ガラス玉演戯(下)
ヘルマン・ヘッセ/高橋健二訳
目 次
第九章 対話
第十章 準備
第十一章 回章
第十二章 伝説
ヨーゼフ・クネヒトの遺稿
生徒時代と学生時代の詩
三つの履歴書
雨ごい師
ざんげ聴聞師
インドの履歴書
あとがき
[#改ページ]
第九章 対話
われわれの伝記の試みは、名人の生活が最後の数年間にとげた発展に、もっぱら目を注ぐべき点に到達した。その発展は、彼が職を離れ、州を去って、別の生活圏に移り、一生を閉じるところに及ぶのである。辞任の瞬間まで彼は模範的な忠実さで職務を執行し、最後の日まで弟子や協力者の愛と信頼を受けていたが、彼の職務執行の叙述を続けることは、断念する。彼は心の底ではこの職に飽き、他の目標に向っていたからである。この職が彼の力の発揮に与えた可能性の範囲を彼はすでに歩きつくして、偉大な人物が伝統と秩序への服従の道を離れ、名づけがたい最高の力を信頼して、新しい、まだ前人によって示されたことも生活されたこともないことを試み、その責任を負わねばならぬような地点に、彼は達していた。
それを自覚すると、彼は、自分の位地と、この位地を変える可能性を、慎重に冷静に検討した。天分のある野心の強いカスターリエン人が、希望し追求するに値すると考える高い地位に、クネヒトはなみはずれて若い年齢で達した。しかも、野心や苦心によってそこに達したのではなく、努力せず、順応しようとせず、ほとんど不本意にそうなったのであった。人目にたたない、独《ひと》り立ちの、官職の義務に縛られない学者の生活のほうが、彼の本来の願いにより多くかなっていたであろう。官位と同時に高貴な財貨や権限が彼のものになったが、彼は、すべてを同じように高く評価したわけではなく、それらの栄誉や権限のあるものは、就任後まもなくもう、なくもがな、と思われたくらいである。特に、最高官庁で政治上行政上の仕事に関与するのを、彼は常に重荷に感じていた。だからといって、もちろん良心的にそれに従うことを、少しでも怠ったわけではない。彼の地位の最も本質的な特徴的な独特な任務、すなわち、完全なガラス玉演戯者の精華の育成も、ときとしては大いに彼を喜ばせたし、彼らも自分らの名人を非常に誇りとしてはいたが、これも長いあいだには楽しみよりも重荷になったらしい。彼を喜ばせ満足させたのは、教授と教育であった。それにつけても、生徒が若ければ若いほど、喜びも成功も大きいという経験をしていたので、彼の職務がら、彼のところに来るのが子どもや少年ではなくて、青年やおとなばかりであるのを、物足りぬ不如意なことと感じた。その他にも、名人の地位について、年を経るうちに、いろいろな考慮や経験や見解が、自分の活動とワルトツェルの状態に対し自分を批判的な気分にしたり、自分の職務は自分の最上の最も実り豊かな能力の発揮にとって大きな障害である、と感じさせたりした。その中には、われわれのだれでもが知っていることもあれば、推測するにすぎないこともある。名人クネヒトが職務の重荷から自由になろうと努力し、もっと地味であるがもっと張りのある仕事を願い、カスターリエンの状態を批判したことが、本来正しかったかどうか、彼を促進者で果敢な闘士と見るべきか、それとも一種の反逆者または脱走兵と見るべきかどうか、この問題もそっとしておこう。それは十二分に討論された。それに関する論争はしばらくのあいだワルトツェルを、いや、州全体を二つの陣営に分裂させ、まだすっかりおさまってはいない。われわれは偉大な名人に感謝と尊敬をささげるものであることを表白するが、いずれかに態度をきめようとは思わない。ヨーゼフ・クネヒトの人格と生活に関する意見と判断の戦いの総合は、とっくに形成されようとしている。われわれは判定したり、改宗させたりしようとは思わない。できるだけ真実に、尊敬する名人の最後の物語を語りたい。ただそれは本来、物語ではない。むしろ伝説、報告と呼びたい。それには、ほんとの報道と、単なる風説で、明らかな出所や明らかでない出所から流れ寄ってきてわれわれ州の後進のあいだに流布《るふ》しているものとが、まじっているのである。
外部への道を探求しようという考えをヨーゼフ・クネヒトがすでにいだき始めたころ、彼は思いがけず、青年時代親しくしたことがあったがそののち半ば忘れていた人物、つまりプリニオ・デシニョリに再会した。州に功績のあった旧家のむすこで、かつて聴講生であったが、今は代議士としてまた政治文筆家として有名な人物になっていた彼が、思いがけず、ある日、公人の資格で州の最高官庁に現われた。つまり、数年めごとに行われるように、カスターリエンの財政監督政府委員会の改選が行われて、デシニョリはこの委員会の一員に選ばれたのであった。ヒルスラントの宗団本部の建物で行われた会議に、彼がこの資格で初めて現われたとき、ガラス玉演戯名人も出席していた。この再会は彼に強い印象を与え、のちまで影響を及ぼした。それについてわれわれはテグラリウスを通し、さらにデシニョリ自身を通して、いろいろのことを知っている。デシニョリは、名人の生涯中、われわれには十分明らかにならないこの時期に、やがて再び名人の友人、いや、親友となったのである。幾十年も忘れていたのち初めて再会した際、委員長は、新しく構成された国家委員会の人々を名人たちに紹介した。クネヒト名人はデシニョリの名を聞くと、はっと驚いた。いや、恥じ入った。長年会わなかったとはいえ、青年時代の仲間を一目で見わけることができなかったからである。さて彼は、改まったお辞儀とあいさつのきまり文句をかまわずに、打ちとけて、手をさしのばしながら相手の顔を注意深く見つめ、どういう変化のために、この顔は旧友でさえ見それるようになったのか、探ってみようとした。会議中も、彼の目はしばしば、かつてあんなに親しんだ顔に注がれた。それはそうと、デシニョリが、あなたと言い、名人の称号で呼びかけたので、名人は二度も頼んで、やっと相手に、昔の呼びかけを用い、再び君と呼ぶように、決心させることができた。
クネヒトが知っていたプリニオは、激情的で、朗らかで、話し好きで、輝かしい青年であった。りっぱな生徒であると同時に、若い社交家で、世間にうといカスターリエンの青年に対し優越感を持ち、たびたびおもしろ半分に彼らを怒らせた。虚栄心がなかったとは言えないが、ざっくばらんなたちで、こせこせせず、たいていの同年輩のものにとって興味があり、魅惑的で、愛すべき男であった。いや、ある人々にとっては、その美しい容姿や、しっかりした挙措や、聴講者として世俗の子としての彼を包んでいる異国人の香気の力で、まぶしく感じられるほどだった。幾年か後、学生時代の終りころ、クネヒトは彼と再会した。そのときは、彼は平凡に粗野になって、以前の魅力をまったく失っているように見え、クネヒトを失望させた。それで、戸惑いして、冷たく別れたのだった。今また彼はまったく別人になっていた。何よりも若さと快活さ、語ったり議論したり意見を交換したりする喜び、積極的に働きかける外向性を、まったく脱却するか、失うかしたようだった。今また再会したとき、旧友の注意を促そうとせず、自分から先にあいさつもしなかったように、また、名のり合った後、名人に君と呼びかけず、熱心にそう促されてやっと不承不承それに応じたように、彼の態度やまなざしや話しぶりや顔つきや動作にも、昔の攻撃心や率直さや感激性のかわりに、抑制もしくは沈滞が現われていた。控えめにし、遠慮していた。一種の禁制、あるいはけいれん、あるいはひょっとしたら、疲労にすぎなかったかもしれない。青春の魅力がその中でおぼれて消えてしまっていたが、それに劣らず、浅薄さとあまりに粗野な世俗さもまた、もはやなくなっていた。この男全体が、何よりも彼の顔が今は、部分的には破壊され、部分的には高貴にされて、苦悩の表情を現わしていた。ガラス玉演戯名人は、議事を追いながら、注意の一部を絶えずこの人物に注ぎ、この活気のある美しい楽天的な人間をこんなに支配し、こんなふうにしてしまったのは、いったいどんな苦悩だろうと、いやおうなしに考えさせられた。彼の知らない無縁な悩みらしかったが、探求しようと考えこめばこむほど、この悩んでいる男に対する同情と関心にいっそう深く引きつけられるのを感じた。いや、この同情と愛とには、このひどく悲しそうに見える青春の友に対し、自分にも何か罪がある、何か彼に償いをしなければならない、とでもいった感じが、かすかに働いていた。プリニオの悲しさの原因についていろいろと推測し、それをまた放棄したあげく、浮んだ考えは、この顔に現われている苦悩は、卑俗な性質のものではなく、気高い、おそらくは悲劇的な苦悩であって、彼の表情は、カスターリエンでは知られていない種類のものだ、というのであった。類似の表情を時折り、カスターリエン人でない世俗の人の顔に見たことを、彼は思い出した。もちろんこれほど強く、人を引きつけるようにではなかった。過去の人間の肖像にも、感動的な半ば病的で半ば運命的な悲しみや孤立や寄るべなさの読みとられる学者や芸術家たちの肖像にも、類似のものが現われているのを、彼は知っていた。名人は、表情の秘密に対してはきわめて繊細な芸術家の感情を、性格に対しては敏感な教育家の感情を持っていたので、ずっと前からすでにある種の人相学上の特徴を心得ていた。それを一つの体系にしたわけではないが、それを本能的に信じていた。それで彼にとってはたとえば、笑いや微笑や朗らかさにも、特にカスターリエン的な種類と、特に世俗的な種類とがあり、同様に特に世俗的な種類の苦悩や悲しみがあった。この世俗の悲しさがデシニョリの顔には認められる、と思った。しかも非常に強く純枠に現われていたので、この顔は、多くのものの代表であり、多くのものの秘密の苦悩と病を表現する使命を持ってでもいるようであった。クネヒトはこの顔によって不安にされ、心を動かされた。失った友を俗世が今ここへ送ってよこしたこと、プリニオとヨーゼフが、かつて生徒の論戦においてしたように、今実際に、権能をもって、ひとりは俗世を、他は宗団を代表しているのは、彼には単に意義深いというだけでなかった。俗世が、この孤独な、悲哀に曇っている顔を通して、笑いや生の享楽や権力に対する喜びや粗野などではなくて、苦しみと悩みとをカスターリエンに送ってきたことは、さらに重要で象徴的であるように思われた。デシニョリがクネヒトを求めようとするよりむしろ避けようとするらしく、やっと徐々に大きな抵抗をしながら、言うことをきいて、彼に心を開いたのも、彼を考えさせはしたが、少しも不快には思われなかった。それはそうと、もちろんそれはクネヒトにとって助けになったことであるが、この学校友だちは、親しくカスターリエンで教育を受けており、カスターリエンにとってきわめて重要な委員会の委員として、これまでに経験したことがあるように、取り扱いにくい、気むずかしい、悪意さえいだいている委員ではなくて、宗団の尊敬者、州の後援者のひとりであって、州のためにいろいろと奉仕することができた。もっとも、彼はガラス玉演戯は久しい前から断念していた。
どういうふうにして名人が徐々に友人の信頼を再び得たかを詳しく報告することは、われわれにはできないだろう。名人の静かな朗らかさとやさしいいんぎんさを知っているものは、めいめいその人なりにそれを想像してみるがよい。クネヒトはプリニオの友情を求めてやまなかった。名人が真剣にそうしたとすれば、だれが長くそれに逆らうことができただろう?
とうとう、あの最初の再会後数カ月たってから、デシニョリは、ワルトツェルを訪ねるように、再三なされた招待を受諾した。ふたりは曇った風のある秋の午後、光と影の絶えず去来する地方を通って、彼らの生徒時代と友情の思い出の地へ向って行った。クネヒトは朗らかに落ちついていたが、同行する客は、静かにしているものの、落ちつかず、再会の喜びと疎遠になった悲しみとのあいだをせわしく行き来していた。それは日なたと影とのあいだにちらつく空漠《くうばく》とした野原に似ていた。集落の近くで彼らは下車し、生徒のときいっしょに歩いたことのある昔の道を徒歩で行きながら、級友や先生たちのことや、あのころ交わした対話の数々を思い出した。デシニョリは一日だけ、クネヒトの客となった。クネヒトは客に、一日じゅう自分の職務行為や仕事に参観者として終始同席させると約束したのであった。その日が終ると――客は翌朝未明に出発したいと言っていた――ふたりきりでクネヒトのへやにひざをまじえてすわり、また昔の親しさに近い気分に浸った。一時間一時間と名人の仕事を観祭することのできた一日は、客に大きな印象を与えた。その晩ふたりのあいだに行われた対話を、デシニョリは帰郷後すぐ書きとめた。それは部分的には重要でないものを含んでいるとしても、またわれわれの冷静な叙述を中断し、読者を妨げることになるとしても、彼が書きとめたとおりに伝えたいと思う。
「ずいぶんいろいろのものを君に見せるつもりでいたが」と名人は言った。「今度はそういかなかった。たとえば、ぼくの美しい庭を見せるつもりだった。トーマス名人の『名人庭園』と植物とをおぼえているかい?――そうだ、そんなふうにほかにまだたくさんある。いずれその機会があるだろう。いずれにしても、君は昨日からいろいろな思い出を再検討することができ、ぼくの職務と日常がどんな性質のものかについても、観念を得たわけだ」
「それに対して感謝するが」とプリニオは言った。「君たちの州が本来何であるか、どんな不思議な大きな秘密を持っているかを、ぼくはきょう初めてまたほのかに感じ始めた。もっともぼくはここから遠ざかっていた年々のあいだも、君が予想するよりずっと多く君たちのことを考えていたのだよ。君はきょう君の職務と生活とをのぞかしてくれた。ヨーゼフ、これが最後じゃあるまいね。ここで見たこと、きょうはまだ話せないことについて、もっとたびたび話し合おう。それに対して、君の信頼がぼくにも義務を負わせることを、ぼくは十分感じているし、ぼくがこれまで口をつぐんできたことが、君にけげんの念を起させているに違いないことも、ぼくはよく知っている。そこで、君も一度ぼくを訪問し、ぼくが住んでいるところを見てくれたまえ。きょうはその話はごく少ししかできない。ぼくについて君に見当がつく程度しか、話せない。ぼく自身にとっても、話すことは、恥ずかしくもあり、罰でもあるのだが、いくらか心が軽くなることであるかもしれない。
君も知ってのとおり、ぼくは、この国に功労があり、君たちの州と親交のある旧家の出身だ。地主で上級の役人を勤める保守的な家族のものだ。だが、見たまえ、こう簡単に言っただけで、もうぼくは、自分を君から隔てるみぞの前に立つのだ! ぼくは『家族』と言う。それで何か簡単な、自明な、明白なものを示すつもりだが、果してそうだろうか。君たちの州のものは、宗団と聖職制度を持っているが、家族を持ってはいない。家族や血や素姓が何であるかを君たちは知らない。家族と呼ばれるものの隠れた大きな不思議な力を、少しも知らない。せんじ詰めれば、われわれの生活を表現する大部分のことばや概念もおそらくそうなのだ。つまり、われわれにとって重要なものは大部分、君たちにとっては重要でない。君たちにはまったくわからないものも、非常に多い。そうでないものは、君たちのところでは、われわれのところとは、まったく別な意味を持っている。そこでお互いに話し合わなければならない。見たまえ、君がぼくと話す場合、まるで外国人がぼくに話しかけているようだ。どっちみち外国人なんだが、そのことばをぼくは少年時代に学び、自分でも話したから、たいていはわかる。しかし、逆の場合はそうはいかない。ぼくが君に話しかけると、君は、聞くことばの表現は半分しか知らず、その色合いや振動は全然知らない。君のとは別な存在形式を持った人間生活の物語を、君は聞くわけだ。君が興味を持つようなことがあろうと、大部分は君には無縁で、せいぜい半分しかわからない。ぼくたちの学校時代さかんにやった論争や対話をおぼえているね。ぼくの側からいえば、それは、君の州の世界とことばをぼくのそれと調和させようとする試み、多くの試みの一つにほかならなかったのだ。ぼくがそういう試みを企てる相手にした人たちの中で、君はいちばん親しみやすく、好意的で正直だった。君はカスターリエンの権利を勇敢に擁護したが、ぼくの別な世界と権利に対しても無関心ではなく、それを軽視するようなことはなかった。ぼくたちはあのころかなりお互いに近づいた。その話はまたあとでしよう」
彼がちょっと考えこんで口をつぐんだので、クネヒトは用心深く言った。「理解できないというのは、そんなに悪いことではあるまい。確かに、二つの国民と二つのことばは、同じ国民とことばに属するふたりの個人ほど、すらすらと隔てなく心をかよわせ合うことはできないだろう。しかし、だからといって、了解と伝達を断念せよという理由にはならない。国とことばを同じくするもののあいだにも、完全な伝達と完全な相互理解を妨げる柵《さく》がある。教養とか、教育とか、天分とか、個性とかいう柵がある。地上の人間はみな原則的にだれとでも心を打ち明け合うことができる、と主張できる。また、世界には、真の、すきまのない、親密な伝達や了解が相互のあいだに可能であるような、ふたりの人間はまったく存在しない、と主張することもできる。――この主張はどちらも真実だ、それは陰陽、昼夜で、双方とも正しい。われわれは時々双方を想起しなければならない。ぼくたちふたりがいつか互いに完全にのこりなく理解し合うことができるとは、ぼくだってもちろん信じない。その範囲では君の正しいことを認める。君が西洋人で、ぼくはシナ人で、異なったことばを話すとしよう。それでも、善意を持っているかぎり、互いに非常に多くのことを伝達し、さらに精確に伝達できることを越えて、非常に多くのことを互いに推量し、推察することができるだろう。いずれにしても、それを試みようじゃないか」
デシニョリはうなずいて、話し続けた。「ぼくはまず、ぼくの境遇についてだいたいの観念を持つために君が知らなければならないわずかのことを語ろう。まず家族というものがある。それを認めようが認めまいが、若い人の生活においては、最高の力だ。ぼくは、君たちの英才学校の聴講生であったあいだは、家族と折合いよくやっていた。一年じゅうぼくは君たちのところで手厚い待遇を受け、休暇にはうちでちやほやされ、甘やかされた。ぼくはひとりむすこだった。母親には、やさしいというよりは情熱的な愛着を寄せていた。彼女から別れることが、旅立つごとにぼくの感じた唯一の苦痛だった。父親とは、それより冷たいが、やはり打ちとけた関係にあった。少なくとも、ぼくが君たちのもとですごした少年時代、青年時代を通じてそうだった。父は昔からカスターリエン讃美者で、ぼくが英才学校で教育され、ガラス玉演戯のような崇高なものに通じているのを、得意にしていた。故郷ですごす休暇中の滞在は、ほんとににぎやかなお祭り気分のことが多かった。家族とぼくとは、いわば互いに晴れ着姿でだけ知り合っていたようなものだ。そんなふうに帰省するときぼくはよく、そういう幸福をまったく知らない君たち居残り組を気の毒に思ったものだ。あのころのことをあまり話す必要はない。君はぼくを、ほかのだれよりもよく知っていた。ぼくはほとんどカスターリエン人だった。少しばかり世俗の喜びを知り、粗野で、軽薄であったかもしれないが、幸福な自負に満ち、胸をはずませ、感激しやすかった。それはぼくの一生の最も幸福な時代であった。もちろんそのときはそう思いはしなかった。なにしろあのワルトツェル時代ぼくは、君たちの学校を出て帰郷し、君たちのところで身につけた優秀さによって故郷の世界を征服するときこそ、自分の一生の幸福を得、頂点に達するのだ、と期待していたのだ。ところが、案に相違して、君から別れた後、ぼくにとっては対決が始まり、それが今日まて続いている。その戦いでぼくはついに勝利者にならなかった。もどってきてみると、今度は故郷は、もう自分の父の家だけから成り立っていたわけではなく、ぼくを抱きとって、ぼくのワルトツェル仕込みの高貴さを認めようと、待ちかまえていたわけでもなかった。父の家でも、やがて幻滅と困難と不和とが生じた。それに気づくまでには、しばらくかかった。ぼくは素朴《そぼく》な確信、自分と自分の幸福とに対する少年らしい信念に守られており、君たちのところから持って帰った宗団の道徳や冥想《めいそう》の習慣によっても守られていたからである。だが、政治学科を学ぼうとした大学は、どんなにぼくの希望を裏切り、興味をさまさせたことだろう! 学生のあいだの交際の調子、彼らの一般的教養と社交の水準、多くの教師の人格などは、君たちのもとで親しんできたものとどんなにかけ離れていたことだろう! かつてぼくが自分たちの世界を君たちの世界に対してどんなに弁護し、ゆがんでいない素朴な生活を礼讃するのにどんなにたびたび口をすっぱくしたかを、君はおぼえているね。それが罰を受けるに値するとしたら、ねえ、君、ぼくはそのため重い罰を受けたわけだ。この素朴な無邪気な本能生活、素朴な人間の子どもらしさと、訓練されていない天才らしさ、そういうものは、どこかたとえば、百姓たちか、職人たちか、そのほかの所にあったかもしれない。しかし、それにお目にかかったり、それと仲間になったりすることはできなかった。ぼくが演説の中で、カスターリエン人の思いあがりと虚飾をどんなに批判したかを、君はおぼえているね。うぬぼれた、文弱に流れたこの相続階級は、階級的偏見と英才の慢心にとらわれているのだ。ところが、俗世の人間は、粗末な作法、乏しい教養、無骨な騒々しいユーモア、実際的な利己的な目的だけを追っているサル知恵を、同様に誇りとしていた。彼らは、最もきざなワルトツェルの模範生に劣らず、狭量な自然らしさを、貴重な、神慮にかなった、選《え》り抜きのものと思っていた。彼らはぼくを嘲《あざけ》ったり、肩をたたいたりしたが、ぼくの中にある異様なもの、カスターリエン的なものに、公然とむき出しの憎悪を反応させた。卑しいものがいっさいの高貴なものに向ける憎悪だった。それをぼくは一つの栄誉と心得て、受け入れる決心をした」
デシニョリはちょっと間をおいて、クネヒトをちらっと見た。相手が疲れていはしないかと、不安だったのである。彼のまなざしは、友のまなざしにぶつかり、その中に深い注意としたしさの表情を見いだした。それが快く感じられ、彼を安心させた。相手が自分の打明けにすっかり熱中しているのを知った。相手は、おしゃべりか、おもしろい物語でも聞いているように、聞いているのではなく、冥想に集中する際のように、心をもっぱらにして打ちこんで聞いているのだった。しかも、清い心からの好意をもって聞いていた。クネヒトのまなざしにこもったその表情は彼を感動させた。それほどクネヒトは彼にはやさしく、子どもらしいくらいに見えた。この人の複雑な日課と職務上の聡明《そうめい》さと権威とに一日じゅう讃嘆したのであるが、同じ人の顔にこの表情を見て、彼は一種の驚きに打たれた。彼は軽い気持ちになって話を続けた。
「自分の生活が無益であって、誤解にすぎなかったかどうか、それとも意味があるかどうかぼくは知らない。意味があるとしたら、カスターリエンがその母国からどんなに遠く離れてしまったか、あるいはまた逆に、われわれの国がその最も高貴な州とその精神とにどんなにはなはだしく疎遠に不忠実になったか、われわれの国では肉体と霊、理想と現実とのあいだにどんなに広いみぞができているか、どんなに両者が互いに知り合わず、また知り合おうともしないか、ということを、われわれの時代の具体的な一個の人間がきわめて明白に切実に認識し体験した点に、意味があるだろう。ぼくの生活に課題と理想があったとしたら、ぼくという個人を二つの原理の総合にし、二つのあいだの媒介者、通訳、調停者になることであった。ぼくはそれを試みて、失敗した。ぼくの全生涯を君に話すことはできないし、君もすべてを理解することはできないだろうから、ぼくの失敗の特徴をよく示すような状況の一つを語ろう。大学で勉強し始めた後のころ、困ったのは、ぼくがカスターリエン人であり、模範少年だというので、ぼくに向けられた愚弄《ぐろう》や敵意をかたづける、ということではなかった。ぼくが英才学校出身であるのをすばらしい特記すべきことと考えた新しい仲間の中の数人のほうが、むしろぼくを悩まし、いっそう大きな困惑に陥《おとしい》れた。いや、困難な点、おそらく不可能な点は、世俗社会のただ中にあってカスターリエン的な精神の生活を続けることであった。初めは、ぼくはそれにほとんど気づかなかった。ぼくは君たちのところで学んだ法則を守っていた。かなりのあいだ、その法則はここでも通用するように見えた。それはぼくを強め、守るように、ぼくの元気と心の健康を維持し、ぼくの意図を強化してくれるように見えた。つまり、ひとりで自主的に自分の学生時代をできるだけカスターリエン式に送り、ひたすら知識欲に従おうとする意図、学生をできるだけ短いあいだにできるだけ徹底的に、パンのための職業に専門化させ、自由や普遍性を思う心をことごとく殺してしまうことしか欲しない課程に押しこめられないようにしよう、という意図を強化してくれるように見えた。しかし、カスターリエンがぼくに与えてくれた保護は、危険で疑わしいことがわかった。なぜなら、ぼくは、あきらめて、隠者ふうに、魂の平和と冥想的な精神の落ちつきを維持しようとは欲せず、俗世を征服し、理解するとともに、俗世にもぼくを理解させようと欲したからである。ぼくは俗世を肯定し、できれば、革新し改良しよう、一身のうちにカスターリエンと俗世とを合体、融和させようと欲した。失望と戦いと興奮の後に、冥想に引きこもると、それは初めのうちはいつもありがたいこと、緊張の緩和、深呼吸、良い好意的な力への復帰であった。しかし、時がたつにつれて、この沈潜、魂の修練こそ、俗世でぼくを孤立させ、他のものたちに対してとっつきにくい人間と思わせ、またぼく自身彼らをほんとに理解することができぬようにしている、ということにぼくは気づいた。ぼくが再び世俗の人々のようになり、彼らに対する優越をいっさい持たなくなり、沈潜へ逃避することもしなくなったときに初めて、他の人々、つまり世俗の人々をほんとに理解することができるようになるのだ、とぼくは悟った。もちろん、この経過をこんなふうに述べれば、それを美化することにもなるだろう。おそらく、というより、実際、簡単に言えば、ぼくには、同じ教育を受けた、同じ気分の仲間がなく、教師の監督もなく、ワルトツェルのように安全に守ってくれる有効な雰囲気《ふんいき》がなかったので、ぼくは次第に規律を失い、怠慢に不注意になり、形式主義者に堕してしまい、良心のやましさを感じることがあると、形式主義はこの俗世の属性の一つなのだ、自分はそれに身をゆだねることによって、自分の周囲をよりよく理解するようになるのだ、と言って、自己弁解をした。君に対してきれい事を言ってみても始まらないが、ぼくは誤った場合にも、骨を折り、努力し、戦ったことを否定も隠しもしたくない。ぼくは真剣だった。自分を理解し熟慮のうえで秩序のわくの中にはいろうとする自分の試みが、ぼくのひとりよがりにすぎなかったかどうか、いずれにせよ、自然なことが起った。俗世はぼくより強く、徐々にぼくを圧倒し、のみこんでしまった。まったく、生命がぼくの言質《げんち》を取っていて、ぼくを俗世にすっかり同化させてしまいでもしたようだった。ぼくは俗世の正当さ、素朴さ、強さ、存在的優越さを、ワルトツェルの議論で大いにほめたたえ、君の論理に対して弁護したものだった。君はおぼえているね。
さて、ほかのあることを君に思い出してもらわねばならない。君にとっては意味のないことだったので、おそらくとっくに忘れているだろうが、ぼくにとっては大いに意味があり、重要なのだ。重要で恐ろしいのだ。ぼくの学生時代は終った。ぼくは順応した。征服されたのだ。しかし、完全に征服されたわけではない。むしろ心の中では依然として君たちの同類だと思い、あれこれと順応し、かどを落したのは、負けてそうなったというより、処世術から自発的にやったことだ、と思っていた。したがって、青年時代の習慣や欲求を固執し続けた。その中には、ガラス玉演戯もあった。これはおそらくあまり意味がなかったろう。なぜなら、同等な、特に卓越した演戯仲間と絶えず交わり、修練するのでなければ、何も学ぶことはできないからだ。ひとりで演戯するのは、自問自答が実際のほんとうの対話を補うにすぎないように、せいぜい演戯を補いうるにすぎない。つまりぼくは、自分が、自分の演戯術が、自分の教養が、自分の英才学校生徒気質がどんなものかを、よく知りもしないで、この宝を、少なくともそのうちのいくらかを救おうと、骨を折った。それで、ガラス玉演戯についていっぱし口出しはしたが、その精神については何も知らなかった当時の友人たちのひとりに、ぼくが演戯方式の草案を示し、演戯命題を分析したときには、それは、まったく心得のないその連中には、魔法のように見えたかもしれない。学生時代の三年めか四年めに、ぼくはワルトツェルの演戯講習に参加した。あの地方や、小さい町や、ぼくたちの古い学校や、演戯者村を再び見るのは、ぼくにとっては悲しい喜びであった。君はそこにいなかった。そのころはモンテポルトかコイパーハイムのどこかで研究していたのだ。君は変り者の勉強家で通っていた。ぼくの受けた演戯講習は、ぼくたち哀れな俗世のものや好事家《こうずか》相手の休暇講習にすぎなかったが、それでも骨が折れた。終りにぼくは、ありふれた『三級』をもらって、得意だった。演戯成績の『可』という点で、それをもらえば、そういう休暇講習にまた出ることが許されるには、事たりるというわけだ。
それから数年後、ぼくはまた勇気を振るって、君の前任者のもとで行われた休暇講習に申し込んだ。ワルトツェルにどうにか顔出しができるようにと、ぼくは全力を尽していた。昔の練習帳をまた読み返し、精神集中の修業にいくらか習熟したい、と試みもした。要するに、ほんとのガラス玉演戯者が大年次演戯を目ざしてやるのと同じようなやり方で、乏しいながら自分の手だてをつくし、休暇講習を目ざして練習をし、気分を作り、精神を集中した。こうしてぼくはワルトツェルへ乗りこんだ。数年間ごぶさたした後だったので、またかなり疎遠になった気がしたが、同時に魅力を感じもした。失った美しい故郷に帰ってきたものの、そのことばがもうほんとによく通じなくなっていた、という形だった。このときは、君に再会したいというぼくの切望もかなえられた。思い出せるだろうね、ヨーゼフ?」
クネヒトは改まって彼の目をのぞきこみ、うなずいて、ちょっと微笑したが、一言も言わなかった。
「よろしい」とデシニョリは続けた。「じゃ、おぼえているね。だが、君の思い出すのは何かね? 同窓の友とのかりそめの再会と、ささやかなめぐり合いと、失望だろう。通り過ぎて、もうそのことは考えない。幾十年もたってから相手がぶしつけにそのことに注意を促すことでもなければね。そうじゃないかい? 少しは違っているかね。君にとってはそれ以上だったかね?」
彼は、明らかに自制しようと大いに努めていたが、ひどい興奮に陥ってしまった。多年にわたって積み重ねられたもの、押えつけることのできなかったものが、爆発しようとするかの観があった。
「君は先まわりするよ」とクネヒトはきわめて慎重に言った。「ぼくの番になって、弁明する段になったら、ぼくがどうだったかを言おう。いまは君が話してる、プリニオよ。あのめぐり合いが君にとって愉快でなかったことは、わかる。あのときはぼくにとっても愉快ではなかった。さあ、あのときどうだったか、先を話したまえ。遠慮なく話したまえ!」
「やってみよう」とプリニオは言った。「もちろんぼくは君を非難しようとは思わない。あのとき、君がぼくに対して完全に正しく振る舞ったことを、いや、それ以上のことを、ぼくは認めざるをえない。第二回の休暇講習以来ごぶさたしているワルトツェルに来るようにという君の今回の招待を受諾したとき、いや、ぼくがカスターリエン委員会の委員への選出を受諾したときすでに、君とのあのときの体験の前に自分をさらけ出そうと考えていたのだ。ぼくたち両人にとって愉快であろうとなかろうと、そんなことはどうでもいいのだ。そこで話を続けよう。ぼくは休暇講習にやってきて、来賓館《らいひんかん》に泊められた。受講者はほとんど皆ぼくぐらいの年齢で、ずっと年上のものさえ数人いた。全部でせいぜい二十人で、大部分はカスターリエン人だったが、まずい、気のり薄の、すさんだガラス玉演戯者か、やっとこんな年になっていくらか演戯のことを知ってみようと思いついた初心者であった。知ったものがひとりもいなかったので、ぼくはほっとした。講習指導者は、記録所の助手のひとりで、まじめに努力し、ぼくたちに対したいそう親切でもあったが、講習そのものは、ほとんど初めから二流の無用な学校のような性格を帯び、懲罰講習のようなものだった。偶然寄せ集められた参加者は、先生同様、ほんとの意味や成功を信じていなかった。だれもそれを口に出して認めはしなかったがね。いったいなぜ少数ながらこの一団の人人は、根気よく犠牲をはらうほど強い興味がなく、力も十分でないことを、自発的にやるために、集まったのか、なぜ学問のある専門家がわざわざ、たいして成功を期待できないような練習を彼らにさせ、授業をしてやるのか、と不思議がって尋ねる人もあったろう。そのときぼくは気づかなかったかもしれないが、ずっと後になって初めて、経験者に聞いたところによると、この講習ではぼくは明らかに不運だったので、参加者の組合せをいくらか変えたら、おもしろい、ためになる、いや、感激的なものにすることができたろう、ということだ。互いに火花を発し合う、あるいはすでに前から知り合い親しくしている参加者がふたりいたら、あのような講習会を、全参加者と教師もろとも、高く飛躍させるに十分なことが多い、とぼくは後になって言われた。君はガラス玉演戯名人だから、知っているはずだ。つまりぼくは不運だったのだ。偶然寄り合った仲間には、活気を与える小さい細胞が欠けていたので、熱を帯びるに至らず、飛躍するに至らなかったのだ。それは終始、成人した学校生徒のための、気の抜けた復習講習だった。日がたつにつれ、失望は日ごとにつのった。だが、ガラス玉演戯のほかに、ワルトツェルがあった。ぼくにとっては、神聖な、大切に守られた思い出の土地があった。演戯講習がだめだったとしても、故郷に帰るお祝い気分があった。昔の仲間との接触があった。たぶん、ぼくが最も多くの強い思い出を持ち続け、ぼくにとってほかのだれよりもカスターリエンを代表している友だち、つまり、君と再会する望みがあった。少年時代の友や学校時代の友の数人に再会したら、非常に好きな美しい土地を歩いていて、青年時代の善い霊にまた会うことができたら、君もまた近づいてきて、話し合っているうちに、君とぼくとのあいだ、というより、ぼくのカスターリエン問題とぼく自身とのあいだに、昔のように議論が始まったら、この休暇に惜しむところはなかったのだ。そうなれば、講習でもなんでも、おまけにやってしまってもよかったのだ。
まず道で会ったふたりの学校仲間は、無邪気だった。喜んでぼくの肩をたたき、ぼくの伝説的な世俗生活について、子どもっぽい質問をした。他の数人はそれほど無邪気ではなかった。彼らは、演戯者村に属し、新進の英才仲間だったので、素朴《そぼく》な質問なんかしなかった。神聖な場所で出会って、ぼくを避けるわけにもいかなかったので、とげとげしい、いくらか無理じいのいんぎんさで、むしろあいそのよさであいさつし、ぼくなんかにはわからない重要なことに従事していること、旧交をあたためる時間もなければ、好奇心もなければ、興味も意志もないことを、口をきわめて強調した。ぼくだって彼らに押しつけがましいことは言わず、彼らの平静を、オリンポス的な、朗らかな嘲笑的な、カスターリエン的な平静を乱しはしなかった。囚人が格子《こうし》越しに見るように、貧しいもの、飢えたもの、弾圧されたものが、貴族や金持ちを、顔や手によく手入れをした、朗らかな人、美しい人、教養のある人、育ちのよい人、休息し足りた人を見るように、ぼくは彼らを、彼らのせわしく朗らかな生活を見あげた。
そこへ君が現われたのだよ、ヨーゼフ。君を見たとき、喜びと新たな希望が心にわきあがった。君は中庭を歩いて行った。うしろから歩き方で君だということがわかったので、すぐぼくは君の名を呼んだ。とうとう人間に会えた、とぼくは考えた。とうとう友だちに会えた。敵であるかもしれないが、共に語るに足る人だ。正真正銘のカスターリエン人ではあるが、カスターリエン的のものが、仮面やよろいになっていない人、ひとりの人間、理解する人だ! ぼくがどんなに喜んだか、どんなに君に期待したか、君はきっと気づいたのだ。実際君は非常にあいそよくぼくを迎えた。君はまだぼくをおぼえていた。ぼくは君にとってまだ何らかの意味があったのだった。ぼくの顔を再び見るのは、君を喜ばしたのだ。それで、中庭で短いうれしいあいさつを交わしただけでなく、君はぼくを招待してくれた。一晩をぼくにささげ、犠牲にしてくれた。だが、愛するクネヒトよ、それはなんという晩だったろう! 互いにほんとに上きげんを装い、いんぎんに、ほとんど同僚らしくするのに、どんなに苦労したことだろう! 活気のない対話を話題から話題へ引きずっていくのは、どんなに困難だったろう! 他のものたちはぼくに対し無関心だったとすると、君との場合はもっといけなかった。昔の友情を取りもどそうと無益な骨を折るのは、ずっと悲しかった。あの晩は、ぼくの幻想に最後的にとどめをさしてしまった。ぼくは仲間でも、同志でも、カスターリエン人でも、身分の高い人間でもなくて、うるさい、こびへつらう愚か者で、教養のない外国人だということが、仮借なく明らかになった。しかもそれがこんなに狂いのない美しい形で行われ、幻滅と焦燥がこんなに申しぶんなくおおわれたままでいるのが、ぼくにはなおさらたまらなくひどいことに思われた。君がぼくをしかってくれたら、非難してくれたら、『君はなんというていたらくだ、どうして君はそんなに堕落したんだ?』とぼくを責めてくれたら、ぼくは幸福になり、氷は割れただろう。だが、そういうことは何ひとつ起らなかった。ぼくがカスターリエンに属していたことは、何にもならなかった。君たちに対するぼくの愛は、ぼくのガラス玉演戯研究は、ぼくたちの友情は、何にもならなかった。復習教師クネヒトは、ぼくのやっかいなワルトツェル訪問を迎え、一晩ぼくと苦しみ、退屈した。そして、一点非の打ちどころのない形でお世辞を言って、ぼくを追っ払ったのだ。そういうことをぼくは悟った」
デシニョリは、興奮と戦いながら、ことばをぽっつり切って、悩ましげな顔で名人の方を見た。名人は、注意深い聞き手になりきって、じっと聞き入っていたが、自身は少しも興奮していなかった。そしてやさしい思いやりのあふれた微笑をもって旧友を見つめた。相手が話し続けないので、クネヒトは、好意のこもったまなざしを、満足の、いや喜びの表情をもって、友だちに注いだ。友はそれに、一分間あるいはそれ以上、暗い顔をして耐えた。
「君は笑うんだね?」とプリニオはやがてはげしく叫んだ。しかし怒ってはいなかった。「君は笑うんだね? 何ごとも当り前だと思うんだね?」
クネヒトは微笑した。「ぼくは言わずにはいられない。君はあの経過をみごとに言い現わしたよ。まったくみごとに。まったく君が描いたとおりだ。そればかりか、こういうふうに切り出して、あの場面をこれほど完全にまた目の前にまざまざと示すには、君の声に、悪感情と非難の残りが必要だったかもしれない。残念ながら君は明らかに今なおいくらかあのときの目で問題を見ており、それに打ち克《か》っていないふしがあるが、それにしても君の物語を客観的に正しく語った。いくらか苦しいはめに陥っているふたりの若い人の物語だ、ふたりとも、ちょっと自分を隠しているに違いないんだが、そのうちひとり、つまり君は、その状況のもとで悩んでいる自分のほんとの切実な苦しみを、陽気な態度を装って隠し、仮面劇を打破しない、という誤りを犯した。そればかりか、君は今日でもいくらか、あのめぐり合いが無収穫に終ったのを、君自身よりぼくのせいにしているらしいが、あの状況を変えるのは、まったく君のなすべきことだったのだよ。君はほんとうに気づかなかったのかい? だが、君は非常にうまく描写した。それはぼくも認めずにはいられない。実際ぼくは、あの奇妙な晩の息苦しい気まずさをすっかりそのまままた感じたよ。しばらくのあいだ態度をくずさないようにするため戦わなければならない、と思い、ぼくたちふたりのために、いささか恥ずかしくなった。いや、まったく君の物語のとおりだ、そういう話しぶりを聞くのは、楽しい」
「それじゃ」とプリニオは少し意外なおももちで言い出した。彼の声には、まだ多少不快と不信のひびきがこもっていた。「少なくともわれわれの一方がぼくの話をおもしろがったとしたら、楽しいというんだね。ぼくにとっちゃ、おもしろいどころじゃないんだ。それは承知してくれたまえ」
「だが、今は」とクネヒトは言った。「今は、ぼくたちふたりにとってあまり自慢にならないこの話を、ぼくたちがどんなに朗らかにながめることができるかを、君だって認めるだろう? それを笑うことだってできるんだ」
「笑う? いったいなぜ?」
「なぜなら昔カスターリエンのものだったプリニオがガラス玉演戯のために努力し、昔の友人の賞讃を得ようと努めたこの物語は、過去のもので、すっかりかたづいてしまったものだからだ。いんぎんな復習教師クネヒトの物語も同様だ。彼は、カスターリエンのあらゆる形式を盾にしていたにもかかわらず、ふらりと舞いこんできたプリニオに対する当惑を隠すことができなかったので、長い年月を経たきょうまた、鏡に映されたように、その当惑を目の前につきつけられたわけだ、重ねて言うが、君は記憶がよい。話しぶりもうまかった。ぼくにはそうできなかったろう。この物語がすっかりかたづいて、ぼくたちがそれを笑うことができるというのは、お互いにとって幸福なことだ」
デシニョリは困惑した。名人の上きげんは、およそ嘲りからは縁遠い、快い、心からのものと、彼は感じはしたが、その朗らかさの奥に、大きな真剣さのひそんでいるのも感じられた。しかし、話しているうちに、あの体験のにがにがしさをあまりに切実に感じたし、彼の物語は告白の性格を非常に強く持っていたので、簡単に調子を変えることはできなかった。
「君はたぶん忘れているのだろう」と彼はすでに半ば調子を変えはしたもののためらいながら言った。「ぼくが物語ったことは、ぼくにとっては、君にとってと同じではなかったことをね。君にとってはせいぜい不愉快なことだったが、ぼくにとっては、敗北であり、崩壊であった。同時にまたぼくの生涯における重要な変化の始まりでもあったのだ。あのとき、講習が終るやいなや、ぼくは、ワルトツェルを去って、もう決して二度とここには来ないと決心し、カスターリエンと君たち皆を憎みかけていた。ぼくは幻影を失った。そして、自分はもはや君たちの仲間ではない、おそらく以前にも、自分で思いこんでいたように、それほど君たちの仲間になりきっていたわけではないことを、悟った。危うくぼくは、変節者に、君たちの公然たる敵になろうとしていた」
朗らかに同時に鋭く友は彼を見つめた。
「確かにそうだろう」と彼は言った。「そういうことを残らず、またこのつぎに話してくれたまえ。だが、きょうのところ、ぼくたちの立場はこんなものだろう。つまり、ぼくたちはごく若いころ友人であったが、別れて、ひどく違った道を進んだ。それから再会したのが、君の不運な休暇講習の際だった。君は半ば、あるいは完全に俗世の人間になっていた。ぼくはいくらか思いあがった、カスターリエンの形式を重んじるワルトツェル人になっていた。幻滅と恥ずかしさを感じさせたあの再会を、ぼくたちはきょう思い出した。ぼくたちは、再会し、同時にあのときの当惑を再び目に見た。ぼくたちはそれを見ることに耐えた。笑うことさえできる。今では何もかもすっかり変っているのだからね。あのとき君がぼくに与えた印象は、実際ぼくをひどく困惑させたことを、ぼくは隠そうとは思わない。まったく不愉快ないやな印象だった。君をどうしたらよいかわからなかった。君は未熟で粗野で世俗的に見えたのだが、それが思いがけない、面くらうような、挑発的な形で現われた。ぼくは、俗世を知らない、実際は知ろうともしない若いカスターリエン人だった。君は君で若い外国人であって、なんのためにぼくたちを訪れ、なぜ演戯講習に参加しているのか、ぼくにはよくわからなかった。何せ君は英才学校生徒のおもかげはほとんどもう持っていなかったからだ。あのとき、ぼくが君の神経を刺激したように、君はぼくの神経を刺激したよ。もちろん君には、ぼくは取り柄もないくせに思いあがったワルトツェル人で、自分と、カスターリエン人でないものや演戯のしろうととのあいだに、つとめて距離をおこうとしている人間だ、と見えたに違いない。君はぼくにとって一種の野蛮人、教養の浅い男で、ぼくの関心と友情とに、わずらわしい、根拠のない、感傷的な要求をするように思われた。ぼくたちは互いに防戦し合い、互いに憎み合わんばかりだった。互いに与え合うものがなく、どちらも相手を正当に認めることができなかったのだから、別れるよりほかなかった。
きょうは、しかし、プリニオよ、恥ずかしい思いをして葬った思い出を新たにすることができた。そしてあの光景とぼくたちふたりとを、笑ってよいのだ。きょうぼくたちは、別人として、まったく別な意図と見透しとをもって、感傷もなく、ねたみや憎しみを押えつけるでもなく、自負もなく、寄り合ったのだから、ぼくたちはふたりともとっくにおとなになっているんだよ」
デシニョリはほっとして微笑した。しかし、彼はさらに尋ねた。「だが、それは確かかね? 善意なら、あのときだって持っていたんだからね」
「そこを言おうとしたんだよ」とクネヒトは笑った。「ぼくたちは善意を持ってお互いに耐えられなくなるまで悩まし合い、ぎゅうぎゅう言わせ合ったのだ。あのときは互いに本能的に我慢できなかったのだ。めいめいにとって相手がしたしめず、邪魔で、無縁で、いとわしかった。ただ、義務があり、つながりがあると思いこんだだけで、無理やり一晩じゅうあの骨の折れる喜劇を演じ通したのだ。そのことは、あのとき君の訪問のあとで、すぐわかったよ。昔の友情を、昔の敵対関係と同様に、ぼくたちふたりともまだほんとに克服していなかったのだ。それを死なせてしまわずに、掘り起し、なんとかして続けていかねばならない、と思った。それに負債があるように感じたが、どうして負債を払ったらよいか、わからなかったのだ。そうではないかね?」
「そう思うよ」とプリニオは物思わしげに言った。「君はきょうでもまだ少しいんぎんすぎるよ。君は『ぼくたちふたり』と言うが、互いに求めて見いだしえなかったのは、ぼくたちふたりではなかった。求めたのも、愛したのも、まったくぼくの側だった。幻滅や悩みも同様だった。ぼくたちが会って後、君の生活にいったいどういう変化が生じたかと、ぼくは君に尋ねる。何もありゃしない! それに反し、ぼくの場合、あのめぐり合いは、深い、苦痛を伴う切れ込みを意味したのだ。だからぼくは、君が笑ってすませるのに調子を合わせることはできない」
「許してくれたまえ」とクネヒトはやさしくなだめた。「ぼくは早まったようだ。だが、君がぼくの笑いに調子を合わせるように、時とともにしむけることができると思うよ。君の言うとおりだ。君はあのときけがをした。もっとも、君が考えたように、そして今でもそう考えているらしいが、ぼくのせいではなくて、君たちとカスターリエンとを隔てるみぞと疎遠さのせいだったのだ。ぼくたちふたりは、生徒として友情を結んでいるあいだに、そういう隔りを克服してしまったと思っていたのに、それがいま突然おそろしく広く深くぼくたちの前に口をあけたのだ。ぼく個人に責任があるというなら、頼むから、君の告発をあけすけに言ってくれたまえ」
「いや、告発なんかじゃ決してなかった。嘆きだったのだ。君にはあのときそれが聞えなかった。きょうでも聞こうとしないようだ。あのとき、君はそれに微笑とりっぱな態度で答えたが、きょうもまたそうする」
彼は、名人のまなざしの中に、友情と深い好意を感じたが、それを強調するのをやめることはできなかった。長いあいだ苦しい思いをして忍んできたこのことを、今ひと思いにぶちまけてしまわずにはいられない気持ちだった。
クネヒトは顔の表情を変えなかった。少し考えていたが、ようやく慎重に言った。「やっと君の言うことがわかりだしたよ。たぶん君の言うとおりだろう。この点についても話さなくてはならない。君がその嘆きを実際に言いあらわした場合に初めてほんとに、君の嘆きと称するものにぼくの関与を期待する権利があるということを、ぼくはまず君に注意したい。ところが、あの晩、来賓館で対談した際、君は嘆きなんか全然口に出さず、ぼくとまったく同様に、極度にきびきびと勇敢に登場し、ぼくと等しく、一点非の打ちどころのない人間、嘆くことなんか全然ない人間のように振る舞った。しかし、いま聞いたところによると、君はひそかに、ぼくが秘められた嘆きを聞き、君の仮面の背後に君のほんとの顔を見てとることを、期待していたのだ。その幾分かをぼくはあのときたぶん気づいていたんだよ。もちろん全部などというわけではないがね。だが、ぼくが君のために憂慮し、同情していることを、君の誇りを傷つけずに、君にわからせることがどうしてできただろう? ぼくの手はからっぽで、何ひとつ、助言も、慰めも、友情も与えることができなかったのに、ぼくたちの道はまったく別々だったのに、君に手を差しのべても、何の役にたっただろう? いや、あのとき、君が陽気な態度のかげに隠していた不快や不幸が、ぼくにはわずらわしく邪魔になった。正直に言うと、いやだったのだ。関心と同情を要求しているのだが、君の態度はそれと食い違っていた。何か押しつけがましい子どもじみたところがあるようで、ぼくの気持ちを冷却させるばかりだった。ぼくの友情を要求し、カスターリエン人であり、ガラス玉演戯者であろうと欲していたが、そのくせ、自制がなく、ひどく異常で、利己的な感情にひたりきっていた! あのときのぼくの判断はそんなふうだった。カスターリエン人気質は君にはほとんどまったく残っておらず、君は明らかに基本法則さえ忘れているのが、ぼくにはよくわかったからだ。よろしい、それはぼくの知ったことではない。だが、なぜ君は今またワルトツェルに来て、ぼくたちに仲間としてあいさつしようとしたのだ? それがぼくには、さっき言ったように、腹だたしく不快だったのだ。君があのとき、ぼくが努めていんぎんにするのを拒絶だと解釈したのは、完全に正しかったよ。そうだ、ぼくは君を本能的に拒んだ。君が俗世の子だったからではなく、カスターリエン人として認められたいという要求を出したからだ。それから長い年月がたって、君が最近また現われたとき、そういう様子は君にはもうまったく感じられなかった。君は世俗らしく見え、外界から来た人間のような口をきいた。特に異様にぼくの心を動かしたのは、君の顔に現われた悲哀、あるいは不幸の表情だった。だが、君の態度もことばも、君の悲しささえも、すべてぼくの気に入った。美しくて、君に似つかわしく、ふさわしかった。少しもぼくの気にさわるところがなかった。心の中で何の矛盾も感ぜずに、君を受け入れ、肯定することができた。今度はことさら仰山な礼儀や態度を構える必要がなかった。それで、すぐに友人として君を迎え、君に愛と関心を示そうと努めたのだ。今度はむしろ以前と逆だった。今度は、君がひどく控えめなのに、ぼくのほうが求めて苦労し、君の友情を得ようとした形だ。ただ、もちろん、君がわれわれの州に現われ、州の運命に関心を寄せたのを、ぼくはもちろん無言で愛着と誠意の表白の一種と受け取った。結局、君もぼくの働きかけに応じた。そして互いに心を開き合うようになったので、古い友情を新たにすることができる、と思うね。
君は今、あの青年時代のめぐり合いは、君にとっては苦痛なものだったが、ぼくにとっては無意味なものだった、と言った。それについて議論するのはよそう。君の言うとおりかもしれない。だが、友よ、今度のめぐり合いはぼくにとって決して無意味ではない。きょうぼくが君に言い得る以上に、また君が推察し得る以上に、ぼくにとって意味があるのだ。簡単に言えば、いなくなった旧友が帰ってきて、過ぎ去った時代がよみがえり、新しい力と変化をもたらす、というだけではない。何よりもそれは、ぼくに呼びかけてくれ、ぼくを出迎えてくれることを意味する。それはぼくに君たちの世界への道を開いてくれる。君たちとぼくたちのあいだの総合という古い問題の前に、新たにぼくを立たせる。しかもそれがちょうど潮時に行われたのだよ。今度の呼びかけには、ぼくはつんぼではない。いつよりも目ざめている。その呼びかけにぼくは驚きはしない。それはぼくには、外部から来た無縁のものではない。したがって、それに対して心を開いたり閉じたりすることができる、というようなものではない。それは、ぼく自身の中からやってきたようなもので、非常に強く切実になった願いと、ぼく自身の内部の苦しみとあこがれとに対する答えなのだ。だが、それについてはまた今度話そう。もう遅くなった。ふたりとも休まなくてはならない。
君はさっき、ぼくの朗らかさと君の悲しさについて語った。そして、君の『嘆き』と称するものをぼくが正当に受け取らない、きょうでも、その嘆きに微笑をもって答えるくらいだから、正当に受け取っていない、と考えているようだ。そこに、ぼくによくわからないふしがある。なぜ嘆きを朗らかな態度で聞いてはいけないのか。なぜ、微笑ではなくて、悲しさをもってそれに答えなければならないのか。君が悲しみと重い心を持って再びカスターリエンに、ぼくのところにやってきたことから推測して、おそらくぼくらの朗らかさこそ、君にとって大切な意味を持つものと言える、と思う。さてしかし、君の悲しさやつらさをぼくが分かとうとせず、それに感染されようともしないとしても、ぼくがそれを認めないとか、まじめにとらないとかいうことを意味するわけではない。君の持っている表情、俗世の生活や運命によって押しつけられた表情を、ぼくは完全に認める。それが変るのをぼくは見たいとは思うけれど、その表情は君にふさわしく、君のもので、ぼくにとっても好ましく、尊敬に値する。それがどこから来たか、ぼくはほのかに感じるだけだ。それについては、あとで、君が適当だと思う範囲で、話すなり黙るなりするがよい。ぼくにわかるのは、君が苦しい生活をしているらしい、ということだけだ。だが、ぼくが君と君のつらさを正しく理解しようと欲しない、また理解することができない、となぜ君は信じるのか」
デシニョリの顔はまた暗くなった。彼はあきらめたように言った。「ぼくたちの持っている二つの異なった表現法とことばは、相互に暗示的に翻訳されるにすぎないばかりか、そもそもぼくたちは、決して理解し合うことのできない、根本的に異なった存在であるかのように、思われることがよくある。ぼくたちのどちらが実際、真正な完全に価値ある人間なのか、それは君たちなのか、われわれなのか、それともぼくたちのうちのひとりなのか、それがいつもぼくには疑わしく思われる。君たち宗団の人々やガラス玉演戯者を、尊敬と劣等感とねたましさとをもって見あげた時期があったよ。まるで永遠に朗らかで、永遠に戯れ、自分の存在を楽しみ、苦悩などに超然としている神々か超人でも見あげるようにね。そうかと思うと、また君たちがあるときはうらやむべく、あるときはあわれむべく、あるときはけいべつすべきものに思われた。去勢された人々、人為的に永遠に幼年状態に抑止されている人々だ、と思われた。煩悩《ぼんのう》のない、小ざっぱりとかきねをめぐらし、掃除の行きとどいた遊戯と幼稚園の世界で、子どもらしく、子どもっぽくしている。そこでは念入りに鼻をふき、ためにならない感情や思想の動きはすべてしずめられ、抑圧される。また、一生涯おとなしい、危険のない、血の出ない遊戯をしており、邪魔になるような生命の動き、大きな感情、真の情熱、胸の激動などはすべて、冥想療法でただちに抑制され、そらされ、中和される。それは、人工的な、断種された、小うるさく刈りこまれた世界、半分の世界、外見の世界にすぎないではないか。そこで君たちは臆病に無為に暮している。悪徳も、煩悩も、飢餓も、水けも塩けもない世界、家庭も、母も、子どもも、いや、ほとんど女もいない世界ではないか! 本能生活は冥想によって制御され、危険な、冒険的な、責任を負うことの困難なこと、たとえば、経済、司法、政治などは、久しい前から他人にまかせてしまい、臆病に、わが身を安泰にして、食糧の心配をせず、めんどうな多くの義務を持たず、雄バチのような怠け者の生活を送り、退屈しないために、あらゆる学問的な専門に熱心に従事し、つづりと文字を数え、音楽をし、ガラス玉演戯を演じている。他方、外の俗世では泥にまみれて、哀れな人間があくせくと現実の生活を営み、現実の仕事をしているのに」
飽きる気配もなく、友情のこもった注意深さで、クネヒトは耳を傾けていた。
「愛する友よ」と彼は慎重に言った。「君のことばは、ぼくたちの生徒時代とあのころの君の批判と攻撃心を実にまざまざと思い起させるよ! ただきょうぼくはあのときと同じ役割をもう持っていない。ぼくの任務は今日では、君の攻撃に対して宗団と州とを擁護することではない。この困難な任務に異常な努力をはらったことがあるが、今度はそれに無関係なのは、まったくありがたい。君がまたたった今やったようなみごとな攻撃に対して答えるのは、いささか困難だ。たとえば君は、この国のよその世界で『現実の生活を営み、現実の仕事をしている』人々について語った。それは、公理と言ってよいくらい、絶対に美しく真実に聞える。それを反撃しようとすれば、まったくぶしつけになることをおかして、そういうご当人の『現実の仕事』の一部は、カスターリエンの繁栄と維持のための委員会で協力する点にあるんじゃないか、と注意を促さねばならないだろう。だが、しばらく冗談はやめよう! 君が今なおわれわれに対し憎悪《ぞうお》にあふれる心を持ちながら、同時にわれわれに対し絶望的な愛と、ねたみ、あるいはあこがれにあふれる心を持っていることを、ぼくは君のことばから察し、その調子から聞きとる。われわれは君にとっては、臆病者、怠け者の雄バチ、あるいは、幼稚園で戯れる子どもだが、ときとして君はわれわれの中に永遠に朗らかな神々をも見た。いずれにしても、ぼくは君のことばから一つのことを推測してよいと思う。つまり、君の悲しさ、不幸、また何と名づけるにせよ、それに対してカスターリエンに責任はない。それはどこかほかから来るに相違ないのだ。われわれカスターリエン人に責任があるとすれば、われわれに対する君の非難と異論は今日ではきっと、少年時代の討論の際のと同一ではないだろう。またあとで話し合うときに、もっと詳しく話してくれたまえ。君をもっと幸福に朗らかにする、少なくともカスターリエンに対する君の関係をもっと自由に快くする道が、見つかることを、ぼくは疑わない。これまでぼくの見得た範囲では、君はわれわれとカスターリエンに対し、したがって君自身の青年時代と学校時代とに対し、まちがった、束縛された、感傷的な関係にある。君自身の魂をカスターリエン的なものと世俗的なものとに分裂させ、君に何の責任もないことのために、過度に悩んでいる。だが、他方で君は、君自身に責任のある他のことを軽く考えすぎているかもしれない。察するに、君はもうかなり久しく冥想の修業をしていないね。そうじゃないかい?」
デシニョリは苦笑いをした。「なんという明敏さだろう、名人よ! かなり久しく、と君は言うのか? 冥想の魔力を放棄してから、長い長い年月がたった。急に君はぼくのことを心配してくれるね! あのとき、このワルトツェルで休暇講習を受けているぼくに、君たちは、非常ないんぎんさとけいべつとを示し、友情を求めるぼくの願いをていよく拒んだ。あのときぼくはここから、自分の心中のカスターリエン気質を永久に葬ってしまおうという決意をいだいて、帰った。あのときからガラス玉演戯を断念し、もはや冥想しなかった。音楽にさえかなり長いあいだ手を出さなかった。そのかわり、ぼくに世俗的な楽しみを教えてくれる新しい仲間を見つけた。われわれは酒を飲み、女を買った。手のとどくかぎり、あらゆる麻酔剤を試みた。礼儀にかなったもの、尊敬に値するもの、理想的なものをことごとくあざけり、これにつばをはきかけた。そういう度はずれた状態は、もちろん長くは続かなかったが、カスターリエンの上塗りの最後の残りを完全にはがすには、十分であった。それから、幾年かたって、時折り、これはあまりむきにやりすぎた、二、三の冥想技術が大いに必要だ、と悟ったが、それをまた始めるには、ぼくは自負心が強すぎた」
「自負心が強すぎたって?」とクネヒトは小声で尋ねた。
「そうだ、自負心が強すぎた。ぼくはその間に俗世にもぐりこんで、俗人になってしまっていた。俗人のひとりであることしか欲しなかった。俗人の生活しか欲しなかった。彼らの情熱的な、子どもらしい、乱暴な、自制のない、幸福と不安のあいだを揺らぐ生活しか欲しなかった。君たちの手段の助けをかりて、何らかの緩和や特殊な地位を得ることを、ぼくはさげすんだ」
名人は鋭く彼を見つめた。「それで君は耐え通したんだね。長い年月のあいだ? それですますために、他の方法をまったく利用しなかったのかい!」
「ああ利用したよ」とプリニオは言った。「そうしたし、今日でもそうしている。また酒を飲むこともある。たいていは、眠れるように、あらゆる麻酔剤を用いている」
クネヒトは、突然ぐったり疲れたように、一秒間目を閉じたが、また改めて友人をじっと見つめた。無言で相手の顔をのぞきこんだ。初めは検討するように真剣に、しかしだんだんなごやかに、打ちとけて、朗らかになった。デシニョリは、このようなまなざしが人間の目から発するのに出会ったことはこれまで一度もない、それは深く探る眼光でありながら、愛情に満ち、実に無邪気でありながら、裁《さば》くようであり、輝くばかりにやさしくて、しかも全知であった、と書きとめている。このまなざしはまず彼を混乱させ、いらだたせたが、やがて彼の心を静め、次第になごやかな力で彼を征服してしまった、と彼は告白している。だが、彼はなおも抵抗しようと試みた。
「君は、ぼくをもっと幸福に朗らかにする方法を知っていると言ったね」と彼は言った。「だが、ぼくがほんとにそれを欲するかどうか、君は全然尋ねなかった」
「そりゃ」とヨーゼフ・クネヒトは笑った。「われわれはひとりの人をもっと幸福に朗らかにしてやることができるとしたら、その人がわれわれに頼もうが頼むまいが、どんな場合にもそうすべきだろう。君はいったいどうしてそれを求め願わないのだろう? そのためにこそ君はここにいる。そのためにこそぼくたちはまたここに対座している。そのためにこそ君はわれわれのところにもどってきたのだ。君はカスターリエンを憎み、けいべつしている。君の俗世気質と悲しみをひどく自負しているので、理性や冥想でそれを緩和しようとは、願わない。――だが、われわれとわれわれの朗らかさに対するひそかな押えがたいあこがれが、この年月のあいだずっと君を導き引っぱってきた。そしてとうとう君はまたやってきて、もう一度われわれをためしに利用してみずにはいられなかったのだ。まったく、今度はよいときにやってきたよ。ぼくのほうでも、君たちの世界からの呼び声に、開かれる門に、強くあこがれていたときに、君はやってきたのだ。だが、そのことはまたこの次に話そう! 君はいろいろなことを打ち明けてくれた、友よ、それに対して感謝するよ。ぼくも君にいくらか告白することになるだろう。もう遅い、君は明朝出発するのだし、ぼくはまた勤めの一日を控えている。まもなく寝なければならない。あと十五分だけつき合ってくれたまえ、お願いする」
彼は立ちあがって、窓の方に行き、空を見あげた。動く雲のあいだの至る所に、深く澄んだ夜空の帯が見えた。星がこぼれるばかりだった。彼がすぐには席にもどらないので、客も立ちあがって、窓べの彼のそばに歩みよった。名人は、空を見あげながら、リズミカルな呼吸をして、秋の夜の薄く冷たい空気を味わっていた。彼は片手で空をさし示した。
「ごらん」と彼は言った。「空が帯の形になっている雲のながめを! 初めて見たときには、いちばん暗い所が深い個所だと思いがちだが、すぐに、暗くぼけているのは雲にすぎず、深い個所のある空間は、この雲の山の端《は》と峡谷で始まり、無限の中に沈み、そこに星が輝いている、おごそかに、われわれ人間にとって明徹さと秩序の最高の象徴として、星が輝いていることを悟る。世界とその神秘の深さは、雲の黒ずんでいるところにはない。深さは、澄んだ明るさの中にある。お願いだ。寝る前にしばらく、星のたくさんある入江や海峡をながめたまえ。そしてそのとき、思想や夢がわいてきたら、それをしりぞけないようにしたまえ」
苦痛か幸福かわからないが、独特のびくっとする感じが、プリニオの心の中に動いた。もう考えられないくらい遠い音、ワルトツェルで生徒の生活をしていたころ、快い朗らかな朝、最初の冥想練習を促されたのも、同じようなことばであった、と彼は思い出した。
