危険な夏
ヘミングウェー作/永井淳訳
目 次
危険な夏
悪魔の誇り
惨事との約束
密告
蝶々と戦車
戦いの前夜
尾根の下で
訳者あとがき
[#改ページ]
危険な夏
ふたたびスペインへ帰って行くというのは妙な感じだった。祖国を除くいかなる国よりも深く愛したこの国に、また帰って行く機会があるとは思ってもみなかったし、この国にいる友人が一人でも牢獄につながれている限りは、帰るつもりもなかったからである。
しかし一九五三年の春、キューバで、スペイン戦争当時敵味方にわかれて戦った親しい友人たちと、アフリカ旅行の途中スペインに立ち寄ることについて話し合ったところ、わたしがかつて書いたことを撤回し、政治に関していっさい口出しをしないならば、スペインは礼をつくしてわたしを迎えるのではないか、というのが彼らの意見だった。
ヴィザ申請の問題はなかった。アメリカ人旅行者はもはやスペイン入国にさいしてヴィザをとる必要がなかったからである。
一九五三年になると、もうわたしの友人で獄中にいる者は一人もいなかったので、わたしは妻のメアリをパンプローナの市《フェリア》へ連れて行き、それからマドリードでプラド美術館を見て、そのあと、まだ自由な時間があったら、バレンシアで闘牛を見てからアフリカ行きの船に乗る計画を立てた。メアリのほうはこれが初めてのスペイン行きだし、知合いはみなとてもよい人たちばかりだったから、何も問題が起こるはずはなかった。万一何か困るようなことがあれば、きっと友人たちが彼女を助けに駆けつけてくれるだろう。
われわれはさっさとパリを通り過ぎて、シャルトル、ロワール渓谷、ボルドー・バイパス経由で車を飛ばしてフランスを南下し、数人のりっぱな友人たちがわれわれと国境越えをともにすべく待機しているビアリッツに達した。われわれは大いに食いかつ飲み、アンダイ・プラージュのわれわれのホテルで落ち合って、みんな揃って国境に出発する時間を決めた。友人たちの一人が、当時ロンドン駐在スペイン大使だったミゲル・プリモ・デ・リベラ公爵の紹介状を持っていた。わたしが困難にぶつかった場合、この手紙が大いに役に立つはずだった。そのことがなんとはなしにわたしを元気づけた。
アンダイに到着したときは寒々とした雨もよいの天候で、午前中は不気味な雨雲が低くたれこめて、厚い雲と霧がスペインの山脈《やまなみ》をさえぎっていた。友人たちは約束の時間に現われなかった。わたしは一時間待ち、さらに三十分待った。それから国境に向けて出発した。
検問所のあたりも寒々とした雰囲気だった。わたしが四通のパスポートを国境警察に差し出すと、警部は顔を上げずにわたしのパスポートを長いことためつすがめつした。スペインではこれが習慣なのだが、けっして安心はできない。
「小説家のヘミングウェーの親戚かなにかですか?」と、彼は依然として顔を上げずに質問した。
「あの一家の者です」と、わたしは答えた。
彼はパスポートのページをめくり、やがて写真をじっとみつめた。
「あなたがヘミングウェーさん?」
わたしは軽い気をつけの姿勢をとって、A sus ordenes と答えた。これはあなたの命令のままに、またはどうぞご随意にという意味のスペイン語である。わたしはいろんな場面でこの言葉が話されるのを何度も見聞きしてきており、わたしのそれもタイミングと口調が間違っていなければよいのだがと思った。
とにかく、彼は立ち上がって片手を差し出し、そして言った。「わたしはあなたの本を一冊残らず読みましたが、どれもたいそうすばらしかったですよ。このパスポートにスタンプを捺《お》して、それから税関のほうでお手伝いさせていただきましょう」
こうしてわれわれはスペインへ帰ってきたわけだが、あまりに話がうますぎて本当とは思えないほどで、ビダリア川に沿った三か所の検問所で治安警察《グアルディア・シビル》に呼び止められるたびに、拘留されるか国境へ送還されるのではないかとはらはらしどおしだった。ところが三回とも治安警察はわれわれのパスポートを注意深く、丁重に調べてから、何事もなく通過させてくれたのだった。
われわれの一行は一組のアメリカ人夫婦、ヴェネト州出身の陽気なイタリア人、それにウディーネ出身のイタリア人運転手の四人で、行先はパンプローナのサン・フェルミネスだった。イタリア人のジァンフランコはロンメルと戦った元戦車隊将校で、キューバで働いていたときわれわれといっしょに住んでいた親友だった。彼はル・アーヴルまで車でわれわれを迎えにきてくれたのだった。運転手のアダモは葬儀屋になりたいという野心を抱いていた。今は望み通りその職についているから、もしあなたがウディーネで死ぬようなことでもあれば、彼の手にかかることになる。
だれ一人としてスペイン戦争のときどちらの側で戦ったかと彼に質問した者はいなかった。その最初の旅行では自分の安心のためにも、わたしはいっそ彼が両方の側で戦ったのであればよいと何度か思った。ところが彼をよく知り、レオナルドふうの融通無碍《ゆうずうむげ》な性格を認識するにつれて、それは大いにありうることだと思うようになった。彼なら主義のために一方に与《くみ》して戦い、祖国またはウディーネ市のために他方に与して戦うこともあるかもしれぬ。もし第三の党派というものがあれば、彼はいつでも自分の神のため、ランチア社(イタリアの自動車メーカー)のため、あるいは葬儀業界のために戦うこともできるだろう。彼はそのすべてに等分に、そして深く献身しているからである。献身といえば、彼はわれわれに対しても、また女性全般に対しても並々ならぬ献身ぶりを示した。もし彼の偉業のたとえ十分の一でも実証されたとしたら、アダモと比較した場合、カサノヴァはいわばイタリア版ヘンリー・ジェームズというところだし、ドン・ファンはプルーストのうしろで破産してしまうだろう。
愉快な旅がしたかったら、わたしもそうなのだが、気のいいイタリア人を道連れにするのがいちばんである。われわれはそんなイタリア人を二人も旅の道連れにして、すばらしい空気調節のきいたランチアで、道ばたまで栗の木のせりだした緑のビダリア峡谷から登りにかかっていたが、登りつづけるうちにしだいに霧もはれて、コル・デ・ベラーテを過ぎ、ナバーラの高原へと曲がりくねった山道を下ってゆくころは、空もすっかり晴れあがるだろうと思われた。
この文章では闘牛について述べることになっているが、当時わたしはメアリとジァンフランコに闘牛を見せたいと思っていたほかは、闘牛についてほとんど関心がなかった。メアリはメキシコにおけるマノレーテの最後の試合を見ていた。それは風の強い日で、マノレーテはひどいできそこないの牛二頭を殺したのだが、彼女はいとも貧弱なそのコリーダ〔闘牛の一日のプログラム〕が気に入ったらしかったので、この調子ならきっと闘牛が好きになるだろうとわたしは考えた。一年間闘牛を見ないでいられたら、一生見ずにいられるという言葉がある。これは真実ではないが、一面の真実は含んでおり、わたしもメキシコで何度か見たのをべつにすれば、十四年間も闘牛から遠ざかっていた。もっともその間の大部分は、閉じこめられたのではなく締め出されていたのだという違いこそあれ、わたしは牢に入れられたような気がしていたものだが。
マノレーテの全盛時代およびその後の数年間に、闘牛界にはびこった悪習のあるものについて、わたし自身読みもしたし、信頼すべき友人たちから話に聞いてもいた。一流のマタドールたちを保護するために、牛の角の先端が切り落とされ、本物の角のように見せかけるために鋭く削られ、鑢《やすり》で磨かれていたというのである。しかしその角の先端は深爪をした爪のように傷つきやすく、一度バレーラ〔闘牛場のフェンス〕の厚板に角をぶっつけると、牛はあまりの痛さに、以後角で突かないよう用心するようになる。当時馬を保護するために使われた堅いキャンヴァスの覆いを角で突いた場合も、同じような結果になると考えられた。
角のほんらいの長さをつづめられることによって、牛は距離感をも失うことになり、マタドールたちが角にかけられる危険は大幅に減少した。牛は牧場にいるころ、日々兄弟牛たちと争い、小競合いをし、時には血みどろの戦いをすることによって、角の使い方を学び、年々角扱いが巧みになってゆく。そこで数人の一流マタドールたち――それぞれがまた二流三流の一連のマタドールをひきつれている――のマネージャーたちは、闘牛飼育者たちにいわゆる中牛《メディオ・トロ》を供給させようと努めた。これは三歳を過ぎてまだ日が浅ければ浅いほどよいという、角の使い方をあまりよく知らない牛のことである。この中牛の脚があまりに丈夫になって、ムレータでさばききれなくなるのを防ぐには、水を飲ませるときに牧場からあまり遠くまで歩かせないようにしなければならない。中牛を規定の体重まで太らせるために、マネージャーたちは穀物の飼料を与えて、外観の点でも計量のさいにも成牛として通るようにし、一日も早く闘牛場に引き出すことを要求する。しかし実際には彼はまだ中牛にすぎず、しごきが彼を骨抜きにし、扱いやすくして、マタドールがよほど注意深くいたわってやらないと、最後には力尽きて使いものにならなくなってしまう。
いかに削られた角とはいえ、そのえぐるような一撃で人間を傷つけたり殺したりすることは容易である。現に多くの人間が削られた角で怪我させられている。しかし角に手を加えられた牛は自然のままの角を持つ牛より、操って殺すのに少なくとも十倍は安全なのである。
並みの観客は牛の角のことを何も知らないし、かすかな薄鼠色の鑢の目にも気がつかないから、削られた角を見分けることはできない。角の先端を見ると黒光りして鋭く尖っており、まさかそれがきれいに磨いて、使い古したクランクケース・オイルで光沢を出した角だとは気がつかない。それは皮革用石けんが狩猟靴に与える光沢よりもいっそう見事な光沢を削られた角に与えるが、目の肥えた観客にとっては、宝石商がダイヤモンドの瑕瑾《きず》を見つけるのと同じようにそれを見抜くことが容易であり、しかもダイヤモンドの場合よりはるかに遠いところからでも見抜くことができる。
マノレーテ時代およびそれ以後の一部の無法なマネージャーたちは、しばしば闘牛のプロモーターも兼ねているか、あるいはプロモーターや一部の闘牛飼育者たちと結びついていた。彼らが抱えているマタドールたちにとっての理想は中牛であり、多くの飼育者たちは大量の中牛を生産することに専念した。彼らは敏捷さと従順さと熱狂しやすい性質を求めて小型の牛を育て、それが大型の牛であるような印象を与えるために、穀物飼料を与えて体重をふやした。角に関してはなんの心配も要らなかった。角は簡単に細工することができるし、このような牛を相手にして演じられる数々の奇蹟――うしろ向きになって牛と闘う闘牛士、牛に腋の下をくぐらせながら、牛ではなく観客の方を向いている闘牛士、兇暴な牛の前に膝をついて、牛の耳に左肘を当てながら、電話で牛と話しているようなそぶりを見せる闘牛士、牛の角を撫でながら剣とムレータを投げ捨てて、弱りはて、血を流し、催眠術にかかったように身動きもできぬ牛を尻目に、観客に向かって大根役者のように見得を切る闘牛士など――こうしたサーカスまがいの演技を見せられる大衆は、闘牛の新しい黄金時代を目のあたりにしつつあると思いこんでいたのである。
これらいくつかの理由から、とりわけ見るスポーツを卒業していたということもあって、わたしは闘牛に対する昔の情熱をあらかた失っていたのだが、新しい世代の闘牛士たちが成長していたので、彼らを見てみたいという気持は大いにあった。わたしは彼らの父親たちを知っており、そのうちの何人かとは非常に親しい仲だったが、ある者は死に、残った者も恐怖心に勝てなくなるか、あるいはほかのいろんな理由で一線から退いてしまったので、もう闘牛士を友人に持つことはやめようと決心していた。なぜなら彼らが恐怖心にとりつかれて、あるいは恐怖によってもたらされた無力のせいで牛と闘えなくなったとき、わたし自身も彼らのために、そして彼らとともに大いに苦しまなければならなかったからである。友人たちが牛と闘うとき、わたしは彼らと死の恐怖をわかち合ったものだが、だからといってわたしのふところには一銭もはいるわけではなく、彼らを助けるために何ができるわけでもないので、そうやって自分を苦しめるのはばかげたことのような気がして、入場料を払ってまで苦しみに行くような愚はもう二度とおかすまいと決心したのだった。
やがて、いくつかの理由と偶然の出来事と、人間が物事をはっきり見きわめたときに遂げる進歩のおかげで、わたしはこの恐怖を個人的な問題としてほぼ無視することができるようになった。この恐怖心の欠如を、というよりむしろ関心の欠如を、わたしはストレスがこうじたときに、あるいは一般的な態度として、時おり他人に話すことができる。これは考え方、利用の仕方しだいでよい才能にもなれば悪い才能にもなる。わたしはこの才能の濫用を慎むように心がけているし、万一恐怖心または関心が戻ってくればそれが失われてしまうことも知っている。もちろんあらゆるものがいつかは滅びる運命にあるかぎり、わたしの恐怖心または関心もいつまたぶりかえすかわからない。しかしこれまでのところ、わたしの場合、知識はいちばん寿命の長いものの部類に属している。ただし知識は明確に規定されなければならず、その点で人の助けをかりることはできない。
一九五三年のとき、われわれは郊外のレクムベリに泊って、七時に始まる路上の牛追いに間に合わせるべく、六時半にパンプローナに到着するよう、毎朝二十五マイルの道のりを車でかよったものだった。これは女たちにとってはかなり辛いスケジュールで、ひどく早起きしなければならず、レクムベリにはたいそう感じのよい夫婦の経営する感じのよいホテルがあって、パンプローナまではナバーラ地方でもっとも美しい景色に恵まれたドライヴを楽しめたし、長い直線道路のドライヴは高速車で上手に走れば快速船の乗心地についで快適なものだったとはいえ、あまり推薦しかねる方法だった。
われわれは友人たちをレクムベリのホテルで見つけた。彼らは何かの理由で国境の待合わせの場所に現われなかったのだが、それも万事解決した今、わたしはその理由を穿鑿しなかった。そしてわれわれはいつもの荒っぽい七日間を過ごした。めまぐるしいお祭気分の七日間が過ぎると、われわれみんなは、少なくとも大部分の者はたがいに親しくなり、相手が好きになっていた。つまりそれはよい祝祭《フィエスタ》だったということだ。はじめのうちわたしはダドリー伯爵の黄金飾りをほどこしたロールス・ロイスをいささか気取っていると思った。だが今ではすばらしい車だと思うようになった。その年はそんなぐあいだった。
ジァンフランコは靴磨きや掏摸《すり》の卵たちからなるダンスと酒飲みのクァドリーリャ〔闘牛士の一チーム〕のひとつに加わって、レクムベリのホテルのベッドにはめったに帰ってこなかった。彼は牛を闘牛場に追いこむ柵で囲った通路にはいりこんで眠ることによって、歴史にささやかな名をとどめた。そうすればエンシェロ〔牧場から闘牛場まで徒歩で牛を追いこむ行事〕のときはかならず目がさめて、いつかの朝のようにそれを見逃す心配はなかったからである。牛たちは彼を踏みつけて通り過ぎた。彼のクァドリーリャのメンバーはそのことを大いに自慢した。
アダモは毎朝闘牛場に姿を現わして、牛を一頭殺させてくれと頼みこんだが、経営者はほかの計画を持っていた。
ひどい天気がつづき、メアリは闘牛のたびにずぶ濡れになって、ついに熱の出る厄介な風邪を背負いこんでしまった。その風邪はマドリードにいるあいだ彼女にとりついてはなれなかった。闘牛はただひとつ歴史的なやつを除いて、どれもあまり出来がよくなかった。われわれはこのとき初めてアントニオ・オルドネスを見たのである。
そのゆるやかなケープさばきを一目見ただけで、わたしには彼の偉大さがわかった。それはあたかもすべての偉大なケープさばきの名手たちを目のあたりに見るようで、そういった名手たちがまだ大勢元気で美技を披露していたが、ただ彼はそのだれよりもすぐれていた。それから、ムレータの扱いにいたってはまさに完璧だった。彼は巧みに、やすやすと牛を殺した。彼を批評家の目で厳密に観察するうちに、わたしはこのまま無事に成長すればきわめて偉大な闘牛士になるであろうと確信した。彼はたとえ何事があっても偉大な闘牛士になり、重傷を負うたびごとにますます勇気と情熱を深めてゆくことを、そのときわたしはまだ見抜けなかったのである。
わたしは何年も前に彼の父親のカエターノを知り、その人物像と闘牛を『陽はまた昇る』という本の中に書いたことがある。この本の中の闘牛場の場面はすべて実際にあったことであり、彼の闘牛ぶりを描いたものである。闘牛場の外の出来事はすべて創作であり、わたしが頭の中で想像したものである。彼はかねてからそのことを知っていて、この本に関して一言も抗議をしたことがなかった。
牛と闘うアントニオを見守るうちに、わたしは彼が全盛時代の父親が持っていたすべてを持っていることに気がついた。父親のカエターノは完璧な技巧の持主だった。彼は配下のピカドールとバンデリリェーロたちを完全に掌握することができたので、牛の扱い全般、牛の死にいたる三つの段階は秩序整然として間然するところがなかった。
わたしは慣用的な英語で説明できるときはできるだけスペイン語を使わないようにするつもりだ。これはどんな場合でも可能というわけではないが、最近の物知りぶった作家たちから教えられる、これ見よがしの気どった闘牛用語よりはそのほうがましだろう。こんな手合いが闘牛について英語で書いたものを読んで、わたしはうんざりしてしまったのである。このごろでは、わたしが言ったり書いたりすることをできるかぎり英語で表現しないかぎり、読者はマノレティーナス、ヒラルディーリャス、ペドレシーナス、トリンチェリーリャスなどのさまざまなコメディアンめいた演技名に圧倒されて、その意味を調べる暇もなくなってしまうだろう。おしまいに -ina または -illa とつくパスはすべていんちきで、騙されやすい大衆を感動させるために作りだされたものかもしれないということをおぼえておくだけで十分である。ただこれだけはスペイン語で言ってもよいだろう。アントニオの父親は偉大な director de lidia(闘牛の指揮者)だったし、息子のアントニオは director de lidia として父親よりはるかにまさっている。したがって牛が登場してからのケープによるパスのひとつひとつと、ピカドールたちのあらゆる動きと、槍のひと突きひと突きが、牛をして闘牛の終幕にそなえさせるための、剣による止めにそなえさせるための、赤いムレータによる牛の支配をめざして、整然と指揮されるのである。
現代の闘牛においては、剣のひと突きで止めを刺すためにムレータで牛を支配するだけでは不十分である。牛にまだ攻撃力が残っている場合は、マタドールは止めを刺す前に一連の古典的なパスを演じなければならない。これらのパスにおいては、牛が角の届く範囲内でマタドールの体側を通過しなければならない。牛が人間の挑発と誘導に従ってより近いところを通過すればするほど、観客の興奮はいよいよ深まる。こうした一連の古典的なパスはきわめて危険なもので、それを行なうときはマタドールが四十インチの棒に掛けて持った赤いフランネルで牛をコントロールする必要がある。多くのトリック・パスが考案されたが、そこでは牛をして人間のそばを通過させるかわりに、実際は人間が牛のそばを通過する、あるいは牛の突進を利用して、その動きをコントロールし支配するというよりは、むしろ牛にあいさつをするだけのことだ。こうしたあいさつ型のパスの中でもっともセンセーショナルなものは、一直線に突進する牛に対して行なわれるそれであり、比較的危険がないことを知っているマタドールは、パスを始めるにあたって牛に背を向ける。彼は同じ方法で市街電車をやりすごすこともできるのだが、大衆はマノレーテが偉大な闘牛士であったと教えられているから、これらのトリック・パスを好み、これこそ偉大な闘牛にちがいないと思いこむ。大衆がマノレーテは安っぽいトリックを使う偉大な闘牛士であったことを知り、彼がそういう安っぽいトリックを使ったのは自分たちがそれを求めたからだということを知るまでには、このさきまだ何年もかかることだろう。マノレーテは騙されることを喜ぶ無知な大衆の前で牛と闘っていたのである。
アントニオ・オルドネスを初めて見たとき、わたしは彼がすべての古典的なパスをごまかしなしにやれること、彼が牛を知りつくしており、その気になればりっぱに牛を殺せること、ケープさばきの天才であることを一目で見てとった。彼がマタドールの三大必須条件をそなえていることを見抜いた。すなわち勇気、闘牛士としての技術、それに死の危険を目前にしての優雅さがそれである。しかし、ある共通の友人から、闘牛のあとでリングの外へ出るとき、アントニオがわたしにヨルディ・ホテルへ会いにきてもらいたがっていると告げられたとき、わたしは考えた。闘牛士と友だちになるのはもうやめろ、ましてや今度の相手がいかにすぐれた闘牛士であり、彼の身にもしものことがあった場合、自分がいかに多くのものを失うことになるかがわかっているだけに、なおのこと彼と友だちになるべきではないと。
さいわいわたしは自分自身のよき忠告や恐怖心の助言に耳をかすということを知らない人間である。そこでヘスス・コルドバに会ったとき、ヨルディ・ホテルの場所を尋ねると、彼はホテルまでわたしを案内すると申しでた。ヘスス・コルドバはキャンザス生まれのメキシコ人闘牛士で、流暢な英語を話し、その前日わたしに牛を捧げて、ふたたびわたしを尊敬すべき人物にしてくれた男である。なぜならスペインで闘牛士から牛を捧げられるほどの人物は、本物の共産主義者であるはずがないからだ(本物の共産主義者はおのれの信条に反する闘牛場へなど足を運ばない)。ヘスス・コルドバはすばらしい若者であり、すぐれて知的なマタドールでもあるので、わたしは彼との語らいを大いに楽しんだ。彼はアントニオの部屋の前までわたしを送ってくれた。
アントニオはいちじくの葉のかわりにタオル一枚当てただけの裸でベッドに横たわっていた。わたしはまずその目に惹きつけられた。いまだかつて見たこともないほど黒く、輝きを帯びた、陽気な目、そしていたずらっぽい笑い、それからわたしは右大腿部の傷痕を見ないではいられなかった。アントニオは二番目の牛を殺すときに右手を剣でひどく切っていたので、左手を差し出して言った。「ベッドにかけてください。どうです、わたしは親父と比べてひけをとりませんか?」
そこでこの不思議な目をじっとみつめながら、彼のいたずらっぽい笑いが、われわれが友だちになるということに関する一抹の疑問とともに消え去った今、わたしはきみのほうが父親よりもすぐれていると答え、その父親がいかにすぐれた闘牛士であったかということを力説した。それから彼の傷ついた手について話し合った。彼は二日後にはその手で闘うのだと言った。それは深い切傷だったが、腱や靭帯《じんたい》は切断されていなかった。マネージャーのドミンギンの娘で、マタドールのルイス・ミゲル・ドミンギンの妹である彼の婚約者カルメンに申しこんであった電話が通じたので、わたしは遠慮して電話の話が聞こえないところまではなれた。電話が終わるとわたしはさよならを言った。時間は忘れたが改めてエル・レイ・ノブレで会う約束をし、約束通りメアリと三人で会って以来今日まで親しくしている。
一九五六年には彼と共同経営者《ソシオス》の関係にはいった。この共同経営の実際的基盤は、わたしが事業の著作部門を受け持ち、アントニオが闘牛部門を担当するという取り決めだった。そのほかにもいくつかの取り決めが行なわれた。スペインの新聞はわれわれの事業計画にいつも強い好奇心を示したが、それはたいていの場合きわめてスケールの大きい、想像力に富んだ計画だった。だれかがよくアントニオのインタヴュー記事の切抜きを送ってくれたが、それはわたしが一度も行ったことのないどこかの海岸に、アントニオと共同でモーテル・チェーンを建設するといったような微笑ましい内容だった。またあるときは新聞記者がやってきて、アメリカにおけるさしあたっての事業計画としてはどんなものがあるかとわれわれに質問した。わたしはアイダホ州のサン・ヴァレーを買収する計画だが、価格の点でユニオン・パシフィック鉄道と折合いがつかないのだと答えた。
「だったらパパ、方法はひとつしかないよ」と、アントニオは言った。「ユニオン・パシフィックごと買収しなくちゃ」
この種のすばやい決断と、われわれの著書の翻訳およびラテン・アメリカにおけるアントニオの冬期興行によって、われわれが各国に保有している莫大な現金のおかげで、われわれは新聞のために外モンゴルの阿片生産の利権や、ラスヴェガスのある種の事業や、数か所の錫鉱山や、ラッキー・ストライクや、各地の闘牛場や、ミラノのスカラ座や、一流のホテル・チェーン(これは不成功に終わった)を手に入れることができたし、今はデュ・ポン関係者たちと彼らが持っているジェネラル・モーターズ株について商談を進めているところだ。
われわれがアントニオの闘牛を初めて見たとき、ルイス・ミゲル・ドミンギンはすでに引退していた。われわれはマドリード・バレンシア街道ぞいのサエリセスの近くに彼が買ったばかりの牧場ビラ・パスで、初めて彼と会った。わたしは彼の父親を何年も前から知っていた。父親はトレド州キスモンドの出身で、二人の偉大なマタドールが活躍していた時代のすぐれたマタドールであり、のちには非常に有能で抜目のない事業家になって、ドミンゴ・オルテガを発見し、そのマネージャーをつとめた。ドミンギン夫妻には三人の息子と二人の娘がいた。息子たちは三人ともマタドールだった。わたしは息子たちの闘牛を一度も見たことがなかった。信頼のおける闘牛鑑賞家たちから聞いたところによれば、長男のドミンゴは止めを刺す腕前はすぐれていたものの、ほかの点では才能がなかった。次男のペペはバンデリーリャにかけてはずばぬけた名手で、腕も頭もよい万能闘牛士だった。ルイス・ミゲルは何をやらせても身のこなしが軽快で才能があり、偉大なバンデリリェーロで、スペイン人の言う torero muy largo(偉大な闘牛士)であった。すなわちパスと優雅なトリックの豊富なレパートリーを持ち、すばらしいバンデリリェーロで、牛を相手にしてどんなことでもできたし、意のままに牛を殺すことができた。
父親のドミンギンはマドリードのサンタ・アナ広場で[セルベセリア・アレマーナ]という名のすばらしいコーヒー店兼ビアホールを経営しており、わたしは長年のあいだこの店に足しげく通っていた。ドミンギン一家はこの店からつい目と鼻の先の角を曲がったところに住んでいた。メアリがわたしの誕生日の贈物にカフス・ボタンを買うのを手伝い、それからバレンシアへ行く途中でルイス・ミゲルが新しく買った牧場を訪ねて昼食をしてゆくようにとすすめてくれたのは、この父親のドミンギンだった。ジァンフランコはイタリアへ帰らなければならなかったので、メアリと、マドリードで偶然会ったパンプローナ出身の旧友ファニート・キンターナと、わたしの三人は、ヌエバ・カスティーリャ地方の七月の熱気と、道ばたの打穀場のもみがらを空に舞い上がらせるアフリカからの風の中を車で走ったのち、涼しく暗いルイス・ミゲルの家にたどりついた。
ルイス・ミゲルは魅力的な男で、色浅黒く、長身で、尻が小さく、闘牛士にしてはほんの少し首が長すぎ、職業的な尊大さからくつろいだ笑いまで千変万化する、厳粛であると同時に人を小馬鹿にしたような顔の持主だった。アントニオがルイス・ミゲルの妹カルメンといっしょに牧場にいた。彼女も顔色は浅黒く、容姿ともに端麗だった。彼女とアントニオは婚約者同士でその秋に結婚することになっており、二人の言動のはしばしから、おたがい深く愛し合っているようすが見てとれた。
われわれは牛を見学し、禽舎や馬小屋や銃器室を見た。それからわたしは最近牧場で罠にかかった狼の檻にはいって行って狼と遊んだが、アントニオはそれをたいそうおもしろがった。狼はいたって健康そうで、恐水病にかかっているようすはまずなかったので、せいぜい咬みつかれるくらいで他に害はないと見てとったわたしは、檻の中にはいって行って彼をけしかけようとしたのだった。狼はたいそう行儀がよくて、狼好きの人間を見分けることができるらしかった。
われわれはまだ水を張っていない完成したばかりのプールをのぞき、ルイス・ミゲルの等身大のブロンズ像を鑑賞した。生存中に自分の邸内に銅像を建てるのは珍しいことだが、わたしは本物のミゲルのほうが銅像よりも感じがよいと思った。もっとも銅像のほうが本人よりも少しばかり高貴な感じがしたが。しかし一人の男にとって自宅の庭にある自分の銅像と張合うのは容易なことではない。ただこの年のミゲルはあらゆる点において銅像をしのいでいた。わたしは逆境にある人間を数多く見てきたが、ミゲルは逆境にあっても他のだれよりも堂々としていたので、銅像のほうがはるかに彼の後塵を拝していた。
われわれはルイス・ミゲルの家で楽しいひとときを過ごした。友人たちからたんにミゲルと呼ばれている彼は、赤ぶどう酒をフルーツ・ジュースで薄めたサングリアというものを飲み、われわれはすばらしい食事をごちそうになった。われわれはその後一九五四年にアフリカから帰るまでミゲルにもアントニオにも会わなかった。しかし船上で、マラガで闘牛をやっていたアントニオから道中の無事を祈る電報を受け取ったし、われわれの飛行機がマーチスン・フォールズで墜落し、つづいて今度はブティアバで炎上したとき〔一九五四年のアフリカ旅行中に遭遇した二度の飛行機事故をさす〕、ほかの飛行機に乗ることのできるエンテツベまできて最初に受け取った電報がやはり彼からのものだった。
そのつぎにミゲルと会ったのは、一九五四年五月のマドリードだった。彼はある風の強い雨まじりの悪天候の日の、ひどく冴えないコリーダのあとで、パレス・ホテルのわれわれの部屋へやってきた。部屋の中には大勢の人とグラスと煙草のけむりが溢れ、どんな話だったか忘れたほうがいいような話題でにぎわっており、ミゲルはげっそりした顔をしていた。調子のよいときの彼は、ドン・ファンとハムレットを足したような美男子なのだが、その騒々しい夜の彼はげっそりやつれて疲れはてているように見えた。三日ごしの無精ひげをはやして、すっかりうちひしがれているようすだった。それまで病院にいて、ある種の結石が体外に排出されるときの、あるいは排出されそこなったときの耐えがたい痛みで苦しむエヴァ・ガードナーの看護をしてきたのだという。わたしはミゲルが病院で、苦しむエヴァを助けるために看護婦や医者にできることすべてを学んで、二十四時間の不寝番をつづけていたことを知った。わたしはエヴァを見舞いに病院へ行ったが、彼女はミゲルがいかに献身的に看護してくれたかをわたしに話してくれた。
ミゲルは引退中の身だったが、フランスで何度か闘牛に出場することを考えていたところだったので、わたしは二度ばかり彼といっしょにグァダラマ山脈の陰に隠れたエスコリアルのほうの田舎へ出かけて行って、彼がふたたび牛と闘えるようになるまではどれくらいの期間が必要かを見るために、若牛を相手にトレーニングするのを見守った。彼の懸命の努力を眺めるのは楽しかった。いっときも休んだり骨惜しみしたりはせず、疲れたり息切れしたりしはじめるとなおさら激しく動きまわり、とうとう牛のほうが参ってしまうまでつづけるのだった。そうするとまたべつの牛を相手にして、流れる汗を拭おうともせずに、新しい牛が現われるまでのあいだに乱れた呼吸を整えるのだった。わたしは彼の優雅で軽快な身のこなしと、肉体的機能、すばらしい脚、反射神経、驚くべきパスのレパートリー、牛に関する百科全書的知識などにもとづいた闘牛術《トレオ》に感嘆した。彼の努力を眺めるのは楽しかったし、雨あがりの春の田園風景は美しいの一語に尽きた。ただひとつだけわたしにとって問題があった。彼のスタイルに全然感動をおぼえなかったことである。
わたしは彼のケープさばきが気に入らなかった。幸運にもわたしは、ベルモンテとともに近代闘牛が始まって以来のケープさばきの名手たちをことごとく見てきたのだが、たとえ野原でのトレーニングを見ただけとはいえ、ルイス・ミゲルはそれらの名手たちに比肩しえないことがわたしにはわかった。
しかしそれは些細なことにすぎず、わたしは彼との交友を大いに楽しんだ。彼は人をからかうユーモアの持主であり、非常にシニカルで、キューバのわれわれの農園《フィンカ》にしばらくのあいだ彼が滞在するという幸運に恵まれたとき、わたしはいろんなことについて彼から多くを学んだ。非常に頭のよい男で、理路整然とした考えをもち、闘牛とはまったく無関係なさまざまのことにかけても才能があり、わたしが知り合う幸運に恵まれた人々の中でもっとも知的な一家の出身だった。わたしはそのとき彼の二人の兄ドミンゴとペペにも会ったが、当時は彼らがいかに読書家で知的な人間であるかを知らなかった。また妹のカルメンが美人で座談の名手であることは知っていたが、一九五六年にメアリとわたしとアントニオとカルメンがひんぱんに会うようになるまでは、彼らがまったく他に類を見ない一家だということを知らなかったのである。
ミゲルはすばらしい友人であり、申し分のない客であった。彼は人生と闘牛の両方について、聞いたこともないようなおもしろい話をいくつかしてくれた。わたしはそのひとつとして他人に話したことはないし、以後彼とはずっと親しい友だちだったが、この関係が一九五九年の対立をあれほどまでに激化させる原因のひとつになったのである。もしもミゲルが敵であり、わたしの友人でも、カルメンの兄でも、ドミンゴとぺぺの弟でも、アントニオの義兄でもなかったとしたら、何も問題はなかったろう。いや、問題はあったにしても、一人の人間として気にかけるだけですんだろうと思う。
アントニオにとって一九五八年は偉大な年であり、昨年までのうちでもっとも重要な年だった。われわれは二度目の渡航の用意がほぼできていたのだが、わたしは当時書きかけていた小説を中断することができなかった。そこでアントニオとカルメンにクリスマス・カードを送って、一九五八年のシーズンには行けなかったが、一九五九年にはどんなことがあっても行くつもりだし、五月中旬のサン・イシドロの市《フェリア》に間に合うようにマドリードに到着するつもりだと書いた。行ってみてわかったことだが、わたしはその年の春、夏、秋の闘牛を見逃してもけっして残念に思わなかったことだろう。それを見逃すことは悲劇的だったろうが、実際に見たことも悲劇的だった。しかしそれはやはり見逃すことのできないものだった。
[コンスティチューション号]の旅は一日だけつづいた上天気で始まり、やがて船は雨と曇り空と、船尾から追いかける荒い波を伴ったひどい悪天候の中に突入して、ほとんどジブラルタル海峡近くまでそんな天候の中に閉じこめられたままだった。[コンスティチューション号]は大型の快適な船で、感じのよい親しみのもてる人々がたくさん乗り合わせていた。われわれはこの船を[コンスティチューション・ヒルトン]と呼んだ。なぜならそれはメアリもわたしも一度も乗ったことのないような、およそ船らしくない船だったからである。あるいは[シェラトン=コンスティチューション]という名前のほうがよりふさわしかったかもしれないが、それはまたの機会に譲ろう。
船はほとんど揺れなかった。食事はおいしくて衛生的だった。すばらしいバーがいくつもあって、わたしの知るかぎりではもっとも優秀なバーマンたちを揃えていた。高級船員もその他の船員たちもみないい連中ばかりで、サーヴィスもゆきとどいていた。[ノルマンディ号]や[イール・ド・フランス号]や[リベルテ号]の旅と比べると、パリのリッツ・ホテルの庭に面した部屋よりは、むしろどこかの快適なヒルトン・ホテルに住んでいる感じだった。だが船上で知り合った多くのよき友人たちのことを思うと、わたしはこの船を去りがたかった。
船が海峡にはいると、太陽は明るく輝き、海は青く澄み、右手に見える褐色のアフリカは徐々に遠ざかりながら高く聳えつつあった。相変わらず強い風が吹いて空に浮かぶ白い雲を吹き流し、ブリッジでは、湾内の混雑を縫って、緑の丘の上に広がる愛想のよいムーアふうの白い町アルヘシラスの停泊地へと船を進める操舵手に、船長が物やわらかなはっきりした口調で話しかけていた。操舵手から目をそむけて、湾をへだてた右岸をのぞむと、どっしりとしてはいるが乱雑で、ぼつぼつ穴のあいたジブラルタルの褐色の山塊が見え、[コンスティチューション号]はやはり海上を走るホテルではなく、船長によって優美に操られる信じられないほど巨大な、航海に適した船に見えてくるのだった。
案内係が乗客全員を連れて行った埠頭の税関と移民局の空気は、いたって陽気で友好的だった。荷物は検査なしでただちに通関し、スタンプを捺《お》された。その年の夏から秋にかけてわれわれが通過したスペイン国境のどこでもそれは同じだった。ただイギリスとの冷戦がつづいていたジブラルタルの国境でだけは、旅行者は荷物の中身まで調べられたが、そこでもわれわれの荷物だけはあけられなかった。わたしがジブラルタルで買った品物を申告したところ、それには課税されたが、あるとき一人の税関吏が、これは税関吏個人としての意見だがと前置きして、わたしがジブラルタルで買った四本のウイスキーくらいは見逃したいところなのだがと語ったことがある。彼は『老人と海』をスペイン語で読んだと言い、じつはわたしも漁師なのですと打明けた。
アルヘシラス上陸と同時に、わたしはちょっと時間を割いて、埠頭でショットガンを持ちこむための警察の許可を申請した。スペインが観光促進政策をとりはじめる前なら、許可がおりるまでに十日間はかかったろう。ところがアルヘシラスではあっという間に手続きがすみ、警察が質問したのは銃の名前と口径と一連番号、それにわたしのパスポートの記載事項だけだった。持ちこんだ銃のうち二挺はメアリのものだったが、それも同じ一枚の許可証でこみで扱われた。
銃がほかの荷物といっしょに積みこまれると同時に、われわれはたそがれの中を出発してこぎれいな白い町の中を登り、古いアラブふうの区画を通り抜けて、表面を黒く舗装した狭い並木道に出た。その道はジブラルタル湾を迂廻して走り、やがて沼地から抜けだして、徐々に登りにさしかかり、指を突きだしたような細長いへら状の平野部を横切っていた。その平野の先端には、指先が巨大な恐竜の化石に触れるような恰好で、ジブラルタルが聳え立っていた。ジブラルタルからの密輸をそこで最初にチェックするためか、あるいはイギリス側を降参させる冷戦の中のいやがらせの手段としてか、指のつけ根に当る部分に税関が設けられていた。アルヘシラスからきたわれわれを治安警備隊が黙って通してくれたので、夜の闇を通って、ジブラルタルからマラガまで、海と平行に登ったり下ったりしながら走るローラー・コースターのような山沿いの道を走りだした。船の上で知り合ったビル・デーヴィスがマラガで傭った運転手は、ひどく運転が下手くそだった。とりわけ人々が夜の散歩《パセオ》に出ている途中の小さな漁師町の、混雑した目抜き通りにさしかかると、その下手さかげんがよけいに目立った。しかし、考えてみればアメリカの道路を走りなれたせいで、わたしは少々神経質になっていただけのことかもしれない。確かに彼はわたしをいらいらさせたが、その原因はべつにあったことがあとでわかった。
デーヴィス一家、ビルとアニー、それに二人の小さな子どもたちテオとニーナは、マラガの後方の丘にある[ラ・コンスラ]という名の別荘に住んでいた。この別荘の門に鍵がかかっていないときは、門番が一人ついていた。両側に糸杉を植えこんだ長い玉砂利敷きの車まわしがあった。マドリードの植物園にも匹敵する樹木におおわれた美しい庭園があった。豪壮な涼しい大邸宅には大きな部屋がいくつもあって、廊下や部屋にはアフリカハネガヤで編んだマットが敷かれ、どの部屋にも本がたくさんあって、壁には古地図やすばらしい絵がかかっていた。寒い季節にそなえて暖炉の設備もあった。
山の泉から水を引いたプールもあって、家じゅうどこにも電話はなかった。はだしで歩きまわっても構わないのだが、五月はまだひんやりと冷たく、大理石の階段にはモカシン靴をはくほうがよかった。食事も飲物もすばらしかった。だれ一人他人にお節介する者はおらず、朝目をさまして二階のぐるりを取り巻く長いバルコニーに出て、庭の松林ごしに山や海を眺め、松風に耳を傾けるとき、わたしはこれほどすばらしい別荘にはいまだかつてお目にかかったことがないと思ったものだった。仕事にはもってこいの場所だったので、ただちに執筆にとりかかった。サン・イシドロの市《フェリア》の、最初の闘牛を見にマドリードへ行くまでは、まだ二週間あった。
アンダルシアはちょうど春の闘牛シーズンの終わりだった。セビーリャの市《フェリア》はすでに終わっていた。それは見逃しても惜しくはなかった。ルイス・ミゲルはヘレス・デ・ラ・フロンテラで、[コンスティチューション号]がアルヘシラスに着いた日に、彼のスペインにおける最初の闘牛をやる予定だったが、自分の牧場でエルザ・マクスウェルのために催した仔牛いじめのお祭りで、鮮度の落ちた貝を食べたためだと思われるプトマイン中毒のせいで、出場できなくなったという医師の診断書を送ってよこしていた。この話にはあまり感心しなかったし、エルザ・マクスウェルのお祭り騒ぎを報じる写真や新聞記事にはなおのこと不愉快な思いをした。わたしは[ラ・コンスラ]にとどまって執筆したり泳いだりしながら、時おりあまり遠くないところで行なわれる闘牛を見に行く生活がいちばんかもしれないと思った。しかしサン・イシドロの闘牛でアントニオと会う約束があったし、『午後の死』の付録を完成させるのに必要な資料の不足分も入手しなければならなかった。
五月三日にアントニオがヘレスで牛と闘い、二頭のファン・ペドロ・ドメク牛を優雅にさばいて見事に止めを刺したあとで、牛の両耳を切り取ったとき、だれもがヘレスでわたしたちに会えるものと予想していたらしい。ルパート・ベルヴィルの話によると、何人かの人がアントニオに向かって、あなたの共同経営者はどこにいるのか、なぜ闘牛場に姿を見せないのかと質問したという。ルパートは闘牛のあとで戦闘機の操縦席よりも彼の六フィート四インチの長身によりふさわしいグレーのかぶと虫型のフォルクスワーゲンを駆って、[ラ・コンスラ]にやってきたのである。アントニオはその人たちにこう答えた。「エルネストもわたしもそれぞれ仕事がある。われわれは五月の中旬にマドリードで会うことになっているよ」ファニート・キンターナがルパートといっしょだったので、アントニオはどんなようすだったかときいてみた。
「これまでの最高だったよ」と、ファニートは答えた。「いよいよ自信ありげで、危っかしいところは全然なかった。初めから終わりまで牛を押しまくった。自分の目で見ればわかるさ」
「どこもおかしなところはなかったか?」
「いや。まったくなかった」
「止めは?」
「一度目は完全に牛と交錯して、ムレータを低く下げながら、上のほうを刺した。一度目は骨に当ったので、二度目は剣の先をほんのわずか下げて動脈に達した。一度目がまだ少し高すぎたことを知って、つぎは申し分のない突きを入れ、あらゆる危険を冒した。しかし骨のよけかたは知っていたね」
「われわれは彼を買いかぶっていないと思うかね?」
「もちろんだとも。彼は思った通りすばらしい闘牛士だし、怪我をしてますます強くなった。怪我は全然悪影響を与えていなかったよ」
「ところできみは? 調子はどうかね?」
「上々だ、またいっしょにシーズンを迎えられてうれしいよ。今年はいろんなみものが期待できそうだ」
「それからルイス・ミゲルはどんなぐあいかね?」
「エルネスト、それはわたしにもどうなるかわからないんだ。去年彼はビトーリアで本物の牛、ミウラ牛と闘ったが、昔のような年とった牛じゃなかった。いい牛だったが本物の牛で、彼には扱いきれなかった。支配者のはずの彼が、牛に振りまわされるしまつだった」
「角に細工してない牛と闘っているのか?」
「もちろん。しかし、いろいろと問題があるからね」
「調子はいいのか?」
「すばらしくいいという話だがね」
「そうでなきゃ困るだろう」
「まったくだ」と、ファニートは言った。「アントニオは獅子だ。わたしにそう感じさせた闘牛士は過去に二人しかいない。ホセとファン〔近代闘牛の創始者といわれるファン・ベルモンテとそのライヴァルの名手ホセリートのこと〕だけだ。一度だけでなく、つねにうまくやれて、しかも牛に闘志を吹きこむことによって、牛にもうまくやらせることができる」
「そう感じさせた者はほかにもいるじゃないか」と、わたしは言った。「きみだっておぼえているはずだ」
「確かにいたさ」と、ファニートは言った。「しかし彼らは長つづきしなかった。アントニオはもう十一回も重傷を負っているが、そのたびに前よりよくなっている」
「だいたい一年に一度の割合だな」
「一年に一度はかならず怪我をしている」と、ファニートは言った。庭の、われわれが立っているすぐそばに大きな松の木があったが、わたしはその松の幹を三度殴りつけた。木々の梢を強い風が吹き渡っていたが、その年の春と夏は闘牛の日というと決まって強い風が吹いた。わたしの知るかぎりスペインでこんなに風の強い夏は初めてで、あれほど多くの闘牛士が牛の角にかかって重傷を負ったシーズンはだれの記憶にもなかった。
わたしに言わせれば、昨年一年間に多くのマタドールたちがたびたび重傷を負ったのは、第一にケープやムレータを扱うときに彼らを牛の角の前にさらした風のせいであり、第二にほかのすべてのマタドールたちがアントニオ・オルドネスと張合う必要上、風が吹こうが吹くまいが、競って危険な業を見せようとしたためである。原因はまだほかにも考えられるが、それはまたあとで述べることにする。
闘牛を知らない人間は、これほど多くの闘牛士が負傷するのに、なぜ死者の数がこうも少ないのかという疑問を抱く。その答は抗生物質と、外科医学の進歩である。ペニシリンをはじめとするもろもろの抗生物質は、闘牛士が生き長らえようとするならば、彼にとっては信頼のおけるバンデリリェーロに劣らず重要である。ペニシリンはクァドリーリャの目に見えないメンバーなのである。もし抗生物質が存在しなかったら、おそらく昨シーズンだけで最低二十人のマタドールと見習闘牛士《ノビリエーロス》が死んでいただろう。抗生物質と現代外科医学があれば、過去に命を落とした有名なマタドールの大半が救われていたかもしれないのだ。
ファニートとわたしは[ラ・コンスラ]の庭園を歩きながらこのことを論じ合い、二人が知っているいくつかのケースを名指して、われわれがよく知っていた若者たちの死に思いをはせ、果して彼らが助かっていただろうかどうかと話し合った。その夏がどのような夏になるかは知るよしもなかったが、二人とも多くの懸念を感じていた。
闘牛は競争がなければ無価値である。しかし偉大な闘牛士が二人いる場合はそこに危険な競争が生じる。なぜなら一方が他人には真似のできないようなことをいつもやってのけるとき、そしてそれがトリックではなしに非のうちどころのない気力と判断と勇気によってのみ可能な危険きわまりない演技であり、しかもその危険度が着々と増してゆく場合は、もう一方の闘牛士が、もし一時的に気力を失ったり判断を誤ったりすれば、ライバルに追いつき追い越そうとして重傷を負ったり殺されたりすることになる。彼はトリックに頼らざるをえなくなり、やがて観客がトリックと本物を見分けるようになったとき、この競争に敗れ去り、生きているか闘牛をつづけていられるだけでも儲けものというはめになる。
五月の初めの十二日間はあっという間に過ぎ去った。わたしは早朝から仕事をして、正午ごろになると楽しみのために、だが健康維持のために規律正しく泳いだ。みんな遅い昼食をとり、ことによると遅れた郵便物や新聞をとりに町まで出かけ、マラガの中心部の海岸に面した大きなミラマール・ホテルにある、シムノンの作品から名前をとったナイトクラブ、[ボワト]へ行き――そこで働いている人たちと知合いになったのだ――それから丘の上に戻って[ラ・コンスラ]で遅い夜食をとった。そして五月十三日にマドリードと闘牛のために[ラ・コンスラ]を出発した。
未知の地方を車で旅行するときは、距離は実際より遠く感じられるし、悪路は実際以上に悪く見え、危険なカーヴはより危険に、急な登りはいよいよ急勾配に思えるものである。それは幼年時代や少年時代への逆行に似ている。しかし海岸の町マラガから海岸ぞいの山の中へ登り、それを越えて行く自動車旅行は、たとえあらゆるカーヴや便宜を知り尽していたとしてもなお骨の折れる仕事である。
ビルが人にすすめられて傭った運転手の車で、マラガからグラナダ経由でハエンまで行ったこの最初の自動車旅行では、まさに背筋の凍る思いをした。彼はカーヴにさしかかるたびにわれわれをひやりとさせた。彼のほうで用心しなければ相手はどうすることもできないという積みすぎの下りのトラックに出会っても、ただやたらに警笛を鳴らすしか能がなく、登りでも下りでもはらはらさせられ通しだった。わたしはつとめて眼下に広がる谷間や小さな石造りの町や農場を眺め、絶壁となって海に落ちこんでいる山の連なりをふりかえって見た。一か月前に樹皮を剥ぎとられたコルク槲《がし》の黒ずんだ幹を眺め、曲がり角にさしかかると深いクレヴァスをのぞきこんだり、ところどころ石灰岩の突出したハリエニシダの原野がゆるやかに起伏して、はるかかなたの岩山の頂上まで広がっているのを眺めたりしながら、時おり物静かな口調でスピードやすれちがいについての指示や命令を与えるだけで、あとはこの無謀な運転ぶりをじっと耐え忍んでいた。
ハエンでは、歩行者に全然注意を払わずに猛スピードで走って、無謀にも通りを歩いていた男をあやうく轢きそうになった。おかげで運転手が少しはいいつけに従うようになり、そのうえ道路もよくなったので、われわれはどんどん進んでバイエンでグァダルキビル峡谷を越え、もうひとつの高原を登って、シェラ・モレナ山脈が左手に黒々と見える山岳地帯にふたたびさしかかった。そしてカスティーリャ、アラゴン、ナバーラのキリスト教徒の王たちがムーア人を打ち破った、ナバス・デ・トロサの高い起伏に富んだ山々を通り過ぎた。そこはいったん峠さえ通過すれば、守るにしろ攻めるにしろ戦いにはもってこいの地形で、車でそのあたりを走りながら、一二一二年七月十六日に同じ場所を通過するにはどれくらいの労力を要したろうとか、その日この同じ山中の草地はどんなようすだったろうかなどと考えると奇妙な心地がした。
