火星の秘密暗殺団
E・R・バローズ/野田昌宏訳
目 次
一 ねずみのラパス
二 発明家ファル・シヴァスの屋敷
三 袋のねずみ!
四 ヴァンドールを殺してしまえ!
五 機械脳
六 ファル・シヴァスの宇宙船
七 ファル・シヴァスの計画
八 ザンダの願い
九 ウル・ジャンの計画
十 おそかった
十一 ガル・ナルの研究室
十二 ファル・シヴァスの手術
十三 出発
十四 サリアへ向かえ
十五 サリアに接近
十六 見えない敵
十七 猫男
十八 タリッド族の秘法《ひほう》
十九 王妃オザラ
二十 脱走の計画
二十一 ダイヤモンドの塔
二十二 地下牢の中で
二十三 秘密の扉
二十四 バルスームへ帰る
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登場人物
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ジョン・カーター……火星のヘリウム帝国の大元帥。「ヴァンドール」の名を名乗る
ラパス……「ねずみ」のあだ名をもつ卑劣な男
ファル・シヴァス……ゾダンガの天才発明家
ガル・ナル……シヴァスに対抗する発明家
ウル・ジャン……ゾダンガの「暗殺団」の首領
ザンダ……シヴァスの女奴隷
ジャット・オール……カーターの部下
ウル・ヴァス……タリッドの王
オザラ……タリッドの王妃
ウムカ……火星の月サリアに住む「猫男」
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一 ねずみのラパス
わたし――つまり、このジョン・カーターが住んでいる火星の都ヘリウム。そのヘリウムから東へ三千キロ、南緯三十度、東経百七十二度のあたりに、ゾダンガという町がある。
その町は、かつてわたしたちが、あの緑色人サーク族と力を合わせて征服し、ヘリウム帝国の領土にしてしまったのだが、何かといえばすぐに、わたしたちに歯向かおうとする。
とにかく、たちの悪い奴《やつ》がうようよ住んでいる町なのだ。ゾダンガは、殺し屋の町なのだ。
わたしの生まれた星、つまり地球にだって、ギャングや殺し屋や人さらいはたくさんいる。
だが、ゾダンガの連中に比べれば、まるで大人と子供ほどの違いがある。
バルスーム――この火星では、人殺しや人さらいは、芸術みたいなものなのだ。
たとえば、殺し屋には殺し屋たちの組合《ギルド》があって、いろいろと面倒な掟《おきて》や習慣がある。彼らは、おおっぴらにゾダンガの町をのし歩いている。そして人に頼まれれば、いともあっさりと人殺しをやってのける。わたしは、なんとかして、この殺し屋どもを全部、退治しようとしてきた。
だが、駄目だった。
なぜ――。そうなのだ、火星人たちは、この殺し屋たちに憧《あこが》れを持っているのだ。殺し屋も上手な奴になると、まるで地球人がボクシングや野球の選手のファンになるように、熱心な火星人たちが、その殺し方を褒《ほ》めたたえるのだ……。
まったく馬鹿げたことだが、本当にそうなのだ。
そんなわけで、こいつらを退治するという仕事は、なかなかはかどらなかった。誰も、わたしに協力しないのだ。心の中では協力したくても、殺し屋たちに知られたら、いっぺんにやられてしまう。とにかく、わたしが殺し屋退治をやりながら、殺し屋にやられずに生きていることすら、火星人にとっては大変な驚きなのだ。
わたしの妻、デジャー・ソリスも、危ないからやめてくださいとうるさいほどわたしに言った。だが、こんな馬鹿げたことを、許しておけるものか。力と力で、正々堂々と剣を合わせて、お互いの命をもらうというのなら良い。
だが、人から金をもらって、頼まれた奴を卑怯なやり方で殺してしまうなんて、全くなんという浅ましい奴らだろう。こんな奴は、バルスーム、つまりこの火星から一人残らず、きれいさっぱり、なくさないといけない。
少しずつだったけれど、わたしは、殺し屋どもを退治するための、小さなグループを作ることに成功した。殺し屋が、人を殺したというニュースが入ると、すぐそのグループが出動する。そして、その殺し屋をどこまでも追いまくるのだ。そして、死刑を行なう。
このグループのことは秘密だったけれど、このグループによって死刑にされた奴の胸には、大きな「X」という字が剣で彫り込まれるのだ。
この「X」は、たちまち全バルスームの話題となり、正義を願う人たちの、明るい希望となった。そして、ヘリウムでは、殺し屋の活動が目立って少なくなった。だが、ゾダンガだけは駄目なのだ。
ゾダンガの殺し屋どもは、この「X」グループの親玉が、ジョン・カーターに違いないと、見当はつけていたようだ。だが、奴らは、そんなものは、全然相手にしていないのだ。奴らは、おおっぴらにわたしたちを、せせら笑っていた。
まったく、ゾダンガの殺し屋どもの巧妙さときたら……。わたしたちにさえ、そいつらの正体はどうしても掴《つか》めないほどなのだ。こうなったからには、わたしがじかに、ゾダンガに乗り込むしか手がない。
もちろん、バルスーム一の戦士ジョン・カーターが乗り込んでも、いま以上に何もわかるわけがない。変装してもぐり込むのだ。わたしはそう決心した。絶対に秘密にしないといけない。
わたしが妻のデジャー・ソリスにだけ、その計画を打ち明けると、もちろん行ってはいけないと、必死になって反対した。わたしのことを心配してくれるのは嬉しいが、もう心は決まっている。
宮殿の屋上にある飛行艇の発着場から、ある夜、ひそかにゾダンガに向かったのだった。飛行艇がヘリウムの町に出るとすぐ、わたしは自動操縦に切り替えて、体にロープを巻きつけ、機体の外へ這《は》い出した。
火星の二つの月――地球ではフォボスとダイモスと呼ばれているが、その明るい光を浴びながら、わたしは機体についているヘリウムのマークや何かを、みんなペンキで塗り潰《つぶ》してしまった。これでもう、どこの飛行艇だかわからない。それから今度は、わたしの肌に赤い染料を塗《ぬ》りつけて、火星の赤色人種と見分けがつかないようにした。これで、ゾダンガの住民に化け終わった。
火星の都市には、夜のほうが忍び込みやすい。しかし、夜、パトロール艇に捕《つか》まった時、旅行の目的や自分の身分をはっきりできないと、たちまち牢屋にぶち込まれ、スパイらしいということになれば、すぐに殺されてしまう。
だから、わたしはわざと夜明けを狙《ねら》って、ゾダンガへ近づいた。そして、エンジンを切り、パトロール艇に見つからぬように用心しながら、ゆっくりと高度を下げた。
ゾダンガの町を取り囲んでいる、高い壁の上を通り過ぎる。もう町の中だ。わたしはほっとひと息ついた。だが、安心するのは早すぎた。その途端に、パトロール艇が一機、素晴らしいスピードで、わたしのほうにやって来たからだ。わたしは知らぬふりをして、飛び続けた。今ここで逃げ出したら、おしまいだ。パトロール艇のスピードにはかなわない。いっぺんに撃ち落とされてしまう。うまく逃げられたとしても、もう二度とこの方法で、ゾダンガに忍び込むことはできない。
パトロール艇は、まっすぐにこちらへと向かってくる。やがて、乗っている男の顔も見えた。奴は、下に降りろと手で合図をした。
とうとう捕まってしまった。わたしは、身分証明書も何もないのだ。捕まって、スパイの疑いで死刑か――。
だが、その時だった。突然わたしの頭の上で、ドカーンと、とんでもなく大きな音が響き渡ったのだ。はっとして上を見ると、ちょうどわたしの真上で、飛行艇がぶつかったらしい。交通事故だ。天の助けだ――。
パトロール艇は、わたしのことなどすっかり忘れて、そっちのほうへ飛んで行ってしまった。
今のうちだ――わたしは、飛行艇をゾダンガの町の一角、一番ごみごみしたあたりへと向けた。ゾダンガには何度も来ているから、およそのことはよくわかっている。あの辺なら、パトロール艇に見つかることはない。
そして、古ぼけた大きなビルの屋上の、発着場へと着陸した。
「ここは、公共用の発着場かい?」わたしは、すぐ横で飛行艇の手入れをしている男に聞いた。
「そうだよ」
「飛行艇を置かせてくれるかね?」
「金はあるのか」男は、じろりとわたしを見つめながら言った。
「ああ、一か月分、先に払うよ」
その途端、男はひどく親切になった。
「あそこが空いてまさあ、あそこに入れてくださいな」
言われた場所に飛行艇を入れ、エンジンを切り、鍵をかけると、その男のところにいって金を払った。
「どこか、ホテルはないかね。安くて、あんまり汚くないほうがいいんだがね」
男は、すぐに答えた。「このビルん中にゃ、おあつらえ向きのやつがありますぜ」
わたしは教えられた通り、そのビルの中のホテルに泊まることにした。火星、特にゾダンガのホテルは変わっている。一人用の部屋がないのだ。もちろん、殺し屋に忍び込まれる恐れがあるからだ。その代わり、広い部屋にずらりとベッドが並んでいて、一つ一つに、小さな仕切りがしてあるだけ。もちろん、殺し屋を防ぐために、昼も夜も、番人が剣を持って見回っている。
泊まり客は、もうみんな外出していて、大きな部屋はがらんとしていた。ただ、客の荷物が置いてあるだけ。火星には、泥棒というやつは殆どいないから、そこにみんな置きっぱなしにしている。わたしは、自分のベッドに、ひとまず腰を落ち着けた。すると、すぐ隣りのベッドから、ばかに落ち着きのない目付きをした男が、ぬっと顔を出した。人相の悪い奴だ。
「カオール!」そいつは、火星で一番よく使われる挨拶の言葉で、「こんにちは」という意味である。わたしも同じ挨拶をした。
「隣り同士ってわけだな」と、そいつは言った。
「どうやら、そうらしいね」と、わたしが答える。
「お前さん、よそもんらしいね」と、その男は続けた。「とにかく、この町の人間じゃないだろう? さっき、管理人に飯を食うところがあるかって聞いてたからわかったんだ。だけど、あそこの食い物はうまくねえ。もっといいとこがある。もしもよけりゃ連れてってやるよ。おれも今から行くとこなんだ」
人相から見ても、何かよからぬことをやっている男に違いない。だが、こんな男と付き合いたくて、わたしはゾダンガに潜《もぐ》り込んだのだ。だからすぐに、連れて行ってくれと頼んだ。
「おいらの名はラパス」と、彼は自己紹介した。「みんなは〈ねずみのラパス〉って呼んでるんだ」とまんざらでもない様子。
なるほど、きょときょとしたその目付きは、ねずみそっくりだ。
「おれはヴァンドール」と、わたしは偽《にせ》の名前を名乗った。
「お前さん、ゾダンガの人間かい?」
部屋を出てエレベーターに乗りながら、ラパスが聞いた。
「そうだ。だけど、もうずっと長いこと、よそへ行っていたんだ。サーク族にここが征服されてから初めてさ、ゾダンガは。ずいぶん変わっちまったね。どこがどこだか、さっぱりわからない」
「見たところ、お前さんは戦士かなんかだったのかい?」
わたしはうなずいた。「おれは放浪の戦士さ。もう長いこと他の国で仕えていたんだが、人を殺しちまってな、いられなくなったんだよ」
もしもこのラパスという奴が、わたしの見た通りの犯罪者なら、きっとわたしが人を殺したと言えば、きっと心を和らげるに違いないと思ったのだ。わたしの言葉を聞いた途端、ラパスの目はちらりと動いたが、それきり何も言わなかった。
食堂のテーブルに向かい合うと、彼は酒を注文した。そして言った。
「お前さん、ずうっとゾダンガにいるつもりかい?」
「さあ、そりゃ仕事さえありゃあな」わたしが答えた。「金もあまり持っていないし、人を殺してきたんだから、身分証明書もないときてる。どんな仕事があることやら――」
しばらくの間、わたしたちは黙って食事を続けた。やがて酒が回って、すっかりご機嫌になったラパスは言った。
「おいらは、お前さんが気に入ったよ、ヴァンドール。多分、いい仕事を見つけてやれると思うぜ」そして、わたしのそばに寄ってくると、耳に口を当てて言った。「おいらはゴルサンなんだ」
ゴルサン――火星人語で「暗殺者」という意味だ。なんという運の良さ――殺し屋の中に潜り込もうとしてゾダンガにやって来て、最初に会った奴が、その殺し屋だとは……。
だが、わたしは喜んだ振りはせずに、わざと肩をすくめた。
「あんまりいい金儲けじゃないな」
「金になるとも。いい奴らと組めばね」と、彼は一生懸命に言った。
「いい奴もなにも、ゾダンガに知り合いは一人もいないんだ。殺し屋組合には、よほど身許がはっきりしてないと、入れてくれないんだろう?」
ラパスは、誰かが盗み聞きをしてはいないかと、ぐるっと周りを見回してからささやいた。「組合なんかには、入らなくたっていいさ。おれだって、そんなものには入っちゃいない」
「自殺をするようなもんだろう」
「頭の働く奴なら大丈夫さ。おれを見ろよ、ぴんぴんしてるじゃないか。だから、〈ねずみのラパス〉様にまかしとけってんだよ」
ラパスはもう、かなり酔っ払っている。「お前が気に入ったよ、ヴァンドール。おれはな、すごいお得意さんを持ってるんだよ。その人からはよく仕事を頼まれるし、お金はうんとくれる。お前を、今晩その人に引き合わせてやるよ。お前ならぴったりさ」
「だってラパス、それじゃお前はどうするんだい? いくらいいお得意さんでも、殺し屋は二人もいらないだろう」
「そんなことは心配するなってことよ。おれにゃあ考えがあら――」
ラパスはそこまで言ってから、どうしたわけかぎょっとしたように口をつぐみ、疑わしそうにわたしを見た。
「お、おれは今、な、なんて言ったっけ? すっかり、酔っ払っちまって、何を言ったかわからねえ」
「なんか他に考えがあるとかって……」
「そ、それだけかい?」
「なにか、今晩、お得意さんにおれを紹介してくれるとか言ったぜ」
それを聞いてラパスは、ほっとしたような顔をした。
「そうかい、それじゃいいんだ。今晩は、お前を紹介してやるよ、ファル・シヴァスの旦那にな」
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二 発明家ファル・シヴァスの屋敷
部屋に戻ると、すっかり酔っ払ったラパスは、グーグー眠りこんでしまった。わたしはその日一日、ホテルの屋上に出て、わたしが乗ってきた飛行艇の中で過ごした。下の部屋にいると、どんなことでわたしの正体がわかってしまうか、わからないからだ。
エンジンの手入れをしながら、ラパスがさっきなぜあんなにぎょっとしたのだろうと、一心に考えてみた。何かラパスは隠していることがあるらしい。〈ねずみのラパス〉だなんて、まったく、ぴったりのあだ名だ……。
ようやくその日も暮れると、ラパスものこのこ起きてきたので、わたしたちはまた食事に出かけた。もう、ラパスの酔いはすっかり醒《さ》めている。けれど、今度は酒を一杯しか飲まなかった。
「なにしろ、ファル・シヴァスの旦那に会う時は、頭ん中をすっきりさせとかなきゃ。とにかく、ものすごく鋭い頭の持ち主なんだから」と、ラパスは言う。
食事を終えると、わたしたちは町に出た。大通りから、狭い横町をいくつも曲がり、ゾダンガの町を囲む壁の東の端に近いところにある、大きな建物のそばにやってきた。街燈もついていないし、あたりはなんとなく薄気味の悪い感じ、人っ子一人通らない。
ラパスは、その建物の壁の目立たないところについている、小さなドアに近づいた。そして、なにやら手探りでごそごそやっていたが、二、三歩下がってじっと待った。
「ファル・シヴァスの旦那の家にゃ、おいそれと、誰でも入れるわけじゃないんだぜ」と、ラパスはちょっと得意そうに言った。「お前さんも、ここに雇われることになったら、ドアを開けてもらう合図を教えてもらえるよ」
二、三分も待ったろうか、ドアの真ん中についている小さなのぞき穴から、誰かの目が見えた。
「あ、ラパス様!」
ささやくような声がして、ドアが少しばかり開いた。ラパスとわたしが、まるで潜《もぐ》り込むようにして中に入ると、ドアはすぐに閉じられた。中には、薄暗い廊下がずっと続いている。
ずいぶん長いこと歩いた後で、ぼんやりと明かりのともった小さな部屋に出た。案内してきた男は立ち止まり、ラパスに向かって言った。
「ラパス様。ご主人様は、あなたがお一人でおいでになるとおっしゃいました」
「旦那には、おれも話していないよ。だけどいいってことよ。なんでおれがこの男を連れてきたのか、旦那が聞いたら大喜びさ」
「それは、ご主人様にうかがってみないと、わかりませぬ」と、その男は答える。「あなた様だけ先に、ご主人様にお会いになりましたほうがよいかと存じます」
「そうか、じゃあ、そうしよう」と、ラパスは答えてから、わたしに向かって言った。「おれが戻ってくるまで、ちょっと待っててくれな」
二人は出てゆく。ぽつんとわたし一人が残された。だがわたしは、一人で残されているのでないことを、すぐに感じた。
地球のみなさんは、テレパシーなどというものを、信じてはくれないかもしれないが、わたしは火星で、そのテレパシーの能力を身につけたのだ。
わたしは何気ないふりをして、この薄暗い部屋の壁を注意深く見回してみた。あった。いちばん目立たない隅のほうに、ぽつんと小さな穴があって、その奥で目が光っている。やっぱり見張られているのだ。
しかし、誰だか知らないが、その、のぞいている奴が、何かわたしの尻尾をつかまえてやろうとしているのならば、それはまったく無駄なことだった。わたしはわざと、部屋の隅に置いてある椅子に腰をかけると、そのままおとなしく、ラパスが帰ってくるのをじっと待っただけだったから。
壁の穴からこっそり見張られたところで、別に何でもないけれども、あの長い廊下といい、この部屋といい、そしてその見張りの目といい、この家には何かとんでもない秘密が隠されているような薄気味悪さがある。
カサリとも音がしない。
十分も待たされただろうか。ドアが開いて、さっきの召使《めしつか》いが顔を出した。
「どうぞ、こちらへ」と、彼は言った。「ご主人様がお会いになります」
召使いの後に続いて、曲がりくねって上り坂になっている薄暗い廊下を歩いていくと、やわらかな光に照らされた、贅沢《ぜいたく》な部屋に出た。
部屋の中央には大きな寝椅子があって、その上に一人の男が、うずくまるようにして座っている。それはまるで、大きな猫を思わせた。じいっと目を光らせていて、いつでもぱっと飛びかかってでもきそうな感じなのだ。
その横に、ラパスが立っている。
「これがヴァンドールです、ファル・シヴァス様」と、ラパスがうやうやしく言った。
わたしは丁寧に、頭を下げた。
「お前のことはラパスから聞いた。生まれはどこだ?」ファル・シヴァスが口を開く。
「生まれはゾダンガですが、長いこと他の国を回りました」
「するとゾダンガには、友達や親類は誰もいないのだな」
「おそらくまだ生きている者もいましょうが、もう、どこに住んでいるのかもわかりません。ひょっとすると、緑色人どもに征服された時、みんな死んでしまったのかもしれません」
「どうやら、おれがほしいと思っていたような男らしいな、お前は。ラパスも保証はしているが、まだ、そうとも言い切れん。誰も信用できんのでな」
「そ、そんな、旦那!」と、ラパスが慌《あわ》てて言った。「あたしが、一回でも旦那を裏切ったりしましたかい?」
ファル・シヴァスは、馬鹿にしたような笑いをちらりと見せた。
「お前は忠義の見本だよ、ラパス」
それを聞いて、ラパスは得意そうに鼻をぴくつかせた。ファル・シヴァスの皮肉な調子に気がつかぬらしい。
「私を雇《やと》っていただけるのでしょうか?」と、わたしは聞いた。
「お前の剣で、おれの身を守ってもらわねばならん時が必ずあるだろう。お前、剣は強いのか?」
「私は放浪の戦士です」と、すぐにわたしは答えた。「剣だけで生きてきました。これで返事になると思いますが」
「完全な返事ではないな。おれは最高の剣士を求めておる。ラパス、そこに短剣がある。二人で戦ってみろ」
「殺し合いですか?」ラパスがげらげらと笑いながら言った。「殺すために、こいつをここに連れてきたわけじゃありませんぜ」
「もちろんじゃ。殺し合いではない。ちょっとやってみろ、どっちが先に相手にかすり傷を負わすか」
わたしは、こんな戦いを好きではない。わたしが剣を抜く時は、相手を殺す時だ。しかし、そうも言ってはいられない。わたしは黙って、ラパスが剣を抜くのを見守った。
「ひどい怪我なんかさせないからな、ヴァンドール。安心しな。おれぁお前が気に入ってるんだ」
わたしは礼を言い、それから剣を抜いた。
ラパスは剣を構えて、前へと進み出した。自信満々である。次の瞬間、彼の剣は部屋の隅まで吹っ飛んだ。わたしが剣の先で跳ね飛ばしたのだ。ラパスは慌てて後へ飛びのいた。苦《にが》笑いを浮かべている。それを見たファル・シヴァスが大声で笑った。
「ま、まぐれでさ」と、ラパスが慌てて弁解した。「だしぬけにやられたもんで」
「そいつは失礼、ではもう一度」と、わたしは答えた。
ラパスは、部屋の隅に落ちた剣を拾い上げると、今度は隙だらけの構えで正面から突っ込んできた。とてもじゃないが、わたしの胸にぶつかったところで刺さりそうもない。再び、チャリンという鋭い音とともに、ラパスの剣は宙に舞い上がり、壁にぶつかって床に落ちた。
ファル・シヴァスは、声を上げて笑った。
「よし、もう充分だ、剣を納《おさ》めろ」
わたしは、ラパスを敵に回してしまったと思った。しかし、それは別に大したことではない。警戒さえ忘れなければいいのだ。いずれにしろ、ラパスは油断できない奴だとわたしは思っていたのである。
「お前は、いつからおれのところで働けるかな」と、ファル・シヴァスが聞いた。
「今、すぐにでも」と、すかさずわたしが答える。
「ラパスは、自分の仕事でしばらく休みがほしいと言っておる。その間、おれの護衛をしてもらいたい。彼が戻ってきたならば、他の仕事につけてやろう。お前がゾダンガの人間に顔を知られておらぬということは、おれにとって非常に好都合なことでな」
それから彼は、ラパスのほうを振り向いた。
「もう行ってもよいぞ、ラパス。少し剣の練習もしておくのだな」
ファル・シヴァスは笑いながらそう言ったのだが、ラパスは笑わなかった。そして、挨拶もしないで出て行った。
「お前は、奴の誇りを傷つけたな」
ドアが閉まったと同時に、ファル・シヴァスが言った。
「これからは、夜もおちおち眠れないというわけです。しかし、いずれにしろ私の責任ではありません」
「どういうことだ、それは?」
「ラパスの剣の腕前が、大したことはなかったからです」
「腕の立つ奴だと、みんなに言われておったのだがな」
「ラパスは剣を使うよりも、殺し屋としてはあいくちか、毒薬のほうがふさわしいですよ」
「お前はどうだ?」とファル・シヴァスは言った。
「私は剣を選びます、当然のことです」
「まあ、そんなことはどっちでもよろしい。とにかく、おれの敵を殺してくれればいいのだ」
「あなたの敵は、たくさんいるのですか?」
「たくさんいる」と、ファル・シヴァスは言う。「おれは発明家だ。そして、おれの発明を盗もうとして必死になっている奴が、うようよいる。中でも一人、おれの命を狙《ねら》っている発明家がいる。そいつはそのために、殺し屋の組合員を雇っているのだ。組合の親玉はウル・ジャンという。そいつはそいつで、おれが護衛をその組合以外の奴に頼んだといって、おれの命を狙っておるというわけだ」
ファル・シヴァスは召使いを呼び、わたしのための部屋へ案内するようにと命じた。
「お前の部屋はこの真下じゃ、おれが呼んだならば、何をおいてもすぐに来てもらいたい。よいな。ではおやすみ」
わたしが案内されたその部屋は、三部屋続きで、とても居心地が良さそうだった。
「何かほかにご用はございませんでしょうか、ヴァンドール様」召使いはわたしに聞いた。
「何もない」
「それでは、明朝うかがいます」
召使いは、外に出てぴしゃりとドアを閉めた。召使いが、ドアに外側から鍵をかけるのかとわたしはじっと耳を澄ましたが、別のその気配も感じられなかった。とにかく鍵をかけられても、ちっともおかしくないような感じだったのだ。
部屋に窓はない。換気装置で新鮮な空気が入ってくるらしい。天井についているラジウム電球が、あたりを照らしている。
部屋には椅子とテーブルと、それから壁には本棚があって、本がずらりと並んでいた。よく見ると、それは医学や化学、電気学や工学の本ばかりだ。
ときどき廊下のほうで、こっそりと誰かが忍び寄ってくるような音がした。まだわたしを見張っているらしい。わたしはわざと知らん振りをした。彼らに怪しまれたら、おしまいだからだ。
ゾダンガにわたしが潜《もぐ》りこんだ目的は、ファル・シヴァスに雇われることではない。ファル・シヴァスを狙っているという殺し屋組合の大親玉、ウル・ジャンに近づいて、ゾダンガの殺し屋たちの正体を突き止めて、わたしの剣で退治することなのだ。だから、本当をいうと、ファル・シヴァスに雇われて、その命を守ってやるために、目指すウル・ジャンの敵に回ることになったのは、ちょっと残念な気もした。
そんなことを考えながら、わたしは剣を外し、寝る容易をし始めた時だった。突然、わたしの部屋の真上らしいあたりで、ドタドタと取っ組み合うようなひどい音が聞こえ、それから、人間が倒れたらしい大きな音がした。そして女の鋭い叫び声。
それからすぐに、上の部屋から駆け下りてくる、慌《あわただ》しい足音。こちらのほうへと近づいてくるらしい。
このファル・シヴァスの家の中で、どんな大騒ぎが起ころうと、ファル・シヴァスが呼ばない限り、わたしの知ったことではない。だが、あのかん高い女の叫び声はただごとではない。わたしはドアに近づき、そっと開いて外をのぞいてみた。娘が一人、向こうから走ってくる。そして、のぞいているわたしを見つけると、まるで鉄砲玉みたいな勢いで、部屋の中に転げ込んできた。
「ドアを閉めて! 私を隠して! あいつに私を渡さないで!」
娘は、激しくあえぎながらそう言った。
誰も追っかけてくる気配はなかったが、娘の言う通り、ドアを閉めてから娘に聞いた。
「どうしたんだ、一体? 誰に追っかけられているというんだ?」
「あいつよ!」彼女は身震いをしながら言った。「あいつは恐ろしい奴なんです。私を助けてちょうだい! 私をあいつに渡さないで! お願い!」
「誰のことを言っているんだ。恐ろしい奴とは、誰なんだ?」
娘は、恐ろしさに大きく目を見張り、がたがた震えながら、ドアのほうをじっと見つめている。まるで、その恐ろしい奴が、今にもドアから入ってくるかのように。
「あいつよ、他に誰がいると思うの?」
「つまり――?」
娘はわたしのほうに近づき、何か話そうとしかけたが、すぐにぎょっとしたように口をつぐんだ。まるで木の葉のようにぶるぶる震えている。
「信用できないわ! あなただってあいつの子分でしょ。ああ! もう我慢できない! あいつに捕まるぐらいなら、いっそのこと――」
言うなり、娘は目にもとまらぬ素早さで、わたしの剣を取り上げ、自分の喉《のど》に突きたてようとした。とっさにわたしは娘の腕をつかみ、刃先をそらした。娘はほっそりとした体つきだったけれども、力は強かった。ひどく暴れる娘の手から、わたしはむりやり、その剣をもぎ取った。
「静かにするんだ」と、わたしは言った。「怖《こわ》がらなくてもいい。おれがいる限り何も怖いものはないぞ。さあ、なにをそんなに怖がっているのか、言ってごらん」
娘は椅子に座ったまま、わたしの目をじっと見つめていたが、ようやく口を開いた。
「ええ、あなたは信用できそうだわ。なにかそんな気がする、あなたの声も、目も」
小さな子供をあやすように、わたしはその娘の肩に手を当てたまま、静かに言った。
「何も心配しなくていいよ。名前はなんというの?」
「ザンダ」ぽつんと娘は答えた。
「ここに住んでいるのかね?」
「私は奴隷です。ここに捕まえられているんです」
「なぜ、あんな叫び声をあげたんだ?」
「私は、叫び声なんか出さなかったわ」娘は言う。「きっと他の人でしょ。あいつは私を捕まえようとしました。だけど私が逃げたもので、他の人を捕まえたのよ。だけど、私も駄目。今に捕まってしまうわ」
「誰が、君を捕まえようとしたんだ?」
娘は、身を震わせながら答えた。
「ファル・シヴァスよ」その声も、恐ろしさで震えている。
わたしは、娘の隣りに腰をおろして、静かに言った。
「よく聞くんだよ。一体、どういうことなんだね。おれは、ここにさっき来たばかりなんだ。ファル・シヴァスに雇われたばかりなんだよ」
「それじゃ、ファル・シヴァスについて何も知らないのね」
「ファル・シヴァスが金持ちの発明家で、誰かに命を狙われているということしか知らない」
「そうよ」と、娘は言った。「確かにお金持ちだし、発明家だわ。だけどそんなことより、ファル・シヴァスの正体は、大泥棒で人殺しよ。彼は他の人の発明を盗んでから、その証拠を隠すために、その人を殺してしまうのよ。そして、その発明について詳しいことを知ってしまった人も殺されてしまうんです。そのために、ファル・シヴァスは殺し屋を雇っているんです。〈ねずみのラパス〉が、今ファル・シヴァスに雇われていますけれど、彼は殺し屋組合のウル・ジャンに狙われています。組合の取り決めよりもずっと安いお金で、ファル・シヴァスに頼まれた人を、殺しているからです」
「ファル・シヴァスが盗んだという、その発明は、一体どんなものなんだ」
「よくはわからないですけど、宇宙船らしいわ」
「どんな宇宙船だ?」
「星から星へ航海する宇宙船なんです。ファル・シヴァスが言ったのは、まるでお隣りの町に行くぐらいの時間で、他の星へ旅行できるんですって」
「おもしろそうじゃないか。別に恐ろしくもなんともない」と、わたしは言った。
「発明は他にもあるのよ、恐ろしいのが。たとえば〈機械脳《きかいのう》〉だとか……」
「機械脳?」
「そうよ。だけどよくわからないわ。ただファル・シヴァスがよく話していたから、知っているだけなんです。ファル・シヴァスによると、全ての生命も物質も、みんな機械作用によって出来あがっているんですって。よく化学作用だという風に学者は言うけれど、その化学作用そのものが、機械の作用によるものだとか……なんか、私もよくわからないんだけれど。だけど、ファル・シヴァスが〈機械脳〉を作っているのは確かよ。とても賢くて、絶対に間違えたり、勘違いしたりしないんですって」
「なるほど、少し、薄気味の悪い話だが、なにも、そんなに怖がることはないじゃないか」
「私が恐れているのは、そんなことじゃないんです。その発明を完成するために、ファル・シヴァスは、恐ろしいことをしています。人間の脳とそっくり同じ働きをする〈機械脳〉を作るために、人間の脳を研究しようとして、買ってきた奴隷やさらってきた人たちを、生きたまま、台に縛《しば》りつけて、頭を切り開くんです。そして、脳の働きをいろいろと調べているんです」
もう、その娘、ザンダは真っ青になって、ぶるぶる震えている。
「頭を切り開かれたら、長くは生きられません。すぐに意識をなくして、間もなく死んでしまいます。恐ろしいことですわ! ファル・シヴァスは、自分で作った特別な薬を、その人間の血管に注射して、死ぬまでの時間を引き延ばし、もっと詳しい研究ができるようにしているのです。その間、研究材料にされたかわいそうな人たちが、どんなに苦しがるか、考えてごらんなさい。
今夜、私は、もう一人の娘と一緒に、ファル・シヴァスの研究室に連れ込まれたんです。あいつは、いつも二人の人間を選び出して診察し、そのどちらかを研究材料として使うのです。あいつは、私たち二人を詳しく診察しました。そして、私のほうが選ばれてしまったのです。あまりの恐ろしさに、私は逃げ出そうとして、めちゃめちゃに暴れ回りました。
ファル・シヴァスは、私を捕まえようとして、飛びかかってきましたが、足を滑らせ、床にひっくり返りました。その隙《すき》に、私はドアを開けて逃げ出したんです。
その後で、女の悲鳴が聞こえましたが、あれは、私と一緒に連れ込まれた人が、ファル・シヴァスに捕らえられたに違いありません。だれどもう駄目、私もすぐに捕《つか》まえられてしまうわ。あなたもそうよ。絶対に生きて帰れませんわ」
「そうかな。どうしてわかる?」
「今までだって、一人も生きて外に出た人はいませんもの」
「ラパスはどうだ」と、わたしは聞いた。「あいつは、好き勝手に出たり入ったりしてるじゃないか」
「ラパスは別です。ラパスはファル・シヴァスに雇われている殺し屋ですもの。それにラパスも、ファル・シヴァスの研究材料にするための人をさらってくる仕事をしているんです。だから、いつでも出入りできます。他に何人か召使いがいますけれど、それだって、もしもファル・シヴァスの発明について、詳しいことを知り過ぎたら、すぐに殺されてしまうことはわかっています」
こう話すうちにも、娘は、だいぶ落ち着いてきた。そして、話し終えると、静かに立ち上がった。
「本当にありがとう」と、娘は言った。「お部屋に入れてくださって、とても感謝してますわ。きっともう、お目にはかかれないでしょうが、親切にしてくださってご恩だけは忘れませんわ」
「おれは、ヴァンドールという名前だ」と、わたしは答えた。「しかし、二度とお目にかかれぬ、とはどういうことだ。今からどこへ行くつもりなのかね?」
「私の部屋に戻るわ。そして、あいつの研究室に連れていかれるのを待つつもりです。明日でしょう、きっと」
「ここにいなさい」と、わたしは言った。「なんとか、外に逃がしてやれると思う」
娘はひどく驚いて、それから、何か言おうとした。その時である。娘の顔がさっとまたこわばった。
「誰かが来ます!」娘は、ささやくように言った。「私を探してるんだわ!」
わたしは、三つ続いているわたしの部屋の、一番奥へ娘を急いで連れて行った。
「ここに隠れるんだ!」
「いいえ、駄目よ! 見つかったら、あなたまで殺されてしまうわ! あなたは私に親切にしてくださったんですもの。もうこれ以上、あなたにご迷惑はかけられません」
「おれのことなど心配しなくていい! 言われた通り、おとなしくしていろ!」
わたしは、娘をベッドの下に隠すと、急いで下の部屋に戻り、本棚から本を一冊取り出し、慌てて椅子に腰をおろした。ちょうどその時、ドアをノックする音がした。
「入れ」わたしは大声で言った。
ドアが開いた。そして、入ってきたのは、もちろん、ファル・シヴァス……。
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三 袋のねずみ!
