チップス先生さようなら
ヒルトン/菊池 重三郎訳
目 次
チップス先生さようなら
解説(菊池重三郎)
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年をとってくると、(もちろん病気ではなくて)、どうにも眠《ねむ》くてうつらうつらすることがある。そんな時には、まるで田園風景の中に動く牛の群れでも見るように、時のたつのがものうく思われるものだ。秋の学期が進み、日足も短くなって、点呼《てんこ》の前だというのに、もうガス燈《とう》をつけずにはいられないほど暗くなる時刻になると、チップスが抱《いだ》く思いはそれに似たようなものであった。チップスは、老船長のように、過去の生活から身に沁《し》みた色々の合図でもって、いまだに時間を測るくせがあった。道路をはさんで学校と隣《とな》り合ったウィケット夫人の家に住んでいる彼《かれ》にしてみれば、それも無理ない話、学校の先生を辞《や》めてから十年以上もそこで暮《く》らしていながら、彼とこの家の主婦とが守っているのは、グリニッジ標準時間というよりは、むしろブルックフィールド学校の時間であった。
「ウィケット奥《おく》さんや」
と、チップスはいまだに昔《むかし》の快活さを失わぬあのひきつるような甲高《かんだか》い声で呼びかける。
「自習《ヽヽ》の前にお茶を一|杯《ぱい》欲《ほ》しいものですな」
年をとってくると、暖炉《ストーブ》のそばに坐《すわ》って、お茶を飲み、学校から聞こえてくる夕食や点呼や自習や消燈を知らせる鐘《かね》を聞くのは悪くないものだ。チップスはその最後の鐘が鳴り終わると、きまって時計《とけい》のネジを巻き、火除《ひよ》けの金網《かなあみ》を暖炉の前に立てかけ、ガス燈を消し、そのうえで、探偵《たんてい》小説を持って寝床《ねどこ》に入るのだった。ものの一|頁《ページ》も読むか読まぬうちに、もう静かな寝息をたてたが、それはうつつの状態から眠りの世界に入って行くというよりは、不断の知覚作用を強めるために神秘な力を借りたと評した方がいいようなものだった。すなわち、彼の夢現《ゆめうつつ》の状態は昼夜《ちゅうや》の別なく続いていたからである。
彼は年をとってきた(だが、もちろん病気ではない)。メリヴェイル医師も言うように、まったく、どこといって具合の悪いところは少しもなかった。
「どうも、あなたの元気にゃあ、かないませんな」
と、たいがい二週間ぐらい間をおいては診《み》に来てくれるメリヴェイルは、シェリー酒をなめながら驚《おどろ》いて見せるのである。
「あなたぐらいの年になったら、とっくにどこかがたぴしして来てるものだが、こんな例は珍《めずら》しいことでしてな、天寿《てんじゅ》を全《まっと》うする幸せ者の仲間入りをしたというわけですわ。だが、こりゃあもちろん、死ぬことを仮定しての話。いずれにしても、あなたのような人こそ、世にまれなオールド・ボーイの典型的人物というべきでしょうな」
しかし、チップスが風邪《かぜ》をひいたり、東風が沼沢《しょうたく》地方を吹きまくる時があると、メリヴェイルはウィケット夫人を玄関《げんかん》まで連れだして囁《ささや》くことが、時々あった。
「気をつけてあげてくださいよ。胸が……参っちまったらお終《しま》いですからな。いやあ、どこといって悪いところは全然ないのだが――年が年だし、しかもそいつがいつか命取りになるという極《きわ》めて厄介《やっかい》な奴《やつ》ですからな……」
年が年……まさにそのとおりだった。一八四八年に生まれ、あの大博覧会見物に連れて行かれたのは、思えば、まだ|よちよち《ヽヽヽヽ》歩きの子供の時分だった。今どき、こんなことを吹聴《ふいちょう》して得意になれる人間なんて、そうたんとは生きていまい。のみならず、チップスはウェザビー時代のブルックフィールドだって覚えている。まずザラにある話ではなかった。ウェザビーは、一八七〇年(――という年は、忘れもしないあの普仏《ふふつ》戦争|勃発《ぼっぱつ》の年だが)あのころ、すでにもう老人だった。チップスがブルックフィールドに履歴書《りれきしょ》を提出したのは、メルベリで一年勤めた後だった。なぜメルベリを罷《や》めたかといえば、ひどくいじめられて、こっちも愛想がつきたからであった。だが、ブルックフィールドは滑《すべ》り出しからして気に入った。赴任《ふにん》の下打ち合わせをする最初の面会日のことを、チップスはいまでも思い出す。爽《さわや》かに晴れあがった七月のことで、香《かぐ》わしい花の匂《にお》いが大気に満ち、そして、運動場からはクリケット競技のあのプリック・プロックという球《たま》の音が耳に快く響《ひび》いてきた。ちょうどブルックフィールドはバーンハーストと対校試合をやっていて、折からバーンハーストの小柄《こがら》なデブ公が見事百点を叩《たた》き出したところだった。そんなことが不思議に、目に浮かぶようである。ウェザビーその人は慈父《じふ》のごとく、応対もまた丁重であった。が、気の毒に、後から考えれば、すでにそのころ病気であったにちがいない、というのは、チップスが第一学期の授業を控《ひか》えた夏休みのうちに亡《な》くなってしまったからである。しかし、いずれにしてもこの二人は、親しく話し合っていた。チップスはウィケット夫人の家の暖炉にあたりながら考えることがあった――あの老ウェザビー先生を生き生きと思い出せる人間は、まず世界中で|わし《ヽヽ》ぐらいなものかも知れんなあ……生き生きと、まさにそのとおり、時々心に浮かぶ光景は、あの夏の日のことで、ウェザビーの書斎《しょさい》に差しこんだ陽が、空気によどむ埃《ほこり》をキラキラ照らし出していた。
「チッピング君、君は若いし、ブルックフィールドは古い学校です。老若《ろうじゃく》結び合ってうまく行く場合がよくあるものです。君の熱情をブルックフィールドに注いでください。ブルックフィールドも、それに対して何か恩返しせずには措《お》かんでしょう。ただ生徒に悪戯《いたずら》を許すような隙《すき》を見せないことが大事ですぞ。察するところ、ああ、メルベリでは、生徒に少しばかり甘《あま》過ぎたんじゃなかったですかな」
「はい、そんなことだったかも知れません」
「まあいい。君はまだ前途《ぜんと》洋々《ようよう》、それもいい経験だったとしておいてな、さてまたこの学校で機会を与《あた》えられたというわけだ。初めが大事、厳格な態度をとり給《たま》え、苦い経験を生かす秘訣《ひけつ》はそれなんだ」
その忠告は当たっていたのだろう。最初の自習時間を監督《かんとく》した時のあの恐《おそ》ろしい試練は今でも忘れられない。すでに半世紀以上にもなるある九月の夕方のことだった。合併《がっぺい》教室は、哀《あわ》れこのあつらえむきの犠牲《いけにえ》を急襲《きゅうしゅう》せんものと、手具脛《てぐすね》ひいた血気|盛《ざか》りの腕白者《わんぱくもの》でぎっしり詰《つ》まっていた。血色がよく、高いカラーをつけて、(当時行なわれた奇妙《きみょう》な風習の)頬鬚《ほおひげ》を生やしたこの青年教師は、五百を数える不作法極まるチビどもに翻弄《ほんろう》されようとしていた。新任教師を虐《いじ》め悩《なや》ますことは、生徒たちにとっては愉快《ゆかい》な芸術であり、興味を唆《そそ》るスポーツであり、一種の伝統でもあったのである。一人々々だと行儀《ぎょうぎ》のいい少年たちでも、五百人も集まると情け容赦《ようしゃ》もあらばこそ、それこそ始末に負えなくなるものだ。彼が教壇《きょうだん》の机《つくえ》まで歩いて席に就《つ》くと、シーッという声がした。彼は殊更《ことさら》こわい顔をして、心の動揺《どうよう》を見せまいとした。背後で時を刻む大時計の音とインクやニスの匂い、血のように赤い夕日が、ステンド・グラスの窓から斜《なな》めにさしこんでいた。誰《だれ》か机の蓋《ふた》をわざとバタンと閉めた者があったが、ここでマゴマゴするのは大禁物、間髪《かんはつ》を入れず相手の機先を制しなければならぬ、鼻もひっかけないふうをしているのに限るのだ。
「キミ、その五列目にいる、赤い髪《かみ》の、キミ。君の名は何というんだ」
「はい、コリーであります」
「よろしい。ではコリー、百行清書のこと……罰《ばつ》だ」
それから後は、面倒《めんどう》なことは何も起こらなかった。彼は第一回戦をものにしたというわけである。
後年、このコリーがロンドン市参事会員になり、准男爵《じゅんだんしゃく》とかその他いくつも立派な肩書《かたが》きを持つ名士になった時、彼は(また赤髪《あかげ》の)自分の息子《むすこ》をブルックフィールド学校に入れた。すると、チップスが言ったものである。
「コリー、君のお父さんは、わたしが二十五年前ここに赴任してきた時、罰を食った最初の生徒だった。罰を食うには食うだけの理由があったのだが、さて今日は君もそれを食ってみるわけだ」
皆《みな》は笑ったの笑わないのってなかった。父親のリチャード卿《きょう》も、次の日曜|便《びん》で、息子からその話を報告されると、いやもう腹の皮をよじらんばかりであった。
さてまた、その後何年かたつと、酒落《しゃれ》は一層|生彩《せいさい》を放つのである。またしてもコリーが入校してきた。すなわち、一番初めのコリーの息子であるコリーのそのまた息子なのである。このころになるとチップスは、「あーム」という何も意味のない音《おん》を話の間に挟《はさ》むのが癖《くせ》になってしまったが、
「コリー、君は……あーム……遺伝の……あーム……素晴《すば》らしい実例だ。わしは君のお祖父《じい》さんを覚えているが……あーム……お祖父さんはな、ラテン語の| 絶 対 奪 格 《アプレイティブ・アブソリューツ》が最後まで分らずじまいだった。つまり、頭が悪かったんだな、君のお祖父さんという人は。ところが、君のお父さんは、その壁《かべ》ぎわの向こうの机にいつも坐《すわ》っていたんだが……ま、似たり寄ったりというところだった。しかしだ、わしの考えで、これだけは絶対だと思うんだが、ね……コリー君や……君は……あーム……三人のうちではズバ抜けて頭が悪いよ!」
ゴーッと起こる哄笑《こうしょう》。
まことに見事な洒落であった。が、これも今ではだんだん生彩を失って行き、それどころか、何となく哀《かな》しいものにさえ思えてくる。秋の嵐《あらし》に窓がガタガタ鳴るのを耳にしながら、炉辺《ろばた》に坐っていると、可笑《おか》しさとかなしさとが、波のように後から後から思い出の中に去来して、チップスは涙《なみだ》をこぼしてしまうのだったが、そこにウィケット夫人がお茶を入れてくれることがあると、彼女《かのじょ》はチップスが笑っているのか、泣いているのか、判断に迷うのであった。チップスだって同じことだったのである。
塁壁《るいへき》を連想させるような楡《にれ》の木立《こだ》ちの後ろの道の向こうに、ブルックフィールド学校があって、それは秋の蔓草《つるくさ》に蔽《おお》われて小豆色《あずきいろ》をしていた。十八世紀の建物が集まって中庭を囲んでおり、それに付属して広々とした運動場、つづいて小さな学校村と広々とした沼沢地《ぬまち》があった。ブルックフィールドは、ウェザビーも言ったように、歴史の古い学校であった。エリザベス朝に初等学校として設立されたもので、運よく行けばハロー校に劣《おと》らず有名になったかも知れなかった。が、実際はその運《ヽ》という奴《やつ》にはあまり恵《めぐ》まれず、長い歳月《さいげつ》の間には幾盛衰《いくせいすい》の波を経歴して、ほとんど閉校の一歩手前まで衰微《すいび》した時代もあれば、また、校名一世を風靡《ふうび》せんばかりの花々しい時代もあった。校舎の本館が再築され、同時に大増築が行なわれたのは、ジョージ一世の御代《みよ》、すなわち、その後者に属する時代でのことであった。その後、ナポレオン戦争からヴィクトリヤ朝中葉まで、学校は、その生徒の数でも、世間の評判でも、また芳《かんば》しくなかった。一八四〇年になると、ウェザビーが赴任《ふにん》して来て、いくぶんか盛《も》り返しはしたものの、以来、一流校の位置を占《し》めることは、その後の歴史では絶えてなかった。しかし、二流では立派な学校であった。五、六の有名な家族がこれを維持《いじ》し、時代の歴史を作る人物、すなわち、判事、国会議員、植民地行政官、二、三の貴族|並《なら》びに僧侶《そうりょ》などを生んだ実例も相当あった。しかし、卒業生の多くは実業家とか製造業者とか医者、弁護士になり、大地主、教区牧師になって地方に散在している者の数も少なくはなかった。これを要するに、人前《ひとまえ》を繕《つくろ》う体裁《ていさい》やだったら、何だか聞いたことがあるように思う、ぐらいなことは言いかねない程度の学校だったのである。
しかし、その程度の学校でなかったら、おそらくチップスを採用するようなことはなかったであろう。なぜなら、社会的あるいは学問的、いずれの点から考えても、ブルックフィールド学校と同様、チップスは、立派ではあるが、別して優秀《ゆうしゅう》というほどの人物でもなかったからである。
初めてこの事実を納得《なっとく》するまでには、ちょっと時日がかかった。といって、彼がべつだん傲慢《ごうまん》だとか自惚《うぬぼ》れだとかいうのではなく、二十代の彼《かれ》もまた、その年頃の青年の例に漏《も》れず、雄心勃々《ゆうしんぼつぼつ》たるものがあったからである。彼の夢《ゆめ》は、ゆくゆくは第一流の学校の校長か、さもなくば、せめて教頭まで漕《こ》ぎつけることであった。ところが、幾度か試験を経《へ》、失敗を繰《く》り返してみると、改めて、自分の資格では不充分《ふじゅうぶん》だということが、だんだん分ってきたのであった。例えば、彼が持っている学位は、特別どうというものでもなく、その訓育法はまことに適切で、巧《うま》くなっていったとはいうものの、だからと言って、いかなる事情のもとでも、絶対|信頼《しんらい》が置けると言い切れるほどのものでもなかった。それに財産があるわけではなし、また身内関係で有力な手引きを持っているわけでもなかった。かくて、ブルックフィールドで教鞭《きょうべん》をとること、すでに十年にもなる一八八〇年ごろ、彼が漸《ようや》く悟《さと》り始めたことは、ここを去って何処《どこ》かへ栄転出来るなど、思いも及《およ》ばないということであった。が、それと同じころ、彼は一方では現在の地位に甘んじていられることが、心の隅《すみ》でいっそ楽しくなり始めていたのでもあった。四十になると、彼はここにすっかり根をおろして、生活を心から楽しんだ。五十になると、首席教師になった。六十になると、まだ若年《じゃくねん》の新校長のもとで、彼はブルックフィールドそのものであった。同窓会の晩餐会《ばんさんかい》では主賓《しゅひん》として招かれ、ブルックフィールドの歴史と伝統とに影響《えいきょう》を及ぼすようなあらゆる事件に対しては控訴院《こうそいん》の役目をした。こうして一九一三年、六十五歳になった時に職を退《しりぞ》き、金一|封《ぷう》と机《つくえ》と掛《か》け時計《どけい》とを贈《おく》られ、それから、道一つ隔《へだ》てた学校|隣《どな》りのウィケット夫人の家に同居することになった。身分相応の経歴が、それに相応《ふさわ》しい幕を閉じた。例の騒々《そうぞう》しい学期末晩餐会の席上で、皆はチップス先生|万歳《ばんざい》を三唱した。
万歳三唱。だが、それで万事終わってしまったわけではない。思いがけないエピローグ。彼は名残《なごり》を惜《お》しむ観客のアンコールに応《こた》えて、もう一度現われるのである。
ウィケット夫人から借りた部屋《へや》は、小さかったが、しかし、非常に居心地《いごこち》のいい、日のよく当たる部屋であった。家そのものは、くすんだ色をして、いっぱし邸宅《ていたく》を気取っていたが、しかし問題はそんなことではない、便利なのが何よりだった。というのは、天気さえ穏《おだ》やかなら、午後は運動場をぶらついて、競技を見るのが楽しみだったからである。生徒たちが帽子《ぼうし》に手をかけて挨拶《あいさつ》すると、彼はニッコリして、ちょっと話を交《かわ》す、これも楽しかった。また新入生の少年たちの名を残らず覚えることとか、第一学期の中《うち》に彼らを招いてお茶をご馳走《ちそう》するとかいうことを、彼は絶対に欠かさなかった。お茶の時に出す菓子《かし》は、村のレダウェイ菓子屋製の、桃色《ももいろ》の砂糖衣を被《かぶ》せた胡桃《くるみ》菓子に決まっていた。冬の学期中のことだったら、|軽焼き《クランペット》が出ることもあった、が、炉辺の暖かさで下積みになった奴が、だんだん溶《と》けるバターに水|浸《びた》しになるのだった。可愛《かわい》いお客たちは、老先生がお茶を入れるのに、色々な茶の缶《かん》から匙《さじ》で入念に茶を混ぜるのを物珍《ものめずら》しく面白《おもしろ》がって見ていた。さて、彼はこの新入生たちに、住まっている場所とか、また身内でこのブルックフィールド学校出の者があるかなど尋《たず》ねたりした。その間にも、めいめいの皿《さら》が空《から》にならないようにと、絶えず気を配り、そしてこのお茶の会が始まって一時間にもなる五時ちょうどになると、彼はいつものようにチラッと大時計を見て、言うのである。
「さて……あーム……今日の会は、……あーム……本当に楽しかった。だが、今日は……あーム……これまでにしてお帰り……」
それから、彼は玄関《げんかん》まで少年たちを送り出し、皆と笑いながら握手《あくしゅ》を交す。少年たちは少年たちで、道を横切って学校まで駆《か》けながら、口々に感想を述《の》べあうのだった。
「チップスって、やさしいおやじだね。あのお茶もさ、結構いただけたじゃねえか。それに、帰ってもらいたいときには、はっきり言うし、さっぱりしてていいや……」
チップスもまた何か言わずにはおられない、それで、折から後片付けに来たウィケット夫人を掴《つか》まえる。
「ウィケット奥《おく》さん、実に……あーム……愉快《ゆかい》でしたよ。ブランクサムって子の話では、コリングウッド少佐《しょうさ》ってのは、あの子の叔父《おじ》にあたると言うんです。コリングウッドは確か、昔《むかし》教えたあの生徒だと思うんだが、そんならよく覚えている。一度|鞭《むち》をくれたことがあった、……あーム……樋《とい》にはまった球《たま》取りに体育館の屋根に登ったんでね。危《あや》うく、……あーム……首の骨を折るとこだった。馬鹿者《ばかもの》めが。ウィケット奥さんにも、あの生徒、覚えがあるでしょうが。あなたがいた時代にいた筈《はず》だから」
ウィケット夫人は、ひと身代《しんだい》つくりあげる前には、かつてここの学校の洗濯物《せんたくもの》整理係を勤めていたことがある。
「はい、存じております。ま一口に言って、生意気な子でしたが、だからといって諍《いさか》いなんかしたこと、ありませんでした。あの年頃にはありがちな、ただ見せかけで悪意はないんですね。またありよう筈がありませんものね。たしか、勲章《くんしょう》を貰《もら》ったの、あの子じゃなかったでしょうか」
「そう、殊《しゅ》勲章をね」
「先生、他《ほか》にご用はございませんか」
「今のところは別に……あーム……礼拝《れいはい》に出かけるまではね。エジプトで……あの男は戦死したんだったな。……そう……あーム……そのころ晩ご飯を持って来てください」
「かしこまりました」
