荒野の狼
ヘルマン・ヘッセ/永野藤夫訳
目 次
編集者の序文
ハリーハラーの手記……狂人だけのために
解説
[#改ページ]
編集者の序文
この本は、本人がよく使っている表現でわたしたちが「荒野の狼」とよんだ、あの男の残した手記である。その原稿に紹介の序文が必要かどうかはともかくも、荒野の狼の原稿に数枚をそえて、彼の思い出を書きとめたい。わたしが彼について知っていることは、ごくわずかで、特にその過去と素姓は今も全然わからない。しかし、わたしは彼の個性から強い、それでも同感できる印象を受けた。
荒野の狼は五十くらいの男で、数年前のある日わたしの伯母の家によって、家具つきの部屋を借りたいといった。彼は屋根裏部屋とその隣りの小さな寝室を借り、数日後トランク二つと大きな本の入った箱を一つもってまたやって来て、九ヵ月か十ヵ月月わたしたちの家に住んだ。彼はひっそりとひとりで住んでいた。わたしたちの寝室が隣あっているので、偶然にときどき階段や廊下で出会わなかったら、わたしたちは多分しりあわなかったろう。この男は社交的ではなかったからである。今までみたこともないほど非社交的だった。実際、彼はときどき自称したように、荒野の狼だった。わたしの世界とは別の世界から来た、異様で、荒々しい、全く内気な存在だったからである。もっとも、彼がその素質と運命にもとづいてどんなに深い孤独になれ、この孤独をどんなに意識的に自分の運命と認めたかは、わたしは彼がここに残した手記から、初めて知ったのである。だが、とにかくその前からときどきちょっと出会ったり、話したりしたので、彼といくらか知りあった。そして、手記からえた彼のイメージが、知りあうことによってえた、むろんいくらかぼんやりして不完全なイメージと、結局は一致するのを知った。
偶然に、わたしは、荒野の狼が初めてわたしたちの家にやってきて、伯母の所に間借りしたとき、居あわせた。彼は昼時やってきた。食器がまだテーブルに出ていて、わたしは事務所へ行くまで、まだ三十分|間《ま》があった。初対面のとき彼から受けた、変ったひどく分裂した印象が、忘れられない。彼はあらかじめ鈴をひいてから、ガラス戸から人ってきた。伯母はうす暗い玄関で、用向きをたずねた。ところが、この荒野の狼は、返事をしたり、名のったりする前に、髪の短いとがった頭を何かをかぐようにもたげ、鋭敏な鼻であたりをかぎまわって「ああ、ここはいいにおいだ」といった。彼はそういってほほえみ、人のよい伯母もほほえんだ。でも、わたしはこのあいさつの言葉を、むしろこっけいだと思い、彼が気にさわった。
「ところで、お宅の貸間のことでまいりました」と、彼はいった。
三人そろって屋根裏部屋への階段をのぼっていった時初めて、わたしはこの男をいくらかよく見ることができた。彼はそう大きくはないが、背の高い人のように少しうなだれて歩いた。モダーンで着ごこちのいい冬外套を着ていた。それに、立派だが、むとんじゃくな服装だった。きれいにひげをそり、髪はごく短くしていたが、あちこちに白いものが交って光っていた。歩きぶりは始め全く気に入らなかった。どこかたいぎで、ためらいがちな所があり、それは鋭い強烈な横顔に、また話の調子や気質にも、一致していなかった。後で初めて気づき、聞きもしたのだが、彼は病気で、歩くのがたいぎだった。当時もわたしの気にさわった独特なほほえみをうかべ、彼は階段、壁、窓、階段の所にある古い高い戸だなを観察した。これらはすべて彼の気に入ったようだが、いくらかこっけいにも見えたらしかった。とにかく、この男全体は、見知らぬ世界から、いわば海外の国からやってきて、ここの物はなんでもすばらしいが、いくらかこっけいだと、思っているかのような印象を、与えたのだった。彼はていねいで、あいそさえよかったと、いわざるをえない。家、部屋、間代と朝食代、その他すべてにすぐ文句もいわずに同意した。だが、この男全体のまわりにはなじめない、どうもよくない、あるいは敵意のある雰囲気があった。彼は部屋をかり、寝室もかり、暖房や水やサーヴィスや居住者心得について教えてもらい、注意深くあいそよくきいていて、すべてに同意し、すぐ部屋代の前払いを申し出さえした。だが、それにもかかわらず、本気でないようにみえ、自分のやっていることをこっけいだと思い、まじめに考えていないようにみえた。それはまるで、ほんとは心の中で全く別の事をやっているのに、部屋をかりたり、ひととドイツ語を話したりするのが、彼には珍らしく新しいことであるかのようなぐあいだった。わたしのうけた印象はそんなふうのもので、いろんな小さな線で消したり、訂正されたりしなかったら、それは決してよくはなかっただろう。始めからわたしの気に入ったのは、まずその男の顔だった。それは変った表情なのに、わたしの気に入り、恐らくいくらか独特で、悲しげでもある顔だが、油断のない、とても思想のゆたかな、きたえられた、精神化された顔だった。そしてまた、わたしの心をなごやかにしたのは、彼のていねいであいそのいい物腰が、いくらかそれに気を使っていたのだろうが、全く高慢でなかったことだった――反対に、それにはなにか感動的といってもいいような、哀願するような所があった。わたしは後になってやっとその説明がついたのだが、彼のそういう所にわたしはすぐいくらかひきつけられたのだった。
二部屋の下見と他の交渉がすまないうちに、わたしの昼休みの時間がすぎ、勤めに行かねばならなかった。わたしは別れをつげて、彼を伯母にまかせた。夕方もどると、伯母の話では、あの男は部屋をかりることにし、近くひっこしてくるが、それを警察にはとどけないでほしい、病身の自分には手続や署に出頭したりするのは、たえられないからと、たのんだということだった。わたしは今でもはっきりおぼえているが、あの時おどろいて、そんな条件に応じないように、伯母に注意した。あの男にそなわるうさんくさい異様な点に、警察をさける気持があまりにもぴったりするように、わたしには思われた、あやしいと目立つわけではなかったのだが。わたしは伯母に説明して、赤の他人のどうも何か変にかわった無理な注文に、決して応じてはいけない、そんなことをしたら、ひょっとしてとんでもない事になるかもしれないと、話した。ところが、伯母は願いをかなえると約束し、もうすっかりこの見知らぬ男のとりこになっていることがわかった。なぜなら、彼女は、どこか人間的な、親しい、伯母さんのような、あるいはむしろ母親のような関係になれないような間借り人を、決しておいたことがなかったからである。こういうことは、以前の間借り人にもよくさんざん利用された。始めの数週間そんなわけだったので、わたしは新しい間借り人にいろいろ文句もあったが、そのつど伯母は親切に彼をかばった。
警察にとどけないということが気にくわないので、わたしはせめて、伯母がこの見知らぬ男の、その素姓と目的について知っていることを、知りたいと思った。ところが、彼は昼頃わたしの去ったあと、ごくわずかしかそこにいなかったのに、伯母はもうあれこれ知っていた。彼は数ヵ月わたしたちの町に滞在して、図書館を利用し、町の古跡を見物したいと、伯母にいっていた。ほんのわずかしか間借りしないのは、本当は伯母にはつごうが悪かったのだが、彼はどこか変った態度にもかかわらず、もうはっきりと伯母を味方にしていた。要するに、部屋は貸され、文句をいっても後の祭りだった。
「なぜあの人は、ここはいいにおいだと、いったのでしょう?」と、わたしはたずねた。
すると、ときどきすばらしい予感を働かせる伯母は、話した。「それはちゃんとわかりますよ。この家では清潔と整頓、気持のいい立派な生活のにおいがするんです。それがあの方のお気に召したんです。あの様子では、そういう物にはもう縁がなく、不自由しているようですね」
なるほど、そのとおりだろうと、わたしは思った。「でも」と、わたしはいった。「彼がきちんとした立派な生活に縁がなくなっているなら、これからどうなることだろう。彼が不潔で、なんでもよごしたり、夜中だろうと何だろうと平気でよっぱらって帰宅したら、どうするつもりです?」
「そのうちわかりますよ」と、彼女はいって笑った。わたしはこれでおしまいにした。
実際、わたしの心配は根拠がなかった。間借り人は決してちゃんとした分別のある生活をしてはいなかったが、わたしたちを苦しめたり、害したりせず、わたしたちは今でも彼を気持よく思い出している。でも、内面的には、心の中では、この男はわたしたち二人、伯母とわたしを、ひどくじゃまし、苦しめたから、正直にいえば、わたしはまだ今もって彼のことが割り切れない。よく彼の夢をみ、彼がすきになったのに、彼のせいで、彼のような者が存在するというだけで、全くじゃまされ、不安にされるのを感じている。
二日たって、御者がハリー・ハラーという見知らぬ男の荷物をもってきた。ひどく立派な革のトランクは、わたしによい印象を与えた。大きな平たい船室用トランクは、過去の遠い旅行を示しているようだった。すくなくともそれには、方々の国の、さらに海外の国のホテルや運送会社の、黄色くなったラベルがはってあった。
次に彼自身が現われ、この奇妙な男と次第に知り合う時期が始った。始めは、わたしは自分の方からは何もしなかった。初めて会った時から、ハラーには関心をもっていたが、最初の数週間は彼と会ったり、話したりしようとはいっこうしなかった。だが、むろんわたしは、白状しないわけにはいかないのだが、そもそもの始めからこの男をちょっと観察し、時にはるすの間に、彼の部屋に入って、全く好奇心から、ちょっとばかりスパイをしたのだった。
荒野の狼の外見については、わたしはもういくらか説明した。彼は全く、ひと目見た時すぐ、立派で、珍らしい、異常に才能のある男の印象を与えた。その顔は精神にあふれ、表情のひどく繊細で敏感な変化は、興味ある、はなはだ活発な、非常に繊細で敏感な精神生活を反映していた。彼がひとと話す時、いつもというわけではないが、しきたりをやぶって、その異常さから個性的で独特な言葉を話すと、わたしたちのような者はすぐ彼のいいなりになった。彼は他の人たちより考え深く、精神的なことでは、冷静なといってもいいほどの客観性をもっていた。野心などを全くもたず、目立とうとか、他人を説得しようとか、主張をとおそうとか思わない、真に精神的な人だけのもてる、あのしっかりした思索と知識を、彼はもっていたのだった。
とても発言などというものではなく、まなざしを主体とする、そんな一つの発言を、わたしは彼がここにいたおしまい頃の事として思い出す。その頃、ヨーロッパに名を知られた有名な歴史哲学・文化批評家が、大講堂で講演することが、予告されていた。荒野の狼は始めは全然興味をもっていなかったが、わたしはうまく説きふせて、講演をききに行かせることにした。わたしたちはいっしょに出かけ、講堂で並んですわった。講演者は壇にのぼって、あいさつし始めると、彼を一種の予言者と思っていた多くの聴衆を、いくらかきざな態度でがっかりさせた。さて、彼が話しだし、始めに聴衆にちょっとおせじをいい、多くの来聴を感謝すると、荒野の狼はわたしにちらっとまなざしを投げた。それは、この言葉と講演者の全人格への批評のまなざしで、忘れがたい恐ろしいもので、その意味についてなら一冊の本が書けるほどだった。そのまなざしは講演者を批判し、やさしいが有無をいわせぬ皮肉で、この有名人をぺしゃんこにやっつけたばかりでなかった。そんなことは何でもなかった。そのまなざしは皮肉であるより、ずっと物悲しげで、それどころか底なしに深く、絶望的に悲しげだった。静かな、いくらか固定した、いくらかもう習慣や形式になった絶望が、このまなざしに含まれていた。それは絶望的な明るさで、このうぬぼれた講演者の人物を射とおしたばかりでなく、その時々の状況、聴衆の期待と気分、公告されていたいささか思いあがった演題を、皮肉り、やっつけた――いや、荒野の狼のまなざしは、現代全体を、うぬぼれた浅薄な精神性のあくせくしたふるまい、野心、うぬぼれ、うわべだけのお芝居をすべて、見ぬいた――ああ、残念ながら、そのまなざしは、現代やわたしたちの精神性や文化の欠陥と絶望を、普通よりも深く広く見ぬいた。あらゆる人の心臓にまで及んだ。ただの一秒の間に、思想家の、恐らくは知者の、人生一般の品位と意味への全絶望を、雄弁に言い表わした。あのまなざしは「みろ、われわれはこんな猿なのだ! みろ、人間とはそういうものだ!」と語り、精神のあらゆる名声、賢明さ、成功、崇高で偉大で永続する人間性への躍進は、すべて台なしになって、猿芝居となった。
わたしはこれで先走って、全く自分の計画と意志に反し、結局もうハラーについて本質的なことを、のべたことになる。だが、もともとわたしの目的は、次第に彼と知りあったいきさつを話しながら、彼の姿をじょじょに明らかにすることだった。
さて、こんなに先走りしたからには、ハラーのなぞのような「異様さ」について語りつづけ、この異様さの、異常で恐ろしい孤独化の理由と意味を、次第に予感し、知るようになったいきさつを、事こまかに報告するのは、よけいなことである。そのほうがいい。わたしはできるだけうしろにかくれていたいからである。自分の告白をのべたり、物語を語ったり、心理学を述べたりするつもりはなく、ただ証人として、この荒野の狼の原稿を残した独特な男の姿をはっきりさせるのに、いくらか役立ちたいのである。
彼が伯母の家のガラス戸から入ってきて、頸《くび》を小鳥のようにのばし、家のいいにおいをほめた時、最初の一べつでもう、この男の変った点が、いくらかわたしの目についた。そして、それへのわたしの最初の単純な反応は、反感だった。わたしが感じたのは(そして、わたしとは反対に全く知的な人間でない伯母も、大体同じようなことを感じたのだが)――わたしが感じたのは、この男が病気で、精神か情緒か性格が病んでいるのだということで、わたしは健康者の本能でそれに抵抗した。この抵抗は時がたつにつれ共感にかわった。この共感は、たえず深く悩む者への大きな同情にもとづいていたが、わたしはこの人の孤独になり内的に死んでいくのを、そばでじっと見つめていたからである。その頃わたしが次第に意識したことは、悩む者の病気がその本性の何らかの欠陥にもとづくのではなく、反対に、ただそのゆたかな才能や力が調和していないことにもとづくのだ、ということだった。ハラーは苦悩の天才であり、ニーチェのよく使う言葉の意味で、一つの天才的な、無限な、恐ろしい苦悩の能力を、身内にやしないそだてたのを、わたしは認めた。と同時に、世界|軽蔑《けいべつ》ではなく自己軽蔑が、彼の厭世《えんせい》主義の基礎であることを、知った。なぜなら、彼は体制や人物について、かしゃくなく破壊的に語ることができたが、決して自分を除外することはなく、いつもまず自分に矢を向け、まず自分を憎み、否定したからである……
ここで、わたしは心理学的な注釈を一つ加えねばならない。わたしは荒野の狼の生活をほとんど知らないが、彼がいつくしみ深いが厳しくて敬虔な両親と先生によって、「意志をくじくこと」を教育の根本とする精神で教育されたと考えても、まちがいなさそうである。ところが、個性の破壊と意志の粉砕は、この生徒のばあい成功しなかった。彼はそれには、あまり強情でがんこで、ごうまんで精神的すぎた。彼の個性を破壊するかわりに、彼に自分自身を憎むことを教えるのに、成功しただけだった。さて、自分自身に対して、この無邪気で気高い対象に対しては、彼は一生のあいだあらゆる天才的な空想、あらゆる強い思考力を向けた。なぜなら、それにもかかわらず、あらゆる鋭さ、批判、悪意、最大限の憎悪を、まず第一に自分自身に向けたという点で、彼は徹頭徹尾キリスト教徒であり、徹頭徹尾殉教者だったからである。他人やまわりの世間については、彼はいつもひどくけなげに、またごくまじめに、それを愛し、公平に判断し、悲しませないようにつとめた。なぜなら、「汝の隣人を愛せよ」ということが、自己憎悪と同じように深く、彼の心にしみこんでいたから、彼の一生は、自己への愛なしには隣人愛も不可能であることへの、一例であり、自己憎悪がひどい利己主義と全く同じものであり、結局は全く同じ恐るべき孤立と絶望をうみだすことへの、一例となったからである。
しかし、今は私見をさておいて、事実をのべる時だろう。さて、わたしがスパイをしたり、伯母の話をきいたりして、ハラー氏について知った最初のことは、彼の生活法に関係していた。彼が思索的な学究で、実際的な職業についていないことは、すぐわかった。いつもひどくねぼうで、よく昼近くにやっと起きて、寝まきのままで数歩あるいて居間へいった。窓の二つある、大きい気持のいい屋根裏部屋の居間は、数日たつともう、別の間借り人のいた時とは、全く見ちがえるようになった。居間はいっぱいになり、時とともにいっそういっぱいになっていった。壁には絵がかけられ、スケッチがはりつけられ、時にはそれが雑誌から切り抜いた絵であることもあり、よくとりかえられた。南国の風景画が一枚、どうもハラーの故郷らしいドイツの田舎町の写真が数枚、そこにかかっていた。その間に明るい色の水彩画が数枚あったが、わたしたちは、それが彼のかいたものだということを、後ではじめて知った。それから、かわいらしい若い女性の写真、いや少女の写真があった。しばらくの間は、タイの仏像が壁にかかっていたが、次にその代りに、ミケランジェロの「夜」の複製が、さらにマハトマ・ガンジーの肖像がかけられた。本は大きい本箱にぎっしり入っていたばかりでなく、至る所机や、立派な古い書きもの机や、ソファーや、椅子や、麻の上にちらばっていて、本には紙切れがはさんであったが、それはいつも入れかえられていた。本はたえずふえつづけた。彼は本包みを図書館から持ってきたばかりでなく、よく本の郵便小包みを受け取ったからである。この部屋に住んでいた男は、学者だったかもしれない。何も見えないほどたちこめた葉巻の煙、至る所にちらばっている吸いさしや灰皿も、学者にはふさわしかった。だが、大部分の本は学問的内容のものではなく、大半はあらゆる時代と民族の作家の作品だった。彼がよく一日中ねてすごしたソファーの上には、しばらくの間、十八世紀末の「ゾフィーのメーメルからザクセンへの旅」という表題の、ぶあつい六巻本が、全部ちらばっていた。ゲーテとジャン・パウル(十八世紀から十九世紀にかけてのドイツの作家)の全集は、よく利用されているらしかった。ノヴァーリス(ドイツのロマン派の作家)も同じようだったが、レッシング(ドイツ啓蒙期の評論家で劇作家)、ヤコービー(ジャン・パウルと同時代の学者・詩人)、リヒテンベルク(ドイツ啓蒙期の代表的な思想家・著述家)もそうだった。数冊のドストエフスキイの本には、書き込みのある紙片がいっぱいはさんであった。大きい方のテーブルには沢山の本や雑誌の間に、よく花束がおいてあり、そこには水彩絵具箱も投げ出してあったが、いつもほこりだらけだった。そのそばには灰皿があり、ついでにいっておくなら、いろんな酒びんもあった。わらにくるんだびんには、近くの小さな店で買ったイタリアの赤ぶどう酒が、たいてい入っていた。ブルゴーニュやマラガのびんもよくあった。チェリーブランデーのずんぐりしたびんがまたたくまにからになると、部屋のすみっこに姿を消し、すこし残ったままちりまみれになっているのを、みたことがあった。わたしは自分のスパイ行為を弁解しようとは思わないが、精神的な興味にはみちているものの、全くだらしのない生活ぶりは、始めはなにからなにまで不快でいかがわしく思われたことを、はっきり告白しておく。わたしは、規則正しい生活をしている市民的な人間で、仕事ときちんとした時間割になれているばかりでなく、酒もたばこもやらなかったから、ハラーの部屋の酒びんは、他の絵にかいたようなだらしなさよりもっと、わたしの気に入らなかった。
睡眠と仕事もそうだが、この異様な男は飲食の点でも、ひどく不規則できままだった。一歩も外出せずに、朝食のほかなにもたべない日もよくあった。伯母は時には、彼の食事の唯一の残りとしてバナナの皮をみつけた。しかし、別の日にはレストランで食事をしたが、上等で上品なレストランのことも、小さな郊外の居酒屋のこともあった。彼はからだのぐあいがわるいようだった。よくつらそうに階段をのぼりおりしていたから、足が悪いようだったが、そのほかにも悪い所があって、苦しんでいるようだった。彼はある時話のついでに、この数年らいほんとにお腹のぐあいが悪く、よく眠れたためしがないと、いったことがある。それは何より酒のせいだと思った。後で彼について彼の行きつけの料理店の一つへちょくちょく行くようになったが、彼がぐいぐいと気まぐれに酒をあおるのを、時々はたでみたことがあった。だが、彼がほんとによっぱらったのは、わたしも他の誰もみたことがなかった。
わたしたちが初めて個人的に出会った時のことを、わたしは決して忘れられない。わたしたちは貸家の隣室に住む者として、知りあっていたにすぎなかった。ところが、ある晩のことわたしが、事務所から帰宅すると、おどろいたことにはハラー氏が二階と三階の間の踊り場にすわっているのに、出くわした。一番上の段にこしかけていたが、わたしを通そうと、わきによった。わたしは、ぐあいが悪いんですかと、彼にたずね、ずっと上までおつれしようかと申し出た。
ハラーにみつめられて、彼をある夢のような状態からよびさましたことに、わたしは気がついた。彼は次第にほほえみだしたが、それはよくわたしの心を重くした、やさしくいたましいほほえみだった。それから、彼はそばにかけるように、わたしをさそった。わたしはことわって、他人の住いの前の階段にすわったりすることはないと、いった。
「ああ、そうですね」と、彼はいって、いっそうはっきりほほえんだ。「そのとおりですね。でも、ちよっと待ってください、どうしてここにちよっとすわっていねばならなかったかを、説明せねばなりませんから」
彼はそういいながら、ある未亡人の住んでいた二階の住いの玄関前を、指さした。階段と窓とガラス戸の間の狭い寄せ木張りの床に、高いマホガニーの戸棚が壁ぎわにあり、その上に古いすずの容器がのっていて、戸棚の前の床には二つの小さな低い台の上に、大きな植木鉢にうえたつつじと南洋杉がおいてあった。植物はとてもきれいで、いつも申し分なく手入れがゆきとどいていて、それがもう以前からわたしの目についていた。
「ねえ」と、ハラーは話しつづけた。「南洋杉のおいてあるこの小さな玄関先は、すてきな香がするので、ここにちょっと立ちどまらないで通りすぎることができないことが、よくあるのです。あなたの伯母さんの所もほんとにいいにおいで、きちんとして、とてもきれいですが、この南洋杉のある所も、とても光るほど清潔で、ちり一つなく、みがきあげられ、洗いきよめられ、さわるのも気がひけるほどきれいで、確かにぴかぴか光っています。ここでいつも鼻いっぱい吸いこまざるをえないのです――あなたもいいにおいがしませんか? ここでは床ワックスのにおいとテレビン油のかすかななごりが、マホガニーやきれいに洗った植物の葉やその他のあらゆるものといっしょに、一種のにおいを発散しているのですがね。それは、最大級の市民的清潔さ、ささいな事にも用心深くきちょうめんで、義務感が強く誠実だという市民性です。誰がここに住んでいるか知りませんが、このガラス戸のうしろには、天国のような清らかさとさっぱりした市民性、秩序、小さな習慣と義務へのおずおずしたけなげな献身が、住んでいるにちがいありませんね」
わたしがだまっていたので、彼は話しつづけた。「どうぞ、いや味をいっているのだと、思わないでください! ねえ、あなた、この市民性と秩序をいやしくもあざける気などは、もうとうありません。なるほど確かにわたし自身は、この世でない別の世界に住んでいて、ただの一日だってこんな南洋杉のある住いにがまんして住めないでしょう。でも、たとえわたしが年とったやくざっぽい荒野の狼でも、わたしにだって母親があるし、わたしの母だって市民の妻で、草花の世話をし、部屋や階段、家具やカーテンに注意し、その住いと生活にできる限り入念さ、清潔さ、秩序を与えようとつとめました。それをわたしに思い出させるのが、テレビン油のにおいであり、南洋杉なのです。それで、わたしはここにすわって、この静かな小さい秩序の庭をのぞきこみ、そういうものがまだあるのを、よろこんでいるのです」
彼は立ちあがろうとしたが、たいぎそうだったので、ちょっと助けてやろうとすると、遠慮しなかった。わたしはずっと無口だったが、以前の叔母のように、この不思議な男が時にもつことのあったある魅力に、まいってしまった。わたしたちはいっしょにゆっくり階段を登っていったが、彼はドアの前でもう鍵を手にもって、もう一度、ごくうちとけてわたしをまともにみて、こういった。「お仕事からのおかえりですか? そうでしょうね、わたしにはわからないことですがね。わたしはいくらかそれた所に、まあ縁《へり》の所に住んでいるんですからね。でも、あなたはきっと本などにも興味があるでしょう。あなたの叔母さんがいつかわたしに、あなたは高校を卒業し、ギリシアの事にも通じているって、話していました。さて、けさノヴァーリスの作品にある文章をみつけたのですが、おみせしましょうか? あなたもよろこんでくださるでしょう」
彼はわたしを、たばこのにおいのひどくする部屋へつれてゆき、本の山の一つから一冊ひきぬいて、ばらばらめくって、さがした――
「これもいい、大変いい」と、彼はいった。「ちょっとこの文章をきいてくだきい。『人は苦痛を誇るべきであろう――あらゆる苦痛はわれわれの高い地位の追憶である』みごと! ニーチェに先立つこと八十年ですよ! でも、これはさっきいった言葉ではありません――待ってください――さあ、これです。いいですか、『たいていの人間は、泳げるようになるまでは、泳ごうとはしない』気がきいているでしょう。もちろん、そうでしょうよ。なにしろ大地のために生れたので、水のために生れたのではないからです。むろん、彼らは考えようとはしません。生きるためにつくられ、考えるためにつくられていないからです。そうです、考える人、思索を眼目とする人は、一応はうまくいっても、大地を水と交換したので、いつかはおぼれるでしょう」
彼は今やわたしをとりこにし、わたしに関心をもたせ、わたしはちょっとの間彼の所にとどまった。その時から、わたしたちは出会うと、階段や通りで時にはいくらか話しあうようになった。その際はじめのうちは、南洋杉のそばでのように、わたしはいつもいくらかは、皮肉られているような気がした。しかし、そうではなかった。彼は南洋杉と同様にほんとにわたしを尊敬していた。彼は自分の孤立、水中の遊泳、根の喪失をはっきり確信していたから、市民の日常の行動をみると、たとえば、わたしの正確な通勤とか、召使いや電車の車掌の話し方をみていると、時には実際に全く皮肉ぬきで感動することがあった。始めはそれはわたしに、全くおかしく誇張のように思われ、お偉ら方やなまけ者の気まぐれ、遊び半分のおセンチだと思われた。しかし、わたしは次第に思い知らされたのだが、彼は実際わたしたちの小さな市民世界を、彼の真空地帯から、異様な荒野の狼の気持で、ほんとに感嘆し、安全確実なものとして、はるかな及びがたいものとして、行くべき道のない故郷、平和として、愛していた。彼はわたしたちの正直な通いの女中に、いつも心からうやうやしく帽子をぬいであいさつした。また、伯母がちょっと彼と話したり、洗たく物のつくろいや外套のとれかかったボタンのことを注意すると、特に注意深く大事そうに耳をかたむけた。それはまるで、どこかのすき間からこの小さい平和な世界へ侵入して、ほんの一時間でもそこに住みたいと、いうにいわれぬ絶望的な努力をしているかのようだった。
すでにあの最初の会話の時、南洋杉のそばで、彼は荒野の狼となのったので、わたしはそれでいくらかいぶかしく思い、不愉快になった。なんという表現だろう! しかし、わたしはなれると、この表現を認めたばかりでなく、やがてこの男を自分で、わたしの頭の中で、荒野の狼とばかりよび、今ではもうこの人に対するもっと適当な言葉を、知らないほどである。わたしたちの所へ、町の中へ、家畜の生活の中へ迷いこんだ一匹の荒野の狼――他のどんなイメージも、より的確に彼を、彼の内気な孤独、狂暴、不安、郷愁、流浪を、あらわすことができなかった。
一度わたしは、ひと晩中彼を観察できた。ある交響曲演奏会《シンフォニーコンサート》で、彼が近くにすわっているのをみつけて、びっくりしたが、わたしには気づいていなかったからである。最初にヘンデルが演奏された。優雅な音楽だったが、荒野の狼は物思いにふけって、音楽にも周囲にも無関心にすわっていた。無関係に、孤独に、よそよそしく、冷静だがいかにもうれいをふくんだ顔をふせて、すわっていた。次に曲がかわり、フリーデマン・バッハ(セバスティアーン・バッハの息子で、ハレのオルガニスト)の短いシンフォニーが始まると、おどろいたことには、もうすぐわたしの異邦人はほほえみ、夢中になりだした。すっかり自己にひたり、たっぷり十分間もひどく幸せそうに物思いにふけり、すばらしい夢に我を忘れているように思われたので、わたしは音楽より彼に気をとられていた。その曲がおわると、彼はすわりなおして、立ち上がりそうな様子をし、出て行きたそうにみえたが、すわりつづけて、最後の曲もきいた。レガー(今世紀初葉のドイツの作曲家)の変奏曲で、大方の評判では、いささか長くてたいくつな曲だった。ところが、はじめはまだ注意深く親切にきいていた荒野の狼も、またそれてしまった。手をポケットにつっこみ、また物思いにふけったが、こんどは幸せそうでも夢心地でもなく、物悲しげで、しまいには腹をたてた。その顔はまた茫洋《ぼうよう》とし、青くなってつやを失い、彼はふけこんで、病み、不満そうにみえた。
コンサートのあとで、彼の姿を通りでまたみかけて、後をつけていった。外套にくるまって、面白くなさそうにぐったりして、わたしたちの町の方へあるいていったが、とある一軒の小さい古風な料理屋の前に立ち止ると、どうしようかというように時計をみてから、中へ入った。わたしは出来心で、彼の後を追った。すると、彼は小市民的なテーブルにつき、マダムと女給はなじみ客としてあいさつした。わたしはあいさつして、彼のテーブルについた。一時間はわたしたちはそこにいて、わたしが鉱泉水《ミネラルウォーター》を二杯のむ間に、彼は赤《ロート》ワインを半リットルとり、さらに四分の一追加した。わたしがコンサートに行ってきたといっても、彼は話に乗ってこなかった。ミネラルウォーターのレッテルをよみ、ワインをのまないかとわたしにたずね、ワインをすすめた。わたしがワインを全然やらないというのをきいて、彼はばつの悪そうな顔をして、こういった。「ええ、それはごりっぱ。わたしも何年か禁酒生活をし、そのうえ長いこと断食もしましたが、目下はまた、おぼろげなしめった水がめ座の下に立っています」
さて、わたしがこの当てこすりに乗じて、彼ともあろう者が星うらないを信じるとは、どうもおかしいとほのめかすと、わたしをよく傷つけた例のいんぎんな口調になって、こういった。「全くそのとおりです。この学問も残念ながら信じられません」
わたしは別れをつげて帰った。彼は夜もふけてからやっと帰宅したが、足どりはいつもと変らなかった。いつものようにすぐ寝ずに(わたしは隣室にいるので気配でよくわかったが)、なお一時間ほども居間の燈下に起きていた。
別のある晩のことも、わたしは忘れない。その時わたしはひとりでるす番をしていて、伯母はいなかった。玄関の鈴がなったので、開けてみると、とてもきれいな若い女性が立っていて、ハラーさんのことをたずねた時、わたしはあの女性だなとわかった。彼の部屋の写真の女性だった。わたしは彼のドアを示して、ひっこんだ。彼女はしばらく上にいたが、やがて二人はいっしよに、にぎやかにいかにも満足そうに冗談をいいながら、階段を下りて、外出するのがきこえた。この隠者に愛人があり、それがごく若くきれいでエレガントなのには、わたしは全くびっくりしてしまった。彼という人と生活についてのわたしの推測は、また全部ぐらついてしまった。しかし、小一時間もすると、彼はもうまたひとりで、重い悲しげな足どりで帰宅し、やっとのことで階段をのぼり、何時間も部屋の中をそっと歩きまわった。まるで檻《おり》の中の狼さながらだった。あかりは一晩中、ほとんど明け方まで彼の部屋についていた。
わたしはこの女性関係のことは、全然しらないが、この二人連れが町の通りを歩いているのを、もう一度みかけたことがあるのを、ちょっとつけくわえておきたい。二人は腕を組んで歩いており、彼はしあわせそうだった。彼のなやましく淋しそうな顔が時として、どんな優雅さを、いや、無邪気さをおびることがあるかに、わたしはまた驚嘆した。そして、この女性のことも、伯母がこの男にいだく関心も、理解した。その日もまた、彼は夕方悲しそうに、みじめな様子で帰宅した。わたしは玄関で彼に出会ったが、いつものように、外套の下にイタリアのワインのびんをしのばせていて、それをやりながら夜半まで、上の屋根裏部屋にすわっていた。彼は気の毒だった。彼の送っていた生活はなんと希望のない、むなしい、八方やぶれの生活だったろうか。
さて、おしゃべりはたくさんである。荒野の狼が自殺者の生活をしていたことを示すのに、これ以上の報告や記述は必要ない。だが、あのとき彼が突然、別れもつげずに、未払いのお金を全部はらって、ある日のことわたしたちの町を去り、姿を消した時、彼が自殺したとは思わない。わたしたちはもう彼の消息は何もきかず、彼宛てにきた手紙を数通まだあずかっている。彼は、ここにいる間にかいた原稿だけを、残していったが、それには、わたしへの数行の献辞と、勝手に処分してよいという注意書きが、ついていた。
ハラーの原稿の物語る体験の内容が、ほんとかどうかを確証するのは、わたしにはできなかった。それが大部分創作であるのを、わたしは疑わない。しかし、勝手な作りごとという意味でではなく、深く体験した心の事件を目にみえる出来事の衣にくるんで叙述する、表現の試みという意味においてなのだが。ハラーの創作の中の一部分は空想的な事件で、ここにいた最後の頃のもののようである。疑いもなく、そのもとになっているのも、一片の真の外的体験のようである。あの頃、わたしたちの客は実際に、変った能度と様子を示し、実によく外出し、夜中かえらぬこともよくあり、本は投げ出されたままだった。その頃たまに会うと、彼は目立っていきいきとし、若がえった様子で、全く満足しきっていたことも、なんどかあった。むろんその後すぐに、新しい重い抑鬱《よくうつ》状態が始り、食欲もなく何日も床《とこ》についていた。なみはずれにひどい、それどころか暴力までふるうけんかを、また現われた愛人とやらかして、家中ひっくりがえすほどさわがせ、ハラーが次の日伯母にあやまったのも、その頃のことだった。
いや、彼は自殺しなかったと、わたしは信じてうたがわない。彼はまだ生きていて、どこかでつかれた足でよその家の階段をのぼったりおりたりし、どこかでみがきたてられた寄せ木張りの床と、手入れのゆきとどいた南洋杉をみつめ、昼は図書館に、夜は料理店にすわり、あるいは借り物のソファーに長くなり、窓のむこうで世界と人間が生活している物音をきき、自分が閉め出されているのを知り、それでも自殺をしない。なぜなら、いくらか残っている信仰心が彼に、この悩みを、この罪ぶかい悩みを心の中で味わいつくし、この悩みでこそ死なねばならないと、告げていたからである。わたしはよく彼のことを思い出す。彼はわたしの生活をらくにはしなかった。わたしにそなわった強さや陽気さをのばす才能を、もってはいなかった。とんでもない、反対だ。わたしと彼は別で、わたしは彼のような生活をせず、わたしなりの、小市民的な、でも安らかで義務ずくめの生活をしている。それで、伯母とわたしは心静かになつかしく彼をしのぶことができるが、伯母はわたし以上に彼について語ることができるだろうが、それは彼女のやさしい胸にひめられている。
さて、ハラーの手記については、この不思議な、いくらか病的で、いくらか美しく思想ゆたかな幻想については、もし偶然入手し、筆者が不明だったら、わたしはこの原稿をきっとおこって投げすてたろうと、いわざるをえない。しかし、ハラーと知り合っていたので、それをいくらか理解し、それどころか認めることが、できるようになった。手記にあるものが一個人的な、気の毒な精神病者の病的妄想にすぎないと思ったら、わたしはそれを他人に伝えるのを、ためらうだろう。わたしが思うには、そこには何かそれ以上の物が、時代そのものの記録がある。なぜなら、ハラーの精神病はそれはわたしには今日になってわかったのであるが――一個人の気まぐれではなく、ハラーの属する世代の神経症《ノイローゼ》だからである。しかも、このノイローゼにかかるのは、決して弱い劣った個人だけではなく、まさに強く最も精神的で最も才能に恵まれた人がかかるように、思われるのである。
この手記は――実際の体験がどの程度そのもとになっているかは、どうでもよいのだが――重い時代病を回避と美化によってではなく、病気自体を記述の対象とする方法によって、征服する試みである。それは文字どおり、地獄めぐりを意味する。地獄を遍歴し、混沌にまともにぶつかり、悪をとことんまで苦しもうと決心して、あるいは不安げに、あるいは勇ましく、混沌たる暗い霊の世界の中を突進することを、意味している。
ハラーの一つの言葉が、このことをとく鍵をわたしに与えた。彼はある時わたしたちがいわゆる中世の残虐行為について話しあった後で、わたしにこういった。「こういう残虐行為は、実はそういうものではないのです。中世の人間がわたしたちの現代生活の全様式をみたら、残虐とか、恐るべきだとか、野蛮だとかいうどころか、ひどく憎むでしょう。どの時代、文化、習慣、伝統もそれぞれの様式をもち、それにふさわしい優しさと厳しさ、美しさと残虐さをもち、ある苦しみを自明のものとし、ある悪を甘受します。人間生活がほんとの苦しみに、地獄になるのは、二つの時代、二つの文化と宗教が互に交差する時だけです。古代の人間が中世に生きねばならなかったら、みじめに窒息するでしょう。野蛮人が現代文明の中におかれたら、窒息するのと同じです。さて、一世代全体が二つの時代、二つの生活様式の間にはまりこんで、その世代からあらゆる自明なこと、習慣、安全さ、無邪気さが失われる時代が、あるものです。むろんそれを誰でもが、同じように強く感じはしません。ニーチェのような人は今日のみじめさを、一世代以上も前に悩まねばなりませんでした――彼がひとりで、ひとにわかってもらえずに味わいつくしたものを、今日多くの人びとが悩んでいるのです」
この言葉を、わたしは手記をよみながら、しばしば思い出さざるをえなかった。ハラーは、二つの時代の間にはまりこんだ人びとの一人である。あらゆる安全さと無邪気さから脱落した人びとの一人である。人間生活の全問題性を強化して、個人の苦悩を地獄として体験することを、運命としている人びとの一人である。
こういう点にこそ、彼の手記のわたしたちに対してもちうる意味があると、わたしには思われる。だから、それを伝えようと決心したのである。それはそうと、わたしはそれを弁護したり、酷評したりするつもりはない。読者の皆さん、良心に従ってそうしてください。
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ハリーハラーの手記……狂人だけのために
その日は、いつもの日と同じく過ぎ去った。ぼくは単純で内気な生活法で、その日を説得し、そっと殺した。何時間か仕事をし、古い本をめくって調べた。中年の人びとにはつきものの苦しみを、二時間もなめた。粉薬をのんで、うれしいことには、苦痛をごまかすことができた。湯に入って、気持いい暖かさを吸収した。三度郵便物を受け取り、不用な手紙や印刷物に目を通した。深呼吸はしたが、瞑想《めいそう》はきょうは不精をしてやめた。一時間散歩をし、きれいなやわらかい貴重な巻雲模様が、お空にえがかれているのをみつけた。それは、古い本によみふけり、お湯に入るのと同じように、すばらしかった。だが――要するに――それは決して魅惑的な日でも、輝かしい日でも、幸福な喜びの日でもなく、正にもうずっと前からぼくには普通で、なれていたような日々の一日だった。中年の不平家の適当に気持のいい、平気でがまんできる、まあまあの、なまぬるい日、特別の苦痛もない、特別の心配もない、何の屈託もない、絶望もない日だった。アーダルベルト・シュティフター(十九世紀前半のオーストリアの作家、自然描写がたくみで、「晩夏」が代表作。かみそりで顎を切って自殺した)の例にならって、ひげをそっていて不慮の死をとげる時ではないか、という問いさえ、興奮したり、不安になったりせずに、人事《ひとごと》のようにおちついて考慮される日だった。
別の日もある。悪い日、痛風の発作の起こる日もある。あるいは、眼底にへばりついて目と耳のあらゆる運動を喜びから苦痛へと悪魔のように変える、ひどい頭痛のする日もある。魂の死ぬような日、心の空洞化し絶望するようなひどい日もある。破壊され株式会社に搾取された地球の真中で、人間世界といわゆる文化が、にせのくだらないブリキ製の年の市のどぎついけばけばしさで、たえずいやなやつのようにこっちへ歯をむきだしてほくそえみ、病む自我に集中して、がまんできない限度にまで達しているような日もある――こんな地獄のような日々を味わった人は、きょうのようなこんな普通のまあまあの日に、ひどく満足する。感謝してあたたかい暖炉のそばにすわる。感謝して朝刊をよんで、きょうもまた戦争が起らず、新しい独裁政治は生まれず、特にひどい政治や経済の醜聞《スキャンダル》があばかれていないのを、たしかめる。感謝してさびた七|弦琴《げんきん》の弦をととのえ、おだやかな、かなり楽しい、まあ満足な賛歌をうたい、彼の静かな、おとなしい、臭素でいくらかまひした、満足のまあまあの神を、退屈させる。そして、この満足な退屈の、この大いに感謝すべき無痛の、なまぬるくいやな気分のなかで、二人は、つまり、つまらなそうに居眠りしているまあまあの神と、髪の白くなりかけた、おだやかな賛歌をうたっているまあまあの人間とは、お互に双子《ふたご》のようにみえる。
満足、無痛はすばらしい。苦痛も喜びもわめきたてず、みんながただひそひそ話し、足音をしのばせてそっと歩く、このがまんのできる、うなだれている日は、すばらしい。ただ残念ながらぼくの場合は、まさにこの満足ががまんできず、ちょっとつづくと、いやににくらしく、むかむかしてきて、ぼくは絶望して他の温度の中へ逃げこまざるをえなくなる。できれば快感という方法で、やむをえなければまた苦痛という方法で。ぼくはしばらく快感も苦痛もなく、いわゆるいい日のなまぬるい気のぬけたがまんしやすい空気を呼吸すると、ぼくの子供じみた心の中は、むなしくうずきみじめになるので、さびた感謝の七弦琴をねむそうな満足の神の満足げな顔にたたきつけ、このからだによい部屋の温度よりはむしろ、ほんとに悪魔のような苦痛が、身うちに燃えるのを感じる。すると、ぼくの身うちで、強い感情への、センセーションへの、狂暴な欲望が、ほえたてる。こんなつり合いのとれた、平凡な、規格化された、消毒された生活に対する激しい怒りが、燃えあがる。また、何かをたたきこわしたい、たとえばデパートか大聖堂かぼく自身をたたきこわしたい、途方もない馬鹿げたことをしたい、たとえば二、三の教祖のような者の面の皮をはがし、二、三の反抗的な生徒にあこがれのハンブルク行き切符を与え、少女を誘惑するか、きちんとした小市民社会の代表者たちの首を、ひねってやりたいとかいう、狂暴な欲望が燃えあがる。なぜなら、ぼくはこういう満足、健康、快適さ、市民の念入りの楽観主義、中ぐらいで普通で平均的なものの肥《こ》やし飼《が》いを、何よりもひどく憎み、いみきらい、のろったからである。
それでこんな気持で、ぼくは夕方こんなまあまあの平凡な一日をおえた。誘惑のえさのように湯たんぽのいれてある、用意のととのったベッドの虜《とりこ》となるというような、どこか病気ぎみの男にはあたりまえの、からだにいい方法で、この一日をおえたのではなく、わずかな日課に不満になり、気持がわるくなり、全くゆううつな気分で靴をはき、外套《がいとう》にすっぽりくるまって、夜霧にぬれて町へ行き、鉄かぶと屋という料理屋に入り、飲む連中が古いしきたりで「いっぱい」といっているやつをのんで、おしまいにしたのだった。
そこでぼくは、屋根裏部屋から階段をおりた。難儀な異郷の階段、どこからどこまで市民的で、そうじのゆきとどいた、こぎれいな階段であり、三家族の住む、れっきとした貸家についていたのだが、その屋根裏にぼくの隠れ家があった。どういうわけかわからないが、故郷のない荒野の狼で、小市民世界をいみきらう孤独者のぼくは、いつもほんとの市民の家に住む。それはぼくの古い感傷である。御殿にもあばら屋にも住まずに、えりにえっていつもこんなまともな、退屈しごくな、文句なく手入れのゆきとどいた小市民の巣に住む。こういう所では、どこかテレビン油や石鹸《せっけん》のにおいがし、玄関の鍵をがちゃんとかけたり、きたない靴で入ってきたりすると、びっくりされるものである。ぼくはこんな雰囲気が、たしかに子供の頃からすきだった。故郷のようなものへのぼくのひそかなあこがれが、ぼくを絶望的に、くりかえし、こんな古い馬鹿げた道へ向わせる。そうだ、ぼくは自分の生活、孤独で、愛情のない、追い立てられた、とことんまでふしだらな生活と、この家庭や市民の環境との対照が、すきである。階段でこの静寂、秩序、清潔、礼儀、温和のにおいを呼吸するのが、ひどくすきである。このにおいは、ぼくの市民ぎらいにもかかわらず、ぼくにとってなにか感動的なものをもっている。そして、階段をのぼりつめて、自分の部屋の敷居をまたいで中へ入るのがすきだ。そこでは、すべてのものがおしまいになる。本の山の間に葉巻のすいがらがちらかっていて、ワインのびんがおいてある。すべてが乱雑で、よそよそしく、うっちゃらかしである。すべてが、本も原稿も思想も、孤独の苦悩、人間存在の問題、無意味になった人生に新しい意味を与えようとするあこがれによって、刻印を打たれ、染められている。
さて、ぼくは南洋杉のそばを通りかかった。つまり、この家の二階で、階段は、疑いなく他の住いよりずっと申し分なくきれいで、そうじのゆきとどいた住いの、狭い玄関前を通っている。なぜなら、この狭い玄関前は人なみはずれの手入れで輝いていて、秩序の輝かしい小殿堂なのだからである。ふむのもはばかられる床に、二つの小ぎれいな台がおいてあって、それぞれに大きい植木鉢がのせてあり、一方にはつつじが、他方にはかなり立派な南洋杉がうえてあった。これは完全無陥な、じょうぶな、たくましい若木で、最後の枝の最後の針葉も、きれいにぬぐわれて新鮮に光っている。時々、誰にもみられていないとわかると、ぼくはこの場所を寺院として利用し、南洋杉が見下ろせるように階段にこしをおろし、ちょっとひと休みして、両手をあわせ、この秩序の小さい庭を、注意ぶかく見おろす。その感動的な様子とさみしいおかしさとが、なんとなくぼくの心をとらえるからである。ぼくはこの玄関のうしろに、いわば南洋杉の神聖な影の中に、ぴかぴかするマホガニーの家具のいっぱいある住い、早起き、義務の遂行、適当に楽しい家庭のお祝い、日曜ごとの教会参り、早寝を内容とする、礼儀と健康にみちた生活を想像する。
うわべは元気そうに、ぼくは小路の湿ったアスファルトの上をいそいで行くと、街燈のあかりが、ひんやりとしめった暗がりを通して、涙でうるんだようにおぼろに光り、湿った地面からにぶい反射光線を吸っていた。忘れていた青年時代が、ふと思い出された――あの頃は晩秋と冬のこんな暗いわびしい晩を、なんと愛したことだろう。あの頃は、夜中まで、外套にくるまって、雨や嵐にもかかわらず、敵意のある、木の葉の落ちた自然をかけめぐった時、なんと食欲に酔ったように、孤独と憂愁の気分をむさぼったことだろう。あの頃もすでに孤独だったが、深い悦楽と詩句にみちていて、後で部屋のろうそくの光の下で、ベッドの縁にかけながら、それを書きとめたものだった。今はもう昔のことである。この杯はのみほされて、もうみたされることはなかった。残念だったろうか。いや、ちがう。過ぎ去ったことは、何も残念ではなかった。残念だったのは、今と今日、自分が失い、悩んだだけで、贈物も感動も与えなかった、無数の時間と日々のすべてだった。だが、ありがたいことには、例外もあった。時々まれには、別の時間もあって、感動を与え、贈物を与え、壁をうがち、道に迷ったぼくを世界の生き生きしたふところへ連れもどした。悲しく、だが心から興奮して、ぼくはこんなふうな最後の体験を、思い出そうとした。それは、みごとな古い音楽の演奏されたコンサートでのことだった。その時、木管楽器演奏者の奏した弱音《ピアノ》の二拍子の間に、ぼくにとって突然ふたたび、彼岸への戸が開かれたのである。ぼくは天を飛びぬけ、仕事をしている神をみ、しあわせな苦痛をなめ、もはやこの世の何物にも抵抗せず、この世の何物もおそれず、すべてを肯定し、すべてのものに自分の心を捧げた。それはつかのまのことで、ものの十五分もつづいたろうか。しかし、それはその夜の夢にまた現われ、それからはあらゆる味けない日々を通じて、時々ひそかにぱっと輝きでた。それがときどき数分の間はっきりと黄金の神の痕跡《シュプール》のように、ぼくの生活をつらぬき、ほとんどいつも深くちりあくたの中に埋まっているが、やがてまた金色の火花となってきわだって輝きながら、もう決して消えうせないようにみえるが、またすぐ深く消えうせるのを、ぼくは見たのだった。かつてある夜のこと、眠らずに横になりながら、ふと詩句を口ずさんだ。すばらしくきれいな詩句だったので、書きとめることなど考えられないほどだった。翌朝はもうおぼえていなかったが、重いくるみが古いもろい殻の中にひそんでいるように、それはぼくの胸の中にひそんでいた。いつか他の時には、それはある詩人をよんでいる時、デカルトとパスカルの思想に思いをひそめている時、やって来た。いつか他の時には、愛人の所にいた時、それはまたぱっと輝き出て、黄金のシュプールを残して遠く天空へ飛んでいった。ああ、われわれの送っている生活のただ中で、この満足しきった、全く市民的で、全く精神を欠いた時代のただ中で、こんな建築や仕事や政治や人間をながめて、この神のシュプールを発見するのは、困難である。そのどんな目的もぼくには無関係で、そのどんな喜びもぼくに話しかけない世界のただ中で、どうしてぼくは荒野の狼やみすぼらしい隠者であってはならないのか。ぼくは劇場でも映画館でも、長くはがまんできない。新聞はほとんどよめず、今の本は稀にしかよまない。満員の汽車やホテルで、うっとうしくおしつけがましい音楽のひびく満員のカフェーで、エレガントなぜいたくな都会のバーや寄席《ヴァリエテ》で、世界博覧会で、競馬場で、教養を渇望する人びとのための講演会で、大競技場で、人びとの求めるのが、どんな快楽と喜びであるかを、ぼくは理解できない――ぼくの手のとどくような、他の多くの人びとの殺到する喜びは、全部ぼくには理解できず、無関係である。それに反して、たまさかの楽しい時にぼくに起こること、ぼくにとって歓喜、体験、恍惚《こうこつ》、興奮であることは、世人はせいぜい文学の中で知り、求め、愛するだけで、実生活の中ではそれを狂気の沙汰だと思っている。実際、世人の方が正しく、カフェーの音楽、大衆娯楽、わずかのもので満足しているアメリカ的人間が正しいのなら、ぼくは正しくないのだ。狂気なのだ。たびたび自称している、荒野の狼に他ならず、故郷と空気と餌をもうみつけられない、見知らないわけのわからない世界へ迷いこんだ獣なのだ。
いつものようにこんな風に考えながら、ぼくは町の最も静かな古い地区の一つを通って、しめった通りを歩きつづけた。すると、小路の向う側の闇の中に、ぼくがいつも喜んで眺める、古い灰色の石べいが立っていた。それはいつも古色蒼然と冷やかに、小さな教会と古い病院の間に立っていて、ぼくは昼間ならそのざらざらした表面に、よく目をそそいだものだった。こんな静かな、良い、黙々とした壁の表面は、都心にはあまりなかった。実際、都心の他の所では半平方メートルごとに、商店、弁護士、発明家、医者、床屋、うおの目治療師が、人びとに向って自己宣伝をしていたからである。こんどもまたぼくは、この古い壁がひっそりと平和に立っているのを見たが、どこか様子が変っていた。壁のまんなかに、とがったアーチのある、小さいきれいな門がみえたから、当惑した。それが前からあったのか、それとも新しくつけられたのか、もう全く見当がつかなかったからである。疑いもなく古くみえた。とても古いようだった。恐らく、黒い木戸のある、この小さい閉ざされた門は、もう何世紀も前にどこかのものうそうな修道院の中庭に通じていたのだろう。そして、修道院はもうなくなったのに、今もそのままになっていたのだろう。多分、この門は見なれているのに、注意してみたことがなかっただけで、恐らく新しく塗りかえられたので、目についたのだった。とにかく、立ちどまって、注意して眺めたが、行ってはみなかった。間の通りが底なしのぬかるみだったからである。歩道に立ちどまって、ただ向こう側を眺めた。あたりはすっかり暗くなっていたが、門のまわりには、花輪か他の何かきれいなものが巻きつけてあった。そして、もっとよく見ようとすると、こんどは、何か書いてあるらしい明るい看板が、門の上にみえた。ぼくは目を見張ったが、ついにぬかるみにもかかわらず向こう側へいった。すると、門の上の壁の古い灰緑色の一部が、かすかに照らされているのが見えた。その部分の上を、動く色とりどりの文字が走り、またすぐ消え、またやってきては、飛び去った。さては、この古い良い壁さえまさしく電光広告に乱用されたのだなと、ぼくは考えた。そうこうする間に、ちらちら現われる言葉をいくらか判読した。読みづらくて、半ば推量せざるをえなかった。文字はいいかげんな間隔で、うすくぼんやりと現われ、すぐぱっと消えた。こんな物で商売をしようと思う男は、腕がよくなく、荒野の狼で、哀れな奴だ。なぜ文字を、この旧市内の暗い小路のこの壁の上に、人通りのない雨もようの今時分に、映し出すのか。なぜその文字はこんなにあわただしく消え、気ままに読みづらく消えうせるのか。だが、待てよ。次々に現われる言葉をいくつかつかまえることができた。こんな文句だった。
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魔法劇場
どなたも入場おことわり
――どなたもおことわり
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ぼくは門をあけようとした。重い古いハンドルは、いくらおしても動かなかった。文字の明滅はおわり、悲しげに、無駄なことをさとったように、ぷっつりとだえた。ぼくは数歩さがって、ぬかるみにはまりこんだ。もう文字は現われなかった。電光文字は消えてしまった。じっとぬかるみにたたずんで待ったが、無駄だった。
ところが、あきらめて、もう歩道にもどると、ぼくの方へいくつかの色のついた電光文字が、反射するアスファルトの上にしたたりおちた。
ぼくは読んだ。
[#ここから1字下げ]
入場は――狂――人――だけ!