わたしは、たった今まで、本を読んでいたようなふりをして、ファル・シヴァスを迎えた。彼は入ってくるなり、素早く部屋の中を見回した。
隣りの部屋へと続くドアをわざと開け放しておいたので、そこに娘が隠れているとは、ファル・シヴァスも考えなかったらしい。黙ってわたしのそばにやって来ると、わたしが手にしている本を見ながら言った。
「放浪の戦士にしては、なかなか高級な本を読んでおるな」
わたしは、笑いながら答えた。
「同じ著者の〈理論機械工学〉を読んだことがあるものですから、ちょっとのぞいてみたんです」
ファル・シヴァスは、しばらくの間、わたしをじっと見つめてから言った。
「どうやら身分の割に、知識があり過ぎるようだぞ」
「世の中のいろいろなことを知り過ぎるということは、ないのではありませんか?」
「知り過ぎると困ることもある。ここでは、な」
わたしは、あの娘の言った言葉をはっと思い出した。けれども、そのことについてファル・シヴァスは、それ以上何も言わなかった。
「わしは、お前がどうしているかと、ちょっとのぞいてみただけだ。どうだな、居心地は?」
「大変いいです」と、わたしは答えた。
「何か、騒がしい声は聞こえなかったかな? 誰か、ここにやって来た者はいなかったか」
「いいえ、誰も。とても静かでしたよ。ちょっと前に、なにやら笑い声がしたようでしたが、それっきり何も聞こえません」
「誰か、この部屋に入ってきた者はいなかったか」ファル・シヴァスはもう一度聞いた。
「いいえ。誰か来るはずになっていたんですか?」
「いや、別に」と、ファル・シヴァスは慌てたように答えると、今度は、化学や工学のことを、わたしがどのくらい知っているのかと、しつこく聞くのだった。
「ほんのちょっとしか知りません」わたしはきっぱり答えた。「私の職業は戦士です。科学者ではありません。工学の知識などといっても、それはただ、飛行艇を操縦するのがやっと、というぐらいのものです」
「お前は、なかなか使いものになりそうだな。おれはお前のような男を助手として探していたのだ」
「何の助手としてなのですか」
「いずれ話してやるとしよう」
「そんなことより、わたしはあなたを守るために雇われたのですが、一体どんな奴が、あなたの命を狙っているのですか」
「おれの命を狙っている奴はたくさんいる。なかでも、一番|手強《てごわ》いのは、発明家のガル・ナルという奴だ。おれとガル・ナルとは、ほとんど同時に、他の星へ自由に行ける船を発明した。ところが、あいつはその発明を自分だけのものにしようとしているのだ。そして、おれの発明を盗み出して、自分の発明した宇宙船をさらに高い性能のものにしようとも考えている。そのためには、おれを消してしまうことが、一番簡単だからな。ガル・ナルは、おれを殺してしまうために、殺し屋のウル・ジャンを雇ったのだ」
「私の顔は、ゾダンガでは全然知られていません。どうでしょう。ひとつウル・ジャンのところへ私が忍び込んで、様子を探《さぐ》ってきましょうか」
ファル・シヴァスが、わたしをこの家の外に出してくれるのかどうかを探ってみるため、わたしはわざとこう聞いてみた。
ファル・シヴァスは答えた。
「何も探れまい。忍び込む前に殺されてしまうだろう」
「大丈夫ですよ。とにかく、やってみる値打ちはあります。そのウル・ジャンとかいう殺し屋がどこに住んでいるのか、わかっているのでしょう?」
「わかっている。もし、本当にやるつもりなら、教えてやろう」
「明日やります。暗くなってから」わたしはすぐに答えた。
ファル・シヴァスは、黙ってうなずいた。そしてまた、疑わしそうにドアの向こうの部屋をじっと見ている。
「布団はあるか?」
「ええ、あります」
「ほかに何か入り用なものがあったら、明日、揃《そろ》えさせよう」そう言いながらも、ファル・シヴァスはじっと隣りの部屋のほうを見つめたままでいる。
感づかれたか?
冷たい汗がにじんできた。しかしわたしがそっちを見ると、なおさら怪しまれる。わたしはじっとこらえた。
ファル・シヴァスは、何も言わない。もし、ベッドの下に隠れている娘を見つけられたら――。きっと、すぐに研究室に連れ込まれて、生きたまま、頭を切り開かれ、むごたらしい研究に使われるのだ――。そんなことをさせてなるものか!
ファル・シヴァスはまだ、じっと見つめている。娘を見つけられたら、次の瞬間、ファル・シヴァスに襲いかかり、剣で斬《き》ってしまおう――。わたしは心の中でそう決めた。だが、ファル・シヴァスは、気がつかなかったようだ。
ひどく長い時間がたったような気がした後で、ファル・シヴァスはわたしに言った。
「ウル・ジャンのいる場所は、明日教えてやろう。それから明日、お前専用の奴隷を一人つけてやる。男がよいか、それとも女がよいか?」
その途端、わたしはうまいことを思いついた――。あの娘を助けてやることができる。すぐにわたしは言った。
「女がいいです」
ファル・シヴァスは、にやりと笑った。
「可愛い娘がよいか」
「私に選ばせてください」
「好きなようにするがいい。明日、奴隷たちをみんな見せてやろう。では、おやすみ」
そして、ドアを開けて出ていった。だが、油断はできない――。ファル・シヴァスはドアの外でじっと聞き耳を立てている――とっさにわたしはそう感じた。
そこでわたしは、さっきの本を取り上げて、また読み続けるふりをした。活字など何も目に入らない。ただ、じっと廊下のほうの音に耳を澄ました。そしてファル・シヴァスが帰っていくしのびやかな足音がしたのは、かなり時間がたった後のことだった。そして間もなく、わたしの部屋のすぐ上でドアの開く音がした。そこでわたしはそっと立ち上がり、隣りの部屋に行き、ベッドの下から娘を出してやった。
「聞いたか?」
どんな方法でファル・シヴァスが、盗み聞きをしているかもわからない。わたしはできるだけ小さな声で言った。娘は、こっくりとうなずいた。
「明日、君をおれの奴隷に選んでやる。ここから逃げ出すチャンスは、そのうちにあるだろう」
「本当にありがとうございます。心配してくださって」と、娘は嬉しそうにわたしを見上げた。
その夜、わたしはこの娘をここに泊めてやり、次の朝早く外に出してやった。いくら無茶なことをするファル・シヴァスでも、昼間のうちは何もしないだろうと思ったからだ。
それからしばらくして、わたしは食堂へ入っていった。テーブルには二十人ほど座っている。大部分は女の奴隷たちだ。みな若くて、美しい顔立ちをしている。
テーブルの上座《かみざ》に座っている男は、昨夜、わたしとラパスを家の中に入れてくれた、あの召使いだった。ハマスという名前だということは後で知ったのだが、わたしが入っていくと、そのハマスは、自分のそばに来いというように手招きをした。
「おれの隣りに座れ、ヴァンドール」昨夜とは、がらりと変わった横柄な態度で、ハマスはわたしに言った。「昨夜はよく眠れたか?」
「ああ、ありがとう、よく眠れた。夜はとても静かだな、ここは」と、わたしは答えた。
彼は続ける。
「夜、何か聴き慣れぬ音がしても、その元を調べようとしてはならんぞ。おれかご主人がお前を呼ぶまでは、じっとしておれ。ご主人は、夜中にいろいろな研究をなさることがあるのだ。何を聞いても、研究を妨げるような真似をしてはならん」
わたしの隣りには、フィスタルと名乗る男が座っていた。この男は、若い娘を買ったり、さらったりして、ここに奴隷として連れてくるのを仕事にしているのだそうだ。
次々と入ってくる若い女奴隷たちの中に、あの娘、ザンダがいるのを見つけると、フィスタルが怒ったように言った。
「昨夜はどこにいたのだ、ザンダ!」
「あまりびっくりして、隠れておりました」と、テーブルにつきながら、娘は言った。
「どこに隠れておった?」
「あまりの怖さに、よく覚えていないのです……」
ハマスとフィスタルは、なにやらぶつぶつ言い合っていたが、それきり何も言わずに朝食を続けた。
みんながほとんど食べ終わった時、わたしはハマスに、昨夜、ファル・シヴァスがわたし専用の奴隷を選んでいいと言ってくれたことを話した。
「どの娘がいいのだ?」と、フィスタルが言った。そこでわたしはわざと、座っている娘たちをずうっと見回し、たった今、ザンダに気がついたようなふりをした。
「あの娘がいい」
フィスタルは顔をしかめ、ひどく慌てた。そこでわたしは言ってやった。
「ご主人は、誰でも好きな娘を選んでよいと言われたんだぞ」
ハマスは、しぶしぶうなずいた。
ザンダは、こうしてわたし専用の奴隷となった。わたし専用といっても、それほど仕事があるわけではない。わたしの部屋の掃除と、それから僕の剣を磨《みが》くことぐらいのものだ。
わたしたちが部屋に戻り、さっそくザンダが部屋の掃除を始めた時、使いが来て、ファル・シヴァスのところに来るようにと言った。
恐らくザンダのことだと、わたしは考えた。きっとハマスかフィスタルが、わたしがザンダを選んだことを、さっそくファル・シヴァスに告げ口したに違いない。そう考えながら、わたしの部屋の真上にあたる、ファル・シヴァスの部屋に入っていった。
しかし、ファル・シヴァスはザンダについては何も言わなかった。そして、ファル・シヴァスを狙っているという殺し屋、ウル・ジャンの本部のある場所を詳しく教えてくれた。
「いつでも、都合の良い時に出かけるがよい。この屋敷への出入りの合図については、ハマスによく言っておく。しかし、お前が忍び込む相手というのは、ゾダンガの中でも、最も凶悪な奴だということを忘れるなよ」と、ファル・シヴァスは言った。
「相手が凶悪であればあるほど、ファイトが沸《わ》いてきますよ」
わたしはそれだけ言うと、自分の部屋に戻ってきた。そして、ザンダとドアのノックの合図を決め、わたしが外から戻ってきてその合図のノックをしない限り、絶対にドアを開けてはいけないと命じた。わたしのいない間に、いつまたファル・シヴァスが、ザンダの頭を切り開こうとするかもわからないのだ。
それからわたしは、ハマスに案内されて、昨日、ラパスと一緒に入ってきた玄関へ行き、外から戻ってくる時のための、秘密の隠しボタンの場所を教えてもらい、一人で町に出た。
ものの、二、三分と行かぬうちに、向こうからやって来たのは〈ねずみのラパス〉。
「おう、どこへ行くんだ?」と、ゆうべ決闘をやった後の仏頂面《ぶっちょうづら》も忘れたみたいに、ひどく愛想がよい。
「宿に戻って、置いてきた荷物を持ってくるんだよ。それから、少し町でもぶらついてみようかと思ってな」
「おい、今夜遅く落ち合わないか」
「いいだろう、何時ごろ、どこで落ち合う?」
「昨日おれが連れていってやった飯屋があるだろう。あそこに八時だ」
「よかろう。しかし、あんまりあてにはしないでくれ。その前に町で遊び疲れたら、屋敷に戻るからな」
ラパスと別れると、わたしは昨日のホテルに戻り、荷物をまとめて、屋上に置いたままになっている飛行艇の中に積み込んだ。
それが終わるとまた町に出て、ファル・シヴァスの教えてくれた、その殺し屋、ウル・ジャンの住んでいる場所へと向かったのだった。
そこは町のはずれにあたる、ひどく汚い住宅街だった。人通りもあまりない、薄暗い通りを隔てて、アパートらしい大きな建物がずらりと並んでいる。わたしは今、殺し屋の本拠に向かいつつあるのだ。誰にも顔を見られぬように、暗がりから暗がりへと、ファル・シヴァスの教えてくれた建物へと近づいた。
目指すその家の、窓の明かりは消えているように見えたが、厚く閉ざされたカーテンの隙間から、かすかに光が漏《も》れている。あそこだ――ウル・ジャンやその部下の殺し屋たちは、あの部屋に集まっているのに間違いない。
だが、どうやって近づくか。火星の二つの月にぼんやり照らされた入り口に目をこらすと、いるいる――男が二人、見張りをしているらしい。とても入れたものではない。とすれば――。
建物のそれぞれの階には、小さなバルコニーがついている。外からそいつによじ登るか。
火星の重力は、地球に比べてぐっと低いから、地球人であるわたしの筋肉でなら、割と簡単にやれそうだ。わたしは一生懸命、建物の壁の手がかりを探してみた。だが、バルコニーとバルコニーとの間の壁はつるつるになっていて、とても手は届かない。残念ながらどうしようもない。入り口からも入れない。窓からも忍び込めないとすれば、残るのは屋根からだ。
よし――決まった。
わたしはこっそりとそこを離れると、大急ぎで町を抜けてわたしのホテルに戻り、屋上へと駆け上がったのだ。
うまい具合に、格納庫には誰もいない。大急ぎで飛行艇を引き出すと、すぐに離陸した。
パトロール艇に見つからぬよう、できるだけ低い高度で飛ぶ。昨日のように、城壁の外から忍び込むのと違って、ゾダンガの町の中だけを飛ぶのだから、パトロール艇も大して気にはしていない。他の飛行艇にぶつかりでもしない限り、まず大丈夫だ。わたしは、操縦席から体を乗り出すようにして、下に広がる町を見定めながら、さっきの、殺し屋の根拠地のビルディングへと近づいた。そして、その屋上へそっと降りた。
このビルの屋上は、飛行艇の発着用にはなっていないけれど、よほどの風でも吹かない限り大丈夫だし、それに火星では、そんな風の吹くことは、先ずまったくといってよいほどないのだ。
わたしは、こっそり屋根の上に降り立った。さて、どうやって、忍び込むか。
屋根の上には、天窓が一つあった。わたしはなんとか、この天窓をこじ開けようとしてみたが、びくとも動かない。これ以上無理をすると大きな音が出そうだ。しからば――。
わたしは天窓は諦《あきら》め、ビルの縁《ふち》を用心深く調べてみた。ある、ある――屋根から突き出ているバルコニーに向かって、一本の雨どいが続いているのだ。こいつを伝っていけば、すぐ下のバルコニーにまでは下りられる。わたしは、用心深く雨どいを伝って、そろそろと下へ下りた。そして、わたしが狙いをつけている部屋の向かいにあたる、静まり返ったバルコニーへ降り立った。
こっそりと窓を開けて、真っ暗な部屋の中に忍び込む。そして手探りで、廊下へと続くドアを探し当てた。うまいうまい――鍵はかかっていない。わたしは廊下へと忍び出た。ぼんやりと小さな明かりが一つ、あたりを照らしている。
目指す殺し屋どもの部屋からは、賑やかな話し声が聞こえてくる。わたしは、そちらのほうへ近づいていった。見つかったら最期《さいご》だ。一人二人ならなんとかなっても、人殺しを職業にしている奴らに、わっと襲いかかられたら、いくらわたしでも命が危ない。
わたしがわざわざ放浪戦士に化けてゾダンガに潜り込んだのは、この殺し屋どもの組合の正体を突き止めるためだ。奴らを退治するのは、その後だ。
殺し屋が騒いでいる部屋は、このビルの造りから見て、廊下に面している部屋のもう一つ奥らしい。わたしはこっそりとドアを開けてみた。思った通り、その部屋はからっぼだ。わたしは忍び込んだ。そして、隣りへと続くドアに耳をつけてみた。駄目だ――騒いでいるのは聞こえるが、話の内容まではわからない。
その時だ。廊下の奥から、慌しい足音がこちらに向かって近づいてきた。
わたしは、袋のねずみだ……。
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四 ヴァンドールを殺してしまえ!
これまでにわたしは何度も、絶体絶命の立場に追い込まれたことがある。しかし今度だけはもう駄目だと思った。足音は、どんどん近づいてくる。それも一人ではない。奴らがわたしを見つけると同時に、隣りの部屋にいる殺し屋どもも、なだれ込んでくることはわかりきっている。
逃げる――一体、どこから逃げればよいというのだ――。わたしはあたりを見回した。戸棚――、戸棚と壁の間に、潜《もぐ》り込めるほどの隙間がある――。
わたしがその隙間に、体を潜り込ませたと同時にドアが開いた――見つかりませんように――。
入ってきた奴は、わたしにぶつかりそうなところを通り過ぎたが、薄暗かったので気づかなかったらしい。そのまま次の部屋のドアを開いて中に入った。
中には、五十人ほどの男がテーブルの周りに座っている。中央に頑張っている大男こそ、まぎれもない殺し屋の親玉、ウル・ジャンに違いない。頑丈な体つき、ひと癖も、ふた癖もありそうな面構《つらがま》え。
「何事だ!」ウル・ジャンは、今入ってきた二人の男に向かって大声で言った。
先に入ったほうの男が、すぐに答えた。
「こいつが、何か親方に急ぎの用件があるとかで……」
「ふむ……よし。お前は見張りに戻れ。用件を聞いてやる」
男は出て行った。あとの一人だけがそこに残った。そいつがちょっと横を向いた時、その顔が見えた。なんと、〈ねずみのラパス〉だ。一体、なんだってあいつがこんなところに……。
「おや、貴様は〈ねずみのラパス〉じゃないか! 何の用だ?」と、ウル・ジャンは言った。
「あ、あたしゃ、お、お友だちとして、ここに来たようなわけで……へい」
「なんだと? お友だちとして?」
「へい、ちょっとしたニュースを持ってきやした。聞いていただければ、喜んでいただけるはずです……」
ラパスは卑屈な口調で言った。
「ちょいとしたニュースか? まあ、お前が誰かに首をちょんぎられた、なんぞというニュースなら、おれも喜ぶだろうがな」
「いひひひひ」と、ラパスはひどく弱々しげな笑い方をした。「ウル・ジャンの親方は、ご冗談がお上手で」
「黙れ!」と、ウル・ジャンは怒鳴《どな》りつけた。「何の用事で来た? このどぶねずみめ!」
「で、ですから、あ、あたしは、ニュースを、その」ラパスはおろおろしている。
「早く言え! 下らないニュースだったら、ここで、今すぐ殺してやるぞ!」
「ファル・シヴァスが、雇った、こ、殺し屋の名を、あ、あたしは知ってます!」
ウル・ジャンはひどく底意地の悪そうな笑い声を立てた。
「おれだって知ってる。どぶねずみのラパスだろう!」
「ち、違います」
「お前は、ファル・シヴァスの屋敷に出入りしているではないか。お前みたいな奴が、殺し屋以外に何かの使いものになるのか?」
「い、いいえ、あ、あたしは用心棒として雇われてるだけで。それも、ウル・ジャン親方のために、スパイしてさし上げるために」
「ふふ、それで?」と、ウル・ジャンは相手にもしていない。「ファル・シヴァスが雇った殺し屋という奴は、どこの、なんという奴だ?」
「ゾダンガに、ごく最近やって来た、放浪の戦士のヴァンドールって奴でござんす」
暗がりに隠れたまま、わたしは思わず、にやりと笑ってしまった。まったく、〈ねずみのラパス〉とはうまい名をくっつけたものだ。油断もすきもない奴だ。わたしはじっと耳を澄ました。ウル・ジャンが続ける。
「なんだってそんなニュースを、おれのところへなんぞ持ち込んできた? おれの子分でもないくせに」
「子分にして、い、いただきたいんで、へい。ウル・ジャンの親方は、ゾダンガで第一の実力者です。あたしは親方の下で働きたいんです」
ラパスの猛烈なおべっかに、さすがのウル・ジャンも口調を和らげた。
「まあ、そのことは、後で考えてやる。それよりもだ」と彼は、そこにずらりと居並ぶ殺し屋たちを見回した。「誰か、そのヴァンドールとかいう奴を、知っているか?」
もちろん、誰も知っている奴はいない。
「あたしが教えてあげます。今晩は、そいつと会うことになってます」
「なるほど、そいつは悪くない。何時だ?」
「八時半ごろです」と、ラパスは言った。
「ウルダック!」ウル・ジャンが一人の男に声をかけた。「ラパスと一緒に行け。ヴァンドールという奴を生かしているうちは、ここに戻ってくるな!」
ウルダックと呼ばれた男と〈ねずみのラパス〉は、さっそくわたしを殺すために外へ出て行った。
わたしはすぐ後をつけたかったのだが、なにしろウル・ジャンたちの部屋に通じるドアは開いたままだ。下手《へた》に動こうものなら、すぐに感づかれることはわかりきっている。わたしはじっと待つことにした。その間に、そこに居並ぶ殺し屋たちの顔を一人残らず、わたしの心の中に刻み込んでおいた。
これで、今日ここに潜り込んだ目的は果たしたようなものだ。おまけに、あの〈ねずみのラパス〉の奴め――こともあろうに、わたしを殺し屋どもの手に渡そうなどと企《たくら》みおって……。
ずいぶんたってから、ウル・ジャンはドアが開け放しなのに気がついて、部下に命じて閉めさせた。そこですかさず、わたしは廊下へ忍び出ると、さっきの窓を伝って屋根に出て、飛行艇に乗り込み、すぐさま発進した。
そして大急ぎでホテルの屋上に戻ると、〈ねずみのラパス〉と約束した食堂へと急いだ。多分、奴らより先になると計算したわたしは、食堂の入り口がよく見える物陰へと隠れた。待つ間もなく、ウルダックと〈ねずみのラパス〉はやって来た。そして、なにやら打ち合わせが終わると、ラパスだけが食堂に入っていき、ウルダックはあたりをぶらぶらし始める。わたしを待ち構えているのだろう。ラパスとの約束の時間には、まだ三十分ほどもある。奴は中でじっと待っているのに違いない。今がチャンスだ。
わたしは物陰から出ると、そっとウルダックに近づいていった。
あたりに誰もいない。今だ――。
「おれを待っているのか?」と、わたしは声をかけた。奴は、さっとこちらを振り向き、剣の柄《つか》に手をやったまま、わたしに言った。
「貴様は誰だ?」
「人違いかな?」と、わざとわたしはとぼけた。「お前は、ウルダックとかいう奴じゃないのか?」
「それがどうした!」
「いいや、別に。ただな、お前はおれを殺しに来てるってことさ! おれの名はヴァンドールだ!」
言うなりわたしは、自分の剣を抜き放った。
奴のほうは、だしぬけに名乗りを上げられて、ひどく驚いた様子だったが、すらりと剣を抜きながら、せせら笑っていた。
「貴様、馬鹿じゃないのか。このウルダック様に命をつけ狙《ねら》われて、逃げるどころか、わざわざ名乗り出てくるとは、まったく呆《あき》れ返った野郎だ」
奴は自信満々というところらしい。わたしは、貴様の前にいるのはバルスームきっての戦士ジョン・カーターだぞ、と言ってやろうかと思ったが、どこでまた、けちがつくかもしれない。じっと我慢した。
確かにウルダックという奴は、かなりな使い手ではあった。がむしゃらに斬り込んでくる。作法もなにもない。考えてみれば当たり前のこと、こいつらは、剣士ではなくて、ただの殺し屋なのだから。
奴は、あっさりわたしを片づけられるものと、たかをくくっていたらしい。ところがどっこい、こっちが一筋縄《ひとすじなわ》でいかぬと見るや、卑怯なことに、左手で腰にさしてあるピストルを引っこ抜こうとしたのだ。
そんなこともあるかと思っていたわたしは、とっさに剣の先で、そのピストルを握った手に斬りつけた。奴は悲鳴を上げて飛び下がった。わたしはじりじりと追いつめる。と――まあ、なんという浅ましい奴だろうか。自分はウルダックではない、人違いだ、助けてくれと泣き喚《わめ》き始めたのだ。あまりのことに、わたしがちょっと手をゆるめた隙《すき》に、奴は暗がりへ逃げようとした。こういう卑劣な手合いにぶつかると、むらむらと怒りがこみ上げてくる。それに、こやつは退治しておかないと後が面倒だ。わたしは、ウルダックに追いすがり、一気に剣を刺し通した。
奴は即死した。わたしは素早くあたりを見回す。誰もいない。そこで、わたしたちの規則通り、この殺し屋の胸に、剣で大きなX印の傷をつけ、そこに転がしておいたのだった。
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五 機械脳
わたしが食堂に入っていくと、ラパスは待ち構えていたように立ち上がった。上機嫌である。
「おう、ちょうどよかった」と、彼は言った。「どうだった、ゾダンガの夜は? いいことでもあったか?」
「ああ、なかなか面白かった。そっちはどうだい?」
「おれのほうも、ついてたよ。ご機嫌についてた。ヴァンドールよ! お前を一生忘れねえぜ」
「そいつはよかったな」と、わたしが答える。
「そのわけはな、後でわかるよ」言いながら、〈ねずみのラパス〉は、気違いみたいにげらげら笑い出した。
「なんだ、一体。早くわけを教えろよ」
「今は教えられねえ」と、彼が言った。「内緒だよ。今にわかるさ。さあ、食おうぜ、今日は、みんなおれがおごってやらあ」
かわいそうなねずみめ――もう、ウル・ジャンの子分にでもなったつもりで、はしゃいでいる。
「そいつぁ悪いな。ご馳走になるぜ」
わたしは、わざと一番値段の高い料理を注文してやった。
ラパスの奴は、食堂の入り口が見えるところに腰をおろしていたが、人が入ってくる度に、きょときょとしている。そしてその度に、入ってくるのがウルダックでないとわかると、ひどくがっかりしている様子だ。
「おい、どうしたんだ、ラパス?」と、わたしはわざと聞いてやった。「さっきから、馬鹿に落ち着かないじゃないか。誰か待っているのか」
「うんにゃ、別に。とにかく、おれたちみてえな商売をやってると、いつも敵に気をつけておかんとな」
まったくだよ――わたしは心の中でつぶやいた。
ラパスは、必死になって、ゆっくりゆっくりと食事をしている。そして、その表情がだんだん落ち着かなくなってきた。わたしは、さっさと皿の上のものをみんな片付けると、すぐに立ち上がった。その途端、奴はびっくりしたように飛び上がる。
「お、おい、待てよ、そんなに慌てることもねえだろう」
「帰らなくちゃいけない。ファル・シヴァスの親分が待ってるからな」
「いいや、いいや、大丈夫だよ、朝までに帰りゃいいのさ」と、ラパスは一生懸命だ。
「だって、眠らなけりゃならん」
「眠れるとも、そんなに慌てるなってことよ」
「じゃ、おれ一人先に帰るよ。おやすみ、ごちそうさま」
わたしがお構《かま》いなしに外に出ると、ラパスは何かぶつぶつ言いながらも、後についてきた。
店を出てすぐ、向こうから二人連れの男が、大声でしゃべりながらやって来た。
「ヘリウム皇帝のグループがまた活動を始めたらしいぜ」と、一人が言った。
「へえ、なんかあったのかい?」と、もう一人が言った。
「ウル・ジャンの殺し屋が一人、あそこの横町でやられたそうだ。胸に例のX印の傷をつけられてな」
「そいつは嬉しいね。もっとやってほしいよ。殺し屋をみんな片付けてくれたら、ゾダンガも、ぐっと住みやすくなるからな」
それを聞いて〈ねずみのラパス〉は、もう腰を抜かさんばかり。だが奴は、わざと落ち着きはらったふりをして、二人に聞いた。
「ねえ、その殺された奴の名前はわかりませんかね? お二人さん」
「さあね、よくは知らないけど、野次馬がウルダックだとかなんとか言ってたぜ」
「ウ、ウルダック!」と、ラパスはもう真っ青。わたしは、わざと聞いてやった。
「おい、どうした。そのウルダックとかいう奴は、お前の友だちか?」
とたんに、〈ねずみのラパス〉の奴はぎょっとした。
「い、いや、し、知るもんか、そんな奴」
わたしたちはファル・シヴァスの屋敷のほうに向かって歩き出した。奴はむっつりと黙り込んでいる。そして、薄暗い横町に入ると、奴はわざと足を遅くして、わたしを先にやろうとした。
この野郎、ウルダックがしくじったもんで、今度は自分で背中からわたしを刺して、ウル・ジャンへのおみやげにしようというわけか。この〈ねずみ〉め。
だが、今、こいつを殺したら、損するのはこっちだ。もっと利用しなければならない。
「おい」わたしは立ち止まって振り向きながら言った。「どうしたんだ、一体。疲れたのか?」
そして、奴の右手をぐいとつかんで、わたしの腕と組み合わせ、どんどん歩き出した。こうすれば、剣の抜きようがない。
奴は黙りこくってついてきたが、ファル・シヴァスの屋敷が近くなると、言った。
「おい、今日はこれで別れよう。ファル・シヴァスの旦那のところにゃ、いずれ行くから」
「そうかね、それじゃおやすみ。また会おうぜ」と、わたしは答えた。
「ああ、そのうちにな」
「できたら明日、じゃなきゃあさっての晩でもな。あの食堂で待ってるぜ」
「よしきた、そうしよう。おやすみ」
「おやすみ」とわたしは答えると、そのまま早足で、ファル・シヴァスの屋敷のほうへと歩いて行った。〈ねずみのラパス〉の奴、後をつけてくるかな、と思ったが、別にその様子もない。やがて屋敷の前に来たので、教えられた通り、隠してあるスイッチを押すと、ハマスがドアを開けてくれた。
わたしの部屋のドアを、ザンダと決めた通りにノックすると、すぐにドアが開いた。
「今日は、とても静かでした。ここに入ってこようとした人もありませんでしたわ」
ザンダは、もうベッドの用意をしてくれていた。わたしは、少し疲れていたので、さっそく寝床に入ってそのまま眠り込んでしまった。
次の朝、朝食がすむとすぐ、わたしはファル・シヴァスの研究室へ呼ばれた。
「どうだったかな、昨夜は? お前がまだ生きておるところを見ると、よほど運が良かったと見えるな。それとも、殺し屋組合の会合の場所までも、たどり着けなかったか?」
「それがその、たどり着いて、隣り部屋から中を全部、のぞいてきました」
「何かわかったか?」
「いや、大したことはわかりませんでした。なにしろ、のぞけたのは、ほんのちょっとの間だけだったもので」
「どんなことがわかった?」
「いや、なに、あなたの用心棒にわたしが雇われてることは、もうみんな知っていましたよ」
「な、なんだと!」彼はひどく驚いた。「どうしてわかったのだろう」
「秘密が漏《も》れたのと違いますか?」
「裏切りだ!」と、ファル・シヴァスが叫んだ。
わたしは、ラパスのことはわざと黙っていた。ファル・シヴァスがラパスを殺してしまえと言い出すと困るからだ。役に立つあいだは、ラパスを生かしておかなければならない。
「それから他には、何か言っていたか?」
「ウル・ジャンは、わたしを殺してしまえ、と部下に命令しました」
「気をつけてくれよ」と、ファル・シヴァスが言った。「もう夜は、外出しないほうがいい」
「充分に気をつけますよ。しかし、夜、外に出て、いろいろな奴らと話をしたりするほうが、情報がつかめてもっとお役に立てると思いますが……」
彼はうなずいた。「それもそうだな」
しばらくの間、ファル・シヴァスは何か、じっと考え込んでいたが、突然大声を出した。
「わかった! 裏切り者の名がわかったぞ!」
「誰ですか、それは」わざと、わたしは落ち着いて言った。
「〈ねずみのラパス〉だ。ねずみ、ねずみか! まったくいい名前をつけたもんだな」
「確かなのですか?」
「他には考えられんではないか。お前がここにやって来てから、屋敷の外に出たのは、あいつしかいない。よいか、奴が戻ってきたなら、すぐに殺してしまえ。よいな、わかったか?」
わたしはうなずいた。
それきり、ファル・シヴァスは、しばらく何も言わずに考えていた。
「昨夜、お前の部屋で本を読んでいたところを見ると、科学をかじっているな?」と、しばらくして彼は言った。
「ほんのちょっとだけですけれど」と、わたしが答える。
「お前のような男が必要なのだ。おれはラパスの奴を買いかぶっておった。もう少しはましな奴かと思っていたら、とんでもない。馬鹿で無能で、そのうえ裏切り者だときている」
ファル・シヴァスはわたしのそばにやって来ると、話を続けた。
「しかし、お前は違うようだな。お前は十分役に立ちそうだ。しかし、もしも裏切ったら――」
彼は、ぞっとするような目でわたしを睨みつけた。
「もしも裏切ったら、ヴァンドール。お前は、このファル・シヴァスしか考えつかぬような方法で、死んでもらうことになるぞ」
わたしは、わざと落ち着き払って言った。
「いいですとも。人間一度しか死ねませんから」
「その一度がだ、死んでしまうまでに、非常に長い時間がかかるのだ。なかなか科学的な殺し方でな」
そう言って、ファル・シヴァスはにたりと笑った。どんな方法か知らないが、身の毛もよだつようなむごたらしい殺し方で、のたうちまわって苦しみながら死んでいく人間を、楽しそうにながめているファル・シヴァスの姿は、わたしにも想像することができた。
