこの言葉をいいおえるとすぐに、
おこっていた細君の鼻先に
腸詰が食いついた。
ファンションはべっぴんさんで、きれいだった。
率直にもうして鼻っ先に、
こんな飾りがついているのは
けっしていいながめではない。
それに顔の下のほうにぶらさがっていては
話をするにもぐあいがわるい。
でも、こりゃ夫としては願ってもないことで、
すっかりうれしくなってしまい
木こりはこのうえ何も望みはないと
まさに考えるところだった。
「この痛ましい不幸のあとで」と、
木こりはひとりはなれてこういった。
「おいらは残っている願いごとで、
いますぐにも王さまになれるわけだ。
ほんとうに王さまの権力ったらたいしたもんさ、
だけど考えてみると
王妃をどうしたらよかんべい。
一メートルもある鼻をもって
王座の上に坐ろうなんて
きっとつらいことだろうよ。
こいつぁ聞いてみねえことにゃわからねえ、
おそろしい鼻をつけたままで
王妃さまになるのと、
こんな不幸に見舞われないまえのように
ふつうの人間と同じ鼻して
木こりのかかあでいるのと、どちらがいいかと」
いろいろと考えた末、
なるほど王杖《おうじょう》はたいしたもので力があったが、
王冠をかぶっている人間は
りっぱな鼻をしているものだし、
人に気に入られたくない者はいないもので、
木こりの細君は、
みにくいすがたで王妃になるよりも、
農婦の髪のままでいることを選んだ。
けっきょく木こりは元のもくあみ、
えらい王さまにもならず、
金貨で財布《さいふ》をいっぱいにもしないで、
残っている願いごとをありきたりの幸福に、
女房を元のすがたにもどすという、
策のないことに使うことでご満足だった。
この話でもわかるとおり、無知文盲な、
軽はずみな、落ちつきがなくて気分屋の、
つまらん奴《やつ》らには願いごとはできない。
そういった連中の中でもごくわずかな者が、
神が与えたもうた持って生まれた才能を、
よく使うことができるというわけさ。(完)
解説
シャルル・ぺロー(Charles Perrault)は、一六二八年に王立裁判所の弁護士ピエール・ペローの第七子として、パリで生まれた。ボーヴェーの中学在学中は成績が良く、いつも一番で、ふたりの兄とともにアエネイスの第六篇のパロディを作り、早熟ぶりを示した。その後「イリスの肖像」「オラントの変身の鏡」「恋愛裁判所」といった艶《つや》っぽいものを書いたが、一六五四年にはパリの収税局長をしていた兄ピエールの第一書記となり、やがて時の財政通コルベールの知遇を得て、六三年に王宮の営繕課長のような職に就く。七〇年には「碑銘及び学芸アカデミー」の会員に、七一年には「アカデミー・フランセーズ」の会員になった。
その翌年、四十四歳のシャルルは、十九歳の娘マリ・ギュイションと正式に結婚す。三男一女を挙げたが、三男の生まれた七八年に、妻のマリは死に、ペローはやもめとなる。
八六年にはノールの司教サン・ポーランについて六篇より成る叙事詩を書き、ルイ十四世の王太子の傅育官《ふいくかん》ボシュエに献じる。そして翌年一月二十七日に、当時において一大論争を巻き起こした「古今論争」の口火を、シャルル・ペローが切ったのである。
ルネサンス以来、ギリシア・ラテンの文学が優れているとの説は一般の信じるところであったが、それをぺローはその日のアカデミーの会合において、国王の病気快癒を祝うために自作の詩「ルイ大王の世紀」を朗読し、現代作家の古代作家に勝っている所以《ゆえん》を述べた。古典主義文学の擁護者をもって任じるボワローは、アカデミー一の恥だとばかりに、早速激烈な風刺詩二篇を作ってぺローに応酬した。シャルルは屈せず、『古代と現代の比較』(一六八八〜九七年)、『十七世紀にフランスに現われた著名人』(一六九七〜一七〇〇)を書いて反撃した。一七〇〇年に至ってこの文明論争は両者の和解によって終わったが、それまでペローには親友のフォントネルをはじめアカデミー会員の大部分が加担し、古典主義を奉ずるボワローをはじめ、ラ・フォンテーヌ、ラシーヌ、ラ・ブリュイエールを向こうにまわして一大論争が展開されたのだった。