[#ここで字下げ終わり]
足がぬれ、寒かったが、それでも、しばらくじっと立って待っていた。あいかわらず立ったままで、うすい色とりどりの文字の鬼火が、なんときれいにしめった壁と黒光りしているアスファルトの上に出没することかと、考えている間に、ぼくの前の考えの断片が、ふとまた頭にうかんだ。ふとまた遠ざかって、みつからなくなる、金色に輝くシュプールのようなものである。
ぼくはこごえ、さてまた歩きつづけた。あのシュプールのあとを追って、狂人だけが入場できる、あの魔法劇場の門へのあこがれにみたされて。そのうち市場のある盛り場にふみこんだ。そこにはどんな夜の娯楽もあって、二、三歩ごとに広告がかかっていて、女性バンド――ヴァリエテ――映画――ダンスの夕べなどという看板が、宣伝をしていた。だが、そんなのはいっさいぼくには何でもなかった。それは「どなたも」のためのものであり、どこでも群をなして門を通って入りこむのがみかけられる、普通の人のためのものだから。それにもかかわらず、ぼくの悲しさはいくらか晴れて、別の世界のあいさつが、ぼくを感動させ、二、三の色のついた文字が踊り、ぼくの心をちらちら照し、ひそかな和音にふれた。黄金色のシュプールの輝きが、またみえてきた。
ぼくは古風な酒場をおとずれた。二十五年ほど前、はじめてこの町に滞在した頃と、全然かわっていなかった。おかみさんはまだあの頃のひとだった。きょうのお客たちの中の大半も、あの頃のお客で、同じ席に同じ杯を前にしてすわっていた。ぼくはささやかな料理屋に入った。ここは避難所だった。なるほど、それは階段の上の南洋杉のように、避難所にすぎなかった。ここにも故郷と仲間はみつからず、知らない人が知らない芝居を演じている舞台の前の、静かな見物席がみつかっただけだった。しかし、たしかにこの静かな席には、いくらかの価値があった。つまり、人ごみも、叫び声も、音楽もなく、ただ数人の物静かな市民が、テーブルクロスのかかってない木のテーブルについているだけで(大理石も、ほうろうびきのブリキも、フラシテンも、真鍮《しんちゅう》もなかった!)、めいめいの前には、夜の飲物の上等な名のあるワインがおいてあった。恐らく、みな顔見知りのこの数人の常連は、本物の俗物で、家ではその俗っぽい住いの中に、うすのろの満足の偶像に捧げた、つまらない家庭祭壇をしつらえていただろう。恐らく、彼らもまたぼくのように、孤立し脱線した連中だったろう。破産した理想に思いをひそめる物静かな酔漢、荒野の狼、哀れな悪魔だったろう。ぼくにはわからなかった。彼らのすべてを、郷愁や失望や埋合せの欲求が、ここへひきつけたのだ。既婚者はここで独身時代の雰囲気を、老いた役人は学生時代の面影を求めた。彼らはみんなかなり無口で、酒飲みで、ぼくと同じように、女性バンドの前よりはむしろ、半リットルのエルザス・ワインの前にすわるのがすきだった。ここにぼくは錨《いかり》をおろした。ここでなら一時間がまんができる、二時間だって。ぼくはエルザス・ワインを一口飲むと、きょうはまだ朝食以外なにもとっていないのに気づいた。
人間が何でも飲みこめるとは、たいしたものだ。十分くらいぼくは新聞をよみ、無責任な人間の精神を目から吸収した。こういう人間は、他人の言葉をほおばり、つばでこねまわすが、不消化のままはき出すのだ。そんなのをぼくは、新聞のまる一段分ものみこんだ。それから、屠殺した小牛から切り取った、一片の大きな肝臓《レバー》をたいらげた。たいしたものだ。ぴか一はエルザス・ワインだった。ぼくは強いワインはすかなかった。すくなくともいつも飲むには、強い刺戟をまきちらし、有名な特別の味のあるのは、すかなかった。一番すきなのは、全く純粋で弱くつつましい無名の地酒だった。こんなのなら沢山やれるし、すばらしく気持よく、国や大地、空や森林の味がした。一杯のエルザス・ワインと一片のおいしいパン、これが食事のぴか一だ。さて、ぼくはもうレバーを一人まえたべてしまった。めったに肉をたべないぼくには、大ごちそうだった。二杯めが前においてあった。これまたたいしたことだが、どこかの緑の谷間で元気な実直な人びとの手で、ぶどうが栽培され、ワインがしぼられていて、彼らから遠くはなれた世界のここかしこで、いくらか失望し、ひっそりと宴会をしている市民と、途方にくれた荒野の狼どもが、その杯からいくらか元気と上機嫌をのみとることができる、という趣向なのである。
たいしたことだろうとなかろうと、どうでもいい。結構で、ききめがあらわれ、上機嫌になった。新聞記事のまぜこぜの文句について、おそまきながら胸のすくような笑いが、こみあげてきた。そして、全くだしぬけにあの木管吹奏者の弱音の忘れていたメロディーが、またぼくの頭にうかんできた。小さな物を映すシャボン玉のように、それはぼくの胸の中にあらわれ、光り、全世界を色あざやかに小さく映し、そっとまた分散した。この神々しい小さなメロディーがひそかにぼくの胸の底に根づき、いつかそこにそのかわいらしい花を、あでやかに咲き出させることができるなら、ぼくはもう全くだめだ、というわけではなかっただろう。まわりの世界の理解できぬ、迷える獣だろうと、ぼくの馬鹿げた生活にも、やはり一つの意味はあった。ぼくの心の中の何かが答え、いろんな遥かな高い世界からの呼びかけの受けてとなった。ぼくの脳裏には、無数の映像が積み重ねられていた。
すなわち、パドヴァの小さい青い教会の円天井のジョットーの天使群。そのそばを、この世のあらゆる悲哀と誤解の美しい比喩としての、ハムレットと花輪をかぶったオフィーリアが歩いていた。そこには、飛行船乗りのジァノッツォーが燃える気球の中に立って、角笛をふき、アッティラ・シュメルツレは新しい帽子を手にもち、ボロブドゥル(ジャワ島の八世紀に建てられた仏教の壮麗な寺院)は、彫刻のような連山を空中にそびえさせていた。こんな美しい姿はみんな、沢山の他の心にも生きているだろう。だが、その何倍もの他の未知の像や響きもあったので、その故郷と見る目と聞く耳は、ただぼくの内にだけ生きていた。古い病院の壁がある。古い風化しよごれた灰緑色をおび、その裂け目と風化の中には、沢山の壁画があるように、おぼろげに感じられた――誰がそれに答え、それを心の中に入らせ、愛し、そのそっと息たえてゆく色彩の魅力を感じただろうか。おだやかに光る彩飾画のある修道士たちの古い本や、百年前、二百年前のドイツの詩人の、国民に忘れられた本。すべて使い古しのしみだらけの本である。それから、昔の音楽家の版本や写本、彼らの凝固した音の夢をひめた、しっかりした黄ばんだ楽譜――誰がその精神のこもった、いたずらっぽい、あこがれにみちた声をきいたか。誰がその精神と魅力にみちた心を、別の遠ざかった時代をとおしてもちつづけたか。落石で折れたり裂けたりしても、あいかわらず生き残って、わずかばかりの梢を新しくのばした、グビオ(イタリアのペルージァ県、ウンブリア・アペニン山脈の谷間の司教座のある都市、人口約四万)の上の山の、あの小さな強い高い糸杉を、誰がまだおぼえていたか。誰が二階の働き者の主婦と、きれいに光っている南洋杉とを、公平に評価したか。誰が夜ライン河の上に、流れる霧の雲の文字をよんだか。それをしたのは、この荒野の狼だった。誰がその生活の廃坑の上に、消えうせる意味を求め、みたところ無意味なことになやみ、みたところ狂気じみた生活をし、ひそかに最後の迷妄の混沌の中に、なおも啓示と近くにおわす神を期待したか。
ぼくはおかみのまたつごうとした杯をしっかりおさえて、立ち上がった。もう酒はいらなかった。あの黄金のシュプールが輝き、ぼくは永遠のものを、モーツァルトを、星を思い出させられた。また一時間のあいだ呼吸し、生きることができ、存在することが許され、悩み、恐れ、恥じる必要はなかった。
ひっそりした通りに出てみると、寒風に吹きまくられた細い霧雨が、街燈をがたがたさせ、ガラスのようにきらきら光っていた。こんどはどこへ? もしぼくがこの瞬間に魔法をつかって、願いをかなえることができるなら、小さなきれいな広間を出現させただろう。ルイ十六世様式の広間で、数人のすぐれた音楽家がヘンデルやモーツァルトを二、三曲演奏してくれただろう。今やぼくはそんな気分だった。そして、神々が神酒《ネクタル》を召されるように、さわやかな高貴な音楽をすすっただろう。ああ、今ぼくに友人が一人いたら、どこかの屋根裏部屋でろうそくの火の下で、ヴァイオリンをそばに横たえ、思いにふけっている友人が一人いたら、どうだろうか。ぼくは夜陰に乗じてそっとしのびより、足音をしのばせて階段をよじのぼり、彼をふいにおどかしただろう。ぼくらは会話と音楽で、この世ならぬ夜中の数時間を楽しくすごしただろう。ぼくは昔こんな幸福をしばしば味わっている。しかし、この幸福も次第にぼくから遠ざかり、はなれ、色あせた歳月が間をへだてていた。
ためらいながらぼくは家路につき、外套のえりを高くたて、ステッキでぬれた舗道をつついた。どんなにゆっくり歩いても、じきまた、好かないが、なくてはかなわない、小さな仮の故郷である屋根裏部屋に、すわることになるだろう。冬の雨の夜にそとをほっつきまわってすごせた時は、もう過ぎ去ったのだから。ところで、ぼくはこのいい宵の気分を雨にも、痛風にも、南洋杉にも、決して台なしにされたくなかった。室内オーケストラはえられず、ヴァイオリンをもつ孤独な友人はみつからなくとも、あのやさしいメロディーはぼくの身内にひびき、ぼくはリズミカルに呼吸しながらそっとハミングで、だが暗示的に口ずさむことができた。考えこんでぼくは歩みつづけた。そうだ、室内楽や友人なしにも、やっていけたし、暖かさをあこがれ求めて苦しむのは、ばかげていた。孤独は独立である。ぼくはそれがほしくて、長いことかかって手に入れた。それは冷たかった。ああ、実際、それは静かでもあった。星のめぐる冷たい静かな空間のように、不思議に静かで偉大だった。
ダンスホールの前を通ると、そこから、はげしいジャズがなま肉の湯気のように、あつくなまなましくひびいてきた。ぼくはちょっと立ち止った。ぼくはいつもこんな音楽をいみきらってはいたが、ひそかに心をひかれていたのだった。ジャズはきらいだったが、今日のどんなアカデミックな音楽より、十倍もこのもしかった。ジャズは楽しいなまなましい荒々しさで、ぼくの本能の世界の中へも侵入し、すなおな正直な官能を呼吸していた。
ぼくはちょっとの間鼻を鳴らしながらたたずみ、すごいどぎつい音楽をかぎ、ホールの空気をむっとして、また情欲的にかいだ。この音楽の半分である情緒的な部分は、脂ぎっていて、甘ったるく、感傷たっぷりだった。他の半分は、荒々しく、気まぐれで、力強かった。しかし、この両方がすなおになごやかにとけあって、一体となっていた。それは没落の音楽だった。帝政時代末期のローマには、にたような音楽があったにちがいない。むろん、バッハやモーツァルトや真の音楽にくらべれば、みだらなものである――しかし、われわれの文化も思想も仮装文化も、真の文化にくらべるとすぐ、みなそうなのがわかる。そして、この音楽の特徴は、大きな正直さ、愛すべき偽りのない黒人らしさ、楽しい子供らしい気分だった。それには、いくらか黒人らしい点とアメリカ人らしい点があり、それはぼくらヨーロッパ人には、いろんな力はあっても、ひどく少年らしく新鮮に、無邪気に思われた。ヨーロッパもそうなるのだろうか。もうそうなりかけているのか。昔のヨーロッパ、昔の真の音楽、過去の真の文学を知り、尊敬しているぼくら老人は、明日は忘れられ、あざけられるような、わずかの愚かな、やっかいなノイローゼ愚者にすぎなかったのか。ぼくらが「文化」精神、雲とよび、美しい、神聖だとよぶものは、亡霊にすぎず、もうとうに死に、ぼくら数人の愚か者によってだけ、本物で生きていると思われていたのか。恐らくそれは決して本当でもなく、生きてもいなかったのか。ぼくら愚か者がえようと努力したものは、すでにいつも恐らく幻影にすぎなかったのではあるまいか。
旧市内がぼくを受けいれた。色あせて夢のように、灰色の中に、小さな教会が立っていた。ふとまた脳裏にうかんだのは、謎《なぞ》めいたとがったアーチのような円と、その上の謎めいた看板と、あざけるように踊っている電光文字などの、夕方の体験だった。あの文字は何というのだったろう。「どなたも入場おことわり」「入場は狂人だけ」だった。さぐるようにぼくは古い壁の方をながめた。魔法がまた始り、看板の文字が狂人のぼくを招き、小さな門がぼくを入れてくれるのを、ひそかに望みながら。そこには恐らく、ぼくの欲しいものがあり、ぼくのすきな音楽が演奏されていたのではなかろうか。
黒ずんだ石の壁は深い闇の中で、閉ざされて、深く夢の中に沈んで、平然とぼくをみつめていた。ところが、どこにも、門もとがったアーチもなく、穴のない、黒ずんだ静かな壁だけがあった。ぼくは歩みつづけ、壁に気さくにうなずきかけた。「おやすみ、壁よ、起こしたりはしないよ。おまえが取りこわされたり、ものほしげな会社の広告がはりつけられたりする時が、くるかもしれない。だけど、おまえはまだそこにあり、まだきれいで、ひっそりしていて、ぼくはすきだ」
暗い狭い小路から鼻先に吐きだされたように、一人の男が現われて、ぼくをびっくりさせた。夜おそくひとりでとぼとぼと家路をたどる男だったが、ふちなし帽子をかぶり、青い上っ張りを着こみ、プラカードのついた棒を肩にかつぎ、年の市の物売りのように、ふたのない箱を腹の前に革ひもでつるしていた。彼はつかれてぼくの前を歩いていったが、ふりむかなかった。ふりむいたら、ぼくはあいさつして、葉巻をすすめただろう。次の街燈の光で、旗のようにかついでいる、棒についた赤いプラカードを読もうとしたが、あちこちにゆれるので、いっこう判読できなかった。そこで、彼に声をかけ、プラカードをみせてくれるようにたのんだ。彼は立ち止って、棒をいくらかまっすぐにしてくれたので、ぼくは踊りゆらめく文字を読むことができた。
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無政府的な夜の娯楽!
魔法劇場!
どなたも入場おこと……
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「君をさがしてたんだよ」と、ぼくはうれしくなって叫んだ。「この夜の娯楽って何だい? どこにあるの、いつ?」
彼はもう歩きだしていた。
「どなたでもというわけではないのです」と、彼はねむそうな声でそっけなくいって、歩きつづけた。あきあきして、家へかえりたかったのである。
「待って」と叫んで、ぼくは後を追った。「その箱の中に何が人ってるの? 買いたいんだけど」
足もとめずに、その男は機械的に手を箱につっこんで、小さいパンフレットをひっぱりだして、ぼくにさしだした。ぼくはそれをすばやく取って、ポケットにつっこんだ。外套のボタンをはずして、お金をさがし出そうとしている間に、彼はわきの門に通じる道へ曲り、門を中からしめ、姿を消してしまった。中庭に彼の重い足音がひびいた。はじめは敷石の上に、それから木の階段に足音がしたが、やがてもう何もきこえなくなった。すると、ふいにぼくもひどくつかれて、もう夜もふけたから、かえったほうがいい、という気持になった。ぼくは足をはやめて、間もなく眠っている郊外の小路を通り、城壁の間にあるぼくの住いのあたりに入っていった。そこでは、芝生《しばふ》やきづたなどのうしろの、小さなこぎれいな貸家に、役人やささやかな年金生活者が住んでいた。きづたや芝生や小さい樅《もみ》のそばを通って、ぼくは玄関にたどりつき、鍵穴をみつけ、電気のスイッチをみつけ、ガラス戸やみがいた戸棚や植木鉢のそばを、そっと通りぬけ、ぼくの仮の故郷である部屋の戸をあけた。そこではひじ掛け椅子と暖炉、インキつぼと絵具箱、ノヴァーリスとドストエフスキイが、ぼくを待っていた。他のまともな人が帰宅すると、母親か妻子、女中や犬猫が待っているようにである。
ぬれた外套をぬごうとすると、あのパンフレットが手にさわった。ひっぱり出してみると、悪い紙に粗末に印刷した薄っぺらな年の市のパンフレットで、「一月生まれの人」とか「一週に二十歳若返る法」とかいうたぐいの仮とじの小冊子だった。
ところが、ひじ掛け椅子に深々とかけて、読書用のめがねをかけ、この年の市のパンフレットのカバーに「荒野の狼論 どなたも読むものにあらず」という表題をよんで、ぼくははっとし、こつぜんとこみあげてくる運命感におそわれた。
内容は次のようなものだったが、ぼくは次第に緊張しながら一気にそれをよんだ。
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荒野の狼論
狂人だけのために
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昔ハリーという名の、荒野の狼とよばれる、一人の男があった。二本足で歩き、服を着ていて、一人の人間だったが、それでも実際は一匹の荒野の狼だった。頭のいい人間の学べることを、たくさん学んでいて、かなり利口な男だった。しかし、彼が学ばなかったことは、自分と自分の生活に満足することだった。こういうことは彼にはできなかった。彼は満足しない人間だった。多分、自分は実際は人間などではなく、荒野からの狼であるのを、心の底ではいつも知っていた(あるいは、知っていると思っていた)ためだろう。次のことは賢明な人びとの議論の的になるだろう。彼はさて実際に狼だったのか、かつて恐らくは生れる前に、魔法で狼から人間に変えられたのか、それとも、人間と生れながら、荒野の狼の魂をさずかり、この魂にとりつかれているのか、それとも、実際は狼だという信念は、彼の妄想か病気にすぎなかったのか、などという問題である。たとえば、この男は子供のころ乱暴で手におえず、だらしなかったかもしれない。また、彼の先生たちは、彼の内にひそむ野獣を退治しようとし、実にそうすることで、本当は野獣なのだが、教育と人間性の薄皮をかぶっているにすぎないという妄想と信念を、彼にうえつけたのかもしれない。このことについてなら面白おかしく話しつづけられるだろうし、本だって何冊も書けるだろう。だが、荒野の狼には何の役にも立たないだろう。なぜなら、狼が彼の中へ魔法で追いこまれようと、たたきこまれようと、それとも心の妄想にすぎなかろうと、彼には全くどうでもよかったからだった。他人がそれをどう考えようと、彼自身がどう考えようと、それは彼には一文の価値もなく、狼を彼から追い出してはくれなかった。
荒野の狼はだから、人間と狼の二つの性質をもっていた。これが彼の運命だったが、この運命は決して特別の珍らしいものでなかったのだろう。犬か狐《きつね》、魚か蛇《へび》の性質を多分にそなえながら、それでそう困りもしなかった人が、沢山みられたということである。こんな人間では、まさに人と狐、人と魚がいっしょに生きていて、お互に苦しめないばかりか、お互に助けあっていた。成功してうらやまれている多くの男の中では、成功したのは、人間よりむしろ狐か猿《さる》だった。こんなことは誰でも知っている。これに反して、ハリーの場合は別で、彼の中では人と狼が並んで歩いていず、ましてお互に助けあうこともなく、いつも不倶戴天《ふぐたいてん》の敵だった。お互に苦しめるためにだけ生きていた。一つの血と一つの魂の中に住む両者が、お互に不倶戴天の敵なら、それこそ悲惨な生活である。とにかく、それぞれ自分の運命をもち、それは楽ではない。
われわれの荒野の狼の場合、さてどうかといえば、あらゆる混合体がそうであるように、彼は感情において、たしかにある時は狼として、ある時は人間として生きていたのだが、しかし、彼が狼である時は、彼の中の人間がいつも傍観し、批評し、裁きながら、そっとうかがっていた――そして、彼が人間である時は、狼が同じようにした。たとえば、ハリーが人間としてきれいな考えをもったり、こまやかな気高い感情を感じたり、あるいは、いわゆる善行をおこなったりすると彼の中の狼が牙《きば》をむきだして笑った。そして、この高尚なお芝居が荒野の狼にとってどんなにこっけいにみえるかを、無残なあざけりをもって彼に示した。この狼たるや実に、何が気持よいかということ、つまり、孤独に荒野をかけまわり、ときおり生血をすすったり、あるいは、雌狼を追いかけたりするのが、気持よいことを、心の中で百も承知だったのである――狼からみれば、そういう時には、あらゆる人間の行動はぞっとするほどこっけいで間がぬけていて、馬鹿げてくだらなくなった。ハリーが狼として感じ、ふるまい、他人に牙をむきだし、あらゆる人間と、その偽りの堕落した作法と習慣に対して、憎悪と激しい敵意を感じる時は、全く同じようだった。つまりその場合には、彼の中の人間の部分が狼を観察し、畜生やけだものと呼び、単純で健全で野性的な狼根性の喜びを、すっかり台なしにし、にがいものにしたのだった。
荒野の狼はこんなぐあいだった。ハリーは決して楽しい幸福な生活をしていなかったと、考えられる。しかし、だからといって、彼が全く特に不幸だった、というわけではない(誰でも自分の身にふりかかった不幸を最大のものと思うように、ハリー自身にもそう思われたのだが)、そんなことはどんな人についても言うべきではないだろう。狼を内にもっていない人も、だからといって不幸だとはいえない。そして、どんな不幸な生活にも、日の照る時も、砂と岩の間にささやかな幸せの花が咲くこともある。荒野の狼においてもそうだった。彼はたいていひどく不幸だった。それは否定できない。また、彼は他人をも不幸にした。つまり、彼が他人を愛し、愛された時である。彼を愛するようになった人はみな、いつも彼の中の一面だけをみたからである。多くの人は彼を上品な、賢明な、独特な人として愛したが、やがて、ふいに彼の中の狼を発見しないわけにいかなくなると、びっくりして、がっかりした。それは当然だった。なぜなら、ハリーは他の誰もがそうであるように、全体として愛されたいと思い、だからこそ、特に自分を愛してくれる人には特に、狼をかくすことも、ごまかすこともできなかったからである。しかし、まさにこの彼の中の狼を、自由な、荒々しい、倒しがたい、危険な、力強い性質を、愛する人もあった。そして、こういう人びとにとっては、不意に荒々しい意地悪な狼がまた人間になったり、親切や愛情へのあこがれをいだいたり、モーツァルトをきき、詩をよみ、人類の理想をもちたいと思ったりすることは、ひどくがっかりさせ、なげかせることだった。こういう人こそかえって特にがっかりし、腹をたてた。こうして、荒野の狼は彼自身の二重性と分裂性を、接触するあらゆる他人の運命にも持ちこんだのだった。
しかし、これで荒野の狼の正体がわかり、そのみじめな分裂した生活を思いうかべられる人は、やはりまちがっている。まだまだ全体がわかっていないのだ。(例外のない規則はないように、また、神は事情によっては、ただ一人の罪人を九十九人の正しい人より愛されるように)――ハリーにもとにかく例外も幸福もあったこと、彼が、時には狼が、時には人間が、純粋にじゃまされずに自分の中に呼吸し、考え、感じることができたこと、いやそれどころか、両者がよく、ごくまれな時にだが、平和を結び、愛しあって暮すので、一方が眠り、他方がめざめているのではなく、両方がお互いに強めあい、お互いを倍にしあっていたことを、そういう人は知らないのだ。この男の生活においても、世の中の至る所でそうであるように、時には日常|茶飯事《さはんじ》がわけがあって、一息いれて、破られ、異常な奇跡や恩寵に席をゆずるように思われた。さて、この短いまれな幸福な時が、荒野の狼の悲運を取り除き、やわらげたので、幸不幸が平均したかどうか、それとも、恐らくそれどころか、あのわずかの時間のつかの間の強い幸福が、あらゆる不幸を吸収して、あまりあったかどうか、これはまたひまな人に勝手に考えてもらいたい問題である。狼もよくそれを考えたが、それは彼のひまなむだな日のことだった。
なお一言つけ加えておきたい。ハリーのような人間はかなり多いが、多くの芸術家は特にそうである。こんな人間は自分の中に二つの魂、二つの性質をもっている。彼らの中にあっては、神のようなものと悪魔のようなもの、母の血と父の血、幸福を味わう力と苦悩にたえる力が、ハリーの中の狼と人間がそうだったように、いがみあい、もつれあって、併存し、入りまじっていた。そして、これらのひどくおちつきのない生活をしている人間は、時にはたまの幸福な瞬間に、強く名状しがたいほど美しいものを体験する。つかの間の幸福の泡《あわ》は時として、高く目もくらむほどにしぶきをあげ、苦悩の海をおおうので、このつかの間の輝かしい幸福は、そのほとばしる輝きで他人の心にもふれ、魅惑する。こうして、苦悩の海の上の貴重なはかない幸福の池として、あらゆる芸術作品が生れる。そして、この作品においては、それぞれの悩む人間はしばらくの間、自分自身の運命をはるかに超越するので、彼の幸福は星のように輝き、それをみるあらゆる人びとに、何か永遠なもの、自分自身の幸福の夢のように、思われる。こんな人びとは、自分の行動や作品を何とよぼうと、実際は生活を全くもっていない。つまり、彼らの生活は実在ではなく、形をもたない。彼らは、他の人が裁判官、医者、靴屋、教師であるようなぐあいに、英雄、芸術家、思想家ではなく、彼らの生活は永遠のいたましい動揺であり、岩にくだける波である。こんな混沌とした生活の上に輝く、あのまれな体験、行為、思想、作品の中に意味を見出そうとしないと、彼らの生活はすぐに、不幸にいたましく引き裂かれ、ぞっとするような、無意味なものになる。恐らく人間生活はすべてひどい迷い、人類の母イヴの産みそこなった荒い子供、自然の荒々しい、ひどくできそこないの試作品にすぎないという、おそろしい危険思想は、この種の人びとの間に生じた。しかし、彼らの間では、人間は恐らくかなり理性的な動物であるばかりでなく、神々の子であり、不死の運命をさずかっている、という別の思想もまた、生じたのである。
どんな種類の人間も自分の目印とサイン、長所と短所、大罪をもっている。荒野の狼の目印の一つは、彼が夕べの人間だったことである。朝は彼にとって、彼には恐ろしい、決していい事をもたらさない、悪い時だった。彼は一生の間どの朝にも、決してほんとに楽しくなかったし、午前中にいい事をしたこともないし、いい事を思いついたこともないし、自分や他人をよろこばせることもできなかった。午後になって、彼は次第に気持よく生き生きとしてきて、夕方になってはじめて、いい日には、生産的に、活発になり、時には燃えるように幸福になった。彼が孤独と独立を必要としたのも、この事に関係がある。彼ほど独立を深く情熱的に必要とした人間は、決してなかった。まだ貧しくて、苦労していた若い頃、彼はただちょっとした独立を守るためには、むしろうえてぼろを着て歩くのをえらんだ。金銭や楽な生活のために、決して女性や権力者に身を売ったことはなかった、彼の自由を守るためには、世間の誰の目にも彼の利益や幸福と思われたことを、なんども投げすて、しりぞけた。職についたり、毎日毎年の計画を守ったり、他人に服従したりせねばならないと考えることほど、彼にとっていやなおそろしいことはなかった。事務所、官庁、役所は、彼には死のようににくらしかった。彼が夢にみることのあった最大の恐怖は、兵営にとらわれていることだった。彼はあらゆるこのような境遇から、まぬがれることができたが、大きな犠牲を払わねばならないこともよくあった。ここに彼の強さと長所があり、この点で彼は不屈で、自分に忠実であり、その性格はしっかりしていて、まっすぐだった。しかし、この長所にこそ、その苦悩と運命はまた密接に結びついていた。彼の場合も、みんなの場合と同じだった。彼が心の奥底からの衝動によって、非常にしつように得ようと努力したものは、与えられはしたが、人間としては度をこしていた。それは始めは彼の夢と幸福になったが、やがてにがい運命になった。権力家は権力のために滅び、金力家は金力のために、屈従の人は奉仕のために、享楽家は享楽のために滅びる。同じように、荒野の狼はその独立のために滅びた。彼は目的を達し、次第に独立した。誰にも命令されず、誰にも迎合する必要はなかった。すき勝手に何でもやることができるようになった。なぜなら、強い人間はだれでも、真の欲求が求めよと命じるものを、必ず手に入れるからである。しかし、いざ自由を手に入れてみると、ハラーがふいに気づいたのは、自分の自由が死であること、自分がひとりで立っていること、世間が不気味なやりかたで自分をそっとしておくこと、人間はもう自分に無関係であること、いや、自分が自分自身に無関係であること、自分がいよいよ希薄になっていく孤独無縁の空気の中で、だんだん窒息していくことだった。なぜなら、今や孤独と独立はもう彼の願いでも目的でもなく、彼の宿命、彼に下された判決であり、魔法の願いはかなえられると、もうもとにもどせず、彼があこがれにみち善意をもって腕をさしのべ、束縛と共同を受けいれるつもりでいても、もうどうにもならない、つまり、彼は今や相手にされない、という状態だったからである。だからといって、彼は人びとに憎まれ、いやがられたわけではない。反対に、友人がたくさんあった。たくさんの人びとが彼を愛していた。しかし、彼がみつけたのは、いつも同情と親切にすぎなかった。彼は招待を受け、プレゼントを贈られ、親切な手紙を受け取ったが、誰も彼に近づかず、束縛はどこにも生れず、彼と生活を共にすることは、誰も欲しなかったし、できもしなかった。今や彼を包んでいるのは孤独な人々の空気、静かな雰囲気、周囲の世界からの離脱、関係への無力さで、これらを防ぐことは、どんな意志やあこがれでもできなかった。これが彼の生活の大切な目印の一つだった。
もう一つの目印は、彼が自殺者の一人だということだった。ここでいっておかねばならないのは、ほんとに自殺する人間だけを自殺者とよぶことが、まちがいだということである。それどころか、こういう人の間には、いわばただ偶然から自殺する人、本質的に自殺者気質をもっていない人が、たくさんいる。個性、はっきりした特徴、強烈な運命をもたない人びとの間には、平凡な群獣的人間《ヘルデンメンシェン》(ニーチェの用語)の間には、自殺して死にはするが、だからといって、その全体的特徴という点で、自殺者のタイプに属しはしない人が、かなりいる。ところがこれに反して、本質的に自殺者にかぞえられる人びとの中の、非常に多くの者が、恐らくは大多数の者が、決して実際に自分に手を下さない。「自殺者」は――ハリーもその一人だが――必ずしも死との特に深い関係の中に生きることはない――自殺者でなくとも、そういうことはできる。しかし、自殺者にとって独特なことは、正しいかどうかは別として、彼が自分を特にあぶない、おぼつかない、おびやかされた自然の芽だと感じ、自分がたえず大きな危険にさらされ、ひどくおびやかされているので、まるで細い岩の先端に立ち、誰かにちょっとおされるか、胸の中からちょっとした弱気が生じるかしても、たちまち虚空に転落すると、感じていることである。この種の人間の運命の方向は、自殺が彼らに最も可能性のある死に方であり、すくなくとも彼らの観念ではそうだということで、特色づけられている。たいていの場合ごく若い頃あらわれて、一生つきまとう、こういう気分の前提は特に弱い生活力などではない。その反対で、「自殺者」の中には、なみはずれにねばり強い、貪欲な、その上大胆な性質の人も見出される。しかし、ちょっとした病気にかかっても、すぐ熱を出す体質があるように、いつも感情的で敏感な、いわゆる「自殺者」体質の人は、ちょっとした刺戟をうけても、自殺の観念にとりつかれてしまう。ただ人間の生命現象の機構ばかりでなく、人間を研究する勇気と責任力をもつような科学があったなら、人間学や心理学のようなものがあったなら、誰でもがこういう事を知っているだろう。
ここで自殺者についてのべたことは、むろんすべて表面的なことだけで、それは心理学であり、つまり、一片の物理学である。形而上学的にみれば、事情は全く別で、ずっとはっきりする。なぜなら、こういう観察によると「自殺者」は、個人化は罪だという観念にとりつかれた人間だと、われわれには思われるからである。人生の目的は自己自身の完成と形成ではなく、自己の解体、母への復帰、神への復帰、宇宙への復帰であると考える人間だと、思われるからである。こういう性質の人の中の大多数の者は、自殺の罪を深く認識するので、いつかほんとに自殺することは、全くありえない。それにもかかわらず、われわれにとって彼らは自殺者である。彼らは生ではなく、死を救いとするからである。自己を投げすて、ささげ、解体し、始めに戻るつもりでいるからである。
どんな力も弱さになることがあるように(実際、事情によってはそうならざるをえないのだが)、反対に、典型的な自殺者はその表面上の弱さを、力や支《ささ》えとすることがよくある、いや、実にしばしばそうする。荒野の狼ハリーの場合もそうである。たくさんの同じような人間なみに、彼は、いつも死への道はひらかれているという考えを、ただ青春のメランコリックな空想のいたずらとしたばかりでなく、まさにこの考えを慰めと支えにした。たしかに、どんな刺戟、苦痛、生活苦も彼の心に、同類のあらゆる人間の場合と同じように、死によって逃がれたいという願いを、すぐめざめさせた。しかし、次第に彼は、こういう傾向からまさに生きることに役立つ哲学をつくりだした。この非常口がいつもあいている、という考えになれることによって、彼は力をえ、苦痛や悪い状態を味わいつくそうという好奇心を、もつにいたった。そして、ひどくみじめなめにあうと、彼は時には残忍な喜び、一種の意地悪い喜びをもって「おれはとにかく、いったい人間がどれだけがまんできるか、ぜひ知りたいんだ! がまんの限度に達したら、おれはあのドアをあけるだけの話だ、そうすればおさらばさ」と、感じることがあった。こんな考えから異常な力をえている自殺者は、実にたくさんいるのである。
他方において、どんな自殺者も自殺の誘惑と戦いつづけている。誰でもが心のどこかのすみでは充分知っていることだが、自殺はたしかに逃げ道だが、どこかけちくさい不法な非常口にすぎず、自分の手によるよりは、生活そのものによって、征服され、打ち倒される方が、結局は立派でみごとなのである。こういうことを承知しているから、いわゆる自己満足家の良心のやましさと本質的に同じで、良心のやましさがあるからこそ、たいていの「自殺者」はたえずこの誘惑と戦いつづけている。盗癖のある人が悪癖と戦うように、戦っている。荒野の狼もこの戦いをよく知っていて、あの手この手で戦った。とうとう四十七歳頃、彼は楽しいなかなかユーモラスなことを思いつき、よく悦にいったものである。五十歳の誕生日を、自殺決行の日ときめたのである。その日の気分次第で、非常口を利用するかどうかは、全く自由だと、彼は心にきめた。実際、彼にどんな事が起ころうと、病気になろうと、貧乏しようと、苦しいつらいめにあおうとすべては期限つきで、せいぜい数年の月日のことにすぎず、その数は毎日すくなくなるのだった。そして、実際、以前ならもっとひどく長く彼を苦しめ、いや、恐らくはとことんまで揺り動かした、いろんな不快を、彼は今やずっとしのぎやすくなった。何かの理由で彼のぐあいが悪くなったり、生活の沈滞や孤立や荒廃に、特別の苦痛か損失が加わったりする時は、彼は苦痛にむかって「待て、あと二年たったら、お前らをやっつけるぞ!」と、いうことができた。それから、彼は好んで考えたものである。五十歳の誕生日の朝には、手紙や祝辞がくるだろうが、かみそりをしっかりにぎって、あらゆる苦痛に別れをつげ、中からドアをしめると、骨の中の痛風も、ゆううつも頭痛も胃痛も、おさらばなのだと、好んで考えたものだった。
なお、荒野の狼の個々の現象と、特にその市民生活との関係を、その根本法則にさかのぼって、説明せねばならない。自然にそうなるのだから、あの「市民的なもの」への彼の関係から、のべることにしよう。
荒野の狼は家庭生活も社会的野心もしらなかったから、彼自身の考えによれば、全く市民社会の外にあった。彼は自分を全く孤独な人間と感じた。時には変人で病的な隠者で、時にはなみはずれた、天才の素質のある、平凡な生活のつまらない規格をこえた、気高い個人だと感じた。彼は意識的にブルジョアを軽蔑し、自分がブルジョアでないのを、誇りとしていた。しかし、彼は多くの点で市民的に暮していた。銀行に預金をし、貧しい親戚を助けていた。服装はむとんじゃくだったが、きちんとしていて、目立たなかった。警察や税務署のような権力とは、仲よくやろうとした。さらに、彼をたえずひきつけたのは、小市民社会への強いひそかなあこがれだった。きれいな庭、みがきたてた階段、秩序と礼儀のつつましい雰囲気のある、静かな上品な家庭へのあこがれだった。彼はちょっとした罪を犯したり、ひどいことをしたり、自分を非市民的な変人か天才と感じたりするのが、すきではあったが、いってみれば、もう市民性のない生活領域には、決して住まなかった。権力者や例外者の空気の中にも、犯罪者や公権を奪われた者とも、住まずに、いつも市民の領域に住んでいた。そして、その規範や雰囲気に対しては、反対や反抗の関係であっても、関係を保っていた。さらに、彼は小市民的教育をうけて成長し、そこから多くの概念や型を身につけていた。理論的には売春制度にいささかも反対ではなかったが、個人的には売春婦をまともに相手にしたり、実際に自分と平等にみなすことは、できなかったろう。国家と社会の追放した政治犯、革命家、精神の誘惑者を、兄弟として愛することはできたが、泥棒、強盗、強姦殺人犯は、かなり市民的なやり方で同情するよりどうすることもできなかっただろう。
こんなふうに、彼はその性質と行動の一半をもって攻撃し、否定したことを、他の一半をもって常に認め、肯定した。教養ある市民の家に、しっかりした形式と風習の中に育った彼は、心の一部でいつもこの社会の秩序に執着していた。もうとうに市民としての限度をこえて個別化し、市民の理想や信仰をすててしまった後でも、そうだった。
さて、人間性の日常の状態としての「市民的なもの」は、釣合いの試みに他ならない。人間行動の無数の両極端と一対の対立するものとの間の、釣合いを求めようとする努力に、他ならない。この一対の対立するものの例として、たとえば聖人と道楽者をあげてみれば、われわれの比喩はすぐわかるだろう。人間は精神的なこと、神に近づく努力、聖人の理想に、全く没頭することができる。また逆に、本能の生活、官能の欲求に身をゆだね、はかない享楽の追求に全精力をかたむけることもできる。一方の道は聖人、精神の殉教者、神への献身に通じている。他方の道は道楽者、本能の殉教者、腐敗への犠牲に通じている。さて、両者のほどよい中間で、市民は生きようとする。決して陶酔にも禁欲にも身をゆだねず、決して殉教者にならず、決して自分の破滅に同意したりしない――反対に、その理想は献身ではなく、自己保存である。その努力は聖性へも、その反対のものへも向けられない。絶対ということは、彼には耐えがたい。神には奉仕するが、陶酔にも奉仕する。品行方正でありたいとは思うが、ちょっとはこの世で楽な生活をしたいとも思う。要するに、市民は両極端の真中、激しい嵐も雷雨もない、おだやかな健康な地帯に、定住しようとする。そして、それに成功しはするが、絶対的なものと極端なものにむけられた生活が与える、強い生活と感情は、犠牲にせねばならない。強烈な生活は、自己を犠牲にしてだけできるものである。さて、市民は何よりも自己を(むろん、発育不全の自己を)高くかっている。つまり、彼は強烈さを犠牲にして保身と安全をえ、法悦《ほうえつ》のかわりに良心の安らかさを、享楽のかわりに気楽さを、自由のかわりに快適さを、身をこがす熱情のかわりに快い暖かさをえるのである。だから、市民は本質的にいって、生活衝動の弱い生き物で、不安で、自己自身を犠牲にするのを恐れ、御しやすい。それで、権力のかわりに多数制を、暴力のかわりに法律を、責任のかわりに投票制を定めたのである。
この弱い臆病な人間が、どんなにたくさんいても、自己を維持できず、その性質のためにこの世では、うろつきまわる狼の中の小羊の群の役割しかはたせないのは、明らかである。それにもかかわらず、強い性格の人間が統治する時代には、市民はすぐ壁におしつけられはするが、決してほろびはせず、それどころか時には世界を支配するように思われるのを、われわれは見る。どうしてそれは可能なのだろう。その群の大きさも、道徳も、常識も、組織も、市民を没落から守るに充分なほど、強くはないだろう。はじめから生活力の弱まっている者は、この世のどんな薬でも救うことができない。それなのに、市民階級は生きていて、強く、栄えている――なぜだろうか。
荒野の狼どものおかげだ、というのが答である。実際、市民の生活力は決してその普通の仲間の特性にもとづかず、そのあいまいでばくぜんとした理想のせいで自分の中に含むことのできる、非常に多くの局外者《アウトサイダー》の特性にもとづいている。市民社会の中にはいつも、多くの強い荒々しい人びとが住んでいる。われわれの荒野の狼ハリーは、特別の例である。市民としては度はずれに個性の発達した彼、思索の喜びも、憎悪と自己|嫌悪《けんお》の陰気な喜びも知っている彼、法律や道徳や常識を軽蔑する彼は、市民社会にとじこめられた囚人で、逃れることができない。そして、真の市民社会固有の大衆のまわりを、人間の広い層、無数の生活と知性がかこんでいる。これらの人間のめいめいは市民社会からはみ出して、自由な生活を送ることになっているのかもしれないが、感情が未熟なために市民性に執着し、生活力の弱さにいくらか感染しながらもなんとかして市民社会にとどまり、それに従属し、義務を負い、奉仕しつづける。市民社会には「反対しない者は味方だ!」という、偉大な者たちの原則の逆があてはまるからである。
そこで、荒野の狼の心を吟味すると、彼はひどく個性化したために、非市民たるべき運命を負わされていることがわかる――ひどく進んだ個性化は自我に反し、それを破壊するはめになるからである。われわれの見る所では、彼は心の中に聖人と道楽者への強い衝動をもっているが、どこか無力で不活発なために、自由な荒々しい世界へとびこめず、市民社会という重い母なる星座に、かなしばりになっているのである。これが彼の世界空間内の位置で、これが彼の束縛である。たいていの知識人、大部分の芸術家は、同じタイプに属している。彼らのうちの最も強い者だけが、市民世界の雰囲気を突破し、天空へと達する。他の者はみなあきらめたり、妥協したりし、市民社会を軽蔑しながらも、それに属し、それを強化し、賛美する。生きるためには、結局は市民社会を肯定せねばならないからである。このことは、これら無数の人びとの悲劇にはならないが、かなりの災難と不幸になり、その地獄のような苦しみの中で、彼らの才能はきたえられ、生産的になる。わずかのものが身をもぎ離し、絶対的なものへの道を見いだし、驚嘆すべき没落をとげる。彼らは悲劇的な人間で、その数はわずかである。しかし、他の束縛されていて、その才能を市民たちによく尊敬されている者たちには、第三の国、空想的だが最高の世界、すなわち、ユーモアの世界がひらけている。いつもひどく悩んでいる自由のない荒野の狼たちは、悲劇に耐え、星の世界へ突入するだけのエネルギーをもたず、絶対的なものへの使命を自覚しながらも、その中に生きることはできない。こういう荒野の狼たちの前には、その精神が苦しみの中で強く弾力をおびると、ユーモアヘの和解的な逃げ道がひらけるのである。真の市民はユーモアがわからないが、ユーモアは常にとにかく市民的である。ユーモアの空想の世界で、あらゆる荒野の狼の複雑多岐な理想が実現される。すなわち、ここでは、聖人と道楽者をいっしょに肯定し、画極を曲げ合わせることができるばかりでなく、市民をさえ肯定することができる。神につかれたものにとっても、犯罪者を肯定することはきっとできるだろうし、その逆も同様である。しかし、両者にとって、またあらゆる他の絶対的なものにとって、あの中立のなまぬるい中間である市民的なものを、肯定するのは不可能である。ただユーモアだけが、最大なものへの使命をはばまれた者の、悲劇的ともいえる最高の天命に恵まれた不幸な者の、すばらしい発明であるユーモアだけが(恐らく人類の最も特色のある天才的な成果なのだが)この不可能な事をなしとげ、そのプリズムの光で人間存在の全領域をおおい、結合する。現世を無視して現世に住み、法律を尊重するが、それを超越し、「持っていないかのように」持ち、あきらめないかのようにあきらめること――人生哲学のあらゆるこのような好ましい、よく公式化されている要求を実現できるのは、ユーモアだけである。
もしユーモアの才能も素質も欠いていない荒野の狼が、地獄のような苦しい混乱の中にあっても、この魔法の薬を煮つめて作り上げることに成功するなら、救われるだろう。だが、それにはほど遠い。それにしても、可能性と希望はある。彼を愛し、彼に関心をもつ人は、彼が救われるのを願うだろう。彼はそのために永久に市民社会にとどまりつづけるだろうが、その悩みは耐えられ、実を結ぶだろう。市民世界への彼の関係は、愛憎いずれの形をとるにせよ、センチメンタルでなくなり、この世界への束縛も、たえず彼を恥として苦しめるのをやめるだろう。
この目的を達するか、恐らく結局は宇宙の中へあえて飛躍するためには、このような荒野の狼はいつかは自分と対決させられ、自分の心の混沌を深くのぞきこみ、自分を完全に意識せねばならないだろう。そうすれば、彼の怪しい存在は、不動の姿の正体をあらわすだろう。そして、くりかえしその本能の地獄からセンチメンタルな哲学的な慰めへ、この慰めからまた狼根性の盲目的な陶酔へ逃避することは、彼にはもうできなくなるだろう。人間と狼は、いつわりの感情のマスクをぬいで互に認めあい、お互にまともに目と目をみかわすように、ならざるをえないだろう。その時は、彼らは爆発して、永久に分裂してしまい、もう荒野の狼は存在しなくなるか、立ちのぼるユーモアの光にてらされて、理性結婚をするだろう。
ハリーがいつの日かこの最後の可能性の前に立たされることは、あるだろう。われわれの小さな鏡を手に入れるか、不滅のものに出会うか、すさんだ魂の解放に必要なものをわれわれの魔法劇場の一つで見出すかして、彼がいつの日か自分を認めるようになることは、あるだろう。こんな無数の可能性が彼を待っている。彼の運命はこの可能性をさからいがたく引き寄せる。市民階級のこんな局外者《アウトサイダー》はだれも、こんな魔法的な可能性の雰囲気の中に生きている。ちょっとしたきっかけで充分で、それで雷は落ちるのである。
荒野の狼は、自分の心の伝記のあらましをよまなくとも、こんな事はなんでもよく知っている。彼は世界構造の中の自分の位置を予感している。不滅なものを予感し、知っている。自己との対決の可能性を予感し、恐れている。どうしてものぞきこまねばならない鏡があるが、そうするのが死ぬほどこわいのを、知っているのである。
本論の結びとして、なお一つの最後の虚構、根本的錯覚を解明することが残っている。すべての「説明」、心理学、理解の試みは、たしかに補助手段としての理論、神話、虚構を必要とする。まじめな著者なら、叙述の末尾でこの虚構をできるだけ解明するのを、おこたるべきではあるまい。「上」とか「下」とかいう時は、それは既に説明を必要とする主張である。なぜなら、上下は思惟の中、抽象の中にだけ存在するからである。世界そのものは上も下も知らない。
そこで、要するに「荒野の狼」も一つの虚構である。ハリーが自分自身を狼人《ろうじん》と感じ、二つの互に敵対するものから成り立っていると思うなら、それは単純化の神話にすぎない。ハリーは狼人などではない。彼自身が案出し信じている虚構をどうみてもうのみにし、彼を実際に二重人格、荒野の娘とみなし、解釈しようと試みるのは、理解を容易にするために、錯覚を利用するのである。これからこの錯覚を訂正せねばならない。
ハリーは自分の運命をわかりやすくするのに、狼と人間、本能と精神に二分するが、ひどくおおざっぱな単純化である。この人間が自分の中に見出し、すくなからぬ悩みの源とみられる矛盾を、もっともとは思われるが誤って説明するために、現実を曲げることである。ハリーは自分の中に「人間」を見出す。すなわち、思想、感情、文化、慣らされ高められた性質の世界を見出す。と同時に自分の中に「狼」を見出す。すなわち、本能、野性、残忍、高められない無骨な性質の暗い世界も見出す。このように自分の本性を敵対する二つの領域にはっきり二分したのに、彼がときどき体験したのは、狼と人間がしばらくの間、幸福な一瞬の間、お互に仲よくしていることだった。もしハリーが自分の生活のそれぞれの瞬間、行為、感情において、人間と狼がどのくらい関係しているかを、はっきりさせようとしたら、窮地におちいり、見事な狼理論はあとかたもなくこわれるだろう。なぜなら、どんな人間でも、未開の黒人でも、白痴でも、その本質が二、三の主要素の総和と説明されるほど、つごうよく単純ではない。また、ハリーのように複雑な人間を、かんたんに狼と人間に二分して説明しようとするのは、見込みのない子供じみた試みだからである。ハリーは二つの本質からではなく、百の、千の本質から成り立っている。彼の生活は(すべての人間の生活のように)本能と精神、聖人と道楽者のような両極の間にばかりでなく、数千の、無数の両極の組み合わせの間にも、振動しているのである。
ハリーのような教養のある利口な人間が、自分を「荒野の狼」とみなせること、自分の生活のゆたかな複雑な諸相を、全く単純で野蛮で原始的な公式におしこめられると思うことで、驚くにはあたらない。人間の思索には限度がある。どんな精神的で教養ある人間でも、ひどく単純素朴でインチキな公式の眼鏡《めがね》をいつもかけて、世界や自分自身をみる――特に自分自身をみている。なぜなら、誰でも自我を一つの統一体と考えることは、どうやらあらゆる人間に生れつきの、全く必然的な要求だからである。この妄想はどんなにしばしば、どんなにひどくゆすぶられても、いつもまたもとどおりになおる。裁判官は殺人犯と向きあってすわり、その目をのぞき、一瞬の間殺人犯が自分(裁判官)の声で話すのをきき、彼の感情の動き、能力、可能性もすべてまた自分自身の内に見出すが、もう次の瞬間にはまた別の自分である裁判官になり、いそいで空想の自我の殻にもどり、殺人犯に死刑の判決を下して、義務をはたす。特に天分がありデリケートにできている人の心に、魂の分裂の予感がきざし、この人たちがあらゆる天才のように、人格統一という妄想を打破し、自分は分裂していて、沢山の自我の束だと、感じるとする。彼らがこの事をちょっとでも口にしたが最後、大多数の人は彼を監禁し、科学に助けを求め、精神分裂症だと診断し、人類がこの不幸な人びとの口から出た真実の叫びをきかないように、しむけるのである。さて、なぜここで言葉をむなしく使うのか。なぜ物事をのべるのか。そういうものは思索する人には自明であり、口にするのは礼儀にもとるからである――だから、さて誰かが自我の空想的統一を二元性にひろげるまでに至っているなら、彼はもう天才といってもいい。だが、めずらしい面白い例外である。しかし、実際は、どんな自我も、どんな素朴な自我も、統一体ではなく、極端に多様な世界、小さな星の世界であり、種々の形、段階、状態、遺産、可能性の混沌である。誰でもがこの混沌を統一体とみなそうとつとめ、自分の自我について、それが単純ですっきりした現象であるかのように、語るという、こういう誰にも(最高の人にも)おなじみの妄想は、さけがたい事で、呼吸や食事のように生命の要求であるように思われる。
この錯覚は単純な類推にもとづいている。肉体的には誰でも一つだが、霊的にはそうではない。文学においても、どんな洗練された文学においてさえ、伝統的にいつも、外見は全体的で統一的な人物が扱われている。これまでの文学では、専門家と識者は戯曲を最も高く評価しているが、もっともなことである。なぜなら、戯曲は、自我を多元的なものとして表現する最大の可能性を示すから(または、示すだろうから)である――劇の登場人物はどれも、まぎれもなく一回限りの、統一的な、まとまった肉体をもっているので、一見すればわれわれには統一体のように思われるが、この見方が上の事実に矛盾しないならばなのだが。素朴な美学は、どの人物もひと目でわかるようにはっきりと統一体として登場する、いわゆる性格劇を最も高く評価している。だが、恐らくそれはみな安易な皮相の美学であり、われわれが、みごとだが生得のものではなくただ教え込まれた古代の美の概念を、現代の大劇作家に適用するのは、まちがいであるということは、やっとかすかに次第に個々の人にわかりかけてきた。この古代芸術は、どこでも目にみえる肉体から出発して、自我や個人という虚構を全く独特なやり方で発明したのである。古代インドの文学では、この概念は全く知られていない。インドの叙事詩の主人公は個人ではなく、個人の集団、一連の化身である。また、われわれの近代世界にも、作者は恐らく全く意識していないだろうが、個人劇や性格劇のヴェールにかくれて、魂の多元性を表現しようとしている文学が、存在している。このことを認識したい者は、こんな文学の人物を個人とみなさず、より高い統一体(いわば詩人の魂)の部分、側面、諸相とみる決心をせねばならない。たとえば「ファウスト」をこんなふうに観察する者には、ファウストやメフィストやワグナーや他の全人物から、一つの統一体、超個人ができあがり、個々の人物の中にではなく、このより高い統一体の中に初めて、魂の真の本質の何かが暗示される。ファウストが、教師たちによく知られた、俗人たちに三嘆されている「自分のこの胸の中には二つの魂が住んでいる!」という文句をいうとき、彼はメフィストを忘れ、同じくその胸に宿る他の沢山の魂を忘れている。われわれの荒野の狼もまた、二つの魂(狼と人間)をその胸にいだき、それで胸はいっぱいだと、思っているのだ。脳やからだはいつだって一つだが、その中に住んでいる魂は二つや五つではなく、無数である、人間は数百枚の皮からできている玉ねぎ、たくさんの糸からできている織物である。昔のアジア人はこの事を認識し、よくわきまえていた。仏教の瑜伽《ヨーガ》では、個性という妄想をぬぐいさる正確なテクニックが、発明されている。人間の演じる芝居は、さまざまで面白い。つまり、インドがぬぐいさるために何千年も努力した妄想は、西洋が強化するために同じくらい努力した妄想に、他ならないのである。
こういう立場から荒野の狼を観察すると、なぜ彼がばかげた二元性にひどく悩むのかが、明らかになる。彼はファウストのように、二つの魂は一つの胸には多すぎ、胸をはれつさせるにちがいないと、思っている。ところが、二つの魂では反対にすくなすぎ、ハリーは自分の哀れな魂をこんな単純な姿でとらえようとするとき、その魂にひどく暴力をふるったことになる。ハリーは高い教養のある人間なのに、二つ以上はかぞえられない未開人のように、ふるまっている。彼は自分の一部を人間とよび、他の一部を狼とよび、もうそれでおしまいで、それで自分のことは完全にいいつくしたと、思っている。彼は「人間」の中に、自分の中に見出すあらゆる精神的なもの、崇高なもの、あるいは洗練されたものを詰めこみ、狼の中にあらゆる本能的なもの、粗野なもの、混沌としたものを詰めこむ。しかし、人生はわれわれの考えるように単純に、哀れな白痴の言葉のように粗末には、いかないものである。そして、ハリーはこのネグロのような狼的方法を用いるとき、自分を二重にあざむいている。ハリーは、全く人間になっていない魂の領域を全部「人間」のうちに数え、とうに狼の域を脱した本性の部分を狼のうちに数えているおそれがある。
すべての人のように、ハリーもまた、人間が何であるかを、よく知っていると思っているが、実は全く知っていない。もっとも、夢や他の意のままにならない意識状態で、それを予感することはよくあるのだが、彼はこの予感を忘れずに、できるだけ自分のものにしてもらいたいものだ。人間は決して固定した永続する形態ではない(これは、古代の賢者の反対の予感にもかかわらず、古代の理想だった)、人間はむしろ一つの試みと過渡的なものであり、自然と精神の間の狭い危険な橋にほかならない。精神へと、神へと、内奥の定めが彼をかりたてる――自然へと、母へと、内奥のあこがれが彼をつれもどす。つまり、二つの力の間を、彼の生活は不安におののきながら揺れ動いているのである。そのつど「人間」という概念が意味するものは、いつも一時的な市民的な申し合わせであるにすぎない。あるきわめて野蛮な本能はこの協定からはきびしく除かれ、厳禁され、一片の意識、美風、調教が要求され、ごくわずかの精神が許されるばかりでなく、必要とさえされる。この協定の「人間」は、あらゆる市民の理想のように、一つの妥協である。悪い原母《げんぼ》である自然と不快な原父である精神をあざむいて、そのはげしい要求をうばいとり、両者の間のなまぬるい真中に住もうとする、おずおずした、うぶだがこうかつな試みである。だから、市民は「個性」とよぶものを許容するが、同時にまたそれを牛身の神(人身御供を求めるフェニキアの神)である「国家」にひきわたし、たえず両者を反目させて漁夫の利を占めている。だから、市民はきょう異端者として焼き殺し、罪人として絞首刑にした者のために、明後日は記念碑を建てるのである。
「人間」はすでに出来上がったものではなく、精神の要求であり、遥かな待望され恐れられている可能性であること、そこへの道はいつも近いのに、恐ろしい苦しみと歓喜の中にだけあゆまれるのだが、この道をたどるわずかの者には、きょうは処刑台が、あすは記念碑が用意されること――こういう予感は荒野の狼の胸のうちにも宿っている。だが、彼が「狼」と対立させ、自分の中で「人間」とよんでいるものは、大部分は市民協定のあの平凡な「人間」に他ならない。真の人間への道、不死のものへの道を、ハリーはたしかにはっきり予感し、ときどきためらいながらも少し歩いてみては、その代償としてひどく苦しみ、いたましく孤立する。しかし、精神によって求められる真の人間化を認め始め、不減への唯一の狭い道をたどるという、あの最高の要求に対しては、彼は心の奥底ではやはり恐れている。それがいっそう大きな苦しみ、追放、最後のあきらめに、恐らくは処刑台に通じているのを、彼は充分に感じている――たとえこの道の果てで不滅がいざなっていても、この苦しみをなめつくし、この死を死につくすつもりはない。人間になることの目的については、彼は市民よりも自覚しているが、目をとじて、自我への絶望的執着、死にたくないという絶望的意志が、永遠の死への最も確実な道であることを、知ろうとはしない。また他方では、死ねること、脱皮すること、自我を変化にささげることが、不滅へ通じることを、知ろうとはしない。彼が不減の人びとの中の好きな人物、たとえばモーツァルトを崇拝する場合、結局はいつも市民の目で眺め、モーツァルトの完成をまるで学校の先生のように、ただその高い専門家の天分から説明する気になっていて、その献身と受苦の覚悟の偉大さ、市民の理想への無関心さ、苦しんで人間になろうとする者をとりまくあらゆる市民的雰囲気を、氷のような世界でつつむエーテルに薄めるあの極端な孤独、つまり、ゲッセマニの園のあの孤独の受苦からは、説明する気にはなっていない。
とにかく、われわれの荒野の狼はすくなくともファウスト的二元性を自分の中に発見した。その肉体の一元性には魂の一元性が内在していないで、彼はせいぜいこの調和の理想を求めての途上にあり、長い巡礼をしているにすぎないことを、理解した。彼は自分の中の狼を征服して、人間になりきるか、人間をあきらめて、すくなくとも娘として、一元的で分裂しない生活をしたいのである。恐らく彼は本当の狼を正確に観察したことがないのだろう――もしよく観察していたら、動物も一つの魂をもたず、動物の場合にも、からだの美しいひきしまった形のうしろに色々の努力や状態がやどり、狼も心に深淵をもっていて、狼も苦しむことが、恐らくわかっただろう。いや「自然に帰れ!」ということで、人間はいつもなんぎで絶望的な迷路をたどる。ハリーは決してまた狼になりきれず、たとえ狼になっても、狼はもう単純で最初のものではなく、すでに複雑でこみいったものであることが、わかっただろう。狼もその狼の胸に二つ、またそれ以上の魂をもっている。ぜひ狼になりたいと思う者は、「まだ子供なら、うれしかろ!」と歌う男と同じく、忘れっぽいのだ。幸せな子供の歌をうたう、同感できるがセンチメンタルな男は、同じように自然、無邪気、初心にかえりたいのだが、子供は決して幸せではなく、たくさんの戦いや矛盾、あらゆる苦しみをもちうることを、全く忘れはてているのである。
狼にも子供にも、帰る道は全然ない。物の始めには、無邪気も単純もない。あらゆる作られたもの、一見もっとも単純なものも、すでに罪があり、分裂していて、生成の濁流へ投げこまれ、もはや決して流れをさかのぼることはできない。無邪気、作られないものへの道は神にではなく、前方へ通じ、狼や子供へではなく、いよいよ遠く罪へ、いよいよ深く人間化へ通じている。哀れな荒野の狼よ、自殺したって、ほんとにお前の役には立たないだろう。お前はきっともっと長い、なんぎな、困難な人間化の道を歩むだろう。お前の二元性をさらにしばしば多元化し、お前の複雑さをさらにいっそう複雑にせねばならないだろう。お前の世界を狭め、お前の魂を単純にするかわりに、次第に世界を、ついには全世界を、いたいたしくひろげられた魂の中へ受けいれ、恐らくいつか終り、安息に至らねばならないだろう。この道は釈迦《しゃか》が、あらゆる偉人が歩いた。ある人は意識して、ある人は無意識に、冒険が成功する限りは、歩いたのだ。誕生はすべて全体からの分離、制限、神からの隔離、苦悩にみちた新生を意味する。全体への復帰、苦しい個別化の止揚、神化とは、魂をひろげて、万有をまた包括できるようにすることを、意味している。
ここで問題なのは、学校や経済学や統計の知っている人間、何百万となく通りを歩きまわっている人間、浜の真砂《まさご》かくだける水しぶきほどの価値しかない人間ではない。つまり、何百万多かろうと少なかろうと、問題ではなく、そのような人間は材料であり、それ以外の何物でもない。いや、われわれがここで論じているのは高い意味の人間、人間化の長い道の目的、王者、不滅の人間である。天才は、よくそう思われるように、まれではなく、むろん、文学史や世界史や新聞がいうほど、しばしば出現するものでもない。荒野の狼ハリーは、苦しいめにあうたびにくよくよと「どうせ馬鹿な荒野の狼だ」と弁解せずに、あえて人間化を試みるにたる天才だと、われわれには思われる。
こんな可能性をもった人間が、荒野の狼とか「ああ、二つの魂!」という言葉でなんとかお茶をにごしているのは、市民的なものを実にしばしば意気地なく好むのと同じように、不思議な悲しむべきことである。仏陀《ぶっだ》のわかる人、人間性の天国と地獄を予感する人は、常識やデモクラシーや市民教育のはびこる世界に、住むべきではないだろう。ただ臆病だからそこに住んでいるのである。彼のからだが大きくなって苦しくなり、狭い市民の部屋がきゅうくつになると、彼はそれを「狼」のせいにし、狼が彼の最良の部分となることが時にはあるのを、理解しようとはしない。彼は自分の中の野蛮なものをすべて狼とよび、意地悪い、危険な、市民の恐怖だと感じる――しかし彼は、芸術家で、繊細な感覚をもっていると信じているのに、狼の背後に狼のほかに、なおも他の多くのものが彼の中に住んでいること、かみつくものがすべて狼とは限らないこと、そこには狐も竜も虎も猿も極楽鳥も住んでいることを、見ることができない。彼の中の真の人間がみせかけの人間、市民によっておしつぶされ、とらわれていると同様に、この全世界は、あいらしいものと恐ろしいもの、大きいものと小さいもの、強いものと弱いもの、さまざまの姿にみちたこの全楽園は、狼の童話でおしつぶされ、とらわれている。
百千の樹木や花や果実や草にみちた庭を、思いうかべてみるがいい。ところで、この庭の庭師が「食用」と「雑草」という植物の区別しかしらないなら、庭の十分の九をどうしたらいいかわからないだろう。非常に魅力的な花を引き抜き、大変気高い木を切り倒し、あるいは、それらをいみきらって、まともにみないだろう。荒野の狼は自分の心の無数の花を、そんなふうに扱っている。「人間」とか「狼」とかいう見出しにあてはまらないものを、彼はみようともしない。彼はなんだって「人間」の中にかぞえいれてしまうのだ。臆病なもの、猿ににたもの、馬鹿げたもの、下らないものは何でも、狼的でさえなければ、「人間」の中にかぞえいれてしまう。それは、強いものと気高いものは何でも、まだ自分の自由にできないという理由だけで、狼的なものにかぞえいれるのと同じである。
われわれはハリーに別れをつげ、ひとり彼の道を歩ませよう。彼がすでに不滅の者に達しているなら、彼がもう、そのなんぎな道がめざしている所に達しているなら、彼は自分が右往左往し、荒々しくためらいながらジグザグ歩きまわるのをみて、さぞいぶかしがるだろうし、さぞかしこの荒野の狼に、はげまし、非難し、同情し、からかうかのように、ほほえみかけることだろう。
読みおえると、ぼくは数週間前のある夜中に、同じように荒野の狼を扱ったいくらか風変りな詩を書きとめておいたのを、ふと思い出した。ぼくはいっぱい詰った机の紙くずをひっかきまわし、それを見つけて読んだ。
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おれは荒野の狼、ひた走りに走る、
あたりは一面銀世界、
白樺から鳥が飛び立つが、
どこにも兎は、どこにものろ鹿はいない!
