車輪の下
ヘッセ/高橋健二訳
目 次
車輪の下
解説(高橋健二)
ヘッセの生涯と作品
ヘッセの主要作品(年代順)
『車輪の下』について
年譜(高橋健二)
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車輪の下
第一章
仲買人、兼代理店主、ヨーゼフ・ギーベンラート氏は、同じ町の人にくらべて、目だつようなすぐれた点も変ったところも、べつに持っていなかった。みんなと同じように、格幅《かっぷく》のある丈夫そうなからだつきで、商才も人なみだった。金銭をとうとぶことは厚いが、まがったことはしない。それから小さいながら庭のある家を持っている。墓地には家代々の墓がある。もっともお寺に対する信心は、いくらか分別くさく、地金《じがね》が出ている。神様やお上に対しては適度な尊敬を失わない。それにひきかえ、町の人間同士の礼儀の鉄則には盲従する。相当飲むには飲むが、ついぞ酔っぱらったことはない。片手間に、どうかと思われるような仕事も、だいぶやりはしたが、法規で許されている範囲を越えたことは一度もない。貧乏人のことは餓鬼とののしり、裕福な人間のことは成り上がり者とそしった。彼は町民会の会員で、金曜ごとに「荒ワシ館」で九柱戯勝負に加わった。またパン焼き日や試食会や腸詰めスープ会などの常連でもあった。仕事をするときは安い葉巻きをすうが、食後や日曜日には上等のをすった。
彼の内的生活は俗人のそれだった。いくらか持っていた情操らしいものは、とっくにほこりにまみれてしまい、せいぜい因襲的な粗野な家庭心とか、息子自慢とか、貧乏人に対するむら気な喜捨心とかが、その身上《しんじょう》だった。彼の精神的な能力といえば、生れついた、融通のきかないずるさと計数の才とを出なかった。読書といえば、新聞に限られており、芸術鑑賞の欲求を満たすには、町会でやる例年のしろうと芝居とときおりのサーカス見物で事たりた。
彼は、任意の隣人と名まえや住居を取り替えても、たいして変った者にはならなかっただろう。彼の心のもっとも深い点といえば、およそすぐれた力や人物に対する休むことのない|そねみ《ヽヽヽ》と、いっさいの非凡なもの、自由なもの、洗練されたもの、精神的なものに対する、しっとから生れた本能的な敵意なのだが、そうしたものも、町のおやじ連全体と共通だった。
彼のことはこのくらいにしよう。この平板な生活とみずから意識しない悲劇とを叙述することは、深刻な皮肉屋だけのよくするところだろう。さて、この男には一粒種の男の子があった。その話をしようというのである。
ハンス・ギーベンラートは疑いもなく天分のある子どもだった。ほかの子どもたちにまじって走っていても、どんなに賢そうで、きわだっているか、それを見れば、もう十分だった。シュヴァルツヴァルトの小さい町にそんな人間が育ったことは例がなかった。ごく狭い世界の外に、目を放ったり、働きかけたりする人間がそこから出たことは、かつてなかった。この少年の厳粛な目や聡明《そうめい》な額や上品な歩きっぷりがどこからきたものか、だれにもわからなかった。ひょっとしたら、母親ゆずりなのか。母親はだいぶ前に死んだ。生きているあいだ、目だったことといえば、年中病身でふさいでいたことくらいである。父親は問題にならなかった。こうしてみると、過去八、九百年のあいだ、有能な町民をこそたくさん出しはしたものの、能才とか天才とかいうものはいまだかつて産んだことのない古い小さい町に、神秘な火花が天から落ちて来た、ということになるのである。
現代式に訓練された鋭敏な観察者は、病弱な母親と年功を積んでいる家柄を想起して、知力の肥大を衰退の始まる徴候だというかもしれない。しかしこの町には幸いにも、そうした種類の人間が住んでいなかった。役人や教師の中の若い小利口な連中だけが、新聞の論説によって、そういう「現代的人間」の存在を、おぼろげに知っているにすぎなかった。ここでは、ツァラツストラのことばを知らなくても、教育のある人間として暮していけた。夫婦生活は堅実で、おおむね幸福だった。生活全体が救いがたい古風な習慣をもっていた。らくに不足なく暮している町民の中には、過去二十年のあいだに、職人から工場主になったものも少なくないが、彼らは役人の前で帽子を取り、その交際を求めながら、おたがい同士のあいだでは役人のことを餓鬼とか下っぱ書記とかいった。そのくせ、妙なことには、彼らの最高の野心は、できることなら、自分の息子に学問させて、役人にしようということだった。残念ながら、それはほとんど例外なく、満たされない美しい夢だった。彼らの息子らは、たいていラテン語下級中学でさえ青息吐息で、なんべんも落第しなければ進めなかった。
ハンス・ギーベンラートの天分については疑う余地がなかった。先生たちも、校長も、近所の人たちも、町の牧師も、同級生も、みんなこの少年が鋭敏な頭の持ち主で、とにかく特別な存在であることを認めていた。それで彼の将来ははっきりきまっていた。というのは、シュヴァーベンの国では、天分のある子どもにとっては、両親が金持ちでないかぎり、ただ一つの狭い道があるきりだったからである。それは、州の試験を受けて神学校にはいり、つぎにチュービンゲン大学に進んで、それから牧師か教師になる、という道だった。年々四、五十人のいなかの少年がこの静かな安全な道を進んだ。堅信式をうけたばかりの、過度の勉強にやせた少年たちが、官費でもって古典語学中心の学問のいろいろの分野をあわただしく修めて、八、九年後には、一生の行路の――たいていの場合はずっと長い――後半にはいるのである。そして国家から受けた恩典を弁済していくわけである。
数週間後にまた「州の試験」が行われるはずだった。「国家」が地方の秀才を選ぶ例年の大|いけにえ《ヽヽヽヽ》はそう呼ばれている。その期間中は、試験の行われている都に向って、小さい町町や村々からたくさんの家族の溜息《ためいき》や祈願が集中されるのだった。
ハンス・ギーベンラートはこの小さい町からいたいたしい競争に送られるはずの唯一の候補者だった。名誉は大きかったが、それはけっして無償で得られはしなかった。毎日四時まである授業時間に引きつづいて、校長先生のところでギリシャ語の補習があった。それから六時には牧師さんが親切にラテン語と宗教の復習をしてくれた。そのうえ、週に二回、夕食後一時間、数学の先生の所で指導を受けた。ギリシャ語では、不規則動詞についで、不変詞によって表現される文章結合の変化に主として重きがおかれ、ラテン語では、文体を簡明にすること、特にいろいろな詩形上のこまかい点を知ることが肝要だった。数学でおもに力を入れたのは、複雑な比例法だった。これは先生もたびたび強くいったとおり、今後の研究や生活には一見値うちがないように見えたが、それはあくまで一見そう見えるにすぎなかった。実際はきわめて重要だった。それは論理的な能力を養い、いっさいの明快で冷静で的確な思考の基礎をなすものであるから、主要課目より重要だった。
だが一方、頭の負担が重くなりすぎ、知力の練磨のために、情操を閑却し枯渇させるということがあってはならないので、ハンスは毎朝始業の一時間前に、堅信式を受ける少年たちの聖書の授業に出ることを許された。そこでは、ブレンツの宗教問答書を使って、感激的に問答を暗記朗読することによって、若いものの心に宗教的な生命のさわやかないぶきを吹き込むのであった。残念ながら、ハンスはこの休養の時間を自分から縮め、せっかくの恩恵をなくしてしまった。というのは、彼はギリシャ語やラテン語の単語や練習問題を書きつけた紙切れを問答書の中にこっそりはさんでおいて、ほとんど一時間じゅうこうした世俗の学問に没頭していたからである。しかし彼の良心はそんなに鈍くなってはいなかったから、そうしていながらも、たえずいらいらとおちつきを失い、ひそかな不安を感ぜずにはいられなかった。監督牧師さんが彼のそばに歩みよったり、彼の名を呼んだりすることがあると、そのつど彼はおびえてぴくっとすくんだ。返事をしなければならないような場合は、額に汗がにじみ、胸はどきどきした。しかし答えは発音まで申しぶんなく正しかった。牧師さんは非常に感心した。
書いたり暗記したり復習したり予習したりするための課題は、昼間の課業ごとにたまるので、夜おそくしんみりしたランプの光のもとでかたづけねばならなかった。家庭の平和な気分にめぐまれた静かな勉強は、特に力をつけるききめが深いと、受け持ちの先生がいったので、火曜と土曜はたいてい十時ごろまでだったが、そのほかの日は十一時、十二時、ときとしてはもっとおそくまで続けられた。父親は、石油がむやみといるので、少しぶつぶついったが、子どもの勉強を快い得意さをもってながめていた。暇な時間でもあるときか、日曜日――われわれの生活の七分の一を占める――日曜日には、学校で読まない二、三の著者のものを読むこと、文法をたっぷり復習すること、などが熱心にすすめられた。
「むろん、ほどよくやっていくんだよ。一週間に一、二度は散歩に出る必要がある。そりゃ、とてもききめがあるものだよ。天気がよければ、本をもって町の外にいくのもいい――外のさわやかな空気の中では、らくにおもしろく覚えられることがわかるよ。なにせ、頭をあげて、はればれとやることだよ」
そこでハンスはできるだけ頭を高くあげて、その後は散歩も勉強に利用した。そして寝不足な顔、青い|くま《ヽヽ》のできた疲れた目をして、こそこそとおびえたように歩きまわった。
「ギーベンラートはどうでしょう? 通りましょうな?」と、受け持ちの先生があるとき、校長にいった。
「通りますとも。通りますとも」と、校長はうれしそうに叫んだ。「あのくらい利口な子はちょっといませんよ。よく見てごらんなさい。まったく精神そのものになったように見えますよ」
最後の一週間のあいだに、精神そのもののようになる傾向は目立って強かった。かわいらしい、きゃしゃな顔に、おちつかないくぼんだ目が、濁った光を放っていた。美しい額には、才能を思わす|しわ《ヽヽ》がぴくぴくと動いた。それでなくとも細いやせた腕と手が、ボッチチェリーをしのばす疲れた優美さをもってたれさがっていた。
もうそこまで来ていた。あすの朝ハンスは父親といっしょにシュツットガルトにいき、州の試験を受けて、神学校の狭い修道院の門をはいる資格があるかどうかを示すはずだった。ちょうど、校長先生のところへいとまごいにいってきたところだった。
最後に、恐ろしい校長先生はいつにない優しさで、「今晩はもう勉強してはいけないよ。そう約束しなさい。あすはだんぜん元気よくシュツットガルトにいかなくちゃいけない。これから一時間散歩して、そのあとで早めに寝なさい。若い者はそれ相応に眠らなくてはいけない」と、いった。
ハンスは、さぞかしたくさんの心得を聞かされることだろうと、恐れをなしていたのに、こんなに優しくされたので意外なおももちで、ほっとしながら校舎を出た。大きなキルヒベルクのボダイ樹はおそい午後のあつい陽光をうけて弱々しげに輝いていた。市《いち》のたつ広場では二つの大きな噴泉が音をたてながらきらきらと光っていた。不規則な屋なみの線の上に、近くの青黒いモミの山がのぞきこんでいた。少年は、そんなものをみんなもう長いあいだ見なかったような気がした。なにもかもが非常に美しく魅惑的に思われた。頭痛がしたけれど、きょうはもう勉強しなくてもいいのだった。
ぶらぶらと彼は市広場をこえ、古い役場を過ぎ、市場小路《いちばこうじ》をぬけ、刃物|鍛冶場《かじば》のそばを通って、古い橋までやって来た。そこでしばらく行きつもどりつぶらついていたが、やがて幅の広い欄干にこしかけた。幾月ものあいだ、毎日彼は四度ここを通りながら、橋畔の小さいゴシック式の礼拝堂も、川も、水門も、|せき《ヽヽ》も、水車も目にとめなかった。水泳ぎをする河岸《かし》の草原や、柳のはえた川っぷちさえも、見ずにすごした。そこは皮なめし場が並び、川も湖のように深く緑色によどんでおり、弓形に曲った柳の細い枝が水の中までたれさがっていた。
いま、ハンスは、自分がどんなにたびたび、半日あるいはまる一日ここですごしたかを思い出した。またどんなにたびたびここで泳いだり、もぐったり、こいだり、魚釣りをしたりしたかを思い出した。ああ、魚釣りときたら! だが、それもいまはあらかた忘れてしまっていた。去年、試験のために魚釣りをとめられたとき、彼は身も世もあらずわんわん泣いた。魚釣り、それは学校に通った長い年月のあいだ、いちばん楽しいことだった。まばらな柳の木かげにたたずんでいると、水車の|せき《ヽヽ》の水音が近くに聞える。深い静かな水。水面の光の戯れ。なごやかに揺れる長い釣りざお。くいついて引き上げるときの興奮。ぴちぴちはねる冷たいはちきれそうな魚を手に持ったときの、なんともいえぬうれしさ。
彼は生きのいいコイをなんども釣り上げたことがあった。銀ウグイや、おいしいウグイや、小さい珍しい美しいヤナギバエなども釣った。長いあいだ彼は水の上を見おろしていた。緑色の川の一隅を見ているうちに、彼は悲しい物思いに沈んだ。思えば、美しい自由な勝手ほうだいな少年の喜びは遠い昔のことになっていた。無意識的に彼はひとかけらのパンをポケットから出して、大小のたまを作り、水の中にほうりこんで、それが沈んで行き、魚にぱくっと食われるのを見つめた。はじめは小さい魚がやって来て、小さいかたまりをむさぼり食い、大きいかたまりを食いたそうに口の先でこつんこつんとつついた。それからやや大きな銀ウグイがゆっくりと用心深く近づいて来た。その広い黒ずんだ背中は水底とはっきり区別がつかなかった。この魚は慎重にパンのかたまりのまわりを泳いでいたが、とつぜん大きな丸い口を開いてのみこんでしまった。ものうく流れる水から、ふやけたにおいが上って来た。白い雲が二つ三つぼんやり緑色の水面に映っていた。水車小屋では丸|のこ《ヽヽ》がぎいぎいときしり、二つの|せき《ヽヽ》の涼しそうな低い水音がもつれあって聞えた。少年はせんだっての日曜日に行われた堅信式のことを思い出した。あの日、儀式の最中みんなが感動しているときに、彼はギリシャ語の動詞を暗記している自分に気づいて、はっとしたのだった。その他の場合にも最近は、考えていることが混線して、授業中も目の前の勉強でなくて、ともすると、済んだことや、もっとのちの勉強のことを考えていることがひんぱんにあった。だが、試験はうまくいくだろう!
ぼんやりした気持ちで彼は腰をあげたが、どっちに行こうという考えもなかった。そのとき、強い手で肩をつかまれたので、彼はひどくびっくりした。だが、呼びかけた男の声は優しかった。
「いよう、ハンス、ちょっといっしょに歩くかい?」
それは、くつ屋のフライクおじさんだった。以前ハンスはときおり晩方一時間ぐらいこのおじさんのところですごしたものだったが、もう久しく行ったことがなかった。ハンスはいっしょに歩きながら、この信心深い敬虔派《けいけんは》信者のいうことをたいして注意もせずに聞いた。フライクおじさんは試験の話をし、ハンスの成功を祈って励ました。しかしおじさんのことばの本意は、そんな試験なんてものは、たいしたことじゃない。当りはずれのあるものだと、いおうとしているのだった。落第したって恥じゃない、どんなにできるものだって落第することはある。ハンスがそんなめにあったら、神様はめいめいの人間にそれぞれ違ったおぼしめしを持っておられ、それぞれの人間にかなった道を歩かせられるのだということを考えてもらいたい、といった。
ハンスはこのおじさんに対し多少心にやましいところがあった。彼はおじさんと、そのしっかりしたたのもしげな態度に、尊敬の念を感じていたが、時の祈りをする信者たちについていわれる冗談を聞いて、心にもなく調子を合わせて笑ったことがたびたびあった。そのうえ、鋭い質問をされるのを恐れて、かなり前からびくびくしながらくつ屋を避けてきた自分の卑怯《ひきょう》さを恥じていた。ハンスが先生たちの誇りとなり、自分でもいくらか思い上がってきてから、フライク親方は彼をしばしばおかしそうにながめ、へこましてやろうと努めた。しかし、そのため少年の心は、せっかく好意をもって導いてやろうとする人から遠のいてしまった。それはハンスが少年らしいいじっぱりの盛んな年ごろで、自信を傷つけられることに対して敏感だったからである。いまも彼はおじさんの話を聞きながら歩いていたが、このおとなが自分をどんな心づかいと親切心とをもって見おろしていてくれるかを知らずにいた。
花輪小路でふたりは牧師に出会った。くつ屋は紋切り型に冷やかにあいさつし、急にいそぎだした。それというのも、この牧師は新しがり屋で、復活を信じていないという評判を立てられていたからであった。牧師は少年を連れて歩きだした。
「ぐあいはどうかね。ここまで来たら、しめたもんだろう」と、牧師さんはいった。
「ええ、もう大丈夫です」
「そこで、うまくやるんだね。みんなおまえに望みをかけているんだからね。ラテン語じゃ特別いい成績をあげてもらえると、わたしゃ思っているよ」
「でも、もし落第したら」と、ハンスはおじけづいて言った。
「落第?」牧師さんはひどく驚いて立ちどまった。「落第なんてありえない。まったくありえない。そんなことは取りこし苦労だ」
「もしかして、そうなったら……と、思っただけです」
「そんなことはありえない、ありえない。その心配はまったく無用だ。じゃ、おとうさんによろしく。元気を出すんだよ」
ハンスは牧師さんを見送った。それからくつ屋のおじさんの方を振り返って見た。あのおじさんはなんてことをいったろう。ラテン語なんかたいしてたいせつじゃない。心の性根さえたがわず、神様をおそれ敬っていりゃいいんだ、と、いったが、口でいうのは、やさしいもんだ。それから牧師さんは! 落第したら、二度とふたたび牧師さんの前には出られなかった。
しょんぼりと彼は家に帰って来て、急な斜面になっている小さい庭にはいった。そこに、もう長いこと使わない朽ちた|あずまや《ヽヽヽヽ》があった。彼は以前その中に板小屋をこしらえて、三年間イエウサギを飼っていた。去年の秋、試験のためウサギは取り上げられてしまった。なぐさみごとをする時間なんかなかったのだ。
庭の中にはいったことももう長い間たえてなかった。がらんどうの板仕切りは手のつけようもなくなっており、壁のすみの鍾乳石《しょうにゅうせき》のかたまりはくずれ、小さい木の水車が水管のそばにひしゃげてころがっていた。彼はそういうものをけずったり組み立てたりして楽しんだころのことを思い出した。それは二年前のことだったが――遠い遠い昔のように思われた。彼は小さい水車を取り上げて、こね曲げたあげく、めちゃめちゃにこわして、かきねのむこうに捨てた。こんなものは捨ててしまえ。とっくの昔にもう用はなくなっているのだ。そのときふと学校友だちのアウグストのことが頭に浮んだ。アウグストは、水車を作ったり、ウサギ小屋を直したりする手伝いをしてくれたのだった。ふたりは、石をはじき飛ばしたり、ネコを追っかけたり、テントを張ったり、お八つになまのニンジンをかじったりして、よく夕方ごろまでここで遊んだものだった。だが、その後、彼はがっついて勉強しなければならなくなった。アウグストは一年前に学校をひいて機械工見習いになった。それから二度顔を見せたきりだった。もちろん彼のほうでもいまは暇がないのだ。
雲の影がせわしく谷の上を走って行った。太陽はもう山の端《は》に近づいていた。少年は一瞬、身を投げだし、声をあげて泣かずにはいられない気持ちに襲われた。そのかわりに彼は馬車小屋から手|おの《ヽヽ》を持って来、やせっこけた細腕を振りあげて、ウサギ小屋を粉みじんに砕いた。すじ板は四散し、くぎはぎいぎい音をたてながら曲った。去年の夏以来の少し腐ったウサギのえさがとび出した。少年はそうしたものをみんながむしゃらに打ちすえた。そうすれば、ウサギやアウグストや、その他の昔の子どもの遊びごとに対するなつかしい気持ちを殺してしまうことができるかのように。
「こら、こら、こら、そりゃいったいなんだね? なにしてるんだい?」と、父が窓からどなった。
「たきつけだよ」
それっきり返事をしないで、ハンスは手|おの《ヽヽ》を投げ捨て、中庭から小路にかけ出し、それから河岸を上手《かみて》にやって行った。醸造場のそばに|いかだ《ヽヽヽ》が二つつないであった。彼は前にはよく|いかだ《ヽヽヽ》にのって何時間も川を下ったものだった。暑い夏の午後なぞ、材木のあいだでぱちゃぱちゃ水のはねる|いかだ《ヽヽヽ》にのって行くと、痛快でもあり、眠くもなった。彼は、たるんで揺れている材木に飛びのって、積み重ねられた柳の木の上に横になり、「いかだは動いているのだ、草原や畑や村や涼しい森のはずれを過ぎ、橋や引き上げられた水門の下をくぐって、あるいは早く、あるいはのろのろと、水の上を進んでいるのだ。自分はその上に寝ているのだ。なにもかもまた昔のようになったのだ。カップフベルクでウサギのえさを取り、河岸の皮なめし場で釣りをしたころ、頭痛もせず、心配もなかったころと同じになったのだ」と思おうと努めた。
疲れてふきげんな顔をした彼は夕食に帰って来た。父は、あすに迫ったシュツットガルトへの受験旅行のため、むやみと興奮して、本をカバンに入れたか、黒い服はしたくしてあるか、汽車の中で文法を読んでみる気はないか、気分はいいか、などと十ぺんもたずねた。ハンスはとげのある短い返事をしたきり、食事もろくにとらず、そそくさとお休みをいった。
「お休み、ハンス。よく眠るんだよ。じゃ、あすの朝六時に起してやるからね。字引きも忘れはしなかったかい?」
「うん、字引きなんか忘れやしないよ。お休みなさい」
ハンスは自分の小さいへやにあかりもつけないで長いこと起きていた。きょうまでこのへやは、試験騒ぎによって彼が受けた唯一の恩恵だった――小さいながら、自分のへやで、ここにいれば自分が王様で、だれにもじゃまされなかった。ここで彼は疲労と眠けと頭痛と戦いながら夜おそくまで、シーザーやクセノフォンや文法や字引きや数学の問題の上につっぷして考えこんだのだった。粘り強く負けん気で功名心に燃えていたが、絶望的な気持ちになることもたびたびあった。だが、同時にまた、奪われた子どもの遊び以上に値うちのある時間をここで味わうこともあった。それは、得意と陶酔と勝ち誇った気持ちにあふれた、夢のような、なんともいえないものだった。そういうとき、彼は夢うつつのうちに学校も試験もなにもかも越えて、一段と高いものの世界にあこがれひたるのだった。そうすると、自分はほおのふくれたお人よしの友だちたちとはまったく別なすぐれた人間で、いつかはきっと人界離れた高いところから得々と彼らを見おろすようになるだろうという、思い上がった幸福感にとらえられた。いまも彼は、このへやには自由な涼しい空気がただよってでもいるように、深々と息を吸った。そして寝床にこしかけ、夢と願いとほのかな思いにふけりながら、二、三時間もぼんやりすごした。明るいまぶたが、過度の勉強にはれぼったくなった大きい目の上に、しだいにたれさがってきた。それからもう一度開いたが、まばたきをすると、またたれさがった。あおざめた少年の顔はやせた肩の上に倒れ、細い両腕はぐったりとのばされた。彼は着物を着たまま寝入ってしまった。母親のようにやさしいまどろみの手が、たかぶった少年の心臓の激しい鼓動を静め、美しい額の小さい|しわ《ヽヽ》を消した。
前代未聞のことだった。校長先生が朝早い時刻なのにわざわざ停車場まで足を運んでいてくれた。ギーベンラート氏は黒いフロックコートを着ていたが、興奮と喜びと得意さのため少しもじっとしていられなかった。彼は神経質に校長先生やハンスのまわりをちょこちょこ動きまわり、駅長や駅員一同から、旅の無事と息子の試験の成功を祈ることばをかけられた。そして小さいかたいカバンを左手に持ったり、右手に持ったりした。|かさ《ヽヽ》をわきの下にかかえたかと思うと、こんどはまたひざのあいだにはさんだ。それで|かさ《ヽヽ》を二、三度倒した。すると、そのつどカバンをおろして拾い上げた。彼は往復切符をもってシュツットガルトに行くのではなくて、アメリカにでも行くのかと、はたの人は考えたことだろう。息子はすっかりおちついているように見えたが、ひそかな不安にのどがつまりそうだった。
汽車が来て止った。人々は乗りこんだ。校長先生は手を振った。父親は葉巻きに火をつけた。下の谷間に町と川は隠れた。旅行はふたりにとって苦痛だった。
シュツットガルトに着くと、父親は急に活気づいて、陽気に愛想よく、交際家らしくなった。数日間都に来たいなかのお上りさんらしい喜びのために生き返ったようになった。ハンスはしかし、ますます無口になり、いっそう不安になった。町を見ると、彼は深い胸苦しさにとらえられた。見慣れない顔や、人を見おろしているように高い、ごてごてと飾りたてられた建物や、げっそりするような長い道や、馬車鉄道や、往来のそうぞうしさが、彼をおびえさし、苦痛を与えた。ふたりはおばさんの家に宿をとった。そこへ行くと、見慣れぬへやや、おばさんの慣れ慣れしさや、おしゃべりのため、また長いあいだすることもなくただぼんやりとすわっていたり、父親からくどい励ましのお説教を聞かされたりしたため、少年はまったく打ちのめされたようになった。彼はよそよそしくとほうにくれてへやにぼんやりうずくまっていた。そして目慣れぬ周囲や、おばさんや、おばさんの都会ふうの衣装や、大きい模様の壁かけや、置き時計や、壁の絵などを見たり、窓からそうぞうしい往来をながめたりしていると、彼はすっかり見捨てられてしまったような気持ちになった。家を離れてから、もう長い長い時間がたち、ほねをおって覚えたことを一時みんな忘れてしまったような気がした。
午後、彼はもう一度ギリシャ語の不変詞を復習するつもりでいたが、おばさんが散歩をしようと言いだした。一瞬間ハンスの心には草原の緑や森の風の音のようなものが浮んできた。それで喜んで同意した。しかしたちまち彼は、この大都会では散歩もいなかとは別な娯楽だということを知った。
父は町で訪問する用があったので、ハンスはおばさんとふたりだけで出かけた。階段の中途で、もうみじめなことが起った。二階で、ふとった偉そうな婦人に出くわしたのである。おばさんはその人の前で、ひざをまげておじぎをした。その婦人はたちまち非常な能弁でおしゃべりを始めた。立ち話は十五分以上も続いた。ハンスはそばの階段の手すりにからだを押しつけて立っていた。すると、婦人の小犬が彼をくんくんかいだり、彼に向って、ううっと、うなり声を出したりした。また、そのでぶな婦人がなんども鼻めがねで上から下まで彼をじろじろ見たので、ハンスは自分のことも話されているなということを、おぼろげながら気づいた。それから往来に出ると、いきなりおばさんは店にはいった。そしてなかなか出て来なかった。そのあいだハンスはおずおずしながら往来に立っていると、通行人からわきへ押されたり、悪童どもからからかわれたりした。おばさんは店から出て来ると、彼に板チョコを一枚くれた。彼はチョコレートはきらいだったけれど、丁寧にお礼をいった。つぎの町かどで、ふたりは馬車鉄道に乗った。それから満員の車はたえず鈴をならしながらいくつもいくつも町をぬけて走り、とうとう大きな並木道と公園についた。そこには噴泉が水をふいており、かきをめぐらした花壇には花が咲いており、小さい人工の池には金魚が泳いでいた。ふたりは、散歩する人々の群れのあいだを行ったり来たりあちこちぐるぐると歩きまわった。たくさんの人の顔や、優雅な着物や、その他いろいろの着物や、自転車や、病人用の手押し車や、乳母車などが目にうつり、騒然たる声が耳に聞え、吸う空気はあつく、ほこりっぽかった。やがてふたりはほかの人と並んでベンチに腰をおろした。おばさんはさっきからほとんどしゃべりづめだったが、こしかけると、溜息をついて、ハンスに優しくほほえみかけ、ここでチョコレートをたべるように促した。彼はたべたくなかった。
「まあ、遠慮してるんじゃないの? そんなことをいわないで、お食べ、さあ、お食べ」
それでハンスは板チョコを取り出して、しばらくのあいだ、銀紙をむしっていたが、とうとうごく小さく板チョコをかみきった。彼はどうしてもチョコレートが好きになれなかった。が、それをおばさんにいう勇気はなかった。彼がチョコレートの小さいかけらをしゃぶって、のどをつまらしているあいだに、おばさんは人ごみの中に知りあいを見つけて、かけ出して行った。
「ここですわっていなさい。すぐもどって来るからね」
ハンスはほっとして、この機会を利用し、チョコレートを芝生の奥のほうに投げた。それから拍子をとって足をぶらんぶらん動かし、おおぜいの人々を見つめていると、情けない気持ちになった。しまいに彼は不規則動詞を暗唱し始めた。ところが、青くなるほど驚いたことには、もうまるっきり覚えていなかった。すっかりきれいに忘れていた。あすが州の試験だというのに。
おばさんはもどって来た。おばさんは、ことしは州の試験の志願者が百十八人あるということを聞きこんで来た。及第できるのは三十六人きりだった。それを聞くと、少年はすっかり元気をなくしてしまい、帰る途中一言も口をきかなかった。家に帰ると、彼は頭痛がして、なにも食べたくなくなり、ひどくしょげかえっていたので、父親はしたたかしかりつけた。おばさんもやりきれない子だと思った。夜、彼は重苦しく深い眠りの中で、恐ろしい夢に攻めたてられた。彼は百十七人の仲間といっしょに試験場にすわっていた。試験官は故郷の町の牧師さんに似ているようでも、おばさんに似ているようでもあった。彼は、ハンスの前にチョコレートの山を積み上げて、食べろといった。ハンスが泣きながら食べているあいだに、ほかのものは順々に立ち上がって、小さい戸口から出て行った。みんなそれぞれチョコレートの山を食べてしまったが、ハンスのだけは目の下でだんだん大きくなって、机やベンチの上にあふれ、彼を窒息させようとするかのようだった。
翌朝ハンスが試験に遅刻しないように、時計から目を放さず、コーヒーを飲んでいたころ、故郷の町ではおおぜいの人が彼のことを考えた。まずくつ屋のフライク。彼は朝のスープの前にお祈りをした。家族と職人とふたりの徒弟とが食卓を囲んで立った。彼はいつもの朝の祈りに、きょうはつぎのような文句をつけ加えた。
「主よ。きょう試験を受けまする生徒ハンス・ギーベンラートを守りたまい、彼を祝福し強めたまい、他日、主の神々しき御名《みな》を告げ知らす正しくけなげなる者とならしめたまえ」
町の牧師はハンスのために祈りはしなかったけれど、朝食のとき、妻に向っていった。「いよいよギーベンラートの試験だよ。あの子はいつか並みはずれたものになるよ。きっと注目されるようになる。そしたら、ラテン語を手伝ってやったことも、損にはならないわけさ」
受け持ちの先生は授業の始まる前に生徒たちにいった。「さていよいよシュツットガルトで州の試験が始まる。われわれはギーベンラートの成功を祈ろう。もっとも彼にはそんなことは無用だろう。おまえたちのようななまけ者は十人かかってもかないやしないんだから」。生徒たちもたいていみな、ここにいないハンスのことを考えていた。とりわけ、ハンスの及第落第にかけをしていたおおぜいのものはそうだった。
心から思いやりのこもった願いと深い同情は大きい距離をたやすく越えて遠くまで達するものであるから、ハンスにも、故郷でみんなが自分のことを考えているということが感じられた。父に伴われて試験場にはいるときは、いかにも胸がどきどきしたし、学校の助手のさしずどおりにするにも、おじけづいてびくびくしたし、青ざめた少年のいっぱいつまっている大きなへやを見まわすと、拷問室に入れられた犯罪人のような気もしたけれど、教授がやって来て、静かにと命令し、ラテン語の文体練習の原文を書き取らせると、ハンスはほっとしながら、ひどくやさしいと思った。すらすらと、楽しいといってもいいくらいの気持ちで、草稿を作ると、慎重にきれいに清書した。彼は、最初に答案を出したうちのひとりだった。それからおばさんのうちへ帰る道をまちがえ、暑い町の中を二時間も迷い歩いたけれど、一度取りもどした心の平静はたいして乱されはしなかった。かえって、おばさんや父からなおしばらくのあいだはなれていられるのが、うれしいくらいだった。そして、未知のそうぞうしい首府の往来を歩いていると、むてっぽうな冒険家のような気持ちになった。やっとほねをおって道を聞き聞きして、家にたどりつくと、たちまち質問攻めにあった。
「どうだったい? どんなふうだった? できたかい?」
「やさしかったよ」と、彼は得意げにいった。「あんなのなら、五年級のときもう訳せたさ」
彼は、ひどく腹がすいていたのでさかんにたべた。
午後はなにもなかった。父はハンスを連れて親類や友人のところを歩きまわった。そのなかの一軒で、黒い服を着たはにかみ屋の少年に会った。彼も同じように入学試験を受けるためにゲッピンゲンからやって来たのだった。少年たちはふたりきりにされると、遠慮がちに好奇心をもってたがいに顔を見あった。
「ラテン語の問題はどう思った? やさしかなかった?」と、ハンスはたずねた。
「ひどくやさしかったさ。だけど、そこが穴なんだよ。やさしい問題だと、いちばんまちがいやすいんだ。油断するからね。それに隠れた落し穴はあのなかにだってあったはずだもの」
「そうかね」
「もちろんさ。試験官だってそんなにばかじゃないさ」
ハンスは少し驚いて、考え込んでしまった。それからこわごわたずねた。「原文をそこにもっている?」
相手の少年は手帳をもって来た。そこでいっしょに問題を残らず一語一語しらべてみた。ゲッピンゲンの少年は、堂に入ったラテン語|通《つう》らしかった。少なくとも彼は、ハンスがまだぜんぜん聞いたことのない文法上の用語を二度も使った。
「あしたはなにがあるかしら?」
「ギリシャ語と作文だよ」
それからゲッピンゲンの少年は、ハンスの学校からは何人受験者が来たか、とたずねた。
「ひとりも来ない。ぼくだけだ」と、ハンスはいった。
「おやおや。ぼくたちゲッピンゲンからは十二人来たよ。なかにはとても利口なのが三人いてね、それがトップを占めるだろうって、みんな期待しているよ。去年も一番はゲッピンゲンのものだったからね。――きみは落第したら、高等中学へいくかい?」
そんな話はまだぜんぜん出たことがなかった。
「わからない……いや、いかないと思うよ」
「そうかい。ぼくはこんど落第しても、どっちみち上の学校へいくんだ。落ちたら、おかあさんがウルムへやってくれるんだよ」
それを聞くと、ハンスには相手が偉いものに思えてきた。とても利口な三人を擁する十二人のゲッピンゲンの生徒も彼を不安にした。これではとても通りっこなかった。
家に帰ると、机に向って mi に終る動詞をもう一度調べた。ラテン語に対しては彼は不安を持っていなかった。それには自信があった。が、ギリシャ語については一種独特の気持ちを持っていた。彼はギリシャ語が好きなどころか、それに熱中していた。しかしただ読むためだけだった。特にクセノフォンはとても美しく感動的に生き生きと書かれていた。すべてが朗らかに愛すべき力強い響きを発し、軽快自由な精神を持ち、それにわかりにくいところもなかった。だが、文法のことになったり、ドイツ語をギリシャ語に翻訳しなければならないとなると、食い違った規則や形の迷路の中に迷いこんでしまい、以前まだギリシャ語のアルファベットも読めなかった最初の課業のころとほとんど同じような不安なおじけを、この外国語に対して感じるのだった。
翌日ははたしてギリシャ語があり、そのあとでドイツ語の作文があった。ギリシャ語の問題はかなり長く、けっしてやさしくはなかった。作文の題は書きにくく、取り違えをするおそれがあった。十時ころから広いへやはうっとうしく暑くなった。ハンスはいいペンを持っていなかったので、ギリシャ語の答案を清書してしまうまでには紙を二枚むだにした。作文のとき、隣席のずうずうしい生徒が、質問を書いた紙をハンスのほうに押しつけ、彼のあばら骨をつついて返事をせっついたので、ひどく困らされた。同席のものと話などすることは厳禁されており、犯すものはかしゃくなく試験から除外されるのだった。恐ろしさにふるえながらハンスはその紙切れに「じゃましないでくれ」と書いて、相手の男に背中をむけてしまった。ひどい暑さだった。監督の教授は根気よく同じ調子でへやの中を行ったり来たりして、一分間も休まなかったが、いくどもいくどもハンカチで顔をふいた。ハンスは堅信式のときの厚い服を着ていたので汗をかき、頭痛がした。それでとうとう答案の紙をまちがいだらけで、試験はもうおしまいだという情けない気持ちで出した。
食事のとき、彼は一言もいわず、なにを聞かれても、肩をすくめるだけで、犯罪人のような顔をした。おばさんは慰めてくれたけれど、父は興奮して、ふきげんになった。食後、父は少年を隣室につれて行き、重ねて根掘り葉掘り聞こうとした。
「失敗しちゃったんだよ」と、ハンスはいった。
「なぜ気をつけなかったんだ。心をおちつけてやれるはずじゃないか。しようがないやつだな」
ハンスはだまっていたが、父親がののしり始めると、彼は赤くなって、いった。「おとうさんはギリシャ語なんかちっともわかんないじゃないか」
いちばん弱ったのは、二時に口頭試問を受けに行かなければならないことだった。彼は口頭試問をいちばん恐れていた。やきつけるように暑い往来を歩いている途中、彼はまったくみじめな気持ちになった。苦痛と不安と目まいのため、目をあけていられないくらいだった。
大きな緑色の机に向っている三人の先生の前に彼は十分間こしかけて、ラテン語の文章を二つ三つ訳し、きかれた質問に答えた。それからまた十分間、別な三人の先生の前にこしかけて、ギリシャ語を訳し、いろんなことをきかれた。最後に試験官は、ギリシャ語の不規則な過去形を一つきいた。ハンスは答えなかった。
「行ってもよろしい。あっちの右の入り口から」
彼は歩きだしたが、戸口で過去形を思い出した。彼は立ち止った。
「外へ出なさい」と、試験官はどなった。「外へ出なさい。それとも気分でも悪いのかい?」
「そうじゃありません。さっきの過去形をいま思い出したのです」
彼はへやの中に向って過去形を大声でいった。先生たちのひとりが笑うのを見て、彼は燃えるような頭をかかえながら外にかけ出した。それから、問いと自分のした答えとを思い出そうと努めたが、なにもかもごちゃごちゃになった。ただ大きな緑色の机の表面と、フロックコート姿の三人の厳粛な年とった先生と、開かれた本と、その上にのせられた自分のふるえる手とが、繰り返し目に浮ぶだけだった。ああ、自分はどんな答えをしてしまったことだろう!
