老人と海
THE OLD MAN AND THE SEA
アーネスト・ヘミングウェイ Ernest Hemingway
福田恆存訳
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)皺《しわ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)苦心|惨憺《さんたん》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)しいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]
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かれは年をとっていた。メキシコ湾流に小舟を浮べ、ひとりで魚をとって日をおくっていたが、一匹も釣れない日が八十四日もつづいた。はじめの四十日はひとりの少年がついていた。しかし一匹も釣れない日が四十日もつづくと、少年の両親は、もう老人がすっかりサラオになってしまったのだといった。サラオとはスペイン語で最悪の事態を意味することばだ。少年は両親のいいつけにしたがい、べつの舟に乗りこんで漁に出かけ、最初の一週間で、みごとな魚を三匹も釣りあげた。老人が来る日も来る日も空《から》の小舟で帰ってくるのを見るのが、少年にはなによりも辛《つら》かった。かれはいつも老人を迎えにいき、巻綱や魚鉤《やす》や銛《もり》を、それからマストに巻きつけた帆などをしまいこむ手つだいをしてやった。帆はあちこちに粉袋の継ぎが当ててあったが、それをマストにぐるぐる巻きにした格好は、永遠の敗北を象徴する旗印としか見えなかった。
老人の四肢はやせこけ、項《うなじ》には深い皺《しわ》が刻みこまれていた。熱帯の海が反射する太陽の熱で、老人の頬には皮膚|癌《がん》をおもわせる褐色のしみができ、それが顔の両側にずっと下のほうまで点々とひろがっている。両手にはところどころ深い傷痕《きずあと》が見える。綱を操って大魚をとらえるときにできたものだ。が、いずれも新しい傷ではない。魚の棲《す》まぬ砂漠の蝕壊《しょくかい》地帯のように古く乾《ひ》からびていた。
この男に関するかぎり、なにもかも古かった。ただ眼だけがちがう。それは海とおなじ色をたたえ、不屈な生気をみなぎらせていた。
「サンチャゴ」少年は小舟を引きあげてある砂地を登りながらいった、「また一緒に行きたいなあ。金もいくらかたまったもの」
これまで老人は少年に魚をとるすべを教えてきた。そして少年は老人を慕っていた。
「いけないよ」老人はいった、「お前の乗りこんでいる舟には運がついている。仲間と一緒にいるこったな」
「でも、覚えているだろう! 八十七日も不漁がつづいたあとで、ぼくたち、三週間ずっと毎日、大きなやつを何匹も釣ったことがあったじゃないか」
「覚えている」老人はいった、「知ってるよ、お前が離れていったのは、おれの腕を疑ったからじゃない」
「おとっつぁんだよ、いけないっていったのは。ぼくは子供だ。いうことをきかなくちゃならないんだ」
「わかってるよ」老人はいった、「そういうものさ」
「おとっつぁんには人を信じるってことができないんだね」
「そうだ」と老人はいった、「だが、おれたちにはそれができる。そうじゃないかね?」
「うん」と少年はいった、「テラス軒でビールをおごらせてくれないか、道具はそのあとで運べばいい」
「よしきた、漁師仲間に遠慮はいらないものなあ」老人は応《こた》えた。
テラス軒で二人が腰をおろしていると、漁師たちが老人をいい慰みものにして話しかけてきた、が、老人は怒らない。なかには、年とった漁師など、かれを見て心を暗くするものもいた。しかし、そんな気持ちはすこしも表にあらわさず、その日の潮流がどうとか、どのくらいの深さに綱をおろしたとか、この天気は当分つづくとか、それから自分たちの出あったいろんなものについて、愛想よく話を交わしている。大きな獲物にありついた漁師たちは、もうとっくに戻ってきていた。釣りあげたまかじき[#「まかじき」に傍点]はすでに屠《ほふ》られ、その肉をいっぱいに敷き並べた二枚の板を、二人の男がそれぞれその両端を持ってよろめきながら貯蔵所のほうへ運んでいく。かれらは、そこでハバナの魚市に運ぶ冷蔵トラックを待つのだ。鮫《さめ》をとった連中も、入江の反対岸にある鮫工場に獲物を運びとどけてしまっていた。そこでは、鮫は絞轆《こうろく》で吊《つ》りあげられると、肝臓をえぐりとられ、ひれを切り落され、皮を剥《は》がれたあげく、塩漬けにするために切りきざまれるのである。
風が東から吹くと、港を横切って鮫工場の臭気がここまで漂ってくる。だが、きようはほんのちょっと臭《にお》うだけだ、風が北寄りに回り、それもすぐ凪《な》いでしまったからだ。テラス軒の店先は気持ちよく、陽がいっぱいにあたっていた。
「サンチャゴ」と少年は呼びかけた。
「う」老人はグラスを握りしめたまま、昔のことを想《おも》いうかべていた。
「あしたの鰯《いわし》をとってきてあげようか?」
「いいよ。野球でもしておいで。おれはまだ漕《こ》げる。それにロヘリオが投網《とあみ》をやってくれるだろう」
「でも、ぼく、したいんだよ。一緒に出かけられないんだもの、なにか役にたちたいんだ」
「お前はビールをおごってくれた」と老人はいった、「もう一人前の大人じゃないか」
「一番はじめに、ぼくを漁に連れてってくれたのは、いくつのとき?」
「五つのときだ。魚を釣りあげたとき、やつ、まだぴんぴんしててな、お前はすんでのところで殺されそうになったっけ。なにしろ、やつ、舟をめちゃくちゃにしてしまいやがってな。覚えているかい?」
「うん、覚えている。魚のやつ、尻尾《しっぽ》でものすごくあばれまわってさ、舟の横木を折っちゃったろう。魚を棍棒《こんぼう》でぶんなぐる音を覚えているよ。お爺《じい》さん、ぼくをへさきにつきとばしたじゃないか。そこんとこにぬれた巻綱があったっけ。舟がぐらぐらゆれてたね。お爺さんはまるで木樵《きこり》が鉈《なた》で樹《き》を切るみたいに魚をぶんなぐっていた。棍棒の音がきこえるようだ。血の匂《にお》いがいっぱいだったね」
「そりゃあ、お前、ほんとに覚えているのかな。おれの話を覚えているんじゃないかね?」
「ぼく、みんな覚えているよ、はじめてのときからずっと」
老人は日やけした、信頼深げな、やさしい眼で少年を見つめた。
「もしお前がおれの子だったら、もう一度つれてって、一か八か、やってみるんだが」と老人はいった、「でも、お前は、お前の親父《おやじ》の子供だ、それからおふくろのな。それに、お前の乗ってる舟には運がついている」
「鰯をとってこようか? それから、ぼく、大きい餌魚《えうお》だっていつものとおり四つくらいなんとかできるよ」
「きょうのがまだ残っている。塩漬けにして箱にしまってあるんだ」
「四つとも、新しいのを探してきてあげるよ」
「一つでいい」と老人はいった。かれのうちには、希望と自信とがまだ燃えつきていない。それがいま、風とともに新しく立ちかえってきた。
「二つ持ってくるよ」と少年はいった。
「二つでもいい」老人は折れていった、「まさか盗んだんじゃないだろうな?」
「その気になれば盗めるさ。でも、買ったんだよ」
「すまないな」と老人はいった。かれは単純な人間だったので、いつから自分はこうも人に気がねするようになったかなどと考えはしない。しかし、いつのまにか自分は人に気がねするようになったとおもう。同時に、それはなにも不名誉なことではない、本当の誇りをいささかも傷つけはしないと考えていた。
「潮の調子がこのぶんだと、あしたはいい天気になるぞ」と老人はいった。
「どこいら辺まで行くつもりだい?」少年はたずねる。
「うんと遠出をして、風が変りしだい帰ってくることにしよう。まだ夜が明けないうちに沖へ出てしまうつもりだ」
「そいじゃ、ぼくも親方にすすめて、沖へ出るようにしよう」と少年はいう、「そうすりゃあ、お爺さんがでっかいやつを引っかけたとき、みんなで手つだえるからね」
「あの男は遠出したがらないよ」
「うん、そうなんだ」少年はつづけていった、「でも、ぼく、親方の見えないものを見つけてやるさ、鳥が魚を探しまわっているところやなんか。そして、|しいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]《しいら》のあとを遠くまで追っかけさせてやる」
「親方、そんなに眼が悪いのか?」
「めくらも同然だよ」
「変じゃないか」と老人はいった、「あいつは、海亀《うみがめ》とりはやらなかったぜ。あれをやると、きっと眼をだめにする」
「だって、お爺さんはモスキート海岸で何年も海亀とりをやってきたけど、眼はとてもいいじゃないか」
「おれは一風変った年寄りなのさ」
「でも、どんなにでっかい魚がかかったって、まだ負けやしないだろう?」
「まあ大丈夫だろうよ。それにいろいろ手があるからな」
「道具を運ぼうよ」と少年は老人をうながした、「帰ったら、ぼく、投網を持ってって鰯をとってくる」
二人は小舟から釣道具を取りあげた。老人はマストを肩にかついだ。少年はぐるぐる巻きにした、縒《よ》りの強い褐色の綱のはいっている木箱と魚鉤《やす》と柄のついた銛《もり》とを運んだ。餌箱は棍棒といっしょに船尾に残しておいた。棍棒は、大魚を舷側《げんそく》に横づけにして引っ張ってくるときなど、それがあばれるのをしずめるのに使うのだった。だれもこの老人のものを盗むものはいない。が、帆や重い綱は夜露にあてるといけないので、家へ持ちかえっておくに越したことはない。老人も、このへんの連中がまさか自分に盗みをはたらくわけはないと信じていたものの、魚鉤や銛を舟に残しておいて人々の出来心を誘うのも心ないわざだと考えていた。
二人は並んで老人の丸太小屋のほうへ歩いていった。そしてあけはなしてあった戸口から中へはいった。老人は帆を巻きつけたマストを壁にたてかけた。少年は木箱や他の道具をそのそばに置いた。マストは一部屋しかない小屋の奥行とほとんどおなじくらいの長さだ。小屋は、この地方でグアノと呼ばれている棕櫚《しゅろ》の芽の硬いさやでできており、なかは土間になっていて、そこにはベッドとテイブルと椅子《いす》が一つあり、片隅にはそのまま炭で煮炊《にた》さできる場所もある。丈夫な繊維のグアノの葉を何枚も重ねて作った褐色の壁には二枚の絵が貼《は》ってあった。一枚は色刷りのイエスの聖心であり、もう一枚はコブレの聖母マリアである。いずれも死んだ妻の形見の品であった。かつてはその壁に、故人のぼやけた写真が掛っていたが、老人はそれをとりはずしてしまった。見るにたえぬ寂寥《せきりょう》の想いに襲われるのを恐れたからだ。いまそれは片隅の棚に置いてあり、洗ったシャツの下になっている。
「なにを食べるの?」少年はたずねた。
「魚のまぜ御飯がある。お前も食べていくかい?」
「ううん、ぼくは家で食べる。火をおこしてあげようか?」
「いいよ、もうすこししたら自分でやるから。それに冷飯のままでもいいんだよ」
「じゃ、投網を持っていっていいかい?」
「そうしておくれ」
投網などなかった。それを売ってしまったときのことを、少年は覚えている。だが、老人と少年とは、この作りごとを毎日くりかえし演じているのだ。まぜ御飯などありはしない。そのことも少年は知っていた。
「八十五っていうのは縁起のいい数だ」と老人はいった、「どうだい、ばらして千ポンド以上もある大物を釣って引きあげてくるところが見たいだろう?」
「ぼく、投網を打ってくるよ、鰯をどっさり持ってくる。戸口のところで日なたぼっこして待っててくれないか?」
「そうしよう。きのうの新聞があったっけ、野球の記事でも読んでいよう」
きのうの新聞というのも作りごとかどうか、少年にはわからない。が、老人はそれらしいものをベッドの下から取ってきた。
「ボデガ([#ここから割り注]訳注 スペイン語=酒屋[#ここで割り注終わり])でペリコからもらったんだ」と老人は説明した。
「鰯がとれたら帰ってくるよ。お爺さんのもぼくのも、一緒に氷の上にのっけておこう。朝になってから分ければいい。帰ってきたら野球の話をきかせておくれ」
「ヤンキーズの勝ちにきまってるさ」
「でも、クリーヴランド・インディアンズがいるから、油断できないよ」
「ヤンキーズを信じるこった。大ディマジオがいるじゃないか」
「デトロイト・タイガーズとクリーヴランド・インディアンズが気になるんだ」
「しっかりしな、その調子じゃシンシナティ・レッズやシカゴ・ホワイトソックスまで心配だってことになりかねないじゃないか」
「よく調べておいてよ、そして帰ってきたら話しておくれ」
「そりゃそうと、けつが八十五の富くじを買っといたほうがよくないかね? あしたは八十五日目だからな」
「それも手だね」と少年は答えた、「でも、サンチャゴ、八十七日っていうすばらしいレコードがあるじゃないか、八十七のほうがよくない?」
「あんなことは二度と起るもんじゃない。八十五番のくじ買えるかな?」
「買えるさ」
「一枚たのむ。二ドル半だ。だれから借りるね?」
「わけないよ。二ドル半ぐらい、いつだって借りられる」
「おれだってできないことないさ。だが、おれは借りたくない。まず借りる。そのつぎは物乞《ものご》いだ」
「お爺さん、体を温かくしとかなくちゃだめだよ、もう九月だからね」
「大きな魚がかかる月だ。五月ならだれだって漁師|面《づら》できるがね」
「じゃ、鰯を取りにいってくるよ」
少年が戻ってきたとき、老人は椅子のなかで眠っていた。太陽はもう沈んでいる。
少年は古い軍用毛布をベッドから持ってきて、椅子のうしろからくるむように老人の肩に掛けてやった。奇妙な肩だ、たしかに老いてはいたが、なお力がこもっている。項《うなじ》の線も依然として強く、こうして眠って前かがみに頭を垂れていると皺《しわ》もほとんど見えない。シャツは継ぎはぎだらけで、あの帆とそっくりだ。それが陽にやけて、すっかり色もさめ、まだらになっている。頭はやはり老いていた。眼を閉じた顔には生気が感じられない。膝《ひざ》の上には新聞があった。夕暮の微風を受けてはためいているが、腕の重みがわずかにそれをおさえていた。足は裸足《はだし》のままだった。
少年はかれをそっとしておいた。ふたたび戻ってきたとき、老人はまだ眠っていた。
「お起きよ、お爺さん」少年はそういって、手を老人の膝の上に置いた。
老人は眼を開いた。一瞬、遠い旅路を戻ってくるような表情だった。やがて微笑が浮ぶ。
「なにを持ってきた?」
「夕御飯だよ」と少年はいった、「一緒に食べようよ」
「おれはあまり腹がへっていない」
「まあ食べなよ。食べずに漁はできないもの」
「そんなことは、よくやってきたものさ」老人は身を起し、新聞をたたんだ。それから毛布をたたもうとする。
「毛布にくるまっていたほうがいいよ」少年はいった、「ぼくの生きているあいだ、食べずに漁はさせないぜ」
「それじゃ、せいぜい長生きしてもらわなくちゃ、体に気をつけてな」老人はそう答えた、「ところで、なにがあるんだね?」
「黒豆御飯とバナナのフライ、それからシチューがある」
少年はそれを金属でできた二段づくりの容器に入れて、テラス軒から運んできてあった。かれのポケットには紙ナプキンに包んだ二組のナイフとフォークとスプーンがはいっている。
「だれがくれたんだね?」
「マーティンだよ、テラス軒の親父の」
「おれはあの男に礼をいわなくちゃあ」
「ぼくがお礼をいっといた。お爺さんはもうなにもいわなくていいんだ」
「大きな魚の腹の肉をやろう。あの男の親切は今度だけじゃないだろう?」
「うん、そうだね」
「じゃ、腹の肉だけじゃまずい。なにかやることにしよう。おれたちのこと、ずいぶん気をつけてくれてるものな」
「ビールを二本くれた」
「おれは鑵《かん》ビールがなにより好きだ」
「知ってる。でも、これ瓶《びん》詰なんだ、アトウェイ・ビールさ、瓶はかえしておくよ」
「すまない」それから老人はいった、「おれたち食ったほうがいいのかな?」
「さっきから頼んでるじゃないか」少年はやさしくことばをかえした、「お爺さんの用意ができるまで蓋《ふた》をあけたくなかったのさ」
「用意はできてる。ただ、ちょっと手が洗いたかったんだ」
手をどこで洗うんだろう、と少年は思った。村の水道は二筋下の通りまでしか来ていない。そうだ、水を汲《く》んできてやらなくちゃあ、と少年は思う、それから石鹸《せっけん》とタオルのいいやつを。なぜ、ぼくはこう気がきかないのだろう? 冬になれば、シャツがもう一枚いるだろう、上着も用意してやらなければいけない。それから靴だ。毛布ももう一枚あったほうがいい。
「シチューがすばらしいじゃないか」と老人がいった。
「野球の話をしておくれよ」と少年はせがむようにいった。
「アメリカン・リーグじゃ、やっぱりヤンキーズが一番さ」と老人は楽しそうに答えた。
「でも、きょうは負けたよ」少年は老人に教えるようにいった。
「なんでもないさ、大ディマジオはすぐ調子をとりもどすよ」
「ヤンキーズには、ほかにもいろんな選手がいるしね」
「そうとも。けど、やつは特別だ。ナショナル・リーグじゃ、ブルックリンとフィラデルフィアと、どっちってことになれば、おれはどうしてもブルックリンをとるね。でも、そうなると、やっぱりフィラデルフィアのディック・シスラーを思いだすな。やつ、ホームグラウンドで、始終すごい球をかっとばしたもんだ」
「あんなの、はじめてだ。あんなにかっとばすやつ、見たことないや」
「あの男、テラス軒によく来たものだが、お前、覚えているかね? おれはやつを釣りに引っ張りだしたかったんだけど、つい照れくさくって頼めなかったっけ。で、お前に頼んでもらおうとしたっけが、お前も照れちゃってだめだったな」
「うん、そうだった。あれは失敗だったね。頼めば、一緒に行ってくれたかもしれない。そうなりゃ、一生自慢できたのにね」
「おれは大ディマジオを漁に連れだしたかったんだ。なんでも、親父は漁師だったっていうじゃないか。きっと貧乏だったんだな、おれたちのように。だから、ものがわかるはずだ」
「大シスラーの親父さんは貧乏じゃなかった。あの親父さんもぼくくらいの年のときには、もう大リーグにはいっていたんだよ」
「お前ぐらいの年ごろには、おれはもうアフリカ通いの横帆を張った船の水夫になっていたっけ。夕暮になると、砂浜を歩くライオンが見えたものさ」
「うん。いつか話してくれたっけ」
「アフリカの話をしようか、それとも野球の話にしようか」
「野球の話がいい」と少年はいった、「ジョン・J・マッグロウの話をしておくれ」少年はJのことをホタといった。
「あの男も昔はときどきテラス軒にやってきたものさ。だが、飲むといけない、乱暴になって、がんがんわめきちらして、まったく手におえなかった。野球ばかりじゃなくて、競馬にも夢中だったよ。なにしろ始終ポケットに馬のリストを入れて歩いていたものな。よく電話で馬の名をいってやってたっけ」
「あのひとはすばらしい監督だった」と少年はいった、「一番すばらしい監督だって、おとっつぁんはいっているよ」
「そりゃ、あいつがここへ始終やって来たからというだけのことさ。もしドローチャーが毎年つづけてきていたら、一番すばらしい監督はドローチャーだっていうだろうよ」
「一番すばらしい監督はだれなの、ほんとは? ルク? マイク・ゴンザレス?」
「おんなじようなものだろう」
「そいで、世界一の漁師はお爺《じい》さんだね」
「ちがう。おれはもっとうまいやつをいくらも知っている」
「ケ・バ([#ここから割り注]訳注 スペイン語=とんでもない[#ここで割り注終わり])」と少年はいった、「うまい漁師はたくさんいるよ、えらい漁師だっていくらかいるよ、でも、お爺さんだけは特別だ」
「ありがとう。お前はおれをうれしがらせてくれる。まあ、このうえは、えらい魚が現われて、おれたちの考えをひっくりかえしてしまわないように祈るこったな」
「そんな魚いるものか、お爺さんは昔のように強いんだもの」
「いや、おれは思っているほど強くないかもしれない」と老人はいった、「でも、いろいろ手は知っているし、それに肚《はら》ができているってものさ」
「お爺さん、もう寝たほうがいいよ、あしたの朝、元気にならなくちゃ。ぼく、いろんなものテラス軒へかえしてくる」
「じゃ、おやすみ。朝、起しにいくよ」
「お爺さんはぼくの目ざまし時計だ」
「そして年がおれの目ざまし時計というわけか」と老人はいった、「年寄りはなぜ早く目をさますんだろう? 一日を長くしたいからかな?」
「わかんないよ、そんなこと。ぼくの知っていることは、子供たちは朝寝坊で、なかなか起きられないってことだけさ」
「うん、おれにも覚えがある」と老人はいった、「大丈夫だ、間にあうように起しにいってやるよ」
「ぼく、親方に起してもらいたくないんだ。なんだか自分が一人前じゃないみたいな気がしちゃうんだもの」
「わかった」
「じゃ、おやすみ、お爺さん」
少年は出ていった。二人は燈火《あかり》なしで食事をすませたのだ。老人はズボンをぬぎ、闇《やみ》のなかで寝仕度をした。ズボンのなかに新聞をまるめこみ、それを枕《まくら》にする。それから毛布にくるまり、ベッドのスプリングにかぶせてある古い新聞紙の上に横たわった。
老人はすぐ眠りにおち、アフリカの夢を見た。かれはまだ少年だった。金色に輝く広々とした砂浜、白い砂浜、あまり白く照り映えていて眼を痛めそうだ。それから高い岬、そびえ立つ巨大な褐色の山々。老人は、このごろ毎晩のようにこの海岸をさすらう。夢のなかで、磯波《いそなみ》のとどろきをきき、それをわけて漕《こ》ぎよせる土人の小舟を見た。いま、こうして眠っているあいだも甲板のタールや|船はだ[#「たけかんむり/如」、第三水準1-89-62]《まいはだ》の匂《にお》いをかぎ、朝になると、大陸の微風が送ってくるアフリカの匂いをかいだ。
いつもなら、大陸の風の匂いで老人は眼をさまし、身じまいをして、少年を起しに出かける。が、今夜は風の匂いが早くやってきた。夢路をたどりながらも、それがあまりに早すぎるなと、かれはなかば意識している。で、なおも夢を見つづける。かれは島々の白い峰が海上にそそりたっているのをながめていた。そのうちに、あちこちの港が、キャナリー群島の碇泊所《ていはくじょ》が、夢のなかに現われはじめてきた。
もはや、老人の夢には、暴風雨も女も大事件も出てこない。大きな魚も、戦いも、力くらべも、そして死んだ妻のことも出てこない。夢はたださまざまな土地のことであり、砂浜のライオンのことであった。ライオンは薄暮のなかで子猫のように戯《たわむ》れている。老人はその姿を愛した、いま、あの少年を愛しているように。しかし、少年はかれの夢のなかに姿を現わさない。ふと、老人は目をさました。あけはなした戸口から月のほうに目をやる。それからズボンをほどいてはいた。かれは小屋のそとで小便をし、少年を起すために小道を登っていった。朝の寒気で体がふるえる。が、かれは、こうしてふるえているうちに、だんだん温かくなるだろうということを知っている。また、もうすぐ海の上を漕ぎまわるであろうということも。
少年の家は戸締りがしてない。老人は戸をあけて、裸足のまま静かにはいっていった。少年はとっつきの部屋の粗末なベッドに眠りこけている。落ちかけた月の薄明りで、老人の眼にもその寝姿がはっきり見える。かれは少年の片足をそっとつかんだ。少年が眼をさまして、自分のほうをふりむくのを待つ。老人はうなずく。少年はかたわらの椅子《いす》からズボンを取り、ベッドに腰かけたままそれをはいた。
老人は戸口から出ていった。少年はそのあとについていく。まだ眠い。老人は腕を少年の肩に回していう、「ごめんよ」
「ケ・バ」少年は答えた、「大人ってものはそういうことしてくれなくちゃ」
二人は老人の小屋のほうにおりていった。道には裸足の漁師たちがそれぞれ自分の舟のマストを肩にかついで、暗がりのなかを動きまわっている。
老人の小屋につくと、少年は籠《かご》の巻綱や銛《もり》や魚鉤《やす》を手にし、老人は帆を巻いたマストを肩にかついだ。
「コーヒー飲む?」と少年はきいた。
「道具を舟に運んでしまってからにしよう」
かれらは漁師たちの集まる朝の溜《たま》り場《ば》でコンデンス・ミルクの空鑵からコーヒーを飲んだ。
「お爺さん、よく眠れたかい?」と少年はたずねた。かれは眠気からまだ完全に回復しきってはいなかったが、それでもどうやら眼がさめたらしい。
「よく眠ったよ、マノーリン」と老人はいった、「きょうは自信がある」
「ぼくだって自信があるよ。さあ、鰯《いわし》をとってこなくちゃあ、お爺さんのとぼくのと。それから新しい餌《えさ》を持ってきてあげるよ。親方はいつも釣道具を自分で持っていくんだ。だれにも持たせたがらないんだよ」
「おれたちはちがう。お前が五つのときから、おれはいろんなものを持たせてやったからな」
「うん、わかってるよ」と少年はいった、「じゃ、すぐ帰ってくるからね。コーヒーをもう一杯飲んでいな。ここなら、ぼくたち借りがきくんだから」
少年は裸足《はだし》のままくずれた珊瑚礁《さんごしょう》の上を、餌のしまってある氷室《ひむろ》のほうへ歩いていった。
老人はコーヒーをゆっくり飲んだ。これが一日の全食糧だ。それを飲まねばならぬことを、かれは知っている。もう長いこと、かれは食べるのが面倒になっていた。昼飯は持っていかないことにしている。小舟のへさきに水を詰めた瓶《びん》がある。それだけあれば一日はじゅうぶんもつ。