のろ鹿におれはほれこんでいる、
一頭でもみつかればいい!
そいつをつかまえかみつきたい、
これほどいいことはない。
そのかわいい奴を思いきりかわいがり、
やわらかいももにがっぷりかぶりつき、
そのうす赤い血をたらふくのみ、
それから夜どおしひとりでほえたい。
兎だって満足だ、
そのなまあたたかい肉は夜はうまい――
生活をいくらか楽しくするものはみな、
ああ、おれを見捨てたのか?
おれの尾の毛はもう白くなり、
この目ももうかすんできて、
とうに女房も死んでしまった。
そして今おれは走り、のろ鹿の夢をみ、
走っては、兎の夢をみ、
冬の夜の風の叫びをきき、
焼けつくような喉を雪でうるおし、
悪魔におれの哀れな魂を運ぶのだ。
[#ここで字下げ終わり]
こうしてぼくは今、二枚の自分の肖像画を手にしたわけである。一枚は、ぼく自身のように、悲しく不安な、へたな詩でえがいた自画像である。もう一枚は、冷静に、いかにも高い客観性をもってえがかれ、局外者によってそとの高い所から観察され、ぼく自身よりは知ってはいるが、やはりぼくほどは知らない人によって、書かれている。そして、この二枚の肖像はどれも、つまり、ぼくのゆううつに口ごもる詩と未知の人の手になる鋭い研究は、ともにぼくを苦しめ、ともに道理があり、ともにぼくの絶望的存在をありのままえがき、ともにぼくのしのびがたい不安定な状態を、はっきり示している。この荒野の狼は死なねばならない。自分の手でのろわしい存在を終らせねばならなかった――あるいは、新しい自己観察の死の業火にとかされ、変身し、マスクをかなぐりすて、新たに自我化を試みねばならなかった。ああ、こんな経過はぼくには、目新たらしくも、未知でもない。ぼくは知っていたし、絶望の極に達した時はいつも、もう何度も体験している。ひどくえぐるような体験をするたびに、ぼくのその時の自我はこなごなにこわれ、深淵の力がぼくの自我を根こそぎにし、破壊し、その時いつも、ぼくの生活の大事な特に好きな部分は、ぼくを裏切り、失われていった。ある時は、ぼくは市民的名声を財産もろとも失い、それまでぼくに敬意を表した人びとの尊敬を、あきらめるようにせねばならなかった。またある時は、一夜にしてぼくの家庭生活は、めちゃめちゃになった。妻は精神病になり、楽しいわが家からぼくを追放し、愛と信頼は一朝にして憎悪と死の戦いに変り、隣人は同情し軽蔑してぼくを見た。その頃、ぼくの孤独は始ったのだった。そして、また幾年かたち、苦難の幾年かがたって、ぼくがきびしい孤独とつらい克己によって、新しい禁欲・精神的な生活と理想を樹立し、抽象的な思索と厳しく規則正しい瞑想《めいそう》にふけって、ある静かな高い生活にまた到達した後に、この生活形成もまた崩壊し、その気高い意味を一挙に失ってしまった。めちゃくちゃなつらい旅で、ぼくはまたぞろ世界中をひっぱりまわされ、新しい苦しみと罪は山積した。そして、マスクがはぎとられ、理想が崩壊するたびに、その事前に起こったのは、ぼくが今また遍歴せねばならない恐るべき空虚と静けさ、死ぬほど苦しい締めつけ、孤独、頼りなさ、無情と絶望の空漠たる地獄だった。
こんな風に生活が揺り動かされるごとに、ぼくは結局なにかをえ、これは否定できないことだが、いくらか自由精神、深さを、またいくらか孤独、無理解、冷たさをわが物にした。市民の側からみれば、ばくの生活はこんな風に動揺をかさねるうちに、下降の一線をたどり、普通のもの、許されたもの、健全なものから次第に遠くはなれていった。ぼくは年とともに職を失い、家庭を失い、故郷を失い、あらゆる社会集団のそとに立ち、孤独になり、誰にも愛されず、多くの人びとに疑われ、世論や道徳とたえず悪戦苦闘した。そして、市民生活のわく内にとどまってはいたものの、この世界のただ中において、あらゆる感じ方や考え方において、一人の異邦人だった。宗教、祖国、家庭、国家はぼくにとって価値を失い、もうぼくには無関係になり、もったいぶった学問、同業組合《ツンフト》、芸術はぼくに吐き気をもよおさせた。かつてぼくを天分ゆたかな人気者とした直観、趣味、全思想は、今では問題にされず、荒れすさみ、人びとにはうさんくさく思われた。ぼくはこんなひどい変化をいろいろ経験するうちに、何か見えない計りがたいものを手に入れたのだったが――ぼくはそれに高い代価を支払わねばならなかったし、そのつどぼくの生活は、いっそうきびしく、つらく、孤独に、危険になっていった。実際、ニーチェの秋の歌の中のあの靄《もや》のような、次第にうすれていく大気の中へぼくを導くこの道を、歩みつづけたいと願う理由を、ぼくはもっていなかった。
そうだ、運命が彼の世話のやける子供、ひどく気むずかしい子供の定めとしたこの体験、この変化を、ぼくは知っていた、余りにもよく知っていた。野心はあるが不運な猟師が狩りの段どりを知り、老巧な相場師が投機や利益や動揺や暴落や破産の段階を知っているように、ぼくはそれを知っていた。ぼくは今ほんとにもう一度、これをすべて経験せねばならないのだろうか。こんな苦しみ、狂気のような困難、卑しい無価値な自我への洞察、敗北への恐ろしい不安、死の恐怖をすべて、経験せねばならないのか。こんな苦しみを繰り返さずに、こっそり姿をくらます方が、利口で手っとりばやくはなかったか。たしかに、それは手っとりばやく利口だった。荒野の狼のパンフレットで「自殺者」についてどう主張されていようと、ぼくが、ガスかかみそりかピストルの助けをかりて、こういう経過の繰り返しをさける喜びを、誰もとめることはできない。ぼくは今までこの経過のひどい苦しみを、実にしばしば痛切に味わいつくさねばならなかったからである。いや、死の恐怖をともなう自己との出会いをもう一度やれ、平安ではなくただ新たな自己否定、自己形成だけを目標とする新形成、新しい人間化をもう一度やれと、ぼくに要求できる力は、断じてこの世にはなかった。自殺がおろかで、臆病で、けちくさかろうと、不名誉な恥ずべき非常口だろうと――この苦しみのひき臼《うす》からの逃げ道は、どんな恥ずべきものだろうと、心から望まれた。ここには、高貴な心や英雄主義《ヒロイズム》のお芝居はもうなかった。ここではぼくは、軽い一時の苦痛か、考えられぬほど燃える無眼の苦悩かのいずれをあっさりえらぶかを、求められた。つらい狂気じみた一生のうちで、ぼくはなんとしばしば気高いドン・キホーテだったろう。安楽より名誉を、理性よりヒロイズムをえらんだことだろう。もうたくさんだ、まっぴらだ。
ぼくがとうとう床についたとき、朝がもう窓ガラスごしにあくびをしていた。冬の雨の日の鉛のようないまいましい朝である。寝床の中へぼくは決心をもちこんだ。ところが、眠りこもうとする瞬間の意識のぎりぎりの最後の限界に、荒野の狼のパンフレットの「不減の人びと」を論じた注目すべき個所が、目前に電光のようにぱっとひらめいた。そして、それと同時にはっと思い出したのは、ぼくがなんども、またついせんだっても、不減の人びとをごく身近に感じ、古い音楽の一拍子のうちに、不滅の人びとの全く冷たい、明るい、きびしくほほえむ知恵を、ともに味わったことである。こんなことが浮び上がり、輝き、消えてゆき、山のように重く、眠りが額の上にのしかかった。
昼ごろ目をさますと、心の中がまたすっきりしているのに、すぐ気がついた。パンフレットとぼくの詩はナイトテーブルにのっていた。ぼくの最近の混乱した生活の中から、一晩眠っているうちにしっかりきまったぼくの決心が、親しげに冷たくぼくをみつめていた。急ぐにはおよばなかった。ぼくの自殺の決心は一時の気まぐれではなく、次第に大きく重くなった、熟した長もちする果実で、運命の風にゆれていて、もう一度強い風が吹いたら、落ちるばかりになっていたのだった。
ぼくの旅行用救急箱には、よくきく鎮痛剤が入っていた。特に強いあへん製剤で、ぼくはたまにしか用いず、よく何ヵ月も使用をひかえていたものだった。この麻薬を用いるのは、肉体的苦痛にたえられなくなった時だった。それは残念ながら自殺には適さなかった。数年前に一度ためしたことがあったのだ。またしても絶望におちいったとき、六人の人間を殺すのに充分なくらいの量をのんだのだが、死ねなかった。たしかに眠りこみ、数時問は昏睡《こんすい》状態にあったが、しかし、やがてひどくがっかりしたことには、胃の激しい痙攣《けいれん》で半ば目をさまし、完全には意識を回復しないままに、毒を全部吐きだし、また眠りこんで、次の日の昼はっきり目をさましたが、恐ろしく白け切った気持で、頭は焼けてからっぽになり、記憶はほとんどなかった。それからしばらく不眠とやっかいな腹痛がつづいたが、毒の作用は残らなかった。
それで、この薬は問題にならなかった。しかし、ぼくは自分の決心に次のような形を与えた。すなわち、またあへんの入った薬に手を出さずにいられないはめになったら、そんなつかのまの救いではなく、大きい救いである死をすすりこむ、しかもピストルかかみそりで、確かな信用できる死をすすろうというのである。これで事情ははっきりした――荒野の狼のパンフレットの気のきいた処方に従って、ぼくの五十歳の誕生日まで待つのは、ぼくにはのんびりしすぎるように思われた。それまでまだ,一年あった。あと一年だろうと、一ヵ月だろうと、もうあしただろうと――門は開いているのだ。
ぼくは、この「決心」が生活を一変したとはいえない。この決心は苦痛に対してぼくをいくらかむとんじゃくにし、あへんとワインの使用に対していくらか大胆にし、その使用限度にいくらか好奇心をもたせただけの話だった。あの晩の別の体験の方がより強い印象を与えた。荒野の狼論をぼくはなお何度か通読した。ある時は、目にみえない魔法使いがぼくの運命をかしこく導くのがわかっているかのように、帰依《きえ》と感謝の念をもって、ある時は、ぼくの生活の特殊な気分と緊張を理解していないような、論文の単調さへのあざけりと軽蔑の念をもって。荒野の狼論で荒野の狼や自殺についてのべられていることは、全くすばらしく賢明かもしれないが、それは種属や類型にあてはまることで、気のきいた抽象だった。これに反して、ぼくの人格、ぼく自身の魂、固有の一度きりの個人の運命は、目のあらい網ではとらえられないように思われた。
しかし、他の何物よりもぼくの心を深くとらえたのは、論文の暗示と一致する、教会の壁のあの錯覚、あるいは幻影、あの踊る電光文字の有望な広告だった。多くの約束があの時ぼくになされ、あの未知の世界の声がぼくの好奇心をかきたて、しばしば長いこと、ぼくはそのことだけを考えつづけた。すると、「どなたも入場おことわり!」とか「狂人だけのために!」とかいうあの文句の警告が、次第にはっきり話しかけた。あの声がぼくにとどき、あの世界がぼくに話しかけるとしたら、つまりぼくは狂人で、「どなた」からも遠くはなれているにちがいなかった。ああ、ぼくはずっと前からすべての人の生活から、普通の人の存在と思想から、遠くはなれていなかったろうか。ずっと前から孤立して、狂人になっていなかったろうか。だがしかし、ぼくは心の奥底であの呼び声をよく理解した。狂気への促し、理性や束縛や市民性の放棄への促し、魂や空想のみなぎる自由な世界への献身への促しを、よく理解した。
ある日のこと、ぼくはまた市街や広場にあのプラカードをかついだ男をむだにさがしまわり、あの見えない門のついた壁のそばを何度がうかがいながら通ったが、その後で郊外のマルティーン区で葬式の列に出会った。霊枢車についてとぼとぼとあゆんでいる会葬者たちの顔をながめているうちに、ぼくはふと「この町のどこに、この世界のどこに、死なれて悲しくなるような人が住んでいるだろう? 死んだらいくらか悲しんでくれる人が、どこに住んでいるだろう?」と考えた。恋人のエーリカがいるにはいたが、ぼくたちはもうとうに大変関係が薄くなっていて、けんかをしているわけではないが、めったに会うこともなく、今のところその現住所さえ知らなかった。彼女がやってくることもあったが、ぼくが出向くこともあった。ぼくたち二人は孤独な気むずかしい人間で、心や心の病いがお互にいくらかにているせいか、とにかく関係はつづいていた。だが、ぼくが死んだと知ったら、彼女はほっとして、せいせいしはしないだろうか。ぼくにはわからなかった。自分のこんな気持があてになるかどうかも、見当がつかなかった。こんなことがいくらかわかるには、普通の考えられる生活をせねばならない。
そんなことを考えながら、ぼくは気まぐれに葬列に加わり、会葬者の後について墓地へとぼとぼ歩いていった。そこは火葬場やいろんな細工のある、モダンなセメント製の特許墓地だった。ところが、この死者は火葬されずに、お棺はささやかな墓穴の前におろされた。ぼくは、神父や他の埋葬場のはげたかのような係りたちが、動きまわるのをみた。彼らはこの務めにひどくおごそかで悲しい外観を与えようとしたので、見えすいたお芝居や当惑と偽りのあまりひどく骨折り、こっけいな状態におちいっていた。彼らの黒い制服のすそがひらひらし、彼らが会葬者に哀悼《あいとう》の気持を起こさせ、厳粛な死の前に強いてひざまずかせようとしているのを、ぼくは見た。それは無駄な努力で、誰も泣かず、死者は誰にとってもいなくてもいい人のようだった。話もまた敬虔な気持にされはしなかった。そして、神父が会葬者に「信徒の皆さん」と呼びかけると、商人やパン屋の親方やその細君たちの無表情な商売用の顔は、いっせいに発作的にしかつめらしくうつむいた。当惑し、ごまかしているのだが、この不快な式が早くおわってくれればいいのにと、念じているだけなのだ。さて、式がおわると、信徒の中の一番前の二人は説教者と握手をし、近くの芝生《しばふ》の縁で、埋葬のとき靴についた湿った泥をぬぐった。彼らの顔はすぐまたふだんの人間らしいものになった。すると、その中の一つに見覚えがあるように思われた――それは、あの時プラカードをかつぎ、ぼくにパンフレットをおしつけた、あの男のように思われた。
確かに彼だなとわかった瞬間、彼はふりかえり、かがんで、黒いズボンのすそをていねいに靴のずっと上までまくりあげ、傘《かさ》をかかえて、いそいでこばしりに走りだした。ぼくは後を追い、追いついて、目くばせしたが、彼は、ぼくが誰かを、知らないようだった。
「きょうは晩の催しはないのですか?」と、ぼくはたずねて、秘密を知り合っているもの同士が互にやるように、目くばせをしようとした。だが、こんなゼスチュアがうまくできたのは、とうの昔のことで、こんな生活をしているうちに、話し方さえ忘れかけていた。まのぬけたしかめ面をしたにすぎないのを、ぼくは自分で感じた。
「晩の催しですって?」と、その男はつぶやいて、いぶかしげにぼくの顔をみつめた。「遊びたかったらですね、黒|鷲《わし》屋へいらっしゃい」
ぼくは実際、彼が例の男かどうか、もうわからなくなった。がっかりしてぼくは歩きつづけたが、あてどはなかったし、目的も努力も義務もぼくにはなかった。生きることがひどくいやだった。ずっと前からつのっていた吐き気がその極に達し、生活がぼくを突き出し、投げとばすのが、感じられた。ぼくは物狂おしく灰色の町をかけぬけ、なにもかも湿った土と葬式のにおいがするように思われた。いや、ぼくの墓のそばには、法衣《ころも》をまとい、センチメンタルにキリスト教のお説教をさえずる、不吉な|このはずく《ヽヽヽヽヽ》など、群がってはならないのだ。ああ、どこを向いても、どこへ思いをはせても、どこでも喜びと呼びかけはぼくを待っていず、誘いは感じられなかった。なにもかもくさった古さと、くさったいいかげんな満足の悪臭がした。なにもかも古く、しおれ、灰色で、ぐったりし、げっそりしていた。ああ、これはどうしたことか。ぼくは、活気のある青年、詩人、詩神《ミューズ》の友、世界旅行家、熱烈な理想主義者だったぼくは、どうしてこんなことになったのか。この麻痺状態、自己やあらゆるものへの憎しみ、あらゆる感情の沈滞、深い意地悪い腹立たしさ、心の空虚と絶望のどろどろした地獄は、どうして次第にひそかにぼくを襲ったのだろう。
図書館のそばを通りかかったとき、一人の若い教授に出会った。以前は時々話したことがあり、数年前この市に滞在したときは、当時ぼくが熱心に研究していた分野の東洋神話について話し合うために、何度かお宅をたずねたことさえある人だった。この学者は向うからやってきたが、無器用でいくらか近視だったので、すれちがいそうになったとき、やっとぼくに気づいた。彼はいかにもうれしそうにぼくに走りよった。ぼくはみじめな気分だったが、彼のそんな態度にいくらか感謝した、彼ははしゃいで、ぼくらの昔の会話の細かいことまでぼくに思い出させ、ぼくの刺戟に負う所が多く、よくぼくを思い出したと、うけあった。あれ以来、同僚とあれほど活発な有益な議論をしたことは、めったにない、というのだった。彼は、いつからぼくがこの市にいるのかと、たずねた(数日来と、ぼくはうそをついた)。そして、なぜたずねてくれないのかと、たずねた。ぼくはこの行儀のよい男の学者らしい善良な顔をながめて、これは、こっけいな場面だとは思ったが、うえた犬のようにわずかの暖かさ、ひとすすりの愛情、一片の称賛を味わった。荒野の狼ハリーは感動し歯をむき出してにやっとした。かわいた喉《のど》によだれがたまった。彼はいやいやながら感傷に降参した。実際、それで、ぼくはほんのわずかの間、研究のためにここにいるので、その上どうもぐあいが悪い、そうでなかったらむろんあなたをおたずねしていただろうと、その場のがれのいいわけをした。そして、彼が今晩は自分の所ですごしてほしいと、親切に招待したとき、ぼくはありがたくそれを受けて、奥さんによろしくといった。こんなに熱心に話したり、ほほえんだりしていると、そんな努力にはもうなれていないほおが、痛くなった。このハリー・ハラーは不意打ちをくらいお世辞をいわれ、いんぎんにいそいそと、通りに立って、親切な男の近視の善良な顔にほほえみかけている。すると、別のハリーがそばに立って、同じように歯をむき出してにやっとし、にやにやして立ちながら「おれはなんと変な、奇怪な、うそつきだろう。二分前にはまだこの呪われた世界全体に怒って歯をむき出したのに、尊敬すべき正直者に呼びかけられ、無邪気にあいさつでもされると、もうほろりとして、せかせかとあいづちをうち、ちょっとの好意と尊敬と親切を味わって、子豚のようにころげまわって喜んでいる」と考えた。こんなふうに二人のハリーは、お互にひどくいがみあっている二人物は、礼儀正しい教授に向きあって立ち、お互に軽蔑しあい、観察しあい、つばをかけあい、こんな場合いつもそうであるように、これはさて単に人間的愚かさと弱さなのか、一般的な人間の運命なのか、それともこのセンチメンタルな利己主義、無性格、感情の卑しさと分裂は、個人的な荒野の狼的な特殊性なのかを、再び自問自答した。この卑しさが一般に人問的なら、ぼくの世界軽蔑は新しい力でそれにくってかかったろう。それがぼくの個人的弱点にすぎないなら、そこから自己軽蔑のばかさわぎが起こるのだった。
二人のハリーの争いのために、教授のことはほとんど忘れられた。ふと彼がわずらわしくなって、ぼくはいそいで彼と別れた。彼が葉の落ちた並木道を、信心深い理想主義者のおとなしい、いくらかこっけいな足どりで歩いて行くのを、ぼくは長いこと見送っていた。ぼくの心の中の戦いは激しくつづいていた。そして、ひそかにうずく痛風と戦いながら、こわばった指を機械的に曲げたり伸ばしたりしながら、相手の口車にのせられ、七時半の夕食に招待されるはめになり、おまけにおせじをいったり、学問上のおしゃべりをしたり、よその家庭の幸福を眺めたりする義務も負わされたのを、みずから認めざるをえなかった。ぼくはふんがいして帰宅し、コニャックを水で割り、それで痛風の丸薬をのみ、寝椅子に横になって、本をよもうとした。やっとのことでしばらくの間、十八世紀の面白い娯楽本「メーメルからザクセンへのゾフィーの旅」によみふけっていると、ふと招待のこと、ひげをそっていず、着がえもせねばならないのを思い出した。なぜいったいこんなことを背負いこんだのだろう。では、ハリー、起きて本をおき、せっけんをぬって、あごをひっかいて血を出し、着がえをし、人間をたのしめ。ぼくはせっけんをぬりながら、きょう知らない男が綱でつりおろされた墓地のきたない粘土の穴と、退屈した信徒のしかめ面を、思い出したが、それを笑うことさえできなかった。思うに、あのきたない粘土の穴のそばで、説教師のばかげた当惑した言葉をちょうだいし、会葬者のばかげた当惑した顔に見守られ、ブリキや大理石の十字架や記念額の絶望的な光景につつまれ、針金やガラスのいろんな造花にかこまれ、あの知らない男が一生をおえるだけでなく、そこではあすかあさって、ぼくも会葬者の当惑と偽りの下に、きたない穴に埋められて一生をおえるのだ。いや、すべてが終るのだ。ぼくらの努力、文化、信仰、生の喜びと快楽は、すべて終るのだ。それらはひどく病んでいて、また間もなくそこに埋められるだろう。ぼくらの文化世界は一つの墓地だった。そこではイエス・キリストとソクラテス、モーツァルトとハイドン、ダンテとゲーテは、当惑した偽りの会葬者にかこまれ、さびていくブリキ板に書かれた、うすれた名前にすぎなかった。この会葬者は、かつて神聖視したブリキ板をまだ信じることができるなら、この滅んだ世界について、悲しみと絶望のまじめな言葉の一つでもせめて言うことができるなら、どんな犠牲でも払っただろう。ところが、彼らはそんなことは何ひとつできず、墓のあたりに当惑し、にやにやしながらたたずんでいるだけだった。ぼくはむかっ腹を立てて、またあごのいつもの所をそりそこね、しばらく傷をおさえていたが、それでもつけたばかりの新しいカラーをまたかえねばならなかった。そして、なぜこんなことをいろいろせねばならないのか、全くわけがわからなかった。あの招待に応じたいとは、全然考えていなかったからだった。ところが、ハリーの一部はまたお芝居をやり、教授を好意のある男とよび、かすかな人間のにおいやおしゃべりや社交にあこがれ、きれいな教授夫人のことを思い出し、親切な招待者の所で一夕をすごすのは、考えただけでも楽しいと思い、ぼくに手をかしてイギリスのばんそうこうをあごにはらせ、着がえさせ、よくにあうネクタイをさせ、本来の希望どおりに家にいるのを、やんわりとやめさせてしまった。それと同時にぼくは考えていた。自分はこうして着がえをし、外出し、教授を訪問し、心にもないお世辞をいくらか彼とかわし、いずれも本心に反したことをやるのだが、そんなふうにたいていの人間は毎日毎時、やむなく心ならずも行動し、生き、ふるまい、訪問をし、話しあい、役所や会社につとめる。万事が強制的で、機械的で、本心に反している。万事が機械にやらせることもできるし、やらずにおくこともできるだろう。この永続するからくりこそ、彼らがぼくと同じように、自分の生活を批判し、その愚かさと浅薄さ、そのおそろしくほくそえむ疑惑、その絶望的な悲哀と荒廃を認め感じることを、妨げているのである。ぼくのような脱線した人間がやるように、この憂鬱《ゆううつ》なからくりに抵抗したり、絶望して虚空を凝視したりするかわりに、人間がそんなふうに生き、ままごと遊びをし、大事な事を追いかけるのは、ああ、当然なのだ、どこまでも当然なのだ。ぼくはこの手記で時には人びとを軽蔑し、あざけったりはするが、それを彼らのせいにし、彼らを告発し、自分の不幸を他人のせいにしたがっているなどとは、誰も思わないでほしいものだ。しかし、ぼくはもうここまで来てしまい、底無しの暗黒が足元にのぞいている人生の緑に立っているのだが、まるであのからくりがぼくにとってもまだ動いているかのように、ぼくもまた永遠のままごとのやさしい無邪気な世界に属しているかのように、自他をあざむこうとするなら、ぼくはまちがっているし、うそをついているのである。
その晩も昼にふさわしく不思議な晩となった。ぼくは知りあいの教授の家の前にちょっと立ち止って、窓を見上げた。ここにあの人は住んでいるんだなと、ぼくは考えた。くる年もくる年も研究をつづけ、原典をよみ、注釈を加え、近東神話とインド神話の関係を求め、それで満足している。なぜなら、彼は自分の仕事の価値を信じ、自分の奉仕する科学を信じ、単なる知識と蓄積の価値を信じ、進歩と発展を信じているからである。彼は第一次世界大戦を共に体験せず、アインシュタインの相村性原理による従来の思考原理の打撃を、共に体験しなかった(これは数学者にだけ関係があると、彼は考えている)。周囲で次の戦争がどんなに準備されているか、彼はいっこう知らない。ユダヤ人や共産主義者を憎むべきものと思っている。善良で、無思想で、満足した、もったいぶっている子供で、うらやましい限りの人間である。ぼくは勇気をだして、中へ入り、白いエプロンの女中に迎えられたが、彼女は何か予感でもしたのか、ぼくの帽子と外套をもっていった場所を、ぼくにはっきり教えた。ぼくは暖かい明るい部屋へ案内され、待つようにいわれたが、祈りをとなえたり、ちょっと居眠りしたりするかわりに、面白半分に手当り次第、近くのものを手にとってみた。それは小さな額ぶちに入った肖像画で、堅いボール紙の支えで丸いテーブルの上に斜めに立っていた。それは鋼版画で、詩人ゲーテをあらわしていた。美しい形の顔をした、特徴のある、独創的な髪の形をした老人で、その顔にはあの有名な火のような目も、どことなく宮廷人らしく気どった孤独と悲劇の表情も、欠けていなかった。画家はその点に特に努力していた。画家はこの鬼神的な老人に、その深さをそこなわずに、自制と実直といういくらか教授ふうの、あるいはまた俳優ふうの表情をそえるのに、成功していた。要するに、市民の家の装飾むきの、実にきれいな老紳士に、ゲーテを仕上げることに、成功していたのだった。恐らくこの肖像画はあらゆるこの種の肖像画、まめな美術職人の手になるあらゆるやさしい救世主、使徒、英雄、思想家、政治家の肖像画より、くだらなくはなかっただろう。恐らくそれは、ある老練な技巧でだけぼくの心をひきつけたのだろう。それはともかくも、とにかく、とうに腹を立ててむかむかしていたぼくに向って、老ゲーテのくだらないいい気な肖像画は、たちまち不快な不協和音としてわめき立て、ここはぼくのいるべき所ではないことを、ぼくに示した。ここは、みごとに型にはまった老巨匠や国民的偉人の住むべき家で、荒野の狼の住むべき家ではなかった。
その時主人が入ってきたら、ぼくは恐らくもっともらしい口実をつくって、帰ることができたろう。ところが、奥さんが入ってきた。ぼくは不吉な予感がしたが、成り行きにまかせた。互にあいさつをかわしたが、最初の不協和音にもっとひどい新しい不協和音がつづいた。奥さんは、ぼくが元気そうで何よりだとあいさつしたが、ぼくは前に別れてから数年の間にどんなに年をとったかを、充分わきまえていたのだった。彼女と握手した時もう、指の痛風の痛みがそれをぼくにいまいましく思い出させた。そう、それから彼女はぼくの妻の安否をたずねたので、ぼくは、妻がぼくを捨て、ぼくらは離婚したことを、話さねばならなかった。教授が入ってくると、ぼくらはほっとした。彼もぼくを心から歓迎したが、ピントのはずれたこっけいな情況が、すぐ考えられる限りのすばらしい表現となってあらわれた。彼は月ぎめでとっている新聞をもっていたが、軍国主義者と戦争|煽動《せんどう》者の新聞だった。彼はぼくと握手すると、新聞を指さして、ハラーというぼくと同名のジャーナリストのことが出ているといった。こいつは悪党で、祖国を売った奴にちがいない、皇帝《カイザー》をばかにし、祖国も敵国と同様に戦争の勃発《ぼっぱつ》に責任があると、自説をのべている。なんという奴だ! そら、こ奴はそういった報いで、ひどいめにあっている。編集部がこの悪党を一刀両断にして、さらしものにしているなどと、彼はいったものである。
彼は、ぼくがこの話題に興味がないのを知ると、ぼくらは話題をかえた。夫婦は、その悪党が目の前にいようとは、夢にも考えていなかったが、まぎれもなく悪党はぼく自身だった。いや、なぜさわぎたてて、夫婦を心配させるのだ。ぼくは心で笑ったが、今晩なにか気持よいことを味わおうという希望は、もうなくしてしまった。ぼくはその瞬間をはっきりおぼえている。つまり、この瞬間に、教授が売国奴ハラーのことを話している間に、あの埋葬の場面に出あってから心の中に積み重なり、次第につのってきた憂鬱《ゆううつ》と絶望の不快な気持が、心の中で濃くなり、ひどい圧迫、肉体的に(下腹部に)感じられる苦痛、喉をしめつけるように不安な運命感となった。何かがぼくをねらい、何か危険がうしろからしのびよってくるような気持がした。幸いなことに、そのとき食事の用意ができたと知らせてきた。三人は食堂へ入ったが、ぼくはいつもたあいのないことを話したり、聞いたりするようにつとめ、ふだんより沢山たべたが、刻一刻とみじめな気持になっていくのを感じた。ああ、ぼくらはいったいなんでこんなに苦労するんだと、ぼくはたえず考えた。招待者もいっこう気持がよくなくて、つとめて楽しそうにしていることが、はっきり感じられた。ぼくがこんな変な空気にしたのか、それとも、家の中に何か気まずいことでもあるのかは、わからないのだが。夫婦はぼくに、正直に答えられないような事ばかりたずね、すかさずぼくは大うそをつき、一言話すたびにむかつく気持と戦った。とうとうぼくは話題を変えようと、きょう見た埋葬の話を始めた。しかし、調子がでず、ユーモアをねらってかえって気分をそこね、ぼくたちの気持はますますはなれてしまった。ぼくの中では、荒野の狼が歯をむき出して笑い、デザートの時は、ぼくたち三人はだまりこくってしまった。
ぼくたちはコーヒーと火酒《シュナプス》をのむために、あの最初の部屋にもどった。それで皆の気持がいくらか明かるくなるかもしれなかった。ところがその時、そばの箪笥《たんす》の上においてあったのだが、あの文豪がまたぼくの目についた。ぼくはその肖像からはなれられず、胸の中に警告の声をきかなかったわけではないが、またそれを手に取って、それと対決しはじめた。こんな状態はたえがたい、招待者を熱しさせ、感動させ、ぼくと調子を合わせさせるか、それとも一挙に爆発させるかせねばならない時だ、という気持にとりつかれたようになってしまった。
「どうも」と、ぼくはいった。「ゲーテはほんとうはこんな様子ではなかったようですね! この虚栄心と貴族的なポーズ、同席のお偉方にながし目を送っている気どり方、表面は男らしいがこのやさしい感傷の世界! 確かに、ゲーテには非難すべき点が沢山あり、ぼくもよくこの老きどり屋をひどく非難しましたが、彼をこんなふうに描くのは、たしかに行き過ぎです」
夫人はひどく悲しそうな顔をして、コーヒーをつぎおえると、そそくさと部屋から出ていった。すると、彼女の夫はなかば当惑し、なかば非難するように、このゲーテの肖像が妻のもので、妻が特に好んでいるのだと、ぼくに打ち明けた。「あなたのおっしゃることが客観的に正しくても、といってもわたしに異論はあるのですが、あんなに露骨に表現しなくともいいでしょう」
「ごもっともです」と、ぼくは認めた。「あいにく、いつもできるだけ露骨な表現をつかいたくなるのが、ぼくの習慣で、悪いくせなのです。とにかく、ゲーテも調子のいい時はそうしたのです。こんな甘い俗っぽいサロン向きのゲーテなら、決して露骨な表現、ほんとの直接の表現なぞ使わなかったでしょう。あなたと奥さんに心からおわびします――どうぞ奥さんに、ぼくは精神分裂症なのですと、おっしゃって下さい。ついでに、お願いですから、失礼させて下さい」
あわてた主人はいくらか引き止めようとはしたものの、ぼくたちの昔の話がどんなにすばらしく、興味があったか、そう、ミートラス(ペルシアの太陽神)とクリシュナ(インド神話に出るヒンズー教の主神ヴィシュヌの第八化身)についてのぼくの推測が、当時彼に深い印象を与えたこと、きょうもまた期待していた……などと、またくりかえすことになった。ぼくは彼に感謝し、それはとても親切な言葉である、残念だがクリシュナへの興味も学問の話をする気も、全く消えうせてしまったこと、きょうはなんどもうそをつき、たとえば、この市にきたのは二、三日前ではなく、もう何ヵ月も前であること、しかし、ひとりぼっちの生活をしていて、第一に、いつもとても不機嫌で、痛風にとりつかれていて、第二に、たいてい酔っぱらっているので、もうよい家庭との交際には向かなくなっていると、話した。それから、きれいにけりをつけ、少なくともうそつきとして立ち去らないようにと、主人がきようぼくの感情をひどく害したことを、彼に説明せねばならないと、話した。主人は、ハラーの意見に対する反動的新聞の、頑迷な、退役将校にはふさわしいが学者にはふさわしくない態度を、わがものとした。この「悪党」、祖国を売った奴こそぼく自身である。盲目的に、物につかれたように新たな戦争に突進しないで、せめていくらかの頭のある人が、理性と平和への愛を信じることを認めるなら、祖国と世界はもっとよくなるだろう。これでおさらばです。ぼくはこう説明した。
そして、ぼくは立ちあがり、ゲーテと教授に別れをつげ、部屋を出て衣類かけから帽子と外套をひったくり、走り去った。ぼくの心の中では意地悪い狼がほえたて、ひどいお芝居が二人のハリーの間で始った。なぜなら、この不愉快な晩がふんがいした教授にとってよりも、ぼくにとってずっと大きな意味をもっていることが、ぼくにすぐわかったからだった。それは彼にとって、ひとつの失望とちょっとした立腹にすぎなかったが、ぼくにとっては、最後の失敗と逃走であり、市民の世界、道徳の世界、学者の世界からの別離であり、荒野の狼の完全な勝利だった。そして、それは逃亡者や敗北者としての別離であり、自分自身に対する破産宣告であり、慰めも優越もユーモアもない別離だった。ぼくは自分の昔の世界と故郷、市民社会、風習、学問に別れをつげたが、それは、胃潰瘍《いかいよう》の男が豚の焼肉と別れをつげるのと、変らなかった。狂気のようにぼくは街燈の下を走っていった。狂気のように、死ぬほど悲しく。朝から晩まで、墓地から教授宅でのあの場面まで、なんという絶望的で、恥ずかしい、悪い一日だったろう。何のために? なぜ? さらにこんな日を背負いこみ、こんな苦汁を飲みほすことに、何の意味があったのだろう。否! では、ぼくは今夜この喜劇にけりをつけるか。家へ帰れ、ハリー、そして喉を切れ! もうしびれをきらせているだろうに。
ぼくはみじめな気持にかられて、街《まち》をあちこちほっつきまわった。もちろん、ぼくがあの善良な人びとの客間の飾りにつばを吐きかけたのは、ばかげたことで、ばかげて無作法だったが、他にどうしようもなかった。この他人の言うなりになる、いつわりの、行儀のよい生活に、もう耐えられなかった。どうやらぼくは、もう孤独にも耐えられず、自分を相手にすることもひどく胸のむかつくほどいやになり、自分の地獄の真空地帯でもがいていたから、他にどんな逃げ道があったろう。そんなものはなかった。おお、父母よ、ぼくの青春の遥かな聖火よ、ぼくの人生の無数の友、仕事、目標よ! こんなものは何ひとつ残っていない。後悔さえも残ってはいず、残っているのは嫌悪と苦痛だけだ。ただ生きねばならないことが、この時ほど苦しかったことは決してなかったように、ぼくには思われた。
殺風景な郊外の居酒屋で、ぼくは一息いれ、水わりのコニャックをのみ、また歩きだし、悪魔にかりたてられて、旧市街の曲りくねった細い坂道をのぼりおりし、並木道をぬけ、駅前広場をこえていった。旅立とうと思い、駅へ入り、壁の時刻表をみつめ、少しワインをのみ、よく考えてみようとした。ぼくの恐れていた幽霊が次第に近く、次第にはっきり、みえはじめた。それは帰宅し、自分の部屋へもどり、絶望の前にふみとどまらねばならないことだった。これから何時間ほっつきまわってみても、それから逃がれることはできなかった。自分の入口に、本ののったテーブルに、愛人の写真の下の長椅子にもどることは、さけられなかった。かみそりをぬいて、喉を切らねばならない瞬間は、さけられなかった。いよいよはっきりとこの光景が目前に浮び上がり、ぼくは胸をどきどきさせながら、不安中の不安である死の恐怖を、いよいよはっきりと感じた。そうだ、死に対して不気味な恐怖をいだいた。他に逃げ道はみあたらず、嘔吐と苦悩と絶望がぼくをうずめていて、何ももうぼくを誘わず、ぼくに喜びと希望を与えることはできなかったが、それでもぼくは処刑、死の瞬間、かみそりでぐさりとやることが、名状しがたいほどおそろしかった。
恐れているものからの逃れ道は、みあたらなかった。絶望と臆病の戦いで、きょうは臆病が勝つだろうが、絶望はあすから毎日新たに、自己軽蔑によって強められて、ぼくの前に立ちふさがるだろう。結局いつか決行するまでは、ぼくはかみそりを手に取ったり、また放り出したりするだろう。ではきょうの方がいいじゃないか。こわがっている子供に向ってのように、ぼくは自分自身に分別をもって言いきかせたが、子供はいうことを聞かず、逃げ去った。生きたかったのだ。ぼくはまたふるえながら町の中をひっぱりまわされ、たえず帰宅しようと思いながらも、そのつどためらいながら、遠巻きに自分の住いのまわリをまわった。あっちこっちで居酒屋にひっかかって、一杯か二杯のんでは、さらにかりたてられ、遠巻きに目標であるかみそりと死のまわりを、ぐるぐるまわった。死んだようにぐったりして、ぼくは時々ベンチや泉の縁《へり》や縁石に腰をおろし、胸がどきどきするのを聞き、額の汗をぬぐい、また歩きだした、死にそうな不安、生への燃えあがるあこがれにみたされて。
そうして、ぼくは夜おそくへんぴな郊外の、とある料理店へすいこまれた。その窓の中では、はげしいダンス音楽がひびいていた。入るとき、戸口の上の古看板に黒鷲屋とあるのがわかった。中は乱痴気騒ぎで、がやがやした雑踏、タバコの煙、酒のにおい、わめき声にみち、奥の広間《ホール》ではダンスをしていて、ダンス音楽がたけなわだった。ぼくは手前の部屋にいたが、そこには質素な人たちだけで、中には貧しい身なりの人もいたが、奥のダンスホールには、上品な様子の人もみられた。人ごみにおされて部屋を通りぬけ、ぼくは酒場のそばのテーブルにおしつけられた。かわいいあお白い少女が、胸と背のあらわな薄いダンス服をきて、しぼんだ花を髪にさし、壁ぎわのベンチにすわっていた。ぼくが来るのをみると、少女はじっと親しげにぼくをみつめ、にこっとして少しわきにより、ぼくに席をあけてくれた。
「いいですか?」と、ぼくはたずねて、そばにすわった。
「もちろん、いいわ」と、彼女はいった。「あんたはだれ?」
「ありがとう」と、ぼくはいった。「ぼくは家へ帰れないんです。どうしてもできないんです。もしよろしかったら、このあなたのそばにいたいんです。ぼくは家へ帰れないのです」
彼女はぼくのいうことがわかったように、うなずいた。彼女がうなずいた時、ぼくはその額から耳のあたりにたれている巻毛をじっとみた。しぼんだ花は椿《つばき》なのがわかった。向うからは音楽がかん高くひびいてきて、酒場では女給たちがいそがしそうに注文を叫んでいた。
「じゃ、ここにいて」と、彼女は気持のいい声でいった。「どうして家へ帰れないのよ?」
「帰れない。家で何かぼくを待っているんだ――いや、帰れない。それは恐ろしすぎるんです」
「じゃ、それを待たせておいて、ここにいなさい。さあ、まず眼鏡《めがね》をふきなさいな、何も見えないじゃないのよ。そう、ハンカチをちょうだい。なにを飲みましようね? ブルグント酒?」
彼女はぼくの眼鏡をふいてくれた。それでぼくは彼女がはじめてはっきり見えた。あお白いひきしまった顔で、口紅はまっかで、目は明るく灰色で、額はなめらかで涼しそうにみえ、耳の前にたれた巻毛は短くこわかった。親切に、いくらかからかうように、彼女はぼくを世話し、ワインを注文し、杯を打ち合わせ、そうしながらぼくの靴を見おろした。
「まあ、どこから来たのよ? パリから歩いて来たような様子だわ。そんな靴でダンスに来るなんて」
ぼくは|ええ《ヤー》とか、|いや《ナイン》とかいい、ちょっとばかり笑い、彼女に話させておいた。彼女はとてもぼくの気に入った。ぼくはいぶかしかった。これまではこんな若い娘はさけ、むしろ不信の念をもって見ていたからだった。だが、彼女はこの瞬間、ぼくにとってはおあつらえ向きだった――ああ、彼女はそれ以来いつもぼくにとってはそうだったのだ。ぼくが必要とするていどに、彼女はぼくをいたわり、あざけった。彼女はサンドウィッチを注文し、それを食べるようにぼくに命令した。ぼくの杯についでくれ、ひと口飲むように、だがあまりいそいで飲まないようにいった。それから、ぼくの従順さをほめた。
「あんた感心ね」と、彼女ははげますようにいった。「世話をやかせないわ。きっと、とうの昔に他人の言うことなんかきかなくともよくなってるのね」
「そう、その通りです。どうしてわかるの?」
「なんでもないわ。従順って食事のようなものよ――長いことそれにこと欠いている人には、それが一番だわ。わたしの言うこときくわね?」
「喜んで。何でも知ってますね」
「あんたが気楽にさせてくれるからよ。ねえ、何が家であんたを待ってるのか、何をそんなにこわがってるのか、あたし当てられそうだわ。でも、あんた自身でそれがわかってるのだから、あたしたちそんな話する必要ないわねえ? ばかなことだわ! 首をくくるというんなら、そうねえ、首をくくればいいんだわ。それ相当の理由があるんでしょう。それとも、生きるというんなら、生きる心配さえすればいいんだわ。これほどやさしいことないわ」
「ああ」と、ぼくは叫んだ。「それがそんなにやさしかったらね! 全くのところ、ぼくはいやというほど生きる心配をしたが、いっこう役に立たなかった。首をくくるのはむずかしいだろう、ぼくはわからないけど。でも、生きるのはずっと、ずっとむずかしい! どんなにむずかしいか、誰にもわかりはしない!」
「さあ、そんなことは子供にもできることを、あんたはわかるようになるわ。あたしたちもう第一歩をふみ出したのよ。あんたは眼鏡をふいて、食べたり飲んだりした。さあ、あたしたちは行って、あんたのズボンと靴にすこしブラシをかけましょう。その必要があるわ。それからあたしとシミーを踊るの」
「だから」と、ぼくはやっきとなっていった。「ぼくのいったことが正しいことが、わかるでしょう! あなたの命令が実行できないくらい、ぼくに悲しいことはないんです。でも、この命令は実行できません。シミーは踊れないし、ワルツやポルカも、どんな踊りだって踊れないし、今まで踊りを習ったことなぞないんです。これで、万事あなたのおっしゃるほどやさしくないのが、おわかりでしょうが?」
きれいな少女はまっかな唇《くちびる》でほほえみ、少年ふうにぴたっと調髪した頭をふった。彼女をじっと見つめていると、彼女は、ぼくが子供の頃恋した初恋の少女ローザ・クライスラーに、似ているように思えたが、彼女は浅黒くて、髪は黒かった。いや、この未知の少女がぼくに誰を思い出させるか、ぼくは知らなかった。ごく若い頃、少年時代の何かだということが、わかっただけだった。
「ゆっくり」と、彼女はさけんだ。「ゆっくり! じゃ、あんた踊れないの? 全然だめなの? ワンステップも? だのにあんたは、生きるのに人しれぬ苦労をしたなどと、おっしゃるのね! うそをついたのね。ねえ、あんたくらいの年になったら、もうそんなことするもんじゃないわ。踊ろうという気にもならないで、生きるのに苦労したなんて、どうしていえるの?」
「なんといったって踊れないんだよ! 一度も習ったことがないんだから」
彼女は笑った。
「でも、読み書きは習ったんでしょうね、算数も、それから多分ラテン語やフランス語や、そんなのをいろいろね。きっと、十年か十二年学校に通い、ひょっとするともっと勉強し、それどころか博士号までとっていて、中国語かスペイン語もできるんだわ。それとも、ちがう? だけど、わずかなダンスのレッスンにわずかの時間とお金をかけなかったんだわ、ねえ!」
「親たちのせいです」と、ぼくは弁解した。「親たちがぼくにラテン語やギリシア語やいろんなものを習わせたんです。でも、ダンスは習わせませんでした。ぼくたちの所でははやっていなかったし、親たちだって踊ったことがないんです」
全くひややかに、軽蔑の色をいっぱいうかべて、彼女はぼくをみつめたが、彼女の顔からは、ぼくにごく若い頃を思い出させる何かが、また話しかけていた。
「そう、じゃ、御両親がわるいんだわ! こんばん黒鷲屋へいってもいいかって、御両親にきいたの? どう? もうとうに亡くなったっていうの? そんならそれでいいわ! 若い頃あんまりすなおだったんで、ダンスを習いたいと思わなかったのなら――それならそれでけっこうよ! あんたがその頃そんな模範少年だったとは、思わないけど。でも、それから――それからずっと長いこと、いったい何をしていたのよ?」
「ああ」と、ぼくは白状した。「自分でももうわからない。勉強し、音楽をやり、本をよみ、本を書き、旅行をし――」
「人生を変に考えてんのね! じゃ、いつもめんどうなこみいった事ばかりしてきて、やさしい事は全然ならわなかったの? 時間がなかったの? 興味がなかったの? まあ、どうでもいいわ、ありがたいことに、あたしあんたのお母さんじゃないから。でも、人生をくまなく味わってみたが、何もみつからなかった、というような顔をするのは、いや、それはいけないわ!」
「せめないで下さい!」と、ぼくは願った。「ぼくは気が狂っているのを、よくわきまえているんです」
「おや、なんですって、そんな冗談いわないでちょうだい! 教授さん、あんたは決して気なんか狂ってないわ! それどころか正気すぎるんだわ! ばかばかしくかしこいのよ、まるで教授みたいにね。さあ、パンをもう一つたべて! それからまた話すのよ」
彼女はまたパンをとってくれ、いくらか塩をふりかけ、それにからしを少々ぬりつけ、自分の分を少し切り取り、ぼくに食べるようにいった。ぼくはたべた。彼女の命令なら、ダンス以外はなんでもしただろう。誰かの命令に従うのは、あらいざらいたずね、命令し、てひどくやっつける誰かのそばにいるのは、ものすごく気持よかった。あの教授か奥さんが数時間前にそうしてくれたら、ずっと手間がはぶけたろうに。
「いったいなんていう名前?」と、彼女はふいにたずねた。
「ハリー」
「ハリー? 子供っぽい名前ね! あんたも子供ね、ハリー、いくらか白髪だけど。あんた子供よ。だから、誰か少し世話してくれる人がいなくちゃね。ダンスのことはもう何もいわないわ。でも、この髪のかっこうったら! 奥さんも、恋人もいないの?」
「妻はもういません、離婚したんです。恋人はいるにはいても、ここには住んでないし、会うのもまれで、仲もそういいわけではないんです」
彼女はそっと口笛をふいた。
「だれもあんたといっしょにいないなんて、ほんとに気むずかしい人らしいわね。ところで、何か変ったことが今晩あったの? ひどく興奮して町をかけずりまわるなんて。けんかしたの? ギャンブルでお金をすったの?」
さて、それは説明しにくかった。
「実は」と、ぼくは始めた。
「ほんのつまらないことなんです。ある教授に招待されたがぼく自身は教授じゃないけど――でも、行くべきじゃなかったんです。あんなに人たちといっしょにすわって、おしゃべりをするのに、もうなれていないし、忘れてしまったんです。もう家へ入るときから、うまくいかないだろうという予感が、していたのだ――帽子をかけたときに、またすぐ帽子がいるだろうと思ったんです。そう、そして、その教授の家で、テーブルに肖像画が一枚あったんです。ばかげたもので、腹が立って、……」
「どんな肖像画? なぜ腹が立ったの?」と、彼女はぼくの話をさえぎった。
「そう、それはゲーテの肖像画でした――そら、あの詩人ゲーテですよ。でも、ありのままを伝えていないものでした――もっとも、そんなこと誰だってはっきりわかりません、死んでもう百年にもなりますからね。ある現代画家が自分の考え通りに、ゲーテを修飾《モデファイ》したのです。この肖像画にぼくは腹を立て、ひどくいやになったんです――わかってもらえるかどうか?」
「よくわかるわ、心配しないで。それから」
「もうその前から教授としっくりいかなかったんです。ご多分にもれず、彼は愛国者で、戦争中に国民をだますのに、けなげに協力したのです――むろん最大の信念に従ってです。ところが、ぼくは反戦主義者なんです。まあ、どうでもいいことだが。じゃ、先を話しましょう。あんな肖像画なぞ、全然みなきゃよかったのに……」
「ほんとにそうね」
「でも、まず、とてもすきなゲーテのために、残念だったんです。それから考えたんです――まあ、考えたというか、まあこんなふうに感じたんです。つまり、ぼくは今、ぼくと同類だと思っている人たちの所にいる。彼らもぼくと同じようにゲーテを愛し、ゲーテに対してぼくと同じイメージをいだいていると、ぼくは思っていた。ところが、彼らはこんな無趣味な、作りものの、甘ったるい肖像画を立て、立派だと思い、この肖像画の精神がゲーテの精神とまるで反対なのに、全く気づいていない。彼らはこの肖像画をすばらしいと思っているが、まあそれもいいだろう――でも、それではぼくにとって、こんな人たちへの信頼、友情、親しい仲間という感情は、一挙に全部なくなってしまった、というわけです。とにかく、この友情はもともとそうたいしたものじゃなかったのですが。そこで、ぼくはかっとなり、悲しくなり、ぼくはひとりぼっちで、誰もぼくをわかってくれないと、悟ったんです。わかりますか?」
「よくわかるわ、ハリー。それから? その人たちの顔に肖像画をぶつけたの?」
「いや、悪口をいって、逃げ出し、家へ帰ろうと思ったけど――――」
「でも、そこにはばかな坊やを慰めたり、しかったりするママが、いなかったってわけね。まあそうでしょう、ハリー。なんだかあんたが気の毒になったわ。なんて子供じみた人なんでしょう」
確かに、ぼくはどうやらのみこめた。彼女はワインを一杯ついでくれた。ほんとにママのようにぼくを扱ってくれた。その間にぼくはちらっと、彼女がきれいで若いのをみた。
「じゃ」と、彼女はまた話しだした。「ゲーテは死んで百年になるのね。ハリーはゲーテがとてもすきで、どんな様子をしていたかについて、すばらしい考えをもっていて、ハリーもそうする権利があるっていうんでしょう? でも、やはりゲーテに熱狂し、その肖像画をかいている画家は、その権利がない。教授もね。誰にもないのね。それがハリーのお気に召さず、がまんできないからなのね。そんな時には、悪口をいって、逃げ出さずにいられないわけね! ハリーが利口だったら、画家や教授を笑ってすますわ。気が狂っていたら、ゲーテの肖像画を彼らの顔にたたきつけるわ。ところが、ハリーはお坊ちゃんだから、家へ走りもどって、首をくくろうとするのよ――――あんたの話よくわかったわ、ハリー。面白い話ね。おかしいわ。待って、そんなにいそいで飲まないで! ブルグント酒はゆっくり飲むものよ。でないと、かっとくるわ。あんたには何でもいってやらなくちゃ、ねえ坊や」
彼女のまなざしは、六十歳の女の家庭教師のそれのように、きびしく警告的だった。
「ああ、そうです」と、ぼくは満足してたのんだ。「なんでもいって下さいね」
「何をいったらいいの?」
「何でもいいたいことを」
「ええ、じゃいってあげるわ。もう一時間も前から、あんたに|あんた《ドウー》といってるのに、あんたったらあいかわらずあたしに|あなた《ジー》っていってるわ。いつもラテン語の、ギリシア語のといって、いつもできるだけごたごたしてるのね! 女の子があんたといって、その娘がいやじゃなかったら、あんたも君《ドウー》というものよ。これで、いくらか勉強したわね。次に、三十分も前からあたしは、あんたがハリーっていうのを、知ってる。きいたからよ。でも、あんたは、あたしがどういう名か、知ろうとしないわ」
「とんでもない、知りたいですよ」
「おそすぎるわ、お坊ちゃん! こんど会ったとき、またたずねなさい。きょうはもういわないわ。さあ、これからあたし踊るわ」
彼女が立ち上がりそうな様子をしたので、ぼくの気分は急に沈んだ。彼女は行って、ぼくをひとりにするだろうが、そうしたらすべてがまた前のようになるだろうと、ぼくは不安になった。ちょっとなおっていた歯痛が急にまた始まり、燃えるように、たちまち不安と恐怖がまた現われた。おお、ぼくは、何がぼくを待っているのかを、忘れることができたのか。いったい事情がいくらか変ったのだろうか。
「待って」と、ぼくは哀願するようにいった。「行かないで下さい――君、いかないで! むろん、君はすきなだけ踊ってもいいが、ずっと行ってないで、もどってきて、もどってきて!」
笑いながら彼女は立ち上がった。立ったらもっと背が高いかと思っていた。すらっとはしていたが、大きくはなかった。また彼女はぼくに誰かを思い出させた――誰だろう。思いつかなかった。
「もどってくるね?」
「もどってくるけど、しばらくかかるわ、三十分かまる一時間ね。いっとくけど、目をつぶって、少しお休み。これがあんたに必要なことよ」
ぼくが場所をあけると、彼女は立ち去った。彼女のスカートがぼくのひざにふれた。彼女は行きかけに丸いちっちゃな懐中鏡をのぞきこみ、まゆ毛をつりあげ、小さな刷毛《はけ》であごをたたいてダンスホールの中に消えた。あたりを見まわした。見知らぬ顔、タバコをすっている男たち、大理石のテーブルにこぼれたビール、あたりいちめんの叫び声と金切り声、隣室のダンス音楽。お休みと、彼女はいったっけ。ああ、いい子、君は、ぼくの眠りがいたちよりおびえやすいのを、予感しているのだ。この縁日のざわめきの中で、テーブルに向ったまま、ぶつかりあうビールのジョッキの音をききながら眠るのか。ぼくはワインをすすり、ポケットから葉巻を取り出し、マッチをさがしたが、本当はタバコをすうつもりはなく、葉巻をテーブルにおいた。「目をつぶって」と、彼女はぼくにいった。いったいどこからあの娘はあの声を、いくらか深いやさしい声、母親のような声を、受けついだのだろう。あの声のいいなりになるのは、気持よかった。もう経験ずみだ。ぼくはすなおに目をつぶり、頭を壁にもたせかけ、無数の激しい物音があたりで荒れ狂うのを聞き、こんな場所で眠るのかと思うとほほえましくなり、ダンスホールの入口へ行って、ちょっと中をのぞいてみようと決心した――とにかくあのきれいな少女のダンスをみずにはいられなかった――ぼくは椅子の下の足を動かしてみてはじめて、何時間もほっつきまわったので、ひどくつかれきっているのを感じ、すわったままでいた。するとぼくはもう、母親のような命令に従って、むさぼるようにそして感謝しながら眠って、夢をみていた。もうずっと見なかったような、はっきりしたきれいな夢だった。こんな夢だった――
ぼくは古風な控え室にすわって待っていた。始めにわかっていたのは、閣下のところに伺候していることだけだった。それからふと思いついたのは、引見されるのがゲーテ閣下だということだった。残念ながらぼくは全く個人としてではなく、ある雑誌の特派員として、ここに来ていた。それがひどくぼくの気持をみたし、どんな悪魔がぼくをこんな羽目に追い込んだのか、わけがわからなかった。そのほかに、一匹のさそりがぼくをいらだたせた。ついさっきまで姿がみえていて、ぼくの足によじのぼろうとしていたからだった。この小さな黒い爬虫類を防ぎ、振りおとそうとはしたものの、今どこにかくれているのかわからず、どうしようもなかった。
あやまってゲーテのかわりに、マッティソン(ゲーテと同時代の北ドイツの抒情詩人)に、取りつがれたようなふしもあった。ところが、ぼくは夢の中でこのマッティソンをビュルガー(十八世紀のドイツの詩人、郡長の娘と結婚したが、その妹モリーをも愛し、二重結婚をして苦しんだ)と、取り違えた。モリーにささげる詩をマッチィソン作としていたからである。とにかく、モリーと会えたら大変うれしいだろう。ぼくは彼女をすばらしい、感じやすい、音楽的な、たそがれのような女性だと思っていた。あのいまいましい編集部にたのまれて、ここに来ているのでなかったらいいのに。この不満が次第につのって、だんだんゲーテにも及び、こんどは急にあらゆる疑念と非難をゲーテに対していだいた。こんな気分では、さぞ立派な謁見になろう。さそりは危険で、ごく近くにかくれているかもしれないが、そうひどくはないだろう。さそりは好意を意味するかもしれないと、思われた。さそりはなにかモリーと関係があって、彼女の使者のようなものか紋章の動物、女性と罪を示すきれいな危険な紋章の動物である可能性が大いにあると、ぼくには思われた。この動物の名はヴルピウス(始めはゲーテの愛人で、後で正妻となった造花作りの娘の名前)じゃなかったろうか。だが、その時、召使いがドアをぱっとあけ、ぼくは立ち上がって、中へ入った。