往来を歩いていると、ここに来てからもう何週間もたち、帰ることができなくなったような気がした。自分の家の庭の光景やモミの木の青い山々や川の魚釣り場などが、非常に遠く離れたもの、ずっと昔見たことのあるもののように思われた。ああ、きょうのうちに家に帰ることができたら! ここにとどまっていてももうなんにもならなかった。どっちみち試験はだいなしになっちゃったのだ。
彼はミルク入りのパンを買った。そして、父に弁解するのがいやなばかりに、午後いっぱい往来を歩きまわった。とうとう家に帰って来ると、みんなは彼のことを心配していた。彼は疲れきっており、いたいたしく見えたので、卵入りスープを与えられて、寝かされた。あすまだ算術と宗教があった。そしたら、家へ帰れるのだった。
翌日の午前はまったくうまくいった。きのう主要な課目でしくじったあとで、きょうみんなできたのはしんらつな皮肉に感ぜられた。もうどうでもいい。いまは出発するだけだ。家へ帰るのだ。
「試験は済みました。もう家へ帰ってもいいんです」と、彼はおばさんのところに行って報告した。
父親はきょう一日ここにいようといった。みんなでカンシュタットに行って、そこの温泉公園でコーヒーを飲もうというのだった。しかしハンスがあまり懇願するので、きょうのうちにひとりで帰ることを父親は許した。ハンスは汽車に乗せられ、切符を受け取り、おばさんからキスしてもらい、食べものもあてがわれた。それから、疲れきった彼はぼんやり汽車にゆられて、緑の丘陵地帯を縫ってわが家へ向った。青く黒ずんだモミの山が現われて来たとき、はじめて少年は救われたような喜悦の情に襲われた。年とった女中や、自分の小さいへやや、校長先生や、住み慣れた低い教室や、その他いろんなものが楽しく待たれた。
幸い、おせっかいな知りあいの人がひとりも停車場にいなかった。人目につかず彼は小さい荷物をもって家に急いで帰ることができた。
「シュツットガルトはようござんしたか」と、アンナばあやがたずねた。
「よかったかって? 試験がいいものだとでも思ってるのかい? 帰って来たのがうれしいだけさ。おとうさんはあす帰るよ」
彼は新しい牛乳を一杯飲むと、窓の外にぶらさがっている水浴びのパンツを取りこんで、かけ出した。しかし、みんなの泳ぎ場になっている草原には行かなかった。
彼はずっと町はずれのワーゲに行った。そこは水が深くゆっくりと、高いしげみのあいだを流れていた。そこで着物をぬいで、まず手を、それから足を、冷たい水の中にさぐるように入れた。ちょっとぶるぶるっと身ぶるいしたが、やがてさっと身をおどらして川の中に飛びこんだ。弱い流れにさからってゆっくり泳いでいると、彼は過去数日の汗と不安がからだからぬぐわれていくのを感じた。彼のかぼそいからだが川の流れに抱かれ冷やされているあいだに、彼の心は新たな喜びをもって美しい故郷をわが物と感じた。速く泳いでは休み、また泳いでは、快い冷たさと疲れとに取りまかれるのを感じた。あおむけになって下手《しもて》へ流されながら、彼は、金色の輪を描いて群がるハイがかすかにぶうんと鳴くのに耳を傾けた。また暮れ近い空をすばしこい小さいツバメが横切るのを見た。もう山のうしろに隠れた太陽が空をバラ色に照らしていた。着物を着て、夢みるような気持ちでぶらぶらと家路についたときには、谷間はもうすっかりかげっていた。
途中には、商人のザックマンの家の庭があった。そこでハンスはまだごく小さいとき、ほかの二、三人の子どもといっしょに、熟していないスモモを盗んだことがあった。それから白いモミの角材のころがっているキルヒナー普請場のそばを通った。その材木の下で以前はいつも釣りのえさにするミミズを見つけたものだった。それから検査官ゲッスラーの小さい家のそばも通った。二年前、氷すべりのときなど、ハンスはそこの娘のエンマに近づきたいという気持ちを強く感じたものだった。エンマはこの町の女生徒の中でいちばんきれいで上品だった。年も彼と同じくらいだった。あのころ一時、彼はエンマと一度話しするか、握手するかしたいということを、ひたすら熱望していた。とうとうそれは実現しなかった。彼はあまり遠慮深すぎた。その後、彼女は寄宿学校に入れられてしまった。彼はもう彼女の顔つきもよく覚えていなかった。しかし、こういう小さいときのできごとが、さながら非常に遠いかなたのことでもあるように、いままたハンスの頭に浮んできた。しかもそれは、いままで経験したどんなことよりも、強い色彩と、ふしぎに胸かきたてるにおいを持っていた。そのころはまだ晩方ナショルトの家のリーゼといっしょに門の中の通路にこしかけて、ジャガイモの皮をむいたり、いろいろな話を聞いたりしたものだった。また日曜日の朝早く下手の|せき《ヽヽ》のところで、ずぼんを高くまくりあげ、内心びくびくしながら、川エビや魚捕りをやり、日曜の|よそ行き《ヽヽヽヽ》をびしょびしょにして、あとで父からぶたれたものだった。それからあのころは不思議な珍妙なことや人が多かった。それを彼はもう長いあいだすっかり忘れていた。首の曲ったくつ屋。あのシュトローマイヤーがおかみさんを毒殺したのはたしかだという話だった。それからとっぴな「ベックさん」。あの人は棒と弁当ぶくろをもって県全体をさすらい歩いていたが、昔は金持ちで馬車一式と馬を四頭も持っていたので、「さん」づけにされていた。ハンスはもうこれらの人々のことを名まえのほかにはなにも覚えていず、この薄暗い小さい路地の世界は自分にはもう縁がなくなってしまったのを、ぼんやりと感じた。しかもそのかわりに、別に活気のあるもの、ぶつかっていく値うちのあるものが、できたわけではなかった。
翌日もまだ休暇がとってあったので、ハンスは日中まで眠り、自由な気分を楽しんだ。お昼に父を迎えに行った。父はまだシュツットガルトで味わったいろいろの楽しさに満たされて、幸福そうだった。
「おまえ、及第していたら、なにか欲しいものをいってもいいぞ。よく考えてみな」と、父は上きげんでいった。
「だめ、だめ」と、少年は溜息《ためいき》をついた。「落ちてるにきまってるもの」
「ばかな。なんだってそんなことをいうんだ。おとうさんが後悔しないうちに、なにか欲しいものをいっておいたほうがいいぞ」
「休暇になったら、また釣りに行きたいな。行ってもいい?」
「いいとも。試験に通ったら、行ってもいい」
翌日の日曜日には夕立が来て、大粒の雨が降った。ハンスは何時間も自分のへやにとじこもって本を読んだり、考えこんだりした。もう一度シュツットガルトでの成績をこまかく立ち入って考えてみた。そしてまいどながら、絶望的な失敗をしてしまった、もっとずっといい答案が作れるはずだったのに、という結論に達した。もう絶対に及第の見こみはないだろう。なんたる情けない頭痛だ! しだいにある不安がつのってきて、彼は胸苦しくなった。ついに重い心配に駆られて、彼は父のところに行った。
「ねえ、おとうさん」
「なんだ?」
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど、お願いのことで。ぼくはいっそ釣りをやめようと思うんだけれど」
「なにっ、なんだっていったい今ごろまたそんなことをいうんだ?」
「ぼく……ぼくはききたかったんだよ、もしかしたら……」
「すっかりいってしまいな。そりゃ狂言のつもりなのか。で、なんだっていうんだ?」
「ぼく、もし落第したら、高等中学にいっていいかどうか」
ギーベンラート氏はあきれた顔をした。
「なに? 高等中学だって?」彼はいきなりどなりつけた。「おまえが高等中学にだって? だれがそんなことを思いこましたんだ?」
「だれでもないんだよ。ぼくはただそう考えたんだよ」
断末魔の苦しみが少年の顔に読まれた。父親はそれに気づかなかった。
「行った、行った!」と、父は腹だたしげに笑いながらいった。「とほうもないことだ。高等中学へなんて。おれが商業顧問官ででもあると思っているのか」
父が激しくはねつけたので、ハンスはあきらめて、すごすごと出て行った。
「なんていう小僧だ」父は子どものうしろからいまいましげにいった。「そんなことができるか。こんどは高等中学へいこうなんて。なんてばかな。とんでもない料簡《りょうけん》違いだぞ」
ハンスは小半時、窓ぶちにこしかけて、みがきたての床板を見つめながら、さてほんとに神学校も高等中学も学問もだめになったら、どうなるのだろうと考えてみようと努めた。たぶん見習いとしてチーズ店か事務所に入れられるだろう。そして一生平凡なみじめな人間のひとりで終ることだろう。そんな人間を彼はけいべつしていたし、どんなことがあってももっとずばぬけた人間になるつもりだったのに。かわいらしく利口そうな、生徒らしい顔はゆがんで、怒りと悲しみに満ちた渋面になった。彼は狂おしく飛び上がって、つばを吐き出し、そこにのっていたラテン語の抜粋読本をつかんで、力いっぱい手近の壁にたたきつけた。そして雨の中にかけ出した。
月曜日の朝、彼は学校に行った。
「どうだい?」と、校長先生はたずね、手を出した。
「きのう来るだろうと思っていたのに。試験はいったいどうだったね?」
ハンスは頭をたれた。
「おや、どうしたんだね。しくじったのかい?」
「そうだと思うんです」
「まあ、ちょっとの我慢だ」と、老先生はなぐさめてくれた。「たぶんきょうの午前中にシュツットガルトから知らせが来るだろう」
午前中はおそろしく長かった。なんの知らせも来なかった。昼食のときも、胸の中にこみあげてくる涙のためにハンスはほとんど食べものをのみこむことができなかった。
午後二時に教室に行くと、受け持ちの先生が先に来ていた。
「ハンス・ギーベンラート」と、先生は大声で呼んだ。
ハンスは前に進み出た。先生は手を出した。
「おめでとう。ギーベンラート。おまえは州の試験に二番で通ったんだよ」
教室はしいんと静まりかえった。ドアが開いた。校長先生がはいって来た。
「おめでとう。さあ、なんとかいわないかい?」
少年は、意外さと、うれしさにまったくこわばっていた。
「おや、なんにもいわないのかい?」
「そうだとわかっていたら」という言葉が思わず彼の口をついて出た。「完全に一番になれたのに」
「さあ家へ帰って」と、校長先生はいった。「おとうさんにそう言いなさい。もう学校には来なくてもいい。それでなくても、一週間たてば、休暇なんだから」
目がくらむような気持ちで、少年は往来へ出た。立っているボダイ樹、日の照っている広場が目にうつった。なにもかもいつものとおりだが、すべてがいままでより美しく意味深げに喜ばしげに見えた。彼は及第したのだった。しかも二番だったのだ。最初の激しい喜びが過ぎ去ると、彼の心はあつい感謝の念でいっぱいになった。もう町の牧師さんをよけて通る必要はなかった。いよいよ学問することができるのだ。もうチーズ店や帳場に入れられることを恐れるには及ばなかった。
そしていまこそ釣りに行くことができるのだった。ハンスが家に帰って来ると、父はちょうど玄関口に立っていた。
「どうしたんだ?」と、父はむぞうさに言った。
「たいしたことじゃないんだよ。もう学校へ来なくってもいいっていわれたんだよ」
「なんだって? いったいなぜだい?」
「ぼくはもう神学校生徒なんだから」
「そうか。やったな、通ったのか」
ハンスはうなずいた。
「いい成績でか」
「二番になったんだよ」
それはさすがの父も予期していなかった。父はまったくいうべき文句を知らず、続けさまに息子の肩をたたいて、笑っては、頭をふった。それから、なにかいおうとして口を開いたが、なにもいわず、ただかさねて頭をふるだけだった。
「えらいこった」と、ついに彼は叫んだ。それからもう一度「えらいこった」
ハンスは家の中にかけこみ、階段を上がり、屋根裏のへやに行った。だれも住んでいない屋根裏の戸だなを引きあけて、中をひっかきまわし、いろいろな箱や|ひも《ヽヽ》の束やコルクを取り出した。それは彼の釣り道具だった。さてなにをおいても上等な釣り|ざお《ヽヽ》を切らなければならなかった。彼は父のところへおりて行った。
「おとっつぁん、ナイフを貸しておくれ」
「なににするんだ?」
「さおを切らなくちゃならないんだよ。魚釣りの」
父親はポケットに手をつっこんだ。
「さあ」と、彼は顔を輝かしておおぎょうにいった。
「さあ、二マークやるぞ、自分のナイフを買うがいいや。だが、ハーンフリートのところじゃなくて、むこうの刃物|鍛冶屋《かじや》に行きな」
そこでかけ出した。鍛冶屋は試験のことをたずねた。そうして吉報を聞くと、特別上等のナイフを出してやった。下流のブリューエル橋の下手に、美しいしなやかなハンの木とハシバミの木がはえていた。そこでハンスは長いあいだえらんだあげく、強い弾力のある、申しぶんのない釣り|ざお《ヽヽ》を切りとり、それをもって急いで家へ帰った。
顔を赤くほてらし、目をかがやかして、彼は釣りのしたくにとりかかった。それは彼にとって、魚釣りそのものに劣らぬうれしい仕事だった。午後をぶっとおし夕方も二階にひっこんでいた。白や褐色《かっしょく》や緑色の糸をより分け、たんねんに調べて、つぎ合わしたり、古い結びめやもつれをといたりした。いろんな形や大きさのコルクと羽茎を検査したり、新しくけずったりし、ちがった重さの小さい鉛のかたまりをたたいて丸くし、切れめを入れて、糸の重しをつけることにした。そのつぎは釣り針。それは、しまっておいたのがまだ少しあった。それを分けて、四重の黒い縫い糸や、楽器の腸線の残りや、よりあわした馬の毛に、しっかりとくっつけた。晩方になってすっかりできあがった。これでハンスは長い七週間の休暇のあいだ、退屈する心配はなかった。釣り|ざお《ヽヽ》があれば、彼は毎日朝から晩までひとりで川ぶちですごすことができたのだから。
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第二章
夏休みはこうなくてはならない。山々の上にはリンドウ色に青い空があった。幾週間もまぶしく暑い日が続いた。ただときおり激しい短い雷雨が来るだけだった。川はたくさんの砂岩やモミの木かげや狭い谷のあいだを流れていたが、水があたたかくなっていたので、夕方おそくなってもまだ水浴びができた。小さい町のまわりには、干草や二番刈りの草のにおいがただよっていた。細長い麦畑は黄色く金褐色になった。あちこちの小川のほとりには、白い花の咲くドクゼリのような草が、人の背ほども高く茂っていた。その花はかさのような格好で、小さい甲虫《かぶとむし》がたえずいっぱいたかっていた。その中空の茎を切ると、大小の笛ができた。森のはずれには、柔らかい毛のある、黄色い花の咲く、堂々としたビロウドマウズイカが長くきらびやかに並んでいた。ミソハギとアカバナ属が、すらりとした強い茎の上でゆれながら、谷の斜面を一面に紫紅色におおうていた。モミの木の下には、高くそそり立つ赤いジギタリスが厳粛に美しく異様にはえていた。その根生葉《ねおいば》には銀色の柔らかい毛があって幅が広く、茎が強く、萼上花《がくじょうか》は上のほうに並んでいて美しい紅色だった。そのそばにさまざまの種類のキノコがはえていた。つやのある赤いハエトリタケ、肉の厚い幅広いアワタケ、異様なバラモンジン、赤い枝の多いハハキタケ、など。それから一風かわって色のない、病的にふとっているシャクジョウソウ。森と草刈り場のあいだの雑草のはえた境のところには、強いエニシダが真っ黄色に輝いていた。それから細長い薄むらさきのミネズホウ。それからいよいよ草刈り場。そこはもう大部分二度めの草刈りを前にして、タネツケバナ、センノウ、サルビア、松虫草などがはなやかにおいしげっていた。闊葉樹《かつようじゅ》の林の中ではアトリがたえ間なく歌っており、モミの林ではキツネ色のリスがこずえのあいだを走っていた。道ばたや壁のそばや、かれた堀では、緑色のトカゲがあたたかさに気持ちよさそうに呼吸しながら、からだを光らしていた。草刈り場をこえてずっと向うまで、かん高い、うむことを知らぬセミの歌が響きわたった。
町はこの時節には農村めいた感じを濃くした。干草車や干草のにおいや大カマの刃をつける音が往来や空中を満たした。二つの工場がなかったら、まったく村にいる思いがしただろう。
休暇の第一日の朝早く、アンナばあやが起き出しもしないうちから、ハンスはもうじれったそうに、台所につっ立って、コーヒーのできるのを待った。彼は火をおこすのを手伝い、はちからパンを取って来、新しい牛乳で冷たくしたコーヒーを大急ぎで飲み下し、パンをポケットにつっこんで、駆けだした。上手の鉄道の土手のところで止り、ズボンのポケットから丸いブリキの入れ物を引き出し、一生懸命にバッタを捕え始めた。汽車が走り過ぎた――が、勢いよく走って行きはしなかった。そこは線路が急なのぼりになっていたので、ゆっくりと走った。汽車は窓をすっかり明け放し、わずかの乗客を乗せ、蒸気と煙を長くうしろにのどかにたなびかして行った。ハンスはそれを見送り、白い煙がうずを巻いて、やがて早朝の澄んだ晴れた空に消えるのをながめた。どんなに長いあいだこうしたいろいろのものを、彼は見ずにすごしたことだろう。彼はおおきく呼吸をした。失った美しい時をいま、二倍にして取り返し、なんの屈託も不安もなく、もう一度小さい少年に返ろうとするかのように。
バッタを入れたカンと新しい釣り|ざお《ヽヽ》を持って、橋をこえ、うしろの菜園を通って、川のいちばん深い馬洗い場に歩いていく道々、ハンスの胸は、ひそかな歓喜と魚釣りの快感に高鳴った。そこには、柳の木にもたれて、どこよりもらくにじゃまされずに魚釣りのできる場所があった。彼は糸をのばして、小さい鉛のかたまりをつけ、太ったバッタを無慈悲に針につきさし、勢いよく遠く川のまんなかに投げた。古くなじんだ遊戯が始まった。小さいフナがたくさんえさのまわりに群がって、針からえさをちぎり取ろうとした。まもなくえさはくいつくされてしまった。二番めのバッタがつけられた。それから、もひとつ、続いて四番め五番めと、しだいに念入りにえさを針につけた。やがて、もひとつ鉛のかたまりを糸につけて重くした。ようやくいちにんまえの魚がえさをつつきだした。その魚はちょっとえさをひっぱってから、離し、またためした。それからくいついた――よい釣り手なら、糸と|さお《ヽヽ》を伝わって指にぴくっと来るのを感じるものだ。ハンスはわざとひとつき突いてから、慎重にひっぱり始めた。魚はくいついていた。見えるようになると、それはウグイであることがわかった。淡黄色に光る幅広のからだと、三角の頭と、とりわけ美しい肉色がかった腹びれによって、すぐ見分けがついた。どのくらいの重さがあるだろう? だが、それを積ってみることができないうちに、ウグイは死にもの狂いにはねかえり、おびえながら水面をぐるぐるっと泳いでから、逃げてしまった。ハンスは魚が水の中で三、四回旋回してから、銀色の閃光《せんこう》のように水の底に消えていくのを見た。くいつき方が悪かったのだ。
釣り手にはいよいよ魚釣りの興奮と熱情的な精神集中が目ざめた。彼のまなざしは鋭くじっと細い褐色の糸が水に触れているところに注がれた。彼のほおは真っ赤になり、彼の動作はきびきびとすばしこく的確だった。二度めのウグイがくいついて、引き上げられた。それから小さいコイ。小さいのが残念だった。それから、続けざまにハゼを三匹。この魚は父親の好物だったので、特に少年を喜ばした。これはせいぜい手さきほどの長さになるもので、うろこの小さい脂ぎったからだをしており、分厚な頭にはおどけた白い|ひげ《ヽヽ》があり、目は小さく、後半身はすらりとしていた。色は緑と褐色のあいだで、陸《おか》に上げられると鋼《はがね》色を帯びた。
そのうち、日は高く上がり、上手のせきの水のあわは真っ白に光り、川の上にはあたたかい微風がふるえていた。見上げると、ムックベルクの上に、手のひらほどのまぶしい小さい雲が二つ三つ浮んでいた。暑くなった。青空の中ほどに二つ三つじっと白く浮んで、長いあいだ見ていられないほど光をいっぱい吸いこんでいる静かな小さい雲くらい、晴れた真夏の日の暑さをよく現わしているものはない。そういう雲がなかったら、どのくらい暑いかを気づかぬことが多いだろう。青空でも、ぎらぎら光る川面《かわも》でもなく、丸くかたまった真っ白い真昼の雲を見ると、たちまち太陽のやきつくのを感じ、日かげを求め、汗にぬれた額の上に手をかざすのである。
ハンスはしだいに釣り針をあまり注意しなくなった。少し疲れてきた。それにどっちみちお昼ごろにはほとんどなんにも釣れないのが常だ。銀色ウグイは、いちばん年をくって大きいやつも、お昼には日なたぼっこするため上のほうに浮いて来る。彼らは大きい黒い列をなし夢みるように水面すれすれに上手へ向って泳ぐ。そしてときどきはっきりした理由もなく急に驚くのだった。この時刻には彼らは針にかからない。
ハンスは糸を柳の枝ごしに水の中にたらしたまま、地面に腰をおろして、緑色の川を見た。徐々に魚が上に浮いて来た。黒い背中が順々に水面に現われた。あたたかさに誘い出され陶然として、ゆっくり泳ぐ静かな魚の群れ。水があたたかいので気持ちがいいに違いない。ハンスは編み上げぐつをぬいで、足を水の中にたらした。水の表面はまったくなまぬるかった。彼は釣り上げた魚をながめた。魚は大きなジョウロの中にじっと浮んでいた。ときどき軽くはねるだけだった。なんと美しい魚だろう。動くごとに、白、褐色、緑、銀、つや消しの金、その他の色が、|うろこ《ヽヽヽ》と|ひれ《ヽヽ》のところに輝いた。
まったく静かだった。橋を渡る車の音もほとんど聞えなかった。水車のがたがた鳴る音もここではごくかすかに聞えるだけだった。白くあわ立つ|せき《ヽヽ》の穏やかなたえ間ないざわめきだけが、平和に涼しく眠たげに響いて来た。それから、いかだの|くい《ヽヽ》に水があたってぐるぐるまわる低い音がした。
ギリシャ語もラテン語も、文法も文体論も、算術も暗記も、長いおちつかないあくせくした一年の苦しい不安も残らず、眠たい暑いこのひとときの中に静かに沈んでしまった。ハンスは少し頭痛がしたが、いつものようにひどくはなかった。いまは昔のように川ぶちにすわることができるのだ。彼は|せき《ヽヽ》のところで水のあわが飛ぶのを見、釣り糸のほうを目を細くしてうかがった。そばのジョウロの中では、釣り上げた魚が泳いでいた。なんともいえないいい気持ちだった。ときどき、自分は州の試験に通ったのだ、二番になったのだ、という考えが、だしぬけに頭に浮んだ。すると、彼は素足で水をぱちゃぱちゃいわせ、ズボンのポケットに両手をつっこんで、口笛でメロディーを吹き始めた。彼はほんとにちゃんと口笛を吹くことができなかった。それは昔からの嘆きであり、そのために学校友だちからこれまでさんざんからかわれた。彼は歯のあいだから低く鳴らすことができるだけだったが、人に聞かせるのでないから、それでたくさんだった。それにいまはだれも聞くものなんかなかった。ほかのものはいま教室にこしかけて、地理の授業を受けているのだ。彼ひとりだけが休んでのんびりしていられるのだった。彼はみんなを追い越してしまったのだ。みんなはいま彼の下になっているのだ。彼はアウグストのほかには、友だちもなく、彼らのつかみあいや遊びごとをおもしろがりもしなかったので、みんなからさんざんいじめられた。だが、いまは、のろまな連中や足りない連中は感嘆して彼を見送るのだった。彼はみんなをひどくけいべつし、口をゆがめるためにちょっと口笛をやめた。それから糸をまき上げてみると、針にえさがまるでなくなっているので、笑わずにはいられなかった。カンに残っていたバッタを放してやると、バッタはふらふらしながら不承不承短い草の中にはいこんだ。そばの皮なめし場では、もう昼休みだった。食事に帰る時間だった。
昼食のとき、ほとんど話が出なかった。
「とれたかい?」と、父親がたずねた。
「五匹」
「おや、そうかい? 親魚をとらないように気をつけなよ。そうしないと、いまに子魚がいなくなっちゃうからな」
話はそれ以上はずまなかった。とても暑かった。食後すぐ泳ぎに行ってはならないのは、残念だった。いったいなぜ? からだに悪いというのだ。悪いなんてことがあるものか。ハンスのほうがよく知っていた。彼は禁を犯してなんどもいったことがあった。だが、いまはもうけっしてそんなことはしない。そんな乱暴をするには、もうおとなになっていた。驚いたことには、試験のとき、彼は「あなた」といわれたのだった。
結局、庭のモミの下に一時間横になってすごすのも、悪くはなかった。陰は十分あった。本を読むこともできれば、チョウチョをながめることもできた。それでそこに二時までころがっていた。も少しで眠りこんじまうところだった。さていよいよ水浴びだ。泳ぎ場の草原には小さい少年が二、三人いるだけだった。大きい少年たちはみな学校にいた。ハンスはそれを心から愉快に思った。彼はゆうゆうと着物をぬいで、水の中にはいった。彼は暑さと冷たさを交互に楽しむことを心得ていた。ちょっと泳いでは、もぐって水をはねかしたり、河岸に腹ばいになって寝たりした。そしてたちまち乾く膚に太陽がやきつくのを感じた。小さい少年たちは尊敬の念をもって彼のそばにこっそり寄って来た。そうだ、彼は有名な人物になっていたのだ。実際彼はほかの少年たちとは違った姿をしていた。日にやけた細い首の上に、きゃしゃな頭がすんなりと上品にのっていた。顔は知的で、ひいでた目をしていた。しかし、ひどくやせていて、手足は細くかよわく、背にも背中にも肋骨《ろっこつ》を数えることができた。ふくらはぎなんてものは、まるでないといってもよかった。
ほとんど午後いっぱい、彼はひなたと水の中をはねまわった。四時過ぎに彼の組のものの大部分ががやがや騒ぎながら急いで走って来た。
「いよう、ギーベンラート。うまくやってるな」
ハンスは気持ちよさそうにからだを伸ばした。「うん、悪くないな」
「神学校にいくのはいつだい?」
「九月になってからだよ。いまは休暇だ」
彼はうらやましがられた。うしろのほうで悪口の声が高くなって、だれかがつぎのような句を歌っても、ハンスはまったく平気だった。
シュルツェの内のリザベトと
同じようになりたいものよ!
あのこは昼間も寝ておじゃる。
わっしはそうはいかぬぞい。
彼は笑うだけだった。そのあいだに少年たちは裸になった。ひとりはいきなり水の中へ飛びこんだ。ほかのものたちはまず用心深くからだをひやした。その前にしばらく草の中に寝るものもあった。じょうずなもぐり手がしきりにほめられた。臆病者《おくびょうもの》がうしろから川の中に突き落されて、人殺しと叫んだ。みんなは追っかけっこをしたり、走ったり、泳いだり、岸で甲羅《こうら》をほしている連中に水をはねかしたりした。水のはねる音ときゃっきゃっという声でそうぞうしかった。川一面に、白いからだ、ぬれたからだ、つやのあるからだが輝いた。
一時間たつと、ハンスはいなくなった。なまあったかい夕方時になると、また魚がくいつくのだ。夕食まで彼は橋の上で釣りをしたが、ほとんどまるで釣れなかった。魚は食いたそうに針のうしろに寄って来た。えさはたえず食われるばかりで、ひとつもかからなかった。針には桜ンボがついていたが、明らかに大きすぎるか柔らかすぎた。彼はあとでもう一度ためしてみようと、心を決めた。
夕食のとき、知りあいの人がおおぜいお祝いに来てくれたことを、ハンスは聞いた。それからきょうの週報を見せられた。それには、公報という題の下につぎのように書いてあった。
「初級神学校の入学試験に当町は今回ハンス・ギーベンラート一名を送りたるところ、二番にて及第したる旨、ただいま吉報に接したり」
彼は週報をたたんで、ポケットにつっこんだまま、なにもいわなかったが、あふれる誇りと歓声で胸がわれそうだった。それから彼はまた魚釣りに行った。こんどはえさにチーズのかけらを少し持って行った。これは魚の好物で、薄暗くなっても魚によく見えるのである。
釣り|ざお《ヽヽ》を残して、ごく簡単な手釣り道具だけ持って行った。それは彼のいちばん好きな釣りだった。|さお《ヽヽ》も|うき《ヽヽ》もない糸を手に持っているので、釣り道具全体が糸と針とだけから成り立っていた。多少ほねがおれたが、ずっとおもしろかった。えさがちょっと動いても、思うとおりにすることができ、魚がちょっとつついても食いついても、手ごたえがあった。ぴくぴく動く糸によって、まるで魚を目の前に見てでもいるように様子をうかがうことができた。もちろんこの釣り方には修練が必要だし、指が器用で、探偵のように気をくばっていねばならなかった。
狭い、深く切れこんだ、うねった谷間にはたそがれが早くやって来た。橋の下の水は黒く静かだった。下手の水車場にはもうあかりがついていた。おしゃべりや歌の声が橋や小路《こうじ》の上に流れた。空気は少し蒸し暑かった。川ではたえず黒い魚がぴんと空中にはね上がった。こういう晩には魚は妙に興奮していて、ジグザグにすっすっと走り、空中におどったり、釣り糸にぶつかったりして、盲めっぽうにえさに突進する。チーズの小片がなくなるまでに、ハンスは小さめのコイを四匹釣り上げた。それをあす、町の牧師さんのところに持って行こうと思った。
ほてった風が川しもに吹いた。かなり暗くなったが、空はまだ明るかった。暗くなっていく小さい町全体の中で教会の塔と城の屋根だけが黒くくっきりと明るい上空にそそり立っていた。どこかずっと遠い所で雷雨がしているらしかった。ときおりはるか遠い穏やかな雷雨が聞えた。
ハンスは十時に床にはいると、頭と手足が快く疲れて、もう久しく味わったことのない眠気に襲われた。長く続く美しい自由な夏の日、のんきに水浴びや魚釣りや夢想をしてすごす日々が、心をやわらげるように誘うように、彼を待ちうけていた。ただ一つ、一番になれなかったことを、彼はいまいましく思った。
午前中早くハンスはもう町の牧師さんの家の玄関に立って、釣った魚をとどけた。牧師さんは書斎から出て来た。
「ああ、ハンス・ギーベンラートか。おはよう。おめでとう、ほんとにおめでとう!――なんだい、そこに持っているのは?」
「魚を少し。きのうぼくが釣ったんです」
「そうかい。お見せ。どうもありがとう。まあおはいり」
ハンスはなじみの書斎にはいった。そこは牧師さんのへやのようではなかった。はち植え花のかおりもタバコのかおりもしなかった。おびただしい蔵書は、どれを見ても、新しい、きれいに塗られて|つや《ヽヽ》のある、金めっきの背中で、普通の牧師の蔵書に見るような、色あせてゆがんだ、虫食いの穴だらけでカビの斑点のある本ではなかった。よく立ち入って見る人は、整理の届いた蔵書を書名によって、新しい精神――死滅していく時代の古風な尊敬すべき人々の中に生きているのとは違った精神――を読みとった。ベンゲルとか、エティンガーとか、シュタインホーファーとか、牧師の蔵書の名誉になる金看板の書物は、メーリケによって「古い風見《かざみ》」の中で美しく感動的に歌われている信心深い歌の作者のものとともに、ここには欠けていた。あるいはたくさんの近代の著作の中に姿を消していた。要するに、雑誌|はさみ《ヽヽヽ》や高机や、紙の散らばっている大きな書きもの机などもひっくるめて、全体が、学者らしく厳粛に見えた。ここではさかんに勉強するな、という印象を受けた。実際ここではさかんに行われた。もちろん説教や問答示教や聖書講義などのためよりは、学術雑誌のための研究や論文、自分の著書のための予備研究の仕事だった。夢想的な神秘主義や予覚的な瞑想《めいそう》はここからは追い払われていた。科学の深淵《しんえん》を越えて、愛と同情とをもって、渇えた民衆の心を迎える素朴な心情の神学も追い払われていた。そのかわりにここでは、聖書の批判が熱心に行われ、「歴史上のキリスト」が追究された。歴史上のキリストは近代の神学者によって口がすっぱくなるほど論ぜられはしたが、ウナギのように指のあいだをすべって捕えようがなかった。
神学についてもほかのことと変りはない。芸術といっていい神学もあれば、また他面、科学といっていい神学、少なくともそうあろうと努めている神学もある。それはいまもむかしも変らない。そして科学的な人は、新しい皮袋のために古い酒を忘れ、芸術的な人は、数々の皮相な誤りを平気で固守しながら、多くの人に慰めと喜びを与えてきた。それは批判と創造、科学と芸術、この両者間の昔からの、勝負にならぬ戦いだった。その戦いにおいては、常に前者が正しいのだが、それはなんびとの役にもたたなかった。これに反し、後者はたえず信仰と愛と慰めと美と不滅感の種をまき散らし、たえずよい地盤を見つけるのである。生は死よりも強く、信仰は疑いより強いから。
はじめて、ハンスは高机と窓のあいだの小さい|かわ《ヽヽ》の長いすに腰かけた。牧師さんは非常にやさしかった。まったく同輩のように、神学校のことや、そこでの生活や、勉強について物語った。
「神学校で出くわす新しいことでいちばんたいせつなのは」と、牧師さんは最後に言った。「新約聖書のギリシャ語にはいることだ。それによって、新しい世界が開けるのだ。それは勉強もおおいにしなければならないが、喜びもまた大きいのだ。はじめのうちは、そのことばはほねがおれるだろう。それはアッティカのギリシャ語ではなくて、新しい精神によって作られた新しい特殊の語法だ」
ハンスは緊張して傾聴しながら、誇りをもって真の学問に近づくのを感じた。
「型にはまった教え方をされるため」と、牧師さんはいいつづけた。「この新しい世界の魅力もむろんかなり失われるだろう。それに神学校ではさしずめ、おそらくヘブライ語にもっぱら力を集中しなければならないだろう。おまえにやる気があるなら、この休み中に少し始めてもいい。そしたら、神学校に行ってから、ほかのことに時間と力の余裕ができて、ぐあいがいいだろう。ルカ伝を二、三章いっしょに読んだら、ことばのほうはかたわら、遊び半分に覚えられるだろう。字引きは私が貸してあげる。それでまあ毎日一時間か、せいぜい二時間、少しずつやるんだね。むろんそれ以上はいけない。おまえはいまはなによりも当然休養しなくちゃいけないんだから。むろんこれは一つの提案にすぎないんだよ。――せっかくの楽しい休暇気分をぶちこわしたくはないからね」
ハンスはむろん承知した。ルカ伝の講義は、彼の自由の楽しい青空に現われた軽い雲のように思われたが、彼はそれをことわることを恥じた。それに休暇中かたわら新しいことばを習うのは、勉強というよりはたしかに楽しみだった。それでなくても、神学校で習うはずのたくさんの新しいことに対し、特にヘブライ語に対し、彼はひそかな恐れをいだいていた。
愉快な気持ちで彼は牧師さんの家を辞し、落葉松《からまつ》の道を登って、森の中にはいった。小さな不満はもう消えうせてしまっていた。牧師さんの申し出をよく考えてみればみるほど、それは好ましいものに思われた。というのは、神学校でも仲間を押えていこうと思ったら、いっそう野心的にがんばって勉強しなければならないということは、よくわかっていたからだ。そして彼は断然仲間を押えてやりたいと思った。いったいなぜ? それは彼にもわからなかった。三年来、彼はみんなの注目の的になり、先生たちも牧師さんも父親も、それから特に校長先生が彼を鼓舞激励し、息もつがせず勉強させた。来る学年も来る学年も、長年つづけて彼は群を抜いて一番だった。しだいに彼は、自分から首席を占め、肩を並べるものを許さない、ということを誇りとするようになった。愚劣な試験の心配もいまはもう過ぎ去ったことだった。
もちろん休暇だというのは、いちばん楽しいことだ。自分よりほかには散歩するものもない朝のうち、森の美しさはまた格別だった。モミの木が柱のように幹をつらね、はてしなく広い場所に青緑色の丸屋根を作っていた。下ばえはほとんどなかった。ただそこここに太いキイチゴの茂みがあるだけだった。そのかわり、低いコケモモの株とミネズホウのはえている、数里四方にもわたる柔らかい毛皮のようなコケの地帯がひろがっていた。露はもうかわいていた。まっすぐな幹のあいだに、森の朝独特の蒸し暑さがただよっていた。それは太陽の熱や露の蒸気やコケのかおりや、樹脂とかモミの葉とかキノコなどのにおいの混ざったもので、軽くまひさせるようにこびながら五官にまつわりついた。ハンスはコケの上に寝ころんで、密生している黒イチゴをとってたべた。そこここでキツツキが幹をつつき、やきもちやきのカッコウが叫んでいるのが聞えた。黒みがかった暗いモミのこずえのあいだから一点のしみもない紺青の空が見えた。遠くのほうで、ぎっしり並ぶ数千本の垂直の幹が厳粛な褐色の壁をなしていた。あちこちに木の間を漏れる黄色い日ざしがコケの上に暖かそうに点々と濃い光を投げていた。
ほんとうはハンスは、少なくともリュッツェラー・ホーフか、サフラン原まで大きな散歩をするつもりであった。が、いま彼はコケモモを食べながら、ものうげに意外のおももちで宙を見た。こんなに疲れたのが、われながら不思議に思われだした。以前は三時間や四時間歩いてもなんでもなかった。彼は元気を奮い起して、相当の距離を歩いてやろうと決心した。そして数百歩歩いた。だが、そこでもう、いつのまにかコケの上に横になって休んでいた。彼は寝そべったまま、目を細くして、幹やこずえのあいだや緑の地面を漫然と見た。この空気のなんと|けだるい《ヽヽヽヽ》ことだろう!
お昼ごろ家に帰って来ると、また頭痛がした。目も痛んだ。森の坂みちでは太陽がたまらなくまぶしかった。午後二、三時間不愉快な気持ちでぶらぶらと家ですごした。水浴びに行ってようやく元気になれた。だが、もう牧師さんのところに行く時間だった。
途中、くつ屋のフライクおじさんに見つかった。仕事場の窓ぎわの三脚いすにこしかけていたくつ屋はハンスを呼び入れた。
「どこに行くんだい? さっぱり姿を見せないじゃないか」
「牧師さんのところに行かなくちゃならないんだよ」
「まだかい? 試験は済んだじゃないか」
「うん。こんどは別のことなんだよ。新約聖書なのさ。つまり新約聖書はギリシャ語では書いてあるけれど、ぼくがこれまでおそわったのとは、まったく別なギリシャ語で書いてあるんだよ。こんどはそれを習うんだよ」
くつ屋のおじさんは帽子を首筋にずっとずらして、瞑想家ふうの広い額に厚い|しわ《ヽヽ》を寄せて、重い溜息《ためいき》をついた。
「ハンス」と、彼は小声でいった。「おまえにいいたいことがあるんだよ。いままでは試験だというので、口出しせずにいたんだがね。もうだまってはいられない。町の牧師は不信心者だということを承知していなくちゃいかん。牧師はおまえに、聖書はまちがっている、うそをついている、というだろう。そう教え込むだろう。おまえが牧師といっしょに新約聖書を読めば、おまえも気がつかないうちに信仰を失ってしまうだろう」
「でも、フライクさん、ギリシャ語を習うだけなんだよ、神学校に行けば、どっちみち習わなくちゃならないんだもの」
「おまえまでそんなことをいうのかい。だが、聖書を勉強するにも、信心深い良心的な先生たちにつくのと、神様を信じていない先生につくのとは、大違いだよ」
「そりゃそうだけれど、牧師さんがほんとに神様を信じていないかどうかわからないもの」
「信じていないとも。ハンス、残念ながらわかっているんだよ」
「でも、どうしたらいいかしら。行くって約束しちゃったんだもの」
「それなら、むろん行かなくちゃいけない。だが、たびたびはいかないようにするんだね。それから、もし牧師が、聖書は人間の作りもので、うそだ、聖霊の暗示ではない、などといったら、わしのところに来なさい。そしてそのことについて話しあうことにしよう。いいかい?」
「うん、そうしよう、フライクさん。でも、そんなひどいことはないよ」
「やがてわかるさ。わしのいったことをおぼえていなさい」
牧師さんはまだ家に帰っていなかった。ハンスは書斎で待っていねばならなかった。金文字の書名を見ていると、くつ屋のおじさんのことばに考えさせられた。町の牧師さんや新時代の牧師全体についてそういうことのいわれるのを、これまでいくども聞いたことがあった。しかしいまはじめて自分自身がそのことに引きこまれたので、彼は緊張と好奇心を感じた。彼にはそのことは、くつ屋のおじさんにとってほど、重大にも恐ろしいことにも思えなかった。むしろここに、昔からの大きな秘密をつきとめるあてがありそうだった。学校にはいってはじめの何年かのあいだ、神の遍在とか、魂の行くえとか、悪魔とか、地獄とかの疑問が、ときどき彼をそそってとっぴな物思いにふけらしたものであったが、最近二、三年のあいだやかましくせっせと勉強させられたので、そんな疑問はすっかり眠ってしまった。彼の学校仕込みのキリスト信心は、くつ屋のおじさんとの話でときおりいくらか個人的な生命を呼びさまされるだけだった。くつ屋のおじさんを牧師さんと比較すると、ハンスは微笑せずにはいられなかった。多年の苦労によって得られたくつ屋のおじさんの渋い強さは、少年には理解されなかった。かつまたフライクおじさんは利口ではあったが、単純で片よっており、信心にこりかたまっているため多くの人から嘲笑《ちょうしょう》されていた。時の祈りをする信者たちの集まりでは、彼は厳格な裁き手と聖書の権威ある解釈者の役をつとめた。また方々の村で礼拝をして歩いたが、その他の点ではささやかな職人にすぎず、世間なみの無学者だった。これにひきかえ、町の牧師さんは人としても説教者としてもじょさいなく話しじょうずであるばかりでなく、そのうえ、熱心で厳密な学者であった。ハンスは畏敬《いけい》の心をもって書だなを見上げた。
牧師さんはまもなく帰って来た。フロックコートをぬいで、軽い黒いふだん着の上着に取りかえ、ハンスにルカ伝のギリシャ版を手渡し、読むように促した。それはラテン語の勉強とはまったく違っていた。ふたりはごくわずかの文章を読んだ。それが一語一語極度に綿密に訳された。それから先生はささいな例をおしひろめて巧妙雄弁にこのことばの独特の精神を説明し、この聖書の成立の時代といきさつとを述べ、たった一時間のうちに、少年に学ぶことと読むことについてまったく新しい観念を与えた。一句一句一語一語のうちにどんな|なぞ《ヽヽ》と問題が隠れているか、この疑問のために昔から幾千人の学者、瞑想家、研究家が努力してきたか、ということを、ハンスはほのかに感ずることができた。彼自身もこの一時間のうちに真理探究者の仲間にはいったような気がした。
ハンスは字引きと文法を貸してもらい、家でも一晩じゅう勉強した。いま彼は、真の研究への道を進むには、勉強と知識の山をどのくらい越えなければならないか、ということを感じた。そしてどこまでもやり通し、けっしていいかげんには済まさないという覚悟をした。くつ屋のおじさんのことはさしずめ忘れてしまった。
数日彼はこの新しい学問に没頭した。毎晩牧師さんのところに行った。日ごとに真の学問は美しさを加え、困難を増し、同時に努力のやりがいがあるように思われた。朝早いうちに釣りに出かけ、午後は泳ぎ場に行ったが、そのほかにはほとんど外出しなかった。試験の不安と勝利のためにひそんでいた功名心がふたたび目ざめてきて、彼を休ませなかった。同時に、過去数カ月のあいだひんぱんに感じた独特の感情がふたたび頭の中に動き始めた――それは苦痛ではなくて、急な脈搏《みゃくはく》と激しく興奮させられた力との性急に凱歌《がいか》をあげる活動、まっしぐらに前へ進もうとする欲望だった。そのあとではもちろん頭痛がしたが、あの微妙な熱の続くあいだは、読書と勉強はあらしのように進んだ。そうすると、いつもは数十分かかるクセノフォンのいちばんむずかしい文章も遊戯のように読めた。そして字引きはほとんどまったく使わず、とぎすまされた頭の力で、むずかしいところを幾ページもすらすらと楽しく読み飛ばした。あおられたこの勉強熱と知識欲に誇らしい自信が結びついて、彼は学校と先生と修業時代とはもうとっくに越えてしまって、知識と能力の頂上に向って、独特の軌道を歩んでいるような気持ちになった。
いままたそういう気持ちに襲われると同時に、妙にはっきりした夢を伴い中断されがちの浅い眠りがやってきた。夜中に軽い頭痛を覚えて目をさまし、もう眠ることができなくなると、先へ進もうとする焦慮に襲われた。また自分がすべての仲間をどれだけしのいでいたか、どんなに先生たちや校長先生が一種の尊敬、それどころか、嘆賞をもって自分をながめたか、ということを考えると、優越感に襲われた。
校長にとっては、自分の呼びさました美しい功名心を導いていくのは、またそれが成長するのを見るのは、深い満足であった。教師というものは無情で、化石的な、魂を失った、しゃくし定規の人間だ、などといってはならない。いや、それどころか、子どものいくらつついても容易に目ざめなかった才能が芽を吹き、少年が木のサーベルやぱちんこや弓やその他の子どもらしいおもちゃを捨てて、先へ進もうとする努力を始め、真剣な勉強によって、豊頬《ほうきょう》の乱暴者がしつけのよいまじめなほとんど禁欲的な少年になり、その顔がおとなびて精神的になり、そのまなざしが深さを加え、目ざすところがはっきりしてき、その手がだんだんおちついて白く静かになるのを見ると、教師の魂は喜びと誇りに笑うのである。教師の義務と、国家から教師にゆだねられた職務は、若い少年の中の粗野な力と自然の欲望とを制御し除去し、そのかわりに、国家によって認められた静かな中庸を得た理想を植えつけてやることである。いまは幸福な市民や熱心な役人になっている人たちの中にも、学校のああした努力が加えられなかったら、奔放で向うみずな革新家か、無為な思念をこととする夢想家になったものも、少なくないであろう。少年の中には、ある粗暴なもの、乱暴なもの、野蛮なものがある。それがまず打ち砕かれねばならない。また少年の中にある危険な炎がまず消されねば、踏み消されねばならない。自然に造られたままの人間は、計ることのできない、見通しのきかない、不穏なあるものである。それは、未知の山から流れ落ちて来る奔流であり、道も秩序もない原始林である。原始林が切り透かされ、整理され、力でもって制御されねばならないように、学校も生れたままの人間を打ち砕き打ち負かし、力でもって制御しなければならない。学校の使命は、お上によって是とされた原則に従って、自然のままの人間を、社会の有用な一員とし、やがて兵営の周到な訓練によってりっぱに最後の仕上げをされるはずのいろいろな性質を呼びさますことである。