シャルル・ペローは一七〇三年に歿したのであるが、彼の名を不朽にしたのはこのような当時における論客としてではなくて、ただ古くから民間に伝承されていた童話を集大成して刊行した Histoires ou Contes du temps Passe avec des moralites―― Les Contes de ma mere L' Oye『寓意を伴うむかし話またはコント集』――『鵞鳥おばさんの話』によってである。
これより先ペローは、一六九一年に「ド・サリュース候爵夫人、またはグリゼリーディス」を、九三年には「こっけいな願い」を、九四年には「ろばの皮」をいずれも韻文で書き、九六年には「眠れる森の美女」を書いて、「こっけいな願い」と、「眠れる森の美女」を「メルキュール・ガラン誌」に発表している。三つの韻文は、中篇「グリゼリーディス」を主題にして、九四年に一冊の本になって刊行された。
ついでシャルルは一六九七年に、何世紀にもわたって祖母から孫へと語り伝えられてきた話、炉端で両親が子どもらに話して聞かせる話、自分も幼時を過ごしたマレー区で母親から親しく聞いた話をせっせと書き、それらを『寓意を伴うむかし話、またはコント集』と題して、サント=シャベルから刊行した。そのときは著者名がなかった。老いたるアカデミシャンは、たぶん滑稽《こっけい》だと思われたくなかったからだろう。「かわいそうにペローは子どもにかえった。これこのとおり、乳母がする話をわたしたちに語っている!」と、サロンなどでいわれたくなかったのだ。
それゆえ翌年アムステルダムで再版したときも『鵞鳥おばさんの話』と題し、著者を一六七八年に生まれた三男のピエールこと、ペロー・ダルマンクールとしている。二十二歳にして一七〇〇年に死んでいるから、そのとき十九歳だった。九六年に発表した「眠れる森の美女」はこの息子が書き、それを文学好きの親戚にあたるレリティエ嬢が手を入れたといわれているが、翌年単行本にしたときは完全にペロー自身がそれを訂正加筆しているし、だれもそれらがペローの筆になったものであることを疑う者はいなかった。「古今論争」でかっかとなっていたボワローは、その友人にこんな警句詩を作らせた。
ペローは「ろばの皮」をわれわれに与えた。
人がそれを賞めようが、またけなそうが、
わたしとしてはボワローのように言うのみ
ペローはわれわれにあの男の皮をくれたと。
古代派にぞくしていたラ・フォンテーヌも、韻文の道徳説話というはじめての試みを、いい目では見ていなかった。思うに彼自身もペローが試みる前に、彼流にこの形式を試みようともくろんだのではなかろうか。彼はその寓話の中で、こんなふうに椰癒《やゆ》している。
もし「ろばの皮」がわたしに話しかけてくれたら
わたしはたいへんうれしく思うだろうが、