「なお一言わせてくれたまえ」とガラス玉演戯名人はまた低い声で言い始めた。「明朗さについて、星の明朗さと精神の明朗さについて、それからまたわれわれのカスターリエン流の明朗さについて、君に少し話したい。君は明朗さに反感を持っている。たぶん、悲しみの道を歩まねばならなかったからだろう。それで、すべての明るさ、上きげん、特にわれわれカスターリエンのそれは、君には浅薄で、子どもらしく、卑怯《ひきょう》だとも思われるのだ。現実の恐ろしさや深淵《しんえん》を避けて、単なる形式と公式、単なる抽象と洗練の、明澄な整然とした世界へ逃《のが》れることだ、と君には思われるのだ。わが悲しめる者よ、そういう逃避もあるだろう。単なる公式をもてあそぶ卑怯な臆病なカスターリエン人もいないことはないだろう。そういうものがわれわれのあいだでは多数を占めてさえいるだろう――しかし、だからと言って、ほんとの明朗さ、天の明朗さ、精神の明朗さは、その価値と輝きを奪われはしない。われわれの中にいる、簡単に満足するものや、表面だけ明朗なものに対して、その明朗さが遊戯や表面ではなく、真剣さと深さを持っているような人々や、そういう人々の世代が対立しているのだ。そういう人をひとり、ぼくは知っていた。以前の音楽名人だ。かつて君もワルトツェルで時々会ったことがある人だ。この人は晩年、明朗の美徳を非常に高い度合いに身につけていたので、太陽から光が発するように、明朗さが彼から輝き出て、好意として、生命の喜びとして、上きげんとして、信頼として、確信としてすべての人に移り、その輝きを真剣に受け入れ、摂取したすべての人の中で輝き続けた。ぼくも彼の光に照らされた一人だ。あの方はぼくにも、その明るさと心の輝きを少し分けてくださった。われわれのフェロモンテにも、その他の人たちにも分けてくださった。この明朗さに達することが、ぼくにとって、ぼくとともに多くのものにとって、あらゆる目標の中の最も気高い目標なのだ。宗団本部の数人の長老の中にも、そういう人がいる。この明朗さは戯れでも自己満足でもなく、最高の認識と愛、あらゆる現実の肯定である。あらゆる深淵のふちに立って目ざめていることである。聖者と騎士の徳である。乱しがたいものであり、年をとり、死に近づくにつれ、いよいよ明るさを増すものである。それは美の秘密であり、あらゆる芸術の本来の実体である。人生の輝かしさや恐ろしさを詩句の踊る足どりでたたえる詩人や、それを純粋な現在としてひびかせる音楽家は、初めは涙と苦痛な緊張を通してわれわれを導くとしても、光をもたらすもの、地上における喜びと明るさを増大させるものだ。その詩句はわれわれを陶酔させるが、詩人は悲しい孤独者で、音楽家は憂鬱《ゆううつ》な夢想家であるかもしれないが、そういう場合でも、その作品は神々と星との明朗さにあずかっている。彼がわれわれに与えるものは、もはや彼の暗さ、悩み、不安ではなくて、純粋な光、永遠な明朗さの一滴である。あらゆる民族と言語とが、神話、宇宙生成説、宗教などで、世界の深奥を探ろうと努める場合でも、到達しうる最高のものは、この明朗さである。君は古代インド人をおぼえているね。ぼくたちのワルトツェルの先生が古代インド人についておもしろい話をしてくれたことがある。つまり、苦悩と沈思と贖罪《しょくざい》と禁欲の民族であるが、その精神の究極の大きな発見物は、明るくて朗らかだ。俗世の克服者たちや仏陀《ぶつだ》の微笑は朗らかだ。深遠な神話の人物は朗らかなのだ。これらの神話が表現する世界は、その最初は神々《こうごう》しく、幸福で、光り輝き、昔の美しさで、黄金時代として始まる。やがて世界は病気にかかり、堕落の度を増し、粗野になり、みじめになり、いよいよ深く沈む四つの時代の終りには、笑い踊るシヴァ〔湿婆――破壊神〕によって踏みにじられ滅ぼされるにふさわしいほどになる。――しかし、それで終りはしないで、夢みるヴィシュヌ〔毘瑟怒――宇宙維持の神〕の微笑をもって新たに始まる。ヴィシュヌは、戯れる手で、新しい若い美しい輝く世界を創造する。驚嘆に値するね。比類なく聡明で苦悩に耐えるこの民族は、戦慄《せんりつ》と恥じらいをもって、世界史の恐ろしい営みを、永久に回転する欲望と苦悩の車輪を、ながめたのだ。被造物のもろさと、人間の欲望と魔性と、同時に純粋さと、調和に対する深いあこがれを、見かつ理解した。また、被造物の美しさと悲劇とを現わすためにこのみごとな比喩《ひゆ》を、宇宙と被造物の崩壊との比喩を発見した。堕落した世界を踊って破片にしてしまう強大なシヴァの比喩、横になってまどろみ、すばらしい神々の夢から戯れながら新しい世界を成立させる微笑をするヴィシュヌの比喩を発見したのだ。
さてわれわれ自身のカスターリエンの明朗さについて言えば、この大きな明朗さの末葉の小さな変種にすぎないかもしれないが、あくまで正統なのだ。学問は、朗らかであるべきだが、いつでも、また至る所で朗らかであったわけではない。われわれの所では、学問、すなわち真理の礼拝は、美の礼拝と密接に結びついている。さらに、冥想的な魂の培養とも結びついている。したがって、明朗さをすっかり失うことは決してありえない。われわれのガラス玉演戯は、学問と、美の崇拝と、冥想という三つの原理を全部、内部に結合させている。だから、ほんとのガラス玉演戯者は、熟した果実が甘い果汁に満ちているように、明朗さに満たされているはずだ。彼は、何よりも音楽の明朗さを内に持っているはずだ。その明朗さは、ほかでもない、勇敢さ、世界の恐ろしいものや炎のまっただ中を縫って、朗らかに微笑しながら歩み、踊っていくこと、犠牲をはなやかにささげることだ。この種の明朗さを、生徒や学生だったころ、ほのかに理解し始めて以来、ぼくにとってはそれが肝要だった。ぼくはもうそれを放棄しないだろう。不幸になっても、苦悩に陥っても。
さあ、寝るとしよう。明朝、君は出発する。まもなくもどってきたまえ。もっと君のことを話してくれたまえ。ぼくも君に話すだろう。ワルトツェルにも、名人の生活にも、問題と、幻滅と、いや、絶望と、鬼神の力があることを、君は聞き知るだろう。今はしかし、音楽に満ちた耳を眠りの中に持っていかねばならない。就寝する前に、星空を見つめ、耳を音楽でいっぱいにすることは、君のどんな催眠剤よりもよりよい」
彼は腰をおろし、慎重に、ごく静かに、パーセルのソナタの一楽章をひいた。ヤコブス神父の好きな曲だった。そのひびきは、黄金色《こがねいろ》の光の滴《しずく》のように、静寂の中に落ちた。実に静かだったので、そのあいだに、中庭に流れる古い泉の歌が聞えるくらいだった。やさしい音楽の音は、穏やかに厳《きび》しく、控えめに甘く、出会ったり、からみ合ったりし、時間と無常との虚無のあいだを縫って勇ましく朗らかに心のこもった輪舞を続け、音楽の続く短いあいだ、空間と夜の時間を広くし、世界のように大きくした。ヨーゼフ・クネヒトが客に暇《いとま》を告げたとき、客は、今までと変った明るい顔をし、同時に目に涙をためていた。
[#改ページ]
第十章 準備
クネヒトは氷を割ることに成功した。活気のある、ふたりを元気づける交際と意見の交換が、彼とデシニョリとのあいだに始まった。久しくあきらめの憂鬱《ゆううつ》の中に生きてきたこの男は、友人のことばをもっともだと認めずにはいられなかった。実際、彼を教育州に引きもどしたのは、快癒《かいゆ》と明るさとカスターリエンの朗らかさを求める切望にほかならなかった。彼は、委員会や役所の仕事がなくても、たびたびやってきた。テグラリウスは、ねたみのこもった不信の目で彼を見た。やがて名人クネヒトは、デシニョリとその生活について、彼の必要としているいっさいのものを知った。クネヒトが初めて打明け話を聞いたあとで予想したほど、デシニョリの生活は異常でも複雑でもなかった。プリニオは青年時代に、感激的な行動欲に燃えた生き方に幻滅と屈辱とをなめた。それはわれわれもすでに知っている。彼は俗世とカスターリエンとのあいだにあって仲介者にも調停者にもならず、孤立した悲しみやつれた局外者となった。そして、自分の素姓と性格の世俗的要素とカスターリエン的要素との総合を成就させるに至らなかった。しかし、単なる失敗者ではなく、敗北と断念の中に、ともかくも独特の表情と特殊な運命とを身につけた。カスターリエンの教育は、彼の場合はまったく真価を発揮しないらしかった。少なくとも当初は、衝突と、幻滅と、彼の性質には耐えがたいような深い孤立と孤独とをもたらしただけだった。ひとたび順応しない孤立者のイバラの道を踏み出した以上、自分を別物にし、困難を大きくするために、みずからいろいろなことをせざるをえない、という観があった。特に、学生時代にもう、家族と、とりわけ父と、融和しがたい対立に陥ってしまった。父は、政治においてはほんとの指導者に数えられはしなかったけれど、デシニョリ家のすべてのものと同じく、一生涯、保守的な、政府に忠実な政策と政党の支柱で、あらゆる改革の敵、不利な立場にあるものの権利や分け前に対するあらゆる要求の反対者であって、無名無位の人間に対しては疑い深く、古い秩序、彼にとって合法的で神聖だと思われるいっさいのものに対しては、忠実で犠牲を惜しまなかった。それで、宗教的な要求があったわけではないのに、教会の身方であり、正義心や好意や、慈善や助力をいとわぬ心の用意を欠いていはしなかったのに、小作人の境遇改善の努力に対しては、強情に原則的に門戸を閉ざした。その強情さを彼は、自分の政党の綱領や標語でもって、表面的に論理的に正当化したが、実際にはもちろん確信と見識に従ってそうしたわけでなく、同じ階級の仲間や彼の家の伝統に盲目的に従う忠実さからそうしたまでだった。だいたい、一種の騎士気質、騎士の面目《めんぼく》、そして現代的だ、進歩的だ、当世風だと称するものに対する強い軽視が、彼の性格の特色であった。
むすこのプリニオが学生の身で、明らかに反対派の現代主義の政党に接近し加入したことは、この人を失望させ、いらだたせ、憤激させた。当時、古い市民自由党の青年層の左翼が結成された。指導者はフェラグートというジャーナリストで、代議士で、幻惑的な大きな影響力を持つ大衆雄弁家だった。情熱的で、ときとして少し自己陶酔に陥り、ひとりで感激する民衆の友、自由の英雄で、大学都市における公開講演によって若い大学関係者を身方にしようという宣伝活動は、相当の成功を収めた。感激した聴衆や同志にまじって、若いデシニョリもフェラグートに近づいた。大学に失望した青年は、一つの拠《よ》り所を、彼にとっては空疎になったカスターリエンの道徳に代るものを、何らかの新しい理想主義と綱領とを求めていたので、フェラグートの講演に心を奪われ、その情熱、攻撃心、機知、弾劾者《だんがいしゃ》的な態度、美しい容姿とことばを讃嘆した。そしてフェラグートの聴衆の中から生れて、その党と目的のために運動する学生団に加入した。プリニオの父はそれを聞くと、さっそくむすこのところへはるばるやっていき、生れて初めて激怒してむすこをどなりつけ、父と家庭と家の伝統とに対する反逆、裏切りを非難し、すぐに誤りを改め、フェラグートとその党との関係を断て、ときっぱりと命令した。さてこれは、青年に及ぼしている感化を除く正しい方法ではなかった。それどころか、青年は、いよいよ自分の態度は一種の受難になろうとしている、とさえ思った。プリニオは、父の怒号を忍んで、自分が十年間英才学校に通い、数年間大学に通ったのは、自己の見識や判断を放棄するためではない、また国家や経済や正義についての見解を利己的な大地主の徒党に指定してもらうためでもない、と説明した。このときは、偉大な護民官の模範に従って自己や階級の利益を決して問題にせず、ひたすら純粋絶対な正義と人道とを追求するフェラグート派の考え方が役にたった。老デシニョリはにがにがしく大声をあげて笑い、せめてまず勉学を終えてから、おとなのことに口を出せ、気高い血統の尊敬すべき父祖より人間生活や正義についてよりよく心得ているなどとうぬぼれるのは、それから後のことにせよ、お前は気高い血統の堕落した子孫だ、裏切りを犯して父祖のうしろから襲いかかろうとしているのだ、と言った。ふたりは、ひとことごとにめちゃくちゃに争い、憤激し、侮辱し合った。しまいに老人は突然、自分の怒りにゆがんだ顔を鏡の中に見でもしたように、冷たく恥じ入って、無言で立ち去った。そのときから、父の家に対する昔の無邪気な打ちとけた関係は、プリニオにとって二度ともどってこなかった。彼は所属の団体と新自由主義にそむくことをしなかったどころか、まだ勉学も終えないうちに、フェラグートの直接の弟子に、助手に、協力者になり、数年後には女婿《じょせい》になったからである。英才学校で教育を受けたため、あるいは、俗世や故郷へのなじみを取りもどすことが困難であったため、デシニョリの心の平衡はすでに破られ、彼の生活は、身をすりへらすような問題にかき乱されていたのであるが、この新しい関係は、彼をまったく危うい難渋微妙な地位に陥れた。彼は、疑いもなく価値あるものを、すなわち一種の信仰を、政治上の確信と党員の資格を得た。それは、正義と進歩性を求める青春の欲求に即応した。そしてフェラグートという人物に、彼は、教師を、指導者を、年長の友を見いだした。初めのうち、この人を彼は無批判に讃嘆し愛した。相手も彼を必要とし尊重しているように見えた。彼は方向と目標、仕事と生活の課題を見いだした。これはたいしたことであったが、高価な代償を支払わねばならなかった。青年は、父の家と同じ階級の仲間のあいだで持っていた生来世襲の地位を失ったことは平気だったとしても、また特権階級から追放され、その敵対を受けることは、一種の狂信的殉教者の喜びをもって耐えることができたとしても、どうしても克服しきれないものがいろいろあった。とりわけ、深く愛している母に苦痛を与え、父と自分とのあいだの板挾《いたばさ》みの、極度に不快な困難な境地に母を陥れ、おそらくそのために母の命を縮めたという思いには、胸をさいなまれ続けた。彼の結婚後、母はまもなく死んだ。母の死後、プリニオは父の家にもうほとんど姿を見せず、古くからの一族の所有だった家を、父の死後、売ってしまった。
犠牲によってあがなわれた地位、官職、結婚生活、天職などを、その犠牲のためにこそ愛し、確保し、それが自分の幸福となり、それによって満足を得るように、あくまでしようとする人物がいる。デシニョリの場合はそうではなかった。もちろん彼は党や指導者や政治上の方向や活動や結婚生活や理想主義には、終始忠実であったけれど、時とともにそれらのすべてが疑問になってきた。ちょうどかつて彼の生活全体が疑問になったように。――青春の政治上、世界観上の感激は静まり、自説を主張するための戦いも、長いあいだには、反抗のための苦悩や犠牲と同様に、幸福感を与えなくなった。それに、職業生活の経験と興ざめとが加わった。しまいには、自分をフェラグートの信奉者にしたのは、果して真理と正義を思う心だけであったかどうか、フェラグートの雄弁と護民官ぶり、公衆の前に出るときの彼の魅力と巧妙さ、彼の声の朗々としたひびき、男らしくはでな笑いぶり、彼の令嬢の賢さと美しさなどが、少なくとも半分はその原因になっていなかったかどうか、彼には疑わしくなった。老デシニョリが自分の階級に忠実であって、小作人に対し冷酷であったのは、果して人の風上におけない立場であったかどうか、ますます疑わしくなった。そもそも善と悪、正と不正とが存在するものかどうか、自分の良心のことばが結局唯一の価値ある裁判官であるかどうかも、疑わしくなった。そうだとすると、彼プリニオはまちがっていた。彼は幸福と落ちつきと肯定と信頼と安定の中に生活してはおらず、不安定と疑いとやましい良心の中に生活していたからである。結婚生活も、大ざっぱな意味では不幸でも失敗でもなかったけれど、緊張と複雑な関係と抵抗とに満ちたものだった。結婚生活は、彼の持っているものの中で、おそらく最上のものであったが、彼があれほど求めていた落ちつきや幸福や無邪気さや安らかな良心などを与えてはくれなかった。結婚生活にも、非常に心をくばり、体裁を作らねばならず、なかなか骨が折れた。かわいらしい、美しい素質を持った小さいむすこティトーも、もう早くから、争いや駆引き、ごきげんとりや嫉妬《しっと》のきっかけになったが、とうとう、両親からあまりに愛され、甘やかされた子は、次第に母親になびき、その党派になってしまった。これは、デシニョリの生活における最後の、どうやら最もつらく感じられた苦痛であり、損失であった。だが、彼はそれにくじけず、打ち克《か》って、彼一流の精神的な態度を見いだした。それはりっぱな態度であったが、真剣な、苦しい、憂鬱なものであった。
クネヒトは、いくども訪問を受け、会っているうちに、次第に友人からこういう一部始終を聞いたが、彼のほうからも自分の経験や問題について多くのことを告げた。彼は友人を、告白はしたものの、時と気分が移るにつれてそれを後悔し撤回したくなるような状態に決して陥《おとしい》れはせず、自分のほうも腹蔵なく心を傾けて、プリニオの信頼を維持し、強めた。徐々に彼の生涯が友の前に開かれた。それは一見、明確に構成された聖職制度の内部の単純な直線的な模範的な規則的な生活であった。成功と賞讃の相次ぐ経歴であったが、しかもなお厳《きび》しい、犠牲の多い、まったく孤独な生活であった。その中には、外部から来たプリニオには、十分わからない点が多かったが、主要な流れや基本的な気持ちはわかった。何よりもよくわかり、共感できたのは、クネヒトが、青年や、ゆがんだ教育を受けていない若い生徒たちを望む心、栄光や、年中代表になることを余儀なくされているような義務の伴わない仕事、下級の学校のラテン語か音楽の先生などの仕事を望む心であった。クネヒトがこの病人を腹蔵なさによって獲得したばかりでなく、彼を助けてやり、彼に奉仕してやることもできるという暗示を与え、それによって実際にそうするきっかけを作ったのは、まったくクネヒトの治療法、教育法の型にはまっていた。実際デシニョリもいろいろと名人の役にたった。主要な問題ではそうでもなかったが、それだけ、俗世の生活の無数のこまかいことに対するクネヒトの好奇心と知識欲とを満足させる点では、役にたった。
なぜクネヒトが、憂鬱な青春の友人に再び微笑し笑うことを教えるという容易でない課題をしょいこんだのか、それには、相手もその返報として自分の役にたつだろうという考慮が働いていたのかどうか、それはわれわれにはわからない。デシニョリは、その点をまっさきに知るはずであったが、そうは信じていなかった。彼は後に語っている。「どうして友人クネヒトが、ぼくのような諦《あきら》めた、打ちとけなくなっていた人間に働きかけようと始めたのか、それを明らかにしようと試みると、大部分は魔法にもとづくことが、ますますはっきりする。いたずらにもとづく、とも言わなければならない。彼は、身辺の人たちが思っていたよりずっといたずら者で、遊びや、しゃれや、駆引きに長じていた。魔法を使ったり、仮面をかぶったり、不意に姿を消したり、現われたりする冗談を好んでやった。ぼくがカスターリエンの役所に最初に姿を現わしたときにもう、彼は、ぼくをつかまえ、彼の流儀で感化してやろう、つまり、ぼくの目をさまし、形を正しくしてやろうと、決意したのだ、と思う。少なくとも、最初のひとときからすぐにぼくを獲得しようと努力した。なぜ彼がそうしたのか、なぜ彼がぼくをしょいこんだのか、ぼくには言えない。彼のようなたちの人間は、たいていのことを、無意識に、反射的にするのだ、とぼくは思う。彼らは、ある問題の前に置かれたと感じ、ある困難の呼びかけを聞き、むぞうさにその呼びかけに従うものだ。ぼくが疑い深く、はにかみやで、彼の腕に飛びこんだり、助けを請うたりする気の全然ないのを、彼は見てとった。かつてはあれほどざっくばらんで話し好きだったぼくが、失望し、心を閉ざしているのを、彼は見いだした。この障害、この少なからぬ困難こそ、彼を刺激したものらしかった。ぼくがどんなにそっけなくしていようと、彼はひるまなかった。彼はやろうと思うことはなんでもやりとげた。そのとき、彼が特に用いた手は、ぼくたちお互いの関係を相互の関係と思わせ、彼の力にぼくの力が、彼の値打ちにぼくの値打ちが相応し、ぼくが助けを必要としているのと同様に、彼もぼくの助けを必要としているかのように思わせることだった。すでに初めてかなり長い対話をしたとき、彼は、ぼくの出現のようなものを待っていた、いや、あこがれていたことを、ぼくにほのめかし、やがて、辞職して州を去ろうという計画を打ち明けた。そして、ぼくの助言、助力、秘密厳守をどんなにあてにしているかを、絶えずそれとなくもらした。ぼく以外には、俗世には友人がひとりもおらず、何の経験もなかったからである。正直のところ、ぼくはそういう話を好んで聞いた。そのことが、ぼくの全幅の信頼を彼にささげ、いわばぼくをあの人に引き渡してしまうのに、少なからずあずかって力があった。ぼくは彼を完全に信じた。しかし後に、時がたつにつれ、やはりまたこれはまったく疑わしい、ありえそうにもない、ということになった。彼がほんとにぼくから何かを期待していたのか、どの程度に期待していたのか、また、ぼくをとらえようとするやり口が、無邪気だったのか、駆引きだったのか、素朴《そぼく》だったのか、裏に含むところがあったのか、正直だったのか、技巧的遊戯的だったのか、ぼくにはまったく言えなかっただろう。彼はぼくよりはるかに立ちまさっていたし、あまりに多くの好意を示したので、そういうことをあえてせんさくする気にならなかった。いずれにしても、彼の状態はぼくのと似ていた。ぼくが彼の同感と好意に頼っていたのと同様に、彼もぼくのそれに頼っていたのだというような話は、今日ではぼくは、お世辞にほかならない、魅力のある快い暗示にほかならないと思っている。彼はぼくをそういう暗示に巻きこんでしまったのだ。ただ、ぼくを相手の彼の戯れがどこまで意識的で、くふうされ、意図されたものであったのか、それにもかかわらず、どこまで素朴で自然であったのか、それはぼくには言えそうにない。名人ヨーゼフは実際偉大な芸術家だったからである。一方で彼は、教育し、感化し、治癒《ちゆ》し、助け、発展させる衝動に逆らうことができなかったので、手段はほとんど問題にならなかったし、他方では、どんな小さなことでも献身的にやらずにはいられなかった。あのとき、彼が、友人のように、偉大な医者兼指導者のように、ぼくのめんどうを見たこと、ぼくを放さず、ついにおよそ可能なかぎり、目ざまし癒《いや》した一事だけは確かだ。不思議だったが、まったく彼らしくもあった。彼は職務を離れるのにぼくの助けが必要であるかのように振る舞い、カスターリエンに対するぼくのたびかさなる無骨素朴な批判、いや、疑いや、ののしりを、平然と聞いているばかりか、賛成さえし、彼自身はカスターリエンから自由になるために戦っているという状態でありながら、その実ぼくを誘ってカスターリエンへつれもどし、また冥想をさせ、カスターリエンの音楽と沈潜によって、カスターリエン的明朗さと勇敢さによって、ぼくを教育し、改造した。君たちにあこがれているとはいえ、まったく非カスターリエン的、反カスターリエン的であったぼくを、彼は再び君たちの仲間にし、君たちに対するぼくの不幸な愛を幸福な愛にした」
こうデシニョリは言った。彼が感嘆し感謝しているのには、十分の根拠があったのだ。少年や青年の場合なら、われわれの昔からの折り紙つきの方法をかりて、宗団の生活様式に向って彼らを教育するのは、さして困難ではないかもしれないが、もう五十歳近くになっている人の場合は、たとえその人が大いに善意を持っていたとしても、そんな教育は確かに困難な課題であった。もちろんデシニョリが、完全な、あるいは模範的なカスターリエン人になったわけではない。しかし、クネヒトが企図したことは、十分に成功した。すなわち、反抗心と、悲しみの重苦しさとを解消させ、過敏におびえがちになっていた心を調和と明朗さに再び近づけ、いくつかの悪い習慣を良い習慣に置きかえることができた。むろん、それに必要なたくさんのこまかい仕事をすべて、ガラス玉演戯名人自身ですることはできなかった。彼は、ワルトツェルと宗団の機構や職名を賓客のために動員した。しばらくのあいだは、宗団本部の所在地ヒルスラントの冥想名人を、友人の家へ派遣し、修行を不断に監督させさえした。しかし、計画と指導はいつも彼の掌中にあった。
名人在職の八年めに初めて彼は、友人からたびたび受けた招待に応じて、首府の家に友を訪問した。宗団本部の主席アレクサンダーは彼と気持ちの近いあいだだったので、その許可を得て、ある休日をこの訪問に利用した。この訪問に彼は多くの期待をかけていたのに、一年もくり返し引き延ばしてきたのだった。一つには、まず友人を意のままにすることができるようになってからと思ったからであり、一つには自然な不安をいだいていたからであった。実際、この訪問は、友人プリニオがあのかたくなな悲しみを持ってきた世界への、彼にとっては多くの重要な秘密を持っている世界への最初の一歩だったのである。友人がデシニョリ家の古い町の家と取りかえた近代的な家は、押出しのりっぱな、たいそう聡明な、控えめな夫人に切りまわされていた。ところが、その夫人は、きれいではあるが、騒々しい、というより無作法なむすこに支配されていた。ここでは万事がこの人物中心であるらしく、彼は、父親に対する独断的に思い上がった、いくらか見くだすような態度を、母親から学んだらしかった。それはそうと、ここではおよそカスターリエン的なものに対して、冷淡で、不信をいだいていたが、名人の人格に対しては、母と子もそう長くは逆らわなかった。名人の職はふたりにとって何か神秘的な、神聖な、伝説的な点を持っていた。いずれにしても、最初の訪問の際は、極度に堅苦しく窮屈だった。クネヒトは、観祭的な、傍観的な、ことば少なな態度をとった。夫人は敵の高級将校が宿泊することにでもなったように、冷たい形式的な丁重さと内心拒否する態度で彼を迎えた。むすこのティトーはいちばんこだわらなかった。彼はもうずいぶんたびたび、似たような状況を観察し、おそらくおもしろがる目撃者、利用者になったことがあるらしかった。彼の父は、実際以上に家の主人ぶっているように見えた。夫妻のあいだには、穏やかな、慎重な、いくらか神経質な、まるでつまさきで歩くようないんぎんな調子が支配していた。夫よりも妻のほうがずっとらくに自然にその調子を守っていた。父はむすこに対し、同輩付き合いをする努力を示した。むすこはあるときはそれを利用し、あるときは横柄《おうへい》にはねつける習慣になっているらしかった。要するに、骨の折れる、無邪気なところのない、押えつけられた本能のため蒸し暑くあたためられているような共同生活で、故障や突発事を絶えず恐れ、緊張し続けていた。言動の流儀が、家全体の流儀と同様、いくらか念入りにすぎ、ことさらすぎた。まるで外からの侵入や襲撃に対して、いくら防壁を堅固に厚く確実に築いてもなお足りない、としてでもいるようだった。もう一つクネヒトが気づいた点は、プリニオの顔から、再び得られた明朗さが大部分また消えてしまったことだった。プリニオは、ワルトツェルあるいはヒルスラントの宗団本部の家では、重苦しさと悲しさをもうほとんどすっかり失ったように見えたが、自分の家ではまたすっかり影に包まれてしまい、批判と同様に同情をそそった。家は美しく、富とぜいたくを示し、どのへやにも広さに応じた調度が備えつけてあり、どれも快い二色または三色の調和を保っており、あちこちに高価な芸術品が並んでいた。クネヒトは視線を移動させて楽しんだ。しかし、それら目を楽しますものはみな、結局、少しだけ美しすぎ、完全すぎ、念が入りすぎており、発展も変化も更新もないように見えた。へやや調度のこういう美しさも、切願と保護を求める身振りを意味しているのを、へやや絵画や花器や花は、調和と美しさにあこがれる生活を取り囲み、その伴奏をなしているのを、クネヒトは感じた。実際、こういう整然と整った環境を念入りに作るのでなければ、この生活は、調和と美しさに到達することはできないようであった。
クネヒトが友人の家に冥想教師をつけてやったのは、この訪問のあとで、いくらか不快な印象をいだいていたときであった。この家の妙に気詰りな重い雰囲気《ふんいき》の中で一日をすごして以来、いろいろなことがわかるようになった。そういうことを彼は知りたいとは少しも思わなかったが、自分に欠けており、友人のために求めていたことが少なくなかった。この第一回の訪問にとどまらず、訪問はいくどもくり返され、談話は教育や若いティトーのことに及んだ。むすこのことには母親も活発な関心を寄せた。名人は次第に、この賢い、容易に人を信じない夫人の信頼と共鳴を得るようになった。あるとき、彼が半ば冗談に、むすこさんが適当な時機に教育を受けるためカスターリエンに送られなかったのは、残念だ、と言うと、彼女はその発言を非難のようにとり、こう弁明した。ティトーが果してあすこに入れてもらえたかどうかは、極度に疑わしい、あの子は確かに天分はあるけれど、扱いにくい子だ、少年の本意に反してあえて生活に干渉することは自分は決してしなかっただろう、以前父親に同じ試みが行われたが、決して成功はしなかった、自分も夫も、古いデシニョリ家の特権をむすこのために要求することは考えなかった、自分たちはプリニオの父とも古い家のいっさいの伝統とも絶縁してしまったのだから、と言うのだった。最後に、苦しげにかすかに笑いを浮べながら、彼女は、それに、まったく事情が別だったとしても、子どもと別れることはできなかったろう、子ども以外に、自分の生活を生きがいのあるものにするものは、何ひとつないんだから、と付け加えた。熟慮されたというより、思わず知らず口に出たこのことばを、クネヒトはしきりに考えてみずにはいられなかった。では、何から何まで上品にきらびやかにできて、調和のとれている美しい家も、夫も、政治や政党も、昔崇拝していた父の遺産もみな、彼女の生活に意味と価値を与えるのに足りなかったのか。それができるのは、むすこだけだったのか。子どもの幸福のために子どもと別れるより、この家と結婚生活のような悪い有害な条件のもとであろうと、手もとで子どもを育てたかったのである。これほど賢明で、一見冷静で、知的な夫人にしては、これは驚くべき告白であった。クネヒトには、彼女の夫を助けるように、彼女を直接助けることはできなかった。またその試みをしようともまったく考えなかった。しかし、彼がときたま訪問することと、プリニオが彼の感化を受けていることによって、ゆがみもつれた家庭の状態に、やはり節度と警告が加わってきた。一方、名人は訪《たず》ねるたびごとにデシニョリの家で感化と権威を高めていたが、これら俗世の人々の生活をよく知れば知るほど、その生活は彼にとっていよいよなぞの多いものとなった。しかし、彼の首府訪問と、そこで彼が見たり経験したりしたこととについては、われわれはごくわずかしか知らないから、ここに略述したことで、満足する。
ヒルスラントの宗団本部の主席に、クネヒトはこれまで、職務上必要とする以上には、近づかなかった。ヒルスラントで行われる教育庁の全体会議のときに会うぐらいで、そのときでも、主席はたいてい、同僚の送迎のような形式的な、装飾的な職務を行うだけで、会議運営の主要な仕事は議長の権限であった。いままでの主席は、クネヒトが就任したときはすでに、高齢に達しており、演戯名人からはもちろん、大いに敬意を払われたが、お互いの隔りを縮めるようなきっかけを作ったことはついぞなかった。彼は名人にとって、もうほとんど人間でも人格でもなく、ひたすら祭司長として、威厳と精神集中の象徴として、官庁と全聖職制度との組織の上に君臨する無言のかしらとして、屋上の飾りとして浮んでいた。この人が死ぬと、後任として宗団は新しい主席アレクサンダーを選んだ。アレクサンダーは、ほかでもない、数年前ヨーゼフ・クネヒトの就任当初、宗団本部からクネヒトに後見としてつけられた冥想名人であった。当時から名人は、この模範的な宗団人を讃嘆し、感謝の念をもって愛していたが、相手のほうでも、ガラス玉演戯名人を毎日心配のまとにし、いわばそのざんげの聞き手になっていた時期のあいだに、その人柄や行状を十分に親しく観察し知ることができたので、名人を愛するようになっていた。それまで潜在的であった友情が、ふたりに意識されるようになった。そしてアレクサンダーがクネヒトの同僚となり、官庁の長官となった瞬間から、友情は具体的な形をとるに至った。ふたりはたびたび会い、共通の仕事をするようになったからである。もちろんこの友情には、日常の付き合いはなく、青年時代の共通の体験もなかった。高い地位にあるもの同士の同僚としての共鳴であって、その現われは、あいさつをしたり、別れを告げたりするとき、いくらかあたたかみを加えたとか、相互の理解が早くなり、すきまがないようになったとか、さらに会議の合い間に数分間雑談するとか、いうことに限られていた。
憲法上では、宗団名人とも呼ばれた宗団本部主席が、同僚、すなわち諸名人たちの上位にあるということはなかったが、宗団名人が最高官庁の会議の議長になるという伝統によると、やはりそうなっていた。過去数十年来、宗団が冥想的に僧侶《そうりょ》ふうになればなるほど、主席の権威はいよいよ増大した。もちろん、聖職制度と州の内部でのことであって、外部には及ばない。教育庁では、宗団主席とガラス玉演戯名人とが、ますますカスターリエン精神の本当の二つの指数となり、代表となった。文法、天文学、数学、あるいは音楽などのような、カスターリエン以前の時代から伝わっている、非常に古い学科に対し、冥想的な精神訓練とガラス玉演戯とは、カスターリエン固有の特色ある宝となった。したがって、現職の両代表者、指導者が友人関係にあるのは、意味のないことではなかった。両人にとってはそれは、威厳を裏書きし、高めることであり、生活にあたたか味と満足を添えることであり、カスターリエンの世界の二つの最も内面的な神聖な宝と力とを身をもって現わし、実践によって範を示すという任務を達成するために刺激を与えることであった。すなわちクネヒトの中には、それらいっさいを放棄し、別な新しい生命圏へ突入しようとする傾向が大きくなっていたが、これはそれに対する束縛、対抗を意味していた。しかし、新しいものへの傾向は、押えようもなく、発展し続けた。名人在職の六年めか七年めであったろうが、彼自身それを完全に意識するようになって以来、この傾向は強力になり、「目ざめ」の人である彼によって、はばかるところなく、意識的な生活と思索の中に取りあげられた。ほぼそのころから、と言ってよいと思うが、名人の職と州とにやがて別れを告げようという考えに親しむようになった。――それはときには、捕われ人が解放を信じるような気持ちであり、ときには、重い病人が死の知識を持つような気持であったろう。再びもどってきた青春の友プリニオと最初に語り合った際、初めて彼はその考えをことばで言い現わした。それは、無口に打ちとけなくなった友の、心を引きつけ、胸を開かせる方便にすぎなかったかもしれないし、あるいはまた、他人に初めてこういう打明けをすることによって、自分の新しい目ざめ、新しい生命の気分を人に知ってもらい、初めて外部に向け、実現の最初のきっかけを作るためであったかもしれない。デシニョリとさらに対談を重ねるうちに、現在の生活形式をいつか脱ぎ捨てて、思いきって新しい生活形式に飛びこもうという願いが、すでに決意の段階に達した。その間に、今は単に讃嘆だけでなく、快癒し全快したものの感謝によって彼に結びついてきたプリニオとの友情に、細心の仕上げを施し、それを外界への、なぞを蔵している俗世の生活への橋渡しとした。
名人がずっと後になって初めて、自分の秘密と脱出の計画を友人テグラリウスに明かしたのは、怪しむにあたらない。彼はどの友人関係でも好意的に促進させるように盛り立てていくのであったが、同時に自主的に抜けめなくその関係を見きわめ、操《あやつ》っていくことを心得ていた。さてプリニオがクネヒトの生活に再登場したため、フリッツにとっては競争相手が舞台に現われたわけであった。新しい旧友がクネヒトの関心と心情を引きつけたのである。テグラリウスがそれにまずはげしい嫉妬《しっと》をもって反応したとしても、クネヒトは驚きなんかしなかった。実際、しばらくのあいだ、つまり彼がデシニョリを完全に自分のものにし、正当な地位を与えてしまうまでは、テグラリウスがすねて引っこんでいるのは、むしろ望ましかっただろう。もちろん長いあいだには、別な考慮をはらうことが大切であった。ワルトツェルと名人の位からそっと引きさがりたいという願いを、どうしたらテグラリウスのような性質の男の口に合うように、こなせるようにしてやれただろう? クネヒトがひとたびワルトツェルを去れば、この友は永久にクネヒトを失ってしまうのだ。自分の前にある狭い危険な道に友をいっしょにつれていくことは、考えられもしなかった。たとえ友が、予期に反していっしょに行く興味と冒険心を振いおこしたとしても――クネヒトは自分の意図を友に打ち明けるまでには、ずいぶん長いあいだ待ち、熟慮し、ためらった。だが、ついに、離脱の決意が堅くなって久しくたってから、打ち明けた。友人を最後まで盲目にしておき、いわば背後で計画を進め、相手もその結果にあずからねばならないような措置の用意をするのは、あまりに彼の性質に反しただろう。おそらく彼は、プリニオと同様にテグラリウスをも、秘密にあずからせるばかりでなく、ほんとの助力者、共同行為者に、あるいはせめてそう思いこんでいるものにする、ことを欲したのだろう。積極的な行動は、どんな状態をも忍びやすくするのに、役だつからである。
カスターリエンの制度の没落が迫っているとクネヒトが考えていることは、もちろん友人もずっと前から知っていた。もっとも彼がそれを告げる気になった範囲のこと、友人がそれを受け入れる用意のある範囲のことであった。名人は自分の心を打ち明けようと決意したとき、この考えに結びつけたのである。予期に反して、大いにほっとしたことには、フリッツは、内密に打ち明けられたことを悲劇的にはとらず、むしろ、名人がその位を役所に投げ返し、カスターリエンのちりを足から払い落し、自分の趣味にかなった生活を選ぶという考えには、快い興奮と興味をおぼえるらしかった。孤立した者として、あらゆる規格づけの敵として、テグラリウスはいつでも、役所に反対する個人の身方であった。公の権力を機知に富む方法で攻撃し、からかい、出し抜くことにかけては、彼はいつでも身方になった。これでクネヒトは行く道が明らかになったので、ほっと息をし、内心で笑いながら、すぐに友人の反応に乗っていった。これは役所とこちこち役人に対する奇襲だという友人の考えを、そのままにしておき、この奇襲にあたって、彼にも、通謀者、協力者、陰謀の同志の役割をあてがった。つまり役所に対する名人の願い書を作りあげねばならなかったのである。退職をうながす理由を残らず列挙し説明しなければならなかった。この願い書の準備と作成は主としてテグラリウスの任務にされた。何よりまず彼は、カスターリエンの成立、発展、現状に関するクネヒトの歴史的見解を会得《えとく》し、それから歴史的資料を集め、クネヒトの願いと提案をそれによって証明しなければならなかった。そのため、彼がこれまで拒否しけいべつしてきた領域、つまり歴史研究に従事しなければならないことも、彼にとって障《さわ》りにはならないらしかった。クネヒトは急いで、それに必要な指示を彼に与えてやった。それでテグラリウスは、本筋でない孤独な仕事をするときに現わす熱心さと粘り強さで、新しい任務に没頭した。幹部や聖職制度にその欠陥と疑点とを立証し、あるいは彼らを刺激することを可能にするような研究であるから、強情な個人主義者である彼にとっては、異常に強烈な快感がわいてきた。
クネヒトはその快感にあずかりはしなかったし、友人の努力が成功するとも思っていなかった。彼は、現在の境遇の束縛から脱し、自分を待ち受けているような気のする仕事のために自由になろう、と決心していた。しかし、役所をもっともな理由で打ち負かすことも、ここでなすべき仕事の一部をテグラリウスに転嫁することもできない、ということは彼には明らかであった。テグラリウスが自分のそばにいられるあいだ、彼に仕事をさせ、気がまぎれるようにしておけるのは、やはりたいそう好ましいことであった。次に会ったとき、プリニオ・デシニョリにこの話をしたあとで、彼はこうつけ加えた。「友人テグラリウスは、今せわしく仕事をし、それで、君の再来によって彼が失ったと思っているものの埋合せをしている。彼の嫉妬はもうほとんど癒《いや》された。ぼくのために同僚に対して戦う作戦をする仕事は、彼の心身にぐあいがよく、彼は幸福になっているくらいだ。しかし、プリニオよ、彼の作戦行為からぼくが何かを期待している、と思ってはいけない。彼自身にとって良い働きをすればよい、と思っているだけだ。最高当局がぼくたちの計画した願い出を聞き入れてくれるなんてことは、まったくありえそうにもない、いや、不可能だ。せいぜい穏やかなおとがめの警告で答えるくらいだろう。ぼくの意図とその実現とのあいだには、われわれの聖職制度そのものの原理がはさまっている。どんなにもっともな理由をつけた願い出にせよ、それに従ってガラス玉演戯名人を解職して、カスターリエン州以外の所で働かせるような役所だったら、そんな役所はぼくにだってまったく気に食わないだろう。それに、宗団本部にいるアレクサンダー名人は、どんなことにも屈しない男だ。いや、この戦いはぼくひとりで戦い抜かねばならないだろう。だが、まずテグラリウスに明敏さを発揮させよう! そのため少々時間を失うだけだ。どのみち、ぼくが去ったためワルトツェルに障害が起らないように、万事きちんと後始末をしていくためには、時間を必要とするのだ。だが、君はそのあいだにぼくのために、君たちのところに移ってからぼくの住む所と働く仕事をこしらえてくれねばいけない。どんなに微々たるものでもよい。いざとなれば、音楽教師のような地位でも、ぼくは満足だ。飛込み台になる初めが必要なだけだ」
デシニョリは、それはきっと見つかるだろう、そのときが来たら、自分の家は友のために随意の期間開放する、と言った。しかしクネヒトはそれには満足しなかった。
「いや」と彼は言った。「ぼくはお客にされる必要はない。ぼくは働かねばならない。君の家に滞在するのは、どんなに結構でも、数日以上続いたら、緊張とめんどうが増すばかりだろう。ぼくは君を大いに信頼している。君の奥さんもぼくの訪問に慣れて、親切にしてくれる。だが、ぼくがもはや訪問客でも演戯名人でもなくなって、避難民で居候《いそうろう》となったら、万事たちまち一変してしまうだろう」
「君はあんまり几帳面《きようめん》にとりすぎるようだ」とプリニオは言った。「君がまずここを離れて、首府に住居を持つようになったら、すぐさま君にふさわしい招きを受けるだろう。少なくとも大学の教授として――それは確実に期待していいよ。だが、ご承知のとおり、そういうことには時間がかかる。もちろんぼくは、君がここを完全に離れてしまったときに、初めて君のために何かをすることができるのだ」
「確かに」と名人は言った。「そのときまでぼくの決心は秘密にしておかねばならない。ぼくは自身の役所が通知を受け、決定を下さないうちは、君たちの役所に使われるわけにはいかない。それは自明のことだ。だが、それにしても、さしずめぼくは公の地位を求めない。ぼくの要求は小さい。おそらく君が想像しうるより小さい。小さいへやと日々のパン、だが、何よりも仕事、教師として教育者としての任務が必要だ。ひとりもしくは数人の弟子、教え子が必要だ。いっしょに暮し、働きかけることができるようにね。その場合、大学なんてことはぼくは考えない。ひとりの少年の家庭教師かなんかでも、好ましいことに変りはない。いや、そのほうがずっと好ましいのだ。ぼくが求め必要とするのは、簡単な自然な仕事だ。つまり、ぼくを必要とするひとりの人間なのだ。大学に招かれることは、また初めから伝統的な神聖化された職務機構の中に巻きこまれることになるだろう。ぼくの欲するのは、その反対なのだ」
そこでデシニョリはためらいながら、もうしばらく前から抱懐していた願いを持ち出した。「提案したいことがあるんだが」と彼は言った。「少なくともそれを聞いて、好意的に検討してもらいたい。たぶん君はそれを受け入れることができるだろう。そしたら、ぼくのために尽してくれる、というものだ。ここで君の客になった最初の日から、多くの点で君はぼくを助け続けてくれた。君はぼくの生活と家をよく知ったし、あすこの状態がどんなものであるかをも、心得ている。うまくは、いっていない。しかし、数年このかたに比べれば、今はうまくいっている。いちばんやっかいなのは、ぼくとむすことのあいだの関係だ。むすこは甘やかされていて生意気だ。彼は家の中で特別扱いに大切にされる地位を作ってしまった。あれがまだ幼いころ、母親とぼくがきそってあれのごきげんを取ったので、そんなことを考えるようになり、やすやすとそうするようになったのだ。あれはそれからはっきり母親の身方になった。それでぼくは徐々にいっさいの有効な教育手段を失ってしまったが、仕方がないと思った。ちょうどいわば失敗した自分の生活全体をそう思ったようにね。ぼくはあきらめたのだ。だが、君の助けで自分がまたいくらか良くなった今となっては、希望をいだくようになったよ。ぼくが何を言おうとしているか、お察しだろう。それでなくても学校ですらすらいかないティトーを世話してくれる先生なり教育家なりを、しばらくでもつけることができたら、大いに期待が持てるだろう。利己的な願いだってことは、わかっている。こういう仕事が君の心を引くかどうかは、わからない。だが、この提案を口に出す勇気を君が与えてくれたのだ」
クネヒトはほほえんで、彼に手を差し出した。
「ありがとう、プリニオ。これより望ましい提案はありえないだろう。君の奥さんの同意がまだないだけだ。それから君たちふたりとも、むすこさんを当座ぼくにすっかりまかせる決心をしなければならないよ。ぼくがむすこさんを掌中に握るためには、両親の家の毎日の影響を断ち切らねばならない。この点を奥さんと相談して、条件を受け入れるように、納得させてくれたまえ。慎重に手をつけてくれたまえ。ゆっくりやることだ!」
「君はティトーをいくらか物にすることができる、と思うかね?」とデシニョリは尋ねた。
「もちろんだとも、どうしてできないわけがあるかね? 彼は両親の良い血統と天分を受けている。その力の調和が欠けているだけだ。その調和を望む心を起させる、というよりむしろ、それを強め、しまいに意識させるのが、ぼくの任務となるだろう。喜んで引き受けるよ」
こうしてヨーゼフ・クネヒトは、ふたりの友人にそれぞれまったく別なやり方で自分の要件に従事させた。デシニョリが首府で妻に新しい計画を示し、受諾させようと試みているあいだに、ワルトツェルではテグラリウスが図書館の研究室で、クネヒトの指示に従い、目ざす書類の資料を収集した。名人は、彼に読む物をあてがって、彼をうまくさそった。フリッツ・テグラリウスは、それまで歴史を大いにけいべつしていたが、今は戦争期の歴史に食いついて離れず、夢中になっていた。演戯にかけていつも非常な勉強家だった彼は、宗団の暗い原始時代ともいうべきその時期から、徴候の現われているような逸話を、ますます食欲を盛んにして集め、それを山のように積みあげたので、名人は、数カ月後その仕事を提出されたとき、その十分の一だってそのまま残すわけにはいかなかった。
そのころクネヒトは首府訪問をいくどもくり返した。デシニョリ夫人はだんだん彼を信頼するようになった。だいたい、健康な調和のとれた人間は、重荷を負って困っている人々に迎え入れられやすいことが多いものである。まもなく彼女は夫の計画に賛成するようになった。ティトーについては、彼が、名人の訪問の行われたある機会に、横柄にも、自分に君と呼びかけないでほしい、だれでも、学校の先生でも、自分にはあなたと呼びかけるのだから、と言ったことを、われわれは知っている。クネヒトは非常に、丁寧に、ありがとう、失礼した、と言い、自分の州では先生は、どんな生徒にも、学生にも、とっくにおとなになった学生にも、君と言っている、と語った。食後、彼は少年に、少しいっしょに外出し、町をいくらか見物させてほしい、と頼んだ。その散歩の折り、ティトーは彼を旧市街の目ぬきの街路にも案内した。そこにはほとんど軒なみに、上流の富裕な素封家の数百年を経た家が立っていた。これらのがっしりした狭く高い家の一軒の前でティトーは立ちどまり、大玄関の上の紋章を指さして、尋ねた。「あれをご存じですか」クネヒトが知らないと答えると、ティトーは言った。「これがデシニョリ家の紋です。私たちの古い先祖代々の家で、三百年間この家族の所有でした。しかし私たちは、執着のない、世間にありふれた家に住んでいます。それというのも、父が祖父の死後、むら気を起して、この美しいりっぱな先祖代々の家を売って、現代式の家を建てたばかりに、そうなったのですが、その家だって今ではもうそんなに現代式だとは言えません。あなたにはこんなことが理解できますか」
「あなたは古い家をたいそう惜しんでいるのですか」とクネヒトは打ちとけて尋ねた。ティトーが情熱をこめてそれを肯定し、「あなたはそんなことが理解できますか」と質問をくり返すと、クネヒトは言った。「光の中に置いてみれば、なんでも理解できるものです。古い家は美しいものです。新しい家がそばに立っていて、選ぶというのであったら、彼だっておそらく古い家を手放さなかったでしょう。そうです。古い家は美しく貴《とうと》いものです。とりわけ、ここにある家のように美しい家は。――しかし、家を自分で建てるのも、同様に美しいものです。努力家で野心家の青年が、できあがっている巣に、らくらくとあなたまかせではいるか、進んでまったく新しいのを建てるか、どちらかを選べ、といわれたら、建てるほうを選ぶかもしれないということも、十分理解できます。私がおとう様を存じあげているところでは、――私は、おとう様がまだ今のあなたのご年輩で、はげしい向うみずであったころ知ったのですが――古い家を売り、失うことは、おとう様自身、だれよりも苦痛に感じられたのです。おとう様は父君や家族とひどい衝突をなさいました。どうやら、カスターリエンの私たちのもとで受けられた教育も、あの方には当を得たものではなかったようです。少なくとも、二、三の情熱的に早まった行為を防止することはできませんでした。そういう行為の一つが家の売却だったのです。それによって、おとう様は、一家の伝統や父君や過去と依存状態の全体にまっこうからぶつかり、戦いを宣しようと欲したのです。少なくとも私にはそれが十分にわかるように思いました。しかし、人間は奇妙なものです。私には、別な考え、つまり、古い家を売った人は、その売却によって家族ばかりでなく、何よりも自分自身を苦しめようとしたのだという考えも、ありえないことではない、と思われるのです。家族はあの方を失望させたうえ、私たちの英才学校へ送り、私たちの流儀の教育を受けさせました。そして、帰ってくると、あの方の手に負えないような任務や要求や注文をもって迎えました。しかし、これ以上、心理上の解釈をするのはやめます。いずれにしても、この家屋売却の一件は、父子のあいだの衝突、この憎悪《ぞうお》、憎悪に変った愛がどんなに強い力であるかを、示しています。活気のある天分を恵まれた人の場合、こういう衝突が起らないことはまれです。世界史はこういう実例でいっぱいです。それはそうと、どんな代価を払っても、その家を一家の所有にとりもどすことを、一生の任務とするデシニョリの子孫を考えることができます」
「では」とティトーは叫んだ。「もし彼がそうしたら、正しいとお認めにならないでしょうか」
「私は、その人の裁判官になろうとは思いません。もしデシニョリ家の子孫のひとりが、一族の偉大さと、生来課せられた義務とを思い起すならば、また、町と国家と国民と正義と福祉とに全力をあげて奉仕し、そのため非常に力強くなり、かたわら家屋をふたたび手に入れることができるようになったとしたら、その人は尊敬すべき人です。私たちはその人の前で帽子をぬぎます。しかし、もし彼が一生涯この家屋の一件以外に目的を知らないとしたら、とり憑《つ》かれた人間、夢中になっている人間、煩悩《ぼんのう》の人間です。その父の若いころの戦いの意味をついに解せず、一生涯、おとなになっても、その戦いを引きずって歩く人間であることも、大いにありうるのです。彼の気持ちはわかるし、同情もしますが、家門の名声を高めることはないでしょう。古い家族がその家に愛着を持つのは、美しいことですが、若がえりと新しい偉大さは常に、むすこたちが、家族の目的よりより大きい目的に奉仕することによってのみ生じるのです」
この散歩の際はティトーは、父の客の言うことに注意深く、かなり自発的に耳を傾けたが、別の機会にまた拒否と反抗を示した。ふだんはあれほど一致しない両親がそろって大いに尊重しているこの人には、ある力がそなわっているのを、彼はかぎつけた。その力は、彼自身の甘やかされた自由奔放さを危うくするかもしれなかったので、彼は時折り公然と無作法な態度をとった。もちろんその後ではいつも、悪かったと思い、償いをしようという気を起すのだった。ぴかぴか光るよろいのように名人を包む朗らかな丁重さに対し、弱点をさらけ出したということは、彼の自負を傷つけたからである。そして彼も、ひそかに、世慣れぬままにいくらかすさんだ心の中で、これはもしかしたら非常に敬愛することのできる人だ、と感じた。
彼は、クネヒトが独りで、仕事にくぎづけになっている父を待っているのに出くわした三十分ほどのあいだに、特にその感を深くした。へやにはいると、客が目を半ば閉じて、身動きせず、彫像のような姿勢でこしかけ、沈潜のうちに静安を放射しているのが、ティトーの目にはいったので、少年は思わず足音をしのばせて、こっそりまた出ていこうとした。だが、そのとき、こしかけていた人は目を開き、彼にやさしくことばをかけ、立ちあがって、へやにあるピアノをさし示し、音楽をたしなむかどうか、尋ねた。
ええ、もっとももうかなり久しく音楽の課業を受けたことはなく、練習をしたこともありません。学校では優秀なほうではなく、やかましい教員にさんざんいじめられるからです。しかし音楽を聞くのはいつも楽しみです、とティトーは言った。クネヒトはピアノを開き、その前に腰をおろし、調律のできているのを確かめてから、スカルラッティのアンダンテ楽章をひいた。最近彼がガラス玉演戯練習の基礎にしている曲だった。やがて彼は手を休めたが、少年が注意深く一心になっているのを見たので、このようなガラス玉演戯練習ではだいたいどんなことが行われるかを、簡単なことばで説明しはじめ、音楽を構成部分に分解し、それに応用できる数種の分析を示した。そして音楽を演戯の象形文字に翻訳する方法を説明した。初めてティトーは名人を、客としてでなく、自分の自負心をおさえつけるので反発を感じていた有名な学者としてでなく、彼が仕事をしているところを、非常に微妙で精確な芸術を学んだ人が名人として演奏しているところを見たのだった。ティトーはその芸術の意味をほのかに察しうるにすぎなかったが、全人間とその献身とを要求するように思われる芸術だった。こんな複雑なものに対し興味が持てるくらい、おとなで賢くもあると、自分が思われていることも、彼の自尊心を満足させた。彼はしんと静かな気持ちになり、この半時間のうちに、この不思議な人の朗らかさとゆるがぬ落ちつきがどういう源からわき出てくるかを、ほのかに感じ始めた。
クネヒトの職務上の活動は、この最後のころ、昔、就任した困難な時代とほとんど同じくらいはげしかった。彼は義務の所管事項を模範的な状態であとに残すことに留意した。その目的も達せられた。もっとも、自分という人物はいなくてもよい、あるいは容易に補充できると思わせよう、という目的も考えていたのだが、それは失敗した。実際われわれの最高の官職についてはたいていいつもこうである。名人というものは、大体最上の装飾品か金ぴかの位階標ぐらいにすぎず、複雑多様な職域の上に浮動しているのである。名人は、親切な霊のようにさっと軽く来てすぐ立ち去る、ふたことくらい物を言って、うんとうなずき、身振りで用事をほのめかすだけで、たちまち立ち去って、もう次の人のところへ行っている。楽士が楽器をかなでるように、役所の機構をかなでる。何の力も用いず、ほとんど考慮さえしないようであるが、それで万事が成るべきとおりに運んでいる。しかし、この機構の中にいる役人はみな、名人が旅行したり病気になったりすると、名人の存在をてきめんに痛感する。数時間だけでも一日だけでも名人を補うことが、どんなにたいへんであるかを知るのである。クネヒトはもう一度演戯者村という一小国をくまなく視察して歩き、特に、自分の「影法師」に近々自分の代理を真剣にさせるように、それとなく仕向けることに細心の注意をはらったが、そうしているうちに同時に、自分の内心がそのいっさいから離れ遠のいてしまっていることを、よく考えぬいて作られている小さい世界のみごとさももはや、自分を楽しませず、引きつけもしないことを、彼は確かめた。彼は、ワルトツェルや名人の職をもう自分のうしろに横たわっているもののように、ながめた。また、通り過ぎてきて、多くのものを与えられ教えられはしたが、今では自分の中から何の力も行為も誘い出すことのできなくなった一地域のようにながめた。この緩慢な離脱と告別のあいだに、いよいよ明らかになったのは、彼が親しみを失い、離れていこうと考えるようになったほんとの原因は、カスターリエンを脅やかす危険を知り、その将来を憂慮するからではなく、彼自身、彼の心、彼の魂に、空虚な、これまで働かずにいた部分があって、それがいま権利を要求し、満たされることを欲しているからにすぎない、ということであった。
彼はそのころ宗団の憲法と規定とを重ねて根本的に研究した結果、州からの離脱は原則的には、初め自分で考えていたほど困難ではなく、達成しがたくもないことを知った。良心にもとづいて辞職することは自由であった。宗団を去ることも同様だった。宗団の誓いは決して終生に及ぶものではなかった。もっとも、団員がこの自由を行使したことはごくまれであり、最高官庁の一員が行使したことは一度もなかった。いや、この措置を彼にそれほど困難に思わせたのは、法律の厳格さではなく、聖職制度の精神そのもの、彼自身の胸中にある忠誠心と、結盟に対する忠実さであった。確かに彼はこっそり逃げ出そうとは思わなかった。自由を得るため詳細な願い書を用意していた。子どものようなテグラリウスが、それを書くため、むきになって指を黒くしていた。しかし彼はこの願い書が成功するとは思っていなかった。皆は彼をなだめ、警告し、おそらく静養の休暇をとって、ヤコブス神父が最近死んだマリアフェルスか、ローマへ行くように、すすめるだろう。だが、彼を手放しはしないだろう。それはいよいよ確かにわかるように思われた。彼を手放すことは、宗団のあらゆる伝統に反するだろう。当局がそれを許したら、彼の願いの正しいことを承認し、カスターリエンの生活が、それほど高い地位においてさえ、場合によっては一個の人間に満足を与えず、断念と捕われの身を意味することを、承認することになるだろう。
[#改ページ]
第十一章 回章
物語の終りに近づく。すでにあらかじめ示しておいたように、この終りに関するわれわれの知識は欠陥が多く、歴史的な報告の性格より、伝説の性格をより多く持っているくらいである。それで満足しなければならない。しかし、クネヒトの履歴の最後の章の一つ前の章を出所の確かな記録で埋めることができるのは、それだけいちだんと愉快である。すなわち、ガラス玉演戯名人みずから、当局へ自分の決意の理由を述べ、退職を願った長い書面があるからである。もちろん、ヨーゼフ・クネヒトは、われわれがとっくに知っているように、この詳細に用意された書面の成果を信じていなかったばかりか、実際その段になったとき、「願い書」をむしろ全然書かず提出もしなかったほうがよかった、と信じていたことだけは、述べておかなければならない。自然の、そして初めは意識されない力を他人に及ぼす人々と同じような結果に、クネヒトもなった。つまりそういう力を発揮しておれば、その持ち主にも影響を及ぼさずにはいないものである。名人は、友人テグラリウスを自分の意図の促進者、協力者として身方にしたことを喜んでいたとすると、実際の成行きは、自分の考えや願いより強いものとなった。フリッツを自分の仕事の仲間にした、あるいは、誘惑したのであるが、その仕事の価値を発意の当人がもはや信じなくなっていた。だが、友人がいよいよその仕事を仕上げて提出すると、彼はそれをやめにすることも、押しのけることも、利用せずにおくこともできなかった。そうすれば、それによって友人に別離を耐えやすくしてやるつもりだったのに、それこそほんとに友人を傷つけ、失望さすにきまっていた。どうもわれわれの察するところ、あのとき、クネヒトはむぞうさに辞職して宗団を脱退することを宣明したほうが、願い書を出すというような、彼の目にはほとんど喜劇となったまわり道を選ぶより、ずっと彼の本意にかなっていただろう。しかし、友人に対する顧慮が、自分の焦慮をもう一度しばらくのあいだ押えるように、彼を動かした。
勤勉なテグラリウスの原稿をしたしく見ることができたら、たぶん興味深いことだろう。それは主として、証明あるいは説明の目的のために集めた史料から成り立っていたが、聖職制度や世界や世界史に対する批判の、鋭い機知に富む簡潔なことばをも含んでいた、と考えたとしても、誤りではない。しかし、なみなみならず粘り強い努力の数カ月のあいだに作られた原稿が、――これは大いにありうることだが、現存しているとしても、そしてわれわれの使用にゆだねられたとしても、それを発表することは断念しなければならないだろう。われわれの本はそれを公にする適切な場所ではないからである。
われわれにとって重大なのは、演戯名人が友人の仕事をどう使用したか、ということだけである。友人がうやうやしくそれをささげると、彼は感謝と賞讃の心のこもったことばをもってそれを受け取った。そして、そうすれば友人を喜ばすことを心得ていたので、それを朗読してほしいと頼んだ。そこでテグラリウスは幾日にもわたって、半時間ずつ、名人の庭でそのそばにすわった、夏の季節だったからである。たくさんの紙からできている原稿を、彼は満足げに朗読した。ふたりの高い笑い声で朗読が中断されることも珍しくなかった。テグラリウスにとっては幸福な日々であった。そのあとでクネヒトは引きこもって、友人の原稿の多くの個所を利用しながら、当局あての書面をつづった。それをつぎにことばどおり伝える。注釈は不要である。
教育庁に対する演戯名人の書簡
演戯名人である私は、種々考慮の結果、特別な性質の願いを、いかめしい報告書に取りあげるかわりに、この別個の、いわば私的な性質の濃い書簡で、当局に提出することにいたしました。もちろんこの書簡を私は、期限の来た公式の報告に添付し、公式の処理を期待いたしますが、むしろ同僚諸名人あての一種の官庁部内の回章と見なします。
名人が正規の職務執行の際、障害にあったり、危険に脅やかされたりしたら、それに当局の注意を促すのは、名人の義務であります。さて、私は全力をあげて職務に仕えることにいそしんでおりますが、私の職務執行はある危険に脅やかされております。(あるいは、そう思われるのです)その危険は私個人の中に宿っております。もっとも、そこにだけ根ざしているわけではありません。少なくとも、ガラス玉演戯名人たる私自身の資格を弱める道徳的危険は、同時に、私個人の外に存する客観的な危険だ、と私は考えます。ごくかいつまんで申し述べます。私は自分の職務を十全に遂行する能力を疑い始めたのです。それは、私の職務そのものが、自分の保護育成すべきガラス玉演戯が脅やかされている、と考えざるをえないからです。この書簡の目的は、上述の危険の存することと、ひとたびこの危険を認めた以上、そのため、自分の現在いる所とは別の所へ切実に呼び寄せられることを、当局に明示する点にあります。状況を比喩《ひゆ》によって明らかにすることをお許しください。ある人が屋根裏のへやで綿密な学者の仕事をしているとき、家の下の方で火事が起ったに違いないことに気づいたとします。彼は、それが自分の職務かどうか、目録を整理したほうがよくはないかどうか、などと考えはせず、かけおりて、家を救おうとするでしょう。それと同時に、私は、カスターリエンという建築の最上階の一つで、ガラス玉演戯に携わり、もっぱら繊細敏感な楽器を使って仕事をしていますが、本能によって、鼻から、どこか下が燃えていることを、われわれの建物全体が脅やかされて、危険になっていることを、今は音楽を分析したり、演戯の法則をこまかく分けたりしているべきではなく、煙の出ているところへ急ぐべきだ、ということを知ります。
カスターリエンという制度、われわれの宗団、ガラス玉演戯などいっさいを含めて、われわれの学問研究ならびに学校経営は、われわれ宗団同胞の大多数にとっては、だれでもが呼吸している空気、だれでもが立っている大地が、万人に自然であるように、自然のものと思われています。この空気や大地が存在しなくなるなどということ、空気がいつか私たちにとって不足し、足もとの大地が消えるかもしれないなどということは、ついぞだれひとり考えたものがありません。われわれは幸福にも、小さい、清潔な、朗らかな世界に安全に守られて暮しております。われわれの大多数は、どんなに奇妙に思われようとも、この世界は常に存在していた、われわれはその中に生れついたのだ、という想定のうちに生きています。私自身、若いころ、現実を十分心得ていたのに、そうした安易な思いのうちに生きておりました。つまり、自分はカスターリエンで生れたのではなく、お役所によってここへ送られてきて、ここで教育されたということ、カスターリエンや、宗団や、官庁や、学校や、記録所や、ガラス玉演戯は、決していつも存在していたのではなく、自然にできたものでもなく、人間の意志によって後から造られた、高貴ではあるが、すべての造られたものに等しく、はかないものであることを、私は十分心得ていたのです。そういうことをすべて知っておりながら、それが私にとっては現実性を持っていなかったのです。私はてんでそういうことを考えもせず、それを見すごしておりました。われわれのうち四分の三以上のものがこの不思議な安易な錯覚の中に生きかつ死ぬだろうということを、私は知っております。
しかし、宗団もカスターリエンも存在しない幾百年、幾千年があったように、将来もまたそういう時代があることでしょう。私が今日、同僚やご当局に、この事実と平凡な真理を想起させ、われわれを脅やかす危険に目を向けるよう、促すとしたら、すなわち、予言者、警告者、ざんげ僧という、とかくきらわれがちな、ことごとに嘲笑《ちょうしょう》を買いやすい役割を、しばしば引き受けるとしたら、嘲笑されるかもしれないことは、覚悟のうえです。しかし、私はやはり、あなた方の多数が私の書簡を最後まで読んでくださるばかりか、いくたりかの人々が個々の点で私に賛成なさることを、希望しております。そうなれば、ありがたいことです。