やがてわれわれは急な山道をくねくねと曲がりながら登って、アンダルシアとカスティーリャの境にあるデスペナペロスの峠を越えた。アンダルシアの人たちは、この峠より北ではすぐれた闘牛士が生まれたことがないと言う。道路は優秀なドライヴァーから見れば堅固な造りで危険もなく、峠のいただきにはその夏われわれが馴染みになった休憩食堂や宿屋が数軒あった。しかしこの日は休まずに峠を下り、道はずっと走りやすくなったが、ちょうど急な下りになって曲がっているところにある一軒の家の屋根に、二羽のコウノトリが巣をかけているつぎの町で車を止めた。巣は未完成で、雌はまだ卵を産んでおらず、このつがいは求愛の最中だった。雄はくちばしで雌の首を愛撫し、雌は情愛こまやかな目つきで雄を見あげてからやがて目をそむけると、雄はふたたび愛撫を始めるのだった。車を止めて、メアリが何枚か写真を撮ったが、もう光線のぐあいはあまりよくなかった。
われわれは一九五三年にアフリカへ行く途中、フランスのある絵入り新聞で、ヨーロッパのコウノトリが姿を消してしまい、おそらく絶滅するのではなかろうかという長い記事を読み、その年の冬の終わりにアビシニアからのイナゴの大群の飛来やその他のアフリカの虫害を追って、何千羽というコウノトリが移動するのを見たことを思い出した。その町で見かけた二羽のコウノトリは、わたしがスペインで見かけた初めてのコウノトリだったが、その夏はほかにも何百羽と目についた。それは三十五年間に一度も見たことがないほどの数で、以来峠を登り下りするたびに、われわれは車を止めてこの二羽のコウノトリが巣を造り、二羽の雛を産み育てるのを眺めた。十月の末に最後にこの道を通ったときは、巣は空っぽでコウノトリ親子の姿は見えなかった。
やがて平坦なバルデペニャスのぶどう酒産地にさしかかった。ぶどうの木は腕の長さもないくらいで、見渡すかぎりのぶどう畑が坦々として黒っぽい山裾まで広がっていた。わたしはマドリードの早朝の酒場で飲むバルデペニャス産のぶどう酒がことのほか好きである。そういう店ではやはり朝早く目がさめてしまう昔の友だちとよく顔を合わせることがある。バルデペニャスのぶどう酒には少しも気取ったところがない。味は素朴だがなめらかに澄んでいて、ささやかな火をともしたかと思うと灰を残さずに消えていき、体が暖まったらそれ以上飲む必要はない。暑い日には日陰と風でほどよく冷えている。飲むとまず熱気をさまし、それから飲んだことがわかる程度にほどよい火をともしてくれる。つぎの一杯も涼味を感じさせ、ついでエンジンが必要とする場合にだけ火をつけてくれる。いわば貧乏人のタヴェルというところだが、冷やして飲む必要はない。どんな温度でも飲めるぶどう酒で、皮袋に入れて持ち歩く。われわれはハイウェーと平行に走る馬車道の路傍の土の上に降りてくるヤマウズラを眺めながら、ぶどう酒地帯を貫通するすばらしい新道路を走りつづけて、その夜はマンサナレスのガヴァーンメント・インに泊った。マドリードまでは百七十四キロしか残っていなかったが、昼間景色を眺めながら走りたかったし、闘牛は翌日の午後六時にならなければ始まらないからである。
翌朝早く、宿屋の人間がまだ一人も起きださないうちに、ビル・デーヴィスとわたしは、ロルカの詩にもうたわれたイグナシオ・サンチェス・メヒアスの致命的な負傷の場である低い白塗りの闘牛場の前を通って、間道伝いに三キロ先の古いラ・マンチャ地方の町の中心まで散歩し、狭い通りを抜けて寺院広場にいたり、それから朝市の買物客が帰るタール舗装の道を通って宿まで戻った。そこは清潔で管理のゆきとどいた市場で、品数も豊富だったが、買物客は値段、とくに魚と肉の値段に関してうるさかった。わたしには方言がわからないマラガにいたあとだけに、明晰で美しいスペイン語を聞き、話されることすべてを理解できるということは、たいそうすばらしいことだった。
一人の中年男がわたしに近寄ってきて話しかけた。「ここじゃ何も買っちゃいけませんよ。値が高すぎます。わたしは何も買いませんでしたよ」
「しかし、それじゃ家で何を食べるんです?」
「終わりまで待つんですよ。そうすりゃきっと何かしら値下りするものがでてきますからね」
「魚はそんなに待っちゃいられないでしょう」
「いや。鰯ならもう手ごろな値段ですよ。だがわたしはここに住んでいるんです。だから時間はたっぷりある。しかしあんたは何も買っちゃいけませんよ。みせしめのためにね」
われわれはとある酒場でミルク・コーヒーを注文し、それにおいしいパンをひたして朝食にしてから、樽づめのぶどう酒をダブル・グラスで四、五杯飲み、マンチェゴ・チーズを何切れか食べた。ぶどう酒は赤より白のほうがうまかった。新しいバイパスができて、今では町の酒場を訪れる旅行者がほとんどいなくなったと、カウンターの男がわれわれに語った。
「この町は死んだも同然ですよ」と、彼は言った。「市の立つ日のほかはね」
「今年はぶどう酒のできはどうかね?」
「まだなんとも言えませんね。だんなもご存知でしょう。ぶどう酒のできはいつだって変わりなく上々ですよ。ぶどうの木は雑草みたいに成長が速いですからね」
「それはよかったな」
「あたしもそう思いますよ」と、彼は言った。「だからあたしはそいつを悪く言うんです。よく思ってないもののことはだれだって悪く言わないもんでさあ。少なくとも今のところはね」
われわれは急いで宿屋まで歩いて帰った。帰り道は登りだったのでいい運動になった。背後の町は物悲しげで、少しも未練は感じなかった。車に荷物を積みこんで、ハイウェーに通じる道に出るために中庭を出発するとき、運転手が熱心に十字を切った。
「どうかしたのか?」と、わたしは質問した。彼は前に一度アルヘシラスからマラガへ行った最初の晩にも十字を切ったことがあり、わたしは車がどこか恐ろしい事故のあった場所でも通るのだろうと思って、内心その心がけのよさに感心した。しかし今度は朝出発して、しかも首都までのわずかの道程をりっぱな快速道路を通って行くだけだったし、おまけに運転手の話から彼がそれほど信心深い男ではないことも知っていた。
「いや、なんでもありませんよ」と、彼は答えた。「ただマドリードまで無事に行き着きたいだけです」
わたしは奇蹟に頼って、あるいはもっぱら神の加護によって車を運転してもらうためにきみを傭ったんじゃない、と内心思った。かりにも運転手たる者はある程度の技術と自信を持ち、神に運転助手を頼む前にせめてタイヤの点検ぐらいはしてもらわなければならない。だがこの旅は女子どももいっしょだということ、この束の間の人生では人間同士の連帯も必要だということを思い出して、わたしも彼のしぐさを見習った。それから、今後三か月間昼となく夜となくスペインの道路を走りまわるとすればまだいささか気が早すぎるし、その期間中闘牛士たちといっしょに過ごすとすればあまりに自分本位すぎると思われる、おそらくはいささか度のすぎた自分たちの安全のためのこの用心深さを正当化するために、わたしは困っているすべての人々や、癌になったすべての友人たちや、生死の別なくすべての女たちのために、そしてアントニオがその日の午後よい牛に恵まれるように、運命の女神に祈った。結局アントニオはよい牛に恵まれなかったが、われわれのほうはラ・マンチャ地方の町とヌエバ・カスティーリャの草原地帯をかろうじて無事故で走り抜けて、無事マドリードまでたどりつき、一方運転手のほうは、ホテル・スエシアの入口で、大都会での駐車の仕方も知らないことを暴露するにいたって、ついに既得権を侵害することなしに、われわれが彼を傭ったマラガへ追い帰されるはめになった。
たまりかねたビル・デーヴィスが彼に代わって車を駐車させ、その年は以後自分で運転手役を引き受けた。あとでわかったのだが、この運転手はそれまで近距離トラックの運転助手の経験しかなかったのである。彼がわれわれの運転手として推薦された理由は、いかにもスペインらしいところだが、足手まといになる家族がいないこと、人柄がよくて真面目なこと、彼がこの仕事をあとで利用できることなどだった。われわれは言葉づかいに気をつけて、親切に、彼がマドリード市内の地理に不案内でどこへ行くにしても不便このうえないから、運転手として使うわけにはいかないことを説明した。事実その通りだった。彼はその経歴に汚点を残すことなく、元の近距離トラック輸送の仕事に戻って行った。
われわれはアランフェスで休憩して、車の給油と整備のあいだに、タホ川の南岸ぞいにある古いレストラン兼カフェで、アスパラガスと樽づめの白ぶどう酒を注文した。タホ川は緑に映え、川幅が狭く深かった。両岸には並木が立ち並び、川岸の草は流れにそよぎ、休日の行楽客を上流の古い王宮の庭まで運ぶオープン・ランチに、乗客は一人も見当らなかった。アランフェスの町はさわやかな初春の気候の中でひっそりと静まりかえり、レストランはシスレー描くところのバ=ムードンを越えたセーヌ河畔の風景を思わせた。アスパラガスは大きくて白くやわらかく、谷間から抜けだして、マドリードまでの道の横たわる起伏に富んだ、白っぽい、苛烈で容赦ない高原地帯へと登ってゆく前のひととき、川面に躍る魚を眺めながら戸外の樹陰でアスパラガスを食べ、少量の口当りのよいぶどう酒を飲むのは、じつに心楽しかった。
スエシアはマドリードの旧市部から歩いて行ける範囲の、旧議事堂のうしろにある快適な新しいホテルだった。われわれより先にマドリードにきていたルパート・ベルヴィルとファニート・キンターナの口から、アントニオが前の晩新しいホテルのほとんどが集まっている新繁華街のホテル・ウェリントンに泊ったことを知らされた。彼は家に押しかけてくるジャーナリスト、ファン、取巻き連中、プロモーターなどを避けるために、自宅以外の場所で眠り、闘牛士の衣装に着替えることを望んだのだった。ウェリントンも闘牛場からさほど遠くはなく、サン・イシドロの祝祭の交通混雑を考えると、宿舎から闘牛場までの距離はできるだけ近くなければならなかった。アントニオはいつも十分余裕を残して闘牛場に到着する習慣だったし、交通の混雑でもみくちゃにされたらどんな闘牛士だって神経が参ってしまう。これから闘牛に臨もうとする闘牛士にとってこれほどの悪条件はない。
ホテルのつづき部屋は人でいっぱいだった。わたしの知合いも何人かいたが、大部分は知らない人間だった。サロンには内輪の取巻き連中がいた。ほとんどが中年だったが、二人だけ若いのがいた。みんな重々しい表情だった。大勢の闘牛関係者や数人の記者がいた。カメラマンを連れたフランスの絵入り新聞の特派員も二人いた。深刻な顔をしていないのはアントニオの長兄カエターノと、剣持ちのミゲリーリョだけだった。
カエターノが例の銀のヴォトカ・フラスコを持っているかとわたしに尋ねた。
「持っているとも」と、わたしは答えた。「緊急の場合にそなえてね」
「今がその緊急の場合ですよ、エルネスト」と、彼は言った。「ちょっと廊下へ出ましょう」
われわれは廊下に出ておたがいの健康のために乾杯し、また部屋の中へ戻って、わたしがアントニオに会いに行った。彼は着付けの最中だった。
彼は少しばかり大人っぽい感じになり、牧場暮しのせいですっかり陽にやけて健康そうに見える点を除けば、前と少しも変わっていなかった。神経質なところもなく、深刻な顔もしていなかった。一時間と十五分後には牛と闘うことになっており、それが何を意味するか、自分が何をしなければならないか、そして何をするつもりかということを知りつくしていた。われわれは再会を喜び合った。われわれの友情はすべて昔のままだった。
わたしは化粧室から外へ出たかったし、もともと化粧室や闘牛場付属の救護室などにはいりこんで楽しいと思ったことは一度もなかったので、彼がメアリは元気かと尋ね、わたしもカルメンのことを尋ねて、その夜四人で食事をしようという彼の誘いに応じたあとで、わたしは「それじゃもう帰るよ」と言った。
「あとでまたきてくれますね?」
「いいとも」と、わたしは答えた。
「じゃ、そのときにまた」と、彼は言い、マドリードにおけるシーズン最初の闘牛の前にもかかわらず、きわめて自然で無理のないいたずらっ子のような微笑を浮かべた。闘牛のことを考えていることは確かだったが、全然心配していなかった。
その日の闘牛はひどいものだったが、闘牛場は満員だった。どの牛もみなためらっていて危険だった。攻撃も煮えきらず、突進する途中で立ち止まったりした。牛たちは馬に突きかかるときもためらった。穀物で飼育されたために、図体のわりに体重がありすぎ、馬を攻撃する意欲のあるやつも、後足が弱くてすぐにエンジンがストップした。
マドリードで正マタドールとしてのアルテルナティーバ〔見習マタドールから正マタドールへの昇格の儀式。先輩マタドールがその日の最初の牛を殺す剣とムレータを与えることによって成立する〕を受けたビクトリアーノ・バレンシアは、すばらしい業もほとんど持たず、将来性もとぼしく、まだ見習いの域を出ていないことを暴露した。
完成された老練なマタドール、フリオ・アパリシオが、闘牛の進行、すなわち牛の操作と配置を行なったが、どうにも見られたざまではなかった。彼は牛たちの欠点を取り除こうともせず、牛をけしかけて攻撃させることよりも、牛に攻撃する意志がないことを観客に示すほうにより多くの時間を費した。彼は若いうちに多額の金を稼いでしまい、今はただそれぞれの牛から持てる能力を十分に引きだすことよりも、危険もなければ手ごわくもない牛だけを相手にしようとするマタドールにつきものの欠点にとりつかれていた。アパリシオはどの牛を相手にするときも見応えのある業を見せず、ただ彼のことを気にかけている人間と自分自身に、おれだってうまくやれるのだということを証明するために、上手に、すばやく、なんのスタイルもなく牛を殺しただけだった。
アントニオがこの日のコリーダを惨憺たる結果から救い、マドリードの観客にその成長ぶりを初めて披露した。彼の最初の相手はけちな牛だった。馬を攻撃するにも躊躇し、率直に攻撃したがらなかったが、アントニオがケープでていねいにきめこまかく欠点を矯正し、牛の関心を惹きつけ、教え、一回ごとにますます近く通過させることによって牛を活気づけた。彼は観客の目の前でこの牛を闘う牛に生まれかわらせた。アントニオは自分自身の楽しみと牛に関する知識のために、まるでその牛の頭の中にはいりこんで活動しているかに見え、やがて牛は何が自分に要求されているかを理解した。かりに牛がつまらない考えをもっていたとしても、アントニオは牛に代わってそれを巧みにそして確実に変えてやることができただろう。
わたしが最後に見たとき以来、彼はケープさばきの技術を完璧の域に達するまで磨きあげていた。それはただたんに、すべてのマタドールが理想とする猪突的な牛の往復攻撃に対して、美しいパスを行なったというだけのことではなかった。ひとつひとつのパスが牛を支配し導き、ケープのひだで牛をコントロールし、向きを変えさせ、また呼び戻す人間とすれすれに、牛の全身を通過させた。そのたびに牛の角は人間の体からわずか数センチメートルのところを通過し、ケープはまるで映画のスローモーションか夢の中の動きのように、牛の前方で穏やかに抑制された動きを示すのだった。
ムレータを持つと、アントニオはトリックをひとつも使わなかった。今や牛は彼のものになりきっていた。彼は相手をただの一度も痛めつけ、無理にねじまげ、あるいは傷つけることなしに、牛を作り、仕上げ、納得させたのだ。左手でかかげ持ったムレータで前方から牛を誘い、自分のそばと周囲を何度も何度もやり過ごし、やがて牛の角と大きな体全体を自分の胸元に誘いこむ正真正銘のパセ・デ・ペーチョをやって見せてから、止めを刺すために手首のひとひねりで牛を正面に誘導した。
彼は一度踏みこんで、牛の肩甲骨の真ん中上のところを慎重に狙ったが、剣が骨にぶつかり、自分は角の上を越えて身をかわした。二度目も同じ場所を狙って突き刺すと、剣は柄先の十字架型の鍔《つば》までずぶりとはいりこんだ。アントニオの右手が血で汚れるころ、牛はすでに死んでいたが、自分でもしばらくは死んだことに気がつかないほどだった。アントニオは牛の短い生涯におけるただ一度の闘いを導いたように今はその死を導きながら、片手を差しあげて牛を見守っていたが、やがて突然、牛は激しく痙攣してどうと倒れた。
彼の二番目の牛は出てきたときは威勢がよかったが、馬の攻撃で力を使い果たしてしまい、戦意を失って突進の途中で後足でブレーキをかけはじめた。そいつは左右両側に欠点があって、両方の角ででたらめに突きかかってきたが、とくに右の角の突き方がめちゃめちゃだった。そいつの防御にはまるで計画性がなかった。神経質で、ヒステリックで、アントニオがどこへ連れて行って誘いをかけても、いっこうに立ちなおるようすを見せなかった。牛によって闘牛場のどの場所で自信を取り戻すかはそれぞれ違うものだが、アントニオがいくら近く、低く、リズミカルに動いて、それから牛の注意を惹きつけ、中途半端な攻撃とでたらめな角突きと緩慢な駆足をやめさせるために、同じ場外でくるくる回らせる、近いパスの連続で懲らしめても、牛は相変わらず半ば臆病でヒステリックな状態のままにとどまっていた。こういう牛を相手にして現代的なタイプのファエナ〔マタドールのムレータさばきの総称〕を行なうには、病院へ運ばれることを覚悟しなければならない。闘牛が始まって以来、こういうタイプののろのろと走りまわる牛を扱う方法はただひとつしかなかった。すなわちさっさと殺してしまうことである。アントニオもその方法をとった。
闘牛が終わったあとで、ウェリントンの部屋のベッドに腰をおろして、シャワーを浴びたあとの体を気持ちよく涼ませながら、アントニオが言った。「エルネストは最初の牛に満足しましたか?」
「もちろん」と、わたしは答えた。「だれの目にもはっきりしていたよ。きみはあの牛を自分で作りあげなくちゃならなかった」
「そうなんです」と、彼は言った。「しかしあいつはとてもいい牛になりましたよ」
この年の市《フェリア》は雨と風にたたられっぱなしで、コリーダが遅い時間に始まるために、三頭目の牛のあとは日が暮れてしまい、市の最後の闘牛は電灯の照明の下で終わりになるしまつだった。どの試合でも真に傑出した牛は見当らなかったが、いい牛は結構いたし、多数の牛がまあまあの線を行っていた。
セビーリャの闘牛のあと車でコルドバに戻り、さらに低く流れる雲と雨の中をマドリードまで引き返す道々、われわれは束の間の晴れ間にしか景色を眺めることができなかった。二人とも闘牛のことや、だれかがこっそりまぎれこませようとした重量不足の未成年牛のことを考えて、空もようと同じようにふさぎこみ、ビルはその年のシーズンに関して悲観的だった。二人ともセビーリャはあまり好きではなかった。この考え方はアンダルシア地方においても闘牛においても異端である。闘牛に関心を持つ人々は、セビーリャの町についてある種の神秘的な感情を抱くものとされている。しかしわたしは長年のあいだに、セビーリャでつまらない闘牛が全体の中に占める比率は、ほかのどの都市よりも高いと信じるようになっていた。また二人ともマドリードのばかでかい新闘牛場が嫌いだった。それはあまりにも大きすぎて真の感動を与えることができない。リングサイドにすわっていても、すぐ目の前でおこること以外はすべてあまりにも遠すぎるのだ。わたしはビルに古い闘牛場のことを話した。そこではあらゆることがたいそうよく見えたので、たとえつまらない闘牛でもこまかい点まではっきり見られるという楽しみがあった。われわれは雨の中できちょうめんに餌を捜しながら飛ぶコウノトリの大編隊を何度か見たし、荒野に舞ういろんな種類の鷹も見かけた。わたしは昔から鷹が好きだった。彼らは風で物かげに追いやられた小鳥たちを捜して、生きるために悪天候の中で苦労していた。バイレンから先には、やがてわれわれが何度も通いなれることになる道が平紐のように中央山地に向かってのびており、晴れ間には、まともに風にさらされた城や小さな白い村々が――北上するにつれてますます風が多くなるので、それらを風から護る方法はなかった――風になぎ倒された麦畑の中に雨に洗われた姿を見せ、ぶどうの木は三日前に通ったときよりも二分の一ハンドがた〔一ハンドは四インチ〕丈が伸びたように見えた。
われわれは給油のために車を止めて、ガソリン・スタンドのバーで一杯のぶどう酒とチーズまたはオリーヴを二、三個つまみ、ブラック・コーヒーを飲んだ。ビルは車を運転するときは絶対にぶどう酒を飲まなかったが、わたしは軽いラス・カンパナスの薄赤《ロサード》を一本アイス・バッグに入れて車に持ちこみ、厚切りのマンチェゴ・チーズをのせたパンを食べながらそれを飲んだ。わたしはすべての季節を通じてこの地方が好きで、最後の峠を越えてラ・マンチャとカスティーリャの荒涼たる風景にはいりこむたびに心が躍ったものだった。
ビルはマドリードへ着くまで何も食べたがらなかった。運転中に物を食べると眠くなると信じこんでおり、その後われわれがたびたびくり返すことになるまる一日休みなしの、あるいは夜通しの走行にそなえて、トレーニングを始めていたのだった。彼は食道楽で、どの地方の何がうまいかということを、わたしが会った人間のだれよりもよく知っていた。まったく不思議な男で、人々や地方、食物、酒、スポーツ、本、建築、音楽、絵画、その他学問と生活の万般を知ることを仕事にしていた。初めてスペインにきたとき、彼はマドリードに本拠を置いて、アニーといっしょにスペインのすべての地方を車で旅行してまわった。スペインの町で彼の知らないところは文字通りひとつもなく、ぶどう酒や地方料理、大小を問わずあらゆる町の名物料理とそれを食べさせる店を知り尽していた。わたしにとっては申し分のない旅の道連れであり、絶対安全なドライヴァーでもあった。
われわれはカリェホンでの遅い夕食に間に合う時間にマドリードへ帰り着いた。カリェホンはテルネラ街にある狭苦しい、ごみごみした、歩道のテラス・レストランなみの店だが、ビルもわたしも、いつ行っても町じゅうで一番うまいものを食わせるところだと思っていたので、二人だけのときはいつもここで食事をすることにしていた。毎日異なった地方の名物料理を食べさせてくれるのだが、つねに市場で売っている最上の野菜、魚、肉、果物を仕入れてきて、あっさりしたすばらしい料理法で食卓に供するのだった。大中小の水差しにはいったバルデペニャス・ワインの| 黒《ティント》 と 赤《クラレーテ》 があって、これがまたじつにうまかった。運転の名手で冒険好きなマリオは、これまではいったことのあるレストランではカリェホンが最上だという意見だった。アダモはこの店が生まれ故郷のウディーネそっくりだという理由で大いに気に入っていた。メアリは客がたてこんでいるのとひどい換気の悪さのせいでここが嫌いだった。しかし一九五六年に彼女がまさに拒否権発動に成功しかかったとき、店主はわれわれの留守中に隣りのビルの一部を買収して、完全に換気のゆきとどいた一室を建て増すことによって、彼女の意図を打ち砕いた。
ビルはテーブルが空くのを待ちながら、入口のバーのカウンターで樽から注いだバルデペニャスを四、五杯飲んだあとで、いよいよ健啖ぶりを発揮しにかかった。メニューにはどの料理も一品で十分満腹する量だという但し書きがついていたが、ビルはシタビラメのグリルにつづいて、メニューの但し書き通り少なくとも二人は満腹させられるほどの、アストゥーリアス地方の名物料理を注文した。それを残らず平らげると、彼は言った。「ここの料理はじつにすばらしい」
バルデペニャスの水差しの大を二つ空にしたあとで、彼はまた言った。「ぶどう酒もじつにうまいね」
わたしは端っこがややかりかりしたタケノコに似て、もっとなめらかな歯ざわりの、おいしいニンニク入りウナギの幼魚のフライを食べていた。それは深い大皿にいっぱいあり、食べる当人には天国だが、食べ終わってから戸をしめきった部屋の中で会う人には、いや戸外で会う人にとっても、まさに地獄だった。
「ウナギはすばらしいよ」と、わたしは言った。「ぶどう酒についてはまだなんとも言えんがね。きみもウナギを食べてみるか?」
「一人前ぐらいならね」と、ビルが答えた。「あんたもぶどう酒をやってみるといい。きっと気に入るよ」
「大をもうひとつ頼む」と、わたしはウェイターに声をかけた。
「承知しました、ドン・エルネスト。さあどうぞ。お声がかかるのを待っていたんですよ」
店主がわれわれのテーブルにやってきた。
「ステーキはいかがですか? 今日はとてもいいやつがありますよ」
「夕食までとっておいてくれ。アスパラガスはどうかな?」
「上等ですよ。アランフェス産のやつでしてね」
「明日はアランフェスへ闘牛を見に行く」と、わたしは言った。
「アントニオは元気ですか?」
「元気だとも。ゆうべセビーリャから車で帰った。われわれは今朝帰ってきたんだよ」
「セビーリャはいかがでした?」
「まあまあだな。牛はくずばかりだった」
「アントニオといっしょに今晩もお見えになりますか?」
「たぶんこないだろう」
「お望みなら個室をおとりしておきます。みなさんこの前の料理は気に入られましたか?」
「たいそう気に入ったよ」
「アランフェスでの幸運を祈ります」
「ありがとう」
われわれはアランフェスでひどい不運に見舞われるのだが、このときはなんの予感もなかった。
その前日アントニオがセビーリャで闘っていたころ、ルイス・ミゲルはトレドでアントニオ・ビエンベニード、ハイメ・オルテガの二人といっしょに闘っていた。切符は売切れだった。一等席の大部分はマドリードの人たちに買われ、ルイス・ミゲルの友人や取巻きたちもたくさんきていた。その日はうんざりするような雨降りで、牛たちは体が大きく、勇敢なやつもいればそうでないやつもいた。角は、闘牛を見た何人かの人たちの話によると、ひどく矯《た》められているようだった。ルイス・ミゲルは最初の牛を相手にしてなかなかよくやったし、二番目の牛のときはもっとよかった。彼は二番目の牛を鮮かにさばいたあとで片耳を切り取ったが、止めがもっとうまくいっていれば両耳を切り取っていたところだったろう。
わたしはルイス・ミゲルを見逃したことが残念でならなかった。とりわけ翌日のグラナダでの闘牛も見られないだけに、心残りはひとしおだった。しかし日程の関係でいかんともしがたかったし、遠からず彼に追いつけることもわかっていた。わたしはルイス・ミゲルとアントニオのすでに決まった日程表を持っていたが、それによると彼らは近々同じ町の同じ市《フェリア》に出場する予定になっていた。そのとき二人は同じプログラムに名前が載り、同じ日に二人だけで闘うことになるだろう。それまでわたしは彼の闘牛を実際に見た信頼のおける人々を通じて、できるだけ彼の闘いのあとを辿るようにした。
五月三十日のアランフェスは闘牛にはうってつけの日和だった。雨はすでにあがり、町は太陽の中に洗いたての姿を見せていた。木々は緑鮮かで、丸石道はまだ埃っぽくはなかった。地方色豊かな黒い上っ張りにごわごわしたグレーの縞ズボンをはいた田舎の人たちや、マドリードからの観客が大勢つめかけていた。われわれは樹陰の古めかしいカフェ・レストランにすわって川や遊覧船を眺めた。雨あがりの川は茶色に濁って水嵩を増していた。
そのあとわれわれの二人の客は川上の王宮の庭を見物に出かけ、ビルとわたしはアントニオに会い、剣持ちのミゲリーリョから入場券を受け取るために、橋を渡ってホテル・デリシアスへ行った。わたしはミゲリーリョに特別席四枚分の金を払い、アントニオについてマドリードの新聞に連載記事を書いていた若いスペイン人記者に、今はアントニオの邪魔をしないでそっと休ませておくように注意して、その理由を説明し、それからベッドに休んでいるアントニオにひと声かけてさっさと引きあげることによって、取巻き連中にお手本を示した。
「グラナダへ直行しますか、それとも途中で一泊しますか?」と、彼が質問した。
「マンサナレスで泊ろうかと思っている」
「バイレンのほうがいいでしょう。わたしが車を運転すれば途中で話もできるし、バイレンでいっしょに食事もできます。そのあとわたしはメルツェデスでグラナダまで行き、車の中で眠りますから」
「それじゃどこで会おうか?」
「闘牛のあとここで会いましょう」
「よかろう」と、わたしは言った。「じゃまた」
彼は微笑を浮かべた。調子がよく、気力も充実しているようだった。わたしは[プエブロ]紙の若い記者マリーノ・ゴメス・サントスをいっしょに部屋から連れだした。ミゲリーリョが携帯用のお祈り道具を並べていた。どっしりした浮彫り模様のある革の剣箱が、ミゲリーリョが肩衣と聖母像の前で灯すランプを拡げた化粧テーブルの横の壁に立てかけてあった。
ホテルの玉砂利道を下って車がびっしり駐車している石だたみの中庭の方へ歩いてゆくと、どかんという音がして、一台のヴェスパが激しく横滑りするのが見えた。人々がひどい怪我をしたらしい乗手のそばに走り寄った。しかしうしろの荷台に乗っていた女が両面交通の道に横っとびに投げだされていた。わたしは急いでそばへ行って女を抱きあげ、救急病院へ連れていってくれる車が見つかるところまで運んで行った。頭蓋骨折をおこしたんじゃないかと心配だった。少し血がにじんでいたがひどい出血はなかったので、細心の注意を払ってできるだけ女の体を動かさないようにし、同時にシャツに血がつかないように用心しながら運んで行った。服が汚れるのは構わないが、女の身におこったことは、その証拠を闘牛場の最前列の席に持ちこむまでもなく、すでにたいそう不吉な前兆だった。われわれはようやく一台の車をつかまえ、女はしっかりした手で救急病院へ運ばれて行った。われわれは川岸のレストランへ客を迎えに行った。闘牛の日に女が怪我をしたことと、土気色の、泥のついた子供っぽい女の顔が、わたしに不吉な感じを抱かせた。わたしは頭蓋骨折の可能性を懸念し、彼女を運ぶあいだじゅう、その安否だけでなく服に血がつくことを心配した自分を恥じていた。
小さな、古めかしく、美しい、だが居心地悪く朽ちかけた闘牛場のまわりでは、地面が乾いて埃が立ちはじめていた。われわれは中にはいって自分の席に腰をおろし、すぐ目の前の砂を眺めた。
アントニオは最初のサンチェス・コバレーダ牛と闘った。大きな黒牛で、姿がよく、大きな鋭い角を持っていた。アントニオはケープで一連のゆるやかで自信にみちた、低い、優雅なベロニカ〔ケープによるパスの一種。両手でケープを持った恰好がキリストの顔の汗をハンカチで拭く聖ヴェロニカの絵姿に似ているのでこう呼ばれる〕を演じて、可能なかぎり牛に近づき、やがて牛の攻撃をコントロールしながら、しだいにゆっくりと、できるだけ体に近く牛を通過させた。それでもマドリードと違って観客が湧かないので、彼はより危険が少なく、古典的でもないが、セビーリャふうの優雅で見映えのするケープさばきの一種であるチクエリーナスによってつぎのキーテ〔ケープで誘って牛を引きはなすこと。チクエリーナスはケープによるパスの一種〕を行なった。まず胸の高さに持ったケープを牛の前に差し出した。やがてゆるやかに一転してケープを自分の体に巻きつけ、牛が攻撃するたびにくるりくるりと回転しながら、危険に身をさらしてはそれから逃れた。見た目にはたいそう美しいが、本質的にはこれはトリックであってパスではない。牛は突きかかってくるが、相手が自分の領域内にさしかかると人間のほうはゆっくり一転して牛から逃れるのだ。観客はこれが気に入った。われわれも気に入った。それはつねに見た目にはきれいだが深い感動は与えない。スペインのこの地方では、本物の牛と本物の闘牛を知っている人々が、スペイン戦争の敵味方いずれの側にもいなくなってしまったのだ。
アントニオの牛は右の角でも左の角でも少なからず危険な勢いでムレータに向かってきたが、彼はコルドバで牛を正しく導いて自信を与えてやったときと同じようなやり方で、この牛を低く操った。やがて牛の頭の中で何かがおこった。おそらくチクエリーナスが牛の迷いをさましたのだろう。わたしは前にもそれと同じことを見たことがある。今やアントニオは牛の攻撃を誘うのに非常に近くから働きかけねばならなかった。それは牛の視力の変化という問題ではなかった。牛にいかにして死ぬかを教えるその十分間の教育のあいだに、なんらかの変化がおこったのだ。
アントニオは牛にゆるぎない目標として自分の右脚と右大腿部を示すことにより、そしてその誘惑を追いかけても苦痛はないどころかむしろおもしろいゲームであると教えることによって、牛に自信を植えつけたのだ。
ついで牛と人間はくるくる旋回しながら、右に左にいっしょになってゲームを楽しんだ。階段を登ったり降りたりした。さあかかれ、牛よ。おれの体をうまく包みこめ。もう一度やってみろ。もう一度。
やがて牛はアントニオのまわりをぐるぐる回っているうちに、ふとあることを思いついた。彼は長いパスの途中でゲームを中断してアントニオの体を凝視し、それに向かって突きかかった。角は百分の一インチの空間を残して体をかすめ、通り過ぎるときに牛の頭がアントニオの体にぶつかった。アントニオはふりかえって牛を見、ムレータで誘って胸元すれすれにやりすごした。
それから牛に向かってこのレッスンを初めから終わりまでもう一度くり返し、さらに二度間一髪のところで牛の角をかわした。観客はいまや完全に彼を支持し、彼は観客が要求した音楽に合わせて踊っていた。最後に彼は牛を殺した。止めのひと突きは見事に決まり、剣はほんのわずか中心をそれただけだった。闘牛場全体が耳を要求してハンカチを振った。しかし、牛は正しく殺された多くの牛がそうであるように口から血泡をふいて倒れ、主催者は、牛が場外に引きだされるまで観客のハンカチが振りつづけられたにもかかわらず、アントニオに耳を与えることを拒んだ。
アントニオは場内を一周し、二度も引き返して観客にあいさつしなければならなかった。彼は怒りで茫然としながら戻ってきて、コップの水を差し出すミゲリーリョに何事か話しかけた。うつろな目で宙をみつめながら水を一口含んで口をすすぎ、砂の上に吐きだした。あとでわたしはミゲリーリョに、彼が何を言ったのかときいてみた。
「いったいどうすれば耳をもらえるんだ、と言ったんですよ」と、彼は答えた。「いい闘牛だったんですがね」
チクエロ二世が二番手のマタドールだった。彼はせいぜい五フィート二インチの、小柄で威厳のある悲しげな顔をしたきまじめな男だった。わたしに言わせれば彼はアナグマよりも、あるいは人間を含めたいかなる動物よりも勇敢な男で、恐るべきカペーアの一派から出て一九五三年に見習闘牛士《ノビリエーロ》になり、一九五四年にマタドールになった。カペーアというのは主としてカスティーリャとラ・マンチャで行なわれ、その他の地方でもたまに見られる村の広場の非公式な闘牛のことで、土地の若者たちや闘牛士志願者の旅まわりの一行が、何度も使い古された牛を相手にして闘うのである。カペーアの牛はそれまで十人以上も人を殺してきている。彼らは闘牛場を持つほど豊かでない村や町で闘わせられ、広場の出口には荷車が積み重ねられて、そのうえ逃げようとするアマチュア闘牛士をリングの中へ追いかえしたり殴りつけたりするための、長くて頑丈で先のとがった羊飼いや牛飼いの棒が観客に売られる。
チクエロ二世は二十五歳になるまでカペーアのスターだった。マノレーテ時代およびそれ以後の名のある闘牛士たちが中牛《メディオ・トロ》や角を矯《た》めた三歳半を相手にしているあいだ、彼はずっと角を細工していない七歳までの牛たちと闘っていた。これらの牛の多くは前にも闘った経験があるので、いかなる野生の動物にも劣らないほど危険だった。彼は病院もなければ医者もいないような村々で闘ってきた。そこで生きのびるためには、牛というものを知り、角にかけられないようにしながら牛に近づく方法を知る必要があった。彼はいつも人間のほうが殺される公算の大きい牛を相手にして生きのびることを学ばなければならなかったし、そのためにはありとあらゆるトリック・パスやサーカスめいたトリックを身につける必要に迫られた。さらに彼は牛を手際よくりっぱに殺すことを学んだし、止めを刺すときに自分の身を護り、牛の頭を完全に下げさせて慎重の不足を補ってくれる老練なすばらしい左手を持っていた。そのうえ、絶対的な勇気だけでなく、無上の幸運さもあわせ持っていた。彼の幸運は昨年の冬、飛行機の墜落炎上事故に遭遇するまでつづいた。
このシーズンに彼は引退生活からカムバックした。闘牛以外の何をするのも飽きてしまったからだった。彼はそれまでの自分が幸運に恵まれ、おかげで何度も命拾いしただけだと知って引退した。そして闘牛以外のことはどれもみな面白くなかったのでカムバックした。もちろん、御多分に洩れず、金の問題もあった。
彼は自分の小柄な体と対照すればものすごく巨大に見えるいい牛を引き当てた。牛は二本の見事な角を持ち、チクエロ二世は闘牛場で生きのびるための方法を、いくらほめてもほめたりない持ち前の放れ業で示し、正気な人間ならだれも真似できないほど牛に接近して、自分の持時間を消化した。彼は正気と、信じられないほどの反射神経と、驚くべき運とで闘い、多くの巧みなパスやありとあらゆるサーカス・パスを見事にやってのけた。牛をもっと遠い場所から迎えて古典的なパスをやるのは、はるかに危険だろう。だがわれわれにはそうは見えず、チクエロは牛に背中を向けてする業で自分にできるものを残らずやってのけ、観客の方を向いて、牛に差し出した腕の下をくぐらせることによって、かつての名手マノレーテを観客に思いおこさせた。そのマノレーテは、彼のマネージャーとともに、闘牛を史上二番目の衰退期と最盛期に導き、ついに牛に殺され、死によって半神となり、その結果永久に批評を免れた人物である。
観客はチクエロ二世を賛美したが、その賛美は正当だった。彼は観客の仲間であり、観客がこれこそ闘牛だと信じこむように教えこまれたものを彼らに示し、しかもそれを本物の牛を相手にしてやっていた。それには幸運も必要だったが、同時に深い知識と純粋な勇気も必要だった。彼は止めを刺すときに一度剣を骨に当てたが、ついで両角の間に体ごとのしかかって、巧みな左手の動きで牛を誘いこみながら、背骨の上のほうに深々と剣を突き刺した瞬間、牛はすでに彼の掌の下で死んでいた。
主催者は彼に両耳を与え、彼はそれを持って厳粛な喜びの表情をたたえながら場内を一周した。わたしはその夏を通しての彼の闘いぶりをなつかしく思うのだが、彼の幸運が尽きてしまったときにおこったことを考えると心が痛むのだ。
ハイメ・オストスはその日牛と闘えるような状態ではなかった。右目が黒くあざになってひどく腫れあがり、眼球にまで傷がついていた。右目はほとんど見えず、ひっきりなしに洗眼をつづけなければならなかった。彼はいつものようにベストを尽して牛を操ったが、片目しか見えないので、止めを刺すときにてこずった。
アントニオの二番目の牛は姿がよく、黒光りしていて、角もりっぱで勇敢だった。牛は堂々と場内に姿を現わし、アントニオはすぐにも牛に立ち向かいたそうなようすだった。ケープを操りはじめたとき、闘牛士志願の、縁なし帽に明るい色のシャツと青いズボンという恰好をした、たいそう身の軽いハンサムな若者が一人、われわれの左の陽の当る座席からとびだしてバレーラを乗り越え、牛の前にムレータを拡げた。アントニオのバンデリリェーロたち、フェレールとホーニとファンは、牛が若者を角にかけ、アントニオと闘うときにだめになってしまわないうちに、若者をつかまえて警察に引き渡そうとして、大急ぎで駆けつけた。しかしそれまでに若者はすでに、三、四回パスを行なっていた。彼は牛の生まれつきの活溌《プリーオ》さを利用し、牛の攻撃の前に身をおきながら、同時に自分をつかまえて場外に追いだそうとする三人の足の速い男たちからも逃げなければならなかった。闘牛士の立場からすれば、闘牛の最中の野次馬《エスポンタネオ》の飛入りほど、急速に、しかも徹底的に牛をだめにしてしまうものはない。
牛は一回のパスごとに学ぶから、偉大な闘牛士は牛を明確な結末に向かって導く意図なしにはただ一度もパスを行なわない。もし牛が闘いの初めに人間をとらえて角にかけてしまったとしたら、彼はそれまで徒歩の人間と接触したときの無邪気さをすべて失ってしまうだろう。ところが正式のコリーダは牛のその無邪気さを基盤にして成り立っているのである。しかしアントニオはその若者の巧みなパスをじっと見守り、若者がアントニオを危険にさらしつつあるにもかかわらず、少しも心配しているようすはなかった。彼は牛をじっと観察し、牛のひとつひとつの動きとともに学びつつあった。
とうとうホーニとフェレールが若者をつかまえた。彼はおとなしくバレーラの方へ戻った。アントニオがケープを持ったまま若者のそばに駆け寄り、早口に何事か話しかけて相手を抱きしめた。それからケープを持って中央に戻り、牛と向かい合った。彼は今や牛を知り、どんな牛かを完全に評価し終わっていた。
最初の一連のパスは、だれにも真似のできない、ゆったりしたエレガンスにあふれ、彼が牛の前でケープを動かすとき、そのエレガンスは永遠につづくかと思われるほどだった。観客はかつて見たことのない何かを今見つつあること、それがトリックではないことを知った。マタドールが自分の牛をだめにしてしまった人間を祝福し許すのは前例のないことであり、彼らは、アントニオが最初の牛と闘ったときには、見るには見たけれどもそれほど感心しなかったあるものを今は高く評価しつつあった。アントニオは現代の闘牛士のだれもが見せたことのない見事なケープさばきを見せていた。
アントニオは牛を槍で突かせるために、サラス兄弟の一人の方へ誘導して行って、彼に言った。
「牛に注意して、おれの言う通りにしろ」
牛は勇敢で力強く、完璧に突き刺された鋼鉄の槍の下でも激しく攻撃した。アントニオは牛を引きはなして、同じように美しい一連のベロニカをくり返した。
狙いたがわず槍を突き刺された二度目の攻撃で、牛は馬を突き倒し、サラスをバレーラの羽目板に叩きつけた。
サラス兄弟の一人で信頼のおけるバンデリリェーロでもあるファンは、牛が非常に手強いようだから、あと二度ほど槍で突いて首筋の筋肉を疲労させ、頭を低くして殺しやすくするために、もう一度馬を攻撃させるべきだと言い張った。
「おれに指図するな」と、アントニオは答えた。「牛はこのままでいい」
アントニオは主催者に合図を送ってバンデリーリャに移る許可を求めた。そしてたった一対のバンデリーリャが打ちこまれたところで、ふたたびムレータを使う許可を求めた。
彼のムレータさばきは見るからに穏やかで、単純で、なめらかだったので、ひとつひとつのパスが彫刻のように見えた。彼はあらゆる古典的なパスを行ない、つぎにそれらに磨きをかけてより純粋な線を作りだし、より危険なものにするつもりらしく、ほかのいかなる牛よりもその牛を身近に引きつけるために肘をかすかに引くことによって、意識的にナトゥラール〔ムレータによる基本的な左手のパス〕を短くした。その牛は大きくて、欠点はひとつも見当らず、勇敢で、強くて、見事な角を持っていた。そしてアントニオはわたしがかつて見た中でもっとも完璧で古典的なファエナを演じてみせた。
やがてそのすべてが終わり、あとは止めを刺すだけになったとき、わたしはアントニオの気が狂ったのではないかと思った。彼はマノレーテのトリック・パスをやりはじめたのである。それはついさっきチクエロ二世が、お望みならマノレーテのトリック・パスをお目にかけましょうとばかりに、観客に向かってやってみせたばかりのものだった。アントニオは前の三頭の牛が槍で刺され、砂が牛の蹄で掘りかえされてでこぼこになってしまった場所で牛を操りはじめた。牛に背を向けてヒラルディーリャという名のパスでやりすごすとき、牛の右後肢がつるっと滑ってよろめき、右の角がアントニオの左臀部に突き刺さった。牛の角で刺されるのにこれほど不粋で危険な場所はないところへもってきて、彼はそれがみずから招いた負傷であることを知っていた。それがいかに重い傷であるかを知って、負傷を憎み、牛を殺して自分のミスを帳消しにするチャンスがなくなるかもしれないという可能性を憎んでいた。牛はずぶりと彼を突いた。角が深々と突き刺さってアントニオの体を地面から持ち上げるのが見えた。だが彼は足から地面に降りて倒れなかった。
血は勢いよく流れ、彼は出血を止めようとするようにバレーラの羽目板に臀を押しつけた。わたしはずっとアントニオから目をはなさなかったので、だれが牛を引きはなしたのか気がつかなかった。最初にバレーラを乗り越えたのは小柄なミゲリーリョで、彼が片腕をとってアントニオを支えているうちに、マネージャーのドミンゴ・ドミンギンと弟のペペが場内に飛びこんできた。だれもが一目で傷の重さを悟り、兄とマネージャーと剣持ちは三人がかりで彼を押えて引きとめ、闘牛場付属の救護室へ連れて行こうとした。アントニオは三人を振りきって、ペペをどなりつけた。「あんたはそれでもオルドネス一族の人間か」
彼はひどく血を流し、怒りに燃えながら牛に向かって行った。わたしは彼が闘牛場でひどく怒っているのを前にも見たことがあるし、彼はしばしば至上の幸福と知的な激しい怒りの混り合った中で闘ったものだった。しかし彼はこれ以上はないという見事な殺し方でその牛を殺そうとしていたし、しかも速やかに殺さなければ自分のほうが出血多量で気を失ってしまうことを知っていた。
彼は牛と同じ線上に立ってムレータを低く、低く、なおも低く下げ、肩甲骨の合せ目の頂点にある急所に狙いを定めて完璧な突きを入れ、角の上にのしかかった。それから牛と正対して片手をあげ、すでに体内に置かれた死とともに倒れることを牛に命じた。
彼はその場に立って血を流しつづけ、牛がぐらりとよろめいて倒れるまではだれにも手を触れさせようとしなかった。彼は血を流しながら立ちつくし、彼の言葉を聞いた付添いの人々は、主催者が打ち振られるハンカチーフと叫び声に応えて、牛の両耳としっぽと足を一本切りとるよう合図するまでは、手出しすることをためらっていた。彼は勝利の記念品が運ばれてくるのを待ち、わたしは観客をかきわけて救護室へ通じる口へと急ぎながら、血を流して佇む彼の姿から目をはなすことができなかった。やがて彼は回れ右をして場内を一周するために二歩歩きかけたところで、フェレールとドミンゴの腕の中にくずおれた。意識はしっかりしていたが、出血がひどくてもうどうすることもできないのを知っていた。その日の午後は終わり、彼はつぎの闘牛への出場にそなえねばならなかった。
救護室ではタマメス博士が診察に当り、必要な処置は何か、傷の重さはどの程度かということを判断し、応急処置を施したうえで、手術のために急いでマドリードのルーベル病院へ運んだ。救護室のドアの外で、リングに侵入したあの若者が泣いていた。
われわれが病院に到着したとき、アントニオはちょうど麻酔からさめたところだった。左臀筋に深さ六インチの傷を負っていた。角は直腸をほんのわずかそれて突き刺さり、筋肉を引き裂いて座骨神経のほうに向かっていた。タマメス博士はあと八分の一インチ右に寄っていたら、直腸を突き破って腸に達していただろうと語った。そしてあと八分の一インチ足らず深ければ座骨神経に達したところだった。タマメスは傷を切開して消毒し、損傷した筋肉を整形したうえで、時計仕掛けの装置で膿を吸いだす排膿管だけを残して傷口を縫い合わせた。その装置はメトロノームのようにカチカチと音をたてた。
アントニオは前にもその音を聞いたことがあった。重傷を負ったのはこれで十二回目だったからである。顔は深刻だったが目が笑っていた。
「エルネスト」と、彼は言った。アンダルシア訛りではそれが「エアネスストー」と聞こえた。
「ひどく痛むか?」
「まだです」と、彼は言った。「痛みだすのはもっとさきですよ」
「しゃべらんほうがいい」と、わたしは言った。「なるべくらくにしたまえ。マノロは心配ないと言ってるよ。同じ怪我をするにしてもきみのは一番安全なところだそうだ。彼から何か聞いたらまた話すよ。わたしはこれで帰る。できるだけ気持をらくにしてな」
「今度はいつきてくれますか?」
「明日きみが目をさましたらまたくるよ」
カルメンがベッドの脇にすわって彼の手を握っていた。彼女がキスをすると彼は目をつむった。まだ完全には麻酔がさめていず、彼も言うように本当の痛みはまだ始まっていなかった。
カルメンがわたしといっしょに病室から出たので、わたしはタマメスから聞いたことをそっくり彼女に伝えた。彼女の父親は闘牛士だった。兄弟にも闘牛士が三人いたし、今は闘牛士を夫に持っていた。彼女は美しく、愛らしく、愛情こまやかで、どんな緊急事態や不幸な事件にでくわしても冷静さを失わなかった。彼女はすでに最悪の時期から抜けだし、今はちょうど彼女に仕事が始まりつつあるところだった。アントニオと結婚してからというもの、毎年一度、この仕事にめぐり合わない年はなかった。
「どうしてこんなことになったんですか?」と、彼女はわたしに質問した。
「怪我する理由は何もなかった。どうにも避けがたい事故じゃなかったんだよ。牛に背中を向けて闘う必要はなかったんだがな」
「あなたから彼にそう言ってやってください」
「彼は知ってるさ。わたしの口から言うまでもなくね」
「でも言ってやってください、エルネスト」
「チクエロ二世なんかと競争する必要はない」と、わたしは言った。「彼は歴史と競争しているのだ」
「わかっています」と、彼女は言った。彼女が、夫は間もなく愛する兄と競争することになり、歴史がそれを見守ることになるだろうと考えていることが、わたしにはわかった。三年前に彼らのアパートで夕食をとっていたとき、ルイス・ミゲルが闘牛場にカムバックして、アントニオといっしょに闘うことになったら、さぞかしすばらしいことだろうし、金も稼げるだろうとだれかが言ったことを、わたしは思いだした。
「その話はやめてください」と、そのとき彼女は言ったのだった。「二人はおたがいに殺し合うことになるでしょう」
悪魔の誇り
ビル・デーヴィスとわたしは、アントニオが危地を脱するまでマドリードにとどまった。最初の夜が過ぎたときから真の苦しみが始まり、ますますひどくなってついに忍耐の限界を超えた。時計仕掛けの吸引ポンプは膿を吸いつづけたが、傷は包帯の下で固く腫れあがっていた。わたしはアントニオが苦しむのを見たくなかったし、彼が経験した苦痛と、ビューフォート風力級を上昇する風のように激しさを加える痛みに負けまいとする彼の苦闘の証人にもなりたくなかった。七十二時間たってタマメスがはじめて包帯をとりかえにくるのを待っていた日、アントニオの苦痛は風力にたとえれば第十級、すなわち全強風のちょっと上というところだったろう。予想される併発症さえなければ、このときが危険を乗りきれるかどうかの境目である。壊疽《えそ》を免れて傷口がきれいになっていれば、もう危険はないし、この種の傷の場合、若い者だったら、士気とトレーニングにもよるが、三週間後かそれ以前にふたたび闘えるようになる。