なるほどサント=ブーヴがいみじくも評したように、「ペローはそれらを泉の中に掌ですくって飲んだ」とあるように、彼はヨーロッパじゅうに、いや東洋、アフリカにも流布している民話伝説、それぞれが少しずつ違った形をしているものを取捨選択し、それらをその直観的な目で見直して、それに新鮮な形式を与えたのであって、子どもたちはそこから生きた教訓を、詩の形式による驚嘆すべき感動を引きだしたのである。それゆえ同じようなテーマを扱ったイタリアのバジーレも、フランスのドルノワ夫人も、ド・ボーモン夫人もペローの荘重な文体の前には姿を消し、現代に残るはただドイツのグリム兄弟のみか? ペローの≪むかし話≫より約五十年ほどおくれて刊行された『グリム童話集』は数において勝り、北欧的な民俗風土をよく伝えてはいるが、同じ題材を扱ったペローのものと比較すると現実的で、常識的に割り切った考えが強い感じがする。たとえば「赤ずきん」や、「ヘンゼルとグレーテル」をそれぞれペローのものと読み比べてみるといい。
ちょうどラ・フォンテーヌがイソップやフェードルの寓話に決定的な形式を与えたのと同じように、ペローはその世紀の雰囲気と絵画的な委曲を尽して、『鵞鳥おばさんの話』を書いたのであって、その雰囲気は十七世紀のそれであり、その風景はイール=ド=フランスのそれであった。読者は、その時代の服装をし、銃士のフェルト帽をかぶった「長ぐつをはいたねこ」しか想像できない。「おやゆび小僧」や「赤ずきん」の両親が住まっている藁《わら》ぶき家はイール=ド=フランスの周辺で見受けるそれであり、「眠れる森の美女」の城は、トゥレーヌのどこかにある城にちがいないのだ。
子どもたちは、これらのむかし話に描きだされるすばらしいイメージを、けっして忘れないであろう。魔法の森で守られながら眠りつづけ、やがて王子に救いだされる「眠れる森の美女」、カラバ候爵の前ぶれをして歩く「長ぐつをはいたねこ」、話すたびにダイヤやばらが口から出てくる「仙女たち」の妹娘、かわいそうな「サンドリヨン」のために魔法の杖が、はつかねずみを馬車や従僕に変えてしまう話……そしてどこかに沈黙と影が占めている城があってそこには番兵までが眠っており、またべつの土地には仙女が群れをなして集まっている国があり、そこにはざくろ石が美しい光を放っている宝の山があると想像するだろう。
童心がいかに子どもにとって大切であるか、アンドレ・モーロワもこのように語っている。
「近ごろの子どもたちはもう仙女の話をよろこばないし、頭が進んでいるので魔法の力だとか、かぼちゃが四輪馬車に変わる話などは信じないということをよく人はいうが、わたしはそうだとは思わない。童心というものはいつの時代にあっても、いくら科学が進歩しても、いくら世間がせちがらくなっても存在するものであって、子どもの世界にあっては、よく童話の中で見るように、ほしいものならなんでも魔法つかいや仙女にのぞみさえすれば得られるものであってほしいし、またそれがほんとうなのだ」と。
モラリストであるペローは、ひとつひとつのコントに必ず寓意をつけるのを忘れない。つまり、「あらゆる狼の中で最も危険な狼」に対する警告を与えるために「赤ずきん」は食べられてしまわなければならないのであって、これをかわいそうだと考えるのは大人の常識であり、作者は子どもの本能的にもつ残虐性をたくみについているのである。
また彼のみずみずしい筆は、その細かい描写によって、読者の想像に訴えることを忘れず、存在や行動をぎりぎり決着の場に高めるため、最上級の表現をおろそかにしない。ひとりの仙女は幼い姫に世界で最も美しい娘になるという贈り物を与え、もうひとりの仙女は姫があらゆる楽器を完全に演奏し得られるだろうと約束する。
著者はまた、ごく控えめであるがユーモアをも忘れてはいない。「長ぐつをはいたねこ」の中で、大貴族になった牡猫は、ただ気ばらしのためにしかねずみのあとを追いかけないと結んでいる。
