TITLE : 田舎司祭の日記
田舎司祭の日記   ベルナノス
木村 太郎 訳
田舎司祭の日記
私の教区も他の教区と同じ様な教区だ。どの教区も皆似たり寄ったりだ。――勿論今日《こんにち》の教区だが。昨日《きのう》私はノランフォントの主任神父さんにこう言った。「善と悪とは、そこではおそらく釣り合っているでしょう。だが、重心は低い、ごく低い。いや、こう言った方がいゝかも知れない、善と悪とはそこではまるで密度の違った二種の液体のように積み重なっている。」と。主任神父さんはふゝんと鼻の先で笑った。親切で、親爺のように優しい、いゝ神父さんだが、あれで、大司教館では、多少危険な自由思想家として通っているのだ。あの人の警句は司祭たちを喜ばせる。そして、あの人はそれを利かせようとして、せいぜい活《いき》のいゝ眼をして見せるのだが、私にはかえってそれが如何にも疲れ果てゝいるように見えて、泣きたくなるのだ。
私の教区は倦怠に蝕まれている、まさに文字通りに。他のそんなに多くの教区と同様に! 倦怠は我々の眼前でそれを蝕んでゆく。だが、我々にはどうすることもできないのだ。いつかそれは我々にも伝染するだろう。我々は我々の衷《うち》にその癌を発見するだろう。だが、我々はそれを衷《うち》に抱いたまゝで長く生きることができる。この考えは、昨日、道を歩いている間に頭に浮かんだのだ。胸一杯吸い込むと、腹の底まで沁み透るようなあの細かい雨が降っていた。サン・ヴァアストの中腹で、村は、突然、十一月の陰鬱な空のもとに、如何にも圧しつぶされたように、惨《みじ》めに現われた。雨は四方からその上に煙っていた。そして、それは濡れそぼった草の中に疲れ果てた獣のように横たわっていた。村って、なんて小っぽけなんだろう! だが、その村は私の教区だった。それは私の教区だった。だが、私にはそのために何もしてやることができなかった。私は、それが闇の中に沈んでゆき消えてゆくのを、悲しく見守っていた。…………あと暫くで、それはもう見えなくなる。私はこの時ほど、その孤独を、また私自身の孤独を激しく感じたことはなかった。折から霧の中で咳をするのの聞えた家畜たちのことを私は考えた。だが、彼らは、やがて牛飼いの少年が、鞄を小脇に、学校から帰って来ると、雨に濡れた牧場《まきば》を横切って、暖かな、牧草の香の高い牛小屋へ連れ戻るだろう。…………ところで、村も、泥の中で過ごした幾夜の後に、何処か、当てにならぬ、想像もつかぬ隠れ家へ連れ戻ってくれる主人を――大した希望もなく――待っているように見えた。
あゝ! 私は知っている、それがまったく取るに足らぬ、夢のような馬鹿げた考えだということを。…………村は、家畜のように、小学生の声などで立ち上がりはしない。だが、そんなことはどうでもいゝ! 昨夕《ゆうべ》、聖人なら、おそらくはそれを呼んだろうと私は思う。
とにかく私は人々が倦怠に蝕まれていることを考えていた。勿論それを知るには多少考えなければならない。それはそう直ぐには掴めない。それは一種の灰のようなものだ。我々はそれには気附かずに往来している。我々はそれを呼吸し、それを飲食している。だが、それはいかにも細《こま》かくって、稀薄で、歯にもかゝらない。だがちょっとでも立ち止まると、それは顔といわず手といわず積もる。我々はその灰の雨を払い落すために始終体を動かしていなければならない。だからみんな絶えずじっとしてはいられないのだ。
人はおそらく言うだろう。「我々は倦怠には夙《とう》から慣れっこだ。倦怠が人間の本来の条件なのだ。」と。なるほどその種子《た ね》は到る処に播かれていて、其処此処と条件のよい土地に芽を出したろう。だが、果して人間はかつて倦怠のこの伝染を、この癩を認識したろうか? 月足らずの絶望、絶望の畸形児、それはおそらく分解したクリスチャニスムの醗酵のようなものだろう。
勿論こうした考えは、私はそれを自分の胸におさめておくが、しかし、私はそれをそんなに恥じてはいない。いや、むしろそれは非常によく、おそらくは私の落著きのために――という意味は、私の良心の落著きのために、という意味だが――あまりにもよく理解されるだろうとさえ思っている。上の人たちの楽観主義はもうすっかり消えてしまっている。いまだにそれを唱える人たちも、決してそれを信じている訳ではない。たゞ習慣的にそれを唱えているに過ぎない。だからほんの僅かな反駁にも、彼らは薄笑いを浮かべ、妥協を求める。老司祭たちはそんなことでは誤魔化されない。外見はともあれ、また、もとより不易な或る種の言葉には依然忠実であるにせよ、公けの説教の題目はもはや同じではなく、我々の先輩たちには聞き覚えのないものだ。かつては、例えばこゝ一世紀の伝統は、司教の説教が、近い将来の迫害と殉教の血とへの慎重な、――勿論確信ある、だが、慎重な――言及なしには終ることを欲しなかったものだ。こうした予言は今日《こんにち》では遥かに稀になった。おそらくはその実現がより確実さを増したためだろう。
不幸にも近頃司祭間に流行し出した或る言葉がある。いわゆる「兵隊言葉」と呼ばれるぞっとするような言葉の一つで、どんな風にか、また、なぜだか分らないが、我々の先輩たちには滑稽に思われたものだが、我々同年輩の者にはいかにも醜く、悲しく思われるものだ。(それにしても、塹壕内の隠語が、憂鬱な心象を伴う下劣な思想を表現するのに成功しているというのは驚くべきことだ。だが、果してそれは塹壕内の隠語だろうか?…………)そこで人々が好んで繰り返す言葉というのはこれだ。「分ろうとするな。」と。なるほど! だが、我々はまさにそのためにいるのではないか! 上の人たちがいるということは私もよく承知している。だが、その上の人たちにはいったい誰が知らせるのだ。我々ではないか。そこで修道士たちの従順や単純さをいかに賞揚されても、どうも、私には納得がゆきかねるのだ。
修練長がいて命令を与えてくれさえすれば、我々にだって、馬鈴薯の皮を剥《む》き、豚を飼うことぐらいできる。だが、教区というものは、修道院のように、徳行などで歓ばせることはそんなに容易ではない。まして彼ら教区民が徳行なんていうものには永久に無智であり、また、そんなものは全然理解しないとしたら尚更のことだ。
バイユイユの首席司祭さんは、隠退して以来、ヴェルショックのシャルトル会の修道院へ足繁く通っている。『ヴェルショック所見』というのが、首席司祭さんの殆んど義務的に我々に聴講させた講演の題目の一つだ。我々はその講演で非常に興味のある事を聞いた。それは感動的でさえもあった。なぜなら、この愛すべき老人は、その修辞学教授時代の罪のない癖をいまだに保っていて、ちょうどその手を大事にするようにその言葉遣いを大事にするからだ。まるで彼は、司祭服《スータン》を著た聴衆の中に、アナトオル・フランスが紛れ込んでいることを希望すると同時に危惧してでもいるかのようだったし、眼を細め、愛想笑いを浮かべ、小指をひねりながら、ユマニスムの名に於いて、神のために、アナトオル・フランスに宥恕《ゆるし》を求めているかのようだった。要するにこんな風な聖職者のコケットリーというものは一九〇〇年代には流行《は や》ったものらしいが、我々は、一向ぴんと来ない警句にせいぜい感服するように努めたのだった。(恐らく私はあまりに粗野で、がさつな人間なのだろう。だが、正直に言って、いわゆる文学司祭なるものには私はいつも虫酸《むしず》が走るのだ。機智に富んだ作家に親しむことは、つまりは、料理屋飯を食うことだ。――だが、餓死する人間の鼻先で、どうして料理屋飯など食えるものだろう。)
要するに、首席司祭さんは、世にいわゆる「美談」と呼ばれる多くの逸話を物語ったのだった。それは私にも理解できたように思う。だが、不幸にも、それは、私が望んだようには私を感動させなかった。修道士たちは内的生活の比類のない師だ。そのことを誰も疑いはしない。だが、そのいわゆる「美談」なるものの多くは、その場で味わなければならぬ地酒のようなものだ。それは輸送には堪えない。
尚、おそらくは……敢えて言うならば、それら少数の集団人たちは、昼夜肱突き合わせて生活している間に、そこに、知らず識らずのうちに、好都合な雰囲気を醸し出すだろう…………私だって修道院なるものを多少は識っている。私はそこで、修道士たちが、彼らの傲慢心を砕こうと努める長上の不当な譴責を、ひれ伏して、謙遜に受けるのを見た。だが、外部のどんな反響にも煩わされぬそれらの建物の中では、静寂は真に異常な性質、真に異常な完成にまで達している。そこではどれだけ微かな戦慄も、極度に敏感な耳によって聞き取られる。…………そしてそこには優に拍手喝采にも匹敵する集会室の沈黙がある。(ところが司教の譴責となると…………)
私は私の日記の以上の数頁を読み返して見て、少しも心が楽しまなかった。もちろん私はそれを書く決心をするまでには随分考えた。だが、そのことは少しも私を安心させはしなかった。祈祷の習慣をもつ者にとっては、熟考は、ともすれば一片の気休めに過ぎないか、でなければ或る計画を固めるための一つの陰険な方法に過ぎない。推論というものは、我々が闇に葬りたいと希望するものを、えてしてそのまゝにし勝ちなものだ。世間の人間が熟考する場合は、それは機会《チヤンス》の計量になる! だが、憐れむべき生涯の各瞬間に於ける神的なものの恐るべき現存を一度限り永久に承認した我々司祭にとっては、機会《チヤンス》が何になろう! 信仰を失わぬ限り――だが、自己を否定せぬ限り信仰を失うことができないとしたら、その時我々に何が残るだろう? 司祭は世間の人間のあれほど直接な――あれほど率直な、あれほど素樸な、といってもいゝだろう――明らかな洞察を自己の利害に対してもつことはできないだろう。我々の機会《チヤンス》を計量することが何になろう? 人間は神を相手に勝負をすることはできない。
・・・百フラン紙幣二枚を同封したフィロメエヌ伯母の返事を受取った。――ちょうど差し当ってどうでも入用な額だ。金銭はまるで砂のように私の指の間を洩れる。恐ろしいようだ。
私はなんてへまばかりやるのだろう! 例えばこうだ。ユウシャンの食料品商のパミイルさんは実にいゝ人で(息子の二人までが司祭になっている)、すぐに私を非常な好意をもって迎えてくれた。もっとも彼は私の同僚たちの取附けの食料品商だ。私の顔を見さえすれば必ず奥へ通して、規那鉄葡萄酒と乾菓子を御馳走してくれる。私たちは暫く四方山の話をする。当節は中々骨が折れる。娘の一人《ひとり》はまだ縁附いていないし、カトリック大学の学生である二人の息子には金がかゝる。要するに、私の注文を取ると、彼は或る日私に愛想よくこう言ったものだ。「規那鉄葡萄酒を三本添えときます。きっとお顔色がよくなりますよ。」と。私はお人好しにも、彼が私にそれを呉れたものと思った。
十二歳やそこいらで、食うや食わずの家庭からいきなり神学校へ飛び込んだ貧乏人の伜には金銭の価値などは永久に分らないだろう。いや、取引に当って厳密に誠実であることさえも我々には困難だと思う。世間の人々が手段と考えずに目的と考えるものによって、たとい悪意はなくとも、勝負をするような真似はしないがいゝ。
いつもひどく控え目だとは言えぬヴェルシャンの主任神父は、パミイルさんの前で、この小さい誤解について、冗談混りに仄《ほのめ》かすべきだと思った。ところがパミイルさんはそれを聞くとひどく気色ばんだ。「神父さんさえおよろしかったら、いつでもおいで下さい。喜んで乾杯いたしましょう。一本は中々空《あ》け切れるものではありませんからね。ですが、商売は商売です。無代で商品を差上げる訳には参りません。」パミイルさんはなおこう附け足したようだった。「手前ども商人にも、職業上の義務というものがございますからね。」と。
・・・私は、今朝《け さ》、この試みを向う一年以上は継続しない決心をした。来年の十一月二十五日には、私はこのノートを火に投げ入れてしまうだろう。それを忘れてしまうように努めるだろう。ミサの後にしたこの決心もほんの僅かの間しか私を安心させはしなかった。これは正確な意味の細心ではない。もともと何の神秘性もない生活の、実に微々たる、取るに足らぬ秘密を、あくまでも率直に、日々、こゝにノートしていったところで、何も悪いことはないと私は信じている。私がこゝに書き留めようとすることは、私がいまだに時おり心を打ち明けて話すことのある唯一人の友には大したことも知らすことにはならないだろうし、その他では、殆ど毎朝恥ずることなく神に打ち明けることは私は決してこゝに敢えて書かないだろうと、私は十分に感じている。そうだ、これは細心などというものではない。これは、むしろ、いわゆる虫の知らせとでもいうべき、理窟では説明のつかぬ一種の危惧だ。初めてこのノートを前に机に向った時、私は良心の糺明をするためかのように注意を集中し、精神を統一しようと努めた。だが、私が、いつもはあれほど冷静な、透徹した、細部に拘泥せずに、いきなり本質に向って突き進むあの内的の眼で眺めたものは、私の良心ではなかった。その眼は、それまで私に知られていなかった別の良心の表面を、言いかえれば、そこに突然一つの顔――どんな顔か? おそらくは私自身の顔だろう。……再び見出された、忘れられていた顔。――が浮かび出るのを見ることを私の惧れた曇った鏡の表面を、掠めたように思われた。
己れについては仮借のない厳しさで語らなければならない。ところで己れを捉えようと努力するなり、たちまち催すこの憐れみ、この慈しみ、魂の筋という筋の弛み、更にまた泣きたいような念いはいったい何処から来るのだろう?
私は昨日《きのう》トルシイの主任神父さんに会いに行った。非常に几帳面な、立派な司祭だが、いつもは少し卑俗に感じる。金銭の価値を知っている富裕な百姓の息子で、その世間的な経験で私を抑えている。同僚たちは内々彼をユウシャンの首席司祭の候補者に推している。……彼の私に対する態度はかなり私を失望させる。というのは、彼は打ち明け話というのが嫌いで、人のいゝ高笑いで話の腰を折ってしまうからだ。だが、実はその高笑いも見かけよりはずっと繊細なのだが……。私は、彼の健康、勇気、均勢をどんなに羨ましく思うことだろう! だが、彼は、彼が好んで私の感傷性と呼ぶところのものに対しては寛大であるように思う。なぜなら、彼は私がそれによって決して虚栄心を満足させるようなことはしていないということを知っているからだ。もうずっと前から、私は、私が他人の苦しみに対して懐くこうした子供染みた恐怖と、強くて穏かな聖人たちの真の同情とを混同するようなことはもはやしていない。
「あまり感服しない顔付きだなあ、君!」と彼は言った。
正直に言って、私は、香部屋(註。祭壇の背後にあってミサ聖祭用の衣服器具等を置き、司祭は此処で更衣する。教理問答の授業等にも便宜使用する。)で、数時間前デュモンシェル老人が私に対して演じた場面のためにまだひどく動揺していたのだ。木綿の敷物にしろ、虫の喰った羅紗類にしろ、またカルディナルの御用商人に馬鹿高い金を払ったにも拘らず、灯をつけると忽ちフライパンのような音を立てて溶ける蝋燭にしろ、私は、それらを私の時間や労力と共に、無償ででも呉れてやったろう。だが、定価表は定価表だ、これだけはどうすることもできない。
「あんな爺さん、追い出しちまい給え!」と神父さんは言った。
そして私がそれに抗弁しようとすると、
「さっさと追い出しちまい給え、あんな爺さん! わしはあのデュモンシェル爺さんを知ってる。爺さん、食うだけのものは持ってるのだ……あれの無くなった内儀《か み》さんはあれよりも倍も金持ちだった。――ちゃんと葬ってやるだけのものはあったのさ! 君たち若い司祭は…………」
彼は顔を真赧にして、上から下へと私を眺め下した。
「わしはよく考える、いったい君たち若い司祭の血管には、今日《きようび》、何が流れているだろうとね。わしらの時代には、ひとは教会の人間を作った――八の字なんか寄せなさんな、可愛くって、頬っぺたが叩きたくなるよ、――そうだ、教会の人間だ。言葉の意味は好きなように取るがいゝ。が、要するに、教区の頭《かしら》だ、主《あるじ》だ、それで悪ければ、支配者だ。彼らは頤一つで一地方を動かした。いや、君の言おうとしていることは分ってる、彼らはよく食い、よく飲み、骨牌《カルタ》の上に吐くような真似はしなかったとね。よろしい! 人間、適当に仕事を選べば、素早くもできるし、上手にでもできて、皆には済まんが暇も出来るというものさ。ところで、今日《こんにち》、神学校は聖歌隊の小僧共か、靴もないような貧乏人の小伜共しか送って寄越さん。奴らは何も遣り遂げんから、誰よりもよけい働いてると考える。奴らは命令する代りに、泣きべそをかく。山ほど本は読むが、分らんのだ――いゝかね、分らんのだよ! ――夫と妻の喩えがね。ねえ、君、ほんとうに妻らしい妻、言いかえれば、男が阿呆で聖パウロの忠告に従わん時、是非ともみつけたいと望むような妻が、どんなものか、知ってるかね? 黙って給え。どうせ気の利いた返答はできんのだから。いいかね、それは飽くまでも実用向きな、だが、妻としての役目はちゃんと果す。しかも、それは一生の間毎日同じことを繰り返すことだということを知ってる女だ。教会がいかに骨を折ってみたところで、この憐れむべき世界を聖体祭の仮祭壇に変えることはできん。わしは以前――これはわしの前の教区での話だが――呆れた香部屋係りの婆さんを使ってた。これは一九〇八年に還俗させられたブリュウジュの修道女で、ひどく気のいゝ女だった。わたしのところへ来るなり、一週間というものは、いやもう磨いたのなんのって、教会はまるで修道院の廊下のようにぴかぴかで、まったく見違えるようになった。ちょうど収穫《とりいれ》時《どき》だったんで、猫の仔一匹来やせん。そこで婆さんめ、どうでもこのわしに靴を脱げといって聴かんのさ――上靴嫌いのこのわしにね。その上靴は、婆さんめ、どうやら自分の臍繰りで買って来たらしいのだ。ところで、毎朝、言うまでもなく、ベンチの上には新しく埃《ほこり》は溜ってるし、内陣の絨氈には新しい茸が一つや二つは生えてるし、蜘蛛の巣が――君、花嫁のヴェールになるほどの蜘蛛の巣がね――懸ってる始末さ。
わしは肚の中でこう言った。婆さんよ、いくらでも磨け、だが、日曜になってみろ、とね。そこでその日曜になった。いや、大祝日でもなんでもない、普通《た だ》の日曜で、いつも通りのお客さんだ。だが、あとは惨澹たるものさ! ともあれ、夜半《よなか》になってもまだ婆さんは、蝋燭の光を頼りに、蝋を引いたり、擦《こす》ったりだ。ところで、それから数週間後、諸聖人の祝日に、贖罪会の二人《ふたり》の神父の説教で、万事は水の泡さ。可哀そうな婆さんめ、四つん這《ば》いになって、バケツと束藁《たわし》の間で幾晩も過ごした――いやもう水を撒いたのなんのって――柱にまで苔は生えるし、床《ゆか》板の間には草が生え出る始末さ。なんてったって、聴くこっちゃあない。婆さんの言うことを聴いてた日には、神さまのおみ足を濡らさんようにするには誰彼の容赦なく寄せつけずに置くより他《ほか》に手はない。わしは婆さんに言った。お前さんの薬代でわしは破産するよ、とね――なぜって、可哀そうに、婆さん、のべつ咳をしてたからだ。とうとう関節リュウマチスで床についたが、心臓がいけなくなって、その儘ぽいと聖ペテロさまのお前へ出ちまった。或る意味で、これは確かに殉教だよ。誰もそれに反対を唱えることはできん。婆さんの間違いは、むろん、不潔と闘ったことではなくって、それが可能ででもあるかのように、不潔を絶滅させようとしたことだ。教区というものは、嫌でも不潔なものだ。キリスト教界全体は、なおさら不潔なものだ。最後の審判の日になって見給え、天使たちはどんなに聖なる修道院からでも、どんなに多くの下肥を汲み取らねばならんことだろう! そこでだ、君、教会は岩乗で、分別のある世話女房でなければならんということになるのさ。わしの善良なる修道女は、ほんとうの世話女房ではなかったのだ。ほんとうの世話女房は家は聖骨匣ではないということを知ってる。それはみんな詩人の空想だ。」
私は彼が言葉を切るのを待っていた。そして彼がパイプに煙草を詰めている間に、その例はあまり適当でないということを、即ち、働き死にに死んだその修道女と、命令する代りにぴいぴい泣きたてる聖歌隊の子供や、跣足《はだし》の小僧っ児とは何らの共通点もないということを彼に理解させようと覚束無い努力を試みた。
「何をたわけた!」と、神父さんは吐き出すように言った。「間違ってることはどっちも同じだ。ただ跣足《はだし》の小僧っ児はわしの善良な修道女ほどの忍耐力を持たんというだけだ。最初の試みで、もう、司教の経験が彼らの小っぽけな判断を裏切るという口実の下に、すべてを投げ出しちまう。要するに、ジャムが舐めていたい手合いなのだ。だが、人間、ジャムでは養われんように、キリスト教界もジャムでは養われん。なあ、君、神様は、我々が地の蜜であるとは、書かれなかった、地の塩であると書かれた。ところで、この憐れむべき世界は、体中が傷つき爛《たゞ》れている寝藁の上のヨブ爺さんみたいなものだ。赤肌に塩をつければ、沁みるにきまってる。だが、それはまた腐敗を防ぐ。悪魔を退治《たいじ》るという考えと同時に、君らのもう一つの十八番《お は こ》は愛されるということだ。言うまでもなく、君ら自身のために愛されるということだ。だが、覚えとき給え、真の司祭は決して愛されはせん。いゝかね、教会は君らが愛されることなどは問題にせんのだよ、君。先ず尊敬されることだ。服従されることだ。教会は秩序を必要としている。一日がかりで秩序を立てなさい。翌朝にはまた乱雑が勝を制するということを考えながらね。なぜって、夜が前日の君らの仕事を宙に吹き飛ばしてしまうということが――夜は悪魔に属しているのだ――悲しいかな、まさに秩序の中にあるのだからね。」
「夜は、」と私は言った(彼を怒らせるだろうということを私は知っていた)、「修道士たちの祈りの時でしょう?……」
「そうだ、」と彼は冷やかに答えた。「彼らは歌を唱ってる。」
私は憤慨した振りをしようと努めた。
「わしは何も強いて修道士たちを悪く言うつもりはない。それぞれ仕事があるのだ。音楽を除《の》ければ、彼らはまた花屋だ。」
「花屋ですって?」
「その通り。我々が掃除したり、皿を洗ったり、馬鈴薯《じやがいも》の皮を剥《む》いたり、食卓の用意をしたりしている間に、花瓶に花を挿してるのが修道士たちだ。いゝかね、わしのこの喩えに憤慨する者は馬鹿だけだ。なぜって、もちろん、そこにはニュアンスがあるからだ……ミスティックの百合は野の百合ではない。それに、だいたい、人間がつるにちにちの束よりも牛のヒレ肉の方を好むのは、彼自身動物であり、腹であるからだ。要するに、修道士たちには、我々に美しい花を、ほんものの花を、供給するのに十分な道具立てが備わっている。不幸にして、他処《よ そ》と同じく、修道院にも時としてサボタージュがあり、屡々拵えものの花を送ってよこす。」
彼は然り気なく流目《ながしめ》に私を眺めていたが、そういう時の彼の眼差しの奥には多くの優しみと、なんと言ったらいゝか、一種の不安、一種の懸念といったようなものが見られるように思われる。私には私の試煉があり、彼には彼の試煉があるのだ。だが、私には、それを黙っていることがいかにも辛い。そして私がそれを洩らさないとしても、それは、悲しいかな、ヒロイズムによるよりは寧ろ、あの、医者も亦尠くとも彼ら流に、そして彼ら特有の先入観に従って懐いているあの廉恥心によってである。ところが彼は、たとい何事が起ろうと、その試煉を洩らしはしないだろう。そして、それがあの、Z…の廊下で行き合った、蝋のように蒼白いシャルトル会の修道士たちよりも、もっと測り知れない気むずかしい円満さの下にである。
突然、彼は私の手を握った。その手は、糖尿病のために膨《むく》んではいたが、手探ることなく直ちに握る、確乎とした、命令的な手だった。
「君は恐らく言うだろう。わしには神秘家たちのことは何も分らぬと。いや、言う、とぼけても駄目だ。ところで、わしの若い頃、大神学校に、或る詩人気取りの教会法の教授がいた。彼は必要な脚や韻や節など、すべてを備えた驚くべき代物を製造した。先生、教会法典までも韻文にしかねなかったのだ。たゞ或るものが、つまり霊感とでも、天才とでも君の好きなように呼ぶがいいが、そう言ったものが彼には欠けていたのだ。このわしには、天才はない。だが、もしも聖霊が他日わしに合図をしたら、わしは箒や雑巾をそこへ投げ捨てゝ、音楽を習いに熾天使《セラフイン》たちの間を経廻《へめぐ》って歩くだろう――たとい、初めは、多少調子外れな声を出そうともだ。だが、神様が指揮棒をお上げなさる前に合唱する人間どもを嗤うことを君はわしに許すだろう。」
彼は暫くじっと考えていた。そして彼の顔は、窓の方に向けられていたにも拘らず、突然闇の中に現われた。その表情さえも、恰も私から――あるいは彼自身、彼の良心、からかも知れぬが――或る抗議を、或る打消しを、何か分らぬ或るものを期待するかのように硬張っているのが見えた。だが、彼は殆ど直ぐに明るい顔色に戻った。
「仕方がないよ、君、わしにはわしで若いダヴィデの竪琴に対する考えがある。確かに彼は才能のある男だ。だが、彼のすべての音楽を以てしても彼を罪から守ることはできなかった。わしは、輸出用の『聖人伝』を製造する正統派の憐れむべき作家らが、聖人はエクスタジイの中に守られてい、そこにアブラハムの懐《ふとこ》ろに抱かれているように暖かであり、安全であると想像することを、よく知っている。安全か! ……いや、確かに。時には、その高所に攀じ登ることほど容易《たやす》いことはない。神さまがそこへお前を連れていって下さるからだ。ただ問題はそこに踏み留まることであり、場合によってはそこから降りる術《すべ》を知ることだ。君は、聖人が、――勿論ほんものの聖人だが、――戻り際に非常な当惑を示すことに気附くだろう。綱渡りをしているところを見つけられると、彼らは何よりも先ず、秘密を守って呉れるように頼む。『お前の見たことを誰にも言うな…………』とね。彼らは幾らか恥じていたのだ、分るかね? 聖父《ち ゝ》の寵児であることを、即ち、みんなよりも先に至福の杯を飲んだことをだ。しかもそれが何の功によってだろう? 何の功によってでもないからだ。たゞ恩寵によってだからだ。こうした種類の恩寵! …………それを、霊魂は第一に避けたがるのだ。『生ける神の手中に落つるは恐ろし!』この聖書の言葉はいろいろに解釈することができる。神の手は、神の腕、神の胸、イエズスの胸でもある。ところで、君は合奏の中に君の小さい部分《パート》を受持っている。君は例えばトライアングルか、シンバルを叩いている。と、突然、一段高い所へ登るように言われ、ストラディヴァリウスのヴァイオリンか何かを渡されて、『さあ、弾《ひ》いてくれ、聴いてるから。』と言われたら、どうだ。ぶるゝ! ……さあ、わしの祈祷室を見せよう。だが、先ず靴をよく拭いてくれ給え。敷物のためにね。」
私には家具など大して分らないが、彼の居間は私には素晴らしく思われた。どっしりしたマホガニーの寝台、びっしり彫刻の施してある三枚扉の箪笥、フラシテン張りの肱掛椅子、それから、暖炉棚の上には青銅の大きなジャンヌ・ダルク像、だが、トルシイの主任司祭が私に見せようと望んだのは彼の居間ではなかった。彼は、私を、たゞ単に一脚のテーブルと一基の祈祷台が置いてあるだけで、他には何の装飾もないもう一つの部屋へ連れていった。壁には、慈善病院の病室などによく見かける驢馬と牡牛の間に寝ているひどく下膨《しもぶく》れした薔薇色の幼いイエズスを現わしたかなり醜悪な石版刷が掛けてあった。
「どうだね、この絵は? これはわしの代母《だいぼ》の贈物だ。もう少し優《ま》しな、芸術的なのを買うぐらいの金はこのわしにだってない訳ではない。だが、わしはこの絵が好きなのだ。わしはこれを醜いと思う。いや、少々馬鹿げているとさえ思う。だが、それがわしを安心させるのだ。わしらは、フランドルの人間だ。フランドルといえば、大いに飲み、且つ喰う人間の国――要するに金持の国だ。練土《ねりつち》の家かなんかに住んでいるようなブウロオニュ地方の君たち貧乏人には、あのフランドルの、黒土《くろつち》の富は想像がつかん。信心深い女たちを恍惚《うつとり》させるような素晴らしい文句を我々に要求したって駄目だが、これでも相当我々の間からでも神秘家は出しているのだ。だが、胸を病んでいるような神秘家ではない。我々は人生など恐れはせぬ。ジンを強《したゝ》か飲《や》った時か、あの牡牛をも打ち倒してしまうというフランドル人の怒りに嚇《かつ》となった時に、我々の顳〓《こめかみ》に脈搏つ真赤な血――しかも、それを燃え上らせるのにまさに適した量のスペインの真黒な血がそれには混っているのだ。要するに、君には君の悩みがあり、わしにはわしの悩みがあるのだが、恐らくそれは同じものではないだろう。君なら轅の間に伏してしまうことがあるかも知れぬが、わしはそこで飛び跳ねたことがあるのだ。しかもそれが一再ならずさね。もし君にその話をしたら…………だが、まあ、それはまた他日《いつか》のことにしよう。今日《きよう》は君はひどく顔色が悪い、倒れでもされるといかんからな。さて、話をわしの幼いイエズスに戻すとして、わしの国のポプラングの主任司祭が、喧し屋の副司教と相談の上で、わしをサン・シュルピスへ遣《や》ることに決めたのさ。サン・シュルピスは、先生たちの考えでは、若い聖職者にとってのサン・シイルか、ソオミュウルか、乃至は、陸軍大学みたいなものだったのさ。それにまた、わしの親爺殿は、(私はこれを最初冗談かと思ったが、トルシイの主任司祭は彼の父親を決して他の呼び方では呼ばなかった。以前の習慣かも知れぬ。)相当小金を持っていたし、司教区の名を挙げることを自分の義務と心得ていた。だが…………肉入りスープの臭いのする、癩病患者のような古い建物を見た時は、ぶるゝ! …………その上、真正面から見ても、まるで横顔を見ているぐらいにしか見えない痩せて貧弱な学生たち…………要するに、せいぜい三四人の気の合った仲間と、教師いじめをやったり、少しばかり悪戯《いたずら》をやった。勉強と食事にかけちゃ一番だが、それ以外のことでは……まさに小悪魔だった。或る晩、皆が寝静まってから、屋根へ登って、町中が眼を覚ましたほど、猫の啼き声を真似したものさ。修練長は寝台の脚下《あしもと》に跪いて十字を切っていた。この気の毒な男は町中の猫が聖なる家で逢曳をし、恋を語らっているのだと信じたのだ――いやはや、馬鹿げたお茶番さ! 学期の終りに、わしは、成績表と一緒に、自宅《う ち》へ送り返された。頭も悪くないし、正直だし、性質もいゝが、とか、なんとか、かとか。だが、要するに、このわしは牛の番をする以外には役に立たんというのだ、――司祭になる以外のことは夢見ておらんこのわしがだ。司祭になるか、でなかったら、死ぬばかりだ。わしの心は激しく血を流していた。神さまはわしが自殺の誘惑に陥ることをお許しになった。親爺殿は正しい人だった。ナミュウルの訪問会の修院長だった大伯母の添書を貰うと、わしを馬車に乗せて、大司教のところへ連れていった。大司教も正しい人だった。直ぐさまわしを書斎に通した。わしはその膝にすがって、自分の陥った誘惑を打ち明けた。わしは、その翌週、大司教区の大神学校へ遣《や》られた。あまり現代的じゃないが、がっしりした建物だ。だが、そんなこたあ、どうでもいゝ。とにかくわしは死を見たということができる。しかもそれは何という死だったろう! だから、それ以来わしは自分を枠の中へ閉じ込める決心を、馬鹿になる決心をした。軍人の言うように、任務以外は、一切単簡にだ。幼いイエズスは音楽や文学に興味を懐くにはまだあんまり幼な過ぎる。いや、それどころか、お側《そば》の牛に新しい藁を持って来てやったり、驢馬に鉄櫛を掛けてやったりする代りに、乙に様子ぶっているような人間どもには恐らく渋面を作られるだろう。」
彼は私の両肩に手を置くと、その部屋から押し出した。その大きな手の親しい一打ちはあやうく私に膝をつかせるところだった。それから、私たちは一緒にジンを一杯飲《や》った。やがて、突然、彼は、自信のある、命令するような様子で、私の眼をまともに覗き込んだ。それはまるで別人のようだった。誰をも憚らぬ人間、一箇の支配者のようだった。
「修道士は修道士だ。わしは修道士ではない。修道士の長ではない。わしは群を預っている。ほんとうの群だ。わしはわしの群――単なる家畜の群だ――と一緒に櫃《ひつ》の前で踊ることはできん。そんな真似をしたら、わしはいったい何に見えるだろう? 大して善くもなければ、大して悪くもない単なる家畜だ。牛や驢馬だ。車を輓かせたり、畑仕事をさせたりする家畜だ。その上わしは牡山羊も預っている。これをどうするか? 殺すことも売ることもできん。修院長は門番の修道士に命令を与えさえすればいゝ。過失があった場合には、造作なく牡山羊を追い払うことができる。わしは、そんな訳にはいかん。わしたちは牡山羊とでも、何とでも折合いをつけなければならん。牡山羊であろうと、牝山羊であろうと、主人はわしたちに、それぞれ大事に育てることを要求する。牡山羊の牡山羊臭いのを禁《とど》めようなどと考えたら大間違いだ、暇をつぶした挙句が、絶望するに定《きま》ってる。年取った同僚たちはわしをオプティミストだ、ロジェエ・ボンタン(訳者註。ボンタンとは善い時の意で、十五世紀後半から十六世紀前半にかけて実在したフランスの詩人、ロジェエ・ド・コルリイの綽名で、陽気で暢気な人間の代名詞として用いられる。)だというし、君たち若い者はクロクミテェヌ(訳者註。子供を威かす時に日本で言う「お化け」に類するもの。)だという。君らはわしを教区民に対してあまりに厳格に過ぎ、軍隊的に過ぎ、頑固に過ぎると見る。いずれも、わしが皆と同じようにわしの改革案なるものを持ち合わさぬことを、有ってもそれを握りつぶしにしていることを非難する。伝統だ! と老人たちは呟くし、進歩だ! と若い者たちは歌う。わしは人間は人間だ、異教徒の時代に較《くら》べて一向その価値を増してはいないと思っている。だいいち、問題は人間の価値如何を知ることではなくって、誰が人間に命令するかを知ることだ。あゝ、教会の人間共にやらしておいてくれたらなあ! いゝかね、わしは何も強いて中世を甘党の天下にしようとは思わん。十三世紀の人間、皆が皆、聖人の評判が高かった訳ではない。修道士たちがもう少し悧巧だったとしても、彼らが今時の奴らよりも酒飲みだったということは、これはもう誰も否定することはできん。だが、我々は一箇の帝国を建設しつゝあったのだ。なあ、君、それに較《くら》べたら、皇帝《セザル》の帝国なんかは泥《どろ》で造ったようなものだ――平和、羅馬の平和、真の平和だ。キリスト者の国家、それを我々は作り上げたろう。キリスト者の国家は似而非信心家の国家ではない。教会は神経が太い。罪など怖れはせん。それを真正面から見るばかりか、我が主の模範に倣って、それを我が身に引き受ける。腕のいゝ職人が週の六日を適当に働くならば、土曜の晩に少しぐらい酔っぱらったって、これは大目に見ていゝ。いゝかね、いまキリスト者の国家を、その反対のものによって定義して見よう。キリスト者の国家の反対は、悲しい国家、老人の国家だ。この定義はあまり神学的でないと君は言うだろう。よろしい。だが、それは日曜のミサに欠伸《あくび》をする者共を反省させるものを含んでいる。彼らが欠伸をすることは確かだ。まさか君だって、一週に僅か半時間ぐらいで、教会が彼らに喜びを教えることができるとは思うまい。また、たとい彼らがトラントの公会議の信仰箇条《カテシスム》を諳んじるとしても、そのために彼らは快活にはならないだろう。我々の子供の頃があんなに懐かしく、輝いて見えるのはいったい何によるのだろう? 子供には子供の苦しみがあり、しかも、苦痛や病気に対しては実に無力だ。幼年期と、極々《ごくごく》の老年期とは、人間の二つの大きな試煉でなければならん。だがまた、まさにその自己の無力感から、子供は彼らの喜びの原動力そのものをつゝましく汲み取るのだ。彼らは母を信頼する、分ったかね? 現在も、過去も、未来も、彼らの全生涯は一つの眼差しの中に保たれているのだ。そしてその眼差しは微笑なのだ。ところでだ、君、もし我々に任かしといてくれたら、教会は人類に、こういった種類の最高の安心を与えたろう。だが、そうであるからといって、それだけ各人の面倒が減《へ》るという訳ではない。飢渇、貧困、嫉妬、我々は悪魔をポケットに入れてしまうほど決して強くはならないだろう。だが、人間は自分が神の子であることを知ったろう。これは奇蹟だ! 人間はこの考えを頭に入れて――単に書物で学んだ思想ではない――生き、そして死んだろう。なぜなら、その考えは、我々のお蔭で、風俗、習慣、娯楽、遊戯から、その他いかなる日常茶飯事までもその精神に拠って行わせたろうからだ。だが、それは労働者が地を引掻くことを、学者が対数表を引張出すことを、或いはまた技師が大人のための玩具《おもちや》を組立てることを妨げはしなかったろう。たゞ我々はアダムの心から孤独感を消し去ったろう。神々の群を作り出したことで、異教徒もさほど馬鹿ではなかったと思われる。ともかく彼らはこの憐れな世界に、不可視界とのまやかしの妥協の錯覚を与えることに成功した。だが、そんな手は今日《こんにち》何の価値もない。教会を外《よそ》にしては社会は何処までも私生児の社会、捨児の社会だ。無論、まだそこにはサタンによって認知される希望が残ってはいる。だが、それも所詮空しい希望だ! 彼らは彼の黒クリスマスを持つがいゝ! 暖炉の中に彼らの靴を置くがいゝ! だが、悪魔ももう、考案する側《そば》から忽ち流行遅れになってしまういろいろの代物をその中に入れることには疲れて、コカインとか、ヘロインとか、モルヒネとか、大して手のかゝらぬつまらぬ粉薬の一包ぐらいしか入れなくなった。可哀そうな奴らは罪までも使い古してしまうだろう。娯しまんとする者すべて娯しまず、だ。四スーの小さい人形でも、子供は優にひと季節を娯しむことができるが、これが爺さんとなると、五百フランからする玩具《おもちや》の前でも欠伸をするだろう。なぜか? 彼は幼児《おさなご》の心を失ったからだ。処でだ、教会はこの幼児の心を、この無邪気さを、この瑞々しさを、世の中に保つ務を神さまから負わされているのだ。パガニスムは自然の敵ではなかった。たゞ、クリスチャニスムだけがそれを拡大し、高揚し、人間の標準まで、人間の夢の標準まで、高めるのだ。わしを文盲主義者《オプスキユランチスト》扱いする似而非学者連中の一人をつかまえて、わしはこう言ってやりたい。『わしが墓掘人足の服を着ているからって、これはわしの科《とが》ではない。とまれ、教皇《パーム》はまさに白服だし、枢機卿《カルヂナル》は緋服だ。わしにはサバの女王のように着飾って歩く権利があるだろう。なぜなら、わしは喜びを懐いているからだ。もしも諸君がそれをわしに求めるならば、わしはそれを諸君に無償で与えるだろう。教会は喜びを、この悲しむべき世界のために準備してある喜びの全部を、預っている。諸君が教会に反してしたことは、諸君はそれを喜びに反してしたのだ。わしは諸君が歳差を計算したり、原子を破壊したりすることを妨げるだろうか? だが、もしも諸君が生命の意義を見失っているとしたら、生命を作り出すことが諸君に何の役に立つだろう? 諸君の蒸溜器《レトルト》の前で頭を打《ぶ》ち割った方が優《ま》しだろう。好きなだけ生命を作り出すがいゝ。だが、諸君が死について与える心象《イメージ》は、憐れむべき人間どもの思考を次第に毒し、彼らの最後の喜びを曇らし、色褪《あ》せさせる。それでもまだ、諸君の工業と諸君の資本とが、金属の響と火花の散乱との中に、眼も眩むような速度で回転する機械でもって、この世界を市《いち》めかすことを許す間は、どうにか行くだろう。だが、ほんの十五分でいゝ、静かにしていて見給え。そうすれば、彼らは聞くだろう――彼らが聴くのを拒んだあの声が静かに『我れは道なり、真理なり、生命なり』というのをではなく――深淵から上《のぼ》って来るあの声が『我れは永遠に閉ざされた扉、出口なき道、虚偽、永遠の罪なり』と言うのを。」
主任神父さんはこの最後の言葉をいかにも陰い調子で言った。で、恐らく私は蒼くなったに違いない――いや、黄色くなった、と言った方がいゝかも知れない、それがこの数ケ月来の私の蒼ざめ方なのだから。――なぜなら、神父さんはジンをもう一杯注いでくれ、話題を変えたからだ。その快活さは佯《いつわ》りのようにも、また、よそおっているもののようにも見えなかった。なぜなら、それは彼の天性であり、彼の魂が快活なのだと私は信ずるからだ。だが、その眼差しはそれと調子を協せることに直ぐには成功しなかった。別れ際に、私が身を屈めると、彼は拇指で私の額に小さい十字を切って、百フラン紙幣を一枚、私のポケットの中へ押し込んだ。
「きっと一スーも無いんだろう。最初は骨の折れるものだ、返せる時が来たら返して貰おう。じゃあ、帰り給え。わしたち二人の間のことは馬鹿どもには決して言い給うな。」
・・・「牛に新しい藁を持っていってやり、驢馬に鉄櫛《かなぐし》をかけてやる。」この言葉が、今朝《け さ》スープを作るために馬鈴薯の皮を剥《む》いていると、頭に浮かんだ。ちょうどその時だ、村の助役が私の背後《うしろ》へやって来て立った。私は薯の皮を払い落す隙もなく椅子から立ち上った。我ながら、さぞいゝ恰好だったろうと思う。それはともあれ、彼はよい便りを齎したのだった。村では私が井戸を掘らせることを承知するというのだ。それでまあ、どうやら、泉に水を汲みに行ってくれる聖歌隊の子供に払う週に二十スーの金が助かるというものだ。だが、私は彼のやっている酒場《キヤバレ》について一言《ひとこと》いいたいと思った。というのは、彼はこの頃では毎木曜日と毎日曜日に舞踏会を催し、木曜日のそれを『家族の舞踏会』などと呼んで、工場の小娘たちまで引き寄せ、青年たちは彼女たちに酒などを飲ませて悦んでいるからだ。
だが、私は思い切って言い出せなかった。彼には、さあ承りましょうと言った調子で、変ににやにや笑いながら人の顔を見る癖があるが、そうされると、こっちは、何を言っても結局それが下らないことになりそうで、却って喋る気がしなくなるのだ。ともかく、自宅《う ち》へ訪ねていった方がいゝだろう。妻君が重い病気で、数週間前から引き籠っているから、訪問の口実はつく。彼女は評判はさして悪くはなく、かつては教会の勤めもかなりきちんと守ったということだ。
………「牛に新しい藁を持っていってやり、驢馬に鉄櫛《かなぐし》をかけてやる……」、よろしい。だが、簡単な仕事、必ずしも容易だとは限らぬ。動物は、要求も少いし、またいつも同じだ。ところが、人間となると! 田舎の人間の単純さということがよく言われることは、この私も知っている。だが、百姓の息子である私は、寧ろ彼らは恐ろしく複雑だと信じている。ベテュウヌで、初めて私が助任司祭を勤めた頃、私たちの受持っていた若い労働者たちは、打ち解けるが早いか、早速彼らの打明け話で私を悩まし、絶えず自分自身を定義しようと努め、自分自身を労《いたわ》る気持に溢れていることが感じられた。ところが、百姓が自分自身を愛することは稀だ。そして彼が、彼を愛する者にいかにも冷酷な無関心を示すとしたら、それは人が彼に齎す愛情を疑うからではない。彼は愛情なんて寧ろ軽蔑するだろう。無論己れを矯正しようなどとは大して努めない。だがまた、欠点や悪徳に対してイリュージョンを懐くことも稀だ。彼はそれらを予め革《あらた》め難いものと判断して、謂はゞそれらの役に立たなくって金の経《か》かる動物をなるべくそっとして置いて、最小限度の経費で養うことをもっぱら心掛けながら、一生辛抱強く堪えてゆく。そして、よくあるように、彼ら百姓の常に秘かな生活の静寂の中に、それらの怪物の食慾が次第に増大してゆく時には、もはや老人は辛うじてそれに堪えてゆくばかりで、あらゆる同情はかえって彼を激昂させるのだ。なぜなら、彼はそれが、彼の体力、仕事、財産を徐々に蚕食してゆく内心の敵と通謀していはしないかと疑うからだ。そこで人々は、死の床で、その吝嗇が畢竟、一つの残酷な復讐に過ぎず、多年容赦のない厳しさでもって堪えて来た一つの自ら求めた罰に過ぎないような年老いた道楽者に出遭うのだ。そして断末魔に当ってまでも、苦痛のあまり、発する言葉はなおも自己に対する、それに対しては恐らく赦しの存在しない、憎悪を証明しているのだ。
・・・二週間前に立てた、雑役婦を使わないでやってゆこうという決心を人々はかなり誤解しているらしい。雑役婦の亭主のペグリオが猟番として旧領主に雇われることになったことが、事を一層複雑にしているのだ。ペグリオは昨日《きのう》サン・ヴァアストで宣誓までして済ましたそうだ。それなのに、葡萄酒の一樽を買ってやって大いにいゝことをしたつもりか何かでいた私は! そんな訳でフィロメエヌ伯母さんの送ってくれた二百フランもふいにしてしまったのだ。なぜなら、ペグリオはもうボルドオの葡萄酒会社の外交はやめてしまっていたのだから。それでも彼は注文だけは会社へ通じた。私の僅かばかりの散財の利益はすべて彼の後継者の懐ろへ入ることになるだろう。なんという馬鹿げたことだろう!
・・・そうだ、なんという馬鹿げたことだろう! 私はこの日記が、自分でも多少反省できる稀な瞬間々々にいつも逃げてしまう私の考えを繋ぎ留めるのに役立つことを望んでいた。私の考えでは、この日記は、神さまと私との対話、祈祷の延長、また、恐らくは私の激しい胃痙攣のためだろうと思われる。いまだにあまりに屡々堪え難く思われる説教の困難を避ける手段である筈だったのだ。ところが、その結果は、あの、時には解放されたように思われることもあった無数の小さい日々の煩いが私の憐れな生活の中に占めている途方もなく大きな席を私に発見させる結果になったのだ。私は御主《おんあるじ》が、我々の労苦の一部を、たといそれが無益なものであっても、引受け、少しも軽んじ給わないということを、よく知っている。だが、寧ろ次第に忘れるように努力すべき事柄を紙上に留めて何になろう? しかもなお悪いことは、私がこれらの述懐に甚だ大きな快感を覚えることで、これは充分警戒すべきことだ。誰にも見せぬ心算《つもり》のこれらの頁をランプの下《もと》で書き綴っている間、私は或る眼に見えぬ存在を身近かに感じる。それは確かに神のそれではなくて、私とは別箇のものであり、本質を異にしてはいるが、私に象《かたど》って作られた或る友のそれである。……昨夜《ゆうべ》は、その存在が、突然、あまりにはっきりと感じられたので、思わず私はその何者とも知れぬ架空の聴き手の方へ頭《かしら》を垂れて、恥ずかしいことながら泣きたいような衝動を感じたのだった。
ともかくも、実験を、最後まで――というのは、せめて数週間、という意味だが――続ける方がよい。頭に浮かぶことを何でも構わず書くように努めよう(まだ或る形容詞の選択にあたって躊躇したり、訂正したりしなくなることがある)。それから書いたものを抽斗の奥へ蔵いこみ、ほど経て頭が静まってから、また読み返して見よう。
今朝《け さ》、ミサのあとで、ルイズ嬢と長話をした。今日まで平日のミサに彼女を見ることは稀であった。というのは、彼女の旧領主邸での家庭教師の地位が私たち二人に深い戒慎を要求したからだ。伯爵夫人は彼女を大いに尊敬している。彼女は聖クララ修道会へ入りたかったらしいが、去年まで生きていた体の利かなかった老母のために自分を犠牲にしたのだった。伯爵の二人の男の子は彼女を熱愛しているが、不幸にして、長女のシャンタル嬢は彼女に少しも好意を示さぬばかりか、彼女を辱かしめ、彼女を召使扱いすることに快感を覚えているようにさえ見える。恐らく子供らしい悪意に過ぎないだろうが、彼女の忍耐心を残酷に試《ため》すものであるに相違ない。なぜなら、伯爵夫人から聞くところによれば、彼女は相当の家の娘であり、高等教育も受けているということだから。
伯爵家では私が雑役婦を使わずにやってゆくことにはどうやら同意しているらしいが、しかし、たとい原則的にでも、言いかえれば、週に一二度でも、雑役婦を雇う方がより好ましいと考えているらしいのだ。勿論これは原則の問題だ。私は非常に住み心地のよい司祭館に、言いかえれば、伯爵邸の次にはこの土地で一番立派な家に住んでいる。それでいて、自分で濯《すゝ》ぎ洗いなどをするとなると、どうもわざとらしく見えるのだ。
それに、私より別に裕福でもないのに、僅かな収入でうまく遣り繰っている同僚たちの中で、私だけが人と違ったことをすることはおそらく許されないだろう。私は、富んでいるとか、貧しいとかいうことは大した問題ではないと、本気に考えている。たゞ上の人たちが一度はっきりこの問題を決《き》めてくれゝばと思っている。我々がその中で生活することを余儀なくされているこの裕福そうな構えは我々の貧しさとはいかにもそぐわぬものなのだ……いっそ貧乏を看板にすれば、その方が結句楽なのに、いったい、何のためにこうした体面を保たなければならぬのだろう。何のために我々はこうして齷齪しなければならぬのだろう。
私は初歩の教理問答《カテシスム》の授業に、言いかえれば、ピオ十世教皇の勧めによる私的聖体拝領の準備に、いくらかの慰めを期待していた。今日《きよう》も、墓地に子供らの声を聞き、門口に鋲を打った小さい木沓の音を聞いた時、私は胸が切なくなった。「幼児《おさなご》を我が許に来らしめよ」……胸一つに収めて置かねばならぬことを、また、そこに立ったならば飽迄も慎重でなければならないとくれぐれも戒しめられている説教壇では口にすることの出来ぬことを、易しい子供の言葉で彼らに話して聞かすことを私は夢見ていた。いや、勿論、私は決して誇張するつもりはないが、ともかくも、私は、政党問題とか、公民権とか、或いはまた、あの唾棄すべき物の教訓、そうだ、それはまさに物の教訓以外の何物でも、それ以上の何物でもないが、とは別の事柄について彼らに話さなければならないことをひどく誇りにしていた。あゝ、物に教えられる人間! その上、私は、或る種の言葉、或る種の形容、即ち嘲笑や、当てこすりのそれが唇に浮かぶ時、若い司祭の誰しも感ずる一種の殆んど病的な恐怖――それは我々の感激の腰を折ってしまうものであり、至極陣腐な、だが、安全な、それだけに何人をも刺激せぬ、そして漠然さと退屈さとで皮肉な批評の鉾先を鈍らせる効力をせめては有っている語彙に依る教義上の厳《いか》めしい教訓で我々を強いて満足させるものであるが――からも解放されていた。そういう説教を我々がするのを聞いていたならば、人々は恐らく、我々が所謂唯心論者の神、最高の存在者、言いかえれば、我々の悩みを悩みとし、我々の喜びを喜びとし、我々の臨終の苦しみをも共にし、我々をその腕に、その胸に抱き締めてくれる生きた至上の友として識るように教えられている主《しゆ》とは凡そ似もつかぬもの、を説いているように思うだろう。
私は直ぐに男の児たちの抵抗を感じて、口を緘《つぐ》んだ。要するに、動物から得る早熟な知識――これは避け難いものだが――に、今では週に一度の映画のそれが加わるとしても、それは彼らの科《とが》ではない。
彼らの口が初めてそれを綴ることができた時からすでに、愛という言葉は、蝦蟇《が ま》かなんぞのように、石を投げ打ち、笑って追うべき滑稽な言葉、汚《けが》れた言葉であったのだ。しかし女の児たちは私に幾らかの希望を与えた、――殊にセラフィタ・デュムウシェルは。これは、快活で、小ざっぱりした、浄らかな、だが、幾分大胆な眼差しをした、教理問答《カテシスム》のクラス中一番出来のいゝ生徒だ。私は次第に、他の不注意な仲間の中から特に彼女に注目する習慣がつき、屡々彼女に質問し、幾分彼女一人だけのために話しているような風があった。先週香部屋で彼女のその週の褒美に美しい聖画《ご え》を与えた時、私は思わず彼女の肩に両手を置いて言った。「早くイエズスさまをお受けしたいだろう? 待ち遠しくはないかい?」彼女は答えた。「いゝえ。…なぜですの? 来る時が来れば来ますわ。」私は不意を打たれたが、さして腹は立たなかった。子供の悪意というものを知っているからだ。私は重ねて言った。「だが、お前はよく分るね? 私のいうことをよう聞いているからね。」すると彼女の小さい顔が急に硬張り、私をじっと見守りながら答えた。「それはあんたがとても綺麗な眼をしてるからよ。」
私は勿論たじろがなかった。私たちは一緒に香部屋を出た。すると、耳語《さゝや》き合っていた仲間の女の児たちが急におし黙り、やがてぷっと噴き出した。確かに、彼女たちは予め諜し合わせていたのだ。
その後も私は態度を改めないように努め、彼女たちなどは相手にしない振をしていた。しかしこの可哀そうな娘は、恐らく他の娘たちに焚附《たきつ》けられたのだろう、いっぱし一人前の女のような顔附をして、私の顔をじろじろ見たり、靴下留代りの紐を結び直すためにスカートをたくし上げたりするのだ。どうせ、子供は子供なのだが、それにしてもあの娘たちはどうしてあゝ私に敵意を懐くのだろう? 何を私は彼女らにしただろう?
修道士たちは人々の霊魂のために苦しむ。が、我々は人々の霊魂によって苦しむ。昨夜《ゆうべ》ふと心に浮かんだこの考えが、終夜天使のように私を守っていた。
・・・アンブリクウルの任地に就いた記念日。既に三ケ月! 私は今朝《け さ》、私の教区、私の可哀そうな教区――私の最初の、そして最後の――なぜなら、私はそこで死ぬことを希《ねが》っているからだ――のために心から祈った。私の教区! 感動なしに、というか、愛の衝動なしには、口にすることのできぬ言葉だ。しかも、この言葉は私の心にまだ漠とした観念しか惹き起さない。私は教区が現実に存在していることを、また我々が互いに永遠に結びつけられていることを知っている。なぜなら、教区こそは不滅の教会の生ける細胞であり、行政上の擬制ではないからだ。しかし、私は神さまが私の眼と耳とを開いて下され、私の教区の顔を見、声を聞くことを許して下さることを望んでいる。果してこれはあまりに多きを望み過ぎることであろうか? 私の教区の顔! その眼差し! それは穏かな、淋しい、辛抱強い眼差しであるにちがいない。そして、それは私が〓くことを止《や》め、我々一同を、即ち生者をも死者をも共々に遥かな永遠へと運んでゆくあの、眼に見えぬ大きな流れに身を委ねる時の、私の眼差しにいくらか似ているように、私は想像する。そしてその眼差しはまた全キリスト教徒の、言いかえればすべての教区の、更に言いかえれば……恐らくは全人類のそれではないだろうか? 神が十字架の上から見給うた時の眼差し。彼らはその為すところを知らざるが故に、赦し給え…………
(私は、ふと思いついて、この一節に少し手を加えて、それを日曜の説教に利用した。教区の眼差しという言葉は人々を微笑させた。で、私は文句の途中で、喜劇を演じているという、悲しいかな、甚だ明瞭な印象を受けて、言葉を切った。だが、私が真剣であることは神さまが御存じだ。しかし我々の心をあまりに動かした形容にはいつも何か曖昧なものがある。トルシイの主任司祭が聞いたら、恐らくは私を叱ったろう。ミサの後で、伯爵はあの変に鼻にかゝる声で言った。「今日は上出来でしたねえ。」と。私は穴あらば入りたかった。)
・・・ルイズ嬢が、次の火曜日、伯爵邸に昼餐に来るようにとの招待を伝えた。シャンタル嬢が傍らにいるので少し気づまりだったが、それでも断りの返事をしようとすると、ルイズ嬢が承諾するようにと、そっとめくばせをした。
雑役婦が火曜毎にまた司祭館へ来ることになった。伯爵夫人が週に一度の日給を払ってくれるというのだ。私は下著類があんまりひどくなっていて恥ずかしいので、シャツとスボン下とハンケチを三枚買いに、今朝サン・ヴァアストまで一走りいって来た。それで、トルシイの主任神父さんの百フランも綺麗にはたいてしまった。その上、昼食を食べさせなければならないし、働く女は相当の食物が必要だ。幸いあのボルドオが役に立つ。私は昨日《きのう》それを壜に詰めた。少し濁っているようだったが、それでもいゝ香りがする。
日が経《た》つ、日が経つ……しかもそれらはなんと空しい日々だろう! 日々の仕事はどうにかしおおせるが、自分に立てた小さい計画の実行は絶えず明日《あ す》に延ばしている。確かに方法を欠いているのだ。その上、どれほどの時間を、私は路上で過ごすことだろう! 一番近い分教会でも三キロはたっぷりあるし、もう一つは五キロからある。自転車も大して役には立たない。なぜなら、坂道を登ると、殊に断食している時には、必ず胃が烈しく痛むからだ。地図の上ではあんなに小さいこの教区なのに! ……年齢も身分も似たもので、同じ規律に服し、同じ学業に従っている僅か二三十人ぐらいの学級ですら、二学期に入って――時にはもっと経《か》かることもあるだろう――漸く教師に知られることを考えると!…… 私の生命が、私の生命のすべての力が、砂の中に空しく吸われて行くように感じられる。
ルイズ嬢はこの頃毎日ミサに与《あず》かる。しかし彼女は、彼女の存在に私が気づかないことがあるほどそっと現れて、そっと消える。彼女が来なかったら、聖堂は殆ど空《から》であったろう。
昨日《きのう》父親のデュムウシェルさんと一緒に歩いているセラフィタに出会った。この娘の顔は日に日に変って行くように思われる。前にはあんなに表情の変り易く、動き易かった顔が、近頃では年齢《と し》の割にひどく一徹に、冷酷に見える。私が彼女に話している間、彼女は私が思わず顔を赧らめずにはいられないほど、しげしげと私の顔を見守っている。両親に注意した方がいゝかも知れない。……だが、いったい何を注意するというのだ?