わがカスターリエンのような組織、精神の小国家は、内外の危険にさらされております。内部の危険、あるいは、少なくともそのうちの多数は、われわれも知っており、これを注意し、克服しております。絶えず英才学校から個々の生徒を送り返します。われわれの共同社会に役にたたず、危険になるような抜きがたい性格や本能が、彼らにあることを、発見するからです。彼らの大多数は、だからと言って、価値の劣った人間ではなく、カスターリエンの生活に適していないというだけであって、俗世に帰れば、もっとふさわしい生活の条件を見いだし、有為な人間になれる、と思います。その点われわれの実践はりっぱなものです。大づかみに言って、われわれの共同体は、品位と自己訓練を重んじ、精神の上層階級、貴族階級を形成し、また絶えず新たに養成するという任務を、十分に果しております。われわれの中には、あたり前以上に、耐えられないほどに、品位のないもの、怠慢なものは、おそらくもうおりません。だが、宗団の思いあがりや階級の高慢心となると、われわれのあいだでも、非難をまぬがれません。すべての貴族や特権的地位はそうなりがちで、実際、貴族は、みなあるときは正当に、あるときは不当に、その点を非難されるのが常です。社会の歴史を見ると、貴族を作る試みが絶えず行われています。それは社会歴史の頂点であり、王冠であって、何らかの形の貴族政治、最優秀者の支配は、社会形成のあらゆる試みの、常に承認されているとは限らないとしても、本来の目標であり、理想である、と思われます。君主制の権力であるにせよ、無名の権力であるにせよ、権力は常に、貴族が発生すると、保護や特権によってこれを促進する用意を示しました。政治的な貴族であろうと、他の貴族であろうと、生れつきの貴族であろうと、選《え》り抜かれた貴族であろうと、教育された貴族であろうと、問題でありません。恵まれた貴族は常にこの太陽のもとで強くなりますが、常に日なたに立ち、特権を受けていると、ある発展段階以後は、それが誘惑になり、腐敗に陥るのでした。さてわれわれの宗団を貴族と見て、国民全体や俗世に対するわれわれの関係が、われわれの特殊な地位をどこまで正当だとするか、貴族病の特徴、つまり慢心、思いあがり、階級の高慢、知ったかぶり、甘い汁を吸ってありがたいとも思わぬ気質などが、どの程度までわれわれをとらえ支配しているかを、検討してみようとすれば、いろいろと憂慮がわいてきます。今日のカスターリエン人には、宗団の法規に対する従順さ、勤勉、培《つちか》われた精神性などの点では、欠けるところがないでしょう。しかし、国民組織へ、世界へ、世界史へつながる自分の関係については、しばしば透察をまったく欠いていはしないでしょうか。自己の存在の基礎を意識しているでしょうか。生きている有機体に、葉として、花として、枝として、あるいは根として所属することを知っているでしょうか。国民がカスターリエン人に衣食を供給し、訓練や多様の研究を可能にすることによって、払っている犠牲を察しているでしょうか。われわれの存在と特殊な地位の意味を十分考慮しているでしょうか。われわれの宗団と生活の目的についてほんとうに考えているでしょうか。例外は、たくさんの、賞讃すべき例外は認めますが――これらすべての問いに対して、私は否と答えたいのです。一般のカスターリエン人は、世俗の人や学問のない人を、おそらくけいべつも、ねたみも、憎しみも持たずに、見ているでしょうが、同胞とは見ず、パンを与えてくれる人とも見ておらず、外の俗世で行われていることに共同の責任があるとは、露ほども感じておりません。彼の生活の目的は、学問自体のために、学問をすること、あるいはまた、教養の花園を楽しく散歩することにほかならないようです。その教養は普遍的な教養を装っていますが、完全にそうではありません。要するに、カスターリエンの教養は、高貴な教養であって、確かに私はそれに負うところを深く感謝しているのですが、それを持っているものや代表しているものの大多数の場合、器官でも道具でもなく、能動的に目標を目ざしてもおらず、より大きいものや、より深いものに、意識的に奉仕するでもなく、やや自己享楽、自画自讃、精神的専門の育成と向上に傾いています。実際、ひたすら奉仕しようと欲する、りっぱな、極度に価値高いカスターリエン人が多数いることを、私は知っております。それは、われわれのもとで教育された教師、特に、州外のこの国で、わが州の快い気候や精神的な温室生活を離れて、俗世の学校で、無欲な、しかし計り知れないほど重要な奉仕をしている人々です。州の外にいるこれらのけなげな教師たちこそ、厳密に言って、カスターリエンの目的を実際に満たし、その仕事によって、国と国民がわれわれに施してくれる多くの恩恵に報いている唯一の人々なのです。われわれの最高の最も神聖な任務は、国と世界との精神的基礎を維持することです。それは最も高い作用をする道徳的要素であることを実証した基礎なのです。つまり、真理に対する心を維持することなのです。正義も、特にその心に立脚しています。――こんなことはわれわれ宗団の同胞はだれでもよくよく心得ていますが、多少自己検討をしてみると、われわれの大多数のものは、美しく清らかにされているわが州の外でも、世界の福祉と精神的な誠実さと純粋さを維持するなどということは決して最も重要なことではない、いや、まったく重要ではない、と白状するに相違ないでしょう。また、州の外にいるあの勇敢な教師たちが献身的な仕事によって、俗世に対するわれわれの負い目をなしくずしにし、われわれガラス玉演戯者や、天文学者や、数学者のために、特権の享受をある程度弁護してくれるようにと、彼らにまかせきっていることを、白状するに相違ないでしょう。すでに述べた、高慢さと階級的排他心と関連のあることですが、われわれは行為によっても特権に値するかどうかを、あまり心にとめません。いや、それどころか、宗団にふさわしく物質的な暮し方を節制することをさえ、いくらか鼻にかけるものが、われわれの中には少なくありません。まるでそれが美徳であって、美徳のためにそうしてでもいるようです。実は、そんなものは、国がわがカスターリエンの存在を可能にしてくれることに対する返務として、最小限のものなのです。私はこれらの内部的な障害や危険を指摘するにとどめます。それは、平穏な時代にわれわれの生存を危うくするには遠いでしょうが、憂慮すべきものになっています。さてわれわれカスターリエン人は、われわれの道徳と理性に依存しているばかりでなく、まったく根本的に国の状態や国民の意志に依存しています。われわれはパンを食い、図書館を利用し、学校や記録所を建築しています――しかし、われわれにそれを可能にしてやる気が国民になくなったら、あるいは、貧窮、戦争等によって、国にそれができなくなったら、その瞬間にわれわれの生活も研究もおしまいです。国がいつかカスターリエンとわれわれの文化をもはや維持できなくなること、国民がいつかカスターリエンを、もはや許すことのできないぜいたくと見なすこと、いや、そればかりか、国民が、これまでのようにお人好しにわれわれを誇りとするかわりに、いつかわれわれを寄生虫だ、害虫だ、いや、邪説を唱えるものだ、敵だ、と感じるようになること、――それは、われわれを外から脅やかす危険です。
一般のカスターリエン人の目にこの危険を突きつけようと思ったら、何よりも歴史の実例によって示さねばならないでしょう。そうすると、一種の受け身の抵抗、ほとんど幼稚とでも言うべき無知と無関心にぶつかるでしょう。世界史に対する興味は、ご承知のように、われわれカスターリエン人のあいだでは極度に弱いのです。いや、われわれの大多数のものにとっては、興味が欠けているばかりか、歴史に対する公正さや尊敬が欠けている、と言いたいくらいです。世界史の研究に対し、このように無関心と思いあがりのまざった反感を寄せていることに、私はたびたび刺激されて、検討してみた結果、それには二つの原因のあることを発見しました。第一に、歴史の内容が――もちろん、われわれが大いに重んじている精神史や文化史を、私は申しているのではありません――われわれにはやや低級に思われるのです。世界史は、われわれのいだいている観念の範囲では、権力や財貨や領土や原料や金や、要するに、物質的なもの、量的なもの、われわれが非精神的でむしろけいべつすべきものと見なしている物を獲得するための、野獣的な戦いから成り立っています。われわれにとって十七世紀は、デカルトやパスカルやフローベルガーやシュッツの時代であって、クロムウェルやルイ十四世の時代ではないのです。世界史をわれわれが厭《いと》う第二の根拠は、ある種の歴史観と歴史記述に対する、先祖伝来の、だいたいは、私見によれば、正当な不信に存するのです。つまり宗団が創設される前、堕落した時代に非常に好まれた歴史観で、われわれはもともとそんなものを少しも信用しておりません。いわゆる歴史哲学で、この比類のない才気の精華と同時に最も危険な作用をヘーゲルに見いだすのですが、彼に続く世紀においても、極度に鼻持ちならぬほど歴史をゆがめ、真理に対する心を堕落させるに至りました。いわゆる歴史哲学偏愛は、精神が衰退し、最大の規模で政治的権力闘争が行われたあの時代の、われわれがときには「戦争の世紀」と呼び、たいていは「フェユトン〔文芸娯楽欄〕時代」と呼んでいる時代の、主要な特徴なのです。あの時代の廃跡の上に、その精神――むろん非精神――との戦いと、その克服とから、われわれの今日の文化、つまり宗団とカスターリエンは成立したのです。さて、われわれは世界史、特に近世世界史に対し、だいたい古代キリスト教の禁欲者や隠者が俗世間に対立していたのと同じように、対立しているのですが、これもわれわれの精神的高慢さと関連があります。歴史はわれわれには、本能や流行、情欲や所有欲や権力欲、殺人欲や暴力や破壊や戦争、野心の強い大臣や買収された将軍や射撃で破壊された都市などの戦場だと思われます。そして、それが歴史の多くの相貌《そうぼう》の一つにすぎないことを、とかく忘れがちです。、また何よりも、われわれ自身が歴史の一片であり、生成したものであり、将来への生成の変化の能力を失うならば、死滅すべき宣告を受けているものであることを、忘れます。われわれ自身が歴史であり、世界史と、その中のわれわれの地位に対して、共同の責任を負うているのです。われわれにはこの責任の意識が大いに欠けております。
われわれ自身の歴史、他の国々においてと同様、わが国で今日の教育州の成立した時代、わが宗団をその一例とする種々の宗団や聖職制度の成立を、振り返って見ると、すぐにわかることですが、われわれの聖職制度や故郷、わが愛するカスターリエンを築いた人々は、決して、われわれのように世界史に対し見切りをつけた高慢な態度をとってはいませんでした。われわれの先輩、創設者は、戦争時代の末期に、破壊された世界の中で仕事を始めました。ほぼ最初のいわゆる世界戦争とともに始まったあの時代の世界の状態を、われわれはただ一面的に、まさにあのころ精神は、まったく価値を認められず、横暴な権力保持者にとって時折り利用された二次的戦闘手段にすぎなかった、そこに「フェユトン的」腐敗の結果を見る、というふうに説明するのが常です。あの権力闘争の行われた非精神性と残虐性をつきとめるのは、たやすいことです。それを非精神的と呼ぶとしても、それは、知性や方法論にかけてなした彼らの大きな業績を見ないからではなくて、精神をまず第一に、真理への意志と見るのが常であり、われわれはその点に重きを置くからです。あの闘争で消尽された精神は、もちろん真理への意志とは何ら共通点を持たないようです。恐ろしく急激な人口増加から生じた不安と強い勢いとに対抗する、ある程度堅固な道徳的秩序がなかったことは、あの時代の不幸でした。こういう秩序がいくらか残っていたとしても、それは現実的な標語によって駆逐されてしまいました。われわれはその闘争の過程のうちに、奇妙な恐ろしい事実にぶつかります。四世紀以前、ルターによって教会が分裂したときとまったく同様に、突然全世界がすさまじい不安に満たされ、至る所に戦線が結成されました。至る所に突然、共に天をいただかないというはげしい敵対関係が、青年と老人のあいだに、祖国と人類のあいだに、赤と白のあいだに生じました。われわれ今日の人間には、あの「赤」と「白」の力と、内部的な勢いや、あらゆる標語と闘争宣言の本来の内容と意味をまた作りあげてみることは、もうとうていできません。理解したり、同感したりすることは、なおさらできません。ルターの時代と同様、ヨーロッパ全土で、いや、地球上の半分で、信者と異端者、青年と老人、昨日の擁護者と明日の擁護者が、熱中して、あるいは絶望して切りつけ合うのでした。戦線はしばしば、地図や国民や家族を横断しておりました。戦っているものたち自身、あるいはその指導者の多数にとっては、いっさいの行為が極度に意義深いものであったことを、われわれは疑うわけにいきません。同様に、あの戦いをやっていた首領や代弁者の多くが、一種のたくましい善意、当時の呼び方によれば、理想主義を持っていたことも、否定するわけにいきません。至る所で、戦闘、殺人、破壊が行われました。至る所で双方とも、悪魔に対し神のために戦うのだ、という信念を持っていました。
われわれのあいだでは、高い感激と野蛮な憎悪とまったく名状しがたい苦悩の野蛮な時代は、いわば忘却の底に沈んでしまいました。ちょっと理解しがたいことです。なぜなら、あの時代は、われわれのいっさいの施設の成立と密接な関連があり、その前提、原因となっているからです。諷刺家《ふうしか》なら、この忘却を、成功して貴族になった冒険家が自分の生れと両親を忘れる忘れっぽさに比較するでしょう。あの戦争時代をもう少し観察してみましょう。私はあの時代の記録をいろいろ読んでみましたが、征服された国民や破壊された都市よりも当時の精神的な人々の態度に、興味を感じました。彼らは困難な目にあい、大多数のものは踏みこたえることができませんでした。学者のあいだにも宗教家のあいだにも、殉教者が出ました。彼らの殉教と模範は、残虐に慣れっこになった時代においてさえ、影響を及ぼさずにはいませんでした。それにしても――精神の代表者の大多数は、あの暴力時代の圧迫に耐えられませんでした。ある者は屈服して、才能や知識や方法を権力者に役だてました。マサゲーテン共和国の当時の一大学教授が「二の二倍が何であるかを決定するのは、大学の教員ではなくて、将軍である」と言ったのは、有名です。またある者は、半ば防備された場所でできる範囲で反対をし、抗議を出しました。ある世界的に有名な著者は当時――チーゲンハルスの書いたもので読めます――たった一年間に、二百以上のそういう抗議や警告や理性への訴えなどに署名したそうです。おそらく実際はそんなに読みもしなかったでしょう。しかし大多数のものは、沈黙を習得しました。飢え凍えることも、こじきをし、警察に対し身を隠すことも習得しました。彼らは早死にしました。死んだものは、生き残ったものから、うらやまれました。自殺したものも数えきれません。学者や文士であることは、実際、もはや楽しみでも名誉でもありませんでした。権力者や標語に奉仕したものは、なるほど職とパンは得ましたが、仲間の最もすぐれた人々からけいべつされました。しかもたいてい、良心のやましさを強く感じました。そういう奉仕を拒んだものは、飢えなければなりませんでした。法律の保護を受けずに暮し、窮迫のうちに、あるいは亡命のうちに死ななければなりませんでした。そこでは、残酷な、前代|未聞《みもん》のひどいふるいわけが行われました。研究ばかりでなく、学校経営も、権力の目的や戦争の目的に役だたないかぎり、急速に衰えました。とりわけ、世界史は、そのつど支配的になった国民によって、ひたすら自己本位にされ、極度に単純化され、作りなおされました。歴史哲学とフェユトン〔雑文文化〕が学校の中まで支配しました。
こまかいことはもうたくさんです。諸国民と諸党派、老人と青年、赤と白が相互にもはや理解しあわない、はげしい野蛮な時代、混沌《こんとん》としたバビロン的時代でした。その結果は、さんざん血を流し、みじめになったあげくのはて、みんなが、正気と、共通のことばの再発見と、秩序と、道徳と、通用する尺度と、権力の利害によって命令されたり、ネコの目のように変えられたりすることのない文字と九々とを、いよいよ強くあこがれるようになったことです。真理と正義への、理性への、混沌の征服への、非常に大きな欲求が生じました。暴力的な、まったく外部に目を向けた時代の末期に現われたこの真空状態と、また新発足と秩序とを求める万人の、言いようもなく切実に哀願的になったあこがれとが、カスターリエンとわれわれの存在とを実現させてくれたものでした。真に精神的な人々の、ごく少数の、勇敢な、半ば飢えながら屈しなかった一団が、彼らのなしうるところを自覚しはじめ、禁欲的な英雄的な自制のうちに、秩序と憲法を作り始め、至る所で、小さい、最小の集団によって、再び仕事を始め、標語をかたづけ、まったく下から再び精神と授業と研究と教養とを築き始めました。建設は成功しました。初めはみすぼらしく悲壮なものでしたが、徐々にのびてみごとな建物になり、世代を重ねるうちに、宗団、教育庁、英才学校、記録所と収集所、専門学校と研究室、ガラス玉演戯などが作られました。われわれは今日、相続者として受益者として、りっぱすぎるくらいの建物に住んでいるわけです。重ねて申します。われわれはその中に、ずいぶんぼんやりな、かなり安楽に慣れた客として住んでおります。そして、われわれの土台となったおびただしい人間の犠牲や、われわれが受けついでいる苦難の経験や、われわれの建物を建てた、あるいは容認した世界史などについて、われわれはもはや何も知ろうとしません。世界史は、われわれを、そしておそらく今日のわれわれの後もなおカスターリエン人や名人を載せ、容認してくれるでしょうが、いつかはわれわれの建築をまたくつがえし、飲みこんでしまうでしょう。世界史は、成長させたいっさいのものをまたくつがえし、飲みこんでしまうのですから。
私は歴史からもとへもどります。その結果、今日のわれわれに応用できるのは、次のことです。つまり、われわれの組織と宗団は、繁栄と幸福の頂点をすでに通り越してしまったのです。世界現象の不思議な戯れは、こういう繁栄と幸福とを、美しく願わしいものに、時折り与えるものです。われわれは衰退しつつあります。まだずいぶん長びくことでしょうが、われわれがすでに所有していたものより高いもの、美しいもの、願わしいものが、われわれの手にはいることはありえません。道は下り坂です。われわれは歴史的に整理を受ける段階に達している、と思います。疑いもなく整理は行われるでしょう。きょう、あすではなくとも、明後日は行われるでしょう。こう推論するのは、われわれの業績や能力をあまり道徳的に批判するだけだからではありません。それ以上に、外の世界に起っているいろいろな動きが見えるので、そこから推論するのです。危険な時が近づいています。至る所に前兆が感じられます。世界はいつかまた重点を移そうとしています。権力の移動が起ろうとしています。それは、戦争や暴力を伴わずには遂行されないでしょう。平和の脅威ばかりでなく、生命と自由の脅威も、極東から迫っています。わが国とその政策が中立を守ろうとしても、全国民が一致して(そんなことはいたしません)、従来のものを持続し、われわれとカスターリエンの理想に忠実であろうと欲しても、むだでしょう。今日すでに国会議員で、時折り明白に、カスターリエンはわが国にとってやや高価なぜいたくだ、と言うものが少なくありません。防御のための軍備にすぎないにせよ、真剣な戦闘的軍備を強《し》いられるようになれば、まもなくそうなりそうなのですが、大規模節約措置が行なわれるでしょう。政府がわれわれにどんなに好意を寄せていようと、節約の大部分はわれわれに振りかかってくるでしょう。わが宗団と、宗団が保証している精神文化の維持が、国に比較的つつましい犠牲を要求していることを、われわれは誇りとしております。他の時代に比べれば、特に、フェユトン時代の初期に、大学が豊富な金をもらい、無数の枢密顧問官やぜいたくな研究室を擁していたのに比べれば、この犠牲は実際大きくはありません。戦争の世紀に戦争と軍備が飲みこんだものに比べれば、零細なものです。しかし、この軍備こそまもなく再び至上命令となるかもしれません。国会では将軍たちがまた勢力を振うでしょう。そして国民が、カスターリエンを犠牲にするか、戦争と没落の危険にさらされるか、という選択の前に立たされるとき、国民がどう投票するかを、われわれは知っております。そうなれば、疑いもなく、戦争理論が盛んになり、特に青年をとらえるでしょう。つまり標語式世界観が盛んになって、学者や学者階級、ラテン語や数学、教養や精神育成などは、戦争の目的に役だつ範囲でしか、生存の権利を認められないでしょう。
大波はもう近づいてきつつあります。いつかはわれわれを洗い去るでしょう。それはよいことで、必要であるかもしれません。しかし、深く尊敬する同僚諸君、さしあたり、現象を見抜くわれわれの透察の程度、われわれの目ざめと勇敢さの程度によると、われわれの持ちうる決意と行動の自由は限られたものです。人間に与えられている自由、世界史を人間の歴史にする、あの限られた自由です。われわれは欲すれば、目を閉じることができます。危険はまだある程度離れているのですから。――おそらく、今日名人であるわれわれは皆、まだ最後まで安らかに在職し、安らかに死の床につくことができるでしょう。危険が近よって来て、皆の目に見えるようになるのは、それからです。しかし私にとっては、たぶん私にとってだけではないでしょうが、その安らけさは良心の安らけさではないでしょう。来たるべきものが私を、生きているうちに、訪れることはあるまいと、いい気になって、自分の職務を執行し、ガラス玉演戯を演じ続けるのは、いやです。いいえ、われわれ非政治的な人間も世界史の一員であり、世界史を作る助けをしていることを思い起す必要があるように、思われます。それゆえ、この書簡の初めに、私の職務能力が減退している、そうでなくとも脅やかされている、と申したのです。私の考えや配慮の大部分が未来の危険にわずらわされているのを、阻止することができないからです。その不幸がわれわれにとって、また私にとってどんな形をとるであろうかと、その形をもてあそぶことを、私は自分の空想に許しはしませんが、危険に対処するため、われわれは、また私は何をしなければならないか、という問いに、耳をふさぐことはできません。それについてなお一言述べるのをお許しください。
学者、というよりむしろ賢者が、国家を支配すべきだというプラトンの要求を、私は主張したくはありません。世界はあのころ若かったのです。プラトンは、一種のカスターリエンの創立者ですが、決してカスターリエン人ではなく、生れつきの貴族で、王家の血統をひいていました。われわれも貴族で、貴族階級を作っておりますが、精神の貴族であって、血の貴族ではありません。血の貴族を同時に精神の貴族とともに育成することは、人間にはついに成功しないだろう、と思います。それができたら、理想の貴族となるでしょうが、それは夢にとどまります。われわれカスターリエン人は、しつけの良い、まったく賢い人間ではありますが、支配に適してはおりません。われわれは統治しなければならないとしても、真の統治者が必要とする力と素朴さをもって、それをしはしないでしょう。それにまた、統治するとなれば、われわれの本来の分野、独特な尽力の的、すなわち模範的な精神生活の育成をたらまちゆるがせにするでしょう。思いあがっている知識階級の人々が往々考えたように、支配するためには、決して愚かであり、粗野である必要はありません。しかし、支配するためには、外に向けられた活動をすなおに喜び、目標や目的と一体だと情熱的に感じ、それからまた成功への道を遅疑なくすみやかに選ぶことが必要です。つまりそれらは、学者が――われわれは賢者と自称したくないからですが――学者が持ってはならない、また持っていない性質ばかりです。なぜなら、われわれにとっては、観察が行為より大切だからです。目的に達する手段方法を選ぶにあたって、われわれは極力小心翼々、疑い深くすることを学びました。それゆえわれわれは統治すべきでなく、政治に手を出すべきではありません。われわれは、研究、分析、計量の専門家です。すべての文字や九々や方法を維持し、絶えず再検討するものです。精神的な度量衡器検定官です。確かにわれわれはなおその他多くのものです。場合によっては、革新家、発見家、冒険家、征服者、新しい解釈者にもなれます。しかし、われわれの第一の、最も重要な働きで、そのために国民がわれわれを必要とし、維持してくれるのは、あらゆる知識の泉を清らかにしておくという働きです。商業や政治その他では、五のかわりに十をだまし取ることが、ときとして一つの手柄、天才的な素質を意味するかもしれません。しかし、われわれのあいだでは断じてそういうことはありません。
昔は、興奮した、いわゆる「非常時」に際して、つまり戦争や革命に際して、人々は往々知識階級の人々に対し、政治的になれ、と要望したことがあります。特に後期フェユトンの時代にはそうでした。精神の政治化、あるいは軍事化の要求も、そういう要求の一つでした。教会の鐘が砲身に鋳造されるために、まだ成人していない生徒が、大損害を受けた部隊の補充のために、充当されたように、精神も戦争資材として徴発され、消費さるべきだ、というのでした。
もちろんわれわれはこの要求を認めるわけにいきません。非常の際には学者が講壇や研究机から連れ去られて、兵隊にされる。場合によっては学者が義勇兵の志願をする。さらに、戦争のため疲弊しきった国では、学者はあらゆる物質的な点で極限まで、餓死に至るまで、不自由に甘んじなければならない。そんなことについては、何も言う余地はありません。人間の教養が高ければ高いほど、享受する特権が大きければ大きいほど、非常の際には、彼のはらう犠牲は大きいことを要求されます。いつかはこのことがすべてのカスターリエン人にとって自明となるだろう、と思います。しかし、国民が危険に陥った場合、われわれはわれわれの幸福、安楽、生命を国民のために犠牲にする用意があるとしても、それは、われわれが精神そのものを、精神的な伝統と道徳とを、時局や国民や将軍の利益のために犠牲にする用意がある、ということを含んではおりません。自国民がしのばなければならない行為や犠牲や危険を回避するものは、卑怯者《ひきょうもの》です。しかし、精神生活の原理を物質的な利益のために裏切るもの、すなわちたとえば、二の二倍はいくつになるかという決定を権力者にまかせる用意のあるものは、それに劣らず卑怯者で裏切り者です! 真理を思う心、知的な誠実さ、精神の法則と方法に対する忠実さを、何らか他の利益のために犠牲にするのは、たとえそれが祖国の利益のためであるにせよ、裏切りです。利益や標語の戦いで、真理が、個人や言語や芸術や、あらゆる有機的なものや精巧に高度に養成されたものと同様に、価値を奪われ、ゆがめられ、暴力を加えられる危険に陥ったとしたら、反抗すること、真理を、すなわち真理を求める努力を、われわれの最高の信仰個条として救うことが、われわれの唯一の義務です。弁士として、著者として、教師として、故意に偽りを言い、故意に虚言や偽造を支持する学者は、有機的根本原則にそむく行為をするばかりでなく、どんなに時勢即応の外観を示そうとも、自国民に何らの利益をもたらさず、かえって重大な損害を与え、国民の空気と大地、飲食物を腐敗させ、思想と法律を毒し、国民を破滅に陥《おとしい》れようとするいっさいの悪と敵とを助けることになるのです。
したがってカスターリエン人は政治家になるべきではありません。もちろん危急の際は、一身を犠牲にすべきではありますが、決して精神に対する忠実さを犠牲にすべきではありません。精神は、真理に対して従順であるときだけ、有益であり、高貴であります。真理を裏切り、畏敬《いけい》の念を捨て、金銭で買われ、どうにでも曲げられるようになるやいなや、精神は、潜在的な悪魔となります。動物的な本能的な野生よりずっと悪いものになります。野性はまだしも自然の無邪気さをいくらか失わずにいるからです。
尊敬する同僚諸君、国と宗団そのものが危険に陥ったとき、宗団の義務がどこに存するか、それについて考えることは、各位におまかせします。そこには種々の見解がありましょう。私も自分の見解を持っています。ここにあげたいっさいの問題をよく考慮した結果、何が自分にとって義務であり、努力に値するかということについて、自分なりにはっきりした考えに到達いたしました。そこで、ご当局に対し個人的な願い書を提出することになりました。この願い書をもって私の覚え書を結ぶことにいたします。
われわれの役所を構成している諸名人の中で、私は演戯名人としての職務上おそらく外界から最も遠ざかっています。数学者、言語学者、物理学者、教育学者、および他の名人は皆、世俗の世界と共通点のある領域で働いております。カスターリエン以外の、わが国ばかりでなく、どの国の普通の学校でも、数学や言語学は授業の基礎をなしています。俗世の大学でも、天文学、物理学は行われ、まったく学問のないものでも、音楽は行なっています。これらの課目はみな非常に古く、われわれの宗団よりずっと古いものです。宗団以前に存在していましたし、宗団より長い生命を持つでしょう。ただ一つガラス玉演戯はわれわれ自身の発明、専門、愛児、おもちゃであって、特にカスターリエン的な性質の精神の最後の極度に洗練された表現です。同時にそれは、われわれの宝の中で最も貴重で、最も無益で、最も愛されており、同時に最もこわれやすい宝石です。カスターリエンの存続が疑問となる場合、まっさきに滅んでいくものです。われわれの所有するものの中で最もこわれやすいものであるからだけでなく、俗人にとって疑いもなく、カスターリエンのものの中でなくてもすまされる随一のものだからです。なくてすまされる費用をすべて国のために節約する必要があるとなれば、英才学校を縮小し、図書や収集の維持と拡張の基金を減らし、ついにはけずり去り、われわれの食物をつめ、着る物をもはや新しくしないでしょう。われわれの文芸大学の主要な学科は全部存続させるでしょうが、ガラス玉演戯だけは存続させないでしょう。新しい火器を発明するためにも、数学は必要です。しかし、演戯者村を閉鎖し、演戯を廃止しても、国や国民にいささかの損害も生じない、とみな信じています。何よりも軍部はそうです。ガラス玉演戯は、われわれの建物の一番末端にある、最も危険に瀕《ひん》している部分です。来たるべき地震をまっさきに予感するもの、そうでなくとも、その気持ちをまっさきに当局に表白するものが、ほかならぬ演戯名人、すなわちわれわれの最も超俗的な課目の主管者だというのも、おそらくこのことと関連しておりましょう。
つまり私は、政治上、特に軍事上の変革がある場合、ガラス玉演戯はおしまいだ、と考えます。個々の人がどんなにおおぜい愛着を持ち続けようとも、それは急速に衰えるでしょうし、復活されることはないでしょう。新しい戦争の時期に続く雰囲気《ふんいき》は、ガラス玉演戯を容認しないでしょう。たとえば、一六〇〇年ころの職業歌手の合唱、あるいは一七〇〇年ころの教会で行われた日曜の有飾歌曲などのように、音楽史において極度に発達をとげた慣行的なものと同様に、消滅するでしょう。その当時人間が耳にしたようなひびきを、天使のように輝く清らかさのままに、呼びもどすことは、どんな学問にも魔術にもできません。そのようにガラス玉演戯も、忘れられはしないでしょうが、再現することもできません。そうなったとき、演戯の歴史、成立、繁栄、終末を研究するものは、溜息《ためいき》をついて、われわれがこのように平和な、丹念な、純粋な気分の精神的な世界に生きられたことを、うらやむでしょう。
さて私は演戯名人ではありますが、われわれの演戯の終末が来るのを妨げたり、引き延ばしたりするのを、私の(あるいは、われわれの)任務だとは、決して考えません。美しいもの、最も美しいものも、地上において歴史となり、現象となると、すぐ無常なものとなります。われわれはそのことを知り、悲しみを感じることはできますが、真剣に変える試みをすることはできません。なぜならそれは変更できないものだからです。ガラス玉演戯が滅びたら、カスターリエンや世界は、一つの損失をこうむるでしょうが、すぐにはそれを感じないでしょう。もっとも、大きな危機に面したら、まだ救えるものを救うために、大いに努めるでしょう。ガラス玉演戯のないカスターリエンは考えられますが、真理を敬わないカスターリエン、精神に誠実でないカスターリエンは考えられません。教育庁は、演戯名人がいなくても、やっていけます。しかしこのマギステル・ルディ〔演戯名人〕は、本来、そして本質的に、われわれがこのことばで言い現わす専門を意味してはいないのです。そのことをわれわれはほとんど忘れてしまいました。マギステル・ルディは本来まったく簡単に学校の教師を意味しているのです。そしてカスターリエンが危険に陥り、その貴重な宝が老朽化し、くずれ落ちれば落ちるほど、わが国は学校教師を、よい勇敢な教師をいよいよ必要とするでしょう、他の何ものよりも、われわれは先生を必要とします。若い者に、測ったり判断したりする能力を教え、真理をうやまい、精神に従い、ことばに仕える点で、模範となるような人を、必要とします。このことは、われわれの英才学校にだけ第一にあてはまるわけではありません。英才学校の存在もいつかは終る日が来るでしょう。それは州外の世俗の学校にあてはまることです。市民や農民や職人や兵隊や政治家や将校や支配者が、まだ子どもで、教化の可能性があるかぎりは、そこで教育され、仕込まれます。そこにこそこの国の精神生活の基礎があるのであって、研究室やガラス玉演戯にあるのではありません。われわれは絶えず教師や教育者を国に供給しました。すでに申したとおり、彼らはわれわれの最も優秀な人々です。しかし、われわれは、従来行われたよりずっと多くのことをしなければなりません。州外の学校から天分のあるものの中の英才が引き続きわれわれの所へ流れこんできて、わがカスターリエンを維持するのを助けてくれると、あてにするわけにはもはやいきません。学校に、世俗の学校に、謙虚な、責任の重い奉仕をすることを、ますますわれわれの任務の最も重要な、また光栄ある部分と認め、完成しなければなりません。
これでいよいよ私が、ご当局に提出したいと思う個人的な願い書に到達いたしました。ここに私は当局に、演戯名人としての職を免じてくださるよう、お願いいたします。そして、州外で国内の普通の学校を、大小にかかわりなく、私におまかせくださって、私が若い宗団の兄弟の仲間をその学校へ教師として徐々に招くのをお許しくださるよう、お願いいたします。もちろん、われわれの原則を若い世俗の人々の血肉とならしめるよう、私を忠実に助けてもらえると、私の信頼する人々を招くのです。
私の願い書とその理由を、ご当局が好意をもって検討し、そのうえで命令を送達されますよう、お願いいたします。
ガラス玉演戯名人
追白
尊敬するヤコブス神父のことばを引用することをお許しください。それは、彼の忘れがたい個人講義の際、私が書きとめておいたものです。「恐怖とどん底の不幸の時代が来るかもしれない。しかし不幸に際してもなお幸福を保とうとすれば、精神的な幸福以外にはありえない。すなわちうしろを向いては、前の時代の教養を救い、前を向いては、そうでなければ、すべて物質の手に帰してしまうであろう時代に、精神を明朗に不屈に主張するのである」
テグラリウスは、この文書の中に自分の書いたものがどんなにわずかしか残っていなかったかを、知らなかった。彼はこの文書を最後の形で見る機会を得なかった。もっともクネヒトは、その前の、もっとずっと詳しい形のを、彼に読ませはした。クネヒトはこの書面を発送し、当局の返事を待ったが、友人に比べれば、焦燥を感ずることがずっと少なかった。彼は、将来自分の処置を友人に知らせまいと決心していたので、この件をこれ以上話すことを戒め、返事が到着するまでには、疑いもなく長い時間がかかるだろう、とだけそれとなく言った。
やがて、彼自身が考えていたより短い期間の後に、その返事が着いたが、テグラリウスは何も知らされなかった。ヒルスラントから来た手紙にはこう書いてあった。
ワルトツェルの演戯名人閣下
尊敬する同僚!
宗団本部ならびに名人一同は、貴下のあたたかい心のこもった同時に聡明《そうめい》な回章を、なみなみならぬ関心をもって拝見しました。書面中の歴史的回顧と、それに劣らず、未来への憂慮に満ちた透察は、われわれの注意をひきつけました。確かに、この刺激的な、部分的には不当ではない考察を生かすため、これにさらに熟慮を加えるものも、われわれの中に少なくないでしょう。われわれ一同は、貴下の心を励ましている信念を認め、喜びと感謝をおぼえます。真の無私のカスターリエン気質から発した信念、われわれの州とその生活や習俗に対する深い、第二の天性となった愛、憂慮のこもった、現在はややおびえている愛から生じた信念です。同様な喜びと感謝とをもって、その愛の個人的な目下の調子や気分を、自発的な犠牲心を、行動欲を、真剣さと熱意を、悲壮な傾向を、われわれは知りました、それらのいっさいの特徴の中に、われわれはガラス玉演戯名人の性格を、その実行力を、熱を、果敢な精神を再確認しました。彼が歴史を、純粋に学究的究極目的のためにではなく、またいわば無感動な観察者として美的遊戯のうちに研究しているのではなく、歴史に関する知識を直接、現在にあてはめ、行動と博愛的献身に向って督励しているのは、いかにも有名なベネディクト派神父の弟子なる彼にふさわしいことです! 尊敬する同僚よ、貴下の個人的な願いの目標がこんなに謙虚だということ、貴下が政治的な任務や使命に、有力な名誉ある地位に心を引かれず、単にルディ・マギステルすなわち学校教師であろうと欲するということは、これまたいかにも貴下の性格にかなっています!
これが、貴下の回章を最初に読んだ際すでに、求めずして生じた印象と考えです。大多数の同僚も、同じ、あるいは似かよった印象や考えを持ちました。これに反し、貴下の報告、警告、願いをさらに批判していくと、当局は、そのような一致した態度の決定に到達することができませんでした。それについて開かれた会議の席上、特に、われわれの存在が脅やかされているという貴下の見解を、どこまで採りあげうるかという問題、危険はどんな性質で、どの規模のもので、時間的にどのくらい近づいているかという問題が、活発に論議されました。議員の大部分はこの問題を明らかに真剣に採りあげ、熱意を示しました。しかしこの問題のどれにも、貴下の見解に賛成する投票が多数を得られなかったことを、お伝えしなければなりません。認められたのは、貴下の歴史的政治的観察の思考力と先見の明だけでして、個々の点では、貴下の推測、あるいは予言と申すべきでしょうか、それらは一つとして全面的に是認されず、もっともなものとして採りあげられはしませんでした。宗団とカスターリエン的秩序が、異常に長い平和時代の維持のため、どの程度まで協力したか、いや、そもそも原則的にそれがどの程度まで政治の歴史や状態の要素と認められるか、という問題でも、貴下に賛成したものは、少数にすぎず、それも留保付きでした。大多数の意見はだいたいこんなふうでした。戦争時代が終ってのち、わが大陸に平安が訪れたのは、それに先立つ恐ろしい戦争の結果として、一般に血を失って疲弊したことが、その一因であるが、それより以上に、当時西洋は、もはや世界史の焦点でも、盟主の地位を争奪する戦場でもなくなった、という事情による。宗団の功績を少しも疑うわけではないが、カスターリエン的思想、すなわち、冥想《めいそう》的な魂の修練という建て前で行う高い精神教養に、本来歴史を形成する力を、つまり政治的な世界情勢に生きた影響を及ぼす力を認めることはできない。この種類の衝動や野心は、カスターリエン的精神の性格全体に、およそ遠くかけ離れている、というのです。この題目を非常に真剣に論じた数人は、政治的に働きかけ、平和と戦争に影響を及ぼすことは、カスターリエンの意志でも使命でもない、と力説しました。そういう使命が問題になりえないのは、カスターリエンのものはみな理性に関係しており、理性的なものの内部で演じられるからである。これに反し、世界歴史についてはそういうことは言えないであろう。もっとも、ロマン的歴史哲学の神学的文学的熱狂に立ちもどって、歴史を作る勢力の殺人と破壊の機械全体を、世界理性の方法だ、と説くなら、別である。精神史をほんのちらっと概観しただけでもう明らかになることであるが、精神の全盛期を政治的な状態から説明することは、根本的には不可能である。むしろ、文化、あるいは精神、あるいは魂は、それ自体の歴史を持っており、その歴史は、いわゆる世界史、すなわち、物質的な力を求めて静止することのない戦いと並んで、第二の、ひそかな、血を流さぬ、神聖な歴史のように進んでいく。わが宗団が関係を持つのは、この神聖なひそかな歴史であって、「現実の」残忍な世界歴史ではない。政治的な歴史を監視したり、それを作る力を貸したりすることは、決して宗団の任務となりえない。
したがって、世界的政治的情勢が実際に、貴下の回章の示すとおりであるかないか、それはさておき、いずれにしても、宗団としては、傍観的甘受的態度をとるほかはない。そういうわけで、この情勢を積極的態度決定の督促と見なすべきだ、という貴下の意見は、数票を除いて、大多数によってきっぱり否決されました。今日の世界情勢に関する貴下の見解、近い将来に関する貴下の暗示について言えば、それは明らかに同僚の多数に、ある種の感銘を与え、数人の同僚にはセンセイションのような影響をさえ及ぼしましたが、この点でも、大多数の発言者は貴下の知識と明察に敬意を表明しはしたものの、多数のものが貴下と一致したと、確認することはできませんでした。その反対でした。むしろ、この点に関する貴下の発言は、注目に値し、すこぶる興味深いけれど、過度に悲観的なものと批判される、という傾向が支配的でした。名人たるものが、危険と試練が近づいていると称して、はなはだ暗い光景を描き出すことによって、当局を驚かすのは、危険である。いや、無法である、少なくとも軽率である、と言うべきではないか、と尋ねたものも、一名ありました。確かに、万物の無常を時折り警告することは、許される。各人が、特に、高い責任ある地位に立つものは皆、時々、死を思え、と呼びかけねばならない。しかし、こんなに一般化して虚無主義的に、名人の全体に、全宗団に、全聖職制度に、近く迫っていると称する終末を予告するのは、同僚の魂の平静と空想とに、下劣な攻撃を加えるものであるばかりでなく、当局そのものとその実行力を脅やかすものである。名人が毎朝、自分の職務、自分の仕事、自分の生徒、宗団に対する自分の責任、カスターリエンのための、またその中の自分の生活、それらいっさいは明日か明後日は消え去って、なくなってしまうだろう、という考えをもって仕事に向うのでは、名人の活動はとうてい充実しえない。こういう発言は、多数によって確認されはしませんでしたが、それでもやはり多少の賛成を得ました。
通達は簡単にしますが、口頭の論戦には応じます。この短い要録によって、貴下の回章がご期待のような効果をあげえなかったことは、すでにお察しでしょう。失敗は大部分、具体的な根拠にもとづくのでしょう。貴下の現在の見解および希望と、多数のもののそれとのあいだの実際上の差異にもとづくのでしょう。しかし形式上の理由もまじっています。少なくともわれわれには、貴下と同僚とが直接口頭で論議し合うほうが、本質的にもっと調和的に積極的に運ぶだろう、と思われます。文書によって人々に問いを向けるという形式だけが、あなたの願いの妨げになった、とは思いません。それ以上に妨げになったのは、個人的な願い、つまり願い書を官庁内の報告に結びつけるという、われわれの交わりにおいては異例なことをしたためです。大多数の人々は、この公私混合は、好ましくない改革の試みであると見、数人は、まっこうから許しがたい、と申しました。
これで、貴下の用件の最大の難点に達しました。退職して、世俗の学校勤務に一身をささげたい、という願い書の件です。このように不意に提出された、独特な理由を付された願い書に、当局が応じられないこと、それを是認し、受理するのは不可能なことは、願い書の提出者自身あらかじめ承知していたに違いないでしょう。もちろん当局は、否と答えます。
各人をその席につかせるものが、もはや宗団ではなくなり、当局の任命でなくなったとしたら、われわれの聖職制度はどうなるでしょう! もし各人が自分の人格と才能と適性とを自分で評価し、それに従って自分の地位を求めようとしたら、カスターリエンはどうなるでしょう! われわれはガラス玉演戯名人に、この点についてしばらく熟考することを、勧告します。そして、われわれがその執行を委嘱した光栄ある職務を引き続き管掌するよう、命じます。
これで、貴下の書面に返答を求める願いの向きはかなえられました。貴下が望んだかもしれないような返答を与えることは、できませんでした。しかし、貴下の文書の、暗示と警告に富む価値に対するわれわれの感謝を、述べずにおきたくはありません。その内容についてはなお口頭で貴下と、しかも近いうちに、語り合うことを期待しております。なぜなら、宗団本部は、貴下を信頼しうると思ってはいますが、貴下の書面中、貴下が今後の職務執行の資格が低下した、あるいは危うくなったと述べている点に、憂慮すべき理由を認めているからであります。
クネヒトはこの書面を、特別の期待こそ寄せなかったが、このうえなく注意深く読んだ。当局が「憂慮すべき理由」を持つのは、十分考えられた。それでなくても、ある特定の徴候からそう推論するほかはない、と思った。最近、演戯者村に、正規の証明書と宗団本部の推薦状を持った客がひとりヒルスラントからやってきて、数日間客として接待を求めた。記録所と図書館で仕事をしたいという触れ込みで、クネヒトの講義を数回客として聴講したいということも、願い出た。静かで注意深い、すでに初老の男で、演戯者村のあらゆる部分と建物に姿を現わし、テグラリウスのことを尋ね、近くに住んでいるワルトツェル英才学校長をいくども訪問した。疑う余地はなかった。この男は、演戯者村がどういう状態であるか、怠慢の気配はないか、名人は健在で、地位についており、役人は勤勉であるか、生徒が不安に陥っているようなことはないか、そういうことを確かめるために派遣された監視人であった。まる一週間滞在し、クネヒトの講義は一回も欠かさなかった。彼の観祭ぶりと、静かな出没自在ぶりを目にとめた役人が、ふたりはいた。つまり、宗団本部は、名人への返事を送る前に、この偵察者の報告を待ったのであった。さてこの返事をどう考えるべきであったか。その筆者はだれであったろう? 文体では筆者の見当がつかなかった。きっかけがきっかけであったから、それらしく通りのよい、非個性的な官庁式文体であった。しかし、さらにこまかく触れてみると、この書面は、一読の際予想したよりは多くの特性と個性を現わした。文書全体の基本は、聖職制度的宗団精神と正義と秩序愛とであった。クネヒトの願い書が、どんなに好ましからぬ、不都合な、いや、やっかいな、腹だたしい感を与えたかは、はっきりうかがわれた。この返書の筆者は確かに、初めて願い書を読んだときにもう、他人の批判に影響されず、拒絶を決意していたのだった。しかし、そうは言っても、この不満と拒否とには、別な動きと気分とが対抗していた。それはつまり、まぎれもない同情であった。クネヒトの願い書に関し会議の席で述べられた、思いやりのある、友情のこもった批判やことばを残らず強調していることであった。宗団本部主席アレクサンダーが返書の筆者であることをクネヒトは疑わなかった。
われわれはこれでわれわれの道程の終りに到達した。ヨーゼフ・クネヒトの経歴の本質的な点は、あまさず報告した、と思う。この経歴の最後については、後世の伝記筆者が、なおいろいろとこまかい点を確かめて、報告しうることは、疑いを入れない。
名人の最後の月日をわれわれみずから叙述することは、断念する。われわれは、ワルトツェルの学生がだれでも知ってる以上のことは知らないし、「ガラス玉演戯名人」の伝説以上に出ることもできないであろう。この伝説は、多くの写本となって、われわれのところで行われている。おそらく、消え去った人の愛弟子《まなでし》数人を筆者とするものであろう。この伝説をもってわれわれの本を閉じよう。
[#改ページ]
第十二章 伝説
わが名人の失踪について、その原因について、彼の決意と行動の当否について、彼の運命の意味の有無について、同僚の談話を聞くと、ナイル河の氾濫《はんらん》の推定原因に関するディオドルス・シクルス〔ディオドルスというギリシャの歴史家であるが、紀元前一世紀ごろシシリアに生れたので、シクルスといわれた。『歴史文庫』という大きな世界史を書いた〕の論議を聞く思いがする。その論議にさらに新しい論議を加えるのは、無益であるばかりでなく、不当であるように思われる。そんなことをするかわりに、俗世に神秘的な飛込み方をしてきてから後、いくばくもなくなおいっそう不案内で神秘的な彼岸《ひがん》へ移り去った名人の思い出を、われわれは心の中に大切にしておこう。われわれには貴重な彼の思い出のよすがに、このできごとについて耳にはいったことを、書き記《しる》しておこう。
名人は、当局が彼の願い書を却下する旨の手紙を読んでしまうと、かすかな身ぶるいを感じた。それは、冷静なさっぱりした朝の気持ちで、時は来た、今はもうぐずぐずためらっているべきでないことを、彼に告げた。彼が「目ざめ」と呼んでいる独特なこの気持ちは、彼の生活が決定的な瞬間にぶつかったときから、彼のなじんでいたもので、活気づけると同時に苦痛を伴う気持ちで、別離と旅立ちとのまじったもので、春の嵐《あらし》のように深く無意識の心底を揺すぶった。時計を見た。一時間後に講義をしなければならなかった。彼はこの一時間を内省にささげようと決心し、静かな名人の庭にはいった。そこへ行く途中、突然思いついた一行の詩が彼の念頭を去らなかった。
「およそ事の初めには不思議な力がつきものである」
それを彼はひとり口ずさんだ。どの詩人の詩で読んだことがあるのか、わからなかったが、この句は彼の、心を引きつけ、喜ばした。今の体験にまったくしっくりするように思われた。庭で彼は、最初の朽ち葉のぱらぱらと落ちているベンチに腰をおろし、呼吸を整え、内心の静寂を得るよう努めた結果、明澄な心で省祭にふけることができた。すると、人生のこのひとときの運勢が一般的な超個人的な形に整然となって現われた。小さい講堂に帰る途中、あの詩句がまたもや浮んできた。いやおうなしにまたよく考えてみると、文句がいくらか違っているはずだということがわかった。やがて突然、記憶がはっきりして、彼を助けてくれた。小声で彼はひとりつぶやいた。
「およそ事の初めには不思議な力が宿っている。
それがわれわれを守り、生きるよすがとなる」
だが、夕方になって講義の時間がとっくに終って、いろいろな他の日課を終えたときに初めて、この詩句の出所を発見した。それはある古い詩人の作にあるのではなく、彼が昔生徒や学生だったころ書いた自作の詩の一つにあるものであった。その詩は、
「では、よし、心よ、別れを告げ、すこやかになれ!」
という行で終っていた。
その晩のうちに彼は自分の代理人を呼びよせて、自分は明日旅に出なければならない、期間は不定だ、と告げた。継続中のことはすべて短い指示を添えて代理人にゆだねた。そして、いつも短い出張に出る前にするように、親切にてきぱきと暇《いとま》を告げた。
友人テグラリウスには本心を明かさず、暇ごいというわずらわしい思いをかけずに、別れていかなければならないことは、もう早くからはっきりしていた。神経過敏な友人をいたわるためばかりでなく、自分の計画全体を危うくしないためにも、彼はそういう行動をとるほかはなかった。実行されてしまい、事実になってしまえば、相手もきっとそれで納まってしまうだろうが、不意に意向を述べたり、改まって告別の場面を演じるとなれば、テグラリウスは自制を失って、好ましくない脱線をする恐れがあった。クネヒトは一時は、もう彼に全然会わずに、旅立つことさえ考えていた。しかし、よく考えてみると、それでは、困難を避ける逃走にあまり似すぎる、と思った。友人が興奮の一場面を演じないように、ばかなまねをすることのないように、心をくばってやるのは、賢明な正しいことであったろうが、自分自身をそのようにいたわることは許されなかった。夜の憩《いこ》いの時刻までにはまだ半時間あった。今のうちテグラリウスを訪《たず》ねても、彼の、あるいは他のだれかの邪魔になることはなかった。広い中庭を横切っていくと、そこはもう夜のやみだった。友人のへやをたたいた。これが最後だ、という独特な気持ちだった。友人は独《ひと》りでいた。読書をしているところに不意の来訪を受けた友人は、喜んで彼を迎え、書物をわきへやって、客に席をすすめた。
「ぼくはきょう古い詩を思い出したよ」とクネヒトは雑談を始めた。「というより、その詩の数行だがね。たぶん、君は、詩の全体がどこにあるか、知ってるだろうね?」
そう言って彼は詩の句を引いた。「およそ事の初めには不思議な力が宿っている……」
復習教師に手まひまはかからなかった。ちょっと考えると、その詩を思い出して、立ちあがり、机の引出しからクネヒトの詩の原稿を取り出した。クネヒトがかつて彼に贈った肉筆だった。彼はその中をさがし、二枚の紙を引き出した。詩の最初の草稿だった。彼はそれを名人に渡した。「さあ」と彼は微笑しながら言った。「名人みずからお使いください。あなたがこの詩を思い出されたのは、長い年月このかた初めてのことです」
ヨゼーフ・クネヒトは注意深く二枚の紙を見つめた。感動せずにはいられなかった。学生として、東亜学館に滞在していたころ、この二枚に詩句を書きとめたことがあった。遠い過去が紙片の中から彼を見つめた。もうかすかに黄色くなった紙、若々しい筆跡、文句をけずったり直したりした個所、そういうもののすべてがほとんど忘れられてしまった往時を語っていた。それが今再び目ざめてきて、思い出をそそり、苦痛をおぼえさせるのであった。これらの詩のできた年と季節ばかりでなく、その日時と、同時に、あの気分や、あのとき彼の心を満たし、幸福にした感情、この詩句の表現している強い誇らしげな感情なども、思い出せるように思った。彼がそれを書いたのは、彼が目ざめと呼んだ霊的な体験を授けられたあの特別な日のことであった。
詩の標題は明らかに、詩そのものよりもさきに、その第一行としてできたのであった。嵐のような筆跡で書きつけられていた。
「踏み越えよ!」
という文句であった。
後になって、時が移り、気分と生活の状況が変ったときに初めて、この標題は感嘆符とともに消され、そのかわりに、もっと小さい、細い、つつましい文字で、別な題が書きつけられていた。それは「階段」というのだった。
クネヒトは、あの当時、詩の思想に心おどる思いで「踏み越えよ!」という文句を、自分自身への呼びかけ、命令、警告として、新しく公式化し確認した決意として書きつけ、自分の行為と生活とをこの記《しる》しの下に置き、それをもって、あらゆる場所と道程を、踏み越え、決然と明朗に渉破し、満たし、あとにすることにしようとしたのを、今また想起した。低い声で彼は二、三節を口ずさんだ。
[#ここから1字下げ]
われわれは空間をつぎつぎと朗らかに渉破せねばならない。
どの場所にも、故郷に対するような執着を持ってはならない。
宇宙の精神はわれわれをとらえようとも狭《せば》めようともせず、
われわれを一段一段と高め広めようとする。
[#ここで字下げ終わり]
「ぼくはこの詩を多年忘れていた」と彼は言った。「その一句をきょう偶然思いついたとき、その出所がわからなかった。自作だということを、もはや忘れていた。今日では君にはどう見えるかね? 今でも何か君に訴えるかね?」
テグラリウスは考えた。
「特にこの詩に私はいつも独特な思いを味わいました」とやがて彼は言った。「この詩は、あなたの詩の中で、私が好まない、何かいやな思いを感じ、心を乱される少数の詩の一つです。それが何であるか、あのころはわかりませんでした。きょうはそれがわかるように思います。『踏み越えよ!』という前進命令を題になさり、あとでありがたいことに、その標題をずっと良いのにお代えになりましたが、この詩には、何か命令的な、お説教的な、あるいは学校の教師的なところがあるので、ついぞ私はほんとにいいと思ったことがありません。その要素を除く、というより、その上塗りをぬぐい去ることができたら、それはあなたの最も美しい詩の一つになるでしょう。ちょうどそれに気づいたところです。その本来の内容は、『階段』という題でも一応示されていますが、同様に『音楽』あるいは『音楽の本質』という題をつけることもできたでしょう。あるいは、そのほうがよかったかもしれません。道徳を説く、あるいはお説教をするような態度を引き去れば、まさしくそれは音楽の本質に関する一考察です。あるいは、音楽に対する讃歌だと言ってもよいでしょう。音楽のいつも心にありありと浮ぶ性質、明朗であると同時に、果敢な性質、軽快さと、先へ急ぎ、到達したばかりの場所、あるいはその一画を離れる決意と用意がいつでもできている性質を、たたえる讃歌です。それが終始音楽の精神に関するそういう考察あるいは讃歌であることを変えなかったならば、あなたが、すでにあのころ明らかに教育者の野心に支配されて、この詩を警告や説教にしてしまうということをしなかったならば、それは完全な珠玉となったでしょう。今のままの形では、あまりに教訓的、教師的であるばかりでなく、考えの誤りを犯しているように思われます。それは単に道徳的効果のゆえに、音楽と生活とを同一視していますが、そのことは少なくとも非常に疑問であり、議論の余地があります。音楽のゼンマイである自然的な、道徳にとらわれぬ原動力を『生活』とし、それが呼びかけや命令や良い教訓によってわれわれを教育し発展させる、というのですから。要するに、この詩では、一つの幻像、ある一回的なもの、美しいもの、大規模なものが、教訓の目的のため、偽造され、利用されています。これがいつもこの詩に反感をいだかせた点なのです」
名人は楽しそうに、耳を傾け、友人が話しているうちに腹だたしげに熱してくるのを見ていた。彼は友人のそういうところが好きだった。
「君の言うとおりかもしれない!」と彼は半ば冗談に言った。「いずれにしても、君が音楽に対する詩の関係について言うことは正しいよ。『さまざまの場所を渉破する』というぼくの詩の根本思想は、自分では知らなかった、というより注意しなかったのだが、実際音楽からきている。ぼくがこの思想をゆがめ、幻像を偽造したかどうかは、わからない。たぶん、君の言うとおりだろう。ぼくがこの詩を作ったとき、実際それはもう音楽を取り扱ってはおらず、一つの体験、つまり、美しい音楽的な比喩《ひゆ》が道徳的な面を示してくれ、ぼくの心の中で呼びさましと警告と生命の叫びとなったという体験を取り扱っていた。詩が命令形を持っていることは、特に君のお気に召さないようだが、それは命令や教訓の意志の現われではない。命令や警告はぼく自身にだけ向けられているからだ。それはどっちみち、君にはよくわからなかったかもしれないが、最後の一行を読めば、わかるはずだったのだよ。つまりぼくは、一つの透察、認識、内的な視覚を体験し、この透察の内容と道徳を自分自身に向って叫び、心の中に打ちこみたいと思ったのだ。だから、無自覚のうちに、この詩はぼくの記憶に残っていたのだ。良し悪《あ》しはともかく、この詩句は目的を達したわけだ。警告がぼくの心中に生き続け、忘れられなかったのだから。――きょうまたそれはぼくにとって新しいひびきを持つ。ささやかながら美しい体験だ。君が嘲《あざけ》っても、それをそこなうことはできない。だが、もう切りあげる時刻だ。ねえ、君、ぼくたちがふたりとも学生の身で、たびたび寄宿舎の規則をくぐって、思いきり深夜まで語り合ったあのころは、実によかったね。名人としてはもうそんなことをするわけにいかない。残念だね!」
「ああ」とテグラリウスは言った。「できますとも。勇気がないだけですよ」
クネヒトは笑いながら友の肩に手をのせた。
「勇気と言えば、ねえ、君、ぼくはまったく別なことをする勇気はまだあるよ。お休み、いつもながらの苦情屋さん!」
陽気に彼はへやを出たが、途中、演戯者村の人げのない暗い廊下や中庭を歩いていると、厳粛さ、別れの厳粛さがもどってきた。別離はいつも思い出の光景を呼び起すものであるが、この廊下で彼を訪れた思い出は、彼がまだ少年のころ、ワルトツェルの新入生として、ワルトツェルと演戯者村を初めて、わくわくする思いと希望に胸をふくらませながら歩いた最初のときのことであった。いま初めて、夜気の冷たい無言の木立ちや建物のまん中で、これらいっさいのものを目の前に見るのも、いよいよこれが最後だ、一日じゅう活気のあった演戯者村が静まり、寝入るのに耳を澄ますのも、これが最後だ、番人の家の小さい明りが噴泉の水盤に映るのを見るのも、名人の庭の木立ちの上を夜の雲が移っていくのを見るのも、これが最後だ、と彼は身にしみて切なく感じた。彼はゆっくりと演戯者村の道やすみずみをくまなく歩いた。そしてもう一度自分の庭の門を開いて中にはいりたくなったが、|かぎ《ヽヽ》を持っていないのに気づくと、たちまち冷静になり、思いなおした。自分の家に帰って、なお数通の手紙を書いた。その中には、首府に自分の到着する予定をデシニョリに知らせる手紙があった。それから、入念な冥想によってこのひとときの心の激動を脱し、明日カスターリエンでの最後の仕事をし、宗団主席との話し合いをする力を養った。
翌朝いつもの時間に名人は起きて、車をたのみ、出かけて行った。彼の出発に気づいたものは、ごく少数だった。気づいても、何か考えたものはひとりもいなかった。初秋の初霧にぬれた朝景色を縫って、彼はヒルスラントへ向い、昼ごろ到着し、宗団本部の主席アレクサンダー名人に面会を求めた。布に包んだきれいな金属製の小箱を、彼は携えていた。事務所の機密品入れの引出しから出してきたもので、彼の官職のしるしである印章とかぎとがはいっていた。
宗団本部の「大」事務室では、いくらか驚いて彼を迎えた。名人がここに、予告せずに、あるいは招かれないのに、現われたということは、ほとんど前例のないことだった。宗団主席の言いつけだということで、彼はごちそうになった。それから、係りの者が、古い回廊にある休憩室を開き、主席は二時間か三時間したら、お目にかかれるように、からだをあけるつもりでいる、と告げた。クネヒトは宗団規則を一部借り、腰をおろして通読した。そして自分の計画が簡単で合法的なことを最後的に確かめた。しかし、計画の意義と内面的な根拠をことばで示すことは、今このときになってもまだ実際不可能に思われた。彼は規則の中の一条を思い出した。昔、青年としての自由を持ち、研究に従っていた時代の最後のころ、それについて冥想させられた一条であった。宗団に採用される直前のことであった。その個条を読みなおしてみて、考察にふけると、自分が現在、あの当時いくらか小心な若い復習教師だった自分に比べ、どんなに別人になっているかを感じた。「高い官庁からある役に補されたら、心得よ」と規則のその個所にあった。「役の位階が昇進することは常に、自由への一歩ではなく、束縛への一歩である。職権が大きくなればなるほど、奉仕はいよいよ厳《きび》しくなる。個性が強ければ強いほど、我意はいよいよ厳禁される」かつてはこの文句のすべてがどんなに決定的な明白なひびきを持っていたことだろう。だが、いくつかのことば、特に「束縛」、「個性」、「我意」というような厄介なことばの意味は、あの当時から彼にとってどんなに変化してしまったことだろう! いや、逆にどんなにこちらが変化したことだろう! これらの個条は、どんなに美しく、明らかで、しっかり組み立てられており、驚嘆に値するほど暗示的だったことだろう! なんとそれは若い精神にとっては、絶対的に、超時間的に、あくまで真実に見えたことだろう! ああ、それは確かに真実だったろう。もしカスターリエンが世界で、多様な、しかし不可分な、完全な世界でありさえしたらば! だが、カスターリエンは世界の中の一小世界、世界から大胆に強引に切り取られた一断片にすぎなかった。もし世界が英才学校であり、宗団がすべての人間の共同体であり、宗団主席が神であったら、あの諸個条と規則全体はどんなに完全なことだろう! ああ、もしそうだったら、人生はどんなに優にやさしく、はなやかで、無邪気に美しいことだろう! そして、かつては実際そうだった。かつてはそのとおりに見たり体験したりすることができた。宗団とカスターリエンの精神を、神聖なもの、絶対なものとして、この州を世界として、カスターリエン人を人類として、全体のうちカスターリエンでない部分を、一種の子どもの世界として、州の予備階段として、最後の文化と救いとをまだ待っている原始的な地盤として、尊敬の念をもってカスターリエンを見あげ、時々若いプリニオのような愛すべき客を送ってくる所として、見たり体験したりすることができたのだった。
だが、彼自身、ヨーゼフ・クネヒトと彼自身の精神は、なんと独特な状態にあったことだろう! 彼独特の透察と認識、彼が目ざめと称する現実の体験を、彼は昔は、いや、昨日はまだ、世界の心へ、真理の中心へ一歩一歩前進することだと、何かいわば絶対なものだと、一つの道だと、あるいは、一歩一歩進んでいくほかはないが、頭の中では継続している直線的な進歩だと、見なしていはしなかったか。昔、若い時代には、外界をプリニオという人物の中に認めはするが、意識的に厳密に自分をカスターリエン人として外界から隔てることが、彼には、目ざめだと、進歩だと、絶対に価値のある正しいことだと、思えはしなかったか。幾年も疑い惑った後、ガラス玉演戯とワルトツェルの生活に身をささげる決心をしたのも、進歩と誠実さにほかならなかった。それから、トーマス名人によって勤めの列に加えられ、音楽名人によって宗団に採用され、後に名人に任命されたのも、同じだった。それは、一見直線的な道の上を進む大小の歩みにほかならなかった。――しかし、今彼は、この道の終点に達しながら、決して世界の心、真理の中心に立ってはいなかった。今日の目ざめも、目を開くこと、新しい環境にある自分を再発見すること、新しい運勢に順応することにすぎなかった。彼をワルトツェルへ、マリアフェルスへ、宗団へ、名人の職へ導いた、あの厳しい、明白な、まぎれのない、直線的な小道が、今また彼を外へ連れていくのだった。目ざめの行為の結果は、同時に別離の結果だった。カスターリエン、ガラス玉演戯、名人位はそれぞれ、通過さるべき、処理さるべき主題であり、渉破し、踏み越えられるべき場であった。すでにそれらは彼の背後に横たわっていた。昔、今日彼が考え行うことの正反対を考え行なったとき、彼はすでに明らかに、問題をはらんでいる事態をいくらか知っていた。少なくともほのかに察していた。学生のとき書いたあの詩、階段と別離を取り扱ったあの詩の上に、「踏み越えよ!」という感嘆のことばを書きつけたではないか。
こうして彼の道は、円形を描いて進んだ。楕円形《だえんけい》、あるいはラセン形、あるいは他のどんな形であったにせよ、直線形でないことだけは確かだった。直線は明らかに幾何学にだけあるもので、自然や生活にはなかった。あの詩と当時の目ざめとをとっくに忘れた後も彼は自分の詩の自己警告と自己激励に、忠実に従ってきた。もっとも完全にとはいえないし、ためらいや、疑いや、気まぐれや、戦いがなかったわけではないが、一段一段と、場所から場所へと、勇敢に、一心に、かなり朗らかに、前音楽名人のようにあれほど輝くばかりに明るくとはいかないが、疲れも沈滞も見せず、堕落もせず背信もおかさず、やってきた。今度はたとえカスターリエンの観念からみれば、堕落し背信をおかし、いっさいの宗団の道徳に反して、一見自分の個性に奉仕するように、つまりわがままに振る舞うように見えたとしても、それは、たとえどうなろうと、勇敢さと音楽の精神を体して、調子に狂いなく朗らかに行われるだろう。自分にはきわめて明らかに思われることを、つまり、彼の今度の行為の「我意」は、ほんとうは奉仕であり、服従であることを、彼が目ざしていくのは自由ではなくて、新しい未知の無気味な拘束であることを、逃亡者としてではなく、召されたものとして行くのであり、わがままかってではなく、服従するのであり、主人となるのでなく、犠牲になるのだということを、他の人々にも明らかにし、証明することができればよかったのだが! 美徳とか、朗らかさとか、着実さとか、勇敢さはどうなっていたか。減少してはいたが、依然残っていた。出ていくのではなく、導かれるにすぎず、独断的に踏み越えていくのではなく、中心に立っているものをめぐって空間が旋回することにほかならないとしたら、美徳は存続し、価値と魅力を保持する。美徳とはつまり、否定することではなく、肯定することであり、回避することではなくて、服従することであり、おそらく何ほどかはまた、自分が主人であり、主動的であるかのように行動し考えることであり、人生と自己幻惑と、自主的な決定や責任の外観を持つ映像を無批判に受け入れることであり、未知の原因から、根本的においては、認識するよりはより多く行為するように、精神的であるよりはより多く本能的に作られていることであった。ああ、この点についてヤコブス神父と話し合うことができたら!