小さいギーベンラートはどんなにりっぱに成長したことだろう。ぶらぶら出歩くことや遊ぶことは、ほとんどひとりでにやめてしまった。課業中にわきまえなく笑うなんてことはもうずっと前からなかった。土いじりやウサギ飼いや、困りものの魚釣りもふっつりやめてしまった。
ある晩、校長先生が親しくギーベンラートの家に現われた。光栄に悦にいっている父親を丁寧にあしらってから、先生はハンスのへやにはいった。少年はルカ伝を勉強していた。先生はいたって親しげにあいさつした。
「ギーベンラート、もう勉強を始めたのは感心だね。だが、なぜちっとも姿をみせないのだい? 毎日待ち受けていたのに」
「いくはずだったのですけど」と、ハンスはわびをいった。「上等な魚でも持っていこうと思ったもんですから」
「魚? どんな魚だい?」
「ええ、コイかなんか」
「ああ、そうか。また釣りをやっているのかい?」
「ええ、でも、ちょっとです。おとうさんが許してくれましたから」
「ふむ、そうかい。おもしろいかい?」
「ええ、そりゃ」
「結構だ、おおいに結構だ。おおいに奮闘したんだから、休暇に休むのは当然だ。じゃ、かたわら勉強してみる気はないだろうね」
「ありますとも、先生、むろん」
「だが、自分でやる気がなけりゃ、むりにやらせたくはないんだよ」
「もちろん、やる気があります」
校長先生は二、三度深く息をつき、薄い|ひげ《ヽヽ》をひねって、いすにこしかけた。
「ねえ、ハンス」と、先生はいった。「こういうわけなんだよ。試験の成績が非常にいいと、そのあとでとかく急に退歩するものだ。神学校に行くと、新しい課目をたくさんこなしていかなけりゃならない。それに、休暇中に先を勉強して来る生徒が必ずたくさんいる。――特に、試験であまりよくなかったものに、そういうのが多い。そういう生徒たちが急に上のほうにあがって来て、休暇中栄冠の上で安眠をむさぼっていたものをけおとしてしまうのだ」
先生はまた溜息をついた。
「ここの学校ではおまえはいつもらくらくと首席になれたが、神学校の仲間はまた別だ。天才的なのか、非常に勤勉なのばかりだ。そういう連中を遊び半分で追いこすなんてことはできない。わかったかい?」
「ええ」
「そこで、この休暇中に少し先を勉強したらどうかと思うんだよ。もちろん、ほどほどにやるんだよ。おまえは十分休養する権利も義務もあるんだからね。だが、日に一時間か二時間やるのは、かえって適当じゃないかと思ったのだよ。そうしないと、とかく脱線しちゃって、また軌道にのってすらすらいくまでには、幾週間もかかるからね。どう思うね?」
「ぼくはすっかりその気になっています。先生さえめんどうみて……」
「よろしい。ヘブライ語のつぎに神学校じゃ、特にホメロスが新しい世界を開いてくれるだろう。いまのうちにしっかりした基礎を造っておいたら、ホメロスを読んでも、倍もよく味わい、理解することができるだろう。ホメロスのことばは、古いイオニアの方言で、ホメロス流の韻律法とともに、まったく独特無類のものだ。この文学をほんとに味わおうと思ったら、勤勉に徹底的にやらなければならない」
むろんハンスはこの新しい世界にも喜んではいって行くつもりで、最善をつくすことを約束した。
だが、そのあとが恐ろしかった。校長先生はせき払いして、優しく言いつづけた。
「ありていにいうと、数学にも二、三時間むけたら、いいと思うのだがね。もちろんおまえは算術もへたじゃないけれど、これまで数学はおまえの得手じゃなかった。神学校では代数と幾何を始めなければならない。二、三課でも前もってやっておいたほうがいいだろうね」
「承知しました。先生」
「私のところには、例のとおり、いつ来てもいい。おまえがりっぱなものになるのを見るのは、私の名誉になることだ。だが、数学については、数学の先生に個人教授を受けるように、おとうさんにお願いしてみなければなるまい。週に三時間か四時間でよかろう」
「承知しました。先生」
勉強はふたたび申しぶんなくはかどった。ハンスは一時間でも釣りをしたり、散歩をしたりすると、気がとがめた。献身的な数学の先生は、ハンスのいつもの泳ぎの時間を勉強時間に選んだ。
この代数の時間はいくら勉強してもおもしろく思えなかった。暑い午後の最中に、泳ぎ場にいくかわりに、先生の暑いへやにいき、蚊のぶんぶんいうほこりっぽい空気の中で、疲れた頭をかかえ、ひからびた声で、aプラスb、aマイナスbを暗唱するのは、やはりつらかった。そしてなにかまひさせるような、極度におしつけるようなものが、宙にただよっていた。それが、悪い日には暗澹《あんたん》とした絶望に変りかねなかった。だいたい、数学は彼には妙なものだった。彼はけっして、数学を解する頭のない生徒ではなかった。彼はときどき、うまい、それどころかあかぬけした解き方をした。そして自分でもそれを愉快に思った。数学には変則やごまかしがなく、問題をそれて、不確実なわき道をうろつくことのない点が、ハンスは好きだった。同じ理由でラテン語も非常に好きだった。このことばは明瞭《めいりょう》で、あやふやなところ、あいまいなところがなく、ほとんど疑いというものを知らなかったから。だが、算術ではたとえ答えがみな合っても、なんにもならなかった。数学の勉強や授業は平坦《へいたん》な国道を歩くようなものに思われた。たえず前に進み、毎日なにかしら前日までわからなかったことがわかるようになるけれど、とつぜん広い見はらしが開ける山に登るというようなことはなかった。
校長先生の家の勉強はいくらか活気があった。もちろん町の牧師さんは新約聖書の変質したギリシャ語をも、校長先生が若々しく清新なホメロスのことばに対する以上に、はるかに魅力あるりっぱなものにすることを心得ていた。しかし結局ホメロスはホメロスだった。最初の困難を越えると、そのすぐ背後に、思いがけぬ楽しみが現われて、ぐんぐん先へ誘って行った。神秘的な美しい響きを発する、難解な詩句を前にして、胸いっぱいの焦燥と緊張にふるえることもたびたびあった。そして引く手ももどかしげに字引きを見ると、静かに朗らかな花園を開いてくれる|かぎ《ヽヽ》を見つけることができるのだった。
また宿題がたくさんたまった。なにかの問題にくいさがって夜おそくまで、机に向うことも珍しくなかった。父親はこの勉強ぶりを誇りをもって見ていた。彼の鈍重な頭の中には、自分がおぼろげな尊敬をもって見上げている高い所へ、自分の幹から一つの枝を頭上高く伸ばしたいという、愚かで凡庸な人間たちの理想が、ぼんやりと巣くっていた。
休暇の最後の週になると、校長先生と町の牧師さんとは急に目だってやさしく思いやりのある態度を示した。ふたりは学課をやめて、少年を散歩にやり、元気を回復して生き生きと新しい行路にはいることがどんなに必要であるかを力説した。
ハンスはなお二、三度釣りに行った。しきりに頭痛を感じながら、いまはもう淡青の初秋の空を映している川の岸べに、たいして気もくばらず腰をおろしていた。いったいあのころなぜあんなに夏休みを楽しみにしていたのか、不思議に思われた。いまはむしろ、夏休みが過ぎて、まったく別な生活と勉強の始まる神学校にはいるのがうれしかった。魚なんかどうでもよかったので、ほとんど釣れなかった。父親にそのことを一度ちゃかされてから、ハンスはもう釣りをやめ、釣り糸を屋根裏の箱にしまった。
あと数日というときになって、ハンスはもう数週間もくつ屋のフライクおじさんのところに行かなかったことを急に思い出した。いまでも、たずねて行こうというには、心を励まさねばならなかった。晩方だった。親方は小さい子どもを両ひざにひとりずつのせて、居間の窓ぎわにこしかけていた。窓はあけてあったが、皮やくつ墨のにおいが家全体にしみこんでいた。もじもじしながら、ハンスは自分の手を、親方の固い広い右手にのせた。
「ところで、どうだね?」と、親方はたずねた。「牧師のところで精が出たかい?」
「ええ、毎日いって、たくさんおそわったよ」
「いったいなにをだね?」
「おもにギリシャ語だけど、そのほかにもいろいろ」
「それでわしのところには来る気になれなかったのだね」
「来たかったんだよ、フライクさん。でも、そういかなかったのさ。牧師さんのところに毎日一時間、校長先生のところに毎日二時間、数学の先生のところに一週四回いかなきゃならなかったんで」
「休暇中なのにかい? そいつはばかな話だ」
「ぼくにはわからないよ。先生たちがそうしろっていったんだもの。それに勉強するのは、ぼくにはほねじゃないんだよ」
「そりゃそうかもしれん」と、フライクおじさんはいって、ハンスの腕をつかんだ。「勉強の方はいいだろうけれど、こりゃ、なんという腕だい? 顔だって、ひどくやせてる。まだ頭痛がするかい?」
「ときどき」
「そいつはばかな話だよ、ハンス、それに罪悪だ。おまえの年ごろにゃ、十分外に出て運動し、休養も十分しなくちゃいかん。なんのための休暇だい? まさか、へやにうずくまって勉強を続けるためじゃあるまい? おまえはまったく骨と皮ばかりじゃないか」
ハンスは笑った。
「そりゃまあ、おまえはやり通せるだろう。だが、すぎたるは及ばざるがごとしだ。牧師のところの勉強はどうだったい? どんなことをいったい?」
「いろんなことをいったけれど、なにも悪いことはいわなかったよ。とても物知りだよ」
「聖書をけがすようなことはいわなかったかい?」
「いいや、一ぺんもいいやしないよ」
「そりゃ結構だ。だが、これだけはいっておくぜ。魂をそこなうよりは、肉体を十ぺん滅ぼすことだ。おまえはいまに牧師になるつもりでいるが、そりゃとうとい重い役目だ。そのためには、おまえたちのような若い有象無象《うぞうむぞう》とは違った人間が必要なんだ。たぶんおまえはまちがいない人間で、いつか魂の救い手、教えびとになるだろう。わしはそれを心から願い、そのために祈ってやろう」
彼は立ち上がって、両手をしっかりと少年の肩の上にのせた。
「ごきげんよう、ハンス。正しい道を離れぬように、主がおまえを祝福し護《まも》りたまわんことを! アーメン」
その厳かさと祈りと標準語の文句とが少年の心をいたいたしく締めつけた。町の牧師さんはいとまごいのとき、そんなふうにはしなかった。
したくと、いとまごいで、数日はあわただしく過ぎた。敷布類や着物やはだ着や本を詰めた箱はもう送り出された。手さげも詰めこんだ。ある涼しい朝、父と子はマウルブロンへ旅立った。故郷を去り、父の家を出て、よその学校へはいるのは、なんといっても妙な胸苦しいものであった。
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第三章
州の西北のはずれ、森の丘と静かな小さいいくつかの湖のあいだに、シトー教団のマウルブロン大修道院がある。広い美しい古い建物がしっかりとよく保存されていて、内部も外観もみごとなので、住んでみたいような気を起させるであろう。建物は数百年のあいだに、おちついて美しい緑の周囲と、高雅にしっくりと溶けあっている。修道院をたずねるものは、高い|へい《ヽヽ》のあいだに開いている絵のような門を通って、広いしんとした庭にはいる。そこに噴泉が水をふいている。また、古い厳粛な木が立っている。両側に古い石造のがっしりした家がある。奥には大きな本堂の正面があり、その後期ロマネスクふうの玄関は、比類のない優雅な愛すべき美しさをもっており、パラダイスと呼ばれている。本堂の堂々たる屋根の上に、針のように細いユーモラスな小さい塔がまたがっている。どうしてそれに鐘がつるしてなければならないのかわからない。よく保存されている回廊はそれ自体美しい建物であるが、その一部にある、みごとな噴泉付き礼拝堂はさながら一個の珠玉である。僧職の食堂は力づよく高雅な十字形丸天井をなしており、すばらしいへやである。さらに祈祷室《きとうしつ》、談話室、俗人の食堂、修道院長の住居などと、教会堂が二つかたまってつながりあっている。絵のような壁、出張り、門、小さい庭、水車、住宅などが、重厚な古い建築を快く朗らかに飾っている。広い前庭はがらんとして静かで、まどろみながら、木立ちの影をもてあそんでいる。昼過ぎの一時間のあいだだけ、ちょっと活気らしいものが現われる。その時刻には若い生徒たちの一群が修道院の中から出て来て、広い庭に散らばり、わずかながら人の動きや呼び声や話し声や笑い声が起きる。まり遊びをする者もあるが、その時間が過ぎると、たちまち壁の中に消えてしまって、人影一つ見えなくなる。この庭に立って、こここそ十分に生活と喜びとを味わうにふさわしい場所だ、ここでこそ生命ある者や祝福をもたらす者が成長しうるにちがいない、こんな所でこそ成熟したよき人々は喜ばしい思想を考え、美しい朗らかな作品を作るにちがいないと、考えた人も少なくない。
深い思いやりをもって、政府は、丘と森のうしろに隠れ、俗界を離れた、この美しい修道院を、新教の神学校の生徒たちにあけてやった。美しい静かな環境を、感じやすい若い心に与えてやるためである。同時にここにいれば、若い生徒たちは、都会と家庭生活の、心を散漫にする影響を脱し、あわただしい生活の有害な光景に対し保護されている。それによって、少年たちに数年間ヘブライ語とギリシャ語の研究をほかの参考科目とともに、真剣に生活の目標とさせ、若い魂の渇望を清い精神的な研究と享受に集中させることができるのである。それにはさらに寄宿生活が自己教育を促し、団体感情を養うものとして重要な要素となっている。神学校の生徒は官費で生活し勉強することができる。そのかわり、政府は、生徒たちが特別な精神の子となるように配慮している。その精神によって彼らはのちになっても、いつでも神学校の生徒だったということが見分けられる。――それは一種の巧妙なしかも確実なしるしづけである。自発的な隷属の意味深い象徴である。ときとして脱走する乱暴者を除いては、シュヴァーベンの神学校生徒は一生その面影をはっきり残している。人間というものはなんとまちまちなものであろう。また人間のおいたった環境や境遇もどんなにまちまちなことであろう。それを政府は生徒たちについて、一種の精神的な制服、あるいは|はっぴ《ヽヽヽ》によって合法的に根本的に等しくしてしまう。
修道院の神学校にはいる際、母の存命していたものは、その日を感謝の念とほほえましい感動とをもって一生思い出すのである。ハンス・ギーベンラートはそうした身の上ではなく、なんの感動もなく、その場をすごしてしまったが、おおぜいのよその母親たちをながめ、一種特別な印象を受けた。
大寝室といわれている、戸だなのついている広い廊下に、箱やバスケットが散らばっていた。両親に付きそわれて来た少年たちが、こまごました持ち物をほどいて出したり、かたづけたりしていた。めいめい番号付きの戸だなと、勉強室では番号つきの本立てをあてがわれた。息子と両親たちは床にひざをついて荷をほどいていた。そのあいだを助手が王侯のように歩きながら、ときどき親切な助言を与えた。みんなは荷を解いて出した服をひろげ、はだ着をたたみ、本を積み上げ、くつと上ぐつとを並べた。したくはだいたいみんな同じだった。持って来るべき下着類のどうしても必要な数と、その他の身のまわりの道具のぜひ必要なものとはあらかじめ指定されていた。名まえをけずりこんだしんちゅうの洗面器が出て来た。そして洗面所に海綿やシャボン入れや|くし《ヽヽ》や歯ブラッシなどといっしょにならべられた。それからめいめいランプと石油入れと一人まえの食器を持って来ていた。
少年たちはみんな非常にせわしく興奮していた。父親たちは微笑して、手伝ってみたり、いくども懐中時計を見たりした。彼らはかなり退屈して、いくどかごめんこうむろうとした。これにひきかえ、母親たちは仕事の中心だった。服や下着を一つ一つ手に取って、しわをのばし、バンドをまっすぐにし、念入りに調べて、できるだけきちんとぐあいよく戸だなの中に分けて入れた。訓戒や注意や愛情もそれといっしょに流れこんだ。
「新しい下着はとりわけたいせつにしなければいけないよ。三マーク五十もしたんだから」
「下着はひと月ごとに鉄道便で送りなさい――急ぐときは、郵便で。黒い帽子は日曜にだけかぶるんだよ」
ふとった気楽そうな母が高い箱の上にこしかけて、息子にボタンの縫いつけ方を教えていた。
「家に帰りたくなったら、たえず手紙をよこしなさい。クリスマスまではそうたいして長いことはないから」と、いう声がどこかで聞えた。
きれいな、まだかなり若い母が、いっぱい詰めこんだ息子の戸だなをながめ、下着類や上着やズボンを愛撫《あいぶ》の手でさすった。それが済むと、肩幅の広い、ほおのふくれた息子をさすり始めた。子どもが恥ずかしがって、もじもじして笑いながら、母の手を払いのけ、甘ったるく見えないように、両手をズボンの隠しにつっこんだ。別れは息子より母親にとってつらいようだった。
ほかの少年たちはその反対だった。彼らはせわしげな母親をぼんやりとほうにくれて見つめ、なによりもいっしょにまた家に帰りたげな様子だった。どの子どもを見ても、別れの恐ろしさと、こみ上げる愛情や恋しさが、はたの人々に対するはにかみや、面目を保とうとするうぶな男らしさの負けぬ気と、激しく戦っていた。じつは声をあげて泣かんばかりの少年たちの中には、わざとのんきな顔をして平気を装っている者もあった。母親たちはそれを見て微笑した。
ほとんどすべての少年が荷物の箱の中から、必需品のほかに、リンゴの小さい袋とか薫製の腸詰めとかビスケット類の小さい|かご《ヽヽ》など、いくらかのぜいたく品を取り出した。スケートを持って来たものも多かった。ずるそうな様子の小さい少年が、ハムをしこたま持っていて、しかもそれを少しも隠そうとしなかったので、ひどく人目をひいた。
どの子どもが家から直接来たか、どの子どもがこれまでにもうほかの学校や寄宿舎にいたか、ということは、容易に見分けられた。だが、後者の生徒たちにも興奮と緊張とは見うけられた。
ギーベンラート氏は息子を手伝って荷を解いたが、要領よくてきぱきとふるまった。ほかの大多数の人より早く済ましたので、ハンスといっしょに退屈して所在なく大寝室にぼんやり立っていた。が、どちらを向いても、教えさとす父親、慰めや注意を与える母親、せつなげに聞いている息子たちが目に映ったので、彼もハンスのための将来の生活へのはなむけとして金言でも与えてやるのが、しかるべきことだと思った。彼は長いあいだ頭をひねり、無言の少年のそばを苦吟しながら、こそこそと歩きまわった。それから突然勢いこんで荘重な文句の名言集を少しばかりさらけ出した。それをハンスは驚いて静かに受け入れていたが、ひとりの牧師さんがそばに立って父親の説教をおもしろがって微笑しているのを見たので、恥ずかしくなって、父親をわきへひっぱった。
「じゃ、いいな。家の名誉をあげるようにするだろうな。そして目上の人の言いつけをよく守るんだろうな」
「うん、むろんだよ」と、ハンスはいった。
父親は話をやめて、ほっと息をついた。彼はたまらなく退屈しだした。ハンスもだいぶ閉口してきた。胸苦しい好奇心をもって窓ごしに静かな回廊を見おろすと、その古風な隠遁《いんとん》的な気品とおちつきとが、二階のそうぞうしく若やいだにぎやかさと奇妙な対照をなしていた。それからまた彼はせわしげな仲間をおずおずとながめた。その中に知っている生徒はひとりもなかった。シュツットガルトで知りあった受験仲間は、ゲッピンゲン仕込みのラテン語通だったのに、及第しなかったらしい。少なくともハンスの目には見つからなかった。そのことはたいして気にもとめず、彼は将来の同級生たちを観察した。どの少年のしたくも種類と数の点で似かよっていたが、それでも都会のものと百姓の子、裕福なものと貧しいものとは容易に見分けられた。もちろん富んだ人々の息子が神学校に来ることはまれだった。それは両親の自負心、あるいは一段と深い見解にもとづくこともあれば、子どもの天分によることもある。それでもなお、多くの教授やかなり偉い役人たちが、自分自身の修道院時代をなつかしんで、子どもをマウルブロンに送った。それで四十人の生徒の黒い上着には、布地と型にさまざまの差異が見うけられた。それ以上に少年たちは癖や態度にかけてたがいに異なっていた。手足のごつごつしたやせたシュヴァルツヴァルトのもの、うすい金髪で口の大きい多血質の高地のもの、のびのびと朗らかな様子の身がるな低地のもの、とがったくつをはき、洗練されたと称する崩れた方言をしゃべる上品なシュツットガルトのものなどがいた。この若い盛りの少年たちのほぼ五分の一がめがねを掛けていた。シュツットガルトのもので、ひ弱そうな、エレガントといってもいい、母親育ちの少年がひとり、堅い上等のフェルト帽をかぶって、上品にふるまっていたが、その並みはずれた飾りが、もう第一日に、仲間の中の乱暴者たちに、後日のあざけりや乱暴の欲望をそそったことに気づかずにいた。
はたで見ている人でも、さとい目を持つ人なら、臆《おく》しているこの一群の少年たちが、州の少年たちの選《え》り抜きとして相当なものであることを認めえただろう。詰め込み式教育を受けてきたなということのすぐわかる凡庸な少年とならんで、さとい少年、反発力のあるしっかりした少年も乏しくなかった。彼らのなめらかな額の奥には、より高い生活がまだなかば夢の中に眠っているように見えた。おそらく中にひとりふたりは、あの抜けめのないがんこなシュヴァーベン型の頭もいただろう。この型の頭は時のたつうちにときおり、大きな世界のただ中に割りこんで、彼らのいつも多少ひからびたがんこな思想を、新しい強力な体系の中心にするのだった。それは、シュヴァーベンの国は、きわめてしつけのよい神学者を世に送るばかりでなく、伝統的に哲学的思索の能力のあることを誇りとしているからである。実際これまでにもうたびたびこの哲学的思索は声望高い予言者、あるいは異端の説をなすものを生んでいる。こうして、この肥沃《ひよく》な州は、政治的に大きな伝統にかけてははるかに劣っており、いまはおとなしい|ひな《ヽヽ》どりとして、鋭いくちばしをそなえた北方のワシ――プロイセンにすがっているが、少なくとも神学と哲学との精神的な領域では、あいかわらず確かな影響を世に及ぼしている。同時にこの住民の中には昔から、美しい形や夢幻的な詩を喜ぶ心が宿っている。それが、ときおり、相当な詩人を生みだすのである。近ごろはもちろん彼らはそれほど珍重されない。詩にかけても、北方に住む同胞たちが優勢になって、南方のことばは粗野だとなし、一段と鋭いことばでもって、ときとしては土のにおいを、ときとしてはベルリンの都雅をねらい、われわれの古風な詩を切れ味のよい点でたしかにはるかにしのぐ調べを発するのである。残念ながら、それに逆らい、高慢なベルリン人のまだごく若い|さび《ヽヽ》をこきおろすことは、ここでもよそでもできないことである。われわれも、めいめいにその領分を喜んで認めよう。われわれシュヴァーベン人には、静かな森の上に太古の光彩の遺物がまどろみ夢みている古いホーエンシュタウフェン城を、北方のものには、なめらかで|ちり《ヽヽ》もとどめぬ車道がぴかぴか光る大砲のそばを通っているホーエンツォラーン城を、その領分と認めよう。双方にそれぞれ長所はあるのだ。
マウルブロン神学校の施設と慣習とには、外面的に見れば、シュヴァーベン的なものはなにも感じられなかった。むしろ修道院時代から残っているラテン語の名称とならんで、いろいろな古典的な礼式が新しく付加された。生徒たちが割りあてられたへやは、フォルム、ヘラス、アテン、スパルタ、アクロポリスという名であった。いちばん小さい最後のへやがゲルマーニアと呼ばれていたことは、ゲルマン的な現在にできるだけローマ的ギリシャ的な幻想を与える理由のあることを示すようにさえ思われた。しかしそれさえも外面的にすぎなかった。実際はヘブライ的な名こそいっそうふさわしかっただろう。それで、愉快な偶然の意志なのか、アテンのへやは、度量のある雄弁な生徒ではなくて、えりにえって律義な退屈な数人の生徒を収容し、スパルタのへやには、武人気質のものや禁欲家ではなくて、小人数ながら、陽気なはち切れそうな聴講者が住むことになった。ハンス・ギーベンラートは、九人の仲間とともにヘラスのへやに割り当てられた。
その晩はじめて九人の仲間といっしょに、ひんやりするがらんとした寝室にはいり、自分の狭い寝台にもぐって寝ると、やはりなんとも言えない気持ちがした。天井から大きな石油ランプがさがっていた。その赤い光でみんなは服をぬいだ。ランプは十時十五分に助手によって消された。そこでみんな並んで寝た。寝台二つごとに、着物をのせる小さいいすがあった。柱のそばに、朝の鐘を鳴らす|ひも《ヽヽ》がぶらさがっていた。二、三人の少年はもう知りあっていて、びくびくしながら二言三言ささやき声でしゃべっていたが、それもまもなくだまってしまった。ほかのものたちは未知のあいだなので、めいめい少しめいった気持ちで身動き一つせず寝ていた。寝込んだものは深い呼吸を聞かせたが、眠りながら腕を動かすものがあったので、リンネルの掛け布がかすかにざわざわと音をたてた。目をさましているものは、じっとしていた。ハンスは長いこと眠れなかった。隣の生徒たちの呼吸に耳をすましていると、しばらくたって、一つおいて隣の寝床から妙に気がかりな物音が聞えて来た。そこに寝ている少年が掛けぶとんを頭の上にかぶって泣いているのだった。遠くから響いて来るような低いすすり泣きはハンスの心を異様に興奮させた。彼自身はホーム・シックを感じなかったが、やはり家の静かな小さいへやが惜しまれた。それに、不安な新しいことやおおぜいの仲間に対する小心な恐怖が加わってきた。夜中にならぬうち、目をさましている生徒はなくなった。|しま《ヽヽ》のまくらにほおを押しつけて若い子らは並んで寝ていた。悲しげな子も、負けん気の子も、陽気な子も、内気な子も、同じ甘い深いいこいのとりことなり、なにもかも忘れていた。古いとがった屋根や塔や張り出しや、ゴシック式の尖塔《せんとう》や尖壁や尖頭弓形の回廊の上に、色あせた半月がのぼって来た。月の光は、飾りぶちや敷居の上にやどり、ゴシックの窓やロマネスクの門の上に流れ、回廊の噴泉の大きな高雅な水盤の中で薄い金色にふるえた。黄色がかった二、三条の月光と光の斑点が三つの窓を貫いてヘラス組の寝室にもさしこんだ。そしてその昔、僧たちの夢を見まもったように、眠っている少年たちの夢を親しげに見まもった。
翌日、祈祷室で厳かな入学式が行われた。先生たちはフロックコートを着て立っていた。校長が式辞を述べた。生徒たちはいすにこしかけて感慨ぶかげに前かがみになっていたが、ときどきずっとうしろにこしかけている両親を振り返ってぬすみ見ようとした。母親たちは物思いにふけりながら微笑を浮べて、息子をながめ、父親たちは、姿勢を正して、式辞を傾聴し、厳粛なきっぱりした面持ちを示した。誇りと、殊勝な心根と、美しい希望とに、彼らの胸はふくれていた。そして、きょう自分の子どもを金銭の利益とひきかえに国に売ったのだなどと、考えるものはひとりもなかった。最後に生徒はひとりずつ名を呼びあげられ、列の前に出て、校長から誓いの握手をもって迎えられ、義務を負わされた。これで彼は身を持して誤ることがなければ、終生国家の世話を受け、職をあてがわれるのであった。おそらくそれが楽々とできるわけではあるまいということを考えたのは、父親たちと同様、ひとりもなかった。
父母に別れを告げねばならぬ瞬間はずっと真剣に痛切に感ぜられた。あるいは徒歩で、あるいは郵便馬車で、あるいは急いで手に入れたいろいろな乗り物で、親たちは残された子どもたちの視界から消えていった。ハンカチがなお長いあいだ、穏やかな九月の微風の中にひるがえっていた。ついに旅立っていくものたちは森の中に隠れた。息子らは静かに物思わしげに修道院に帰って来た。
「じゃ、いよいよご両親たちは出立したのだね」と、助手はいった。
それからまず各室のもの同士、みんなはたがいに顔を見あい、知りあいになり始めた。インキつぼにインキを入れ、ランプに石油をさし、本と帳面を整理し、新しいへやを居ごこちよくしようと努めた。そのあいだ、たがいに好奇心をもって見あい、話を始め、郷里やいままでの学校を尋ねあい、いっしょにさんざん汗を流した州の試験のことを思い出した。思い思いの机のまわりにおしゃべりの群れができ、そこここに高い若々しい笑い声さえ起った。夕方になると、同室のものは、航海の終りの船客同士よりも、もうずっとよく知りあっていた。
ハンスといっしょにヘラスのへやに住むことになった九人の仲間のうち、四人はしっかりした人物だった。残りのものはだいたい、中の上だった。まずシュツットガルトの教授の子オットー・ハルトナーは天分があり、おちついていて、腹はすわっており、態度も申しぶんなかった。そのうえ、格幅があり、身なりもよく、しっかりしたたのもしい挙動で、同室のものの目をひいた。
それから高地のささやかな村長の息子で、カール・ハーメルというのがいた。この少年を知るには、しばらく時間がかかった。それは彼が矛盾だらけで、持ちまえの粘液質の殻《から》からめったに出てこなかったからである。ときとして激情的に奔放に乱暴になるが、それも長くは続かず、また自分の殻の中にはい込んでしまった。それで彼は静かな観察者なのか、陰険な男なのかわからなかった。
シュヴァルツヴァルトのよい家の子であるヘルマン・ハイルナーは、それほど複雑ではないが、目だつ人物だった。彼が詩人であり、文芸家であることは、最初の日にもうわかった。彼は州の試験の作文を六脚韻でつづったといううわさもあった。彼はさかんにいきいきとしゃべった。また美しいヴァイオリンを持っていた。そして、感傷と気軽さとを若い者らしくなまのまままじえているところがだいたい彼の気質だったが、それを表面にむき出しにしているように見えた。しかし、それほど目だたないが、一段と深いものを内に蔵していた。彼は心身ともに年齢以上に成長しており、すでに模索的に自分の軌道を歩み始めていた。
だが、ヘラス室のいちばんの変り者はエーミール・ルチウスだった。薄い金髪の陰険な小男だが、年取った百姓のように粘り強く勤勉でひからびていた。からだつきや顔つきはできあがっていなかったが、少年のような印象を与えず、もう変化する余地なんかなさそうに、いろんな点でおとなびたところを持っていた。第一日にもう、ほかのものたちが退屈して、おしゃべりし、ここの生活になじもうとしているとき、彼はおちつきはらって文法の本に向ってこしかけ、親指を両方の耳につっこんで、まるで失った年月を取り返さねばならないかのように、がむしゃらに勉強した。
この静かな偏屈者の手くだをみんなはようやく徐々につきとめ、彼が非常に悪がしこいけちんぼであり、利己主義者であることを発見した。この悪徳にかけてまったく堂に入っていることが、かえって一種の尊敬、少なくとも寛容をもって迎えられる結果になった。彼は、実に抜けめのない節約法と、もうけ法を心得ていた。その一つ一つの手くだはしだいに人に知られて驚嘆された。まず手始めは朝の起床のときに行われた。ルチウスは洗面所にいちばんさきか最後に現われて、ほかのものの手ぬぐいを使った。できればシャボンもほかのもののを使い、自分のを節約した。それで彼の手ぬぐいはいつも二週間か、それ以上も長持ちした。しかし手ぬぐいは一週間ごとに取りかえねばならなかった。毎月曜日の午前中に助手長がその検査をした。そこでルチウスは月曜日の朝、新しい手ぬぐいを自分の番号のくぎにかけておくが、昼休みにそれを取りに行き、きれいにたたんでもとの箱にしまい、そのかわりによごさぬようにしておいた古いのをまた掛けておいた。彼のシャボンはかたくて、ほとんどあわを立てなかったかわり、幾月ももった。それだからといって、エーミール・ルチウスは少しもだらしのない様子はしておらず、いつも小ざっぱりしたなりで、薄い金髪に念入りに|くし《ヽヽ》を入れて分けており、下着や服をいたって丁寧にしまつしていた。
洗面所から朝食へ行くのであった。朝食に出るのは、コーヒー一杯、砂糖一個、小麦パン一つである。たいていの少年はそれでは不足に感じた。若いものは八時間眠ったあとではひどく腹がすくのが常である。だが、ルチウスはそれで満足して、毎日砂糖一個を食べずに節約し、一ペニヒに対し砂糖二個、帳面一冊に対し砂糖二十五個、というふうに必ず買い手を見つけた。彼は高い石油を節約するために、ほかのもののランプの光で勉強したのは、もちろんである。しかも彼は貧しい家の子ではなくて、いたってらくな境遇に生れていた。元来ひどく貧しい人々の子はやりくりとか節約とかいうことを心得ないのが普通である。いつでも持っているだけ使ってしまい、残すということを知らない。
エーミール・ルチウスはそのやり口を物の所有、つかみうる物にひろげたばかりでなく、精神の世界においても、できるだけ得をしようと努めた。彼はきわめて利口であったから、精神的な所有というものはすべて相対的な価値しかないということを忘れなかった。それで、力をいれておけばのちの試験で効果を収めうるような課目だけをほんとに勉強し、他の課目では欲をかかず、中位の成績で満足した。覚えることでも、やることでも、彼はいつも同級生の成績だけを標準にした。二倍の知識で二番になるより半分の知識で一番になることを彼は望んだ。それで夕方仲間のものたちがいろいろな娯楽や遊戯や読書にふけっているとき、彼が静かに勉強しているのが見うけられた。ほかのものたちの騒いでいるのは、いっこう彼のじゃまにならなかった。それどころか、彼は、ときどきねたみ心のない満足したまなざしを、騒いでいるみんなの上に投げた。もしみんなも勉強していたら、彼の努力はもうけにはならなかっただろうから。
なにせ彼は勤勉な努力家だったから、こうしたいろいろなずるさや手くだを悪く取るものはなかった。しかしおよそ極端に走るもの、極端に欲ばりなもののたぐいに漏れず、彼もまもなくばかばかしいふるまいを犯すにいたった。修道院の授業は全部無料だったので、彼はこれを利用して、ヴァイオリンの授業を受けることを思いついた。多少の下ごしらえがあったわけでも、耳や天分があったわけでもなく、音楽を楽しむ気があったわけでさえなかった。だが、彼はヴァイオリンだって、結局ラテン語や算術と同じように習えるものだと考えていた。音楽というものはのちになって役にたつし、人間を好ましく気持ちよくするものだということを聞いていた。それに学校のヴァイオリンが使えるので、どっちみち金のかからないことだった。
音楽の先生のハースは、ルチウスがやって来て、ヴァイオリンをおそわりたいといったとき、髪を逆立てておこった。というのは、彼は唱歌の時間以来ルチウスを知っていたからだ。唱歌のとき、ルチウスの歌いっぷりは同級生一同を極度に喜ばしたが、教師たる彼は絶望させられた。彼はルチウスにヴァイオリンを断念させようと努めた。しかしその点では先生の方が相手を見誤っていた。ルチウスはおとなしくつつましく微笑して、自分の正当な権利を盾にとり、そのうえ、音楽に対する自分の興味は押えきれないものだと、説明した。そこで、彼は練習用ヴァイオリンのいちばん悪いのを渡され、週二回授業を受け、毎日半時間練習することになった。だが、最初の練習時間のあとで、同室のものは、これが最初で最後にしてもらいたい、やりきれないうめき声はごめんこうむりたいと、宣言した。それからのちルチウスは、修道院じゅうそうぞうしくヴァイオリンを鳴らしながら、練習するための静かなすみっこをさがして歩き、そこでまた、ひっかいたり、きいきい鳴らしたり、めそめそいわしたり、妙な音を出して、近所近辺を悩ました。詩人のハイルナーにいわせると、いじめられた古ヴァイオリンが虫食いの穴からいっせいに絶望的な悲鳴をあげて勘弁してくれといっているのだった。少しも進歩しないので、悩まされた先生はいらいらして、つっけんどんになった。ルチウスはいよいよやけくそになって練習した。いままで得々としていた彼の欲得ずくの小売商人づらにも、つらそうな苦労のしわがよってきた。ついに先生がぜんぜんだめだと宣告し、授業の継続を拒絶すると、なんでも欲ふかく習おうと血迷っているルチウスはピアノを選んだが、幾月も苦しんだあげく、なんのかいもなく、とうとうくたくたになっておとなしくあきらめてしまった。そのいきさつはまったくの悲劇だった。しかしのちになって、音楽の話が出ると、彼もかつてはピアノやヴァイオリンをけいこしたことがあるが、事情あって残念ながらこの美しい芸術からしだいに遠ざかってしまったということを、におわすのだった。
こうしてヘラスのへやは、奇妙な同室生に興がる機会が多かった。文芸家のハイルナーもしばしばこっけいな場面を演じた。カール・ハーメルは皮肉屋で機知に富む観察家としてふるまった。彼はほかのものより一つ年上だったので、いきおい多少たちまさってはいたが、尊敬されるような役割をつとめはしなかった。彼はむら気で、ほとんど一週間ごとに、つかみあいをして自分の体力をためす要求を感じた。そういうとき、彼は乱暴を通りこして残酷にさえなった。
ハンス・ギーベンラートは驚きをもってそれを傍観しながら、善良なおとなしい仲間として静かに自分の道を歩んでいった。彼は勤勉だった。ルチウスに劣らず勤勉だった。そしてハイルナーを除いては、同室生の尊敬を受けた。ハイルナーは天才的奔放を旗じるしにし、ときおりハンスをくそ勉強家とののしった。夕方寝室でつかみあいのけんかをするのはけっして珍しいことではなかったが、だいたいにおいて、急速な成長をする年齢にある多くの少年たちは、よくうちとけあっていた。みんなは努めて、おとならしい気持ちになろうとし、先生たちの耳慣れない「あなた方」という呼びかけを、学問的な厳粛さと上品な態度のゆえだと認めようとした。そして、出て来たばかりのラテン語学校を少なくとも、新米の大学生が高等中学を見返すほどに、高慢にあわれみをもって顧みた。しかし、ときどき、この付け焼き刃の品位を破って、地金のわんぱくが飛び出し、その本領を発揮しようとした。そうすると、大寝室になまなましい毒舌と少年たち一流の痛烈な悪口が乱れ飛んだ。
こういう学校の校長、あるいは教師にとって、生徒の群れが共同生活を始めて数週間ののち、化学的化合物が沈澱《ちんでん》するのに似た観を呈するのを見るのは、教訓に富むとうとい経験であるにちがいない。それはさながら液体の浮動する濁りや|かす《ヽヽ》が固まるかと思うと、またほぐれてほかの形になり、しまいにいくつかの固体ができあがるようなものである。最初のはにかみが征服され、みんながたがいに十分知りあうと、波の動きと模索とが始まった。寄りあう組ができ、友だちと反感とがはっきり現われた。同郷のものや以前の学校仲間が結びつくことはまれで、たいていは新しく知りあったものに近づいた。都会のものは農家の子に、山地のものは低地のものにというふうに、隠れた衝動に従って、多様と補いとを求めた。若いものたちは不安定な気持ちでたがいに探りあった。彼らの中には、平等の意識と同時に、独立を望む心が現われた。そこにはじめて、多くの少年の子どもらしいまどろみの中から、個性形成の芽ばえが目ざめたのである。筆紙には書けないような愛着としっととのささやかな場面が演ぜられ、それが発展して友情の契りになったり、おおっぴらにいがみあう敵意になったりした。やがてそれぞれのいきさつに従って、友愛の厚い間柄ができたり、仲のよい散歩になったり、あるいは激しいとっくみあいや、なぐりあいになる、という結果を招いた。
ハンスはこうした動きに外面的にはかかわりを持たなかった。カール・ハーメルがはっきりと激しく友情を寄せてきたとき、ハンスは驚いてしりごみした。そのすぐあとでハーメルはスパルタ室のものと親しくなった。ハンスはひとり取り残された。強い感情が友情の国を幸福げに慕わしい色彩で地平線に出現させた。そしてハンスをひそかな力でそちらにひっぱっていった。しかし一種のはにかみが彼を引き止めた。母親のない厳格な少年時代を送ったため、愛着という性質がいじけてしまったのだった。なにごとによらず表面的に熱情的なものに対して、彼は恐怖をいだいていた。それに少年らしい自負心、そして結局は、いとうべき功名心が加わっていた。彼はルチウスとは違っていた。彼のめざすところは正真正銘知識だったのだが、彼もルチウスと同様勉強を妨げるものはすべて遠ざけようと努めていた。それで勤勉に机にしがみついていたが、ほかのものたちが友情を楽しんでいるのを見ると、彼はしっととあこがれとに悩まされた。カール・ハーメルは望ましい友だちでなかったが、もしだれかほかの人が来て、ハンスを強く引き寄せようと試みたら、彼は喜んでついて行っただろう。内気な娘のように、だれか自分より強い勇気のある人が自分を連れに来て、ひっぱって行き、いやおうなしに幸福にしてくれたらと、彼はじっとすわって待っていた。
こういうこととならんで、課業、特にヘブライ語の課業に忙しかったので、最初のうちは少年たちにとって、時間のたつのが非常に早かった。マウルブロンを取り囲んでいるたくさんの小さい湖や池は、色あせた晩秋の空や、枯れゆくトネリコや、シラカバや、カシや、長いたそがれを映していた。美しい森の中を初冬のこがらしがうめいたり歓声をあげたりして吹きすさんだ。もういくども軽い霜が降りた。
叙情的なヘルマン・ハイルナーは同じ素質の友だちを得ようと努めてむなしかったので、いまは毎日の外出時間にひとりで森の中をさまよった。彼が特に好んで訪れた森の湖は、アシのやぶに囲まれ、枯れゆく古い闊葉樹《かつようじゅ》の樹冠におおわれた、憂鬱な褐色の池だった。この哀愁をこめた美しい森の一隅が空想家ハイルナーを強くひきつけた。ここで彼は夢見ごこちで静かな水の中に木の枝で円を描くことや、レーナウの「アシの歌」を読むことができた。また低いハマイの中に横たわって、死とか消滅とかいう秋らしい題目について考えることができた。そうしていると、落葉の音や、葉の落ちたこずえのざわめきが、憂鬱な調べを合わした。すると、彼はたびたび小さい黒い手帳をポケットから出して、鉛筆で一句か二句、書きこむのだった。
十月末のある薄暗いお昼の時間に、ハンス・ギーベンラートがひとりで散歩しながら同じ場所に来たとき、ハイルナーは詩を書き込んでいるところだった。彼はこの少年詩人が、小さい|わな《ヽヽ》をかける踏み板にこしかけて、手帳をひざにのせ、瞑想《めいそう》しながらとがった鉛筆を口にくわえているのを見た。一冊の本が開かれたままそばに横たわっていた。彼は静かに近づいていった。
「やあ、ハイルナー。なにをしているのだい?」
「ホメロスを読んでいるのさ。きみは? ギーベンラート」
「そうじゃないだろう。きみがなにをしているか、ぼくはもう知ってるよ」
「そうかい?」
「むろんさ。詩を作っていたんだろう」
「そう思うかい?」
「もちろんさ」
「まあ、こっちにすわりたまえ」
ギーベンラートはハイルナーと並んで板の上にこしかけ、両足を水の上にぶらぶらさせ、そこここに褐色の葉が一つまた一つ、静かに冷たい空中を縫って舞いおり、音もなく、褐色がかった水面に落ちるのをながめた。
「ここは悲しいね」と、ハンスはいった。
「うん、そうだ」
ふたりは長々とあおむけに寝たので、秋深い周囲を思わすものは、おおいかぶさっているこずえさえほとんど見えなかった。そのかわり、静かに雲の島を浮べた淡青の空が現われた。
「なんて美しい雲だろう!」と、ハンスが快げに見ながらいった。
「そうだね、ギーベンラート」と、ハイルナーは溜息《ためいき》をついた。「あんな雲になれたらなあ!」
「そしたら?」
「そしたら、空を走ることができるだろう。森や村や県や州を越えて、美しい船のように。きみはまだ船を見たことがないかい?」
「ないよ、ハイルナー。だが、きみは?」
「あるともさ。まったくきみはそんなものはなんにも知らないんだな。勉強だ努力だと、ただもうあくせくやっているんじゃね」
「じゃ、きみはぼくをばかなやつだと思ってるのかい?」
「そういいはしなかったよ」
「きみが思ってるほどばかじゃないよ。だが、船の話を続けたまえ」
ハイルナーは寝返った。も少しで水の中に落ちるところだった。彼はこんどは腹ばいになって、両手でほおづえをつき、あごを手の中にうずめた。
「ライン河で」と、彼はことばをついだ。「休暇のとき船を見たんだよ。一度は日曜日でね、船の上で音楽をやっていた。夜で、色どったちょうちんのあかりが水に映っていた。ぼくたちは音楽の伴奏入りで川を下って行ったのさ。みんなはライン・ワインを飲んだ。娘たちは白い服を着ていた」
ハンスは耳を傾け、なにも答えなかったが、目を閉じると、船が音楽を奏しながら、赤い火をともし、白い服を着た少女を乗せ、夏の夜を走って行くのが見えた。ハイルナーは話し続けた。
「まったく、いまとは違っていた。ここの連中ときちゃ、ああいうことを知ってるものはありゃしない。退屈な、卑屈なやつばかりだ。やたらにあくせくと勉強するだけで、ヘブライ語のアルファベットより高尚なことはなにも知りゃしない。きみも同類だ」
ハンスはだまっていた。このハイルナーという男はまったく変り者だった。空想家で詩人だった。これまでいくども、ハンスはハイルナーに驚いたことがあった。彼は、みんなが知っているとおり、まったく少ししか勉強しなかった。それにもかかわらず、なかなかの物知りで、うまい答えをすることを心得ていた。しかもその知識をけいべつした。