教理問答書の一冊の頁の間に、恐らくは故意に残したと思われる紙片を今朝《け さ》発見したが、それには下手くそな女の小さい絵が描いてあって、傍らにこう書いてあった。「神父さんのお気に入り。」と。私はいつも手当り次第に本を渡すので、この悪戯の張本人を探すことは不可能だ。
この種類の不愉快事は、どんなに規律正しい学校だって、ざらにあることだと、いくら自分に言いきかせて見ても、私の心は容易に鎮まらなかった。教師の場合なら校長に報告するだけで事は済むが、私の場合は……「霊魂によって苦しむ」、この慰めになる文句を、一晩中繰り返したが、天使は遂に戻っては来なかった。
・・・ペグリオのかみさんが昨日《きのう》来た。伯爵夫人によって定《き》められた額ではひどく不満足らしいので、私は自分のポケットから五フランを附け加えた。葡萄酒は、あまり早く壜に詰めたらしく、しかも注意が足らなかったので、どうやら駄目にしてしまったらしい。殆ど手をつけない壜を私は台所に見出した。
確かにこの女は不愉快な性格だし、礼儀も弁えない。だが、相手ばかりを責めてはならない。どうも私は物の遣りっぷりが下手で、変にぎごちなくなるために、相手を当惑させるらしい。だから、人を喜ばしたという感じを受けることは稀だ。恐らくはあまりに相手を喜ばせようと望み過ぎるからだろう。人は私が物惜しみするように思うのだ。
火曜、月例講演のために、エビュテルヌの主任司祭の許に集まる。歴史で学士号を取ったトマ神父の演題は『大革命、その遠因並びに近因。』というのである。十六世紀の教会の状態はまさに戦慄に価いした。講演者が話を進めて行くにつれて、話はいきおい稍々単調を免れなかったが、私は、聴講者たちの顔を観察していて、そこに、まるで古代埃及の王たちの物語でも聴くために集まっているような儀礼的な好奇の表情しか見ることができなかった。こうした外目《そとめ》にも明らかな無関心は、以前なら恐らく私を憤慨させただろう。だが、今では私はそれが大きな信仰の、恐らくはまた無意識な大きな自負の、徴《しるし》であることを信じている。この人々の中の誰一人として、たとい如何なる理由にもせよ、教会が危殆に瀕するなどとは信ずることができないだろう。ところで、確かに私の信頼もそれに決して劣りはしないのだが、たゞ恐らくは種類が違うのだろう。彼らの落著きは私に恐怖を感じさせる。
(自負という言葉を用いたことを私は少し悔いているが、しかも、これほど人間的な、これほど具体的な感情を表現するのに他に適当な言葉を見出すことができないので、それを取消すことはできない。要するに、教会は、実現すべき理想ではなく、それは現実に存在するものであり、彼らはその中にいるのである。)
講演の後で、私は私の立てた計画を怖々《こわごわ》述べてみた。しかもその箇条の半分を私は省略したのだったが。ところが、忽ち、そのほんの一部分を実行するにしても、一日が四十八時間なければならず、また私などの全然持ち合わさない、また永久に持てそうにもない個人的影響力が必要であるということが指摘された。幸いにも人々の注意は私から逸《そ》れて、その方面の専門家であるランブルの主任司祭が、農村金庫や、農業組合の問題について堂々と論じた。
私は、雨の中を、かなり淋しい気持で帰って来た。少しばかり飲んだ葡萄酒が激しい胃痛を惹き起した。秋以来私がひどく痩せたことは確かだし、また顔色もますます悪いに違いない。なぜなら、誰ももう私の健康については何も言わなくなったからだ。あゝ、もしも私に力が欠けてゆくとしたら! どうしても、神が私を、真に――徹底的に――用いられるとは、即ち他の人たちのように使用されるとは思えない。私は日増しに自分の実際生活の最も初歩的な事柄に対する無智に驚く。そんなものは誰だって、教わらなくとも、一種の勘で知っていることなのに。勿論私は誰彼よりも特に馬鹿でもなし、いつの間にか習い覚えた公式的な言葉を使っている分には、理解したような錯覚を人に与えることはできる。だが、誰にとっても明確な意味を有しているそれらの言葉が、私には全然弁別がつかず、その結果、まるでトランプの下手な男がいゝ加減に札を出すように、それらを手当り次第に使うことになる。人々が農村金庫について論じている間、私はまるで大人の話に子供が交っているような感じを受けた。
この頃はパンフレットが洪水のように氾濫しているが、そのために特に私の同僚たちが私より知識があるとは思えないが、しかも、そういう問題になると、急に彼らが所を得たようになるのを見て、私は呆気《あつけ》にとられる。彼らは大抵貧乏だ。それでいて思い切りよく諦めている。だからといって、金《かね》の問題が彼らに対して魅力を持たないという訳ではない。彼らの顔附は忽ち真剣になり、自信を帯び、それが私を尻込みさせ、沈黙を強い、殆ど尊敬の念をさえ起させるのだ。
私は永久に実際家にはなれそうもない。経験を積んでも物にはならない。皮相な観察者にとっては、私は同僚たちと少しも違わない、百姓の伜だ。だが、私は、作男、人足、女中といった、ひどく貧乏な人間の血を引いているのだ。所有の観念は我々には欠けている。我々はそれを何世紀もの間に失ってしまったのだ。その点では、私の父は私の祖父に肖ていたし、そのまた租父は、一八五四年の恐ろしい冬に餓死したその父に肖ていた。二十スー一枚握れば、もう矢も盾もたまらず、彼ら仲間を誘って飲みにいった。小神学校の私の学友はこの点を見誤らなかった。私の母がいくら一張羅のスカートをつけて、取っときの帽子を冠っても、やっぱりあの卑屈な、こそこそした風は隠せず、他人の子を育てる貧乏人のあの憐れな微笑は抜けないのだった。これがもし所有の観念だけが私に欠けているのだったら、まだしもなのだが、どうやら私は所有することを知らない以上に命令をすることを知らぬらしいのだ。そうなると、事は重大になる。
だが、まあ、いゝ! 平凡な、才能のあまり無い生徒でも、優等生になることがある。勿論、決して冴えはせぬ。私は自分の持って生まれた性質を変えようなどという野心は持たない。たゞ好き嫌いを征服しようというのだ。たとい何よりも先に霊魂に対して義務を負うているとしても、私は、私の教区の生活にそんなに大きな位置を占めている全体として正当な関心事に無智であっていゝという法はない。村の小学校の先生は――巴里児なのだが――輪作と肥料について度々講演をする。私もこういった問題についてこれから大いに勉強しよう。
また大多数の同僚に倣って、スポーツの団体を作ることにも成功しなければならない。村の青年たちは、蹴球や、拳闘や、ハイキングに夢中だ。そういった種類の娯楽が――勿論、これも正当なものだが――私の趣味に合わないからといって、そんな話の相手をしないという訳にはゆかぬ。私の健康状態は私に徴兵の義務を果すことを許さなかったくらいなのだから、彼らと一緒にそれらのスポーツを娯しもうと考えるのは凡そ笑止なことだ。だが、伯爵がかなりきちんきちんと貸してくれるエコ・ド・パリ誌のスポーツ欄を読むだけでも、情勢に通ずることはできる。
昨夜《ゆうべ》、以上を書き終えると、私は、寝台の脚下《あしもと》に跪いて、私の立てた決心を祝福して下さるように御主《おんあるじ》にお祈りした。すると、突然、私の青春の夢や、希望や、野心が崩れ落ちるような感じがして、私は熱に震えながら床に就き、暁方になって漸くまどろむことができた。
・・・ルイズ嬢は、今朝《け さ》ミサの間中、顔を両手に埋めていた。終りの福音《ふくいん》の時に、私は彼女が泣いていたことに気がついた。孤独であることは辛い、が、無関心な人間共、或いは忘恩者共と自分の孤独を分つことは尚更辛い。
或る化学肥料会社の外交をやっている小神学校時代の同窓生を伯爵の家令に紹介するなどという余計な考えを起してから、小学校の先生は私に挨拶をしなくなった。先生もベテュウムの或る会社の代理店をやっているらしいのだ。
・・・次の土曜、私は伯爵邸へ昼食にゆく。この日記の主たる、或いは唯一の効用は自分自身に対して飽迄も率直である習慣を養うことにあるのだから、私はそのために迷惑は感じていないということを、寧ろ多少得意にしているということを告白しなければならない。この感情を私は別に恥じない。伯爵夫妻は司祭仲間では評判が悪いという噂だし、無論若い司祭は社交界の人々に対しては自己の独立を保ってゆかなければならない。だが、この点でも、他の多くの点と同じように、私はひどく貧しい人間の子孫で、己れの生命を磨り減らす忘恩な土地と取組んでいる自作農の、その同じ土地から年貢だけを搾取している有閑階級に対する嫉妬とか怨恨とかいうものは知らない。我々はもうずっと前から貴族などとは没交渉なのだ。我々はまさに数世紀この方この自作農に隷属しているのであり、これほど満足させることの困難な、冷酷な主人はないのだ。
・・・デュプレティ神父から非常に奇妙な手紙を受取った。デュプレティ神父は私の小神学校の同窓で、何処やらでその学業を終え、最近の消息では、彼はアミアンの大教区の或る小さい教会の仮主任司祭になったが、それは名義だけで、病気で、人に代って貰っているというようなことだった。私は彼に対しては非常に楽しい、懐かしいといってもいゝほどの思出を懐いている。当時、信心の手本にされていたものだが、私としては、秘かに、あんまり神経質で、感情的だと考えていた。三学年の時、礼拝堂で席が近かったが、彼がよく、いつもインキで汚れている真蒼な小さい両手に顔を埋めて、啜り泣いているのを聞いた。
手紙はリル市の発信になっている。(そう言えば、もと憲兵だった伯父がそこで食料品商をやっているということを聞いたように思う。)恐らくは病気が原因で去ったと思われる主任司祭職のことには一言も触れていないので、私は不思議に思った。肺病になりかゝっているということだったが、彼の父も母もそれで死んだのだった。
雑役婦を置かなくなってから、郵便配達夫はいつも郵便物を扉の下へ挿し入れて行く。私は、床に就く時、ふとその封書をみつけた。床に就く時は私にとっては非常に不愉快な時なので、私はそれを出来るだけ先へ延ばすようにする。胃の痛みというものは大抵我慢の出来るものだが、長くなると、これほど単調なものを想像することはできない。想像は、段々、上の方へ働いて来て、頭が捉《つか》まる。そうなると、起き上らずにいるのにはかなり勇気が要る。だが、その誘惑に負けることは稀だ。それは寒いからだ。
そこで、私は悪い便りの、いや、もっと悪いことには――悪い便りのひと連《つな》がりの予感を懐きながら封を切った。これは無論、よくない心構えだ。が、ともあれ、その手紙の調子は私には不愉快だった。その快活さは何か強いられたもののようで、それは、たとい一時的にしろ、勤めをすることができなくなっているとすると、どうも不謹慎なようにさえ思われた。「僕を理解してくれるのは君だけだ。」と彼は書いていた。なぜだろう? 私よりもずっと頭の冴えていた彼は、いくらか私を軽蔑していたことを私は思い出す。だが、無論、そのために私は尚更彼を愛したのだが。
至急会いに来てくれというから、早速何とか言ってやろう。
・・・伯爵邸のあの近い訪問がひどく気にかゝる。私の胸に懐いている大計画の――その実現を恐らくは伯爵の富と勢力とは可能にするだろうと思われるが――成功不成功は一にこの初対面の印象如何に懸っている。まるできまったように、私の無経験と愚鈍と妙な運の悪さとは、どんなに簡単な事柄をも、面白いようにこんがらからせる。そこで、私の大他処《よ そ》行きのスータンは今ではひどくだぶだぶになってしまっているし、その上、ペグリオのかみさんは、それも私に頼まれてだが、汚点《し み》を抜いてくれたのはいゝが、遣り方が拙《まず》かったので、ベンジンがひどい隈《くま》をつくってしまって、まるで脂の濃過ぎるスープの上に浮くあのギラギラみたいだ。いつも著ている、ひどく、――殊に肱に――継ぎの当っているのを著てゆくのは相当辛《つら》い。貧乏を売物にしているように見えやしないかと冷々する。人は何を思うか知れたものではない。
尚また、私は、食べられる状態でありたいと思う――せめて注意を惹かない程度に。だが絶対に予見はできない。私の胃は気紛れだ。ちょっとした警報にも、即ち右の横腹にいつもの軽い痛みが起ると、私はブレーキでも懸けられたように、また痙攣にでもかゝったように感じ、口は乾き、もう何も咽喉を通らなくなるのだ。
これは不便だが、それだけのことだ。私はこんなことは平気で我慢する。私は弱虫ではない。私は母に肖ている。「お前の阿母《おふくろ》は強い女だったよ。」とエルネスト伯父はよく言うが、貧しい人間にとっては、それは疲れることを知らない、決して病気にならない、死ぬのに金の経からない家婦を意味するものだと思う。
・・・伯爵は私が助任司祭の頃近附いたことのあるどんな大実業家によりも寧ろ私のような百姓に確かに似ている。要するに、気が置けなかった。それにしても、いったいどうして、あゝいう上流の人たちは、他の人間と大して違っているようにも見えないのに、そのすることは誰にも真似が出来ないのだろう。私は人からちょっとでも敬意を表せられるとすっかりどぎまぎしてしまうのに、あの人たちは、その尊敬が私の帯びている資格だけに対するものだということをいっときも忘れさせないで、しかも謙譲なまでに行き得た。殊に伯爵夫人は申分がなかった。夫人はごく簡単な室内著を著ていて、その白髪《しらが》まじりの髪の上には、被頭《かつぎ》風のものを冠っていた。それは私の死んだ母が日曜に冠っていたものを思い出させた。私はそのことを夫人に言わずにはいられなかった。だが、説明がひどく下手だったから、分ったかどうか。
私たちは一緒に私のスータンについて大笑いした。これが他処だったら、人々はそれに気附かぬ振りをしたろうし、そのために却って私は責苦に遭ったろう。なんて自由に、あの貴人たちは金銭について話すことだろう。しかし、それに触れるすべての事について、なんて慎しみ深く、上品なのだろう! 紛れもない、正真正銘の貧乏は、一気に諸君を彼らの信頼の裡に導き入れ、彼らと諸君との間に一種の馴合いめいた親密さを作り出すように思われる。私はそのことを、珈琲の出る時になってヴェルジェンヌ夫妻(去年ルウヴロワの邸を買った大金持の旧製粉業者の夫婦だ)が訪ねて来た時、よく感じた。彼らが帰ったあとで、伯爵は、「やれやれ、これでやっとまた我々だけになった!」という意味のはっきり現れた幾分皮肉な眼附をして見せた。しかも、シャンタル嬢とヴェルジェンヌの息子との結婚の話は盛んに出た。……が、そんなことはともかく、さっき下手に説明したあの感情の中には儀礼――たとい心からのものにせよ――以外のものがあるように思う。物腰だけでは万事の説明はつかない。
無論私は、伯爵が私の青年事業の目論見の一つであるスポーツ団体にもっと熱意を示してくれることを望んだろう。自身協力できないまでも、なぜラトゥリエエルの小さい土地と、たゞ遊ばせてある古い納屋とを貸してはくれないのだろう? あれがあれば、遊戯室でも、講演会場にでも、幻燈室にでも、何にでもなる。私は与えることも下手だが、求めることもそれに負けずに下手なのを自分でもよく感じる。人は考える余裕を残しておきたがるのに、私はいつも私の心の叫び、私の熱情に相手のそれがすぐさま応えることを期待する。
伯爵邸を遅くなって、いや、あまりに遅くなって出た。私は暇を告げる術《すべ》をさえも知らない。時計の針が一廻りする毎に、その意志は示すのだが、引止められるまゝに、立つことができないのだ。何時間経《た》っても同じ調子だったろう。到頭私は思い切って出た、――何を言ったか覚えてもいないが、漸く一言《ひとこと》言って。その癖、私はその時何かよい便りを、素晴らしい便りを、大急ぎで友だちの所へ持って行こうとでもしているようないそいそした気持がしていた。すんでのことに、私は、司祭館への途で、走り出すところだった。
・・・大てい毎日、私はジェエヴル街道から司祭館へ帰るようにしている。坂の上で、雨の日でも風の日でも、私は、そこに幾冬も前から置き忘れられている、そろそろ腐りかけているポプラの倒木に腰を下ろす。寄生植物がそれを莢《さや》のようにくるんでいるが、それを私は私の思想状態、或いはその日その日の空模様によって、醜いとも、美しいとも感じた。この日記をつけることを思いついたのも其処であって、恐らく他の何処でもそれは思いつかなかったろうと思う。生垣に区切られ、林檎の樹の植わっている牧場と森ばかりのこの地方では、村がまるで手の平《ひら》の凹《くぼ》みに一かたまりになっているように見渡されるこうした見晴し場所は他にはみつけられないだろう。私は村を眺めるが、まだ一度も村の方で私を眺めているように感じたことはない。その癖私の存在に気が附かないのではない。謂わば村は私に背を向け、猫みたいに眼を半ば閉じて、横目で私を窃《ぬす》み見ているのだ。
何を村は私に欲しているだろう? いや、果して何物かを私に欲しているだろうか? その場所で、私以外の人間、例えば一人の金持なら、練土《ねりつち》のそれらの家々を評価し、畑や牧場の正確な面積を目測し、必要な金を支出して、それが彼のものになることを夢見ることができるだろう。だが、私には出来ない。
たとい何をしようと、私の血の最後の一滴までもそのために流そうと(事実私は時々村が私をその丘の上で十字架にかけ、せめて私が死ぬのだけは眺めることを想像することがある)、私はそれを所有しないだろう。その時それがそんなに白く、そんなに真新しいのを見ても(諸聖人の祝日を機会に、彼らは彼らの壁に青粉《あおこ》を交ぜた石灰乳を塗ったばかりだ)、それが数世紀前からそこにあることを私は忘れることはできないし、その古さは私に恐怖の念を起させる。十五世紀に、私も亦そこの一逗留者に過ぎぬ小さい教会が建てられた、そのずっと前にも、それはそこに辛抱強く、暑さ、寒さ、雨、風、日光を、或る時は栄え、或る時は貧しく、それが汁を吸い上げ、そこへその死者たちを送り返したその一片の土地に獅噛みついて、堪えていたのだ。いかにその生活の体験は秘かで、深いことだろう! その土地は私をも他の人々と同じように迎えるだろう、きっと他の人々よりはもっと早く。
・・・私が誰にも打明けない或る種の考えがあるが、しかもそれらは私には狂気染みては見えない。それどころではない。もしも私が、特に社会の保存を――というのは要するに自己の保存をだが――第一に念頭に置いている多くのカトリック教徒が好んで私に演じさせようとする役割に甘んずるならば、いったい私はどうなるだろう。おゝ、私はそれらの紳士たちを偽善者として責めはしない。私は彼らを誠実だと信ずる。単に習慣を、時には更に単なる語彙だけを、――その字句は、それらが決して何物をも問題にしないですべてを正当化してしまうほど、それほどよく磨かれているし、使用によって磨り減っているのに――擁護しているに過ぎないどれほど多くの人間が、自分たちは秩序に執著していると称することだろう? あゝ、言語の如き不安定な、形のどうにでもなるものに最も貴重なものを託さなければならないということは、人間の最も不可解な不幸の一つだ。その都度《つど》鍵を検べ、自分の錠前に当て嵌めて見るには多くの勇気を要するだろう。大ていの人間は手当り次第の鍵を取上げて、多少無理をしてでも、閂子が動きさえすれば、それでよしとする。保守派の人々の鍵を使いさえすれば、誰の目も覚まさせずに門口から静かに入れるものを、強いてダイナマイトで壁を破壊しようとして骨を折る革新家たちに私は感嘆する。
今朝《け さ》、旧友の二度目の手紙を受取ったが、前のよりも尚一層妙だ。それはこう結んでいる。
「健康が勝れない。これだけが心配の種だ。というのは、散々嵐を凌いだ後で、やっと港に入る時になって、死ぬのは辛いからだ。Inveni portum.(港を見出せり。)でも、僕は病気を恨まない。病気は僕が必要とした、そして病気にならなかったら決して得られなかった暇を僕に与えた。僕は或る療養所でこゝ一年半を過ごした。お蔭で人生問題を真剣に掘り下げることができた。少し考えたら、君も僕も同じ結論に達すると思う。Aurea mediocritas.(中庸は金なり。)(訳者註。ローマの詩人オラテイウスの言葉。平穏の保証なる中流の身分こそ何にもまして望ましとの意。)この二語は僕の抱負が依然として謙虚なものであるという、僕が反抗者でないという、証拠を君に齎すだろう。それどころか、僕は先生たちについては素晴らしい思出を懐いている。すべての悪は学説から来ているのではなくて、彼らが受けた教育から、即ち他の考え方、感じ方を知らないので彼らがその儘僕らに伝えた教育から来ているのだ。この教育は僕らを個人主義者にし、孤独者にした。要するに、僕らは永久に小児期を脱しないのだ。僕らは絶えず頭で作り上げる。僕らは僕らの苦しみや、喜びを頭で作り上げる。僕らは『人生』を生きる代りに頭で作り上げる。それだから僕らの小さい世界から一歩外へ踏み出す前に、僕らはすべてを始めからやり直さなければならないのだ、これは骨の折れることで、自尊心を犠牲にしなければうまくいかないことだが、孤独は尚更辛い。君にもいつか分るだろう。
君の周囲の人間に僕のことを話しても無駄だ。勤勉な、健全な、要するに正常な(正常なという言葉には三本も傍線が引いてあった)生活は誰にとっても秘密があってはならないのだろう。あゝ、我々の社会はそういう風に作られているのだ、――幸福はそこではいつも疑わしく見えるとしても。思うに、或る種のクリスチャニスムは、――むろん福音の精神からは甚だ遠いものだが、――信者、非信者、すべてに共通なこの先入観念に何かを寄与している。他人の自由を尊敬して、僕はこれまで沈黙を守って来た。しかし、つらつら考えた結果、僕は今日《こんにち》、最大の尊敬に価いする或る婦人の利害のためにそれを破ろうと決心する。僕の健康は数ケ月前から大いに改善されてはいるが、それでもまだ君に打明けたい重大な心配事があるのだ。早く来てくれ給え。」
Inveni portum……今朝《け さ》、教理問答のクラスに行こうとしていると、配達夫が手紙を渡したのだ。私はそれを墓地で、明日《あ す》葬るピノシェの妻君の墓穴を掘り始めた墓掘男アルセエヌから数歩のところで読んだ。彼も人生を掘っていたのだ……
「早く来てくれ」という文句が私の心を締めつけた。ひどく気取って書いた文章の後で(以前のようにペン軸の端で、顳〓《こめかみ》を掻いている彼の様子が眼に見えるようだ)、思わず洩らしたこの子供っぽい言葉……しばらく、私は、自分の思い過ごしだ、単に彼は親戚の婦人の看護を受けているのだと考えようと努めた。不幸にして、彼の親戚といえば、私はモントゥルイユで酒場の女中をしている彼の姉しか識らない。「最大の尊敬に価いする婦人」というのは、この女である筈はない。
なんでもいゝ、是非行ってやろう。
・・・伯爵が私に会いに来た。いつものように、鄭重で、同時に親密で、いかにも愛想がいゝ。煙草を喫うのにもわざわざ許しを求め、ソオヴリイヌの森で獲った兎を二匹置いていった。「ペグリオのかみさんが明朝《みようあさ》煮てくれるでしょう。そう言って置きましたから。」と。
私の胃は今のところ何もつけないパンしか受けつけないのだとは言えなかった。兎のシチューはかみさんの手間を半日は食うだろうし、その当のかみさんはそんなものは見向きもしないだろう。猟番の家族は誰でも兎なんか食べ飽きているからだ。もっとも残りをミサ答えの子供に鐘撞き爺さんのところへ持たしてやることはできる。が、それも夜のことだ。誰の注意も惹かないように。それでなくても私の健康のことを皆が煩く言っているのだから。
伯爵は私の計画にはあまり賛成でない。殊に、戦争この方飽食していて、自分の汁で煮なければ承知しない下層民たちのよくない精神に用心するように私に言った。「あまり急いで彼らを求めなさるな。直ぐさま心を開きなさるな。彼らの方から踏み出させなさい。」と。
伯爵は、私の生れた村から僅か二里ほど離れたところにその所有地のあったドゥ・ラ・ロシューマセ侯爵の甥だ。彼は若い頃休暇の大半を其処で過ごしたから、その頃その邸の下働きをしていて、吝嗇な亡《な》き侯爵に隠れて大きなパン片《きれ》にバタを沢山附けてくれた私の亡《な》くなった母のことをよく覚えている。しかも、私はかなり気の利かない質問をしたのだが、伯爵は、当惑の色も見せず、直ぐさま親切に答えてくれたのだった。懐しいお母さん! まだいかにも若かったし、貧しかったにも拘らず、彼女は尊敬と、好感とを人に懐かせることが出来たのだ。伯爵は、「御母堂」などという言葉は用いなかった。それは少しわざとらしく聞えるきらいがあったからだろうと思うが、伯爵は「あなたのお母さん」と言って、その「あなた」に特に重々しさと尊敬とを籠めて力を入れて言ったので、私は思わず涙ぐんでしまった。
もしもこの数行がいつか無関心な人の目に触れたら、確かに私はひどく単純だと思われるだろう。ところで――事実――疑いもなく私は単純だ。なぜなら、永久の休暇を享《たの》しんでいる永久の生徒のように見えるほど容貌の単純な、時としては茶目気を帯びてさえ見えるこの人が私に感じさせる一種の讃美の念には確かに何ら卑しいものはないからだ。私は彼を特に聡明だとも思わないし、小作人たちに対してかなり苛酷だという評判でもある。また模範的教区民でもない。なぜなら毎日曜のミサを欠かしたことはないが、まだ一度も聖体拝領台に跪いたのを見たことがないからだ。御復活の務(訳者註。尠くとも年に一度復活祭の頃に告解し、聖体を受くべしとの教会の命ずる信徒の務。)も果しているかどうか疑わしいと思う。彼が私の傍らに友の、同心の、伴侶の席を――あゝ、それはそんなに屡々空《から》である――一気に占めたのは何によるのだろう? 恐らくそれは私が他に求めて得ないあの自然さを彼の衷《うち》に見出すように思うからだろう。階級的優越感や、遺伝的支配欲や、年齢さえもが、あの、金銭の単なる特権がどんなに小さいブルジョワにも与えずにはおかない陰気な重々しさ、自信ありげな、その癖疑い深い様子を彼に与えることには成功していない。彼は彼の階級を保っているのに、ブルジョワたちは距離を保つことに(彼ら自身の言葉を用いれば)絶えず気を使っているのだと私は思う。いや、勿論、あの、些かの謙譲も決してそこには混らない、しかし誰にも屈辱感を与えず、どんなに貧しい者にも何らの従属関係の観念をも懐かせないで、自由に同意された軍隊的な規律の観念を懐かせる素気《そつけ》ない、荒っぽいと言ってもいゝ調子の中には多くの衒いが、――無意識なものだと私は信じるが――あることは私もよく知っている。多くの衒い――私はそれを惧れる。また多くの傲りが。だが、私は伯爵が物を言っているのを聞いていると嬉しくなる。そして、教区の利害について、人々の霊魂について、教会について私が彼に話し、彼があたかも彼と私とが志を同じくしているものゝように「我々」と言う時、私はそれを自然に感じ、敢えて訂《たゞ》そうとはしない。
トルシイの主任神父さんは伯爵を好かない。彼は伯爵を「可愛い伯爵」とか、「君の伯爵」とか呼ぶ。それが私には耳触りで仕様がない。なぜ「可愛い伯爵」なのかと尋《き》くと、「飾り物、可愛らしい飾り物だからさ。だが、今出来のね。百姓の食器棚に載せとく分にはどうにか見られる。が、骨董屋か、美術倶楽部で、大売立の日かなんかになって見給え、何処へいったんだか、てんで眼にも入らんだろう。」青年指導事業に対して伯爵に興味を持たせることを私がまだ希望していることを打明けると、神父さんは両肩を持ち上げた。「焼物の貯金箱だよ、君の可愛い伯爵はね。だが、容易なこっちゃ破《わ》れん。」
なるほど、あまり金離れがいゝとは思わないが、しかし、他の人間が多く金に掴まれているのに、あの人のは金を掴んでいるのだ、それは確かだ。
私はまたシャンタル嬢について伯爵に一こと言って見た。彼女の悲しそうなのが心配だったので。伯爵は変に言葉を濁していたが、急に快活になった。だが、それはいかにもわざとらしかった。ルイズ嬢の名は彼をひどく苛立たせたようだった。彼は顔を真赧にした。が、やがてその顔は険しくなった。私は口を噤《つぐ》んだ。
「君は生れつき情愛が深い。が、それが情熱に変らないように気をつけ給え。一度それに捉《つかま》ると、永久に逃れられないものだからね。」と、或る時、旧師である司教顧問のデュリユウ神父さんから注意されたことがある。
・・・我々は保守的だという、よろしい。だが、我々が保守するのは、救済するためだが、それを人々は理解しようとしない。なぜなら彼らは持続することしか求めないからだ。ところで近頃では彼らは持続することでも満足しなくなった。
古代世界、それはおそらく持続することができたろう。それはそういう風につくられていた。それは恐ろしく重かった。それは大地にどっしりと腰を据えていた。それは不正に対しては諦めていた。不正に対しては、策を弄する代りに、それをそのまゝ受け容れた。不正をも、他のものと同様に、制度化した。即ち奴隷制というものを立てたのだ。いや、勿論、古代世界がいかに完成の域に達し得たとしても、そのために、アダムに対して発せられた呪詛を逃れることはできなかったろう。それを悪魔は承知していた。誰よりもよく承知していた。だが、それかといって、それを自分たちで背負ってゆくことは厭だ。何とかしてその荷を軽くする法はないか? そこで、一種の生贄に献げられた一階級、名もなく、経歴もなく、財産もなく、味方――尠くとも打明けられた――もなく、家族――尠くとも正式の――もなく、神もない一階級に、出来るだけ多くの無智と反抗と絶望とが留保されることになったのだ。社会問題の、また政治手段の、何という簡易化だろう!
だが、容易なことでは揺《ゆる》ぎそうにも見えなかったこの制度も、実は最も脆弱なものだったのだ。それを永久に破壊するには、それを一世紀間廃止することで十分だったのだ。いや、恐らく一日で十分だったろう。一度新たに階級が混合され、生贄に献げられた民が分散してしまえば、どんな力が再び彼らに軛《くびき》を負わせることができよう?
制度が廃れて、古代世界もそれと共に崩壊した。人はその制度の必要を信じていた、いや信ずる振りをしていた。それを事実として受け容れていた。だが、もうそれは再び立てられないだろう。人類はもうそのような恐ろしい冒険は敢えてしないだろう。あまりに危険が多過ぎる。法律は不正を許容するかも知れない。いや、秘かにそれを助成さえするかも知れない。だが、それをもう認可することはないだろう。不正はもう正式の法規は永久に有たないだろう。もうお仕舞いだ。だが、それでもやはり、それはこの世の中に分散して存続するだろう。もうそれを少数の幸福のために利用しようとはしない社会は、そこで、社会の裡に包蔵される悪の、――法律に追われると、忽ち風俗の中に現れて、同じ憎むべき循環を、倦まず、こんどは逆に始めようとする悪の、撃滅を遂行すべく運命づけられている。否応なしに、社会も今後は、人間と同じ条件を分け有たなければならない。即ち、同じ超自然的冒険をしなければならない。かつては善悪には無関心で、自己の力以外の掟を知らなかった社会にも、キリスト教は霊魂を、失うか、救うかの霊魂を、与えたのだ。
・・・私はこの箇所をトルシイの主任神父さんに読ませた。だが、私の書いたものだということは敢えて言わなかった。あの人はあんなに鋭敏だし、私は嘘をつくのがひどく下手だから、私の言ったことを信じたかどうか疑問だ。彼はふゝんと鼻の先で笑いながら、紙片を私に返した。それがいゝ徴候でないことを、私はよく知っている。やがて、彼は言った。
「君の友達は相当に書く。いや、少し筆が走り過ぎてるぐらいだ。一般に言って、正しく考えることはいゝ事だとしても、それで止めとく方がいゝ。黙って物を有りの儘に見るべきで、独りで歌を唄う愚を演じてはならん。ふと真理にめぐり会ったら、忘れないようによく見るのはいゝが、向うが色目をつかうのを待っていてはならん。福音の真理は決して色目などをつかいはせん。君のところへやって来る前に、何処をほっつき歩いたか分らんような真理と懇ろにするのは禁物だ。わしのような人間を例に引くのをわしは好まんが、わしは何か或る考えが浮かぶと、――勿論、人々の霊魂に役立つような考えで、その他の考えなんて問題じゃないが――わしはそれを神さまの前へ持って行くようにし、それを直ぐに祈りの中へ取入れるようにする。すると、その貌《かお》の変ることは驚くほどで、大ていの場合はまるで見違えるようだ。……
ともかく、君の友達のいうことは正しい。近代社会がいくらその主人を否認しても、彼も同じく贖われたものだ。共同の世襲財産を管理するだけでは足らん。彼も亦、我々一同と同様に、否応なしに、神の国を求めて出発したのだ。だが、その国はこの世のものではない。そこで彼は決して止《とゞ》まらんだろう。走ることを止《や》めることはできんだろう。『救われよ。然らずんば、死せよ!』だ。これに反対することはできん。
君の友達が奴隷制について言っていることも大いに正しい。古代の法律は奴隷制を許したし、使徒らも亦それを許した。彼らは、例えば道楽者に向って『直ちに肉より解放されよ、』と言ったように、奴隷に向って『汝の主人から解放されよ』とは言わなかった。そこに微妙な相違がある。なぜか? 想像するに、彼らは、超自然の冒険に飛び込ませる前に、世間に一息入れさせようとしたのだ。ところで、聖パウロのような元気者でも決して夢は描かなかった。奴隷制を廃《や》めたところで、それで、人間による人間の搾取は決して止《や》みはせん。熟ら考えて見るのに、奴隷は高価だったから、主人も多少は大事にしなければならなかったろう。ところが、わしの若い頃、わしは或る因業な硝子工の親方を識っていたが、奴は十五ぐらいの子供に管《くだ》を吹かせ、その可哀そうな胸が裂《さ》けてしまえば、代りをみつけるのに、畜生め、選るのに骨が折れるぐらいのものだった。こんな男に使われるぐらいなら、あの善良なローマのブルジョワたちの奴隷になる方が百倍も優《ま》しだ。――むろん、彼らだって、飼犬を腸詰で繋ぐような真似はしなかったろうが。そうだ、聖パウロは夢は描かなかった。彼はこう考えただけだ。キリスト教はこの世に一つの真理を解き放した。そしてその真理は何物によっても止《とゞ》められないだろう。なぜなら、それは予め各人の良心の奥深く潜んでいて、人間は直ちにその裡に自己を認めるからだ。即ち、神は我々の各々を救い、我々の各々は神の血に価いする、という真理だ。君は君の好きなようにそいつを飜訳することができる、たとえばラショナリストの言葉にだってね――あの一番馬鹿げた奴にね、――だが、そいつは君に、ちょっとでも触《さわ》れば爆発する言葉を繋ぎ合せることを強いるだろう。未来の社会はその上に坐り込もうとするかも知れんが、ただ、尻に火がつくだけだ。
可哀そうな世界が、かつて悪魔と交した旧い契約に、それが休息を保証してくれでもするかのように、いつも多少憧れるのを妨げる必要はない。もしそれが、真の地上の王国の超人を、純血種を、王座に据えるためならば、人類の四分の一か、三分の一ぐらいを、家畜の、少し高級な家畜の境涯に落したって惜しくはないだろう。……人はそう考えるが、思い切っては言えんのだ。我が主が貧しさと婚姻されてから、貧乏人は非常に高い位に上げられてしまったから、もう誰も彼らをその位から引き下ろすことはできん。我が主は彼らに祖先を与えられた、――しかも、それはどんな祖先だったろう! また、名を与えられた、――しかも、それはどんな名だったろう! 彼らは諦めているよりは反抗している方が愛される。彼らは、あの先の者が後《あと》にされる神の国に既に属しているかのように見える。それは帰って来た者の、――白い衣を著て、婚礼の席に帰って来た者のようだ。……そこで、仕方がない、国家も貧乏人にちやほやし始めた。浮浪児を洗ってやり、跛《あしなえ》の手当をしてやり、宿無しの襯衣を洗ってやり、スープを煮てやり、老耄《おいぼれ》の痰壺を磨いてやるが、始終、時計を見ながら、果して自分自身のことをする時間があるかどうか心配している。おそらく、かつては奴隷にやらせていた仕事をこんどは機械にやらせるつもりなのだろうが、機械が廻るにつれて、失業者は止め度なく出て来る。まるで機械は失業者を作ってるみたいだ。結局、貧乏人の生活は辛い。そこで、ロシアでは、やってみた……いゝかね、わしはロシア人だけが特に悪いとは思わん――こん日の人間は、みんな馬鹿か、狂人だ! ――だが、奴らロシア人は大きな胃の腑を持っている。奴らは、極北のフランドル人だ! 奴らは何でも呑み込む。一世紀か二世紀したら、平気でポリテクニシャン(パリの理工科大学生)でもなんでも呑み込んでしまうだろう。
奴らの考えは、全体として、馬鹿げてはいない。勿論、相変らず、貧乏人を無くするというのだ――キリストの証人であり、選民の後継者である貧乏人を。――だが、彼らを家畜にしたり、殺したりする代りに、奴らは彼らを小年金者に、いや、――事が次第にうまくいったら、――小役人にしようと考えている。これほどおとなしい、これほど几帳面な者はないからだ。」
私も、私《ひそ》かに、ロシア人のことを考えることがある。大神学校の学友たちは、どうやら、彼らについて出鱈目を話していたらしい。――殊に先生たちを嫌がらせるために。我々のデモクラティックな同僚たちは非常に真面目だし、熱心だが、どうも少しブルジョワ臭く思われる。ともかく、民衆が彼らを愛さないことは事実だ。――疑いもなく理解しないためだろうが。要するに、重ねて言うが、私は、時折、ロシア人のことを、一種の好奇心と愛情とを以て、考えることがある。貧乏、殊にその不思議な、何とも言えぬ喜びを識っていると、ロシアの作家には思わず泣かされる。父の死んだ時、母は腫物の手術を受けなければならなくなって、四、五ケ月の間、ベルゲットの施療病院に入っていた。伯母が私を引取ってくれた。伯母はランの直ぐ近くで小さい酒場をやっていたが、ひどいバラックで、ちゃんとしたカフェーなどへはゆかれない貧しい坑夫たちにジンなどを飲ましていた。学校は二キロほどのところにあって、私は、スタンドの後ろの板敷に坐って勉強していた。板敷というのはすっかり腐った木の台だ。土、といっても、いつも湿っている土の香、つまり泥の臭いが板の透間を洩れて来た。給料日には、客たちは小用を足しに外へ出ることすら億劫がって、土間へ小便を垂れ流した。私はスタンドの下に小さくなっていたが、そのまゝ眠ってしまった。まあ、そんなことはどうでもいゝとして、小学校の先生は私を大変可愛がってくれ、よく本を貸してくれた。私がマクシム・ゴルキイの幼時の思出を読んだのはそこでだった。
フランスにだって貧しい家庭は見出される。貧困の小島だ。貧乏人が彼等だけでほんとうに生活することのできる、いいかえれば、ほんとうの貧乏生活を営むことのできるほどには決して大きくない島だ。富の方も、フランスでは、金《かね》の威力、金の盲目的な力、金の残酷さを発揮するには、あまりに暈《ぼか》されているし、いわば人間的だ。想像するに、ロシアの民衆は、ほんとうに貧しい民族、貧乏人の民族で、貧乏の感激、貧乏の力を知っている。もし教会が一つの民族に謚聖《いつせい》することができて、この民族を選んだとしたら、教会はこの民族を貧乏人の守護者、貧乏人の代願者にしたろう。ゴルキイは現在、うんと金《かね》を儲けるらしいし、何処か地中海岸あたりで贅沢な暮らしをしているらしい。尠くとも新聞ではそんな記事を読んだ。たといそれがほんとうだとしても、――いや、寧ろそれがほんとうなら――長い間彼のために毎日祈ったことを私は喜ぶ。十ぐらいの頃、私は神さまを知らなかったとは言わない。なぜなら、私の頭の中で嵐のような、洪水のような音を立てゝいた他の多くの声の中に、私は既に神の声を聞いていたからだ。だが、不幸の最初の経験は恐ろしい! 一箇の子供の心を絶望から守ってくれる者よ、祝福せられよ! これは世間の人間の十分に知らない、いや知っても忘れてしまう事柄だ。なぜなら、それが彼らにはあまりに恐ろしいからだ。金持の間に於けると同様に、貧乏人の間に於ても、子供は孤独だ。王子のように孤独だ。尠くとも、我が国では、貧乏は人と分ち合えない。各貧乏人は彼の貧乏の中に孤独だ。顔や手足と同様に、貧乏も各人別々だ。この孤独についてはっきりした観念を私は持っていたとは思わない。いや、恐らく何らの観念も持ってはいなかったろう。私は、私の生活のこの法則に、何も分らず、従っていた。私は遂にはそれを愛したろう。貧乏人の誇ほど頑固なものはない。ところが、そこへ突然、あの、遠くから来た、あの物語めいた国から来た本が、一つの民族全体を私の仲間にしてくれた。
私はその本を友達に貸したが、無論、その友達はそれを私に返してはくれなかった。それを読み返してみたって、何になろう? たゞ、一民族の嘆声を、他のいかなる民族のそれとも違う嘆声を、――無論、木乃伊《ミ イ ラ》のように彼らの誇の中に乾固《ひかた》まっている猶太民族のそれとも違う――聞いただけで、いや聞いたと思っただけで十分だ。だが、それは嘆声ではない、それは歌だ、讃美歌だ。無論、それは教会で歌う讃美歌ではない。それは祈りと呼ぶことはできない。よく言われるように、そこにはすべてのものがある。鞭の下の農奴《ムジク》の呻き、殴られる女の悲鳴、酔いどれの〓《しやつく》り、あの野性的な歓喜の唸り、臓腑の哮《たけ》りだ。なぜなら貧乏と淫猥とは、悲しいかな、まるで二匹の餓えた獣《けもの》のように、闇の中で、互いに求め合い、呼び交すからだ。いや、確かに、それは私に恐怖を懐かせるだろう。しかも私は信ずる。そのような貧しさ、自分の名まで忘れてしまい、もう求めず、考えず、たゞ茫然としている貧しさは、いつかキリストの肩の上で目を醒ますに違いないと。
そこで私は話のついでに、トルシイの主任神父さんに言った。
「だが、もし彼らのやっていることがうまくいったら?」
彼はしばらく考えていたが、
「無論、君もそう思うだろうが、わしは可哀そうな奴らに、奴らの年金を直ぐさま収税吏に収めてしまえとは勧めないだろう。続く間は続くのだ。……だが、何といったって、要するに、我々は真理を教えるためにいるのだ。我々は真理を恥じてはならん。」
彼の手はテーブルの上で、大してではなかったが、震えた。そこで私は私の質問が彼の心に、恐ろしい闘いの記憶を、あの、彼の勇気も、理性も、或いは信仰さえもそのために失おうとした恐ろしい闘いの記憶を甦らせたことを知った。……私が答える前に、彼は行手を塞いでいる者を押しのけるような身振をした。私なんか、けし飛んだろう!
「教えるというのが、可笑しいというのかね? わしは、香具師《や  し》の口上で済ましている人間どものことを言っているのではない。君は一生の間に、いやというほど、そういう手合に出会うだろうし、そいつらとつきあうことを覚えるだろう。慰めになる真理、と奴らは言う。真理は、先ず解放し、それから慰める。だいいち、それを慰めと呼ぶ権利を我々は持ってはおらん。なぜそれを悼《いた》みと言っちゃあ、いかんのだ? 神の言葉! それは真赤に灼《や》けている鉄だ。ところで、それを教える君は、火傷するのを怖がって、火鋏みでそれを持とうとし、両手で握ろうとはせん。笑わしちゃ困る。おちょぼ口をし、いくらか興奮して、――だが、満足して、説教壇を下りる司祭は、説教したんじゃない。せいぜい猫が咽喉を鳴らしたぐらいのものさ。いゝかね、これは誰にもあることだ。我々は情けないかな、よく眠る者だ。時々、起きてるのは悪魔だけだ。使徒たちでさえゲッセマニの園ではぐっすり眠っていた。だが、要するに、心得ていなくちゃならんことは、引越人夫のように動いて、汗をかく者必ずしも他の人間より目覚めているとは限らんということだ。わしは単にこう言いたいのだ。主がわしから、たまたま人々の霊魂に役立つような言葉を引き出される時は、わしはそれを、その言葉がわしに与える苦痛によって感じるとね。」
彼は笑っていた。だが、その笑いはいつもの笑いとは全然違っていた。それは確かに大胆ではあったが、しかし、何か傷ましい笑いだった。私は自分などよりはあらゆる意味で遥かに優れている人間を敢えて批評しようとは思わない。なぜなら、私などにはまったく縁のない、また私の教育や、生れによっては決して与えられない性質について語ることになるのだから。なるほどトルシイの主任司祭は、或る人々からは、鈍重で、俗っぽいとさえ、――或いは、伯爵夫人の言うように、――平凡だとさえ考えられている。だが、要するに、自分の考えだけを書くとすれば、誰にも迷惑は及ぼさない訳だ。ところで、私の見る処では、――尠くとも人間的には、この優れた人物の最も著しい特徴は自尊心だ。もしトルシイの主任司祭が自尊心の強い人間でないとしたら、自尊心という言葉は意味を失うだろう。いや、尠くとも彼に対してはもはや他の言葉は見出せないだろう。この時、確かに、彼は彼の自尊心に於て、即ち自尊心の強い人間としての彼の自尊心に於て、苦しんでいたのだ。私も共に苦しみ、何とかして慰められるものなら、慰めたいと思った。私は馬鹿みたいに言った。
「じゃあ、私なども、その咽喉を鳴らす組ですね、なぜって……」
「黙んなさい」と彼は答えたが、その声の突然の優しさに私は驚かされた。「君のような小僧っ子に、教わった通りを繰り返す以外に何ができるというのだ? だが、神さまは、それでも、それを祝福して下さる。なぜって、君は平ミサの説教者のような景気のいゝ顔はしとらんからだ。……いゝかね、どんな馬鹿だろうが、誰だって聖福音書が我々に伝えているまゝの言葉の快さ、優しさに打たれないものはない。我が主がそう望まれたのだ。だいいち、それが当然なのだ。弱い者、或いは、いわゆる思想家だけが、口を開く前に、先ず眼をきょろつかせたり、白眼を出したりしなければならんように考えるのだ。それにまた自然のやることだって同様だ。揺籃に寝て、前々日開いたばかりの眼であたりを眺めている赤児にとっては、人生は芳香と愛撫とに満ちてはいないだろうか? だが、人生は苛烈なものだ! それにしても、急処さえうまく捉《つか》まえれば、思ったほど瞞されんで済む。なぜなら、死だって、毎朝祈りの時に立てた約束を守れと要求するだけだし、死の笑いにしても、それは多少重々しいだけで、やはり、優しく、快いのだ。要するに、言葉は小さいものに対しては小さくなるのだ。だが、大きなものが、――傲れる者が――それを、その感傷的な、詩的な部分だけ捕えて、『母さん鵞鳥』のお伽噺かなにかのように繰り返して得意になっているのを聞くと、わしはぞっとする。――無論、彼らのためにだがね。君は偽善者や道楽者や吝嗇家や質《たち》のよくない金持共が――厚い唇を舐め廻し、眼を光らせながら――Sinite Parvulos(『幼子《おさなご》を我が許に来らしめよ』)と猫撫で声でいうのを聞くだろう――そのあとに続く世にも恐ろしい『汝等もしこの幼子の一人の如くならざれば、神の国に入る能わざるべし』という言葉には一向に頓著せん様子でね。」
彼はその句を独言《ひとりごと》のように繰り返し、両手で顔を隠して、なお暫く話し続けた。
「理想は、いゝかね、子供らにだけ福音を説くことだ。我々はあまりに計算する。それが悪いのだ。そこで、我々は貧しさの精神を教えることしかできんのだ。だが、君、こいつが骨が折れるよ。そこで、何とかしようとして、先ず手始めに金持だけに呼びかける。呪われたる富者共よ! とね。ところで奴らは一筋縄ではゆかん狸共だ。――もとより飛切りの外交術を心得たね。外交官が、気に入らん条約に調印せねばならん時には、一条、一条、文句をつける。あっちでは一語を変え、こっちでは句読点を動かし、結局万事自分に都合がいゝようにする。ところで、今、事は容易ならん。なにしろ、問題は呪詛なんだからね。しかも、その呪詛も頗る手酷しいものなのだ。だが、この場合でも、うまく擦り抜ける。『富める者の天国に入るは駱駝の針の穴を通るよりも難し……』無論、わしだってこの聖句を甚だ残酷だと思うことに於ては人後に落ちんし、そこに区別を認めん訳ではない。だいいち、それでは耶蘇《イエズス》会のお客さんたちにあんまり気を揉ませることになるだろう。そこで、神さまは、ほんものの金持、金持の精神を持った金持のことを仰有ったのだということにしよう。よろしい。だが、外交官たちが、『針の穴』というのはヱルザレムの門の一つで――たゞ少し狭いだけで――そのために、そこを通って、王国に入るには、金持は脹脛《ふくらはぎ》を擦り剥《む》いたり、その贅沢な着物の肱を擦り切らしたりするぐらいのものだなんて言うのを聞くと、わしはうんざりするのだ。そうなると、金貨の袋に、我が主は手づから『危険』と書かれたろう――ちょうど、道路局で高圧線の柱にそう書くような具合にね。そうして、できれば……」
彼はスータンのポケットに両手を突込んで、部屋の中を往ったり来たりしだした。私も立ち上ろうとすると、彼は頤で、坐っていろと命じた。私は、彼が、今まで誰にも言わなかったことを――尠くとも同じ言葉では――私に言おうとして、躊躇《ためら》い、もう一度私を鑑定し、値踏みしようとしているのを感じた。明らかに彼は私を疑っていた。しかし、その疑いは決して屈辱的なものではなかった。だいいち彼は誰をも辱しめることなんて出来ないだろう。その時、彼の眼差しはいかにも優しくて、穏かで、そして――これは、人生や人間に対してそんなに体験を積んでいる彼のように強い、岩乗な、俗っぽいほどの人間について言うと可笑しく思われるかも知れないが――不思議に、何とも言えず浄らかだった。
「貧しさについて金持に語る前にはよくよく考えねばならん。でないと、それを貧乏人に教える資格がなくなるし、どうしてキリストの審判を受けることができよう?」
「貧乏人にそれを教えるんですって?」
「そうだ、貧乏人にだ。先ず彼らのために神さまは我々をお遣わしになったのだし、それは何を告げるためだったろう? 貧しさをだ。彼らは他のものを期待していたに違いない。彼らは彼らの貧しさの終りを待っていたのだ。ところが、神さまは、『貧しさ』の手をとって、彼らに言われた。『汝らの后《きさき》を認めよ、彼女に服従と忠誠とを誓え』とね。何という打撃だろう! いゝかね、これが要するにユダヤ民族の、地上の王国に対する、物語だ。貧乏人の民族は、ユダヤ民族と同様に、諸国民の間を、肉の希望を求めて漂泊い歩く民族だ。失望した民族、骨の髄まで失望した民族だ。」
「けれども……」
「そうだ、けれども、それが当然なのだ。どうにもならん。……いや、もちろん、卑怯者は困難を回避することができるだろう。貧乏人の民族は捉《つかま》え方を知っていれば、扱い易い大人しい大衆だ。癌の患者に癒る話をして見給え、何を言ったって信じる。要するに、貧乏人に、貧乏は文明国には相応わしくない一種の恥ずべき病気で、我々は彼らをそんな穢らわしいものから一瞬にして解放してしまうだろうと話して聞かすほど易しいことはない。だが我々の中の誰がキリストの貧しさについてそんな風に敢えて話すだろう?」
彼は私の眼の中をじっと見詰めていたが、私は彼がこの私を、彼のいつもの無言の話し相手である彼の身の周りの品物と果して区別しているかどうか疑った。いや、彼は私などは見てはいなかった。私を説得しようという意図だけならば彼の眼差しにそんなに悲痛な色は浮かばなかったろう。彼自身に対して、言いかえれば、抑えても抑えても刃向って来る彼自身の或る部分に対して、己が生命のために闘う男のように、猛然と立ち上る彼を私は見たのだ。彼はまるで我れと我が手で我が身を引裂くようだった。
「この通りのわしだ。わしは貧乏人に向って暴動を説きかねんのだ。いや、何も言うまい。それよりは先ずあの『闘士』、あのスローガン屋、あの革命屋の一人をひっつかまえて、フランドル男の何者かを見せてやる。わしらフランドルの人間は、血の中に反抗を宿している。歴史を思い返して見給え。貴族も金持も我々は恐れなかった。有難いことに、今だから言えるが、わしはこの通り体が丈夫で、精力的だが、幸い肉の誘惑は大して受けなかった。だが、不正と不幸はわしの血を沸き立たせる。今では、もう過ぎ去ったことで、君らには分らん。……そこで、例えば、あのレオ十三世の有名な回章レールム・ノヴァールム(訳者註。Rerum Novarumという言葉で始まる労働者の身分に関する回章、一八九一年五月十五日発布された。)を、君らは、四旬節に時々出される教書か何かのように、落著き払って読む。ところが、当時、君、我々はこの脚下の大地が揺れるように感じたものだ。なんという感激だったろう! わしは、その頃、鉱山地帯のノランフォントの主任司祭だった。労働者は需要供給の法則に従う商品ではないという、また、給料については、即ち人間の生活については、麦や砂糖や珈琲についてのように投機をすることはできんという、いかにも簡単な思想が、人々の良心を根底から揺り動かしたのだ。信じられるかね? 説教壇で信者たちにそれを説明したというので、わしは社会主義者扱いされたし、保守的な百姓どもはわしを左遷させた。左遷なんて、むろん、屁とも思わなかったが、差し当り……」
彼は感動に身を震わせながら、口を噤《つぐ》んだ。彼はじっと私を見守っていたが、私は自分の小ぽけな悩みが恥かしくなり、彼の手に接吻したくなった。思い切って眼を上げると、彼は私に背を向けて、窓の方を眺めていた。そして、しばらく黙っていたが、やがて、一層低い、だが、相変らずいつもと違った声音で、あとを続けた。
「同情というものは、君、一種の動物だよ。それに対して多くを求めることはできるが、すべてを求めることはできん動物だ。どんなに大人しい犬だって狂犬病に罹ることはある。同情というものは精力的で、貪慾なものだ。なぜ人はそれをいつも少し泣虫な、頓馬なものとして現わすのか、わしには分らん。人間の最も激しい情熱の一つだというのが、その正体だ。その頃、正直のところ、わしはこいつに食い殺されるかと思った。七つの罪源の傲慢、嫉妬、憤怒、邪淫までが、一緒くたになって、喚《わめ》き立てた。まるで石油をぶっかけて火をつけた狼の群そっくりだった。」
私は突然彼の両手を肩に感じた。
「要するに、わしにもいろいろの悩みがあった。中でも辛いのは、誰にも理解されんことだ。笑いものにされているように感じることだ。世間から見れば、君は可愛いデモクラチックな司祭、見栄坊、道化役者に過ぎん。どうも一般にデモクラチックな司祭という奴は意気地のないものだ。だが、わしは意地っ張りだ。少々意地っ張り過ぎるぐらいだ。そこで、その当時、わしはルーテルが理解できた。彼も亦、意地っ張りだった。だから、エルフルトの修道院で確かに彼は正義に対する飢渇に苦しめられたに違いないのだ。だが、神さまは御自分の正義に触れられることをお好きにならんし、そのお怒りは我々如き憐れな者には少々強過ぎるのだ。それは我々を酔ッぱらわせ、畜生にも劣るものとする。そこで、カルディナルたちを震え上らせた挙句が、あの晩年のルーテルは、到頭彼の秣をドイツの諸侯の秣槽に運ぶことになったのだ。穢らわしいけだものどものね。……死の床の彼を描いた肖像を見給え。……唇の厚ぼったい、腹の出っ張ったあの爺さんに、誰もあの昔の修道士の俤を偲ぶことはできん。正に法則通り、彼の怒りは彼を次第に毒したのだ。つまり、それは贅肉に変ったのだ。」
「あなたはルーテルのために祈られますか?」
「あゝ、毎日ね、だいいち、わしの霊名は彼と同じように、マルチンだからね。」
ところで、その時、実に驚くべきことが起ったのだった。彼は椅子を私の身近かに引き寄せ、それに腰を下ろし、その涙に満ちた、しかも、かつてないほどに威圧的な大きな眼、死を極めて容易にし、簡単にするその眼で、じっと私の眼を見詰めながら、私の両手を取った。
「わしは君を跣足《はだし》の小僧っ子扱いした。だが、わしは君を尊敬している。この言葉をその価値通りに受取り給え。これは重大な言葉だ。わしが君を尊敬するというのは、君は確かに神さまに召されているということだ。体格からいうと、君はむしろ修道士向きかも知れん。が、そんなことはどうでもいゝ。肩幅はなくっても、君には勇気がある。君には歩兵になる資格がある。だが、わしのいうことをよく肝に銘じて置き給え、決して後送されてはならんとね。一度病院へ入ったら最後、君はもうそこから出ることはできん。君は消耗戦向きには出来ておらん。何処までも前進し給え。そうして、いつか塹壕の中で背嚢を背負ったまゝ静かに果てるようにし給え。」
私は彼の信頼に自分が価いしないことをよく知っている。しかしまた、信頼されゝばそれを裏切るようなことはないようにも思われる。そこに弱者の、子供の、つまり私の力のすべてはあるのだ。
「人によって人生を知ることの早い者もあれば、遅い者もある。が、いずれにせよ、結局は、めいめいの能力に応じて、それを知ることになるだろう。もとより、人間には体験のそれぞれの分け前というものがある。二〇センチリットルの壜には一リットルは入らん。だが、不正の体験というものがある。」
私は思わず顔を顰《しか》めた。その言葉が私を苦しめたからだ。私は答えようとして口を開きかけた。
「何も言い給うな。君には不正がどんなものか分ってはいない。だが、今に分るだろう。君は、不正が遠くから臭いを嗅いで、機会が来るまで辛抱強く窺っている質《たち》の人間だ。……食われてはならん。特に、猛獣使いのようにその眼をじっと見詰めてそいつを後じさりさせることができるなどと考え給うな。君はその魅惑を、その眩暈を逃れることはできんだろう。必要以上見てはならん。また、祈らずに見てはならん。」
彼の声は少し震えた。どんな想像が、どんな思出がその時彼の眼に浮んだか? 神さまだけが御存じだ。
「ところで、君は、今後一再ならず、朝、いそいそと虱たかりの子供たち、乞食、酔っぱらいの許へ出掛けてゆき、夕方までせっせと働く修道女を羨むだろう。不正なんて、彼女は問題にしない。跛《あしなえ》の群を、洗い、拭い、手当し、最後には葬る。だが、彼女には主は御言《みことば》を委ねられたのではない。神の言《ことば》! 我が言を我れに返せ、と最後の日に審判者は言われるだろう。或る者たちがその時彼らの小さい荷の中から取出すものを考えると、決して笑いごとではない。」
彼は再び立ち上った。そして再び私を真正面から見据えた。私も同じく立ち上っていた。
「我々はその言を保存したろうか? また、そっくり保存したにしても、桝の下に置いときはしなかったろうか? 金持に対してと同様に貧乏人に対しても、それを与えたろうか? もちろん、我が主は貧乏人たちに優しく話されたが、しかし、さっきも言ったように、我が主は彼らに貧しさを予告される。それを逃れる道はない。なぜなら言うまでもなく、教会が貧乏人を保護しているからだ。これは最も易しい。すべての同情的な人間は教会と共にこの保護を保証する。だが、貧しさの名誉を保護する者は教会だけだ、――いいかね、――絶対に教会だけだ。『貧しき者は常に汝等の中にあるべし。』これは、君、煽動政治家《デ マ ゴ ー グ》の言葉じゃないよ。これはまさに御言《みことば》なのだ。そして我々はそれを受けているのだ。この言葉は彼らのエゴイスムを正当化するものだと信ずる振をする金持や、また、貧乏人の軍隊が都市の城壁に攻め寄せる毎に、権力者たちに人質として取られる我々にとっては禍いなるかな、だ! これは福音の中にある最も悲しむべき言葉、最も悲哀に満ちた言葉だ。そして、それは先ず、ユダに向かって言われたのだ。あのユダにね! 聖ルカによると、彼は会計を預っていて、その出納はあまり明瞭でなかったということだ。だが、要するに、彼は十二使徒の中の銀行家で、銀行の出納なんか、かつてきちんとしていた例《ため》しはない。多分彼も、皆と同じように、口銭を少し慾張ったのだろう。だが、あの最後の取引から判断すると、彼は大した仲買人にはなれなかったようだ。ところで、神さまは我々の憐れむべき社会を有りのまゝに受取られるのに反して、道化役者共は、机上で一つの社会を作り上げ、やがて、それを一筆で作りかえる、もちろん、これも机上でね。要するに、我が主は金の力をよく御存じで、お側《そば》に資本主義のための席を設けられ、それにはそれの機会をゆるされ、最初の投資までされたのだ。わしはこのことを素晴らしいと思う。実に立派だと思う。神は何ものをも軽蔑されないのだ。要するに、もし事がうまくいったら、ユダはおそらく、療養所や病院や図書館や研究所に補助金を交附したろう。君も気附くだろうが、彼は、百万長者の誰彼と同様に、貧困の問題には既に興味を持っていたのだ。『貧しき者は常に汝等の中にあれども、我は常に汝等の中にあらざるべし』と我が主は答えられた。その意味はこうだ。憐れみの時を空しく過すな。愚にもつかん香料相場や社会事業の話でわしの使徒たちの頭を混乱させるよりは、早くお前がわしから盗んだ金でも返した方が優《ま》しだ。それに、お前はそれで、宿無し共に対する誰でも知っているわしの好みに阿ねるつもりだろうが、とんだ間違いだ。わしは英国の婆さん共が棄て猫や、闘牛の牛を愛するように、わしの貧乏人たちを愛しているのではない。それは金持の遣り方だ。わしは貧しさを、恰も子をよく生む、忠実な妻のように、深い、思慮のある、落著いた愛で愛する。わしは手ずから彼女に冠を与えた。誰でも彼女を崇めるという訳にはいかん。先ず白い衣を著た者でなければ、彼女に仕えることはできん。誰もが彼女と苦しみのパンを分ける訳にはいかん。わしは彼女が謙虚で、しかも誇高いことを望み、卑屈であることを望まなかった。彼女はわしの名において薦められる限り水の杯をも拒まん。わしの名において彼女はそれを受けるのだ。貧乏人も生きるのに必要なだけのものを与えられる権利を有するものとしても、お前たちのエゴイスムはそれを忽ちぎりぎりのところまで切り詰めてしまい、しかもそれに対して感謝と永遠の隷属とを要求するのだ。そこで、お前は、わしの足に非常に高価な香油を灌《そゝ》いだこの女に対して、そんな風に憤慨するのだ。――まるで貧乏人は決して香料など用いることはならんという風にな。お前はまさに、浮浪人に二スーを与えて、その男が直ぐにパン屋へ飛び込んで、焼き立てのパンだといって売りつけられる昨日《きのう》のパンを腹一杯詰め込まんといって、憤慨する類いの人間だ。その場合彼らだって酒屋へ行くだろう。なぜなら、貧乏人の腹はパンよりも幻覚をよけいに必要とするからだ。可哀そうに、お前たちがそんなに大事にしている金も、幻覚か夢以外の何ものでもない。いや、時には、たゞ夢の約束にさえ過ぎん。貧しさは我が天なる父の秤にかけると非常に重いから、お前らの煙のような財宝では皿は平衡はせん。貧乏人はいつもお前たちの中にいるだろう。それはいつも金持がいるからだ。即ち所有よりも権力を求める貧慾な冷酷な人間共がいるからだ。そういう人間共は、金持の中にいると同じように、貧乏人の中にもいるし、酔いを小川の縁で冷《さ》ます宿無しも、紫の帳《とばり》の蔭で眠る皇帝《セザル》と同じような夢におそらくは満たされているだろう。だから、むしろ、金持も貧乏人も共に鏡を見るように貧しさを見ろ。なぜなら、貧しさはお前たちの根本的失望の姿だからだ。この地上で失われた楽園の代りをするものだし、お前たちの心の、手の、空虚だからだ。わしは、お前たちの悪賢《わるがしこ》さを知っていればこそ、彼女をそんなに高く上げ、彼女と結婚し、彼女に冠を与えたのだ。お前たちが彼女を敵と見ることを、或いは単に無縁の者と見ることをも許したとしたら、また彼女をこの世界からいつか追い払う希望を懐かしたとしたら、わしは同時に弱者をも呪っただろう。なぜなら、弱者はお前たちにとっては、いつも、お前たちの傲慢な文明が憤怒と嫌悪の念とを以て代々伝えてゆく手に負えん厄介物だからだ。わしは彼らの額にわしの徴《しるし》をつけた。それ以来お前たちはたゞ匐って彼らに近づき、迷った牝羊を食うだけで、決して群を攻撃するようなことを敢えてせんだろう。わしの腕がちょっとでも除《の》けば、わしの嫌いな奴隷制は、何とか彼《か》とか名をつけて、ひとりでに甦るだろう。なぜなら、お前たちの法律は出納の明らかなことを要求するのに、弱者は彼らの皮しか与えるものは持たんのだから。」
私の腕の上で彼の大きな手は震えていた。そして、彼の眼の中に私が見たと信じた涙は、彼が私の眼にじっと注いでいる眼差しによって次第に吸われてゆくように思われた。私は泣くにも泣けなかった。いつのまにか暗くなっていて、今や死者のそれのように不動で、高貴で、清浄で、平和なその顔を私は辛うじて見分けることが出来た。そして、ちょうどその時、アンジェラスの鐘の第一声が、何処か眼も眩むような空の高みから、夕《ゆうべ》の頂きから、でも落ちて来るかのように、突然響き渡った。
・・・私は昨日《きのう》、ブランジェルモンの首席司祭に会ったが、彼は――非常に親切にではあるが、長々と――若い司祭にとって金銭の出納に気をつけることの必要を説いた。「特に借金はいかん、わしはそれには賛成できん」と、彼は結論した。私は、正直のところ、少し驚いた。私は帰ろうとして、ぼんやり立ち上った。彼は私にもう一度席に著くように勧めた(彼は私が腹を立てたのだと思ったらしい)。私は漸く、パミイルのかみさんが勘定(規那鉄葡萄酒のだ)をまだ払って貰えない苦情を言っていることを知った。その上私は肉屋のジョフランに五十三フラン、石炭屋のドゥラクウルにも百十八フランの借りがあるらしい。ドゥラクウルさんは県会議員だ。しかも、この人たちは何も請求しないし、首席司祭さんは結局それらの情報をパミイルのかみさんから得たことを白状しなければならなかった。かみさんは、この私が、最近娘が離婚したという噂のある他国者のカミュに食料品を入れさせていることが承知できないのだ。首席司祭さんはそうしたゴシップが可笑しいと言って、自分から先に笑い出したが、私が今後パミイルさんのところへは足踏みをしないという意向を明らかにすると、ちょっと気に入らない顔をした。彼は彼が出席しなかったヴェルショックの主任司祭の許で開かれる三月目毎の講演会の席上で私が言ったことを持ち出した。彼はその時私が商業と商人について言ったことが少し強過ぎたと言うのだ。「よく覚えとき給え、君のような若い無経験な司祭の言葉はいつも先輩たちによって問題にされるということをね。彼らは新参の同僚たちについて意見を立てることを義務と心得ているのだ。君たちの年では、滅多な口を利くものではない。我々の社会のような狭い社会では、そうしたお互いの制肘は正当なものなので、それを喜んで受け容れない者は心掛がよくないとされる。確かに商業道徳は今日《こんにち》では以前のようなことはないし、どんなに模範的な商人でもその点では非難すべき無関心を示している。だが、正直のところ、恐るべき経済恐慌はその猛威を逞しくしている。今日なお我が国の富と偉大とを為している勤勉で倹約な慎しい中産階級が殆ど全体にジャーナリズムの悪影響を受けていた時代をわしは知っている。今日《こんにち》彼らは彼らの勤労の果実が無秩序の諸要素によって脅かされていることを感じているし、寛大な幻影の時代は既に去ったことを、社会は教会以上に堅固な支柱を有っていないということを理解している。所有権は福音の中に録《しる》されているではないか? いや、もちろん、そこにはいろいろ区別を立てなければならぬし、人々の良心を支配してゆく上において、君たちはその権利に相当する義務についても注意を促がさなければならぬが、しかも……」
胃の痛みは私をひどく神経質にしていた。私は唇につきかけて来る言葉を抑えることができなかった。そして、なお悪いことには、私はそれを震え声で口にしたのだった。その調子は私自身をさえ驚かした。
「告解する者が告解室で不正な利益を自ら責めることは滅多にありません。」
首席司祭さんは私の眼の中をじっと覗き込んだが、私はその視線に堪えた。私はトルシイの主任司祭を想った。結局、憤りは、たといそれが正当なものでも、司祭としてそれに身を任せることはやはり警戒すべきだ。また、金持について――真の金持、精神に於ける金持――たとい唯一の金持がポケットに一デナリオしか持っていないとしても――金の人間と呼ばれる者、について語らざるを得ない時の、私の怒りの中にはいつも何かがあることを私は感じる。……金の人間!
「君の考えはわしを驚かせる。」と、首席司祭さんは冷かな調子で言った。「わしはそこに何か怨恨、忿懣といったようなものを感じる。……ねえ、君」と。それから、幾分声を和らげて、続けた。
「君の学業の好成績が幾分君の判断を誤らせてはいないだろうか? 神学校は世の中ではない。神学校の生活は人生ではない。君は下手をすると知識人《インテリ》になる。つまり反抗者にだ。精神に基礎を置かない社会的優越を故意に軽蔑する人間にだ。神さまは我々を改革者になることから守って下さる!」
「ですが、多くの聖人も改革者でした。」
「神さまは我々を聖人になることからも守って下さる! いや反対せんでもいゝ。これは面白く言って見ただけのことだ。まあ、わしの言うことを聴き給え。君はよく知っている、教会は、極《ごく》少数の例外的な義人――厳密な調査の篩にかけたその教訓と英雄的な模範とが信者たちの共通の財宝を形造るような義人をしか、しかも、大抵の場合その死後よほど経ってからでなければ、聖人の位に上げないということをね。ところで、いゝかね、その財宝だって、矢鱈に掴み出して使う訳にはいかんのだ。そこで十分な尊敬は払って、こう言うことができる、つまりその嘆賞すべき人々はあの、葡萄作りにあれほどの骨折と注意とを要求しながら、やっとその孫甥の舌を楽しませるに過ぎんような、貴重ではあるが、出来上るのに手間の取れる葡萄酒に似ているとね。……もちろん、これは冗談だが、君も気附くだろう、――神さまは我々修道会に属さん司祭たち、謂わばキリストの正規の軍隊、の中には、奇蹟を行うような聖人、教階制度の枠を時としては揺がすような超自然の冒険家を殖《ふや》すことは用心されているようだとね。アルス司祭(訳者註。福者ジヤン・マリ・ヴイアンネ。フランスの司祭、一七八七年リヨンの近くのダルディイに生れ、一八五九年アルスに死す。一九〇四年諡福さる。戸塚文郷著「農村の聖者」参照。)は例外じゃなかろうか? 司牧の辛い仕事に全力を献げているあの多数の尊敬すべき、熱心な、模範的な司祭の群と比較したら、それらの謚聖者の数は問題ではないだろう? しかも、ヒロイックな徳の実践を、修道士や、まして俗人の特権だなどと誰が敢えて主張するだろう!
そこで今、或る意味で、――もちろん、こんな警句の逆説的な、多少礼を失した性質には十分の注意を払っての上でのことだが――神は我々を聖人になることから守って下さる、と言えることが分ったかね? 多くの場合、聖人は、教会にとっては名誉になる前に一つの試煉だった。もとよりあの、ほん物の聖人の周囲に集まっている出来損いの未完成の聖人、謂わば金貨に対する補助貨幣、それも邪魔になるだけで大して役に立たん大銅貨のような聖人のことを言っているのではない。それにしてもどんな牧者、どんな司祭がそんな群を牧することを望むだろう? 彼らに服従の精神があればというのか? よろしい! だが結局彼らがどうしようと、彼らの言葉、態度、更に沈黙さえもが、常に凡庸な者、弱い者、生温《なまぬる》い者の躓きになる虞れがあるのだ。いや、分ってる、御主は生温い者を嫌われた、と君は答えるだろう? だが、正確に言って、生温いというのはどの程度を指すのか? 我々は知らん。そういう人間を御主のように定義する自信が我々にあるか? 決してない。一方、教会にだって無くてはならんものは金だ。この要求は、厳として存在している。君だってそれは、わしと共に、認めなければならん。してみれば、何も恥じることは要らん。教会も霊魂と肉体とを有っている。その肉体の要求に応えなければならん。物の道理の分る人間なら、食うことを恥じはせん。だから、事物を有りのまゝに見よう。我々はさっき商人のことを言った。誰に国家はその収入の最も明瞭な部分を仰いでいるだろう? まさに、金儲けに汲々とし、貧乏人に対しては彼ら自身に対してと同様に吝嗇で、蓄財に血眼のあの中産階級からではないか? 近代社会はその産物だ。
もちろん、誰も君に原則を抂げることを要求はせんし、何処の大教区の教理問答《カテシスム》だって、第四戒(訳者註。天主の十戒の第四、汝殺す勿れ。)を改めたということは聞かん。だが、我々は出納簿を覗くことが出来るだろうか? 例えば、事が肉の過ちに関する場合、彼らは多少とも我々の誡めに従順だ。そこに彼らのこの世の智慧は、――せいぜい損失、或いは失費の危惧以上には大して出ないにしても、――ともかくも乱脈や、浪費を見る。彼らが取引と呼ぶところのものは、これらの勤労者には、勤労が一切を神聖化する特別の領域と考えられる。なぜなら彼らは勤労の宗教を有するからだ。銘々自分のために――これが彼らの掟だ。こうした彼らの良心を照らして、商売は一種の戦争であって、戦争と同様な特権と寛容とを要求するものだという彼らの先入観念を打破することは到底我々の手に負えることではなく、それには、多くの時を恐らくは幾世紀もの時を要するだろう。兵士は、戦場では、自分を人殺しだとは思わんが、それと同様に、商売によって暴利を得る商人も自分を泥棒だとは思わん、なぜなら彼は他人のポケットの十スーを盗むことは自分には出来ないことを知っているからだ。所詮、君、人間は人間だ! もしこれらの商人の或る者が、正当な利益に関する神学上の規定を文字通り守ろうとすれば、破産は必定だろう。
そうだとすれば、いかにも骨折って漸くそこまで経上って来、物質主義的な社会に対する我々の最良の参考人であり、礼拝の費用を受持ち、村落に於ける司祭の給源が殆ど涸渇してしまって以来我々に司祭をも供給して寄越す勤勉な市民たちを再び低い階級へ追い落すことは果して望ましいことだろうか? 大工業は最早名目しか存在しない。それはかつては銀行によって運転された。貴族階級は滅びようとしているし、プロレタリアは我々から逃れてゆく。そして恐らく君たちは中産階級に向って、その解決のためには多くの時間と節度と技巧とを要する良心問題を、即座に、鮮かに、解決することを要求するだろう。ところで奴隷制度は神の掟に対するもっと大きな罪ではなかったろうか? しかも使徒たちは…… 君たちの年齢では、えてして絶対的な批判を下したがるものだ。そうした誤ちに対して用心し給え。抽象に陥らぬようにし、人間を見るようにし給え。ねえ、まさに、あのパミイル一家こそは、わしの今述べた説の実例として、解説として、役立つものだ。祖父は一介の石工であり、有名な政治上の教権反対論者であり、社会主義者でさえもあった。バザンクウルの我々の尊敬すべき同僚は彼が聖体行列の通る時にわが家の閾の上に半洋袴《キユロツト》を置いたのを見たことをいまだに覚えている。彼は先ず手始めに、かなり評判の悪い葡萄酒とリキュールの店を買い取った。それから二年後には、公立中学校を出た彼の息子は、その甥の一人がブロジュロンヌの近くで主任司祭をしていたドゥラノワという善良な家庭に入った。気の利いた彼の娘は食料品店を開いた。むろん爺さんは店を手伝って、年中、馬車で走り廻っていた。モントゥルイユの大司教区の中学校に入った孫たちの学費を払ったのも彼だった。孫たちが貴族の子弟の学友になったことを彼は得意にしていたし、だいいち彼はもうずっと前から社会主義者ではなかったのだ。雇人たちは彼を火のように恐れていた。二十二歳で上の孫のルイ・パミイルは枢機官《カルデイナル》の執事をしていた公証人ドゥリヴォオルの娘と結婚し、孫娘のアルセエヌは店をやり、中の孫のシャルルはリル市で医者になり、末の孫のアドルフはアラスの神学校に入った。もちろん彼らが非常な働き者ではあるが、取引にかけては手剛く、郡中の金を掻き集めたことは皆十分に知っている。だが、それが何だろう! たとい彼らは我々に対して盗みを働くとしても、彼らは我々を尊敬している。そこで彼らと我々との間には一種の社会的連帯責任《ソリダリテ》が生じ、人々が嘆こうと嘆くまいと、それは厳として存在しているのだ。そして、存在する一切のものは善のために利用されなければならんのだ。」
彼は、幾分頬を紅潮させて、言葉を切った。私はいつもこうした種類の話にはどうもうまくついてゆけないのだ。なぜなら、秘かな同感によって相手の考えに情熱を以て先んずることができず、神学校の先生たちが言ったように「引きずられて」ゆく場合には、私の注意力は忽ち衰えてしまうからだ。……俗に「心に溜まる言葉」というが、実にうまいことを言ったもので、そのために胸に塊が出来、その氷の塊のようなものは祈りだけがそれを解かすことができるように感じられた。
「わしは少し荒い口を利いた。」と、首席司祭さんは更に言葉を続けた。「だが、それは君のためを思ってだ。年を取れば、いずれ分るよ。だが、生きなければならん。」
「生きなければならない、というのは、実にぞっとする言葉です。そうお思いになりませんか?」
と、私は思わず答えた。
私は相手が笑い出すだろうと予期していた。なぜなら、私は、悪い時期の私の声、あの自分でもよく知っている声――お父っつあんの声だ、と母が言った――あの声をその時出したからだ。私は先日一人の浮浪人が身許証明書を見せろと言った巡査に答えるのを聞いた。「身許証明書ですって? 何処でそんなものが取れます? 私は無名戦士の息子です!」その男がちょっとそんな声をしていた。
首席司祭さんは、しばらく、じっと私の顔を見詰めていた。
「君はどうやら詩人のようだ、だが、幸い、二つも分教会を持っていれば、仕事には事欠かん。仕事が万事を解決して呉れるだろう。」
昨夜《ゆうべ》は勇気が出なかった。できれば、私はこの会話に結論を与えたいと思った。だが、それが何になったろう? もちろん、首席司祭さんの性格を考えなければならない。あの人は明らかに、私に反対し、私を遣り込めて、喜んでいた。あの人はかつてはデモクラティックな若い司祭に反対する熱意で有名だった。確かに私をその一人だと信じているのだ。だが、そう思うのも無理はない。事実、私の極度に卑賤な生れからいっても、貧しく、寄辺のなかった幼時からいっても、また、ひどく等閑《なおざり》にされた、いや、むしろ乱暴でさえもあった教育と、この私に多くのものを見抜かせる知性の或る種の敏感さとの間に益々強く感じつゝある不均衡からいっても、長上の人たちが警戒するのがもっともな生来規律に欠けた人間の種類に私は属するのだ。私はどう成っていたろう、もし…… だが、社会と呼ばれるものに対する私の感情は甚だ模糊としている。…… 私は、貧乏人の子であるにも拘らず――いや、むしろ、そのためかも知れないが――血統の優越性、血の優越性しか理解できない。こんなことを言ったら、笑われるだろうが、私は、ほんとうの主人――君主とか、王とか言うものには、喜んで仕えたいように思う。我々は我々の合せた手を或る人間の手の中に置き、臣下の忠実を誓うことはできるが、百万長者の足下に跪いてそのような儀式を行おうという考えは誰の頭にも浮かばないだろう。なぜなら、単に金があるというだけでは、何の意味もないのだから。富の観念と権力の観念とはまだ融合することができない。前者は飽くまでも抽象的なものだ。なるほど、貴族の中には、高利貸だった父の金貨の袋で領地を買った者もあると答える人もあろう。だが、要するに、剣によって獲たにせよ、そうでないにせよ、彼は我が身を禦《まも》るように、剣によってそれを禦らなければならないのだ。なぜなら、領主と領地とは、同一の名で呼ばれるほどに一つだからだ。…… まさに王たちが互いに認め合うのはこの不思議な徴《しるし》によってではないか? ところで、王は、聖書の事では、審判者と区別されない。確かに、百万長者は、その金庫の底に、どんな君主よりも多くの人命を握っているが、その権力は眼も耳もないようなものだ。彼は自分が殺すものを知らないで殺すことができる。たゞそれだけだ。この特権は恐らくはまた悪魔のそれだろう。
(私は時々こう考える、神の考えを奪おうと試みるサタンは、単にそれを理解することなしに憎悪するばかりではなく、逆の意味に理解するのだ。生命の流を下る代りに、それとは知らずに、それを遡り、創造の全努力を逆に遣り直そうとする恐るべき愚かな試みに精力を消耗するのだと。)
・・・伯爵家の家庭教師ルイズ嬢が今朝《け さ》香部屋へ会いに来た。私たちは令嬢のことで長い間話した。どうやら、あの少女は益々気難しくなり、邸に置くことが不可能になり、寄宿舎へ入れる方がいゝらしい。だが、伯爵夫人はまだそこまでの処置を取りかねているらしい。私から夫人に口を利いて貰いたいのだということを私は覚った。ところで、私は来週、邸へ晩餐にゆくことになっている。
むろん、ルイズ嬢は全部を打ち明けてはいないのだ。彼女は、何度も繰り返して、気づまりなほどじっと私の眼を覗き込み、唇を震わせていた。私は彼女を墓地の小門まで送っていった。門際で、人が恥ずかしい告白をする時のような、とぎれとぎれな早口で――恰も告解者のような調子で――そんなに危険な、微妙な場合に私の助けを求めることを詫びた。
「お嬢さんはひどく熱情的な、変った性質のお子さんです。悪い方ではないと思うのですが、ただ、あの年頃の娘さん方は大てい勝手気儘な想像力を有っているものです。だいたい、私の愛してもい、同情もしている子供さんのことをとやかく申上げることは随分躊躇されたのですが、あの方は何か無分別なことを仕出かしそうなのです。でも、万一の場合、まだこの教区にいらっしゃりたてのあなたの御親切や御慈悲にお縋りすることはやはり無益でもあり、危険でもあったでしょうし、またその為に余計なお打明け話を致さなければならないことも……」そして彼女は「御前さまはそれにはお堪えになれないでしょう。」と附け加えたが、その調子は私には不愉快だった。
確かに、彼女が偏見や不正な考えを懐いているとは思えなかったし、私が彼女に、握手を求めずに、出来るだけ冷やかに挨拶をした時も、彼女は眼に涙を、真実の涙を、溜めていた。だいたい、シャンタル嬢の態度は私には甚だ気に入らない。彼女の顔には多くの百姓娘の顔に見られるのと同じ様な一徹さ、頑なさが見られた。彼女たちの心の秘密は私にはまだ知られていないし、永久に知られないだろう。なぜなら、彼女たちは死の床に於てすら、中々心は見透かさせないのだから。そこへゆくと、青年たちはまるで違う。ところで、娘たちにしろ、まさか臨終に当ってまでも涜聖の告解もすまいと思われるのは、彼女たちの罪に対する真剣な悔悛を彼女らは示したからだ。だが、彼女たちの可哀そうな、愛すべき顔は、いよいよ息を引取ってからでなければ、幼時(それはそんなに近いのに)の朗かさ、あの何か知れないが信頼するような、驚いたような或るもの、浄らかな微笑を取り戻さなかった。……淫蕩の悪魔は沈黙の悪魔だ。
ともあれ、ルイズ嬢の行動を少し疑わしく思う気持はどうしても抑えることができなかった。そんなに微妙な家庭問題に介入するには私はあまりに経験と権威とを欠いていることは明らかだし、私などを近附けない方がおそらく賢明だろう。だが、私が介入することを有益だと人が判断するのだから、自分自身判断することを禁ずることが何を意味しよう!
「伯爵はそれに堪えられないでしょう……」というのは余計な言葉だ。
昨日《きのう》、例の友達から、また手紙を受取った。極く簡単な手紙だ。リル市へ彼を訪ねることを数日延して欲しい、彼自身用があってパリへゆくから、というのだ。そして彼はこう結んでいた。
「僕がもうずっと前からスータンを脱いでいることは、君にはすでに分っているにちがいない。だが、僕の心は変っていない。たゞ僕の心はより人間的な、従って、より寛大な人生の観念に向かって開いている。僕は自ら生活の糧を獲ている。これは重大な言葉だ。重大な事柄だ。自ら生活の糧を獲る! 施物のように、日々の糧を、言いかえれば、一皿の隠元豆を受ける神学校以来の習慣は、我々を死ぬまで生徒にし、子供にする。僕は、君がきっと今でもそうであるように、自分の社会的価値には全く無智だった。どんな慎《つゝ》ましい仕事にも従事する勇気が殆ど出なかった。ところで、僕の不健康が僕に必要な行動を取ることを許さなかったにも拘らず、僕は思いがけぬ申出を沢山に受け、時期が来たら、五つ六つの極めて収入の多い地位の中から気に入ったのを選びさえすればいゝのだ。おそらく君の最近の訪問には、君を相当な住まいに迎える喜びと誇りとを有つことができようと思う、――これまでの住まいは極端にお粗末だが。……」
以上の文句は何よりも子供っぽくて、それに対しては肩を聳やかして軽蔑の意を表わすべきだとは十分承知しながら、それが私にはできないのだ。そこには或る種の愚かしさ、愚かしさの或る種の調子があり、そこに私は一目で、ひどく恥ずかしい思いを以て、聖職者の傲慢を、だが、超自然的な性質はすべて損われ、愚かしさに変った、恰もソースの味が変るように味の変った、聖職者の傲慢を見て取るのだ。なんと我々は人間に対し、人生に対して無力であることだろう! なんという馬鹿げた子供らしさだろう!