類似の思想や夢想も、彼の冥想の余響であった。「目ざめ」の際に問題になるのは、真理と認識ではなく、現実とそれを体験し、それに耐えることである、と思われた。目ざめにおいては、事物の核心や真理にいっそう近く迫るのではなくて、事物の目前の状態に対する自我の態度をとらえ、押し通し、あるいは忍ぶばかりであった。その際見いだすものは、法則ではなくて、決意であった。世界の中心ではなくて、自己の中心に達することであった。だから、その際体験することは、きわめて伝達しがたいし、言い現わしたり、形にまとめたりすることが不思議とできにくい。人生のこの領域のことを伝達するのは、ことばの目的には数えられないようであった。その際、例外的にさらに一歩進んで理解したものがあったとしたら、その人は、類似の状態にある人であり、共に悩むもの、あるいは、共に目ざめるものであった。フリッツ・テグラリウスは、ときとして彼をわずかながら一歩深く理解した。プリニオの理解はさらに深くに及んだ。他にだれの名をあげることができたろう? だれもいなかった。
もう薄暗くなりかけていた。思想の遊戯に我を忘れてふけっていると、戸をたたくものがあった。彼はすぐに目をさまさず、答えもしなかったので、外の人は少し待ってから、重ねて軽く戸をたたいてみた。今度はクネヒトは返事をし、立ちあがって、使者といっしょに出かけた。使者は彼を事務局の建物へ連れていき、もはやことわりもせず、主席の執務室へ案内した。アレクサンダー名人が彼を迎えた。
「おあいにくでした」と彼は言った。「前触れなしにお出《い》でになったので、お待たせしてしまいました。なぜそんなに突然お出でになったのか、私はかたずをのんでいる形です。まさか悪いことではありますまいね?」
クネヒトは笑った。「いや、何も悪いことじゃありません。しかし、私は実際そんなにだしぬけにまいったでしょうか。何に促されてこちらにやってきたのか、あなたには全然お考えになれませんか」
アレクサンダーは真剣に憂わしげに相手の目をのぞきこんだ。「そりゃ」と彼は言った。「あれこれと考えることはできます。たとえばこのあいだからもう、あなたの回章の件はきっとあなたにとってはまだかたづいていないのだ、と私は考えました。当局はやや簡潔に、あなたをおそらく失望させるような意味と調子で答えねばなりませんでした」
「いいえ」とヨーゼフ・クネヒトは言った。「結局、私も、当局のお答えの主旨と同じようなことを期待していたのでした。その調子について言えば、あの調子こそ私は快く思いました。書面を見て私は、お書きになった方が苦労をなさり、心を痛めさえしたのを、また私にとって好ましくない、多少恥ずかしい思いをさせる返事に、数滴のハチミツをまじえる必要をお感じになったのを、私は察しました。実際それはみごとに成功しました。私はそれをありがたく思っています」
「それでは、書面の内容をあなたは受諾なさったのですか」
「承りました、いかにも。そして原則的には理解し、もっともと思いました。答えは、私の願い出の却下に穏やかな警告を添えたものでしかありませんでした。私の回章は、並みはずれたものでして、当局にとってまったくふつごうなものでした。その点は私もついぞ疑ったことがありません。そのうえ、個人的な願い出を含んでいる点で、十分目的にかなうように起草されていなかったかもしれません。拒絶の回答以外のものを期待することはできませんでした」
「あなたがそういうふうに考えるのは」と宗団本部主席は一脈の鋭さをこめて言った。「つまり私たちの書簡に、苦痛なひびきを感じなかったのは、私たちにもうれしいことです。非常にうれしいことです。しかし、まだわからないことが一つあります。あなたが書簡を起草し発送する際――私はあなたのことばを正しく理解しているでしょうか――すでに、成功と肯定の返事を信じていなかったとすれば、いや、あらかじめ失敗を確信していたとすれば、なぜあなたは、ともかく大きな仕事というべき回章を書きあげ、清書して、発送したのでしょう?」
クネヒトは親しげに相手を見つめて返事をした。「主席どの、私の書簡には二つの内容と二つの目的がありました。その両者がみな全然無効で失敗だった、とは私は思いません。それには、私の職を免じ私の一身を他の場所で使うようにという個人的な願いが含まれていましたが、それは比較的第二義的なことと、私は見なしていました。すべて名人は、個人的な事柄は、できるだけ後まわしにしなければなりません。願いは拒絶されました。私はそれで満足しなければなりません。しかし、私の回章は、あの願いよりほかに、非常に多くのものを含んでいました。あるいは事実を、あるいは思想を、たくさん含んでいました。それを当局に知らせ、注意を促すのは、私の義務だと思いました。名人の全部が、少なくとも名人の多数が、警告とは申しませんが、私の陳述をお読みになりました。確かに大多数の名人はこの料理を不承不承召しあがり、不快な反応を示したとしても、ともかく、私が皆さんに言わなければならないと信じたことを、お読みになって、心の中に受け入れました。書簡が拍手をもって迎えられなかったことは、私の目から見れば、失敗ではありません。私は拍手や賛成を求めはしませんでした。むしろ、不安を引き起し、揺すぶり起すことをねらったのです。あなたのあげた理由から、私の書いたものの発送を断念したとしたら、私は大いに後悔するでしょう。それが引き起した効果の大小はともかく、それはやはり目ざます呼び声であり、呼びかけでありました」
「確かにそうです」と主席はためらいながら言った。「しかし、それでも私にとって、なぞはとけません。もしあなたが警告や目ざます呼び声や注意を当局の耳に入れたいと望んだのだったら、なぜあなたは千金の重みのあることばを、私的な願いと結びつけることによって、効果を弱めたのですか。でなくとも、効果をあやふやにしたのですか。しかも、あなた自身、実現されることを、実現の可能性をほんとには信じていなかったような願いと、結びつけたではありませんか。さしずめ、まだそれがわかりません。だが、全体を十分話しあえば、明らかになるかもしれません。いずれにしても、目ざます呼び声と願い出を結びつけ、警告と頼み事を結びつけた点に、あなたの回章の弱点があります。何も願い書に便乗して警告をしなくてもよかったでしょう。同僚を揺すぶり起すことが必要だと思ったら、口頭または文書で同僚に訴えることは、きわめて容易だったでしょう。そして願い書のほうは、本来の役所の道を通せば、よかったでしょう」
友情をこめてクネヒトは相手を見つめた。「そうです」と彼はむぞうさに言った。「あなたのおっしゃるとおりかもしれません。もっとも――このこみ入った問題をもう一度よくお考えになってください! 警告にせよ、願い出にせよ、日常ありふれた当り前のことを言っているのではなく、両者が、異例の必要に迫られて行われ、慣習を逸脱しているという点で、すでに結びついていたのです。さし迫った外的なきっかけがないのに、ひとりの人間が同僚たちにだしぬけに、君たちは死ななければならないものだ、君たちの存在全体が問題なのだということを、想起してもらいたいと懇願したとしたら、それは普通でも常態でもありません。また、カスターリエンの名人が州の外部で学校教師の地位を求めるなどというのも、普通ありふれたことではありません。そういう点では、私の書簡の二つの内容は申しぶんなく相応しています。書簡全体をほんとに真剣に受け入れた読者にとっては、読んだ結果として、こういうことが明らかになるに違いない、と思います。つまり、ここでは単に少々気まぐれな男が、予感したことを告げ、同僚に説教を企てているばかりでなく、この男の思想と苦しみは痛切な真剣なものであること、彼は官職、位階、閲歴を放棄して、ごくつつましい地位で初めからやりなおす覚悟でいること、位階や平和や名誉や権威には飽き飽きして、それを離脱、放棄しようと望んでいることが、明らかになるでしょう。その結果から――私はどこまでも私の書面の読者の心になってみます――二つの結論が可能であるように思われます――つまり、この道徳説教の筆者は遺憾ながらいくらか気が狂っている、したがって名人としてはもちろんもはや問題にならない、というのが一つの結論――他方、このやっかいな説教の筆者は明らかに気ちがいではなく、正常で健全であるから、彼の説教と悲観論の裏には、でき心や気まぐれ以上のもの、つまり現実と真実がひそんでいるに違いない、というのがも一つの結論です。だいたいそんなふうに、読んだ人の頭の働きを、私は考えていました。それが誤算だったことを認めずにはいられません。私の願い出と目ざます呼び声は、互いにささえ合い、強め合うどころか、両方とも真剣にとられず、不問に付されてしまいました。私はこの拒否をひどく悲しんでもいませんし、驚いてもいません。根本においては、くり返し申さずにはいられませんが、なんのかのと言ってもやはり、私は、拒否を予期していたのです。そして、根本においては、拒否されるのが当然なことも認めているのです。つまり、ききとどけられると信じていなかった願い書は、一種の策略だったのです。身構え、体裁だったのです」
アレクサンダー名人の顔はなおいっそう真剣になり、ほとんど暗くなった。しかし、クネヒト名人のことばをさえぎりはしなかった。
クネヒトは言い続けた。「願い書を発送した際、色よい返事を本気に期待し、楽しみにしていたわけではありませんが、拒絶の返事を、より高い決定としてすなおに受け入れる用意が、できていたわけでもありません」
「――当局の返答を、より高い決定として受け入れる用意ができていなかった――と聞いたのはまちがいではありませんね、名人?」と、主席は一語一語鋭く力を入れて、クネヒトのことばをさえぎった。明らかに彼は今、事態の容易ならぬことを完全に悟ったのであった。
クネヒトは軽く頭をさげた。「いかにも、あなたのお聞きになったとおりです。つまり、自分の願い出がききとどけられる見込みがあるとは信じられませんでしたが、やはり願い出は具申しなければならない、と思いました。順序を踏み、形式を整えるためです。それで私はご当局にいわば、この問題を穏便に処理する可能性を与えたわけです。当局がこの解決を好まないようならば、私はもちろんそのときまでに、べんべんと引きとめられたり、なだめられたりはせず、行動する決心でいました」
「それでどういうふうに行動するのですか」とアレクサンダーは小声で尋ねた。
「心と理性が命令するとおりにです。辞職して、当局の依嘱か休暇をもらわずに、カスターリエン以外で仕事につこうと決心していました」
宗団主席は目を閉じ、もはや聞いていないらしかった。彼が非常の際の冥想を行なっているのを、クネヒトは知った。宗団の人々は、不意に危険に襲われたり、脅威に会ったりした場合、そういう冥想によって、自制と内心の落ちつきを確保しようと試みるのであった。それは、肺をからにし、呼吸を二度非常に長くとめることと結びついていた。まぎれもなく自分のせいで不快な状態に陥っている相手の顔が、少しあおざめ、やがて徐々に、腹の筋肉によって始まる吸気とともに、再び血気をとりもどすのを、クネヒトは見た。それから、彼の高い尊敬をささげる、いや、愛する人の目が、再び開き、一瞬こわばったぼんやりしたまなざしをしていたが、すぐに目ざめ、力づくのを、見た。命令にかけても服従にかけても同様に偉大な人の、澄んだ、抑制された、常に端然とした目が、今や自分に注がれ、りんとした冷静さで自分を観察し、凝視し、裁いているのを見て、クネヒトはかすかな恐れを感じた。長いあいだ彼はこのまなざしに無言で耐えねばならなかった。
「やっとあなたの気持ちがわかったように思います」とアレクサンダーはようやく落ちついた声で言った。「あなたはもうかなり前から、職務に疲れるか、カスターリエンの生活に疲れるか、世俗の生活への欲望に苦しめられるかしていたのです。規則や義務より、その気分に従おうと、あなたは決心したのです。われわれに心を打ち明け、宗団に助言と援助を求めようという要求も、あなたは感じませんでした。形式を満たし、自分の良心を軽くするために、われわれあてにあの願い書を出しました。願い書といっても、われわれに受諾できないことをあなたは知っていましたが、この件が論議されるときには、それを引合いに出すことができるでしょう。あなたにはあなたで、異例の態度をとるについては、いろいろ理由があったし、あなたの意図は誠実に尊敬すべきものであった、としましょう。私にはそうとしか考えられません。だが、そういう考えや、欲望や、決意を心にいだき、内心ではすでに脱走兵になっていたのに、どうしてそんなに長いあいだ黙って職にとどまり、外見的には過失なく職務を遂行することができたのですか」
「私がここに来たのは」とガラス玉演戯名人は変らぬ打ちとけ方で言った。「あなたとそういういっさいのことをよく話し合い、あなたのあらゆる問いに答えるためでした。私はひとたび我意本位の道を踏み出したからには、私というものと、私の立場と、行為を、あなたにある程度理解してもらったことを自覚しないうちは、ヒルスラントとあなたのおうらを去らないことに、腹をきめました」
アレクサンダー名人は考えこんだ。「それは、私があなたの態度と計画をいつか是認するだろう、と期待なさっていることを意味するのですか」と彼はやがてためらいがちに尋ねた。
「ああ、是認なさるなんて、そんなことはまったく考えはしません。あなたに理解してもらい、私がここを去っても、あなたの尊敬の一端を持ち続けることができたら、と希望し期待するばかりです。私たちの教育州の中で告げなければならない別れがあるとすれば、これが唯一の告別です。ワルトツェルと演戯者村を、私はきょう永久に去ってきました」
再びアレクサンダーは数秒間目を閉じた。そういう不可解なことを告げられて、すっかり面くらったからである。
「永久にですって?」と彼は言った。「では、自分の地位に帰ることはもうまったく考えていないんですね? あなたは人の不意を打つことを心得ている、と言わざるをえません。一つ尋ねることを許してください。あなたはいったいご自分を今なおガラス玉演戯名人と見なしているのですか、いないのですか」
ヨーゼフ・クネヒトは、携えて来た小箱を手にとった。
「きのうまではそうでした」と彼は言った。「しかし、きょうはそれから解放されたと考えています。当局に渡すべきものとして、印章と|かぎ《かぎ》をあなたにお返ししますから。――もとのままです。演戯者村に調べにいらっしゃれば、わかりますが、あすこもきちんとなっております」
宗団主席はゆっくりといすから立ちあがった。疲れて、急に年をとったように見えた。
「あなたの小箱はきょうはここに置いておきましょう」と彼はそっけなく言った。「もし印章の受埋が同時にあなたの退職を意味するものだとすれば、私にはもともと権限がありません。少なくとも当局全員の三分の一の出席が必要でしょう。あなたは以前は古い慣習や形式に大いに理解を持っていました。私はこういう新しいやり方においそれと応じることはできません。話を進めるのに、明日まで余裕をおいてくださるでしょうね?」
「おさしずのとおりにいたします。あなたは、私というものと、あなたに対する私の尊敬とをもう長年知っていらっしゃいます。それにいささかの変りもないことを信じてください。あなたは、私がこの州を去る前に別れを告げる唯一の方です。それは宗団本部主席としてのあなたの職務のためだけではありません。印章と|かぎ《かぎ》をあなたの手にお返ししたように、お話し合いがすっかり済んだら、宗団員としての誓約もあなたに解いていただきたいと思います」
悲しそうに、探るように、アレクサンダーは彼の目を見つめ、溜息《ためいき》を押えた。「今は私ひとりにしてください、名人よ。あなたは一日分に十分な心配と、考慮するのに十分な材料を持ってきました。きょうはこれで十分でしょう。あすまた話を続けましょう。正午一時間まえにまたここへ来てください」
丁寧な身振りで彼は名人に別れを告げた。あきらめに満ちたもはや同僚にではなくまったくの他人に向けて、ことさらつとめている丁寧さに満ちた身振りは、そのことばのすべてより、ガラス玉演戯名人にはつらかった。
しばらくたってクネヒトを夕食に迎えに来た学僕は、彼を来賓の食卓へ案内し、アレクサンダー名人は長時間の冥想をなさるため引きこもりましたが、名人様もきょうは話し相手をお望みにはなるまい、とのお考えでした、客室の用意はできております、と告げた。
アレクサンダーはガラス玉演戯名人の訪問と打ち明けた話とによって、すっかり驚いてしまった。もっとも、演戯名人の書簡に対する当局の返事を校訂して以来、名人が現われることもあろうかと予期し、話し合いが目前に迫っていることを考えると、かすかな不安をおぼえていたのだった。しかし、クネヒト名人が、模範的に従順で、良い形式を大切にし、謙虚で、如才のない人でありながら、前触れもなくひょっこり自分を訪れ、かってに、当局とあらかじめ打合せもせず、辞職し、こんなどぎもを抜くようなやり方で、いっさいの慣習を乱すようなことをしようとは、まったくありえぬことと思っていただろう。もちろん、クネヒトの挙措、話の調子や表現、押しつけがましいところのない丁寧さなどが、いつもと変らぬことは、認めねばならなかったが、その報告の内容と精神はなんと法外で失礼で、なんと新しく意外であったことだろう! ああ、彼の報告の内容と精神はなんと完全に非カスターリエン的であったろう! 演戯名人に会い、話を聞いたものはだれも、彼が病気だとか、過労に陥っているとか、いらいらしているとか自制を失っているとか、疑うことはできなかったろう。当局がつい最近ワルトツェルで行わせた精密な監視の結果、演戯者村の生活と仕事には、支障、混乱、あるいは惰性的な形式主義のきざしはいささかも認められなかった。ところが、今ここに、この恐ろしい男は、昨日までは同僚の中でいちばん愛すべき人物だったのに、官職の印章を入れた箱を、まるで旅行カバンのように、投げ出して、名人であることを、官庁の一員であることを、宗団員であることを、カスターリエン人であることをやめた、別れを告げるためにだけ急いできた、と宣言した。宗団本部主席としての職務が、これほど恐ろしい、困難な、いやな立場に彼を置いたことは、ついぞなかった。自制を失わないようにするのに、たいへんな骨が折れた。
さてどうしたものか。強行手段をとって、演戯名人を保護監禁し、即刻、今晩のうちに、当局の全員に急ぎの使いを出し、召集すべきだったろうか。何かそれに反対するふしがあるだろうか。それが最も手近な、正しいことではなかったか。しかも、彼の心の中の何かが反対していた。いったいそんな処置によって何の得るところがあるだろう? クネヒト名人には屈辱を与えるだけで、カスターリエンにとっては何の得るところもない。せいぜい主席たる彼にとって、この不快なめんどうなことに単独の責任者として対処しなくてもよくなることによって、ある程度荷が軽くなり、良心が楽になるだけだった。始末の悪いこの件にまだ施す余地があるとすれば、クネヒトの名誉心に訴えることができるとすれば、彼の心を変えさせることが考えられるとすれば、それはふたりで話し合うことによってのみ、達成されるのだった。彼らふたり、クネヒトとアレクサンダーだけが、この厳しい戦いを戦いぬかねばならなかった。他のだれもがなしうることではなかった。そう考えると、クネヒトが、もはや当局を認めず、それから手を引いたにもかかわらず、主席たる彼のところへ、最後の戦いをし、別れを告げるためにやってきたのは、根本において正しくりっぱな振る舞いであったことを、彼は認めずにはいられなかった。このヨーゼフ・クネヒトは、禁じられたこと、憎むべきことをしたとはいえ、その態度や歩調に狂いはなかった。
アレクサンダー名人は、こういう考慮を信じ、官庁機構はいっさいこの件に関係させないことにきめた。この決断を見いだした今、初めて彼はこの件をこまかく考察し、何よりも、前代未聞の処置の完全さと正当さを確信しているような印象を強く与える名人の行動は、正否の点でいったいどういうものなのか、究明することから始めた。そこで、ガラス玉演戯名人の大胆な計画を、公式にあてはめ、宗団の法則によって検討してみると、それを彼はだれよりもよく心得ていたのであるが、実際ヨーゼフ・クネヒトは文面上法規を破ってはいないという、また破る所存はないという、驚くべき結論に達した。もちろんその法規の文面が守られるものかどうか、数十年来検討されたことがなかったが、それによれば、ともかく宗団に所属するものはだれでも、カスターリエンの権利と共同生活を同時に放棄するかぎり、脱退することはいつでも自由だからである。クネヒトが印章を返却し、宗団に脱退を通告し、俗世に出ていくとすれば、有史以来未聞のこと、異例のこと、恐るべきこと、おそらく実にあるまじきことを犯すわけであったが、宗団法則の文面に違反することにはならなかった。この不可解ではあるが、形式的には決して違法でない処置を、宗団本部主席のうしろでこそこそとやらず、面と向ってやろうとしたのは、字義上の義務以上のことをしたものであった。――だが、聖職制度の柱石の一つである、尊敬すべき人物が、どうしてそういうことをするようになったのか。なんといっても脱走にほかならない計画のために、彼はどうして成文法を盾《たて》にとることができたのか。書かれてはいないが、同様に神聖で自明な拘束が、彼にそれを禁止したに違いなかったのに。
一時の打つのを聞くと、無益な考えを振り切って、水浴に行き、十分間入念な呼吸調整に没頭してから、冥想室へ行った。そして眠る前になお一時間、力と落ちつきをたくわえて、明朝までこの件をもう考えないことにした。
翌日、若い学僕は宗団本部の来賓館からクネヒト名人を主席のところへ案内してきて、ふたりがあいさつし合うのを目撃した。冥想や自制の名人たちを見慣れ、彼らのあいだでの生活に慣れていた彼ではあるが、ふたりの名人の外見や挙措やあいさつに、何か特殊な点、彼にとって新しい点があるのに驚いた。それは、並みはずれた、このうえもなく高い度合いの集中と明澄さであった。彼の語るところによると、それは、最高の位階を持つふたりの人のあいだに交わされる、普通のあいさつではなかった。その時々に応じて朗らかに手軽に演じられる儀礼とか、荘重で楽しげなお祝いの仕草とか、ときとしては丁重さや卑下や大げさな謙遜《けんそん》ぶりなどの競争のようなものでは、ありえなかった。言ってみれば、ひとりの外国人、遠来のヨーガ〔瑜伽〕名人が、宗団主席に敬意を表し、力くらべをするため訪れたので、これを迎える、とでもいうかたちだった。ことばと身振りはいたってつつましく控えめだった。ふたりの高官のまなざしと顔は、静かで落ちついて、精神の集中を示していたが、同時に、ふたりともまるで光にくまなく照らされているか、電流を通されてでもいるように、隠れた緊張に満たされていた。この証人は、両者の会見についてそれ以上見ることも聞くこともできなかった。ふたりは建物の奥に消えた。おそらくアレクサンダー名人の私室にはいったのだろう。そこに、余人の妨げを許さず、数時間いっしょにいた。彼らの対話として伝えられているものは、代表委員デシニョリが折りに触れて語ったところにもとづいている。ヨーゼフ・クネヒトは彼にあれこれと報告したのである。
「昨日は驚かされましたね」と主席はきり出した。「私は危うく度を失うところでしたよ。そのうち、いくらか考えなおしてみることができました。もちろん私の立場は変りません。私は当局と宗団本部の一員です。脱退を通告し、辞職する権利は、法規の文面によれば、あなたにあります。あなたは、職務をわずらわしく感じ、宗団の外で生活してみる必要がある、と感じるようになりました。その試みを敢行するにしても、あなたのようなはげしい決心の意味ではなく、相当長期の、あるいは無期限の休暇の形式でやるよう、提案したい、と思うんですが。あなたの願い書も同様のことをねらっていました」
「まったく同じではありません」とクネヒトは言った。「私の願い出が承認されたら、宗団にはとどまるとしても、職務にはとどまりません。あなたが親切に提案してくださることは、回避ということになるでしょう。それにしても、長期にわたって、不定期の休暇をとって不在になり、帰ってくるのかどうか、わからないような名人では、ワルトツェルにとっても、ガラス玉演戯にとっても、あまり役だちますまい。そればかりか、一年か二年たって、帰ってきたとしても、職務や専門、つまりガラス玉演戯については、忘れるばかりで、何も新しく習得してはいないでしょう」
アレクサンダーは言った。「やはりいろいろなことを学んでくるかしれませんよ。外の世界は、自分で考えていたのとは違っている、外の世界が自分を必要としないように、自分も外の世界を必要としない、ということを経験するかもしれません。そして落ちついて帰ってきて、また昔の確実な世界にいられるのを喜ぶかもしれません」
「ご親切ははてしないくらいです。ありがたく存じますが、お受けすることはできません。私の求めるものは、俗世の生活に対する好奇心や欲望をしずめることではなくて、絶対的なものなのです。失望した場合には帰ってこられる保証を用意して、世間へ出ていこうとは、私は思いません。世間を少しばかり見物する、用心深い旅人ではありません。反対に、私は冒険を、困難を、危険を、望みます。現実に、問題と行為に、同様にまた不自由と苦悩に、飢えているのです。あなたの親切な提案を固執なさらぬよう、私を動揺させ、誘いもどす試みを固執なさらぬよう、お願いできませんか。なんの役にもたたないでしょう。あなたをお訪ねしたために、今となってはもう承認していただこうと望んでいない願い書の同意を遅まきに得たとしたらせっかくの訪問が、私にとっては価値も感激も失ってしまうでしょう。あの願い書以来、私は停滞してはいませんでした。私の踏み出した道は、今は私の唯一でいっさいのもの、私の法則、私の故郷、私の奉仕です」
アレクサンダーは溜息《ためいき》をしながら、もっともとうなずいた。「じゃ、ひとつこう仮定してみましょう」と彼は根気よく言った。「あなたの心をやわらげ、気分を変えることは、実際できない。外見はどうあろうと、どんな権威にも理性にも好意にも耳をかさない、つんぼの暴走殺人狂、あるいはイノシシ武者で、だれもその道をさえきることはできない、としましょう。さしずめ私は、あなたの気分を変えたり、影響を与えたりすることは、断念します。だが、そこで今度はあなたのほうで、ここに言いにきたことを言い、脱落するに至ったいきさつを話してください。私たちをびっくりさせた行動と決心を説明してください! ざんげにせよ、弁明にせよ、弾劾《だんがい》にせよ、承りましょう!」
クネヒトはうなずいた。「殺人狂は感謝し、喜んでいます。私には弾劾することはございません。私の言いたいことは、――ことばにすることがひどく、信じられないほどむずかしくさえなければ、――私にとっては、弁明の意味を持ち、あなたにとっては、ざんげの意味を持つかもしれません」
彼はひじかけいすの背によりかかって、上の方を見た。丸味を帯びた天井には、昔の絵の薄れた残りがほのかにまだ漂っていた。ヒルスラントの修道院時代のもので、線や色調や花や装飾の、夢のように淡い図形だった。
「名人の職務にも飽きがきて、辞職することがあるかもしれないという考えは、ガラス玉演戯名人に任命されてから数カ月後にもう初めて現われました。そのころ、ある日私はすわって、かつて有名だった先輩ルードヴィヒ・ワッサーマーラーの小冊子を読んでいました。その本で彼は後継者たちに、名人の一年間の勤務を月を追うて説明し、指示と助言を与えているのです。私はそこで、翌年の公式ガラス玉演戯のことを早めに考えるように、もしその気分にならなかったり、着想を欠いたりする場合には、精神集中によってその気分を作るように、という警告を読みました。最年少の名人として張り切っていた私は、この警告を読むと、それを書きとめた老名人の配慮を、若気の才気から少し冷笑しましたが、そこからはやはり一種の真剣さと危険、何かしら脅やかし胸を締めつけるようなものがひびいてきました。それを考えなおしているうちに、私はこういう決心をしました。つまり、次の祝典演戯を考えた場合、喜びのかわりに心配が、誇りのかわりに不安がわくような日が、いつか来るようなことがあったら、新しい祝典演戯に苦心さんたんするかわりに、退職し、当局に印章を返そう、と決心したのです。そういう考えに心を引かれたのは、それが最初でした。もちろん、自分の職務をおぼえこむ大きな労苦にやっと打ち克《か》って、順風に帆を張っていたそのころは、自分もいつか老人となり、仕事と生活に飽きることがあろうなどとは、また、新しいガラス玉演戯の着想をつぎつぎに演じて見せるという役目にいや気がさし、窮することがあろうなどとは、内心本気には信じませんでした。それにしても、そういう決心はそのころできたのでした。あなたはあの時分の私をほんとによくご存じでした。おそらく私自身よりよく私をご存じでした。あなたは私の就任当初の苦しい時代、私の助言者であり、ざんげ聴聞者《ちょうもんしゃ》であり、ワルトツェルをお去りになったのも、ついこのあいだのことでした」
アレクサンダーはしげしげと彼を見つめた。「私はあれより美しい役目を持ったことはないくらいです」と彼は言った。「あのころはあなたと自分自身とに満足していました。めったにないことです。人生で味わった快いことに対してはすべて代償を払わなければならないというのが、正しいことだとすれば、私は今あのころの高い喜びの償いをしなければなりません。あのころは大いにあなたを誇りにしていました。今はそれができません。宗団があなたによって幻滅を味わい、カスターリエンが衝撃を受けるとしたら、私はそれに対し責任があります。あなたの道づれで助言者であった当時、私はなお数週間あなたの演戯者村にとどまり、もっと厳しくあなたに接し、もっと厳密に監督すべきだったかもしれません」
クネヒトは朗らかにそのまなざしに答えた。「そんなに思い惑うには及びませんよ。さもないと、私は、最年少の名人として自分の職務の義務や責任をあまりむずかしく考えていたとき、あなたが与えてくださった訓戒のかずかずを、思い出さねばなりませんよ。いま思い出しましたが、あなたはそのころこうおっしゃいました。たとえ演戯名人たる君が悪漢か無能力者だとしても、そして君が名人のしてはならぬ、ありとあらゆることをしても、また君の高い地位でできるだけ多くの損害を与えようと、故意にねらったとしても、湖に小石を投げたほどにも、わがカスターリエンをかき乱すことはできないだろう。小さい波と環《わ》がいくつかできるだけで、それで終ってしまう。わがカスターリエンの秩序はそれほど堅固で、安泰で、その精神はそれほど侵しがたいのだ。そうおっしゃったのを、おぼえていらっしゃいますか。もちろん、できるだけ悪いカスターリエン人になり、宗団にできるだけ多くの損害を及ぼそうとする私の試みに、あなたは確かに責任がありません。あなたの平和をほんとに乱すことなんか、私に成功しっこないし、できはしないことは、あなたもご存じです。だが、さきを話しましょう。――私が名人となった初期にすでに、ああいう決心をいだくことができたということ、その決心を忘れず、今それを実現させようとしていること、それは、私が時々ぶつかり、目ざめと呼んでいる霊的体験の一種と、関連しているのです。しかしあなたはすでにそれをご存じです。あなたが私の補導者であり、導師であったころ、私は一度それについてあなたに話したことがあります。もっとも私はそのとき、就任以来あの体験が私を避け、ますます遠方に消え去っていくのを、あなたに嘆いたものです」
「おぼえています」と主席は確認した。「私はそのとき、そういう種類の体験をなしうるあなたの能力に、いささか驚きました。われわれのあいだでは普通あまり見られないのです。外の俗世では実に多様な形で現われます。たとえば、天才に、特に政治家や軍司令官に現われます。しかしまた弱い、半ば病的な人間、総体にむしろ天分の低い人間、千里眼とか、精神感応者とか、霊媒とかにも現われます。この二種類の人間、つまり戦争の英雄とか、千里眼や魔法の杖《つえ》で水脈や鉱脈を探る連中とかいうものとは、あなたは全然かかわりがないように思われました。むしろあなたは当時、そして昨日まで、良い宗団人で、思慮深く、明朗で、従順であるように思われました。神の声にせよ、悪魔の声にせよ、自身の内部の声にせよ、神秘的な声に見舞われ、支配されることは、全然あなたにふさわしくないように思われました。ですから、あなたが述べた『目ざめ』の状態を、私は単に個人的な成長のその時折りの意識と解釈しておりました。その自然な結果として、あの霊的な体験もかなり長いあいだ起らなかったわけです。つまりあなたは職務について、任務を引き受けると、それが大きすぎるマントのようにあなたを包んだので、まずそれにはいりこまなければならなかったのです。だが、言ってください。その目ざめは、より高い力の啓示とか、客観的な永遠な神の真理の領域から来るお告げ、また呼びかけとかのようなものだ、と信じたことがあるのですか」
「それは」とクネヒトは言った。「私の目下の問題と困難に触れるものです。つまり、絶えずことばから逸脱するものを、ことばで表現し、明らかに合理の外にあるものを合理的にしよう、というものです。いいえ、あの目ざめについて、神や魔精や絶対の真理の示現を考えたことは、一度もありません。あの体験に重味と説得力を与えるのは、それが真理を内容としているからでも、高い所から由来しているからでも、神性を持っているからでもなんでもなく、現実だからです。恐ろしく現実的です。たとえば、はげしい肉体的苦痛とか、暴風や地震のような不時の自然現象とかが、普通のときや状態とはまったく別な形で、現実性、現在性、不可避性を帯びているように見えるのと同様です。雷雨の襲来にさきだって起る一陣の突風に駆られて、私たちは家へ急ぐと、風が入口の戸を手元から引ったくろうとする――あるいは、はげしい歯痛が世界のあらゆる緊張や苦悩や戦いを、私たちのあごに集中するように思われる――そういうものの存在や意義を、私たちは後になって、ふざけた気になれば、疑うことはかってです。しかし、それはぶつかっている最中には、疑いを入れる余地はなく、破裂せんばかりに切実な現実です。私の『目ざめ』も私にとって同様な性質の現実性を持っているのです。だからこそ、そういう名をつけたのです。そういうとき、長いあいだ眠っていたか、うつらうつらしていたところ、目をさまし、かつてなくはっきりと敏感になりでもしたように、それは私にとって現実となるのです。大きな苦痛や衝撃の瞬間は、世界史においても、なるほどとうなずかれるように必然性を持っており、息詰るような現実感と緊張感を燃えたたせます。やがて、衝撃の結果として、美しい明るいものが生じるかもしれませんし、狂った暗いものが生じるかもしれません。いずれにしても、そこに生じるものは、偉大さと必然性と重要性を現わし、日常生じるものとは相違し、きわだっております。」
「しかしこの問題を」と彼は一息ついてから言い続けた。「さらに別な面からとらえさせてください。聖クリストフォルス〔ギリシャ語で、キリストを担う者の意。伝説的になっているが、三世紀ごろの殉教者。カトリック教会の救難聖者十四人の一人〕の伝説を思い出すことができますか。ええ、できますか。つまりクリストフォルスは大きな力と勇気をそなえた人でした。しかし彼は、主人となって、支配することを欲せず、奉仕することを欲しました。奉仕が彼の強みであり、能でした。それを彼は、心得ていました。しかし、だれに奉仕するかが問題でした。主人は最も偉大な強力な人でなければなりませんでした。従来の主人よりさらに強力な主人のことを聞くと、彼はその人に奉仕を申し出ました。この偉大な奉仕者に私はいつも共鳴しました。私は少し彼に似ているに違いありません。少なくとも、自分の身が自分の思うとおりになった唯一の時期、すなわち学生時代に、私はどの主人に仕えるべきか、長いあいだ探り、動揺しました。私はガラス玉演戯をとっくにわれわれの州の最も貴重な独特な結実と認めながら、長年それに逆らい、不信の態度をとってきました。私はえさを味わい、演戯に傾倒するより魅力のある、繊細なことはないのを知りました。またかなり早くもう、このすばらしい演戯は、余暇にやるという無邪気な演戯者などを求めてはおらず、演戯を一歩進んで体得した人物を徹底的に要求し、奉仕させるということに、私は気づいていました。ところが、自分の力と興味とをあげて永久にこの魔術に身を引き渡すことには、私の、心中の本能が逆らいました。簡単なもの、全体的で健全なものを求める素朴な感情が、それに逆らったのです。その感情は、ワルトツェルの演戯者村の精神に対し私に警戒を促しました。この精神は、専門家の精神、技巧家の精神で、なるほど高度に発達し、極度に豊かな仕上げを施されている精神ではあるけれど、生活と人間性の全体から分離し、高慢な孤独に迷いこんでしまっている、というのです。幾年も疑い、検討した結果、やっと決意が熟し、とにもかくにも演戯に従うことにきめたのでした。そうしたのは、最高の実現を求め、最大の主にだけ奉仕するという、あのやみがたい望みが心中にあったからです」
「わかりますよ」とアレクサンダー名人は言った。「しかし、私がどう見ようと、あなたがどう説明しようと、私は必ず同じ根本にぶつかります。あなたのいっさいの特性のもとになる根本です。つまりあなたは、自分自身を思う感情をあまり多く持ちすぎているのです。あるいはあまり自分というものを頼みすぎているのです。それは大きな人格であるということと同一ではありません。ある人は、天分や意志力や持久性にかけて第一級の星であっても、ちゃんと中心の位置を占めているので、所属する体系の中で、なんの摩擦も起さず、エネルギーを浪費することもなく、いっしょに旋回することができます。また別の人は、同じ高い天分、おそらくはもっと美しい天分を持っていますが、軸が正確に中心を通っていないので、中心をはずれた運動が彼自身を弱め、彼の周囲を乱して、彼の力の半分を浪費してしまいます。あなたはそういう種類のひとりです。ただ、もちろんあなたはそれを巧みに隠すことを心得ていたと、申さねばなりません。それだけ不幸がはげしく現われてきたようです。あなたは聖クリストフォルスの話をしてくれました。たとえこの人物に何かすばらしい感動的な点があるとしても、われわれの聖職制度の奉仕者の模範にはならない、と言わなければなりません。奉仕しようと欲するものは、誓いを立てた主人に、栄枯盛衰を共にして奉仕すべきです。もっとりっぱな主人が見つかり次第、主人を変えるというような留保を、胸に秘めてはなりません。それは召使が主人の裁き手になることです。まさにそのとおりのことを、あなたもなさっています。あなたはいつも最高の主人にだけ仕えようと欲し、自分の選ぶ主人たちの順位を自分できめるほど忠実です」
注意深くクネヒトは聞いていたが、悲しみの影がその顔をおおったことは隠せなかった。彼は話を続けた。「ご判断には敬意を表します。それ以外のことは期待できませんでした。しかし先を話させてください。もう少しです。そういうわけで私はガラス玉演戯名人になりました。実際しばらくのあいだは、あらゆる主人のうち最高の主人に仕えるのだ、という確信を持っていました。少なくとも、連邦議会でわれわれの利益をまもってくれる私の友人デシニョリは、あるとき私に、私がかつてどんなに思いあがった高慢な尊大な演戯のくろうとで、抜けめない英才であったかを、いやというほどあからさまに説明したことがあります。しかし、学生時代と『目ざめ』以来、踏み越えるということばが私にとってどんな意味を持ってきたかを、なおお話しせずにはいられません。このことばは、ある啓蒙《けいもう》哲学者のものを読み、トーマス・フォン・デア・トラーフェ名人の影響のもとにあったとき、私のところに飛んできたのだと思いますが、それ以来、『目ざめ』と同様に、まぎれもない魔法のことばになり、私を促し駆りたて、慰め約束してくれました。自分の生活は、踏み越えていくことでなければならない、一段一段と進んでいくことでなければならない、ちょうど音楽が主題と速度をつぎつぎとかたづけ、演奏し終え、仕上げ、あとに残し、疲れることなく、眠ることなく、いつも目ざめ、いつも完全に目前にあるように、場所をつぎつぎと渉破し、あとに残していくのでなければならない、とそう私は心に期しました。目ざめの体験と関連して私は、そういう階段と場所があること、人生の最後の時期はいつでも衰退と死を欲する調子をはらんでおり、それがまた新しい場所への転換、目ざめ、新たな初めに通じることに、気づきました。こういうたとえ、踏み越えるという例をも、私は、私の生活を解釈する一助にもなるかと、あなたにお話しするのです。ガラス玉演戯に身をささげようという決定は、一つの重要な階段でした。初めて聖職制度に具体的にはいったのも、それに劣らず重要な階段でした。名人としての職務においても、私はそのような階段の歩みを体験しました。この職務が私に与えてくれた最高のものは、音楽をし、ガラス玉演戯をすることだけが、心を楽します働きであるのではなく、教えることも、教育することも、そうだ、という発見でした。徐々にさらに進んで、教え子が若くて、ゆがめられていなければいないほど、教育はいっそう多くの喜びを与えてくれる、ということを私は発見しました。そのことも、他のいろいろのことと相まって、年とともに私を促して、若い生徒を、いよいよ若い生徒を望ませ、できることなら初級学校の教師になりたい、と望ませるようになりました。要するに、私の空想は、往々すでに自分の職務を逸脱したことにとらわれるようになりました」
彼はひと休みの間をおいた。主席は言った。「あなたはいよいよ私を驚かせますね、名人。あなたが話しているのは、あなたの生活のことです。私的な、主観的な体験、個人的な願望、個人的な発展と決意のことしか話していないのですよ! あなたのような階級にあるカスターリエン人が、自分と自分の生活をそのように見ることができようとは、私は実際思い設けませんでした」
彼の声は、非難と悲しみとのあいだのひびきを持っていた。クネヒトはそれを苦痛に感じたが、心を取りなおして、快活に叫んだ。「しかし、長官、私がいま話しているのは、カスターリエンのことでも、当局のことでも、聖職制度のことでもなく、もっぱら私のことです。残念ながら、あなたに大きな迷惑をかけるはめになった男の心理ですよ。私の職務遂行ぶり、義務の履行ぶり、カスターリエン人としての、名人としての私の功罪について語るのは、私にふさわしからぬことです。私の職務遂行ぶりは、私の生活の外面全体と同様、あなたの前にむき出しになっており、あとで検討なさることができます。罰すべき点を多くは発見なさらないでしょう。ここで問題になっているのは、まったく別なことです。つまり、私が個人として歩んだ道をあなたにはっきり示すことです。この道はいま私をワルトツェルからここへ導いてきましたが、明日はカスターリエンから外へ連れ出すでしょう。もう少しのあいだ、きいてください。どうぞお願いです!
われわれの小さい州の外に一つの世界があることを知ったのは、自分の研究のおかげではありません。研究の中では、この世界は遠い過去として現われてきたにすぎません。それはまず、外からの客であった同級生デシニョリのおかげです。また、後にはベネディクト派の僧やヤコブス神父のもとに滞在したおかげです。自分の目で世界を見たところは、ごくわずかですが、あの人を通して私は、歴史と呼ばれるものをほのかに感じました。帰還後、孤立の状態に陥りましたが、その基礎はすでにそれによって置かれたのかもしれません。修道院から私はほとんど歴史のない国に帰ってきたのでした。学者とガラス玉演戯者の州でした。極度に高貴で、同時にまた極度に快い社会でしたが、世界を予感し、世界に好奇心と関心とをいだいている私は、そこでまったく孤立しているように見えました。しかし、それを償ってくれるものがそこには十分ありました。私の高い尊敬をささげる人がそこに数人いて、その人たちの同僚となることは、私にとって恥ずかしいくらいの、うれしい名誉でした。りっぱな教育を受け、高い教養を積んだ人々も、おおぜいおりました。仕事もたっぷりあり、天分のある愛すべき生徒も非常にたくさんおりました。ただ、ヤコブス神父に師事していたあいだに、自分はカスターリエン人であるばかりでなく、人間であるということを、世界が、全世界が自分に関係を持ち、その中で生活を共にすることを要求しているということを、発見しました。この発見の結果として、さまざまの必要、願望、要求、義務が生じましたが、それに従うことは断じて許されませんでした。俗世の生活は、カスターリエン人の見るところでは、時代遅れの、価値の乏しいものでした。混乱と粗野、煩悩《ぼんのう》と放心の生活で、美しいふし、望ましいふしはまったくありませんでした。しかし、俗世とその生活は、カスターリエン人がそれについて考えうるより、はてしもなく大きく豊かでした。それは、生成と事件、試みと常に新たな初まりとに満ちていました。おそらく混沌《こんとん》としていたのでしょうが、あらゆる運命、反抗、芸術、人間性などの故郷、郷土でした。種々の言語、民族、国家、文化を持ち、われわれとわがカスターリエンをも産み出しましたが、あの俗世は、それらすべてが再び死滅するのを見、それらより生きながらえるでしょう。私の師ヤコブスは、この世界に対する愛を私の中に喚起しました。愛は絶えず大きくなり、養分を求めましたが、カスターリエンには、養分になるものが何もありませんでした。ここは世界の外であって、それ自体一つの小さな完全な、もはや生成発展することのない世界でした」
彼は深く息をして、しばらく沈黙した。主席が何も答えず、期待の目で彼を見つめるばかりだったので、考えにふけりながらうなずき、話しつづけた。「さて私は二つの重荷を幾年も負わねばなりませんでした。私は大きな職務を処理し、その責任を負わねばならなかったので、自分の愛を処分せねばならなかったのです。職務がこの愛のために支障を受けることがあってはなりませんでした。それだけは初めから明らかでした。それどころか、職務は愛によって利益を得るはずだ、と私は考えました。たとえ私の仕事が、名人に皆の期待するところよりいくら不完全で難があったとしても――そんなことは私は望んでいませんでしたが、たとえそうだったとしても、私は、自分が心の中で、欠点のない同僚たちより目ざめており、生き生きとしていることを、生徒たちや協力者たちにあれこれと与えるものを持っていたことを、心得ていました。そしてカスターリエンの生活と思想とを、伝統から断絶させずに、徐々に穏やかにひろげ、あたため、世界と歴史とから新しい血を導入することに、自分の任務を認めました。たまたま美しい運命の配剤で、同時に外の国でひとりの世俗の人間がまったく同様に感じ、考え、カスターリエンと俗世とを修交交流させることを夢想していたのでした。それはデシニョリでした」
アレクサンダー名人は少し口をゆがめて言った。「まったく、その男があなたに及ぼす影響については、私はあまり好ましいものを期待したことがありません。あなたのできそこないの子分テグラリウスについても同様です。つまり、あなたをして秩序を完全に破らせるようにしたのは、デシニョリです」
「いや、違いますよ、主席、もっとも彼は、ある程度無意識に私を助けて、そうさせました。彼は私の静けさの中に何がしかの空気を流しこみました。彼によって私は再び外の世界と接触するようになり、それで初めて、自分のここでの生涯は終った、自分の仕事に対する本来の喜びは消滅した、この苦しみを終らせる時期だ、ということを見とおし、自認することができるようになりました。再び一段階をあとにし、一つの場所を通過したわけです。その場所というのは、今度はカスターリエンでした」
「なんという表現をなさるんでしょう!」とアレクサンダーは頭を振って言った。「まるでカスターリエンという場所が、多くの人に一生涯りっぱに仕事をさせるに足りるほど大きくないかのようです! あなたは本気に、この場所を測りつくし、克服してしまった、と信じているのですか」
「どういたしまして」と相手は力をこめて叫んだ。「そんなことを信じたことなんか一度もありません。この場所の限界に達した、と言ったとしても、私が個人として自分のここの地位でなしうることをなした、という意味にすぎません。しばらく前から私は限界に達しているのです。ガラス玉演戯名人としての仕事がはてしない反復、空虚な慣行と形式となってしまい、ここに来ては、喜びも、感激もなく、往々信念さえなく、行なっているばかりでした。そんなことは打ち切るべき時期に達していたのです」
アレクサンダーは溜息をついた。「それはあなたの見解ではありますが、宗団とその法規の見解ではありません。宗団員が気分を持つこと、ときとして自分の仕事に飽きるということは、何ら新しいことでも、珍しいことでもありません。そういう場合、法規は彼に、調和を取りもどし、自分を集中する方法を、示します。それを忘れたのですか」
「忘れたとは思いません。私の職務遂行を調べることは、あなたのご自由です。最近も、あなたは私の回章を受け取ると、演戯者村と私とを検査させました。仕事はなされており、事務所と記録所はととのっており、演戯名人は病気でも気まぐれでもないことを、あなたは確かめました。あなたが以前じつに巧妙に法規を教えこんでくださったおかげで、私は持ちこたえ、力も落ちつきも失いませんでした。しかし、ひどく骨が折れました。しかし今、自分を動かしているものは、気分でも、気まぐれでも、欲望でもないことを、あなたに納得させるには、残念ながらそれに劣らず骨が折れるのです。しかし、それがうまくいくかどうかは別として、少なくとも、私の人物と業績とは、あなたが最後に検査をさせるときまで、無きずで、役にたつものであったことを、あなたはお認めになるものと、私は主張します。そういうのはもう、あなたにあまり多くを期待することになるでしょうか」
名人アレクサンダーは目を、嘲るように、少しぱちぱちさせた。
「同僚よ」と彼は言った。「あなたは、私たちが、のんびりと談話をしているふたりの私人であるかのように、私を相手に話をなさる。だが、それはあなたにしかあてはまりません。あなたは今は実際一私人です。しかし、私はそうではありません。私が考え、言うことは、私が言うのではなく、宗団本部の主席が言うのです。主席は一言一言、彼の官庁に対し責任があるのです。あなたがきょうここで言うことは、結果を伴わないでしょう。どんなに真剣だったとしても、自己の利害において話している一私人の話にとどまります。それに反し、私にとっては職務と責任が継続するのです。私がきょう言ったり、したりすることは、結果を伴うかもしれません。私はあなたとあなたの件に対し当局を代表するのです。この件に関するあなたの陳述を当局が受け入れるかどうか、あるいはさらに承認するかどうかは、どうでもよいことではありません。――あなたはさまざまなとっぴな考えを脳裏にいだいていたとしても、きのうまでは申しぶんのない、非の打ちどころのないカスターリエン人で、名人であったかのように、また職務に飽きるという誘惑や発作を経験はしたけれど、それを規則正しく克服抑制してきたかのように、陳述なさる。それを認めるとしましょう。しかしその場合、きのうまではまだあらゆる法則にかなうことをしてきた、申しぶんのない、無きずな名人が、きょうは急に脱走するという途方もないことを、私はどう解すべきでしょう? その点では、名人は、自分では依然としてまったくりっぱなカスターリエン人だと思っていても、実際はもうとっくにそうでなくなっていて、もう久しく心が変って病んでいたのだ、とそう考えるほうが、私にはやっぱり容易なのです。いったいなぜあなたは、最後まで義務に忠実な名人だったということを確認することに、それほど重きを置くのか、それも私には疑問です。あなたはひとたびそういう処置をとり、従順の徳を破り、脱走の罪を犯した以上、そういうことを確かめてみたって、もはやなんの値打ちもありませんよ」
クネヒトは逆らった。「失礼ながら、主席、どうしてそれに値打ちがないとおっしゃるんでしょう? 私の声価と、名まえと、ここに残していく思い出とにかかわることです。それからまた、外界でカスターリエンのために働くことができるかどうかということにも、関係があるのです。私がここに立っているのは、何かを自分のために救うためでも、自分の行動を当局に是認してもらうためでもありません。私は、同僚から今後疑われ、問題の人物だと見なされることを予期し、甘受します。しかし、裏切り者、あるいは気ちがいと見なされるのはいやです。それは、私の受け入れることのできない判定です。私は、あなたが否認せざるをえないことをしました。しかし、そうせざるをえないから、そうすることは私の任務であるから、それは私が信じている使命、善意をもって引き受けている使命であるから、そうしたのです。あなたがこれも認めることができないとしたら、私の負けで、あなたにお話したのも、むだだったわけです」
「問題はどこまで行っても同じことです」とアレクサンダーは答えた。「私が信じており、代表しなければならない法則を破る権利を、一個人の意志が、場合によって持つべきだ、ということを認めよと言うのです。しかし、われわれの秩序を信じると同時に、この秩序を突破しようとするあなたの私的な権利をも信じるということは、私にはできません。――どうかことばをさえぎらないでください。あなたが、お見受したところどうも、自分の権利と宿命的な行動の意義を確信しており、自分の意図を実現する使命を信じていることは、認められます。私がその行動そのものを是認することは、あなたも全然期待してはいけません。これに反し、あなたを取りもどし、あなたの決心を変えさせようという私の最初の考えを放棄させることには、あなたは、確かに成功しました。宗団から脱退を受理し、自発的退職の申し出を当局に伝達します。これ以上お志にそうことはできませんよ、ヨーゼフ・クネヒト」
ガラス玉演戯名人は恭順の身振りをした。それから静かに言った。「ありがとうございます、主席どの。小箱はもうあなたにお渡ししました。さらに、ワルトツェルの事態について、特に復習教師団と、私の職務の後継者としてまず問題になると思われる数人とについて、私の書きとめた二、三の記録を当局にあて、あなたに手交いたします」
彼は、数枚のたたんだ紙をポケットから出して、テーブルの上に置いた。そして立ちあがった。主席も起きあがった。クネヒトは歩み寄って、悲しい親しさをこめて主席の目を長いあいだみつめ、お辞儀をして言った。「お別れに握手してください、とお願いしたかったのですが、今はそれも諦《あきら》めました。あなたは私にとって終始ことのほか貴い人でした。きょうのことがあってもそれに変りはありません。ごきげんよう、敬愛する方よ」
アレクサンダーはじっと立っていた。いくらかあおざめていた。一瞬、彼は手をあげて、別れていく人の方に差しのばそうとするかのように見えた。彼は、目がうるんでくるのを感じた。そこで頭をさげて、クネヒトのお辞儀にこたえ、立ち去らせた。
出ていく人がドアをしめてからも、主席は身動きもせず立ちどまったまま、遠のいていく足音に耳を澄ました。最後の足音が消えて、もう何も聞えなくなると、彼はしばらくへやをはすかいに行きつもどりつしていた。やがてまた外に足音がひびき、そっとドアをたたいた。若い召使がはいって来て、面会客のあることを知らせた。
「一時間したらお会いできるが、簡単にしてください、と言いなさい。差し迫った用があるのだ。――いや、お待ち! 事務所へ行って、一等書記官に、即刻いそいで明後日全官庁の会議を召集するように、伝えなさい。全員の出席が必要で、重い病気以外は欠席の言いわけとして認められない、と言い添えなさい。それから執事のところへ行き、明朝私はワルトツェルへ行かねばならないから、車を七時に用意せよ、と言いなさい……」
「失礼ですけれど」と若者は言った。「演戯名人様の車をお使いになれますが」
「いったいどうして?」
「名人様は昨日車でお着きになりました。今しがたお出かけになるとき、自分は歩いていく、車はこちらの役所で使ってもらうように、と申されました」
「よろしい。では、明日はワルトツェルの車を使おう。くり返してごらん、さあ」
召使はくり返した。「来訪客には一時間後にお会いする。簡単にしていただくこと。一等書記官は官庁を明後日召集すること。全員の出席が必要で、重い病気以外は言いわけとして認められない。明朝七時、演戯名人の車でワルトツェルへ出発」
若い男が出ていくと、アレクサンダー名人はほっと息をついた。それから、クネヒトと対座したテーブルに歩み寄った。あの不可解な男の足音がまだ、彼の耳に残っていた。彼はあの男を他の人よりも愛していたのに、実に大きな苦痛を与えられた。世話をしてやった日から、彼はこの男を常に愛していた。他にもいろいろな性質があったが、彼が好きだったのは、クネヒトの歩きっぷりであった。きりっとしていて、拍子は確かだが、軽くて、実際ほとんど漂っているような歩調だった。いかめしさと子どもらしさの中間、司祭ふうと舞踏者ふうの中間の、独特な、愛すべき、上品な歩調で、クネヒトの顔と声にすてきによく似合った。それは、彼特有のカスターリエン人気質と名人気質に、彼らしい主人気質と明朗さによく似合った。そういう特質はときには、彼の前任者トーマス名人の貴族的に重々しい特徴をいくらか思い出させたが、ときにはまた前音楽名人の単純な人好きのする特徴を思い出させた。今はもうあの男は、せっかちな男は、徒歩で旅立ってしまった。どこへ行ったか、だれが知ろう。おそらくもう二度と会うことはないだろう。彼の笑い声を聞くことはなく、彼の美しい指の長い手がガラス玉演戯の主題の象形文字を描くのを見ることも、もう決してないだろう。彼は、テーブルの上に置かれたままになっていた紙片を手にとって、読み始めた。短い遺言書で、きわめて簡略で具体的だった。文章のかわりに、見出し語だけのところも多かった。目前に迫っている演戯者村検査と新名人の選出の仕事を、当局のために容易にしてやろう、という主旨であった。小さいきれいな文字で、明敏な注意が書かれていた。ことばも筆跡も、彼の顔や声や歩きっぷりと同様に、このヨーゼフ・クネヒトという、ただ一度きりの、かけがえのない人物の特徴を示していた。当局が、彼ほどのクラスの人物を見つけて後継者にするのは、困難であろう。ほんとの主人、ほんとの人格は、なんといってもまれであった。このような人物はすべて天の恵みであり、賜物《たまもの》であった。英才州であるこのカスターリエンにおいても、そうであった。
歩くのはヨーゼフ・クネヒトにとって楽しかった。数年来、彼はもう徒歩で旅したことがなかった。実際、よく記憶をたどってみると、どうやら彼が徒歩旅行らしい徒歩旅行を最後にしたのは、かつてマリアフェルス修道院からカスターリエンへ、ワルトツェルの年次演戯へもどってきたときだった。あの演戯は、「閣下」の、つまりトーマス・フォン・デア・トラーフェ名人の死によってひどくめんどうなことになり、彼自身がその後継者になったのであった。いつもは、あの時代や学生時代や竹林を回想すると、味けない冷たいへやから、陽気な日の照っている広い地方を、二度と取りもどすよしのない、思い出の楽園となったものをながめでもするような気持ちに、きっとなるのだった。そういう回想はいつだって、悲哀を伴わない場合でも、非常に遠いもの、別のもの、今日とも日常とも神秘的に華麗に異なっているものを見ることだった。ところが今は、この朗らかな明るい九月の午後、近くには強い色彩が、遠くには、ほんのりと夢のように柔らかい、水色からスミレ色を帯びている色調が漂う中を、のんびりと歩き、ぶらぶらながめていると、ずっと昔に体験した徒歩旅行が、遠い世界や楽園のように、あきらめの今日をのぞきこむのではなくて、今日の旅行は当時の旅行に、今日のヨーゼフ・クネヒトは当時のクネヒトに、兄弟のように似てくるのだった。何もかもが、再び新しく、神秘的で、有望だった。過去のいっさいがまたもどってくるうえ、さらに多くのものが加わることもありえた。一日が、世界が、こんなに安らかに、美しく、無邪気に彼を見たことは、もう久しくなかった。自由と自主の幸福感が、強い飲み物のように彼の、心身にあふれた。こういう感じを、こういう恵まれたうっとりとするような幻覚を、彼はもうどんなに久しく感じなかったことだろう! 彼はじっと考え、この甘美な感じを侵され、縛られてしまったときのことを思い出した。それは、トーマス名人と対談し、その親切な皮肉なまなざしを受けているあいだのことであった。彼は、自由を失ったあのときの無気味な感じをまざまざと思い出した。それはもともと苦痛や燃えるような苦悩ではなく、むしろ不安であり、背首を襲う軽い戦慄《せんりつ》であり、横隔膜に起る警告的な器官の感じであり、体温の変化、特に生命感の速度の変化であった。あの運命のひとときの、不安に満ちた、収縮するような、遠くから窒息させるぞと脅す感じが、今日つぐなわれ、いやされるのだった。
クネヒトはきのう、ヒルスラントへ赴《おもむ》く途中、そこでどんなことが起ろうと、どんなことがあっても、後悔すまい、と決心した。きょうはきょうで、アレクサンダーとの対談のこまかい点、彼との戦い、彼を獲得するための戦いを思わないことにした。彼はくつろぎと自由の感じに浸りきった。一日の仕事を終えたあと、農夫が休息感に満たされるように、彼はその感じに満たされた。もう大丈夫だ、何の義務もないのだ、と自覚した。目前彼はまったくいてもいなくてもよく、絶縁状態で、どんな仕事をする義務も、何を考える義務もなかった。明るい多彩な白日が、なごやかな光線で彼を包み、すべてが具体的な形で、すべてが現在で、要求なんかなく、昨日も明日もなかった。満ち足りた男は、歩きながら時々、行進歌の一つを口ずさんだ。かつてエシュホルツの英才学校の小さい生徒のころ、遠足の折り、三部ないし四部合唱で歌ったものだった。彼の一生の朗らかな早朝から、ささやかな明るい思い出とひびきが、小鳥のさえずりのように飛んできた。
もう葉が深紅に染まりかけている桜の木の下でとまって、草に腰をおろした。彼は上着の胸のポケットに手を入れて、アレクサンダー名人の予想もしなかったものを取り出した。小さい木の笛で、彼は一種の愛着をこめてそれをながめた。その無邪気に子どもらしく見える楽器を手に入れたのは、そんなに前のことではなかった。半年まえくらいのことで、手に入れた日のことを、彼は楽しく思い出した。そのとき、彼は、音楽理論の二、三の問題をカルロ・フェロモンテと討議するため、モンテポルトへ赴いたのだった。その際、ある時代の木製吹奏楽器にも話が及んだ。彼は友人に頼んで、モンテポルトの楽器収集館を見せてもらった。古いオルガン台、竪琴《たてごと》、リュート、ピアノなどが所せましと置かれている数室を、楽しく見てまわってから、学校用の楽器が保管されている倉庫へはいった。そこでクネヒトは、こんな小さな笛がいっぱいはいっている箱を目にとめて、一つを観察し、吹いてみて、この笛を一本もらっていってよいか、と友人に尋ねた。笑いながらカルロは、一本選んでください、と言い、また笑いながらその受領書に署名をさせた。それから、その楽器の構造や操作法や吹奏の技術を詳細に説明した。クネヒトは愛らしいおもちゃをもらって帰った。エシュホルツの少年時代の丸木笛このかた、もう吹奏楽器を吹いたことがなく、また一つ習いたいと、いくどもかねてから企てていたので、彼は時折りこれを練習した。音階の次に、古い旋律ののっている小冊子を、彼はそれに利用した。フェロモンテが初心者のために刊行したものだった。時折り、名人の庭や寝室から、柔らかい甘い小笛の音がもれてきた。まだ名人の域には遠かったが、多数の讃美歌や小曲を吹くのを習い、そらでおぼえ、あるものは文句も暗記した。それらの小曲の一つで、目下の状態によくあてはまるのが、心に浮んできた。彼は数行を口ずさんだ。
[#ここから1字下げ]
わが頭と手足は
低きにあれど、
われはいま立てり。
生き生きと晴れがましく、
顔をあげて空を仰ぐ。
[#ここで字下げ終わり]
それから笛をくちびるにあて、旋律を吹き、はるか高山に向って、なごやかに輝く広野をながめた。そして、朗らかな敬虔《けいけん》な小曲が甘い笛の音にのってひびいていくのを耳にすると、自分が空や山や小曲やこの一日と一つになるのを感じ、満ち足りた気持ちになった。なめらかな丸い木を指のあいだに感じると、楽しくなって、身にまとっている服のほかには、この小さい笛だけが、ワルトツェルからあえて持って出た唯一の財産だ、と考えた。年月のたつあいだに、多かれ少なかれ私有物の性質を持つものがいろいろと身辺に集まった。とりわけ、手記や抜書き帳などがあったが、それらはみな残してきた。演戯者村で随意に利用されるだろう。小さい笛だけは携えてきた。それが手もとにあるのは、うれしかった。つつましい、愛すべき旅の道連れだった。
翌日、旅びとは首府に着いて、デシニョリの家を訪れた。プリニオは階段をおりて、彼を出迎え、感動して抱擁した。
「心配しながら待ちこがれていたよ」と彼は叫んだ。「君はえらいことをやってのけたね。それがぼくたちには良い結果になってくれるといいがね。それにしても、よく君を放したもんだね! とうてい信じられなかったよ」
クネヒトは笑った。「ごらんのとおり、ぼくはやってきたよ。だが、そのことは折りを見て話そう。今は何よりまず、ぼくの生徒にあいさつしたい。もちろん、君の奥さんにも。そしてぼくの新しい勤めをどうしたらよいか、君たちと相談したい」
プリニオは女中を呼び、すぐにむすこを連れてくるように言いつけた。
「若だんな様ですか」と彼女は、一見けげんなていで尋ねたが、急いで立ち去った。一方、主人は友人を客室へ案内し、クネヒトの到着のため、若いティトーとの共同生活のために、万端の配慮をし用意をした次第を熱心に報告し始めた。万事、クネヒトの願いどおりに取り計らった。ティトーの母も、多少反対はしたが、願いを理解して、応諾した。彼らはベルプントという山荘を持っている。湖畔の景勝の地位を占めている。さしずめクネヒトは教え子といっしょにそこで暮してもらいたい。年寄りの女中が世話をするはずで、もう先日、万端の準備をするため旅立った。もちろんそれは短いあいだの滞在にすぎず、せいぜい冬がくるまでのことだが、特に当初は確かにああいう浮世を離れた所が効果的だろう。それに、ティトーは大の山好きで、ベルプントの家を愛しているので、山荘滞在を楽しみにしており、逆らわずに出かけるのも、好ましいことだ。そういうのだった。デシニョリは、山荘とその地帯との写真帳を持っていることを思い出し、クネヒトを自分の書斎へ引っぱっていき、しきりに写真帳を探し、それを見つけて開くと、客にその家を示し、百姓ふうの居間、タイルばりの暖炉、あずまや、湖畔の水泳場、滝などを説明し始めた。
「気に入ったかね?」と彼は熱心に尋ねた。「あすこで愉快になれそうかい?」
「どうしてなれないわけがあろう?」とクネヒトは落ちついて言った。「だが、いったいティトーはどこに行ったんだろう? 呼びにやってから、もうだいぶたつじゃないか」
ふたりはなおしばらくあれこれと話し合った。そのうち足音が聞え、戸があいて、だれかがはいってきた。が、ティトーでも、迎えに出された女中でもなく、ティトーの母、デシニョリ夫人だった。クネヒトがあいさつをするために立ちあがると、夫人は彼に手を差しのばし、強《し》いて打ちとけようとしながらほほえみかけた。クネヒトはその丁重な微笑の中に、憂慮あるいは憤りの表情がひそんでいるのを見た。彼女は、歓迎のことばを述べきらないうちに、夫の方を向いて、気がかりになっていることを、ことばはげしくぶちまけた。
「ほんとに冗談じゃありませんわ」と彼女は大きな声で言った。「あの子はいなくなって、どこにも見つからないんですよ」
「外出したんだろう」とプリニオはなだめた。「きっと帰ってくるよ」
「あいにくそんなことじゃないらしいんです」と母は言った。「もうけさからいないんですもの。私は朝早く気がついたんです」
「なぜ今ごろになってぼくに言うのだ?」
「もちろん今にも帰るだろうと思い、あなたに余計な心配をかけたくなかったからです。初めは私だって何も悪いことは考えず、散歩に行ったのだろう、と思っていました。ところが、お昼になっても帰らないので、私は心配しだしたのです。あなたはきょう食事にいらっしゃいませんでした。いらっしゃれば、お昼にお聞きになったでしょう。そのときでも私はまだ、あの子はずぼらで、私をこうも待たせるんだとばかり、思いこもうとしました。しかし、そうじゃなかったのです」
「失礼ですが、お尋ねいたします」とクネヒトは言った。「ご令息は、私がまもなく到着すること、私たちふたりについてあなた方が計画を持っておられることを、知っていたのでしょうか」
「もちろんですとも、名人さま、あの子はこの計画にだいたい満足してさえいたようです。少なくとも、もう一度どこかの学校に入れられるよりは、あなたを先生にするほうがよかったのです」
「それなら」とクネヒトは言った。「それなら申すことはありません。奥さま、ご令息は、たいそう自由に慣れていました。ことに最近はそうでした。それで、教育者ややかましい教師をあてがわれるのは、たまらないと思うのはわかりきったことです。そこで、新しい先生に引き渡されるまぎわに逃げ出したのです。おそらく、運命からほんとにのがれることを希望するというより、延ばしたところで少しも損にはならない、と考えてのことです。それに、両親と、両親の頼んだ教師に一杯くわせて、おとなや先生の世界全体に対する反抗を示そうとしたのかもしれません」
デシニョリは、クネヒトがこのできごとをあまり深刻に考えないのをありがたく思った。しかし彼自身は、憂慮と不安でいっぱいになり、心から愛していればこそ、むすこはどんなことをしでかすかわからないように思われた。ひょっとしたら、本気で、家出をしたのかもしれない、自殺することさえ考えたのかもしれない、と彼は思った。ああ、この少年の教育にあたって、怠ったこと、誤ったことが、今いっせいに仕返しをしようとしている、選《え》りに選って、その償いをしようと思った瞬間に、とそう思われた。
クネヒトの忠告に逆らって、彼は、何かしなくては、何か手を打たなくては、と言いはった。打撃を無為に受動的に甘受することはできない、と感じ、彼は焦燥と神経質な興奮をつのらせ、友人にひどく不快の思いをさせた。そこで、ティトーが時々交際していた同じ年ごろの友人のいる二、三の家に使いを出すことにきめた。そのさしずをするため、デシニョリ夫人が出ていき、友人とふたりきりになると、クネヒトは喜んだ。
「プリニオ」と彼は言った。「まるで死んだむすこをかつぎこまれでもしたような顔をしているね。もう小さい子どもじゃないんだから、車にひかれたり、ベラドンナを食べたりすることもあるまい。だから、しっかりしたまえ。むすこさんがいないから、そのかわりに、失礼ながら、しばらく君を教育するよ。ぼくは君を少し観察して、君が好調でないのを知ったよ。力士が不意の一撃または圧迫を食うと、筋肉はひとりでに必要な運動を起し、伸びたり縮んだりして、状況を切りぬける助けをする。同様に、生徒プリニオよ、君も打撃を受けた瞬間――というより、君が大げさに打撃を受けたと思った瞬間に、心に受けた攻撃に対し、最初の防御手段を講じ、ゆっくりと念入りに呼吸をととのえることを考慮すべきだった。そうせずに、君は、衝撃を受けた状態を現わさねばならない俳優のように呼吸した。君は準備が十分にできていない。君たち世俗の人々は、苦しみや心配に対しまったく独特な弱味をさらしているようだ。何か頼りない痛々しいところがある。ときには、つまりほんとの苦しみが問題になり、その受難に意味がある場合は、何か偉大なところがある。しかし、日常の場合は、そんなふうに防御を断念するのは、武器にならない。君のむすこさんは、必要に際して、もっとよい用意ができているように、ぼくが仕込んでやる。だが、今は、プリニオよ、ねえ、ぼくといっしょに少し練習をしよう。君がほんとにもうすっかり忘れてしまったかどうか、たしかめるために」
厳格に律動的な命令を与えて、呼吸の練習をさせながら、彼は友人を疑心暗鬼から首尾よく解放してやった。すると、友人は進んで、条理に耳をかし、無益に恐怖や憂慮をいだくことをやめた。ふたりはティトーのへやへあがった。クネヒトは楽しげに、少年らしい持ち物の雑然と置かれているのをながめ、寝台のそばの小卓にのっている本を手にとると、はさまれた紙切れがのぞいているのが見えた。果して、いなくなった少年の手紙だった。彼は紙片をデシニョリに渡して、笑った。友人の顔も明るくなった。手紙によると、ティトーはきょう早朝出発して、ひとりで山へ行き、ベルプントで新しい先生を待つ。自分の自由がまたうるさく制限される前に、こういうささやかな楽しみを味わうことを許してもらいたい。この快い小旅行をするのに、先生に伴われて、監視づきのとらわれ人としてするのじゃ、考えただけでいやでたまらない。そういうのだった。
「まったく無理もないよ」とクネヒトは言った。「ぼくは明日あとを追っていく。きっと山荘で彼に会えるだろう。君はとりあえず奥さんのところへいって知らせてやりたまえ」
それからその日一日、家の中の気分は朗らかに、のんびりした。その晩クネヒトは、プリニオにせがまれて、この数日来の経過と、特にアレクサンダー名人との二度の対話について、手短かに語った。その晩また、紙切れに奇妙な詩を書いた。それは今日ティトー・デシニョリの所有に帰している。それには次のようないきさつがある。
主人は夕食前、一時間ほど彼をひとりにした。クネヒトは、古い本のぎっしり並んでいる本だなを見て、好奇心を引かれた。これも、多年の節欲のあいだ遠ざかり忘れていた喜びで、今それにちなんで、彼は学生時代をなつかしく思い出した。未知の書物の前に立って、漫然と手を突っこんで、そこかしこから一冊引き出すと、その金箔《きんぱく》、著者名、型、皮の色などに、心を引かれるのだった。楽しげにまず背表紙の題名を一覧して、目の前にあるのが、十九世紀と二十世紀の文学ばかりだ、ということを確かめた。しまいに彼は、色あせたクロースの一巻を引き出した。「バラモン僧の知恵」という題に誘われたのだった。初めは立ったまま、やがてこしかけ、数百の教訓詩を含むその本をめくった。教訓的な多弁とほんとの知恵、俗物性と真の詩魂とが奇妙に並び合っている、この珍しい感傷的な書物には、秘教的な点が欠けてはいないように思われたが、ひどく無骨な平凡な殻をかぶっていた。その中でいちばん美しい詩は、教訓や知恵がほんとうに形を求めているような詩ではなくて、詩人の心、愛の力、誠実さと人間愛、市民的にしっかりした性格などが表現されているような詩であった。尊敬と興味との独特にまざった気持ちで書物を深く味わおうとしているうちに、一つの句が目にとまった。この日わざわざ彼に送られた句でもあるかのように、彼は満足と賛意とをもってそれを心に受け入れ、ほほえみながらうなずいた。その文句はこうだった。
[#ここから1字下げ]
貴重な日々が消えていくのを、われわれは惜しげもなく見送る。それは、
なおいっそう貴重なものが熟してくるのを見ればこそである。
たとえば、われわれが庭に培《つちか》う珍しい植物、
教育する幼な子、書きあらわす小さい書物のように。
[#ここで字下げ終わり]
机の引出しをあけて、紙切れを探し出し、その詩句を写した。後でそれをブリニオに見せて、言った。「この句は気に入ったよ。何か特別なところがある。つまり、ひどくそっけなくて、同時にひどく心がこもっている! ぼくと、ぼくの目下の状態と気分とに、実によくあてはまる。ぼくは庭作りではないし、珍しい植物の栽培に月日をささげようとは思わないけれど、やはり教師で、教育者だ。自分の任務へ、自分の教育しようと思う子どものもとへ赴く途上にあるのだ。どんなにそれが楽しみなことだろう! この句の作者、つまり詩人リュッケルトについて言えば、彼はこの三つの貴い情熱を兼ねそなえていたらしい。すなわち、庭作りの情熱と、教育者の情熱と、著者の情熱とをそなえていたのだが、特に第三のものが彼の心では第一位を占めていたようだ。彼はそれを最後のいちばん意義深い場所にあげている。情熱の対象にすっかり心を打ちこんでいるので、ねんごろな気持ちになって、書物と呼ばず、『小さい書物』と呼んでいるのだ。なんと感動的なことだろう」
プリニオは笑って言った。「かわいらしく『小さい書物』と言っているけれど、その個所では、一つづりの代りに、二つづりのことばが必要なので、単に月並み詩人の技巧だったのかもしれないよ」
「それでもやはり彼を見くびりたくない」とクネヒトは弁解した。「一生のあいだに一万行の詩句を書いた人が、けちな韻律上の必要にかられて、窮地に陥るなんてことはないよ。いや、まあ聞いてみたまえ、われらの書き現わす小さい書物! というのが、どんなにねんごろに、しかもいくらか恥ずかしそうにひびくか。――『書物』を『小さい書物』としたのも、ただ心を打ちこんだというだけではないかもしれない。てれかくしと、緩和のつもりもあったらしい。ひょっとしたら、いや、たぶん、この詩人は自分の仕事に献身する著者だったので、書物を作る傾向を一種の煩悩《ぼんのう》、悪癖と、時折り感じたのだ。そうだとすれば、『小さい書物』ということばは、心を打ちこんでいるという意味やひびきだけでなくて、てれかくしをし、わきへそらし、言いわけをするような意味とひびきを持っていたのだ。ちょうど、賭《かけ》をする人が勝負に誘うとき、『ちょっと一番』と言い、酒飲みが『ほんの一杯』または『小さいのを一杯』と言う、あの調子だ。――いや、これは臆測だ。いずれにしても、教育しようと思う子どもと、書き現わそうと思う書物を歌う、この詩人に、ぼくは心から賛意と共感をささげるよ。教育したいという情熱がぼくにとって切実であるばかりでなく、小さい書物を書くことも、まんざらぼくに縁のない情熱でもない。いま職務から離れてみると、いつか暇を得て、心たのしく一冊の書物を、いや、小さい書物を、友人や志を同じくする仲間のための小冊子を書いてみたいという考えに、また食指が動くよ」
「それで何について書くのかい?」とデシニョリが好奇心をそそられて尋ねた。
「ああ、何だっていいんだよ。書く事柄なんか問題じゃない。閉じこもって、自由な時間をたっぷり持つ幸福を味わうきっかけになりさえすれば、いいのだ。そのときぼくにとって大切なのは、調子だよ。畏敬《いけい》と親密さ、真剣さと遊戯とのあいだのしっくりした中間だよ。教訓の調子ではなくて、ぼくが経験し学んだと信じられるあれやこれやについて、友人として報告し、表白することなのだ。このフリードリヒ・リュッケルトが教訓と思索、報告と雑談を詩の中にまぜているやり方は、ぼくのやり方にはならないだろう。しかし、このやり方には、やはり何か快く興味を引くものがある。個人的ではあるが、かって気ままではなく、遊戯的ではあるが、揺るがぬ形式の法則に縛られている。そこがぼくの気に入るのだ。だが、当座は、小さい書物を書く喜びや問題に立ち入ることはないだろう。今は他のことに力を注がなければならない。しかし後日いつかは、著者たる幸福がぼくにとって花咲くこともあるだろうと思う。物事を入念にとらえるのだが、あくせくとせず、ひとり楽しむばかりでなく、数人の少数の良い友人や読者をいつも念頭においている、そういう著者の幸福がぼくの目の前にちらついているのだ」
翌朝クネヒトはベルプントへの旅にのぼった。デシニョリは昨日、そこまで同行すると言ったのだが、クネヒトはきっぱりとことわった。それでもなおデシニョリが説得をあえてしようとすると、クネヒトはどなりつけんばかりにした。「むすこさんは」と彼は手短かに言った。「やっかいな新しい先生を迎え、消化するのに、手一杯だろう。そのうえなお、おやじの顔を見ろと強要してはならない。そんなものは、特に今は彼にはありがたくないんだから」
プリニオが彼のために借りてくれた旅行用車で、すがすがしい九月の朝を縫っていくと、昨日の楽しい旅行気分がもどってきた。彼はたびたび運転手と話をした。景色に心を引かれると、時折り車をとめさせたり徐行させたりした。小さい笛もいくどか吹いた。首府と低地から、山地へ近づき、さらに高山地帯へ向っていくのは、快い、心はずむドライヴであった。同時に、まさに終ろうとする夏から一歩一歩秋へはいっていくのであった。お昼ころ、大きなカーヴを描く最後の上りが始まった。もう葉の乏しくなった針葉樹の中を抜けて、岩のあいだにあわ立ち狂う谷川に沿い、橋を渡り、寂しく立っている、重々しい壁がこいの、窓の小さい農家のそばを通り、石だらけの、だんだん厳しく荒涼としてくる山岳地帯にはいっていった。その酷烈厳粛さの中では、たくさんの小さい草花の楽園が二倍にも愛らしく咲いていた。
ようやくたどりついた小さい別荘は、山湖の灰色の岩のあいだに隠れて、ほとんど見わけがっかなかった。それを見ると、旅人は、荒涼とした高山にふさわしい建て方の厳しさと暗さを感じた。しかし、そのあとすぐ、朗らかな微笑が彼の顔を明るくした。開いている玄関の戸口に立っている姿が見えたからである。はでな上着を着て、短いズボンをはいた青年だった。彼の生徒ティトーに相違なかった。彼は、逃げ出したこの青年のことをほんとに真剣に心配していたわけではなかったけれど、安心して、これはありがたい、と息をついた。ティトーがここにいて、玄関口で先生を迎えてくれるようだったら、万事結構だった。いろいろないざこざのありうることを、道々やはり考慮してきたのだが、そんなものは消え去ってしまった。
少年はにこにこと打ちとけ、少しばかりぎごちなく彼を出迎え、車からおりるのを助けながら言った。「あなたにひとり旅をさせたのは、悪意があったわけじゃありません」クネヒトが返事する間もなく、彼は親しげにつけ加えた。「ぼくがどういうつもりだったか、わかってくださったんだと思います。でなかったら、きっと父を連れてきたでしょう。無事に着いたことは、もう通知しました」
クネヒトは笑いながら少年と握手し、家の中に案内してもらった。女中も彼を迎え、まもなく夕食にします、と言った。いつになく休息の必要をおぼえて、彼は食事まえに少し寝いすに横になると、初めて、美しいドライヴのために異常に疲れたことを、いや、力つきてしまったことを意識した。晩、生徒と雑談し、高山植物やチョウチョの収集を見せてもらっていると、その疲労はなおいっそうつのり、目まいのようなものさえ感じた。これまでまだ感じたことのないほど、頭が空虚になり、持てあますような衰弱と心臓の鼓動の不整をおぼえた。しかし、取りきめた就寝時間までティトーと対座し、自分のぐあいの悪いことを気づかせないように努めた。生徒は、名人が授業の開始や時間割や最近の成績などについて何も言わないのを、少しけげんに思った。そればかりか、ティトーがこの良い気分を利用しようという試みをあえてし、先生に新しい環境を紹介するため明朝相当大規模な散歩をしよう、と提議すると、それは快く受諾された。
「その散歩は楽しみです」とクネヒトはつけ加えた。「ついては一つお願いがあるんですがね。あなたの植物収集を見たとき、あなたは高山植物について私よりずっとよく知っていることがわかりました。私たちがいっしょに生活する目的は、とりわけ、知識を交換し、互いに等しくなることです。まず私の乏しい植物学上の知識をあなたが検討し、この方面で私がいくらか進歩するよう、助ける、ということから始めましょう」
互いにお休みを言ってから、ティトーは大いに満足して、いろいろと良い計画を立てた。クネヒト名人はまたしても大いに彼の気に入った。学校の教授たちが好んでするように、大げさなことばを使ったり、科学や道徳や精神の貴族などということを振りまわすことはせず、この朗らかな親しみある老人は、その人となりとことばの中に、何か義務を負わせ、高貴な良い騎士的な、より高い努力と力を呼び起すようなものをそなえていた。学校の教師ならだれでもかまわず、だましたり、出しぬいたりするのは、愉快なことだし、自慢になることだが、この人の前では、そういう考えは全然起らなかった。この人は――いったい、何だろう? どういう人だろう? この未知の人のいったいどういうところがこれほど、自分の気に入ったのか、同時に敬服の念を起させるのか、その点をよく考えたあげく、それはこの人の高貴さ、品位、人の上に立つ人柄だということを悟った。何よりも彼を引きつけたのは、それだった。このクネヒト氏は上品で、紳士で貴族だった。もっとも彼の家族を知っている人はなく、彼の父親は靴屋かもしれなかった。彼は、ティトーの知っている大多数の人より気高く上品で、自分の父よりも上品だった。素封家の本能と伝統とを尊重していた少年は、父親がそういうものから離れたことを許せなかったが、ここに初めて、精神的な、教育された貴族に出会った。たったひとりの人間の生涯のあいだに、長い先祖や世代の順序を飛び越えて、平民の子を高い貴族にするという奇蹟《きせき》を、恵まれた条件のもとでときとして起すことのできる、あの力に出会ったのであった。火のような、自尊心の強い少年の心中には、こういう種類の貴族に所属し、奉仕することは、自分にとって義務となり、名誉となるかもしれない、この先生は実にやさしく親切ではあるけれど、あくまで人の上に立つ人であって、この人物の中に、自分の生涯の意味が、具体的な姿をとって現われ、近づいてきて、目的を定めてくれることになるかもしれない、という予感がわいた。
クネヒトは、自分のへやに案内された後、ひどく横になりたかったが、すぐにはそうしなかった。骨の折れる一晩だった。明らかに自分をよく観察している若者の前で、実際疲労というか、沈滞というか、病気というか、そうしているうちにも、いっそうつのってくる状態を、少しも気づかれないようにするため、表現や態度や声を緊張させるのは、容易でなく、やっかいなことだった。とにかく、うまくいったらしかった。今はしかし、この空虚、この不快、この不安な目まい感と、同時に胸騒ぎを伴う極度の疲労に、面と向い、これを克服しなければならなかった。それで、まずその正体を知ろうとした。それは、長い時間こそかかったが、そんなに困難でなく、わかった。病気の原因は、ごく短時間に平地から二千メートルもの高地に彼を運んだきょうの旅行以外にはない、と彼は悟った。少年時代に数回遠足したとき以来、こんな高地に滞在した経験がないので、こういう急激な上りには耐えがたかったのである。たぶん、少なくともなお一両日この不快を忍ばねばならないだろう。それでも不快が去らなかったら、ティトーと家政婦をつれて帰らねばならない。そしたら、この美しいベルプントの生活を考えたプリニオの計画はまさしく失敗だ。残念ではあるが、大きな不幸ではないだろう。
こう考えてから床についたが、あまり眠れずに夜をすごした。ワルトツェルに別れを告げてからの旅行を振り返ってみたり、心臓の鼓動と興奮した神経を静めようと試みたりしたが、生徒のこともしきりに考えた。満足ではあったが、計画を立てようとはしなかった。優秀ではあるが、粗暴なこの若馬は、もっぱら好意と習慣によってしつけるほうが良い、と思われた。ここでは、せっかちになったり、無理強いをしたりすることは、禁物だった。少年の持っている天分と力を徐々に自覚させてやろう、同時に、学問や精神や美に対する愛に力を与えるあの高貴な不満、高尚な好奇心を、彼の心に培《つちか》ってやろうと、思った。美しい課題だった。彼の生徒は、単に任意の若い才能で、それを呼びさまし、仕上げるというだけではなかった。声望と財産のある素封家のひとりむすことして、将来の支配的人物であり、国と国民とを社会的に政治的に形成していく人物のひとりであり、模範となり、指導者となる使命をになっていた。カスターリエンはこの古いデシニョリ家に借り越しになっていた。つまり、カスターリエンは、このティトーの父を以前あずかったのに、十分徹底的に教育せず、俗世と精神とのあいだの困難な地位に耐えられるように十分強くしてやらなかった。その結果、天分のある愛すべき青年プリニオは、調和のとれない、良く制御されない生活を送る不幸な人間になったばかりでなく、そのひとりむすこも危険にさらされ、父譲りの難問の中に引きこまれてしまった。いくらか治癒《ちゆ》し、償いをし、借金のようなものを弁済しなければならなかった。この任務が、人もあろうに自分という不従順な、一見裏切りを犯した者に課せられたのは、うれしくもあり、意味深くも思われた。
朝、人の起きる気配がしたので、彼も起きると、寝台のわきに水浴用ガウンが用意してあったので、軽い寝巻きの上に羽織り、前の晩ティトーに教えられたとおり、裏玄関から、片がわは壁のない廊下に出た。それは家を水浴小屋と湖とに結びつけていた。
前には、小さな湖が灰緑色に、さざ波ひとつ立てずに横たわっていた。対岸では、けわしい高い絶壁が、鋭いぎざぎざの頂を、淡い、緑色がかった冷たい朝の空に切れこまして、冷厳に影の中にそびえていた。しかし、その頂の背後にはもう太陽が登っているのが感じられた。光が鋭い岩角のあらこちに小さい砕片のようにきらめいていた。あとほんの数分で、ぎざぎざな山の上に太陽が現われて、湖と高山の谷は光であふれるだろう。クネヒトは注意深く、厳粛な気分でこの光景をながめた。その静けさ、厳粛さ、美しさは、親しみこそなかったが、自分にも無縁ではなく、警告を与えているように感じられた。昨日のドライヴの際よりもっと強く、高山の世界の重味と冷気と威厳のある超然さを、彼は感じた。それは人間を迎えず、招かず、入れさえもしなかった。俗世の生活の新しい自由への第一歩が、ほかでもないここへ、この静かな冷たい偉大さの中へ彼を連れてきたのは、異様に、意義深く思われた。
ティトーが水着姿で現われ、名人と握手し、対岸の岩を指さしながら言った。「ちょうどよいところへいらっしゃいました。すぐ太陽があがります。ああ、この山の中はすてきだ」クネヒトは打ちとけて彼にうなずきかけた。ティトーが早起きで、よく走り、よく歩き、レスラーでもあることを、クネヒトはずっと前から知っていた。それは、父のものぐさな、軍人らしくない気楽な態度に対する抗議から、すでにそうしたのだが、同じ根拠からブドウ酒をもしりぞけていた。この習慣や傾向はなるほど往々自然児気どりや精神軽視の態度に走った――誇張の傾きはデシニョリ一族には生れつきらしかった――クネヒトはしかしその傾向を歓迎し、運動の仲間になることも、火のような若者の心をとらえ、彼をしつけるための一手段として利用しよう、と心にきめた。それはいくつもの手段の中の一つであって、最も重要なものの一つではなかった。たとえば、音楽ははるかに多くの効果をあげるだろう。もちろん、体育にかけて若者に伍《ご》していこう、これをしのごうなどとは、考えなかった。邪心なくいっしょにやるだけで、先生は臆病者でも無精者でもないことを若者に示すのに十分であろう。
ティトーは緊張して、暗い岩の頂をながめた。そのうしろでは、朝の光の中で天空が波打っていた。今し、岩の背の一小部分が、赤熱し、まさに溶けようとしている金属のように、はげしくきらめき、頂は鈍くなり、急に低くなり、溶けてくずれそうに見えた。そして赤熱のすきまから太陽がまぶしく出てきた。同時に、大地、家、水浴小屋、湖のこちらの岸などが照らされ、強い光線の中に立つふたりの人物は、すぐにこの光の快い熱を感じた。少年は、目前のおごそかな美しさと、自分の若さと力の幸福な自覚に満たされ、両腕を律動的に動かして、手足を伸ばしたが、やがて全身の運動を起し、感動的な踊りで、夜明けを祝い、周囲に波打ち輝く自然と心から和合していることを表現しようとした。彼の足どりは、勝ち誇る太陽に向って、いそいそとあがめるようにとんだかと思うと、うやうやしくあとにさがり、ひろげられた両腕は山と湖と空を胸に引き寄せた。ひざをついては、母なる大地に、両手をひろげては、湖の水に、敬意を表し、自分を、青春を、自由を、内に燃えあがる生命感情を、祭典の供物《くもつ》のように、自然の力にささげているように見えた。日やけした肩には太陽の光が映り、両眼はまぶしさを防ぐため半ば閉じ、若い顔は、感激した、ほとんど熱狂的な真剣さの表情で、仮面のようにこわばっていた。
名人はといえば、彼も、この岩だらけの、声なき孤独の中で、夜明けのおごそかな光景に、心を打たれ、感動していた。しかし、このながめより以上に、眼前の人間の動きが、彼の心を打ち、引きつけた。生徒の荘重な朝の踊り、太陽を迎える踊りが、まだできあがらないからだつきの、気分に支配されている若者を、神の礼拝のような厳粛さに高め、それをながめている彼にも、自分の最も深い高貴な性向、天分、使命を、一瞬のうちに、ちょうど太陽の出現が冷たく暗い山湖の谷間をくまなく照らし出したように、突如として明るくまざまざと開いてくれたのだった。若者は、これまでクネヒトが考えていたより一段と強く、すばらしく見えたが、同時に強情で、近よりがたく、精神に遠く、異教的であるように見えた。森の神パーンのように感激した少年の祝いと犠牲の踊りは、昔の若いプリニオのことばや詩句以上のもので、彼を数段高めていたが、同時に彼を一段と親しみにくい、とらえがたい、呼びかけても達しがたいものにした。
少年自身、無我夢中でこの感激にとらえられていた。彼が踊っているのは、前から知っている、すでに踊っていたことのある、あるいは試みたことのある踊りなどではなかった。彼のくふうし、手がけた、太陽の祭り、朝の祭りの儀式ではなかった。いくらか後になってやっと彼にもわかったことであるが、彼の踊りと、魔にとりつかれたような物狂いには、山の大気や太陽や朝や自由の感情ばかりでなく、若い生命の変化と段階が、やさしくはあるが畏敬《いけい》の念を促す名人という人物として現われて、自分を待っているという気持ちも、同様に強く作用していた。この朝のひとときに、若いティトーの運命と魂の中には、たくさんのものが結びついていて、このひとときを他の無数の時にまさる、高い荘重な神聖なものにしたのであった。何をするという自覚もなく、批判も邪念もなく、幸福な瞬間の要求することを行い、礼拝の踊りを舞い、太陽に向って祈り、熱中した動作と身振りで、喜びと生の信仰と敬虔《けいけん》さと畏敬とを告白し、誇らしく同時にうやうやしく、踊りを通して敬虔な魂を、いけにえとして、太陽と神々にささげたばかりでなく、讃嘆し畏怖《いふ》する人に、賢者であり音楽家である人に、神秘の境から来た魔術的演戯の名人に、将来の教育者であり友である人にも、ささげたのであった。
こうは言うもののそれはみな、日の出の光の陶酔と同様、ほんの数分のあいだのことであった。クネヒトは、生徒が目前で変化し、裸になり、新しく、異様に、完全に、自分の同類として歩み出る不思議な光景を、感動してながめた。ふたりは、家と小屋とのあいだの通路に立ち、東方からのあふれる光を浴び、今しがたの体験のうずに、深く興奮していた。そのときティトーは、踊りの最後の足どりを終えるやいなや、幸福の陶酔から目ざめ、自分ひとりではない、自分が異常なことを体験し、行なったばかりでなく、目撃者がいたのだ、ということに気づいて、ひとりで遊んでいたところを不意打ちされた動物のように、立ちどまった。突然何か危険で恥ずかしいと悟った状態から脱し、彼を完全に閉じこめ圧倒した不思議な瞬間の魔力を力強く突破するには、こうすればよいと思いつくと、ためらわず彼はとっさにそのとおりにした。
年齢というものを超越して仮面のように厳しかった顔が、子どもらしい、いくらかおどけた表情をした。深い眠りからあまり不意に起された男の顔のようであった。彼は少しひざを揺すって、先生の顔をぽかんと見つめ、何か大切なこと、もう間に合わなくなったことを思いつきでもしたように、いきなりさっと右手を伸ばし、方向を示すような身振りをした。湖の対岸を指さしたのである。そこは、湖面の半ばと同様、まだ大きな影の中に横たわっていた。朝の光線に征服された岩山は、影をそのふもとに次第に狭く収縮させていた。
「うんと早く泳げば」と彼はせっかちに、少年らしくむきになって叫んだ。「太陽の出ないうちに、ぼくたちは向う岸に着けるよ」
そうはげしく叫んで、太陽との競泳の合図を発するやいなや、ティレーは大きく飛躍して、頭をさきに、湖の中に消えてしまった。血気にはやったのか、面くらったのか、いずれにしても、精いっぱい早く逃げ出し、さっきの仰々しい場面を、何か輪をかけて大げさな行動で忘れさせようとするかのようであった。水ははねあがって、彼の上でぶつかり合った。数瞬後、頭と肩と腕がまた現われ、鏡のような青緑色の水面に浮んでいたが、ぐんぐんと遠のいていった。
クネヒトはここへやってきたとき、水を浴びたり泳いだりすることは、少しも考えていなかった。あまり涼しすぎたし、半ば病気で一夜をすごした後だったので、さっぱり気分がすぐれなかった。今はしかし、美しい太陽の光を受け、見たばかりの光景に心をかきたてられていたので、友だちのように誘われ、教え子から呼びかけられてみると、冒険をそれほど恐ろしく思わなかった。何よりも、今自分が冷静なおとなの分別からこの力だめしを拒んで、少年を独りで泳がせ、失望させたら、せっかくこの朝のひとときが道を開き、約束してくれたことが、また沈んで消えてしまうかもしれないことを、彼は恐れた。もっとも、急いで山の旅をしたため衰弱と不安な感じが起きていて、警戒を促されたのであるが、おそらくこの不快は、いやおうなしに強引にやれば、たちまち克服されるだろう。呼びかけは警告より強く、意志は本能より強かった。急いで彼は軽い朝のガウンを脱ぎ、深く呼吸をして、生徒が水にもぐった個所で、水の中に飛びこんだ。
湖は、氷河の水を受けて、盛夏でも、鍛錬を積んだものでなければ、耐えられないほどだったから、切りつけるような敵意のこもった氷の冷たさで、彼を迎えた。したたか身ぶるいすることは覚悟していたが、こんなにかみつくような冷たさは、覚悟していなかった。冷気は、燃えあがる炎のように彼を包み、一瞬かっと焼けた後、ぐいぐいとからだに浸みこみ始めた。飛びこんでからすぐまた浮びあがったが、自分を大きく引離して、泳ぎ手ティトーが先の方にいるのを発見した。しかし、氷のようなはげしい敵意にしめつけられるのを感じた。そして、距離を縮め、競泳の目標に達し、少年の尊敬と友情と魂とをかち得るために戦っているのだと思っていたとき、実はすでに死と戦っているのだった。死は彼を追いつめ、彼に組みついていた。彼は、心臓が打っているあいだは、全力をあげて死に抵抗した。
若い泳ぎ手は、たびたび振り返り、名人が自分を追って水にはいったのを認めて、満足に思った。また様子をうかがうと、相手がもう見えないので、不安になり、様子をうかがい、呼び、向きなおって、相手を助けるために急いだ。もはや見つからないので、泳いだり、もぐったりして、沈んだ人を探したが、刺すような冷たさのため、ついに彼の力も尽きてしまった。ふらふらしながら、息も絶え絶えにやっと岸に着き、水浴用のガウンを目にとめ、それを拾いあげ、それで機械的にからだと手足をこすると、こわばった皮膚がようやくまたあたたかくなった。まひしたように、日なたに腰をおろし、じっと水を見つめた。冷たい青緑色の水がいま彼を異様にうつろに、よそよそしく、意地悪く見つめた。肉体の衰弱が消えて、意識と、事件に対する恐怖とがまたもどってくると、彼は困惑と深い悲しみに心を打たれた。
ああ、どうしよう、自分はあの人の死に責任があるのだ、と彼は考えて、ぎょっとした。負けん気を通す必要も、抵抗をする必要ももうなくなった今はじめて、おびえた心の悲しみのうちに、自分がこの人をすでにどんなに愛していたかを感じた。なんと抗弁しようと、名人の死には自分にも責任があるのだ、と感じているうちに、この責任が、自分自身と自分の生活を作り変え、今まで自分が自分に要求したよりはるかに大きいものを、自分から要求するだろうという予感に襲われて、彼は神聖な身ぶるいをおぼえた。
[#改ページ]
ヨーゼフ・クネヒトの遺稿
生徒時代と学生時代の詩
嘆き
われらには存在は与えられていない。われらは流れにすぎない。
われらは喜んであらゆる形に流れ込む。
昼に、夜に、洞穴に、寺院に。
われらは貫き進む。存在への渇望がわれらを駆る。
こうしてわれらは休みなく、形をつぎつぎと満たす。
しかし、どの形もわれらの故郷、幸福、仮借ない運命にはならない。
われらは常に途上にあり、常に客である。
畑も|すき《ヽヽ》もわれらを呼ばず、われらのためにパンははえない。
神がわれらをどうおぼしめしているか、われらは知らない。
神は、その掌中の粘土なるわれらをもてあそぶ。
粘土は無言で、意のままになり、笑いも泣きもしない。
こねられはするが、焼いて固められはしない。
いつかはかたまって石となり、永続する!