そこには、小さい儀式ばった老ゲーテが立っていた。そして、まさしくぶあつい星形勲章を古典作家の胸につけていた。あいかわらず彼は支配し、あいかわらず謁見し、あいかわらずワイマルの博物館から世界を監督しているように思われた。彼はぼくをみると、おいぼれ鳥のように頭をぴくぴく動かしてうなずき、おごそかにいった。「さて、君たち若い連中は、われわれやわれわれの努力に、おそらくあまり同意していないだろうね?」
「全くそのとおりです」と、ぼくは彼の大臣らしい目つきに身内のひえる思いでいった。「ぼくら若者は実際あなたに同意していません、閣下。あなたはぼくらにいかめしすぎます、閣下、あまりみえっぱりで大げさで、あまりにも誠実でありません。あまりにも誠実でないのが、あなたの本質かもしれません」
小がらの老人は、きびしい顔をいくらかつき出した。その役人らしくかたく結ばれた口もとがゆるんで、かすかなほほえみとなり、なんともいえぬほど生き生きとしてくると、急に胸がどきどきしだした。ふと「たそがれ空から下りぬ」という詩を思い出し、この詩の言葉が出たのは、この人であり、この口であるのを、思い出したからだった。本当はぼくはもうこの瞬間に全く反抗心をくじかれ、圧倒され、むしろ彼の前にひざまずきたいくらいだった。しかし、ぼくはがんばっていて、そのほほえむ口からこんな言葉をきいた。「ほう、では君はぼくの不誠実をせめるのだね? なんという言葉だ! 君の見解をもっとはっきりいってくれないかね?」
望むところだった、非常に。
「ゲーテ閣下、あなたはあらゆる偉大な精神の持主のように、人間生活の疑問と絶望をはっきり認め感じました。すなわち、瞬間の栄光とそのみじめな凋落《ちょうらく》、感情の美しい高揚を牢獄のような日常生活でしかつぐなえない無力さ、精神界への熱烈なあこがれ、それと永遠に死闘をつづけている失われた無邪気な自然への同様に熱烈で神聖な愛、空虚と不安の中の恐るべき全動揺、無常で決して満たされず永遠の試みをつづける素人《ジレッタント》の宣告を受けた状態――要するに、人間存在の見込みなさ、無軌道、燃えるような絶望を、すべてはっきり認め、感じました。これらすべてのことをあなたは認め、おりにふれてそれへの信念を告白しました。それなのに、一生の間反対のことを説き、信仰と楽天主義をのべ、ぼくらの精神的努力の永続性と意味を、自分と他人に信じこませました。深淵の告白者、絶望した真理の声を、自分自身の場合にも、クライスト(十八世紀のドイツの劇作家で「こわれがめ」などの作がある)やベートーヴェンの場合にも、否定しておさえつけました。あなたは何十年にもわたって、知識や収集物の集積、手紙の執筆と収集が、あなたのワイマルにおける全老年が、実際に瞬間を永遠化し、自然を精神化する一つの道であるかのように、ふるまいました。でも、瞬間をミイラ化し、自然を型にはめてマスク化することが、できたにすぎません。これが、ぼくの非難するあなたの不誠実です」
思いに沈んで老枢密顧問官はぼくの目をのぞきこんでいた。その口はあいかわらずほほえんでいた。
やがて、彼は意外な質問をした。「ではモーツァルトのオペラ魔笛は、君には大いに気に入らないだろうね?」
ぼくが抗議するまもなく、彼は話しつづけた。「魔笛は人生をすばらしい歌として表現している。はかないわれわれの感情を、何か永遠な神的なもののように賛美している。クライスト氏にもべートーヴェン氏にも賛成せず、楽観主義と信仰を説いている」
「わかっています、わかっています!」と、ぼくはかっとなって叫んだ。「この世で一番すきな魔笛を、どうしてあなたは思いついたのでしょう! しかし、モーツァルトはあなたのように八十二歳にならず、私生活でも永続性や秩序や堅い品位を、あなたのように求めませんでした! そんなにもったいぶりませんでした! 神々しいメロディーを歌い、貧しく、若死にしました。貧しく、認められずに――――」
ぼくは息が切れた。無数の事を今や十の言葉でいわねばならなかっただろう。額に汗がにじみだした。
しかし、ゲーテは大変やさしくいった。「ぼくが八十二歳になったのは、とにかく許しがたいことかもしれない。だが、そのことについてのぼくの満足は、君が考えるよりは小さい。君のいうとおり、永続性への大きな熱望にみたされて、ぼくはいつも死を恐れ、死と戦った。思うに、死との戦い、絶対的で強情な生きる意欲は、あらゆるすぐれた人の行動と生活の動機である。しかし、誰も結局は死なねばならないことを、若い友よ、ぼくは八十二歳になって、まるで小学生の頃死んだのと同じように、はっきり証明した。弁解の役に立つなら、付け加えておきたいが、ぼくの天性には多分に子供らしさ、好奇心、遊戯本能、ひまつぶしへの好みがある。さて、いつかは遊びにあきるものだということが、わかるまでには、少々ひまがかかったわけだ」
彼はこう話しながら、全くずるそうに、実にいたずらっぽくほほえんでいた。彼の姿は前より大きくなり、堅苦しい態度と顔の発作的な品位は、消えていた。そして、周囲の空気は今や、メロディーとゲーテの歌曲《リート》だけであふれていた。モーツァルト作曲の「すみれ」とシューベルト作曲の「汝はまた茂みと谷をみたし」(「月によす」の第一行)が、はっきりききわけられた。そして、ゲーテの顔は今やばら色に若やぎ、笑い、あるいはモーツァルトに、あるいはシューベルトに、まるで兄弟のように似ていた。彼の胸の星形勲章は、草原の草花でだけできていて、黄色い桜草が一本その真中から、うれしそうに丸々と咲き出ていた。
老人がぼくの質問と告発を、ひどくふざけてさけようとしたのは、どうもぼくの気に入らなかった。そこで、ぼくは非難のまなざしで彼を見つめた。すると、彼はかがみこんで、もう全く子供らしくなっている口をぼくの耳に近づけて、そっと耳にささやいた。「ねえ、若い人、君は老ゲーテをまじめにとりすぎるよ。とうに死んでしまった老人たちを、まじめにとってはいけない。でないと、めいわくをかけることになる。われわれ不滅なものたちは、まじめにとるのをこのまず、冗談を好む。まじめさは、若い人よ、時間に関係がある。これだけは君に打ち明けておきたいが、まじめさは時間を買いかぶることから生れる。ぼくも時間の価値を昔は買いかぶった。それで、百歳までも長生きしようと思った。でも、永遠の中には、ねえ、時間は存在しない。永遠は瞬間にすぎず、冗談を一ついうだけの時間なのだよ」
実際、もうこの男とはまじめな話はできなかった。彼は満足そうにしなやかに、軽やかなダンスのステップであちこち歩きまわり、桜草を星形勲章から、あるいは花火のようにとび出させたり、あるいは小さくし、消えうせさせたりした。彼がきらびやかにダンスのステップや姿態を示している間に、ぼくは、この人は少くともダンスを習うのをおこたらなかったのだと、思わざるをえなかった。彼はみごとに踊ることができた。その時、ぼくはまたふとさそりを、いやむしろモリーを思い出し、ゲーテに向って大声でいった。「ねえ、モリーは来ていませんか?」
ゲーテは大声で笑った。彼は机のところへ行って、引出しをあけ、高価な革製かビロード製の小箱を取り出し、それをあけて、ぼくの目の前にさし出した。中の黒っぽいビロードの上に、ごく小さな婦人の足がのっていた。小さく、非の打ち所のない、きらきら光る、うっとりするような足だった。ひざを少し曲げ、足を下向きにのばし、大変かわいらしい爪先に終っていた。
ぼくは手をのばして、ぼくをほれこませた小さな足を取ろうとしたが、二本の指でつかもうとすると、このおもちゃはぴくっと動くようにみえた。とたんに、これはさそりかもしれないという疑いが起こった。ゲーテはそれを知っているらしかった。それどころか、それを、その深い当惑を、欲望と不安の間の激動する葛藤を、期待し、狂っていたようだった。彼は魅力のある小さいさそりを、ぼくの鼻先につきつけ、ぼくがほしがるのをみ、ぼくがこわがるのをみ、それで大いにたんのうしているらしかった。彼はこのかわいらしい危険なおもちゃでぼくをからかっているうちに、またまったく年をとり、ひどく年をとり、千歳にもなって、すっかり白髪になってしまった。そのやつれた顔は、静かに声もなく笑っていた。底知れぬ老人のユーモアをもって、ひとりで大笑いしていた。
目がさめたとき、ぼくは夢を忘れていたが、後になってやっと思い出した。ぼくは音楽と混雑のただ中で、料理店のテーブルにもたれて、一時間ほどねたようだった。こんなことは出来ない相談だと思っていたのに。あのかわいい娘が前に立って、ぼくの肩に手をかけていた。
「二、三マルクちょうだい」と、彼女はいった。「あっちで何かたべたいの」
ぼくは彼女に財布を渡し、彼女はそれを持って行ったが、すぐもどってきた。
「さあ、これでもうしばらくあんたといっしよにいられるわ。そしたら行かなくちゃいけないの。約束があるの」
ぼくはびっくりした。「いったい誰と?」と、ぼくはとっさにたずねた。
「ある人とね、ハリーさん。オデオン・バーに招かれたの」
「ああ、君はぼくをひとりぼっちにしないと思っていたのに」
「だったら、あんたが招待すべきだったのに。だれかに出しぬかれたのよ。ところが、それでお金が大分たすかったわ。オデオンを知ってる? 夜中すぎは、シャンパンばかしよ。安楽椅子で、黒人楽団があって、とてもすてきよ」
こんなことは何もぼくは考えていなかった。
「ああ」と、ぼくは頼むようにいった。「君を招待させてよ! わかりきったことだと思っていたんだよ。なにしろぼくら友だちになったんだからね。君のすきな所に招待させてよ、お願いだから」
「ありがとう。でも、ねえ、約束は約束よ。約束したからには、行くわ。もうやめて! さあ、もう一杯のんで。びんにまだ残ってるわ。これをのんだら、おとなしく家へ帰って、寝るのよ。約束して」
「いや、家へは帰れない」
「あら、あんなくだらないことにこだわってるの! まだゲーテのことが気になるの?(この瞬間ゲーテの夢がまた頭にうかんだ)でも、ほんとに帰れないなら、この家にいなさい。客室もあるの。ひと部屋とってあげようか?」
ぼくはこれで満足し、どこでまた会えるかたずねた。住所もたずねた。答えなかった。少しさがしさえすれば、きっとみつかる、というのだった。
「君を招待していけない?」
「どこへ?」
「どこへでも君のいい所へ、いつでも君のいい時に」
「いいわ。火曜日の夕食に、アルター・フランツィスカーナーの二階で。じゃね!」
彼女はぼくに手をさしだしたので、はじめてこの手が目についた。その声にふさわしく、きれいでふっくらした、分別のある親切な手だった。ぼくが彼女の手にキスすると、彼女はひとをばかにしたように笑った。
最後の瞬間に、彼女はもう一度ふりかえっていった。「ゲーテのことで、あんたにいっておくことがあるわ。ねえ、よくって、ゲーテのことで、あんたがその肖像画ががまんできなくなったように、あたしも聖人のことで、同じ経験をすることがよくあるわ」
「聖人だって? そんなに信心深いの?」
「いいえ、信心深くないわ、残念ながら。でも、昔はそうだったし、またそうなるかもね。信心深くなるひまがないのよ」
「ひまだって? いったいそれにはひまがいるの?」
「ええ、そうよ。信心ぶかくなるにはひまがいるわ。それどころか、もっといるものがある。時間《ひま》にしばられないことよ! あんたはほんとに信心深くなって、同時に娑婆《しゃば》に生きることはできず、時間とかお金とかオデオン・バーとかいろんなものを、まじめにとることもできないわ」
「わかるよ。でも、聖人はどうしたの?」
「ええ、特にすきな聖人はいくらでもいるわ、シュテファンや聖フランシスコなどよ。そういう聖人の絵をよくみるわ、救世主や聖母マリアのもね。うその、いつわりの、ばかげた絵で、あんたがゲーテの肖像画にがまんできないように、あたしもこんなのにはがまんがならないわ。あんな甘ったるいばかげた救世主や聖フランシスコをみて、他の人たちがこの絵をみごとだとか、ありがたいとかいうのをみていると、本当の救世主の侮辱のような気がし、みんなが愚にもつかない絵で満足なら、救世主はなんのために生き、恐ろしい苦難を受けたのかと、考えてしまうのよ! でも、自分でもわかってるんだけど、あたしの考えている救世主や聖フランシスコの像も、一つの人間像にすぎなくて、本物には及ばないし、あたしの胸の中の救世主像は救世主御自身にとって、あの甘ったるい模写があたしにそう思われるように、ばかげていて、不充分のように思われるでしょう。あんたにこんなことをいうのは、ゲーテの肖像画に対するあんたのふきげんと憤慨を、正しいと思うからじゃないの。いいえ、そこはあんたのまちがいよ。あたしがこんなことをいうのは、あんたの気持はわかるってことを、示したいからだわ。あんたがた学者や芸術家は、実際いろんな風変りなことを考えてるけど、他の人と変りないわ。そして、あたしたちだって自分の夢や遊びを考えてるのよ。だから、ねえ先生、例のゲーテの話をするとき、あんたがちょっと困ったのに、あたし気がついたの――あんたの理想的なことをこんなただの娘にわからせるのに、苦労しなくちゃいけなかったんだわ。そこで、そんな苦労しなくたっていいことを、教えてあげたいの。あんたの気持はもうわかったわ。そう、もうこれでおしまい! ねなくちゃいけないわ」
彼女は行った。年よりのボーイがぼくを三階に案内した。というよりは、彼はまず荷物のことをたずね、荷物はないときくと、「宿泊料」というのを、前払いさせた。それから、古い暗い階段を登って、とある小部屋へ案内し、ぼくをおいて出ていった。そこには、ひどく小さい固い、そまつな木のベッドがあり、壁にはサーベルとガリバルディ(十九世紀イタリアの自由の闘士)の彩色肖像画がかけてあり、何かのクラブのお祝いのしぼんだ花輪も、かけてあった。パジャマがもらえるなら、金をおしまないのに。水と小さいタオルだけはあったので、顔は洗えた。それから服のままベッドに横になり、あかりをつけたままにし、じっくり考えてみることにした。さて、ゲーテのことはもう片がついた。ゲーテが夢に現われたとは、すばらしい! それから、あの不思議な少女――名前がわかればよかったのだが。突然ひとりの人間が、生きた人間が、無感覚なぼくをおおっている曇ったガラス蓋《ぶた》をこわして、ぼくに親切なきれいな暖かい手をさしのべたのだ。突然また、ぼくにいくらか関係のあるもの、ぼくが喜びや心配や緊張をもって考えることのできるものが、現われたのだ。突然ドアがあいて、生活が入ってきたのだ。ぼくはまた生きることができ、人間になることができるだろう。ぼくの魂は寒さの中で眠りこみ、こごえそうだったが、また息をつき、ねむそうに小さい弱い翼をはばたいた。ゲーテがぼくをおとずれた。一人の少女がぼくに食べ、飲み、眠るように命令し、好意をしめし、あざ笑い、ばかな坊やとよんだ。そして、あの不思議な女の友はぼくに聖人の話もした。ぼくがどんなに変にかわっていても、ひとりぼっちではなく、人に理解されないわけではなく、病的な例外でないこと、ぼくにもはらからがあり、人にわかってもらえることを、示してくれた。彼女にまた会えるだろうか。そうだ、きっと会える、彼女は信用できる。「約束は約束よ」
もうぼくは眠り、四、五時間眠った。目をさますと、十時過ぎだった。服はしわくちゃで、つかれはてて、ぐったりし、きのうの何か恐ろしいことの記憶が頭にあったが、生き生きとし、希望にみち、明るい思いにあふれていた。住いに帰るときも、きのう帰ろうとして感じたような恐怖は、もう感じなかった。
階段の途中の南洋杉の上の所で、ぼくは「おばさん」に会った。部屋をかしてくれている人で、めったに会わなかったが、そのやさしい人がらはとてもぼくの気に入っていた。出会ったのはまが悪かった。とにかく、いくらかだらしのないかっこうをし、寝不足でつかれていて、髪はぼうぼうで、ひげもそっていなかった。ぼくはあいさつして、通りすぎようとした。いつもなら彼女は、ぼくがひとりでいて、かまわれたくないのを、尊重していたが、きょうは実際、ぼくと周囲の世界の間のヴェールがさけ、格子が倒れたようにみえた――彼女は笑って、立ちどまった。
「ぶらぶらなさいましたね、ハラーさん。ゆうべは全然お休みになりませんでしたね。とてもおつかれのようですこと!」
「ええ」といって、ぼくも笑わずにはいられなかった。「ゆうべはいくらか羽目をはずしました。お宅のしきたりを妨げたくないので、ホテルに泊りました。ぼくはお宅の静かさと品位をとても尊重していて、ここが場違いのように思えることがよくあります」
「ハラーさん、ばかになさらないで下さい!」
「とんでもありません、自分をばかにしているだけです」
「それはいけません。この家で『場違い』などと思わないで下さい。おすきなように暮し、気ままにして下さい。今までに沢山のとても上品な方に部屋をおかししました。それはもう上品な方たちでしたわ。でも、あなたほどもの静かで、わたしたちをじゃましなかった方は、いませんでしたよ。さて――お茶を召しあがりませんか?」
ぼくはさからわなかった。先祖の美しい肖像画や家具の飾られた客間で、お茶を出され、ぼくたちはすこしおしゃべりした。親切な婦人は特にたずねたりせず、あれこれとぼくの生活と考えを話させ、いろいろ聞いてくれた。その態度は、利口な婦人がへんくつな男に対してとるように、尊敬の念と、物事をきまじめにとりすぎない母親らしい配慮とに、あふれていた。彼女の甥《おい》も話題になった。彼女は隣りの部屋で、甥が勤めの余暇に作ったラジオセットをみせてくれた。あの熱心な青年は晩にそこにすわり、無線という理念に心をうばわれ、技術の神の前にうやうやしくぬかずいて、この機械を組立てたのだった。技術の神といっても、すべての思想家がもういつも知っていて、もっと賢明に利用したものを、数十世紀後になって発見し、ごく不完全に表現できたのにすぎないのである。二人はそのことを話しあった。おばさんはいくらか信心深かったので、宗教の話がいやではなかったからだった。ぼくは話した。あらゆる力と業の遍在は、昔のインド人によく知られていた。技術はそのために、つまり音波のために、始めはまだ恐ろしく不完全な送信機と受信機を組立てることによって、そういう事実のごく一部を一般に意識させた。時間の非現実性という、あの古い認識の要点は、依然として技術に認められていないが、結局はむろん「発見」され、活動的な技術家の指先にゆだねられるだろう。恐らくきっとごく近い発見によって、パリやベルリンの音楽が今フランクフルトやチューリヒできこえるように、現在ただいまの映像や事件がたえずぼくたちに放映される。そればかりでなく、過去のことがすべて同様に記録され、再現され、ぼくたちは恐らくいつかは、有線か無線で、雑音つきか雑音なしで、ソロモン王(旧約聖書の賢い王)やワルター・フオン・デア・フォーゲルワイデ(ドイツ中世盛期の宮廷恋愛詩人)が、話すのがきけるだろう。また、今日ラジオの始まりがそうであるように、これらすべてのことは、人間にとって、自分と自分の目的から逃れ、気晴らしと無駄なせわしさの網にいよいよせまく取りかこまれるのに、役立つだけである。だが、ぼくはこんなおなじみの問題をいろいろ話したが、時代と技術に対するいつものむっとしたあざけりの口調でではなく、軽い冗談半分で話した。おばさんはほほえんでいた。ぼくたちは一時間ばかりいっしょにいて、お茶をのみ、満足した。
火曜の晩に、ぼくは黒鷲屋のきれいな不思議な少女を招待していて、それまでの時間をつぶすのに、なかなか大変だった。ついに火曜日になると、あの未知の少女との関係の重要さが、おどろくほどはっきりしてきた。ぼくは彼女のことだけを考え、すべてを彼女から期待した。彼女にすべてをゆだね、その足下におき、しかも決して彼女に恋しない決心をかためた。彼女は約束を破るかもしれないし、忘れるかもしれないと、ちょっと考えてみただけでも、ぼくがどんな状態だったかがわかった。そんなことにでもなったら、世界はまた空虚になり、毎日が灰色に、無価値になり、あたりには完全な恐ろしい死の静寂がひろがり、この沈黙地獄からの逃げ道は、かみそり以外になくなるだろう。ところが、このかみそりはこの数日の間にいっこうぼくに好もしいものとはならなかった。その恐ろしさをいっこう失っていない。これが実はいやらしい点なのだ。ぼくは喉を切ることに、深い、胸をしめつけるような不安をもっていた。ぼくがいとも健康な人間で、ぼくの生活が天国だったかのように、同じように荒々しい、不屈の、抵抗し、反抗する力をもって、ぼくは死をおそれた。ぼくは自分の状態をありありと、ようしゃないほどはっきりと認めた。生きることも死ぬこともできない、耐えがたく緊張した状態こそ、あの未知の娘、黒鷲屋の小がらなかわいいダンサーを、ぼくに非常に大切なものとしたのである。彼女はぼくの暗い不安な洞穴の小窓、針の穴のような明るい穴だった。彼女は救い、戸外への道だった。ぼくに生きるか死ぬかを、教えねばならなかった。ぼくの麻痺した心臓が生命にふれられて咲き出るか、くずれて灰となるか、彼女はしっかりしたかわいい手で、それにふれねばならなかった。どこから彼女はこの力をえたのか、どこからその魔法が彼女にやってきたのか、どんな神秘な奥底からぼくへの深い意味が彼女にやってきたのか、ぼくは考察できなかった。それはまたどうでもよかった。そんなことを知るのは、問題ではなかった。もうどんな知識も認識も、ぼくには問題にならなかった。そんなことにはもうあきあきしていた。ぼくが自分の状態をはっきり知っていて、それを充分に意識している点にこそ、ぼくへの最も鋭く意地の悪い、苦しみと恥じがあったのだった。ぼくは、この男、この荒野の狼という動物を、くもの巣にかかったはえのように、目前にみた。そして、彼の運命が決定へ向ってただよって行き、彼がからみつかれ、力なく巣にぶらさがり、くもがかみつこうとしており、同時にまた救いの手が近づいているのを、ぼくは目撃したのだった。自分の苦しみ、心の病、呪われた状態、神経症《ノイローゼ》の関係と原因についてなら、ぼくはいとも賢明に洞察力をもって語ることができただろう。そのからくりは見抜いていた。しかし、必要だったのは、ぼくが絶望的にあこがれたのは、知識と理解ではなく、体験、決定、衝撃、飛躍だった。
ぼくは待ちかねていた数日の間、女友だちが約束を守ることを、つゆうたがわなかったが、最後の日にはひどく興奮して、不安だった。その日の夕方ほどいらいらして待ったことは、生れてから初めてだった。緊張と焦慮がもうがまんできないほどになると同時に、とても気持よくもなってきた。もうとうに何も待つことなく、何もたのしみにしていなかった、興ざめした男のぼくにとって、それは考えられないほどすばらしく、新しかった――この日一日中、不安と心配と激しい期待にみちてうろつきまわリ、晩の出会い、会話、結末を考えてみて、そのためにひげをそり、(特に念入りに新しいシャツとネクタイと靴ひもで)身づくろいするのは、すばらしかった。この利口な、神秘的な、小がらの少女が誰だろうと、彼女がどんなふうにぼくとこんな関係になったかは、ぼくにはどうでもよかった。彼女は現に存在した。ぼくが再び一人の人間と生きる新しい興味を見出すという奇跡が、現に起こったのだ。ただ大切だったのは、この状態がつづき、ぼくがこの引力に身をゆだね、この星に従うことだった。
彼女に再会したのは、忘れられないひとときだった。ぼくは必要もないのに電話で予約し、古風な気持いいレストランの小さなテーブルにつき、メニューを吟味したが、女友だちのために買った二本のきれいな蘭《らん》の花を、水飲みコップにいけておいた。ぼくは長いこと彼女を待たねばならなかったが、きっと来るという気がしていたので、もう興奮しなかった。さて、彼女はやってきて、|携帯品預り所《ガルデローペ》の前に立ちどまって、明るい灰色の目で、注意深く、いくらか吟味するように見て、ぼくにあいさつした。ぼくはボーイの彼女の扱い方を、うさんくさげに見つめていた。いや、ありがたいことに、なれなれしさはなく、適当な距離を保っていて、ボーイは申し分なくていねいだった。だが二人は知合いで、彼女は彼をエーミールとよんでいた。
蘭をあげると、彼女はよろこんで笑った。「ご親切にありがとう、ハリー。あたしにプレゼントしようと思ったのね。でも、何をえらんだらいいか、全然わからなかったのね。いったいあたしにプレゼントする資格がどれほどあるのか、あたしが気を悪くしないかどうか、全然わからなかったのね。それで、蘭を買ったわけだけど、ただの花でも、とても高いわ。ええ、ありがとう。とにかく今すぐいっとくけど、あんたのプレゼントはほしくないわ。男たちのおかげで生きていても、あんたはあてにしないわ。けれど、あんたずいぶん変ったわね! あんただとわからなかったわ。ついこのあいだは、わなから放たれたばかりの獣のようだったけど、もうまただいたい人間にもどったわ。それはそうと、あたしの命令を実行した?」
「どんな命令?」
「そんなに忘れっぽいの? もうフォックストロットが踊れるようになったというのよ。あたしの命令を受けるほどいい願いはない、あたしに従うほど好もしいことはないって、あたしにいったじゃないの。おぼえている?」
「おぼえてるとも、そうしょう! まじめな話だよ」
「でも、ダンスまだ習わなかったの?」
「そんなに早くできるの、わずか二、三日のうちに?」
「もちろんよ。フォックスなら一時間で、ボストンなら二時間でできるわ。タンゴはもっとかかるけど、そんなのあんたに関係ないわ」
「こんどこそどうしたってあんたの名前をきかなくちゃ!」
彼女はしばらく黙ってぼくを見つめていた。
「あんたはあてられるわ。あてたら、あたしとてもうれしいわ。注意して、あたしをよくみて! あたしがよく男の子の顔になるのに、まだ気づいていない? たとえば、今は?」
そうだ、ぼくは彼女の顔をよくみてみると、彼女のいうとおりだと、思わずにはいられなかった。それは男の子の顔だった。一分も顔をみつめていると、その顔はぼくに話しかけ始め、ぼくの少年時代とその頃の友人を思い出させた。それはヘルマンという名だった。一瞬の間、彼女はこのヘルマンに変ってしまったように思われた。
「君が男の子だったら」と、ぼくはびっくりしていった。「ヘルマンという名にちがいない」
「ひょっとするとあたし男の子で、変装してるだけかもしれないわ」と、彼女はいたずらっぽくいった。
「ヘルミーネっていうの?」
彼女はぼくがあてたのをよろこんで、輝かしい表情でうなずいた。そこへスープがきて、食事が始まり、彼女は子供のように満足した。なによりもぼくの気に入り、ぼくをひきつけたのは、彼女がひどくまじめかと思うと、あっというまにひどくこっけいで愉快になったり、その逆の場合もあったりしたことだが、その時も自身は変ったり、ゆがんだりしないという、全くかわいい独特な点だった。それは才能ゆたかな子供のようだった。こんどは彼女はしばらくの間はしゃいで、フォックストロットのことでぼくをからかい、足でぼくをつつきさえし、食事をしきりにほめた。ぼくが服装に気をつけたのは認めたものの、まだ外見をいろいろせめたてた。
その合い間にぼくはたずねた。「どうして君は急に男の子のような様子になり、君の名前をあてられるようにしたの?」
「あら、みんなあんたが自分でしたことよ。わからないの、学者さん? あたしはあんたの鏡のようなもので、あんたに答え、あんたを理解する何かが、あたしの中にあるから、あたしはあんたの気に入り、あんたにとって大事だということがね。ほんとうは誰だってお互にこんな鏡で、答えあい、一致しあうべきなのに、あんたのような変人はほんとに奇妙で、すぐ魔法にかかってしまうから、他の目の中にもう何もみたり、よんだりすることができず、他人と無関係になってしまうんだわ。そして、こんな変人は、自分をほんとにみつめてくれ、応答と親近性のようなものを感じさせる顔を、急にまたみつけると、ねえ、もちろんよろこぶのよ」
「ヘルミーネ、君はなんでもしってるね」と、ぼくはびっくりして叫んだ。「君のいうとおりだ。でも、君はぼくとは全然別だ! 君はぼくの反対で、ぼくに無いものを何でももっている」
「あんたにはそう思えるのよ」と、彼女はかんたんにいった。「それでいいのよ」
するとこんどは、実際ぼくにとって魔法の鏡のようだった彼女の顔の上に、厚い雲のようなまじめさが流れた。ふいにこの顔全体が、うつろなマスクの眼からのように、測りしれないように、ただまじめさ、悲劇だけを語った。ゆっくりと、いやいや話すように一語一語、彼女は話した。
「ねえ、あたしにいったことを忘れないで! あんたは、あたしが命令すべきで、あたしのどんな命令にも従うのはうれしいって、いったわね。忘れないでよ! ハリーちゃん、あんたとあたしの関係といえば、あたしの顔が答え、あたしの中の何かがあんたの意を迎え、あんたに信頼の心を起こさせたことだけど――あたしとあんたの関係も同じだということを、知らなくちゃいけないわ。あんたがせんだって黒鷲屋に、つかれきって、気のぬけたように、もうこの世の人でないように、入ってくるのをみたとき、とっさにあたしは、この人はあたしのいうことをきき、ひどくあたしに命令されたがっていると感じたのよ。やはりそうするわ、そのためにあんたに話しかけ、あたしたちは友達になったんだから」
彼女は大変おごそかに、心も重く話したので、ぼくは完全にはついてゆけず、彼女をなだめ、話題を変えようとした。彼女は眉をぴくっとさせただけで、それを払いのけ、有無をいわせないようにぼくをみつめ、冷えきった声で話しつづけた、「おちびさん、約束は守らなくちゃいけない。念をおしておくけど、でないと後悔するわよ。あたしから約束をたんとちょうだいして、それに従うのよ。ありがたい命令、快い命令ですよ、それに従うのは、あんたに楽しいのよ。おしまいには、あたしの最後の命令にも従うのよ、ハリー」
「そうするだろう」と、ぼくは半ばどっちつかずの返事をした。「ぼくへの最後の命令って何だろうね?」なぜかはわからないが、ぼくはもうそれを予感していた。
彼女はちょっと悪寒《おかん》でもするように身ぶるいし、深い物思いからゆっくりさめていくようにみえた。彼女の目はぼくを見守っていた。彼女はふいにいっそうふきげんになった。
「これはいわない方が、利口かもしれない。でも、利口になんかなりたくないわ、ハリー、こんどはね。こんどは全然別のことをしたいの。気をつけて、よく聞いて! あんたは聞いても、また忘れ、泣いたり、笑ったりするわ。気をつけて、おちびさん! ねえ、ちびの弟、あたしはあんたと生死をかけて遊びたいの。勝負を始める前に、あんたにあたしのカードをみせておくわ」
こういったとき、彼女の顔はなんときれいで、なんとこうごうしかったろう。その目には冷たく明るく、物に通じた悲哀がただよい、その目はすでにありとあらゆる苦しみをなめ、それを肯定しているように思われた。その口は、ひどい寒さで顔のこわばった人が話すように、重くとぎれとぎれに語った。だが、くちびるの間や、口もとや、たまにちらちらみえる舌先には、まなざしや声とは裏腹に、甘い官能のたわむれと激しい情欲だけが流れていた。おだやかなすべすべした額には、短い巻毛がたれていて、そこから、巻毛のたれたこめかみからは、ときどき生きた呼吸のように、少年らしさ、男女両性的な魔法の波が流れでた。不安にみちてぼくは彼女の言葉に耳をかたむけた、麻痺したように、もうなかば放心したかのように。
「あんたはあたしが好きなのよ」と、彼女は話しつづけた。「もう話したようなわけでね。あたしがあんたの孤独を破り、地獄の門前であんたをつかまえ、また目をさまさせたからだわ。でも、あんたへの注文はもっと、もっともっと多いの。あたしあんたをあたしにほれこませたいの。いいえ、反対しないで、話しつづけさせて! あんたがあたしをとても好きなのは、わかるわ。あんたはあたしをありがたがってるけど、あたしに恋してない。そうさせてみせるわ。それがあたしの商売、男たちをほれこませるのが、あたしのご飯のたねなんだから。でも、よくって、あたしがそうしたいのは、あんたに魅力があると思うからじゃないわ。ハリー、あんたにほれこんでなんかいないわ、あんたがあたしにほれこんでいないようにね。でも、あたしあんたが必要なの、あんたがあたしを必要とするように。あんたは絶望していて、あんたをぐいと水の中へ投げこみ、生きかえらせる人が必要だから、あんたは今、この瞬間に、あたしが必要なんだわ。ダンスや笑いや生活を習うのに、あたしが必要なのよ。でも、あたしがあんたを必要とするのは、今じゃなく後でだけど、なにかもっと大切な美しいことのためなの。あんたがあたしにほれこんだら、最後の命令をあげるわ。従うわね。それがあんたとあたしのためよ」
彼女は、緑の脈のある茶と紫の蘭の一つを、コップの中でちょっと持ちあげ、一瞬顔をその上にかがめ、花をじっとみつめた。
「やさしくはないけど、そうするわね。あたしの命令に従って、あたしを殺すわね。このことよ。もう何もきかないで!」
まだ蘭をみつめながら、彼女はだまっていた。彼女の顔はやわらぎ、ほころびる蕾のように、圧迫と緊張から解放された。突然ほれぼれするような微笑がくちびるにうかんだが、目はまだちよっとの間、こわばり、何かに魅せられたようだった。するとこんどは、男の子のような短い巻毛もろとも頭をふって、水を一口のみ、ぼくたちが食事中なのに、また気づいて、いかにも楽しくおいしそうに、いそいで食事にとりかかった。
ぼくは彼女の不気味な話をひと言残さずきき、彼女が口にする前に、その「最後の命令」を当てさえして、「あたしを殺すわね」という言葉にはもうおどろかなかった。彼女がいったことはすべて、ぼくには納得がいき、運命的であるように思われた。ぼくはそれを受けいれ、さからわなかった。しかし、彼女は恐ろしいほどまじめに話したのだが、すべてはぼくにとって、充分な現実性とまじめさに欠けていた。ぼくの心の一部は彼女の言葉を吸収し、信じたが、ぼくの心の他の部分はなだめるようにうなずき、ではこの利口で健康でしっかりしたヘルミーネもやはり、空想と意識もうろうたる状態をもっているのを、認めた。彼女の最後の言葉が話されると、非現実的で無効な一つの層が、この場面全体をおおった。
とにかく、ぼくはヘルミーネと同じような綱渡り師のような軽快さで、もとの現実の世界へとびもどることはできなかった。
「じゃ、ぼくがいつか君を殺すの」と、夢を追うかのようにそっとたずねたが、彼女はもうまた笑って、せっせと鳥肉を裂いていた。
「もちろんよ」と、彼女はおざなりにうなずいた。「その話はたくさん、食事中だわ。ハリー、お願いだから、グリーンサラダをもう少し注文してよ! たべたくないの? 他の人ならあたりまえのことを、あんたは何でもまず習わなくちゃいけないんだわねえ。食事の楽しみだってね。じゃよくって、おちびさん、これは鴨《かも》の足よ。淡いきれいな肉を骨からはがすのが、楽しいお祭りのようなもんだわ。恋をしている男が初めて恋人の上着をぬがせてやる時のように、舌なめずりして、緊張し、ありがたい気持にならなくちゃいけないわ。わかって? わからない? おばかさんね。よくって、このみごとな鴨の足肉を一切れあげるわ。さあ、口をあけて! ――まあ、なんていやな人! 今ね、あたしのフォークで食べさせてもらうのを、他人にみられやしないかと、横目をつかってみたりして! 心配しなくていいのよ、道楽息子さん、あんたに恥をかかせたりしないわ。でも、自分の楽しみにまず他人の許可がいるなんて、あんたってほんに気の毒なおばかさんだわ」
前の光景はますます非現実的になった。この目がつい数分前にはあんなにきびしく、恐ろしく見つめていたことは、ますます信じがたくなった。ああ、その点でヘルミーネは生命そのもののようで、常に瞬間にすぎず、決して予測されなかった。今彼女はたべていた。鴨の足、サラダ、パイ、リキュールが彼女の大問題となり、喜びと批評、会話と空想の対象となった。皿がさげられると、新しい章が始まった。ぼくを完全に見抜いており、どんな賢者よりも人生の知識があるようにみえるこの女性は、子供っぽさの本領を発揮し、瞬間ごとの小さな生のたわむれをたくみに演じたので、ぼくはその手腕のせいで、すぐ彼女の弟子になってしまった。それが高い知恵であるにせよ、全く単純な素朴さであるにせよ、誰でもあんなに瞬間に生きることができ、あんなに現在に生き、路傍のどんな小さな草花も、どんな小さな遊戯的な瞬間の価値でも、あんなに快く用心深く評価できる人には、人生は何も害を加えることができない。食欲がつよく、遊び半分の食道楽の、この愉快な子供が、同時に、死をねがう夢想家でヒステリー女だというのか、それとも、故意に冷静な気持でぼくをほれこませ、彼女の奴隷にしようとする、油断のならない打算家だというのだろうか。そんなことはありえなかった。いや、彼女はすなおにひたすら瞬間に身をゆだねたから、意識下の深淵からのどんなかすかな暗い戦慄に対しても、あらゆる楽しい思いつきに対してと同様に心を開いて、それを味わいつくしたのだった。
このヘルミーネは、きょう会ったのが二度めというのに、ぼくのことは何でもしっていて、これから彼女に秘密をもつことなぞは、できないように思われた。彼女はぼくの精神生活を完全にはわからなかったかもしれない。音楽、ゲーテ、ノヴァーリス、ボードレールに対するぼくの関係に、彼女は恐らくついていけないかもしれなかった――だが、これも大変問題で、多分こんなことも彼女にはたやすいかもしれなかった。そして、たとえ――ぼくの「精神生活」の何がいったいまだ残っていたのか。みんな粉々になって、無意味になっていなかったか。でも、ぼくの他の、どんな個人的な問題や願望でも、彼女は全部わかるだろう。これは疑いなかった。そのうちすぐぼくは彼女と、荒野の狼について、論文について、これまでぼくだけの問題で、それについて誰とも話したことのないすべてのことについて、話すだろう。ぼくは、すぐ始めたいという気持にさからえなかった。
「ヘルミーネ」と、ぼくはいった。「最近ある不思議なことに出会ったんだよ。知らない男が印刷したパンフレットをくれたんだ。年の市で売ってるような代物《しろもの》で、それにはぼくの話とぼくに関することが、なんでもくわしく書いてあるんだよ。ねえ、不思議じゃない?」
「いったい何ていう本?」と、彼女はあっさりたずねた。
「『荒野の狼論』というんだ」
「まあ、荒野の狼なんてすてきだわ! で、あんた荒野の狼なの? あんたがそうだっていうの?」
「そう、ぼくがそうなんだ。半分人間で、半分狼なのか、それともそう思いこんでいる者なんだ」
彼女は答えなかった。彼女はさぐるように注意深くぼくの目をのぞきこみ、ぼくの手を見おろした。ちらっと彼女のまなざしと顔に、前の深いまじめさと暗い情熱が、もどってきた。ぼくが彼女の「最後の命令」を実行できるにたるほど、充分に狼であるかどうかを、彼女は考えているのだなと、ぼくは思った。
「そりゃもちろんあんたの空想よ」と、彼女はまた次第に朗らかさをとりもどしながらいった。「それとも、なんなら、詩といってもいいわ。いくらかそんなふしがあるわ。きょうはあんた狼じゃないけど、このあいだ、月からでもおっこったように、あのホールに入ってきたとき、あんたは確かに一匹の野獣だったわ。そこんとこがあたしの気に入ったんだけどね」
彼女はふいに何か思いついたように話をやめ、あわてたようにまた話しだした。「『野獣』とか『猛獣』というような言葉は、いやらしくきこえるわ! 動物をそんなふうにいうもんじゃないわ。動物はこわいこともよくあるけど、人間よりはずっとまともだわ」
「『まとも』ってなんなの? どういう意味?」
「そうねえ、なにか動物を、猫でも犬でも小鳥でも、プーマやキリンのような動物園のきれいな大きな動物でもいいから、みてごらんよ! 動物がみんなまともで、一匹だってまごまごしていず、何をしたらいいか、どうふるまったらいいのか、わからないのはいないことが、きっとわかるわ。あんたにこびようとも、自分をえらそうにみせつけようともしないわ。お芝居もしない。石や花や空の星のように、ありのままだわ。わかって?」
ぼくはわかった。
「たいてい動物は悲しそうよ」と、彼女は話しつづけた。歯がいたいとか、お金をなくしたとかいうためでなく、すべてのこと、全人生がどんなふうなのかを、あるときいっ時の間感じたために、誰かがひどく悲しくなる場合、彼はほんとうに悲しくなるので、その時は、いつもいくらか動物に似てくるもんだわ――そういう時ほんとに悲しくみえるけど、いつもよりまともで、美しいわ。そういうものよ。荒野の狼さん、あんたに初めて会ったとき、あんたはそんな様子だったわ」
「じゃ、ヘルミーネ、ぼくのことが書かれているあの本を、どう考える?」
「ねえ、あんた、あたしいつも考えるのがすきなわけじゃないわ。また別の時その話をしましょう。いつか読ませてよ。いいえ、それとも、いつかまた本を読むようなことになったら、あんたが自分でかいた本を一冊かしてよ」
彼女はコーヒーをたのみ、しばらくぼんやりして、放心の様子だったが、やがて彼女の顔は急にはっと明るくなった。思案していたことがきまったらしかった。
「さあ」と、彼女はうれしそうに叫んだ。「やっと思いついたわ!」
「いったい何が?」
「フォックストロットのことよ。今までずっと考えてたんだわ。ねえ、二人でときどき一時間おどれる部屋がある? 小さくてもいいの、そんなことかまわないの。ただ下に誰か住んでちゃいけないわ。でないと、頭の上でいくらかがたがたしたら、下の人が上がってきて、一騒動おこすわ。じゃ、いいわね、結構だわ! じゃ、あんたの家でダンスのけいこができるわ」
「そうねえ」と、ぼくはおずおずいった。「いっそういいけどね。でも、それには音楽もいると、思ってたんだよ」
「もちろんいるわ。じゃよくって、音楽を買うのよ。せいぜいその値段なんか、ダンスの女教師の一コース分くらいだわ。先生の分は倹約できるわ、あたしが先生になるからさ。そうすれば、いつでもすきなとき、音楽は手に入るし、おまけに蓄音機はあたしたちのものになるわ」
「蓄音機だって?」
「あたりまえよ。小さい蓄音機とダンスレコードを何枚か買うのよ……」
「すばらしい」と、ぼくは叫んだ。「ぼくにダンスを教えるのが、ほんとにうまくいったら、お礼に蓄音機を君にあげるよ。承知だね?」
ぼくはとても元気にそういったが、それは本心ではなかった。本でいっぱいの小さな書斎に、どうにも好きになれない蓄音機なぞおくなどということは、とても考えられなかったし、ダンスに対しても反対すべきことが沢山あった。ぼくはもう年をとりすぎ、からだもぎこちないので、ダンスはおぼえられまいと、信じてうたがわなかったが、時にはやってみるのもいいと、ぼくは考えていたのだった。だが、さて続けざまにやるのは、ぼくには性急で激しすぎた。また、ぼくがぜいたくになれた古い音楽|通《つう》として蓄音機やジャズや現代ダンス音楽にいだいていた反感が、すべてぼくの心の中で反対するのを、ぼくは感じた。今さらぼくの部屋で、ノヴアーリスやジャン・パウル(ゲーテ時代の古典派にもロマン派にもぞくさない異色の作家)とならんで、ぼくの避難所である思索の庵室に、アメリカのダンス曲がひびき、ぼくがそれにあわせて踊らねばならないとは、実際だれかがぼくに要求できる限度をこえている。しかし、それを要求したのは実際「だれか」ではなく、ヘルミーネだった。彼女は命令せねばならなかった。ぼくは従った。もちろん従った。
ぼくたちはその翌日の午後あるカフェーで会った。ヘルミーネはもう来ていて、お茶をのんでおり、ぼくの名前をみつけた新聞をにこにことぼくにみせた。ぼくの故郷の反動的な煽動《せんどう》新聞の一つで、いつも時々ぼくに対する激しい侮辱的な記事を流布していた。ぼくは戦時中は反戦主義者だった。戦後はおりにふれては平静、忍耐、人間性、自己批判に注意をうながし、日に日に熱狂的に凶暴化するナショナリズムの煽動に抵抗していた。またぞろ拙劣な攻撃記事がのっていた。半ばは編集者自身の手になり、半ばは同類のジャーナリズムの沢山の類似の論文からでっちあげたものだった。周知のように、古びていくイデオロギーの擁護者ほど、下らん文章を書くものはないし、きたないやっつけ仕事をするものはいない。この記事をヘルミーネはよんでいて、ハリー・ハラーは害毒を流す男で、祖国のない奴であること、こんな人間と思想ががまんされ、若者が不倶戴天《ふぐたいてん》の敵に復讐戦をいどむかわりに、センチメンタルな博愛思想をいだくように、教育される限りは、むろん祖国は不幸になるほかないということを、知っていた。
「これがあんたなの?」と、ヘルミーネはたずねて、ぼくの名前を指さした。「そう、大変な敵をつくったものね。腹がたった?」
数行よんでみたが、いつものとおりだった。こんな紋切り型の侮辱の言葉の一つ一つには、ここ数年来いやになるほどおめにかかっていた。
「いや」と、ぼくはいった。「腹はたたない、もうとうになれている。ぼくはもう何度か意見をのべている。どの国民も、いやどの個人も、インチキな政治上の『戦争責任問題』で良心をねむらせるかわりに、自分自身において吟味せねばならないのは、各自が過失、怠慢、悪習によって、戦争と他のあらゆる世界の不幸に、どのていど共同の責任があるかということで、このことこそ次の戦争をさける唯一の道だということなんだよ。これがぼくの意見なんだけど、彼らはようしゃしない。皇帝、将軍、大工業家、政治家、新聞そのものは、むろん全然責任がないからだね――誰も非難されるすじあいは全然ない、誰にもなんの罪もない! すべて世界はすばらしく、千二百万の戦死者が地下に眠っているというだけだろう。ね、ヘルミーネ、こんな侮辱の記事をよんだって、もう腹はたたないが、悲しくなることは時にあるよ。三分の二の同郷人はこの種の新聞をよみ、朝晩こんな調子の記事をよみ、毎日説得され、いましめられ、けしかけられ、不満で不快にされる。こんなことをいろいろする最後の目的は、また戦争なんだ。この次の戦争ときたら、前のよりはもっと恐ろしいだろう。こんなことはなんだって簡単明瞭で、誰だってわかるし、一時間も考えたら、同じ結論に達するだろう。でも、誰もそうしようと思わない。誰も次の戦争をさけようとしない。誰も自分や子供のために次の数百万人の集団虐殺を防ごうとしない。安価にできることなのに。一時間思案してみること、しばらくの間反省して、各自が世界の混乱と悪意に、どのていど関係があり、共同責任があるかを、自分に問うてみること――ねえ、誰もそうしようとはしないんだよ! それで、どんどんそんなふうになっていき、次の戦争が沢山の人びとによって毎日熱心に用意されているわけだ。ぼくはそれを知ってから、がっかりし、絶望してしまった。ぼくには『祖国』と理想はもうない。そんなものはみんな、次の戦争を用意しているお偉方の飾りにすぎない。何か人間的なことを考え、話し、書くのは、無意味なのだ。頭の中でいいことを考えることは、意味がない――こういうことをする数人の人びとめがけて、毎日おびただしい新聞、雑誌、講演、公開や非公開の会議が殺到する。こんなものはみんな反対のことをやろうと努力し、目的を達しているんだよ」
ヘルミーネは興味をもって耳をかたむけていた。
「ええ」と、こんどはヘルミーネがいった。「あんたのいうとおりよ。もちろんまた戦争が起きるわ。そんなことを知るのに、新聞をよむまでのことないわ。それはもちろん悲しいけど、悲しんだって仕方ないわ。それはちょうど、どんなにあがいてみたって、とどのつまりはいつかは死ななくちゃいけないのを、悲しむようなもんだわ。ねえ、ハリー、死との戦いはいつだって、美しい、気高い、すばらしい、尊敬すべきことだけど、戦争との戦いだってそうよ。でも、それだっていつも望みのないドン・キホーテのやりそうな馬鹿なことだわ」
「それはほんとかもしれない」と、ぼくは激しく叫んだ。「だが、ぼくらはみんないつかは死ぬんだから、万事どうでもいいんだ、などと信じこんでしまったら、全人生は平凡な愚にもつかんものになってしまう。そんならぼくらはすべてを投げすて、精神や努力や人間性をみんなあきらめて、野心と金銭の支配にまかせ、ビールをのみながら次の赤紙を待つべきだというのか?」
ヘルミーネが今ぼくをみつめた目つきは、異様だった。慰み、あざけり、いたずら、理解のある友情にみちていると同時に、重々しさ、知恵、深刻なまじめさにみちていた。
「それはいけないわ」と、彼女はまるで母親のようにいった。「あんたの戦いが無駄だとわかっても、あんたの生活もそのために、平凡な愚にもつかないものにならないわ。ハリー、あんたが何かいいことや理想的なことのために戦い、それをなしとげねばならないと思うなら、その方がずっと平凡だわ。いったい理想は到達するためにあるの? あたしたち人間は死をなくすために、いったい生きているの? いいえ、あたしたちは死をおそれ、それからまた愛するように、生きているんで、死があるからこそ、つかのまの人生がしばらくの間、とてもきれいに輝くことがよくあるんだわ。ハリー、あんたは子供ね。さあ、おとなしくいっしょにおいで。あたしたちきょうは、することがたんとあるのよ。あたしはきょうはもう戦争や新聞を気にしないわ。あんたは?」
そうだ、ぼくだってそのつもりだったのだ。
ぼくたちはいっしょに出かけた――町をいっしょに歩くのは初めてだった――楽器店に入って、蓄音機をいろいろみ、ふたをあけたりしめたりし、レコードをかけさせたりした。その中の一台がとても手ごろで、こぎれいで、安いと思ったので、ぼくがそれを買おうとすると、ヘルミーネはあっさりきめたりしなかった。彼女はぼくをひきとめた。ぼくはまたもう一軒別の店へいっしょにいって、そこでもピンからキリまでのあらゆる方式と大きさのものをしらべ、聞いてみねばならなかった。やっとそこで、彼女は最初の店へもどり、そこでみつけた蓄音機を買うことにさんせいした。
「それみなさい」と、ぼくはいった。「これならもっとあっさり買えたじゃないの」
「そお? そんなことしたら、同じのがあしたは別のショーウィンドーに二十フランも安く出ているのが、みつかるかもしれないわ。それに買物はたのしみよ。たのしいことは、充分味わわなくちゃね。あんたはまだ習うことが沢山あるわ」
店員といっしょに、ぼくたちは買物をぼくの住いへはこんだ。
ヘルミーネはぼくの居間をしさいに吟味し、暖炉と寝椅子をほめ、椅子のぐあいをためしてみ、本を手にとり、ぼくの恋人の写真の前に長いこと立っていた。蓄音機はたんすの上の本の山の間におくことにした。さて、ぼくのレッスンが始まった。彼女はフォックストロットをかけ、最初のステップをふんでみせ、ぼくの手をとり、リードし始めた。ぼくはおとなしくついて歩き、椅子にぶつかり、彼女の命令をきいても、何のことかわからず、彼女の足をふみつけた。義務に忠実だったと同じように不器用だった。二度踊ると、彼女は寝椅子に身を投げ出して、子供のように笑った。
「まあ、なんてぎこちないんでしょう! 散歩する時のように、ただ前へ進めばいいのよ。固くなる必要はないわ。もう暑くなったの? じゃ、五分休みましょう。ねえ、ダンスなんか、一度おぼえたら、考えるのと同じくらいかんたんで、習うのはずっとやさしいわ。人びとが考えるのになれようとしないで、むしろハラー氏を国の裏切り者とよび、次の戦争をのほほんと起らせることにあんたはもうそんなにやきもきしないわね」
一時間後に彼女は、この次はきっともっとうまくいくとうけあって、立ち去った。ぼくはそうは思わないで、自分の愚かさと鈍重さにがっかりした。どうもぼくは、この一時間のあいだに、全然何もおぼえなかったようだったし、この次はもっとうまくいくとも、思いはしなかった。いや、ダンスには、ぼくに欠けている快活、無邪気、軽卒、活気のような素質が必要なのだが、そんなことは先刻承知だった。
ところがどうだ、その次には実際もっとうまくいって、そればかりかぼくは面白くなりだした。そしてレッスンの終りにヘルミーネは、フォックストロットならもうできると、いいはった。だが、彼女がそういったあげくに、ぼくがあす彼女といっしょにレストランへ踊りに行かねばならないと、きっぱりいったとき、ぼくはびっくりぎょうてんして、むきになって反対した。冷やかに彼女は、ぼくに従順の誓いを思い出させ、あすバランス・ホテルのお茶にくるように命じた。
その晩ぼくは家にいて、読書しようとしたが、だめだった。ぼくはあすのことが心配だった。ぼくのような年とった、内気な、神経質な変り者が、ジャズ音楽をやるつまらない、モダンな茶房・ダンスホールの一軒へ行くばかりか、まだからっきしだめなのに、赤の他人にまじって踊ってみせようなどとは、思ってみただけでも、おそろしいことだった。白状するが、ぼくはひとりで静かな書斎の中で、蓄音機のねじをまき、レコードをかけ、そっと靴下のままで、例のフォックスのステップを復習したとき、自分を笑い、自分を恥じたものである。
その翌日バランス・ホテルでは小さなバンドが演奏し、お茶とウィスキーのサーヴィスがあった。ぼくはヘルミーネをごまかそうとして、お菓子を彼女にとってやり、よいワインを一本のもうとさそったが、彼女はようしゃしなかった。
「あんたはきょうここに遊びにきたんじゃないわ。ダンスのレッスンよ」
ぼくは二度三度と、彼女と踊らねばならなかったが、その間に彼女はサキソフォン吹奏者を紹介した。スペインか南米系の髪の黒い美青年で、彼女の話では、どんな楽器でもこなし、世界中の言葉が話せた。この紳士《セニョール》はヘルミーネと旧知の仲だったらしい。彼は大きさの違う二本のサキソフォンを前に立てておいて、交互に吹奏しながら、黒く輝く目で踊っている人たちを注意深く、満足そうにじろじろみつめていた。われながらおどろいたことには、ぼくはこのお人よしのハンサムな楽士に嫉妬《しっと》のようなものを感じた。恋の嫉妬ではなかった。ヘルミーネとぼくの間では恋愛などは全く問題にならなかったからである。それはより精神的な友情の嫉妬だった。彼女は彼に興味をもち、特にほめたたえ、尊敬の念さえいだいていたが、彼はそういうものにそう値しないように、ぼくには思えたからだった。ここで奇妙なのと知り合いにならなくちゃいかんわいと、ぼくは不快に思った。
それからヘルミーネは、次々とダンスの相手をたのまれ、ぼくはひとり取り残されてお茶をのみ、音楽をきいていたが、以前ならがまんのならないような代物だった。ああ、神さまと、ぼくは考えた。今こうしてぼくはここに連れこまれて、こんな世界になじまねばならないのか。こんな未知のいやらしい、今まで用心してさけてきて、ひどく軽蔑していた、怠け者や道楽者の世界に、大理石のテーブルやジャズや商売女や商用旅行者の、こんな薄っぺらな紋切り型の世界に、なじまねばならないのか。暗い気持でぼくはお茶をすすり、なかばエレガントな人の群を凝視していた。二人の美しい少女がぼくの目をひいた。二人ともいい踊り手で、二人がしなやかに、きれいに、楽しそうに、しっかりと踊っていくのを、ぼくはおどろいてねたましい気持で見送った。
そこへヘルミーネが現われたが、彼女はぼくに不満だった。ぼくがここに来たのは、こんな顔をして、ぼんやりすわってお茶をのんでいるためではない、ひとふんぱつして踊らねばならないと、彼女はおこごとをいった。なに、誰も知った人がいないの。そんな必要は全然ない。気に入った少女が一人もいないの、というわけだった。
ぼくはちようど近くに立っていた、例の二人の中のきれいな方を、彼女に指さして示した。きれいなビロードの服を着、ゆたかな金髪を短く切っていて、腕はふっくらして女らしく、見るからに魅力的だった。すぐいって、踊りを申しこむようにと、ヘルミーネはいいはった。ぼくはやけになってこばんだ。
「だってできないよ!」と、ぼくはみじめな気持でいった。「そりゃ、ぼくが美青年だったらね! ところが、こんな老人で、ぎこちないまぬけで、ダンスさえできない――彼女に笑われるのがおちだよ!」
ばかにしたようにヘルミーネはぼくをみつめた。
「あたしがあんたを笑うかどうかは、どうでもいいのね。なんて臆病なんでしょう! 女の子に近づこうという男は、だれだって笑われる危険をおかすわ。それは賭《か》けよ。だから、ハリー、賭けるのよ、最悪の場合は笑われたらいいのよ――でなかったら、あんたの従順なんてもう信じないわよ」
彼女はゆずらなかった。気も重くぼくは立ち上がって、そのきれいな少女の方へいったが、その時ちょうど音楽がまた始まった。
「ほんとはあいてないんだけど」と、彼女はいって、大きな生き生きした目で物珍らしそうにぼくをみつめた。「でも、相手があっちのバーにひっかかっているようなの。じゃあ、いらっしゃい!」