「先生はどこです?」と、彼は質問した。「十一時にきてくれることになっていたんだが」
「今ほかの階へ行ってるよ」と、わたしは言った。
「このうるさい機械を黙らせてくれないかなあ」と、彼は言った。「カチカチいう耳ざわりな音以外なら、どんなことだって我慢できるんだが」
負傷した闘牛士が一日も早く再起しようという場合には、鎮痛剤の使用が最小限に抑えられる。胆力や反射神経に影響を及ぼすような薬は禁物だからである。アメリカの病院ならこんな場合に苦痛を取り除いてくれるだろう。それは麻酔状態《スノード》と呼ばれている。ところがスペインでは、苦痛はごく当然に人間が耐え忍ぶべきものとされているのだ。人間の神経にとって、苦痛がそれを止める麻薬ほど悪影響を及ぼさないかどうかということは、要するに考慮の外なのである。
「何かの薬でもっとらくにしてやれないのかね?」と、わたしはその前にマノロ・タマメスにきいていた。
「薬はゆうべやったよ」と、タマメスは答えた。「彼は闘牛士だからね、エルネスト」
確かに彼は闘牛士であり、マノロ・タマメスは名外科医であると同時に真の友人でもあるのだが、実際に行なわれるところを見ているとそれはずいぶん荒っぽい療法だった。
アントニオはわたしにそばにいてもらいたがった。
「少しはらくになったか?」
「いやいや、苦しいのなんのって、エルネスト。包帯をとるときに管を抜いてくれると助かるんだが。先生はどこにいると思います?」
「だれかをやって捜させよう」
外はグアダラマ山脈から微風が吹き渡ってくるよく晴れた涼しい天気で、暗くした病室の中も涼しくて心地よかったが、アントニオは苦痛のあまりびっしょり汗をかき、土気色の唇を固くとざしていた。口にこそ出さなかったが、目はタマメスを求めつづけていた。控えの間では大勢の人間が無言ですわり、あるいは小声で話し合っていた。ミゲリーリョが電話の番をしていた。浅黒く、美貌で、肉づきのよい、髪をひっつめにしたアントニオの母親が、病室を出たりはいったりして、部屋の隅で扇子を使ったり、ベッドのかたわらにすわったりしていた。カルメンはベッドのそばにいないときは隣の部屋へ行って電話を受けていた。廊下ではピカドールやバンデリリェーロたちがすわったり立ったりしていた。見舞客がつぎつぎとやってきて、見舞いの言葉や名刺を置いていった。ミゲリーリョは家族以外のだれも病室に入れないように見張っていた。
ようやくタマメスが二人の看護婦を連れて姿を現わし、これからおこることを見せたくない人たちをベッドのそばから遠ざけた。彼は例のごとくぶっきらぼうで、顔色が悪く、冗談が好きだった。
「いったいどうしたというんだ?」と、彼はアントニオに話しかけた。「患者は自分一人だけだとでも思っているのかね?」
「こっちへきてくれ」と、彼はわたしに言った。「高名なるわが同僚よ。ここに立って。アントニオに寝返りをうたせるんだ。きみ、寝返りをうって腹這いになりなさい。エルネストもわたしもうしろから突いたりはせんから」
彼は物々しい包帯を切り開き、傷口に当ててあるガーゼをはがしてすばやく匂いをかいでから、わたしに手渡した。わたしも匂いをかいでみてから、看護婦が手に持っている皿に捨てた。壊疽や腐敗臭はなかった。タマメスはわたしの顔を見てにっこり笑った。傷口は清潔だった。四条の長い縫合のまわりはわずかに炎症をおこしていたが、まずは申し分のない状態だった。タマメスはゴムの排膿管をぷつんと切ってほんの少しだけ残した。
「もうチックタックはやめだ」と、彼は言った。「きみのかよわい神経を休めたまえ」
彼は傷を消毒してよく調べてから、手速く包帯を巻いてわたしに包帯を留めるのを手伝わせた。
「さて、今度は痛みのほうだ。きみのすてきな痛みだが」と、彼は言った。「包帯をきっちり締めつけておく必要があった。わかるだろう? 傷はどんどん腫れてくる。これはごく自然なことだ。鍬の柄よりも太いものを六インチも臀に突き刺して、これだけ筋肉をずたずたにしておきながら、それで痛みも腫れもしないほうがむしろ不思議だよ。包帯で締めつけられるために痛みはますますひどくなる。今度は少しらくになったろう。そう思わんかね?」
「ええ、思います」と、アントニオが答えた。
「だったらもう痛い痛いとうるさく言うな」
「きみはこのひどい痛みを身をもって感じていないからな」と、わたしが言った。
「きみだってそうじゃないか」と、タマメスが言った。「おたがいにそうならなくてさいわいだったよ」
われわれは部屋の隅へ行き、家族がベッドのそばに戻ってきた。
「どれくらいかかる、マノロ?」と、わたしは質問した。
「併発症さえなければ三週間後には闘えるだろう。なにしろ大きな傷で、かなりひどくいたんでたんだよ、エルネスト。あんなに苦しませて気の毒なことをした」
「彼はもう十分苦しんだよ」
「彼はマラガのきみのところへ行って養生するつもりかね?」
「そうだ」
「よろしい。旅行できるようになりしだい送りだすよ」
「もう危険はないし熱も出ないというんなら、わたしは明日の晩出発する。仕事が山ほどあるんでね」
「いいだろう。彼が出発できるようになったら連絡するよ」
わたしは夜またきてみると言いおいて病院を出た。家族や古い友人たちが大勢つめかけていたので、わたしはビルといっしょに明るい町へ出たかったのだ。もう心配はないとわかった以上、病人の邪魔はしたくなかった。まだ明るいうちにプラド美術館へ行くだけの時間があった。この美術館には、光線のぐあいのすばらしい時間が一日に何度かある。
現役の闘牛士とは二度と友だちになるまいと決心したのはいつごろだったろうかと考えているうちに、この決心もわたしのほかの固い決心とほぼ同じ結果になってしまったことに気がついた。病室から廊下に出たとき、そう決心するきっかけになった闘牛士と顔を合わせた。その朝の彼はひどく老けた顔つきをして、妙に縮んでしまったような感じに見えた。その男、アントニオの父親は言った。
「経過はよさそうですね?」
「うん。とてもよさそうだったよ」
「わたしは傷口をあけたときあんたのそばに立っていたんですよ」
「そうか、気がつかなかったな」
「ええ」と、彼は言った。「おたがいに傷口に目を向けていましたからね」
アントニオとカルメンが気持のよいこじんまりとしたマラガ空港で飛行機から降りてきたとき、彼はいかにも不自由そうに杖に頼っており、待合室を通って車に乗りこむまでわたしが肩を貸してやらなければならなかった。病院で彼と別れてからちょうど一週間たっていた。彼もカルメンも飛行機の旅でくたくたに疲れていたので、われわれは言葉少なに夕食をとり、そのあとわたしが彼を助けて寝室へ案内した。
「あなたは早起きなんでしょう、エルネスト?」と、彼が言った。
旅行中と闘牛のあるときは、たいてい彼が正午ごろまで、時にはもっと遅くまで眠ることをわたしは知っていた。
「そうとも、だがきみは寝坊しても構わんよ。眠れるだけ眠ってゆっくり休みたまえ」
「あなたといっしょに外へ出てみたいな。牧場ではいつも早起きなんですよ」
まだ庭の露も乾きあがらぬ早朝に、彼は杖を頼りに階段をあがり、廊下を歩いてわたしの部屋にやってきた。
「散歩に行きませんか?」と、彼が言った。
「いいとも」
「行きましょう」と、彼は言って、わたしのベッドの上に杖を置いた。「杖はもうおはらい箱です。あなたにあげますよ」
われわれは三十分ほど歩きまわった。わたしは彼が転ばないようにしっかり腕を支えてやった。
「すごい庭だなあ」と、彼は言った。「マドリードの植物園より広いぞ」
「この邸はエスコリアルよりちょっと狭いだけなんだ。しかしそのかわりここには王の墓もないし、酒を飲んで歌を歌っても構わないんだよ」
スペインではバーや酒倉《ボデーガ》にはいると、ほとんど例外なしに放歌高吟を禁止する札がさがっている。
「じゃ大いに歌いましょう」と、彼は言った。わたしはこれ以上は体に無理だと思うところまでいっしょに歩きつづけた。やがて彼が言った。「タマメスからあなたに宛てた手紙をあずかっているんですが、それには今後の療法が書いてあるそうです」
わたしは手元に必要な薬やヴィタミン類があればよい、さもなければマラガ市内かジブラルタルで手に入れられるとよいと思った。
「家へ帰ってその手紙を読み、さっそく治療を始めよう。時期を失してはいかん」
玄関で別れると、彼はふらつかないように努めながらも、壁を伝い歩いて自分の部屋へ戻って行った。やがてわたし宛ての小さな名刺用の封筒を持って戻ってきた。わたしは封を切り、名刺を取り出して読んだ。
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高名なるわが同僚よ、わたしの患者アントニオ・オルドネスを、この書面により貴下の看護にゆだねる。もし手術が必要なら、|強き手によって《コン・マーノ・ドゥーロ》行なわれたし。署名マノロ・タマメス
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「エルネスト、やっぱり治療を始めなくちゃならないんですか?」
「とりあえずカンパナスの薄赤《ロサード》を小さなグラスで一杯やるとするか」
「それもタマメスの指示?」
「ふつうこんな早朝からはやらんものだが、まあ緩下剤がわりというところさ」
「泳いでもいいかな?」
「ひるごろになって水がぬるむまではいかん」
「冷たい水は傷にいいかもしれませんよ」
「そのかわり喉が痛くなるかもしれんぞ」
「喉の痛みはもう消えましたよ。今すぐ泳ぎましょう」
「いや、太陽で水がぬるんでからだ」
「仕方がない。それじゃもう少し歩きましょう。あれからどうしていたか話してください。よく書けましたか?」
「非常によく書けた日もある。それほどよくない日もある」
「わたしも同じですよ。中には全然書けない日だってある。しかし客は金を払って見にきているんだから、できるだけ頑張りはしますけどね」
「このところきみはよく書いているよ」
「ええ。でもわかるでしょう。あまり気分が乗らない日もあるっていうことですよ」
「わかるさ。しかしわたしはいつも自分にそれを強制し、頭を使うことにしている」
「わたしもですよ。でも本当によく書けるってことはすばらしいですね。こんな気分のいいものはない」
彼はいつもファエナのことを≪書く≫と呼んで楽しんでいるのだ。
われわれはあらゆる問題について話し合った。芸術家の世界のさまざまな問題、技術的なことや職業上の秘密、財政問題、時には経済や政治の問題等々。また女のこと、それはしばしば話題にのぼった。われわれはいかによい夫たるべく努力しなければならないかということ、それから他人の女のこと、そしてわれわれの日常生活や日々の問題。われわれはその夏から秋にかけてずっと、闘牛を追って車で各地を転々としながら、食事の席で、回復期の奇妙な時間に、はてしなく語り合った。気晴らしのゲームとして、人間を一目見て牛を見るときのようにその人物の品定めをした。だがそれはもっとあとのことである。
[ラ・コンスラ]における最初の日、われわれは負傷が癒えて体力回復の時期が始まったことを喜びながら、大いに語り冗談を言い合った。アントニオは第一日目から少し泳いだ。傷はまだ完全にふさがっていなかったので、わたしは小さな包帯を替えてやった。二日目になると、用心深い歩き方だったが、もうびっこもひかなければふらつきもしなかった。一日ごとに力強くなり、よくなっていった。われわれは体操したり、泳いだり、厩舎の裏のオリーヴ畑で標的を手で投げて射撃をしたりしてトレーニングを重ね、よく食い、飲み、かつ遊んだ。それから彼はちょっと無理をして波の荒い日に海で泳いだため、砂まじりの砕け波で傷口を少し拡げてしまったが、見たところ順調に回復しているようだったので、わたしは消毒をして薬を塗り、また包帯をしておいた。
アントニオとカルメンはスペイン語に翻訳されたわたしの長篇や短篇小説をいっしょに読み、彼はその読後感を話したがった。わたしの筆蹟が自分のに劣らず金釘流だということを発見すると、彼はきれいな字を書く練習を始め、達筆なうえに明らかに蔵書の数も多いビル・デーヴィスに、わたしの[代作者《ネーグロ》]だろうと言って難癖をつけた。
「エルネストはほんとは字が書けないんですよ」と、彼は言った。「メアリは彼がタイプライターで書くものをコピーし、翻訳しなくちゃならない。メアリは教育も教養もあるんだから彼を手伝っているんです。しかしビルは彼の代作者《ネーグロ》だ。エルネストは旅行中や町に着いてからビルに物語を話す、すると代作者《ネーグロ》がそれを書くというわけです。やっとその仕掛けがわかりましたよ」
「どうだ、いい仕掛けだろう」と、わたしは言った。「なにしろわたしの代作者《ネーグロ》は車の運転もできるんだからね」
「それじゃああなたに恐ろしい話、信じられないような話をしてあげますよ。あなたがそれを代作者《ネーグロ》に話せば、彼が文学作品に仕上げるでしょう。われわれ二人の合作ということにして、原稿料は共同事業に繰り入れればいい」
「代作者《ネーグロ》を働かせすぎるわけにいかないんでね」と、わたしは言った。「夜道で車を運転しながら居睡りされちゃ困るからな」
「ブラック・コーヒーとヴィタミン剤をたらふく飲ませるんですよ」と、アントニオは言った。
「もっともわたしが作家としてもっと有名になるまでは、しばらくあなた一人の名前で原稿を売りつづけるほうがいいかもしれないな。あなたの名前のほうはどうですか?」
「まあまあというところだよ」
「例のスウェーデンの賞は一度しかもらえないって、ほんとですか?」
「そうだよ」
「なんて不公平な話だ」と、アントニオは言った。
ルイス・ミゲルはアントニオがアランフェスで負傷していらい四度闘っていたが、噂はどれもみな彼のすばらしさを賞め讃えていた。わたしはアントニオの世話と自分の仕事が忙しくて、四度の闘いにおける牛の角がどんなぐあいだったかを調べていなかった。当時マラガには、角の問題を確かめるほど親しい、信頼のおける友人は一人もいなかった。わたしはミゲルがグラナダで大成功をおさめてアントニオを見舞いに病院へやってきたとき、彼と顔を合わせて言葉をかわしていたので、彼の闘いぶりを早く見てみたいものだと思っていた。わたしは彼が二度闘う予定になっているアルヘシラスで、彼と会う約束をしていた。
その日はよく晴れた風の強い日で、海岸ぞいのアルヘシラスまでの道はたいそう景色がよかった。わたしは闘牛に及ぼす風の影響を心配していたのだが、アルヘシラスの闘牛場は、場所も建て方もレバンテと呼ばれる強い東風から完全に護られるようになっていた。この風は南フランスのプロヴァンス地方で吹くミストラルと同じように、アンダルシアの海岸地方の厄介ものなのだが、スタンドのてっぺんに立つ旗竿の旗を強くはためかせてはいたけれども、闘牛士たちを困らせるほどではなかった。
ルイス・ミゲルは噂にたがわずすばらしい出来だった。尊大というのではなしに自信にみちており、冷静で、闘牛場では終始くつろいだ態度を示し、そこで行なわれることを意のままに支配していた。彼が闘牛を指揮するさまを眺め、その知的な仕事ぶりを眺めるのは大きな喜びだった。闘牛場での彼は、かつて引退中にキューバでプール・サイドに寝そべっておしゃべりをしたときと同じように、自然でリラックスしているように見えた。しかし同時にあらゆる偉大な芸術家を特徴づける、自分の仕事に対しての完璧で尊敬すべき集中力をもそなえていた。
彼のベロニカはわたしを感動させなかったものの、ケープさばきは昔の彼よりもよくなっていた。それにしてもパスの変化に富んだレパートリーは見ていて楽しかった。それらは限りなく巧妙で、完璧に演じられた。
彼はバンデリリェーロとしても第一級の腕前で、わたしがそれまでに見た最高のバンデリリェーロたちに匹敵する妙技を見せて、三対のバンデリーリャを牛の背に打ちこんだ。それはサーカスでもなく、気どったポーズの類《たぐい》でもなかった。自分から牛に駆け寄るのではなく、最初から牛の注意をとらえて自分の方に誘い寄せ、幾何学の応用によって相手を引きこんでおいて、やがて牛の角が体に触れようとする一瞬、両腕を高々とあげて狙いあやまたず小槍を突き立てた。彼のバンデリーリャもなかなか楽しい見物《みもの》だった。
彼のムレータさばきは華麗で興趣が尽きなかった。古典的なパスはよくできたし、あらゆるタイプのパスを豊富に取り揃えていて、それらを惜しげもなく演じてみせた。必要以上に自分を危険にさらすことなく、巧みに止めを刺してみせた。彼がその気になればたいそう鮮かに牛を殺せることがわたしにはわかった。また彼が長年にわたってスペインおよび世界の――これがスペイン流の等級づけである――ナンバーワン闘牛士の地位を維持してきた理由ものみこめた。わたしはやがて彼がアントニオにとってどれほど危険な競争相手になるかに気づき、ルイス・ミゲルが二頭の牛と闘うのを見ているうちに、その競争がどのような結果をもたらすかということが、わたしの心の中で一点の疑問も残さない明確な形をとった。彼がムレータで牛を静止させてから、ムレータと剣を横に投げ捨てて、素手で牛の角の前方、牛の視覚内に膝をつくというトリックを演じてみせたとき、わたしのその確信は不動のものとなった。
観客はこのトリックが気に入ったが、わたしは二度見たときにそのやり方がわかった。わかったことはほかにもある。ルイス・ミゲルの牛は、わたしの目には角の先端を切り落とされ、それから鑢で削って自然の形に尖らされたものと映った。そういう目で見ると、手を加えた痕跡を隠し、正常な角の健康な輝きを与えるために、使い古したクランクケース・オイルで磨きあげた光沢までが、はっきりわかるような気がした。そういう角は角の見分け方を知らない人にはすごくりっぱに見える。もちろん、これはわたしの邪推だったかもしれない。それにしてもルイス・ミゲルのコンディションはすばらしかった。彼は偉大な闘牛士であり、闘牛場の内外ともに人並みすぐれ、博識で、魅力にあふれ、そして非常に危険な競争相手だった。まだシーズンが始まったばかりで、先に強行軍のスケジュールが控えているにしては、いささか痩せすぎているように見えた。しかし非常に好調そうだったし、事実動きはすばらしかった。とはいうものの、わたしは二人の決闘のこの段階で、アントニオに決定的に有利な点がひとつあることを知っていた。彼はマドリードで角に細工していない牛と闘っていたし、コルドバでも大きな角を持った牛と闘うのをわたしはこの目で見てきた。それに反して、いま目の前でミゲルが相手にしている牛の角は、細工を加えた痕跡が歴然としていた。
われわれの近くにすわっている物識りな連中は、角の外観について批評を加えていたが、別段そのことを気にかけるようすもなかった。もともと彼らは見世物を求めてやってきたのだ。ほかの連中は闘牛関係者で、これも角のことは気にかけなかった。ほとんどの連中は何も意見を述べなかった。だがわたしは気になった。なぜなら、ミゲルを見ながら、彼は牛に関してすばらしいセンスと深い知識を持っており、その気になればどんな種類の牛とでも闘えるだろうし、真に偉大な闘牛士、おそらくはホセリートにも比肩しうる大闘牛士にちがいないと信じたからである。しかしいつもこんなタイプの牛ばかり相手にしていると、それによって彼の防御が変化しようものなら、やがて本物の牛を相手にしなければならなくなったとき、彼はいつの間にか取り返しのつかないほど危険な状態に追いこまれてしまっているだろう。かといってアントニオのほうも楽観はできなかった。彼は全然士気をそこなうことなくコルナーダ〔牛の角による突き傷〕から立ち直らなければならなかった。しかしわたしが自分の目で確かめえたと信じたところによれば、情勢はますますアントニオに有利に傾きつつあった。
その日のプログラムにはほかに二人のマタドールの名があった。小男でもじゃもじゃ頭の地元の闘牛士、恐れを知らぬ道化師「ミゲリン」と、ファン・ガルシア・「モンデーノ」だった。後者は長身で痩せ型の、重々しい顔だちをした男で、穏やかさと、冷静さと、抑制のきいた純粋なスタイルを持ち、まるで夢の中でミサをあげているような感じを抱かせる闘いぶりだった。彼とディエゴ・プエルタの二人は、わたしが昨年見た最良の新人闘牛士だった。
わたしはルイス・ミゲルとアントニオを評価するさいに、絶対的に公正な判断を下すよう努めていたが、二人のあいだには内戦のような競争意識が芽生えはじめており、中立を守ることはしだいに困難になりつつあった。ルイス・ミゲルがいかに偉大で途方もなく多才なマタドールであり、しかも申し分のないコンディションにあるかを見るにつけ、わたしはやがて彼らが同じプログラムで闘いはじめるとき、アントニオがいかに恐るべき強敵を相手にすることになるかを理解したのだった。
ルイス・ミゲルには維持しなければならない地位があった。彼は闘牛士のナンバーワンであることを自認していたし、おまけに金持だった。これらは闘牛場では重荷以外の何物でもないはずなのだが、彼は牛と闘うことを心から愛していたし、闘牛場では自分が金持であることを忘れることができた。しかし彼は自分のほうに勝ち目があると思いたかった。さらに彼は一回の出演に対してアントニオよりもたくさん金を払ってもらうことを望んでおり、対立の根の深さはそこにあった。アントニオは悪魔の誇りを持っていた。自分のほうがルイス・ミゲルよりも偉大な闘牛士であり、しかもずっと前からそうなのだと確信していた。ルイス・ミゲルのほうがアントニオより高い出演料をとっており、彼らがいっしょに闘うときにも出演料に差がつくようなことがあれば、アントニオは闘牛士としてどっちが上かということをすべての人に向かって、なかんずくルイス・ミゲルに向かって疑問の余地なく証明するまで、あの奇妙に熱っぽいぎらぎらした性質を放出してやまないだろうことをわたしは知っていた。アントニオはそれをするかさもなければ死ぬかだが、本人はもとより死ぬ気など毛頭なかった。
競争の幕あきはサラゴーサだった。牛はガメーロ・シビーコ産だった。闘牛好きで旅費をひねりだせるほどの人間は残らずサラゴーサに集まっていた。マドリードの評論家たちもみな顔を見せており、昼食時のグランド・ホテルは闘牛飼育者、プロモーター、貴族、有力者、元馬商人、それに小人数のアントニオの取巻きなどでごったがえしていた。ルイス・ミゲルの取巻きは、政治家、官吏、軍人など大勢いた。
ビルとわたしは彼の知っている市内の酒場で昼食をとり、それからアントニオの部屋へ行ってみた。彼は元気そうだったがどことなくぼんやりしていた。わたしにはすぐにわかるのだが、彼はまわりの人間たちが気になりだすと、首筋が凝っているかのように頭をぐるぐる回したり、ふだんよりいくらかアンダルシア訛りの目立つ話し方をしたりする癖がある。彼はよく眠れたと言った。闘牛が終わってからテルエルまで車で行っていっしょに食事をすることに決めた。アントニオはメルツェデスで行くほうがよく休めるだろうと思ったので、ビルとわたしは闘牛場からまっすぐテルエルへ向かうことにした。わたしはふとアランフェスでの闘牛の前におしゃべりをしすぎたことを思い出して、いやな気がしたが、アントニオはどうしてもそうしたいと言ってきかなかった。別れぎわに、彼は自然な笑いを浮かべて、何かおたがいのあいだに秘密でもあるかのように一度ウィンクした。彼は神経質にはなっていなかったが、少しばかり緊張していた。わたしはルイス・ミゲルの部屋にもちょっと立ち寄って、よい牛に当たるようにと声をかけた。彼も少しばかり緊張していた。
その日は暑い日で、六月の太陽が激しく照りつけていた。ルイス・ミゲルの最初の牛は力強く決然として姿を現わし、ピカドールたちを激しく攻撃した。ルイス・ミゲルが最初のキーテで牛を引き受け、その前にアルヘシラスでパブロ・ロメロスといっしょに闘ったときとまったく同じ美しいフォームと、尊大さと、ケープによる支配を見せてくれた。それから牛がつぎにピカドールを攻撃すると、アントニオが交替してケープで牛を引きはなした。彼は牛をリングの中央に連れだして、ゆっくりと、すれすれのパスをくり返した。自分はしっかりと直立し、一回ごとのパスを彫刻のような型にはめこみ、こんなケープさばきがはたして可能だろうかと思われるほどに、パスの速度を落とし長びかせてみせた。観客も、そしてルイス・ミゲルも、二人のケープさばきにははっきりした腕の差があることを知った。
ルイス・ミゲルは二対のバンデリーリャを巧みに打ちこみ、つづいて目のさめるような最後の一対を打ちこんだ。牛を招き寄せておいて、ぎりぎりの瞬間まで待ってから、片側に身をひるがえして一対のバンデリーリャを突き刺し、鮮かなピヴォットで角をかわした。彼はすばらしいバンデリリェーロだった。
やがてムレータに移ると、彼はたちまちのうちに牛を支配下におき、きれいな長いパスで巧みに操った。しかしそこに魔術的なものは何もなかった。初めはそれほど無邪気な動物ではなかったこの牛から、アントニオのキーテが何かを奪ってしまっていたのだ。ルイス・ミゲルは二度剣を突き刺したが、不運にも決定的な打撃を与えることができなかった。三度目は前よりもましで、上のほうのむつかしい急所に剣が半ばまで突き刺さり、ルイス・ミゲルは牛の頭を、それが砂の上に拡がったムレータに鼻面を突っこんでいたところまで巧みに下げさせておいて、デスカベーロ剣〔牛の脊髄を切断する剣〕の切尖を突き刺し、ようやく牛を片づけた。観客は彼を支持し、彼は唇をきっと結び、かすかな微笑を浮かべながら場内を一周した。その表情にやがてわれわれはたびたびお目にかかることになる。
アントニオの最初の牛はなかなかいい牛だった。アントニオは牛を迎えてパスを一回行なうたびにしだいに牛に近づいて行き、相手に自分を順応させながら、あのはらはらするようなリズムでケープを操った。
彼はピカドールたちとの接触を通じて牛を完全なままに保ち、やがてバンデリーリャが打ちこまれると、一か月前にアランフェスで完璧な闘牛を中断した時点に立ち戻った。つまり怪我の影響は全然認められなかった。牛の角による負傷は、いかなる点でも彼の力を低下させていなかった。それは彼に教訓を与えただけであり、やがて彼は持てる純粋なスタイルを存分に発揮してファエナを開始し、牛を自分の協力者に仕立てあげ、愛情こめて牛を助けながら、これ以上近づいたら危険だというぎりぎりのところで牛の角をやりすごした。ついに牛が持てる力のすべてを吐きだしてしまうと、アントニオはただ一度角の上に身を躍らせただけで牛を仕止めた。わたしにはそれがほんのわずか低いように見えたが、観客も主催者も満足した。アントニオは片耳を切り取った。
ビルとわたしはほっと一息ついた。全然空白を感じさせない見事なカムバックぶりだった。そこが肝心な点だった。苦痛もショックも、彼の内面にいかなる影響も及ぼしていなかった。目のまわりにいくぶん疲労のかげが浮いているように見えたが、それ以外はどこも変わりなかった。
ルイス・ミゲルの二番目の牛は脚が弱かった。彼は上手に牛を操ろうとつとめた。出だしはよかったのだが、やがて牛の蹄が傷んでしまった。彼は代わりの牛の代金を払ってアントニオの牛のあとで改めて闘う許可を求めた。彼がこの蹄を傷めたかわいそうな牛を殺すと、アントニオの最後の牛が姿を現わした。
その牛は真に勇敢な牛ではなく、スロー・スターターで、大向こうを唸らせるようなファエナには向いていなかった。服従させ、ムレータで戦意を失わせ、さっさと殺してしまわなければならないような牛だった。ところがアントニオはその牛に働きかけて、すばらしい牛に作りかえようとしはじめた。鮮かにケープでやりすごしながら、先手を打って勇気と知識で牛の欠点を矯正した。見た目には美しいが不気味だった。バンデリリェーロたちはみな神経質になっており、ミゲリーリョの顔は蒼白にひきつっていた。
ムレータに移って、アントニオは牛を軌道にのせられたと思ったらしいが、かなりはなれた場所から牛を招き寄せると、相手はパスの途中に足を突っ張ってブレーキをかけ、ムレータの下の体に突きかかろうとした。アントニオは牛をムレータに巻きこんで攻撃をかわした。牛はふたたび同じことをくり返した。結局この牛はアントニオの望むような闘牛に向く牛ではなかった。彼もそのことに気づき、自分がこの牛に対して自信過剰だったことを知った。そこで止めに対して牛を備えさせるために必要なパスを行ない、牛に接近して身構えたのち、角の上に身を躍らせて、正式の突き場所のやや手前下のところに剣を柄先まで突き通した。
ルイス・ミゲルが替え牛を相手にして彼流のスタイルであしらった。大きくてやや体重超過気味の、りっぱな角を持った、悪意のないサムエル・フローレス牛だった。彼は四対のバンデリーリャを打ちこんだ。最初の牛に打ちこんだやつほど高価なものではなかったが、メイシー製のなかなかいいバンデリーリャだった。彼のムレータさばきは知的で、適確で、冷静だった。ついで彼は観客の気に入ることがわかっているすべてのトリックを完璧に演じてみせた。剣による最初のひと突きはやや不満足な出来だった。二度目は急所の最上端を狙って、大動脈のあたりに剣を半分ほどしっかりと突き刺した。彼は牛が冠状動脈血栓をおこすのをじっと見守り、やがてデスカベーロ剣で最後の灯を消した。観客は彼に牛の両耳としっぽを与えた。
ビルが言った。「ルイス・ミゲルが一度の闘牛につき替え牛に四万ペセータずつ払ってアントニオと張り合おうとすると、このシーズンは彼にとってたいへんな出費だな」
「今日の闘牛は非常に教訓的だった」と、わたしは言った。「ルイス・ミゲルはたいそう頭のいい男だから、自分の牛に対するアントニオのキーテが気にさわったんだ。このことは彼の頭にこびりついてはなれないぞ。まあ見てるがいい」
「それに彼はいつもルイス・ミゲルのあとで闘うことになる」と、ビルが言った。「これもすごく有利だね」
「われわれは替え牛を見逃さないようにしなくちゃならんな」と、わたしは言った。「たぶん替え牛がたくさん見られるだろう」
「どうかな、わたしはそれほど長つづきすると思わないが」
「わたしもだよ」
パンプローナは妻を連れて行くような場所ではない。病気や怪我をするか、少なくとももみくちゃにされてぶどう酒を浴びるか、あるいは迷子になるおそれが十分にあり、下手するとその三つを全部やりかねない。パンプローナでうまくやれそうなのはカルメンとアントニオぐらいのものだが、アントニオは彼女を連れて行かないつもりだった。パンプローナのそれは男の祝祭《フィエスタ》であり、一緒に出かけた女は足手まといになる。もちろん故意にではないが、かならずといってよいほど人に迷惑をかけたり自分が困ったりするのだ。わたしはこのことについてかつて本を書いたことがある。もちろん彼女がスペイン語を話せて、男たちが彼女を侮辱しているのではなく冗談を言っているのだということがわかれば、昼も夜もたてつづけにぶどう酒を飲み、見知らぬ人たちのグループに誘われてもいっしょに踊ることができれば、服に飲物をこぼされても気にならなければ、ひっきりなしの騒音や音楽が大好きで、とくにすぐそばに落ちてきて服を焦がす仕掛け花火が嫌いでないならば、一文にもならないことを承知のうえで、楽しみだけのために、自分を殺すかもしれない牛にどれだけ近づけるか試してみることが、健全であり理にかなったことであると考えられるようならば、雨に降られても風邪をひかず、埃《ほこり》っぽさをいとわず、混乱と不規則な食事を好み、睡眠をとる必要がなく、給水設備のない部屋でも清潔を保っていられるならば、そのときは彼女を連れて行くがよい。おそらくあなたは、あなたよりもっとましな男に妻を寝取られてしまうだろう。
パンプローナは例のごとく猥雑《わいざつ》で、観光客や風変わりな連中でごったがえしていたが、ナバーラ地方で最上のもののエッセンスがそこにはあった。われわれは一週間というもの、ナバーラの軍鼓の響きや、古い歌を奏でる笛の音や、旋回し跳びはねる踊り子たちとつきあって、平均三時間少々しか眠らなかった。わたしは一度パンプローナを本に書き尽したことがある。観光客が四万人ほど増加した点を除けば、昔と少しも変わらぬパンプローナの姿が今もある。今からほぼ四十年前にわたしが初めてパンプローナを訪れたときには、観光客は二十人といなかった。今では日によって十万人近い観光客が町に押しかけることもあるという。だれも正確に数えた者はいないので、概算は人によってさまざまである。
アントニオは五日にトゥールーズで闘わなければならなかったが、七日の最初のエンシェーロにはパンプローナにやってきた。パンプローナで闘うことを望んでいたのだが、シーズン初めにマネージャーを替えて、ドミンギン兄弟と手を結んだときに、契約上の手違いがおきたのだった。彼はパンプローナの祝祭《フィエスタ》が好きで、みんなでいっしょにそれを楽しむことを望み、望み通りわれわれは大いに祝祭《フィエスタ》を楽しんだ。われわれは五日五晩にわたって楽しんだ。それから彼は七月十二日にルイス・ミゲル、モンデーノといっしょにベニテス・クベーロ牛と闘うために、プエルト・デ・サンタ・マリアへ行かなければならなかった。彼らがいっしょに闘ったとき、ルイス・ミゲルがリングで彼をはるかにしのいだのは、一年を通じてその一度だけだった。
あとでわたしは彼に質問した。彼はルイス・ミゲルがいい牛に当ったことは確かだが、彼自身そのシーズンを通じてずっと維持していた調子を発揮できなかったのだと答えた。
「なにしろパンプローナではあまり練習しなかったからね」と、わたしは言った。
「確かに練習が足りなかったかもしれない」と、彼はうなずいた。
パンプローナへ練習をしに行ったのでないことは確かだが、彼が早朝パブロ・ロメーロ牛に刺されて右のふくらはぎに傷を負い、しかも傷の手当をして破傷風予防ワクチンを注射しただけで、あとは構わないでおくという事故はプログラムに含まれていなかった。彼は傷のせいで脚が硬直するのを防ぐために夜を徹して踊りつづけ、しかも翌朝パンプローナの友人たちに、牛が気に入らないからといって闘牛をやめるつもりはないことを示すために、また走ってみせたのだった。傷のぐあいを見もせず、負傷を重視していると人に思われるのがいやさに、またカルメンに心配をかけたくないという理由で、闘牛場の専属医に診察してもらおうともしなかった。しばらくしてわたしが傷が化膿していることに気づいたとき、サン・ヴァレーからきたわれわれの友人で医者のジョージ・セイヴィアーズが傷を消毒し、しかるべく手当をして、アントニオがまだ傷口もふさがらないのにプエルト・デ・サンタ・マリアで闘うために出発するまで、清潔に保っておいた。
プエルトでは、わたしは友人たちから聞いたのだが、ルイス・ミゲルは理想的で完璧な二頭の牛に恵まれ、それらを相手にして鮮かな闘いぶりを見せたあとで、一頭の牛の鼻面にキスをするという芸当まで含めて、ありとあらゆるトリックを披露したという。アントニオは二頭のつまらない牛に当り、とくに二番目の牛はたいそう危険なやつだった。最初の牛を殺すときには幸運に恵まれなかったが、二番目の非常に悪い牛のときは、そいつからできるかぎりのものを引きだし、見事に殺して片耳を与えられた。モンデーノはいずれもそれほど扱いやすくない二頭の牛でともに妙技を見せ、最初の牛の耳を切り取った。しかしこの日は初めから終わりまでルイス・ミゲルの独壇場だった。
そのころイラーティ川へ泳ぎに行ったときに、石ころを踏みそこなって傷めたメアリの足の指がひどく痛みだしていたので、わたしはパンプローナにとどまった。彼女は杖にすがってやっとの思いで痛そうに歩いていた。祝祭《フィエスタ》は少々気違いじみていたかもしれない。最初の晩に、アントニオとわたしは美しい女を乗せたたいそうシックな感じのするフランス製の小型車に目をとめた。アントニオがボンネットに跳び乗って車を止めたときにわかったのだが、彼女の連れの男はフランス人だった。ペペ・ドミンギンもわれわれといっしょで、車の中の男女が降りてきたとき、われわれはそのフランス人に向かって、あなたは行っても構わないが女はわれわれの捕虜であるむね申しわたした。また、われわれには足がなかったので車も差し押えることにした。フランス人は非常に愛想のよい男だった。女はアメリカ人で、彼はただ友だちが待っている宿へ彼女を送りとどけるところだったということがわかった。われわれはその役目を肩がわりすることを約束し、フランス万歳、ポテト・フライ万歳を叫んで別れた。
パンプローナの街なら隅から隅まで知らないところのない代作者《ネーグロ》が、そんなことがありうるとしての話だが、最初の捕虜よりもさらに美しい彼女の友だちを捜し当てた。それからみんな揃って夜の街へ繰りだし、暗く狭い石だたみの道を通って、アントニオがわれわれを連れて歌いそして踊りに行きたいという旧市内の彼の知合いの店へ出かけた。やがてわれわれは二人の捕虜を仮釈放し、そのあと彼女たちは、朝最初の太鼓と踊り手たちが広場へ行く途中でチョコのバーの前を通りかかるころ、生き生きと、美しく、きちんとしたみなりでそこへ到着した。そして以後月末のバレンシアの市《フェリア》が終わるまで、ずっと善良で忠実な捕虜としてわれわれと行をともにした。ほんとにすばらしい一か月だった。
夫婦のつどいに二人の捕虜を連れて現われると、時としてあまり歓迎されないこともあるものだが、この二人はいかにもかわいらしく、お人よしで、融通がきき、捕虜の身を心から楽しんでいたので、妻たちはみな、彼女たちを歓迎し、カルメンでさえ七月二十一日に[ラ・コンスラ]で開かれた彼女とわたしの合同誕生パーティーで彼女たちと会ったとき、われわれの言い分を信じた。
一方でわれわれは、祝祭《フィエスタ》の浸食作用を食いとめ、神経にさわりはじめた喧騒から逃げだす方法を見つけだしていた。それは午前中に出発してイラーティ川をアオイスの上流まで車で溯《さかのぼ》り、ピクニックや水泳ぎをしてから闘牛に間に合うように帰ってくるという方法だった。
われわれは一日ごとにこの美しい鱒の棲む流れを遠くまで溯って、ドルイド教の時代から少しも変わっていないイラーティの大原生林の中へとはいりこんだ。わたしはこの森林がすでに伐り開かれ破壊されてしまったものと予想していたが、それは依然として中世生き残りの大森林の様相をとどめており、ぶなの大木が密生し、年古した苔の絨毯は何物にもまして柔らかく、寝心地がよかった。われわれは一日ごとに遠くまで足をのばして、その分だけ闘牛の時間に遅れるようになり、ついには最終のノビリャーダ〔闘牛士志願者たちのための闘牛〕をすっぽかして、森の奥のある地点まではいりこんだ。今度そこへ行ったときに五十台もの乗用車やジープに荒らされていては困るから、その場所について詳しく述べるつもりはない。森の中の道を通って、わたしが『日はまた昇る』に書いた当時は、徒歩旅行でなければ行けなかったほとんどすべての町へ、車で行くことがききた。もっともロンセスバリェスの町にだけはいまだに歩いて登らなければならなかったが。
自然が文明に毒されていないことを発見し、ふたたびそれにめぐりあって、去年の七月いっしょだった人たちとそれを分かち合うことができたので、わたしはかつてなかったほどの幸福を味わい、パンプローナの混雑や近代化など全然気にもならなかった。パンプローナではマルセリアーノのような古い馴染みの人目にふれない店を知っており、朝エンシェーロが終わるとそこへ食い、飲み、歌いに出かけて行った。マルセリアーノの店、そこではテーブルや階段の木肌がヨットのチーク材のデッキのようにピカピカに磨きあげられ、ただテーブルにぶどう酒がこぼれているところだけがヨットと違っていた。ぶどう酒はわたしの二十一歳のころと同じようにすばらしい味だったし、料理も昔と同じようにおいしかった。昔と同じ古い歌もあれば新しいよい歌もあって、だしぬけに太鼓や笛に合わせて響きわたった。かつては若々しかった顔も今ではわたしの顔と同じように老けていたが、みんな昔自分たちがどんなふうだったかをおぼえていた。目だけは変わらず、ぶよぶよ太っている者は一人もいなかった。彼らの目が何を見てきたにせよ、だれ一人口もとに苦渋をたたえてはいなかった。口もとの苦悩の皺は敗北の最初のしるしである。だれ一人敗北してはいなかった。
われわれの社交生活の場は、かつてファニート・キンターナの持物だったホテルの前の、アーケードの下にあるバー・チョコだった。ある若いアメリカ人ジャーナリストが、今から三十五年前のパンプローナであなた方とお会いしたかった、そのころのあなたは田舎へ出かけて行って人々と知り合い、スペイン人というものを知って彼らと彼らの国を愛し、物を書くことを愛していた、今みたいにバーにでんとおみこしを据えて、周囲へのへつらいを求めながら、追従者たちと気のきいた冗談を言い合ったり、ファンにサインをしてやったりなどしていなかったはずだ、とわたしを非難したのは、このバー・チョコにおいてだった。
悪口はまだまだつづき、わたしがバー・チョコからそのジャーナリストを追いだしたあとに彼が書いてよこした手紙に長々と書きつらねてあった。そいつを追いだしたのは、わたしが全部の市《フェリア》をとりしきっている古い馴染みのダフ屋から手に入れてやった何枚かの切符を、そいつが受け取らなかったからである。彼はまだ二十歳そこそこだったが、おそらく一九二〇年代にも五十年代の終わりと同じように堅苦しい男だったろう。彼は自分の求めるものがつねにそこにあること、その気になれば発見できることを知らなかったのだ。パンプローナでわたしを立ちなおらせようとしたときの彼の上唇のまわりには、すでに苦渋の皺が刻まれていた。求めるものはすべてそこにあり、彼はそれに招かれていたにもかかわらず、自分で見つけだすことができなかったのだ。
「なんだってあんないやな奴にかかずらわって、時間を無駄にするんだい?」と、ホッチが言った。ホッチとはわれわれの昔からの友人で、六月以来われわれと行をともにしていたエド・ホッチナーのことである。
「べつにいやな奴じゃないよ」と、わたしは答えた。「[リーダーズ・ダイジェスト]の未来の編集長さ」
「ジョージに頼んであいつに毒薬を注射してやるといいんだ」と、代作者《ネーグロ》が言った。
「そうすべきだよ、ジョージ」と、ホッチが言った。「きみはそうすることによってあいつを長い苦労の年月から救ってやれるんだぞ」
「ホッチ、わたしの宿を教えてくれ」と、ジョージが答えた。「そうすればすぐに行って薬を取ってくるよ。ほかにも待っている患者がいるかな?」
「縁起をかついでアントニオの傷も消毒してやったらどうだい」と、ホッチが言った。「あの傷は少し悪化していると思うんだが」
「アントニオは今日プエルト・デ・サンタ・マリアで闘っているよ」と、代作者《ネーグロ》が言った。
「いかんな」と、ジョージが言った。「彼が傷の手当を忘れないといいんだが」
パンプローナで楽しく過ごしたあと、アントニオはフランスのモン=ド=マルサンで二度闘った。そこでのアントニオ自身の出来はすばらしかったのだが、おそらく牛の角に細工が加えられていたのだろう、わたしにはモン=ド=マルサンでの闘牛のことを一言も話さなかった。最後の闘牛のあとで、彼はメアリがカルメンとわたしのために開いてくれた誕生パーティーに出席するために、飛行機でマラガまで飛んできた。それはすばらしいパーティーで、もしメアリがそれほど盛大で楽しいパーティーを準備しなかったら、おそらくわたしは自分が六十歳になったことに気がつかなかっただろう。だがそのパーティーが六十歳になったという事実をわたしの頭の中に叩きこんだ。パーティーのことはとばして、アントニオとルイス・ミゲルが凄絶な死闘を開始したバレンシアの市《フェリア》へ話を進めることにしよう。だがこのパーティーについては、あとで述べておきたいことがある。
アントニオがアランフェスで重い角傷《コルナーダ》を負ったあと、杖を手放してトレーニングを開始したとき以来、われわれは言葉の最上の意味で日ましに快活さを取り戻していた。二人で不吉な感じなしに死について語り合い、わたし自身の死についての考えをアントニオに向かって述べた。もっとも人間だれしも死のなんたるかを知らない以上、それは無意味なことではあるが。わたしは心底から死を軽蔑することができたし、時にはこの軽侮《けいぶ》の念を他人に伝えることもできるのだが、そのころは死とかかわりを持っていなかった。
アントニオは少なくとも日に二回、長距離の旅行をしながら死に直面していた。時にはそれがまる一週間休みなしにつづくこともあった。毎日のように意識的に自分自身に対して死の危険を挑発し、彼独特の闘牛スタイルによって、一般に耐えられる限界を超えたところまでその危険を長びかせていた。びくともしない神経をもち、不安とは無縁でなければ、とうてい彼のような闘牛はできなかったろう。なぜなら、いっさいのトリックを排除した彼の闘牛は、危険を理解することと、牛のスピードに、あるいはスピードの欠除に、完全に自分を適応させる方法によってその危険をコントロールすることと、筋肉、気力、反射神経、目、知識、本能、勇気などに調節された手首で牛を支配することの上に成り立っていたからである。
もし彼の反射神経に一分の狂いでもあれば、こういう闘い方はできなかったろう。たとえ何分の一秒かでも勇気がくじけたら、呪縛が破れて、彼は牛の角で空中にほうりあげられるか刺されるかするだろう。そのうえ、彼を牛の前にさらけだして、いつ気まぐれに殺すことになるかもしれない風とも闘わなければならないのだ。
彼はこれらすべての危険を冷静に、隅々までわきまえており、問題は、彼が危険について考えなければならない時間を、リングにはいる前の準備として必要な最小限まで、いかにして減らすかということだった。これこそわれわれが毎日直面しなければならないアントニオの規則的な死との約束だった。死と直面することはだれにもできるが、あるいくつかの古典的な動きを演じながらできるだけ死を身近に招き寄せ、しかもそれを無限にくり返して、体重が半トンもある動物に――しかもあなたはその動物を愛している――ひとふりの剣をもって死を分配してやらなければならないということは、ただたんに死に直面する以上に厄介なことなのである。それは創造的な芸術家として毎日自己の演技に直面し、熟練した殺し手としての役割を果たす必要に直面することなのである。アントニオはすばやく、慈悲深く殺し、しかもなお少なくとも日に二度ずつ、牛の角の上に身を挺するたびに、一度は牛に十分なチャンスを与えてやらなければならなかった。
闘牛界の人間はリングの中ではみなたがいに助け合う。激しい競争意識や憎しみの感情にもかかわらず、そこにはもっとも緊密な同志関係が存在する。自分たちがどんな危険を冒しているか、牛が自分たちの肉体と心にその角でどんな危害を加えうるかということは、闘牛士だけしか知らない問題だ。闘牛士になるための真の素質を持たない人間は、毎晩牛といっしょに眠らなければならない。しかし闘いの直前の闘牛士を助けることはだれにもできない。そこでわれわれは鋭い不安にみちた時間をできるだけ短縮しようと努めた。わたしは不安という言葉よりも苦痛、コントロールされた苦痛という言葉のほうが好きである。
アントニオは闘いにのぞむ直前の一瞬、幸運を祈りにきた人や取巻き連中が去ったあとで、いつも部屋の中で祈った。
闘牛場に着いてから時間があれば、ほとんどの闘牛士が入場《パセオ》の前に礼拝堂に立ち寄って一度は祈った。アントニオはわたしが彼のために祈り、わたし自身のためにはけっして祈らぬことを知っていた。わたしは牛と闘うわけではなかったし、スペイン戦争のとき他人の身に恐ろしいことがおこるのを見て、自分のために祈るのは利己的で自己本位なことだと感じて以来、自分のために祈ることはやめてしまっていた。だからわれわれは死について考える時間をできるだけ短く切りつめて、闘いとリングへ出る直前の準備のあいだをいつも陽気に過ごした。
パンプローナは申し分なく陽気だった。パーティーはそれ以上に陽気だった。メアリが庭にしつらえたアトラクションのひとつに、旅まわりの見世物一座から借り切った射的台があった。一九五六年にイタリア人の運転手マリオが、強風の中で火のついた煙草を手に持ち、わたしが火のついたほうを二二口径のライフルで撃って吹っとばすのを見たとき、アントニオはいささかショックを受けたらしい。パーティーのときアントニオは、口にくわえた煙草の灰をわたしに狙い撃ちさせた。われわれは射的屋の小さなライフルで七回これをくり返し、おしまいにはアントニオが煙草をどこまで短くできるかを試すためにすぱすぱやりだした。
ついに彼が言った。「エルネスト、これ以上は短くならない。最後の弾丸は唇をかすめて通ったよ」
コーチ・ベハールのマハラジャがこの陽気な遊びのもう一人の愛好者になった。彼は最初控えめにシガレット・ホルダーを使ってやりはじめたが、すぐそれに飽きたらなくなって煙草をすぱすぱやりはじめた。わたしはまだ自分のほうがリードしているうちにこの遊びをやめて、ジョージ・セーヴィアーズを標的にすることを断わった。彼はこの家でただ一人の医者だったし、パーティーはまだ始まったばかりだったからである。パーティーはそれから長時間にわたってつづいた。
バレンシアでの四度目の闘牛で、アントニオとルイス・ミゲルはリングでそのシーズン五度目の顔合わせをした。牛はサムエル・フローレス産だった。グレゴリオ・サンチェスが三人目のマタドールだった。その日はどんよりと暑苦しい曇り日だった。切符は市《フェリア》が始まって以来初めて売り切れになった。ルイス・ミゲルの最初の牛は逡巡し、攻撃の途中で足を突っ張って止まり、再三防御の中にもぐりこもうとした。ミゲルは慎重に、知的に牛をあしらった。牛は鼻面を地面にさげつづけ、一方ミゲルは牛に頭を持ち上げさせ、剣を受ける準備をさせようと頑張った。それはどんな闘牛士でもてこずるような牛だった。しかしミゲルは二度目の突きですばやく巧みにその牛を殺した。それは金を払って見にきた客の期待を裏切るものだったが、ほかに見せるものは何もなかったし、観客の中でも見る目をもった人々はそのことを知っていて拍手を送った。ミゲルは一度リングに出て行って観客にあいさつし、唇をきっと結んでバレーラのところに戻ってきた。