ウィケット夫人の家での楽しく、静かな生活。くよくよすることは何もなかった。恩給は充分貰えたし、その上、僅《わず》かではあっても貯金も出来た。願って叶《かな》えられないこともまずなかった。部屋の模様は簡素で、教師らしい好みがあった。二、三の本棚《ほんだな》と運動関係のトロフィーがいくつかあり、炉棚の上は、競技や会合の案内状とか、少年や大人の署名《しょめい》入りの写真などでいっぱいだ。使い古したトルコ絨毯《じゅうたん》、大きな安楽《あんらく》椅子《いす》、壁《かべ》にかかっているアクロポリスやフォーラムの絵など。そしてこれらの物は教師をしていたころの寮《りょう》の舎監室《しゃかんしつ》から持ってきたものであった。本はおもに彼が専攻《せんこう》した古典類だったが、中に歴史とか文学ものがチョッピリ色を添《そ》えていた。またある本棚の一番下の段には探偵《たんてい》小説の廉価版《れんかばん》がギッシリ詰《つ》まっていた。チップスは、こんな本を読んで楽しんだ。時々、ヴァージルとかクセノフォーンを抜《ぬ》き出して来て暫《しばら》く読む。だがすぐ飽《あ》きて、「ソーンダイク博士」、でなかったら「フレンチ検事」の方に誘惑《ゆうわく》されるのだった。いくら長い間|他人《ひと》に教えてきたからといって、単にそれだけで、彼が該博《がいはく》な古典学者であることにはならない。ということは、彼がラテン語やギリシャ語を、かつて生きた人間が話した生きた言葉とは考えないで、イギリス紳士《しんし》が時たま引用することを心得ておくのに必要な死語と考えていたことを以《もっ》てしても分るだろう。だから、「タイムズ」紙に短い小論説が載《の》っていて、その中に二、三これらの古典の引用句が出て、その意味が分ると、嬉《うれ》しかったものである。そんなことを理解する人の数もだんだん少なくなるその中に自分があることが、何だか有難《ありがた》い秘密結社に結ばれているかのように思え、同時に、古典教育から得られるご利益《りやく》の一つがこんなところにもあると思うのであった。
ま、そんなわけで、読書と雑談とに昔の思い出を懐《なつか》しむ静かな喜びの日々が、ウィケット夫人の家で過ぎて行った。白髪《はくはつ》で少し禿《は》げ上がったところがないでもないが、それでも年の割りにはまだなかなか元気な老人で、茶を飲んだり、客を迎《むか》えたり、ブルックフィールド同窓会|名簿《めいぼ》の来年度版の訂正《ていせい》で忙《いそが》しかったり、細い蜘蛛《くも》の糸のような、だが読み易《やす》い筆跡《ひっせき》で、時々手紙を認《したた》めたりした。彼は新任の教師も、新入生と同じようにお茶に招いた。その秋の学期には新しい教師が二人あったが、例によってお茶に招《よ》ばれた帰り道、一人が言うことには、
「あの老人、変わり者だと、君思わんかい。あの、お茶を混ぜるときの騒《さわ》ぎはどうだい。まず典型的|独身者《ひとりもの》っていうのはあんなんじゃないかね」
ところで、妙《みょう》な話だが、この観察は当たっていない。なぜなら、チップスは独身者ではなかったからだ。ただ、それはあんまり昔のことなので、ブルックフィールドで彼の妻のことを覚えている職員は、もう一人もいなかった。が、それでもとにかく、彼には結婚《けっこん》生活をした時期があったからである。
暖かい炉辺《ろばた》に身を置いて、茶の仄《ほの》かな香《かお》りをかいでいると、過ぎこし日の思い出が前後のかかわりなく後から後から浮かんできた。春、確かあれは一八九六年の春のこと。四十八歳――いわば、残りの生涯《しょうがい》についても、そろそろ見通しがきき始める年齢《ねんれい》であった。彼は舎監になったばかりで、この役目や古典研究学級に熱を入れて多忙《たぼう》な生活を送っていた。同僚《どうりょう》のラウデンと語らって、|湖 畔 地 方 《レイク・ディストリクト》に出掛けたのはその年の夏休み中のことだった。一週間ほど、歩いたり、登山したりしたが、ラウデンは、家庭に急用が起きたので、途中《とちゅう》から帰らなければならなくなった。チップスは一人、ウォズデイル・ヘッド部落に残り、そこの小さな農家に泊《と》まっていた。
ある日、グレイト・ゲイブル山に登った時のことである。行く手の危なっかしい岩山の鼻から、女がこっちに向かって激《はげ》しく手を振《ふ》っているのを認めた。タダ事ではない、彼はとっさにそう思うと、岩山をがむしゃらに攀《よ》じ登って救助に向かった。が、運悪く滑《すべ》って、足首を挫《くじ》いてしまった。ところが事情が分ってみると、娘《むすめ》の方は救いを求めた覚えなんか少しもない、麓《ふもと》の方から登って来る同好の士に対して、何ということなく合図の手を振っただけだという。それもその筈で、いくらチップスが足に自信があるとはいっても、相手は登山にかけては、玄人《くろうと》だったからである。だから結果からいえば、彼はひとを救助するどころか、救助されたというわけになるのだが、どっちの役目にしたって、かくべつ有難いことではなかった。というのは、日頃《ひごろ》の口ぐせからでも察しられるように、彼は女性には関心がなかったこと、また一緒《いっしょ》にいると窮屈《きゅうくつ》で落ちつかなかったからでもあるし、あの奇怪《きかい》な人間、一八九〇年代の|新しい女《ヽヽヽヽ》のことが話にのぼり始めると、怖気《おぞけ》をふるわずにはいられなかったからである。彼は静かで世間|並《な》みの人物である。だから、ブルックフィールドといういわば無風帯から眺《なが》めた世間が、革新革新で渦巻《うずま》いているのを必ずしも快くは思っていなかった。バーナード・ショーという男が、変てこりんな不埓極《ふらちきわ》まる考えを臆面《おくめん》もなく吹聴《ふいちょう》する。イプセンが、人騒がせな劇を作って見せる。また、自転車熱が澎湃《ほうはい》として起こり、女だてらにこれを乗り回す始末である。チップスはこんな当世流の新しがりや自由などは一切|是認《ぜにん》しなかった。これを公式化して言えば、立派な女性とは、弱くて内気で優《やさ》しいもの。立派な男性とは、礼儀《れいぎ》正しく、但《ただ》し一歩|退《さが》って任侠《にんきょう》の念を持って女性を遇《ぐう》すべきものということに何とはなく決めていた。だから、グレイト・ゲイブル山で女を見かけるなど、まず思いも及《およ》ばなかった。いわんや、男性の助力を必要とすべき筈の女性に逢《あ》いながら、主客|転倒《てんとう》、女性に助けて貰うような羽目《はめ》に陥《おちい》ったのだから、容易ならぬことであった。しかも、彼女《かのじょ》はその役目をやってのけ、また、彼女の友達《ともだち》も当然手伝わずにはいられなかった。彼はほとんど歩くことが出来なかった。だから、険しい山道を、麓のウォズデイル・ヘッド部落まで連れ降すことは生易しいことではなかった。
彼女の名はキャサリン・ブリッジズといった。二十五|歳《さい》だからチップスの娘といっても可笑《おか》しくなかった。生き生きした碧眼《へきがん》と、そばかすのある頬《ほ》っぺた、それに髪毛《かみのけ》は艶々《つやつや》した淡黄色《たんおうしょく》をしていた。
彼女もまた休暇《きゅうか》を利用して、女友達と一緒に一|軒《けん》の農家に滞在《たいざい》していたのだが、チップスの災難の責任は自分にあると考えて、毎日、湖ぞいに自転車を飛ばしては、静かに、生真《きま》面目《じめ》な顔をして養生《ようじょう》している中年者を見舞《みま》いにやって来た。彼女の彼に対する初めの印象は、そんなところだったのだが、彼は彼で、女だてらに自転車など飛ばし、農家の居間にいる男ひとりのところへ平気で見舞いに来る彼女を見て、こんな世相に漠然《ばくぜん》とした危惧《きぐ》の念を抱《いだ》かされるのであった。それはともかく捻挫《ねんざ》がもとで彼女の世話になり始めてみると、今更《いまさら》ながら身に沁《し》みてその有難さがわかった。彼女は一時家庭教師をやったことがあって貯金もいくらか出来ていた。イプセンを読んで崇拝《すうはい》し、女子の大学入学を認められるべきだと信じ、また選挙権|獲得《かくとく》を考えてさえいた。政治においては進歩的で、バーナード・ショーやウィリアム・モリスなどの見解に共鳴していた。で、そのような考えや意見を、彼女は、ウォズデイル・ヘッド部落で暮《く》らしたその夏の午後、いつもチップスに滔々《とうとう》と喋《しゃべ》って聞かせるのだったが、彼《かれ》の方はそれに対して自分の考えを明瞭《めいりょう》に口に出すでもなく、むしろ一々|反駁《はんばく》するのも大人気《おとなげ》ない、ぐらいのことを最初は考えていた。彼女の友達は帰って行ったが、彼女は後に残った。そこで、チップスは考えた――こんな女とどう交際《つきあ》ったらいいんだろう、と。彼は行く手に小さな教会のある小道を、ステッキをつき、跛《びっこ》ひきひき、よく散歩した。教会の壁《かべ》ぎわに平らな板石があって、これに腰《こし》をおろして、前面に聳《そび》える明るい緑茶色のゲイブル山を見ながら――チップスも到頭《とうとう》認めざるを得なくなった。――この稀《まれ》に見る美しい娘のお喋りを聞いている楽しさを……。
彼はいまだかつてこんな娘に出会ったことがなかった。彼が常々考えていたことは、当世型の、新しい女性のすることには、反発を感じるだろうということであった。ところが、その当世型の娘がここに現われて、湖畔《こはん》の道を自転車でやって来る、それが待ち遠しい彼になってしまったのである。一方、彼女もまた、この男のような男性に逢ったのは、生まれて初めてだった。だいたい、タイムズを読んだり、当世風ということを毛嫌《けぎら》いするような、中年男なんてものは、退屈《たいくつ》でやりきれないものだと決めてかかっていたのに、その中年男が、目の前に現われてみると、自分と同年輩《どうねんぱい》の青年などとは比較《ひかく》にならないほど、興味と関心を唆《そそ》って已《や》まないのであった。相手を好きだと思い始めたのは彼女の方で、その理由は、人がらに深味があったことが一つ。いかにも穏《おだ》やかで礼儀をわきまえていたことが一つ。またその意見というのが、当今まことにもって珍《めずら》しい一八七〇年代、八〇年代、あるいはそれ以前の古風なものにも拘《かかわ》らず、しかもなお、その正直さは無類であったことが一つ。最後に、彼の目が茶色で、笑うととても愛敬《あいきょう》があったからである。
「もちろん、わたくしだって、あなたをチップスって呼びますわ」
と、それが生徒間の渾名《あだな》だと教えられると、彼女はそう言った。
一週間もたたないうちに、二人は、恋に陥《お》ちた。チップスがまだステッキなしでは歩けないうちに、既《すで》に婚約者のように思い合った。そして秋の学期の一週間前、ロンドンで結婚式を挙げたのであった。
ウィケット夫人の家で、時のたつのも忘れてうっとりしながら、あのころのことを思い出すと、チップスはいつも自分の足に目を落として、あの目覚ましい働きをしたのは、どっちだっただろうと思った。つまらないことのようだが、その後に経験した数々の重大な出来事のいわば素因であって、それが他の瑣細《ささい》なことと一緒になって今の彼にはもう思い出せなくなってしまった。しかし、あの時以来、湖畔地方に行く機会がないのだけれど、ゲイブル山の壮麗《そうれい》な円丘《えんきゅう》といい、屹立《きつりつ》するスクリーズ岩山の麓《ふもと》に水を湛《たた》えたウォストウォータ湖の、灰色の深さといい、今なお目に浮かぶようである。沛然《はいぜん》とくる雨の後の空気の爽《さわや》かな匂《にお》いも思い出せるし、スタイ・ヘッド峠《とうげ》へとうねる羊腸《ようちょう》たる山道を、辿《たど》って行くことも出来た。気が遠くなるような幸福の瞬間《しゅんかん》も、湖畔の夕暮《ゆうぐ》れの散歩も、彼女の涼《すず》しい声や花やかな笑い声も、みんな、あまりにもはっきりしていた。思えば、あの女《ひと》はいつも、心《しん》から幸福《たのし》そうであった。
二人は熱心に、あれこれと将来の計画を練った。彼の方が、どちらかといえば、幾分《いくぶん》危惧の念さえ抱きながら、その問題には真剣《しんけん》であった。彼女がブルックフィールドに来ることはもちろん差支《さしつか》えないだろう、他《ほか》の舎監《しゃかん》たちだって結婚しているんだから。それに、彼女は子供が好きだと言うし、だから一緒に暮らすのを厭《いや》がるわけがない。
「ねえ、チップス、わたくし、あなたが先生だってことは、とても嬉《うれ》しいわ。本当のこと言うと、わたくし、あなたのことを、弁護士か株式仲買人か歯医者か、でなかったら、マンチェスターの木綿問屋《もめんどんや》さんじゃないかなんて思ってたんですの。もっとも最初お目にかかった時の話なんですのよ。学校の先生って全然そんなものとは違《ちが》って、もっともっと重要なものですわ、そうお思いになりません?だんだん成長し、これから世の中のためになろうという子供を教育すること……なんですものねえ」
チップスは、これまで教育についてそんなふうに理屈《りくつ》っぽく考えたことは、すくなくとも、あんまりない、と答えた。これは彼が、与えられた天職に夢中《むちゅう》だったからで、誰《だれ》でも、自分の仕事に対してはそうであるのは当然のことである。
「もちろん、そうですわ、チップス。わたくし、あなたがご自分のことを勿体《もったい》つけずにおっしゃるの、大好き」
ある朝、――この思い出も宝石のようにはっきりしているのだが、――彼はある理由から、自分という人間とまたその才能とを買い被《かぶ》られたくないと思って心が重かった。そこで、自分の学位なぞ大したものではないこと、生徒の訓育に当たっても、時々思うように行かないこと、昇進《しょうしん》の望みなんぞ、まず絶対といっていいくらい、持てないことを、彼女に打ち明け、だから自分なぞ、到底若い、望みの大きい女のひとと結婚する資格はないとも語ったのである。彼女はその話を最後まで聞いて、そして、返事代わりにただ笑って見せただけであった。
彼女の両親は亡《な》くなっていたので、イーリングに住まっている叔母《おば》を親代わりにして、結婚した。式を挙げる前の晩、チップスがその叔母さんの家から自分のホテルへ帰る時のことである。彼女は真面目《まじめ》くさって言った。
「さて、そこで、これはいよいよ、わたくしたちの最後のお別れですわね。わたくし、何だか新学期をあなたと一緒《いっしょ》に始める新入生のような気持ちがしますわ。といっても、おどおどした気持ちなんかじゃなくて、今度だけはちょっと敬意を表する気持ちでですの。わたくし、これからあなたを『先生』って呼びましょうか、それとも、『チップス先生』の方がいいでしょうか。『チップス先生』っていう方にしますわ。では、さようなら、チップス先生、さようなら……」
(二輪馬車が走って行くパカポコいう音。雨に濡《ぬ》れた舗道《ほどう》に光を投げる青褪《あおざ》めたガス燈《とう》。南アフリカがどうしたとか叫《さけ》んでいる新聞売り子の声。……まさにベイカー街のシャーロック・ホームズ……)
「チップス先生、さようなら……」
それから幸福な時期がつづいた。チップスは、そのころのことを後日思い出して、この世で、後にも先にも、あんな楽しいことはかつてなかったような気がした。彼の結婚は大勝利と形容したいほどの成功を収めた。キャサリンは、チップスを征服《せいふく》すると同時にブルックフィールドを征服し、生徒は言うに及《およ》ばず教師の間においても非常な人気者になった。教師の細君たちでさえ、初めは、ややもすれば、この若くて愛らしい女《ひと》を嫉《ねた》みたくなるほどだったが、その魅力《みりょく》ある人柄《ひとがら》には、いつまでも楯《たて》つけなくなってしまった。
それはともかく、とりわけ注目に値《あたい》したことは、彼女との結婚から、彼の人間が変わってきたことであった。この結婚まで、彼という男は何となく潤《うるお》いに欠けたところがあり、中性的であった。ブルックフィールドでは一般《いっぱん》に|うけ《ヽヽ》もよく、評判も悪くはなかったのだが、非常な人気の中心になるとか、愛情の対象になるとかいうには何か欠けたところがあった。彼はブルックフィールドで、既《すで》に二十五年以上も暮らしてきた。それほどいれば、教師として、心豊かに、また自然、熱の入れかたも違ってくるのはあたり前だが、しかし、一面、あまり長くいたために、せっかく伸《の》びる素質を持っていても伸びずに終わることも考えられるのである。事実、彼は職業の最悪、かつ終局的おとし穴ともいうべき教育法のあの老衰期《ろうすいき》に、既に一歩足を突《つ》っこみ始めていた。すなわち年々歳々同じことを繰《く》り返し教えていると、生活に型が出来てしまい、それに合わないことは、こっちの都合のいいように、容易に合わして、反省も伴《ともな》わなくなるのだった。なるほど、彼はよく仕事をした。良心的であった。奉仕《ほうし》と満足と信頼《しんらい》とその他あらゆるものを与《あた》え得《う》る人物だった。――ただ| 霊 感 《インスピレイション》だけは別として。
ところが、誰も、特にチップス自身が予想もしなかったこの素晴《すば》らしい若い細君が舞《ま》いこんで来た。そして、誰が見ても、彼を新しい人間に変えてしまったのだ。元来、新しさというものは、老いこみ、束縛《そくばく》された、そして先の予測のつかない人間にとっては、回生の妙薬《みょうやく》である。目には光が出た。また、心は、その動きに花々しさがなくても、とにかくそれで済んでいたのに、今や、これまでにない大胆《だいたん》さで動きを始めた。彼がいつも失わなかった唯《ただ》一つの洒落《しゃれ》の分る感覚が、年齢《ねんれい》の円熟味《えんじゅくみ》を加えて、突然《とつぜん》豊かな花を開いた。彼はこれまでにない大きな力の涌《わ》き起こるのを感じ始めた。生徒に対する訓練は、上手《じょうず》になり、むしろ、ある意味では、厳格ではなくなった。自然、生徒の|うけ《ヽヽ》も次第《しだい》に良くなったというわけである。初めてブルックフィールドに来た時、彼は生徒から愛情と尊敬と服従とを克《か》ち得たいと考えた。そして、どうやら服従だけは願いどおりになり、尊敬もどうやらものにしていた。さて残るのは、愛情だけだったが、漸《ようや》くそれが得られるようになったのである。ただただダラシナク甘《あま》やかすばかりではない親切な先生、自分たちをよく理解して、だからといって深入りしない先生、私生活の幸福を生徒たちの幸福と結びつける先生、そのような先生に対して、生徒たちはその愛を突如《とつじょ》として注ぎかけたのであった。彼は記憶法《きおくほう》とか語呂《ごろ》合わせのような、生徒が好きそうな一口洒落《ジョーク》をやり始めた。それは皆《みな》を笑わすと同時に、何かしら感銘《かんめい》を与えるものであった。これは見本のほんの一つに過ぎないが、人を喜ばすこと絶対|請合《うけあ》いという折り紙つきの一例がある。ローマ史の講義をやって、貴族と平民との結婚《けっこん》を許す例のカヌリヤ法の話になると、チップスは、決まってつけ加えて言ったものである。
「……というわけだから、もし平民|嬢《じょう》が貴族氏と結婚したいと思っているのに、彼氏の方はそりゃあ出来ないと言ったらだ、お嬢さんは多分こう言うだろうと思う、『いいえ、出来るのよ。嘘《うそ》つきね!』」
満場ドッと笑った。
キャスィーは、彼の視野と見解を広げ、ブルックフィールドの屋根や塔《とう》の遥《はる》か彼方《かなた》に目を向けることを教えてくれた。祖国は深遠にして慈《いつく》しみに溢《あふ》れたものに思え、ブルックフィールドはただ一支流としてそこに流れこんでいるに過ぎないことが、今更《いまさら》に理解出来た。彼女《かのじょ》は彼より頭脳《ずのう》が明晰《めいせき》であった。たとえ、彼女の見解と一致《いっち》しない場合でも、だからといって、相手の考えを反駁《はんばく》することが出来なかった。一例を挙げるなら、政治に関して、彼女がいかに急進的社会主義の立場から論を尽《つ》くしても、彼は依然《いぜん》として、保守的であった。だが、相手の意見を受け入れなかったにしても、吸収することはした。すなわち、彼女の若々しい理想主義が、彼の成熟に作用して、極《きわ》めて温厚にして賢明《けんめい》なる一個の合金《アマルガム》を作り出したというわけである。