ぼくは彼女をだいて、最初のステップをふみ出したものの、彼女にことわられないのをいぶかったが、その時もう彼女はぼくの腕前のほどを知って、リードしだした。彼女はすばらしく踊り、ぼくはりードに身をまかせ、しばらくのあいだダンスの義務と規則をきれいさっぱり忘れてすなおにいっしょに泳ぎまわり、相手のひきしまった腰、すばしっこいしなやかな膝を感じ、その若いまばゆいばかりの顔をのぞきこみ、自分はきょう生れて初めて踊るのだと、彼女に打ち明けた。彼女はにっこりしてぼくをはげまし、言葉でではなく、二人をますます魅惑的に近づけたかすかなうっとりする動きで、ぼくの恍惚たるまなざしとおせじに、いともしなやかに答えた。ぼくは右手を彼女の腰にしっかりあてて、その足や腕や肩の動きに、幸せな気持で熱心に従った。おどろいたことには、一度も彼女の足をふまなかった。そして、音楽が終ると、二人は立ち止って、ダンスがまた始まるまで拍手をし、またも熱心に、せつない思いで、敬虔な気持で、ダンスの儀式をつとめた。
ダンスが終ると、きれいなビロード服の少女はあっけなくひっこみ、ふいにヘルミーネがそばに現われた。ぼくたちのことを見ていたのだった。
「いくらかわかった?」と、彼女はほめるように笑った。「女の足はテーブルの足じゃないってこと、わかった? まあ、すてき! フォックスはもうできるわね、ありがたいわ、あしたはボストンを始めるのよ。三週間したら、地球ホールの仮装舞踏会だわ」
休憩時間だったので、ぼくたちがすわると、サキソフォンの美青年パブロ氏もやってきて、ぼくたちにウィンクし、ヘルミーネのそばにかけた。二人はとても仲良しのようだった。しかし、正直のところ、この男は初めて会った時から、いっこう気に入っていなかった。誰がみても、彼はきれいで、顔かたちもきれいだったが、その他の取柄はなにも見あたらなかった。いろんな言葉を話すので、彼はかえってやすっぽくみえた。つまり、彼は話すことなぞからっきしだめで、どうぞ、ありがとう、はい、たしかに、ハローなどという単語だけでき、こういうのはむろん数ヵ国語でいえた。いや、このパブロ氏《セニョール》は何も話さず、この美男の騎士《カバリエロ》はあまり考えないたちのようだった。職業はジャズバンドのサキソフォン吹きで、好きでけんめいにやっているらしかった。よく演奏中にとつぜん拍手をしたり、爆発的に興奮を示し、たとえば「お、お、お、お、ハ、ハ、ハロー!」というような、高い歌うような言葉を発した。しかし、彼はどうみても、めかしこんで、女たちにもてるように、トップモードのカラーやネクタイをつけたり、指輪を沢山はめたりするためにだけ、この世に生きているようだった。彼の歓談というのは、いっしょにすわって、ほほえみかけ、腕時計をみ、シガレットをひねりまわすことだったが、それは堂にいっていた。彼の黒いきれいなクレオール人(ラテンアメリカの原住民)の目、黒い巻毛は、どんなロマン主義も問題も思想もひめていなかった――近くからよくみると、この美男の異国の半神は、気持のいい態度の、満足した、いくらか甘やかされた若者にすぎなかった。ぼくは彼と、その楽器とジャズ音楽の音色について話した。彼は古い音楽愛好家と音楽通を相手にしているのが、わかったにちがいなかった。しかし、彼は話にのってこなかった。そして、ぼくが彼への礼儀から、いやほんとうはヘルミーネへの礼儀から、ジャズの楽理的弁明のようなことを話してみたが、彼は無邪気にほほえみながら、ぼくの苦心の話をききすごした。恐らく彼は、ジャズの前に、ジャズの他にもいくつかの別の音楽があったのを、全然しらなかったのだろう。彼はいい人だった。いい人で、おとなしかった。大きなうつろな目でかわいらしくほほえんだ。だが、彼とぼくの間には、なにも共通なものはないようだった――彼に大切で神聖なものは何ひとつとして、ぼくにはそうではなかったろう。ぼくたちは地球の反対側からやってきて、言葉もまるで違っていた。(しかし、後でヘルミーネはおかしなことを話した。その話によると、パブロはあの会話のあと、彼女にぼくのことを話し、あの人とは用心してつきあったらいい、彼はひどく不幸だからと、いったのだという。どうしてそんなことを言いだすのかと、彼女がたずねると、彼は「気の毒な、気の毒な人だ。あの目をみてごらん! 笑うことができない」と、いったのだという)
さて、黒目の男が席を立ち、音楽がまた始まると、ヘルミーネは立ちあがった。「ハリー、こんどはまたあたしと踊る、それとももういや?」
あの別の少女と踊ったときほど、すんなりと我を忘れるほどにはいかないまでも、こんどはヘルミーネとも、前よりやさしく、自由に、楽しく踊れた。彼女はぼくにリードさせ、花びらのようにやさしく身軽についてきた。こんどは彼女にもぼくは、近づいたりひらりと遠ざかったりする美しさをあますことなく、みつけ感じることができた。彼女にも女と愛のかおりがあった。彼女の踊りも、性の甘美な誘惑の歌をやさしく熱烈に歌っていた――だが、ぼくはこういうすべてのことに全く自由にほがらかに答えることができず、すっかり我を忘れて没頭できなかった。ヘルミーネはぼくに近すぎ、ぼくの友だち、妹、ぼくの同類だった。ぼく自身ににており、幼な友だちヘルマンににていた。あの空想家、詩人、ぼくの精神修業と放蕩の熱烈な仲間に。
「わかってるわ」と、彼女は、後でそのことをぼくからきくといった。「よくわかってるわ。いつかはあたしにほれさせてやるわ、でもいそがないわ。あたしたちはさしあたり仲間よ、知りあったんで、友だちになりたいと思っているんだわ。さあ、お互に知りあい、いっしょに遊びましょう。あたしあんたにちょっとしたお芝居をみせ、ダンスを教え、すこしばかり満足し、ばかになることを教えてあげるから、あんたはあたしにあんたの考えと学問の一部をみせてよ」
「ああ、ヘルミーネ、みせるものはそうないよ、だって君の方がずっとよけい知ってるんだからね。なんて君は不思議な人だろう、君という人は! 君はぼくをすみずみまでわかっていて、ぼくにまさっている。ぼくはいったい君にとって何だろう? 君にとって退屈じゃないだろうか?」
彼女は目をくもらせてうつむいた。
「そんな話ききたくもないわ。あんたがへとへとになって絶望して、あんたの苦しみと孤独からぬけでて、あたしの行く手をさえぎり、あたしの仲間になった、あの晩のことを思い出しなさい! いったいどうして、あたしがあの時のあんたを認め、理解できたと、あんたは思うの?」
「ヘルミーネ、なぜかって? いってきかせて!」
「あたしあんたと同じだからよ。まるであんたみたいに孤独で、人生も人間も自分自身も愛せず、まじめにとれないからよ。人生から最高のものを求め、その愚かさと野蛮さに満足できない人だって、いつもいくらかはいるものよ」
「ねえ、君!」と、ぼくはひどくびっくりして叫んだ。「ぼくは君を理解している、仲間よ、誰にもまけずにね。それでも、君はぼくにとって謎《なぞ》だ。実に、君は遊び半分に人生をかたづけ、つまらないものや楽しみをひどく大事にしている。そういう点で、君は人生の芸術家だ。どうして君は人生に悩むのかね? どうして絶望するのかね?」
「ハリー、あたし絶望したりしないわ。でも、人生に悩む――そうよ、この経験はあるわ。あたしは踊れたり、人生のうわっつらがよくわかったりするので、不幸なのだと、不思議がってるのね。そして、ねえあんた、あんたは最もきれいな深いもの、つまり、精神や芸術や思想に通じているから、人生に失望してるのを、あたしは不思議がってるのよ。だから、あたしたちはお互に心をひかれ、兄妹になったのよ。あたしはあんたに踊り、遊び、ほほえむけど、満足しないことを教えるわ。そして、考え、知るけど、満足しないことを、あんたから学ぶわ。ところで、あたしたち二人は悪魔の子供なのかしら?」
「そう、そうだね。悪魔は精神で、ぼくたちはその不幸な子供たちだよ。ぼくたちは自然からおっこって、宙にぶらさがっているんだ。ところで、今思いついたのだが、前に話したことのある荒野の狼論の中に、ハリーが一つあるいは二つの魂をもち、一つあるいは二つの人格から成り立っていると思うのは、彼の妄想にすぎないので、すべての人間は十、百、千の魂から成り立っていると、書いてあるのだよ」
「とても気に入ったわ」と、ヘルミーネは叫んだ。「たとえば、あんたの場合は、精神の面がとてもよくできてるのに、いろんな小さい処世術にかけては、とてもおくれてるわ。思想家ハリーは百歳だけど、踊り手ハリーはやっと半日の赤ん坊になるかならないかよ。それをあたしたちはこれからみちびいてあげるのよ。同じくらい小さくて、ばかで、かたわな、その小さい兄弟たちもみんないっしょにね」
ほほえみながら彼女はぼくをみつめ、声を変えてそっとたずねた。
「マリーアは気に入った?」
「マリーアだって? 誰のこと?」
「あんたといっしょに踊ったひとよ。きれいな娘よ、とてもきれいよ。どうもあんた、あの娘にいくらかほれたわね」
「あの娘《こ》をしってるの?」
「そりゃあね、仲良しよ。あの娘にうんとおぼし召しがある?」
「とても気に入ったよ。あんなに寛大にダンスの相手をしてくれたんで、よろこんでるんだ」
「まあ、それだけなの。ハリー、あの娘のごきげんを少しとらなくちゃ。とてもきれいで、ダンスもうまいし、それに、あんたもうほれこんでるんでしょう。うまくいくと思うわ」
「ああ、そんな野心はないよ」
「今すこしうそをついたわね。あたし知ってるけど、どっかに恋人がいて、半年ごとに会って、けんかをするんでしょう。その変な女友だちに操《みさお》をたてるなんて、そりゃけっこうよ。少しくらいふまじめに考えたって、許してよ! どうもあんたは、愛ってことをきまじめに考えすぎてるようよ。そうしたらいいわ。これはと思うやり方でそうしたらいいわ。それはあんたのすることで、あたしは心配しないわ。あたしが心配しなくちゃいけないのは、あんたが処世の細かい術や遊びをいくらかよく学ぶことよ。この点では、あたしあんたの先生で、あんたの理想の恋人よりいい先生になるわ。まかせてよ! いつかまたきれいな娘といっしょに、ぜひねなくちゃいけないのよ、荒野の狼さん」
「ヘルミーネ」と、ぼくは苦しくなって叫んだ。「まあ、見たまえ、ぼくは年よりなんだよ!」
「あんたは子供だわ。怠け者なんで、手おくれになるまで、ダンスを習わなかったように、怠け者だったんで、愛することを習わなかったのね。理想的に悲劇的に愛することは、ねえ、あんたはきっと立派にできるわ。あたし信じて疑わないし、それをほんとにえらいと思うわ! こんどはいくらか平凡に人間くさく愛することも、習うのよ。もう始めたんだから、きっとすぐ舞踏会へ出られるわ。そこで、ボストンをまず最初に習わなくちゃいけないわ。あした始めましょう。三時にいくわ。ところで、ここの音楽は気に入って?」
「すばらしい」
「ねえ、それだって進歩よ。勉強になったのよ。今まであんたは、こんなダンス曲やジャズにがまんがならなかった。そんなのはあんたにとっては、あんまりふまじめで浅薄だったけど、今じゃあんたは、そんな音楽をまじめに考えすぎることもないし、そんな音楽だってきれいで魅力があることが、わかったのね。とにかく、パブロがいないと、バンド全体がだめだわ。あの人がリードし、ひきたてているのよ」
蓄音機がぼくの書斎の禁欲的で精神的な空気をそこねたように、アメリカのダンス曲が異様にじゃまするように、いや、破壊的に、ぼくの洗練された音楽の世界へ侵入したように、四方八方から新しいもの、恐れていたもの、分解するものが、ぼくの鋭く区切った厳しく閉ざされた生活の中へ侵入した。荒野の狼論とヘルミーネの考えは、千の魂をもつという点で正しかった。毎日あらゆる古い魂にならんで、いくつかの新しい魂もぼくの胸に現われ、いろいろ要求し、騒動をおこした。そして、ぼくは今はっきりと、自分のこれまでの人格についての錯覚を、絵のように目前にみた。ぼくはたまたま優れていた二、三の能力や訓練をただ認めて、ハリーという男の像をえがき、ハリーという男の生活をしてきたが、この男はもともと文学、音楽、哲学の見事に訓練された専門家にすぎなかった――ぼくの人格の残りの部分全体を、能力や衝動や努力の他の混沌全体を、ぼくはわずらわしく思い、荒野の狼と名づけたのだった。
しかし、ぼくの錯覚の訂正、ぼくの人格の解体は、決して単に気持のいい面白い冒険ではなかった。反対に、しばしばひどく苦痛であり、しばしばほとんど耐えがたかった。すべてのものが全く別の調子をもっているこの環境のまん中では、蓄音機はほんとに悪魔のようにひびくことがよくあった。そしてたびたび、どこかのモダンなレストランであらゆるエレガントな道楽者や詐欺師にまじって、ワンステップを踊っていると、かつてぼくの生活で尊敬に値し、神聖だったものを、ぼくは全部裏切っているように思われた。ヘルミーネがぼくを一週間だけでもほっておいてくれたら、ぼくはこんなしんどいおかしい道楽者の試みから、すぐ逃げだしたことだろう。だが、ヘルミーネはいつもそばにいた。毎日会ったわけではないが、ぼくはいつも彼女にみられ、導かれ、見張られ、鑑定《かんてい》されていた――怒って反抗したり逃げたりしたいという考えも、彼女はぼくの顔から全部よみとって、にこにこしていた。
前に自分の人格と呼んでいたものが次第に破壊されるにつれ、ぼくは、なぜ絶望の極に達しながらも死をひどく恐れねばならなかったのかも、理解し始めた。この身の毛のよだつ恥ずべき死の恐怖も、自分の古い市民的な偽りの存在の一片だということを、認め始めた。この従来のハラー氏、才能のある著述家、モーツァルトとゲーテの専門家、芸術の形而上学《けいじじょうがく》、天才と悲劇性、人間性に関する、一読に値する考察の著者、本のつまった庵室のゆううつな隠者は、直ちに自己批判にさらされたが、あらゆる点で批判にたえなかった。この才能ゆたかな興味のあるハラー氏は、確かに理性と人間性を説き、野蛮な戦争に抗議しはしたが、その思想の結論からみて当然そういうことになりそうなものだが、戦時中銃殺されもせず、いくらか便乗した。それは非常に端正な、むろん高貴な便乗だったが、なんといっても妥協だった。さらに彼は権力と搾取《さくしゅ》の敵だったが、銀行に工業会社の有価証券をたくさんあずけていて、その利息をまるで平気で使っていた。万事がそんなぐあいだった。ハリー・ハラーは確かに理想主義者と世界軽蔑者、うれい顔の隠者と怒れる予言者に、みごとに変装してはいるが、結局はブルジョアであり、ヘルミーネの生活のようなものを非難すべきものと思い、レストランで費した時間、そこで浪費した金銭に腹をたてた。自己の解放や完成はいっこうあこがれずに、反対に、その精神の遊びが彼をたのしませ、彼に名声をもたらした安易な時代に帰りたい、と熱烈にあこがれた。全く同じように、彼の軽蔑しあざける新聞の読者も、戦前の理想的な時代に帰りたいとあこがれている。苦しい目にあって学ぶよりは、その方が楽だからだ。ちぇっ、なんていやな奴だ、胸がむかつく、このハラーという奴は! だのに、ぼくはこの男にしがみついていた。つまり、彼のもうはげかかっている仮面、精神的なものへの媚態《びたい》、でたらめで偶然なこと(死もその一つだが)への彼の市民的恐怖にしがみついていた。そして、新しく生れようとしているハリーを、ダンスホールのどこか内気なこっけいなディレッタントを、昔のいつわりの理想的なハリー像と、あざけりねたみながら比較した。ところが彼は、あの教授の家のゲーテの銅版画にみつけて、心をひどくかき乱された、あの不快な特徴をあますことなく、このハリー像に見出した。彼自身、老ハリーは、まさに市民的に理想化されたゲーテのような人物だった。この精神の偉人はけだかい目をし、チックをつけたように崇高と精神と人間性に輝き、自分の魂の高貴さに感動して落涙せんばかりなのである。ちくしょうめ、このやさしい像は今やむろん穴だらけで、この理想的なハリー・ハラーは哀れにも破壊された。おいはぎにはぎとられ、ずたずたになったズボンだけのお偉方のていたらくだ。こやつは、こんどはおいはぎにやられた者の役割を身につければ利口なのに、まだ勲章でもぶらさがっているように、ぼろを身にまとい、なくした威厳をあわれにも要求していた。
なんどもぼくは楽士パブロに会ったが、ヘルミーネが彼をひどく好いていて、熱心に交際を求めていたので、ぼくの彼への評価も改められねばならなかった。ぼくはパブロの姿を、美しいゼロ、くだらないいくらかうぬぼれた美男、安物のラッパがすきで、お世辞やチョコレートでどうにもなる、みちたりたたあいのない子供として、記憶にとどめていた。しかし、パブロはぼくの評価など問題にもせず、そんなものはぼくの楽理と同じように、彼にはどうでもいいことだった。ていねいにあいそよく彼はぼくの話に耳をかたむけ、いつもにこにこしていたが、決してほんとの返事はしなかった。それにしては、ぼくは彼の興味をひいたらしく、ぼくの気に入り、ぼくに好意を示そうと、彼は明らかにつとめていた。ある時こんなたあいのない話をしていて、ぼくがかっとなって、荒々しい能度を示すと、彼はおどろいてぼくの顔をのぞきこみ、ぼくの左手を取ってさすり、金めっきした小箱から何か取り出して、これをかいだら気分がよくなるだろうと、ぼくにすすめた。ぼくはヘルミーネに目でたずねると、彼女はうなずいたので、ぼくはそれを取ってかいだ。実際ぼくはすぐすがすがしくなり、元気になった。多分コカインが粉末の中に入っていたのだろう。ヘルミーネの話では、パブロは秘密のルートで入手したこんな薬を沢山もっていて、時に友だちにすすめたが、その調合にかけては名人だった。その種類は鎮痛剤、睡眠剤、美夢剤、歓喜剤、惚《ほれ》薬などだった。
ある時ぼくは波止場付近の通りで彼に会った。彼はすぐ道づれになった。こんどはやっと彼に話させることに成功した。
「パブロさん」と、黒い銀づくりの細身のステッキをもてあそんでいた彼に、ぼくはいった。「あなたはヘルミーネの友人ですね。それでぼくはあなたに興味があるのです。でも、正直いって、どうもあなたとは話しづらいです。あなたと音楽の話をしようと、なんどもしてみたのですが――あなたの意見、反論、批判をききたかったのですがね。でも、あなたは一言でも答えるのをいさぎよしとしなかったのですね」
彼は心をこめてぼくに笑いかけ、こんどは返事をおこたらず、落ち着いていった。「ねえ、ぼくの考えでは、音楽の話をすることは、全く何の値打ちもないんです。ぼくは決して音楽の話なんかしません。あなたのとてもかしこい正しいお言葉に、どう答えたらよかったでしょう。何でもあなたのおっしゃる通りでしたからね。でもねえ、ぼくは楽士で、学者じゃないんです。音楽では、理屈が正しいことはなんの価値もないと思います。実際、音楽で問題になるのは、理屈が正しいとか、趣味や教養やこういうすべてのものをもつこととかではないのです」
「なるほど。じゃいったい何が問題なんですか?」
「ハラーさん、音楽をすること、できるだけよく、たくさん、熱心に音楽をすることですよ! このことですよ、|あなた《ムシュー》。ぼくがバッハとハイドンの全曲を頭にいれて、それについてとてもすばらしいことがいえても、誰のためにもなりません。でも、サキソフォンをとって、陽気なダンス曲レミーを吹けば、曲のよしあしは別として、とにかく人びとをよろこばせます。足をおどらせ、血をわき立たせます。それだけが問題です。ダンスホールでかなり、長い休憩のあとでまた音楽が始まった瞬間の、人びとの顔を一度ごらんなさいよ――なんと目は輝き、足はおどり、顔は笑いだすことでしょう! これが音楽をするわけですよ」
「結構です、パブロさん。でも、感覚的な音楽ばかりでなく、精神的な音楽もあります。現に演奏されている音楽ばかりでなく、今演奏されはしないが、生きつづける不減の音楽もありますよ。誰かがベッドに横になって、頭の中で魔笛かマタイ受難曲のメロディーを呼び起こすこともできます。すると、誰ひとりフリュートを吹き、ヴァイオリンをひくわけでもないのに、音楽が始まるんですよ」
「ハラーさん、そうです。ヤーニングやバレンシアだって毎晩たくさんの孤独な夢想的な人びとによって、音も無く演奏されています。オフィスの哀れなタイピストだって、最近のワンステップをおぼえていて、その拍子でタイプを打ちます。こんな孤独な人たちみんなが、そうするのももっともです。ヤーニングだろうと、魔笛だろうと、バレンシアだろうと、彼らに無音の音楽を認めます。でも、この人たちはいったいどこから無音の音楽をかりてくるのでしょう? ぼくら楽士からかりていくんです。誰かが家の自分の部屋でその音楽を思い出し、夢見る前に、その音楽はまず演奏され、聞かれ、血の中へ入らねばなりません」
「わかりました」と、ぼくは冷静にいった。「しかし、モーツァルトと最近のフォックストロットを、同列におくことはできません。あなたが人びとに神々しい永遠の音楽を演奏するか、安っぽいその日限りの音楽を演奏するかは、同じことではないんです」
パブロはぼくの声に興奮を察すると、すぐやさしい笑顔をし、ぼくの腕を愛撫するようにさすり、話し声を信じがたいほどやさしくした。
「ああ、そうですね、同列におけないというのは、おっしゃるとおりです。あなたがモーツァルトやハイドンやバレンシアを同列におかれないのには、ぼくはいっこう反対しません。ぼくには全くどうでもいいことです。優劣をきめる必要もなければ、そんなことを聞かれもしないでしょう。モーツァルトは百年たっても演奏されるかもしれず、バレンシアは二年たったらもう演奏されないかもしれません――それは安心して神様におまかせしたらいいでしょう。神様は公平で、ぼくたちみんなの寿命をみ手ににぎっておられるが、ワルツやフォックストロットの寿命もにぎっておられ、きっと公平になさるでしょう。でも、ぼくたち楽士は、ぼくらは自分の義務を、義務と使命をはたさねばなりません。現に人びとの望むものを演奏し、できるだけ上手に、きれいに、切実に演奏せねばなりません」
溜息をついてぼくは話をやめた。この男は手におえなかった。
新と旧、苦痛と快楽、恐れと喜びが、全く奇妙に入り乱れている瞬間が、しばしばあった。ぼくは天国にいるかと思うと、地獄にいたが、たいていは同時に両方にいた。古いハリーと新しいハリーは激しく戦ったかと思うと、お互に仲よく暮した。古いハリーはよく完全に死んでしまい、葬られているように思われたが、突然また立ち上がり、命令し、虐待し、なんでも前よりよく知っていた。そして、新しい小さい若いハリーは赤面し、口をつぐみ、壁におしつけられていた。別の時は、若いハリーが古いハリーの喉をつかんで、ぐいぐいしめあげ、うめき声や断末魔の苦しみがしきりに起こり、かみそりがしきりに思い出された。
しかし、苦しみと幸福が頭上でぶつかりあって一つの波となることがよくあった。ぼくは初めて人前でダンスをした数日後の晩、自分の寝室に入ると、きれいなマリーアがぼくのベッドにねているのをみつけて、名状しがたいほどおどろき、いぶかり、びっくりし、うっとりとしたが、これもそんな瞬間だった。
ヘルミーネがそれまでぼくに与えた数々の不意打ちの中で、これが一番ひどいものだった。ぼくにこの極楽鳥を送ったのが、彼女だったのを、ぼくは一瞬もうたがわなかったからである。その晩は珍らしくヘルミーネと会わないで、司教座聖堂で古い教会音楽のいい演奏をきいたのだった――それはぼくの昔の生活への、青春の野辺への、理想的ハリーの領域への、すばらしい、憂鬱なピクニックだった。きれいな網状丸天井がわずかの燈明のゆれる火影に神秘的にゆらゆら揺れている、高いゴシック式の聖堂のなかで、ブクステフーデ(十七世紀の北ドイツのオルガニスト・作曲家)、パヒェルベル(十七世紀の南ドイツのオルガニスト・作曲家)、バッハ、ハイドンの曲をきき、なつかしい昔の道をあゆみ、バッハの女性歌手のすばらしい声をまたきいたが、彼女は昔したしくしていた人で、そのすばらしい歌をなんどもきいたものだった。古い音楽の声、その無限の威厳と聖性は、ぼくの青春のあらゆる高揚、歓喜、感激を呼びさました。うら悲しい気持で音楽に聞きほれ、聖堂の高い合唱席にすわって、しばしの間、かつてぼくの故郷だったこの気高い神聖な世界の客となった。ハイドンの二重唱をきいていると、ふと涙ぐんだ。演奏会の終りをまたず、女性歌手との再会をあきらめた(ああ、昔はこんな演奏会の後で芸術家たちと、なんと多くの輝かしい夕べをすごしたことだろう!)ぼくは聖堂をそっとぬけだし、夜の小路を歩きまわってつかれはてたが、あちこちのレストランの窓の後ろでは、ジャズバンドがぼくの今の生活のメロディーを演奏していた。ああ、ぼくの生活はなんと悲しいさすらいとなったのだろう。
ぼくは夜道をさすらいながら、音楽との不思議な関係についても長いこと考え、またしても、音楽へのこの感動的で宿命的関係が、ドイツ的知性全体の運命であるのを認めた。ドイツ精神では、母権、自然との結合が、他の国民が知らないような音楽の指導権《ヘゲモニー》という形で支配している。ぼくたち精神的人間はだれも、男らしくそれに抵抗し、精神やロゴスや言葉に従い、耳をかすかわりに、いい表わしがたいものをいい、形成しがたいものを表現する、言葉のない言語を、夢見るものである。楽器をできるだけ忠実に正直に演奏するかわりに、精神的ドイツ人は、いつも言葉と理性に反対し、音楽に色目をつかった。ドイツ精神は音楽、すばらしい至福の音の形成物、現実化をしいられないすばらしいやさしい感情と気分におぼれ、その実際的な使命を大半忘れている。ぼくたち精神的人間はみな現実の中に住まず、それをうとんじ、敵意をもった。だから、ぼくらのドイツの現実、歴史、政治、世論においても、精神の役割はひどくみじめなものだった。さて実際に、ぼくはこの考えを熟考してみることがよくあった。そして、いつも美学や精神の工芸をひねりまわすかわりに、いっしょに現実を形成したり、まじめに責任をもって活動したりしたいと、心からあこがれることがよくあった。ところが、あこがれや、宿命への忍従に終るのがつねだった。将軍や重工業家たちの言うのは全く正しかった。ぼくたち「精神的人間」なぞなんでもない。ぼくたちはよけいな、現実にうとい、無責任な、才気ゆたかなおしゃべりの集合にすぎないというのだ。ちぇっ、ちくしょうめ、かみそりだ!
こんなふうに物思いと音楽の余韻にみたされ、生活、現実、意味、失ってとりかえしのつかないものへの絶望的なあこがれと悲哀に、胸をふさがれ、ぼくはやっと帰宅し、階段をのぼり、居間の明りをつけ、すこし読書しようとしたがだめで、明晩セシル・バーのウィスキーとダンスに行くという、のっぴきならぬ約束を思い出し、自分自身にばかりでなく、ヘルミーネにも、にがにがしい腹立たしさを感じた。彼女が善意で親切でそうしたにせよ、すばらしい人だったにせよ――彼女はぼくをこんな乱れた、なじみのない、虚飾の享楽界へひきずりこむよりは、あのとき破滅させてくれた方がよかったろうに。こんな世界では、ぼくはいつまでも異邦人であり、ぼくの心の最良の部分もすたれ、苦しむのだから。
そんなふうにぼくは悲しい気持で明りをけし、悲しい気持で寝室へ行き、悲しい気持で服をぬぎだしたとき、なれないかおりにびっくりした。かすかな香水の香《かおり》だ。見まわすと、ぼくのベッドにあのきれいなマリーアが、ほほえみながら、いくらかおどおどして、つぶらな青い目をしてねていたのだ。
「マリーア!」と、ぼくはいった。その時まず頭にうかんだのは、この家の女主人は、こんなことを知ったら、出ていってくれというだろう、ということだった。
「きちゃったわ」と、彼女はそっといった。「おこってる?」
「いや別に。ヘルミーネが鍵をわたしたんでしょうね」
「おお、それに腹を立ててらっしゃるのね。あたし帰るわ」
「いや、マリーア、いなさい! でもぼくはちようど今晩はひどく悲しいんです、きょうは楽しくなれないんだ。あしたはまた楽しくなれると思うけど」
ぼくがちょっとかがむと、彼女は大きいがっちりした両手でぼくの頭をつかんで、ひきよせ、長いことキスした。それから、ぼくは彼女のそばのベッドにこしかけ、彼女の手を取り、人にきかれないように、そっと話すようにたのんだ。そして、大輪の花のように枕の上に異様に不思議によこたわっていた、彼女のきれいな、ふくよかな顔を見おろした。ゆっくり彼女はぼくの手を自分の口へもっていき、布団《ふとん》の下へひきこみ、自分の暖かい、静かに息づいている胸の上においた。
「楽しくなる必要ないわ」と、彼女はいった。「ヘルミーネがいってたけど、あんたには苦しみがあるのね。誰にだってわかるわ。ねえ、あたしがまだ気に入ってて? このあいだダンスの時あたしに首ったけだったけど」
ぼくは彼女の目、口、首、胸にキスした。ついさっきまでは、ぼくはにがにがしい気持で、非難がましくヘルミーネのことを考えていた。こんどは、彼女のプレゼントを両手にだいて、感謝した。マリーアの愛撫は、その日きいたすばらしい音楽を傷つけず、それにふさわしく、その完成だった。ゆっくりとぼくはその美女から布団をはぎ、足の爪先までキスしていった。そばに横になると、彼女の花のような顔は心得がおにやさしくぼくにほほえみかけた。
その夜マリーアのそばで、長くではないが、子供のように、ぼくはぐっすり眠った。そして、めざめては彼女の美しい朗かな青春を飲み、低声でおしゃべりしては、彼女とヘルミーネの生活について、聞く値打ちのありそうなことをたくさんきいた。ぼくはこの種の人の生活はほとんど知らなかった。ただ劇場で、前には時おりにたような男女に会ったことがあるが、なかばは芸術家、なかばは道楽者だった。その時はじめて、ぼくはこの不思議な、珍らしく無邪気な、珍らしく堕落した生活をわずかばかりのぞきこんだ。こういう商売女たちはたいてい生れつき貧しく、利口で美しすぎるので、お金にならない面白くもない一つの生計の道に全生涯をかけることができず、みんな臨時の仕事で生活し、こびをひさいで生きていた。彼女たちは時には数ヵ月タイピストになり、時には金持ちの道楽者の愛人になってしばらく毛皮をき、自動車をもち、グランドホテルに泊っているかと思うと、別の時には屋根裏部屋に住み、事情によっては沢山お金を積まれれば、結婚も辞さなかったものの、大体は決して結婚したいとは思っていなかった。たいていは恋愛をしても、情欲をもたず、できるだけ高い値段でいやいやこびを売っているにすぎなかった。他の女たちは、マリーアもその一人だが、異常な恋愛の才能をもち、恋愛を必要とした。たいていの者は、同性や異性との恋愛を経験していた。彼女たちは恋のためにだけ生き、表向きの、金を払う友だちの他にも、別の恋愛関係のあだ花をさかせていた。せっせといそがしそうに苦労しながら気軽に、利口にだが無考えに、こういう|夜の蝶《ちょうちょう》は無邪気な洗練された生活をしていた。誰にもたよらず、誰にも身を売るわけではなく、運と天気のまにまに、生きることに執着しながら、市民よりはずっと執着せずに、いつもおとぎ話の王子様についてお城へ行くつもりだが、いつも悲痛な最後をなかばはっきりと意識しているのだった。
マリーアはぼくにあの不思議な初夜とそれからの数日の間に――いろいろ教えてくれた。官能のやさしい新しい遊びと歓びばかりでなく、新しい理解、新しい洞察、新しい愛も教えてくれた。ダンスホールや娯楽場、映画館、バー、ホテルの喫茶店などの世界は、隠者で美術愛好家のぼくにとっては、あいかわらず値打ちのないもの、禁じられたもの、品位を落すものだったが、マリーアやヘルミーネやその仲間にとっては、世界そのもので、良くも悪くもなく、このもしいものでも憎むべきものでもなく、この世界にこそ彼女たちのあこがれのあだ花が咲き、この世界にこそ、彼女たちは住み、経験をつんでいた。ぼくたちのような者が作曲家か詩人を愛するように、彼女たちはグリルのシャンパンか特別料理を愛していた。ぼくたちのような者がニーチェかハムスン(「餓え」をかいたノルウェーのノーベル賞作家)におしみなくそそぐのと同じ興奮、感動、感激を、彼女たちは新しいダンス曲かジャズシンガーのセンチメンタルな脂ぎった歌に、おしみなくそそぐのである。マリーアはあの美男のサキソフォン吹きパブロの話をし、彼が時々うたってくれたアメリカの歌《ソング》のことを話した。その時示した感動、驚嘆、愛情は、高い教養のある人が入念な高尚な芸術鑑賞に示す陶酔より、はるかにぼくの心を打ち、感動させた。どんなソングだって、ぼくはいっしょに夢中になろうとした。マリーアのあいらしい言葉、そのあこがれに咲く花のような美しいまなざしは、ぼくの美学に大きなさけめを与えた。なるほどぼくにとっては、モーツァルトを始めとして、なんの問題も疑いもなく崇高に思われる、いくらかのよりぬきの美はある。だが、その眼界はどこにあったろう。ぼくたち専門家や批評家はみんな若い頃、今ではぼくたちに疑わしく宿命的に思われる芸術作品や美術家を、熱烈に愛さなかったろうか、リストやワグナーについても、ぼくたちにとってそうではなかったか。それどころか、ベートーヴェンについても、多くの人びとにとってそうではなかったか。アメリカのソングについてのマリーアの花やかな子供らしい感動も、トリスタンについてのどこかの高校教員の感動か、第九シンフォニーにおける指揮者の陶酔と同じように、純粋な美しい、あらゆる疑いを超越した崇高な芸術体験ではなかったか。これは不思議にもパブロ氏の意見に一致し、彼の考えを正しいとはしなかったか。
この美男子パブロを、マリーアも非常に愛しているように思われた。
「彼は美男子だ」と、ぼくはいった。「ぼくにもとても気に入っている。でも、ねえマリーア、どうして君はぼくもいっしよに愛せるの? こんな退屈な老人で、美男子でもなく、もう白毛まじりで、サキソフォンも吹けなければ、英語の恋の歌もうたえないのに」
「そんないやらしい言い方しないでよ!」と、彼女は非難した。「ごくあたりまえよ。あんたも気に入ってるわ。あんたにもどこかきれいなところ、愛らしいところ、特別のところがあるわ。今のままのあんたでいいのよ。こんなことは口に出していうべきじゃないし、弁解を求めるべきでもないわ。ね、あたしの首か耳にキスしてくれたら、あんたにすかれてるし、あんたの気に入ってると、感じるわ。あんたがあるやりかたで、ちょっとおずおずとあたしにキスするでしょう。するとそれはあたしに、あんたはあたしをすいていて、あたしがきれいなのを、あんたはあたしに感謝していることを、あたしにいうことになるの。そういうのがあたしすきなの、とてもすきなのよ。それからまた、別の男の人だと正反対のことがすきなの。あたしなんか問題じゃないってふうをして、まるでお情けみたいにあたしにキスしてくれるのがね」
またぼくたちは眠りこんだ。ぼくはまた目をさましたが、彼女を、ぼくのきれいなきれいな花を、しっかりだきしめたままだった。
そして、不思議なことに――だが変ることなくこのきれいな花は、ヘルミーネがぼくにくれたプレゼントだった。いつもヘルミーネが彼女の後ろに立っていて、仮面をつけたように彼女につつまれていた。そして、その間にふとぼくはエーリカを、遠くにいる意地悪の恋人、気の毒な女友だちを思い出した。彼女はマリーアにおとらずきれいだった。でも、マリーアほど花やかでのびやかではなく、こまやかなみごとな愛の技巧では劣っていた。エーリカははっきりと痛々しく、愛され、深く、ぼくの運命に織りこまれた像として、しばらくの間ぼくの前に立っていたが、また眠りの中へ、忘却の中へ、半ばおしまれる彼方へと沈んでいった。
そして、このようにぼくの生活のさまざまの姿がこの美しい愛情こまやかな夜に、長いことむなしく、哀れに、回想する姿もなく生きてきたぼくの前に、立ち現われたのだった。今や|愛の神《エロス》に不思議にも開かれ、もろもろの像の泉が深くゆたかにほとばしり出た。なんとぼくの人生の画廊がゆたかであるか、なんと哀れな荒野の狼の魂が気高い永遠の星と星座にみちているかを思って、しばしぼくの心臓は歓喜と悲哀のあまり止ってしまった。幼年時代と母親が、無限の彼方に青くかすむ山脈のように、やさしく光明にみちて、こちらを眺めていた。ヘルミーネの魂の友である、伝説的なヘルマンに始まって、ぼくの友情のコーラスが、しっかりと朗々とひびいた。かぐわしく、この世のものとも思えず、水中からしっとりと咲き出る藻《も》の花のように、数々の女人像がただよってきた。ぼくが愛し、求め、歌った女性たちだが、手に入れ、自分のものにしようと思ったのは、ごくわずかだった。長年いっしょに暮した妻も現われた。彼女はぼくに友情、争い、あきらめを教えてくれた。生活はいろいろ苦しかったが、深い信頼の念がぼくの心にいきいきと残っていた。ところが、ある日のこと彼女は気が狂い、病気になって、ふいに逃げ出し、激しく反抗してぼくを捨てた――そしてぼくは、どんなに彼女を愛していて、どんなに深く彼女を信頼していたにちがいなかったかを悟り、それで、彼女はこのぼくの信頼を裏切ったことで、ぼくに一生残るほどの重大な打撃を与えたのを、悟ったのだった。
これらの像は――その数は数百で、名のあるものも無いものもあったが――みんなまた現われ、この恋の夜の泉から若々しく新しく湧きでてきた。そして、ぼくはみじめな生活で長いこと忘れていたものを、再び知った。つまり、この像がぼくの生活の財産と価値であり、忘れたがなくすことのできない、こわれずにいる、星となった体験であり、その一連の体験はぼくの一生の伝説であり、その星のような輝きはぼくの存在の破壊できない価値だったことを、ぼくは再び知ったのである。ぼくの生活はつらく、迷いにみち、不幸だった。あきらめと否定に通じていた。あらゆる人間の運命の塩によってにがくされていたがゆたかだった。ほこらかで、ゆたかであり、みじめながらも王者の生活だった。破滅へのわずかの道がどんなに全くみじめにたどられようと、この生活の核心《ケルン》は高貴なものだった。それはまともな顔と血統をもっていて、はした金を求めず、星を求めた。
あれからもうまたしばらくたち、多くのことが起こり、変化した。あの夜のこまごましたことは、もうわずかしか思い出せない。二人の間のきれぎれの言葉とか、深くやさしい愛の細かな身ぶりやしぐさとか、愛の陶酔の重い眠りから目ざめた星明りの瞬間とかが、わずかに思い出せた。だが、あの夜こそ、ぼくの転落の時以来はじめてまたぼく自身の生活がかしゃくなく輝く目でぼくをみつめた夜であり、ぼくが偶然をまた運命と、ぼくの存在の廃墟をまた神々しい断片と、認めた夜だった。ぼくの魂はまた息づき、ぼくの目はまた見るようになった。みずからもろもろの像の世界へ入り、不滅になるには、散乱した像の世界をかき集め、自分のハリー・ハラーの荒野の狼の生活を全体として像にまで高めさえすればいいことを、ぼくはつかのま熱烈に予感した。いったいこれこそ、あらゆる人間生活がめざし求めようとする、目標ではなかったろうか。
その翌朝、二人で朝食をとったあと、ぼくはマリーアをそっと連れ出さねばならなかったが、うまくいった。その日のうちにぼくは彼女とぼくのために近くの町に、ぼくたちのあいびきのためにだけ使う小部屋を借りた。
ぼくのダンスの先生ヘルミーネはきちんと現われ、ぼくはボストンを習わねばならなかった。彼女はきびしく、ようしゃせず、レッスンを怠けさせなかった。いっしょに次の仮装舞踏会へいくはずになっていたからだった。彼女は衣裳の代を出してほしいとはたのんだが、衣裳の説明はいっさいこばんだ。彼女を訪問することも住所を知ることも、ぼくはあいかわらず禁じられていた。
仮装舞踏会の前の三週間ほどの期間は、ことのほか楽しかった。マリーアは、これまでの恋人の中で最初のほんとの恋人のように思われた。いつもぼくは愛した女性から、精神と教養を求め、どんな聡明なかなり教養のある女性でも決してぼくの中のロゴスに答えず、さからっているのに、一度も全く気づかなかった。ぼくは自分の問題と思想を彼女たちの所へ持っていった。本の一冊もほとんどよまず、読書の何であるかもほとんどわきまえず、チャイコフスキーとベートーヴェンも区別できないような少女なら、一時間以上も愛することは、全くできないように思われただろう。マリーアは教養がなく、こんな回り道や代用の世界は必要でなく、その問題はすべて感覚から生れていた。彼女に与えられた感覚で、その特別の姿、色、髪、声、皮膚、気性で、できるだけ多くの官能と愛の幸福をかちとり、彼女のあらゆる能力、あらゆる体の線の屈折、肉体のあらゆるやさしい姿態の代償として、恋人に答え、理解、いきいきとした甘美な反撃を見出し、さそい出すこと、これが彼女の技巧と使命《つとめ》だった。初めておずおず彼女と踊ったときもう、ぼくはこのことを感じ、うっとりとするほどよく洗練され官能の香をかぎ、彼女に魅せられていた。なんでもお見とおしのヘルミーネが、このマリーアをぼくの所によこしたのは、確かに偶然ではなかった。彼女の香とすべての特徴は夏めいて、ばらのようだった。
ぼくは不幸にもマリーアの唯一の愛人、あるいは特別の愛人にはなれなかった。何人かの愛人の一人だった。よく彼女はぼくにさく時間がなかった。午後一時間ということもあった。一晩中ということはまれだった。彼女はぼくからお金を受け取ろうとしなかった。どうもヘルミーネの差金《さしがね》らしかった。しかし、プレゼントはよろこんで、受けた。赤いラックぬりの革製の流行の小さな財布などをプレゼントする時は、金貨を数枚いれておくのはさしつかえなかった。とにかく、赤い小さな財布では彼女にさんざん笑われた。うっとりするような品だったが、たなざらし品で、流行おくれもいい所だった。それまではエスキモーの言葉ほども知らず、わかっていなかったこんな品物で、ぼくはマリーアからいろんなことを学んだ。ぼくが特に学んだのは、こんな小さいおもちゃ、流行品、ぜいたく品は、ただくだらないいかものや欲深い工場主や商人の考案ではなく、それ相当のわけがあり、きれいで、多種多様で、いろんな物の小世界、あるいはむしろ大世界だということだった。こういう物はどれも、パウダーや香水からダンス靴に至るまで、指輪からシガレット・ケースに至るまで、バンドのバックルからハンドバッグに至るまで、愛に奉仕し、感覚をこまやかにし、死んだ環境に活気を与え、神秘的に新しい愛の器官を付与するという、唯一の目的をもっていた。このハンドバッグはハンドバッグではなく、財布は財布ではなく、花は花ではなく、扇は扇ではなく、すべては愛や魔法や刺激の造形材であり、使者、密輸業者、武器、ときの声だった。
マリーアはいったい誰をほんとに愛しているのだろうかと、ぼくはよく思案した。彼女が一番愛していたのは、うつろな黒い目の、長い青白い品のよい憂鬱な手をした、サキソフォンの青年パブロだと、ぼくは思っていた。ぼくはこのパブロを情事にかけては、いくらかのろまで、甘やかされていて、受身だと思っていたが、マリーアがうけあったところでは、燃えるのはおそいが、いったん燃えると、どんなボクサーや騎手よりも張り切り、激しく、男らしく、挑戦的なのだという。こうしてぼくは、あれこれの人について、ジャズ音楽家や俳優について、周囲の多くの夫人、娘、男について、秘密を聞き知り、いろいろの秘密を知り、表面にはでない関係や敵対関係をみ、次第に(ぼくはこんな世界では、全く縁のない異分子だったのだが)こんな世界になじみ、引き込まれていった。ヘルミーネについてもいろいろ聞いた。だが、今では、マリーアがとても好いていたパブロ氏にたびたび会った。時には彼女も彼の秘薬を使い、ぼくにも時々それをのませた。いつもパブロはまめまめしくぼくにサーヴィスした。あるとき彼はぼくに単刀直入にいった。「あなたはとても不幸です。それはいけません。不幸になってはいけません。残念です。軽く阿片《あへん》をおのみなさい」この陽気な、利口な、子供のような、それでいて測り知れない男についてのぼくの評価は、たえず変った。ぼくたちは友人になり、ぼくは彼の秘薬をいくらか使うこともまれではなかった。ぼくがマリーアにほれこんでいるのを、彼はいくらか面白そうに眺めていた。あるとき彼は郊外のホテルの尾根裏にある彼の部屋で「お祭り」をした。そこには椅子が一つしかなく、マリーアとぼくはベッドにかけねばならなかった。彼の出した飲物は、三つの小びんから調合した、不思議な、すばらしいリキュールだった。やがて、ぼくが上機嫌になると、彼は目を光らせて、三人で愛のばかさわぎをやろうと言い出した。ぼくはそっけなくことわった。ぼくはとてもそんなことはできなかったが、マリーアがどんな態度をするかと、彼女の方をちらっと横目でみた。彼女はぼくのことわったことにすぐ賛成したが、ぼくはその目にかすかな光りをみて、ことわったのを残念がっているのがわかった。パブロはことわられてがっかりはしたが、気を悪くはしなかった。「残念」と、彼はいった。「ハリーは堅く考えすぎる。だめです。すばらしかったろうに、とてもすばらしかったろうに! でも、代りにいいことがあります」ぼくたちはめいめい阿片を二、三服すい、じっとすわって目を開いたままで、三人とも彼の暗示した場面を体験し、マリーアは恍惚《こうこつ》としてふるえた。ぼくが後でちょっと気分が悪くなると、パブロはぼくをベッドにねせ、水薬をすこしのませてくれた。ぼくは数分目をつむっていると、両方の目ぶたにごくかすかな息のような口づけを感じた。マリーアのだな、というようなつもりで、それを受けた。しかし、彼のものであることは、よくわかっていた。
ところがある晩のこと、彼はもっとぼくをおどろかせた。ぼくの住いに現われて、二十フランいるから、用立ててほしいと、ぼくに切り出したのである。その代りその晩は、自分の代りにマリーアを自由にしていい、というのだった。
「パブロ」と、ぼくはおどろいていった。「何をいってるのか。恋人を金で他人にゆずるなんて、この国じゃ最も恥ずべきことなんだ。パブロ、今いったことは、聞かなかったことにするよ」
あわれむように彼はぼくをみつめた。「ハリーさん、いやなのですね。いいです。あなたはいつも自分を困らせているのですね。じゃあ、その方がよかったら、マリーアと今晩はいっしょにねないで下さい、そして、お金をかして下さい、お返ししますから。いるんです」
「いったい何のために?」
「アゴスティーノのためです――ねえ、あの第二ヴァイオリンの小さい男です。もう一週間も病気で、誰も世話してくれる人がいず、びた一文もないんです。もうぼくのお金もつきたんです」
好奇心から、またいくらかは自責の念から、ぼくはいっしょにアゴスティーノの所へいった。パブロは彼の屋根裏部屋、ほんとにみじめな屋根裏部屋へ、ミルクと薬をもっていってやり、ベッドをととのえなおし、部屋の空気をいれかえ、きれいな本式の湿布を熱っぽい額にあててやった。立派な看護婦のように、万事すばやく、やさしく、なれた手つきだった。その晩ぼくは、彼が明け方までシテー・バーで演奏しているのを見た。
ヘルミーネとはよく話しあい、マリーアについて、その手、肩、腰、笑ったりキスしたり踊ったりする時の身ごなしについて、長いことくわしく話した。
「あれをもうみせてくれた?」と、ヘルミーネはある時たずね、キスする時の彼女の舌の特別の動きを説明してくれた。自分でやってみせてくれとたのむと、彼女はむきになって反対した。
「それはまだよ」と、彼女はいった。「あたしまだあんたの恋人じゃないんだから」
どうして彼女がマリーアのキスの技巧や、愛人だけが分っている彼女の肉体のいろんな秘密の特徴を知っているのかを、ぼくは彼女にたずねた。
「おお」と、彼女は叫んだ。「あたしたち友だちでしょう。お互いに秘密をもっていると思う? よくいっしょにねたし、いっしょに遊んだこともあるわ。ねえ、あんたほんとにいい娘《こ》を手にいれたわね。他の娘よりたっしゃよ」
「ヘルミーネ、君たちお互に秘密はあると思うけどね。それとも、君はぼくについて知ってることをみんな、彼女に話したの?」
「いいえ、それはあの娘の知らない別のことだわ。マリーアはすばらしくて、運がよかったのよ。でも、あんたとあたしの間には、あの娘なぞ想像もできないものがあるわ。いろいろあんたのことは話したわ、もちろんね、あんたがあの頃めいわくがったようなこともよ――だってあの娘をあんたのために誘惑しなくちゃいけなかったでしよう。でも、ねえ、あたしほどにはマリーアだって、他の娘だって、あんたがわかりはしないわ。あたしはあの娘からも何かは学んだわ――マリーアがあんたを知ってるくらいは、あんたのことはわかってるわよ。よくいっしょにねたことがあるように、あたしあんたをよく知ってるつもりよ」
またマリーアといっしょになったとき、彼女はぼくと同じようにヘルミーネを胸にだき、その手足や髪や皮膚をぼくのと同じように感じ、キスし、味わい、吟味したのかと思うと、ぼくは奇妙な不思議な気持がした。新しい、間接の、複雑な関係や結びつき、新しい恋愛と生活の可能性が、ぼくの前に立ち現われた。そして、ぼくは荒野の狼論の多くの魂を思い出した。
マリーアと知り合ってから大仮装舞踏会までの短い間に、ぼくはほんとに幸せで、これが今や救いで、到達した無上の幸福だとは、いっこう感じないで、これはみな前戯と準備であり、すべては激しく前進し、本番はこれから始まるのだと、はっきり認めた。
ダンスはかなり練習したので、日ましに話題になっていった舞踏会にも、出られそうな気がしてきた。ヘルミーネは秘密主義で、どんな仮装で出席するのか、いっかな打ち明けようとはしなかった。彼女がいうには、彼女はきっとわかる、もしうまくいかなかったら、わかるように助けてやろう、だが前もって知ってはいけないというのだった。それで、彼女もぼくの仮装の計画を全然気にしなかったし、ぼくは全然仮装しないことにきめた。マリーアを舞踏会に招待しようとすると、このお祭りにはもう相手の騎士がきまっていると、彼女ははっきりいったが、現にもう入場券も持っていて、これではひとりでお祭りに行くほかないと知って、ぼくはいささかがっかりした。それはこの市の一番上品な仮装舞踏会で、毎年地球ホールで芸術家団体によって催されるものだった。
ここしばらくぼくはほとんどヘルミーネに会わなかったが、舞踏会の前日、彼女はしばらくぼくの所にいた――ぼくの買った彼女の入場券を、取りにきたのだった――部屋でぼくのそばにおとなしくすわっていたが、その時の話はぼくには不思議で、深い印象を与えた。
「あんたは今ほんとに調子がいいのね」と、彼女はいった。「ダンスがからだにいいのよ。ひと月も会わなかったら、あんただってことわかんないくらいよ」
「うん」と、ぼくは認めた。「数年来こんなに調子がいいのは初めてだよ。ヘルミーネ、みんな君のおかげだ」
「あら、あんたのきれいなマリーアのせいじゃないの?」
「いや。あの娘だって君のよこした人だ。あの娘はすばらしい」
「荒野の狼さん、あの娘はあんたにおあつらえむきの恋人だわ、かわいくて、若くて、きげんがよくて、恋愛の達人で、毎日は手に入らない。あの娘を他の人と分け合う必要がなかったら、あの娘がいつもいそがしいお客としてあんたの所に来るのでなかったら、そううまくはいかないでしょうよ」
そうだ、それもそうだった。
「じゃあんたは今、いるものはみんな手に入ったの?」
「いや、ヘルミーネ、そうじゃない。ぼくは何かきれいな、うっとりするようなもの、大きな喜び、あいらしい慰めをもっている。とても幸せだが……」
「そら! 何がもっとほしいの?」
「もっとほしいのだ。ぼくは幸せであることで満足しない。ぼくはそんな性《たち》じゃない。それはぼくの運命だ。ぼくの運命は、反対なんだよ」
「じゃ、不幸になることなの? でも、あんたは不幸すぎるくらいだったじゃないの、あの時、かみそりのせいで家へ帰れなかった時に」
「いや、ヘルミーネ、あれは別だよ。あの時は確かに不幸だった。でも、あれは愚かな不幸、むだな不幸だった」
「いったいなぜなの?」
「でなかったら、ひどく望んでいた死をあんなに恐れなかったろうからね。ぼくの必要とし、あこがれる不幸は、別のものだよ。それはぼくを情欲でなやませ、快楽で死なせるものだ。これがぼくの待っている不幸、あるいは幸福だ」
「あんたのいうことはわかるわ。この点であたしたちは兄妹よ。でも、マリーアといっしょにみつけた幸福に、どうして腹を立ててるの? どうして不満なの?」
「この幸福に怒ってはいない、いやとんでもない、ぼくはそれを愛し、感謝している。雨の多い夏のさ中の晴れた日のようにすばらしい。でも、それは長つづきしないような気がしている。この幸福もむだなのだ。ぼくを満足させてくれるけど、満足はぼくの口にあう料理じゃないんだ。荒野の狼を眠りこませ、あかせる。でも、それは、そのために死ねるような幸福ではないのだよ」
「じゃ、死ななくちゃいけないの、荒野の狼さん?」
「そうだと思うね。ぼくは自分の幸福にとても満足で、もうしばらくはそれに耐えられるだろう。しかし、幸福がぼくにしばしば、目ざめあこがれるひと時を与えると、ぼくのすべてのあこがれはこの幸福を持ちつづけることを目ざさずに、再びなやむことを、ただ前よりはもっと美しくみじめでなくなやむことを、目ざすのだよ。ぼくのあこがれている悩みは、ぼくをいそいそと死なせてくれるような悩みなのだ」
ヘルミーネはやさしく、突然彼女に現われることのある暗いまなざしで、ぼくの目をのぞきこんだ。すばらしい、恐ろしい目だ。ゆっくりと、言葉をひとつひとつさがしてならべるように、彼女はいった――ひどく低声で話したので、聞くのに骨が折れた。
「あたしはきょうあんたに、もう前から知っていることを話すわ。あんたもきっと知ってることだけど、あんたが自分にいいきかせたことのないようなことだわ。今話すのは、あたしやあんたやあたしたちの運命について、知ってることだわ。ねえハリー、あんたは芸術家で思想家、喜びと信念の人で、いつも偉大で永遠なもののあとをたどり、きれいな小さいものには決して満足しない。でも、生活があんたを目ざめさせ、あんたを我に帰らせるにつれて、あんたの困難はいっそう大きくなり、あんたはいっそう深く首までも苦しみ、不安、絶望の中へはまりこんだのよ。あんたが昔知っていて、愛し、あがめた美しいもの、聖なるものはみんな、人間やあたしたちの高い使命へのあんたの昔の信念はみんな、あんたには何の役にも立たず、つまらないものになり、こなごなにこわれてしまったのよ。あんたの信念はもう吸う空気を見つけられないんだわ。窒息はひどい死にかたよ。ハリー、そうじゃなくって? これがあんたの運命?」
ぼくはしきりにうなずいた。
「あんたは人生のあるイメージをいだいており、信念と要求をもっていて、行動し苦しみ犠牲を捧げる覚悟をしていたわ――でもやがて、世間は行動や犠牲のようなものを要求せず、生活は英雄などの登場するような英雄叙事詩ではなくて、市民の快い部屋で、そこでは誰も食事や飲物、コーヒーや編み靴下、トランプのタロット遊びやラジオ音楽で満足しきっていることを、あんたはだんだん悟ったんだわ。他のもの、たとえば英雄のようなものや美しいもの、大詩人の崇拝や聖人の崇敬を望み、そういうものを心の中にもっている人は、馬鹿で、騎士ドン・キホーテだわ。いいわ。ねえ、あたしもその通りだったのよ! あたしは才能に恵まれた娘で、高い模範に従って生き、自分に高い要求を課し、然るべき使命をはたすように、定められていたの。あたしは大きな運命を引き受け、王妃、革命家の恋人、天才の姉妹、殉教者の母になることができたのよ。でも、人生があたしに許してくれたのは、まあまあの趣味の高級売春婦になることくらいだったわ――これだってとても苦労したのよ。これがあたしの身の上なの。あたしはしばらくの間がっかりしてしまって、長いこと自分自身に罪を求めたの。あたしの考えでは、人生はとどのつまりはいつだって正しくて、人生があたしの美しい夢をあざけると、あたしの夢の方がばかげていて、まちがっていた、ということなの。でも、そう思ったって、何の役にも立たなかったわ。あたしは目と耳がよくて、いくらか好奇心もあるので、いわゆる人生をよくみてみました。知人や隣りの人や、五十人以上もの人たちや運命をね、そして、ねえハリー、あたしの夢が正しかったこと、あんたのと同じに全く正しかったのが、わかったの。人生が、現実がまちがってたんだわ。あたしのような女が、金もうけ主義の男にやとわれてタイプライターのそばで哀れに無意味に年をとるか、こんな金もうけ主義者とお金のために結婚するか、商売女のようなものになるか、それ以外にえらべないのは、あんたのような人がひとりぼっちで、気がねをし、絶望して、かみそりをつかまずにいられないのと同じように、正しくなかったわ。あたしの場合は、みじめさはより物質的、道徳的で、あんたの場合は、より精神的だったかもしれないけど――道は同じだったわ。フォックストロットに対するあんたの不安、バーやダンスホールへの反感、ジャズ音楽のような下らないものへの反抗が、あたしにわからないと思って? わかりすぎるくらいよ。政治への嫌悪、政党やジャーナリズムのおしゃべりや無責任なから騒ぎへの悲哀、過去や未来の戦争への絶望、今時の思想や読書や建築や音楽やお祭りや教養のあり方についての絶望だって、同じだわ。荒野の狼さん、あんたは正しいわ、千倍も正しいわ、でも減びなくちゃならないんだわ。あんたはこの単純な、気楽な、ごくわずかのものに満足している今の世界に、あまり要求が多すぎ、がつがつしているわ。今の世界はあんたを吐き出してしまうわ。今の世界にとってあんたは一次元多すぎるのよ。現在に生きて、生活を楽しもうという人は、あんたやあたしみたいな人間じゃいけないんだわ。つまんない音楽のかわりに本当の音楽を、娯楽のかわりに喜びを、お金のかわりに魂を、事業のかわりに本当の仕事を、遊びのかわりに情熱を求める人には、現在の美しい世界は故郷じゃないわ……」