ついでアントニオの牛が現われると、彼はケープをかざして牛を迎え、そのシーズンを通じて、攻撃してくるすべての牛に対して見せたのと同じゆったりした、一直線の、美しく長いパスを行なった。彼はごくまれに、あるいは特別な牛に対してだけそれらのパスを行なったのではなかった。それは攻撃に駆りたてることのできるすべての牛に対して彼が演じた標準的なケープさばきであり、しかも彼は一回ごとにそれを洗練して、より近くよりゆるやかに改良していった。
ルイス・ミゲルはケープを背中に回して、自分が牛を馬たちから引きはなす番になると、一連の見事なガオーナふうの古いパスを演じてみせた。
ムレータに移って、アントニオはまれに見るファエナをやってのけた。わたしが最前列の席から見守る前で、彼はつねに完璧にコントロールされた牛を意のままに操り、ただの一度も牛の角をムレータに触れさせることなく、ちょうど牛のスピードに合わせてムレータを振り動かしながら、つぎつぎに半円を描いて自分を中心に牛を引きまわし、やがて一回パスを行なうたびに観客席からどっとわきおこる歓声の中で、牛にひとつの完全な円を描かせた。わたしは同時にルイス・ミゲルの顔にも注目した。そこにはどんな表情も認められなかった。
アントニオは一頭の牛を相手にして行ないうる美しく、古典的で、真に危険なすべてのパスを演じ終わり、さらにその全部をよりいっそう洗練された形でくり返したところで、ついに牛を殺した。観客は熱烈な喝采を送り、主催者は彼に牛の両耳を与えた。
ルイス・ミゲルはぜがひでもアントニオに勝とうという意気ごみで二番目の牛に立ち向かい、地面に両膝をついて、ラルガ・カンビアーダと呼ばれるケープを使った美しい片手パスで牛をかわした。それはめざましく、美しいパスではあるが、両手で持ったケープでゆっくり牛をやりすごすパスとは比べものにならないほど危険は少ない。しかし観客がこのパスを好むのは当然であり、ルイス・ミゲルはこのパスの名人なのである。
バンデリーリャのときの彼は最高だった。彼が打ちこんだ一対のバンデリーリャは、まさに信じられないほどの見事さだった。牛はバレーラの近くでミゲルを待っていた。両脇腹をふくらませ、槍で突かれた傷から一方の肩に血を滴らせて、先端が銛《もり》になった二本の棒をまっすぐ前方に向け、両腕を大きく広げながらゆっくりと近づいてくるミゲルをじっと見守っていた。ミゲルは牛に誘いをかけて攻撃をしかけさせるべき地点を過ぎ、この方法でバンデリーリャを打ちこむことがまだ安全な地点も通り過ぎて、ついにまだ彼を見守っている牛が確実に彼をとらえることができる地点をも通り過ぎた。やがて牛が三歩進んで彼に突きかかると、ミゲルは体を左へ移動させると見せかけて、牛の頭がその動きを追っている間にバンデリーリャを突き立て、そのままくるりと一転して右の角の外側へのがれた。
彼はムレータで牛をバレーラの羽目板近くまで誘導して行き、右手のパスで牛の攻撃をかわした。わたしは彼が牛に向かって話しかける言葉や、牛の激しい息づかいや、牛がムレータの下をくぐってミゲルの胸元を通過するさいのバンデリーリャのぶつかり合う音をはっきり聞きとることができた。牛はたった一度槍で突かれただけだったが、傷は深かった。牛の首の筋肉は強く、しかし牛はひどく血を流してしだいに力を失いつつあった。
ミゲルは牛をやさしくいたわって、バレーラから引きはなすときもゆるやかなパスを行なったが、急速に牛を失いつつあり、牛は出血のため動きが鈍くなりはじめていた。牛はとうとう蓄音器のレコードのように勢いが衰え、いっこうにミゲルに突きかかろうとしなくなったので、自分のほうから牛をからかいにかかった。牛の角を撫で、片腕で牛の額にもたれかかって、電話で牛に話しかけるようなしぐさをした。もともと牛は答えられるはずもないが、大量に血を流して息切れし、攻撃することもできなくなった今は、なおのこと答えられそうになかった。ミゲルは牛の精神集中を助けるために角を握って試しに二、三度引きまわしておいてから、牛の鼻面に接吻した。
今や彼はこの牛に対して、名誉ある結婚申込み以外の考えうるすべてのことをなしおわり、あとはただ殺すことだけしか残っていなかった。彼はバンデリーリャで牛をわがものにすると同時にそれを失ってしまったのだ。だがまだその事実は表面に表われていなかった。
牛はミゲルの剣による突きを助けるだけの攻撃力を残していなかった。今アントニオと張り合おうとするならば、ミゲルは自分から勢いよく高く牛にとびかかって、剣を叩きつけるようにして突き刺さなければならなかった。だが彼にはそれができなかった。五回も試みたが剣を突き刺すことはできなかった。剣は骨に当らなかった。要するに彼は渾身の力をこめてのしかかることができなかったのである。観客は奇妙に静まりかえっていた。彼らは一人の男の身に何か理解を超越したことがおこるのを見守っていた。彼らはそれをひきおこしたさまざまな原因がなんであるかを知らなかった。
わたしはアントニオがケープとムレータで彼を破滅させてしまったのだと考え、彼のために気の毒に思った。それから彼がトゥデーラで牛を殺すときに不手際をしでかして空壜を投げつけられた事件を思い出した。たぶんそのことが彼の意識下で作用して、射手が引金を引く瞬間にある種のためらいをおぼえるように、剣を持ってとびかかるのを妨げる心理的障害になっていたのかもしれなかった。とにかく彼はもはや手際よく殺すことができそうになかったので、五回試みてから、もう血を流しきって頭をだらりと垂れている牛の鼻面を、砂の上に広げたムレータでさらに少し引きおろし、首筋にデスカベーロ剣を突き刺して生命の流れを止めた。
ルイス・ミゲルがバレンシアでの最初の対決に先立つ数晩を、どのようにして眠ったかをわたしは知らない。噂では夜遅くまでおきていたというが、どうせ噂などというものは、いつだって何か事がおこってからもっともらしいこじつけを持ちだすものだ。ただひとつわたしにわかっていたことがあった。彼はこの闘いのことを心配しており、われわれのほうは心配していなかったということである。わたしはミゲルの邪魔もしなければ、彼に質問もしなかった。今ではわたしがアントニオの陣営に加わっていることを彼も知っていたからである。
われわれは依然として親友同士だったが、彼の闘牛を眺め、さまざまなタイプの牛を相手にする彼を観察して以来、わたしは彼が偉大な闘牛士の一人だとすれば、アントニオは前代未聞の偉大な闘牛士だと確信するようになっていた。もしアントニオが敵意をむきだしにして攻撃しなければ、二人が出演料を値下げして同じ額の出演料を受け取るようにしたら、彼とミゲルは莫大な金を稼げるだろうとわたしは確信した。もしアントニオにミゲルと同額の出演料が払われなかったら、彼はどこまでも競争心を燃やしつづけ、やがてミゲルが彼と対等の、あるいはそれ以上の闘牛を見せようという気をおこして、牛に殺されるか闘牛をつづけることができないほどの重傷を負うはめに陥るだろう。アントニオは情容赦なく、わがままとは無縁な、奇妙に非情な誇りの持主であることをわたしは知っていた。その誇りの裏にはいろんなものが隠されていて、暗い一面もあった。
ルイス・ミゲルにもアントニオに劣らぬ、あるいはそれ以上の悪魔の誇りがあり、多くの点でもっともしごくな絶対的優越感があった。長いあいだ自分こそ最高の闘牛士であると公言してきた結果、今では本心からそう思うようになっていた。それはただたんに彼がそう思っているというだけのことではなく、今や信念であるといってもよかった。やがてアントニオが彼の自信を手ひどく傷つけた。彼は重傷から無事に立ちなおってルイス・ミゲルの自信を傷つけ、しかも二人いっしょに闘ったときは、ただ一度の例外を除いて、毎回ルイス・ミゲルの自信に打撃を与えた。
ルイス・ミゲルの救いは、つねにいっしょに出場する第三の闘牛士がいるので、二人のあいだの比較が絶対的なものではありえないということだった。ルイス・ミゲルはつねに第三の闘牛士よりはましだった。ところがバレンシアでは、出場するのは彼とアントニオの二人だけだった。アントニオの闘いぶりを考えれば、どんな闘牛士も出る幕ではなかったし、ましてその闘牛士がアントニオよりも高い出演料を取っているとなればなおのことそうだった。アントニオはまるで増水した川のような勢いだったし、その年も前の年も水勢はずっと不変だった。試合の前日、われわれはその日の過ごし方について一か八かの大冒険をしたが、冒険は酬われた。
その日、浜は風の強いよく晴れた天気で、われわれは食事とフットボールをして遊んだ時間を除けば、丸一日海で泳ぎつづけた。午後のなかばごろ、われわれは翌日の闘牛を見に行かないことに決めて、かがり火の儀式を行ない、切符を一枚残らず燃やしてしまうことにした。やがてそれでは縁起が悪いと思いなおして、またフットボールをしてから、暗くなるまで泳いだ。磯波を越えてはるか遠くまで泳ぎだし、西の沖の方へ向かう強い海流に逆らって岸まで泳ぎつかねばならなかった。みんな死んだようになって、疲れきった健康な野蛮人のように早々とベッドに転げこんだ。
アントニオは気持よく熟睡して、休養十分の快適な目ざめを迎えた。わたしは牛の選別から帰ってきたばかりのところだった。姿かたちもよく、本物の角を持ったイグナシオ・サンチェス牛とバルタサール・イバン牛だった。くじ引きの結果は五分五分だった。夜のあいだに風が強くなり、空は雲におおわれていた。外はなかば暴風めいていて、七月末というよりは秋の嵐だった。
「筋肉がこっているか?」と、わたしはアントニオに質問した。
「いや、全然」
「足は大丈夫か?」
わたしの右足ははだしでボールをドリブルしたりキックしたりしたために腫れあがっていた。
「大丈夫ですよ。調子は最高です。天気はどうかな?」
「風が強い。強すぎるくらいだ」
「そのうちおさまるでしょう」と、彼は言った。
風は闘牛が始まるころになってもおさまらず、ルイス・ミゲルの最初の牛がリングに登場するころ、空は嵐の気配を示して暗くなり、太陽は見えず、強風が吹きまくっていた。わたしは試合の前にルイス・ミゲルに会いに行って幸運を祈ってきた。彼は微笑を浮かべ、以前わたしが顔を出すたびにいつも見せてくれたあの魅力をたたえて、昔と同じように人なつこい態度を示した。しかし入場《パセオ》のときに闘牛場の砂を横切り、主催者にあいさつしたあとで柵のところへ戻ってきたときは、彼もアントニオもにこりともしなかった。
三頭目の牛については、ミゲルはただそいつを殺して耳を切り取るだけでよかった。にもかかわらず、彼は止めを刺すときに同じようにてこずった。メカニズムが故障してしまい、やっと牛を殺すまでに四回も剣を突き刺さなければならなかった。予定の時間よりはるかに遅れてしまい、あたりは薄暗くなって風が強まりはじめていた。大型散水車が出てきて風に舞う砂をしずめたが、その休憩時間中カリェホン〔観客席とバレーラの間の通路〕ではだれもあまり口をきかなかった。
われわれはみな二人のマタドールと、嵐が彼らに課する試練のことを考えて心配していた。
「どっちにとっても気の毒な天気ですね」と、ルイス・ミゲルの兄ドミンゴがわたしに言った。
「しかもますますひどくなる」
「この分じゃライトが要りますよ」と、次兄のペペが言った。「この牛がすむころには暗くなってしまう」
ミゲリーリョはアントニオの使うケープを水で濡らして、風の中で重さを増すようにしていた。
「ひどいですよ」と、彼は言った。「なんてひどい風なんだ。でも彼は強い。彼ならりっぱにやってのけますよ」
わたしはバレーラに沿って歩いて行った。
「どうして剣がうまく突き刺せなかったんだろう」と、ルイス・ミゲルがバレーラにもたれながら言った。「まったくひどい出来だった」彼は茫然自失のていで、まるでどう考えても腑に落ちない他人の行動か、あるいは何かの現象を批評するような口ぶりだった。「しかしまだ一頭残っている。たぶん今度の牛はうまくゆくだろう」
何人かの友人たちが彼に話しかけていたが、彼はリングの中をじっとみつめるだけで話を聞いていなかった。アントニオは何を見るというでもなしに風のことを考えていた。わたしは彼のそばでバレーラによりかかっていたが、おたがいに一言も口をきかなかった。
牛はバンデリーリャのあとますます扱いにくくなり、まったく非協力的だった。アントニオは牛を操って止めの型に誘いこむために、嵐の中の船の帆のようにムレータをしっかり支え持っていなければならなかった。そうするためには完全に手首の力だけに頼らねばならなかった。なぜなら剣によって広げられたムレータは、帆のように風をはらんでいたからである。わたしは彼が数年前から右の手首を痛めていて、止めを刺すときに手首をひねらないように伴創膏で締めつけているのを知っていた。いま彼は手首に全然注意を払っていなかったが、それは止めを刺す瞬間に少し横にずれて、剣はまっすぐに突き刺さらなかった。牛を殺しおわってバレーラの中に戻ってくると、彼はわたしのそばに立った。しかめっ面が緊張でこわばり、手首は球を投げおわったあとのピッチャーの腕のようにだらりと垂れさがっていた。闘牛場にライトがつき、わたしは彼の目の中に、リングの中でも外でも一度も見たことのない兇暴なまなざしを認めた。彼が何か言いかけてやめた。
「どうしたんだ?」と、わたしはきいた。
彼は黙って首を振り、数頭のろばが牛の死骸を場外に引きずってゆくのをみつめていた。ライトの下で、風がわずか十五分前に水を打ったばかりの砂の上に早くもうねを立てていた。
「エルネスト、風がひどすぎるよ」と、彼はぎすぎすした耳なれない声で言った。闘牛場で彼の声がいつもと変わるのは怒っているときだけだったが、そんなときでもふだんより低くなるだけでうわずったりはしなかった。事実このときもうわずりもしなければ愚痴っぽくも聞こえなかった。彼はある事実を観客に承認させようとしていた。われわれはともに何かがおこることを知っていたが、このときだけはその何かがだれの身におこることになるのかわからなかった。その瞬間は風がひどすぎるという一言を口にする間しかつづかなかった。彼はミゲリーリョから水のはいったコップを受取って、口に含んだ水を砂の上に吐きだし、手首をいたわりもせずに重いケープに手をのばした。
ルイス・ミゲルの最後の牛がライトのともったリングにとびだしてきた。牛は一人のバンデリリェーロを柵ごしに追いあげてブルラデーロ〔バレーラから少し前にはりだした板囲いの避難所〕に激突し、左の角で羽目板を削った。柵を跳びこえようとしたがそれは無理だった。ピカドールたちが立ち向かうと、牛は激しく攻撃して馬を倒した。ルイス・ミゲルのケープさばきは確かだが用心深かった。風がベロニカのさいの彼の基本的な弱点をさらけだし、ケープを肩にまわした見た目に派手なパスを不可能にした。牛は神経質で、動きを抑えて後肢でブレーキをかける癖があり、ミゲルはバンデリーリャを打ちこむことを望まなかった。観客はそれが不満だった。高い入場料を払ったお目当てのひとつは彼のバンデリーリャだったからである。彼は観客の支持を失いつつあったが、牛を軌道に乗せて見事なファエナを披露し、観客の支持を回復できるものと信じていた。彼は牛を操るのに適したリングの中でいちばん風の弱い場所、すなわちバレーラのすぐ近くを選んで、水を吸って重くなった泥だらけのムレータを持って出て行った。それでも足りずにもっと水を要求し、赤いサージの布になおいっそう重みを加えるために砂の上を引きずった。
牛は申し分なく向かってきた。彼は剣とムレータを両手で持って二度彫刻のようなパスを演じた。牛はミゲルが持ち上げたムレータの下をくぐって完全に通り過ぎた。彼はまだ牛をすっかり自分のものにしきっていないと見てとると、相手を痛めつけて支配するために低い右手のパスを四回くり返した。そうしておいて風をさえぎるバレーラのかげから中央へ誘いだした。牛がしだいに迷いからさめはじめていたからである。ルイス・ミゲルがさらに二度右手でパスを行なうと、牛はもうすっかり軌道に乗ったように見えた。やがて彼が三度目のパスにかかったとき、一陣の突風がムレータを宙に舞い上がらせて彼を無防備状態に追いやり、牛はムレータの下に首を突っこんで右の角でミゲルの腹部をとらえたかに見えた。彼は空中にほうりあげられ、牛の左の角が彼の股の部分をとらえてあおむけに地面に投げだした。アントニオが牛を引きはなすためにケープを持って駆けだしたが、牛は人が駆けつける前に砂の上にあおむけになったミゲルを三度突いていた。右の角が鼠蹊《そけい》部に突き刺さるのがはっきり見えた。
やがてアントニオが牛を引きつけ、ルイス・ミゲルがやられた瞬間にバレーラを跳びこえたドミンゴが、弟を安全な場所まで引きずって行きつつあった。ドミンゴとペペと数人のバンデリリェーロたちが彼を抱えあげ、大急ぎでバレーラの方へ運んだ。われわれはみんなで彼をバレーラの内側へ運びこみ、カリェホンを走ってスタンド下のゲートをくぐり、通路を通って救護室へ急いだ。わたしは頭を持っていた。ルイス・ミゲルは両手を傷に当て、ドミンゴが親指でその上のところをぎゅっと押していた。ひどい出血はなく、どうやら角は大腿部の動脈をそれたようすだった。
ルイス・ミゲルは冷静そのもので、だれに対しても穏やかで愛想がよかった。
「どうもすみませんね、エルネスト」みんなで服を脱がせ、タマメス博士が負傷個所のズボンを切り開くあいだ、頭を持ち上げて枕がわりにしてやっていたわたしに、彼は礼を言った。傷は一か所だけだった。やられたのは右鼠蹊部、ちょうど太腿のいちばん上のところだった。傷口は丸くて、直径が二インチほどあり、縁のところが青くなっていた。今はあおむけになっているせいで、血は外まで流れ出してはこなかった。
「見てくれ、マノロ」と、ルイス・ミゲルはタマメス博士に言った。「ここからはいってこういうふうに上のほうへいったんだよ」
彼は鼠蹊部から下腹部にかけて角のはいった放物線の方向を指先でたどってみせた。「ぐさっとはいってゆくのがわかったよ」
「|どうもありがとう《ムーチャス・グラシアス》」タマメスは堅い事務的な口調で言った。「どこまでいってるか見てみよう」
救護室はパン焼きかまどのような暑さで、空気が全然流れず、だれもが汗をかいていた。カメラマンが押し寄せてパッパッとフラッシュをたき、新聞記者や物見高い野次馬が部屋の入口につめかけていた。
「今から手術を始める」と、タマメスが言った。「連中をここからしめ出してくれ、エルネスト。それから」彼は小声でつけ加えた。「あんたにも外へ出ててもらいたいんだ」
手術台の上のミゲルは気分がよさそうだったので、わたしはまたあとできてみると彼に言った。
「それじゃまた、エルネスト」彼は微笑を浮かべた。顔は土気色でじっとり汗ばんでいたが、笑顔は感じがよく、やさしかった。戸口と部屋の外に治安警察《グアルディア・シビル》が二人ずつ立っていた。
「人ばらいを頼む」と、わたしは言った。「だれも中に入れるな。そして一組が戸口を見張り、空気の流れがよくなるようにドアをあけておいてくれ」
わたしには治安警察に命令する権利などないのだが、彼らにはそのことがわかりはしないし、おまけに命令に従うのが彼らの習性だ。彼らは敬礼して手術室の野次馬を追い出しにかかった。わたしはゆっくり部屋から出て、スタンドの下までくるや、全速力でカリェホンの入口に向かって走りだした。頭の上では何度もくり返して観客の歓声が聞こえ、黄色いライトに照らされた赤いバレーラのところまでたどりついてみると、アントニオが、かつて見たこともないほど近く、ゆっくり、そして美しく、巨大な赤牛を相手にパスを行なっている最中だった。
彼は牛を完全なままに保って、槍による突きをただ一度しか許さなかった。牛は動きが速く、力強く、昂然と頭をもたげていた。アントニオは一刻も早く牛を殺したくて、バンデリリェーロたちがリングに登場するのを待てなかった。牛は見るからに堂々としていたが、彼はりっぱに牛の頭を下げさせることができた。アントニオは風もほかのことも全然気にかけていなかった。市《フェリア》のあいだにやっと真に勇敢な牛にめぐり合ったのだ。それは最後の牛であり、どんなことがあってもその牛をだめにしてしまうことはできなかった。今これから彼がやろうとしていることを、それを見た人間なら一生忘れないだろう。
いかにゆっくりと、優美に牛を操れるかということを示したのち、彼は牛に近づいて行って、極度に近い、危険なパスを演じはじめた。まるで理性の限界を超え、抑えつけた怒りの中で闘っているように見えた。確かにすばらしい見物《みもの》ではあったが、彼は不可能な地点をはるかに通り過ぎて、だれもがなしえないことを首尾一貫、継続的に行ない、しかも幸福そうに、陽気にそれを行なっていた。わたしは一刻も早くそんなことをやめて牛を殺してしまえばよいと思った。しかし彼はみずからの行為に酔って、一連の動作をすべて自分の選んだ同じ地点で行ない、一連のパスはほかの一連のパスと、ひとつのパスはほかのひとつのパスと、すべて緊密に結びついていた。
ついに彼は、別れを告げるのが残念でならないかのように牛と正対し、ムレータを巻き上げて体ごと牛に叩きつけた。剣は骨に当ってショックでたわんだ。わたしは手首を心配したが、彼はふたたび牛と正対し、ムレータを巻き上げて、再度高く剣を突き刺した。剣は柄まで通り、彼は片手を高々と差しあげたまま赤牛の前に立って、牛がこときれてどうと倒れるまで顔色ひとつ変えずに見守っていた。
観客は彼に両耳を与えた。彼が帽子を取りにバレーラの方へ戻ってきたとき、前日われわれを招待してくれたファン・ルイスが、「やりすぎだよ」と英語で彼に叫んだ。
「ミゲルのぐあいは?」と、アントニオはわたしにたずねた。
角傷《コルナーダ》は腹部の筋肉を貫いて腹膜を破ったが、腸までは達していないという連絡がはいっていた。ルイス・ミゲルはまだ麻酔からさめていなかった。
「大丈夫だ」と、わたしは答えた。「貫通はしていない。彼はまだ眠っているよ」
「着替えがすんだらいっしょに見舞いに行きましょう」と、彼は言った。観客がリングに殺到して彼を胴上げしようとし、彼はそれを押し戻すのに懸命だった。しかし多勢に抗すべくもなく、とうとうファンの肩にかつぎあげられてしまった。
闘牛場の救護室を訪れると、ルイス・ミゲルは衰弱して疲れていたが、気分はよさそうだったので、われわれは彼を疲れさせないようにとすぐに病室を出た。彼はわたしが治安警察に命令したことについて冗談を言い、ドミンゴは、ルイス・ミゲルが麻酔からさめて最初に口にした言葉は、「エルネストは物書きだったらたいした男になれるんだがなあ」だったと告げた。そしてまた朦朧とした意識の中で、「あれで物書きだったらなあ。だれかが彼に書くことを教えてやれさえしたらなあ」と言いつづけていたそうである。
三日後に、われわれはみな、アントニオが三階、ルイス・ミゲルが一階の病室にいるマドリードのルーベル病院へ集まることになった。そして十五日後には、彼らはマラガで一対一《マーノ・ア・マーノ》で闘った。その年はそんなぐあいで、七月三十一日までに牛の角による重傷五十件を数えたが、頭蓋、背骨、胸骨、腕、脚などの骨折、脳の後遺症および外傷性ショックはこれに含まれていなかった。
惨事との約束
アントニオはパルマ・デ・マリョルカでの闘牛で右太腿に角傷《コルナーダ》を負ったが、華麗なムレータさばきを最後までおえて、見事に牛に止めを刺し、耳を与えられていた。彼は闘牛のあと飛行機でマドリードへ運ばれた。
アントニオは試合の三日前にマラガへやってきた。脚のほうは気にならないが、古傷の組織に受けた新しい傷はふつうより癒りにくいという話だった。ルイス・ミゲルとの一対一《マーノ・ア・マーノ》の闘牛が待ちきれないようすだったが、そのくせ彼との対決のことや闘牛そのもののことを考えたり話したりすることをいやがった。バレンシアの試合の前、海岸で遊んだことがたいそうよい結果をもたらしたことを彼が知っていたので、われわれはまた遊びを再開した。
わたしは彼にクレー射撃を教えたことがあり、彼がその練習をしたいというので、裏のオリーヴ畑に出て、ハンド・トラップで難しいシングルやダブルを投げながら、何時間も狙い撃った。われわれはホッチにベースボールを教えてくれと頼み、ホッチがアントニオに向かってテニス・ボールを投げて打撃の基本を教えると、間もなく彼はプールサイドの内庭《パチオ》から庭のいちばん高い松の木のてっぺんまで打球を飛ばすようになった。彼とホッチはプールの両端から、手の届く範囲でしかもキャッチできない難しいボールを投げ合った。われわれは何時間も泳ぎ、アントニオはダイヴィングの練習をして、まだ空中にいる間に、ホッチがなげるテニス・ボールを頭で打ったりした。
「あれはサッカーで使う手さ」とホッチが言い、わたしがアントニオに通訳してやった。
「ようし。それじゃベースボールをやりましょう」と、アントニオが言った。
彼はダイヴィングの途中にテニスボールを片手で受けとめはじめた。それが一度も失敗なしにできるようになると、今度はボールを左右の手で交互に受けとめた。ホッチはすばらしい反射神経と大きな手に恵まれており、彼とアントニオとわたしは手に触れるすべてのものをおたがいに投げはじめた。ピクニックのときに塩をほしがるやつがいれば塩入れを投げてやる。ぶどう酒がほしければ壜を投げてやるといったぐあいだった。こうしてありとあらゆるものを投げ合い、食卓にすわっている相手に中味をこぼさずにぶどう酒のグラスを投げてやる方法を考えたりしているうちに、陽気で屈託のない食卓や、ゆっくり時間をかけた楽しい夕食や、ひと泳ぎしたあとの快い眠りがいつの間にか終わって、ふと気がつくと闘牛の当日になっていた。だれもが闘牛のことを口に出さないでいると、アントニオが言った。
「明日は町のホテルで着替えをします」
それはわたしがかつて見た中で最高の闘牛だった。ルイス・ミゲルもアントニオも、ともに生涯のもっとも重要な場面に臨むつもりでその試合に臨んだ。ルイス・ミゲルはバレンシアで重傷を負っており、その負傷は、幸運なことに、アントニオの信じられないほど完璧な業と、ライオンのような突進と勇気に傷つけられた自信を回復させていた。
アントニオがパルマ・デ・マリョルカで牛の角に刺されたという事実は、彼もまた不死身ではないという証明であり、ルイス・ミゲルにとってはバレンシアでアントニオの最後の牛との闘いぶりを見なかったことがさいわいした。率直に言ってもし見ていたら、もうアントニオと張り合う気はおきなかっただろう。ルイス・ミゲルは金を愛し、金で買える多くのものを愛していたが、もうあくせく金を稼ぐ必要はなかった。彼にとっては、自分こそ現役中最大の闘牛士であると信じることが何にもまして重要だった。現実にはもはやそうではなかったが、彼は二番目に偉大な闘牛士であり、しかもその日の闘牛はまったくすばらしかった。
アントニオはバレンシアのときと同じように自信にみちてこの試合に臨んだ。マリョルカでの負傷はまったく悪影響を与えていなかった。彼はマリョルカでひとつの過ちをおかした。それについてわたしと話し合うことを望まなかったし、二度とその過ちをくり返す気づかいもなかった。わたしのほうからそれについて質問すれば彼は話したと思うが、わたしはあえて質問しなかった。彼はマタドールであり、少なくとも一シーズンに一度は、アランフェスのときのように過ちをおかした。
彼ぐらい牛に接近し、真に危険なやり方で完璧なパスを行なっていれば、どんな過ちでもたちまち牛の角によって正されてしまう。彼のように角を矯《た》められていない牛と闘えば(彼が一九五九年に闘った牛の半数以上は角に細工を加えられていなかった)、牛は距離感をそこなわれず、狙い通りに角で刺せるのが当然だった。したがってアントニオは、自分がひとつ過ちをおかせば、牛の角でえぐられ、病院に運ばれることになるのを、ごく当然のことと受け取っていた。彼はそうなることを予想し、受け入れる。
しかし彼のような闘牛のスタイルで何度も過ちをくり返すことはできない。彼はそのことを知っている。彼は小さな過ちをおかし、その過ちに気づいて、いよいよ自信を深め、過ちによる被害が軽くてすんだことを喜ぶのだった。彼は長いあいだ自分がルイス・ミゲルよりもすぐれたマタドールであると信じていた。すでにバレンシアでその事実を証明したが、今日あらためてマラガでそれを証明する機会を待ちかねていた。
この日三頭目の牛が剣のひと突きで殺された。ミゲルはこの牛と鮮かに闘ったが、そのためには牛を自分のペースに引きこんで慣らさなければならなかった。彼はふたたび剣を手にとり、それといっしょに自信も取り戻していた。彼はいくぶん不満そうな微笑を浮かべて、両耳としっぽをつつましく切り取り、それを持って場内を一周した。この日の午後ひっきりなしにつづいた拍手や歓声、音楽、それに絶え間のない観客のどよめきを忘れてはならない。わたしはミゲルが最初の牛に踏まれた右脚をかばっているのに気がついたが、彼はべつにそのことを隠そうとはしていなかった。わたしは彼の右脚が痛み、彼自身いくぶん不安を感じていることを知っていた。しかしこの日の彼はすばらしく、わたしがそれまで見た中では最高の出来だった。
すでに四頭の牛がそれぞれに剣のひと突きで死に、闘牛は長いクレッセンドーを奏《かな》でつづけていた。四頭目の牛のときに、観客はアントニオに両耳としっぽと蹄《ひづめ》のついた下肢を一本与えた。彼はプール・サイドで遊んでいるときと同じように、雑念にとらわれず喜々として場内を一周した。彼が近づいてきたとき、わたしが「ホッチに蹄を投げてやれ」と言うと、アントニオはホッチの正面まできたときそれを投げてやり、ホッチは片手どりで受けとめた。観客はもう一度彼を場内に呼び戻し、彼はルイス・ミゲルと、牛の飼育者ドン・ファン・ペドロ・ドメクを伴って歓迎に応えた。
次はルイス・ミゲルの番だった。彼は地面に両膝をついてラルガ・カンビアーダ〔ケープまたはムレータによるパスの一種で、牛の攻撃を布で受けとめてから、それで誘導して攻撃方向を変える業〕で牛を迎え、角が体に触れる寸前にケープで牛の進行方向をそらした。この牛はよい牛で、そのうえルイス・ミゲルは牛の長所を十分に引きだした。牛は巧みに槍で突かれ、ルイス・ミゲルはすばやくバンデリーリャを打ちこませた。バレーラのところにいるわたしには、ひどく疲れているように見えたが、彼は自分の体調にはいささかの関心もはらわず、びっこを引くことを避けながら、まるで闘牛士になりたての貧しい少年のような情熱をこめて牛に立ち向かった。
やがてムレータに移ると、彼は牛をバレーラから少し引き離しておいて、自分はエストリーボ、すなわち闘牛士たちがバレーラを乗りこえるときの足がかりに、バレーラの内側にまわした細い木枠に腰かけて、羽目板に背中をつけ、前にのばした右腕の赤い布で牛を誘いながら、五回もパスを行なった。牛はそのたびに鼻息を荒らげ、バンデリーリャのぶつかり合う音をたてながら、今にも角がミゲルの腕に触れんばかりに、地響きをたてて通り過ぎた。それは見た目には自殺的だったが、直進するいい牛が相手なら、ただたんに非常に危険なトリックというにすぎなかった。
このあとミゲルは牛を中央に連れだして、左手による古典的なパスを始めた。彼は疲れているようだったが、自信にみち、巧みに動きまわった。美しい型で八つのナトゥラールの連続を二度くり返し、それから牛に背中を向けた右手のパスのときに牛につかまった。わたしがバレーラの上に身を乗りだして見ていた場所からは、角が体に突き刺さったように見え、彼はたっぷり六フィートかあるいはそれ以上も空中にほうりあげられた。両腕両脚が大きく拡がり、剣とムレータは遠くへ投げだされ、彼はまっさかさまに地上に落ちてきた。牛は彼を踏みにじりながら角にかけようとしたが、二度失敗した。みんながケープを拡げていっせいにリングに躍りこみ、この日は兄のペペがバレーラを乗りこえて、ミゲルを安全な場所まで引きずってきた。
彼はすぐに起き上がった。角は体に刺さらずに、股の間を突き抜けて彼を空中にほうりあげたのだった。どこも怪我はしてなかった。
ミゲルは牛が自分に対してしたことを歯牙にもかけず、みんなを追い返してファエナにとりかかった。牛につかまったときにやりかけていたパスを再開し、自分自身と牛の両方に教訓を与えようとするかのように、もう一度それをくり返した。さらに牛が自分に対してしたことを全然問題にもせず、定規ではかったように近くて正確な一連のパスを行なった。それらのパスは前にもまして感情がこもり、なおいっそうきわどかった。観客は前のときよりも喜んだ。しかし彼は正々堂々と闘い、電話トリックはやらなかった。それから、剣で苦労したことなど生まれてこのかた一度もないといったようすで、鋭く剣を突き刺し、鮮かに止めを刺した。
観客はアントニオに与えたものを残らず彼にも与えたが、まさにそれに価する闘いぶりだった。リングを一周するとき――そのころは脚がこわばってきて、びっこを隠すことが不可能になっていた――彼はアントニオを呼びだして、リングの中央からいっしょに観客の拍手に応えた。主催者は牛にもリングを一周させることを命じた。
こうして五頭の牛が剣の五突きで死んだ。最後の牛が登場し、観客のどよめきが静まると、アントニオがケープを持って牛に近づき、長い、ゆっくりした、魔法のパスを始めた。今や観客はパスのひとつひとつに声援を送っていた。直立不動の姿勢をとって、両腕だけをゆっくり動かしながら、観客には理解も分析もできないけれども、攻撃してくるすべての牛に対して彼がやって見せてくれることを知っているあのすばらしいケープさばきを、彼らに披露しつつあった。
牛はピカドールの突き方が巧みだったにもかかわらず、その槍傷のせいで少しびっこを引いているように見えた。おそらく厚い保護マットを通して馬の腹を突こうとしたとき、一方の前肢を軽く槍にぶっつけたのだろう。このびっこを引く歩き方は、フェレールとホーニがバンデリーリャを打ちこんだとき、完全に消えたか、あるいは消えないまでもだいぶ軽くなったように見えたが、やがてアントニオがムレータを持って立ち向かうと、牛は依然として攻撃をためらいがちで、一直線に突進するかわりに前肢を突っ張ってブレーキをかける傾向が見えた。
わたしはバレーラの羽目板にもたれて、アントニオがこの問題を解決するのを見守った。彼は牛のすぐそばから短い攻撃を誘い、やがて徐々にそれを長びかせていった。ゆっくりしたムレータの動きで誘って牛を動きまわらせ、布の中に牛をとらえながら、いつの間にか攻撃を引き伸ばしていって、ついには牛が十分離れた場所から赤いサージの布めがけて突進し、はるか先まで走り抜けるようにしむけた。しかし、そこまでは観客の目にとまらなかった。彼らにわかったことは、攻撃する気がなくてぐずぐずしていた牛が、申し分なく攻撃的で、しかも見た目にはたいそう勇敢な牛に生まれかわったことだけだった。もしアントニオが、大部分のマタドールたちと同じように、牛の正面からだけ働きかけて、牛に戦意がないことを観客に示そうとしただけなら、牛はけっして攻撃しなかったろうし、したがってマタドールは中途はんぱなパスを行なわなければならなかったことを、観客はついに見抜けなかったのだ。アントニオはそのかわりに牛に攻撃することを教え、角でかすめて通り過ぎることを教えたのだった。彼は真に危険な攻撃を牛にのみこませ、つぎにその攻撃を腕と手首の魔術でコントロールし、長びかせて、この牛より扱いやすかった前の二頭の牛のときと同じ、美しい彫刻のようなパスを見せるところまで漕ぎつけたのだ。このことはひとつとして観客の目にはとまらなかった。彼がこの牛を相手どって、数々の偉大なパスを、同じように純粋な線とみずから招いたぎりぎりの危険がうみだす感動の中で演じて見せたときも、観客はただたんに彼が前の二頭につづいてまたしてもすばらしい高貴な牛を引き当てたとしか考えなかった。
彼はこの牛を相手にして、一連の長く、ゆるやかなパスのあいだ牛を完全にコントロールしながら、完璧な、ほとんど耐えがたいほどに感動的なファエナを行なった。それらのパスのどのひとつをとってみても、もし彼がほんのわずか急いだり動きを中断したりするだけでも、牛は攻撃の調子を乱して布から目をはなし、彼を角で突き刺していただろうと思われるような性質のものだった。こういう闘い方はもっとも危険なものであり、彼はこの日の最後の牛を相手にして、その危険な闘い方をあますところなく披露したのであった。
もはや彼のなすべきことはただひとつしか残されていなかった。彼は完璧に止めを刺さなければならなかった。自分を有利な立場に置くこともなく、剣先を突き刺す一点をほんのわずかでも下にさげたり、あるいはどちらか一方へ寄せたりすることもなく、しかもできるだけ骨に突き当る危険の少ない場所を狙って剣を突き通さねばならなかった。そこで彼はムレータをたたむと、肩甲骨の間のくぼみの頂点に狙いを定めて、低く下げた左手のムレータで牛を誘導しながら、角の上に身を躍らせて一気に剣を突き刺した。人間と牛はひとつの大きな塊りとなり、彼が角の上におおいかぶさったとき、牛は体内に長い鋼鉄の死を柄まで深々と刺しこまれ、大動脈を切断されていた。アントニオは牛が足をこわばらせ、よろめいてどうと倒れるのを見守った。かくて二度目の対決《マーノ・ア・マーノ》は終わった。
重要なのは二人の義兄弟が、闘牛士によるいかなるトリックにも、あるいはマネージャーやプロモーターによる後ろ暗い工作にもそこなわれない、ほとんど完璧ともいえる闘牛をやって見せたということだった。残念なことに、ルイス・ミゲルはあやうく牛に殺されるか重傷を負うかするところだった。当日はひどい風が吹いたわけでもなかったし、牛も勇敢なよい牛で、扱いにくくもなければ、左右どちらかに欠陥があったわけでもなかった。これはルイス・ミゲルのようなマタドールにとってはたいそう残念なことだった。なぜなら偉大な闘牛士は牛に殺されるものではなく牛を殺すものだからであり、だれもがそのことを知っていながら口をつぐんだ。アントニオとの競争はバレンシアであやうく彼を殺すところだったし、今日またマラガで、彼を間一髪というところまで追いつめた。
パンプローナ以来、ホッチとアントニオはおたがいの人格をとりかえっこしていた。アントニオは二つのはっきり区別される人格を持っていることが大いに自慢だった。ひとつは人間としてのそれであり、いまひとつは闘牛士《トレーロ》としての人格であった。あるときわたしが、フランスのどこかの闘牛場で、彼がジャン・コクトーに牛を捧げているパリの週刊誌の写真を見せたところ、彼はこう言った。
「これはわたしじゃないですよ」
「顔はきみそっくりなんだがな」
「絶対にわたしじゃない。これは闘牛士《トレーロ》ですよ」
彼は以前からわたしに向かって、人々が買ってくれたわたしの著書に、「あなたの友」とか「友より」などとサインするのはやめたほうがいいと言っていた。
「友だちでもない人間にどうしてそんなことをするんです? だいいち不正直だし、それに相手の人間に、ほんとうは持っていない地位を与えることになるじゃありませんか」
「わたしはいっこう構わんよ」と、わたしは答えた。
「いけません」と、彼は言った。「あなたもわたしもそんなことはすべきじゃない」
「そんなことをするのはたぶん小説家のほうで、人間としてのわたしのほうじゃないのだろう」
「とにかくやめてください」と、彼は言った。「あなたはそんなことをすべきじゃない」
はじめ彼は、闘牛士《トレーロ》が一人の闘牛士として礼儀上しなければならなかったことに関して、人間は責任を負う必要がないという原則を考えだした。人間は闘牛士《トレーロ》が牛に対してやったこと、それからほかの闘牛士たちと関連した事柄についてのみ責任を負えばよかった。
やがて彼は私生活においても休養することを望んで、「|そばかす《エル・ペカス》」と名付けたホッチと人格のとりかえっこをすることを思いついた。彼はホッチを尊敬し、大いに気に入っていた。
「|そばかす《エル・ペカス》」、彼はよく言ったものだった。「あなたがアントニオだ」
「よろしい、|そばかす《エル・ペカス》」と、そんなときにホッチは答えた。「きみはパパの小説を脚色する仕事にとりかかったほうがいいぞ」
「今やっている最中だと通訳してください。もう半分できあがっていますよ」と、アントニオはわたしに言ったものだった。「今日は脚本を書いたりベースボールをしたりでほんとに忙しい一日だった」
いつも闘牛の日の真夜中になると、アントニオはこう言ったものだった。「さあ、今からあなたはまた|そばかす《エル・ペカス》に逆戻りです。そしてわたしがアントニオだ。これからもアントニオでいたいですか?」
「どうぞ遠慮なくアントニオに戻るようにと伝えてくれ」と、ホッチは答えた。「わたしのほうはいっこうに構わない。だが念のためにおたがいの時計を合わせておくほうがいいかもしれないな」
ところでこの日シウダード・レアールで行なわれる一対一《マーノ・ア・マーノ》の闘牛を前にして、時間は夜の十二時をとっくにまわっていた。アントニオは自分のつづき部屋でホッチに闘牛士の衣装を着せて、ソーブレ=サリエンテ、すなわちルイス・ミゲルとアントニオの二人がともに負傷したとき、彼らにかわって牛を殺す代役闘牛士として、彼を闘牛場へ連れて行くつもりになっていた。彼は闘牛の日も、それから闘牛の間も、ホッチにアントニオのままでいてもらいたかったのである。これは完全に違法であり、もしだれかがホッチの正体を見破った場合、どんな重い罰が科せられるか、わたしにはわからない。もちろん彼が本気で|代役闘牛士(ソーブレ=サリエンテ)をつとめるはずはないが、アントニオは彼が本気でそう思いこむことを望んでいた。彼はアントニオのための臨時のバンデリリェーロとして出場することになったが、観客はみな彼を|代役闘牛士(ソーブレ=サリエンテ)と見るにちがいなかった。ほかにそれらしい人物は一人もいなかったから。
ルイス・ミゲルが牛の角でほうりだされるか突かれるかする確立は五分五分だった。彼はアントニオといっしょの過去三回の闘牛で、二度までも重傷を負ったり、角でほうりあげられたりした。だが、かつてフランスで、ルイス・ミゲルは、友人で故アルバ公爵の甥に当るテーバ伯爵を、自分のクァドリーリャの一員としてリングに連れこんだことがあった。そこでアントニオもホッチをリングに登場させようと考えたわけだった。
「どう、やってみたい?」と、アントニオがホッチに質問した。
「もちろんさ」と、ホッチが答えた。「断わるやつなんかいるもんか」
「それでこそわが|そばかす《エル・ペカス》だ。ね、わたしがどうして|そばかす《エル・ペカス》になりたいか、これでわかったでしょう? 断わるやつなんかいるもんか、とくるからね」
階段が狭く、部屋にはシャワーもバスもない、古ぼけた暗いホテルの、騒々しく混雑する食堂で、われわれは田舎ふうのおいしい食事をとった。町は周辺の村々から集まってきた人々でいっぱいだった。シウダード・レアールは広大なぶどう酒産地のはずれに位置しており、人々はよく飲みかつ情熱的だった。アントニオとホッチはアントニオの小さな部屋で着替えをしたが、それは見たこともないほどのんびりした闘牛前の準備風景だった。ミゲリーリョが二人の着替えを手伝っていた。
「わたしはいったい何をするんだい?」と、ホッチが質問した。
「入場行進を待つあいだはわたしのする通りにしてください。ファンがあなたを位置につかせて、間違いのないようにしてくれる。それからわれわれと同じようにリングに出て、わたしのする通りにするんです。それがすんだらバレーラの中に戻ってパパのそばへ行き、彼のいいつけ通りにしてください」
「万一牛を殺さなければならないときはどうすればいいんだ?」
「なんて情けないことを言うんです?」
「ただ知っておきたいだけだよ」
「どうすればいいかはパパが英語で教えてくれますよ。難しいことは何もありません。パパはわたしのまずいところもルイスのまずいところも絶対に見逃さない。それがパパの商売ですからね。パパはそうやって金を稼いでいる。それからパパはわれわれのどこがまずかったかを教えてくれるから、あなたは注意深く聞いて、同じ過ちをくり返さないようにすればいいんです。そして最後にパパに教わった通りの方法で牛を殺すんですよ」
「初舞台でマタドールの印象を悪くしないように注意しなけりゃいかんな、|そばかす《エル・ペカス》」と、わたしは言った。「それは不親切というもんだ。少なくとも組合《ユニオン》にはいるまで待てよ」
「今すぐ組合にはいれるかな?」と、ホッチが言った。「金なら紙入れにはいっている」
「金のことなんか考えないでいい」わたしがホッチの言葉を通訳してやると、アントニオは言った。「組合や商売上のことも心配はいりません。あなたがどれだけ偉大になれるか、あなたに対するわれわれの誇りと信頼とがどれだけ大きくなるか、ということだけを考えていてください」
やがてわたしは、祈りを捧げる彼らと別れて、ほかの連中に会いに階下へ降りた。
彼らが下へ降りてきたとき、アントニオはいつもと同じように浅黒い、控えめな、精神を集中した試合前の顔つきをして、すべての局外者に対して目を伏せていた。ホッチのそばかすだらけの顔と二塁手めいた横顔は、最初の大きなチャンスに臨む老練な見習闘牛士《ノビリエーロ》のそれだった。彼は陰気な表情でわたしに向かってうなずいた。彼が本物の闘牛士でないことを見抜いた者は一人もおらず、アントニオのマタドール・スーツは彼の体にぴったりだった。
闘牛場の中へはいって、スタンドのアーチの下で、赤いゲートの前の白塗りれんが塀にもたれて待っているとき、アントニオとルイス・ミゲルにはさまれてれんが塀を背にして立ったホッチは、申し分のない闘牛士に見えた。今や闘牛はアントニオに追いつき、彼は自分自身を、いつもゲートが開くまえに身をおく無の状態に没入させつつあった。長いあいだすべての闘牛がルイス・ミゲルに追いついていた。それはマラガ以来ますます緊張の度を加えていた。
だれかが、わたしに近づいてきて尋ねた。「|代役闘牛士(ソーブレ=サリエンテ)はだれかね?」
「|そばかす《エル・ペカス》さ」と、わたしは答えた。
「ほう」と、男はうなずいた。
「幸運《スエルテ》を祈るよ、|そばかす《エル・ペカス》」と、わたしはホッチに言った。
彼は軽くうなずいた。彼もまた無の状態にはいろうとしていた。
わたくしはリングをまわって、ミゲリーリョと彼の助手がケープや鞘にはいった剣を並べ、ムレータの木の棒にネジを締めつけているところへ行ってみた。水差の水を一杯飲みながら、どうやらスタンドは満員になりそうもないことを見きわめた。
「|そばかす《エル・ペカス》はどんなぐあいです?」と、ミゲリーリョが尋ねた。
「礼拝堂でほかの闘牛士たちの無事を祈ってるよ」
「彼に気をつけてください」と、ドミンゴ・ドミンギンがわたしに言った。「どんな牛でも跳びかかってこないとは限りません」
「きたぞ」と、わたしが言った。入場行進《パセオ》が始まっていた。
「ドミンゴよりは闘牛士《トレーロ》らしく見えるぞ」と、だれかが言った。ドミンゴは聞いていなかった。われわれはみな|そばかす《エル・ペカス》に注目した。彼はほどほどの慎みと、物静かな自信にみちて行進していた。わたしは彼から視線を移して、ミゲルがびっこを引いているかどうかを確かめた。びっこは引いていなかった。調子がよく、自信にみちているように見えたが、空席の目立つスタンドを見上げる顔は沈みがちだった。アントニオが征服者のように堂々と入場した。彼も空席を見たが、気にかけるようすはなかった。
ホッチがカリェホンにやってきて、わたしの横に立ち止まった。
「これからどうすればいいんだ?」と、彼は小声で尋ねた。
「わたしのそばにくっついて、準備はすべてオーケーという顔をしていたまえ。ただしあんまりはやり立っているそぶりを見せちゃいかんぞ」
「あなたとは知りあいなのか?」
「あまりよくは知らない。わたしはきみの闘牛を見たことがある。しかし友だちというほどのあいだじゃない」
ルイス・ミゲルの最初の牛が登場した。彼は大中小一組の牛の中から中くらいの牛を一番手に選んでいた。ケープで牛をやりすごしにかかったが、悪いほうの脚をかばうようすは見えなかった。観客は一度パスを行なうたびに喝采を送った。
「牛をよく見るんだ」と、わたしはホッチに言った。
「いい牛のように見えるが」
「あの牛のどこがいけないかわかるか?」
「角が大きすぎる」
「下で見ると実際より大きく見えるもんだよ」
「ずいぶん槍で突くもんだな」
「うん」
「あれじゃ突きすぎだと思うが、どうだろう?」
ホッチは唇を動かさずに低い声で話した。
「ミゲルがマラガでやられてからまだ完全に癒っていないんで、彼のために牛を弱らせているのさ。彼の脚じゃ牛を弱らせるのは無理だ。こういう闘牛には丈夫な脚が必要だからね」
「それをおぼえておくよ」と、ホッチが言った。
「きみの脚はどうかね?」
「ひどいもんだが、なんとかいうことはきいてくれそうだ」
ルイス・ミゲルはわれわれの正面で、ムレータを使って牛をさばいていた。最初から見事なスタイルを伴ったなかなかよい出来だったが、時とともにそれがますます洗練されてきて、非常にすばらしい出来になりかかったころ、牛のほうが槍で突かれすぎたのと出血多量のせいで弱りはじめた。血を大量に流したが、首の筋肉は疲労していなかった。
「あの牛の状態をどう思う?」
「疲れてやる気をなくしているらしいな」
「ミゲルは牛をけしかけて闘牛をつづけなければならないが、自分の脚に自信がない」
「牛を殺してしまうほうがよさそうだな」と、ホッチが言った。
彼の言うとおりだった。しかしルイス・ミゲルは七回も止めの一撃を試みなければならず、ようやく最後にデスカベーロ剣で二度突いて牛を殺した。
「どうしたんだろう?」と、ホッチが言った。
「悪いところはたくさんある」と、わたしは答えた。「牛にも責任があるが彼のほうもまずい」
「このつぎも牛を殺せないとあんなふうになっちゃうのかな?」
「わからん。牛がまったく協力しなかったことは事実だが、彼も左手を下げたままにしておいて剣を突き刺すことができなかった」
「なぜ左手を下げておくことが難しいのかね?」
「死の危険があるからだよ」
「なるほど」と、ホッチがうなずいた。
アントニオの最初の牛が登場し、彼はゆるやかな美しいケープさばきで牛をあしらっていた。しかし彼が一番手に選んだのは小さな牛であり、観客はその牛を軽く見ていた。この日の牛はサラマンカのアレリャーノ・ガメーロ・シビーコ牧場の牛で、大きさにむらがあった。二頭は小さく、一頭は特大で、残る三頭が中くらいの大きさだった。古典的なムレータさばきを見せて本物のパスを行なったとき、アントニオ自身さえ観客がこの牛を本気で受けとっていないことに気がついた。そこで彼はどんな牛でもりっぱに見せるマノレーテふうのパスに切り換えて、牛をやりすごすと同時に観客の反応をうかがいながら、マノレーテふうのパスの組合わせをひと通り演じてみせた。