「たとえばぼくたちはホメロスを読んでいるが」と、彼はあざけりつづけた。「オデュッセイアが料理の本ででもあるかのように読んでいる。一時間に二句読んで、一語一語かみなおし、へどが出そうになるまでつつきまわす。そうしておいて時間の終りにいつも、諸君はこの詩人がどんなに微妙な言いまわしをしているかがわかったでしょう、これによって諸君は詩的創作の秘密をうかがうことができたのだ、なんていう。そういって、不変詞や過去形に窒息してしまわないように、そのまわりにソースをかけただけなのだ。そんなやり方なら、ぼくにとっちゃホメロス全体も無価値だ。そもそも古代ギリシャのものがわれわれになんのかかわりがあるのだ? われわれの中にあるものが、ちょっとばかりギリシャ的に生活しようと、ためしてでもみようものなら、たちまち追い出されてしまうだろう。そのくせわれわれのへやはヘラスっていうんだ。ほんとのあざけりだ。なぜ、紙くずかごとか、どれいのおりとか、こけおどしのシルクハットとでも、いわないのだ? 古典的なものなんてみんなくだらんごまかしさ」
彼は空中に|つば《ヽヽ》をはいた。
「きみはさっき詩を作っていたんだろう?」と、こんどはハンスがたずねた。
「うん」
「なにについて?」
「この湖と秋についてだ」
「見せてくれたまえ」
「いや、まだできていない」
「じゃ、できたら?」
「うん、見せてもいいさ」
ふたりは立ち上がって、ゆっくり歩いて修道院に帰った。
「見たまえ、きみはもうあの美しさに気づいているかい?」と、ふたりがパラダイスのそばを通ったとき、ハイルナーはいった。「会堂、アーチ形の窓、回廊、食堂、ゴシック式とロマネスク式、すべてこれ豊かで精妙で、芸術家の手になったものだ。しかもこの魅力がなんの役にたっているだろう? 牧師になろうという三十六人の哀れな少年の役にたっているんだ。国家には余分な金があるものだ」
ハンスは午後いっぱいハイルナーのことを考えずにはいられなかった。なんという人間だろう? ハンスの知っている心配とか願望とかいうものは、ハイルナーにはまったく存在しなかった。彼は自分の考えやことばを持ち、一段と熱のある自由な生活をしていた。風変りな悩みをいだき、自分の周囲をことごとくけいべつしているように見えた。彼は古い柱や壁の美しさを解していた。また自分の魂を詩の句に映し出し、空想によって非現実的な自己独特の生活を作りあげる神秘的な奇妙なわざを行なっていた。そして身軽で奔放で、ハンスが一年間にいう以上のしゃれを毎日いっていた。同時に彼は憂鬱で、自分の悲しさを、他人の珍しい貴重なものででもあるように、楽しんでいるように見えた。
その日の夕方のこと、ハイルナーは彼のとっぴに目だつ性質の一端をへや全体に示した。仲間のひとりで、オットー・ヴェンガーという口ほどにもないホラふきがハイルナーとけんかを始めたのだった。しばらくのあいだハイルナーは静かにしゃれをいって、ゆったり構えていたが、やがてかっとなって横つらをなぐりかかった。それからふたりは激しくもつれあいかみあって、かじのない船のように、ぶつかったり、半円を描いたり、ぴくっと動いたりして、壁に沿い、いすを越し、床の上を転々としてヘラスのへやじゅうを動いていった。ふたりとも無言であえぎながら、ふうふうあわを吹いた。仲間のものたちは批評家きどりの顔をして、傍観していた。そしてもつれたかたまりを避け、足や机やランプをひっこめ、おもしろそうにかたずをのんで、結果いかんと待ちうけた。数分ののち、ハイルナーはやっと起き上がって、身をふりほどき、息をつぎながら立っていた。彼は惨澹《さんたん》たる格好だった。目は血走り、はだ着のえりは破れ、ズボンのひざには穴があいていた。相手はあらためて彼に襲いかかろうとしたが、彼は腕を組んで立ったまま見おろすように言った。「おれはもうやらない――ぶちたければ、ぶて」。オットー・ヴェンガーはののしりながら立ち去った。ハイルナーは机にもたれ、台ランプをまわし、ズボンのポケットに両手をつっこみ、なにか思い出そうとしている様子だった。突然彼の目から涙がぽたりぽたり出て来、しだいにたくさん流れ出た。それは例のないことだった。泣くということは、神学校生徒のなしうることの中で明らかに最もけいべつすべきことだったから。しかも彼はそれをぜんぜん隠そうとしなかった。彼はへやを出ないで、青ざめた顔をランプのほうにむけて、静かにつったっていた。彼は涙をぬぐわぬどころか、両手をポケットから出しさえしなかった。ほかのものたちは彼のまわりに立ち、いじわるな好奇心をもってながめていた。やがてハルトナーが彼の前に出て、「おい、ハイルナー、恥ずかしくはないのかい?」と、いった。
泣いていたハイルナーは、深い眠りからさめた人間のように、静かにあたりを見まわした。
「恥ずかしいかって――きみたちに対してかい?」と、それから彼は大声でさげすむようにいった。「恥ずかしかない」
彼は顔をぬぐい、腹だたしげに薄笑いを浮べ、ランプを吹き消して、へやから出ていった。
ハンス・ギーベンラートはその間終始自分の席を離れず、ただ驚き、恐れをなして、ハイルナーのほうをぬすみ見ていた。十五分ほどたってから彼は思いきって、姿を消した友だちのあとを追った。ハイルナーは底冷えのする暗い寝室の低い窓ぶちに腰かけて、身動きもせず、回廊を見おろしていた。うしろから見ると、彼の肩と、細いとがった頭とが、異様に厳粛に、少年らしくなく見えた。ハンスが歩みよって窓のそばに立ちどまっても、ハイルナーは動かなかった。しばらくたってようやく彼は、ハンスのほうに顔をむけず、しゃがれ声でいった。
「なんだい?」
「ぼくだよ」と、ハンスはおどおどしながらいった。
「なんの用だい?」
「なんでもないよ」
「そうかい? そんなら出て行ってくれたまえ」
ハンスはむっとして、ほんとに出て行こうとした。すると、ハイルナーは彼を引きとめた。
「まあ待ちたまえ」と、彼はわざとらしい冗談口調でいった。「そういうつもりじゃなかったんだよ」
ふたりはたがいに顔を見あった。おそらくふたりがたがいの顔を真剣に見たのはこのときがはじめてだった。この少年らしいなめらかな表情の裏に、それぞれ特性をもった独特な人間生活と、それぞれ特徴のある独特な魂が住んでいるのを、たがいに心の中に描き出そうとした。
おもむろにヘルマン・ハイルナーは腕を伸ばして、ハンスの肩をつかまえ、たがいの顔がまぢかになるまで、ハンスを引きよせた。それからハンスは突然、相手のくちびるが自分の口に触れるのを感じて、なんともいえず驚いた。
彼の心臓は、ついぞ感じたことのない胸苦しさに鼓動した。こうして暗い寝室にいっしょにいることと、とつぜんキスされたことは、なにか冒険的な、新奇な、またおそらくは危険なことだった。この現場をつかまったら、どんなに恐ろしいことだろうと、彼は気づいた。というのは、さっきハイルナーが泣いたことより、このキスは、ほかのものたちにははるかにこっけいに恥ずべきことに思われるにちがいないということが、はっきり感ぜられたからである。なにもいえないで、ただ血が強く頭に上って来た。彼はできることなら逃げ出したかった。
これを見たおとなの人があったら、このささやかな情景と、はにかんだ友情の表示のぎごちない内気な愛情と、ふたりの少年のまじめな細い顔とに、おそらくひそかな喜びを感じただろう。ふたりとも愛らしい、前途有望な少年で、まだなかば子どもらしいやさしさをそなえていたが、もうなかば青年時代のはにかみがちな美しい勝ち気をたたえていたのだから。
しだいに若い者たちは共同生活に順応してきた。たがいに知りあい、めいめいおたがいについてある知識と観念を得、数多くの友情が結ばれた。友だちの組み合せの中には、いっしょにヘブライ語の単語を覚えるのもあれば、いっしょに写生をしたり、散歩をしたり、シラーを読んだりするのもあった。ラテン語がよくできるかわり数学のへたなものが、ラテン語がへたなかわり数学のよくできるものと結びつき、協力して勉強の効果をあげようというのもあった。それからまた、別な契約と物々交換の基礎にもとづく友情もあった。たとえば、おおいにうらやまれたハムの持ち主は、シュタンムハイムの園芸家の息子が自分と有無相通ずる相棒であることを発見した。その少年は自分の箱の底にみごとなリンゴをいっぱい詰めていた。ハムの持ち主はあるときハムをたべていると、のどが渇いたのでリンゴの持ち主にリンゴを一つくれと頼み、そのかわりにハムを提供した。そこでいっしょにすわって、慎重に話しあった結果、ハムがなくなったらすぐ補充されるということ、リンゴの持ち主も春を越してかなり先まで父の蓄えをもらって食べることができるということが明らかになった。こうして堅実な関係が成立した。それは、多くの熱情的に結ばれた理想的な結合より長持ちがした。
孤立を続けているものは、ごくわずかだった。ルチウスはその少数のひとりだった。芸術に対する彼の欲ふかい愛はそのころまだ絶頂にあった。
不釣りあいな組み合せもあった。いちばん不釣りあいなのは、ヘルマン・ハイルナーとハンス・ギーベンラートだった。それは気軽者ときちょうめんな男、詩人と努力家という組み合せだった。ふたりとも、最も利口な素質のひいでた少年に数えられていたが、ハイルナーは天才だというなかば嘲弄《ちょうろう》的な評判をされていたのに反し、ハンスは模範少年だといううわさをたてられていた。しかし皆はさしてふたりにかまわなかった。めいめい自分自身の友だち関係にせわしく、自分のことに没頭した。
しかし、こうした個人的な興味や経験のために、学校は閑却されはしなかった。学校はむしろ大きな楽章であり、リズムであって、それに比べれば、ルチウスの音楽も、ハイルナーの詩作も、すべての友だち関係も、けんかも、ときおりのつかみあいも、付随的な変調やささやかな個々の余興として、遊戯的なできごとにすぎなかった。なによりもヘブライ語にほねがおれた。イェホヴァの奇妙な太古のことばは、枯れひからびて、しかもなお神秘的に生きている木のように、異様に節くれだって、なぞのように少年たちの目の前においたった。不思議な枝ぶりは人の目をそばだたせ、珍しい色と芳香との花は人を驚かした。その枝やくぼんだところや根の中には、奇怪に恐ろしい竜とか、自然な愛らしいおとぎ話とか、美しい少年と静かな目の少女、あるいは勇ましい女とともに、しわだらけの厳粛なひからびた老人の頭とか、そうした千年の霊が、ものすごく、あるいは親しげに巣くっていた。のんびりしたルターの聖書の中で旧約全書の|もや《ヽヽ》に、柔らかに、かすまされて遠く夢のように鳴り響いていたものが、いまこのなまの真のことばの中では、血と声と、古びて重苦しくはあるが強い気味の悪い生命とを獲得した。少なくともハイルナーにはそう思われた。彼は旧約全書最初の五巻全体を毎日毎時のろってはいたが、単語を残らず知っていて読み違いをしない多くの辛抱強い勉強家たちよりも、その中に多くの生命と魂とを見いだし、また吸収した。
それとならぶ新約聖書はいっそう微妙で明るくしっくりした。そのことばはそれほど古くも深くも豊かでもないが、一段と繊細で、若い熱のある、同時に夢幻的な精神に満たされていた。
それからオデュッセイア。その力のこもった快い調べの、強く均斉を保って流れて行く、白い丸い水の精の腕にも似た詩の句の中からは、没落した幸福な輪郭の鮮やかな生活の記録と予感とが浮んでくるのだった。それは、あるときは力強い輪郭の、飾りけのない筆致でしっかりと捕えられるように、あるときは二、三のことばや句の中からわずかに夢や美しい予感として、ひらめき出てくるのだった。
これにくらべれば、歴史家クセノフォンやリヴィウスは光を奪われてしまった。奪われないまでも、微々たる光として、つつましくほとんど輝きを失って、かたわらに立っているにすぎなかった。
ハンスは、彼の友だちにとっては、どんなに万事が、自分にとってとは違った観を呈するかを知って驚いた。ハイルナーにとっては、抽象的なものは存在しなかった。彼が心に思い浮べ、空想の色彩でもって描き出すことのできないようなものは存在しなかった。それができない場合は、なんでもふきげんにほったらかした。数学は彼にとって、腹黒いなぞを背負ったスフィンクスだった。その冷やかないじわるな目つきは、いけにえになったものを身動きできなくしてしまうのだった。ハイルナーはこの怪物を遠まわりに避けた。
ハイルナーとハンスの友情は風変りな関係だった。それはハイルナーにとっては娯楽であり、ぜいたくであり、ぐあいのいいことであり、あるいはまたむら気でもあったが、ハンスにとっては、あるときは誇りをもって守る宝であり、あるときは耐えがたい大きな重荷だった。それまでハンスは夕方の時間をいつも勉強に利用していた。いまはほとんど毎日、ハイルナーはくそ勉強に飽きると、ハンスのところにやって来、本を取り上げて、自分の相手をさせた。ハンスはこの友だちをおおいに愛していたが、しまいには友だちが来はしないかと毎晩びくびくし、遅れないように規定の勉強時間に倍も熱心に急いで勉強した。ハイルナーが理屈の上でハンスの勤勉ぶりを攻撃し始めたのは、ハンスにとってなおいっそうの苦痛だった。
「そりゃ、日やとい仕事さ」と、いうのだった。「きみはどんな勉強でも好きで、すすんでやってるのじゃない。ただ先生やおやじがこわいからだ。一番か二番になったって、なんになるのだい? ぼくは二十番だけれど、それだからといって、きみたち勉強家よりばかじゃない」
ハンスはハイルナーが教科書をどんなに取り扱うかをはじめて見たときも驚いた。彼はあるとき、本を教室に置き忘れて来たので、つぎの地理の時間の予習をしようと思って、ハイルナーの地図を借りた。驚いたことには、ハイルナーはどのページも鉛筆で書きつぶしていた。ピレネー半島の西海岸はグロテスクな横顔に引きのばされていた。鼻はポルトーからリスボンに達し、フィニテール岬《みさき》の地方は、縮れた巻き毛の飾りに誇張され、サン・ヴァンサン岬は顔一面の|ひげ《ヽヽ》のみごとにひねった先端になっていた。どこをめくってもその調子だった。地図の裏側の白紙には戯画と大胆なこっけい詩が書いてあった。インキのよごれも珍しくなかった。ハンスは自分の本を神聖なものとして宝物のように取り扱いつけていた。それでこうした大胆さを、なかば神聖をけがす行為とも、なかば犯罪的ではあるが英雄的な行為とも感じた。
善良なギーベンラートは彼の友だちにとって快いおもちゃ、というよりは、一種の飼いネコにすぎないように見えたかもしれない。ハンス自身ときどきそう感じた。しかしハイルナーはハンスが必要だったので、愛着を持っていた。彼はだれか自分の心をうちあけることのできる人、自分のいうことを傾聴してくれる人、自分を嘆賞してくれる人を持たずにいられなかった。学校や生活について革命的な話をする場合、静かに熱心に傾聴してくれる人が必要だった。同時にまた憂鬱なときに自分を慰めてくれる人、その人のひざに自分の頭をのせることのできる人が必要だった。そういう性質の人は一般にそうであるが、この若い詩人は、根拠のない多少甘ったれた憂鬱病の発作に悩んだ。その原因は一部は子どもの心のひそかな告別であり、一部はいろいろな力やほのかな思いや欲望などのまだあてどを知らぬ奔流であり、一部はおとなになるときのわけのわからない暗い衝迫だった。そういうとき、彼は同情され愛撫《あいぶ》されたい病的な欲求を持った。以前は彼は母に甘やかされた子どもであった。まだ女性の愛を受けるまでに成熟していないいまは、おとなしい友だちが彼の慰め手になった。
夕方彼はしおれきってハンスのところにやって来ることがよくあった。そして勉強しているハンスを誘って、いっしょに寝室にいこうと、せきたてた。その寒い広間の中を、あるいは暗くなってゆく高い祈祷室《きとうしつ》の中を、ふたりは並んで行ったり来たりしたり、あるいは寒けにふるえながら窓にこしかけたりした。ハイルナーは、ハイネを読む叙情的な少年の流儀で、さまざまな傷心の嘆きを発した。そして多少子どもじみた悲哀の雲の中に包まれていた。それはハンスにはよくのみこめなかったが、それでもやはり胸に感ずるものを受けたし、ときにはその気分が伝染してくることさえあった。この感じやすい詩人は特に曇った日に発作に襲われがちだった。とりわけ、晩秋の雨雲が空を暗くし、センチメンタルな月が雲のうしろでかすんだ薄ぎぬと裂けめのあいだからのぞきながら軌道を描いて行く夕方に、悲嘆と|うめき《ヽヽヽ》とは頂点に達した。そうすると、彼はオシアン流の気分にふけり、もうろうとした憂愁の中に溶けこんだ。それが溜息となり、ことばとなり、詩句となって、罪もないハンスの上に注ぎかけられた。
こうした気の毒な愁嘆の場面に悩まされ苦しめられては、ハンスはあくせくと残された時間に一生懸命勉強にとりかかった。しかし勉強はしだいに困難になってきた。昔の頭痛がまたもどって来たことを、彼はもう怪しまなかったが、疲れて無為に時間をすごすことがひんぱんになり、ぜひ必要なことだけをするためにも、われとみずからをむち打たねばならなくなったことは、彼をひどく憂慮させた。変人に対する友情のためへとへとにさせられ、自分の性質のまだ純潔な部分が病気にさせられたのだということを、彼はぼんやりと感じはしたが、相手が陰気で涙もろくなればなるほど、気の毒になった。そして友だちにとって自分がなくてはならぬものだという意識は、ハンスの友情をいっそう深めると同時に、彼を一段と得意にさせた。
そのうえ、あの病的な憂愁癖は過剰な不健康な衝動の突発であって、彼が真実感心しているハイルナーの本性に属するものではないことを、彼はよく感じていた。ハイルナーが自作の詩を朗読したり、詩人の理想について語ったり、シラーやシェークスピアの独白を熱情的に身ぶりたっぷりに朗誦《ろうしょう》するとき、彼はハンスには欠けている魔力によって空中をさすらい、超人間的な自由と燃えるような熱情とをもって動き、ホメロスの天の使いのように翼ある足をもって、ハンスや同類のものたちのあいだからただよい去って行くかに思われた。これまで詩人の世界はハンスにとってはほとんど未知であり、重大なものとも思われなかった。いまはじめて彼は、美しく流れることば、真に迫る比喩《ひゆ》、ほれぼれするような韻律などの幻惑的な力を、逆らいがたく感じた。この新しく開かれた世界に対するハンスの尊敬は、友だちに対する感嘆と融合して、一体不可分の感情になっていた。
そのうちに、荒れがちな暗い十一月の日が来た。ランプをつけずに勉強できるのは数時間にすぎなかった。暗黒な夜にはあらしが、大きなうず巻く雲の山を暗い高地に駆りたて、うめくようにいさかうように、古い堅固な修道院の建物のまわりにぶっつけた。木々の葉はもうすっかり落ちていた。ただ、あの木の多いけしきの中の王者である、ふしくれだった枝の多い大きなカシだけが、他の木全体よりもそうぞうしく不平がましく、葉の枯れたこずえを鳴らしていた。ハイルナーはすっかり陰気になって、このごろはハンスのそばに来ず、好んでただひとり離れた練習室でヴァイオリンを激しく鳴らしたり、仲間とけんかを始めたりした。
ある夕方ハイルナーが練習室に行くと、がっちり屋のルチウスが楽譜台の前で練習していた。ハイルナーは腹だたしげに出て行き、三十分たってから、またやって来た。ルチウスは相変らず練習していた。
「もうやめてもよさそうに」と、ハイルナーは憎まれ口をきいた。「ほかにも練習したいものがいるんだぜ。それでなくても、きみのへたくそなヴァイオリンは人泣かせだ」
ルチウスは譲ろうとしなかった。ハイルナーは荒立った。ルチウスがおちつきはらってまたぎいぎいやり始めると、彼は楽譜台をけとばしてひっくり返した。楽譜は室の中に四散し、台はルチウスの顔にぶつかった。ルチウスはかがんで譜を拾った。
「校長先生に言いつけてやるぞ」と、彼はきっぱりといった。
「いいとも」と、ハイルナーは憤激して叫んだ。「ついでに、しりをけとばされたと、いうがいいや」彼は即座に歩み寄ってけとばそうとした。
ルチウスは飛ぶようにして身をかわし、出口にたどりついた。ハイルナーは追っかけた。激しくそうぞうしい追撃が始まった。廊下や広いへやを抜け、階段や玄関を通って、修道院のいちばんはずれの棟《むね》まで行った。そこには静かで優雅な校長の住居があった。その書斎のドアの一歩手前で、ハイルナーはやっと、逃げる相手を捕えた。もうノックをしてしまい、開いたドアの中に立った最後の瞬間に、ルチウスは約束どおりけとばされ、ドアをしめる余裕もなく、校長の神聖犯すべからざるへやの中に、爆弾のように飛び込んだ。
それは前代未聞のことだった。翌朝、校長は青年の堕落について厳かな話をした。ルチウスは神妙に内心かっさいしながら聞いていた。ハイルナーは重い監禁を言い渡された。
「数年この方」と、先生はハイルナーをどなりつけた。「ここではこういう罰が下されたことはない。十年たってもこのことを忘れないようにさせてやる。ほかの者に対してはこのハイルナーを見せしめとする」
生徒一同はびくびくしながらハイルナーのほうをぬすみ見した。ハイルナーは青い顔をして反抗的な態度でつったったまま、校長の目を避けなかった。多くのものは心ひそかにハイルナーに感嘆した。しかし訓戒が終ったあとで、みんなががやがやと廊下にあふれたとき、彼は、ライ病やみのようにひとりぼっち、のけ者にされた。いま彼の身方になるには、勇気が必要だった。
ハンス・ギーベンラートも、ハイルナーの身方をしなかった。そうするのは自分の義務だということはよく感じていた。そして自分の卑怯《ひきょう》なことを思って苦しんだ。彼は情けなさと恥ずかしさに、そこらの窓の中にひっこんで、顔を上げることもよくしなかった。彼はハイルナーをたずねたいという気持ちに駆られ、人知れずそれができるなら、うんと犠牲を払ってもいいと思った。しかし重い監禁の罰に処せられたものは、修道院ではかなり長いあいだ、極印をおされたも同然である。ことわるまでもなく、罰せられたものはその後特別な監視を受ける。彼とつきあうことは危険であり、悪い評判を招く。国家が生徒たちに示す恩恵に対しては、当然厳格な規律をもって報いなければならない。それはすでに入学式の長い訓辞の中でいわれたことである。ハンスもそれは知っていた。彼は友情の義務と功名心との戦いに負けた。彼の理想はなんといっても、群を抜き、試験で名をあげ、一役演ずることであって、ロマン的な危険な役を演ずることではなかった。こうして彼はもだえながらすみっこにじっとしていた。まだ飛び出して勇気を示すことはできた。しかし刻一刻とそれは困難になった。そして、いつのまにか、彼の裏切りは行為になっていた。
ハイルナーは十分それに気づいていた。熱情的な彼はみんなが自分を避けるのを感じた。そしてそれももっともだと、思った。しかしハンスにだけは信頼を持っていた。いま彼が感じた苦痛と憤りにくらべれば、いままでのとりとめのない慨嘆は自分自身にも空虚でこっけいに思われた。彼はちょっとギーベンラートのそばに立ちどまった。青ざめた見おろすような顔をして彼は低い声でいった。
「きみは卑劣漢だぞ、ギーベンラート。――ふん、くそたれめ」そう言って彼は低く口笛を吹きながら、両手をズボンのポケットにつっこんで立ち去った。
若いものたちにとってほかにいろいろ考えることやすることのあることはいいことであった。このできごとがあって数日後、急に降雪があった。それから晴れて寒い冬空が訪れた。雪合戦やスケートができた。クリスマスと休暇が迫ったことを、みんなは急に気づいて、そのことを話しあった。ハイルナーのことはあまり顧みられなかった。彼は静かに反抗的に、頭を起し、不敵な顔つきで歩きまわっていた。だれとも口をきかず、しきりに詩の句を手帳に書きこんでいた。手帳には黒いロウ引きの表紙がついており、「僧の歌」という標題が書いてあった。
カシやハンやブナや柳には、霜と凍った雪が微妙な不思議な形をしてぶらさがっていた。池では透明な氷が寒気のために音をたてた。回廊の中庭は静かな大理石の庭のように見えた。お祭り気分の陽気な興奮がへやべやに流れた。クリスマスを待つ喜びはふたりの謹直端然たる教授にさえ一脈のやさしさと朗らかな興奮を浮べさした。先生の中にも生徒の中にも、クリスマスに無関心でいられるものはなかった。ハイルナーもむかっ腹をたてたみじめな顔つきをいくらかやわらげだした。ルチウスはどの本とどのくつを休暇に持って行こうかと、頭をひねった。家から来る手紙には、胸をはずませる美しいことが書いてあった。かねてからの望みごとを聞いたり、お菓子を焼く日を知らせたり、遠からず喜びのふい打ちをすることをほのめかしたり、会える日のうれしさを告げたりしてあった。
休暇の帰省旅行の前に、生徒たち、特にヘラスのへやはささやかながら朗らかなできごとを味わった。一夕《いっせき》、いちばん大きいへやとしてヘラスのへやで行われるはずのクリスマスのお祝いに先生方を招こうということにきまった。お祝いのことばに、朗読二つ、笛の独奏、ヴァイオリン二重奏が準備された。しかしどうしても一つはおどけた出し物がプログラムになければならなかった。いろいろ相談し、案を出したり、しりぞけたりしたが、なかなかまとまらなかった。そのときカール・ハーメルがなんの気なしに、エーミール・ルチウスのヴァイオリン独奏がいちばん愉快だろう、といった。それが人気をあつめた。頼んだり、いろんな約束で釣ったり、おどしたりして、哀れな音楽家を納得させた。丁重な招待状をつけて先生たちに送られたプログラムには番外としてつぎのように書いてあった。「静かなる夜、ヴァイオリンのための歌曲、宮廷名楽手エーミール・ルチウス演奏」。宮廷名楽手の称号を付けられたのは、遠く離れた音楽室で熱心に練習したおかげである。
校長、教授、助教師、音楽教師、助手長、などがお祝いに招待され、出席した。ルチウスが、ハルトナーから借りた、すそのある黒い礼服を着こみ、めかしこんでりゅうとして、穏やかにつつましい微笑さえ浮べて登場すると、音楽の先生の額には汗が出て来た。彼のおじぎからしてすでに笑いを誘わずにはおかなかった。歌曲「静かなる夜」は彼の指の下では、ぞっとするような嘆き、うめくようないたいたしい苦しみの歌となった。彼は二度初めからやり、メロディーを引き裂き切りこまざいた。足で拍子をとり、寒空の木こりのように精を出した。
憤りのため青くなっている音楽の先生にむかって、校長は愉快そうにうなずいた。
ルチウスは歌曲を三度やり始めて、こんどもつかえると、ヴァイオリンをさげ、聴衆に向って弁解した。「うまくいきません。でも私はこの秋からヴァイオリンをひき始めたばかりです」
「いいよ。ルチウス」と、校長は叫んだ。「われわれはきみの努力に感謝する。その調子でけいこしていきなさい。けわしき道を経て星に達す、なのだから」
十二月二十四日には朝の三時からどの寝室も活気づき、そうぞうしくなった。窓にはみごとな葉模様の厚い結氷ができた。洗面用の水は凍りついていた。修道院の中庭には、身を切るような希薄な寒風が吹いた。しかしだれもそれに注意するものはなかった。食堂では、大きなコーヒー沸かしが湯気を立てていた。それからまもなく、オーバーや布にくるまった生徒たちは黒い群れをなして、弱く光る白い野を越え、しじまの森を抜けて、はるか遠い停車場へ歩いていった。みんなはおしゃべりをし、冗談をいい、大声で笑ったが、めいめい秘めた願いや喜びや期待でいっぱいだった。広く州全体にわたって、町や村や孤独な屋敷のあたたかいはなやかに飾られたへやで、両親や兄弟姉妹が自分を待っているのを、彼らは知っていた。大部分のものにとっては、クリスマスに遠くから帰省するのはこれが最初だった。彼らは愛と誇りとをもって待ち受けられていることを知っていた。
雪におおわれた森の真ん中にある小さい駅で、みんなは厳しい寒さにふるえながら汽車を待った。みんなはいまだかつてこれほど一つ心に楽しくうちとけあったことはなかった。ハイルナーだけはひとりぼっちで黙っており、汽車が来ると、仲間の乗りこむのを待って、ひとり別な車に乗った。つぎの駅で乗り換えるとき、ハンスはもう一度彼を見たが、恥ずかしさと悔いとの瞬間的な愛情はたちまち帰省の興奮と喜びの中に消えてしまった。
家では父親が満足げにほくそえんでいた。そして贈り物を満載した机が彼を待ち受けていた。もっともほんとうのクリスマスはギーベンラートの家にはなかった。歌もお祭りの感激も母親もモミの木も欠けていた。ギーベンラート氏はお祭りを祝う術《すべ》を心得なかった。だが、彼は息子を自慢にし、こんどは贈り物に金を惜しまなかった。ハンスはこうしたクリスマスに慣れていたので、なにも不足だと思わなかった。
みんなはハンスの様子がわるい、あまりやせて顔が青すぎると思った。いったい修道院の食物はそんなに貧弱なのかと、たずねた。彼は熱心に打ち消し、ぐあいはいい、ただたびたび頭痛がするだけだと断言した。その点は町の牧師さんが、自分も若いときは同じ頭痛に悩んだといって、ハンスを慰めた。それで万事おさまった。
川はなめらかに凍っていた。お祭りの日はスケートをする人でいっぱいだった。ハンスは新しい服を着、緑色の神学校生徒制帽をかぶって、ほとんど終日そとを出歩いた。彼は以前の同級生たちから脱《ぬ》け出て、人のうらやむずっと高い世界へ進んでいた。
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第四章
経験によると、神学校生徒の各級から、ひとりあるいは数人の仲間が四年間の修道院時代にいなくなるのが常である。ときおり、死ぬものがあって、賛美歌とともに葬られたり、友だちに付き添われて故郷に送りとどけられたりする。ときおり、脱走するものや、特別の罪のため放校されたりするものがある。ときとしてごくまれに、上級のものにのみ起ることだが、とほうにくれた少年が青春の苦しみから、ピストルや身投げによって簡単な暗い逃げ道を見いだすこともある。
ハンス・ギーベンラートの組からも二、三の仲間がいなくなるまわり合せであった。しかも不思議な偶然によって、それがみなヘラスのへやに属するものだった。
ヘラスの室生の中に、ヒンズーというあだ名のヒンディンガーという、おとなしい金髪の小男がいた。どこかアルゴイの宗教的に孤立した土地の仕立て屋の息子だった。彼は静かな生徒で、いなくなってはじめていくらか評判になったが、それもたいしたことはなかった。節約家の宮廷名楽手ルチウスの隣席者として、彼はルチウスと仲よく控えめに、ほかのものたちとよりは、いくらかよけいつきあっていた。そのほかには友だちを持っていなかった。いなくなってはじめて、ヘラス室のものは、おとなしい善良な隣人として、またとかく波乱の多いへやの一つの支点として、ヒンディンガーの存在を喜んでいたことに気づいた。
一月のある日、彼は、馬池のほうにスケートに出かけて行った連中に加わった。もっともスケートは持っておらず、一度見物しようと思っていただけだった。だが、まもなく寒くなったので、からだをあたためるため岸のまわりを足ぶみして歩いた。それから駆け足になり、少しばかり野原の先のほうにはぐれ、別の小さい湖のほとりに出た。そこはややあたたかい水が強くわき出していたので、弱く上っつらに氷が張っているだけだった。彼はアシを分けてはいって行った。小さく軽い彼であったが、その岸のそばでめりこんでしまった。もがいて、ほんのしばらくのあいださけんでいたが、だれにも気づかれず、暗く冷たい水の中に沈んでしまった。
二時に午後の最初の課業が始まったとき、ようやく、彼のいないことがわかった。
「ヒンディンガーはどこに行ったのです?」と、助教師がたずねた。
だれも答えなかった。
「ヘラスのへやをさがしてみなさい」
だが、そこには影も形もなかった。
「遅刻したのだろう。彼がいなくても始めることにしましょう。七十四ページ第七句。こんなことは二度とないようにしてもらいます。みなさんは時間を守らなくてはなりません」
三時が打っても、ヒンディンガーは依然やって来なかったので、先生は心配になり、校長のところへ使いをやった。校長はさっそく教室に姿を現わし、重大な質問を発し、すぐ十人の生徒に助手と助教師を伴わして、捜索に出した。残った生徒たちには、書き取りの練習が行われた。
四時に助教師はノックもせず教室にはいって来、ささやき声で校長に報告した。
「静かに」と、先生は命令した。生徒たちはベンチにじっとこしかけて、かたずをのんで先生を見つめた。「諸君の学友ヒンディンガーは」と、校長は声を落して言い続けた。「池でおぼれたらしい。諸君もさがす手伝いをしなければならない。マイヤー教授が諸君を指揮するから、一々その言いつけに従い、かってなふるまいをしてはならない」
おどろいた生徒たちは教授を先頭にささやきながら出かけて行った。町からは数人のおとなが綱や板や棒をもって、急ぐ一行に加わった。きびしい寒さだった。太陽はもう森の端にかかっていた。
やっと、小さくかたくなった少年の死体が見つかり、雪にうもれたイグサの上で担架にのせられたときは、もうとっぷり暮れていた。生徒たちは、おびえた鳥のように不安に打たれながら、まわりに立って、死体を見つめ、青くかじかんだ指をこすった。先頭に運ばれて行くおぼれた友だちのあとについて黙々と雪の野を歩きだしたとき、はじめて彼らの押しつけられた心は急に戦慄《せんりつ》に襲われ、小ジカが敵をかぎつけるように、恐ろしい死を感じた。
悲しみ凍える小人数の一団の中で、ハンス・ギーベンラートは偶然、かつての親友ハイルナーとならんで歩いていた。ふたりは野原の同じでこぼこにつまずいたとき、自分たちがならんでいることを、同時に気づいた。死に直面して強く心を打たれ、しばしのあいだ、およそ利己心なんかのむなしいことを深く感じていたせいか、とにかくハンスはふと友だちの青ざめた顔をまぢかに見ると、なんともいえない深い苦痛を感じ、急な衝動にかられて、ハイルナーの手をつかもうとした。ハイルナーは腹だたしげに手をひっこめ、不快そうに目をそらし、すぐに場所を変え、いちばんうしろの列に隠れてしまった。
模範少年ハンスの胸は苦痛と恥ずかしさに鼓動した。凍りついた野原をつまずきながら歩いているあいだ、寒さに青くなったほおの上に、涙があとからあとから流れて来るのを押えることができなかった。彼は、人の忘れることのできない、またどんな後悔も償うことのできない罪や怠慢のあるということを悟った。先頭の高くかつがれた担架の上にのっているのは、小さい仕立て屋の息子ではなくて、友だちのハイルナーであって、成績や試験や月桂冠《げっけいかん》ではなくて良心の清さまたは汚れだけを標準とする別な世界へ、ハンスの不実に対する苦痛と怒りとを運んで行くように思われた。
その間に一行は国道に出た。それから修道院はすぐだった。修道院では、校長を先頭に、先生一同が死んだヒンディンガーを出迎えた。ヒンディンガーが生きていたら、そんな名誉を考えただけでも逃げ出してしまっただろう。先生たちはいつも、死んだ生徒を生きている生徒に対するとはまったく違った目で見るものである。死んだ生徒に対すると、先生たちはふだんはたえず平気で傷つけている一つ一つの生命や、青春のとうとさや、取り返しがたさをしばしのあいだ強く感ずるのである。
その晩も翌日いっぱいも、目だたぬ死骸《しがい》のあることが、魔術のような働きをし、すべての行為やことばをやわらげ、静め、薄ぎぬで包んだ。それでその短いあいだは、争いも怒りも騒ぎも笑いも、しばし水の表面から消えて波ひとつ立てず、一見死にたえたようにひっそりさしてしまう水の精のように、影をひそめた。ふたりよって、溺死《できし》した者の話をするときは、必ず完全な名まえを使った。死人に対しては、ヒンズーというあだ名は礼を失するものと思われた。ふだんは目だたず顧みられず、生徒の群れの中に見失われていた静かなヒンズーが、いまはその名と死でもって大きな修道院全体を満たした。
二日めにヒンディンガーの父親が着いた。彼は子どもの寝かされているへやに二、三時間ひとりでいた。それから校長にお茶によばれ、夜はシカ屋に泊った。
それから葬式があった。棺は寝室に据えられていた。アルゴイの仕立て屋はそのそばに立って、万事をながめた。彼は正真正銘の仕立て屋型で、おそろしくやせてとんがっていた。緑色がかった黒いフロックコートを着、細いみすぼらしいズボンをはき、手にはキューベル射撃会員時代の古びた礼帽を持っていた。彼の小さい細い顔は風の中の一銭ロウソクのように憂わしく悲しげに弱々しく見えた。彼は校長や教授たちに対する尊敬の念にたえず恐縮していた。
いよいよ担ぐ人が棺を持ち上げるというときに、悲しい仕立て屋はもう一度歩み出て、当惑しおじおじした情愛の身ぶりで棺のふたにさわった。それから涙を押えながら、とほうにくれて立ち止り、大きな静かなへやのまん中に、冬の枯れ木のように立っていた。それがあまりに寂しくやるせなげにしょんぼりした様子だったので、見ているのが痛ましかった。牧師が彼の手を取って寄りそった。彼は異様に湾曲したシルクハットを頭にのせ、棺のすぐうしろについて、階段を降り、修道院の庭を通り、古い門を抜け、雪の積った野を越えて、低い墓地の|へい《ヽヽ》に向って歩いた。墓のそばで賛美歌を歌ったとき、たいていの生徒たちは、指揮する音楽教師の拍子を取る手を見ないで、小さい仕立て屋のしょんぼりした姿を見ていたので、音楽の教師は腹をたてた。仕立て屋は悲しく凍えて雪の中に立ち、頭をたれて牧師と校長と首席の弔辞を聞き、合唱する生徒たちに向ってぼんやりうなずき、ときどき上着のすそにしまってあるハンカチを左手でさぐったが、それを引き出しはしなかった。
「あの人のかわりにぼく自身の父があの場に立ったら、どうだろうと、ぼくは思い浮べずにはいられなかった」と、あとでオットー・ハルトナーがいった。すると皆は異口同音にいった。「まったくぼくもそう思ったよ」
後刻、校長がヒンディンガーの父といっしょにヘラス室にやって来た。「皆の中で故人と特に親しくしていたものがあるかい?」と、校長はへやの中に向ってたずねた。はじめはだれも名のり出なかった。ヒンズーの父は不安にせつなげに若い生徒たちの顔を見た。そのときルチウスが歩み出た。ヒンディンガー氏は彼の手を取り、しばししっかりと握りしめた。が、なにもいえないで、やがてつつましくうなずいて出て行った。それから彼は出発した。まる一日雪の野を汽車で走らねば、家に帰りついて、息子のカールがどんなに寂しいところに眠っているかを、妻に物語ることができないのだった。
修道院ではまもなく不思議な力が消えてしまった。先生たちはまたしかりだした。ドアをしめる手も乱暴になった。いなくなったヘラスの室生のことはほとんど思い出されなかった。あの悲しい池のそばに長いあいだ立っていたために、かぜをひいて、病室に寝ているものや、綿毛のスリッパをはき、|のど《ヽヽ》を巻いて駆けまわっているものもあった。ハンス・ギーベンラートは足も|のど《ヽヽ》も痛めなかったが、あの不幸の日以来、沈痛になり、年をとったように見えた。なにか彼の心の中で変化が起ったのだった。少年が青年になったのだ。彼の心はいわば他の国に移され、そこで不安げにおちつかずに浮動して、まだいこい場を知らずにいた。それは死の恐怖のせいでも、善良なヒンズーに対する哀悼のせいでもなく、ただハイルナーに対して突然目ざめた罪の意識のせいだった。
ハイルナーはほかのふたりといっしょに病室に寝かされ、あついお茶を飲まされた。それでヒンディンガーの死に際し受けた印象を整理し、後日の詩作にでも使えるようにしておく時間を得た。しかし、それも彼にとってたいしたことではないらしかった。彼はむしろ病みやつれた顔をして、病気仲間のものともほとんどことばをかわさなかった。監禁の罰以来孤独になることを余儀なくされて、彼の感じやすい、たえず話し相手がなくてはいられない心は、傷つけられにがにがしくされた。先生たちは彼を革命的な不満な分子として厳重に監視し、生徒たちは彼を避け、助手は皮肉な親切心をもって彼を遇した。彼が友とするシェークスピアやシラーやレーナウは、彼を押えつけ屈従をしいる現実の身辺の世界とは別な、もっと力強いすばらしい世界を示してくれた。彼の「僧の歌」は、はじめは隠者的な憂鬱な調子を帯びていたにすぎなかったが、しだいに修道院や教師や同級生に対するしんらつな憎悪に満ちた句の集まりとなった。彼は孤独の中にすっぱい殉教者の快感を見いだした。理解されないことに満足を感じ、仮借なく侮蔑《ぶべつ》的な僧の句の中で小さいユヴェナリスきどりになった。
葬式後一週間たって、ふたりの仲間がなおり、ハイルナーひとりまだ病室に寝ていたとき、ハンスが見舞いに来た。彼ははにかみながらあいさつし、いすを寝台のそばに持って来、腰をおろした。そして病人の手をとろうとした。病人はふきげんに壁のほうを向き、ひどく無愛想な様子をした。しかしハンスはひるまなかった。つかまえた手をしっかり握って、以前の友だちの顔をむりやり自分のほうに向けようとした。友だちは怒ってくちびるをゆがめた。
「いったいどうしようっていうんだい?」
ハンスは手をはなさなかった。
「ぼくの言うことを聞いてくれ」と、彼はいった。「ぼくはあのとき、卑怯にもきみを見捨てた。だが、きみはぼくがどんな考えでいるか知っているはずだ。神学校で上席を占め、できることなら一番になろうというのが、ぼくの堅い決意だったのだ。それをきみはくそ勉強だといった。ぼくについてはたしかにそのとおりだ。しかし、それがぼく一流の理想だったのだ。ぼくはそれにまさるものを知らなかったのだ」
ハイルナーは目をとじていた。ハンスはごく低い声で言いつづけた。「ねえきみ、ぼくは残念なんだ。きみはもう一度ぼくの友だちになってくれるかどうか知らないけれど、ぼくをぜひ許してくれたまえ」
ハイルナーはだまったまま、目をあけなかった。彼の心の中のやさしい明るい要素はことごとく友だちに向って笑いかけていたが、彼はこのごろ無愛想な孤独者の役割に慣れていた。少なくともしばらくのあいだはその仮面をかぶっていた。ハンスはひるまなかった。
「ぜひ頼むよ、ハイルナー! ぼくはこのうえきみのまわりをうろついているより、びりになりたいと思うよ。よかったら、ぼくたちはまた友だちになろう。そしてほかの連中なんか相手にしなくてもいいことを見せつけてやろう」
すると、ハイルナーはハンスの手を握り返し、目を開いた。
二、三日たつと、ハイルナーも床を離れ、病室を出た。修道院の中では、できたての友情について少なからず騒がれた。しかし、ふたりにとってはいまや不思議な月日が始まった。特に体験というべきものはなかったが、結ばれあっているという一種独特な幸福感と無言のひそかな了解とに満ちていた。以前とはいくらか変ったものがあった。数週間離れていたことが、ふたりを変えてしまった。ハンスは情愛とあたたかさを加え、耽溺《たんでき》的になっていた。ハイルナーの態度は一段と力強く男らしくなっていた。ふたりはこのあいだまでたがいに別れて慕いあっていたので、再度の結合は大きな体験のようにも、とうとい贈り物のようにも思われた。
ふたりの早熟な少年は友情の中に、初恋の微妙な神秘の一端を、わくわくする恥じらいをもって無自覚ながら、すでに味わっていたのだった。そのうえ、ふたりの結合は成熟する男の苦味のある魅力を持っていた。また同様に苦味のある薬味として、仲間全体に対する反抗心を持っていた。みんなにとってはハイルナーは親しめない男で、ハンスは不可解な男だった。それに、みんなのあいだの多くの友情は、そのころまだすべての無邪気な少年の戯れにすぎなかった。
ハンスはその友情に深く幸福な気持ちで執着すればするほど、彼にとって学校はうとましくなってきた。新しい幸福感は、新鮮なブドウ酒のように彼の血と思想の中をわきたちながらかけまわった。それとともにリヴィウスもホメロスも重要さと輝きを失ってしまった。先生たちは、いままで模範的な生徒だったギーベンラートが疑問な人間に変り、注意人物ハイルナーの悪い感化に負けたのを見て驚いた。先生たちが最も恐れるのは、それでなくても青年の発酵の始まる危険な年齢のころに早熟な少年に現われる異常な現象である。それでなくても彼らにとって、ハイルナーは元来、ある不気味な天才的な性質を持っていた。――天才と教師連とのあいだには、昔から動かしがたい深い|みぞ《ヽヽ》がある。天才的な人間が学校で示すことは、教授たちにとっては由来禁物である。教授たちにとっては、天才というものは、教授を尊敬せず、十四の年にタバコをすいはじめ、十五で恋をし、十六で酒房に行き、禁制の本を読み、大胆な作文を書き、先生たちをときおり嘲笑《ちょうしょう》的に見つめ、日誌の中で扇動者と監禁候補者をつとめる不逞《ふてい》の輩《やから》である。学校の教師は自分の組に、ひとりの天才を持つより、十人の折り紙つきの|とんま《ヽヽヽ》を持ちたがるものである。よく考えてみると、それももっともである。教師の役目は、常軌を逸した人間ではなくて、よきラテン語通、よき計算家、堅気な人間を作りあげる点にあるのだからである。しかし、だれがより多くのひどい苦しみを受けるか。先生が生徒から苦しめられるのか。あるいはその逆であるか。両者のいずれがより多く暴君であるか。両者のいずれがより多く苦しめ手であるか。他方の心と生活とをそこない汚すのは、両者のいずれであるか。それを検討すれば、だれしも苦い気持ちになり、怒りと恥じらいとをもって自分の若い時代を思い出すのである。しかし、それはわれわれの取り上ぐべきことではない。真に天才的な人間ならば、傷はたいていの場合よく癒着《ゆちゃく》し、学校に屈せず、よき作品を創《つく》り、他日、死んでからは、時の隔たりの快い後光に包まれ、幾世代にかけて後世の学校の先生たちから傑作として高貴な範として引き合いに出されるような人物になる、ということをもってわれわれは慰めとするのである。こうして学校から学校へと、規則と精神とのあいだの戦いの場面は繰り返されている。そして国家と学校とが、毎日現われて来る数人の一段と深くすぐれた精神を打ち殺し、根元から折り取ろうと、息もつかずに努めているのを、われわれはたえず見ている。しかもいつもながら、ほかならぬ学校の先生に憎まれたもの、たびたび罰せられたもの、脱走したもの、追い出されたものが、のちにわれわれの国民の宝を富ますものとなるのである。しかし、内心の反抗のうちにみずからをすりへらして、破滅するものも少なくない――その数がどのくらいあるか、だれが知ろう?