少年が鰯と新聞紙にくるんだ二匹の餌魚《えうお》とを持って戻ってきた。二人は小砂利のまじった砂を足の裏に感じながら小舟のほうに歩いていった。それから、小舟を持ちあげて水のなかへ押しだした。
「うまくいくように、お爺さん」
「お前もな」老人はそれに応《こた》えていった。かれはオールの繋索《けいさく》を小舟の櫂杭《かいぐい》にあてがい、それから、さっと前かがみになると、オールに受ける水圧をはじきかえすようにして、暗がりのなかを港から大海めざして漕ぎだしていった。ほかの浜からも何|隻《せき》かの小舟が海に向って乗りだしていく。月はもうすっかり山のかなたに沈んでしまったので、舟の形を見ることはできないが、オールを捌《さば》く水音が老人の耳にはっきりきこえてくる。
ときどき、どこかの舟で話し声がする。しかし、たいていの舟はじっと沈黙を守っていた。ただオールの音だけがきこえてくる。やがて港の出口に達すると、みんなばらばらに散っていった。それぞれ、魚が見つかるとおもう方向にへさきを向ける。老人は、きょうは遠出をしようと考えていた。かれは陸《おか》の匂いをあとにしてすがすがしい暁の匂いのたちこめる海洋へと乗りこんでいった。ふと見ると、水中の藻が燐光《りんこう》を放っている。このあたりを漁師たちは大井戸と呼んでいる。そこは急に七百|尋《ひろ》の深さに落ちこんでいて、潮流がその海底の急な傾斜にぶつかって生じる渦巻のため、あらゆる種類の魚がそこに集まってくるのだ。小海老《こえび》や餌魚がいるかとおもうと、深い穴のなかに槍烏賊《やりいか》の一群が見つかったりする。それらは夜になると海面に浮きあがってきて、来あわせた魚たちの餌食《えじき》になってしまうのだ。
老人は暗黒のうちに朝の近寄る気配《けわい》を感じとっていた。飛魚が水を離れるときに生じるブルンという音、その硬い翼が暗い空をよぎるヒューという音、オールを操りながら老人はそれらの物音をはっきりききとっていた。沖に出ると、飛魚たちが一番の友だちだった。老人はかれらにいつも親しみを感じていた。かわいそうなのは鳥だ、と老人は思う、ことに小さくて、ひよわな、黒いあじさし[#「あじさし」に傍点]はかわいそうだ。いつも空を飛びまわって魚を探しているのだが、ほとんど獲物を見つけたことがない。老人は思う、「鳥ってやつはおれたちより辛《つら》い生活をおくっている、泥棒鳥はべつだがな、それに、でかくて強いやつはべつだ。けれど、なんだって、海燕《うみつばめ》みたいな、ひよわで、きゃしゃな鳥を造ったんだろう、この残酷な海にさ? なるほど海はやさしくて、とてもきれいだ。だが、残酷にだってなれる、そうだ、急にそうなるんだ。それなのに、悲しい小さな声をたてながら、水をかすめて餌をあさりまわるあの小鳥たちは、あんまりひよわに造られすぎているというもんだ」
海のことを考えるばあい、老人はいつもラ・マルということばを思いうかべた。それは、愛情をこめて海を呼ぶときに、この地方の人々が口にするスペイン語だった。海を愛するものも、ときにはそれを悪《あ》しざまにののしることもある。が、そのときすら、海が女性であるという感じはかれらの語調から失われたためしがない。もっとも、若い漁師たちのあるもの、釣綱につける浮きのかわりにブイを使ったり、鮫《さめ》の肝臓で大もうけした金でモーターボートを買いこんだりする連中は、海をエル・マルというふうに男性あつかいしている。かれらにとって、海は闘争の相手であり、仕事場であり、あるいは敵でさえあった。しかし、老人はいつも海を女性と考えていた。それは大きな恵みを、ときには与え、ときにはお預けにするなにものかだ。たとえ荒々しくふるまい、禍《わざわ》いをもたらすことがあったにしても、それは海みずからどうにもしようのないことじゃないか。月が海を支配しているんだ、それが人間の女たちを支配するように。老人はそう考えている。
老人はたえまなくゆっくりと漕いでいた。自分の力の範囲内で漕いでいる分には、たいした努力もいらない。潮流がときたま渦をつくっているところがあるが、海面は板のように平らだった。老人は力の三分の一を潮流に預けていた。そろそろ東の空が明るみはじめる。気がつくと、時間の割にはかなり沖に出ていた。
おれはここ一週間、深い大井戸のなかを探しまわったが、獲物はひとつもなかった。きょうは鰹《かつお》やびんなが[#「びんなが」に傍点]が群がっているあたりに綱をおろしてみよう、ひょっとするとそのなかに大物がいるかもしれないからな。かれはそう考えた。
明るくなる前に、老人はもう餌をおろしてしまっていた。そして潮の流れに舟の動きをすっかりまかせきっていた。第一の餌は四十尋の深みに沈んでいる。第二の餌は七十五尋、第三の餌と第四の餌はさらに水中深く、それぞれ百尋と百二十五尋のところに垂らしてある。そのどれにも餌魚が鉤《かぎ》の心棒の根もとまで縫うようにしっかりとりつけられてあった。鉤の突き出た部分は、曲っているところも針の先も、新しい鰯でいっぱいに蔽《おお》われている。鉤で両眼を串《くし》ざしにされた鰯のかたまりは、いわば鋼鉄の棒に支えられた半円形の花輪といった形だった。大魚が近づいてきても、いい匂いと味のしない部分は、鉤のどこにも残されていない。
新しい小さな鮪《まぐろ》を二匹、少年からもらってあった。いまそれは二本の綱の先にとりつけられて、錘《おもり》のようにいちばん深いところに沈んでいる。ほかの綱には、大きなつむぶり[#「つむぶり」に傍点]と黄色いひらまさ[#「ひらまさ」に傍点]がついていた。それらは前に一度使ったものだが、まだくずれていないので、獲物に匂いの誘いをかけるための新鮮な鰯と一緒に水中にぶらさげておいたのだ。どの引き綱も大きな鉛筆ほどの太さで、その端を輪形に結び、生木の切枝に掛けてある。魚が餌に食いつけば、枝がぐっと傾くしかけだ。どの綱にもおのおの四十尋の巻綱が二本ずつとりつけてあり、それがさらに他の控えの巻綱にも結びつけられるようになっているので、もし必要とあれば、魚は三百尋をこえる綱を引っ張りだすこともできようというものだ。
いま、老人は舷側《げんそく》に突き出ている三本の枝の傾きをじっと見まもっている。そして、それぞれの綱がまっすぐ上下に伸びたまま餌の正常な深さを保ちうるよう、静かに漕いでいった。もうかなり明るい、いまにも太陽が昇るだろう。
海上にかすかに曙光《しょこう》がきざしはじめる。老人は他の小舟の影を認めた。それらは水面を這《は》うように低く浮びながら、なるべく岸べから離れぬようにして、潮流のかなたに散らばっている。太陽は徐々に輝きを増していく。海面にかっとその閃光《せんこう》をはしらせたかとおもうと、つぎの瞬間には、たちまちその全貌《ぜんぼう》を現わし、平べったい海が老人の眼に光を反射してよこす。老人は眼に鋭い痛みを感じ、顔をそむけて舟を漕いだ。かれは水のなかをのぞきこみ、暗い海中にまっすぐ垂れている綱をじっと見つめる。だれだって綱をこれほどまっすぐに保っておくことはできない。これならなにも見えない暗い流れでも、的確に自分の欲する水位のところに餌をしつらえ、そこを泳ぐ魚をつかまえることができるだろう。たいていの漁師は、餌を潮の流れのままに漂わせ、たっぷり百尋はあるつもりで、実際は六十尋くらいのところに餌をふらつかせていたりすることがままある。
だが、と老人は考えた、おれは大丈夫だ。ただ、どうやらおれは運に見はなされたらしい。いや、そんなことわかるものか。きっときょうこそは。とにかく、毎日が新しい日なんだ。運がつくに越したことはない。でも、おれはなにより手堅くいきたいんだ。それで、運が向いてくれば、用意はできてるっていうものさ。
太陽が昇ってから二時間たった。東のほうを見いっても、もうさほど眼は痛まない。小舟はたった三つしか見えなくなってしまった。それもみんな海面すれすれに見える。ずっと遠く海岸線の近くに寄っているのだ。
いままでいつも、明け方の太陽はおれの眼を傷つけてきたっけ、と老人は心に思った。だが、おれの眼はまだなんともない。夕方になれば、おれは平気で太陽をまっすぐ見つめることができる。夕方の太陽だって、いまよりもっと強い光をもっているのにな。それにしても、朝の太陽は眼に痛い。
ちょうどそのとき、軍艦鳥が黒色の長い翼に身をゆだねて、かれの額のはるか上空を、輪を描きながら飛んでいるのが眼にはいった。その鳥は翼をうしろにそらせ、勢いよく急降下してきたかとおもうと、さっと水面をかすめ、ふたたび輪を描くようにして飛びあがっていった。
「やつ、なにか見つけやがったな」と老人は大声あげていった、「あれは、ただ探しているだけの格好じゃない」
鳥が円を描いているあたりに向って、まっすぐ、ゆっくりと舟を漕《こ》ぎいれていった、すこしも急がない。綱を上下にまっすぐ垂らしたまま近寄っていく。ただ、いくぶん潮流にさからって漕いでいった、獲物をまちがいなく手に入れたかったし、鳥を目じるしにして手っとりばやく片をつけたかったのだ。
鳥はさらに上空めがけて舞いあがり、ふたたびぐるぐる輪を描きはじめた。翼はじっと動かない。が、突然、鳥はまっしぐらに舞いおりてきた。そのとき、老人は、海のなかからさっと飛魚が跳ねあがり、死にものぐるいで、水面すれすれに走りまわるのを認めた。
「|しいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]《しいら》がいるんだ」老人は大声をあげた、「でかいしいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]だ」
かれはオールを引っこめ、へさきにしまってあった細い綱をとりだした。それには鉤素《はりす》と手ごろな大きさの鉤針《かぎばり》がついている。かれは鰯をつけ、すばやく舷側に投げこむと、その端を船尾の鐶《かん》に縛りつけた。それからもう一本の綱に餌をつけて、巻いたままへさきの板の下に置いておいた。老人はふたたび舟を漕ぎはじめる。そして、血眼で水上を低く舞いつづける長い翼をもった黒い鳥の動きをじっと見まもっていた。
老人はじっと見つめている。鳥はふたたび急降下しようとして、さっと翼を傾け、飛魚のあとを追いながら、焦《あせ》るように荒々しく羽ばたいた。老人の眼は、その瞬間、海面がかすかに盛りあがるのを見のがさなかった。大きなしいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]の群れが逃げまどう飛魚どもを追って海面に昇ってきたのだ。しいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]は飛魚の下を水を切って進んでいる。飛魚は海面に落ちれば、それでおしまいだ、全速力で泳いでいるしいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]が水のなかでそれを待ちうけている。こいつはよほどの大群だぞ、と老人は思った。しいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]はそのあたりいっぱいにひろがっている。飛魚はまず逃げられまい。鳥だってむだ骨折りだ。あれには飛魚はいささか大きすぎる。それに速くてつかまるまい。
老人は飛魚が何度も何度も水面から跳ねあがるのを見た。そのたびに、くりかえされる徒労な鳥の運動を見た。どうやら、あのしいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]の大群はおれの鉤から逃げおおせたらしい、と老人は考えていた。なにしろやつらは速い、おまけにどこまで突っ走るかわかりゃしない。だが、迷子の一匹ぐらい釣れぬでもあるまい、それに、おれのねらっているでかい魚は、やつらのそばにいるかもしれない、きっとそのへんにいるにちがいないんだ。
陸のほうを見ると、雲が山のように立ちはだかっていた、海岸はひとすじの緑色の線にしか見えない、そのうしろに薄紫色の丘が並んでいる。水は、このあたりではもう真《ま》っ蒼《さお》で、ほとんど紫色に見える。そのなかをじっとのぞきこんでいると、黒々とした水の下に、まるで篩《ふるい》にかけられたように赤く漂っている浮遊生物や、太陽の織りなす異様な光線の綾《あや》がぼうっと見えてくる。老人は綱が水中にまっすぐ垂れさがり、それが見えなくなるあたりを、瞳《ひとみ》をこらして見まもっていた。かれは満足だった。浮遊生物が多ければ、その下にかならず魚がいるはずだ。太陽がこんなに高く昇ってしまったのに、異様な光線の綾が見えるのは、いい天気のせいだ。陸地の雲の形でもそれと知れた。しかし、鳥の姿はもう見えない。いや、海上には、見わたすかぎりなにひとつ認められない。ただ舟のすぐそばに、陽にあたって黄ばんだ海藻のかたまりがあちこちに浮いているのと、妙にまとまった形をした紫色のかつおのえぼし[#「かつおのえぼし」に傍点]が虹《にじ》のようにきらきら輝きながら漂っているのが見られるだけだった。そのゼラチンの浮袋はぐらりと横腹を見せたかとおもうと、またまっすぐ立ちなおる。黒ずんだ紫色の細い糸が水中に一ヤードも尾を引いていたが、それはまるで水泡のように、のんきにふわふわと漂っていた。
「アグワ・マラ([#ここから割り注]訳注 スペイン語=毒汁[#ここで割り注終わり])だ」と老人はつぶやいた、「この淫売《いんばい》女め」
そしてオールを軽くおさえ、そのまま水のなかをのぞきこんだ。尾を引いている細糸のあいだを縫って、それとおなじ色をした小魚が泳ぎまわっているのが見える。小魚たちはふわふわ漂っている浮袋の下陰にも群がっていた。この魚は毒には免疫《めんえき》になっているのだ。が、人間はそうはいかぬ。例の紫色のねばねばした細糸が綱にまつわりつこうものなら、魚をたぐりよせるとき、手や腕にみみずばれの傷ができる。それはちょうど漆蔦《うるしづた》の毒とおなじような作用をもっているのだ。いや、こいつはもっと効きめが速い。それに鞭《むち》でなぐったようなひどい傷になる。
泡が虹色に輝いているさまは美しい。が、こいつらは海のいかさま師だ。老人は、大きな海亀《うみがめ》がそれらをぱくぱく食ってしまうのを見るのがなにより楽しみだった。海亀たちはそれに気がつくと、真正面から近づいてきて、ぱちっと眼を閉じ、体をすっかり甲のなかに隠して、かたはしから糸ごと食ってしまう。老人は海亀が浮袋を食うのを見るのが好きだ。またかれは嵐《あらし》のあとなど、海岸に打ちあげられた浮袋を、角のように硬くなった踵《かかと》で踏みつけては、それがプスッ、ブスッと音をたてるのをききながら歩くのが好きだった。
かれは青海亀や玳瑁《たいまい》を愛していた。優雅で、速力があり、たいした値打ちをもっていたからだ。が、この大きいばかりで愚鈍な赤海亀にたいしては、親しみぶかい軽侮を感じていた。こいつは黄色い鎧《よろい》をかぶり、雌に不器用ないいよりかたをする。そして、眼を閉じて、いかにも楽しそうにかつおのえぼし[#「かつおのえぼし」に傍点]をぱくついたりするのだ。
老人はいままで海亀とりの舟に乗りこんで何度も漁に出かけたことがあるが、海亀についてなんの神秘感もいだいてはいなかった。むしろかわいそうだと思っていた。いま乗っている小舟ほどの長さがあり、重さも一トンくらいかかる巨大なやつもいるが、そんなのにさえ同情を感じていたのだ。が、たいていの連中は海亀になどすこしも同情を感じていない。というのは、海亀の心臓は完全に屠《ほふ》られてしまったあとでも、数時間は脈うっているからだ。が、老人はこう思う、おれの心臓だって似たようなものだ、手も足も海亀とちっともちがいはしない。老人は力をつけるために海亀の卵を食う。九月と十月の大物をねらって、そのためには五月中毎日のように卵を食った。
また、漁師たちが釣道具をしまっておく小屋に、鮫《さめ》の肝油を貯蔵しておくドラム鑵《かん》があったが、老人はそこから毎日コップに一杯ずつ汲《く》んで飲んだ。ほしいものはだれでも飲めるようになっていたが、漁師たちはたいていその味をきらって飲まない。いやなことといえば、漁師たちは毎朝、早く起きなければならないじゃないか。肝油の味なんかなんでもない。おかげで、どんな風邪にも流感にもやられない。なにより眼にいい。
ふと老人は空を仰ぎ見た。ふたたび鳥が輪を描いて舞っている。
「やつ、魚を見つけたな」かれは声に出していった。もう飛魚は跳ねていない。餌魚《えうお》らしいものもまったく見えない。が、老人がじっと海面を見つめていると、小さな鮪が一匹、空中に踊りあがり、太陽の光を受けて銀色に輝きながら、宙がえりして、さかさまに水中に姿を没した。それが消えるとまもなく、つぎからつぎへと、べつのやつが飛びだしてきて、それらは四方八方に跳ねまわり、あたりの水を引っかきまわし、餌《えさ》を求めて遠く飛びはねる。輪を描き、そして襲いかかる。
やつらがあんなに早く動きまわりさえしなければ、あのなかに乗りいれてやるんだが、と老人は思う。が、かれは、そのへんの水を白く泡だたせている鮪の大群と、恐怖のあまり海面に追いやられてきた餌魚に襲いかかる鳥とを、じっと見まもっているだけだった。
「鳥のおかげでだいぶ助かる」と老人はつぶやく。そのとき、一巻きして足の下におさえていた船尾の綱が、ぐっと張った。かれはオールを引き、魚の重みを計った。綱を堅く握りしめ、それを手もとにたぐりはじめると、小さな鮪の激しい身ぶるいが手にとるように伝わってくる。たぐるにつれて、その激しさは増す。水をとおして、魚の青い背や金色に光る横腹が見える。ぐいと引くと、魚は舷《ふなばた》をこえて舟のなかに飛びこんできた。いま、それは太陽に照らされて、ともの船底に横たわっている。かちっとした肉付き、鉄砲玉のような形、その大きな眼はなにを見ているかわからない。それでいて、形のいい、よく動く尾をぴちぴちふるわせて、船板に自分の生命をたたきつけている。老人は愛情のつもりで、その頭をたたき、足でどけた。
魚はとものかげでまだふるえている。
「びんなが[#「びんなが」に傍点]だ」と老人は大きな声でいった、「こいつは立派な餌になる、十ポンドはかかるだろう」
老人は自分がいったいいつごろから、こんなに大声でひとりごとをいうようになったか思いだせない。昔は、ひとりでいるとき、よく歌をうたったものだ。スマック船([#ここから割り注]訳注 魚槽の設備のある漁船[#ここで割り注終わり])や亀船に乗りこみ、不寝番の夜など、たったひとり舵《かじ》をとりながら、ときどき歌をうたった。だが、大声でひとりごとをいうようになったのは、あの少年がかれから去り、ひとりになってしまってからだろう。老人には、それがはっきり思いだせない。しかし、かれと少年が一緒に漁に出かけていたころには、おたがいに必要なときだけしか口をききはしなかった。話をするのは夜になってからだ、あるいは天候が悪くて、舟が出せないときだけだ。海上では、むだ口をきかないことが美徳とされている、老人はそうあるべきだと考えていた。そしてその徳を守ってきた。が、いま、かれは自分で思ったことを大声でなんべんでも口にだしていう、べつにそのために迷惑するものもいないからだ。
「もしだれか、おれが大声でわめくのをきいたらきっと気ちがいだと思うだろう」かれはそう大声でいった、「だが、おれは気ちがいじゃないから平気だ。第一、金持連中は舟のなかにラジオを持ちこんで、じゃんじゃんわめかせているじゃないか、野球の放送なんかやらかしてさ」
いや、いまは野球のことなど考えているときじゃない、老人は思った。いまは、ただひとつのことだけ念じていなければならないのだ。そのためにおれが生れてきた、ただひとつのことを。あの鮪《まぐろ》の大群のまわりには大きな魚がいるかもしれない。おれはまだ食事中の落伍者《らくごしゃ》を一匹釣りあげただけだ。たいていのやつは遠走りして、ものすごく速く泳ぎまわっている。きょうは水面から見たところ、なにもかも、北東に向ってすばやく動いているらしい。これは時刻のせいだろうか? それともおれの知らない天候のぐあいで、そうなるのだろうか?
もう緑色の海岸線は見えない。ただ紫色の丘の尾根が雪でも降ったように白く連なり、さらにその上に、そびえたつ雪の高山のように白雲が盛りあがっている。海水は非常に暗く、光が水中にプリズムを形づくっていた。無数の浮遊生物の群れも、真上から照りつける日光のために、ぜんぜん見えない。老人の眼に見えるものは、青い水のなかに映っている深々とした巨大なプリズムと、それから一マイルの海底に向ってまっすぐ垂れさがっている綱とだけであった。
鮪はふたたびもぐってしまった。漁師たちはこの種の魚をみんな鮪と呼んでいた。ただそれを売るときとか、餌ととりかえるときとかにだけ、それぞれの名称を区別していたのだ。鮪はもぐってしまった。陽はもう暑かった。老人はその熱を項《うなじ》に感じた。舟を漕ぐ自分の背中に汗がにじみ流れる。
もう漕ぐのをやめてもいい、と老人は思う、ここらでひと眠りとしよう。綱を足指の先に巻きつけておけば、すぐ目がさめる。いや、しかし、きょうは八十五日目だ、どうあっても大漁にしなければならん。
そのとき、綱を見まもっていた老人は、あの生木の枝のひとつが、ぐっと傾くのを見てとった。
「よし、よし」とかれはつぶやく、「わかったよ」そういって、舟をがたつかせないようにそうっとオールをおさめた。かれは綱のほうに手を伸ばし、右手の拇指《おやゆび》と人差し指でやわらかくそれをおさえた。引きも重みも感じられない、かれは軽く綱をおさえたままでいる。すると、また、ぐっときた。今度のはまるで気をひいてみるような引きかただ。強さも激しさも感じられない。かれには事態がはっきり読みとれた。この百|尋《ひろ》下ではいま、一匹のまかじき[#「まかじき」に傍点]が小さな鮪の口から突き出ている手造りの鉤《かぎ》に鈴なりにぶらさがった鰯《いわし》の群れに食らいついているのだ。
老人は軽く綱を持ったまま、それを左手でそっと枝からはずした。これでもう魚になんの抵抗も与えずに、指のあいだから綱をいくらでもくりだすことができる。
これだけ沖に出ているからには、やつ、この季節としてはよほどの大物にちがいない、とかれは思った。食いつけ、うんと食らいつけ、頼むから食ってくれ。みんな新鮮なご馳走《ちそう》だぞ、それなのに、お前は六百フィートも下の暗く冷たい水のなかでうろうろしているなんて。その暗いところで、もうひとめぐり、帰ってこい、食いつけ。
かれは軽い注意ぶかい引きを感じた。さらに、それより強い引きが来た。鰯の頭をどうしても鉤からはずせないらしい。が、すぐ静かになった。
「さあ来い」老人は大声でどなった、「もうひとめぐり。さ、匂《にお》いをかいだ! どうだいすてきだろう? 今度はしっかり食いつくんだぞ、ほら鮪もついている。硬くて冷たくて、めっぽううまいぜ。遠慮するなってことよ。さあ食え」
老人は拇指と人差し指のあいだに綱をはさんだまま、じっと待っている。同時に、ほかの綱にも眼をくばっていた。そっちのほうにも泳ぎ寄らぬとはかぎらない。すると、また前とおなじ注意深い引きが来た。
「今度こそ食いつくだろう」老人は大きな声でいった、「ほんとに頼むぜ」
しかし魚はまだ食いつかなかった。逃げてしまったらしく、ぜんぜん手応《てごた》えがない。
「逃げちまうわけはない」と老人はいった、「絶対、そんなはずはない。ただちょっとひと回りしているだけだろう。やっこさん、ひょっとすると、前に一度引っかかった経験があって、そのときのことを思いだしたのかもしれないぞ」
なるほど、すぐかれは綱にかすかな手応えを感じた。いい気持ちだった。
「ひと回りしただけなのさ」とかれはいった、「きっと食いつくとも」
かすかな手応えがかれを満足させる。が、つぎの瞬間、かれはなにか手ごわいものを感じた。信じられぬほどの重みを感じた。たしかに魚の重みだ。老人は綱をどんどん伸ばしていった。控えの巻綱の一本をほごしはじめる。それが指のあいだを徐々にすべり落ちていく。指先に抵抗はほとんど感じられないのだが、さっきの大きな重量感が、老人にははっきり感じとれていた。
「畜生め!」とかれはつぶやいた、「口の端にくわえこんだまま、逃げようとしていやがる」
やつ、もうひと回りしたら、飲みこむだろう。かれはそう思った。が、その予感を口にはださない。なにかいいことをいうと、事はたいてい起らずじまいに終るものだ。が、獲物がとほうもない大魚であるという察しはついている。鮪を横ざまにくわえたまま暗い海のなかを逃げのびようとしている相手の姿が眼に見えるようだ。
その瞬間、魚がぴたりと止るのを感じた。重量感はなお手に残っている。が、すぐ重みが加わってきた。老人は綱をどんどんくりだしていった。拇指と人差し指の圧力をちょっと強めると、すぐ重みが手にひびく。かれはすぐ綱をゆるめてやる。
「やつ、とうとう食いつきやがったな」とかれはいった、「たっぷり食わせてやろう」
老人は指のあいだから綱がすべり落ちていくにまかせ、左手を伸ばし、つないである二つの控え綱の端を、べつの綱のために持ってきた二本の控え綱の端の輪に結びつける。用意はできた。これで、いまくりだしている控え綱のほかに、四十尋の控え綱が三本あるわけだ。
「もうちょっと食いついてくれ、がっぷり食らいつけ」
鉤の先がおまえの心臓までとどめをさすようにな。遠慮なくあがってこい。そして銛《もり》でひと突きやらしてくれ。さあ、いいぞ。そっちも用意はできたかね? もうたっぷり召しあがったはずじゃないか?