感受性の鋭いペローは、「仙女たち」の妹娘や、「サンドリヨン」の不当な運命について、読者の同情を駆り立てる。継母のはからいで最も汚い家事の手伝いをさせられ、屋根裏部屋に追いやられて藁ぶとんの上に寝かされている「サンドリヨン」は、それでも継母の思うがままになっている父親に訴えようとはしない。この読者をしてほろりとさせる腕は、『パリの秘密』(ウジューヌ・シューの大作)のヒロイン「フルール=ド=マリ」や、『にんじん』(ジュール・ルナールの傑作)の主人公に通じる大衆性を思わせるであろう。
ペローはまた、巧みに対照の妙を使っている。獣的で愚鈍な大男の人食いは、弱々しいが利口な「おやゆび小僧」の好敵手である。残忍な心の持ち主「青ひげ」は、「アンヌ、アンヌ姉さん、なにかやって来るものを見ない?」と、祈願をこめて期待の詩をつづる繊細な感性をもつ女性の夫である。みにくいが頭のよい「まき毛のリケ」は、やはりみにくいが知恵のある妹娘の姉の、愚かだが美女を妻とする。
ペローがこれらの童話の題材をあちこちから借用したことについては、軽るがるしく非難すべきではない。これについて作者自身が「こっけいな願い」の最初で語っているので、読者の注意を喚起しよう。
「あなたは物語を美しいものにするには
テーマよりもさらに
それでなにかが作られる
表現の仕方にあると知っていられる」
ペローの簡潔で、しかも荘重さを忘れず、新鮮な文体が、これらの民間伝承のむかし話を文学にまで高め、それに不朽性を与えたのである。彼が「グリゼリーディス」の着想をボッカチオから得ようが、「ろばの皮」(王妃を失った王が王女に懸想し、その手を逃れた王女はろばの皮をかぶって逃げだす。そして他国で下女をしているうちに、その国の王子にみいだされ結婚する。おもしろい話だが、近親相姦のテーマのために本書に訳載するのは控えた)のテーマをボナヴァンテュール・デ・ペリエ(一五一〇―四四年。仏作家)から取ろうが、仮にそれらによって語られた話が『アピュレ』の第六巻から借用したもので、しかしそれがおもしろさを欠いた作り話に仕立てられていたとすれば、それだけにペローの果たした役割は高く評価さるべきであろう。
寓話がギリシアの「イソップ」や、アラビアの「ロックマン」や、インドの「ピルパイ」だとか「ビドペ」、さらにシナの有史以前にまでさかのぼるのに対して、コントは概してケルト族に起源をもつ。仙女について最初に言及した人は、すぐれた古代世界の地誌『デ・シトゥ・オルビス』の著者ボンポニウス・メラ(紀元一世紀の地理学者)であろうか。彼は大西洋の島々を叙述して、現在セイン島であるセナ島に、超自然の力をもっている九人の処女を住まわせた。彼女たちは歌声で風と海とを支配し、また動物になったり、不治の病人を治したり、未来を予知し船乗りに予報を与えていた。これら九人の仙女は、九世紀においてモンマスのジェフリ(十二世紀前半における英の記録作者でアーサー王など諸王の歴史物語の作者)作『メルランの生涯』に再び現われる。ケルト族の吟遊詩人たちはアーサー王をフォルテュネの島に連れ去り、そこで仙女たちに魔法の樹脂を使って王の傷の手当てをさせる。
仙女の最も古いコントを集めたものは、『マビノギオン』ではなかろうかと、いわれている。これはガロ語による騎士物語であって、四部門に分かれ、アーサー王を中心とする一連の物語の前駆をなし、その題名は「わかい子弟たちのためのコント」を意味するとのことである。
人食い鬼が現われたのはずっとおそく、三世紀になってからで、蒙古人やだったん人の侵略によって民衆に吹きこまれた恐怖から生まれたといわれる。またいっぽうではノルマン人がルテチア(パリの古名)を脅やかし、ハンガリーの騎馬兵はドイツ、イタリア、フランスまでも踏みにじり、彼らの与えた恐怖はフン族のそれに勝るとも劣らなかった。ところで十一世紀では、Hongrois は Oigours と呼ばれていて、これが後にロマン語で Ogres(鬼、人食い男)となるのである。