「お前に、おれの秘密を少しばかり見せてやろう。少しばかり――な。さあ、ついてくるがいい」
ファル・シヴァスは先に立って、坂になっている廊下を、上のほうへと向かって歩き出した。うねうねと続く廊下は、この屋敷の屋上へと続いているらしい。
やがて、ファル・シヴァスは、かなり広い部屋の中にわたしを案内した。そこには、その広い部屋一杯ほどの大きさの、妙な形をした、そう、ちょうど卵を平らにしたような形の飛行艇らしいものが置いてあった。
「これだ」と、ファル・シヴァスは得意そうに言う。「おれが、長いことかかって作り上げたものだ。ようやく出来上がった」
「今までの飛行艇とは、まったく違う形をしていますね」と、わたしは言った。「どんな目的に使うのですか?」
「他の宇宙船では、絶対にやれないことのために使うのだ」とファル・シヴァス。
「人間が想像もつかぬほどのスピードも出せる」
「なるほど」
「この宇宙船でな、ヴァンドール。おれは火星の二つの月、サリアやクルーロス、それに、あちこちの惑星にまで飛んで行くのだ」
「素晴らしいものですな!」
「それだけではないぞ、ヴァンドール。他の惑星にまで行くことのできるような宇宙船は、おれだけではなく、あの発明家のガル・ナルだって作っているに違いない。おれはそう狙いをつけている。しかしな、ヴァンドール、よく聞けよ。機械脳を載せた宇宙船を造り上げたのは、おれ一人だ。そうとも、この宇宙船には、おれが作った機械脳が組み込んであるのだぞ。どうだ? 驚いたか?」
わたしの長い人生のなかで、びっくりしたり、感心したりしたことはたくさんあったけれど、本当に、これほど驚いたことはなかった。
ファル・シヴァスという奴は、大変な才能の持ち主だ――人間の脳と同じものを作るとは……。
ファル・シヴァスは、得意そうに話を続ける。「宇宙船の中に、脳を組み込むなどということは、絶対に不可能なことだと思っているのだろう? おれを気違いだと思っているのではないか? さあ、よく見ておれ」
ファル・シヴァスはそう言うなり、目を凝《こ》らし、宇宙船の一番先の部分をじいっと見つめたのだ。すると、どうだろう――。
その妙な形をした宇宙船は、ひとりでにゆっくりと浮かび上がり、三メートルほどのところに、ぴたりと静かに止まったのだ。それから、今度はゆっくりと船首が下を向き、そして、船尾もゆっくりと下り、やがて元の位置にぴたりと止まったのだ。
ファル・シヴァスは静かに言った。
「どうだ、わかったか? 言うまでもないことだが、この宇宙船に組み込んである脳は、おれの脳から発射される思考波によって操《あやつ》られているのだ。だから、おれは屋敷にいるままで、おれの作った脳を通して、この宇宙船を自由に飛ばすこともできるのだ。宇宙船に組み込んである脳が、おれの思考波によって、スイッチやレバーや操縦桿《そうじゅうかん》を操るのだ」
あまりのことに、わたしは返事をするのも忘れて、ただ、ファル・シヴァスの言葉に聞き入るだけだった……。
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六 ファル・シヴァスの宇宙船
「どうだ、中をのぞいてみたいか?」と、ファル・シヴァスは、わたしに聞いた。
「もちろんです!」と、慌ててわたしは答えた。すると、ファル・シヴァスは、また宇宙船の船首のほうに、じっと目を凝らした。
そのとたん、宇宙船の胴体のドアが静かに開き、そこから、まるで見えない手に操られるように、縄梯子《なわばしご》がするすると出てきたではないか。ファル・シヴァスは、わたしに向かって、中に入ってみろ、というように目配《めくば》せした。
ファル・シヴァスという男は他の人間といる時、絶対に後ろを見せない。背中から殺し屋に襲われることを警戒しているのだ。わたしは黙って中に入った。ファル・シヴァスが続く。
「船尾のほうは、おれが乗り込んで飛ぶ時に、食料などを入れておくこともできる。それから、モーターや、酸素と水の発生機や、温度調整機などもある。前が操縦席だ。お前にはそっちのほうが面白いだろう」
言われた通り、わたしは前のほうへと進んだ。そして、通路との境目のドアを開いて、中に入った。なるほど、目の回りそうなほどに入り組んだ、複雑な操縦装置や、電気系統のメーターでぎっしりだ。
船首にあたる部分の両側には、丸い大きな穴が二つ空いていて、薄い結晶板のようなものがはまっている。外から見ると、この穴が、まるでこの巨大な怪物の目玉みたいに見えるのだが、それは、本当にこの宇宙船の〈目玉〉なのだった。ファル・シヴァスは、その二つの〈目玉〉の間にある、大きなボールぐらいの球を指さした。そのボールからは、何百本というほど電線が延びて、操縦装置や何かとつながっている。
「あれが〈機械脳〉だ。そして、両方の穴は〈目玉〉だ。あの〈目玉〉が見たものは、〈機械脳〉を通して、みんなおれのところに送られてくるのだ」
「信じられない!」と、わたしは思わず叫んだ。
「しかし、本当のことだ。ただ、あの〈機械脳〉は人間と違って、自分から何かを考え出すことだけはできない。しかし、それで十分だ。考えることはおれがやるのだから、この宇宙船を使えば、火星の都市という都市を、みんな、めちゃめちゃにしてしまうことができるのだ」
「どうやってやるんです?」
「この宇宙船に、超強力なラジウム砲が取りつけてあるのだ」
「見えませんでしたね」
「見えないとも。胴体の中に隠してあって、砲の先だけが外に出ている。それからカメラも積んであるから、火星の月、サリアの表面の写真を〈機械脳〉に命じて撮影させることもできる」と、ファル・シヴァスはしゃべり続ける。
「それをみんなやるつもりなんですか?」と、わたしは聞いた。
「ああ、もちろんやるとも! ちょっとした部分が残っている。二、三日で仕上げることができる。動力系統にちょっと不満なところがあってな」
「それなら、わたしも手伝えると思います。飛行艇の動力系統は、だいぶいじったことがありますから」
ファル・シヴァスはわたしに、早速やってみろ、と言った。そこでわたしは、エンジン室に潜り込み、中を詳しく調べてみると、具合の悪いところはすぐにわかった。
わたしがそれをファル・シヴァスに教えてやると、彼はひどく喜んだ。
「さあ、ついてこい。では、さっそく取りかかろう」と言いながら、ファル・シヴァスは、わたしを隣りにある工場へと連れて行ったのだった。
それは、まったく素晴らしい機械工場だった。あらゆる工作機械がずらりと並んでいる。だが、そこを見回した途端、わたしは、冷たい水をぶっかけられたように、ぞうっとして立ち止まった。そこには、たくさんの機械工が働いている。だが、その男たちは、みんな一人一人、それぞれの工作機械に鎖《くさり》で縛りつけられているのだ。もう彼らの目は、ひどい絶望と諦めにどんよりと曇《くも》っている……。
ファル・シヴァスは、わたしの驚きにすぐ気がついたらしい。まるで、わたしの心を読み取ったように言った。
「こうしなければならんのだ、ヴァンドール。こちらの用意ができる前に、この秘密が外に漏れるようなことがあってはならんのだ」
「それではいつになったら、この連中を解放するつもりですか?」
「解放はしない。おれが死ぬ時に、この秘密はすべておれと共に消えてなくなる。おれが生きている限り、こいつらはおれのために、そう、あのヘリウムのジョン・カーターでさえもひざまずくほどの天才、ファル・シヴァス様のために働くのだ」
「そうすると、かわいそうに、この連中は死ぬまで鎖につながれたままなのですか」と、わたしは聞いた。
「こいつらは幸せだよ」と、ファル・シヴァスはこともなげに言うのだ。「この、並ぶ者なき素晴らしい天才のために、一生を捧げるのだからね」
「いや、人間にとって、一番幸せなことは自由です」わたしは、きっぱりと言ってやった。
「そんな馬鹿げた考えは捨てたがよいぞ」ファル・シヴァスはあざけるように言う。「ファル・シヴァスの屋敷の中では、そんな同情なんぞは出すな。目的だけを考えればよいのだ」
今ここで、ファル・シヴァスと喧嘩になっては意味がない。だからわたしは、わざと素直に答えた。
「なるほど、確かにその通りかもしれませんね」
「そのほうが身のためだぞ」と、彼は言った。そして、鎖につながれた機械工の一人に、宇宙船のエンジンの具合の悪いところを、わたしが言ったように直せと命令した。
元の部屋へ戻りながら、ファル・シヴァスはため息をつきながら言った。
「ああ、あの〈機械脳〉をもっとたくさん作ることができればなあ、あんな馬鹿な人間どもを使う必要もなくなるのに! 〈機械脳〉一つで、二十人分ぐらいの仕事をやってしまうことだろう……」
ファル・シヴァスは部屋に戻るとわたしに、もう自分の部屋に帰ってよいと言った。
わたしが自分の部屋に戻ってみると、ザンダがわたしの剣をせっせと磨いていた。
「たった今まで、ハマスに使われている奴隷の娘と話していましたの」と、わたしの顔を見るなりザンダは言った。「その人が言うには、ハマスは、あなたをひどく恐れているそうです」
「なぜだろうね?」と、わたしは聞いた。
「ファル・シヴァスがあなたを、大変気に入っているからでしょう。ハマスは、自分の地位が危ないと思っているんです」
わたしは、思わず笑ってしまった。
「別に、ハマスの縄張りを荒らす気はないよ」
「ハマスはそんなことを信じませんわ。お願い。どうぞ、お気をつけになって」
「ありがとう、ザンダ」わたしは答えた。「気をつけよう。しかしね、おれには敵がたくさんいるから、一人増えたところで、別にどうってこともないさ」
「ハマスは違います。だから心配してるんです」と娘は言う。「ハマスは、ファル・シヴァスの耳の役目をしているんですよ、ヴァンドール」
「心配しなくてもよい、ザンダ。けれど、お前を安心させるためにも、ハマスがファル・シヴァスの耳だということは覚えておくとしよう。ハマスの奴隷とかいう娘に言っておやり。おれは、何の野心も持っていない、とね」
「あら、それはいい考えだわ。そうしますわ。けれどね、ヴァンドール。もしも私ならね、一度この屋敷の外に出たなら、もう二度と戻ってきたりはしませんわ。ファル・シヴァスが屋上の部屋の秘密をみんな教える前にね」
「今、みんな見せてもらってきた」
それを聞いたとたん、ザンダは真っ青になって、がたがたと震え始めた。
「もう、おしまいだわ! ヴァンドール」ザンダは叫んだ。「もう、二度と外には出られないわよ!」彼女は、もう涙を浮かべている。
「そうでもなさそうだよ、ザンダ。ファル・シヴァスは、夜なら自由に外に出ていいと言ったぜ」
「信じられないわ。とにかく、本当にあなたが外に出るまでは」
夕方になると、わたしはファル・シヴァスに呼ばれた。そして、あの宇宙船の動力系統を改造する件について、相談を持ちかけられてしまった。それでとうとう、その夜は外に出られなかった。
次の夜は、工場でその改造に立ち会わされたので、また外に出られない。
ファル・シヴァスは遠回しに、わたしが外に出られないようにしているらしいのだ。だが、そんなことはどうでもよかった。わたしは、ファル・シヴァスの宇宙船の素晴らしさに、すっかり夢中になってしまったからだ。ファル・シヴァスは、その〈機械脳〉を使ったコントロール系統について、もっと詳しいことを教えてくれた。
詳しいことを知れば知るほど、わたしはますますその宇宙船の素晴らしさに引き込まれてしまうのだ。これを、全バルスームの平和と幸福のために使ったなら、どんなに素晴らしいだろう……。わたしはそう考えずにはいられなかった。
ちょうどその時だった。わたしはふと面白いことを思いついたのだ。一体、あの宇宙船の中に組み込んである〈機械脳〉は、ファル・シヴァスの思考波でしか、操れないのだろうか? わたしの思考波では駄目だろうか?
これはやってみる必要があるぞ――ちょうどその時、わたしは工場の中で、鎖につながれた機械工たちと一緒に仕事をしていた。ファル・シヴァスは、下の部屋に閉じこもって、何やら研究を続けているらしい。そして宇宙船は隣りの部屋。絶好のチャンスだ――。
ここでこき使われている連中は、みんなファル・シヴァスを憎んでいる。だから、わたしが何をやっても、告げ口をしたりはしないだろう。わたしは彼らに親切にしてやり、決して諦めてはいけないと力づけてやるのだが、わたしの言うことを信じようとはしない。逃げようとした男が、見ている前で何人も殺されているからだ。それでただ、他のことは何も考えずに、ただこつこつ働くだけなのだ。だから、わたしがこっそりと、宇宙船のほうへ行ったのに気がついた者は、一人もいないようだった。
宇宙船の船首に立つと、ファル・シヴァスがやったように、わたしはじっと目を凝らし、宇宙船が浮き上がるようにと必死で思った。もしもそれに成功すれば、ファル・シヴァスのやることは、みんな、わたしでもできるはずだ。
わたしは一生懸命に心を落ち着け、宇宙船の船首をじっと見つめながら浮いてみろと命令した。
わたしには、ものすごく長いように思われたが、本当は、それほど時間がたったわけではないだろう。
突然――宇宙船はわたしの命令通りにゆっくりと浮かび始めたのだ……。まるで、見えない手でつかみ上げられるように、静かに浮かび上がる。その宇宙船に、わたしは心の中で命じた。
「止まれ」
すると、宇宙船は命令通りにぴたりと宙に静止する。
誰かがやって来て、見られると大変だ。わたしは慌てて命令した。
「下におりろ」
わたしの命令通りに、宇宙船は静かに下り始め、やがて、ぴたりと床の上に止まった。
ちょうど、床の上に止まった、その途端だった。後ろで、だしぬけにドアの開く音がした。はっとして振り向くと、入り口のところに立ったまま、じっと見つめているファル・シヴァス――。
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七 ファル・シヴァスの計画
しまった――見られたか――。
いや、多分大丈夫だ。ファル・シヴァスがドアを開けた音を聞いたのは、宇宙船が床の上に下りた後だった。確かにそうだった。わたしはとぼけることにした。
「何をやっておるのか!」と、ファル・シヴァスは鋭く聞いた。
「いや、宇宙船に見とれていたんです。別に、この宇宙船に近寄るなとは、言われていなかったものですから」
彼は、鋭い目でわたしを睨みつけながら言った。
「言わなかったかもしれん。しかし、今、言っておくぞ。おれが命令をしない限り、この部屋には、絶対に入ってはならん」
「わかりました」と、素直にわたしは答えた。
「そのほうが身のためだぞ」
「はい」と、わたしはそう答えて、工場のほうへと歩き出した。
「ちょっと待て」とファル・シヴァス。「多分お前は、お前自身の思考波で、宇宙船の中の〈機械脳〉が、コントロールできるだろうかと考えていたろう」
「その通りです」と、わたしは答えた。
奴は、どこまで感づいているのか。さっき、わたしがやったのを知っていながら、とぼけているのだろうか。それとも、ただ、疑っているだけなのか……。かまにかからないようにしないといけないぞ。
「試してみたいか?」とファル・シヴァスは言った。
「こんな素晴らしい発明を目の前にすれば、誰だってそう思いますよ」
「なるほど、なるほど、その通りだろう」と言いながら、ファル・シヴァスはその目で、ぐいとわたしの目を見つめた。催眠術にかけて、わたしに白状させようというのだ。いけない――わたしはとぼけたふりをして、急いで聞いた。
「私の思考波でも、この宇宙船は動くでしょうか」
「さあ、どうだかな。実はまだ、やってみたことはないのだ。しかし考えてみると、なかなか興味のある実験だな。やってみろ」
「ありがとうございます」と、わたしは丁寧《ていねい》に礼を言った。そして、わざと心配そうな顔をしてみせた。
「でも、まさか、何か危険なことはないでしょうね」
「ないだろう」と、ファル・シヴァスは答えた。「この宇宙船がものを見たり、判断したりすることができることは、きっとお前にはよくわからんだろう。しかし、本当なのだぞ。だから危険なことは何もない。例えば、おれがこの宇宙船に部屋から出ろと命令したとする。宇宙船は、ドアのところいっぱいまでは動くだろうが、宇宙船の目が、このドアから外に通り抜けることはできぬと判断すると、そこに止まって、おれからの命令を待つのだ。機械でできた脳が、物を見たり、判断したりするなんぞということは、とてもお前には信じられないかもしれないな。だが、機械でできているからこそ、その〈機械脳〉は過《あやま》ちを犯すことはないのだ」
ファル・シヴァスは得意そうに、わたしに説明をした。そして言った。
「さあ、やってみるがいい。お前の思考波でも宇宙船が動くかどうか。これは、大変おもしろい実験だ。おれもその結果が知りたい」
しかしわたしは、自分の思考波でも宇宙船が動くのだということを、ファル・シヴァスには知られないほうがよいと考えた。そこで、わたしは、やってみる振りをして、宇宙船の前に立つと、宇宙船に心の中で命令をする代わりに、他のことを、一生懸命で考えた。
――ずいぶん昔、地球にいた頃、シカゴで見たサーカスのこと、それから、アリゾナ州の山々の景色、わたしが住んでいたバージニアの小さな家……。
しばらくしてから、わたしは、わざとがっかりしたような顔をして、ファル・シヴァスに言った。
「駄目なようです。私の思考波では、宇宙船は動きません。〈機械脳〉は、あなたの命令にしか、従わぬようです」
「お前はなかなか、利口な奴だな」と、ファル・シヴァスは満足したように言った。「お前の命令に従わぬとすればだ、この〈機械脳〉は、おれ以外、誰の命令にも従わぬというわけだ」
それから、ファル・シヴァスは、しばらくの間ぼんやりと、夢でも見るようにその宇宙船をじっと見つめていた。そして、つぶやいた。
「おれはこの宇宙の王になれるぞ」
「この宇宙船を使ってですか?」
「まあ、そういうわけだ。おれの作った〈機械脳〉を使えばな。十分な金さえあれば、この〈機械脳〉と宇宙船を、大量生産するのだ。もちろん、兵器も積み込む。それで都市を襲うのだ。奴らが宇宙船をいくら撃ち落としても平気だ。後から後から造ればよい。そうだ。そして、この〈機械脳〉を持った人間を、一人だけ作りさえすればよい。そうすれば、そいつが二人目、三人目の人間を作り、そいつらがまた、次々と〈機械脳〉を持った人間を作っていく。そいつらが、みんな宇宙船工場で働くのだ。いくら撃ち落とされても構わない。都市がみんな粉々になってしまうまで、宇宙船を造り続ければよい」
なんという恐ろしい計画――わたしは思わずぞっとしてしまった。
「しかし、大変な金がかかりますよ」
「もちろんだ、大変な金がかかる」と、ファル・シヴァスは言った。「その金を手に入れるために、おれはこの宇宙船を造ったのだ」
「この宇宙船を使ってバルスーム中の金持ちの家に、強盗にでも入ろうというのですか?」
「そんなけちくさいことを、おれがやると思っておるのか」とファル・シヴァスは、得意そうに続ける。「この宇宙船を使いさえすれば、桁《けた》ちがいな金を手に入れることができるのだ。スペクトル・スコープ(星の光のスペクトルを分析して、その星の成分を調べる機械)を使うと、バルスームの月、サリアから、たいへんな金《きん》を手に入れることができるのだぞ。どうやら、サリアの山脈は金とプラチナでできており、サリアの平野は、一面が宝石らしい」
わたしも、そのことはよく知っていた。だが、それを手に入れることは、まったくの夢みたいな話だと思っていたのだ。けれど、こんな宇宙船を見せられ、ファル・シヴァスという奴の素晴らしい才能を見せられると、まんざらこれは夢みたいな話ですまないのではないか、という気がしてきたのだった……。
「工場へ行け!」
だしぬけに、ファル・シヴァスは大きな声で言った。その顔は、なにかひどく後悔している様子だ。わたしは、すぐにわかった。ファル・シヴァスは、大変な秘密をみんなにわたしにしゃべってしまったことを、後悔しているのだ。ファル・シヴァスは、誰も信用していないのだ。
わたしは黙って、命令された通り、工場へ行った。
それから何日も夜になると、ファル・シヴァスは、なんやかやと用事を言いつけて、わたしが屋敷の外に出られないようにした。
わたしは、ラパスがこの屋敷に帰ってくる前に、外でラパスに会いたかった。ラパスが帰ってくれば、ファル・シヴァスは、ラパスを殺してしまえと命令するに決まっているからだ。あの〈ねずみのラパス〉は、まだ生かしておいて、わたしが、色々と利用しなければならない。
そこでわたしは、ある夜のこと、思いきってファル・シヴァスに言った。
「今晩、屋敷の外に出て、ラパスの居所を突き止めたり、ウル・ジャンの殺し屋どもの様子を探りたいのですが」
ファル・シヴァスは、ずいぶん長いこと何やら考えていた。行ってはいかん、と言うのではあるまいかと、わたしは、ファル・シヴァスの顔をじっと見ながら、返事を待った。だが、ずいぶんたってから、彼はうなずいた。
「よかろう。しかし、ラパスは二度とここには戻らないだろう。あいつはおれを裏切ったし、それをおれに知られたと思っているのではないかな……」
「とにかく行ってみます」
わたしは、ハマスに頼んで、屋敷の門を開けてもらった。
おかしなことに、昨日まで、ひどく不親切だったハマスが、今日は馬鹿に親切なのだ。わたしは、怪しいなと思った。しかし、わざと知らんふりをして門から出ると、ラパスとおち合う約束をしていた、あの食堂へと急いだ。
食堂の主人は、わたしの顔を見るなり言った。
「〈ねずみのラパス〉さんは毎日やって来て、あんたが来るのを待ってましたぜ。今日も、そろそろ来る時間ですがね」
「それでは待たせてもらうよ」
わたしはそう答えて、いつもラパスと座るテーブルのところに座った。と、ほとんど同時に、当のラパスが入ってきた。
「おう、どこにいたんだ、毎晩待っていたのに。ファル・シヴァスの旦那に殺されちまったのかと思ったぜ。今日あたり、屋敷に戻って、おまえの様子を聞こうかと思っていたんだ」
「それはよかった。屋敷に来なくてよかったよ」
「なぜだい?」
「ファル・シヴァスの屋敷には、もう戻らないほうがいい」と、わたしは言った。「命が惜しいんなら、絶対にな」
「ど、どうしたっていうんだよ」と、ラパスは驚いている。
「わけは言えないんだ。だけど、おれの言葉を信用しろ」
わたしは、ファル・シヴァスからラパスを殺せと命令されていることを、ラパスには知られたくなかった。なにしろ〈ねずみのラパス〉さんだ。そんなことを聞いたが最後、わたしを恐れて、二度とわたしに近づかなくなるだろう。そうなったら、ラパスを利用できなくなる。
「そいつはおかしいな」と、ラパスはとぼけた。「ファル・シヴァスの旦那は、おれを可愛がってくれてるってのに」
そして、じっと何やら考え込んでいる。わたしは、すぐ話題を変えた。
「ところで、うまくいってるかね、ラパス?」
「ああ、万事うまくいってるよ」
「町の様子はどうだい。屋敷の中にいるから、外のことは、何もわからないんだ」
「ヘリウムの戦士が、ゾダンガに忍び込んでるって、もっぱらの噂《うわさ》だ」と、ラパスは言った。
「この間、お前と会った夜、ウル・ジャンのところの殺し屋で、ウルダックって奴が殺された。覚えているだろう。あいつは、ものすごく強い。そいつがあっさり殺された。それも胸には、ヘリウムの奴らが殺し屋をやっつけた時にくっつける、X印の傷がついていたんだ。ウルダックほどの奴は、ちょっとやそっとでヘリウムの連中が殺せるわけはない。おまけに折りも折り、ヘリウムに潜《もぐ》り込んでいるスパイからウル・ジャンのところへ、ジョン・カーターが、ヘリウムを留守にしている、という知らせが入ったんだ。それで、ウル・ジャンは、ジョン・カーターがゾダンガに忍び込んで、ウルダックを殺したに違いないと言っている」
「へえ、それでどうしたい?」と、わたしはとぼけた。〈ねずみのラパス〉は、自分の前に座っているのが、そのジョン・カーターだとは夢にも知らず、べらべらとしゃべり続ける。
「どうしたって? そりゃ、ウル・ジャンは、なんとかして、ジョン・カーターのいるところを突き止めるだろうさ。そして、仇《かたき》を討つ。ジョン・カーターさえいなけりゃ、もう、ウル・ジャンにとって、怖いものは何もないからな」
わたしたちが食べ終わった時、一人の男が入ってきて、近くのテーブルに座った。そいつの顔は、わたしの前にある鏡に映っている。知らんふりをして、その鏡に注意していると、そいつが、さっと目配せをした。とっさにわたしはラパスを見た。ラパスのやつも、わたしが気がつかないと思ったのか、こっそりとうなずいた。
また来たな――殺し屋め――。
わたしは腹の中で、にやりと笑った。そして、何も気がつかないような顔をして、あたりを見回した。ところがどうだ――そこでわたしは、とんでもない奴を見つけたのだ。
ちょうど二人の客が立ち上がったところだが、なんとまあ、その一人は、誰あろう、ハマスではないか。何をやっているんだろう――わたしは、すっかり考えてしまった。ハマスは、わたしには気のつかぬまま、出ていってしまった。
さっきの男は、注文した酒をぐいとひと息に飲んでしまうと、さっさと立ち上がり、行ってしまった。
するとすぐに、ラパスも立ち上がった。
「さあ、帰ろうぜ。おれはちょっと大事な用がある。人と会わなきゃならんのだ」
「明日、会えるかね」と、わたしは聞いた。
ラパスの奴は、薄笑いを浮かべながら答えた。「明日も、ここに来るつもりだよ」
食堂の前で、わたしはラパスと別れ、ファル・シヴァスの屋敷へと歩いた。街燈が輝いている明るい通りでは、わざとのんきにぶらぶら歩いたが、やがて薄暗い横町に入ったとたん、わたしは神経を張りつめた。誰かが待ち伏せている。もちろん、わたしを殺そうと狙っている、さっきの殺し屋だ――。
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八 ザンダの願い
クルーロス――二つある火星の月の遠いほうは、ちょうど真上で輝いている。しかし、その光は弱い。ゾダンガの狭い横町を、ぼんやりとかすかに照らしているだけ。だが、それで十分だ。わたしは、待ち伏せしている奴の心の中を、ありありと読み取ることができたのだ。
奴は、わたしが何にも知らずに、のんきにぶらぶらと歩いてきていると思っている。そしてわたしが通り過ぎたら、後ろから襲いかかり、剣で刺し殺そうと考えている。そしてすぐに、ウル・ジャンに報告するつもりでいる。
わたしはそっと後ろを振り返って、ラパスの奴が後ろをつけてきていないかを確かめた。わたしが、殺し屋をやっつけるところを、ラパスに見られるとおしまいだからだ。
〈ねずみのラパス〉はついてきていない。よし――。
わたしは、その殺し屋が隠れている暗がりに近づくと、低い声で言った。
「そこから出てこい! この馬鹿者め!」
暗がりに隠れていた殺し屋は、いきなりわたしが声をかけたので、ひどくびっくりしてしまったらしい。ぴくりとも動かない。
「貴様とラパスは、おれをだませると思っていたのか! 間抜けな奴らめ。貴様もラパスも、ウル・ジャンも! さあ、よく聞いておけ! 貴様はヴァンドールを殺すつもりか? それなら、人違いだぞ! 貴様の前に立っている男の名を教えてやる。よく聞け! おれはヘリウムの戦士、ジョン・カーターだ!」と、わたしは剣を抜き放った。
「さあ、用意ができたら、さっさと出てこい!」
すると暗がりの中で、ささやくような声がした。「ジョン・カーター?」
そして、奴は静かに剣を抜いた。
そいつは、ちっとも驚いてもいなければ、怖がってもいない。わたしはひどく嬉しかった。わたしは、そんな奴と戦いたいのだ。たいていの奴は、わたしの名を聞いただけで、震え上がってしまう。
「なあるほど、貴様がジョン・カーターだとはな!」
出し抜けに、そいつは叫んだ。そして、ぱっと道の中央に跳び出し手くるなり、げらげらと大声で笑い出したのだ。
「おれがびっくりすると思ったのか! ヴァンドールという奴は、大変な嘘つきだとみえる! ゾダンガの人間がみんなだまされても、このポバックだけは、だまされんぞ!」
奴は、わたしが嘘をついていると思い込んでいるのだ。わたしはますます、嬉しくなった。これでわたしは、こいつと力いっぱい戦える――。なにしろ、たいていの奴は、ジョン・カーターと聞いただけで、腰を抜かしそうになって、わたしにあっさりとやられてしまうのだから……。わたしはそんな斬《き》り合いが、いやでいやで仕方がなかったのだ。
奴は斬りかかってきた。剣は、かなりの達人らしい。四、五日前にやっつけた、ウルダックとかいう殺し屋とは桁《けた》ちがいだ。
わたしも力いっぱい戦った。何か、体がはずむようで、嬉しくて仕方がない。しかし、通りがかりの人間などに見られたくない。わたしはぐいぐいと斬り込んでいき、そいつを建物の壁へと追いつめた。もうわたしの剣を防ぐのが、精一杯。こうなればこっちのものだ――。
わたしはひと息に剣を突かずに、さっと軽く、奴の胸に斬りつけた。そしてもう一つ。それからわたしは一歩さがり、剣をおろした。
「おい、ポバック。胸を見てみろ! 何が見える?」
奴は、言われた通り思わず自分の胸を見た。そして、震え上がった。
「ヘリウムの戦士!」奴は、情けない声を出した。「助けてくれ! あんただとは知らなかった。ほんとにジョン・カーターだとは……」
「おれは教えてやったぞ、お前が信じなかっただけだ。信じていりゃ、もっとおれを殺したいと思ったろうよ。ウル・ジャンはたっぷりと、褒美《ほうび》をくれるだろうしな」
もう、ポバックはがたがた震えている。
「助けてくれ! 助けてくれたら、あんたの奴隷になる! 一生、あんたの言うことを聞くから!」
なんという情けない奴――こんな奴を見ると、わたしは憐れみの気持ちもなくしてしまう。
「剣を取れ!」と、わたしは言った。「そして、かかってこい!」
殺し屋、ポバックとかいうそいつは、あまりの恐ろしさに、気が狂ったように襲いかかってきた。わたしは落ち着いて、そいつの切先を避け、隙を狙って、ずばりと心臓めがけて剣を突き刺した。殺し屋は、あっけなくぶっ倒れた。
その時、わたしたちが戦う音を聞きつけたのか、こっちにやって来る人の足音がした。わたしは大急ぎで近くの暗がりへ逃げ込み、そのままファル・シヴァスの屋敷へと帰りついた。
ハマスは、馬鹿に親切にわたしを迎え入れた。心の中で、わたしが何も知らないのだと言ってげらげら笑っている感じだ。あの食堂で何をしていたのかと聞いてやろうかと思ったが、やめにした。油断はできない。
部屋ではザンダが待っていた。わたしは剣を渡した。
「ラパスを殺したの?」
ザンダは、ラパスを殺すようにとファル・シヴァスがわたしに命令していることを知っていたので、心配そうに聞いた。
「いや、ラパスじゃない」と、わたしは答えた。「ウル・ジャンの殺し屋をもう一人」
「二人目じゃない?」
「そうだよ。しかし、このことは誰にも言ってはならん」
「もちろんですわ、ご主人様。ザンダを信じてくださいまし」
ザンダはそういいながら、わたしの剣についている血をきれいに拭き取り、磨《みが》き始めた。わたしは、ザンダのそんな姿を、ぼんやりと見つめていて、初めて気がついた。ザンダの白い指先の美しさ。わたしは今まで、ちっとも気にかけなかったのだが、ザンダは、なんと美しい娘なのだろう――。品のある、素直な顔立ち、ほっそりとした体つき。
「ザンダ! きみは生まれた時からの奴隷ではないだろう?」
「はい」
「ファル・シヴァスに買われたか、それともさらわれたのか?」