しかも私の友達は神学校の生徒の中でも優等生として、また最も才能に恵まれた者とされていたのだ。彼は人間に対する早熟な、幾分皮肉な経験をさえ欠いてはいなかったし、我々の教授の中の或る人々をかなりはっきりと批判もしていた。それなのに、なぜ、今頃になって、おそらく彼自身その馬鹿らしさを百も承知だろうと思われるこんなくだらぬ強がりなどを言ったりするのだろう? 彼も亦、他の多くの者と同じように、何処かつまらぬ事務室で果てるのだろう。しかも、其処でも、彼は彼の狷介な性格や病的な感受性のために同僚からは疎んじられ、どんなに骨折って過去を隠して見ても、大して友達などは出来ないだろう。
我々は我々の天職の超人間的尊厳性に対して高価な、非常に高価な代償を払っている。滑稽は常に崇高と隣合せだ! 常には滑稽に対してあんなに寛大な世間が、我々の滑稽となると、本能的に憎悪する。女の愚かしさも既に相当苛立たしいものだが、聖職者の愚かしさはそれよりも一層苛立たしいものだ。しかも聖職者の愚かしさは、時折、女の愚かしさの不思議な蘖《ひこばえ》のように見える。多くの貧しい人々の司祭に対する嫌悪や、彼らの根強い反感は、よく言われるように、単に神の掟とそれを具現する者への、情慾の多かれ少かれ意識的な反抗だけではおそらく説明されないだろう。……それを否定したところで、何にもならない。醜に対して嫌悪の念を懐くには、何も「美」に対する甚だ明瞭な観念を有する必要はない。凡庸な司祭は醜い。
悪司祭について言っているのではない。いや、悪司祭も凡庸な司祭だが、しかし、悪司祭は怪物だ。怪物となると到底普通の尺度で測る訳にはゆかない。怪物に対する神の計画を誰が知り得よう? そのような驚くべき失寵の超自然的意味は何だろう? どうしても私には、例えばユダはこの世界には――イエズスが深い聖慮からそのための彼の祈りを拒《しりぞ》け給うたこの世界には――属しているとは思えない。ユダはこの世界のものではない。……
私の不幸な友を悪司祭と呼ぶことは適当でないと思う。彼は彼の配偶者に真に愛著を感じているとさえ私は想像する。なぜなら、私が識っている彼は感傷家だからだ。だが、不幸にして、凡庸な司祭は常に感傷家だ。或る種の生温《なまぬる》さよりは寧ろ悪徳の方が我々にとって危険の度が尠いかも知れぬ。脳の軟化ということがあるが、心の軟化の方が一層恐ろしい。
・・・今朝《け さ》、分教会から、畑道を戻って来る途中、リニエエルの森に沿って犬に獲物を探させている伯爵を見掛けた。伯爵は遠くから私に挨拶したが、あまり話はしたくない様子だった。どうやらルイズ嬢の行動を知っているらしい。できるだけ控え目に、慎重に行動しなければならない。
昨日《きのう》、告解。三時から五時まで、子供たち。もちろん、男の子から先に始めた。
我が主の彼ら、あの幼《いと》けなき者たちを愛されんことを! これがもし司祭以外の者だったら、糺明の箇条の中から選んだ、それも、毎回同じような文句の、あまりに屡々単なる諳誦に近い彼らの単調な呟きには眠気を催すだろう。……もしもはっきり知ろうとし、適々質問を懸け、単なる物好きな人間として行動するならば、おそらく嫌悪の念を起さずには居られないだろう。それほど獣性が皮一重まで現れている。しかも!
罪について我々は何を知っているだろう? 地質学者は、我々にはいかにも堅固に安定しているように見えるこの大地が実は火の海の表面の薄皮に過ぎず、まさに沸騰せんとする牛乳の表面に出来る皮のように絶えず揺いでいることを我々に教えている。……どれほどの厚さを罪はもっているのだろう? 蒼い淵を見出すにはどれほどの深さを掘り下げなければならないのだろう?…
・・・私は重い病気に罹っている。昨日《きのう》、それが、突然、啓示でも受けたように判然《はつきり》した。時折外見は負けたように見えて、その実は決して完全に手を緩めぬこの強情な痛みを私が知らなかった時期は、突然、殆ど目も眩むような過去へ、子供の頃へまでも退くように思われた。……私がこの痛みの襲撃を初めて感じたのは今からちょうど半年前だ。しかも、私は、皆と同じように食べたり飲んだりした日を、殆ど思出さないのだ。よくない徴候だ。
だが、発作は消えた。もう発作はない。私は断然肉と野菜とを断って、葡萄酒に涵《ひた》したパンを常食にすることにし、少しふらふらするように感じる毎に、その少量を摂ることにした。とにかくこの節食は私には大変利くようだ。頭ははっきりしているし、三週間前よりは体もずっとしっかりしたように感じる。
今では誰も私の不快を気に懸けない。事実は私自身もうこれ以上痩せることのできぬこの憐れな顔に馴れてしまったのだ。しかも、それは、敢えて健康な、とは言わぬが、何とも説明のつかぬ若い様子を保っている。私の年頃では、顔は潰《くず》れてはしまわない。骨の上に張っている皮膚は依然として弾力を持っている。それが普通だ!
昨夕《ゆうべ》書いた数行を読み返して見た。昨夜《ゆうべ》は非常に安らかな、よい一夜を過した。私は今、勇気に満ち、希望に満ちている。これは私の泣言に対する摂理の答だ。優しさに満ちた叱責だ。私は屡々こうした摂理の軽い皮肉(不幸にして他に言葉を見出すことができない)に気附いた――いや尠くとも気附いたように思った。まるで子供の拙い足取りを見守る母の軽い舌打ちのようなものだ。ああ! 祈ることさえ出来たら!
伯爵夫人はもはや私の挨拶に応えて、いかにも冷淡に、外《よそ》々しく頤をしゃくるだけだ。
今日デルバンド医師に診《み》て貰った。粗野な人間として通っていて、天鵞絨《ビロード》の半ズボンと、いつも脂を絶やさぬ脂臭い長靴とを同業者たちが好んで笑いものにするので廃業してしまった老医師だ。トルシイの主任司祭は私が診察を受けにゆくことを予め知らせて置いて呉れたのだ。彼は私を長椅子の上に横にならせ、実際あまり清潔でない長い手で(彼は猟から戻ったところだった)私の胃を長い間触って診ていた。彼が診察している間、閾際に寝ていた彼の大きな犬は異常な、殆ど敬虔なほどの注意を以て彼の一挙一動を見守っていた。
「君はひどく弱っているな。」と、彼は言った。「一目《ひとめ》見ただけでも(彼は犬の同意を求めるような様子をした)、君がいつも腹一杯食べていないということが分る、どうだね?……」
「前にはこれでも相当食べたんですが、今では……」
「今では、もう遅い! それにアルコールだ、アルコールを君はどうしてるね? いや、むろん、君が飲んだんじゃない。君がこの世に生れ出るずっと前に、人が君のために飲んだんだ。二週間後にまた来給え、リルのラヴィニュ教授へ紹介状を上げよう。」
もちろん、私は私のような者の肩には遺伝が重くのしかゝっていることを十分に知っている。だがアルコール中毒というこの言葉を聞くのはいかにも辛い。服を著直しながら、私は鏡の中の自分を見たが、鼻が細長く、深い二本の皺が唇の両方の合せ目まで下っていて、剃刀がよく切れないために剛《こわ》い髯の剃り残っている悲しげな顔はとつぜん見るに忍びなく思われた。
おそらく先生は、私の視線に気が附いたのだろう、笑い出した。犬もそれに応えて、吠え立て、嬉しそうに飛び跳ねた。「フォックス、静かにしろ! 畜生、静かにしろ!」最後に我々は台所へ通った。なぜか分らないが、このすべての物音は私を再び元気附けていた。薪を一杯に詰め込んだ丈の高い炉は、炭焼用の薪束のように燃え盛っていた。
「あんまり退屈した時にゃあ、この辺を一廻りしに来給え。これは誰にでも言うことじゃあない。だが、トルシイの主任司祭から君の話は聞いているし、君はわしの気に入る眼をしてる。忠実な眼だ。犬の眼だ。わしも、犬の眼をしてる。これは寧ろ稀だ。トルシイや君やわしは、同じ種族に属してる、変った種族にね。」
私がこの二人の岩乗な男と同じ種族に属するなどと言うことは全く思いも寄らぬことだった。が、しかし、彼が冗談を言っているのではないということは私にはよく分った。
「どんな種族にですか?」と私は尋ねた。
「立ってる種族にだ。だが、どうしてそれが立ってるかは誰も知らん。君は言うだろう、神の恩寵によってだと。だが、わしは、君、神を信じない。まあ、待ち給え。習い覚えた文句を繰り返す必要はない。わしはそんなものは諳《そら》んじてる。『霊はその好むところに吹く、我は教会の魂に属する』か――冗談だろう。なぜ、坐ったり、寝たりしないで、立ってるか? 肉体的説明なんかもちろん役に立たん。一種の肉体的運命予定説を事実によって証明することは不可能だ。運動家は概して極めて保守的な、大人しい市民だ。彼らが認めるのは代償を齎す努力だけで、我々のような努力は認めん。なるほど君たちは天国を考え出した。だが、先達てもわしはトルシイに言った。じゃあ君が頑張るか頑張らぬかは天国の有るなしに関わると言うのかね? だいいち、こゝだけの話だが、結局誰でも天国へ入るんじゃないかね、え? 十一時の働く者(訳者註。マテオ聖福音書第二十章一―十六節)もじゃないかね? わしは、もう一働き余計に働いた時、――このもう一働き余計に働くというのは、もう一杯余計に飲むというのと同じような意味合いでいうんだが、――それは単に傲慢に過ぎんじゃないかと考えるんだ。」
彼は声を立てゝ笑ったが、その笑いは聞くに堪えなかった。で、犬までが私と同じように考えたように思われた。奴はとつぜん跳びはねるのをやめて、腹をべったりと床に附け、静かな、注意深い眼差しを主人の方へ上げた。それはすべてを断念した、しかもその腹の底までも、その憐れな犬の肉体の最後の筋までも響いた苦痛を理解しようとする漠とした希望さえも断念した眼差しのようだった。そして、鼻面を、組み合せた前脚の上にそっと置き、眼を細め、その長い脊骨を妙に震わせながら、害敵が近附いた時のように、低く唸っていた。
「先ずあなたのいわれる、その、立っているという言葉の意味を伺いたいと思います。」
「そいつは長くなる。事を簡単にするために、先ず真直な姿勢というものは力のある者にだけ相応わしいものだということを承認しよう。その姿勢を取るには、思慮のある人間は、力を、でなければ、その徴《しるし》を、即ち権力とか、金とかを得るまで待つ。ところが、わしは待たなかった。第三学年の時だ、或る黙想会の折に、モントゥルイユの校長が我々にめいめい何か座右銘を持つようにと言った。わしの選んだのが分るかね? 『打掛かれ』というのだ。だが、十三の小僧、いったい何に打掛かるというのだ!……」
「おそらく、不正にでしょう。」
「不正に? そうだとも言えるし、そうでないとも言える。わしは正義という言葉だけを口にする型の人間じゃない。だいいち、誓って言うが、わしはそれを自分のためには要求せん。わしは神を信じないのだから、いったい誰に向ってそれを要求しろというのか? 不正に苦しむというのは抑も人間の条件だ。見給え、わしの同業者共が、わしが消毒の観念を全然欠いとるという噂を伝わらせてから、患者は皆去ってしまって、わしがそれ以来診《み》るのは、診察料の代りに家禽か林檎の籠ぐらい持って来る、しかもわしを馬鹿扱いしおる土百姓共だけだ。なるほど或る意味で、金のある奴らとの関係に於ては、あいつらは犠牲者だ。ところで、いゝかね、神父さん、わしは、あいつらも、あいつらの搾取者共と一つ袋に押し込む。あいつらにしたって、ちっとも優《ま》しじゃあないんだからね。あいつらは、あいつらの搾取する番が廻って来るまで、差し当りわしを騙《かた》るんだ。たゞ……」
彼は、さり気なく、私を横目で見ながら、頭をごしごしと掻いた。そして、私は彼が顔を赧らめたのを見た。その老いた顔に浮かんだ羞《はじ》らいは美しかった。
「たゞ、不正に苦しむのと、それを忍ぶのとでは違う。あいつらはそれを忍ぶのだ。それがあいつらを堕落させるのだ。わしはそれが見ておれんのだ。これは容易に抑えかねる感情じゃないかね? 往生際の悪い百姓の臨終に立合う時――もっとも往生際のいゝというのは滅多にはないが、でも時々は見かけるが――持前の気性が出て、ついこう言いたくなる。『さっさとおさらばしろ、馬鹿野郎! 俺が一つ遣り方を教えてやろうか?』とね。なに、傲慢だというのか? そうだ、常に傲慢だ! 或る意味で、君、わしは貧乏人の友じゃない、わしは忠実な犬の役は引き受けん。わしなどの手は藉《か》らんで、さっさと、自分たちで仕末をつけて欲しいものだ。権力者との仕末をね。だが、奴らは百姓という職業を安売する。わしは恥ずかしくなる。医学的に言って、寧ろ人間の屑に過ぎんあの多くの馬鹿者共と連帯責任があると感じることはまったく不幸だよ。多分、種族の問題かも知れん。わしはケルト族だ。頭の天頂《てつぺん》から、足の爪先までケルト族だ。我々の種族は犠牲的だ。訴訟に負けた鬱憤か! だいたい、人間は正義に対して懐く観念に従って二種類に分れると思う。一方の種類の人間には、正義は釣合いだし、妥協だ。もう一方の種類の人間には……」
「もう一方の種類の人間には、正義は隣人愛の発露、その勝利です。」
先生は、私にとって非常に気詰まりな驚愕と躊躇との様子で稍々暫く私を眺めていた。おそらくその言葉が彼の気に入らなかったのだと思う。事実、それは一つの言葉に過ぎなかったのだ。
「勝利! 勝利! 結構なものだよ、君らの勝利は。君は答えるだろう、神の国はこの世のものではないとね。よろしい。だが、それにしても、もう少し時計の針を進ましたらどうだね? わしが君らに非難するのは、いまだに貧乏人というものがあるということじゃない。いや、それどころか、わしは君たちの方に歩をよくする。わしは奴らを養ったり、著せたり、手当をしたり、洗ったりする仕事はわしらのような老耄れの肩に懸るように大いに望んでいる。たゞ、君らは奴らの番をしてるんだから、わしの君らに赦せんのは、奴らをあんまり汚い儘で寄越すことだ。分るかね? キリスト教始まってこの方二千年、もういゝ加減貧乏であることを恥じる必要がなくなってもいゝ筈だ。でなければ、君らはキリストを裏切ってる訳だ。わしはどうしてもこの考えから脱けられんのだ。まったくの話、君らは金持を辱しめ、制御するのに必要なものはすべて持ってるのだ。金持は名誉慾に飢えてる。金持になればなるほど、その飢えは激しくなる。君らが彼らを最後列に、聖水盤の側か、更に教会の前庭へでも追いやる勇気さえ出したら――なぜそうしては悪いのだ? ――それは彼らを反省させたろう。彼らは貧乏人の席の方を窃み見たろう。わしは彼らを識ってる。他の何処でも最前列に置かれる者が此処、神の許では、最後列に置かれるのだ。分るかね? いや、わしだってそこにいろいろ差障りのあることは承知しているさ。よしんば貧者はイエズスの、――イエズス自身の、――象《かたど》り、似姿であるとしても、彼を教会委員の席に著かせ、二千年来、君らがまだそこに吐き掛けられてる唾を拭い去る術《すべ》を見出さぬ笑止な顔を公衆の面前に晒させることは不都合だ。なぜなら、社会問題は先ず名誉の問題だからだ。貧乏人の不当な屈辱が結局破落戸《ならずもの》を作り出すのだ。だいたい父から子へと肥る習慣を失ってしまって、おそらくはいつになったって杜鵑のように痩せてるに違いない者共を肥らすことを我々は君たちに要求はせん。更に、止むを得なければ、便宜上、木偶《でくの》坊《ぼう》、怠け者、酔払い、要するに明らかに有害な現象の絶滅を我々は十分承認する。しかも依然として貧乏人は、誠実な貧乏人は、自分から、神の家、即ち自分の家で最後列に著くだろうし、柩車のように飾り立てた教皇親衛兵が彼を教会の玄関近くへ迎えに来て、王侯――キリスト教的血族の王侯に相応わしい尊敬を表しつつ、内陣へ案内するのを我々は決して見なかったし、今後も決して見ないだろう。こうした考えはいつも君の同僚たちの嘲笑を買う。無駄事だ、虚栄だと。だが、そんならなぜ彼らはこの地上の権力者たちにあのような尊敬を払って彼らを喜ばせるのか? また彼ら貧乏人たちを笑止だと考えるならば、なぜ彼らにあれほど高価な代償を仕払わせるのか? 『襤褸《ぼろ》を下げた男を内陣などへ入れたら笑われるだろう。忽ち道化芝居になってしまう。』と彼らは言う。よろしい! だが、その男がその襤褸《ぼろ》を脱いで樅の木の柩に収った時、即ち、彼がもはや手鼻を〓《か》まないということが、また君らの絨毯の上にもはや痰を吐かないということが絶対に確かになった時、君らはその男をどう取扱うかね? そこだよ。わしは馬鹿だと思われたって屁とも思わんが、わしは痛いところを抑えているから、教皇だって滅多に言抜けは出来ん。しかも、わしの言うことは、君らの聖人たちがしたことだ。して見ればそんなに馬鹿げたことである筈がない。貧乏人の前に、廃疾者の前に、癩患者の前に彼らが跪いているのを我々は見ているのだ、君らの聖人がね。元帥たちがその足下に平伏《ひれふ》す王様の肩を伍長が鷹揚に叩いて通る軍隊とはなんと奇妙な軍隊だろう!」
彼は私の沈黙にいくらか気詰まりになって口を噤《つぐ》んだ。確かに、私はあまり経験には富んでいないが、一目《ひとめ》でそこに心の深い傷手を露わにしている或る調子を認めたように思う。おそらく私以外の人間だったら、説き伏せ、宥めるのに必要な言葉を見出すことができたろう。だが、生憎、私はそうした言葉を知らない。人間から出る真の苦痛は先ず神に属するように私には思われる。私はそれをその儘私の心に謙虚に受け容れようと試み、それを私のものとし、それを愛そうと努める。そこで、私はあの極めて陳腐になった「共にする」という言葉の隠れた意味を理解する。なぜなら、事実、私はその苦痛を共にするからだ。
犬は彼の側《そば》へ来て、その膝に頤を載せていた。
(一昨日《おとゝい》から、私はこの一種の論告に答えなかったことを心に咎めている。しかも、私は、心の奥底では、自分が悪かったとは思えないのだ。だいいち、私には何が言えたろう? 私は哲学者の神の代弁者ではない。私はイエズス・キリストの僕《しもべ》だ。また仮に何かが私の唇に上《のぼ》ったとしても、それは甚だ有力でありながら、しかも甚だ無力な議論ではなかったかと思う。なぜなら、それはもうずっと前から私を説得してはいるが、しかも私を安堵させてはいないからだ。)
イエズス・キリストを措いて平和はない。
・・・私の目論《もくろ》みの一部は実現しつゝある。私は各家庭を尠くとも三ケ月に一度ずつ訪問する計画を立てた。私の同僚たちはそれを実行不可能な計画だという。事実、それは中々行い難いことだ。なぜなら、私はそのために私の義務のどれをも怠ってはならないからだ。毎日そこで同じ仕事を繰り返している快適な事務所の奥にいて、遠くから我々を批判しようとする人々には、我々の日々の生活の無秩序、乱脈は想像も及ばない。正規の仕事だけで、やっとだ。――それをきちんきちんと果してゆくことが、我々の長上に「あの教会はよくいっている」と言わせるのだ。――その他に突発事がある。しかもこの突発事が忽《ゆるが》せにならないのだ! 我が主《しゆ》が望まれるところに私は居るか? これは私が日に何度も自分に懸ける問いだ。なぜなら、我々が仕える「主」は単に我々の生活を審判し給うばかりでなく、それを分ち、それを身に引受けられるからだ。幾何学者的、モラリスト的神を満足させるのなら、遥かに骨が折れないだろう。
今朝《け さ》、大ミサのあとで、私は、団体を作りたいと思う教区の若い運動家たちは、聖体降福式の後で、司祭館に集まるようにと言った。だいたい、私はこの決心を目算なしに立てた訳ではない。私は信者名簿によって、見込のある青年の名を、十五か、尠くとも十は当りを附けて置いたのだ。
ユウティシャンの主任司祭が伯爵に口をきいて呉れた。(彼は伯爵家とは旧い近附きである。)伯爵は地所を拒絶はしなかったが、向う五年間賃貸することを望んでいる。(年に三百フランで。)この期限が来て、契約が更新されない場合は、土地は伯爵に返還され、設備、建物等は伯爵の所有に帰するというのだ。実をいうと、伯爵は私の企てをどうやら信用していないらしいのだ。その上、察するに、彼は彼の地位や性格には似つかわしからぬこうした掛合いで私の出鼻を挫こうと望んでいるらしいのだ。彼はユウティシャンの主任司祭にかなりひどいことを言った。「あまり無鉄砲な善意は皆にとって危険だ。自分は空な計画に関して約束をするような男ではない。先ず実行して見せなければならない。ジャケツの道化者たちを出来るだけ早く事実に示して欲しい……」と。
希望者は四人しかなかった。――しかも、あまり有望な連中ではない。私はエクランに或るスポーツ団体のあることを知らなかったのだ。しかも、それは、このあたり七ケ町村の住民に仕事を提供している製靴業者ヴェルニュ氏からたっぷり資金を仰いでいるのだ。もっともエクランまでは十二キロほどあるが、村の青年たちはそのくらいの道程《みちのり》は自転車で楽に往復する。
ともあれ我々は興味ある意見を交換し合った。これらの可哀そうな青年たちは彼らよりも粗野で、ダンス場へ入りびたり、娘たちの尻ばかり追いかけているような連中からは仲間外れにされているらしい。教会の元鐘撞き男の息子のシュルピス・ミトネがうまいことを言ったが、まったく「酒場は害はあるし、金のかゝる」ものだ。差し当り、人数も足りないしするから、小さい研究団体でも作って、遊戯をしたり、読書、といっても雑誌を読んだりするぐらいが関の山だろう。
シュルピス・ミトネは今まで大して私の注意を惹かなかった。非常に貧弱な体格だが、最近兵役を終えたばかりだ。(二度まで延期された後に。)現在どうにかペンキ職を営んではいるが、怠け者だというもっぱらの評判だ。
彼は否でもそこで生活しなければならぬ環境の俗悪さのために特に苦しんでいるように思われる。同じような多くの青年と同様、彼も都会で職に就くことを夢見ている。――彼は字がちょっと上手なのだ。だが、大都会の俗悪さは、種類は違うが、やはり恐るべきものに私には思われる。否、寧ろ、それは一層陰険であり、一層伝染的であるかも知れない。弱い人間はそれを脱れることができない。
仲間が帰った後で、私たちは長い間話した。幾分茫とした、こちらの視線を避けるようにさえ見えるその眼差しは、私にはいかにも傷ましく思われるあの眼の色、即ち無理解と孤独とに委ねられている人間の眼の色をしている。それはルイズ嬢の眼差しに似ている。
・・・ペグリオのかみさんが、昨日《きのう》突然、今後司祭館へ来ないと言い出した。碌に仕事もないのに金ばかり貰っているのは心苦しいし、(何を料理するでもなし、洗濯物も殆どないのだから、閑で困るのは事実だ。)一方「何もしないで時間をつぶすのは嫌だ。」と言うのだ。
私は事を冗談にしてしまおうとしたが、かみさんは笑わなかった。彼女の小さい眼は稜立《かどだ》っていた。私はその浮腫《む く》んだ円い顔、薄い髪をひっつめに結っている小さい額、特に横皺が何本もあって、いつも汗でぬらぬらしている肥った頸筋に対して、嫌悪を感じた。こうした感情はどうにも抑えがたいものだから、おのずと顔に現れて、彼女に悟られはしまいかと冷々した。
彼女は最後に「或る種の人間にこゝで会うのが嫌なのだ」と、それとなく仄めかした。これはいったいどういう意味なのであろう。
・・・ルイズ嬢が今朝《け さ》告解に来た。私は彼女がユウシャンの同僚を霊的指導者としていることを知っているが、彼女の告解を聴くことを拒むことは出来なかった。告解の秘蹟によって心の秘密に一気に入り得ると考える人々は甚だ単純だ。一度自ら体験させて見たいものだ。これまで神学校の若い連中の告解を大分聴き馴れている私も、いまだに、どんな恐るべき変形によって人々の内的生活があの一種の型に嵌った捉まえどころのない印象をしか与えないようになるものなのか理解することができない。……青年期を過ぎた信者で、大罪を告白しないで聖礼拝領をする者は尠いと思う。全く告解しないことは極めて易しいことだ。だが、もっと悪いことは、些細な嘘や言い逃れや曖昧が良心の周囲へ自然にこびりつくことだ。この殻は、それが内に包んでいるものの形を漠然と示すに過ぎない。習慣的に、時が経つにつれて、どんなに細心な者でもいつのまにか、信じられないほどに抽象的な彼ら特有の言葉を作り上げてしまう。彼らは大したことを隠しはしないが、しかも彼らの陰険な率直さは、何も見分けのつかぬ薄ぼんやりした光をしか透さぬ曇った硝子に似ている。
そうなったら告解が何になろう? ただ良心の表面を撫でるに過ぎない。私は敢えて良心が内から崩れるとは言わぬ。寧ろ、それは化石するのだ。
・・・恐ろしい夜だった。眼を閉じるや否や、淋しさが襲って来た。私はこの名状しがたい落胆を魂の出血と言う以外他に言いようがない。私は、大きな叫び声を――これも果して適当な言葉かどうか? おそらく、そうでないと思うが――耳にして、突然目を覚した。
忽ち眠気《ねむけ》に打克ち、考えを纏めることができるや否や、平静は一気に私の心に帰って来た。私が自分の神経を抑えるために始終自分に加えている抑制は疑いもなく自分の想像するよりは遥かに大きいものなのだ。この考えはこの数時間の苦しみの後で私には快かった。なぜなら、私が殆ど無意識にするところのこの努力、従ってそれに対しては何らの自己満足をも感ずることのできないこの努力は、神がそれを計り給うのだから。
真に人生とは如何なるものかを我々は如何に知ることが尠いことだろう! 我らの人生! 我々が我々の行為と呼ぶところのものによって自らを判断することは、おそらく、我々の夢によって自らを判断することと同様に虚《むな》しいことだろう。神は、その漠然としたものの堆積の中から、神の正義に従って選び給い、而して高々と父なる神に献げ給うところのものは、突然光を発し、太陽の如くに輝くのだ。
ともあれ、私は、今朝《け さ》、優しい同情の言葉を得るためならば何物をも与えたろうと思われるほど疲れ切っていた。私はトルシイへ走ってゆこうかと考えた。が、生憎、十一時に子供たちの教理の勉強があった。たとい自転車ででも、時間までには帰って来られなかったろう。
私の一番よい生徒はシルヴェストゥル・ガリュシェだ。あまり清潔でないが、(母親は死んで、かなり大酒飲みの祖母に育てられているのだ。)しかも実に不思議な美しさを有った男の児で、その美しさは謂わば罪以前の無垢、清浄な動物の無垢な清浄、の殆ど痛ましいまでの印象を否応なしに与える。私が好成績の褒美を与えていると、彼もその褒美の聖画《ご え》を香部屋へ貰いに来たが、私はその穏かな、注意深い眼の中に、私の待ち望んでいたあの同情を読み取ったように思った。私は暫く彼を抱き締め、その肩に額を当てて、不覚にも涙を落した。
・・・我々の「研究会」の最初の例会を開いた。私はシュルピス・ミトネを会長にしようと考えていたが、彼の仲間は彼を幾分疎《うとん》じているように見える。勿論強うべきではないと私は考えた。
だいたい、我々は、我々の資金に比例して、勢い貧弱ならざるを得ない計画の二三の細目を討議したに過ぎなかった。可哀そうなこの青年たちは明らかに独創力や、意気込みを欠いている。アングルベエル・ドゥニザアヌの告白したように、彼らは「笑われる」ことを恐れているのだ。彼らは閑で、退屈な儘に、たゞ来て見たに過ぎないという印象を私は受けた。
・・・デエヴル街道でトルシイの主任司祭に出会った。彼は私を彼の馬車で司祭館まで送って呉れ、その上例のボルドオまで一杯飲《や》って呉れた。「君はこれを美味《う ま》いと思うかね?」と彼は言った。私はカトゥル・ティユルの食料品店で買った地葡萄酒で満足していると答えた。彼は安心したように見えた。
私は彼が或る考えを胸に懐いていながら、しかもそれを口に出すまいと既に決心していたような印象を受けた。彼は気のない様子で私の言うことを聞いていたが、その癖、その眼はおのずと私に一つの問を懸けていた。だが、それに答えるのには骨が折れた。なぜなら、彼はそれをはっきりした形に現すことを拒んでいたからだ。気後れがした時にいつもするように、私は出鱈目に喋った。世には我々を惹き寄せ、呪縛する或る種の沈黙があるもので、我々はそこへ何でもいい、何か言葉を投げ込みたくなる……。
「君はなんて体をしてるんだ?」と彼はやがて言った。「君のようなのは大教区広しと雖も一人も居らんぞ。それなのに、君は馬車馬のように働く。参っちまうぞ。君のような者の手にまで教区を預けるというのは、司教さんもよほど司祭に困って居られるんだ。幸い、教区は存外岩乗に出来てる。でなかったら、君は教区を落っことして、破《わ》っちまうところだ。」
私には、私への同情から、彼が深く真剣に考えていることを殊更冗談めかして言っていることが充分に感じられた。彼は私のその考えを私の眼の中に読み取った。
「わしは君を忠告責めにすることができる。が、そんなことをしたって何になろう? わしは、サン・トメエルの中学で数学の教師をしていた頃、非常にこんがらかった問題を、普通の方式を無視して上手に解く不思議な生徒らを見たことがある。それに、だいたい、君はわしの命令下にある訳ではなし、わしは君を、勝手に、やりたいようにやらせて置くよりほかに仕様がない。君の上の人たちの判断を誤らせる権利はわしにはない。わしの行き方はいずれそのうち話すことにしよう。」
「どんな行き方ですか?」
彼は直接には答えなかった。
「ねえ、君、上の人たちが慎重さを勧めるのはもっともだ。わしも、ほかに仕様がないから、慎重にしてる。これはわしの生れ附きだ。つまらんことに好んで狂人染みた真似をする無反省な司祭ほど馬鹿げたものはない。だが、そうは言うものの、矢張り、我々の道は世間一般の道ではない。我々は人間に真理を治安維持のために勧めはしないし、また浄血剤としても勧めはしない。生命は生命だ。神さまの真理は生命だ。我々はそれを齎すように見えるが、実はそれが我々を運ぶのだよ、君。」
「どういうところが私は間違っているのでしょうか?」と、私は言った。(声が震えて、二度繰り返さなければならなかった。)
「君は騒ぎ過ぎる。君は壜の中へ入った熊ン蜂のようだ。だが、君は祈りの精神をもっているように思う。」
私は彼が私に、ソレムへ行くように、そして、修道士になるように勧めるだろうと思った。ところで、こんども亦、彼は私の考えを見抜いた。(もっとも、それは大して難しいことではなかったが。)
「修道士たちは我々よりも小賢《ざか》しいものだ。ところで、君は実際的な観念をもたん。君の計画はどれもこれも足が地についておらん。人間に対する経験については言うまでもない。君はあの可愛い伯爵を殿様のように、教理問答の子供たちを君流の詩人のように、また、首席司祭を社会主義者のように考えている。要するに、君は新任の教区の前で可笑《おかし》な顔附をしているように見えるのだ。失敬だが、君は、妻の方が一目《ひとめ》で彼の寸法を縦からも横からも測ってしまっているのに、大いに『妻を研究する』つもりかなんかでいる若い馬鹿な夫に似ている。」
「では?……」(私はまごついて、何も言えなかった。)
「では?……さあ、先を言い給え。どうわしが言えばいゝのだ。君は露ほども自負心というものをもたんし、君の体験について意見を述べることは困難だ。なぜって、君はそれを徹底的にやっているし、それに浸《ひた》り込んでいるからだ。もちろん、人間的慎重さに従って行動することは間違ってはいない。わしと同じフランドルの人間であるリュイスブロック・ラドゥミラブルのこういう言葉を知っているかね? 『たとい神に酔っている時でも、もしも病める者が一椀の雑炊を求めるならば、第七天国から降ってその求める物を彼に与えよ。』と。これは立派な教えだ。だが、これを怠惰の口実に使ってはならん。なぜなら、年齢や経験や失望などと共にやって来る超自然の怠惰というものがあるからだ。いや、年取った司祭は梃子でも動かん。慎重が我々をいつか神なしに済ませるように馴らす時、慎重こそ最大の軽率になる。実際、恐るべき老司祭がある。」
私は彼の言葉を出来るだけ忠実に伝えたつもりだが、事実は甚だ不忠実だったかも知れない。なぜなら、私は殆ど聴いていなかったからだ。実に多くのことが察しられた。私は自分自身に少しも信頼を有たないが、それでも私の善意は非常に大きく、それは一目《ひとめ》で誰の眼にも附き、人々は私を私の意志によって判断して呉れるだろうと私は想像している。何という思い違いだろう! この小さい世界のほんの閾際にいると思っていたのに、もはや私はずっと中へ入り込んでいるのだ、たった独りで――しかも、退路は塞がれていて、何処にも逃げ路はないのだ。私は私の教区を識らなかったし、教区は私を識らない振をしていた。だが、教区が私について作り上げている心象は既にあまりに明瞭で、正確だ。今後はよほど努力しない限りそれを変えることは困難だ。
トルシイの主任司祭は私の笑止な面上に驚愕を読み取ったが、差し当り私を慰めるどんな試みも無駄なことをおそらく理解したのだろう、口を噤《つぐ》んでいた。私は強いて笑おうとした。少しは笑ったようにも思う。が、実に辛かった。
・・・悪い夜だった。午前三時、手燭を下げて、私は聖堂まで行った。側扉《ど》の鍵がみつからなかったので、大扉《ど》を開けなければならなかった。錠前の軋りが円天井に響いて、大きな音を立てた。
私は自分の席で、顔を両手に埋めて、ぐっすり眠ってしまい、暁方、雨に打たれて目を覚した。雨は玻璃窓の破れ目から降り込んで来たのだ。墓地を出るところで、アルセエヌ・ミロンに出会った。私には彼があまりはっきり見分けられなかったが、彼は冷かすような調子で、お早うと言った。まだ眠そうな腫れぼったい眼をした私は妙な恰好をしていたに違いないし、スータンは雨に濡れていた。
私は絶えずトルシイへ走ってゆきたい衝動と闘わなければならない。敗けたとはっきり知っていながら、それを何度でも他人の口から聞きたがる賭博者の愚かな焦躁だ。だいいち、現在のような神経質な状態では、役にも立たぬ弁解を繰り返すに過ぎない。過去を語ることが何になろう? 未来だけが私には重要なのだが、まだそれを真正面から見据えるだけの力が私にはないように感じる。
トルシイの主任司祭も恐らく私と同様に考えているだろう。確かにそうだ。今朝《け さ》マリ・ペルドゥロの葬式のために黒幕を張っていると、石畳の上に彼のしっかりした重々しい跫音を聞いたように思った。が、それは仕事が終ったことを告げに来た墓掘り男に過ぎなかった。
がっかりした私は危く梯子からころげ落ちそうになった。……いや、いや、私にはまだ用意が出来ていない。……
・・・私はデルバンド先生に、教会は単に彼が想像しているようなもの、即ち、法律や官吏や軍隊を備えた一種の国家――人類の歴史の黄金時代――ではないと言うべきだったろう。教会は、正規の補給の不可能な未知の土地を通って行進する軍隊のように、時間を通して行進する。それは、軍隊がその日その日を現地補給でやってゆくように、その時代々々の制度と社会とに拠って生きてゆく。
どうして教会は、神の正統な相続人である「貧しき者」に、この世のものでない王国を返し与えることができよう? 教会は「貧しき者」を探ねて、地のすべての道の上で彼を呼んでいる。しかも「貧しき者」は常に同じ場所に、即ち、目も眩むような山巓に、二千年来倦まず、天使の声を以て、その崇高な声を以て、その驚嘆すべき声を以て、「汝若平伏《なんじもしひれふ》して我を拝せば、是等の物を悉く汝に与えん。……」と繰り返す深淵の主《ぬし》と相対している。(訳者註。マテオ聖福音書四ノ一―十一。)
これがおそらく、多数の人間の異常な諦めの超自然的な説明であろう。権力は「貧しき者」の手の届くところにあるが、「貧しき者」はそれを知らないか、尠くとも知らないように見える。彼は眼を地に伏せているし、誘惑者は人類を彼に引渡すべき言葉を今か今かと待ち構えている。だが、その言葉は神自ら封じ給うた厳かな口からは決して発せられないだろう。
「貧しき者」に勢力を与えないで、その権力を回復しようとするのは解決し難い問題だ。ところで、万一、何百万の密偵や巡査の助けを藉りる官吏や専門家や統計学者に奉仕される冷酷な独裁制が、世界のあらゆる地点で一斉に、肉食獣的智慧、利慾一点張りの兇暴で狡猾な動物共、人間を食って生きる人間の種族、――なぜなら、その果てしない金銭慾は、彼らを食《は》む恐るべき、口にするのも恥ずかしい飢餓の仮面に過ぎないのだから――を抑えることに成功するとしても、かくて普遍的規則として立てられた「中庸は金なり」(aurea mediocritas)に対する嫌悪の念が忽ちに起って、人は到る処に自ら求めた貧しさが春の立ち帰る如く再び花咲くのを見るだろう。
どんな社会も「貧しき者」には打ち克ち得ないだろう。或る人々は他人の愚かさ、その虚栄、その悪徳によって生きるが、「貧しき者」は隣人愛によって生きる。なんという崇高な言葉だろう。
・・・昨夜《ゆうべ》起ったことが私には分らない。きっと夢を見たのにちがいない。午前三時頃(いつものように少量の葡萄酒を燗《あたゝ》めて、それにパンを粉にして浸していた)庭の扉がひどい音を立てて煽られたので、私は降りてゆかなければならなかった。行って見ると扉はちゃんと閉っていた。勿論、別に驚くには当らない話で、毎晩の通り私はそれを確かに閉めて置いたのだから。二十分ほどすると、こんどは前より一層激しい音を立てゝ煽られた(ひどい風でまるで嵐だった)。可笑《おかし》な話だ。……
私はまた家庭訪問を始めた――神さまのお蔭で! トルシイの主任司祭の注意は私を慎重にした。私は努めて控え目な質問をごく僅かだけすることにしている。それも、――尠くとも表面は――ごく有り触れた質問だ。答えによって、私は次第に問題を高め、やがて、出来るだけ控え目に選んだ或る真理に到達するように努める。だが、中位の真理というものはない! いくら用心しても、また、それを口にすることを極力避けても、神の名は突然、その濃い、息詰まるような空気の中に輝き渡るように見え、開きかゝった人々の顔は忽ち閉じてしまう。いや、暗くなり、闇に鎖《とざ》されるという方が正しいだろう。
あゝ! 罵詈や暴言となって吐き出されてしまう反抗は、おそらく大したことはないだろう。……神に対する憎悪はいつも私に或る憑《つ》かれた状態を思わせる。「その時悪魔彼(ユダ)に入れり。」(訳者註。ヨハネ聖福音書十三ノ二七。)そうだ、憑かれた状態だ。狂気だ。ところが、神的なものへの或る種のさり気ない恐怖、あの、光が一面に降り注いでいる時に、塀の狭い影の中を伝ってゆくように、「生命」からの横退《じさ》りの逃避…… 私は、子供たちの残酷な玩弄《なぐさみ》物《もの》にされたあとで穴へ身を引摺ってゆく憐れな生物を思う。悪魔の好奇心、人間に対する彼らの驚くべき執心はそれよりはるかに不可解だ。あゝ! もし我々が天使の眼を以てこれらの手足を〓ぎ取られた人間共を見ることができたら!
・・・私は大分快《よ》い方に向っている。発作も遠退いたし、時には食慾に似たものを感じることもある。いずれにせよ、私は今では嫌悪の念を覚えずに食事の用意をすることができる――相変らずパンと葡萄酒の同じ献立だが。たゞ私は葡萄酒には砂糖を沢山入れるし、パンは、数日間放っておいて、切るというよりは割るようになるまで――それには肉切庖丁が便利だ――固まらせる。そうするとパンは非常に消化し易くなる。
この食事のお蔭で、私は大して疲れずに私の任務を遂行することが出来るし、どうやらいくらか自信も取戻せて来た。多分私は金曜にトルシイの主任司祭のところへ行くだろう。シュルピス・ミトネは毎日私に会いに来る。確かに、あまり頭はよくないが、心遣いも細かいし、注意も行き届く。私は彼に勝手口の鍵を渡したので、彼は私の留守にも此処へ入って来て、その辺を片附けて呉れる。お蔭で、私の憐れな住まいも面目を一新した。葡萄酒は彼の胃に合わんと言うが、砂糖はやたらに舐める。
彼は、眼に涙を溜めて、彼がしげしげ司祭館に出入りするために人から仲間外れにされ、揶揄《からか》われると訴えた。私は、彼の生活態度が勤勉な百姓たちの気に入らんのだろうと思ったので、彼の怠惰を厳しく責めた。彼は仕事を探すことを約束した。
デュムウシェルのかみさんは、私を香部屋へ訪ねて来て、彼女の娘に私が試験を受けさせなかったことを責めた。
私はこの日記の中で、私が即座に忘れてしまいたいと希うような私の生活の或る種の試煉に言及することは出来るだけ避けている。なぜなら、それらは私が喜びを以て堪えることのできるようなものではないからだ。――ところで、喜びのない諦めが何になろう? いや、私はそれらの重要さを決して過大視はしない。それらは極めて有り触れたものだ。私はそれを知っている。私がそのために感じる恥辱、制御できない心の乱れは私にとって大して名誉になるものではないが、しかも、それらが私に惹き起す一種の肉体的な嫌悪の念に私は打ち克つことができない。それを否定したところで何になろう? 私はあまりに早く悪徳の実相を見たために、これらの憐れな人々の魂に対しては真実心の底に深い同情を感じながらも、彼らの不幸について我知らず描く想像は殆ど堪えがたいものなのだ。要するに、淫猥は私に恐怖を感じさせる。
特に子供たちの淫猥……私はそれを知っている。勿論、私はそれをも強いて悲劇的に取ろうとは思わない。それどころか、我々はそれに多くの忍耐を以て堪えなければならないと考える。なぜなら、こうした事柄に関しては、どんなに些細な不注意も恐るべき結果を招くからだ。その深い傷を他のものから区別することは非常に難かしいし、従って、その深さを測ることは非常に危険でさえもある。寧ろ時にはそれが自然に癒著するのに任せる方がよい場合がある。出来かけの腫物は弄《いじ》らない方がいゝ。だからと言って、あの目に余る事実を強いて見まいとする世間一般の示し合わせや予定行動、またそれらが大人の言葉では言い現せないからと云って重大でないと考える或る種の苦痛に対する大人たちの心得顔の微笑を憎まずには居られない。また私はあまりに早く悲しみを知ったから、実に不可解な子供たちの悲しみに対する大人たちの無理解と不正とには憤激せずには居られない。悲しいかな、子供の絶望というもののあることを経験は我々に示している。ところで、苦悩の悪魔は本質的に淫猥の悪魔だと、私は思う。
だから私はセラフィタ・デュムウシェルについてはあまり言わなかったが、しかし、彼女は、数週来、依然として私を非常に心配させているのだ。時々私は彼女が私を憎んでいるのではないかと思うことがある。それほど彼女の私を苦しめることの巧みさは年齢を超えている。前には無智、無頓著な性質を帯びていた笑止な嬌態が、今では単に彼女の同年輩の少女らに共通な病的な好奇心とは片附けられない或る種の故意の熱心さを露わにしているように見える。先ず第一に、彼女は仲間の眼の前でなければ、決してそうした態度を取らないし、また、その場合、彼女は私に対して、馴合っているような、諒解し合っているような様子を装うのだ。それを私は今までは笑って見過ごして来たが――そろそろその危険を感じ始めた。偶然途中で出会う時は――しかも、少し必要以上に出会うように思えるのだが――彼女は至極単純な様子で、静かに真面目に挨拶する。或る日私はこの手でも引っかけられた。私が静かに話しかけながら彼女の方へ進んでゆく間、彼女は、眼を伏せてじっと私を待っていた。私はまるで鳥差しのようだった。彼女は、私の手の届くところへ来るまでは、身動《じろ》ぎ一つしないでいたが、いざ手が届こうとする瞬間、――彼女の頭《かしら》は、彼女の滅多に上げない、頑なその項《うなじ》しか見えないほど、低く地面の方に垂れていたが――溝へ鞄を放り込むと、ぱっと私の手を逃れた。私はその鞄を聖歌隊の子供に届けさせたが、それはひどく無愛想に受取られた。
デュムウシェルのかみさんは、上辺《うわべ》は丁寧だった。確かに娘が教理を覚えていないことは、私の下した決定を十分正当化したろうが、それは口実に過ぎなかったろう。だいいちセラフィタは非常に悧巧だから、もう一度試験をやれば通ることは分っているし、そうすれば私は面目を失う惧れがある。そこで、私は、出来るだけ婉曲に、彼女の娘が年よりはませていて、早熟だから、数週間家からあまり出さない方がいゝということをデュムウシェルのかみさんに理解させようと試みた。彼女はそのぐらいの遅れは直ぐ取り返すだろうし、どっちみち、結果に於いて変りはないだろう。
かみさんは顔を真赧《まつか》にして、私の言うことを聴いていた。怒りがその頬や、眼に上《のぼ》るのを私は見た。耳は紫色になっていた。「自家《う ち》の子は他家《よ そ》の子にちっとも負けはしませんよ。」と、彼女は漸く言った。「あの子が望んでいるのは、あの子の権利を行わせて貰うことです。それ以上でも、それ以下でもありません。」私は、セラフィタは優れた生徒ではあるが、彼女の行為、いや、尠くとも彼女の様子が私の気に入らないと答えた。「どんな様子がです?」――「少し色気が有り過ぎるのです。」と私は答えた。この言葉は彼女の自制心を失わせた。「色気ですって! 余計な差出口はして貰いますまい。色気なんて、あんたの知ったことですかい。色気! へえ、きょう日《び》は司祭がそんなことにまで気を揉むんですかね! 失礼だが、神父さん、あんたはまだそんなことを口にするには若過ぎますよ。しかも、あんな娘っこが!」
彼女はそれだけ言うと、さっさと出て行った。少女は人気のない聖堂のベンチで、神妙に待っていた。半開きになった扉《と》口から、私は彼女の仲間たちの顔を認めたし、その忍び笑いを聞いた。――彼女たちはおそらく様子を見ようとして押し合っていたのにちがいない。――セラフィタは噎《むせ》び泣きながら、母親の腕の中へ身を投げた。私にはそれがどうも芝居だったように思えてならない。
どうしたらいゝだろう? 子供たちは笑うべきものに対しては非常に鋭敏な感覚を持っているし、或る情況を与えれば、驚くべき論理を以て、それをその最後の結果にまで発展させる術《すべ》を実によく心得ている。彼女たちの仲間の一人と主任司祭とのこの想像上の決闘は、明らかに、彼女たちを熱狂させている。必要とあれば、話を一層面白くするために、また、出来るだけ長引かせるために、作り事だってするだろう。
私は果して自分が教理問答の授業を十分入念に準備したかどうか考える。今夜、ふと、私は、要するに司祭としての一つの義務に過ぎず、最も報いられることの少い、最も辛い義務の一つであるものに対して、あまりに多くを期待し過ぎていたということに考え附いた。あの子供たちに慰めを求めたとは、私も何という人間だろう! 私は彼らに心を開いて語ることを、私の悲しみ、喜びを彼らと分ち合うことを、――勿論彼らを傷つけることは厳に警しめてだが――また、私の生活を、私がそれを私の祈りの中へ注ぎ込むのと同じように、その授業の中へ注ぎ込むことを夢見ていたのだ。……すべては利己的な考えから発しているのだ。
だから、今後は、出来るだけ感興に訴えないように努めよう。不幸にして、暇が無いから、更に休息の時間を切り詰めるよりほかはなかろう。今夜は、完全に消化した夜食のお蔭で、私は成功した。こんな有り難いボルドオを買ったことをかつては後悔した私なのに!
・・・昨日《きのう》、伯爵邸を訪問したが、その結末は散々だった。私はそれを昼食のあとで――それも、相変らず病気で寝ているベルゲエのピジョンのかみさんのところでひどく暇をつぶしたために、非常に遅く摂《と》ったのだったが――急に決心したのだった。それは四時近くで、私は、謂わば「調子附いていて」、非常に元気だった。意外にも――なぜなら、伯爵は木曜の午後をいつも邸で過ごすことにしているからだが――夫人にしか会えなかった。
そんなに勢い込んで行ったのに、突然、話を進めることが、いや、懸けられた問いに適当に答えることさえもできなくなったのは、どう説明すべきだろう?――なるほど非常に早く歩いて行ったことは事実だが。夫人は、飽くまで礼儀を守って、最初は何も気附かぬ振をしていたが、到頭私の健康を気遣って尋ねずにはいられなかった。私は数週前からこの種の質問を外《はず》すことを一種の義務と考え、嘘をつくことさえ許されていると信じている。ともかく私はそれにかなり成功しているし、人々は、私が何ともないというと、直ぐにそれを信じる。確かに私の痩せ方は並外れている。(腕白小僧共は「幽霊」と云う綽名を私に附けている。)だが、「これは親譲りだ」といえば、人々の顔は忽ち霽れる。私はそれを別に残念には思わぬ。私の悩みを打ち明ければ、トルシイの主任司祭が言うように、忽ち私は追い出される惧《おそ》れがある。それにまた、他《ほか》に仕様がないから――私は祈る時間を少しも有たないのだから――それらの些細な苦しみを、せめて出来るだけ長く、我が主とだけ分つべきであるように思われる。
そこで私は夫人に、遅く昼食を摂《と》ったので、少し胃が痛むと答えた。
何よりもいけなかったことは突然暇を告げなければならなかったことだ。私は夢遊病者のように玄関前の石段を降りた。夫人は優しく最後の段まで附いて来て呉れたが、私は礼を言うことが出来なかった。私はハンケチを口に当てゝいた。彼女は、親しさの、愕きの、憐れみの、なおまた、思うに、厭《いと》わしさの、一種奇妙な、言うに言われぬ表情で私を眺めていた。嘔吐を催している男というものはいつ見ても笑止なものだ。やがて、彼女は私の差し出した手を握って、独り言のように言った。なぜなら、私は彼女の唇の動きで僅かにその文句を察したからだ。「お気の毒な!」いや、「可哀そうな!」だったかも知れぬ。
私はまったく不意を打たれ、ひどく感動したために、思わず芝生を突っ切って並木道に出た。――あの伯爵御自慢の英国風の芝生だが、そこには今私のどた靴の跡が残っているにちがいない。
確かに私は祈りが足りないし、よく祈らない。毎日、ミサのあとで、誰か知らの、多くは病人の、訪問を受けるために、祈りを中止しなければならない。小神学校時代の同窓で、今ではモントゥルイユの近くで薬局を営んでいるファアブルガルグという男は売薬の見本を送って呉れる。村の小学校の先生は、私という競争相手ができたことに不満らしい。なぜなら、今までは彼だけがそうした小《ささ》やかな奉仕をしていたからだ。
誰にも不満を与えないということはなんと難しいことだろう! ところで、どうしても、人々はお互いに好意に好意を以て報いることを無意識の裡に望むよりは、それを利用する方によけい傾いているようだ。あんなに多くの魂の不可解な冷淡はいったい何処から来るのだろう?
確かに人間は何処でも人間自身の敵だ。隠れた陰険な敵だ。何処といわず蒔かれた種子《た ね》は、殆ど確実に芽を出す。ところが、善のどんな種子《た ね》も、地に埋れてしまわないためには、異常な幸運、驚くべき僥倖を必要とする。
・・・今朝《け さ》配達された郵便物の中に、ブウロオニュの消印のある、酒場などでよく見かける碁盤罫を引いた粗末な便箋に書かれた一通の手紙を見出した。
「あなたに心から好意を持つ一人の女は、あなたが転任を要求されるよう御忠告申上げます。早いほど宜しい。嫌でも誰の眼にも附くことにもしあなた御自身遂に気附かれるなら、あなたは血の涙を流されるでしょう。御同情申上げます。が、重ねて申します、お去りなさい!」
これはいったい何だ? 石鹸や曹達や漂白粉を買ったのを附けた帳面を残していったペグリオのかみさんの筆蹟に似ているように思った。もちろん、あの女は私を嫌っている。だが、それにしても、どうしてこう激しく私の去ることを彼女は希っているのだろう?
伯爵夫人に短い詫び手紙を書いた。シュルピス・ミトネがそれを持っていって呉れた。彼はいつも気軽に引受けて呉れる。
・・・昨夜《ゆうべ》も恐ろしい夜だった。眠りは度々夢によって断ち切られた。ひどく雨が降っていたので、聖堂までゆく勇気が出なかった。あんなに祈ろうと努力したことはかつてなかった。最初は落著いて、静かに。次いで、集中した、粗暴なまでの激しさで。遂には――辛うじて冷静を取戻して――殆ど絶望した(この言葉は私に恐怖を感じさせる)意志の激動を以て。そのために私の心は不安に戦いた。だが、何も得られなかった。
勿論、私は、祈りの望みが既に一つの祈りであることを、また神がそれ以上を求められぬことを知っている。だが、私は義務を果さなかった。祈りはその時、空気が肺に欠くべからざるもののように、また酸素が血に欠くべからざるもののように、私に欠くべからざるものだった。私の背後には、もはや、あの、帰ろうと思えばいつでもそこへ帰れるという自信を以てひと思いに逃れ出た親しい日常生活はなかった。私の背後には何もなかった。そして、私の前には壁があった。真黒な壁が。
我々は祈りについて一般にいかにも馬鹿げた考えを懐いている。祈りの何たるかを全然識らない人間が――識っていてもほんの僅かだ――いかにそれについて軽率に語ることだろう。トラピスト会の修道士にしろ、シャルトル会の修道士にしろ、祈りの人間になるには、何年も努力するだろう。ところで、通りがかりの慌て者が彼らの一生の努力を判断すると言うのだ。若しも祈りが事実彼らの考えるようなもの、一種のお喋り、偏質者の己れの影との対話、或いはそれ以下のもの――この世の財宝を獲るための空しい迷信的な嘆願――であるとしたら、あの多数の人間が、そこに、彼らの最後の日まで、あれほど甘昧を、とは敢えて言わぬが、――彼らは感覚的慰めを警戒する――厳しく、強く、充実した喜びを見出すなどということが果して信じられるだろうか! いや、おそらく学者たちは暗示ということを言うだろう。だが、それは彼らがまだ、あの年老いた、あれほど思慮に富み、賢明な、動《ゆる》がぬ判断を持った、しかも、理解と同情と、あれほど優しい人間味との充ち溢れている修道士を見たことがないためだ。どんな奇蹟によって、あの、夢の擒《とりこ》になっている半狂人たち、あの夢遊病者たちは、日々に益々深く他人の不幸の理解に入りこんでゆくのだろう? 個人を内省的にして、同胞から孤立させるどころか、普《ひろ》い隣人愛の裡に、万人と連帯ならしめる不思議な夢、奇妙な阿片!
敢えてこうした比喩を用いる勇気は私にも中々出なかったが、しかし、それは或いは何か吃驚するような形容によって先ず刺戟されるのでなければ、決して自ら進んで反省しようとはしない多くの人々を満足させるかも知れない。ほんの一、二度ピアノを叩いたことがあるからといって、仮にも理性のある人間が自らに音楽についてかれこれ言う資格があると信ずるだろうか? そうして若しベエトオヴェンのしかじかのシンフォニー、バッハのしかじかのフーガが彼に興味を起させず、近寄り難い高い喜びの影を他人の面上に観察するだけで満足しなければならないとしたら、彼は結局自らを責めるより他《ほか》に仕様がないのではなかろうか?
悲しいかな、人々は精神病医の言を信じて、聖人らの異口同音の証言などは殆ど問題にしないのだ。彼らが、如何に、かゝる種類の内的沈潜が他にその比を見ず、我々自身の複雑性を順次に我々に示す代りに瞬時にして全き啓示に達せしめ、豁然天空を仰ぐ思いあらしめることを力説しても、人々はたゞ肩を聳やかすのみであろう。だが、どんな祈りの人間が、祈りによって欺かれたことをかつて告白したろうか?
今朝《け さ》は文字通り夢を見ているような状態だ。あんなに長く思われた時間が何ら明確な記憶を私に留めない――たゞ何処から発せられたとも知れぬ弾丸に胸の真唯中を射貫かれた感じだけだ。しかもその傷の深さを測ることを、幸いにも麻痺状態がまだ私に許さない。
人が祈るのは自らの力だけによってではない。私の悲しみは、おそらくあまりに大きかったのだろう。私は自分のためにだけしか神を求めなかった。神は来給わなかった。
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今朝《け さ》起きぬけに書いたこれらの数行を読み返して見た。それから……
若しこれが幻覚に過ぎなかったら?……いや、おそらく……聖人たちもこうした落胆は経験したろう……だが、決して、こうした内に籠った反抗、殆ど憎悪を含んだ魂の依怙地《いこじ》な沈黙は経験しなかったろう。……
今一時だ。村の最後の灯も消えた。風と雨。
同じ孤独。同じ沈黙。今度こそは障碍を乗り越え、或いはそれを回避する何らの希望もない。いや、だいいち、障碍などないのだ。何もないのだ。あゝ! 私は闇を呼吸し、闇を呑吐する。闇は私の裡へ、何処《いずこ》とも知れぬ魂の隙間から忍びこんで来る。私自身闇だ。
私は私の苦しみと同様の苦しみを想像しようと努める。だが、それら未知の人々に対する何らの同情も湧かない。私の孤独は完全であり、私はそれを憎む。自分自身に対する何らの憐れみも湧かない。
若しももはや愛することができなくなるとしたら!
寝台のもとに、面《おもて》を床《ゆか》に伏せて、横たわった。いや、むろん、そんな手段の効果を信ずるほど私も幼稚ではない。たゞ私は全い受諾の、信頼の身振りを現実に示したいと思ったばかりだ。私は空虚の、虚無の淵に乞食のように、酔いどれのように、死人のように横たわっていた。そうして助け起されるのを待っていた。
最初の瞬間から、私の唇が床《ゆか》に触れる前から、私はこの虚偽を恥じた。なぜなら、私は何ものをも期待してはいなかったからだ。
苦しむためなら何でも提供したろう! 苦痛さえも拒絶されている。最も習慣的な、最もつまらぬ胃の痛みさえも。私はおそろしく気分がいゝ。私は死を怖れない。死は生と同様に私にとってどうでもいゝ。この気持は書き現せない。
神が無から私を引出して以来歩んだすべての道を、逆に歩み復《かえ》したように思われる。私は最初、あの火花、神の愛のあの灼熱する一粒子に過ぎなかった。私は再び底知れぬ闇の中のそれに過ぎなくなった。だが、その微粒子はもはや殆ど燃えない。それは消えようとしている。
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私は非常に遅く目を覚ました。眠りは、私が倒れた場所で突然私を襲ったのに違いない。もうミサの時間だ。だが、私は出掛ける前にこれだけ書いておきたい。「どんなことが起ろうと、私はこれを誰にも、特にトルシイの主任神父さんには決して話すまい。」
朝は如何にも明るく、穏やかで、何ともいえず爽かだ。……子供の時分、私はよく明方露に濡れた生垣の中へ行って蹲り、ぐっしょり濡れて、顫えながら、しかし幸福な気持で帰って来て、死んだお母さんに頬っぺたを叩かれ、熱い一椀の牛乳を貰ったものだ。
終日私は子供の頃の思出に耽っていた。私は自分を死人のように考える。
(附記。――約十頁引裂かれて抜けている。欄外に残っている二三の言葉も念入りに消されている。)
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デルバンド先生が、今朝《け さ》バザンクウルの森の外れで頭を撃ち貫かれて既に冷くなって発見された。彼はこんもり繁った榛《はしばみ》に覆われた凹んだ小径に倒れていた。枝に引っ懸かった銃を取ろうとして引っ張る拍子に弾丸《た ま》が発射したものと人々は推定している。
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私はこの日記を破棄してしまおうと考えた。だが考え直して、無益だと思われる一部だけを破り棄てた。第一その部分は諳《そらん》じてしまったほど度々読み返したものだ。それは私に話しかけ、昼も夜も沈黙しない声のようなものだ。だが、それはおそらく私と一緒に消えてしまうだろう。でなければ……
数日前から罪についていろいろ考えた。それを神の掟に背くことだと定義するのはあまりに大まかな観念を罪について与える惧れがあるように思われる。人々は罪について馬鹿げたことを言う。例によって彼らは決して反省する骨折りをしないのだ。医者たちは古来病気についてさまざまに議論する。病気を健康の法則に対する違反と定義する限りでは、彼らは既にずっと以前から一致している。だが、彼らは病人を癒そうとして熱心に病人を研究する。我々司祭のやろうとすることも、まさにそれだ。そこで、罪についての冗談や皮肉や嘲笑はさして我々をおどろかさない。
当然人々は過失以上を見ようとはしない。ところで、過失は要するに徴候に過ぎない。だが、俗人にとって最も問題になる徴候は、必ずしも最も懸念すべき、最も重大なものではない。
多くの人間は、決して彼等の本質を、彼等の深い真実を賭けないと、私は思う、いや、信ずる。彼らは彼らの表面だけで生活している。だが、人間的耕土は非常に肥沃だから、その薄い表面の層だけでも真の運命のような錯覚を与える貧弱な収穫を生ずるには十分だ。大戦中、臆病な小俸給者たちが次第に部隊長としての力を発揮して来たらしい。彼らは自らそれと知らないで、指揮の情熱を有していたのだ。いや、勿論、我々が回心――convertere――という美しい名で呼ぶところのものに似ている何ものもそこにはない。だが、要するにそれら卑少な人々にも、生《なま》な状態のヒロイズム、未だ精錬されぬヒロイズムの経験をするだけで十分だったのだ。どれだけ多くの人間が、霊的ヒロイズムに対する何らの観念をも決してもたないことだろう。だが、それがなければ内的生命もないのだ。ところが、彼らが審かれるのはまさにその内的生命についてだ。ここのところを少し考えれば、ことは確かになり、明らかになる。そこで?……そこで、社会がそういう人々に提供する人為的な四肢を死によって奪われた彼らは、あるがまゝの自分を、知らずしてそうであった自分を見出すだろう。それは発育不完全な畸形児であり、人間の切株に過ぎない。
そうなった時に、彼らは罪についてどう言うことができるだろう? 罪について何を知るだろう? 彼らを蝕む癌は、多くの腫物に似て無痛だ。でないとしても、彼らの大多数は生涯の或る時期には、それについての瞬間的な忽ち消え去る印象しか尠くとも感じない。子供が、たといどんなに幼稚な形においても、基督教的な意味における一種の内的生活を有たないことは稀れだ。時として彼の若い生命の衝動は、激しくなり、ヒロイズムの精神が彼の無垢な心の底に動いた。おそらくさして多くではなかったにしろ、その子供が、人間生活の一切の神的なものを形造るところの救霊の大きな危機を垣間見るか、時としては秘かに受け容れるにはそれで十分だったのだ。彼は善と悪とに就いて幾らかのことを知った。それは社会的規律や習慣をまだ知らぬ、全く混ぜもののない善悪の観念だ。だが、勿論彼は子供としてそれに反抗した。そうして、成人した後の彼は、そのような決定的な、厳粛な瞬間に就いては一つの子供らしい良心の葛藤の、外見上は悪戯にしか見えぬところのものの、思出しかとゞめないだろう。その真の意味は彼には理解せられずに終り、彼はそれに就いては、死に至るまで老人のあの憐れむような、あまりに様子ぶった、殆ど淫らにさえ感じられる微笑をもって語るだろう。……
世間が真面目だという人々がどんなに子供らしいか、霊的にいって実に説明がつかぬほど子供らしいか、想像もつかない。いくら私が若い司祭でも、屡々笑わずにはいられなくなる。しかも、我々に対しては何という寛大と同情との調子で接することだろう!
私がかつてその臨終に立ち会ったアラスのある公証人――元上院議員で、県でも大地主の一人で、社会的にも重んじられた人物だが――は、或る日私にこう言った。そうしてそれは、私の勧告を、もとより好意的ではあったが多少懐疑的な態度で受け容れた言い訳のためでもあったらしいが、「神父さん、あなたの仰有ることはわかります。私だって、あなたのような気持は味わったことがあります。私は非常に敬虔でした。十歳《と お》くらいの時分には、天使祝詞を三遍誦えてからでなければ、決して眠りませんでしたし、しかもそれを息もつかずにひと息に言わなければならなかったのです。そうでないと何か不幸が起こると考えたのです……」
彼は、私がその程度で止まっていると、我々可哀想な司祭はみんなその程度で止まっていると信じていたのだ。最後に死ぬ前に彼の告白を聴いた。どう言ったらいゝだろう? それは大したことではなかった。公証人の一生も、時にはほんの僅かな言葉に約《つゞ》めることができる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
希望に対する罪――すべての罪の中でも一番恐ろしい罪であり、恐らく一番人々から迎えられ、可愛がられるものだろう。それを認めるには多くの時間が必要だし、それを予告しそれに先立つ悲しみは如何にも快い! これは悪魔の仙薬であり、珍味佳香だ。なぜなら、不安は……
(頁は引裂かれている。)
・・・今日《きよう》奇妙な発見をした。ルイズ嬢は、いつも晩祷書を彼女の腰掛の、そのために造られている小さい仕切の中に残しておく。今朝《け さ》その厚い本が床《ゆか》に落ちているのを見たが、それに一杯挟んでいる聖画《ご え》が散らばっていたので、心ならずも私はその頁を繰らなければならなかった。見返しに書いてあった二、三行の文字が目に触れた。それは彼女の名と住所とで、アルデェヌ県のシャルルヴィルとしてあったから、多分旧《もと》の住所だろう。筆蹟はいつかの無名の手紙のそれと同じだった。尠くとも私にはそう思われた。
今となってはそれが何だろう!