そういうあこがれがわれらの胸中に永遠に働いている。
だが、不安な戦慄《せんりつ》が永遠に残るばかりだ。
そしてわれらの途上においては、休息となることは決してない。
[#改ページ]
迎合
決して屈することのないもの、素朴《そぼく》なものは、
もちろんわれらの疑いを容認しない。
世界は平らで、深淵《しんえん》の伝説なんか、たわごとだ、
と、彼らは簡単に説明する。
昔から住みなじんだ快い二つの次元のほかに、
別な次元がほんとにあったとしたら、
そこに人間はどうして安全に住むことができよう?
そこに人間はどうして安心して暮すことができよう?
だから平和に達するためには、
一つの次元を抹殺《まっさつ》しよう!
屈することを知らぬものがほんとに正しいなら、
深淵を見ることがそれほど危険なら、
第三次元はなくてもよいだろうから。
[#改ページ]
けれどもひそかに私たちはこがれる……
優美に、精神的に、唐草《からくさ》模様のように微妙に、
私たちの命は、妖女《ようじょ》の命のように、
静かに踊りつつ虚無のまわりを旋回するように見える、
私たちが存在と現在とを犠牲にささげた虚無のまわりを。
息吹《いぶ》きのように軽く、清い調子の
夢の美しさ、やさしい戯れよ、
お前の陽気な表面の下ふかく、
夜と血と野蛮へのあこがれが微光を放っている。
空虚の中を、強《し》いられず、思いのままに、
私たちの命は、自由に、いつも戯れの心構えで旋回する。
けれどもひそかに私たちはこがれる、現実に、
生産に、誕生に、悩みに、死に。
[#改ページ]
文字
折りに触れて私たちはペンをとり、
白い紙に記《しる》しを書く。
それはあれやこれやを言い現わす。だれでもが知っている。
規則のある戯れだ。
だが、野蛮人か月男が来て、
その紙片を、しわだらけのルーネ文字の列を、物珍しげに目に近づけて、しらべたら、
そこから彼を見つめるものは、見なれぬ世界の形、
見なれぬ不思議な画廊だろう。
AとBが人間として動物として
目として舌として手足として
あちらでは慎重に、こちらでは本能に駆られて、動くのを見るだろう。
雪の中にツルの足跡を見る思いがするだろう。
いっしょに走り、休み、悩み、飛ぶ思いがするだろう。
ありとあらゆる可能な生物が、
動かぬ黒い記しの中に出没するのを、
つづられた飾りの中を通っていくのを見るだろう。
愛が燃え、苦痛がけいれんするのを見るだろう。
この文字のつづられた格子《こうし》の奥で、
盲目な衝動に駆られた世界全体が
縮小され、魔法で小さい記号に閉じこめられた形で現われる。
記号はぎごちない姿にとらえられて歩き、
互いに似ているので、生の衝動と死、歓楽と苦悩が
兄弟となり、ほとんど見分けがつかない……
それで、彼は驚き、笑い、泣き、震えるだろう。
そして、しまいにこの野蛮人は、
耐えがたい不安のあまり、わめき、火をかきたて、
ひたいを上に向け、祈りを唱えながら
白いなぞの文字の紙を炎にささげる。
そして、彼は、おそらくまどろみながら、
この非現実の世界が、魔法にかけられた状態が、
耐えがたいものが、一度も存在しなかったものに、
どこにも存在しない国に吸いこまれるのを感じ、
嘆息し、微笑し、元気を回復するだろう。
[#改ページ]
古い哲学者を読んで
昨日はまだ魅力と高貴さにあふれていた、
思想の粋の、世紀を経た成果。
それが突然、色あせ、しぼみ、意味を失う。
嬰《えい》記号や音部記号を消してしまった楽譜のように。
一つの建物の神秘的な重点が消えて、
とりとめもないことを言いながら、ぐらぐらと
揺れてくずれ、調和と見えたものが、
永遠に反響しながら、潰《つい》え去る。
同様に、われらの愛し讃嘆する
老いた賢い顔も、しわくちゃになり、
死相を示し、精神的に輝く光を
みじめに落ちつかぬ、しわの中に震わせる。
同様に、われわれの五官の歓喜も
感じられるやいなや、ゆがんで不満となる。
いっさいは腐り、しおれ、死なねばならぬという
認識がすでにとっくに宿ってでもいるように。
このいとわしい死体の谷の上に、
苦悶《くもん》してはいるが、朽ちることなく、
精神は、あこがれに赤く燃えるのろしをあげて、
死に打ちかち、自己を不滅にする。
[#改ページ]
最後のガラス玉演戯者
色とりどりの玉を、おもちゃにして、手に持ち、
こしかけてかがんでいる。彼の周囲は
戦争とペストに荒れはてている。廃跡には
キヅタがはえ、キヅタの中でミツバチがつぶやいている。
疲れた平和が、低い讃美歌を、
動かぬ老人のような世界にひびかせる。
老人は、色とりどりの玉を数える。
こちらでは、青い玉と白い玉をつかみ、
向うには、大きい玉と小さい玉を選び、
環《わ》にして演戯の用意をととのえる。
彼はかつては、象徴をもってする演戯にひいでていた。
多くの芸術、多くのことばの名人で、
世界に通じ、広く旅をし、
両極にまで知られた有名な人であった。
常に生徒や同僚に取り囲まれていた。
今はしかし、生き残りで、老い、すり切れて、独《ひと》りぼっちだ。
彼の祝福を求める弟子はひとりもなく、
彼を論争に招く名人もひとりとしてない。
彼らはいなくなった。カスターリエンの
寺院も文庫も学校ももはや存在しない……
老人は玉を手にして瓦石《がせき》の荒野にうずくまっている
かつては多くのことを語った象形文字も、
今はもう色とりどりのガラスのかけらにすぎない。
それは音もなく、高齢の老人の手から
ころがり落ちて、砂の中に消える……
[#改ページ]
バッハのトッカータに
深い沈黙が凝り固まり、……暗黒が支配している……
そこへ、ぎざぎざの雲の裂け目から光線がさし、
盲目の無の中から世界の底をつかみ出し、
空間を築き、光で暗夜をえぐり、
山背と頂、斜面と深淵を察知させ、
大気をゆるやかに青くし、大地を厚くする。
芽をはらんでいるものを、光線は二つに裂いて、
行為と戦いとを起させる。
驚いた世界は、光を発して燃えあがる。
光の種の落ちたところには、変化が起り、
秩序を生じる。さんぜんたる世界は
生の讃歌を、創造者たる光の勝利をひびかせる。
大きな衝動はさらに、ひるがえって神の方に飛躍し、
生きとし生けるものの営みを貫いて、
父なる精神に向って驀進《ばくしん》する。
大きな衝動は、喜びとなり、苦しみとなり
ことばとなり、絵となり、歌となり、
世界をつぎつぎと大寺院の凱旋門《がいせんもん》にする。
それは本能であり、精神であり、幸福であり、戦いであり、愛である。
[#改ページ]
山中の僧院の客となった私は、
みんなが祈りに行ったとき、図書室にはいった。
夕日の輝きを受けて、壁にそい、
無数の羊皮紙の背が、不思議な文字を
静かに輝かせていた。
知識欲にあふれ、陶然として、私は試みに
第一の本をつかみ、取り出して読んだ。
「不可解な課題への最後の一歩」
この本を持っていこう、と私はとっさに考えた。
金皮の四つ折り判の別の本の背には
小さい文字で書いてあった。
「どうしてアダムは他の木からも食べたか」……
他の木から? どの木から? 生命の木から!
では、アダムは不死なのか。ここに来たのは、
むだではなかった、と私は悟った。
二つ折り判の本を、私は目にとめた。
背中も、ふちも、かども、にじの色調に輝いていた。
題は肉筆でこう書かれていた。
「色と音との意味の一致。
すべての色と色の混合に
音の種類がいかに即応するかの証明」
ああ、色の合唱がなんと望み豊かに
きらめいたことだろう! 私はほのかに感じだした。
本をつかむごとに、それが証明された。
これは楽園の文庫だった。
これまで私を悩ましたことのあるすべての問い、
私を焼いたことのある認識の渇《かつ》えに対する
答えがここにあり、すべての飢えには、
精神の糧《かて》がたくわえられていた。
どの巻をちらっと一見しても、
どれにも、多くのことを期待させる題が記《しる》されていた。
そこには、どんな難儀にも対処する用意があった。
そこでは、生徒が胸ときめかせて欲しがった果実を、
名人が大胆につかもうとした果実を、
残らず折りとることができた。
あらゆる知恵や詩や科学の
最も深い清い意味が、
あらゆる設問の不思議な力と
それを解くかぎとことばが、
精神の精妙な真髄が、そこに
前代|未聞《みもん》の神秘な名著の中に、たくわえられていた。
あらゆる種類の疑問や秘密を解くかぎが、
ここにひそんでいた。不思議な時の恵みに
恵まれたものは、そのかぎを手に入れた。
こうして私は、両手をふるわせながら、
こういう本の一巻を机にのせ、
魔法の絵文字を解いた。
ちょうど、まったく未知のことを夢の中で半ば戯れに企てて、
うまくいくことがよくあるように。
そこで十二宮の中に作られた、星の輝く精神の空間へ
私は、翼を得たように、飛びこんだ。
そこでは、諸民族の予感が具体的に見た啓示、
千年を経た世界経験の遺産などのすべてが、
調和して、絶えず新しく結びつき、
互いに関連し合った。
古い認識や象徴や発見から
絶えず新しいより高い疑問が新たに生じた。
それで私は読みながら、幾分か、幾時間のうちに、
全人類の道をもう一度歩き、
その最も古くまた最も新しい知識の
共通の深い意味を受け入れた。
絵文字の姿が互いに組み合い、ほぐれ、
整然と輪舞をなし、ばらばらに流れ、
集まって新しい結合をなすのを、私は読み、見た。
無尽蔵に新しい意味を受け取る
象徴的な形の万華鏡《まんげきょう》だった。
こうして私は、本のながめにまぶしくなって、
少し目を休めようと、本から顔をあげると、
自分がここの唯一の客ではないことを知った。
広間には、本の方を向いてひとりの老人が立っていた。
たぶん文書係だろう。真剣に、熱心に、
せわしげに本を調べていた。
熱心な仕事の種類と意味を知ることは、
私にはひどく重要に思われた。
この老人は、高齢者の細い手で
一冊の本を取り出し、本の背文字を読み、
色あせた口から、題名に息を吹きかけた。――
甘美な読書時間を保証する、
うっとりするような題名だ!――
彼はそれを指でそっとぬぐって消し去り、
そのかわりにほほえみながら、新しい、別な、まったく別な題を書き、
歩を移しては、あちらこちらで本を取り、
その題を消して、別な題を書く。
私は面くらって長いあいだ彼の方を見ていたが、
私の頭では理解しかねたので、
数行読みかけたばかりの本にもどった。
だが、今しがたまで私を楽しませた象徴の連続を
私はもはや見いださなかった。
私が今までさまよっていた記号の世界は
あんなに豊かに世界の意味を吸っていたのに、
それが解けてあわただしく逃げていくようだった。
それは揺れ、旋回し、曇るかのように見え、
溶け去って、空虚な羊皮紙の灰色の微光のほか
何ものもあとに残さなかった。
私は、肩に人の手を感じ、
見上げると、まめな老人がそばに立っていた。
私は立ちあがった。ほほえみながら、
彼は私の本を取った。私はぞっと寒けがした。
彼の指が海綿のように、本の上をすべっていった。
空虚な皮に、彼のペンは、丹念に一字一字、
新しい題名と疑問と約束と、
最古の疑問の最新最近の変形を書いた。
それから本とペンを黙々と取っていった。
[#改ページ]
奉仕
初めは、敬虔《けいけん》な君主が支配していた。
畑と穀物と|すき《ヽヽ》をきよめ、
犠牲と尺度の権利を
人類の中で行使するために。
日月の均衡を保つ、目に見えぬものの正しい支配を
人類は渇望する。
目に見えぬものの永遠に輝く姿は、
悩みと死の世界を知らない。
神々の子らの神聖な系統はとっくに消え、
人類だけが残った。
存在から遠く離れ、喜びと悩みによろめき、
節度も感激もなく、はてしなく生成しながら。
しかし、真の生命の予感は決して死にはしなかった。
記号の戯れと比喩《ひゆ》と歌とによって、
没落しながらも、神聖な畏敬《いけい》の警告を継続することは
われわれの任務だ。
いつかは暗黒が失《う》せることもあろう。
いつかは時が向きを変えることもあろう。
太陽が再び神としてわれわれを統治し、
われわれの手から供物《くもつ》を受けることもあろう。
[#改ページ]
シャボン玉
長い長い年月の研究と思想の中から
遅くなって一老人が晩年の著作を
蒸溜《じょうりゅう》させる。そのもつれた|つる《ヽヽ》の中に
彼は戯れつつ甘い知恵を紡ぎこんだ。
あふれる情熱に駆られて、ひとりの熱心な学生が
功名心に燃え、図書館や文庫を
しきりにあさりまわって、
天才的な深さのこもった青春の著作を編んだ。
ひとりの少年がこしかけて、わらの中に吹きこむ。
彼は色美しいシャボンの泡《あわ》に息を満たす。
泡の一つ一つがきらびやかに讃美歌のようにたたえる。
少年は心のありたけをこめて吹く。
老人も少年も学生も三人とも、
現世の幻の泡の中から
不思議な夢を作る。それ自体は無価値だが、
その中で、永遠の光がほほえみつつ、
みずからを知り、ひとしおたのしげに燃え立つ。
[#改ページ]
「異教徒|反駁《はんばく》哲学大全」を読んだ後に
察するに、かつては、生活がもっと真実で、
世界はもっと整っており、精神はもっと澄んでいた。
知恵と学問とはまだ分裂していなかった。
プラトンやシナ人などの本の至る所で、
昔の人についてすばらしい記録を読むが、あの昔の人たちは、
もっと充実して、もっと朗らかに生きていた。――
ああ、われわれはトーマス・アキナスの厳密な
論旨の殿堂の中へはいっていくごとに、
円熟した甘い純粋な真理の世界が
遠くからわれわれに呼びかけるように思われた。
そこではすべてが明るく、自然は精神によって支配され、
人間は神から神へと形づくられ、
法則と秩序が整然と示され、
すべてが、そこなわれずに、全体に向って完成されているように思われた。
それに反し、われわれ後世の人間は
闘争をこととし、荒れすさんだ世界を通り、
疑いとしんらつな皮肉をこととするように、呪《のろ》われている。
衝動とあこがれのほかは何も与えられていないような気がする。
だが、われわれの子孫もいつかは、われわれと
同じ経験をするかもしれない。
彼らは、われわれを光明に満たされた
幸福な賢者と見るだろう。
なぜなら、われわれの生活の、めそめそともつれた合唱の中から、
渾然《こんぜん》とした余韻のひびくのを、
苦しみや戦いの名残《なご》りの
美しい神話の語られるのを、彼らは聞くだけだからである。
われわれの中で最も自分を信ぜず、
最も多く尋ねたり疑ったりするものこそ、
おそらく時代に影響を与え、
青年を教化する範となるだろう。
自分自身を疑って悩むものが、おそらく
いつか果報者としてうらやまれるようになるだろう。
苦しみも恐れも意識しなかった幸福なもの、
その時代に生きることが喜びであり、
その幸福は子どもの幸福に似ていた果報者として。
われわれの中にも永遠な精神が生き、
あらゆる時代の精神を兄弟と呼ぶのだから。
今日を越えて生きるのは、その精神であって、君やぼくではない。
[#改ページ]
階段
花がみなしぼむように、
青春が老いに屈するように、
一生の各階段も知恵も徳もみな、その時々に
花を開くのであって、永続は許されない。
生の呼び声を聞くごとに、心は、
勇敢に、悲しまずに、
新しい別な束縛にはいるように、
別れと再開の党悟をしなければならない。
およそ事の初めには不思議な力が宿っている。
それがわれわれを守り、生きるよすがとなる。
われわれは空間をつぎつぎと朗らかに渉破せねばならない。
どの場所にも、故郷に対するような執着を持ってはならない。
宇宙の精神はわれわれをとらえようとも狭《せば》めようともせず、
われわれを一段一段高め広めようとする。
ある生活圏に根をおろし、
居心地よく住みついてしまうと、弾力を失いやすい。
発足と旅の覚悟のできているものだけが、
習慣のまひ作用から脱却するだろう。
臨終のときも、なおわれわれを新たな空間へ向け
若々しく送ることがあるかもしれない。
われわれに呼びかける生の呼び声は、決して終ることはないだろう。
では、よし、心よ、別れを告げ、すこやかになれ!
[#改ページ]
ガラス玉演戯
宇宙の音楽を、名人の音楽を、
われわれは、敬い、おそれて傾聴し、
恵まれた時代の尊敬する精神を
清い祝祭に呼び寄せる用意がある。
魔法の文字の秘密によって
われわれは高められる。
その中に、はてしないもの、荒れ狂うもの、
生命が流れこんで、濁りない比喩《ひゆ》となっているからである。
星座のように透明に、それはひびく。
それに奉仕することによってわれわれの命に意味が与えられた。
その円の中から落ちるものは、
神聖な中心に向って落ちるばかりである。
[#改ページ]
三つの履歴書
雨ごい師
幾千年も前のことであった。女たちが支配していた。種族でも、家庭でも、尊敬と恭順とを示されるのは、母や祖母であった。産まれたときでも、女の子のほうが男の子よりずっと重んじられた。
村にひとりのおばあさんがいた。百歳かそれ以上で、皆から女王のようにあがめられ、恐れられていたが、人々の記憶の及ぶ範囲では、指を動かしたことも、口をきいたことも、もうごくまれにしかなかった。小屋の入口にすわって、かしずく親類のものたちをまわりに従えている日が多かった。村の女たちが、彼女に敬意を表し、用件を話し、子どもを見せて祝福してもらいに、やってきた。身ごもった女たちもきて、からだにさわってもらい、やがて産まれる子に名をつけてもらった。おばあさんは手をのせてやることもあったが、うなずいたり、頭を振ったりするだけのこともあった。身うごきさえしないこともあった。ことばを口に出すことはまれだった。彼女はそこにいるだけだった。そこにいて、すわって、支配していた。すわって、皮のような、遠目のきくワシのような顔のまわりに、白っぽい黄色い髪を薄く束ねていた。すわったまま、敬意や、贈り物や、願いや、知らせや、報告や、告訴を受けた。すわったままだが、七人の娘の母として、多くの孫やひいまごの祖母、曽祖母《そうそぼ》としてみんなに知られていた。すわったままだが、深いしわのある顔に、日やけした額の奥に、村の知恵と、伝統と、法律と、道徳と、名誉とを宿していた。
春のある晩のことであった。曇っていて、早く暗くなった。この曽祖母の粘土の小屋の前には、彼女自身ではなく、彼女の娘がすわっていた。娘といっても、おばあさんにさして劣らず白髪《しらが》で、品位があって、年をとっていることもたいして変らなかった。娘はすわって、休んでいた。座席といっても、戸口で、平たい自然石だった。寒い天候の日には毛皮を敷いた。ずっと外には、半円を描いて、数人の幼い子どもや女や男の子が、地面や砂や草の中にうずくまっていた。雨が降ったり、こごえたりしなければ彼らは毎晩ここにうずくまっていた。曽祖母の娘が物語を語ったり、ことわざを歌ったりするのを聞きたいと思ったからである。以前は曽祖母自身が語って聞かせたのだが、今はあまり年をとりすぎて、話し好きでなくなっていた。彼女のかわりに娘がかがんで、話をした。物語やことわざをすべて曽祖母から受けついでいたように、声や姿や、態度や動作や話しぶりなどの静かな品位も、同様だった。聞き手の中の若い連中は、彼女の母よりも彼女をよりよく知っていた。そして、彼女がだれかのかわりにそこにすわって、種族の物語や不文律を語っているのだということは、ほとんどまったく知らなかった。晩になると、彼女の口から、知識の泉が流れ出した。彼女は種族の宝を白髪の下にたくわえていた。なごやかなしわのある老いた額の奥には、部落の思い出と精神が宿っていた。だれか知識があり、ことわざや物語を知っているものがあるとすると、それは彼女からおそわったのであった。彼女と曽祖母のほかに、もうひとりだけ物知りが、種族の中にいたが、この男は、彼女らよりいつももっと閉じこもっていた。なぞのような、たいそう無口な男で、天気魔術師、あるいは、雨ごい師であった。
聞き手のあいだには、少年クネヒトもかがんでいた。そばに、アーダという小さい女の子がいた。彼はこの娘が好きで、たびたび道連れになり、めんどうみてやったが、愛しているからではなかった。彼自身まだ子どもで、愛などということは、何も知らなかった。そんなことではなく、女の子が雨ごい師の娘だったからである。クネヒトは、この雨ごい師を非常に尊敬し、驚嘆していた。曽祖母とその娘のつぎには、だれよりも彼を尊敬していた。しかし、曽祖母と娘は女だったから、彼女らを敬い恐れることはできても、そのとおりのものになろう、と考えることも、願うこともできなかった。一方、天気魔術師は、かなり近づきがたい男で、そのそばに近よることは、少年にとって容易でなかった。そこでまわり道をしなければならなかった。天気魔術師へのまわり道の一つとして、クネヒトはその子どものめんどうをみた。彼はできるだけたびたび、晩、おばあさんの小屋の前でその話を聞くために、いくらかへんぴなところにある天気魔術師の小屋へ娘を迎えにいった。そしてあとでまた送りとどけた。今晩もそういうふうにして、彼は娘と並んで暗い人の群れのあいだにうずくまり、耳を傾けていた。
おばあさんはきょうは魔女の村の話をした。彼女はこう語った。
「村には時折り、たちの悪い、だれにも好意を持たない女がいる。そういう女はたいてい子どもを産まない。そういう女のひとりがひどく悪いので、村ではもうおいておけない、ということになることも少なくない。すると、皆は夜のうちに女をつかまえにいき、夫を鎖に縛って、女をむちでこらしめたうえ、遠く森や沼地に追いこみ、のろいをかけ、そこに置きざりにする。そのうえで、夫の鎖をといてやる。彼は、あまり年寄りでなければ、他の女といっしょになることができる。追い出された女は、死んでしまわねば、森や沼地をうろつき、動物のことばをおぼえ、長いあいだうろつきさまよっているうちに、ある日、魔女の村という小さい村を見つける。村から追い出された悪い女たちは、みなそこに集まって、自分たちで村を作った。そこで彼女らは暮し、悪いことをし、魔法を行なった。とりわけ、自分たちに子どもがないので、好んでまともな村から子どもを誘い寄せる。子どもが森の中で迷って、もどってこないことがあると、沼でおぼれたり、オオカミに裂かれたりしたのではなく、魔女のため横道に誘われ、魔女の村へ連れていかれたのだ。わたしがまだ小さくて、わたしの祖母が村一番のおばあさんだったころ、あるときひとりの女の子が仲間といっしょにコケモモを取りにいって、実を摘んでいるうちに疲れて眠りこんでしまった。まだ小さかったので、シダの葉の下に隠れてしまった。他の子どもたちは、何も気づかずに、どんどん先へ行った。村にもどって、もう晩になったとき、はじめて子どもらは、女の子がいないのを知った。そこで若い衆を探しに出した。彼らは森の中を探し、娘の名を呼んだが、夜になっても見つからずに帰ってきた。一方、女の子はたっぷり眠ると、森の中をどんどん先へ歩いていった。こわくなればなるほど、彼女は早く走った。もうとっくに、どこがどこだか、わからなくなっていた。ただ村から遠く離れるばかりで、まだだれも行ったことのないところへ行ってしまった。木の皮でこしらえたひもにイノシシの歯を一本くくりつけて、首につるしていた。父親が狩りで取ってきて、彼女にやったものだった。父親は石のかけらでその歯に穴をあけ、ひもを通すことができるようにした。その前に、イノシシの血でその歯を三度煮て、よいことばをとなえておいた。そういう歯を身につけていると、魔術よけになった。さて、木立ちのあいだからひとりの女が出てきた。魔女だった。やさしい顔をして、『こんにちは、かわいいお嬢ちゃん、道に迷ったの? さあ、いっしょにお出《い》で、わたしがおうちへ連れてってあげるよ』と言った。子どもはいっしょに行った。だが、知らない人には決してイノシシの歯を見せてはいけないよ、と父母に言われていたのを、ふと思い出し、子どもは、気づかれないように、歯をひもからはなして、帯のあいだに挾《はさ》んだ。よその女は女の子といっしょに幾時間も歩いて、もう夜になってから、村に着いた。それはわたしたちの村ではなくて、魔女の村だった。そこで娘は暗い馬小屋に閉じこめられた。魔女は小屋に寝にいった。翌朝、魔女は『お前はイノシシの歯を持っていないかい?』と言った。子どもは、いいえ、持ってはいたけれど、森の中でなくしてしまった、と言い、木の皮で作ったひもを見せた。それにはもう歯がついていなかった。そこで魔女は石のつぼを持って来た。土がはいっていて、土には三本の草がはえていた。子どもは草をしげしげと見て、『これはなんですか』と尋ねた。魔女は第一の草をさして、『これはお前の母親の命だよ』と言った。それから第二の草をさして、『これはお前の父親の命だよ』と言った。つぎに第三の草をさして、『そしてこれはお前の命だよ。この三本の草が緑色をして、のびているあいだは、お前さんたちは生きていられ、丈夫でいられる。どれかがしおれると、それにあたる命の人が病気になる。わたしが今むしりとるように、どれか一本がむしられると、それにあたる命の人は死ななければならない』と言った。彼女は、父親の命をあらわしている草を指でつかんで、それを引っぱり始めた。少し引っぱって、白い根が一部見えると、草は深い溜息《ためいき》をついた……」
このことばを聞くと、クネヒトのそばにいた例の娘は、ヘビにかまれでもしたように飛びあがって、悲鳴をあげ、頭をかかえてかけ出した。娘は長いあいだ、その物語の恐ろしさと戦っていたが、もう我慢できなくなったのだった。ひとりのおばあさんが笑った。聞き手の中の他のものも、小さい女の子に劣らず、こわがっていたが、我慢して、じっとすわっていた。クネヒトはしかし、夢見ごこちでびくびくしながらも傾聴していた状態からさめると、同様にぱっと飛びあがって、女の子のあとを追った。おばあさんは話し続けた。
雨ごい師の小屋は村の養魚池の近くにあったので、クネヒトは、逃げた娘をその方角に探した。誘うように、なだめるように、つぶやいたり、歌ったり、口ずさんだりして、娘を引き寄せようとした。女たちがニワトリを呼び寄せるときにするような声で、長く引っぱり、甘く、魔法をかけようと努めた。「アーダ」と彼は叫んで、歌った。「アーダ、アーダちゃん、おいで、アーダ。こわがらなくていいよ。ぼくだよ、クネヒトだよ」そう彼はいくどもいくども歌った。すると、声も姿も見えないうちに、だしぬけにアーダの小さい柔らかい手が彼の手に押しつけられるのを、彼は感じた。アーダは道ばたに立って、背中を小屋の壁にぴったり寄せ、彼の呼び声を耳にしてからは、彼を待ちうけていたのだった。ほっと息をして彼女は彼にすがりついた。彼女には、彼は大きくて強くて、もうおとなのように思われた。
「こわかったのかい、ええ?」と彼は尋ねた。
「そんな心配はいらないよ。だれもお前に何かしやしないよ。みんなアーダを好いているんだよ。おいで、うちへ帰ろう」女の子はまだ震えていて、少しすすり泣いた。が、やがて落ちついて、感謝し信頼して、ついてきた。
小屋の戸口から弱い赤いあかりがちらちらした。雨ごい師は炉ばたにかがんでいた。垂れさがった髪をすかして、明るく赤い光がちらちらしていた。彼は火をたいて、二つの小さいなべで何か煮ていた。クネヒトは、アーダといっしょに中にはいる前に、外からしばし、好奇心にかられてのぞいた。煮られているのが食べ物でないことは、すぐわかった。煮物は他のなべでしていた。それにもう時刻も遅すぎた。雨ごい師は早くもクネヒトの足音を耳にしていた。「戸口にいるのは、だれだね?」と彼はどなった。「どんどん中へおはいり! お前かい、アーダ?」彼はなべにふたをし、火と灰でなべをかこってから、振り向いた。
クネヒトは不思議ななべを横目で見続けていた。この小屋にはいるごとに、好奇心と尊敬を感じ、胸苦しい気持ちになるのだった。彼はできるだけたびたびここにはいってきた。ここにいるきっかけや口実をいろいろと作った。しかし、はいると、いつも、このような半ばくすぐったい、半ば警戒を促すような、かすかな胸苦しい感じをおぼえるのだった。うずうずするような好奇心と喜びとが恐怖と戦っているような感じだった。老人はたしかに、クネヒトがもう久しく自分のあとをつけ、自分がいそうだと思えば、どこにでも近くに現われるのに、猟師のように自分の跡を追い、無言で自分に仕え、相手になろうとしているのに、気づいていたに違いなかった。
雨ごい師、ツールーは、光る猛鳥の目で彼を見つめた。「ここに何の用があるのかい?」と彼はひややかに尋ねた。「よその家を訪ねる時刻じゃないよ、坊や」
「ほくはアーダを連れて帰ったんです。ツールー先生。アーダはおばあさんのところにいたんです。ぼくたちは魔女の話を聞いていたところ、アーダは急にこわくなって、泣いたので、ぼくは連れてきたんです」
父親は女の子の方を向いて言った。「臆病者だな、アーダ。利口な娘は魔女なんか、こわがることはないんだ。お前は利口な娘だろうね?」
「そりゃそうよ。でも、魔女は悪い術ばかり知ってるんだもの。イノシシの歯を持っていないと……」
「そうかい、イノシシの歯がほしいかい? 考えてみよう。だが、もっといいことを知っているよ。ある木の根を知っているから、それを取ってきてやろう。秋には探しにいって、抜かなくちゃならない。その根を持っていれば、利口な娘はどんな魔法に対しても安全なばかりか、いっそうきれいになれるんだよ」
アーダはにっこり笑って喜んだ。小屋のにおいと、わずかな光に囲まれてから、娘はもう落ちついていた。クネヒトはおずおずと尋ねた。「ぼくが根を探しにいくことはできませんか。説明してもらえば……」
ツールーは目を細くした。「男の子はそれをよく知りたがる」と彼は言ったが、その声は意地わるくはひびかず、いくらか冷笑するように聞えただけだった。「まだ間がある。たぶん秋になってからだからな」
クネヒトは引きさがって、寝泊りしている少年の家の方角に姿を消した。両親がなく、彼は孤児だった。それで、アーダとその小屋に魅力を感じたのだった。
雨ごい師ツールーはことばを好まなかった。他人が話すのも、自分が話すのも、聞くのがいやだった。多くの人は彼を変人だと思い、気むずかし屋だと思っているものも少なくなかった。彼はそうではなかった。いずれにしても、学者らしく隠者らしくぼんやりしているからさぞかしそうだろう、と人が考えるよりは、彼は自分の身辺のできごとをよく知っていた。とりわけ、いくらかうるさいが、きれいで、明らかに利口なこの少年が、自分を追いかけ、見まもっているのを、はっきり知っていた。そもそも初めからそれに気づいていた。もう一年以上も続いていた。それにどういう意味があるかも、彼ははっきり知っていた。少年にとって多くの意味があったばかりでなく、老人の彼にとっても多くの意味があった。意味というのは、この少年は天気魔術に心を打ちこんでいて、それを習いたいと何よりも熱望していることだった。部落にはいつでもそういう少年がいた。そのためやってきたものも、もうだいぶいた。あっさり恐れをなして、勇気を失うものも少なくなかったが、そうでないものもいた。彼はすでにその中のふたりを長年のあいだ弟子にし、見習いにしたが、ふたりとも遠く離れて別の村へ行って、結婚し、そこで雨ごい師か薬草採集者になっていた。その後ツールーはずっとひとりでいた。いつかまた見習いをかかえることがあったら、将来後継者にするためだったろう。いつもそうだったし、それが正しかったし、それ以外ではありえなかった。くり返し、天分のある少年が現われて、この男が名人としてそのわざを自由自在にこなすのを見て、つきまとい、跡を追うに違いなかった。クネヒトは、天分があり、ここで必要とするものを持っていた。人の心を引くような二、三の特色を持っていた。何よりも、探究的な、鋭いと同時に夢想的なまなざし、顔と頭の特徴や表情に現われている控えめな、物静かな点、何か追求し、かぎつけるような、油断のない、物音やにおいに注意している点、何か鳥のような、猟師のような点を持っていた。確かに、この少年なら、天気通になれた。魔術師にもなれたかもしれない。物の役にたつ少年だった。しかし、急ぐことはなかった、彼はまだ若すぎた。彼を認めたことを、示してやる必要は少しもない。あまりらくにしてやってはならない。どんな道も省いてやってはならない。しりごみし、恐れをなし、振り落され、勇気を失ってしまうような男だったら、惜しい男ではない。待ち、仕えるがよい。そっとまつわりついてきて、自分に取り入ろうとするがよい。
夜になって、星が二つ三つ出ている曇った空の下を、クネヒトは満足し、快く興奮して、ぶらぶらと村の方へ歩いていった。さまざまの享楽や、美しいものや、洗練されたものは、われわれ今日の人間にとっては当然のことであり、欠かしがたく、最も貧しいものでさえ、これにあずかるのであるが、この部落はそんなものは何も知らなかった。教養も芸術も知らなかった。傾いた粘土の小屋よりほかの家も知らなかった。鉄や鋼鉄の道具も、小麦やブドウ酒のようなものも知らなかった。ロウソクやランプのような発明があったら、人間にとって輝かしい奇蹟《きせき》であったろう。だからといって、クネヒトの生活と想像の世界は豊かさを欠くということはなかった。世界は無限の神秘として絵本として彼をとりかこんでいた。彼は、来る日ごとに、動物の生活や植物から星空にかけて、世界の新しい一片を征服していった。神秘に満ちた無言の自然と、おどおどした少年の胸に呼吸している孤独な魂とのあいだには、およそ人間の魂の持ちうるあらゆる近似性が、またあらゆる緊張と不安と好奇心と所有欲が存在していた。彼の世界には、書かれた知識も歴史も本も文字もなかったとしても、また彼の村の外、三、四時間以上の道のりのところにあるいっさいのものは、すべて彼にとって未知な、手のとどかないものばかりだったとしても、そのかわり、彼の村では完全に一体となって生きていた。母たちの指導のもとにある村、故郷、種族の共同社会は、民族と国家とが人間に与えることのできるいっさいのものを、彼に与えた。無数の根のある土地を彼に与えた。彼自身、そのからみあった根の中の一つの筋であり、しかもすべてに関係を持っていた。
彼は満足してぶらぶらと歩いていった。木立ちでは夜風がささやいて、かすかにぼきっと折れる音がした。湿っぽい土や、藍や、泥や、生木の煙のにおいがした。脂っこい、いくらか甘いにおいで、他の何よりも、故郷を意味していた。しまいに、少年の小屋に近づくと、そのにおい、少年のにおい、若い人間のからだのにおいがした。音を立てぬように、ござの下をはって、あたたかい、呼吸しているやみの中にはいり、わらの上に横になって、魔女の話のこと、イノシシの歯のこと、アーダのこと、天気魔術師のこと、火にかかったなべのことを思い出しているうちに、寝入ってしまった。
ツールーは、ごく控えめにしか少年に近づかなかった。少年にとっつきよいようにはしなかった。若者はしかしいつも彼のあとを追っていた。老人に引き寄せられていたのだが、どうしてだか、自分にもわからないことが多かった。老人は、森や沼や荒野のどこか人目につかぬ所で、わなをかけたり、動物の足跡をかいだり、根を掘ったり、種を集めたりしていると、少年のまなざしを不意に感じることがよくあった。少年は、音をたてず、目につかぬよう、数時間も彼についてきて、様子をうかがっていたのだった。そういう場合、老人はよく何も気づかなかったようなふりをした。ぶつぶつ言って、あとをつけて来た少年をふきげんに追い返すことも、よくあった。そうかと思うと、目くばせで招き寄せ、一日じゅうそばにおいて、いろいろ手伝いをさせ、あれやこれや教え、推測させ、試験をし、薬草の名を教え、水を汲《く》ませ、火をおこさせた。何をするにつけても、彼は、こつと、利得と、秘密と法式を知っていたが、それを秘密にするよう、少年にやかましく言った。ついに、クネヒトがいくらか大きくなると、完全に自分の手もとにおくことにし、自分の弟子と認め、少年の宿泊所から自分の小屋へ連れてきた。それでクネヒトは皆に対し特別待遇を受けることになった。つまり彼はもはや少年ではなくて、天気魔術師の弟子であった。それは、もし彼が辛抱し通して、いくらか役にたてば、あとつぎになれるだろう、ということを意味していた。
クネヒトが老人の小屋に迎えられたときから、ふたりのあいだの隔てはなくなった。もっとも尊敬と従順の隔てはなくなりはしなかったが、疑心と遠慮とはなくなった。ツールーはかぶとを脱いで、クネヒトの粘り強い努力に負けた。今となっては、彼はもう、クネヒトをりっぱな天気魔術師にし、自分の後継者にすることしか考えなかった。この教授のためには、概念も学説も方法も文字も数もなく、ごくわずかのことばがあるばかりだった。師匠によって教育されたのは、クネヒトの知性よりはむしろ感覚であった。大切なのは、伝説や経験の大きな宝を、また自然に関する当時の人々の知識全体を管理し応用するばかりでなく、次の時代に伝えることであった。経験や観察や本能や研究者の習慣などの大きな充実した体系が、徐々にほのぼのと少年の前にひらけた。その中には、概念にされたものはほとんどなかった。ほとんどすべてが感覚によって感得され、習得され、再吟味されねばならなかった。しかしこの学問の基礎と中心は、月に関する知識であった。月がくり返し満ちては欠けていき、死者の霊を住まわせているが、新しい死者を入れる余地を作るため、死者を送り出して新たに生れさす、その変化の相と作用とに関する知識であった。
物語を語る老婆の所から老人の炉辺のなべのそばへ行ったあの晩と同様に、もう一つ別なひとときがクネヒトの記憶に刻みこまれた。それは夜と朝とのあいだのことで、師匠が、真夜中を二時間過ぎてから、彼を起し、まっ暗やみの中をいっしょに外へ出て、消えゆく三日月が最後に昇るのを、彼に見せたときのことだった。師匠は無言で身動きもせず、少年はいくらかびくびくしながら、また寝不足のためぞくぞくしながら、森の丘のまん中で、さえぎるもののないように突き出ている平たい岩の上に立って、長いあいだ待っていた。ようやく、師匠があらかじめ示していた場所に、前もって説明していたような形と傾き方で、細い月が現われた。微妙な一曲線だった。クネヒトは、胸をわくわくさせ、うっとりと、徐々に昇ってくる月を見つめた。暗雲のあいだを静かに泳いで、月は明るい天空の島へさしかかった。
「やがて月は姿を変え、また満ちてくる。そうしたら、ソバをまく時がくる」と雨ごい師は、指で日数を数えながら言った。それからまた以前の沈黙に沈んだ。独《ひと》りぼっち捨てられたように、クネヒトは、露の光っている石の上にかがんで、冷気に震えた。森の奥から、長く尾を引くフクロウの鳴き声が聞えてきた。老人は長いあいだ考えていたが、やがて立ちあがり、クネヒトの髪に手をのせて、夢の中からでも言うように、小声で言った。「わしが死ぬと、わしの霊は月の中へ飛ぶ。そしたら、お前は一人前の男になり、妻を持つことになろう。わしの娘アーダがお前の妻になるだろう。アーダがお前のむすこを生んだら、わしの霊は帰ってきて、お前のむすこの中に住むだろう。わしがツールーと呼ばれたように、その子にツールーという名をつけるのだよ」
弟子は驚いて耳を傾けていた。一言も口をきこうとはしなかった。細い銀の三日月が昇り、もう半ば雲にのまれてしまった。事物やできごとのあいだのさまざまな関係や結びつき、反復や交錯がほのかに感じられて、若者の心を異様に動かした。無限な森と丘の上に、師匠が精確に予告したとおりに、鋭い細い月が出ている。この見なれぬ夜空に対して、彼は傍観者として、同時にまた共演者として相対している自分を見て、彼は異様に思った。師匠が無数の秘密に包まれて、驚嘆すべきものに思われた。彼は、自分の死を考えている。彼の霊は月の中にとどまり、月から人間の中にもどってくる。その人がクネヒトのむすことなり、前名人の名を持つはずであった。未来が、雲空のように、異様にほころびて、ところどころ透きとおって見えた。運命が目の前に横たわっているように見えた。未来や運命を知り、名づけ、それについて話すことができる、ということが、彼には奇蹟に満ちた、しかも整然と秩序のある、見渡せないほど広い場所を見渡すことのように思われた。一瞬、すべてを精神によってとらえることができるように、すべてを知ることができるように、すべてを聞きとることができるように、彼には思われた。天上の星の静かな確かな歩み、人間と動物との生活、彼らの共同生活と敵対行為、めぐり合いと闘争、大小いっさいのもの、生きとし生けるあらゆるものの中に含まれている死、そういういっさいのものを、彼は、最初の予感のおののきのうちに、全体として見、かつ感じた。そして、自分自身がその中に、整然と秩序づけられたもの、法によって支配されたもの、霊に近づきうるものとして、配置され、編入されているのを感じた。夜から朝にかけて、森の冷気の中で、岩の上に立って、ささやく無数のこずえを見おろす青年に、幽鬼の手のように触れたのは、大きな神秘と、その貴さと深さと、同時にそれは、知りうるものだということの、最初の予感であった。彼はそれについて語ることはできなかった。そのときもできなかったし、一生涯できなかった。しかしいくどもそれを思い出さずにはいられなかった。実際、その後、学び続け、経験を積んでいくうちに、いつもこのひとときとその体験がまざまざと伴ってくるのだった。「考えよ」とそれは警告した。「こういういっさいのものの存在することを、月とお前とツールーとアーダとのあいだには、光と流れとがかよっていることを、死と霊の国とがあって、そこから帰ってこられることを、世界のいっさいの形象や現象に答えるものがお前の胸の内にあることを、すべてがお前に関係のあることを、お前はいっさいについて、人間に知ることが可能なかぎり知らなければならぬということを、考えよ」その声はそんなふうに言った。霊の声を、その誘いを、促しを、神秘な勧誘をそんなふうに聞いたのは、クネヒトにとって初めてのことだった。これまでも、月が空を移動していくのは、いくども見たことがある。夜フクロウが叫ぶのを聞いたことは、いくどもある。師匠は話し好きではなかったけれど、その口から古い知恵や孤独な観察のことばは、いくらも聞いたことがある。しかし、きょうのひとときは、これまでになく新しく、変っていた。彼の心を打ったのは、全体の予感であった。連関と秩序の感情が、彼自身を引き入れ、共同の責任を持たせたのであった。そのかぎを持つものは、足跡から動物を知り、根や種によって植物を知ることができるばかりでなく、世界の全体を、すなわち、天体を、霊を、人間を、動物を、薬を、毒を知り、いっさいの全体をとらえ、どの部分や特徴からも、あらゆる他の部分を読みとることができるに違いない。すぐれた猟師は、一つの足跡、糞《ふん》、毛、残した物から、他の猟師より多くのものを知ることができた。つまり彼らは、数本の微細な毛によって、それがどの動物のものであるかばかりでなく、年をとっているか、若いか、雄であるか、雌であるかをも、知った。また別な人々は、雲の形や、空中のにおいや、動植物の特殊な状態によって、数日間の天気を予知した。彼の師匠はこの点で及ぶものがなく、ほとんど誤りがなかった。また別な人々は、生れつき器用な腕を持っていた。あの少年たちは、三十歩離れたところから鳥に石をあてることができた。それを習ったわけではなく、簡単にそれができたのだ。骨を折ってそれが行われるのでなく、魔術か恵みによってそうなるのだった。彼らの手中の石がひとりでに飛んでいって、あたろうと欲し、鳥は石にあたることを欲していた。また未来をあらかじめ知る人々もいたそうである。病人が死ぬか、死なないか、妊婦が男の子を生むか、女の子を生むか、というようなことを、あらかじめ知るのである。曽祖母の娘はその道で有名だった。天気魔術師もそういう知識をいくらか持っている、と言われた。さて、あの瞬間クネヒトには、連関の巨大な網の中には、一つの中心があって、そこからすべてが知られ、いっさいの過去と未来が見られ、読みとられうるに違いない、と思われた。この中心に立つ人には、水が谷に流れ、ウサギがキャベツに走るように、知識が流れ寄ってくるに違いなかった。すぐれた射手の手から飛ぶ石のように、その人のことばは、鋭く、あやまたずあたるに違いなかった。その人は、霊の力によって、これらの個々の驚異的な天分や能力を一身にそなえて、発揮するに違いなかった。それこそ完全な、賢い、ならびなき人々であろう! その人のようになるのだ、近づくのだ、その人を目ざして進むのだ。それが道の中の道であった。目標であった。それこそ人生に感激と意味を与えるのであった。そんなふうにクネヒトは感じた。彼の知らなかった、概念的なわれわれのことばで、それについて話そうとしても、彼の体験のおののきと高い熱度を伝えることはできない。夜中に起き出して、危険と神秘に満ちた、暗い、物音の絶えた森を通っていき、高い平らな岩の上で朝の寒さの中で待っていると、細い無気味な月が出て来、賢い人がぽつりぽつりと口をきいた。こうして並みはずれた時間に師匠とふたりきりでいた。このことのいっさいが、クネヒトには、一つの儀式として神秘として体験され、記憶された。奥義《おうぎ》伝授の儀式として、一つの結盟と礼拝《らいはい》への、名づけがたいものや世界の神秘に対し奉仕するのではあるが名誉ある関係への加入として、体験され、記憶された。この体験や類似のいろいろなものを、思想にまとめることは、ましてことばに現わすことはできなかった。他のいっさいの思想より、遠く、解しがたい思想があったろう。たとえば、「こういう体験を創造するのは、自分ひとりだろうか、それともそれは客観的な現実だろうか。師匠は自分と同じことを感じているのだろうか、それとも自分を冷笑しているのだろうか。この体験をしたときの自分の考えは、新しい独自の一回きりのものであろうか、それとも師匠や、師匠以前の多くの人がかつてまったく同じことを体験し考えただろうか」というような考えがそうである。いや、そういう屈折や差別はなかった。すべてが現実で、パンのこね粉に酵母《こうぼ》が浸《し》みこみいっぱいになるように、現実が浸みこみいっぱいになったのだ。雲や、月や、変化する空模様や、はだしの足の下のぬれた冷たい石灰石の地盤や、生気のない夜気にしたたる、湿っぽい露の冷たさなど、そして炉の煙や葉っぱの下敷きをしのばせる、楽しい故郷のにおいが、師匠のまとっている毛皮に残っている。師匠のしゃがれた声の中に、威厳がひびき、老齢と死の覚悟がかすかな音をたてている。――すべては超現実的で、ほとんどいやおうなしに青年の感覚の中に侵入してきた。記憶にとっては、感覚の印象のほうが、最上の体系や思索の方法より、より深い培養土である。
雨ごい師は、特殊な技能を体得して、天職を営んでいる少数の人のひとりではあったが、彼の日常生活は、外部に対しては、他のすべての人々とたいして異なってはいなかった。彼は、高い位の役人で、尊敬を受け、みんなのために仕事をするごとに、種族から税金や報酬をもらったが、それは特別な機会だけのことだった。彼の何よりも重要な、おごそかな、いや、神聖な役目は、春に、あらゆる種類の果実や薬草の種をまく日をきめることであった。それは、月齢を精密に考慮して、一部は世襲の法則に従い、一部は自己の経験に従って、行われた。種まき開始のおごそかな行為そのもの、すなわち最初の一握りの穀粒と種を共同の農地にまく仕事は、もはや彼の役目ではなかった。そんな高い階級についている男はいなかった。それは毎年、曽祖母自身、あるいは、その最年長の身内の老女によって取り行われた。師匠が村でいちばん重要な人物になるのは、彼が実際に天気魔術師として務めを果す場合だった。それが行われるのは、長い日照りや、湿気や、寒気が作物を悩まし、種族が飢餓に脅やかされるときであった。そうすると、ツールーは、かんばつと凶作に対処する手段を用いねばならなかった。それは、いけにえ、おはらい、祈願行列などであった。伝説によると、がんこな日照りや、はてしない長雨で、どんな手段も、ききめがなく、どんなに口説《くど》いても、懇願しても、おどしても、神霊の気持ちを変えることができない場合、なお最後の、絶対はずれない手段があった。母たちや祖母たちの時代にはそれがたびたび用いられたそうである。それは、村の者が天気魔術師その人をいけにえにする方法だった。曽祖母はまたそれにまわりあわせ、目撃したことがある、という話だった。
天気の心配を引き受けるほか、師匠にはなお個人的な仕事があった。魔をはらう人として、お守りや魔薬を作る人として、ある場合には、曽祖母の領分を犯さない範囲で医者として、する仕事があった。しかし、その他の点ではツールー師匠は、他のだれかれと同じ生活をしていた。順番がまわってくれば、共同の農地を耕す手伝いをするし、小屋のそばに自分の小さい養樹園を持っていた。彼は果実やキノコや薪《たきぎ》を集め、貯蔵した。魚をとり、狩りをし、ヤギを一、二頭飼っていた。百姓としては他の皆と同じようだったが、猟師として、漁夫として、薬草採取者としては、他のものと同じではなく、独りで歩く、天才であった。そして、自明のにしろ、魔術のにしろ、たくさんの手や、こつや、呼吸や、策を知っている、という評判だった。彼が柳の枝で編んだ|わな《ヽヽ》にかかると、どんな動物も逃げられない、と言われた。また特別な薬で魚のえさのにおいと味をよくすることを心得ていた。カニを誘い寄せることもできた。彼はいろいろな動物のことばも解すると信じている人々がいた。しかし、彼本来の領分は魔術の学問であった。つまり、月や星の観測、雷雨の徴候の知識、気象や作物に対する予感、魔術的な作用の補助手段として役だついっさいのものを操作することであった。こうして彼は、動植物界のもので、薬として毒として、魔力をそなえたものとして、祝福として、怪物に対するお守りとして役だつものを心得ており、それを集めている人だというので、偉かった。どんな薬草でも、ごくまれな薬草でも、彼は知っており、見つけた。いつどこで花を開き、実を結ぶか、根を掘るべき時期はいつか、そういうことも知っていた。あらゆる種類のヘビやヒキガエルを知り、見つけ、角や、ひづめや、つめや、毛の使用法をわきまえ、できそこないの変った形や、奇怪な形や、恐ろしい形をよく知っていた。すなわち、木や葉や穀粒やクルミや、角やひづめなどの節や、突起や、いぼなどを、よく知っていた。
クネヒトは、知力でよりも、より多く感覚で、手足で、目で、皮膚の触覚で、耳や嗅覚《きゅうかく》で、学ばねばならなかった。ツールーは、ことばや理論でよりも、ずっと多く実例や実物によって教えた。総じて師匠が関連をつけて話をすることはまれだった。話す場合でも、ことばは、彼の並みはずれて印象的な身振りをなおいっそうはっきりさせる試みにすぎなかった。クネヒトの修業は、たとえば若い猟師や漁夫がすぐれた師匠のもとで積む修業と、あまり異ならなかった。それは彼に大きな喜びを与えた。彼はすでに自分の中にあったものだけを、学んだからである。待ち伏せ、耳をすまし、忍びより、観察し、用心し、眠らずにおり、かぎつけ、あとをつけることを学んだ。しかし、彼と師匠が待ち伏せる野獣は、キツネやアナグマやマムシやヒキガエルや鳥や魚ばかりでなく、霊であり、全体であり、意味であり、関連であった。変りやすい、むら気な天気を見きわめ、認識し、推測し、予知すること、イチゴ類やへどのかみ傷にひそんでいる死を知ること、雲や嵐《あらし》が、月の状態と関連し、種まきや成育と同様、人間や動物における生命の盛衰に作用する、その秘密をうかがうこと、そういうことを彼らは自ざしていた。その際彼らは実は、幾千年か後の科学や技術が求めたのと同じ目標を、つまり、自然を支配し、その法則を駆使することを求めていたのである。だが、まったく別な方法で求めたのである。彼らは自然から離れず、自然の秘密に強引に侵入しようとはせず、決して自然に逆らったり、敵対したりせず、常に自然の一部であり、畏敬の念をもって自然に帰依《きえ》していた。彼らが自然をよりよく知り、より賢明に自然と交わったということは、十分ありうることである。しかし、彼らにとって一つまったく不可能なこと、どんなに大それた考えをいだいたとしても、及びもつかぬことがあった。それは、自然と霊の世界とに、恐れを持たずに、心を寄せ、従うこと、あるいはそれに優越すると感じることであった。そういう思いあがりは、彼らには考えられなかった。自然力や死や魔精に対して、恐れ以外の関係を持つことは、彼らには不可能に思われたろう。恐れは、人間の生活の上に君臨していた。それに打ち勝つのは、不可能に思われた。しかし、その恐れをやわらげ、形の中に追いこみ、策略でだまし、おおい隠し、人生の全体の中に組み入れるために、いけにえのいろいろなやり方が役だった。この恐れは、これらの人々の生活を押えている圧力であった。この高い圧力がなかったら、彼らの生活には、なるほど恐怖はなくなるだろうが、張りもなくなってしまっただろう。恐れの一部を高めて畏敬に変えることに成功したものは、多くを獲得した人である。この種の人間、つまり、恐れを敬虔《けいけん》に変えた人は、あの時代のすぐれた人、進歩した人であった。多くのものが多くの形で犠牲にされた。この犠牲とその儀式の一部は、天気魔術師の職務の範囲内にあった。
クネヒトとともに、小屋の中で小さいアーダが成長した。かわいい子で、老人の愛児であった。老人は、時期が来たと思うと、彼女を弟子の妻にした。そのときからクネヒトは、雨ごい師の助手と見なされた。ツールーは彼を村の母に自分の婿として、後つぎとして紹介した。それ以来、いろいろの仕事や職務を彼に代行させた。次第に、四季ごとに、年ごとに、老雨ごい師は、老人の孤独な静観に沈潜して、職務の全部を彼にまかせた。彼が死んだとき――彼は炉のそばにうずくまり、魔法の醸造物を入れた数個のなべの上にかがんで、白い頭髪を火にこがして、死んでいるのを発見された――そのとき、若い弟子クネヒトはもう久しく雨ごい師として村に知られていた。彼は村会に、師匠のため名誉ある葬儀を要求し、墓の上で、貴重で高価な薬草や根を山のように積んで燃やした。それも遠い昔のこととなった。クネヒトにはもう子どもがいくたりもできて、アーダの小屋を狭くしていたが、その中に、ツールーという男の子がいた。老人はその姿になって、月への死の旅からもどってきたのであった。
クネヒトは、昔師匠がなっていったようになった。彼の恐れの一部は、敬虔となり、精神となった。若いころの努力や深いあこがれの一部は、依然として生き生きとしていたが、一部は消滅して、年をとるとともに、仕事と、アーダや子どもたちのための愛と配慮の中に溶け去ってしまった。彼の最も大きな愛と最も熱心な研究は、月と、四季や気象に及ぼす月の影響とに向けられた。この点で彼は、師匠ツールーの域に達し、しまいには師をしのいだ。月が満ちたり欠けたりする経過は、人間の死や出生ときわめて密接に関連していたから、また、人間の生活を包んでいるあらゆる不安の中で、避けがたい死に対する不安が、最も深いものであるから、月の崇拝家であり、月の専門家であるクネヒトは、月に対する近い生き生きした関係から、死に対しても、神聖な、浄化された関係を持つようになった。彼は、円熟した年齢に達すると、他の人々のように、死の恐怖に押えられることがなくなった。彼は月と、うやうやしく、あるいは懇願するように、あるいはねんごろに語ることができた。彼は月と微妙な精神的な関係で結ばれていることを自覚した。彼は月の生命を非常に詳しく知っていて、その運行や運命に深い関心を寄せていた。月が欠けていき、また新たになるのを、彼は自分の心の中で一つの神秘のように体験した。異常なことが起り、月が病気や危険や変化や障害にさらされるように見え、光を失い、色を変え、消えそうになるほど暗くなると、彼は共に悩み、恐れをいだいた。そういうときには、もちろんだれでも、月に関心を持ち、月のためにおののき、暗くなる月に脅威と不幸の接近を認め、老いた病気になった月の顔を、戦々|兢々《きょうきょう》と見つめる。しかし、そういうときこそ、雨ごい師クネヒトが他の人々より月と密接に結ばれており、月についてより多く知っていることが、明らかになる。もちろん彼は、月の運命を共に悩み、胸苦しい不安をおぼえる。しかし、同様な体験の記憶は、いっそう鋭く細密になり、信頼はいっそう根強くなり、永遠と再来の信念、死は訂正され克服されうるという信念は、いっそう大きくなる。彼の献身の度合いもいっそう大きくなる。そういうとき、彼は、天体の運命を没落と新生に至るまで共に体験する心の用意のできているのを感じた。そればかりか、彼は往々、精神によって死に抵抗し、超人間的運命への献身によって自我を強めよう、という不敵さ、大それた勇気や決意のようなものをさえ、感じた。そのうちのいくぶんかが彼自身の中に移っていき、他の人々にも感じられた。彼は、知恵のある人、敬虔な人、非常に落ちついていて、死を恐れることの少ない人、いろいろな力と親密な関係を結んでいる人と見なされていた。
この天分や徳性を、彼はいくども厳《きび》しい試練に会って証明しなければならなかった。あるときは、凶作と不順な天候の時期を切り抜けねばならなかった。それは二年以上にわたり、彼の生涯の最大の試練であった。そのときは、種まきを再三延ばしたにもかかわらず、災難と凶兆はすでに種まきの際に始まった。そしてありとあらゆる不運と害が芽ばえを襲って、ついにはほとんど全部枯死させてしまった。村はむごたらしく飢えた。クネヒトも共に飢えた。このつらい年を彼が切り抜け、雨ごい師である彼が信仰と力を少しも失わず、種族を助けて、すなおに沈着を保って不幸に耐えさせたのは、それだけですでにたいしたことだった。翌年も、死人のおおぜい出た厳しい冬ののち、前年の難渋と悲惨がくり返され、村の農地が夏のあいだ頑固《がんこ》な日照りでかわききり、地割れし、ネズミがおそろしくふえ、雨ごい師が独《ひと》りで呪文《じゅもん》を唱え、いけにえをささげてみても、いっせいに太鼓をたたいたり、村全体で祈願行列をするなど、公共の催しをしてみても、ききとどけられず、効果がなかった。それで無残にも、今度は雨ごい師も雨を降らすことができないのだ、とわかると、容易なことではなかった。その責任に耐え、おびえ荒だっている民衆に対してびくともせずにいるには、尋常一様の人間ではだめだった。二週間も三週間もクネヒトはまったく孤立していることがあった。村全体が、飢餓が、絶望が彼に対立した。天気魔術師をいけにえにする以外に、天の力を融和する道はない、という昔からの民族の信仰が、彼に対立した。彼は譲歩によって勝った。彼は、いけにえをするという考えに反対しなかった。みずからいけにえになると申し出た。その他、前代|未聞《みもん》の努力と献身をもって、困難をやわらげるために協力し、いくども水を発見し、泉を、水路を探りあて、困難が絶頂に達したとき、家畜全体が死滅するのを食いとめた。特に、そのとき村のおばあ様が、不吉な絶望と精神衰弱症に襲われたので、この多難な際にクネヒトは、援助と助言とおどしや、魔法と祈りや、模範と威嚇《いかく》などによって、彼女が正体もなくなって、あらゆる血迷ったまねをすることがないように、食いとめなければならなかった。物情騒然として人心が不安に陥っているときには、ある人が生活と思考とを精神的なものや超個人的なものに向ければ向けるほど、また敬い、観察し、礼拝し、奉仕し、いけにえをささげることを学べば学ぶほど、そういう人はいよいよ役にたつということが、その際明らかになった。恐ろしい二カ年は、危うく彼をいけにえにして葬ってしまうところだったが、過ぎてしまうと、結局彼に高い声望と信頼とを残した。もっともそれは、責任のない大衆のあいだのことではなく、責任を負い、彼のような人間を批判することのできる少数の人々のあいだのことであった。
彼が成熟した年齢に達し、男盛りになったとき、彼の生活は、これを初めとしてその他たびかさなる試練を経ていた。種族のおばあさんをふたり葬る手伝いをし、かわいい六歳になる男の子を失った。オオカミにさらわれたのだった。彼は重い病気を他人の助けを借りずに切り抜けた。自分自身の医者をつとめたのである。飢餓と寒気に悩んだ。これらはすべて彼の顔に跡をとどめたが、それに劣らず心にも跡をとどめた、彼はまた、精神的な人間は他の人たちに一種奇妙な不快と反感の念を引き起すこと、人々はなるほどそういう人間を遠くから尊重し、必要な場合には来てもらいはするけれど、決して愛したり、仲間と感じたりせず、むしろ敬遠することを経験した。それからまた、病人や不幸な人々は、理性的な助言より、ありきたりの、あるいはかってに考え出した魔法のことばや呪文《じゅもん》の形式のほうを、ずっと喜んで受け入れるということを、また人間は、心を改めたり、あるいは単に検討したりすることさえいとい、むしろめんどうや外面的な罰を甘んじるということを、また人間は、理性よりは魔法を、経験よりは形式を容易に信じるということを、経験した。いずれも、その後数千年間に、多くの歴史書が主張するほどたいして変っていそうにもないことばかりである。しかし彼はまた、探究する精神的な人間は愛を失ってはならないこと、人々の願望や愚行を謙虚に迎えねばならないが、それに支配されてはならないこと、賢者から山師へは、司祭から手品師へは、めんどうをみる兄弟から寄生的利用者へは、常にただ一歩の隔りにすぎないことを、人々は結局、没我的になされる助けを無償で受けるよりは、ずっと好んで詐欺師に金を払い、山師に利用されるものだということを、学んだ。人々は信頼や愛で支払うよりも、金と品物で支払うことを欲した。互いに欺き合い、自分も欺かれることを期待していた。人間を、弱い、利己的な、臆病なものと見ることを、学ばねばならなかった。また、自分自身がこういうあらゆるよくない性質や本能をどんなに多く共有しているかをも、悟らねばならなかった。しかもなお、人間は精神と愛であり、人間の中には、本能に逆らい、本能の浄化を熱望する何ものかが宿っていることを信じ、それによって魂を養うことができるのだった。しかし、そういう考えはもうあまりに遊離し、公式化されてしまっていたので、クネヒトにはそんな考え方はできなかったろう。むしろ、彼はそこへ行く途上にあったのだ、彼の道はいつかはそこへ達し、そこを通過するだろう、と言おう。
彼はこの道をたどり、思想にあこがれつつも、はるかに多く感覚的なものの中に生き、月や、草のにおいや、根の風味や、樹皮の味や、薬草の栽培や、香油作りや、天候気象への献身などに魅了されて暮しているうちに、いろいろな能力を身につけた。その中には、われわれ後世の人間がもはや所有せず、半分しか理解しないような能力もあった。これらの能力のうち最も重要なのは、もちろん雨を降らせることであった。特殊な場合、天は往々無情で、彼の努力をむごたらしく嘲《あざけ》るように見えることもあったが、クネヒトは百度も雨を降らせた。しかもほとんどそのつどいくらか違った方法で降らせた。もっともいけにえや、祈願行列、呪文、太鼓奏楽の儀式などは、いささかも変更したり、省略したりすることをあえてしなかったろう。しかし、これは彼の仕事のうち、公式の公開の部分、公人として司祭としての、人目につく面にすぎなかった。いけにえと行列の行われた日の夕方、天が折れて、地平線が曇り、風が湿ったにおいを帯び始め、最初の滴《しずく》がばらばらと落ちるのは、確かに非常に美しく、すばらしい歓喜をわかせた。だが、それにも、盲滅法《めくらめっぽう》に見込みのない努力をすることにならないようにするため、日をうまく選ぶには、まず天気魔術師の秘術を必要とした。天の力に懇願するのは、いや、せがむのは、よいが、心をこめ、節度をもって、その力の意志に帰依してしなければならなかった。そして、努力が効を奏し、願いが聞きとどけられたという、楽しい勝利の体験よりもっと好ましい、ある種の別の体験があった。それを知っているのは、彼自身よりほかにはなく、彼自身も、内心の恐れをもって、また知性よりはより多く感覚をもって、それを知っているだけであった。いろいろな気象の状況、空気や温度の緊張、雲や風、水や土やほこりのにおい、天候を支配する魔精の威嚇や約束、気分やわがままがあった。それをクネヒトは、自分の皮膚で、髪で、感覚の全部で、あらかじめ、共に感じた。したがって彼は、何ものにも驚かされないし、何ものにも失望させられることがなかった。共に飛躍して天候を自己のうちに集中し、雲や風に命令することを可能にするような方法で、天候を自己の中に抱きとった。雲や風に命令すると言っても、もちろんかって気ままにやるのではなく、彼と世界とのあいだの、内部と外部とのあいだの差別を完全になくする深い結びつきによってするのであった。そのとき、彼は歓喜に我を忘れて立ち、耳を澄まし、うずくまり、あらゆる毛穴を開き、大気や雲の生命を自分の内に共に感じるばかりでなく、指揮し、産み出すことができた。われわれがよく知っている音楽の一楽章を心の中に呼びさまし再生することができるようなぐあいである。その場合、彼は呼吸をとめさえすればよかった。――そうすれば、風や雷は沈黙した。頭を上下か左右に振りさえすればよかった。――そうすれば、あられが降り出すか、やむかした。心の中で戦っている力の和解を表現するために、微笑しさえすればよかった。――そうすれば、上空で雲のひだが割れて、薄い明るい青空が現われた。往々特に純枠な気分で、心が整っているようなときには、彼は、来たるべき数日間の天候を精確にまぎれなく予知していた。さながら彼の血の中に楽譜全部が書かれていて、外ではそれに従って演奏されるかのようであった。それが彼の良い日、最良の日であり、報いであり、歓喜であった。
しかしもし外部とのこの内的な結合が切断され、天候と世界がよそよそしく、理解しがたい、見当のつかないものになると、そのときは、彼の心の中でも秩序が乱され、流れが中断され、自分はほんとの雨ごい師ではないと感じ、自分の職務と、天候や収穫に対する責任をわずらわしく、不当なものに感じた。そういうとき、彼は家に引きこもって、アーダの言うことをきき、手を貸し、彼女とともにまめに家事にせいを出した。子どもたちにおもちゃや道具を作ってやり、薬を煮つめた。また、人なつかしくなって、極力自分を他の人々と区別せず、風俗習慣に完全に順応するばかりか、自分の妻や近所の女房たちが他の人々の生活や消息や起居について話すのを、いつもならうるさく思うのに、それを傾聴しよう、という強い気持ちを感じた。これに反し、調子の良いときは、彼はあまり家にいなかった。外を歩きまわって、魚釣りをしたり、狩りをしたり、根を探したり、草の中に寝たり、木立ちの中にうずくまったり、鼻をくんくん言わせたり、耳を澄ましたり、動物の声をまねたり、たき火をしたり、煙の形を空の形と比較したり、皮膚や髪に霧や雨や空気や太陽や月光をしみこませたりした。かたわら、彼の師匠であり前任者であるツールーが一生涯やったように、本質と現象形式とが異なった領域に属しているように見えるもの、自然の知恵のむら気がその遊びの規則と創造の神秘の一端を示しているように見えるもの、遠くかけ離れたものを比喩《ひゆ》的に内部で結びつけているもの、たとえば、人間や動物の顔のような形をした樹枝の節、水に洗われて、まるで材木のような木目のはいった小石、前世界の動物の化石、できそこなった形の、あるいは双生児の形の果実の核、腎臓《じんぞう》あるいは心臓の形の石などを集めた。彼は、木の葉の模様を読んだ。またアミガサダケの冠部にある網状の筋を読み、神秘的なもの、精神的なもの、未来のもの、可能なものを予感した。すなわち、記号の魔術、数と文字の予覚、無限なものや千様の形態のものを簡単なものや体系や概念にとらえる魔法を感じた。精神によって世界をとらえるこれらの可能性はすべて、彼の中にひそんでいたからである。もちろん名もなく、名づけられもしないが、不可能でも、予感できないものでもなかった。まだ芽であり、つぼみであるけれど、彼にとって本質的に、独特に、有機的に、彼の中に成長しているものであった。もしわれわれが、この雨ごい師と、初期で原始的だと思われる彼の時代を越えて、さらになお数千年さかのぼることができたら、われわれは人間と同時に至る所で、きっと霊に出会うであろう。初めがなく、後にいつか造り出すありとあらゆるものを常にすでに包合している霊に出会うであろう。
自分の予感の一つを永遠にし、証明できるものに近づけることは、天気魔術師の役目ではなかった。彼の予感は、彼にとっては証明など必要がなかった。彼は、文字の発明者のひとりにも、幾何や、医学や、天文学の発明者のひとりにもならなかった。彼は、鎖の中の無名の一環にとどまった。だが、すべての環と同様、欠くべからざる一環であった。彼は受け取ったものを先へ伝えた。そして新たに獲得したもの、戦い取ったものを付け加えた。彼にも弟子があったのである。年月のたつうちにふたりの弟子を雨ごい師に養成した。そのひとりが後に彼の後継者になった。長年にわたって彼は、ひとりで自分の仕事を営み、活動した。だれも彼のすることをうかがうものはなかった。そのうち初めて――あの大凶作と飢饉《ききん》の後まもなくであったが――ひとりの若者が彼を訪ね、観察し、待ち伏せし、尊敬し、つけまわし始めた。雨ごいのわざと師匠とにあこがれて来たのだった。すると、クネヒトは妙に悲しい感動をもって、自分の青年時代のあの大きな体験が再びもどってくるのを感じた。それとともに、あの壮年の、厳しい、同時に締めつけるような、目ざめの気持ち、つまり、青春は過ぎ去り、真昼時は通過し、花は実となったことを、感じた。そして彼は、ついぞ考えもしなかったことだが、老ツールーがかつて彼自身に対して振る舞ったとまったく同じように、この少年に対して振る舞った。このそっけない、寄せつけない、日より見的な、にえきらない態度は、まったくひとりでにまったく本能的に生じたものであって、死んだ師匠のまねでも、また、若者がほんとに真剣なのか、まずじっくりためさなければならないとか、秘術伝授の道を容易にせず、むしろ大いに困難にしなければならないとか、いうような道徳的な教育的な考慮からしたことでもなかった。いや、クネヒトは弟子たちに対しまったく簡単に、およそ孤独な道を行く人や、学問のある変り者が、老境にはいりかけたとき、崇拝者や弟子に対してとるのと、同じ態度をとったのである。つまり、当惑し、もじもじし、寄せつけず、逃げ腰で、自分の美しい孤独や自由、荒野の放浪、孤独な自由な狩猟と収集、夢想と傾聴などを失いはしないかとひたすら心配し、自分のいっさいの習慣や道楽や秘密や沈思に対する嫉妬深い愛でいっぱいだった。尊敬のこもった好奇心をもって近づく、おどおどした若者を、彼は一度も抱擁しなかった。そのおどおどした態度を乗り越えるように助けてやったことも、励ましてやったこともなかった。ついに他の人々の世界が彼のところへ使者をよこし、愛の打ち明けをしたこと、だれかが彼の愛を求め、彼に心を引かれ、共鳴し、彼と等しく秘術に奉仕する天職を感じたことを、彼は、喜びとも報いとも、賞讃とも快い成功とも思わなかった。いや、彼はそれを当初、わずらわしい邪魔、自分の権利と習慣に対する侵害、自分の独立の強奪だと感じた。今はじめて彼は、独立をどんなに愛しているかを知った。彼は、それに逆らい、相手を出し抜き、身を隠し、足跡をくらまし、避け、逃げるのに、頭を働かした。しかし、その点でも、かつてツールーが経験したのと同じような経験をした。少年が長いあいだ黙々と慕い寄ってくると、彼の心は徐々にやわらぎ、抵抗は徐々に疲れ、溶けてしまった。少年が地歩を占めれば占めるほど、彼は徐々に少年の方に向っていき、心を開き、相手の願いを是認し、その求愛を受け入れた。そして、弟子を持ち教授するという、新しい、しばしば非常にわずらわしい義務を、まぬがれがたいこと、運命に課せられたこと、霊の望むこと、と見なすことを学んだ。次第に彼は、夢から、無限の可能性や千様の未来を感じ楽しむことから、遠ざからねばならなかった。無限の進歩とあらゆる知恵の蓄積を夢みることに代って、今はひとりの弟子が出現した。小さいながら身近にあって要求する現実であり、侵入者であり、平和妨害者であったが、拒否することも、回避することもできなかった。真実の未来への唯一の道であり、唯一の最も重要な義務であった。雨ごい師の生命と行為と信条と思想と予感が、この唯一の狭い道を行くことによって、死に対して守られ、小さい新しいつぼみの中に生きつづけることができるのだった。嘆息し、歯ぎしりし、ほほえみながら、彼はそれを引き受けた。