彼女は彼を完全に説得することがあった。一例を挙げよう。ブルックフィールドはロンドンの東部貧民区域《イースト・エンド》に慈善《じぜん》学校を経営していた。生徒も両親もここに寄付金は充分《じゅうぶん》施《ほどこ》していたが、個人的|接触《せっしょく》をする者はほとんどなかった。ところがここに、この慈善学校のチームをブルックフィールドに招いて、学校側のどのチームかとサッカー試合をさしたらいい、と言い出したのは、キャサリンであった。この思いつきは伝統を無視するも甚《はなは》だしいものであったから、もしもキャサリン以外の人から、この提案がなされたのであったら、一も二もなく冷やかに葬《ほうむ》り去られたであろう。貧民街の少年達を、この上流階級の若者の運動場に連れてくることは、そっとして放って置いてもらいたいものを攪乱《かくらん》して楽しむ気紛《きまぐ》れのように最初は、思われた。全職員がそれに反対した。たとえその意見が容《い》れられても、学校があげて反対に出る虞《おそ》れがあった。東部貧民区域《イースト・エンド》の少年なぞ不良少年《ゴロツキ》に決まっている、そうでなくても、こっちの気持ちを不快にするのは確かだ、ぐらいに皆は思った。いずれにしても|タダ《ヽヽ》では済みそうもないし、そんなことにでもなったら、一騒動《ひとそうどう》もちあがるだろう。――というのに、しかもなお、キャサリンは自説を主張して譲《ゆず》らなかったのである。
「チップス」
彼女は訴《うった》えた。
「皆さんは間違《まちが》っていらっしゃる。わたくしの方が正しいんですわ。わたくしは未来を見ているのに、皆さんは過去だけしか見ていらっしゃらないんです。イギリスが将校と下士卒とに区別されて、いつまでもやって行けるものでしょうか。それらのロンドン貧民地区《ポプラー》の少年|達《たち》だって、ブルックフィールドと同じようにイギリスにとって大切なのです。思い切って招《よ》んでください、チップス。わたくし、あなたが二、三ギニーの小切手を書いただけで、とにかく寄せつけまいとしていらっしゃる、そんなことで、良心が満足させられるわけがないと思うんですけど。……あの子達が、ここの人達と同じようにブルックフィールドを誇《ほこ》りとしているならなお更《さら》のことでしょう。ゆくゆくは、いずれ、ああいう少年達が、数は少なくても、ここに来るようになるでしょう。そんなことはない? なぜ、どうしてそんなことはないと言い切れるでしょうか? ねえ、チップス、考えてくださいな、今は一八九七年で、あなたがケンブリッジにいらした六七年ではないんですよ。あなたの考えはそのころにすっかり固まってしまったものです、もちろん、すべてが古いというのではなく、立派なものもあると思いますわ。でもねえ、チップス、ほんのちょっと融通《ゆうづう》を利《き》かして欲《ほ》しいのよ……」
むしろ吃驚《びっくり》するくらい、彼は素直に彼女の意見を容れて、この提案の熱心な主唱者になった。しかも、その豹変《ひょうへん》たるや非常に徹底《てってい》していたので、学校当局も呆気《あっけ》にとられ、ウヤムヤのうちに、この物騒《ぶっそう》なことを試《ため》しにやってみることに同意してしまった。ロンドン貧《ポ》民地区《プラー》の少年達は、ある土曜の午後、ブルックフィールドに到着して、第二チームとサッカーの試合をやり、七対五で負けた。そして、試合終了後、学校側のチームの|大 食 堂《ダイニング・ホール》で、肉料理つきのお茶を共にした。それから、校長に紹介《しょうかい》され、学校を見学させてもらい、夕方、停車場までチップスに見送られて、帰って行った。万事《ばんじ》が何一つ支障を来たさず無事済んだ。そして、この遠征《えんせい》組が学校に好《い》い印象を残すと同時に、学校から好い印象を受けて帰ったことは、改めて述べるまでもない。
遠征組の少年達はまた、自分たちを迎え、そしてなにかと話しかけてくれた優《やさ》しい婦人の思い出を持って帰った。後年、それは第一次世界大戦の時のことであるが、ブルックフィールドの近くの兵営に駐屯《ちゅうとん》した一人の兵隊が、チップスを尋《たず》ねて来て、自分は第一回試合の時のチームに加わっていた者であると言った。何くれとなく雑談をしたが、いよいよ別れる段になって握手《あくしゅ》すると、その男が、
「で、あのう、奥《おく》さんは達者でいらっしゃいますか、よく覚えているんですが……」と訊《き》く。
「そう」
と、チップスは引き入れられたように返事をし、「君、覚えていてくれたの」と言った。
「忘れるものですか。皆もそうだろうと思います」
すると、チップスは答えた。
「ところがね、誰も覚えてる者はいない、すくなくとも、ここではね。生徒は入学しては卒業して行ってしまって、いつも新顔だ。だから思い出だって、長続きしないわけなんです。先生にしたところが生涯《しょうがい》ここにいるわけではなしね。去年、グリブルが……あー、学校の食事方をしていた……あの爺《じい》さんが罷《や》めたので、いよいよわしの家内を知っている者は誰もいなくなりました。家内はね、あなた達が試合に来て一年とたたないうちに亡《な》くなりました。九八年のことだったな」
「そりゃあ、先生、お気の毒なことでした。わたしの仲間で奥さんを、よく覚えているのが二、三人おりまして、たったいっぺん会ったきりなんですがねえ、皆よく覚えておりますよ」
「そりゃあ、ありがとう……あの日は愉快《ゆかい》だったな、試合も見事でねえ……」
「生まれてからあんな嬉《うれ》しかった日は、数えるほどしかありません。も一度、昔《むかし》に帰りたいと思いますけれど、今はそれどころではありません。……いくら懐《なつか》しくても、明日《あす》はいよいよフランスへ出発です」
それから一と月かそこらしたころ、チップスは、この男が、パッシェンデールで戦死したということを聞いた。
その面影《おもかげ》は、毎日の生活の中で、暖かく、また生き生きと彼《かれ》の心に蘇《よみがえ》り、無数の思い出の灯《ひ》を赤々とともしていた。ウィケット夫人の家にいて夕闇《ゆうやみ》のころともなり、点呼《てんこ》の鐘《かね》が学校から響《ひび》いてくると、とりとめなくそれらの思い出が浮かんでくるのであった。――石畳《いしだたみ》の廊下《ろうか》を急いでいるキャサリン、採点している作文の中にとんでもない間違いを発見して、傍《かたわ》らで声をあげて笑っているキャサリン、学校の音楽会でやったモーツァルトの三重奏《トリオ》でチェロを奏《ひ》いたキャサリン……そのクリーム色の手が茶褐色《ちゃかっしょく》に光る楽器の上で嫋《しな》う。演奏も巧《うま》かったが、もともと、素質があったのだ。また、十二月の学寮対抗《がくりょうたいこう》競技見物に毛皮を着、|手温め《マフ》をして行ったキャサリン、卒業|褒賞《ほうしょう》授与式後の園遊会でのキャサリン、問題が起こるたびに、たとえそれがどんな些細《ささい》なことであっても、助言をおしまなかったキャサリン。適切な助言、だからといって、いつも聞き容《い》れたとは限らなかったが、とにかく、それが何らかの形で彼に影響《えいきょう》したことは間違いなかった。
「ね、チップス、わたくしでしたら、そんなこと放《ほ》ったらかしておきますわ。所詮《しょせん》、どっちだっていいことなんですもの」
「それは分っている。だから、そうしてやりたいんだが、また、同じことをやりゃあせんかと思うもんだから……」
「だったら、はっきりそれをおっしゃって、そして、も一度様子をごらんになったらいいと思いますわ」
「そうしてみようかね」
時にはまた、放ってはおけない面倒《めんどう》な事が起こった。
「ね、チップス、考えてみると、こんなところに何百という元気ざかりの少年が閉じこめられていることが、そもそも不自然|極《きわ》まる話なんですわ。ですから、何か困った事件が起きた時に、ここにいる少年たちの罪ででもあるかのように思って、処罰《しょばつ》するのは少しばかり不当だと、お思いになりません?」
「わたしには分らない、キャスィー。しかしだ、皆のためからいえば、この種の事件に対しては、相当厳しくしなくてはいけないということだ。悪いことをする子供は、他《ほか》の子供を悪化するからね」
「そんなら何よりこの子が先に悪化されたんじゃありません? つまり、そうだったことを前提としてのお考えじゃないんですの」
「そうかも知れない。でも仕方がない。いずれにしても、ブルックフィールドは他校に比べれば、ずっと立派な学校だと、わたしは信じている。それだけに、いい加減にしてはおけないんだよ」
「でも、チップス、この子を、あなた退校させるおつもり?」
「校長は、そんなことにするだろうね。わたしがそう言えば……」
「で、あなた、校長におっしゃろうというの?」
「義務だ、仕方がない」
「ちょっとだけでよろしいわ。そのことで、考えてくださいません……も一度その子とお話しになって……動機をお調べになってごらんになったら、……ところで、話は違いますけど、あの子って、良い子じゃないんですの?」
「そりゃあ、とても、良い子だ」
「では、チップス、ね、他に何か方法がありそうなものじゃありませんか……」
というようなことなどである。こんなことが、十ぺんあるうちに一度ぐらいは、さすがの彼も頑《がん》として自説を曲げようとはしなかったが、しかもこの異例な事についても、後日、その半分は、彼女《かのじょ》の忠告を容れておけばよかったと、思い当たるようなことであった。後年、生徒のことで問題が起こると、彼はいつもあれこれと過ぎ去った日のことを思い出して、厳しさだけで臨《のぞ》むことが出来なかった。例えば、目の前に罰を言い渡されるのを覚悟《かくご》して少年が立っている。その時、もしこの少年の観察が鋭《するど》ければ、先生の澄《す》んだ茶色の目が、心配しないでよろしい、先生は怒《おこ》りはしないよ、と言っているのを読み取ったであろう。がしかし、その生徒がまだ生まれない遠い昔に起こったことを、何かその時チップスが思い出していたこと、そして、この悪戯小僧《いたずらこぞう》め、貴様をおおめに見てやる理由が、何としてもわしには考えつかない、が、彼女だったら何とかうまい理由をつけて許してやっただろうに! と、考えていたということには、思い及《およ》ばなかったのである。
だからといっても、彼女がいつも寛大《かんだい》な処置だけを主張していたわけではない。稀《まれ》には、チップスが許してもいいと思うようなことを咎《とが》め、厳罰を主張して譲《ゆず》らないこともあった。
「わたくし、ああいうタイプの人間が嫌《きら》いなの、チップス。自惚《うぬぼ》れるにもホドがあります。面倒を起こすことが好きなんでしょうから、そんなら、わたくし、ビシビシ容赦《ようしゃ》しませんわ」
こまごまと、まあ何と沢山《たくさん》の出来事が、過去に深く埋《う》めてしまわれたことだろう――かつては、非常に差し迫《せま》ったことのある問題も、口角|泡《あわ》を飛ばしたことのある議論も、その可笑《おか》しさを記憶《きおく》しているというただそれだけのことでも可笑しかった逸話《いつわ》も、一切《いっさい》が……。喜怒《きど》哀楽《あいらく》の感情もその最後の痕跡《こんせき》が人間の記憶から消えてしまえば、それ以上何の意味があろう。もし、そうだとするなら、いまや、消えなんとして、その最後の拠《よ》り所を彼にもとめて絡《から》みついている感情の、この込《こ》み合いかたはどうだろう! 素直に、そしてそれらが長い眠《ねむ》りに入らないうちは、心にとめて大事にしなければいけない。例えば、アーチャ辞職の件――あれは奇妙《きみょう》な事件だった。また、オーグルヴィ老が聖歌隊の練習をやっている間に、ダンスタがオルガン席に鼠《ねずみ》を入れた事件、そのオーグルヴィは他界し、ダンスタはジュットランドの海戦で死んだ。こんな出来事を目撃《もくげき》したり、また伝え聞いたりした者でも十中八九は、もう忘れてしまったことであろう。また、その他の出来事についても、遠い昔から、それと同じことを繰《く》り返してきたのである。彼は突然《とつぜん》、エリザベス朝以来の何万何十万の生徒、それに代々つながって来た無数の教師、微《かす》かな記録さえ残っていないブルックフィールド学校史の中の長い時代について、思いを馳《は》せた。あの五年生が使っている古教室が、「地獄《じごく》」と呼ばれている、その理由を誰《だれ》か知っている者があるか。恐《おそ》らく初めはそれ相応の理由があったに違《ちが》いないが、それが長い歳月《さいげつ》の間に何のことだか分らなくなってしまった。――ちょうど、リヴィの本が残っていないのと似たような運命においてである。また、クロムウェルが近くのネイズビーで戦った時、ブルックフィールドでは何事が起こったか? 一八四五年の大恐慌《だいきょうこう》に対して、ブルックフィールドはどういうふうな反応を示したか? ウォータールー戦勝のニュースが入った時、学校は休みだったかどうかなど。こうして、いよいよ彼が思い出すことの出来る最初の時代、即《すなわ》ち一八七〇年のことになるのだが、ウェザビーは、彼と初めての、そしてただ一回の面接後の雑談のついでに、こう言ったものだ。
「そのうち日を見て、われわれがプロシャ人との問題に解決をつけなけりゃあならんようだな」
チップスはこんなふうに昔のことを思い出すにつけ、それを書き留めて、一冊の本を作ろうかと思うことがよくある。それで、ウィケット夫人の家で暮《く》らすようになってから、時には思い出すままに、それを書き留めておくこともやったのであるが、しかし、すぐなにかと難しいことになってしまった。――第一、ものを書くということが精神的にも肉体的にも、やりきれないし、無理に書いてみると、せっかくの思い出も、何となく生彩《せいさい》を失ってしまうのだった。例えば、ラッシュトンと馬鈴薯《じゃがいも》袋《ぶくろ》の話だが、これなぞ字に移してみるとまこと他愛《たわい》ないことなのに、その実、その時その場の可笑しかったことといったらなかった! 思い出しても可笑しい、が、ラッシュトンのことを覚えていなかったら……どうせ、覚えているものはありゃあせんだろうが……ずいぶん昔のことだからなあ……ウィケット奥《おく》さん、ラッシュトンって名前の子がいたの、覚えてますかな? いやまだ、あんたはあの年頃はいなかったな……政府の仕事でビルマに出かけたが……いいやボルネオだったかな……そりゃあ面白《おもしろ》いやつでしてなあ……
彼はそうやって暖炉《ストーブ》の前で、またもや、自分だけにしか分らない楽しさで、昔のこと、また、いろいろな出来事のことを、そこはかとなく懐《なつか》しむのである。可笑しかったこと、悲しかったこと、喜劇的なこと、悲劇的なこと、これらいっさいのものが、心の中でごっちゃまぜになった。が、しかし、いつかは、どんなに骨が折れようとも、それを択《え》り分け、繋《つな》ぎ合わして、本にまとめておかなけりゃあ……と考える。
いつも心にあって忘れられないことは、九八年のあの春の日のことである。その日、彼は恐ろしい悪夢《あくむ》を見ているかのように、ブルックフィールドの村中をそそくさと歩いていたが、ひどく取り乱していて、一刻も早く、明るい不断と変わりない世界に逃《のが》れ出たいと苛々《いらいら》している様子であった。校外の小道にさしかかると、向こうからフォークナー少年が近寄って来た。
「先生、あのう、僕《ぼく》、午後外出してもよろしいでしょうか。自家《うち》から人が来るんです」
「え、何だって? ああ、いいとも、いいとも……」
「あのう、礼拝《れいはい》には出なくてもよろしいでしょうか」
「ああいいとも……よろしい……」
「で、あのう、停車場に迎《むか》えに行ってもよろしいでしょうか」
彼は、危《あや》うくこんな返事をしかかった。
「地獄へでも何処《どこ》へでも、勝手に行ったらいいだろう。わしの家内が死んだんだ、子供も死んだんだ、ああ、わしも死ねるものなら死んじまいたいんだ」
ところが実際には、彼は頷《うなず》いただけで、それから、よろめくような姿で歩き去った。彼は誰とも口を利《き》きたくなく、また誰からもおくやみを言われたくなかった。出来ることなら、慰《なぐさ》めの言葉をかけられる前に、この悲痛な事態に慣れてしまいたかった。点呼《てんこ》の後で、いつものように四年級の授業があったが、生徒には文法の暗記を命じておいて、彼は机《つくえ》に向かったきり、沈痛な失神状態にあった。すると、突然誰かが言った。
「先生、あのう、先生|宛《あて》の手紙がどっさりそこにあります」
なるほど、それに違いなかった。うっかりして、その上に肱《ひじ》をついていたのだ。見れば宛名は皆《みな》彼になっていた。彼は一通々々、封《ふう》を切って見たが、どれもこれも中身は何も書いてない白紙ばかりだった。ヘンだなあ、と彼はぼんやり思った。が、それについて別に何も言わなかった。そんな出来事も、この日の動転するような胸の思いの前には、吃驚《びっくり》することに値《あたい》しなかったのである。これが四月《ヽヽ》馬鹿《ヽヽ》の悪戯《いたずら》だったことに気がついたのは、ずーっと後になってのことであったが……
母と、生まれたばかりの赤ん坊《ぼう》とが、日を同じゅうして一緒《いっしょ》にこの世を去った。一八九八年四月一日のことであった。
チップスは、学寮《がくりょう》内の便利なアパートから、また元の独身寮に移った。いっそこのさい、舎監《しゃかん》をやめてしまおうかとも考えたが、校長に説得されて思い止《とど》まった。後から考えれば、むしろ、思い止まってよかったと、思った。この役を引き受けている限りは、為《す》ることがあったし、それが心の空虚《くうきょ》を埋《う》めてくれたからである。彼《かれ》は人間が変わった。誰もがそれに気付いた。かつて結婚《けっこん》が彼に何かを加えたように、今度の妻子との死別がまたそうであった。悲嘆《ひたん》のあまり茫然《ぼうぜん》自失した後の彼は、生徒|達《たち》から一も二もなく〈老人〉の部に入れられるような人間に、俄《にわ》かに変わってしまった。といって、何もジジむさくなったのではない。クリケットをやって、まだ五十点を叩《たた》き出せる元気があることからも、また仕事に興味と熱意を失っていなかったことからみても、それが言えた。本当のところは、この数年の間に彼の頭髪《とうはつ》は胡麻塩《ごましお》になっていたのだが、しかも今漸《ようや》く皆はそれに気がついたようなわけであった。彼は五十歳であった。ある時、球戯《ファイヴズ》に加わって、自分の年齢《ねんれい》を二で割ったような若者を相手にしてヒケを取らなかったことがあるが、その時チラと耳にした生徒の声が、こう言った。
「老齢《とし》にしちゃ、相当やるんだなあ」
八十の年齢を越《こ》えたチップスは、よくそのことを他人に話して聞かせては、クックッと笑った。