彼女はうつむいて、考えこんだ。
「ヘルミーネ」と、ぼくはやさしく呼びかけた。「妹よ、君はいい目をしている。そして、ぼくにフォックストロットを教えてくれたんだね。一次元よけいにもっているぼくたちのような人間が、この世界に生きられないのを、君はどう思う? 何のためだろう? 現代だけがそうなんだろうか、それとも、いつもそうなんだろうか?」
「わかんない。この世界の名誉のために、それは現代だけで、病気にすぎず、一時的な不幸だと思いたいわ。指導者たちは次の戦争をめざして、たくましく効果的に活動している間に、他のあたしたちはフォックストロットを踊り、お金をもうけ、チョコレートボンボンをたべている――こんなご時勢には誰だってつつましくみえるようにすべきなのにね。別の時代はもっとよかったし、これからまたもっとよくなる、もっとゆたかに、広く、深くなるんだって、あたしたち希望をもちましょうよ。でも、それはあたしたちには何の役にも立たなかったわ。いつもそうだったんでしょうよ……」
「いつもきょうのようだったって? いつも世界は政治家、闇商人、給仕、道楽者のためにだけあって、一般の人には呼吸する空気もないの?」
「そうねえ、わかんない、誰だってわかんないわ。どうだってもいいんだけど。でも、ねえあたしのお友だち、あたし今あんたの好きな人を思い出したの。いつか話をきかせてくれ、その手紙もよんでくれた、モーツァルトのことをね。いったいこの人はどうだったの? 誰がその頃世界を治め、うまい汁を吸い、音頭をとり、はぶりがよかったの? モーツァルトそれとも仕事師、モーツァルトそれとも平凡な人間? その人はどんな死に方をし、どんな葬られ方をしたの? どうも、いつもそんなふうだったし、これから先もそうでしょうし、学校で『世界史』とよばれ、教養のために暗記せねばならない、あらゆる英雄、天才、偉業、偉大な感情の登場するもの――こんなものは、学校の先生が教養の目的で義務教育の教材として考え出したくだらない物だわ。いつもこんなふうだったし、これから先もこんなふうだろうから、時代と世界、金銭と権力は、つまらない平凡な人びとのもので、他の本当の人には、何もないのよ。死のほかはね」
「他に何もないの?」
「あるわ、永遠よ」
「後世の名、名声のこと?」
「いいえ、狼さん、名声じゃないわ――いったいそんなもの価値があるの? 本物の完全な人がみんな有名になり、後世に名を知られたと、あんたはいったい思いますか?」
「いや、もちろんそうじゃない」
「じゃ、名声なんかじゃないわ。名声は教養のためにだけあるので、学校の先生がたいせつにするものだわ。名声じゃないわ、断じて! あたしが永遠というものは、信心深い人は神の国といってるわ。あたしの考えでは、あたしたち人間はみんな、要求の多い、あこがれをもった、次元を一つよけいにもっているあたしたちは、この世の空気の他にも別の呼吸する空気がなかったら、時間の他に永遠もなければ、全然生きられないので、この永遠が本当の人間の国なのよ。この国に属するのは、モーツァルトの音楽とあんたの大詩人の詩よ。奇跡を行い、殉教の死をとげ、人びとに大きな模範を示した聖人もだわ。同じようにあらゆる真の行為の姿、あらゆる真の感情の力も、それに属するわ。たとえ誰もそれを知らず、見ず、記述せず、後世のために保存しなくともね。永遠には後世はなく、現世があるばかりよ」
「その通りだ」と、ぼくはいった。
「信心深い人たちは」と、彼女は思いに沈んで話しつづけた。「なんといっても一番よくそのことを知ってるわ。だから聖人を作りだし、いわゆる『諸聖人の通功』(「天上と地上の人びとの祈りによる助け合い」を意味するカトリックの教義)を作ったのよ。聖人こそ本当の人間、救世主の弟たちだわ。あたしたちは一生のあいだ聖人めざして、あらゆる善業や勇ましい考えや愛をもって、成聖の道をあゆんでいるのよ。諸聖人の通功は昔は画家によって、黄金の天国に輝かしく、みごとに、いかにも平和にえがかれたけど――これこそ、前に『永遠』とよんだものなのよ。それは時間と仮象の彼方の国よ。そこにあたしたちは属し、そこにあたしたちの故郷があり、あたしたちの心はそこをめざすのよ、荒野の狼さん、だから、あたしたちは死をあこがれるのよ、そこであんたはあんたのゲーテ、ノヴァーリス、モーツァルトに再会し、あたしはあたしの諸聖人、クリストファー、ネリのフィリップなどみんなに再会するのよ。始め大罪人だった聖人は沢山いるわ。罪も聖人への道だわ、悪徳もね。あんた笑うかもしれないけど、お友だちのパブロもかくれた聖人かもしれないと、思うことがよくあるわ。ああ、ハリー、あたしたちは沢山の汚い物やばかげた事をかきわけて手探りで行かなくちゃ、家へはかえれないのよ! そして、あたしたちは誰も案内人がないわ。あたしたちのたった一人の案内人は郷愁だわ」
最後の言葉を彼女はまたごく低い声で話した。今や部屋の中は平和で静かだった。太陽は沈もうとしていて、蔵書のたくさんの背の金文字を輝かせていた。ぼくはヘルミーネの頭をだき、額にキスし、兄妹のようにほおをよせあって、ぼくたちはしばらくそうしていた。できることならそうしていて、きょうはもう外出しないのが、一番よかった。しかし、大舞踏会の前夜のその晩、マリーアはぼくと会う約束をしていた。
しかし、マリーアに会いに行く途中に、ぼくは彼女のことではなく、ヘルミーネのいったことばかり考えていた。あれはみんなおそらく彼女自身の考えではなく、ぼくのもので、それを炯眼《けいがん》な彼女が読み取って、吸収し、ぼくにそれを再現したので、それが今形をえて、新しくぼくの前に立っているのだと、ぼくには思われた。彼女が永遠の思想を口にしたことを、ぼくはその時心から彼女に感謝した。ぼくはその思想が必要で、それなしには生きることも、死ぬこともできなかった。聖なる彼岸、無時間なもの、永遠の価値と神々しい実体の世界は、きょうぼくのダンス教師の女の友によって、ぼくに再び贈られた。ぼくはゲーテの夢を、あんなに非人間的に笑い、不滅な冗談でぼくをからかった、あの老賢者の姿を、思い出さずにはいられなかった。今はじめてぼくはゲーテの笑い、不滅な者の笑いがわかった。それは対象がなかった。この笑いは光、明るさにすぎなかった。本当の人間が人間の苦しみ、悪徳、迷い、情熱、誤解を通りぬけ、永遠へ、宇宙の中へとつきぬけるとき、残るものである。そして、「永遠」は時間からの解脱《げだつ》にほかならず、いわば時間が清浄へ帰ること、変身して空間に変ることだった。
ぼくたちが会う晩食事をすることになっていた場所で、マリーアをさがしたが、まだきていなかった。郊外の静かな酒場で用意のできたテーブルについて待ったが、頭の中ではまださっきの会話がつづいていた。ヘルミーネとぼくの間に現われた思想はすべて、ぼくには深くなじんでいて、古くからわかっており、ぼくの全く独特な神話と形象の世界から汲み取られたように思われた。この世を離れ、形象となり、水晶のような永遠をエーテルのようにあたりにそそぎ、時間のない空間に生きている不滅の人びと、この地上を越えた彼岸の世界の、冷たい、星のように光る明朗さ――どうしていったいこういうものはみなぼくになじみ深いのか。よく考えてみると、モーツァルトの「カサチオンス」やバッハの「平均律ピアノ曲」の断片が頭にうかんだ。この曲の至る所に、この冷たい、きびしい明るさが輝き、このエーテルのような透明さが揺れ動いているように、ぼくには思われた。そうだ、たしかにそうだ。この音楽は、凍って空間となった時間のようなものだった。そして、その上には、超人的な明朗さ、永遠の神々しい笑いが、無限に揺れ動いていた。おお、ぼくの夢みた老ゲーテもまた、それにぴったり合っていた。すると、ふいにぼくはこの測り知れない笑いを身辺にきき、不滅の人びとが笑うのをきいた。魔法にでもかかったようにぼくはすわってい、チョッキのポケットから鉛筆を取り出し、紙をさがし、ワインの定価表が前にあるのをみつけ、その裏に詩をかきつけた。それがその翌日ポケツトにまたみつかった。こんな詩である。
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不滅の人びと
たえ間なく大地の谷間から
生の衝動はもうもうと立ち登る。
激しい苦悩、酔った充溢《じゅういつ》、
無数の死刑囚最後の食事の血なまぐさい煙、
快楽の興奮、無限の情欲、
人殺しの手、高利貸しの手、祈る者の手、
不安と快楽にむちうたれた人の群れが、
むっと腐ったように生臭く煙る。
至福と荒々しい情欲を呼吸し、
自分を食いつくし、また吐き出す。
戦争と優美な芸術をたくらみ、
燃える娼家を迷妄をもって飾り、
子供の世界の鋭い年の市の喜びを縫って
飲み、食い、女を買い、
すべての人のため新たに波間から立ち上がり、
すべての人のためいつかはくずれて土に帰る。
それに反してぼくらは自己を
星にくまなくてらされたエーテルの氷の中に見出した。
ぼくらは日も時も知らず、
男でも女でもなく、若くも老人でもない。
君らの罪と不安、
君らの殺人と淫蕩な歓楽は、
ぼくらにはめぐる太陽と同じく見物《みもの》だ。
その日その日が最も長い日だ。
静かに君らの震える命にうなずき、
静かにめぐる星をのぞきこみ、
ぼくらは宇宙の冬を吸いこみ、
天の竜と親しんでいる。
ぼくらの永遠の存在は冷たく不動で、
ぼくらの永遠の笑いは冷たく星のように明るい。
[#ここで字下げ終わり]
やがてマリーアが来た。きげんよく食事をしたあとで、ぼくは彼女といっしょにぼくたちの部屋へいった。彼女はその晩はいつもよりきれいで、やさしく、熱烈で、さまざまの情愛と遊びを味わわせてくれたが、ぼくはそれを最後の献身だと感じた。
「マリーア」と、ぼくはいった。「きょうは女神のように惜しみなく与えてくれるんだね。ぼくたち二人を殺さないでほしい、あしたは仮装舞踏会なんだからね。あしたはどんな騎士といっしょなの? ねえ、ぼくのかわいい花さん、彼がおとぎ話の王子で、君は王子につれさられ、もうぼくの所へ戻って来れなくなるんじゃない。いい恋人たちが最後の別れの時するように、君はきょうぼくを愛してくれるんだね」
彼女は唇をぼくの耳にすりよせて、ささやいた。
「口をきかないで、ハリー! いつだって最後になるかもしれないわ。ヘルミーネがあんたを取ったら、あんたもうあたしの所へもどらないわ。恐らく彼女はあしたあんたを取ってしまうわ」
ぼくはあの頃の独特の感情、あの不思議にほろ苦い二重の気分を、あの舞踏会前夜より激しく感じたことはなかった。ぼくの感じたのは、まさしく幸福だった。マリーアの美しさと献身、ぼくが中年の男としてこんなに遅く知った、無数の甘美な官能の享楽、まさぐり、呼吸、享楽のおだやかなたゆとう波にひたり遊ぶことだった。だが、それは殻にすぎなかった。内部ではすべてが意味、緊張、運命にみちていた。ぼくが愛の甘い感動的なささやかな情事に愛情をこめてふけって、いかにもなまぬるい幸福にひたっている間に、ぼくの運命がおびえた馬のように、まっしぐらに、大地をけたてて疾駆し、深淵と転落をめざし、不安とあこがれと献身にみちて死へ向うのを、ぼくは心の中で感じた。ついこの間快く気軽なひたすら官能的な愛に、はにかみ恐れながら反抗したように、身を捧げようという気でいる快活なマリーアの美しさに、不安を感じたように、ぼくは今死に不安を感じた――しかし、この不安は、すぐに献身と救いになることを、もう自覚している。
ぼくたちがだまって恋のまめやかな営みに沈み、いつもより熱烈に相手のものになっている間に、ぼくの心はマリーアに別れをつげ、彼女がぼくに意味していたすべてのものに、別れをつげた。彼女を通してぼくが知ったのは、せめて今生の思い出に表面の遊びに子供のように身をゆだね、つかの間の喜びを求め、無邪気なセックスで子供や獣になることだった――それは、前の生活ではまれな例外として知っていた状態だった。官能の生活とセックスは、ぼくにとってたいてい罪のにがい味を伴っていて、精神的な人が用心せねばならない禁断の果実の、甘いが不安な味をもっていたからだった。今ヘルミーネとマリーアはぼくにこの無邪気な楽園をみせてくれ、ぼくは喜んでその客となったのだった――しかし、間もなくぼくの前進すべき時がきた。この楽園はきれいで暖かすぎた。さらに生命の冠をえ、生命の無限の罪をつぐなうのが、ぼくの定めだった。安易な生活、安易な愛、安易な死――こんなものはぼくには無意味だった。
彼女たちのほのめかしたことから、あすの舞踏会には、あるいはそれにつづいて、全く特別の享楽と放蕩が計画されているのがわかった。たぶんこれが終りで、マリーアの予感は正しく、ぼくたちの会う瀬もきょうが最後で、あしたは新しい運命の歩みが始まるのだろうか。ぼくは燃えるようなあこがれ、息づまるような不安にみたされ、荒々しくマリーアにしがみつき、またゆらぎ燃えあがって、彼女の楽園の小路や茂みをくまなく走りぬけ、もう一度楽園の木の甘い果実に夢中でかみついた。
この夜の寝不足を、ぼくは昼とりもどした。車で浴場へいき、ぐったりして帰宅し、寝室を暗くし、服をぬぐ時ぼくの詩をポケットにみつけたが、また忘れ、すぐ横になり、マリーアもヘルミーネも仮装舞踏会も忘れて、一日中眠った。夕方起きて、ひげをそっているとき、一時間たったらもう仮装舞踏会が始まる、燕尾服のワイシャツを探し出さねばなるまいと、またふと思いついた。ぼくは上機嫌で身じたくをして、まず食事に出かけた。
それは初めて参加する仮装舞踏会だった。前にはこんなお祭りに時々いって、すばらしいと思うことも時にはあったが、ぼくは踊らず、見物しただけだった。他人が夢中になってそのうわさをし、それを楽しみにしているのをきくと、いつもこっけいに思われた。さてきょうは、ぼくにとっても舞踏会は、緊張してだが、いくらか不安な気持で待ちかねていた出来事だった。お伴する女性がいないので、おくれて行くことにした。ヘルミーネもそうすすめてくれたのだった。
かつてはぼくの避難所だった「鉄かぶと屋」は、失望した男たちが夜な夜なたむろし、ワインをすすり、独身者の気楽さに帰る場所だったが、ぼくは最近もうほとんどいかなかった。今の生活ぶりにはもう合わなかったのだ。だがその晩は、ひとりでにまたそこへひきつけられた。その頃ぼくを支配していた、運命と別離のせつなくも喜ばしい気分の中で、ぼくの生涯のあらゆる停車場と記念の場所が、もう一度過去のいたましくも美しい輝きをとりもどした。ついせんだってまではぼくも常連だったし、そこで一びん地酒をのんで簡単な麻酔剤とすれば、また一夜はひとりねのベッドにもどり、また一日は生活にたえることのできた、小さなタバコの煙のたちこめた酒場も、やはりそうだった。別の薬、もっと激しい刺戟を、ぼくはあれ以来用いた、もっと甘い毒をすすった。にこにこしてぼくは古ぼけたみすぼらしい酒場に入り、マダムのあいさつと無口な常連のうなずきに迎えられた。ひなの丸焼がすすめられ、はこばれてきて、ひなびた厚手のグラスに、新しいエルザス・ワインがさわやかにつがれ、きれいな白い木のテーブルと古い黄色い羽目もぼくを親しげにみつめた。飲食している間に、ぼくの胸の中に、しおれていく気持と別れの祝いの感情が、高まった。決して解かれないが、今や解かれる機が熟した、ぼくの昔の生活のあらゆる舞台や事物との結びつきの、甘くいたましくも熱烈な感情が、高まってきた。「現代」人はこれを感傷とよんでいる。彼はもう物を愛さないで、その最も神聖な物である自動車でさえも愛さず、できるだけ早くそれをもっとよい車種にかえられたらと、願っている。この現代人はよく切れ、有能で、健康で、冷静で、はりきっていて、優秀なタイプで、次の戦争では堂々と真価を発揮するだろう。ぼくには何のかかわりもないことだった。ぼくは現代人でも、古風な人間でさえもなかった。時代から脱落して、死に近づき、死を願って、生きていた。ぼくは感傷に反対ではなかった。もえつきた心の中にまだ何か感情のようなものを感じるのを、ぼくはよろこび、感謝した。こうして、ぼくは古い酒場の思い出、古いぶかっこうな椅子への愛着にひたり、タバコの煙とワインのかおり、すべてのものがぼくに対してもっている、習慣や暖かさや故郷らしさのほのかな光にひたった。別れをつげるのは美しい。気持のよいものだ。かけている固い椅子、ひなびたグラス、エルザス・ワインの冷い果実のような味、この部屋のあらゆる物との親しみ、長いこと兄弟のようだった、夢見るようにうずくまって飲んでいる人や失望した人の顔も、ぼくにはこのもしかった。ぼくがここで感じたのは、市民的感傷で、料理店やワインや葉巻がまだ禁断の未知のすばらしいものだった少年時代からの、古風な料理店のロマン主義のかおりで、ちょっぴり味つけされていた。しかし、さすが荒野の狼も身をもたげ、歯をむき出し、ぼくの感傷をずたずたに引き裂きはしなかった。過去の光に照らされ、その間に沈んだ星座の弱い輝きに照らされ、ぼくはなごやかな気分でそこにすわっていた。
街頭の焼栗うりが入ってきて、ぼくはひとつかみ買った。花売りのお婆さんが入ってきてカーネーションを数本買って、マダムにプレゼントした。金を払おうとして、いつもの上衣のポケツトに手を入れて、はっと思った時はじめて、燕尾服をきているのに、また気がついた。仮装舞踏会だ! ヘルミーネ!
だが、まだかなり早かった。まだ今から地球ホールへいく決心はつかなかった。こんな楽しみの時はいつも最近ではそうだったのだが、いろんな抵抗と妨害、超満員のうるさい大きな部屋に入ることへの嫌悪の情、なじみのない雰囲気や道楽者の世界やダンスへの生徒らしいはにかみを、ぼくはまた感じたのだった。
ぶらぶらと映画館のそばを通りかかり、光の帯や大きなカラー広告が光るのをみ、数歩行きすぎたが、またもどって、中へ入った。これでぼくは十一時頃まで、気持よくおちついて暗がりにすわっていることができた。懐中電燈をもったボーイに案内されて、ぼくはカーテンをくぐってよろよろと暗いホールに入り、席をみつけると、不意に旧約聖書の世界のまっただ中に入った。この映画は、いわゆる営業のためではなく、気高い神聖な目的のために、莫大な費用を投じ、技術の粋をつくして製作されたものの一つで、その午後には、宗教の先生の引率する学生も団体で見物していた。エジプトにおけるモーセとイスラエル人の物語がえがかれていて、人間、馬、らくだ、宮殿、|エジプト王朝《ファラオ》の栄華、熱い砂漠でのユダヤ人の難儀などの場面が、大々的にえがかれていた。いくらかウォルト・ホイットマンの手本によって扮装したモーセ、このきらびやかな芝居がかったモーセが、長い杖をつき、主神ヴォータン(ゲルマン神話の主神・軍神で勝利の神)の重々しい足どりで、火のように、沈んで、ユダヤ人の先頭に立って、砂漠をさすらうのが、見えた。モーセが紅海のほとりで神に祈るのが、見えた。紅海が二つに裂け、道がひらけ、せきとめられた水の山の間に切通しができるのが見えた(技術陣がどんなふうにこの場面を演出したのかを、牧師に引率されてこの宗教映画を見物した、堅信礼を受ける準備中の学生たちは、長いこと議論しあった)。予言者とおびえた民がそこを通って行き、その後ろにファラオの戦車が現われ、エジプト人たちが海岸で立ちすくむが、やがて勇敢に海の中へとびこんで行くのが、見えた。黄金の甲冑《かっちゅう》をつけた美々しいエジプト王とそのあらゆる戦車や兵士の上に水の山がおおいかぶさるのが、見えたが、その時ぼくは、この場面をみごとに歌ったヘンデルのバスのためのすばらしい二重唱《デュエット》を、思い出した。さらに、モーセがシナイ山に登り、荒涼たる岩の荒野の中に立つ陰気な勇姿が、見えた。エホヴァはそこで嵐と雷雨と電光の合図を下して、十戒をさずけるが、その間に山のふもとでは、つまらない国民は黄金の子牛を祭り、かなりひどい享楽にふけっているのが、見えた。こんなシーンを皆といっしょに見ているのは、奇妙な信じがたい気持だった。ぼくたちの少年時代にかつて、別世界や超人的なものの最初のおぼろげな予感を与えた、この聖史と主人公と奇跡が、そっと持参の弁当をたべながらありがたく見物している人びとの前で、入場料を取って上映されるのを見るのは、奇妙な信じがたい気持だった。現代の莫大な見切り品と文化売出しの目玉商品だ。ああ、こんないやらしいことをさけるために、あの時代にエジプト人ばかりでなく、ユダヤ人や他の全人類は、むしろすぐ破滅すべきではなかったろうか。ぼくらが今日こんな恐ろしい仮死や半死半生の状態で死ぬよりは、残酷だが立派な死によって破滅すべきではなかったろうか。まあそうだろう。
仮装舞踏会へのぼくのひそかな妨害、不明な反感は、映画の刺戟で小さくなるどころか、不快に大きくなった。しかし、ヘルミーネのことを考えて、勇気をだして、やっと地球ホールに車を走らせ、中へ入った。もう遅くて、舞踏会はとうにたけなわだった。もう外套もぬがないうちに、味気ないはにかんだ気持で、ひどい仮装の人ごみの中にはまりこんでしまった。なれなれしくほおをたたかれ、娘さんにシャンパンを飲みにいこうとさそわれ、道化者に肩をたたかれ、おい君と話しかけられた。ぼくは何にもかまわず、超満員の部屋の中を|携帯品預り所《ガルデローベ》にやっとたどりつき、番号札をもらうと、ひどく用心深くポケットにしまった。この雑踏にうんざりしたら、すぐまたいるだろうと、思ってだった。
大きな建物のどの部屋もお祭りさわぎだった。どのホールでもダンスで、地階もそうだった。どの廊下も階段も仮面、ダンス、音楽、笑い、追いかけっこの洪水だった。ぼくは気づまりな気持で人ごみをかきわけ、黒人バンドから農民音楽の方へ、まばゆい中央大ホールから廊下へ、階段へ、バーへ、食堂《ビュッフェ》へ、シャンパン室へ行った。壁にはたいてい、新進画家たちの激しい勢いのいい絵がかかっていた。芸術家もジャーナリストも学者も実業家も、それにもちろん市の道楽者たちも、みんなそろっていた。オーケストラの一つには、ミスター・パブロがいて、そった管楽器を熱中して吹いていた。彼はぼくに気がつくと、高らかに歌ってあいさつした。人ごみに押されて、ぼくはあちこちの部屋へ入り、階段を上ったり下ったりした。地階の廊下は芸術家たちによって地獄のように飾られていて、悪魔たちのバンドがその中で狂気のように演奏していた。次第にぼくはヘルミーネとマリーアをうかがい、さがそうとし、何度か中央ホールにおし入ろうとしたが、そのつど失敗したり、まともに人の波をくらったりした。真夜中になっても、まだ誰もみつからなかった。ぼくはまだ踊りもしないのに、かっとなって目まいがしたので、知らない人たちばかりの間で、もよりの椅子にどっかりとこしかけ、ワインを注文し、ぼくのような年よりがこんな騒がしいお祭りに加わるのは無意味だと思った。あきらめてワインを飲み、婦人たちのあらわな腕や背をみつめ、たくさんのグロテスクな仮装姿が前を風のように通りすぎるのをみ、ぶたれるにまかせ、ぼくの膝《ひざ》に乗ったり、いっしょに踊ろうとする何人かの娘たちを、だまってやりすごした。「ふきげんなおじいちゃん」と、一人の娘が叫んだが、もっともである。ぼくは飲んできげんよくなろうとしたが、ワインはまずく、二杯めはもういけなかった。荒野の狼が背後に立って、舌を出しているのに、ぼくは次第に感づいた。どうしようもない。ここは場ちがいだ。そのつもりで来たのに、ここでは陽気になれなかった。周囲のどよめく喜び、笑い、全くの馬鹿騒ぎは、ぼくにはおろかで、わざとらしかった。
そこで、一時になると、ぼくはがっかりして腹を立て、また携帯品預り所にもどって、外套を着、外へ出ることにした。それは降服であり、荒野の狼への復帰だった。ヘルミーネなら許すはずもないだろう。だが、どうしようもなかった。ぼくは人ごみをかきわけて、携帯品預り所へたどりつこうとしながらも、女の友だちがみつからないかと、また注意してあたりを見まわした。むだだった。さて、ぼくは窓口に立って、仕切りの中のていねいな男は、ぼくの番号札を受け取ろうと、もう手を出し、ぼくはチョッキのポケットをまさぐった――番号札はもうなかった。ちくしょう、これまでなくしたのか。さびしくホールをさまよい、すわってまずいワインを飲んでいる間に、また出ていこうという気持と戦いながら、ぼくは何度もポケットをまさぐったが、そのつど丸い平たい番号札がちゃんと入っているのが、手ざわりでわかったのだった。ところが、こんどはなくなっていた。すべてがぼくにさからっていた。
「番号札なくした?」と、かたわらの赤と黄にぬった小悪魔が金切り声でたずねた。「さあ、仲間、ぼくのを使えよ」こういって、彼はもう札をぼくにさしだした。ぼくがそれを機械的に受け取って、指でぐるぐるいじりまわしている間に、すばしっこい小悪魔はもうまた姿をけしていた。
小さい丸い厚紙の札を目に近づけて、番号をみようとすると、番号はかいてなく、細かい字のなぐり書きがあるだけだった。ぼくは携帯品預り所の男に待ってもらって、もよりの明かりの下へいって読んだ。よろけるような細字で、よみづらく、何かなぐり書きしてあった――
[#ここから1字下げ]
今晩四時から魔法劇場
――入場は狂人だけ――
入場料には知性を払うこと。
どなたも入場おことわり。ヘルミーネは地獄にいる。
[#ここで字下げ終わり]
人形使いの指から一瞬あやつり糸がはずれると、あやつり人形は一瞬死んだようにこわばり、うすのろみたいにぼんやりするが、また生き返り、演技を始め、踊ったり、所作をしたりするものだが、そんなふうにぼくも魔法の糸にあやつられて、つかれてつまらなく年よりじみて抜け出したばかりの人ごみの中へ、軽快に若やいでむきになって走りもどった。こんなにむきになって地獄へ走りこんだ罪人も、今までなかっただろう。つい今しがたまでエナメル靴がきゅうくつで、重い香水をふりまいたような空気でむかむかし、暑さでぐったりしていたが、今やぼくはすばやく軽い足どりでワンステップをふみながら、あらゆるホールを走りぬけ、地獄めがけてかけた。魔法にみちた空気を感じた。暖かさ、あらゆるごうごうたる音楽、色彩の興奮、女の肩のかおり、沢山の人びとの酔い、笑い、ダンスの拍子、あらゆる燃やされた目の輝きに、ゆすられ、運ばれた。スペインの踊り子がぼくの腕にとびこんできた。「あたしと踊って!」――「だめ」と、ぼくはいった。「地獄へいかなくちゃいけないんだ。でも、君のキスはよろこんでいただいていくよ」仮面の下の赤い口が近づいてきた。キスして初めてマリーアだということがわかった。ぼくは彼女をぎゅっとだきしめた。彼女のふっくらした口は盛りの夏のばらのようにはなやかだった。もうぼくたちは、唇を重ねたまま踊りだし、パブロのそばを踊りながら通ったが、彼はじょうじょうと鳴る管楽器の上にいとおしいようにおおいかぶさっていたが、そのきれいな獣のような目はきらきら光って、半ば放心したように、ぼくたちをとらえた。だが、ステップを二十もふまないうちに、音楽がとぎれ、ぼくはいやいやマリーアをはなした。
「もう一度君と踊りたかったのに」と、ぼくは彼女の暖かさに酔っていった。「すこしいっしょにいってくれない、マリーア、君のきれいな腕がたまらないんだ、もうちょっと腕をかしておくれ! でも、ねえ、ヘルミーネが呼んでいるんだ。彼女はいま地獄にいるんだよ」
「そう思ってたわ。さよなら、ハリー、あたしあんたをいつも愛してるわ」彼女は別れをつげた。それは別離だった、秋だった、運命だった、夏のばらが咲きほこり、ふくよかにかおりながら、めざしているものだった。
さらにぼくは走りつづけた、愛しあう人でいっぱいの長い廊下をぬけ、階段をおり、地獄の中へと。そこのまっ黒な壁には、ぎらぎらした邪悪な明かりがもえていて、悪魔のバンドが熱にうかされたように演奏していた。バーの高い椅子に仮面をつけない燕尾服の美青年がかけていて、ひとをばかにしたような目つきでぼくをちらっとみた。ぼくはダンスの渦《うず》によって壁におしつけられ、二十組がとてもせまい所で踊っていた。熱心にじろじろと、だが不安げに、ぼくは女たちをみんな見た。たいていは仮面をまだつけていて、何人かはぼくに笑いかけたが、誰もヘルミーネではなかった。例の美青年はバーの高い椅子からひとをばかにしたようにこちらを眺めていた。次のダンスの休憩に、彼女はやってきて、ぼくをよぶだろうと、ぼくは考えた。ダンスは終ったが、誰もこなかった。
ぼくは、天井の低い小部屋の一隅におしこめられている、酒場《バー》の方へいった。青年の椅子のとなりにかけ、ウィスキーを注文した。ぼくは飲みながら、青年の横顔をみた。大変なじみぶかく、魅惑的に見えた。過去のひっそりした俗塵のヴェールを通して貴重にみえる、はるか昔の肖像のように見えた。おお、その時ぼくの全身はぞくっとした。それはたしかにヘルマンだった、ぼくの少年時代の友人だった。
「ヘルマン!」と、ぼくはおずおずいった。
彼はにっこりした。「ハリー? あたしがみつかった?」
それはヘルミーネで、ちょっと髪の形が変り、薄化粧していた。彼女の賢い顔が流行の立ちえりから、特に目立って青白くのぞいていた。その子は広い黒い燕尾服の袖と白いカフスから、不思議に小さく出ていた。黒白の絹の男もののソックスをはいた足は、長い黒ズボンから不思議にかわいらしくのぞいていた。
「ヘルミーネ、これが、ぼくをほれこませるために着た衣裳なの?」
「今までにね」と、彼女はうなずいた。「やっと何人かひっかけてやったわ。でも、こんどはあんたの番よ。まずシャンパンを飲みましょうよ」
ぼくたちはバーの高い椅子にうずくまって、シャンパンを飲んだ。その間も、そばではダンスがつづき、熱烈な弦楽が高まった。ヘルミーネは別に苦労しているようには思えなかったが、ぼくはすぐ彼女にほれこんでしまった。彼女は男装していたので、ぼくはいっしょに踊ることもできず、思いきって愛情を示すことも、手を出すこともできなかった。ところが、彼女は男装して、離れて中性的な様子をしていて、視線や言葉や能度で、いろいろ魅力のある女らしさをもってぼくをかこんだ。彼女にふれもしないのに、ぼくは彼女の魔法に降参した。この魔法そのものは彼女の役割にふくまれていて、男女両性的だった。なぜなら、彼女はぼくとヘルマン、ぼくと彼女の幼年時代、あの性の成熟する前の時期について話しあったからだ。こういう時期には、若い愛の力は両性ばかりでなく、感覚的なものと精神的なものすべてを包括し、すべてのものに愛の魔法とおとぎ話めいた変化の能力を与えるが、この能力は選ばれた人や詩人にだけは、年をとってもときどき戻ってくるものである。ヘルミーネはすっかり青年になりきり、たばこをすい、軽くはつらつと話し、時にいくらか口が悪かったが、すべてはエロスの光にみたされていたから、ぼくの感覚に伝わる途中に、優しい誘惑に変った。
ヘルミーネのことは知りつくしていると思ったのに、彼女は今夜はなんと全く新しい姿を示したことだろう。なんとそっと気づかれずに、あこがれの網をぼくの身辺に張ったことだろう。なんとたわむれながら水の精のように、ぼくに甘い毒をのませたことだろう。
ぼくたちはすわって、おしゃべりをし、シャンパンを飲んだ。冒険的な発見者となって、観察しながらホールをぶらぶら歩き、二人組をさがしては、その恋のたわむれをうかがった。彼女は、ぼくの相手とすべき女たちをいくらか指さし、それぞれの相手に使う誘惑の手管《てくだ》を教えてくれた。ぼくたちは恋のライバルとしてふるまい、しばらく同じ女の後を追い、かわるがわる彼女と踊り、二人で彼女を手に入れようとした。しかし、これはみんな仮面劇にすぎず、ぼくたち二人の間の遊びにすぎず、二人をいっそう固く結びつけ、二人をお互にたきつけた。すべてがおとぎ話で、一つだけ次元が多く、一つだけ意味が深く、遊びと象徴だった。ぼくたちはいくらか悩ましげで不満そうな、大変きれいな若い女性をみた。ヘルマンは彼女と踊り、彼女をぱっとはなやかにし、いっしょにシャンパン室へしけこんだ。ヘルミーネが後で話したのだが、男性として彼女を征服したのではなく、同性愛の魔法で女性として、彼女を征服したのだった。しかし、ダンスにどよめくホールのいっぱいある、この鳴りひびく家全体、この仮面の酔った人びとは、ぼくには次第に気違いじみた夢の楽園となった。花はかおりをもって花の愛を求めた。ぼくは指でいじりながら、果実を次つぎとなぶった。蛇が緑の葉かげから誘惑するようにぼくを見ていた。蓮の花は黒い沼地の上に幽霊のようにただよっていた。魔法の鳥は枝の中でいざなっていた。すべてがぼくをあこがれの目標へみちびき、新たにあこがれをもって唯一の彼女へと招いた。一度ぼくは見知らぬ少女と燃えるように、愛を求めて踊り、彼女をいっしょに酔いしれた気持に引き込み、ぼくたちが夢うつつの境にただよっているとき、彼女はふいに笑っていった。「見違えたわ。さっきはまぬけみたいにぼんやりしていたのに」よく見たら、数時間前にぼくにむかって「ふきげんなおじいちゃん」といった娘だった。彼女はこんどはぼくを手に入れたと思ったが、次のダンスではぼくはもう別の女に熱を上げた。ぼくは二時間も、あるいはそれ以上も、あらゆるダンスを踊り、習ったことのないダンスまで踊った。たえず近くにヘルマンの姿が現われ、このほほえんでいる青年はぼくにうなずき、人ごみの中へ消えた。
どんな小娘や大学生でも知っているのに、五十年も知らずにいた体験を、ぼくはこの舞踏会の夜に知った。お祭りの体験、いっしょにお祭りをする陶酔、個人が群衆の中に没入する秘密、喜びの神秘的一致《ウニオ・ミステイカ》の秘密である。ぼくはその話をよくきいたことがあり、それは女中だってみな知っていたし、その話をする人の目に輝きをみたことがしばしばあり、いつもなかば優越感をもって、なかばねたましくそれにほほえみかけたものだった。有頂天になった者や自分自身から解放された者の酔いしれた目のあの輝き、ともに祝うお祭りの陶酔に没頭する者のあのほほえみと半ばとまどった没入、こういうものをぼくは何度となくこの人生で、上品な例や平凡な例でみている。酔っぱらった新兵や水夫、同じように、祝祭劇に感激する大芸術家などに、それにおとらず出征する若兵士に、それをみている。最近もまた友人パブロに、幸福そうに有頂天になった者のこの輝きとほほえみをみて、驚嘆し、愛し、ひねくり、ねたんだ。彼はオーケストラで演奏しながらうっとりとしてサキソフォンにおおいかぶさったり、指揮者やドラマーやバンジョーひきの方を、うっとりと有頂天になって見やっていたのである。こんなほほえみ、こんな子供らしい輝きは、ごく若い人びとか、個人の強い個別化や個性化が許されていない国民にだけ可能だと、ぼくはおりおり考えた。ところがきょう、この幸せな夜には、ぼく自身が、荒野の狼ハリーが、このほほえみを発散していた。ぼく自身はこの深い、子供らしい、おとぎ話のような幸福の中にただよい、集まりや音楽やリズムやワインや性の喜びからの甘い夢と陶酔を呼吸した。ぼくは、ある学生が舞踏会報告でそういうものを賞賛するのをきいて、しばしば嘲笑と哀れな優越感を禁じえなかった。ぼくは人が変っていた。塩が水にとけるように、ぼくの個性はお祭りの陶酔にとけこんだ。ぼくはいろいろの女性と踊った。しかし、ぼくが抱き、その髪にふれ、その香をかいだのは、相手の女性だけでなく、同じホール、同じダンス、同じ音楽の中を、ぼくのように泳ぎ、その輝かしい顔が大きな空想の花のようにそばをただよっていく、他のあらゆる女性だった。彼女たちはみんなぼくのもので、ぼくは彼女たちみんなのものだった。ぼくたちはみんな共有しあっていた。そして、男たちもその中にいた。ぼくも彼らの中にいた。彼らはぼくにとって他人ではなく、彼らの微笑はぼくの微笑で、彼らの求愛はぼくの求愛で、ぼくの求愛は彼らの求愛だった。
フォックストロットの新しいダンスが、その冬「ヤーニング」という題で世界を風靡《ふうび》していた。このヤーニングが次々と演奏され、なんどもリクエストされた。ぼくたちはみんなそれにひたされ、酔わされ、その曲をいっしょに口ずさんだ。ぼくは出会う女性は誰とでもたえず踊った。ごく若い少女たち、はなやかな若い女性、夏のように熟した女性、いたましくしぼんでいく女性と踊った。あらゆる女性に夢中になり、笑い、幸せになり、輝きながら。いつも哀れな奴だと思っていたぼくが、そんなに顔を輝かせているのをみて、パブロはぼくを目を輝かせて幸せそうにみつめた。彼は興奮してオーケストラ席の椅子から立ちあがり、はげしくホルンを吹きならし、椅子によじのぼって、ほおをふくらませて吹奏し、ヤーニングの拍子で荒々しく幸せそうにからだと楽器をゆすった。ぼくと相手の女性は彼に投げキスをし、声高らかにいっしょに歌った。ああ、ぼくはどうなってもいい、一度は幸福だったし、輝かしく、自分自身から解放され、パブロの兄弟となり、子供になったのだと、ぼくはそのさ中に考えた。
時間の感覚がなくなっていたので、この陶酔の幸福が何時間つづいたのか、それともどれぐらいの瞬間つづいたのか、ぼくにはわからなかった。お祭りが盛りになるにつれて、次第に狭い場所に集中したことにも、ぼくは気づかなかった。たいていは帰ってしまい、廊下はひっそりし、明かりも大半きえ、階段のあたりは人影がなかった。上のホールではバンドが次々におしまいになり、帰った。中央大ホールと下の地獄では、混乱したお祭りの陶酔がたえず熱烈になりながら、まだ荒れ狂っていた。男装のヘルミーネとは踊れないので、ぼくたちは休憩時間にちょっと会っては、あいさつをかわしたが、最後に彼女は全く姿をけした。目からばかりか、頭からも、姿をけしてしまった。もう考えるどころのさわぎではなかった。ぼくは酔いしれたダンスの渦巻の中にとけこんで泳ぎまわり、香気、音、ため息、言葉に触れられ、見知らぬ目にあいさつされ、はげまされ、見知らぬ顔、唇、ほお、腕、胸、ひざにかこまれ、波のように音楽の拍子にもてあそばれた。
その時ぼくは突然、一瞬なかば目ざめて、その時まだ音楽のひびいている小ホールの一つにあふれていた、まだ残っていた最後の客たちの間に見た――その時ぼくは突然、顔を白くぬった黒衣の女のピエロを見た。きれいなぴちぴちした少女で、たったひとり仮面をつけていたが、その夜みた中で一番魅力のある姿だった。他の人びとはみんな赤いほてった顔をしていたり、衣裳がしわくちゃになっていたり、襟《えり》やひだがくずれたりしていて、いかにももう遅いことを物語っていたが、黒衣の女のピエロは仮面のうしろの顔も白く、衣裳はしわにもなっていず、ひだもきちんとしていて、レースの|そで口《カフス》はまっ白で、髪もゆいたてのようにきちんとしていて、すがすがしくさわやかに立っていた。彼女に心をひかれ、ぼくは彼女を抱き、ダンスに連れこんだ。彼女の襟飾りがぼくのあごをかぐわしくくすぐり、その髪はぼくのほおをなぜた。その夜のどの他の相手よりやさしく熱烈に、彼女のひきしまった若いからだは、ぼくの動きを迎え、避け、たわむれるが如くに常に新しい接触へと強制し、いざなった。すると不意に、ぼくが踊りながらかがんで、自分の口で彼女の口を求めると、この口はすましてなじみぶかげにほほえんだ。ぼくはがっちりしたあごを認め、肩やひじや手を認めて幸せだった。それはヘルミーネだった。もはやヘルマンではなく、着がえ、さわやかに、うっすらと香水をふり、おしろいをつけていた。燃えるようにぼくたちの唇は出会い、一瞬彼女のからだ全体がひざの所まで、求めながら身をまかせきってぼくにまといつき、やがて口をはなし、ひかえめに逃れるように踊った。音楽がやむと、ぼくたちは組み合ったまま立っていた。周囲の燃え立った二人組《ペア》は拍手し、叫び、消耗したバンドをかき立てて、またヤーニングをくりかえさせようとした。その時、ぼくたちはみんなだしぬけに朝を感じた。カーテンの後ろに薄明をみ、歓楽の終りが近いのを感じた。やってくる疲れを予感し、めくらめっぽうに、笑いながら、絶望的にもう一度ダンス、音楽、光の大波の中へなだれこみ、狂乱のように拍子をとってステップをふみ、ペアとペアがくっつきあい、大波が頭上におおいかぶさるのを、もう一度感じて幸福だった。このダンスでヘルミーネはその優越、嘲笑、冷淡を捨てた彼女は、ぼくをほれこませるのに、何をする必要もないことを知っていた。ぼくは彼女のものだった。彼女は踊りでも、まなざしでも、キスでも、ほほえみでも、すべてにおいて身をゆだねていた。この熱狂的な夜のすべての女性、ぼくがいっしょに踊ったすべての女性、ぼくが燃え立たせたすべての女性、ぼくを燃え立たせたすべての女性、ぼくの求愛したすべての女性、ぼくが求めてすがりついたすべての女性、ぼくが愛のあこがれをもって見送ったすべての女性は、溶けあって、ぼくの腕の中で咲き出た、ただ一人の女性となったのだった。
長いことこの婚礼のダンスはつづいた。二、三度音楽が低くなり、吹奏者は楽器をおろし、ピアニストはグランドピアノから立ち上がり、第一ヴァイオリニストは、もうだめだと頭をふりはしたが、そのつど彼らは最後の踊り手たちの夢中の求めにまたあおられて、また演奏しだしたが、演奏はいっそう急テンポになり、荒々しくなった。やがて――ぼくたちはまだ組んだままで、最後の情欲的な踊りで呼吸が荒かった――ピアノの蓋《ふた》がぱたんと閉まり、吹奏者やヴァイオリニストの腕のように、ぼくたちの腕もぐったりたれ、フルート吹奏者は目をしょぼつかせながらフルートをケースにしまった。ドアが開き、冷たい空気がどっと流れこみ、ボーイたちが外套をもって現われ、バーの給仕は明かりをけした。幽霊のようにぞっとして、みんなはちりぢりになり、踊り手たちは、つい今しがたまでのぼせあがっていたのに、外套にそそくさとくるまって、襟を立てた。ヘルミーネは青白い顔をしてはいたが、ほほえみながら立っていた。彼女はゆっくり手をあげて、髪をうしろになでつけ、わきの下が光をうけて光った。限りなくやさしいかすかな影が、そこからかくれた胸へ走った。細いゆらぐ影の線が、あらゆる彼女の魅力、そのきれいなからだのあらゆる軽やかな動きと可能性を、ほほえみのように、総括しているように思われた。
ぼくたちは、このホール、この家に取り残されて、立って目を見かわしていた。どこか下の方でドアが音をたて、ガラスがわれ、忍び笑いが消えていくのがきこえたが、自動車のセルモーターの不快なせわしい騒音がまじってきこえた。どこかはっきりしない距離と高さの所に、大笑いの声、非常に明るいが朗かな、しかしぞっとするような異様な大笑いの声が、水晶と氷で出来ているような笑いが、明るく輝かしく、だが冷たく無情にひびくのがきこえた。この不思議なききおぼえのある笑いはどこからきこえてきたのだろう。ぼくにはわからなかった。
ぼくたち二人は立って、お互に見合っていた。一瞬の間ぼくはめざめ、味気ない気持になり、ひどい疲れがうしろからぼくを襲うのを感じ、汗でぐっしよりぬれた服がいやに湿っぽく、なまあたたかくからだにへばりついているのを感じ、静脈のふくれた赤い両手が汗でぐにゃぐにゃになったカフスからつき出ているのを見た。だが、その状態はすぐ終った。ヘルミーネのいちべつが解放してくれたのだ。彼女のまなざしからは、ぼく自身の魂がぼくを見つめているように思われたが、そのまなざしの前では、すべての現実がくずれおちた、彼女へのぼくの官能的欲望の現実も。魔法にかかったように、ぼくたちはお互に見合っていた。ぼくの哀れな小さな魂がぼくを見つめていた。
「用意はいい?」と、ヘルミーネはたずねたが、影が胸の上を飛んでいったように、彼女のほほえみは飛んでいった。どこかわからないはるかな高い所で、あの異様な笑いが消えていった。
ぼくはうなずいた。いかにも、用意はよかった。
その時ドアのところに楽士のパブロが現われ、朗らかな目つきで明るくぼくたちを見た。その目はもともと動物の目だったが、動物の目はいつもまじめなのに、彼の目はいつも笑っていて、その笑いがその目を人間の目にしていた。彼は心の底から親しげにぼくたちに目くばせした。はでな絹の室内着をきていたが、その赤い襟の折りかえしからは、くたくたになったワイシャツのカラーとげっそりした青ざめた顔が、奇妙に生気なく青白く現われていた。だが、輝いている黒い目がそれを打ち消していた。その目はまた現実を打ち消し、魔法もかけた。
ぼくたちは彼の目くばせに従い、戸口で彼はぼくにそっといった。「ハリー兄さん、ちょっとした楽しみにお招きします。入場は狂人だけ、入場料には知性を払うのです。用意はいいですか?」またぼくはうなずいた。
いい男だ。やさしくていねいに、左右にぼくとヘルミーネをかかえ、階段を一つのぼって、小さな丸い部屋に案内した。この部屋は上から青く照明されていて、ほとんどからっぽで、小さい丸テーブル一つと椅子が三つしかなかった。ぼくたちは椅子にかけた。
ぼくたちはどこにいたのか。ぼくはねむっていたのか。家にいたのか。車に乗って走っていたのか。いや、ぼくは青く照らされた丸い部屋の中、希薄になった空気の中、ひどく気密でなくなった現実の層の中にすわっていた。なぜいったいヘルミーネはひどく青白かったのか。なぜパブロはあんなにおしゃべりしたのか。彼にしゃべらせ、彼の口をかりてしゃべったのは、ぼくではなかったろうか。ヘルミーネの灰色の目からのように、彼の黒い目からも、ぼく自身の魂が、迷った不安な小鳥が、ぼくを見つめていたのではなかったか。善良ないくらか固苦しい親切さで、友パブロはぼくたちをみつめ、長いことしきりにしゃべった。彼が筋のとおった話をするのをきいたことがなく、彼は議論や明確な表現に興味をもたず、物を考える頭もあるまいと思っていたのに、その彼が今すばらしい暖かい声で、流れるように正確にしゃべったのだった。
「ねえ、お友だち、ハリーがもうずっと願っていて、夢にまでみていた楽しみに、あなた方をお招きしました。いくらか遅いし、ぼくらみんなどうも疲れているようです。だから、まずここでひと息いれて、元気をつけましょう」
壁のくぼみから彼は小さい杯を三つと、小さいおかしい形のびんを取り、彩色の木片でできた異国風の小箱を取り、びんから小さい三つの杯になみなみとつぎ、小箱から細長い黄色いタバコを三本取り出し、絹の部屋着のポケットからライターを出し、ぼくたちに火をすすめた。さて、ぼくたちはめいめい椅子にゆったりとかけ、ゆっくりとタバコをすった。その煙は香煙のようにこかった。そして、ほろにがい、不思議にも知らない、異様な味のする液体を、ちびちび飲んだ。この液体は実際かぎりなく生気を与え、幸福にしたが、それはまるでガスをつめられて、重さがなくなるような気持だった。そんなふうにぼくたちはかけて、すこしずつ吸い、休み、杯をちびちびなめ、気が軽くなり、朗かになった。そこヘパブロは暖かい声を低めて話した。
「ハリーさん、きょうあなたを少しおもてなしできて、うれしいです。あなたはときどき生きているのがいやになり、この世におさらばしようと努力しましたね。あなたはこの時間、この世界、この現実をみすてて、あなたにもっとふさわしい別の現実、時間のない世界の中へ入りたいと、あこがれています。ねえ、そうなさい、そのためにお招きしたんです。どこにこの別世界がかくされているか、あなたの探しているのはあなた自身の魂の世界であることを、あなたはごぞんじなんですね。あなた自身の心の中にだけ、あなたのあこがれるあの別の現実は生きているんです。ぼくがあなたにあげられるのは、すでにあなたの心の中にあるものだけです。あなたの魂の画廊より他のどんな画廊も、あなたに開くことはできません。何もあげられません、チャンスと動機と鍵の他には。あなたを助けて、あなた自身の世界が見えるようにすること、これだけの話です」
彼ははでな上衣のポケットにまた手をつっこんで、丸い懐中鏡を取り出した。
「ごらんなさい。こんなふうにあなたはこれまでご自分をみていたのです!」
彼は小さい鏡をぼくの目の前につきつけた(「鏡さん、お手々の鏡さん」という子供の詩の文句がふと頭にうかんだ)。いくらかどろどろになって雲のような、不気味な、中が動いている、中がぶつぶつ発酵し沸き立っている姿が見えた。ぼく自身、ハリー・ハラーである。このハリーの中に荒野の狼が見えた。おずおずした、きれいだが、迷って不安げにきょろきょろ見ている狼である。その目はあるいは意地悪く、あるいは悲しげに光った。この狼の姿はハリーの中をたえず流動した。それはちょうど、一つの河に別の色の支流が流れこんで、水をにごらせ、かきまぜ、戦い苦しみながらお互に蚕食しあい、形をととのえようといたずらにあこがれるのに似ていた。悲しく、悲しく、流動する半ば形をなした狼が、きれいなおずおずした目でぼくを見つめた。
「こんなふうにあなたはご自分をみていたのです」と、パブロはやさしく繰り返し、鏡をまたポケットにつっこんだ。ぼくは感謝し目をとじ、霊液をなめた。
「これで充分休みましたね」と、パブロはいった。「いくらか、元気になり、少しはおしゃべりも申しました。もう疲れを感じないなら、こんどはあんた方をぼくの|のぞきからくり《パノラマ》へ案内し、ぼくの小劇場をみせましょう。いいですね」
ぼくたちは立ち上がり、パブロはにこにこしながら先に立っていき、ドアをあけ、カーテンを引いた。すると、ぼくたちは劇場の馬蹄形の廊下のちょうど真中に立っていた。左右に曲った廊下が、信じられないほど沢山の狭いボックス席のドアにそって通じていた。
「これがぼくらの劇場です」と、パブロは説明した。「愉快な劇場です。きっとあんた方もいろいろ面白いものがみつかるでしょう」こういって彼は大笑いした。ほんの二声か三声にすぎなかったが、ぼくはぞっとした。それはまたしても、もう前に上からひびくのをきいたことのある、明るい異様な笑いだった。
「ぼくの小劇場には、ボックス席のドアがご希望どおり沢山、十でも百でも千でもあり、どのドアのうしろにも、お望みのものがあんた方を待っています。ねえ、それはすばらしい画室ですが、今のままで歩き回っても、役に立たないでしょう。あんた方の人格とよびならわしているものによって、じゃまされ、ごまかされるでしよう。きっととうに推測しているでしょうが、時間の征服、現実からの救済、何とよぶにせよあんた方のあこがれは、いわゆる人格から免がれたいという希望に、他ならないのです。人格はあんた方の入っている牢獄です。今のままのあんた方が劇場に入ったのでは、なんでもハリーの目で、荒野の狼の古い眼鏡を通してごらんになるでしょう。お招きしたからには、この眼鏡をはずし、この大変尊敬すべき個性をどうぞこの携帯品預り所にあずけて下さい、いつでもまたご希望通り使えますから。おすごしになったすばらしいダンスの夕べ、荒野の狼論、それから最後に今のんだわずかの興奮剤が、あんた方の用意を完全なものにしたでしょう。ハリーさん、大事な人格をぬぎすてたら、劇場の左側を自由にごらん下さい。ヘルミーネは右側をね。中で勝手にお会いになってもいいです。では、ヘルミーネ、さしあたりカーテンの後ろへいきなさい。ぼくはまずハリーを案内したいから」
ヘルミーネは、後ろの壁面全部を床から丸天井までおおっている巨大な鏡の前を通って、右の方へ姿を消した。
「じゃ、ハリー、おいで下さい。きげんよくして下さい。あんたのきげんをよくし、笑うのを教えるのが、この催し全体の目的です――ぼくのやりやすいようにして下さい。気分はいいですね、どうです? 心配なぞありませんね? ではけっこう、大変けっこうです。あんた方はこれから不安もなく、心から満足して、ぼくらのまぼろしの世界へ入るのですが、それにはならわし通りに、まぼろしの自殺を通過せねばならないのです」
彼は小さい鏡をまた取り出して、ぼくの顔の前につきつけた。またもや、迷った雲のような、もがいている狼の姿につらぬかれたハリーが、ぼくの方を見ていた。なじみはあるが、どうも感心しない像で、こんなものをぶちこわすのはいっこう平気だった。
「ねえ、このいらなくなった映像をいま消すのです、もうそれだけです。ご気分のままに、この映像を心から笑ってごらんになれば、充分なのです。今ユーモア学校にいるのですから、笑うのを学ばねばなりません。ところで、あらゆる高級なユーモアは、もう自分自身をまじめにとらないことから、始るのです」
じっとぼくは小さい鏡を、お手々の鏡さんをのぞきこんだが、その中ではハリー狼がけいれんしていた。一瞬ぼくの中で、ずっと奥深くで、そっとだがいたましく、思い出や郷愁や後悔にもにて、ひきつるものがあった。やがて、この軽い胸苦しさは新しい感じにかわった。コカインで麻酔したあごから虫歯が抜かれた時のような気分に似ていて、ほっと吐息をつく感じだが、いっこう痛くなかったという、けげんな気持でもあった。この感じに、さわやかな上機嫌と笑いたい気持が加わり、ぼくはそれにがまんがならず、胸のすくほど大笑いした。
濁った映像はぱっと光ったかと思うと、消えうせた。小さい丸い鏡の表面はふいに焼けたようになり、灰色に、ざらざらに、不透明になった。笑いながらパブロは鏡を投げすて、それは無限につづく廊下の床をころがって、見えなくなった。
「よく笑ったですね、ハリー」と、パブロは叫んだ。「これから不滅の人びとのように、笑うのを学ばなくてはいけない。さて、あんたはついに荒野の狼を殺した。かみそりではだめですよ。やつがいつまでも死んでるように、注意するのですよ。ばかげた現実はすぐ捨てられますよ。ぼくらは次の機会に兄弟の杯をかわそう。ねえ、あんたはきょうほどぼくの気に入ったことはないね。あんたがまだ大切だと思っているなら、いっしょにあんたのすきなだけ哲学したり論争したり、音楽やモーツァルトやグルック(十八世紀オーストリアの作曲家)やプラトーンやゲーテについて話してもいいですよ。なぜ前にはそうはいかなかったか、あんたはこんどはわかるだろう――うまくいくといいね。きょうのところは荒野の狼を捨てるんだね。なぜなら、むろんあんたの自殺は決定的なものでなく、ぼくらはこの魔法劇場にいるので、ここにあるのは形象ばかりで、現実はない。きれいな朗かな像だけさがし、もうあんたのいかがわしい人格にはほれこんでいないのを、示すんだね! どうしても人格を取り戻したいなら、今みせてあげる鏡をまたのぞきさえすればいい。手中の一つの鏡は壁にかかった二つの鏡にまさる、という古い格言は知ってますね。ははは!(また彼はとてもぞっとするほどきれいに笑った)――さあこれで、ちょっとした愉快な儀式をすませるだけだ。あんたは今自分の人格の眼鏡を投げすてたのだから、まあこっちへ来て、ほんとの鏡をのぞきこんだらいい! 面白いだろう」
笑って、ちょっとおどけたかっこうで愛撫しながら、彼はぼくをぐるっと回した。すると、ぼくは巨大な壁の鏡に向きあった。その中に自分の姿が映っているのがみえた。
ほんのちょっとの間、おなじみのハリーがみえたが、珍らしくきげんのいい、明るい笑顔をしていた。しかし、ハリーだとわかったとたんに、彼はくずれ、第二の姿が分離し、第三、第十、第二十の姿が分離し、巨大な鏡全体がハリーばかりで、ハリーの断片、無数のハリーでいっぱいになったが、それはどれもただちらっとみえて、ハリーだなとわかっただけだった。このたくさんのハリーの中の何人かは、ほくと同年輩で、何人かは年上で、何人かは高齢で、他のは全く若く、青年、少年、生徒、いたずら小僧、少年だった。五十歳のハリーや二十歳のハリーが、入り乱れて走り回り、跳びかっていた。三十歳のハリーや五十歳のハリー、まじめなのや陽気なの、いかめしいのやこっけいなの、みなりのいいのやみすぼらしいの、いやまるはだかの、はげたのや長い巻毛の、いろんなのがあったが、どれもぼくだった。どれもちらっと見えては、ああそうかと思う間もあらばこそ、消えうせた。左右四方八方へそれらは走り、鏡の中へ走り込むのも、鏡から走り出るのもあった。一人のしゃれた若い男は笑いながらパブロの胸にとびつき、彼をだきしめ、いっしょに走り去った。特にぼくの気に入った、十六、七歳のハンサムな青年は、稲光のように廊下へかけこんで、あらゆるドアについている掲示をむさぼるように読んだ。ぼくは後を追った。彼はとあるドアの前に立ち止った。そこの掲示にはこうあった――
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あらゆる少女は君のもの!