伝えられたものをさらに先に伝え、後継者を教育するという、この重要な、おそらく最も責任の大きい職務の範囲でも、天気魔術師は、きわめて厳しいにがい経験と幻滅をまぬがれなかった。彼の好意を求め、長いあいだはねつけられながら待ったあげく、彼を師匠にすることのできた最初の弟子は、マローという名で、どうしても忘れきることのできないような幻滅を彼に味わわせた。この弟子は卑屈で、お世辞使いで、長いあいだ絶対に従順な人間を装っていたが、あれこれと欠けるところがあった。何よりも勇気に欠けていた。特に夜と暗やみを恐れていたが、それを内証にしようと努めていた。クネヒトはそれに気づいたが、子どもの時代の名残りで、やがてはなくなるだろう、と長いこと思っていた。ところが、それはなくならなかった。この弟子にはまた、没我無心に観察し、天職の実行とその進行に、思想や予感に没頭する天分が完全に欠けていた。彼は利口で、明るく早い分別をそなえていた。没頭せずに学べる事柄は、らくに確実に学んだ。しかし、利己的な意図と目標を持っていること、そのために雨ごい術を習得しようと欲したことが、次第に明らかになった。何よりも彼は、信望を得たい、一役演じたい、印象を与えたい、と欲した。天職を授かったものではなく、才能を授かったものの虚栄心を、彼は持っていた。人気を博そうと努め、同輩の前で自分の最初の知識やわざを誇示した――それも子どもらしさであって、たぶん改まるだろう。しかし、彼は人気を求めるばかりでなく、他人を支配する権力や利益をめざして努力した。師匠はそれに気づき出すと、驚いて、徐々にこの青年をうとんじた。青年は、もう数年間クネヒトのもとで学んでから、二度三度ひどいあやまちを犯した証拠をつきつけられた。師匠の耳にも入れず、許可も得ずに、かってに誘われるままに、贈り物をもらって、病気の子どもを薬で治療したり、ある小屋でネズミの害を調伏《ちょうぶく》する祈願をしたりした。そして、いくらおどしても、約束させても、類似の行為をやっている現場をかさねてつかまえたので、師匠は彼を破門し、おばあ様にこの一件をとどけ出て、この恩知らずの役にたたない若い男を記憶から消し去ろう、と努めた。
その後ふたりの弟子が、特にそのうち二番めのが、この青年の埋合せをした。それは彼自身のむすこツールーだった。彼に帰依する弟子の中でいちばん若い最後のこの弟子を、彼は非常に愛し、自分より以上のものになるだろう、と信じた。明らかに祖父の精神の再来だった。クネヒトは、自分の知識と信仰の全部を未来に伝えたという満足、自分にとってあまり骨が折れるようになったら、いつでも役目を譲ることのできる、二重の意味で自分のむすこである人間がいる、という満足感を味わって、たのもしく思った。しかし、それでもやはり、あのできそこなった最初の弟子を生活の中からも頭の中からも追い払うことができなかった。あの男は、村で高い尊敬を受けはしないが、おおぜいの人のあいだできわめて人気のある、ばかにならない勢力を持つ人間になっていた。結婚して、一種の手品師、道化師として人気があり、太鼓隊の隊長にさえなり、雨ごい師の隠れた敵、嫉視者《しっししゃ》となった。この男のために雨ごい師はいくどもいやな思いをさせられた。クネヒトは決して友人関係を結び、人といっしょにいることを好む人間ではなかった。彼が必要とするのは、ひとりでいることと自由とであって、昔少年のとき師匠ツールーのもとでしたのを除けば、尊敬や愛を求めたことはなかった。しかし今、彼は、自分を憎む敵を持つのは、どういうものであるかを、感じるようになった。そのため幾日も台なしにされてしまった。
マローは、才能は非常にあるが、それにもかかわらず、常に師を不愉快にし困らせる種類の生徒であった。というのは、その才能は、下から内から生じた、基礎のある有機的な強さではなく、良い天性やすぐれた血統や性格の持つ微妙な高尚なしるしではなくて、いわば労せずして得た、偶然の、いや、横領した、盗み取ったものだったからである。性格は低いが、知力は高いとか、空想は輝かしいとかいうような弟子は、必ず師を困惑させる。つまり、師はそういう弟子に、承けついだ知識や方法を教えこんで、精神生活に協力できるようにさせねばならないのであるが、自分の本来のいっそう高い義務は、単に才能だけあるものの押しつけがましさに対して、学問と秘術を守ることだ、と感ぜずにはいられなかったのである。師は弟子に奉仕するものではなく、両者ともに精神に奉仕しなければならないからである。それこそ師が、ある種の幻惑的な才能を恐れはばかるゆえんである。そのような弟子はすべて、教授という仕事の意味と奉仕をすっかりゆがめてしまう。はでに目だつことはできても、奉仕することはできないというような弟子をのばしてやることは、結局、奉仕をきずつけ、精神に一種の裏切りを犯すことを意味する。多くの民族の歴史の中に、精神的な秩序が深刻な障害を受けると、単に才能だけのある人間が、公共体や学校や大学や国家の要職に襲いかかり、支配することを欲するが奉仕することのできない高い才能の人々が、いっさいの官職についた、というような時期があるのを、われわれは知っている。この種の才能の人間が精神的な天職の基礎を占領してしまわないうちに、時機を逸せず彼らを見抜き、必要な仮借なさで非精神的な職業へ送り返すのは、確かにしばしばきわめて困難である。クネヒトもあやまちを犯した。弟子マローに対しあまり長く寛容を示し、表面的な成功主義者に門外不出の知恵をいくつも明かしてしまった。残念なことであった。その結果は彼自身にとって、思いもつかなかったほどはなはだしかった。
ある年のこと――クネヒトのひげはもうかなり白くなっていた――天地のあいだの秩序が、異常な力と悪だくみを持った魔精のため、狂って、変調を来たしたように見えた。この変調は秋に物すごく威圧的に、いまだかつて見たことのないような空模様をもって始まり、あらゆるものを、心底までおびやかし、不安をもって締めつけた。秋分後まもなくのことだった。雨ごい師はいつも秋分を、一種の厳粛さと、畏敬のこもった祈りと、高度の注意をもって、観察し体験するのだった。すると、微風があって、いくらかひえびえするある晩のこと、空はガラスのように澄んで、わずかな落ちつかぬ雲切れを非常に高いところにただよわせているばかりだった。落日のバラ色の光がいつになく長くその雲切れから離れなかった。冷たい青白い宇宙に流れる、ふわりと泡のような光の束であった。クネヒトはもう数日前から、例年日が短くなり出すこの時期に感じられるのより、強い異常なあるものに感づいていた。天空におけるいろいろな力の作用、大地や動植物のおびえ、大気中の不安、万象の中に不安定に待っている、ただならぬ恐ろしいものに、感づいていた。この夕暮れ時の、長くきらめく炎のような雲切れも、その一つだった。ひらひらと飛ぶその動き方は、地上を吹く風とは一致していなかった。また、雲切れは、嘆願するような、長いあいだ悲しげに消えまいと逆らう赤い光を帯びていたが、それが冷えて消えてしまうと、雲切れ自身も急に見えなくなった。村の中は静かだった。おばあ様の小屋の前では、訪問者や傾聴する子どもらも、もうとっくに散り散りになって、数人の少年がまだ追いかけ合ったり、つかみ合いをしたりしているだけだった。その他はもうみんな小屋の中にはいって、ずっと前に食事をすましていた。すでに寝ていたものも多く、雨ごい師のほかには、夕焼け雲をながめたものはほとんどいなかった。クネヒトは、小屋の小さい耕地を行きつもどりつしながら、緊張し、落ちつきを失って、天候に思いをひそめた。イラクサのあいだにあって、木を割るのに使っていた切り株に、時折り腰をおろして、少し休んだ。最後の雲の明りが消えるとともに、まだ明るく、緑色がかった微光を放っている空に、星が急にひときわはっきりと現われ、急速に数と光力を増した。つい今しがたまで二つか三つしか見えなかったところに、もう十も二十も光っていた。それらの星や群や族の多くを、雨ごい師は知っていた。幾百度も見ていたからである。変ることなく星がまた現われたのには、何か心を安らかにするふしがあった。星はたのもしかった。遠く冷たく高い空にかかっていて、熱は放射しなかったけれど、確実に、不動の列をなし、秩序を示し、永続を約東していた。地上の生活や、人間の生活には、一見ひどくよそよそしく遠く対立し、人間の生活の熱や、けいれんや、苦悩や、陶酔にまったく動かされず、その高貴な冷たい荘厳さと永遠性によって、人間を嘲《あざけ》るばかりに、人間に優越していたけれど、星はわれわれと関係があり、おそらくわれわれを導き、支配していた。人間の何らかの知識、精神的な所有、無常なものに対する精神の保証と優越が樹立され、確保されると、それは星に似ていた。星のように冷たい静けさに輝き、冷たい畏怖をもって慰め、永遠に、いくらか嘲笑《ちょうしょう》的に見えた。雨ごい師にはしばしばそう映じたのだった。たとえ彼は星に対し、月に対するような、あの大きな、近い、ぬれた月、天海を泳ぐ肥えた魔法の魚のような月に対するような、近い、胸をかきたてるような、不断の変化と回帰のうちに試練されるような関係を持ってはいなかったとはいえ、彼は星を深くあがめ、いろいろな信仰によって星に結ばれていた。星を長く見つめ、自分に作用させ、自分の小ささや熱や不安を星の冷たく静かなまなざしに投げかけるのは、彼にとってしばしば入浴や水薬のように思われた。
きょうも星はいつものようにまたたいていた。ただひきしまった希薄な空気の中で、ひどく明るく、鋭くみがかれでもしたようだった。しかし、彼は、星に自分をささげきる落ちつきが見いだせなかった。未知の空間からある力が彼を引っぱり、毛穴に苦痛を与え、目から吸いとり、静かに絶えず作用した。一つの流れ、警告の震動のようであった。かたわらの小屋の中では、かまどの火のあたたかい弱い光が、どんより赤くかすかに光り、ささやかなあたたかい命が流れ、呼びかけや、笑いや、あくびのような音を出し、人間のにおい、皮膚の熱、母性、子どもの眠りなどを呼吸し、無邪気な親しさで、ふけかけた夜をなおいっそう深め、星をなおいっそう遠く、考えることもできないほど遠く高いところへ追い返すかのようであった。
そして今、小屋の中でアーダが子どもを寝かしつけながら美しいしらべでしんみりつぶやき口ずさむのを、クネヒトが聞いていたとき、空では大惨事が始まった。それを村の人は幾年も忘れられないことになった。星の静かなぴかぴか光る網の中のあちこちで、いつもは見えない網の糸がぱっと炎を立ててきらめいたかのように、きらきらとゆらぐ光が現われた。投げられた石のように、一つ一つの星が、燃えあがってはまたさっと消えながら、空間を斜めに落ちた。ここに一つ、むこうに二つ、ここに三つ四つというふうに。そして目がまだ、消えた最初の流星から離れず、この光景に石のようになった心臓がまだ再び鼓動しはじめないうちに、斜めに、軽い曲線を描いて矢のように空を落ちてくる、あるいは投げ出された光は、もう数十、数百の群れになっていた。無言の大暴風雨に運ばれてでもいるように、無数の集団をなして、光は沈黙の夜をはすかいに走った。まるで世界の秋がいっさいの星を、枯れた葉のように、空の木からちぎって、音もなくかなたへ、虚無の中へ追いやっているかの観があった。枯れ葉のように、ひらひらと降る雪のように、星は幾千となく、恐ろしい静寂の中を飛び去り、落下し、南東の森の山のうしろで、どこか底なしのふちへ消えた。有史以来そこに星が沈んだことは、一度もなかった。
心臓をこわばらせ、目を光らせて、クネヒトは立っていた。頭を背首に押しつけ、驚いた、しかも見飽きないまなざしで、変りはてた、魔法にかけられた空を見つめた。目を疑いながらも、事態の恐ろしさはあまりにも確かだった。この夜の光景を見たものは、だれでもそうだろうが、彼は、よく知っている星までが揺らぎ、飛散し、落下するのを見るように思った。大地が一足さきに彼をのみこんでしまわなかったら、大空がまもなく黒くなり、空虚になるのを、彼は見ることだろうと思った。もちろん少したつと、彼は、他の人たちの知りえないことを悟った。つまり、なじみの星はここかしこに、また至る所にまだ存在しているのであって、星の飛散が荒れ狂っているのは、古いなじみの星のあいだのことではなくて、大地と大空とのあいだのことであり、落下する、あるいは投げられた、新しい、急速に現われ、急速に消える光は、古いほんとの星とはいくらか異なった色で燃えていた。これで彼は元気づき、力を得て、正気を取りもどした。しかし、飛散して、大気を満たしたのは、新しい消えやすい、別な星であったにせよ、それはやはり、空おそろしく、不吉で、不幸と混乱にほかならなかった。深い嘆息がクネヒトのかわききったのどから出た。彼は、この無気味な光景を見ているのは、自分だけか、それとも、他の人々も見ているかどうかを知るため、地上に目をくばり、周囲に耳を澄ました。まもなく他の小屋からも、恐怖のうめきや金切り声や絶叫が聞えた。他の人たちもこれを見て、叫び続け、何も知らないでいるものや、眠っているものをたたき起した。たちまち村全体が不幸と恐慌にとらえられるだろう。深く溜息《ためいき》をしながらクネヒトはそれを一身にしょいこんだ。この不幸は、だれよりも先に、彼を、雨ごい師を襲ったのだ。いわば、空と大気中の秩序に対しては、彼に責任があったのである。いままでも彼は、洪水、降雹《こうひょう》、暴風雨など、大災害を事前に知った。あるいは予感した。そのつど、母たちや最年長の老婆たちに警告し、用意をさせ、最悪のことを防止した。こうして、自分を、自分の知識を、勇気を、高い霊の力への信頼を、村と絶望とのあいだに置いたのだった。なぜ今度は何も予知せず、指令しなかったのか。なぜ、彼が確かに持っていた暗い警告的な予感を、だれにも一言ももらさなかったのか。
彼は小屋の入口のむしろを少しあげて、妻の名を小声で呼んだ。妻は、いちばん小さい子を抱いて出てきた。彼は幼な子を抱きとり、わらの上に寝かせた。そしてアーダの手をとり、黙っていよと言うかわりに、指をくちびるにあて、彼女を小屋から連れ出した。すると、彼女の辛抱強い静かな顔はたちまち、不安と恐怖にゆがんだ。
「子どもたちは寝かせておけ。子どもたちに見せてはいけない、いいかい?」と彼はせわしくささやいた。「だれも出してはいけないよ、ツールーも。お前も中にいるんだ」
彼はためらった。どの程度まで言ったらよいか、どの程度まで自分の考えをもらしたらよいか、わからなかったのだ。やがて彼はきっぱりと付け加えた。「お前や子どもたちには何ごともない」
妻はすぐ彼の言うことを信じた。顔や気持ちは、いま受けたばかりの恐怖からまだ回復していなかったけれど。
「いったいどうしたんですの?」と彼女は、また彼の肩ごしに空を見つめながら言った。「たいへん悪いことですの?」
「悪いことだ」と彼は穏やかに言った。「非常に悪いことだと思う。だが、お前や子どもたちに関係はない。小屋にいなさい。むしろをよくしめておきなさい。私は皆のところへ行って、話をしなければならない。おはいり、アーダ」
彼は小屋の穴から彼女を押しこんで、むしろを念入りに引き寄せてから、なお数呼吸のあいだ、降りしきる星の雨の方に顔を向けて立っていた。やがて、頭を垂れ、重い心からもう一度|溜息《ためいき》をして、暗やみの中を村の中へ急ぎ、おばあ様の小屋へ行った。そこにはもう村の人の半分が集まっていた。声をひそめてどよめき、不安のためしびれ、恐怖と絶望のための興奮を押えかねていた。驚きと破滅の予感にひたって、憤怒《ふんぬ》と快感のようなものを味わっている男女もあった。彼らは、熱狂したように硬《かた》くなって立ったり、夢中で手足を振りまわしたりした。ある女は、口のまわりに泡《あわ》を浮べて、ひとりで自暴自棄の、同時にみだらな踊りを踊りながら、長い髪を束にして引きむしった。クネヒトは、もういっさいが始まっているのを見た。彼らはもうほとんど皆、無我夢中になり、落ちる星によって魔法にかけられ、正気を失っていた。おそらく、狂気と激情と自己破壊の欲望との狂宴が始まるだろう。勇気と思慮のあるもの数人を集めて、強めてやるべき、のっぴきならぬ潮時だった。高齢のおばあ様は落ちついていた。彼女は、いっさいのものの終りが来た、と信じていたが、それに逆らわず、運命に対し、固い厳しい、にがみ走った抜けめなさの中に、嘲りのような表情を浮べた顔を向けていた。彼は彼女に、自分の言うことを聞かせようとした。いつもあった古い星がまだ存在することを、彼女に説明しようと試みたが、彼女はそれを受け入れることができなかった。彼女の目が、それを認める力をもはや持たなかったせいか、あるいは、星に対する彼女の考えや関係が、雨ごい師のそれとあまりに異なっていたため、互いに理解することができなかったせいかもしれない。彼女は頭を横に振って、勝ち気な薄笑いを続けた。クネヒトが彼女に、不安に逆上している人々をそのままにしておかないように、魔精にまかせないように、懇願すると、彼女はすぐに了解した。おばあ様と雨ごい師のまわりに、おびえてはいるが血迷っていない人々の小さい群れができた。彼らは指示を待ちかまえていた。
ここにはいる一瞬まえまで、クネヒトはまだ、模範と理性と弁舌と説明と励ましによって恐慌を防止することができると思っていた。だが、おばあ様とちょっと話し合っただけで、それにはもう遅すぎることがわかった。それまで彼が希望していたのは、他の人々に自分の体験を分かち、それを彼らへの贈り物にし、彼らに伝達することができる、ということであった。また、自分の励ましを受ければ、彼らは何よりまず、星そのものが、あるいは星のすべてが落下して、宇宙のあらしに運び去られていくのではない、と悟るだろう、そして、彼らが驚き恐れて途方に暮れている状態から活動的な観祭へ進むことによって、その打撃に耐えられるようになるだろう、ということであった。しかし、そういう影響を受け入れうるような人間は、村全体にごく少数しかないだろう、そして彼らだけを獲得するまでに、他のものたちはすっかり狂気に陥ってしまうだろう、ということを彼はすぐに気づいた。いや、この場合は、よくあることだが、理性や賢いことばでは、何ごとも達成することができなかった。幸い、他の方法があった。理性を吹きこむことによって死の不安を解消させることは、不可能だとしても、死の不安を指導し、組織し、それに形と顔とを与え、狂乱した人々の絶望的な混乱を、しっかりしたまとまりにし、自制を失った乱暴な個々の声を一つの合唱にすることは、可能だった。即座にクネヒトはそれにとりかかった。その手段はたちまち効を奏した。彼は人々の前に歩み出て、だれでも知っている祈りの文句を叫んだ。いつもなら、その文句で、公の葬いやざんげの行事、たとえば、おばあ様の哀悼、あるいは、疫病や洪水のような一般の危険の際の、いけにえや、ざんげの式を開くのだった。彼は拍子をとってその文句を叫び、手を打って拍子の伴奏にした。同じ拍子で、叫び、手を打ちながら、彼はほとんど地面までかがみ、また起きあがり、またかがんでは、起きあがった。早くも十人、二十人の人々がその動作をいっしょにした。老齢の村の母は立って、律動的につぶやき、少しからだをかがめて儀式的な動作をすることをほのめかした。さらに他の小屋からやってきたものは、さっそく儀式の拍子と精神に加わった。すっかり気の狂っていた数名は、まもなく力つきて倒れ、身動きせずに横たわるか、礼拝の合唱のつぶやきとお辞儀のリズムに圧倒され、引きずられた。うまくいった。狂気の人々の絶望した群れのかわりに、犠牲とざんげの用意のある敬虔《けいけん》な人々の一団ができた。その中の人はみな、死の恐怖と驚きを心の中に閉じこめておいたり、ひとりでわめき散らしたりせず、おおぜい拍子をそろえて呪文《じゅもん》を唱える儀式の整然とした合唱に加わるのは快く、心を強められることだと思った。そういう勤行《ごんぎょう》をすると、多くの隠れた力がききめを現わす。その最も強い慰めは、形がそろっていることで、それが団結の感情を倍加する。そして、節度と秩序、律動と音楽とが、最も確実な薬であった。
夜空全体は依然として、音もなく落下する光の滴《しずく》の滝のような、流星の大群におおわれていた。それはおそらく二時間にもわたって、大きな赤みを帯びた火の滴をまき散らしていた。そのあいだに、村の恐怖は恭順と帰依に、訴願とざんげの気持ちに変った。そして、秩序を失った空に向って、人間の不安と弱さが、秩序となり、渾然《こんぜん》とした礼拝となって、迫っていった。星の雨が疲れて、流れ方がまばらになり始めないうちに、奇蹟《きせき》が成就し、救いの力が輝き出した。空が徐々に静まり、回復するように見えると、死にそうに疲れたざんげ者はみな、自分たちの勤行によって霊の力をやわらげ、空の秩序を取りもどした、という救いの感情をいだいた。
恐怖の一夜は忘れられず、秋と冬とを通じ、みんなの話題になったが、やがてもうささやいたり、祈願したりする調子ではなく、日常の調子で、けなげに切り抜けた災悪や、首尾よく打ち勝った危険を回顧する満足をもって、皆は語り合った。人々はこまかい事柄を思い出して元気づいた。めいめいそれぞれに前代未聞のことに驚いた。めいめい自分が第一番にあれを発見したのだと主張し、特に臆病で、へたばってしまった数人を、遠慮なくからかった。一種の興奮がなお長いあいだ村の中に続いた。何かを体験した、大きな事件があった、何かが起った、という興奮だった!
こういう気分や、大事件が徐々にしずまり忘れられていく過程に、クネヒトはかかわりを持たなかった。彼にとっては無気味な体験は、忘れられない警告、もはや休止することのない刺激となった。それは、過ぎ去り、行列や祈りやざんげによってやわらげられたからといって、彼にとって決してかたづけられ、遠ざけられたわけではなかった。それどころか、過ぎ去って日がたてばたつほど、それは彼にとっていよいよ大きな意義を持つようになった。彼はそれに豊かな意味を与え、それを冥想し解釈するものになりきった。彼にとっては事件そのもの、あの不思議な自然の光景がすでに、無限に大きな困難な問題で、多くの見とおしを伴っていた。それを見たものは、一生涯それについて冥想することができるくらいだった。あの星の雨を彼自身と同様な前提と目で観察したものが、村でたったひとりいたとしたら、それは自分のむすこで弟子のツールーだったろう。このひとりの証人の裏書き、あるいは訂正だけが、クネヒトにとって価値があっただろうに、彼はあのときこのむすこを眠らせてしまった。いったいなぜそうしたのか。前代未聞のできごとに際して、真剣にとれるはずの唯一の証人を、観祭を共にするものを、なぜ断念したのか、それを長く考えこめば考えこむほど、あのときの自分の行為は良かった、正しかった、賢明な予感に従ったのだ、という信念がいよいよ強くなった。彼はあの光景を、家族のものに、弟子であり同僚であるものにも、ことのほかむすこには、見せまいとした。だれよりもむすこに彼は愛情を寄せていたからである。だからこそ彼は星の落下をむすこに内証にし隠し通したのであった。一つには、眠りの、特に若い眠りの良い霊を信じていたからである。さらに、彼の記憶に誤りがなければ、実際もうあの瞬間、空の異変が始まった直後、彼は、みんなの生命が目前危うくなったことより、一つの前兆を、未来の災害の予告を考えたからであった。それは、他のだれより、彼に近い関係があり、雨ごい師である彼ひとりを襲うと思われる災害であった。そこでは何かが起りかかっていた。職掌がら彼と結びつきのある領域からの危険と威嚇《いかく》であった。それは、どんな形であるにせよ、何よりも明らかに彼自身をめざすだろう。この危険に自覚と決意とをもって立ち向い、心の中で覚悟をきめて、甘受するが、それに屈服したり、卑屈になったりはしないというのが、彼がこの大きな前兆から引き出した警告と決意だった。この来たるべき運命は、成熟した勇気のある男を要求するだろう。それゆえ、むすこを引っぱりこんだり、苦しみを共にさせたり、ただ経験を共にさせたりするのは、良いことではなかったろう。彼はむすこを高く認めてはいたけれど、若い、経験のない人間が、この運命にたちうちできるとは思えなかったからである。
むすこのツールーはもちろん、あの大きな光景を寝すごして、見そこなったことに、すこぶる不満だった。今となってどうのこうのと解釈しようと、いずれにしても大事件であった。おそらく全生涯のうちにも、類似のことはもはや現われないだろう。一つの体験、世界の奇蹟を見そこなったわけである。それで彼は父親に不平を言い続けた。さてしかし、この不平も克服された。老いた父が、愛情のこもった心づかいを深めることによって埋合せをし、いつになくしげしげと職務の実行に引き入れたからである。父は明らかに、来たるべきことを予感して、できるだけ完全な、奥義に通じた後継者に、ツールーを教育しあげるために、いっそう骨を折った。あの星の雨についてむすこと話すことは、ごくまれであったが、父はますます腹蔵なく自分の秘密やわざや知識や研究を伝え、外出や実験や自然の傾聴にも彼をともなった。これまで彼はそれをだれとも共にしたことがなかった。
冬が来て、過ぎた。湿っぽい、むしろ温和な冬だった。星はもはや落ちず、大きな異常なことは何も起らなかった。村は平穏だった。猟師はせっせと獲物をとりに出かけた。小屋の上の組み合せた棒には、至る所、風のある寒空に、こちこちに凍った動物の毛皮の束がぶらさがって、ばたばた音をたてていた。人々は、なめらかにした長い板に薪《まき》を積んで、雪の上を森から引っぱってきた。あいにく短い極寒期に、村ではおばあさんがひとり死んだ。すぐには埋葬することができなかった。地面がまたいくらか溶けるまで、幾日か、凍った死体は小屋の戸のかたわらにうずくまっていた。春になって初めて、天気魔術師の悪い予想が一部分事実になった。きわだって、悪い、月に裏切られた、楽しくない春で、芽も吹かず、樹液も流れず、月はいつも遅れがちで、種まきの日をきめるのに必要ないろいろな徴候がついぞそろわず、荒野の花はろくろく咲かなかった。枝についた固いつぼみは死んでいた。クネヒトは、人に気づかせはしなかったが、非常に憂慮していた。アーダと、特にツールーだけが、クネヒトがどんなに心を痛めているかに気づいた。彼は、ありきたりの祈願を行なっただけでなく、私的な個人的な犠牲もささげた。魔神のため、よいにおいのする、快感を起させる|かゆ《ヽヽ》や飲み物を煮、ひげを短く刈り、新月の夜に、樹脂やぬれた樹皮をまじえて頭髪を焼き、濃い煙をたてた。彼は極力、村のいけにえや、祈願行列や、太鼓の合奏など、公の催しを避け、なんとかできるあいだは、この悪い春の呪わしい天候を自分個人の心配ごとにしようとした。それにしても、種まきの例年の時期がもうひどく過ぎてしまうと、おばあ様に報告をしなければならなかった。ところが、どうだろう、ここでも彼は不幸と不運にぶつかった。おばあ様は、彼の良い友だちで、母親のように好意を寄せていたのだが、彼に会ってくれなかった。気分が良くなくて、床に伏し、義務や心配ごとはすべて妹にまかせていた。この妹というのは、雨ごい師に対してまったく冷淡な気持ちをいだいており、姉のような厳格なまっすぐな性質を持たず、気晴らしや遊びごとを好む傾きがいくらかあった。この性癖が、太鼓打ちで手品師のマローを彼女に近づけた。彼は彼女に快い時をすごさせ、うまく取り入ることを心得ていた。しかもマローはクネヒトの敵だった。最初の話し合いのとき、クネヒトは、一言の反対もされなかったけれど、すぐに冷淡さと反感をかぎつけた。彼の説明や提案、つまり、種まきや、行われるかもしれない犠牲や行列はまだ待つようにということは、是認され、採りあげられたが、老女は彼を冷たく、家来でもあるかのように迎え、遇した。病気のおばあ様に会うか、せめて薬を作ってあげたいという願いは、入れられないことにきまった。悲しく、ひときわ貧しくなりでもしたように、口中に強い味を残して、話し合いからもどった。それから半月のあいだ、種まきのできるような天候を作ろうと、彼の流儀で努力した。しかし、しばしば彼の内心の流れと同じ方向をとる天候は、頑強に嘲笑的な敵意のある態度をとった。魔法も犠牲もききめがなかった。雨ごい師はやむをえず、かさねておばあ様の妹のところへ行かねばならなかった。今度は、辛抱と延期を願うようなものだった。彼はすぐに、自分と自分の用件について、彼女が道化師マローと話し合ったに違いないことに気づいた。なぜなら、種まき日をきめる必要があるか、それとも公の嘆願式を指令する必要があるかについて話し合った際、老女はあまりにも万事心得ているふうをし、かつては雨ごい師の弟子であったマローからでなければ、教えられないような表現を、二、三使ったからである。クネヒトはなお三日の猶予を懇請し、星の位置全体を新しく、今までより有利にあらわし、種まきを第三弦月の第一日ときめた。老女はそれに同意し、儀式のことばを唱えた。決定は村に伝えられ、みんな種まき祭りの準備をした。さて、しばらくは万事また順調にいくと思われたが、魔精は新たに悪意を示した。選りに選って、待望の、準備のととのった種まき祭りの前日、おばあ様が死んだ。お祭りは延期され、そのかわりに埋葬が告知され、用意されねばならなかった。それは第一級の儀式だった。村の新しい母とその妹たちと娘たちのうしろに、雨ごい師は席を占めた。大祈願行列の礼服をまとい、高いとがったキツネの皮の帽子をかぶっていた。むすこのツールーが補佐をし、二重音の堅い木の拍子木を打った。故人にも、新しいおばあ様となったその妹にも、盛んに敬意が表された。マローは、自分のひきいる太鼓隊とともに、強引に前につめかけて、注目をひき、かっさいを博した、村のものは泣き、仕事を休み、悲嘆と祭日、太鼓の音楽といけにえとを楽しんだ。皆にとって美しい日であったが、種まきはまた延期された。クネヒトは品位と沈着とを保っていたが、深く悲しんでいた。おばあ様とともに彼は自分の一生のよい時をすべて葬ってしまうような気がした。
その後まもなく、新しいおばあ様の願いにより、同様にことのほか盛大に種まきが行われた。行列はおごそかに畑のまわりを歩き、おばあ様はおごそかに最初の一握りの種を共同耕地にまいた。両側に妹たちがめいめい穀粒を入れた袋を持って歩いた。おばあ様はそれから種をすくいあげた。クネヒトは、この行事がついに終了すると、少しほっとした。
しかし、そのように鳴り物入りでまかれた種子は、何の喜びも収穫ももたらしそうになかった。恵まれない年であった。逆もどりして冬になり、寒気が再来したのを手はじめに、この春と夏の天候は、ありとあらゆる悪意と敵意を発揮した。夏になって、やっとまばらな、半分の高さの、やせた作物が畑をおおったとき、最後の最悪のものがやってきた。有史以来かつてないまったく未聞《みもん》のかんばつだった。来る週も来る週も、太陽は白っぽい熱の蒸気の中で煮えくりかえった。大きくない川はかれ、村の池は汚ない湿地だけになって、トンボや蚊の大群の天国となった。ひからびた大地には、深い裂け目ができた。収穫が枯死するのを傍観するばかりだった。時々、雲が集まったが、雷は雨をともなわなかった。一度軽いにわか雨があると、そのあと数日、ひからびさすような東風が吹いた。いくどもいなずまが高い木に落ちた。半ば枯れたこずえは、ぱっとあかあかと火をふいて燃えた。
「ツールー」とクネヒトはある日むすこに言った。「この事態はよい結果にはならないだろう。われわれは魔精をみんな敵にまわしている。流れ星とともに始まったことだ。わしの命にかかわるだろう、と思う。いいかい、わしがいけにえにされなければならないときは、お前は即刻わしの役につくのだ。そして第一に、わしのからだが焼かれ、その灰が畑にまかれるように、願うのだ。お前たちは大飢饉の冬を迎えるだろう。だが、それで災難はくじかれるのだ。村の麦畑にだれも手を出さないように、気をつけよ。それには死刑が課されねばならない。来年はよくなるだろう。新しい若い雨ごい師を迎えて、よかった、と人々は言うことだろう」
村は絶望に支配された。マローはけしかけた。しばしば雨ごい師は脅迫や呪《のろ》いを浴びせられた。アーダは病気になり、吐きけと熱に揺すぶられて寝ていた。行列も、いけにえも、心を打つ長い太鼓の合奏も、もはや何の埋合せにもならなかった。クネヒトがその指揮をした。彼の役目だったからである。しかし、人々が四散してしまうと、彼は、避けられた男として、ひとりぼっちになった。彼は、何が必要であるかを知っていた。マローが、彼をいけにえにすることを、すでにおばあ様に要求したことも、彼は知っていた。自分の名誉とむすこのために、彼は最後の処置をした。つまりツールーに大きな礼服を着せ、おばあ様のもとに連れていき、自分の後継者として推薦し、自分は辞職し、いけにえになりたい、と申し出た。老女はほんのしばし、じろじろ探るように彼を見つめたが、やがてうなずいて、同意した。
いけにえはその日のうちに執行された。村中のものが同行するところだったが、腸炎を病んでいるものが多かった。アーダも重病で寝ていた。礼服を着、高いキツネの皮の帽子をかぶったツールーは、日射病で倒れそうだった。有力者や位階のあるものはみな、病気でないかぎり同行した。ふたりの妹をつれたおばあ様、長老、太鼓隊の隊長マローなどのうしろから、群衆が雑然とついて行った。老いた雨ごい師はだれからもののしられなかった。まったく黙々と息苦しいありさまだった。森の中にはいり、円形の大きな空地を探した。クネヒト自身がそこをいけにえを行う場所にきめたのだった。たいていの男たちは石の|おの《ヽヽ》を携えていた。火葬用の薪《まき》の山を作る仕事を共にするためだった。空地に着くと、雨ごい師をまん中に立たせ、そのまわりに小さい円陣を作ったが、大衆はずっと外にもっと大きな円陣を作った。みんなが、決断のつかない当惑した沈黙を続けていたので、雨ごい師自身が口を切った。「私は皆さんの雨ごい師でした」と彼は言った。「私は多年できるだけ良く務めを果してきました。今は魔精が私に反対しているので、もはや何ひとつうまくまいりません。そこで私は自分をいけにえにすることにしました。それで魔精はなだめられるでしょう。むすこのツールーが皆さんの新しい雨ごい師になります。さあ、私を殺してください。私が死んだら、むすこのさしずどおりにしてください。ごきげんよう! 私を殺すのはだれでしょう? 太鼓打ちのマローを推薦します。彼が適任者でしょう」
彼は口をつぐんだ。だれも動かなかった。重い皮の帽子をかぶったツールーは、真っ赤になって、苦しげに円陣を見まわした。父の口は嘲るようにゆがんだ。とうとうおばあ様が激怒して足を踏み鳴らし、マローを招き寄せ、どなりつけた。「前に出よ! |おの《ヽヽ》をとって、やれ!」マローは、おのを両手にとり、昔の師の前に出た。彼はいつよりもなおいっそう師を憎んだ。この無言の老人の口もとにただよう嘲りの表情が、彼にひどい苦痛を与えた。彼はおのを持って、頭上に振りあげた。ねらいを定めながら宙に浮かして、いけにえの顔を見つめ、いけにえが目を閉じるのを待った。しかしクネヒトは目を閉じなかった。彼はびくともせず、目を開いたまま、おのを持った男を見つめた。ほとんど無表情であったが、目に見える表情といえば、同情と嘲笑《ちょうしょう》のあいだを漂っていた。
狂ったようにマローはおのを投げ捨てた。「おれにはやれない」とつぶやいて、お偉方の円陣をくぐり抜け、群衆の中に隠れた。数人が小声で笑った。おばあ様は、高慢な雨ごい師に対すると同様、臆病で、ふがいないマローに腹をたてて、青くなった。彼女は、長老のひとりに目くばせした。りっぱな静かな男で、おのにもたれ、この不快な光景を終始恥じているようだった。彼は歩み出て、いけにえに向い、ちょっと親しげにうなずきかけた。彼らは少年時代から知り合っていた。今度はいけにえは進んで目を閉じた。クネヒトは目を堅く閉じて、頭を少し垂れた。長老はおので彼を打った。彼はばったり倒れた。新しい雨ごい師、ツールーは、一言も口をきくことができず、ただ身振りで必要なさしずをした。まもなく薪の山が築かれ、死人がその上に寝かされた。二本の神聖な木で火の穴をあけるおごそかな儀式が、ツールーの最初の勤めだった。
[#改ページ]
ざんげ聴聞師
聖ヒラリオンが、すでに高齢ではあったけれど、まだ生きていたころのことであった。ガザの町に、ヨゼフス・ファムルスという名の男が暮していた。三十歳まで、あるいはそのさきまで、世俗の生活を送り、異教の書物を研究したが、それから、ある女性のあとをつけているうち、その人によって、神の教えとキリスト教の徳の甘美さを教えられ、神聖な洗礼を受け、罪を断つ誓いを立て、数年間自分の町の司祭の足もとにすわり、特に、荒野の敬虔《けいけん》な隠者の生活を書いた、非常に愛読された物語を、熱中して聞いたが、ついに、三十六歳のころ、ある日、聖パウルとアントニウスが先に立って進んで以来、多くの敬虔な人々が踏み入った道に進んだ。つまり、財産の残りは長老たちに渡して、町の貧乏人たちに分けてもらうことにし、城門のそばで友人たちに別れを告げ、町から荒野へ、卑しむべき俗世からざんげ者の貧しい生活へと、さすらい出た。
多年、彼は太陽に焼かれ、ひからびた。岩と砂の上で祈りながらひざをこすり、断食し、日没を待ってから、数個のナツメヤシをかじった。悪魔は誘惑と嘲《あざけ》りと試練をもって悩ましたが、彼は祈りとざんげと献身とをもってこれを打ち負かした。それは逐一、聖なる教父の伝記に描かれているとおりである。幾夜も彼はまんじりともせず星を見あげた。星も彼を誘惑し混乱させた。彼は星座の形を理解した。神々の物語や人間性の象徴をそこに読むことを、かつて学んだからである。それは、司祭たちが毛ぎらいする学問であったが、異教徒時代の空想と思想とでもってなお長いあいだ彼を悩ました。
その地方で、不毛の荒野のただ中に、泉や、一握りの緑や、大小のオアシスがぽつんとある所には、どこでも、当時隠者が暮していた。まったく独りのものも少なくなかったし、ささやかな修道団を作っているものも少なくなかった。ピザの墓地に描かれているとおりである。いずれも、貧困と隣人愛を実践し、あこがれのアルス・モリエンディ、すなわち死ぬ術、俗世と自我から死別して、救世主のもとへ、光と不朽のものの中へ死んでいく術の達人であった。彼らは天使と悪魔とに訪《おとな》われ、讃美歌を作り、魔精を追い出し、人を癒《いや》し、祝福を与えた。そして、過去と未来の多くの時代の世俗的快楽や、粗野な行いや、官能の欲望を、感激と献身の大波によって、俗世の放棄を忘我的に高めることによって償うことを、一身に背負いこんでいるように見えた。彼らの中には、古い異教的な浄化術を、数百年来アジアで高度に発達した霊化の方法と修業を身につけているものも、少なくなかったらしいが、そのことは語られなかった。それらの方法やヨーガ〔瑜伽〕修行は、実際は、もはや教えられず、禁制に付されていた。キリスト教は、異教的なものはすべて次第に禁制にしていったのである。
これらのざんげ者の多くは、はげしい生活のため特別な能力を養われた。祈る力、手をのせて癒す力、予言の力、悪魔を払う力、裁判し罰する力、慰め祝福する力を養われた。ヨゼフスの中にも一つの能力が眠っていた。年とともに頭髪が色あせ始めたころ、その能力が徐々に花を開いた。それは、聞きとる能力だった。移住者部落のどこかから修道者が、あるいは、良心の不安に駆られた世俗の人が、ヨーゼフ〔ヨゼフス〕のもとに現われて、その行為や、苦悩や、誘惑や、あやまちを打ち明け、生涯を、善を求める戦いと敗北を、あるいは損失と苦痛や悲しみなどを物語ると、ヨーゼフはその人の話を聞き、耳と心を開いて、その人にささげ、その苦悩と憂慮とを受け入れ、いたわり、苦しみをなくし、安心させて帰らせることを心得ていた。長いあいだに徐々にこの仕事が彼をとりこにし、道具にし、人々の信頼する耳にしてしまった。ある種の忍耐、吸いとる受け身の態度、秘密を守る口の堅さなどが、彼の美徳であった。心を打ち明け、積る煩悶《はんもん》を払い落すために、彼のところに来る人々は、いよいよ数しげくなった。それらの人たちの中には、彼の蘆《あし》の小屋まではるばる歩いてこなければならなかったのに、到着して、あいさつした後、すらすらと思いきって告白することができず、もだえ恥じ、自分の罪をもったいぶり、嘆息し、長いあいだ幾時間も黙っているものが、少なくなかった。相手が進んで話そうが、いやいやながら話そうが、すらすらと話そうが、つかえがちに話そうが、秘密を狂おしく投げ出そうが、もったいぶろうが、ヨーゼフはだれに対しても、同じような態度をとった。相手が神を責めようが、自分自身を責めようが、自分の罪や悩みを大げさに言おうと、控えめに言おうと、殺人をざんげしようと、みだらなことをざんげしようと、そむいた愛人を嘆こうと、魂の救済をふいにしたことを嘆こうと、ヨーゼフにとってはだれも同じことだった。だれかが魔精との親交を物語ろうと、悪魔と君ぼくの関係にあるらしく見えようと、彼はびくともしなかった。また、だれかが長々といろいろのことを語りながら、明らかに肝心な点を隠していようと、彼は不快な顔をせず、だれかが空想的な作りごとの罪を犯したと言っても、彼はじれったがりはしなかった。彼のところへ持ちこまれる嘆きや、告白や、訴えや、良心の苦しみなどはすべて、水が砂漠の砂に吸われるように、彼の耳の中にはいっていくように見えた。彼はそれを批判せず、ざんげ者に対し同情もけいべつも感じないように見えた。それにもかかわらず、あるいは、おそらくそのためにこそ、彼に向ってざんげされたことは、むなしいことばの浪費にはならず、話しているうちに、聞かれているうちに、変えられ、軽くされ、溶かされるように見えた。訓戒や警告を与えることは、ごくまれで、忠告や命令を与えることはなおさらまれだった。それは彼の役目ではないように見えた。話すほうでも、それは彼の役目でない、と感じているように見えた。彼の役目は、信頼の念を起させ、信頼を受け、辛抱強く、愛情をこめて傾聴し、まだ形になりきっていないざんげを完全な形にするよう助けてやり、心の中に積み重なって、かさぶたのできてしまったものを流出させるように仕向け、それを受け入れて、沈黙の中に包んでやることであった。ただ、恐ろしいざんげにせよ、無邪気なざんげにせよ、深い悔恨のざんげにせよ、うわの空のざんげにせよ、ざんげが終ると、ざんげ者を彼は必ず自分のそばにひざまずかせ、主の祈りを祈ってやり、ひたいにキスをしてやってから、帰らせた。罪の償いと罪を課すことは、彼の役目ではなかった。本来の司祭の行う免罪言い渡しをする権限も、自分にはないと感じていた。罪を裁《さば》き許すことも、彼のなすべきことではなかった。傾聴し理解することによって、共に罪を受け入れ、背負う助けになるように思われた。沈黙することによって、聞いたことを沈めて、過去の手に引き渡すことになるように見えた。ざんげのあとで、ざんげ者と共に祈ることによって、彼は相手を兄弟として、仲間として迎え、認めることになるように思った。キスすることによって、司祭としてより兄弟として、儀式によるより愛情によって、相手を祝福することになるように思った。
彼の評判はガザの周辺全体にひろまった。彼は広く知られ、ときには、尊い偉大なざんげ聴聞師《ちょうもんし》である隠者ディオン・プギルと並び称せられた。もちろんプギルの評判は、もう十年も古く、まったく別な能力と習慣にもとづいていた。そもそもディオン師が有名になったのは、彼に告白をする人の心を、語られたことばより、なおいっそう鋭く早く読むことを心得ていたので、ためらいがちにざんげしているものに向って、頭ごなしに、まだざんげしていないことを言って、しばしば相手を驚かす、というふうだったからである。この心霊通については、ヨーゼフも驚くべき話をたくさん聞いていた。この人に自分を比べることなど、思いもよらなかった。とにかくディオン師も、迷える魂にとって、神の恵みを受けた助言者であり、偉大な裁き手であり、処罰者であり、世話役であった。すなわち、彼は罪の償いや、禁欲や、巡礼を課し、結婚を成立させ、敵同士をいやおうなしに和解させた。彼の権威は僧正のそれに匹敵した。彼はアスカロン〔今日のイスラエルにある地中海岸の地名〕の近くで暮していたが、イェルサレムからさえ、いや、もっと遠い土地からさえ、願いごとをする人が訪れた。
ヨゼフス・ファムルスは、大多数の隠者やざんげ者と同様、はげしい、心身をすりへらすような戦いを長いあいだ経てきた。たとえ俗世の生活を捨て、財産と家を放棄し、世俗や官能の快楽へ誘うものの多種多様にある都会を離れてきたとは言え、自分自身を捨ててくるわけにはいかなかった。彼の中には、人間を困難や誘惑に陥《おとしい》れる可能性のある心身の本能が残らず存在していた。彼はこれまでまず何よりも肉体と戦ってきた。肉体に対し厳《きび》しく仮借のない態度をとり、肉体を寒暑、飢渇に慣れさせ、傷あとやすわりだこに慣れさせたので、ついに肉体は徐々に枯れしぼんだが、それでもなお、やせた禁欲者の肉体の中では、昔ながらのアダムがたわけはてた欲情や夢やまやかしによって、彼に不意打ちをし、腹だたしい思いをさせ、いまいましがらせた。確かに、悪魔は世捨て人やざんげ者に対してはまったく特別に気をくばるものだ、ということをわれわれは知っている。こういうときたまたま、慰めを求めるものや、ざんげを必要とするものがヨーゼフを訪れると、彼はそこに、神の恵みの声を認めて感謝し、同時にざんげ者の生活の安らかさを感じた。つまり、自分自身を越える意味と内容を与えられ、一つの役目を授けられ、他の人々に仕えたり、道具となって神々に仕えたりして、魂を自分のもとに引き寄せることができたのである。それはすばらしい、真に心を高めるような気持ちであった。しかし、そうやっているうちに、霊の宝も現世のもので、誘惑や|わな《ヽヽ》になる可能性のあることがわかった。すなわち、たびたびそういう旅人が歩いてきたり、馬で来たりして、彼の岩の洞穴《ほらあな》の前にとまり、一杯の水を求め、それからざんげを聞いてもらいたいと頼むと、ヨーゼフは満足と快感に見まわれるのであった。それは、自分自身悦に入る快感、虚栄、自己にちやほやする心であって、それに気づくやいなや、彼は深く驚くのだった。しばしば彼はひざまずいて神に許しを願い、自分のようにあさましいものの所へ、近隣のざんげ修道者の小屋や俗世の村や町から、ざんげ者が来ないように、と願った。しかし、そうはいっても、ほんとにざんげ者が時折り来なくなると、大いにぐあいがよくなるというわけではなかった。そのあとでまたおおぜいざんげ者が来ると、彼は新しい罪を犯したことに気づいて、はっとするのだった。というのは、今度は、あれやこれやの告白を聞いている際、冷淡さや無情、いや、けいべつの心の動くのを、ざんげ者に対して感じたのである。溜息《ためいき》をつきながら、彼はこの戦いをも背負いこんだ。ざんげを聞いた後、いつも独りで慢心を押え、償いの修行をする時代があった。そればかりでなく、ざんげ者のすべてを単に兄弟のようにではなく、一種特別の敬意をもって取り扱うのを、しかも、そういう人の人柄が彼の気に入らねば入らないほど、いよいよそうするのを、法則とした。つまり彼は彼らを、自分をためすために送られてきた神の使者として迎えた。それで年がたつにつれ、もう老境にはいりかけてからであるから、ずいぶん遅いのであるが、生活の仕方に一種の均衡を見いだした。そのため、彼の近くで暮している人々にとっては、彼は、平和を神の中に見いだした、非の打ちどころのない人であるように、思われた。
しかし、平和も、生きているものであり、生きているすべてのもののように、大きくなったり、やせたり、順応したり、試練に耐えたり、変化を経験したりしなければならない。ヨゼフス・ファムルスの平和も同様だった。それは不安定で、あるときは目に見え、あるときは見えず、あるときは、手に持っているロウソクのように近く、あるときは冬空の星のように遠かった。時とともに、特別な新しい種類の罪と誘惑が彼の生活をいよいよ困難にした。それは本能の強い情熱的な動揺、いらだち、あるいは反抗ではなくて、むしろその反対であるように思われた。最初の段階ではごく容易に耐えられるばかりか、ほとんど知覚されないくらいの感情、本来の苦痛や不如意を伴わない状態、気の抜けた、なまぬるい、退屈な精神状態で、喜びの影が薄くなり減少し、ついに欠如するというふうに、消極的にだけ、言い現わせるにすぎなかった。ちょうど、太陽も輝かないが、大雨が降りもせず、空がじっと沈んで、陰にこもり、灰色ではあるが、黒くはなく、蒸し暑くはあるが、雷雨をはらむには至らない、そういった日があるように、老いたヨーゼフの日々も、次第にそんなふうになった。朝と晩が、祭日と普通の日が、飛躍のときと沈痛のときが、いよいよ区別できなくなり、すべてが無気力な疲労と不興のうちに惰性的に経過した。これは年だ、と彼は悲しげに考えた。悲しかったというのは、彼は、年をとり、本能や煩悩《ぼんのう》が次第に消えると、生活が明るく軽くなり、待望の調和と、円熟した魂の静安に向って、一歩前進できると期待していたのに、年がもたらしたものは、この疲れた、灰色の、喜びのない荒涼さや、この癒《いや》しがたい食傷感にすぎなかったので、年というものに、今では幻滅を感じ、だまされたように思われたからである。とりわけ彼は、単なる生存に、呼吸に、夜の眠りに、小さいオアシスの端にある洞穴の中の生活に、晩になり朝になるはてしない反復に、旅人や巡礼やラクダに乗った人やロバに乗った人や、とりわけ彼自身を目ざして訪《たず》ねて来る人々や、彼に自分の生活や罪や不安や誘惑や自責を語ることを願いとしている、あの愚かしい、不安に満ちた、同時に子どもっぽく信じやすい人々に、飽き飽きした。彼には、時々こんなふうに思われた。ちょうどオアシスで小さい泉の水が石の水盤に集まり、草の中を流れて、小さい川をなし、やがて砂漠の砂の中に流れ出し、そこで少し流れてから、かれて消えてしまうように、これらのざんげも、罪の目録も履歴も良心の苦しみも、大小を問わず、虚実を問わず、幾十、幾百となく、絶えず新しく、彼の耳の中に流れこんできた。しかし、耳は、砂漠の砂のように死んではおらず、生きており、はてしなく飲みこみ、吸いこむことはできないので、疲れ、酷使され、充満されすぎたように感じて、ことばや告白や憂慮や訴えや自責の流れや絶え間ない愁訴がいつかはやんでくれればよい、このはてしない流れのかわりに、いつか平安と静寂が来てくれればよい、と切望した。実際、彼は終末を願った。疲れて、もう飽き飽きした。彼の生活は味気なく、値打ちのないものになってしまった。それが高じて、ちょうど裏切り者ユダが首をくくったときしたように、自分の生存に終止符を打ち、自分を罰し、消滅したい、と心をそそられることが、時々あった。ざんげ者の生活の初期の段階では、悪魔が彼の魂の中に官能や世俗の快楽の願望や空想や夢をこっそり持ちこんだが、今では自殺の観念を持って訪れるようになったので、木の枝を見るごとに、首をくくるのに適しているかどうかを、あたりのけわしい岩を見るごとに、飛びおりて死ぬのに十分のけわしさと高さがあるかどうかを、調べずにはいられなかった。彼はその誘惑に抵抗した。彼は戦った。屈服はしなかったけれど、昼も夜も自己憎悪と死の欲望との猛火の中に生きた。生きることは耐えがたく、憎むべきものとなった。
ヨーゼフはこんなところにまできてしまった。ある日、またあの岩の丘に立っていると、はるか天と地とのあいだに二つ三つの小さい姿が現われるのが見えた。明らかに旅人で、巡礼かもしれなかったし、彼の所でざんげするために訪れようとする人々かもしれなかった。突然、彼はすぐに大急ぎでここを逃げ出したい、この土地を去り、この生活を離れたい、という逆らいがたい願いにとらえられた。その願いは圧倒的に強く、衝動的に彼をとらえたので、いっさいの考えや反対や懸念《けねん》を踏みにじり、一掃してしまった。もちろん、そういう考えや反対が心に起らなかったわけではない。敬虔なざんげ者なら、良心のうずきなしに、どうして衝動に従うことができたろう? 早くも彼は走って、洞穴に、多年戦い通した住み家に、多くの得意な気持ちと敗北とを受け入れる容器だった所にもどった。無我夢中のせわしさで、ナツメヤシの実を手に二、三杯と、水を入れたヒョウタンを用意し、古い旅行袋に詰めこんで、肩にかけ、杖《つえ》を取って、緑の平和に囲まれた小さい故郷を去った。神と人間とから逃《のが》れ、何よりもかつては自分の最上のもの、自分の役目、使命と考えたものから逃れて、安らかさを失った逃亡者となったのである。初めは追い立てられているように逃げた。岩の上から認めた、あの遠くに現われた姿が、実際迫害者であり、敵であるかのようであった。しかし、歩き出した最初の一時間のうちに、びくびくした気ぜわしさは消え、運動が快く彼を疲れさせた。最初の休息のあいだ――彼は弁当を食べなかった。日没前には食事をしないことが、神聖な習慣になっていた――早くも、孤独な思索の修練を積んだ彼の理性が、再び目ざめて、衝動的な行動を打診し吟味し始めた。この行動はどんなに非理性的に見えようとも、理性はそれを否認せず、むしろ好意をもって見た。というのは、ずいぶん久しぶりに、理性は彼の行為を邪意邪心のないものと認めたからである。彼が行なったのは、逃走であった。いかにもだしぬけの無思慮な逃走であったが、恥ずべき逃走ではなかった。もはやその任に耐えなくなった持ち場を捨てたのだった。脱走によって、自分自身と、自分に注目している人とに、自分の無力を告白し、毎日くり返されている無益な戦いを放棄し、敗北者、落伍者《らくご》であることを自認したのである。理性の認めたところでは、それはすばらしいこと、英雄的なこと、聖者らしいことではなかったけれど、誠実なことであり、避けがたいことであるらしかった。こんなに遅くなって初めてこの逃走の途にのぼったこと、こんなに長いあいだ、ひどく長いあいだ我慢したことを、彼は今われながらいぶかしく思った。こんなに長いあいだ最前線で戦ってきた戦闘や抵抗を、いま彼は、一つの迷いだったと、彼の利己心の、昔ながらのアダムの戦いとけいれんだったと感じた。そして、この反抗がなぜこんな悪い悪魔的な結果になったか、こんな分裂と虚脱と、いや、死や自殺に対する願望に無気味にとりつかれた状態に、なぜ陥ってしまったかが、今やっとわかるように思った。なるほどキリスト者は、死の敵であってはならないし、ざんげ者や聖者は、生をあくまで犠牲と見なければならなかった。しかし、自殺を考えることは、まったく悪魔的な考えであり、天使に代って、悪魔が主人となり番人となっているような心にのみ生じうるのであった。しばらく彼はまったくがっかりし、途方に暮れていたが、数マイル歩いた距離から、過ぎ去ったばかりの生活が目に見え、意識されるようになると、ついには深い悔恨にさいなまれ、心を揺すぶられた。それは、目標をあやまり、救世主の裏切り者ユダのように木の枝で首をくくろうという恐ろしい誘惑に絶えず悩まされた、老いゆく人間の、絶望的な、追い立てられた生活であった。自殺を彼がひどく恐れたとすれば、その恐れの中にはもちろん、古代の、キリスト以前の古い異教徒的知識の名残《なご》りが出没したからである。つまり、王や聖者や種族の粋とされたものが人身御供《ひとみごくう》に選ばれるという、太古の習慣を知っており、しかもその犠牲をしばしは自分の手で行わねばならぬと考えられていたことを知っていたからである。厳禁された風習が異教的古代からひびいてきたことばかりでなく、救世主が十字架で受けた死も、結局自発的な人身御供にほかならなかったという考えが、それ以上に恐れをかきたてたのであった。実際、よく考えてみると、この意識の予感は、自殺を欲するあの心の動きの中にすでに存在していたのであった。それは、自分自身を犠牲にし、それによって実際は、許されない方法で救世主の模倣をしよう――あるいは許されない方法で、救世主は救いの事業に完全に成功したわけではないということを、ほのめかそうという、反抗的に意地の悪い野蛮な衝動であった。そう考えると、彼は深く驚いたが、今はこの危険をも脱した、と感じた。
長いあいだ、彼は、自分というものの転身であるざんげ者ヨーゼフを観察した。ヨーゼフは、ユダにも、十字架にかかった人にも従わず、逃走して、改めて神の手にみずからをゆだねたのであった。自分の逃れてきた地獄をはっきりと認めれば認めるほど、恥ずかしさと悲しさが彼の心中につのった。ついには、みじめさが、息を詰らす食物のように、のどにふさがって、耐えがたい切なさにつのり、突然どっとあふれる涙に、はけ口と救いとを見いだした。すると、彼は不思議に快く感じた。ああ、なんと久しいあいだ泣けなかったことだろう! 涙は流れ、目にはもはや何も見えなくなったが、死にそうな息苦しさは除かれた。われに返って、くちびるに塩っからい味を感じ、自分は泣いたのだということを悟ると、一瞬間、子どもに返り、邪心がなくなったような気がした。彼は微笑し、泣いたことを少し恥ずかしく思ったが、ようやく立ちあがって、旅を続けた。不安な気持ちになって、どこへ逃げたらよいのか、自分をどうしたらよいのか、わからなくなって、子どものような気がしたが、心の中にはもはや戦いも意欲もなくなり、ずっと軽い気分になり、導かれているような、遠い親切な声に呼ばれ誘われているような、自分の旅は逃走ではなくて、帰郷であるかのような気分になった。彼は疲れた。理性も疲れて、沈黙した。理性は休息してしまったか、あるいは、あってもなくてもよい、という気になったのだ。
ヨーゼフが夜を明かした水飲み場に、ラクダが数頭休んでいた。ささやかな旅の一行には、婦人もふたりいたので、彼は会釈《えしゃく》の身振りだけして、話を交わすことは避けた。そのかわり、暗くなると、数個のナツメヤシを食べ、祈りをし、横になってから、老人と年下の男とのあいだの小声の会話を聞くことができた。このふたりは彼のすぐ近くに寝ていたからである。聞えたのは対話の一断片だけだった。あとはささやかれたにすぎなかった。しかし、このささやかな断片が彼の注意と関心を引きつけ、半夜のあいだ彼を考えさせた。「結構だよ」という老人の声が聞えた。「結構だよ。敬虔《けいけん》な人のところへ行って、ざんげしようというのは。そういう人たちには何でもわかるんだよ。単にパンを食うというより以上のことができる。魔術を知っているものも少なくない。飛びかかってくるライオンに一言呼びかけると、さすがの猛獣もうずくまり、尾を巻いて、こそこそと逃げる。ライオンを馴《な》らすことだってできるんだよ。そのひとりは、特別の聖者だったが、おなくなりになると、その手で馴らされたライオンたちが、その方のために墓を掘って、その方の上にまた土をきれいにかけた。そして二頭のライオンが長いあいだいつも昼夜お墓の番をした。この人たちが馴らすことのできたのは、ライオンばかりではない。そういう方のひとりが、あるとき、ローマの百人隊長で、むごい野獣のような軍人で、アスカロンきっての女郎買いだった男を、問いただし、そいつの悪い心をねじあげると、そいつは小さくなってネズミのようにおどおどと逃げ出し、隠れる穴を探した。その後そいつは見違えるほどおとなしく小さくなった。もらろん、そしてここが考えさせられるところだが、その人はまもなく死んだ」
「聖人が?」
「いやいや、百人隊長がだよ。ヴァロという名だった。ざんげ僧にきめつけられて、良心をさまされてからは、どんどん衰弱して、二回発熱し、三カ月後には死んでしまった。なあにかわいそうなことはない。だが、いずれにしても、わしはよく考えるのだが、あのざんげ僧は、百人隊長から悪魔を追い出したばかりでなく、彼を地下に葬るような文句を唱えたんだろう」
「そんなに敬虔な人が? そんなことは信じられません」
「信じようが信じまいが、その日からその人は変ってしまったようだった。魔法にかけられたとは言わないまでも、そして三カ月後には……」
しばらく声がやんだが、やがて年下のほうがまた言い始めた。「ひとりのざんげ僧がいて、どこかこの近くに暮しているはずです。独りきりで、ガザへ通じる道のほとりの小さい泉のそばに住んでいるとのことです。ヨゼフスと、ヨゼフス・ファムルスという名です。その人のことを私はいろいろと聞いております」
「そうかい。いったいどんなことを?」
「おそろしく敬虔で、特に女を決して見ない、という話です。彼の住む辺鄙《へんぴ》な所を数頭のラクダが通過することがあって、その一つに女が乗っていると、どんなに厚く薄ぎぬをかぶっていようと、彼は背を向けて、すぐ岩のはざまに姿をくらまします。彼のところにたくさんの人が、実にたくさんの人がざんげしにいきました」
「そんなにたいそうなことはあるまい。さもなければ、わしだってその人のことを聞いているはずだ。ところで、その人は、君のファムルスという人は、いったい何ができるんだね?」
「そうですよ。ざんげに行くんです。よい人でなかったら、何でもわかる人でなかったら、みんなが出かけてはいかないでしょう。それはそうと、その人はほとんど一言も言わず、しかったり、どなりつけたりすることもないそうです。罰とか、それに類するものは何もなく、穏やかな、それどころか内気な人だそうです」
「そうかい。それで、しかりもせず、罰しもせず、口も開かないとしたら、いったい何をするのかね?」
「ただ傾聴し、不思議な溜息《ためいき》をし、十字を切るんだそうです」
「おや、なんだい。お前さんたちのはそりゃ本当のもぐり聖者だ! お前さんは、まさかそんな口をきかないおじさんの後を追うなんて、ばかなまねはしないだろうね」
「どういたしまして。そうするんです。きっと見つかるでしょう。ここから遠くはないはずです。今水飼い場のへんに貧しい修道者がいました。あの人に明朝きいてみます。あの人自身ざんげ者のようです」
老人はかんかんになった。「泉のざんげ者は洞穴の中にうずくまらせておくがよい! ただ傾聴し、溜息をつき、女をこわがるだけで、何もできず、何もわからない男なんか! いや、だれのところに行くべきか、教えてやろう! なるほどここからは遠く、アスカロンのもっと向うにいるのだが、そのかわり、およそこのうえなくすぐれたざんげ僧、ざんげ聴聞師だ。ディオンという名で、ディオン・プギルと呼ばれる。拳闘家という意味だ。あらゆる悪魔と格闘するからだ。だれか恥ずべき行為をその人にざんげするものがあると、プギルは溜息をついたり、口をつぐんだりせず、堂々と話しかけ、したたかにさびを落してやる。さんざんになぐりつけたことも少なくないそうだ。ある人を彼は一晩じゅう、裸で石のあいだにひざまずかせ、その上でなお、貧しいものに四十グロッシェン与えよ、と命令なさった。これこそ人物だよ。会ったら、驚くだろう。あの人にまともに見られると、もうお前さんの骨がぐらぐらする。その人は底の底までもう見抜くんだ。溜息なんかつきやしない。心の中に押えているんだ。よく眠れないとか、悪い夢や幻などを見るとかいう人があると、プギルがちゃんと立てなおしてくれるんだよ。女たちがあの人についておしゃべりをするのを聞いたから、わしはお前にこういう話をするわけではない。わし自身、あの人の所に行ったことがあるから、言うのだ。まったくわし自身がだよ。わしは哀れなやつにすぎんけれど、ざんげ僧ディオンを、あの拳闘家を、神の人を訪ねたことがあるんだ。行くときはみじめで、良心に恥とけがればかりいだいていったのだが、立ち去るときは、明けの明星のように明るく清らかになっていたよ、まったくかけ値なしに。おぼえておくがよい。姓はディオン、あだ名はプギルだ。できるだけ早く、訪ねるがよい。奇蹟を経験するよ。知事や長老や僧正もあの人のもとに知恵を借りに行っている」
「ええ」と相手は言った。「またいつかその地方に行くことがあったら、考えてみます。しかしきょうはきょう、ここはここです。私はきょうはここにいるんですし、この近くに、たくさんのよい評判を聞いているあのヨゼフスがいるに違いありませんから……」
「よい評判だって! なんだってお前さんはこのファムルスにほれこんでしまったんだね?」
「あの人がののしったり、乱暴をしたりしないことが、私の気に入ったんです。それが気に入ったのだと、言わずにはいられません。私は百人隊長でも、僧正でもありません。私はささやかな人間で、どちらかと言えば、内気です。火や硫黄にはあまり耐えられません。穏やかに触れられると、なんとも逆らえないんです。私はそんなふうなたちです」
「そういうのが好きな人も少なくないようだな。穏やかに触れるってのがね! お前さんがざんげをし、償いをし、罰を受け、自分を清めた場合は、そりゃ、穏やかに触れられてしかるべきかもしれない。しかし、お前さんがオオカミのようにけがれ、悪臭を放ちながら、ざんげ聴聞師や裁判官の前に立つ場合は、別だ!」
「そりゃ、そりゃ。そんなに大声を出すのはよしましょう。皆さん眠ろうとしているんですから」
突然、彼はおもしろそうにくすくす忍び笑いをした。「それはそうと、その人についておかしい話も聞きましたよ」
「だれについて?」
「あの人、ざんげ僧ヨゼフスについてですよ。つまり、あの人は、だれかの身の上話とざんげを聞くと、別れのあいさつと祝福をのべ、そのほか、ひたいにキスをする習慣があるんです」
「そうかい、そんなことするのかい? こっけいな癖があるんだね」
「そして女をひどくこわがるんですよ。ご承知のように。あるとき、その地方の女郎が男装して、あの人のところに行ったそうです。あの人は何も気づかず、女郎の作り話を聞きました。ざんげが終ると、あの人は女の方にかがんで、改まってキスをしました」
老人はげらげら笑い出した。相手はあわてて「しっ、しっ!」と言った。それから、しばらく半ばかみ殺したような笑いが聞えるだけで、もうヨーゼフには何も聞えなかった。
彼は空を見あげた。三日月がヤシのこずえのかげに鋭く淡くかかっていた。夜の寒さに彼は身ぶるいした。ラクダ追いたちの寝床の話は、ゆがんだ鏡でも見るように奇妙ではあるが、教えられることが多かった。それは彼自身と、彼がそむいてきた役割とを、目の前にまざまざと示した。それでは、女郎が自分をからかったのか。それはずいぶん悪いことではあったが、最悪のことではなかった。ふたりの見知らぬ男の対話を、彼は長いあいだつくづくと考えさせられた。ずっと遅くなってやっと眠れたが、それもつくづくと考えたことがむだでなかったからである。つまり、一つの結論、決心に到達したのであった。この新しい決心を胸にいだいて、彼は夜明けまでぐっすりすやすやと眠った。
彼の決心は、ふたりのラクダ追いの若いほうのが固めえなかった決心にほかならなかった。彼の決心は、例の老人のすすめに従って、プギルと呼ばれているディオンを訪ねることだった。この人のことは、ずっと前から知っていたが、昨夜ひどく印象深くその讃美を聞かされたのだった。この有名なざんげ聴聞師は、霊の裁き手は、助言者は、自分にも助言と判決と罰と道とを示してくれるだろう。神の代表者の前に出るように、この人の前に出て、その指示を喜んで受け入れよう、と彼は思った。
翌日、ふたりの男がまだ眠っているうちに、彼はもう憩《いこ》いの場を去り、骨の折れる旅をして、その日のうちに、敬虔な修道者たちの住んでいる土地に着いた。そこから普通の道を通ってアスカロンに行きつけるはずだった。
夕方、到着すると、ささやかな緑のオアシス風景が打ちとけて彼を迎えた。木のそびえているのが見え、ヤギの鳴いているのが聞えた。緑のかげに小屋の屋根の輪郭が認められ、人間の気配が感じられるように思った。ためらいながら近づくと、だれかのまなざしが自分に注がれているように思われた。立ちどまって、あたりをうかがうと、最初の木立ちの下に、幹にもたれてすわっている人物が目についた。正座している老人で、白いひげをはやし、品位はあるが厳《きび》しくこわばった顔をして、彼を見つめていた。もうしばらく見つめていたらしい。老人のまなざしは動かず鋭く、無表情だった。観察することに慣れてはいるが、好奇心も関心も持たず、人や物が近づくにまかせて、認識しようとはするが、引き寄せたり、招いたりはしない人間のまなざしのようであった。「イエス・キリストはたたえられてあれ」とヨーゼフは言った。老人はつぶやき声で答えた。
「失礼ですが」とヨーゼフは言った。「あなたは、私同様よその人ですか、それともこの美しい部落にお住まいの方ですか」
「よそのものです」と白ひげの男は言った。
「尊敬する方よ、それでは、ここからアスカロンへの道に出られるかどうか、ご存じでしょうか」
「出られる」と老人は言った。そしてゆっくり立ちあがった。いくらか手足のこわばった、やせた大男だった。彼は立って、空漠《くうばく》とした広野を見わたした。この老巨人はあまり話を交わしたがらないのだと、ヨーゼフは感じたが、もう一つ尋ねたいと思った。
「なお一つだけお尋ねするのをお許しください」彼は丁寧に言って、その男の目が遠方からまたもどってくるのを見た。冷たく注意深くその目は彼を見つめた。
「もしかしたら、ディオン師がどこにいるか、その土地をご存じでしょうか。ディオン・プギルと呼ばれている方です」
よその人はまゆを少し寄せた。そのまなざしはいっそう冷たくなった。「知っている」と老人は簡単に言った。
「ご存じですか」とヨーゼフは叫んだ。「ああ、それなら、あの人のことを話してください。私の旅はそこを、ディオン師をめざしているのですから」
大きな老人はじろじろと彼を見おろした。長いあいだ返事をせず、木の幹にもどり、またゆっくりと地面に腰をおろし、さっきすわっていたときのように、幹にもたれた。小さく手を動かして、ヨーゼフにも同様に腰をおろすように促した。ヨーゼフはおとなしくその身振りに従った。腰をおろすとき、一瞬、手足に大きな疲労を感じたが、すぐにまたそれを忘れて、注意を老人の方に集中した。老人は冥想《めいそう》にふけっているように見えた。その荘重な顔には、はねつけるような厳しい相が現われたが、その上に、もひとつ別な表情、いや、別な顔が、透明な仮面でもかぶせたように見えた。老年の孤独な苦悩の表情であったが、誇りと威厳がそれの現われることを許していなかった。
長い時間がたって、ようやく尊敬する人のまなざしは、また彼の方に向けられた。それは今度もまた非常な鋭さで彼をじろりと見つめた。突然、老人は命令するような口調で尋ねた。
「あなたはいったいだれか」
「私はざんげ者です」とヨーゼフは言った。「年久しく世捨て人の生活を営んできました」
「それは、見ればわかる。あなたはだれか、と尋ねているのだ」
「ヨーゼフと申します。姓はファムルス」
ヨーゼフが名を名のると、老人は相かわらずじっとしてはいたが、まゆをひどく寄せたので、目がしばらく見えないくらいになった。ヨーゼフの名のりに、彼は面くらい、驚いたように、あるいは失望したように見えた。あるいは、目が疲れ、注意が減退したのか、老人にありがちな衰弱の軽い発作だったのかもしれない。いずれにしても、まったく身動きもせず、目をしばらく細くしていたが、また開くと、そのまなざしは変っているように見えた。そういうことがありうるとしたら、なおいっそう年をとり、なおいっそう孤独に、石のように、傍観的になったように見えた。おもむろに彼はくちびるを開いて尋ねた。「あなたのことは聞いている。人々がざんげをしにいくのは、あなたの所か」
ヨーゼフは面くらいながら肯定した。見抜かれたのを、無理に裸にされたように感じ、またまた自分の評判に出くわしたのを恥ずかしく思った。
重ねて老人はぶっきらぼうに尋ねた。「それでは今はディオン・プギルを訪ねるつもりか。何を望むのか」
「ざんげしたいのです」
「何を期待するのか」
「わかりません。あの方を信頼しているのです。上からの声や導きが私をあの方のところへ行かせるようにさえ、思われます」
「ざんげしてしまったら、どうするのだ?」
「そしたら、あの方の命令することをします」
「もし彼があなたに何かまちがったことを、すすめるか、命令したら」
「まちがっているかいないかを、私は吟味せずに、従うでしょう」
老人はもう一言も発しなかった。太陽は低く沈み、鳥が木の葉の中で鳴いた。老人が無言でいるので、ヨーゼフは立ちあがった。おずおずと彼はもう一度自分の願いに立ち返った。
「あなたは、ディオン師に会える所をご存じだと、おっしゃいました。その土地の名を聞かせ、そこへ行く道を示していただけませんか」
老人はくちびるを寄せて、かすかに微笑した。
「あの人はあなたを歓迎する、と思うのか」と彼は穏やかに言った。その問いに不思議にはっとして、ヨーゼフは返事をしなかった。彼は面くらって立っていた。
やがて彼は言った。「せめてあなたにまたお目にかかれるでしょうか」
老人はあいさつするような身振りをして、答えた。「わしはここで眠り、日の出の少し後までここにいる。さあ、行きなさい。あなたは疲れて、空腹でいる」