「町を歩いていて、さらわれたのです。私が連れていた召使いは殺されました」
「それで、きみの家族は?」と、わたしは続けた。「生きているのか?」
「いいえ」と、彼女は静かに答えた。「私の父は昔、ゾダンガの海軍の士官でした。そんなに偉くはなかったのです。ジョン・カーターと、サーク族の緑色人が攻めてきた時に、殺されました。母はあまりの悲しみに、イス川からドールの谷、そしてコラスの失われた海へと行ってしまいました」と、しんみりと彼女は答えた。
「ジョン・カーター!」突然、ザンダは叫ぶように言った。「ジョン・カーターが、すべての私の悲しみを作ったのです。ジョン・カーターさえいなければ、ジョン・カーターが父を殺さなければ、わたしはこんなところで苦労することもなく、幸せに暮らしていたことでしょうに……」
そうか、そうだったのか――ザンダは、このジョン・カーターを、そんなふうに考えているのか……。この美しい娘が、今、こうして立っているヴァンドールと名乗る男が、そのジョン・カーターだと知ったら、どんなに驚くだろうか。すぐに、剣を抜いて斬りかかってくるだろうか……。
わたしは、つとめてさり気なく言った。
「ジョン・カーターを憎んでいるかね」
「憎んでいます」ザンダは、きっぱりと答えた。
「それでは、もしジョン・カーターが死んでしまったら、きっと喜ぶことだろうね」
「ええ、とても嬉しいと思うわ」
「殺し屋のウル・ジャンが、ジョン・カーターの命を狙っているというのを知っているか?」
「ええ、知っていますとも。ウル・ジャンが成功してくれるように、私はいつもお祈りをしているの。私が殺し屋になって、ジョン・カーターを殺してやりたいくらいですわ」
「あいつは、かなり強いそうだぜ」と、わたしはとぼけて言った。
「殺すのは、なにも剣や毒を使わなくたって殺せるわ」
わたしは、無理に笑いながら言った。
「やれやれ、ジョン・カーターもかわいそうにな」
そして、わたしはザンダにおやすみを言い、ベッドに入った。そのことについては、あまり考えないことにした。いつか、ザンダもわかってくれる日があるに違いない。
ザンダの父がどんなふうに死んだのかは知らないが、わたしたちと力いっぱい戦って立派に死んだのだということ。そしてわたしが、ザンダの父を憎んで殺したのではないことを……。
次の朝、朝食がすむと同時に、わたしはファル・シヴァスの部屋に呼ばれた。
行ってみると、ファル・シヴァスの他にハマスと、奴隷が二人立っている。ファル・シヴァスはひどく機嫌が悪い。
「さて、……と」彼は、じろりとわたしを見つめながら言った。「ラパスは昨夜殺したか?」
「いいえ」と、わたしは答えた。「殺しませんでした」
「奴と会ったか?」
「はい、会ってしゃべりました。昨夜の夕食は、奴と二人で食べました」
それを聞いたとたん、ファル・シヴァスとハマスが二人とも、がっかりしたような顔をしたのを、わたしは見逃さなかった。
二人の狙いがはずれてしまったのだ。わたしが嘘をつくと思っていたのだろう。
「なぜ殺さなかった?」と、ファル・シヴァスは続けた。「おれは、お前に命じなかったかな?」
「私は、あなたのお命を守るために雇われたのです」わたしは、すぐに答えた。「ですからあなたは、私の判断に従っていただかないと困ります。わたしは子供でもないし、奴隷でもありません。わたしは、ラパスの奴がもっともっと危険な殺し屋どもとつながりがあると信じています。ですから、奴を生かしておいて、後ろでラパスを操っている奴のことを、ラパスから聞き出すのです。ラパスを殺してしまったら、何もかもおしまいです。もしも、私のやり方が気に食わないのなら、誰か、他の者を雇うといいでしょう。そして、もしも私を殺してしまうのなら、誰か、ちゃんと戦士にでも頼んでください。この奴隷どもでは話になりません」
ハマスの奴は、激しい怒りに体を震わせている。しかし、ハマスは何も言わなかった。ファル・シヴァスの合図を待っているのだ。彼は、剣に手をかけたまま、じっと待っている。
しかし、ファル・シヴァスは、ハマスに何の合図もしなかった。そして、しばらくの間、じっとわたしの顔を見つめたまま、考え込んでいた。そして言った。
「お前はなかなか勇気のある奴だな、ヴァンドール。だがな、少しばかり自信が強すぎて、そして、ちょっとだけ馬鹿だぞ。誰も、ファル・シヴァスに向かって、そんな言い方はしない。みんなはおれを恐れているのだ。お前は、おれの恐ろしさを知らんのだな」
「もしもあなたが馬鹿だったら、きっと今、私を殺しているでしょうよ。しかし、あなたは馬鹿ではない。わたしを殺してしまうよりも、生かしておいたほうが、私はあなたのお役に立ちますからね。どうやら、あなたは私を疑っているらしい。今度から、一人で外に出るのはやめましょう。あなたがついてきてください」
ハマスの奴は、あまりの怒りに真っ赤になって剣を抜こうとしている。しかし、ファル・シヴァスは、にやりと笑った。
「その通りだな、ヴァンドール」そして、続けた。「ところで、何かラパスから、新しい情報を手に入れたか?」
「あなたにだけ申し上げたいのです」わたしは、ハマスや他の二人の奴隷のほうを、わざとじろりと見ながら言ってやった。
ファル・シヴァスは、彼らに向かって言った。「向こうに行ってよいぞ」
「でも旦那様、もしも旦那様をお一人にしておくと、こいつは旦那様を殺してしまいます」
「こいつがその気になったら、お前たちがいたところで、何の役にも立たぬ」とファル・シヴァスは言った。「お前たちも、ヴァンドールの剣のさばきは知っているだろう」
ハマスの赤い肌は、あまりの怒りに浅黒くなったが、それでもひと言も言わずに他の奴隷とともに出ていった。
「さて」ドアが閉まると同時に、ファル・シヴァスは言った。「どんな情報を手に入れたのだ?」
「〈ねずみのラパス〉の奴は、あなたの競争相手の発明家、ガル・ナルが雇ったという殺し屋、ウル・ジャンの子分になろうとしているようです。そこで、ラパスの奴と連絡をつけておれば、ウル・ジャンが、どんな手であなたを狙っているのかが、探り出せると思いますが」
「それはよい考えだな、ヴァンドール」とファル・シヴァスは答えた。「できるだけ、ラパスと連絡を取れ。そして、必要がなくなるまでは殺すのを待とう。それから……」ファル・シヴァスは、ものすごい顔をして、にたりと笑った。
「私の考えに、賛成してくださると信じておりました」すぐにわたしは答えた。「今晩も、ラパスに会いたいと思っています」
「よかろう」ファル・シヴァスは言った。「今から工場に来てもらいたい。モーターの改良工事はなかなかうまくいっておる。でき具合をお前に検査してもらいたい」
わたしは、ファル・シヴァスと一緒に工場に行った。仕事のほうは、万事うまくいっているようだった。わたしはそこで、宇宙船を検査するふりをしながら、そっとこの部屋の周りの壁を調べ上げたのだった。
わたしの計画――この宇宙船を動かして、外に出るには、どの壁に穴を空けるのが一番よいかを調べたのだ。それから夜まで、わたしは工場の中で、宇宙船の仕事に取っ組んだ。
そして、日が暮れるのと同時に、いつもの食堂へ行った。ラパスはまだ来ていない。
わたしは食事を注文して、ゆっくりとそれを食べた。だが、ラパスはやって来ない。
食べ終わってからもしばらく待ったが駄目だ。これはもう今日はここに来ないのだろうと思って、立ち上がりかけたところに、ラパスが入ってきた。ひどく心配そうな様子だ。
「カオール《こんにちは》!」こっちに歩いてくるラパスに向かって、わたしは声をかけた。「遅かったな。どうかしたのか?」
「うん、ちょっと仕事にひっかかってたもんでな」
ラパスは注文した食事が運ばれてくると、気の重そうな様子で食べ始めた。
「おい、昨日の夜は無事に屋敷に帰ったかい?」とラパスはわたしに聞いた。
「ああ、もちろんだ。何かあったのか?」
「お前のことを心配してたんだぞ」
「へえ、なぜ?」
「昨日は、お前が通った道で、人殺しがあったからよ」
「そうかね、きっと、おれが通った後だろう」
「それがな、薄気味悪いんだ。殺された奴というのが、ウル・ジャンのところの殺し屋の一人なんだが、そいつの胸に、あのジョン・カーターのX印の傷がついていたっていうんだよ」
ラパスは、疑い深そうにわたしを見た。ラパスは、わたしをジョン・カーターではないかと思っているのだ。それが、恐ろしくて仕方がないのだ。
この卑怯者め――ラパスのひどく落ち着かない顔を見ながら、わたしは腹の中で笑ってやった。
「ウル・ジャンはな、ジョン・カーターが自分で、ゾダンガに忍び込んでいると確信している」
「なるほど」わたしはわざと気がなさそうに言った。「それでどうだというんだい。別に、おれやお前に、何の関係もないことじゃないか」
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九 ウル・ジャンの計画
目というものは、口よりも、本当のことを言う場合がある。ラパスの目は、〈大いに関係がある〉と言っていたが、口のほうは反対のことを言った。
「ああ、もちろんさ」と、ラパスは必死になって関係のないふりをする。「おれとは何の関係もないよ。だがな、ウル・ジャンは必死になってる。ウルダックとポバックを殺した奴の正体を暴《あば》いた奴には、大変な賞金を出すと言っている。今晩、ウル・ジャンはな、主《おも》だった子分をみんな集めて、ジョン・カーターをどうやってやっつけるかの会議を……」
〈ねずみのラパス〉は、そこまで言って、だしぬけに話すのをやめた。ラパスの目は、疑いと、恐ろしさで一杯だ。
ラパスの奴は、自分の前に座っているのが本当にジョン・カーターだとしたら、ウル・ジャンが会議を開いているなどとべらべらしゃべってしまうと、大変なことになるのに気づいたのだ。
「お前、ウル・ジャンのことを、馬鹿によく知ってるじゃないか」と、わざとわたしは言ってやった。「まるで、ウル・ジャンの子分みたいだぜ」
こういわれたラパスは、ひどく取り乱した。なんと答えてよいのか、わからないのだ。わたしは慌てふためいている〈ねずみ〉くんの姿を、腹の中でさんざん笑ってやった。
「い、い、いや、べ、別に、その……」と、ラパスは必死になって打ち消した。「た、た、ただな。ま、町でそんな、う、噂を聞いただけ、さ。そいつを、友達に話してやるのは、当たり前のことだろ」
友達か――まったく、ふざけた奴だ。
しかし、これでラパスが、ウル・ジャンの部下になっていることがはっきりした。ラパスは、わたしを殺せとウル・ジャンに命令されているし、わたしは、ラパスを殺せとファル・シヴァスに命じられている。そして二人ともとぼけ合っている――変な話だな。
わたしは思わず、苦笑いをしそうになった。
ラパスの食事が終わりかけた時、ものすごく目つきの悪い大男が二人入ってきて、テーブルについた。ラパスとは別に何の合図もしなかったけれど、また、こいつらも殺し屋だ。
このあいだ、わたしがウル・ジャンの部屋に忍び込んだ時に確かにいた奴だ。忘れようとしても忘れられないような、すごい顔をしている。また、わたしの命を狙ってやって来たな。おまけに、今晩は二人でおいでなすった。
二人や三人に、驚くわたしではない。あっさりとやっつけてみせる。しかし今晩、この二人の殺し屋をやっつけて、あのX印の傷をこいつらの胸につけたなら、もう、わたし、つまりヴァンドールとは、ジョン・カーターが化けているということを、はっきりと証明することになってしまうだろう。そこでわたしは、すぐに立ち上がった。
「さあ、おれは行かなきゃならん。ラパス、ちょっと大切な仕事があるんでな。明日の晩また会おうぜ」
ラパスは、わたしを一生懸命に引き止めた。
「いいじゃないか、ヴァンドール、もう少し、ゆっくりしていけよ。まだ、お前に話したいこともあるんだよ。なあ!」
「明日にしてくれ、おれは忙しい。じゃ、おやすみ」と言いながら、わたしは店の外に出ると、さっさとファル・シヴァスの屋敷とは反対のほうに走って、暗がりに身を潜《ひそ》めた。
待つ間もなく、さっきの殺し屋二人がさっと店から飛び出してくると、ファル・シヴァスの屋敷のほうへと急ぎ足で行ってしまった。わたしが、そっちへ歩いていったと思っているのだろう。続いて、ラパスも飛び出してきて、二人の後を追った。この〈ねずみ〉め――。
三人が行ってしまうと、わたしは自分の飛行艇が置いてある、あのホテルへ急いだ。わたしが屋上へと出てみると、管理人のおやじが、置いてあるわたしの飛行艇の近くをぶらついている。わたしは、飛行艇で飛び出すのを誰にも知られたくなかったのだが、こうなっては仕方がない。わたしは、すたすたと近づいた。
「だいぶ長いこと、会いませんでしたねえ」
「忙しいもんでね」と、わたしは答えた。
「今から飛ぶんですかい?」
「ああ」
「パトロール艇に、用心しなさいよ」と、おやじは言った。「もしも、お上《かみ》に知られたくないような仕事をやってるんならね。殺し屋が二人も、あべこべに殺されたってんで、パトロールどもは死に物狂いですぜ」
このおやじは、親切でわたしに言ってくれてるのだろうか? それともかまをかけて、わたしの正体を探り出そうとしているのかもしれない……。ゾダンガには、パトロールの他に、殺し屋の組合や、その他いろいろな秘密の組織が入り乱れているから、どこで、どんな奴と、やっかいないざこざが起きるかもわからない。誰にだって、心を許すことはできないのだ。
そこでわたしは、わざと、とぼけて言った。
「まったくだよ。今晩という今晩はな、パトロールにゃ、とっつかまりたくないんだよ」
おやじは、わたしの言葉に耳をそばだてた。わたしを悪者だとでも、思っているのだろう。
「今からな、こっそりとガール・フレンドに会いに行くんだよ。とっても素敵な娘でね」
そう言ってわたしがウインクをしてみせると、おやじは口をあんぐりと開けたまま。
ようやく、飛行艇にわたしが乗り込んだ頃になって、げらげら笑い出した。
「なあんだ! そうですかい。こんな時間に出かけるんじゃ、パトロールよりゃ、そのガール・フレンドのおやじさんにとっつかまらないように、気をつけたほうがようがすぜ!」
わたしは手を振って笑い返し、そのまま離陸した。
月は沈んでしまい、空は真っ暗。わたしはパトロールに見つからぬよう、町の建物すれすれに飛び、間もなく、あの殺し屋組合の親玉、ウル・ジャンの部屋がある建物の上へ近づいた。ラパスの話を信用するとすれば、ウル・ジャンとその部下たちは、家の中でゾダンガに忍び込んでいるジョン・カーター――つまりこのわたし――をどうやって、やっつけるかの会議を開いているという。
今日は、この前みたいに、隣りの部屋のたんすの陰に忍び込んだのでは駄目だ。もしもドアが閉まっていたら、もう何も聞くことはできない。そこで、今日は別の手を考えた。
建物の屋根の縁《ふち》ぎりぎりのところに、そっと飛行艇を着陸させると、飛行艇のエンジンのスタート・レバーに細い綱《つな》を縛りつけ、そのはしを握ったまま、屋根の上に出た。そしてもう一本、太い綱を飛行艇の胴体にくくりつけ、その先をわたしの腰に縛りつける。それから屋根の雨どいを伝って、こっそりと殺し屋どもが集まっている部屋のベランダへ降りたのだ。そして、感づかれないようにこっそりと窓のほうへ近づいた。部屋の中から聞こえてきたのは、ウル・ジャンの声。
「もしも、今日、殺してしまう奴が、おれの考えている通りの男だったとしても、身代金は、娘の親父《おやじ》かじいさんから取れるだろう」
「それも、うんとこさ、な」
「大型船じゃなきゃ、積めないくらいだ」とウル・ジャンの声。「そして、ゾダンガの殺し屋組合について、一切の手出しはしないと約束させる」
わたしは初め、何の話をしているのだろう、金持ちの貴族でもさらうつもりなのかな、などと考えていたのだった。ところが、そうではなかったのだ――。
ちょうどその時、ドアをノックする音がした。
「入れ」と、ウル・ジャンは言った。
音がして、二、三人、部屋に入ったらしい。
「おう、お前たちか。今晩ころは、やっただろうな」
「そ、それが、やれなかったんで」困りきった声である。
「なんだと!」と、ウル・ジャン。「今日、奴は食堂に来なかったのか?」
「いえ、き、来たんです」と、もう一人別の男の声。間違いなく〈ねずみのラパス〉だ。
「奴は確かに、やっては来たんですが、その……」
「それで、一体なぜ殺さなかったんだ!」ウル・ジャンは、すごい声で怒鳴りつけた。
「奴が食堂を出たとたん」とさっきの男の声。「私らはすぐに追っかけたんです。だけど、横町に入ったとたん、消えやがったんで……その……、それで、ファル・シヴァスの屋敷に走っていって、門の前に待ち伏せをかけたんですが……もう、逃げ込みやがった後らしくて」
「奴は、感づいたのか?」
「い、いや、絶対感づいちゃいません。奴は、あたしたちがいることにだって、気がついていませんでした。ラパスとばかり話するのに夢中で……」
「どうやって、あんなにあっさりと消えやがったのか、あ、あたしにゃ、さ、さっぱりとわかるねえんで……」とラパス。「ですが、明日の晩こそはやっちまいます。明日の晩も会う約束になってますから」
「よく聞け!」とウル・ジャンが言った。「明日こそは、取り逃がしてはならんぞ――。その、ヴァンドールとか名乗っている奴は、ジョン・カーターに間違いない。しかしまあ、今日、殺さなくてよかったようなもんだ。いいか、明日は四人で行け。そして、ファル・シヴァスの屋敷の前に待ち伏せて、ジョン・カーターを生け捕《ど》りにしてこい! 奴も生かしておけば、身代金は倍取れる」と、ウル・ジャンは大声で笑った。
これでわかった――。ウル・ジャンの言う娘とは、ほかでもない、わたしの妃、デジャー・ソリスであり、父や祖父というのは、モルス・カヤックとタルドス・モルスのことなのだ。この殺し屋どもは、わたしの妃デジャー・ソリスを狙っているのだ――。
わたしは、すぐにヘリウムに戻り、デジャー・ソリスを守らねばならない。すぐにわたしはそう決心した。
だが、今しばらく、ウル・ジャンがどんな手を使ってくるのか、聞き出せるものなら、聞いておきたい。そこで、わたしはもう一度耳をすました。
「しかし、親分」ウル・ジャンの子分らしい奴の声。「かりにも、デジャー・ソリスをかどわかすのに成功したとして、ですぜ……」
「かりに成功したとして――とはなんだ!」すぐに、ウル・ジャンが怒鳴《どな》った。「この計画は、もうずいぶん前から、練りに練られているのだ。もう、成功したも同然だ! もう、子分が二人、デジャー・ソリスの宮殿に忍び込ませてあるのだぞ!」
「そ、それじゃ、まあ、成功したとして、ですがね、いったいデジャー・ソリスをどこに隠しちまおうって、いうんですかい? ヘリウム側は必死で捜しますぜ。なんてったって、ヘリウムの戦士、ジョン・カーターのお妃《きさき》なんですからね」
「バルスーム中に、隠そうなんぞと思っているもんか!」とウル・ジャン。
「それじゃ?」
「火星の月、サリアだ」と、ウル・ジャンが答えた。
「サ、サリアですって」と、相手はびっくりした様子。そして、げらげらと大声で笑い出した。
「そ、そいつぁあ、うまい考えでさあ! サリアに行ける方法があればのことですがね!」
「行けるとも」ウル・ジャンは落ち着きはらっている。「おれが発明家のガル・ナルと無駄に付き合っているとでも思っているのか?」
「ガル・ナルの馬鹿が、取っ組んでるとかいう宇宙船ですかい? あんなもん、信用できるもんですか。出来上がってからにしてほしいもんですぜ」
「出来上がっている」とウル・ジャン。「いつでも、サリアにまで飛んで行けるのだ」
さすがに、相手はびっくりしたらしい。黙ってしまった。
しかし、これでウル・ジャンの計画が全部はっきりした。なんという、悪知恵の発達した奴なのだろう……。
それにしても、もう、のんびりはしていられない。早く、ヘリウムに引き返さなければ……。さもないと、大変なことになる。
わたしは、上へと壁をよじ登り始めた。ところが、わたしの剣が建物の壁面の飾りに引っかかってしまった。ぎょっとなったわたしは、必死で剣を外《はず》そうとした。ところが、飾りのほうがぽろりと外れてしまった。そして、バルコニーの上に落ちて、ガチャン――とんでもない音を立ててしまったのだ。
「なんだ、あの音は」ウル・ジャンの叫び声がしたと同時に、足音が聞こえ、窓がぱっと開いた。顔を出したのはウル・ジャン――。
「うぬ、スパイだな、貴様は」
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十 おそかった
しまったと思ったが、もう遅い。
ウル・ジャンは、バルコニーの外へ飛び出してきた。よその家の壁にへばりついたまま、その家の住人に見つかって、ごめんなさいで済むわけがない。こればかりは、なんともはや、言い訳のしようがない。
「スパイだな、貴様は!」ウル・ジャンがすごい声を出した。
何も考えるひまはない――わたしは、飛行艇からぶら下がっている、太いほうの綱にぱっと飛びついた。そして、その綱をよじ登り始めた。綱は、わたしが飛びついた勢いで、まるで、大きなぶらんこのように揺れ始める。
いけない――わたしの体は、ベランダのウル・ジャンのほうへ大きく振れようとしている。
さすがに、奴は殺し屋だ――わたしの体が、ウル・ジャンのほうへと振れていくのを見て取ると、とっさに剣を抜き放った。綱の先のわたしの体は、剣を抜いて待ち構えているウル・ジャンへぐうんと近づいた。
やられてたまるか――。ウル・ジャンが剣を突き出す一瞬前に、わたしは力いっぱいウル・ジャンの胴《どう》を蹴飛ばした――。
だしぬけに一発喰らったウル・ジャンは、思わず大きくよろけた。そして後ろにいた子分もろとも、こっぴどく、しりもちをついた。
わたしは綱にぶら下がったまま、もう一本の細い綱、飛行艇のエンジンのスタート・レバーにつながっている綱を、力いっぱい引いた。
たちまち、飛行艇は上昇を始めた。同時に、綱の先にぶら下がっているわたしの体も上昇し始める。だが、スタートのショックで、わたしはもう綱の先でめちゃくちゃに振り回された。
まったく、無茶だといえば、こんな無茶な話もない。飛行艇は、めくら滅法《めっぽう》に飛び上がったのだ。十分に急上昇をしてくれればいい。だが、もしも上昇の仕方が足りなければ、そこいらの建物にぶつかって、たちまちこっぱ微塵《みじん》だ。それに少しぐらい上昇しても、綱の先にぶら下がっているわたしはどうなる。まるで、ぶらんこの先が壁にぶつかるみたいに、綱の一番下にいるわたしの体が、建物にぶち当たってしまうだろう。
わたしは、もう全身が冷《ひ》や汗でぐっしょりになってしまった。
頼むぞ――わたしは、思わず叫んだ。飛行艇は、わたしの祈りに答えるように、かなりのスピードで昇っていく。助かるか。
やがて、飛行艇は家並みよりも高くなった。もうちょっとだ――。
ああ――しかし、わたしの目の前に、大きな建物がぐんぐん近づいてくる。……だめか。
じりじりするほどの速さで、わたしの体を縛りつけている綱は、上へ昇ってはいく。だが、近づいてくる建物のほうが……。
だめか――建物にぶち当たって、わたしの体は下に落ちるか、それとも、くしゃくしゃに潰《つぶ》れて、綱の先にぶら下がったまま、どこまでも飛んでいくのか――。
もうすぐそこだ――。わたしは必死で綱をよじ登っていった。
ガリガリッ、大きな建物の、一番てっぺんにある塔のとがった先が、わたしの体をこすった。
助かった――まったく危機一髪というところだった。わたしは必死の思いで綱をよじ登り、ようやくのことで飛行艇の中へ潜り込んだ。そして、這《は》うようにして操縦席につくと、エンジンを調整し、コースをヘリウムへと取った。
パトロール艇が、たくさん飛んでいる中で、ヘリウムに向かって全速力で飛ぶなどということは、まったく無鉄砲なことには違いない。しかし、今はもう、そんなことを考えている時ではないのだ。一刻も早く、ヘリウムに戻らないと、デジャー・ソリスが危ない。
わたしをやっつけるために、まずデジャー・ソリスを狙うなどと、ゾダンガの殺し屋ウル・ジャンという奴は、なんと頭のいい奴なのだろう。デジャー・ソリスのためならば、どんなことでもわたしがすることを、奴らはよく知っているのだ。
しかし、ウル・ジャンたちが、わたしの顔を見なかったことは、大変な拾《ひろ》いものだった。綱の先にぶら下がって、ウル・ジャンを蹴飛ばした時、奴はちらりとわたしの顔を見たに違いないし、それがヴァンドールではないかと思うかもしれないが、何の証拠もないのだ。
ウル・ジャンや、その子分の殺し屋どもは、ゾダンガの町の中で、ジョン・カーターを捜し続けることだろう。
飛行艇は、ゾダンガの町の上をぐんぐんと飛び過ぎていく。こいつはパトロール艇に見つからずにすむかなと、ちょっと考えたとたんだ。
上のほうから、パトロール艇の出す「待て」の信号サイレンが聞こえてきた。見つけられたか――。
見上げると、かなり高いところを、パトロール艇が飛んでいる。わたしのほうは、すでにエンジンをぎりぎりまで全開している。パトロール艇は、わたしが命令に従う気がないのをすぐに見て取ったらしい。すごいスピードで追ってきた。
もう駄目だ。撃ち落されるかもしれない――わたしはとっさに、そう思った。
こうなれば、最後の手段だ。一か八かやってみるしかない。わたしは、いきなり急降下すると、高いビルとビルの間をすれすれに飛び抜けた。
わたしの飛行艇は一人乗り、向こうは何人も乗っている大型だ。スピードは出るかもしれないが、運動性能はこっちのほうがはるかによい。勝負するならこれしかない。大型のパトロール艇では、ビルの間を飛び抜けるなどという離れ業《わざ》は、できっこない。
わたしはビルとビルの間の道をすれすれに、右に回ったり、左に曲がったり、めちゃめちゃに飛び回った。わたしも必死だ。一つ間違ったら、ビルにぶつかって、こっぱ微塵だ。
そんな飛び方をしながら、わたしはコースをヘリウムのほうへ、ヘリウムのほうへと取ったのだ。
ずいぶん長いことそんな飛び方をして、そっと上昇してみると、パトロール艇は、ずっと向こうのほうを捜し回っているらしい。こうしてわたしは、どうやらゾダンガから抜け出すことに成功したのだった。目の下は、どこまでも荒野が続いている。わたしは、飛行艇のコースを定めると、ひと眠りすることにした。
目が覚めてみると、間もなく、ヘリウムへと近づくところである。わたしは顔に塗《ぬ》りつけてあった赤い染料を、何日ぶりかで洗い取った。
やがて、ヘリウムのパトロール艇がやって来たが、パトロールの兵士は、すぐにわたしに気がつくと、先頭に立ってヘリウムの王宮の発着場へとわたしを導いてくれた。
下で待ち受けていた兵士たちは、着陸すると同時に、ばらばらと駆け寄ってきた。みんな口々に、丁寧に挨拶をするが、なぜかその表情はひどく心配そうなのだ。
だが、わたしは何も聞かず、飛行艇から降りるとそのまま王宮へ向かい、妃の居間へと急いだ。すると入り口のところで、デジャー・ソリスの護衛をしている、若い士官に出会った。彼は、なにか重苦しそうな表情だ。
「どうした、ジャット・オール? みんな、ひどく浮かない顔をしているが?」
「申し訳ありません」それだけ言って、彼は頭を垂れた。
ジャット・オールの言いたいことは、すぐにわかった。だが、聞きたくはなかった。聞いたなら、体が震えるだろうから。
ジョン・カーターは、「死」と向かい合った時でも、体が震えたことはなかったけれど……。わたしは、思いきって言った。
「いつ、妃はさらわれたのだ?」
彼はぎょっとしたように、目を丸くした。「ご存知だったのですか?」と、彼は大声で言った。わたしはうなずいた。
「それで、ゾダンガから大急ぎで戻ってきたのだ。だが、遅かった……詳しく説明してくれ」
「昨夜のことであります。いつ頃かは、正確にはわかりません。今朝《けさ》になって、妃の護衛をしていた兵士二名が行方不明になっていることがわかり、さらに、妃に仕えている女奴隷が二人、寝床の中で殺されているのが発見されました。おそらく、その護衛の二人の仕業だと思われます」
「ゾダンガの殺し屋、ウル・ジャンの子分二人だ。それでどうした?」
「タルドス・モルス皇帝とモルス・カヤック王は、妃の捜索のため、全飛行艇を出発させました」
「それはおかしい。ゾダンガからわたしが戻ってくる途中で、一隻も出会わなかったぞ」
「いえ、確かに出発したのであります」
「どこを捜しているのかは知らぬが、時間を無駄にしているだけだ。タルドス・モルス皇帝に、すぐ戻っていただくように連絡をしてくれ。デジャー・ソリスを助け出せる宇宙船は一隻しかない。わたしはすぐ、ゾダンガに戻らねばならぬ。一刻も余裕はない」
「私が、妃のお部屋の扉の前にいればよかったのです。すべては、私の責任なのです。どうぞ、私を連れて行ってください。私の手で、妃を助け出させてください!」
ジャット・オールは、必死になってそう言うのだ。そんな彼を、わたしはとても好ましく思った。この士官がたいへん真面目で、立派な男であることはよく知っていた。
じっと祈るような目で見つめているジャット・オールに向かって、わたしは言った。
「よかろう、ジャット・オール。すぐに用意をしろ。お前はもう海軍士官ではないぞ。放浪の戦士に化けるのだ。そのつもりで、大急ぎで用意をしろ。それから、警備隊の隊長に、わたしの部屋に来るようにと言え」
わたしが部屋に戻るとすぐ、隊長がやって来た。わたしは彼に後のことを頼むと、用意のできたジャット・オールと一緒に、二人乗りの高速飛行艇に乗り込み、ヘリウムを後に再びゾダンガに向かった。
発明家、ガル・ナルの造った宇宙船で、ウル・ジャンの子分がヘリウムに忍び込んだとは考えられない。すぐに見つけられてしまうはずだ。だとすれば、さらわれたデジャー・ソリスは、いったんゾダンガへ連れて行かれ、そこからウル・ジャンの計画通り、発明家、ガル・ナルの宇宙船で、火星の月サリアへと送られるに違いない……。間に合うだろうか? わたしは、そんなことを一心に考えた。
ゾダンガの町を取り巻く壁が見え始めた時は、また、日が暮れ始めていた。
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十一 ガル・ナルの研究室
いい按配《あんばい》にパトロール艇に捕まらず、わたしたちは例のビルの屋上に着陸した。管理人のおやじは、わたしが一人乗りの飛行艇で出発し、二人乗りの高速飛行艇で戻ってきたのに、別に怪しみもしなかった。ひょっとすると、気がつかなかったのかもしれない。よっぽど間抜けな男なのだろう。
それからわたしが借りている部屋にジャット・オールを連れて行き、管理人に話をつけて二人でそこを借りることにした。そして、ここに待っているようにとジャット・オールに言いつけ、わたしは一人で町に出た。
まず知りたいのは、ガル・ナルの作ったという宇宙船が、もうゾダンガから出発してしまったかどうかということだ。
ラパスを捕まえても、聞き出すことは難しいだろう。奴は、わたしがジョン・カーターだと薄々感づいている。とても、話してはくれまい。だとすれば、ファル・シヴァスから聞き出すしかない。
ファル・シヴァスは知っているに違いない。なぜなら――ファル・シヴァスとガル・ナルとは、激しく競《せ》り合っている発明家どうしだ。お互いに、スパイを使って相手の動きを探っているに違いないからだ。
ファル・シヴァスの屋敷の門の前に着いたのは、夜もまだ、そんなに遅くはなかった。わたしが決められた合図をすると、すぐにハマスが出てきた。
「とうとう、お前も、ウル・ジャンに殺されたかと思っていたところだぜ」と、ハマスは言った。