以上は主としてジャン・ド・トリゴンの『児童文学史』により記述したのだが、次に本訳書のテキストに使用したガルニエ版の篇者ジルベール・ルージェの解説を参照して、それぞれの話につき簡単に触れることにしよう。
一 眠れる森の美女
生まれたばかりの赤児の傍らに、その子の運命をつかさどる仙女たちが現われて、ひとりの仙女に怨みを抱かしめ、魔法により何かによって刺され、何年間か仮死状態におちいったあげく、王子か勇士の出現によって目ざめさせられるという話はギリシアのむかしから、中世にも各国において民間に伝承された話であった。
ディオゲネス・ラエルティオスの言に信をおけば、ギリシア七賢人の一人エピメニデスは、父の命令により迷える羊をさがしに行き、洞窟の中でねむり、五十七年間ねむりつづけたという。インドの伝説にも、人食い鬼の爪を指に受けた少女が仮死状態となり、やがて一人の王により救われるという話や、いばらで刺されたヴァルキリ(戦死者に極楽でかしずく侍女の一人)が、火の城壁で守られている城内にねむりつづける話がある
十四世紀のカタロニアにも、これとよく似た話がある。洗礼の祝宴に女神テミスの怨みを買ったゼランディーヌ姫は、麻のつむ竿を手に取ろうとして手にとげを刺し長いねむりにはいる。恋人のトロイリュスが大きな鳥にはこばれて、姫の閉じこめられている塔の中にはいり、九か月後に姫は男子を産む。その子が母親の指をなめると、たちまち姫は目ざめるという話。その他イタリアのバジーレにもこれとほぼ似た話があり、グリムの「いばら姫」も同じようなテーマを扱っている。
なおこの話は、冬のあいだ眠っていた太陽が、春の太陽の訪れによって目ざめるといった自然現象によっても解釈されるということを付け加えておこう。
二 赤ずきんちゃん
この話もまた、赤ずきんを春の曙光《しょこう》、おおかみを太陽、もしくは冬と見る自然現象による解釈があるが、この話の終わりで赤ずきんがおおかみの腹の中から出てくるグリムや、イギリスの童話のように、「ひとりの田舎紳士がおおかみのぎらぎらしている二つの目のあいだに弾丸を射ちこみ、狩猟刀でその腹を裂いて赤ずきんを助ける」話などと、ペローのこの「赤ずきんちゃん」は対照的である。ジュール・ルメートルも、コント集『古書の余白に』の中の一篇で、その主人公のリエット嬢をして、「かわいい女の子がおおかみに食べられてしまうなんてかわいそうだわ」と嘆かしめ、道に迷った赤ずきんは遠くに見える灯をたよりに、キリストがかいばおけの中によこたわっている家畜小屋にたどりつき、聖母マリアからこういわれる。
「あなたは、ここへきてよかったね。でなかったら、おおかみに食べられちまうところだったのよ。おまえのおばあさんも、おおかみに食べられないですんだよ。というのは、ひとりの男が、おおかみがおばあさんの家にはいろうとするのを見て、石をぶつけて追っぱらってくれましたからね」
しかし子どものもつ残虐性をそのままあらわにだし、それを教訓と結びつけたペローの意図は前にも触れたとおりである。
三 青ひげ
このたぶんに劇的なコントは、おそらくブルターニュの貴族ジル・ド・レーの実話からヒントを得たもので、ほかのコントとはちがった性格をもっている。ジル・ド・レーは子どもたちを絞め殺したがために、一四四〇年十月二十六日にナントで処刑されたのだが、この実話と、彼が生まれる前から流布していた残忍な男の話とが混同していたのにちがいない。