昔からのりっぱな学校の原則に従って、ふたりの若い変り者に対しても、怪しいと感づくやいなや、愛のかわりに、きびしさが倍加された。ただ最も勤勉なヘブライ語研究者としてのハンスを誇りとしていた校長だけは、ふてぎわな救済を試みた。彼はハンスを自分の執務室に呼びよせた。それは昔の院長の住居の美しい絵のような出張りのへやで、伝説によると、近くのクニットリンゲン生れのドクトル・ファウストがここでエルフィンガー酒の杯を重ねたということである。校長は相当な人で、見識も実務的な才もなくはなかった。それのみか、生徒たちに対し一種お人よしの好意をいだいていて、好んで生徒たちをきみと呼んだ。彼の大きな欠点は自負心の強いことだった。それに惑わされて彼はしばしば教壇でひやひやするような大言を吐いた。また自分の勢力や権威が少したりとも疑われるのをがまんすることができなかった。彼はどんな抗議をいれることも、どんな誤りを告白することもできなかった。それで、無気力な、あるいはまたずるい生徒たちは、彼と非常にうまくいった。ところが、気力のある正直な生徒たちにかぎってうまくいかなかった。というのは、ちょっと反対をほのめかしただけでも、彼は|かっ《ヽヽ》となり、正しい判断を失うからである。気を引き立てるような目つきと、しんみりした調子で、父親がわりの友だちの役割をつとめることにかけて、彼は名人だった。こんどもその手を演じた。
「おかけ、ギーベンラート」と、彼は、おずおずとはいって来た少年の手を強く握ってから、うちとけていった。
「少し話したいことがあるのだが。おまえといってもいいかい?」
「どうぞ、先生」
「おまえは自分でも、最近成績が、少なくともヘブライ語では少しさがったことを感じているだろう。おまえはいままでヘブライ語ではたぶん一番だったろう。だから、急にさがったのを見るのは残念だ。たぶんおまえはヘブライ語にもう興味を感じなくなったのだろうね?」
「そんなことはありません、先生」
「よく考えてみなさい。そういうことはありがちだ。たぶんほかの課目に特に力を注いだんだろうね?」
「いいえ、先生」
「ほんとかい? よろしい、それじゃ、ほかの原因をさがさなくちゃならない。それをつきとめる加勢をしてくれるかい?」
「わかりません……ぼくはいつも問題をやりました……」
「たしかに、そのとおりだ。だが、同中おのずから異ありだ。おまえはむろん問題をやって来た。それはおまえの義務でもあるのだ。だが、以前はそれ以上にやった。たぶんもっと熱心だった。いずれにしても、もっと興味をもって勉強した。そこで、こう急に熱がさめたのはどうしたわけなのかと、疑問がおきるのさ。まさか病気じゃあるまいね?」
「いいえ」
「それとも頭痛がするのかい? むろん非常に元気そうじゃないね」
「ええ、頭痛はときどきします」
「毎日の勉強が多すぎるのかい?」
「いいえ、ちっとも」
「それともさかんに自分の読書をやってるのかい? 正直にいいなさい」
「いいえ、ぼくはほとんどなにも読んでいません、先生」
「それじゃ、よくわからないね、きみ。やはりどこかいけないところがあるはずだ。ちゃんと努力することを約束してくれるかい?」
ハンスは校長が差し出した右手に自分の手をのせた。先生は彼をよそ行きの優しさでじろじろ見ていた。
「それじゃ結構だ。疲れきってしまわないようにすることだね。そうでないと、車輪の下じきになるからね」
校長はハンスの手を握った。ハンスはほっとして戸口に歩いていった。そこで彼は呼び返された。
「も少し聞くがね、ギーベンラート。おまえはハイルナーとしきりに交際しているようだね」
「はい、かなり」
「ほかのものたちとより以上に交際しているようだね。それとも、そうじゃないかい」
「いいえ、しています。彼はぼくの友だちです」
「いったいどうしてそうなったのだい。おまえたちはまったく性質が違っているのに」
「ぼくにはわかりません。彼はぼくの友だちなんです」
「私がおまえの友だちをあまり好いていないことは、おまえも知ってるね。彼はおちつかない不平家だ。天分はあるかもしれないが、彼はなにもしないし、おまえにもいい感化を及ぼさない。おまえが彼からもっと遠ざかるようにしたら、いいと思うんだがね――どうだい?」
「それはできません、先生」
「できない? いったいどうしてだね?」
「だって彼はぼくの友だちなんですから。簡単に見捨てることはできません」
「ふむ。だが、ほかのものともっと近しくできそうなものじゃないか。あのハイルナーの悪い感化に身をまかしているのはおまえだけだよ。その結果はもう目に見えている。彼のどこにおまえは特にひきつけられているのだい?」
「自分でもわかりません。でもおたがいに好きなんです。彼を捨てるのは卑怯です」
「そうか、そうか。じゃ、おまえをしいるのはよそう。だが、おいおい彼から離れてもらいたいね。そうなれば私には望ましいことだ。おおいに望ましいことだ」
最後の文句はさっきの優しさのあとかたもとどめていなかった。ハンスは帰ることを許された。
そのときからハンスはあらためて勉強に身をさいなんだ。もちろんもはや以前のようにすらすらと進みはしなかった。せめてあまりにも取り残されないように、苦労してくっついて行くだけだった。それが一部分は友情のせいだということは彼も知っていた。だが、彼は友情によって損失や障害を招いたとは考えなかった。むしろ、いままで取り逃がしたすべてのものを償う宝を友情の中に認めた。――それは以前の潤いのない義務の生活とは比較にならないような、高揚した、はるかにあたたかい生活だった。彼は若い恋人のような気持ちになった。偉大な英雄的行為ならできるが、日々の退屈なくだらないことはできないように感じられた。それでたえず絶望的な溜息《ためいき》をつきながらわれとわが身を|くびき《ヽヽヽ》につないだ。おざなりに勉強して、どうしても必要なことだけをすばやく、強引にばたばたと覚えてしまうハイルナーのような芸当はハンスは心得ていなかった。友だちがたいてい毎夕暇な時間に彼を誘ったので、彼はむりをして毎朝一時間早く起きた。そしてまるで敵とでもとっくみあうように、特にヘブライ語の文法を勉強した。ほんとにおもしろく思ったのはホメロスと歴史の時間だけだった。暗中模索するような気持ちでホメロスの世界の理解へ近づいた。歴史では、英雄がしだいに、名まえや年代などではなくなって、身ぢかから燃えるような目で見、生き生きした赤い唇を持つようになってきた。どの英雄も顔と手を持っていた。あるものは赤い太い粗野な手を、あるものは静かな冷たい石のような手を、またあるものは、細い脈のあるやせた熱い手を。
福音書をギリシャ語の原文で読んでいるときも、彼はときどきいろいろな人物をはっきりと身ぢかに感じて、驚かされた。いな、むしろ圧倒された。特にあるときマルコの第六章で、イエスが弟子たちと舟を捨てるところを読んで、その感に打たれた。そこには、「人々ただちにイエスをみとめて、あまねくあたりをはせまわりぬ」と書いてある。そこを読むと、キリストが舟から上がる様が目に見えた。そして姿や顔によってではなく、愛の目の光に満ちた異常な深さと、敏感ではあるが強い魂によって形づくられ支配されているように見える、しなやかな美しい日やけした手の軽くさしまねく、というよりは、呼びよせ歓迎する身ぶりによって、キリストだということが、すぐわかった。かきたてられた水辺や、重い小舟のへさきが一瞬、目の前に浮んだ。その光景はそれから、吐き出された冬のいぶきのように消えてしまった。
ときおりそういうことが繰り返された。本の中から、ある人物または歴史の一片が、もう一度生き返り、自分のまなざしを生きている人の目に映すことを熱望して、いわばむさぼるように飛び出して来るのだった。ハンスはこれをじっと受け入れながら不思議な思いに打たれた。そしてこのふいに来てたちまち消え去って行く現象に接して、自分がまるで黒い大地をガラスのように見通したか、あるいは神様に見つめられでもしたかのように、深く異様に変化したのを感じた。こうしたとうとい瞬間は、呼ばれないのに来、嘆かれないで消え去った。それはさながら、巡礼者か親しい客のようであったが、なにか見慣れぬもの神々しいものを身辺にたたえているので、話しかけたり、しいてとどまらしたりすることはできなかった。
こういう体験をハンスは自分だけの胸に秘めて、そのことについてはハイルナーにもなにもいわなかった。ハイルナーの以前の憂鬱は、おちつかないしんらつな精神に変り、修道院や先生たちや仲間や天候や人間生活や神の存在について、批評を加え、ときとしてはけんか癖や、とっぴなばかなふるまいに走った。彼はなんといっても一度孤立させられ、ほかのものたちと対立したので、軽率な自負心をもってこの対立をいっそう先鋭化させ、まったく強情な敵対関係にしてしまった。その中にギーベンラートも無抵抗にまきこまれた。それでふたりの友だちは、反感をもって見られる奇怪な離れ島となり、おおぜいのものから遠のいてしまった。ハンスはそれをしだいにさして不愉快に感じなくなった。ただ校長に対してだけは、ぼんやりした不安を感じていた。以前は彼の愛《まな》弟子《でし》であったハンスはいまは冷淡に遇せられ、明らかに故意にうとんぜられた。それでとりわけ校長の専門の科目であるヘブライ語に対して、しだいに興味をまるでなくしてしまった。
少数の停滞者を除いて、四十人の生徒が数カ月のうちにもう心身ともに変ってしまったのを見るのは、興味があった。横幅のほうはおかまいなく、むやみと背たけの伸びるものが多かった。そしていっしょに伸びない着物のそとに、手首や足首をたのもしげに出していた。顔は、うせゆく子どもらしさと、はにかみながらも胸を張り始めるおとならしさとのあいだのあらゆる度合いを示していた。からだがまだ思春期のごつごつした形を示していないものも、モーゼの書の研究によって少なくとも一時的なおとならしい厳粛さをなめらかな額に帯びていた。豊頬《ほうきょう》はまったく珍しいものになっていた。
ハンスも変った。背の高さと、細さにかけてはハイルナーに負けなくなった。それどころかハイルナーよりふけて見えさえした。以前は柔らかに透きとおっていた額の角がはっきり目だってきた。目は一段とくぼみ、顔は不健康な色を示し、手足や肩は骨ばってやせていた。
学校での成績に自分から不満になればなるほど、ハイルナーの感化を受けて、彼はいっそういこじに仲間と関係を断った。彼はもはや模範生として、将来の首席として仲間を見おろすという根拠を失ったので、その高慢さはまったく似合わしくなかった。しかし人からそれを気づかせられること、自分の心の中でそれを苦しく感じることは、容赦できなかった。とりわけ、模範的なハルトナーと生意気なオットー・ヴェンガーと、ハンスはたびたびけんかになった。ヴェンガーがある日またハンスをあざけり、おこらせると、ハンスはわれを忘れ、げんこつでもって応酬した。ひどいなぐりあいになった。ヴェンガーは臆病者だったが、ひ弱い相手を片づけるのはたやすかった。彼は容赦なく打ちかかって来た。ハイルナーは居合わさなかった。ほかのものたちはのんきにながめながら、ハンスがこらしめられるのを痛快がった。ハンスはしたたかに打ちのめされ、鼻血を出した。肋骨《ろっこつ》が残らず痛んだ。一晩じゅう、恥ずかしさと苦痛と怒りとに眠れなかった。ハイルナーにはこのできごとを隠していたが、このときからハンスはがんこにほかのものと絶縁し、同室の生徒とほとんど口をきかなかった。
春に向って、雨の昼間や雨降りの日曜日や長いたそがれどきのために、修道院の生活の中にも新しい組織と動きが現われた。アクロポリス室にはピアノの名手がひとりと笛を吹くものがふたりいたので、規則的な音楽の夕べを二度設けた。ゲルマーニア室では戯曲読書会を開いた。数人の若い敬虔《けいけん》主義者は聖書のまどいを作り、毎晩カルフの聖書注釈とともに一章ずつ読んだ。
ゲルマーニア室の読書会にハイルナーは入会を申し込んだが、受け入れられなかった。彼は憤激した。その腹いせに、こんどは聖書のまどいにはいった。そこでも彼は迎えられなかったのだが、むりに押しかけていき、つつましいささやかな仲間の敬虔な談話の中に、大胆な言説と神をなみするようなあてこすりによって、いさかいと不和を持ちこんだ。まもなくハイルナーはこの悪ふざけにも飽きたが、長いあいだ皮肉な聖書口調が彼の話しぶりに残っていた。しかしこんどは彼はほとんど顧みられなかった。生徒たちはいまはまったく企てと創立の精神に夢中だった。
いちばん話題にのぼったのは、才能も|とんち《ヽヽヽ》もあるスパルタ室のある生徒だった。彼は個人的な名声を考えるつぎに、ただ仲間をおもしろがらせ、いろいろな当意即妙のくだらないことをやって、単調な勉強の生活にいっそうひんぱんに気晴らしを与えることを念としていた。彼はズンスタンというあだ名で呼ばれていたが、人気を博してある種の名声をかちうる奇抜な道を見つけた。
ある朝、生徒たちが寝室から出て来ると、洗面所のドアに一枚の紙がはりつけてあった。それには「スパルタの六警句」という題の下に、えりぬかれた風変りな仲間や、その非常識や、愚行や、友情関係が二行詩でしんらつに嘲弄《ちょうろう》してあった。ギーベンラートとハイルナーの一対もあてこすられていた。小さな国家組織の中にはひどい興奮が起った。劇場の入り口ででもあるかのように、みんなはドアの前に押しかけた。女王が飛び出そうとしているミツバチ族さながらに、生徒の群れはがやがやと押しあいざわめきあった。
その翌朝、ドアいっぱいに、応酬や賛成や新たな攻撃の警句と諷刺《ふうし》詩とが張り出された。が、この騒ぎの張本人は二度とそれに加わるほど|ばか《ヽヽ》ではなかった。ほくちを穀倉に投げこむ目的はすでに達したので、彼は悦に入って、もみ手をしていた。ほとんど全部の生徒が数日間この諷刺詩戦に加わった。だれもが二行詩を考えながら物思わしげに歩きまわっていた。われ関せずとばかり、いつものとおり勉強に精出していたのは、おそらくルチウスひとりだった。ついにある先生がそれに気づいて、穏やかならぬ遊戯の継続を禁止した。
悪がしこいズンスタンはいままでの成功に安んぜず、その間に本式の企ての準備をしていた。いよいよ彼は新聞の第一号を出した。ごく小さい型の草稿紙に複写したもので、材料は数週間このかた集めていた。「ヤマアラシ」という題で、主としてこっけい新聞だった。ヨシュア記の著者とマウルブロン神学校の一生徒とのあいだのひょうきんな対話が、第一号の白眉《はくび》だった。新聞は無料で各室に二部ずつ配布された。今後毎週二回発行、定価五ペニヒのはずだった。売りあげ金は娯楽資金にすることになっていた。
成功に狂いはなかった。非常にせわしい編集者兼発行者らしい顔をしてたちまわっていたズンスタンは修道院の中で、その昔ヴェニス共和国のあっぱれなアレティーノにも比すべき、非難と賞賛のなかばする名声を博した。
ヘルマン・ハイルナーが熱情的に編集に加わり、ズンスタンといっしょに、鋭い諷刺的な検察官の役を行なったとき、生徒全体のあいだに驚きのうずをまき起した。ハイルナーにはそうした役をするための機知と毒とが乏しくなかった。ほぼ一カ月のあいだこの小さい新聞は修道院全体を息づまらした。
ギーベンラートは友だちのなすに任せた。彼には事を共にする興味も才もなかった。それのみか彼ははじめのうちは、ハイルナーがほかの用事に忙しいため近ごろひんぱんにスパルタ室で夕方をすごしているのを、気づかずにいた。ハンスは終日ものうくぼんやり動きまわっていた。そしてだらだらと気乗りうすな勉強をした。あるときリヴィウスの時間に妙なことが起った。
教授がハンスの名を呼んで訳を命じた。彼はすわったままでいた。
「どうしたというのだ? なぜ、きみは立たないのだ?」と、教授はおこってどなった。
ハンスは動かなかった。まっすぐベンチにこしかけたまま、頭を少したれて、目をなかば閉じていた。名をよばれて夢からなかばさめたけれど、先生の声がはるか遠いかなたから響いて来るようにしか聞えなかった。隣席の生徒に激しくつつかれたのもわかった。それはしかし彼にはなんのかかわりも持たなかった。彼はほかの人間に取りかこまれ、ほかの手に触れられていた。ほかの声が彼に話しかけた。ことばを発せず、ただ泉の音のように深くやさしくざわめく、近い低い深い声が話しかけた。それからたくさんの目が彼を見つめた――見慣れぬ、予感にあふれた、大きな、輝く目が。おそらくそれは、リヴィウスの中で読んだばかりのローマの群衆の目だった。おそらく彼が夢に見たか、あるいはいつか絵で見た未知の人間の目だった。
「ギーベンラート」と教授は叫んだ。「きみは眠っているのか」
ハンスは静かに目を開き、驚いて、先生を見つめ、頭をふった。
「眠っていたのだな。それとも、どの文章を読んでいるか、いえるか。どうだ?」
ハンスは指で本の中をさした。彼はどこを読んでいるかよく知っていた。
「じゃこんどは立ち上がるだろうな?」と、教授はあざけるようにたずねた。ハンスは立ち上がった。
「きみはいったいなにをしているのだ? 私の顔を見なさい」
彼は教授の顔を見た。その目つきは先生の気に食わなかったと見え、先生はいぶかしげに頭を振った。
「きみはぐあいがわるいのか。ギーベンラート」
「いいえ、先生」
「こしかけなさい。授業のあとで私のへやに来なさい」
ハンスはこしかけて、リヴィウスの本の上にかがんだ。彼はすっかりさめてしまい、すべてを理解した。同時にしかし彼の心の目は、例のたくさんの見慣れぬ人物の跡を追った。それは徐々に広い世界に遠のきながらたえず輝く目を彼の上に注いでいたが、ついにまったく遠い霧の中に沈んでしまった。それといっしょに先生の声や、訳していた生徒の声や、その他、教室の小さい物音がだんだん近づいて来て、とうとう、いつものように、まぎれもなくはっきりしてきた。ベンチや教壇や黒板がいつものとおりにあった。壁には大きな木のコンパスと三角定規がかかっていた。自分のまわりには仲間がこしかけていた。彼らの中のおおぜいのものが好奇心をもってあつかましく彼のほうをぬすみ見していた。そのときハンスはぎくっとした。
「授業のあとで私のへやに来なさい」という文句を彼は聞いたのだった。たいへんだ、なんということをしでかしたのか。
時間の終りに教授は彼を招きよせ、目を見はっている仲間のあいだを通って、いっしょに連れて行った。
「さあ、いったいどうしたのか、言いなさい。眠っていたのじゃないね?」
「いいえ」
「名を呼ばれたとき、なぜ立たなかったのだい?」
「自分にもわかりません」
「それとも聞えなかったのかい? きみは耳が遠いのか」
「いいえ、聞えました」
「それでも立たなかったのだね。そのうえ、あとでいやに変な目をしたね。いったいなにを考えていたのだい?」
「なにも考えていませんでした。ぼくは立とうと思っていたのです」
「なぜそうしなかったのだい? やはりぐあいがわるかったのかい?」
「そうとは思いません。どうしたのか、ぼくにもわかりません」
「頭が痛かったのかい」
「いいえ」
「よろしい。帰りなさい」
食事の前に彼はもう一度呼び出されて、寝室に連れていかれた。そこには校長が郡の医者といっしょに待ちうけていた。ハンスは診察され、根掘り葉掘り聞かれたが、なにもはっきりしたことはわからなかった。医者は気のよい笑いを浮べて、たいしたことじゃないと考えた。
「こりゃ、ちょっとばかり神経に関することですな、先生」と、彼は穏やかに忍び笑いをした。「一時的な衰弱――一種の軽い目まいですな。この若い方は毎日戸外に出るようにしなければいけません。頭痛に対しては滴剤を少し処方しましょう」
それ以後ハンスは毎日食後一時間戸外に出なければならなかった。彼は少しもそれをいやがらなかった。いけないのは、この散歩にハイルナーが同行することを、校長がきっぱり禁じたことだった。ハイルナーは憤慨し、ののしったが、それに従うほかなかった。それでハンスはいつもひとりで出かけたが、それにある喜びを感じた。春の初めだった。美しい丸みを帯びた丘に、浅い明るい波のように、もえる緑が流れた。木々は、輪郭の鋭い褐色《かっしょく》の網目のような冬姿をぬぎ捨て、若葉の戯れや野山の色と溶けあい、生き生きとした緑のはてしない波と化した。
以前ラテン語学校時代にはハンスは春をいまとは違った目で見ていた。もっと、はつらつと好奇心をもって、もっともっと一つ一つのものを見ていた。いろいろな種類の鳥がつぎつぎと帰って来るのを観察した。順々に木の花が咲くのを観察した。それから五月になると、さっそく魚釣りを始めるのだった。いまはしかし鳥の種類を区別しようとも、芽ばえでもって低木を見分けようとも努めなかった。彼はただ全体の動きといたるところに芽を吹いている色を見、若葉のかおりを吸い、柔らかくなり、沸きたっている空気を感じながら、驚きの念をもって野を歩いた。彼はすぐに疲れ、たえず横になって眠りたい気がした。そしてひっきりなしに、現実に自分を取り囲んでいるのとは違ったいろいろなものを見た。それが実際どんなものであるか、彼自身知らなかった。よく考えてみようともしなかった。それは明るい柔らかい風変りな夢で、肖像か珍しい木の並木のように、彼を囲んでいた。なにもできごとらしいものはなく、ただ見るための純粋な画面にすぎなかったが、それを見ることは、一つの体験だった。それは別の土地かほかの人間のところにさらわれていくことだった。見慣れぬ地上を、柔らかい踏みごこちのよい土地を歩くようなものだった。慣れぬ空気、ふわふわと軽く微妙な夢のような香気をたたえた空気を呼吸することだった。この画面のかわりに、ときどき、軽い手が柔らかく彼のからだをさすりながらすべって行くような、漠《ばく》としたあたたかいわくわくする感情がやって来た。
ハンスは読書や勉強の際、注意を集中するのに非常にほねがおれた。彼の興味をひかないものは幻のように手の下からすべりおちて行った。ヘブライ語の単語を授業のときに知っていようと思ったら、終りの半時間のうちに覚えねばならなかった。しかし物の形がまざまざと浮んで来る瞬間がひんぱんに起った。本を読んでいると、描写されたものが残らず急に目の前に現われて来、生命を得て、身辺のものよりずっと具体的に現実的に動くのが見えた。記憶力がもはやなにも受け入れようとせず、ほとんど日ごとに弱り不確実になっていくのに気づいて、彼は絶望を覚えたが、一方では古い記憶が不思議にもおそろしくも思えるような不気味な明瞭さをもって、ときおり彼を襲った。授業の最中、あるいは読書の際に、父とかアンナばあやとか昔の先生や同級生のひとりとかがよく、頭に浮んで来ては、彼の前にありありと立って、しばしのあいだ彼の注意を完全に奪ってしまうのだった。シュツットガルト滞在や州の試験や休暇中などの場面も彼は繰り返し味わい直した。あるいは釣り|ざお《ヽヽ》をたれて河岸にすわっている自分の姿を見、日の当っている水のにおいをかいだ。同時に、自分の夢みているのは、ずっと昔のことのように思えた。
なまあたたかくしめっぽい陰気な夕方、ハンスはハイルナーと寝室の中をぶらぶら歩きながら、家のことや、父のことや、釣りのことや、学校のことを話した。友だちはひどく無口だった。彼はハンスにしゃべらせておいて、ときどきうなずいたり、一日じゅう遊び道具にしていた小さい定規で瞑想《めいそう》的に虚空を二、三度打ったりした。しだいにハンスも口をつぐんだ。夜になっていた。ふたりは窓のふちに腰かけた。
「ねえ、ハンス」と、しまいにハイルナーがいいだした。その声は不安にたかぶっていた。
「なにさ」
「なんでもないんだ」
「いけない。さあ言いたまえ」
「ぼくはね、ふと思ったんだが――きみがいろんなことを話したから――」
「いったいなにさ」
「ねえ、きみは若い娘のあとを追ったことはないかい?」
また沈黙に返った。そんなことをふたりはまだ話したことがなかった。ハンスはそんなことに恐れをいだいていた。しかしそのなぞの世界はおとぎ話の花園のように彼をひきつけた。彼は顔が赤くなるのを感じた。彼の指はふるえた。
「たった一度」と、彼はささやくようにいった。「まだなにもわからない子どものときさ」
また沈黙に返った。
「――じゃ、きみは? ハイルナー」
ハイルナーは溜息をついた。
「だめだ、よそう――こんなことを話すべきじゃなかったね。むだなことだ」
「そんなことはないさ」
「――ぼくには恋人があるんだ」
「きみに? ほんとかい?」
「くにの隣の家の人だ。この冬、ぼくは彼女にキスしたんだ」
「キス――?」
「うん。――もう暗くなっていた。夕方、氷の上でのことだ。スケートをぬぐ手伝いをしてやったのだ。そのとき、キスしたのだ」
「その人はなんともいわなかったかい?」
「なにもいわなかった。ただ走って逃げて行った」
「それから?」
「それから!――それっきりだ」
彼はまた溜息をついた。ハンスはハイルナーを禁断の園から来た勇者のようにながめた。
そのとき、鐘がなった。みんなは寝床にはいらねばならなかった。あかりが消されて、ひっそりしてしまってからも、ハンスは一時間以上も眠らずに、ハイルナーが恋人に与えたキスのことを考えていた。
翌日もっと詳しく聞こうと思ったが、恥ずかしかった。ハイルナーのほうでは、ハンスが聞いてくれないので、また自分からきりだすのをはばかった。
学校ではハンスはますます悪くなった。先生たちはにがい顔をし、変な目つきをちらりちらり投げるようになった。校長はおこって暗い顔をしていた。同級生たちも、ギーベンラートが上のほうから落ちて、一番を目ざすのをやめてしまったのを、ずっと前から気づいていた。ハイルナーだけは、自分から学校なんかたいしてたいせつなものとは思っていなかったので、なにも気づかなかった。ハンス自身はべつに気にもとめず、すべての成り行きと変化とを見ていた。
ハイルナーはそのうち新聞の編集に飽きて、すっかり親友のふところにもどって来た。禁止を犯して彼はなんどもハンスの毎日の散歩について行き、いっしょに日なたに寝ころび、夢想したり、詩を朗読したり、校長をからかったりした。ハンスは毎日毎日、ハイルナーが例の恋愛事件のうちあけを続けてくれるだろうと、あてにしていた。しかし長びけば長びくほど、思いきって聞いてみる勇気が出なかった。仲間のあいだではふたりはいままでになくきらわれた。それというのも、ハイルナーが「ヤマアラシ」の中でしんらつなしゃれを弄《ろう》したため、だれからも信ぜられなくなっていたからである。
それでなくても新聞はそのころ廃刊になった。役目を終えてしまったのである。本来それは冬と春の間の退屈な幾週間かを目あてにしたものだった。いまは、始まりかけた美しい季節が植物採集や散歩や戸外の遊戯によって十分に楽しみを与えてくれた。毎日お昼には、体操する者や、すもうをとる者や、競走する者や、たま遊びをする者が修道院の中庭を叫び声と活気とをもって満たした。
そこへもってきて新しいセンセイションが起った。その張本人と中心は例のごとく、全体のつまずきの石たるヘルマン・ハイルナーだった。
校長はおせっかいな同級生から、ハイルナーが校長の禁止を愚弄して、毎日のように散歩に出るギーベンラートにくっついて行くということを聞いた。こんどはハンスのほうはそのままにして、その古い友だちである主犯者を執務室に呼び寄せた。彼は親しげにおまえと呼んだが、ハイルナーは即座にそれをことわった。ハイルナーは命令にそむいたことを責められると、自分はギーベンラートの友だちだ、おたがいの交わりをとめる権利はだれにもない、と言い放った。激しい言いあいが起ったが、その結果、ハイルナーは二、三時間監禁され、同時に、当分ハンスといっしょに外出することを厳禁された。
それで翌日ハンスはまたひとりで公認の散歩をした。二時に帰って来て、ほかのものといっしょに教室にはいった。授業の始まるとき、ハイルナーがいないということがわかった。ヒンズーがいなくなったときとまったく同じだったが、今度はだれも遅刻だとは思わなかった。三時に全生徒が三人の先生とともに、いなくなった者の捜索に出かけた。みんなは分れて森の中を叫びながら走った。先生のうち、ふたりを初めとし、ハイルナーは自殺をしていないともかぎらないと思うものが少なくなかった。
五時にその地方の駐在所にくまなく電報を打ち、夕方ハイルナーの父あてに至急郵便を出した。夜おそくなっても何の手がかりもなかった。夜中までどの寝室にもひそひそとささやきがたえなかった。生徒たちのあいだでは、ハイルナーは身投げしたのだろうという推測が最も多く信じられた。なあに、家に帰ったのさ、といっているものもあった。しかし逃亡者はほとんど金を持っていないはずだということが、確かめられた。
ハンスは事情を知っているにちがいないと見られた。しかし当人はそれどころでなく、むしろいちばん驚き心配していた。夜、寝室で、ほかのものがたずねたり、臆測したり、途方もないことをいったり、だじゃれをいったりするのを聞くと、ふとんの中に深くもぐりこんで、友だちのためにもだえ憂えながら長いあいだ苦しい時間をすごした。ハイルナーはもう帰って来ないだろうという予感が彼の不安な胸をとらえた。彼はおびえた悲しい気持ちでいっぱいになり、とうとう心痛のあまりくたくたになって寝入ってしまった。
そのころハイルナーは数マイル離れた木立ちの中に寝ていた。寒くて眠れなかったが、心から自由な気持ちになって、深々と息をし、狭いかごから逃げ出したように、手足を伸ばした。彼はお昼から歩いていた。クニットリンゲンでパンを買い、ときどきそれをかじりながら、春浅くまだすいている枝のあいだから、夜のやみや、星や、早く走る雲をながめた。とどのつまり、どこに行くかは問題でなかった。少なくとも今夜は憎らしい修道院を飛び出し、自分の意志は命令や禁止より強いことを校長に示してやったのだ。
翌日いっぱいみんなは彼をさがしたが、むだだった。彼は二日めの夜を、ある村に近い畑の上のわらたばのあいだですごした。朝になると、また森の中にはいった。ようやく夕方ごろ、ある村にはいろうとしているところを駐在署員の手につかまった。警官は悪気のない悪口を言いながら彼をあしらい、役場に連れて行った。彼はそこでしゃれやおせじで村長の気に入られた。村長はいっしょに彼を家に連れて行って泊らせ、寝る前にハムや卵をたくさんたべさせた。翌日、そのあいだにはせつけた父親が迎えに来た。
脱走者が連れ込まれたとき、修道院の興奮はたいへんだった。ハイルナーはしかし、ぐっと頭を上げ、天才的な小旅行を全然悔いていないように見えた。みんなは彼に謝罪させようとしたが、彼はそれを拒絶し、先生たちの集まりの秘密裁判に臨んでも、少しも臆したり、恭順の意を表したりしなかった。学校では彼を引きとめておくつもりだったが、これではあまり度を越えていた。彼は、放校に処せられ、夕方父親といっしょに旅立ち、二度と帰って来ないことになった。親友のギーベンラートとはわずかに握手して別れを告げることができただけだった。
極度に不心得な堕落した今回の脱線事件について校長が行なった大訓辞は美しく荘重だった。が、シュツットガルトの上司にあてた彼の報告ははるかにおとなしく要領のいい弱い文句のものだった。生徒たちが退校した不逞漢《ふていかん》と文通することは禁ぜられた。それに対しハンス・ギーベンラートはむろん微笑しただけだった。数週間にわたって、ハイルナーとその逃亡のことくらい話題にのぼったことはなかった。遠く離れ、時間がたつにつれ、みんなの判断は変ってきた。あのころは小心翼々と近よらないようにしたが、その脱走者をのちには、飛び去ったワシのように見送るものも少なくなかった。
ヘラス室には、あいた机が二つできた。あとからいなくなったほうは、先にいなくなったものほど早く忘れられはしなかった。校長だけは、二番めのほうもおとなしく身を固めてくれればいいと思っていた。しかしハイルナーは修道院の平和を乱すようなことはなにもしなかった。ハンスは待ちこがれていたが、なんのたよりもなかった。ハイルナーは立ち去ったきり、行くえ不明になった。彼の人物と逃亡とは次第に過去の語り草になり、ついに伝え話になった。あの熱情的な少年は、のちに、なおいろいろと天才的な所業と迷いとを重ねた末、悲痛な生活によって、身を持すること厳に、大人物といわないまでも、しっかりしたりっぱな人間になった。
あとに残ったハンスはハイルナーの脱走を知っていたろうという疑いからぬけられず、先生たちの好意をまったく失ってしまった。先生たちのひとりは、ハンスが授業中いくつもの質問に答えられなかったとき、「なぜきみはりっぱな親友ハイルナーといっしょに行かなかったのだ?」と言った。
校長は彼を見放し、パリサイの徒が税吏を見るようにけいべつに満ちた同情をもって、わきから彼をながめていた。このギーベンラートはもはや生徒の数にはいらなかった。彼はライ病やみに属していた。
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第五章
ヤマネズミがためこんだ蓄えを食って生き長らえるように、ハンスは以前に獲得した知識によって、なおしばし寿命を保っていた。それから苦しい窮乏が始まった。それは長つづきしない無力な新しい努力によって中断されはしたが、その望みのなさに彼自身笑わずにはいられなかった。彼は無益にほねをおることをやめて、モーゼの書についでホメロスを放棄し、クセノフォンについで代数を放棄した。そして先生たちのあいだで自分のよい評判がだんだんさがって行き、優から良へ、良から可へと、ついにはゼロへさがるのを、平気でながめていた。また頭痛のするのが常になったが、そうでないときは、ヘルマン・ハイルナーのことを考えたり、軽いとりとめもない夢を追ったりして物思うともなしに、幾時間もぼんやりすごした。すべての先生のたかまって来る非難に対して、彼はこのごろ、お人よしの卑屈な微笑をもって答えた。助教師のヴィードリヒは親切な若い先生だったが、ハンスのとほうにくれた微笑に心をいため、脱線した少年を思いやりのあるいたわりをもって遇したただひとりだった。ほかの先生たちは彼に対し腹をたて、仕返しとしてけいべつの目をもって見放したり、あるいはときおり皮肉のくすぐりによって、彼の眠ってしまった功名心を呼びさまそうと試みたりした。
「もしかお眠りにならないのでしたら、失礼ながらこの文章を読んでいただけませんか」
特に怒ったのは校長だった。この見え坊の人は自分の目の力をおおいに自負していた。それで彼が威厳をもっておどかすように目をむいても、ギーベンラートはいつも卑屈に恐れ入った微笑をもって答えるだけだったので、彼は|かっ《ヽヽ》となった。その微笑はしだいに彼を神経質にさせた。
「そんな底の知れないあほうづらでにやにや笑うのはやめなさい。おまえは声をあげて泣いてしかるべきところじゃないか」
それよりも心を打ったのは父の手紙だった。父は驚いて、心を入れかえてくれと彼に嘆願した。校長がギーベンラート氏に手紙を出したのだった。父は驚いてなすところを知らなかった。ハンスあての彼の手紙は、実直な人間の使うことのできる激励や道徳的な憤りのきまり文句を残らず並べたものだった。しかしまた自然に哀れっぽい泣き言も漏れていた。それが息子の心を痛めた。
校長からギーベンラートの父親や教授や助教師にいたるまで、義務に励精する少年指導者たちはいずれもみな、ハンスの中に彼らの願いを妨げる悪い要素、悪く凝り固まったなまけ心を認め、これを押えて、むりにも正道に連れもどさねばならないと思った。たぶん例の思いやりのある助教師を除いては、細い少年の顔に浮ぶとほうにくれた微笑の裏に、滅びゆく魂が悩みおぼれようとしておびえながら絶望的に周囲を見まわしているのを見る者はなかった。学校と父親や二、三の教師の残酷な名誉心とが、傷つきやすい子どものあどけなく彼らの前にひろげられた魂を、なんのいたわりもなく踏みにじることによって、このもろい美しい少年をここまで連れて来てしまったことを、だれも考えなかった。なぜ彼は最も感じやすい危険な少年時代に毎日夜中まで勉強しなければならなかったのか。なぜ彼から飼いウサギを取り上げてしまったのか。なぜラテン語学校で故意に彼を友だちから遠ざけてしまったのか。なぜ魚釣りをしたり、ぶらぶら遊んだりするのをとめたのか。なぜ心身をすりへらすようなくだらない名誉心の空虚な低級な理想をつぎこんだのか。なぜ試験のあとでさえも、当然休むべき休暇を彼に与えなかったのか。
いまやくたくたにされた小馬は道ばたに倒れて、もう物の役にもたたなくなった。
夏のはじめに郡の医者は、主として成長に基因する神経衰弱にすぎないと、重ねて診断した。ハンスは休暇中十分にたべ、さかんに森を歩き、みっしり養生するようにしたら、きっとよくなるだろうということだった。
残念ながらそこまでいかなかった。休暇になる三週間前のことだった。ハンスは午後の授業時間に教授からひどくしかられた。先生がののしり続けているうちに、ハンスはベンチにぺたんと倒れ、せつなげに震え始め、それからしゃくり上げて泣きだし、いつまでもやめず、授業をまったく中断してしまった。そのあと、彼は半日寝床に寝ていた。
その翌日彼は数学の時間に、黒板に幾何の図をかいて、その証明をするように促された。彼は前に出たが、黒板の前で目まいがした。チョークと定規でもってでたらめに線をひいているうちに、二つとも落した。拾おうとしてかがむと、床にひざをついたまま、もう立ち上がれなかった。
郡の医者は自分の患者がそんなことをしたので、かなり腹をたてた。彼は慎重な態度をとり、すぐに静養の休暇を取ることを命じ、神経病医を招くようにすすめた。
「あれにはまだ舞踏病が出ますな」と、彼は校長にささやいた。校長はうなずいて、無慈悲な立腹顔を父親のような同情のある表情と変えるほうがよいと思った。それは彼にとっては容易なことだったし、似つかわしくもあった。
校長と医者はそれぞれハンスの父にあてて手紙を書き、少年のポケットにそれを入れて、家へ帰した。校長の腹だちはひどい憂慮に変った――ハイルナーの件で不安にされたばかりの学務課は、この新しい不幸についてなんと考えるだろうか。みんなの意外に思ったことには、校長はこんどのできごとに相応する訓辞さえ見合わした。最後にはハンスに対して、気味が悪いほど親切だった。ハンスが静養の休暇から帰って来ないだろうということは、校長にははっきりわかっていた。――たとえなおったとしても、もうずっと遅れてしまったあの生徒は、休んだ数カ月、いや数週間をさえ取り返すことはできなかっただろう。心から励ますように「さようなら、また会おうね」と、いって別れたものの、このヘラス室にはいって、空になった三つの机を見るごとに、胸苦しくなり、天分のあるふたりの生徒がいなくなった罪の一部はやはり自分にあるかもしれないという考えを、心の中で押えつけるのにほねが折れた。しかし度胸のある、道徳的にも強気な男だったから、この無益な暗い疑いを心の中から追い払ってしまった。
小さい旅行ぶくろをもって旅立って行く神学校生徒のうしろに、会堂や門や破風《はふ》や塔のある修道院が隠れ、森や丘陵が沈み、そのかわりにバーデン州の国境の豊かに果樹のはえている草原が浮んで来た。それからプフォルツハイムの町が現われ、そのすぐうしろに、シュヴァルツヴァルトの青黒いモミの山が始まった。そのあいだを縫って無数の谷川が流れていた。暑く照りつける夏の日を受けて、モミの山はいつもより一段と青く涼しそうで、豊かな日かげを思わせた。少年は、変って来るとともにますます故郷の気配が濃くなってくるけしきをながめて、楽しい気持ちになったが、故郷の町に近づいて、父親のことが心に浮ぶと、どんな迎えられ方をするだろうかという苦しい不安が、ささやかな旅の喜びをめちゃめちゃにしてしまった。シュツットガルトへの受験旅行とマウルブロンへの入学の旅とが、それぞれの緊張や不安な喜びを伴って、思い出された。あれもこれもいったいなんのためだったのだろう? 校長同様、彼も自分が二度と引き返すことのないのを、もはや神学校も学問も野心的な希望もまったく終ってしまったのを、承知していた。しかしそのことはいまはもう彼を悲しませなかった。ただ希望を裏切られて失望している父親に対する心配が彼の心を悩ました。いまの彼は、休息し、ぐっすり眠り、思いきり泣き、見はてるまで夢を見たい、さんざんいじめられたあげくだからかまわずにおいてもらいたい、という願いしか持っていなかった。しかし父のひざ元ではその願いはかないそうにもなかった。汽車の旅の終りに激しい頭痛がした。汽車は彼の好きなところを走っていたのに、彼はもう窓の外を見なかった。その辺の山や森を昔熱心に歩きまわったものだった。心配していたのに、なじみの故郷の停車場で降りるのを忘れるところだった。
|かさ《ヽヽ》と旅行ぶくろとを持って彼は降り立った。父はしげしげと彼を見つめた。校長の最後の報告は、できそこなった息子に対する幻滅と怒りとを、度を失った驚きに変えた。彼は、衰弱してひどい様子をしているハンスを想像していたが、やせて弱ってこそおれ、病気でもなく、ひとりで歩けるハンスを見いだした。それで少し安心した。しかしいちばんいけないのは、医者と校長とが知らしてよこした神経病に対する内心の不安と恐怖だった。彼の一家にはこれまで神経病にかかったものはなかった。そんな病人ときては、世間の人は、無理解なあざけりやけいべつ的な同情をもって、狂人のようにいうのだった。ところが、いまハンスはそういうしろものを背負いこんで帰って来たのだ。
最初の日、少年はこごとで迎えられなかったことを喜んだ。それから、明らかにむりに自制して自分を遇してくれる父親の遠慮がちな気詰りないたわりが目についた。ときおりはまた、父親が自分を妙にさぐるような目で不気味な好奇心をもって見たり、やわらげた偽りの調子で話をしたり、それとなく気づかせぬように自分をじろじろ見たりするのに、気づいた。彼はいっそうびくびくするばかりだった。自分自身の状態に対するばくぜんたる不安が彼を悩まし始めた。
天気のよいときは幾時間も彼は森の中に寝ころんだ。それはよいききめがあった。昔の少年の幸福の弱い反射が、森の中でときどき彼の傷ついた心をちらりと照らした。たとえば、花や甲虫《かぶとむし》に対する喜び、鳥に忍び寄ったり、獣の足跡を追ったりする喜びがそれだったが、それはいつもほんの幾瞬間かのことにすぎなかった。たいてい彼はだるそうにコケの上に寝て、重い頭をかかえ、なにかあることを考えようとしたが、それもできず、しまいにまた夢がやって来て、彼を遠くほかの世界へつれて行った。ほとんどたえ間なく頭痛がした。修道院やラテン語学校のことを回想すると、たくさんの本や学課や義務がまざまざと浮んで、恐ろしい夢魔のように彼を襲った。痛む頭の中では、リヴィウスやツェーザルやクセノフォンや数学の問題が、もつれたたまらない踊りをしていた。
あるとき、彼はつぎのような夢を見た。親友ヘルマン・ハイルナーが死んで担架に横たわっているのを見たので、歩み寄ろうとすると、校長や先生たちが彼を押しのけ、繰り返し迫って行くごとに、こっぴどく彼を張りとばした。神学校の教授や助教師ばかりでなく、小学校の校長先生やシュツットガルトの試験官もその中にいた。みんなおこった顔をしていた。とつぜんすっかり様子が変って、担架に寝ているのは、おぼれたヒンズーだった。そのおどけた父親が高いシルクハットをかぶり、がにまたで悲しげにかたわらに立っていた。
それからまたある夢。彼は脱走したハイルナーをさがして森の中を走っていた。いくどもハイルナーが遠くの木の幹のあいだを歩いているのが見えたが、名を呼ぼうとするごとに消えてしまった。とうとうハイルナーは立ちどまり、ハンスを近よらせて、いった。「ねえ、ぼくには愛人があるんだよ」と、そして非常に大きな声で笑い、やぶの中に姿を消した。
彼は、静かな神々しい目と美しい平和な手を持ったひとりのやせた美しい人が舟から降りるのを見て、そのほうにかけよった。しかしすべては消え去った。それはなにごとなのかと考えてみると、しまいに福音書のある個所が頭に浮んで来た。「人々ただちにイエスをみとめて、あまねくあたりをはせまわりぬ」というギリシャ語の文句だった。それから *****[#ギリシャ文字、省略] が変化の何形なのか、この動詞の現在、不定法、完了、未来がどうなるかを思い出さねばならなかった。彼はそれを単数と二数と、複数とで完全に変化させねばならなかった。そしてちょっとでも詰ると、気が気でなく汗が出た。やがて正気に返ると、彼の頭の中は傷だらけのように感じられた。彼の顔が思わずあきらめと罪の意識の眠たい微笑にゆがむと、たちまち校長の声が聞えた。「そのまぬけた微笑は何だ? おまえは微笑する必要があるというんだな」
日によってはぐあいのいいこともあったけれど、だいたいにおいてハンスの容態はいっこうよくなる様子がなかった。むしろあともどりしていくように見えた。かつて彼の母親を治療し、死の宣告を下した、かかりつけの医者は、時々軽い痛風を病む父親を診察に来ていたが、悲しげな顔をして、意見をいうことを一日一日とのばした。
そのころになってはじめてハンスは、ラテン語学校の最後の二年間にひとりも友だちがなかったことに気づいた。そのころの仲間はあるいはいなくなり、あるいは見習いになって駆けまわっていた。その中のだれともなんのつながりもなく、だれにも何かを求めるわけにいかず、だれも彼のことをかまわなかった。昔の校長先生は二度、二こと三ことやさしいことばをかけてくれ、ラテン語の先生や町の牧師さんも往来で親切にうなずきかけてくれたけれど、実際はもうハンスのことなんか没交渉だった。彼はもはや、ありとあらゆるものを詰めこまれる容器でも、いろいろな種をまかれる畑でもなかった。時間や心づかいを彼のために費やすことは、まったくかいのないことだった。
町の牧師が少しハンスの世話をしてくれたら、たぶんよかっただろうが、彼はなにをしたらよかったろう? 彼が与えうるもの、すなわち学問、あるいは少なくとも学問探究心を彼はあの当時少年に惜しまず与えた。それ以上のものを彼は持っていなかった。彼は牧師といっても、そのラテン語の知識こそ、根拠ある疑いを許さなかったが、その説教は親しみのある出所からくみとられてはいなかった。またすべての悩みに対して親切な目とやさしいことばを持っているので、不幸なときに人々が喜んでかけつけて行ける、というような牧師でもなかった。父ギーベンラートも、ハンスに対する失望の憤りを極力隠すように努めはしたが、子どもの友だちでも慰め手でもなかった。
それでハンスは見捨てられたきらわれ者のような気持ちになって、小さい庭で日なたぼっこするか、森の中に寝て、夢想か悩ましい思いにふけった。読書は役にたたなかった。本に向えば、必ずすぐに頭と目が痛んだ。どんな本を開いても、たちまち修道院時代とそこでの胸苦しい思いの幽霊がよみがえってきて、彼を息詰る恐ろしい夢の一隅に追いこみ、燃える目つきでそこに彼を縛りつけてしまうのだった。
この苦しみと孤独の中にあって、別な幽霊が偽りの慰め手として病める少年に近づき、しだいに彼と親しみ、彼にとって離れがたいものとなった。それは死の思いだった。銃器でも手に入れるか、どこか森の中に綱の環《わ》でもつるすかすることは容易だった。ほとんど毎日のようにそういう考えが、散歩する彼につきまとってきた。彼は、離れた静かな小さい場所をさがし、とうとう快く死ねそうな場所を見つけた。そこを彼はいよいよ死に場所ときめた。繰り返しその場所をおとずれ、腰をおろしては、近いうち、いつかここに死んでいるところを見つけられるだろうと空想することに、彼は不思議な喜びを感じた。|なわ《ヽヽ》をつるすための枝もきめたし、その強さもためした。じゃまになる障害はなにもなかった。ぽつりぽつり、父あての短い手紙と、ヘルマン・ハイルナーあての非常に長い手紙とを書いた。この二通の手紙は死体のそばに発見されることになるはずだった。
いろいろな準備と大丈夫だという気持ちとは、彼の心によい影響を及ぼした。宿命の枝の下に腰をおろしていると、例の圧迫が去って、ほとんど喜ばしい快感に見舞われる時間をすごすことができた。父親も容態のよくなったのに気づいた。自分の最後がまもなく確実にやって来るということが原因になっている気分を、父親が喜んでいるのを、ハンスは皮肉な満足をもってながめた。
なぜずっと前にあの美しい枝でくびれなかったか、それは彼自身にもよくわからなかった。が、考えはきまっていた。彼の死は決定した事柄だった。それでひとまずよかった。彼は、人々が遠い旅に出る前によくするように、最後の何日かのあいだに美しい日の光と孤独の夢想を心ゆくまで味わうことをさげすまなかった。旅立つことはいつでもできた。万事手はずはできていた。しかし自発的になお少しいままでの環境にとどまって、自分の危険な決心を夢にも知らずにいる人々の顔を見てやるのは、独特な、にがみのある快感だった。医者に会うごとに、彼は考えずにはいられなかった。「まあ、いまにみていろ!」と。
運命は彼をして暗いもくろみを享楽させ、彼が死の杯から毎日数滴の快味と生活力を味わうのをながめていた。このそこなわれた若い人間なんかどうでもよかったのだが、それでもそれなりにその寿命をまず終えねばならなかった。も少し人生の苦い甘味を味わわないうちは、人生の土俵を去ってはならなかった。
のがれられない苦しい考えは間遠くなり、疲れた投げやりな気持ちと、苦痛のないぐったりした気分に、席を譲った。そうした気分にひたってハンスは物思いもなく、日時がせわしく過ぎて行くのを見、ゆったりと青空に見入り、ときとしては夢遊病者か子どものような気持ちになった。ぐったりして夢うつつの気分で、あるとき、彼は庭のモミの木の下にこしかけて、何心なしに、ふと頭に浮んだラテン語学校時代の古い詩の句を繰り返しひとり口ずさんだ。
ああ、われはいたく疲れたり。
ああ、われはいたく弱りたり。
さいふに一銭だになく、
懐中無銭なり。
その句を古いメロディーで口ずさみ、もうこれで二十ぺんめだということよりほかには、なにも頭になかった。しかし窓のそばに立って聞いていた父親はひどく驚いた。彼の無趣味な性質には、この無意味でのんきに|たわけた《ヽヽヽヽ》へぼ歌はぜんぜん理解できなかった。これは絶対的な精神薄弱のしるしだと、嘆息しながら彼は考えた。そのとき以後、彼は息子をなおいっそう神経質にみつめた。息子はむろんそれに気づいて、苦しんだ。しかしまだ依然として、|なわ《ヽヽ》をもって行って、例の強い枝に物をいわせるまでにはいたらなかった。
そのうちに暑い季節が来た。州の試験とその後の休暇とから、もう一年が過ぎた。ハンスはときおり、そのことを考えたが、特別に心を動かされもしなかった。彼はかなり鈍感になっていた。また釣りを始めたかったが、父親に願い出る勇気がなかった。水ぎわに立つごとに、彼は苦痛を感じた。だれにも見られない岸べに長いあいだたたずんで、彼は目をほてらせながら、音もなく泳ぐ黒い魚の動きを見つめるのだった。夕方、毎日彼は川上に泳ぎに行った。そのときいつも検査官ゲッスラーの小さい家のそばを通らなければならなかったので、三年前彼が熱中したエンマ・ゲッスラーがまた家に帰っていることを、偶然発見した。好奇心をもって彼は二、三度彼女を見送ったが、昔ほど気に入らなかった。あのころは、からだつきのきゃしゃな非常に優美な娘だったが、いまは大きくなり、身のこなしもごつごつしており、子どもらしくない現代式の髪の結び方をしていた。それがすっかりエンマを不格好にしていた。長い着物も似合わなかった。淑女らしく見せようとするいろいろな試みもまったく失敗だった。ハンスには彼女がおかしく見えたが、同時に、昔は彼女を見るたびにどんなに独特な甘いあたたかい言いようのない気持ちになったかを思い出すと、悲しく感じられた。総じて――そのころは万事が違っていた。ずっと美しく、ずっと愉快で、ずっと生き生きとしていた。久しいあいだ彼はラテン語や歴史やギリシャ語や試験や神学校や頭痛のことしか知らなかった。だが、あのころは、おとぎ話の本や盗賊の話を書いた本があった。あのころは、小さい庭で手製の|きね《ヽヽ》つき水車がまわっていた。夕方はナショルトの家のかどぐちの道のところでリーゼの冒険的な話をいっしょに聞いたものだった。それからしばらくのあいだガリバルディーと呼ばれていた隣の老人のグロースヨハンを強盗殺人犯人と見なし、その夢を見たりした。それから一年じゅう毎月なにかしら楽しみがあった。刈り草ほしとか、ウマゴヤシ刈りとか、最初の魚釣りや川エビ捕りとか、ホップ取り入れとか、スモモ落しとか、ジャガイモの茎や葉を焼く火とか、麦打ちの始まりとか、そしてそのあいだになお番外にうれしい日曜や祭日が楽しく待たれた。あのころはそのほかに、不思議な魅力で彼をひきつけるものがたくさんあった。家や小路や階段や穀倉の土間や井戸やかきねやさまざまの人間や動物を、彼は愛しなじんでいた。あるいはそれらのものはなんともいえない力で彼を誘った。ホップを摘むときは彼も手伝い、大きい娘たちが歌うのに耳を傾けた。そしてその歌の中の文句を覚えた。たいていのはふきだすほどおどけた文句だったが、中には、聞いていると、のどがつまるほど、きわだって悲しいのもいくつかあった。
そういういろいろなものがいつのまにか影をひそめて、おしまいになってしまった。まずリーゼのところで夕方をすごすことがなくなった。それから日曜日の午前の魚捕りがやめになり、ついでおとぎ話を読むことをやめた。そういうぐあいに一つ一つやめになって、とうとうホップ摘みや庭の中の水車もやめになった。ああ、あのいろいろのものはどこに行ってしまったのだろう?