「なあに、ウル・ジャンはそんなに、ついてはいないさ」わたしは、わざとけろりとしてそう答えてやった。「ご主人は?」
「研究室においでだ」と、ハマスは言った。「だがな、ご主人が、お前にお会いになるかどうかはわからんぞ」
「すぐ会いたい用がある」
「駄目だ」ハマスはぴしゃりと言った。「ここで待っておれ。おれが言ってうかがってくるから」
わたしはハマスにかまわず廊下を歩きながら、ハマスの奴に言ってやった。
「ついてきたいなら、ついてきたっていいんだぜ、ハマス」
ハマスは慌《あわ》てて、後ろからぶつぶつ言いながらついてきた。
「ついてこようと、こまいと、おれはご主人に用事があるんでね」
わたしの部屋の前を通った時、ちょっと中をのぞいてみたが、ザンダの姿はなかった。
ファル・シヴァスの前に行くと、彼はわたしを睨《にら》みつけたまま言った。「どこに行っておったのか?」
わたしは戦士であって、芝居の役者ではないから、とぼけたりするのは得意ではない。大きな声でわめきちらす、この老いぼれ発明家の首をつかまえて、わたしの知りたいことを白状させてしまったら、さぞ面白いことだろう、などと考えていたら、つい、にやりと笑ってしまった。
「なぜ、答えんのか?」と、ファル・シヴァスは言った。「こやつめ! 笑っておるな! おれを馬鹿にするのか?」
「わたし自身の間抜けさ加減を、わたしが笑ってはいけないんですか」
「お前の間抜けさ加減だと? 何のことだ、それは?」
「私は、あなたを、知性にあふれた方だとばかり思っていたのです。それでつい、思わず笑ってしまいました」
ファル・シヴァスの奴が、これを聞いて怒り狂うだろうと思ったのだが、辛《かろ》うじて奴は自分を抑えた。
「何のことだ、はっきり言え!」
「つまりです」と、わたしは落ち着きはらって言ってやった。「知性のある方は、何の証拠もなしに自分が信用している部下を、そんなふうに怒鳴りつけたりはしないものです。ハマスが、どんな陰口をきいたかは知りませんがね」
ファル・シヴァスは、ちょっと面食らったらしかった。そして、口調を和らげた。
「それで、一体何をやっていたのか、おれに、全部報告しろ」
「私は、ウル・ジャンの動きをずっと追っていました」わたしは、静かに言った。「しかし、今、説明しているひまはありません。一刻も早く、ガル・ナルの宇宙船の格納庫に行かねばならないのです」
「なんだって、そんなに急いで、ガル・ナルのところに行かねばならん?」
「ウル・ジャンとガル・ナルが、その宇宙船に乗り込んで、ゾダンガを離れようとしているからです」
ファル・シヴァスは、わたしの狙った通り、かんかんに腹を立てた。
「この、犬め!」ファル・シヴァスは喚《わめ》きちらした。「おれの発明を盗み出しおって、今度は、おれの先手を打とうというわけか! う、うぬ、お、覚えておれ!」
「落ち着きなさい、ご主人」わたしは、ファル・シヴァスをなだめた。「まだ、出発したかどうか、はっきりしていないのです。ガル・ナルの屋敷はどこにあるのですか? すぐに行って、探《さぐ》ってきます」
「では、た、頼む、ぞ」ファル・シヴァスは、ひどく慌てている。「だ、だがな、ヴァンドール。ガル・ナルとウル・ジャンは奴の宇宙船で、どこに行こうと考えているのだろう? 調べてみたか?」
「バルスームの月、サリアへだと私は考えています」
「サ、サリアへ?」
ファル・シヴァスは、この言葉で完全にのぼせ上がってしまった。
「お、おれ、を、だ、出し抜いて、サ、サリアの、き、金や、ほ、宝石をみんな、ひ、独り占めに、し、しようというのか! この犬め! 畜生め!」とあらん限りの悪口をはき散らす。
いい加減、喚《わめ》かせておいてから、わたしは言った。
「落ち着いてください。そんなに騒いでも何の役にも立ちません。だから私が、ガル・ナルのところへ乗り込んで調べてくる、と言っているのです」
ようやく落ち着いたファル・シヴァスは、わたしにガル・ナルの屋敷の場所を詳しく教えてくれた。そこでわたしはすぐに立ち上がり、ファル・シヴァスの研究室を出ようとした。
ちょうどその時だった。何か、押し殺したようなつぶやきとも、泣き声とも取れるような、かすかな声がした。
なんだろう? わたしは思わず、立ち止まった。そして、ファル・シヴァスのほうを振り返った。
だが、ファル・シヴァスは、その音に気のついた様子もない。
「早く行ってくるのだ。ガル・ナルの宇宙船のことを調べたら、すぐに戻ってこい」ファル・シヴァスは、そう言っただけだった。
玄関のほうへ行く途中で、わたしはちょっとザンダに声をかけておこうと、わたしの部屋に行った。しかし、ザンダはいない。
おかしいなと思いながら、廊下に出たところでハマスと会った。
「出かけるのか?」と、ハマスは聞いた。
「うむ」
「夜には帰ってくるか?」
「そのつもりだ」と、わたしは答えた。「それはともかく、ハマス、ザンダはどこにいる? 今、おれの部屋に行ってみたが、いなかった」
「もう、お前はここに、戻ってこないと思っていたのだ」と、ハマスは答えた。「それで、ご主人はザンダを別の仕事につけた。明日、別の女奴隷をつけてやろう」
「いや、おれはあの娘が気に入っている。ザンダがよい」
「そんなことは、ご主人に言うがいいさ」
わたしはそれ以上、何も言わずに、門をハマスに開けてもらうと外に出た。そして、教えてもらった通り、ファル・シヴァスの競争相手である発明家ガル・ナルの屋敷へ急いだ。
目指すその屋敷の前に来てみると、中はしいんと静まり返っている。わたしは塀をよじ登り、庭の中に入った。
ファル・シヴァスに教えられた、ガル・ナルの研究室の場所はすぐにわかった。庭の中にある大きな小屋だ。
小さな窓から、中をのぞき込む。宇宙船があるなら、そこから見えるはずだと、ファル・シヴァスは言った。……だが、中は真っ暗。
なんとか、中の様子を探ってやろうと、がたがたやっていたら、なんと窓がぱっくり開くではないか――うまいぞ。わたしは、窓枠に手をかけて、こっそりと体を小屋の中へと滑り込ませた。いい具合に、窓に沿って工作用の机があるらしい。わたしは、その上に立ち上がった。
暗闇で何も見えない。そして、そうっと手|探《さぐ》りで床におりようとした時だ。机は、わたしの重さに耐えきれず、メリメリッと大きな音を立てて、潰《つぶ》れてしまった。弾《はず》みをくらって、わたしは床の上に放り出された。
ガチャガチャーン! 工具や何かが床に落ちて、とんでもない音を立てた。
しまった――見つかったか。
足音が近づいてくる――一人ではない。わたしは、真っ暗な中に潜《ひそ》んだまま、待ち構えた。
一番向こうの端にある、小屋の入り口のドアがぱっと開いた。かすかな光が中に差し込んで、小屋の中がぼんやりと見えた。
小屋の中はからっぽ。宇宙船はない。ガル・ナルは出発した後だ! そうだとすれば、デジャー・ソリスも、すでに火星の月、サリアへと連れて行かれた――ということだ。
入ってきたのは、男が二人。
「誰だ、中にいるのは!」
わたしは、じっと床に伏せたままだった。男は中に入ってくる。真っ暗だから、わたしがいるのは全然わからない。わたしは男たちが奥に入ってくるにつれて、こっそりと壁のほうへと回り込み、入り口のほうへと逃げた。そして、二人の逃げ口を塞《ふさ》ぐようにして立ち上がると、大声で叫んだ。
「動くな! じっとしていれば、生かしておいてやる!」
二人は、ぎょっとなってこっちを向いた。
「じっとしていろ!」わたしはもう一度言った。
「誰だ、お前は?」男の一人が驚いて聞いた。
「誰でもいい! お前の知ったことか!」わたしはぴしゃりと言った。「おれの聞くことに答えろ。そうすれば、生かしておいてやる!」
もう一人の男は、げらげら笑い出した。
「生かしておいてやるだと?」そいつは大声で叫んだ。「生意気な。貴様は一人、こっちは二人だ。さあ、そんなせりふは、二度とはけないようにしてやる。こい!」
そして、さっと剣を抜くと、襲いかかってきた。
「待て! おれは、聞きたいことがあるだけだ! 教えてくれたら、殺さないでやる」
「ほ、ほう、殺さないでやるときやがったな!」一人が喚《わめ》いた。「こっちは右から、あいつは左から、こうやって斬り込んでも、殺さないでくれるってのか! この野郎め!」
わたしは、黙って剣を抜いた。あっという間に一人は真正面からやられて、ぶっ倒れた。もう一人が、ぎょっとする間もなく、肩をばさり。剣がぽろりと落ちる。逃げようたって、わたしは入り口に立ちふさがっているのだ。逃げようがない。こうなるとさすがに、奴も男だ。さあ、斬れ、とばかりに、わたしの剣の前で胸を張った。
「別にお前の命がほしいなどとは、言っていない。おれの聞きたいことに答えれば、助けてやる」
「誰だ、お前は! 何が知りたいんだ!」男は、傷を押さえたまま、喚きちらした。
「おれが誰だろうと、貴様の知ったことか! おとなしく、おれの質問に答えろ! ガル・ナルは、いつ宇宙船で出発した?」
「……」
「答えんつもりか。もう一度お見舞いしようか!」わたしは怒鳴りつけた。
「二日前」男はようやく、ぽつんと答えた。
「乗り込んだのは、誰と誰だ?」
「ガル・ナルとウル・ジャン」
「それだけか?」
「それだけだ」
「奴らは、宇宙船でどこに向かった?」
「そんなこと知るか!」とやけになっている。
「とぼけぬほうが、貴様のためだぞ!」と、わたしは脅《おど》かした。「奴らは、宇宙船でどこに向かった? 知っているはずだ。答えぬつもりか? おい!」
「ヘリウムの近くで、何か、別の飛行艇とおち合うとか言っていた。そこで、誰とかを宇宙船へ乗せるとか何とか言っていたが、名前は忘れた」
「ヘリウムからさらってきた女ではないか? そうだろう!」
「そうらしかった」
やっぱりそうだ。ヘリウムからデジャー・ソリスを連れてきた飛行艇と、どこかでおち合って、宇宙船のほうに乗せ替えようというのだ。
「その女を、どこに連れて行くと言っていた?」
「絶対に、見つからない場所だと言っていた」
「どこだ、それは?」
「……」男は口をつぐんだきりだ。
「どこだ、それは? 言わんつもりか! 斬《き》るぞ」
「ガル・ナルは、サリアに行くんだとか、言っていた」
サリア――火星の月。やっぱりそうか。これでもう、この男から聞くことはない。
「よし、出ていってよいぞ!」
男は肩の傷を押さえたまま、小屋の外に出て行った。わたしも、うかうかしてはいられない。急いでジャット・オールの待っているホテルへ戻ると、彼を外に連れ出し、今までの詳しいことを説明してやった。そして、最後にこう命じたのだった。
「お前は、すぐにビルの屋上から、おれたちの飛行艇を引き出して、パトロール艇に見つからぬように、ゾダンガから外に出て、それから西に向かって、約百六十キロ飛んだところで、待っているんだ。もしも、二日間待っても、おれがそこに行かなかったら、後はお前の自由に任せる」
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十二 ファル・シヴァスの手術
火星の月、サリア――それは、二つある火星の月の、近いほうのことだ。それは今、地平線の低いところにぼんやりとかかっている。この火星とあの月、その間のどこかに、わたしの妃、デジャー・ソリスをむりやり乗せた宇宙船が、一路、月に向かって飛び続けているのだ。ジャット・オールと別れたわたしは、その思いに胸がつぶれるような気持ちで、ファル・シヴァスの屋敷へと急いだ。しかし、その時――。
後ろから、こっそりと後をつけてくる奴の足音。さっと振り返りざま、わたしは剣を抜いた。ばっとその男は飛びのいた。
「お、おどかすなよ! やっぱり、お前だったのかい」
「そういう声は、ラパスだな!」
「どこに行っていたんだ。二日間、ずうっとお前を探していたんだぜ」
「そうか?」わたしは答えた。「何の用だ。早くしてくれ、こっちは急いでいるんだ」
〈ねずみのラパス〉は、もじもじしている。何か言いたいのだが、どう言ったらいいのかわからないという風でもあるし、何か、わたしが怖くて仕方ないようにも見える。
「な、おい、二日間もおれたちゃ、会っていない。話も積もってらあ。いつものところで飯を食おうよ!」と、ラパスが言った。
「今、食ってきたところだよ」と、わたしはそっけなく答える。
「ファル・シヴァスの旦那は元気かい」ラパスは続ける。「何か、変わったことでもあったかい?」
「なんにもないよ」わたしはわざと嘘をついた。「お前のほうは?」
「なあに、ちょいとした噂を聞いたぐらいのものかな」ラパスは言いながら、わたしの顔色をうかがった。「ウル・ジャンがな、ジョン・カーターの妃の、デジャー・ソリスをさらっちまったそうだぜ」
ラパスはそう言ってから、まじまじとわたしの顔を見つめるのだ。わたしを、ジョン・カーターではないかと疑っているラパスは、もし本当にわたしがジョン・カーターならば、これを聞いて、びっくりするだろうとかまをかけたのだ。だが、そんな手には乗りっこない。
「へえ、そうかい? ヘリウムの奴ら、驚いただろうな。じゃあ、おれは行くぜ。またな」
それだけ言うと、きょとんとしているラパスをそこに置いて、後ろも振り向かずに、わたしは、ファル・シヴァスの屋敷へと戻った。
門を開けてくれたのは、いつもの通り、ハマスである。
「おい、どこへ行くんだ?」
わたしが中に入って、ファル・シヴァスの部屋へ行こうとすると、ハマスが声をかけた。
「もちろん、ご主人のところだ」と、わたしは言った。
「ご主人様は、今お忙しい。明日にしろ」
「明日までは、待っていられない」
「駄目だ、今日は、絶対に駄目だ!」と、ハマスが頑張った。
「うるさいな、貴様は!」わたしは怒鳴りつけた。「さっさと、自分の部屋に引き下がって、寝てしまえ!」
「なんだと! この、たかが、よう……」
「たかが、用心棒で悪かったな!」わたしは剣に手をかけながら言った。「いいか、よく聞け! おれは、ここのご主人、ファル・シヴァスに雇われているんだ。貴様ではないぞ。よければ、たたっ斬ってやろうか、この腰抜けめ!」
ハマスはもう真っ青。がたがた震えている。
「お、おれは、お、お前さんのために、い、言ってるんだよ。旦那様は研究中なんだ。いま研究室に入っていったりすると、お前さん、殺されてしまうよ!」
「よけいなお世話だ、おれは用事があるんだ!」
わたしは、そのままファル・シヴァスの研究室の前に立つと、ドアをノックした。
「誰だ! 何の用だ。向こうに行ってしまえ! 邪魔をするな!」ファル・シヴァスの声だ。
「ヴァンドールです。大至急、報告することがあります」
「駄目だ、今は駄目だ、明日にしろ!」
「明日では駄目です。今すぐでないと困ります。入りますよ」
わたしがドアのハンドルに手をかけようとした時、さっとドアが内側から開いて、ファル・シヴァスが出てくると、慌てて後ろのドアを閉めた。何か、見せたくないものが、研究室の中にあるらしい。
「いったい、なんだというんだ、何だと!」ファル・シヴァスは、ひどくいらいらしている。
「ガル・ナルの宇宙船は、もう出発してしまいました」
「う、うむ」さすがのファル・シヴァスもこれを聞くとがっかりした様子。「犬め! 犬め! サリアから金や宝石を持ち込もうというのだな!」と喚《わめ》きちらす。
「ウル・ジャンも一緒です。うかうかできません。さあ、あなたの宇宙船で追いかけましょう!」
ところがだ。すぐに賛成するかと思ったファル・シヴァスが、どうしたことか真っ青になってしまったのだ。
「駄目だ、駄目だ」ひどく取り乱している。「おれにはできぬ、とてもできぬ」
「どうしたというんです」わたしは、驚いて聞いた。
「サリアは遠すぎる。誰もまだ、行ったことがないほど遠い。とても行けない。何か良くないことが起きる! サリアには恐ろしい人間が、怪物がいるかもしれない!」
「しかし、あなたはサリアに行くために宇宙船を作ったのではありませんか!」わたしは叫んだ。「あなたは、確かに、そう言いましたよ!」
「あれは夢だよ」彼は泣かんばかり。「とても実現はできない。恐ろしいよ。サリアまで飛ぶなどと……」
この腰抜けめ――わたしは、げらげら笑いたくなってしまった。なんという情けない奴なのだろう。わたしがいくら口をすっぱくして励ましても、ファル・シヴァスはうんと言わない。
わたしは、思いきって言った。「それでは、私ひとりで行きます」
ファル・シヴァスは、その声が聞こえないのか、そのまま研究室へ戻ろうとする。
わたしは後を追って研究室へ入ろうとした。
「入るな! 入ってくると、殺してしまうぞ」
だしぬけにファル・シヴァスは、まるで気でも狂ったように喚き始めた。
その時である。ドアの中から、叫び声が聞こえてきた。
「ヴァンドール様! 助けてちょうだい、ヴァンドール様!」
そのとたん、ファル・シヴァスは研究室の中に駆け込み、ドアを閉めようとした。しかし、そうはさせない。わたしはドアのハンドルを握ってこじ開けると、研究室の中へと押し入った。
おお――。なんという恐ろしいことだ。
研究室の中央にある台の上に、若い娘が四人、縛りつけられている。四人のうち、三人までは、頭の上が、ぱっくりと切り開かれているのだ。しかも、その娘たちはまだ生きている。
あまりの恐ろしさと苦しさに、声も立てずに、ただ、目を皿のように見開いている、そのむごたらしさ――。
わたしは、ファル・シヴァスに怒鳴りつけた。
「なんということだ、これは。なんという恐ろしいことを、貴様はしているのだ!」
「出ていけ! 出ていけ!」ファル・シヴァスは、きいきい声を張り上げた。「邪魔をするな! 何者だ、お前は! 犬め、虫けらめ! 殺してしまうぞ!」
「殺してしまうだと? この腰抜けじじいめ。さあ、この娘たちを元に戻せ! それから、貴様の相手になってやる!」
あまりのことに、わたしは怒鳴りつけた。ファル・シヴァスは、青くなって震えていたが、あっという間に、びっくりするような素早さで、ドアから外へ逃げ出した。
わたしはすぐに追いかけようとしたが、その前に、娘たちを助けようと思い直して研究室に戻った。台に載せられて縛りつけられていた四人のうち、最後の一人はもちろんザンダだった。きわどいところで、ザンダも、ファル・シヴァスの、この恐ろしい手術を受けるところだったのだ! わたしは剣で、ザンダを縛りつけている綱を切り離して、助け起こした。
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十三 出発
だが、それとほとんど同時に、廊下のほうから慌《あわただ》しい足音が聞こえてきた。一人や二人ではないらしい。
おそらくファル・シヴァスの屋敷の中に住んでいる男が、みんな剣を抜いてやって来たに違いない。ザンダはその荒々しい足音に、もう真っ青だったが、それでも落ち着いていた。
「ちょっと、あなたの剣を貸してくださいな、ヴァンドール様」と、ザンダは言った。
「どうするんだ?」わたしは、驚いて言った。
「ファル・シヴァスの手下たちは、きっとあなたを殺してしまいます。けれど、私たちは殺さないで、またあのむごたらしい研究の材料にされるに違いありません」
「おれはまだ、殺されていないんだぞ!」と思わず、わたしは言った。
「あなたが殺されてしまったら、もちろん私は自殺してしまいます。けれど、あの三人のかわいそうな娘、あの人たちはもう、どんなことをしても、生き延びることはできません。ファル・シヴァスの発見した方法のために、なかなか死ねないだけです。そして、さんざん研究に使われたうえで死んでしまうのです。今、私たちにできることは、私たちの手で、あの娘たちの命を奪って、苦しむ時間を縮めてあげることだけなんです」
その通りだ、わたしもそう思った。そしてそれは、わたしがしなければならないことであるのも、よくわかっていた。だが、わたしにはできなかった。
わたしは黙って、ザンダに剣を渡した。ザンダは健気《けなげ》にも、その剣を受け取ると、声も出せずに苦しみ続けている娘が載せられている台のほうへ近づいた。
わたしは背中を向けたまま、じっと待った。ザンダが、どんな方法で三人のかわいそうな娘の苦しみを止めてやったのか、わたしは知らない。ザンダは、つかつかとわたしの前に戻ってくると、ただ黙って、剣をわたしに返した。
ファル・シヴァスの子分たちは、研究室のドアの外に集まったらしい。足音が止まったな、と思うと、ファル・シヴァスの声。
「じたばたしても無駄だ! おとなしく出てこい!」
子分がたくさんいるせいか、さっきの意気地のなさはどこへやら、ファル・シヴァスの声は、えらく景気がいい。
「早く出てこい。さもないと、こっちから押し入って、殺してしまうぞ!」
わたしは、何も返事をしなかった。
来るなら来い――。何十人いるのか知らないが、斬って斬って斬りまくってやるぞ――。
ファル・シヴァスは喚《わめ》きちらしているが、別に中に押し入ってくる気配はない。わたしが怖くなって、剣を捨てて降伏してくるのを待っているのだ。
こっちから行ってやる。わたしは、ぱっとドアを開けた。だ、だっと、ファル・シヴァスの子分どもが飛び下がる。一番前に剣を抜いているのはハマス。ファル・シヴァスは後ろのほうで、ヴァンドールをやってしまえ、とかなんとか叫んでいる。わたしは、じりじりと剣をハマスのほうへ近づけていった。
「みんな、かかれ! こいつはただの一人だ。こっちは何人もいるんだ、やっちまえ!」ハマスが叫ぶ。
「やれ、やってしまえ! この犬め!」と、ファル・シヴァスは言った。しかし、誰も手出しをしようとはしない。じりじりと下がっていくばかり。わたしは、無用な斬り合いはいい加減にしたいと思っていた。早くなんとか、あの宇宙船に乗り込んで、ガル・ナルやウル・ジャンの宇宙船を追いかけて、わたしの妃、デジャー・ソリスを助け出さなければ――。
だから、奴らがおとなしく引き下がれば、そのままあの宇宙船の置いてある工場へと駆け込めるのだが……。
しかし、その時だった。一人の男がハマスを押しのけて、さっとわたしの前に飛び出してきた。
「いいぞ、ウオラック!」ファル・シヴァスが叫ぶ。「ヴァンドールの奴を殺せたら、自由にしてやる!」
そうか、このウオラックという奴は奴隷なのだ。奴隷にとって自由になれるということは、どんなに嬉しいことかわからない。
ウオラックは、ものすごい勢いで、斬り込んできた。ガチッ。わたしの剣とウオラックの剣とがぶつかって、火花が散った。すごい力だ。わたしはぱっと剣を横に払うと、いったん引き下がって、体勢を整えた。
こいつは、かなりな奴だぞ。油断はできない。力いっぱいで戦える相手だ。もりもりと、ファイトが沸いてくるのをわたしは感じた。ウオラックとかいう、その相手の奴もそうらしいのだ。目がきらきらと、輝いている。〈ねずみのラパス〉だの、ハマスなどといういんちきどもとはわけが違う。こいつは本当の戦士だな、とわたしは思った。
それに、ウオラックにしてみれば、わたしに勝てば自由になれる、奴隷でなくなる、というのだから無理もない。死に物狂いで突っ込んでくる。
「ウオラック、がんばれ! 斬ってしまえ! ヴァンドールをやったら、お前の体重だけ金をやるぞ!」
わたしを殺したら、自由と、それに金ももらえるというのだ。ウオラックはますます奮《ふる》い立った。ハマスの奴がしりうまに乗って、横っちょから、ちょいちょいと剣を突き出してくる。わたしは、さっと一発でその剣を弾《はじ》き飛ばした。
命を賭けて、力いっぱい戦うということは、本当に素晴らしいことだ。相手が強ければ強いほど素晴らしい。さっと突いてきた相手の剣をひらりとかわし、力いっぱいその隙を狙うと、ウオラックもまたぱっと身を翻《ひるがえ》して、わたしの剣を避ける。すかさずわたしが斬り込むと、相手は鮮やかに受け止めて、剣と剣に火花が散る。いつもなら、こうして斬り合いながら、相手がへとへとになるまで追いつめるのだが、今日はそれどころではない。早くかたをつけて、デジャー・ソリスを助けに行かねばならない。
わたしは、じりじりと相手を攻めていった。ウオラックも、ぎらぎらした目でわたしを睨《にら》みながら、ゆっくりと下がる。
ぱっとわたしは剣をウオラックの顔めがけて突っ込んだ。とっさにウオラックは、剣を避けようと首を横に振った。剣を突っ込むふりをしたわたしは、このチャンスを狙っていたのだ。すかさず、わたしの剣はウオラックの首を襲った。
う、うっ――という、ウオラックのうめき声とともに、わたしの剣はウオラックの首を、見事に刺し貫いた。
しまったといわんばかりの、悲しいような、悔《くや》しいようなウオラックの表情を、わたしは、今も、忘れることができない。わたしがさっと剣を引き抜くと、ウオラックは大木が倒れるように、どうと床にぶっ倒れた。
ひと息入れる間もなく、わたしはファル・シヴァスに襲いかかった。奴は、ハマスたちに取り囲まれて、もう真っ青だ。そこいらにあるものを、手あたり次第、わたしめがけて投げつけてくる。まったく、みっともないもいいところだ。
ガチャーン。ファル・シヴァスの投げつけた花瓶が、壁に命中して、こっぱ微塵になった。
椅子のクッション、飾り棚の置物、壁かけなどが、次々に飛んでくる。
ばかばかしいとは思いながらも、ぶつかればけがをする。わたしはひらり、ひらりと飛びのいたが、わたしの後ろにいるザンダは、ちょうど飛んできた壺の一つを、ぱっと受け止めると、力いっぱい投げ返したのだ。
ところがまあ、狙いはあやまたず、その壺はファル・シヴァスの頭に、ものの見事にガチャーン! ファル・シヴァスは、いちころでぶっ倒れてしまった。ばかばかしいともなんともはや、笑う気にもなれない。
一気にハマスの奴を、とばかりに襲いかかると、奴はすぐさま剣を放り出した。
「助けてくれ、ヴァンドール」と、もう奴は泣き声。「命だけは助けてくれ! 頼む、命だけは」
ハマスは、床の上に座り込んで、もうわたしを拝《おが》まんばかり。
「お前に襲いかかったのは、ファル・シヴァスの命令なんだ。おれはお前が好きだ! 助けてくれ! 命を助けてくれれば、お前の子分になるから!」
「信じちゃ駄目よ、ヴァンドール様。殺しておしまいなさい!」
「剣を捨てた奴を、殺す気はない」
「でも、私たちが逃げ出すのを妨害するわよ!」
「こいつを殺したって、妨害する奴はうようよしてるよ」
わたしは、そこにあった綱でハマスの奴をきりきりと縛り上げた。それから、ファル・シヴァスも。
他の奴は、もうとっくに逃げ去った後だ。わたしたちは、二人をそこに転がしたまま、ファル・シヴァスの宇宙船の置いてある部屋へ急いだ。
「どうして上へ行くんです? ヴァンドール様。出口は下でしょ」と、宇宙船のあることを知らないザンダは、不思議がった。「逃げ出せなくなるわよ、ヴァンドール。逃げ出すつもりじゃないの?」
「いいからついてくるんだ」わたしは、ザンダの手を取って、先へと急いだ。
宇宙船の置いてある部屋に飛び込むと、外との仕切りになっているドアを、みんな開け放した。前にちゃんと、調べてあったのだ。
そこから下を見たザンダは、大声をあげた。
「駄目よ! ここからは下まで二十メートルもあるわ。梯子《はしご》も何もないし。どうするの?」
わたしは、ひどく慌てているザンダを、とても可愛らしいなと思った。
「出口はそこしかないんだよ」と、わたしはわざとそう言った。そして、ザンダには構わず、宇宙船の前に立つと、じっと心を静めた。うまくいってくれ――そんな思いがわたしの心を騒がせる。だが、わたしは必死で自分の心を抑え、宇宙船の〈機械脳〉に向かって、ドアを開くようにと命令した。ひどく長い時間だったように思えたが、きっと、一瞬間のことだろう。
宇宙船のドアは、わたしの命令通り、静かに開き始めたのだ。そして、梯子がするすると出てきた。ザンダは目をまんまるにしている。そして、聞いた。
「誰が乗っているの?」
「誰も乗っていないよ」答えながら、わたしはザンダを宇宙船に乗せた。続いてわたしも乗り込む。そして操縦席についた。そこでわたしは、もう一度心を落ち着け、ちようどわたしの席の真上にあたる部分に取り付けてある〈機械脳〉に向かって、命令を下した。
――扉を抜けて、外に出よ。飛び上がれ。
宇宙船はわたしの命令通りに、ゆっくりと浮き上がると、そのまま静かに進み、外に向かって、わたしたちが開け放した扉の間を抜け、星空の下へと浮かび出たのだ。
「おお、ヴァンドール様、ヴァンドール様」ザンダは、わたしの首にかじりつくようにして叫んだ。
「自由になれたわ! あなたは私を助けてくださったわ!」
ザンダは、激しい喜びに、涙をぽろぽろこぼしている。
「あなたのお蔭よ、ヴァンドール様。私はあなたのものです! あなたの奴隷になります。一生、あなたの奴隷になります」
ザンダはもう、あまりの嬉しさに、気が狂ったかのように叫び続ける。
「さあ、ザンダ、落ち着きなさい」わたしは静かに言った。「きみは、わたしに恩を感じることなど、何もないのだ。きみは、自由な娘なのだ。もう、誰の奴隷でもない」
「私は、あなたの奴隷になりたいの、ヴァンドール様」そして、ザンダは低い声でつぶやいた。「あなたをお慕《した》いしていますの」
わたしは、静かにザンダの腕を、わたしの首から離した。
「ザンダ、言葉には、よく気をつけないといけないよ。きみは、そんなことをわたしに言ってはいけないのだ。わたしには妻があるのだ。そしてもう一つ、大きな理由がある。――いずれわかることだ。それを聞いたなら、きみは今言った言葉を、きっと後悔するだろうよ」
ファル・シヴァスの屋敷で、ザンダが、ジョン・カーターを殺してやりたいと言ったのを、わたしはまじまじと思い出したのだ……。
しかし、ザンダは言うのだ。
「何をおっしゃっているのか、私にはわかりませんわ。でも、お慕いしてはいけない、とおっしゃるのなら、そうするように努力します。でも、何とおっしゃっても、私はあなたの奴隷になるのよ」
「それについては、また、いずれ話すことにしよう」
わたしはそう言ってから、ちょっと息をついた。
「ザンダ。よくお聞き。今からわたしは、たいへん危険な旅をしなければならない。そしてその旅にきみを連れて行かねばならない。――というのは、きみを降ろしてやるために、ゾダンガの町に着陸することは、敵に見つかる恐れがあるので、できないのだ」
「私は、あなたと別れたりはしません。どこにだってついて行くわ、ヴァンドール様」
「どこに行くのか知っているのか」
「いいえ」とザンダは答えた。「私はちっとも気にしないわ。たとえサリアまで、でもね」
わたしは思わず笑い出し、そのまま心を落ち着けて、ジャット・オールが待っている地点へのコースを取れと、〈機械脳〉に命令を下したのだった。
だがその時、パトロール艇《てい》の、あのかん高いサイレンの音が聞こえてきた。
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十四 サリアへ向かえ
こんな変な形をした宇宙船で飛べば、すぐにゾダンガのパトロール艇にひっかかることはわかっていたが、それでも、なんとか捕まらないでほしいと、わたしは思っていたのだ。
ファル・シヴァスによると、この宇宙船にはすごい大砲も載せてはいる。だが、パトロール艇と撃ち合いをやって、まかり間違ってこっちの宇宙船に弾が当たって故障でも起こしたら――もう、デジャー・ソリスを助けることも、ウル・ジャンどもを退治することも、みんなおじゃんになってしまう……。だから、なんとか逃げ延びよう。わたしは、心でそう決めた。
パトロール艇のサイレンは、ぐんぐん近づいてくる。
「どうするつもり、ヴァンドール様?」と、ザンダはひどく心配そうに言った。
「ここらで、ファル・シヴァス自慢のエンジンを徹底的にテストするとしようか」
わたしは〈機械脳〉に命じた。
――スピードを上げろ。ぎりぎりまで上げろ。パトロール艇をまいてしまえ!