だいたい女性の好奇心が罰せられるというテーマは、「イヴのりんご」「パンドラの箱」「プシュケのランプ」以来古くからあるものであって、ペローはそれを魔法の鍵と結びつけたのである。この話は、十四世紀のフランスの小説『ぺルセフォレ』(作者未詳)の中にある。ブランシェット姫は食卓で、王妃の仙女の注意にもかかわらず、隣のリオネルの指に手がふれる。彼女が触れた指は、たちまち黒くなる。王妃の仙女が最初は許したので汚点は消えるが、リオネルが夢の中でその恋する女を抱くので、その朝彼の手は炭のようにまっ黒になる。
この話は、ギリシア神話のテーセウスに捕えられた美女ヘレネーがポリュデウケースとカストールの兄弟に救出される話や、残虐な夫のコモール王、この男はすでに何人もの妻を殺したのだが、この王に殺された聖女トロフィムが聖人ジルダによって蘇生させられる話に類似している。とにかくこのコントには仙女も人食いも出てこないし、最後に犯罪人が罰せられるという点で、ペローの他のコントとはちがっている。
四 長ぐつをはいたねこ
主人の庇護者をもって任じる利口な動物、むかしの劇では従僕のこともあるが、このような話はどこの国の民間伝承にもあって枚挙にいとまがない。イタリアのストラパローラの『楽しい夜』、同じくバジーレの『五日物語』中の「ガリューソ」、ギリシアでは猫の代わりにきつねがなったり、アフリカではかもしかや金狼《シヤカール》が登場する。『千一夜』のアラディンもまた、巧みな駆けひきで思わぬ利得をする。
十一世紀に生まれたストラパローラの話は、もっともよくペローのと似ている。ひとりの未亡人が三人の息子に遺産として、ひつ、めん棒、牝ねこを残した。末子のコンスタンタンには牝ねこ。ところが牝ねこは野うさぎを捕えるのがたいへん上手で、「長ぐつをはいたねこ」同様に、うやうやしくおじきをして、その獲物を主人からの贈り物だといって王さまに持参する。それからコンスタンタンはねこの言葉に従って宮殿の近くの川の中にはいり、ねこは泥坊が衣服をはいで、主人を川の中に投げ入れたと叫ぶ。王さまはその男が獲物を持参させた男で、美男であると同時に金持ちであると思いこみ、娘と結婚させる。結婚式が終わって、花嫁をその夫の家へと連れ行く行列で、牝ねこはやはり列の先頭に立つと、出会う騎士や牧人を脅かして、いずれも幸運なコンスタンタンの家臣だと名乗らせる。やがて牝ねこは、その城主が旅先で死んだ主のない城の門を明けさせて、コンスタンタンを導き入れる。まもなく王さまが死んで、コンスタンタンが代わって王となる話。
バジーレも同じように、ひとりの乞食《こじき》と、はとを巧みにとる牡ねこを登場させている。ただちがうのは最後で、ペローはねこを貴族にしてやるが、バジーレのほうは恩を忘れ約束を守らなかったガリューソの家から逃げだし、「落ちぶれた貴族と成りあがり者は、もうごめんだ!」と、自分にいってきかせる。
『サン・ヌーヴェル・ヌーヴェル』のグラン・パラゴンの話も、同じような出だしで話がはじまるほか、類似の話がたくさんある。
五 仙女たち
「仙女たち」と複数になっているのに、実際はひとりしか仙女が出てこないので不審に思うかもしれないが、作者は「仙女たち」がもっている知恵や力を一つの例を挙げて示そうとしたのであろう。
この話は、飲み水をくれるのをこばんだ百姓たちを蛙に変えたラトンの復讐を語るオウィディウスの『転身物語』まで遠くさかのぼり、各国に同じような話がたくさんある。
ペローの話は、イタリアのストラパローラの筋とたいへんよく似ている。ナポリ王と結婚したブランカベラは義母から苛《いじ》められていたが、彼女の髪からはダイヤモンドやルビーがふり落ち、掌中にはばらやすみれが花ひらく。ところが義母が彼女の代わりに王妃にしようとしていた娘は、とつぜん害虫や悪臭を放つラードでおおわれるのである。