「五十で老人だって、え? あーム……あんなことを言った奴《やつ》は、ありゃあネイラーだったが、ネイラーだって、今になってみりゃあ、もう、その五十になってる筈《はず》だ! 奴《やっこ》さん、自分で五十を老人だなんて、今でも思ってるかしら? 近頃聞いたところでは、弁護士をやってるって噂《うわさ》だが、弁護士ってものはたいがい長生きするものだね、ほらあのホールズベリ、あーム……あの八十二歳で名誉総長になった男さ、あの男なぞ死んだのは九十九だったからなあ。お前たちは……あーム……まだ前途《ぜんと》洋々《ようよう》だ! 五十でもう老人だなんて、とんでもない……|もう《ヽヽ》じゃない|まだ《ヽヽ》、まだ青年だよ。……わしなぞ……ホンの赤ん坊だったんだなあ……」
それはある意味では真実《ほんとう》だった。なぜなら、新しい世紀が始まるころには、チップスは、目につく癖《くせ》と聞き慣れた冗談《じょうだん》とが、渾然《こんぜん》一つの調和をつくる円熟の境に到達したからである。最早《もはや》あのこまごました訓育上の問題を起こすことも絶えてなくなったし、自分の仕事とその価値について疑問をさしはさむようなこともなくなった。もし彼が自分のうちに、また自分の仕事について誇《ほこ》りを感じるものがあるなら、それはブルックフィールド校に対して誇りを抱《いだ》いていることの反映だということが分るのであった。ここに職を奉《ほう》じている限り、誰に憚《はばか》ることなく、彼は自分というものをギリギリまで発揮することが出来た。そして、年長者であることと円熟の域に達しているがために、かつて前例のない特権を獲得《かくとく》していたが、とかく教師や牧師にありがちな、あの穏《おだ》やかな奇矯《ききょう》さを獲得したことについても、同じことが言えた。彼はボロボロになって、ほとんど着られなくなるまで教師服《ガウン》を着とおした。そして、点呼のため、合併《がっぺい》教室の踏段《ステップ》の傍《そば》の所定の席に立つ時には、恭《うやうや》しく儀式《ぎしき》に没頭《ぼっとう》するかのような様子であった。彼は名簿《めいぼ》を持っていた。長い紙が台紙の上で巻き上がっていた。生徒は一人一人、先生の前に出て、自分の名を言い、出席を確認《かくにん》して貰《もら》い、同時に名簿にマークして貰うのであった。先生が生徒の首実検をするこの時の目つき、これが学校中で、もの真似《まね》のタネになって喜ばれたが、――鉄縁《てつぶち》の眼鏡《めがね》を鼻の先にずり落とし、眉《まゆ》の一方を少し釣《つ》りあげ、半ば熱心、半ば小馬鹿《こばか》にしたような目つきをするのである。また、風の日なぞは、教師服《ガウン》と白髪《はくはつ》と名簿とが風で滅茶苦茶《めちゃくちゃ》に吹きまくられて、運動場から教室へと歩いて来る格好《かっこう》の滑稽《こっけい》さが、皆を笑わせたものである。
その当時の生徒達のいくつかの名前が、後年、合唱の一節《いっせつ》のようになって何の苦労もなく、思い浮かぶのであったが……
「エインズワース、アトウッド、エイヴォンモア、バブコック、バッグズ、バーナード、バッセンスウェイト、バタズビー、ベックルズ、ベッドフォド・マーシャル、ベントリ、ベスト……」
もう一つ、
「アンスリ、ヴェイルズ、ウォダム、ウェグスターフ、ウォリントン、ウォターズ第一、ウォターズ第二、ウォトリング、ウェイヴニー、ウェヴ……」
また、四年級でラテン語法を教える時きまってあげる、六歩格《ヘクサミーター》の素晴《すば》らしい一例で、次のようなのがあった。
「……ランカスタ、ラットン、ラメア、リットン・ボズワース、マクゴニゴール、マンスフィールド……」
その生徒たちは皆|何処《どこ》へ行ったのだろう。彼はよくそんなことを考えた。かつてこの手でしっかり握《にぎ》っていた彼らを繋《つな》ぐ糸はどこまで伸《の》びて、散り散りになってしまったのだろう。思えば、断《た》ち切れてしまったもの、また、未知の模様に織りこまれてしまったもの、様々である。この世のこの不思議な気紛《きまぐ》れさには、何だか一|杯《ぱい》食わされた気持ちである。おそらくこの世のつづくかぎり、その気紛れさの故《ゆえ》に、歌詞のように覚えている生徒の名も、意味を失ってしまうだろう。
そして、ブルックフィールドから裏の方に当たって、霧《きり》が晴れた時なぞ、山の後ろに山があるのが見渡せたように、彼は、変遷《へんせん》しまた闘争《とうそう》する世の中を見、しかも、それを理解するというより、なくなったキャスィーのあの目で眺《なが》めていたのである。彼女《かのじょ》はその心を全部残して行ってくれることは出来なかった。その才幹にいたってはなお更《さら》のことである。しかし、彼自身の内的感情とよく調和する平静と安定とを残して行ってくれた。ボア人に対する激《はげ》しい主戦論が風靡《ふうび》した時でも、これに与《くみ》しなかったというのは、いかにも彼らしいことで、それなら彼がボア人|贔屓《びいき》だったかというと、まさにその逆で、恐ろしく伝統的であり、仮にもボア人を贔屓する輩《やから》は嫌《きら》いであった。しかも彼がボア人に同情したというのは、ヘリワード・ザ・ウェイクとかカラクタカスとかいう英国史に出てくる英雄《えいゆう》たちと奇妙《きみょう》な類似点《るいじてん》を持った闘争にボア人が加わっていると思うことが時々あったからである。ある時、彼はこの話をして、五年級を吃驚《びっくり》さしてやろうとしたことがあったが、失敗した。また冗談が始まったぐらいなところで片付けられたからである。
で、ボア人に関して異端《いたん》である彼も、ロイド・ジョージと例の有名な予算に関しては正統派であった。いずれにこだわるわけでもなかったのだが、それから後年のこと、そのロイド・ジョージが、ブルックフィールドの卒業式に来賓《らいひん》として臨席したことがあった。この時、彼に紹介《しょうかい》されたチップスは、挨拶《あいさつ》の後で言った。
「ロイド・ジョージさん、わたしも年をとってしまいまして、……あーム……小さい時の貴方《あなた》しか覚えていませんが、……あーム……正直な話がですな、えらく、……あーム……進歩なさったように、……あーム……お見受けしますわ」
傍にいた校長は、胆《きも》を冷やした。が、ロイド・ジョージはワッハッハと笑った。そして、式の行なわれている間中、チップスにだけよく話しかけた。
「いかにもチップスらしいなあ」
と、後で、皆は批評した。「あれで咎《とが》められないところから察するにだ、あの年齢《とし》になると、誰《だれ》に何を話したって通るもんらしい……」
10
一九〇〇年、ウェザビーの後を継《つ》いで校長となり、三十年間その職にあったメルドラム老が肺炎《はいえん》で急逝《きゅうせい》した。そこで後任が決まるまでの期間、チップスがブルックフィールドの校長事務|取扱《とりあつか》いを勤めた。ことによったら理事会の決議でそのまま彼が校長になるかも知れないという一縷《いちる》の望みがなくもなかったが、実際には三十七|歳《さい》になる若い人物が後に据《す》えられた。チップスは別に落胆《らくたん》するでもなかった。新校長というのは、大学を首席で卒業し、運動は正選手だった人で、眉を吊《つ》りあげただけで合併教室を黙《だま》らせ得《う》るような性格の持ち主だった。チップスはこの種の人間にかかっては勝ち味がなかった。かつてそんなためしがなかったし、これからだってそうだろうし、そのことはよくわきまえていた。だいたい人間が温和で、獰猛《どうもう》な出来ではなかったのだ。
彼が退職したのは一九一三年だったが、それ以前の数年間のことは、絵を見るようにまざまざと心に浮かぶのである。
ある五月の朝。学校の鐘《かね》が時ならぬ時に、ガランガランと鳴り出した。全校が合併教室に召集《しょうしゅう》された。新校長ロールストンは、ことさらに静々と、勿体《もったい》をつけ、何か面白《おもしろ》くないことになりそうな近づき難《がた》さで一同に眼を据えた。
「エドワード七世におかせられては、今朝《けさ》、崩御《ほうぎょ》遊ばされた。諸君とともに、衷心《ちゅうしん》から、哀悼《あいとう》の意を捧《ささ》げたいと思う、……午後は授業を休む。ただし、礼拝《れいはい》を、四時三十分、礼拝堂に於《おい》て執行《しっこう》する」
ある夏の朝、ブルックフィールドに近い鉄道線路でのことである。その時鉄道従業員はストライキをやり、兵隊が出動して機関車を運転していた。汽車に投石する者が頻々《ひんぴん》とあったからだ。ブルックフィールドの生徒は沿線|巡邏《じゅんら》の任についていたが、この仕事は頗《すこぶ》る皆の気に入った。監督《かんとく》に当たっていたチップスは、皆から少し離《はな》れたところで、とある農家の門口で男と話していた。するとクリックレイド少年が、やって来て言うのである。
「あのう、先生、もし罷業者《ストライカー》に出食《でく》わしたら、どうしたらいいんですか」
「会いたいかな」
「僕《ぼく》、わかりません」
やれやれこの子は……動物園から逃げ出した珍獣《ちんじゅう》を相手にしているような気らしいわい!
「じゃ君、……あーム……ジョーンズさんに、ほら会い給《たま》え、この人は罷業者《ストライカー》だよ。ストライキをやってない時は、ここの停車場の信号所を預かっている人だから、君は何度もこの人の手に生命《いのち》を預けたわけさ」
あとで、この話は学校中にひろまった。チップスが、罷業者《ストライカー》と話していた、罷業者と……。よっぽど親しいにちがいない、話しぶりがいかにもそうらしかった、と。
チップスは、このことを何度か思い返しながら、その後で、いつも決まってキャスィーは厭《いや》がるどころか、却《かえ》って面白がっただろうと思ったものである。
というのは、何が起ころうが、政治|街道《かいどう》がいかに紆余《うよ》曲折しようが、彼は常にイギリスに対し、イギリスの肉に対し、イギリスの血に対して信仰《しんこう》を抱《いだ》いていたからで、その信仰の念はブルックフィールドに対しても同じであった。つまり彼はブルックフィールドの究極の価値が、その尊厳と均衡《きんこう》とを以《もっ》て、イギリスの舞台《ぶたい》に調和するや否《いな》やにかかっていると考えていたからである。彼は年毎《としごと》にはっきりしてくる一つの幻影《げんえい》を抱いてきたが、それはイギリスの安楽な時代が終わろうとしていること、また、かりそめの過失から、破局を招きそうな海峡《かいきょう》で、国民が船を操《あやつ》っていることであった。彼は即位《そくい》六十年祭を覚えている。当日はブルックフィールドは丸々一日休みであった。そこでキャスィーを連れ、行進を拝観にロンドンへ出かけた。あの伝説的な老婦人は、さながら崩《くず》れ落ちそうな人形のようにお召《め》し馬車に乗っていられたが、それが女王ご自身と同じく、終焉《しゅうえん》の期が迫《せま》っている数多くのことを象徴《しょうちょう》しているようで印象深かった。あれはただの世紀に過ぎなかったのか、あるいは一新紀元ともいうべきものだったのだろうか?
つづいて来たのが気違《きちが》いじみたエドワード朝の十年であるが、それはあたかも電燈《でんとう》が切れる前に、ひときわ明るく白光を放つに似た時代であった。
ストライキと工場|閉鎖《へいさ》、シャンペィン付き晩餐《ばんさん》と失業者のデモ行進、中国人労働者と関税改正、弩級《どきゅう》戦艦《せんかん》ドレッドノート号、マルコーニ、アイルランドの自治法案、クリッペン博士《はかせ》事件、婦人参政運動者、チャターリャ戦線……
雨と風の、ある四月の夕方。第四学級でヴァージルを訳読していた、が、どうも理解がいつもと違ってすらすらいかない。大事件のニュースが新聞でひろまったからである。とりわけ、グレイスン少年は、放心したように、勉強に身が入らなかった。静かな、ものに感じ易《やす》い少年だった。
「グレイスン、うしろに立ってい給え……あーム……みんなのうしろに」
それから、後で、
「グレイスン、わしはきびしく、……あーム……君に当たりたくない、いつもまあ一生懸命《いっしょうけんめい》、……あーム……君は勉強しているからな。だが今日に限って、……あーム……君は少しヘンだ。どうかしたのかな?」
「い、いいえ、先生」
「そうか、……あーム……それじゃ、これ以上はもう言うまい、だが、……あーム……このつぎはもっとしっかりしてな、いいか」
翌朝のことである。そのグレイスン少年の父親がタイタニック号に乗っていて、生死のほどがいまだに不明だという話で、生徒が動揺《どうよう》していた。
グレイスンは欠席を許された。全校の生徒も、一日中、この心配で心を痛めた。が、やがて、ニュースが入って、その父親が救助された者の中にいたということが判明した。
チップスは少年の手を握《にぎ》って言った。
「さて、……あーム……グレイスン、よかったなあ。めでたしめでたしだ。君もこれでホッとしたにちがいない」
「は、はい、先生」
静かな、ものに感じ易い少年だったが……。後日、チップスがお悔《くや》みを述べるような運命《めぐりあわせ》になった相手は、父親のグレイスンで、この息子《むすこ》の方ではなかった。
11
それからロールストンとの喧嘩《けんか》の一件について。可笑《おか》しなことだが、チップスはどうしてもこの男が好きになれなかった。有能で、よく|キレ《ヽヽ》て、それに覇気《はき》があって、どこがどうというわけではないのだが、虫が好かなかった。この男がブルックフィールド校の格をあげたことは明らかで、そのために、思い出せる限りでは、初めて多数の入学志望者が押《お》し寄せたようなわけである。まことにロールストンは活動家で、申し分ない送電機みたいな男だったが、しかし、決して気を許すわけにはいかなかった。
チップスにしてみれば、気を許すも許さんもない。どだいこの種の人間に気を惹《ひ》かれなかったのだが、しかし、勤めることだけは気持ちよく、そして陰日向《かげひなた》なく仕えた。――というより、ブルックフィールドのために働いたといった方が当たっているかも知れない。彼《かれ》は、ロールストンの方でも自分を好いていないことを知っていた。しかし、大したこととも思っていなかった。ロールストンが好まない他の教師の陥《おちい》る運命とは異なって、自分だけは老齢《ろうれい》と古参であるという理由から、特別な考慮《こうりょ》が払《はら》われるだろうぐらいな気持ちだったからである。
ところが一九〇八年、彼が六十歳になった時、突然《とつぜん》、ロールストンから慇懃《いんぎん》な最後の通牒《つうちょう》が出た。
「チッピングさん、あなたは隠退《いんたい》したいとお考えになったことがおありでしょうか」
チップスはビクッとして、ロールストンが何だってそんなことを急に訊《き》くのかと訝《いぶか》りながら、ぎっしり本の詰《つ》まった書斎《しょさい》を見回した。が、いつまで黙《だま》ってもいられない。
「いや、……あーム……そんなことを考えたことは、……あーム……ありません、……あーム……まだ……」
「では、チッピングさん、一つそのことを考えて貰《もら》いたいのです。理事たちが、適当な年金を出すことに同意することについてはご心配はいりません」
チップスは思わずカッとなった。
「だが、わしは、隠退、したくない。考慮の、……あーム……余地はありません」
「にも拘《かかわ》らずですよ、そうして貰いたいのです」
「だが、……あーム……どうして、罷《や》めろとおっしゃるのか、わしにゃ分らん!」
「さ、そうなると、問題はチト難しくなりそうですなあ」
「難しい? 何が、難しいのです?」
そこで、いよいよ始まったわけだが、ロールストンが冷静に酷《きび》しくなればなるほど、チップスは逆にだんだん激昂《げっこう》していった。ついにロールストンが無残にもこんなことを言い放った。
「チッピングさん、ざっくばらんに言わなきゃ、あなたには通じないようだから、敢《あ》えて言いますが、あなたは大分以前から職責を果たしておられんように、わたしは見ています。教え方がいかにもゾンザイで旧式だし、服装《みなり》のダラシなさといったらない。しかも、わたしの言い付けたことなど、マルで無視していなさるが、これが若い者だったらその不逞不逞《ふてぶて》しさは到底|黙視《もくし》するに忍《しの》びないテイのものです。チッピングさん、これは困りますな。それも昨日《きのう》今日《きょう》のことじゃない。わたしがこの問題では、どのくらい辛抱我慢《しんぼうがまん》してきたか、あなたには分らんでしょうが……」
「だが……」
チップスはそう言ったものの、頭がすっかり混乱してしまって後の言葉がつづかなかった。がやがて、彼はこの無茶な言い分の中から、問題を別々に採りあげた。
「ダラシガナイ、……あーム……そうおっしゃいましたな?」
「いかにもその通り、ちょっとまあ、あなたのその教師服《ガウン》を見てごらんなさい。これはひょっとしたことから知ったんだが、その教師服《ガウン》ときたら学校中の笑い話のタネになっているんですよ」
チップスもそれは承知していた。しかし、とりわけ遺憾《いかん》だなぞと、それほど騒《さわ》ぐことでもあるまい。
彼は言葉を継《つ》いだ。
「それから、あなたはおっしゃいましたな、……あーム……フテブテシイとか何とか」
「いや、それは違う。若い者の場合だったら、そう考えると言ったまでです。あなたのは、ゾンザイと強情《ごうじょう》を混ぜ合わせたようなものでしょうな。例えば、ラテン語の発音の問題にしても、何年か前に、あなたに注意したと思うが、この学校では|新 式《ニュースタイル》を採用して貰いたいのです。他《ほか》の先生方はわたしの言うことを容《い》れてくれた。ところがあなたは、自己流の旧式を捨てようとはせず、そのために、混乱と非能率を招く結果になってしまった」
チップスは敵に組み付く手掛《てが》かりを、やっと掴《つか》んだ。
「ああ、そんなことですかい?」
彼は軽く相手を|イナシ《ヽヽヽ》て答えた。
「ええと、わたしはですな、……あーム……わたしが新しい発音法に賛成しない、それは認めます。絶対に不賛成ですな。あーム……馬鹿々々《ばかばか》しくって問題になりませんわ。学校で『キケロ』と言わせておいても、……あーム……卒業後は仮に口にするとしても、『シセーロ』と言い、『ヴィスィスィム』(順次に)とは言わないで……とんでもない……『ウィー、キスイム』(われわれは彼にキスする)と発音させようとは! あーム……あーム!」
彼はこの部屋《へや》がロールストンの書斎であって、いつもの教室と違うんだということを忘れて、暫《しばら》くクックッと笑っているのだった。
「ほれ、それです。チッピングさん、それが、わたしの不満に思う例です。お互《たが》いの意見がこう分かれて、しかも、あなたが譲歩《じょうほ》しようとしないからには、妥協《だきょう》の余地は全然ないことになる。わたしの目ざすところは、このブルックフィールドを最新式の学校にしたいのです。わたし自身は一個の科学者ですが、それにも拘らず、古典に対しては、それが能率的に教えられるならば、なんら反対するものではありません。死語だから、死んだような教授法でそれを取り扱《あつか》っていいという理由は少しもありません。チッピングさん、わたしがここに赴任《ふにん》して既《すで》に十年になるが、あなたのラテン語やギリシャ語の授業は、十年一日、何一つ変わったところがないじゃありませんか」
チップスは、それに対して悠《ゆ》っくりと、しかも誇《ほこ》りをもって答えた。
「そのことなら、……あーム……あなたの前任者であるメルドラム校長が当校《ここ》に赴任されて来た時もなんら変わったことがないのでしてな、あれは、……あーム……三十八年前、一緒《いっしょ》に始めたのは、……あーム……一八七〇年のことでした。そして、そのメルドラム校長の前任者ウェザビー先生、このひとがわたしの教授|要旨《ようし》を承認《しょうにん》してくださった最初のひとで、『四年級にシセーロをやってもらいましょう』とおっしゃいましてな、発音はシセーロで、キケロではありませんでしたわい!」