「彼のあんな闘牛を見るのは初めてだな」と、ホッチが言った。
「あれが客の好みなのだ、アントニオはそれがいかにやさしいかを観客に示そうとしているんだよ。わたしは前にコルドバで彼が同じことをやるのを見たことがある。コルドバはマノレーテの生まれ故郷だ。アントニオは観客をからかっているんだが、彼らはそれに気がつかないんだよ」
「それどころか気に入っている」と、ホッチが言った。「いつもこうすればいいんだよ」
「彼はこういう闘い方が好きじゃないのさ。彼にとってはなんの意味もないからね。ただのトリックだよ」
「役に立つトリックだ」と、ホッチが言った。
アントニオはただ一度のエストカーダ〔剣による突き〕で牛を殺した。剣先はほんのわずか低く、片側にそれてはいったが、観客は彼に片耳を与えた。
ルイス・ミゲルのつぎの牛は大きく逞《たくま》しかった。牛は最初の一撃で馬を倒した。ピカドールたちはこの牛から力と戦意を引きだそうとして全力を尽した。槍傷がひどかったので、バンデリーリャはわずか一対しか打ちこまれなかった。
ルイス・ミゲルは半死半生の牛を相手どって、鮮かなファエナを演じようと試みた。何度かすばらしいパスを見せたが、ほとんど牛にもたれかかって支えるようにしながら旋回パスを行なったとき以外は、それらのパスがスムーズに連続しなかった。低い左手のパス、マラガで見事に演じてみせた本物のナトゥラールのときなど、牛はあやうく彼をとらえそうになった。
「どうしてあんなふうになったのかな?」と、ホッチが質問した。
「布で牛を引きつけておけなかったんだよ。牛のテンポからムレータを引き離してしまったんだ」
「それはあとでおぼえよう。牛のテンポというのは?」
「牛の動くスピードさ。ムレータはいつも牛の鼻先に保っておかなくちゃならん」
「なるほど」と、ホッチが言った。「どうやら調子がでてきたようだ」
ルイス・ミゲルは剣を柄まで突き刺して、デスカベーロ剣の一突きで脊髄を切断した。観客は彼に片方の耳を与えた。彼はその耳を持って場内を一周し、リングの中央から観客席に向かってあいさつした。観客の一部は熱狂に加わらず、あからさまに冷淡な態度を見せつけた。
「アントニオはいい牛に当ったぞ」と、わたしはホッチに言った。砂の上ではアントニオがケープによるゆるやかな魔術を開始していた。牛はすばやく一直線に突進し、軽く支え持たれたケープは、風をはらんでふくれあがり、獲物を捜す角よりわずか数ミリ前方を、牛と同じ速度で移動した。
「アントニオはこの牛といっしょにすばらしいひとときを過ごせるぞ」と、わたしは言った。
「何かが牛をだめにしてしまわなければの話だが。彼はほかの連中にこの牛を大事にしてやってくれと言うだろう。まあ聞いていたまえ」
アントニオはピカドールたちにもバンデリリェーロたちにも牛を大切に扱わせた。ムレータを持つと、彼はまず手初めに両足を揃えて直立しながら四回パスを行なったが、最初の攻撃から、牛がムレータの下をくぐって、角でアントニオの胸元をかすめながら通り過ぎた四回目の攻撃まで、両足ははじめの場所から一歩も動かなかった。やがて音楽が始まり、彼はゆっくりした四半円を、つぎは半円を、そして最後には完全な円を描いて、自分を中心に牛を引きまわした。
「あんなことは不可能だ」と、ホッチが言った。
「アントニオはひとまわり半だってやれるんだぜ」
「ダイヴィングの途中で左右どっちの手でもボールを受けとめる男だからな。これじゃルイス・ミゲルもとうてい太刀打ちできそうにない」
「ミゲルだって脚さえなおれば心配ないさ」とわたしは言い、ほんとうにそうであってくれればよいと願った。
「しかし彼には相当こたえるだろうな」と、ホッチが言った。「ほら、彼のあの顔」
「牛がすばらしいからだよ」と、わたしは言った。
「いや、そうじゃない。アントニオは人間じゃないんだ。彼はいつだって人間には不可能なことばかりやってのける。ルイス・ミゲルの顔を見てごらん」
ルイス・ミゲルに視線を向けると、その顔は物静かで、愁いにみち、深い物思いに沈んでいた。
「彼は幽霊を見ているんだよ」と、ホッチが言った。
アントニオはすべてをおえて牛と正対し、狙いを定め、深々と息を吸って、ムレータを低く引きずりながら、角ごしに身を躍らせた。彼は柄まではいるひと突きで牛を殺し、牛はどうと倒れて息絶えた。人々は両耳としっぽを切り取って彼に与えた。彼はわれわれのところへやってきてわたしににっこり笑いかけ、うつろな目をホッチに向けた。わたしは彼と話すためにそばへ近づいて行った。
「|そばかす《エル・ペカス》にすばらしい闘牛士ぶりだと言ってやってください」と、彼はおしまいのほうを英語で言った。「もう牛の殺し方を教えてやりましたか?」
「いや、まだだよ」
「じゃ教えてやってください」
わたしはホッチのところへ戻って、二人でルイス・ミゲルの牛が出てくるところを見守った。今度のは小さな牛だった。
「アントニオはどう言ってた?」
「きみの闘牛士ぶりがすばらしいと言ってたよ」
「そんなことは簡単だ」と、ホッチが言った。「ほかには?」
「きみに牛の殺し方を教えてやるようにだってさ」
「知っておけば役に立つかもしれないな。わたしも殺さなきゃならなくなると思うかね?」
「金を払って予備の牛を殺したいというんならべつだが、そうじゃなかったらまず大丈夫だね」
「牛はいくらする?」
「四万ペセタだよ」
「ダイナーズ・クラブのカードで払えるだろうか?」
「シウダード・レアールじゃだめだね」
「それじゃ諦めたほうがよさそうだ」と、ホッチは言った。「現金は二十ドル以上持ち歩かないことにしてるんでね。西海岸にいるとそういう習慣が身につくんだ」
「金なら貸してやるぞ」
「いいんだよ、パパ。殺すのはアントニオのためにその必要ができたときだけにしておくから」
ルイス・ミゲルはわれわれから数歩離れたところで、独りで牛を相手にしていた。彼も牛も最善を尽していたが、アントニオの妙技のあとでは、どちらもそれぞれの個人的な友だちにしか訴える力を持たず、しかも牛のほうの個人的な友だちはその場に居合わせなかった。牛は注文通りに育てられた優秀なサラマンカ牛の手本通りの動きを示していたし、ミゲルのほうは、一頭のミウラ牛がほんのわずか首を遠くへのばしすぎてマノレーテを殺す前に、彼とマノレーテがおあつらえむきの牛とともにいかに観客を興奮させたかということを示していた。ミゲルの牛は闘うことに飽きてしまい、疲労と絶望の中にのめりこんでいった。舌がだらりとたれさがっていた。彼は契約上の役割に従って行動していたが、今やそれに終止符を打つ贈り物として、剣を必要としていた。しかしルイス・ミゲルは止めを刺すために彼と正対するまでに、なおもマノレーテ流のパスを彼から引きだした。いよいよ止めを刺す段になると、あまり自信がなさそうだったし、脚の動きも鈍かった。剣は的をそれた。彼は元気を出してもう一度やりなおし、今度は狙いあやまたず剣を突き刺すと、牛は疲労と、自分の体内に新しく感じられた剣の刃と、絶望のために倒れた。彼はそのために育てられたすべてのことをなしおえたが、それはだれにとっても失望でしかなかった。
「ルイス・ミゲルは調子がよくなさそうだな」と、ホッチが言った。「マラガではとてもすばらしかったのに」
「まだ闘牛をやれる状態じゃないんだよ」と、わたしは言った。「しかし彼は闘いながら不調から脱出しようとしている。バレンシアではあやうく命を落とすところだった。マラガでも同じことのくり返しだ。今日の大牛ももう少しで彼をつかまえるところだった。彼はいってみれば何かにとりつかれているんだ」
「というと?」
「死にとりつかれているんだよ」英語なら、低い声で言えば死という言葉を口にしても構わなかった。「アントニオが彼のために死をポケットに入れて持ち歩いているんだ」
「闘牛士のズボンにはポケットなんかないぜ」
「上着にひとつある。ハンカチーフと間違えそうなやつがポケットだよ」
「ところであんたのパートナーは気に入ったかね?」と、ホッチがきいた。
アントニオは最後に自分の三頭の牛の中ではいちばん大きなやつを相手どり、例によって情容赦なくミゲルに対抗意識を燃やしていた。ケープさばきは前と同じように手品つかいめいていて、前よりもいっそう近く、ゆるやかで、人間業とも思えなかった。アントニオはムレータに移るまで牛を元気のよい状態に保っておいた。やがて彼はありとあらゆるすばらしいパスとそのやり方を観客に示しながら、いかなる闘牛士もそこまではとうていできまいと思われるほどに、牛の角と自分の肉体を接近させた。自分を中心にして牛に円を描かせるうちに、のばした腕に操られて動きまわる牛の血で、全身が血だらけになった。彼はミゲルがやってみせたパスをひとつ残らずやってのけ、リナレスでマノレーテとともに死んだ危険と感動のすべてをよみがえらせた。彼はそれらのパスが古いパスほど危険ではないことを知っていたが、その中に昔通りの、あるいはそれ以上の危険を注入した。
「どうやって殺すのかね?」と、ホッチがきいた。
「角を見てはいかん。剣を突き刺す場所だけを狙うんだ。左手を下げて、剣を突き刺すときにそれを右へ動かす」
「それから?」
「きみは空中にほうりあげられ、落ちてくるところをみんなが受け止めるという寸法さ」
「いよいよアントニオが牛を殺すらしい」
アントニオは牛の目の前でムレータをゆっくり巻き上げ、肩甲骨の間の頂点に狙いを定めた。きりっと結んだ口をあけて深く息を吸いこみ、力強く角の上に身を躍らせた。右掌が黒々とした肩のてっぺんに当った瞬間に牛は死に、彼が右手をあげて立っている間に、牛は膝を折り、ぐらりと揺れたかと思うと、地響きをたてて倒れた。
「やれやれ、きみは牛を殺さずにすんだな」と、わたしはホッチに言った。ミゲルはうつろな目でリングを眺めながら立っていた。例によって観客席は興奮のるつぼと化し、ハンカチーフを持っている者は、両耳が切り取られ、つづいてしっぽと蹄が切り取られるまで、みな熱狂的にそれを打ち振りつづけた。昔は片方の耳を切り取ることによって、その牛が食用として売るために主催者からマタドールに与えられたことを意味しただけで、しっぽや蹄を切り取ることは、いわば勝利の大きさをはかる目安としてのおまけにすぎなかった。しかし現在では、闘牛になんの益ももたらさないほかのさまざまな事柄といっしょに、それもひとつのきまりになってしまっている。
アントニオはホッチを手招きした。
「きみも出て行って、いっしょに場内を一巡したまえ」と、わたしは言った。ホッチはリングにとびだして、ホーニ、フェレール、ファンたちといっしょにアントニオにつき従い、慎しく作法通りにリングを一周した。これはいささか異例だったが、アントニオが彼を招いたのだった。|代役闘牛士(ソーブレ=サリエンテ)としての威厳にふさわしく、彼は帽子をスタンドに投げ返したり葉巻を拾ってポケットに入れたりはしなかった。彼に目をとめた人の中で、彼「|そばかす《エル・ペカス》」が、必要とあれば闘牛を自分で引き受けるつもりだったことを疑った人は、ごくわずかしかいなかったろう。その決意は彼の粗けずりで実直そうな顔に輝いていたし、彼の歩き方からもそれを感じることができた。闘牛場全体の中で、ルイス・ミゲルだけは彼が弁髪をつけていないことに気づいていた。だが、かりに彼が牛と闘ったとしても、牛が一度攻撃したあとではそれに気づく者はいなかったろう。最初に牛の角でほうりあげられたとき、弁髪が吹っとんでしまったものと、人々は考えたにちがいないからである。
ビル・デーヴィスとわたしが階段をあがってホテルの小部屋に顔を出すと、アントニオとホッチが着替えをしていたが、アントニオのほうは全身に返り血を浴びていた。ミゲリーリョがズボンを脱がせていたが、裾の長いリネンのシャツにべっとりと血がしみ通って、下腹や太腿にぴったりくっついていた。彼とホッチは交替で洗面台と、水差と、わずかしか水のでないシャワーを使った。
「牛の殺し方をおぼえましたか、|そばかす《エル・ペカス》?」と、アントニオが質問した。
「そんなの簡単だよ、|そばかす《エル・ペカス》」と、ホッチが答えた。「いつでも教えてやるぜ」
「あなたはすばらしかったですよ、アントニオ」と、アントニオがホッチに向かって言った。
「きみだってすばらしかったよ、|そばかす《エル・ペカス》、どうしてそんなに血だらけになっちゃったんだい?」
「闘牛は気に入りましたか?」と、アントニオがホッチに質問した。「闘牛士というやつはおもしろいもんでしょう、アントニオ?」
「これも商売だからね」と、ホッチが言った。「選り好みはできんさ。わたしの望みは偉大な闘牛士になることだけだよ」
「今でも偉大な闘牛士に見えますよ」それからアントニオはわたしに向かって言った。「シャツがひどい目に会いましたよ、パパ」ミゲリーリョがシャツを洗濯物の鞄に入れて荷造りする前に、洗面台で冷たい水にひたして血を洗い流していた。わたしはバイヨンヌから持ってきていた闘牛士用の靴を一足彼に与えた。アントニオはビールをひと壜と小さなハム・サンドイッチで腹ごしらえした。
「どうして闘牛などやる気になったのか、闘牛はおもしろいかどうかを彼にきいてみてください」と、アントニオがわたしに言った。
「自然の成行きでね」と、ホッチが答えた。「そう、闘牛はおもしろいね」
「ほかにどんな偉大な闘牛士を尊敬しますか?」
「みんなだよ。偉大な闘牛士はみんな尊敬している」
「カメラマンを呼びましょう」と、アントニオが言った。「これはめったに見られない顔ぶれだ」
彼はその夜マドリードで食事したあと、車でビルバオまで行き、そこで一泊して翌日の午後闘牛に出る予定だった。われわれはビルバオのカールトン・ホテルで落ち合うことに決めた。午前中に新しい車のことで用があったし、オートモビール・クラブで手続きもすましておかなければならなかった。アントニオは疲れてなんかいないと言い張った。体の調子は最高で、車の中で眠って、それからビルバオで闘うのを楽しみにしていた。ビルバオの牛は大きく、角も短く切ったり手を加えたりはしていないだろう。彼はビルバオにおける闘牛の出来について、少なくも疑いを抱いていないようすだった。調子は一年を通じて好調だったそのシーズンでも最高だったし、自分の才能と不死身ということに絶対の自信をもっていた。
彼はスペインじゅうでもっとも気むずかしい観客の揃っているビルバオへ、一刻も早く乗りこみたがった。ビルバオの牛はもっとも大きく、ビルバオの観客はもっとも痛烈で闘牛士に対する要求が厳しいから、一九五九年のこの対決に何か後ろ暗くいかがわしい点があったとは絶対にかんがえられない。ルイス・ミゲルが自分からビルバオ行きを望んだとすれば、それはそれでりっぱなことだった。しかしこれは彼にとって危険な旅になりそうだった。もしルイス・ミゲルが、アントニオと自分が闘うたびに両方から十パーセントずつ受け取っていた二人の兄たちではなく、頭がよくて冷やかな目を持ち、物事の先を見通していた父親を、マネージャーとして持っていたら、彼は破滅するためにわざわざビルバオまで出かけて行きはしなかっただろう。
ビルバオでは二日にわたって午前中雨が降りつづいており、闘牛の始まるころにはどうやら雨があがりそうな気配だった。ビルバオの闘牛場は水はけがよい。それは闘牛場を作った人たちが、ビルバオの気候と、そこで必要とされる砂の種類を知っていたからであった。この日も、正午には闘牛が雨で流れそうだったにもかかわらず、表面こそ濡れてはいたが足が滑るほどではなかった。そしておしまいには太陽が顔をのぞかせ、どんよりと湿気を含んだ熱気と流れ雲が闘牛場の上をおおった。
ルイス・ミゲルはタマメスの治療のおかげで前よりはよくなっていたが、依然として物思いに沈み、何か心にわだかまるものがあるようだった。ちょうど一年前のこの日に、父親が癌のために苦しみながら死んでおり、彼はそのことやほかのさまざまのことを考えていたのだった。態度は常と変わらず礼儀正しかったが、それまでの例だと逆境にあるときの彼はもっともっとやさしかった。彼は最後の大試合でアントニオといっしょに闘ったとき、自分があやうく命を落とすところだったということを知っていた。今日のパリャ牛がすばらしいミウラ種であった昔のパリャ牛とは似ても似つかないこと、この町がリナレスではないことを、彼は知っていた。
しかしいろんな問題が山積していたし、運も下り坂にかかっていた。一方では闘牛の世界で第一人者の地位を保ちつづけ、そのことを自分の生活における確固たる信念にしようとする。しかし他方ではそれを証明しようとしてリングに出るたびにあやうく殺されそうになるし、いまだに自分を第一人者と信じているのは、金持で有力者の友人たちや、多くの美女たちや、二十五年間もスペインで闘牛を見ていないパブロ・ピカソだけだということを知っている。彼にとって重要なことは、自分自身でそれを信じることだった。彼自身がそう信じ、それを実証することさえできたら、人々は黙っていてもまた彼のもとに戻ってきてくれるだろう。負傷が完全に癒りきっていない今の状態では、この日の闘牛が第一人者たることを実証する絶好の機会というわけにはいかなかった。にもかかわらず彼はやってみるつもりだったし、マラガで見せた古い奇蹟が今一度訪れないものとも限らなかった。
ルイス・ミゲルの最初の牛が勢いよく登場した。りっぱな角を持った姿のよい牛で、実際以上に大きく見えた。ルイス・ミゲルはケープでこの牛を迎え、鮮かなパスを数回行なった。彼の最初のキーテもすばらしかった。悪いほうの脚は少しも障害にならないように見えたが、バレーラのそばまできたとき、その顔はいかにも悲しげだった。彼は闘牛のすべての局面を完全に掌握し、牛自身を白線のすぐ外側においてピカドールたちを攻撃させていた。
ムレータを持った彼は、牛のすぐそばに近づいて、いくつかの鮮かな右手パスを行なった。パスは時とともによくなっていき、彼は牛に対して非常に自信を持つようになった。わたしは心配しながら足の動きに注目していたが、どこも悪いところはなさそうだった。ルイス・ミゲルはムレータを左手に持ちかえて、一連のナトゥラールを行なった。ほかのマタドールならそれでもよいのだが、ルイス・ミゲルにしてはマラガのときの冴えは見られず、値段の高い客席のほうからしか拍手はおこらなかった。観客は音楽を要求し、ルイス・ミゲルはマノレーテが流行《はや》らせた一連の横向きのパスを鮮かに演じてみせた。やがて彼はスイング式のパスを二度やって牛の頭をあげさせ、催眠術にかけておいて、牛の前方の「安全地帯」、すなわち牛が少しでも頭をあげると、地上の物体の焦点がぼやけて見える前方十フィートの距離の近くに、両膝をついた。
観客のある者はそれが気に入ったが、あまり歓迎しない者もいた。アントニオが、このようなまやかしのトリックを好む趣味を、一時的にもせよ観客の頭の中から追いだしてしまっていたのである。ルイス・ミゲルがムレータの棒を杖がわりにしないで立ち上がったところを見ると、脚のほうは心配なさそうだった。彼は唇をきっと結び、がっかりしたような表情を浮かべた。剣を持って、鮮かに、一直線に踏みこんで行った。剣はずっと上のほうに突き刺さったにもかかわらず、牛は口から血をふきはじめた。彼はたいそううまくやったのだが、耳は与えられなかった。わたしは狙い通りの場所に剣が突き刺さったと見たのだが、高い突きで動脈が切断されると、牛はよく口から血を吐くことがある。盛大な拍手が湧きおこり、ミゲルはリングの中央に戻ってスタンドにあいさつした。その顔は陰気で、笑いが認められなかった。しかし脚のほうはよく動いていた。そうでなかったら地面に両膝をついたりはしなかったろう。われわれは超音波放射線について冗談を言っていたのだが、どうやらそれは炎症を軽くする効果があったらしかった。彼は牛を操るさいにピリッとしたところがなかったし、彼の特徴であるのびのびとした流れるような優雅さにも欠けており、見る者の胸にじーんと伝わってくる悲しさをたたえていた。それは脚が悪いせいだけではなかった。脚よりも悪いことが何かあった。
アントニオの牛が登場した。ルイス・ミゲルの牛と区別がつかないほどよく似ていて、大きさもほぼ同じだった。左右両側ともに欠点は見当らず、アントニオは前日中止した地点から闘いを再開した。それはわれわれがシーズンを通して見なれた華麗なケープさばきで、突然の叫び声の合間の観客のささやき声に、幸福感がよみがえってくるのを感じることができた。牛は馬に対しても勇敢だったが、一度牛がまた馬を攻撃したとき、サラス兄弟の一人が同じ傷口を槍の先端で突いた。ピカドールは最初のひと突きで正しい場所を突いていたので、これはいわば仕方のないことだった。だが槍はまた同じ傷口にはいりこんだ。わたしにはアントニオがひどく腹を立てているのがわかった。なぜならそのことで罰金を科せられるかもしれないからであり、アントニオはピカドールたちに、十分注意して牛たちをていねいに扱うよう命令していたからである。
たった一対のバンデリーリャが打ちこまれたところで、アントニオは牛と闘う許可を求め、ムレータで牛を元気づけにかかった。牛はやや離れた場所からでもよく目が見えた。アントニオは牛をおびきよせておいて、ムレータをゆっくり動かしつづけながら手首の動きひとつで牛を誘導した。つかずはなれずのそのスピードは、一連の近い、ゆっくりした、非のうちどころのないナトゥラールを完了するまで、牛をしっかりとらえて放さなかった。彼はしめくくりに牛の角が胸元をかすめるようなパスを行なった。わたしはムレータの赤い布が角を通りこし、首から肩、背中をへてしっぽまで、ゆっくりかすめて通るのを見守った。
やがて彼は強烈な体当りで止めを刺し、剣は柄まで深々と突き刺さった。見事に急所を突き当てていた。おそらく肩のくぼみの頂点からわずかに一インチ半ほど左寄りというところだったろう。アントニオは右手をあげて牛の前に立ち、黒いジプシーの瞳で牛を見守った。右手は観客を意識して勝利を誇るように高々とさしあげられ、体はこれも観客を意識して堂々とそりかえっていたが、目だけは牛が後肢を痙攣させ、やがてがっくり膝を折って倒れるまで、あたかも外科医のような冷静さでそれを見守っていた。
やがてくるりと振り向いて観客と向かい合ったとき、外科医のような目つきは消え失せ、顔はたった今なしとげたことの満足感で輝いていた。闘牛士は自分が作りだしつつある芸術品を見ることができない。画家や小説家と違って、途中でやりなおすチャンスが彼にはないのだ。また音楽家と違ってそれを耳で聞くこともできない。ただそれを感じ、それに対する観客の反応を聞くことができるだけだ。自分でそれを感じ、それが傑作であることを知ったとき、闘牛士はその芸術のとりこになり、彼にとってほかのことはすべてどうでもよくなってしまう。
彼はその芸術品を支配するのと同じように、それによってみずからも支配される。そしてより近く、よりゆっくりと、より美しく古典的に妙技をふるえばふるうほど、それはますます危険の度を増す。しかし彼の技術がのびるにつれて自信も増してゆく。彼は自分の芸術をうみだす過程で、自分の技術と牛に関する知識の範囲からはみだしてはならないことを、絶えず自覚している。それをつねに念頭においていることが傍目にも明らかな場合、そういうマタドールは冷静だといわれる。アントニオは冷静ではなかったが、観客は今や彼の味方だった。彼はスタンドを見上げて、謙虚ではあっても卑屈さを感じさせることなく、観客の気持が自分にはわかっているということを彼らに伝えた。そして牛の耳を片手に持って場内を一周しながら、愛する町ビルバオのさまざまな階層の人々を見上げた。人々は彼が前を通りかかると立ち上がり、アントニオが自分たちをとりこにしたことに満足の意を表した。わたしはバレーラの中からぼんやりとあらぬ方を眺めているルイス・ミゲルを見て、今日が問題の日なのか、それともいつかほかの日に持ちこされるのだろうかと考えた。
三人のマタドールは貴賓席へ行って、闘牛の主催者であるドーニャ・カルメン・ポロ・デ・フランコに敬意を表した。フランコ元帥の義息の友人であり、国家主席と狩猟仲間でもあるルイス・ミゲルは、前もってあいさつとお詫びの言葉を伝えてあった。しかし彼の脚は貴賓席までのぼって行けるほど調子がよかった。かりにそれほど調子がよくなかったにしても、どっちみち彼は敬意を表しに行っただろうし、また下まで降りてこなければならなかった。つぎの牛は彼の牛だったから。
それは彼の最初の牛よりやや大きな黒牛だった。見事な角を持ち、足どりも力強かった。ルイス・ミゲルはケープで牛に立ち向かい、ゆっくりした悲しげなベロニカを四回つづけてから、メディア=ベロニカ〔ケープの動きを半分に短縮したベロニカのしめくくり業〕で牛を自分の腰まわりに巻きつけた。ゆっくりと鮮かに腰に巻きつけられた牛は、ルイス・ミゲルが父の喪に服してその一年間巻いていた腕章に劣らず、黒く悲しげに見えた。
しかしルイス・ミゲルはいつまでも悲しみに浸ってはいなかった。彼の最大の長所のひとつは、つねに闘牛を進行させ、あらゆる動きを掌握する術を知っている点にあった。彼はこの牛から持てるすべてのものを引きだそうとしており、そこから牛にピカドールを攻撃させたいと思う場所に、ぴたりと相手を静止させた。ピカドールが進み出て槍を持ち上げ、牛が攻撃した。ピカドールは牛が馬に突き当ると同時に槍で突き、牛がふたたび攻撃するとともに槍の位置をわずかに修正するかに見えた。やがてルイス・ミゲルが牛を引きはなし、ふたたびゆるやかで物悲しいベロニカを四回行なって、厳粛なメディア・ベロニカでしめくくった。
ついで彼は牛にふたたび攻撃させるべく、その位置まで連れ戻した。それは闘牛の中でももっとも簡単な動きのひとつであり、彼はこれまでに何千回となくそれをやってきていた。彼はケープのひと振りで、前肢をペンキで描いた円の外に出させて、牛を静止させようとした。ところが、馬と馬上で槍を突きだしているピカドールに背中を向けて、牛と相対しながら、馬の前を動いているときに、牛が馬をめがけて突進し、ルイス・ミゲルはちょうどその攻撃の線上に重なった。牛はケープに目もくれず、ルイス・ミゲルの太腿に角をぐさりと突き刺して、彼の体を馬のほうに激しく投げとばした。ピカドールはルイス・ミゲルの体がまだ宙を舞っているあいだに槍で牛を突いた。牛はミゲルが落ちてくるところを受け止めて、さらに砂の上に落ちたところで数回突いた。いつものように兄のドミンゴがバレーラを乗りこえて助けに走った。アントニオとハイメ・オストスがケープを持って走り寄り、牛を引き離しにかかった。だれの目にも重傷だということは明らかだったし、角はミゲルの腹に突き刺さったように見えた。ほとんどの人は、これではとうてい助かるまいと考えた。マットレスで保護された馬の脇腹を背にして、牛の角で突かれたのだとしたら、角が腹部を貫通していることはほぼ確実だった。カリェホンにそって運ばれてゆくルイス・ミゲルの顔は土気色だった。彼は唇を噛んで両手で下腹部をおさえていた。
われわれのすわっていた最前列からは、救護室へ行く道がなく、通路は警官が厳重に固めていたので、わたしは席を立たずにアントニオがルイス・ミゲルの牛を引き受けるのを見守っていた。
このようにマタドールが生死にかかわる重傷を負った場合には、牛を引き継いだマタドールはそれを簡単にあしらって、できるだけ早く殺してしまうのがふつうである。しかしアントニオはそうはしなかった。それは優秀な牛であり、彼はそいつをむざむざ殺してしまいたくなかった。観客はルイス・ミゲルを見るために金を払った。ところがルイス・ミゲルは醜態を演じて姿を消した。だから観客はもうアントニオのものだった。ドミンギンがいなくてもオルドネスがいる、というわけだった。
わたしはそう解釈するか、あるいはアントニオがルイス・ミゲルに代わって彼の契約を履行していたのだと考えたい。いずれにせよ、突かれたところは右太腿のてっぺんであり、しかもかなりの重傷であるということ以外に、怪我の程度がわからないアントニオは、自分の牛に対したときと同じ勇気と冷静さをもって、たった今ルイス・ミゲルを傷つけた牛を、落ち着きはらって、華麗に、堂々とあしらった。拍手が湧きおこり、音楽が鳴りはじめた。アントニオは牛に心を寄せ、信じられないほど近いパスをやりはじめた。彼はすばらしいファエナを行ない、すばやく牛を殺した。剣は深々と突き刺さったが、肩のくぼみのてっぺんからたっぷり二インチほどそれた。観客は拍手を送った。しかし彼はすばやく殺すためにわざとそこを狙ったことを知っていて、内心は満足でも得意でもなかった。つぎの自分の牛のときにその埋め合わせをするつもりだった。
手術室から、傷は右鼠蹊部の下のほう、バレンシアのときとまったく同じ場所だという連絡が届いた。角は腹部まで達していたが、内臓に穴があいたかどうかはまだはっきりしなかった。ルイス・ミゲルは麻酔で眠っており、今手術が行なわれているということだった。
つづいてアントニオの牛が登場した。それまでの牛の中ではいちばん大きかった。角はりっぱだったが、きょろきょろあたりを見まわしながら速歩で走りまわるところはつまらない牛のように見えた。ファンがケープをさしだすと、牛は尻ごみしてあっという間にバレーラを跳びこえ、羽目板に肩や角をぶつけながら通路を進んで、ようやくあいたゲートからまたリングに戻った。しかしピカドールが登場すると、牛は勇敢に馬を攻撃した。ピカドールたちが彼を寄せつけないようにすると、彼は蹄で土を掘りかえし、槍の穂先に体をぶつけながら、槍の下をくぐってしゃにむに突き進んだ。アントニオが牛に近づいてケープをかざし、まるで全然欠陥のない牛を相手にするような調子でパスを始めた。彼は牛の攻撃スピードをミリ単位で計算し、ケープをその速度に合わせながら相手を思いのままに操った。しかし観客の目には、それらはいつもと同じなんの苦もない魔術的なパスとしかうつらなかった。これに反してハイメ・オストスがケープで立ち向かうと、牛は気が散って、完全に自分をコントロールできない相手に対してはいくらでも危険になれるのだ、というようなそぶりを示した。アントニオは牛を支配し、教え、矯正しつつあった。
バンデリーリャを打ちこむ段になると、牛はいかにも扱いにくく、危険な存在になりうることがありありと見えて、わたしはせっかくの牛がめちゃめちゃになりつつあるように感じ、アントニオがムレータと剣で牛を相手にするまでの時間が長びくことを心配した。アントニオ自身もそれを心配していた。わたしの席からだと話の内容までは聞こえなかったが、彼がフェレールとホーニに何事か話しかけているのが見えた。
アントニオはこの牛がバンデリリェーロたちに対して見せた態度にもかかわらず、この牛が気に入ったし、ムレータを持って牛と対したときは、相手について知っておくべきことをひとつ残らず知っていた。彼は右手パスのために牛を呼びこみ、足の位置を変えることなしに、胸元すれすれに巨大な牛の体を三度やりすごした。この牛はどんなマタドールでもすばらしいファエナを演じることを期待できるような牛ではなかったが、アントニオはタイミングと距離感の秘密を知っており、牛の正確な視力と、どうすれば相手を支配してその優柔不断と神経過敏を克服できるかということを知っていた。
われわれがじっと見守り、観客がパスを一回行なうたびに声援を送り、パスの連続が終わるたびに拍手を送って妙技に驚嘆している間に、アントニオは、音楽に合わせながら、ただ図体が大きいだけで、神経質で粗暴でなんの取柄もないように思われたこの牛を巧みにリードして、すばらしい牛にしてはじめて可能な、古典的で美しい業をあますところなく演じてみせた。今や角が彼の体をかすめて通過するとき、彼と牛の間には目に見える隙間がまったく存在しなかった。彼は牛が選んだ任意のスピードで相手を呼びこみ、垂れさがった赤いサージの布を支え持つ手首のコントロールは、巨大な牛と直立したしなやかな肉体が一体となって旋回を完了するとき、塑像のようなシルエットを形造るのだった。やがて手首が返り、両方の角に死を宿した小山のような黒牛を、最後の、もっとも危険で困難な型で、ふたたび胸元すれすれに通過させるのだった。彼がこの危険なパセ・デ・ペーチョを何度もくり返すのを見ているうちに、わたしには彼が何をしようとしているかがはっきりわかった。それは偉大な音楽のように思われた。彼は観客の見守る前で牛によって一篇の詩を書いていたのだ。しかし詩はそれ自体で終わりではなかった。彼はレシビエンドで殺すべく牛を準備させつつあったのだ。
ビルバオで彼のやり残したことといえばそれしかなかった。ほかのことはすべてやってしまったのだ。ケープさばきは人間業とは思えないほど完璧で感動的だった。ムレータをとっても、かつて何人もなしえなかったほどの華麗な妙技を見せてくれた。殺し方も見事だった。このうえなく見事だった。だがこのルイス・ミゲルの最後の牛のときは、あまりよい出来ではなかった。二度の止めで、彼はすでにルイス・ミゲルをしのいでいた。闘牛のすべてを出しつくし、ひとつひとつのパスがあたかも無限であるかのように、観客を魅了してしまったこのファエナのあとでは、最高の放れ業で殺すことしか残されていなかった。
牛がまだ攻撃力を残している場合、その最高の殺し方がレシビエンドである。それはもっとも古く、もっとも華麗で、もっとも危険な方法である。なぜなら闘牛士が自分から牛に走り寄って行くかわりに、静かに立って牛の攻撃を誘い、牛が突進してきたら、ムレータで引きつけて右の方へやりすごす一方で、牛の両肩の間の上の方を剣で刺し貫く方法だからである。この方法が危険なのは、ムレータで完全に牛をコントロールすることができず、牛が頭をあげてしまえば、マタドールは胸に角を受けることになるからである。ふつうの場合は、マタドールが自分からとびかかって行ったときに牛が頭をあげたとしても、右の太腿に角傷を受けるだけですむ。ところがレシビエンドの場合は、正しく止めを刺すためには、マタドールはあと一インチか二インチ待てば牛の角につかまるというところまで辛抱強く待たなければならない。一方に体を傾けたり、ムレータを振るときに牛に広すぎる逃げ道を与えたりすると、剣は横から突き刺さることになる。
「牛につかまる瞬間まで待て」というのがレシビエンドの鉄則である。しかしぎりぎりまで待って、同時に偉大な左手で牛に頭を下げさせたまま横へ誘導できるマタドールは、かぞえるほどしかいない。牛からみれば、これは基本的にはパセ・デ・ペーチョと同じものであり、だからこそアントニオはそれらのパスで牛を慣らしながら、牛がまだムレータの動きを追う余力を残し、途中で頭をあげたり立ちどまったり、あるいは攻撃をためらったりすることのないように仕向けていたのだ。やがて牛の用意がととのい、どこにも異常がないと見てとると、アントニオはわれわれの目の前で牛と正対し、止めに移るべく身構えた。
われわれは夜の長い自動車旅行の途中、何度もこの殺し方について話し合い、アントニオほどの左手の持主ならレシビエンドは容易だという結論に達していた。それを困難にするのは失敗したときの報いだけである。その報いはほうきの柄ほどもある大きな角で短剣のように胸を突かれるという形でやってくる。なにしろそのひと突きに力を与えるのは、馬一頭を持ち上げて投げとばしたり、バレーラの厚さ二インチの羽目板をこっぱみじんにするだけの破壊力を持つ首の筋肉だ。時にはこれらの角は、ケープの絹の上張りを剃刀のように切り裂くほど鋭利にとがっている。またあるときは角の先端がぎざぎざになっていて、掌ほどの傷を負わせることもある。しかし角が一直線に自分の方へ向かってくるのを落ち着いて待つことさえできれば、そして剣を突き刺した瞬間に万一牛が頭をあげれば、下から突き上げられた角が確実に自分の胸に突き刺さるというところまで待つことさえ知っていれば、あとはなんの造作もない。したがってレシビエンドは簡単だ、という点でわれわれの意見は一致した。
かくてアントニオは今や直立し、剣の刃にそって狙いを定め、牛に向かってムレータを振いかざしながら左膝を軽く前に曲げた。大牛が突進し、剣が肩の間の上の方で骨に当った。アントニオは牛の上にのしかかり、剣はたわみ、一体となるべき人間と牛ははなればなれになって、ムレータのひと振りが牛の進路を横にそらした。
現代の闘牛士でレシビエンドを二度までも試みる者はいない。それは二百年前の時代に生きたロンダ生まれのもう一人の偉大な闘牛士、ペドロ・ロメーロの時代の産物である。しかしアントニオは牛に攻撃力が残っている限り、この方法で牛を殺さなければならなかった。そこで彼はふたたび牛と相対し、剣の刃にそって狙いを定め、左脚とムレータで、もし牛が頭をあげれば間違いなく角につかまるところまで相手を呼びこんだ。今度も剣は骨に当り、人間と牛は入り乱れてばらばらになり、ふたたびムレータが角と大牛をかわした。
牛はだいぶ弱っていたが、アントニオはあと一回の攻撃力は十分に残っていると見てとった。彼はそのことを見抜かなければならなかったが、ほかの人間にはそれが見抜けず、観客は目の前でおこりつつあることが信じられなかった。アントニオがこの牛を相手にして偉大な勝利をおさめるためには、あまり危険を冒さずに手際よく剣を突き刺すだけで事足りた。だが彼はそれまで自分を有利な立場に置いて殺してきたすべての牛たちのために、ここで一挙に埋め合わせをしようとしていた。そうやって殺してきた牛は数知れなかった。この牛は、その気があれば彼の胸を自由に攻撃するチャンスをすでに二度までも与えられたが、今アントニオはなおも三度目のチャンスを与えようとしていた。二度とも剣の刺さった場所がいくぶん低すぎるか一方に片寄りすぎるかしたとしても、三度目にレシビエンドが成功すれば、彼を非難する者はだれもいないだろう。彼はどの部分が弱いかを知っていて、すばやく剣を突き刺した。二回ともまあまあどころかかなりよい出来で、いずれにせよ非難されるような悪い出来ではなかった。近ごろの闘牛ではもっとも多くの耳が与えられるような殺し方である。しかし今日のアントニオにとって、耳なんかどうでもよかった。今日の彼は、それまで自分に有利な殺し方をしてきた牛たちへの借りを一挙に返すつもりだった。
彼が牛と相対すると、場内は水をうったように静まりかえり、うしろの婦人が扇を閉じる音がわたしの耳に聞こえたほどだった。アントニオは剣の刃にそって狙いを定め、左膝を前に曲げて、牛の方にムレータを振った。そして突進してくる牛を、角につかまる直前まで待って、剣の切先を突き立てた。牛はムレータの動きに誘われて頭を下げたまま突き進み、アントニオが相手の力を利用しながら掌を柄先に当てて押すと、刃は肩甲骨の頂点の間にゆっくりとめりこんでいった。アントニオの両足は最初の位置から一歩も動いておらず、今や彼と牛は一体となり、剣を押しこんだ彼の掌が牛の黒い皮膚に密着したとき、角は彼の胸元を通り過ぎ、牛は彼の右手の下で死んでいた。牛はまだ自分が死んだことに気づかず、勝利を誇るというよりは別れを告げるかのように、右手を高くあげて自分の前に立つアントニオを眺めていた。わたしにはアントニオの考えていることがわかったが、しばらくは彼の顔を見ることができなかった。牛もまた彼の顔を見ることはできなかったが、それはわたしのかつて知らぬ不思議な若者の奇妙に親しみのこもった顔であり、このときばかりはおよそ闘牛場にふさわしくないあわれみの表情を浮かべていた。牛はようやく自分の死に気づき、がっくり脚を折って倒れた。それを見守るアントニオの前で、牛の目はどんよりと濁っていった。
こうしてアントニオとルイス・ミゲルの決闘はこの年で終わった。ビルバオの闘牛場にいた人々にとっては、もはやいかなる真の意味での競争も存在しなかった。問題はついに解決した。競争が再現するとしても、それは技術的なものでしかありえなかった。名目だけの、あるいは金儲けのための、あるいはまた南米諸国の闘牛ファンを食いものにするための競争が再現することは考えられる。しかし現実にビルバオでこの闘牛を見、アントニオを見た人々にとって、どちらがよりすぐれた闘牛士であるかということはもう疑問の余地がなかった。なるほどアントニオは、ルイス・ミゲルの脚が悪かったために、ただたんにビルバオで彼に勝てたというだけのことかもしれない。おそらくその仮定にもとづいて金儲けを企らむことはつねに可能だろう。しかし、スペインの闘牛場で本物の観客を前にして、本物の角を持った本物の牛でそのことをもう一度試そうとすることは、あまりにも危険な、生死にかかわる試みといってよいだろう。それはすでに結論の出た問題であり、今度もまた角はルイス・ミゲルの腹部を深々とえぐりはしたが、内臓まで突き破ってはいなかったという知らせが手術室から届いたとき、わたしは心からそれを喜んだ。
アントニオがどれだけ多くの耳を切り取るかは問題ではない。ビルバオでは三度の闘牛で七個の耳を切り取った。観客が感動しやすい町でなら、彼は牛の体の切り取れる部分をすべて切り取っていたことだろう。重要なのは彼がこの町でなにをしたかということだった。全スペインで闘牛士に対する評価のもっとも厳しいこの町の、たった一度の市《フェリア》で、彼はいかなるマタドールもかつてなしえなかったほど多くのことをなしとげた。そして最後の日のファエナのあとで彼がやって見せた殺し方は、他のいかなる闘牛士にも似ず、また過去現在を通じていかなる闘牛士をも連想させないがゆえに、他の闘牛士と比較のしようがなく、おそらくロンダ生まれのもう一人の闘牛士ペドロ・ロメーロも、彼のレシビエンドを承認したことだろう。
そのあとわれわれはつぎつぎと勝利の味をかみしめ、汚点ひとつない道がたんたんと進むかに見えたが、やがて晴天の霹靂のごとく、ピカドールたちに関する醜悪で下劣な災難が降りかかった。いわく[オルドネスのピカドールたちは、彼らの役割を規定する複雑な規則に違反したかどで、出場停止処分を受けた――ED]もっともこれはたんに金銭上の問題だったから、真の災難というわけではなかった。しばらくのあいだは、というより、ずっと高貴な出来事だったものが、だれかが嘘をついたおかげで突然下劣で醜悪なものに一変したという感じだった。しかしこの年それまでにおこったことを何物も抹殺することはできなかったし、今度もその気づかいはないだろう。
その夜着替えをすませてから、アントニオとわたしは車でルイス・ミゲルを見舞いに出かけた。アントニオが車を運転した。彼は闘いの興奮がまださめやらず、われわれは彼の部屋でも車の中でもそのことを話し合った。
「あの牛が二度三度と攻撃するだけの力を残していたことが、どうしてわかったんだい?」と、わたしは質問した。
「理由なんかありません、ただわかったんですよ。わかるってことはそんなもんじゃないんですか?」
「しかし、何が見えたのかね?」
「あのときまでにやつのことはよくわかってましたから」
「耳か?」
「何もかもですよ。わたしはあなたを知っている。あなたもわたしを知っている。あなたはあいつが攻撃してくると思いませんでしたか?」
「思ったさ。しかしわたしはスタンドにいた。スタンドからはずいぶん遠いからね」
「わずか六フィートから八フィートの距離だが、実際のところ一マイルにも匹敵するんです」と、彼は言った。「すみません。これからはいつもあなたにカリェホンにいてもらいたい。それができなかったのはビルバオだけですよ」
「迷惑はかけたくないね」
「迷惑だなんてとんでもない。あなたはパートナーじゃないですか。満足でしたか?」
「からかうのはよせ。きみは満足だったかね?」
「ええ」と、彼は答えた。「ビルバオで、しかもトリックは全然使わなかった。|トリック抜き《シン・トゥルコス》ですよ。ところでもう一か所から二人いっしょに招待されているんですが。ミゲリーリョから聞きましたか?」
「聞いてるよ。わたしは行かないつもりだがね」
「だれの招待だか知ってるんですか?」
「知ってるとも」
「わたしもよします」
「妻たちはわれわれがいかによい夫になろうとしているかを信じないだろう」
「あなたはメアリに話してください、わたしはカルメンに話します」
「話はいつだってできるよ」
ルイス・ミゲルは病院でたいそう苦しんでいた。角はまだ完全に癒りきっていないバレンシアのときの古傷を引き裂き、古傷の痕にそって腹部に達していた。病室には六人の人がいて、ルイス・ミゲルは苦痛をこらえながらせいいっぱい愛想のよいところを見せていた。彼の妻は真夜中すぎに、彼の姉といっしょにマドリードから飛行機で駆けつける予定だった。
「救護室へ行ってやれなくてすまなかった」と、わたしは言った。「まだ痛むかね?」
「まあまあですよ、エルネスト」と、彼は弱々しい声で答えた。
「マノロが痛みをやわらげてくれるだろう」
彼は穏やかに笑った。「それはもうやってくれたんです」
「ここにいる人たちを外へ連れだそうか?」
「気の毒ですよ。あなたは前にも大勢の人を追いだした。あなたがいなくて淋しかったですよ」
「マドリードでまた会おう」と、わたしは言った。「われわれが出て行けば何人かは出て行くだろう」
「新聞のグラビア・ページではみんないっしょのほうが引き立ちますよ」
「ルーベルへ見舞いに行くよ」ルーベルはマドリードの病院である。
「あすこの病室をずっと予約してあったんですよ」と、彼は言った。
一年後、『ライフ誌』に一通の電報が寄せられた。
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マラガ、一九六〇年九月六日――政府の厳重な規制にもかかわらず、いまだに時おり角に細工がほどこされている。ある者はそのために罰せられ、ある者は罰を免れている。角の細工は一九五九年よりずっと減っており、フランスではいまわしいスキャンダルの結果大幅に減少した。われわれはビルバオでルイス・ミゲルが大きな牛と闘うのを見る機会を逸した。左手の指二本を怪我したため出場不能という診断書を彼が提出したためである。しかし彼がほかの契約を履行するときは、その怪我が妨げにならなかった。アントニオはサン・セバスチャンで鮮かに止めを刺すとき、角で右の前腕を強打して、使いものにならないほど腫れあがっていたにもかかわらず、医師の命令を無視してビルバオで闘った。この怪我の翌日、彼は左手一本だけで、わたしが見たうちでもっとも美しく掛値なしに勇敢なファエナを見せてくれた。ビルバオでは牛につかまり、投げだされて、ひどい脳震蕩をおこした。医師は十日間闘牛を休むことを命じたが、五日後にはルイス・ミゲルといっしょにフランスで闘い、いつもと同じ、あるいはそれ以上の妙技を披露した。ミゲルはダクスでよい牛を引き当て、八月初旬にマラガでさんざんの出来を示したときよりもはるかによくなっていた。彼は努力の末復調し、かつての自信を取り戻したように見えた。この電報を打つ時点で、彼は一度闘うごとに自信を深めつつあるように見える。しかしわたしが見たり聞いたりしたところによれば、今年のスペインにおける両者間の一連の対決《マーノ・ア・マーノ》も、経済的にも芸術的にも完全に相互の利益にそうようなお膳立てが行なわれない限り、昨年と同じくはなはだ激烈なものとなるだろう。さもなければこの対決は国外で行なわれる場合を除いて、依然として非常な危険をはらんでいるものと思われる。
ヘミングウェー
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密告
昔マドリードのチコーテは、音楽と新人女性歌手抜きのストーク・クラブか、あるいは女人禁制を解いたウォルドーフの紳士専用バーといった趣きの店だった。つまり、婦人客もくるにはくるが、あくまで男性の店であり、女たちはそこでいかなる地位も占めなかった。
ペドロ・チコーテが店の主人であり、店を成功させるもろもろの個性のひとつをそなえていた。彼は超一流のバーテンダーであり、いつも愛想がよく、上機嫌で、多分に風格があった。今どき風格などというものは珍しく、たまにそういう人間がいたとしても長つづきはしない。チコーテにはそれがあったが、見せかけだけのまがいものではなかった。彼はまた謙虚で、お人よしで、人なつこい男だった。実際のところ彼はパリのリッツ・バーのドアマン、ジョルジュに劣らないくらい感じがよく、愉快で、おまけに腕がよく――リッツ・ホテルへ行ったことのある人にとっては、およそこれぐらいわかりやすい比較例はないだろう――しかも彼はすばらしいバーを経営していた。
当時マドリードの金持ちの青年たちの中でも、俗物連中はヌエボ・クラブとかいう店に入りびたり、もっとましな連中がチコーテに足を向けた。ストーク・クラブの場合と同じように、チコーテにもわたしが好かない人間は大勢顔を見せたが、店そのもので不愉快な思いをしたことは一度もなかった。理由のひとつは、そこではだれも政治の話をしなかったことである。だがほかの五つの話題については大いに話がはずみ、夜になるとマドリードでもいちばんきれいな女の子たちがやってくるといったぐあいで、チコーテは夜の出発点であり、事実われわれはみんなそこを足場にして何度もすばらしい夜を楽しんだものだった。
それからチコーテをのぞけば、だれがマドリードにいるか、マドリードにいない人間はどこへ行ったのかということが、いながらにしてわかった。そして夏の間、町にだれもいないときならば、ウェイターがみな気持のよい連中ばかりなので、腰を落着けて楽しみながら一杯やることができた。
チコーテは入会金不要で、女連れでも行けるクラブ同然だった。それは疑いもなくスペインで最高のバーだったし、おそらくは全世界でも最上の部類に属したことだろう。そしてわれわれここを溜り場にしていた連中は、みなチコーテに並々ならぬ愛着を抱いていた。
もうひとつ、ここの酒がすばらしかったことを言い落としてはならない。マーティニを注文すれば、金で買える最高級のジンが使われたし、スコットランド直輸入の樽詰めのウィスキーが置いてあって、そのすばらしさときたら世に宣伝されているブランドなど物の数ではなく、ありきたりのスコッチと比較するのは相手が気の毒なくらいだった。ところで、叛乱が勃発したとき、チコーテはサン・セバスチャンにいて、そこでやっている夏の店で商売をしていた。その店は今でもチコーテが持っていて、フランコ治下のスペインでは最高のバーだという評判である。マドリードの店はウェイターたちが譲り受けて今も商売をつづけているが、昔のようないい酒はすっかりなくなってしまった。