この世の権力者たちは一顧も、一瞥も、いやそれ以下のものすらも与えずに僕《しもべ》に暇を出すことが出来るが、神は……
私は信仰も、希望も、愛も失ってはいない。だが、死ぬべき人間にとってこの世に於いて永遠の宝が何の価値があろう。価値があるのは永遠の宝の望みだ。私はもはやそれを望まないように思われる。
・・・トルシイの主任神父さんに、彼の旧友デルバンド先生の葬式で出逢った。先生の考えが私を去らないといえる。だが、たとい悲痛な考えでもそれは祈りではないし、祈りではあり得ない。
神は私を見、私を審き給う。
私はこの日記を続ける決心をした。なぜなら、私が受けつゝある試煉を通じて、私の生活の種々の出来事の真実な、出来るだけ正確な報告は、いつか私にとって有益であるかも知れないし、或いは他人にとって有益であるかも知れないから。
なぜなら、私の心が非常に冷酷になった時でも(私はもはや誰に対しても少しの同情をも感じないように思われるし、同情は祈りと同様に私には困難になった。昨夜《ゆうべ》アドゥリイヌ・スウポオの通夜をしていて、私はそれに気附いた。しかも、できる限り彼女のために祈ってやっていたのだが)私はこの日記の、恐らくは架空の、未来の読者を親愛の情なしには考えることができないからだ。……だが、この感情は私の決して承認しないものだ。なぜなら、それはこれらの頁を通して疑いもなく私自身に達するものだからだ。私は作者になった。ブランジェルモンの首席司祭さんの所謂詩人になった。……だがしかし……
そこで、私はこゝにあくまで率直に、逆に私は私の義務を怠ってはいないと書こう。私の健康の殆ど信じ難いほどの恢復は、私の仕事に非常に幸いしている。だから、デルバンド先生のために私が祈らないというのは、絶対に正しくはない。私はこの義務を、他の諸々の義務と同じ様に果している。この数日葡萄酒もやめている。だが、これは私の気力をひどく衰えさせる。
トルシイの主任神父さんとの短い会談。この敬服すべき司祭が彼自身に加えている制御は明らかだ。それは人目《ひとめ》につく。だが、その外的な徴候を探ねても徒労に帰するだろう。それはどんな科《しぐさ》、どんな明確な言葉、意志や努力を感じさせる何物によっても表現されない。彼の顔は彼の苦痛を露わにし、真に最高の率直さと単純さをもってそれを表現している。かゝる場合には、最も卓れた人々でも、意味ありげな眼差し、多かれ少かれ明らかに次のように言っているような眼差しを不用意にみせることがある。「見給え。私はよく耐えている。だが、私を賞める必要はない。これは私の天性だ、有難う……」と。ところが、彼の眼差しは我々の同情を、同感を、率直に、だが、気品をもって求めている! 王はこのように乞食することが出来るだろう。彼は遺骸の傍らで二夜を過ごした。常にはあんなに清潔で折目立っている彼の司祭服が、扇のように深い皺でくしゃくしゃになり、すっかり汚れていた。恐らく一生に初めて彼は鬚を剃るのを忘れたのだろう。
だが、彼の自制は次の徴候に現れていた。即ち、彼から溢れる霊的な力は少しも損われてはいなかった。明らかに心痛に苛《さいな》まれながらも(デルバンド先生は自殺したという噂が伝わっている)、彼は、常の通り平静と確信と平和とを彼の周囲に醸し出していた。私は今朝《け さ》助祭の資格で彼と共にミサを挙げた。平生《へいぜい》は聖体奉献の時に聖杯の上に差し伸べられたその美しい手が少しふるえるのを見たように思ったが、今日はそれが顫えなかった。それどころか、権威を、威厳を、さえ示していた。……不眠と疲労と、もっと悩ましい或る幻影――私はそれを察した――とによって肉のおちたその顔との対照、それは到底筆紙に尽しがたかった。
彼は、先生の姪――もっと肥ってはいるが、ペグリオのかみさんに非常によく似ている――が給仕した斎《とき》には与らないで帰って行った。私は停車場まで見送ったが、列車が来るまでにまだ三十分あったので、私たちはベンチに腰を下ろした。彼は非常に疲れていた。そして、真昼の光を真面《まとも》に受けた顔が一層傷ましく見えた。驚くほどの悲哀と苦痛とを畳んだ口の端の二筋の皺は、私の今まで気附かなかったものだ。それが私を決心させたのだと思う。私は突然言った。
「あなたのお考えでは、ひょっとすると先生は……」
彼はみなまで言わせなかった。彼の威圧的な眼差しは、最後の言葉を私の唇に釘附けにしたように思われた。私はやっと眼を伏せずに、堪えていた。なぜなら、彼がそれを好まないことを知っていたからだ。「たじろぐ眼。」と、彼は言う。だが、やがて彼の表情は次第に和らぎ、殆ど微笑《ほゝえ》みさえした。
私は彼との会話を録《かきしる》すまい。だいいち、それは会話であったろうか? それはおそらく二十分とは続かなかったろう……菩提樹が二列に並んでいる、人気のない、小さい広場は、常よりも一層物静かに思われた。鳩の群が頭上を全速力で、羽音が聞えるほど低く、何度も通り過ぎたのを覚えている。
主任神父さんは確かに、彼の旧友が自殺したのではないかと思っているのだ。先生は、非常に年取った伯母さんの遺産を最後まで当てにしていたのに、その伯母さんが、終身年金の係りの者の意見を容れずに、最近彼女の全財産をS……の司教の代理人である有名な弁護士の手に委ねたので、ひどくがっかりしていたらしい。先生はかつてはかなりの収入があったが、それを常に非常に変った、少し気違い染みた、時には人に知られてその政治的野心を疑われたような鷹揚さで浪費したのだった。彼より若い同業者たちが彼の患家を分け合ってしまってからも、この習慣を改めようとはしなかった。主任神父さんはこう言った、「仕方がない。あれは火を怖れるような男ではなかった。先生はわしに百度も繰り返して聞かせた、彼が人間の兇暴性、運命の愚劣さと呼んだものに対する争闘は常識に外《はず》れて敢行されたもので、社会を不正から医すことはできない――不正を殺そうとすれば社会をも殺してしまう、とね。先生は改革者たちの空想を、完全に防腐された世界を夢みた古いパストゥウル信奉者のそれに比していた。彼は自らを反抗者に過ぎないとしていた。即ち、既にずっと前から消えてしまった種族――仮にそういうものが存在したとしてだが――の生残りだとしていた。そうして彼は、幾世紀を経る間に正当な所有者となった簒奪者に対して、希望もなく仮借もない争闘を続けているのだとした。『わしは復讐しているのだ。』と先生は言っていた。要するに、先生は正規の軍隊を信頼していなかったのだ。『たった一人で護衛なく散歩している、あんまり弱くもなく強くもなく、相手にとって手ごろな不正に出逢うと、わしは跳びかゝってそいつの咽喉を締める。』と先生は言った。これは先生には高い犠牲を払わせた。去年の秋にも先生は、ガシュヴォオム婆さんの負債を一万一千フランも払ってやった。というのは、製粉業者のデュポンソが債権を買取って土地を狙っていたからだ。勿論没義道な伯母の死が先生に止《とど》めを刺したのだ。とはいえ、三四十万の金も先生の手に渡れば、あっという間に消えてしまう。年と共に、この気の毒な、愛すべき先生は益々非常識になっていった。先生は、ルバテュという名の酔いどれ爺《じじい》、冬眠鼠《や ま ね》のように怠け者の元密猟者を飼う――まさに適切な言葉だ――考えを起こしたのではなかったろうか? この男はグウボオの所有地の外れの炭焼小屋に住んでいて、牛飼娘の尻を追廻すという評判で、年中酒浸りで、おまけに先生を馬鹿にしていたのだ。ところで、注意すべきことは先生がこの最後の事実を承知だったことだ。先生には理由があったのだ。例によって先生独得の理由がね。」
「どんな理由です?」
「それはこうだ。このルバテュがまたと出っ喰わさない卓《すぐ》れた狩猟家であるということ、彼から飲んだり食ったりする楽しみを奪うことはできないということ、警官たちが彼らの聞取書でついにはこの無害な変り者を危険な拗《す》ね者にする惧れがあったことだ。こうしたことが、先生の愛すべき年取った頭の中で固定観念、まさに執念ともいうべきものと混合していたのだ。先生はわしにこう言った。『人間に情慾を与えておいて、それを満たすことを禁ずるなんて、わしにはできんことだ。わしは神様じゃない。』正直のところ、先生はボルベック侯爵を嫌っていた。この侯爵が番人たちによってルバテュを次第に追いつめて、グイヤアヌへ追いやろうと考えていたことは事実だ。そこでわかるだろう。」
私はかつてこの日記に、悲哀はトルシイの神父さんには縁がないように思われる、と書いたように思う。彼の魂は快活だ。この時も、彼が絶えず高く真直に上げているその顔から眼を放すや否や、彼の声の或る調子に私は驚かされた。彼の声は、幾ら厳粛でも、悲しげだということはできない。それは内的悦び、嵐のもとの深い静かな水のように、何ものも損うことの出来ないほどに深い悦び、のそれと言ってもいゝ、殆ど誰も気附かぬほどの顫えを保っている。
神父さんはまだその他《ほか》にも殆ど信じられぬような気違い染みたことを話してくれた。十四歳で先生は宣教師になることを望んでいたが、医学の勉強をしている間に信仰を失ってしまった。先生は、名前は忘れてしまったが或る大家の秘蔵弟子だった。同輩たちは皆、先生について特別輝かしい経歴を予言していた。その先生がこんな片田舎に落著いたという便りは、みんなをひどく驚かした。先生は、資格試験の準備をするには当時あまりに貧し過ぎると考えた。しかも、過度の勉強は先生の健康をひどく傷つけていた。信仰を失ったということで慰められなかったのも事実だ。先生は奇妙な習慣を持ち続けていた。例えば、部屋の壁に掛けた十字架像に話しかけることがよくあった。或る時はその下で両手で顔を蔽って噎《むせ》び泣くかと思うと、或る時は十字架像に挑戦し、拳を振上げることさえやった。
これが数日前だったら、私は神父さんの話をもっと冷静に聴いたに違いない。だが、私はその時それに耐えられない状態にいた。まるで生傷《なまきず》へ熔かした鉛を注がれたようだった。確かに私はかつてそんなに苦しんだことはなかったし、これからも、たとい死ぬ時でもそんなに苦しみはしないだろう。私にせいぜい出来たことは眼を伏せていることだった。若しも神父さんの顔に眼を上げたら、私は叫び出したろうと思う。不幸にしてこういう場合には、我々は屡々眼よりも舌を制御できないものだ。
「若しほんとうに自殺したとしたら、あなたのお考えでは……」
神父さんは私の質問に突然夢から覚めたようにはっとした。(事実五分程前から彼は殆ど夢みるように話していた。)私は、神父さんが私をじろじろと見下しているのを感じた。きっといろいろのことを察したに違いない。
「若し君以外の人間がそんな質問を発したとしたら!」
それから彼は長い間沈黙を守っていた。小さい広場は相変らず人気《ひとげ》がなく、明かるかった。そうして規則正しく間《ま》をおいて単調な輪を描いて鳩の群は空から我々に襲いかゝるように見えた。私は彼らが戻ってくるのを、巨きな鎌の風を切る音に似たその羽音を無意識に待っていた。
神父さんは静かな声で言った。
「神様だけが審判者だ。そしてマクサンス(神父さんが先生をそんな風に呼んだのを聞いたのは、それが初めてだった。)は義《たゞ》しい男だ。神様は義しい人間を審き給う。私をひどく心配さすのは、馬鹿者か、単なる無頼漢ではない。聖人たちは何に役立つだろう? 彼らはそういう人間どもを贖うために支払ってくれる。資金《もとで》は十分にある。ところが……」
彼の両手は膝に置かれていて、その幅広い肩は彼の前に大きな影を作っていた。
「我々は戦争をしているのだ。止むを得ない。敵を正視しなければならない。――真面《まとも》にぶつかるというのは先生のよく言った言葉だが、覚えているかね? これは彼の標語だった。戦いに際して、第三線或いは第四線の男が、例えば輜重隊の馬曳きが逃腰になったって大した問題じゃない。そうじゃないか? ところで、これが新聞を読んでいるだけで済む銃後の一老人となったら、総司令官にどんな関係があろう? だが、そこには前線の人々がいる。前線では一つの胸は一つの胸だ。一つの胸が減ればそれだけ影響する。そこには聖人たちがいる。わしは他の人々よりもよけいに恵まれた人々を聖人と呼ぶ。つまり富者だ。わしはいつも秘かに考えた、人間社会の研究は、若しも我々が霊的精神をもってそれらを観察することを知っているならば、多くの神秘の鍵を我々に与えるだろうと。要するに人間は神の象《かたど》りであり、似姿である。そこで、人間が人間に釣り合った秩序を作り出そうと試みる時には、人間は、神の秩序即ち真の秩序を無器用に真似なければならない。富者と貧者との区別も、宇宙の大法に応じなければならない。富者は、教会の眼から見れば、貧者の保護者、その兄だ。富者は、彼らの所謂経済力の単なる作用によって、屡々心にもなく貧者の保護者となることに注意し給え。一人の百万長者が破産すれば、そこに数千の人々が路頭に迷うことになる。そこで、わしがいう富者の一人、即ち神の恩寵の監督官の一人が躓く時に霊的世界に起こることは想像できる。凡庸者の安心は一つの愚事だ。だが、聖人たちの安心は何という醜事だろう! 霊的条件の不平等の唯一つの弁解は危険《リスク》だということを理解できなかったら、頭がどうかしているのだ。我々の危険《リスク》。君の危険《リスク》、わしの危険《リスク》。」
彼がこう話している間、その体は真直で、じっとしていた。冬の陽の照る寒い午後にベンチに腰掛けている彼を見た人間は、彼を自分の教区の無数の瑣事に就いて論じている、そうして謙譲な、注意深い若い同僚を前に得々としている人の好い主任司祭だと考えたろう。
「わしの言うことをよく覚えておき給え。すべての不幸は、先生が凡庸者を憎んだことからおそらくは来ているのだと。『君は凡庸者を憎んでいる。』と、わしは先生に言った。先生は決して弁解しなかった。なぜなら、繰り返して言うが、あれは義《たゞ》しい人間だったからだ。我々はよくよく注意しなければならない。凡庸者は悪魔の罠だ。凡庸というものは、我々にとってはあまりに混み入ったものだ。これは神様のことだ。さしずめ凡庸者は、我々の蔭に、我々の翼の下に隠れ家を見出さなければならない。暖かい隠れ家――可哀想な奴等は暖かさを必要としている! 『若し君がほんとうに我が主《しゆ》を探したら、君は見附けるだろう』とわしはまた言った。先生は答えた。『わしは神様を見附ける機会の一番あるところ、即ち貧しい人々の間に探している』と。一本やられた。だが、先生の言う貧しい人々というのは、みんな先生タイプの人間で、要するに反抗者であり、貴族だ。わしは或る日質問を出した。『だが、若しもイエズス・キリストが、まさに君が軽蔑しているようなお人好しの一人の外見のもとに――なぜなら罪を除いては主は我々のすべての惨《みじ》めさを引受け、それを聖化しているのだから――君を待っているとしたら? 卑怯者某も、梁の下に挟まれた鼠のように、巨大な社会機構の下に圧し潰された可哀想な人間に過ぎないし、吝嗇家某も自分の無力を堅く信じて、『逃《のが》すこと』の危惧に苛《さいな》まれている不安な人間に過ぎない。無慈悲な人間に見える某も、一種の貧乏人恐怖症に罹っているのだ、――これはよくある奴だ、――蜘蛛や鼠が神経質な人間に感じさせる恐怖と同じように、説明し難い恐怖だ。『君はそういう種類の人間の間に我が主《しゆ》を探しているかね? 若しも君がそこに主《しゆ》を探していないなら、君は苦情を言う資格はない。主を取逃したのは君だ。……』とわしは言った。確かに先生は主を取逃したのだ。」
・・・昨夜《ゆうべ》(いや、日暮にといった方がいゝ)司祭館の庭にまた誰かやって来た。呼鈴を鳴らそうとしていた時、窓の上の明り取りを私は突然開いたのだと思う。跫音は大急ぎで遠ざかった。どうやら子供らしい。
伯爵さんが今出て行ったところだ。雨を託《かこつ》けに立寄ったのだ。歩く度にその長靴から水が溢れ出た。彼が射ち止めた三匹の兎は、獲物袋の底で見てもぞっとするような血糊と灰色の毛の固《かたま》りをつくっていた。彼はその袋を壁に掛けた。そして彼が話している間、私は網目を透して逆立った毛皮の間に私を凝視《み つ》めている、非常に優しい、まだ濡れている一つの眼を見ていた。
伯爵は、軍人風の率直さで、単刀直入に問題に触れることを詫びた。サンプリスが唾棄すべき風習や習慣を有っていることは、村中に知れ渡っている。聯隊でも恐らく彼は、伯爵の言葉を借りれば、「軍法会議の眼を潜った」に相違ない。悖徳的な、陰険な男だというのが伯爵の宣告だった。
例によって噂であり、人々の解釈であり、はっきりしたことは何もわからないのだ。例えば、サンプリスが余り評判のよくない退職植民地司法官の家に数ケ月奉公したのは確かだ。「我々は主人を選ぶことはできない。」と私は答えた。伯爵は両肩を持ち上げて、じろっと私を上から下へと見下ろした。その眼附は明らかにこう言っているようだった、「此奴《こいつ》は馬鹿なのか、それとも馬鹿を装っているのか?」
正直に言って、私の態度には伯爵を驚かすものがあったらしい。想像するに、彼は抗弁を予期していたのだ。私は落著いていた。無関心だったとは敢えて言わない。私が耐えていたものだけで私には十分だったのだ。だいたい私は彼の言葉を、それが私以外の人間――私がかつてあったところの人間、もはやないところの人間に向けられているような妙な感じで聞いていた。それらの言葉は既に時機を失していたのだ。伯爵自身の来かたも、時機を失していたのだ。伯爵の親切さも今度はひどくわざとらしく、少し卑俗にさえ思われた、絶えず動き廻り、驚くほどの速さで部屋の隅から隅へ跳び移り、忽ち帰ってきて私の眼に真直に据えられるその眼差しももうあまり好ましいものではなくなった。
夕食を終ったばかりのところで、葡萄酒の罎がまだテーブルの上にあった。伯爵は遠慮なく一杯注いで、言った。「神父さん、あなたは酸っぱい葡萄酒を飲んでおられる。健康によくないですよ。罎を清潔にして置かなければいけません。煮沸しなければね。」
ミトネは今日の午後もいつものようにやって来た。彼は胸が痛み、息苦しいと言って、ひどく咳をしていた。彼に話しかけようとすると、突然、嫌悪の念、一種の寒《さむ》けに襲われたので、私は黙って仕事(彼は床《ゆか》の腐った二三の嵌木《はめき》をひどく上手に取換えていた。)をさせておいて、ぶらっと外へ出た。帰って来た時も、勿論私はまだ少しも決心がついていなかった。私は部屋の扉を開けた。熱心に板を削っていた彼には、私の姿も眼に入らなかったし、足音も聞えなかった。しかも、彼は突然振り返り、私たちの視線はぶつかった。私は彼の眼に驚きを、それから注意を、それから嘘を読み取った。しかじかの嘘ではなくて、嘘の意志だ。それは濁り水か泥のようなものだった。やがて――私はなおもじいっとその眼を凝視《み つ》めていた。それはほんの一瞬か、或いは数秒か知らないが、続いた。――ほんとうの眼の色がその濁りの下から再び現れた。それは到底書き現せない。彼の口は顫え出した。彼は道具を集めて、麻布に丁寧に捲き込んで、一言も言わずに出て行った。
私は彼を引止めて訊《たず》ねるべきだったろう。だが、出来なかった。私は道を歩いて行く彼の哀れっぽい後姿から眼を放すことが出来なかった。だが、それは少しずつしゃんとなり、ドゥガの家の側《そば》を通り越すと、彼はひどく威勢よく帽子を撥ねあげさえした。更に二十歩許り行くと、彼は、その歌詞を手帖に念入りに写している、たまらない感傷的なきまり文句の彼の好きな流行歌を口笛で吹き出したに違いない。
私は疲れ果てゝ――常にない疲労だ――部屋へ帰った。私には起こった事柄が少しも理解できない。幾らか小心な外面のもとに、サンプリスは寧ろ厚かましい人間だ。その上、彼は自分でも話が上手だと知っていて、やたらに喋る、弁解する――彼の眼から見ればた易《やす》いことだ。なぜなら、彼は確かに私の経験や、私の判断を見縊《くび》っているのだから――この機会を彼が取逃したということは、私をひどく驚かす。だいいち、どうして彼は察したのだろう? 私は一言《ひとこと》も言わなかったと思うし、確かに軽蔑の色も怒りの色も現さずに彼を見ていたのに……彼はまた来るだろうか?
少し休息を取ってみようと床《とこ》に横たわった時、何か私の胸の中で砕けたように思われた。そうして私は戦慄に襲われ、それはまだこうして書いている今も続いている。
いや、私は信仰を失ってはいない! 財布とか鍵束を失うように「信仰を失う」という言い方は、だいいち、いつも私には少し馬鹿らしく思われる。この言い方はあんなに饒舌な十八世紀の悲しむべき司祭たちによって遺贈されたブルジョワ風の教虔の語彙に属するものに違いない。
我々は信仰を失わない。たゞ信仰が生活を訊《ただ》すことを止めるだけだ。だから、老練な指導者たちが、一般に唱《とな》えられるよりは実は遥かに稀れな知的危機に対して懐疑的であったのは間違ってはいない。教養ある人間が次第に無意識の裡に彼の信仰を彼の頭脳の片隅へ、即ち彼がかつて存在したかも知れぬが、今はもはや存在せぬものに対してまだ愛情を有っているとしたら反省や記憶の努力によって再びそれを見出す所へ押し込めるようになった時、有名な比喩を借りて言えば、白鳥座が白鳥に似ていないよりももっと信仰に似ていない抽象的な徴候に信仰の名を与えることは出来ないだろう。
私は信仰を失ってはいない。いかに試煉の酷《きび》しさ、その霹靂のような、説明し難い唐突さが、私の理性、私の神経を震蕩し、突然私の裡に祈りの精神を――永久にかどうかは知らず――涸渇させ、絶望の激しい衝動、その激しい顛落よりももっと怖ろしい、暗澹たる諦めで私を溢れる程に充たすことができたにしても、私の信仰は依然として無垢のまゝに残っていることを私は感じる。ただ何処にあるか、私はそれに達することができない。私はそれを、二つの観念を正確に連結することもできず、殆ど熱に浮かされたような幻影をしか思い浮かべられぬ哀れな脳髄の裡にも、また私の感性の裡にも、更にまた私の良心の裡にも見出すことができない。時としてそれは、私がそれをおそらく探ねなかった所に、即ち私の肉体の裡に、私の哀れな肉体の裡に、私の血肉の裡に、私の亡ぶべき、だが洗礼を受けた肉体の裡に退き、そしてそこに存続するように思われる。私は私の考えを、できるだけ簡単に、できるだけ率直に述べようと思う。神が淫猥から守って下さったので、私は信仰を失わなかった。勿論、こんな対照は哲学者たちを微笑させるだろう! そして、どんなに激しい不品行も理性的な人間を、例えば幾何学上の公理の正当性を疑うほどに狂わせることができぬことは明らかだ。だが、こゝに一つの例外がある。それは放蕩だ。だが、それにしても、放蕩に就いて我々は何を知っているだろう? 淫乱に就いて何を知っているだろう? この二つのものの秘密な関係に就いて何を知っているだろう? 淫乱は人類の脇腹に開いた神秘な傷だ。脇腹に、というのはどういう意味か? 生命の源泉に、という意味だ。人間だけに見られる淫乱と、両性を接近させる欲望とを混同することは、潰瘍そのものとその潰瘍に侵されてぞっとするような奇怪な相貌を呈することのある内臓器官とを混同するのと同じだ。社会はこの恥ずべき傷を隠すために、芸術のあらゆる魅力の助けを藉りてひどく骨折っている。まるで、社会は新しい世代毎に、自尊心の反抗、絶望の反抗を――まだ純潔で無垢な者たちの抗議――を怖れているかのようだ。何という不思議な熱心さで、社会は、予め、魅惑的な想像の力に頼って、先ず大抵は期待を裏切られる最初の経験の屈辱感を軽減させるために若い者たちの番をしていることだろう。そしてそれでもなお悪魔のために愚弄され、侮辱された若い人間の尊厳性の半ば意識的な悲嘆が起こる時、如何に社会はそれを笑殺することを知っていることだろう。感覚と精神との、憐憫と愛撫と皮肉との何という調合、青年の周囲の何という共謀の警戒! 親岩燕たちもその雛の巣立ちにあたって、それほどに気を揉みはしないだろう。そして若しも嫌悪の念があまりに激しく、天使たちによってまだ守られている青年が嘔き気を催して嘔こうとするならば、どんな手をもって人々は彼に、芸術家たちによって刻まれ、詩人たちによって鏤められた黄金の盤を、彼の〓《しやく》りを葉群と泉との囁きの交響楽がしめやかに伴奏する間に差出すことだろう!
だが、私に対しては社会はそれほどの費えを払ってはくれなかった。……貧乏人の子は十二歳にもなればもう多くのことを理解する。ところで、理解することが私に何の役に立ったろう? 私は既に見ていた。淫蕩は理解されるものでなく、見られるものだ。私はあの、名状し難い微笑中に突然凝結する兇暴な幾つかの顔を既に見ていた。あゝ、一切の偽善を剥がれた快楽の相貌はまさに苦痛のそれであることに、どうして人々はもっと屡々考えつかないのだろう? いまだに――恐らくは十《とお》に一《ひと》夜は――私の夢に現れるそれらの貪婪な顔、悲痛な顔! 酒場の勘定台の後ろに蹲っている私の上に――なぜなら私は、私が其処で一生懸命に勉強していると伯母が信じていた薄暗い物置から脱け出ていたからだ――それらの顔はぬっと現れ、そして銅線で吊り下げられ、いつも誰か酔っぱらいに揺り動かされている煤けたランプの光はその影を天井に踊らせていた。子供心にも私は酒の酔いともう一つのものとをはっきりと区別していた。という意味は、もう一つのものだけがほんとうに私に恐怖の念を起こさしたということだ。若い女中――灰のような顔色をした跛の可哀想な娘――が姿を見せさえすれば忽ち、彼らのとろんとした眼は今考えてもぞっとするような強《きつ》い坐りようをするのだった。……勿論人は言うだろう、それは子供の印象で、そうした思出の異様な明確さや、そんなに多くの年月を経た後もそれらが私に感じさせる恐怖がそれをまさに疑わしいものにするのだ、と。……なるほど! だが、社交界の人たちにあれを一目見せたい! あまりに敏感で、あまりに変り易く、佯《いつわ》ることが巧みで、獣が死ぬために隠れるように享楽するために隠れる顔からは大したことを知ることが出来るとは思わない。幾千の人間が一生を不品行の裡に過し、老齢の間際まで――時にはもっと先までも――青年時代の遂に満たされなかった好奇心を持ち続けることを、私は決して否定はしない。だが、それらの軽佻浮華な人々から何を知ることができよう! 彼らは恐らく悪魔の玩具かも知れぬが、その真の餌食ではない。神はわかり難い神秘な計画によって、彼らがほんとうに彼らの魂を賭けることを許し給わなかったように思われる。彼らは憐れむべき遺伝の多分は犠牲であり、その罪のないカリカチュアを示しているに過ぎず、智慧の遅れた子供、甘やかされてはいるが芯から堕落してはいない小児に過ぎず、摂理は、彼らが謂わば子供の無邪気さを持ち続けることを許すのだ。……そこでどうなるか? どういう結論になるか? 無害な偏執者《マニヤツク》がいるからといって危険な狂人の存在を否定すべきだろうか? 倫理学者が定義し、心理学者が解剖し分類し、詩人がその歌をつくり、画家が、恰も猫が己れの尾にじゃれるように、彼の色彩をもって戯れ、道化役者が哄笑しようと、それが何だ! 私は繰り返して言う、人々は放蕩をも淫乱以上に知ってはいないし、社会は、それと明らさまには言わぬが、同じ内心の危惧、同じ秘かな羞恥をもって、また殆ど同じ手段によって、この両者に対して防禦する。……若しも放蕩と淫乱とが一つのものに過ぎないとしたら?
書斎におさまった哲学者は、それに就いて当然司祭、特に田舎司祭の意見とは異った意見をもつだろう。それらの告白の耐えられぬ単調さ、一種の眩暈をついに感じない聴罪師は少いと思う。そして、それは、そのくだらなさが、それを我々が読む場合には我々を窒息させるだけだが、それが薄暗い静寂の中で囁かれる場合には墓場の臭いを放って蛆虫のように蠢く。いつも同じ少数の言葉を通して彼らが聞くものによってよりは、寧ろ彼らが推察するものによってなのだ。そして、そこから我々憐れむべき人類の実質が流れ出るいつも開いている傷口の映像が我々につき纏う。若しも毒虫がそこに幼虫を産み附けなかったら、人間の頭脳はどれほどの努力に耐え得たことだろう!
我々司祭は心の底に生殖力に対する羨望的な、偽善的な憎悪を培っていると今も非難されているし、これからも非難されるだろう。――これは極めて容易なことだ。だが然し、罪に就いて多少の経験をもつ者なら誰しも、淫乱が絶えずその寄生的生育、その醜悪な分胞によって、生殖力をも智力と同様に窒息させようと脅かしていることを知っている。元来産み出す力を有たぬ淫乱は人類の力無い約束をその芽から既に汚《けが》すことしかできない。淫乱は、恐らく我々人類の起源、そのあらゆる欠陥の原理にあるものだろう。そして我々が勝手知らぬ大森林中の径の角で、あるがまゝの、即ち創造主の手を離れたばかりのそれとばったり顔を合わせるや否や、我々の腹の底から発せられる叫びは、単に驚愕のそれであるばかりでなく、呪詛のそれだ。「世界に死を解き放ったものは汝だ。汝のみだ!」と。
賢明であるよりは熱心が先に立つ多くの司祭の運命は、悪しき信仰を仮定することだ。「お前たちは、信仰が邪魔になるので、信じなくなったのだ。」と、どれだけ多くの司祭たちが言うのを私は聞いたことか! だが、寧ろこういう方が正しくはないだろうか? 純潔は懲罰同様予定されているものではない。それは各自の、神に於ける各自の、超自然的認識――それが信仰と呼ばれるものだ――の神秘的な、しかし明白な――経験がそれを証明している――条件の一つだ。淫乱はこの認識を破壊しはしないが、その欲求を失わせる。信じなくなるのは、信ずることを望まなくなるからだ。我々は我々自身を識ることを望まなくなる。あの深い真理、我々の真理がもはや我々には興味がなくなる。昨日《きのう》まで我々が信じていたドグマは、依然として我々の頭の中にある。たゞ理性だけがそれを斥けるのだと言ったところで何になろう! 我々は望むところのものしか真に把握しない。なぜなら、人間にとっては全的な、絶対的な所有というものはないのだから。我々はもはや我々自身を望まない。我々の喜びを望まない。我々は、神においてしか我々自身を愛することは出来なかった。我々はもはや我々自身を愛さなくなった。そして我々は、この世に於いても来世に於いても――永遠に――もはや決して我々自身を愛さないだろう。
(この頁の下の欄外に何度も消してあるが、まだ判読できる次の数行を読むことができる。私はこれを心と感覚とを満たす激しい不安の裡に書いた。思想と想像と言葉との喧騒、魂は黙している、神は黙している。沈黙。)
・・・まだなんでもない、真の誘惑――私の待っているそれ――はまだずっと後ろにいる、それはあの譫言めいた叫喚によって前触れしながら、ゆっくりと私の方へおし寄せて来つゝあるという感じ。そして、私の憐れな魂もまたそれを待っている。私の魂は黙している。肉体と霊魂との呪縛。(私の不幸の唐突さ、急激さ。祈りの精神は果実が落ちるように、苦もなく、おのずと、私を去った。……)
愕きは後《あと》になって漸く来た。空《から》っぽの手を見て瓶の割れたことを私は知った。
・・・このような試煉が新しいものでないことを、私は知っている。医者は疑いもなく言うだろう。それは単なる神経の疲れだ、僅かなパンと葡萄酒とで身を養おうというのは馬鹿げていると。だが先ず私は疲れていると感ずるどころか、寧ろいゝ方に向かっている。昨日《きのう》はどうやら食事らしい食事を摂《と》った。馬鈴薯とバタだ。次に私は楽に勤めを果している。自分自身に対して闘おうとする望みが起こることを神様は御存じだ! 再び勇気が湧くように思われる。胃の痛みが時々起こる。だがそれは突然起こるので、以前のように絶えず予期することはなくなった。……
聖人たちの内的苦痛に就いて真偽両様の事柄が伝えられていることを私も知っている。だが、類似は表面のことに過ぎない! 聖人たちは彼らの不幸に慣れることはなかった筈だ。ところが、私は既に自分の不幸に慣れてゆくように感じる。若しも私が、たとい誰に向かってでも愚痴を洩らそうとする誘惑にまけたとしたら、神と私との間の最後の絆は絶たれ、私は永遠の沈黙に入るだろうと思われる。
しかも、私は昨日《きのう》トルシイへの道をかなり遠くまで行った。私の孤独は、今では、デルバンド老先生の墓へ祈りに行こうと突然考えついたほどそれほど深く、堪えがたい。次いで私は、あの、まだ会ったことのない先生贔屓のルバテュのことを考えた。だが、いざという時に私の勇気は挫けた。
・・・シャンタル嬢の来訪。あんなに悲痛な会話に就いては、たとい何事であれ今夜書き記すことは不可能であるように思われる。……あゝ、私は憐れな人間だ! 私は人間に就いては何も知らない。永久に何も知らないだろう。過ちを犯しても、それが何の役にも立たない。それは私を混乱させるばかりだ。私は確かに、意志は善いが、一生無智と絶望との間に揺れ動く弱い、憐れな人間の種類に属するのだ。
今日《きよう》ミサの後で、トルシイへ一《ひと》走り行って来た。主任神父さんは、リルにいる姪の一人の家で病気になって、一週間か十日しなければ帰って来ないだろう。今からそれまで……
書くことが私には無駄に思われる。秘密を紙に託するすべを私は知らない。私にはできない。だいいち、私にはその権利が無いだろう。
神父さんが旅行に出たことを知った時の落胆は実に激しく、壁に凭りかゝってやっと倒れるのを免れたほどだった。雇い婆さんは、同情のというよりは好奇の目で私を見守っていた。それは、既に数週前からいろいろな人に、伯爵夫人やサンプリスやその他の人に一度ならず見た目だった。……どうやら私が少し気味悪いらしい。
洗濯女のマルシャルは庭で洗濯物を干していたが、私が再び歩き出す前にひと息入れている時、私は二人の女が私に就いて話しているのをはっきりと聞いた。一人が、私を赤面させた調子で、声高に言った。「ほんとうにお可哀想に!」何を彼女たちが知っていよう?
・・・私にとって怖しい一日。最も悪いことは、恐らくはその真の意味が私には把えられぬ種々の出来事に対して、分別のある、穏かな判断を下すことができないように感ずることだ。勿論今までにも私は幾度か混乱や悲嘆の瞬間を経験した。だが、その時自分では意識しないながら、私は、事件なり人物なりがその影を鏡面か水面にでも映《うつ》すように映すあの内的な平和を保っていた。ところが、今は泉は濁っている。
奇妙なことに、いや、恐らくは恥ずべきことに、確かに私の過ちからだが、祈りが私にとって少しも力にならない時ですらも、この机に向かって白紙を前にする時だけ幾らか冷静を取り戻す。
あゝ、これが一つの夢、一つの悪夢であってくれゝばと思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
フェランのかみさんの葬式のために、今朝《け さ》は六時にミサを挙げなければならなかった。ミサ答えの子供が来なかったので、私は聖堂の中に一人っきりだと思っていた。この季節のこの時刻には、目は内陣の段の少し先までしか届かず、後《あと》は薄暗かった。突然〓の木の腰掛に沿って床《ゆか》の上に辷り落ちた念珠《コンタツ》の微かな音がはっきりと聞えた。それっきり何の物音もしなかった。祝福の時に私は目を上げる勇気が出なかった。
令嬢は、香部屋の扉口で私を待っていた。私はそれを知っていた。その細面な顔は一昨日《おとゝい》よりも一層歪んで、口の端には如何にも蔑むような冷やかな皺が寄っていた。私は言った。「こゝへあなたをお通しすることができないことはあなたもよく御存じです。あちらへいらっしゃい!」令嬢の眼差しは私に恐怖の念を起こさせたが、私は怯《ひる》まなかった。あゝ、何という憎しみの籠った声音だったろう! その眼差しはどこまでも矜持に満ちていて、羞恥の色を帯びてはいなかった。では、人間は羞恥を感ずることなく憎むことができるのだろうか? 私は言った。
「お嬢さん、お約束したことは実行します。」
「今日《きよう》にも?」
「えゝ、今日《きよう》にも。」
「神父さん、明日《あした》では遅すぎるでしょう。私が神父館へ来たことをあの女は知っています。あの女は何でも知っています。まるで獣《けもの》のように嗅ぎつける力をもっています。私は前には用心しませんでした。あの女の眼には人は慣れます。善良な眼だと信じます。でも今ではあの眼を刳《く》り抜いて、こうして足で踏み潰《つぶ》してやりたく思います。」
「御聖体の真近でそんな風に言うなんて、神様が、少しも怖くないのですか?」
「私はあの女を殺します。あの女を殺すか、でなければ、私が自殺します。あなたはいつか神様の前でその申し開きをなさるでしょう!」
彼女は別段声も高めずに、こうした狂気染みたことを口走った。時にはその声は殆ど聞きとれないくらいだった。その顔もあまりよく見えなかった。少くともその表情は見分けられなかった。片手を壁に当て、片手で腰に毛皮の衿巻を垂らしながら、彼女は私の方に身を屈《かが》めていた。で、その床《ゆか》の上の長い影は弓形《ゆみなり》になっていた。告白が我々を婦人に危険なほど近附けると考える人々は間違っている。嘘吐きや変質の女は寧ろ我々に同情の念を起こさせるし、真面目な女の謙遜はこちらにも伝わる。この時初めて私は歴史に対する女性の秘かな支配、その宿命といったものを理解した。激怒している男は狂人めいて見える。また、私が子供の時分に識った下層階級の娘たちは、その身振り、叫び声、滑稽な誇張でむしろ私を笑わせた。不可抗的に見えるこうした沈黙した興奮、悪への、獲物への、女性の全身のこうした激しい衝動、悪、憎悪、羞恥に於けるこうした自由さ、こうした自然さに就いては私は何も知らなかった。……それは殆ど美しくさえあった。その美しさはこの世のものでもなく、――来世のものでもなく、――恐らくはもっと古い、罪以前の――天使たちの罪以前の――ものであるといえようか?
私はその後この考えをできるだけ退《しりぞ》けた。それは馬鹿げた、危険な考えだ。それは最初私には素晴らしい考えとは思われなかったし、だいいち大して纏まってもいなかった。シャンタル嬢の顔は私の顔の真近にあった。黎明が、恐ろしく淋しい黎明が、香部屋の煤けた窓硝子をとおして忍び寄って来た。私たち二人の間の沈黙は、言うまでもなく、ほんの一瞬間しか、即ちサルヴェ・レジナ(聖母よ、救い給え)を一遍唱える間ぐらいしか続かなかった(事実、あんなにも美しく、潔らかなサルヴェ・レジナの詞が知らず識らず私の唇にのぼったのだった)。
令嬢は私の祈っているのに気附いたに相違ない、怒って、床《ゆか》を蹴った。私はその手を取ったが、いかにも小さい、嫋かな手で、その手は私の手の中で心もち固くなった。きっと私は思ったより強く握り締めたに相違ない。私は言った。「先ずお跪きなさい!」令嬢は聖体拝領台の前に少し膝を折って、両手をそこに突き、およそ想像もつかぬ人を喰った、しかも絶望的な様子で私の顔を見た。私はなおも言った。「そうして、こうお言いなさい、神さま、私は今あなたに背《そむ》く力はありません、そうです、あなたに背くのは私ではありません、私の心の中にいる悪魔ですと。」ともあれ令嬢は諳誦する子供のような調子で私の言った言葉を一語一語繰り返した。何と言っても彼女はまだ子供だったのだ! 彼女の長い毛皮の襟巻はすっかり床《ゆか》に辷り落ちていて、私は知らずにそれを踏んでいた。彼女は突然立ち上り、私の腕を擦り抜けると、祭壇の方へ顔を向け、吐き出すように言った。「地獄へ落したければ落すがいゝ、私は平気だから!」私は聞えない振をした。だが、それが何の足しになったろう?
私は再び言った。「お嬢さん、こんなお聖堂《みどう》の真中でそんな話は続けられません。あなたの言うことを聴くことのできる場所は一つだけです。」そう言って、私は彼女を静かに聴罪室の方へ押し遣った。彼女は自《みずか》らそこに跪いて、言った。「私は告解なんかしたくありません。」――私は言った。「私はそれをあなたに要求しはしません。たゞこの板壁が沢山の恥ずかしい告白を聞いたことを、それがそこに沁み込んでいることをお考えなさい。たといあなたが貴族の娘でも、こゝでは傲りも他の罪と同じように一つの罪です、泥の上塗です。」――「そんなことはもう沢山です! 私が正義しか求めていないことはあなたもよく御存じです。だいいち私は泥なんか恐れません。泥というのは、私のように辱かしめられることです。あの厭《いや》な女が邸へ来てから、私はパンよりも泥の方を沢山食べました。」――「そんな言葉をあなたは本の中で習ったのです。あなたはまだ子供です、子供のようにお話しなさい。」――「子供ですって! もうずっと前から私は子供ではありません。私は人の知っていることなら、何でも知っています。人が一生かゝって知ることを知っています。」――「もっと落ち著いてお話しなさい!」――「私は落ち著いています。神父さんこそ、落ち著いて下さい。私は昨夜《ゆうべ》あの人達の話しているのを聞きました。私は恰度《ちようど》窓の下にいました。この頃《ごろ》はカーテンも閉めないのです。(聞くのも恐ろしい調子で、彼女は笑い出した。跪きたくないので、額を中仕切に当て、前屈《こご》みになっているらしく、そして怒りのために息づまっていた。)私はあの人達がどうにかして私を追い払おうとしていることを知っています。私はこの火曜には英国へ出発しなければなりません。お母さまはあちらに従妹《いとこ》がおありになるの。それでこの計画を大変適当な、大変実際的なものだと仰有るの。……適当なですって! お腹《なか》の皮が縒《よ》れるわ! お母さまはあの人たちの言うことは、まるで蛙が羽虫でも呑み込むように、何でもお信じになるの。ふゝっ!……」――「お母さまは……」と私は言いかけたが、彼女はこゝに記すのも憚られるような下劣な言葉で答えた。即ちこの不幸な婦人は自分の幸福、自分の生活を禦《まも》ることが出来なかったのだ、馬鹿で卑怯なのだと言った。――私はまた言った。「あなたは扉越しに聴いたり、鍵穴から覗いたり、スパイのような真似をなさっている、そんなに矜持の高い、貴族の令嬢ともあろうあなたが! この私は百姓の小伜に過ぎません。私は、あなたなどとても足を踏み入れることさえもなさらないだろうと思われる汚ならしい居酒屋で子供の頃二年ばかりを過ごしました。でも、たとい、自分の命を救うためであっても、私はあなたのなさったような真似はしないでしょう。」――彼女は突然立ち上り、項垂れて、相変らず冷かな顔附きで、聴罪室の前に立った。私は叫んだ。「跪いていらっしゃい。跪いて!……」彼女はもう一度私に従った。
私はその前々日、自分が、単に漠然とした嫉妬、病的な空想、悪夢に過ぎぬものをあまりに真剣に取り過ぎたことを悔いた。古い倫理書が「性者《ペルソンヌ・デユ・セツクス》」と妙な呼び方をした者達《たち》の奸智に対しては我々はかねて深く警しめられている! 私はその時トルシイの主任神父が肩を聳かす様子をはっきり思い浮かべた。だが、その時は私は唯一人《ひとり》机に向かって、単に機械的に記憶に留められ、その声音は永久に忘れられた言葉を思い起していたのだ。ところが今私は、恐怖と言ったのでは弱い、もっと深刻な、もっと内面的な恐慌とでも言うべきものによって歪められた奇妙な顔を眼の前にしていた。もちろん私だってかなりそれに似通った表情の変化は経験している。しかしこれまで私はそれを臨終の人の顔にだけ認めたのであって、私はそれを、当然、卑近な、肉体的の原因に結びつけていた。医者はよく「死相」というが、それを彼らは屡々間違える。
目に見えぬ傷口から生命が滝のように流れ出ているこの傷ついた者のために、何を言い、何をしたらいゝか? 詮ずるところ、なお数秒間黙って、様子を見るより他《ほか》はないように思われた。だが、私は祈るための力をいくらか取り戻していた。彼女も亦黙っていた。
その時奇妙なことが起こった。私はそれを説明しない。たゞ有りの儘に記す。私はひどく疲れ、ひどく神経質になっていたから、結局、夢を見たらしい。要するに、真昼間でも、顔を見分けることの困難なあの暗い穴を見詰めていると、シャンタル嬢の顔が次第に現れ始めた。その顔は、私の眼前に、不思議な不安定さで浮かんでいた。で、私は、ちょっと身動きしてもそれが消えそうな気がして、じっとしていた。もちろんその場では私はそれには気が附かなかった。後になって気が附いたのだった。私は今、この一種の幻しは私の祈りに結びついてはいなかったか、おそらくは私の祈りそれ自身ではなかったかと考える。私の祈りは悲しかった。そしてその顔もそれと同じ様に悲しかった。私はその悲しみに殆ど堪えかねた。と同時に、私はそれを倶《とも》にし、それを全《すべ》て引受け、それが私の身内に沁み込み、私の心を、私の魂を、私の骨を、私の全存在を満たすことを望んでいた。それはあの、二週間この方私の衷に絶えず聞えていた敵意を含んだ漠然とした声の低いどよめきを黙らせ、以前の静寂、あの、その中で神が語り給おうとする福《さいわ》いな静寂を再び支配させた――神は語り給う……
私は聴罪室から出た。そして彼女は私より先に立ち上っていた。私たちは再び顔と顔を合わせた。もう幻しは消えていた。彼女の顔色の蒼白さは極端で、可笑《おかし》いくらいだった。その手は震えていた。彼女は子供っぽい声で言った。「もう私には力がありません。なぜそんなに御覧になるんです? 放っておいて下さい!」彼女は乾いた燃えるような眼附きをしていた。私はどう答えていゝか分らず、彼女を聖堂の扉《と》口まで静かに導いていった。――「もしお父さまを愛していらっしゃるなら、そんな恐ろしい反抗の状態にいつまでもいてはなりません。それをあなたは、愛する、と言われるのですか?」――彼女は答えた。「私はもうお父さまを愛してはいません。憎んでいると思います。あの人たちみんなを憎んでいます。」言葉は口の中でひゅうひゅうと音を立て、句の終り毎に、嫌悪のそれとも、疲労のそれともつかぬ〓りのようなものが出た。――彼女は自負と矜持の調子で言った。「私は馬鹿者扱いはされたくありません。お母さまは、お母さまの仰有るように、私は人生について何も知らないと思っていらっしゃいます。私はポケットの中に眼を持っていなければなりません。召使たちはみんな猿のような人間です。それなのに、お母さまは非の打ちどころのない――『確かな人たち』だと信じていらっしゃいます。しかもお母さまが彼らをお選びになったのよ! 娘は寄宿舎へ入れるべきですわ。ともあれ私は十歳《と お》の時には、いゝえ、もっとその前に、大ていのことは知っていましたわ。それは私に嫌悪や、憐憫を感じさせましたが、それでも私はそれを、ちょうど病気や、死や、その他《ほか》の諦らめなければならない沢山の厭なことを受け容《い》れるように受け容《い》れました。でもお父さまがありました。お父さまは私にとって全《すべ》てでした。主《しゆ》であり、王であり、神であり――友、卓《すぐ》れた友でありました。小娘のこの私と、お父さまは始終話をなさり、私を殆ど同等に扱われました。私はお父さまの写真をお父さまの髪の毛と一緒に胸飾りに入れて胸に掛けていました。お母さまはお父さまを決して理解しませんでした。お母さまは……」――「お母さまのことは仰有るな。あなたはお母さまを愛していらっしゃらない。いや、それどころか……」――「構いません。先を仰有って下さい。私はお母さまを嫌っています、いつも嫌って……」――「お黙りなさい! あゝ、どの家にも、たとい、基督教徒の家にも、目に見えぬ獣《けもの》、悪魔はいます。中でも恐ろしい悪魔がずっと前からあなたの心に巣喰っていたのです。しかもあなたはそれに気附かなかったのです。」――「結構ですわ。その獣《けもの》が出来るだけ醜く、無気味であることを望みますわ。私はもうお父さまを尊敬しません。お父さまを信じません。ほかのことなんかどうだって構いません。お父さまは私を欺きました。ひとは妻を欺くように娘を欺くことができます。でもそれは同じことではありません。もっと悪いことです。でも私は復讐します。私はパリへゆき、身を汚し、そしてお父さまに手紙を書きます、これがあなたの私になすったことですと。そうすればお父さまは、私が苦しんだように苦しまれるでしょう!」私は暫らく考えた。彼女が口にしない他の言葉がその唇に読めるように思った。それらの言葉は、一つ一つ、私の脳裏に灼《や》けつくように記された。私は思わず叫んだ。「あなたはそんなことはなさらないでしょう。あなたが誘惑されているのはそんなことではありません、私は知っています!」彼女はひどく震え出し、両手で壁に身を支えずにはいられなかった。すると、或る小さい出来事が起こった。これも、あのもう一つの出来事と一緒に、説明を加えずに、こゝに記す。私は当てずっぽうに言ったらしい。が、私は自分が間違っていないことを確信していた。「手紙をお渡しなさい、そこにあなたの手提げ袋の中にあるその手紙を――即座にその手紙を私にお渡しなさい!」彼女は抗《あらが》おうとはしなかった。たゞ深い溜息を吐くと、両肩を聳かしながら、紙片を差出した。
「あなたは悪魔みたいな方ね!」と彼女は言った。
私たちはどうやらさりげなく外へ出た。だが私は立っているのに骨が折れ、身を屈《こゞ》めて歩いた。殆ど忘れていた例の胃の痛みが、今までになく猛烈に再び感じられ出した。あの親愛なデルバンド先生の言葉が記憶に甦って来た。「鉄串《かなぐし》を通すような痛み」まさにそれだった。私は、伯爵が、私の眼の前で、猪槍で地面へ突き差した、あの胴中を貫かれ、穴の中で、猟犬どもにさえも見棄てられ、息絶え絶えになっていた〓《あなぐま》のことを考えた。
だが、シャンタル嬢は一向私には注意を払わなかった。墓の間を昂然と歩いていた。私はその顔を見る勇気が殆ど出なかった。私は彼女の手紙を握っていた。彼女はその上へ奇妙な表情で流し目に時々目をやった。彼女の後に随《つ》いてゆくことが、私には困難だった。一《ひと》足歩く毎に思わず叫び声を上げそうになった。私は唇を思い切り強く噛んでいた。が、やがて私はそんな風にして苦痛を無理に怺《こら》えることが詰らない意地張りであることに気が附いて、とても歩けないから、暫く待って呉れと頼んだ。
女の顔をまともに見たのは恐らくそれが生れて初めてだったろう。いや、もちろん私は平素女たちを避けはしない。快いと思うことさえある。しかし、私は、神学校の同窓の或る者たちのような小心さは懐かぬまでも、司祭に欠くことの出来ぬ慎重さを守らぬにしてはあまりに女たちの奸智を知り過ぎていた。だが今日《きよう》は好奇心の方が勝っていた。だがそれは恥ずる必要のない好奇心だった。それは敵の動静を窺い、あわよくばと、塹壕から匍い出す兵士の好奇心だったと思う。七八歳《なゝやつつ》の頃祖母に連れられて死んだ親戚の老人の家へ行き、部屋に唯一人《ひとり》残されて、死人の顔に掛けてある布を持ち上げて、その顔を見たことを思い出す。
清さの輝いている清い顔がある。私が覗いて見た顔がそれだった。ところで、今、私の眼の前の顔は何とも知れぬ閉ざされた、窺い知り得ぬものを持っていた。清さは最早そこにはなかった。しかし憤怒も、侮蔑も、羞恥もその不思議な徴《しるし》を消すことはまだできずにいた。それらはたゞそこに渋面を作っていた。その恐ろしいほどの異常な高貴さは悪の、罪の、彼女のものではない罪の力を示していた。……あゝ! 高邁な魂の反抗がその魂自身の上に返り来るほど我々人間は憐れな者なのだろうか! ――「無駄な反抗はおやめなさい。私でなかったら、恐らくあなたの言うことは聞かなかったでしょう。なるほど私はあなたの言うことを聞きました。だが私はあなたの挑戦には応じません。神様は挑戦にはお応じになりません。」と私は言った。(私たちは、墓地の突き当りの、カジミルの囲い地に通ずる小門の近くの、あの一世紀この方見捨てられている数々の墓石も隠れるほど丈高く草の生い茂っている一隅に来ていた。)――「手紙を返して下さい。そして私たちの間では何も言わず、何も聞かなかったことにしましょう。私は自分一人《ひとり》で防ぐことができるでしょう。」――「誰に対し、何に対して防ぐのです? 悪はあなたより強いですよ、お嬢さん。あなたは絶対に安全だと信ずるほど傲慢ですか?」――「尠くとも泥からは。」――「あなた自身泥です。」――「そんなことは言葉の遊戯です! では神さまは父を愛することをも禁ずるのですか?」――「愛などという言葉を口にしてはなりません。あなたにはその資格がありません。疑いもなく、あなたはその能力を喪って居られます。愛! この世界には、それを神に求め、彼らの灼《や》けた口に一滴《ひとしずく》の水、あの、サマリアの女には拒《こば》まれなかった水の一滴《ひとしずく》が注がれるなら、千度死ぬことも厭わないのに、その願いの達せられぬ数限りのない人たちがいます。こうしてあなたに話している私は……」
私は程よく言葉を切ったが、彼女は察したのだろう、ひどく感動したように見えた。事実私は低い声で話していたが、――いや寧ろその為だったろう――私が自分に加えていた抑制は私の声に特別な調子を帯びさせていた。声が胸の中で震えるように感じられた。きっと令嬢は私を狂人だと思ったのだろう。その眼は私の眼を避けた。頬の陰影が拡がるように思われた。――私はまた口を開いた。「そんな言訳は他《ほか》の人たちのために取ってお置きなさい。私は司祭という名にも価いしない憐れな司祭に過ぎません。ですが、私は罪がどういうものか知っています。あなたはそれを知りません。すべての罪は似ています、そこには唯一つの罪しかないのです。私は難かしいことを言っているのではありません。こうした真理は、それを我々司祭から受け容れようという気さえあれば、どんな無学な信者にでも手の届くところにあるのです。罪の世界は、恰度《ちようど》暗い深い淵に映っている景色の影のように聖寵の世界に対しているのです。聖人たちの通功があるように、罪人《つみびと》たちの通功もあるのです。罪人《つみびと》たちが互いに懐き合う憎悪の中に、侮蔑の中に、彼らは一つになり、抱《いだ》き合い、群をなし、融け合い、永遠者の眼には、いつか、あの神聖な愛の巨《おお》きな潮《しお》、渾沌を豊饒にした燃え熾る炎の海がその表面を空しく撫でて過ぎるどろりとした泥の湖《みずうみ》に過ぎなくなるでしょう。他人の誤ちを裁くのに、あなたは何なのです? 誤ちを裁く者自身その誤ちと一つになり、それと抱き合っているのです。そこであなたが憎んでいるその女、その女からあなたは遥かに遠いと思っておられるが、事実はあなたの憎しみとその女の誤ちとは同じ切株から生え出た二本の蘖《ひこばえ》のようなものです。あなた方の諍《いさか》いが何になりましょう? 身振りも、叫びも、風《かぜ》以上の何物でもありません。所詮、死はやがてあなた方を不動に、沈黙に帰らせるでしょう。若し今からあなた方が悪の中に一つに結びつけられ、三人ながら同じ罪――同じ罪ある肉の穽に陥り、――道連れ――そうです、道連れ――永遠の道連れであるとしたら、それが何になりましょう!」
私は私自身の言葉をごく不正確にしか伝えることができない。なぜなら私がそれをそこに読み取ったと思った顔面の動き以前には私の記憶の中に何もはっきりしたものが残っていないからだ。――「もう沢山です!」と彼女は低い声で言った。だが、眼だけは恕《ゆる》しを求めてはいなかった。これほどきつい表情を私は今までも見たことがなかったし、これからも見ることがないだろう。しかも何とない予感が、既にそれが彼女の神に対する最大で、最後の抵抗であることを、罪が彼女から出かゝっていることを保証していた。若さとか、老いとかについて人は何を言うのだ? この沈痛な顔が、果して、数週間前私の見たあの殆ど子供らしい顔と同じ顔だったろうか? 私はそれに年齢を与えることができなかった。いや事実、それは年齢を有たなかったのだろう。傲《おご》りには年齢はない。苦しみにも結局年齢はないのだ。
彼女は長い沈黙の後に、突然、一《ひと》言も言わずに立去った。……あゝ、私は何をしたのだ!
・・・夕食後オオバンへ病人を見舞に行ってひどく遅くなって帰って来た。眠ろうとしたって無駄にきまっている。
どうしてあのまゝ令嬢を去《い》かせてしまったのだろう? 私に何を期待していたのか尋ねることさえしなかった!
手紙は相変らず私のポケットにある。だが、私はたった今その宛名を見たばかりだ。それは伯爵に宛てゝあった。
例の「鉄串《かなぐし》を通すような」鳩尾《みずおち》の痛みは止まぬばかりか、背中まで痛む。絶えずむかむかする。考えることのできぬのが寧ろ幸いだ。痛みに気を取られて心配がいくらか薄らぐ。子供の頃、蹄鉄工カルディノのところで蹄鉄を打たれるのを見た駻馬のことを思い出す。血と涎れに汚れた綱を鼻面の周りへ縛りつけられると、奴らは耳を垂れ、長い脚を震わせて、従順《おとな》しくなった。「気違いめ、観念したな!」と蹄鉄工は、高笑いしながら、言った。
私も観念している。
痛みが突然止んだ。だいたいそれはひどく、規則正しく、連続的だったし、それに疲労も手伝って私はうとうとしていた。痛みが止んだ途端《とたん》私は、誰かに呼ばれたという感じ――いや、確信――をいだいて、顳〓《こめかみ》が鳴り、頭がおそろしく冴えて、一気《いつき》に立ち上った。……
ランプは卓の上にまだ点《とも》っていた。
私は空しく庭を一廻りした。誰も発見《みつけ》ないだろうということを私は知っていた。すべてはいまだに夢のように思われるが、しかもそれぞれの細部はひどくはっきりと、謂わば内面の光、そこにいくらかの落ち著き、安心が得られるどんな蔭もない冷たい光、の中に現れた。……こんな風に死の向こうで人間は自分自身を見るに違いない。あゝ、全く私はどうかしている!
こゝ数週間私は祈らなかった。いや祈れなくなった。果して祈れなくなったか? そんなことが誰に分ろう。この恩寵中の恩寵はその他の恩寵と同様にそれに価いしなければならない。ところが疑いもなく私は最早それに価いしなくなったのだ。要するに、神は私から退かれたのだ。尠くとも、このことだけは確かだ。それ以来私は最早何物でもなくなったのだ。しかも私はその秘密を自分一人の胸に秘めていた! いや、そうして沈黙をまもっていることを得意にさえしていた。それを立派な、英雄的なこととさえ考えていた。トルシイの主任神父さんに会いに行きたくなったことは事実だ。だが私の長上、即ちブランジェルモンの首席司祭さんの膝にこそ縋るべきだったのだ。そしてこう言うべきだったのだ。「私は最早教区を司牧する状態には居ません、私には慎重さも、判断力も、良識も、真の謙遜もありません。それなのに二三日前も、大それた私はあなたを批評し、あなたを軽蔑しようとさえしました。神さまは私を罰せられました。私を神学校へ送り返して下さい、私は人々の霊魂にとって危険物です!」
あの人は分って呉れただろう! いや、私の弱さ、恥ずべき弱さがその行毎に剥き出しになっているこの憐れなノートを読みさえすれば誰にだって分るだろう! これが教区の長《おさ》、霊魂の指導者、支配者の文章だろうか? なぜなら私はこの教区の支配者でなければならないのだから。それなのに私は有りの儘の自分を、即ち手を差し出して、扉《と》口から扉口へと、叩く勇気さえもなくて乞い歩く憐れな乞食としての自分を曝《さら》け出している。いや、もちろん、私は骨惜しみはしない。最善を尽している。だが、それが何になろう。頭《かしら》たる者はその意志のみによって批判はされない。勤めを果した上で、その結果に対して責任を問われる。そこで例えば、この私が自分の不健康状態を打ち明けずにいたことは、果して過度の責任観念にのみ従っていたのだと信ずべきだろうか? だいいち私にそうした危険を冒す権利があったろうか? 頭《かしら》の危険は皆の危険だ!
一昨日《おとゝい》もシャンタル嬢に会うべきではなかったろう。だいたい彼女の司祭館への最初の訪問からが道に外《はず》れたことだったのだ。尠くとも私は彼女が言い出す前に止めることが出来た筈だったのに。……だが例によって私は一人相撲を取った。私はあの人が私の眼の前で憎悪と絶望との二重の淵の岸でよろめくのを黙って見ていられなかったのだ。……あゝ、あの苦痛に歪《ゆが》んだ顔! 確かにあんな顔、あんな苦痛は偽ることが出来ない。しかもこれが他《ほか》の種類の苦痛だったら、私をあゝは感動させなかったろう。あの苦痛が堪えがたい挑戦のように思われたのはどうした訳だろう? 私の惨めな少年時代の思出はあまりに身近く、私は今もそれぞれをまざまざと感じる。私もかつて、この世の不幸と恥辱とを前にして恐怖のためにたじろいだ。……あゝ、淫猥の啓示は、それが我々自身に我々を啓示しない限り平凡な経験に過ぎないだろう。あの、一《ひと》度聞いたなら永久に忘れられぬ、あの、最初の瞬間から我々の衷に長い呟きを呼び起こす醜悪な声……
とまれ、私はそれだけにより一層の熟慮と慎重とを以て行動すべきだったのだ。ところが私は盲滅法に突き掛かって、誘拐者を突く手で、罪のない、か弱い被害者を傷つける危険を敢てした。……司祭の名に相応《ふ さ》わしい司祭は具体的な場合のみを見るべきではない。例によって、私は家庭的や社会的の事情、またそれに伴う疑いもなく正当な暗黙の諒解を考慮に入れなかったことを感ずる。アナーキスト、空想家、詩人。ブランジェルモンの首席司祭さんの言うことは尤もだ。
寒さも厭わず私は優に一時間あまりを窓際で過ごした。月光は光り輝く綿のように谷に満ちていたが、それはいかにも軽やかで、風に誘われて幾つもの長い帯に分れ、斜めに空に昇り、目も眩むほどの高さに棚引いているように見える。しかし、ごく近いのは……またいかにも近く、その断片がポプラの梢に漂っているように見える。なんという妄想だろう!