心の中でそう思う間もなく、宇宙船はぐうんとスピードを上げ始めた。怖いほどの勢いだ。あっという間に、パトロール艇のサイレンの音は遠くなった。目の下をゾダンガの町の明かりが、まるで飛ぶように後ろへ流れていく。
ポン、ポンと、パトロール艇の撃つ機銃《きじゅう》の音が聞こえたが、ここまで引き離せば、命中する心配はない。それよりも驚いたのは、この宇宙船の性能だ。すごいスピードだ。
まもなく宇宙船はゾダンガの町を抜け、ジャット・オールが待っているほうへと飛んでいく。わたしは、スピードを落とすようにと命令して、目の前に広がる星空の中を、ゆっくりと捜す。いた、飛行艇が一隻。ジャット・オールに間違いない。
宇宙船は、わたしの命令の一つ一つに、まったく、恐ろしいほどの正確さで応えた。まず、スピードを落としながら、ジャット・オールの乗っている飛行艇に近づくと、ぴたりとスピードを向こうに合わせた。それからゆっくりとドアを開き、梯子をくり出すと、それが向こうの飛行艇のドアすれすれになるよう、細かく宇宙船の位置を修正した。そのうまさときたら、こっちが怖くなるほどだ。わたしは、フランケンシュタインを思い出してしまった。
ジャット・オールは、ひどくびっくりしたらしいが、ひらりとその梯子に乗り移り、こちらの宇宙船へ乗り込んできた。
わたしはジャット・オールに、飛行艇を自動操縦にして、ヘリウムに向けて飛ばせと命じた。そうすれば、ヘリウムのパトロール艇が見つけて着陸させ、わたしの格納庫に入れてくれるからだ。
ジャット・オールは言われた通りにすると、また、こっちの宇宙船に帰ってきた。そのとたん梯子《はしご》はするすると上がり、ドアがぴしゃりと閉まる。
ジャット・オールはあまりのことに、きょとんとしている。さっきは、わたしがドアを開けたり、梯子を下ろしたりしたとばかり思っていたのだ。宇宙船の仕掛けを教えてやると、目を丸くしている。
そしてわたしは、ザンダを紹介してやった。
ジャット・オールが落ち着いたところで、わたしは〈機械脳〉に向かって、火星の月、サリアに向けて全速で飛ぶようにと命令を下したのだった。
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十五 サリアに接近
火星を包む薄い大気を抜けて宇宙空間に飛び出すと、わたしはジャット・オールとザンダに、今のうちに寝ておくようにと言った。宇宙船にベッドはついていなかったが、〈機械脳〉の働きで、宇宙船の中はいつも火星の上と同じ状態に保たれている。この宇宙船のスピードから考えると、火星の月、サリアに着くのは、明日の昼ごろになる予定だった。
二人が寝てしまうと、わたしは宇宙船の中を詳しく調べて回った。食料もたくさん積み込んである。心配なしだ。そこで、わたしは操縦席に戻り、のんびりと星をながめた。火星の大気を通して見る星に比べて、なんと鮮やかなことだろう。
ところが、そのとたん、わたしはとんでもないことに気がついたのだ。火星の月、サリアに向かって飛んでいるはずだというのに、この宇宙船の前に、サリアはまったく見えないではないか。
〈機械脳〉が狂った――。とっさにわたしはそう思った。大変なことになってしまった。どうすべきか……。
と、そこへ、ジャット・オールがやって来た。
「眠っておけと言ったろう」
「それが眠れないもんで、殿下」
「ヴァンドールだ!」わたしは、慌てて言った。
「し、失礼、眠れないのであります、ヴァンドール」
わたしは、黙って星の海を見た。わたしたちは、一体どこへ向かっているのだろう。
「しかし、ファル・シヴァスとかいう奴は、まったく大変なものを発明したものですね。さっきまで、バルスームにいたというのに、もうすぐ、サリアに着くというんだから……」
「ところが、そうでもないらしいぞ」
「ええっ?」ジャット・オールはびっくりした。「どういうことです、それは? 殿下じゃない、ヴァンドール」
「おれにもよくわからない。ジャット・オール、外を見ろ、サリアが見えるか?」
びっくりしたジャット・オールは、窓の外を見た。
「み、見えません! い、一体、どこに向かって飛んでいるのですか、この宇宙船は?」
「おれにもわからん」
「〈機械脳〉が狂ったのでしょうか?」
「それもわからん」
ジャット・オールはしばらくの間、何も言わずにじっと考えていたが、だしぬけに大声を上げた。
「わかった!」
「なんだって?」
「わかりましたよ、この〈機械脳〉は正しいんです。われわれの脳より、もっとね」
「……?」
「サリアは、一日に三回もバルスームの周りを回ります」と、ジャット・オールは続ける。「ですから、この宇宙船はサリアとぴったり出会う予定の場所に向かって、飛んでいるのですよ」
なるほど、そうか。言われてみればその通りだ。まったく、なんという素晴らしい性能を持った宇宙船なのだろう――わたしは思わず、ため息をつかずにはいられなかった。
しかし、それをぴたりと見抜いた、この若い士官、ジャット・オールの頭も大したものだ。わたしは、こんな男を部下に持っていることを、とても頼もしく思ったのだった。
「ほら、ご覧なさい。サリアが昇ってきます」ジャット・オールが窓の外を指さした。
宇宙船の右後ろを振り向くと、ものすごく大きなボールのように広がっている火星の陰から、火星の近いほうの月、サリアがゆっくりと姿を見せ始めている。
「美しい」わたしは思わずつぶやいた。
太陽の光に照らされて、サリアの白い砂漠や黒々とした山脈、谷間がくっきりと浮かび上がり、その全体はまるで黄金でできた球のように、きらきらと輝いている。
新しい世界――。地球人はもちろんのこと、火星、つまりバルスームの人たちでさえも、誰一人として、訪れたことのない世界が、わたしたちの目の前で、きらきらと輝いている。やがてその世界の上で、わたしたちの新しい冒険が始まるのだ。あの星のどこかに閉じ込められているわたしの妃、デジャー・ソリスのことを思うと、激しいファイトが沸いてくるのを、どうしようもなかった。
眠っていたザンダも目を覚ました。そして、その素晴らしい景色に目を見張るのだった。
「もうすぐね!」と、その声は弾んでいる。
「もうすぐだ。だが、どんな苦労が待ち構えているのか、わからないのだぞ、ザンダ。恐ろしくないか?」
「ちっとも、あなたと一緒なら」ザンダは、けろりとして言った。
話をしているうちにも、サリアはぐんぐん昇ってきた。そして、宇宙船のほうもサリアへとコースを、ちょっと変えた。やがてサリアは宇宙船の正面に大きく、広がるように、近づいてきた。宇宙船は、大きく旋回を始めながら、ぐんぐんと降下していく。
しかし、ちょうどその時、サリアは火星が作る影の部分――つまり夜に入ってしまったので真っ暗になった。
「夜、着陸するのは、あまり良い考えではありませんね」と、ジャット・オールは言った。
「それはおれも賛成だ。よし、影から出るまで、ひと休みしよう」
わたしは、宇宙船の〈機械脳〉に命令を下し、降下のスピードをゆるめ、旋回を続けさせた。
「今のうちに食事をしておいたほうがよい」
「私がいたします、ご主人様」すかさずザンダが、変に礼儀正しい言葉で言った。「食料は積んでございますか?」
「船の後ろの、倉庫の中にある」
ザンダは、すぐ倉庫のほうへと行った。
「あの娘は、本当に奴隷なのですか」ジャット・オールは、不思議そうに言った。「まるで、奴隷のような言葉を使いますね」
「奴隷ではない、と言って聞かせるのだが、わたしはあなたの奴隷ですと言って頑張るのだ」
「なぜです?」
「ファル・シヴァスの屋敷で、奴隷として使われていた時、おれのためにあてがわれたからだ」
「なるほど」
「本当は、ゾダンガの貴族の娘だ。教育もあるし、上品だし」
「それに美しい」とジャット・オールが言った。「あの娘は、あなたをとても慕っているようですね」
「わたしの正体を知らぬからだよ。あの娘は、自分がファル・シヴァスの奴隷になったのも、自分の父親がジョン・カーターの軍に殺されたからだと、ひどく恨《うら》んでいる。おれたちが、ゾダンガを征服した時のことさ。だから、もしもこのおれがジョン・カーターだと知ったら、きっとただではすまないだろうよ」
ザンダが操縦席の後ろの船室から、わたしたちに声をかけた。食事の用意ができあがったのだ。わたしたちが行ってみると、テーブルの上には、きちんと食事が並べられている。
わたしとジャット・オールが食べ始めても、ザンダは、テーブルのそばにきちんと立ってお給仕をする。一緒に食べようとわたしが言うと、ザンダはこう答えた。
「奴隷の私が、ご主人と一緒に食事をすることはできませんわ」
そこで、わたしは言ってやった。
「ザンダ、きみがわたしの奴隷じゃないということは、何度も言ったじゃないか。もしもまだ、わたしの奴隷だと言って頑張るのなら、ジャット・オールに譲ってしまうぞ。それのほうがよいのか?」
ザンダは、ちらりとジャット・オールの整った横顔を見た。
「きっと、ジャット・オールも、私を大切にしてくださるでしょう。でも、私はヴァンドール様のものなんです」
「おやおや」と、ジャット・オールは言った。
「ザンダ、きみはバルスームのしきたりをよく知っているだろう」と、わたしは言った。「自分の奴隷に向かって、自由にしてやると言えば、その奴隷は自由になるんだ」
「私は自由になりたいとは思わないんです。でも、そんなにおっしゃるのなら、そのようにしましょう」と、ザンダは答えた。「ですけれど、それなら、私は何になるんですか」
「わたしたちの冒険の仲間さ」とわたしは言った。「喜びも、危険も、われわれ三人で、分け合うんだ」
「なんだか、お二人の足手まといになりそうで心配だわ。何もできないんですもの」
「それで十分さ」とわたしはザンダに答え、それから、ジャット・オールに言った。「ジャット・オール、ザンダの面倒をみてやってくれ。おれの命令だ」
「はい、承知しました」すぐに、ジャット・オールが答えた。それを聞いてザンダは、寂しそうな目をちょっとの間見せたが、すぐにジャット・オールに向かって微笑みかけた。
そんなことを話しているうちにも、宇宙船は降下を続け、目の下に火星の月、サリアの黒々とした森が広がり、その間にうすぼんやりと、大きな川らしいものが白く見え始めた。バルスームでは、火星の月には水がないと言われていたから、学者たちはこれを聞いてさぞ驚くことだろう。
「それにしても、早く夜が明けないものかなあ、ずいぶんかかるものですね」と、ジャット・オールが言う。
地球の場合と違って、火星では、月が火星とそんなに離れていないので、火星の後ろに入ってしまった太陽がまた見え出すまでには、かなり時間がかかる。太陽は火星の陰から、もう永遠に出てこないのではないかと思い始めたころ、ものすごく大きく見える火星の縁から、きらりと太陽の光が差し始めたのだ。
目の下に広がる火星の月サリアは、みるみるうちに明るくなっていく。山や谷、森や川がはっきりと見え出した。
「さあ、着陸しましょうか」ジャット・オールは、張り切っている。
「ガル・ナルの宇宙船がどこに降りたか、だ」わたしは言った。「それをまず、見つけ出さないと」
「しかし、それは砂漠の中で、砂粒を一粒見つけ出すようなものですよ」
「見つかるかどうか、おれも心配しているところなんだ」
「あっ!」その時、ザンダが叫んだ。「あれは――あれは何かしら!」
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十六 見えない敵
ザンダが指さした方角には、森の中を流れている川が見えた。その岸の小高いところに、大きな城が太陽の光に輝いているではないか。そしてよく見ると、塔が何本もそそり立っているその建物に囲まれた、庭らしいところに、なにやら細長いものが置いてある。
「あれは何だと思う?」と、わたしは二人に聞いてみた。
「ガル・ナルの宇宙船じゃありませんかしら?」と、ザンダは言った。
「この宇宙船にそっくりの形だ」と、ジャット・オールも言う。
「わたしもそう思う。サリアに住んでいる人間がいたとしても、これほどそっくりの宇宙船は造るまい」
わたしは、〈機械脳〉に降下を命令した。
地上に近づくにつれて、庭に置いてある、その細長いものが、ガル・ナルの宇宙船――つまりわたしたちが乗っている、この宇宙船そっくりのものだということが、はっきりとわかった。しかし、いくらよく見ても、そのあたりに、その宇宙船を作ったガル・ナル、あの殺し屋のウル・ジャン、それにデジャー・ソリスなどがいる気配はまったくないのだ。
いや、それどころか、そのあたりのどこにも人間が住んでいそうな様子は、全然見られない。
「よし、ガル・ナルの宇宙船のそばに降りるぞ! ジャット・オール、銃を用意しろ。いつ撃ってくるかわからないからな!」
「了解」と、ジャット・オールは言った。
宇宙船はぐんぐん降下していく。ふと気がつくと、ザンダは剣を二本持っていて、わたしのほうにその一本を差し出した。
「あたしも戦いますわ」とザンダは言った。
「敵の状況がはっきりするまでは、きみは宇宙船の中に残っているんだ」とわたしは言った。
「嫌だわ。あなたについて行って、一緒に戦うんです」
「駄目だ。わたしの言う通りにしろ。わたしたちが戻ってくるまで待っているんだ」
ザンダは、ぐいとわたしを睨《にら》みつけて言った。
「私は、もう奴隷じゃないわよ、自由な女なのよ!」
わたしは、思わず噴き出してしまった。一本やられたからだ。
「わかった、わかった。それじゃ、好きなようにするがいいさ」
やがてわたしたちの宇宙船は、中庭に置いてあるガル・ナルの宇宙船のそばに、ぴたりと着陸した。〈機械脳〉にドアを開くように命じ、続いて、縄梯子も下ろした。
あたりは、しいんと静まり返っている。そっと地上に降りると、続いてジャット・オール、それにザンダも降りてくる。
この建物は、明らかに城らしかった。ファル・シヴァスが考えついた通り、この火星の月サリアには、貴重な金属や宝石がたくさんあるらしい。この城の壁そのものも、そういった金属が材料らしい。不思議な輝き方をしている。
その時ふと、ガル・ナルの宇宙船をよく見た。なんと、ドアは開きっぱなし、縄梯子もぶら下がったままだ。
中に誰かいるのかもしれない。わたしはこっそりと忍び寄ると、梯子を伝って中に潜り込んだ。
さすがに、わたしたちが乗ってきたファル・シヴァスの宇宙船の設計を、ガル・ナルが盗んで作った宇宙船だ。中も、ほとんどそっくりにできている。わたしは、こっそりと船室を通り、操縦席へ忍び込んでみた。誰もいない。宇宙船はからっぽだ。わたしは、ジャット・オールたちのところに戻った。
「なにか、とても、無気味な気がするわ……」と、ザンダが心配そうに言う。
「庭もよく手入れされているし、この城に、誰も住んでいないとは、とても考えられませんね」と、ジャット・オールは言った。
「なにか、本当に気味が悪いわ」と、ザンダが言った。「誰もいないどころか、どこかから、見張られている感じよ」
わたしも、ザンダと同じような無気味さを、さっきからひしひしと感じていた。城の窓を一つ一つよく見るが、まったく何の動きもない。わたしは大声で呼んでみた。
「カオール! 誰かいないか!」わたしの声は、あたりの壁に反射して響き渡った。「この城の主人に会いたい! おれたちは、バルスームから来たんだ!」
しいんとした静けさだけで何の返事もない。
「なぜ返事をしないの!」ザンダが叫んだ。「ここらに、誰かが、確かに隠れているわ! 見えないだけよ。出ておいで! 私たちは、確かに誰かに取り囲まれているわ!」
離ればなれにならないように、三人は一緒に城の扉のほうへと近づいた。
その時だ――。突然、静まり返った静けさをやぶって、かすかな叫び声が聞こえてきたのだ。
「逃げてください、早く! そうしないと、大変です!」
わたしは、はっとして立ち止まった。紛《まぎ》れもなく、それは――デジャー・ソリスの声。
「お妃《きさき》だ!」と、ジャット・オールも叫ぶ。
「そうだ、妃だ! ついて来い!」わたしはそう言うなり、城の中へ駆け込んだ。
階段を五、六歩も駆け上がった時、突然、わたしの後ろでザンダの悲鳴が聞こえた。ぎょっとしてわたしが振り返ると、ザンダは激しい恐れに目を皿のようにして、何かから逃《のが》れようとでもするように、必死でもがいている。しかも、ザンダの周りには誰もいないのだ!