一マルク入れよ
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かわいい青年はぴょんととび上がると、頭っから料金投入口の中へとびこみ、ドアの後ろへ消えた。
パブロも消え、鏡もまた消えたようだった。それといっしょに無数のハリー像もことごとく消えうせた。ぼくは今自分まかせで、劇場まかせであるのを感じ、好奇心でドアからドアヘと歩き、そこにかかっている掲示、誘いと約束の文句をよんだ。
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掲示
さあ愉快な狩りに!
盛大な自動車狩り
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ぼくはこの文句にひかれて、狭いドアをあけて、中へ入った。
すると、うるさい激動する世界へひっぱりこまれた。道路には自動車が疾走していたが、一部は装甲車だった。歩行者を追いまわし、ひきつぶし、家の壁におしつけて殺していた。ぼくはすぐさとった。それは人間と機械の戦いで、長いこと準備され、待たれ、恐れられていたが、今ついに勃発したのだ。至る所に死人やずたずたに引き裂かれた屍がよこたわっていた。至る所に破壊され、曲げられ、半分燃えた自動車もころがっていた。このさんたんたるこんがらかった光景の上を、飛行機が旋回していて、方々の屋根や窓からは小銃や機関銃が、それを狙い撃っていた。あらゆる壁にはりつけられた、はでに奮起をうながす激しいポスターが、松明が燃えるような巨大な文字で、国民をあおりたてていた。いよいよ機械に対して人間を守れ、いよいよ、機械の助けで他人の膏血《こうけつ》をしぼる、でっぷりした、着飾った、香水のかおりをぷんぷんさせる金持を、その大きい、せきをし、変にうなる、悪魔のようにがらがら鳴る自動車もろともぶち殺せ、いよいよ工場に火をつけ、汚された大地をすこしかたづけ、人をへらし、また草がはえ、またちりまみれのセメントの世界から、森や草原や荒野や小川や沼地のようなものが、生れ出るようにしろと、あおりたてていた。これに反して別のポスターはすばらしい絵があり、みごとな文体で書かれ、あまり子供っぽくないやわらかい色調で、非常に賢明に才気あふるるばかりにつくられていて、前のとはあべこべに、無政府主義の恐るべき混乱に対して、あらゆる有産階級やインテリに警告し、秩序、労働、財産、文化、権利の祝福を、ほんとに感銘深くのべ、機械を人間の最高最後の発明とたたえ、その助けで人間は神々にもなるだろうとたたえていた。考えこみ感心しながら、ぼくは赤や緑のポスターをよんだ。その輝かしい雄弁と説得力のある論理は、信じがたいほどの影響をぼくに与えた。書いてあるとおりだった。ぼくはいかにもそうだと思って、ポスターの前に次々と立ってよんだが、それでも、周囲のかなり激しい銃声にひどくじゃまされた。ところで、要点ははっきりしていた。それは戦争だった。激しい、立派な、非常に同感できる戦争だった。この戦争の遂行目的は皇帝、共和国、国境、国旗、皮膚の色などというような装飾的で劇的なこと、つまりくだらないことではなく、息苦しくなり、生活が楽でなくなったすべての人が、自分の不満に適切な表現を与え、薄っぺらな文明世界の全面的破壊を開始することなのだった。破壊欲と殺人欲がすべての人びとの目からとても明るく正直に笑っているのを、ぼくは見た。ぼく自身の中でも、この赤い狂暴な花が高くごってりと咲いていて、同じように笑っていた。よろこんでぼくは戦争に参加した。
しかし、一番すばらしかったのは、そばに突然、学校友だちのグスタフが現われたことだった。数十年このかた消息不明だったが、昔は幼な友だちの中で一番乱暴で、強くて、生活力の旺盛な少年だった。彼のうす青い目がぼくにまたウインクするのを見ると、ぼくは心からうれしくなって笑った。彼がウインクすると、ぼくはすぐ喜んで彼に従った。
「やあ、グスタフ」と、ぼくはうれしくなって叫んだ。「また会えたね! 君はいったい何になったんだ?」
少年時代そっくりに、彼はしゃくにさわったように笑った。
「ばかめ、またぞろ質問ぜめで、しゃべらにゃならんのかい。神学の教授になったんだが、いいな、だけどありがたいことに今じゃもう神学なぞない、ねえ、戦争なんだ。さあ、来い!」
ちょうどぼくたちの方へすさまじい勢いで走ってきた小型自動車から、彼は運転手を撃ち落し、猿のように身軽にひらりと車に乗りこんで、停車させ、ぼくを乗せた。それから、ぼくたちは悪魔のように速く、銃弾とひっくりかえった自動車の間をぬって町から外へ、郊外から外へと走っていった。
「工場主の味方かい?」と、ぼくは友人にたずねた。
「なんだって、そいつは趣味の問題だ、そとへ出てから考えよう。いや、待てよ、むろん結局は全くどうでもいいことだが、ぼくらが別の党をえらぶのに、ぼくはむしろ賛成だ。これでも神学者だよ。先祖のルッターは当時、農民に対抗して王侯金持の味方をしたが、そいつをぼくらは今すこしばかり修正しょうぜ。ひどい車だ、あと数キロももてばいいがな」
風や天使のように速く、ぼくらはがたがたと疾走し、緑の静かな風景の中へつっこみ、何マイルもつっ走って一大平原をぬけ、次第に大きな山の坂道にさしかかった。山の中の平たい光っている道で停車したが、この道は切り立った岩壁と低い防壁の間を急カーヴでのぼっていて、はるか目下に青い光る湖がみえていた。
「きれいな所だ」と、ぼくはいった。
「とてもきれいだ。この道は心棒街道とよんだらいい。ここじゃいろんな心棒が折れることだろうて、ハリーちゃん、用心しろ!」
松の大木が一本道ばたに立っていた。その松の上の方に板で小屋のようなのが作られているのがみえた。見張台、猟師の待ち伏せ用の足場である。グスタフは明るくぼくに笑いかけて、青い目でずるそうにウインクした。ぼくたち二人は車からおり、松の木によじのぼり、とても気に入った見張台にかくれて息をころした。そこに小銃、ピストル、弾薬箱がみつかった。ぼくたちがいくらか気がおちつき、足場を固めるまもあらばこそ、もう一番近いカーヴから、大型デラックス車のしわがれたおうへいなクラクションがひびいた。車は高速度で光っている山路を疾走してきた。ぼくたちはもう銃をもっていた。すばらしい緊張感だった。
「運転手をねらえ!」と、グスタフはすばやく命令した。ちょうどその重い車がぼくたちの下を通りすぎようとした。もうぼくはねらって、運転手の青い帽子めがけて発射した。その男はくずれおれ、車はなおもばく進し、壁にぶつかり、はね返り、ふとった大きいまるはな蜂のように、ずしんとものすごい勢いで低い防壁に衝突し、もんどりうって、短く低い爆音をたてて、防壁を越えて、まっさかさまに墜落した。
「かたづいた!」と、グスタフは笑った。「次のはおれの番だ」
もうまた一台やってきた。三、四人が席にきゅうくつそうにかけていた。一人の婦人の頭からヴェールが、こわばって水平にたなびいていた。うす青いヴェールで、なんだか惜しい気がした。ご婦人の顔がその下で笑っているかも、知れなかったからだ。ああ、たとえぼくらは強盗のまねはしていても、偉大な前例に従って、われわれの勇敢な殺人欲をきれいなご婦人には及ぼさないのが、おそらくより正しくけっこうなことだったろう。だが、グスタフはもう発射していた。運転手はぴくっとひきつったかと思うと、がっくりと倒れ、車は垂直の岩に衝突して高くとびあがり、ひっくりかえって、車輪を上にして道の上にぶっ倒れた。ぼくたちは待機していたが、人の動くようすもなく、わなにかかったように、人びとは車の下に音もたてずに横たわっていた。車はなおもがたがたぶるぶる音をたて、車輪を空中でおかしげに回転させていたが、ふいに恐ろしい爆音とともにぐれんの焔《ほのお》につつまれた。
「フォードだ」と、グスタフはいった。「下りてって、道路をまた通れるようにせにゃならん」
ぼくたちは下りていって、燃えている固まりをみつめた。それはたちまち燃えつきた。ぼくたちはその間に木で梃《てこ》を作り、固まりをもちあげて路肩の方へずらせ、そこから谷間へころがした。茂みの中でいつまでもがさがさぼきぼきと音がしていた。死人の中の二人は、車をひっくりかえした時ころげおち、そこに横たわっていたが、服はいくらか燃えていた。一人の上着はまだかなりちゃんとしていた。身元がわかるかと思って、ぼくはポケットをさぐってみた。革の紙入れが出てきたが、名刺が入っていた。一枚取ってみると、「タト・トワム・アシ」(お前はそれだ)とあった。
「なかなかやるわい」と、グスタフはいった。「ここで殺す奴らがどんな名前だって、実際どうだっていいのさ。奴らはおれたちと同じ哀れな奴らさ。名前なんか問題じゃない。世界は破滅せにゃならん、おれたちもいっしょにな。十分も世界を水びたしにするのが、一番楽な解決だろうて。さあ、仕事だ」
ぼくたちは死体を車の後を追って谷間へ投げこんだ。もう新しい車がクラクションを鳴らしながら近づいてきた。それをぼくたちはすぐ道路から撃破した。車は泥酔したように回転しながらしばらく走ったが、やがてひっくり返り、あえぎながらのびてしまった。乗っていた一人はじっと中にいたが、一人のきれいな若い娘が、青ざめてぶるぶるふるえてはいるものの、けがもせずに出てきた。ぼくたちはあいそよくあいさつし、どうしましょうかと申し出た。彼女はびっくりぎょうてんしていたので、話すこともできず、気でもふれたようにしばらくぼくたちをじっと見つめていた。
「じゃあ、まずご老体の方をみるとするか」とグスタフはいって、死んだ運転手の後ろの席になおもしがみついている乗客の方を向いた。白髪を短くかった紳士で、聡明なうす灰色の目を見開らき、ひどく負傷しているらしかったが、すくなくとも口から血が流れていた。彼はこわばった首を不気味にかしげていた。
「失礼ですが、ご老体、ぼくはグスタフです。すみませんが、運転手を射殺しました。あの、どなたでしようか?」
老人は小さい灰色の目で、冷たく悲しげにみた。
「検事総長レーリングだ」と、彼はゆっくりいった。「君たちはかわいそうに運転手を殺したばかりでなく、ぼくまで……もうだめらしい。なぜいったいぼくたちを射ったのか?」
「スピード違反です」
「規定速度で走っていた」
「検事総長殿、きのうの規定はもうきょうは通用しません。車がどんなスピードで走ろうと、速すぎるというのが、ぼくらのきょうの意見です。われわれは自動車を今破壊します、みんなです。他の機械も」
「君らの小銃も?」
「ひまがあったら、そういうことになります。おそらくわれわれは明日か明後日は、全滅でしょう。御存知のように、この大陸は恐ろしく人口過剰です。それで、今すこしは楽にしなくちゃいけません」
「じゃあ誰でもかまわず射つのか?」
「はい。きっと気の毒な人もいますね。たとえばあの若いきれいなご婦人などはね――お嬢さんですか?」
「いや、速記者だよ」
「ますますけっこう。どうか下車して下さい。でないと、われわれに引きずり下ろされますよ。車は破壊されねばならないんですから」
「いっしょに破壊された方がいい」
「おすきなように。もう一つ質問させて下さい。どうもぼくにはわからないんですが、人はどうして検事になれるんですか。あなたは他の人々を、それもたいていは哀れな連中を、告発したり、有罪の判決をしたりすることで、生活してるんですね。そうでしょう」
「そのとおり。義務をはたしたのだ。職務だった。ぼくの宣告を受けた者を処刑するのが、死刑執行人の職務であるのと、同じことだ。君自身も同じ職務をひきうけているじゃないか。君だって殺してるだろうが」
「そうです。ただわれわれは義務からではなく、満足のために、いや、むしろ不満から、世界への絶望から、殺すのです。だから、殺人はわれわれに一種の楽しみなんです。殺人を楽しんだことがないですか?」
「君たちはぼくをたいくつさせるね。君たちの仕事を最後までやりとげてくれないかね。義務の観念を知らんのなら……」
彼は口をつぐみ、つばをはくように唇をゆがめた。しかし、あごにこびりついていた血が、すこし出ただけだった。
「お待ち下さい」と、グスタフはていねいにいった。「義務の観念なんかむろん知りません、もう知りません。前には職業がらそれに大いにかかわりがありました。神学の教授だったのです。その上ぼくは兵隊になって、戦争に加わりました。義務と思われるもの、その筋や上官にそのおりおり命令されるものは、全部全くよくはなくて、むしろいつも反対のことをしたいくらいだった。義務観念はもう知らないとしても、罪の観念はわきまえています――二つは同じものでしょうがね。母がぼくを生むことによって、ぼくは罪を負い、生きるべく宣告され、ある国家に属し、兵隊になり、人殺しをし、軍備のための税金を支払う義務を負わされました。そして、今この瞬間に、生の罪が前に戦時中にしたように、またぼくを人殺しをせねばならないようにしむけました。こんどはいやいや人殺しをするのではなく、ぼくは罪を甘受します。このばかげたふさがった世界がこなごなに砕けるのには、全然異議はありません。よろこんで協力し、よろこんでいっしょに滅びるんです」
検事は血のこびりついた唇で少しほほえもうと、けんめいに努めた。うまくはいかなかったが、善意は認められた。
「けっこう」と、彼はいった。「じゃあ、われわれは同志だね。さあ義務をはたし給え」
きれいな少女はその間に路傍にすわっていたが、気を失った。
その瞬間にまた一台クラクションをならし、全速力で走ってきた。ぼくたちは少女を少し傍へひっぱって、自分たちは岩にひっついて、走ってきた車を先の車の残骸につっこませた。車は急ブレーキをかけて、棒立ちになったが、損害を受けずに停車した。ぼくたちはすばやく銃をかまえて、やって来た連中にねらいをつけた。
「下りろ!」と、グスタフは命令した。「ホールド・アップ!」
下車して、おとなしく手を上げたのは、三人の男たちだった。
「あなた方の中に医者はいないか?」と、グスタフはたずねた。
彼らは否定した。
「じゃ、この紳士を用心して座席から出して下さい。重傷を負ってるんです。それからあなた方の車で次の町まで連れていって下さい。さあ、かかれ!」
まもなく老紳士は別の車にねかされ、グスタフが命令すると、皆は出発した。
その間に例の速記者はまたわれにかえり、事のなりゆきを見ていた。すばらしい獲物が手に入って、ぼくは満足だった。
「お嬢さん」と、グスタフはいった。「あなたは雇い主をなくしました。あの老紳士とは別に関係はなかったんでしょう。あなたを雇いましょう、いい同志になって下さい! さてと、少々いそぐんだ。すぐここは不愉快になるだろう。お嬢さん、木にのぼれますか? できるって? じゃ、のぼろう。ぼくら二人で両方から助けてあげるよ」
さてぼくたち三人は、できるだけ早く樹上の小屋にのぼった。お嬢さんは上で気分が悪くなったが、コニャックをのむと、すぐ元気を回復して、湖と山のすばらしい眺めに気づき、ドーラと名のることができた。
またすぐ下の方で一台やってきた。止りもしないで、用心して転覆した車の間を走りぬけると、すぐスピードをあげた。
「卑怯《ひきょう》者め!」と、グスタフは笑って、運転手を射った。車は少し踊って、ひと跳びに防壁にぶつかり、へこまして、深淵の上に斜めにぶらさがった。
「ドーラ」と、ぼくはいった。「小銃があつかえる?」
彼女はできなかったが、ぼくたちから弾丸のこめ方をおそわった。最初はへまをやって、指を傷つけ血をだし、泣いて絹ばんそう膏《こう》をくれと頼んだ。だが、グスタフは、戦争なんだから、勇敢にしっかりやってくれと、彼女に説明した。それでおさまった。
「でも、わたしたちどうなるの?」と、彼女はやがてたずねた。
「わからん」と、グスタフはいった。「友人のハリーは美人がすきだから、あなたの友人になるだろう」
「でも、あの人たち警察と兵隊をつれてきて、わたしたちを殺すわ」
「警察なんかもうない。ドーラ、ぼくらどっちをえらぶかだね。この上にとどまって、通過する車をことごとく撃破するか、車に乗って逃走し、他人に射たれるかだね。どっちをえらんでも、同じことだ。ぼくはここに留る方をえらぶね」
下ではまた一台の車がやってきて、クラクションが明るくひびいてきた。それはすぐやっつけられて、車輪を上にしてのびてしまった。
「おかしいな」と、ぼくはいった。「射撃がこんなに面白いなんて。これでも前には反戦論者だったのに!」
グスタフはにこっとした。「全く、世界には人間があまり多すぎる。前には誰もそんなことに気づかなかった。だが、誰でもが呼吸するばかりでなく、自動車をもちたくなった今では、それがはっきりわかるようになった。もちろん、今ここでやってることは、利口なことじゃない、子供の遊びだ。そういえば戦争だって、とてつもない子供の遊びだがね。将来いつかは、人類は人口の増加をいろんな合理的な手段で抑制するのを、学ばねばならなくなるだろう。当分はぼくらはがまんできない状態に、かなりばかげた反抗をしてはいるが、結局は正しいことをしている、人間を減らしてるんだからね」
「そうだ」と、ぼくはいった。「ぼくたちのやっていることは、多分きちがいざただが、それでもいいことだし、やむをえないことだ。人類が知性を酷使して、理性の全く及ばないことまでも理性を使って解決しようとするのは、よくないことだ。そんなことをすると、アメリカ人か過激派《ボルシェビキ》の理想のような、理想が生れてくる。両者ともに非常に合理的であるが、人生を全く素朴に単純化するので、人生をひどく迫害し、略奪する。かつては高い理想だった人間像は、今やきまりきったステロ版になろうとしている。ぼくたち狂人が、人間像をまた高貴なものにするだろう」
笑いながらグスタフは答えた。「おや、ひどく気のきいたことをいうね。この知恵の泉に耳をかたむけるのも、楽しいし、役にも立つよ。それに、御意見もまあまあだね。だが、たのむから、さあまた弾をこめてくれ。どうも君はいささか夢想的だよ。いつまたのろ鹿が二、三匹走ってくるかもしらんぞ。哲学でそいつを射殺もできまい。いつも弾をこめてなくちゃならんわけさ」
自動車が一台走ってきて、すぐ転覆し、道路がふさがった。生き残りの赤毛のデブが、残骸のそばでじだんだをふみ、あたりをぎょろぎょろ見回していたが、ぼくたちの隠れ場所をみつけ、わめきながらかけより、ピストルでぼくたちを何度も射った。
「さあ、行かないと、射つぞ」と、グスタフは下へ向って叫んだ。その男はまたも彼をねらって射った。そこで、ぼくたちは二発で彼を射ち倒した。
なお二台やってきて、ぼくたちはそれを討ちのめした。それから、道路はひっそりして、交通がとだえた。危険だという報せが広まったらしかった。ぼくたちはきれいな見晴しを楽しむひまができた。湖の向うの低地に小さな町があって、煙が立ち上っていた。すると間もなく、火が屋根から屋根へと移るのが、見えた。銃声もきこえた。ドーラは少し泣き、ぼくは彼女のぬれたほおをふいてやった。
「わたしたちみんなどうしても死ななくちゃいけないの?」と、彼女はたずねた。誰も答えなかった。その間に下に、一人の男が歩いてきて、こわれた自動車がころがってるのをみ、鼻をうごめかしながらその回りをめぐり、その中にもぐりこみ、はでな日傘、革のハンドバッグ、ワインのびんをひっぱり出し、のんびりと防壁にこしをかけ、ワインをらっぱ飲みし、ハンドバッグから何やら銀紙につつまれたものを取り出して食べ、びんを飲みほすと、日傘を小脇にかかえて満足して歩いて行った。のんびりと彼は歩いて行った。ぼくはグスタフにいった。「どうだい、あの感じのいい男の頭に風穴をあけてやれるかい? どうも、ぼくにはできそうもない」
「必要ないな」と、友人はつぶやいた。だが、彼も不快な気持になっていた。まだ無邪気に、のんびりと子供っぽくふるまっていて、まだ素朴な状態に生きている人を見かけると、ぼくたちのほむべき必要な行動全体が、不意にばからしく、いやに思われる。ちくしょうめ、この流血はなんだ。はずかしい。しかし、戦争では将軍でさえ時にはそう感じたそうだ。
「わたしたちもうこんな所にいたくないわ」と、ドーラは不平をいった。「木からおりましょう、きっと車の中に何か食物がみつかるわ。過激派さん、あんた方いったいお復すかないの?」
下の方の燃えている町で、鐘がけたたましく不安げに鳴り出した。ドーラが胸壁を越えるのを助けたとき、ぼくはそのひざにキスした。彼女はけらけら笑った。だがその時、柵《さく》がくずれ、ぼくたち二人は虚空に墜落した……
再びぼくは円形の廊下にいた。自動車狩りに興奮していた。至る所であらゆる無数のドアのところで、掲示の文句がいざなっていた。
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変身
任意の動植物に変身
愛経《カーマスートラム》
インド恋愛術教授
初心者コース 愛技法四十二手
面白い自殺!
君は笑い死にする
自分の霊化を望みますか?
東方の知恵
おお千枚の舌があったなら!
紳士方だけに限る
西洋の没落
割引値段 依然第一位
芸術の本質
音楽による
時間の空間への変化
笑う涙
ユーモアの部屋
隠者遊び
あらゆる社交の完全代用品
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無限に標語の列はつづいていた。一つにはこうあった。
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人格形成入門
効果保証つき
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これが注目に値すると思えたので、ぼくはこのドアの中に入った。
薄暗い静かな部屋がぼくを迎えた。その中には一人の男が、東洋ふうに椅子を用いずに床《ゆか》にすわって、前に大きい将棋盤のようなものをすえていた。ひと目みたとき、それは友人のパブロかと思った。すくなくともその男は似たはでな絹の上衣をき、同じ黒い光る目をしていた。
「あなたはパブロですか?」と、ぼくはたずねた。
「わたしは誰でもありません」と、その男は親しげに説明した。「わたしたちはここでは名がありません。ここでは個人ではないのです。わたしは将棋さしです。人格形成の教授を受けたいのですか?」
「はい、どうぞ」
「では、どうぞあなたの駒《こま》を二、三ダース使わせて下さい」
「ぼくの駒だって……?」
「あなたのいわゆる人格が分裂して沢山の姿になるのを、あなたはごらんになりましたが、それが駒ですよ。駒がなくては、わたしも将棋はさせませんからね」
彼はぼくに鏡をつきつけ、またぼくはその中に、ぼくの統一的人格が沢山の自我に分裂するのをみたが、その数はもっとふえたようにみえた。しかし、その姿は今はとても小さくて、手頃な将棋の駒くらいの大きさだった。棋士は静かな確かな手つきで二、三ダースの駒をとり、将棋盤のそばの床においた。そして彼は、おきまりの講演か講義をくりかえす人のように、単調に話した。
「人間は恒久的統一体のようなものであるという、不幸をもたらすあやまった解釈は、あなたもごぞんじです。人間が沢山の魂、非常に沢山の自我から成り立っていることも、あなたはごぞんじです。人格の外見上の統一をこの沢山の姿に分裂させるのは、狂気とされ、科学はそれに精神分裂症《シツオフレニー》という病名を発明しました。むろんどんな多数も統卒なしには、ある秩序と分類なしには制御されえないという限りでは、科学がそういうのは正しい。これに反して、多くの意識下の自我の一回限りの、拘束力のある、生涯にわたる秩序だけが存在していると、信じている点においては、科学は誤っています。この科学の誤りは沢山の不愉快な結果をまねいています。その価値は、公務員の教師や教育者がその仕事が簡単にされ、思索や実験が省略されているのを見る、という点にだけあります。この誤りの結果、多くの不治の狂人が『正常』と、いや、社会的に高い価値があるとされ、反対に、多くの天才が狂人とみなされています。そこで、わたしたちは科学の欠陥だらけの心理学を、わたしたちの構成術とよぶ概念で補足するのです。自我の崩壊を体験した人に、その断片をいつでもすきな順序で新しく並べることができ、それで無限に多様な生の遊戯をねらうことができることを、わたしたちは示すのです。詩人がひと握りの人物で劇を創作するように、わたしたちは自分の崩壊した自我の沢山の姿から、絶えず新しいグループを、新しい遊戯と緊張、永遠に新しい状況をもって形成するのです。見ていて下さい!」
おちついたなれた手つきで、彼はぼくの駒をとった。老人、青年、子供、女性、朗かなのや悲しいの、強いのや弱いの、すばしこいのや不器用なの、そういう駒を全部すばやく盤にならべた。駒は動きはじめると、すぐグループ、家族、遊びと戦い、敵と味方を形成し、小世界を作った。ぼくの見とれている目の前で、彼は活気がある上に整然とした小世界をしばらく動かし、遊ばせ戦わせ、同盟をむすばせ戦争させ、お互に求婚させ結婚させ、ふえさせた。実際、それは登場人物の多い波瀾《はらん》にとむ緊張した劇だった。
それから、彼は晴れやかな態度で盤の上をなで、駒をみんなゆっくりひっくりかえし、積み上げて、気むずかしい芸術家らしく慎重に、同じ駒で全く新しい棋譜を、全く別の駒組み、関係、組み合せでつくりあげた。第二局は第一局と関係があり、それは同じ世界で、同じ材料から形成されていたが、調子は変っていて、テンポも改められ、動機のアクセントは変り、局面もちがっていた。
こんなふうに老練な棋士は、ぼく自身の一片である人物で、棋譜を次々と作成した。どれも互にわずかに似ていたが、同じ世界に属していることがわかり、同じ血統に拘束されているが、どれも全く新しかった。
「これが処世術です」と、彼は講義した。「あなた自身これからあなたの人生の棋譜を、すきなように形成しつづけ、活気づけ、もつれさせ、ゆたかにしてもいいのです。それはあなた次第です。より高い意味での狂気が、あらゆる知恵の始めであるように、精神分裂症はあらゆる芸術、あらゆる空想の始めです。学者たちでさえ半ばすでに認めています。たとえば『王子の魔笛』をよめばわかりますが、このみごとな本は、一学者の苦心の労作が、精神病院にとじこめられた沢山の狂気の芸術家たちの協力をえて、高貴にされたものなのです――さあ、あなたの駒をおしまいください。これで将棋をなさると、まだときどき楽しめるでしょう。きょうは大きくなって我慢のならないかかしになって、あなたの手づまりになっている駒を、あなたはあすはじゃまにならない脇役に格下げするでしょう。しばらくは不運な星の下にある運命のように思われる、哀れなかわいらしい駒を、次の局では王女にするでしょう。どうぞ充分お楽しみ下さい」
ぼくはこの立派な棋士に感謝してうやうやしく一礼し、小さい駒をポケットにしまい、せまいドアを通って部屋を出た。
本当は、すぐにでも廊下の床にすわって、何時間でも、永久にでも、駒であそぼうと思っていたのだった。だが、明るい円形劇場の廊下にまた出ると、ぼくの意志より強い新しい流れが、ぼくをそこからひっぱっていった。一枚のポスターが目の前でまばゆく燃え立った。
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荒野の狼調教の奇跡
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いろいろの思いを、この文句はぼくの胸にかきたてた。自分の過去の生活、捨てた現実からのあらゆる不安と圧迫が、ぼくの胸をいたましくしめつけた。ふるえる手でドアを開け、ぼくは年の市の屋台に入ったが、そこには鉄格子が作ってあり、ぼくとみすぼらしい舞台をへだてていた。舞台には猛獣使いが立っているのが見えた。どこか山師的にみえ、もったいぶった男で、大きい口ひげ、筋肉隆々たる二の腕、しゃれたサーカスの服にもかかわらず、いじ悪く、全くいやらしくぼくに似ていた。このたくましい男は――なんとあさましい光景だろう――一匹の大きなきれいな、だが恐ろしくやせた、奴隷のようにおずおずとした目つきの狼を、犬のように麻なわでつないで連れていた。この残忍な猛獣使いが気高いがいやになるほどおとなしい猛獣に、一連の芸当とセンセーショナルな場面を演じさせるのを見るのは、胸くそ悪くもあれば面白くもあり、いやらしくもあれば、ひそかに愉快でもあった。
ぼくの呪われた、ゆがんだ鏡に映った双子の兄弟のこの男は、むろん狼を信じがたいほどならしていた。狼は注意深くどんな命令にも従い、どんなかけ声やむちの音にも犬のように反応した。ひざまずいたり、死んだふりをしたり、ちんちんをしたり、パンや卵や肉や小さいかごを口にくわえて、すなおにおとなしく運んだりした。それどころか、猛獣使いが落したむちを、口で拾い上げて、後からもっていかねばならなかった。そうしながらも、狼はがまんのならないほどへいへいして尾をふった。狼の前に飼い兎が、次に白い子羊が連れてこられた。狼は歯をむき出し、ふるえるほど食べたくてよだれをたらしはしたが、どの動物にもふれず、命令に従って、ふるえながら地面にうずくまっている動物たちを、みごとな跳躍でとびこえた。それどころか兎と子羊の間にうずくまり、前足で動物たちをだき、感銘深い家族グループを作った。さらに人の手から板チョコをたべた。信じがたいほどにこの狼が本性を否定するのを学んだのをいっしょに見るのは、苦しかったし、身の毛がよだった。
しかし、この苦しみに対して、興奮して見物していたぼくは演技の第二部で、狼自身と同じように、報いられた。洗練された調教プログラムが終り、猛獣使いが子羊と狼のグループの上に、勝ちほこったようににっこりと笑って深く一礼すると、役割は入れかわった。ハリーに似た猛獣使いは突然ふかぶかとおじぎをして狼の足もとにむちをおき、前の狼のようにふるえ、ちぢみあがり、哀れな様子になりだした。だが、狼は笑いながら舌なめずりし、けいれんと虚偽の仮面は消えうせ、そのまなざしは光り、全身はひきしまり、野性を取り戻してりりしくみえた。
さて、こんどは狼が命令し、人間が従わねばならなかった。命令に従って人間はひざまずき、狼の役を演じ、舌をたらし、つめものをした虫歯で服をからだから引き裂いた。彼は人間使いの命令に応じて、二本足や四つ足で歩き、ちんちんをし、死んだふりをし、狼を背に乗せ、むちをはこんだ。犬のようにまた才能ゆたかに、彼はあらゆる屈従と倒錯に、空想力ゆたかに応じた。一人のきれいな少女が舞台に登場し、調教された人間に近づき、そのあごをなで、ほおずりをしたが、彼はあいかわらずよつんばいのままで、畜生になりきっていて、頭をふり、美しい少女に歯をむき出し始め、ついにはいかにも狼のようにおどしたので、彼女は逃げていった。チョコレートが前におかれたが、彼はそれをばかにしたようにかいで、おしのけてしまった。最後に白い子羊とふとったぶちの飼い兎が、また連れてこられた。すると、こののみこみのいい人間は最後のものまで投げ出し、おかしいほどに狼の役割を演じた。指と歯で、彼は悲鳴をあげる動物をつかまえ、皮と肉をずたずたに引き裂き、歯をむき出して生き肉をかみ、快感に目をとじて、しきりに暖かい生血をすすった。
ぼくはびっくりしてドアから逃げ出した。この魔法劇場は楽園ではなく、あらゆる地獄がそのきれいな表面の下に横たわっているのを、ぼくは見た。ああ、ここにもいったい救いはなかったのだろうか。
ぼくは不安げに走りまわり、口の中に血やチョコレートの味を感じたが、どれもいやらしかった。このにごった波をのがれようとあこがれ、熱烈に自分自身の中に、もっとがまんできる気持のよい光景を求めてあがいた。「おお友よ、そんな調子はやめよう!」と、ぼくの心の中で歌うのがきこえた。戦時中にたびたび見たことのある、前線のあの身の毛のよだつ写真、ガスマスクのために歯をむき出した悪魔の渋面に変じた、恐ろしい形相の死体のるいるいたる山を、ぼくは思い出してぞっとした。ぼくが人道的反戦論者として、こんな光景にびっくりした頃は、ぼくはなんとまだ愚かで、子供っぽかったことだろう。きょうぼくは知ったのだが、どんな猛獣使い、大臣、将軍、狂人でも、頭の中にいだくことのできる思想や光景は、ぼく自身の中にも同じようにおそろしく、野蛮で邪悪に、無骨に愚かに住んでいる思想や光景と変りないのだった。
前に芝居が始まるとき、あのハンサムな青年が一つの掲示に激しくとびこむのを見たが、その次のような掲示を思い出して、ぼくはほっとした。
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あらゆる少女は君のもの
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そして、要するに本当にこれよりこのもしいものは他にないように思われた。呪われた狼の世界からまた逃れられるのをよろこんで、ぼくは入っていった。
不思議にも――大変伝説的でとてもなつかしくもあったので、ぼくは全身ぞっとしたが――ここでぼくの青春の香が、青少年時代の雰囲気がぼくの方にただよってきた。ぼくの胸にはあの頃の血が流れた。ぼくがつい先ほどまでしたこと、考えたこと、在ったことは、自分の背後に没し、ぼくはまた若返った。まだ一時間前、ちょっと前までは、愛や欲望やあこがれが何であるかを、ほんとによくわきまえていると思っていたが、それは老人の愛やあこがれだった。今ぼくはまた若返り、心の中に感じるもの、この燃え流れる火、強くひきつけるあこがれ、三月の暖風のように氷雪をも溶かす情熱は、若々しく、新しく、本物だった。ああ、なんと忘れられた火がまた燃え上がり、なんとみなぎり、暗く昔の調べがひびき、なんと血はたぎり、なんと胸は叫び歌ったことだろう。ぼくは十五、六の少年になった。頭はラテン語、ギリシア語、きれいな詩句でいっぱいだった。思いは努力や野心でいっぱいだった。空想は芸術家の夢でいっぱいだった。しかし、これらすべての燃えさかる火よりもずっと深く、強く、恐ろしく、ぼくの内には愛の火、性の飢え、快楽の身をさいなむ予感が、燃えおののいていた。
ぼくは、小さい故郷の町を見下ろす岩の丘の一つに立っていた。暖風と初《はつ》ざきのすみれの香がした。小さい町からは、川とぼくの生家の窓が光っていた。そしてすべては、かつてぼくが思春期の非常に充実した詩的な時間にこの世界を見た時と同じように、ざわめきにみち、新鮮に、創造に酔って、眺め、色こく輝き、超現実的に光明にみちて、春風となって吹いた。ぼくは丘の辺に立ち、風は長い髪をなぶった。ためらう手で、夢見る愛のあこがれにふけって、緑がかってきた茂みから半ば開いた若葉の芽をつみ、目の前にもっていって、香をかいだ(もうこの香をかぐと、ぼくはその頃のことをことごとく熱烈に思い出した)。それから、この小さい緑の芽を、まだ少女にキスしたこともない唇にくわえてもてあそび、かみはじめた。この渋い、かんばしくも舌を刺すような味で、ぼくは不意に、今体験していることを、はっきり知った。すべてがまたよみがえったのだ。ぼくは少年時代の最後の頃のひと時、早春の日曜の午後、ひとりで散歩していてローザ・クライスラーに出会い、おずおずとあいさつし、夢中で彼女に恋してしまったあの日を体験した。
あの時ぼくは、ひとりで夢見るように丘を登ってきて、まだぼくに気づかなかったきれいな少女を、不安な期待にみちて眺めていた。髪は太いおさげにあまれていたが、ほおの両側にほつれ毛がたれていて、それが風になぶられなびくのを、ぼくは眺めた。ぼくは生れて初めて眺めたのだが、この少女はどんなにきれいだったろうか、そのやわらかい髪にたわむれる風がどんなにきれいで夢のようだったろうか、薄い青い服が若いからだをなんときれいに、あこがれをかきたてるようにつつんでいたことだろうか。同じようにまた、春の不安な甘い欲望と不安すべてが、かんだ芽のにがく風味のある味でぼくをひたしたように、この少女をみたしたとき、愛の致命的な予感、女の予感、非常な可能性と約束、名状しがたい歓喜、思いも及ばぬ混乱や不安や悩み、心からの救いといとも深い罪などの予感が、ぼくをみたした。ああ、にがい春の味がぼくの舌の上でなんと燃えたことだろう。ああ、たわむれる風が赤いほおのほつれ毛をなんとなぶったことだろう。やがて、彼女はぼくに近づくと、目をあげ、ぼくに気づき、一瞬ほんのりと顔が赤らんだが、視線をそらせた。そこでぼくは堅信礼用の帽子をぬいであいさつすると、ローザはすぐ気を取りなおして、にこっとしていくらかおとなびた様子で、顔をあげたままあいさつを返した。そして、ゆっくりと、しっかりと、優越感をもって、歩いていった、彼女の後ろ姿に送る幾千の愛の願い、要求、敬意につつまれて。
あの時は、三十五年前の日曜日は、こうだった。あの時のことがすべてこの瞬間にもどってきた。丘と町、三月の風と芽の香、ローザととび色の髪、ふくれあがるあこがれと喉をしめつける甘い不安が、またもどってきた。すべてがあの時と同じだったし、この人生であの時ローザを愛したように愛したことは、もうないように思われた。しかし、こんどはあの時とは別なように、彼女を迎えることができた。彼女がぼくに気づいて、顔を赤らめ、それをかくそうとするのを、ぼくは見た。そして、彼女がぼくをすきになり、この出会いが彼女にとって、ぼくにとってと同じものを意味しているのを、すぐ知った。そして、こんどはまた帽子をぬぎ、彼女が通りすぎるまでそのままで立ちつくす代りに、不安と胸苦しさにもかかわらず、ぼくの血がすることを命じたことをした。「ローザ、君がきてくれてありがたい、君はなんてきれいなんだ。ぼくは君がとてもすきなんだ」と叫んだのである。こんな決定的瞬間にいうにしては、気のきかないせりふだったかもしれないが、このばあい気がきかなくたってよかった。それで充分だった。ローザはおとなびた顔もせず、さっさと歩いてもいかず、立ち止って、ぼくの顔をみつめ、前よりも赤くなっていった。「こんにちは、ハリー、いったいほんとにわたしがすきなの?」その時とび色の目が力のこもった顔から輝いた。そしてぼくは、ぼくの過去の生活と愛が、あの日曜日にローザを逃がしてしまった瞬間から、すべてまちがった、もつれた、おろかな不幸にみちたものとなってしまったのを感じた。だが、今や誤りはつぐなわれ、すべては別になり、すべてはよくなった。
ぼくたちはお互に握手し、手に手をとってゆっくり歩いていったが、なんともいえないほど幸福だが、ひどく当惑して、何をいったものか、何をしたものか、わけがわからず、当惑して足をはやめて走り出し、息が切れて立ち止まらざるをえなくなるまでかけた。それでも手ははなさなかった。ぼくたち二人はまだほんのねんねだったので、いったいどうしたらいいのか、よくわからなかった。その日曜日には、はじめての口づけさえしなかった。でも、ぼくたちはひどく幸せだった。ぼくたちは立ったままで息をつき、草の中にすわり、ぼくが彼女の手をなでると、彼女は別の手でおずおずとぼくの髪をなでた。それからぼくたちはまた立って、たけ比べをしようとした。実際は指の幅ほど、ぼくの方が大きかったが、ぼくはそれを認めないで、ぼくたちは全く同じ大きさで、神さまがぼくたちをお互のものとお定めになり、ぼくたちは後で結婚するだろうと、確認した。その時ローザは、すみれの香がするといった。ぼくたちは短い春草の中にひざまずいて、茎の短いすみれを二、三本さがし出し、お互にそれをプレゼントしあった。冷えてきて、岩の上の陽ざしがかたむくと、ローザは、家へかえらなくちゃといった。それで、ぼくたち二人はとても悲しくなった。彼女を送って行けなかったからだった。でも、もうぼくたちはお互に秘密をもっていたし、それは、ぼくたちの持っている一番やさしいものだった。ぼくは上の岩の中にとどまり、ローザのくれたすみれの香をかぎ、絶壁の縁にねそべり、谷間の方を向き、はるか町を見下ろし、彼女の愛らしい小さな姿がずっと下の方に現われ、泉のそばを通り、橋を渡っていくまで、じっと見送っていた。そして、こんどは彼女が家についたのを知った。彼女は部屋を通りぬけた。そして、ぼくはこの丘の上に彼女から遠くはなれてねそべっていた。しかし、ぼくから彼女へは、一本の絆《きずな》が走っていて、一つの流れが通じており、一つの秘密が吹きかよっていた。
ぼくたちはまた会った、ここかしこで、岩の上で、庭のかきねのそばで、その春中ずっと続けて会った。そして、にわとこが咲きそめるころ、初めてのおどおどした口づけをかわした。ねんねのぼくたちのお互に与えることのできるものは、あまりなかった。ぼくたちの口づけは熱くもなければ、濃くもなかった。耳のまわりのほつれ毛を、ぼくはやっとのことでそっとなでただけだった。それでも、ぼくたちにできる愛と喜びは、みんなぼくたちのものだった。おずおずと触れあうごとに、未熟な愛の言葉をかわすごとに、不安にお互を待つたびに、ぼくたちは新しい幸福を学び、愛の梯子《はしご》の小さい階段を登った。
こんなふうにぼくは、ローザとすみれから始って、ぼくの愛の生活を全部もう一度、いっそう幸せな星の下で経験した。ローザは姿を消し、イルムガルトが現われた。太陽はいっそう暑くなり、星はいっそう酔いしれたが、ローザもイルムガルトもぼくのものとはならなかった。一段一段とぼくは登り、多くを体験し、多くを学ばねばならなかったが、イルムガルトもアンナも失わねばならなかった。かつて若いころ愛したすべての少女を、ぼくはまた愛したが、どの少女にも愛をそそぎ、何かを与え、どの少女からも贈物をおくられることができた。かつてはただ自分の空想の中にだけ生きていた願い、夢、可能性は、今や現実となり、生きられた。ああ、お前たち美しい花のすべてよ、イーダよ、ローレよ、ぼくがかつてひと夏、一ヵ月、一日愛したことのある、お前たちみんなよ!