チコーテの昔の客はほとんどがフランコ側の人間だった。しかし政府側の人間も何人かはいた。チコーテはたいそう気持のよい店だったから、そして真に気持のよい人間というものは概してもっとも勇敢な人間であり、勇敢な人間ほど早く死ぬものだから、チコーテの昔の客の大半はもう死んでいた。樽詰めのウィスキーは何か月も前に底をつき、イェロー・ジンの最後の一滴も一九三八年の五月に飲み尽されていた。もうチコーテの店へ行ってもあまり意味がなかったので、ルイス・デルガードも、もう少しあとでマドリードにきていたら、おそらくチコーテの店へは近づかず、したがってあんな羽目に陥ることもなかったろう、とわたしは思う。
だが彼がマドリードにやってきた一九三七年の十一月には、チコーテにはまだイェロー・ジンもあればインディアン・キニーネ・ウォーターもあった。しかしそんなものは命がけで飲みたがるほどのものとも思えないから、おそらく彼は昔なじみの店で一杯やりたかっただけなのだろう。彼という男を知り、昔のチコーテを知っている人なら、これは容易に理解できることだ。
その日大使館で牝牛が一頭つぶされ、大使館の門番がフロリダ・ホテルのわれわれ用に、十ポンドの新鮮な肉をとってあるからと電話をくれた。わたしはマドリードの冬の早い夕暮れの中を、歩いてその肉を受け取りに行った。二人の急襲警備兵がライフル銃を持って大使館門前の椅子にすわっており、肉は門番詰所でわたしを待っていた。
門番は上肉をとりわけておいたが、なにしろ牛が痩せていたもんで、と言いわけした。わたしは焼いた向日葵《ひまわり》の種とカシの実を、格子縞毛布《マッキノー》の上着のポケットから取りだして彼に与え、詰め所の前の玉砂利を敷いた大使館の車まわしに立ったまま、しばらく冗談を言い合った。
わたしは重い肉を小脇に抱えながら、市内を横切ってホテルまで戻った。グラン・ビアが砲撃されていたので、チコーテのバーにはいって砲撃がやむのを待った。店は騒々しく、混んでいた。わたしは砂嚢を積み上げた窓ぎわの一角にある小テーブルにすわって、かたわらの腰掛けに肉の包みを置き、ジン・トニックを飲んだ。われわれがチコーテにまだトニック・ウォーターがあることを知ったのはその週だった。戦争が始まって以来、だれ一人としてジン・トニックを注文する者がいなかったので、値段はいまだに叛乱前と同じだった。夕刊はまだだったので、年とった女の売子から党のパンフレットを三部買った。一部十センターボだったが、一ペセータ渡して釣りはとっておけと言った。老婆はきっと神様の御恵みがありますよと言った。それはどうかわからなかったが、わたしは三部のパンフレットを読んで、ジン・トニックを飲んだ。
「まさか」と、わたしは言った。「信じられないね」
「ところがほんとなんですよ」相手は首と盆を同じ方向に傾けながら言い張った。「今は見ないほうがいい。あすこに彼がいますよ」
「おれには関係のないことさ」と、わたしは言った。
「こっちもですよ」
ウェイターは立ち去り、わたしはまたべつの老婆から、ちょうど届いたばかりの夕刊を買って読んだ。ウェイターが教えてくれた男については疑いの余地がなかった。彼もわたしもその男のことをよく知っていた。頭に浮かんだのは、馬鹿なやつだ、という考えだけだった。馬鹿もいいところだ。
ちょうどそのとき、ギリシア人の同志がやってきてわたしのテーブルにすわった。彼は第十五旅団の中隊長で、四人の部下を殺した爆弾で生き埋めになり、しばらくようすを見るために前線から送り返され、それから療養所かなにかに入れられた男だった。
「調子はどうかね、ジョン」と、わたしは言った。「どうだ、こいつを一杯やらんか」
「なんていう酒なんだい、エマンズさん?」
「ジン・トニックだよ」
「トニックの種類は?」
「キニーネさ。一杯やってみろよ」
「おれはあまりいける口じゃないが、キニーネなら熱病によく効く。少し飲んでみるかな」
「医者はなんて言ってるんだ、ジョン?」
「医者に診てもらう必要なんかないさ。おれはぴんぴんしてるよ。ただひっきりなしに頭の中でぶんぶん音がしてね」
「医者に診てもらうほうがいいぞ、ジョン」
「そうするさ。だが医者にはわからないんだ。おれには書類がないからだめだとか言ってね」
「それじゃ電話を一本入れておこう。あすこには知ってる人間がいるから。医者はドイツ人か?」
「そうだ」と、ジョンが答えた。「ドイツ人だよ。英語があまりうまくない」
ちょうどそのとき、さきほどのウェイターがやってきた。彼は頭の禿げた年寄りで、昔ふうの物腰は戦争が始まっても変わっていなかった。ひどく気がかりそうな顔をしていた。
「わたしは息子を一人前線にやっています」と、彼は言った。「もう一人の息子は殺された。そこで、このことですが」
「それはきみの問題だよ」
「あなたはどうなんです? もうあなたには話したんですよ」
「おれは食事の前に一杯やりにきただけだよ」
「そしてわたしはここで働いている。しかし、どうすればいいか教えてください」
「これはきみの問題だって言ったろう」と、わたしは言った。「おれは政治家じゃないんだ」
「きみはスペイン語がわかるのか、ジョン?」と、わたしはギリシア人同志に質問した。
「いや、片言程度しかわからんが、ギリシア語、英語、アラビア語なら話せるよ。一時はアラビア語がぺらぺらだった。おれがどんなふうに生き埋めになったか知ってるかい?」
「いや。きみが生き埋めになったことは知っていた。それだけだよ」
彼は浅黒いハンサムな顔をしていて、話をするときには真っ黒な両手が忙しく動きまわった。彼はギリシアの数ある島々のひとつの生まれで、ひじょうに力強い話し方をした。
「それじゃ話してやろう。おれは戦争の経験が深い。以前はギリシア陸軍の大尉でもあった。優秀な軍人だ。だからフェンテス・デル・エブロの塹壕の中にいて、頭の上に飛行機が飛んできたとき、おれはじっくりそいつを眺めてやった。飛行機はぐうっと傾いてこんなふうに向きを変え(両手で飛行機が傾き、方向転換するさまを実演した)、おれたちの頭の上から見おろした。そこでおれはこう言ったんだ、『見ろ。参謀本部が目標だよ。あれは偵察機だ。すぐにほかの飛行機がやってくるぞ』ってね。
おれが言ったとおり、あとからまたやってきた。おれは立ち上がって眺めていた。じっくり眺めていたよ。空を見上げて、中隊の連中に何がおこるか教えてやった。敵は三機三機でやってきたよ。一機が前、二機がうしろについてね。最初の三機編成が通り過ぎたんで、おれは中隊の連中にこう言った。『見たか? 最初の編隊は通り過ぎたよ』
つぎの三機編隊も通過したので、おれは中隊の連中に言った。『これで≪ホーケー≫だ。もう大丈夫。何も心配することはない』ってね。それから二週間というものまるっきり記憶なしさ」
「いつのことだ?」
「約一か月前だよ。爆弾で生き埋めになったとき、ヘルメットが顔にかぶさったんで、掘りだされるまでヘルメットの中の空気で呼吸ができたってわけだが、おれはそんなことを全然おぼえてない。だがおれが吸ったその空気に爆発の煙が混っていたんで、体が元に戻るまで長くかかったんだ。しかしもう≪ホーケー≫だ、ただ頭が鳴ってるだけだよ。この酒はなんていったっけ?」
「ジン・トニックだよ。シュウェップス・インディアン・トニック・ウォーターだ。この店は戦前はすてきなカフェで、一ドルが七ペセータのころ、この酒は一杯五ペセータだった。まだトニック・ウォーターが残っていて、値段も前と変わらないことをつい最近発見したんだ。あと一ケースしか残っていないそうだよ」
「いい酒だ。ところで、戦前この町はどんなだった?」
「よかったね。今と同じだが食べ物には事欠かなかった」
さっきのウェイターがやってきて、テーブルのほうにかがみこんだ。
「もしわたしがやらなかったらどうなります?」と、彼は言った。「わたしの責任ですよ」
「やりたかったら、電話のところへ行ってこの番号を呼び出すさ。今言うから書きとってくれ」
彼は番号を書きとった。「ぺぺを呼びだせ」と、わたしは言った。
「彼にはなんの恨みもない」と、ウェイターが言った。「しかしこれは主義《カウサ》のためです。ああいう男はきっとわれわれの主義にとって危険ですからね」
「ほかのウェイターたちは彼に気がついてないのか?」
「たぶん気がついてるでしょう。しかしだれも何も言いません。彼は古くからのなじみ客ですからね」
「おれだって古くからのなじみだよ」
「もしかすると彼も今はわれわれの味方なのかもしれません」
「そうじゃない」と、わたしは言った。「おれは知っている」
「わたしはまだ人を密告したことがないんです」
「それはきみが決めることさ。ほかのウェイターが密告するかもしれんしな」
「いや。彼を知ってるのは昔からいるウェイターたちだけですが、彼らは密告などしません」
「イェロー・ジンをもう一杯とビタースを少し持ってきてくれ。トニック・ウォーターがまだ壜に残っているんだ」
「彼はなんの話をしてるんだい?」と、ジョンがきいた。「おれにはほんの少ししかわからないんだ」
「われわれの昔なじみの男が今この店にいる。その男は鳩射ちの名手で、おれはほうぼうの射撃大会で彼と顔を合わせたもんだ。彼はファシストで、どんな理由があるせよ、ここへ姿を現わすということはひどく向こう見ずなことなんだ。だがそいつは昔から勇敢で向こう見ずな男だった」
「どの男かね?」
「あすこの飛行士たちのテーブルにいる男だよ」
「あの中の?」
「真っ黒に陽やけした顔のやつがいるだろう、ほら、帽子のひさしで片方の目を隠したやつが。今笑ってる男がそうだよ」
「あいつはファシストなのか?」
「そうだ」
「フェンテス・デル・エブロ以来、ファシストをこんな近くで見るのは初めてだな。この店にはファシストが大勢くるのか?」
「ときどきだがかなり大勢やってくるね」
「あんたと同じものを飲んでるよ」と、ジョンが言った。「われわれもこれを飲んでると、ファシストだと思われるかな? ところで南米へ行ったことはあるかね、西海岸のマガヤネスだが?」
「ないね」
「いいところだ。ただ、オク・トー・パスが多すぎる」
「何が多すぎるって?」
「オク・トー・パスだよ」彼はトーのところにアクセントを置いて、オク・トー・パスと発音した。
「ほら、足が八本あるやつさ」
「ああ、蛸《オクトパス》のことか」
「そう、オク・トー・パスさ」と、ジョンは言った。「おれは潜水夫もやっていたんだよ。働くにはいい土地で、結構稼ぎにもなったんだが、オク・トー・パスが多すぎるのが難でね」
「わるさをするのか?」
「それはどうかな。最初にマガヤネスの港で潜ったとき、オク・トー・パスを見たよ。こんなぐあいに足で立っててね」ジョンは五本の指先をテーブルにつけて、手を持ち上げ、同時に肩をいからして眉をつりあげた。「立つとおれよりでかいそいつが、こっちの顔をのぞきこむんだ。おれはすぐに命綱を引いて引きあげてもらったよ」
「そいつはどれぐらい大きかった、ジョン?」
「ヘルメットでいくらか歪んで見えるから、はっきりしたことは言えないがね。だがとにかく頭まわりが四フィート以上もあったよ。そんなやつが爪先立ちするように立ってこうしておれをのぞきこむんだ。(彼はわたしの顔をのぞきこんでみせた)おれは船にあがってヘルメットを脱がしてもらい、ここじゃもう二度と潜る気はないって言ってやったよ。そしたら請負人のやつがこう言うんだ。『どうしたってんだ、ジョン? お前がオク・トー・パスをこわがってる以上に、オク・トー・パスのほうがお前をこわがってるんだぜ』だからおれは言ってやった。『馬鹿言うな!』ってね。ところでこのファシストの酒をもう一杯ずつどうだい?」
「いいとも」と、わたしは答えた。
わたしはテーブルの男を眺めていた。彼は名前をルイス・デルガードと言い、わたしが彼と最後に会ったのは一九三三年のサン・セバスチャンの鳩射撃大会のときだった。わたしは彼といっしょにスタンドのてっぺんに立って、大射撃大会の決勝を見守っていたことを思い出す。われわれは賭けをしていた。わたしには無理な金額だったし、おそらく彼にとってもその一年に負けても困らない金額をはるかに上まわっていたことだろう。そして、階段を降りながら賭金を払うとき、彼がいかにも楽しそうに、支払うことを最大の特権であるかのごとく見せかけたことを、わたしは今でもおぼえている。それから彼といっしょにバーでマーティニを立飲みしているとき、わたしは不利な賭けに勝ったときのあのすばらしい安堵感を味わい、その賭けが彼に与えた手ひどい打撃のことを思った。わたしのその週の射撃はずっとひどい不出来で、一方彼のほうは見事な腕前を示していたが、ただひどく扱いにくい鳩ばかり引き当て、しかも一貫して自分自身に賭けつづけていた。
「ドゥーロ〔五ペセータ貨幣〕をいっちょうやるかね?」と、彼がきいた。
「ほんとにやる気があるのか?」
「あるとも、あんたさえよかったら」
「いくら賭ける?」
彼は紙入れを取りだして中をのぞき、声をたてて笑った。
「いくらでもお望みのままにと言いたいところだが」と、彼は言った。「八千ペセータでどうかね? どうやらそれで有金全部というところだ」
八千ペセータといえば当時千ドルに近かった。
「よかろう」と、わたしは答えた。内心の安堵感は跡形もなく消え去り、ふたたびあのギャンブルがつくりだす空虚な感じが戻ってきた。「じゃ、ゆくぞ」
「いいとも」
われわれはどっしりした五ペセータ銀貨を一枚ずつ両手の中で振り、それぞれの銀貨を左手の甲にのせて右手で蓋をした。
「そっちは?」と、彼がきいた。
わたしが右手をとりのけると、大きな銀貨はアルフォンソ十三世の幼年時代の横顔を見せていた。
「表だ」と、わたしは言った。
「さあ持っていってくれ、だが一杯おごるくらいの親切気はあるだろうな」彼は紙入れの中味をさらけだした。「もしかしてすばらしいパーディ銃を買う気はないだろうね?」
「要らんよ」と、わたしは答えた。「しかし、ルイス、もし金が必要なら――」
わたしはきっちりたたまれたピカピカの厚味のある紙、緑色の千ペセータ紙幣を彼に差し出していた。
「馬鹿なことはよせ、エンリケ」と、彼は言った。「われわれは賭けをしたんだ、そうだろう?」
「それはそうだ。しかしおたがいよく知った仲じゃないか」
「金を恵んでもらうほどの仲じゃない」
「よかろう」と、わたしは言った。「きみの好きなようにしたまえ。じゃ、何を飲む?」
「ジン・トニックはどうかね? こいつはすばらしい飲み物さ」
こうして彼とジン・トニックを飲みながら、わたしは彼を破産させたことをたいそううしろめたく感じると同時に、金を手に入れたことを心から喜んでいた。ジン・トニックをこのときほどうまい飲み物だと思ったことはかつてなかった。こういうことに関して嘘をついたり、賭けに勝ったことがうれしくないような顔をしたりするのは無益なことである。だが、このルイス・デルガードという男はまったく見上げたギャンブラーだった。
「負けてもいい範囲内での賭事なんていうものは、いっこうにおもしろ味がないと思うんだが、あんたはどう思う、エンリケ?」
「さあね。何しろおれは負けてもいい金なんて持ったことがないから」
「馬鹿をいうな。あんたは金持ちじゃないか」
「いや、そうじゃないよ」と、わたしは答えた。「ほんとの話だ」
「金はだれでも持っている」と、彼は言った。「要するに金を手に入れるためにあれやこれやを売るだけのことだよ」
「ほんとにたくさんは持っていないんだ」
「冗談を言いたまえ。おれは金持ちじゃないアメリカ人なんてものに、まだおめにかかったことがないよ」
たぶん彼の言うとおりだったろう。あのころはリッツ・バーでもチコーテでも、金のないアメリカ人なんかに出会うはずがなかった。そして今、彼はチコーテの店に戻ってきた。彼が今ここで会うかもしれないアメリカ人は、おそらく彼が会いたいと思うようなアメリカ人ではないだろう。わたしを除いて。しかもそのわたしにしてからが計算違いだった。しかしチコーテで彼の姿を見ないですめば、わたしは何を投げだしても惜しくはなかったろう。
とはいうものの、彼がみずから望んでこんな馬鹿げたことをしたのだとすれば、それはわたしの関知したことではなかった。だが、彼のテーブルを眺めながら昔のことを思い出すうちに、わたしは彼が気の毒になり、とくに保安本部《セグリダード》の防諜局の電話番号をウェイターに教えたことで、彼に対してひどくすまない気がした。ウェイターは電話できいて保安本部《セグリダード》を呼び出すこともできたろう。だがわたしは、行きすぎた不偏、正義感、ポンテオ・ピラート気どり、それに人々が感情的な相克――それがあるからこそウェイターたちが魅力的な友人になるのだが――のもとでどのような反応を示すかを見たいという永遠の卑劣な欲望などに駆られて、デルガードの逮捕に結びつく最短距離を、ウェイターに教えてしまったのだ。
ウェイターがやってきた。
「どう思います?」と、彼がきいた。
「おれは自分じゃ彼を密告しないよ」わたしは電話番号を教えたことの埋め合わせに言った。「おれは外国人だし、これはきみたちの戦争であり、きみたちの問題だからな」
「しかし、あなたはわれわれの味方です」
「それはそうだ、おれはいつまでもきみたちの味方だよ。だが旧友を密告するとなると話はべつだ」
「それじゃわたしの場合はどうなんです?」
「きみの場合は話が違うよ」
わたしは事実そのとおりだと思っていたし、ほかに言いようはなかった。ただこんな話はいっそ聞かないほうがよかったと思った。
この状況で人々がどういう反応を示すかというわたしの好奇心は、とっくに、しかも内心の疚《やま》しさを伴って、みたされていた。わたしはジョンの方に向きなおり、ルイス・デルガードのテーブルには目を向けなかった。彼がファシスト軍に加わって一年以上も空を飛んでいることは知っていた。その彼が、今ここで、共和国軍の制服を着て、フランスで訓練を受けてきたほやほやの若い共和国軍飛行士三人と話をしている。
こういう若造連中は彼の正体を知るよしもなく、わたしは彼が飛行機でも盗みにきたのか、それともいったいなんの目的できたのかといぶかった。どんな目的があるにせよ、今ごろチコーテの店にのこのこ現われるのは、無分別もいいところだった。
「気分はどうだい、ジョン?」と、わたしはきいた。
「いいよ」ジョンが答えた。「この酒は≪ホーケー≫だ。少しは酔った気分になりそうだが、耳鳴りにはいいようだ」
ウェイターがやってきた。ひどく興奮していた。
「とうとう電話しましたよ」と、彼は言った。
「そうか」と、わたしは言った。「それじゃもう問題はないな」
「ええ」と、彼は誇らしげに答えた。「彼を密告してやりました。もう逮捕しに出発したころです」
「行こう」と、わたしはジョンに言った。「もうすぐここで騒ぎがもちあがる」
「それじゃ行ったほうがいいな。いくら避けようとしても、騒ぎというやつはつねに向こうからやってくる。勘定はいくらだ?」
「帰っちゃうんですか?」と、ウェイターが質問した。
「そうだ」
「しかし、あなたが電話番号を教えたんですよ」
「わかってるさ。この町にいると知っていなくちゃならない番号が多すぎる」
「しかし、わたしは義務としてああしたんです」
「そうとも。だれがいけないなんて言った? 義務ってやつはひじょうに強いものだよ」
「しかし、今は?」
「きみはたった今、それをやったことで気持がらくになった、違うかね? おそらくもう一度そんな気分を味わうだろう。むしろそれが好きになる可能性だってある」
「荷物を忘れましたよ」と、ウェイターが言った。彼は二つの紙袋に包まれた肉をわたしに手渡した。その紙封筒で『スパー』誌が送りつけられ、大使館の一室に山積みされている雑誌に加えられたのだった。
「気持はわかるよ」と、わたしはウェイターに言った。「口先きだけじゃなしにね」
「彼は昔なじみの、いい客でした。それにわたしはこれまで人を密告したことなんかありません。楽しみで密告したわけじゃありませんよ」
「おれも皮肉めいたあてこすりなんか言うべきじゃないな。彼に密告したのはおれだと言ってやれ。どっちみち今では政治問題での意見の相違からおれを憎んでいる。きみがやったんだと知ったら、彼も腹が立つだろう」
「いや。人間だれしも責任はとらなければなりません。でも、わかってくれますね?」
「うん」とわたしは答え、それから嘘をついた。「よくわかっているし、きみのやったことには賛成だよ」戦争中はしばしば嘘をつく必要に迫られるが、どうしても嘘をつかなければならないときは、できるだけ早く、上手に嘘をつくにかぎる。
わたしは彼と握手をかわし、ジョンといっしょに店を出た。出がけにルイス・デルガードのすわっているテーブルを振りかえった。彼は新しいジン・トニックを前におき、そのテーブルの仲間はみな彼の話を聞いて笑っていた。たいそう陽気な、陽やけした顔と、射手の目だった。わたしは彼がいったい自分をなんといってみんなに紹介したのだろうかと考えた。
チコーテに現われるなんて馬鹿なやつだった。しかし、味方のところへ戻ったときに自慢できるように、それこそまさに彼のやりそうなことでもあった。
店の外へ出て通りを曲がったとき、保安本部《セグリダード》の大型車が一台チコーテの前に止まって、八人の男が中から降りてきた。軽機関銃を持った六人が戸口を固めた。私服の二人が店の中へはいって行った。一人の男がわれわれに証明書の提示を求めたが、わたしが「外国人」だと言うと、よしと言って釈放してくれた。
暗いグラン・ビアを歩いて行くと、歩道には新しく割れたガラスが散乱し、砲撃の破片で足の踏み場もないほどだった。空気中にはまだ硝煙が漂い、通りの端から端まで高性能爆薬と爆破された花崗岩のきなくさい匂いがみちみちていた。
「飯はどこで食う?」と、ジョンが質問した。
「みんなで食べる分くらいの肉があるから、部屋へ帰って料理するよ」
「おれが料理してやるよ」と、ジョンが言った。「おれは腕がいいんだぞ。昔船でコックをしていた――」
「きっとひどくかたいぞ」と、わたしは言った。「屠殺して間もない肉だからな」
「いやいや。戦時中にはかたい肉なんてものはないさ」
砲撃がやむまで待っていた映画帰りの人々が、暗闇の中で帰宅を急いでいた。
「さっきのファシストだが、顔を知られているカフェなんかに何しにきたんだろう?」
「きっと頭がどうかしていたんだよ」
「そこが戦争の困ったところだな」と、ジョンが言った。「大勢の人間の頭がどうかしてしまうところがさ」
「ジョン」と、わたしは言った。「きみの言分にも一理あるような気がするよ」
ホテルに着くと、われわれはポーターの机を護るために積みあげられた砂嚢の前を通り過ぎて中にはいり、部屋の鍵をくれと言ったが、ポーターは二人の同志が二階の部屋で風呂を使っていると答えた。鍵はその二人に渡したという。
「先に行っててくれ、ジョン」と、わたしは言った。「おれは電話をかけたいんだ」
わたしは電話ボックスにはいって、チコーテのウェイターに教えたのと同じ番号を呼びだした。
「もしもし。ペペか?」
低い声が答えた。「|なんだ《ケ・タル》、エンリケ?」
「ペペ、チコーテでルイス・デルガードという男をつかまえたか?」
「|つかまえたとも《シ・オンブレ・シ》。|造作なくね《シン・ノベダード》」
「彼はウェイターのことを何も知らないんだろうな?」
「そうらしいな」
「そんなら言わずにおいてくれ。彼を密告したのはおれだと言ってくれないか? ウェイターのことは伏せておいてだ」
「どっちにしたって同じことじゃないか。彼はスパイだ。どうせ銃殺だよ。逃れられっこない」
「それはわかってる」と、わたしは言った。「だが違うんだ」
「いいとも、あんたの頼みならね。今度いつ会える?」
「明日いっしょに昼飯を食おう。肉が手にはいったんだ」
「その前にウィスキーといこう。よし、決めた」
「|じゃ《サルード》、ペペ。礼を言うよ」
「じゃ、エンリケ。礼なんかいいさ。|さよなら《サルード》」
それは奇妙な、ひどく気味の悪い声で、わたしは何度聞いてもなじめなかったが、歩いて階段をのぼってゆくうちに、だいぶ気がらくになっていた。
われわれチコーテの昔なじみの客は、みなそれぞれこの店に対してある種の感情を抱いていた。だからこそルイス・デルガードが、向こう見ずにもチコーテに戻ってきたのだということが、わたしにはわかっていた。彼はどこかほかの店でも目的を果せたはずである。だが、マドリードにきた以上、チコーテに顔を出さないわけにはいかなかった。あのウェイターも言ったように、彼はいい客だったし、彼とわたしは友だち同士だった。確かにこの人生でなすことのできるどんなちっぽけな親切から出た行為でも、それなりになすに価することなのだ。だからわたしは保安本部《セグリダード》にいる友人のペペに電話をかけたことに満足した。なぜならルイス・デルガードはチコーテの昔なじみの客であり、わたしは彼が、チコーテのウェイターたちに幻滅したり彼らを恨んだりして死んでゆくことを望まなかったからである。
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蝶々と戦車
その夕方わたしは検閲局からフロリダ・ホテルまで歩いて帰るところで、外は雨が降っていた。そこで、半分ほどきたところで雨がどうにもやりきれなくなって、一杯ひっかけるためにチコーテに足をとめた。マドリードの包囲砲撃が始まってからすでに二度目の冬を迎えており、煙草や人々の忍耐心を含めたすべてのものが欠乏していた。人はいつも少し腹を空かせていて、自分の力ではどうにもできない、たとえば天候のような事柄に、突然理屈に合わない腹立ちをおぼえるのだった。
わたしはまっすぐホテルへ帰るべきだったかもしれない。ホテルはわずか五ブロック先だったが、チコーテの入口を見たとたんに、軽く一杯ひっかけてから、爆撃で破壊された市街の泥とがらくたの中を通って、グラン・ビアの残る六ブロックを歩いて帰ろうという気になった。
店は混んでいた。カウンターには近寄れず、テーブルもみなふさがっていた。煙草のけむり、歌声、軍服の男たち、濡れた革外套の匂いなどが店内に充満し、カウンターでは三重の人垣ごしに飲み物が手渡されていた。
知り合いのウェイターがほかのテーブルから椅子をひとつ見つけてきてくれたので、わたしは検閲局で働いている痩せて、青白い、喉仏のとがった顔見知りのドイツ人と、見たことのない二人連れといっしょに腰をおろした。そのテーブルは部屋の中央、入口からはいってゆくと少し右寄りにあった。
歌声にかき消されて自分の話し声も聞こえなかった。わたしはジン・アンド・アンゴストゥラを注文し、雨にそなえてそれを飲んだ。店は満員で、みんな大いに陽気にやっていた。たぶん、ほとんどの者が飲んでいた造りたてのカタルーニャ産の酒のせいで、いささか陽気になりすぎていたのかもしれない。知らない人間が二人ほどわたしの肩を叩いたし、われわれのテーブルにすわっていた女に何か話しかけられたときも、わたしはそれが聞きとれなかったので、「うん」とだけ答えた。
周囲を見まわすのをやめて、自分のテーブルに目を向けたとき、女がひどい御面相をしているのに気がついた。まったくひどい顔だった。だが、ウェイターがやってきたので、彼女がわたしに一杯おごろうと言ったのだということがわかった。連れの男はあまり強そうではなかったが、女のほうは男の弱さを補うほど力が強そうだった。よくある力強い、準古典的な顔だちで、ライオン調教師のような体つきをしていた。連れの男のほうは出身校のネクタイが似合いそうな感じだった。だがもちろんそんなものはしめていなかった。彼もほかの連中と同じように革外套を着ていた。ただ、二人は雨が降りだす前からこの店にいたらしく、革外套は濡れていなかった。女も革外套を着ており、彼女の顔にはそれがよく似合った。
そのころになると、わたしはチコーテに立ち寄らずに、まっすぐホテルへ帰って乾いた服に着替え、ベッドで足をのばしてゆっくり一杯やるほうがよかったと思いだし、もう目の前の若い男女を見る気もしなくなっていた。人生はきわめて短く、醜い女たちはきわめて長い。だからそのテーブルにすわりながら、わたしは決心した、たとえ自分が小説家であり、あらゆる種類の人間に飽くことなき好奇心を燃やすのがつとめであるとしても、この二人が夫婦なのかどうか、おたがいをどう思っているのか、彼らの政治的立場はどうなのか、男か女が少しは金を持っているのか、その他二人に関するいっさいのことに、おれはなんの関心もないのだと。わたしはこの二人が放送関係者にちがいないと判断した。マドリードでおかしな恰好の民間人を見たら、放送関係の人間だと思ってまず間違いない。そこで、黙っているのも気づまりなので、わたしは騒々しさに負けない声を張りあげて、「放送の仕事かね?」と質問した。
「そうよ」と、女が答えた。やはり思ったとおりだった。二人は放送関係の人間だった。
「元気かい、同志?」と、わたしはドイツ人に話しかけた。
「元気だよ。あんたはどうだ?」
「さえないね」とわたしが答えると、彼は首を一方にかしげて笑った。
「煙草、持ってないか?」と、彼が言った。わたしが最後から二箱めのを渡してやると、彼はその中から二本取った。強そうな女が二本取り、出身校のネクタイの似合いそうな顔つきの青年が一本取った。
「もう一本取っとけよ」と、わたしは声を張りあげた。
「結構です」と、彼は答え、かわりにドイツ人がその一本を取った。
「いいかい?」と、ドイツ人は笑った。
「いいとも」と、わたしは答えた。ほんとは惜しかったし、相手もそれを知っていた。だが彼は煙草に飢えていたので、人の気持など構っていられなかったのである。歌声がひとしきり弱まった、というか嵐にも凪ぎがあるようにちょっととぎれて、自分たちの話声がはっきり聞きとれた。
「あなた、ここはもう長いの?」と、強そうな女がわたしにきいた。[|もう長いの《ビーン・ヒヤ・ロング》]の been を豆《ビーン》スープの bean と同じように発音した。
「行ったりきたりだよ」と、わたしは答えた。
「大事な話があるんだ」と、ドイツ人が言った。「あんたと話したいことがある。いつがいいかな?」
「こっちから電話するよ」と、わたしは言った。このドイツ人はひどくおかしなドイツ人で、まともなドイツ人はだれも彼を好かなかった。彼はピアノが弾けるという妄想にとりつかれていたが、ピアノにさえ近づけなければ、酒とゴシップのチャンスに出会わないかぎり、まず問題はなかった。ところがこの二つから彼を遠ざけておくことはだれにもできなかった。
ゴシップは彼の得意中の得意であり、マドリード、バレンシア、バルセローナ、およびその他の政治の中心で話題にのぼるほどのどんな人物に関しても、彼はつねに何かしら新しい、きわめて不名誉なことを知っていた。
ちょうどそのとき、ふたたび歌声が高まって、大声でどなりながらゴシップというわけにもいかず、チコーテの午後は退屈になりそうな雲行きだったので、わたしは同席の連中に一杯ずつおごりしだい店を出ようと決心した。
事件はちょうどそのときに持ちあがった。テーブルからテーブルへとふざけてまわっていた、茶の背広に白いワイシャツ、ブラック・タイという恰好で、かなり禿げあがった額から髪をまっすぐうしろへ撫でつけた民間人が、ウェイターの一人に|霧吹き《フリット・ガン》を近づけてシュッとやったのだ。そのときグラスをいっぱい載せた盆を運んでいた当のウェイターを除いて、みんなが声をたてて笑った。ウェイターは腹を立てた。
No hay derecho と、ウェイターは言った。それは「お前にはそんなことをする権利はない」という意味であり、スペインではもっとも簡潔にして強硬な抗議の表現である。
霧吹きの男は、自分のいたずらが受けたことに気をよくして、今や戦争が始まってから二度目の冬も深まり、ここはだれもが緊張を強いられている包囲下の都市で、自分がこの店にいるわずか四人の民間人の一人であることなどまるで意に介するようすもなく、今度はべつのウェイターをつかまえてシュッとひとふきやった。
わたしは左右を見まわして逃げ場所を捜した。二人目のウェイターも腹を立てており、しかも霧吹き男は軽い気持でさらに二ふきもやってのけた。例の強そうな女も含めて、一部の客はまだ男の悪ふざけをおもしろがっていた。しかしウェイターは首を振りながら立っていた。唇がわなわな震えていた。彼は年寄りで、わたしの知るかぎりではチコーテでもう十年間も働いていた。
No hay derecho と、彼は威厳をこめて言った。
しかし、人々はどっと笑い、霧吹き男は、歌声が弱まったことに気がつかず、ウェイターの襟首にまたひとふきシュッとやった。ウェイターは盆を持ったまま振り向いた。
No hay derecho と、彼はくり返した。今度のは抗議ではなかった。それは一種の告発であり、軍服姿の三人の男がテーブルから立ち上がるのが見えたと思った瞬間、四人はひとかたまりになってどやどやっと表の回転ドアから出て行き、やがてだれかが霧吹き男の顔を殴りつけるびしゃっという音が聞こえた。ほかのだれかが霧吹きを拾いあげて、ドアの外へほうりだした。
三人の男はくそまじめに肩をいからし、正義派ぶった顔つきで戻ってきた。つづいてドアがまわり、霧吹きの男がはいってきた。髪が目まで垂れさがり、顔には血がくっついて、ネクタイが曲がり、ワイシャツが引き裂かれていた。性懲りもなくまた霧吹きを手に持って、目を血走らせ、蒼ざめた顔で店の中へはいってくると、とくにだれかを狙うというわけではなしに、店の客全体に向かって挑みかかるようにシュッとひとふきした。
わたしはさきほどの三人の男の一人が彼に向かって突進するのを見たし、その男の顔も見た。男にはさっきよりも味方が大勢いて、彼らは入口から見て左手の二つのテーブルの間に霧吹き男を無理やり押しこんだ。霧吹き男は死物狂いで抵抗した。やがて本物の銃声が鳴り響いたとき、わたしは力の強い女の腕を引っぱって調理場のドアに跳びついた。
調理場のドアはしまっていて、肩で押してもびくともしなかった。
「カウンターのかげにしゃがむんだ」と、わたしは言った。彼女はそこにひざまずいた。
「伏せろ」そう言ってわたしは彼女の背中を押した。彼女はひどく怒っていた。
テーブルのかげに伏せたドイツ人と、部屋の一隅に立って壁にへばりついているパブリック・スクール・タイプの男以外は、全員が拳銃を抜いていた。壁ぎわのベンチの上で、ブロンドに染めた髪のつけ根の黒い三人の女が、爪先立ってのぞき見しながら、きゃあきゃあひっきりなしに悲鳴をあげていた。
「わたしはこわくないわ」と、力強い女が言った。「こんな馬鹿げたことってあるかしら」
「カフェの喧嘩騒ぎで射たれたくはないだろう」と、わたしは言った。「もしあの霧吹き男の仲間がここにいたら、たいへんなことになるぞ」
しかし明らかに仲間はいなかった。なぜなら人々は拳銃をしまいはじめ、だれかが騒々しいブロンド女たちをベンチから抱きおろし、銃声が鳴り響いたときに急いで駆け寄った連中がみな、床にあおむけになったままぴくりとも動かない霧吹き男のまわりから、ぞろぞろと散りはじめたからである。
「警察がくるまでだれも外へ出ちゃいかん」と、だれかがドアのところで叫んだ。
街頭パトロールを中断してやってきた二人の警官が、ライフル銃を持ってドアの両側に立っており、この叫び声が聞こえたとたんに、六人の男が試合前の円陣《ハドル》を解いたフットボール・チームのラインナップのように整列して、ドアの外へ出て行くのが見えた。うち三人は最初に霧吹き男を外へほうりだした連中であり、そのうちの一人が彼を撃った男だった。彼らはライフルを持った二人の警官の間を、不法妨害《インターフィアランス》でエンドとタックルを交替させるように、まっすぐに通り抜けた。彼らが外へ出て行くと、警官の一人がライフルでドアをさえぎって叫んだ。「だれも出ちゃいかん。いいか、一人もだぞ」
「だってあの連中は出て行ったじゃないか。出て行ったやつがいるのにおれたちを足止めしたって無意味だよ」
「連中は警備員で、飛行場へ戻らないといけないのさ」と、だれかが言った。
「しかし出て行ったやつがいるのに、ほかの連中を引き止めておくなんて馬鹿げてるぜ」
「みんな保安本部《セグリダード》がくるまで待ってもらわなくちゃならん。すべては法に従って、整然と処理されなければならんのだ」
「しかし、何人かが帰ってしまった以上、ほかの人間を足止めしても無意味だと思わないかね?」
「とにかくだれも出ちゃいかん。みんな待ってろ」
「茶番だな」と、わたしは強そうな女に言った。
「そうじゃないわ。まったくひどい話よ」
われわれはもう立ち上がっており、彼女は霧吹き男が倒れているところを、怒りをこめてみつめていた。男は両腕を大きく拡げ、片膝を立てていた。
「わたし、あのかわいそうな怪我人を介抱してやるわ。どうしてみんなあの人をほっとくのかしら?」
「おれならほっとくね」と、わたしは言った。「きみだってかかりあいにはなりたくないだろう」
「でも、あまりに不人情よ。わたしは看護婦の訓練を受けたことがあるから、とりあえず応急処置をしてやるわ」
「おれならやめとくね」と、わたしは言った。「そばに近寄らんほうがいい」
「どうしてなの?」彼女はひどく逆上して、ほとんどヒステリー気味だった。
「もう死んでるからさ」と、わたしは言った。
警察が到着すると、全員が三時間というもの足止めをくった。彼らはまずみんなの拳銃の匂いを嗅ぎはじめた。この方法で、発射されてから間のない拳銃を探し当てようというわけだった。約四十挺ほど匂いを嗅ぐと、彼らはこの仕事に飽きたようだった。いずれにせよ匂うのは濡れた革外套だけだった。やがて彼らは、血の気のうせた手と顔で、自分そっくりの灰色の蝋人形みたいに床に横たわっている、死んだ霧吹き男の真うしろのテーブルに陣どって、客の身分証明書を調べはじめた。
ワイシャツを引き裂かれた霧吹き男は、肌着を身につけていないことがわかり、靴の底はすりへっていた。床に横たわっている恰好は、ひどくちっぽけで哀れっぽく見えた。二人の私服警官がすわってみんなの身分証明書を調べているテーブルへ近づくには、死体をまたいで行かなければならなかった。例の女の夫は何度もおろおろしながら証明書を捜した。どこかに通行許可証を持っていたのだが、ポケットを間違えたらしく、汗を流しながら捜してようやく見つけだした。かと思うとまたべつのポケットに入れてしまい、もう一度最初から捜しなおさなければならなかった。そのうちにびっしょり汗をかき、おかげで髪の毛がくしゃくしゃに縮れて、顔が真っ赤になった。今やパブリック・スクールのネクタイどころか、低学年の生徒の小さな庇つきの帽子もいっしょにかぶったほうが似合いそうな感じだった。事件が人間を老けさせるという話を聞くが、この拳銃騒ぎは彼を十歳ほど若返らせた。
取調べを待つ間に、わたしは力の強そうな女に向かって、これはひじょうにおもしろい事件だから、いつか小説に書くつもりだと語った。六人の男が一列縦隊に並んで、ドアを突破するさまは、きわめて印象的だった。彼女はショックを受けたようすで、スペイン共和国の大義にとって不利になるから、小説なんかに書くべきではないと言った。わたしは長年スペインで暮らしているが、君主制下のバレンシアあたりでは、昔かぞえきれないほどの発砲騒ぎがあったものだし、共和制になる前の数百年間、アンダルシアでは人々がナバーハと呼ばれる大型ナイフで、たがいに斬り合いをつづけてきたのだと答えた。それから喜劇的な発砲騒ぎを見たのが戦争中のチコーテの店だとしても、わたしはそれをあたかもニューヨークか、シカゴか、キー・ウェストか、あるいはマルセイユでおこった事件のように書くこともできるのだと。それは政治とはまったく無関係だった。彼女はわたしに書くべきではないと言った。おそらくほかの多くの連中も同じことを言うだろう。しかし例のドイツ人はたいそうおもしろい事件だと考えているようすだったので、わたしは残りのキャメルを全部彼にくれてやった。それはともかく、警察はやっと三時間後にわれわれを釈放した。
フロリダ・ホテルの連中はわたしのことをいくらか心配していたようだった。当時は、砲撃のせいで、徒歩で帰宅する人間が、バーが看板になる七時三十分を過ぎても帰ってこないと、みんなが心配したものだった。わたしはホテルへ帰れたのでほっとし、電気こんろで晩飯を料理しながらチコーテの一件を話して聞かせたところ、大いに好評を博した。
さて、夜のあいだに雨がやんで、翌朝はからりと晴れあがった、寒い初冬の天気になった。わたしは昼食前にジン・トニックを一杯やるために、十二時四十五分にチコーテの回転ドアを押した。その時間はまだ客の姿もいたって少なく、二人のウェイターとマネージャーがわたしのテーブルにやってきた。三人とも笑っていた。
「犯人はつかまったかい?」と、わたしは質問した。
「真っ昼間から冗談はおよしなさい」と、マネージャーが言った。「あなたもあの男が撃たれるのを見たんですか?」
「見たとも」
「わたしもですよ」と、彼は言った。「あのときわたしはちょうどここにいたんです」と、隅のテーブルを指さした。「その男は拳銃を彼の胸にぴったりつけて発射したんですよ」
「警察は何時ごろまで足止めしたのかね?」
「それが、今朝の二時過ぎまでですよ」
「フィアンブレを引きとりにきたのは」と、メニューの冷肉料理と同じ、死体という意味のスペイン語の隠語が使われた。「やっと今朝の十一時になってからですよ」
「しかし、あなたはまだ知らないでしょうね」と、マネージャーが言った。
「そう。こちらは知りませんよ」と、ウェイターの一人が調子を合わせた。
「これは珍しい事件です」と、もう一人のウェイターが言った。「|まったく珍しい《ムイ・ラーロ》」
「おまけに悲しい事件です」と、マネージャーはつけ加え、首を振った。
「そうです。悲しくておかしい」と、ウェイターが言った。「とても悲しい事件です」
「わけを話してくれ」
「実際まれに見る事件ですよ」と、マネージャーが言った。
「さあ、あんまりじらすなよ」
マネージャーは重大な秘密でも打ち明けるように、テーブルの上に身を乗りだした。
「例の霧吹きの中身ですがね」と、彼は言った。「あれはオーデコロンだったんですよ。気の毒にね」
「ね、それほど悪趣味な冗談というわけでもないでしょう?」と、ウェイターが言った。
「ただのおふざけだったんですよ。本気で腹を立てるようなことじゃなかった」と、マネージャーが言った。「かわいそうじゃないですか、あの男が」
「なるほど」と、わたしは言った。「みんなを楽しませようと思っただけなんだな」
「そうですとも。要するに不幸な誤解だったというわけです」
「で、霧吹きはどうなった?」
「警官が持っていきました。家族のところへ届けたんでしょう」
「家族は喜んだろうな」
「ええ」と、マネージャーが答えた。「きっとね。霧吹きはいつだって役に立ちますからね」
「どんな男だったんだ?」
「家具職人だそうです」
「奥さんはいたのか?」
「ええ、今朝警察といっしょにここへきました」
「で、彼女はなんて言ってた?」
「夫のかたわらにひざまずいてこう言いました。『ペドロ、みんなはあんたに何をしたの、ペドロ? だれがあんたをこんな目にあわせたの? ああ、ペドロ』ってね」
「それから、警察はとり乱した彼女を無理に連れて行きましたよ」と、ウェイターが言った。
「胸の病気だったらしいですね」と、マネージャーが言った。「戦争の初めのころは彼も戦ったんです。シェラで戦ったんですが、胸が悪くて戦いつづけられなかったんだそうです」
「そこできのうの午後、景気つけに街へ出たというわけか」と、わたしは水を向けた。
「違います」と、マネージャーが答えた。「なにしろこれはめったにないことなんですよ。何もかも|珍しい《ムイ・ラーロ》。時間さえかければなかなか有能な警察から聞いた話なんですがね。彼らは男が働いていた家具工場の仲間たちからききだしたんです。ポケットにはいっていた企業組合のカードから、その工場をつきとめたんです。きのう彼はある結婚式の余興のために、例の霧吹きとアグア・デ・コローニア〔オーデコロン〕を買ったんですな。自分でそうはっきり言ってたそうですから。通りの向かい側で買ったものらしく、店のアドレスのはいったレッテルが、オーデコロンの壜に貼ってありましたよ。壜は洗面所にありました。そこでオーデコロンを霧吹きにつめたわけです。霧吹きとオーデコロンを買ったあとで、雨が降ってきたのでうちの店へはいったのにちがいありません」
「彼がはいってきたときのことをおぼえていますよ」と、ウェイターが言った。
「みんな陽気に歌っていたもんで、彼もはしゃいでしまったんですね」
「確かにはしゃいでいた」と、わたしは言った。「実際足が地につかないようだったな」
マネージャーは非情なスペインふうの論法でつづけた。
「肺病やみが酒を飲むと、あんなふうに陽気になるもんです」
「この話はあまり気に入らないな」と、わたしは言った。
「ねえ」と、マネージャーが言った。「まったく珍しいことじゃありませんか。彼の陽気さが戦争の深刻さと出合ったんですよ、ちょうど一羽の蝶々と――」
「そうだ、蝶々に似ている」と、わたしは言った。「あまりにも似すぎるくらいだ」
「わたしは冗談を言ってるんじゃないですよ」マネージャーが言った。「わかりますか? まるで蝶々と戦車ですよ」
彼はこの比喩がたいそう気に入ったらしかった。彼はいかにもスペイン的な形而上学にのめりこみつつあった。
「一杯やってください、店のおごりです」と、彼は言った。「ぜひともこの事件を小説に書いてくださいよ」
わたしは霧吹き男の灰色の蝋細工のような手と顔、大きく広がった両腕、それに片膝を立てた脚を思い浮かべた。そういえば少しばかり蝶々に似ていた。むろん、それほどよく似ていたというわけではない。だが、あまり人間らしく見えなかったことも確かである。どちらかといえば、わたしは彼の姿から蝶よりも死んだ雀を連想した。
「ジンとシュウェップス・キニーネ・トニック・ウォーターをもらおう」と、わたしは言った。
「ぜひとも書いてくださいよ」と、マネージャーが言った。「では。幸運を祈って、乾杯」
「乾杯」と、わたしは言った。「ねえ、ゆうべあるイギリス女がおれに言ったよ、このことは小説なんかに書くべきじゃないって。そんなことをしたらスペインの大義にとって不利になるというんだ」
「なにを馬鹿な」と、マネージャーが言った。「これはたいそう興味深いし、重要なことですよ、この誤解された陽気さと、スペインではふんだんに見られるおそろしい深刻さとの出会いというやつは。わたしに言わせればこれはたいそう珍しい出来事で、こんなおもしろいことにはしばらくお目にかかっていません。ぜひとも書くべきですよ」
「わかったよ」と、わたしは答えた。「書くとも。彼には子どもがいたのか?」
「いや。警察にきいてみました。だがあなた、これはぜひ書くべきだし、題名は『蝶々と戦車』がいいですよ」
「よかろう。だがその題名は気にくわんな」
「いや、とても優雅な題です」と、マネージャーは言った。「純粋な文学ですよ」
「わかったよ。題名もそれにしよう。『蝶々と戦車』に決めた」
そして気持よく晴れあがったその朝、わたしはチコーテのテーブルにすわっていた。店内は清潔な匂いにみち、風を通して掃除をしたばかりだった。古いなじみで、今はわたしといっしょにこれから作りだそうとしている文学がすっかり気に入ったようすのマネージャーを相手に、わたしはジン・トニックをひと口飲んで、砂嚢を積みあげた窓の外を眺めながら、そこにひざまずいて、「ペドロ、だれがあんたをこんな目にあわせたの、ペドロ?」と話しかけている男の妻のことを思った。そして警察はたとえ引金を引いた男の名前を知っているとしても、彼女にその名前を教えることはできないだろう、とわたしは思った。
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戦いの前夜
このときわれわれは、マドリードのカーサ・デル・カンポ〔マドリード攻防戦の舞台となった市西部の大公園〕を見おろす、砲撃で破壊された一軒の家の中で仕事をしていた。下のほうでは戦闘が行なわれていた。眼下で、そしてそこここの丘で繰りひろげられる戦闘を、この目で眺め、その匂いを嗅ぎ、立ちのぼる戦塵を味わうことができた。戦闘の音は、ひとしきり激しくなったり弱まったりしながら、のべつ幕なしにずるずるとつづく、小銃と自動小銃の銃声の一大連続であり、それに混って大砲の轟音と、われわれの後方に位置する砲列から発射されて頭上を飛んでゆく砲弾の泡立つような鈍い音と、地を揺がすようなその炸裂音が聞こえ、やがて黄色い砂塵がもくもくと立ちのぼった。しかし、それははっきり撮影するにはあまりにも遠すぎた。われわれはもっと近くで撮影しようと試みたが、敵がカメラを狙って撃ってくるので、それでは仕事にならなかった。
大型カメラはわれわれの持物の中でもっとも値の張る財産であり、それをこわされてしまったらお手上げだった。われわれはほとんど資金なしの状態で映画を撮っており、有金全部をフィルムとカメラに注ぎこんでいた。フィルムは無駄にできず、カメラは極力大事に扱わなければならなかった。
その前日、われわれは撮影にはもってこいの場所から狙撃によって追いだされ、わたしは小型カメラを腹の下にかばいながら、這って逃げ戻らなければならなかった。頭を肩より低くさげながら、両肘で漕《こ》ぐようにして這い進む間に、弾丸はわたしの背中ごしに煉瓦の壁に当り、二度ばかりわたしの上に煉瓦のかけらを降らせた。
われわれの最大の攻撃は、その日の午後、なぜか太陽がファシスト軍の真うしろにあるときに行なわれたので、太陽がカメラのレンズに日光反射信号機のようにぴかりぴかりと反射し、ムーア人部隊の一斉射撃を誘う格好の目標になりそうだった。彼らはリフ族から日光反射信号機と将校の双眼鏡に関する知識を仕入れていたので、正確に狙撃目標になりたければ、むきだしの双眼鏡を使用するだけで十分だった。彼らは射撃の腕も確かで、わたしの口は一日じゅうからからに乾きっぱなしだった。
午後になって、われわれはその家の中へ移動した。撮影にはお誂《あつら》えむきの場所で、われわれはバルコニーに据えたカメラに格子のカーテンのきれはしで一種の覆いをかぶせた。だが、さっきもいったように、いささか距離が遠すぎた。