「さあ!」かれは大声でそう叫ぶと、両手に力をこめて綱を引いた。一ヤードばかりたぐれる。さらに今度は全身の重みを軸にして、綱に肘《ひじ》を引っかけ、腕を開くように交互に振りながら、ぐいっぐいっと綱を引いてみる。
だが、なにごとも起らない。魚はただゆっくりと遠ざかっていくだけだ、一インチも引寄せることができない。老人の綱は丈夫だった。もともと大きな魚をとるためにできているのだ。老人はそれを背中に回し、ぐっと支える。綱が張りきり、水玉がぱっと跳ねとぶ。やがて、綱は水のなかで、しゅうっ、しゅうっ、とのどかな音をたてはじめた。老人は舟の横木に身をゆだね、ぎゅっと綱を握りしめている。引きが来ると、かれはぐっとうしろに反った。いつのまにか、舟は北西に向ってゆるやかに流れていく。
魚はすこしの乱れも見せず、じっくりした調子で泳ぎつづける。老人と魚は静かな海をのどかにすべっていく。ほかの餌はまだ水中にあったが、どうにも手のほどこしょうがない。
「あの子がいたらなあ」と老人は大声でいった、「おれはいま魚に曳《ひ》き舟されている形だ。さしあたりおれが繋柱《つなぎばしら》ってところじゃないか。綱を舟に縛りつけられないこともないが、そしたら、魚のやつ、綱を切って逃げてしまうだろう。なんとしてでも、やつをおさえておかなくちゃならない、引っ張られりゃ、いくらでも綱をくれてやらなければなるまい。ありがたいことに、やつ、動くは動くが、深くもぐる気はないらしい」
が、もし、もぐる気になったら、どうしよう、底へもぐって死んじまったら、どうしよう。困るなあ。しかし、そのときはそのときのことだ、なんとかなるだろう。おれにだっていろいろ手はあるさ。
かれは背中で綱を支え、それが水面に斜めに突きささっているのを、じっとながめていた。小舟は北西に向ってじっくりと動いている。
そろそろ、やつも参るだろう、老人はそう思ってみた。この調子でいつまでもがんばれるものじゃないからな。が、四時間たっても魚は相変らず悠々《ゆうゆう》と、小舟を曳きながら、沖に向って泳いでいた。老人は依然として、背中に回した綱にぎゅっと体を締めつけられたままだった。
「やつを引っかけたのは、ちょうど午《ひる》ごろだった」とかれはつぶやいた、「だのに、おれはまだやつの正体を拝んでいない」
魚を引っかける前に、かれは麦藁帽《むぎわらぼう》を深くかぶりなおしたのだが、ずっとそのままでいたので額が痛くなってきた。それに、ひどく喉《のど》がかわく。老人は膝をついた。綱を引っ張らぬように気をつけながら、へさきのほうへ這《は》えるだけ這っていき、片手をのばして水瓶《みずびん》を引寄せた。蓋《ふた》をとって、水をほんのすこし飲む。飲み終ると、へさきに体をやすめた。かれは、船底に寝かしてあったマストと帆の上に腰をおろし、いまはただ耐えぬくこと以外は考えまいと努めていた。
ふと、うしろをふり向く。もう陸地は見えない。それがどうしたっていうんだ、かれは心にそう考える。おれはいつもハバナの空の明るみをたよりに帰ってくることができる。日が沈むまで、まだ二時間あるじゃないか、きっとそれまでには、やつも浮びあがってくるだろう。もしそれまでに浮いてこなければ、月の出と一緒にあがってくる。もし月の出に間にあわなければ、あしたの日の出といっしょには浮きあがる。おれの体はどこもひきつっちゃいない、元気いっぱいだ。引っかかったのはやつのほうだ。それにしても、こんな強引なのははじめてだぞ。やつ、鉤素《はりす》のところまでぱっくりやってしまったにちがいない。ちょっとお目にかかりたいもんだな。おれの敵がいったいなにものか、ただそれを知るためにだけでもぜひお目にかかっておきたい。
星の位置から察すると、魚はその晩中、進路をぜんぜん変えなかった。陽が沈んでからはさすがに寒い。老人の汗はかわき、背や腕が、老いた脚が、ひどく冷えこんでくる。かれは、昼のあいだに、餌箱の蔽《おお》いの袋をひろげて、日なたに干しておいた。日が落ちると、それを、首に結びつけ、背に垂らし、苦心|惨憺《さんたん》して肩にかかっている綱の下にあてがった。ちょうど袋が肩あての役割をする。さらにかれは、へさきにもたれかかるようにして坐《すわ》ってみた。けっこう居ごこちがいい。実際は、前よりいくぶん楽になった程度にすぎないのだが、当人はそれでもずいぶん楽になったつもりでいた。
おれにも手がないし、やつにも手がないというわけだ。やつがこの調子で押しまくるかぎり、どうにもしかたあるまい。かれはそう思う。
一度、かれは立ちあがって、舷側《げんそく》から小便をした。そして星をながめ、進路をたしかめた。手にした綱が、老人の肩からほとばしり出た一条《ひとすじ》の燐光《りんこう》のようにくっきり見える。舟足はすこし遅くなったらしい。ハバナの空の明るみはあまり強くない。舟は潮流に押されて、いくぶん東のほうに進んでいるらしい。もしハバナの空の照りかえしが見えなくなりでもしたら、舟はもっと東に方向を転じたことになるだろう。魚がちゃんと自分の道をいまのまま進んでいきさえすれば、まだしばらくのあいだ照りかえしが見えるはずだからな。きょうの野球の試合はどうなったろう。ラジオできけたらすばらしいんだが。しかし、かれはすぐ、いまはただひとつのことを考えなければならないんだと思いなおした。自分のやっていることだけ考えていろ。つまらぬことを考えるんじゃない。
突然、かれは声を張りあげていった、「あの子がいたらなあ。手つだってもらえるし、見張りもしてもらえるんだが」
年とってひとりでいるのは良くない、かれはつくづくそう思った。しかし、どうにもしかたのないことだ。それより、あの鮪《まぐろ》が悪くならないうちに食って元気をつけとかなければいけない。いいか、食いたくなくてもいい、とにかく朝のうちに食べてしまうんだぞ。いいか、忘れちゃいけないぞ、老人は心のなかでそう自分にいいきかせた。
夜中に二匹の海豚《いるか》が小舟の近くに現われ、寝がえりをうつように転々と泳ぎまわったり息を吐きだしたりする音がきこえてきた。老人は、雄の吐きだすような息吹《いぶ》きと雌の溜息《ためいき》のような息づかいとのちがいを、はっきりききわけることができた。
「なかなかいい、両方とも遊びふざけながら、よろしくやっていやがる。やつらはおれたちの兄弟だ、飛魚とおんなじさ」
老人は急に自分の引っかけた大魚がかわいそうになってきた。やつはすばらしい、めったにお目にかかれる代物《しろもの》じゃない。いったいどのくらい年とっているんだろう。おれもきょうというきょうまで、こんな強い魚にぶつかったことはない。それに、やつの出かたが一風変っているじゃないか。よほど利口なやつだ、跳ねまわったら損だと思っているにちがいない。もっとも、やつが跳ねまわってあばれだしたら、おれはひとたまりもなく参ってしまうだろう。きっと前に何度も引っかかったことがあって、勝負はこの手にかぎるとでも思いこんでいるんだろう。だが、あいつは知っちゃいない。相手がたったひとりで、それもおまけに年寄りだってことをな。なんにしても、すごくでかい魚だ。肉さえいい肉なら、市場へ持っていけばたいへんなものだ。やつは男らしく餌《えさ》に食らいついた。やつは男らしく食いさがる。ちっとも騒がない。なにかつもりがあるんだろうか、それともこっちと同様、必死になっているのだろうか。
老人はかつて夫婦づれのまかじき[#「まかじき」に傍点]の一匹を釣りあげたときのことを思いだした。餌を見つければ、雄はかならず雌に先にそれを食わせる。そのときかかったやつも、もちろん雌のほうだったが、めちゃくちゃにあばれまわり、恐怖のあまり死にものぐるいの戦いをいどんできた。そのためすぐへばってしまったが、そのあいだじゅう、雄は雌のそばを離れず、綱を横切ったり、雌と一緒に周囲の海面を旋回したりしていた。あまりそばに寄ってくるので、綱を切ってしまいはしないかと、老人は心配した。なにしろその尾は大鎌《おおがま》のように鋭くて、形も大きさも大鎌そっくりだった。老人は雌のほうを魚鉤《やす》で引寄せ、棍棒《こんぼう》でなぐりつけた。さらに、その剣《つるぎ》のように鋭いくちばしの、ぎざぎざしたところを鷲《わし》づかみにし、棍棒で脳天をつづけさまになぐりつけると、魚の体は見る見るうちに変色して、鏡の裏のような色になってしまった。それから少年の手を借りて舟に引きずりあげたのだが、そのあいだ、雄はかたときも小舟のそばを離れずにいる。すかさず、老人は綱をかたづけ、銛を手にした。すると雄はいきなり舷側近く跳ねあがって、雌の姿をたしかめるようなそぶりを見せたかと思うと、つぎの瞬間には、水中深く姿を没しさった。その翼のような胸《むな》びれが薄紫色の縞模様《しまもよう》を見せて、大きくひろがるさまが老人の眼に残っている。きれいなやつだった、老人はそのときのことを思いだしていた。あいつは最後まで逃げようとしなかったな。
おれの出あった一番悲しい事件だ。あの子も悲しそうだった。おれたちは雌にあやまって、すぐばらしてしまったっけ。
「あの子がいたらなあ」老人は大声でどなると、円味をおびたへさきの船板に背をゆだねた。肩ごしに持っている綱を通して、自分の選んだ道を迷わず進んでいく大魚の力が、ひしひしと感じられてくる。
一度おれの奸策《かんさく》に引っかかった以上、どっちみち賭《かけ》をしなくてはならなくなったわけだ、と老人は心のなかで思った。
やつの賭は、わなや落し穴や奸策をのがれて、あくまであの暗い海のなかに深くもぐっていることだ。ところで、こっちの賭も、あらゆる人間に先がけて、いや、世界中の人間に先がけて、どこまでもやつを追いかけていくことだ。というわけで、おれたちは、こうしていま一緒にいる。昼以来ずっと一緒にいるじゃないか。おたがいひとりぽっちで、だれひとり助けてくれるものもないってしまつだ。
漁師なんかにならなければよかった、老人はそう思う。いや、ちがう、おれは漁師に生れついているんだ。いいか、明るくなったら、きっと鮪を食うんだぞ。
夜明け前だった、老人のうしろの餌のどれかに、なにかが食いついた。枝の折れる音がきこえ、綱が舷《ふなばた》をかすって外へ流れだした。老人は暗闇《くらやみ》のなかでナイフをとりだし、へさきに寄りかかっている左肩で魚の全|牽引力《けんいんりょく》を受けとめるようにしながら、すべり落ちる綱を舷に押しつけて断ち切った。ついでに自分の一番近くにある綱も切り落してしまうと、控え綱の端を暗闇のなかで固く結びあわせた。かれはその作業を片手で手際《てぎわ》よくやってのけた。結び目をきつく締めるには巻綱をおさえておかねばならなかったが、かれはそのために足を使った。これでつごう六本の控え綱ができたわけだ。切り落した餌についていたのが、それぞれ二本ずつ、いま魚が食いついている綱の分のが二本、それらはもうみんな継ぎあわされている。
明るくなったら、なんとかして残りの四十|尋《ひろ》の綱も切り離し、その控え綱をこっちへもらおう。けっきょく二百尋分のコルデル([#ここから割り注]訳注 スペイン語=綱[#ここで割り注終わり])と鉤《かぎ》と鉤素《はりす》をなくした勘定になる。しかし、そんなものはいつでも取りかえしがきく。いまおれはなにか魚を引っかけた。けれど、もしそのためにおれの大事な獲物を逃がしてしまったら、そいつはだれが取りかえしてくれる? なるほど、いま食いついた魚がなんだか、おれは知っちゃいない。そりゃ、まかじき[#「まかじき」に傍点]かもしれない、へらつの[#「へらつの」に傍点]鮫《ざめ》かもしれない、ほかの鮫だったかもしれない。おれは引いてみなかった。とにかく一刻も早く切りすてなければならなかったんだ。
かれは大声あげて叫んだ、「あの子がついていてくれたらなあ」
なにをいうんだ、いま、お前には少年はついていない、とかれは思いなおす。お前にはただお前だけしかついてはいない。なんとしてでもやるんだ、さあ、いますぐ、暗かろうと暗くなかろうと、最後の綱にとりかかるにこしたことはない。それを断ち切って、控え綱をもう二本つないだほうがいい。
そのとおりかれはやってのけた。暗闇ではむずかしい。一度、魚は大波のようなうねりを見せたかとおもうと、やにわに老人をうつむけに引倒した。眼の下が切れ、血が頬をつたって流れる。が、すぐかたまり、頤《あご》までとどかぬうちにかわいてしまった。やっとのことで老人はへさきのほうにもどり、舟べりにもたれて体を息《やす》めた。袋の位置をなおし、綱を肩のべつのところにそっとあてがう。それから肩を支えにして綱を握りしめたまま、注意ぶかく魚の引きぐあいをたしかめ、片手を水に浸して舟の速度を計った。
やつ、なんだってこんなめちゃなまねをしやがるんだろう、とかれは思った。鉤素がやつのでかい背中をこすったにちがいない。といって、おれの背中にくらべれば、たいした痛みじゃあるまい。しかし、やつがいくら大物だって、この舟を永久に引っ張っていられるものじゃない。もうやるだけのことをやった、心配はいらない。それに控えの綱はたっぷりある。これだけあれば文句はなかろう。
「おい」老人は魚に向って大声で、しかしやさしく語りかける、「おれは死ぬまで、お前につきあってやるぞ」
やつもおれにつきあう気だ、そうにちがいない、と老人は思う。かれは明け方を待ちこがれていた。夜明け前のいま時分が一番寒い。かれはへさきの板に体を押しつけて暖をとろうとした。やつがその気なら、おれだってその気になってやるぞ、かれは心のなかでそうつぶやく。あたりがほんのり白んできた。綱は水底に向ってまっすぐ伸びている。舟は相変らずじっくり海面をすべっていた。太陽が水平線にきらりとその頂をのぞかせる。最初の光箭《ひかり》が老人の右肩にさっとあたった。
「やつ、北に向って進んでるな」と老人はいった。それにしても潮流のおかげで、おれたちはだいぶ東のほうへ押し流されるだろう。魚のやつ、潮流に乗ってくれるとありがたいんだがなあ。それがなによりへばった証拠だからな。
さらに日は高く昇った。が、老人は、魚がちっともへばっていないことを知った。ただひとつ有利な兆候が見えた。綱の傾斜で魚がいくらか上にあがってきたことがわかった。といって、かならずしもまだ跳ねあがるとはかぎらない。しかし、跳ねあがるかもしれないのだ。
「どうか跳ねてくれるように」と老人はいった、「綱はたっぷりある、いくらあばれたって平気さ」
もしおれがここでちょっと強く引いてやれば、やつは痛みにたえかねて跳ねあがるだろう。もうすっかり明るい、ひとつ跳ねあがらせてやろうか。やっこさん、きっと浮袋を空気でいっぱいにして跳ねあがってくるだろう。そうすりゃ、深くもぐって死んでしまうなんてことは、まずあるまい。
かれは綱をもっと張ろうとした。しかしそれはもういまにも切れそうなくらい伸びきっている。獲物が引っかかって以来、ずっとそうだった。うしろへ反って引きに力を加えると強い手応《てごた》えを感じた。もうこれ以上強く引くことはできない。ちょっとでも引いちゃいかん、とかれは思った。うっかり引こうものなら鉤のかかっている切傷を大きくしてしまうだろう。そうすれば、魚が跳ねあがったとき、鉤がはずれてしまうかもしれない。とにかく、日が昇ってからは、おれもだいぶ元気が出てきた。もうこれで太陽をまともに見ずにすませられる。
綱には黄色い海藻がついていた。が、老人は、かえってそれが、魚には重荷になるだけだということを知っていた。かれはありがたいと思った。前の晩、燐光を発して光っていたのはこの黄色い海藻だったのだ。
「おい」とかれは魚に向って呼びかけた、「おれはお前が大好きだ、どうしてなかなか見あげたもんだ。だが、おれはかならずお前を殺してやるぞ、きょうという日が終るまでにはな」
そうしたいものだ、とかれは思う。
そのとき、小さな鳥が舟をめがけて北のほうから飛んできた。鳴禽《めいきん》類の一種だ。水面を低く飛んでいる。疲れているらしい、老人には一目《ひとめ》でわかった。
小鳥はともへ来てとまった。が、すぐ飛びたって老人の頭の上を旋回し、今度は綱にとまった、どうやらそこのほうが居ごこちが良さそうだ。
「いくつだね?」老人は鳥にきいてみた、「旅行ははじめてかい?」
小鳥は老人のほうを見ている。あまり疲れてしまったので、綱をたしかめるゆとりもないらしく、そのかぼそい足指で堅く綱を握りしめ、ゆらゆらと上下に揺れていた。
「その綱は大丈夫だ」と老人は小鳥に向っていった、「しっかりしたもんさ。ゆうべは風もなかったのに、そんなにくたびれちゃしょうがないじゃないか。鳥ってやつはいったいどうなっているんだい?」
こいつらをねらって、あの鷹《たか》たちが海上に姿を現わすのに、と老人は心のうちで思った。が、ことばの通じっこない相手に、そんなことをいってもしかたがない。それに、鷹のことなどいずれはわかることだ、と思う。
「たっぷり休んでいきな」と老人はいった、「そしたら陸《おか》のほうへ飛んでいきな、あとは万事あなたまかせにするんだ、人間だって鳥だって魚だって、みんなおなじことさ」
夜のうちに背中がすっかり硬直してしまい、それがいまになってひどく痛みだしてきたので、こんなふうにして鳥に話しかけることが、老人の気をまぎらせた。
「よかったら、お客に来てもらいたいのだがな」とかれはいった、「いまのところ、帆はあげられない。ちょうど風も出てきたし、お前さんを連れていってやりたいとこだがね。すまないな。連れがいるんで、そうはいかないんだ」
ちょうどそのときだった、魚は急に海底深くもぐりこむ、老人は不覚にもへさきに引きずり倒されてしまった。とっさに身を引いて綱をくりだしたので助かったが、さもなければ、すんでのところで海のなかに引っ張りこまれるところだった。
綱が引かれたので、小鳥は飛びたった。老人はそれに気がつくどころではなかった。右手で注意ぶかく綱を操っている。気がつくと手から血が流れていた。
「きっとどこか痛かったんだろう」老人は大声でそういうと、綱を手もとにたぐり、魚の向きをかえられるかどうか探ろうとした。しかし、綱はまたもやぴんと張りきり、いまにもちぎれそうになる。かれはしっかりもちこたえ、背中で綱をおさえこんだ。
「お前もそろそろわかりはじめてきたな」とかれはいった、「畜生、こっちもそうだ」
老人はやっとあたりを見まわし鳥の姿を探し求めた。仲間がほしかったのだ。が、鳥影はどこにも見られない。
お前さんだって、いつまでもこんなところにいられやしないな、老人は心のうちでそう思った、だが、海岸にたどりつくまで、まだまだ辛《つら》いことがあるだろうよ。なんてことだ、おれとしたことが、魚のやつに強く引っ張られて手を痛めてしまうなんて? だいぶぼけてきたらしい。いや、鳥なんかにかまけていたのがいけなかったんだ。さあ、心を入れかえて、仕事に精だすんだぞ。それから鮪《まぐろ》を食わなくてはいかん。体に力をつけておきたいからな。
「あの子がいればいいんだが、それに塩があればありがたいんだけどな」大声でかれはそういった。
老人は綱の重みを左肩に持ちかえ、舟底にそっとひざまずき、海水で手を洗った。かれはしばらく手をそのまま水にひたして、血が糸のように尾をひいて流れるのをながめていた。舟の動きにしたがって、水のじっくりとした圧力が手に伝わってくる。
「やつ、だいぶ速力が鈍ったな」と老人はいった。
老人は手をそのままいつまでも塩水にひたしておきたかった。しかしまたさっきのようなことがあると危険だと思う。かれは立ちあがると、身を引くように用心しながら、手を陽にかざしてみる。ほんの擦りむき傷にすぎない。しかし大事な場所だ。かれにしてみれば事がすむまでは大事な手だ。はじまる前から怪我などさせたくなかった。
「さて」手がかわくと、かれはいった、「あの鮪を食わなくちゃならない。魚鉤《やす》で取って、ここで楽にして食おう」
老人は膝《ひざ》をつくと、とものかげに抛《ほう》りなげておいた鮪を魚鉤で探りだし、巻綱をよけて、自分の手もとに引寄せた。それから、ふたたび左肩で綱を支え、左の手と腕に力を入れたまま鮪を魚鉤から離し、魚鉤のほうはもとの場所へかえした。かれは片膝で魚をおさえ背の線にそって頭から尻尾《しっぽ》にかけ、紅黒《あかぐろ》い肉にナイフの刃を入れる。つぎに、そのくさび形の肉きれを、背にすれすれのところから横腹にかけて、つぎつぎとそいでいく。六つの切身ができた。かれはそれをへさきの船板の上に並べ、ナイフの血をズボンでぬぐいとり、尻尾のところをつまんで骨を海に投げすてた。
「まだ大きすぎるかな」そうつぶやきながら、かれは切身のひとつをナイフで引き裂いた。そのとたん、綱がぐいっと引かれ、はずみで左手にひっつりがきた。指は重い綱を、食い入るようにつかんで離さない。老人は苦々しげにその手をながめている。
「なんてやくざな手だ」とかれは口に出していった、「いくらでもつるがいい。鷲の爪《つめ》になれ。それでどうしようっていうんだ」
さあ、来い、老人は気をとりなおして、引き綱の傾きにそって、暗い水のなかに視線を移した。食わなくちゃいかん、手に力をつけてやろう。手が悪いんじゃない。おれはずいぶん長いこと魚と格闘してきたんだからなあ。いや、おれは最後までやつにつきあう気でいるぞ。さあ、鮪を食え。
かれは小さな切身を取りあげ、それを口に入れてゆっくりと噛《か》んだ。まずくはない。
よく噛んで、みんな血にするんだぞ。ライムかレモン、せめて塩でもあれば、まんざらでもないんだが。
「どうだい、ぐあいは?」かれは左手に向っていった。それはほとんど死後硬直に似た症状を呈している、「おれは、お前のために、もうすこし食ってやるぞ」