ヨーゼフはうやうやしくあいさつをして先へいき、たそがれの迫るころ、小さい部落にはいった。ここには、修道院と同様に、いわゆる世捨て人が住んでいた。さまざまの町や村落からきたキリスト者で、この人里はなれた所に住み家を作り、妨げられないように、静寂と冥想の、簡素で純粋な生活にふけっていた。人々はヨーゼフに水と食物と寝床を与えた。ひどく疲れているらしいので、尋ねたり、話しかけたりすることを控えた。ひとりが夜の祈りを唱えると、他の人たちがひざまずいてそれに加わり、みんないっしょにアーメンを唱えた。こういう信心深い人々の集まりは、ほかのときだったら、彼にとって一つの体験と喜びになっただろうが、今はただ一つのことしか念頭になかった。翌朝早く、昨日老人に別れた所へ、彼は急いで引き返した。老人は薄いむしろにくるまって、地面に横になって眠っていた。ヨーゼフはわきの木立ちに腰をおろして、老人が目をさますのを待った。まもなく眠っていた人はもそもそして、目をさまし、むしろから脱け出し、だるそうに立ちあがり、こわばった手足を伸ばし、それから地面にぬかずいて、お祈りをした。老人がまた立ちあがったとき、ヨーゼフは近よって、無言でお辞儀をした。
「もう食事をしたかい?」とよその人は尋ねた。
「いいえ、私は日にただ一度、日没後初めて食事をすることにしております。あなたはおなかがすいておりますか」
「わしたちは旅をしている」と相手は言った。「ふたりとももう若者ではない。出かける前に一口食べたほうがいい」
ヨーゼフは袋を開いて、ナツメヤシをすすめた。昨夜泊めてくれた親切な人々からも、キビのパンをもらってきていたので、それも老人と分けた。
「出かけよう」と老人は、ふたりが食べてしまうと言った。
「ほんとにいっしょに行くんですか」とヨーゼフは喜んで叫んだ。
「もちろん。お前は、ディオンのところへ連れていってくれ、と頼んだじゃないか。さあ、おいで」
驚いてうれしそうにヨゼーフは老人を見つめた。「あなたはなんと親切なんでしょう」と叫んで、彼はあふれる感謝のことばを発しようとした。しかし、よその人はけわしく手を動かして、相手を沈黙させようとした。
「親切なのは神さまだけだ」と老人は言った。「さあいこう。わしがお前と言うように、わしにもお前と言っておくれ。ふたりの老いたざんげ者のあいだで形式や礼儀が何になろう?」
大男は歩き出した。ヨーゼフはあとに続いた。夜が明けていた。先達《せんだつ》は、方向と道を確かに知っているらしく、昼ころには日かげの場所にたどりつけるから、いちばん日照りの強い数時間のあいだそこで休息することができよう、と約束した。それ以上は途中、話をしなかった。
暑い数時間の後、休息場に着き、割れた岩のかげで休んだとき、初めてヨーゼフは先達に話しかけた。ディオン・プギルのところへ行くのには、幾日歩けばよいだろうと、尋ねたのである。
「お前次第だよ」と老人は言った。
「私次第?」とヨーゼフは叫んだ。「ほんとに私次第だというなら、きょうのうちにもあの人の前に立ちたいんです」
老人はまだ話をする気にならないらしかった。
「そのうちわかる」と彼は簡単に言って、横になり、目を閉じた。老人がまどろんでいるのを見るのは、不快だったので、ヨーゼフはそっと少しわきにさがって、横になると、思いがけず眠りこんでしまった。昨夜、横になったまま長いあいだ起きていたからである。先達は、出発の時間が来たらしいと思うと、彼を起した。
午後遅く彼らは、水や木立ちがあり、草のはえている宿営地に着いた。ここで彼らは水を飲み、からだをぬぐった。老人はここに泊ることにきめた。ヨーゼフはしかし同意せず、おずおずと異議を唱えた。
「お前は、きょう、ディオン師のところに早く着くか遅く着くかは私次第だ、と言いました。私はまだ幾時間でも歩きますよ。ほんとに今明日中にあの人のもとにたどりつけるものなら」
「いやいや」と老人は言った。「きょうは十分歩いた」
「ごめんなさい」とヨーゼフは言った。「しかし、私のあせっている気持ちがわからないんですか」
「わかるよ。だが、あせったって何の役にもたたない」
「じゃ、なぜお前次第だって言ったんですか」
「わしの言ったとおりさ。ざんげする意志が確かになり、ざんげする用意ができ、そこまで心が熟すれば、いつだってざんげできるだろう」
「きょうでも?」
「きょうでも」
驚いてヨーゼフは、静かな老人の顔をのぞきこんだ。
「ほんとうですか」と彼はたじたじとなりながら叫んだ。「お前がディオン師その人ですか」
老人はうなずいた。
「この木の下でゆっくり休みなさい」と彼は打ちとけて言った。「だが、眠らないで、心を落ちつけなさい。わしもゆっくり休んで、心を落ちつける。そしたら、お前の言いたいと思うことを言うがよい」
こうしてヨーゼフは突然目標に達したことを知った。そして、尊敬する人とともにまる一日歩きながら、なぜもっと早くその人を見抜き、その心を悟らなかったのかと、理解に苦しんだ。彼は引きさがって、ひざまずき、祈り、ざんげ聴聞師に言うべきことに、いっさいの考えを集中した。一時間たってから、彼はもどってきて、用意はよいかと、ディオンに尋ねた。
いよいよざんげすることを許された。年来の生活と、もう久しく次第に価値と意義を失ったように思われたことのいっさいが、いま彼のくちびるから、物語として、嘆きとして、問いとして、自責として流れ出た。心を清浄にするつもりで企てられたのであるが、最後にはひどい混乱と昏迷《こんめい》と絶望になってしまったキリスト者としての、ざんげ者としての生活の一部始終であった。いちばん新しい体験も隠しはしなかった。逃走と、この逃走によって得られた離脱と希望の感情、ディオンのところへ旅しようという決心の起り、彼とのめぐり合いなどを語り、年長のディオンに対しすぐに信頼と愛をいだいたが、この一日のあいだいくども彼を、冷たく、風変りで、気まぐれだと判断した次第をも語った。
話し終えたとき、太陽はもう深く傾いていた。老ディオンは、疲れを知らぬ注意深さで傾聴し、中断したり、質問したりすることは、いっさいさし控えた。ざんげが終った今も、彼のくちびるからは一言も発せられなかった。彼はのっそり起きあがり、非常なやさしさをこめてヨーゼフを見つめ、彼の方にかがんで、ひたいにキスし、彼の上で十字を切った。あとになって初めてヨーゼフは、これは自分自身がたくさんのざんげ者を帰すときにした、あの無言の、兄弟としての、判決を断念するかわりの仕草と同じであることに、思いあたった。
そのあとすぐ、ふたりは食事をし、夜の祈りを唱え、横になった。ヨーゼフはなおしばらく物思いにふけった。実際は、罪の宣告と罰の説教を期待していたのだった。しかし彼は失望もしなければ、いらいらもしなかった。ディオンのまなざしと、兄弟としてのキスで十分だった。彼の心の中は静かだった。やがて快い眠りに沈んだ。
一言も費やさずに翌朝老人は彼を伴って、かなり長い一日の旅をした。なお四、五日の旅をして、彼らはディオンの隠れ家に着いた。今はそこに住まって、ヨーゼフはディオンのこまかい日々の仕事を助け、その日常生活を知り、共にした。それは、彼自身が多年営んできた生活とたいして異なってはいなかった。ただ彼は今はもう独《ひと》りではなく、他の人の影と保護の中に生きていた。そうなると、やはりまったく別な生活だった。周辺の部落や、アスカロンや、もっと遠くから、絶えず、助言を求め、ざんげを必要とする人々がやってきた。そういう来訪者があると、初めのうちヨーゼフはいつも急いで引っこんでしまい、客が帰ってから、やっと出てくるのだった。だが、ディオンは、召使でも呼ぶように、彼を呼び返すことがだんだん頻繁《ひんぱん》になり、水を持ってこさせたり、その他の手伝いをさせたりした。しばらくのあいだそうしているうちに、ざんげ者が反対しなければ、時折り傍聴者としてざんげに同席するようになった。恐ろしいプギルと向い合って、単独で立ったり、すわったり、ひざまずいたりせずに済み、この静かな、親切なまなざしの、世話好きな助手がそばにいてくれるのは、多くの人たちにとって、いや、大多数の人たちにとって、好ましいことだった。こうして彼は次第に、ディオンがざんげを聞く方法と、慰めのことばをかける仕方、干渉し処理する仕方、罰し助言する仕方を学んだ。質問をあえてすることは、まれだった。ひとりの学者か文人が旅の途中立ち寄ったとき、そういうこともあったが。
この男は、その物語から察すると、魔術師や星うらない師のあいだに、友人を持っていた。丁重な、話し好きな客で、一、二時間ふたりの老ざんげ僧のもとに腰をおろして、休息した。そして、星について、また、人間が神々とともに世界の初めから終りまで十二宮のすべてを通らなければならない旅について、長々と博学に美しく語った。彼はまた、最初の人間アダムについて、またアダムが、十字架にかけられたイエスと同一人物であることについて話した。そして、イエスによる救いは、アダムが認識の木から生命の木へ移っていったことにほかならぬと言ったが、楽園のヘビは、暗い深い神聖な源泉の番人で、その暗黒の水からいっさいの形や人間や神が生じるのだ、と言った。シリア語にひどくギリシャ語のまじっているこの男の話を、ディオンは注意深く聞いた。この異教徒的な誤りを、ディオンが怒りと熱意とをもってしりぞけ、否定し、放逐することをせずに、物知りの巡礼の抜けめのない独白をおもしろがり、共鳴しているらしいのを、ヨーゼフは不思議に思うばかりか、憤慨さえした。何せディオンは打ちこんで傾聴しているばかりか、微笑し、さも気に入ったように、話し手のことばにたびたびうなずきかけていさえしたからである。
この男が立ち去ると、ヨーゼフは、むきな、非難に近い調子で尋ねた。「どうしてあんな不信心な異教徒の邪説をあんなに辛抱強く聞いていたんですか。いや、どうやら、辛抱強いどころでなく、まったく共鳴し、さもおもしろそうに傾聴していたようです。なぜあれに反対しなかったのです。なぜあの人を否定し、罰し、主を信じるように改心させようとは、しなかったのですか」
デイオンは、細い、しわだらけの首にのった頭を揺すって、答えた。「否定しなかったのは、そうしても、むだだったからだ。むしろわしにそうする力がなかったからだ。話や、結びつけや、神話と星の知識にかけては、あの男は、疑いもなく、わしよりずっと立ちまさっている。わしはあの人に立ち向ってもだめだったろう。さらに、ある人の信じていることがうそで誤りであると主張して、人の信仰に反対するのは、わしのなすべきことでも、お前のなすべきことでもない。ありていに言って、わしはあの賢い男の言うことを一種楽しい気持ちをもって聞いた。お前の気づいたとおりだ。わしを楽しませたのは、彼が話しじょうずで、物知りだったからだが、何よりもわしの若いころを思い出させたからだ。わしも若いころは同じような研究や知識に一生懸命になったものだ。神話の中のことをあの客はたいそうおもしろく話したが、あれは決して誤りではない。われわれは唯一の救世主イエスに対する信仰を得たので、あんな信仰をもはや必要としなくなったが、あれは、そういう信仰の現われであり、比喩《ひゆ》であるのだ。しかし、われわれの信仰をまだ見いだしていない人々、おそらく全然見いだすことのできない人々にとっては、古い祖先の知識に由来している信仰は、当然尊敬すべきものなのだ。確かにわれわれの信仰は、別なもの、あくまで別なものだ。だが、われわれの信仰が、星や無窮の時間や原始の水や世界の母や、そういういっさいの比喩の教えを必要としないからといって、あの教え自体が、誤りで、うそまやかしだ、とは言えない」
「しかしわれわれの信仰は」とヨーゼフは叫んだ。「やはりいっそうまさっています。イエスはすべての人間のために死にました。だから、われわれの信仰を知るものは、あの古くなった教えを攻撃して、そのかわりに新しい正しい教えを置かねばなりません」
「われわれはずっと前からそうしてきた。お前もわしも、他の多くの人々も」とディオンは落ちつきはらって言った。「われわれは、つまり救世主と救世主の死との信仰と力によってとらえられているから、信者なのだ。これに反し、あの他の人々、つまり十二宮や古い教えの神話学者や神学者は、この力にとらえられていない。まだそこに至っていない。彼らがとらえられたものになるように、強制することは、われわれにはできない。ヨーゼフよ、この神話学者がどんなに美しく極度に巧妙に語り、比喩の遊戯を作りあげることを心得ていたか、それがどんなに快さそうであったか、彼がどんなに平和に調和を保って、形象や比喩の知恵の中に生きているか、気づかなかったかい? さて、それは、この人は重い苦しみに押しつけられていない、満足している、よく行なっている、というしるしである。よく行なっている人に向っては、われわれのようなものが何も言うことはない。人間が救いと救ってくれる信仰とを必要とするためには、自分の思想の知恵と調和に対する喜びを失い、救いの奇蹟を信じる大冒険を試みるためには、まずその人は不幸に、ひどく不幸にならなければならない。悩みと幻滅を、にがさと絶望を体験しなければならない。極度な窮境に陥らなければならない。いや、ヨーゼフよ、あの博学な異教徒を安穏《あんのん》に、彼の知恵と思想と話術の幸福感の中に暮させておこう! おそらく彼は、あすか、一年後か、十年後かに、彼の話術と知恵を粉砕するような苦悩を経験するだろう。愛する妻か、ひとりむすこを打ち殺されるか、あるいは彼が病気にかかったり、貧乏になったりするかもしれない。そのとき、彼に出会ったら、彼のめんどうをみてやり、われわれが苦しみを制することを、どういう方法で試みたかを語ってやろう。もしそのとき、彼がわれわれに『なぜきのう、言ってくれなかったのか、十年前に言ってくれなかったのか』と尋ねたら、われわれは『お前はあのときまだ十分不幸ではなかったのだ』と答えてやろう」
彼は真剣になって、しばし口をつぐんだ。やがて、思い出の夢の中からでも語るように、こうつけ加えた。「わし自身も以前はしきりに祖先の知恵をもてあそび、楽しんだものだ。もう十字架の道を歩くようになってからも、神学するのをしばしば喜びとした。もちろんさんざん悩みもした。いちばん頭をなやましたのは、世界の創造のことだ。また、『神その造りたるすべての物を見たまいけるに、はなはだ善かりき』とあるのだから、創造の仕事の最後にはいっさいのものが本来善くあらねばならなかったはずだ、ということだ。しかし実際は、一瞬間だけ、楽園の瞬間だけが、善く完全だった。つぎの瞬間にはもう完全さの中に罪と呪《のろ》いがはいってきた。なぜならアダムが、食べることを禁じられていた木《こ》の実《み》を食べたからである。ところで、こういうふうに言う教師があった。被造物を、そしてそれとともにアダムと認識の木を造った神は、唯一の最高の神ではなくて、神の一部、あるいは神の下位の神、デミウルグ〔造物主〕にすぎない。被造物はよくない、失敗したのだ。一つの世界の続くあいだ、この被造物は呪われ、悪の手にゆだねられていたが、ついにあの方みずからが唯一の精神である神が、そのご子息によって、呪われた世界の時代を終らせようと、決心なさった。このときから、造物主と被造物との死滅が始まった、と彼らはそう教え、わしもそう考えた。世界は徐々に衰滅していき、ついには新しい宇宙では、被造物も、世界も、肉も、欲望も罪も、肉による生殖も、出産も死ももはやなく、完全な精神的な、救われた世界が、アダムの呪いから自由に、欲望や生殖や出産や死などという永遠の呪いと衝動から自由に、発生するだろうと。――われわれは、世界の現在の災悪は、最初の人間より、造物主の罪だとした。もし造物主がほんとに神そのものであったら、アダムを別なものに造るか、誘惑にあわないようにしてやることは、容易なことだったに違いない、とわれわれは考えた。こうして結論として、創造主なる神と父なる神と、二つの神を持つことになり、前者を裁いて酷評することをはばからなかった。さらに一歩を進めて、被造物はまったく神のわざではなくて、悪魔のわざだった、と主張するものさえあった。われわれは自分たちの知恵で、救世主と、来たるべき精神の時代とに役だつと思ったので、神々や世界や世界の計画を整えて、議論をし、神学を研究したのだが、わしはある日、熱病にかかり、死にそうになった。熱にうかされた夢の中で、わしは絶えず造物主を相手に、戦い、血を流さねばならなかった。幻と不安はいよいよひどくなり、とうとういちばん熱の高くなった夜には、肉体による自分の出生を消し去るために、実の母を殺すほかはない、と思ったほどだ。悪魔は、熱病の夢にとらわれているわしをさんざんな目にあわせた。だが、わしはなおった。昔の友人たちが失望したことには、わしは、愚鈍な、無口な、頭の働かない人間として生き返った。体力はまもなく回復したけれど、哲学する喜びは回復しなかった。快方に向い、あの恐ろしい熱病の夢が遠のき、わしはほとんど眠り通していたころ、日も夜も、目がさめれば、いつでも救世主がそばにいるように感じ、力が主から発してわしの中にはいるのを感じた。そして再び健康になると、主をもはや身近に感じることのできないのを悲しく思った。しかし、主を身近に感じるかわりに、主に近づくことに大きなあこがれを感じるようになった。その結果、明らかになったことだが、再び議論に耳を傾けると、たちまちこのあこがれが、――それはそのころわしの最上の宝であった――水が砂の中に流れて消えるように、消え失《う》せて、思想とことばの中にまぎれこむ危険に陥ったのを、わしは感じた。もうたくさんだ。わしの知恵と神学とはおしまいになったのだ。それ以来、わしは愚かもののひとりになった。だが、哲学し、神話にたずさわることのできるもの、わしもかつて試みたことのある遊戯を遊ぶことを心得ているもの、そういう人を、わしは妨げたり、あなどったりしたくはない。かつてわしは、造物主と精神の神、被造物と救いとが、理解しがたくからみ合い、並存して、解かれぬなぞであることに満足したように、今は、哲学者を信者にすることはできない、ということにも満足しなければならない。それはわしの役目ではない」
あるとき、ある人が殺人と姦通《かんつう》とをざんげしたあとで、ディオンは助手にこう言った。「殺人と姦通、それはまったく極悪で、大それたことだ。まったくひどいことだ。実際そうだ。だが、ヨーゼフよ、実際は、こういう世俗の人々は決してほんとの罪人ではない。彼らのひとりの心になりきってみようと試みるごとに、彼らがわしにはまったく子どものように思われるのだ。彼らは、心がけがよくない、善良でもない、高尚でもない。利己的で、みだらで、高慢で、怒りっぽいことは確かだ。しかし、実際、根は無邪気なのだ。子どもが無邪気であると同様に、無邪気なのだ」
「そんなことを言っても」とヨーゼフは言った。「お前はたびたび彼らをはげしく詰問するではありませんか。そして地獄のありさまをまざまざと見せつけるではありませんか」
「だからこそだ。彼らは子どもなのだ。良心の苦しみを持って、ざんげしているとき、彼らは真剣に受け取られ、本気にしかられることを欲する。少なくともこれがわしの考えだ。お前のやり方は別だった。あのころ、お前はしかも、罰しもせず、罪の償いも課さず、親切で、ただ兄弟のキスをして人々を帰した。わしはそれをとがめようとは思わない。ほんとに。しかし、わしにはそうはできないだろう」
「そうでしょう」とヨーゼフはためらいながら言った。「だが、私があの折りざんげしたとき、なぜお前は私を、他のざんげ者同様に取り扱わず、無言で私にキスし、罰のことばを口にしなかったのか、言ってください」
ディオン・プギルは鋭いまなざしを彼に向けた。「わしのしたことは正しくなかったかい?」と彼は尋ねた。
「正しくなかったとは申しません。確かに正しかったのです。でなければ、あのざんげのあと、私はあんなに快く感じなかったでしょう」
「それじゃ、それで良いとしよう。わしはあのときお前にも無言ながら、厳《きび》しい長い償いを課したのだ。つまり、お前を連れてきて、召使として取り扱い、しかも、お前が逃《のが》れようと欲した役目に、無理やり連れもどした」
彼はそっぽを向いた。長い対話は彼の性に合わなかった。しかしヨーゼフは今度は頑強《がんきょう》に粘った。
「お前はあのとき、私がお前の言いなりになることを、あらかじめ知っていました。私はざんげする前に、お前を知る前に、もうそれを約束しました。いや、言ってください。お前が私をそういうふうに取り扱ったのは、ほんとにそういう理由からだけだったのですか」
相手は数歩行きつもどりつしてから、彼の前に立ちどまり、彼の肩に手をのせて言った。「世間の人たちは子どもだよ。そして聖者たちは――いや、聖者たちはわれわれのところになんか来はしない。われわれ、お前やわしや同類、われわれのようなざんげ僧や探求者や世捨て人は、子どもではなく、無邪気でもなく、罰の説教で性根をなおすこともできない。われわれこそ、知識を持ち、思索するわれわれこそ、認識の木の実を食ったわれわれこそ、ほんとうの罪びとなのだ。子どもをむちで打って、また放してやるように、われわれはお互いを子どもなみに扱うわけにはいくまい。われわれはざんげと償いをしたあとで、また子どもの世界へ逃げこむようなことはしない。普通の人は子どもの世界へもどって、お祭りをしたり、商売をしたり、ときとしては互いに殺し合ったりする。われわれの体験する罪は、ざんげやいけにえによって払いのけられる短い悪夢のようなものではない。われわれは罪の中にとどまっている。決して無邪気になることはなく、絶えず罪びとなのだ。罪の中に、良心の猛火の中に、とどまっている。われわれが死んだ後、神がわれわれを恵み深くごらんになって、慈悲の中に迎えてくれれば、別だが、われわれは自分の大きな罪を決して償いえないことを知っている。ヨーゼフよ、これこそ、わしがお前に対しても、自分に対しても、説教をしたり、罪の償いを命じたりしない理由なのだ。われわれが問題とするのは、あれやこれやの脱線とか非行とかでなくて、常に原罪そのものなのだ。だから、われわれはお互いに知り合っている、兄弟として愛し合っている、と保証することができるだけで、罰によって相手を癒《いや》すことはできない。このことをお前は知らなかったのかい?」
ヨーゼフは小声で答えた。「そのとおりです。知っていました」
「じゃ、無益な話はよそう」と老人は簡単に言い、小屋の前の石の方に向いた。その上で祈る習慣になっていた。
数年たった。ディオン師は時々衰弱に見まわれたので、ヨーゼフは毎朝、ひとりでは起きられない老人を助けてやらねばならなかった。それから老人は祈りにいったが、祈りの後でも、ひとりでは起きられなかった。ヨーゼフの助けが必要だった。それから老人は終日すわって、遠方をながめた。そういう日が少なくなかったが、ひとりで起きられる日もあった。ざんげを聞くことも、毎日はできなかった。ヨーゼフにざんげをしたものがあると、ディオンはあとでその人を自分のところに呼んで、「わしはおしまいだ、おしまいだ。このヨーゼフがわしのあとつぎだ、と皆に言いなさい」と言った。ヨーゼフがそれをさえぎって、ことばをはさもうとすると、老人は恐ろしい目でにらみつけた。氷の光線のように人を貫く目つきだった。
ある日、彼は、助けを借りずに起き、いつもより元気そうだったが、ヨーゼフを呼んで、小さい庭の端の一カ所に連れていった。
「ここが」と彼は言った。「わしを埋める場所だ。いっしょに墓を掘ろう。まだいくらか時間があるようだ。すきを持っておいで」
そこでふたりは毎日早朝少しずつ掘った。ディオンは、力があるときは、すきに数杯の土を自分で掘り出した。非常に骨が折れたが、仕事が楽しみであるかのように、朗らかにやった。この一種の朗らかさは終日彼から離れなかった。
墓を掘るようになってから、彼はいつも上きげんだった。
「わしの墓にヤシを一本植えてくれ」とあるとき彼は働きながら言った。「たぶんお前はその実を食べることになるだろう。お前が食べられなかったら、他の人が食べるだろう。わしは時折り木を植えた。だが、ごく少しだった。あまりにも少しだった。木を植えず、むすこを残さずに、死んではならない、と言われる。さて、わしは木とお前を残すわけだ。お前はわしのむすこだ」
彼は落ちついて、ヨーゼフが彼を知ったときより朗らかであった。そして、ますますそうなった。ある晩、暗くなって、食事と祈りをもう済ませたあとで、彼は寝床からヨーゼフを呼び、なおほんのしばらく自分のそばにいてほしい、と頼んだ。
「少し話をしよう」と彼はうちとけて言った。まだ疲れておらず、眠くもないらしかった。「ヨーゼフよ、お前がかつてあのガザのそばの隠れ家で苦しい時をすごし、生きることをいとわしく感じたことを、おぼえているかい。それから逃げ出して、老ディオンを訪れ、身の上を語ろう、と決心したのを。それから、修道者の部落で老人に会い、ディオン・プギルの住所を尋ねたのを。そしてその老人がディオンその人だったのは、奇蹟のようではなかったかい? そこで、どうしてそうなったか、話して聞かせよう。それはつまりわしとても不思議で、奇蹟のようだった。
ざんげ僧であり、ざんげ聴聞師であるものが、老人になり、彼を罪のない聖者だと思い、実は彼のほうが自分たちより大きな罪びとだということを知らない罪びとたちのざんげをたくさん聞くのは、どんなものか、お前は知っているね。彼には、自分の行為のいっさいが無益でむなしく思われる。かつては神聖で重要だと思われたこと、つまり神が自分をこの地位に置き、人の心のけがれとちりあくたを聞いて、それを軽くしてやる資格を認めたことが、今は彼にとって大きな、あまりにも大きな重荷、いな、呪《のろ》いと思われる。ついには、子どもらしい罪を持ってやってくる哀れな人のひとりびとりに恐れをいだくようになり、早く帰っていけばよいと願い、自分自身逃げ出してしまいたくなる。木の枝で首をくくるのでもよくなる。お前はそういうふうだった。そして今わしにとってもざんげの時が来たのだ。わしはざんげする。わしもお前と同じようになったのだ。わしも、無益なものとなり、精神的に消えてしまったと考え、人々が絶えず信頼をもってわしのところへ来、彼らの始末に負えない、わしにも始末に負えない人間生活のちりあくたや汚臭を持ちこむのに、もはや耐えられない、と思った。
ところが、わしもたびたび、ヨゼフス・ファムルスという名のざんげ僧の話を聞いていた。彼のところにも人々が好んでざんげに行く、と聞いた。多くの人は、わしのところより彼のところへ好んで行った。なぜならその人は、穏やかな親切な人で、人々から何も要求せず、しかりもせず、兄弟のように扱い、ただ傾聴するだけで、キスをして帰す、ということだったから、――お前も知っているとおり、それはわしの流儀ではなかった。初めてこのヨゼフスの話を聞いたとき、そのやり方はわしにはむしろ愚かしく、あまりに子どもらしく見えた。ところが、いったい自分のやり方が何かの役にたつかどうか、非常に疑問になったので、ヨーゼフのやり方に対し、批判したり、知ったかぶりをすることを差し控えるようになったのには、十二分の理由があったわけだ。この男はどんな力を持っていたことかしら? 彼はわしより若いが、やはりもう老年に近いことを、わしは知って、同感した。若い男だったら、わしはそう簡単に信頼を寄せなかったろう。この人にわしは引きつけられるのを感じた。そこで、ヨゼフス・ファムルスのところへ巡礼し、わしの苦しみを告白し、助言を請おう、もし助言を与えてくれない場合は、慰めと励ましを得てこよう、と決心した。そう決心しただけで、もうわしは快く感じ、気が軽くなった。
そこで旅にのぼり、彼が隠れ家を持っていると言われる土地に向って巡礼した。ところが、その間にヨーゼフもわしと同じことを体験し、わしと同じことをした。それぞれ相手のところで助言を見いだそうと、逃走の途にのぼったのだ。彼の小屋を見つける前に、彼を目にとめたとき、最初の対談で、もうわしは、彼だということを知った。彼は、わしの予期したとおりの様子をしていた。しかし彼は逃走中であり、不幸な身の上だった。わしと同様、あるいはなおいっそう不幸だった。彼は、ざんげを聞くなどということは毛頭考えておらず、みずからざんげし、自分の苦しみを他人の掌中にゆだねることを願っていた。それはそのとき、わしをなんとも言えず失望させた。わしはひどく悲しかった。わしを知らないこのヨーゼフも、自分の勤めに疲れ、生活の意義に絶望していたとすれば、――それは、われわれ両人ともだめだ、両人とも無益に生き、失敗したのだ、ということを意味するように思われはしなかったか。
お前のもう知っていることを話すのだから、簡単にしよう。あの夜、お前が修道者たちのあいだで宿を見つけているあいだに、わしは部落にひとりで残り、冥想《めいそう》を行い、このヨーゼフの身になってみた。そして、明朝になって彼が、逃げたのもむだであった、プギルを信じたのもむだであった、プギルも逃走者で、誘惑されたものだ、と知ったら、彼はどうするだろう、と考えた。彼の身になってみればみるほど、ヨーゼフが気の毒になった。それだけいっそう、彼は、彼を知り、彼と共にわし自身を知り、癒すため、わしのところへ神から送られてきたのだ、と思われるようになった。そこでわしは眠ることができた。夜はもう半ば過ぎていた。翌日、お前はわしといっしょに巡礼し、わしのむすこになったのだ。
この話をわしはお前にしようと思ったのだ、お前は泣いているようだね。泣くがよい。泣けば気持ちがよくなる。わしはここまでにもう、がらになくおしゃべりしたのだから、心やすだてに、もう一つ聞いておくれ。そしてそれを心に銘記しておいてほしい。つまり、人間というものは気まぐれで、あまりあてにならない。だから、いつか再びあの悩みや誘惑がお前を襲い、征服しようと試みることが、ないとは言えない。そのときは、われわれの主が、お前というむすこをわしにおつかわしになされたように、お前に、同様に親切な、辛抱強い、たのもしいむすこを、里子をおつかわしなさいますように! 誘惑者があのときお前に、首をくくる木の枝を夢みさせたことについては、また哀れなイスカリオテのユダ〔イスカリオテとはヘブル語でケリオテ人という意であるらしい。ケリオテは死海の東南にあった町。イエスの弟子でありながらイエスを裏切ったユダは、ケリオテ出身であった。それで、裏切り者ユダを、他のユダから区別するため、イスカリオテのユダと呼ぶ〕の死については、ひとこと言うことができる。そのような自殺をはかるのは、単に罪や愚行であるどころではない。われわれの救世主にとっては、そういう罪をお許しになるのも、ささいなことではあるけれど。――だが、そうでなくても、人間が絶望して死ぬのは、実に情けないことだ。神がわれわれに絶望を送るのは、われわれを殺すためでなく、われわれの中に新しい生命を呼びさますためだ。だが、神がわれわれに死を送り、現世と肉体からわれわれを解き放ち、かなたへお呼びになるとしたら、それは大きな喜びだ。疲れたら、眠ることを許される。非常に長いあいだ重荷をになったら、おろすことを許される。それは、甘美なすばらしいことだ。われわれが墓を掘ってから――その上に植えるはずのヤシを忘れないように――墓を掘り始めてから、わしは、長年のあいだおぼえなかったほど楽しく満足した気持ちになった。
長いおしゃべりをしたね。疲れただろう。小屋に行って、やすみなさい。神がお前と共にあらんことを!」
翌日ディオンは朝の祈りに来なかった。ヨーゼフを呼びもしなかった。ヨーゼフが不安になって、そっとディオンの小屋に行って、寝床に歩み寄ると、老人は眠ってしまっていた。子どものような、かすかに輝く微笑に、明るい顔をしていた。
彼はディオンを葬り、墓に木を植えた。そして、木が最初の実を結ぶ年にめぐり合うことができた。
[#改ページ]
インドの履歴書
ヴィシュヌ〔毘瑟怒〕によって、というより、ラーマ〔ヴィシュヌの化身のうち、最も重要なのが、英雄ラーマ。インドの国民叙事詩『ラーマーヤナ』はこのラーマの生涯の物語〕として人間となったヴィシュヌの部分によって、はげしい魔精同士の戦いの一つにおいて利鎌《とがま》の月の矢で殺された魔精の王のひとりが、人間の姿で再び輪廻《りんね》の中に現われ、ラーヴァナと称し、大ガンジス河のほとりに好戦的な王として暮していた。これがダーサの父であった。ダーサの母は早く死んだ。そのあとに来た、美しい、野心の強い妻は、王さまの男の子を生むと、小さいダーサを邪魔ものに感じた。長男ダーサのかわりに、自分の産んだむすこナラをいつか支配者の位につかせたいと思ったので、彼女はうまく、ダーサが父親にうとまれるようにし、良い機会があったら逸せず、彼をなきものにしようと計っていた。ところが、ラーヴァナの宮廷付きバラモン僧のひとり、ヴァズデーヴァは、犠牲のことに通じており、彼女の計画を見抜いた。賢いこの男はそれを失敗させることを心得ていた。彼は少年を気の毒に思った。それに、小さい王子は母から敬虔《けいけん》の素質と正義感とを受けついでいるように思えた。彼は、ダーサの身に事が起らないように、見はっていた。そしてひたすら、少年を継母《ままはは》から引き放す機会を待ち受けていた。
さて、ラジャー・ラーヴァナは、神にささげられた雌牛の群れを持っていた。それは神聖視されており、その牛乳やバターはたびたびいけにえとして神にそなえられた。国内のいちばんよい牧草地がこの雌牛たちにあてがわれていた。神にささげられていたこれらの雌牛の牧夫のひとりが、ある日やってきて、バターの荷を納め、報告するには、これまで雌牛の群れが草を食べていたところは、かんばつの兆《きざし》があるので、牧夫たちは、雌牛をもっと遠く山地に連れていくことに意見がまとまった、そこなら日照りのいちばんひどいときでも泉と新鮮な飼料に不足することはない、ということであった。この牧夫を、例のバラモン僧は、前々から知っていたので、彼に腹を打ち明けた。彼は親切な誠実な人間だった。翌日、ラーヴァナのむすこである小さいダーサがいなくなって、見つからなかったとき、行くえ不明の秘密を知っていたのは、ヴァズデーヴァと牧夫だけだった。少年ダーサは牧夫によって山中に連れていかれ、そこで、ゆっくり歩いている雌牛の群れに会った。ダーサは喜んで仲よく雌牛や牧夫たちといっしょになり、少年牧夫として成長し、牛を追ったり、番をしたりするのを手伝い、乳をしぼることをおぼえた。小牛と遊び、木の下に寝、甘い乳を飲み、はだしに牛の糞《ふん》をつけていた。それが彼の気に入った。牧夫や雌牛やその生活を、森を、木を、果実をよく知り、マンゴー、森のイチジク、ヴァリンガ樹を愛し、緑の森の池で甘いレンコンを釣りあげ、祭りの日には、クサキョウチクトウの赤い花で作った花冠をかぶった。荒野の動物に対し警戒することを、トラを避け、賢いジャコウネコや陽気なハリネズミと友だちになり、雨期には薄暗い避難小屋で我慢することをおぼえた。そこで少年たちは子どもの遊びをし、歌を歌い、かごや蘆《あし》のむしろを編んだ。ダーサは、以前の故郷と生活とを忘れきりはしなかったが、それはやがて夢のようになった。
ある日、牛の群れは別の方面に移り、ダーサは、ハチミツを探そうと思って、森の中へはいっていった。彼は森を知って以来、なんとも言えず森が好きだった。そのうえ、この森は特に美しい森であるらしかった。日光が金色のヘビのように、木の葉や枝のあいだを縫っていた。鳥の呼び声、こずえのささやき、サルの声などの音が、からみ合い、まじわって、やさしい、なごやかに光る網をなし、森の中の光線の網さながらになるように、花や木や葉や水やコケや動物や果実や土やどろなどのにおいが、結びついたり、離れたりした。しぶい、甘いにおい、荒い、深いにおい、目ざますような、眠らすようなにおい、晴れ晴れした、息苦しいにおいだった。時折り、目のとどかない森の峡谷で水がせせらぎ、時折り、白い繖形花《さんけいか》の上で、黒と黄の斑点のある緑のビロードのチョウチョが舞い、時折り、青い影のさす森の奥深くで枝が折れた。葉が重なり合って重く沈んだ。やみの中で野獣がほえたかと思うと、かしましい雌ザルが一族をしかっていた。ダーサはハチミツ探しを忘れた。色もあやにきらきら光る数羽の小鳥に耳を澄ましていると、大きな森の中でさながら小さい密林をなしている高いシダのあいだに、一つの足跡がまぎれこんでいるのが、彼の目についた。道、といっても、細い小道らしかった。音をたてぬよう、用心深く分け入り、小道をたどっていくと、幹のたくさんある木の下に、小さい小屋を見つけた。とがったテントの一種で、シダを編んで建てたものだった。小屋のかたわらの地面に、ひとりの男がまっすぐ不動の姿勢ですわっていた。組み合わせた足のあいだに、両手をじっとのせていた。白い髪と広い額の下で、静かな、光のない目が地面に伏せられていた。開いてはいるが、内部を見ていた。これは聖者で、ヨーガ〔瑜伽〕行者だ、とダーサは知った。彼がヨーガ行者を見たのは、これが初めてではなかった。神々の殊遇を受けている、尊敬すべき人々で、彼らに贈り物をし、尊敬を示すのは、よいことであった。それにしても、美しい、人目につかないシダの小屋の前で、正座して静かに腕を垂れ、冥想《めいそう》の修行をしているこの人は、一段と少年の気に入り、これまで見た行者より珍しく、尊敬に値するように見えた。ふわりとすわって、うっとりした目つきをしているが、いっさいを見、かつ知っているらしいこの人を、神聖な気配、威厳の魔力、集中された熱と冥想力の大波と炎が包んでいた。少年はそこに踏みこんで、あいさつや呼びかけでそれを突き破る気にはなれなかった。この姿の品位と偉大さ、顔を輝かしている、内部から発する光、表情に現われた精神集中と鉄石のような堅固さは、波と光を放っていた。そのまん中に彼は月のように君臨していた。彼の姿の中に集積された精神力と静かに集中された意志は、彼のまわりに魔法の円を紡ぎ出していたので、この人は、単に願ったり考えたりするだけで、目をあげることさえせずに、人を殺したり、またよみがえらせたりすることができる、と思われるほどだった。
枝や葉で呼吸しながらやはり動く木よりも動かず、神々の石像のように動かず、ヨーガ行者はその場にすわっていた。彼を認めた瞬間から、少年も同様に動かず、地面にくぎづけになり、鎖にしばられたように、じっとして、魔法に引かれるように、この光景に引きつけられていた。彼は立ったまま行者を見つめ、日光の斑点《はんてん》が肩に一つ、休らっている両手に一つ映っているのを見、その斑点が徐々に移動し、新しくできるのを見た。そして、立ったまま驚嘆しているうちに、日光も、周囲の森から聞える鳥の歌も、サルの声も、冥想者の顔にとまり、皮膚のにおいをかぎ、ほおの上を少しはい歩き、また飛び立ち飛び去る茶色のミツバチも、森の多様な生活全体も、この人に何の関係もないことを、少年は理解し始めた。これらすべては、目に見え、耳に聞えるすべては、美しいにせよ、醜いにせよ、愛らしいにせよ、恐怖を引き起すにせよ、すべてみなこの聖者とは何のかかわりもないのを、ダーサは感じた。雨も彼を冷やしたり不快にしたりすることができず、火も彼を焼くことができないだろう。彼を取り囲む世界全体が、彼にとって単なる表面となり、意味を失った。実際、全世界は遊戯と表面にすぎず、未知の深淵《しんえん》の上をわたる風の息吹《いぶ》きとさざ波にすぎないかもしれないという予感が、思想としてでなく、肉体的な身ぶるいとして、軽い目まいとして、恐怖と危険の感情として、同様に切実な欲望に引きつけられる感情として、見つめる牧童王子の上をかすめていった。ヨーガ行者は世界の表面を、表面の世界を通り抜けて、存在するものの底に、万物の秘密の中に沈んでいき、官能の魔法の網を、光や音や色や感覚の遊戯を突破して、かなぐり去り、変化しない本質的なものの中に堅く根をおろしている、と少年は感じたからである。少年は、かつてバラモン僧に教育され、種々の精神的な光明を授けられはしたが、それを知性で理解したのではなかったから、それについてことばで述べることはできなかっただろう。しかし、人が祝福を受けたとき、神々しいものを身近に感じるように、彼はそれを感じた。彼はそれを、この人に対する尊敬と驚嘆のおののきとして感じた。また、この人に対する愛として、すわって冥想しているこの人が営んでいると思われる生活に対するあこがれとして、感じた。こうしてダーサは、不思議にもこの老人によって、自分の素姓と王公の国を想起させられ、心を揺すぶられて、おい茂るシダの端に立ち、鳥は飛ぶにまかせ、木は穏やかにざわめく対話をするにまかせ、森は森、遠くの牛の群れは牛の群れであるにまかせて、魔法にひたり、冥想する隠者を見つめた。そしてその姿の不可解な静けさと超然さと、その顔の明るい落ちつきと、その態度の力強さと集中ぶりと、その勤行《ごんぎょう》の完全な献身とに、とらえられていた。
その小屋のそばですごしたのが、二時間であったか、三時間であったか、それとも数日であったか、彼は後になって言うことはできなかったろう。魔法から放たれて、音をたてずにシダのあいだをこっそり引き返し、森から出る道を探し、やっとまた広々した牧草地と牛の群れのもとにたどりついたとき、彼は、自分が何をしているのかわからないように振る舞った。まだ彼の心は魔法にかかっていた。牧夫のひとりが彼を呼んだとき、初めて彼は目をさました。彼が長いあいだいなくなっていたので、牧夫は大声でしかりながら彼を迎えたが、ダーサはそのことばがわからないといったふうに、大きなけげんな目で相手を見つめたので、牧夫は、少年のいつもと違う異様なまなざしと、改まった態度とに驚いて、すぐ黙ったが、しばらくして尋ねた。「いったいどこに行っていたのだね? 神さまでも見たのかい? それとも魔精にでも会ったのかい?」
「森の中にいたのだよ」とダーサは言った。「ハチミツを探そうと思ったので、森の方に引きつけられて行ったのだよ。ところが、それを忘れちゃったのさ。あすこで、ひとりの人、隠者を見たので。――その人はすわって、冥想か祈りにふけっていた。その人を見て、その顔が輝くと、ぼくは立ちどまって長いこと見つめずにはいられなかった。夕方になったら、また出かけて行って、施し物をしたい。あれは聖者だよ」
「そうしなさい」と牧夫は言った。「乳と甘いバターを持っていきなさい。そういう人は尊敬しなければならない。聖者には施し物をしなければならない」
「でも、なんと呼びかけたらいいだろう?」
「呼びかける必要はない。ダーサよ、ただその人の前にかがんで、施し物を前に置きなさい。それ以上のことは必要ない」
そこで彼はそうした。例の場所を見つけるまでには、しばらく時間がかかった。小屋の前にはだれもいなかった。小屋の中にはいる勇気はなかったので、小屋の入口の地面に施し物を置いて立ち去った。
牧夫たちが雌牛とともにその近くにいるあいだは、彼は毎夕そこへ施し物を持っていった。一度は昼間も出かけていった。尊敬する人は冥想修業をしていたが、今度はダーサは、幸運な傍観者として、聖者の力と浄福の光を受けたいという誘惑に抵抗しきれなかった。その地方を去り、ダーサは牛の群れを新しい牧草地に追う手伝いをするようになってからも、彼は森の中の体験をなお長いあいだ忘れることができなかった。少年がよくやるように、時折り彼は、独りでいると、自分自身を隠者やヨーガの大家と見なす夢にふけった。しかし、時とともにその記憶と夢想とは色あせ始めた。ダーサは急速に成長して力強い若者になり、同じ年ごろの仲間と遊びや戦いに、楽しそうに熱中したから、なおさらである。しかし、失った王子や王公の身分が、いつかヨーガ行の品位と力とによって補われるだろう、というような、かすかな予感と微光とが心の中に残っていた。
彼らが町の近くにいたとき、ある日、牧夫のひとりが町から、町では盛んなお祝いが迫っている、という知らせを持ってきた。つまり、老王ラーヴァナが、昔日の力を失い、衰えたので、日を定めて、むすこのナラを跡とりにし、王として布告することになった、というのである。幼年時代の町の記憶はダーサの心にもはやほとんど跡をとどめていなかったので、町を一度見るため、そのお祝いを訪れたい、そして音楽を聞き、貴族の行列や競技を見、一度は町の人々や偉い人たちの未知の世界に接したいと思った。その世界は伝説やおとぎ話にたびたび描かれており、昔は自分自身の世界でもあったことを知っていたが、それも伝説か、おとぎ話か、あるいはもっと影の薄いものにすぎなかった。祝日のそなえ物のために、バターを一荷、宮廷に納めよ、という命令が牧夫たちに伝えられた。そしてダーサは、うれしいことに、牧夫がしらがこの仕事のために定めた三人のひとりになれた。
バターを納めるために、彼らは前の晩、宮廷に着いた。バラモン僧ヴァズデーヴァが、そなえ物係の長だったので、それを受け取った。しかし、ダーサ青年には気がつかなかった。それから三人の牧人は大いに張りこんでお祝いに参加し、早朝すでに例のバラモン僧の指揮のもとに、いけにえが始まり、金色に光るバターが多量に炎に包まれ、天をもこがす炎に変るのを見た。ゆらぐ炎と、脂《あぶら》のしみこんだ煙は高く無限の空に達し、三十の神々によみせられた。行列の中に象を見たが、御者のすわっている台の上には、金めっきの屋根がついていた。花で飾られた王の車と、若いラジャー・ナラを見、盛んにひびく太鼓の音楽を聞いた。何から何まで非常に大がかりで、きらびやかだった。少しはこっけいでもあった。少なくとも若いダーサにはそう思えた。騒々しい音や馬車や飾られた車や、いっさいの華麗さや大げさなぜいたくざんまいに、彼はぼんやりし、うっとりし、酔いしれさえした。王の車の先に立って踊る舞姫たちのハスの茎のようにすらりとしていて粘りのある手足にうっとりし、町の大きさと美しさに驚嘆した。しかし、なんのかのと言っても、陶酔と喜びの真最中にあってさえ、腹の底では町の人をけいべつする牧人の冷静な心をいくらか交えて、ながめていた。ほんとうは彼自身が長男であること、もはやまったく記憶のない異母弟ナラがいま目の前で、香油を塗られ、きよめられ、ことほがれること、ほんとうはほかならぬ彼ダーサがそのかわりに、花に飾られた馬車に乗るべきだったこと、そういうことは、彼は考えなかった。だが、若いナラはもちろん全然ダーサの気に入らなかった。甘やかされて、ばかで、意地悪く、自分を偉いものに思いこんでいて、鼻持ちならぬほど虚栄心が強いように見えた。ダーサは、この王さま気取りの青年にいたずらをして、教訓を加えてやりたいくらいだった。しかし、そういう機会もなく、見たり、聞いたり、笑ったり、楽しんだりすることがたくさんあるために、彼はたちまちそんなことを忘れてしまった。町の女は、きれいで、大胆な、心をそそるような目つきや仕草や言いまわしをした。三人の牧人は、いつまでも耳に残るいろいろなことばを耳にした。ことばにはもちろん嘲《あざけ》りのひびきがまじっていた。町の人は牧人に対し、牧人が町の人に対するのと同様に、振る舞ったからである。つまり、互いにけいべつし合ったのである。しかし、それにもかかわらず、美しい強い、牛乳とチーズを糧《かて》とし、一年じゅうほとんどいつも青天井のもとで暮している青年たちは、たいそう町の女たちのお気に召した。
ダーサはこの祝祭から帰ってくると、おとなになり、娘たちのあとを追い、いくども他の青年たちとはげしい拳闘《けんとう》や格闘をして勝たねばならなかった。そのうち、あるとき、彼らはまた別な地方へ行った。平らな牧草地があって、イグサと竹のあいだに水が方々にたまっていた。ここで彼は、プラヴァティという名の少女に会い、この美しい女性に対し、常軌を逸した愛にとらえられた。彼女は小作人の娘だった。ダーサのほれこみ方は非常なもので、他のことはすべて忘れてしまい、彼女を手に入れるために、いっさいを放棄した。牧夫たちがしばらくしてまたその地方を去ることになったとき、ダーサは彼らの警告や助言に耳をかさず、彼らと、彼が非常に愛していた牧人の生活とに別れを告げ、そこに定住し、プラヴァティを妻にする思いをとげた。彼は義父のキビ畑と水田を耕し、水車場と森で手伝い、妻のために竹と粘土で小屋を作り、妻をその中に閉じこめておいた。若い男を動かして、彼の従来の喜びや仲間や習慣を断念させ、生活を変え、他人のあいだで、婿といううらやむに値しない役割を引き受けるようにさせるのは、よほど大きい力に違いない。プラヴァティの美しさはそれほど大きく、その顔と姿から発する深い愛の喜びの約束は、それほど大きく誘惑的だったので、ダーサは他のいっさいのものに対し盲目になり、この女性にすっかり夢中になり、実際その腕の中で大きな幸福を感じた。多くの神々や聖者に関しても、彼らが、魅惑的な女性の魔力にかかって、幾日も幾月も幾年も、女を抱き続け、溶け合い、すっかり快楽に浸って、他の仕事をすべて忘れてしまった、という話が伝わっている。ダーサも、自分の運命と愛がそのようになることを願っただろう。しかし、彼には別な運命が与えられた。彼の幸福は長くは続かなかった。それは一年ほど続いたが、その期間も、幸福にばかり満たされてはいなかった。義父のうるさい欲求、義兄弟の側からのあてこすり、若い妻のむら気など、いろんなものが割りこんできた。しかし、妻の寝床へいくごとに、それはすべて忘れられ、なんでもなくなってしまった。妻の微笑はそれほど魅惑的に彼を引きつけ、妻のしなやかな手足をなでることは、それほど甘かった。妻の若いからだで味わう歓楽の庭は、それほど無数の花やにおいや影をもって咲きかおっていた。
幸福がまだまる一年にもならないうちに、ある日この地方は騒々しい不安に襲われた。騎馬の使者が現われて、若いラジャーのお出ましを告げ知らし、やがて若いラジャー自身、つまりナラが兵士や馬や荷物とともに現われた。この地方で狩りをするためだった。ここかしこにテントが張られ、馬のいななきや、角笛を吹く音が聞えた。ダーサはそれにかまわず、畑で働き、水車場で仕事をし、狩りゅうどや廷臣を避けていた。しかし、そんなふうにしていたある日、小屋にもどってくると、妻が中にいなかった。彼は妻に、この時期のあいだいっさい外出してはならぬ、と言いつけておいたのだから、胸を刺される思いで、不幸が頭上にのしかかってくるのを、予感した。彼は義父のところへかけつけた。そこにもプラヴァティはいなかった。彼女を見たというものはひとりもいなかった。胸にのしかかる不安はつのった。菜園や畑を探した。一日、二日と、自分の小屋と義父の小屋とのあいだをうろうろし、畑で待ち伏せ、井戸の中におりて見、祈り、妻の名を呼び、誘いの声をかけ、呪《のろ》い、足跡を探した。ついに、まだ少年であるいちばん年下の義弟が、プラヴァティはラジャーのところにいる、ラジャーのテントに住んでいる、王の馬に乗っているのを見たものがある、と教えてくれた。ダーサはナラのテントのまわりでひと目につかぬよう待ち伏せた。以前牧人をしていたころ使った石はじきを携えていた。昼でも夜でも、王のテントにちょっとでも番人がいないと見ると、そのつど彼は忍び寄ったが、いつも番人がすぐ現われるので、彼は逃げなければならなかった。木の枝に隠れてテントを見おろしていると、あの祝祭のときから見おぼえのある、感じの悪いラジャーの顔が見えた。ラジャーが馬に乗って出かけ、数時間たってもどってき、馬からおり、テントの垂れ布をあげると、テントのかげで動き、帰ってきた王にあいさつする若い女が、ダーサの目にとまった。この若い女が自分の妻プラヴァティとわかったとき、彼は危うく木から落ちるところだった。いまは確かになった。彼の胸はいっそう強く締めつけられた。プラヴァティとの愛の幸福が大きかったとすると、今の悩みと憤り、愛人を失い、屈辱を受けたという感じは、それに劣らず大きかった。いや、もっと大きかった。人間が愛の能力を唯一の対象に集中すると、こうなるものだ。それを失うとともに、彼にとってはいっさいが崩壊し、彼はくずれ跡にしょんぼりと立つのである。一日一夜、ダーサはその地方の林の中をさまよった。ちょっと休むと、そのつど胸中のみじめさが、疲れた男をまた駆りたてた。彼は走り、動きまわらずにはいられなかった。世界のはてまで、価値と輝きとを失ってしまった生活のはてまで、走り、さすらわずにはいられないような気持ちだった。しかし、遠い未知の所へは行かず、絶えず自分の不幸の近くにおり、自分の小屋や水車や畑や王の狩猟のテントのまわりを歩きまわった。しまいに彼はまたテントの上の木の中にひそみ、葉の茂った隠れ場で、飢えた猛獣のように、火のように憤ってうずくまり、待ち伏せていると、最後の力を緊張させて待った瞬間が来て、ラジャーがテントの前に出てきた。そこでダーサは枝からそっとすべりおり、身構えして、石はじきを振るって、憎い男のひたいに石を当てた。男はどっと倒れ、仰向けに横たわってじっと動かなかった。だれも居あわせないらしかった。ダーサの五官を騒がせるあらしのような歓喜と復讐《ふくしゅう》の快感の中に、一瞬、深い静けさがはいってきた。恐ろしい不思議な気がした。打ち殺されたもののまわりが騒がしくなり、召使たちが群がり出す前に、ダーサは林の中にはいり、谷の方に続いている竹の深いやぶの中に姿を消してしまった。
木から飛びおり、行動に夢中になって、石はじきをぐるぐるまわし、死の石を飛ばしたときは、彼は、憎い敵さえ一瞬自分の前に倒れるなら、自分自身の命も共に消滅させ、最後の力を出しつくし、人を殺す石といっしょに飛んで、みずから滅亡を覚悟して、破滅の淵《ふち》に身を投げようという気持ちだった。さて、しかし、殺人の行為に、思いがけぬ静寂の一瞬が答えると、たった今までまだまったく知らなかった生存欲が、口を開いている死の深淵《しんえん》から彼を引きもどした。そして根本的本能が彼の五官とからだをとらえ、森と竹やぶを探せ、と彼に言い、逃げて、姿をくらませ、と命令した。隠れ場にたどり着き、第一の危険から脱すると、初めて彼は、自分の一身に起きたことを自覚した。疲れはてて倒れ、あえいでいると、そして気力の減退とともに、あのしわざを犯したはげしい興奮も消えて、だんだん冷静になると彼はまず、自分が生きのびていることに失望といとわしさを感じた。しかし、呼吸がしずまり、疲労のはての目まいもおさまると、この無気力ないやな気持ちも、反抗と生存意志に席を譲った。そして自分の行為に対するはげしい喜びが、彼の胸にまたもどってきた。
まもなく彼の身辺がざわついてきた。殺害者の探索と追求が始まったのだった。それはまる一日続いた。トラを恐れてだれもあまり深くは分け入らぬ所に、じっと音を立てずに隠れていることによって、かろうじてそれをのがれた。少し眠って、横になったまま様子をさぐり、さきへはっていき、また休むというふうにして、あの行為の三日めにはもう山脈のかなたへ出た。それからはどんどん高い山地へ歩いていった。
彼はあちらへこちらへとさすらいの生活を続けた。そのためいっそう無情冷酷になったが、同時にいっそう利口になり、あきらめもよくなった。だが、夜はくり返し、プラヴァティとあのころの幸福を、あるいは彼がそう呼んでいることを夢みた。また、追跡されて逃走する夢も、たびたびみた。恐ろしい、胸を締めつけられるような夢で、こんなふうな夢だった。森をぬけて逃げると、うしろから太鼓を鳴らし、狩りの角笛を吹いて、追っ手が迫ってくる。森や沼地やイバラのやぶをぬけ、腐ってこわれかかった橋を渡り、何か荷物を運んでいく。包みで、何かくるんだ、おおった、何だかわからないもので、これは貴重で、どんなことがあっても放してはならない、ということしかわからなかった。何か高価なもので、危険にさらされているもので、宝物で、盗んだものかもしれなかった。布にくるんであったが、それはプラヴァティの晴れ着と同じように、赤茶色と水色模様のある布地だった。――彼は、強奪品か宝物か、とにかくこの包みをかついで、危険をおかし、難渋しながら逃げ、低く垂れさがっている枝や、おいかぶさる岩の下をかがんではい抜け、ヘビのそばを通り、ワニのうようよしている川にかけられた、目がくらむほど細い小橋を渡った。とうとう追いつめられて、へとへとになって立ちどまり、包みの結び目をいじくり一つ一つ結び目を解いて、布をひろげる。さて、その宝を取り出して、ふるえる両手に持つと、それは自分自身の頭であった。
彼は隠れて、さすらいの生活を続けた。もはや特に人間から逃げていたわけではないが、やはり避けていた。ある日、さすらいの途上、彼は草の多い丘陵地帯を通った。それは、美しい朗らかな印象を与え、なじみの所ででもあるかのように、彼にあいさつするかと思われた。あるいは野草の花の静かになびいている牧草地、あるいはヤナギの一群で、見おぼえがあり、彼がまだ愛や嫉妬《しっと》や憎しみや復讐《ふくしゅう》について何も知らなかった、朗らかな、無邪気なころを、想起させた。そこは、彼がかつて仲間といっしょに牛の群れの番をした草地だった。彼の青春のいちばん朗らかだった時代で、行きて帰らぬ思い出のはるか遠くから彼の方をながめていた。ここで彼を迎えた声、つまり、銀色になびくヤナギの木をあおいでいく風に、ささやかな小川の楽しくせわしい行進の歌に、鳥の歌に、ヤマバチの深い金色のうなりに、彼の胸中の甘い悲しみが返事をした。ここは、避難所か故郷のようなひびきとにおいがした。さすらいの牧人の生活に慣れた彼には、これほど自分のもので故郷らしく感じた所は、まだなかった。
心の中のこういう声に伴われ導かれ、帰郷したものの気持ちに似た気持ちを持って、彼はこのなつかしい地方をさすらった。恐ろしい幾月かぶりで初めて、彼は、よそのものとしてでなく、逃亡者としてでなく、死の手に引き渡されたものとしてでなく、落ちついた心で、何も考えず、何も願わず、静かで朗らかな現在と身辺にひたりきって、受け入れつつ、感謝し、自分自身と、この新しい、珍しい、初めてうっとりとして味わう精神状態とを少しけげんに思った。つまり、欲望のないこのわだかまりのなさ、緊張のないこの朗らかさ、この注意深く感謝のこもった観察の楽しさを、少しけげんに思ったのだった。緑の牧草地を越えて森の方へ、木立ちの下へ、小さい太陽の斑点が散らばっている薄暗がりの中へ、彼はやっていった。そこでは、故郷に帰ってきたという気持ちがいっそう強くなった。そして、自分の足が独《ひと》りで見つけるかと思われる道を行くと、やがて、大きな森のまん中にある、こんもりした小さい森ともいうべきシダのやぶを通って、小さい小屋にたどり着いた。小屋の前の地面に、ヨーガ行者がすわっていた。彼がかつてそれとなく様子をうかがい、牛乳を持っていってやった行者だった。
目ざめたように、ダーサは立ちどまった。ここは、何もかも昔のとおりだった。ここでは、時間の経過も、殺人も、苦しみもなかった。ここでは、時間と生活が水晶のように堅く、静止し、永遠不変になっているように思われた。彼は老人を見つめた。以前初めてひと目みたとき感じた讃嘆と愛とあこがれが、彼の心にもどってきた。小屋をながめて、次の雨期の始まる前に、いくらか修理する必要がある、と彼はひそかに考えた。そこで思いきって、数歩慎重に歩いて、小屋の中にはいり、何があるか、うかがった。たくさんはなかった。ほとんど何もないくらいだった。木の葉の寝床、水がいくらかはいっているヒョウタン、からっぽの麻袋などがあった。彼は袋を持って出ていき、森の中で食物をさがし、果物《くだもの》や甘い木のしんなどを取ってき、それからヒョウタンを持って出て、新しい水を満たした。ここでなしうることは、それだけで済んでしまった。ひとりの人が生きるには、実にわずかなものしか、いらないのだった。ダーサは地面にうずくまって、夢想にふけった。森の中の沈黙の静安と夢とに彼は満足し、自分自身に満足し、かつて青年のころすでに平和と幸福と故郷のようなものを感じたことのある、ここへ、彼を連れもどしてくれた心中の声に満足した。
こうして彼は、沈黙の人のもとにとどまった。彼は、その人の寝床の木の葉を取りかえてやり、ふたりのために食物を探し、古い小屋を修理し、第二の小屋の建設にとりかかった。少し離れたところに自分のために建てるのだった。老人は、彼がいることを許しているようだったが、いったい彼に気づいているのかどうか、実際わからなかった。冥想から立ちあがるのは、小屋に寝にいくか、一片の食物を食べるか、森の中を少し歩くかするために、限られていた。ダーサは、尊敬する人のもとで、偉い人のそばに仕えている召使のように、あるいは、むしろ人間のそばで暮す小さい家畜、なれた小鳥、あるいはジャコウネコのように、まめに仕えながら、ほとんど顧みられずに暮した。彼は長いあいだ逃げ隠れして暮し、不安に、やましい良心をいだき、いつも追跡を覚悟していたので、いま落ちついた生活をし、骨の折れない仕事をし、彼のことを全然眼中におかないらしい人のそばにいるのは、しばらくのあいだは非常に快く感じられた。彼は、悪夢を見ずに眠り、半日、あるいはまる一日、例の事件を忘れることがよくあった。未来のことは考えなかった。あこがれや願望に満たされることがあるとすれば、それは、いつまでもここにいて、隠者的生活の奥義《おうぎ》をヨーガ行者に伝授してもらい、みずからヨーガ行者となり、ヨーガ行とその悠々《ゆうゆう》自適ぶりにあずかりたい、ということであった。いくども、尊敬する人の姿勢をまねし、同じように足を組んでじっとすわり、未知の超現実的な世界を見、身辺のものに無感覚になるように、努めだした。しかし、たいていすぐ疲れ、手足がこわばり、背中が痛くなり、蚊に悩まされ、皮膚に妙な感じがし、かゆくなったり、刺激に襲われたりするので、身動きしたり、かいたりせずにはいられなくなり、しまいには立ちあがってしまうのだった。しかし、別な感じを持ったことも数回あった。つまり、空虚になり、軽くなり、浮動する感じだった。ちょうど夢の中でよくできるように、大地に時々ごく軽く触れるだけで、そっと大地を離れ、羊毛のくずのようにふわりと浮動する、あのぐあいだった。そういう瞬間には、いつまでもそんなふうに浮動しているうちに達するに違いない状態、自分の肉体と魂とが重さを失い、時間と変化とを越えた彼岸《ひがん》のものに持ちあげられ、吸いあげられて、より大きな清い、太陽のような生命の呼吸のうちに共に飛躍するに違いない状態が、ほのかに感じられた。しかし、それは瞬間の予感にとどまった。そういう瞬間からさめて、幻滅を感じながら、今までの慣れっこの状態にあともどりするたびごとに、彼は、ぜひ、この名人を師匠にするようにしよう、その修行と秘術に手引きをしてもらい、ヨーガ行者にしてもらおう、と考えた。だが、それにはどうしたらよいだろう? 老人がいつか彼を目にとめることはなさそうだし、ふたりのあいだにいつかことばが交わされることは、ありえそうになかった。老人は、日や時のかなたに、森や小屋のかなたにあるように、ことばのかなたにもあるようだった。
だが、ある日、彼は一言口に出した。ダーサは毎夜また夢を見るようになった。しばしば心の乱れるほど甘く、そしてまた恐ろしい夢だった。妻プラヴァティの夢だったり、逃走者の恐怖の夢だったりした。昼間はいっこう進歩せず、すわって修行するのに長くは耐えなかった。女や愛のことを考えずにはいられず、しきりに森の中をうろついた。天候のせいでもあった。熱風の吹く、蒸し暑い日々だった。さて、そういういやなある日のこと、蚊がぶんぶんうなっていた。ダーサは前夜また重苦しい夢を見て、不安と胸苦しさを味わっていた。その内容はもうおぼえていなかったが、さめてみると、どうやら昔の状態や生活の段階へのみじめな転落であるらしかった。本来それは許されない、深く恥ずべき転落だった。終日彼は、陰気にそわそわと小屋のまわりをこそこそ歩いたり、うずくまったりした。あれやこれやと仕事に手を出し、いくども冥想修業のため腰をおろしてみた。しかしそのつどすぐに熱っぽい不安に襲われ、からだがぴくぴくし、足にアリでもはっているように、むずむずし、背首がひりひりした。それで幾瞬間も我慢できなくなり、恥じ入っておそるおそる老人の方を見た。老人は完全な姿勢でうずくまっていた。目を内部に向けた顔は、侵しがたい静かな朗らかさで、花冠のようにふわりと浮んでいた。
さてその日、ヨーガ行者が立ちあがって、小屋の方に向いたとき、その一瞬を長い間待ち設けていたダーサは、立ちふさがって、悩めるものの勇気をもって老人に話しかけた。「先生、あなたの静けさの中に飛びこんだことをお許しください。私は平和を、静けさを求めています。あなたのように生き、あなたのようになりたいのです。このとおり、私はまだ若いのですが、もう多くの悩みを味わわなければなりませんでした。運命は残酷に私をもてあそびました。王公の身に生れながら、牧夫の身に落されました。私は牧夫となって成長し、若い牛のように楽しく力強く、心は無邪気でした。それから女に目を向けるようになり、いちばん美しい女を目にとめると、一身をささげてその女に奉仕しました。その女を手に入れることができなかったら、私は死んだでしょう。仲間の牧夫を捨てて、プラヴァティの愛を求め、彼女を手に入れました。私は婿となり、仕え、厳しい仕事をしなければなりませんでしたが、プラヴァティは、私のもので、私を愛しました。あるいは、彼女は私を愛している、と思っていたのでした。毎晩、私は彼女の腕の中にもどり、彼女の胸に横たわりました。ところが、そこへあのラジャーがその地方へやってきました。あの男のために、私は子どものとき、追い出されたのでした。彼はやってきて、プラヴァティを私から奪いました。彼女が彼の腕に抱かれているのを、私はみせつけられました。あれほど大きな苦痛をなめたことはありません。それは私と私の生活をすっかり変えてしまいました。私はラジャーを打ち殺しました。私が殺したのです。私は犯罪者の、追われるものの生活を送りました。あらゆるものが私のあとを追ってきました。ここにたどり着くまで、私の命は一刻も安全でありませんでした。私は愚かしい人間です、先生、私は人殺しです。いまにつかまえられ、四つ裂きにされるかもしれません。こんな恐ろしい生活にはもう耐えられないでしょう。こういう生活を脱したいと思います」
ヨーガ行者は目を伏せて、この爆発的な告白に静かに耳を傾けていた。今、彼は目を開いて、ダーサの顔にまなざしを向けた。明るい、貫くような、耐えがたいほどじっと見つめる、集中した、光るまなざしだった。ダーサの顔を見つめ、せきこんだ話を考えているうちに、彼の口は徐々にゆがんで、微笑となり、笑いとなった。彼は、声をたてずに笑いながら頭をふり、「迷いだ! 迷いだ!」と笑いながら言った。
すっかり取り乱し、恥じ入って、ダーサは立ったままでいた。相手は食事の前に、シダのあいだの細い小道を少し散歩した。重々しく、確実な歩調でそぞろ歩き、数百歩歩いてからもどってき、小屋の中にはいった。その顔はまたいつものとおりになり、現象の世界とは別などこかを向いていた。このいつも同じ不動な顔の中から、哀れなダーサに向って答えた笑いは、なんという笑いであったろう! 彼はそれを長いこと考えずにはいられなかった。ダーサの絶望的な告白と嘆願を聞いた瞬間に現われたあの恐ろしい笑いは、好意的だったのか、嘲笑《ちょうしょう》的だったのか、慰めだったのか、断罪だったのか、神のものだったのか、悪魔のものだったのか。もはや何ごともまじめにとることのできない老人の、皮肉な、間の抜けた笑いにすぎなかったのか。それとも、他人の愚かさを賢者がおもしろがっている笑いなのか。拒否し、別れを告げ、出ていけと言っていたのか。それとも、自分のまねをしていっしょに笑え、とダーサにすすめ促していたのか。彼にはそのなぞを解くことができなかった。夜中おそくまで彼はこの笑いについて考えた。彼の生活も幸福も不幸も、この老人にとって一つの笑いになってしまったように見えた。何かの味とにおいのする堅い根でもかむように、彼は頭の中でこの笑いをしきりにかんだ。同様に、老人がかん高く叫んだあのことばをかみしめ、考え、頭を悩ました。老人は実に朗らかに不可解なほど楽しそうに「迷いだ、迷いだ!」と笑ったのだった。このことばがほぼ何を意味するかを、彼は半ば知り、半ば察した。笑う人がそう叫んだ様子にも、意味を推測させるふしがあるように思われた。ダーサの生活、青春、甘い幸福、にがい不幸、それは迷いだった。美しいプラヴァティも迷いだった。愛もその喜びも迷いだった。人生全体が迷いだった。ダーサの生活もすべての人の生活も、いっさいはこの老ヨーガ行者の目には迷いだった。子どもの遊び、見せ物、芝居、空想、多彩な表皮に包まれた無、シャボン玉のようなものであった。何となくうっとりとして笑うことができると同時に、けいべつすることができるが、決してまじめにとることのできないものであった。
さてしかし、老ヨーガ行者にとっては、ダーサの生活は、あの笑いと、迷いということばによってすっかりかたづけられてしまったとしても、ダーサ自身にとってはそうはいかなかった。みずから笑うヨーガ行者となり、自分の生活の中に迷いのほか何も認めないようにしたい、とどんなに切望してみても、この不安な幾昼夜このかた、くたくたになった逃走期のあと、この避難所でしばらくのあいだほとんど忘れていたかに思われたいっさいのことが、再び彼の心の中に目ざめよみがえってきた。彼がいつかヨーガ術をほんとに習得するか、老人と同じことをなしうるようになる望みは、極度に乏しいと思われた。そうだとしたら――この森の中にとどまっていることは、このうえなんの意味があるだろうか。避難所だったのだ。ここで少し息をつき、力を集め、少し反省することができた。それも値打ちがあった。それだけでももうたいしたことだった。たぶんその国内では、王の殺害者を追跡することは断念し、彼はたいした危険もなくさすらいを続けることができるだろう。そうしようと、彼は決心し、翌日出発しようと思った。世界は大きかった。こんな隠れ家にいつまでもいることはできなかった。そう決心がつくと、ある程度、心が落ちついた。
彼は未明に出発するつもりだったが、長いこと眠って目をさますと、大陽はもう空高くのぼって、ヨーガ行者はすでに冥想《めいそう》を始めていた。別れを告げずに行きたくはなかった。それに、行者に願いごとがまだ一つあった。それで彼は一時間また一時間と待つうち、やっと行者は立ちあがって、手足を伸ばし、ぶらぶら歩き始めた。そこで彼は行者の道に立ちふさがって、お辞儀をし、相手が彼にいぶかしげなまなざしを注ぐまでは、屈しなかった。「先生」と彼はうやうやしく言った。「私は自分の道を進んでいきます。あなたの静けさをもう妨げません。しかしもう一度だけ一つの願いをお許しください。私の生涯をお話したとき、あなたは笑い、『迷いだ』と叫びました。お願いです。迷いについて少し教えてください」
ヨーガ行者は小屋の方を向いた。そのまなざしは、自分についてこい、とダーサに命令していた。老人は、水を入れる鉢《はち》を取って、ダーサに渡し、手を洗え、と命じた。ダーサはすなおにそうした。それから老人は水の残りをカボチャの鉢からシダの中に注ぎ、からっぽになった鉢を若者に差し出し、新しい水を汲んでこい、と命令した。ダーサは言いなりに、かけ出した。別れの気持が胸の中でうずいた。この小道を泉に行くのも、これが最後だった。縁がすれてすべすべになった軽い鉢を小さい水面に持っていくのも、これが最後だった。そこにはシダや、弓形の樹冠や、明るい斑点《はんてん》になった快い青空が映っていた。水面はまたこれを最後に、かがみ寄るダーサの顔をほの暗いトビ色の中に映した。彼は物思いにふけりながらおもむろに鉢を水に浸した。彼は不安な気持ちになった。そして、なぜこんなに妙な気がするのか、自分は旅に出る決心をしてしまっているのに、老人が自分に、もっとここにいよと、もしかしたら、いつまでもここにいよと、すすめることをしてくれなかったのが、どうして苦痛だったのか、明らかにすることができなかった。
彼は、泉のふちにかがんで、水を一杯くみ、一滴もこぼさぬように、用心深く鉢を持って立ちあがり、遠くもない帰途につこうとした。すると、ある音が彼の耳にとどいて、彼を驚かし、うっとりさせた。夢の中でたびたび聞いた声で、さめてからもたびたびこのうえなく切ないあこがれをもって思い出した声だった。それは甘くひびいた。甘くあどけなく、いとおしげに、森のたそがれを縫って誘った。それで彼は恐ろしさとうれしさに、胸がぞくぞくした。プラヴァティの声、妻の声だった。「ダーサ」とその声は誘った。信じられない気持ちで、鉢を手に持ったまま、彼は周囲を見まわした。すると、どうだろう、幹のあいだから彼女が現われた。長い足に高々としなやかに、弾力のあるからだつきで、恋しい、忘れられない裏切り女のプラヴァティが現われたのだ。彼は鉢を落して、女の方にかけ寄った。ほほえみ、いくらか恥じらいながら、彼女は彼の前に立って、小ジカの大きな目で彼を見あげた。近くで見ると、彼女が赤い皮のサンダルをはき、非常に美しいぜいたくな着物をまとい、金の輪を胸にはめ、きらきら光る色美しい宝石を黒い髪にとめているのもわかった。彼は思わずあとずさりした。では、彼女はまだ王の女だったのか。自分はあのナラを殺さなかったのだろうか。彼女はまだこういうもらいものを身につけて歩いていたのか。こんな締め金や宝石で飾りたてて、自分の前に出、名を呼ぶことが、どうしてできたのだろう?