点々と松の木がはえた丘の中腹や、湖や、高性能爆弾の炸裂で突如として吹きつける砂煙の中に姿を消す、石造りの農家の輪郭などをとらえるには、そこでも遠すぎることはなかったし、爆撃機が唸りながら頭上を飛んでゆくとき、丘の頂きにもくもくと立ちのぼる土煙も、はっきりレンズにとらえることができた。しかし八百ヤードから千ヤードも離れていると、戦車隊は、木立の中をがさごそ這い進みながら、小さな閃光を吐きだす泥色のちっぽけな甲虫の群のように見えたし、その後方の人間たちは、戦車の前進につれて丘の中腹に点々と散らばりながら、地面に伏せ、中腰になって走り、また伏せては立ち上がって走りつづけ、あるいはそのまま起きあがらなかったりする、おもちゃの兵隊そっくりだった。
それでもなおわれわれは戦いの実相をカメラにとらえようとしてがんばっていた。すでに多くの接写をものしていたが、運がよければもっとほかにも近くから撮りたいものはあったし、突如として噴きあげる土煙や、榴散弾の炸裂や、黄色い閃光に照らされた硝煙と土埃《つちぼこり》のうねるような雲や、戦いの姿そのものである手榴弾の白い開花をレンズにとらえてこそ、初めて必要なショットをどうにかものしたといえるのだった。
そこで光が弱まると、われわれは大型カメラを階下に運びおろし、三脚をとりはずして三個の荷物にまとめ、一度に一個ずつ持って、戦火に荒れはてたロサレス街の角を横切って突っ走り、旧モンターニャ兵営の厩舎の石壁のかげに逃げこんだ。われわれは撮影にお誂えむきの場所を捜し当てたことを知って、みな上機嫌だった。じつはそこが遠すぎはしないようなふりをして、せいぜい自分を騙《だま》していたのだ。
「さあ、チコーテの店へ行こうじゃないか」丘を登ってフロリダ・ホテルに着いたとき、わたしは言った。
しかし仲間はカメラを修理し、フィルムをつめかえ、撮影ずみのフィルムに封をする仕事があったので、わたしは独りで出かけた。スペインではいつもだれかといっしょだったので、いい気分転換になった。
四月のたそがれの中、グラン・ビアを通ってチコーテの方へ歩きだしたとき、わたしは幸福で、陽気で、わくわくしていた。われわれはよく働いたし、自分なりの考えでは成果もあがっていた。しかし独りで通りを歩いているうちに、昂然たる気分がしぼんでしまった。独りになって興奮からさめてみると、カメラの位置があまりにも遠すぎたことに気がついたし、攻撃が失敗だったことはどんな馬鹿にもわかった。わたしにも昼間からわかっていたのだが、希望とオプティミズムはしばしば人を欺くものだ。しかし、それが今になってどんなふうに見えたかを思い出してみると、今度もまたソンム〔フランス北部の第一次大戦の激戦地〕と同じ流血のくり返しにすぎないことに気がついた。人民軍はようやく攻勢に出ていた。しかしそれはただひとつの結果、すなわち人民軍自体の潰滅しかもたらさないような攻撃だった。その日一日かかって自分の目で見、耳で聞いたことを綜合してみたとき、わたしはひどく情けない気がした。
チコーテの紫煙と騒音の中で、わたしは攻勢が失敗だったことを知ったし、混雑したカウンターで最初の一杯を飲んだとき、ますますはっきりとその事実を知った。物事がすべて順調で、自分だけ気が滅入っているときは、一杯の酒が気持を引き立ててくれる。しかし情勢がひどく悪くて、自分だけ元気なときは、一杯の酒がますます情勢の悪さをはっきりさせるだけだ。チコーテの店はひどく混んでいて、グラスを口へ運ぶのに肘で隙間を作らなければならないほどだった。ゆっくり一口飲んだと思ったら、だれかにぐいと押されて、ウィスキー・ソーダを少しこぼしてしまった。むっとして振りかえると、押した男が声をたてて笑った。
「やあ、むっつり男」と、彼は言った。
「やあ、悪党」
「どっかテーブルを捜そうじゃないか。おれがぶつかったとき、ひどく不機嫌な顔をしたぜ」
「どこからきたんだ?」と、わたしはきいた。そいつの革コートは薄汚れ、油じみていて、目はくぼみ、不精ひげが伸びていた。かつてわたしの知っていた三人の男の持物であり、われわれがいつもそれに使う弾丸を捜していた大型コルト・オートマティックを、彼は片脚に紐で結えつけていた。たいそう背の高い男で、顔は煙で汚れ、油にまみれていた。彼はてっぺんに縦に厚い革を当て、縁にも厚い革のパッドを当てた革のヘルメットをかぶっていた。
「どこからきたんだ?」
「カーサ・デル・カンポからだ」と、彼は歌うようなふざけた声色《こわいろ》で答えたが、それはわれわれが以前ニューオーリンズのあるホテルのロビーで、呼出し係のボーイがそんな口調で人を呼びだすのを聞いて以来、いまだに二人だけに通じる冗談としてつづけている口調だった。
「テーブルがあいたぞ」わたしは兵隊二人と女二人が立ち上がるのを見て言った。
「あすこへすわろう」
われわれは部屋の中央にあるそのテーブルにすわり、わたしは彼がグラスを持ち上げるのを眺めた。彼の両手は油で汚れ、親指と人差指の股が両方とも機関銃の硝煙で黒鉛のように真黒に煤けていた。グラスを持つ手は小刻みに震えていた。
「これを見てくれ」彼はもう一方の手を差しだした。それも震えていた。「両方とも同じだよ」と、例のおどけた口調で言った。それから、真面目な口調で、「きみもあすこにいたのか?」
「映画を撮っていた」
「よく撮れたか?」
「あまりよくなかったね」
「おれたちを見たかい?」
「どこだ?」
「農場を攻撃した。午後三時二十五分だ」
「ああ、それなら見たよ」
「気に入ったかい?」
「いや」
「おれもだよ」と、彼は言った。「まったく馬鹿げてる。なんだってあんな地点を正面攻撃なんかさせるのかな? いったいどこのどいつが考えだしたことなんだ?」
「ラルゴ・カバリェーロという野郎さ」と、われわれがテーブルにたどりついたとき、そこにすわっていた、分厚い眼鏡の小男が言った。「やつは一度双眼鏡をのぞかせてもらったら、たちまち将軍気どりになっちまったんだよ。この作戦はやつの傑作というわけさ」
われわれは話しかけてきた男をまじまじとみつめた。戦車乗りのアル・ワグナーが、わたしの顔を見て、焼け焦げる前は眉毛だったものをつりあげた。小男がわれわれにほほえみかけた。
「まわりにだれか英語を話すやつがいたら、あんたは銃殺にされかねないよ、同志」と、アルが小男に言った。
「いや」と、相手は答えた。「銃殺はラルゴ・カバリェーロのほうだ。あんなやつは銃殺にすべきだよ」
「なあ、同志」と、アルが言った。「もうちょっと小さな声で話してくれないか。だれかの耳にはいったら、われわれもあんたの肩をもっていると思われる」
「おれは何もかも承知のうえでしゃべってるんだ」と、分厚い眼鏡をかけた小男は言った。わたしは彼を注意深く観察した。確かに、不用意な失言とは思えなかった。
「それはそうだろうが、知っていることはなんでも口に出して言っていいってもんじゃない」と、わたしは言った。「一杯飲むかね?」
「いいとも」と、彼は答えた。「あんたなら話しても大丈夫だ。おれはあんたを知っている。あんたなら心配ないよ」
「それほど確かでもないよ。それにここは大衆バーなんだぜ」
「大衆バーこそ唯一のプライヴェートな場所さ。ここで話すことはだれにも聞こえない。あんたの所属部隊は、同志?」
「ここから歩いて約八分のところに、おれの指揮する戦車隊がいる」と、アルが答えた。「今日の戦いが終わったんで、おれは早番で骨休めにきたところだ」
「だったらひと風呂浴びればいいのに」と、わたしは言った。
「そのつもりだよ。きみの部屋でね。ここを出たらそうする。整備員の石鹸はあるかい?」
「ないよ」
「いいんだ。ポケットに貯めといたやつが少しはいっている」
分厚い眼鏡をかけた小男は、じっとアルの顔を見守っていた。
「あんたは党員かね、同志?」と、彼が質問した。
「そうだよ」と、アルが答えた。
「こっちの同志ヘンリーがそうじゃないことを、おれは知ってるんだ」
「それじゃ彼を信用するのはやめた」と、アルが言った。「絶対に信用しないぞ」
「こいつめ」と、わたしは言った。「そろそろ行くか?」
「いや。もう一杯飲みたくてたまらない」
「同志ヘンリーのことなら何から何まで知っている」と、小男が言った。「ところでラルゴ・カバリェーロについてもう少し話を聞いてくれ」
「どうしても聞かなくちゃならんかね?」と、アルが言った。「おれは人民軍の一員なんだぜ。ラルゴ・カバリェーロの悪口を聞いたらおれががっかりすると思わないか?」
「やつの頭はひどくふくれあがって、今じゃ気違いも同然だよ。彼は首相兼陸軍大臣で、もうだれも彼に話しかけることさえできない。あんたも知ってるとおり、彼は死んだサム・ゴンパーズとジョン・レ・ルイス〔ともにアメリカの労働運動指導者〕の中間あたりにいる、善良で実直な労働組合指導者にすぎない。だが、彼を首相にまつりあげたアラキスタイン〔ラルゴ・カバリェーロ内閣の駐仏大使で首相の顧問的役割を果した〕という男はどうかね?」
「まあ落ち着けよ」と、アルが言った。「いったい何が言いたいんだ?」
「アラキスタインが彼をまつりあげたのさ。今パリ駐在大使をやってるアラキスタインがね。やつがラルゴ・カバリェーロを作りだしたんだよ。やつがラルゴ・カバリェーロにスペインのレーニンだなんて名前を奉ったもんだから、あの哀れな男はその名に恥じないようにと懸命になった、そして今度はだれかが双眼鏡をのぞかせたら、自分をクラウゼヴィッツ〔『戦争論』を著わしたプロイセンの将軍〕だと思いこんだというわけさ」
「あんたはさっきもそれを言った」と、アルが冷ややかに言った。「いったいどんな根拠があるんだ?」
「それは、三日前の閣議で、彼は軍事問題について話したんだ。ちょうど今日の攻撃について話し合っていたわけだが、ヘスス・エルナンデス〔ラルゴ・カバリェーロ内閣の文部大臣〕が、もちろんからかい半分にだが、戦術と戦略の違いを彼に質問した。あの男がなんと答えたか知ってるかい?」
「知らんね」と、アルが言った。彼はこの新顔の同志がいささか気にさわりはじめたようすだった。
「彼はこう答えた、『戦術とは敵を正面から攻撃することであり、戦略とは両側面から攻撃することである』とね。どうだい、たいしたもんだと思わんかね?」
「もう行ったほうがいいよ、同志」と、アルが言った。「あんたはひどく気が滅入っている」
「だがわれわれはラルゴ・カバリェーロをお払い箱にしてやる」と、小柄な同志は言った。「彼のおっぱじめたこの攻勢が終わったらすぐにお払い箱だ。今度の馬鹿の上塗りで、彼も一巻のおわりだよ」
「わかったよ、同志」と、アルが言った。「だが、おれは明日の朝攻撃に出なくちゃならないんだ」
「へえ、また攻撃するのかい?」
「いいかい、同志。あんたがおれにどんなでたらめを話したって構わん、なかなかおもしろい話だし、おれも嘘とほんとの見分けぐらいはつく年になっているからだ。だけど、おれに質問するのはやめてくれ、いいな? さもないとあんたは無事じゃすまないよ」
「ただ個人的な質問をしただけだよ。情報を仕入れるつもりできいたわけじゃない」
「われわれは個人的な質問をするほど、深い知りあいじゃないよ、同志。なぜよそのテーブルに移って、おれと同志ヘンリーに話をさせてくれないんだ? おれは彼に質問したいことがあるんだよ」
「|それじゃ《サルード》、同志」小男は腰をあげながら言った。「また会おう」
「よし。また今度な」
われわれは男がほかのテーブルへ移るのを見守った。頼みに応じて、数人の兵隊が席をあけてやると、彼はまたおしゃべりをはじめた。同席の連中はみな彼の話に関心を示した。
「あの小男をどう思う?」と、アルがきいた。
「わからんな」
「おれもだよ。ただし今度の攻勢についての評価は当っているな」彼はグラスを持ち上げて、その手を見せた。「ほらな。もう震えがとまったよ。しかしおれは酔っぱらいじゃない。攻撃の前には一滴だって飲まないんだ」
「今日の攻撃はどうだった?」
「きみも見たはずだ。どう思った?」
「ひどかったよ」
「それだよ。まったくそうしか言いようがない。ほんとにひどかった。われわれが真正面と両側面から攻撃しているところを見ると、おそらくラルゴ・カバリェーロは戦術と戦略をいっしょに使ってるんだろう。ほかはどうだった?」
「デュランが新しい競馬場を占領した。イポドローモだ。わが軍は大学町に通じる回廊に兵力を集中している。その北ではコルーニャ街道を越えたが、昨日の朝以来アギラール丘で前進を阻止されている。われわれは今朝そっちの方へ行ってみた。デュランは旅団の半分を失ったという話だよ。きみのほうはどうなんだ?」
「われわれは明日例の農家群と教会をもう一度攻撃する。丘の上の、隠者と呼ばれている教会が目標だ。丘の中腹のいたるところに小峡谷が走っていて、しかもそこは少なくとも三方から機関銃で狙われている。敵は丘の中腹に深い塹壕を掘りめぐらしているが、これがたいそううまくできている。わが軍には敵を塹壕の中に閉じこめておくために、十分な援護砲火を浴びせるだけの大砲もないし、かといって塹壕そのものを吹っ飛ばしてしまうような重砲もない。敵はあの三軒の農家に対戦車砲をそなえつけ、教会には対戦車砲一個中隊を配置している。激戦になるだろう」
「攻撃開始時刻は?」
「おれに質問するなよ。きみにそんなことを教える権利はない」
「もしおれたちが攻撃を撮影しなきゃならないんだったら、という意味さ」と、わたしは言った。「映画からあがる利益は全部野戦病院へまわしている。おれたちはアルガンダ橋の反攻のときに第十二旅団を撮影した。それから先週ピンガロン高地の近くで行なわれた戦闘のときも、また第十二旅団をフィルムにおさめた。あのときは戦車のすばらしいショットがいくつか撮れたよ」
「あすこでは戦車は役に立たなかったぜ」
「わかってるさ」と、わたしは言った。「だが写真うつりはすごくよかった。明日はどうなるかな?」
「早朝に出発して待つだけさ。といってもそれほど早くじゃないが」
「気分はどう?」
「くたくただよ。それに頭痛がひどいんだ。しかしだいぶらくになった。もう一杯ずつ飲んだら、きみの部屋へ行ってひと風呂浴びるとしよう」
「その前に晩飯を食ったほうがいいんじゃないか」
「こんな汚い恰好じゃ飯を食いにも行けない。きみが席をとっといてくれたら、風呂にはいってからグラン・ビアで落ち合ってもいいよ」
「おれもいっしょに行くよ」
「いや。席をとっといてもらって、あとで落ち合うほうがいい」彼はテーブルの上にうなだれた。「なにしろ頭が痛いんだ。砲塔の中の騒音のせいだよ。今はもう聞こえないくせに、耳にはなにかしら影響を与えているんだな」
「だったら寝ればいいのに」
「いや。しばらくきみといっしょに起きていたい、それから向こうへ帰って寝るよ。二度目をさますのはいやだからな」
「怖気づいたんじゃないだろうね?」
「いや、大丈夫だよ。なあ、ハンク。あんまり馬鹿げたことは言いたくないんだが、おれは明日死ぬような気がするんだ」
わたしは指先を三度テーブルに触れた。
「だれでもそんなふうに感じるもんだよ。おれだって何度そんな気がしたかしれないさ」
「いや、おれはふだんはそうじゃない。だが、明日行かなきゃならない場所は、まったく無意味なんだ。おれは部下をあの場所まで登らせられるかどうかさえわからない。やつらにその気がなけりゃ、とうてい動かすことはできないからな。戦いのあとで銃殺にすることはできる。だが戦いの最中は、やつらにその気がなけりゃてこでも動くもんじゃない。銃殺されても動こうとしないだろう」
「たぶん大丈夫だよ」
「いや。明日は優秀な歩兵部隊が戦列に加わる。連中はとにかく進んで行くだろう。われわれが最初の日に受け入れた腰抜け野郎どもとは話が違うからな」
「おそらく心配ないさ」
「いや、心配ないとは言えんな。だが要はおれのやり方しだいだ。やつらを出発させるまでは大丈夫だし、逃げようとしても一度に一人ずつしか通れない場所まで、やつらを引っ張って登って行くこともできる。たぶんやつらはうまくやれるだろう。頼りになる部下が三人いるんだ。優秀な連中のだれかが、しょっぱなにやられてしまうようなことさえなけりゃいいんだが」
「優秀な部下っていうと、だれだい?」
「シカゴからきた大男のギリシア人で、どんなところへでも平気で行くやつがいる。こいつはきわめて優秀な男だ。それからマルセイユ出身のフランス人がいる。こいつは左肩の二か所の傷がまだ乾かず、ギプスをはめているのに、今度の見世物に加わりたいから、パレス・ホテルの病院から出してくれとせがむんで、しょうがないからベッドに縛りつけておかなくちゃならないが、そんな体ではたしてやれるのかどうかおれにはわからない。やれるのかどうかというのは、たんに技術的な意味だけだがね。この男にはきみだって涙が出るだろう。前職はタクシーの運転手だった」彼はちょっと休んだ。「おれはしゃべりすぎるかな? もしそうだったらやめろと言ってくれ」
「三人目はどんな男だ?」と、わたしはきいた。
「三人目? 三人目がいるなんて言ったかい?」
「言ったとも」
「ああ、そうか」と、彼は言った。「三人目はおれだよ」
「ほかの連中はどうなんだ?」
「あとは警備員だ、だがこいつらは兵隊にはなれっこない。彼らには状況判断の能力がないんだ。それにみな死ぬことをこわがっている。おれはなんとかして彼らの死の恐怖を取りのぞこうとした。だが、それは新しい攻撃のたびにぶりかえすんだ。ヘルメットをかぶって戦車のそばに立っているときは、りっぱに戦車兵に見える。中に乗りこむときも戦車兵に見える。ところが中にはいってハッチをおろすと、もう中は空っぽも同然なんだ。戦車兵なんてもんじゃないよ。それにこれまでのところ、われわれには新しい戦車兵を育てるだけの余裕がなかった」
「風呂にはいりたいか?」
「もうしばらくここにいよう」と、彼は言った。「この店は気分がいい」
「まったく妙な話だな、通りのはずれの歩いて行けるようなところに戦争があるのに、戦場をはなれてこんなところへきているなんてさ」
「そしてまた帰って行く」と、アルが言った。
「女はほしくないか? フロリダ・ホテルにはアメリカ女が二人いる。二人とも新聞の通信員だ。どっちかものにできるかもしれないよ」
「女と口をきくのはいやだよ。疲れているんでね」
「あすこの隅のテーブルに、セウタからきたムーア人の女が二人いる」
彼は女たちの方を眺めた。二人とも肌が黒く、髪の毛が縮れていた。一人は大女で、もう一人は小さく、どっちもいかにも力が強く、威勢がよさそうに見えた。
「ごめんだね」と、アルが言った。「今夜あの二人をおもちゃにして遊ばなくたって、明日になればムーア人なんかいくらでも見られるよ」
「女はたくさんいるさ」と、わたしは言った。「フロリダにはマノリータもいる。同棲していた保安本部《セグリダード》の男がバレンシアへ行ってしまったんで、彼女はだれかれかまわず相手にして、男に誠実をつくしているんだ」
「なあおい、ハンク、いったいおれにどうさせようというんだ?」
「きみを元気づけてやりたいだけさ」
「もっと大人になれよ」と、彼は言った。「もう一杯どうだい?」
「そうしよう」
「死ぬのは全然こわくない」と、彼は言った。「死ぬなんてくだらんことさ。ただ、死は無益だ。攻撃のしかたがまずければ犬死になる。おれは今じゃ戦車を上手に操縦できる。時間さえあれば優秀な戦車兵を育てることもできる。それにもうちょっと足の速い戦車さえあったら、機動性を持たない戦車のように対戦車砲に悩まされることもない。ところがだよ、ハンク、われわれの戦車は前に考えていたようなやつとは違うんだ。戦車さえあればなあ、とだれもが考えたころのことをおぼえているかい?」
「グァダラハラのときはよく戦ったじゃないか」
「確かにそうだ。だがあれはヴェテラン連中だった。本物の軍人だったからな。だいいちあのときはイタリア人相手じゃないか」
「だが、それから何がおこったんだ?」
「いろんなことがおこったよ。外国人傭兵は六か月契約で傭われた。その大部分はフランス人だ。最初の五か月間はよく働いたが、今じゃあと一か月生きのびて、国へ帰ることしか頭にない。もうなんの役にも立たんよ。政府が戦車を買い入れたとき、教官としてやってきたロシア人たちは、申し分なかった。だが、彼らは呼び戻されて支那へ行くという噂だ。新しくきたスペイン人の中には優秀なやつもいればだめなやつもいる。戦車兵を育てあげるには六か月かかる、何もかもおぼえさせるまでの話だが。それに情勢を判断して頭を働かせながら戦うには才能が必要だ。われわれは六週間戦車兵を養成してきたが、そういう才能のあるやつはたんとはいなかったよ」
「飛行士の養成はうまくいってるじゃないか」
「戦車兵だってりっぱに養成できるさ。だが戦車兵の適性をそなえたやつがいなきゃ話にならん。いわば坊さんになるのと同じようなもんで、生まれつきそれに向いたやつでないとだめなんだ。ましてこのごろみたいに対戦車砲が多くなるとね」
チコーテの店はすでにシャッターをおろし、戸締りにかかっていた。もう外からはだれもはいれない。しかし閉店まではまだ三十分あった。
「おれはこの店が好きだよ」と、アルが言った。「もうあんまりうるさくもない。ニューオーリンズできみと会ったときのことをおぼえているかい? あのときおれはある船に乗っていて、二人でいっしょにモンテレオーネ・バーへ飲みに行ったら、聖セバスチャンによく似たあの男が、歌うような節まわしの妙な声で人を呼びだしていたんで、おれはあいつに二十五セントやってミスター・B・M・|間抜け《スロップ》を呼びだしてもらったっけな」
「きみがさっき『カーサ・デル・カンポ』と言ったときの節まわしが、あれとそっくりだったよ」
「そうなんだ」と、彼は言った。「あの声を思い出すたびに笑いがこみあげてくるよ」それから、彼はなおもつづけた。「そんなわけで、今では敵も戦車を恐れていない。戦車をこわがるやつなんか一人もいないんだ。われわれだってこわくはない。それでも戦車は役に立つ。きわめて有効だ。ただ問題は、対戦車砲にやられるとひとたまりもないということだ。おれは何かほかのものに乗るべきかもしれない。しかし、まさかね。戦車はまだ役に立つからだ。だが今のような戦車だと、それに向く適性が必要だ。今じゃ優秀な戦車兵になるためには、政治的に大いに発達してなきゃならないんだよ」
「きみは優秀な戦車兵だよ」
「明日はそれ以外のものになりたいな」と、彼は言った。「おれはひどく湿っぽい話ばかりしているが、他人をいやな気分にさせなければ、湿っぽい話をしても許されるだろう。おれも戦車は好きだ、しかし、歩兵がまだ戦車というものをよく知らないために、われわれは戦車を有効に使っていない。彼らは戦車の尻にくっついて、弾丸除けにしながら進むことばかり考えている。これじゃだめだ。それから彼らは戦車に頼りきっていて、戦車なしでは進もうとしないんだ。時には展開さえいやがることだってあるんだぜ」
「知ってるよ」
「だが戦車の役割をよく知っている戦車兵なら、まず先頭に立って前進し、機関銃を撃ちまくってから、歩兵の後方に退って大砲で敵をやっつける、そして歩兵が攻撃するときは援護射撃をするさ。それからほかの戦車がまるで騎兵隊のように敵の機関銃座を急襲するという手もある。塹壕にまたがって縦射を浴びせ、側面から塹壕を砲撃するのも戦車の役目だ。また好機を見つけて歩兵を先導したり、それがいちばん望ましいときには歩兵の進撃を援護したりもできるんだ」
「ところが実際は?」
「実際のところは明日見られるよ。われわれ戦車隊は、わずかに機動力を持った装甲砲兵隊として使われている。そこで静止して軽砲隊になりかわるやいなや、われわれの安全を保障する機動性は失われ、敵の対戦車砲が狙撃を開始するというわけだ。そうでなければ歩兵の先に立って進む鉄の乳母車の役目をさせられる。しかも最近はその乳母車が動くかどうか、中に乗っている連中に進む気があるかどうかさえわからないときている。それに目標にたどりついたとき、歩兵がうしろについてきているかどうかもわかったもんじゃない」
「戦車は一個旅団に何台あるんだ?」
「一個大隊に六台、旅団全部では三十台だ。ただし原則としての話だよ」
「なぜホテルまできて風呂にはいり、それからいっしょに飯を食いに出ないんだ?」
「わかったよ。ただし、おれに気をつかったり、おれが心配でいるなんて考えたりはしないでくれ、何も心配なんかしてないんだから。ただ疲れているのと、話がしたいだけさ。それから激励演説もおことわりだ、隊には政治人民委員もいるし、おれはなんのために戦うのかちゃんとわかっていて、べつにこわくなんかないからね。ただ物事は能率的であってほしいし、できるだけ頭を働かせて使ってもらいたいもんだ」
「どうしておれが激励演説なんかぶつと思ったんだ?」
「そんな気配が見えはじめたからだよ」
「おれはただ、女がほしいかどうかと尋ね、死についてのあまり湿っぽい話はやめようとしただけなんだぜ」
「今夜は女はほしくないし、他人に迷惑がかからないかぎり、好きなだけ湿っぽい話をさせてもらうつもりだよ。きみは迷惑か?」
「さあ、行って風呂にはいれよ」と、わたしは言った。「湿っぽい話だってしたきゃいくらでもするがいいさ」
「さっきずいぶんわけしりめいた口をきいた小男だが、あいつは何者だと思う?」
「知らんね」と、わたしは答えた。「だが調べてみるよ」
「あいつのせいで気が滅入ったよ」と、アルが言った。「よし、出よう」
頭の禿げた年寄りの給仕が、チコーテの表戸をあけて、われわれを通りに送りだした。
「攻勢はどんなぐあいです、同志」と、彼は戸口で質問した。
「大丈夫だよ、同志」と、アルが答えた。「順調にいっている」
「うれしいですね」と、給仕が言った。「わたしの息子が第百四十五旅団にいるんですよ。この旅団に会いましたか?」
「おれは戦車なんだよ。こっちの同志は映画を撮っている。百四十五旅団を見かけたかい?」
「いや」と、わたしは答えた。「息子の旅団はエストレマドゥラ街道にいるんですよ」と、年とった給仕は言った。「息子は所属大隊の機関銃中隊の政治人民委員です。末っ子でしてね。ちょうど二十歳ですよ」
「あんたは何党かね、同志?」と、アルが質問した。
「わたしはどの党にも属しておりません。しかし息子は共産党員です」
「おれもだよ」と、アルが言った。「今度の攻勢はまだ決着がついていない。苦しい戦いだ。ファシスト軍はきわめて強固な陣地を維持している。銃後のきみたちにも、前線のわれわれに劣らずしっかりしてもらわなくちゃならない。今は敵の陣地を奪うことができないかもしれないが、われわれは今これだけの攻勢に出られる軍隊を持っていることを証明した。それがどんな効果をうみだすか、今にわかるだろう」
「そしてエストレマドゥラ街道は?」と、老給仕はなおもドアを支えながらきいた。「あすこはたいそう危険なんですか?」
「いや」と、アルは答えた。「あすこは大丈夫だ。息子さんのことは心配いらんよ」
「神の恵みのあらんことを」と、給仕は言った。「神があなたをお護りくださいますよう」
外の暗い通りに出ると、アルが言った。「おい、あのじいさん、政治的に少し混乱してると思わないか?」
「彼はいい男だよ」と、わたしは言った。「おれは前から知っている」
「いい男には見えるさ」と、アルが言った。「しかし自分の政治的立場を知るべきだよ」
フロリダ・ホテルの部屋は混雑していた。蓄音機が鳴り、煙草の煙が充満し、床ではクラップ・ゲームが開帳されていた。同志たちが浴槽を使うためにつぎつぎとやってきたので、部屋の中には煙、石鹸、汚れた軍服、それに浴室の湿気の匂いなどがたちこめていた。
マノリータという名のスペイン女が、ひどくさっぱりして、とりすました感じの服を、フランスふうのシックを真似て、だが本物よりずっと陽気に、物々しく着こなし、左右が接近した冷ややかな目をして、ベッドにすわってイギリス人新聞記者とおしゃべりをしていた。蓄音機の音をべつにすれば、思ったほど騒々しくはなかった。
「ここはきみの部屋なんだろう?」と、新聞記者が言った。
「受付にはおれの名前で記帳してある」と、わたしは答えた。「おれはときどきここで寝るんだ」
「だがウィスキーはだれのものなんだい?」
「わたしのよ」と、マノリータが言った。「あの壜はみんな飲まれちゃったので、もう一本仕入れたのよ」
「きみはいい子だよ」と、わたしは言った。「これで借りが三本になったわけだ」
「二本でいいわ。一本はプレゼントよ」
テーブルの上のわたしのタイプライターの横に、半分口をあけた缶にはいった、バラ色で縁の白い大きな調理ずみのハムが置いてあり、同志の一人が手をのばして、ポケット・ナイフでひときれ切っては、クラップ・ゲームに戻って行くのだった。わたしも自分のために一枚切った。
「風呂はきみがこのつぎだよ」と、わたしはアルに言った。彼は部屋の中を見まわしていた。
「いい部屋だな」と、彼は言った。「あのハムはどこで手に入れたんだ?」
「わたしたちがある旅団の主計部《インテンデンシア》から買ったのよ」と、マノリータが言った。「きれいだと思わない?」
「わたしたちって、だれだ?」
「彼とわたしよ」彼女はイギリス人通信員の方を向きながら言った。「ねえ、この人かわいいでしょう?」
「マノリータはとても親切にしてくれた」と、イギリス人は言った。「おれたち、邪魔じゃないだろうね?」
「全然」と、わたしは答えた。「あとでベッドを使いたくなるかもしれないが、使うとしてもずっと遅くなってからの話だよ」
「わたしの部屋でパーティーが開けるわ」と、マノリータが言った。「怒ってなんかいないわね、ヘンリー?」
「当り前だよ。クラップをやってる連中はだれなんだい?」
「知らないわ。風呂にはいりにきて、そのまま残ってクラップをやってるのよ。みんなとても親切だったわ。わたしの悪いニュース、知ってる?」
「いや」
「とても悪いニュースなの。警察に勤めていて、バルセローナへ行ったわたしのフィアンセを知ってるわね?」
「ああ。知ってるとも」
アルは浴室へ行った。
「その彼が事故で射殺されてしまったのよ。だからわたしにはもう警察の人間で頼れる人がだれもいないの。それに彼が手に入れてくれると約束していた証明書もそれっきりになってしまったんで、わたしは今日逮捕されるという噂よ」
「なぜだ?」
「証明書を持っていないし、いつもあんたたちや国際旅団の人たちのそばにいるもんだから、あの女はスパイかもしれないというわけよ。フィアンセが殺されなきゃなんでもなかったのに。わたしを助けてくれる?」
「いいとも」と、わたしは言った。「きみさえ潔白ならどうってことはないさ」
「わたし、念のためにあんたといっしょにいるほうがいいと思うんだけど」
「それで、もしきみが潔白じゃなかったら、おれにとってはさぞありがたいことになるだろうな」
「いっしょにいちゃいけない?」
「だめだ。困ったことがおきたら、電話でおれを呼んでくれ。きみがだれかに軍事に関する質問をするのなんか聞いたことがない。おれは濡れ衣《ぎぬ》だと思うよ」
「事実濡れ衣よ」と、彼女は言い、それからイギリス人からはなれて身を乗りだした。「彼とならいっしょにいていいかしら? 彼は大丈夫だと思う?」
「知るもんか。初めて見た顔だぜ」
「あんた、怒ってるのね」と、彼女は言った。「今はそんなこと考えるのやめて、みんなで楽しく食事に出かけましょうよ」
わたしはクラップ・ゲームに近づいた。
「みんな、飯を食いに行くか?」
「行かないよ、同志」と、さいころを振っていた男が顔もあげずに言った。「ゲームにはいるか?」
「おれは飯を食いたい」
「おれたちはきみが戻ってくるまでここにいるよ」と、べつのさいころ振りが言った。「さあ、頼むぜ、たんと賭けたんだからな」
「思いがけない金が手にはいったら、ここへ持ってきてゲームにはいれよ」
部屋の中にはマノリータのほかにもうひとりわたしの知っている顔があった。その男は第十二旅団の所属で、蓄音機をかけていた。彼はハンガリー人、それも陽気なハンガリー人ではなく、悲しげな顔をしたハンガリー人だった。
「|やあ《サルード》、同志」と、彼は言った。「きみの快いもてなしに礼を言うよ」
「クラップをやらないのか?」
「そんな金なんか持ってないさ。連中は契約飛行士なんだ。外国人傭兵さ……一か月に千ドルも稼いでいるんだぜ。連中はテルエル戦線にいたが、今はこっちへきているんだ」
「どういうわけでこの部屋にあがってきたのかな?」
「仲間の一人がきみを知っているんだ。だがその男は飛行場へ行かなくちゃならなかった。飛行場から迎えの車がきたが、そのときすでにクラップ・ゲームは始まっていたというわけさ」
「きみがきてくれてうれしいよ」と、わたしは言った。「いつでも好きなときにきて、ゆっくりしていってくれ」
「新しいレコードをかけにきたんだ。お邪魔じゃないだろうね?」
「とんでもない。いい音楽じゃないか。一杯やれよ」
「ハムを少しもらうよ」
さいころ振りの一人が手をのばして、ハムを一枚切った。
「この部屋の持主のヘンリーという男を、このあたりで見かけなかったかい?」と、彼はわたしに質問した。
「ヘンリーはおれだよ」
「そうか。これはすまん。ゲームにはいるかい?」
「あとでな」と、わたしは答えた。
「オーケー」と、彼は言った。それから口いっぱいにハムを頬ばって、「いいかい、ターヒール野郎〔ターヒールはノースカロライナ出身者の俗称〕。さいころを壁にぶっつけて転がすんだぞ」
「よけいなお世話だよ、同志」と、さいころを持った男が言った。
アルが浴室から出てきた。目のまわりの汚れを除けば、どこもかしこもきれいさっぱりしていた。
「タオルでこすればとれるぜ」と、わたしは言った。
「何が?」
「もう一度鏡を見てみろよ」
「湯気で曇って見えないんだよ。構やしないさ、さっぱりしたよ」
「それじゃ飯を食いに行こう。おい、マノリータ。おたがいに知ってるだろう?」
わたしは彼女がアルをじろじろみつめるのを見守った。
「どう、元気?」と、マノリータが言った。
「そいつはいい考えだ」と、イギリス人が言った。「飯を食いに行こう。だが、どこへ行ったら食えるかな?」
「あれはクラップ・ゲームかい?」と、アルが質問した。
「部屋にはいったとき気がつかなかったのか?」
「うん。目についたのはハムだけさ」
「そう、クラップ・ゲームだ」
「きみたちだけで食いに行ってこいよ。おれはここに残る」
われわれが部屋を出るとき、床には六人の男がいて、アル・ワグナーは手をのばしてハムを切ろうとしていた。
「きみは何をしてるんだ、同志」と、飛行士たちの一人がアルに質問するのが聞こえた。
「戦車だよ」
「なあ、戦車はもう役に立たないなんて、嘘だと言ってくれ」
「どんなことでも言ってやるよ」と、アルは言った。「きみが手に持ってるのはなんだい? さいころか?」
「見たいか?」
「いや。おれもやりたいね」
われわれ三人、マノリータとわたしと背の高いイギリス人は、廊下を歩いてゆくときに、仲間たちがもうグラン・ビアのレストランに出かけたことを知った。ハンガリー人は新しいレコードをもう一度聴くために、部屋に残っていた。わたしはひどく腹がへっていたが、グラン・ビアの料理はまずかった。映画を作っている二人の仲間はすでに食事をすまして、カメラの修理に戻っていた。
そのレストランは地下室にあって、中へはいるには見張りの前を通って調理場を抜け、階段を降りなければならなかった。もぐり営業だったからである。
メニューはキビのはいった薄いスープ、馬肉入りの黄色い米、それにデザートのオレンジだった。以前はソーセージ入りのエジプトマメもあって、これはだれに聞いてもひどくまずいという評判だったが、今は品切れになっていた。新聞記者たちはみなひとつのテーブルにまとまり、ほかのテーブルはチコーテから流れてきた将校や女たち、当時通りの反対側の電話局の中にあった検閲局の連中、それにさまざまな無名の市民たちに占領されていた。
レストランを経営しているのはアナーキストのシンジケートで、王室貯蔵庫のレッテルを貼り、貯蔵庫に入れた年月日を記入したぶどう酒を売っていた。ほとんどは古くなりすぎてコルクの匂いが移るか、あるいは色が薄くなっており、とても飲めた代物ではなかった。レッテルで飲むわけではないので、わたしは三本突っ返したあとでやっとどうにか飲める壜にありついた。これについてはひと悶着あった。
給仕たちはぶどう酒の見分け方を知らなかった。ただ手当りしだいに壜を一本持ってくるだけなので、客にしてみれば一種の賭けみたいなものだった。ここの給仕は、チコーテの給仕とは雲泥の差だった。どいつもこいつも生意気で、チップをたくさんとり、いつもロブスターやチキンなどの特別料理をとっておき、それらを法外な値段で売って自分の腹をこやしていた。しかしそういった特別料理はわれわれが行く前に全部売りきれており、スープと米とオレンジしか残っていなかった。わたしはこの店へくるたびに腹が立った。給仕は暴利をむさぼる悪いやつばかりだったし、特別料理を一品とろうものなら、ニューヨークの「トゥエンティ・ワン」か「コロニー」で食事をするくらいふんだくられたからである。
われわれがまあまあ悪くないぶどう酒を飲みながら――だめになりかかっていることは味でわかったが、その程度なら文句を言わずに我慢しなければならない、という意味だ――テーブルにすわっていたとき、アル・ワグナーがはいってきた。彼は部屋の中を見まわしていたが、われわれを見つけて近づいてきた。
「どうしたんだ?」と、わたしが言った。
「連中に破産させられたよ」と、彼が答えた。
「あっというまだったな」
「あの連中が相手じゃね。大きな賭けなんだ。どんな料理がある?」
わたしは給仕を呼びつけた。
「もう遅すぎますよ。何もできません」
「この同志は戦車隊にいるんだ。今日は一日じゅう戦っていたし、明日も戦いだが、ずうっと何も食っていないんだよ」
「わたしのせいじゃありませんよ」と、給仕が言った。「もう遅すぎます。何もありません。同志はなぜ自分の隊で食べないんです? 軍には食糧がどっさりありますよ」
「おれがいっしょに食事をしようと誘ったんだ」
「だったら前もってなんとか言ってくれなくちゃ。もうだめです。何もできません」
「給仕頭を呼んでくれ」
給仕頭は、料理人が家へ帰ってしまったし、調理場の火を落としてしまったと答えた。彼は奥へ引っこんだ。二人ともわれわれが悪いぶどう酒を突っ返したことを根にもっていた。
「勝手にしやがれだ」と、アルが言った。「どっかほかの店へ行こう」
「こんな時間に食わしてくれる店はないよ。この店にだって食べるものはある。ちょっと行って給仕頭の機嫌をとり、いくらか金を握らせてくるよ」
わたしが席を立って言ったとおりにすると、仏頂面をした給仕が、冷肉の薄切りにつづいて、とげだらけのロブスターの半分にマヨネーズを添えたのと、レタスとレンズマメのサラダを運んできた。給仕頭は、家へ持って帰るか遅い客に売りつけるかするために確保しておいた自分のストックの中から、それらを売ってくれたのだ。
「高いだろうな?」と、アルが言った。
「いや」
「きっと高かったさ。給料をもらったら返すよ」
「今いくらもらってるんだ?」
「まだわからない。前は一日十ペセータだったが、おれが将校になったんで上げてくれたはずだ。しかしまだもらっていないし、おれもききもしなかったよ」
「同志」と、わたしは給仕を呼んだ。彼はやってきたが、給仕頭が自分を素通りしてアルに料理を出したことに、まだ腹を立てていた。「ぶどう酒をもう一本持ってきてくれ」
「種類は?」
「古すぎて赤い色が薄れているやつでなかったらどんなのでもいいよ」
「みんな同じですよ」
わたしが絶対にそうじゃない、という意味のことをスペイン語で言うと、給仕は一九〇六年のシャトー・ムートン・ロスチャイルドをひと壜持ってきたが、これはその前のクラレットに比べると段違いのぶどう酒だった。
「すごい、これがほんとのぶどう酒だよ」と、アルが言った。「あいつにどう言ってこれを持ってこさせたんだい?」
「何も言わないさ。やつが運よく酒倉で当りくじを引いただけだよ」
「王宮出のぶどう酒はほとんどが飲めたもんじゃない」
「古くなりすぎたんだよ。ここの気候はぶどう酒によくないからな」
「例の物知り同志がいるぜ」と、アルがよそのテーブルに顎をしゃくった。
われわれにラルゴ・カバリェーロのことを話しかけた例の分厚い眼鏡の小男が、わたしも顔を知っている大物数人と話をしていた。
「どうやらあいつは大物らしいぜ」と、わたしは言った。
「うんと偉くなると、何を言っても構わないんだよ。しかしあさってまで待ってもらいたかったな。あいつのせいで明日のことを考えると気が滅入るよ」
わたしは彼のグラスに酒を注いだ。
「あいつの言ったことはちゃんと筋が通っていた」と、アルがつづけた。「おれはずっとそのことを考えていたんだ。しかしおれの義務は命令に従うことだ」
「そんなことは気にしないで、少し眠れよ」
「きみが千ペセータ貸してくれるなら、もう一度あのゲームに仲間入りしたいな」と、アルは言った。「それよりはるかに多い金がはいることになっているから、おれの給料の請求権をきみにゆずるよ」
「そんなものはほしくないね。給料をもらったとき返せばいいじゃないか」
「どうも自分じゃ給料を受け取れないような気がするんだ」と、アルは言った。「確かにおれの話は湿っぽい、そう思わないか? そしておれはばくちがボヘミアニズムだということも知っている。しかしああいうゲームをしているときだけは、明日のことを忘れていられるんだ」
「あのマノリータという女は気に入ったかい? 彼女はきみが気に入ったらしいぞ」
「蛇のような目だな」
「悪い女じゃないよ。親切だし、信用もできる」
「女はほしくない。クラップ・ゲームに戻りたいよ」
テーブルの下《しも》のほうでは、新顔のイギリス人がスペイン語で何か言うのを聞いて、マノリータが笑っていた。ほとんどの人が席を立っていた。
「ぶどう酒を飲みおわったら帰ろう」と、アルが言った。「きみもゲームにはいりたいか?」
「しばらくきみを見ているよ」わたしは給仕を呼んで勘定書を持ってこさせた。
「どこへ行くの?」と、マノリータが声をかけてきた。
「部屋へ帰る」
「わたしたちもあとで行くわ」と、彼女は言った。「この人ったらとってもおもしろいの」
「彼女はおれをさんざんからかっているんだ」と、イギリス人が言った。「おれのスペイン語の間違いをほじくってね。ねえ、レーチェってミルクのことじゃないのかい?」
「それだけじゃないさ」
「ほかに何かひどい意味があるのか?」
「まあね」と、わたしは言った。
「そういえばスペイン語というのはひどい言葉だからな」と、彼は言った。「おい、マノリータ。|からかうのはよせよ《ストップ・プリング・マイ・レッグ》。やめろったら」
「|あんたの脚なんか引っ張ってない《アイム・ノット・プリング・ユア・レッグ》じゃない」と、マノリータが笑いながら言った。「それどころか脚に触わってもいないわ。ただレーチェのことで笑っていただけよ」
「しかしレーチェはミルクのことだぜ。今エドウィン・ヘンリーがそう言ったのを聞かなかったかい?」
マノリータがまた笑いだし、われわれは椅子から立ち上がった。
「あいつは馬鹿なやつだよ」と、アルが言った。「あんまり馬鹿なんで、おれがマノリータをさらっていきたいくらいだ」
「イギリス人てのはどうもわからんぜ」と、わたしは言った。それはわれわれがぶどう酒をたくさん注文しすぎたことに気がついたほど意味深長な言葉だった。
外の通りへ出ると、空気が冷えてきて、月明かりの中で、グラン・ビアのビルディングの谷間を横切って、たいそう大きな白い雲の塊りが動いていた。われわれはセメントの壁に昼間新しい砲弾穴があき、その破片もまだ片づけられていない歩道を通って、カリャオ広場の方へ丘を登って行った。フロリダ・ホテルはこの広場にあって、もうひとつの低い丘を見おろしており、その丘にもホテルの玄関で終わる広い通りが走っていた。
われわれはホテルのドアの前の暗がりに立っている二人の守衛を通り過ぎ、戸口のところで一分間ほど立ちどまって、通りのはずれの方でいっせいに轟きわたってはまた衰える砲声に耳をすました。
「まだつづくようだったら、おれは行かなきゃならんかもしれないな」と、アルが砲声を聞きながら言った。
「今のはなんでもないさ」と、わたしは言った。「いずれにせよ左に寄ったカラバンチェルの近くだったじゃないか」
「いや、おれにはまっすぐにくだったカーサ・デル・カンポの方角に聞こえたよ」
「ここでは夜になると音がそういうふうに伝わるんだ。それでいつも騙される」
「敵も今夜は反撃してこないだろう」と、アルが言った。「敵が今の地点に陣どっていて、われわれがあの枝川のこちら側にいるかぎり、まさかわれわれを枝川から追い出すために陣地を棄てはしないだろう」
「どの枝川だ?」
「名前を知ってるだろう」
「ああ、あの川か」
「そうだ。あの川のこちら側にいて、櫂《かい》一枚ない始末さ」
「中へはいれよ。さっきの砲撃を気にすることなんかなかったんだ。毎晩あの調子なんだから」
われわれは中へはいり、門番の机にすわっている夜警の前を通ってロビーを横切った。夜警が立ちあがって、われわれといっしょにエレベーターのところまでついてきた。彼がボタンを押すとエレベーターが降りてきた。ピンク色の禿頭に、ピンク色の怒った顔の男が、外側の毛のすりきれた、白い縮れっ毛の羊毛の上着を着て、エレベーターに乗っていた。男は腋の下と両手に六本のシャンペンの壜を抱えていた。彼は言った。「おい、いったいなんだってエレベーターを降ろしたんだ?」
「あんたはもう一時間もエレベーターに乗りっぱなしですよ」と、夜警が言った。
「しょうがないんだよ」と、羊毛の上着を着た男は答えた。それからわたしに向かって、「フランクはどこにいる?」
「フランクだれだ?」
「フランクを知ってるだろう」と、彼は言った。「さあ、エレベーターを動かすのを手伝ってくれ」
「きみは酔っぱらってる」わたしは彼に言った。「さあ、降りておれたちを上へ行かせてくれ」
「お前さんだって酔っぱらいたいくせに」と、白い羊毛の上着の男は言った。「自分だって酔っぱらいたいんだろう、同志よ。なあ、フランクはどこなんだ?」
「どこにいると思う?」
「ヘンリーというやつの部屋でクラップ・ゲームをやってるよ」
「いっしょにこいよ」と、わたしは言った。「エレベーターのボタンにいたずらするのはよしてくれ。しょっちゅう止まるのはそのせいなんだぞ」
「おれはなんだって飛ばせるぜ」と、羊毛の上着の男は言った。「このおんぼろエレベーターだって飛ばせられるよ。いっちょう曲乗りを見せてやろうか?」
「やめろ」と、アルが言った。「きみは酔っている。われわれもクラップ・ゲームの部屋へ行きたいんだ」
「あんたはだれだ? シャンペンのはいった壜で殴ってやろうか」
「やってみろよ」と、アルが言った。「お前さんの頭を冷やしてやりたいところだ、この酔っぱらいの贋《にせ》サンタ・クロースめ」
「酔っぱらいの贋サンタ・クロースか」と、禿げた男は言った。「酔っぱらいの贋サンタ・クロースね。それが共和国の感謝の言葉というわけだな」
われわれはわたしの階でエレベーターを止めて、廊下を歩きだしていた。「この壜を少し持っていけよ」と、禿頭の男は言った。それから、「おれが酔っぱらっているわけがわかるかい?」
「いや」
「おれは教えないよ。だがきみたちはびっくりするだろう。酔っぱらいの贋サンタ・クロースか。まあよかろう。きみの所属は、同志?」
「戦車隊だよ」
「で、そっちの同志は?」
「映画を作っている」
「そしておれは酔っぱらいの贋サンタ・クロースか。やれやれ」
「ぐずぐず言ってないで消えてしまえ」と、アルが言った。「酔っぱらいの贋サンタ・クロースめ」
われわれは部屋の前まできていた。白い羊毛の上着の男は、親指と人差し指でアルの腕をつかんだ。
「笑わせるじゃないか、同志」と、彼は言った。「まったく笑わせるよ」
わたしはドアをあけた。部屋の中は煙がもうもうとたちこめて、テーブルのハムがなくなり、壜のウィスキーがなくなったほかは、出て行ったときと同じ調子でクラップ・ゲームがつづいていた。
「|禿げ《ボールディ》がきたぞ」と、さいころ振りの一人が言った。
「元気かね、同志諸君」と、ボールディが深々とおじぎしながら言った。「元気かね? 元気かね? 元気かね?」
ゲームは中断し、みんなが彼に質問を浴びせはじめた。
「おれは報告をすましてきたよ、同志諸君」と、ボールディは言った。「それからシャンペンをちょっとばかり持ってきた。おれはもう今度の一件の迫真的な様相にしか興味がないね」
「護衛機はどこでヘマをやったんだい?」
「連中の責任じゃないんだよ」と、ボールディが言った。「おれはすばらしい見世物に見惚れていて、フィアットの編隊がおれの上や前や下に降りてくるまで、僚機がいたことなんぞすっかり忘れていた、で気がついたらおれのたのもしい飛行機ちゃんのしっぽがなくなっていたってわけさ」
「ちぇっ、お前さん酔っぱらってないといいんだが」と、飛行士たちの一人が言った。
「だがおれはこの通り酔っぱらってるよ」と、ボールディが言った。「そして紳士諸君および同志のみなさんにも、おれと一杯やってもらいたいんだ。なぜかっておれは今晩とってもうれしいからだよ、おれを酔っぱらいの贋サンタ・クロースと呼んだ無知な戦車隊員に侮辱されはしたけどな」
「しょうがないな、そんなに酔っぱらっちゃって」と、べつの飛行士が言った。「どうやって飛行場まで帰ったんだ?」
「おれに質問するのはやめろ」と、ボールディはひどくもったいぶって言った。「司令部の車で第十二旅団へ戻った。たのもしいパラシュートで地上に降りたときは、|スペイン語《ラニッシュ・スパンゲージ》がうまく話せないもんだから、あやうく犯罪的ファシストと間違えられるところだったよ。だがようやくおれの身分を納得して、何も問題がなくなると、めったにないほど丁重に扱ってくれたね。まったくあのユンカーが火を噴きはじめたところをきみたちに見せたかったな。フィアットの編隊がおれをめがけて急降下してきたとき、おれはそいつに見惚れていたんだ。ああ、ぜひともきみたちに話してやりたいよ」
「彼は今日ハラマ川の上空で三発のユンカーを一機撃墜した、ところが味方の護衛機がヘマをやって彼は撃墜され、パラシュートで脱出したんだよ」と、一人の飛行士が説明した。「彼を知ってるだろう。|禿げ《ボールディ》のジャクスンさ」
「|開き綱《リップ・コード》を引くまでにどれくらい落っこったんだ、ボールディ?」と、べつの飛行士がきいた。
「たっぷり六千フィートは落っこったね。シュートが開いたショックで、横隔膜の前のほうが破裂したかと思ったくらいだよ。なにしろ体が二つにちぎれてしまいそうだった。きっとフィアットが十五機はいたろうから、絶対安全なところまで逃げだしたかったんだ。川の安全な側に降りるために、さんざんシュートをいじくりまわさなきゃならなかった。うんと横に滑らして、狙い通りのところに着地した。風向きもよかったな」