自分は今、その昔熱心に愛の門めがけてかけて行くのがみられた、あの燃えるような美青年であるのを、ぼくは理解した。自分の自我の他のあらゆる姿にわずらわされず、思想家にじゃまされず、荒野の狼に苦しめられず、詩人や空想家や道徳家にも制限されず、自分は今自分の一片、自分の存在と生活の十分の一か千分の一だけを実現したこの一片を、生きぬき、成長させたことを、ぼくは理解した。いや、今ぼくは愛する者にほかならず、愛の幸福と苦しみだけを呼吸していた。もうイルムガルトはぼくにダンスを教え、イーダはぼくにキスを教えてくれた。そして、一番美人だったエンマは、秋の夕べ、風にそよぐ楡《にれ》の葉かげで、そのとび色の乳房にキスさせ、歓楽の杯を飲ませてくれた、最初の女性だった。
沢山のことを、ぼくはパブロの小劇場で体験したが、その千分の一も言いつくせない。かつて愛したことのある少女たちはみんな、今はぼくのもので、どの少女もぼくに、彼女だけの与えられるものを与え、ぼくは彼女たちに、彼女だけがぼくから受けることのできるものを与えた。多くの愛、多くの幸福、多くの快楽、多くの迷いと悩みも、ぼくは味わうことになった。ぼくが生涯に取り逃がしたすべての恋愛が、この夢のひと時に魔法のようにぼくの庭に花咲いた。そそとしたかれんな花、ぐれんの焔と燃える花、寿命の短い暗い花、ゆらぎ燃える快楽、熱烈な夢想、胸をこがす憂欝《ゆううつ》、不安な死、輝かしい新生と、色とりどりだった。ぼくのみつけた女性は、ある者はそそくさと嵐の中で手に入れねばならなかったし、他の者は長いこと注意深く求愛するのが幸せだった。ぼくの生涯のすべてのほの暗い隅々《すみずみ》がまた浮び上がってきたが、そこではかつて、つかの間のことではあれ、性の声がぼくに呼びかけ、女性のまなざしがぼくの胸の火をともし、ほのかに光る白い乙女のやわ膚《はだ》がぼくをいざなった。そして、取り逃がしたものはすべて取り戻された。すべての女性がそれぞれのやり方でぼくのものになった。うすい亜麻《あま》色の髪の下に奇妙な濃いとび色の目をもった女性がいた。ぼくはかつて急行列車の廊下の窓辺に、十五分間も並んで立っていたのだが、彼女は後で何度かぼくの夢に現われた――彼女はひと言もいわなかったが、ぼくに意外な、ぎよっとさせるような、非凡な恋愛術を教えてくれた。マルセイユ港の色つやのよい、静かな、ガラスのようにほほえむ中国女は、くせのない漆黒《しっこく》の髪とうるんだ目をもっていたが、彼女も前代未聞のことを知っていた。どの女性も秘密をもち、それぞれの国の土地の香をにおわせ、独特のやり方でキスし笑い、特別のやり方ではじらい、そしてはじしらずだった。彼女たちは来たり去ったり、流れが彼女たちをぼくに運び、ぼくを彼女たちの方へ打ち寄せ、彼女たちからぼくを流し去った。それは性の流れの中の、たわむれのような、子供っぽい泳ぎで、魅力と危険と意外な驚きにみちていた。自分の生活が、一見いかにも貧しく愛のない荒野の狼の生活が、情事と機会と誘惑にとんでいるのに、ぼくは驚嘆した。ぼくはそれをほとんどみな取り逃がし、逃れ、よろめきながらのりこえ、あっさり忘れてしまった――しかし、それはことごとく一つも欠けることなく、無数に、保存されていた。そして、今ぼくはそれらをみ、それらに没頭し、それらに対して開かれていて、そのばら色にたそがれる下界へおりていった。パブロが前にぼくに提案したあの誘惑も、また戻ってきて、別の以前の、あの頃は意味もよくわからなかった、三、四人でする奇抜な遊びも、にっこりとぼくをその輪舞の中へつれこんだ。言葉でいえないような、いろんなことが起こり、いろんな遊びが行われた。
無限に流れる誘惑へ悪徳、わなの流れから、ぼくはまた浮び上がった。静かに、黙って、用意をととのえ、知識に満足し、賢く、深い体験をつんで、ヘルミーネにふさわしい熟した者として、浮び上がった。ぼくの沢山の人物の登場する神話の最後の人物として、無限につづく名前の最後のものとして、ヘルミーネが浮び上がるとともに、ぼくの意識はよみがえり、愛のおとぎ話を終らせた。なぜなら、ぼくはこの魔法の鏡の薄明の中で彼女に会いたくなく、あの一つのぼくの将棋の駒だけではなく、ハリーのすべてが、彼女のものだったからである。ああ、ぼくはこれからは、すべてが彼女に結びつき、実現するように、将棋のさし手を変えよう。
流れがぼくを岸へ打ち寄せ、ぼくはまた劇場の静かなボックス席の廊下に立った。さて、こんどはどうしたものか。ぼくはポケットの駒をさぐったが、もう将棋をさす気はなくなっていた。ドアと掲示と魔法の鏡の世界が、ぼくをとめどもなく取り巻いていた。なんの気なしに次の掲示をみて、ぼくはぞっとした。
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愛による殺人法
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とそれには書いてあった。一瞬の間ぱっときらめくように、一つの思い出の光景がぼくの胸の中に光った。ヘルミーネはあるレストランのテーブルで、ふいにワインと食事を忘れて深刻な会話に没頭し、おそろしく真剣な目つきで、ぼくの手で殺されるためにだけ、ぼくを自分にほれこませるのだと、ぼくに語ったのだった。不安と闇黒の重い波がぼくの胸の上へおしよせた。突然またすべてがぼくの前に立ち、突然ぼくは胸の奥底にまた苦悩と運命を感じた。がっかりしてぼくはポケットに手をつっこみ、駒を取り出し、少しばかり魔法を使い、将棋盤の駒をならべかえようとした。もう駒は一つもなかった。ぼくはポケットから駒の代りにナイフを取り出した。びっくり仰天して廊下のドアの前を走っていき、不意に巨大な鏡の前に立ち、のぞきこんだ。鏡の中には、ぼくくらいの大きさに、一匹の巨大な美しい狼がじっと立っていて、不安な目をおずおずと光らせていた。焔のように光る目を細めてぼくをみ、ちらっと笑ったので、口が一瞬ひらいて、赤い舌がみえた。
パブロはどこだろう。ヘルミーネはどこだろう。人格形成についてみごとにだべった、あの利口な奴はどこだろう。
もう一度ぼくは鏡をのぞきこんだ。たわけめが。狼なぞ高い鏡の後ろに立って、舌なめずりなどしてはいなかった。鏡の中にはぼくが、ハリーが立っていた。生気のない顔をし、あらゆる遊びに見はなされた、あらゆる悪徳につかれた、ひどくあおざめてはいたが、それでもとにかく一人の人間、とにかく人が話の相手にできる誰かだった。
「ハリー」と、ぼくはいった。「そこで何をしてるの?」
「何も」と、鏡の中のハリーがいった。「待ってるだけだよ。死を待ってるんだ」
「死はいったいどこにいるんだ?」と、ぼくはたずねた。
「やって来る」と、別のハリーがいった。すると、劇場の奥のうつろな空間から、音楽が、きれいな恐るべき音楽が、きこえてきた。石のお客の登場を伴奏する「ドン・ジョヴァンニ」(モーツァルトのオペラ)の曲だった。氷のような響きが、幽霊屋敷にぞっとするようにひびいた、彼岸から、不減の人びとからやって来て。
「モーツァルトだ!」と、ぼくは思って、自分の内面生活の最愛最高の像を呼び出した。
すると、背後で哄笑《こうしょう》が、明るい氷のように冷たい哄笑がひびいた。苦難と神々のユーモアの、人間には未聞の彼岸から生れた哄笑である。ぼくはこの笑いに冷え冷えした気持になり、幸せな気持にもなり、ふりむくと、モーツァルトがやって来た。彼はぼくの前を笑いながら通りすぎ、ゆっくりとボックス席のドアへ歩いていって、あけて中に入り、ぼくは自分の青春の神、自分の愛と尊敬の生涯の目標だったモーツァルトの後を熱心に追った。音楽はひびきつづけていた。モーツァルトとボックス席の手すりのそばに立っていた。劇場には何もみえなかった。際限のない空間を闇がみたしていた。
「ねえ」と、モーツァルトはいった。「サキソフォンがなくたって、うまくいくね。もっともわたしはこの有名な楽器にあまり近づきたくはないがね」
「ぼくたちはどこを聞いているんですか?」と、ぼくはたずねた。
「ドン・ジョヴァンニの最後の幕だよ。レポレロはもうひざまずいている。すばらしい場面だ。音楽だっていいじゃないかね。この音楽は非常に人間的なものをいろいろ含んでもいるが、すでに彼岸が、笑いが感じ取られる――だろう」
「この音楽は、これまで書かれた最後の大作です」と、ぼくは学校の先生のようにおごそかにいった。「確かに、後にシューベルトも、フーゴー・ヴォルフもつづきました。あの哀れな華麗なショパンも、ぼくは忘れてはならないでしょう。先生、額にしわをよせましたね――ああ、そうです、ベートーヴェンもいます。彼もすばらしいです。でも、すべては、どんなに美しくとも、どことなく断片的な点、散漫な点を含んでいます。完璧な作品は、ドン・ジョヴァンニ以来まだ人間によって作られていません」
「あまり気ばらないで下さいよ」と、モーツァルトはひどく人をばかにしたように笑った。「あなた自身も音楽家なんでしょうね。ところで、わたしはこの職業をやめて、隠退したのです。ただ楽しみで時には催しを見にでかけるのですよ」
彼は指揮するように両手を上げた。月か青ざめた星座が、どこかにのぼった。手すりごしに、ぼくは測りがたい空間の深みをのぞいた。霧と雲がその中を流れていた。山脈と海岸がたそがれた。ぼくたちの足下には、砂漠のような平野が世界のように広くひろがっていた。この平野の中に、ひげの長い尊敬すべき老紳士が現われたが、顔をくもらせ、数万人の黒衣の男たちの長蛇の列をひきいていた。彼は悲しげで、絶望的な様子をしていた。モーツァルトはいった。
「ごらん、あれがブラームスだ。彼は救いを求めて努力しているが、それにはまだかなり時間がかかる」
ぼくが知ったところでは、この黒衣の数万の人びとはことごとく、神の裁きによれば彼の総譜の中でよけいだと思われる、声部や音符の演奏者たちだった。
「楽器を用いすぎ、素材を浪費しすぎる」と、モーツァルトはうなずいた。
そのすぐ後でぼくたちは、同じような大群衆の先頭にリヒァルト・ワーグナーが行進するのを見て、実に何千もの人びとが彼に吸いついているのを感じた。現に彼は受難者の足どりで、疲れてとぼとぼと歩いているのが、見られた。
「ぼくの若い頃には」と、ぼくは悲しげにいった。「この両音楽家は、考えられる限り最大の対立とされていました」
モーツァルトは笑った。
「そう、いつもそうだね。いくらかはなれて見れば、この対立は次第に似てくるのが常だよ。楽器を使いすぎるのは、とにかくワーグナーやブラームスの個人的欠点ではなく、彼らの時代の誤りですね」
「なんですって? 彼らはそれをこんなにひどくつぐなわねばいけないのですか?」と、ぼくは非難するように叫んだ。
「もちろん。それが裁判の道筋というものだ。彼らがその時代の罪をつぐなった時初めて、清算しがいのあるほど、沢山の個性的なものがなおも残るかどうかが、わかるだろうね」
「でも、何も彼らの責任ではありません!」
「もちろん、ありませんね。アダムがりんごをたべたのにも、彼らは責任がない、それなのにつぐなわねばいけないですね」
「なんて恐ろしいことでしょう」
「確かに、人生はいつだって恐ろしい。わたしたちはどうしようもないが、それでも責任があるんです。人は生れると、もう罪を背負っているのです。そんなことがわからないとしたら、あなたは変てこな宗教教育を受けたにきまっていますね」
ぼくはひどくみじめな気持になった。ぼくは自分自身が、ぐったり疲れた巡礼のように、彼岸の荒野を進んでいくのを見た。自分の書いた沢山のあらずもがなのあらゆる本や論文や雑文を背負い、その仕事をした植字工の群れや、そんなものを何でもうのみにせねばならなかった読者の群れを、後に従えて。これはしたり、アダムとりんごと他の原罪がすべて、その他にあった。これらはすべてつぐなわれねばならなかった。無限の浄罪火があって、それをへて初めて、それでもなおも何か個性的なもの、何か独特のものがあるかどうか、あるいは、ぼくの行動とその結果はすべて海面の空しいあわにすぎないのか、事件の流れの中の無意味なたわむれにすぎないのかどうか、という問題が生じるだろう。
モーツァルトはぼくのがっかりした顔をみて、大声で笑いだした。おかしさのあまり彼はとんぼがえりをし、両足で顫音《トレモロ》を出した。と同時に、彼はぼくにどなった。「おい、お若いの、舌が君をかむのか、肺が君を苦しめるのか? 君の読者、いやな奴、哀れな大食漢、君の植字工、異端者、呪われた煽動者、サーベル研《と》ぎのことを考えてるのかい? そいつあ笑わせる、このうるさがため、噴飯《ふんぱん》ものだ、破産ものだ、ズボンの中にやっちまうようなもんだ! 印刷屋の黒インキと心の痛みをもった信心ぶかい心よ、わたしはおまえにろうそく一本そなえよう、ただちょっと冗談にね。無駄話をし、たわごとをのべ、人さわがせをし、からかい、尾をふり、なかなかばかにできない奴だった。さらばだ、下らんことを書いたり、ばか話をしたむくいで、悪魔にさらわれ、さんざんなぐられたらいい、どうせそんなものはみんな盗み集めて、でっちあげたものなんだろうさ」
それはあまりひどすぎた。ぼくはかっとなって、もう悲しんでいるひまもなかった。ぼくはモーツァルトの弁髪をつかんだ。彼は飛び去り、弁髪はだんだん長くのび、彗星《すいせい》の尾のようになり、ぼくはその端にぶらさがって、世界中を引き回された。ちくしょう、この世界の中は冷たかった。ここの不滅の人びとは恐ろしく希薄な氷のような空気にたえていた。しかし、この氷のような空気はぼくを満足させた。ぼくは気を失う寸前に、それを感じた。ひどく強烈な、鋼鉄のようにつやのある、氷のような明朗さが、モーツァルトのように明るく、荒々しく、この世のものでないように笑いたいという願いが、ぼくをくまなくみたした。だが、そのとき呼吸も止り、意識もなくなっていた。
またわれに返ったとき、ぼくは混乱し、うちのめされていた。廊下の白い光は、ぴかぴかの床に映っていた。ぼくはまだ不滅の人びとのもとには達していなかった。あいかわらず、謎《なぞ》や苦しみや荒野の狼どもや苦しい紛糾の此岸《しがん》にいた。いい所でも、がまんして滞在できる所でもなかった。けりをつけねばならなかった。
大きい壁鏡の中に、ハリーがぼくに向きあって立っていた。彼はいい様子でなかった。教授訪問や黒鷲屋の舞踏会などの後のあの夜と、そう変らない様子だった。しかし、それはとうの昔のことで、数年、数百年前のことだった。ハリーは年をとっていて、ダンスを覚え、魔法劇場を見物し、モーツァルトの笑うのをきき、ダンスや女性やナイフなどはもうこわくなかった。平凡な人間でも、数百年の年の功をつめば、成熟するものである。長いことぼくは鏡の中のハリーをみつめた。まだ彼だということがよくわかった。彼はあいかわらずほんのわずかだが、十五歳のハリーに似ていた。ある三月の日曜日に岩の丘の辺でローザに出会い、堅信礼用の帽子を彼女の前でぬいだ、あのハリー少年にどこか似ていた。だが、彼はそれから二、三百年歳年をとり、音楽と哲学をやって、うんざりし、「鉄かぶと屋」でエルザス・ワインを大いにのみ、実直な学者たちとクリシュナ神について論争し、エーリカとマリーアを愛し、ヘルミーネの友人になり、自動車を射撃し、はだのすべすべした中国女と寝、ゲーテとモーツァルトにばったり出会い、時間と仮の現実の網にいろんな穴をあけ、なおもこの網の中にひっかかったままだった。彼は自分のかわいい駒をまたなくしはしたが、ポケットにはしっかりしたナイフを一本もっていた。前へ進め、老ハリーよ、疲れた老いぼれよ!
ちえっ、人生の味はなんとにがかったか。ぼくは鏡の中のハリーにつばをはきかけ、けとばし、粉々にふみつぶした。ゆっくりとぼくは反響する廊下を歩いていき、すばらしいことをいろいろ約束してくれたドアを、用心ぶかくながめた。もうどこにも掲示は出ていなかった。ゆっくりとぼくは、魔法劇場の沢山のドアを全部みてまわった。きょうは仮装舞踏会に出たのではなかったか。それから百年たった。まもなく年などというものはもうなくなるだろう。まだすることがあった。ヘルミーネがまだ待っていた。特別の結婚式になるだろう。悲しい波の中を、ぼくは悲しくひきつけられ、泳いでいった。奴隷、荒野の狼め。ちくしょうめ。
最後のドアの所にぼくは立ち止った。そこへと悲しい波がぼくをひきつけた。おお、ローザよはるかな青春よ、おお、ゲーテよ、モーツァルトよ!
ぼくはドアを開けた。その背後にみたのは、そぼくなきれいな光景だった。床のじゅうたんの上に、二人のはだかの人間がねていた。きれいなヘルミーネと美男のパブロが、よりそって、ぐっすりねむっていた。飽くことを知らぬようにみえながらも、すぐみちたりてしまう、愛のたわむれに力つきたのだ。それは美しい人間、すばらしい光景、みごとな肉体。ヘルミーネの左の乳房の下に、新しい丸いあざがあって、黒く血がにじんでいた。パブロのきれいに光る歯にかまれた愛の傷あとだ。ぼくはあざの所に、柄まで通れとナイフをぐさりとつきさした。血がヘルミーネの白いやわはだの上を走った。万事がいくらか変っていたら、いくらか別のようになっていたら、ぼくはその血をキスで吸い取っただろう。ところが、そうはしなかった。血の流れるのをただ見ていた。そして、彼女の目がちょっとの間、痛そうに、いかにも驚いたように開かれるのを見ていた。「彼女はなぜ驚いたのだろう?」と、ぼくは考えた。それから、彼女の目を閉じてやらねばと思った。だが、その目はまたひとりでに閉じた。やってしまった。彼女はちょっと脇を向き、わきの下から胸にかけて、美しいやさしい影がたわむれるのがみえた。それはぼくに何かを思い出させそうだった。忘れてしまった。やがて、彼女はぐったりした。
長いことぼくは彼女をみつめていた。ついにぼくは目ざめたようにぞっとして、行ってしまおうとした。その時パブロはからだを動かし、目をあけ、手足をのばし、美しい死体にかがみこんで、ほほえむのがみえた。こいつは決してまじめにならず、なにをみても笑いやがると、ぼくは考えた。用心ぶかくパブロはじゅうたんの隅を折り返し、ヘルミーネの乳房のところまでおおい、傷がもうみえないようにして、そっとボックスから出ていった。どこへ行ったのだろう。みんなぼくをおいてきぼりにするのか。自分が愛しねたんだことのある、半ばおおわれた死体と、取り残されてしまった。その青白い額には、少年の巻毛がたれていた。口はあおざめた顔から赤く光っていて、ちよっと開かれていた。髪はほのかにかおり、小さいふっくらした耳を半ばちらちらと光らせていた。
これで彼女の願いはみたされた。恋人がぼくのものになりきらないうちに、ぼくは恋人を殺してしまった。ぼくはとんでもないことをしてしまったのだ。さて、ぼくはひざまずいて、身じろぎもしなかった。この行為の意味は、わからなかった。それがよくて正しかったのか、それとも、その反対なのか、ということさえわからなかった。賢明な棋士はこの行為になんというだろう、パブロはなんというだろう。ぼくは何もわからなかった。考えることができなかった。死相のこくなっていく顔から、ルージュをぬった口がだんだん赤く輝いていった。ぼくの一生は、ぼくのわずかの幸福と愛は、このこわばった口のようだった。死に顔につけられたわずかの紅《べに》のようだった。
死に顔、死んだ白い肩、死んだ白い腕からは、ゆっくりと忍びよるように、一つの戦慄《せんりつ》、冬のような荒涼と孤独、次第につのる寒さが、吐きだされ、その中でぼくの手と唇はかじかみだした。ぼくは太陽を消してしまったのだろうか。あらゆる命の心臓を殺してしまったのだろうか。宇宙の死の寒さが襲ってきたのだろうか。
身ぶるいしながら、ぼくは化石した額、こわばった巻毛、耳たぶの青白い冷たい微光を凝視した。それらから流れ出る寒さは、致命的だったが、それでもすばらしかった。それはひびき、不思議にふるえた。それは音楽だった。
ぼくはかつて遠い昔に、幸福のようなものでもあるこの戦標を、感じたことがなかったろうか。既に一度この音楽をきいたことがなかったろうか。そうだ、モーツァルトから、不滅の人びとからきいたのだ。
かつて遠い昔にどこかで見つけたことのある詩句が、胸にうかんだ。
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それに反してぼくらは自己を
星にくまなくてらされたエーテルの氷の中に見出した。
ぼくらは日も時も知らず、
男でも女でもなく、若くも老人でもない……
ぼくらの永遠の存命は冷たく不動で、
ぼくらの永遠の笑いは冷たく星のように明るい……
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その時ボックス席のドアがあいて、入ってきたのは、見なおしてやっとわかったのだが、モーツァルトだった。それもそのはず、弁髪をつけず、半ズボンも締め金つきの靴もはかず、現代ふうの服装をしていたのだ。彼はぼくのすぐそばにこしかけた。ヘルミーネの胸から床に流れた血で、彼がよごれないように、ぼくはすんでのことで彼に手をふれて、ひきとめるところだった。彼はすわって、あたりにあるいくらかの小さい装置や道具を、いちいちいじった。彼は大事にあつかい、道具を動かしたりねじったりした。ぼくはそのなれたすばやい指をみて、びっくりしてしまったが、その指がピアノをひくのをみたいものだと思った。憂いに沈んでぼくは彼の方をみた。いや、本当は憂いに沈んでではなく、夢みるように、彼のきれいな聡明な手にみとれて、彼が身近にいるという気持に心を暖められ、またいくらかは不安にされ、ぼくは彼の方をみた。何をいったい彼はそこでやっているのか、何をまわしたり、操作したりしているのか、ぼくは全くむとんじゃくだった。
ところが、彼がそこにすえて操作していたのは、ラジオセットだった。彼はこんどはスピーカーをセットしていった。「ミュンヒュンがきこえる。ヘンデルのコンチェルト・グロッソー・ヘ長調だ」
ところがすぐこの悪魔のようなブリキのじょうごが、気管支のたんとかんだチューインガムの混合物を、つまり蓄音機の所有者やラジオの加入者がこぞって音楽と称しているものを、実際に吐き出したので、筆舌につくしがたいほどびっくり仰天してしまった――そして、重いほこりの層の背後に古い貴重な絵がひそんでいるように、この濁ったたんとしゃがれ声の背後に、ほんとうにこの神々しい音楽の高貴な構造、王者のような構成、冷たいゆったりした呼吸、鮮かにひろがる弦楽の響きが認められた。
「これはいったい」と、ぼくはびっくりしていった。「なにをなさるんですか、モーツァルト? あなたは本気でこんな下らんことを、ご自分やぼくになさるんですか? この恐ろしいラジオセット、現代の勝利、芸術|殲滅《せんめつ》戦における勝利にみちた最後の兵器を、ぼくたちにけしかけるのですか? そうせざるをえないんですか、モーツァルト?」
ああ、その時あの不気味な男は、なんと笑ったことか、なんと冷たく不可解に、声も立てず、だがすべてを笑いで粉砕するように、笑ったことだろう。いかにも満足そうに彼はぼくの苦しみをみ、いまわしいねじをまわし、ブリキのスピーカーを動かした。笑いながら彼はゆがめられ、魂をうばわれた、毒された音楽を、さらに部屋の中にしたたらせながら、笑ってぼくに答えた。「お隣りの人、そうかっとしないで下さいよ。とにかく、あの|リタルタンドー《だんだんおそく》に注意しましたか? ふむ、なかなかの思いつきだね。そう、あなたのような短気な人は、リタルタンドーの思想を取り入れるんですね――低音《バス》がきこえますか? あれは神々の足どりだ――老ヘンデルのこの着想をあなたのおちつかない心にしみわたらせ、心をおちつけなさい! ねえ小人よ、ふんがいしたり嘲笑したりせずに、このおかしげな装置《セット》の全く絶望的に愚かなヴェールの後ろを、この神々の音楽のはるかな姿が通過するのを、ききなさい! 注意するんですね、何か得る所はあるものです。この気違いのようなメガホンは、みたところ世にも全く愚かなこと、無用なこと、禁じられたことをし、どこかで演奏された音楽をいいあんばいに、愚かに、無骨に、しかもみじめにゆがめて、それにふさわしくない異質の場所の中へ投げこみ――それにもかかわらず、この音楽の根本精神を破壊できず、この音楽で自己の技術の無力さと精神のない工場製品たる本性を、ばくろせざるをえないことに、注意しなさい。ちびさん、よくききなさい、あなたに必要なんだよ! さあ、耳をひらきなさい。そう。さあ、ラジオに暴行されたヘンデルが、きこえるだけではない。彼はこんなべらぼうな形で現われても、やはり神々しいのだ――ねえ友よ、あらゆる生のすぐれた比喩も同時に、きこえ、みえる。ラジオに耳をかたむけると、理念と現象、永遠と時間、神と人間の間の本源的な戦いが、きかれ、みられる。ねえ、ラジオが世界の最もすばらしい音楽を十分間も、選択もせずに、市民のサロンや屋根裏部屋の中へ、おしゃべりし、飲食し、あくびをし、ねむっている聴取者の間へ、というふうにおよそ考えられないような場所へ投げこみ、この音楽からその感覚的な美しさをうばい、台なしにし、掻きむしり、汚すが、それでもその精神を全く殺すことはできない――ちょうどそれと同じように、人生、いわゆる現実は、世界のみごとな戯画をまきちらしている。ヘンデルの音楽の次に、中小企業の精算表虚飾法の講演を放送し、魅力のあるオーケストラの響きをむかつくような音の粘液にし、その技術、勤勉、手におえない需要と虚栄を、理念と現実の間、オーケストラと耳の間のいたる所におしこむ。ぼくのちびさん、人生全体がそうなのだ。わたしたちはそうさせておかねばいけない。馬鹿でなかったらわたしたちはそれを笑うのだね。あなたのような人種には、ラジオや人生の批評をする権利はない。むしろまず聞くことを学びなさい。まじめに考えるに値するものを、まじめに考えなさい。そして、ほかのことは笑いなさい! それとも、自分でそれをいったいいくらかよく、高尚に、利口に、味のあるようにやりましたか? いや、とんでもない、ハリーさん、そうはしていない。あなたは自分の生活から恐ろしい病歴をつくり、才能から不幸をつくっている。そして、どうやらあなたは、あんなかわいい、魅力のある若い娘さんを、からだにナイフをつきさして、殺してしまうことにしか、役立てられなかった。いったいそれを正しいと思っているんですか?」
「正しいかって? とんでもない」と、ぼくは絶望して叫んだ。「おお、実際みんなまちがいで、ひどくばかげていて、悪いです。ぼくは畜生です、モーツァルト、ばかな悪い畜生で、病気でだめになってるんです。それは正にあなたのおっしゃる通りです――でも、この娘のことですが、自分で殺されたがってたのです。彼女自身の願いをかなえてあげただけなのです」
モーツァルトは声を立てずに笑ったが、こんどはとても親切にラジオのスイッチを切ってくれた。
ぼくの弁解は、つい今しがたまで本気にそれを信じていたぼくには、不意にばかげてきこえた。かつてヘルミーネが――ふとぼくは思い出したのだが――時間と永遠について話したとき、ぼくはすぐに、彼女の考えを自分自身の映像だと、思う気になった。しかし、ぼくの手で殺されるという考えが、ヘルミーネ自身の思いつきであり、希望であり、決してぼくに影響されなかったのだと、ぼくは当然のことのように思っていた。だが、なぜあの時、こんな恐ろしい奇妙な考えを、受け入れ、信じたばかりでなく、予想さえしたのだろうか。ぼく自身の考えだったからではなかろうか。彼女がはだかで他の男にだかれているのをみた瞬間に、なぜぼくはヘルミーネを殺したのだろうか。何でも知っているように、いかにも人をばかにしたように、モーツァルトの声にならない笑いがひびいた。
「ハリー」と、彼はいった。「あなたは道化師だ。この美しい娘さんはほんとにあなたにナイフで殺されることばかり、願っていたのだろうか? そんなことを誰が本気にするものか。どうです、あなたはぐっさりやって、あの子はほんとに死んでしまった。今こそその潮時だろうから、このご婦人へのあなたの情事の結果をはっきりすべきですね。それとも、それを避けようというのですか?」
「いいえ」と、ぼくは叫んだ。「全然わかっちゃいません。それを避けるなんて! ぼくはただひたすら罪をつぐない、頭を首斬りおのの下に横たえ、自分を罰し、破滅させることばかり願っているんです」
がまんできないほどのさげすみのまなざしで、モーツァルトはぼくをみつめた。
「いつも悲壮ですね。ハリー、どうしてもユーモアを学ばなくちゃいけません。ユーモアはいつだって引かれ者の小唄《こうた》だ。万一の場合は絞首台でユーモアを学ぶこと。用意はいいの? できている? よし、では検事のところへ行って、裁判官のユーモアのない機構をがまんし、牢獄で朝早く冷淡に首を斬られるところまでいくんだね。じゃあ、用意はいいね」
一つの掲示が突然ぼくの目前にきらめいた。
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ハリーの処刑
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ぼくはそれに同意してうなずいた。小さい格子窓のある壁に四方をかこまれた寒々とした中庭、きちんと用意された断頭台、法官の官服やフロックコートをつけた十二人の紳士、そのまん中に、灰色の早朝の空気の中に、ぼくはふるえながら立っていた。胸はみじめな不安でしめつけられていたが、用意はできていたし、なっとくもしていた。命じられてぼくは前に出た、命じられてひざまずいた。検事は帽子をとり、せきばらいした。他の紳士たちもみなせきばらいした。彼は仰々しい紙をひろげて、朗読した。
「諸君、ここに立っているハリー・ハラーは、われわれの魔法劇場をほしいままに乱用したかどをもって告発され、有罪と認められた。ハラーはわれわれの美しい画廊をいわゆる現実と混同し、映像の少女を映像のナイフで刺殺することによって、高貴な芸術を侮辱したばかりでなく、さらにユーモアを解せずに、われわれの劇場を自殺機関として利用せんとする意図を示した。従って、われわれはハラーを永久に生きる罰に処し、われわれの劇場への入場停止十二時間に処する。また被告は、一度徹底的に笑われるという罰もまぬがれない。諸君、声をそろえて下さい、一――二――三!」
三のかけ声に応じて、全員が申し分なく声をあわせてどっと笑った。この世のものとも思えぬ大笑いの合唱、人間にはたえられぬ恐ろしい彼岸の大笑いだった。
ぼくがまた我にかえると、モーツァルトはあいかわらずそばにすわっていて、ぼくの肩をたたいていった。「判決をききましたね。人生のラジオ音楽をこれからもききつづけるのに、なれなくちゃいけない。それはためになるだろう。ねえお馬鹿さん、あなたは全く才能に恵まれていないが、何が必要なのか、まあそのうちにわかるだろう。人生のユーモア、この人生の引かれ者の小唄を、理解せねばなるまいね。もちろんあなたはこの世のすべてに対して用意ができている、ただあなたの必要とするものに対してだけは、用意ができていない。あなたは少女を刺し殺し、おごそかに処刑される用意ができている。百年間禁欲し、自分をむち打つ用意もできている。それともちがう?」
「おお、できています、心から用意ができています」と、ぼくはみじめな気持で叫んだ。
「もちろんね! ばかげたユーモアのない催しなら何にだって、あなたは参加する、太っ腹の紳士さん、悲壮でつまらないあらゆることにね。ところで、わたしは別だよ。あなたのあらゆるロマンチックな罪ほろぼしには、一文だって払わないよ。あなたは処刑され、首をはねられたいと思っている、猪《いのしし》武者だ。こんなばかげた理想のために、これから十回も人を殺すだろう。臆病者のあなたは、死にたいと思っても、生きようとは思わない。ちくしょう、あなたはほんとに生きるべきなんだ! どんな重い刑を宣告されたって、あたりまえだろう」
「ああ、どんな刑罰でしょう?」
「たとえば、わたしたちはあの娘さんをまた生き返らせ、あなたを彼女と結婚させることもできるだろう」
「いや、そんな用意はできていないです。ふしあわせになるでしょう」
「あなたのひき起こしたことが、まるでまだ充分に不幸でないかのようですね。しかし、悲壮がったり、人を殺したりするのは、もうやめなくちゃいけないね。そろそろ理性にかえりなさい! あなたは生きねばならない、笑いを学ばねばならない。人生のいまわしいラジオ音楽をきくのを、学ばねばならない。その背後にひそむ精神をあがめるべきです。その中のから騒ぎを笑うのを、学ばねばならない。これでおしまいで、あなたにこれ以上望むことはないね」
低声《こごえ》で、くいしばった歯の間から、ぼくはたずねた。「でも、もしぼくがことわったら? モーツァルトさん、荒野の狼にさしずし、その運命に干渉する権利を、あなたにこばんだら?」
「そのときは」と、モーツァルトは穏かにいった。「わたしのおいしいタバコを一本すうように、あなたに提案するでしょうね」彼はこういってタバコを一本チョッキのポケットから魔法の手つきよろしく取り出して、ぼくにすすめたが、彼はその瞬間もうモーツァルトではなく、黒い異邦人の目で暖かくみた。ぼくの友人パブロだった。駒で将棋をさすことを教えてくれたあの男にも、双子のように似ていた。
「パブロ!」と、ぼくはとびあがって叫んだ。「パブロ、ぼくたちはどこにいるんだ?」
パブロはタバコと火をさし出した。
「ぼくたちは」と、彼はにこっとした。「ぼくの魔法劇場にいるんです。あんたがタンゴをならいたいとか、将軍になりたいとか、アレキサンダー大王と話したいとかいうなら、この次はその通りにしましょう。でも、いっとかなくちゃいけないけど、ハリー、あんたにはいささかがっかりしましたよ。あんたはあの時あさはかにも我を忘れ、ぼくの小劇場のユーモアを破り、醜態を演じましたね。ナイフで刺し殺し、ぼくらのきれいな絵の世界を現実のしみでけがしましたね。あんたとしたことが感心しませんね。ヘルミーネとぼくがいっしょにねているのをみて、まあ嫉妬してやったんでしょうがね。この駒の使い方が、残念ながらわからなかったんですね――将棋のさし方はもっとおぼえたと、思っていたんですが。まあ、改められますよ」
彼がヘルミーネを抱き上げると、彼女はすぐに彼の指の中でちぢまって将棋の駒になってしまった。彼はそれを、前にタバコを取り出したチョッキのポケットに、しまいこんでしまった。
甘い濃い煙が快くかおった。ぼくは自分が空虚になるような気がし、一年間ねむろうという気になった。
ああ、ぼくはすべてがわかった。パブロがわかり、モーツァルトがわかり、どこかぼくの後ろに恐ろしい笑い声をきいた。自分のポケットの中の生の遊戯の無数の駒をすべて知り、その意味を予感して感動した。遊戯をもう一度はじめ、その苦悩をもう一度なめ、その無意味さにもう一度おののき、自分の内なる地獄をもう一度、いやこれからもしばしば遍歴したいと思った。
いつかはぼくはこの将棋が上手になるだろう。いつかは笑い方をおぼえるだろう。パブロがぼくを待っていた。モーツァルトがぼくを待っていた。(完)
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解説
一 ヘルマン・ヘッセの生活史
血と土と教養
人生を決定するのは、血筋と環境と教育のように思われる。この三つの要素は、血と土と教養といってもいいだろう。しかし、人の手におえないような血と土にも、人の意志、人の精神が意外にも関係があることは、誰も経験で知っている。広い意味の教育、つまり教養が意外にも血と土に、大きな影響力をもっている。教養は自由意志を前提としているべきものだから、自由意志は、すなわち真の精神は、教養を通して血と土にも結びついているはずである。これは教養主義的な考え方ではなく、人間精神という立場からの考え方である。
偉大な人間の一生に驚嘆するのは、その人の生活史にあらわれた精神の偉大さに驚嘆するのではなかろうか。血筋や環境や教育だけが人生を決定するという常識が、世にみちあふれているからこそ、精神の偉大さが世人を驚嘆させるのではなかろうか。世俗化の大波が西欧を洗っていた十七世紀のさ中に、あの天才パスカルが人間精神の偉大さを説いたことは、周知のことだが、物質化の大波のあれくるう現代にも、その必要はあるようである。精神を殺した者が精神に復讐されることは、世の理屈《ことわり》からもなっとくされるからである。
ゲーテやアンデルセンのような作家の偉大さを知るには、その数々の名作をよむにしくはないが、時間がないばあいには、その自叙伝「詩と真実」や「自伝」をよむのが一番いいだろう。なにはともあれ、その精神の偉大さを物語る生活史が、みごとにえがかれているからである。ヘッセの「荒野の狼」をよむにあたって、その生活史をふりかえってみることは、そういう意味でどうしても必要だろう。
二つの魂
ヘルマン・ヘッセ(Hermann Hesse 一八七七〜一九六二)の祖父カルル・ヘルマン・ヘッセは、エストニアの医者でロシアの枢密《すうみつ》顧問官をかねていた。ヘッセの父ヨハネス・ヘッセは、名門出の新教の宣教師としてインドに布教したが、病をえて数年で帰国し、有名なインド学者・新教神学者ヘルマン・グンデルトの助手となって、カルヴの出版組合で働いていた。ヨハネスはここでマリー・グンデルトと結ばれた。
マリーはインドで生まれ、フランス・スイス系の母の性格をうけ、小柄だが、活発で人がよく、また父ににて信仰のあつい人だった。イギリス系の宣教師と結婚したが死別し、ヨハネスとは再婚だった。
つまり、ヘッセの父は、バルト海地方のなまりのドイツ語を話し、母は音楽を愛する明るい女性だった。かれは生れながらに、学問と信仰という共通の血をうけながら、全く対照的な南北の二つの血筋をうけていた。このことは一生の間かれにつきまとうはずである。二つの魂の劇的要素は、人間につきまとって離れないものなのだが。
二つの魂といえば、ヘッセも敬愛していたゲーテ(一七四九〜一八三二)が回想される。ゲーテも両親から対照的な素質をうけ、二つの魂の悩みに自殺しかけたが、やがて強い精神の力で立ちなおり、数々の名作をものすることによって人生の難関を次々と征服し、病弱だったにもかかわらず八十二歳の天寿をみごとにまっとうした。偉大な精神力である。精神的体験としての文学という金字塔は、ゲーテによってうちたてられ、ヘッセによってうけつがれたといえるだろう。
両親と祖先からちがった精神をうけつぎ、空想的で元気な、そのうえ早熟な少年ヘッセは「大変な強さ、意志の力」をもっていて(「母の日記」)、それを早くから自覚もしていたようである(一九四六年の妹宛ての手紙)。この意志の力こそかれの救いだったのである。
少年の悩み
十三歳の少年ヘッセは、父の希望でマウルブロン神学校に入学するほどの秀才だったが、やがてこの寄宿学校を脱走した。神経衰弱にくるしみ、失恋のあげく自殺未遂をとげ、方々へあずけられては、医者の治療や教育者の精神教育をうけたが、思わしくなかった。どこにつとめても、三日とつとまらず、故郷の町工場で働いているうちにいくらかおちついて、やがて書店につとめ、読書と詩作にはげみ、念願の詩人となった。このような第一回目の精神の危機は、誰でも体験するものだが、ヘッセのばあいはあまりにもひどい。ゲーテは恋愛の苦悩を「若きウェルテルの悩み」を書くことで乗りこえたが、ヘッセもこの最初の生きる悩みを、名作「車輪の下」(一九〇六)と「ヘルマン・ラウシャーの遺稿と詩」(一九〇一)に、あますことなくえがき、生きることの苦しさと貴さとを歌いあげている。
ヘッセの作品が多くの若い読者をひきつけてはなさないのは、新ロマン派的な甘い抒情性のためばかりではなく、若い人なら誰にも共感できる「生きる悩みの征服」というテーマのためでもある。若い読者はいつのまにかヘッセの小説の世界に入りこんで、その人物に化してしまうのである。ヘッセの文学が「青春の文学」といわれるのは、そういう意味でなのである。年輩の読者なら、やはりいつのまにか遠い昔の世界にもどり、それをヘッセの小説の世界とダブらせ、ほろにがい心で、ほっと吐息をつくだろう。
七十四歳のヘッセは「車輪の下」の愛読者で、自殺をあこがれる学生に「神学生のとき自殺しなかったのは、芸術家の喜びと好奇心のせいで、死より生がこのもしかったからです。あなたの内なる天分と力が、あなたの救いになってほしいものです」というようなことを書き送っている。ここにはキリスト教的な考え方がひめられているとしても、かれの文学が「生の力としての芸術観」にもとづくことも、明示されているようである。
意志の力
生れつき空想的だったヘッセは、反市民的で、他からの強制をきらい、孤独と自由を愛し、病的にまで内向的だったが、やがて|しん《ヽヽ》の強さで「自然への復帰」をはかった。「ペーター・カーメンチント」(「郷愁」一九〇四)は、そういう若いヘッセのみごとな心戦の記録で、台頭しつつあった新ロマン派の波にのって、広く世に知られた。
第二回(三十九歳)の精神の危機をも征服させ、その文学の支えともなったものは、たしかに精神の力だった。それは「意志の力」(「母の日記」)であり、「わがまま」(エッセー「わがまま」一九一九)であり、「ただ詩人だけになりたい」という、十三歳の少年ヘッセのいだいた覚悟(「略伝」一九二四)である。ひ弱わで、精神的にも弱点のあったヘッセが、現代世界文学の代表者の一人となり、ノーベル文学賞をえたばかりか、八十五歳の天寿をまっとうしたのは、なみたいていの努力ではなかっただろうが、かれにはたしかにしんの強さがあって、それがなんどもかれの心身の危機を救ったのだろう。かれはそのいつわらざる記録を小説にしたのである。
マルチン・ブーバーは「ヘルマン・ヘッセは現に作家として、精神と生命の矛盾、精神の自己自身との戦いを物語ることによって、精神に奉仕した」とのべているが、こういう意味で、ヘッセ文学が「魂の伝記」とか、「前進的自我文学」(秋山英夫氏)とよばれるのは、うなずけるだろう。また、こういう文学が若い読者の心をゆさぶり、生へのはげましとなり、詩情をもめざめさせるのも、うなずけることである。
わがままに徹して自由を求め、心の平和を求めていたヘッセにとって、第一次世界大戦は大きな試練だった。かれは非政治的ではあったが、「新チューリヒ新聞」に寄稿し、ゲーテの例をあげて人々に平和を訴え、ドイツの捕虜のために働いた。そのためにどんなひどいめにあったかは「荒野の狼」にものべられている。しかし、かれがそのためにこそフランスの心の友ロマン・ロランをえたのは、不思議なめぐりあわせである。
心戦
戦時中から戦後にかけての苦境のさなかに、父の死、末子の重病、妻の精神病がヘッセをおそった。大学教授(数学)の娘で神経質なピアニストだったマリーア夫人の病気は、まるで共鳴現象のように、ヘッセの古傷をいためつけた。かれは精神分析医ラングの治療をうけ、フロイドやユングの書にしたしみ、やがて「デーミアン」(一九一九)をかいて、この難局を切りぬける。この小説は、精神分析的手法を用いた最初の名作である。精神分析者になるには、まずみずから分析をうけねばならないといわれるが、自然(本性)と精神の戦いに通じた心戦の勇者ヘッセは、分析をうけて自分を救ったばかりでなく、その過程を精神分析的にえがくことによって、多くの人々に「魂の伝記」としてのみごとな青春の書を贈ったのだった。
病妻と別れてモンタニョーラに移ったヘッセは、絵筆にしたしみ、詩と絵のみごとな本「画家の詩」(一九二〇)をかいた。家庭の愛の重さにたえかねた詩人は、インド旅行を試み、この旅はかねてからの東洋への関心とあいまって「シッダールタ」(一九二二)を生みだした。この調和をめざす東洋の英知の書は、生きる悩みを乗り越えようとする心戦から生れたものである。
マリーア夫人と離婚したヘッセは、翌年ルート・ヴェンガーと再婚するが、しっくりいかなかった。世界と自己がまたおぞましい存在になった。五十歳のヘッセは、ハリー・ハラーという精神病的理想主義者の姿をかりて、自我像をようしゃなく分析し、世の非難をうけた。ハラーの空想としての「荒野の狼」(一九二七)は、ヘッセたちの世代のノイローゼの診断と治療の書なのだが、「魔的な自我の無意識」に立ち入ることによって、失われた自我の統一を回復する過程を示している。はじめ一般に理解されなかったこの奇妙な小説が、みごとに現代を先取りしていたことは、改めて認識されだしたようである。あこがれ求める別の現実が、自己の中にだけ見いだされるという、「青い鳥」の認識は、自己との出会いという死の体験――精神分析を成功させるにはさけがたいのだが――をともなうほどの苦業によってのみえられるというのが、この作の内容である。
「荒野の狼」に苦吟するヘッセは、新妻との愛の重さにたえられなかった。「知と愛」(一九三〇)はそういうヘッセの心戦を反映している。あいよる二つの魂、あるいは分裂した自我は、愛によってしか結ばれない――これが珍らしくロマネスクな長篇小説のテーマだからである。
調和
谷間の村をはるかに見おろせるモンタニョーラの新しい山荘に移ったヘッセは、ニノン・ドルビンと結婚し、生涯をともにすることになる。初めて家庭の愛に恵まれた五十四歳のヘッセは、祖国ドイツではナチス時代が始まろうとしていた騒然たる時代に、十年の歳月をかけて、時代批判の未来小説「ガラス玉遊戯」(一九四三)を完成する。かれの敬愛するゲーテが「ウィルヘルム・マイスターの遍歴時代」を心静かに完成したように、ヘッセもまた恵まれた晩年をわがものにできた。トーマス・マンやカロッサの苦境にくらべて、たしかにかれは恵まれ、中立国スイスの国民として平和に生きることができた。しかし、心の平和がなかったら、みちたりてしかも活動的な調和ある晩年が、ありえただろうか。たえざる心戦と最後につかんだ家庭の平和が、かれにこの調和をえさせたというべきだろう。
ヘッセは二十五歳の頃「生きるとは孤独であるということだ」と歌ったが、晩年になっても、山荘の入口に「訪問おことわり」と貼り出している。かれの傷つきやすい、夢みるような、内向的な、孤独な魂は、一生かわることがなかったようである。しかし、ヘッセはしんの強さと詩作によって生の苦悩を乗り越え、自己実現につとめ、いつのまにかよりよく生き詩作する「わが道」とマイ・ペースを体得し、調和ある晩年を実現した。これはみごとな克服であり、心戦による調和の実現というみごとな人間の一生であり、みごとな詩人の道である。トーマス・マンはヘッセの歩みを「ひとりゆく者の歩み」と評している。ヘッセは独特の歩みをマスターし、第二次大戦後ゲーテ賞とノーベル文学賞をうけ、山荘にこもって静かに落葉をたき、絵筆にしたしみ、詩集をあみ、小説をかきつづけ、みごとな調和ある晩年を完成した。これは、心戦にうち勝った真の詩人の小説にもまごうみごとな一生である。
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二「荒野の狼」
神経症時代の自虐的自画像
「荒野の狼」(Der Steppenwolf 一九二七)は、五十歳の詩人がハリー・ハラーの姿をかりて自我像をようしゃなく分析した、奇妙な空想的な小説である。秋山英夫氏も強調されるように、ハリー・ハラーはその頭文字H・H.と似た生活史とが示すように、ヘルマン・ヘッセで、荒野の狼とはヘッセ狼(「文学的ニーチェ像」)である。「二つの時代の間にはまりこんだ人びとの一人」としての、不幸な、みじめな、だが誠実なハリーは、作者の自虐的自我像であるばかりでなく、作者の属する世代のそれでもある。前にふれたように、ハラーの空想としての「荒野の狼」は、ヘッセの世代の神経症《ノイローゼ》の診断と治療の書なのだが、この反時代的で、反体制的で、厚顔無恥と思われる、人生の危機に立つ五十男ヘッセのいやらしい作品が、スキャンダルを起こしたのは、当然だったかもしれない。作者と作品の間に編者をおくというヘッセ得意の構成にもかかわらず、この小説が市民世界に安住していると妄想していた同胞を激高《げっこう》させたのは、当然だったかもしれない。ヘッセはスイス版「荒野の狼」のあとがきで、次のように弁明しているほどである。主人公の二元的な魂、複雑な魂の悩みだけでなく、個人と時代をこえる信仰の世界をめざす書、絶望の書でなく信仰者の書、不滅の人々の住むより高い第二の世界への志向を示す書、時代病の診断と治療の書、感覚的生活とユーモアの意味を教える書――これが「荒野の狼」だというのである。
甘美な青春小説や少年の物語や新ロマン派流の詩をヘッセに求めていた世の小市民的読者ならいざしらず、少し注意深く「編集者の序文」や「荒野の狼論」をよんだ読者なら、いつの間にかこの奇妙な小説のとりことなり、やがて深い感動をもってよみおえる時、心にすがすがしい動きを、生きる力の湧くのをおぼえるだろう。この小説はすでに現代を先取りしていたからこそ、現代の読者にも訴えるのである。
自己との出会い
自己が自己でなくなると、自己の同一性が失われると、精神の病いが起こる。精神分析療法はこの病いをいやす方法で、自己との出会いを助けることを旨としている。自我の中や自我と世界のあいだの矛盾、二つ、いや無数に分裂する自我の矛盾をいやし、失われた統一を回復するには、「魔的な自我の無意識」に立ち入り、すべてを明るみに出すことによって、時には爆発的な感情の解放、時には死の体験をともなう程の苦業をへて、初めて目的を達することができる。
この小説もそのような道筋を通っている。この小説のテーマは、自己との出会いだといえるが、この出会いはきびしく苦しい。それは、度々用いられている表現によれば、地獄の苦しみを思わせる。自己自身への道は正に「地獄の旅」である。荒野の狼の苦悩と不幸は当然である。
地獄の旅路は荒涼たる所に通じているばかりではなく、夢や幻想や現実の間の独特な中間領域にも通じている。カフカにも傾倒するヘッセは、このような中間領域をなんと感動的にえがいていることだろう。人物にしてもそうである。ヘルミーネもマリーアも、パブロも、そういう国の住人ではあるまいか。パブロの案内する魔法劇場は、正にそういう中間領域である。ハラーの求めてやまない現実が、実は自己の中にしかないという、青い鳥の夢につながる認識は、いかにも精神分析的構成のこの小説にふさわしいものである。魔法劇場であらゆる生の可能性を味わったハラーが、賢い棋士にならって、分裂した自我の核である駒で、新しい駒組み(人格形成)をめざして将棋をさそうという構想は、解決を暗示するみごとなものである。
解決といえば、ヘッセの弁明どおりだが、調和的解決やハラーの試練の征服が示されているわけではない。しかし、ハラーはあらゆる現象の背後に超時代的な偉大な理念がひそんでいるのをさとり、不滅の人びとの住む第二の世界の存在をかいまみる。混沌たる闇黒の中を通って詩人をそこへ導くのは、金色のシュプールである。それはモーツァルトである。このシュプールは「世界が一つの意味を有し、この意味は音楽の比喩としてわれわれに感じられる」(一九二〇年の日記)「モーツァルトがぼくを待っていた」というこの小説の最後の言葉は、意味深く一つの救いを暗示している。ゲーテとモーツァルト、音楽とユーモアは、荒野の狼に新生をあこがれさせる。こういう意味で、神的なものと精神がじかに人の心に語りかける魔法劇場は「超現実的舞台」となる。
未来を先取りした反時代的小説
良心のあるインテリの読者なら、この奇怪な小説のとりことなるだろう。現代に住むぼくたちの心象や現実が、あまりにも如実にえがかれているからである。この小説が当時物議をかもし、受け入れられなかったことは、予言者は故郷にいれられない、という格言を思い出させずにはおかない。世代の病いをえぐる姿勢は、晩年の大作「ガラス玉遊戯」にひきつがれているといえるが、このような姿勢が、安逸をむさぼる同時代の俗人に受けるはずはない。荒野の狼は反体制的で、その手記は反時代的である。市民社会に住みながら、そのかたくなな小市民性に憎悪を感じているハラーは、反文明主義者である。自己目的に堕した現代文明と理性的技術世界の諸現象に対して、あくまで批判的である。この奇妙な長篇に、平和主義と反戦主義、正常と狂気、公害、阿片や麻薬、集団(お祭り)、人口、性、自殺、テレビ、自動車、アメリカ人や過激派の理想、その他もろもろの現代の――この小説が書かれて半世紀たった現在の現象が、なんとみごとにえがかれていることだろうか。ヘッセは「理性の及ばぬ事を理性でかたづけようとする」無謀についても、なんとみごとに予言者のようにえがいていることだろう。この欲求不満の描写がみごとなのは、当時と現在との状況が似ているからばかりでなく、ヘッセの詩人的直観とあくなき思索によるものである。だから、この春の赤軍派事件にちなんでこの小説が問題にされたのだろうが、そこには次元のちがいがありそうである。
ひとりゆくヒューマンな人
ハリー・ハラーは自分をはぐくんでくれた社会に反逆し、市民世界との妥協をこばむ。狼は群をなすが、荒野の狼ハリーは孤独である。高橋健二氏は、このような人間をアウトサイダー(局外者)とし、こういう人間こそ市民社会の精神的支柱をなしていることは、イギリスの評論家ウィルソンの「アウトサイダー」(一九五五)にある通りで、ヘッセはウィルソンより三十年も早く、アウトサイダーをもって自任していると、指摘しておられる。孤独な荒野の狼は、群をなす反逆者や世捨て人ではなく、あくまで孤独で、傷つきやすく、思索的で、いわば東洋の隠者や西洋の隠修士の面影をとどめていないだろうか。
反体制的な荒野の狼には、現状への欲求不満がうずいている。最近ドイツでもこの小説がよみなおされ、ヘッセが別の脚光をあびつつあるのをみても、ヘッセが早くから二十世紀後半の精神状況を先取りしていたことが、今さらのように注目される。高橋健二氏も指摘されているように、一九七〇年のアメリカの青年がこの小説に共鳴し、「|荒野の狼《ステッペンウルフ》」というロックンロールのグループを作り、ヒッピー族がヘッセを「現代の聖者」に祭りあげているのも、ヘッセのそういう作家としての姿勢のせいだろう。しかし、このようなヘッセの読みかえが、はたして作者の真意をくんでいるかどうかは、充分に検討されねばならないだろう。解釈は個人の自由であっても、それが詩人の真意を傷つけるものでは、有害無益だからである。この問題に深入りするいとまはないが、関心のある読者には、ヘッセのみごとな次の二大長篇「知と愛」と「ガラス玉遊戯」をおすすめしたい。
とにかく、以上のような意味で、荒野の狼は「ひとりゆくヒューマンな人」ヘッセであると、いえるだろう。
病める魂をいやす者
病人の求める名医とは、病める肉体だけでなく、病める魂をもいやせる人のことである。両者の間には心がかよいあっていなければならない。魂だけが魂をいやせるからである。この意味で、荒野の狼をめぐる人物は――ゲーテやモーツァルトは別として――非常に興味深い。夢と幻想に現われるゲーテとモーツァルトは、ハラーにとってはいわば中間の世界の人物だが、ハラーをめぐる現実の人物、ヘルミーネとマリーアとパブロが、いずれも市民社会の一隅、いわゆる|半分の世界《ハルプウェルト》(花柳界)にぞくする人びとだということは、いかにも象徴的である。健康者と病人、正常者と狂人、医者と病人などの対立を考えるとき、われわれは深くこのことを反省せねばならない。病める魂をいやす者は、自己の健康に自信たっぷりの人びとの住む市民社会には、みつけにくいのである。ゲーテがうたっているように「あこがれを知る者のみぞ知るわが悩み」だからである。
ハリーの幼な友だちヘルマンの面影をもとどめる、いわば両性的なきれいな娘ヘルミーネは、その生い立ちや身分にもかかわらず、なんと異常なまでに魅力的だろう。ヘルミーネは荒野の狼の悩みを直観的にみぬき、「知と愛」のナルチスのように、人をみぬき、心理分析さえもできる。ハラーと同じように、時には彼以上に語り、論じ、さらに実行さえする。自分の生の別の可能性を信じるこの娘は、さらに宗教について、聖人について語り、作者には異質のカトリック的な「諸聖人の通功」の教義についてさえ、意味深く語ることができる。それなのに、素朴で朗らかな彼女は、ハリーを救うというような大それた考えを、決してもったりはしない。その目的は、ハリーをほれさせて、最後の命令をハリーに下すことである。悩みを知る者のみごとな生き方である。心をかよわせ、共に悩むことによって無意識に相手の病める魂をいやす、ありがたい一女性の生き方である。彼女はハラーに刺し殺されることによって、ハリーを生にめざめさせる。こんな素朴な聖女のような遊女ヘルミーネに、ドストエフスキーの「罪と罰」のソーニャの面影を――いくらか東洋ふうになった面影をみるのは、誤りだろうか。
ヘルミーネが孤独な荒野の狼に贈ったきれいな少女、愛伎とダンスの名手マリーアも、ハラーとヘルミーネを官能によって媒介する触媒のような存在だが、みごとにえがかれている。次の長篇「知と愛」(一九三〇)に登場するみごとな女人像は、すでにもうこの時代にデッサンができあがっていたのだろう。
そして、動物の目をもった黒髪の美青年パブロも、心ある読者の胸に残る人物である。やはり単純素朴な楽士パブロも、心の暖かさで動物のように接する者の心を暖めずにおかない。パブロも荒野の狼の悩みをみぬいて、暖かい胸をすりよせる。病床の貧しいヴァイオリンひきを親身になって世話するこのサキソフォン吹きは、ヘルミーネのように本能的に他人の運命に共感し、悩みを共にすることができる。パブロはハリーをなぐさめて手をさすり、話や議論をきいてやり、阿片や麻薬を少々すすめたりするが、最後に魔法劇場へ案内し、ハリーの自己との出会いを助ける。小劇場を出たハリーを待っていたのは、モーツァルトとパブロだったというのは、なんというみごとな結末だろうか。パブロはヘルミーネのなきがらを小さくして、ポケットにいれてしまうが、ヘルミーネもマリーアもパブロのあやつる人生の将棋の駒のようである。
(高橋健二氏と手塚富雄氏のすぐれた訳業に教えられることが多かったことに、心から感謝したい)
〔訳者略歴〕
永野藤夫(ながのふじお) 一九一八年、福島県生まれ。東京大学独文科卒。文学博士。横浜国大教授。著書「宗教改革時代のドイツ演劇」など。訳書にグァルディーニの「パスカル」「ドストエフスキー」、ヘッセの「知と愛」などがある。