老人は引き裂いた残りのひときれを口に投げいれ、丹念に噛んで、皮を吐きだす。
「利《き》くかね? ふん、そう早くはわからないかな?」
かれは新しい切身を丸のまま取って、噛みはじめる。
「血ではちきれそうじゃないか、こいつは」とかれは思う、「|しいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]《しいら》でなかったのは、もっけの幸いだ。しいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]は甘すぎる。こいつはとてもうまいとはいえないさ。だが、このなかには力がいっぱいつまっているんだからな」
それにしても栄養一点ばりというのも芸がない話だ、とかれは思った。塩があればいいのになあ。いや、陽にあたると腐ってしまうかもしれないから、腹はへっていなくても、みんな食ってしまったほうがいい。敵は落ちついていて、すこしも乱れを見せない。こっちは食えるだけ食って、お待ち申しあげることにしよう。
「がんばるんだぞ」かれは左手にいった、「おれはお前のために食ってやっているんだからな」
そうだ、おれの魚にもなにか食わしてやりたい、とかれは思う。やつはおれの兄弟分だ。けれど、おれはやつを殺さなくてはならない、そのためには、おれは強くならなければいけないんだ。かれはゆっくりと念入りに噛みながら、くさび形の切身を、つぎつぎと平らげていく。
すっかり食べ終ると、かれはズボンで手のよごれをふきとった。
「さあ」とかれは左手に向っていった、「綱を離した。お前がそんな道草くっているあいだ、おれは右手だけで魚を操ってやるぞ」老人は左手の握っていた重い綱に左足をかけ、背中を締めつけてくる圧力に抵抗して、それをねじふせるように仰むけに寝そべった。
「どうか、ひっつりがなおりますように」とかれはつぶやいた、「だって、魚のやつ、いったいどういうつもりか、おれには皆目見当がつかないんだからな」
しかし、魚は穏やかになってきたらしい。計画を着々実行にうつしているのだろう。それにしても、やつ、どういうつもりなのかなあ。いや、おれはどういうつもりなんだろう? おれのつもりは、やつしだいだ。なんとか工夫をめぐらさなければならない。なにしろでかいんだからな。跳ねあがってくれさえしたら、わけなくやっつけられるんだが。やつはあくまで海のなかに深く沈んだままがんばる肚《はら》らしい。そうときまれば、おれのほうもあくまでやつにつきあってがんばるほか手がない。
老人は左手をズボンにこすりつけて、指のひっつりを解きほごそうとした。が、すこしも開かない。日が昇るにつれて開いていくだろう、とかれは考える。あの生きのいいなまの鮪が胃袋のなかで消化されるころには、きっと開いてくれるだろう。いざとなれば、どんなことをしてでも開いてやる。けれど、いまはむりして開きたくない。自然にまかせよう、ひとりでに元にもどるのを待とう。結局、おれは夜中にあまり使いすぎたのだ。あのときはいろんな綱を解いたり、繋《つな》いだりすることが必要だった。
老人はあたりを見まわし、あらためて自分の孤独を痛感した。が、かれは黒々とした深い水のなかに七色のプリズムをのぞき見ることができた。それに眼の前には綱がまっすぐ伸びており、しずまりかえった海洋の不気味なうねりが見てとれる。貿易風にともなって雲がむくむく立ち昇りはじめた。ふと、前のほうを見ると野鴨《のがも》の一群が空にくっきりその形を刻みこんだような影を見せて水の上を渡っていく。一瞬影が薄くなる。が、つぎの瞬間にはふたたびくっきりした形をとる。海の上に孤独はない、と老人はつくづく思った。
だが、なかには小舟に乗って沖へ出て陸地が見えなくなると、ひどくこわがるやつがいる。急に天候が変る季節なら、むりもない。が、いまはハリケーンの季節だ。ハリケーンの季節にハリケーンなしというのは、一年中で漁に一番いい時期なんだ。
ハリケーンが来るときは、何日も前から空にその兆候が現われる、沖に出ていさえすれば、すぐそれがわかる。陸《おか》ではなにもわかりはしない、どこにも手がかりがないからだ。そりゃ、陸のほうだって、雲の形やなにかで、どこか変なところがあるにちがいない。ま、そんなことはどうでもいい。とにかく、いまはハリケーンなんか来やしないんだ。
かれは空を見つめる。そこにはアイスクリームのかたまりのような白い積雲が見え、上のほうは薄い羽毛のような巻雲《けんうん》になって、九月の空にはりついている。
「ブリサ([#ここから割り注]訳注 スペイン語=微風[#ここで割り注終わり])だ」老人はいった、「お前よりは、おれのほうにおあつらえむきの天気だ」
左手はまだひきつったままだった。かれは静かにそれを開こうとする。
ひっつりってやつは一番苦手だ。自分の体が自分に謀叛《むほん》を企てるようなものだ。他人《ひと》の前で、プトマイン中毒を起して上げたり下《くだ》したりするのはみっともない。しかし、このひっつりというやつは――もっともかれはスペイン語のカラムブレということばを思いだしたのだが――なおさらみっともない、ことにひとりのときはな。
あの子がいれば揉《も》みほぐしてくれるんだが、と老人は思った。しかし、そのうちほぐれてくるだろうよ、きっと。
そのとたん、かれは右手に引きの変化を感じた。見ると水中の綱の傾斜がちがってきている。かれは上体をそらして綱を引きつけ、左手を強く何度も腿《もも》にたたきつけてみる。やがて綱が傾いたまま徐々に浮きあがってくるのが見えた。
「やつ、あがってきやがる」かれは自分の手を見ながらいった、「しっかりしろ。頼むからしっかりしてくれ」
綱は徐々に確実に浮きあがってくる。小舟の前の海面がうねるように盛りあがり、ついに魚は姿を見せた。が、まだ出きらない。背の両脇《りょうわき》から水がざあっと流れ落ちる。太陽の光線を受けて肌がきらきら輝く。頭と背は濃い紫色だ。脇腹に幾筋もの広い縞《しま》が走り、薄紫色に照り映えている。くちばしは野球のバットくらいの長さがあり、剣のように先が細くなっている。魚は水面から伸びあがるようにして全身を現わしたが、すぐまた水のなかにもぐってしまった。ダイヴィングの選手のような鮮やかさだ。老人は大きな鎌《かま》のような尻尾が水中に消えていくのを認めた。綱がふたたびすべりはじめる。
「この舟より二フィートも長いぞ」老人は呆然《ぼうぜん》としてつぶやいた。綱はすさまじい速さで、しかもなんの乱れも見せずにすべり出ていく。魚はすこしもあわてふためいた様子がない。老人は両手で綱を引っ張り、それがあやうく切れそうになるところを巧みにさばいていた。かれにはわかっていたのだ、もし適度の引きを加えながら魚を逃がしてやらなければ、魚は綱を全部たぐりだして、あげくのはてには、引きちぎってしまうだろう。
ものすごくでかいやつだ。だが、やつに思い知らせてやらなければならない、とかれは思った。おれは、あいつを思いあがらせてなどやるものか、その気になれば逃げおおせるなどと思わせてなるものか。もしおれがあいつだったら、ありったけの力を振りしぼって、最後の最後までがんばってみせる。が、ありがたいことに、やつらは、やつらを殺すおれたち人間ほど頭がよくないんだ。もっともおれたちよりは、気高くて、立派じゃあるけどな。
いままでにも老人はたくさんの大魚を見てきた。千ポンドをこえるような大きな魚を何度も見ている。そのくらいのやつをつかまえたことも、事実二度ほどある。が、そのときはひとりではなかった。いまはひとりだ。陸地も見えぬところで、かれはいま生れてはじめて見る大魚に、話にきいたこともない大きな魚に、じっと食いさがっているのだ。しかも左手は依然として、鷲《わし》の爪のように硬くひきつっている。
だが、きっと癒《なお》ってくれるだろう。そして右手を助けてくれるだろう。そうだ三つは兄弟だ、魚とおれの両手とは。どうしても癒ってくれなければ困る。ひっつりだなんて、恥ずかしい話だ。ふたたび魚は速度を落し、さっきまでの速さにもどりつつある。
だが、さっきはなぜ跳ねあがったのだろう、老人は頭をひねった。まるで自分の大きさを見せるために跳ねあがったみたいじゃないか。おかげで、とにかくわかった、とかれは思う。それなら、おれのほうもやつに見せてやりたい、おれがどういう人間だか。だが、そのとき、やつはおれの左手を見るだろうな。でも、そうすれば、おれがほんとはもっと強い人間なんだということを教えてやる。いや、そのときはそうなるさ。もし、おれが魚になって、と老人は考える、あいつの持っているいっさいの力を自分のものにして、このおれの意志と知恵を相手に闘えたらなあ。
老人はへさきに寄りかかって、体を楽にし、襲いかかる苦痛をそのままじっと受けいれていた。魚は相変らずすこしの乱れも見せないで泳ぎつづけている。舟は黒ずんだ水の上をゆっくり動いていた。風が東から起り、海面がすこしうねりはじめた。昼ごろ、ようやく老人の左手が癒った。
「お前にとっちゃ、悪い報《しら》せだ」老人は魚に向ってそういうと、背中に引っかけていた袋の上に綱を移した。
かれは体を楽にし板に寄りかかっている、が、苦しかった。ただ自分ではその苦しさをすこしも認めようとしない。
「おれはあまり信心ぶかいほうじゃない」とかれはつぶやくようにいう、「でも、この魚をつかまえるためなら、『われらの父』と『アヴェ・マリア』のお祈りを十回ずつやってもいい。もしつかまえたら、コブレの聖母マリアにお詣《まい》りすることを誓ってもいい。さあ誓ったぞ」
老人は単調にぶつぶつと祈祷《きとう》をはじめた。はなはだしい疲労のため、ときどき文句が思いだせなくなる。それなら、自然に流れだしてくるように速くしゃべってみたらどうか、と思う。『われらの父』より『アヴェ・マリア』のほうがやさしそうだな、そんな気がする。
「めでたし、聖寵《せいちょう》みちみてるマリア、主、御身とともにまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子《みこ》イエズスも祝せられたもう。天主の御母、聖マリア、罪人《つみびと》なるわれらのために、いまも臨終のときも祈りたまえ。アーメン」さらにかれはつけ加えた、「こいつの臨終のときも祈ってやってくださいまし。なかなか見あげたやつでございます」
祈祷をすませると、いくらか元気が出てきたように思う。しかし苦しいことは前と変らない、いや、むしろ前より苦しかった。かれはへさきに背をもたせかけて、ほとんど無意識に、左手の指を開けたり閉じたりしはじめた。
微風が吹きはじめたが、真昼の太陽は熱かった。
「短い綱にも餌《え》をつけて、もう一度、ともから垂らしておくかな」とかれはいった、「魚のやつ、もう一晩がんばろうって気なら、こっちも腹をこしらえとかなければならない。水だって、もういくらもないからな。このへんじゃ|しいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]《しいら》しかとれまい。でも生きのいいやつなら悪くないぞ。そりゃ、夜中に飛魚でも舞いこんでくれたらありがたいんだが。燈火《あかり》がないから、寄っちゃくるまい。飛魚を生のまま食うってのは、こりゃこたえられない味だ。第一、料理する手数が省ける。おれはいま、できるだけ力を節約しなければならないんだ。畜生、あんなでかいやつとは、夢にも思わなかった」
「でも、おれはやつを殺してやる」とかれはいった、「どんな立派なやつだってな、どんなすばらしいやつだってな」
そりゃよくないことにはちがいないが、とかれは思う。しかし、おれは、人間ってものがどんなことをやってのけられるかを、やつにわからせてやるんだ、人間が耐えていかねばならないものを教えてやるんだ。
「あの子にいってやったっけ、おれは一風変った年寄りなんだってな」と老人は口に出していった、「いまこそ、それを証《あか》ししなければならないときだ」
これまで何度も何度もそれを証ししてみせてきたのだが、そんなことはどうでもいい。老人はいまふたたびそれを証明しようとしている。何度でもいい、機会はそのたびごとに新しい。昔の手柄など、老人はもはや考えていない。
あいつ、眠ってくれればいいのに、そしたらおれも眠ってライオンの夢でも見たい、とかれは思う。だが、このさい、なぜライオンだけが思いだされるんだろう? まあ、爺《じい》さん、考えるのはやめにしておきな。体を楽にしてゆっくり息《やす》むにこしたことはない。なんにも考えちゃいかん。魚のやつ、夢中になって働いているんだ。そのあいだ、お前はできるだけ息んでいたほうがいい。
もう午後にはいっていた。舟は相変らずゆっくりと、そしてすこしの乱れも見せずに海面をすべっていく。しかし東の風が強まり、すこし速度が鈍った。老人は小波《さざなみ》を分けて、ゆっくり進んでいく。背中の綱の傷がいくぶん楽になってきた。
昼すぎ、綱はもう一度あがりだした。が、魚はいくぶん高いところを泳ぎつづけているだけで、依然としてあがってはこない。太陽は老人の左の腕と肩と、それから背にあたっていた。それで、魚が北からすこし東のほうに方向を転じたことがわかった。
一度、相手の正体を見とどけてからというもの、老人は、紫色の胸びれを翼のようにひろげ、大きな尾をぴんと立てて黒々とした水を切って泳ぐ魚の姿を、まざまざと想《おも》い描くことができた。魚のやつ、あんな深いところでどのくらい眼が利《き》くのかなあ、そういえば、ずいぶん大きな眼玉をしていた。馬の眼はもっと小さいけれども、夜目が利く。そう、おれも昔は闇のなかでもよく見えたものだっけ。そりゃ真《ま》っ暗闇《くらやみ》じゃむりだが、でも、猫の眼くらいにはいったもんだ。
太陽の温《ぬく》みと指の屈伸のおかげで、老人の左手はもう完全に癒っていた。かれは綱を徐々に左手にあずけ、背中の筋肉をすぼめて綱の傷をすこし楽にしようとこころみた。
「疲れないってのは、お前さんもたしかに一風変った魚にちがいない」とかれは大声でどなった。
老人はすっかり疲れきっていた。もうすぐ日が暮れることがかれにはわかっていた。で、なにかほかのことを考えようと努める。かれは大リーグのことを考えた。いや、かれにはスペイン語のグラン・リガスということばのほうが親しみぶかい。かれは思いだす、きょうはニューヨーク・ヤンキーズとデトロイト・ティグレスとの試合がおこなわれているはずだ。
フエゴ([#ここから割り注]訳注 スペイン語=試合[#ここで割り注終わり])の結果がわからなくなってから、きょうで二日目だ、とかれは思った。だが、自信をもたなくてはいけない。大ディマジオは踵《かかと》に骨の蹴爪《けづめ》ができたのに、それをこらえて勝負を最後までやりぬく男だ。おれだって負けちゃいられない。老人は自問自答する、「骨の蹴爪」って、なんていったっけな? ウン・エスプエラ・デ・ウエソだ。そんなもの、おれたちは知らない。けれど、軍鶏《しゃも》のように鉄の蹴爪をとりつけられたら、どんなに痛いだろう? おれにはとても堪えられそうもない。それに、やつらみたいに、眼を片方つぶして、片方ならまだいいが、両眼をつぶしてまで、夢中になって闘いつづけるなんてまねは、とてもできっこない。鳥や獣のすごいやつにくらべると、人間なんてたいしたものじゃないからな。できることなら、おれは、暗い海のなかに深くもぐっているあん畜生になり変りたいくらいだ。
「鮫《さめ》さえ出てこなければいいんだが」と老人は大声でいった、「そうだ、鮫が現われでもしたら、あいつもおれも、ざまはないや」
ところで、大ディマジオだって、いまのおれほど、気ながに魚につきあえると思うかね? なるほど、できるかもしれない。おれより若くて元気だから、もっとがんばれるかもしれない。それに、やつの親父《おやじ》は漁師だった。けれど、踵に蹴爪ができたら、参っちまうかな?
「そりゃ、わからない」とかれは急に大きな声を出した、「おれには蹴爪なんてできたことがないからな」
夕暮ころ、老人はふとあることを思いだして勇気づけられた。昔、かれはカサブランカの居酒屋で、シェンフェゴス生れの大男のニグロと腕ずもうをしたことがある。相手は波止場きっての力持ちだった。テイブルにチョークで線を引いて、その上に肘《ひじ》を置き腕をまっすぐに立て、手をぐっと握りあったまま一日一晩動かなかった。両方とも相手の手をテイブルの上に押しつけようとがんばった。相当の金が賭《か》けられていた。見物は石油ランプに照らしだされた部屋を出たりはいったりしていた。かれはニグロの腕と手と、そして顔をじっと見つめたまま眼を離さなかった。審判は最初の八時間が過ぎると、睡眠をとるために四時間ごとに交替した。かれもニグロも、指の爪から血がにじみだしてきた。おたがいに相手の眼の色をうかがい、手と腕から眼を離さない。勝負に賭けた連中は入れ替り立ち替り部屋にはいってきて、壁ぎわの高い椅子《いす》に腰をおろし、勝負の成行きを見まもっていた。周囲は板張りで、あかるい青色のペンキが塗ってあったが、ランプがその上にみんなの影を大きく映しだしていた。炎がかすかな風に煽《あお》られるたびに、ニグロの大きな影法師がゆらぐ。
勝負は一晩中どっちともつかなかった。みんなはニグロにラム酒を飲ませてやったり、煙草《たばこ》の火をつけてやったりした。相手はラム酒を一杯やるたびに、馬鹿力《ばかぢから》をだして襲いかかってくる。一度は老人も、いや、そのころはエル・カムペオン([#ここから割り注]訳注 スペイン語=選手[#ここで割り注終わり])のサンチャゴだったが、三インチばかり押されて、あやうく負けそうになった。が、かれはそれをふたたびもとの垂直の位置に押しかえした。そのとき、かれは、この肉のかたまりのような好漢のニグロをうち負かしたと思った。夜明けごろ、賭けた連中が引分けにしたらどうかといいだし、審判も首をかしげはじめたころ、かれは最後の力をしぼりだして、ニグロの手をぐいぐいとおさえこみ、ついにテイブルの板にぴったり押しつけてしまった。勝負は日曜の朝にはじまり、月曜の朝におわった。賭けた連中は何度も引分けを主張していた。というのは、かれらの大部分は砂糖袋の荷役に波止場に出かけなければならなかったり、あるいはハバナ石炭会社に勤めていたりしたからだ。さもなければ、だれだって最後まで見たかったろう。そして、そのとおり、かれはみんなが仕事に間にあうように、勝負にけりをつけてやったのだ。
その後、当分、みんなはかれのことを「チャンピオン」と呼んだ。そして春には復讐戦《ふくしゅうせん》が催された。が、今度はたいした賭金も賭けられなかった。第一回戦でシェンフェゴス生れのニグロの自信をうち倒してしまったので、かれはその賭金を他愛なくものにした。かれはその後も二、三度勝負をしたことがある。が、それきりふっつりやめてしまった。その気になれば、どんなやつだってやっつけられる。だが漁には右手が大切だ、かれはそう思ったのだ。そして左手で二、三度勝負をこころみたことがある。しかし、かれの左手はいつも裏切者だった。自分の思いどおりには動かない。それからというもの、かれは左手を信用しなくなった。
しかし、太陽の熱がいいぐあいに利いてくれるだろう、とかれは思った。夜中にあまり冷えさえしなければ、もう二度とつるようなこともあるまい。ところで、今夜はいったいどんなことになるのかなあ。
飛行機がマイアミのほうに向ってかれの頭上を飛んでいった。かれはその影が飛魚の群れをおびやかし跳ねあがらせるのをながめていた。
「こんなに飛魚がいれば、きっとしいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]がいるはずだ」かれは口に出してそういうと、肩にかけた綱に寄りかかるようにのけぞって、すこしは引けるかどうかをたしかめようとした。どうして、相手は梃《てこ》でも動かない。綱はいまにも切れそうに、ぱっとしぶきを散らしてふるえる。舟はゆっくりすべっていった。かれは飛行機のほうに視線を移し、見えなくなるまでそのあとを眼で追う。
飛行機に乗ったら妙な気持ちがするだろうな、とかれは思った。あんな高いところからながめたら、海はどんなふうに見えるんだろう? あまり高くなければ、魚が見えるかもしれない。二百|尋《ひろ》くらいの高さでゆっくり飛んで、上から魚を見てみたいものだ。いつだったか海亀《うみがめ》とりの舟に乗りこんで、マストのてっぺんの横桁《よこげた》から下を見おろしたことがあったっけ。そのくらいの高さでも、ずいぶんよく見えたものだ。そこから見ると、しいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]はもっと緑色に見える。その縞《しま》や紫色の斑点《はんてん》が見える。それから群れをなして泳ぎまわっているのを全体にながめわたすこともできる。それにしても、暗い潮流に乗って旅をするすばしこい魚が、みんな紫色の背中をもち、申しあわせたように紫色の縞や斑点があるのはどういうわけだろう? しいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]は実際には金色をしているので緑色に見える、それはわかる。だが、腹がへってきてなにか食いはじめると、まかじき[#「まかじき」に傍点]とおなじに紫色の縞が横腹にできる。それは怒っているのだろうか、それとも、すごい速さで泳ぎまわるせいだろうか?