「フランクはアルカラへ呼び戻されたよ」と、またべつの飛行士が言った。「おれたちはクラップ・ゲームを始めた。みんな夜が明ける前にアルカラへ戻らなくちゃならないんだ」
「おれはさいころを転がす気分じゃないね」と、ボールディが言った。「煙草の吸殻のはいったグラスでシャンペン・ワインを飲みたい気分だよ」
「おれが洗ってこよう」と、アルが言った。
「同志贋サンタ・クロースのためにか」と、ボールディが言った。「同志贋サンタ・クロースのために」
「もうそいつはよせよ」と、アルが言った。彼はグラスを持って浴室へ行った。
「彼は戦車隊かい?」と、だれかがきいた。
「そう。戦争の初めからここにきていた」
「もう戦車隊は役に立たないという噂だが」と、飛行士仲間の一人が言った。
「きみはさっきもそれを言ったな」と、わたしは言った。「よせよ、そんなことを言うのは。彼は一日じゅう働きづめだったんだ」
「われわれだってご同様さ。でも役に立たないってのはほんとなんだろう?」
「確かにあんまり頼りにならない。だが彼はべつだ」
「あいつはしっかりしていそうだ。いいやつらしい。戦車隊のやつらはいくら稼いでいるのかな?」
「一日十ペセータだそうだ」と、わたしは言った。「彼はいま中尉の給与をもらっている」
「スペイン軍の中尉か?」
「そうだよ」
「馬鹿なやつだな。それとも主義があるのかな?」
「そう、彼には主義がある」
「なるほど」と、相手は言った。「それならうなずける。おい、ボールディ、しっぽが吹っとんだ飛行機から、強い風圧の中を脱出するのはたいそう骨だったろうな?」
「そうとも、同志」と、ボールディが答えた。
「どんな気がした?」
「ずっと考えごとをしていたよ」
「ボールディ、ユンカーからは何人脱出したんだい?」
「四人さ」と、ボールディは言った。「六人の搭乗員のうちからな。おれは確かに操縦士を殺した。そいつが射撃をやめたのに気がついたからな。砲手兼任の副操縦士がいたけど、これも間違いなくやっつけたよ。そいつも射撃をやめたからだ。ただ、やめたのは熱のせいだったかもしれないな。どっちにしても脱出したのは四人だけさ。みんなそのときのようすを聞きたいか? おれはその光景をありありと描写することができるぜ」
彼はシャンペンのはいった大きな水飲みコップを手に持って、ベッドにすわっていたが、ピンク色の禿頭とピンク色の顔に汗の粒が浮いていた。
「どうしてみんな、おれのために乾杯してくれないんだ?」と、ボールディが言った。「同志諸君全員に乾杯してもらって、それから戦慄にみちた絢爛たる光景を描写してやるつもりなんだがな」
われわれはみなシャンペンで乾杯した。
「どこまで話したっけ?」と、ボールディがきいた。
「マカレスター・ホテルから出かかったところさ」と、一人が言った。「戦慄にみちた絢爛たる光景の中でね――ふざけるのはよせよ、ボールディ。妙な話だがわれわれはきみの話に関心があるんだ」
「今話してやるさ」と、ボールディが言った。「だがその前にシャンペンをもう一杯飲まなくちゃ」彼はみんなが乾杯したときに自分のグラスをからにしていた。
「そんなに飲んだら眠っちゃうぜ」と、べつの飛行士が言った。「半分だけ注いでやれ」
ボールディはグラス半分を一気に飲みほした。
「今話すよ」と、彼は言った。「もうちょっぴり飲んだらな」
「いいかボールディ、怒るなよ。このことをはっきりさせておきたいんだ。きみはこれから数日間飛行機なしだが、おれたちは明日飛ぶことになっている、だからきみの話はおもしろいだけじゃなくて、おれたちにとっちゃ重要な話なんだよ」
「おれは報告書を出しておいたよ」と、ボールディが言った。「飛行場でそいつを読めばいいさ。たぶんコピーがあるだろう」
「おいボールディ、あんまり焦らすなよ」
「いずれ話してやるよ」と、ボールディは言った。それから数回目をぱちくりさせて、「やあ、同志サンタ・クロース」と、アルに声をかけた。「いずれ話すよ。きみたちは黙って聞いてればいいんだ」
そして彼は話しはじめた。
「じつに不思議な、美しい眺めだった」と言うと、ボールディはまたグラスをからにした。
「もう飲むなよ、ボールディ」と、だれかが言った。
「おれは深い感動を味わったね」と、ボールディが言った。「ひじょうに深い感動、心の底までしみるような感動だった」
「アルカラへ戻ろうぜ」と、一人が言った。「|禿げ《ピンク・ヘッド》のやつ、何言ってんだかさっぱりわからないよ。ゲームをつづけるか?」
「今にわかるよ」と、べつの一人が言った。「彼はワインド・アップしてるところなのさ」
「おれを批判する気か?」と、ボールディが言った。「それが共和国の感謝のしるしなのかい?」
「おい、サンタ・クロース」と、アルが言った。「どんなふうだった?」
「おれに質問するのか?」ボールディはアルをにらみつけた。「お前さんがこのおれに? 実戦の経験はあるのか、同志?」
「ない」と、アルが答えた。「この眉はひげを剃っているときに焦がしたんだ」
「びっくりするなよ、同志」と、ボールディが言った。「不思議で美しい光景を描写してやる。おれは飛行士で作家だからな」
彼はその言葉を強調するようにうなずいた。
「彼はミシシッピ州メリディアンの[アーガス]に書いてるんだよ」と、一人が言った。「それが休みなしなんだ。やめさせようとしてもだめなんだよ」
「おれには作家としての才能がある。新鮮で独創的な才能があるんだ。もうどっかへ失くしちゃったが、おれをそう批評した新聞の切抜きを持っていた。さて、それじゃいよいよ描写を始めるとするか」
「オーケー。どんなぐあいだった?」
「同志諸君」と、ボールディは言った。「描写なんてできないよ」彼はグラスを差し出した。
「それみろ」と、だれかが言った。「いつまでたっても何言ってるかわからないぜ。やっこさん支離滅裂なんだから」
「おい」と、ボールディが言った。「お前さんも哀れな男だな。よしきた。おれが機体を傾けて身をかわしながら見おろすと、もちろんユンカーは黒い煙をうしろへ吐きだしていたが、正しいコースをとって山を越えようとしていた。ユンカーはどんどん高度を失っていたが、おれはそいつの上にまわってもう一度急降下した。そのときはまだ護衛機がいたんだ。やがて敵機はぐらりとかしいで二倍の煙を吐きはじめた。それから操縦席のドアがあいて、まるで溶鉱炉のような内部が見えたかと思うと、やつらが外に飛び出しはじめた。おれは半回転して急降下し、ユンカーを追い抜いてから振りかえって下を見た。やつらが溶鉱炉のドアをくぐって外に飛び出したが、安全なところまではなれようとしてどんどん落ちていった。やがてシュートが美しい大輪の朝顔みたいにぽっかりと開き、飛行機は見たこともないほど大きな焔のかたまりになって、きりもみしながら落ちていった。美しい四つのシュートが空をバックにしてゆっくり落ちていったが、やがてそのうちのひとつが端から燃えはじめ、燃えるにしたがって落ちるスピードが速くなった。おれがそれに見惚れているとき、弾丸が飛んできて、そのあとからフィアットの編隊が迫ってきたんだ」
「なるほどきみは作家だ」と、仲間の一人が言った。「[ウォー・エイスィズ]に書くべきだよ。もっとわかりやすく、何がおこったか話してくれないか?」
「いいとも」と、ボールディは言った。「話してやる。だが、嘘じゃない、あれはすごいみものだった。それにおれはこれまで三発の大型ユンカーを一度も撃墜したことがないから、すごくうれしいんだ」
「みんなうれしいさ、ボールディ。ほんとに何がおこったか話してくれよ」
「オーケー。シャンペンを飲んだら話してやるよ」
「敵機を見つけたときはどんなぐあいだった?」
「おれたちは第五飛行隊の左翼梯形編隊にいた。それから敵の左翼梯形編隊に突っこんで、機関銃四挺を総動員して撃ちまくりながら、敵の編隊の上に急降下し、あわや衝突という寸前に方向を転じた。おれたちはほかにも三機に損害を与えた。フィアットの編隊はずっと上の方に浮かんでいた。おれがひとりぼっちで見物を始めるまで降りてこなかったよ」
「きみの護衛機はヘマをやったのか?」
「いや。おれが悪かったんだ、おれが見物をしている間に連中は行っちまったのさ。見物用の編隊なんてものはないからね。たぶん連中は編隊に追いついたんだろう。どうなったかおれは知らん。おれに質問してもだめだよ。おれはくたびれた。元気溌剌としていたんだが、もう疲れたよ」
「きみは睡いんだよ。酔っぱらって睡くなったのさ」
「ただ疲れただけだよ」と、ボールディは言った。「おれみたいな立場の人間には疲れる権利がある。そして睡くなるのもおれの権利だ。違うかね、サンタ・クロース?」と、最後はアルに向かって質問した。
「そうだな」と、アルは答えた。「たぶんきみには睡くなる権利があるだろう。おれでさえ睡いんだからな。もうクラップ・ゲームはおしまいなのか?」
「彼をアルカラまで連れて行かなくちゃならないし、おれたちも戻らなきゃならないんだ」と、仲間の一人が言った。「なぜだい? きみはさっきゲームですったんだろう?」
「わずかな金さ」と、アルが言った。
「またやりたいのか?」
「千賭けるよ」
「よしきた、おれが受けよう」と、相手は言った。「きみたちは稼ぎが少ないんだろう?」
「うん」と、アルは答えた。「少ないね」
彼は千ペセータ札を床に置いて、両手の中でさいころを念入りに振ってから、さっと床に転がした。一の目が二つ出た。
「まだきみのダイスだよ」飛行士は千ペセータ札を手に取り、アルを見ながら言った。
「もう要らん」と、アルは言った。そして立ち上がった。
「金、要るか?」と、飛行士がじっと彼をみつめながら質問した。
「どうせつかいみちがないんだ」と、アルが答えた。
「おれたちはアルカラへ戻らなきゃならん」と、相手は言った。「また近いうちに御開帳するよ。フランクやほかの連中も連れてくる。おもしろいゲームになるぞ。途中までいっしょに乗って行くかい?」
「そうだ。送ってもらったらどうだ?」
「いや」と、アルは答えた。「歩いて帰るよ。ついそこの通りのはずれまでだから」
「それじゃおれたちはアルカラへ行く。だれか今夜の合言葉を知ってるか?」
「運転手が知ってるさ。暗くなる前に行ってきいてきてるだろう」
「さあさあ、ボールディ。しょうがない酔っぱらいだな」
「おれは酔っぱらいじゃないぜ」と、ボールディが言った。「これでも人民軍の空の勇士候補だ」
「空の勇士になるには十機撃墜しなきゃだめだよ。イタリア機も勘定に入れていいけどな。きみはまだ一機しかやっつけてないじゃないか、ボールディ」
「おれがやっつけたのはイタリア機じゃない。ドイツ機だよ。お前さんは飛行機の中が火の海になったところを見ていない。まさに灼熱地獄だったぜ」
「やつをかつぎだせ」と、一人が言った。「またミシシッピ州メリディアンの新聞に書いてるつもりなんだ。それじゃ、さよなら。部屋を使わしてくれてありがとう」
飛行士たちは握手をして部屋の外へ出て行った。わたしは階段の降り口まで彼らを見送った。エレベーターはもう動いていなかったので、階段を歩いて降りてゆく彼らを見守った。二人の仲間がボールディを両側から支え、彼はゆっくり頭を垂れていた。もうほんとに睡そうだった。
わたしといっしょに映画を作っている二人は、まだ自分たちの部屋で故障したカメラの修理をつづけていた。それはデリケートな、目の疲れる仕事だったが、「なおりそうか?」とわたしが質問すると、背の高いほうが「ああ、なおるとも。なおさなきゃしょうがない。今こわれた部品を作ってるところだよ」と答えた。
「なんのパーティーだったんだい?」と、もう一人がきいた。「おれたちは年じゅうこのいまいましいカメラにかかりっきりさ」
「アメリカの飛行士連中さ」と、わたしは言った。「それに前から知っている戦車隊の男が一人きていた」
「おもしろかったかい? 顔を出せなくてすまなかったな」
「いいんだ」と、わたしは言った。「まあまあおもしろかったよ」
「もう寝たほうがいい。明日はみんな早起きだ。それまで鋭気を養っておかなくちゃ」
「カメラの修理はあとどれくらいかかるんだ?」
「またはずれた。まったく腹が立つよ、このスプリングには」
「彼のことならほっとけよ。仕事がすんだら寝るから。何時に起こしにくる?」
「五時でどうかな?」
「いいとも。夜明けと同時だな」
「おやすみ」
「おやすみ。少し眠っておけよ」
「じゃ」と、わたしは言った。「明日はもっと近くまで行かなくちゃな」
「そうだ」と、彼が答えた。「おれもそう思っていたんだ。ずっと近くまで行かなくちゃ。きみもそう思っていたとはうれしいね」
アルは部屋の大きな椅子で、顔に明かりをまともに受けながら眠っていた。わたしは毛布をかけてやったが、彼は目をさましてしまった。
「おれは帰るよ」
「ここで寝ればいいじゃないか。目ざましをかけて起こしてやるよ」
「目ざましが故障するかもしれん。やっぱり帰るほうがいい。遅刻したら困るからな」
「あのゲームは気の毒だったな」
「いずれにしろ連中相手では破産していたさ」と、彼は言った。「めっぽう強いからね」
「最後はきみのダイスだったのに」
「金の張り方もすごかったよ。それにおかしな連中だった。たぶん給料をそんなに多くはもらってないんだろうな。金のためにやっているんだとしたら、彼らのやっている仕事に見合うだけの金なんかあるわけがない」
「送っていこうか?」
「いや」彼は立ち上がって、食事のあとでゲームに仲間入りするために戻ってきたときはずした、編ベルトつきの大型コルトを腰にまわしてバックルでとめた。「その必要はない、とてもいい気分だ。また先の見通しが戻ってきた。必要なのは将来の見通しだけだよ」
「きみを送っていきたいんだ」
「いいから少し眠れよ。これから帰っても、始まるまでにたっぷり五時間は眠れるんだ」
「そんなに早く始まるのか?」
「そうさ。まだ暗くて撮影は無理だ。だからきみは寝ているほうがましだよ」彼は革外套のポケットから一通の封筒を取り出して、テーブルの上に置いた。「これをあずかってくれ、そしてニューヨークにいるおれの弟に送ってやってくれないか。アドレスは封筒の裏に書いてある」
「いいとも。しかし送る必要はないだろう」
「うん」と、彼は言った。「今すぐはな。しかしこの中には写真が何枚かと、彼らがほしがりそうなものがはいっている。弟のやつにはきれいな女房がいるんだよ。彼女の写真を見るかい?」
彼はポケットからその写真を取り出した。写真は身分証明書の中にはさまっていた。
それは湖の岸でボートのそばに立っている、浅黒い美人の写真だった。
「キャッツキル山脈で撮った写真だよ」と、アルは言った。「まったく弟のやつはかわいい女房を見つけたもんだ。彼女はユダヤ人なんだよ。ああ、またおれをセンチメンタルな気分にさせないでくれ。じゃあな。気を悪くしないでくれ。ほんとにもうさっぱりした気分だよ。今日の午後こっちへきたときは元気がなかったからな」
「やっぱり送っていくよ」
「いいってば。帰りにエスパーニャ広場でやっかいなことが持ち上がるかもしれんよ。夜になるとやけに神経をとがらすやつがいるからな。おやすみ。明日の晩また会おう」
「そうそう、そうこなくっちゃ」
わたしの部屋の真上では、マノリータとイギリス人が騒々しい音をたてていた。してみると彼女は逮捕されなかったらしい。
「そうだな。確かにこれがまともな口のきき方というもんだろう。しかし時にはそんな口をきく気分になるまで三時間も四時間もかかることがある」
彼は中央に当てものをした革のヘルメットをかぶっていたが、顔が黒っぽく見え、目の下がどすぐろくくぼんでいた。
「明日の晩チコーテで会おう」と、わたしは言った。
「いいとも」と彼は答え、わたしの視線を避けた。「明日の晩チコーテで」
「何時に?」
「明日の晩チコーテで、これだけで十分だよ。時間まで決めておく必要はないさ」そして彼は出て行った。
もしあなたが彼という男をあまりよく知らず、彼が明日攻撃する予定の場所を見たことがないとしたら、彼が何かにひどく腹を立てていると思ったことだろう。そして事実彼は自分自身の内部のどこかで、ひどく腹を立てていたのではないかと思う。人はいろんなことに腹を立てるものだが、自分自身が意味もなく死んでゆくこともそのひとつだ。もっとも攻撃するときには、腹を立てるのがいちばんいい方法かもしれないが。
[#改ページ]
尾根の下で
砂塵の舞う昼日なかの熱気の中を、われわれは口をからからに渇かせ、鼻を詰まらせながら、重い荷物をかついで戦闘の中から抜けだし、予備のスペイン人部隊が待機している川の上の長い尾根まで戻ってきた。
わたしは浅い塹壕に背中を押しつけてすわり、肩と後頭部を土につけて、今は流れ弾にさえ当る心配もなく、眼下の谷間に横たわる光景を眺めおろした。そこには予備の戦車隊がいた。それぞれの戦車はオリーヴの木から切り取った枝で偽装されていた。その左には、泥を塗りたくり、枝でおおった参謀部の乗用車があって、戦車と乗用車のあいだを、担架兵の長蛇の列が、傷病兵運搬車の積み込みが行なわれている尾根の下の平地まで、山間《やまあい》を縫ってうねるようにくだっていた。パンの袋とぶどう酒の樽を積んだ兵站《へいたん》部のろばと、弾薬運搬用のろばの列が、ろば追いに導かれて山間を登り、ろばの群といっしょにからっぽの担架をかついだ兵たちがゆっくり細い山道を登っていた。
右手の、尾根のカーヴの下には、旅団参謀部が置かれている洞窟の入口が見え、洞窟のてっぺんから通信線がのびて、尾根を越え、われわれが身をひそめている塹壕の中へと曲がっていた。
革の服を着てヘルメットをかぶったオートバイの男たちが、オートバイに乗ったり、傾斜の急なところでは降りて押したりしながら、切通しを登り降りし、切通しのそばにオートバイを乗りすてて、洞窟の入口まで歩いて行き、ひょいと頭を下げて中へ消える。わたしが入口を眺めていると、顔見知りの大男のハンガリー人が洞窟から出てきて、革の紙入れに何かの書類をしまいこみ、オートバイに歩み寄って、ろばと担架兵の流れを縫いながらオートバイを押しあげ、それからサドルにまたがって、砂塵をまきあげながら尾根を越えて行った。
下の、傷病兵運搬車が往来する平地を横切って、川の流れに沿った緑の葉の茂みがのびていた。赤いタイル屋根の大きな家が一軒と、灰色の石造りの水車小屋があって、川向こうの大きな家のまわりの木立から、味方の大砲が閃光を発していた。大砲はまっすぐわれわれの方に向かって発射され、ぱっぱっと二度閃光がきらめいたかと思うと、三インチ砲のくぐもったような、短い砲声につづいて、近づくにつれてしだいに高まりながら頭上を通過する、鋭い砲弾の音が聞こえる。いつものことながら味方の大砲は不足だった。四十門は必要なところにたった四門しかなく、しかも一度に発射されるのはそのうち二門だけだった。攻撃はわれわれが降りてくる前に失敗していた。
「あんたたちはロシア人かね?」と、一人のスペイン兵がわたしに質問した。
「いや、アメリカ人だ」と、わたしは答えた。「水はあるかい?」
「あるよ、同志」
彼は豚革の袋を差しだした。これらの予備部隊は名目だけの、軍服を着ているからというだけの軍隊にすぎなかった。彼らはもともと攻撃に使われる予定ではなく、尾根のてっぺんの下にあるこの戦線にそって散開し、いくつかのグループをつくって、食ったり飲んだりおしゃべりをしたり、あるいは無言ですわったりしながら、じっと待機していた。攻撃は国際旅団によって行なわれていた。
われわれ二人は水を飲んだ。水はアスファルトと豚毛の味がした。
「ぶどう酒のほうがいい」と、兵隊は言った。「ぶどう酒を手に入れてくるよ」
「そうだな。しかし喉の渇きには、水のほうがいい」
「戦いのときほど喉が渇くことはないね。予備部隊としてここにいるだけでも、ひどく喉が渇く」
「そいつは恐れだよ」と、ほかの兵隊が言った。「喉の渇きは恐れさ」
「いや」と、またべつの兵隊が言った。「恐ろしいときはいつも喉が渇く。しかし戦いのときはこわくなくてもひどく喉が渇くもんだよ」
「戦いに恐怖はつきものさ」と、最初の兵隊が言った。
「お前さんはそうだろう」と、二番目が言った。
「それが当り前なんだよ」と、最初の兵隊が反論した。
「お前さんはな」
「黙れ」と、最初の兵隊が言った。「おれはほんとのことを言ってるんだぞ」
それは四月のよく晴れた日で、風がめっぽう強く、山間を登ってくるろばの一頭一頭が雲のような土埃をまきあげ、担架の前後でかきたてられる砂塵はひとつに合して、下のほうの平地では、傷病兵運搬車のまきあげる土煙が長く尾を引いて、風に吹き流されていた。
わたしは自分がこの日に死ぬことはあるまいと確信していた。午前中に十分仕事をしていたし、攻撃の初めのほうで二度、あやうく命拾いをしていたからである。そのことがわたしに自信を与えていた。最初は戦車隊といっしょに登って行って、攻撃を撮影する場所を選んだときだった。あとで急にその場所が危険なような気がしたので、カメラを約二百ヤード左に移動させた。そこを離れる直前に、わたしは大昔からあるやり方でその場所に目印をつけておいた。すると十分とたたないうちに、一発の六インチ砲弾がまさにそれまでわたしのいた場所に落下して、そこに人間がいた痕跡はことごとくけしとんでしまった。そのかわり、地面に大きな炸裂口がぽっかり口をあけた。
やがて、それから二時間後に、最近大隊から派遣されて参謀部付になったポーランド人将校が、ポーランド人部隊が占領したばかりの地点にわれわれを案内しようと言いだした。ところが安全な丘のくぼみから出て歩きだしたとたんに、機関銃射撃に見舞われ、地面に顎をつけ、土の中に鼻を埋めて、煙幕の下から這って逃げださなければならず、同時にポーランド人部隊はその日陣地を攻めとるどころか、最初の地点よりもいくらか後退を余儀なくされたという悲しい事実を発見した。そして今、塹壕の中に身を横たえながら、わたしは汗で濡れ、腹を空かせ、喉をひりつかせて、ようやくにして去った攻撃の危険のため、体の中がからっぽになったような虚脱を感じていた。
「ほんとにロシア人じゃないんだろうね?」と、一人の兵隊が念を押した。「今日はここにロシア人どもがきているんだ」
「そうらしい。しかしわれわれはロシア人じゃないよ」
「あんたはロシア人の顔をしている」
「いや」と、わたしは言った。「それは違うよ、同志。おれはひどく変な顔をしているが、ロシア人の顔じゃない」
「あっちはロシア人の顔だな」と、彼はカメラをいじっているわたしの仲間を指さした。
「かもしれんな。だが彼もロシア人じゃないよ。きみたちはどこからきたんだ?」
「エストレマドゥラからだよ」と、彼は誇らしげに言った。
「エストレマドゥラにはロシア人がいるのか?」と、わたしはきいた。
「いや」彼はいよいよ誇らしげに答えた。「エストレマドゥラにロシア人はいないし、ロシアにもエストレマドゥラ人はいない」
「きみの政治的信条は?」
「おれは外国人全部が嫌いだね」と、彼は言った。
「ずいぶん幅の広い政綱だな」
「おれはムーア人も、イギリス人も、フランス人も、イタリア人も、ドイツ人も、北米人も、ロシア人もみんな嫌いだよ」
「その順に嫌いなのか?」
「そうだ。しかしいちばん嫌いなのはロシア人かもしれんな」
「へえ、ばかにおもしろい考えをもっているんだな」と、わたしは言った。「きみはファシストなのか?」
「そうじゃない。おれはエストレマドゥラ人で、外国人が嫌いなだけだ」
「こいつの考え方はひどく変わっているんだよ」と、べつの兵隊が言った。「あまり真面目に考えないほうがいいぜ。おれは外国人が好きだよ。バレンシアの出身だがね。ぶどう酒をもう一杯どうぞ」
わたしは手をのばしてカップを受け取った。口の中には前に飲んだぶどう酒の真鍮くさい味がまだ残っていた。わたしはエストレマドゥラ出身の男を眺めた。長身で痩せていた。顔はやつれていて、ひげがのび、頬がこけていた。彼は毛布のマントを肩にかけながら、憤然として立ち上がった。
「頭を下げろ」と、わたしは彼に言った。「流れ弾がたくさん飛んでくるぞ」
「おれは弾丸なんかこわくない、そして外国人はどいつもこいつも嫌いだ」と、彼は荒々しく言った。
「弾丸を恐れる必要はない」と、わたしは言った。「しかし後方にいるときは弾丸を避けるべきだよ。避けようと思えば避けられるときに負傷するのは賢明じゃないな」
「おれにはこわいものなんか何もない」と、エストレマドゥラ男は言った。
「きみはたいそう運がいいよ、同志」
「まったくだ」と、ぶどう酒のカップを持った男が言った。「彼は何もこわがらない、飛行機《アビオーネス》だってこわくないんだからな」
「やつは気違いだよ」と、べつの兵隊が言った。「だれだって飛行機はこわい。飛行機に殺されるやつは少ないが、こわさは格別だよ」
「おれはこわいものなしだ。飛行機だってなんだってこわくない」と、エストレマドゥラ出身の男は言った。「それに外国人はみな嫌いだ」
山間をくだって、二人の担架兵と並んで歩きながら、自分が今どこにいるかということを全然意に介するようすもなく、国際旅団の制服を着て、筒に巻いた毛布を肩にかけ、斜めに腰のところで結んだ長身の男が姿を現わした。彼は顔をまっすぐにあげて、まるで夢遊病者のような足どりで歩いていた。中年の男で、銃は持たず、わたしのいる場所からは負傷しているようにも見えなかった。
わたしは彼がひとりぼっちで戦線から逃げだして歩いてくるのを見守った。参謀部の車のところへくる前に、彼は左へ折れて、依然として妙に昂然と顔をあげたまま、尾根の端を越えて姿を消した。
手持ちカメラのフィルムを詰め替えていたわたしの相棒は、男の姿に気がつかなかった。
一発の砲弾が尾根越えに飛んできて、予備の戦車隊のわずか手前で土くれと黒煙を噴きあげた。
旅団司令部の置かれている洞窟の中からだれかがひょいと顔を出し、また中に消えた。
そこは撮影には恰好の場所だと思われたが、洞窟の中では攻撃が失敗に終わったため、みんな気が立っていることがわかっていたので、わたしは彼らと顔を合わせたくなかった。作戦が成功したときは、彼らは喜んで撮影を許可した。だが失敗すると、みんなひどく気が立っているために、つねに逮捕されて後方に送り返される危険があった。
「いよいよ敵の砲撃が始まるかもしれないぞ」と、わたしは言った。
「おれにはどうでもいいことさ」と、エストレマドゥラの男が言った。わたしはこの男が少々鼻につきはじめていた。
「ぶどう酒をもう少し分けてもらえるか?」と、わたしはきいた。口の中は依然としてからからだった。
「いいとも。ぶどう酒ならいくらでもあるよ」と、人なつこいほうの兵隊が言った。彼は背が低く、大きな手をしていて、坊主刈にした髪の毛ほども不精ひげがのびた、ひどく汚れた恰好をしていた。「敵は砲撃してくると思うかね?」
「おそらくね」と、わたしは答えた。「しかしこの戦争では先のことはだれにもわからんよ」
「この戦争がどうしたっていうんだ?」と、エストレマドゥラの男がむっとして言った。「あんたはこの戦争が気に入らんのか?」
「うるさいぞ!」と、好意的な兵隊が言った。「ここではおれが指揮官だ、そしてこの同志たちはわれわれのお客さんなんだぞ」
「だったらおれたちの戦争に反対するような口をきかせるな」と、エストレマドゥラの男は言った。「外国人がやってきて、おれたちの戦争を批判するのはお断わりだ」
「きみはどこの町からきたんだ、同志?」と、わたしはエストレマドゥラの男にきいた。
「バダホスだよ」と、彼は言った。「おれはバダホスの出だ。バダホスの町は、イギリス人とフランス人に、そして今度はムーア人に略奪され、女どもは強姦された。ムーア人が今度やったことだって、ウェリントン麾下《きか》のイギリス軍のやったことよりはひどくない。あんたも歴史を読むほうがいいな。おれの曾《ひい》ばあさんはイギリス人に殺された。おれの先祖が住んでいた家もイギリス軍に焼かれたんだ」
「それは気の毒に」と、わたしは言った。「で、北アメリカ人を憎むわけは?」
「おやじが徴集兵としてキューバにいたあいだに、北アメリカ人に殺されたんだ」
「なるほど、それも気の毒だ。心から同情するよ。それから、ロシア人を憎むわけは?」
「やつらは独裁制の代表者だし、それにやつらの面《つら》が気にくわない。あんたもロシア人面だよ」
「どうやらここから出たほうがいいらしい」と、わたしはスペイン語の話せない相棒に言った。「おれの顔がロシア人に似ているらしくて、厄介なことになりそうなんだ」
「おれは寝るよ」と、彼は言った。「ここはいい場所だ。あんまりよけいなことをしゃべらなければ、騒ぎもおこらないだろう」
「おれのことをよく思わない同志が一人いるんだ。そいつはアナーキストらしい」
「それじゃ、その男に撃たれないように注意するんだな。おれは寝るよ」
ちょうどそのとき、革外套を着た二人の男が山間から現われて、われわれの方に歩いてきた。一人はずんぐりと背が低く、もう一人は中背で、二人とも民間人の帽子をかぶり、平べったい、頬骨のとがった顔をして、木のホルスターにはいったモーゼル拳銃を脚にくくりつけていた。
背の高いほうがフランス語でわたしに話しかけた。「フランス人同志がここを通るのを見かけなかったか? 毛布を弾帯のように肩にかけた男だ。年のころは四十五か五十というところかな。そういう男が戦線と逆の方向へ歩いて行くのを見なかったかね?」
「いや」と、わたしは答えた。「そんな男は見かけなかったよ」
相手は一瞬わたしをみつめた。わたしはその目が灰色がかった黄色で、全然まばたきをしないことに気がついた。
「ありがとう、同志」彼はおかしなフランス語で言い、それからわたしにはわからない言葉で連れの男に速口に話しかけた。やがて彼らは立ち去り、峡谷を残らず見わたせる尾根のいちばん高い地点へ登って行った。
「あれこそ本物のロシア人の顔だよ」と、エストレマドゥラの男が言った。
「黙れよ!」と、わたしは言った。わたしは二人の革外套の男を見守っていた。彼らはかなり激しい砲火の下に立って、尾根の下の起伏のある土地や川の方を注意深く見まわしていた。
突然、一人が捜していたものを発見して、それを指さした。それから二人は猟犬のように走りだした。一人はまっすぐに尾根を越えて下り、もう一人はだれかの行手をさえぎろうとするような角度で走りだした。二人目の男が尾根を越える前に、拳銃を抜いて、走りながら前方に狙いを定めるのが見えた。
「あんたはああいうのをどう思う?」と、エストレマドゥラの男がきいた。
「きみと同じだよ」と、わたしは答えた。
平行に走る尾根の頂上で、モーゼル拳銃の痙攣するような銃声が聞こえた。銃声はたてつづけに十二発以上も鳴った。彼らは射程距離に達する前から撃ちはじめたのにちがいない。ひとしきりつづいた銃声がおさまると、ちょっと間をおいて、今度は一発だけ鳴り響いた。
エストレマドゥラからきた男は、むっつり顔でわたしを見たが、何も言わなかった。わたしはいっそ砲撃が始まってくれたほうが簡単だろうと思った。しかし砲撃は始まらなかった。
革外套を着て民間人の帽子をかぶった二人が、並んで歩きながら尾根を越えて戻り、やがて、二本足の動物が急坂を下るときのあの膝を折った奇妙な歩き方で、谷間へと下りはじめた。一台の戦車が唸りを発し、騒々しい音をたてながら降りてきたので、彼らは振りむいて上を見やり、それから道をあけて戦車をやりすごした。
戦車隊はこの日もまた失敗した。今は尾根のかげに隠れて危険がないので、砲塔のハッチをあけて前線からくだってくる革ヘルメットの戦車兵たちは、気のないプレーをやってゲームから降ろされたフットボール選手のように、まっすぐ前をにらんでいた。
革外套を着た平べったい顔の二人は、われわれのそばの尾根の上に立って戦車をやりすごした。
「捜していた同志は見つかったかい?」と、わたしは背の高いほうの男にフランス語で質問した。
「ああ、見つかったよ。ありがとう」彼はそう答えて、わたしをしげしげと観察した。
「あの男はなんて言ったんだ?」と、エストレマドゥラの男がきいた。
「捜していた同志が見つかったってさ」と、わたしは言った。エストレマドゥラからきた男は何も言わなかった。
われわれはその午前中ずっと、中年のフランス人が歩いて出て行った場所にいたのだった。土埃、煙、騒音、負傷、死、死の恐怖、勇敢さ、臆病、狂気、そして不手際な攻撃の失敗といったものの中にいたのだった。われわれは一度横切ったら生きてはいられないという耕地にいたのだった。地面に倒れて這いつくばり、頭を護るためにマウンドを作り、土の中に顎を埋めて、だれ一人生きては帰れない斜面を登れという命令を待つのだった。
われわれは地面に伏せて、やってきもしない戦車を待つ兵士たちといっしょにいた。飛んでくる砲弾の唸りと、すさまじい炸裂音の下で待っていた。金属片と大地がまるで土の噴水から出た土くれのように飛び散った。そして鋭い囁き声のような銃声が、カーテンのように頭上をおおっていた。われわれは彼らが待ちながらどのように感じているかを知った。彼らは可能なかぎり前進していた。それ以上前進したら絶対に生きてはいられないという状況で、なおも前進せよという命令がやってきた。
われわれは午前中ずっと、あの中年のフランス人が逃げだした場所にいた。不手際な攻撃の中で死ぬことの愚かさをはっきり見てとったとき、あるいは死を目前にすると物事がはっきり見えるように、突然それをはっきり見てとったとき、その絶望的な状況と、愚かしさと、その現実を見てとったとき、人はあのフランス人がやったように、突如として後退し、そこから逃げだすかもしれないということを、わたしは理解した。彼は臆病風に吹かれて逃げだすのではなく、あまりにもはっきりと見てとったため、突然自分がそこから立ち去らなければならない、それ以外になすべきことはないと悟ったために、その場所に背を向けて歩き出すのである。
そのフランス人はきわめて堂々と攻撃から脱けだしてきたが、わたしは一人の人間としての彼の心情を理解した。しかし、戦闘の維持を任務とするあの二人の男たちは、一兵士としての彼を追いつめた。その結果彼があとに残して立ち去ってきた死は、ちょうど彼が銃弾も砲弾も届かない尾根のかげまできて、川の方へ歩いて行きかけたところで、ふたたび彼をとらえたのだ。
「そしてあれが」と、エストレマドゥラからきた男は、憲兵の方に顎をしゃくりながらわたしに言った。
「戦争さ」と、わたしはそのあとを引きとった。「戦争の中では、規律というものが必要なんだ」
「そしておれたちはそんな規律の下で生きるために死ななければならないのか?」
「規律がなけりゃ、どっちみち一人残らず死んでしまうさ」
「規律にもいろいろ種類がある」と、エストレマドゥラの男は言った。「まあ聞いてくれ。おれたちは二月に今いるこの場所にいたが、そのときファシスト軍が攻撃してきた。やつらはあんたたち国際旅団が今日占領しようとしてできなかった丘から、おれたちを追いだした。おれたちはここまで、この尾根まで後退した。そこへ国際旅団がやってきて、おれたちの前に戦列をしいたというわけだ」
「それは知っている」と、わたしは言った。
「だがこのことは知らないだろう」と、彼は腹立たしげにつづけた。「おれと同郷の若者で、砲撃のあいだに怖気づいてしまったやつがいて、そいつは恐ろしさのあまり、戦線からはなれるために自分の手を撃ってしまったんだ」
いつの間にかほかの兵士たちもじっと話に聴き入っていた。数人の仲間がうなずいた。
「そういう連中は傷の手当がすむとすぐに前線に送り返される」と、エストレマドゥラの男はつづけた。「これは当然だ」
「そうとも」と、わたしはうなずいた。「当然そうあるべきだよ」
「確かにそうあるべきだろう」と、エストレマドゥラ出の男は言った。「ところがこの男の場合はひどい怪我で、骨がぐしゃぐしゃになってしまい、そのうえ細菌に感染したため、片手を切断するはめになった」
何人かの兵士たちがうなずいた。
「先をつづけろよ、全部話してやれ」と、だれかが言った。
「そのことは話さんほうがいいだろう」と、自分がここの指揮官だと名乗った、坊主頭に不精ひげの男が言った。
「話すことがおれの義務なんだ」と、エストレマドゥラの男が言った。
指揮官だという男は肩をすくめた。「おれだってあのことは気に入らなかったさ。どうしてもというんなら話せよ。だがその話は聞くのもいやだな」
「その男は二月からずっと谷間の病院に残っていた」と、エストレマドゥラの男は本題に戻った。「おれたちの何人かが病院で彼と会っている。だれに聞いても、彼は病院でとても好かれていて、片手を失くした人間ながら精いっぱいこまめに働いていたという話だ。彼は逮捕されていたわけじゃない。だから覚悟をする暇も何もなかったんだ」
指揮官が何も言わずにまたぶどう酒のカップをわたしに手渡した。兵隊たちは、読み書きのできない人間が物語に耳を傾けるように、みなじっと話に聞き入っていた。
「きのう、一日が終わるころ、おれたちが攻撃が行なわれることを知る前のことだ。きのう、お天道さまが沈む前、今日も変わりばえのしない一日だったかと思いはじめたころ、やつらが平地から山間《やまあい》の小道を登って彼を連れてきた。おれたちが晩飯のしたくをしているときに、やつらが彼を連れてきたんだ。やってきたのは四人だけだった。パコという名前のその若者と、今さっき見たばかりのあの革外套の二人組と、それに旅団からきた将校だ。おれたちはその四人がいっしょに山間を登ってくるのを見た。パコは両手を縛られていなかったし、ほかのどこも縛られてなんかいなかった。
「おれたちは彼を見つけてみんなでとりかこみ、『やあ、パコ。どうだ、元気かい? ぐあいはどうだ? しばらくだったな、パコ』と話しかけたんだ。
「すると彼は言った、『万事順調だよ。こいつのほかはな』ってね――そしておれたちに切断したほうの手を見せたよ。
「パコはこう言ったんだ、『おれは卑怯で馬鹿なことをしてしまった。あんなことをして今じゃ後悔している。だが片手でも役に立ちたいと頑張っているんだ。スペインのために、片手でできることならなんでもやるつもりだよ』ってね」
「そうとも」と、一人の兵士が相づちを打った。「彼はそう言った。おれはこの耳で確かに聞いたよ」
「おれたちは彼と話した」と、エストレマドゥラ出身の男が言った。「そして彼もおれたちと話した。ああいう革外套を着て拳銃を下げたやつらがくるのは、地図と双眼鏡を持った連中がくるのと同じように、戦争の最中には悪い前兆なんだ。それでもおれたちは、連中が仲間を訪問させに彼を連れてきたんだと思いこんで、病院へ行ったことのない連中はみんな彼と会えたことを喜んだ。そしてさっきも言ったように、ちょうど晩飯の時間だったし、その夕方はよく晴れて空気も暖かかった」
「この風は夜になってから吹きはじめたんだ」と、だれかが言った。
「やがて」と、エストレマドゥラの男は陰気な口調でつづけた。「やつらの一人がスペイン語で将校に、『その場所はどこだ?』ときいた。『このパコが負傷した場所はどこだ?』と、将校が質問した」
「その質問にはおれが答えたんだ」と、指揮をとっている男が言った。「おれはその場所を教えてやったよ。あんたが今いる場所から少しさがったところだ」
「ここだよ」と、一人の兵士が言って、その場所を指さした。そこが問題の場所であることは、わたしにもわかった。はっきり痕跡が残っていた。
「やがてやつらの一人がパコの腕をとってその場所へ引っぱって行き、もう一人がスペイン語で話しているあいだ、彼の腕をつかんでそこに引きとめておいた。もう一人の男は間違いだらけのスペイン語を話した。はじめおれたちはおかしくてたまらなかったし、パコのやつも微笑を浮かべていた。演説の内容は全部はわからなかったが、どうやら今後わざと自分を傷つけたりする者がでないように、みせしめとしてパコを処罰しなければならない、ほかの者もわざと自分を傷つけた場合は同じ方法で処罰される、と言っているらしかった。
それから、一人がパコの腕をおさえているあいだに――パコのやつはもうすでに恥じて後悔しているのに、まだそんなふうに話されるのがひどく恥ずかしそうだった――もう一人が拳銃を取りだして、一言もパコに声をかけずに彼の後頭部を撃った。そいつは撃ち終わってからも一言も口をきかなかったよ」
兵隊たちはいっせいにうなずいた。
「そのとおりだった」と、一人が言った。「あの場所が見えるだろう。パコはあすこで前のめりに倒れた。ほら、あすこだよ」
わたしは自分が横たわっている場所から、その場所をはっきり見ていた。
「彼は予告も受けなかったし、覚悟する暇も与えられなかった」と、指揮をとる男が言った。「まったくむごいやり方だったよ」
「おれがほかの外国人だけでなくロシア人も嫌うのはこのためなんだ」と、エストレマドゥラ出身の男が言った。「おれたちは外国人についてどんな幻想ももつことができない。あんたが外国人だったら、おれはすまないと思う。だがおれ自身としては、もうどんな外国人も特別扱いはできない。あんたはおれたちといっしょにパンを食い、ぶどう酒を飲んだ。そろそろ行ってしまうほうがいいんじゃないかな」
「そんな言い方はないだろう」と、指揮をとる男がエストレマドゥラ出の男に言った。「礼儀はきちんと守らなくちゃいかんよ」
「おれも行ったほうがよさそうだと思うよ」と、わたしは言った。
「怒っちゃいないだろうね?」と、指揮をとる男が言った。「好きなだけこの塹壕の中にいていいんだよ。喉は渇いてないか? ぶどう酒をもっと飲むかね?」
「どうもありがとう」と、わたしは答えた。「やっぱりわれわれはここを出たほうがいいらしい」
「おれの憎しみがわかってもらえたかな?」と、エストレマドゥラの男が言った。
「よくわかったよ」
「そいつはよかった」と言って、彼は片手を差しだした。「おれだって握手は拒まない。それから個人としてのあんたの幸運を祈るよ」
「おれもだ。個人として、それからスペイン人としてのきみの幸運をね」
わたしは眠っているカメラマンをおこして、旅団司令部の方へ尾根を下りはじめた。戦車隊がみな引きあげてくるところで、騒音のため話がほとんど聞きとれなかった。
「ずっと話していたのか?」
「こっちは聞き役さ」
「何かおもしろい話を聞いたかい?」
「たくさん聞いたよ」
「これからどうする?」
「マドリードへ帰るさ」
「将軍に会うべきだよ」
「そうだ」と、わたしは言った。「将軍に会わなくちゃ」
将軍は冷ややかに立腹していた。彼はたった一個旅団の兵力によって奇襲攻撃を行ない、夜明け前にすっかりかたをつけるよう命令されていたのだった。それには少なくとも一個師団を投入すべきところだった。彼は三個大隊を使い、残る一個大隊を予備にとっておいた。フランス人の戦車隊長は、攻撃にそなえて勇気をふるいおこすために酒を飲み、結局酔っぱらって使いものにならなくなってしまった。彼は酔いがさめたら銃殺されることになっていた。
戦車隊は予定の時間にあらわれず、ついには前進を拒否したため、二個大隊が目標を達成しそこなった。残る一個大隊は目標地点に達していたが、維持不可能な突出部を形成してしまった。唯一の実際的戦果は数人の捕虜だけだったが、捕虜の後送を託された戦車隊員が彼らを殺してしまった。将軍の手に残ったのは作戦の失敗だけで、しかもせっかくの捕虜まで部下に殺されてしまったのだった。
「それについてどう書けばいいのかな?」と、わたしは質問した。
「公式声明にないことは何も書いちゃいかん。その長いフラスコにウィスキーははいっているのか?」
「ああ」
彼はひと口飲んで丹念に唇をなめまわした。将軍は元ハンガリー軽騎兵隊の大尉で、赤軍側の不正規騎兵隊の指揮官だったころ、シベリアで金《きん》を積んだ列車を分捕って、寒暖計の目盛が零下四十度までさがるひと冬のあいだ、ずっとその列車を引きとめておいたこともあった。われわれは親友同士で、彼はウィスキーが好物だった。その彼も今はこの世にいない。
「もう帰りたまえ」と、彼は言った。「乗物はあるのか?」
「ある」
「写真は撮れたか?」
「いくらかね。戦車を撮ったよ」
「戦車か」と、彼は吐きすてるように言った。「豚め。あいつらは腰抜けだ。殺されないように気をつけろよ。きみはいずれ作家になる男だ」
「今は書けないよ」
「あとで書けばいいじゃないか。あとで何もかも書けばいい。とにかく死ぬな。けっして死んじゃいかんぞ。さあ、もう帰りたまえ」
彼は自分で自分の忠告を受けいれることができなかったらしく、それから二か月後に死んだ。しかし、その日いちばん奇妙だったことは、われわれの撮影した戦車隊の写真がすばらしいできばえだったことである。スクリーン上の戦車隊は威風堂々と丘を越えて進み、巨大な船のように丘の頂きを登り、われわれが映写した勝利の幻想に向かって轟々と前進して行くのだった。
その日勝利にいちばん近づいた人間は、昂然と顔をあげながら、戦いをあとにして歩み去ったあのフランス人ではなかったろうか。しかし彼の勝利は尾根を半ば下るまでしかつづかなかった。谷間伝いにわれわれをマドリードまで運んでくれる参謀部の車のほうへ降りてくる途中、われわれは依然として毛布を肩にかけたまま、尾根の斜面に長々と横たわる彼の姿を見た。
[#改ページ]
訳者あとがき
一九五九年の夏、アーネスト・ヘミングウェーは妻のメアリを伴なってスペインに渡った。六年前の一九五三年、アフリカへの狩猟旅行の途中で立ち寄ったスペインで、彼は二人の闘牛士アントニオ・オルドネス、ルイス・ミゲル・ドミンギンと知り合った。そして六年後、「ライフ」誌の依頼を受けてこの二人の人気闘牛士の対決を観戦するために、再度スペインの土を踏んだ。翌六〇年の「ライフ」誌九月五日号から十九日号まで、三回にわたって連載された観戦記が、この『危険な夏』(The Dangerous Summer)である。
ヘミングウェーと闘牛の出会いは古く、その結びつきは深い。処女長篇『日はまた昇る』に描かれたパンプローナの祝祭《フィエスタ》の熱狂的な雰囲気は、一九二四年夏、パリにおける文学修行時代、スペインに遊んだときの体験にもとづくものだった。そして一九三二年には、「英語で書かれた最良の闘牛案内書」と評される『午後の死』を出版し、闘牛に関するありとあらゆるインフォメーションを読者に提供して、闘牛愛好家《アフィシオナード》の真面目を発揮する。しかしヘミングウェーは闘牛をスポーツの一種目として、批評家の目で傍観していたのではない。肉体的行為をとおして死を凝視するという創作態度を一貫してとりつづけてきたこの作家にとって、真夏の午後、強烈な陽ざしのもとでくりひろげられる、人間と牛の合作による悲劇的な死の完成は、単なる鑑賞スポーツの次元を超えて、作家の本質的な部分と深くかかわりあっていたのにちがいない。
『危険な夏』はいわば『午後の死』の世界の小説化である。この作品が現実にあった二人の闘牛士の競合を記録したルポルタージュ形式をとっている以上、小説化という表現には語弊があるかもしれないが、好敵手同士が、おのれの優位を示すために、悪魔的な誇りに駆りたてられて、より危険な業を競いあい、ついには一方が悲劇的な角傷《コルナーダ》を負うにいたる過程には、明らかにヘミングウェーが多くの短篇小説の中で試みてきた「生のさなかの死」を浮き彫りにする技法の片鱗がうかがわれる。『危険な夏』が単なる名勝負の観戦記でおわっていないのは、『午後の死』が精細をきわめた闘牛案内にとどまらないのと同様である。
パンプローナのバー・チョコで、若いアメリカ人ジャーナリストが、三十五年前のパンプローナであなたに会いたかった、今のあなたは追従者たちに囲まれていい気になっていると、ヘミングウェーを非難するくだりがあるが、もう闘牛士を友人に持つまいと決心したり、オルドネスと死について語りあったりするヘミングウェーから、「魂の脂肪を削《そ》ぎおとす」(『キリマンジャロの雪』)必要のある、功なり名遂げた文豪の安逸な姿勢は感じられない。そして事実『危険な夏』を書いた翌年、ヘミングウェーは作品の中でしばしば描いてきたような「激烈な死」を、みずからの手で迎えるのである。
ヘミングウェーにとって、スペインは「祖国を除くいかなる国よりも深く愛した」国であった。一九三六年七月、スペイン領モロッコにおける軍部の反乱とともに、スペイン戦争が勃発すると、彼はただちに政府軍を援助するために個人で四万ドルの医療資金を調達し、翌三七年には記録映画『スペインの大地』製作のためにスペインへでかけてゆく。このときの体験から生まれた文学的成果が、長篇『誰がために鐘は鳴る』、戯曲『第五列』、それに本書に収録した四つの短篇などである。『密告』(The Denunciation 1938)、『蝶々と戦車』(The Butterfly and the Tank 1938)、『戦いの前夜』(Night Before Battle 1939)は「エスクァイア」誌に、『尾根の下で』(Under the Ridge 1939)はハースト系の雑誌に、それぞれ発表された。
一般にスペイン戦争はヘミングウェーの政治的開眼をうながしたとされているが、少なくともこの四つの短篇に見るかぎり、戦争を政治的次元で把握しようとする視点はまったく欠けている。密告され、銃殺されることを承知のうえでなじみのバーに姿を現わすファシストのスパイ(『密告』)、反乱軍包囲下のマドリードで陽気に浮かれ騒いで射殺される肺病やみのスペイン人(『蝶々と戦車』)、無益な戦車戦を翌日にひかえて、死の予感におびえる戦車隊員(『戦いの前夜』)、昂然と胸を張って戦線を離脱し、憲兵に射殺されるフランス人脱走兵(『尾根の下で』)など、作者の目は一貫して戦争という肉体的(政治的ではない)行為の中の個人的な死に向けられる。大義《カウサ》に殉じるロバート・ジョーダン(『誰がために鐘は鳴る』)よりも、自分自身の内部の掟に従って無償の死を選びとるルイス・デルガードやフランス人脱走兵、あるいは卑小な死と出会う家具職人ペドロのほうが、ヘミングウェーの作中人物としてはより作者の本音に近いのではないだろうか。この点でヘミングウェーは、同じように戦争の中の個人的な死を好んで描いたもう一人のリアリスト、アンブローズ・ビアースを想起させる(一例をあげれば、野営地でブランコ乗りをして墜死する将校を描いたビアースの『ジョージ・サーストン』と、『蝶々と戦車』における、悲惨と滑稽の対比の顕著な類似性)。三十年代の知識人にとって踏み絵的な性格を持っていたスペイン戦争を題材にとりながら、このような作品を書くことのできたヘミングウェーは、よくも悪くも徹底した個人主義者だったということができるだろう。
収録作品中既訳のある『蝶々と戦車』および『尾根の下で』(ともに中田耕治氏訳)は、それを参照させていただいた。(訳者)