「非常に面白《おもしろ》いお話です、チッピングさん。だが、その話は、わたしの論点を繰《く》り返して証明してくれるのに役立つものです。つまりですな、あなたは充分《じゅうぶん》過去に生きたひとで、現在はもちろん未来にはもう通用しそうもないんです。時代は、あなたがそれを理解すると否《いな》とに拘らず、今や刻々と変化しているのです。このごろの親たちは、誰《だれ》にも通じないような言葉の切れ端《はし》なんかどうでもよいから、もっと何か、三年間の学費で、役に立つものを仕込《しこ》んで貰《もら》いたいと要求しだしているのです。それにあなたの預かっている生徒たちは、当然覚えるべきものさえ覚えていないという塩梅《あんばい》で、去年なぞ、低学級|修了《しゅうりょう》証書を無事|獲得《かくとく》したものは、タダの一人もありませんでしたな」
それを聞くと、思うことが一時にドッと胸にこみ上げてきて、チップスは言葉に詰《つ》まって、心で答えるのだった。試験とか証書とか……いったいそんなものが、どうしたというのだ。また、やれ能率だ、最新式だと……それが何だというんだ? ロールストンはブルックフィールドを工場に見立てて、これを経営して行こうとしている、金力と機械に基礎《きそ》を置いた俗物の教養を生産する工場に。家門と広大な荘園《しょうえん》を継承《けいしょう》する古い貴族的伝統が時代と共に変化していることは疑うべくもない。しかし、ロールストンはその伝統を拡張《かくちょう》し、公爵《こうしゃく》と塵芥《ごみ》掃除夫《そうじふ》とを包括《ほうかつ》した真の民主主義《デモクラシィ》を作ろうとはせず、むしろ、それを縮小して、銀行当座預金の膨《ふく》れあがるようなことに熱心であったのである。ブルックフィールドに金持ちの息子《むすこ》がこんなに多く集まったことは、かつてなかったことで、卒業式の園遊会はまるでアスコット競馬場の花々しさだった。ロールストンはロンドンのクラブでこの金持ち連に会い、ブルックフィールド発展の見通しを説いて回った。すると連中はイートンやハロー入学が金ではどうにもならないので、見事この餌《えさ》を飲みこんだのである。だから父兄|達《たち》は皆《みな》が皆、品の好《い》いひととは限らない、中には我慢出来ない連中もいた。金融業者《きんゆうぎょうしゃ》とか会社|発起人《ほっきにん》とか製薬業者とかいった類《たぐい》で、この中の一人なぞは、自分の息子に一週間の小遣《こづか》いとして五ポンドも与《あた》えるような馬鹿《ばか》なことをしていた。俗悪で……見栄坊《みえぼう》で……当代の放逸《ほういつ》な爛熟《らんじゅく》さを語らぬものはない。以前チップスはアイザックスタインという生徒の名と家系とについて、冗談《じょうだん》を言ったことから面倒《めんどう》な問題を起こしたことがあった。その生徒は自家に出す手紙にそのことを認《したた》めた。すると、アイザックスタインの父親は怒《おこ》って、ロールストン校長|宛抗議《あてこうぎ》の手紙を突《つ》きつけたのだ。怒りっぽく、諧謔《かいぎゃく》を解せず、釣《つ》り合いのとれた感覚というものを欠いている、それが成り上がり者の正体で……まったく、均衡《きんこう》感覚の欠如《けつじょ》である。だから、何はさて措《お》いても、ブルックフィールドで教えこまなければならぬものは、このことであって、その意味では、ラテン語もギリシャ語も化学も機械学も実はそれほど重要ではない。しかも、この釣り合いの感覚という奴《やつ》は、試験問題にしたり、修了証書を与えて、それでどうこう決まりをつけるわけにはいかんじゃないか……。
すべてこのようなことが、抗議と憤慨《ふんがい》とで赫《か》っとなった瞬間《しゅんかん》に、彼の心に閃《ひらめ》いたが、しかし、一言もそれは口に出さなかった。そして、ボロ服《ガウン》の前を合わせ、
「あーム……あーム」
と言いながら二、三歩、歩いて行った。議論はもう沢山《たくさん》だった。扉《とびら》のところまで行くと、彼は振《ふ》り返って、言った。
「辞職する意志は、……あーム……ありません。ですから、どうなりとあなたのお好きなように、……あーム……なさったらよろしかろう!」
四分の一世紀の静かな展望のうちにこの時の情景を思い浮かべて、チップスは、ロールストンに少し気の毒なことをしたという気がしないでもない。生憎《あいにく》ロールストンが、自分で処理しようとしている相手方の勢力について、まるっきり無知であった場合においては尚更《なおさら》その感が深い。その点、チップス自身もまた同様であったが、それというのも、ブルックフィールドの伝統の強靱《きょうじん》さと、その伝統と擁護者《ようごしゃ》とを擁護する用意がいつでも整っていることを、二人ともうかつにも考慮《こうりょ》に入れておくのを忘れていたからである。というのは、たまたまその朝、ロールストンに面会しようと待っていたある生徒が、扉の外から部屋の中に起こった一部始終のことを聞いて、吃驚《びっくり》し、それを友達に話したことに端《たん》を発した。すると時を移さずそのことを両親に話した者があったので、自然、ロールストンがチップスを侮辱《ぶじょく》し、かつ辞職を要求したという噂《うわさ》は、瞬《またた》く間に知れ渡ってしまった。その結果は、チップスが未《いま》だかつて夢想《むそう》したこともないような凄《すさ》まじい同情と声援《せいえん》が澎湃《ほうはい》として起こった。それと同時に、ロールストンの評判がまるで悪くなってしまったのには、彼もちょっと意外な気がした。つまり恐《おそ》れられ、尊敬されてはいたが、好かれていなかった証拠《しょうこ》で、チップスとの論争から、その好きになれない気持ちが、恐怖《きょうふ》にうち勝ち、尊敬の念をさえ覆《くつがえ》してしまうに至ったのである。で、もしロールストンがチップス追い出しに成功するなら、学校に一種の暴動が起こるだろうという噂もたった。教師達――チップスが到底《とうてい》もう見込みないほど旧式だということに一致している若い教師達の多くが、ロールストンの奴隷的《どれいてき》駆使《くし》を憎《にく》んでいたため、かつはこの古強者《ふるつわもの》をあつらえむきの闘士《とうし》と見立てたために、周囲に集まってきた。ある日のこと、理事会長のジョン・リヴァーズ卿《きょう》がブルックフィールドに現われ、ロールストンは後回しにして、まずチップスのところに行った。
「リヴァーズってのは立派な男でしたよ」
と、チップスは、これでもう十二回も繰り返す話をウィケット夫人に持ち出して言うのである。
「あんまり、……あーム……優秀《ゆうしゅう》な生徒じゃなかったな。どうしても、……あーム……動詞をものにすることが出来なくってねえ。それが、……あーム……どうです、新聞を見ると、……あーム……准男爵《じゅんだんしゃく》になったと言うのです。ほら、これで分ったでしょう、……あーム……ね、これで分ったでしょう」
一九〇八年のその朝のことだ。ジョン卿は、チップスの腕《うで》を取って、人気《ひとけ》のないクリケット球場を歩きながら言ったものだ。
「ね、チップスさん、ロールストンから喧嘩《けんか》を吹きかけられたそうで、とんだ災難に会われましたな。ですが、どうぞ心配しないでください、理事は皆最後の一人まで、あなたの味方です。われわれとしては、ああいう男は到底好きになれないんですよ。非常に利口ではあります。しかし、少しばかり利口すぎるきらいがあるのです。株に手を出して、学校の基金を二倍にしたと言っているが、ああいう男は、目が離《はな》せないんですよ。それで、もし彼《かれ》があなたに居辛《いづら》くするような手を打ち始めたら、馬鹿《ばか》丁寧《ていねい》に、あなたこそ、どうぞ地獄《じごく》へお出《い》でください、と言っておやりなさい、構いませんよ。理事会はあなたに辞職して貰《もら》いたくありません。あなたのいないブルックフィールドは、昔日《せきじつ》の面影《おもかげ》を失ってしまいます。それを子供達も承知しているし、われわれももちろんです。もしあなたが気に入るなら、百まででも、ここにいてください。それが偽《いつわ》りないわれわれの希望なのです」
そして、……この時でも、またその後そのことを語る時でも、話してここまで来ると、……チップスの言葉はあとがつづかなかった。
12
そういうわけで、彼はロールストンと、出来るだけ関係しないようにして、ブルックフィールドに留《とど》まった。一九一一年になると、ロールストンは〈栄転〉で、この学校を去り、一層大きいある| 中 学 校 《パブリック・スクール》の校長に|買われて《ヽヽヽヽ》行った。その後任はチャタリスというひとで、チップスの好きなひとだった。かつてのロールストンよりもっと若く、三十四歳で、非常に優秀な人物だと思われていたが、とにかく近代的で、(ケンブリッジ大学、自然科学の優等卒業生)親しさと情け深いところのある人物だった。彼は、チップスのうちにブルックフィールドの制度を認め、丁重に、また賢明《けんめい》にその位置を引き受けたのである。
一九一三年に、チップスは気管支炎《きかんしえん》を患《わずら》い、冬の学期をほとんど休んでしまった。そこで六十五歳の夏のことだが、辞職しようと心を決めた。いずれにしても、もういい年をしていたからでもあったが、ロールストンのズケズケ言った言葉の影響《えいきょう》がいくぶんあったことは争われない。彼は、自分の勤めが思うように果たされないのに、なお職に留まるのはよろしくないと思った。が、といって関係を全然断ってしまいたくはなかった。それで、昔《むかし》学校の洗濯物《せんたくもの》整理室で働いたことのあるウィケットという非常によく出来た婦人が、道を隔《へだ》てた学校|隣《どな》りに住んでいるのを幸い、そこの部屋を借りることにした。ここなら、気が向く時にはいつでも学校に出掛《でか》けられるし、学校に在《い》る気はしても、離れてしまった気持ちにならないで済む、と思った。
一九一三年七月の学期末|晩餐会《ばんさんかい》の席上で、チップスは送別の贈《おく》り物を受け、そして一場の挨拶《あいさつ》に立った。至極《しごく》さっぱりした挨拶だったが、ふんだんに洒落《しゃれ》を飛ばしたために、笑い声で時々|往生《おうじょう》させられて話が出来ず、おそらく二倍の長さになってしまったようだ。その中でラテン語の引用を五つ六つやったが、生徒総代の挨拶にも言及《げんきゅう》して、チップスは、生徒総代が自分(すなわちチップス)のブルックフィールドに対する功労について語った中で、誇張《こちょう》の罪を犯《おか》していると言った。
「ところで、……あーム……彼の血統には、……あーム……どうも誇張|癖《へき》があるようでしてな、わたくしは、……あー……そのことで、彼の父親に鞭《むち》をくれたことが、一度ありました。(哄笑《こうしょう》)というのは、ラテン語の翻訳《ほんやく》でしたが、……あーム……わたくしは1点やった。ところがどうです彼は、……あーム……その1点をいじって、7点にしてしまったんですわ! あーム……あーム!」
笑いがどっと起こり、満場割れるような拍手《はくしゅ》。チップスが真骨頂《しんこっちょう》を発揮した、と思わないものはなかった。
それから彼は、ブルックフィールドにあること四十二年、その間、この上もなく幸福だったと述懐《じゅつかい》し、その後で、ひとこと、
「それがわたくしの生涯《しょうがい》でありました」と言い、
「オー・ミヒ・プレテリトス・レフェーラト・スィ・ユピテール・アノス。……あーム……もちろんこのままで、お分りになりましょう。……哄笑
「わたくしは、ブルックフィールドに起こった数々の変化を覚えております。最初の自転車のことも、……あー……覚えています。また、ガス燈《とう》も電燈もなく、ランプ・ボーイと呼ぶ、学校中のランプの掃除《そうじ》をしたり、芯《しん》をきったり、火を灯《とも》したりすることだけを専門にしている給仕を使っていたころのことも覚えています。また、冬の学期に厳しい霜《しも》が七週間もつづいて、競技は何も出来ず、全校あげて付近の沼沢地《ぬまち》でスケートを習ったこともあります。それは一八八〇何年かのころのことでありました。また、学校の三分の二が風疹《ふうしん》にやられて、そのために合併《がっぺい》教室が病室代わりにされたこともありました。また、メフィキングの晩、大篝火《おおかがりび》を焚《た》いたことがありました。すると、燃え上がったのが天幕《テント》のあんまり近くだったものですから、消防隊を呼ばねばならぬ騒《さわ》ぎになったのですが、消防隊でも祝賀会をやっていて……あーム……|ぐでん《ヽヽヽ》|ぐでん《ヽヽヽ》というわけでありました。(哄笑)また、ブルール夫人、この女《ひと》の写真は今でも売店にありますが、この女《ひと》は、オーストラリアの叔父《おじ》さんから相当な遺産を貰うまで、そこに勤めていました。実際、こうしてお話ししてまいりますと、思い出すことは数限りなくありますので、一冊にまとめておくべきだろうと考えることが、よくあります。でもし、本にするとしたら題を何とつけるか、ですが、『鞭と百行清書の思い出』というのは、いかがでしょう、え?(喝采《かっさい》と哄笑)(巧《うま》い、チップスの傑作《けっさく》の一つだ、と皆は思った)まあ、まあ、そのうち何とか片付けることにしますが、実際のところ、書くより話した方がよさそうにも思います。あのことも……このことも……だが、わたくしが一番よく覚えているのは、皆さんの顔であります。それだけは絶対に忘れません。この胸の中には幾千の顔、すなわち少年の顔があります。もし皆さんが今後何年かたって、わたくしに、また会いに来られるならば、いや、ならばじゃない、そうして欲《ほ》しいものですが、その時、まあ、やっては見ますが、大人《おとな》になった皆さんの顔を思い出すのはなかなか骨が折れるかも知れませんな……それから、何処《どこ》かで、このわたくしに、いつか会われることがあって、その時、わたくしがうっかりしていると、皆さんは独《ひと》り言《ごと》を呟《つぶや》かれるかも知れませんな。『あの親爺《おやじ》、ぼくのことを忘れたな』ってね。(哄笑)しかしです、しかし、わたくしが覚えているのは、現にここにいる、その皆さんなのであります。よろしいですか、ここのところが大事な点なのです。わたくしの心の中でです、皆さんは決して現在以上大人にならないのです。絶対に。例をあげるなら、尊敬するわが校の理事会会長のことを、わたくしに話してくれるとしますな。すると、わたくしは考える……『ああ、あの頭にピンと毛がおッ立っていた愉快《ゆかい》な坊《ぼう》や、動詞状名詞《ジェランド》と動詞状形容詞《ジェランディブ》の区別が、トントつかなかったあの坊やのことか』(ゴーッと哄笑わく)さて、さて、こんなことをつづけていたら、……あーム……夜が明けてしまいます。わたくしは、この後《あと》も皆さんのことを忘れませんが、どうか皆さんも時々はわたくしのことを思い出して下さい。『ヘック・オリム・メミニッセ・ジュヴァビット』……。これも訳す必要はないでしょう……」哄笑と歓声と後をひく喝采。
一九一三年の八月。チップスはヴィースバーデンに保養に出掛けた。そこでは、ブルックフィールドのドイツ語教師をしている親しい間柄《あいだがら》のシュテーフェル氏の家に逗留《とうりゅう》した。シュテーフェル氏はチップスより三十歳も年下であったが、それでも二人は実によくウマが合った。九月になって学期が始まると、チップスは引き揚《あ》げて帰り、ウィケット夫人の家に居を構えた。休暇《きゅうか》保養のおかげで、健康をすっかり取り戻して、これならまだ隠退《いんたい》しなければよかった、とそんな気がするくらいだった。が、することはいくらでもあった。新入生をお茶に招《よ》ぶこともあったし、ブルックフィールドの運動場で催《もよお》される主な競技は見落とすことは出来なかった。一学期に一度は校長と会食し、また一度は教師たちと食事を共にすることになっていた。また、校友会|名簿《めいぼ》の準備と編集もあった。彼は、それから校友会クラブの会長の役を引き受け、ロンドンの晩餐会《ばんさんかい》にも出掛けた。また、洒落《しゃれ》とラテン語の引用句の多い原稿《げんこう》を、時々、定期の校友会雑誌に寄せる仕事もあった。毎朝、「タイムズ」紙にまんべんなく目を通したし、また、探偵《たんてい》小説も読み始めた――初めてシャーロック・ホームズを読んでハラハラしてからというものは、病《や》みつきになってしまったのである。要するに日々はとても忙《いそが》しいし、同時にまた、とても楽しいというわけであった。
それから一年後の一九一四年、彼はまた学期末の晩餐会に出席した。話は戦争のことで持ちきりで、アルスタの内乱やオーストリアとセルビア間の紛争《ふんそう》のことが話題を賑《にぎ》わした。その翌日、ドイツに帰ることになったシュテーフェル氏は、こんどのバルカン問題は大したことにはなるまい、とチップスに語った。
13
戦争下の四年。
初めは衝撃《しょうげき》を受けた。が、見通しについては楽観的であった。マルヌ河畔《かはん》の戦い、ロシアの圧倒的《あっとうてき》軍勢、キッチナー元帥《げんすい》。
「先生、この戦争、長びくとお思いになりますか」
チップスが、シーズン初めの練習試合を見ていると、そう訊《き》くものがあり、それに対する、彼の返事は至極朗《しごくほが》らかなものであった。彼は、世間|一般《いっぱん》と同様、如何《いかん》ともし難《がた》い間違《まちが》いをしていた。が、戦争の雲行きが怪《あや》しくなるにつれて、世間一般とは反対に、最初の思い違いを隠《かく》すことはしなかった。
「何とかして、……あー……クリスマスまでに、……あー……片付けたいものだ。ドイツの敗《ま》けは歴然《はっきり》しているじゃないか。それなのに何だって、君は兵隊に……あー……なりたいと考えてるの、フォレスタ?」
冗談《じょうだん》のつもりでそんなことを言った――というのは、フォレスタはブルックフィールド始まって以来のチビの新入生で、泥《どろ》だらけのサッカー靴《ぐつ》をはいても、背丈《せたけ》がやっと四フィートぐらいしかなかったからである。(しかし、後日になって思い合わせると、まんざら冗談でもなかった。なぜなら一九一八年、彼はキャムブレエの上空で撃《う》ち落とされて、戦死したからである)しかし、当時は、先がどういうことになるか、誰《だれ》にも想像がつかなかった。九月になってブルックフィールドの卒業生が初めて戦死した。皆《みな》が受けた感動は何となく悲劇的でさえあった。そのニュースが入った時、チップスは、百年前、この学校の卒業生がフランス軍と戦っていたことに考え及《およ》んだ。ある意味において、一つの世代の犠牲《ぎせい》が他の世代の犠牲を棒引きにしてしまうのは可笑《おか》しなことだった。彼はそのことを、寄宿舎の生徒委員長をしているブレイドに話して聞かせようと思った。が、まだ十八|歳《さい》の子供で、士官候補生になる訓練を既《すで》に受けていたブレイドは、ただ笑って何も答えなかった。そんな史実とこれと、いったいどんな関係があるというのだろう? 例によってチップスのちょっとした思いつき、それだけのことに過ぎないんだ。