我々はこの世については何も識らない、我々はこの世のものではない。
左てには円光を冠った陰《くら》い大きな塊が見えるが、それは、対照によって、玄武岩のような輝きを見せ、鉱物のようにずっしりとしている。それは伯爵領の一番の高みにある楡の森で、岡の頂きには毎年の秋の西風に傷められる松の大木が何本かある。伯爵邸は向うの斜面にあり、村、即ち我々一同に背を向けている。
いや、いくら努力してみても、あの時の会話についてはこれという文句は何一つ思い出せない。……この日記にそれを掻摘《かいつま》んで書こうとする努力がまるでそれを消し去ってしまったかのようだ。私の記憶は空だ。たゞ或る事実が私を打つ。それは、いつも十語《とこと》と支《つか》えずには並べることのできぬ私が、いかにも淀みなく喋ったように思われることだ。しかも、私は、おそらく生れて初めて無遠慮に、率直に、また不用意にさえも、自分が悪に対して懐いている生《なま》々しい感情(いや、それは感情ではない。殆ど視覚と言っていゝ。抽象的なところは少しもない。)要するに私が悪や悪の力について描いている心象《イメージ》を言い現わしたことだ。なぜなら、いつもは私はそのような考えは極力押し除けているからだ。それは私をあまりに苦しめるからだ。それは或る種の不可解な死を、或る種の自殺を強いて私に理解させるからだ。……そうだ、表面はどんな宗教にも、或いはどんな道徳にさえも無関心のように見える、多くの、人々が考えるよりも遥かに多くの、魂が、いつか、――たとい一刹那にもせよ――何かあの束縛に幾らか気附き、どうにかしてそれから逃れようとしたに違いないのだ。悪に於ける連帯性、それに愕くのだ! なぜなら、罪は、たといいかに兇悪なものであっても、決して、悪の性質について、聖人たちの勝れた著述が神の栄光について教えるほどには教えないからだ。十九世紀のフリー・メーソンのジャーナリスト――それはレオ・タクシルという名だったと思うが――が、『聴罪司祭の手記』という、もとより偽りの標題の下に公刊した書物の研究を、大神学校で始めた時、我々を先ず打ったものは、人間が神に挑戦すると言ったのでは強過ぎるが、神を裏切り、悪魔の猿真似をするのに用いる手段の極端な貧しさだ。……なぜならサタンはあまりにも冷酷な主人だ。彼は神のように率直に、我に傚えとは命じない。彼は彼の犠牲者たちが彼に似ることを許さない。彼は、深淵の残忍な皮肉がそれによって決して飢えを満たすには至らず、たゞ単に舌を楽しませるに過ぎぬ不様《ぶざま》で卑しい、非力《ひりき》なカリカチュアであることしか許さない。
悪の世界は、要するに、それほど我々の精神には捕えがたいものなのだ! だいたい、私は常にそれを一つの世界一つの宇宙として想像することには成功しない。それは一つの略画、即ち、実有の極限に立つ出来損いの醜悪な被造物の略画に過ぎないし、また永久にそうであるだろう。私はあの磯巾著のことを考える。サタンにとっては罪人《つみびと》が一人《ひとり》増《ふ》えようと減ろうと何でもない。立ちどころにその罪《つみ》を貪り食い、その愕くべき体内に吸収し、その怖るべき永遠の静止から一歩も出ずにそれを消化してしまう。だが、歴史家も、道徳家も、哲学者すらも、個々の罪人《つみびと》しか見ようとはせず、悪を人間の姿に於いて、その象りに於いて見る。彼らはあの空虚の、虚無の巨大な渇望とも言うべき悪そのものについては何らの観念をも形造らない。なぜなら、我々人間が滅びるとしたら、それは嫌悪によって、倦怠によって滅びるからだ。人間は、恰もあの、数週間で〓の木を、指で突いても崩れるような海綿状の物質に変化させる眼に見えぬ菌によって梁が蝕《むしば》まれるように次第に蝕まれるだろう。そして道徳家は情慾について議論し、政治家は警察官や官吏を増員し、教育家は教課目を編成するだろう――人々はパン種《だね》の既に失われた〓《ねり》粉を無益に〓ねるために財宝を徒費するだろう。
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彼らは、数千年後にも地球はその生成の初めに於けると同様に活気に満ちていると言う。悪も亦日々に新ただ。
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今夜《こんや》はいつ果てるとも思われない。戸外の大気はいかにも静かで、清らかで、十五分毎に、三キロも離れているモリヤンバルの聖堂の大時計の打つのがはっきりと聞き分けられるほどだ。……もちろん、冷静な人間は私の心配を笑うだろう、だが誰だって予感を抑えることは難《むずか》しい。
なぜ彼女を去《い》かせてしまったのだろう? なぜ呼び戻さなかったのだろう? ……
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手紙はそこに、机の上にあった。私はそれを、他の紙片の束と一緒に、何の気なしにポケットから引出したのだった。奇妙で不可解な事実は、私がそれをすっかり忘れていたことだ。だいいち、今も耳に附いている「その手紙をお寄越しなさい」と言ったあの言葉を口にさせた抵抗しがたい衝動を思い出すには意志と注意との非常な努力を必要とする。ほんとうに私はそれを口にしたのだろうか? 私はそれを我が身に尋ねる。恐怖と悔恨とに欺かれて、令嬢は自分の秘密を私に隠し果《おお》せないと思って、無意識に手紙を差し出したのかも知れない。あとは私の想像の産物だ……
たった今私はその手紙を読まずに火に燻べたところだ。私はそれが燃えるのを眺めていた。炎に裂かれた封筒から書翰箋の片端がのぞき、間もなく黝ずんだ。ペンの跡がそこに一瞬黒い色の上に白く浮かんだ。そして私はそこに明らかに「神に……」と読んだように思った。
胃の痛みが、また猛烈に、堪えがたいほどに起こって来た。床《ゆか》に横たわって獣の様に呻きながら転げ廻りたい衝動に抵抗しなければならない。私がどれほどの苦痛に堪えているか神のみ知り給う。が、果して神は知り給うだろうか? (註。余白に書き込まれていたこの最後の文句は、消してあった。)
・・・思い附いたまゝの口実で――即ち伯爵夫人が半年毎に家族の死者たちのために挙げさせるミサ聖祭の勘定を口実に――今朝《け さ》伯爵邸へ行った。余り興奮していたので、それを鎮めるために、庭園の入口で、庭男のクロヴィス爺さんがいつものように枯木を束ねているのを私は暫く眺めていた。そのゆったりとした様子が私を落ち著かせた。
爺さんは暫く手を休めた。と、私は突然、伯爵夫人から先月ミサ料の勘定を貰ったことを思い出して、はっとした。何かほかにいゝ口実はないものか? 半ば開いた扉口から、人々の起《た》ったあとの朝食の卓が見えた。茶碗の数を数えようとしたが、数字が頭の中でこんがらかった。サロンの入口から、伯爵夫人が――暫く前から――その近視の眼で私を眺めていた。夫人は両肩を聳やかしたようだったが、それは悪意のないものだった。それは恐らく「可哀そうに、いつも同じだ、変えることはできない」といったようなことか、まあそれに近いことを意味していたろう。
私たちは客間に続いた小さい部屋へ入った。夫人は私に椅子を薦めたが、私が気附かなかったので、わざわざそれを私の方へ押して寄越した。私は勇を鼓して言った。「お嬢さまのことでお話しに伺いました。」
暫く沈黙があった。確かに、神の優しい摂理が日夜見守っている被造物の中で、私は最も見棄てられた、最も憐れなものの一つだった。だが、自愛心は私の心の裡に全く消え果てゝいたようだった。夫人の顔からは微笑が消えた。「伺います、遠慮なく仰有って下さい。あの子のことでは私の方があなたよりもずっと多くのことを知って居ると思います。」――「奥さま、神さまだけが魂の秘密を御存じです。どんなに聡明な者でも誤まることがあります。」――「では、あなたは?(夫人は一心に火を掻立てるような振をしていた)あなたは御自分を聡明な者の中に数えていらっしゃいますの?」多分夫人は私を傷つけるつもりだったのだろう。だがその時は私はどんな侮辱も感じない状態にいた。いつも私の心を支配しているものは、我々人間すべてに共通な無力の、克服しがたい暗愚の、感じであるが、その感じがその時は殊更強く、まるで心を締めつける万力《まんりき》のようだった。「奥さま、富や生《うま》れがどれほど私どもを高い地位に置いても、私どもはいつも誰かの僕《しもべ》です。この私は皆の僕《しもべ》です。いゝえ、私のようなつまらぬ司祭にとっては僕《しもべ》という言葉さえ貴《とう》と過《す》ぎます。皆の物、いゝえ、それ以下のものです。」――「人は物以下のものになれますの?」――「使い道がなくて捨てられる廃物があります。そこで、例えば、私が上長から任せられた僅かな勤めを果す能力がないと見られているとしたら、私は廃物でしょう。」――「御自分をそんな風にお考えになっていらっしゃるとしたら、何か主張なさろうというのは不謹慎ではないでしょうか?」――「私は何も主張などしません。例えばその火掻き棒はあなたの手に握られた一つの道具に過ぎません。あなたがそれを必要となさる時、今仮に神さまがそれに、あなたの手近かに自《みずか》ら身を置くのに要するだけの知覚をお与えになったとしたら、その火掻き棒こそ私です、その火掻き棒に、私はなりたいのです。」――夫人は微笑したが、その表情はもちろん愉悦、或いは皮肉とは別のものを現していた。ともあれ、私は自分の冷静さにひどく驚いていた。どうやらそれは私の言葉の謙譲さと対照して、夫人を訝《いぶか》らせ、当惑させたらしかった。夫人は溜息を洩らしながら、幾度か私を盗み見た。――「娘についてのお話というのはどういうことですの?」――「昨日《きのう》私はお嬢さまに聖堂でお会いしました。」――「聖堂で? まあ両親に抗《さから》っている娘が聖堂に何の用があるでしょう。」――「聖堂は皆のものです、奥さま。」夫人はもう一度、今度はまじまじと真正面から私の顔を見た。その眼は相変らず頬笑《ほゝえ》んではいたが 下半面の表情は驚き、疑い、名状しがたい頑《かたく》なさを示していた。――「あなたは小賢《こざか》しい娘に瞞《だま》されていらっしゃるのです。」――「お嬢さまを絶望に追いやらないようになさって下さい。それは、神さまの御旨《みむね》に背くことです。」
私は暫く心を静めた。薪は炉の中で音を立て々燃えていた。開いた窓からは、レースの窓掛を透して、陰鬱な空の下《もと》に、黝《くろ》々とした松の並木に囲まれた広い芝生が見られた。それは澱んだ池水《いけみず》のようだった。私は自分が口にした言葉に茫然としていた。それは十五分前には私の考えも及ばなかったものだった。しかも、それが取り返しのつかぬものであることを、今は行くところまで行かねばならぬことを私はまたよく感じていた。私の眼の前にいる人も亦私の想像した人とはてんで違っていた。
――夫人はまた口を開いた。「神父さま、あなたの御意志がよいことを、何処までもよいことを私は疑いません。あなたは御自分で御自分の無経験を認めていらっしゃるから、その点は強いて申上げますまい。しかも、経験が有ろうと無かろうと、殿方にはどうしても分らない場合があります。女だけがそれを真正面から眺めることができます。殿方は上辺《うわべ》しかお信じになりません。それにそうした不しだらは……」――「すべての不しだらは同じ父から発します。そしてそれは虚偽の父です。」――「不しだらにもいろいろあります。」――「もちろんです、が、秩序は一つしかありません、即ち愛の秩序です。」夫人は笑い出した。それは残忍な、憎悪を含んだ笑いだった。――「私はもちろん期待してはいませんでした……」と夫人は言い出したが、私の眼の中に驚きと隣れみとを読み取ったのだろう、直ぐに自制した。――「何を御存じだと仰有るのです? どんなことをあの子はお話したのです? 若い娘はいつも不幸で、理解されないと言います。そしていつもそれを信じる単純な人があります――」私は夫人の顔をまともに見た。どうしてあんなに思い切ったことが言えたのだろう? ――私はこう言った。「あなたはお嬢さんを愛していらっしゃいません。」――「まあ、随分なことを!…」――「奥さま、神の御《み》名にかけて申します。私は今朝《け さ》皆さまのお役に立ちたいと存じて伺いました。しかも私はこの通りの愚か者です、前以て何の用意も致しては参りませんでした。今まで私が口にしました言葉は皆奥さま御自身私に口授なさったものです、私はそれらの言葉がお気に障ったことを残念に思います。」――「どうやら私の心をお読みになる力をお持ちのようですわね。」――「その通りだと思います、奥さま」と私は答えた。私は夫人が我慢し切れなくなって、私を罵りはしないかと思った。いつもはいかにも穏かなその灰色の眼が黝《くろ》ずんだように見えた。だが、到頭夫人は首を垂れ、火掻き棒の先で灰の中に輪を描き出した。
やがてのことに夫人は穏かな調子で言った。「ねえ、きっと上の方《かた》々はあなたの御行動を厳しくお裁きなさいますことよ。」――「仕方がありません。あの人たちにはその権利があるのですから。」――「私はあなたのお為人《ひととなり》を存じて居ります。あなたは虚栄心もない、野心もない、真面目な青年司祭です。ほんとに率直な、いゝ方です。それがなぜあんなことを仰有ったのでしょう? 私、自分の耳を疑いますわ。ねえ、はっきり仰有って下さい。あなたはこの私を継子虐めをする継母かなにかのようにお考えになっていらっしゃるんですか?」――「私はあなたを批判したりなどは致しません。」――「それで?」――「私はお嬢さんをも批判したりなどは致しません。ですが、私は苦しみを経験しています、苦しみがどんなものか知っています。」――「あなたのお年齢《と し》で?」――「年齢など問題ではありません。私は又苦しみは苦しみの言葉を持っていることを、苦しみの言葉尻を捕えてはならないことを、その言葉によって判決を下してはならないことを知っています。苦しみは一切を、即ち社会も、家庭も、祖国も、神さえも呪います。」――「あなたはそれを多分肯定なさるのでしょう。」――「肯定はしません。たゞ理解しようと努めるのです。司祭は医者のようなものです。傷や膿や血膿を恐れてはなりません。霊魂のすべての傷は化膿します、奥さま。」夫人は急に真蒼になって、立ち上ろうとした。――「ですから私はお嬢さまの言葉を記憶してはいません。だいいち、そうする権利は私にはないのです。司祭は、苦しみが真実である時、たゞそれだけに注意を払うのです。それを表現する言葉などは問題ではありません。たといそれが皆嘘でも……」――「なるほど、嘘も真《まこと》も同列に! 、結構なお教えですこと!」――「私は倫理の先生ではありません。」夫人は明らかに忍耐を失っていた。で、私は夫人が私に別れの挨拶をするのを待っていた。確かに夫人は私を帰したがっていた。だが、私の情けない顔(私は鏡の中にその顔を見ていた。そして芝生の緑の反射がそれを一層醜く鉛色にしていた。)に眼を遣る度に、頤を微かに動かし私を説伏せ、言い負かす力と意志とを再び見出すように見えた。――「あの子はたゞ家庭教師を嫉妬しているだけなのです。きっとひどいことを言ったでしょう。」――「特にお父さまの愛情を嫉妬しておられるのだと考えます。」――「父を嫉妬しているのですって? では、この私はどうなのです?」――「あの方を安心させ、落ち著かせなければなりません。」――「では、あの子の足許に身を投げ伏せて、赦しを乞わなければならないと仰有るのですか?」――「尠くとも心に絶望を懐いた儘であの方をあなたから、お家《うち》から、遠去からしてはならないと申すのです。」――「でも、あの子は発《た》つことになっているのです。」――「強いてそんなことをなさって御覧なさいまし。神さまのお裁きをお受けになりますよ。」
私は立ち上った。夫人も同時に立ち上ったが、その眼に一種の狼狽を私は読んだ。夫人は私が辞し去ることを惧れると同時に、すべてを言ってしまいたい、彼女の憐れむべき秘密を明らかにしたいという欲望と闘っているように見えた。夫人はもはやその秘密を包み切れなかった。秘密は彼女の娘から出たように、遂に彼女からも出た。――「私がどんなに苦しんだかあなたにはお分りになりません。あなたは世の中のことは何も御存じありません。五ツの時にもうあの子は今のあの子だったのです。すべてを、即座に、これがあの子のモットーなのです。ほんとに、あなた方《がた》神父さま方《がた》は家庭生活については単純な、馬鹿げた考えを懐いていらっしゃいます。お葬式の時に、あなた方《がた》の仰有ることを伺うだけで十分ですわ。――(笑う)――平和な家庭、尊敬される父、比類ない母、喜ばしい眺め、社会の細胞、わが愛するフランス、等《など》々……奇妙なことは、そうしたことをあなた方が仰有ることではなくて、そうしたことが人々を感動させるとお考えになること、そうしたことをあなた方が興味を以て仰有ることです。家庭は、神父さま……」
夫人は突然、まさに文字通り言葉を嚥み込んだように見えたほど突然言葉を切った。なんということだ。これがあの、私が、伯爵邸の最初の訪問の際に見た安楽椅子に深々と身を沈めた、黒いレースの下《もと》に物思わしげな面持をしたあれほど淑かで物静かな夫人と同一人であったろうか?……その声さえも殆ど彼女の声とは思われぬほど変って、甲高く、言葉尻が長く引いた。
私は、夫人が自分でもそのことに気附き、自制できないことでひどく苦しんでいたのだと思う。平素はあれほど自制力のある婦人が示したこのような弱さを私はどう考えていゝか分らなかった。なぜなら私の不躾《ぶしつけ》さがそのために一層判然《はつきり》したからだった。おそらく私は頭が狂っていたのだろう。私は、是が非でも任務を遂行しようとして、自ら退路を断《た》って敵陣へ躍り込む臆病者のように遮二無二突込んだのだ。だが、体を交すことは彼女にとっては至極容易だったと思う。おそらく然りげない微笑だけで十分だったろう。
あゝ、それは私の思考、私の心情の混乱のためだったろうか? 私の懐いていた不安は伝染的なものだったのだろうか? 先日来、私には、私が居るというだけで罪をその巣から引き出し、いわばその人間の表面へ、即ち眼や口や声に現させるような気がする。……まるで敵が、私のような貧弱な相手を前にして隠れているのを恥じ、正面から挑戦して来て、私をあざ笑うかのようだ。
私たちは並んで立っていた。雨が窓硝子を叩いていたのを思い出す。また、仕事を終えて、クロヴィス老人が青い仕事著の裾で手を拭いていたのを思い出す。玄関の向う側からは、触れ合うコップや皿の音が聞えていた。すべては静穏で、安易で、親密だった。
――夫人は再び口を切った。「奇妙な犠牲、いゝえ、寧ろ可哀そうな餌食、それがあの子です。」
夫人の視線は私を見下ろしていた。私は何も答えることがなくて、黙っていた。その沈黙が彼女を苛立たせたようだった。
――「なぜ私こんな一生の秘密をお打ち明けするか自分にも分りませんが、そんなことはともかく、正直なところを申上げましょう。私が男の子を欲しがっていたのは、事実です。そして男の子を私は持ちました。一年半ほどしかその子は生きていませんでした。シャンタルは、もう、その子を憎んでいました。……そうです、まだ小さかったのですが、もうその子を憎んでいたのです。父は……」
夫人は先を続ける前に一《ひと》息切らなければならなかった。その眼はじっと空間に注がれ、その手は何か眼に見えぬものに取り縋ろうとするかのような仕種をしていた。彼女は急坂を滑り落ちる人のように見えた。
――「最後の日にも、二人とも外出していました。二人が帰って来た時には、坊やは死んでいました。それ以来二人は離れません。それにしてもあの娘《こ》はなんて上手なんでしょう! この言葉はあなたにきっと奇妙に聞えるでしょう。ねえ、あなた方は娘は丁年に達してはじめて女になるとお思いでしょう? 神父さん方は時によっては随分単純でいらっしゃいますのね。仔猫が毛糸の毬に戯《じや》れている時、それが鼠を思っているかどうかは知りませんが、ちゃんとやるだけのことはやっているのですわ。男には愛情が必要だといいますが、そうかも知れません。ところで、その愛情の種類ですが、それはたゞ一つ、その男の性質に合った、その男がそのために生れた種類の愛情です。誠実なんて問題ではありません。私たち母親はもう揺籃の中から男の子に嘘の味を、宥め、落ち著かせ、眠らせる嘘の味を、乳のように甘く温い嘘の味を教えるのではないでしょうか? ともあれ、私は間もなくこの小娘がわが家の主人であることを、私は犠牲の役割に甘んじなければならないことを、傍観者か召使の境遇に甘んじなければならないことを悟りました。息子の思出に生きていた私は、何処にもあの子を見出しました――あの子の様子、あの子の服、毀れた玩具、なんという惨めさでしょう! どういったらいゝでしょう? 私の様な女はこちらの恥になるような競り合いをするほど卑しくはなれません。それにだいいち私の惨めさは手のつけられないものでした。一家族のうちで独り除け者にされている人間の姿というものはいつも何か笑止なものです。が、ともあれ、私は生きて来ました。私に対するいつも諜し合せての親切がかえって私を苛立たせる、少しも似ていないのに実によく気の合う二人の間に私は生きて来ました。こんなことを申して、お咎めになるなら、お咎めなさいませ。ですがあの娘は私の心を引裂きました。そしてその傷口に絶えず毒を注ぎました。いっそ二人から憎まれた方がどんなによかったでしょう。でも私は辛抱しました。黙って苦しみに堪えました。その頃私はまだ若く、男たちの関心を惹くことが出来ました。男たちの関心を惹くことが出来るという自信があり、愛し愛されることが自分の心次第である時には、貞淑であることは、尠くとも私のような女にとっては難かしいことではありません。毅然《しやん》としているためにはただ矜持だけで十分です。私は妻としての務めを何一つ欠くようなことはありませんでした。時としては私は自分を倖せだとさえ感じました。私の夫は優れた男でも、申分のない紳士でもありません。批判力の実に確かな、時としては恐ろしいほどのシャンタルが覚らなかったとは、――あの娘《こ》は何も覚らなかったのです――なんという不思議なことでしょう。でも、とうとう或る日……ねえ、神父さま、私は一生の間数知れぬ、あんまり卑しく、あんまり子供らしいためにかえって何の痛痒も与えない不貞を堪え忍びました。ともあれ、娘と私と二人のうちで余計に欺かれたのは確かに私ではありませんでした!……」
夫人は再び口を噤《つぐ》んだ。私は無意識の裡に夫人の腕に手を掛けたように思う。私は驚きの極限に、同情の極限にいた。――私は言った。「奥さま、分りました。私のようなつまらぬ男に司祭だけが聞くことのできることをお洩しになったことをいつかお悔いになりませんように!」夫人は当て途《ど》のない視線を私の上に投げた。――夫人は上ずった声で言った。「仕舞いまで申し上げてしまいましょう。あなたはそれをお望みになったのでしょう。」――「いゝえ、そんなことを望みはしませんでした。」――「そんならおいでにならなければよかったのです。それにしても、あなたは打ち明け話をおさせになることがほんとにお上手ですこと。流石《さすが》神父さまですわね。ともかく、話の鳧《けり》をつけましょう。シャンタルは何を申したのです? 有りの儘に仰有って下さい。」夫人は令嬢と同じように足摺りをした。煖炉棚に肱を掛けて立っていたが、その手はそこに他の装飾品と一緒に置かれていた古い扇子を痙攣的に握り締めていた。そしてその鼈甲の骨が次第に挫けてゆくのが見られた。――「お嬢さまはあの家庭教師のいることをお許しになれなかったのです。こゝに誰もいることを決してお許しになれなかったのです。」私は口を噤んだ。――「さあ、お答え下さい。あの娘《こ》は申上げたのでしょう、父が……ねえ、否定なさっても駄目ですわ、あなたのお目を見れば分りますわ。そしてあなたはあの娘《こ》の言うことをお信じになったのでしょう? あの性悪《しようわる》な子が言うにことをかいて……」夫人はあとを続けることができなかった。私の沈黙か、私の視線か、何か知ら私から発する或るものが――それは悲しみだったかも知れぬ――夫人が声の調子を高めるに先だってそれを妨げ、その都度《つど》夫人は口惜しさに身を震わせてはいるが、たゞ僅かに前よりは嗄《しわが》れたいつもの声の調子で再び話し出すことが出来たばかりだった。最初は彼女を苛立たせたこの儘ならなさが遂には彼女を不安にしたらしい。夫人が指を緩めたので、毀れた扇子はその掌《て》から滑り落ちた。彼女は顔を赧らめながら、急いでそれを置時計の下へ押し入れた。――「私としたことが端《はした》ない……」と夫人は言い出したが、その口調の上辺《うわべ》の穏かさはあまりにも虚偽に響いた。彼女は、ちょうど、探し求める肝腎の道具が見つからないで、あれこれと取り上げては、腹立たしげにそれを投げ出す不慣れな職人のようだった。――「さあ、こんどはあなたのお話しになる番ですわ。何のためにあなたはいらっしゃったのです? 何をしろと仰有るのです?」――「お嬢さまは極《ご》く近《ちか》々にお立ちになるというお話ですが……」――「えゝ、ほんに、近々に。でも、そのことはもうずっと前から決《き》まっていたのです。あの娘 は嘘をついたのです。それにしても何の権利があってあなたは反対なさるのです? ……」と夫人は強いて笑いながら言った。――「私には何の権利もありません。たゞ私はあなたの御意向が知りたいのです、その御決定が動かせないものかどうか……」――「そうです、それは動かせないのです。若い娘が、英国に、しかも親しい知人の家に、僅か数ケ月滞在することを、力に余る試煉と考えることが尤もだとは私には思えないのです。」――「ですから、私はお嬢さまが納得して、お従いになるように御相談申上げたかったのです。」――「従わせると仰有るのですか? そんなことはあの娘《こ》を殺すことですわ。」――「事実、私はあの方が極端なことをなさりはしないかと心配するのです。」――「極端な?……分りましたわ、あなたはあの娘《こ》が自殺しかねないと仰有るんですね! ですが、あの娘《こ》に限って、自殺なんて、滅多なことではしませんわ。咽喉がちょっと腫れたって大騒ぎです。あの娘《こ》は死ぬことをひどく恐れています。その点でだけあの娘《こ》は父親に肖《に》ています。」――「奥さま、そういう人たちこそ自殺するのです。」――「それはまたどういう訳です?」――「深淵はそれを真正面から見据える勇気のない人たちにみいるのです。そこに落ち込むことを恐れて、自分から飛び込むのです。」――「それは書物か何かでお読みになったことでしょう。あなたの体験を遥かに超えたことです。ところで、あなた御自身、死をお怖れになりまして?」――「えゝ、奥さま。ところで、正直に申上げることをお許し下さい。死は狭い門です、傲慢な者は通ることができません。」私はもう我慢が出来なくなった。――「私はむしろあなたの死の方を私自身の死よりも怖れています。」事実私にはその時死んでいる彼女が見えた。いや見えるように思えた。そして疑いもなく私の眼に描かれた姿が彼女の眼にも映ったのだろう、夫人は低い、唸るような叫び声をあげた。夫人は窓際へ身を寄せた。――「主人がどんな人間を家に置こうと、それは主人の自由です。それにあの家庭教師には資産がありません。我儘娘の我儘を通させるためにあの人を路頭に迷わせることはできません!」またもや夫人は同じ調子で言葉を続けることができず、その声は弱まった。――「主人はあの人に対してあんまり……あんまり親切で、親し過ぎたかも知れません。あの年頃の男たちはえてして感傷的で……というよりは感傷的であるように自分から思い勝ちなものです。」夫人は再び言葉を切った。――「ですが、そんなことは私にはどうでもいゝことです。ねえ、永の年月《としつき》笑止な辱しめに堪えて来て――あの人は女中という女中、ほんとうの山出しのおさんどんにまで手を出したのです――今更、お婆さんに過ぎない、いゝえ、お婆さんであることに甘んじなければならない時になって、何のために眼を開き、闘い、危険を冒さなければならないのでしょう? 自分の誇りよりも娘の誇りをよけいに重んじなければならないというのですか? 私が忍んで来たことを、あの子は忍ぶことができないというのですか?」夫人はこれらの恐ろしい言葉を調子も高めずに口にした。大きな窓を背に、片腕は体にそって垂らし、片腕は頭上に上げ、片手でレースのカーテンを揉みくたにしながら、彼女は熱い毒汁でも吐き掛けるようにこれらの言葉を私に投げ掛けた。雨に濡れた窓硝子越しに、ゆるやかな芝生の曲線といい、いかめしい老木の並木といい、いかにも高貴な、いかにも落ち著いた庭園が見渡された。……確かにこの婦人は私に同情の念をしか惹き起こさせなかった筈なのに、どうしたものか、いつもはあんなに他人の欠点を容《い》れ、その屈辱を倶にすることが私にとっては容易なのに、今は穏かな家とその恐ろしい秘密との対照が私に反感を起こさせた。そうだ、男たちの乱行そのものよりは、その執念、その奸智、それが神の眼前で混乱と死とのあらゆる勢力に与える陰険な助力の方がよけいに私の眼に映った。何ということだ! 無智や疾病や貧困が幾千の無辜の者を食い尽し、わずかに神の摂理が奇蹟的に、平和が花咲くことのできる避難所を残す時、忽ち情慾はそこへ忍び込み、一度座を占めるや、昼夜を分たず野獣のように咆哮する。……――「奥さま、御用心なさい!」と私は言った。――「用心すると言って、誰にです? 何にです? 多分あなたにでしょう? お芝居はやめましょう。あなたが今お聞きになったことは、私はまだ誰にも打ち明けたことがありません。」――「あなたの聴罪司祭にもですか?」――「これは聴罪司祭には関係のないことです。そこにあるのは私が支配できない感情です。それにだいいちそれは私の行為には現れないものです。この家庭は、神父さま、キリスト教徒の家庭です。」――「キリスト教徒!」と私は叫んだ。その言葉は私の胸を真向から打ち、私を焼いた。――「確かに、奥さま、あなた方はキリストさまをそこへ迎えておられます。が、そのキリストさまをあなた方はどうなさっておられますか? キリストさまはカイファ(訳者註。ユダヤの司祭長、キリストに冒涜の罪を宣告した。マテオ書二六ノ五七―六六。)の許にもおられました。」――「カイファですって? あなた、気でもお狂いになったのではありませんか? 私は私を理解しないことを良人にも、娘にも責めはしません。或る種の誤解は解き難いものです。諦めるほかはありません。」――「そうです、奥さま、私どもは愛さないことにも諦めをつけます。悪魔はすべてのものを、聖人たちの諦めまでも涜《けが》すでしょう。」――「あなたは下々《しもじも》の男のようなことを仰有いますのね。どの家庭にも秘密はあるものです。私たちが自分たちの秘密を人前にひけらかしたところで、それが何の役に立つでしょう? あれほど勝手な真似をされたのですもの、私だって少しぐらい勝手な真似をしてもよかったでしょう。ですが、私の過去には顔を赧らめなければならないようなことは何一つありません。」――「私たちの心に慚愧の念を起こさせる過失はむしろ祝福さるべきです! あなたが御自身を軽蔑なさることこそ神の意に叶うことです!」――「奇妙な教訓ですこと!」――「なるほどそれは世間の教訓とは違います。威光も、品位も、知識も、それが腐った骸《むくろ》を包む屍衣に過ぎないとしたら、神にとって何でしょう?」――「ではあなたはむしろ醜聞を立てられる方がいゝと仰有るのですか?」――「あなたは貧乏人たちを盲や聾とお思いですか? ところが貧乏人ほど目の利く者はないのです。逆に飽食している者ぐらいお人好しな者はありません。あなた方はあなた方の家庭の紊乱をいくら貧乏人たちにお隠しになっても、彼らは遠くから臭いで嗅ぎつけてしまいます。異教徒たちの残虐に就いては私たちは耳に胼胝《た こ》が出来るほど聞かされていますが、それでも彼らが奴隷たちに要求するものはせいぜい家畜のそれに近い服従だけですし、年に一度サテュルヌス祭に奴隷たちが平素の仕返しをしても笑って見ています。ところがあなた方は、貧しい者に心の服従を教える神の言葉を利用して、天与の賜物と同様に跪いて受くべきものを奸計によって盗み取ろうとします。権力者の偽善ほど世にも憎むべき罪悪はありません。」――「権力者ですって! 私どもよりも金持ちの百姓十人を私は挙げることができます。ほんとうに、神父さま、私どもは極《ご》く無力な者です。」――「人々はあなた方を御主人、領主と信じています。貧乏人の錯覚以外に権勢の基《もと》はありません。」――「そんなこと、空言《そらごと》ですわ、貧しい人たちが私どもの家庭の事を気に懸けるなんて!」――「いや、奥さま、ほんとうは、たゞ一つの家族しかないのです。御主《おんあるじ》を頭《かしら》に戴く人類の一大家族です。そしてあなた方はその特権ある息子たちであり得たのです。旧約聖書を想い起こして御覧なさい。そこでは地上の財宝が屡々天の恩寵の保証でありました。ねえ、貧乏人の生活を、必要物の単調な追求、飢え、渇き、日々その債権を主張して飽くことのないあの口腹に対する悪戦苦闘にするあの地上の苦役を免《ゆる》されて生れるということは十分貴重な特権ではなかったでしょうか? あなた方の家は安らいの家、祈りの家であるべきです。貧乏人たちがあなた方について描く素樸な心象《イメージ》に対する彼らの忠実さにかつて心を打たれたことはありませんか? あなた方はいつも彼らの羨望について言われますが、あなた方は、彼らが羨むものがあなた方の財宝であるよりはむしろ、あの時折彼らの孤独を慰める、しかも彼らにはこれと名附けることのできぬ或るもの、壮麗さの夢、偉大さの夢、憐れな夢、貧しい者の夢、だが神の祝福し給う夢、であることを理解しません。」
夫人は別れの挨拶をするためのように、私の方へ進み寄った。私は私の最後の言葉が彼女に立ち直る暇を与えたことを感じ、それを口にしたことを悔いた。今それを読み返して見て、私は不安になる。いや決して私はそれを取り消そうとは思わない。だが、それは人間的な言葉に過ぎず、それ以上の何物でもない。それは私が子供心に受けた深刻な失望を言い表している。確かに私ばかりでなく、私たち貧乏人階級の無数の者がまだまだこの失望を嘗めるだろう。それは貧乏人の世襲物である。それは貧乏の本質的要素である。それは恐らく貧乏そのものであろう。神は、貧乏人が偉大さをもその他のものと同様に、それが事実は彼の知らぬ間に彼から輝き出ているにも拘らず、それを乞い歩くことを欲し給うのだ。
私は傍らの椅子の上に置いてあった私の帽子を手にした。閾際に進み寄って片手を把手《ハンドル》に掛けた私を見た時、夫人は見る眼にも気の毒なほど狼狽した。私はその眼に不可解な不安を読んだ。――「あなたはほんとに奇妙な神父さんですこと、あなたのような神父さんを、私は今までに見たことがありません。でも、せめてよいお友達としてお別れしましょう。」と彼女はもどかしさ、苛立たしさに震える声で言った。――「どうして私があなたの友でよいでしょう? 奥さま、私はあなたの司祭です。あなたの牧者です。」――「そんなことは言葉だけのことですわ! 何をほんとうにあなたは私について知っていると仰有るのです?」――「あなたから伺ったことを。」――「私を狼狽させようとなさっても駄目です。これでも私は良識を備えています。」――私は口を噤《つぐ》んだ。――夫人は足摺りしながら言った。「ともあれ私たちは私たちの行為によって審判されると仰有るんでしょう? どんな罪を私は犯したでしょう? 娘と私とが赤の他人のようであることは事実です。でも今まで私たちはそれを少しも外には現しませんでした。危機が来ました。私は主人の意志を実行します。もしも主人が間違っているとしたら……主人は娘が自分の処へ帰って来ると信じているのです。」何かが夫人の顔に動いた。慌てゝ彼女は唇を噛んだが、すでに遅かった。――「で、奥様、あなたもそう信じていらっしゃいますか?」と私は言った。あゝ、夫人は首を後ろへ投げた。そして私は見た――確かに見た――稲妻のように、真実の告白が夫人の仮借のない魂の底から我にも非ず浮び上るのを。虚偽の真唯中を襲われた視線は「然り」と言っていたが、抑え難い内心の衝動は半ば開いた口から「否」という言葉を投げていた。
この「否」は彼女自身にも、意外だったらしい。だが彼女はそれを取り消そうとはしなかった。家族間の憎悪は、不断の接触によって、それが次第に慢性症状を呈して来るために猶更危険なもので、それは無熱で徐々に毒素を波及させてゆく口を開いた膿瘡に似ている。――「奥さま、あなたはお子さんを家から追われ、しかも、それが永久に追われることであることを知っておられます。」――「でもあれは自分から進んで出て行くのです。」――「私はお止めします。」――「あなたはあれを御存じないのです。あれはあんまり矜持が強過ぎてとても寛容な気持ちでこゝに留っていることなんてできません。あれはそれに堪えられないでしょう。」私は我慢がしきれなくなって、叫んだ。「神はあなたを打ち砕かれるでしょう!」夫人は一種の呻き声をあげた。が、それは赦しを求める敗者のそれではなく、寧ろ闘いを挑む前に力を集中する人間の深い溜息だった。――「私を打ち砕く? 神さまはもうすでに私を打ち砕いておられます。今更何をなさることができるでしょう? 神さまは私から息子をお奪いになりました。私はもう神さまを恐れません。」――「神さまはほんの一時《いちじ》御子息をあなたから遠去けられただけです。あなたの冷酷は……」――「お黙りなさい!」――「あなたの心の冷酷は御子息をあなたから永久に遠去けるでしょう。」――「あなたは冒涜の言葉を吐かれます。神は復讐しません。」――「神は復讐しない、それは人間の言葉です、それはあなたのためにしか意味をもちません。」――「息子は私を憎むだろうと仰有るんですか? 私の生んだ、私の育てた息子が!」――「あなた方は憎み合わないでしょう。あなた方は最早互いに見知らぬ者となるでしょう。」――「お黙りなさい!」――「いゝえ、私は黙りません、奥さま。司祭はあまり屡々口を噤《つぐ》み過ぎますが、私はそれが単に同情からだけであることを望みます。しかし私たちは卑怯です。原則だけ立てゝ、あとは勝手なことを言わせて置きます。ところであなた方は地獄をどういうものにしてしまったでしょう? あなた方の牢獄に似た永遠の牢獄、そしてそこへあなた方は世の初めからあなた方の警察が追跡する人間の獲物――社会の敵――を予め陰険に閉じ込めます。またあなた方はそれに冒涜者や涜聖者をも加えようとします。どんな思慮ある頭脳、どんな誇りある心が神の正義のそのような想像《イメージ》を嫌悪の念を懐かずに受け容れることができるでしょう? そうした想像《イメージ》が邪魔になる時は、それを払い除けることは易々たるものです。人々は地獄をば此の世の尺度で測りますが、地獄はこの世のものではありません。この世のものでない以上に基督教界のものでもありません。永遠の罰、永遠の償い――それをこの地上で想像することが出来るとしたら奇蹟です。なにしろ、過失が私たちから出るか出ないかに、もう、ほんの一つの視線、一つの合図、一つの無言の呼び掛けさえあれば、赦しは、天から、鷲のように舞い下りて来るのですからね。あゝ、生きている人間の中で一番不幸な者が、自分はもう愛さないと思っても、まだ愛する力はもっているのです。私たちの憎悪でさえ光輝を放っています。そして悪魔の中で一番苦しみの少い者でも、私たちが絶望と呼ぶものの中で、まるで光り輝く朝を迎えたように喜びに躍るでしょう。地獄は、奥さま、もはや愛さないことです。最早愛さないという文句はあなた方の耳には聞き馴れた文句のように響きます。最早愛さないということは生きている人間には愛の減ずること、愛が他に移ることを意味します。ところで、私たちの存在、存在そのものと切っても切れぬものに見えるこの能力が――理解することも一つの愛し方です――仮にも消え去るとしたら? 最早愛さず、最早理解せず、それでも生きるというのは奇蹟です! 私たち皆に共通な誤りは、地獄に堕ちた者たちに、彼らは最早時間の外にあり、運動の外にあり、永遠に固定させられているのに、なお私たちに属する何かを、私たちの不断の運動の一部を賦与することです。あゝ、もし神がこうした悲惨の者の一人《ひとり》の方へ私たちの手を取って導くならば、そしてその者がかつて私たちの一番親しい友であったとしたら、どんな言葉を私たちはその者に掛けるでしょう? 確かに、生きている人間、私たちの同胞が、――たといそれが皆の中で最後の者、卑しい者の中の卑しい者であるとしても、――この燃える冥界へ堕ちるとしたら、たとい彼と運命を共にしようと、私は彼を悪魔の手から奪い返しに行くでしょう。ですが、運命を共にすると言っても、かつては人間であったこの燃える石のまさに想像も及ばぬ不幸は、彼らが最早分け合う何物ももたぬということです。」
私は私の言葉をかなり忠実にこゝに記したと思う。これを読めば多少の感動は与えられるだろう。だが、私はいかにも要領悪く、くどくどと喋ったから、それは必ず滑稽に聞えたにちがいない。仕舞いの方はやっと聞き取れるか聞き取れぬくらいだった。私は疲れ切っていた。あの居丈高な婦人の傍らに、帽子をまさぐりながら、壁に背をもたせかけている私を見たら、誰だって、私を、弁明しようとして出来ないでいる罪人《ざいにん》だと思っただろう。(事実私はそれに違いなかったのだ。)夫人は異常な注意を以て私を見守っていた。――彼女は嗄れた声で言った。「過失は言訳にはなりません。……」私には彼女の言うことがまるであのすべての物音を呑み込んでしまう濃い霧をとおして聞えてでも来るように思われた。それと同時に、堪えがたい悲しみが私を襲った。おそらく私の生涯の最大の誘惑だったろう。その時神は私を助け給うた。私は突然頬に涙を感じた。彼らの悲惨のどんづまりに、瀕死の病人の頬に見る一滴の涙だった。夫人はその涙の流れるのを眺めていた。
――彼女は言った。「私の申上げたことが聞えまして? お分りになりまして? 私はこう申上げたのです。世の中にどんな過失も……」私は聞えなかったと答えた。夫人は私から眼を離さなかった。――「暫く御休息なさいまし。その御様子では十歩とお歩きにはなれないでしょう。私の方があなたよりはずっと元気ですわ。さあ、二人ともすっかり嗜みを忘れてしまいました。私たちは夢を見たのです。私はあなたを悪い方だとは思いません。自省なすったら、きっとこんな忌まわしい恐喝をお恥じになるでしょう。この世でもあの世でも、何物も、私たちが私たち自身よりも、命よりも、救いよりも愛したものから私たちを引離すことはできません。」――「奥さま、この世でも、ほんの軽い脳溢血か、それよりも僅かなことで、私たちが、かつて非常に親しかった人々を意識しなくなってしまうには十分です。」――「死は狂気ではありません。」――「なるほど死は私たちにとってもっと未知なものです。」――「愛は死よりも強いと、あなた方の本には書いてあります。」――「愛を発明したのは私たちではありません。愛には愛の秩序があり、愛の法則があります。」――「神はその主《あるじ》です。」――「神は愛の主《あるじ》ではありません、愛そのものです。もしもあなたが愛そうと思われるなら、愛の外《そと》に身を置いてはなりません。」夫人は両手を私の腕に掛けた。その顔は私の顔に殆ど触れんばかりだった。――「まあ、ひどい。あなたは私を罪人《ざいにん》扱いしていらっしゃいます。主人の不身持、娘の冷淡、反抗、それがみんな何でもないと仰有るんですか!」――「奥さま、私は司祭として、また、私に与えられる光に従って、お話しているのです。一時の昂奮に駆られて喋っているのだとお取りになっては間違います。いくら私が若くても、あなたの家庭のような、いやもっと不幸な家庭が沢山にあることを知らなくはありません。けれども或る者を見逃す悪も他の者をば殺すことがあります。ところで今あなたを、あなた一人だけを脅している危険を識ることを神は私にお許しになったように思われます。」――「まるで私がすべての原因のようですのね。」――「えゝ、奥さま、一つの悪い考えから長い間に出て来るものを誰も予め知ることは出来ません。考えにはよい考えと悪い考えとがあります。風が運び、茨が覆い、太陽が乾かす千の考えの中、唯一つだけが根を下ろします。悪と善との種子は到る処を飛び廻ります。甚だ不幸なことに人間の正義はいつも後手へ後手へと廻ることです。人間の正義は犯罪を抑圧し、或いは処罰しますが、それを犯した者より上へも遠くへも遡ることが出来ません。ところが私たちの隠れた過失は他の人々が呼吸する空気を毒します。そして或る人間が自分ではそれと気附かずにその種子を蔵していた罪は、そうした腐敗の原因がなければ、決してその実を結ばなかったでしょう。」――「それは狂気染みた考えです、不健全な考えです。」(夫人の顔色は真蒼だった。)「そんなことを考えたら、生きてはいられません。」――「そうです、奥さま。善の中に、また悪の中に私たちを互いに結びつけている連帯性の明瞭な観念をもしも神さまが私たちに与えられたとしたら、事実私たちは生きてはいられないでしょう。」
この数行を読んだら、人は、私が思い附くまゝに喋っていたのではなく、或る計画に従っていたのだと考えたろう。誓って言うが、決してそんなことはなかったのだ。私はただ自己を弁護していただけなのだ。
――「その隠れた過失、あなたの仰有るその果物についている虫というのが何か仰有って下さいませんか?……」と夫人は長い沈黙の後に言った。――「お委せなさらなければなりません……神さまの御旨に。心をお開きなさらなければなりません。」――死んだ男の子のことをもっとはっきりと言う勇気が出なかった。そこで、委せると言う言葉が夫人には意外だったらしかった。――「お委せするって、何をですの?……」と夫人は言ったが、彼女は突然覚った。
私は頑な罪人《つみびと》に時折出会うことがあるが、その大多数は一種の盲目的感情から神に楯突いているのであって、自分の悖徳を弁護する老人の顔に、拗ねている子供のような馬鹿げていて、しかも兇暴な表情を見出すことは寧ろ痛ましくさえある。だが今私は一箇の人間の顔の上に反抗が、真の反抗が、爆発するのを見た。それは空《くう》を見詰めた、ぼんやりとしたその眼差しによっても、またその口附きによっても表現されてはいなかったし、その頭《かしら》さえも、矜らしげに擡《もた》げられるどころか、肩の上に傾き、寧ろ眼に見えぬ重荷のためにかしいでいるように見えた。……冒涜の虚勢はこの悲壮な単純さとはおよそ掛け離れたものだった。まるで意志の突然の昂奮が、その燃焼が、あまりに激しい精力の消耗によって肉体を無気力にし、無感覚にし、疲れ果てさせているもののようだった。
――夫人は心臓を凍らせるような冷かな調子で言った。「お委せするって、それはどういう意味ですの? 私が少しもお委せしていないと仰有るの? もしも私がお委せしていなかったら、私はとうに死んでいたでしょう。お委せする! 私はお委せし過ぎていますわ。恥ずかしいくらいですわ(その声は、調子は高められずに、奇妙な、金属的な響きを帯びていた)。私はこれまでにも一度ならず、あの、ちょっとした坂道も登れないような繊弱《ひよわ》な女《ひと》たちを羨んだことがあります。ですが、私たちはひどく岩乗にできています。このやくざな体が忘れるのを妨げるには、私はこの体を殺さなければならなかったでしょう。でも、自殺は望んで出来るものではありません。」――「そんな意味のお委せを言っているのではありません、あなたにはよく御分りの筈です。」――「では何です? 私はミサにも行きます、御復活の務めも果します。私は宗教上の務めをすべて捨てることができたでしょう。私はそれを考えたことがあります。ですが、それは私には相応《ふ さ》わしくなく思われました。」――「奥さま、どんな冒涜もそのような言葉よりはましです。あなたの口から吐かれるその言葉には地獄のすべての冷酷さがあります。」夫人は壁に視線を凝《こら》して、口を噤んだ。――「どうしてそんな風に神さまをお扱いになるのです? あなたは神さまに心を閉して、しかもあなたは……」――「せめても、私は安らかに生きて来ました。私はあの時死んでいたのです。」――「今はもうそうはゆきません。」夫人は蝮のように首を擡《もた》げた。――「神さまは私に無関心なものになったのです。私が神さまを嫌っていることを私に承認させて、それが何の足しになるのです? 馬鹿らしい。」――「あなたは最早神さまを嫌ってはいらっしゃいません。嫌悪は無関心と軽蔑です。ところが今はもうあなたは神と面と向かい合っていらっしゃいます。」夫人は相変らず空間の一点を凝視して、答えなかった。
その時、何とも知れぬ危惧が私を襲った。その時までに私が言ったすべてのこと、夫人が言ったすべてのこと、この果《は》てしない会話が突然私には無意味に思われた。分別のある人間なら誰だってそうでないと判断したろう? 確かに私は嫉妬と傲慢とに狂った娘に誑《たぶら》かされ、その眼の中に、自殺を、自殺の意志を、壁に書かれた文字よりも明瞭に読み取ったと信じたのだ。それはその激しささえも怪しまねばならぬ無反省な衝動に過ぎなかったのだ。そして確かに、裁判官の前に引出された者のように私の前に立っていたこの婦人は、事実、あの、絶望の世にも残酷で、癒しがたく、非人間的な形である除《の》け者にされた人たちの悲惨な安けさの中に多くの歳月を生きて来たのだ。だがこのような不幸こそまさに司祭としては飽くまでも慎重に近附かねばならなかった種類のものなのだ。ところが私はこの凍った心を一《ひと》息に暖めようとし、神の慈悲がおそらくはまだ慈しみ深い闇の中に留めて置こうとせられる良心に最後の決定を迫ろうとしたのだ。どう言ったらいゝのだ? どうしたらいゝのだ? 私はまるで一《ひと》息に絶壁を攀じ登って、眼を開け、眼が眩《くら》んで立止り、登りも降《くだ》りもならなくなった人間のようだった。
その時だ――いや、それは言葉には表わせぬ――私が全力を挙げて疑惑に対し、危惧に対して闘っていた時、祈りの精神が私の心に戻って来た。誤解しないで欲しい。この異常な会話の始めから、私は軽率な信者たちがこの言葉に与えている意味では決して祈ることを止めはしなかった。排気鐘の下の憐れな動物が空しく呼吸作用を営んでいる。と、突然、新鮮な空気が音を立てゝその気管に流れ込み、既に萎《な》えきっていた肺臓の微妙な組織を膨らませ、動脈は真赤な血の最初の注入に震え――全身はまるで風を孕んだ帆をはためかす船のようだ。
夫人は、頭を両手で抱えて、肱掛椅子にぐったりと腰を下ろした。破れた被頭《かつぎ》が肩にかゝっていたが、それを静かに取除けて、足許に投げ捨てた。私は彼女の動作を一つも見逃さなかったが、しかも、私はこの小さい客間に、私も彼女も二人ともいないような、部屋は空《から》のような奇妙な印象を受けた。
私は夫人が銀の質素な鎖の端に下げた小さい胸飾りを胴著の胸許から取り出すのを見た。そして相変らず、どんな激しさよりも無気味な穏かさで、彼女はその蓋を爪で押し開けた。ガラスが敷物の上に転ったが、そんなことには頓著しなかった。彼女の指の間には一撮みの金髪が留まった。それはまるで一片《ひら》の金の削り屑のようだった。
――「あなたは私をお咎《とが》めでしょう……」と夫人は言い出したが、直ぐに彼女は私が理解したことを、何も咎めはしないことを私の眼の色で読んだ。――私は言った。「我が娘よ(この言葉がおのずと口を突いて出た)、神さまに対して駆引があってはなりません。無条件でお委せしなければなりません。すべてをお献げなさい。神さまはそれ以上を返して下さいます。私は予言者でも、占い者でもありません。私たち皆が行く処から、御主《おんあるじ》のみ一人《ひとり》帰って来られました。」夫人は抗弁しなかった。彼女はたゞ前よりも僅かばかり床《ゆか》の方に身を屈《かが》めた。そして、一言《ひとこと》毎に、私は彼女の肩が震えるのを見た。――私は続けた。「けれども私が断言出来ることは生者の国も、死者の国もないということ、あるのはただ神の国だけで、生きていようと死んでいようと私たちは皆その中にいるということです。」私は以上の言葉を口にした。私は他の言葉を口にすることが出来たかも知れない。だが、そんなことはその時どうでもよかった。私には、或る不思議な手が、何か知れぬ眼に見えぬ壁に裂け目をつけ、安けさが四方からそこへ入り込み、そこに充ち溢れるように思われた。それは地上では知られぬ安けさ、深い水のような死者たちの安けさだった。
――夫人は驚くほど変った、だが落ち著いた調子で言った。「私にもはっきり分るように思われます。つい今しがた私が考えたことがお分りでしょうか? こんなことはお打ち明けすべきではないかも知れませんが、まあ思い切って申上げましょう。この世界にしろ、他の世界にしろ、何処か神さまのいらっしゃらない所はないかと、――たといそこで永遠に絶えず数限りのない死の苦しみを味わおうと――私はそこへ連れていって……(夫人は死んだ男の子の名を口にする勇気がなかった)そして私は神さまに言うでしょう。私たちを押し潰すなと何なと思う存分になさいと。こんなことはあなたにはきっと恐ろしく思われるでしょう?」――「いゝえ、奥さま。」――「それはまたどうしてですの?」――「それは、奥さま、私も亦時々……」私は仕舞いまで言うことができなかった。老い疲れた、しかも不屈な眼差しを、私が読むことを惧れた眼差しを、私の眼に注いだデルバンド先生の面影が私の前にあった。そしてまた同時に、あんなにも多くの人間の胸から絞り出された呻き、溜息、啜り泣き、喘ぎを私は聞いた、いや私は聞いたように思った。――搾木《しめぎ》に掛けられた我々憐れな人類、あの無気味な呟き……――「よくもまあ、無心な子供まで……あなたは子供の死ぬところを御覧になったことがおありになりまして?」と夫人はゆっくりした調子で言った。――「いゝえ、奥さま。」――「あの子はおとなしく小さい手を合わせ、真面目な様子をして、そして……そして……私は、たった今飲ませようとしたのです。あの子の皹《ひゞ》破れた唇にはまだ乳の一《ひと》滴が……」夫人は木《こ》の葉のように震え出した。私は神とこの苦しんでいる婦人との間に唯一人立っているように思われた。胸は早鐘を撞くようだった。でも御主《おんあるじ》は立ち向う勇気をお与え下さった。――私は言った。「奥さま、もしも私たちの神が異教徒か、哲学者の神(私にとっては、それは同じものだった)であるとしたら、神がいくら最上天に隠れようと、私たちの不幸はそこから神を投げ落すでしょう。ところが私たちの神は先に向こうから下りて来られたのです。拳を振り上げ、その顔に唾《つばき》し、鞭打ち、最後に十字架に掛けるなり、何なりと出来るでしょう。我が娘よ、それは既になされたのです。……」夫人はその時もまだ手にしていた胸飾りを眺める勇気がなかった。それを彼女がどうするか、私は全然考えていなかった。夫人は言った。「あの文句を……あの、地獄について仰有ったことをもう一度繰返して仰有って下さい。それは最早愛さないということでしたね。」――「そうです、奥さま。」――「もう一度仰有って下さい。」――「地獄、それは最早愛さないことです。この世に生きている限り、私たちは幻を描くことが出来ます。自分たちは自分たちの力で愛しているのだ、神の力を藉りずに愛しているのだと思うことが出来ます。ですが私たちは水に映る月影に手を差し出す狂人に似ています。御免し下さい、私は自分の思っていることをうまく言い表わすことができません。」夫人は奇妙な微笑を浮かべたが、その微笑も引《ひ》き攣《つ》ったその顔を綻《ほころ》ばすことはできなかった。それは悲しい微笑だった。夫人は片手で胸飾りを握り締め、片手の握り拳を胸にかたく押し当てゝいた。――「私は今どう申したら宜しいのでしょう?」――「御国《みくに》の来らんことをと。」――「御国の来らんことを!」――「御意《みむね》の行われんことを。」――夫人はなおも片手を胸にしっかりと押し当てたまゝ突然立ち上った。――私は叫んだ。「ねえ、それはあなたが幾度となく唱えた言葉です。今それをあなたは心の底から唱えなければなりません。」――「あの時から、私は主祷文(訳者註。キリスト自ら教えた祈祷。路可書二ノ一―四参照。カトリック信徒は日々これを唱える。「天に在す我等の父よ、願わくば御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御意の天に行わるゝ如く地にも行われんことを。我等の日用の糧を今日我等に与え給え。我等が人に赦す如く、我等の罪を赦し給え。我等を嘗試(こゝろみ)に引き給わざれ、我等を悪より救い給え。」)を一度も唱えません。……もとよりあなたは、そのことを御存じです。あなたは聞かない前から何でも御存じです。」と、両肩を聳やかしながら、そしてこんどは腹立たしげに夫人は言った。それから彼女は、後になってやっとその意味が私に分った或る身振りをした。夫人の額は汗で光っていた。――「言えません。私にはあの子をもう一度失うような気がします。」と彼女は呻くように言った。――「今あなたがその来らんことを願われた御国はあなたのものでもあり、亡くなられたお子さんのものでもあります。」――「では、その国の来らんことを!」その眼差しは私の眼に注がれた。そして私たちはそのまゝ暫くじっとしていた。やがて彼女は言った。――「私はあなたにお委せします。」――「私に!」――「えゝ、あなたに。私は神さまに背きました。私は神さまを憎まずにはいられませんでした。そうです。今考えれば、私はこの憎しみを心に懐いたまゝ死んだでしょう。ですが、私はあなたにだけお委せします。」――「私はあまりに詰らぬ人間です。あなたは孔のあいた手に金貨を置かれるようなものです。」――「一時間前までは私の生活は大変よく秩序立っているように見えていました。夫々の物が夫々の場所にありました。それをあなたはすっかり覆してお仕舞いになりました。」――「そのまゝのあなたの生活を神さまにお献げなさい。」――「私はすべてを与えるか、でなければ何も与えたくありません。私たちはそういう質《たち》の女です。」――「では、すべてをお与えなさい。」――「いゝえ、あなたにはお分りになりません。あなたは私をもうすっかり従順になったものと思っていらっしゃいます。まだ私に残っている傲慢だけでも十分あなたを地獄に堕とすでしょう。」――「あなたの傲慢もその他《ほか》のものと一緒に皆お献げなさい。」この言葉を口にするかしないに、私は夫人の眼に何とも知れぬ光が浮かぶのを見た。が、それが何であれ、妨げるにはすでに遅かった。夫人は燃え盛る薪の真唯中へ胸飾りを投げ込んだ。私は膝を突いて、手を火の中へ突き込んだ。私は熱さを感じなかった。一瞬、私は小さい金髪の束を摘んだように感じたが、それは私の手を離れて、真赤な燠《おき》の中へ落ちた。私の背後には私が振り返る勇気が出なかったほどの恐ろしい沈黙が支配した。袖の布《きれ》は肱まで焦《こ》げていた。
――私は口籠りながら言った。「なんということをなさったのです。無茶な!」夫人は壁の方へ身をしざって、そこに背と両手とを凭《もた》せていた。――「御免なさい。」と夫人は慎《つゝ》ましやかに言った。――私は応えた。「あなたは神さまを残忍な者とお思いなのですか? 神さまは私たちが私たち自身を憐れむことをお望みです。しかも私たちの苦しみは私たちには属していません。神さまはそれをお引受けになっていらっしゃいます。それは神さまのお心の中にあります。求めて苦しむためにそれをそこへ尋ねてゆくことは許されません。お分りですか?」――「してしまったことはしてしまったことです。もう、どうにもなりません。」――「平安の裡にあれ! 我が娘よ」そう言って、私は彼女に祝福を与えた。
私の指からは少し血が流れ、皮膚があちらこちら火膨れになっていた。夫人はハンカチーフを裂いて、私の手に繃帯をして呉れた。私たちは一《ひと》言も言葉を交さずにいた。彼女の上に呼び求めた平和が私の上に降《くだ》っていた。しかもそれは、どんな人物の存在もそれを乱すことができないほど単純な、平常なものだった。そうだ、私たちは、どんなに注意深い者でも、最早既に私たちに属していなかったその秘密を少しも嗅ぎつけることができなかったほど静かに日常の生活に帰っていた。
夫人は翌日彼女の告解を聴くことを私に求めた。私は、自分も絶対に沈黙を守ることを約束した上で、私たちの間に起こったことを誰にも洩さないことを夫人に約束させた。「たとい何事が起ころうとも」と私は言った。この言葉を口にしながら、私は胸が迫るのを感じ、悲しみが再び私を涵《ひた》した。御意《みむね》の行われんことを!
私は十一時に伯爵邸を辞し、直ぐにその足でドンバアルへゆかなければならなかった。帰りに、私は、殆ど気附かぬぐらいのゆるい傾斜を為して海の方へ降っている平原地帯を見渡すことのできる森の角で立ち止まった。私は村で少しのパンとバタを買っていったが、それを甘《うま》く食べた。私の生涯の各々の決定的試煉の後でのように、この時も亦私は、一種の麻痺状態を経験していた。それは思考力の麻痺で、不愉快なものではなく、寧ろ心の軽やかさ、幸福の奇妙な幻覚を与えるものだった。どんな幸福か? それは言えない。目鼻のない喜びだ。起こるべきものが起こって、過ぎ去ってしまった、それだけだ。私は遅く帰宅して、道でクロヴィスと行き会った。彼は私に伯爵夫人が届けて寄越した小さい包を渡した。私はそれを開ける決心がつかずにいたが、しかも何が入っているか私には分っていた。それは鎖の切れた、今は空《から》になったあの胸飾りだった。
一通の手紙が添えられてあった。こゝにそれを写して置く。奇妙な手紙だ。
神父様、どんな状態にあなたが私を陥れられたか、あなたには到底御想像もつかないと存じます。しかしこんな心理問題にあなたは何の興味もお持ちではないでしょう。どう申したらよいでしょう? 或る幼児の絶望的な思出が私をすべてのものから遠去け、恐ろしい孤独に陥れていました。ところがもう一人の子供が私をその孤独から救い出しました。このようにあなたを子供扱いして、気にお障えにならないで下さい。でも、確かにあなたは子供です。神さまが永久にあなたをそのまゝにお保ち下さいますように!
私は何をあなたが私になさったか、またそれをどういう風になさったかを考えます。いえいえ、私はもうそれを考えません。すべてはこれでいゝのです。私は諦めが可能だとは思っていませんでした。事実、来たものは諦めではありません。それは私の性質にないものです。その点で私の予感は誤ってはいませんでした。私は諦めてはいません。私は幸福です。私は何も望みません。
明日《あした》はお待ちにならないで下さい。私はいつものようにX…神父さまに告解しに参ります。出来るだけ真剣に告解するように努めます。が、また出来るだけ慎重に。ねえ、そうでございましょう? と言っても、事は至極簡単です。「私は十一年前から二六時中、望徳に反する罪を故意に犯しました。」と言えば、それで全部を言ったことになるのです。望徳! 私はそれを三月の淋しい風の晩に私の腕で死なしたのです。……私はその最後の息を、私の頬の、こゝに感じました。今それが戻って来ました。今度は貸されたのではなく、与えられたのです。ほんとうに私のもの、私だけのものである希望、それは、愛という言葉が愛されている者と違うよりももっと哲学者が希望と呼ぶものとは違っています。私の肉の肉といったような希望です。それは私には言い表わせません。幼児の言葉が必要です。
以上のことを私は今日《きよう》の中にあなたにお伝えしたいと思いました。是非そうしなければならなかったのです。それから、もうこれぎり、永久に、この話はしないのでしたわね。永久に! この言葉は快い言葉です。書きながら、私はそれをそっと口にしてみました。それは、私があなたから受けた平和を世にもいみじく表現しているように思われます。
私はこの手紙を私の持っている『キリストの模倣』(訳者註。聖書に次いで最も広く読まれたトマス・アケンピスの著とされる十五世紀の有名な信心書。邦訳浦川和三郎訳「イミタチオ・クリスチ」)の頁の間に挟んだ。それは母の持っていた古い本で、母が昔風にリンネル類の箪笥に入れていた香袋《においぶくろ》のラヴァンドの香《か》が今もしている。母は滅多にこの本を読まなかった。字が細《こまか》い上に、いかにも紙が薄いので水仕事で荒れた手には頁が繰り難《にく》かったからだ。
永久に……最早永久に……それは何故だろう? だが、この言葉はなるほど快い。
眠い。瞼が自然にくっついてしまうので、聖務日祷を終えるために起《た》って部屋の中を歩き廻らなければならなかった。自分が今、幸福か、不幸か、私には分らない。
六時半
昨夜伯爵夫人が逝去《なくな》った。
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――私はこの嫌な日の最初の幾時間を反抗に近い気持で過ごした。反抗は即ち理解しないことだ。ところで私には理解できないのだ。最初は我々の力に余るように思われる苦痛にも存外我々は堪えられるのだ――誰が自分の力を知っていよう? だが、何の役にも立たないで、皆の邪魔にばかりなっている自分を私は不幸の裡にも滑稽に感じた。あまりの心苦しさに私は渋面を作らずにはいられなかった。私は憐れみを乞うような泣笑いを浮かべて、苦しみよりは惧れによって歪《ゆが》んだ顔を鏡の中や窓硝子の面に見た。あゝ!
皆がそれぞれ出来るだけ用を足している中で、私だけがたゞ一人まごまごするばかりで、結局皆から除け者にされてしまった。伯爵はてんで私を相手にしなかったし、またシャンタル嬢は私を見て見ぬ振りしていた。さて事は午前二時頃に起こったのだった。夫人は寝台から滑り落ち、その拍子に、卓の上に置いてあった目覚し時計を落した。だがもちろん屍体を発見したのはずっと後のことだった。すでに固くなっていた左腕《ひだりうで》は心持曲げられていた。夫人は数ケ月前から多少体の具合が悪かったが、医者はそれを大して問題にはしていなかった。疑いもなく狭心症だった。
私は駆けて、汗みずくになって伯爵邸に著いた。私は何か自分にも分らぬものを期待していた。部屋の閾際で私は入るのに非常な努力、馬鹿らしいまでの努力をした。歯がかちかち鳴った。では私はそれほど臆病なのだろうか? 夫人の顔には薄布が掛けてあって、目鼻立は殆ど見分けられなかったが、布にくっついている唇だけは、はっきりと見えた。私は、夫人が微笑していることを、あの、彼らの不思議な沈黙とよく調和している死者たちの不可解な微笑を泛べていることを心から望んでいた。……だが、夫人は微笑してはいなかった。右に引かれたその口は冷淡の、軽蔑の、いや殆ど無視の色をさえ泛かべていた。祝福のために手を上げる私の腕は鉛のように重かった。
奇妙な廻《めぐ》り合わせから、喜捨集めの二人の修道女が前日伯爵邸へやって来たのだったが、伯爵は彼女たちの村廻りが済んだら、今日《きよう》馬車で駅まで送ってやろうと申し出たのだった。だから二人は伯爵邸へ泊ったのだった。さて修道女たちは其場に居合わせたが、無細工な泥だらけの靴を穿いて、だぶだぶの服を著た彼女たちはいかにも小さく見えた。私の態度が怪訝《けげん》だったのか、二人がかわるがわる盗み見るので、私は気持ちを落ち著けることができなかった。たゞ鳩尾《みずおち》だけが焼けるようで、体全体は氷のように冷たかった。私は今にも倒れるかと思った。
が、漸く、神さまのお助けで、祈ることができた。今私はいくら我れと我が身に省みて見ても、何ら悔いるところがない。何の悔いるところがあろう。いや、そうではない。私は昨夜《ゆうべ》寝ないで、今は最後のものとなったあの対話の思い出をもう数時間そのまゝに保つことができたろうにと考える。しかもそれはまた最初の対話でもあったのだ。最初の、そして最後の。私は、自分が幸福なのか、不幸なのか、と書いたが、……なんて馬鹿だったのだろう! 私は今、或る存在によって、或る眼差しによって、或る生命によって満されたあんなにも充実した、あんなにも快い幾ときかをかつて経験したことがないことを、またこれからも永久に経験することがないであろうことを知った。ところが、昨夜《ゆうべ》、私は、秘密をよく守って呉れる信用の置ける友達にでも預けるように、例の手紙をその頁の間に挟んだあの古い本を両掌《て》に握りしめていた。そしてあんなに早く失ってしまうものを、殊更眠りの中へ、夢のない暗黒な眠りの中に葬ってしまった。
もうお仕舞いだ。生者の思出は消えて、神がその上に手を置き給うた死者の俤しか記憶には留まらないだろう。私が盲人のように手探りでその中を進んだあんなに偶然な事情の何が私の精神に留まるというのだ? 御主《おんあるじ》は証人を必要とし給うた。そこで、他に適当な者が居合わせなかったので、行きずりの者が呼び止められるように私は選ばれた。私が役割らしい役割を演じたと考えるのはよほどどうかしている。あの、一箇の霊魂の、希望との和解、あの厳かな婚姻、に立ち会う恵みを神が与え給うただけでもすでに過分のことだ。
二時頃、伯爵邸を辞し去らなければならなかった。それから、今は恰度《ちようど》学期試験の最中なので教理問答の授業が思いの外に長引いた。是非伯爵夫人の傍らで通夜をしたいと望んだのだが、例の二人の修道女が相変らずその場に居たし、伯爵の伯父に当るラ・モットブウヴロンの司教座参事さんが彼女たちと一緒に通夜することに決めていた。で、私は強いて言い張ることができなかった。それに伯爵は殆ど敵意に近い不可解な冷淡な態度を依然として示している。どうした訳だろう?
同じように私に対してあきらかに不快を感じているらしいラ・モットブウヴロンの司教座参事さんは、私を脇へ呼んで、昨日《きのう》の私たちの対話の間に伯爵夫人が何か彼女の健康について言及しなかったか尋ねた。それとなく、話すように促したものだと言うことはよく分った。だが、果して話すべきだったろうか? いや、そうは思われない。話す段になったらすべてを話さなければならない。ところでかつても私のものでは全然なかった伯爵夫人の秘密は、今となっては尚更私のものではない、いや、もっと正確に言うならば、それは永久に私から盗まれてしまった。無理解、嫉妬、更に憎悪がそれをどう利用するか私には想像もつかない。だが、これらの兇悪な敵がもはや意味を失った今、それらの思出を呼び起こす危険を冒したところで何になろう? だが、それは単に思出として片附けることは出来ない。それらはまだ長く生き続けそうに思われる。それらは死もまた必ずしもその武器を捨てさせることのできないものだ。その上、私が聴いた告白は、もしも私がそれを伝えたら、長年の怨みを正当化するように見えはしないだろうか? 令嬢はまだ若い。そして私は、若い時の印象がどんなに執拗で、消し難《にく》いものであるかを、経験によって知っている。……ともあれ私は、夫人は家族の間に和解が成立することを希望していたと参事さんに答えた。参事さんは無愛想に言った。「ほゝう? で、神父さん、あなたはあの女の聴罪司祭だったのですか?」――「いゝえ。」と私は答えたが、彼の調子は、正直に言って、私には多少不愉快だった。――「奥さまは神さまのお前に出る用意をしておられたように思います。」と私は附け加えた。参事さんは妙な様子で私を眺めた。
私は最後にもう一度部屋へ入った。修道女たちは念珠《コンタツ》を繰り終えようとしていた。友人や親戚が持って来た花束が壁に沿って積み上げられていた。彼らは終日跡を断たず、その殆ど嬉しそうなざわめきが家中を満たしていた。引切りなしに自動車のヘッドライトが窓硝子をぱっと照らし、並木道の砂利が軋り、運転手の声や、警笛の音が上って来るのが聞えた。だが、それら一切のものに拘らず、修道女たちのまるで糸車の音のような単調な呟きは絶えなかった。
陽の光よりも、蝋燭の光は却って薄布越しに夫人の顔を露わにしていた。僅か数時間の間にそれはすっかり穏かになり、緊張を解き、閉じた瞼の周りの大きくなった隈《くま》は物思わしげな表情を添えていた。それは確かに相変らず自尊心の強い、尊大にさえ見える顔だった。だが、それは長い間睨み合っていた相手の顔を避けて、底知れぬ無限の瞑想に次第に沈んでゆくもののように見えた。どんなにそれは我々の手の届かぬ、遠いところへいってしまったことだろう! ふと、いかにもほっそりした、顔よりもなお一層死の刻印がそこにはっきり捺された、その組合わされた手が眼に入ったが、そこに私は、昨日《きのう》夫人が胸飾りを胸に押し当てゝいた時に私が気附いたあの小さい擦り傷を認めた。水絆創膏の薄い膜がまだそこについていた。なぜとも知れず、その時、私は胸も張り裂ける思いがした。夫人が私の眼の前で行った闘争の、夫人が力尽き乍らも遂に敗れずにそこから脱出したあの永遠の生命のための激しい戦の思い出がまざまざと記憶に甦り、私は気も遠くなる思いだった。なぜ私はあのような日に、翌《あく》る日のないことを、また私たちがともにこの眼に視ゆる世界のいや果てに、光の深淵の岸に、立ったことに気附かなかったのだろう? よくも私たちはともにその深淵に落ち込まなかったものだ! 「平安の裡にあれ」と私は言った。そして夫人はその平安を跪いて受けた。それを彼女の永遠に保たんことを! それを彼女に与えたのはこの私だ。自ら所有しないものをこのように贈ることができるというのは何という驚異だろう! あゝ、我らの空虚な手の快い奇蹟! 私の心に枯れていた希望は彼女の心に花咲き、私が永遠に失ったと信じていた祈りの精神を神は彼女に与え給うたのだ。しかもおそらくは私の名に於て。……では、それをも彼女の保たんことを! すべてを彼女の保たんことを! 今私は奪われてこゝにいます、主よ、なんとあなただけが奪うことを知っておられることでしょう! なぜなら何物もあなたの恐るべき要求を、あなたの恐るべき愛を、逃れることはできないからです。
私はモスリンの薄布を取り除け、沈黙に満ちた高い清い額を撫でた。憐れむべき一介の司祭である私は、この、昨日《きのう》まで年齢に於いても、家柄に於いても、財産に於いても、精神に於いても、私より優《すぐ》れていた婦人の前で、父性のいかなるものであるかを悟った。
伯爵邸を出る時、私は廊下を通らなければならなかった。客間の扉も、食堂の扉もいっぱいに開かれてあった。そこには弔問者たちが食卓の周りに集って、帰宅する前に大急ぎでサンドウィッチを頬張っていた。これがこの地方の習慣だった。家族の一人《ひとり》が通りかゝると口を食物で一杯にし、頬を膨ませて、慌てゝ悲哀と同情との様子を装おうと骨折る者もあった。年取った夫人たちが特に――遠慮なく言えば――がつがつしているように見えた。シャンタル嬢は私に背を向けた。そして私は通りがゝりに人々の囁きを聞いたように思った。私の噂をしていたらしい。
私は今しがた窓に肱をついたばかりだ。自動車の列が彼方《かなた》に響き、祭のようなどよめきが低く伝わって来た。……埋葬は土曜だ。
・・・今朝《け さ》早く伯爵邸へ行った。伯爵は悲嘆に暮れていて、会えない、ラ・モットブウヴロンの司教座参事さんが午後二時頃葬式の打ち合わせに司祭館へ来るという返事だった。どうも様子が変だ。
例の二人の童貞さんは私の顔色がひどく悪いと言って、私の知らぬ間《ま》に、給仕にポートワインを命じて呉れたが、私はそれをうまく飲んだ。平素は叮嚀で慇懃でさえあるクロヴィス爺さんの甥に当るその給仕は私の言葉にひどく冷い受け応《こた》えをした。(大家《たいけ》の召使たちというものは私のような人間の、もとより気の利かぬ親しさを好まぬものである。)ところで昨夜《ゆうべ》彼は夕食の給仕をしたから、きっと何か小耳に挟んだのにちがいない。それにしてもどんなことを聞いたのだろう?
昼食をし、上服を更え(雨がまた降り出した)、そして数日前からひどく散らかっている部屋を少し片附けるためにわずか三十分の暇《ひま》しかなかった。私に対してすでにあまり好感を持っていない司教座参事さんにこれ以上悪い印象を与えたくない。だからこんな文章を書いているより、他にすることがありそうに思える。が、今は殊更この日記が私には必要に感じられるのだ。この日記に費す僅かな数時間だけが私が自分の内部をはっきりと見る意志を多少なりとも感じる唯一の時間だ。熟考がひどく困難になり、記憶――と言っても、近い事実の記憶で、遠い事実の記憶ではない――がひどく悪くなり、想像力もひどく鈍ったので、残念乍ら祈りによってもそれから脱け出ることのできぬ一向形の定まらぬ漠とした妄想を振り払うには仕事に忙殺されているのが一番だ。手を休めると直ぐに、記憶の全視野を乱し、過ぎ去った日々を指標もなければ道路もない霧の中の風景化してしまう半睡状態に陥るように感じる。朝夕忠実に記すことによって私の日記はこの曠野に道標《みちしるべ》を立てる。そして、私は分教会から分教会への単調な、ひどく草臥《くたび》れる巡回の途中、例の癖の一種の眩暈《めまい》に陥りそうな時、それを読み返して見るために、最近書いた数頁をポケットに忍ばせることがある。
こうしたものとしてのこの日記は私の生活にあまりに多くの場所を占め過ぎているだろうか?……私には分らない。神のみ知り給う。
・・・ラ・モットブウヴロンの司教座参事さんは今しがた帰って行ったばかりだ。想像していたところとはひどく違った神父さんだ。なぜもっとはっきり率直に話してくれなかったのだろう? あの人はそれをきっと望んでいたのだろうが、あんなに端正な社交人というものは心を動かされることを明らかに惧れている。
私たちは先ず葬式の打ち合わせをした。伯爵はそれができるだけ体に適ったものであることを――夫人が度々洩らした希望に従ってと伯爵は言明したそうだが――望んでいるとのことだった。さてその打ち合わせが済むと、私たちはかなり長い間二人とも沈黙していた。私はひどく気詰まりだった。参事さんは、天井に眼をやって、厚い金皮時計の蓋を無意識に開け閉《た》てしていた。やがて参事さんは言った。「甥のオメエル(伯爵の名を私はその時初めて知った。)が今日《きよう》の午後特にあなたにお会いしたいと望んでいることを予めお知らせしなければなりません。」私は香部屋係りに四時に幕を張りに来るように命じてあるから、それが済んだら直ぐに伯爵邸へゆくと答えた。「いやいやあれの方からあなたをお訪ねするのだ。あなたは伯爵邸附きの司祭ではないからね。それからできるだけ気を附けて、あなたの所管事項についてあれと議論などなさらんように呉々も御注意申上げて置く。」――「どんな事項ですか?」参事さんは答える前にしばらく考えた。――「あなたはこゝで甥の娘にお会いになったね?」――「はい、シャンタル嬢は私に会いにこゝへ見えました。」――「あれは危険な、手に負えぬ性質の娘です。あれはきっとあなたの心を動かしたにちがいないと思うが?」――「私はお嬢さまを残酷に扱いました。いやむしろ侮辱したと思います。」――「あれはあなたを憎んでいる。」――「私はそうは思いません、参事さん。多分あの方は私を憎んでいると想像しておられるのでしょう。これは同じことではありません。」――「あなたはあれの上にいくらかの影響力を持っていると思っていられるようだが……」――「いゝえ、決して、あの時私はそうは思っていませんでした。ですがあの方は私のような憐れむべき男が或る日あの方に抵抗したということを、また神さまは欺くことができないということを、おそらくはお忘れにならないでしょう。」――「あれはあなたとの対話についてまるで違ったことを言っている。」――「それはあの方の御勝手です。お嬢さまは矜持の強い方です。あの方は御自分の嘘を遅かれ早かれ必ずお恥じになるにちがいありません。あの方は恥じる必要があるのです。」――「ではあなたは?」――「あゝ、私ですか? この顔を御覧下さい。神さまが何かのためにそれをお造りになったとしたら、それはこの頬を打たれるためにです。私はまだ頬を打たれたことがありません。」その時ふと参事さんの視線は半ば開いたまゝになっていた厨の扉に注がれた。そして参事さんは、私の食事の残りのパンと林檎(昨日《きのう》一《ひと》籠商人がそれを持って来て呉れたのだ)と半分以上空になった葡萄酒の瓶の載っている防水布の掛かった私の食卓を見た。――「あなたはあまり健康に注意なさらんね?」――「私の胃はひどく気紛れで、パンと果物と葡萄酒ぐらいのごく僅かな物しか消化しないのです。」――「見受けたところ、葡萄酒はあなたには害はあっても益はないようだ。健康の幻覚は健康ではない。」私はその葡萄酒が猟番の寄越した古ボルドオ酒であることを一生懸命説明した。参事さんは頬笑んだ。
参事さんは対等の、いや殆ど謙譲なと言っていゝほどの調子で言った。「主任神父さん、教区の統制についてどうも我々は共通な考えを懐いていないらしいようです。しかしあなたはこの教区の支配者だ。あなたはその資格を有して居られる。あなたのお話を伺うだけで十分だ。私は一生の間あまり屡々人に従って来たから、真の権威については、それを何処に見出そうと、多少の意見を懐かずにはいられません。あくまで慎重にあなたの権威を行使なさい。あなたの権威は或る人々の霊魂に対しては非常に大きいようです。私は老司祭です。私は神学校の教育がどれほど人々の性格を平均し、残念なことに屡々共通な凡庸の中へ溶かしこんでしまうものであるかを知っています。ところがその教育があなたには全然影響することがなかった。そこであなたの力の原因はまさにあなたが他の司祭たちとどれほど異っているかを自覚しないこと、いや敢えて自覚しようとしないことにあるのです。」――「おからかいになっているのでしょう」と私は言った。だが、私は、奇妙な不安に襲われ、そのぞっとするほど平静な、何とも名状しがたい眼差しの前に体が震えるのを感じた。――「主任神父さん、問題なのは自己の権力を知ることではなく、それを行使する仕方です。なぜならそれこそ人間を男にするものだからです。かつて行使されない権力や、中途半端にしか行使されない権力が何になりましょう? 重大な場合にもそうでない場合にもあなたはあなたの力をありったけ注《そゝ》ぎ込んでしまう。もちろん自分ではそれと気附かずにだが。それであなたの場合万事はよく説明がつきます。」
参事さんはそう言いながら机の上の一枚の紙を取って、ペン軸とインキ壺とを引き寄せた。――「私はあなたと……それから故人との間に何が起こったか別に知る必要はありません。だが馬鹿げた、しかも危険な蔭口は早々根を絶ってしまいたいと思います。甥は中々の策師ですし、司祭さんはお人がよいからあれを一かどの人間に見ておられます、一昨日《おとゝい》のあなた方の話の内容を掻い抓んで書いて見て下さい。何もそう正確である必要はありませんし、もちろん(参事さんは言葉に力を入れた)単にあなたの司祭としての責任……これは言うまでもありませんが……の上からばかりでなく、あなたの単なる慎しみにかけても、打ち明《あ》けられた事柄は何も明かされる必要はありません。それにこの紙片《しへん》は司教さんのお目にかけるため以外には私のポケットを去《さ》らせません。とにかく私はつまらん噂に用心するのです。」――私が答えなかったので、参事さんはもう一度、わざと光を消した生気のない眼でじっと私を見据えた。顔の筋一つ動かなかった。――「あなたは私を疑って居られる。」と落ち著いた、自信のある、有無《うむ》を言わさぬ調子で参事さんは再び言った。私は、そのような対話が報告の対象になり得るということが分らないし、誰もそれを傍らで聴いていたものはなかったし、従ってそれを口外することを許すことのできるのは伯爵夫人だけだったろうと答えた。参事さんは両肩を聳やかした。「あなたは官僚精神というものを知らない。私によって提出されるあなたの証言は感謝を以て受理されるでしょう。そしてそれは整理戸棚に収められ、誰ももうそれについては考えないでしょう。でなければ、あなたは無益な口頭の説明で躓かれるだろう。なぜならあなたには決して彼らの言葉を話すことができないからだ。あなたが二に二を足せば四になると言っても、それでも彼らはあなたを狂人扱いするでしょう。」私は黙っていた。参事さんは私の肩に手を置いた。「では、まあ、今日《きよう》はこれで止めにしましょう。できたら明日《あ す》もう一度お目にかゝりたいと思います。実を言えば甥の訪問に対して予めあなたを準備するために私は来たのですが、それが何になりましょう? あなたは何も言わぬために喋《しやべ》ることのできる人ではない。ところが不幸にしてその必要があるのです。」――「それにしても私はどんな悪いことをしたのです? 何を人は私に非難するのです?」と私は叫んだ。――「あなたがそういうあなたであることだ。しかしこれはどうにもならないことだ。仕方がありません。あの人たちはあなたの単純さを憎んではいない。たゞそれに対して身を守るだけだ。それは彼らを焼く火のようなものだ。あなたは赦しを求める憐れな慎ましい微笑を浮かべながら、あなた自身は牧杖と思っているらしい炬火《たいまつ》を手にして人々の間を歩き廻る。十度に九度まで、彼らはそれをあなたの手から奪い取って、踏み蹂るだろう。だがちょっと油断すれば身を焼かれるのだ。お分りだろう。だいたい、率直に言って、私は亡《な》くなった姪にはあまり感心していなかった。トレヴィルソムランジュの女たちは代々変った人間ばかりで、悪魔だってあれらの唇から溜息を、あれらの眼から涙を引き出すことは容易でないと思う。甥に会って、あなたの思うとおり話して御覧なさい。たゞあれが馬鹿者だということは忘れないように。家名とか爵位とかそういったくだらんものは決して眼中に置かれんように。どうもあなたはそういったものをあまり重んじ過ぎて居られるように思う。ねえ、貴族らしい貴族なんてもういないのだ。それをよく頭に置いておかれるように。私の若い頃にはまだ一人や二人はいた。可笑《おかし》な男たちだったが、ともかくも性格はひどくはっきりしていた。彼らはあの、日本人が小さい鉢で育てる二十センチほどの〓を聯想させた。その小さい鉢というのは我々の慣例や風習だ。法律が万人に平等になり、与論が審判者となり主人となってからは吝嗇の知らず識らずの浸蝕に抗し得る家は一軒もない。今日《こんにち》の貴族は恥ずべき町人だ。」
私は参事さんを扉口まで送って行き、更に道路を二三歩一緒に歩いた。参事さんは率直と信頼との衝動を私に期待していたらしいが、私はむしろ沈黙を選んだ。私はその時不快感を到底抑えることができそうになく感じたし、しかもそれを、時々静かな好奇心を以て私に注がれる奇妙な眼差しに対して隠すことがおそらくはできなかったろう。伯爵の不満の正体が私にはてんで掴めなかったし、結局私たちは、参事さんはそれと気附かなかったが、謎々遊びをしたに過ぎないということをどう説明したらいゝだろう?
ひどく遅れたので、聖堂へいっても無駄だと思った。香部屋係りは必要なことをやってくれたに違いない。
伯爵の訪問からも私は何も知り得なかった。私は食卓を取り除け、その辺をすっかり片附けたが、押入の扉は――もちろん――開けて置いた。参事さんの眼と同じように、伯爵の眼もいきなり葡萄酒の瓶に注がれた。一種の賭だ。大抵の貧乏人が満足しそうもない私の日々の献立を考えると、私が水だけで済まさないことを見る人毎の示す意外らしさが苛立たしい。私はゆっくりと起っていって、扉を締めた。
・・・伯爵はひどく冷淡な、しかし叮嚀な態度を示した。伯爵は伯父さんの行動を知らないらしく、私はあらためて葬式の問題を処理しなければならなかった。伯爵は費用の点を私よりよく知って居て、蝋燭の値段を論《あげつら》い、自分でペンをとって、彼が腰を据えたいと望む正確な位置を聖堂の平面図の上に示した。だがその顔には悲しみと疲れが現れていたし、その声さえも変っていて、いつもほど耳触りに鼻にかゝってはいなかった。岩乗な靴を履き、地味な黒の背広を著た彼はせいぜい富裕な百姓程度にしか見えなかった。私は考えた。この晴著を著た老人が、では、あの夫人の夫であり、あの令嬢の父であるのか?……しかも我々は祖国、というように家庭、という。人々は家庭のために大いに祈らねばならぬ。家庭は私に恐怖を覚えさせる。神がそれらを慈悲を以て受け容れ給わんことを!