バジーレの「ふたつのパンケーキ」も「仙女たち」とよく似ている。二人姉妹のリュセッタとトロコラは、それぞれ自分たちに似ている娘があったが、ある日、リュセッタと同じように慈悲ぶかいマルチェラは泉のほとりに水を汲みに行って、ひとつのパンケーキを、老乞食に姿をかえた仙女に心をこめて贈る。その返礼として、彼女の口からはジャスミンやばらの花がとびだし、頭からは真珠やざくろ石がふり落ち、歩いたあとからは百合やすみれがにょきにょきはえた。トロコラはびっくりして、やはり自分と同じようにみにくく意地のわるい娘ピュチアに、パンケーキを持たせて泉へやる。ところがピュチアは、出会った老婆にパンケーキを与えることをこばんだので、彼女は口をひらくたびごとに虱《しらみ》に食われ、歩いたあとからは茨やいらくさが生いしげった。グリム兄弟も、「森に住む三人のこびと」で、同じようなテーマを使っている。
六 サンドリヨン
ポール・デラリュは『フランスの大衆説話』の中で、こう語っている。
「ペローの『サンドリヨン』は、さまざまの空のもとで、白や褐色や黄色や黒の肌をした、着ている衣服ですぐとそれと分かる、それぞれ別の名前をもった姉妹たちをもっている。ヨーロッパの国ぐにはもとより、アジア、北ア、四世紀のシナにまで『サンドリヨン』はある。シナの話は黄金のくつをはき、仙女の代わりをふしぎな魚がつとめ、舞踏会ではなくて隣国のお祭りから帰るときにくつを片方失うのである」
古くさかのぼればエジプトにも同じような話があり、遊び女《タールティザンヌ》のロドピスがナイル川に水浴中に一羽のわしが舞い降りて彼女の履きものの一つを持ち去り、それをエジプト王プサンメティキュスのもとへ持参する。王はこの美しい履きものが足にぴったり合う女を国じゅうにさがし求め、ついに見いだして結婚する。バジーレの 「灰の中の牝ねこ」も、ペローのそれとたいへんよく似ている。ドルノワ夫人の「灰かぶりのフィネット」は、「サンドリヨン」と「おやゆび小僧」の混合したもの、セギュール夫人の「ロゼット姫の話」も、「サンドリヨン」に起源をもつ。グリム兄弟にも「灰かぶり姫」がある。
副題の「小さなガラスの上ぐつ」については、この「ガラス」(Verre)を「りすの皮」(Vair)の誤りだという説がある。等しくヴェールと発音するので混同されたのだろう。しかしいちおうりすの皮の上ぐつのほうがもっともらしく思われるとはいえ、ほかの国の話でもガラスのほうが多いし、ペローの初版本でも「ガラスの上ぐつ」になっているので、このほうを採りたい。第一、ガラスのくつで磨かれた床の上を踊るほうが幻想的で美しい。
七 まき毛のリケ
この話はいちおうペローの創作と考えられているが、一六九六年に出たカトリーヌ・ベルナールというノルマンディ生まれの女流作家の小説に拠ったと説く人もある。「リケ」という言葉はノルマンディの地方語で、リットレ辞典によれば、「奇形」「せむし」を意味する。
「愛される者の姿を変える愛の奇跡」というテーマは、すでに一六六〇年に書いた『愛と愛惜についての対話』の中で、ペローは取りあげている。
シャルル・ドゥランはヴォルテールの「ご夫人がたの気に入ること」の中に「まき毛のリケ」の類似を見いだしているし、一七四〇年に刊行されたド・ヴィルヌーヴ夫人の『若いアメリカ娘と船乗りのコント』およびその影響を受けたド・ボーモン夫人の『美女と野獣』の中に、「まき毛のリケ」の同型を見いだす人もあるだろう。
八 おやゆび小僧