一九一五年。戦線は海岸からスイスまで膠着《こうちゃく》状態に陥《おちい》った。ダーダネルズ海峡《かいきょう》、ガリポリ半島方面の戦況《せんきょう》。ブルックフィールド付近には兵舎が、続々建った。兵隊たちは運動や訓練のために、運動場を使用した。ブルックフィールド士官養成隊も急速に発展した。若い教師は大方|出征《しゅっせい》するか、軍服を着用した。毎週日曜日の夜、晩祷《ばんとう》の後の礼拝堂《れいはいどう》で、チャタリス校長は戦死した校友の名を、略歴を付けて、読みあげた。悼《いたま》しさで胸がいっぱいになる思いだったが、チップスは、礼拝席の後ろの席にいて、考えるのである、校長にとってはただ名前だけですむ。自分のように顔を覚えているわけではないからまだいい……。
一九一六年。ソンム河畔の大会戦。そして、ある日曜の晩には、二十三人の戦死者の名が読みあげられた。
あの不幸な七月の終わるころのことである。ある日、チャタリスはウィケット夫人の家に尋《たず》ねて来て、チップスと話した。見たところ過労と心痛からひどく窶《やつ》れていた。
「実を申しますとね、チッピングさん、近ごろは気が揉《も》めることばかりで、すこしもおちおち出来ないのです。ご存じのように、わたしは三十九になります。そして未婚《みこん》でしょう、だもんですから皆はこんな時勢にわたしが安閑《あんかん》とこうしていることに飽《あ》き足《た》らないらしいのです。間《ま》の悪いことには、わたしは糖尿病《とうにょうびょう》を患《わずら》っていましてね、そのため、どんなヘッポコ軍医の検査にも通して貰《もら》えないので……かといって、玄関先に、医者の証明書を貼《は》っておくわけにもいきません」
チップスは初耳だった。そしてこのチャタリスが好きだっただけに、驚《おどろ》きに胸を衝《つ》かれた。校長はそれからなお話をつづけた。
「現在の学校の状態は改めて申し上げるまでもなくご覧のとおりです。ロールストン前校長は、若い教師を補充しました。この教師たちは、もちろん皆立派でしたが、しかし、今やその大半は入隊してしまい、その代わりが来たのです。ところがこの代わりの連中ときたら、箸《はし》にも棒にもかからぬ代物《しろもの》ばかりで、先週の晩のことでした、彼らは予習している生徒の首にインクを流しこむような乱暴をしたのです。馬鹿《ばか》なことをやるにもホドがある、まるで気違いです。それで、馬鹿者どもに任せっ放しにしておくのも心もとなく、わたくしも自分で授業に出、予習を見なければならず、そのため仕事に追われて夜もろくろく眠《ねむ》らないで、しかも、皆からは徴兵忌避者《ちょうへいきひしゃ》として冷たく当たられている始末です。それやこれやでこれ以上|辛抱《しんぼう》することは、到底《とうてい》出来ません。もし、このままの状態で来学期になったら、マイってしまいそうです」
「お気持ちはよくわかります」
チップスは、同情して言った。
「そう言っていただいて、嬉《うれ》しゅうございます。わたしが今日こちらへ伺《うかが》ったのも、そのお言葉に甘《あま》えて申せば、一つお願いごとがしたかったのです。早い話が、実は、もし、やってやろう、やってもいいというふうに思ってくださいますなら、いかがでしょう、暫《しばら》く学校に帰って来てくださいませんか。健康のご様子だし、それに学校のことなら知らないことはないというのは、先生だけです。べつに骨の折れる仕事を持っていただくつもりはありません。楽な仕事で結構なので、気が向いたことをチョクチョクやってくだされば、わたしの方はそれで満足なのです。一番お願いしたいのは、実際の仕事を手掛《てが》けて貰うより――もちろんそれも有難《ありがた》いには有難いのですが、それより、ただ学校にいつでも居てくださるということ、それだけが望ましいのです。先生ほど皆から親しまれたかたもありませんし、現在でもそれは変わりありません。ですから、もし、バラバラになる危険が彼らにあるなら、それをまとめるために先生のお力を拝借させていただきたいのです。しかも、これは単に想像でなくて、その危険が既に起こりそうなのです……」
チップスは、呼吸を弾《はず》ませ、すがすがしい喜悦《よろこび》を感じて言った。
「承知しました……」
14
彼《かれ》は相変わらずウィケット夫人の家に部屋《へや》を借りて、そこで暮《く》らしていた。が、毎朝十時半ごろになると、上衣《うわぎ》を着、襟巻《えりま》きをして、それから道を横切って学校へ行った。体の調子は頗《すこぶ》る上々、実際の仕事も負担にはならなかった。四つ五つのクラスのラテン語とローマ史を受け持った。科目も昔《むかし》どおりなら、発音も昔どおりというところだった。カヌリヤ法典では、例の洒落《しゃれ》が相変わらず飛んだが、新しい世代の生徒は初めて聞くのだから、これはこれで大成功である。彼はその効果に頗るご機嫌《きげん》であった。が、それでも演芸館の人気歌手が、本当に最後の舞台《ぶたい》をすました後で、また戻って来た気持ちがしないでもなかった。
生徒たちの間では、彼が生徒の名と顔とを忽《たちま》ちにして覚えてしまうその素晴《すば》らしさが、大変な評判だった。が、道を置いたすぐ隣《とな》りから、彼がいかに離《はな》れ難いつながりを学校に持って暮らしていたかということには、思い及ばなかった。
彼は全《まった》く素晴らしい成功を収めた。妙《みょう》なことから学校に手をかすようになったのだが、しかし、その間《かん》のことは皆が承知もし、また感じとってもくれた。彼は生まれて初めて、自分が必要欠くべからざる存在であることを感じた。自分の心に最も近く存在するものに対して、無くてはならぬものだということを感じた。この世に生くる限り、これにまさる崇高《すうこう》な自覚がまたとあるであろうか。しかも、それを、彼は遂《つい》にわがものとしたのであった。
彼は新しい洒落をいくつも作った、――士官養成隊について、食糧《しょくりょう》配給制度について、また家の窓には残らず取り付けなければならない防空用ブラインドについて。そしてまた、毎週月曜日の学校の食卓《しょくたく》に、何とも言えぬ味がする肉入饅頭《リソウル》|みたい《ヽヽヽ》なものが現われ始めると、チップスは、|我慢来ない《アブホー》という意味から「アブホレンダム」と名をつけた。その話は学校中に広まった――チップスの最近作を知ってるかい? とね。
チャタリスは一九一七年の冬、病気になった。それで一生の間に二度勤めるというわけで、チップスは再びブルックフィールドの校長事務|取扱《とりあつか》いになった。四月になると、チャタリスは亡《な》くなった。評議員会はチップスに当分現職を続けてくれないかと、頼《たの》んできた。その返事として、公式の任命をしないということだったら、引き受けてもよろしいと、彼は答えた。遂に手の届くところに来たこの最後の栄誉《えいよ》を、彼は本能的に振《ふ》り捨てたわけだが、理由は、どう考えても適任ではないことを悟《さと》ったからである。彼はリヴァーズ卿《きょう》に言った。
「ねえ、わしは若い者と違《ちが》うんだし、あんまり、……あー……期待をかけられても、困ってしまう。わしは、ほらどこでも見掛けるあの新米の大佐《たいさ》や少佐のようなものでさ、謂《い》わば、戦時|僥倖者《まぐれあたり》ですよ。兵士上がりの将校、まあ、そのへんのところですな」
一九一七年。一九一八年。チップスはそれを切り抜けた。毎朝、彼は校長室に坐《すわ》って、問題に目を通し、不平や要求を処理した。豊富な経験から、暖かで穏《おだ》やかな確信が自然と現われてきた。釣《つ》り合いの感覚を保つこと、これが大事なことだった。世界の多くがますますそれを失っていた。だから、適当な場所にそれを保っておくのは好《い》いことだし、当然またそうあるべきだろう。
日曜ごとに、礼拝堂で、例の悲痛な戦死者|名簿《めいぼ》を読みあげるのは、今や彼の仕事になった。そして、声涙《せいるい》ともにくだる彼を見るのは哀《かな》しかった。学校中の話では、そう、それも無理のないことだ。老人のことだ、涙《なみだ》もろくもなるだろう、と。もしもこれが他《ほか》の者だったら軽蔑《けいべつ》したかも知れないことも、優《やさ》しく宥《ゆる》された。
ある日、彼はスイスの、友人たちから手紙を貰《もら》った。厳重な検閲《けんえつ》を受けたあとがあったが、耳新しい知らせが認《したた》めてあった。次の日曜のこと、いつものとおり校友戦死者の名と、その経歴を読みあげた後で、彼はちょっと間をおき、それから付け加えて言った。
「戦前からここにお在《いで》になる少数のひとは、ドイツ人のマックス・シュテーフェル先生を記憶《きおく》されていることと思います。先生はドイツに帰宅していらっしゃる時に、この戦争が勃発《ぼっぱつ》したのでありまして、当校では皆から親しまれ、また友人も沢山《たくさん》ありました。ところで、先生を記憶しているかたには、哀悼《あいとう》に堪《た》えないことと思いますが、先生は先週、戦死されたということであります、西部戦線で……」
と言って、自席に腰《こし》をおろした時に、彼は、何か思い切ったことをやってのけた緊張《きんちょう》から、やや青褪《あおざ》めていた。誰に相談もなく、やったことなので、したがって、他の人に迷惑《めいわく》がかかることもあり得なかった。礼拝堂《れいはいどう》から出た時、彼は誰かが論議し合う声を耳にした。
「西部戦線で、とチップスは言ったな。その先生はドイツ軍のために戦っていたってわけなのかい?」
「そうらしいね」
「だったら、他のひとと一緒《いっしょ》にして名を読みあげるなんて、可怪《おか》しいと思わないかい? つまり、敵じゃないか」
「なあに、チップスのちょっとした思いつきで、そんなこと言ったんだろう。あの年でも、まだ相当やるからな」
チップスは、部屋に戻《もど》ってからも、その批評が別に不愉快《ふゆかい》ではなかった。さよう、この年でも、まだいろいろ思いつきがあるんだ、――気違い染《じ》みた世界ではだんだん珍《めずら》しくなってくる威厳《いげん》と寛容《かんよう》とを合わせ持った思いつきが、と。それから、彼が考えたことは、ブルックフィールドもそれを自分から学ぶだろう、さもなければ、自分以外の者からはもう学べなくなっているということであった。
ある時、クリケット観覧席の付近で行なわれている銃剣術《じゅうけんじゅつ》訓練について意見を求められたことがあった。すると彼は、そのころ、生徒たちからいつでも大仰《おおぎょう》に真似《まね》されていた例の懶《ものう》げで、少し喘息《ぜんそく》ぎみの調子で答えた。
「どうも、わしには、……あーム……馬鹿々々《ばかばか》しく野蛮《やばん》な殺人術としか思われんな」
この珍談《ちんだん》はすぐにひろまって、頗《すこぶ》る皆を愉快がらせた。陸軍省の高級将校に向かって、チップスが、銃剣術戦法なんてものは野蛮だと、言ったんだとさ。いかにもチップスの言いそうなことだよ。それから皆は彼のために一つの形容詞を、ようやく使われ始めていた形容詞を見つけ出した、彼は戦前派だ、と。
15
ある満月の夜のことだった。チップスが四年下級にラテン語を教えていると、空襲警報《くうしゅうけいほう》が鳴り出した。すると、砲撃《ほうげき》が忽《たちま》ち始まって、榴散弾《りゅうさんだん》の破片がバラバラと付近に落ちてきたので、チップスは、校舎の一階からそのまま動かないで凝《じ》っとしている方がいいと思った。頑丈《がんじょう》に出来た建物で、防空壕《ぼうくうごう》としてもブルックフィールドにこれ以上の所はなかったし、もし直撃弾を食らったら、それこそ何処《どこ》に居ようと、生命《いのち》なんてものは、望んで得られるものではなかった。
そこで、彼はかまわずラテン語を続けていった。ドカンドカン響《ひび》き渡る砲声と高射砲弾の耳を貫《つらぬ》くような唸《うな》りに、ともすれば消されそうになる声を大きくして。生徒は苛々《いらいら》して、勉強に身を入れてるものはほとんどなかった。彼は静かに言った。
「ロバートスン、世界歴史のこの特別な瞬間《しゅんかん》に、……あーム……二千年前ガリアで、シーザーが何をしようと、そんなことは、……あーム……何となく二義的な重要性しかなく、また、……あーム……『tollo《トルロ》』という動詞が不規則変化をするなんてことは、……あーム……どうでもいいと、君は思うかも知れない。しかし、わしははっきり言っておくが、……あーム……ロバートスン君や、真実《ほんとう》はそんなもんじゃないんだよ」
ちょうどその時、凄《すさ》まじい爆発《ばくはつ》の音が、それもすぐ近くで、爆発した。
「……いけないんだ、……あーム……もの事の重大さを、……あーム……その物音で判断してはな。ああ、絶対にいけないんだ」
クスクス笑いが聞こえた。
「二千年も長い間、大事がられてきた、……あーム……このようなことは、化学《バケガク》屋が、実験室で、新種の害悪を発明したからといって、そんなもので、消し飛んでしまうもんではないんだよ」
甲高《かんだか》いクスクス笑いが起こった。というのは、バッフルスという青く痩《や》せて医学的にいうと、適任ではない科学教師に、バケガク屋という渾名《あだな》がついていたからで――。この時また、先刻よりはもっと近くで、爆弾が落ちた。
「さて、……あー……さっきの続きを始めよう、やがて、……あーム……中断される運命にあるにしても、何か、……あーム……もっとも適切なことをやっていることにしよう。誰《だれ》か文脈|解剖《かいぼう》をやってみようというものはいないかな」
丸ポチャで大胆《だいたん》で利口で生意気なメイナードが手をあげた。
「はい、ぼくがやります」
「感心々々。では四十ページの、一番下の行から始めてごらん」
爆弾はまだ落ちている。聾《つんぼ》になるくらい凄《すご》い音だった。そのたびに、校舎全体が土台を持ち上げられるような揺《ゆ》れかたをした。メイナードは少し先をめくって、指されたページに目をおとし、甲高い声で始めた。
「ゲヌス・ホック・エラット・プグネー――これが戦闘《せんとう》の方法である、クォ・セ・ゲルマーニ・エクセルクェラント――ドイツ人がセッセと手がけたところの、――ああ、先生、これはうまい、ここのところはダンゼン面白《おもしろ》いですね、先生――先生の傑作《けっさく》の一つ……」
皆《みな》が笑い出した。するとチップスが言う。
「どうです、……あーム……こんな死んだ言葉が、……あーム……また生き返ることが、時には出来るということが、今や皆にわかったというわけだな、え、そうだな?」
後《あと》になって、ブルックフィールド校の中や周囲《まわり》に爆弾が五つも落ちたことがわかり、一番近い奴《やつ》の落ちたところは運動場のすぐ外側だった。九人もの爆死者が出た。
この時の話は、次から次へとひろまって、だんだん潤色《じゅんしょく》されていった。
「何しろ、あの老人ときたら、髪《かみ》の毛一筋動かさないんだ。そして、古くさい文句なんぞ引っ張り出してきてさ、それでもって現在の事件を例証するんだよ。何だか、シーザーの中にあるドイツ人の戦いぶりのことだったな。シーザーの中にそんなことがあったと考えたことはあるまい? そして、チップスの笑いかた……あの笑いかたを知ってるだろう……涙をポロポロ流してさ……あんなに笑ったの、まず見たことないな……」
彼は伝説であった。
古ぼけて、ボロボロになった教師服《ガウン》、危《あや》うく躓《つまず》きそうな歩きぶり、鉄縁《てつぶち》の眼鏡越《めがねご》しにこちらをのぞく優《やさ》しい眼、それに妙《みょう》におどけた話しかたなど、彼のブルックフィールドにおける在《あ》りかたは、それでなくては通用しなくなった。
一九一八年十一月十一日。
ニュースが午前中に入った。一日休校の指示があった。そして食堂係は、戦時中の配給の許すかぎり盛大なご馳走《ちそう》を出すようにとの達しを受けた。喝采《かっさい》したり歌ったり、パン合戦をやったり、食堂はお祭り騒《さわ》ぎだった。その騒ぎの最中に、チップスが顔を出した、すると、シーッと静かになったが、やがて嵐《あらし》のような拍手《はくしゅ》が沸《わ》き起こった。一同はあたかも勝利の象徴《しょうちょう》をでも仰《あお》ぐかのように、凝《じ》っと目を光らして彼を見つめた。彼は一段高い席へ歩いて行った。何か話をしたいふうだった。一同は静粛《せいしゅく》にしてそれを待ち構えたが、彼はちょっと頭を振ったきりで、また、出て行ってしまった。
湿《しめ》った濃霧《のうむ》の日であった。中庭を横切って食堂まで歩いて行くうちに、寒気《さむけ》がした。翌日、彼は気管支炎《きかんしえん》で床《とこ》についたが、そのままクリスマスまで寝《ね》てしまった。しかし、既《すで》に十一月十一日のあの晩、食堂に行った後で、彼は理事会に辞表を提出していたのである。
休暇《きゅうか》後、学校がまた始まった時、彼はウィケット夫人の家に戻《もど》っていた。彼の申し出によって、こんどは送別会も贈《おく》り物もなく、後任者と握手《あくしゅ》をしたきり〈事務|取扱《とりあつか》い〉という言葉は公文書から消えた。〈当分〉は終わったのである。
16
それから十五年後、彼は、深々と豊かな安泰《やすら》ぎの中で、その当時のことを追想することが出来た。別に病気はしていなかったが、時々少しばかり疲《つか》れが出たり、また、冬の間は呼吸が苦しいということがあった。海外に行きたいとは思わなかった。一度試みたことがあって、その時、たまたまリヴィエラ方面に出たことがあった。観光宣伝には謳《うた》ってない寒いころだった。
「風邪《かぜ》をひくくらいなら、……あーム……自分の国でひいたほうがいい」
彼はその後で、いつもこう言うのを口癖《くちぐせ》にしていた。そして東風が吹く時は、充分《じゅうぶん》警戒《けいかい》していたが、秋と冬とは、それほど困りはしなかった。暖炉《ストーブ》の火と本と、そして夏が来るのを待ち望む楽しさがあった。もちろん一番好きな季節は夏であった。体に適《あ》った天候のことはさておき、そのころになると、ひっきりなしに、生徒たちが尋《たず》ねて来てくれたからである。週末になると、昔の教え子の誰かがブルックフィールドにドライヴして来て彼の家を尋ねた。一度にドッとやって来られると、さすがに彼も疲れることがあったが、べつに気にもしなかった。皆が帰ってしまえば、いつでも、ゆったりして睡眠《すいみん》を取ることが出来たからである。皆が尋ねて来てくれるのは嬉《うれ》しかった。どんなこの世の楽しみにもまさって、嬉しかった。
「ところで、グレグスン、……あーム……わしは覚えているが、……あーム……君はどんなことでも、いつでも遅《のろ》かったね、え? 多分年をとることでも、……あーム……わしと同じようにね……、あーム……そうじゃないかな?」
客が帰った後で、ひとりになる、ウィケット夫人が後片付けに来る。すると、
「ウィケットさん、客はグレグスンって子だったんだが、……あーム……あなた記憶《きおく》してないかな。背の高い眼鏡をかけた少年でね、万事《ばんじ》テキパキいかない性《たち》なんだ。あーム、国際連盟の仕事を、……あーム……しているらしいが、あの男の、……あー……のろくさも、あすこなら、目立たないかも知れないな、ねえ?」
そして、点呼《てんこ》の鐘《かね》が鳴ると、彼は窓辺に行き、道を隔《へだ》てて、垣根《かきね》越しに、生徒たちが細い列をつくって机《つくえ》のそばを通って行くのを、遠くに眺《なが》めることもあった。新しい年ごとに、新しい名前……だが昔《むかし》の教え子の名はいまもなお、心に浮かぶのである……ジェファスン、ジェニングズ、ジョリョン、ジャップ、キングズリ第一、キングズリ第二、キングズリ第三、キングストン……今、君たちは何処《どこ》にいるのか、何処へ行ってしまったのか?……ウィケットさん、予習が始まる前に、お茶を一|杯《ぱい》持ってきてくださらんかな?