こうして早熟の少年はいま病気の日を送っているうちに、現実ならぬ第二の幼年時代を味わうということになった。先生たちによって幼年時代を奪われた心はいま、急にあふれ出るあこがれをもって、夢うつつの美しい時代にのがれ帰り、回想の森の中を魔法にかけられたようにさまよいまわった。その回想の強度と明瞭さはおそらく病的なものであった。彼は以前実際に味わった際に劣らぬ熱情をもってすべてのものを味わった。欺かれ暴力を加えられた幼年時代が、長いあいだせかれていた泉のように彼の中にわき上がってきた。
一本の木は頭を摘まれると、根の近くに好んで新しい芽を出すものである。それと同様に、青春のころに病みそこなわれた魂は、その当初と夢多い幼い日の春らしい時代に帰ることがよくある。そこに新しい希望を発見し、断ち切られた生命の糸を新たにつなぐことができるかのように。根元にはえた芽は水分豊かに急速に成長はするけれど、それは外見にすぎず、それがふたたび木になることはない。
ハンス・ギーベンラートも同様な経路をたどった。したがって子どもの国における彼の夢の道を少しばかりたどってみる必要がある。
ギーベンラートの家は、古い石橋の近くに立っていて、非常に違う二つの小路のあいだの角《かど》をなしていた。その家の属しているほうの小路は町じゅうでいちばん長く幅の広いりっぱな小路で、ゲルバー小路といわれていた。も一つの小路は急な上り坂になっていて、短く狭く貧相で、「タカ」小路といわれていた。ずっと以前に廃業したが、タカを看板にしていたごく古い料理店にちなんだ名であった。
ゲルバー小路にはどの家にも、善良堅気な古顔の町民ばかりが住んでいた。いずれも自分の家と自分の墓場と自分の庭とを持つ人々だった。庭は家のうしろの山へけわしく段々をなして上がっており、そのかきねは、一八七〇年に作られ黄色いエニシダにおおわれている鉄道の土手に境を接していた。上品な点でゲルバー小路と張りあえるのは、市《いち》のたつ広場だけだった。そこには教会、郡庁、裁判所、役場、首牧師の住居などがあって、きちんとした品位のある点で、まったくの都会ふうの上品な印象を与えた。ゲルバー小路には役所はなかったけれど、りっぱな玄関の戸のある新旧の住宅、美しい古風な木骨レンガの家、親しみのある明るい破風などがあった。そしてここには家並みが一列しかないことが、この小路に親しみと快さと明るさを豊富に与えていた。それは往来の向うには、角材の胸壁の下に川が流れていたためである。
ゲルバー小路が長くて広くて明るくてゆったりして上品だったとすると、「タカ」小路はその反対だった。ここに並んでいる家は傾いていて暗く、しっくいは|しみ《ヽヽ》だらけでぼろぼろかけており、破風は前にたれさがっていて、おしつぶされた帽子を思わさせた。戸や窓は方方にひびがはいって、つぎ合わされ、暖炉の煙突は曲っており、|とい《ヽヽ》はいたんでいた。家々はたがいに場所と光を奪い合い、小路は狭く妙なぐあいに曲っており、永久のほの暗さに包まれていた。それが、雨天のとき、あるいは日没後は、しめっぽいいじわるな暗さに変るのだった。どの窓の外にも棒と|ひも《ヽヽ》にいつもせんたく物がたくさんつるしてあった。小路はいたって小さく貧しくはあったが、間借り人や宿泊人はぜんぜん別にして、実にたくさんの家族が住んでいた。傾き朽ちゆく家々のすみずみにまでぎっしり人が住んでいた。貧乏と悪習と病気とがそこに巣くっていた。警察や病院は町のほかの部分全体より「タカ」小路の数軒の家に世話をやかせられた。チフスが出たといえば、そこであり、殺人があったといえば、そこであった。町に盗難があると、まず「タカ」小路をさがした。流浪の行商人はそこを宿としていた。その中にはおどけ者のみがき粉商人ホッテホッテや、さまざまの犯罪や悪習の主だと、かげ口されている|はさみ《ヽヽヽ》とぎ屋アダム・ヒッテルがいた。
学校にはいってから初めの一両年のうちハンスはたびたび「タカ」小路に行った。ぼろを着た淡い金髪の子どものいかがわしい一団といっしょに、悪い評判のあるロッテ・フローミュラーの殺人話を聞いたものだった。この女は小さい宿屋の主人の別れた女房で、五年の懲役に行って来ていた。彼女は昔は人に知られた美人で、職工のあいだにおおぜいの情人を持っていて、ひんぱんに乱痴気《らんちき》騒ぎや刃傷《にんじょう》ざたの種をまいた。いまはひとり暮しで、工場がしまってからはコーヒーを沸かし、話を語って夕方をすごしていた。そのとき、彼女は戸を広くあけ放しておくので、女房連や若い労働者のほかに、いつも近所の子どもたちの一群が、敷居ごしに身ぶるいしながら、うっとり彼女の話に聞きほれていた。黒い小さい石のかまどで、なべの湯が沸き、そのそばに油ロウソクが燃えて、青い炭火といっしょに怪しげにゆらぐ炎でもって満員の暗いへやを照らし、聞き手たちの影を大きく壁と天井に投げ、おばけのような動きをへや一杯に描いた。
そこで八歳の少年ハンスはフィンケンバイン兄弟と知りあいになり、約一年間父のきびしい禁止を犯して友だちづきあいを楽しんだ。その兄弟はドルフとエーミールといい、町でいちばん悪賢い悪太郎だった。果実泥棒や小さな山林荒しでだれ知らぬ者なく、ありとあらゆる早わざや、いたずらにかけて抜けめない名人だった。彼らはかたわら、鳥の卵や鉛のたまやカラスの子やムクドリやウサギを売り、禁制の夜釣りをし、町の中の庭はどこも自分の家のような気持ちでいた。それというのも、かきねがどんなにとがっていても、|へい《ヽヽ》にどんなに厚くガラスのかけらが刺してあっても、彼らはやすやすと越えてしまうからであった。
しかし、「タカ」小路に住んでいて、ハンスの仲間になったのは、まず第一にヘルマン・レヒテンハイルだった。彼は孤児で、病身の早熟な並みはずれた子だった。片足がひどく短かったので、彼はいつもつえにすがって歩かねばならず、道ばたの遊びに加わることができなかった。彼はやせており、血の気のない病人顔をしていて、年に似ず口もとがしまっており、ひどくあごがとがっていた。手先のわざはなにごとによらず非常にじょうずだった。特に魚釣りには激しい熱情を持っていた。それがハンスに伝わった。ハンスはそのころまだ魚釣りの許可証を持っていなかったが、ふたりはひそかにあちこちの隠れた場所で釣りをした。漁をすることが喜びであるとすれば、密漁は人も知るとおり無上の快楽である。びっこのレヒテンハイルはハンスに、正しい|さお《ヽヽ》の切り方、馬の毛のより方、ひもの染め方、糸の環のねじり方、釣り針のとがらし方を教えた。それから天気の見方、水の観察のし方、 |ぬか《ヽヽ》で濁らす方法、正しい餌《え》の選び方と正しい付け方、魚の種類の見分け方、釣るときの魚のうかがい方、糸を適度な深さにたれる方法などを教えた。彼はことばをかりず、ただ現場で実例を示すことによって、引いたりゆるめたりするときの呼吸と微妙な感じと、微妙な釣りにはなくてはならない手の不思議な敏感さとを教えた。店で買えるきれいな|さお《ヽヽ》やコルクやガラス糸や、そうした人工的な釣り道具をすべて、彼はむきになってけいべつしあざけり、一々自分で作りまとめた釣り道具でなければ、釣りはできないものだということを、ハンスにもかたく信じさせた。
フィンケンバイン兄弟とはハンスはけんか別れをした。物静かな片輪のレヒテンハイルは仲たがいもせずにハンスを置いてきぼりにした。彼は二月のある日、見すぼらしい寝床に手足をのばして寝、しゅもくづえをいすの上の服の上にのせて、熱を出したが、急にこっそりと死んでしまった。「タカ」小路はすぐに彼のことを忘れた。ハンスだけはなお久しいあいだ、彼のことをなつかしい思い出の中に持ち続けていた。
「タカ」小路の風変りな住人の数はレヒテンハイルくらいでなかなかつきはしなかった。飲酒癖のためくびになった郵便配達夫レッテラーのことを知らないものがあったろうか。彼は二週間ごとに泥酔して往来に寝たり、夜中に大騒ぎをしたりしたが、ふだんは子どものように善良で、いつも親切そうな微笑をたたえていた。彼は、ハンスに卵形のかぎタバコをかがせ、ときにはハンスから魚をもらって、バターをつけてフライにし、ハンスを招いていっしょにたべた。ガラスの目玉の剥製《はくせい》のクロトビ鳥と、もうすたれたダンス曲を細い美しい音でかなでる古い音楽入り時計とを彼は持っていた。それからまた、はだしで歩くときでも必ずカフスを付けていた高齢の機械工ポルシュを知らないものがあったろうか。古い学校に勤めていた厳格な村立学校教師の息子だけあって、聖書を半分とことわざや道徳的金言をしこたまそらで覚えていた。しかしそのうえ、雪白の頭をしていたのに、女たちの前で色男ぶったり、ひんぱんに酔っぱらったりするのをやめなかった。少し酔うと、彼は好んでギーベンラートの家の角の縁石に腰をおろし、通る人々の名を一々呼んで、ことわざをたんまりふるまった。
「小ハンス・ギーベンラート君、ねえ、わしのいうことを聞きなよ。ジラハはなんといっているか。悪き助言を与えず、それにつきて心やましからざる者はさいわいなり。麗しき木の緑の葉のごとく、あるものは落ち、あるものはふたたび生ず。人につきてもまたかくのごとし。あるものは死し、あるものは生る。そこでおまえは帰ってもよろしい。このあざらしめ」
この老ポルシュは、その敬虔《けいけん》なことわざをそこなうことなく、幽霊のたぐいについて怪しげな伝説的な報告をたくさん背負いこんでいた。彼は幽霊の出る場所を知っていた。そしていつも自分自身の話の真偽にぐらついていた。たいていの場合、話そのものと聞き手を嘲弄《ちょうろう》でもするかのように、懐疑的な誇張的にせせら笑うような調子で話し始めるのだったが、話しているあいだにしだいにおびえたように首をすくめ、声をしだいに落し、しまいには低いぞっと身にしむようなささやき声になるのだった。
この貧しい小さい小路はどんなにたくさんの気味悪いもの、不透明なもの、不可解な刺激を与えるものを含んでいたことだろう。錠前屋のブレントレは廃業して、かまうものもない仕事場がすっかり荒れはててしまってからも、この小路に住んでいた。彼はいつも半日小さい窓辺にこしかけて、にぎやかな小路を陰気に見ていた。ときおり、近所のぼろを着たきたない子どものひとりが彼の手につかまると、彼は、ざま見ろ、といわんばかりにさんざんにいじめ、耳や髪をひっぱり、からだじゅう青くなるほどつねるのだった。だが、ある日彼は亜鉛の針金で首をしめられて階段にぶらさがっていた。それがあまり気味悪い様子だったので、だれも近づこうとするものがなかった。ようやく機械工ポルシュ老人がうしろから針金をブリキばさみで切った。すると、舌をだらりと出した死骸が前にのめり、階段をどたどたところがって、驚いている見物人の真っただ中に落ちた。
ハンスは明るい広いゲルバー小路から暗いしめっぽい「タカ」小路にはいるごとに、愉快なような恐ろしいような胸苦しさ、好奇心と恐怖とやましさと冒険的なうれしい胸さわぎとのまじった気持ちに、異様なむっとする気配をもって襲われるのだった。「タカ」小路は、おとぎ話とか奇跡とか、未聞の恐ろしいものが現われうる唯一の場所だった。また魔法とか妖怪変化《ようかいへんげ》とかいうもののありえそうな信ぜられそうな唯一の場所だった。そこにいくと、伝説や人聞きの悪いロイトリング通俗本を読むときのような苦しくも甘い身ぶるいを感ずることができた。先生に没収されたロイトリングの通俗本には、ゾンネンヴィルトレとか、皮はぎハンネスとか、あいくちカルレとか、ポストミヒェルとか、同じような|やみ《ヽヽ》の英雄や重罪人や命知らずたちの罪業や処罰のことが書いてあったのだが。
「タカ」小路のほかに、も一つ、普通のところとは違って、なにかを味わい聞くことができ、暗い物置きや風変りなへやで自分を忘れることのできる場所があった。それは近くの大きな皮なめし工場で、古い巨大な家だった。その薄暗い物置きには大きな皮がつるしてあった。またそこの地下室にはおおい隠した穴と通行禁止の通路があった。その家で例のリーゼが夕方子どもたち一同に美しいおとぎ話を物語ってきかせた。そこは向うの「タカ」小路より静かで親しみがあり人間味もあったが、なぞをふくんでいる点では劣らなかった。なめし皮職人が穴や地下室やなめし場や|たたき《ヽヽヽ》で働いている様は独特で珍しかった。大きくだだっ広いへやべやは静かで、気味悪さに劣らず魅力があった。横暴でふきげんな主人は、人食い人種のように、恐れられきらわれていた。リーゼはこの奇妙な家の中を妖女のように動いていた。彼女はすべての子どもや鳥やネコや小犬にとって保護者であり母親であって、親切心にあふれ、不思議なおとぎ話や歌の文句をたくさん知っていた。
いまハンスの考えと夢は、とっくに疎遠になっていたこの世界の中で動いていた。大きな幻滅と絶望から彼は過去の幸福な時代へ逃げ帰った。あのころはまだ希望に満ちていたし、目前の世界が、ぞっとするような危険や魔法にかけられた宝や緑玉の城を神秘の奥深くに秘めている巨大な魔の森のように目に映じた。彼はこの恐ろしい世界へ少しばかり進んでいったが、奇跡が現われないうちに疲れてしまった。いまふたたび神秘的にたそがれる入り口に立ったが、こんどは除外された者として無為な好奇心をもって立っているにすぎなかった。
ハンスは二、三度「タカ」小路を訪れた。そこには昔ながらの薄明と悪臭と、昔ながらの小さいへやと光のささぬ階段とがあった。戸の前に年老いた男や女がいまもこしかけていた。淡い金髪のきたない子どもたちがわめきながらかけまわっていた。機械工のポルシュは一段と年を取り、もはやハンスを忘れていた。ハンスの内気なあいさつに対しても、あざけるような震え声で答えただけだった。ガリバルディーと呼ばれていたグロースヨハンは死んでいた。ロッテ・フローミュラーも同様だった。郵便配達夫レッテラーはまだ生きていた。彼は小僧たちが彼の音楽入り時計をこわしてしまったと、こぼした。彼はハンスにかぎタバコをすすめ、さてそれから物をねだろうとした。最後に彼はフィンケンバイン兄弟の話をした。ひとりはいまタバコ工場にはいっているが、もうおとなのように大酒を飲むそうだ。もうひとりのほうは大市の刃傷ざたののち逃亡して、一年前からいなくなっているそうだ。すべてが悲惨なあわれむべき印象を与えた。
ある夕方ハンスは皮なめし工場に出かけていった。大きな古い家には彼の幼年時代が、失われた数々の喜びとともに隠れてでもいるかのように、彼は門口の道を通り、しめっぽい中庭を越えてそちらにひきつけられていった。
曲った階段と石だたみの玄関を越えて、暗い階段のそばに来、手さぐりして|たたき《ヽヽヽ》へ出た。そこには皮がひろげてつるしてあった。そこで強い皮のにおいとともに彼は、突然わき出て来る思い出の雲を吸いこんだ。彼はまた降りて、なめし皮用樹皮液つぼと樹皮かすのかたまりをかわかすための狭い屋根付きの高い構脚のある裏庭へいった。はたして壁ぎわのベンチにリーゼがこしかけ、かごのジャガイモを前において、皮をむいていた。数人の子どもが彼女を取り囲んで耳を傾けていた。
ハンスは暗い戸口に立ち止って、そのほうに耳をすました。たそがれゆく皮なめし場は大きな静安に包まれた。庭の|へい《ヽヽ》のうしろを流れる川の弱いせせらぎの音のほかには、ジャガイモの皮をむくリーゼのほうちょうの音と、話をする彼女の声が聞えるだけだった。子どもたちはまったくおとなしくしゃがんで、ほとんど身動きもしなかった。聖クリストフェルが夜中に川むこうから子どもの声に呼ばれる話を、リーゼは語っていた。
ハンスはしばらく聞いていたが、暗い玄関をぬけてそっと引き返し、家に帰った。彼はやはりもう二度と子どもにはなれないこと、夕方皮なめし場でリーゼのそばにこしかけることのできないことを感じた。彼は皮なめし工場も「タカ」小路も避けるようにした。
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第六章
もう秋もたけなわになっていた。黒いモミの森の中から、まばらな闊葉樹《かつようじゅ》が黄色く赤く|たいまつ《ヽヽヽヽ》のように輝いていた。山かいにはもう濃い|もや《ヽヽ》がかかっていた。川には朝方冷気のため霧が立った。
青ざめた元神学校生徒は相変らず毎日町の外をさすらっていた。つまらなそうに疲れていた。つきあおうと思えば多少は相手もあったのに、つきあいを避けた。医者は滴剤や肝油や卵や冷水摩擦を処方した。
なにひとつききめがなかったのに不思議はない。およそ健康な生活には内容と目標とがなければならない。それが若いギーベンラートにはなくなってしまった。彼の父はハンスを書記にするか、手仕事でも習わせようと決心した。子どもはまだ弱っているので、さしずめ、も少しからだに力をつけなければならなかったが、そろそろ本気にその身の振り方を考えてもよかった。
はじめのうちの、心を乱す印象がやわらぎ、自分でも自殺をもはや信じなくなって以来、ハンスは、興奮して変りやすい不安の状態から一本調子の憂鬱に陥った。そして柔らかい泥地にはまったように、逆らいようもなく徐々にその中に沈んで行った。
いま彼は秋の野を歩きまわって、季節の影響に負けた。尽きようとする秋、静かな落葉、褐色《かっしょく》になる草原、濃い朝霧、熟しうんで死のうとする植物などが、すべての病人と同様に彼を、重い絶望的な気分と悲しい思いへ駆りたてた。彼は、ともに消滅しようとする願い、ともに眠り入ろうとする願い、ともに死のうとする願いを感じた。しかし彼の若さはそれに逆らい、ひそかな粘り強さをもって生に執着したため、彼は苦悶《くもん》した。
木が黄色になり褐色になり裸になるのを彼はながめた。また森の中からけぶる乳白の|もや《ヽヽ》をながめた。また庭をながめた。そこでは最後の果実採集を終えると生命が消えてしまい、色づいたまましぼむエゾギクを顧みるものもなかった。また水浴びや魚捕りが終って、枯れた葉におおわれている川をながめた。その冷たい河岸でがまんできるのは、頑強な皮なめし工だけだった。数日来、川はたくさんの果汁の絞りかすを運んでいた。それもそのはず、果汁絞り場や水車場では、いま果汁絞りに一生懸命で、町のどの小路にも果汁のにおいが静かに発酵するように流れていた。
下手の水車場ではくつ屋のフライクも小さい圧搾機を借りて、ハンスを果汁絞りに呼んだ。
水車場の前庭には、大小の搾汁機、車、果実をいっぱいつめた|かご《ヽヽ》や袋、手おけ、つるし綱付きの|おけ《ヽヽ》、たらい、たる、山のような褐色の絞りかす、木の|てこ《ヽヽ》、手押し車、からっぽな運搬具などがあった。搾汁機は動き、ぎしぎしきいきいと音をたて、うめいたり震え声を出したりした。たいていの搾汁機には緑色のワニスが塗ってあった。その緑色が、絞りかすの黄褐色《おうかっしょく》や、リンゴかごの色や、淡緑の川や、はだしの子どもたちや、澄んだ秋の日とともに、喜びと生の快感と充満との誘惑的な印象を、見るものすべてに与えた。つぶされたリンゴのきしめきは、すっぱい、食欲を刺激するような響きを発した。近よってその音を聞くものは、さっそく一つのリンゴを手にとってかじりつかずにはいられなかった。管の中から太い帯状に、甘い若々しい果汁が赤黄色に日を浴びて笑いながら流れた。そこへやって来て、それを見たものは、一杯を所望して、さっそく味わってみずにはいられない。そして立ちどまって、目をうるませ、甘い快い流れがからだじゅうに流れるのを感じた。すると、この甘い果汁は楽しい強い甘美なかおりをもってそこらじゅう遠くまで空中にあふれるのだった。このかおりは成熟と収穫の精髄で、まったく一年じゅうの最も美しいものだった。近づく冬を前にして、そのかおりを吸いこむのは好ましいことだった。それを吸うと、人々は感謝の念をもって、たくさんのよいすばらしいもの、たとえば、穏やかな五月の雨、ざあっと降る夏の雨、冷たい秋の朝露、やさしい春の日ざし、輝く暑い夏の灼熱《しゃくねつ》、白くまた真紅に輝く花、収穫前の果樹の熟した赤褐色の光沢、それからそのあいだに四季の移り変りに伴って来るさまざまの美しいもの、喜ばしいものを思い出すのである。
それは、すべての人にとって輝かしい時期だった。富んだものや成り上がりものも、せいぜい平民的になって姿を見せ、肉づきのいい美しいリンゴを手に取って、はかってみたり、一ダースあるいはそれ以上の袋を数えたり、銀の懐中杯で味わってみたり、果汁の中に水が一滴もはいらないようにみんなに言いつけたりした。貧しいものはたった一袋しか果実を持っていず、コップか土器のはちで味わってみ、水を加えた。しかしそれだからといって、得意なうれしい気持ちに変りはなかった。なんらかの理由があって果汁を絞ることのできないものは、知りあいや近所の人の圧搾機のところへつぎからつぎへとかけまわって、方々で一杯ふるまってもらい、リンゴを一つポケットに入れてもらった。そして通《つう》らしい文句をいって、いっぱしその道に心得のあることを示した。おおぜいの子どもたちは、貧しいのも富めるのも、小さい杯をもって走りまわった。めいめいかじりかけのリンゴと一片のパンを手に持っていた。それは、果汁絞りのときうんとパンをたべると、あとで腹痛がしないという、たあいのない伝説が昔から伝わっていたからである。
子どもの騒ぎは別として、無数の叫びが入り乱れた。そしてどの声もがせわしげに興奮し楽しげであった。
「おいでよ、ハンネス、こっちへ。おらのほうへ。一杯だけ飲みな」
「おおきにありがとう、おらもう腹が痛くなったよ」
「百ポンドに大枚いくら払ったね」
「四マーク。だが飛び切り上等のだよ。じゃ、やってみるかね」
ときどきちょっとしためんどうが起きた。リンゴの袋が早くあきすぎて、みんな地面にころがった。
「たいへんだ。おらのリンゴが。みんな助けてくろよ」
みんな手伝って拾った。二、三人のこじき小僧だけがそのどさくさにせしめようとした。
「ちょろまかしちゃいけねえぜ、やい、この野郎。食いたきゃ、腹にはいるだけ食うがいい。だが、ちょろまかしちゃいけねえ。待った、やいこら、おたんちんめ」
「なあ、隣の衆、そう高くとまるなよ。一つやってみな」
「みつのようだ。まったくみつそっくりだ。おまえさんいくつ作ったね?」
「二たるきりさ。だが、上等なのばかり」
「真夏に絞るんじゃなくて、ましさ。夏だったら、みんなたちまち飲んじゃうところだ」
ことしも、いなくてならない数人の気むずかしやの老人が顔を見せた。彼らはもう長年自分では絞らなかったが、万事よく心得ていて、果実をほとんどただでもらったずっと前の時代のことを語った。なんでもずっと安くて上等だった。砂糖を加えるなんてことはまだまったく知られていなかった。だいたい昔は木のみのり方がまるで違っていた。
「あのころはまだ収穫ってことがいえたものさ。わしもリンゴの木を持っていたが、それ一本で五百ポンドも落せたもんさ」
時勢は非常に悪くなりはしたが、気むずかしい老人たちはことしもたんまり味を見る手伝いをした。まだ歯のあるものはリンゴをかじった。それどころか、大きなナシをいくつかむりにたべて、したたか腹痛を起したのがひとりあった。
「ほんとだよ」と、彼は負け惜しみをいった。「昔はこんなのは十も食ったものさ」。そして本音の溜息《ためいき》をつきながら、十もナシを食っても腹痛を起さなかった時代をしのんだ。
人ごみのまん中にフライク親方は圧搾機をすえて、年かさの弟子に手伝わした。彼はリンゴをバーデンから取り寄せた。彼の果汁はいつもいちばん上等だった。彼はひそかに満足し、「ちょっと毒味する」のをだれにも拒まなかった。彼の子どもたちはなおいっそう喜んで、そこらじゅうをかけまわり、人だかりの中をうれしそうに泳いだ。しかし、はしゃぎこそしないが、いちばん喜んだのは彼の弟子だった。彼は高い森の貧しい百姓家の生れだったので、戸外で精いっぱい動いて働くことができるのが、全身に快かった。上等の甘い果酒もすばらしい味がした。丈夫な百姓の若者の顔が、森の神の仮面のように、歯をむきだして笑った。くつ作りする彼の手はいつの日曜よりきれいだった。
ハンス・ギーベンラートは、絞り場に来た当初は、静かにびくびくしていた。彼はいやいやながら来たのだった。しかし最初の圧搾のときすぐに杯をさされた。しかし杯を差し出したのはナショルトのリーゼだった。彼はためしてみた。飲みほすとき、甘い力強い果汁の味とともに昔の秋に対する楽しい思い出の数々がよみがえってきた。同時に、また一つ少し手伝って愉快になってみようという内気な願いが起った。知りあいのものたちが彼に話しかけた。コップがすすめられた。フライクの圧搾機のところに来たときには、彼は全体の陽気な気分と果酒のとりこになって、気持ちが変っていた。すっかり上きげんになって、くつ屋にあいさつし、果酒につきもののしゃれを飛ばした。親方は驚きを隠して、陽気に彼を歓迎した。
半時間たったとき、青いスカートの娘がやって来、フライクと弟子に笑いかけ、手伝いを始めた。
「うん、そうだ」と、くつ屋はいった。「これはハイルブロンから来たわしの|めい《ヽヽ》だ。むろんこれの国じゃブドウが多いから、こことは違った収穫をやりつけているのさ」
その娘はたぶん十八、九で、低地のものらしく身軽で快活だった。大きくはないが、いいからだつきで、ぴちぴちしていた。丸い顔の中の、あたたかみのある黒い目と、キスしたくなるようなかわいい口とは快活で利口そうだった。とにかく彼女は健康で元気なハイルブロンの娘らしくはあったが、信心深いくつ屋の親方の身内らしくはぜんぜん見えなかった。彼女はまったく俗世の娘であった。その目は、夕方と夜、聖書やゴッスナーの宝箱を読む習慣のある目のようではなかった。
ハンスは急にまたふさいだ顔になって、エンマがすぐ行ってしまえばいいと一生懸命願った。しかし彼女はその場を去らず、笑ったり、しゃべったりして、人のしゃれに対して一々気軽に応酬した。ハンスは恥ずかしくなって、すっかり黙ってしまった。他人行儀にあなたと言わなければならない若い娘とつきあうことは、それでなくても彼にはやりきれなかった。それにこの娘は非常ににぎやかでおしゃべりで、彼の存在や|はにかみ《ヽヽヽヽ》なんか、ほとんど問題にしなかったので、彼はぎごちなくやや気を悪くして、車輪に触れたカタツムリのように、触角をひっこめ、殻の中にもぐりこんでしまった。彼は、じっとしたまま、退屈している様子を見せようとした。しかしそれもうまくいかなかった。むしろ彼は、だれかについさっき死なれでもしたような顔をした。
だれもそんなことを顧みるひまはなかった。エンマはなおさらだった。ハンスの聞いたところによると、彼女は二週間前からフライクのところにお客に来ていたのだが、もう町じゅうの人を知っていた。上層の人のところといわず、下層の人のところといわず、彼女はかけまわって、新しい果酒をためしてみ、だじゃれをいって、ちょっと笑ってはもどって来、さも熱心に手伝っているようにふるまい、子どもたちを抱きあげては、リンゴをやったり、ただもうにぎやかな笑いと楽しさを身辺にまきひろげた。彼女は道ばたの子どもらに一々、「リンゴがほしいかい?」と、呼びかけた。そして美しい赤いのを取って、両手を背中に隠し、「右か左か」と、あてさせた。リンゴはいつも当らないほうの手にあった。子どもたちがののしりだすと、ようやく彼女は一つ出してやった。それも、ちいさめの青いのをやった。彼女はハンスのことも聞いたらしく、いつも頭痛がするのはあなたですか、とたずねた。しかしハンスが返事もしないうちに、彼女はもう近所の人たちとほかの話に巻きこまれていた。
ハンスはこっそり逃げて帰ろうかと思った。そのとき、フライクが彼の手にハンドルを握らした。
「さあ、少し続けてやってもらおう。エンマが手伝うから。わしは仕事場に行かなきゃならん」
親方は出かけて行った。弟子はおかみさんといっしょに果酒を運ぶように言いつかった。ハンスは圧搾機のそばにエンマとふたりきりになった。彼は歯をくいしばって、敵のように働いた。
そのとき、なぜハンドルがこんなに重いのか不思議に思われた。それで顔を上げると、エンマがかん高い声でふきだした。彼女はふざけて反対につっぱっていたのだった。ハンスがこんどは憤慨してひっぱると、彼女はまたつっぱった。
彼は一言もいわなかった。娘のからだが向う側で抵抗しているハンドルを押しているうちに、彼は急に恥ずかしい重苦しい気持ちになって、しだいに続けてまわすのをすっかりやめてしまった。彼は甘い不安に襲われた。若い娘が大胆に彼の顔に笑いかけると、彼には突然娘が別人のように親しく思われた。しかしやはりよそよそしく見えた。彼も少し笑った。ぎごちない親しさで。
それでハンドルはすっかりとまってしまった。
エンマは「あまりがつがつ働くのはやめましょう」と、いって、自分が飲んだばかりの、半分はいっているコップをハンスに渡した。
その一杯はたいへん強くて、前のよりも甘いように思われた。飲みほしてから彼は物ほしそうにからのコップの中を見ていると、胸が激しく鼓動し、呼吸が苦しくなったのに驚いた。
それからふたりはまた少し働いた。ハンスは、娘のスカートがいやでも自分に軽くさわるような、彼女の手が自分の手に触れるような位置を占めようと努めながら、自分がなにをしているのか知らずにいた。しかし彼女のスカートや手がさわるごとに、彼の心臓はわくわくする喜びに詰り、快く甘い貧血に襲われて、ひざは少し震え、頭の中は目まいがしそうにそうぞうしく鳴った。
自分がなんといったか、彼は知らなかったが、彼女のことばに応酬し、彼女が笑うと、自分も笑った。二、三度彼女がばかなまねをしたとき、彼は指でおどかした。それからなお二度、彼女の手からコップを取って飲みほした。同時にたくさんの記憶がつぎつぎと彼の心を通りすぎて行った。夕方男といっしょに戸口に立っていた女中、物語の本の中の二、三の文句、かつてヘルマン・ハイルナーにされたキス、いろんなことばや小説、「おとめ」とか、「恋人ができたら、どうだろう」とかいうことについて生徒同士話しあった、もうろうとした対話などが、頭の中を去来した。彼は、山に上る駄馬《だば》のように苦しい呼吸をした。
すべてが変ってしまった。そこらの人々や忙しい動きも、はなやかに笑う雲のようなものに溶けてしまった。一つ一つの声やののしりや笑いは、全体の濁ったざわめきの中に没してしまい、川や古い橋は遠く絵のように見えた。
エンマの様子も変った。彼はもはや彼女の顔を見なかった。――楽しげな黒い目と、赤い口と、その中の白いとがった歯とだけしか見えなかった。彼女の姿も溶けてしまった。見えるのは一つ一つの部分だけだった。――黒いくつしたと半ぐつ、首筋の縮れたおくれ毛、青い布の中に消えている日にやけた丸い首、引きしまった肩、その下に大きく波打っている呼吸、赤味をおびて透きとおっている耳などが、ばらばらに目に映った。
またしばらくして彼女はコップを手おけの中に落し、それを取ろうとしてかがんだ。そのとき、手おけのふちで彼女のひざが彼の手首を押しつけた。彼も、ゆっくりとではあるが、かがんだ。すると、彼の顔は彼女の髪とすれすれになった。髪はかすかににおっていた。その下のほうに、ほぐれた縮れ毛のかげに美しいうなじがあたたか味をもって褐色に光り、青い胴着の中に隠れていた。その背中のホックが強く締っていたので、ホックのすきまから少し下までうなじが透いて見えた。
彼女が起き直るとき、彼女のひざは彼の腕に沿ってすべり、その髪は彼のほおに軽く触れた。彼女の顔はかがんでいたため真っ赤になっていた。ハンスは全身に激しい身ぶるいを感じた。彼は青白くなり、一瞬深い深い疲労感を覚えたので、圧搾機のねじにつかまらねばならなかった。彼の心臓はけいれん的に鼓動し、腕は弱り、肩が痛んだ。
そのときから彼はほとんど一言も口をきかず、娘のまなざしを避けた。そのかわり彼女がよそを向くと、彼は、まだ味わったことのない快感とやましい良心とのまざった気持ちで、じっと彼女を見つめた。そのとき、彼の心の中であるものが断ち切れた。そしてはるかな青い海岸のある異様な魅力をもった新しい国が彼の心の前に開けた。その不安と甘い苦悩とがなにを意味するか、彼にはまだわからなかった。せいぜいほのかに感ずるだけだった。自分の中の苦痛と快感とは、どちらが大きいかも知らなかった。
しかしその快感は、彼の若い愛の力の勝利と、激しい生命の最初の予感とを意味し、その苦痛は、朝の平和が破られたことを、彼の魂が二度と見いだすことのないと思われる幼年時代の国を去ったことを意味していた。かろうじて最初の難破をのがれた彼の軽舟は、いまや新しいあらしの暴力と、待ち構えている深淵《しんえん》と危険きわまる岩礁の近くにはまりこんだ。それを切り抜けさしてくれる案内者は、最上の指導者を持つ青年にも与えられていない。自力でもって活路を見つけなければならないのである。
おりよく、くつ屋の弟子がもどって来て、圧搾機の仕事を交代してくれた。ハンスはなおしばらくそこにいた。もう一度エンマに触れられるか、親しいことばをかけられるかしたいと思った。エンマはまたよその圧搾機のそばでおしゃべりをして歩いた。ハンスは弟子に対して気がひけたので、小半時たってから、さよならともいわずに、こっそり家に帰った。
なにもかも不思議に変って美しく心をはずませるようになった。絞りかすで太ったスズメがそうぞうしく空をかすめて飛んだ。空がこんなに高く美しくほれぼれと青かったことはまだなかった。川と水面がこんなに青く青緑色でたのしそうにしていたことはなかった。|せき《ヽヽ》がこんなにまぶしいほど白くあわだっていたことはなかった。なにもかもが、新しく描かれたきれいな絵が透きとおる新しいガラスのうしろに立っているように見えた。なにもかもが大きな祝祭の始まりを待っているように見えた。自分の胸の中にも、妙に大胆な感情と異常なまぶしい希望との押しつけるように強い不安な甘い激動を感じた。それには、これは夢にすぎず、けっしてほんとにはなりえないだろうという、内気な疑いの不安が伴っていた。この分裂した感情はふくれて、ひそかに突きあげてくる泉となった。またなにか非常に強いものが彼の胸の中で自由になり羽を伸ばそうとしているかのような気持ちになった。――おそらくそれはすすり泣きか、歌か、叫びか、笑いであったろう。この興奮は家に帰ってはじめていくらかしずまった。家ではもちろんなにもかも、いつものとおりだった。
「どこへいっていたのだい?」と、ギーベンラート氏はたずねた。
「水車場のそばのフライクのところ」
「あの男はどのくらい絞ったね?」
「二たるだろうな」
おとうさんが果汁絞りをやるときは、フライクの子どもたちを呼ぶことを許してくれるように、彼はたのんだ。
「むろんだ」と、父親はつぶやいた。「来週やる。そのときは子どもらを連れて来な」
夕食まではまだ一時間あった。ハンスは庭に出た。二本のモミの木のほかには、青いものはもうほとんどなかった。彼は一本のハシバミのむちを折り取って、虚空《こくう》に鳴らし、枯れた葉をかき乱した。太陽はもう山のうしろに沈んでいた。山の黒い輪郭は毛髪のように細いモミの先端の線で、緑色がかった青い色のみずみずしく澄んだ夕空をくぎっていた。灰色の長く伸びた雲が、黄色く褐色を帯びた夕焼けを映しながら、希薄な黄金《こがね》色の大気を縫って、家路をたどる船のようにゆっくりと快げに谷の上手へただよっていった。
夕方の色彩の飽和した熟した美しさに、いつになく不思議に心を打たれ、ハンスは庭の中をぶらついた。ときどき彼は立ちどまって、目を閉じ、圧搾機のそばで彼に向いあっていたエンマ、彼女の杯で自分に飲ましたエンマ、おけの上にかがみ赤くなって起き直ったエンマを思い浮べようと努めた。彼女の髪、ひきしまった青い着物に包まれた姿、首、黒いおくれ毛のために褐色にかげっている|うなじ《ヽヽヽ》などが見えた。そのすべてが快感と身ぶるいをもって彼の心をいっぱいにした。ただ彼女の顔だけはどうしてももう思い浮べることができなかった。
日が沈んでも、彼は冷気を感ぜず、深まっていくたそがれが、名づけようのわからぬ秘めごとに満ちたヴェイルのように思われた。それは、自分がハイルブロンの娘を恋しているということはわかったけれど、自分の血の中の目ざめる男性の働きをただばくぜんと、奇妙ないらいらする、けだるい状態としか解さなかったからである。
夕食のとき、昔から住み慣れた環境のただ中に、まったく変ってしまった自分というものがすわっているのが、彼には不思議だった。父、ばあや、食卓、道具、そしてへや全体が急に古くさくなったように思えた。自分がいましがた長い旅から帰宅でもしたかのように、彼は驚きと奇異と愛撫《あいぶ》との情をもってすべてのものをながめた。例の恐ろしい枝に色目を使ったころ、彼は同じ人たちや事物を、告別するものの哀傷を交えた優越感をもって観察した。いまはそれが帰宅となり、驚きとなり、微笑となり、再所有となった。
食事は済んだ。ハンスがもう立ち上がろうとしたとき、父は例の手っ取り早い調子でいった。
「おまえは機械工になってみるかな、ハンス。それとも書記のほうがいいか」
「どうして?」と、ハンスは驚いて聞き返した。
「来週の終りに機械工シューラーのところか、さ来週に役場の見習いに、はいれるだろう。しっかり考えてみな。そのうえで、あすその話をしよう」
ハンスは立ち上がって出て行った。突然の問いに彼は困惑させられた。数カ月来遠のいていた日々の活動的ないきいきした生活が思いがけず、彼の前に現われ、誘うようなおどすような顔を示し、期待をいだかせると同時にほねおりを要求した。彼はほんとうは機械工にも書記にもなりたいとは思わなかった。手仕事の厳しい肉体労働は彼を少し恐れさした。そのとき、学校友だちのアウグストのことが頭に浮んだ。アウグストは機械工になっていた。彼に聞いてみることができた。
そのことを考えているうちに、彼の考えはぼんやり薄れてきた。この用件はそんなに急ぐこともなく、重大でもないように思えた。彼はある別なことにせきたてられ、気を取られた。彼はそわそわと玄関を行ったり来たりした。突然彼は帽子をとって、家を出、ゆっくりと小路に向って歩いた。きょうのうちにどうしてももう一度エンマに会わなければならない、と思いついたのだった。
もう暗くなった。近くの料理店からわめき声としゃがれた歌とが響いてきた。明りのついている窓が方々にあった。あちこちにぽつりぽつり明りがついて、弱い赤い光を暗い戸外に投げた。若い娘たちの長い列が腕を組みあって大声に笑ったりしゃべったりしながら陽気にぶらぶらと小路を下って行き、たよりなげな明りの中にゆらめきながら、青春と快楽のあたたかい大波のように、まどろむ小路を通って行った。ハンスは長いこと彼女たちを見送った。彼の心臓はのどまで鼓動してきた。カーテンにおおわれた窓の中でヴァイオリンをひいているのが聞えた。井戸ばたでひとりの女がサラダ菜を洗っていた。橋の上をふたりの若者がそれぞれ愛人を連れて散歩していた。ひとりは娘の手を軽くとって、その腕をふりながら、葉巻きをすった。もう一組のほうはぴたりと寄り添いあってゆっくりと先へ歩いた。若者は娘の腰を抱き、娘は肩と頭をしっかり彼の胸におしつけていた。そういうのはハンスもいくどとなく見ており、気にとめたこともなかった。しかしいまはそれが隠れた意味を持っていた。はっきりはしないが、心をそそる甘い意味を持っていた。彼の目は二組の男女の上にじっと注がれた。彼の空想はほのかな予感をもって、近づいている理解に向って迫って行った。胸苦しく心の底まで揺すぶられ、彼は自分がある大きな秘密に近づいているのを感じた。その秘密が甘美なものであるか、恐ろしいものであるか、彼は知らなかったが、その両者の一端をふるえながら予感した。
フライクの家の前で止ったが、中にはいる勇気が出なかった。中にはいってなにをし、なにをいったらよかったのか、十一か十二の少年のころたびたびここにやって来たことを思い出さずにはいられなかった。あのころフライクおじさんは彼に聖書の物語をしてくれ、地獄や悪魔や聖霊について、根掘り葉掘りしつこく聞くのに、よく受け答えしてくれた。それはあいにくな思い出で、彼の心をやましくさせた。彼は自分がなにをしようと望んでいるのか、ほんとうになにを願っているのか、自分でもまったくわからなかった。だが、なにか秘密なもの、禁ぜられたものの前に立っているという気持ちはいなめなかった。中にはいりもせず、くつ屋の戸の前のやみの中に立っているのは、親方に対し不都合だと思われた。ここに立っているのを親方が見るか、戸の中から出て来るかしたら、親方はおそらく彼をしからず、あざわらうだろう。ハンスはそれをいちばん恐れた。
彼は家の裏に忍んで行った。すると、明りのついた居間の中が庭のかきねから見えた。親方は見えなかった。おかみさんはなにか縫い物か編み物をしているらしく、長男はまだ起きて机に向ってなにか読んでいた。エンマはかたづけ仕事をしているとみえ、行ったり来たりするので、ちょっとのあいだ見えるだけだった。非常に静かで、小路の足音はずっと遠くのまで、一々聞え、庭の向うには川の低い流れの音がはっきり聞えた。暗さと夜の冷気は急速につのった。
居間の窓のそばに暗いちいさめの廊下の窓があった。かなりたってからその小窓にぼんやりした姿が現われ、外に乗り出して、やみの中を見た。その格好でそれがエンマであることをハンスは認めた。不安な期待のため彼の心臓はとまってしまった。彼女は窓べに立って長いこと静かにこちらを見ていた。彼女に自分が見えるか、見分けられるか、ハンスにはわからなかった。彼は身動きもせず、じっと彼女を見上げ、不安な気おくれを感じながら、自分だということがわかってくれればいいがと思うと同時に、それを恐れた。
ぼんやりした姿が窓から消えると、すぐそのあとで小さい庭戸が開いて、エンマが家の中から出て来た。ハンスはどきっとして逃げ出そうとしたが、その腹もきまらず、かきねにもたれたままでいた。そして、娘が暗い庭をゆっくりと彼のほうに歩いて来るのを見た。彼女の一足ごとに、ハンスは逃げるようにせきたてられたが、なにかいっそう強いものに引き止められた。
エンマは彼のすぐ前に立った。低いかきねがあいだにあるだけで、半歩も離れていなかった。彼女は彼を不思議そうにしげしげと見た。かなりのあいだどちらもなにもいわなかった。やがて彼女が低い声でたずねた。
「あんた、なんの用?」
「なんでもない」と、彼はいった。あんたと親しげにいわれたのが、はだをなでられたように感じられた。
エンマはかきねごしに彼のほうに手を差し出した。彼はおずおずと、しかし愛情こめてその手を取り、少し握りしめた。手がひっこめられないのを知ると、ハンスは勇気を出して、あたたかい娘の手を優しくそうっとなでた。それでもなお唯々《いい》として彼にゆだねられていたので、彼はその手を自分のほおにあてた。しみ入るような快感と不思議なあたたかさと幸福な疲労との流れが彼を襲った。彼の身辺の空気はなまあたたかく、南風のような湿気を帯びていた。彼には小路も庭ももはや見えず、鼻さきの白い顔と黒い髪の毛のもつれしか見えなかった。
そして娘がごく低い声で、
「わたしにキスしてくださらないこと?」
と、たずねたとき、それははるか遠い夜のかなたから響いて来るように思われた。
白い顔が近づいて来た。からだの重味で板が少し外にそった。軽くにおう、ほどけた髪が、ハンスの額にさわった。白い広いまぶたと黒いまつ毛におおわれた閉じた目が彼の目のすぐ前にあった。遠慮がちなくちびるで娘の口に触れたとき、はげしい身ぶるいが彼のからだの上を走った。彼は瞬間的にふるえてたじろいだが、娘は彼の頭を両手でつかまえ、自分の顔を彼の顔に押しつけ、彼のくちびるを放さなかった。彼は、彼女の口が燃えるのを、また彼の口をおしつけながら彼のいのちを飲みほそうとでもするように、むさぼり吸うのを感じた。彼はしんからぐったりした。娘のくちびるが離れないうちに、ふるえる快感は気の遠くなる疲労と苦痛とに変った。エンマが放したとき、彼はよろめいて、けいれん的にしがみつく指でかきねにしっかりとつかまった。
「ねえ、あすの晩またおいで」と、エンマはいって、急いで家の中へもどった。彼女が去ってから五分もたたないのに、ハンスには長い時間が過ぎたように思われた。彼はうつろな目つきで彼女を見送り、あいかわらず板につかまったまま、あまりに疲れていて一歩も歩けないように感じた。夢みながら彼は自分の血の音を聞いた。血は頭の中でどきんどきんと鳴り、乱れた苦しそうな大波を立てて心臓を出入りし、彼の呼吸をとめた。
へやの中で戸が開き、親方がはいって来るのが見えた。彼はたぶんまだ仕事場にいたのだ。気づかれるかもしれないという恐れに襲われて、ハンスは逃げだした。軽く酔っぱらった者のように彼はのろのろと不承不承あぶなっかしく歩いた。一歩ごとにがっくりひざが折れそうな気がした。眠たげな破風とどんよりと赤い窓とのある暗い小路が、色あせた書き割りのように彼の目の前を流れ過ぎた。橋や川や中庭や庭も流れ過ぎた。ゲルバー小路の噴泉が妙に高い音を響かせて水をとばしていた。夢みごこちでハンスは門をあけて、真っ暗な廊下を通り、階段を上がった。それから戸を一つ、また一つあけてしめ、ありあわした机の上にこしかけた。そしてだいぶたってからようやく、自分のへやに帰っているのだという感じに目ざめた。着物をぬぐ気になるまでには、またしばらく時間がかかった。彼は放心のていで着物を脱ぎ、裸のまま窓のそばにこしかけていた。やがて急に秋の夜の寒さに身ぶるいして、ふとんの中に飛びこんだ。
彼はすぐ眠れるだろうと思っていたが、横になって少しあたたかくなると、ふたたび鼓動がしだし、血が乱調子に激しく沸きたち始めた。目を閉じると、娘の口がまだ自分の口にくっついていて、自分の心を吸いとり、悩ましい熱で彼を満たしているかのように思えた。
遅くなって寝ついたが、夢から夢へとはげしく追い立てられた。彼はおそろしく深いやみの中に立って、身辺をさぐり、エンマの腕をつかんだ。彼女は彼を抱いた。ふたりはいっしょに徐々に落ちて、あたたかい深い流れの中に沈んだ。突然そこへくつ屋がつったって、なぜおまえはさっぱりたずねて来ないんだ、とたずねた。ハンスは笑わずにはいられなかった。それはフライクではなくて、マウルブロンの祈祷室《きとうしつ》で同じ窓に並んですわり、しゃれをとばしたヘルマン・ハイルナーだということに、気づいたからだった。だが、それもすぐ消え去った。彼は果汁圧搾機のそばに立っていた。エンマがハンドルを逆につっぱるので、彼は力いっぱいそれに抵抗した。彼女は彼のほうにかがんで、彼の口を求めた。静かに真っ暗になった。それからまた彼はあたたかい暗い深みに沈み、目まいと死の恐怖に気が遠くなった。同時に校長の訓辞が聞えた。それが自分のことをいっているのかどうか、彼にはわからなかった。
それから朝おそくまで眠った。うららかなすばらしい日だった。彼は長いこと庭の中を行ったり来たりし、目をさまし、頭をはっきりさせようと努めたが、やはり濃い眠い|もや《ヽヽ》に包まれていた。庭にただ一つ咲き残った紫のエゾギクが、まだ八月ででもあるかのように日なたに美しく笑っているのを、彼は見た。あたたかいやさしい光が早春のころのように、愛撫しつつ甘えつつ、枯れた大小の枝や葉の落ちた|つる《ヽヽ》のまわりに流れるのを、彼は見た。しかしそれをただ見ているだけで、しっくりとは感じられなかった。彼にはなにもかも無関心だった。突然、この庭でまだウサギがはねまわり、彼の水車やきね仕掛けが動いていたころの、はっきりした強い思い出が彼をとらえた。彼は三年前のある九月の日を思い出さずにはいられなかった。それはセダンの祝日の前日だった。アウグストがキヅタを持ってハンスのところにやって来た。ふたりは旗ざおをきれいに洗って、その金色の先端にキヅタをくっつけながら、あすのことを話しあい、あすを楽しんだ。ただそれだけのことで、そのほかには何事もなかったのだが、ふたりはお祝いの前気分と大きな喜びでいっぱいだった。旗が日なたに輝いていた。アンナばあやはスモモ入りの菓子を焼いていた。夜は高い岩の上でセダンの火が燃やされるはずだった。
なぜ特にきょうあの晩のことを考えずにはいられなかったのか、なぜこの思い出がそんなに美しく強かったのか、なぜその思い出が彼をそんなにみじめに悲しくしたのか、ハンスにはわからなかった。この思い出の衣をまとって彼の幼年時代と少年時代とが別れを告げ、過ぎて帰らぬ大きな幸福の針のあとをとどめるために、もう一度楽しげに笑いながら彼の前によみがえってきたのだということを、彼は気づかなかった。彼は、この回想はエンマや昨夜の記憶と調和しないことを、またあの昔の幸福と結びつかないなにかが心の中に現われたことを感じただけだった。金色の旗の先端がきらきら光るのが見え、友だちのアウグストが笑うのが聞え、焼きたての菓子のにおいが感じられるように思った。それがみんな朗らかに幸福に、遠く離れて縁のないものになっていたので、彼は大きなモミのざらざらした幹にもたれて、絶望的にはげしくすすり泣きだした。それで彼は一時慰められ、救われた気持ちになった。
お昼ごろ、彼はアウグストのところへやって行った。アウグストはもう一番弟子になっており、格幅ができて大きくなっていた。ハンスは機械工になるために彼の懇望を語った。
「そいつは容易なことじゃないよ」と、アウグストはいって、世慣れた顔をした。「そいつは容易なことじゃないよ。きみはそのとおりの弱虫だからね。最初の一年間は鉄を鍛えるのに、しょっちゅうしこたま打たなくちゃならない。向うづちはスープのさじとは違うからね。それに、鉄を持ち運んで、夕方はかたづけなければならない。|やすり《ヽヽヽ》をかけるのにも力がいる。初めひととおり熟達するまでは、古いやすりしかあてがわれない。古いやつは刃がなくて、サルのしりみたいにつるつるだ」
ハンスはたちまち臆してしまった。
「そうかい。じゃ、やめたほうがいいかね」と、彼は気おくれしながらたずねた。
「おや、どうしてさ。そういったんじゃないよ。意気地ないことはよしにしよう。はじめは踊り場とはわけが違うといったまでさ。だが、その他の点では、まったく――機械工はすてきなもんさ。頭もよくなけりゃ、いけない。そうでないと、ただの鍛冶《かじ》屋になりかねないからね。まあ一つ見たまえ」
彼はぴかぴか光る鋼鉄製の小さい精巧な機械の部分を二つ三つ持って来て、ハンスに示した。
「半ミリでも狂っていちゃ、いけないんだ。ねじまで全部手で作るんだ。目を大きくして見てなくちゃ、いけない。これをみがいてかたくすると、はじめてできあがるわけさ」
「まったく、きれいだね。そうだとわかっていたら――」
アウグストは笑った。
「心配なのかい? そりゃ徒弟はいじめられるさ。そりゃ、どうにもしようがない。だが、ぼくもまだいることだから、助けてやるよ。きみがつぎの金曜に始めれば、ぼくはちょうど二年めの修業を済まし、土曜日には最初の週給をもらうんだ。日曜日にはお祝いだ。ビールも菓子も出る。みんな来る。きみも来るさ。そしたら、ぼくたちの様子がわかるよ。そうだ、そうすりゃわかる。それに元来ぼくたちは昔親友だったんだからね」
食事のときハンスは父親に、機械工になるつもりだ、一週間たったら始めてもいいか、といった。
「そりゃ、結構だ」と、父親はいって、午後ハンスといっしょにシューラーの仕事場に行き、申し込みをした。
だが、暗くなりかけると、ハンスはそんなことをほとんど忘れて、晩方エンマが待ちうけているということしか、考えなかった。いまからもう息が苦しくなって、時間がひどく長く思われたり、短く思われたりした。彼は船乗りが早瀬に向うような気持ちで、あいびきに向った。その晩は食事なんか問題でなかった。ミルク一杯をやっと飲み下して、出かけて行った。
なにもかもきのうのとおりだった――暗い眠たげな小路、赤い窓、街燈のほの明り、そぞろ歩く恋人同士。
くつ屋のかきねのそばで、彼は大きな不安に襲われた。物音がするごとに、びくっと縮み上がった。やみの中に立って様子をうかがっている自分がどろぼうのように思われた。一分間も待たないうちに、エンマが彼の前に現われ、彼の髪を両手でさすり、庭の戸を開いた。彼は用心深く中にはいった。彼女は、しげみに囲まれている道のあいだを通り、裏口から暗い廊下へそっと彼をひっぱっていった。
そこでふたりは地下室のいちばん上の階段に並んでこしかけた。だいぶたってからようやくふたりは、やみの中でかつがつたがいの顔が見えるようになった。娘は上きげんで、ささやき声でしきりにしゃべりたてた。彼女はもういくどもキスを味わったことがあり、その道のことを心得ていた。内気で情愛のある少年は彼女にとってまさに手ごろだった。彼女は少年の細い顔を両手にはさみ、額や目やほおにキスした。口の番になって、きょうも娘に長い吸うようなキスをされると、少年は目まいに襲われた。彼はぐったりと気力を失って娘にもたれていた。彼女は小声で笑って、彼の耳をひっぱった。
娘はひっきりなしにしゃべり続けた。彼は耳を傾けていたが、なにを聞いているのかわからなかった。彼女は手で彼の腕や髪や|のど《ヽヽ》や両手をさすり、ほおを彼のほおに、頭を彼の肩にもたれさした。彼はじっと黙ったまま、相手のなすがままにまかせ、甘い戦慄《せんりつ》と深い幸福な不安に満たされ、ときどき熱病患者のようにかすかにぴくっとからだを動かした。
「あんたは変な恋人ね」と、彼女は笑った。「なんにもしようとしないのね」
娘は彼の手を取って、自分の|うなじ《ヽヽヽ》の上や髪の中にやり、それから胸にのせて、からだを押しつけた。ハンスは柔らかい形と甘い異様な波立ちとを感じ、目を閉じ、底なしの深みに沈むのを覚えた。
「よして、もうよして」と、彼は、エンマがまたキスしようとしたとき、拒みながらいった。彼女は笑った。
そして彼女は彼をそばにひきよせ、腕で抱きしめながら、彼のわき腹を自分のわき腹に押しつけたので、彼は彼女の肉体を感じ、すっかりどぎまぎして、もうなにもいえなかった。
「あんたも私が好きなの?」と、彼女はたずねた。
彼は、うん、といおうとしたが、うなずくことしかできなかった。そしてしばらくのあいだうなずきつづけた。
彼女はもう一度彼の手を取り、ふざけながらコルセットの下に押しこんだ。すると彼は他人のからだの脈搏《みゃくはく》と呼吸とをあつく身近に感じたので、彼の心臓はとまり、死んでしまうかと思うほど呼吸が困難になった。彼は手をひっこめて、うめいた。「もう帰らなくちゃ」
立ち上がろうとしたとき、彼はふらふらとし、も少しで地下室の階段を下に落ちるところだった。
「どうしたの?」と、エンマは驚いていった。
「どうしたんだか。ぼく、とても疲れたんだ」
庭のかきねまで道々彼女が自分をささえ、ぴったり寄りそっていたのさえ、彼は感じなかった。彼女がお休みをいい、彼のうしろで小さい戸をしめたのも、彼の耳にははいらなかった。彼は小路を通って家へ帰った。大きなあらしが彼をさらって行くか、激しい流れが彼をただよわせて行くかしたようで、彼はどうやって帰って来たか、わからなかった。
左右ににぶい色の家が見え、その上の高いところに、山の背やモミの先端や夜のやみや大きな静止した星が見えた。風が吹いているのが感じられ、川が橋柱にぶつかって流れるのが聞えた。それから水の中に、庭やにぶい色の家や夜のやみや街燈や星が映っているのが見えた。
彼は橋の上で腰をおろさずにはいられなかった。それほど疲れていて、もう家へは帰れないかと思った。彼は橋の欄干にこしかけて、水が橋柱をこすり、せきでざわめき、水車をくぐって、オルゲルを鳴らすような音をたてているのに耳を傾けた。彼の手は冷たかった。胸と|のど《ヽヽ》では血が詰ったりもんどり打ったりして、彼の目さきを暗くし、また急に波打って心臓に向って流れ、頭をしきりにくらくらさせた。
彼は家に帰り、自分のへやにたどりつき、横になると、すぐ寝入った。夢の中で大きな空間をだんだん深いところへ転落して行った。真夜中ごろ、彼は悩まされたあげくへとへとになって目をさまし、渇《かつ》え死ぬようなこがれに満たされ、制御できない力によって輾転《てんてん》反側させられながら、朝まで夢うつつのうちに寝ていた。とうとう明け方に、あふれる苦悩と煩悶《はんもん》は長いむせび泣きに変った。それから彼は涙にぬれた|ふとん《ヽヽヽ》の上でもう一度眠りこんだ。
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第七章
ギーベンラート氏は果汁圧搾機のそばでもったいぶってぎょうぎょうしく立ち働いていた。ハンスも手伝った。くつ屋の子どものうちふたりが、招きに応じてやって来、リンゴを運ぶのに忙しかった。ふたりは試飲用の小さいコップをいっしょに使い、手には大きな黒パンを握っていた。だが、エンマはいっしょに来なかった。
父親がおけをもって三十分ほどるすになったとき、はじめてハンスは思いきって、エンマのことをたずねた。
「エンマはどこにいるの? いっしょに来るっていわなかったかい?」
子どもの口がからになって、しゃべれるようになるまでには、ひまがかかった。
「エンマはいっちゃった」と、ふたりの子どもはいって、うなずいた。
「いっちゃった? どこへ?」
「うちへ」
「帰ったのかい? 汽車で?」
子どもたちは熱心にうなずいた。
「いったいいつさ」
「けさ」
子どもたちはまたリンゴに手を出した。ハンスは圧搾機で絞りながら、果汁のたるの中を見つめた。しだいにわけがわかってきた。
父親がもどって来た。みんな働いたり笑ったりした。子どもたちはお礼をいって走り去った。夕方になった。みんなは家に帰った。
夜食のあとでハンスは自分のへやにひとりこしかけていた。十時になり十一時になったが、あかりをつけなかった。それから彼はぐっすり長いこと眠った。
いつもよりおそく目をさましたとき、彼はただ一つの不幸と損失をぼんやり感じただけだった。やがてまたエンマが胸に浮んだ。彼女はあいさつもせず、別れも告げずに行ってしまった。最後の晩に彼女のところに行ったとき、彼女はいつ旅立つかをたしかに知っていたのだ。彼は彼女の笑顔とキスとじょうずな身のまかせ方とを思い出した。彼女は彼をまじめに相手にしてはいなかったのだ。
それに対する腹だたしい苦痛と、興奮してしずまらない恋の力が溶けあって、悲しいもだえになった。それに駆られて、彼は家から庭へ往来へ森へ、そしてまた家へとさまよった。
こうして彼は、おそらくはあまりにも早く、彼の味わうべき恋の秘密を知ってしまった。それは彼にとって甘美なものはわずかしか含んでおらず、にがいものをたくさん含んでいた。かいない嘆きと、なつかしまれる思い出と、やるせない物思いとに満ちた日々。鼓動と胸苦しさに眠られなかったり、おしつけるように恐ろしい夢に落ち込む夜な夜な。夢の中では、血が怪しく沸き立って、とほうもなく大きい恐ろしい怪物になったり、抱きしめて殺そうとする腕になったり、目のらんらんと光る怪獣になったり、目くらむような深淵になったり、燃え上がる大きな目になったりした。さめると、ひとりぼっち冷たい秋の夜の孤独に囲まれている自分を見いだして、愛する娘にこがれ、もだえ、泣きぬれた枕にうめきながら顔を押しつけた。
機械工の仕事場にはいるべき金曜日が近づいた。父親はハンスに青い麻の服と青い半毛の帽子を買ってやった。ハンスはそれを着てみた。鍛冶屋の服を着ると、彼は別人のように、かなりこっけいな気がした。学校や校長先生と数学の先生の住居やフライクの仕事場や牧師さんの家のそばを通り過ぎるときは、みじめな気持ちになった。あれほどの苦しみも、勉強も汗も、あれほど身をうちこんだささやかな喜びも、あの誇りも功名心も、希望にはずんだ夢想も、なにもかもむだになり、結局、すべての仲間より遅れ、みんなから笑われながら、いまごろいちばんびりの弟子になって仕事場にはいるというのが、けりだった。
これを知ったら、ハイルナーはなんというだろう?