だが確かに参事さんは嘘はつかなかったのだと思う。せいぜい抑制していたにも拘らず、伯爵は次第に苛々しだした。仕舞いには何か言い出しそうにさえ思われた。ところがその時恐ろしいことが起こった。必要な書式をみつけるために机の抽斗を掻き廻して、私は書類をあたりへ取り散らした。大急ぎでそれを揃え直していると、背後に、迫った息遣いが聞えるように思われた。私は伯爵が沈黙を破るのを今か今かと待った。私はわざと仕事を手間取らせた。が、あまり感じが強くなったので、私はいきなり振り返った。すんでのことに私は伯爵とぶつかるところだった。伯爵は私の直ぐ傍らに真赫《まつか》になって立っていて、机の下に滑り落ちていた四つに折った紙片《かみきれ》を差し出した。それは伯爵夫人の手紙だった。私は危く叫び声をあげそうになった。それを伯爵の手から受け取る時、私たちの指は触れ合ったから、伯爵は私が震えているのに気附いたに違いない。私は伯爵が恐怖を感じたとさえ思う。さり気ない言葉を二三交わした後に、鄭重な挨拶をして私たちは別れた。明日《あ す》の朝私は伯爵邸へゆくだろう。
私は一晩中《ひとばんじゆう》起きていた。そろそろ空が白み始めた。窓は開け放したまゝで、私はがたがた慄えている。ようやくペンが取れるくらいだが、息は楽になり、落ち著いて来た。今から到底眠れそうもないが、身うちに浸み込むこの寒さが眠りの代りをしてくれる。一二時間前床《ゆか》にべったり坐って、卓の脚に頬を寄せて祈っていた時、私は突然この儘死ぬのではないかと思ったほど自分を空虚に感じた。しかもそれは私には快かった。
幸い壜の底に葡萄酒が少し残っていた。私はそれをうんと熱くして、うんと砂糖を入れて飲んだ。正直に言って、私の年配の男が二三杯の葡萄酒と少しばかりの野菜と時折摂《と》る一片《ひときれ》の膩肉《あぶらみ》とで体力を支えようと望むのは全く無理だ。リル市の医者の診察を受けに行くのを一日延ばしに延ばしているのは非常な誤りだ。
だが私は自分を卑怯者とは思わない。だが私はこの、無関係でもなく、また諦めでもない、しかも私がそこに我れにも非ず私の苦痛に対する鎮静剤を求める一種の麻痺状態に抵抗するには多くの困難を感じる。己れには何一つ善を為すことのできぬことを日々の経験によって証明される時は神の意志に己れを委ねることは容易《たやす》い。だが遂には、己れの愚かさの当然の結果に過ぎぬ屈辱や失敗をも恰も恩寵ででもあるかの如く自惚れて受け取るようになる。この日記の私にとっての大きな効用は、かくも多くの苦痛の中当然己れに帰すべきものを否応なく識別させられることにある。そこで今も紙の上にペンを下ろしただけで、善を為すことについての私の深い、説明しがたい無能力、私の超自然的無器用の感じを私の衷に呼び覚ますには十分だった。
(今から十五分前、以上の大体に於いては間違っていない文章を書くことが出来ようなどとは誰が信じたろう? しかも私は書いたのだ)
・・・約束通り昨日《きのう》の朝伯爵邸へいった。出迎えたのは令嬢だった。私は用心した。広間へ通すだろうと予期していたのに、令嬢は私を鎧扉の下りている小客間に殆ど押し入れるようにした。毀れた扇子は煖炉棚の上の置時計の後ろにまだそのまゝになっていた。令嬢は私の視線に気附いたらしかった。その顔は今までになく冷酷だった。令嬢は肱掛椅子に腰掛けるような素振りを見せた。その椅子には二日前に……私は令嬢の眼に稲妻のようなものを見たように思った。私は言った。「お嬢さま、急いでおります。立った儘でお話しましょう。」令嬢は赧《あか》くなったが、その口は怒りに震えた。「なぜですの?」――「なぜといって、こゝは私どもの居るべき場所ではないからです。」令嬢は、どう考えても悪魔が囁いたとしか思われぬ年齢《と し》に似合わぬ恐ろしい言葉を口にした。彼女は言った。「私は死者など恐れませんわ。」私は彼女に背を向けた。彼女は、つと身を躍らすと、私と扉との間に立ち、両腕を拡げて扉口を塞いだ。――彼女は言った。「私が芝居をしたところで何の役に立つでしょう? 祈れるものなら、祈りましょう。祈ろうと試みてさえも見ました。でもこゝにこれがあっては祈れません。」――「これというのは、何ですか?」――「あなたはあなたのお好きなようにそれをお呼びなさい。私はそれは喜びだと思います。私にはあなたの考えていらっしゃることが分ります。あなたは私を怪物だと思っていらっしゃるでしょう?」――「怪物などというものはありません。」――「もしも来世が話に聞いたようなものだとしたら、母には分ったに違いありません。母は私を一度だって愛したことはありません。弟が死んでからは私を憎んでいました。あけすけにお話した方がよござんすわね?」――「私の意見などどうでもいいでしょう……」――「いゝえ、あなたはそうでないということを御存じです。それなのにあなたはそれをはっきりと仰有れないのです。つまり、あなたの傲慢も私の傲慢と同じです。」――「あなたは子供のように話されるし、また子供のように冒涜の言葉を吐かれる。」そういって私は扉口の方へ一歩近寄ったが、令嬢は把手《ハンドル》を両手で掴んでいた。――「家庭教師は荷物を作っています。木曜には発《た》ちます。ねえ、私は何でも自分の思い通りにして見せるでしょう?」――「それが何になるでしょう? そんなことはあなたには何の役にも立ちません。あなたがあなたである限り、あなたはいつも何かを憎まずにはいられないでしょう。そしてもしも私の言葉があなたの耳に入るなら、私は更にこう附け加えます……」――「何です? 言って御覧なさい。」――「では言いましょう。あなたが憎んでいるのはあなた自身です。あなた一人だけです!」――令嬢は暫く考えていたが、やがて言った。「私は自分の思いどおりにしなければ、この自分を憎むでしょう。私は幸福でなければなりません。でなければ!……だいいち、それはあの人たちの過ちです。なぜあの人たちは私をこんな古ぼけた家に閉じ込めておいたのでしょう。こゝにいて家の者に手を焼かせる手もあります。それもいくらかの気休めにはなります。でも、私は芝居がかったことは大嫌いです。恥ずかしくって出来ません。私はどんなことでもじっと堪え忍ぶことが出来ます。体中の血が煮えくり返るような時でも、声も高めず、静かに伏目になって仕事をしているのは、なんて愉快なことでしょう! 御存じのように私の母はそんな風でした。私たちは何時間でも、めいめい夢想に耽りながら、怒りをじっと堪え忍びながら、並んで仕事をしていることができました。もちろん父は何も気附きませんでした。そんな時、何か知ら途方もない力が身内に溢れるのが感じられます。一生経《かゝ》ってもそれは費《つか》い切れないでしょう。……もちろん、あなたは私を嘘吐き扱い、偽善者扱いなさるでしょうね?」――「私があなたを何と呼ぶかは神さまが御存じです。」――「それが私をじりじりさせるのです。あなたの考えていらっしゃることは分りません。ですがあなたは有りの儘の私をお知りになるでしょう。私はそれを望みます。心の中を読む人があるというのは本当のことでしょうか? そんな話をあなたはお信じになりますか? どうしてそんなことができるのでしょう?」――「そんなお喋りを恥ずかしく思いませんか? 何か分らないが或る悪い事をあなたが私に対してして居られることに、そして、それを私に打ち明けたくてじりじりして居られることに夙《とう》に私が気附いていないとお考えですか?」――「あゝ、分りました。あなたは宥しのことを、犠牲者の役を演じることを言おうとしていらっしゃるのでしょう?」――「いゝえ違います。私は力ある主《しゆ》の僕《しもべ》です。そして司祭として私はその名に於いてしか赦しを与えることが出来ません。愛というものは人々が想像しているようなものではありません。そしてあなたがかつて学ばれたことをよく考えて御覧になれば、今こそ慈悲の時であり、正義の時であることを、そして悔い改める者に赦しを与え給う主の前に悔い改めずにいつか現れることこそ唯一の償い難い不幸であることを私と共に承認なさるでしょう。」――「では、もう何も申上げますまい。」令嬢は扉口を離れて、道を開けた。閾を跨ぐ時、私は最後にもう一度、壁に凭れて立ち、両腕を垂れ、深く項垂れている彼女を見た。
伯爵はそれから十五分ほどして漸く帰邸した。靴を泥だらけにし、パイプを銜え愉快そうに野から戻って来たのだった。酒臭いように思われた。私がそこにいるのを見て驚いた様子だった。――「娘が書いたものを差し上げましたが、それはあなたの先任者が私の姑のために執り行われた葬式の詳細です。今度の葬式も二三の点は除いて他は同じにしたいと思います。」――「残念乍らその後費用が変りました。」――「娘にお会い下さい。」――「ですが、お嬢さまは何もお渡しになりませんでした。」――「何ですって! 娘にお会いにならんのですか?」――「いゝえ、たった今お会いしたばかりです。」――「それは変だ! 嬢に知らせておいで。」と伯爵は小間使に言った。令嬢はまだ小客間を去らずにいた。いや、扉の向う側にいたのだとさえ思う。彼女は立ち処に姿を現した。伯爵の顔色は私が自分の眼を疑ったほど忽ち変った。伯爵はひどくばつが悪そうに見えた。令嬢は伯爵を、頑是ない子供をでも見るように、微笑を泛かべ、悲しげな様子で眺めていた。彼女は私に点頭《うなず》いてさえ見せた。まだあんなに年若い人のこれほどの冷静さをどうして信じられよう! 彼女は穏かな調子で言った。「私は神父さまとほかのお話をしましたの。お父さまは万事神父さまにお委せになった方がいゝと思いますわ。あんな面倒な儀式は馬鹿げています。それからまたお父さまはフェラン嬢のための小切手に署名なさらなければなりません。今日《きよう》の午後発《た》つことを御存じでしょうね?」――「何、今日《きよう》の午後だって! 葬式には参列しないのかい? 皆が変に思うだろう。」――「皆がですって! いゝえ、逆に誰があの人のいないことなんかに気が附くだろうと思いますわ。それに、あの人今日《きよう》中に発《た》ちたがっているんですもの、仕方がありませんわ。」私のいることが明らかに伯爵を当惑させているらしかったが、令嬢の声は依然としてあくまでゆったりと落ち著いていたので、いきおい伯爵も同じ調子で答えない訳にはいかなかった。――「六ケ月の退職手当は法外で馬鹿げているように思うのだが……」と伯爵は言った。――「でもそれはお父さまがお母さまとあの人に暇を出す話をなさっていらっしゃった時お決めになった額ですわ。しかも、三千フランでは――可哀そうに――旅行の費用にかつがつですわ。周遊には二千五百フラン経《かゝ》りますもの。」――「なに! 周遊だって? リルのプルモオジ伯母さんの所へいって暫くゆっくりするのだと思っていたが?」――「いゝえ、ちがいます。あの人は十年前から地中海の周遊に憬《あこが》れていたのです。あの人も少しは楽しい思いをしたっていゝと思いますわ。とにかく此処の生活はあんまり愉快ではありませんでしたからね。」伯爵もとうとう腹を立てた。――「よしよし、そんな考えはお前一人の肚へ蔵《しま》っとけ。で、何をお前はまだ待ってるのだ!」――「小切手です。小切手帳は客間の事務机の抽斗にあります。」――「放っといてくれ!」――「お父さま、御随意に。たゞ私は悲嘆に暮れているあの人とそんな問題で言い争うような嫌な思いをおさせしたくないと思ったばかりよ。」伯爵は初めて令嬢の顔をまともに見たが、令嬢はその視線に驚いたような無邪気な様子で堪えた。ところで私はその時令嬢が恐ろしい芝居をしているのだということを疑うことが出来なかったにも拘らず、その態度には何ともいえぬ高貴なところ、まだ子供っぽい一種の気品、胸も迫るような年齢《と し》に似合わぬ辛辣さがあった。確かに彼女は父に宣告を下していたのだ。そしてその宣告は控訴を許さぬものであり、おそらくは仮借のないものではあったろうが、しかし悲哀を伴わぬものではなかった。それは侮蔑ではなかった。この老人を彼女の意の儘にさせたのはこの悲哀であった。なぜならこの老人の裡にはこうした悲哀と調和する何物もなかったし、彼にはその悲哀が全く理解できなかったからだ。
「よし、小切手を書こう。十分ほどしたら、おいで。」と伯爵は言った。令嬢は微笑を以て感謝の意を表わした。
――伯爵は尊大な調子で言った。「あれは華車な感じ易い子でね。大いに手心を加えてやらねばならんのですよ。ところが家庭教師はあまり手心を加えなかった。母親が生きていた間は、衝突を避けることができたが、今では……」
伯爵は食堂へ私を案内したが、椅子を薦めなかった。――伯爵はまた口を切った。「神父さん、率直に言いますがね、わしは聖職者を尊敬していますし、わし一家の者はあなたの先任の方々とはいつも誼《よし》みを結んで来たが、それは謙譲と尊敬との関係であり、特に友愛の関係でした。わしは司祭さんに家庭の私事には立入って貰いたくありませんよ。」――「私たちにその気がなくてもいきおいそうなる場合があるのです。」――「あなたは故意でない……尠くとも意識しない原因なのです……大きな不幸のね。わしはあなたが娘と交された会話が最後のものであって欲しいと思うのですよ。皆が、またあなたの上の方々も、あなたのようにお若い司祭さんがあの年頃の娘の良心を指導できるなどと言えないことを認めるでしょう。特にあのシャンタルと来ては既にもうあまりに感じ易いのでしてね。確かに宗教にはいゝところがあります。いや何物にもましていゝところがあります。だが教会の主たる使命は家庭や社会を保護することです。教会はあらゆる行き過ぎを斥けます。教会は秩序の力、節度の力です」――「どうして私が不幸の原因になったのです?」――「それについてはわしの伯父のラ・モットブウヴロンに聞いて下さい。わしはたゞあなたの不用意を困ったものだと思うということと、あなたの性格が――伯爵は暫く待った――あなたの性格があなたの習慣と同様に教区にとって危険なものに思われるということとを申上げて置きます。いや、大変失礼しました。」
伯爵は私に背を向けた。私は夫人の部屋へ上ってゆかなかった。死者にはあくまでも平静な気持ちで近附かなければならぬものに思われる。私は今しがた聞いたばかりの、しかもそこにどんな意味も見出すことのできぬ言葉によってあまりに動揺させられているように感じていた。私の性格、それはいゝ。だが習慣とはどんな習慣だ!
私はなぜか知らぬが「楽園の路」と呼ばれる両側に生垣のある泥濘《ぬかるみ》の小径を通って司祭館へ帰って来た。それから直ぐに、香部屋係りがもう既に長いこと待っている聖堂へ駆けてゆかなければならなかった。私の身の廻りの物は情けない状態にある。もっと早く整理して置いたら、こんなに気を揉まないでも済んだにと思う。
香部屋係りはかなり気難かしい爺さんで、うわべは頑固で粗野にさえ見えるが衷には気紛れな一風変った感受性を隠している。百姓の間でも有閑階級の特権のように見える殆ど女性的なこうした性格には、思ったよりも度々でくわすものだ。それを破る術《すべ》を知らず、いや、だいいち、日日の単調な労働に彼らの夢の緩慢な展開を結び附けて、それについては何も考えないが故に、それだけに一層その深さの測り知れぬ沈黙の中に幾世代前から、いや時としては幾世紀前から閉じ込められている人々が、自ら気附かずして、いかに動揺し易いものであるかは神さまのみ御存じだ。だが或る日、時として……あゝ、貧しい者の孤独!
幕を張り終えてから、私たちは香部屋の石のベンチで暫く憩んだ。武骨な手を痩せた膝の周りにおとなしく組んで、体を前屈みにし、灰色の短い髪の束が汗に光る額に張り附いている彼が薄暗がりの中に見えていた。――「教区では私のことを人はどう思っているね?」と私は突然尋ねた。さして意味のない言葉しか今まで交したことがなかったから私の質問は馬鹿げて見えたろうし、私は彼が答えようとは全く予期していなかった。事実彼は長い間私を待たした。が、やがて彼は洞声《うろごえ》で言った。「あなたはちっとも食べ物を上らんし、また教理問答の稽古の時、あの世の話で娘っ子たちの頭を変にしなさるって言ってますよ。」――「で、あんたは? アルセエヌ、あんたは私のことをどう思うね?」――彼は前よりももっと長い間考えていたので、私はまた仕事を始め、彼に背を向けていた。「わしの考えでは、あなたはまだお若い……」私は笑おうとしたが、笑えなかった。――「仕方がないよ、アルセエヌ、だが私だっていずれ年を取るよ。」だが彼は私の言葉など耳に入らぬようにその辛抱強い頑《かたくな》な瞑想を続けていた。「主任司祭は公証人のようなものです。必要な時にいればいゝので、誰をも煩わしてはなりません。」――「だがねえ、アルセエヌ、公証人は自分自身のために働くが、私は神さまのために働くのだ。自分一人《ひとり》の力で改心するものは尠い。」彼は杖を拾い上げて、その握りに頤《おとがい》を載せた。まるで眠っているようだった。――やがて彼はまた言った。「改心する……改心する……わしは七十三になるが、まだこの眼で一度もそれを見たことがありませんよ。めいめいそれぞれに生れ附き、そのまゝで死んでゆくのです。わしたち一家の者は教会の人間です。祖父《じ ゝ》はリヨンの鐘撞きでしたし、死んだ阿母《おふくろ》はウィルマンの主任神父さんの賄い女でした。秘蹟を受けないで死んだ者はわしたち一家には一人だってありませんよ。血がそういう風に望むんで、どうにも仕様がありません。」――「あんたは天国で皆にまた会える。」と私は言った。こんどは彼は前よりももっと長い間考えていた。私は仕事をしながら横目で彼を見守っていたが、もう彼の応《いら》えが聞かれぬものと諦めた頃、彼は突然遠い遠い過去から響いてでも来るような忘れることのできぬ疲れ果てた声で最後の言葉を呟いた。「死ねば、それで万事がお仕舞いです。」
私は解らぬ振りをした。私は答えられぬように感じたし、だいいち答えたところで何になったろう? 彼は確かにこの冒涜の言葉によって神に抗《さから》おうとは思わなかったのだ。たゞそれは、彼の日常の経験がその有効な証拠を提供せぬが、しかも彼の血筋の慎《つゝ》ましい智慧がそれを確実なものとして啓示し、またそれを彼が、洗礼を受けた数知れぬ祖先の継承者としてその信仰については何も表現出来ぬまゝに信じていた永遠の生命なるものを想像することの無能力の告白に過ぎなかったのだ。……だが、それにも拘らず私は竦然とし、心臓が止まるように感じた。私は頭痛を口実に雨風の中へ一人出ていった。
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以上の数行を書き終えた今、私は闇に向かって開かれている窓、机上の乱雑さ、この数時間の大きな心痛が不思議な言葉でそこに書かれているようなこの私の眼にだけ見える無数の小さい徴《しるし》を呆然と眺めている。私はいくらか冷静を取り戻したのだろうか? それともそれ自体としては取るに足らぬ数々の出来事を一つに纏めることを今まで私に許した予感の力が疲労や不眠や食慾不振のために鈍ったのだろうか? 分らない。すべてが私には馬鹿げて見える。なぜ私は伯爵に、ラ・モットブウヴロンの司教座参事さんが自身必要だと考えた説明を求めなかったのだろう? 第一には令嬢が何か恐ろしい企《たくら》みをしたのではないかと疑いながら、それを知ることを怖れたからだし、第二には死者が屋根の下にいる限り、即ち明日《あ す》までは、口を開くべきでないからだ。いずれ後になれば……だが、その後が、当てにならぬ。教区に於ける私の地位は、司教さんへの伯爵の運動が必ず功を奏するにちがいないほど既にぐらついている。
だがそんなことはどうでもいゝ。自分の判断では何ら訂正すべきものをそこに見出さぬこれらの頁も、どう読み返して見ても、空しく見える。それは、およそいかなる推理も、真の悲しみ――魂の悲しみ――を誘発できぬか、或いは、それが何処《いずこ》とも知れぬ間隙から我々の衷に入り込んだ時には、それを克服できぬからだ。……いや、それは入り込んだのではない。それは我々の衷に既にあったのだ。私は次第に、それらが何か魂の動きででもあるかの如く信じようとして悲哀、苦悩、絶望と我々が呼ぶところのものはつまり魂それ自身であり、原罪以来人間は自己の内にも外にも苦悩の形でしか物を見ることができないものになったのだと、考えるようになって来た。超自然に対して最も無関心な者も、自己を無なりと観ずることが可能であり、且つ、そうした馬鹿げた忌まわしい観念に対する自己の肉体の必死の反抗をば、常に不確実な推理によって辛うじて肯定せざるを得ぬ人間のみわずかに歓喜を味い得るという恐るべき奇蹟の漠然たる意識を快楽の中にまでも持ち続ける。神の注意深い憐憫がなかったならば、人間は自己を意識するや否や、忽ち塵に帰ってしまうだろうと思われる。
私はたった今窓を締め、少しばかり火を焚いた。分教会の一つがひどく離れているので、其処でミサを挙げる日には聖体拝領前の断食を破ってもよい宥しを私は受けている。私は今までその宥しを用いなかったが、今日《きよう》はこれから砂糖入葡萄酒を一杯燗めよう。
伯爵夫人の手紙を読み返していると、その顔が眼に見え、その声が耳に聞えるようだった。……「私は何も望みません。」と夫人は言った。夫人の長い試煉は終った。私の試煉は始まる。それは同じものかも知れない。神は力尽きた者の肩から取り除《の》けられた荷を私の肩に載せられたのかも知れない。私が夫人に祝福を与えた瞬間、あの惧れの混った喜び、あの脅かすような快さは何処から来たのだろう? 私が罪の宥しを与え、死が数時間後、安心と休息とのために用意された寝室の閾際で迎えようとしていたあの婦人は(翌日夫人の時計が、寝る時掛けたそのまゝの位置に、壁に掛かっていたのを私は思い出す)既に眼に見えぬ世界に属していたのだ。私はそれと知らずにその額に死者たちの平安の反映を見たのだ。
碓かにその報酬は仕払われなければならない。
(註。――こゝの数頁は大急ぎで破り去られたらしい。余白に書いてあることも判読しがたく、どの語も紙に穴が開くほど激しい筆勢で書かれている。
一頁殆ど白紙の儘で、たゞ次に数行が記されている。)
「この日記を破棄しない決心だったが、確かに精神錯乱状態で書いたとしか思われぬこの数頁は是非破り捨てゝしまわなければならないと思う。しかも私は、私の厳しい試煉――それは私の一生の最大の失望といっていゝだろう。なぜならこれ以上の失望を私は想像できないからだ――のために私が一時《いちじ》神への信頼をも、勇気をも失ったことをこゝに記録して置きたい。私はすんでのことに……
(この文句は尻切れとんぼになっている。次の頁の初めにも数行が欠けている。)
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……是非とも断ち切らねばならん。」――私は言った。「なんです? 是非ともですって? あなたの仰有ることが私には分りません。私にはそんな微妙なことは何も分りません。私はできるだけひと目に立たないことを希っている憐れな司祭に過ぎません。私が馬鹿なことをしても、それは私に相当したことです。それは私を笑止なものにし、笑い種《ぐさ》にするに違いありません。また私に物をはっきり見極める暇を与えてくれることはできないでしょうか? なに、司祭が足りないというのですか? それは誰の咎《とが》でしょう? いわゆる選り抜きの人たちは修道会に入り、私のような土百姓の伜が三つもの教区を背負わされるのです! しかも御承知のように、私は百姓でさえないのです。密輸入者か、密猟者か、浮浪人か、無籍者にならないとすれば、渡り者の下男か女中になるほかない私たちのような人間をほんとうの百姓は軽蔑しています。私は自分を馬鹿だとは思っていません。ですが馬鹿だった方がかえってよかったでしょう。英雄でも、聖人でも、また……」――「黙んなさい。子供みたいなことを言うもんじゃない。」とトルシイの主任神父さんは言った。
風がひどく吹いていた。寒さのために紫色になった主任神父さんの愛すべき老顔が突然眼に入った。――「そこへ入んなさい。わしは凍《こゞ》え死んじまう。」それはクロヴィスが薪を蔵《しま》って置く小屋だった。「わしは今君を送ってやる訳にはいかん。わしたちはなんと思われるだろう? それに自動車屋のビイグルさんがわしを自動車でトルシイまで送ってくれることになっているのだ。じっさい、わしはリルにもう二三日逗《とゞま》って居た方がよかったらしい。こういう天気はわしにはよくない。」――「あなたは私のために来て下さったのですね。」トルシイの主任神父さんは腹立たしげに両肩を聳やかした。――「葬式があるじゃないか? が、そんなことは君の知ったこっちゃない。わしの勝手だ。明日《あ す》わしの所へ来なさい。」――「明日《あ す》も明後日《あさつて》も、たぶん今週いっぱい駄目でしょう、もしも……」――「もしもはもう沢山だ。来るなら来る、来ないなら来ないさ。君は先を考え過ぎる。副詞が多過ぎる。フランス文のように明瞭に生活を組立てなければならん。人間はそれぞれ自分流儀で神さまにお仕えするというのかね? だいいちその身装《みなり》、恰好、例えばそのマントにしてからが……」――「このマントは伯母の贈物です。」――「その風体はどう見たってドイツの浪漫派というところだ。それにその顔附き!」神父さんの調子は今まで聞いたことのないもので、殆ど憎悪の調子に近かった。神父さんは最初は強いて厳格に話そうとしていたらしいが、仕舞いには残酷な言葉がひとりでに口をついて出、それを抑えることができないのに苛立っていたらしい。――「顔附きは生れつきです。」と私は言った。――「いや、そんなことはない。だいいち君の食事は馬鹿げている。そのことについても一ぺん真面目に話す必要がある。いったい君には分っているのかどうか……」神父さんは口を噤んだ。が、再びこんどは和らいだ調子で言った。「いや、まあ、それは後《あと》にしよう。こんな小屋の中でそんな話でもあるまい。要するに君の食事は常識を外《はず》れとる。それで君は胃が痛むって驚いとる……わしが君だって、こりゃあ当然胃痙攣ぐらい起こすさ? ところで内的生活に関することでも要するに同じ調子じゃないかと思うんだ。君は祈りが足らん。わしの考えでは君はどう祈るかということで苦しみ過ぎる。疲労に応じて食事を摂らねばならんし、祈りも我々の苦しみに応ずべきだ。」――「私には……祈れないのです!」と私は叫んだ。が、私は直ぐにその告白を悔いた。なぜなら神父さんの眼の色がにわかに峻しくなったからだ。――「祈れなかったら、繰り言を言うがいゝ! わしだって度々邪魔を食った! 悪魔はわしに、念珠《コンタツ》を繰るのに汗がぽたぽた垂れるほど祈りに対する嫌悪感を吹き込んだよ、ねえ、分るかね?」――「えゝ分ります!」あまり勢いこんで答えたので、神父さんは私を、しげしげと頭のてっぺんから足の爪先まで見上げ見下ろした。だがその様子は決して悪意のないものだった。……――「わしは君のことで思い違いはしとらんと思う。ひとつ、わしの質問に答えてみ給え。いや、もちろん、わしの細《さゝ》やかな試煉はそれだけのものとして君に示すので、要するにそれは自己流の考えに過ぎず、途方に暮れた時の道標《みちしるべ》に過ぎんが、もちろん瞞されたことも一度や二度じゃない。要するにわしは召命について篤と考えたのだ。我々はみんな召されている。よろしい、たゞその召され方は同じじゃない。そこでわしは事を簡単にするために、先ず我々各自をその本来の位置に、即ち福音の中に置き直して見るように努めた。いや、確かに、そうすると我々は二千年若返る。それからだ! 時間は神さまにとっては問題じゃない。神さまの眼は見通しだ。わしはこう自分に言う、我々の生れるずっと前に――人間の言葉で言えばだよ――我が主キリストはベトレヘムか、ナザレか、ガリレアへの道か、何処か知らんが、或る処で我々に会い給うた。とにかく或る日主の眼が我々に注がれた。そして場所、時間、また場合に応じて我々の召命はそれぞれ特殊の性格を帯びたのだ。いや、わしは何も神学上のこととしてそれを言っているのじゃない! そこでわしはこう考える、いや想像する、いや空想する、もしも我々の魂がその時のことを忘れず常に思い出して、我々の憐れな肉体を世紀から世紀へと引き摺ってゆき、二千年の大きな坂を遡らせるならば、我々の魂は我々の肉体を真直にその場所へと導くだろうとね。……おい、どうしたんだい?」私は自分の泣いていることには気附いてもいなかったし、考えてもいなかった。――「なぜ泣くんだね?」事実、私はもうずっと前からいつも橄欖の園に、しかも奇妙なことには、あの瞬間に身を置いていたのだ。主がペトロの肩に手をかけて、あの、「爾《なんじ》眠れるか?」という、要するに問うまでもない、殆ど無邪気な、だがいかにも親しみ深い、優しい問いを掛け給うたあの瞬間に。それは世にも親しい、自然な心の動きだったのだが、私はそれに今まで気附かずにいたのだ。それが突然……「どうしたんだい?」と神父さんはもどかしそうに繰り返した。「それにしても君はわしの言うことを聴いちゃおらん。君は夢を見とる。ねえ、君、祈ろうと思う者は夢を見ちゃいかん。君の祈りは夢想に流れてしまう。そういう出血ほど魂にとって危険なものはない!」私は口を開き、答えようとしたが、答えられなかった。まゝよ! 御主《おんあるじ》が今日《きよう》この老師の口を通して、永遠に私のために選ばれた場所から何物も私を引き離し得ないことを、私こそ聖なる苦悶の擒《とりこ》であることを明かされる恵みを与えられただけでも十分ではないか? 敢えて誰が自らこのような恩寵に価いすると主張し得よう ?私は眼を拭き、いかにも無器用に洟を〓《か》んだので、神父さんは頬笑んだ。――「君がそんなに子供だとは思わなかった。君は神経が立ち過ぎてる。」(だが、同時に神父さんは私をもう一度、まじまじと眺めた。黙っているのが実に辛かった。その眼差しはじりじりと迫り、私の秘密を覗き 込むようだった。あゝ、これこそ真の魂の支配者だ、主権者だ!)やがて神父さんは諦めたように両肩を聳やかした。――「さあ、もう沢山だ。まさか晩までこんな小屋の中にいる訳にもゆくまい。とまれ神さまはおそらく君を悲しみの中に留められるだろう。だがわしがこれまでいつも気附いたことは、そうした試煉は、それが我々を投げ込む悲嘆がどれほど烈しく大きくとも事ひと度人々の霊魂の利害に関するならば、我々の判断は決して誤るものではないということだ。わしはもう君のことでは散々煩しい馬鹿げたことを聞かされている。じっさい人間というものは煩しいものだ。だが亡《な》くなった夫人との間では君は実に馬鹿げたことをやったものだ。あれはお芝居だ!」――「あなたの仰有ることが私には分りません。」――「君はポオル・クロオデルの『人質』(l'Otage,1911)を読んだことがあるかね?」私は作者も作品もまるで知らないと答えた。――「そうか、まあいゝ。ところでその中に聖女のような娘が出て来るんだが、それが、君風の司祭の勧めで、婚約を破って、爺さんの背教者と結婚し、絶望に身を委ねる。それがみんな教皇が牢獄へゆくのを妨げるためだというのだ。まるでペトロ以来教皇の席が、あの、聖母を描《か》くのに稚児さんをモデルにしたルネッサンスの碌でなし共に上から下まで飾られた宮殿の中よりも寧ろ羅馬のマメルティウムの牢獄の中にあるべきでないかのようにね。クロオデルが天才だということをわしは敢えて否定しない。だが文士というものはみんなそうだ。聖性に触れようとすると忽ち仰々しさにひっかゝって、足掻《あが》きが取れなくなる。聖性は仰々しいものではない。わしがもしその女主人公の聴罪師なら、先ずシイニュなんて鳥の名に紛らわしいような名をキリスト教徒らしい名に変えさせ、それから婚約を果させるようにするね。なぜって婚約は一度限りのもので、教皇だってこれをどうにもすることができないものだからね。」――「ですが、その話が私に何の関係が……」――「胸飾りの話というはどういうのかね?」――「胸飾りの?」私には覚ることができなかった。――「君もぼんやりしとるね。君たちの話を聞き、その場の様子を見たものが、あるのだ。そこには奇蹟なんかない。安心し給え。」――「誰が私たちを見たのです?」――「令嬢さ。ラ・モットブウヴロンから聞いた筈だ。恍《とぼ》け給うな。」――「いゝえ、聞きません。」――「なに、聞かないって? こりゃあ驚いた。じゃあ、わしはいっぱいひっかゝった。こうなりゃあ、ゆくところまでゆかなきゃならない。」私はたじろがなかった。私はいくらか平静を取り戻していた。令嬢が事実を曲《ま》げたとしたら、おそらく彼女はそれを実に巧妙にやってのけたに違いなく、私は真事空《まことそら》ごと織り交ぜた解きがたい網目の中で徒《いたず》らに〓《もが》くことになり、それを脱け出ようとすれば、こんどはいきおい私自身が故人を裏切ることになりそうだ。神父さんは私の沈黙に驚き、当惑したように見えた。――「君の言うお委《まか》せの意味をわしは考えるのだが……死んだ子の唯一つの形見を母親に火に投げ込ませるように強いるなんていうことは、ユダヤの話めいている。それは旧約の話だ。ところで君は何の権利があって永遠の別離を云々したのだ? 君、魂を強迫してはいかんよ。」――「あなたは事をそういう風に見られますが、私には私の見方があります。ですが、事の本質は事実です。」――「君が答えることはそれだけかね?」――「そうです。」私は呶鳴《どな》りつけられるだろうと思った。ところが神父さんは蒼くなった。殆ど血の気を失った。私は神父さんがどんなに私を愛しているかを覚った。神父さんは口籠りながら言った。「さあ、もうそろそろこゝを出よう。それにしてもあの娘は寄せつけないがいゝ。あれは悪魔だよ。」――「私は、この教区の主任司祭である限り、令嬢にも、誰にも扉は閉ざしません。」――「令嬢の言うところによると、夫人は最後まで君に抵抗したというし、君は夫人を信じがたいほどの精神の動揺と混乱とに陥れたというがほんとうかね?」――「いゝえ!」――「君は夫人を……」――「神と共に、平安の裡に置いたのです。」――「あゝ!(神父さんは深い溜息をついた。)夫人が君の強要と君の冷酷さとの憶い出を懐いたまゝ死んでいったということを考えて見給え。」――「夫人は平安の裡に死んでゆきました。」――「どうしてそれが分るね?」私は手紙についてはてんで話す気がしなかった。こんな言い方が許されるならば、私は頭のてっぺんから足の爪先まで最早沈黙以外の何物でもなかったと言おう。沈黙と暗黒。――「要するに夫人は死んだのだ。人がどう思うと思うね? 心臓の弱い夫人にとってそんな一幕《ひとまく》はよくないにきまっとる。」私は黙っていた。私たちはこの言葉を最後に別れた。
私はゆっくりと司祭館へ帰って来た。私は最早苦しんでいなかった。寧ろ重荷を下ろしたような気持ちだった。トルシイの主任神父さんとのこの会話は、これから私が上の人たちと絶えずすることになる対質の総浚いのようなものだった。そして私は自分に何も言うことがないのを知って、殆ど喜びに近い感情を味った。一昨日《おとゝい》から、自分でもあまり判然《はつきり》と意識せぬまゝに、私の惧れたことは人が私の犯さなかった過ちを非難しはしないかということだった。その場合には、沈黙を守ることは私の良心が許さなかったろう。ところが、今後は私は、もちろん様々の批評の対象となり得る私の司牧上の行為を人各々の判断に委《まか》せることができる。しかも令嬢が、恐らくはとぎれとぎれにしか聞かなかったにちがいないと思われる会話の真の性格についていきおい誤った解釈に陥ったと考えることは私にとって大きな慰めだった。たぶん彼女はその框《かまち》が地面から非常に高い窓の下の庭にいたのだろう。
司祭館に帰り著いた時、意外にも私は腹が空いていた。林檎の蓄えが幸いまだ切れていなかった。私はよくそれを燠《おき》の上で焼いて、バタをつけて食べる。卵もあった。葡萄酒は確かにあまり上等ではなかったが、熱くして砂糖を入れゝばどうにか飲める。ひどく寒かったので、この時は小さいソース鍋にいっぱい作った。砂糖湯程度のもので、決してそれ以上のものではない。食事を終ろうとしていると、トルシイの主任神父さんが入って来た。驚きが――いやそれは驚きばかりではなかった――私をその場に釘附けにした。私は蹣跚《よ ろ》めきながら立ち上った。さぞ私の様子は慌てふためいていたことだろう。立ち上る拍子に、左手が壜に触れ、壜は激しい音を立てゝ破《わ》れた。どす黒い、どろどろした葡萄酒が甃《いしだたみ》の上に流れた。
――「仕様のない男だ!」と神父さんは言った。「そんな風にして……そんな風にして……」と神父さんは優しい調子で繰り返した。まだ私には分らなかった。たゞたった今感じたあの不思議な平安が例によって新たな不幸の先触れに過ぎなかったということ以外は何も分らなかった。――「こりゃあ葡萄酒じゃない。ひどい染料だ。君は毒を飲んでるようなものだ。」――「でもこれしかないのです。」――「わしに言えばいゝに。」――「大丈夫決して……」――「黙りなさい!」神父さんは壜の破片《かけら》を、汚《けが》らわしい虫けらでも踏《ふ》み躙《にじ》るように、足で押しやった。私は一《ひと》言も発することができず、相手の言葉を待った。――「仕様のない男だ。こんな汁を胃へ流し込んでどんな顔附きをしようというんだ。死んじまうぞ。」神父さんは上服のポケットに両手を突き込んで、私の前に立っていた。神父さんが両肩を聳やかすのを見た時、彼が洗い浚いぶちまけるだろうということを、ひと言の容赦もしないだろうということを私は感じた。――「実はビイグルさんの車に乗り損ったのだ。だが来てよかった。まあ掛け給え!」――「いえ!」と私は言った。そして私は、時が来たことを、真面《まとも》にぶつからなければならないことを、いわゆる虫が知らせる時いつもそうであるように私の声が胸の中で慄えるのを感じた。真面《まとも》にぶつかることは必ずしも抵抗することではない。その時私は、神と共に静かにして置いて貰えるなら、何だって打ち明けたろうとさえ思う。だが凡そどんな力も私が立った儘でいることを妨げることはできなかったろう。――神父さんはまた口を開いた。「まあ聴き給え、わしは決して君を咎めはせん。またわしが君を酒飲みだと取っているなどと思い給うな。あのデルバンド先生は初手から極めて適切な診断を下した。我々田舎の人間は、誰でも皆、多かれ少かれ、アルコール中毒の遺伝を受けとる。君の両親は別に人よりよけいに酒を飲みはしなかった。いやむしろ飲まなかった方かも知れん。ただ碌に食わなかった。いやてんで食わなかったといった方がいゝかも知れん。で、仕方なく、馬でも殺しちまうようなこんな種類の合成酒を腹の足しに飲んだものさ。そこで遅かれ早かれ否でも応でも君は要するに君自身のものではないそうした渇きを覚えるようになるのだ。そうしてそれは幾世紀も続くのだ。貧乏人の渇き、こいつは頑固な遺伝だ。たとい百万長者が五代出たところでこいつは消えん。こいつは骨の髄まで浸み込んどる。おそらく君は何も気附いていないと答えるだろうが、そんなことは何にもならん。たとい一日にほんの娘っ子の飲み分ぐらいしか飲まんとしても、要するに君は生れながらにしてアル中患者なのだ。君は上等の炙り肉に見出すべき身心の力を、酒に――しかもそれがどんな酒にだ!――求めるようになる。人間的に言って、我々に起こり得る最悪のことは死ぬことだ。ところで君は自殺しかけていたのだ。アンジュウの葡萄作りを陽気で健康に保つにも足りん酒量で墓へ来たと考えたらあんまり嬉しくもなかろう。もっとも今までの処、別に君は罪を犯しちゃおらん。だがこうして注意を与えられた以上、これからは罪を犯すことになるんだぜ。」
神父さんは黙った。私はあのミトネや令嬢の顔を眺めたように、思わず神父さんの顔を眺めた。例によって悲しみが溢れ出るのを感じた。……だが神父さんはしっかりした落ち著いた人間だ。神さまの本当の僕《しもべ》だ。男だ。彼は彼なりに真面《まとも》にぶつかったのだ。私たちは眼に見えぬ道の端と端とに立って遠くから別れを告げる者のようだった。
神父さんはいつもよりも心持ち嗄れた声でこう結んだ。「さあもうあんまり考えないがいゝ。最後に一言《ひとこと》いうが、ともかく君は立派な神父だよ。故人を悪く言う訳ではないが、正直のところ……」「もうその話は止めましょう!」と私は言った。――「そうか、じゃあ止めよう!」
私は一時間前園丁の小屋でしたように、その場を立ち去りたかった。だが今は神父さんは私の住まいにいた。神父さんの方が出ていって呉れるのを私は待たなければならなかった。有り難いことに、神さまの御蔭で私は老師を失わなかった。彼はもう一度その勤めを果した。神父さんの不安な眼差しは突然落ち著きを取り戻し、再びあの耳馴れた、確かりした、大胆な、不思議な喜悦に満ちた声を私は聞いた。――「働き給え、差し当り、小さい事柄を一日一日とやってゆき給え。他に心を奪われずにね。習字の帳面の上へ屈み込んで、口から涎を垂らさんばかりに夢中になっている小学校の生徒を想像して見給え。神さまが我々を我々自身の力に委《まか》される時、神さまの見たいと願われるのは我々のそういう様子だ。小さい事というものは詰まらんもののように見えるが、しかしそれは平安を与える。それは野の草のようなものだ。何の香もしないように思われるが、全体集まるといゝ香りがする。小さい事柄の祈りは罪がない。各の小さい事柄の中には天使がいる。君は天使に祈るかね?」――「えゝ、……もちろん。」――「誰もあまり天使には祈らん。東方教会のあの古い異端の関係で、神学者たちは天使に警戒するが、これは杞憂だ! 世界は天使で一杯だ。それから聖母だ。君は聖母に祈るかね?」――「もちろんです!」――「誰もそう言う……が、十分よく祈るかね? 聖母は我々の母だ。これは分ってる。聖母は人類の母だ。新しきエヴァだ。だが、聖母はまた人類の娘だ。旧い世界、悲しみの世界、恩寵前の世界は、長い間その悲嘆に暮れた胸の上に――幾世紀も幾世紀も――母なる処女の人知れぬ不可解な期待の中にあやして来た。……幾世紀も幾世紀もそれはその罪を負った老いた手、その重い手でその名も知らぬ不思議な幼女を守って来た。幼女、天使の元后! ところで聖母はいつもそうなのだ。それを忘れ給うな! 中世はそれをよく知っていた。中世は何でも知っていた。だが馬鹿共が所謂『受肉劇』を彼ら流に再興することは禁《いまし》めなければならん! 彼らが、威信のために、治安裁判所判事に人形芝居の人形のような衣裳を著せ、鉄道の機関手の袖に袖章を縫いつけねばならんと考えるとすれば、唯一の劇が、比類のない劇が、劇の中でも最も優れた劇が、――なぜなら他に劇らしい劇はないのだから、――道具立も金ぴか衣裳もなくて演ぜられたと不信仰たちに白状することは彼らには恥かしくてたまらんのだろう。まあ考えても見給え! 御言《みことば》が肉《ひと》となり給うたのだ。しかもその当時のジャーナリストは少しもそれに気附かなかったのだ! 日々の経験から彼らはそれがたとい人間的なものであれ、真の偉大さ、即ち天才、英雄性、更に愛さえも――彼らの憐れな愛さえも――それを認めることがいかに困難であるかを知っていたにも拘らず! 彼らは百中九十九までは彼らの言葉の花を墓へと献げに行き、死者にのみ頭を下げるのに! 神の聖性! 神の謙虚、天使らの傲慢に宣告を下した神の恐るべき謙虚! そうだ、悪魔《サタン》はそれを真面《まとも》に見ようとして、被造物中の最高峯にあった巨きな熾《さか》んな炬火《たいまつ》は一挙にして闇の中へ堕ちたのだ。ユダヤの民は頑迷だった。でなかったら、人間の完成を実現しつゝ人間となり給うた神が認められずにしまおうとしていることを、眼を開くべきであることを悟ったろう。そうだ、あのヱルザレムへの凱旋の話は実に素晴らしいと思う! 我らの主はすべてのものを、即ち死をも味うことを厭い給わなかったように凱旋をも味うことを厭い給わなかったのだ。主は人間の喜びは何一つ拒《しりぞ》けられなかった。唯々罪だけを拒けられた。だが御自身の死、それには実に念を入れられた。至れり尽せりだった。ところが主の凱旋、それは子供だましの凱旋だ。そうは思わんかね? 牝驢馬に乗った侏儒《こびと》、棕櫚の小枝、拍手している田舎人らを描いたエピナアのル版画。皇帝の威容の稍々皮肉な愛すべきパロディイ。主は微笑を浮かべておられる。――主は屡々頬笑まれる――主は我々にこう言われる。これらのことをあまり真剣に取るな。だがしかし正当な凱旋はあるものだ。勝利を祝うことは禁じられてはいない。ジャンヌ・ダルクが花と旗との下に、金繍の服を纏ってオルレアンに入ったとて、彼女が自らを咎めることを私は望まない。我が子らよ、お前たちはそんなにそれに執著しているのだから、私はそれを聖化した。お前たちの勝利を私はお前たちの葡萄畑から穫れる酒を祝福したように祝福した、とね。ところで奇蹟についても、いいかね、それは同じことだ。主は必要以上の奇蹟は行われなかった。奇蹟は挿画だ、美しい挿画だ! ところで君、よく注意し給え。聖母には凱旋も奇蹟もなかった。御子は人間的光栄がその粗々しい翼のほんの片端を以ても聖母に触れることを許し給わなかった。誰も聖母ほど謙虚に、また御自身の品位、即ち天使らの上に彼女を置いたその品位の深い無自覚の裡に生き、苦しみ、死んだ者はない。なぜなら要するに聖母は源罪の汚れなく生れたからだ。何という驚くべき孤独だろう! あくまで清く澄んだ泉、たゞ御父の喜びのためにのみ創造された御自身の姿をそこに映し見ることさえ出来ぬほど清く澄んだ泉――あゝ、聖なる孤独! 人間とはかねて馴染みの師でもあり僕でもある年古りた悪魔たち、呪われた世界へのアダムの門出を導いた恐るべき古老たち、狡猾そのもの、傲慢そのものである彼らの遥か手の届かぬところに置かれたこのか弱く、しかも傷つけられることのない奇蹟的な被造物を眺める様子が眼に見えるではないか。確かに我々人類は大したものではないが、しかも幼さは常に我々の心を動かし、幼児たちの無智は我々の眼を――善と悪とを知る我々の眼を、斯くも多くの物を見て来た我々の眼を伏せさせる! だがそれは要するに無智に過ぎん。聖母は清浄そのものだった。我々人類が聖母にとって如何なるものであるか考えたことがあるかね? いや、勿論聖母は罪を嫌い給う。しかし結局聖母は罪の経験を、あの、いかなる大聖人も、たとえば熾天使に比せられたアシジの聖者すらも欠かなかった経験をもたれなかった。聖母の眼差しは唯一の真に幼い眼差し、我々の恥辱と我々の不幸の上に注がれた唯一の真の幼児の眼差しだ。ねえ、君、聖母によく祈るためには、この、寛容の眼差しとは全く異る――なぜなら寛容は必ず何らかの苦い経験を前提とするものだから――眼差しを我が身に感じなければならん。それは優しい同情の眼差し、悲痛な驚きの眼差し、更に彼女聖母を罪よりも若くさせ、彼女聖母を人類よりも若くさせ、恩寵によって恩寵の母でありながら人類の末女たらしめる何か想像も及ばぬ名状しがたい感情の眼差しだ。」
――「有難うございます。」と私は言った。私にはこの言葉しか見出せなかった。しかも私はそれをいかにも冷かに言った。――「どうか私を祝福して下さい。」と私は同じ調子でつゞけた。実を言えば私は十分ほど前から例の痛み、それも今までになく激しい痛みと闘っていたのだ。ところで痛みだけならまだしも我慢が出来たろうが、今はそれに伴う嘔吐感がまったく私を意気沮喪させていた。私たちは扉口に立っていた。――「君は今苦難の裡にいる。君こそわしを祝福して呉れるべきだ。」と神父さんは答えた。神父さんは私の手を取って、素速く自分の額まで上げ、そして出ていった。なるほど風もひどくなってはいたが、私は初めて神父さんがその高い背丈を真直に立てないのを見た。神父さんはすっかり身を屈めて歩いていた。
神父さんの出ていったあと、私は暫く台所に腰掛けていた。あまり反省する気がしなかった。私はこんなことを考えていた。自分に起こることが自分の眼には非常に重大に見える。それは私が自分に罪がないと信じるからだ。確かに慎重さを甚だ欠いた司祭が多いし、私の非難されるのも他《ほか》ならぬその点だ。感動が伯爵夫人の死を早めたということは大いに有りそうなことだ。たゞトルシイの主任神父さんの間違っているのは私と夫人との会話の真の性質についてだ。おそらくひどく奇妙に思われるだろうとは思うが、こうした考えが私には慰めになった。絶えず我が身の至らなさを嘆きながら、凡庸な司祭の間に伍することをどうしてそれほど躊躇しよう? 小学校時代の好成績は当時貧乏人の小伜の私の心にはあまりに快かったし、その思出は否応なく私の胸に留まっていた。優等の――あまりに優等の生徒だった者が、今日《こんにち》劣等生と並んで後方の席に著かなければならないという考えは私には実に忍び難かった。また私はこうも考えた。神父さんの最後の非難は私が最初考えたほど不当ではない。なるほどそれについては私は少しも良心に咎めない。神父さんが突飛だと考える食事の内容も何も私が好んで選んだものではない。私の胃が他の物を受け容れないだけだ。更に私は考えた。それにしても神父さんのこの誤った非難は尠くとも誰の眉をもひそめさせはしまい。神父さんに注意したのはデルバンド先生であり、破《わ》れた壜の滑稽な事件が、まったく根拠の薄弱なその意見をたまたま固めさせたに過ぎないのだろう。
遂には私は自分で自分の取越苦労がおかしくなった。確かにペグリオ婆さん、ミトネ、伯爵、その他幾人かは私が酒を飲むことを知っている。だからどうだというのだ? 同僚の多くに有勝ちなせいぜい貪食の罪に過ぎぬ過失を罪として責めなければならぬというのはあまりに馬鹿げているだろう。ところで神さまも御存じだが、私はこの土地で貪食者の評判はとっていない。
(一昨日《おとゝい》からこの日記を中止している。書き続けるのが厭でたまらなかったのだ。だが熟《つらつ》ら考えて見るのに、正当な細心のためというよりは羞恥心のためではないかと思われる。最後まで書き続けるように努めよう。)
トルシイの主任神父さんの帰ったあと、私は外出した。先ず病人のデュプルイさんを見舞わなければならなかった。行って見ると肩息になっている。だが、医者の言うところによれば軽い肺炎に過ぎないそうだが、肥っているので、心臓が参ってしまったのだ。炉の前に蹲ったかみさんは静かに珈琲を煖めていた。かみさんは何も気附いていなかった。かみさんはたゞこう言った。
「たぶん神父さまの仰有るとおりでしょうよ。この人は死ぬでしょうよ。」暫くして毛布を持ち上げてみて、かみさんはまたこう言った。「へえ、泄《も》らしてるだに、お仕舞えだ。」聖油を持っていった時には、もうデュプルイさんは死んでいた。
駆けたあとで、ジンを割った珈琲の大茶碗一杯を受けたのが間違いだった。ジンは私に嘔き気を催させる。デルバンド先生の断言したことは確かにほんとうだ。私の嘔吐感は満腹感に、気持ちの悪い満腹感に似ている。臭いだけで沢山だ。舌が口の中でまるで海綿のように膨らむ感じがする。
真直ぐ司祭館へ帰るべきだった。自分の居間でなら、人は笑うだろうが、しかし私の痛みに対して闘い、それを鎮める力を私に与える或る種の方法を経験は次第に私に教えていたのだ。病苦に悩む習慣を持つ者は誰でも、痛みというものは慎重に扱わねばならぬことを、そして奸計によって屡々これを満すことができることを遂には悟るようになるものだ。痛みにはそれぞれ個性があり、また嗜好があるが、そのどれも質《たち》が悪く、そのくせ阿呆で、一度有効だと分った方法は際限なく役に立つ。要するにその日の襲撃は手剛いぞと感じながら、それに正面から盾突こうとする愚を私は敢えてしたのだった。神さまはそれをお許しになったのだ。それが私を破滅させたのではないかと思う。
日は早く暮れた。悪い時には悪いことが重なるもので、ガルバの持地の近くに何軒か訪ねなければならぬ家があり、その辺りの道はひどく悪かった。雨は降っていなかったが、土は粘土質で、靴底にくっつき、八月だけしか乾かない。どの家でも、私はブリュエイ炭の大きな塊を詰め込んだストーヴの傍らの席に著かされた。顳〓《こめかみ》は人の話が聞えないほど鳴り、私は殆ど当てずっぽうの返事をした。さぞ奇妙な様子に見えたことだろう。それでも私はよく頑張った。ガルバの持地の家庭訪問はいつでも辛い。それは家々が牧場のあちらこちらに散らばっていて、それぞれ遠く距っているからだ。別の日にまた出直す勇気がどうしても出なかった。時々私はそっと手帳を検べて、順に姓名を消していった。表は無限に長く思われた。漸く勤めを果して外へ出た時、あまり気持ちが悪かったので、私は大きな道へ出る気がしなかった。で、森の端《はず》れに沿っていった。この径《みち》を行くと近く訪ねたいと思っていたデュムウシェルの家の直ぐ側へ出る。実はこの二週間、セラフィタは教理問答の稽古に姿を見せないので、父親に一ぺん訊ねて見たいと思っていたのだ。最初はかなり元気に歩いた。胃の痛みはいくらかおさまったようで、たゞ眩暈《めまい》と嘔き気が残っているだけだった。オオシイの森の角を曲ったまではよく覚えている。最初の失神が私を襲ったのはその先だったに違いない。立っていようとして頑張っているつもりでいて、氷のように冷たい粘《ね》ば土を頬に感じた。私はやっと起き上った。藪の中へ取り落した念珠《コンタツ》を探しさえした。頭がまるで働かなかった。トルシイの主任神父さんが描いてみせたような幼い処女マリアの俤が絶えず眼に浮かんだ。そしてどんなに意識をはっきりさせようとしても、始めた祈りは時々自分でもその馬鹿らしさに気附くような夢想に終るのだった。どれだけの間そのようにして歩いていたか、自分でも言えない。幻しはそれが快いものにしろ、不快なものにしろ、いずれにして、身を二重《ふたえ》に折らせるほどの堪えがたい痛みを鎮めはしなかった。だがこの痛みだけがわずかに私を狂人になることから防いでいて呉れたように思う。それは私の夢想の空しい展開中の唯一の固定点のようなものだった。その夢想はこうして書いている今もなお私を追って来る。だが、有り難いことにはそれは私に何の悔いも懐かせない。なぜなら私の意志はそれらをまったく許容せず、その軽率さを非難していたからだ。神の人の言葉はなんと力強いことか! 確かに、私は厳かに断言するが、一般に人々がこの言葉に与える意味に於いては出幻をかつて信じたことはない。なぜならわが身の不肖、わが身の不幸の記憶は殆ど私を去ったことがないからだ。とはいえ私の衷に形造られた幻像が、精神が思いのまゝに許容したり排斥したりできるようなものでなかったことは事実だ。思い切って打ち明けたものかどうか?……
(この所十行抹消。)
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……その可愛らしい手が神の怒りを鎮めた崇高な者、その恩寵に満ちた手……私はその手を眺めていた。それは見えるかと思うと、見えなくなった。痛みが堪えがたくなり、もう一度倒れそうになった時、私はその手に縋った。それは子供の手だった。既に労働によって、灑ぎ洗濯によって荒れた手だった。どう言い現したらいゝだろう? 私はそれが夢であることを欲しなかった。しかも私は眼を閉じたことを覚えている。私は、瞼を開けて、すべての膝がその前では屈する至尊な顔を見ることを恐れた。だが、私はそれを見た。それは同じく何の輝きもない子供の、いや若い娘の顔だった。それは悲しみの顔そのものだった。だがその悲しみは私の心に、私の憐れむべき人間の心に、あくまで近くありながら、しかも近附きがたい、私の識らぬ、私の与り知らぬ悲しみだった。若さの伴わぬ人間的悲しみはないが、その悲しみは苛立ちを伴わぬ爽かさそのもの、受諾そのものだった。それは何か静かな、涯しない、大きな闇を思わせるものだった。我々の悲しみは、要するに、我々の不幸の経験、常に不純な経験から生ずるが、その悲しみは無垢だった、清浄そのものだった。そこで私は不可解に思われたトルシイの主任神父さんの或る幾つかの言葉の意味を悟った。かつては神は何らかの不可思議によってこの純潔な悲しみを蔽わなければならなかった。なぜなら、人間はいかに盲目であり、冷酷であろうとも、この徴《しるし》によって彼らの貴重な娘、彼らの旧い血統の末女、悪魔らがその周囲に咆哮する神聖な人質を認めただろうし、挙《こぞ》って彼らの肉体を以て彼女のために塁を築いただろうから。
なお暫く歩いたように思うが、私は道を逸れて、深い草の中に踏み込んだ。全身ぐしょ濡れになり、靴の中まで雨水は浸みとおった。道を間違えたことに気附いた時には、私は越えられそうもないほど高く茂った生墻の前に出ていた。私はそれに沿っていった。雨水は枝を伝って、頸筋に、腕に注いだ。痛みは次第におさまったが、私は涙のような味のする生温い液体を絶えず吐きつゞけた。ポケットから手巾を取り出すことさえ、とてもできそうに思えなかった。しかも私は少しも意識を失ってはいなかった。私はたゞ自分をあまりに激しい痛みの、いやその記憶の――なぜならその再来の確信は痛みそのものより一層不安だったから――奴隷のように信じていた。そして犬が主人に従うように私はそれに従っていた。私はまた、間もなく自分は倒れるだろう、人々はそこに半死半生の自分を見出すだろう。それは更に一層顰蹙の種になるだろうと考えていた。私は助けを呼んだように思う。突然生墻に凭せていた腕が空を打って、足が地を離れた。おそらく土手の端《はず》れに達したのだろう、道路の石だらけの表面に両膝と額とをぶっつけた。私は立ち上って、なお一分ぐらい歩いたように思った。だがやがてそれは錯覚に過ぎないことに気附いた。闇は突然一層濃くなったように思われ、私はまた倒れたなと考えた。だがこんどはそれは静寂の中へだった。私はそこへ一息に滑り落ちた。それは私の上に閉じた。
眼を開けると、記憶が忽ち甦って来た。夜が明けたように思われた。だが、それは私と向き合って土手の上に置かれた手提燈の光だった。左ての木立の中に別の光が見えた。可笑《おかし》な恰好のヴェランダで、デュムウシェルの家だと一目で分った。濡れたスータンが背にへばりついていた。私は一人だった。
私の頭の真近《まぢか》に手提燈は置かれてあった。光より油煙の方がよけいに出る悪い石油を燈《とも》した厩用の手提燈だった。大きな蛾がその周りを飛び廻っていた。私は起き上ろうとしたが、起き上れなかった。だがいくらか力が出たようだった。もう痛みは感じなかった。漸く上半身が起こせた。生墻の向側に家畜の鳴いたり鼻息を立てたりするのが聞えた。たとい立ち上れたにしろ逃げるには既に遅過ぎ、私を発見した者、やがて手提燈を取りに戻って来る者、の好奇心をじっと堪えるより他に手がないと私は観念していた。だが選りに選ってデュムウシェルの家の近くに倒れるとは何ということだろうと私は考えた。私は膝で立つことが出来た。と突然私たちは顔を合わせた。立っていても相手は跪いている私より高くはなかった。その小さい顔は例によって、いかにも小賢しげだったが、そこに私が最初に認めたものは可笑《おかし》いくらい真面目くさった表情だった。まぎれもないセラフィタだった。私は頬笑んで見せた。彼女は揶揄《からか》っているのだと思ったのだろう、意地の悪い光がそのいかにも子供らしくない眼に射した。私は例によって眼を伏せずにはいられなかった。その時私は彼女があまり清潔でない布片の浮かんでいる水を満たした鉢を手にしているのに気が附いた。彼女はその鉢を膝の間に挟むと、言った。「沼の水を汲んで来たの。その方が安心だから。みんなは従兄のヴィクトオルの婚礼でうちにいるの。私は牛を入れに外へ出たの。」――「ぐずぐずしていて叱られるといけないよ。」――「叱られる? 私、叱られたことなんかないわ。いつか、お父さんが手を振り上げたから、言ってやったわ。私に触って御覧、赤牛《あ か》を悪い草のところへ連れてってやるから。そうすりゃ、お腹が脹んで死んじまうから。赤牛《あ か》はうちの一番いゝ牛なの。」――「そんなことを言うもんじゃない。それは悪いことだ。」――彼女は意地の悪い様子で肩を聳やかすと言った。「悪いというのは、今のあんたのような風になることよ。」私は顔が蒼ざめるのを感じた。彼女は私の顔をまじまじと見ていた。「私、あんたをみつけてよかったわ。牛を追って行く途中木沓《ぐつ》が径へ転がり落ちたんで、降りてったの。死んでるんだと思ったわ。」――「大分快《よ》くなった。立ってみよう。」――「そのまんまじゃ帰れないわ。」――「どうかしているかね?」――「あんた、吐いたのよ。まるで桑の実でも食べたみたいに顔じゅう真赤よ。」私は鉢を取ろうとしたが、それは手から滑り落ちそうになった。――彼女は言った。「ひどい慄え方、さあ、私におさせなさい。私、馴れててよ。そら、そら。ナルシス兄さんの婚礼の時はもっとひどかったわ。えっ、何ですって?」私は歯ががちがち鳴った。彼女は漸く私が彼女に翌日司祭館へ来るように、そうしたらよく訳を話すと言っているのだということを覚った。――「どんなことがあったっていかないわよ。あんたのことを悪く言ったし、そりゃひどいことを言ったんですもの。あんた、私を擲《ぶ》つにきまってるわ。私、焼餅焼きよ、ひどい焼餅焼きよ、牛や馬のように焼餅焼きよ。だけどほかの子たちにも用心なさい。みんな似而非《え  せ》信心家で、偽善者よ。」彼女は話しながら、私の額や頬をぼろ片で拭いた。冷たい水のお蔭でいくらか気分がよくなり、私は立ちあがったが、まだ依然としてひどく震えていた。だが、やがてその震えも止まった。私のための小さいサマリア女は多分自分の働きの結果を一層よく見究めるためだったろう。私の頤の高さまで手提燈を差し上げた。――「よかったら、径の端れまで送ってって上げるわ。穴があるから気をお附けなさい。牧場《まきば》を出れば、それから先は一人でも大丈夫だわ。」彼女は先に立って歩き出した。それから径が広くなると、私と並んで歩き、なお二三歩行ってからおとなしく私に手を藉《か》した。私たちはどちらも物を言わなかった。牝牛どもが物悲しげな鳴声を立てゝいた。遠くで戸の軋る音が聞えた。――「私、帰らなきゃならないわ。」と彼女は言った。だが彼女は直ぐには立ち去らず、私の前にその小さい両脚を踏《ふ》んまえて立った。「帰ったら直ぐ床《とこ》に入ることを忘れないようになさいね。それが一番いゝわ。でもあんたには珈琲を煖《あつた》めて呉れる人が誰もないのね。奥さんのない人、ほんとに不自由で不倖せだと思うわ。」私は彼女の顔から眼を離すことが出来なかった。あくまで浄らかなその顔を除いては、すべてが萎《しな》びて、殆ど年寄染みていた。この額がこれほど浄らかであろうとは夢にも思わなかった。――「ねえ、さっき言ったこと、本気にしないでね。私、あんたがわざとしたんじゃないってこと、よく知ってるわ。あの人たち、あんたのコップに薬を入れたのよ。面白がってした悪戯《いたずら》よ。でも私のお蔭で、あの人たち、何も気が附かないわ。あの人たち、すっかり鼻を明《あ》かされたのよ……」――「あまっ子、何処にいるだ?」それは彼女の父親の声だった。彼女は、片手に木沓《きぐつ》を、片手に手提燈を取って、猫ほどにも音を立てずに、土手を飛び下りた。「叱《し》っ! 早くお帰んなさい! 昨夜《ゆんべ》も私、あんたの夢を見たわ。あんた、今のように悲しそうな様子をしてたわ。私、泣き泣き眼を覚ましたわ。」
司祭館に帰ると、先ずスータンを洗わねばならなかった。布は硬ばっていて、水は赤くなった。私は自分が沢山血を吐いたことを知った。
寝しなに私は夜が明け次第リル行きの汽車に乗る決心を殆ど附けていた。もしもデルバンド先生が生きていたら、真夜中でもきっとデエヴルまで駈けていったろうと思われるほど私の愕きは激しかった。――死の惧れは後になって起こったのだった。ところが私の予期していなかったことが、その時も例によって、起こったのだった。私は一息《ひといき》に眠って、鶏鳴と共に、非常に気持ちよく目を覚ました。どんな剃刀でも手におえぬ、どう見ても渡り職人か、荷車挽きのそれとしか思えぬような頤鬚に何度も剃刀を当てながら、自分の不景気な顔を眺めた時、思わず噴き出したほどだった。……結局、私のスータンに浸みていた血は鼻血かも知れなかった。このような尤もらしい仮定がどうして先ず心に浮かばなかったのだろう? だが出血は私の短い失神中に起こったものらしかったし、意識を失う前私は激しい嘔吐感を催していた。
とにかく今週中に間違いなくリル市へ診察を受けにいこう。
ミサの後で、留守にする場合代って貰うことを頼むためにオオコルトの同僚を訪問する。あまり親しくない司祭だが、私とほゞ同年輩で、信頼できる人のように思われる。せいぜい洗ったのだが、私のスータンの胸当ては二《ふた》目と見られなかった。赤インキの壜が箪笥の中でひっくり返ったのだと話したら、彼は親切にも古い外衣を貸してくれた。彼は私のことをどう思ったか、その眼の裡を読むことは出来なかった。
トルシイの主任神父さんは昨日《きのう》アミヤンの病院へ入院した。狭心症の発作で、大したこともないが、看護婦を附ける必要があるという話だった。神父さんは患者用の自動車に乗ってから、私宛に鉛筆の走り書きの手紙を残した。「粗忽先生、神さまによく祈りなさい。そして来週アミヤンへわしに会いに来なさい。」
聖堂を出ようとするところで、ルイズ嬢にぱったり出遭った。私は彼女がもう此の土地を遠く離れたものと思っていた。彼女はアルシュから歩いて来たのだった。靴は泥だらけで、顔は汚く、窶れていて、穴だらけの毛糸の片方の手套からは指が覗いていた。前にはあんなに身嗜みがよく、きちんとしていたものを! 私は見るに堪えなかった。だが、最初の一言で、彼女の苦痛が到底打ち明けがたい種類のものであることを私は覚った。
給金はもう半年も払って貰えず、伯爵の公証人は到底《とても》承諾できない解職条件を出しているし、アルシュを離れることもならず、宿屋住まいをしているということだった。「御前様《ごぜんさま》はさぞお淋しくおなりでしょう。あの方は弱い、利己的な、古い習慣を突き破れない方です。お嬢さまには猫の前の鼠です。」それが何か敢えて言わぬが、彼女がなおも或るものを希望していることを私は覚った。彼女は以前と同じように努めて婉曲な物言いをし、時折伯爵夫人とそっくりな声を出し、近視の眼をしばたゝく癖までそっくりだった。……謙遜は立派だが、歪《ゆが》んだ虚栄心は見辛《づら》いものだ!……
「奥様までが私を奉公人扱いなさいました。でも私の大伯父のユウドゥベエル少佐は伯爵家とは親戚筋のノワゼル家の者を娶っているのです。神さまが私にお下しになった試煉は……」思わず私は遮らずにはいられなかった。「そんなに軽々しく神さまの名を口にしてはなりません。」――「私を非難し、私を軽蔑なさることはあなたにとっては容易《たやす》いことです。孤独がどういうものかあなたにはお分りになりません!」――「誰にも決して分りはしません。誰も決して自分の孤独の底を見極めることはできません。」――「でも、あなたにはお勤めがおありです。日は早く経《た》ちます。」私は思わず微笑した。――「あなたは今直ぐこの土地を離れて、遠くへ行かねばなりません。あなたが当然受けるべきものは私が受け取って上げることを約束します。そしてあなたの指定なさる場所へそれを送って上げましょう。」――「きっと、お嬢さんのお蔭ででしょう? 私はあのお子さんのことはちっとも悪く思っていません。私はあの方を赦しています。あの方は激しいけれど、心の寛い方です。私、時々思います、打ち明けて話し合ったら……」彼女は片方の手套を脱いで、それを神経質に弄んでいた。たしかに彼女は私に同情の念を催させたが、またいくらか嫌悪の念をも催させた。私は言った。「せめて自尊心が、もともと無益な或る種の行動を、あなたに控えさせる筈です。飛んでもないことは、あなたが私をそれに関係させようとして居られることです。」――「自尊心ですって? 主人たちと殆ど同等に尊敬されて、幸福に暮していた土地を離れて、乞食のように出て行くことをあなたは矜持と仰有るんですか? 昨日《きのう》も市場で、前には額が地面に触れるほど叮嚀な挨拶をした百姓たちが知らぬ顔をしました。」――「あなたの方でも知らぬ顔をしたらいゝでしょう。自尊心をお保ちなさい。」――「自尊心、自尊心って仰有るけれど、いったい自尊心って何です? 自尊心が神学上の徳の一つだなんて、私、夢にも思いませんでしたわ。……あなたがその言葉を口になさるのを伺って意外にさえ思いますわ。」――「失礼ですが、もしもあなたが司祭としての私に物を言って居られるなら、私はあなたに罪の宥しを与える権利を得るためにあなたの罪の告白を要求するでしょう。」――「そんなことを私は何も望んではいません。」――「ではあなたに理解できる言葉でお話しすることをお許し下さい。」――「人間的な言葉でと仰有るんですか?」――「どうしてそれがいけないでしょう? 自尊心を超越することは立派なことです。いや本当は其処まで達しなければならないのです。世間で謂う名誉に就いて語る資格を私はもちません。それは私のような憐れな司祭のための会話の題目ではありません。ですが私は時々人々が名誉をあまりに安価に扱い過ぎるように思います。悲しいかな、私たちはみんな泥の中に寝るのを喜びます。疲れ果てた心には泥は爽かに感じられます。そして羞恥は、分りますか、一種の眠りです、深い眠りです、夢のない陶酔です。もしも自尊心の最後の残りが憐れむべき人間を必ず立ち直らせるものとしたら、何で細かいことを言う必要がありましょう?」――「私がその憐れむべき人間だと仰有るんですか?」――「そうです。ところで私が敢えてあなたを辱しめるのは、おそらくあなたをあなた自身の眼に永久に恥ずかしいものにするにちがいない一層悲痛な、償いがたい屈辱をあなたに避けさせることができると希望するからです。シャンタル嬢にもう一度会う計画はお捨てなさい。でないと、あなたは徒らに我が身を卑しめることになるでしょう。あなたは踏み蹂られるでしょう。……」私は口を噤んだ。彼女が強いて反抗し、怒ろうと努めていることが私には分った。私は出来れば同情の言葉をみつけたいと思ったが、私の頭に泛かんだ言葉はどれも彼女に我が身を憐れませ、不覚の涙を催させることにしか役立ちそうもなかった。この時ほど私は或る種の不幸に対する自分の無力を痛感したことはなかったし、そうした種類の不幸には私がどんなに努力しても関与することができないことを知った。――彼女は言った。「そうです、お嬢さまと私とどちらを立てるかと言われゝば、あなたは躊躇なさらないでしょう。私は無力なものです。あの方は私を打ち砕いてしまわれるでしょう。」この言葉は伯爵夫人との私の最後の会話の文句を思い出させた。「神さまはあなたを打ち砕かれるでしょう。」と私はあの時叫んだのだった。このような思出は、この瞬間、私には苦痛だった。「あなたの衷には打ち砕かれる何物もありません。」と私は言った。私はこの言葉を悔んだ。併し今は悔まない。それは私の心から出た言葉だった。「あなたはお嬢さまに操られていらっしゃるのです。」と彼女は、悲しい泣き笑いを顔に泛かべながら、言った。「あの方はあなたを憎んでいます。一《ひと》目見た時からあなたを憎んでいるのです。あの方は悪魔のような洞察力をもっています。それに何という悪賢しさでしょう! 見込まれたら最後、逃れることはできません。あの方が一足外へ出れば、子供たちはあの方の後を追いかけます。飴をしゃぶらされている子供たちはあの方の言いなり放題です。あの方は子供たちにあなたのことを話し、教理問答の稽古の何だか知らない話をし、あなたの歩きつきや声の調子まで真似します。あの方はあなたが邪魔で仕方がないのです。それははっきりしています。あの方は邪魔者は、嬲り者にし、相手が参るまで追求します。もとより仮借しません。一昨日《おとゝい》も……」私は胸を突かれたように感じた。――「お黙りなさい!」と私は言った。――「でもあなたはお嬢さまがどういう方かお知りにならなければなりません。」――「私は知っています。あなたはあの人を理解出来ません。」と私は叫んだ。彼女はその憐れな辱しめられた顔を私の方へ差し出した。その蒼い、殆ど灰色の頬の上には、風が涙を乾かしていた。それは頬骨の暗い窪みへと隠れている光る条をなしていた。――「私は、フランソワが留守だったので、代って食卓の給仕をした園丁助手のファムションの話を聞きました。お嬢さまはすべてをお父さまに話し、二人はお腹をかゝえて笑ったそうです。あの方はデュムウシェルの家の近くで小さい本をみつけました。その最初の頁にあの方はあなたの名を読みました。そこであの方はセラフィタに問い訊《ただ》そうと考え附きました。あの子は、いつものように洗い渫い喋ってしまったのです。……」私は口が利けず、呆気《あつけ》にとられて、彼女の顔を眺めていた。彼女が彼女の復讐を味っていると思われるその瞬間に於いてすら、怒りは家畜の諦めのそれに似た色しかその悲しげな眼に与えることはできなかった。たゞその頬は心持ち上気していた。――「あの子は路端《みちばた》で鼾をかいていらっしゃるあなたをみつけたとか……」私は彼女に背を向けて歩き出した。彼女は後を追って来た。彼女の手を私の袖の上に見た時、私は嫌悪の身振りを抑えることができなかった。やっとの思いで私はその手を取って静かに押しのけた。私は言った。「こゝをお去りなさい。あなたのためにお祈りしましょう。」結局私は彼女を憐れまずにはいられなかった。「すべてが解決するでしょう。それをお約束します。伯爵に会いましょう。」彼女は、傷ついた獣《けもの》のように、項垂《うなだ》れて、稍々斜めに、足早に遠ざかった。
ラ・モットブウヴロンの司教座参事さんはたった今アンブリクウルを立ち去った。私は再び彼には会わなかった。
今日《きよう》セラフィタを見かけた。彼女は土手に腰を下ろして、牝牛の番をしていた。私は近寄った。が、多くも行かぬ中に、彼女は逃げ出した。
・・・確かに私の小心は暫く前から真の強迫観念の性質を帯びて来た。誰か通りすがりの者の視線が自分に注がれているのを感じると忽ち後戻りせずにはいられぬ子供らしい訳の分らぬ恐怖を抑えることが容易ではない。胸はどきつき、相手がこちらの「今日は」に答えるのを聞くまでは息もつけない。しかも相手がそれに答える時には、自分はもうその希望を失っている。
だが、人々の好奇心は私を逸れてゆく。私に対する判断は既に下された。それ以上何を望もう。今後人々は私の行為については尤もらしい。手慣れた、危《あぶな》げのない解釈を下せるから、私などは放《ほ》っておいて、他の重大な事柄に帰ることができる。人々は私が――独《ひと》り、こっそりと――酒を飲むことを知っている。それで十分だ。たゞ残るのは、もちろん私自身どうにもならぬ、この、酒呑みには似合わしからぬ血色の悪さ、陰気な顔附きだ。これが人々の気に障る。
・・・私は木曜の教理問答の稽古をひどく怖れていた。中等学校の隠語にいわゆる「騒ぐ」というあれを惧れていたのではない(百姓の子たちは決して騒いだりはしない)。惧れていたのは耳こすりや薄笑いだった。ところが一向何も起こらなかった。
セラフィタは真赧《まつか》になって、息を切らして、遅れてやって来た。少し跛を曳いているようだった。稽古が終って、私が終業時の祈りを誦えている時、私は彼女が仲間の後方《うしろ》を擦り抜けてゆくのが見えたが、皆がアーメンを誦えるか誦えないかに、もう石畳の上に彼女の待ちかねたような沓音を聞いた。
人気のなくなった聖堂の説教壇の下で私は、あまり大き過ぎて前掛のポケットに入らぬため、彼女がよく忘れてゆく白い縞の入った空色の大きな手巾《ハンケチ》をみつけた。この大切な品を忘れたまゝで彼女が到底《とても》家へは帰らないだろうと私は考えた。なぜなら彼女の母親は始末屋《しまつや》で知られているからだ。
果して彼女は戻って来た。彼女の席まで、一《ひと》息に、音も立てずに(靴は脱いでいた)走って来た。前よりもひどく跛を曳いていたが、聖堂の奥から呼ぶと、再び殆ど真直に歩いた。――「そら、お前の手巾《ハンケチ》だ。忘れてはいけないよ。」と私は言った。彼女は真蒼だった。(そんな風な彼女を私は滅多《めつた》に見たことがない。ちょっとした感動にも彼女は真赧《まつか》になるのだった)。彼女は私の手から手巾《ハンケチ》を一《ひと》言の礼も言わずにひったくった。それから痛む脚を曲げたまゝ暫くじっとしていた。――「ゆきなさい」と私は優しく言った。彼女は扉口の方へ一歩進んだが、その小さい肩をきっと揺《ゆ》すると、真直に私の方へ戻って来た。――「お嬢さんが最初私に無理に口を割らせたのです。(彼女は私の顔を覗き込むために爪先だっていた。)それから後《あと》は、……後は……」――「後は、進んで話したのだろう? 仕方がない、娘はお喋《しやべ》りなものだ。」――「私はお喋りではありません。私は性悪るです。」――「ほんとかね?」――「ほんとです。神さまも照覧あれ?(彼女はインキで汚れた親指で額と唇とに十字架の印をした。)私はあなたがほかの子たちに言ったことを覚えています、――優しい言葉をかけたり、褒めたりしたこと。ねえ、あなたはゼリダを可愛い子って言ったでしょう。あの汚ならしいでぶを、可愛い子だなんて! あなた、よっぽどどうかしているわ!」――「お前は焼餅を焼いているのだ。」――彼女は彼女の考えの奥底を覗こうとするかのように眼を細めて深い溜息をついた。――彼女は口の内で呟いた。「だけど、あんたはあんまりむずかしい顔をしてるんで、みっともなく見えるわ。それはあんたが悲しんでるからよ。微笑《わ ら》ってる時でも、あんたは悲しそうだわ。なぜあんたが悲しんでるかが分ったら、私はもっといい子になると思うわ。」――「神さまが愛されていないから、私は悲しいのだ。」彼女は首を振った。彼女の乏しい髪の毛を頭のてっぺんで束ねてある汚ならしい空色のリボンが解けて、頤のあたりまで垂れ下っていた。もちろん私の言葉は彼女にはひどく不可解に思われた。しかし彼女は深く考えようとはしなかった。「私も悲しいわ。悲しいことはいゝことだわ。罪の償《つぐな》いになるって、よく考えるわ。……」――「じゃあ、お前は沢山罪を犯すね?」――「仕方がないじゃありませんか。(彼女は咎めるような、同気相求めるような眼附きをした。)男の児がそれほど面白いからじゃないわ。男の児なんて詰らないわ。なんて馬鹿なんでしょう! まるで気違い犬だわ。」――「お前は恥ずかしく思わないかね?」――「えゝ、そりゃあ恥ずかしく思うわ。イザベルとノエミと私とはあの砂を採るマリコルヌの丘の下でよく男の児たちと一緒になるの。初めは砂滑りをして遊ぶの。確かに私がいちばんお転婆だわ。だけど、皆がいってしまうと、私は死人《しびと》遊びをするの……」――「死人遊び?」――「えゝ、死人遊びよ。砂の中へ穴を掘って、その中へ、両手を組み合わせて、眼を瞑《つむ》って、仰向けに寝るの。ちょっとでも身動きをすると、砂が襟首へも、耳へも、口の中へさえも入りこんで来るの。私はそれが真似でなくて、ほんとうに死んだんだといゝと思うわ。お嬢さんに喋ったあと、私はあそこに何時間もいたわ。帰るとお父つぁんに撲《ぶ》たれたわ。私、珍らしく泣いちゃったわ。」――「じゃあお前は滅多に泣かないんだね?」――「ええ。泣くなんて、嫌だわ、みっともなくって。泣くと、悲しみが消えて、心がバタのように溶ける、ペッ! だから、何か、ほかの……ほかの泣き方をみつけなきゃならないわ。こんなこと馬鹿げてると思う?」――「いや。」私は答えるのを躊躇した。ほんの僅かな不注意も永久にこの小さい野獣から私を遠ざけてしまうように思われた。――「いつか、祈りこそその泣き方、卑怯でない涙であることがお前にも分るだろう。」祈りという言葉が彼女に眉をひそめさせた。彼女の顔は猫の顔のようにしゃくれた。私に背を向けると激しく跛を曳きながら遠ざかっていった。――「どうして跛を曳いてるのだね?」彼女は首だけをこちらへ向けて、いつでも逃げ出せる恰好で、ぴたりと立ち止まった。それから例のように両肩をすくめた。静かに近附くと、灰色の毛糸のスカートを自棄《や け》にたくし上げた。靴下の破れ目から紫色になった脚が見えた。――「あゝそれで跛を曳いてるのだな。どうしたのだ?」後ろへ跳びのく彼女の手を急いで私は捕えた。身を〓く拍子に脹脛《ふくらはぎ》の少し上の部分が現われたが、そこを太い紐で茄子色の二つの大きな瘤っ玉が出来るほどきつく縛ってあった。手を振りほどくと、彼女は腰掛の間を片脚でチンチンをしながら逃げていった。漸く扉から一二歩のところで私は彼女を再び捕えた。その真面目くさった様子に私は頓《とみ》には口が利けなかった。――「お嬢さんに話したことを自分で罰するためよ。今夜まで縛っておこうと思ったの。」――「そんなもの、お切り。」小刀を差出すと、彼女は黙って従った。だが突然血が動いたのがひどく痛かったと見えて、激しく顔をしかめた。支えてやらなかったら、きっと、倒れたろう。――「もう二度とこんな真似はしないと約束しなさい。」彼女は相変らず真面目くさった顔附きで点頭《うなず》くと、壁を伝わりながら、出ていった。神様、どうぞあの娘をお守り下さい!