ジャット・オールとわたしは、ザンダのそばへ駆け寄ろうとした。そのとたん、ザンダは目に見えない手につかまれたように、ずるずるとドアのほうへ引きずられ始めたのだ。
あっという間のことだ。とっさにジャット・オールは、ザンダを引き留めようと飛び出した。
ところが、そのとたんだった。ジャット・オールが突然うめき声を上げたのだ。
「う、ううっ、や、やられた! う、ううっ!」
ジャット・オールは、見えない手で叩きつけられたように床の上にぶっ倒れると、苦しそうにのたうち回っている。それはまるで、目に見えない敵と、取っ組み合いをやっているように見えた。
わたしは、ザンダを助けようと、剣を抜きながら駆け寄った。だが、一体、何を斬るというのだ。相手は、まったく見えないというのに。
剣にかけては、火星じゅうどこを探しても、かなう相手はいないというわたしだが、今度という今度だけは手も足も出ない。目の前でザンダやジャット・オールが、捕まえられかけているというのに、そいつが何者なのか、どうやって追い払えばいいのか、さっぱりわからないというのだ。
わたしの片手が、ザンダにかかったとたん、突然何かがわたしの足にぱっと飛びつき、弾《はず》みをくらってわたしは床の上に引っくり返った。と同時に手――そう、見えないが、確かに手みたいなものが何本も、わっとばかりに襲いかかり、たちまち右手にあった剣をむしり取られてしまった。
わたしは素手《すで》のまま、めっちゃくちゃに暴れまわった。確かに、そこには体らしいものがあり、げんこつらしいもので、相手はわたしめがけて、殴りかかってはくる。しかし――何も、見えないのだ。一体、こいつらは何者なのだ。
ザンダも、その見えない手に捕《つか》まえられ、ドアの向こうへと連れて行かれるのが、ちらりと見えた。わたしは、なんとか後を追って、ザンダを助けようとめちゃめちゃに暴れたが駄目だ。相手の、見えない手はどんどん増えてくる。とうとうわたしは、手足を見えない手にがっちりと押さえ込まれてしまったのだった。
なんという、変な気分だろう。いくら目をこすったところで何も見えないのに、わたしはもう、手や足を動かすことができないのだ。そしてわたしは、引きずられるように立たされると、さっきザンダが連れ去られたほうへと、背中を突き飛ばされた。後ろに続くのは、ジャット・オールだ。
「何か見えますか?」
「きみが見える」と、わたしは答えた。
「いったい何者なんでしょう」
「わからないよ」としかわたしも答えようがない。「しかし、確かに手は人間の手と同じらしいな」
「もう、駄目ですね」と、ジャット・オールは言った。
「駄目なもんか!」わたしは力づけるように言った。
「でも、宇宙船をご覧なさい」
宇宙船――わたしは、この得体の知れない奴とのつかみ合いに気を取られて、わたしたちが乗ってきた、ファル・シヴァスの宇宙船のことをすっかり忘れていたのだ。わたしは、慌てて庭に置いてある宇宙船に目をやった。
宇宙船のドアからぶら下がっている梯子、それが、まるで、誰かが乗り込んでいくように、一段、一段としなっていく。目に見えない、この不思議な奴らが、今、わたしたちの宇宙船の中へと、乗り込んでいくところだ。
ああ、あの宇宙船を奪われたなら、わたしたちはもう二度とこの火星の月、サリアから出ることはできない、何とかしなければ。
方法は……方法はある。宇宙船の〈機械脳〉に命令を下すのだ。わたしは、心を沈めて、必死になって命令した。
――今すぐ上昇しろ。そして、わたしが命令をするまで上で待て。急ぐんだ。
その時、見えない手が、嫌というほどわたしを突き飛ばし、城の奥へと歩かせたので、果たして宇宙船が、わたしの命令に従ったのかどうか、確かめることはできなかった。
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十七 猫男
暗い廊下を、この目に見えない変な奴に追い立てられながらも、わたしは必死になって宇宙船の〈機械脳〉に命令し続けた。
果たして、わたしの命令はうまく届いたろうか? しかし、それを確かめるすべもなく、わたしと、ジャット・オールは廊下を奥へ奥へと歩かせられる。
「こんな奴にかかっては、もう、手出しのしようがありませんね」とジャット・オール。
「まったくだ。ずいぶんいろいろな化け物とは出会ったけれど、こんな奴は初めてだ」と、わたしは答えた。
「相手は全然声を出さないけれど、こっちの声は聞こえてるんでしょうか?」
「聞こえないんじゃないか。どうやら手先だけで、意思をこっちに伝えようとしているらしい」
「しかし、この城は人間が造った城ですね。こんな、目に見えない奴が造ったものじゃありませんよ」
「たしかにこの壁の飾りや、絨毯《じゅうたん》の模様なんかは、人間のものだな」
「どこにいるんでしょう、この城の住人は」
「わからない」としか、わたしも答えようがない。「それさえわかれば、何とかなるんだがな……」
廊下の突き当たりには階段があって、わたしたちは後ろから、そこを上がれとでもいったように突っつかれた。階段を上がりきると、広い部屋の中へと追い立てられた。その一番奥に、ぽつんと誰かが立っている。ザンダだ。わたしたちは、ザンダと並んで立たされた。
壁の正面には、皇帝の座るような、ものすごく立派な玉座《ぎょくざ》がある。もちろん、それはからっぽ。がらんとしたこの広いからっぽの部屋の、からの玉座の前に、わたしたち三人だけが立たされている……。いや、からではない。玉座にも、そしてその周りにも、確かに何かのいる気配がする。なんだか知らないが、何かがわたしたちを、じっと見守っているのだ。この部屋の中いっぱいに、何かがいる。
どのくらいたったろうか。またもやわたしたちは、見えない手に後ろから突っつかれて、部屋の外へと連れ出された。そして今度は、三人とも別々の廊下へと引っ立てられた。いやもおうもない。もうとても駄目だ……という気持ちになり、三人が引き離されても、もう誰も声を上げる気力さえない。
わたしは一人、また階段を上へ上へと歩かされた。この城のどこかには、わたしの妃、デジャー・ソリスも閉じ込められている。だが、何をしてやれるというのだ。もう、わたしは考える力さえ失いかけている。
どうやらわたしは、城の隅にある塔の中へと連れ込まれつつあるらしい。突き当たりに大きなドアがあって、大きな鍵がかかっている。じっとそれを見ていると、ちょうど手で回したように、突然その錠がカチリと回り、ドアがゆっくりと開かれた。
暗い部屋だ。荒々しく部屋の中へ突っ込まれると、ドアが閉まり、外で鍵がガチャリと音を立てた。どうやら、牢屋にぶち込まれたらしい。
暗闇に目が慣れてきたので、わたしはゆっくりとあたりを見回した。部屋の片隅にあるベンチのところに、一人の男らしい者が座っていた。そいつは裸で、皮の腰帯をしめているだけ。びっくりしたのは、肌の色が、背中の壁の色とまったく同じ灰色をしていることだった。頭の格好《かっこう》は人間とよく似ていたが、その顔は広い額の真ん中に、直径が七センチほどもある大きな目が一つ――そして、まぶたがまるで猫のように、縦にくっついている。それだけではない。口が二つあるのだ。下のほうの口には、唇がなく、そのためにものすごい歯をいつもむき出している。上のほうの口は、小さく、丸っこいが、歯ははえていない。鼻は大きくて、ぺっちゃんこ、上を向いている。耳らしいものは、頭の上に小さいのが、ちょこんとついているらしい。
とにかく、ものすごい奴だ。猫の化け物だといったら、よくわかるかもしれない。とっさにわたしは、この化け猫の餌として、ここに放り込まれたのだと思った。
だが、よく見るとどうやら、そうでもないらしい。その化け猫のほうも、わたしをひどく警戒しているらしいのだ。じっと、わたしのほうを見つめている。わたしは、そいつへと近づいて言った。
「カオール!」と、わたしは挨拶してみた。
「仲良くしようぜ」
そして、火星のしきたり通り、剣を握る手を頭の上に高く差し上げた。つまり、剣でお前に斬りかかる気はないぜ、という意味だ。
するとそいつは、上のほうの口から、なにやら変な声を出した。にゃあ、にゃあ、とでもいった、まるで猫そっくりの声だ。そして、そいつは壁に沿ってわたしのほうへやって来た。そいつの後ろの壁が、灰色から黄色の部分にきたとたん、なんと、そいつの体の色はぱっと黄色に変わったではないか。カメレオンみたいな奴だ。
呆気《あっけ》に取られているわたしに向かって、そいつは、にゃあにゃあとしきりに何か話しかけるのだが、さっぱりわからない。これには、わたしも困ってしまった。
しかし、どうやら、たちの悪い奴でもないらしい。わたしは、そいつと話をしようとするのはさっぱり諦めて、今度は手真似でいろいろなことをやってみた。わたしは、これまで何回もこの手で、相手の言葉を覚えることに成功している。
だが今度ばかりは、にゃあにゃあ言うばかりで、人間の言葉ではないから、いくら手真似をやっても、それ以上には進まない。いい加減、くたびれてしまった。
その時、だしぬけにドアが開いた。食べ物らしいものが載《の》った、大きなお盆が宙を浮いて入ってくると、床の上にガチャリと置かれ、すぐにドアが閉まった。あの得体の知れない、目に見えない奴が持ってきたのに違いない。化け猫くんは、変な鳴き声を出しながら、まるで猫のようにしなやかに、部屋を横切ってドアのところに行くと、食べ物と水の入れ物を、わたしのところへと持ってきた。そして、これはお前の分だぜ、早く食べろよ、とでも言いたげな手真似をする。
それから今度は、もう一度ドアのところに戻り、一緒に運ばれてきた大きな鳥かごを持ってきた。鳥――羽がはえているから確かに鳥なのだが、それは、とても変な奴だった。羽のはえた、四本足の魚とでもいったら、一番、ぴったりするだろう。
どうするのかと、見ていたら、どうやら、その四本足の鳥が、化け猫くんの食事らしいのだ。わたしが、前に置かれた食事を食べ始まるそばで、化け猫くんも、食事に取りかかった。鳥かごのふたから手を突っ込んで、その四本足の鳥を捕まえようとする。鳥のほうは、必死になって、バタバタと逃げ回るが、とうとう、ぐいとばかりに捕まってしまった。
化け猫くんは、ひどく嬉しそうに、まるで猫みたいに喉《のど》をゴロゴロいわせながら、その鳥を引きずり出す。
それから、だしぬけにウオーッとものすごい叫び声を上げると、上のほうの口で、ぱっくりとその鳥にかぶりついた。たらたらと流れる血は、下のほうの口でぺろりぺろりと受け止める。
これには、わたしも反吐《へど》が出そうになってしまった。だが、化け猫くんは、その食事のあいだは、もうわたしのことなんぞすっかり忘れてしまっている。むしゃむしゃとすごい勢いで食べている。
やがて、ぺろりと全部食べてしまうと、水をぐいぐいと飲んで、ごろりと横になり、グーグー寝込んでしまった。
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十八 タリッド族の秘法《ひほう》
にゃあにゃあとしか言えない、化け猫みたいな一つ目の男が相手では、とても話をしたくても、できっこないとわたしは思っていた。
しかし、努力をすれば何でもできるものだ。この部屋にぶち込まれてからの数日間、退屈なままにいろいろとやっていると、どうにか話が通じ始めたのだ。
化け猫くんは、ウムカという名だと教えてくれた。わたしはさっそく、一番聞きたいと思っていたことを聞いてみた。
「あの、目に見えない変な奴は、いったい何者なんだ?」
「タリッド族さ」
「タリッド族って、何だ?」と、わたしは聞いた。「どんな奴だ? どうしておれたちの目に見えないんだろう?」
ウムカは答えた。
「おれには見えるよ。足音も聞こえる。お前には見えないのか?」
「見えない。君には見えるのか。そのタリッドとかいう奴は、いったいどんな格好をしているんだ?」
「お前さんに似ているよ」ウムカは答える。「少なくとも、お前さんたちとおんなじ種類の生き物だね」
「同じ種類?」
「そうだよ。目玉は二つあるし、口は一つしかない。でっかい耳が、頭の両側にくっついている。いずれにしたって、おれたち、マセナ族ほど、かっこ良くはないね」
目が一つで、口が二つあるほうがかっこいいなんぞと、いい気なもんだと思いながら、わたしは聞いた。
「だけど、どうしておれには見えないんだろう?」
「やり方が、わからないからさ」と、ウムカは言った。「それさえわかりゃ、おれみたいに、すぐよく見えるし、足音が聞こえるようになるさ」
「ぜひとも、そのタリッドとかいう奴が見たいもんだ。教えてくれるか?」
「教えてやるとも。だがな、これはなにも習ってすぐできるわけのものじゃない。精神力の問題だからな」
「それで?」
「お前に何も見えないのは、あのタリッド族の奴が精神力を使って、何も見えないのだとお前に思い込ましているからだよ。つまり催眠術みたいなものさ。だから、相手の精神力に打ち勝てば、はっきりと見えてくる」
「どうしたらいいんだ」と、わたしは聞いた。
「『おれはタリッド族が見えるんだ! タリッド族の足音が聞こえるんだぞ!』と、自分に言い聞かせるのさ。タリッド族のほうは、『何も見えない、何も聞こえないぞ』と、お前に言い聞かせてるんだ。耳には聞こえないがね。だから、それに勝つことさ」
「なるほど、それならできそうだな」
それからこの〈猫男〉こと、マセナ族のウムカは、自分たちのことについて詳しく教えてくれた。それによると、マセナ族というのは、ここ火星の月サリアの、森の中に住んでいるのだという。そして、あの目に見えない奴、タリッド族というのは、やはりこのサリアにたくさん住んでいたのだが、他の種族に滅ぼされて、今はもう、ほんの少ししか残っていない。だが今も、他の種族につけ狙《ねら》われていて、それから逃れるために、この精神力を使って、相手に自分の姿が見えなくなるような術を使っているのだ、という。
「生き残りのタリッド族は、みんなこの城の中に住んでいるらしい。男や女、それに子供もいる」
「それが、みんな見えるのかい?」
「ああ、見えるとも。ただ、奴らは、おれが見えることには気がついていないよ」
「おれたちは、どうしてここにぶち込まれたんだろう」と、わたしは聞いた。
「殺すためさ」と、ウムカは言った。「タリッド族は、自分たちの住んでいるこの城の中に入ってきた奴を、みんな殺してしまうんだ」
「どうして」
「あいつらはな、変なことを信じているんだ」
「どんなことだ、変なこととは?」
「おれもよくわからんのだが、奴らは太陽と月と星が、自分たちを支配していると信じている。それで太陽を喜ばすために、人を殺すのだ」
「変な話だな……」とわたしは思わず言った。「しかしなんとか、殺されぬうちに逃げ出す手はないものかなあ……」
「もし、そんなチャンスがあったら、おれだって、とっくに逃げ出しているさ」と、ウムカは言った。
食事は毎日、ちょうど正午ごろに運ばれてくる。わたしは、毎日、必死になって自分の心に、タリッド族の姿は自分にも見えるのだ、と言い聞かせながら、ドアが開くのを待ちかまえた。
だが、駄目だった。いつも、ドアの外からは、わたしの食事と、それからウムカのための鳥かごが、宙に浮いて入ってくるとしか見えない。わたしはもうほとんど、諦《あきら》めかけていた。
ある日のこと、わたしは、この城のどこかに閉じ込められているわたしの妃、デジャー・ソリスのことを考えていた。ちょうど、正午ごろだ。突然、ドアの外から足音が聞こえてきたのだ。考えてみると、この城に来てから、初めて聞いた足音だ。とっさにわたしは、いつものように一生懸命、自分に言い聞かせた。
わたしはタリッド族が見えるぞ――、声が聞こえるぞ――と。
足音が近づいてきた。タリッド族の立てる音は聞こえ始めた。あとひと息だ。
ドアが開いた。
二人の男が、いつもの食べ物と鳥かごを持って立っているではないか。見えたのだ。なるほど、人間にそっくり。肌の色は真っ白、目の周りと、髪の毛が青色をしている。胸につけているよろいは、黄金でできているらしい。そして、長い剣を吊っている。わたしたちは、見えないふりをしたので、二人は食事をそこに置くと、すぐに出ていった。
次の日。今度は二人ではなく、どやどやとかなりたくさんの足音が聞こえた。入ってきたのは二十五人。部屋の中は一杯だ。一番偉そうな奴が命令した。
「よし、二人とも連れ出せ」
初めて聞いた奴らの声だ。
入ってきた奴らは、さっと二手に分かれ、ウムカとわたしを捕まえ、廊下のほうへ連れ出そうとした。
ウムカが、ちらりとわたしを見た。見えないふりをしろよ――ウムカの目は、そう言っている。よしきた。わかっているぞ――わたしも、こっそりとうなずいた。そして、奴らのするままに、廊下へとおとなしく押し出された。
そして、長い廊下を歩かされて、わたしたちが捕まえられた日に、ザンダやジャット・オールと共に連れ込まれた、あの広い部屋へと連れて行かれた。
そこは、もうタリッド族で一杯だった。男・女・子供でぎっしり詰まっている。この前にわたしたちが連れ込まれた時も、きっとこんなにたくさんタリッド族がいたのかもしれない。ただ、わたしたちに見えなかっただけで……。
中央の高いところにある、二つの大きな椅子だけがまだ、誰も座っていない。
そこに、追い立てられて入ってきたのは、ジャット・オール、ザンダ、それに殺し屋のウル・ジャン、もう一人の男が、あの発明家のガル・ナルだろう。そして、もう一人はわたしの妃デジャー・ソリス!
「ああ、お目にかかれましたわね」デジャー・ソリスは、わたしを見るなり嬉しそうに言った。
「死ぬ前に、お目にかかれて、嬉しいですわ!」
「まだ死んではいないんだ、しっかりしろ!」わたしは、デジャー・ソリスを元気づけた。
殺し屋ウル・ジャンは、わたしを見るなり、ひどく驚いた。
「貴様か!」とウル・ジャンは大声を上げた。
「そうだ、わたしだぞ、ウル・ジャン」
「何しにここに来た?」
「ここから、お前を盗み出すためにな!」
「なんだって?」とウル・ジャンは言った。「ここからお前を盗み出して、お前の命をもらうためだ!」わたしは、落ち着きはらってそう答えた。
その時、一組の男と女が入ってきて、中央の大きな椅子に腰をおろした。すごく太った、偉そうな奴。女はとても美しく、おそらくタリッド族の王と妃に違いない。
わたしは、ジャット・オールたちに聞いてみた。
「みんな、この部屋の中、何が見える?」
「われわれの他には、誰も見えないぞ。お前には見えるのか?」と答えたのは、あのウル・ジャンと一緒に、自分の宇宙船でこの月へやって来た発明家のガル・ナル。他の者も、みんな同じ答だ。
「わたしには見えるのだ。君たちも、わたしの言う通りにすれば、見えるようになる。奴らの精神力に打ち勝って、自分は相手が見える、奴らの声が聞こえると自分に言い聞かせるんだ。すぐに見えるようになる。しかし、そんなふりはするな。見えないふりをして、奴らを安心させ、隙《すき》を見て逃げ出すんだ」
「お前たちと一緒に、逃げ出したりするものか! おれやウル・ジャンと、お前たちとは敵味方だ」
「こいつらの手から、うまく逃げ出すまでは、休戦ということにしようじゃないか」
ウル・ジャンとガル・ナルとは、しばらく何か考えていたが、やがて返事をした。
「よかろう。そうしよう」
「よし、では約束だ」わたしは、火星の決まり通りに、手を上げながら言った。「さあ、誓うんだ。この城から逃げ出すまでは、全員が仲間だと、な」
みんなは黙って手を上げた。
その時、椅子に座ったタリッド族の王と妃が話しているのが、わたしだけに聞こえてきた。
「いったい、こいつらは何の話をしておるのじゃ?」と、王は言った。
「わかりませんわ」と、妃が答えた。「おまじないを解いてやったらいかが? 男は四人ですもの。暴れても平気でしょう」
「いやいや、オザラ。われわれの姿を見せてやるのは、こいつらを殺す時じゃ」王は、そのオザラという名前らしい妃に向かって言った。「なぜそんなことを言うのじゃ?」
「あの、一番たくましい男は、私たちの姿が確かに見えるようですわ。わたしたちの声が聞こえるに違いありません。だって、私のほうをじっと見つめていますもの。それだったら、いっそのこと、私たちの姿を見せてもよいでしょう、ウル・ヴァス様」
しまった――と、わたしは心の中で叫んだ。気づかれたか!
だが、ウル・ヴァスという名の王は、妃オザラの言葉を相手にしなかった。
「そんなことは、あり得ない。お前の思い過ごしじゃよ、オザラ」と、ウル・ヴァス王は言った。
そう言われて、妃は不満そうにひょいと肩をすくめたが、その目はじっとわたしを見つめたままだ。
「始めよ!」そのときウル・ヴァス王が大声で命令すると、老人が一人、よぼよぼと前に進み出てきて何やらしゃべり始めた。
「おお、火の神の子、ウル・ヴァス王よ!」まるで歌でも歌うような感じだ。「時は参りました。お父上であらせられる、火の神様へとお捧《ささ》げ申す、いけにえも揃いました。さあ、火の神様へお祈りくださいまし! この者どもの命をお受け取りくださいませ、と!」
ウル・ヴァス王は、何も答えずにじろじろとわたしたちを観察している。
「父なる火の神は、こやつらが何者なのか、きっとお知りになりたいであろうぞ!」王は、その老人に向かってそう言った。どうやらこのじいさんは、この城の坊さんらしい。
「いけにえの一人は……?」すぐにその坊さんが答えた。「猫男、マセナ族の者でございます。城の外にて捕まえましたもの。他の六人については、一体、どこからやって参ったのか、よくわかりませぬ」
「なるほど、それで一体どこで捕まえた?」と、ウル・ヴァス王は言った。
「こやつらは、なにやら鳥のように空を飛ぶ、不思議な乗物に乗ってやって参りました。それも、二回に分けて。すいすいと城の壁を越えて、お庭の中に降りましてございます。何のためにやって参ったのかも、よくはわかりませぬ」
「一人だけ、肌が白いわね」妃オザラは、わたしのほうを指さしながら言った。
「左様でございまする。しかし、なぜ一人だけ肌の色が違うのかは、よくわかりませぬ」
「なるほどな」と、ウル・ヴァス王は言った。
「おお、火の神の御子《みこ》! ウル・ヴァス王様! 時は参りました。火の神に、いけにえを捧げる時でございます!」
「わが父、火の神には、このマセナ族の男と、それから、この男たち四人を捧げることにしよう!」
「それで、二人の女はどうなさいますので? 王様」
「女の二人は、父なる火の神が、息子である私にくださるのだ!」
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十九 王妃オザラ
わたしたちは、今日から七日目に殺されることになったのだ。そして、わたしの妃デジャー・ソリスとザンダは、ウル・ヴァス王の奴隷にされてしまう……。
みんなは、まだタリッド族の精神力から抜け出せずに、何も聞こえなかったらしい。よかった――もしも、わたしがあと七日で殺されると知ったら、デジャー・ソリスがどんなに悲しむことだろう。聞こえなくてよかった――わたしはそう思った。
「こいつらを連れて行け!」ウル・ヴァス王は大声で命令した。「いけにえにする男どもは〈トルコ玉《だま》の塔〉へ、奴隷にする女どもは〈ダイヤモンドの塔〉へ入れておくのだ」
まわりにいた兵士たちは、わたしたち一人一人の両手を取った。わたしは、よほど思いきって、こいつらの手を振り払おうかと思った。そしてこの、ずんぐりと太ったウル・ヴァス王に襲いかかってやろうかと思ったのだ。
だが、死に物狂いで戦っても、こんなにたくさん兵隊がいるのでは、とても勝てそうにない。わたしが力いっぱい戦って、立派に死んだところで、デジャー・ソリスが無事にヘリウムへ帰れるわけのものでもない。わたしは必死で我慢して、おとなしくそいつらの命ずるままについて行った。ジャット・オール、それに殺し屋のウル・ジャンと発明家のガル・ナル、そして、猫男のウムカも一緒だ。
城の中の長い廊下を歩かされ、今までとは違う部屋の中へ、わたしたちはみんな一緒にぶち込まれてしまった。ドアが閉まって、足音が聞こえなくなるまで、わたしはじっと黙っていた。
「何だったんです?」と、ジャット・オールはわたしに聞いた。「あんな、からっぽの大きい部屋の中に連れ込まれて、立たされっ放しで。それからまた、手を掴《つか》まれてここに連れてこられるなんて、さっぱりわからない」
「からっぽじゃなかったんだよ、ジャット・オール。あの部屋の中は、人間で一杯だったんだぜ」と、わたしは答えた。
「あなたは、見える、見えると自分に言い聞かせれば、そいつらが見えるようになるとおっしゃったので、やってみたんですが何も見えませんでしたよ」
「まだ、精神の集中ができていないんだよ、ジャット・オール」
「それで、いったい、あの部屋の中で、何があったんですか」とジャット・オールが聞いた。
「あそこには、この城に住んでる王と妃がいてね、おれたちを七日後に殺してしまうことに決めたんだ」
「ええっ?」と、ジャット・オールはひどく驚いた。
「デジャー・ソリス妃とザンダもですか?」
「残念だが、そうではない」
「残念だが、ですって?」
「そうだ。殺されるよりももっと悪い。二人は、奴隷にされてしまう」
ジャット・オールは、それを聞いていきり立った。
「何とかしましょう!」と、ジャット・オールは大声で言った。「二人を助けなければ!」
「それはわかっている」とわたしは答えた。「だが、どうやって助けるんだ?」
「諦《あきら》めたんですか! 二人を残して、おめおめと、あなたは奴らに殺されるつもりなんですか!」
「そう喚《わめ》くなよ」と、わたしは、ジャット・オールをなだめた。「諦めたりはするもんか、ジャット・オール。ただ、どんな手を使ってやるか、思いつかないだけさ。おれが奴らの姿を見たり、声を聞いたりしていることを、奴らのほうはまだ知らないからな。何か、この手を使えると思っているんだ」
「われわれは、なぜ殺されるのだ?」と、ガル・ナルは言った。
「奴らが信じている火の神のために、いけにえにされるのさ」と、わたしは言った。「火の神というのは、太陽のことらしい。つまり、太陽への捧げ物にされるんだな」
「お前はなぜ、奴らの言葉がわかるんだ?」
「この、ウムカから習ったんだ」
わたしは、猫男、ウムカをみんなに紹介した。
前に閉じ込められていた時と同じように、食事はいつも、きちんと届けられた。ウムカが、生きている鳥をうまそうに平らげるのを見るたびに、何かその鳥がわたしたちの運命のように思えてくるのだった。
三日ほどたってからのことだ。昼の食事を終わった頃、またドアが開き、兵士たちが四人、入ってきた。もちろんそれは、ウムカとわたしにしか見えない。だが、わたしたちは必死になって、何も見えないふりをした。
一番偉そうな奴が、わたしを指さして命令した。
「こいつだ」
言われた兵士たちは、わたしの両腕をつかんで、ドアのほうへと引っ立てた。
ジャット・オールたちはひどく驚いた。何が起きたのか、さっぱりわからないのだから。
「どうしたんです!」と、ジャット・オールが叫んだ。「どこに行くんです!」
だがその時、わたしはもうドアの外へ連れ出されていた。ぴたりと閉まったドアの向こうでは、わたしの身を心配しているジャット・オールのわめき声が聞こえた。
わたしを引っ立てていく兵士どもは、わたしが奴らの姿を見ることも、声を聞くこともできるのを知らないのだ。平気な顔で、大声でしゃべっている。
「こいつらに、おれたちの姿が見えなくてよかったな。見えた日にゃ、じたばた騒いで、大変だったろうぜ。今、わめいてた奴も、かなり剣は強そうだったからな!」
「あいつよりも危ないのは、こいつのほうだ。こいつが城の中に迷い込んだんで、おれたちが捕まえようとした時、さんざん暴れやがって、とうとう素手で二人も叩き殺しやがった」
そうか――わたしはすっかり嬉しくなってしまった。となれば、こいつらも大したことはないわけだ。よし、是《ぜ》が非《ひ》でも、ここからデジャー・ソリスをはじめ、みんなを救い出すぞ――わたしは心の中でそう叫んだ。
わたしは、今まで連れて行かれたことのない、城の奥のほうへと歩かされた。そして、とても立派な部屋へと連れ込まれた。中にもう一つドアがある。
「お命じになった男を、連れて参りました」兵士たちの中で一番偉そうな奴が、大声で言った。「白い肌をした男は、ここにおります」
すると、中から声が聞こえた。
「お入り」
この城の王ウル・ヴァスの妃《きさき》、オザラの声だ。
ドアが開き、わたしは中へと押し出された。
すごくぜいたくな部屋だ。その真ん中の椅子に、妃オザラが一人で座っている。
「ありがとう」と、オザラは兵士たちに言った。「お前たちは、外で待っておいで」
「お、お妃様。こいつを一人でここに残すのですか!」兵隊は、びっくりしそうに言った。「万一のことがありますと……。こいつは、大変に危険な奴ですから」
「いいから、この男だけ残して出ておいき!」オザラは、ぴしゃりと命令した。
お妃様の命令とあっては、仕方がない。兵士たちは、しぶしぶと外に出ていった。後には、妃オザラとわたしの二人だけ。突然、オザラは大声で笑い出した。美しい声だ。
「名前は何というの?」
もちろんわたしは、まったく聞こえないふりをした。そして、オザラの姿も見えないように、わざとあたりをきょろきょろと見回した。
「お聞き」と、妃オザラは落ち着きはらっている。「お前はみんなを、うまくだましたわね。でも、私は駄目よ。だまされるもんですか。お前の目を見れば、すぐにわかるのよ」
大変な女だぞ――わたしは心の中でひやりとしないではいられなかった。
妃オザラは続ける。
「変なお芝居はもうおよし。私はね、お前の敵じゃないのよ。だから安心してよいのよ」
かまをかけるつもりだな――わたしはそう思った。うっかり返事をすると、取り返しがつかない。けれども、オザラの素晴らしく美しい目に、嘘があるようにも思えない。
さあ、どうするか――。
わたしは、思いきって口を切った。
「大変に光栄ですな、お妃様!」
「ほうれ、ごらん!」オザラは嬉しそうに叫んだ。「私の思った通りだわ!」
オザラは、しげしげとわたしを見つめた。
「お前は、どこで私たちの言葉を習ったの?」
「猫男のウムカからです」
「お前のことを、みんな話してちょうだい」オザラは熱心に言った。「名前は何というの? 国はどこなの? なぜ、ここにやって来たの? さあ、みんな話しておしまい」
「わたしの名はジョン・カーター」と、わたしは言った。「ヘリウムの王家タルドス・モルス皇帝一族の者です」
「ヘリウム?」と、オザラは首をかしげた。
「ヘリウムってどこにあるの。私は聞いたこともないわ」
「バルスームです。つまり、あなたがたから見て、大きな月にあたる星です」
「それじゃ、お前たちは王族なのね。私が思った通りだわ。みんな、高貴な心を持っているのが私にはよくわかるの。ただ、二人だけそうではないのがいるわね。あれは悪者だわ、きっと」
わたしは思わず笑ってしまった。どんぴしゃりだ。この妃は人の心を読めるらしい。
「その通りです、お妃様」
「お前は、その中でも一番素敵。一番立派な心を持っているわ」オザラは続けた。「何しにここにやって来たの? 言ってごらん」
「あなたのおっしゃる通り、心の良くない悪者二人が、ヘリウムの王女、私の妃のデジャー・ソリスをさらって、ここに連れてきてしまったのです。それで、その後を追ってデジャー・ソリスを救い出すためにやって来ました」
「ああ、二人の女のうちで、美しいほうの人ね」
「そうです」と、わたしは答えた。「もう一人の娘と、それから若い男は私の部下です」
「それじゃ」と、妃は言った。「お前たちは、私たちに、悪いことを仕掛けに来たんじゃないのね」
「もちろんですとも」
「あなたが、嘘を言ってるんじゃないことはよくわかるわ」
妃オザラは、わたしのことを呼ぶのに「お前」から「あなた」に、言葉を変えた。
「信じてくれてありがとう。でも、あなたは、なぜ私たちに、そんなに興味がおありなのですか?」
オザラは、しばらくの間、何も言わなかった。その美しい目が、まるで夢でも見ているように輝いている。
「多分、おんなじ身の上だからじゃないかしら」と、オザラは言った。「私は、ウル・ヴァスに捕《と》らえられているのよ」
「捕らえられている?」わたしは驚いた。
「そうよ。私は、ここに閉じ込められているの」
「ウル・ヴァス王とかの妃ではないのですか?」
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二十 脱走の計画
「そう、妃なの。だけど私は、捕らえられているのと同じことなのよ」
「するとあなたは、タリッド族ではないのですね」
「違います。向こうの山や谷をいくつも越えたところにある、ドムニアという国からさらわれたの。そして、むりやりにウル・ヴァスの妃にされてしまったのよ」
「なるほど。でも、ウル・ヴァスは、あなたを大切にしているようではありませんか」
「ウル・ヴァスはけだものよ。あいつは気が向くと、妃をどんどん取り替えるの。ウル・ヴァスの部下が、私よりも美しい娘を見つけてくれば、私はもう妃でなくなるわけよ……。そして、どうやら新しい妃を見つけたらしいわ」
「あなたより美しい娘をですか?」と、わたしは思わず聞いた。「信じられない」
「どうもありがとう。お世辞《せじ》がお上手ね」オザラは、ちょっと笑いながら言った。「ウル・ヴァスが自分で見つけたのよ。あなたは覚えていないの? あなたたちをいけにえにすると決めた時、あなたの仲間のきれいな女たちは残しておくと言ったのを」
「それじゃザンダだ」と、わたしは言った。「ザンダが、あなたに代わって、ウル・ヴァスの妃になるというわけですか」
「いいえ、もう一人のほうよ」
「デジャー・ソリス?」
「そう」
「そんなことをしたら、デジャー・ソリスにウル・ヴァスは殺されてしまう」
「そうかもしれないわね。だけど、どっちにしても私の命はなくなるわ」
「命がなくなる?」と、わたしは聞いた。「殺されるんですか」
「消されるとでも言うのかしら……」とオザラは言った。「このお城の中には、本当に恐ろしいことがたくさんあるのよ」
「どうして、あなたが私をここに呼んだのか、ようやく、わかってきた」と、わたしは言った。「あなたは、逃げ出したくて、わたしに手伝ってくれというんでしょう。もしもわたしの言う通りにしてくれるなら、わたしが逃げる時に、一緒に連れていってあげましょう」
「わかってきたのは、まだほんのちょっぴりよ。いずれ、みんなわかるでしょう」
「ところで、逃げ出すチャンスはありますか?」
「あると思うわ」
「どうやって?」
「庭にある船で」
「船?」
「あなたがたが乗ってきた空を飛ぶ船よ。一隻だけは、まだ庭に置いたままよ」
「一隻だけ?」と、わたしは聞いた。「壊《こわ》されていませんか?」