そろそろ暗くなりかかるころ、舟は島のように盛りあがった海藻のそばを通りすぎた。それは軽快な波に揺さぶられ、あたかも海が黄色い毛布の下でなにかと乳くりあっているようだ。そのとき、短い綱にしいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]が食いついた。いきなり水上に跳ねあがったので、すぐそれとわかった。残照を受けて金色に輝きながら、身をくねらせるようにして、荒々しく空をたたく。つづけて何度も跳ねあがる、恐怖のアクロバティックだ。老人はとものほうにすり寄り、そこにうずくまって、右手、右腕に大綱をゆだね、左手でしいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]の綱を引きはじめる。すこしずつたぐっては、それを左の足でおさえていく。やっとのことで魚はともの近くへ引寄せられたが、死にものぐるいになって、あっちこっちとあばれまわった。老人はともから体を乗りだして、その紫色の斑点のある磨かれたように光った金色の胴体を引きあげた。激しく鉤《かぎ》にかみつき、|あご[#「にくづき+咢」、第三水準1-90-51]《あご》をがちがちふるわせている。長い平べったい胴体が、頭も尾ももろともに、体あたりするように舟底を打つ。老人はぴかぴか光った頭を目がけて何度も棍棒《こんぼう》を打ちおろした。最後に魚はぶるぶるっと痙攣《けいれん》し、動かなくなってしまった。
老人は鉤を口からはずし、ふたたび鰯《いわし》の餌をつけて、綱を海中に投じた。そうして、かれはのろのろとへさきのほうへ戻っていく。左手を洗い、ズボンでふく。つぎに右手の大綱を左手に持ちかえ、今度は右手を海水で洗う。そうしながらかれは、いま海の下に沈もうとしている太陽をじっとながめていた。それから大綱の傾斜に眼をやった。
「やつ、ちっとも参っちゃいない」が、手にふれる水の抵抗感に気をつけてみると、かすかに遅くなっていることがわかった。
「オールを二つとも、ともに結びつけてやろう。そうすれば、夜になると、だいぶ速力が落ちるだろう」とかれは口に出していった、「やつ、夜になると元気が出てきやがる。おれだって夜は得意さ」
しいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]はすこしたって裂いたほうが血をむだにしないですむ。もうすこししてから料理しよう。そのとき、オールを縛りつければいい、そうすれば魚の力をそぐこともできる。しばらく魚に手をださないほうがいい。夕方はそっとしておいたほうがいいんだ。どんな魚でも、陽の沈むころは扱いにくいものだからな。
老人は手を風にあててかわかし、その手で綱を握ると、できるだけ体を楽にして、へさきに寄りかかったまま魚に引かれるにまかせた。そうしていれば、自分の労力を、いや、それ以上を、舟のほうで受けもってくれる。
どうやらこつがわかってきたぞ、とかれは思う。さしあたりこの手でいけばいい。そうだ、やつは餌《えさ》に食らいついて以来、ずっとなんにも食っていない。あの図体《ずうたい》だ、うんと食わなければたまるまい。おれは鮪《まぐろ》を一匹まるまる頂戴《ちょうだい》した。あしたはしいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]のご馳走《ちそう》だ。老人はわざとそれをスペイン語で呼んでドラドーといった。たぶんそいつを頂戴することになるだろう、ちゃんと料理してな。そりゃ、鮪よりは食いにくい。だが、そういえば、世の中に、うまい話なんてあるもんじゃない。
「おい、どうだね、ぐあいは?」老人は大声で魚に話しかける、「おれは元気だ、左手もよくなったし、食糧は今夜とあすの昼間の分と用意できているし。さあ、舟を引っ張ったり、引っ張ったり」
かれはちっとも元気よくなどなかった。背中の痛みはほとんど痛みの域をとおりこして、自分にも信じがたいほどの無感覚の状態に達していた。だが、今までにもこれより辛《つら》いことはあった、とかれは思う。今のところ右手はほんのかすり傷程度だし、左手のひっつりも癒《なお》った。脚はしゃんとしている。おまけに食糧の点では、やつよりおれのほうに分があるんだからな。
陽が沈むと、九月の海はたちまち陰ってしまう。もうすでに暗い。老人はへさきの朽ちかけた板に背をもたせかけ仰むけになりできるだけ体を楽に保っていた。いくつかの星が見えはじめた。かれは名まえを知らなかったが、じっとリゲル星に眼を注いでいた。とにかくかれにはわかっている、他の星もすぐつぎつぎに見えはじめ、やがては遠い大勢の友だちに迎えられるであろう。
「そうだ、魚だって友だちだ」とかれは大声あげていった、「こんな魚は見たことも聞いたこともない。けれど、おれはやつを殺さなければならないんだ。ありがたいことに、星は殺さなくてもいい」
考えてもみるがいい、もし人間が月を殺すために毎日あがいていなければならないとしたら、とかれは心のなかで思う、月は逃げだしちまうだろう。だが、考えてもみろ、もし万一、太陽を殺そうとして苦心|惨憺《さんたん》しなければならないとなったら、いったいどんなことが起るだろう? おれたちは幸せに生れついているんだ、とかれは思った。
すると、食うものもない大魚が、なんだかかわいそうに思えてきた。が、殺そうという決意は、けっして憐憫《れんびん》の情にうち負かされはしなかった。あれ一匹で、ずいぶん大勢の人間が腹を肥やせるものなあ、とかれは思う。けれど、その人間たちにあいつを食う値打ちがあるだろうか? あるものか。もちろん、そんな値打ちはありゃしない。あの堂々としたふるまい、あの威厳、あいつを食う値打ちのある人間なんて、ひとりだっているものか。
そう考えてくると、おれはなんにもわからなくなる。まあ、太陽や月や星を殺さなくてもいいというのは、なんといってもありがたいことさ。海をたよりに暮し、おれたちのほんとの兄弟だけを殺していれば、それでもうじゅうぶんだ。
いや、とかれは思いなおす、おれはいま、魚の力をそぐことだけ考えていればいいんだ。もちろん、一長一短さ。もしオールを舟に縛りつけて舟足を落しておけば、やつが最後のがんばりを見せて突っ走ったとき、綱をどんなにくりだしたって、とどのつまりは魚に逃げられちまうってことになりかねない。といって、舟足を軽くしておけば、おたがいの苦痛を長びかせるようなものだ。しかし、そのほうがおれにとっては安全だ、やつはまだまだ最後の力を出しきっていないんだからな。まあ、どっちにころぼうと、|しいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]《しいら》は腐らないうちに料理して、すこしでも食っておくにかぎる。体が参ってしまってはおしまいだからな。
しかし、もう一時間ぐらい、こうして息《やす》んでいよう、そしてやつがへこたれずにがんばっているあいだ、その様子を見ていよう。とものほうへ行って仕事にかかるのは、そのあとでいい。それからゆっくり肚《はら》をきめよう。もうすぐだ、やつがどう出るか、どんな変化を見せるか、いずれにせよなにかが起る。オールっていうのはいい手だ。だが、そろそろ安全第一をねらわなければいけないぞ。なにしろ、相手は大物だ。鉤がやつの口に引っかかっているのを、おれはこの眼で見とどけた。口はぴったりしめていたっけ。鉤が引っかかったってたいしたことはない。けれど腹がへったら大ごとだぞ。それに、なんだかわけのわからない事態にぶつかっているってことは、もうそれだけでたいへんなことなんだ。爺《じい》さん、いまのうちに息んでおくんだな。つぎの段どりにかかるまで、働くのはやつにまかせておいたらいい。
老人はしばらく体を息めていた、二時間くらいたったような気がする。月の出は遅かった、時間を知る手だてがない。それに、かれは本当に体を息めてはいなかった。相変らず魚の手応《てごた》えを肩で感じるようにしてはいたものの、なお左手をへさきの舷《ふなばた》にかけ、魚への抵抗感をなるべく舟全体に預けるように努めていた。
綱を縛っておいていいなら話は簡単だ、とかれは思う。だが、やつがちょっとひともぐりしようものなら、綱はいっぺんに切れてしまう。魚の引きをおれの体で調節してやって、いつでも両手で綱をくりだせるようにしておかなければならない。
「だが、お前はきのうからまだ一睡もしていないじゃないか」老人は自分に向って大声でいった、「あれから、半日、一晩、それにもう一日、眠ることもできやしない。敵があばれださないうちに、なんとかひと工夫して眠らなければだめだぞ。眠っておかないと、頭がぼうっとしてくるからな」
だが、おれはとてもはっきりしている、とかれは思った。おれの頭はすごく澄みきっている。あの兄弟分の星くらい澄んでいるんだぞ。でも、やっぱり眠らなくてはいけない。星だって眠るじゃないか、月だって太陽だって眠る、海だって、ときどき眠るんだ。潮流も騒がず、鏡のように静かになってしまう日があるじゃないか。
いいか、眠らなければだめだぞ、かれは自分にいいきかせた。綱のほうは、なんとか確実なうまい工夫をほどこしておいて、体を息めなければいけない。さあ、とものほうへ行って、しいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]を料理しろ。もし眠るなら、オールをともに結びつけにするなんて危険だぞ。
いや、おれは眠らなくても平気だ、かれは自分に向っていった。だが、このまま押しとおすというのもずいぶん危険な話だ。
かれは魚に刺激を与えないように用心しながら、手と膝《ひざ》で這《は》って、とものほうへ移動しはじめた。ひょっとすると、やつも半分眠っているのかもしれない、かれはふとそう思った。休ませてはいけない。お前は死ぬまで引きつづけるんだ。
ともへ戻ってから、かれは肩ごしに左手で綱をつかむようにし、右手でナイフをとりだした。いつのまにか空には星が一面に輝いていた。しいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]の形がはっきり見える。
かれはその頭にナイフの刃を突きさし、ともから引きずりだした。それを片足でおさえ、肛門《こうもん》から|下あご[#「にくづき+咢」、第三水準1-90-51]《したあご》の先にかけて、さっとナイフを走らせる。それから、ナイフを下におき右手で腸《はらわた》をつかみだして中をきれいにし、鰓《えら》を抜きとる。胃がばかに重くて、手からすべり落ちそうだ。かれはそれを裂いてみた。なかから飛魚が二匹出てきた。新しくて身がしまっている。かれはそれを脇《わき》へ並べておいて、しいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]の臓物と鰓を舷ごしに投げすてた。それが燐光《りんこう》を発して尾を引くように水のなかに沈んでいく。しいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]は冷たく、星の光に照らしだされて、醜い灰白色になっている。老人は右足で魚の頭をおさえ、片側の皮を剥《は》がした。さらにそれを裏がえしにして、反対側の皮を剥がし、その両側を頭から尾まで二つに切り離した。
つぎに骨を水中に投げこみ、渦巻ができるかどうかながめる。が、それはただほのかな光を発しながらゆっくり沈んでいくのが見えるだけだ。それからしいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]の二枚の肉きれのあいだに飛魚をはさみ、ナイフをさやにおさめて、のろのろとへさきのほうへ戻っていった。綱の重みで背が曲っている。右手には魚があった。
老人はへさきに戻り、しいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]の肉きれを板の上に並べ、そのそばに飛魚を置いた。そうしておいてから、肩の綱の位置を整え、舷にもたせかけた左手でそれをしっかり握りしめた。かれは舷に乗りだして飛魚を洗いながら、手に感じる水の速力を測っていた。しいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]の皮をはいだ手が燐光を発している。かれはそれにからみつく水の流れをじっと見つめていた。いくぶん勢いが落ちたようだ。舷の外板に手をこすりつけると、燐がはげ落ちて水面に浮び、とものほうにゆっくり流れていく。
「やっこさん、疲れたとみえる、それともひと休みしているのかな」と老人はつぶやいた、「さて、おれもしいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]でも食って、ひと寝入りするか」
星空の下で、だんだん募っていく夜の冷気を肌に感じながら、かれはしいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]の薄い肉きれを半分ばかり食べ、さらに飛魚のはらわたを抜き頭を切り落して、一匹だけ食べた。
「ちゃんと料理して食えば、しいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]ってやつはとてもうまい魚なんだが」とかれはいった、「だが、なまで食うとなると、まったく食えたものじゃない。これから沖に出るときには、塩かライムを持ってくることにしよう」
すこし知恵を働かせれば、へさきの板に海水をまいてかわかす手があったんだ。そうすりゃ塩がとれたのに、とかれは思う。だが、おれがしいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]を釣りあげたのは、ほとんど日が落ちてからだった。とはいえ、用意がたりなかったよ。まあ、いいや、とにかく腹におさまったし、べつに嘔《は》き気もこないからな。
東のほうが曇りはじめる、かれの知っている星がひとつひとつ消えていった。まるで雲の大渓谷に向って舟を乗りいれようとしているみたいだ。風はすっかり落ちてしまった。
「こりゃあ、三、四日すると天気が悪くなるぞ」とかれはいった、「今晩は大丈夫だ、あしたもまだいい。さあ、爺さん、寝る用意をした。魚が静かに落ちついているうちにひと眠りしておくこった」
かれは右手で綱をしっかり握りしめ、その上に腿《もも》をのせ、全身の重みをへさきの板にゆだねるようにした。さらに肩の綱をすこしずらせて、それに左手をかけた。
こうしているかぎり、おれの右手は綱を離さないだろう、かれはそう思う。もし眠っているあいだに右手の力がゆるんだとしても、綱が引っ張られれば、すぐ左手にひびき、眼がさめるはずだ。腿の下の右手がちょっと辛い。だが、右手はいじめられることに馴《な》れている。二十分や三十分は平気だ。かれは右手に全身の重量をかけ、自分の体が綱のおもしになるようにして身をかがめ、やっとまどろみはじめた。
夢のなかにライオンは現われなかった。そのかわり海豚《いるか》の大群が八マイルから十マイルの海面を蔽《おお》っていた。ちょうど交尾期らしい。それらが水面高く跳ねあがるのだが、それぞれがみんなとびだしてきたおなじ穴にもぐりこんでいく。
老人はまた、村の夢を見た。自分のベッドに寝ている。北風が吹いている。とても寒い。腕枕《うでまくら》をしていたので、右腕がしびれている。
そのあとで広々とした黄色い砂浜が現われた。そこへライオンが出てくる。まず先頭の一匹が姿を現わし、たそがれのほの暗いなかをおりてきた。そのあとを何匹かが続いておりてくる。かれはへさきに頤《あご》をのせて、それをながめていた。舟はそこに錨《いかり》をおろしたまま、沖に向って吹く夕暮の微風になぶられている。かれはもっとライオンが出てくるかもしれないと待ち望みながら、大いに楽しんでいた。
月が昇ってから、もうだいぶたっていたが、老人はまだ眠っている。魚は相変らず悠々《ゆうゆう》と泳いでいた。舟は雲のトンネルのなかにすべりこんでいく。
老人は突然、眼がさめた。右手の拳《こぶし》がぐいと引っ張られ顔にぶつかったかとおもうと、綱がどんどん流れ出ていく。右の掌《てのひら》が燃えるように痛い。左の手にはなんの感じもない。かれは右手に全力を集中して、綱を食いとめようとする。が、綱はものすごい勢いですべっていく。やっと左手が綱を探りあてる、かれは、綱に背をもたせかけた。今度は背中と左手とがかっと燃えあがる。おもわず左手に力がはいったので、掌にひどい傷ができてしまった。かれは控えの巻綱のほうを見かえる。それは片端から順調に流れ出ていく。ちょうどそのときだ、魚がものすごい音をたてて海上に跳ねあがった。つづいて水の上に落ちる大きな音がきこえる。それから魚は何度も何度も跳ねあがった。舟はすさまじい勢いで引きずりまわされる。しかし綱は依然としてどんどん流れていった。老人はそれがあやうく切れそうな瞬間までおさえては、つと放してやる。そんなことを何度も何度もくりかえした。かれはいま、へさきに引きずり倒されたままがんばっている。顔がしいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]の肉きれの上に押しつけられていた。が、動くこともできない。
おたがい、こうなるのを待っていたんだ、とかれは思う。さあ、いこうぜ。
綱のお代は頂戴《ちょうだい》するぞ。いいか、ちゃんとお代はもらうぞ。
魚の跳ねあがる姿は見えない、海が裂ける音と、落ちたときの鈍い水音とがきこえてくるだけだ。綱で掌をやられた。だが、そんなことは当然予期していたことだ。かれは綱を操り、それが掌のたこのように硬くなっている部分に当るようにし、掌の柔らかいところに食いこまないように、そして指を傷つけないように注意していた。
あの子がいれば、巻綱をぬらしてくれるんだがなあ。そうだ、あの子がいてくれたら、あの子がいてくれたら。
綱はつぎからつぎへとすべっていく。が、だんだん速度が落ちてきた。かれはそれを魚がすこしずつたぐりこむようにあやす。こうしていくぶん落ちつくと、老人はそれまで頬の下に押しつぶしていた肉きれから、そっと頭をもたげた。それからひざまずき、用心ぶかく立ちあがる。相変らず綱をくりだしてはいたが、それもだいぶゆっくりしてきた。そうしながら、巻綱の置いてあるところにすり寄っていく、見えないので、足でさわれるようにしておきたいのだ。まだたくさん残っている。魚のやつ、もぐったままこれを全部引っ張りまわさなければならないんだぞ。
そうだ、とかれは思う。それに、いま、やつは十何回も跳ねあがった、浮袋を空気でいっぱいにしてさ。引きあげられないほど深くもぐって死なれちゃかなわないが、こうなりゃ大丈夫だ。もうすぐぐるぐる回りをはじめるぞ。そうなったら、いよいよこっちの番だ。それにしても、やつ、なんだって急にあばれはじめたんだろう? 腹がへって、どうにもたまらなくなってしまったのかな? それとも闇《やみ》につつまれて、なにかにおびえたのだろうか? きっと、急に恐怖を感じたにちがいない。けれど、これほど落ちつきはらった強い魚だ、恐怖なんて感じそうもない。自信たっぷりじゃないか。まったくふしぎな話だ。
「爺さん、お前だって、なにもこわがることはない、自信を持ったらいいんだ」かれは口に出してそういった、「魚はまたお前のものになったじゃないか。引けないけどな。いや、大丈夫、やつ、もうじきぐるぐる回りをはじめるだろう」
老人は左手と肩で魚を御しながら、そっと腰をかがめ、右手で水を掬《すく》って、ひしゃげたしいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]の肉を顔から洗い落した。そのままにしておくと、嘔き気がくるかもしれない。吐いて体力を失うことがいまはなによりも恐ろしい。かれは顔を洗ってしまうと、今度は右手を舷のそとに垂らしてゆすいだ。手はそのまま塩水のなかにつけておく。そうしながら、白んできた東の空をじっとながめていた。魚のやつ、東に向っているな、とかれはおもう。疲れてきた証拠だ、潮と一緒に流れている。もうじきぐるぐる回りをはじめるだろう。おたがい、仕事はそれからだ。
右手は長いこと水につかっていた。もうそろそろいいだろう、かれは水から手をだして調べる。「よかろう」とかれはいった、「第一、痛みなんて、人間にとっちゃたいしたことじゃないからな」
そういいながら、さっきの傷にさわらないように注意して綱を持ちなおし、今度は体の重みを移して、反対側の舷から左手を海中にひたす。
「けちがついたわりには、お前も、まあ、よくやったさ」とかれは左手に向っていう、「でも、一時はお前の気ごころがわからなくなってしまったぞ」
おれはなぜ両手が利《き》くように生れてこなかったんだろう、とかれは思う。片方を使わないでおいたのがおれのまちがいなんだ。しかし左手も使えるなんて、ちょっと気がつかないからな。まあいい、夜どおし、けっこうやってきたじゃないか。きのう一度つっただけだ。もしまたつったら、綱に切り落させるぞ。
そう思ったとき、老人は、これは意識がすこし怪しくなってきたなと気づいた。|しいら[#「魚+暑」、第四水準2-93-87]《しいら》をもっと食わなければいけない。そう思った。いや、とても食えない、かれは自分で自分にいいきかせた。嘔き気のために体力を弱らせるよりは、目まいのほうが、よっぽどましだ。顔にあの肉が。へばりついてからというもの、食ったらとても嘔き気をおさえきれないことはわかっている。たとえ腐らしても、よくよくのときまでとっておこう。いや、そうなったら、食って体に力をつけようったって、もうどうにもならないじゃないか。どうかしているな、お前は、かれはそう自分にいいきかせた。まだ飛魚があるじゃないか、それを食ったらいい。
飛魚はそこにあった。きれいに洗って、すぐ食べられるようになっている。かれはそれを左手でつまみあげ、口に入れる。骨ごと注意ぶかく噛《か》みくだき、尻尾《しっぽ》までまるごと食べてしまった。
飛魚ってやつは、どんな魚よりも栄養があるんだ。いまのおれに必要な養分ぐらいはな。さてと、これでもうできるだけの手はうった。やつ、ぐるぐる回りがしたければ、いつでもはじめるがいい。いよいよ戦闘開始だ。
老人が海に乗りだして以来、三度目の太陽が昇る、そのころになって魚はようやく輪を描いて回りはじめた。
最初のうち、綱の傾きぐあいでは、魚が輪を描きはじめたとは受けとれなかった。どうもまだ早すぎると思っていた。が、老人は、ふと、綱がかすかにゆるむ手応《てごた》えを感じたので、右手でそっとたぐりはじめた。相変らず強い。が、いまにも切れそうに思われた瞬間、綱はふっとゆるみはじめる。老人は肩と首から綱をはずし、ゆっくりと正確にたぐっていった。両手を左右に振るようにして、上体と脚に全力をかけ、できるだけ大きく引こうとした。老いた脚と肩とが、ちょうどその軸になっている。
「ずいぶん大きな輪だ」と老人はいった、「でも、たしかに回っている」
が、一時はゆるんだ綱も、すぐ引けなくなってしまった。老人はただ手を握りしめたまま、滴《しずく》が綱から飛び散り、朝日を受けてきらきら輝くのをじっとながめているだけだ。すると急に綱が強い勢いで手もとから流れだした。老人は膝をつき、それが黒々とした水のなかに戻っていくのを、くやしそうに見おくっていた。
「やつ、いま輪のいちばん向うはしにさしかかったところだな」とかれはつぶやいた。できるだけ引きしめてやろう。そうすれば、輪はだんだん小さくなる。たぶん一時間もすれば、やっこさんの姿が拝めるにちがいない。そしたら、思い知らせてくれるぞ、きっと殺してやるからな。
しかし魚は依然として悠々と輪を描いている。老人の体は汗でびっしょりぬれてしまった。二時間後には疲労が骨の髄までしみわたった。だが、輪はだいぶ小さくなっている。綱の傾きぐあいから、魚がすこしずつ海面に浮きあがってくるのがわかった。
一時間ばかり前から、眼の前に黒い斑点《はんてん》が見えはじめた。汗の塩分が眼のなかに流れこみ、眼のふちと額の傷をひたす。老人は黒い斑点などを恐れない。こんなに力をいれて綱を引いていれば、黒い斑点くらい、あたりまえだろう。だが、これで二度、気を失いかけた。くらくらっと目まいがする。老人もこれには弱った。
「こんなざまで魚と心中してたまるものか」とかれはいった、「とにかく、ここまで見事やつをたぐり寄せたんだ、なんとしてでもがんばらなければ。『われらの父』と『アヴェ・マリア』のお祈りを百回ずつ唱えてもいい。でも、いまはだめだ、お祈りなんかしちゃいられない」
お祈りは唱えたことにしておこう。あとで唱えればいい。
突然、そのとき、両手でつかんでいた綱が今までにない強さで引っ張られた。猛烈な勢いで、ぐんときた。
あの槍《やり》のような口で鉤素《はりす》にぶつかってきたんだな。そうだ、そう来るだろうと思った。やつ、いずれはそうせずにはいられないのさ。だが、そうなると跳ねあがるかもしれないぞ、もうしばらくぐるぐる回っていてもらいたいんだがな。やつ、空気がほしくて、どうしたって跳ねあがらずにはいられないんだろう。でも、そのたびに口の傷が大きくなる。鉤《かぎ》を吐きだしちまうかもしれないぞ。
「おい、跳ねちゃいけない、跳ねるんじゃないぞ」
魚はその後も数回、鉤素にぶつかってきた。そのたびに老人は綱をすこしずつほぐしてやる。
やつの痛みをなんとかしてこの程度でくいとめてやらなければならない、とかれは考える。おれの痛みなんか問題じゃない。おれは自分で我慢できる。けれど、やつは痛みのために、どんなにあばれまわるか知れたものじゃない。
そのうち魚は鉤素にぶつかってこなくなった。ふたたびゆるやかな輪を描いて泳ぎはじめた。老人はじっくりと、すこしずつ綱をたぐっていく。が、また気が遠くなりそうになる。左手で海水を掬って頭を湿した。二、三度そうして、今度は項《うなじ》をきゅっきゅっとこする。
「もうひっつりはなくなった」かれは声に出していう、「そろそろ、やつもあがってくるだろう。おれは最後までつきあえるぞ。いいか、お前、最後までやるんだぞ、いや、もうそんなことは口にも出すな」
老人はへさきに膝をつき、ひとまず、背中に綱を引っかける。やつが遠くへ向っているあいだ、ひと休みしよう。近づいてきたら、いよいよ仕事にかかるとするか。かれはそう肚《はら》をきめた。
へさきに体を息《やす》めて、綱をたぐらずに、魚を自由に泳ぎまわらしていると、とても楽でいつまでもそうしていたい気持ちに誘われる。が、綱の張りぐあいから、魚が舟のほうにひっかえしてきていることはあきらかだ。その気配《けわい》を察すると、老人はすっくと立ちあがり、自分の体を回転の軸にしながら、機《はた》を織るようなしぐさで、どんどん綱を手もとにたぐりこみはじめた。
こんなに疲れたことはない、かれはそう思った。貿易風が吹いてきたな。やつをとりこにするにはもってこいの風だ。待ってましたってところさ。
「やつが、このつぎ遠くへ向いはじめたら、休んでやろう」とかれはつぶやく、「気分はだいぶ良くなった。この調子じゃ、もう二、三回回ったら、ものにできそうだぞ」
老人の麦藁《むぎわら》帽子は後頭部のところにずりおちている。ふたたび輪を描いて遠のく魚の手応えを感じたとき、かれはへさきに腰をおろした。
だいぶご活躍だな。ひっかえしてきたところで、ひとつ、おあがりいただこうか。
海面はかなり波だってきた。だが、これは頼みになる風だ。これがなければ老人はひっかえせない。
「船を南西に向けよう」とかれはいった、「海じゃ迷子になりっこない、キューバは長い島だからな」
魚が三たび輪を描きはじめたとき、かれははじめて魚の姿を認めた。
最初は黒い影のように見えた。それが舟の下を通りすぎるとき、とても信じられないほど長くかかった。
「いいや」とかれは声に出していった、「そんなに大きいはずはない」
が、魚はそんなに大きかったのだ。この輪を描き終るころ、魚は舟から三十ヤードばかり離れた水面に姿を現わした。老人は水の上にとびだしている尾を認めた。薄い紫色の尾は、大鎌《おおがま》の刃よりも高く、濃青色の海面にそそりたっている。それがいくぶんうしろに傾いていた。背は水面すれすれに浮きあがっている。その巨大な胴体と、それをとりまいている紫色の縞《しま》とが、老人の眼にはっきりと見てとれた。背びれはたたまれており、大きな胸びれは左右に広く開いていた。
そして今度はじめて、老人は相手の眼をまともに見ることができた。それに、二匹の灰色の小判鮫《こばんざめ》が、連れそうように泳ぎまわっている。吸い着いたり離れたりしながらあとを追いかけ、ときには、大魚の影のなかに、つと泳ぎいる。両方とも三フィートばかりの長さだが、まるで鰻《うなぎ》のように全身をくねらせて泳いでいる。
老人は玉のような汗を流している。あながち太陽のためばかりではない。魚が穏やかにゆっくりひっかえしてくるたびに、かれは綱を手もとにたぐりよせていた。もうふた回りもすれば、銛《もり》が打ちこめる距離になるだろう。
だが、おれはやつを、できるだけこっちへ引寄せるようにしなければいけない、かれは心のうちでそう思う、頭なんかねらうんじゃないぞ、心臓をぐさりとやっつけるんだ。
「落ちつけ、元気を出すんだ、爺《じい》さん」とかれは自分に向っていった。
そのつぎの輪で、魚は背を水面に出してしまった。だが、まだ舟からは遠い。つぎのときでもまだ遠すぎた、しかし胴がだいぶ水の上に浮きあがっている。もうすこし綱をたぐれば大丈夫だと老人は思った。
銛の用意はもうとうにできている。それには軽い綱がとりつけてあり、ぐるぐる巻きにして円い籠《かご》のなかにしまってあるが、さらにその端はへさきの繋柱《つなぎばしら》に結びつけてあった。
魚は輪を描きながらだんだん近寄ってきた。それは、もの静かで美しく見える。大きな尾だけがゆれ動いていた。老人は手もとに引寄せようとして全力をあげている。瞬間、魚はぐらりと横腹を見せた。が、すぐ立ちなおって、ふたたび輪を描きはじめる。
「おれはやつを動かした」と老人は声をあげた、「とうとう動かしたぞ」
が、またもや老人は気を失いかけた、が、全力をふりしぼるようにして大魚にしがみついている。おれはやつを動かした、今度こそ倒してやるぞ。手よ、どんどん綱を引いてくれ。脚よ、しゃんとしろ。頭よ、頼むから最後までしっかりがんばってくれ、いいか。しっかりしていてくれよ。いままでがんばってくれたのだからな。今度こそ、ひっくりかえしてやるぞ。
しかし、老人が全身の力を集中し、魚が舟のそばに来る前に、全力をだして引きはじめると、魚はそれに抵抗し、陣をたてなおすようにして、老人から逃げはじめた。
「待て」と老人はいった、「お前はけっきょく死ななきゃならん運命なんだぞ。いや、お前のほうだって、おれを殺さなきゃならないというのか?」
そうしようたって、どうにもなりはしないぞ、とかれは思った。口がかわききってしまって声に出ない。が、もう瓶の水に手を伸ばすこともできなかった。今度こそ、やつを舟に横づけにしてみせる、とかれは心のなかで思う。そう何回もぐるぐる回りされちゃ、こっちがもたない。いや、そんなことはない、と自分で自分にいいきかす、お前は永久に大丈夫だ。
つぎの輪を描きはじめたとき、かれは魚をほとんど物にしたとおもった。だが、魚はふたたび立ちなおり、ゆっくりと逃げていく。
お前はおれを殺す気だな、老人は心のうちで思った。なるほどその権利はある。おい、兄弟、おれはいままでに、お前ほど大きなやつを見たことがない。お前ほど美しいやつも、お前ほど落ちついた気高いやつも見たことがないんだ。さあ、殺せ、どっちがどっちを殺そうとかまうこたない。
いけない、頭がぼうっとしてきたな、と老人は思う。頭をはっきりさせておかなければだめだ。しゃんとして、人間らしく苦痛を受けいれろ。いや、魚らしくかな、とかれは思った。
「頭よ、しゃんとしろ」老人は自分でもききとれぬほどの声でいった、「しゃんとするんだ」
さらに二度、魚は輪を描いたが、そのたびにおなじことが起る。
どうしたんだろう、と老人は思う。かれはそのたびに気を失いかけるのだ。どうしたんだろう、わからない。だが、もう一度、今度こそやるぞ。
かれはもう一度こころみる。が、魚をひっくりかえしたと思った瞬間、またもや気が遠くなる。魚はふたたび立ちなおり、大きな尾を水の上にくねらせて、ゆっくりと逃げていく。
もう一度、と老人は心に誓う。が、掌《てのひら》はすっかりくずれてしまった。目まいがして、ときどきふうっとあたりが見えなくなる。
かれはもう一度やってのけようとした。やはりおなじことだった。よし、それなら、とかれは思う、が、力をいれようとすると、ふたたび気を失いそうになるのだ。よし、もう一度やってみるんだ。
老人は残っている最後の力をしぼりだし、遠く去った昔の誇りを喚《よ》びもどそうとする。そしてそれを魚の死の苦しみに向って投げつける。魚はやっとかれのほうに泳ぎ寄ってくる。ゆっくりと近づいてくる。くちばしが舷《ふなばた》の外板にふれそうだ。それがあやうく舟のそばを通りすぎようとした。胴体はあくまで長く、厚く、広い。銀色に輝き、紫色の縞をめぐらし、水中にはてしないひろがりを感じさせる。
老人は綱を放し、片足でそれをおさえたかとおもうと、銛を思いきり振りあげ、全身の力をこめて、しかもそれまで身うちに残していた以上の力をこめて、それをぐさりと魚の横腹に突きたてた。ちょうど胸びれのうしろあたりだった。そこが老人の胸くらいの高さに浮きあがっていたのだ。とがった鉄の棒が魚の体にもぐりこむ手応えが感じられた。かれはそれに蔽《おお》いかぶさり、全身を預けて相手の胴体ふかくぐいぐい突っこんでいった。
魚は死の傷手《いたで》を負って、急に生気を吹きかえしたかのように見える。いまや水面高く全身を現わし、その力と美とを惜しげもなく見せつける。一瞬、舟のなかに立っている老人よりも高く身をのけぞらしたかとおもうと、つぎの瞬間には、水中に姿を没してしまった。ばしゃんという音とともに、しぶきが老人の上に、そして舟いっぱいに落ちかかってきた。
老人は気を失いかけ、胸のあたりがいやな気持ちになる。眼がかすんでよく見えない。しかも、かれは銛の綱を、傷だらけのすりむけた手で加減しながらくりだしていた。やっと眼が見えはじめる。ふと見ると、魚が海面に銀色の腹をだして仰向けに浮んでいた。銛の柄が肩に斜めに突きささっている。海は、心臓から吹きだす血のために、あたり一面、真っ赤に染まっていた。深さ一マイルをこえる海の青さを背景に、それは最初、魚の大群が押し寄せたように黒ずんで見えたが、まもなく雲のようにあたりへひろがっていく。そのなかに魚は銀色の腹を見せて、静かに波のまにまに漂っていた。
老人は自分の見たものを、なおたしかめるようにまじまじと見つめる。それから銛綱を二巻き分ほどへさきの繋柱に巻きつけ、頭を両手でかかえこんだ。
「頭をはっきりさせとかなければ」かれはへさきにもたれかかりながらつぶやく、「おれは老いぼれ爺《じじい》さ。だが、この兄弟分の魚をやっつけたんだぞ。さあ、これから、下司《げす》の仕事にかかるか」
さて、やつを舟に縛りつけるために、輪索《わなわ》と綱の用意をしなければならないぞ。たとえお客様はひとりでも、こいつを舟に乗せて水浸しにしたんじゃ、いくら水をかい出したところで、てんでむりだ。この小舟じゃ、とてもやつを運ぶことはできない。とにかく用意だ。やつをたぐり寄せて、舟に縛りつけ、帆をたてて、ひっかえすことにしよう。
かれは綱を引きはじめる。魚を舷側《げんそく》に横づけにして、鰓《えら》から口に綱を通し、頭をへさきにくくりつけにするつもりだった。この眼ではっきり見ておきたい、さわってたしかめたい、かれはそう思った。やつはおれの運命だ、かれはなおも考えつづける。だがおれがさわってみたいというのは、そのためじゃない。おれはたしかにやつの心臓にさわった。銛をぐいぐい突っこんだときにな。さあ、いまこそ、やつを引きずり寄せて、尻尾《しっぽ》と腹に輪索をかけ、舟にくくりつけてやるがいい。
「爺さん、さあ仕事にかかった」そういうと、かれは水をひと口飲んだ。「戦闘が終ったら、あとは下司の仕事がうんとこさ待っている」
老人は空をながめ、それから魚に眼をやった。今度は太陽のほうをそっとうかがう。昼をたいして過ぎていないな、と思う。それに貿易風が吹いている。もう綱もいらない。家に帰ったら、あの子と二人で継ぎあわそう。
「さあ、来い」かれは魚に向ってどなった。が、魚はもう来はしない。ごろっと仰向けになったまま波間に浮んでいる。老人は舟をそのほうへ漕《こ》ぎ寄せた。
舟を魚の胴体につけ、その頭をへさきごしにながめながらも、なおかれにはその大きさが信じられない。かれは銛綱を繋柱からはずし、右の鰓から|あご[#「にくづき+咢」、第三水準1-90-51]《あご》にさしとおし、とがったくちばしを一巻きして、さらにそれを左側の鰓にとおし、もう一度、口に引っかけ、その端を右の鰓から出ている綱と結びあわせて、へさきの繋柱に固く縛りつけた。つぎに綱を切りとって輪索をつくり、それを尻尾に引っかけるために、とものほうに歩み寄った。魚の肌はもとの紫と銀色がさめて、ほとんど銀一色になっている。縞は尻尾とおなじあせた菫色《すみれいろ》を呈していた。その縞の幅が、指をいっぱいにひろげた人間の手ぐらいある。眼は、潜望鏡の反射鏡のように、あるいは儀式にのぞんだ聖僧のように、妙によそよそしい。
「やつをやっつけるにはこの手しかなかったんだ」老人はいった。水を飲んでからだいぶ元気が出たらしい。もう気を失うこともあるまい。頭がはっきりしてきた。こいつ、見たところ、千五百ポンドはこえるという代物《しろもの》だ。ひょっとすると、もっとかかるかもしれない。三分の二とれるとして、一ポンド三十セントで売ると、いくらになるかな?