戦後の十年は、変化と不調整との騒々《そうぞう》しい音のうちに流れて行った。チップスはそれを切り抜けて、さて広く目を国外に向けた時、深い失望を感ぜずにはいられなかった。ルール、トルコのチャナック、ギリシャのコルフ島の問題など、世界には憂慮《ゆうりょ》すべきことが未解決のまま山積《さんせき》していた。しかし、身近のブルックフィールドでは、いや広い意味でこのイギリスにおいてと言ってもいい、古いということのために、そして未《ま》だ生き残っているということのために、彼の心を魅了《みりょう》するものがあった。そして世界中が、ただこの国だけを除いて、ますます手のつけられない混乱に陥《おちい》って行く姿が目に写った。思えばイギリスはそれを防ぎ止めようとして、どれほどの犠牲《ぎせい》を払《はら》ったことであるか、いや払い過ぎたと言った方が適切だろう。しかし、彼はブルックフィールドに満足した。この学校こそは、時の変化と戦争の試練に耐《た》えた物の裡《うち》に深く根を下ろしていて、その意味において、見るべき変化がほとんどなかったということは、まことに奇《き》とするにたる現象であった。生徒たちは以前から見ると余程《よほど》礼儀《れいぎ》正しくなった。弱い者いじめはやらなくなった。が誤魔化《ごまか》しや毒づくことは巧《うま》くなった。教師と生徒との間には一段と真実《ほんとう》の親しさが生まれ、尊大ぶったところもなければ、口さきだけのお世辞が通用することもなかった。ただオックスフォード出たての新しい教師の一人が、第六年生に、自分のことを洗礼名で呼ばせたのには、チップスは賛成しなかったし、実のところは、ちょっと魂消《たまげ》た。
「この調子じゃ、……あーム……学期末の報告書のあとに、あーム、『かしこ』なんてやりかねないね、どう? え?」
そう、ある人に話したほどである。
一九二六年のゼネラル・ストライキの間、ブルックフィールドの生徒たちは貨物自動車に食料品の積み込《こ》み作業をやった。ストライキが終わった時、チップスは大戦以来、かつて感じたことのないような感動を覚えた。何かが起こったのだ、その究極の意義については未《ま》だ何とも断定の出来ない何かが。……しかし、明瞭《はっきり》していることが一つあった、それはイギリスは自分の炉《ろ》にまた火を点《つ》けたということであった。その年の卒業式典の時であったが、あるアメリカ人がやって来て、ストライキが国家に与えた損失の、巨額《きょがく》の総計をあげて、その点だけを特に強調したので、チップスはそれに対して答えた。
「まさにその通りです。しかし、……あーム……宣伝には金がかかるものですよ」
「宣伝?」
「う、これは、……あーム……宣伝、しかも巧妙極《こうみょうきわ》まる宣伝で……? 一週間も罷業《さわ》いだというのに、……あーム……生命《いのち》一つ失うでもなければ、弾《たま》一発ぶっ放したわけでもないんです。これがあなたのお国だったら、……あーム……酒場一|軒《けん》襲撃《しゅうげき》するにも、……あーム……流血騒ぎで、とてもこんなことでは済まんでしょうが!」
哄笑《こうしょう》……哄笑……行く先々で、また何を言っても、彼と共にいつも哄笑があった。彼は洒落《しゃれ》の名人だということになってしまい、皆はいつもそれを聞きたがった。会に出席して挨拶《あいさつ》に立つ時はもちろん、部屋《へや》でテーブルを挟《はさ》んで話す時でも、彼と接するほどの人は、心ででも顔ででも彼の口から冗談《じょうだん》が飛び出すのを待ち構えた。そして、笑おうという気持ちで聞き耳をたてたから、テもなく満足させられたし、肝心《かんじん》のポイントにまだ来ないのに笑い出すものさえあった。
「チップス大人《たいじん》、すこぶるご機嫌《きげん》だったね」
と、皆は後でいつも話し合った。「が、それにしても、あの男のように物の可笑《おか》しな面をいつも見逃《みのが》さないというのは、ちょっと類がないね……」
一九二九年後は、チップスはブルックフィールドを離《はな》れなかった。たとえ校友の晩餐会《ばんさんかい》がロンドンで催《もよお》される時でも。彼は風邪《かぜ》を引かぬように用心した。夜更《よふか》しがこれまでになく体にこたえることを知り始めた。しかし、天気さえ良ければ学校まで出掛《でか》けて行ったし、自分の部屋では、尋《たず》ねて来る客を相変わらず厚く待遇《もてな》した。体もどこといって悪いところはなく、一身上の煩《わずら》いもなかった。収入は必要を満たしてなお余りあったし、一流証券に投資してある少額の資本は、暴落に会っても、困るほどのものでもなかった。彼は色々金を使ったが、それは、苦しい身の上話を持って彼を尋ねて来た連中とか、学校の基金とか、またブルックフィールドの貧民|施設《しせつ》のためで、それは相当な額にのぼった。一九三〇年になると、彼は遺言状《ゆいごんじょう》を作った。貧民施設とウィケット夫人とに残す遺産のほかは、全額を学校に寄付して、自由競争試験によって入学した者に与《あた》える奨学《しょうがく》資金制度の基金に当てて貰《もら》うことを条件にした。
一九三一年……一九三二年……。
「先生、アメリカ大統領フーヴァのことをどうお考えになりますか?」
「わが国がまた金本位制に戻ると考えられますか?」
「世間|一般《いっぱん》についてのご高見を伺《うかが》いたいものですな? なんらかの光明をお認めになられましょうか?」
「天下の大勢に変化があるとすれば何時《いつ》のことですかな、チップスさん。長年の経験から見当がおつきになるでしょうが」
などと、雑多な質問が次々に浴びせられる。まるで彼という人間が予言者と百科辞典とを兼ねてでもいるかのようであったが、そればかりではない、彼の答えが洒落《しゃれ》を皿盛《さらも》りにして出してくれることを楽しんだからでもあった。彼はこんなことをよく言った。
「ところで、ヘンダースン、わしが、……あーム……もっと若かったころは、四ペンスでいいのに九ペンス約束する者が、……あー……よくあったものだ。それを実際受け取った……あーム……昔のことは知らないが、しかし、……あーム……近ごろの政治家は、……あー……九ペンスの約束に対して四ペンスを、……あーム……与える方法を、解決したようだな」
大笑い。
時々、彼が学校のあたりを散歩していると、小生意気なチビどもがやってきて、何やかや尋ねることがあった。チップスから〈最新《ほやほや》〉のヤツを仕入れて、それを皆《みな》に自慢《じまん》しようというのが狙《ねら》いであった。
「先生、あのう、ロシアの五カ年計画についてどうお考えになりますか?」
「先生、ドイツはもう一ぺん戦争したがってるんでしょうか?」
「先生、新しく出来た映画館においでになりましたか。ぼく、こないだ家《うち》のものと行ってきました。ブルックフィールドみたいなチッポケなところにしては、素晴《すば》らしいんですよ。ウルリッツァがあるんです」
「ウルリッツァって、……あーム……いったい何じゃな?」
「オルガンなんです、先生、映画館用のね」
「へえ、そうかい……広告|掲示板《けいじばん》でそんな名はよく見かけたが、わしはいつも、……あーム……何となく、……あーム……ソーセージのことかしらと思っていた……」
そこで大笑い。……ほーら、皆聞き給《たま》えよ、チップスの冗談がまた一つふえたぞ、ダンゼン素晴らしいんだ。ぼくが、こんど出来た映画館のことを、お爺《じい》ちゃんに、吹いたのさ、そしたらね……
17
三十三年の十一月の午後、彼はウィケット夫人の家の応接間に坐《すわ》っていた。寒い、霧《きり》の深い日で、外へは出たくなかった。休戦記念日(十一月十一日)以来、体の調子が思わしくなかった。が、これはどうも、礼拝式《れいはいしき》の間に軽い風邪《かぜ》を引いたらしい。朝のうちは、医者のメリヴェイルが、例によって隔週《かくしゅう》ごとの茶飲み話に来て、
「お変わりありませんか! お元気ですか?それそれ、こんなお天気の時は部屋にこもってるに限ります、風邪が流行《はや》っていますからな。あなたに代わって、わたしも一、二日でもいい、こんなふうに静かに暮《く》らしたいものですわ」
自分の生涯《しょうがい》……まさに夢《ゆめ》のような気がする! その日の午後、彼は炉辺《ろばた》に坐ったまま回想する。すると、目の前に、それは長い絵巻物となって、揺曳《ようえい》するのであった。一八六〇年代のケンブリッジのこと、ある八月の朝のグレイト・ゲイブル山でのこと、年々歳々《さいさい》、ブルックフィールド校と共に暮らしてきた日々のことなどが……。そして、そんなことを言うだんになると、これまでしたこともなく、また、今となっては遅《おそ》すぎて、今更《いまさら》どうしたいとも思わないこと、例えば、空の旅をしたこともなく、トーキーを見たこともないそんなことが思い出された。だから、彼は学校で一番年下の生徒より経験があるともないとも言えず、されば、老年と若年《じゃくねん》とのこの逆説こそ、万人が進歩と呼ぶものなのだと考えるのであった。
ウィケット夫人は、近くの村の親類のところに出掛けた。テーブルにお茶の道具を用意しておいてくれたが、留守中《るすちゅう》に来客があった場合のことを心配して、バターとパンと、来客用の茶碗《ちゃわん》も出してあった。しかし、こんな日は、訪問客はおそらくないだろう。見る見る霧は濃《こ》くなって行くし、たいがい一人きりでお留守番ということになるだろう。
と、考えたのは当たらなかった。十五分もすれば四時になろうというころ、呼び鈴《りん》が鳴った。チップスは、いつもに似ず、自分で玄関に出た。すると、ブルックフィールドの制帽《キャップ》をかぶった小柄《こがら》な生徒が、見るからに|おど《ヽヽ》|おど《ヽヽ》して、そこに立っていた。
「あのう、チップス先生のお宅はこちらでしょうか?」
「あーム……お入り」
チップスは答えた。そして自分の部屋につれて行ってから、続けた。
「わしが……あーム……君の尋《たず》ねている人間じゃが、さて何か……あーム……用があるのかな」
「先生がぼくに用があるって言われたもんで……」
チップスはニッコリと笑った。古い冗談《じょうだん》で、よくやる悪戯《いたずら》だ。自分も若いころにはあれこれとこの|テ《ヽ》を使ったものだ。叱《しか》るわけにもいかない。いや叱るどころか、相手《むこう》がそう出るなら、こちらも負けてなんかいられない。一つ上手《うわて》に出て鼻をあかしてやれと思ったので、目を輝《かがや》かしながら言った。
「まさにそうだった、一緒《いっしょ》にお茶でも飲みたいと思ってね。君ね、……あーム……その暖炉《ストーブ》のそばに来て坐りたまえ。ところでだ、どうも君の顔には覚えがないんだが、どうかしたのかな?」
「ぼく、学校付属病院《サナトリアム》から出て来たばかりのところです。学期の始めから麻疹《はしか》でそこに入っていたんです」
「ああ、そうだったのか」
チップスは例によって、色々の缶《かん》から茶を出して儀式《ぎしき》ばった混ぜかたをやり始めた。幸いなことには、戸棚《とだな》に桃色《ももいろ》の砂糖衣をかけた胡桃《くるみ》菓子《がし》の残りが半分あった。その生徒は名をリンフォードということ、故郷はシュロプシャ県で、一族のうちでブルックフィールドに入校したものは、彼が初めてだということなどがわかった。
「ね、リンフォード、だんだん慣れてきたら、君はブルックフィールドが好きになるよ。君が考える半分も恐《おそ》ろしいところじゃないんだよ。君少しそんなことで心配してるんじゃない、え、そうだろう? 実はわしもね、初めは君と同じだった。だが考えれば、それも本当に昔《むかし》のことさ。六十三年前になるな、……あーム……正確なところね。初めて合併《がっぺい》教室に入ると、いたね君、君みたいな生徒がいっぱい、わしは、まったくゾーッとしたよ。まずあーム……あんなに驚《おどろ》いたことは、後にも先にも初めてだったな。戦争中、ドイツ軍が落とした爆弾《ばくだん》なんて比較《ひかく》にならんほどだ。だがしかし、……あーム……やがて何とも思わなくなってしまって。すぐ慣れっこになっちまった」
「その学期には、新入生がほかにも沢山《たくさん》いたんですか」
リンフォードは恥《は》ずかしそうに聞いた。
「えッ? とんでもない、わしゃ生徒じゃない、もう大人《おとな》で、二十二歳の青年だったんだよ! で、こんど新任の、若い先生が初めて合併教室で予習を見てくださる時に、……あーム……どんな気持ちがされるか、ちょっと考えてごらん!」
「でも先生、その時、二十二歳だったとすると?……」
「そう、それがどうしたかな?」
「すると、先生、今はずいぶん年寄りなんですね」
チップスは静かにいつまでもクックッと笑っていた。味な洒落《しゃれ》を飛ばしたもんだな。
「そうさな……あーム……ヒヨッコでないことは……あーム……確かだ」
彼《かれ》は静かにひとり笑いを、いつまでも笑っていた。
それから彼は話題を変えて、シュロプシャ県のこととか、学校|並《なら》びに一般の学校生活のこととか、その日の新聞に現われたニュースのことなどについて話した。
「君たちはだんだん大きくなって、……あーム……とても複雑な世間に出て行くわけだ。いずれにしても卒業していざというころまでには……あーム……少しはまあ、それも良くなるだろうから、とにかく、あーム、元気を出すんだな。ところでと……」
と、彼はそこで時計《とけい》をチラッと見て、馴染《なじ》みぶかい例の言葉を持ち出すのである。
「あーム……残念だが、そろそろ帰ることにするかな……」
玄関《げんかん》まで送って出て、彼は握手《あくしゅ》する。
「じゃあ、さようなら」
すると、調子の高い澄《す》んだ声が、
「チップス先生、さようなら!……」
と答えた。
チップスは、また炉辺《ろばた》に戻《もど》って来て坐った。心の回廊《かいろう》に今しがた挨拶《あいさつ》された「チップス先生、さようなら……」という言葉がいつまでも反響《こだま》している。彼の名がチップスだと新入生に思いこませるなんて古い悪戯《いたずら》だったが、この冗談ごとはほとんど伝統になっていた。彼は、そんなことは別に気にしてはいなかった。
「チップス先生、さようなら……」
思い出すのは結婚式《けっこんしき》をあげる前の晩のこと、キャスィーは同じことを言って、そのころ生《き》真面目《まじめ》一方だった自分を、優《やさ》しくからかったものだった。だが現在のわしを生真面目だなんて呼ぶものは一人だってあるもんじゃない。それだけは大丈夫《だいじょうぶ》、保証してもいい……
そう思ったら、突然《とつぜん》ポロポロ涙《なみだ》がこぼれてきた。老人の気の弱さ、あるいは愚《おろ》かしさからであろうが、どうすることも出来ない。何だかひどく疲《つか》れがでた。リンフォード相手にあんなに話をして、ゲッソリ参ってしまった。だが、リンフォードに会ったことは楽しかった。あれはいい子だ。きっとうまくやって行くだろう。
濃霧《のうむ》の奥《おく》から、点呼《てんこ》の鐘《かね》が低く震《ふる》えて聞こえてくる。チップスは黄昏《たそが》れて行く灰色の窓に目をやった。灯《ひ》を点《つ》ける時刻だ。そう思って、体を動かそうとしたが、具合が悪い。どうも疲れ過ぎたようだ。が、まあいい、うっちゃらかしておけ。彼は椅子《いす》に凭《もた》れかかった。ヒヨッコじゃないよ、え? まずそれだけは確かだな。リンフォードのことは愉快《ゆかい》だった。あの子をよこした背後《うしろ》の悪戯っ子たち、どうだ一本参ったろう。しかし、チップス先生、さようなら……あの子があんなふうな言いかたをしたのは、気にかかる……。
18
目が醒《さ》めた時――というのは眠《ねむ》っていたとばかり思っていたからだが――寝台《ベッド》に寝《ね》ていることが分った。見れば、メリヴェイルが傍《そば》にいて、上から覗《のぞ》きこみながら、ニコニコしていた。
「さてさて、ひと騒《さわ》がせな……気分はどんなですか? 本当に吃驚《びっくり》させられましたよ」
チップスは、ちょっと息をのんでから口を動かしたが、その声の弱々しさは自分ながら驚くくらいであった。
「どうか……あーム……どうかしたんですか」
「なあに、ちょっと、気が遠くなられたんですよ。ウィケット奥さんが戻って来て、わかったんですが、本当によかったですよ。もう大丈夫です。安心なさい。で、眠たかったら、お眠りなさい」
そんないいことを考えてもらえたことが彼は嬉《うれ》しかった。何だかすっかり気が弱ってしまったものだから、どういうふうにして二階に運びあげられたか、ウィケット夫人が何を言ったかなど、そんな細々《こまごま》したことに、もう煩《わずら》わされたくなかった。が、ふと気がつくと、寝台の反対側にそのウィケット夫人がいるではないか。そしてニコニコ笑っている。彼は考えた。おやおや、何だってここに来ているんだろう? それから、メリヴェイルの陰《かげ》にいるのはカートライトさんじゃないか、新任の校長の――といっても既《すで》に一九一九年以来ブルックフィールドにいたんだから、今更《いまさら》〈新任〉もないものだが――そのひとだ。それから通称〈ロディー〉と呼ばれているバッフルスもいる。何だって、皆《みな》はここに来ているのだろう? まあいいや、なぜだろうなんて、そんなことを気にすることはない。ひと眠り眠ることにしよう、と彼は思う。
しかし、それは眠っているのでもなければ、かといってまるっきり目が醒めているのでもなかった。その中間の夢現《ゆめうつつ》の状態で、いろんな夢と声がそこらじゅうにいっぱいあった。なつかしい数々の場面や、昔の歌がきれぎれに、キャスィーが昔合奏したモーツァルトの三重奏《トリオ》――喝采《かっさい》と哄笑《こうしょう》と大砲《たいほう》の音、――すべてそんなものの上に流れてくるブルックフィールドの鐘の音、ブルックフィールドの鐘の音。