だが、彼女は前よりも美しかった。申し開きを聞く前に、彼は彼女を抱きしめ、額を彼女の髪の中に埋め、彼女の顔を上向きにそらせ、その口にキスせずにはいられなかった。そうしているうちに、彼がかつて持っていたもの、幸福や愛や歓楽や生きる喜びや情熱がことごとく帰ってきて、再び自分のものとなったのを感じた。早くも彼の心はすっかり、この森と老いた隠者とから遠く離れてしまっていた。森も、隠者の生活も、冥想も、ヨーガも、すでに無となり、忘れられてしまった。老人のもとに持って帰るはずの鉢のことも、もう考えなかった。彼がプラヴァティと森のはずれに向っていったとき、鉢は泉のそばに置き忘れられていた。彼女は大急ぎで、自分がここにやってきた次第と、一部始終を話し始めた。彼女の物語は驚くべきものであった。驚くべきものであり、我を忘れさせるようなものであり、おとき話のようであった。おとぎ話の中にでもはいるように、ダーサは新しい生活にはいった。プラヴァティが再び彼のものになったばかりでなく、あの憎らしいナラが死んで、殺害者の追跡が中止されたばかりでなく、そのうえ、牧人となった昔の王子ダーサが町で正統な相続者として王として布告されたのだった。老牧人と老バラモン僧は、ほとんど忘れられていた捨て子の話を思い出させ、皆の口に伝わるようにしたので、ナラの殺害者として拷問にかけ殺すためにしばらくのあいだ至る所で探されていた人物が、今は国じゅうでなおいっそう熱心に探し求められた。彼を王の位につけ、町と父の宮殿におごそかに入城させるためであった。まるで夢のようだった。そして、驚いたダーサにとっていちばんうれしかったのは、探しまわっている使者がたくさんある中で、自分を見つけ、最初に声をかけたのが、ほかならぬプラヴァティだったという、美しい幸運であった。森のはずれにテントが張られているのが見つかった。煙と獣肉のにおいがした。プラヴァティは従者から大声で迎えられた。やがて、彼女が、これが自分の夫ダーサだと知らせると、盛んなお祝いが始まった。そこにひとりの男がいた。牧人のもとにいたころのダーサの仲間だった。彼がプラヴァティと従者をここへ連れてきたのだった。ここは以前彼が暮したことのある土地の一つだったのである。その男は、ダーサだとわかると、喜んで笑い、ダーサの方にかけ出した。友だちらしく肩をたたいて、抱きたいところだったが、今は彼の仲間は王になっていた。かけ出した中途で、彼は足がしびれたようにとまって、歩みをゆるめて、うやうやしく近より、低く頭を垂れて、あいさつした。ダーサは彼を引き起して、抱き、愛情こめてその名を呼び、どういう贈り物をしたらよいか、と尋ねた。牧人は雌の小牛を一頭所望した。すると、王の持っている最優良種のを三頭与える、と言われた。新しい王の前に続々と新しい家来が通された。役人や、狩猟がしらや、宮廷付きバラモン僧だった。彼は彼らのあいさつを受けた。食事が運ばれた。太鼓やギターや鼻笛などの音楽がひびいた。こういう祝宴やきらびやかさは、ダーサにはすべて夢のように思われた。彼はまだほんとにそれを信じることができなかった。彼にとってはさしずめ、腕に抱いている若い妻プラヴァティだけが現実であった。
日ごと旅を重ねてまもなく、行列は町に近づいた。伝令が送られて、若い王が見つけられ、目下都へ行進中だ、という吉報をひろめた。町が見えるようになると、ドラと太鼓のひびきがすでに町にあふれていた。バラモン僧の行列が白衣でおごそかに彼を出迎えた。その先頭に例のヴァズデーヴァの後継者が立っていた。かれこれ二十年の昔ダーサを牧夫のところへ送ったヴァズデーヴァはつい最近死んだのだった。僧たちはダーサにあいさつし、讃歌を歌い、宮殿へ案内し、その前で大きないけにえの火を幾つか燃した。ダーサは自分の家に連れていかれた。そこでも、新しいあいさつと忠誠の誓いと祝福や歓迎のことばが彼を迎えた。町では夜なかまで喜びの祝いが行われた。
ダーサは毎日ふたりのバラモン僧から、学問上ぜひ必要なことを、短時日のうちに学び、いけにえの式に列席し、判決を下し、騎士のわざや戦争のわざを修練した。バラモン僧ゴパラは彼に政治の手引きをし、彼の一身、一家、一家の権利、将来のむすこたちの請求権などがどういうふうになっているか、どういう敵があるか、などを彼に話して聞かせた。敵と言えば、まずナラの母親があげられた。彼女はかつて王子ダーサの権利を奪い、その命をねらったのだが、今もダーサをむすこの殺害者として憎んでいるに違いなかった。彼女は逃亡して、隣国の王ゴヴィンダの保護を求め、その宮殿で暮していた。このゴヴィンダとその一家は昔から仇敵《きゅうてき》で、危険であった。彼らはすでにダーサの祖先と戦争をし、ダーサの領土のある部分を要求していた。これに反し、南の隣人であるガイパリ王は、ダーサの父と親しい間柄で、殺されたナラをきらっていた。彼を訪問し、贈り物をし、つぎの狩に招待することは、重要な義務であった。
妻プラヴァティは貴族の生活にもうすっかりなじんで、王妃として人前に出ることを心得、美しい着物をまとい、飾りをつけると、まったくすばらしく見え、夫君に劣らぬ高い生れのようであった。幸福な愛に浸って、ふたりは年々歳々をすごした。彼らの幸福は、神々の殊遇を受ける人々に与えられるような光輝を、彼らに与えたので、人民は彼らをあがめ、愛した。非常に長いあいだむなしく待った後、プラヴァティが美しい男の子を産むと、彼は父の名に従ってラーヴァナと名づけた。彼の幸福は完全であった。彼の所有する土地と権力、家と家畜小屋、牛乳室と牛と馬などは、彼の目には今日では二倍の意義と重要さと、一段と高い輝きと値打ちを持つようになった。すなわち、これらの財産はすべて、プラヴァティを取り囲み、よそおわせ、飾り、彼女に敬意を表するために、美しく喜ばしいものであったが、今は、むすこラーヴァナの相続物として、将来の幸福としてなおはるかに美しく喜ばしく重要なものとなった。
プラヴァティが主として祝祭や行列、華美で豪勢な衣服や飾りやおおぜいの召使を楽しんだとすると、ダーサが特に喜びとしたのは、庭園であった。そこに彼は、珍しい高価な木や花を植えさせ、オウムやその他の美しい鳥を移り住まわせた。それにえさをやり、話をかわすのが、彼の日々の習慣となった。かたわら、学問も彼を引きつけた。バラモン僧の教えがいのある生徒として、彼はたくさんの詩句や格言や読み書きの術をおぼえた。ヤシの葉を書物の巻き物にすることを心得ている書記をひとりかかえた。その器用な手のもとで小さい図書室ができ始まった。ここの書物のかたわらで――小さいけれどりっぱなへやで、壁は、神々の生活の彫刻を実にさまざまな形で現わし、そして一部分に金めっきをした貴重な材木でできていた――そういう所で彼は時折り、招待したバラモン僧たち、つまり、司祭の中の選《え》り抜きの学者や思想家たちをして、神聖な題目、すなわち、世界の創造、大ヴィシュヌの迷い、聖ヴェーダ〔吠陀。サンスクリットで、明、文、知などと訳す。インド最古の宗教文献で、バラモン教の根本聖典。四種ある〕、いけにえの力、それ以上に大きな力を持っていて神々をさえ人間を恐れて震えるに至らしめる贖罪《しょくざい》の力などについて、討論をさせた。いちばんよく弁じ、討論し、論証したバラモン僧は、みごとな贈り物をもらった。討論に勝った賞品として美しい雌牛を引いて帰るのも珍しくなかった。偉大な学者たちが、ヴェーダの格言を暗唱し説明し、天や大洋のことをくまなく知っていることを示したばかりなのに、得意満面の体《てい》で、名誉の賞を引っぱって行ったり、その賞品のため焼きもちを焼いてけんかをしたりするのは、こっけいでもあり、哀れでもあった。
総じてダーサ王は、富と幸福と庭園と書物に囲まれていながら、生活と人間に属するありとあらゆるものを、しばしば奇妙に疑わしく思った。あの見栄坊《みえぼう》で賢明なバラモン僧のように、哀れであると同時にこっけいで、明るいと同時に暗く、願わしいと同時にけいべつに値するように思った。庭の池のハスの花や、クジャクや、キジや、サイチョウの羽毛の輝く色彩の戯れや、宮殿の金めっきした彫刻などに、目を楽しませていると、そういうものが、永遠の生命に燃えて神々《こうごう》しく見えることがあるとともに、また別なときには、いや、それと同時にそういうものの中に、何か非現実的なもの、あてにならないもの、疑わしいもの、無常と解体への傾向、形なき混沌へ還元しようとする下地を感じた。ダーサ王たる自身が、王子だったのに、牧人となり、人殺しとしてお尋ね者になりさがり、しまいにはまた王の位にのぼったが、どういう力に導かれ、誘われているのかわからず、明日、明後日のことは不確実であるように、人生の迷いの戯れは至る所で、高尚なものと卑しいもの、永遠と死、偉大さとおどけとを含んでいた。愛人さえ、美しいプラヴァティさえ、短時間のあいだ、魅力を失い、おかしく見えることが、幾度かあった。あまりにたくさんの腕輪をはめ、あまりに多くの誇りと勝利を目に浮べ、歩き方にあまり心をくばり、品位を持たせていたからである。
庭園や書物よりなおいっそう彼のいつくしんだのは、一子ラーヴァナだった。彼の愛と生活の結実であり、愛情と心づかいの的であって、きゃしゃな美しい子だった。正真正銘の王子で、母に似て小ジカのような目を持ち、父に似て冥想と夢想を好んだ。この子が庭で観賞用の木の前に長いあいだ立ったり、ジュウタンの上にかがんで、いくらかまゆを釣りあげ、静かな眼をいくらか放心したように見すえて、石や木彫りのおもちゃや鳥の羽の観察にふけっているのを見ると、父には、このむすこが自分に実によく似ている、と思われた。ダーサは、初めてしばらくのあいだ離れていなければならないことがあったとき、どんなにこの子を愛しているかを、悟った。
というのは、ある日、彼の国が隣のゴヴィンダの国と接している地方から、急使が到着して、ゴヴィンダの家来がそこに侵入し、家畜を奪い、多数の人間をも捕えて、連れ去った、と報告したのである。時を逸せず、ダーサは準備を整え、親衛隊の隊長、数十頭の馬、部下を引き連れて、盗賊の追跡に出かけた。そのとき、出馬の直前、小さいむすこを抱いて、キスすると、愛が火のような苦痛となって胸中に燃えあがった。火のようなこの苦痛は、恐ろしい力で彼を驚かし、未知のものから発する警告のように彼を動かしたが、長い騎行のあいだも、彼に認識と理解を促すものとなった。すなわち、馬を走らせているときも、どういう原因で自分は馬に乗って、こんなに容赦せずに地方に急ぐのか、こういう行為や骨折りを無理やり自分にさせるのは、いったいどういう力なのか、それをじっくり考えてみた。熟慮してみると、国境のどこかで家畜と人間が奪われたとしても、彼の心の底ではたいしたことではなく、苦痛でもなく、盗みや王の権利の侵害は、彼を怒りや実行へ燃え立たせるには十分でないこと、家畜略奪の報告は同情の微笑でかたづけるほうが自分にはふさわしいことを、悟った。しかし、そう言えば、疲れ果てるほど急いで知らせをもたらした使者に、ひどい不当な態度をとることになっただろう。略奪された人々や、捕えられ、連れ去られ、故郷の平和な生活から、他国へ引っぱっていかれて奴隷にされた人々に対しては、なおさらだ、ということを彼は知っていた。いや、何の損害も受けなかった臣下たちに対しても、軍事的|復仇《ふっきゅう》を断念することによって、不当な態度をとることになっただろう。王さまがもっと良く国を守らないこと、臣下のだれでもが暴力行為を受けた場合、復仇と援助を期待できないことは、彼らには耐えがたく、理解できないことだったろう。復仇のため馬を進めることこそ自分の義務だと、彼は悟った。しかし、義務とは何か。たびたび怠っても感じない義務が、どんなにたくさんあることだろう! この復仇の義務がどうでもよい義務の一つではなく、これを怠ることができず、いいかげんに、気のり薄に実行するのではなく、熱心に情熱をこめて実行するというのは、いったいどういうわけだろう? この疑問が心の中に起るやいなや、王子ラーヴァナと別れたときと同じ苦痛に胸を貫かれて、答えがすぐ胸にわいた。王が、抵抗せずに、家畜や人民が略奪されるのを捨てておいたら、略奪と暴力行為は彼の国の境からだんだん近づいてきて、しまいに敵は、彼自身の目の前に現われ、彼に最も大きな最も厳しい苦痛を与えうる点に、すなわちむすこに手を出すだろう、と彼はいま悟った。彼らは、彼の後継者であるむすこを奪い、おそらくは苦しめて殺すだろう。それは、彼のなめうる最悪の苦悩であろう。プラヴァティの死よりなおひどい、はるかにひどい苦悩であろう。そういうわけで、彼はひたすら馬を走らせた。非常に義務に忠実な王であった。しかし、家畜や国土の喪失に敏感だったからではなく、臣民に思いやりを持っていたからでもなく、父の王公としての名を守ろうという名誉心を持っていたからでもない。自分の子どもに対し、はげしい、苦しい、理屈を越えた愛をいだいているからであった。この子を失った場合受ける苦痛に対し、はげしい、理屈を越えた恐怖をいだいていたからであった。
馬を走らせながら、ここまで彼は見とおした。しかし、ゴヴィンダの家来に追いついて罰することはできなかった。敵は獲物を持って逃げてしまった。堅い意志を示し、勇気を証明するために、彼は今度はみずから国境を突破し、隣国の一村を侵害し、家畜と奴隷をいくらか連れ去らねばならなかった。幾日も彼は帰ってこられなかった。勝ち誇って帰る馬上で、彼はまた深い物思いにふけり、しんみりして、まるで悲しそうにうちに帰りついた。物思いにふけっているうらに、自分の存在と行動とをあげて、陰険な網に堅くとらえられ、締めつけられて、逃げる見込みがまったくなくなっているのを悟ったからである。思索する傾向、静かな観察と無為純潔な生活に対する欲求が、絶えずつのっていくとともに、他方からは、ラーヴァナに対する愛、その一身と生命と将来に対する不安と憂慮とから、同様に、行動を余儀なくされて、誘惑に巻きこまれるようになり、愛情から闘争が生じ、愛から戦争が生じた。すでに彼は、正義を行い、罰するためにすぎなかったとはいえ、家畜の群れを奪い、一つの村を死の恐怖に追いこみ、哀れな罪のない人間を暴力で引きずってきた。もちろんそこからはまた新たな復仇と暴力行為が生じるというふうに、それがどこまでも続いて、彼の全生涯と全国土がただもう戦争となり、暴力行為となり、武器のかち合う騒がしい音となるだろう。うちに帰ったとき、彼がひどくしんみりとしていて、悲しそうな様子をしていたのは、こういう認識、あるいは幻影のせいであった。
実際、敵意をいだいている隣人は、安泰を許さなかった。彼は侵入と略奪をくり返したので、ダーサは罰と防衛のため出動しなければならなかった。敵が退避すると、彼は部下の兵隊や猟兵が隣国人に新たな損害を加えるのを、見のがさないわけにはいかなかった。首府には、馬に乗ったものや、武装したものが、いよいよ多く見られるようになった。国境の村々には、今では絶えず兵隊が見張りをし、軍事上の会議や準備のため、安らかな日とてなかった。はてしなく続く小ぜり合いにどういう意味と利益があるのか、ダーサには理解できなかった。被害者の苦しみや、殺された者の命を、痛ましく思った。ますます投げやりにせざるをえなくなった庭園や書物、毎日の、自分の心の平和を、いたまずにはいられなかった。彼はそのことについて、バラモン僧のゴパラとたびたび語り、妻のプラヴァティとも数回語った。彼は、声望のある近隣の王公のひとりを調停者に招き、平和を樹立するよう努力しなければならない、自分としては、いくらかの牧草地と村を割譲することによって平和の招来に資することに、喜んで同意したい、と言った。バラモン僧もプラヴァティもそれに耳をかそうとしなかったので、彼は失望し、いくらかふきげんになった。
この点に関する意見の相違のため、プラヴァティとはげしい議論をするに至ったばかりか、仲たがいをするようにさえなった。切々と懇願するように、彼は妻に自分の論拠と考えを説明したが、彼女は、一語一語を、戦争や無益な殺害に反対するためのものではなく、ただ自分一個に反対するためのものであるかのように、感じた。彼女は、熱烈な多弁を振るって、ダーサのお人好しと平和愛(戦争恐怖心と言わないまでも)とを、自分の都合のよいように利用することこそ、敵のねらいだ、講和をつきつぎと結んで、そのつど領土と人民を少しずつ割譲させるようにし、それで結局決して満足なんかせず、ダーサが十分に弱くなるやいなや、公然と戦争に移行し、最後のものまで奪おうとするのだ、と彼に説いた。この際、問題なのは、家畜の群れや村々や、利益や損害ではなくて、全体なのだ。存立か破滅かが問題なのだ。ダーサが自分の位とむすこと妻のためになすべきことを知らないのなら、自分がそれを教えてやらなければならない、と言うのだった。彼女の目は炎と燃え、声は震えた。彼女がこんなに美しく情熱的になるのを、彼はもう久しく見たことがなかった。しかし彼は悲しみを感じるばかりだった。
その間にも、越境と平和破りは続いた。やっと大雨期が来たので、一時的にそれがやんだ。ところが、今度はダーサの宮廷に二つの党派ができた。一つは平和党だが、ごく小さく、ダーサ自身のほかには、ごく少数の年かさのバラモン僧たちが、これに属していた。博学の、冥想ざんまいの人々だった。これに反し、主戦派は、プラヴァティとゴパラの党で、司祭の多数と、将校の全部を身方にしていた。彼らは熱心に軍備をととのえた。隣国の敵も同じことをしているのを知っていた。少年ラーヴァナは、狩猟がしらから弓術の指南を受けた。彼の母は閲兵式には必ずむすこを連れて参列した。
そのころダーサは時折り、自分がかつて哀れな逃亡者として暮したことのある森と、そこに冥想の隠者として暮していた白髪の老人とを思い出した。時折り彼はこの老人をしのび、訪《たず》ねていって、再会し、助言を聞きたい、という願いを感じた。しかし、老人がまだ生きているかどうか、自分の言うことを聞いてくれるかどうか、自分に助言を与えてくれるかどうか、わからなかった。たとえまだ生きており、助言を与えてくれたとしても、万事はなるようにしかならず、なんと変えるよしもなかっただろう。冥想と知恵は、良い高尚なことだった。しかし、それはただすみの方で、人生のはじっこで栄えるにすぎないように、思われた。人生の流れの中で泳ぎ、その波と戦っているものの行為と苦悩は、知恵とは何のかかわりもなく、因果であり、宿命であって、なされ、悩まれるよりほかしようがなかった。神々も、永遠の平和と知恵の中に生きておらず、危険と恐怖、闘争と交戦を知っている。ダーサは多くの物語でそれを知っていた。それでダーサは、折れて出て、もはやプラヴァティと争わず、馬を閲兵式に進め、戦争が来るのを見、心身を擦《す》りへらす夜ごとの夢に戦争を予感した。彼の姿はだんだんやせ、顔はだんだん暗くなるうちに、彼は自分の生活の幸福と楽しみとがしおれ、色あせていくのを見た。残るのは、子どもへの愛だけだった。この愛は、憂慮とともにつのり、軍備や練兵とともにつのり、彼の荒れはてていく庭園の赤い燃える花となった。彼は、空虚さと喜びの欠如とにどんなに耐えられるものか、憂慮と不快にどんなに慣れうるものかに、驚いた。また、一見情熱を持たなくなった心の中でも、こういう不安にかられた、憂慮に満ちた愛が、燃えるように、圧倒するように花咲きうるのに、驚いた。彼の生活は、意味を失ったかもしれないが、核心となり、中心となるものがないわけではなかった。それはむすこへの愛のまわりを旋回していた。むすこのために、彼は朝、寝床から起き、戦争を目的とする仕事や骨折りに一日を送った。彼にとっていとわしい仕事や骨折りばかりだった。むすこのために、彼は我慢して指揮官会議を主宰し、せめて時機を待つように、あまり無思慮に冒険にとびこまないように、という範囲内で、やっと多数の議決に抵抗した。
生活の喜びである庭園や書物が、次第に彼にうとくなり、そむくようになるにつれ、あるいは彼が庭園や書物にうとくなり、そむくようになるにつれ、多年彼の生活の幸福であり、楽しみであったものも、彼にうとくなり、そむくようになった。それは政治とともに始まった。プラヴァティが彼に対し情熱的な演説をして、彼が罪悪をきらい、平和を愛するのを、ほとんど大ぴらに臆病と嘲《あざけ》り、ほおを赤らめ、燃えるようなことばで、王公の名誉と、英雄精神と、受けた屈辱について語った、あのとき、彼は、はっとして、目のくらむような思いで、妻が自分からどんなに遠ざかってしまったか、というより、自分が妻からどんなに遠ざかってしまったかを、突然感じ、悟ったのであった。それ以来ふたりのあいだのみぞはさらに大きくなり、次第に大きさを増したが、ふたりのどちらも何らそれを防止しようとしなかった。どちらかと言えば、何かそういうことをするのは、ダーサの義務であったろう。そのみぞは実際ダーサにしか見えなかったのだからである。それは、彼の頭の中では、いよいよあらゆるみぞの中のみぞ、男と女とのあいだの肯定と否定とのあいだの、霊と肉とのあいだの深淵《しんえん》となっていった。振り返って考えると、何もかも完全にはっきり見えるように思った。魅惑的な美人プラヴァティがかつて彼を恋のとりこにし、彼をもてあそび、ついに仲間であり友だちである牧人たちから別れ、それまで実に朗らかだった牧人の生活から別れ、彼女ゆえに異郷で奴隷のように暮し、彼が恋のとりこになっているのを利用して、彼を働かせる良くない人たちの家の婿になった次第が、はっきりしてきた。それからあのナラが現われ、彼の不幸が始まった。ナラは彼の妻を自分のものにしてしまった。豊かでおしゃれな王は、美しい着物やテントや馬や召使などで、貧しい、華美に慣れない女を誘惑した。それはまったくナラにとって易々たることだった。だが――もし彼女が心の底で忠実で貞淑だったら、実際あんなに早くやすやすと彼女を誘惑することができたろうか。ともかく、こうしてラジャーは彼女を誘惑した。いや、まさしく奪い取った。そして、ダーサがそれまで味わったことのないような、このうえなく忌《いま》わしい苦痛をなめさせた。だが、彼は、ダーサは、復讐《ふくしゅう》をし、彼の幸福を盗んだものを打ち殺した。それは、勝ち誇る得意の瞬間だった。しかし、その行為がなされるやいなや、彼は逃亡しなければならなかった。幾日も、幾週も、幾月も、彼は、やぶの中やイグサの中で、お尋ね者の身で、いかなる人も信ぜずに暮した。そのとき、プラヴァティは何をしていたろう? ふたりのあいだでそのことを詳しく話したことは、一度もなかった。いずれにしても、彼女は彼を追って逃げはしなかった。彼女が彼を探し、見つけたのは、彼の生れのゆえに、王として布告されたため、彼女が玉座にのぼり、宮殿にはいるには、彼を必要とするようになってからのことであった。そのとき、彼女は姿を現わして、森の中から、尊敬する隠者のそばから、彼を連れ出し、美しい服で飾り、王にしたのだった。何から何まで輝かしい幸福であった。――しかし実際は、あのとき、彼は何を捨て、そのかわりに何を得たろうか。かわりに得たのは、王の光輝と義務であった。義務は初めはらくだったが、その後だんだんむずかしくなるばかりだった。美しい妻と、彼女との甘美な愛情の時間を取りもどし、それから、むすこを得、これを愛するようになったが、脅やかされた生活と幸福との憂慮はだんだんつのり、ついに今は戦争が門前に迫るようになった。プラヴァティが森の中の泉のそばで自分を見つけたとき、彼女が自分にもたらしたものは、これであった。そのかわりに彼は何をあそこに残し、捨ててきただろうか。森と敬虔《けいけん》な孤独との平和を残し、神聖なヨーガ行者のそばにいて、これを模範とすること、彼の弟子となり後継者となる希望、賢者の深い輝く揺るがぬ魂の平安を得、生活の戦いと煩悩《ぼんのう》とから解放される希望などを捨ててきた。プラヴァティの美しさに誘惑され、妻に迷わされ、その名誉心に感化されて、自由と平和の得られる唯一の道を離れてしまった。今日では自分の経てきた生涯はこういうふうに見えた。実際、そう解釈することはまったく容易だった。ごくわずかの部分を握りつぶし省略しさえすれば、そう見ることができた。省略した部分というのは、とりわけ、彼はまだ隠者の弟子にまったくなっていなかったという事情、いや、すでに自発的に隠者からまた離れていこうとしていた、という事実だった。物事は、回顧する場合、このように容易にずれてくるものである。
プラヴァティは、この事柄をまったく別な目でみていた。もっとも彼女は、そういう考えにふけることは、夫に比べて、はるかに少なかった。あのナラのことについては、彼女は何も考えなかった。これに引きかえ、彼女の記憶に誤りがなければ、彼女ひとりがダーサの幸福を招来し、築き、彼を再び王にし、むすこを贈り、愛と幸福をふり注いでやったのに、結局彼は彼女の偉さに釣り合わず、彼女の計画に値しないことを発見したのだった。来たるべき戦争がまさしくゴヴィンダを破滅させ、彼女の勢力と財産を倍加させることは、明らかだったからである。ところが、ダーサはそれを喜び、それに熱心に協力しようとはせずに、いかにも王者らしく、戦争と征服に反対し、何よりも、花や木やオウムや書物を友として、無為に老いていくことを望んでいるらしく見えた。その点では、騎兵司令長官で、彼女自身についで熱烈な党人で、速戦即勝の主唱者であるヴィシュヴァミトラは、別人であった。ふたりの男を比較すると、どうみても、この男に有利な結果にならざるをえなかった。
自分の妻がこのヴィシュヴァミトラと非常に親しくし、彼を非常に讃美し、また彼から讃美されているのを、ダーサはよく知っていた。朗かな勇敢な、おそらくいくらか表面的で、あまり利口でない士官だが、力強い笑い方をし、美しい強い歯を持ち、ひげをよく手入れしていた。ダーサは、妻とこの士官との関係を、にがにがしい思いで、同時にけいべつをこめて見ていた。またみずからをごまかして、嘲笑的な無関心さを装っていた。ふたりの友情が、許された紳士淑女の道の限界を守っているかいないかを、彼はさぐろうとも、知ろうともしなかった。プラヴァティがこの色男の騎兵にほれこみ、あまりにも英雄的でなさすぎる夫よりこの男を高く買う態度を、ダーサは、外面的には無関心であるが、内心ではにがにがしい冷静さでながめていた。いや、彼はあらゆる事象をそういう冷静さでながめるように、慣れっこになっていた。それが不貞であるにせよ、妻が自分に対してあえてしようと決心しているらしい裏切りであるにせよ、ダーサの心事を軽視する表現にすぎないにせよ、それは同じことだった。それは事実で、発展し、戦争や宿命と同じように、彼に向ってつのってきた。それに対抗する方法はなかった。それに対しては、そのまま受け入れ、平然と耐える、というよりほかの態度はなかった。攻撃し征服するかわりに、そういう態度をとることが、今ではダーサの流儀の男らしさ英雄らしさであった。
騎兵隊長に対するプラヴァティの讃美、あるいは彼女に対する隊長の讃美が、許された良風の範囲内にとどまっているにせよ、いないにせよ、いずれにしても、プラヴァティのほうが自分自身より罪が軽いことを、ダーサは理解した。思索家であり懐疑家である彼ダーサは、自分の幸福の消失した罪を彼女に求めがちであった。あるいは、そうでなくても、自分が愛や名誉心や復讐行為や略奪などいっさいのことに陥り、巻きこまれたことには、妻にも共同の責任があると考えがちであった。いや、女こそ、愛こそ、快楽こそ、地上のいっさいのもの、煩悩や欲望や姦通《かんつう》や死や殺人や戦争などの乱舞と狂奔に責任がある、と頭の中で考えた。しかし同時に彼は、プラヴァティは、罪がなく、原因でもなく、むしろ彼女自身犠牲であること、彼女の美しさや、彼女に対する彼の愛を作ったのは、彼女自身ではなく、彼女にその責任があるわけでないこと、彼女は太陽の光線の中の小さい一つのちり、流れの中の一つの波にすぎないこと、女と愛とを、幸福への渇望と名誉欲とを脱却し、満足した牧人として牧人のあいだにとどまるか、あるいは、ヨーガの秘密の道を進んで、心中の不十分な点を克服するかは、まったく彼ひとりの問題であったことを、彼はよく心得ていた。彼がそれを怠ったのだ。それを拒んだのだ。彼は、偉大なことをする天職を授かっていなかった。その天職に忠実でなかったとも言えよう。妻が彼を臆病者と見たのは、正しかった。そのかわり、彼女から彼はこのむすこを、この美しいきゃしゃな少年を得た。この子のため彼はひどく心配したが、この子のいることはなんといってもやはり、彼の生活に意味と価値とを与えた。実際、この子は大きな幸福であった。苦痛と心配を伴う幸福であったが、やはり一つの幸福、彼の幸福であった。この幸福の代償として今彼は、心の中で痛みとにがさを味わい、戦争と死の準備をし、不幸を迎える自覚を持つのだった。向うでは、ゴヴィンダ王が、悪い思い出を残している誘惑者、つまりあの打ち殺されたナラの母親に、入れ知恵され、たきつけられていた。ゴヴィンダの侵入と挑発《ちょうはつ》は、いよいよ頻繁《ひんぱん》になり、大胆になった。強大なガイパリの王と同盟することだけが、平和と近隣友好条約を強制するに足るほど、ダーサを強くなしえただろう。しかし、この王は、ダーサに好意を寄せてはいたけれど、ゴヴィンダと親類だったので、そういう同盟に同意させようとするあらゆる試みを、極度に丁重に回避した。避ける道はなかった。理性や人道にたよる希望もなかった。災難はだんだん近づいてきて、甘受するほかはなかった。今となってはダーサは、戦争を、凝集した電光の爆発を、いまさら予防できない事件の促進を、待ち望んだくらいだった。重ねて彼はガイパリ王を訪ね、無益な辞令をかわし、会議の席で自重と忍耐を要望したが、まったくなんの希望もなしにやっているのだった。一方で彼は軍備をととのえた。会議における論争は、今ではもっぱら、敵がこの次侵入してきたら、敵国への進軍と戦争をもってこれに答えるべきか、それとも、とにかく敵が人民に対しても、全世界に対しても、戦争責任者であり、平和破壊者であるようにするため、敵の総攻撃を待つべきか、という一点にかかっていた。
敵は、そういう問題におかまいなしに、考慮や相談やためらいにけりをつけて、ある日攻撃してきた。敵はかなり大がかりな略奪襲撃を企てた。それにおびき出されて、ダーサは騎兵隊長と部下の精鋭をあげて大急ぎで国境へ向った。彼らが前進中に、敵は主力をもって国内へ、直接ダーサの都へ侵入し、城門を奪取し、宮殿を包囲した。ダーサがその報を聞いて、すぐ引き返したが、そのとき、妻とむすこは、危険の迫る宮殿の中に閉じこめられ、街上では血なまぐさい戦闘が行われていることを知った。妻子のことと、妻子が陥っている危険を思うと、彼の胸ははげしい悲痛に締めつけられるようだった。こうなっては、彼も、気のすすまぬ、慎重な将軍ではなかった。苦痛と憤激に燃えあがり、彼は部下とともに猛烈に急いで都へとってかえし、戦闘があらゆる路上で波打っているのを見、宮殿の中へ血路をひらき、敵を食いとめ、狂ったように戦ったが、ついに血戦の一日のたそがれのころ、力つき、いくえにも負傷して倒れた。
意識をとりもどしたとき、彼はとりこになっており、戦いは破れ、都と宮殿は敵の手に帰していた。彼は縛られてゴヴィンダの前に連れていかれた。ゴヴィンダは嘲るように彼を迎え、一室に導いた。それは、壁に彫刻と金めっきを施したへやで、巻き物の書物が置いてあった。そこのジュウタンの上に、彼の妻プラヴァティが、石のような顔をして、正座していた。武装の番兵がうしろに立っていた。彼女はひざに少年を横たえていた。きゃしゃなからだは、折れた花のように、死んで、顔は灰色で、着物は血にまみれていた。夫が連れてこられたとき、妻は見向きもせず、じっと無表情で、死んだ子どもを見つめていた。彼女は、ダーサの目には異常に変っているように見えた。しばらくして初めて、彼は数日前はまだ真っ黒だった彼女の髪が、至るところ灰色に光っているのに気づいた。もう長いあいだ、彼女はそうやって子どもをひざにのせ、こわばって、仮面のような顔をして、すわっていたらしかった。
「ラーヴァナよ!」とダーサは叫んだ。「ラーヴァナよ、わが子よ、わが花よ!」彼はひざまずき、顔を死人の頭の上に沈めた。祈る人のように、彼は無言の妻と子どもの前にひざまずいたまま、ふたりをいたみ、変らぬ心を示した。子どもの髪に塗られた花の油のにおいにまじって、血と死とのにおいをかいだ。プラヴァティは、凍ったまなざしでふたりをじっと見おろしていた。だれかが彼の肩を揺すった。ゴヴィンダの隊長のひとりだった。隊長は彼に、立ちあがれ、と命じ、連れ去った。彼はプラヴァティに一言もことばをかけなかった。彼女も彼に一言も言わなかった。
縛ったまま彼は車にのせられ、ゴヴィンダの都の牢屋《ろうや》に入れられた。鎖は一部分解かれた。兵隊が水がめを持ってきて、石のゆかに置いた。彼はひとりぼっちにされ、戸が閉ざされ、錠がおろされた。肩の傷が火のように燃えた。彼は水がめを手さぐりし、両手と顔を水でぬらした。飲みたくもあったが、それはやめた。飲めば、死を早めるだろう、と思った。この状態がなおどんなに長く続くことだろう! どんなに長く! かわいたのどが水にこがれるように、彼は死にあこがれた。死によって初めて、心の中の責め苦もやむだろう。そしたら、母のおもかげも死んだむすことともに、初めて胸中から消えるだろう。しかし、苦悩にとりまかれているさなかで、疲労と衰弱が彼にあわれみをかけた。彼はぐったり倒れて、寝入った。
この短いまどろみから、うつらうつらさめて、彼はぼおっとしたまま、目をこすろうとしたが、それができなかった。両手はもうふさがっていたのだ。両手は何かをしっかり握っていた。勇気を振るって、目を見はって見ると、まわりにあるのは、牢屋の壁ではなくて、緑色の光が明るく力強く木の葉やコケの上に流れていた。彼は長いあいだまばたきをした。光線が、音はしないがはげしい打撃のように、彼を打った。背首と背中に、ぞっとする身震いとけいれんのような恐怖が伝わった。もう一度彼はまばたきし、べそをかくように顔をゆがめ、目を大きく見ひらいた。彼は、森の中に立って、水を満たした鉢を両手に持っていた。足もとでは、泉の池が茶色に緑色に反映し、向うには、シダの茂みの奥に小屋が立っていて、彼を水汲みに出したヨーガ行者が待っているのが、わかった。実に奇妙な笑い方をした人で、彼が迷いについて教えを請うた人だった。彼は戦闘に敗れたのでも、むすこを失ったのでもなかった。王公でも父親でもなかった。だが、ヨーガ行者は彼の願いをかなえ、迷いについて教えてくれたのだった。つまり、宮殿と庭園も、蔵書と鳥の飼育も、王の憂慮と父の愛も、戦争と嫉妬《しっと》も、プラヴァティに対する愛とはげしい不信も、すべて無であった――いや、無でなく、迷いであった! ダーサは感動して立っていた。涙がほおに流れた。両手の中では、隠者のために満たしたばかりの鉢が、震え、揺れた。水がふちを越えて、彼の足の上に流れた。手足を一本切りとられ、頭の中から何かを取りのけられたような気がした。彼の心の中は空虚になった。突然、生きてきた長い歳月、守ってきた財宝、享楽した喜び、受けた苦痛、忍んだ不安、死の間近までなめた絶望などが、取り去られ、消され、無になってしまった! しかも、無になったのではなかった! なぜなら、思い出は存在し、おもかげは胸中に残っていたからである。今も、プラヴァティが大きくじっと、急に灰色になった髪をしてすわっているのが見えた。彼女みずから締め殺しでもしたように、むすこが彼女のひざに横たわっていた。獲物のように、むすこは横たわっていた。手足は力なく彼女のひざから垂れさがっていた。ああ、なんと早く、なんと恐ろしく、むごたらしく、なんと徹底的に、彼は迷いについて教えられたことだろう! すべてが押しのけられてしまった。体験に充満した多くの年月が縮まって数瞬となり、さっきまで多難な現実だったものが、すべて夢となった。昔おこった他のすべてのこと、たとえば、王のむすこダーサや、彼の牧人生活や、結婚や、ナラに対する復讐や、隠者のもとへの避難などの物語も、夢だったのかもしれない。彫刻を施した宮殿の壁に、花や星や鳥やサルや神々が木の葉の茂っているあいだに見られる図を讃嘆するように、すべては絵だったのだ。たった今彼が体験し、目の前に見たこと、つまり、王や戦争や牢屋の夢からさめたこと、泉のそばに立ったこと、今しがた少し水盤から水をこぼしたこと、そのとき自分の考えたこと、それはすべて結局同じ材料からできているものではなかったか。夢では、幻影では、迷いではなかったか。将来いつか死ぬまで、彼がなお体験し、目で見、手で触れるであろうことは、別な材料でできており、別の性質のものであろうか。それは戯れであり、仮象であり、泡《あわ》であり、夢であり、迷いであった。燃える歓喜と燃える苦痛を伴う人生の、美しい、恐ろしい、うっとりする、絶望的な多彩な戯れは、すべて迷いであった。
ダーサは依然として、まひし、不随になったような形で立っていた。両手の中で鉢がまた揺れて、水がこぼれ、彼の足の指にはねかかって、流れた。どうしたらよかったろう? 鉢に再び水を満たし、ヨーガ行者のところへ持って帰って、夢の中で出くわしたすべてのことを、嘲笑してもらったものだろうか。それは、心をそそることではなかった。彼は鉢を傾けて、水を注ぎ、コケの中に投げ捨てた。そして緑の草に腰をおろし、真剣に考え始めた。こんな夢にはもう飽き飽きした。人の心を締めつけ、血を停滞させ、そのあげく、迷いとなり、人を愚か者として置いてきぼりにする、体験や喜びや悩みなどの、悪魔のようなもつれには、もう飽き飽きした。もう何もかもたくさんだった。彼はもう妻も子も欲しくなかった。王位も勝利も復讐も、幸福も賢明さも、力も徳も欲しくなかった。彼が欲したのは、ただ安らかさであり、終りであった。願うのは、この永遠に回転する車輪を、このはてしない画面を停止させ、消滅させることであった。自分自身を静止させ、消滅させることを彼は願った。ちょうど、あの最後の戦いの折り、敵の中に突入し、あたりを打ち払いつつ、自分も打たれ、負傷をさせつつ、負傷を受け、ついに倒れたあのとき、願ったと同じように。――だが、それからどうなるだろう? それから、人事不省の、まどろみの、死の休止がくる。そのあとすぐ目をさまし、人生の流れを胸の中に、恐ろしい、美しい、ぞっとする画面の流れを新たに目の中に入れねばならない。はてしなく、逃れようもなく、また次に人事不省に陥り、死ぬまで、それがくり返される。死はおそらく休止であろう、短いささやかな休息であろう。ほっと一息つくことであろう。だが、それからまた続いて、人生の陶酔し絶望した乱舞の中の無数な姿態の一つとなるだろう。ああ、消滅することはなく、終ることはなかった。
焦燥にかられて彼はまた立ちあがった。この呪《のろ》われた輪舞に休止はなく、彼の唯一の切望はかなえられないとしたら、鉢にまた水を満たして、彼にそれを命令した老人のところへ持っていっても、同様によいわけだ。もっとも老人は何も命令したわけではなかった。それは、所望された奉仕であり、依頼であった。それに従って、そのとおり実行してもよかった。そのほうが、すわって、自殺の方法を考えるより、よかった。実際、総じて服従し、奉仕することは、支配し、責任を負うことより、ずっと容易で、より良く、ずっと無邪気で、からだのためにもよかった。それだけのことがわかった。よろしい、ダーサよ、さあ、鉢を取って、水をきれいに満たし、お前の主人のもとへ運べ!
小屋へ行くと、師匠は特別なまなざしで彼を迎えた。了解してさりげなく尋ね、半ば同情し、半ば興がっているまなざしであった。年下の少年が骨の折れる、いくらか恥ずかしい冒険、たとえば課せられた度胸だめしからもどってくるのを、年上の少年が見る場合、するような目つきだった。牧人となったこの王子、自分のところに飛びこんできたこの哀れな男は、単に泉から水を持って来ただけで、ものの十五分とは離れていなかった。だが、ともかく彼は牢屋から来たのであり、妻子と王国を失い、人間の生活を卒業し、回転する車輪に目をとめたのだった。おそらくこの若い人はすでに以前一度、あるいは数回目をさまされ、一口の現実を呼吸したことがあるのだろう。そうでなかったら、彼はここに来なかっただろうし、こんなに長いあいだ居つづけはしなかっただろう。今はしかし彼はまさしく目をさまされ、長い道にのぼるのに十分なだけ円熟したように見えた。この若い男に姿勢と呼吸を正しく教えこむだけでも、幾年もかかるだろう。
このまなざしだけで、好意ある関心のしるしと、ふたりのあいだに生じた関係の、つまり師弟の関係の暗示とを含む、このまなざしだけで、ヨーガ行者は、弟子の入門を許可した。このまなざしは、弟子の頭から無益な想念を追い払い、規律と奉仕の中に彼を迎えた。ダーサの生活について、これ以上語ることはない。これからさきは、形やできごとのかなたにおいて行われたのである。彼はもはや森を離れなかった。
[#改ページ]
あとがき
この奇妙な題名の大作は、第二次世界大戦の最中、一九四三年スイスで刊行された。ヘッセの最大の作品であるとともに、最後の長編であって、その時ヘッセはまだ六十六歳であったが、その後もはや息の長い作品を書かなかった。彼はこの一作に精神的、肉体的エネルギーを投入しきって、彼の文学の総決算をした観がある。その後の十九年間は、軽いエッセイや小品や詩や読者への手紙で余生を送ったという形になった。それだけ、これはヘッセのすべてといってもよく、質量ともにヘッセの全文学中、最も高い地位を占め、最も重い比重を持っている。
一九四六年ヘッセにノーベル文学賞が贈られたについては、叙情詩人ヘッセの全詩集(一九四二年)と『ガラス玉演戯』とが決定的な働きをしたことは、その授賞の経緯に徴しても明らかである。『ガラス玉演戯』には、叙情詩人ヘッセの行きついた最後の段階の詩が十三編ふくまれているし、その中の「階段」という詩が、ヘッセの白鳥の歌ともいうべき最後の著作詩集『階段』の書名になっているように、この大作は詩人ヘッセのしめくくりでもある。もちろん、高いヒューマニズムと平和主義に貫かれた『ガラス玉演戯』が出なかったら、ノーベル賞のきっかけは得られなかったにちがいない。
この大作が出て三年めに、ヘッセがノーベル賞を受けたため、いわばノーベル文学賞作品として有名になったけれど、きわめて高度な哲学的な芸術的な作品であって、大衆的な作品ではない。ところが、意外なことに、ドイツ語の版だけで一九七〇年までに五十二万部に達している。最もポピュラーになっている『車輪の下』や『デミアン』よりずっと多く出ているのは、まったく驚くべきことである。ノーベル文学賞の作品というだけでは、持続的に多くの人に読まれるわけにいかないであろう。これは、らくに楽しんで読めるという作品ではなく、自分の頭でかみくだいて味わっていかなければならない性質の作品である。作者の提供するものを受入れるという態度だけでなく、読者みずから取組んで、最高級の精神的な遊びを共に遊ぶという態度でなければ、味わいこなすことはできない。しかし、そうするならば、このうえなく多彩で豊かな学芸の深く高い境地を楽しむことができる。そしてそれは十二分に報われる楽しい境地である。西ドイツは経済的に奇蹟《きせき》的な復興をとげたため、繁栄に酔いしれ、「阿呆《あほう》の天国」になったなどと、あるジャーナリストから酷評されたが、その西ドイツで五十万人もの人がこの極度に高尚な高価な本を買っているという事実は、人間が物質だけに生きるものでないことを、みずから苦しんで精神の問題と取組もうとする人の少なくないことを実証している。また昨今にわかに関心を持たれだした遊びの意義を考える人の多いことを示している。
ヘッセは『ガラス玉演戯』を、一九三一年から四二年にかけ、十年あまりかかって書いた。それはヨーロッパの、そして世界の歴史にとって、混乱と困難とをきわめた時期にあたっている。作者はその激浪をまともにかぶり、波乱にもまれる難航のうちに、仕上げたのである。その成立史は、ナチスの暗黒時代を貫く一筋の純粋な精神のシュプールとしてきわめて興味ふかいものがある。
この作品が着想された一九三一年ころは、ヒトラーのナチスが、世界的な経済恐慌と失業者続出に乗じて、人心をかきみだし、三二年には議会でも第一党となり、三三年についにヒトラー政権を樹立した。ヘッセは、すでに第一次大戦の時、平和と愛は戦争と憎しみより美しく高貴なことを説いて非戦論の立場を明らかにしたくらいであるから、もちろんナチスに対し鋭く批判的であった。ナチス政府の成立後まもなく、トーマス・マンやブレヒトが亡命して、スイスにいるヘッセを訪れた。ヘッセはその他多くの亡命作家に救援の手をさしのべた。ヘッセ自身は一九二三年からスイス国籍になっていたし、政治的に行動的でなかったから、ナチスも初めはヘッセを敵視せず、むしろ彼を自分の陣営に引入れようと陰謀をたくらみさえした。ヘッセはナチスの毒気を耐えがたく感じ、精神的にそれに対抗するために『ガラス玉演戯』の構想をすすめた。
こうして、ナチスが、ドイツ国民の神聖ローマ帝国とカイゼル・ヴィルヘルムの帝国とを継ぐ第三国家の建設を呼号し、独裁政治の暴走を始めたのに対し、ヘッセは、戦争と雑文文化の世紀である二十世紀を批判し、バッハやゲーテ、プラトーンやトーマス・アクィナス、ヨーガ〔瑜伽〕や易経など東西の学芸を総合した精神の国のユートピア物語を創作しはじめた。
そこに、目に見えない奇妙な競争が行われた。一方は、人間性を圧殺する暴力によってはなばなしくヨーロッパを席巻《せっけん》してゆき、他方は、しだいに作品発表の道をふさがれ、生活の道を絶たれ、三人のむすこをナチスの侵入におののく小さい中立国スイスの軍隊にささげた。剣は明らかにペンより強いように見えた。しかし、一九四三年、ヘッセがやっとスイスで『ガラス玉演戯』を出した時、ナチスは、全欧を支配していたものの、スターリングラードの悲劇的降伏を余儀なくされ、その運命はすでに決していた。やがて、ナチスは壊滅し、第三国家は十二年の悪夢に終ったのに対し、『ガラス玉演戯』はノーベル賞に輝いた。暴力はナチス・ドイツを世界の敵にしたが、ユートピア的詩想はドイツの詩人を世界の友にしたという形で、ヒトラーとヘッセの競争は終った。
当初この大作は、現実と強く結びついていた。ナチスの毒ガスを耐えがたく感じたヘッセは、それと正反対の純粋な精神的な空間を作ると共に、野蛮なナチスを批判することによって、ドイツ国内で隠忍し抵抗している人たちを励ますという気持で筆をとった。その名ごりは、この作品の中に、二・二が四というようなことを将軍がきめる、といった皮肉としてあとをとどめているが、完成された作品では、時事的な要素はかなりはぶかれて、超時間的な芸術作品になった。
ヘッセの友人で、ヘッセの出版社ブィッシャーを承《う》けついだペーター・ズールカンプは、完成された『ガラス玉演戯』の原稿にいくらか妥協的な手を入れて、一九四二年、戦争中のドイツで出版しようと百方努力したが、ナチス検閲の承認が得られず、刊行されなかったばかりか、ズールカンプはやがて強制収容所に入れられ、むごい拷問を受けた。ようやく終戦の翌年、ズールカンプは『ガラス玉演戯』をはじめ、ヘッセの全作品をドイツで出すことができた。戦争中『ガラス玉演戯』はスイスから小部数ドイツへ密輸入され、貴重品のように同士の間で回し読みされた。カロッサもそのようにしてこれを読み、感激したことを回顧している。
この長編は、紀元二四〇〇年ころの、カスターリエンという学芸の香り高い理想郷を舞台にしている。プラトーンのアカデーメイア、あるいはゲーテの『遍歴時代』の教育州などが連想きれるであろう。学問と芸術と冥想《めいそう》とを三支柱とする聖職制度の州が想定されている。節度、調和、秩序、畏敬《いけい》、全学芸の全分野の神秘的結合などを基調としている点で、二十世紀と反対な世界が考えられる。この州の精粋がガラス玉演戯である。それが何であるかは、明確に定義されていない。それは象徴的な遊びであり、学芸、特に音楽と冥想とを組み合せた演戯である。
ガラス玉演戯は、ヘッセが見習い機械工だったころの町工場の主人ペロットを思わす人が、ガラス玉と針金で組み立てた楽器でさまざまの着想を構成したことから出発している。のちにそれが高度な発展をとげ、たとえば、バッハのフーガの主題とか、奥義書の一文とかから出発し、あらゆる精神的な価値を組み合せて、完全最高な文化の総合を演出する。言ってみれば、オルガン奏者が学芸の粋を鍵盤《けんばん》として演奏し、画家が過去のあらゆるすぐれた精神財貨を絵具として絵をかくようなものである。これ以上美しく内容の豊かなものは考えられないであろう。
そういう人間の文化の極限に到達するガラス玉演戯名人、ヨーゼフ・クネヒトの伝記という形で、この作品は書かれている。きびしくて豊かな精神的修練を経て、天分に富んだ少年クネヒトはカスターリエン州で栄進して、最高の地位に達する。しかし、クネヒト〔しもべ〕という名の示すとおり、高い地位につくものほど、奉仕の精神に生きるべきものとされている。精神に奉仕するクネヒトは最高の地位にのぼったが、それを絶対視することなく、歴史の必然的な推移を透察して自分からその地位を去り、素質のある一少年の家庭教師の地位に退く。すべてが踏み越えられてゆかねばならないのである。ヘッセはガラス玉演戯のカスターリエンという至高の理想郷を創作したが、それも絶対ではなく、踏み越えられてゆくのである。クネヒトは高山の湖水で少年のあとを追って泳ぎ、水死して終るが、その死は少年に神聖な身ぶるいをおぼえさせ、高い使命を予感させる。
この架空な伝記的物語には、女性がほとんど出てこないくらいで、小説らしい波乱や色彩に乏しいように思われるが、音楽的な少年の生立《おいた》ちには清らかなつやっぽさがあり、成人したクネヒトには澄徹した明朗さがある。歴史をきわめ、学芸の粋を身につけたクネヒトは、明朗さを究極の最高の境地とする。「……詩人や音楽家は、初めは涙と苦痛な緊張によってわれわれを導くとしても、光をもたらすもの、地上における喜びと明るさを増大さすものだ。……詩人は悲しい孤独者で、音楽家は憂鬱《ゆううつ》な夢想家であるかもしれないが、そういう場合でも、その作品は神々と星との明朗さにあずかっている」
クネヒトのこの表白は作者ヘッセの心境の反映でもあろう。この大作が混沌《こんとん》として暗い現実にあえぐ人々を引きつけるのは、きびしい試練を越えた人からにじみ出る深い明朗さのゆえでもあろうか。本文のあとにクネヒトの遺稿として添えられている詩文、特に、「シャボン玉」「階段」などの詩や、「ざんげ聴聞師《ちょうもんし》」、「インドの履歴書」などの物語は、踏み越えられた試練のあとの明朗さを具体的に興味ふかく感じさせる。
原作の原名は Das Glasperlenspiel, Versuch einer Lebensbeschreibung des Magister Ludi Josef Knecht samt Knechts hinterlassenen Schriften, Herausgegeben von Hermann Hesse である。