「鉛筆がなくちゃだめだ。まだ頭が変だぞ。しかし、きょうのおれには大ディマジオだって頭をさげるだろうな。そりゃ、踵《かかと》はなんでもないさ。けど、手と背中の傷はひどかった」骨の蹴爪《けづめ》ってどんなものなんだろう、と老人は考えこむ。自分じゃ気がつかないけど、たぶん、おれたちにもあるのかもしれない。
かれは魚を、へさき、とも、そして中央の横木にくくりつける。あまり大きいので、もう一|隻《せき》べつの舟をとりつけたように見える。かれは綱を切って魚の下あご[#「にくづき+咢」、第三水準1-90-51]をくちばしに縛りつけ、口が開かないようにした。これなら一緒に気持ちよく舟旅ができるだろう。それから老人はマストをたて、魚鉤《やす》に使っていた棒と間にあわせの下桁《しもげた》に継ぎはぎだらけの帆をはる、こうしてどうやら舟はすべりはじめた。老人はともになかば寝そべったまま、へさきを南西に向けた。
コンパスなどなくても、老人には方角がわかった。貿易風が吹いていたし、帆のはらみかたを見ればすぐわかる。そうだ、おびき針をつけて綱を垂らしておいたほうがいい。なにか食わなければならないからな。それに湿り気がほしい。が、おびき針は見つからなかった。鰯《いわし》もすっかり腐ってしまっていた。しかたがないので、かれは近くを流れていた黄色い海藻を一かたまり魚鉤に引っかけて掬《すく》いあげる。それを振ると、小海老《こえび》が舟底にぱらぱら落ちた。一ダース以上もある。とびむし[#「とびむし」に傍点]のようにとんだり跳ねたりしている。老人は拇指《おやゆび》と人差し指とで頭をもぎとり、殻ごと尻尾まで噛《か》みくだいて食べた。小さいけれども、うまくて栄養があることを老人は知っている。
瓶のなかには水がまだ二口くらい残っていた。老人は小海老を食ったあとで、その水を半口くらい飲みほした。小舟は大荷物を背負わされているわりによく走った。老人は舵《かじ》の柄を小脇《こわき》にだきかかえている。そこから魚の姿はよく見えた。これはほんとうに起ったことなのだ。けっして夢ではない。もしそれがたしかめたいならば、かれは自分の手をながめ、ともに寄りかかっている背の感触を意識すればいいのだ。最後のもう一息というとき、かれは何度も気を失いそうになり、一度はこれはきっと夢にちがいないとまで思ったものだ。というのは、魚が水から飛びだしてきて、中空にかかったまま動かなくなってしまったからだ。これはとんでもない奇蹟《きせき》が起っているんだ、かれはそう思いこんでしまった。が、かれにはどうしてもそれが信じられなかった。そのときのかれは眼がよく見えなかったのだが、いまは前とおなじようによく見える。
いまのかれには、なにもかもよくわかっている。魚はたしかにそこにある。両手と背中の傷は夢ではない。手の傷はすぐ癒《なお》る。かれは心の底で考えていた。血はもうとまった。あとは塩水が癒してくれるだろう。この湾の黒々とした潮の水は一番いい薬なんだ。いまおれのしなければならないことは、頭をはっきりさせておくことだ。手の仕事は終った。おれたちは無事に港に向っている。見ろ、やつは口をぴったり閉じ、尾をまっすぐに立てている。こうしておれたちは兄弟のように仲よく港へ帰っていくのだ。そこまで考えたとき、老人の頭はちょっと濁りはじめた。かれはこんなふうに考える、やつがおれを運んでいくのか、おれがやつを運んでいくのか? もしおれがやつをひきずっているなら問題はない。いや、魚が舟のなかにいるなら、そしてあの威厳のかげもとどめず、ぶざまにのびているなら、やっぱり問題はない。だが、かれらは、舟と魚とは、いま、おたがいに仲よく縛りつけられたままで、海の上を走っているのだ。老人は考えつづける。やつがおれを運んでいくんだというなら、それでもいいさ。おれのほうがいろいろ手を知っているから、まだやつよりましだ。それに、やつはおれに敵意をもっていないからな。
かれらは順調に航海をつづけた。老人は手を塩水にひたし、そして頭をはっきりさせておこうと努めていた。空高く積雲が見える。その上に薄い巻雲《けんうん》が見える。この分では夜どおし風は落ちないだろう、と老人は思った。なお、かれは、夢でないことをたしかめるように、始終魚のほうに眼を注いでいた。最初の鮫《さめ》の襲撃が起ったのは、それから一時間のちのことだった。
が、それは偶然ではない。あのどす黒い血の雲が動かなくなって、一マイルもある海底に静かに散っていったとき、その深い水の底から鮫はすでにあとをつけていたのだ。それはものすごい速さでなんの用心もなく海面に浮びあがってきて、うっかり青い水を割って外に姿をのぞかせたかとおもうと、ふたたび水の下に隠れ、血の匂《にお》いをたよりに舟のたどった航路をつけはじめた。
鮫はときどき匂いを見失った。が、すぐそのあとを見いだし、執拗《しつよう》に追ってくる。それは青鮫の大きなやつで、いかにも泳ぎいい姿態をもっていた。海中のどんな魚も速さということではこれにかなわない。のみならず、あご[#「にくづき+咢」、第三水準1-90-51]以外は一点非のうちどころのない美しさだ。背はかじき[#「かじき」に傍点]のように真っ青で、銀色の腹をしている。肌はなめらかできれいだった。大きなあご[#「にくづき+咢」、第三水準1-90-51]以外は一般のかじき[#「かじき」に傍点]類とおなじ形をしている。いま、そのあご[#「にくづき+咢」、第三水準1-90-51]は固くとざされ、高めの背びれは微動だにせず、ナイフのように水を切って、海面すれすれのところを、獲物を目ざしていちずに迫ってくる。二重になった唇の内側には、歯が八列、内部に向って並んでいる。それらはふつうの鮫のピラミッド型をした歯とはちがう。物を鷲《わし》づかみにしようとするときの人間の指そっくりだ。長さは老人の指とおなじくらいあり、どの歯も両側が剃刀《かみそり》のように鋭くとがっている。海中の魚という魚をかたはしから食い荒すために造られた魚がこれだ。速さといい、強さといい、完全な武装といい、この魚にかなうものは一匹もいない。そいつが、いま、より新鮮な匂いを求めて追いかけてきたのだ。青い背びれが水を切っている。
老人はその影を認めるや、すぐそれが鮫であることを知った。やつこそは、この海でなにひとつ恐れるものをもたない。そして自分の欲することだけは確実にやってのけるのだ。老人は鮫が近づくのを見まもりながら、銛《もり》をとりあげ、銛綱を結びつけた。が、すでに魚を縛るために切ってしまったので綱はいかにも短かった。
いま、老人の頭は澄みきっていた。全身に決意がみなぎっている。が、希望はほとんど持っていなかった。いいことってものは長続きしないもんだ、とかれは思っていた。鮫が近づくのを見まもりながら、大魚のほうにちらりと一瞥《いちべつ》をくれる。夢だったほうが、よっぽどましだ。あいつにあきらめさすなんて、できない相談だ。だが、まあなんとかやってのけよう。デンツーソめ、ええい、畜生!
鮫はすばやくともに追った。それが大魚に突きかかってきたとき、老人の眼には、ぱっくり開いた口が見えた。不気味な眼玉が光っている。大魚の尾に近い肉に食らいついたとき、その歯ががぶりっという音をたてた。鮫は頭を水の上に突きだし、さらに背中までむきだしにして襲いかかってくる。襲われた魚の皮と肉がみりみりと裂ける音がきこえた。が、老人はすかさずその頭をめがけて、両眼を結ぶ線と鼻から背に伸びている線とが交わる一点に、銛の先を突きさした。もちろん、そんな線などありはしない。ただ、がっしりとがった青い頭と、大きな眼玉と、それからあらゆるものを飲みこんでしまう、突き出た、がちがちいうあご[#「にくづき+咢」、第三水準1-90-51]があるだけだ。だが、その下に脳みそがある。老人はあやまたず、そこを打った。血にまみれた手に銛を握って、全力をあげて突きさしたのだ。希望などは微塵《みじん》もない。あるのはただ決意と、そしてまったき敵意だけだった。
鮫は胴体をぐるっと一転させた。その眼がもう生きていないことを、老人はすぐ見てとった。鮫はもう一回転した。すると、その拍子に綱がふた巻き胴にからみついた。とうとう参ったな、と老人は思う。が、鮫は自分の死を受けいれようとしない。仰向けに腹をのぞかせ、尻尾で水を打ち、あご[#「にくづき+咢」、第三水準1-90-51]をがりがりいわせながら、スピード・ボートのように波をかきたてて、水面をすべっていく。そのあとには水が真っ白に尾を引いている。全身の四分の三は水の上にとびだし、綱がそれに引っ張られてふるえる。あっ、と思う間もなく、老人は綱をとられてしまった。鮫はしばらく海面に浮いていた。老人はそれをじっと見まもっている。やがて、鮫はゆらゆらと沈んでいった。
「きゃつ、四十ポンドぐらい盗みやがった」老人は大声でどなった。それに銛と、銛綱をみんな持っていっちまいやがった。おれの魚から、また血が流れだした。そいつがまたべつの鮫を呼びだすだろう。
老人はもはや片端《かたわ》になった魚を見るに忍びなかった。魚がやられたとき、かれは自分の身がえぐられる苦痛を感じた。
だが、おれはおれの大事な魚のしかえしに、鮫をうち殺してやったのだ。畜生、いままで見たこともないでっかいデンツーソだった。でかいやつはけっこう見なれてきたおれだがな。
いいことは長続きしないものだ、とかれは思った。これが夢だったらよかったのに、いまとなってはそう思う、魚なんか釣れないほうがよかった。そしてひとりベッドで新聞紙の上に寝ころがっていたほうがずっとましだった。
「けれど、人間は負けるように造られてはいないんだ」とかれは声に出していった、「そりゃ、人間は殺されるかもしれない、けれど負けはしないんだぞ」それにしても、かわいそうなことをした、おれは魚を殺してしまったんだ、とかれは心のうちで考えた。いや、それどころじゃない、お前は窮地に追いこまれてしまった。そうだ、もう銛もない。デンツーソは残酷で抜けめのないやつだ。それに強くて、利口ときている。だが、あいつよりおれのほうが利口だった。いいや、そうともかぎらない、とかれは思いなおす。ただおれのほうがちょっとばかり武器をもっていたというだけのことだろう。
「もう考えるな、爺さん」老人は大声でいった、「まっすぐ舟を走らせていればいいんだ。来たら来たときのことさ」
しかし、おれは考えずにいられない。だって、おれに残されたことといえば、それだけだからな。それと野球だ。そういえば、大ディマジオは、おれが鮫の脳天をやっつけた、あのみごとなやり口を認めてくれるかな? もちろん威張れたことじゃないさ。あんなことは、だれだってできる。でもさ、あんたは、おれの手が、骨の蹴爪とおなじくらい大きなハンディキャップを背負わされていたことは知っているだろう? そりゃ、おれにはわからない。おれが踵をやられたのは、|赤えい[#「魚+(襾/早)」、第三水準1-94-50]《あかえい》に刺されたときだけだからな。あのときは海のなかであいつをふんづけてしまい、膝《ひざ》から下が痺《しび》れて、居ても起《た》ってもいられなかったっけ。
「爺さん、もっと景気のいいことを考えたらどうだ」とかれはいった、「そうだ、お前は一刻一刻、家に近づいているんだぜ。四十ポンド身軽になったわけじゃないか」
が、舟が潮流の中央部にさしかかったとき、そこにはなにが待ちかまえているか、老人にはよくわかっていた。が、いまさらどうにもしょうがない。
「いや、手はあるぞ」とかれは大声で叫んだ、「オールのけつにナイフをくっつければいい」
かれはすぐその仕事にとりかかった。が、腕の下には舵をかかえこんだままであり、足は帆の下隅の綱をおさえていた。
「さあ」とかれはいった、「おれはちっとも変らない、前とおんなじ年寄りだが、もう丸腰じゃないぞ」
風は強くなっていた。舟はよくすべる。老人は魚の前半身だけしか見ようとしない。希望がいくらかよみがえってきた。
希望をすてるなんて、馬鹿《ばか》な話だ、そうかれは考える。それどころか、罪というものだ。いや、罪なんてことを考えちゃいけない。ほかに問題が山ほどある。それに、罪なんてことは、おれにはなんにもわかっちゃいないんだ。
おれにはよくわからない、罪を信じているかどうかもはっきりしないんだ。たぶん罪なんだろう、魚を殺すってことは。たとえ自分が食うためであり、多くの人に食わせるためにやったとしても、罪は罪なんだろうな。でも、そうなれば、なんだって罪だ。罪なんてこと、考えちゃいけない。第一、もう手遅れだし、そういうことを考えるために、お金を頂戴《ちょうだい》している人間もたくさんいることだ。罪のことは、そういう連中に考えてもらったらいい。お前は漁師に生れついたんだ、魚が魚に生れついてるようにな。聖ペドロも漁師だった。大ディマジオの親父《おやじ》とおんなじだ。
だが、老人は自分が実際に出あったことについて、あれやこれやと考えめぐらすことが好きだった。それに読むものもなく、ラジオもなかったので、考えることはいくらもあった。かれは罪についてなおも考えつづける。お前が魚を殺すのは、ただ生きるためでもなければ、食糧として売るためだけでもない、とかれは思う。お前は誇りをもってやつを殺したんだ。漁師だから殺したんじゃないか。お前は、やつが生きていたとき、いや、死んでからだって、それを愛していた。もしお前が愛しているなら、殺したって罪にはならないんだ。それとも、なおさら重い罪だろうか、それは?