それでもしだいに青い鍛冶屋服に観念すると、着ぞめをする金曜日がいくらか楽しみになりだした。そうなれば、せめてまたなにか味わう機会があるのだ。
しかしそういう考えも、黒雲の中の瞬間的な閃光《せんこう》くらいのものだった。娘の旅立ちを彼は忘れなかった。ましてや、彼の血は過去数日の刺激を忘れることが、制御することができなかった。彼の血はもっと多くを望んでこみ上げ、わめき、目ざめた渇望の救いを、あるいは自分ひとりでは解きがたい|なぞ《ヽヽ》を解く助けをしてくれる人を求めた。こうして、息苦しく悩ましい時の歩みはおそかった。
秋は穏やかな日ざしに満ちて、いつよりも美しかった。早朝は銀色に、真昼ははなやかに笑い、夕方は澄んでいた。遠い山々はビロードのように柔らかい深い空色を帯び、クリの木木は黄金色に輝き、|へい《ヽヽ》やかきねの上には野ブドウの葉が紫色にたれ下がっていた。
ハンスはおちつきもなく自分自身から逃げて歩いた。終日彼は町や畑の中をかけまわった。そして、自分の恋の苦しみを人に気づかれるのを恐れて、人を避けた。しかし夜は小路に出て、女中をひとりひとり見上げ、恋人の男女が来ると、あさましいやましさを感じながらこっそりあとをつけた。エンマとともに、いっさいの望ましいものと人生のいっさいの魅惑が彼に近づいたが、エンマとともにそれがまたいじわるく逃げてしまったように思われた。彼はエンマに対して感じた悩みや胸苦しさをもう考えなかった。こんど彼女を手に入れることがあったら、もうけっしてはにかんでなぞいないで、いっさいの秘密を彼女から奪い取り、魔法にかけられた愛の園にどんどん侵入するだろう。その門はこのあいだは彼の鼻の先で閉じられてしまったのだ。彼の空想は挙げて、この|むっ《ヽヽ》とする危険な茂みの中に引き込まれて、ひるみながらその中をさまよった。そして強情に自分をさいなみながら、この狭い魔境の外に美しい広い世界が明るく親しげにいくらも横たわっているのを無視しようとした。
はじめは不安をもって待たれた金曜日がいよいよやって来ると、結局彼はうれしい気持ちになった。朝、早めに彼は新しい青い労働服を着、帽子をかぶり、少し気おくれしながらゲルバー小路をシューラーの家に下って行った。知りあいの人が二、三、物珍しげに彼を見送った。あるひとりは、「どうしたのだい? 錠前屋になったのかい?」と、尋ねさえした。
仕事場ではもう威勢よく働いていた。親方はちょうど鍛えているところだった。彼は赤く熱せられた鉄塊を鉄砧《かなしき》にのせていた。職人が重い向うづちをふるった。親方はこまかく形をつけるように打ち、鉗子《かんし》をあやつり、合い間に手ごろなハンマーで鉄砧を打って拍子をとった。その音はさえて快く、明け放たれた戸から朝の戸外に響いた。
油と|やすり《ヽヽヽ》くずとで黒くなった長い作業台に向って、年かさの職人とアウグストが並んで、めいめい万力で仕事をしていた。天井では、旋盤や砥石《といし》や|ふいご《ヽヽヽ》や穿孔器《せんこうき》を動かすベルトが急ピッチでうなっていた。ここでは水力を使っていたのだ。はいって来た友だちに向ってアウグストはうなずいて、親方が手のすくまで戸のそばで待っているようにいった。
ハンスはやすりや、とまっている旋盤や、ごうごう鳴るベルトや、空転盤をびくびくしながら見ていた。親方は例の鉄塊を鍛え終えると、ハンスのほうにやって来て、大きなかたい厚い手を出した。
「そこにシャッポを掛けな」と、いって、壁のあいている|くぎ《ヽヽ》をさした。
「じゃ、こっちに来た。これがおまえの席と万力だ」
そういって、ハンスをいちばんうしろの万力の前に連れていき、まず万力の扱い方と、いろいろな道具や作業台のせいとんの仕方を教えた。
「おまえが力持ちでないことは、おやじさんから聞いた。見たところも、そうらしいな。よろしい、も少し強くなるまで、さしずめ鍛冶仕事をしなくてもいい」
親方は作業台の下に手を入れて、鋳鉄製の小さい歯車を取り出した。
「じゃ、これで始めたらよかろう。この歯車はまだ鋳たままで仕上げてなくて、方々にでこぼこや角がある。これをすり落さなくちゃならない。でないと、あとで精巧な道具がだいなしになる」
親方は歯車を万力にはさんで、古いやすりを取り、やり方を示した。
「じゃ、続けてやってみな。だが、ほかのやすりを使っちゃ、いけないぜ。それでたんまりお昼までの仕事になる。そしたら、わしに見せな。働いているときは、言いつけられたことよりほかのことにかまけちゃいけない。弟子は考えごとをする必要なんかない」
ハンスはやすりをかけ始めた。
「待った」と、親方はどなった。「そうじゃない。左手はやすりの上にこう置くんだ。それともおまえは左ききかい?」
「いいえ」
「じゃ、いい。すぐできるようになる」
親方は入り口のそばにある第一の自分の万力のところに行った。ハンスは、どうやったらうまくいくか、気をつけてやってみた。
最初二、三度こすってみると、歯車がやわらかくて楽にすり落せるので不思議に思った。それから、ぼろぼろはげるのは、もろい表面の皮だけで、なめらかにすべき固い鉄はその奥にあることがわかった。彼は心を集中して、熱心に働き続けた。少年の遊戯的な仕事をやめて以来、自分の手の下で、なにか見えるもの、役にたつものができあがるのを見る喜びを味わったことがなかった。
「もっとゆっくり」と、親方がこっちのほうにどなった。「やすりをかけるときは、一、二、一、二と拍子を取らなくちゃいけない。そして押すんだ。でないと、やすりがだめになる」
そこではいちばん年上の職人が旋盤でなにかやっていた。ハンスはそっちをぬすみ見せずにはいられなかった。鋼鉄の|ほぞ《ヽヽ》が旋盤にあてられて、ベルトがわたされた。すると、|ほぞ《ヽヽ》は急速に回転しながら火花を散らしてぶんぶんうなった。そのあいだに職人がぎらぎら光る毛のように薄い鉄くずを取りのけた。
方々に、道具や鉄塊や鋼鉄やしんちゅうや、できかけの仕事や、ぴかぴか光る小さい輪や、|のみ《ヽヽ》や、穿孔器や、丸|のみ《ヽヽ》や、いろんな形の|きり《ヽヽ》が横たわっていた。やすりのそばには、ハンマーや、受けハンマーや、鉄砧あてや、鉗子や、ハンダ|ごて《ヽヽ》などがぶらさがっていた。壁に沿って、やすりや、削截器《さくせつき》が並んでいた。たなには、油ふきのぼろや、小さいほうきや、金剛砂やすりや、鉄|のこ《ヽヽ》や、油差しや、酸類のびんや、|くぎ《ヽヽ》箱や、ねじ箱がのっていた。砥石がたえず使われた。
ハンスは自分の手がもうすっかり黒くなったのを見て愉快に感じた。ほかの人の|つぎ《ヽヽ》のあたった黒い仕事着に比べて、いまはまだおかしいほど新しく青く見える自分の服も、まもなく使い古されたようになってくれれば、いいと思った。
午前の時間が進むにつれ、外部からも仕事に活気が加わってきた。近所の機械編み物工場から、小さい機械の部分をみがいたり修繕したりしてもらいに労働者がやって来た。それから百姓が来て、直しにあずけてある洗濯用|挾布機《きょうふき》は、とたずねた。まだできていない、と聞くと、口ぎたなくののしった。つぎには上品な工場主が来た。親方は隣室で商談をした。
そのあいだも人間たちと車輪とベルトは同じ調子で働き続けた。こうしてハンスは生れてはじめて労働の賛歌を聞き、味わった。それは少なくとも新参者にとっても、心をとらえ快く酔わせるものを持っていた。彼は、自分というささやかな人間と、自分のささやかな生活とが、大きなリズムに接合されたのを感じた。
九時に十五分の休憩があった。めいめいパン一片と果酒一杯をあてがわれた。そのとき、はじめてアウグストは新しい弟子にあいさつした。彼はハンスを励ました。それから、最初の週給を同僚といっしょにおもしろく使えるつぎの日曜日のことをうちょうてんになってしゃべりだした。ハンスは自分がやすりをかけている歯車はなになのかとたずねた。それは塔の時計のだと聞かされた。アウグストはそれがのちにどんなふうに動くのかをハンスに示そうとしたが、そのとき、職人がしらがふたたびやすりをかけ始めたので、みんなは急いで自分の席についた。
十時と十一時のあいだになると、ハンスは疲れだした。ひざと右腕が少し痛んだ。足を踏み替えて、そっと手足を伸ばしたが、たいして役にたたなかった。そこでしばらくやすりを離して、万力にもたれた。だれも彼に気をつけてはいなかった。こうしてじっと立ったまま休み、頭の上でベルトが歌うのを聞いていると、気が遠くなりそうだったので、一分間目をつぶった。そのときあいにく親方が彼のうしろに立った。
「これこれ、どうしたんだい? もう疲れたのかい?」
「ええ、少し」と、ハンスは白状した。
職人たちは笑った。
「そりゃすぐ直る」と、親方は静かにいった。「こんどはロウ付けの仕方を教えてやろう」
ハンスは物珍しそうにロウ付けの仕方を見た。まずロウ付け|ごて《ヽヽ》をあたため、つぎにロウ付け個所をロウ付け水でぬらした。それからあついロウ付け|ごて《ヽヽ》から白い金属がたれて、柔らかにしゅっと音をたてた。
「ぼろを持って来て、よくふき取りな。ロウ付け水は腐食させるから、金物の上にたらしっぱなしにしておいてはいけない」
それからハンスはまた万力の前に立って、やすりで歯車をこすった。腕が痛んだ。やすりを押えている左手が赤くなって、痛みだした。
お昼ごろ、職人がしらがやすりを置いて手を洗いにいったとき、ハンスは自分の仕事を親方のところへ持っていった。親方はそれをちょっと見た。
「結構だ。それでいい。おまえの席の下の箱の中に同じ歯車がも一つある。お昼からはそれにかかるんだ」
そこでハンスも手を洗って、帰った。一時間食事休みがあった。
昔の学校友だちだったふたりの商人見習いが彼のうしろからやって来て、彼をからかった。
「州試験錠前屋!」と、ひとりがどなった。
ハンスは足を早めた。彼はほんとに満足しているのかどうか、よくわからなかった。仕事場の感じはよかったが、ただひどく疲れた。やりきれないほど疲れた。
玄関の下で、やれやれすわって食事ができると喜んだとき、彼は急にエンマのことを思い出させられた。彼は午前中ずっと彼女のことを忘れていた。いままた急に、昨日と一昨日の苦悩が、いつものように重く首筋にのしかかってきた。彼はそっと自分のへやに上がり、寝床にからだを投げ出して、深い苦悶《くもん》にうめいた。彼は泣きたかったが、彼の目はひからびていた。彼は身をこがすあこがれにひたっている自分を絶望的に見た。そのあこがれの目標は彼にもはっきりしなかった。それはただむごい病気のように彼を食いさいなんだ。頭は狂おしく痛んだ。のどもすすり泣きが詰って痛かった。
昼食は苦痛だった。父親は上きげんだったので、彼は父親の問いに答え、いろいろ話して聞かせ、たあいないしゃれを甘んじて聞かねばならなかった。食事がすむと、彼は庭に出て、日なたで十五分ほどうつらうつらすごした。そうすると、もう仕事場にいく時間だった。
もう午前中に両手に赤い|まめ《ヽヽ》ができていたが、それがほんとに痛みだし、夕方にはひどくふくれ、なにをつかんでも痛かった。仕事じまいの前にはアウグストのさしずで、仕事場をすっかりかたづけねばならなかった。
土曜日はいっそういけなかった。両手がひりひりと痛んだ。|まめ《ヽヽ》は拡大して水ばれになった。親方はふきげんで、ごくささいなことをきっかけにしてののしった。アウグストは、|まめ《ヽヽ》なんか二、三日のことで、すぐに手が固くなり、なにも感じなくなるといって、慰めてくれたが、ハンスはたまらなく情けない気持ちで、終日時計を盗み見し、やけぎみで歯車をこすった。
夕方、かたづけのとき、アウグストはささやき声でハンスに、あす数人の仲間とビーラッハにいって、景気よく愉快にやるから、ハンスもぜひ来なくちゃいかん、といった。二時にいっしょになりに来いということだった。ハンスは日曜日一日じゅう家で寝て暮したいところだったが、同意した。彼はまったく疲れてみじめだった。家に帰ると、アンナばあやが傷ついた手につける膏薬《こうやく》をくれた。彼は八時にもう寝床にはいった。そして朝おそくまで寝こんだので、父親と教会に行くのに急がねばならなかった。
昼食のとき、彼はアウグストの話を持ち出し、きょう彼といっしょに遠足に行きたいといった。父親はそれに反対しないどころか、五十ペニヒくれた。ただ夕食までに帰って来なくてはいけないと、いっただけだった。
ハンスは美しい日ざしを受けて小路をぶらぶら歩いていると、数カ月ぶりではじめてまた日曜の喜びを味わった。仕事日に手を黒くし、五体を疲れさして働くと、日曜日には往来も改まった感じがし、太陽も一段とのどかで、すべてが晴れやかに美しかった。いま彼には、家の前の日なたのベンチに腰かけてさっそうと朗らかな顔をしている肉屋や、皮なめし屋や、パン屋や、鍛冶屋の気持ちがわかった。彼はもうけっして彼らをあわれむべき職人ふぜいだなどという目では見なかった。彼は、労働者や職人や徒弟が帽子を少し斜めにかぶり、シャツのえりも白く、晴れ着にはよくブラッシをかけて、列を作って散歩したり、料理店にはいったりするのを見送った。必ずというわけではないが、たいてい、さしもの師はさしもの師同士、左官は左官同士、というふうに、職人同士いっしょになって、めいめいの職業の名誉を守っていた。その中でも錠前屋はいちばん高尚な同業で、その第一位は機械工だった。そうしたことのいっさいが、あるなつかしいものを持っていた。その中には多少幼稚でこっけいな点も少なくはなかったが、職人仕事の美しさと誇りとがひそんでいた。それは今日なおある喜ばしいもの、たのもしいものを表わしており、微々たる仕立て屋の徒弟でさえ、工場労働者や商人の持っていない美しさと誇りとの一片を持っている。
シューラーの家の前に若い機械工たちがゆったりと得意げに立って、通行人に向ってうなずいたり、たがいにしゃべりあったりしているのを見ると、彼らが確実な団体を作っていて、日曜日の娯楽にも他人を必要としないことがよくわかった。
ハンスもそれを感じ、その仲間の一員であることを喜んだ。しかし、機械工は享楽にかけても精力的で、ちっとやそっとで満足しないことを、ハンスはかねて知っていたので、計画されている日曜の娯楽に対してささやかな不安を感じていた。きっと踊りもあるだろう。ハンスは踊れなかった。だが、ハンスはできるだけ元気よく立ちまわり、いざとなったら、ちょっとした二日酔いくらい辞さないつもりになった。彼はビールをたくさん飲むことには慣れていなかった。タバコを吸うことにかけては、葉巻き一本を慎重に最後まですうのが精いっぱいだった。そうでないと、ふらふらになって恥をかきそうだった。
アウグストはお祭り気分の陽気さでハンスを迎えた。年長の職人は来ないが、そのかわり、ほかの仕事場の仲間がひとり来るから、少なくとも四人にはなる。村の一つくらい陽気にあおるのには、それで十分だ、とアウグストは話した。きょうはビールはみんな飲みたいだけ飲んでもいい、全部自分がひとりで払うから、ともいった。彼はハンスに葉巻きをすすめた。それから四人はぶらぶら歩きだし、町の中をゆっくりと得意げにぶらつき、下手のリンデン広場のところからようやく早く歩きだし、早めにビーラッハに着くようにした。
川の水面は、あるいは青く、あるいは金色に、あるいは白くきらきらと光っていた。往来の並木のほとんど葉の落ちつくしたカエデやアカシヤの木のあいだから柔らかい十月の太陽があたたかい光を投げていた。高い空は雲もなく青く澄んでいた。静かな清らかななごやかな秋の一日だった。こういう日には、過ぎた夏の美しいことが残らずほほえましい悩みのない思い出のように柔らかな空気を満たすのである。またこういう日には、子どもたちは季節を忘れ、花をさがしにいかなくてはならないように思い、じいさん、ばあさんたちは、その年の思い出ばかりでなく、過ぎ去った全生涯のなつかしい思い出が澄んだ青空をありありと飛んでいくように感じ、思いのこもった目で窓や家の前のベンチから空中を見るのである。若者たちは上きげんで、それぞれ持って生れた能力や性質に従い、たらふく飲むか食うかして、または歌うか踊るかして、または酒宴かおおげさなつかみあいをして、美しい日をたたえる。どこにいっても新しいくだもの菓子が焼かれており、どこにいってもできたてのリンゴ酒かブドウ酒が地下室でわきたっており、料理店の前やボダイ樹広場ではヴァイオリンかハーモニカが一年の最後の美しい日を祝い、踊りや歌や恋の戯れに誘っていたのだから。
若者たちは急ぎ足で前進した。ハンスは平気を装って葉巻きを吸い、それがとてもよく口に合うのでわれから意外に思った。職人は彼の旅かせぎについて話した。彼がいくらホラを吹いても、だれもなんとも思わなかった。それはそんな話につきものだった。どんなにつつましい職人でも、自分でかせいでいるほどの者なら、人に見られていないことが確かだとあれば、自分の旅かせぎ時代のことをおおげさなおもしろおかしい、それどころか伝説めいた調子で話すものである。若い職人生活のすばらしい詩は、民族の共有財産のようなもので、その一つ一つから、伝統的な古い冒険を新しいカラクサ模様で新しく創作するのである。流浪の職人やこじきでも、話しだせばだれでも、不滅の道化者オイレンシュピーゲルや旅職人シュトラウビンガーの一片を見せるのである。
「そこで、あのころおれのいたフランクフルトで、ああいまいましい、あのころは生きがいがあったなあ! まだ話さなかったかな。きざな野郎だったが、金持ちの商人が親方の娘と結婚しようとしたんだよ。だが、娘はそいつをつっけんどんにつっぱねちゃったのさ。おれのほうがいささかお気に召していたのでね。娘は四カ月間おれのいい人だったのさ。おやじとけんかしなかったら、いまごろはあすこにおさまって婿になっていたろうさ」
それからなお、あさましい人非人の親方の野郎が彼を懲らそうとし、実際に彼に向って手をのばしたとき、彼はなにもいわないで、ただハンマーを振り上げ、老いぼれをにらめつけたら、老いぼれは頭を割られちゃたまらんと、こそこそと逃げてしまった。そのくせ、卑怯《ひきょう》なとんちき野郎はあとで書面で彼に暇を出した、という一件を話した。またオッフェンブルクでやった大げんかの話をした。そのときは彼を加えた三人の錠前屋が、工場の職工を七人、半殺しに打ちのめした――オッフェンブルクに行ったら、のっぽのショルシュに聞きさえすりゃいい。やつはまだあすこにいるし、いっしょにやった仲間なんだから、といった。
そういう話が一々冷やかな粗野な調子で、しかし非常に熱心に気持ちよさそうに語られた。みんな深い満足をもって聞き、心ひそかに、この話をいつかどこかほかの仲間のところで話してやろうと、思った。それでこそ、どの錠前屋でも、親方の娘をいい人にしたことがあり、ハンマーでもって悪い親方に飛びかかったことがあり、七人の職工をさんざんに打ちのめしたことがあるということになるのである。その話はあるときはバーデンで、あるときはヘッセンで、あるときはスイスで行われていた。またあるときはハンマーのかわりにやすり、あるいは焼けた鉄だった。あるときは職工のかわりにパン焼き人、あるいは仕立て屋だった。しかしいつも変らぬ陳腐な話だった。人はそれをなんども好んで聞くものである。それは古くておもしろくて、職人仲間の名誉になることだから。それだからといって、経験にかけての天才、あるいは、結局は同じことなのだが、思いつきにかけての天才が、若い旅職人の中に今日ではもういなくなったというわけではない。
特にアウグストは話に引き込まれ、いい気持ちになっていた。彼はたえず笑い、あいづちをうった。そしてもう半人まえの職人気どりになり、生意気な遊び人づらでタバコの煙をのどかな空中に吹いた。話し役の職人はその役割をつとめ続けた。というのは、彼は職人であるてまえ、日曜日には徒弟の仲間にはいらないのがほんらいであって、若僧の小銭を飲んで使う片棒をかつぐのを恥じるのが当然だったから、きょういっしょに来たのは好意的なお愛想だ、と思わせる必要があったからである。
国道をかなり川しもに向って歩いた。それから、ゆるやかなこうばいでぐっと曲って上り坂になっている車道か、距離は半分くらいしかないが|けわしい《ヽヽヽヽ》小みちか、どっちかを選ぶことになった。遠くてほこりっぽかったが、車道を選んだ。小みちは仕事日や散歩する紳士に向いていた。普通の人は、特に日曜日には、まだ詩的な魅力の失われていない国道を好んだ。けわしい小みちを登ることは、百姓や町の自然愛好家向きであって、労働かスポーツではあるが、普通の人にとっての娯楽ではない。これにひきかえ、国道ではらくに歩けるし、歩きながらおしゃべりもでき、くつや晴れ着もいたまない。車や馬も見られるし、ほかにぶらつき連中にぶつかったり、追いついたり、めかした娘や、歌う徒弟の仲間に会ったりする。だれかにうしろからしゃれをいうと、向うでも笑いながら応酬する。立ちどまってたべることもできるし、ひとりものなら、娘の列を追って、あとから笑いかけることもできる。あるいはよい仲間との個人的な不和を夕方腕ずくに破裂さして、それから仲直りすることもできる。職人の弟子なら、おもしろい、らくな、めっけものの多い国道を小みちと取りかえるほど、ばかではない。町の小市民もめったにそんなことはしない。
それでみんなは車道を行った。道は大きく曲り、暇を持ち汗を流すのを好まない人のように、ゆっくりと気持ちよくあがっていた。職人は上着をぬいで、ステッキにつるして肩にかけた。彼は話のかわりにこんどは、思いきって陽気な調子で口笛を吹き始め、一時間ののちビーラッハに着くまで吹き続けた。ハンスにも二、三あてこすりがいわれたが、さして手ひどいものではなかった。彼自身よりもアウグストのほうが熱心にそれに応酬した。そのうちいよいよビーラッハ村の前に来た。
その村は、そそり立つ黒い山林を背にして、秋色をおびた果樹のあいだに横たわり、赤いレンガ屋根と銀ネズ色のわら屋根が散在していた。
若者たちはどの料理店にはいるか一致しなかった。「錨軒《いかりけん》」にはいちばんいいビールがあったが、「白鳥軒」にはいちばんいい菓子があり、「角屋《かどや》」にはきれいな娘がいた。結局アウグストが「いかり軒」にいくことに押し通した。そして、二、三杯やっているうちに「かど屋」が逃げて行ってしまうわけではないから、あとからでも行けると、まばたきで知らした。それでみんな納得した。そこで村にはいり、馬小屋のそばや、ジェラニウムのはちをいっぱいのせた低い百姓屋の窓のそばを通り、「いかり軒」に突進した。その金色の看板が、こんもりした若い二本のクリの木越しに、日なたにきらきら光りながら誘っていた。ぜひ家の中でやりたいといっていた職人の残念がったことには、店は満員で、庭の中にこしかけねばならなかった。
「いかり軒」は、お客の観念からいうと、上品な料理店で、古い百姓料理店ではなく、窓のたくさんあるモダーンな四角なレンガ建てで、ベンチのかわりに、ひとりひとりのいすをそなえ、ブリキ製の色塗り看板もたくさんあった。そのうえ、女給仕は都会ふうの服装をし、主人も腕まくりなんかしていることはなく、いつもハイカラな茶色の服をきちんと着ていた。彼はほんとは破産したのだが、大ビール醸造家である債権者代表から自分の家を賃借りしていた。そうなってからいっそう上品になった。庭はアカシヤの木と大きな針金|格子《ごうし》でできていた。格子にはいまのところ半分くらい野ブドウがおいかぶさっていた。
「諸君の健康を祝す」と職人は叫んで、三人とコップを打ち合わし、腕まえを示すため、コップを一息に飲みほした。
「きれいなねえさん、からっぽだぜ。すぐにもう一杯もって来てくれよ」と、彼は女給仕に向ってどなり、テーブル越しにコップを差し出した。
ビールは上等で冷たく、あまりにがくなかった。ハンスは自分のコップを楽しく味わった。アウグストは通らしい顔をして飲み、舌打ちし、かたわら詰ったストーヴのようにタバコをすった。ハンスはそれを静かに感嘆していた。
こういうふうに陽気な日曜日を持ち、当然その資格のある人間のように、人生を心得、愉快にやることを心得ている人たちといっしょに、料理店のテーブルに向ってこしかけるのは、やはり悪くなかった。いっしょに笑い、ときには自分から思いきって、しゃれを飛ばすのは、すてきだった。飲みほしてから、力をこめてコップでテーブルをとんとんたたき、屈託なく「ねえさんもう一杯」と叫ぶのは、すてきで男らしかった。ほかのテーブルの知りあいに向って乾杯したり、ほかの者と同じように、消えた葉巻きの燃えさしを左手の指にはさみ、帽子を首筋のほうにずらしたりするのは、すてきだった。
いっしょに来たよその職人も調子づいて、話しだした。彼の知っているウルムの錠前屋は上等のウルム・ビールを二十杯も飲むことができた。それだけたいらげると、口をぬぐって、「じゃ、こんどは上等のブドウ酒の小びんを一本」と、いうのだった。また昔知っていたカンシュタットの火夫は豚肉の腸詰めを十二も続けざまに食べることができ、それで、賭《かけ》に勝った。しかし二度めの賭には負けた。彼は無謀にも小さい料理店のメニューを残らず食おうとしたのだった。実際ほとんど全部たいらげたが、メニューの終りにいろんな種類のチーズが来た。三番めのにまで来たとき、彼はさらを押し返して、「これ以上一口でも食うより、死んだほうがいい」と、いった。
こういう話も大かっさいを博した。だれでもが、そういう剛の者の放れわざの話の種を持っていたので、世間には方々にがまん強い飲み手、食い手がいるものだということがわかった。ひとりの話した剛の者は「シュツットガルトのある男」であり、もひとりの場合は「たしかルートヴィッヒスブルクの竜騎兵」だった。たいらげたものも、ジャガイモ十七だったり、サラダ付き卵菓子十一だったりした。みんなはそういうできごとを具体的に熱心に述べたて、いろんなすばらしい天分があるものだ、風変りな人間がいるものだ、なかにはとんでもないつむじ曲りもいるものだ、ということを知って、いい気持ちになった。この快感と現実性とは、料理店常連の俗社会の古くからの尊敬すべき遺産で、飲酒や政談やタバコや結婚や死と同じように、若い連中によって模倣される。
三杯めにハンスは、菓子はないのか、とたずねた。女給仕を呼んで聞くと、ええ、お菓子はありません、というので、みんなはひどくいきりたった。アウグストは立ち上がって、菓子がないなら、一軒さきへ行かなくちゃならん、といった。よその職人は、ひどい料理店だとののしっていた。フランクフルトの男だけが居ずわりを唱えた。というのは、彼は女給仕とちょっとお安くなくなって、もうなんども強く愛撫《あいぶ》していたからである。ハンスはそれをながめていた。ビールとともにその光景は彼を異様に興奮させた。みんなが出かけることになったのを彼は喜んだ。
勘定を払って、みんなで外に出ると、ハンスは三杯のビールが少しきいてくるのを感じた。それはなかば疲れたような、なかばなにかやってみたいような、快い気持ちだった。それになにか薄いヴェイルのようなものが目の前にかかっていてまるで夢の中でのように、すべてが遠く、ほとんど現実でないように見えた。彼はたえず笑わずにはいられなかった。そして帽子をなおいくらか大胆に斜めにかぶって、あっぱれ浮かれ者のような気持ちになった。フランクフルトの男はまた勇ましく口笛を吹いた。ハンスはそれに拍子を合わせて歩こうとした。
「かど屋」はかなり静かだった。数人の百姓が新しいブドウ酒を飲んでいた。生ビールはなくて、びん詰めだけしかなかった。さっそくみんなの前に一本ずつおかれた。よその職人は気まえのいいところを見せようと、みんなのために大きなリンゴ菓子を注文した。ハンスは急にひどい空腹を感じて、続けさまにそれを幾きれかたべた。古い褐色の客室の固い広い壁ぎわのこしかけにかけているのは、夢うつつで、いい気持ちだった。古風な献立台や大きなストーヴが薄暗がりの中に消え、木の格子のはいった大きなかごの中で二羽のヤマガラがはたはた飛んでいた。その格子のあいだには、赤い実のいっぱいついているナナカマドの枝が、えさとしてさしてあった。
亭主はちょっとテーブルの側に来て、お客を歓迎した。それからしばらくたって、ようやく話がはずんだ。ハンスは強いびん詰めのビールを二口三口飲んだ。びんを一本飲みきれるかどうか、好奇心を感じた。
フランクフルトの男は、ライン地方のブドウ畑祭りや旅かせぎや木賃宿生活について、また恐ろしいホラを吹いた。みんな楽しげに聞いていた。ハンスも笑いをとめることができなかった。
急に彼は、どうもぐあいが変になったのに気づいた。へややテーブルやびんやコップや仲間がたえず柔らかい褐色の雲に溶けあった。彼が気張って緊張するときだけ、いろいろなものがはっきりした形に返った。ときどき、話や笑い声が激しく高まってくると、彼もいっしょに大声で笑ったり、なにかいったりしたが、なにをいったか、すぐ忘れてしまった。杯が打ち合わされるときは、彼もいっしょにやった。一時間ののち、自分のびんがからになっているのを見て驚いた。
「なかなかよくやるね。もう一本やるかい?」と、アウグストがいった。
ハンスは笑いながらうなずいた。彼はこんな大酒を飲むのは、もっと危険なものと考えていた。そのときフランクフルトの男が歌いだし、みんなが声を合わせると、彼も声を張り上げて歌った。
そのあいだにへやはいっぱいになった。女給仕の手伝いをするために、主人の娘も出て来た。彼女は美しいからだつきの大きな女で、健康そうな元気のいい顔とおちついたトビ色の目を持っていた。
彼女がハンスの前に新しいびんを置いたとき、そばにこしかけていた職人は、さっそくたいそういきなおせじを浴びせたが、娘は耳をかさなかった。その職人にすげないところを見せるためか、あるいはきれいな少年の小さな顔が気に入ったせいか、彼女はハンスのほうを向いて、髪を手早くなでた。そして献立台の中にもどった。
もう三本めにかかっていた職人は娘について行って、彼女と話の花を咲かせようと、極力努めたが、ききめがなかった。大きな娘は冷淡に彼を見て、返事もせず、まもなく背中を向けた。それで職人はテーブルにもどって来、からのびんでこつんこつんたたきながら、突然熱狂して叫んだ。
「景気よくやろうぜ、みんな。杯を合わした!」
そしてこんどはわいせつな女の話をした。
ハンスに聞えるのは、いれまじる濁った声だけだった。二本めのびんがしまいになりかけたころ、ことばがもつれ、笑うのさえ困難になりだした。彼はヤマガラのかごのほうにやっていって、鳥を少しからかおうとした。が、二あし歩くと、目がまわって、あやうく倒れそうだったので、用心ぶかくもどって来た。
そのときから、ハンスのはめをはずした陽気さもしだいにさめだした。酔っぱらったということを知ると同時に、大酒を飲んだことが不愉快になった。さながら遠いかなたでいろんな不吉なことが彼を待ちうけているのが見えるようだった。帰り道だとか、父親との衝突だとか、明日の朝また仕事場に行かねばならぬことだとか。しだいに頭も痛みだした。
ほかのものたちも相当たんのうしていた。ちょっと酔いがさめたときにアウグストは、勘定、といった。一ターレル払って、釣りはいくらも来なかった。がやがや笑いながら、みんなで往来に出ると、明るい夕ばえに目がくらんだ。ハンスはほとんどまっすぐ立つことができず、よろめきながらアウグストにもたれて、いっしょにひっぱって行ってもらった。
よその錠前屋は感傷的になって、「あしたはここを立たねばならず」と、歌いながら、目に涙をためていた。
まっすぐ家に帰るはずだったが、「白鳥軒」に来かかると、職人はここにもはいろうと、言いはった。入り口でハンスは身を振りはなした。
「おれは帰らなくちゃならないんだ」
「おまえはひとりじゃ歩けやしないじゃないか」と、職人は笑った。
「歩けるとも、歩けるとも。おれは――どうしても――帰るんだ」
「じゃ、せめてブランデーを、も一杯やれ。ちび公。一杯やると、立てるようになるし、胃がおさまる。まったくてきめんだよ」
ハンスは手の中に小さいコップを感じた。彼はそれをたくさんこぼした。残りをのみこむと、のどが火のように焼けるのを覚えた。はげしい吐き気に彼は身ぶるいした。ひとり彼は玄関の階段をよろめきながらおりて、夢中で村の外に出た。家やかきねや庭が斜めにもつれて、彼のそばをぐるぐる通り過ぎた。
リンゴの木の下で彼は湿った草地に横になった。さまざまな不快な感情や悩ましい不安やまとまらない考えのため眠ることもできなかった。彼はけがされはずかしめられたような気持ちがした。どうして家に帰れよう? 父親になんといおう? あすは自分はどうなるだろう? 彼はもう永遠に休み、眠り、恥じねばならないかのように、すっかりめいり、みじめな気持ちになった。頭と目が痛んだ。立ち上がって歩き続けるだけの力も、もうなくなっていた。
突然、寄せ遅れたたまゆらの波のように、さっきの歓楽のしぶきがもどって来た。彼は顔をしかめてぼんやり口ずさんだ。
おお、愛するアウグスチーンよ、
アウグスチーンよ、アウグスチーンよ、
おお、愛するアウグスチーンよ、
なにもかもおしまいだ。
歌い終ると、たちまちなにか胸の中がうずき、ばくぜんとした心像や記憶や恥や自責の濁った潮が彼の上に襲いかかった。彼は大声にうめいて、すすり泣きながら草の中に倒れた。
一時間たって、もう暗くなってから、彼は立ち上がって、ふらふらしながらやっとの思いで坂を下った。
息子が夕食に帰って来なかったとき、ギーベンラート氏はさんざんにののしった。九時になっても、まだもどらないので、彼は、長いこと使わなかった強いトウのつえを持ち出した。やつはもうおやじの|むち《ヽヽ》を食わぬ年になった、と思っているかもしれない。帰って来たら、目にもの見るがいい。
十時に彼は玄関の戸に錠をおろした。息子が夜遊びしようというのなら、どこで夜を明かさねばならぬか、見るがいい。
それでも彼は眠らずに、ますます業を煮やしながら、ハンスの手がハンドルをためしてみて、臆病に鈴をひっぱるのをいまかいまかと待っていた。彼はその場面を想像した。ほっつき歩いているやつに、目にもの見せてくれるぞ。たぶんあのごろつきめ、酔いどれているのだろう。だが、きっと酔いもさめるだろう。ならず者の、性悪者の、くたばりそこないめ。きゃつの骨がばらばらになるほど打ちのめしてやらねば!