「そんなわけで、もし平民|嬢《じょう》が貴族氏に結婚したいと望んでいるのに……いいえ出来ますわよ。嘘《うそ》つきね……」洒落《しゃれ》……|我慢出来ない肉《アブホレンダム》。……洒落。……おお、マックス? さあ、お入り。本国《ドイツ》から何ぞお便りがありましたかな?……オー・ミヒ・プレテリトス。……ロールストンは、わしのことを投げやりで能率的でないと言った、が、わしがいなくてはやって行けなかったじゃないか、……オビリ・ヘレス・アゴ・フォルティブス・エズ・イン・アロ。――誰《だれ》か、これを訳せるものは、手をあげて?……洒落なんだがね。……
一度、彼は皆が同じ部屋《へや》で自分のことを何か話しているのを耳にした。
カートライトが医者のメリヴェイルに囁《ささや》いていた。
「気の毒になあ、一生ひとりで寂《さび》しく暮《く》らしてきたにちがいない」
すると、メリヴェイルが、それに答えた。
「ずーっと一人で通してきたんじゃありません。奥さんがあったんですよ」
「おや、そうでしたか。ぜんぜん知りませんでした」
「亡《な》くなりましてね。そう、もう三十年……も昔のことになりますか、あるいはもっとかな……」
「気の毒にねえ。それにお子さんもなかったのは、よくよくですな」
この時である。チップスは出来るだけ大きく目を開き、皆の注意を惹《ひ》くように努めた。声を大きく出して話すのは骨が折れたが、何やら話したげな様子であった。皆は顔を見合わして、ずっと側《そば》に寄って来た。
彼はものを言うのが、いかにもまどろっこしそうだった。
「何だか……あーム……皆さんおっしゃったようですな、このわしのことを、今ね?」
バッフルス老人はニコリとして、言った。
「何にも……何にも。ただね、あなたがその静かな眠りからいつ醒めるんだろうなんて話してただけですよ」
「ううん……あーム……たしか、たしかにわしのことを何とか言ってたようだが……」
「気にされることじゃあ何にもないんです。本当に、大丈夫ですよ……」
「誰かが、子供がなくて、……あーム……気の毒だっていうようなことを言ったように思うけど。……だけどね、わしにはある……あるんだよ……」
居合わしたものは、微笑《わら》っているだけで、それには何にも答えなかった。すると暫《しばら》くして、チップスは弱々しいクスクス笑いを始めて言った。
「たしかに……あーム……ある」
となおも、楽しげにつづけた。「何千も……何千もね……それが皆、男の子ばかりでね……」
すると、その何千人もの子供の大合唱が、これまで聞いたことのない壮大《そうだい》さと美しさと暖かい慰《なぐさ》めとをもって大団円の諧調《ハーモニー》を歌いあげるのであった。……ペティファ、ポーレット、ポースン、ポッツ、プルマン、パーヴィス、ピム・ウィルスン、ラドレット、ラプスン、リード、リーパー、レディ第一……さあ皆《み》んなわしの周囲に集まりたまえ、お別れの言葉と洒落をやってあげよう……ハーパー、ヘイズリット、ハッフィールド、ヘザリ……これがわしの最後の洒落さ……わかったかな? 可笑《おか》しかったかな?……ボーン、ボストン、ボヴィ、ブラッドフォド、ブラッドリ、ブラモール・アンダスン……君たち、今|何処《どこ》にいようと、何事があっても、この瞬間《しゅんかん》、皆わしのところに集まって来てくれたまえ……この最後の瞬間……わが子供たちよ。
チップスは、やがて眠りに沈《しず》んだ。
あんまり安泰《やすら》かに見えたので、お寝《やす》みと言うのも憚《はばか》られた。が、翌朝、学校で朝食の鐘が鳴った時、ブルックフィールドは訃報《ふほう》を受けとった。
「ブルックフィールドは、彼の愛すべき人格を決して忘れることはないと思います」
カートライト校長は全校生を前にした話の中でこう言った。が結局一切のことが忘れられてしまうからには、それも理に合わない話である。しかし、それはともかくとして、リンフォード少年だけは忘れないで、いつまでも話すことだろう。
「亡くなる前の晩だったな、ぼくは、チップスに、さようならって言ったんだよ……」
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解説
[#地付き]菊池 重三郎
ジェイムズ・ヒルトン (James Hilton) は、英国のランカシャ県、マンチェスターとリヴァプール両市を結んだ直線の、ちょうど真ん中ごろにあるリーという町で生まれた。父親がロンドンで先生をしていた関係から、幼時に郷里を出て、ロンドンで基礎《きそ》教育を受け、中等教育はリース校で、大学はケンブリッジを出た。専攻《せんこう》は歴史である。
「彼から受ける印象は、小柄《こがら》で、控《ひか》え目、挙措《きょそ》動作はまことに静かな、翳《かげ》のない顔立をした英国人。奇麗《きれい》な髪《かみ》をし、歯切れのよい話しぶり」だったということだから、まず典型的な英国の紳士《しんし》だったということが、想像される。
このような学歴と人柄とから、〈チップス先生さようなら〉 (Good-bye, Mr. Chips, 1934) が、作者の出身校であるリース校で得た体験に基《もと》づいて書かれたのであろうことは、誰《だれ》にでも直《す》ぐ感じられることで、私も初めは、そう考えたものである。ヒルトンと同じくリース校出身の友人に、わが国では池田|潔《きよし》さんがあって、この人の著書である「自由と規律」(岩波新書)を通読するに及《およ》んでその感をますます深くした。ところがその後、〈ライフ〉その他の刊行物で写真|紹介《しょうかい》された英国の代表的なパブリック・スクールの生活なるものを見ると、場所と人こそ違《ちが》うけれども、ヒルトンが本書で物語る雰《ふん》囲気《いき》は、いずれの学校を覗《のぞ》いても些《いささか》も変わらない。どの学校も皆《みな》同じである。すると、もちろんヒルトンは彼《かれ》の出身校を舞台《ぶたい》に物語を展開してはいるようだが、実は、ブルックフィールドという仮名の学校に、英国のパブリック・スクールのあり方を集約しているとも考えられて、そこで、池田さんにこれを糺《ただ》すと、果たしてそれに違いなかった。作品|鑑賞《かんしょう》には直接かかわりないことだが、これは英国の教育に関心を抱《いだ》く人には注意を惹《ひ》くことであろうと、思われる。
この〈チップス先生〉は、彼が三十三|歳《さい》の時、〈ブリティッシュ・ウィークリ〉から、そのクリスマス号付録のため、執筆《しっぴつ》を依頼《いらい》されて、出来上がったものである。締切《しめきり》まで二週間あったが、着想と執筆が最後の四日間。その着想は、苛々《いらいら》したあげく、その辺を自転車で回って来た時の霊感《れいかん》から授《さず》かった、というのは有名な話である。この作品の前後に、彼は数々の小説を発表している。そして、その都度《つど》好評を博し、劇化され、映画化されるものもあったが、しかし、それらの作品は、概《がい》して、筋《すじ》を追うことにのみ急で、作意が見え、叙述《じょじゅつ》も平板で、余韻《よいん》に乏《とぼ》しく、通俗、むしろ退屈《たいくつ》なものに、私は思っている。この作者は元来、思想や問題を先に立てて、執拗《しつよう》にそれを追究して見せるというよりは、むしろ、物語を物語って見せることに優《すぐ》れ、素質的にもそれが適しているもののようである。それ故《ゆえ》に、短時間に、しかも、限られた字数で、作品を手掛《てが》けざるを得ない土壇場《どたんば》に追いこまれると、殊《こと》にそれが回想形式をとる場合には、その音楽好きな性質――と私は、彼の作品から感じているが――と揺曳《ようえい》する回想とが渾然《こんぜん》一体となって、ある諧調《ハーモニー》に乗り、旋律《せんりつ》をかなでて流れ始め、見事な効果をあげるということもあるわけで、〈チップス先生〉は、その好個の一例であろうと思う。音楽的で、緊密《きんみつ》で、冗漫《じょうまん》なところがなく、散文詩でも読むような美しさである。それは用意周到な計量において創《つく》られたものではなく、霊感によって、流るるが如《ごと》く、歌いあげられたものである。つまり、作家としてのヒルトンの真骨頂《しんこっちょう》が、この作において間然《かんぜん》するところなく発揮・露呈《ろてい》されている――と、私はそのようにこの作品を見、したがって、率直《そっちょく》に言って、彼はこの一作においてのみ長く記憶《きおく》されるのではなかろうかとさえ考えている。
〈チップス先生〉の発表は、英国において熱烈《ねつれつ》な賞賛をもって迎《むか》えられたが、やがて、これがアメリカの雑誌に転載《てんさい》されると、ここでも本国に劣《おと》らず、絶賛を浴びた。それは単に文字によってのみならず、映画化され、劇化されて、見る人の笑いと涙《なみだ》を誘《さそ》ったという。残念ながら、私はそれらを見ていないので、何とも言うことが出来ないが、その発表当時パリやアメリカにいて、これを見たという友人たちが、今なお、思い出を語ってくれながら、感動を新たにする様子を見ると、私も危《あや》うくそれに引きこまれそうになるのを覚えるので。口喧《くちやか》ましい友人たちだけに、よけい、信用がおけるのである。
ヒルトンは、一九〇〇年九月九日生まれで、五十四歳の一九五四年十二月二十一日、カリフォルニアのロング・ビーチで、肝臓《かんぞう》ガンで亡《な》くなった。
〔作品〕
Catherine Herself (1920), And Now Good-bye (1931),
Contango (1932), Knight Without Armour (1933),
Lost Horizon (1933), Good-bye, Mr. Chips (1934),
We Are Not Alone (1937), To You Mr. Chips (1938),
Random Harvest (1941), The Story of Wassel (1944),
So Well Remembered (1945), Nothing So Strange (1947),
Morning Journey (1951), Time and Time Again (1953)
[#地付き](昭和三十一年七月)
注 大博覧会……一八五一年(嘉永《かえい》四年)ロンドンで開かれた万国《ばんこく》大博覧会をさす。
注 百行清書……罰則《ばっそく》の一つ。有名なラテン語句などを一定の期日内に百行清書して提出。罪の軽重によって行数に多寡《たか》あり。
注 次の日曜便で云々《うんぬん》……すべてパブリック・スクールは全学生寄宿制度をとっているが、毎日曜の夜、全学生をホールに集めて紙と封筒《ふうとう》を渡し、家郷への手紙を書かせる。それによって各家庭では愛する子弟の心身の発育、学校の状況《じょうきょう》、師友に人を得ているかどうかなどを知るのであるが、その手紙に対する返事は、学生|達《たち》にとって火、水曜あたり、朝の食卓《しょくたく》の楽しみとなる。
注 ハロー校……イギリス九大パブリック・スクールの一つ。イートン校と共に有名。
注 一九一三年……第一次世界大戦の前年。
注 学期末|晩餐会《ばんさんかい》……平常は晩餐というものはないが、学期末最後の夜には簡単だが食事を共にして学生達は大騒《おおさわ》ぎにはしゃぎまわるのが例。
注 帽子《ぼうし》に手をかけて挨拶《あいさつ》云々……学校色のラシャに校紋《こうもん》を縫《ぬ》いとった平《ひら》たい皿《さら》のような制帽《キャップ》。教師に挨拶するさいそれをぬぐべきところ、ズボラな者は軽く指をあててすませる。そんなことは余りやかましくトガメない。
注 茶を混ぜる……色々好みの葉を混ぜて紅茶をつくる。老人などの金のかからない趣味《しゅみ》の一つ。イギリス人はコーヒーはわからないが、茶のことは存外ウルサイ。
注 アクロポリス……ギリシャ都市アテネの昔《むかし》の高丘《こうきゅう》城砦《じょうさい》。
注 フォーラム……裁判、政治などの公事や商業取引のために利用された古代ローマの中央にあった大広場。
注 ヴァージル……ローマの大詩人(紀元前七〇―一九)
注 クセノフォーン……ギリシャの哲学者《てつがくしゃ》、歴史家(紀元前四三四?―三五五?)
注 ソーンダイク博士 フレンチ検事……前者はフリーマン、後者はクロフツ作探偵《たんてい》小説中の人物。
注 バーナード・ショー……(一八五六―一九五〇)イギリスの劇作家、評論家。早くイプセンの影響《えいきょう》をうけ、警抜《けいばつ》な皮肉と辛辣《しんらつ》な破壊力《はかいりょく》とを社会のあらゆる因襲《いんしゅう》の上に浴びせた。
注 イプセン……(一八二八―一九〇六)ノルウェーの劇作家、詩人。人生、社会、両性、宗教、道徳問題を取り扱《あつか》った社会劇により近代劇を確立。「人形の家」は当時のヨーロッパにセンセーションを巻き起こしたので有名。
注 ウィリアム・モリス……(一八三四―一八九六)イギリスの詩人、工芸美術家、社会主義者。
注 パッシェンデール……ベルギー、フランドル地方の小村、激戦地《げきせんち》。
注 リヴィ……ローマの歴史家(前五九―紀元一七)
注 球戯《ファイヴズ》……ラケットの代わりに素手《すで》で球《たま》を壁《かべ》に叩《たた》きつけるテニスに似た競技、非常に過激なものである。
注 ボア人に対する激《はげ》しい主戦論|云々《うんぬん》……ボア人とは南アフリカのオランダ植民地の人民、転じてオランダ系|南阿人《なんあじん》を指す。一八九九年―一九〇二年にわたるイギリスの南アフリカ侵略《しんりゃく》戦争前の、現地におけるいざこざからイギリスの輿論《よろん》が激しくなった。
注 ヘリワード・ザ・ウェイク……一〇七〇年ごろのイギリスの英雄《えいゆう》。ノルマンディーのウィリアム征服王《せいふくおう》の率いる軍勢を散々手こずらしたイギリス反乱軍の主将。
注 カラクタカス……(紀元五〇年ごろ)ブリテンの一首長。ローマ侵入軍に対して長期|抵抗《ていこう》後敗れ、捕《とら》えられてローマに連行されたが、クラウディウス帝に自由を赦《ゆる》された。
注 ロイド・ジョージ……(一八六三―一九四五)イギリスの政治家。一九〇八年に大蔵《おおくら》大臣に就任し、又第一次世界大戦には主戦論を強調し、一九一六年|首相《しゅしょう》となり、大戦後はパリ講和会議につくした。「例の有名な予算」とは、大蔵大臣の時、上層階級の負担を増大する予算案を提出して上院の猛反対を招いたことをさす。
注 エドワード七世……(一八四一―一九一〇)
注 即位《そくい》六十年……一八九七年(明治三十年)ヴィクトリヤ女王の「ジュビリー」のこと。
注 クリッペン博士事件……ベル・エルモアという寄席《よせ》芸人の妻を惨殺《ざんさつ》。アメリカ逃亡《とうぼう》の途《と》、大西洋の船中で逮捕《たいほ》。無電利用最初の捕物《とりもの》事件。一九一〇年ロンドンで死刑《しけい》に処《しょ》せられる。
注 チャターリャ戦線……一九一二―三年にわたる第一・第二バルカン戦争でトルコ軍の要塞《ようさい》化した堡塁《ほうるい》の一角として有名。コンスタンチノープル西方約二十マイルの小村。
注 アスコット競馬場……イギリスのバークシャ県の競馬場。毎年六月の大競馬には朝野の紳士淑女《しんししゅくじょ》が集まって華麗《かれい》を極《きわ》める。
注 『オー・ミヒ・プレテリトス・レフェーラト・スィ・ユピテール・アノス』……ヴァージル作「エーネイド」中にある言葉。「おおジュピターよ、過ぎし年を、われに返し給《たま》え」の意。
注 メフィキング……南アフリカ喜望峰州《きぼうほうしゅう》の都府。一八九九―一九〇〇年ボア人に攻囲《こうい》された。ここではその攻囲がとけた記念行事をさす。
注 『鞭《むち》と百行清書の思い出』……
“Rod and Lines”は、また釣《つ》り竿《ざお》 (Rod) と釣り糸 (Lines) にかけた駄《だ》洒落《じゃれ》である。
注 『ヘック・オリム・メミニッセ・ジュヴァビット』……ヴァージルの「エーネイド」から引用。「いつの日か、今日《きょう》の思い出も、楽しかるらん」の意。
注 ヴィースバーデン……ドイツのライン河に近い有名な湯治場《とうじば》。
注 アルスタの内乱……一九一四年アイルランド自治案が下院を通過したが、上院はこれを否決《ひけつ》したため、アルスタ州不穏《ふおん》になる。
注 オーストリアとセルビア云々《うんぬん》……第一次世界大戦(一九一四―八)の発端《ほったん》の原因。
注 マルヌ河畔《かはん》の戦い……一九一四年九月。マルヌ河はパリを流れるセーヌ河の支流。
注 キッチナー元帥《げんすい》……(一八五〇―一九一六)第一次世界大戦に当たりイギリス国民の絶大な輿望《よぼう》をになって陸軍を大々的に編成した。後、不慮《ふりょ》の死をとぐ。
注 キャムブレエ……フランス北部ベルギー国境に近い小村。
注 ソンム河畔の大会戦……パリの北方を流れる河。激戦地。
注 『ゲヌス・ホック・エラット・プグネー・クォ・セ・ゲルマーニ・エクセルクェラント』……シーザー (Caesar) のガリア戦記第四八節に出てくる一句。
注 一九一八年十一月十一日……第一次大戦休戦日。
注 リヴィエラ……フランス、イタリア地中海沿岸の避寒《ひかん》地帯。
注 『オビリ・ヘレス・アゴ・フォルティブス・エズ・イン・アロ』……いかにもラテン語らしく Obile heres ago fortibus es in aro と言って見せるが、これが冗談《じょうだん》で、英文にすると O Billy, here is a ヤgo' forty busses in a row となり、「おおビリよ、バスが四十台一列になって走っている」の意。