「いいよ、爺《じい》さん、お前はあんまり考えすぎる」老人は大声で叫んだ。
だが、お前はデンツーソを殺すとき、いい気なものだったな、老人はなおも考えつづける。あいつはお前とおなじに、生きた魚を食って生きているんだ。腐肉をあさって歩く乞食《こじき》じゃない。またある種の鮫のように貪婪《どんらん》な食欲のお化けというわけでもない。あいつはきれいで、堂々としていて、こわいもの知らずの猛者《もさ》だ。
「でもおれは自分を守るために、やつを殺したんだ」と老人は大声でいいかえした、「よくやった」
それに、とかれは考える。あらゆるものが、それぞれに、自分以外のあらゆるものを殺して生きているじゃないか。魚をとるってことは、おれを生かしてくれることだが、同時におれを殺しもするんだ。いや、あの子がおれを生かしてくれているんだ、とかれは思いなおす。あんまり自分をだますようなことをいっちゃいけない。
老人は舷《ふなばた》から魚のほうに手を伸ばし、鮫が食いちぎったあとをひときれむしりとった。噛んでみて改めて値打ちがわかる。とても味がいい。肉がしまっていて、しかもこくがある。牛肉のような味だ。しかし紅《あか》くはない。筋がぜんぜんない。市場にだせば最高の値段に売れたろう。が、いま、水のなかの匂いを消す方法はない。最悪の事態が近づきつつあることを、老人は知っていた。
風は確実に吹いている。すこし北東よりに変った。この調子なら風は落ちないということを老人は知っている。かれは前方をながめる、ひとつの帆影も船体も見えない。汽船の煙すら認められない。小舟の進行にともない、へさきに掻《か》きわけられ、その左右に跳ねあがる飛魚と、点々と散らばっている海藻の黄色い群れとがあるばかりだ。鳥の影さえ見えない。
そのまま二時間くらい経過しただろうか、老人はともに体を息《やす》めたままときどきまかじき[#「まかじき」に傍点]の肉をちぎって食べ、体に力をつけようと努めていた。そのとき、かれは二匹の鮫の先頭のやつを近くに認めた。
「えええい」老人は大きな叫び声をあげた。このことばの意味は説明しようがない。なんといったらいいか、両の掌《てのひら》を木に釘《くぎ》づけにでもされたとき、ひとが無意識に発する声がそれだ。
「ガラノーだ」かれは大声でどなった。かれは第一の鮫《さめ》のうしろに、すぐ第二の背びれが迫ってくるのを認めた。三角形をした褐色のひれと、なぐように動く尻尾《しっぽ》とから、すぐ例のシャベル鼻の鮫だとわかった。かれらは匂いをかぎつけて、夢中になっている。空腹のあまり、ときどき匂いを見失う。が、ふたたびそれを見いだして有頂天になる。こうして、かれらは刻々近づきつつあった。
老人はすかさず帆の下隅の綱を舟の横木に結びつけ、舵《かじ》を動かぬように固定させると、ナイフをとりつけたオールを手にして立ちあがった。それをなるべくそっと持ちあげる。両手の痛みで思うようにならないのだ。はじめのうちはオールを軽くつかんだまま、かわるがわる両手を開いたり閉じたりして、その痛みを解きほごそうとしていた。が、いまや、かれはそれをぎゅっと握りしめる。激烈な痛みを感じる。が、かれは尻《しり》ごみしない。二匹の鮫が近寄ってくるのをじっと見まもっていた。平べったい、シャベルの先のような頭と、端が白く染まっている広い胸びれとがよく見える。憎むべき鮫だ。やつらはいつもひどい悪臭を放ち、掃除人夫のように腐肉をあさる。殺戮《さつりく》常習犯だ。腹をへらすと、オールだろうが舵だろうが、なんにでも食らいつく。亀《かめ》たちが水面にぽっかり浮んで居眠りしているときなど、その脚を食いちぎって逃げていくのもこいつらだ。やつらは腹がへると、水泳中の人間まで襲う。魚の血やぬめりの匂いがついていないからといって安心はできない。
「えええい、畜生」と老人はどなった、「さあ来やがれ、ガラノー」
かれらは近づいてきた。が、青鮫とはやり口がちがう。そのうちの一匹が急に身をひるがえして舟の下に姿を隠した。老人は小舟がぐらりと揺らぐのを感じた。鮫が魚に食らいついたのだ。残った一匹は、長く裂けた黄色い眼で老人のほうをじっとうかがう。が、つぎの瞬間、それは半円形の|あご[#「にくづき+咢」、第三水準1-90-51]《あご》をかっと開いて、すばやく魚に襲いかかった。そこは前にやられたところだ。鮫の褐色の頭と背にくっきり線が出ている、脳と脊髄《せきずい》とがつながっている場所だ。老人はそこを目がけてナイフをぐさっと突きさしたかとおもうと、目にもとまらぬ速さで引きぬき、今度は猫のような黄色い眼玉にそれを突きたてた。鮫は獲物を放し、ずるっとすべり落ちる。死にながらも、食いとった肉をがぶっとのみこむのがみえた。
小舟はぐらぐらゆれつづけていた。もう一匹がその下で獲物に襲いかかっているのだ。老人は手ばやく帆の綱をほどいた。小舟はぐらりと横に回って、鮫の全身を露《あらわ》にした。老人はいきなり舷から体を乗りだして、敵に一撃をくれた。が、それは急所をはずれ、胴体を強く打っただけだった。鮫の肌は硬く、ナイフははじきかえされ、ほとんど相手に突きささらなかった。おかげで手ばかりでなく、肩をひどく痛めた。が、鮫はすぐ頭を水の上に突きだしてきた。その鼻が水の上に現われ、魚に襲いかかったと見ると、老人は間髪をいれず、その平べったい頭の真《ま》っ只中《ただなか》に一撃を与えた。さらにそれを引きぬくと、ふたたびおなじ場所にあやまたず突きをいれる。鮫はなおも獲物にあご[#「にくづき+咢」、第三水準1-90-51]を引っかけて、しがみついている。老人はその左の眼にナイフを突きさした。敵はまだ獲物を放さない。
「まだ足りないのか?」老人はそういいはなつと、今度は脊髄と脳とのあいだをぐさりと突きさした。今度は楽にいった、軟骨のはがれるのが老人の手に感じられた。老人はオールを持ちなおして鮫の口に刃を突きこみ、あご[#「にくづき+咢」、第三水準1-90-51]をこじあけるようにひとひねりする。鮫はずるりとすべり落ちた。老人は頭から呪《のろ》いのことばを浴びせかける、「あばよ、ガラノー、海の底まで一マイルの旅だ。友だちによろしくな。それともあれはおっかさんだったのかい」
老人はナイフの刃をぬぐい、オールを下に置いた。帆の綱を拾いあげ、風をはらませ、海岸に向って舟を走らせる。
「四分の一は台なしだ、一番いいところをやられてしまった」老人は大声でいった、「これが夢だったらよかった。釣れないほうがよかったんだよ。こいつにはすまないことをしたなあ。釣りあげたのがまちがいのもとだ」かれは急に黙りこんでしまった。もう魚のほうを見る気にはなれない。血がすっかり洗われてしまって鏡の裏のように銀色になっているが、縞目《しまめ》はまだはっきり見える。
「こんなに遠出をする手はなかったんだよ」老人は魚に話しかけた、「お前にとっても、おれにとっても、意味なかった。本当にすまないなあ」
さて、とかれは心のうちでいった、ナイフの結びめをたしかめろ、切れていやしないか。つぎに手だ。用意はいいだろうな。敵はまだまだ押し寄せてくるからな。
「ナイフをとぐ石があれば大助かりなんだが」老人はオールの端の結びめを締めなおすと、そういった、「砥石《といし》を持ってくればよかったっけ」お前さん、いろんなものを持ってくればよかったんだ、とかれは思う。だが、爺さん、お前は持ってこなかった。冗談じゃない、いまは持ってこなかったもののことなんか考えているときじゃない。ここにあるものでできることを考えるがいい。
「お前はなかなかいいお世話やきだよ」かれは大声でわめいた、「おれはもう聞きあきた」
老人は腋《わき》の下に舵をかかえこみ、両手を水にひたしたまま、舟を走るにまかせていた。
「最後のやつ、ずいぶん盗みやがった。でも、おかげで舟足は軽くなったさ」老人は奪いさられた魚の下腹のことを、なるべく考えたくなかったのだ。舟の下にもぐったあの鮫の体あたりのたびに、魚は肉を失っていたのだということを、老人はよく知っていた。その食い荒された魚は、海中の鮫という鮫に匂《にお》いをまきちらし、追跡のためのハイウェイを作ることだろう。
この魚が一匹あれば、一人の人間が一冬、食っていける、とかれは思う。ああ、もうそんなことは考えるな。おまえはじっと体を息めていればいいんだ。そして残っている分だけでも守るがいい。そのために両手を馴《な》らしておけ。両手の血など、いま水のなかいっぱいにひろがっているあの匂いにくらべれば、なんてこともないじゃないか。それに、もうたいして出血していない。問題にするほどの傷じゃない。出血のおかげで、もう左手もひっつらずにすむかもしれない。
さて、なにか考えることがあるかな? なにもありゃしない。おれはなんにも考えなくていい。ただつぎのやつを待っていりゃいいんだ。本当は夢だったということになれば、ありがたいんだがなあ。しかし、わかるもんか、なにもかもうまくいったかもしれないじゃないか。
つぎに襲ってきた鮫は、前とおなじシャベルのような鼻をしたやつで、今度は一匹だった。まるで豚が餌桶《えおけ》に鼻面《はなづら》を押しつけてくるようだ。もっとも豚はそんな大口をしていない。人間の首がそのままはいるくらいに大きく口を開いて近寄ってくる。老人は敵が魚に襲いかかるのをそのまま放っておく。が、それが食いついたと見ると、オールの先のナイフを脳天めがけて打ちおろした。鮫はのけぞるようにさっと身を引く。あっ、と思う間もなく、ナイフの刃を持っていかれてしまった。
老人は舵のところへ戻った。鮫のほうを見ようともしない。それはゆらゆらと水の底に沈んでいく。最初は等身大に見え、それがだんだん小さくなっていくのが見える。そういう光景はいつも老人を興奮させた。が、いまは見むきもしない。
「まだ魚鉤《やす》がある」とかれはつぶやく、「でも、あんなもの役にたちはしない。そうだ、二本のオールと舵の柄と短い棍棒《こんぼう》があったっけ」
鮫のやつ完膚なきまでにおれを打ちのめしやがった、老人は心のなかでそう思う。おれの年じゃ、鮫をなぐり殺すほどの力はない。でも、オールがあるかぎり、舵の柄と棍棒があるかぎり、おれは最後まで闘ってやるぞ。
かれはふたたび両手を水にひたした。時刻はもう夕暮に近い。海と空のほかにはなにも見えなかった。上空では風が強くなりはじめたらしい。もうじき陸が見えるだろう。
「爺さん、お前は疲れているんだ。しんが疲れているんだよ」
ふたたび鮫が襲ってきたのは、日没すこし前ころだった。
魚が水中につくる幅広い匂いの道をたどって褐色のひれが近づいてくるのが見える。かれらはもう匂いのあとを探しまわりなどしていない。肩を並べ、一途《いちず》に舟のほうに向って泳ぎ寄ってくる。
老人は舵を固定させ、帆の綱を固く縛りつけると、ともの下に置いてあった棍棒のほうに手を伸ばした。それは折れたオールの柄をニフィート半くらいの長さに切ったものだった。それには握りがあるので片手でしか扱えない。かれはそれを右手に握りしめ、手首を動かしながら身がまえ、鮫の近づいてくるのをじっと見まもっている。それは二匹のガラノーだった。
まず先頭のやつに食いつかせてやろう、そうしておいて、鼻先か頭のてっぺんに一打ちくれてやろう。かれはそう思った。
二匹の鮫は並んで迫ってくる。最初のやつがあご[#「にくづき+咢」、第三水準1-90-51]を大きく開き、魚の銀色の横腹にかぶりついた瞬間、老人は棍棒を高く振りあげ、さっと打ちおろした。それは鮫の平たい頭をいやというほど強く打った。弾力のある手応《てごた》えだ。が、同時に、老人は骨の固さを感じた。かれは気をぬかず、鮫が獲物からすべり落ちるとき、もう一度、鼻の頭に激しい打撃を加える。
もう一匹は、それまで見え隠れにたちまわっていたが、このときふたたびあご[#「にくづき+咢」、第三水準1-90-51]を大きく開いて襲いかかってきた。敵が獲物にがぶりと噛《か》みつき、あご[#「にくづき+咢」、第三水準1-90-51]を閉じた瞬間、老人の眼にその口の端から魚の白い肉がぶらさがっているのが見えた。老人は力まかせに相手の頭をなぐりつけた、鮫はかれをじろっとながめたまま肉をもぎとろうとする。かれはもう一度棍棒を打ちおろした。が、そのときすでに、鮫は肉をのみこもうとしてうしろに退いていた。老人はただ固い弾力を感じただけだった。
「さあ、来やがれ、ガラノーめ」かれはどなった、「もう一度、やって来い」
鮫はさっと襲いかかる。鮫があご[#「にくづき+咢」、第三水準1-90-51]を閉じたとき、老人は棍棒を打ちおろした。棍棒をできるだけ高くふりあげ、おもいきり強く打ちおろしたのだ。今度はたしかに鮫の後頭部の骨にあたった。なおかれはおなじ場所をねらって一撃を加えた。それは鮫が力なく肉をもぎとり、獲物から離れていこうとしているときだった。
老人は敵がもう一度襲いかかってくるのを待っていた。が、もう戦闘は終ったのだ。見ると、一匹が海面に輪を描きながら、きりきり舞いしている。もう一匹の姿はどこにも見えない。
あのぶんじゃ死なないな、とかれは思う。若いころだったら、殺せたんだがなあ。けど、ひどい手傷を負わせてやった。両方とも参っているだろう。もしこれが本物の棍棒だったら、両手でつかんで思いきりなぐりつけ、すくなくとも最初のやつは殺せたんだ。いまだってそのくらい、と思う。
老人は魚のほうを見る気になれなかった。もう半分はなくなってしまっていることを、かれは知っている。かれが鮫と闘っているあいだに、日はすでに沈んでしまっていた。
「もうすぐ暗くなる」とかれはつぶやいた、「そうすれば、ハバナの空が明るく見えるだろう。もし東に寄りすぎているとすれば、どこかべつの海岸の燈火《あかり》が見えるはずだ」
もう遠くはない、とかれは思った。だれも心配していなければいいがな。もちろん、あの子だけは心配しているだろう。でも、きっとおれを信じていてくれるだろう。年寄り連が心配しているかもしれない。いや、みんな騒いでるだろうなあ、かれはそう思った。おれはほんとにいい村に住んでいる。
老人はもう魚に話しかける勇気を失っていた。それはすっかり台なしになってしまっていたからだ。ふと、ある考えが浮ぶ。
「半分しかない」とかれは声に出していった、「お前はもう半分になっちまった。遠出したのが悪かったんだ。おれは、おれとお前と、二人とも台なしにしてしまった。けれどな、おれたちは鮫をたくさん殺したじゃないか、お前とおれとでさ。そのほかにもずいぶんひどいめにあわせてやったじゃないか。そうだ、お前、今までに何匹やったね? そのとがったくちばしは、だてにつけてるんじゃないからな」
かれは魚のことを考えるのが楽しかった、もしこれが、自由に泳ぎまわっていたら、鮫を相手にどんな武者ぶりを見せたことか。だが、こうなったら、お前のくちばしをたたき切って、そいつで鮫と闘えるようにすればよかったんだ。でも、いまは斧《おの》がなかった。それにナイフもなくなっていた。
それがありさえしたら、くちばしをオールの尻にとりつけりゃいいんだ、すてきな武器になる。そしたら、おれたちは一緒になって、やつらと闘えたかもしれないぞ。そうだ、夜中に、やつらが来たら、いったいどうするつもりだ? どうしたらいいんだ?
「闘ったらいいじゃないか」とかれははっきりいった、「おれは死ぬまで闘ってやるぞ」
しかし、完全な闇《やみ》だ。街の空の照りかえしも見えない。もちろん燈火はない。あるのは風だけだ。それと、舟の確実な歩みだけが感じられる。老人は死んだような気がしていた。両手を押しあわせ、掌《てのひら》の感触をまさぐる。手は死んではいない。かれは両手を開いたり閉じたりすることによって、わずかに生きている苦痛を感じることができた。ともにもたれかかる。たしかに死んではいない。肩でもそれがわかる。
もし魚をつかまえたらお祈りを唱える約束がしてあったが、いまなら文句を思いだせるな、とかれは思う。だが、くたびれてしまって、なんにもいえない。そうだ袋を肩にかけといたほうがいい。
かれはともにもたれかかり、舵をとりながら、空の照りかえしが見えてくるのをひたすら待っていた。まだ半分ある。たぶんおれにも前半分だけでもおみやげに持って帰れるくらいの運はあるだろう。まあ、おれにもいくらか運がついてもいいだろう。いや、ちがう、とかれはいった。お前はあまり遠出しすぎて、自分の運をめちゃくちゃにしてしまったんだ。
「馬鹿《ばか》いってるんじゃない」かれは大声でいった、「眼をさまして、しっかり舵をとれ。まだまだこれからでも運がやってくるかもしれないじゃないか」
「売っているところがあったら、運ってものもちっとは買っときたいもんだな」とかれはいった。
しかし、なんとひきかえに買ったらいいんだ? あのなくした銛《もり》と、こわれたナイフと、それからこのやくざな手と、それだけあれば買えるだろうか?
「うん、買えるかもしれないぞ」とかれはいう、「お前は八十四日の不漁を餌《えさ》にして、その運を買おうとした。相手もすんでのところで売ってくれるとこだったじゃないか」
つまらないことを考えていちゃいけない、とかれは思う。運はいろんな形をして現われる。とすれば、どうしてそれがわかる? とにかく、どんな形にしろ、おれもそのお裾《すそ》わけぐらいはほしい、そしたら相手の要求どおり勘定は払うよ。突然、街の灯の照りかえしが見たいなあ、と思う。ほしいものはいくらもある。が、いまおれが一番ほしいのはそれだ。老人は舵《かじ》をとりいいように姿勢をなおした。体が痛む。苦痛のありかで、自分が死んでいないことを認める。
たぶん夜の十時ごろ、老人はハバナの夜空の照りかえしを認めた。最初のうちは、あんまりかすかなので月の出の前の空の明るみかと見えた。が、やがて、おりから強さをましてきた風のため大きくうねりはじめた海をこえて、それはもう疑う余地もなく街の灯の照りかえしだとわかった。かれは舵を操って、へさきをその方向にむけた。もうすぐメキシコ湾流の端にぶつかるにちがいない、かれはそう思った。
これで闘いは終った、かれはそう思う。やつらはまた襲ってくるかもしれない。が、この暗闇で、武器も持たずに、人間一匹、やつらを相手にいったいなにができるというのか?
老人の体は硬直し、すこし動いても激しい痛みを感じた。背中や手の傷が、そして無理な使いかたをした体中の筋肉が、夜気の冷えこみとともに疼《うず》きはじめる。もう闘わずにすめばいいんだが、どうかそんなことがないようにしてもらいたいもんだなあ、とかれは思った。
が、真夜中近く、かれはもう一度、闘った。今度は、かれも、それがむだな闘いであることを知っていた。敵は群れをなしてやってきた。老人には、そのひれが水中に描く線と、かれらが獲物に襲いかかるときに見える燐光《りんこう》によって、それとわかるだけだった。かれはその頭をねらって、やたらに棍棒の雨をふらせた、敵が舟の下から獲物に襲いかかるとき、その肉を食いちぎる|あご[#「にくづき+咢」、第三水準1-90-51]《あご》の音と舟をぐらぐらゆする音がきこえる。かれは勘と音とをたよりに、必死になって棍棒を振りまわしていた。が、なにものかが棍棒をつかんだ、と思った瞬間、それは闇に奪い去られてしまった。
かれはとっさに舵の柄をとりはずし、両手につかんで、またもやめったやたらに打撃の雨をふらせた。が、敵は、今度はへさきのほうに集まり、つぎからつぎへと、ときには一緒になって襲いかかってき、肉を食いちぎっていく。その肉きれは鮫《さめ》がもう一度襲いかかろうとして、身をひるがえすたびに、水のなかできらきら光って見えた。
そのうち、一匹がとうとう頭に食いついてきた。ああ、もうおしまいだ、かれにはすぐそれがわかった。かれは舵の柄を敵の頭に打ちおろした、鮫のあご[#「にくづき+咢」、第三水準1-90-51]は獲物の頭に食いついたきりだった。さすがに頭は食いちぎれない。かれはその鮫の頭をねらって何度も何度も打撃を加えた。舵の柄が折れて飛び去る音がきこえる。が、かれは残った切れ端で力いっぱい鮫を突きさした。手応えはたしかにあった。折れ口が案外鋭いことを知って、かれはふたたびそれを敵の体内に突きさした。鮫は獲物を放し、ぐらりと横にのびた。それが最後の鮫だった。もう食うところはすこしも残っていなかったのだ。
老人は息をするのも苦しかった。口のなかが変な味でいっぱいになる。銅の味だ、甘ずっぱい。一瞬不安を感じた。が、それもすぐ消えた。
かれは海の上につばを吐いた、「それを食え、ガラノーめ。人間を殺した夢でも見るがいいや」
いまや、老人は完全にうちのめされたことを覚《さと》った。もうとりかえしはつかない。かれはとものほうへ這《は》っていき、へし折れた柄の端を舵の孔《あな》にさしこんで、なんとか方向だけはつけられるように工夫した。それから袋を肩にかけ、小舟の向きをととのえる。いま、かれは軽々と海の上をすべっていく。なんの想《おも》いもなければ、いかなる種類の感情もわかない。いま、かれのうちにはなにもなかった。ただ小舟をうまく操って港に帰るだけだ。夜中すぎ、なおも鮫が何度か骨に襲いかかった。テイブルのパン屑《くず》を拾うやつはどこにもいる。老人は眼もくれない、舵をとる以外、かれはもうなにごとにも注意を払わない。老人はただ小舟が重い荷を失って、身も軽々と海上をすべっていくのを見まもっているだけだった。
舟の調子はなかなかいいや、とかれは思う。がっちりしたものだ。とにかく舵の柄のほかはどこもこわれていない。舵の柄なんかすぐとりかえられる。
舟が潮流の内側にはいったらしいことが感じられる。浜ぞいに並んでいる部落の燈火《あかり》が見えた。かれには、いまどこにいるかわかっている。家に帰りつくことなど訳もない話だ。
とにかく風はおれの友だちだ、とかれは思う。そのあとで、かれはつけくわえる、ときによりけりだがな。大きな海、そこにはおれたちの友だちもいれば敵もいる。ああ、ベッドというものがあったっけ、とかれは思う。ベッドはおれの友だちだ。そうだ、ベッド、とかれは思う。ベッドってものはたいしたもんだ。打ちのめされるというのも気楽なものだな、とかれは思う、こんなに気楽なものとは知らなかった。それにしても、お前を打ちのめしたものはなんだ。
「そんなものはない」かれは大声でいった、「おれはただ遠出をしすぎただけさ」
老人が小さな港にたどりついたとき、テラス軒の燈火はすでに消えていた。もうみんな寝ているな、とかれは思った。風は徐々に起りはじめ、今はかなり強く吹いていた。だが、港のなかは静かだった。かれは岩の裾の砂利の上に小舟をつけた。だれも手つだってくれるものがない。そこでかれはできるだけ深く舟を乗りあげる。やっとの思いで舟から這いだし、それを岩にもやう。
かれはマストをはずし、帆を巻いて縛った。それを肩にして坂道を登りはじめる。そのときはじめて、かれは疲労の深さを知った。ちょっと立ちどまって、うしろをふりかえると、魚の大きな尾が街燈《がいとう》の光を反射して、小舟のともの後方に、ぴんと跳ねあがっているのが見えた。それから、露出した背骨の白い線と、とがったくちばしをもった頭部の黒いかたまりと。そのあいだにはなにもない。
老人はふたたび道を登りはじめる。登りきったところで、おもわず倒れた。が、マストを肩に、そのまましばらく横たわっていた。なんとかして立ちあがろうとこころみる。だが、どうにも体が動かない。やっと半身を起し、マストを肩にしたまま道をながめやる。ずっと遠くのほうを、猫がどこへいくのか通りすぎる。それを老人はじっと見つめていた。それからふたたび道に視線を移す。
最後に、かれはマストをおろし、素手で立ちあがる。それからマストを持ちあげ、それに肩をあて、やっと歩きはじめた。小屋にたどりつくまで、かれは五たびも腰をおろして休まねばならなかった。
小屋へはいると、かれはマストを壁にたてかけた。暗闇のなかで水瓶《みずびん》を探しだし、ひと口飲む。それからベッドに横になった。毛布を肩までかけ、背中と脚を蔽《おお》い、新聞紙の上に俯伏《うつぶ》せに寝た。腕をまっすぐ伸ばし、掌を上に向けて、かれは眠りに落ちた。
朝、少年が小屋の戸口からのぞきこんだとき、老人はぐっすり眠りこけていた。風がひどくなり、その日は舟が出なかった。少年は朝寝をした。そしていつものように、きょうも老人の小屋にやってきたのだ。少年は老人の寝息に耳をかたむけ、その両手を見、声をたてて泣きはじめた。それからコーヒーをとりにそっと小屋を出ていった。道々、かれは泣きつづけた。
漁師たちが小舟のまわりに集まって、その横にくくりつけられた異様な物体をながめている。ひとりがズボンをまくりあげて水のなかにはいっていき、その残骸《ざんがい》の長さを綱ではかった。
少年はおりていこうとしなかった。前に来て知っていたのだ。漁師のひとりが少年のかわりに小舟の始末をしていた。
「爺《じい》さん、ぐあいはどうかね?」ひとりが大声でいった。
「寝ているよ」少年は答えた。泣いているのを見られても、なんとも思わなかった。「そっとしといたほうがいいや」
「鼻の先から尻尾《しっぽ》まで十八フィートある」魚の長さをはかっていた漁師がいった。
「あたりまえさ」と少年はいった。
かれはテラス軒にはいっていって、コーヒーを空鑵《あきかん》に入れてくれるように頼んだ。
「熱いやつをね。ミルクと砂糖をうんと入れておくれよ」
「ほかには?」
「いらない。またあとで、お爺さんの食べられそうなものを探しにくるよ」
「まったくたいした魚だ」と主人がいった、「あんな魚は見たことがない。お前さんがきのうとった、あの二匹の魚だって立派なもんだ」
「ぼくの魚なんかどうだっていいや」少年はそういうと、また泣きだした。
「なにか飲みたくないかい?」主人がきいた。
「いらない。みんなにサンチャゴの邪魔をしないようにいっておくれ。ぼく、もう帰る」
「爺さんによろしくな」
「ありがとう」
少年は熱いコーヒーのはいった鑵を持って、老人の小屋へはいっていく。起きるまで、そのそばにじっと坐《すわ》っていた。老人は一度起きそうな気配《けわい》を見せたが、またもや重い眠りに落ちこんでいった。少年はコーヒーを温めるため、薪《たきぎ》を借りに道のむこうへ出ていった。
とうとう老人は目をさました。
「起きあがらないほうがいいよ」と少年がいった、「これをお飲み」コップにコーヒーをついでやった。
老人はそれを受けとって飲んだ。
「すっかりやられたよ。マノーリン、かたなしだ」
「お爺さんはやられたんじゃないよ。魚にやられたんじゃないよ」
「うん。そうだ。それからあとのこったな」
「ペドリコが舟と道具のしまつをしているよ。頭はどうするつもり?」
「ペドリコに切ってもらってな、わなにでも使ってもらったらいい」
「くちばしは?」
「ほしけりゃ、お前のものにするさ」
「ぼく、ほしいな」と少年はいった、「ほかのこともいろいろ相談しとかなくちゃならないね」
「みんな、おれを探しに出たかい?」
「ああ。沿岸警備隊と飛行機が出たよ」
「海はとても大きいし、舟はちっぽけだし、とても見つかりっこないよ」だれか話し相手がいるというのはどんなに楽しいことかが、はじめてわかった。自分自身や海に向っておしゃべりするよりはずっといい。「お前がいなくて寂しかったよ」と老人はいった、「なにをとったかね?」
「はじめの日に一匹、それから二日目に一匹と三日目に二匹とった」
「大出来だ」
「また二人で一緒に行こうよ」
「だめだ、おれには運がついていない。運に見はなされちゃったのさ」
「運なんてなんだい」と少年は答えた、「運はぼくが持っていくよ」
「家のものがなんていうか?」
「かまうもんか。ぼく、きのう二匹とったよ。でも、これからは二人一緒に行こうね。ぼく、いろんなこと教わりたいんだもの」
「いい槍《やり》を手に入れとかなくちゃいけない。そして漁に出るときは、それをいつも持っていくことだな。尖《さき》は古フォードのばねでできる。グアナバコアの工場で磨けばいい。よく切れるようにな。でも、あまり焼きを入れすぎないようにするんだよ、すぐ折れてしまうからな。おれのナイフは折れちまったよ」
「ぼく、かわりのを探してきてあげるよ。それからばねも磨いてもらおう。ひどいブリサだけど、どのくらい続くの?」
「三日ぐらいだろう。ひょっとするともっと続くかもしれない」
「ね、みんなぼくが用意しておくからね。お爺さんは手を癒《なお》しておかなければだめだよ」
「安心おし、すぐ癒ってみせるよ。おれは夜中に変なものを吐いた。胸のなかでどこかが破れたような気がしたよ」
「それも癒しておかなくちゃ」と少年はいった、「寝てなよ、お爺さん。きれいなシャツを持ってきてあげる。それからなにか食べるものもね」
「おれがいなかったあいだの新聞を持ってきてくれないか」と老人はいった。
「早く癒ってくれないと困るんだ。ぼく、お爺さんに教えてもらうことがたくさんあるんだから。大変だったんだろう?」
「うん、とてもな」老人はいった。
「食べるものと新聞を持ってくるよ」と少年はいった、「じっとしててね、お爺さん。手につける薬も買ってこよう」
「ペドリコに頭をやるっていうのを忘れちゃいけないよ」
「ああ、忘れるもんか」