とうとう彼も彼の憤りも眠さに負けた。
そのころ、そんなに脅かされていたハンスは、もう冷たく静かにゆっくりと暗い川の中を下手に流れていた。吐き気も恥も悩みも彼から取り去られた。暗やみを流れて行く彼の虚弱なからだを、冷たい青みがかった秋の夜が見おろしていた。彼の手や髪や青ざめたくちびるを黒い水がもてあそんだ。夜明け前に獲物をとりに出る臆病なカワウソが、ずるそうに横目を使って、音もなくすべり去って行くのでもなかったら、だれもハンスを見るものはなかった。どうして彼が水の中に落ちこんだか、だれも知らなかった。たぶん道をまちがえて、けわしい場所で足をすべらしたのだろう。あるいは、水を飲もうとして、平衡を失ったのかもしれない。あるいは、美しい水を見て引き寄せられ、その上にかがんだのかもしれない。そして、平和と深い休息とに満ちた夜と月の青白い光が彼のほうをじっと見たので、彼は疲労と不安のためずるずると死の影に引き込まれたのかもしれない。
昼間になってから彼は発見されて、家へ運ばれた。驚いた父親はつえをわきに置き、積り積った憤りを放棄せねばならなかった。彼は泣きもせず、苦痛をほとんど顔にも出さなかったが、あくる晩も寝ずに、ときどき戸のすきまから、ものをいわなくなった子どものほうを見た。清い寝床に横たわっている子どもは相変らず、美しい額と青白い利口そうな顔をして、なにか特別なもので、ほかの人とは違った運命を持つ生来の権利があるかのように見えた。額と両手の皮膚が少し紫色にすりむけていた。きれいな顔はまどろんでいた。目には白いまぶたがかぶさっていた。閉じきっていない口は満足そうに、ほとんど朗らかにさえ見えた。少年は花の盛りに突然折られて、喜ばしい行路から引き放されたような観があった。父親も疲れと寂しい悲しみのうちに、そうしたほほえましい錯覚に打ち負かされた。
埋葬には、会葬の人や物見高い人がおおぜいよって来た。ハンス・ギーベンラートはふたたび有名な人物になって、みんなの興味をひいた。先生たちや校長先生や町の牧師さんもふたたびハンスの運命に関心を持った。彼らはみんなフロックコートを着、おごそかなシルクハットをかぶってやって来、葬列について行き、ささやきあいながら、しばし墓のそばに立ちどまった。ラテン語の先生はとりわけ憂鬱に見えた。校長先生は彼に向って小声でいった。「まったく、先生、あの子はものになったでしょうに。ほとんど例外なく最も優秀な生徒について不運な結果を見るのは、情けないことじゃありませんか」
父親と、ひっきりなしにおいおい泣いているアンナばあやといっしょに、フライク親方が墓のそばに残った。
「ほんとに、こりゃつらいことじゃ、ギーベンラートさん」と彼は同情していった。「わしもあの子をかわいがっていたのじゃ」
「わけがわからない」と、ギーベンラートは溜息《ためいき》をついた。「あれほど生れつきがあって、しかも万事、学校も試験もうまくいったのに――それから急に不幸がつづいたんで」
くつ屋は、墓場の門を出て行くフロックコートの連中を指さした。
「あすこに行く連中も、あの子をこういう|はめ《ヽヽ》に落す手伝いをしたんじゃ」と、彼は小声でいった。
「なに?」と、相手の男は飛び上がって、くつ屋をいぶかしげに驚いて見つめた。「とんでもない。いったい、そりゃどうして?」
「気を静めなさい、ギーベンラートさん。わしはただ学校の先生のことをいったのさ」
「どうして? いったいなぜ?」
「いや、もうなにもいうまい。あんたとわしもたぶんあの子のためにいろいろ手ぬかりをしてきたんじゃ。そうは思いませんかな?」
小さい町の上には、のどかに青い空がひろがっていた。谷には川がきらきら光っていた。モミの山は柔らかくなつかしげに遠いかなたまで青い色を呈した。くつ屋はかすかに悲しげに微笑して、道連れの腕をとった。ギーベンラート氏は、このひとときの静寂と、異様に苦しい、かずかずの物思いとから離れて、ためらいながらとほうにくれたように、暮し慣れた生活の谷間へ向って歩いた。
[#改ページ]
解説
[#地付き]高橋健二
ヘッセの生涯と作品
ふるさとと幼少年時代
ヘルマン・ヘッセは一八七七年七月二日、南ドイツの小さい町カルプに生れた。
(Hermann Hessee ヘルマンのつづりをヘッセ自身はよく Herma・と書いた。カルプは Calw とつづるので、カルヴと発音するのが普通であるのに、カルフとかカルブとか発音させる辞書もある。が、カルプの町役場の文書課長の説明によると、歴史的に例外的にカルプと発音するとのことである。)
「ブレーメンとナポリの間、ヴィーンとシンガポールの間に、私はきれいな町をいくつも見た。……しかし、私の知っているすべての町の中でいちばん美しいのは、ナーゴルト川に沿うカルプだ。シュヴァーベンの黒い森(シュヴァルツヴァルト)の小さい古い町だ」とヘッセ自身言っているように、カルプはたしかにしっとりと美しい町である。森の丘の間を今も澄んだ川が静かに、ところどころで思い出したように音をたてて流れている。少年のころいくどとなく釣りざおを垂れた石橋に比べれば、フィレンツェの大寺院広場もとるに足りない、とさえ彼は言っている。それはヘッセにとっては誇張ではない。彼は幼時の半ばをスイスのバーゼルで暮し、十七歳以後よそに移り住んだので、生地にいた年月は長くはないのに、懐かしさにたえぬように、カルプとその周辺のことをいくどとなく描いている。小さいながら、郡庁があり、よく知られた新教の出版社もある、由緒ある町であるが、季節になると、青くさい干草のにおいや、甘ずっぱいりんご汁のにおいに満たされる。町といなか、文化と自然が一つになって呼吸していた。少年ヘッセはカルプのことといえば、魚の釣れる所でも、不気味な老人の奇癖でも、犬でも、小鳥でも、なんでも知っていた。それが、『車輪の下』や『青春は美わし』等々の作品に独特の雰囲気《ふんいき》をかもし出すことになった。
カルプはヘッセの生れ故郷であるだけでなく、彼の文学のふるさとである。ナーゴルト川からネッカー川にかけてのシュヴァーベン地方は、シラー、ハウフ、メーリケ、ヘルダーリンなど、多くの詩人を産んでいる。ヘッセの詩人的素質もこの風土に根ざしている。そしてその地方の自然と文化とが彼の文学をつちかった。それで郷土を描いた散文作品は、大小四十編に及び、『ゲルバースアウ』という二巻本をなしているほどである。そのほかに、ふるさとにちなむ詩も少なからずある。故郷を若くして離れながら、これほど多彩に故郷を描いた作家は多くはあるまい。ヘッセの場合、ふるさとと幼少年時代は決定的な重味を持っている。
(ゲルバースアウ Gerbersau は、皮なめし匠の里の意味で、皮なめしは当時カルプの主な産業だったので、『車輪の下』を書く時ヘッセの思いついた造語である。同名の作品集はカルプの旧友たちによって一九四九年に出版された。)
幹線から遠く離れたカルプであるが、ヘッセの一家は広い世界につながりを持っていた。父ヨハネス・ヘッセは北ドイツ系のロシア人であった。バルト海のエストランドに生れたが、若くして新教の布教に志し、スイスのバーゼルで研修を受けて、インドで宣教に従った。ヘッセの母マリーは有名な宣教師ヘルマン・グンデルトを父としてインドで生れた。ヘルマン・グンデルトは、南ドイツで「聖書のグンデルト」と呼ばれた牧師の家の出身で、インド学者としてもすぐれていた。詩人の母は初めイギリスの宣教師アイゼンバーグと結婚し、インダス川の奥地で苦難の布教に従事した。夫が病死したので、カルプにもどった父グンデルトのもとで新教の出版社の手伝いをしているところに、やはりインドで病を得て帰って来たヨハネス・ヘッセが、助手としてバーゼルの伝道本部から派遣されて来たので、マリーは三十二歳で、五つ年下のヨハネスと再婚し、詩人を産んだ。
このようにヘッセはドイツ的な詩人的風土に生れながら、世界市民的な血統を受け、東洋に深いつながりを持っていた。それは彼の考え方と文学に大きな作用を及ぼした。とりわけ、祖父ヘルマン・グンデルトはギリシャ語やサンスクリットをはじめたくさんのことばに通じ、キリスト教とインドの宗教を身につけていた。ヘルマン・ヘッセはこの偉大な祖父の神秘的な感化のもとに育った。彼は「魔術師の幼年時代」という自伝的断編の中で、幼いころ何より魔術師になりたいと願ったと書いている。それは祖父を包んでいた魔神的な空気にちなんでいたにちがいない。そして彼はその念願の通り、ことばの魔術師、すなわち詩人になった。
が、森と川を特徴とする故郷の自然と、東西の宗教の融けあった祖父の精神界とを意識的に体験するようになる前に、ヘッセは四歳の時、一家とともにバーゼルに移った。父が布教師としての教育を受けた伝道館で、海外布教の仕事をすることになったからである。そこに、日本のすぐれたキリスト者新島襄も一八八四年(明治十七年)に訪れて来た。七歳のヘッセは、最初に見た日本人ニイシマから強い印象を受けたことを晩年にも感慨ふかく語った。バーゼルはライン河にまたがる古くて新しい文化都市で、やがてヘッセはここで新進作家として世に出たのであるが、この時はまだ町はずれの伝道館で、チョウやタンポポや青空を友として、草原の孤独を味わって育った。内気でいこじで、また激しい子であった。辛抱強い母も、手に負えない子だと嘆きを繰返している。知的にも肉体的にも異常なエネルギーを、ヘルマン自身持てあましていたのである。四歳ころからもう歌のようなものを作って、自分のメロディーで口ずさんでいた。詩人の美しい狂熱がすでに彼の中にうごめいていたようである。それが創作というはけ口を見いだすようになるまで、ヘルマンの混迷は続いたのである。
九歳の時、ヘッセはカルプにもどった。父母が祖父の新教出版事業をまた助けることになったからである。それからの八年間に、彼はふるさとの人と自然から、一生書き続けても書き尽せないほど多くのものを摂取した。多くの喜びと涙と、幸福と不幸と、善と悪と、明と暗とを多感に敏感に体験した。それが『私の幼年時代』『子どもの心』『中断された授業時間』などの短編、『車輪の下』や『デミアン』などの長編に反映している。神聖な牧師の家にも、天使のような子どもの心にも、汚れと罪とが出入りするのを、恐ろしい身震いと同時に好奇的な興味をもって感じとった。それが彼の文学の芽ばえとなった。
神学校脱走前後
祖父や父と同様に新教の牧師になることは、ヘルマンにとっても初めからきまっていたようなものであった。そのためマウルブロン(Maulbronn)の神学校を経て、チュービンゲン大学で神学を修めるというのも、自明なコースであった。官費でその業を終えれば、牧師として尊敬される地位が一生保証されるのであった。だが、アウトサイダーに生れついたヘッセは、その安全確実な道をわれから踏みはずした。しかしその転落と受難によって詩人ヘッセが生れた。
エリートの集まる神学校の入学試験にそなえるため、ヘッセは家を離れ、ゲッピンゲンのラテン語学校(古典語を主とする高校)に転学した。彼があんまりわがままなので、父母は教育的な見地から彼を外に出したのでもあった。厳しいけれど子どもの心理を理解する校長は、反抗的なヘルマンの心をとらえた。勉強のかいあって、彼は入試にパスし、一八九一年九月、マウルブロンの神学校に入った。彼はそこで半年ほどしか勉強しなかったが、大きからぬ池があるほかは、まばらな林と畑との平凡な自然、そして十二世紀以来のロマネスクの高雅な修道院建築、十六世紀にファウスト博士が錬金術を試みて非業の死をとげたと伝えられる不気味なファウスト塔など、マウルブロンでの生活は、ヘッセの心に強烈なものを焼きつけた。『車輪の下』だけでなく、『知と愛』(原題『ナルチスとゴルトムント』)でもマリアブロンとしてここが舞台になっている。最後の大作『ガラス玉演戯』の宗団もマウルブロンを思わせる。にがい別れをしたが、マウルブロンは彼の文学の尽きぬ泉となった。
神学校入学前後のことは『車輪の下』にかなり事実に近く描かれているが、当時の手紙によると、寄宿舎での生活は小説に書かれているよりは楽しかったようである。しかし、「十三の歳から、詩人になるのでなければ、何にもなりたくない」という気持ちがはっきりしていたが、それがだんだん抑えがたくなってくるとともに、学校の詰め込み教育と規則ずくめの寮生活が彼の内心の欲求を抑圧した。それが「内面のあらし」となって爆発した。彼は一八九二年三月七日、神学校から逃げ出した。発作的な行為にすぎなかったが、先生たちから危険人物として白眼視されるようになり、ヘルマンは心身のバランスを失い、不眠症とノイローゼに悩むようになり、結局その五月退学して、数時間離れたボルという保養地で精神療法で知られた牧師のもとにあずけられた。が、借金してピストルを買い、自殺を予告するという異常状態なので、気分転換のため、他の牧師のもとへ、バーゼルの旧知の牧師のもとへと、居を変えた。
ようやくいくらか落ちついたので、その十一月、カンシュタットの高校に転入学した。同級生より二つくらい年長で、古典語ではずばぬけていたが、フランス語や幾何では全く遅れていて、ついていくのが重荷であった。またしても、教科書を売ってピストルを買うという始末で、母をおびえさせた。脱線した生徒はツルゲーネフやハイネを読みふけり、詩だけに唯一の衝動と愛着を感じたが、両親はそれを頼りなく思ったし、自分でも詩才に自信など持ちえず、詩人になる方途を見いだすことができなかった。混迷を重ねたあげく、先生が禁物とする天才的な生徒は、十一カ月の高校生活に終止符を打った。そしてすぐエスリンゲンで本屋の見習い店員になったが、三日で逃げ出して、行くえをくらました。ヘルマンは何をやらせてもだめで、ものになる見込みはなさそうだった。彼自身絶望的になり、憂鬱な歌を作って、自分のふしで歌っていた。この子のため心身をすり減らした母は、その悲しい歌を聞きながら、迷える子のために祈り続けた。母の愛がからくもヘルマンを立ち直らせたのである。自滅する『車輪の下』の主人公に母がないことは、小説と事実との大きなちがいである。
七カ月ほど父のもとで手伝いをしたり、庭仕事をしたりしていたが、母が骨軟化症を病んで苦しんでいるのを見ると、これ以上心配かけるに忍びず、一八九四年六月、十七歳でカルプの町工場の見習い工になった。秀才の神学校生は、同級生より遅れて、歯車みがきを始めた。肉体的に苦しく、精神的にも屈辱であったが、現実の生活は彼を鍛えた。肉体労働をしながら、自家の豊富な蔵書で世界の名作を読破した。詩人には自分の力でなるほか仕方のないことを悟ったのである。模索的な独学は身についた文学修業になった。危険な試行錯誤であったが、この痛烈な悲しい体験がヘッセを詩人にしたのである。新しいものを産み出す詩人の生れ出ずる悩みが、人一倍大きいのは、避けがたいことであろう。
見習い工をしながら、姉から英語を習い、ブラジル移民になることを考えたのをみれば、まだ迷いは続いたが、ヘルマンが絶望的な混迷から立ち直ったことは確かであった。「神がわれわれに絶望を送るのは、われわれを殺すためではなく、われわれの中に新しい生命を呼びさますためである」と、ヘッセは晩年『ガラス玉演戯』に書いている。それはこの少年時代の切実な体験からにじみ出たことばであろう。
詩を作る書店員
町工場の一年三カ月は、心身を鍛えた点でも、職人や実業の世界を知った点でも、むだではなかった。しかしヘルマンはやはり本に生きたかった。新聞への求職広告に反応があったので、工場勤めをやめ、一八九五年十月、遠からぬ大学町チュービンゲンのヘッケンハウアー書店に見習い店員としてはいった。神学校をまともに卒業していたら、その大学で勉強するはずであったが、今は脱線したものとして大学生に本を売る身であった。しかし、そういう劣等感に耐えて、彼は誠実に勤勉に勤めるとともに、ゲーテとロマン派を熱心に読み、詩作も試み、十九歳の時にヴィーンの小さい雑誌に初めて詩を発表した。三年たつと、一人前の店員になり、経済的にも自立できるようになった。二十二の歳には、処女詩集『ロマン的な歌』を自費出版した。同じ一八九九年に、散文の小品集『真夜中後の一時間』を相当な出版社から出し、リルケから認められたが、両方とも五十余冊しか売れなかった。さんたんたるスタートであった。だが、『ロマン的な歌』は間もなく、『山のあなた』の詩人カール・ブッセの認めるところとなり、ヘッセの『詩集』(一九〇二年)が新ドイツ詩人双書に加えられた。
しかし、本を書く店員は店主には目ざわりであった。ヘッセはその秋、バーゼルの古本屋に移った。スイスや北イタリアへの放浪は、自虐的なメランコリーと幻想的な唯美主義から彼を徐々に解放した。新世紀の初めに出した詩文集『ヘルマン・ラウシャー』はチュービンゲン時代の病的な世紀末的に憂鬱なムードを濃くたたえているが、それからの脱却の跡を示してもいる。同時にそこにはもう叙情的で音楽的なヘッセ独特の文体の魅力が現われている。それが、ベルリンの近代文学の代表的出版社フィッシャーの認めるところとなり、一九〇四年に『郷愁』(原題『ペーター・カーメンチント』)がそこから出た。この教養小説は清新な文体とみずみずしい生活感情によって大きな反響を呼んだ。ヘッセは二十七歳で一躍文名を高めた。迷いを重ねたわりには、早い春であった。
第一次大戦を越えて
人気作家になったが、彼はベルリンには行かず、ライン河畔のいなかで、九つ年上の新婚のマリーア(旧姓ベルヌリ)と原始的な田園生活を始めた。行雲流水をともにする日々は豊かな収穫をもたらした。二つの長編、自伝小説『車輪の下』と音楽家小説『春の嵐』(原題『ゲルトルート』)のほか、『青春は美わし』以下たくさんの中短編と、詩とエッセイができた。彼は驚くほど筆まめに書くとともに、カイゼルの独裁政治を批判|諷刺《ふうし》するミュンヒェンの雑誌「三月」の編集者にもなった。
男の子が三人でき、万事好調のようであったが、惰性的な作家生活の倦怠《けんたい》と一種の欧州疲れから、一九一一年の夏出発して暮まで、シンガポール、スマトラ、セイロンに旅した。それが『インドから』という詩文集になった。東南アジアの植民地は彼の沈滞した心を高揚させる由もなかったが、四海同胞的なコスモポリタン意識を強められた。帰国すると、スイスの首府ベルン郊外に移った。ピアニストで芸術家気質のマリーア夫人の鬱病がつのって、家庭は危機に直面した。ヘッセはその苦悩を小説『湖畔のアトリエ』(原題『ロスハルデ』)に書いた。自分の結婚生活の破局を先取りした形である。夫婦の唯一のかすがいだった愛児に死なれ、離婚のはめに陥るが、主人公はあらゆる悲傷を乗り越えて、芸術に生き抜こうとする。この小説が出てから五年たって、ヘッセは現実にそうした決意で生き抜いた。
この小説が出た一九一四年の七月、第一次世界大戦が始まった。十一月にヘッセは『おお友よ、その調子をやめよ!』という評論で、文化人に対し、敵国|憎悪《ぞうお》をあおったり、血迷った戦争讃美をしたりしないように、と訴えた。それは、「愛は憎しみより美しく、理解は怒りより高く、平和は戦争より高貴だ」という人道主義的な調子であったが、ヘッセはたちまちドイツから裏切り者、売国奴として弾劾され、ジャーナリズムから締め出された。彼は窮地に陥ったが、平和主義の立場を繰返した。同時にドイツの捕虜たちを慰問する文庫のために献身的に働いた。同じ主張をし同じように戦争犠牲者のため奉仕をしていたロマン・ロランは、ヘッセに共鳴して、ベルンの家を訪れ、友情を結んだ。それは孤立していたヘッセにとって大きな心の支えとなった。平和と人道の上に立つ二人の親交は、ロマン・ロランが第二次大戦の末期に死ぬまで続いた。後にヘッセの政治的エッセイ集『戦争と平和』はロマン・ロランにささげられ、両人の往復書簡もヘッセの水彩画入りで刊行された。
第一次大戦が終ると、ヘッセは過去の一切を清算し、零点に帰って、本来の自己となるためのきびしい内面への道をたどり始め、問題小説『デミアン』をシンクレールという変名で出した。それは敗戦後の虚脱状態にあったドイツの青年に電撃のような刺激を与え、大きな反響を巻き起した。無名の新人はベルリン市の新人文学賞フォンターネ賞を贈られたが、まもなくヘッセが作者であることが知られ、新人賞は返され、『デミアン』はヘッセ作として出るようになった。母国を友人を収入を家庭を失う苦難を経て、第二のヘッセが生れた。
戦争中の抑圧が除かれて、創作欲がせきを切ったように流れ出した。南スイスのモンタニョーラ(Montagnola)に独居して、強烈な色彩の『クリングゾルの最後の夏』をはじめ、精神分析的手法の異色の中編を続けて書いた。創作童話『メルヒェン』は平和な明るい時代と分裂の暗い苦渋の時期とにまたがっている。しかし、生きるためには何かの慰めが必要である。そのためヘッセは戦争末期から水彩画をかき始めた。文と詩と絵の本『放浪』と『画家の詩』(ともに一九二〇年)は、その収穫で、きびしい自己追究の創作の間の楽しい解放である。
ノーベル文学賞前後
内面への道の頂点は「インドの詩」という副題のある『シッダールタ』(一九二二年)である。釈尊の出家以前の名を借りた物語で、悟りを求める人間の体験があとづけられている。そして花は紅、柳は緑の万象、あらゆるものをあるがままに愛する大きな肯定の境地が志向されている。大戦後の現実社会はしかし国家としても個人としてもますます物質的な利己主義に走り、神を見失い、魂を浮薄にしていった。そうした世界ではヘッセは自分が世間のはぐれもの、アウトサイダーであるのを感じた。ノイローゼと神経痛に悩む彼は、湯治手記『湯治客』や長編『荒野のおおかみ』や限定版詩集『危機』で、現実社会と同時に自分自身の矛盾と醜悪さと虚偽とを痛烈にえぐった。
その間彼は、精神病の高じた妻を離婚し、若い無名の歌手ルート(旧姓ヴェンガー)と結婚した。最初の妻は彼より九つも年長で、二度めの妻は二十歳も年下だというのは、尋常でない。再婚は三年ぐらいしか続かなかった。ルートの与える狂喜と幻滅が歌われている『危機』(一九二八年)には、もうニノン女史も歌われている。諷刺画家ドルビンの妻だったニノンは、やがて離婚して、一九三一年にモンタニョーラの新居でヘッセと結婚した。端麗で理知的で教養の高いニノンはヘッセにとって最良の秘書となり、よりよき半分となった。彼女を道連れとするようになって、それまで不安定だったヘッセは、生活でも創作でも安定し、円熟の境に入った。『知と愛』は、霊と肉とを象徴する二つの魂の反撥と友情の美しい物語である。精神分裂症的な狂躁曲『荒野のおおかみ』に対し、『知と愛』はあたたかい血の通う調和のとれたソナタのようである。
ようやく安定を得た時、ヒトラーの暴政が始まったため、スイス市民ヘッセも無事ではいられなかった。彼は険悪な政治的情勢の中で、真善美や信仰を求める人々が光のふるさとへと巡礼をする超現実的な物語『東方巡礼』を書いたが、その延長として、戦争と雑文文化の二十世紀に対し、高度な精神文化の理想郷を『ガラス玉演戯』に描いた。東西の学芸と英知とを融合させたこの大作は、戦争中ドイツでは出版できず、スイスで細々と刊行されたが、第二次大戦後、一九四六年、ヘッセにノーベル文学賞が贈られる直接の契機となった。
そのほかにも、老ヘッセは幾つもの大きな賞を得たが、痛風や眼病のため、大作を書くことを断念し、小品や詩に滋味ゆたかな人生省察を表現した。とりわけ、多くの読者に「ともに悩むもの」として心のこもった手紙を書き続けた。そして竹やつばきなど東洋の植物を庭に植え、禅に思いを寄せ、生きる術と死ぬ術をきわめる晩年を送った。しかも、最後に、なお一夏一冬の命を期待する生への執着を表白する詩を練り終えた夜、一九六二年八月九日、八十五年の一生を閉じた。
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ヘッセの主要作品(年代順)
『ロマン的な歌』Romantische Lieder. 1899.処女詩集。
『真夜中後の一時間』Eine Stunde hinter Mitternacht. 1899.散文の小品集。
『ヘルマン・ラウシャー』Hermann Lauscher. 1901.(初版は『ヘルマン・ラウシャーの遺稿の文と詩、ヘッセ編』)
『詩集』Gedichte. 1902.後に『青春詩集』Jugendgedichte. 1950.と改題。
『郷愁』Peter Camenzind. 1904.最初の長編で出世作。
『車輪の下』Unterm Rad. 1906.長編。
『春の嵐』Gertrud. 1910.長編。
『インドから』Aus Indien. 1913.インド旅行の手記。
『湖畔のアトリエ』Rosshalde. 1914.長編。
『クヌルプ』Knulp. 1915.長編。
『孤独者の音楽』Musik des Einsamen. 1915.詩集。
『青春は美わし』Schon ist die Jugend. 1916
『デミアン、ある青春の物語、エーミール・シンクレール作』Demian. Die Geschichte einer Jugend von Emil Sinclair. 1919.最初シンクレールという変名で発表されたが、一九二〇年第九版から、ヘッセ作『デミアン、エーミール・シンクレールの青春の物語』Demian. Die Geschichte von Emil Sinclairs Jugend.となった。
『メルヒェン』Merchen. 1919.増補版 1955.創作童話。
『放浪』Wanderung. 1920.手記。文と詩と絵。
『画家の詩』Gedichte des Malers. 1920.絵と詩。
『クリングゾルの最後の夏』Klingsors letzter Sommer. 1920.短中編三つ。
『シッダールタ』Siddhartha. 1922.長編。
『湯治客』Kurgast. 1925.湯治手記。
『絵本』Bilderbuch. 1926.風物印象記、小品。
『ニュルンベルクの旅』Die Nurnberger Reise. 1927.紀行。
『荒野のおおかみ』Der Steppenwolf. 1927.長編。
『観察』Betrachtungen. 1928.評論。
『危機』Krisis. Ein St歡k Tagebuch. 1928.限定版詩集。
『夜の慰め』Trost der Nacht. 1929.詩集。
『世界文学をどう読むか』Eine Bibliothek der Weltliteratur. 1929.レクラム文庫のための世界文学案内であるが、読書論でもあり、のちに「書物の魔力」と「愛読書」が加えられた。
『知と愛』Narziss und Goldmund. 1930.長編。
『内面への道』Weg nach Innen. 1931.小説集。『シッダールタ』と『クリングゾルの最後の夏』との合本。
『東方巡礼』Die Morgenlandfahrt. 1932.中編小説。
『小さい世界』Kleine Welt. 1933.小説集。
『物語集』Fabulierbuch. 1935.寓話、短編集。
『思い出草』Gedenkbl閣ter. 1937.増補版 1950.回顧随想集。
『新詩集』Neue Gedichte. 1937.
『詩集』Die Gedichte. 1942.初めスイスで出た全詩集。
『ガラス玉演戯』Das Glasperlenspiel. 1943.「演戯名人、ヨーゼフ・クネヒトの伝記の試み、クネヒトの遺稿を添えて」という副題のある長編。
『夢の跡』Traumf撹rte. 1945.新しい短編と童話。
『戦争と平和』Krieg und Frieden. 1946.増補版 1949.「一九一四年以後の戦争と政治への観察」。ロマン・ロランにささげられた。
『晩年の散文』Sp閣e Prosa. 1951.幸福論などの感想と小品。
『書簡集』Briefe. 1951.
『ヘッセとロマン・ロランの手紙』Hesse, R. Rolland, Briefe. 1954.
『過去を呼び返す』Beschworungen. 1955.晩年の散文の続編。
『階段』Stufen. 1961.旧詩抄と新詩。
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『車輪の下』について
『車輪の下』(Unterm Rad. 1906. Fischer)初版の時は、ロマン(長編小説)と外来語でしるされていたが、今では Erz撹lung(ドイツ語で、小説、物語)となっている。ヘッセの第二の長編で、自由な文筆家となってからの最初の小説である。日本ではこれがヘッセの作品中最も多く読まれているが、ドイツ語版では、第八位で、全部数は一九七〇年までに二十二万六千部に達した。
ヘッセは、一九〇三年五月半ば、『郷愁』を書き終えると間もなく、バーゼルで写真館を経営していたマリーア・ベルヌリと、彼女の父の反対を押しきって婚約し、古本屋勤めをやめた。『郷愁』が出版されるのは十カ月ぐらいさきのことであり、成功するかどうかは未知数であったが、彼は叙情詩でも散文でも一応認められており、ベルリンの代表的文学出版社フィッシャーから原稿を求められて、『郷愁』を送り、出版契約もしたのであるから、ある程度の自信をもって、婚約に踏みきり、文筆で立つ決意をした。したがって、すぐに第二作を書かなければならなかった。
第二作は、神学校時代を中心とする自叙伝的小説であったので、故郷カルプに帰って、「完全な静寂と孤独」の中でみっしり仕事にかかった。が、シュテファン・ツヴァイクにあてた手紙(一九〇三年十、十一月)には、恋人への手紙の郵便代がかかって困るので、父にこの冬にも結婚したいと願ったが、父にそっけなく断わられたし、自分の詩集にはよい批評は出るが、さっぱり買い手がつかない、と弱音をはいている。『郷愁』は雑誌「新展望」に連載され始めたが、評判が悪ければ、自分はまた店員の職を探すかもしれないと、動揺した心境を表白してもいる。
一九〇四年二月に出た『郷愁』は果然好評だったので、その八月二日バーゼルでヘッセはマリーアと結婚した。その前後に、『郷愁』執筆に縁のあるボッカチオと聖フランシスとの小さい伝記を出した。そんなことで、『車輪の下』ははかどらなかった。結婚して一カ月ほどのち、ライン川上流の農漁村ガイエンホーフェンに移り住んで、電燈もつかない不自由な生活をしのぎながら、新作と取り組んだ。そして『車輪の下』はようやく一九〇五年、「新チューリヒ新聞」と雑誌「クンストヴァルト」に連載された後、翌年、単行本として出た。するとすぐ、ノルウェー語への翻訳の申込みを受けた。『郷愁』もすでにノルウェー語とスウェーデン語で出ていた。フランス語にも英語にも訳されないのに、不思議なことだ、とヘッセは書いている。
第二作も反響を呼んで、ヘッセの文名は確かなものになった。毎日のように、方々の出版者から甘言を寄せられ、無名の著者から本を寄贈され、若者から原稿を送りつけられた。有名になることはこっけいなことだとさえ、彼は友人にあてて書いている。他方、神学校を逃げ出した不心得な少年をかばい、教師を非難する内容を持つ『車輪の下』は、しきりにののしられもした。
『車輪の下』は、事実どおりではないが、主人公ハンスに母親がいないという点、ヘッセは母親によって絶望から立ち直ることができたが、ハンスはその親身な支えがないために自滅してしまうという点、その差を別にすれば、またヘッセの性情と運命が小説では二人の少年に、すなわち魚釣りを愛する素朴な自然児(Naturkind)ハンスと、詩を作る早熟な文芸家(Schugeist)ハイルナーとに分たれているというちがいを別にすれば、だいたい自叙伝的である。
実際に、神学校でも詩を作っていたヘッセは、入学後半年ほどしかたたないころ、一八九二年三月七日、教室に出ないで行くえをくらました。そのいきさつは小説の天才少年ハイルナーの行動にほぼそのまま描かれている。それで結局、放校されたハイルナーほど簡単ではないが、ヘッセは退学を余儀なくされた。しかし、ハイルナーの親友だったため先生たちから白眼視されたハンスが、ノイローゼにかかり、勉学に耐えなくなる経過も、ヘッセの身の上に起ったことである。
うちに帰って憂鬱な日を送った後に見習い工になるハンスより、実際のヘッセは、ずっとひどい混迷を重ね、自殺を考えて二度もピストルを買う始末であったが、見習い工になってからは、意欲的に立ち直っていった。その点は、工場に入っていよいよ沈滞していくハンスと異なっている。それは、ヘッセはつまずきながらも、詩人になりたいという一念を心中に燃やし続け、自然と人生の美しさを感じとり、それを表現し、内部に鬱積していたものを発散させることができたのに、ハンスにはそれができなかったからである。
少年ヘッセが神学校から発作的に逃げ出したについては、まず外的な動機が考えられる。受験勉強時代から、子どもらしい喜びを封じられ、ひたすら知識の詰めこみを強制された。それが神学校でさらに高度な授業ときびしい規則ずくめの寮生活とによって圧迫が加重され、少年の心身のバランスを失わせた。それは小説の主人公ハンスについても同様である。「学校と父親や二、三の教師の残酷な名誉心とが、傷つきやすい子どものあどけなく彼らの前にひろげられた魂を、なんのいたわりもなく踏みにじる……」(『車輪の下』第五章)柔らかい微妙な子どもの心理を理解しない教育の車輪が、無慈悲に子どもを犠牲にする。その点は教育者に反省を促し、問題にされた。特に受験地獄のひどい日本では、被害者である若い人がこの小説にひとごとでないものを感じるのであろう。
その点について、晩年のヘッセは「私はあの成長期の危機を描き、その記憶から自分を解放しようと思った。……私は、学校、神学、伝統、権威などの力、すなわち、ハンス・ギーベンラートが屈服し、私自身もかつてほとんど屈服しそうになったあの力に対して、いささか弾劾者、批判者の役を演じた」と「過去とのめぐり合い」(Begegnungen mit Vergangenheit. 1953)に書いている。もっとも、彼は、この生徒小説を書いた時は、題材をこなすのに十分成熟していなかったので、部分的にしか成功していないことを認めている。
だが、ヘッセの場合はさらにむずかしい要素があった。彼はこの小説執筆の二十年後、「自伝素描」(Kurzgefasster Lebenslauf. 1925 )に次のように書いている。「学校時代の初め、私はよい生徒で、少なくともクラスの最上位をいつも占めていた。一個の人格になるべきものなら、必ずぶつからなければならない戦いが始まるとともに、初めて私はしだいに学校と衝突しだした。二十年たって、ようやく私はあの戦いの意味を理解した。……事情はこうだった。つまり、十三歳の年から私には、自分は詩人になるか、でなければ、何にもなりたくないという一事が明らかになった。だが、この明確さに、しだいに別な苦痛な認識が加わってきた。」
別な苦痛な認識というのは、詩人を養成する機関のないことであった。他の職業には、音楽家や画家になるにも、学校や施設があったが、詩人になることを教えるところはなかった。詩人にしかなりたくないと思っても、その詩人になる道がわからなかった。詩人であることは名誉とされ、教科書で讃美されたが、詩人になろうとするものは、うさん臭いものと軽蔑《けいべつ》された。ヘッセも、ほかに道がないので、やむなく神学校にはいったが、その内的な欲求不満と外的な抑圧が、ついに「内面のあらし」を巻き起して、脱走となった。少年ヘッセの中には、シェークスピアのいわゆる美しい狂熱(Fine frenzy)がうず巻いていた。美しい狂熱はひとを詩人にするが、狂人にもする恐ろしい力である。ヘッセはそれにとりつかれていた。それを創作として実りある形に発散させることができるようになるまでは、どうしようもない混迷が続いた。
小説のハイルナーは美しい狂熱にとりつかれたが、彼なりに、はけ口を見いだした。ハンスには、その狂熱はなかったが、心中の鬱積を発散させることもできなかった。そのためノイローゼにかかり、年少で早くも生の倦怠《けんたい》 (taedium vitae) に悩んだ。思春期の動揺しやすく傷みやすい少年が、そういう厭世的な疲れに襲われるのは、珍しいことではない。それは人間的な悩みであって、同情すべく、とがめるべきではない、と老ゲーテは、若いヴェルテルの悩みのころを回顧して言っている。
ヘッセの場合も、小説のハンスの場合も、先生たちは、教育の熱意と善意を持っていたであろうが、少年の生の倦怠に理解を持とうとはせず、そういう少年を危険な伝染病にとりつかれたもののように厄介払いしようとした。『車輪の下』ではそれが糾弾されている。つぼみのように抵抗力のない少年に思いやりを持たないものに、非難が加えられるのは当然である。ハンス少年は純真な自然児である。それがゆがめられ、ひしがれてしまったのは、おとなの責任である。ヘッセ自身も、脱走後なにをやらせてもだめで、どの学校もおいてくれなかったが、そういう時でも、自分によい天分とある程度誠実な意志のあることを認めてくれる人がいくらもいた、とヘッセは「自伝素描」の中で述懐している。それを認めてくれようとしなかった学校に、ヘッセがいわゆるルサンチマン(怨恨。弱者が強者に対して抱く内攻的な復讐心)を持ったことはまぎれもない。しかし、ヘッセも年へた後には、マウルブロンの神学校時代をなつかしみ、その思い出をさまざまな形で美しく書きとめている。
ヘッセにとって悪夢のようだった神学校生活の一面を作品に吐き出して、心の傷痕《きずあと》を洗う必要があった。しかし、ふるさとやマウルブロンの描写には、すぐれて美しい魅力がある。試験を終えたあと、ハンスが草いきれのする夏の野原で上気しながらばったをつかまえる時、無心に釣糸を垂れる時、少年はどんなに子どもらしく生き生きとすることであろう。このひたむきな少年の悲しみと喜び、神学校の生徒たちのほほえましいユーモラスな群像、それらはこの生徒の悲劇を愛すべき物語にしている。
(一九七五年十月)
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年譜
一八七七年(明治十年)七月二日、ヘルマン・ヘッセ、南独シュヴァーベンのカルプに生れる。
一八八一年(明治十四年)四歳 一家、スイスのバーゼルに移る。父母は海外布教師の指導をする伝道館の仕事に従った。
一八八四年(明治十七年)七歳 新島襄がバーゼルの伝道館にヘッセの両親を訪れる。
一八八六年(明治十九年)九歳 一家、カルプにもどる。
一八九〇年(明治二十三年)十三歳 神学校受験のため、ゲッピンゲンのラテン語学校にはいる。
一八九一年(明治二十四年)十四歳 七月、マウルブロンの神学校の入学試験に合格。九月、入学。
一八九二年(明治二十五年)十五歳 三月、神学校を発作的に逃げ出す。五月、退学。精神療法をする牧師のもとにあずけられたが、神経衰弱のため、自殺未遂。バーゼルの伝道館にあずけられる。十一月、カンシュタットの高校にはいる。
一八九三年(明治二十六年)十六歳 十月、高校を退学。同月末、エスリンゲンで本屋の見習い店員となったが、三日で逃げ出す。カルプに帰り、牧師である父の仕事を手伝う。
一八九四年(明治二十七年)十七歳 カルプの町工場の見習い工となる。
一八九五年(明治二十八年)十八歳 十月、大学町チュービンゲンのヘッケンハウアー書店の見習い店員となり、ようやく落ちつく。詩や散文を書く。
一八九九年(明治三十二年)二十二歳 『ロマン的な歌』『真夜中後の一時間』刊行。秋、バーゼルのライヒ書店に移る。
一九〇一年(明治三十四年)二十四歳 第一回のイタリア旅行(フィレンツェ、ラヴェンナなどへ)。『ヘルマン・ラウシャーの遺稿の文と詩』刊行。
一九〇二年(明治三十五年)二十五歳 『詩集』を刊行、母にささげたが、母はその直前に死んだ。
一九〇四年(明治三十七年)二十七歳 『郷愁』をベルリンのフィッシャー社から刊行。一躍文名を高める。翌年、これでヴィーンのバウエルンフェルト賞を受ける。マリーア・ベルヌリと結婚。
一九〇六年(明治三十九年)二十九歳 『車輪の下』刊行。
一九〇七年(明治四十年)三十歳 『この岸』を刊行、妻にささげる。この年から一九一二年までヘッセは雑誌「三月」の共同編集者になり、初稿の多くをこれに発表する。自分の家を建てる。
一九一〇年(明治四十三年)三十三歳 『春の嵐』刊行。強心剤の研究で有名な医者アルベルト・フレンケルと親しみ、その記念にサナトリウムの手記『平和の家』を書く。
一九一一年(明治四十四年)三十四歳 『途上』刊行。盛夏から年末まで、シンガポール、スマトラ、セイロンを旅行。
一九一二年(大正元年)三十五歳 スイスの首府ベルンの近くに移り、死去したばかりの画家ヴェルティの家を借りる。『まわり道』刊行。
一九一三年(大正二年)三十六歳 『インドから』刊行。
一九一四年(大正三年)三十七歳 『湖畔のアトリエ』刊行。第一次世界大戦がはじまると、ヘッセはドイツ国民兵としてベルン領事館で査閲を受けたが、兵役は免ぜられ、ベルンの捕虜保護機関のために働き、ドイツ捕虜の慰問のため献身的に奉仕。十一月、「新チューリヒ新聞」に評論『おお友よ、その調子をやめよ!』を寄稿。
一九一五年(大正四年)三十八歳 『クヌルプ』『孤独者の音楽』刊行。八月、ロマン・ロラン来訪。平和主義をとなえたため、ドイツで売国奴のように非難され、新聞雑誌からボイコットされた。
一九一六年(大正五年)三十九歳 父の死。カルプに帰郷。妻の精神病悪化と入院。ヘッセ自身もノイローゼにかかり、精神病医ラングの治療を受け、ルツェルン郊外の保養所にはいる。『青春は美わし』刊行。
一九一九年(大正八年)四十二歳 『デミアン』をシンクレールという変名でフィッシャー社から刊行。翌年九版からヘッセ作とした。新人シンクレールに贈られたベルリンのフォンターネ賞を返す。『メルヒェン』刊行。南スイスのルガーノの郊外モンタニョーラにひとり住む。水彩画をかき始める。
一九二〇年(大正九年)四十三歳 『放浪』『画家の詩』『クリングゾルの最後の夏』刊行。
一九二二年(大正十一年)四十五歳 『シッダールタ』刊行。
一九二三年(大正十二年)四十六歳 正式に離婚。この年からヘッセは毎年晩秋、チューリヒに近い温泉バーデンで座骨神経痛とリューマチス治療のための湯治、十年にわたる。国籍上、スイス国民となる。
一九二四年(大正十三年)四十七歳 一月、ルート・ヴェンガーと結婚。
一九二五年(大正十四年)四十八歳 『湯治客』刊行。この年から、ヘッセの著作は「単行本の著作集」の形で体裁をそろえ、フィッシャー社から出はじめた。秋、南ドイツを朗読旅行し、ミュンヒェンにトーマス・マンを訪問。
一九二六年(昭和元年)四十九歳 『絵本』刊行。プロイセンの文芸院の在外会員に選ばれる。
一九二七年(昭和二年)五十歳 『ニュルンベルクの旅』『荒野のおおかみ』刊行。ルートを離婚。
一九二八年(昭和三年)五十一歳 『観察』『危機』刊行。
一九二九年(昭和四年)五十二歳 『夜の慰め』刊行。『世界文学文庫』(『世界文学をどう読むか』)をレクラム文庫のために書いて刊行。
一九三〇年(昭和五年)五十三歳 『知と愛』刊行。プロイセンの文芸院から脱退。
一九三一年(昭和六年)五十四歳 『内面への道』(『シッダールタ』等四編を含む)刊行。夏、十二年間住んだカサ・カムッチの家から、友人ボードマーの建ててくれた家に移る。ニノン女史と秋に結婚。
一九三二年(昭和七年)五十五歳 『東方巡礼』刊行。ゲーテの死の百年祭にちなみ、『ゲーテへの感謝』を発表。
一九三三年(昭和八年)五十六歳 『小さい世界』刊行。ヒトラー政権成立。
一九三五年(昭和十年)五十八歳 『物語集』刊行。
一九三六年(昭和十一年)五十九歳 スイス最高の文学賞ゴットフリート・ケラー賞を贈られる。
一九三七年(昭和十二年)六十歳 『思い出草』を姉妹弟にささげて刊行。『新詩集』刊行。
一九三九年(昭和十四年)六十二歳 第二次世界大戦はじまる。ドイツでは「好ましからぬ作家」ヘッセの本に紙の割当てがとめられる。
一九四一年(昭和十六年)六十四歳 ヘッセの本がスイスで刊行されはじめる。
一九四二年(昭和十七年)六十五歳 『詩集』(これまでの詩の全集)をスイス版著作集として刊行。
一九四三年(昭和十八年)六十六歳 『ガラス玉演戯』二巻本として出る。
一九四五年(昭和二十年)六十八歳 第二次大戦おわる。『夢の跡』刊行。
一九四六年(昭和二十一年)六十九歳 『戦争と平和』を刊行、四四年に死んだロマン・ロランにささげられた。ゲーテ賞とノーベル文学賞を贈られる。ヘッセの著作は、ドイツでもフィッシャー社の後身ズールカンプ社から出るようになった。
一九四七年(昭和二十二年)七十歳 ジッド来訪。ベルン大学から名誉博士の称号を贈られる。カルプ市の名誉市民になる。
一九五〇年(昭和二十五年)七十三歳 ラーベ賞をブラウンシュヴァイク市から贈られる。
一九五一年(昭和二十六年)七十四歳 『晩年の散文』『書簡集』刊行。
一九五二年(昭和二十七年)七十五歳 七十五歳の記念の催しがドイツ、スイスの各地で行われた。六巻の『ヘッセ全集』、ズールカンプ社から刊行。
一九五四年(昭和二十九年)七十七歳 『ヘッセとロマン・ロランの手紙』刊行。ホイス西独大統領からプール・ル・メリト勲章を贈られる。
一九五五年(昭和三十年)七十八歳 ドイツ書籍業の平和賞を贈られる。『過去を呼び返す』刊行。
一九五六年(昭和三十一年)七十九歳 ヘルマン・ヘッセ賞が西独カールスルーエ市に設けられる。
一九五七年(昭和三十二年)八十歳 ズールカンプ社版の『ヘッセ全集』に、『観察』『書簡集』などを収めた第七巻が増補される。
一九六一年(昭和三十六年)八十四歳 『階段』刊行。
一九六二年(昭和三十七年)八十五歳 八月九日、モンタニョーラの自宅で永眠。近くの聖アボンディオ教会墓地に葬られる。年末、ズールカンプ社のウンゼルト編『ヘッセの思い出に』が知友に贈られる。
一九六五年(昭和四十年)『遺稿からの散文』が出る。
一九六六年(昭和四十一年)未亡人ニノン・ヘッセの死。
[#地付き]高橋健二 編