・・・昨夜また少し血が出たが、こんどこそどうしても鼻血とは思えなかった。リル市へ行くのを次々と延ばしているのはよくないと思われたので、十五日という日を指定して医者に手紙を書いた。一週間後には……
ルイズ嬢にした約束を果した。伯爵邸を訪ねることは実に辛かった。幸い門から玄関へかゝる道で伯爵に遭った。伯爵は私の要求に少しも驚いた様子が見えなかったばかりか、寧ろ予期していた様にさえ見えた。私も案外上手にやってのけた。
・・・折返し医者からの返事で、指定の日を承諾して来た。私は診察が済み次第翌朝直ぐに帰ることができる。
葡萄酒の代りに、うんと濃い牛乳抜きの珈琲を摂る。具合がいゝ。だがこれをやると夜眠れなくなるが、眠れないことはたいして苦痛でなく、却って時には気持ちがいゝくらいだが、動悸が激しくなるのがどうも心配だ。夜明けが来るといつもほっとする。神さまのお恵みのようであり、微笑のようである。朝は有り難いものだ。
どうやら食慾らしいものもつき、元気もいくらか恢復した。それに天気もよく、寒いがからっとしている。牧場は一面に真白な霜だ。村は秋とはまるで違って見える。空気が澄んだために重苦しさがすっかり消えたようだ。陽が傾き初めると、村は宙に浮かんだようで、地を離れて、飛び立つように思われる。私だけがひどく身重で、地面にへばりついているようだ。時々その感じがあまりに強く、私は一種の恐怖心を以て、また名状しがたい反撥心を以て自分のドタ靴を眺める。この光の中で何をしているのだ? 私は靴が地へもぐり込んでゆくように思われる。
もちろん私は前よりもよく祈る。だが私の祈りは様子が変った。私の祈りは前には執拗な嘆願の性質を帯びていた。例えば日祷書の文句が私の注意を惹いたような場合には、私は自分の心の中で神との、或る時は懇願するような、或る時は性急で、権柄ずくな調子の――そうだ、私は神の恵みを強奪し、神の優しさにつけ込もうとしたのだ――会話が続けられるように感じた。今では何によらず望むことが困難になった。村と同じように、私の祈りもふわふわとして、宙に浮いている。……これがいゝことか、悪いことか、私には分らない。
・・・また少量の吐血、というよりは唾に血が混っていた程度だ。死の恐怖が頭を掠めた。いや、もちろん死の考えは屡々私に起こり、時には危惧の念さへ起こさせる。が、危惧と恐怖とは異る。だがそれはほんの一瞬のことだ。その瞬間的の印象を何に喩えたらいゝだろう。心臓を鞭でぴしりと打たれるとでも形容したらいゝだろうか。……あゝ、ゲッセマニの園に於ける主の御苦しみ!
きっと肺をやられたのだろう。だがデルバンド先生は叮嚀に診察して呉れた。僅か数週間では結核は大して進行はしない。それにこの病気には精神力と治療の意志があれば打ち克つことができる。私にはその両方がある。
トルシイの主任神父さんが皮肉にも家宅捜索と呼んだ信者の家庭訪問を今日《きよう》終る。若しも私が同僚の多くの好んで用いる語彙を厭わないならば、私はそれらが甚だ「有望」だったと言おう。しかも用心して後廻しにしたものが案外好結果だったのだから、どうも何となく信が置きかねる。……急に事が円滑に運ぶようになったのはいったい何のためだろう? 自惚れか? それとも神経が太くなったのか? それともまた皆が私の取るに足らないことを知って気を許したのか? なんだか夢のようだ。
(死の恐怖。こんどは前ほどに激しくなかったように思う。だが、胸の何処といって分らぬ或る点を中心にして全身に伝わるこの戦慄、この痙攣は実に奇妙だ。……)
・・・私は廻り合った。だが要するにそれは少しも驚くべき廻り合いではない! 現在のような私の状態ではどんな些細な出来事もまるで霧の中の風景のようにその正確な釣合いを失ってしまう。要するに私は友に廻り合ったらしいのだ。友情の啓示を受けたのだ。
この告白は私の同窓の多くの者には意外に思われるだろう。なぜなら私は青年時代の好誼に対しては甚だ忠実な人間として通っているからだ。他人の祝い日をよく覚えていて、例えば叙品の記念日には必ず祝辞を呈することを忘れない正確さは有名で、よく笑い草にされるほどだ。だがそれは好誼に過ぎない。今私は俗界の人々が好んで恋愛の啓示にしか認めないような突然さを以て友情も亦二人の人間の間に起こり得るものであることを知った。
さて話というのはこうだ。私がメザルグへ向かって歩いていると、遠く後ろに風のまにまに、また道の屈曲に従って大きくなったり小さくなったりするあのサイレンの音を、あの轟音を聞いたのだ。数日前から皆がそれを聞き馴れていて、誰ももう首を上げるものはない。人々は軽く「あゝ、オリヴィエさんの自動自転車だ。」と言う。ピカピカ光る小さい機関車に似た途方もなく大きな独逸製の自動自転車だ。オリヴィエさんはほんとはトゥレヴィル・ソムランジュと言って、伯爵夫人の甥だ。その子供の頃を知っている土地の老人たちはこの人のことというと話の種が尽きなかった。ひどい利《き》かん坊で、十八の歳に軍隊に志願させられた。
私は坂の上で一息入れていた。モーターの音は暫く聞えなかった(おそらくディヨンヌの急な曲り角のためだったろう)が、やがてまた突然聞え出した。それは小獣共を縮み上らせる焼糞な野獣の咆哮に似ていた。と、思うと間もなく坂の頂上に光芒がさっと射した――陽が磨きたてた鋼鉄に真面《まとも》にあたったのだ――そしてもう車は力強い喘ぎと共に坂の下へ沈み、一跳びに跳びはねたようにまた上《のぼ》って来た。道を開けるために脇へよった時、私は心臓が胸の中ででんぐり返るように感じた。やっと我に帰ると音はいつか止んでいた。ブレーキの鋭い軋《きし》みと、タイヤが地をこする音だけが聞えていた。が、やがてその音も止んだ。静寂が私には叫喚よりも大きく思われた。
ジャケットの襟を耳許まで立てた、帽子無しのオリヴィエさんが私の前に立っていた。私はかつてそんなに近く彼を見たことはなかった。落ち著いた注意深い顔附きで、その眼はその正確な色合いを言うことができない程澄んでいた。彼は私を見て微笑《わ ら》っていた。
――「乗って見たかありませんか? 神父さん!」と彼は優しくて、同時に凜とした声音で尋ねた。――あゝ、私は直ぐに気附いた。それは伯爵夫人の声そっくりだった。(私は人の顔はあまりよく覚えない方だが、声の記憶は実にいゝ。私は一度聞いた声は決して忘れないし、それを愛する。眼に見るものに気を散らされぬ盲人たちは声から多くのものを知るに違いない。)――「えゝ、乗ってみたいですねえ。」と私は答えた。
二人は無言で見合っていた。私は彼の眼の中に驚きを、また幾分の皮肉の色を読んだ。燦爛たる彼の車に対して、私の司祭服は暗い悲しい汚点《し み》のように見えた。まるで奇蹟のように私はその時自分を若く、いかにも若く――そうだ、いかにも若く――その晴れ渡った朝のように若く感じた。電光のような素速さで私は自分の悲しい青春を見た――それは溺死者が沈む前に全生涯を思い浮べるというそんな風にではなかった。なぜならそれは決して瞬時に繰りひろげられた一聯の情景ではなかったからだ。それは私の前に一箇の人格の如くに、一箇の存在の如くにあった(それが生きていたか、死んでいたかは神さまだけが御存じだ!)。だがそれに見覚えがあったかどうかは確かでない。なぜなら――いや、こんなことを言うと奇妙に思われるかもしれないが――私はそれを初めて見たからであり、未だかつて見たことがなかったからだ。それはかつて私の傍らを通り過ぎた――恰も或る期間私の仲間になり、それぎり永久に去っていったあんなに多くの他人が私の傍らを通り過ぎていったように。私は一度も若かったことはなかった。それは私にその勇気がなかったからだ。私の周囲でも、おそらく人生はその進行を続け、私の同輩は青春を識り、味ったことだろう。私はそれについて考えないように努め、脇目も振らずに勉強したのだ。もちろん同輩との好誼は私にも無くはなかった。だが私の親しい友人たちもそれと気附かぬながら、私の幼年時代が、貧困の、汚辱の幼年時代の経験が、私に印した痕を恐れたにちがいない。私は彼らに心を開くべきだった。そして私が言おうと希ったことは、まさに私が何とかして隠したいと望んだことだったのだ。……あゝ、それが今私にはなんと容易に思われることだろう! 私はかつて若さを体験しなかった。それは誰も私と若さを共にすることを欲しなかったからだ。
そうだ、事は突然私に容易に思われた。この記憶は永久に私を去らないだろう。晴れ渡った空、陽を透す鹿の子色の霧、霜の消えやらぬ坂道、そして静かに陽光の中に喘いでいる目映《まばゆ》く光る車。……私は青春が祝福されたものであることを――それが一種の冒険であることを――だがその冒険そのものが祝福されたものであることを悟った。そしてまた私は説明のつかぬ一種の予感から、私も亦その冒険のいくらかを――それは時が到ったならば私の犠牲が全きものとなるためにおそらく十分なだけ――体験せずに死ぬことは神さまが望まれぬことを知っていた。……その貧しい光栄の一瞬を私は体験したのだ。
こうした平凡な廻り合いについて、このように語ることが馬鹿げて見えることは、自分でも感じる。だが構わない! 幸福に出遭って笑止なまでに慌てないためには幸福という言葉を口にするのもやっとなぐらいの幼少の時からそれを味う必要がある。私には、たとい一瞬でも、そんな落ち著き、そんなゆとりを持つことはできないだろう。幸福! 一種の誇り、愉悦、馬鹿げた、純粋に肉体的な希望、希望の肉体的形体、それが幸福と呼ばれるものだと思う。要するに私は私と同じように若いこの道連れの前で自分を若く、真に若く感じた。私たちは二人とも若かった。
――「何処へおいでです、神父さん?」――「メザルグへ。」――「まだこれにお乗りになったことはありませんか?」――私は思わず笑い出した。これが二十年前なら、今こうやってモーターの緩い回転で震動している細長いタンクを撫でるだけで嬉しさに気も遠くなったろうと私は考えていた。だが私は貧乏人の子供にはお伽話のような機械仕掛の玩具、走る玩具を持ちたいと望んだ記憶は持たなかった。だがそうした夢は確かに私の心の奥底に手附かずに残っていた。そしてそれは過去から泛かび上り、おそらくは既に死の手に触れられている私の憐れな病める胸の中に突然爆発した。それはそこに太陽のように輝いていた。
――「いや正直、驚きましたよ。怖かありませんか?」――「いゝえ。どうしてです?」――「いや、どうしてってこともありませんが……」――「ねえ、こゝからメザルグまで私たちは誰にも遭わないと思います。私はあなたが人に笑われることを惧れます。」――「これはうっかりしていました。」と彼は暫く黙っていた後で言った。
私はかなり乗心地のよくない小さい補助サドルにどうにか攀じ登った。と忽ち前面の長い下り坂が背後に飛び去るように見えて、モーターの高い音は異常に澄んだ単一な音調しか聞えないまでに絶えず高まっていった。それは光の歌、いや光そのものだった。そして私はその大きなカーヴ、その途方もなく大きな上昇線を眼で追うように思った。風景は私たちの方へ迫って来るとは見えなかった。それは四方に展けた。そして道路がさっと横に滑ったと思うと、別世界の扉のようにそれは大らかに回転した。
走った道のりも、時間も私には測ることができなかった。私はたゞ速く、非常に速く、益々速く走ったことだけを知っている。疾走によって生ずる風は最初のように私が全身の重みで凭りかかった障碍物ではなくなり、眼の眩むような通路、驚くべき速さで旋回する二本の龍巻の間の真空になった。私は二つの液体の壁に似たそれが私の左右に流れるのを感じた。そして腕を離そうとしても、それは私の腋に抗しがたい力で貼りついていた。そんな風にして私たちはメザルグの曲り角に達した。操縦者はちょっと私の方へ振り返った。高い補助サドルに乗っているので私は首だけ彼より高かった。で彼は下から私を見上げる形になった。「気をおつけなさい!」と彼は言った。眼は緊張した顔の中で笑い、風は長い金髪を頭上に真直に吹き立てゝいた。私は道端の土手が私たちの方へ飛んで来たかと思うと、忽ち横っ飛びに飛び去るのを見た。広い視界が二度ほど揺れたかと思うと、もう私たちはジェエヴルの下り坂にかゝっていた。オリヴィエさんは何か叫んだが、私は笑いで答えた。私は一切のものから遠く解き放たれて、幸福に感じていた。私の顔附きは、私をおそらく怖がらせたろうと信じていた彼には、意外だったことをやがて私は覚った。メザルグは私たちの背後にあった。だが私には抗議を言う勇気など出なかった。仮に徒歩で一時間かゝって引返したところで、それでも時間の得だと私は考えた。
私たちは司祭館へ往きよりは大人しく帰って来た。空には雲が出、刺すような北風が僅かに吹いていた。私は夢から酲めたように感じた。
幸い道には人気《ひとげ》がなく、薪を束ねていたマドゥレエヌ婆さんを見掛けただけだった。婆さんは振り向いても見なかった。私はオリヴィエさんがそのまゝ伯爵邸へ乗りつけるかと思っていたら、彼はちょっと寄ってもよいかと尋ねた。私はどう答えていゝか分らなかった。私は彼を持て成すためなら何だって提供したろう。なぜなら私のような百姓出の者の頭からは軍人はいつでも腹が減って咽喉が渇いているという考えをどうしても抜き去ることができなかったからだ。人前には出せない濁った煎じ茶のような私の葡萄酒を彼に薦める勇気はどうしても出なかった。で、私たちは盛んに火を熾して、彼はパイプに煙草を詰めた。――「残念なことに僕は明日立たなきゃなりません。でなきゃまたやることができるのに……」――「一度験《ため》して見れば結構です。村の人たちは主任司祭が急行列車のような速さで道を走るのを見るのはあまり好まんでしょう。それに下手をすると死ぬ危険があります。」――「あなたはそれを恐れますか?」――「いゝえ。……ちっとも。……が司教さんがどう思われるでしょう?」――「僕はあなたがすっかり気に入った。僕たちはもっと早く友達であるべきだった。」――「私が、あなたの友達ですって?」――「えゝ、そうですよ。だがあなたのことはよく知っていますよ。邸では始終あなたの噂をしている。」――「碌な噂じゃないでしょう?」――「いや……私の従妹《いとこ》は気ちがいだ。あれはほんとのソムランジュだ。」――「それはどういう意味です?」――「そう、僕もソムランジュ家のものです。貪婪で冷酷で、その上どうにも手に負えぬところがある。これは僕らの心の中に確かに悪魔の息のかゝったものがあるからで、これが僕らを、僕ら自身に対してむきに敵対させるのであり、そのために僕らの美徳も悪徳に似、神さまさえも僕ら一家の中の聖人たち――仮にそれが偶然存在するとして――と悪童共とを区別することは困難でしょう。僕らに共通な唯一の美点は感傷を蛇蝎視することです。他人と喜びを共にすることを嫌う代りには、他人を僕らの悲しみで悩ますこともしません。これは死に際しては大切な美点で、正直に言って僕らはかなり往生際のいゝ方です。要するに僕らはこういう人間なのです。軍人としては相当のものになれます。だが不幸にして女にはまだ軍人になる道は開かれていません。そこで僕ら一家の女たちは始末におえないのです。……死んだ伯母は自分たちのためにこういう標語をみつけ出しました。一切か無か。僕は或る時伯母に言ってやりました。その標語はそれに賭の性質を与えなければ、大して意味はないとね。ところでこの賭は、死に際してでなければ真剣にやることはできんのではないでしょうか? 僕ら一家の者で賭に負けたかどうか、また負けたとしたら誰に負けたか教えに帰って来て呉れた人間は一人もありません。」――「あなたは神を信じていらっしゃるでしょうね。」――「僕ら一家ではそんな質問は持ち出さんことになってるのです。僕らは皆神を信じています、どんな極悪な奴でもね。――いや極悪な奴ほど一層神を信じているといった方がいゝでしょう。何らかの危険を冒すことなしに悪をするには僕らはあまりに矜持を持ち過ぎていると考えます。そこで挑戦すべき相手がいつもあるのです、神というね。」こうした言葉は私の胸を引裂いた筈だ。なぜならそれを冒涜と解することは容易だったからだ。ところがそれは私の心を一向に乱さなかった。私は言った。「神に挑戦することはそんなに悪いことではありません。それは人間に希望を洗いざらい賭けさせるように――人間のもっているすべての希望を洗いざらい賭けさせるように強います。だが神は時々体を躱《かわ》します。……」彼はその碧く澄んだ目で私をじっと見た。
――「僕の伯父はあなたを碌でなしの司祭だと言っています。なおその上あなたを……」私は血が顔にのぼるのを感じた。「伯父の意見などあなたには問題でないと考えます。あんな馬鹿はありません。ところが従妹《いとこ》の方は……」――「先を続けないで下さい、お願いです!」と私は言った。私は眼に涙が溢れるのを感じた。この突然の心弱りに対して私は殆ど手の下しようがなかった。我知らずそれに負けはしないかという恐怖があまりに激しかったので、慄然《ぞ つ》として炉床《ろどこ》の灰の中へしゃがみ込んでしまった。――「初めてですよ、従妹《いとこ》があんな風に感情を洩らすのを見たのは、いつもは、あらゆる無躾けに、それが軽はずみなものでも、眉根一つ動かさずに対するあの女がね。」――「いや、寧ろ私のことを言って下さい。……」――「あゝ、あなたのことですか! その黒い服さえなかったら、あなたは僕らの中の誰にでも似ています。僕は一《ひと》目でそれを見て取った。」私には分らなかった(いや今でも分らない)。――「あなたの仰有る意味はまさか……」――「いや、そうですよ。だがあなたはおそらく僕が海外部隊に属していることは御存じないでしょう。」――「海外部隊に?……」――「ラ・レゴンにですよ。小説家が流行《は や》らせてから、すっかり嫌な言葉になりましたが。」――「ですが、司祭が!……」と私は口籠った。――「司祭ですか? 向こうにも司祭はいますよ。例えば司令官の副官はポワトゥウの旧司祭でした。僕らはそれをあとで知ったのです……」――「あとで?……」――「死んでからあとでですよ!」――「で、どんな……」――「どんな死に様《ざま》をしたかって仰有るんですか? 荷騾馬の上に、腸詰のようにひっくゝられてね。腹に一発喰っていました。」――「私のお尋ねしているのはそのことではないのです。」――「ねえ、僕は嘘はつきたくありません。奴らは死に際には糞威張をしたがります。正直に言って奴らはいわゆる冒涜めいた二三の定《き》まり文句を持っています。」――「恐ろしいことだ!」説明しがたい何ものかが私の身内を過ぎた。こうした荒くれ男たち、その恐るべき不可解な天職について私が今まであまり考えたことがなかったのは事実だ。なぜなら私の年代の誰にとっても兵隊という言葉は動員された市民という有り触れた観念しか喚び起こさないからだ。背嚢を背負ってやって来るが、その午後にはもう他の百姓たちのようにコールテンの服に着換えている帰休兵たちを私は思い出す。そこでオリヴィエさんの言葉は名状しがたい好奇心を突然私に懐かせた。――殆ど冷酷に近いほど平静な調子で彼は続けた。「いろいろの文句がありますよ。大将たちの頭の中では、それは背水の陣を敷く一つの方法なのです。それが奴らの常套手段なのです。馬鹿げているとは思いますが、不愉快ではありません。この世で法外者の奴らは、あの世でも法外者になろうとするのです。若しも神さまが兵隊を、すべての兵隊を、要するに兵隊なるが故にお救いにならないとしたら、……皆と調子を合わせるために、仲間と運命を共にするために、自分だけいゝ児にならないためにもう一言《ひとこと》冒涜の言葉を吐いて……
それからポンと来る。……これも要するに例の標語ですよ、一切か無か。そうは思いませんか? きっとあなただって……」――「私が!」――「いやもちろんそこには色合いの相違はあります。だがあなた自身御自分の顔を見れば……」――「自分の顔を見る!」――彼は思わず笑い出した。私たちはさっきあそこの道の上で陽の中で笑ったように共に笑った。――「だってあなたの顔に書いてなきゃあ……」彼は言葉を切った。だが彼の澄んだ眼はもはや私をまごつかせはしなかった。私はそこに彼の考え方を十分に読み取った。――彼は再び口を開いた。「多分祈りの習慣という奴でしょう。いや、こんな言葉には私はあまり馴れていませんが。……」――「祈り! 祈りの習慣! いや実は私はてんで祈らないのです。」――彼はその後私を深く考えさせた奇妙な応えをした。――「祈りの習慣、それは僕にはむしろ祈りの不断の関心、闘争、努力を意味します。勇敢な男の顔を刻み上げるのは恐怖の不断の危惧、恐怖の恐怖です。あなたの顔は――失礼だが、祈りで擦り減ってるみたいだ。ひどく古い経本か、石棺の蓋に彫りつけてある磨滅した顔か何かを思わせる。だがそんなことはどうでもいい! その顔が僕らのような法外者の顔になるには大して手間暇は要らんと思う。だいいち僕の伯父は、あなたは社会生活の観念を欠いていると言う。ねえ、正直のところ、僕らの範疇と彼らの範疇とはちがう。」――「私はあの方たちの範疇を拒《こば》みはしません。私はあの方に愛のないことを咎めるのです。」――「僕らの仲間はそういうことについてはあなたほど詳しくない。奴らは、それが名誉のない正義なので奴らの軽蔑している一種の正義に神は連帯責任を持っていると思っている。」――「名誉そのものが……」――「いや、もちろん彼らなりの名誉だ……あなた方の罪障鑑識家に取ってはどんなに荒っぽく見えようと、奴らの掟は尠くともそれがひどく高い代償を要求するという長所を持っている。それは犠牲の石に似ている。――普通の石と大して大きさも変りのない石だが――それは浄めの血に濡れている。もちろん僕らの場合は明瞭ではない。その解決はもしも神学者たちが僕らにかゝずらってる暇があるなら彼らに任せますよ。とは言え、彼らのうちのひとりだって僕らが生きていると死んでいるとを問わずあの福音の唯一の呪詛が二千年来真向から注がれている世界に属していると敢えて主張するものはよもありますまい。なぜならその世界の法則は拒否なのだから。――ところで僕らは何物をも拒否しません、僕らの肌さえも。――次は快楽ですが、僕らが遊蕩に求めるものは睡眠に求めるものと同様休息と忘却だけです。――最後に金銭慾ですが、僕らの大多数は屍衣になるおんぼろの制服さえ持たないのです。この清貧は稀有な霊魂を掘出すことを専門にしているこの頃流行の或る種の修道会のそれにも比較できると思いますがね。……」――「ですが、キリストの兵士というものがあります……」私の声は、例によってたとい私がどうしようと私の言葉が神の思召のまゝに慰め或いは躓きを齎すことを何か名状しがたい徴《しるし》が予告する時のように、震えた。彼は頬笑みながら答えた。「騎士ですか? 修道会経営の学校ではいまだに教授たちはその兜と楯とによって誓うのが常であり、ローラン物語はフランスのイリヤードだと言われました。もちろん騎士たちも娘たちが考えるようなものではありません。楯と楯とを合わせ、肱と肱とを接した敵の眼に映じたまゝの彼らを見なければなりません。彼らは彼らが達しようと努めた高い理想だけの価値は持っていました。しかもその理想は、誰からの借物でもなかったのです。我々ヨーロッパ諸民族は騎士道をその血液の内に有していたので、教会はたゞそれを聖別すればよかったのです。兵士、たゞ兵士、それが彼らの真の姿だったので、世界はそれ以外のものを見なかったのです。神の都の保護者であった彼らはその奉仕者ではなかったので、これと対等に接していたのです。過去の最高の兵の理想であった古羅馬の農兵のそれを彼らは歴史から消し去ったかのようでした。いやもちろん彼らとてもすべてが義《たゞ》しくもなく純潔でもありませんでした。だがともかくも彼らは幾世紀に亙って虐げられた人々の念頭を去らなかった、いや時としては彼らの夢を満たした或る種の正義を現していました。なぜなら、結局正義は権力者の手中にある限りその他のものと同様に支配するための道具に過ぎないからです。なぜそれは正義と呼ばれるのか? むしろ不義と呼ばるべきです。それは何処までも弱者の抵抗の、苦痛、屈辱、不幸の受容力の、恐るべき経験に基いて計算された効果的な不義です。富者を製造する巨大な機械装置を、その罐《かま》が破裂しないように運転するために必要な圧力の正確な度合に保たれた不義です。そこで主イエズスの一種の憲兵隊が出現するだろうという噂が全キリスト教界にいつか拡まったのです。……噂なんて、取るに足らぬと言うのですか、よろしい? だがいゝですか、ドン・キホーテのような書物の信ずべからざる、不断の成功を熟《つらつ》ら考える時、人類がその大きな希望を欺かれても欺かれても棄て切れないのは、彼らがそれをいかに長い間懐いて来たか、いかにそれが彼らの胸の奥深く入り込んでいるかをいやでも理解せずにはいられません。不正の矯正者、鉄腕の矯正者。あなた方はせいぜい言われるだろう、あの人たちは断乎膺懲の鞭を振い、我々の良心を目覚めさせたと。今日《こんにち》なお女たちは高価な代償を払って彼らの名を、彼らの隣れむべき武門の名を名乗る権利を得ようとしているし、何処かの下手糞な修道士がかつて彼らの楯の上に描いた幼稚な寓喩《アレゴリイ》は豪勢な石炭王、石油王、鋼鉄王たちに憬れを懐かせます。あなたはそれを滑稽とは思いませんか?」――「いゝえ」と私は言った。――「いや、僕は甚だ滑稽だと思いますよ。屈従と怠惰と姦淫の七百年を越えて、あの高貴な面影の裡に俗世間の人間共が自分を発見するということを考えると実に滑稽ですよ。だがそいつは彼らの勝手です。ところで騎士たちはキリスト教共同体にしか属しなかったし、キリスト教共同体は何人にも属してはいません。キリスト教共同体は最早存在しないし、将来も永久に存在しないでしょう。」――「なぜです?」――「最早騎士が存在しないからですよ。騎士が存在しないところにキリスト教共同体も存在しません。いや、あなたは言われるでしょう、教会がこれに奉仕している、それが根本だと。もちろん。だがキリストの地上の王国は最早存在しません、それは終りました。その希望は僕らと共に死んでしまいました。」――「あなた方と共に? 兵士はまだ居るじゃありませんか。」――「兵士? ありゃあ軍人とお呼びなさい。最後の真の兵士は一四三一年五月三十日に死んでしまいました。それを殺したのはあなた方教会の人たちですよ。殺すよりももっと悪かったのです。
罪を宣告し、破門し、火炙りにしたのです。」――「でも我々はまたその者を聖人の位に上げました。……」――「むしろ神がそれを望まれたと仰有い。その兵士を神がそんなに高く上げられたのは、まさにそれが最後の者だったからです。そのような血統の最後の者は当然聖者でなければなりません。神は更にそれが聖女であることを望まれました。神は騎士道の古来の規約を尊重されたのです。永久に捨てられた伝来の剣は我々の中最も矜持高い者さえも涙なくしては抱くことのできぬ膝の上にやすんでいます。ねえ、((婦人に名誉を!))というあの試合場の叫びをそれとなく想い起こすことが僕は好きです。異性をあんなに警戒する教会の博士たちには睨まれるかも知れませんがね。」――この冗談は私を笑わすべきだった。なぜならそれは神学校でよく聞いた冗談に甚だ似ていたからだ。だが私は彼の眼差しの悲しげなのを、あの私の知っている例の悲しみの色を湛えているのを見た。そしてその悲しみは私の魂にじかに触れ、その前では私は或る種の打ち克ちがたい馬鹿げた気後れを感ずるのだ。――「では、いったい、あなたは教会の者に何を非難なさるのですか?」と私は漸く、気の利かぬ調子で尋ねた。――「僕がですか? いや大したことではありませんよ。たゞ、僕らを還俗させたことだけですよ。還俗の始まりは兵士のそれですよ。そしてそれはつい昨日《きのう》のことではありません。あなた方は、ナショナリズムの行過ぎを嘆くならば、キリスト教の権利を彼らのポケットへねじ込んでおいて、あなた方の眼前で、自己の救済の法則以外の法則を識らぬ異教的国家を再現し、貪慾と自惚れとに膨れ上っている惨酷な諸国家を辛抱強く捏《でつ》ち上げていったルネッサンスの立法者たちに、かつてあなた方が媚笑を送ったことを想い起こすべきです。」――「私は歴史をあまり知りませんが、でも封建制度には封建制度でまたそこに危険があったようです。」――「いや、もちろん……あなた方はその危険を冒すことを望まなかった。あなた方はキリスト教的共同体を完成にまで到らせなかった。それは完成するのにあまりに暇がかゝったし、費用が嵩《かさ》んで、収益が少かった。だがかつてあなた方は異教の神々の神殿の石材を利用してあなた方の聖堂を建てられはしなかったろうか? ユスティニウスの法典が手近かにあったのに、なぜ新たな権利を主張したのか?……((国家は一切を支配し、教会は国家を支配す))この洒落れた文句はあなた方の政治学者たちの気に入る筈だった。だがそこに我々騎士たちがいた。我々は我々の特権を有し、国境を越えて我々の大きな共同体があった。我々は我々の修道院をさえ有した。騎士修道会! これは古代の独裁者たちを彼らの墳墓の中で目覚めさせるに足るものだったのに、あなた方は一向それを自慢にしなかった。兵士の名誉は、罪障鑑識家たちの罠にはかゝらぬものですよ。ジャンヌ・ダルクの一件書類を読めば分る。「お前の聖女たちに対して誓われた信仰に於いて、領主への忠誠に於いて、フランス王の正統性に於いて、我々に信頼せよ。我々はお前に一切を解除する。」――「私は何も解除されたくありません。」――「ではお前を破門するがいゝか?」彼女はこう答えることができたろう。――「では私の宣誓と共に私は破門されましょう。」と。なぜなら我々の掟は我々の宣誓だったのですから。あなた方はこの宣誓を聖別された。だが我々が属していたのはこの宣誓にであって、あなた方にではなかった。だが、そんなことはどうでもいゝ。とにかくあなた方は我々を国家に引き渡された。我々に武器や衣服や食糧を給与する国家は我々の良心をもその手に収める。判断することの禁止、いや理解することさえもの禁止。ところであなた方の神学者たちはそれを正当だと承認する。彼らは我々に、死刑執行人にと同様、苦い顔をしながらも、何処ででも、どんな風にでも、命令によれば殺してよいという許可を与える。国土の防衛者となった我々は一揆を鎮圧し、一揆が勝利を得た場合には、こんどはそれに仕える。忠誠の免除だ。この制度の下に我々は職業軍人になったのだ。しかもあらゆる卑屈に慣れている民主国に於いてさえも陸軍大臣の卑屈が弁護士を顰蹙させるに足るほどそれほど完全に職業化したのだ。リオオテイのような立派な人物がこの不名誉な名称をいつも拒否したほどだ。だがその軍人さえ近い中になくなってしまうだろう。七歳から六十歳まで皆が……皆が……何というか、国民全体が互いにぶつかり合う時代になると、軍隊そのものが空な言葉になってしまう――謂わばアフリカの部族だ――人口一億からのね。そして神学者は益々苦い顔をしながら、次々に出て来る免除に――国家良心省とでもいったものの編修官の作製した成文に署名し続けるだろう。だが、正直のところ、あなた方の神学者たちはいったい何処まで行ったら止まるのだろう? 最も優れた殺人者は、明日《あ す》は、何の危険も冒すことなく殺すことができるだろう。三万呎の上空で、どんなつまらん技師でも、ぬくぬくと上靴のまゝで、専門工に取巻かれて、一都市を全滅させるのにボタン一つ押すだけで済み、夕食を食い損うことだけを心配しながら、大急ぎで帰って来るだろう。もちろん誰もこの雇人に兵士の名を与えはしないだろう。いや、所謂軍人の名にさえ価いするだろうか? あの十七世紀の可哀そうな旅役者たちに聖なる地を拒《こば》んだあなた方教会の人たちは、どんな風に彼を葬るだろう? では我々の任務は我々が我々の行為の一つにも最早絶対に責任を持つことができず、我々の鋼鉄の機械の惨酷な無責任を与《とも》にするまでに下落したのだろうか? 春の宵苔の上で好きな女の子をとって押えた若い衆があなた方によって大罪の宣告を下され、都市の殺害者は、彼が毒殺した幼児たちが母親の膝へ肺臓をすっかり吐き出してしまう頃、ズボンを取更えるだけで、祝されたパンを受けに行くというのか? あなた方はなんという道化師だ! セザルと取引する振をしてみても駄目だ! 古代都市はその神々同様亡んでしまった。ところで近代都市の守護神たちを人々は識っている。彼らは街で食事をし銀行家と呼ばれる。あなた方の好きなだけコンコルダートを結ぶがいゝ! キリスト教的共同体以外に西欧に於いて祖国のためにも兵士のためにも席はなく、そしてあなた方の卑屈な妥協は間もなく完全にその孰《どち》らの名誉をも失墜させてしまうだろう!」
彼は立ち上って、話しながら、相変らず碧く澄んだ、しかも蔭では金色に光る不思議な眼差しで私をつゝんでいた。彼は喫み差しの巻煙草を灰の中へ自棄《や け》に投げ捨てた。
――「僕にとってはどうでもいゝことです。僕はその前に死んでしまうでしょう。」
彼の言葉の一つ一つは私の心の奥底までも揺り動かした。あゝ! 神は我々司祭の手に、おん自らの肉体と霊魂とを――神自らの肉体と霊魂と名誉とを委ねられた。この男たちが世界の到る処で惜しみなく与えているものを果して我々は与えているだろうか?……我々はせめて彼らのように死ぬことができるだろうか? 私は暫く手で顔を蔽っていたが、指の間を涙が伝わるのを感じて、はっとした。子供か、女のようにこの男の前で泣く! だが主は私にいくらかの勇気を与えられた。私は立ち上って、両腕を垂れ、非常な努力を以て――あゝ、思い出しても胸が痛む――私の情けない顔を、恥ずかしい涙をオリヴィエさんに示した。オリヴィエさんはじっと私の顔を眺めていた。あゝ、傲慢心はまだ私の裡に根強く生きていた。私は軽蔑の微笑を、尠くとも憐憫の微笑を彼の意志的な唇の上に窺った――私は彼の軽蔑よりも憐憫を怖れた。――「あなたは実にいゝ男だ。僕はあなたのような司祭に臨終の床にいて貰いたい。」そう言って彼は子供同士がするように私の両頬に接吻した。
・・・いよいよリルへ出掛ける決心をした。代りの司祭も今朝《け さ》来て呉れた。彼は私の顔色がいいと言った。事実私はいゝ方へ、いや、大変いゝ方へ向かっている。いくらか狂気染みた無数の計画を私は立てゝいる。確かに私は今まで自分を疑い過ぎた。自分を疑うことは謙遜ではない。それは時として傲慢の最も昂ぶった、殆ど熱狂的な形であり、可哀そうな人間に、我れと我が身を食うために、身を折り曲げさせる一種の嫉妬深い兇暴さだとさえ思う。地獄の秘密はそこにあるに違いない。
私の衷に深い傲慢の芽が潜んでいることを私は惧れる。もはやずっと前から所謂この世の空しさに対する私の無関心は、安心よりもむしろ不安を私に感じさせている。自分が自分の笑止な為人《ひととなり》に対して自分が感じる抑えがたい嫌悪の念の中には何か不純なものがあるように思う。一向辺幅を飾らぬこと、自分でも諦めている天性の不器用さ、他人から受ける或る種の小さい不正――しかもそれらは他の多くの不正よりも一層堪えがたいものだが――に対して自分の感じる悦びまで神の眼から見たならば、その原因に不純な偽瞞が隠されてはいないだろうか? 確かにそのお蔭でともかくも私は周囲の気受けは大変好い。なぜなら私はいつも非を自分に帰し、他人の意見を是とするからだ。しかしそのために私は次第に自信を、熱を、向上心を失いはしないだろうか?……私の青春――果してどれだけの青春を私は有することか――は私の所有《も の》ではない。それを桝の下に置く権利が私にあるだろうか? 確かにオリヴィエさんの言葉は私には快かったが、私を夢中にはさせなかった。私はたゞ、あの人のような、多くの点で私よりも優れている人たちの同感を初手から贏《かちう》ることが私にできるということだけを心に留めた。……これは一つの徴候ではないか?
私はまたトルシイの主任神父さんの次のような言葉を覚えている。「君は消耗戦向きではない。」と。ところが此処ではまさにその消耗戦なのだ。
あゝ、もし治るとしたら! 今起こっている発作が、往々《ま ゝ》三十歳を境に起こる肉体的変化の徴候であるとしたら!……何処かで読んだ文句がこの二日ばかり私の頭を離れない。「私の心は前線の人々と共にある。私の心は身を挺する人々と共にある。」身を挺する者……兵士、宣教師……
天気具合も私の喜び――と書こうとしたが、この言葉は相応わしくない、期待と書いた方がいいだろう、そうだ、眠っている間も続いている、――なぜなら昨夜《ゆうべ》それは実際に私を目覚めさせたのだから――大きな、素晴らしい期待だ。私は闇の中に眼を見開いている自分を見出した。説明がつかぬために殆ど苦しいほどの幸福感。私は起きて、水を一杯飲んで、明け方まで祈った。それは夜明けに先立つ葉群《はむれ》の巨《おお》きな騒《ざわ》めきを思わせた。どんな日が私の衷に明けるのだろう? 神は私に恩寵を下されるのだろうか?
・・・リル市で出したオリヴィエさんの葉書が郵便受け箱に入っていた。それによると彼はヴェルト街三十番地に住む友人の家で休暇の最後の数日を過ごす予定だそうだ。この市への私の最近の旅行の話など彼にした覚えはない。何という不思議な暗合だろう!
ビイグルさんの自動車が今朝《け さ》五時半に私を迎えに来る。
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昨夜《ゆうべ》私は早く床に入ったが、中々寝つかれなかった。起き出してもう一度この日記を開きたい誘惑に長い間抵抗した。何てそれは懐しいのだろう? どんなに短い留守中でもそれを此処に残してゆくという考えは文字通り堪えがたい。きっと抵抗しきれなくなって、いよいよという時、それを雑嚢へ押込むだろうと思う。それに抽斗はどれも締まりが悪く、ひょっとして他人に見られないものでもない。
あゝ! 人間は何物にも執著していないと信じているが、或る日彼は自分が自分の遊びに捕われていることを、人間の中の最も貧しい者も秘めた宝を持っていることを悟る。外見はいかにもつまらぬ物が却って最も恐るべき物である場合がある。私がこの日記に寄せている愛著には確かに何か病的なものがある。しかもそれは試煉の時に私に大きな助けになる。現に今日もいゝ気になるにはあまりに屈辱的であり、考えを纏めるには十分正確な甚だ貴重な証言を齎して呉れた。それは私を夢から醒まして呉れた。これは決して取るに足らぬことではない。
この日記は今後もう私に用がなくなるかも知れない。いや、きっとそうなるだろう。神はかくも思いがけぬ、かくも不思議な恵みで私を満たされた。私は自信と平和とに満ち溢れている。
私は炉に薪をくべ、筆を執る前にその燃えるのを眺めた。もしも私の祖先たちが酒ばかり飲んで碌に食わなかったとしたら、彼らは火にも碌に当らなかったに相違ない。なぜなら私はいつも熾《さか》んなのは火の前では子供のような、未開人のような名状しがたい愕きを感じるからだ。なんて静かな夜なんだろう! 今夜は到底《とても》眠れそうもないように感じる。
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さて今日《きよう》午後旅行の仕度を終えようとしていると、入口の扉の軋《きし》るのが聞えた。代理の神父を待っていた際なので、跫《あし》音を聞いた時もてっきりその神父だと思い込んだ。それに、ありていに言って、私はその時滑稽な仕事に気を取られていたのだ。私の靴は何処も傷んではいなかったが、湿気のために赤茶けていたので、油脂を引く前に、インキで黒くしていたのだった。それっきり物音がしないので、台所へ行って見ると、シャンタル嬢が炉辺の低い椅子に腰掛けていた。私の方には眼もくれず、じっと炉の灰をみつめていた。
正直に言って私は一向驚かなかった。それが意識的なものにしろ、無意識的なものにしろ、自分の罪の罰はすべて受けることをかねて覚悟している私は、寧ろ刑の執行猶予を与えられたような感じを受けた。私は凡そ予想というものを立てたことがない。そんなものが何になろう? 彼女は私の何気ない挨拶にいくらか狼狽したように見えた。――先ず彼女が口を切った。「明日《あ す》お発《た》ちになるとかいうことですが……」――「えゝ。」――「お帰りになるんでしょう?」――「さあ、行って見てのことです。」――「あなたのお考え次第ではないのですか!」――「いゝえ、医者に尋《き》いて見なければ分りません。私はリルへ診察を受けに行くのですから。」――「御病気におなりになってお倖《しあわ》せですわ。病気は夢見る余裕を与えて呉れますわ。私は決して夢見ることがありません。すべてが、まるで執達吏か公証人の計算のように、恐ろしいほどの正確さで私の頭の中に繰りひろげられます。私共一家の女たちはひどく実際的なのですからね。」私が靴に念入りに脂を引いていると、彼女は私に近附いた。私はわざとゆっくりとやっていた。そして出来れば笑って話を打ち切りたいと思っていた。どうやら彼女は私の考えを察したらしい。突然甲走った声で言った。――「従兄《いとこ》は私のことをあなたにお話ししたでしょう?」――「えゝ。ですがあの方の仰有ったことは何も申上げられません。私は何も覚えていません。」――「構いませんわ。私、あの人の意見やあなたの意見など問題にしてはいません。」――「いや、あなたは私の意見を識りたがってむずむずしていらっしゃる。」彼女はしばらく躊躇していたが、嘘を言うことを好まないので、簡単にそうだと答えた。――「司祭には意見というものはありません。これはよく理解しておいて下さい。世間の人たちはお互いにし合うことのできる善悪に関聯して批判します。ですがあなたは私に善をも悪をもすることができません。」――「尠くともあなたは――どう言ったらいゝでしょう……つまり掟とか、道徳とかに従って私を批判することができるでしょう?」――「私はあなたを神の恩寵に従ってしか批判することができません。ところで私はあなたの受けている恩寵を今も知りませんし、これからも知らないでしょう。」――「でもあなたには眼も耳もおありです、それをあなたは皆と同じように使っていらっしゃるでしょう。」――「いやそれらは、あなたに関しては何も私に教えません。」どうやら私は微笑したらしい。――「さあ仕舞いまで言って下さい。何をあなたは仰有りたいのです?」――「気を悪くしないで下さい。私は、子供の頃、ウィルマンで或る祭の日に人形芝居を見たことがあります。ギニョルは金を甕《かめ》に隠しているのですが、警察官の注意を外らそうとして舞台の他の端で盛んに騒ぎ立てます。あなたもあなたの魂の真実を皆に隠そうとして、いや自ら忘れようとしてかも知れませんが、ひどく足掻《あが》いていらっしゃる。」彼女はテーブルの上に両肱をつき、両の掌《て》に頤を支え、左手の小指を銜えて、じっと私の言うことを聴いていた。――「神父さん、私は真実を恐れません。お疑いなさるなら、今こゝで即座に告白してもようございます。私は何も隠しません。誓って言います。」――「いや、私はあなたを疑いません。ですがあなたの告白を聴くとなると、あなたは死の危険に曝らされなければならないでしょう。罪の宥《ゆる》しは時が来れば与えられるでしょうが、それはきっと私の手とは別の手からでしょう。」――「多分その予言は当るでしょう。お父さまは必ずあなたを更迭させてみせると言っていますし、この村の人たちはみんなあなたを大酒飲みだと思っています。なぜって……」私は突然振り返って言った。――「いゝ加減になさい。あなたに対する敬意を欠きたくはありませんが、馬鹿な真似を繰り返すことを止めないと、私の方が恥ずかしくなります。こんども亦、お父さまの御意志に反してでしょうが、折角いらっしゃったのだから、此処を片附けるのを手伝って下さい。一人では手が廻りません。」今考えると、彼女が私に従ったことが不思議でならない。だがその時はそれが至極当然に思われたのだった。司祭館の有様は瞬く間に一変してしまった。彼女は黙っていたが、それとなく様子を窺っていると、顔色が次第に蒼ざめていった。やがて突然家具を拭いていた雑巾を投げ出すと、怒りに顔を歪めて、再び私に近附いた。私は恐怖に近いものを覚えた。――彼女は言った。――「もう沢山でしょう? もう堪能《たんのう》なすったでしょう? あなたは白ぱっくれるのがほんとにお上手ね。虫も殺さないような顔をしていらっしゃって、随分きつい方ね。」――「きついのは私ではありません。ですが、あなた御自身の衷のその強情な部分は神さまの取り分です。」――「何ですって? 神さまは柔和な者、謙遜な者しか愛さないということを私はよく知っています。……だいいち私が人生というものをどう考えているか申上げたら……」――「あなた位の年輩で大した考えがある訳はありません。たゞあれが欲しい、これが欲しいというだけです。」――「それなら私は悪も善も、すべて欲します。私はすべてを識ろうと思います。」――「いずれその望みは達せられるでしょう。」と、私は笑いながら答えた。――「いゝえ、私はまだほんの小娘に過ぎませんが、沢山の人がその望みを達する前に死んでしまうことを十分に知っています。」――「それは彼らがほんとうに探し求めなかったからです。彼らはたゞ夢を見ていたのです。ところがあなたは決して夢を見ないでしょう。あなたの言うそれらの人々は結局室内旅行者に過ぎないのです。真直ぐ歩いてゆけば、地球も小さいのです。」――「たとい人生が私を欺いても、かまいません。その時には私は復讐します。悪に対して悪をします。」――「その時には、あなたは神を見出します。いや勿論私は言い方が拙いし、それにあなたはまだ子供です。ですが要するにこう言うことはできます。あなたは世間に背を向けて出発する。なぜなら世間は反抗でなくて、忍受であり、そして、それは先ず虚偽の忍受だからだと。まあ、行きたいところまで行って御覧なさい。必ず壁はいつか退き、天に裂け目が開けるでしょう。」――「そんなこと、口から出まかせに仰有っていらっしゃるのか……それとも……」――「なるほど柔和な者は地を得るでしょう。ところが、あなたのような人たちはそれを彼らと争わないでしょう。なぜならあなたのような人たちはそれをどうしていゝか知らないからです。強奪者は天国をしか強奪しないでしょう。」彼女は顔を真赧にしていたが、肩を聳やかした。――「何でもいゝ、何か、あなたに悪口雑言を思い切り投げつけたい。あなたは私を好き勝手にしていらっしゃると思っていらっしゃって? 私、自分が望めば、地獄へでも何でも堕ちて見せますわ。」――思わず私は言った。「あなたについては私は魂に対し魂で応えます。」彼女は台所の水栓で手を洗っていたが、振り返りさえもしなかった。が、やがて、働くために脱《と》っていた帽子を再び冠り、ゆっくりと私の方へ近寄って来た。もしも私が彼女の顔をそれほどよく識らなかったら、私はそれを平静だったと言ったかも知れないが、しかし私はその口の端が微かに震えるのを見た。――「私はあなたに一つの取引を申出ます。もしもあなたが私の考えているような方ならば……」と彼女は言った。――「私は絶対にあなたの考えていらっしゃるようなものではありません。あなたは鏡を見るように私の衷にあなた自身を見ていらっしゃるのです。そして同時にあなたの運命をも見ていらっしゃるのです。」――「私はあなたがお母さまと話していらっしゃった時窓の下に隠れていました。突然お母さまのお顔はいかにも……いかにも柔和になりました。その時私はあなたを憎みました。私は幽霊なんか信じませんし、それにもまして奇蹟なんか信じません。ですが私はお母さまの性質を識っていたと思います。お母さまは巧い口に乗り易い性質でした。あなたは何か秘密を掴んでいらっしゃるのではありませんか?」――「それは失われた秘密です。たといあなたがそれをみつけ出されても、あなたはまたあなたでそれを失われるでしょう。そして他の人たちがあなたに代ってそれを伝えるでしょう。なぜならあなたのような種類の人間はこの世の続く限り存在するからです。」――「それはいったいどんな種類の人間ですか?」――「神さま御自身が歩かせ始められた人間です。行くところまで行かなければ止《とゞ》まらない人間です。」
・・・ペンを執れないことが恥ずかしい。手が震える。始終のことではなく、発作的にだ。それも極く短く、ほんの数秒間のことだ。以上のことを私は強いて書きとめて置く。
若しも十分の金が残っていたら、私はアミアン行きの汽車に乗ったろう。私は、さっき、医者の家を出て、すんでのことにそうしかけたのだ。なんという馬鹿げたことだろう! 私には帰りの切符と三十七スーしか残っていない。
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仮に事が非常にうまく運んだとしても、恐らく私は今と同じ場所に、今と同じようにこうして書いていることだろう。ひっそりとした至極居心地のいゝ別室の附いている、そして荒削りの岩乗なテーブルの並んでいるこの静かな小さい珈琲店が眼に附いたことをはっきり思い出す。(側らにパン焼き工場があって、焼き立てのパンがいゝ匂いを立てゝいた。)私は空腹をさえ感じた……
そうだ確かに……私はこの帳面を雑嚢から取り出し、ペンとインキを求めたろうし、同じ給仕女は同じような微笑を浮かべながらそれらを持って来たろう。私も同じように微笑したろう。街には陽が一面に射している。
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明日《あ す》、いや一ト月後に――いや、半年後にかも知れぬ――この数行を読み返すならば――私はそこに見出すことを希《ねが》うだろうとはっきり感じる……あゝ、何をそこに見出すことをか?……他《ほか》でもない、たゞ今日も平素と変りなく行動したという証拠をだ。子供らしいことだ。
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私は最初駅の方へ真直に歩いていった。私は名も知れぬ古い聖堂へ入った。そこにはあまりに大勢の人がいた。これも亦子供らしいことだが、私は石畳の上へ気儘に跪きたく、いや寧ろ伏したく、俯伏《うつぶ》せに伏したく思った。私はかつてこの時ほど祈りに対する肉体的反抗を感じたことはなかった――しかもそこに何の悔いも感じなかったほどはっきりと。自分の意志はそれに対しては全く無力だった。放心などという有り触れた言葉で呼ばれるものが、そのような性質の解離や粉砕を起こすことができるとは思えなかった。なぜなら私は単に漠然とした恐怖に対してでなく、或る数の、見たところ無限の数の恐怖――つまり心の各々の琴線に対して一つずつの無数の恐怖に対して闘っていたからだ。そして眼を閉じて、考えを纏めようとすると、深い深い闇の中にのように、私の不安の底に蹲《うずく》まっている眼に見えぬ巨大な群のそれのような囁きが聞えるように思われた。
汗が額からも、手からも流れた。私は到頭外へ出た。街の寒さが私を襲った。私は急いで歩いた。若しも私が苦しんでいたならば、私は自分を憫れみ、自分のために、自分の不幸のために泣いたろうと思う。ところが私は不思議な心の軽やかさしか感じていなかった。騒々しい群集に触れた時の私の驚きは悦びの衝動に似ていた。まるで翼が生えたような感じだった。
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私は上服のポケットに五フランを見附けた。ビイグルさんに遣ろうと思って入れて置いたのだが、遣るのを忘れたのだ。私はミルク抜きの珈琲と、あの甘《うま》そうな匂いのしたパンの一つを注文した。この珈琲店のかみさんはマダム・デュプルイといい、もとトルシイに住んでいた石工の後家さんだ。勘定台の後ろにいたかみさんは暫く前から、別室の中仕切越しに、それとなく私の様子を窺っていたが、やがて私の傍へやって来て、腰を掛け、私の食べるのを見て、言った。「あなたぐらいの歳の時には、みんなよく食べなさる。」私はバタを、あの榛《はしばみ》の実の香のするフランドルのバタを御馳走になった。デュプルイおばさんの一人息子は肺病で死んだし、孫娘は生れて一年半ばかりで脳膜炎で死んだ。おばさん自身糖尿病で、脚に浮腫《むくみ》が来ているが、店はてんで閑だ。私はできるだけ慰めた。すべてこうした人たちの諦めはいつも私に恥ずかしい思いをさせる。それには、ちょっと見には、何も超自然的なところがないように見える。それというのも、彼らはそれを彼らの言葉で言い現すし、その言葉は宗教的でないからだ。つまりそれは、彼らがそれを言い現さないと言うのと同じであり、彼ら自身の考えを言い現さないと言うのと同じだ。彼らは諺か、新聞の文句で間に合わせる。
午後の汽車で帰るのだと知ると、デュプルイおばさんはその別室を私の自由にさせて呉れた。
「ゆっくりお説教の用意をなさいまし。」と彼女は言った。私は彼女が置煖炉に火を入れようとするのをやっとのことでとめた(実は私はまだ少し震えている)。「私の若い頃には神父さん方は召上り過ぎて、血が多過ぎたものです。ところがきょう日《び》あなた方は野ら猫よりも痩せていらっしゃる。」と彼女は言った。私のした苦笑いの意味を取違えたらしく、彼女は慌てゝ附け加えた。「始めはなんでも辛いものですよ。でも、あなた方将来《さ き》がおありだから。」
私は答えるために口を開いた。それなのに……最初は分らなかったが、確かに、私は、何も決心しない前に、何も考えない前に、自分が沈黙を守るだろうということを知っていた。沈黙を守る、なんて奇妙な言葉だろう! 寧ろ沈黙が我々を守るのだ。
(神さま、あなたがそのように望まれたのです。私はあなたの手を認めました。私はそれを私の唇の上に感じました。)
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デュプルイおばさんは私の傍《そば》を離れて、また勘定台の元の席に帰った。人が入って来たからだった。それは食事をしに来た労働者たちだった。その中の一人が中仕切越しに私を見たと思うと、仲間の者たちが声を上げて笑った。しかし、彼らの騒々しさは私を煩わさなかった。内部の静寂――神の祝福し給うそれ――は、未だかつて私を人々から孤立させたことがなかった。彼らはそこへ入って来るように思われ、私は彼らを我が家《や》の扉《と》口に迎えるように迎えた。確かに彼らはそこへ来たのだ、それと知らずに来たのだ。あゝ、私は彼らにほんの一時《じ》の隠れ家しか与えることができない。だが、私は或る魂たちの静寂を、広い広い安息所のように想像する。疲れ果てた憐れな罪人たちは、手探りでそこへ入り込み、そこに眠り、彼らが一時《じ》彼らの重荷を下ろした眼に見えぬ大きな殿堂の何の記憶も留めずに、慰められて、立ち去る。
私が今しがたつけた許りの多分人間的用心だけが命じたと思われるあの決心について、諾聖人の通功(訳者註。この世に生活する信者、天国に於いて楽しむ聖人、煉獄に於いて苦しむ霊魂が、キリストを頭として一致せる状態をキリストの神秘体といい、これらの者が互いに功を通じて助け合うことをいう。)の最も神秘的な相《すがた》の一つを想い起こすことは、確かに幾分馬鹿らしいことだ。私が一時《じ》の思いつきに、いや、本当をいえば、あの、私がそれに身を委《まか》せ切っている神の優しい憐れみの導きに、従うとしても、それは私の過ちではない。要するに、私は、医者の診察を受けて以来、自分の秘密を打ち明け、誰かと苦しみを分け合いたいという願いに燃えていたことを覚ったし、また、心の落ち著きを取り戻すには、黙っているだけで十分だということを覚ったのだった。
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私の不幸は別に物珍らしいものではない。今日《こんにち》世界中に幾百、幾千の人々が同じような愕きを以て同じような宣告の下されるのを聞くだろう。その人々の中で多分私は最初の衝動を抑える力に一番欠けている一人だろう。私は自分の弱さを知り過ぎている。だが、また私は経験によって、自分が自分の母から、また疑いもなく自分の血統の他の多くの憐れな女たちから、結局は梃子でも動かぬ辛抱強さを、――なぜなら、彼女たちは苦しみと真正面から取り組もうとはせず、こっそりとその中へ入り込み、次第にそれに馴染んでしまうからだが、そして、そこに私たちの力の源があるのだが、――受け継いでいることを知っていた。もしもそうでないとしたら、良人や子供たちや近親たちの忘恩や不正を遂には消耗させてしまう恐ろしい忍耐力を持つあれほど多くの不幸な女たちの石に噛りついても生き抜こうとするあの熱意をどう説明したらいゝだろう――おお、人非人共の養い手たちよ!