少年は戸をあけて出ていった。くずれた珊瑚礁《さんごしょう》の道を歩きながら少年はまた泣いた。
昼すぎ、一団の旅行者がテラス軒に立ち寄った。すると、ビールの空鑵や死んだ|かます[#「魚+予」、第四水準2-93-33]《かます》の散らばっている水面を見おろしていたひとりの女が、そこに大きな尻尾をつけた巨大な白い背骨がゆらゆら揺れているのを見つけた。港のそとでは、重い海の上を、風が東から強く吹いていたのだ。
「あれ、なんでしょう?」女はかたわらの給仕にたずねながら、大魚の長い背骨を指さした。その骨はいまや潮とともに港のそとへ吐きだされるのを待っている屑《くず》としか見えなかった。
「ティブロン」給仕はそういって、今度は訛《なまり》のある英語でいいなおした、「さめ[#「さめ」に傍点]が……」かれは一所懸命|顛末《てんまつ》を説明しようとする。
「あら、鮫って、あんな見事な、形のいい尻尾を持っているとは思わなかった」
「うん、そうだね」連れの男がいった。
道のむこうの小屋では、老人がふたたび眠りに落ちていた。依然として俯伏せのままだ。少年がかたわらに坐って、その寝姿をじっと見まもっている。老人はライオンの夢を見ていた。
[#改ページ]
『老人と海』の背景
[#地から2字上げ]福田|恆存《つねあり》
私は現代アメリカ文学について、ほとんど知るところがありません。もちろん、ぜんぜん読まないわけではない。ドス・パソス、フォークナー、ヘミングウェイ、コールドウェル、スタインベック、キャザーなど、それぞれ、ひとつやふたつ読んでおります。しかしいまだにこれといったものにぶつかったことがありません。いちおうは感心しますが、なんとなく食いたりないのです。
量からいっても、規模からいっても、いずれも堂々たるもので、それが食いたりないというのはおかしいかもしれない。また、その技術も描写力も、ヨーロッパ文学にくらべて、ひけをとらないものがある。それにもかかわらず、ヨーロッパ文学によって養われてきた私の文学概念からいうと、現代のアメリカ文学はどこか間がぬけているといった感じがするのです。
ですから、最初タトル商会からヘミングウェイの『老人と海』を訳す気はないかといわれたとき、たいして乗り気にはなりませんでした。私の知っているかぎりでは、ヘミングウェイはむしろ通俗的な作家だとおもっていたので、わざわざ翻訳してみるまでもないだろうと考えておりました。そのうち二、三の新聞で、私の知っているひとが『老人と海』の紹介を書いているのを見ました。そして私は、これはおもしろそうだなと思ったのです。たまたまタトル商会から本が送られてきたので、読んでみる気になりました。たいていの本は途中で投げだしてしまう私も、これだけは一気に読みとおしてしまいました。
『老人と海』はこれまでのヘミングウェイの作品のなかでも一番いいものであるばかりでなく、私が不満に思っていた現代アメリカ文学の弱点からみごとに脱けだしているように思われます。というのはヨーロッパの一流文学とおなじようなものになったというわけではなく、もうヨーロッパ文学と肩を並べてどちらが高いか背くらべをする必要のない場所で、いいかえれば、あくまでアメリカ文学の伝統にそって、自己の弱点を長所に転換するようなしかたで、私の不満に応《こた》えてくれたのです。
それについてお話しするまえに、アメリカ文学にたいする私の不満とはなにかを述べねばなりますまい。それは、一口にいうと、人間というものの捉《とら》えかたの浅さとでも申しましょうか――浅いといっては語弊がありますが、ここではかりにそういっておきましょう。
ベルナール・ファイは『アメリカ文明論』のうちにこう述べております――
アメリカには、たんに空間があるだけだ。
ヨーロッパの諸国は時間のうえに築かれている。時間の累積が、イギリスやフランスやスペインやドイツやイタリーに、その政治的な枠を構え、その領土を定め、さらにその性格をつくることを可能ならしめた。またその市民におたがいに許しあい、愛しあい、助けあって、真にそれぞれの国民を形成することを教えたのである。
が、あらゆる人種、あらゆる宗教、あらゆる文明に属する人間が、あのきびしいアメリカの処女地に再会したとき、かれらはその結合の紐帯《ちゅうたい》として、かつてヨーロッパ諸国を相互に結びあわせていたあの根ぶかい思いでや頑固な習慣を、どこにも見いだせなかった。かれらを調練して、今日ひとつの国民たらしめた力は、かれらの過去ではなく、それはかれらの未来である。
そこでは、空間が時間のかわりをし、未来が過去のかわりをした。
ヨーロッパはその熱情とその安定した文明の成功そのもののために窒息しそうに感じていた。ヨーロッパは空間を必要としていた。そしてアメリカを発見したのである。
これはなかなか鋭い洞察であります。たしかにアメリカの文明は、過去と現在とをつなぐ時間から解放されて、はてしなく横にひろがる現在という空間のうえにうちたてられたものといえましょう。その結果、ヨーロッパとアメリカとの間に、どういう人間観の相違が生じたかを、文学を通じて考えてみましょう。人間観の相違とは、けっきょくそこに棲《す》む人間の相違でもありますが、文学作品においては、それらはことごとく描写のしかたの相違として現われてまいります。
ここにAとBという二人の人間がいるとします。作者がこの二人の交渉を描こうとするばあい、時間の概念のうえにたったヨーロッパでは、その関係の必然性がどうしても過去に規定されがちであります。AがA’[#「A’」は縦中横]という町に棲み、BがB’[#「B’」は縦中横]という町に棲んでいるとすれば、AはA’[#「A’」は縦中横]の、BはB’[#「B’」は縦中横]の、それぞれの町の歴史や人間関係をうしろに背負っていて、そうかんたんには結びつけられません。また、ひとたび交渉が生じたにしても、両者の関係は、二人だけの自由意志によって無限の可能性を含んで発展しうるというようなわけにはまいりません。
われわれが往々にして個性と考えがちなものは、じつはそういう特殊な過去の環境によって作りあげられたものなのであります。われわれはよく、作品のなかに、作者の個性を、あるいは登場人物の個性を求めます。それがなにを意味するかと申しますと、ある特殊な過去の経験を背負っているひとりの個性が、べつの経歴を背負っている人物や環境と出あって生きにくさを感じながら、悩むことによって、ますます自己の特殊性を、いわば個性を発揮するのがおもしろいというわけであります。すなわち、AはBやB’[#「B’」は縦中横]にぶつかって、BはAやA’[#「A’」は縦中横]にぶつかって、ますます自分がA’[#「A’」は縦中横]のAであり、B’[#「B’」は縦中横]のBであることを痛感せしめられる過程が小説に描かれるのです。
だが、ひとびとはそれだけでは満足できなくなってきました。近代の個人主義は、他人とはちがう自分という意識をめいめいが自覚することを要求するのです。AはB’[#「B’」は縦中横]に棲んでいるBとちがうことはもちろん、おなじA’[#「A’」は縦中横]に棲む他の人間ともちがう、まぎれもないAでありたいと思いはじめたのです。
われわれはおなじように三度の飯を食い、おなじように夫や妻や親や子をもち、おなじように生計の糧《かて》を得るために、生産にたずさわっている。おなじことばをしゃべり、おなじ身ぶりをする。「きょうは寒い」ということばは、甲が口にしようが、乙が口にしようがおなじ意味しかもっておりません。自動車が眼のまえをかすめて通れば、どんな人間だってあわてて飛びのきます。にもかかわらず、おなじ言動に明け暮れするわれわれは、その表面はおなじ言動と見えるもののかげに、じつはちがった心をもっているのだと思っています。事実そうでもありましょうが、また実際以上にそう思いたがるふしがないでもありません。
妙ないいかたですが、十九世紀のヨーロッパの小説は、そういうわれわれの個人主義的な要求に応えて出現したものであり、その要求にそって精緻《せいち》な心理分析を展開していったのであります。その結果、読者は一種の知的虚栄心を満足させられます。というのは、その作品に描かれた複雑な心理の動きをすみずみまで理解し、それがそのまま自分の内面心理にあてはまると感じた読者は、この作品こそ作者が自分のために書いてくれたものだと感激するでしょう。よくもこれほど自分の心の内部を表現してくれたと思うでしょう。しかも同時に、その作品が人間心理の深いひだに立ちいっていればいるほど、そこに描かれたものが一般平均人の心理ではなく、特殊な、あるいは高度に洗練された人間のものであると思いこみます。
いうまでもなく、これは矛盾です。読者のだれもが、これは一般人とはちがう「自分だけ」の気持ちを描いてくれたものだと感じるとすれば、それは「自分だけ」の気持ちではないはずです。そう考えてくると、個性とはいったいなにものか、どうもわけのわからない代物《しろもの》だということになる。ヨーロッパの近代小説は個性を発見し、個性を描きだし、個性的であろうとめざして、あげくのはてに個性を見うしなってしまったといいえましょう。
第一次大戦後、イギリスに「意識の流れ」を描こうとする流派が出現しました。フランスには「自意識の文学」とでも名づくべきものが出現しました。いずれも日本の文壇に影響を与えましたが、両者は多少の差があるにせよ、要するに個性を追求していきづまったところに現われた一種のあがきと見てさしつかえありますまい。AがBと、あるいはBがAと、ちがう特殊性をもはや描けなくなったとき、いいかえれば、AもBもけっきょくおなじものとしか思えなくなったとき、さらに個性的なもの、特殊なものを追求しようとすればAやBをながめている自己をとらえるよりほかに手はなくなります。対象のAやBに差がなければ、しかもそのAやBの描きわけということでは先人がすっかり分析しつくしてしまったあとでは、残された唯一《ゆいいつ》の手は、ABをながめるながめかたに、その作家独自の個性をだすことでありましょう。
絵のほうでも同様のことがいえます。対象を正確に観察し、正確に描写し、それぞれのちがいを描きわける写実が完成してしまったあとでは、画家の関心は、対象の個性というものから離れて対象をながめるながめかたに個性を賭《か》けるよりほか手はなくなったわけです。シュールレアリスムやアブストラクトの絵がそれです。
ところで、そうまでして発見しえた個性というものに、われわれはどこまで信頼がおけましょうか。もちろん、それを描いた作家の個性と才能とは信頼できます。が、そうなると、われわれは個性的であるためには、芸術家にならなければならないということになってしまう。日常生活の場では、そうまでして得られた個性というものを信頼するわけにはまいりません。卑近な実生活の場には、行動によって外面的に形を与えられた心理しか、われわれは信用していないのです。早い話が、だれかが病気で医療費もないとき、いくらかれに深い同情を寄せているといっても、それが形に現われなければ、われわれはその同情を信じることができない。また、だれかに感謝しているといってみても、それがなにかの形をとらなければ、そのまま本人のいうことを信じるわけにはいかないのです。
同様に、ふだん自分は世俗的な行動をとっているが、それらは世間でふつうに受けとられるような意味とはちがう自分独得の動機や理由があってやっているのだと力んでみても、われわれはそのひとの個性を信用するわけにはいきません。意識の流れや自意識の回転を微細に描こうとした文学は、いきおい人間の行動から離れて、というよりむしろ外面的行動とは無縁の、あるいは行動とは反対の、内面的世界の表現に力を注いだのですが、それがどうしてもわれわれの生活とつながらない理由は、以上でだいたいわかっていただけたとおもいます。第一次大戦後のヨーロッパ文学は、いわば個人主義の限界にぶつかっていたと申せましょう。
が、その限界点に到達して、個性とはなにかを探ろうとしている苦悶《くもん》の表情には切実なものがあり、それがわれわれの心をうったのであります。ところが、アメリカ文学は、ほとんどその苦悶を知らないで、ヨーロッパ文学とはぜんぜん別個の発想から出現したといっていえないことはありません。ドライザー、ルイス、アンダスンなど、いわばアメリカ文学がはじめてアメリカ文学として大陸の文学から独立しえた一九二〇年代の作家について申しているのであります。
かれらは多少とも社会主義的であります。かれらはヨーロッパ人のために、いきづまった個性を描かず、アメリカ人のために、アメリカの社会を描きました。文学史家は、これを説明して、アメリカもようやく近代ヨーロッパのリアリズム文学をものにしたというのが通例であります。が、私には、むしろファイのアメリカ観によったほうが、納得がいくようにおもわれる。
すでに申しましたように、個性とは歴史的背景のうえに、すなわち時間の原理のうえになったものです。茫漠《ぼうばく》たる空間をまえにしては、個性は消滅し、人間は対自然の原始人に還《かえ》らざるをえません。そういうと、インディアンを相手に、無限にひろがる大陸を西へ西へと開拓していった昔はいざ知らず、一九二〇年代のアメリカは経済的にも社会的にもいろいろいきづまり状態にあったというひとがいるかもしれません。それゆえにこそ、前記の作家たちは社会的視野をもって当時の社会問題を扱ったのでもあります。
が、それならば、その社会という概念そのものに、われわれは検討を加えなければなりますまい。一口に社会といっても、ヨーロッパのように時間の原理のうえになりたった社会と、アメリカのように空間の原理のうえになりたった社会とでは、だいぶちがいがあります。アメリカ人の脳裡《のうり》には、現実にたいする大きな信頼があります。たとえかれらの進路をとざす憂《うれ》うべき事態が起ったとしても、長いあいだに養われた広大な空間への脱出の希望が、けっしてかれらを絶望させない。あらゆる社会問題は、かれらにとって解決すべきものであり、解決可能なものとしてのみ存在するのです。それに反して、ヨーロッパでは、社会はつねに個人の意志を阻害するものとしてとらえられる。社会問題はむしろ解決不可能なものであって、ひとはそれにぶつかると、ただちにうしろをふりかえる。つまり個性と時間のなかに逃避せざるをえないのです。
さて、話を文学にもどしますと、一九二〇年代の文学が、いかに深刻にアメリカの社会的悲劇をとりあげていようが、そこには個人の魂をゆりうごかすような全人的な悲しみはありません。問題はあるが、人間はいない。社会は存在するが、個人は存在しない。A’[#「A’」は縦中横]の町に棲むAとB’[#「B’」は縦中横]の町に棲むBとの衝突はありません。極端ないいかたをすれば、おなじアメリカという国に棲む人間どうしの関係にすぎず、そこにはすこしも個人的な悩みはないといってよろしいでしょう。
アメリカの小説がヨーロッパの小説とくらべて通俗的であるのは、そのへんからも理由づけできそうです。通俗小説の特徴は、まず第一に、ABCなどの登場人物がはっきりした個性をもっていないことでしょう。第二に、はっきりした特徴がない以上、それらの結びつけに自由な可能性が許されるということです。つまり人間と人間との結合のしかたについても、また空間の原理が働いているわけです。ABCがそれぞれ縦に深い歴史的背景をになっていないとすれば、結びつくのもかんたんでしょうが、離れるのもぞうさないということになりましょう。
このばあい、もし個性的といいうるものがあるとすれば、それらの人物を動かす作者の側の主張の強さが問題になります。一九二〇年代の作家は社会改革ということに、その主張の場を見いだしたのであります。が、それがわれわれの心を打たないのは、いま申しましたように、個人的な問題がおろそかになっているからであります。もちろん、かれらが描いた人物は通俗小説的おもしろさのために歪《ゆが》められているとは申しません。かれらはうそを書いたのではない。しかし、われわれのように閉じられた社会に棲んでいる人間は、他人や社会を信頼している作家や登場人物の善意にどうしても共感できないのであります。私が現代のアメリカ文学に興味を感じない理由は以上のとおりであります。
さて、ヘミングウェイは、フォークナーやドス・パソスとおなじように、前記一九二〇年代の作家のあとを受けて出てきたひとであります。生れた年は一八九九年です。一九二〇年代の作家たちは、だいたい一八七〇年代、一八八〇年代に生れており、ミドル・ジェネレイションと呼ばれるのにたいして、ヘミングウェイのように一八九〇年代生れの作家をロースト・ジェネレイションと呼ぶ文学史家もおります。日本語に訳せば「失われた世代」という流行語になるのですが、このばあいは第一次大戦のために失われた世代という意味です。いわゆる「戦後派」であります。
かれらは一九二〇年代の先輩たちに反逆し、かれらを手きびしく批判することから、自分たちの仕事をはじめました。その先輩たちにくらべて、かれらの特徴は、前代の作家たちを支配していた社会的善意とでもいうべきものが失われてしまったことであります。かれらはそれを失ったばかりではない。積極的に否定しました。人間の社会性というものは、だれにでも通じる最大公約数的なものでありますが、かれらはそれを信じなかったのであります。ヘミングウェイもそういう戦後派的作家のひとりとして登場しました。
悲惨な第一次大戦の経験と、一九二九年の世界的大恐慌とによって、さしも楽天的なアメリカ人も、いままで前方の茫漠たる空間にばかり注いでいた眼を、ようやく内側に向けざるをえなくなったとでもいいましょうか、とにかくかれらにとって社会問題はつねに解決可能な問題とはかぎらぬものになりはじめたのであります。アメリカ人にも個人の魂が問題になってまいりました。アメリカ文学に、はじめて時間の原理が支配しはじめたのであります。第一次大戦後のヨーロッパ文学の影響を受けて、かれらは個人の内面心理に深くわけいり、さらにそれを深く掘りさげて無意識の領域を探ろうとしました。すなわち、AならAという個人を描くばあい、この人物を社会的平面に行動せしめて、CDE等々の人物と交渉させるという横につながる空間的な方式をとらず、Aという人物が過去から累積してきた無意識の領域にさかのぼるという縦につながる時間的な方式を採用したのです。その代表的作家がフォークナーとヘミングウェイでありましょう。
要するに、この段階において、アメリカ文学はヨーロッパ文学とおなじ次元に達したといえましょう。フォークナーもヘミングウェイも、フランス文学の影響下に成長した作家であり、また、かれらの作品は、はじめてジッドやサルトルなど第一級のフランス作家によって認められました。のみならず、一種のいきづまりに到達した現代のヨーロッパ文学は意識的にかれらに学ぼうとさえしております。にもかかわらず、両者のあいだには根本的にちがったものがあるように思われます。
ひとしく社会的連帯感とか人間の善意とかにたいして否定的な態度を持しており、現実に絶望をいだいていると申すものの、アメリカ文学における否定や絶望には、ある意味の甘さがあります。たとえばフォークナーの小説を読んでいると、いままでアメリカ文学には見られなかった個人の内部にひそむ暗鬱《あんうつ》な情念が追求されており、そういうものは社会性という公約数で割り切れないのですが、すこしうがった見かたをすると、前代の作家たちの社会的善意にたいする反動ではないかとさえ思われるのです。なんでもかんでも割り切れる透明で平面的なアメリカの社会と、その空間の原理によって造りあげられた人間像とにたいし、なんとか文学らしい深みと陰影とを与えようとして、無意識の情念が追求されだしたのではないか――そんな感じを与えるのであります。いいかえると、まだまだ空間の原理が支配している社会のうちに、わざわざ隙《すき》を見つけて、そこだけは時間の原理が支配しているような局部を捜しだしてきたといった感じであります。
それは絶望などといったものではありません。ヨーロッパにおける絶望は、社会的連帯感にたいする疑惑だけにとどまらない。かれらの精神は、人間の社会性、およびそれを支えている精神の制御力に疑いをもつと同時に、それなら、そういう社会性や制御力を破壊してくるどうにもならない肉体的な情念を信頼しているかというと、じつはそれさえ信じていないのです。かれらにあっては、精神を否定するものは、やはり精神です。自意識過剰を否定するものは、やはり自意識です。それに反して、フォークナーやヘミングウェイは、肉体とかその情念とかいうものを信じております。ことにヘミングウェイについてそういえましょう。
かれも戦後派作家として、精神的にはなんの理想も目標もない男女の虚無的な群像を描いてきました。かれの手法は「ハードボイルド・リアリズム」=「非情の写実主義」といって、そこには、目標をもちえないこと、あるいは、理想に裏切られたことについてのいささかのセンチメンタリズムも見られません。それもそのはずで、かれは精神とか思考とか自意識とかいうものを、いっさい認めないのですが、その否定のしかたが、精神を精神によって、思考を思考によって、自意識を自意識によって否定するのではなく、それらすべてを肉体や行動への無意識的な信頼によって否定しているからです。
ヨーロッパ文学のように、精神を精神によって、あるいは自意識を自意識によって否定するとすれば、そこに意識が意識をうたう抒情《じょじょう》が出てくるでしょうが、肉体的行動という外面的なものによって否定すれば、どうしてもハードボイルド・リアリズムにならざるをえないでしょう。かれの作品がアメリカ文学の伝統たる通俗性をもっている理由も、またそこにあります。いかに内面意識のなかにもぐりこんでいったとしても作品の主題を展開していくモメントとして、ヘミングウェイはつねに肉体的行動にたよっているからです。
結論はこういうことになります。心理や意識の委曲を深く描きわけるという点では、たしかに第一次大戦後のヨーロッパ文学に似ているのですが、しかもなお私がアメリカ文学に不満を感じるわけは、それらがいかにヨーロッパの「意識の流れ」派や「自意識の文学」に学ぼうとも、ヨーロッパ文学においてはその現象の根底をなしていたはずの精神というものが、そこにはないからであります。絶望とか虚無的色調とかいう点では、両者共通でありますが、それはあくまで表面的、現象的な類似にすぎず、本質的にはたいへんちがっているように思われます。精神がないということは、倫理がないということであります。文学的にいえば詩がないといえましょう。サルトルなどは、作家として、ヨーロッパ文学のおちいっている陥穽《かんせい》からのがれたいがために、フォークナーやヘミングウェイに学び、その外面描写や行動性をとりいれようとするのでしょうが、一介の読者としての私は、一九二〇年代の作家はもちろん、次代のこのひとたちにもあまり興味をもたなかったゆえんであります。
ヘミングウェイの生前に発表された最後の小説『老人と海』(一九五二年)は、そういう私に、はじめて現代アメリカ文学への興味をいだかせてくれたものといえましょう。
かれの長編は、『日はまた昇る』(一九二六年)『武器よさらば』(一九二九年)『持つと持たざると』(一九三七年)『誰《た》がために鐘はなる』(一九四〇年)などであります。その他に短編はたくさんあり、むしろ「純文学」としては、短編のほうがすぐれているくらいです。短編ですと、人生の一断片を未解決のままに冷たく描きだすということでいいでしょうが、長編では、なんらかの思想がその背景にないと、いたずらに人物や事件の通俗的なスペクタクルになってしまって、内容的にも、形式的にも、緊張した構成の美は得られません。たとえ作品のなかに露《あらわ》に出てこなくても、やはり作者の倫理感が長編の展開を押しすすめていくものだからです。その点で、ヘミングウェイの長編は、いずれもいわば「精力の濫費《らんぴ》」であり「徒労のエンタテインメント」といった弱点をまぬかれません。そして、それはある程度まで現代のアメリカ文学の弱点でありましょう。いや、物量と資源にものをいわせるアメリカ文明の弱点かもしれません。ですから、ヘミングウェイの作品を読むものは、その虚無的な否定と冷酷な突放しとにもかかわらず、むしろその反対の旺盛《おうせい》な現実肯定ないしは現実|謳歌《おうか》を感じとるにちがいない。
が、もしヘミングウェイのうちに、なんらかの意味で思想的なもの、倫理的なものがあるとすれば、それは一種のストイシズムでありましょう。かれもまたイギリス清教徒の子孫であるといえます。かれの作品のなかに出てくる人物の特徴は、自己の苦痛や情念にたいして、しいて他人事《ひとごと》のような無関心をよそおうことであります。『老人と海』のサンチャゴにも、その特徴は歴然としております。ハードボイルド・リアリズムという技法もそこから生れたといえましょう。さらに、『老人と海』でもわかるでしょうが、ヘミングウェイの人物は、ことごとく闘争的であります。自己の負った傷手《いたで》をみずから無視して敵と闘います。というより、わざわざ敵を見いだすといったほうがいいかもしれません。
こういうストイシズムのまえに、いったい悪とはなんでありましょうか。また善とはなんでありましょうか。「戦後派」としてのかれは、甘い社会正義やヒューマニズムを軽々しく受けいれたがらず、善も悪もない、要するに人生は強いもの勝ち、負けることが最大の悪徳だ、といっているようであります。勝ちぬき、生きぬくこと、これがヘミングウェイの登場人物の唯一の掟《おきて》であるかのようにみえる。敗北者に同情をいだかない――それがかれの「非情のリアリズム」でありましょう。そこには救いがない。救いがないというのは思想がないということであり、倫理がないということです。闘争は肉体的行動の場であって、精神の関知するところではありません。
ヘミングウェイは、いっさいの善意や正義や理想にたいして否定的でありましたが、否定だけではどうにもならない。かれの人物は「たとえ自分が悪人でも、自分の情念をだれも認めなくとも、自分はなんとしてでも生きてみせる」といっているようでありますが、それならそれで、この掟を積極的に肯定する方向が必要であります。否定を肯定に転換することが必要です。『老人と海』で、かれははじめてその転換を、かなり意識的にこころみていはしないでしょうか。
いままで、かれの作品では、否定のあとに開けられた空洞を、もっぱら肉体的情念で埋めていたのですが、この作品では――ここでもあくまで肉体的行動にたよってはおりますが――それが精神的に肯定されることによって、倫理への通路が開かれているようにおもわれます。
しかも、そこにはなんの感傷的な抒情もなく、ハードボイルド・リアリズムは手堅く守られており、眼に見える外面的なもの以外はなにも描くまいと決心しているようです。心のなかに立ちいって、ひとの眼にふれぬものを引きだしてやろうとする主観的な同情はぜんぜんありません。なるほどサンチャゴの独白や心理描写はありますが、それらはつねに外面的行動に直結しております。心理描写といっても、ひとつの行動にはひとつの心理しかないと断定しうるような心理描写であり、ひとつの行動からいくとおりもの心理を臆測《おくそく》しうるというような、そういう複雑であいまいな、いいかえると弁解がましい心理描写ではありません。すべてが単純明確です。老人が実際におこなったこと、そしてその周囲にたしかに存在した事物、それ以外はなにも描かれておらず、またそれだけはひとつ残らず描かれているようなたしかさを感じます。
ヘミングウェイはそういう純粋に客観的な外面描写を用いて、かれ自身の主観が認めうる理想的な人間像を描いたのであります、サンチャゴが叙事詩的英雄に酷似しているゆえんです。読者は綿密にかれの行動をたどることによって――ギリシア悲劇を読んだときのように――生理的、心理的、倫理的なカタルシスを感じ、読み終ったあとで心身の爽快《そうかい》さをおぼえるでありましょう。もちろん、散文的な現代に叙事詩的英雄に接するとなれば、多少のコミックが必要であります。その効果もこの作者はじゅうぶんに意識しているようです。『老人と海』は、完全に男性的な作品であります。女性的な文学を主流とするわが近代日本の風土にどの程度まで迎えいれられるかわかりませんが、それだけにまたこの剛毅《ごうき》の文学が多くの読者を獲得することを願ってやみません。
なお、この版は文庫になってから二度目の改訳です。魚類の名称についてご指示くださった末広|恭雄《やすお》、永田|一脩《かずなが》、両氏、並びに、初版以来誤訳を指摘してくださった方々に改めて深謝いたします。
[#地から2字上げ](昭和五十四年八月)
[#改ページ]
底本:「老人と海」新潮文庫、新潮社
1966(昭和41)年6月15日発行
2003(平成15)年5月30日93刷改版
2005(平成17)年6月5日98刷
入力:iW
校正:iW
2007年12月7日作成