か弱くて人からばかにされていた者が、知恵と才覚により自分の道を切りひらき成功する話は、古今東西を問わず数えきれないほどたくさんある。ギリシアの話の「干《ほ》したこしょうの実」とか、「えんどうの半分」、スラブの伝説の「おやゆびのようにずんぐりした子ども」とか、アフリカの「小さなさいかち頭」、グリムの「おやゆび太郎」は申すに及ばず、イギリスの「おやゆびトム」とか、枚挙にいとまがない。「おやゆび小僧」は、おそろしい巨人を征服する頭のよくはたらくこびとである。「七里のくつ」は、ペルセの有翼のサンダルとか、アテナの黄金のはきものとか、ヘルメスの踵《かかと》についている翼と同じように万人力である。この七という数は、洋の東西を問わず、何か特別な意味があるらしい。「七福神」「七賢人」「七雄」から、この「おやゆび小僧」の七人の兄弟、「七里の長ぐつ」「眠れる森の美女」の七人の仙女等。
バジーレの「おやゆび小僧とおやゆび少女」は、ペローのそれとたいへんよく似ている。ふたりの子どもの父親である好人物のジャヌチオは、意地わるな女と再婚し、女の意図に従い、一度ならず子どもを森の奥に捨て去る。グリム兄弟の「ヘンゼルとグレーテル」も同じような組み立てで話ははじまるが、魔女はグレーテルによってかまどの中に押しこまれ、兄弟はめでたく魔女の財宝を奪って帰る。
九 グリゼリーディス
これだけが韻文でありながらコント(短編)ではなくて、Nouvell(中編小説)となっている。
ぺローは一六九一年八月二十五日のアカデミー・フランセーズの集まりで、雄弁と詩の入賞を定めたあと、習慣による韻文または散文の作品を朗読するに際し、この「サリュース候爵夫人、またはグリゼリーディス」を提出し、ラヴォー神父が朗読して大喝采をはくした。
「サリュース候爵夫人」はグリゼリーディス、グリスラ、グリゼルダという名の貧しい百姓の娘で、十一世紀における実在の人物であった。サリュース候に見染められて王妃となったが、猜疑《さいぎ》ぶかい候は彼女の徳を験してみようと、彼女から子どもを取りあげ、離婚したあげくの果てに妾《めかけ》の世話まで強制する。だが候は、彼女のおどろくべき諦観に打ち勝つことはできなかった。
ペトラルカやボッカチオが彼女の徳をほめたたえ、その後フランスやドイツの寓話にうたわれるようになった。そしてしまいには行商人の袋の中にこの刷りものが見られるまでに、広く流行したのである。つまり「青色叢書」のベスト・セラーズとなったのだった。ペローはこの「グリゼリーディス」の話を書くにあたり、デュボス神父に助言を求め、縮約したボッカチオの話に潤色を施し、わかい姫君に恋人を与え、結婚式を挙げたあとも彼女たちをして僧院の孤独の中に籠《こも》らしめないように計らった。この韻文が、当時の女性たちに毀誉褒貶《きよほうへん》を与えたことは、申すまでもあるまい。
十 こっけいな願い
この話のテーマは古くからあり、ローマの寓話作家ファイドロスの作品中に見られる。中世に至っては滑稽物語の「聖マルタンの四つの願い」にも見られ、マリ・ド・フランスの寓話にも出てくる。ここでは、夫と細君の顔を飾るのは山しぎのくちばしになっている。十六世紀には『サン・ヌーヴュル・ヌーヴェル』の一話に描かれ、メッツの靴下づくりの夫婦が金持ちになろうと神に願い、三つの願いごとが叶えられることになったが、細君がちんばの椅子《いす》の脚を新しくしてもらいたいといったのを怒った夫が、椅子の脚が細君の腹にくっついてくれたらいいと願ったがために、ペローの木こりと同じように最後の願いを細君のお腹から椅子の脚を取るのに使い、それでめでたしめでたしというわけ。
そのほか同じテーマは、ラ・フォンテーヌやド・ボーモン夫人、グリム兄弟の作品中にも見られ、いずれも人は自分の運命に満足すべきであって、自分の才能なり宿命なりを無理に変えるべきではないと教えている。
◆ペロー童話集◆
シャルル・ペロー/江口清訳
二〇〇三年十二月十日 Ver1