だが、黙っていなければならない。沈黙が許されるまで黙っていなければならない。そしてそれは幾週間も、幾月も続くかも知れない。先刻《さつき》ほんのひと言で、ほんの憐れみの一瞥で、ほんの簡単な質問で、この秘密を洩らしたかも知れないと思うと……それはもう私の唇を出かゝっていたのだ。それを止《とゞ》められたのは神様だ。もちろん私だって他人の同情が一時の慰めを与えることを知っている。私は決してそれを軽蔑しない。だがそれは魂の真の渇きをとめはしない。それは如露で注がれる水のようなものだ。そして我々の苦しみが口から口へと、同情から同情へと転々したならば、我々はもはやそれを尊敬することも愛することもできなくなるように思われる。
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私は再びこのテーブルに向かっている。私は、今朝《け さ》あんなに恥ずかしい思いをしながらそこを出た。聖堂をもう一度見に行った。なるほどそれは冷たくて暗い。私の期待していたものは来なかった。
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戻って来ると、デュプルイおばさんは自分の昼食を分けて呉れた。私は断ることができなかった。私たちはトルシイの主任神父さんの話をした。おばさんはプレルの助任司祭をしていた頃の神父さんを識っていたのだ。おばさんは神父さんをひどく怖れていた。私は茹《ゆで》肉と野菜を食べた。留守の間に、おばさんはストーヴに火を入れて呉れていた。食事が済むと、牛乳抜きの珈琲の一碗を前に私を唯一人火の傍《そば》に残した。私はいゝ気持ちで、ついとろとろとした。眼が覚めて……
(そうだ、私は書かなければならない。私はこの幾朝を、この週の終りの幾朝を、その幾朝の印象を、鶏鳴を――まだ真暗な、だが、その硝子の一枚が、いつも同じ右の一枚が、燃え始める高い窓を思う……すべてはなんと爽かで清らかだったことだろう……)
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そこで私は朝早くドクトル・ラヴィニュの家に著いた。著くと間もなく内へ通された。控え室は散らかっていて、床に膝をついた女中が敷物を捲いていた。鎧扉《ど》も窓掛も閉めたまゝ、食卓には食卓掛が掛けたまゝで、床に落ちているパン屑が私の靴に踏まれて鳴り、冷えた葉巻の香の漂う、おそらくは前夜の儘と思われる食堂で、私は数分間待たなければならなかった。やがて扉が私の背後で開き、医者が私に入るように合図した。「こんな所へお通しして済みません。こゝは娘の遊戯室です。今朝《け さ》、家はごった返《がえ》しです。こんな風に毎月家主の手で家は大掃除をやられるのです――馬鹿げたことです。その日には私は十時にならなければ診察を始めないのですが、あなたはお急ぎのようだ。とにかく寝椅子がありますし、あなたはそこへ横になることができる。それが何より大事なことです。」
彼は窓掛を引いた。で、私は真向《まつこう》からの光で彼を見た。私は彼がそんなに若いとは思っていなかった。その顔は私の顔と同じぐらい痩せていて、最初は光の加減かと思われたほど奇妙な色をしていた。まるで青銅《ブロンズ》のような色合いだった。そして黒い瞳《め》で、じっと私を見詰めていた。気のない、面倒臭そうな様子だったが、しかし冷酷なところは少しもなかった。私が繕いだらけの毛糸のジャケツを骨折って脱ぎ終えるまで、彼は向こうを向いていた。私は横になる気がせず、ぼんやり寝椅子に腰掛けていた。それに、その寝椅子にはどれもこれも多かれ少かれ毀れた玩具が一杯載っていたし、その上インキの汚点《し み》のついた布製の人形まで載っていた。医者はその人形を傍らの椅子の上へ置くと、二三の質問をした後で、時々眼を瞑りながら、叮嚀に診察した。その顔はちょうど私の顔の上にあって、その長い黒い髪の垂れ下った端が私の額を撫でた。黄いろくなったセルロイドのカラーに締めつけられている肉の落ちた頸が見えた。次第に上って来る血がやがてその頬に銅色を帯びさせた。私は薄気味悪さを覚えた。
診察は長く経《かゝ》った。私は彼が私の病んでいる胸には一向注意を払わないのを意外に思った。彼は軽く口笛を吹きながら、たゞ二三度私の左肩の鎖骨の辺《あた》りを撫でただけだった。その部屋の窓は小さい中庭に面していて、窓硝子を通して、銃眼のような狭い孔のあいている黒く煤けた塀が見えた。確かに私はラヴィニュ教授とその住居とについては全然異った想像を描いていたのだった。その小さい部屋はいかにも不潔に見えたし、なぜだか分らぬが、私はそれらの毀れた玩具や人形に胸を締めつけられるように感じた。――「さあ、服をお著なさい。」と彼は言った。
これが一週間前なら、私はどんな宣告にも驚かなかったろう。ところがこの数日、私はひどく気分がよかった。どっちにしろ、その数分は私には長く思われた。私はオリヴィエさんを、この前の月曜のあの遠乗を、あの陽炎《かげろう》の立っていた道を考えようと努めていた。手がひどく震えて、二度までも靴の紐を切ってしまった。
医者は部屋の中を縦《た》て横に歩き廻っていたが、やがて、微笑しながら、私の方へ戻って来た。その微笑はいくらか私を落ち著かせた。――「ところで、一度レントゲンを撮《と》って見たいのですがね。グルセという男がその方の係りをしている病院を御紹介しましょう。だが、月曜まで待たなければならないのですがね。」――「どうしてもその必要があるのでしょうか?」彼はちょっと躊躇《ためら》った。あゝ、あの時私はどんなことでも平気で聞いたろう。だが、経験によって私は知っている。私の衷に、あの沈黙、祈りに先立つあの深い呼び声が起こる時、私の顔は不安のそれに似た表情を示すのだ。今思うと医者は履き違えたのだ。非常に率直な、人懐《なつ》こいといってもいゝほどの彼の微笑は一層強められた。――「いや、ほんの形式に過ぎません。あなたをこの市にそう長くお止《とゞ》めしたところで何になりましょう。安心してお宅へお戻りなさい。」――「教区の仕事を続けてして居ても宜しいでしょうか?」――「もちろんです。(私は顔に血がさっと上るのを感じた。)だが、今後絶対に不快を感じられることがないとは申しません。発作はまだ時々起こるでしょう。それは仕方がありません。病気に慣れる必要があります。誰でも多少病人なのですから。食事も別に規定はしません。様子を見ながら、収まるものだけお上りなさい。収まったものが収まらなくなったら、無理をなさらないがいゝ。牛乳か、砂糖水なりで我慢なさるのですね。悪いことは申しません。で、もしも痛みがあまり激しい時には、今処方を書いて上げる水薬をスープ匙に一杯お上りなさい――二時間置きに一匙、日に五匙を決して越えてはなりません、お分りですか?」――「分りました、教授。」
彼は寝椅子の近くへ、私と向かい合って、小さい円テーブルを押し進めたが、その拍子に、塗料が鱗のような薄い片《きれ》になって剥げかゝっている不恰好な首を彼の方へ擡げているように見えた例の布製の人形と鼻と鼻とを突き合わせた。彼はそれを部屋の向こうの端へ邪慳に放り出した。人形は妙な音を立てゝ壁にぶつかり、床に転がって、両手、両足を宙に上げ、仰向けになった。
私は思わず眼を背けた。突然彼は言った。「ねえ、やはり一度レントゲンを撮《と》って見る方がいゝと思いますよ。ですが別に急ぐことはありません。一週間経ってまたいらっしゃい。」――「たって必要でないのなら……」――「私としてはやはりお勧めしなければなりません。とにかく人間、誰だって誤りがないという訳にはゆきません。ですが、グルセのために興奮させられてはなりません。写真は写真です。写真に意見を求めることはできません。いずれゆっくり後でお話しましょう……とにかく、習慣は変えられない方がいゝ。習慣は結局人間の友です。たといそれが悪いものでもね。何より悪いことは仕事を止《や》められることです。たといどんな理由によってもですね。」私は医者の言葉が殆ど耳に入らなかった。たゞ無性に街へ出て、独りになりたかった。――「分りました、教授……」私は立ち上った。彼は袖口を神経質に叩いていた。――「いったい、此処へは誰に尋《き》いていらっしゃったのです?」――「デルバンド先生です。」――「デルバンド? 識りませんね。」――「デルバンド先生は亡《なくな》りました。」――「へえ? それは、まあ、お気の毒な! とにかく一週間経《た》ったらまたおいでなさい。よく考えてみるのに、やはり私自身グルセのところへ御案内する方がいゝようだ。では来週の火曜に、よろしいですね?」彼は殆ど私を部屋から押し出すようにした。数分前から彼のいかにも陰鬱な顔は奇妙な表情を浮かべていた。彼は快活に見えたが、それはもどかしさをやっと抑えている人間のそれのような痙攣的な上擦った快活さだった。私は、思い切って握手もできずに、部屋を出たが、次の間へ行くか行かないに、処方箋を忘れて来たことに気が附いた。扉は締まったばかりで、客間に跫音を聞いたように思った。部屋は空《から》だし、テーブルの上の処方箋を取るだけで、誰の邪魔をもしないだろうと私は考えた。……ところが、彼は、そこの窓際に立って、ズボンの片側を押し下げ、指の間にキラリと針の光るのが見えた小さい注射器を腿に近附けていた。愕きも直ぐには消しかねた無気味な微笑《わ ら》いを私は忘れることができない。眼が怒りを含んで私を見据えている一方、それは半ば開いた口の周りに漂っていた。――「どうしたんです?」――「処方箋を取りに来たのです。」と私はしどろもどろに答えた。私はテーブルの方へ一歩《ひとあし》近附いたが、紙片はもはやそこにはなかった。――「ポケットへ蔵《しま》ったのかも知れません。ちょっと待って下さい。」と彼は言った。彼はさっと針を引き抜くと、注射器を手にしたまゝで、私から眼を放さずに、私の前に立っていた。彼は私に挑戦するような様子だった。――「これさえありゃあ、君、神さまなんか要りゃあしませんよ。」私の当惑が彼の敵意を和らげたらしい。――「いや、こりゃあ医学生の冗談に過ぎませんよ。私はあらゆる意見を、それが宗教上の意見でも、尊敬します。だが、私自身は意見なんか持ちません。医者には意見なんてものはありません。あるのはたゞ仮説だけです。」――「教授……」――「なぜ私を教授なんて呼ぶんです? 何の教授です?」私は彼を狂人だと思った。――「さあ、答え給え! 君は僕がその名も知らぬ同業者の紹介で来たと言い、おまけに僕を教授扱いする……」――「デルバンド先生からラヴィニュ教授の診察を受けるように勧められたのです。」――「ラヴィニュ? 君は僕をからかってるんじゃないでしょうね? そのデルバンド先生というのはよほどどうかしてるにちがいない。ラヴィニュはこの正月、七十八歳で死にましたよ! それにしても私の住所はいつ、誰から聞いたのです?」――「年鑑でみつけたのです。」――「へえ? だが、私はラヴィニュとは言いません。ラヴィルです。君はまさか字が読めないんじゃないでしょうね?」――「これは大変な粗相をしました。お赦し下さい。」彼は私と扉《と》口との間に立ち塞がった。私は果してその部屋から無事に出られるかどうかを疑った。私は罠か、落し穴に掛ったように感じた。汗が額を流れ、眼が眩んだ。――「いや、赦しを乞うのは私の方です。お望みなら、他の教授を、例えばデュプティプレを御紹介してもいゝ。だが正直のところ、その必要はないと思います。私だって医者として地方の大学の教授ぐらいの心得はあります。私はパリの病院で助手も勤めましたし、試験には三番でした。自分で自分を褒めるのも可笑《おかし》なものですが、まあ赦して頂きましょう。それにあなたの場合は大して厄介ではない、誰にだって診断はつきますよ。」私は再び扉《と》口の方へ歩いた。彼の言葉は私に何の疑いも起こさせはしなかったが、たゞその視線だけが堪えられぬ気詰まりを感じさせた。それはあまりに輝いていて、執拗だった。――「あまり長座《ながい》して、お邪魔になるといけません。」――「いゝえ、そんな御心配には及びません(彼は時計を取り出した)。診察時間は十時からです。実を言うと、あなた方司祭、殊に若い司祭と差し向かいで話したことはこれが初めてです。意外にお思いですか? 実際変な話ですが。」――「司祭全体について甚だよくない意見をあなたに懐かせることをたゞ残念に思います。私は極く平凡な司祭です。」――「いや、どうして、あなたはひどく私に興味を懐かせます。あなたの顔立ちは大変……特徴があります。今迄にそう言われたことはありませんか?」――「いゝえ。あなたは私をからかっていらっしゃるんでしょう。」彼は、両肩を聳やかせながら、私に背を向けた。――「御一家から沢山司祭が出ておいでですか?」――「いゝえ、一人も。もっとも私は先祖のことは大して知っておりません。私共のような家には系図などありません。」――「それは間違いです。御一家の系図はあなたの顔の皺の一すじ一すじに刻まれています。それは立派にあります。」――「たといあっても私は読みたくありません。読んだって何になりましょう? 死者をして死者を葬らせよです。」――「いや死者は生者を見事に葬ります。あなたは御自分を自由だとお思いですか?」――「私は自由の自分の分け前が大きいか小さいか、一向に知りません。たゞいつかそれを神の手に返すために必要なだけの自由は神がそれを私に与えておられると信じます。」――暫く沈黙したあとで彼はまた口を開いた。「御赦し下さい。さぞ無躾けな奴とお思いでしょう。実は私自身あなたの御一家と同じような家系に属しているのです。先刻《さつき》あなたに初めてお会いしたとき、私は第二の自分に出会ったような不愉快な感じを受けました。こんなことを申して、あなたは私を狂人だとお思いでしょう?」私は思わず注射器に眼を遣った。彼は笑い出した。――「いや、モルヒネでは頭は狂いません、御安心なさい。寧ろ頭は相当はっきりします。私はモルヒネに、あなたが多分祈りに求められるものを、即ち忘却を求めるのです。」――「失礼ですが、祈りに忘却は求めません。力を求めるのです。」――「力はもはや私には何の役にも立たないでしょう。」彼は床《ゆか》から縫いぐるみの人形を取り上げて、それを静かに煖炉棚の上に置いた。それから夢見るような調子で再び言った。「祈り。……私はこの針を皮下に射し込むぐらいの易しさで祈れることを希望します。あなたのような不安な人は祈らないか、祈ってもよくは祈りません。正直に言って、あなたは祈ろうとする努力か、それへの強制だけを愛しておられるのです。あなたは、自分ではそれと気附かずに、あなた自身に暴力を加えておられるのです。ひどく神経質な人間はいつも自分自身を拷問に掛けているのです。」今思い返して見ても、この言葉が私を陥れた恥ずかしさの種類を、私はどうしても説明することができない。
私は眼を上げることができなかった。――「私を旧式の物質主義者と取らないで下さい。祈りの本能は我々めいめいの心の奥底に存在していますし、それはその他の本能に劣らず不可解なものです。それは血族に対する個人の人知れぬ闘争形式の一つだと思います。ですが、血族は黙々として一切を呑み込んでしまいます。そしてまた種族はその血族を呑み込み、その結果死者の桎梏はじりじりと生者を締めつけるのです。幾世紀この方私の先祖の誰一人として、そのまた先祖よりも、より多くのことを知ろうとする露ほどの望みも懐いたとは私は思いません。私たちが先祖代々そこに生活して来た下《しも》メエヌ地方のその村では、こう言い慣らわされています。トゥリケのように頑固だと。――トゥリケというのは私たち一家の綽名《あだな》です。いつ附いたとも知れぬ綽名です。ところで私はあなた方がラテン語でリビド・スキエンディと言われる狂気染みた知識慾を持って生れました。私は貪るように勉強しました。私は自分の青年時代を、ジャコブ街の小さい部屋を、その頃の夜々を回想すると、一種の恐怖を、殆ど宗教的な恐怖を覚えます。そしてそれは何に到達するためだったでしょう? ねえ、何のためだったとお思いです?……この、私一家の者の誰もまだ持ったことのない好奇心、それを今私はモルヒネの注射で、少しずつ殺しているのです。そしてそれがもしあまりに手間取るなら……あなたは自殺の誘惑を感じられたことはありませんか? それはそう珍らしいことではありません。あなたのような神経質な人には普通のことでさえもあるのです……」私は何も答えることができなかった。魅せられたようになっていた。「事実、自殺の嗜好は天の賜物というか、第六感というか、何だか分らぬが、とにかく生得のものです。ところでやるとしたら、私はそれを人に気附かれぬようにやります。これでもまだ私は時々猟をします。ドンと、背後《うしろ》から引金を引いて、生墻の中へ倒れ込むことは誰にだって出来ることです――そして翌朝、空が白むと、森の向こうに立ち昇る朝餉の煙、鶏鳴、小鳥の囀りと共にしっとりと露に濡れて、冷たくなって、静かに、草の中に俯伏せになっているのを見出される。どうです、誘惑を感じませんか?」まったく私は一時《いちじ》は、彼がデルバンド先生の自殺を知っていながら、空呆《そらとぼ》けているのだと思った。だが、そうではなかった。彼の眼の色は真剣だった。そして私は、自分自身ひどく感動していながらも、私が其処にいるということが――なぜか分らぬが――彼をひどく苦しめていることを、それが刻々彼に堪えがたくなってゆくことを、しかもその私と彼が別れともなく感じていることを、感じていた。私たちは互いに呪縛されたようになっていた。――彼は陰鬱な調子でまた口を開いた。「我々のような人間は皆のあとに大人しく随いてゆけばいゝのでしょう。我々は自分自身をも仮借しませんし、何物をも仮借しません。神学校時代のあなたはプロヴァンの中学時代の私とまったく同じだったに違いありません。神にしろ科学にしろ、我々はそれに飛びかゝってゆきました。我々は燃えていました。ところで我々は今同じ……」彼は突然口を噤《つぐ》んだ。私には彼の言おうとすることが聞かないでも分ったにちがいないのだが、私はなおも、その場を逃れることしか考えていなかった。――「あなたのような人は目的に背を向けるようなことはしません。」と私は言った。――「目的の方で私に背を向けるのです。半年後には私は死ぬでしょう。」と彼は答えた。私は彼がまた自殺のことを言っているのだと思ったが、彼はその考えを私の眼の裡に読み取ったらしい。――「あなたの前でなぜつまらん芝居などするのかと思いますよ。あなたはなんでもいゝから、話をしたくならせるような眼をして居られる。私が自殺するというのですか? そんなことは貴族か、詩人の閑つぶしです。私などの手の届かぬ贅沢です。ですが、また、私はあなたから卑怯者だとも思われたくはありません。」――「私はあなたを卑怯者だなどとは思いません。たゞその薬は……」――「いや、モルヒネについては軽々しく口を利かれてはなりません……あなた御自身、いつか……」彼は優しく私を見た。そして言葉をつゞけた。「あなたは悪性淋巴肉芽腫の話を聞かれたことがありますか? 無い? そうでしょう。だいたいこれは誰でもやる病気じゃないのです。かつて私はこの病気について論文を書いたことがあるのです。ですから、間違いっこありません。検査などして見るまでもありません。私は自分の寿命をあと三ケ月、よくって半年と見ているのです。ねえ、私は目的に背を向けてなどはいません。真正面からそれを見据えています。痒みがあんまり激しい時には、掻きますが、なにぶん、患者には患者の要求があるし、医者は楽天的でなければなりませんからね。診察日には私は一本やるのです。病人を欺くことは我々の職業には必要なことなのです。」――「あなた方は病人を欺き過ぎはしないでしょうか?」――「そう思いますか?」と彼は言ったが、その調子は相変らず優しかった。――「あなたの役割は私のに比べればそう難かしくはない。あなたが相手にされるのはおそらく臨終の人間だけでしょう。臨終の人間の多くは楽天的です。ところが或る人間の一切の希望を一言で一挙に粉砕するとなると事は別です。それが私にも一二度起こりました。いや、あなたがどう答えられるか、私には分っています。神学者たちは希望を一つの徳に祭り上げました。あなた方の希望は神妙に合掌しています。ですが、希望の神といわれるその神を誰もまだ真近に見たものはありません。いや希望は人間の心に巣くう動物ですよ。強い、兇暴な動物ですよ。自然に息の絶えるのを待つのが上策です。下手に挑発しないがいゝ。でないと、爪を立てたり、喰いついたりします。ところでまた病人というものは狡猾なものでしてね。いくら彼らを識っているつもりでも、ひょいと、してやられます。いつかも、ざっくばらんに本当のことを打ち明けて呉れと言った植民地軍の古強者《つわもの》の老大佐がありましたが、……いや、けんのん、けんのん……」――「少しずつ死ぬのに慣れなければなりません。」と私はおずおずと言った。――「ほゝう、あなたはそんな訓練をなさったというのですか?」――「せいぜい試《ため》してみました。だいたい私は地位や家族のある在俗の人に自分を引き較べようとは思いません。私のようなしがない一司祭の命は誰にとってもそう大切なものではありません。」――「なるほど。ですが、たといあなたがもっぱら運命の享受を説かれるとしても、それは別に耳新しくはありません。」――「しかし、それは喜びを以ての享受です。」――「いや、人間は鏡を見るように自分の喜びの中を覗き込むが、自分の姿を認めることはできません。人間は自分の身を削ることによってしか喜びを享受することができないのです――喜びも悲しみも要するに一つのものです。」――「あなたの言われる喜びは恐らくそうでしょう。ですが、教会の使命はまさしく、見失われた喜びの源を見出すことです。」彼の眼差しはその声音と同じく優しかった。私は言いようのない疲れを覚え、もう何時間も前からそこにそうしていたように思われた。――「ではこれで失礼させて下さい。」と私は叫んだ。彼はポケットから処方箋を取り出したが、まだ渡さなかった。そして突然腕を垂れ、首を傾《かし》げ、眼を細めながら、私の肩に手をかけた。その顔は私の幼時の幻しを蘇らせた。――「結局あなたのような人には本当のことを言った方がいゝらしい。」と彼は言ったが、先を続ける前にちょっと躊躇《ためら》った。奇妙なことに、彼の言葉はたゞ私の耳を打っただけで、何の考えも私に起こさせなかった。二十分前、私はこの家に観念の臍《ほぞ》を固めて入った。その時私はどんなことを聞いても愕かなかったろう。アンブリクウルでもこの一週間私は何とも説明のつかぬ安心と自信、幸福の予感といったようなものを感じていたにも拘らず、それでもやはりラヴィル氏の最初はあんなに安心させるようだった言葉は私に大きな喜びを惹き起こさずにはいなかった。今私はその喜びが疑いもなく私の考えたよりはずっと大きくずっと深かったことを悟った。それは私がメザルグの道で経験したあれと同じ解放と喜悦の感情であったが、そこには異常な焦躁の昂奮が混っていた。私は最初この家を、この壁を逃れ出たいと思った。そして私の視線が医者の無言の質問に答えるように見えた、まさにその時には、私は街の漠然としたどよめきにばかり気を取られていたのだ。逃れ出たい! 今朝《け さ》、汽車の窓から、曙の光の仄々と射して来るのが見られたあの清らかな冬の空をもう一度見たい! 確かにラヴィル氏は思い違いをしたのだ。光は突然私の心以外の処に射した。彼が皆まで言い終らぬうちに、私は最早生者の中の一箇の死者に過ぎなかった。
癌……胃癌……この言葉は私には特に意外だった。私はもう一つの言葉を予期していた。私は結核という言葉を予期していたのだ。私ぐらいの年輩の者には事実極く稀れにしか見られぬ病気のために今自分は死のうとしているのだということを自分自身に納得させるにはひどく骨を折って注意を集中しなければならなかった。私は難問を提出された時のようにたゞ眉根を寄せただけだったにちがいない。顔色が蒼ざめたとも思われぬほど私は一心になっていた。医者の眼差しは私の眼差しを離れなかった。私はそこに信頼と同情と、なおその上に何か分らぬ或るものを読んだ。それは友の眼差し、仲間の眼差しだった。彼の手は再び私の肩に掛けられた。――「御一緒にグルセの所へ行って見ましょう。ですが、正直に言って、その様子では手術は難かしかろうと思います。実際よく今までもったと思いますよ。腹部の塊は大きくって、ひどく膨らんでいるし、左の鎖骨の下に残念ながら甚だ確実な徴候が、即ち我々がトロワジエの神経球と呼ぶものが認められました。進行はどうやら遅いようです。あなたの年輩とすると、本当を言うと……」――「どのぐらいもつでしょう?」私の声が震えていなかったので、彼はこんどもまた思い違えたらしい。だが実は私の落ち著きは自失に過ぎなかったのだ。電車の走る音や鈴の音《ね》がはっきり聞えた。頭の中では私はもうその忌まわしい家を出て、忙がしそうな群集の中に紛れ込んでいた。神よ、宥し給え! 私は神のことはまるで考えていなかった。――「さあ、そいつにお答えするのは難かしい。もっぱら出血次第なのでしてね。出血は滅多に命取りにはなりませんが、度々起こると……いや、要するに分らんと言うのがほんとうです。さっき、あなたのお仕事を今まで通りお続けなさいと言ったのは、あれは出鱈目でも何でもありません。運よくゆけば、あなたはあの有名な皇帝のように立ったまゝで死ぬことができます。精神の問題です。もしも……」――「もしも?……」――「あなたは粘り強い。医者になったら成功したでしょう。とにかく、あなたに辞典類などひっくり返させたくない。こうなったら底を割《わ》ってしまいましょう。そこで、このごろに熱が少し出て、左股の内側に痛みを感じたら、横におなりなさい。そんな風な静脈炎はあなたのような病気には附き物で、下手をすると脈管閉塞の外翻症を起こし易い。さあ、これで私の知識は全部ぶちまけてしまいました。」
漸く彼は処方箋を差し出したが、それを私は上服のポケットへ無意識に押し込んだ。なぜその時直ぐにその家を出なかったか、私には分らない。或いは私を自分の私有物か何かのように平然と扱ったこの見知らぬ男に対する憤激の念を、反抗の念を抑えることができなかったのかも知れない。或いはまたその僅かな時間に、私の思考を、私の計画を、私の思出までをも、要するに、私の全生命を、この、私をまったく別人にしてしまった新しい確証に一致させようとする愚かな企てに専心していたのかも知れない。しかし事実は単に、いつものように、どう別れを告げたらいゝか分らず、たゞもじもじしていたのだと思う。私の沈黙はドクトル・ラヴィルを驚かしたらしい。彼の声の震えで私にはそれが分った。――「言い残しましたが、今日《こんにち》、世界中に、かつて医者に宣告を下されて、しかも百歳近くまで生きようとしている何千という病人がいます。悪性の腫物の吸収された例も幾つか記録されています。いずれにせよ、あなたのような人は、馬鹿者の気休めにしかならぬグルセの冗舌にいつまでも瞞《だま》されている筈はありません。偉そうな顔をして口から出任《まか》せを言うこうした占い者共にだんだんに実を吐かせるほど恥ずかしいことはありません。スコットランド風の灌水治療法(註。温湯を浴びた後にいきなり冷水を浴びる。)をやると、人間は自尊心を失います。そしてどんな勇敢な者もついには他の有象無象と一緒くたに、自分の運命に屈従することになります。一週間経ったらまたいらっしゃい。病院へお伴しましょう。それまではミサをお挙げなさい。告白をお聴きなさい。あなたの習慣を少しもお変えなさるな。私はあなたの教区をよく識っています。メザルグには友達も一人います。」
彼は私に手を差し出した。私は依然としてさっきと同じような放心状態にいた。このような場合に神の名までも忘れられたというのは何という不思議なことか何うしても自分には理解できないということが私にはよく分っていた。私は自分の死と向かい合って孤独だった、言いようもなく孤独だった。そしてその死は、生命の喪失に過ぎなかった――それ以上の何物でもなかった。可視的世界が恐るべき速さを以て、陰鬱などころか却って目映《まばゆ》いほどの明るい幻影の混乱の中に私から流れ去るように思われた。こんなことが有り得ることだろうか? では、自分はこんなにもこの世界を愛していたのだろうかと私は考えた。あの朝々を、あの夕々を、あの街々を、あの変幻極まりない、玄妙な街々を、あの人間の跫音に充ち満ちた街々を、自分はこんなにも街々を、我らの街々を、この世の街々を愛していたのだろうか? その塵の中に育った貧しい子供の誰が彼の夢をそれに委ねなかったろうか? それは彼の夢を悠々と未知の大洋へと運んで行く。おゝ、貧しき者の夢を担う光と影の大河よ! こんなにも私の心を切なくしたのは、あのメザルグという言葉だったのだと思う。私の思いはオリヴィエさんからもあの遠乗からも、ひどく遠く思われた。しかもそれらはそのために少しも価値を減じはしなかった。私は医者の顔から眼を離さなかった。が、突然それは消え失せた。私は自分の泣いていることを頓《とみ》には覚らなかった。
そうだ、私は泣いていた。声も立てず泣いていた。溜息一つ洩らさなかったと思う。大きく眼を見開いたまゝ泣いていた。ちょうど臨終の者が泣くように。それは生命が私から流れ出たのだ。私は司祭服の袖で眼を拭いた。医者の顔が再び現れた。それは驚愕と同情の名状しがたい表情を示していた。人間、嫌悪のために死ぬことができたら、私は死んでいたろう。私は逃れ去るべきだったろうが、私はそれを敢えてし得なかった。私はたゞ一《ひと》言を、司祭らしいたゞ一言を神が吹き込んでくれることを待っていた。その一言のためならば、私は私の生命をも、僅かに残っている生命をも献げて惜しまなかったろう。せめて赦しを求めたいと思ったが、涙に息詰まって、思うように口が利けなかった。私は涙が咽喉を流れるのを感じた。それは血の味がした。事実それが血であってくれるなら、私は何だって犠牲にしたろう! それにしてもその涙はいったい何のための涙だったろう? が、誰にそれが言えたろう? 私が泣いたのは自分のためではなかった。私はそれを誓う。その時ほど私は自分を憎む気持ちに近かったことはない。私は自分の死のために泣いていたのではない。子供の頃、私はよくそんな風に噎《むせ》び泣きながら目覚めることがあった。こんどはどんな夢を見て私は目を覚ましたのだろう? あゝ、私は恰もきらびやかな群の間を眼を伏せて歩くようにこの世には殆ど眼をくれずに過ごしたと信じていたし、時にはそれを軽蔑しているとさえ考えた。だがこの時私の恥じたのは自分自身についてであって、この世についてではなかった。私は、それと口に出して言うこともできず、それと自ら認めることさえもできずに愛している哀れな男のようだった。もちろんこの涙が卑怯なものだったかも知れないことは否定しない。しかも私はまたそれは愛の涙だったと考える。
到頭私は後ろを向くと、外へ出て、もう一度街に立った。
深夜、デュフレティ君の許で。
デュプルイおばさんに二十フラン借りる考えがなぜ出なかったのだろう? そうすれば私はホテルで寝ることができたのに。もっとも昨夜《ゆうべ》は物をよく考えることができない状態にいた。汽車に乗り遅れて悄気《しよげ》かえっていたのだ。とまれ友人は私を鄭重に迎えて呉れた。万事調子がいゝようだ。
立場の正常でない(いや、それはもっと悪い状態と言っていゝ)司祭の接待をたとい一夜でも受けたことをおそらく人は非難するだろう。トルシイの主任神父さんはさぞ私を頓馬だというだろう。そう言われても仕方がない。昨日《きのう》、臭くて暗い階段を昇りながら自分でもそう言ったのだから。私は扉に向かってしばらく佇んだ。黄色くなった名刺が鋲で留めてあった。代理店、ルイ・デュフレティ。眼を背けずにはいられなかった。
これが数時間前なら、私はおそらく到底入る勇気が出なかったろう。だが私はもはや独りではなかった。例の物が私の衷にはあった。……とまれ、私は留守であって呉れゝばいゝという漠然たる希望を懐いて呼鈴を引いた。彼は扉を開けに来た。上衣は著ずに、我々が司祭服の下に穿く綿布のズボンを穿き、素足にスリッパをつっかけていた。殆ど刺々しい調子で言った。――「前もって知らせて呉れゝば、オンフロワ街に事務所があるのに。此処はたゞ寝るだけなのさ。家が汚くてね。」私は彼を抱擁した。彼は咳き込んだ。うわべよりは感動していたのだと思う。食事の残りがまだテーブルの上にあった。――彼は沈痛な調子で続けた。「栄養を摂らなければならないのだが、残念ながら食慾があまりないのでね。君は神学校のシチューを覚えてるだろう? 何よりいけないことはこゝでは部屋の中で料理しなければならないことだ。炒った脂の臭いには参ってる。鼻についてたまらん。他処《よ そ》でなら大いに食うんだが……」私たちは真近に対坐していたが、彼の以前の俤を見出すには骨が折れた。頸は途方もなく伸びて、その上に載っている頭はいかにも小さく見えて、まるで鼠の頭のようだった――「よく来て呉れたよ。ありていに言って、僕の手紙に返事を呉れたんでむしろ意外だった。遠慮のないところ、神学校にいた頃は、君はあんまり融通の利く方じゃなかったからね。……」私は何か自分にも分らぬことを答えた。――「失敬して、ちょっと顔を洗って来るよ。今日《きよう》は珍らしく寝坊をしたんだ。忙しい生活というものはいゝものだよ。だが、馬鹿にはならんつもりだ。大いに読んでる。こんなに読んだことはない。或いは他日《いつか》……僕は非常に面白い、生きた記録を取ってる。だが、その話はまた後のことにしよう。以前君は韻文を相当ひねったようだね。君の助言は大いに役立つだろう。」
しばらくして彼が牛乳の罐を手にして階段の方へそっと出て行くのが、扉の隙から見えた。私は再び例の物と差し向かいになった。……実際私は、できれば、他の死を選びたかった。水に入れた砂糖の塊のようにだんだんに溶けてゆく肺臓、絶えず刺戟していなければならない疲れ切った心臓、さなくばあの名は忘れたがドクトル・ラヴィルの奇妙な病気、すべてそれらのものの脅迫はおそらく稍々漠然としていて、抽象的でありそうに思われる。……ところが、医者の指があんなに手間取っていた場所に服の上から手を当てるだけで、私には感じられるように思う……いや、気の所為《せ い》かも知れない。が、どっちにしろ、数週間この方私の衷には何の変りもないといかに繰り返し自分に言いきかして見ても、やはり例の物をかゝえて帰宅することは恥ずかしく、胸が一杯になる。それでなくてももう自己嫌悪に誘われ勝ちなのだから、自分をすっかり意気銷沈させてしまうこうした感情の危険を私は知っている。私を待っている試煉の最初に先ず私の為すべきことは自分自身と和解することでなければならない。……
私は今朝《け さ》の恥ずかしさについて熟《つらつ》ら考えてみた。それは卑怯な気持ちからよりも寧ろ判断の誤りから来たものと思われる。私には良識が欠けている。死に臨んで、この私には、私の尊敬している私よりも勝れた人々、例えばオリヴィエさんや、トルシイの主任神父さんのような態度を取り得ないことは明らかだ。(私は殊更この二人の名をこゝに並べる。)そうした場合この二人はどちらも、あの、高貴な魂特有の自然さ、自由さにほかならぬ一種卓越した品位を保ちつゞけるに相違ない。伯爵夫人にしてもそうだ。……もちろん私はそれが後天的徳でなく先天的美質であって、獲ようとして獲られるものでないことを知らぬではない。ところで私の衷にもその幾らかがあるに相違ないのだ。なぜなら私は他人の衷にあるそれをこれほどに愛するのだから。……それは自分では喋ることができないが、人の話すのはよく分る言葉のようなものだ。いくら縮尻っても私は懲りない。ところで有りったけの力を振り絞らなければならない時、私の無力感は私を激しく抱き竦《すく》め、私は下手な演説家が話の脈絡を見失うように私の勇気の脈絡を見失ってしまうのだ。こうした経験は珍らしくない。以前には私は何か素晴らしい思い懸けぬ事件――例えば殉教――の希望によって自分を慰めた。私の年輩では死は自分たちの凡庸な日常の経験から言ってまだ信じられぬくらい遠いものに思われる。私たちはその事件が何の変哲もなく、私たち自身を反映し、私たちの運命を反映しておそらくは私たち同様平凡なものであることを信じようとはしない。それは私たちの見馴れた世界には属していないように見える。私たちはそれを本の中でその名を読むあのお伽の国のように考える。私はさっき、私の苦痛は突然の惨酷な失望のそれだったのだと考えた。想像の海の彼方に見失ったと思っていたものは私の前にあった。私の死は其処にある。それは他《ほか》のどんな死とも同じような死だ。そして私はそこへ極く平凡な、極く普通の人間の気持ちで入るだろう。なお自分で自分を制御できぬ私には碌な死に方のできぬことも確かだ。死ぬにも私は下手で無器用だろう。人は私に繰り返す。「単純であれ!」と。私はできるだけやってみる。だが、単純であることは実に難かしいことだ。ところが世間の人々は同じような寛大な微笑を浮かべながら「卑賤な者」と言うように「単純な者」と言う。寧ろ「王者」と言うべきだろう。
神よ、私は喜んですべてをあなたに献げます。ですが私は献げる術《すべ》を知りません。私は奪われるように献げます。一番いゝのはじっとしていることです。なぜなら、たとい私が献げることを知らなくとも、神よ、あなたは奪うことを知っていらっしゃるからです。……それにしてもせめて一度ぐらい私もあなたに対して寛大であり鷹揚でありたいとどんなに望んだことでしょう!
私はヴェルト街にオリヴィエさんを訪ねたい誘惑にひどく駆られた。私はそっちへ歩き出しさえしたが、引き返した。例の秘密を彼に隠すことは困難だったろうと思う。二三日後にはモロッコへ発《た》つのだから、大した問題ではなかったろうが、私は彼の前で嫌々ながら芝居をし、心にもない言葉を吐いたろうと感じる。私は少しも虚勢を張ったり、挑戦したりしようとは思わない。私の身に合ったヒロイスムはむしろヒロイスムを持たないことであり、私には力がないのだから、今では私は私の死が卑小であることを、出来るだけ卑小であることを、私の生涯の他の出来事と別に異ったところのないものであることを望む。要するに私がトルシイの主任神父さんのような人の寛容と友情とをかち得ることのできるのは私の天性の無器用さによるのだ。それはそれだけの価値のあるものかも知れない。それは子供の無器用さかも知れない。時としてどんなに自分を厳しく審くことがあるとしても、私は自分が貧しい心を持っていることをかつて疑ったことはない。子供の心は貧しい心に似ている。この二つのものは疑いもなく一つものなのだ。
私はオリヴィエさんに会わなかったことを喜んでいる。此処で、この部屋で私の試煉の第一日を始めることを喜んでいる。だが、これは部屋ではない。友人は薬の見本の並べてある狭い廊下に寝床を作って呉れたのだ。小さい包はどれも皆ひどく嫌な臭いがする。或る種の醜さ、醜さの或る種の荒廃ほど深い寂寥はない。瓦斯燈が、蝶々とか言ったそれが、頭の上でシューシュー音を立てゝ、沫《しぶき》を吐き散らしている。私はこの醜さ、この惨めさの中に蹲っているように思われる。以前なら私は嫌悪の念を催させられたろう。今日《きよう》はそれが私の不幸を包容することを喜ぶ。正直に言って私はそれを探し求めなかったし、直ぐにはそれと認めもしなかった。昨夕《ゆうべ》、二度目の失神のあとで、この寝台の上に自分を見出した時、私の考えは確かに逃げることだった。どんなことをしてでも逃げることだった。私はデュムウシェルさんの囲い地の前に、陽の中、倒れていたことを思い出した。もっと悪かった。その窪んだ道を思い出したばかりでなく、司祭館やその小さい庭まで眼に泛かんだ。どんなに静かな夜にも夜明け前から眼覚める大きなポプラのざわめきが聞えるようだった。心臓が止まるような気がした。私は叫んだ。「此処では死にたくない。階下《し た》へ降ろして呉れ。何処へでもいゝから連れてって呉れ。」私は確かに頭がどうかしていた。だが、それでも友人の声は分った。それは怒りを帯びながら同時に震えていた。(彼は階段の途中で誰か他の者と言い争っていた。)――「どうしろと言うのだ。俺一人ではあの男を運ぶことはできないし、管理人にはもう何一つ頼めないことはお前もよく知っている。」私は恥ずかしくなった。自分が卑怯だったことを覚った。
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ともかく私はこゝで一遍自分の立場をはっきりさせて置く必要がある。そこで数頁前《まえ》筆を擱いたところから私の話をまた続けることにしよう。友人が出ていったあと、稍々暫く私は一人でいた。それから廊下に囁きが聞え、やがて彼は出ていった時と同じように牛乳の罐を手に、息を切らし、顔を真赤にして入って来た。――彼は言った。「昼食をしてゆくだろう? それまで話が出来る。例の原稿を少し読んでみよう。……日記体で、『我が経歴』という題だ。僕の場合は多くの人に興味を懐かせるに違いない。実に典型的なものだ。」彼が話している間に、私は先ず最初の失神を起こしたらしい。彼はコップになみなみと注いだ葡萄酒を強いて私に飲ませた。いくらか気分がよくなった。たゞ臍のあたりに猛烈な痛みを感じたが、それもやがて次第におさまった。――彼はまた口を開いた。「仕方がないよ、我々の血管には悪い血しか廻っていないのだからね。何処の小神学校も衛生の進歩にはまったく無関心だ。ひどいものだ。或る医者が僕にこう言った。『君は子供の時から栄養不良のインテリだ』と。これで多くのことの説明がつくが、君はそう思わないかね?」私は苦笑せずにはいられなかった。――「自己弁護をしてるんだと思わないで呉れ給え。他人に対しても自分に対しても飽迄も誠実なれというのが僕の信条だ。人各々真理あり、これは評判の作家の素晴らしい劇の標題だ。」
私は彼の言葉をその儘こゝに録《しる》した。これらの言葉は、若しもそれと同時に彼の顔に、私が最早その告白を期待していなかった或る悲歎の瞭《あき》らかな徴《しるし》を見なかったら、私には滑稽に思われたろう。――暫く沈黙した後で彼はまた言った。「この病気さえなかったら、僕は決して君に負けはしなかったと思う。僕は大いに読んだよ。それから、サナトリウムを出ると僕は職を求め、運命と勝負をしなければならなかった。意志と勇気、殊に勇気の問題だ。おそらく君は商品を売り込むぐらい易しいことはないと考えるだろうが、そりゃあ大きな間違いだ。薬を売るにしろ、金鉱を売るにしろ、またフォードになるにしろ、取次販売人になるにしろ、常に人を扱う問題だ。人扱いというものは意志の最良の学校だ。僕も今では多少の心得がある。幸いにも危《あぶな》いところはもう通り越した。もう一《ひと》月半もすれば、仕事は軌道に乗り、僕は独立の快感を味うだろう。だが僕は僕のあとについて来ることを誰にも勧めはしない。随分苦しいこともあった。もしもその時、責任感が僕を支えて呉れなかったら……そうだ、僕のために最も有利な地位を犠牲にした人に対する責任感が……そしてその人に対して……いや、失敬、この話はまだ君にはしていなかった……」――「いや、僕は知ってるよ。」――「そうだ……きっと……だがそれについては極く客観的に話すことができる。君も当然考えるだろうが、今夜《こんや》はわざと君に会わせないようにしたんだが……」私の視線は彼には明らかに気詰まりだったらしい。彼がそこに読むことを望んでいたものを、彼は確かにそこに見出すことができなかったのだ。私は、苦痛に対するこの隣れむべき虚栄心を前にして、数日前ルイズ嬢の傍らで感じたあの悲痛な感じを再び新たにした。それは同情を求めることへの同様の無力さ、何事によらず他人《ひ と》と分ち合うことへの同様の無力さ、心の同様の窄《すぼ》まりだった。――「あの女はいつもはこの時間に帰って来るのだ。だが今日《きよう》は宵を近処の友達のところで過ごすように言ったのだ。……」彼はテーブル越しに、だぶだぶの袖から出ている蒼白い痩せた腕をおずおずと私の方へ差し伸べ、汗ばんだ冷たい手を私の手の上に重ねた。彼は真実感動していたと私は考える。たゞ彼の眼は依然として偽っていた。――「僕らの友情は初めは人物や生活に対する意見や批判の交換に過ぎなかったにも拘らず、僕の知的発展にあの女は相当与っている。あの女はサナトリウムで婦長をしていたのだ。高等教育を受けた、学識もあり、教養もある女で、伯父の一人はラン・デュ・フリエの収税官だ。要するに僕は彼処《あそこ》でした約束を守る義務があると信じたのだ。特に誘惑や瞞著と誤解しないでくれ給え。君には意外かね?」――「いや。だが君が選んだ婦人を愛することを強いて自ら禁ずることは間違っているように思う。」――「君がそんなにセンチメンタルだとは思わなかった。」――「まあ、聴き給え。もしも僕が不幸にして他日僕の品級の誓いを破るとしたら、僕はそれが君の所謂知的発展の結果であるよりは寧ろ婦人に対する愛のためであることを望むだろう。」彼は両肩を聳やかすと、冷やかに答えた。「僕は君の意見には不賛成だ。先ず第一に失敬だが君はそんな問題には不案内だ。僕の知的発展は……」
彼はなお暫く言葉を続けたに違いない。なぜなら、私には長い独白を夢うつゝに聞いていた記憶があるからだ。やがて私の口は生温い泥のようなもので一杯になり、彼の顔が突然妙にはっきり泛かび上ったと思うと、すうっと闇の中へ消えてしまった。再び眼を開いた時は、歯茎にまつわりつく粘っこいものを殆ど吐き終えたところだったが、直ぐに女の声が耳に入った。その声はラン地方の訛りでこう言っていた。「動いてはいけません、神父さん、直きによくなりますよ。」
意識は直ぐに戻って来た。吐血は私をひどく楽にした。私は寝台の上に起き直った。女は出て行こうとした。で、私はその腕を掴んで引きとめた。――女は言った。「御免下さい。私は廊下の向側の友達のところにいました。ルイさんは大変慌てゝ、ロヴェルさんの店へ走って行こうとしました。ロヴェルさんというのはあの人の仲間の薬剤師なのです。ですが、店は夜は開いていませんし、ルイさんはちっとも早く歩けないのです。直ぐ息が切れるのです。そんなことをしたら、体によくないにきまっています。」
私は彼女を安心させるために部屋の中を二三歩歩いて見せた。彼女は漸く再び腰を下ろすことに同意した。彼女はひどく小柄で、あの炭坑地帯でよく見かける年恰好のさっぱり分らぬ小娘たちを思わせた。顔はさして醜くはなかったが、わき見をしたら直ぐに忘れてしまいそうな特徴のない顔立ちだった。だがその薄碧い眼は彼女の祖先の年老いた糸紡ぎ女の眼を思わせるほど諦めきった、つゝましやかな微笑を湛《たゝ》えていた。――「気持ちがよくおなりになったら、私、失礼しますわ。ルイさんは私が此処にいたら喜ばないでしょう。あの人は私たちに話をさせたくないのです。私に近処の女だとあなたに言うように出掛けにやかましく言っていったのです。」彼女は低い椅子に腰を下ろした。「きっとあなたは私のことをだらしのない女だとお思いでしょう。部屋も散らかしっぱなしですし、何でも汚れ放題です。それというのも朝が早くって、五時というともう仕事に出掛けるからです。それに御覧のとおり私はあんまり丈夫でありませんし……」――「あなたは看護婦でしょう?」――「看護婦ですって? そうお思いになって? 私、サナトリウムでルイさんと会った時は病室附雑役婦だったのです。……それにしても私たちがこうして一緒に暮らしているのにあの人のことを私、ルイさんなんて呼んで、あなた、きっと変にお思いでしょう?」彼女は項垂れて、見窄しいスカートの襞を直すような振りをした。「あの人は以前の……旧《もと》の……旧《もと》の学校のお友達には誰にもお会いしません。あなたが初めてです。そりゃ私だって自分があの人に不釣合いだってことはよく承知しています。でも、仕方がありません、サナトリウムではあの人はすっかり癒ったと信じて、いろいろ計画を立てたのです。宗教問題にしても、夫婦生活をすることが悪いことだとは思いませんが、でもあの人は誓いを立てたんじゃありませんか? 誓いは誓いです。まあ、そんなことはどうでもいゝとして、あの頃、私はこんなことをあの人に話すことはできなかったのです……というのは……御免なさい……私、あの人を愛していたからです。」
彼女はこの愛という言葉をいかにも淋しく口にした。私は答えることができなかった。私たちは二人とも赧くなった。
「それにもう一つ理由がありました。あの人のように教育のある人は看護するのに骨が折れます。あの人はお医者さまよりも病気のことには詳しく、薬のことも識っています。今は代理店をしている関係で五割五分の割引がありますが、それでも薬にはお金が経かります。」――「あなたは今何をしてらっしゃるんです?」彼女はちょっと躊躇《ためら》った。――「家事婦です。私たちの職業で、何より辛いのは、市内をあちらこちらと駆け廻らなければならないことです。」――「で、あの人の商売の方は?」――「いずれは大変収入があるらしいんですが、何しろ事務所やタイプライターのためにお金を借りなければなりませんでしたし、それにあの人はちっとも外へ出ないのです。喋ることはあの人をひどく疲らせます。私、自分一人でも何とかなると思うのですが、あの人は私の教育をすることを、あの人の言葉で言えば授業をすることを思い立ったのです。」――「それはいつです?」――「宵から夜更けにかけてです。あの人は大して眠らないのです。でも私のような労働する者には眠りが必要です。『もう十二時か!』と始終あの人は言いますが、それはわざとでなく、ほんとに時の経つのを忘れてしまうのです。あの人の考えでは、私は貴婦人にならなければならないのです。あれだけの値打ちのある人は、どうしても、……ねえ、分って頂けるでしょう……きっと私はあの人の連合いにはならなかったでしょう、もしも……」彼女は今口にしようとしている言葉、洩らそうとしている秘密に彼女の生命が懸ってでもいるかのような異常な真剣さで私を見詰めた。私を信用しなかったのではなく、運命的な言葉を見知らぬ男の前で口にする勇気が欠けていたのだと思う。彼女はむしろ羞ずかしそうだった。私は今までにも屡貧しい女たちが病気のことを言う場合に示すこうした嫌悪感、羞恥感を認めた。彼女の顔は真赧になった。――「あの人は死にかゝっているのです。それをあの人はちっとも知らないのです。」私は思わず飛び上らずにはいられなかった。彼女は一層赧くなった。――「えゝ、私にはあなたの考えてらっしゃることが分ります。この教区の助任司祭だという、でも、ルイさんの識らない大変叮嚀な方が此処へ見えました。その方の仰有ることによれば、私がルイさんの義務に戻るのを妨げているというのです。義務なんて、私には難かしくってよく分りませんが、とにかく、この住まいの悪い空気を見たって、何といっても理想通りにはいかない食事の問題(質ではどうにかできても、変化に乏しいのです。ルイさんはすぐ厭きるのです。)から見たって、あの方たちの方が私よりはずっとよくあの人を看護できるでしょう。たゞ私はあの人の方が先に決心して呉れることを望んでいるのです。ねえ、あなたもその方がいゝとお思いでしょう。仮に私が出ていったとしたら、あの人は裏切られたと思うでしょう。なんと言っても、あなたは申訳ありませんけど、私がまるっきり信仰を持ってないってことをあの人は知ってるからです。ですから……」――「あなた方は結婚してるんですか?」と私は尋ねた。――「いゝえ。」私は彼女の面を翳《かげ》がかすめるのを見た。が、突然彼女は決心したように見えた。――「ほんとうのことを言うと、私が望まなかったのです。」――「なぜです?」――「それは……あの人の身分のためです。あの人がサナトリウムを出た時、私はあの人がいゝ方に向かい、いずれ癒るだろうと思っていました。ですから、万一、あの人がまたいつか……とにかく私はあの人の邪魔になるまいと考えたのです。」――「で、それについてあの人はどう考えました?」――「別に何も。あの人はたゞ小金を持っていて、司祭嫌いの元郵便配達人のラン・デュ・フリエに住む私の伯父の関係で私が結婚を望まないのだと思いました。伯父が私に財産を譲って呉れなくなるだろうと話したことがあるのです。おかしなことに、ほんとに伯父は私の相続権を褫《うば》ってしまいましたが、それはかえって私が結婚しなかったためです。伯父は私を妾だというのです。村長までしている伯父は、伯父なりにいゝ人なんです。『お前はお前の神父さんと正式に結婚も出来ない。よくよくの愚図だ。』と伯父は書いて寄越しました。」――「だが、あの人が……」私は先を続ける勇気がなかった。すると彼女が私に代って、先を続けた。その声は多くの人には無雑作に聞えたかも知れないが、しかし私のよく識っている、私の衷に無数の追憶を喚び起こすあの年齢を超越した声、あの泥酔者を宥《なだ》め、不従順な子供を叱り、襁褓《むつき》もない嬰児《あかご》を寝つかせ、強慾な商人と掛け合い、執達吏に哀願し、臨終の者を力づける諦め切った、しかも勇敢な声、あのおそらく幾世紀を通じて恒に渝らぬ家婦の声、この世のあらゆる不幸に対抗する声だった。……――「あの人がなくなった ら、私は独りで暮らします。サナトリウムで働く前には私は南部のイエエルの臨海学校の炊事婦をしていました。ほんとに子供ほどいゝものはありません。子供は神さまです。」――「また同じような口がみつかりますよ。」彼女は一層顔を赧らめた。――「私はそうは思いませんわ。なぜって――私、もう同じことは繰り返したくありません――それに正直のところ私はもう前のように丈夫ではありません。私にはあの人の病気が感染《う つ》っているのです。」私は黙っていた。彼女は私の沈黙にひどく当惑したように見えた。――彼女は言い訳するように言った。「前から罹っていたかも知れません。私の母も丈夫じゃありませんでした。」――「お助け出来るといゝと思います。」彼女は確かに私が彼女に金を恵もうとしているのだと思ったらしかったが、私の顔色からそうでないということを察すると、ほっとして、微笑さえ浮かべた。――「ねえ、あなた、もしも機会がありましたら、私を教育しようというあの人の考えについてあの人に一《ひと》言仰有って下さいませんでしょうか。二人が一緒に過ごすことのできる時間もあともう僅かなのに、それを思うと辛うございますわ。病人ですから仕方もありませんけど、あの人は随分気短かです。あの人は、私が、覚えられるのに、わざと覚えないのだというのです。私の病気のせいもいくらかはあるかも知れません。私もそんなに馬鹿ではないつもりですが。……でも、どう返事をしたらいゝでしょう? 考えても見て下さい、義務教育もやっと終えたか終えないこの私にラテン語を教え始めたのです。とにかく一日の仕事を仕舞って帰って来た時には私の頭は死んだようで、私は寝ることしか考えません。せめて静かに話でも出来ないものでしょうか?」彼女は俯向《うつむ》いて、嵌めている指輪を弄んでいた。私が指輪を眺めているのに気が附くと、彼女は慌てゝその手をエプロンの下へ隠した。私は質問を発したかったが、その勇気がなかった。――私は言った。「とにかくあなたの生活は辛い……それで絶望することはありませんか?」彼女はおそらく鎌をかけられたのだと思ったのだろう、その顔は陰《くら》くなり、用心深くなった。――「反抗的な気持ちになったことはありませんか?」――「いゝえ、でも、時々、分らなくなります。」――「それで?」――「体が閑だと、ついいろいろな考えが浮かんで来るのです。私はそれを日曜日の考えと呼んでいます。またひどく疲れている時にも……それにしてもなんでそんなことをお尋《き》きになるんです?」――「友情からです。私自身も時々……」彼女の眼は私の眼を離れなかった。――「正直に言って、あなたもあまり顔色はよくおありになりませんわね。……ところで脇腹がしくしく痛み、何をする元気もなく、立っているのも辛いような時には、私は隅っこへ独り隠れて、――お笑いにならないで下さい――陽気なこと、浮き浮きするようなことを考える代りに、私の識らない、けれども私に境遇の似た人たちのことを考えます。――地球は広いからそういう人は沢山います。――雨の中をぴしゃぴしゃ歩いている乞食、家のない児、病人、月に向かって喚《わめ》いている癲狂院の狂人たちなど。私はそういう人たちの間にまぎれ込み、身を縮めます。生きている人たちばかりでなく、苦しんで死んでいった人たち、また苦しみに生れて来る人たちまで……――『なぜだろう? なぜ苦しむのだろう?』とその人たちはみんな言います。……私もその人たちと一緒にそう言っているように思われます。その声が耳に聞えます。それは私を寝つかせる大きな子守唄のようです。その時私は私の位置をどんな百万長者の位置とも換えたくは思いません。私はそれほど幸福です。変でも仕方がありません。自然にそうなるので、自分でもなぜだか分らないのです。私は母に肖《に》ています。『一番運のいゝことは、運の悪いことだ。私はその点で恵まれている。』と母はよく言いました。私は母が泣きごとを言うのを聞いたことがありません。しかも母は二度結婚し、二度とも相手は大酒呑みだったのです。私の父は中でも大酒呑みで、まるで悪魔のような五人の男の子を抱えた鰥《やもお》でした。母は人に話したって信じられないほど太《ふと》っちょになりました。血がみんな脂になってしまったのです。そんなことはいゝとして、『女ほど辛抱強い者はない、寝る時は死ぬ時だ。』と母はよく言い言いしました。母は胸、肩、腕と痛み出し、息が出来なくなりました。最後の晩も、父はいつものように酔っぱらって帰って来ました。母は珈琲沸しを火に掛けようとしましたが、それは手から滑り落ちてしまいました。『なんて私は馬鹿なんだろう。お隣へいって借りておいで。お父さんが眼を覚まさないうちに大急ぎで帰って来るんだよ。』と母は言いました。帰って来ると、母はもう半分死にかゝっていました。顔の半分が黒くなっていて、唇の間から出ている舌も真黒でした。――『寝なきゃなるまい、ちっと具合が悪いよ。』と母は言いました。父は寝床で鼾をかいていました。母は父を起こす勇気がなく、火の端《はた》へ行って腰を下ろしました。――『そろそろスープへラードを入れてもいゝよ。煮立って来たからね。』そう母は言ったかと思うと、もう縡切《ことぎ》れていました。」
私は彼女を遮ろうとはしなかった。なぜなら彼女がまだ誰にもこんなに長く話したことのないことが私にはよく分ったからだ。彼女は突然夢から醒めたように我に帰り、ひどく狼狽した。――「私としたことが随分長話をしてしまいました!……あ、ルイさんが帰って来た様子です。跫音で分ります。私、こゝにいない方がいゝと思います。」そして顔を赧らめながら附け加えた。「多分あの人はまた私を呼ぶでしょう。ですが、あの人には何も言わないで下さい。でないと、ひどく怒るでしょうから。」
私の立っているのを見て、友はひどく喜んだ。それは私を感動させた。――「薬剤師の言ったことは本当だった。あいつは僕を嗤った。だが、失神というやつは僕には大の苦手でね。結局消化が悪かっただけのことだったのだね。」
それから、この折り畳み式の寝台の上で私は一夜をこゝに過ごすことに決めたのだった。
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私はもう一度寝つこうとしたが、駄目だった。私は瓦斯燈の光が、殊にあのシューシュー言う音が友を悩ますことを惧れた。私は扉を細目に開けて、彼の部屋を覗いてみた。部屋は空だった。
いや、私は此処に留まったことを悔いない。トルシイの主任神父さんも是認して呉れそうに思える。それに、これが例によってへまとしても、もうこれは勘定には入らない。私のへまは勘定外だ。私は勝負から外《はず》れているのだから。
確かに私の衷には上長の人たちの心配の種になるものが沢山にある。だが、それは我々の問題の立て方が全く食い違っているからだ。例えばブランジェルモンの首席さんが私の能力や私の将来に疑いを持ったのは間違ってはいなかった。たゞ私には将来というものがなかったのだ。私たちはそれを双方とも知らなかったのだ。
私はまた若さは神の賜物だと考える。そしてそれは、神の他のすべての賜物と同様に、悔いなきものである。若さを失って後までも生き長らえることのないように定められた者しか真に若さを味うことはできない。私はそういう種類の人間の一人だ。五十になったら、或いは六十になったら何をするだろうと、私は時々考えた。もちろん私は答えを見出さなかった。答えの一つを想像することすらも出来なかった。私の衷には老人はいなかった。
この確信は私には快い、何年振りかで、いや生れて初めて、私は自分の若さに面と向かい、安心してそれを眺めることができるように思う。その顔を、忘れていた顔を思い出すように思う。若さの方でも私を眺め、私を赦す。どんな進歩をも私に不可能にする根からの無器用の感じに圧倒されて、私は自分の若さが与え得ないものをそれに要求し、それを笑止なものと見、それを恥じた。ところが今、双方とも無益な諍《いさか》いに疲れ、我々は道端に腰を下ろし、我々がやがて共に入るべき黄昏の深い平和をしばし無言で味うことができる。
また誰も私に対して過度に厳格――不正というような大仰な言葉は用いまい――だった者はないと考えることも私には快い。もちろん私は、他人《ひ と》から受けた不正の意識の裡に力と希望との源泉を見出すことのできる人々を賞讃するのに吝《やぶさ》かではない。だが、どうしても私は自分が他人の罪の――たとい無意識裡にもせよ――原因、或いは単に機会だけにでも、なったと知ることにはあくまでも堪えられないだろうとはっきり感ずる。十字架の上で、苦悩の中にその聖なる人間性を完成しようとする時に当ってさえも、我が主は自らを不正の犠牲者とは認めなかった。「彼等は為す所を知らざる者なれば……」どんなに小さい子供にも分る言葉、子供らしいと言われそうな言葉、だが悪魔たちが理解できずに、ますます高まる驚愕の念を以てそれ以来繰り返す言葉だ。神の怒りの火が下るのを予期していたのに、彼らの上に深淵の竪坑の口を塞いだのは幼子《おさなご》の無心の手だった。
そこで、私が時々受ける非難は、私の真の運命に対する私たちお互いの無智から為されるのだと考えて非常に嬉しかった。ブランジェルモンの首席さんのように思慮のある人がいずれそうある筈の私を予見するに急なのは明らかで、知らず識らず明日の過失を今日私に非難することになるのだ。
私は人々の霊魂を馬鹿正直に愛した。(とにかく他《ほか》の愛し方は私にはできないように思われる。)この馬鹿正直さは遂には私自身にとっても隣人にとっても危険なものになったように感じられる。なぜなら私は、私の心の打ち克ちがたいと信じていゝほどに自然な傾きにいつも実に下手に抵抗したからだ。だが、この闘争も、もう対象を失ったから、いずれ終るだろうという考えは今朝《け さ》既に私の頭に浮かんだが、その時私はまだラヴィル医師の宣告が私を投げ込んだ茫然自失のただ中にいた。それはほんの少しずつしか私の衷に入って来なかった。それは澄んだ細い流だったが、今ではそれは魂を溢れて、私を爽かさで満たしている。静寂と平安。
いや、もちろん私は、神さまが私を生かしておいて下さるこの数週間、或いは数ケ月の間、教区の仕事を続けることができる限り、以前のように慎重に行動するように努めよう。だが要するに将来のことはあまり心配せず、現在のために働こう。その種類の働きは、私の能力から言って、柄相応に思える。なぜなら私は小さい事にしか成功しないし、絶えず不安に苦しめられている自分は、小さい喜びしか味うことができないことを認めなければならないからだ。
この重大な日もおそらく他の日と同じだろう。それは危惧の裡に暮れなかったが、明日も栄光の裡に明けはしないだろう。私は死に背を向けないし、またオリヴィエさんならきっとそうできたように死に挑戦することもしない。私はたゞ死に向かって出来るだけつゝましい眼を上げるように努める。そこには死を宥《なだ》め賺《すか》そうとする秘かな希《ねが》いが潜んでいないではない。妙な比喩だが、私はシュルピス・ミトネやシャンタル嬢を眺めたような風に、死を眺めた。……あゝ、そのためには幼子《おさなご》の無智と単純さとが必要だろう。
自分の運命について覚悟するまでには一度ならず自分は死ぬ術《すべ》を知らないのではないかという懸念が起こった。なぜなら私がひどく感じ易いことは確かだからだ。この日記にも書いたと思うデルバンド老先生の言葉を思い出す。修道士や修道女たちの臨終だっていつも静かなものだとは限らないと言うことだ。だが、こうした懸念も今では私を去った。自分に対し、自分の勇気に対して自信のある人間には自分の臨終を完全無欠なものにしようと望むことができることは私にもよく分る。だが、私の臨終は成るように成らせるよりほかに仕方がない。少し大胆かも知れないが、どんなに美しい詩も、愛に心を奪われた者にとっては、下手な打ち明けの片言だけの値打ちもないと言えよう。よく考えて見れば、この比較に誰も文句は言えない。なぜなら人間の臨終は先ず第一に愛の行為だからだ。
神さまは私の臨終を一つの模範、一つの教訓になさるかも知れない。できれば私は人の同情を惹きたい。それがなぜいけないだろう? 私は人々を心から愛した。この生者の世界が私に快かったことを私はしみじみ感じる。私は涙なくしては死ぬことができないだろう。ストイックな冷淡ほど私に無縁なものはないとしたら、どうして私は無感覚な人々の死を羨もう? プリュタークの英雄たちは恐怖と倦怠とを私に感じさせる。そんな仮装を著けて天国へ入ったら、守護の天使まで笑い出すだろう。
なぜ心配するのだ? なぜ取り越し苦労をするのだ? もしも怖かったら、怖いと正直に言おう。主の御顔が現れる時、その御眼差しが先ず安堵させる眼差しでありますように!
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私はテーブルに両肱をついて、一眠りした。夜明けも近いらしい。牛乳屋の車の音が聞えるようだ。
できれば、誰にも会わずに立ち去りたい。だが、いずれまた近いうちに来ると一《ひと》言書き残してゆくにしろ、それは容易ではないと思われる。友は分って呉れないだろう。
友のために私に何ができるだろう? トルシイの主任神父さんに会うことはおそらく彼は拒絶するだろう。またトルシイの主任神父さんは彼の自尊心をひどく傷つけるだろうし、強情我慢な彼の企てそうな馬鹿げた自棄《や け》くそな計画には賛成しないだろう。いやもちろん主任神父さんは結局勝を制するだろうが、もしあの女の言うことが本当だとすれば、時は迫っている。
彼女のためにも時は迫っている。……昨夜《ゆうべ》私は眼を上げることを避けた。もしも眼を上げたら、彼女は私の眼の色を読んだろうと思う。私には自信がなかった。そうだ、私には確信がなかった。私が予期する代りに危惧していた言葉を他の者なら、寧ろ挑発したろうとせいぜい自分に言い聞かせて見たが、未だに私には納得がいかない。「この土地をお去りなさい。あの男を、あなたから遠く離れて、神と和解させて、死なせなさい。」と言ったと仮定する。彼女は去るだろう。だが彼女は理解せずに、彼女も亦、あの、幾世紀この方殺戮者の剣に約束されているおとなしい女たちの本能に従って、去るだろう。彼女のつゝましい不幸と、承諾の言葉でしか表現されない罪のない反抗とを懐いて、男たちの群の間に姿を消すだろう。彼女には呪詛することが可能だとは思われない。なぜなら彼女の心の不可解な無智、超自然的な無智は天使の守護するものだからだ。あらゆる委棄の眼差しである主の眼差しの方へ彼女の健気な眼差しを向けることを誰からも教えられないとはあまりに惨酷なことではないか? あるいは神は不肖な私の手からこの貴重な献げ物を受けられたかも知れない。だが、私にはその勇気が出なかった。トルシイの主任神父さんは必ず思い通りにするだろう。
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私は窓を開けて念珠《コンタツ》を繰った。その窓に面した中庭は暗い井戸のようだった。だから上の方の東に面した壁の一角は白み染めたように思われる。
私は毛布にくるまり、それを頭の上まで冠った。寒くない。いつもの痛みは感じないが、たゞ嘔き気がする。
もし出来たら、私はこの家から出たろう。人気のない街々を通って、昨日《きのう》と同じ道を歩いてみたかった。ドクトル・ラヴィルへの訪問、デュプルイおばさんの店で過ごした数時間は今ぼんやりした記憶しか留めていない。そして注意力を集注して、一つ一つのことを思い出そうとすると、どうにも堪えられない疲労を覚える。今まで私の衷で苦しんだものはもはや存在しなくなったし、存在できなくなった。私の心の一部は無感覚になってしまったが、最後までその儘だろう。
もちろん私はドクトル・ラヴィルの前に自分の弱さをさらけ出したことを残念に思う。しかも何の悔いも感じないことを私は恥じなければならないだろう。なぜならあのように肚の坐った確かりした人物に私は司祭について結局どんな観念を与え得たかと考えるからだ。だが、それもいい。もう万事は終った。私が私自身に対して懐いていた一種の疑惑は永久に解けたように思う。あの闘争は終った。私にはそれはもう理解できない。私は私自身と、この憐れな脱け殻と、和解した。
自分自身を憎むことは人が一般に信じているよりは易《やさ》しいことだ。恩寵は自分を忘れることだ。だが、もしもすべての傲慢心が私たちの衷に消えているとしたら、恩寵中の恩寵はイエズス・キリストの悩める肢体のどれでもいゝ一つとして自分自身を謙遜に愛することだろう。
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(ルイ・デュフレティからトルシイの主任司祭に宛てた手紙。)
薬品類輸出入
ルイ・デュフレティ代理店
リル市、一九……年二月……
主任司祭様
御求めにより早速御報告申し上げます。なお足らぬ処は、今はまだ健康のために完成に至りませんが、かねて徒然《つれづれ》の折に寄稿する『青年リル市民誌』と申す至ってさゝやかな雑誌に掲載予定の作品によっていずれ補いたいと存じます。その号が出ましたら必ずお送り申し上げます。
友の来訪は私を心から喜ばせました。私たちの青春の最も美しい時期に生れた友情は時の経過によって損われるような憂いの少しもないものでした。ところで彼の最初の意向では愉快な親しい会談に必要な時間以上にこの訪問を長引かせるつもりはなかったようであります。午後七時頃彼は軽い不快を覚えました。私は彼を引き止めるべきだと考えました。私どもの住まいは至って簡素ではありますが、彼には大いに気に入った様子で、一泊することを快諾しました。尚念のため附け加えますが、私自身は、遠慮して、近所の友人の家へ泊りに参りました。
午前四時頃、眠れぬまゝに、彼の寝台へそっと行ってみますと、可哀想な友は意識を失って床《ゆか》に倒れていました。私どもは彼を寝台の上に運びました。出来るだけ注意はしたのですが、この移動が彼には致命的だったのではないかと思います。間もなく多量の吐血をしました。当時私と同棲して居た女は相当医学を学んで居りましたので必要な手当をしてやることが出来ましたし、彼の容態を私に教えて呉れました。予測は甚だ憂慮すべきものでした。しかし吐血は止みました。医者を待っている間に、友は意識を回復しました。しかし話すことはできませんでした。大粒の汗が額からも頬からも流れ、半ば開かれた瞼から僅かに見えたその眼は深い苦悩を表わしているように見えました。私は彼の脈搏がどんどん弱ってゆくのを認めました。近所の男がセント・オオストゥルベルト教区の助任司祭である当番司祭に知らせに行って呉れました。友は念珠《コンタツ》を欲しいということを手振りで示しましたので、私はそれをズボンのポケットから出してやりましたが、それからずっと彼はそれを胸に押し当てゝいました。やがて幾らか気力を取り戻し、殆ど聞き取れぬほどの声で、罪の宥しを与えることを私に求めました。彼の顔は穏かになり、微笑さえ浮かべていました。事の正しい判断は私にあまり急いで彼の求めに応じてはならないと命じましたが、一方人情からしても友情からしても無下に退けることはできませんでした。附け加えますが私はこの義務を十分あなたに安心して頂ける気持ちで果したと信じます。
司祭が中々やって来ませんので、私は不幸な友に、教会が臨終の者のために用意している慰め、即ち終油の秘蹟を司祭の遅参のために与え得なくなるかも知れぬが甚だ残念なことだと言いました。彼には私の言ったことが聞えなかった風でした。しかし暫くすると、彼は片手を私の手の上に重ね、私の耳を彼の口に近づけるようにはっきりと目配ばせしました。それから極くゆっくりとではありましたが、次のような言葉をはっきりと口にしました。それは確かにこうだったと思います。「そんなことはどうでもいゝ。すべては恩寵だ。」
それから間もなく彼は息を引き取ったようであります。
――了――
あとがき
これはGeorges BernanosのJournal d'un cur de campagneの訳である。一九三六年の作で、その年のアカデミイ・フランセエズの『小説賞』を獲た。処女作『サタンの陽の下に』を発表してから正に十年目、ベルナノスとしては最も脂ののりきった頃の作品である。
フランスの現代カトリック小説家の中でも彼ぐらいカトリック的題材にまともにぶつかっていっている作家は尠い。フランソワ・モオリヤックはカトリック小説界では第一人者と目されているが、彼の場合は真の信仰を失い、その形骸だけを守っている人々の生活を描き、いわば陰を描いて陽を偲ばせようという行き方をとっている。ところがベルナノスはカトリック的信仰に真に生きようと努力する人々を真正面から描いている。『サタンの陽の下に』はアルスの司祭の名で知られているジャン‐バティスト‐マリイ・ヴィヤンネエという聖人をモデルにしたものだといわれる。ヴィヤンネエ伝では、アンリ・ゲオンのそれが文学的にもすぐれていて有名であるが、わが国では戸塚文郷師の『農村の聖者』がある。
聖人伝を書くことは、その表現もさることながら、史実に忠実であれば一応その目的は達せられる。しかし、聖人を題材にした小説を書くとなると事は自ら別である。
モオリヤックも書いている。
「……聖性の小説を描こうと欲する者にとっては、事はもはや人間を創造することにだけ関わるのではなく、霊魂に対する神の働きを謂わば再創造せんとする無上の野心を遂げんとすることに関わるのである。この点に於て、小説家は現実――即ち現実に生きた聖人によって常に打勝たれるように見える。……偉大なる神秘家達は、小説家の能力を無限に超える現実、経験を証明している。
或る作家が、創作の中に、神の恩寵の足どり、その闘争、その勝利を再現せんと欲した度毎に、我々は常に恣意と欺瞞との印象を受けたのである。運命の過程に於ける神の指先ほど捕捉しがたいものはない。それは不可視なものではないが、しかも極めて隠微な痕跡であって、我がそれを捕捉せんとするや否や忽ち消え失せてしまうのである。いや、そうではない。神は模倣すべからざるものである。神は小説家の捕捉を逃れる。
ベルナノスの『サタンの陽の下に』の如き小説の感嘆すべき例外的な成功は、正に彼が我々に示すところの聖人が真の聖人ではないということから来ていると私は信ずる。即ちその責めさいなまれる魂は絶望のいや果てをさまよっている。このドゥニサン師はあるいは真の聖人かも知れない。しかし、その時ベルナノスは、彼の小説家としての本能に従って、この予定された運命の衷に、その英雄的な徳にも拘らず、罪ある人類に結びついている隠れた欠点、過失を遂に発見し、明るみに出したのである。聖人を創作せんと欲した小説家の大多数の失敗は、彼らの唯一のチャンスが、聖性も人間の衷に存在し続けさせる惨めにも人間的なもの、而してそれこそ小説家固有の領域であるところのものを明るみに出すことに没頭するにあったにも拘らず、崇高な、天使的な、非人間的な人間を描くことに憂身をやつしたことから恐らくは来ているのであろう。」と。
『サタンの陽の下に』は題材が題材だけにカトリック教界に一大センセーションを捲き起した。それは喧しい論議の的になった。しかし、それがカトリック小説として真にエポック・メーキングな作品であることを認めることには誰しも異存がなかった。カトリック教界外に於ても、彼は真に異色ある作家と認められ、一躍文壇に於ける問題作家となった。その後彼は矢つぎ早に、翌二七年『瞞著』(L' Imposture)、翌々二八年『歓喜』(La Joie)を発表して、その旺盛な制作力を発揮した。
『歓喜』の女主人公ノルマンディイ生れのシャンタル・ドゥ・クレルジュリイは同じくノルマンディイ生れの幼きイエズスのテレジヤ童貞の名で知られる聖女をモデルにしたものだと言われる。この強力な三部作によってベルナノスのフランス文壇に於ける地歩はもはや揺ぎないものとなった。
『知的生活』誌(La Vie Intellectuelle)一九三〇年二月十日号所載の評論『神秘生活の小説家ベルナノス』で、ア・ルモニエ師は、この三部作の人物達が、キリスト者的生活に於ける苦痛と自己否定とを強調するあまり、神に対する愛、それをとおしての自己肯定を忘れていることを非難しているが、固よりそれを知らないベルナノスではないが、たゞ愛という言葉があまりに安価に口にされることに慊りない彼なのである。
この『田舎司祭の日記』に於ても、愛という言葉は殆ど口にされない。そして終始自己を憎みつゞけて来た田舎司祭をして、たゞ最後に、「自分自身に対して懐いていた疑心は永久に消え失せたと思う。闘いは終った。今はもうそんなものは分らない。私は自分自身と、この可哀そうな脱殻と、和解した。自分自身を憎むことは人が一般に信じているよりは易しいことだ。恩寵は自分を忘れることだ。だが、もしもすべての傲慢心が私たちの衷に消えているとしたら、恩寵中の恩寵は、イエズス・キリストの悩める肢体のどれでもいゝ一つとして自分自身を謙遜に愛することだろう。」と書かせている。
ベルナノスは説教することが小説家の任務でないことを知っているのである。
モオリヤックは更に書いている。
「ジョルジュ・ベルナノスの『田舎司祭の日記』は、私が従来奇蹟と考えていたことに成功した。彼の可憐な司祭は真の聖人であり、最も悲しむべき現象も彼の視線の下には純化される。」と。
そして、「私は現存するフランス・カトリック最大の小説家はジョルジュ・ベルナノスであることを指摘しよう。」と絶讃の言葉をおくっている。
レオン・ブロワはかつて叫んだ。
「我々には司祭と聖者とが必要だ。」と。
ベルナノスは正にこの要望に応える者である。
ジョルジュ・ベルナノスは一八八八年二月二十日パリに生れ、イエズス会経営のヴォオジラアル学院に学んだ。ヴォオジラアルはパリ近郊の古い村で、一八六〇年、市に編入されたが、長らく貧民窟といえば先ずヴォオジラアルの名が挙げられた。そうした土地の学校に学んだことが彼の制作に何らかの影響を与えていることは考えられることである。一九一三年から一九一四年にかけてルウアンのアクシオン・フランセエズの週刊機関誌『前衛』の主筆となったが、前欧洲大戦が勃発するや彼も亦従軍した。
ベルナノスには前に挙げた作品の他に、
『ウウインヌ氏』(Monsieur Ouine)
『悪夢』(Le Mauvais r迅e)
『或る夜』(Une Nuit)
『続ムウシェット物語』(Nouvelle Histoire de Mouchette.『サタンの陽の下に』の中にムウシェットという娘の挿話がある。)
伝記物では、
『穏健派の大恐怖』(La Grande peur des bien-pensants. フランスの有名なユダヤ人排斥論者エドゥアアル・ドゥリュウモンEdouard Drumontの評伝)
『ジャンヌ・ダルク伝』(Jeanne relapse et sainte)
『聖ドミニコ伝』(Saint Dominique)
等がある。
今大戦以来の彼の消息は審かでない。
著者名  Georges Bernanos
原書書名  Journal d'un cur de campagne
発行所名  Libriairie Plon
発行所所在地  8, rue Garanci俊e, Paris, 6e
使用セル原書ノ版数  1e 仕ition
本作品中、今日の観点からみると差別的ととられかねない表現が散見しますが、作品自体のもつ文学性ならびに芸術性、また訳者がすでに故人であるという事情に鑑み、原文どおりとしました。
〈編集部〉
この作品は昭和二十七年一月新潮文庫版が刊行された。
Shincho Online Books for T-Time
田舎司祭の日記
発行  2001年9月7日
著者  ベルナノス(木村 太郎 訳)
発行者 佐藤隆信
発行所 株式会社新潮社
〒162-8711 東京都新宿区矢来町71
e-mail: old-info@shinchosha.co.jp
URL: http://www.webshincho.com
ISBN4-10-861127-6 C0897
(C)Mase Kimura 1952, Coded in Japan