「みんなは、あの船をとても怖がっています。それで、みんなはあの船に近づかないのです。二隻あったうちの一隻は、ウル・ヴァスの兵隊たちが調べるために中に入ったとたん、飛び上がってしまったの」
「その船がどうなったか、知りませんか?」わたしは、それが一番知りたかったのだ。
「お城の上の、空に浮かんでいるわ。まるで何かを待つみたいに。ウル・ヴァスも、とても気味悪がっています」
わたしはほっとした。あのファル・シヴァスの作った宇宙船の中の〈機械脳〉は、わたしの命令を待っているのだ。
「庭にあるほうの船まで行けないかな?」と、わたしは聞いた。
「行けると思うわ。ここで夜まで待つの。そして、こっそり忍び出れば大丈夫よ」
「しかし、それでは他の連中が逃げ出せない」
「あら、私とあなたと二人だけで逃げるのよ」というのが、オザラの答え。
わたしはびっくりして言った。「そんなのは駄目だ。私は、自分だけが助かりたいなどとは思わない」
「なぜなの?」きょとんとして、オザラは言ったが、やがて悔しそうに続けた。「わかったわ。あの女が大切なのね、だから、一緒じゃないといやだって、いうんでしょう!」
オザラはひどく、意地悪そうな顔になった。やれやれ、女というやつは……。
そこでわたしは、男というものが、仲間を裏切ることは許されないのだということを、詳しく話してやった。それで、オザラはようやくわかったようだった。
「だけど、あなたの仲間を船が置いてある庭まで、どうやって連れ出したらいいのか、全然わからないわよ」
「それは、こっちに考えがある」と、わたしは答えた。「あなたが協力してくれればのことだが」
「どうするの?」と、オザラが聞いた。
「わたしたちが放り込まれている部屋の、窓に入っている鉄棒を切る道具がほしい。それから、女たちが閉じ込められている塔の場所を知りたい」
「それだけしてあげれば、私も連れて逃げてくれるのね」と、オザラが心配そうに念を押した。
「信じてほしい」わたしは、きっぱりと言った。「窓の鉄棒を切るやすりは、わたしたちのところに運んでくる食事の中に隠《かく》せないかな」
「いいわ、私の侍女に食事を運ばせることにすれば、できると思うの」
「女が閉じ込められている塔の窓は、どんな具合になっている?」
「あそこの窓には、鉄棒ははまってません。だって、すごく高いんですもの。逃げられっこないわ。それにあの窓は、ウル・ヴァスの部屋の窓に向かっているから、とても逃げ出すには無理よ」
「いや、そうでもあるまい」と、わたしは答えた。「むしろ、庭に出てから船に乗って逃げ出すより簡単だろう」
「今晩やる?」
「いや、明日の夜まで待ったほうがいい。窓の鉄棒を切るのにも、かなり時間がかかるはずだから。明日の夜、あなたは、あの塔の女たちのところでわたしを待っているんだ」
「わかったわ。他に何か用意するものはなくって?」と、オザラが聞いた。
「女たちが閉じ込められている部屋の窓から、色のついた布をたらしてくれ」
「どうするの?」
「いずれ、わかるよ。さあ、もうわたしを帰してくれ。怪《あや》しまれるから」
オザラは、机の上の鈴をとりあげて、チリチリと鳴らした。すぐに入ってきた兵隊に向かって、オザラはいばった口調で命令した。
「この男を、元の部屋に連れておいき!」
長い廊下を伝って元の部屋に戻されると、ジャット・オールはひどく喜んだ。
「もうお会いできないかと思っていました! しかも、たった今ドアが開いた時、見えましたよ! 本当に、タリッド族の兵隊がよく見えました!」
「そうか、それはよかった!」
「やつらの声も、足音も聞こえました」
「おれもだ」と、ガル・ナルは言った。
「おい、お前はどうだ、殺し屋!」とわたしは、ウル・ジャンに聞いてみた。すると、ウル・ジャンはひどくつまらなそうに、首を横に振った。
「なんにも見えない」
「諦めるなよ。早く、見えるようになってくれ。逃げ出すのに困るからな」
「逃げ出す?」と、ジャット・オールが大声を上げた。「何か、うまい手があったんですか?」
「お前たちの宇宙船は庭に置いたままだ」わたしは、ガル・ナルに言った。「奴らは、怖がって近寄らないらしい」
「お前のほうの宇宙船はどうなった?」と、ガル・ナルは言った。
「空に浮いたままさ」
「誰か、バルスームから連れてきていたのか?」
「いいや」
「しかし、誰かが乗っていなけりゃ、浮いたりはしないだろう」
「乗っているのさ」と、わたしは答えた。
ガル・ナルは狐につままれたような顔をした。「しかし、たった今お前は、誰もほかに、バルスームから連れてこなかったと言ったじゃないか」
「タリッドの兵隊が二人、乗ってるんだよ」
「なんだって? そいつらは、ファル・シヴァスの宇宙船の操縦法がわかるのか?」
「奴らには、わかりっこないよ」
「それじゃ、一体、どうして……」
「そんなことは、お前の知ったことじゃない。黙っていろ」と、わたしはガル・ナルをとっちめた。
「とにかく、おれたちの宇宙船は、空に浮いたままなのさ」
「でも、どうやって、空に浮いている宇宙船を……?」
「まかせておけと言うんだ。方法はある」本当に、あんな高いところに浮いている宇宙船の〈機械脳〉に、わたしが地上から命令を出しても、ちゃんと届くかどうか自信はなかったが、わたしはわざとガル・ナルにそう言っておいた。
そのときドアが開いて、妃オザラの奴隷が食べ物を入れた大きな壺を抱えて、中に入ってきた。そして、その壺を床の上に置くと、そのまま、ドアから外へと出ていった。
わたしは急いで歩み寄り、その壺を取り上げた。ウル・ジャンはきょとんとして、つっ立っている。
「おい、殺し屋! どうした?」と、わたしは聞いた。「お化けでも見たのか?」
「見えたぞ!」ウル・ジャンは、びっくりするような声を上げた。「今、入ってきた女が見えた! 初めて見えたぞ!」
「そうか! そいつは良かった」とジャット・オール。「これでみんな、おまじないが解《と》けたわけだ」
「剣を貸せ! こんな城なんか、ぶちやぶってやるぞ」と、ウル・ジャンが喚《わめ》く。
「調子に乗るな!」と、わたしはウル・ジャンをたしなめた。「この壺の中に、逃げ出すための道具が入ってるはずだ」
みんなは、わたしのまわりに集まってきた。わたしは、壺の中の食べ物をみんな取り出してみた……あった! 壺の底には、やすりが三本入っている。
そこでわたしたちは、さっそく仕事に取りかかった。
「窓の鉄棒は切ってしまうなよ。ぎりぎりまでで残しておくんだ」わたしは、みんなに注意した。「そうしないと、見つけられるぞ」
窓にはまっている棒は、地球でもバルスームでも、まったく見たことのない金属らしかった。ものすごく硬《かた》いのだ。まったく、その棒一本を、ぎりぎり一杯のところまで切るのに、たっぷりとまる一日かかってしまったほどだ。
夕方になって、奴隷が夕食を運んできた時、わたしたちはそれぞれの窓にぴったりとくっついて外を眺めるふりをしながら、やすりで切ったところを見つけられぬようにした。
やがて夜が来た。わたしたちは、さっそく仕事に取りかかった。だが、ウル・ジャンは心配そうに言う。
「窓の鉄棒はいつでも外せる。だが、それからどうしようというんだ。どうやって下までおりようというんだ。どう考えたって無理だぞ」
「おとなしく待っていろ。じたばた騒ぐな」と、わたしは答えた。
だが、ここからどうやって逃げ出すのか、それを知っているのは、わたしとジャット・オールしかいない。わたしは窓から体を乗り出して、空を見上げた。
何も見えない。
わたしは心を静めると、あの宇宙船の〈機械脳〉へ向けて、必死になって命令を下した。
――ここにおりてこい。早くおりてこい――
わたしは、心の中で念じ続けた。今までもこんなにも心をこめて、何かを祈り続けたことはない。
――おりてこい。早くここへおりてこい――
だが、ひょっとすると、宇宙船があまり高く昇り過ぎて、わたしの脳から出る思考波が、宇宙船まで届かないのではないだろうか……。そう思うと、冷たい汗がじっとりと、体ににじんでくる。
いや、そんなことはない。わたしはそう自分に言い聞かして、また、必死で念じ続けた。
――早くおりてこい。早くここへおりてこい――
どのくらいたったろう? みんなは、音ひとつ立てずにわたしを見守っている。もう何十時間も過ぎたような気がした。
――早くおりてこい。早くおりてこい――
ぽつんと暗い夜空の中に、黒い点が一つ現われた。ぐんぐん大きくなってくる。
宇宙船だ。わたしの命令通り、宇宙船は下りてきたのだ。みんなは、わたしのそばに駆け寄ってきた。そして、昼間やすりでぎりぎりまで切っておいた窓の鉄棒を、力いっぱい叩き折った。これで宇宙船の乗り移れる。
宇宙船は、ぐんぐん近づいてくる。もうひと息だ。わたしは、窓枠すれすれに近づくようにと宇宙船に命令した。
「中には、タリッドの兵隊が二人乗ってるはずだ。宇宙船の中には食料も水もあるから、きっとぴんぴんしてる。まずそいつをやっつける必要があるぞ。おまけに、奴らは剣を持ってるだろうが、こっちは素手ときてる」わたしは、ウル・ジャンに言った。「いいか、殺し屋、宇宙船のドアが開いたら、おれと一緒に飛び込むんだぞ」
「よかろう」ウル・ジャンは、にたりと薄気味わるい笑い方をした。「ウル・ジャン様とジョン・カーターが一緒に戦うなんてのは、ちょいと珍しいことだぞ」
「なんとか相手をやっつけよう」と、わたしは言った。
「うまくいけばひろいもんだぜ。こっちは何も武器がないんだからな」とウル・ジャン。
だが、さすがにナンバー・ワンの殺し屋だ。けろりとしている。
「ジャット・オール、ガル・ナルと一緒にすぐ後ろから来るんだ」とわたしは二人に言い、それから、ウムカに向かってマセナ族の言葉で言った。「二人に続いて宇宙船に乗り移れ」
ウムカは黙ってうなずいた。上のほうの口でにやりと笑ったらしい。
わたしは、窓の縁《ふち》によじ登った。ウル・ジャンもわたしのそばへ上がってきた。宇宙船は、もうすぐそこだ。宇宙船の出入口がわたしたちの目の前にきた。
「いくぞ、ウル・ジャン」
「おう!」
わたしは心を静めると、〈機械脳〉に向かって、心の中でドアを開けと命令した。そのとたん、するするとドアが開く。ぱっとわたしは、宇宙船へと飛び移った。
後ろからウル・ジャン。続いてあとの三人。操縦席のほうへ駆け込んだとたん、中に閉じこめられていたタリッド族の兵隊二人と、鉢合わせをした。剣を抜かすひまを与えたらアウトだ。ぱっとわたしは、一人の脚へ飛びついた。
弾《はず》みをくらったそいつは、激しい勢いで、尻餅をついた。とっさにわたしは、そいつの腰の剣を取り上げた。
ウル・ジャンのほうは、どんな手を使ったのか、見る余裕がなかった。だが、こっちがそいつから剣を取り上げて振り向くと、もう一人のほうも、あっさりとウル・ジャンやジャット・オールたちに組み伏せられている。
ウル・ジャンとガル・ナルは、この二人を早く殺してしまおうと頑張ったが、わたしは許さなかった。一対一の勝負ならともかく、こうして捕まえたやつを殺すなんぞという、そんな卑怯なことをやる気はない。とにかく、わたしは二人を縛り上げた。
「さあ、これからどうする? どうやって女を助け出すんだ?」とガル・ナルは言った。
「それより、お前たちの宇宙船が先さ」と、わたしは言った。「まあ、休戦は続けるにしたって、それぞれの船でバルスームに帰れりゃ、一番いいからな」
「それはそうだ」と、ガル・ナルは言う。「あの宇宙船には、おれのすべてがかかっている。あれを置き去りにしてバルスームには帰れん」
わたしは、万が一にもタリッド族の誰かがわたしたちを見ていても、後をつけられたりしないよう、いったん宇宙船を真上へと上昇させた。そして、うんと大回りをしながら、ガル・ナルの宇宙船が置いてある庭へ、こっそりと近づいた。
誰も番兵はいないようだ。こんなところに、こっそり近づいてくる者がいるなど、タリッド族は考えてもみないだろう。こっちの思うつぼだ。わたしは、宇宙船をガル・ナルの宇宙船のそばへと着陸させた。
「ガル・ナル、お前の宇宙船に乗れ。そして、こっちの後ろについてくるんだ、いいか。今から女たちを助け出しにいくぞ。用心しろよ。番兵はたくさんいるらしいから」
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二十一 ダイヤモンドの塔
ガル・ナルがわたしの宇宙船から降りて、自分の宇宙船へと乗り込むのを見た時に、わたしは何かひどく嫌な予感がしたのだ。だがそれは、きっとわたしがガル・ナルを大嫌いだからだろうと、すぐに思い直した。
空は真っ暗。火星も、それからもう一つの月――クルーロスも見えない。
ガル・ナルの宇宙船のモーターが回り始めたのが聞こえた。わたしは、静かにこちらの宇宙船を離陸させた。そして、いったん城の外へコースをとった。もしも見張りがどこかで、こっそりわれわれを見張っていたとしても、われわれがこれからやろうとすることを感づかれないための用心だ。
後ろを振り向くと、ガル・ナルの宇宙船が後ろに、ひっそりとついてくる。城のまわりをぐうっと大きく回り、今われわれが逃げ出したのと反対の方向からもう一度、城のほうへコースをとった。そして、デジャー・ソリスたちが閉じ込められているという、〈ダイヤモンドの塔〉へ近づいていった。
そびえたつあの塔の中に、女たちはみんな閉じ込められているのだ……。そして、あの美しい妃オザラの言ったことが本当ならば、オザラもまた、あの中でわたしたちを待っているはずだ。
オザラの言ったことは嘘ではあるまい――わたしはそう思った。しかし、いろいろと面倒なことになりそうだな。――わたしは心の中でつぶやいた。うまい具合に女たちを助け出せたとしても、それからが大変だ。殺し屋ウル・ジャンとガル・ナルが、いつわたしたちを裏切るか、まったく油断ができない。それからザンダは、ジョン・カーター、つまりこのわたしを、父の仇だと思ってつけ狙っている。今まではわたしを、放浪の戦士のヴァンドールだと思っていたが、何を隠そう、わたしこそジョン・カーターその人だと、きっともうデジャー・ソリスから教えられたに違いない……。ジャット・オールはわたしの部下だから安心できるとしても、猫男のウムカの正体はよくわからない。もちろん悪者ではなさそうだが……。
そんなことを考えているうちにも、宇宙船はその塔へぐんぐん近づいていく。わたしは、オザラに頼んでおいた目印の布がどこかに見えないかと、塔の窓を一つ一つ、よく探してみた。
あった――。
一つの窓から、確かに赤い布がたれ下がっている。オザラは約束を守ったのだ。
わたしは、宇宙船をその窓へゆっくりと近づけ、ドアを開くと、いつでも塔へ飛び移れるように身構えた。
窓を通して、中にはぼんやりと明かりが見え、三人の人影が見える。紛《まぎ》れもなくそれは、わたしの妃デジャー・ソリスに、ザンダ、それから妃オザラだ。
宇宙船は塔の壁すれすれまで近づいた。そこでわたしは、その塔へと飛び移ろうとしたその時だ。突然、塔の下のほうで叫び声が上がった。
見つけられた。
もうこうなったら後へは引けない。わたしは、窓から塔の中へ飛び込んだ。女たちはひどく驚いたが、飛び込んできたのがわたしだとわかると、デジャー・ソリスは喜びの声を上げた。
「必ず来てくださると思っていましたわ!」
「もちろんさ」わたしは、デジャー・ソリスの手を取りながら言った。「たとえ地の果てまでもね!」
喜び合っているひまはない。わたしたちは見つけられてしまったのだ。急がなければ。
喜びのあまり、わたしのむねに顔をうずめようとするデジャー・ソリスを押しとどめて、わたしは言った。
「急ぐんだ! 早く宇宙船に乗り移れ! 見つけられてしまったぞ!」
ザンダも立ち上がりながら叫んだ。
「来てくれると思ってたわ、ヴァンドール様」
ヴァンドール? おや、ザンダはまだ、わたしがジョン・カーターであることを知らないのか?
だが、そんなことをいっているひまはない。黙って立っているオザラも急《せ》き立てて、窓から宇宙船へと――。
宇宙船がない!
窓から身を乗り出して外をのぞいて見ると、二隻の宇宙船が塔からぐんぐんと離れていくではないか。一体どうしたというんだ。九十九パーセントまで成功しかけていたのに……。
ダッダッダッダッダッ――。
慌しい足音が、塔の中の廊下から聞こえてくる。
わかった――わたしはうっかりしていたのだ。わたしが塔に飛び移る時、わたしは宇宙船をつかさどる〈機械脳〉に、そこでとまって待っていろという命令は下していなかった。だから、宇宙船はそのまま塔の横を通り過ぎて進んでいったのだ。何も知らないガル・ナルの宇宙船は、わたしたちの宇宙船の後ろを正直にくっついていったのだ。ああ、なんというミスをやったのか。
わたしは必死で心を静め、ここに戻って来いと、宇宙船の〈機械脳〉へ向けて命令を送った。城を守っている兵隊たちの足音は、どんどん近づいてくる。
暗闇の中で、宇宙船が旋回を始めたのが見える。うまいぞ――早く来てくれ、そうしないと……。
足音はもうすぐそこだ。間に合わないか。
女たちを守らねば……。ひょっとすると、宇宙船は間に合わないかもしれない。
だが、宇宙船はわたしの命令通り、スピードを上げて近づいてきた。ジャット・オールとウル・ジャンが、いったい何事かと身を乗り出している。
「兵隊どもはドアの外まで来てる! おれが食い止めているから、その間に女たちを宇宙船に乗せろ! 急ぐんだ!」
そう言ったと同時に部屋のドアが開いて、兵隊どもがわっとばかりになだれ込んできた。
「窓際《まどぎわ》に行くんだ、早く!」わたしはデジャー・ソリスたちに、大声でそう叫んだ。
「宇宙船に乗り移れ!」
そして、入ってきた兵隊どものほうへ身構えた。あたりはもう、手に手に剣を構える兵隊どもで一杯だ。廊下まであふれている。
初めになだれ込んできた一人が、さっと剣で斬りかかってきた。わたしは軽く切先を突き放し、隙を狙って力いっぱい突く。ぎゃっと、うめき声を上げて、そいつはあっさり床にぶっ倒れた。抜く手も見せずに、返す刃先で二人めをたたき斬る。
だだっと、兵士たちが後ろへと引いた。
だが、奴らとて兵士だ。そのぐらいのことでへこたれるわけはない。なにしろ敵は大勢、わたしは一人。
ガッ、真正面から斬りかかってきた一人を自分の剣で受け止めると、そのまま、力いっぱい脇へそいつを払いのけ、よろける隙に斬りつける。あっけなくそいつは倒れた。
久しぶりだぞ、剣で斬り合うのは。
力を尽くして斬り合う、壮烈な戦いのスリルに、わたしはうっとりとなった。思わず、微笑が自分の顔に浮かんでくるのを感じる。何も考えない。ただ、戦いあるのみ。わたしは、斬って斬って斬りまくった。
奴らは戦士というほど剣は強くない。だから、わたしにしてみれば、それほど恐ろしくはなかった。だが勇敢だ。バタバタとわたしが斬り倒すはしから、ものすごい勢いで、次々に斬りかかってくる。
ふと気がつくと、そぐそばでは、ウル・ジャンとジャット・オールも必死で斬り合っている。そして、窓際にはデジャー・ソリスたちとウムカにガル・ナル。
「急げ、ガル・ナル! 早く、女たちを宇宙船に乗せるんだ!」
その時、応援の兵士たちが、まるで雪崩《なだれ》のように駆け込んできた。いけない。早くデジャー・ソリスたちを逃がさないと大変だ。
「ジャット・オール!」必死で斬り合っているジャット・オールに向かって、わたしは大声で叫んだ。「デジャー・ソリス妃を頼む! ザンダやオザラを宇宙船に乗せろ! 早くやれ! 先に逃げろ! おれたちがやられたら、妃たちはもう逃げられない!」
「あ、あなたを残してですか?」ジャット・オールは、一人を斬り倒しながら叫んだ。
「そうだ! 早くやれ!」
「そんな、馬鹿な! わ、私にはできません」ジャット・オールが大声で答えた。
「早く行け! 命令だ。ジャット・オール! 命令だぞ!」
「わ、わかりました!」
だがその時わたしは、なだれ込んできた新手《あらて》の兵士どもに、ぐるりと取り囲まれていた。
「ウル・ジャン! 頼むぞ!」
ウル・ジャンとわたしは、必死でジャット・オールの逃げ道を切り開いた。
「助けて! ジョン・カーター! 助けて!」
はっとして振り向くと、二人の兵士にがっちりと両手をとられたのはオザラ妃。
兵士どもは、ひしひしと追いつめてくる。
「早く乗れ!」わたしは叫んだ。「宇宙船のドアを開けておけ! おれがオザラ妃を助け出す!」
わたしはそう言うなり、めちゃめちゃに斬りまくりながら、オザラのほうへと突き進んだ。
ガッ、ものすごく大きなヤツが、いきなり斬りかかってきた。危ないっ! わたしは横っ飛びに、辛《かろう》うじてその切先を避けた。と、その隙を狙って、右と左から二人が同時に斬りかかってきた。
チャリン。剣と剣が激しくぶつかり合って火花を散らす。そこに、さっと四人目の奴の剣。避けようとして飛びのいたとたん、おもわずわたしはよろめいた。いけないっ! 得たりとばかりに、四人はいっせいに襲いかかってくる。危ないっ! ガチッ、ガチッ。辛うじて剣を避けはするが、ここでもうひと息、遅いかかられたら、もう駄目だ。真正面から、ここぞとばかりについてくる。
その時だ。ぱっと兵隊どもの中に飛び込んできた者がある。ウムカだ。猫男のウムカは素手だ。後でわかったのだが、マセナ族は、戦う時に武器はいっさい使わない。そのかわり、二つもある、あの猫みたいな大きな口でかみつくのだ。タリッド族の兵隊どもは、ウムカのものすごい勢いに、だだっと下がった。
助かった。わたしは、その隙に体を立て直した。だが、ウムカの体は、もう傷だらけになっている。
「ウムカ! 早く船に乗るんだ! 早く」と、わたしはそう叫んだ。
ウムカは、わたしをそのままにしておくのが心配でならないらしい。なかなか引き下がろうとしない。
「早くしろ! 命令だ!」と、わたしはもう一度叫ぶと、オザラを捕まえている奴のほうへと突き進んだ。
だが、兵隊たちは増える一方、わたしはもう、完全に取りまかれている。このまま窓のほうへ退いて、宇宙船に飛び移るのはやさしい。だが、オザラはどうなる? わたしたちが逃げ出すきっかけを作ってくれたオザラは、きっと殺されてしまうだろう。なんとしてでも、助け出さねば――。
だが、オザラのほうへ進むのは、タリッド族の兵隊どもの間に突っ込むことと同じだ。とても見込みはない。
その時またもや、新手の兵隊どもがなだれ込んできた。しかも、そいつはわたしには目もくれず、外に宇宙船が見える、その窓のほうにわれがちに押し寄せる。
ますますいけない。もしも、奴らが宇宙船に乗り移ろうものなら、――全ての計画はおしまいだ。
道はただ一つ。そしてその道をとるとすれば、わたしの一生はこれでおしまいだ。しかし、それ以外にない。大切なデジャー・ソリスを助けるためには……。
わたしは、すぐに決心した。そして、心の中で宇宙船の〈機械脳〉へ命令を下した。
――離れろ、塔から離れろ――
斬りかかってくる剣をそらしながら、ちらりと窓のほうを見ると、宇宙船はわたしの命令通りゆっくりと動き始めたところだ。ウル・ジャンとウムカが、ドアのところで、わたしを引っ張り込もうと待ち構えているのが、ちょっと見えた。
その時だ。突然、宇宙船の中から、ジャット・オールの叫び声が聞こえてきた。
「大変です! ガル・ナルの奴が、自分の船にデジャー・ソリス様を乗せて逃げました!」
おお、なんということだ。いったい何のために、わたしたちはこんなに死に物狂いで戦っているのか……。
ちょうどその時、何か棒みたいなものを振りかぶって、恐ろしい勢いで襲いかかってきた奴を、避け損《そこ》ねたわたしは、猛烈な一撃を頭に受けて、気を失ってしまった。
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二十二 地下牢の中で
暗闇の中――音ひとつしない。
わたしは、ぼんやりと意識を取り戻した。冷たい石の床の上に、わたしは横たわっていた。ひどく頭が痛い。肩から腕にかけて、べっとりと血が固まっている。だが、それほどひどい傷ではないはずだ。棒で頭をぶんなぐられる前には、ずいぶん相手を斬ったり、突いたりはしたが、こっちは全くやられてなかったのだから……。
わたしは、あたりを手探りで探ってみた。
石の壁だ。そしてドアがある。だが、びくともしない。鍵がかかっているらしい。
壁に沿ってずっと探り続けると、すぐにまた、元のドアに手が触れた。ひどく狭い部屋に、ぶち込まれているわけだ。
あたりは真っ暗。音ひとつしない。ひょっとすると、わたしは目と耳をなくしてしまったのではないか、とひどく嫌な気分になってしまった。利くのは鼻だけか? だが、かび臭いにおいがするだけ。別に、どうということもない。
一体、どのくらい前からここにぶち込まれたのだろう……。あれからどのくらいたっているのか。
そう、わたしの妃デジャー・ソリスとザンダ、それにオザラ妃を助け出そうとして、タリッド族に襲われ、棒でぶん殴られてから……。
そして、またもやガル・ナルにさらわれてしまったデジャー・ソリスは?……。それからわたしの部下ジャット・オール、殺し屋のウル・ジャン、ザンダ、それに猫男ウムカたちは、うまく逃げ出せたのだろうか……。オザラは?
だが、それにしてもわたしは、まったくなんという間抜けなことをしてしまったのだろう……。わたしが宇宙船から塔へ飛び移った時、宇宙船の〈機械脳〉に対して、そのまま待っていろ、と命令をしておきさえすれば、何事もなくみんなを救い出せたのに……。
なんとかここから外に出られないものかと、わたしは根気よく、手探りで探し回ってみたが、駄目だった。わたしはやけになって、床の上にごろりと横になると、急に疲れが出て、いつの間にやら眠り込んでしまった。
それからどのくらいたったのだろう。ほんの数分かもしれないし、二、三日かもしれない。なにしろ、真っ暗だから全然わからない。とにかくわたしは目を覚ました。
――と、足音がする。ドアの外だ。わたしは、耳を澄ました。こちらのほうへ近づいてくる。やがて足音は、ドアの外でぴたりと止まった。
ガチャガチャと鍵を開ける音がして、突然、目のくらむような眩《まぶ》しい光が差し込んできた。長いこと、暗闇の中に置かれていたので、その眩《まぶ》しさといったらない。思わずわたしは、目を両手で覆《おお》った。
目が光に慣れてくると、そこに、明かりをぶら下げた兵士一人がのぞいているのがわかった。食べ物と水の入れ物を持っている。
ドアはほんの少ししか開かないように鎖がついている。兵士は、その隙間からのぞき込むようにして立っているのだ。わたしが飛びかかっても、これでは廊下の外に出られない。
「とにかく、殺されずにはすんだわけだな」と、タリッド族の兵士はいきなりそう言った。
「そっけない言い方だな、もっと何か教えてくれてもいいだろう。あれから、何日たつんだ? 一体、こんな真っ暗な中にぶち込まれたんじゃ、昼も夜もわからん」と、わたしは言った。
「三日めだ」と、兵士は答えた。「かなりな斬り合いだったらしいな。おれは斬り合いにゃ加われなかったが、城中がその話でもちきりだ。なんでも、剣にかけちゃ、お前もかなりな使い手だそうだな。殺さないで、味方にしろとみんなは言うんだが、ウル・ヴァス王は、是が非でも殺してやるんだと、かんかんになってるぜ」
「そりゃ。奴はむくれるだろうよ」
「むくれるなんてもんじゃないよ。捕まえた奴らにゃ、みんな逃げられるし、おまけにその手引きをしたのがお妃さまだってんだからな。お前がまだ生きているのはな、ウル・ヴァス王が、お前をどんな方法で殺そうかと考えているからだ」
「妃《きさき》はどうした?」と、わたしは気がかりになって聞いた。やっぱり逃げられなかったのか。
「オザラ妃もぶち込まれてるよ。きっとお前と一緒に殺されるんだろう。どんな方法で殺されるのか、おれもぜひとも見物したいと思ってるぜ」
「ゆっくり見物するがいいさ」
「まあ、かなりひどい殺され方になると思うぜ。きっと」と、兵士はそれだけ言うと、鍵をガチャリと閉めて行ってしまった。
足音が遠くなっていく。あたりは、また、真っ暗。わたしは手探りで食べ物と水を捜した。ひどく腹が減ったし、喉《のど》も渇いている。今さらあわてても、何もならない。
わたしは、ゆっくりと腹ごしらえをしながら考えた。さっき、兵士が明かりを持ってきたとき天井を見たら、六メートルほど上に、太い梁《はり》があった。あれを伝って逃げられないか……。六メートル上といえば、地球でなら、とてもそんなに飛び上がれっこない。だが、バルスームや、その月サリア、つまりわたしが今いるところなどは、重力が小さいから、かなり高く飛び上がることができるのだ。
真っ暗な中だ。下手《へた》に飛び上がると、その梁に頭をぶっつけたりする恐れがある。用心深く、わたしは手を上に上げたまま、少しずつ高く跳ね上がってみた。そして、ついに両手で梁をつかまえ、その上によじ登ることができた。わたしは、用心深く、梁の端から端までを調べてみた。だが駄目だ。まったく見込みはない。両方とも壁にぴったりとくっついている。つまり、この部屋の出口は、ドアしかないわけだ……。
しかも、ドアには太い鎖《くさり》がついている。だから、ドアはほんの少ししか開かない。今度兵士が食べ物を持ってきた時、兵士をやっつけて、外に飛び出す――というわけにはいかないのだ……。
そうだとすれば――。
ウル・ヴァス王が、何か、むごたらしい殺し方を思いついたと同時に、わたしはここから引き出され、その方法でさっそく殺されてしまうわけか。だが、逃げ出す道はない……。
その時わたしは、突然素晴らしい手を思いついたのだ。これだ。これしかない――。
わたしは暗闇の中で、太いその梁にぴったりと体をくっつけたままじっと待った。兵士はきっとまたやって来るに違いない。どのくらいたってから来るかは知らないが、必ず食べ物をもってやって来るだろう。それまで待つのだ。
真っ暗闇の中だ。何分たったのか、何日たったのか、さっぱりわからない。途中でうとうと眠ったりしたが、それだって何十分眠ったのか、何日眠ったのか調べようがない。
だが、ひょっとすると、もうこのまま、わたしを飢え死にさせるつもりかもしれないぞ……。いや、そんなことがあるもんか。必ずやって来る。待つんだ――わたしは一心に自分にそう言い聞かした。
本当にそれは長い時間だった。体がもう、石にでもなってしまうのではないか、と思うほどだった。
かすかな足音が聞こえてきたのだ。
来たぞ。わたしは心の中で叫んだ。
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二十三 秘密の扉
足音は近づいてくる。確かに、こっちへ向かっている。
足音がぴたりと止まった。ガチャリと鍵を開く音。さっと光が差し込み、ドアがほんの少し開いた。わたしは梁《はり》にしがみついたまま、目の下のドアをじっと見守った。
「おい!」と、ドアの外から兵士の声がした。「どこにいるんだ?」
わたしは、息をころしたままじっと待った。
「おい、こら! どこにいるんだ? 眠っているのか?」
わたしは待った。
「おかしいな。逃げ出そうったって、逃げ出せるはずはないんだが……」と言いながら、兵士はガチャガチャとドアの鎖を外して、ドアを大きく開いた。うまいぞ。こっちの思うつぼだ。
兵士は、明かりをかざして中に入ってきた。
「おい、こら! いないのか?」
兵士は、一生懸命あたりを捜すが、まさか頭の上の梁にわたしがへばりついているとは思わない。チャンスだ。
わたしは上からそいつに、ぱっと飛びかかった。
ガチャーン。
奴の持っていた明かりが床の上に落ちて、粉々《こなごな》に砕《くだ》け、あたりは真っ暗。
兵士は、だしぬけに上から飛びかかられ、何が何やらわからないままに、あっさりとわたしに組み敷かれてしまった。
「騒ぐな!」と、わたしはそいつの耳元で言った。「騒ぐと殺すぞ!」
わたしは、抵抗できない奴を殺すようなことはしたくない。殺すのは、お互いに剣で斬り合う時だけだ。
「じっとしていろ! そうしたら、助けてやる!」
そいつは、割に物わかりのいい奴らしい。わたしの言葉に、おとなしくなった。わたしは、すぐにそいつの剣を取り上げて、そいつが持っていた縄で両手を固く縛り上げ、さるぐつわをかました。
「よし、そのままじっとしていろ。いずれ誰かが助けに来てくれるさ!」
わたしはそう言い捨てると、手探りで廊下へと忍び出た。廊下も真っ暗だ。壁に手をついたまま、前に進む。どうやら、まっすぐに続いているらしい。
急がないといけない。わたしが縛り上げた奴が長いこと戻ってこないのを怪しんで、仲間が調べに行ってすぐに、見つけられるに違いない。その前に何とかしなければ。
わたしは暗闇の中を、這《は》うようにして先へと急いだ。廊下が曲がっているらしい。わたしは手探りのまま、壁に沿って曲がる。
光だ――。
ほんのわずかだが、光がかすかに差し込んでいる。廊下の突き当りが階段になっていて、上から光がぼんやりと入ってくるのだ。わたしは、こっそりと足音を忍ばせながら、その階段を上に昇った。ますます明るくなってくる。
わたしは立ち止まって耳を澄ました。何も聞こえない――ということは、まだ、わたしが逃げ出したことに、誰も気づいていないというわけだ。
わたしがぶち込まれていたのは、地下の穴倉だったわけだ。階段をのぼりきると、また廊下が続いている。出口はそっちらしい。わたしは音を立てないようにと心を配りながら、先へと急いだ。廊下は突き当たって、右に曲がっている。
足音を忍ばせながら、さっと右に曲がった途端だった。危うく女と鉢合わせしそうになったのだ。女は、向こうから歩いてきたところらしい。びっくりしたのは、むしろ女のほうだったろう。目を皿のようにして、突っ立ったままだ。
騒がれると、すべては水の泡だ。とっさにわたしは女に飛びかかり、声が出せないように、両手で口を押さえた。女は、じたばたもがいたが、男であるわたしの力にかないっこない。
口を押さえたまま、わたしは女をひっ抱えて、隠れ場所を探した。急がないと――。
たった今通り過ぎたところに、ドアがあった。あそこがいい――。わたしは、女を引きずるようにして、そのドアのところに急いだ。鍵がかかっていなければよいが……。
だが、もしも中に誰かがいれば――全ておしまいだ。だが、ほかに方法はない。思いきって、わたしはドアを開いた。誰もいない。
よかった。わたしは女を抱えたまま、部屋の中に飛び込んで、ほっとひと息ついた。耳を澄ましてみたが、何の物音もしない。見つからずにすんだようだ。安心したせいか、思わずわたしは女の口を押さえる手をゆるめた。
ところがどうだ。
「ジョン・カーター!」女は小さな声でそう言うのだ。わたしはぎょっとした。そして、はっと思い出した。この女はオザラ妃の女奴隷だ。オザラが、食料と一緒にやすりをわたしたちのところに届けてくれたのはこの女だった。
「おい、静かにしてくれ。頼むから」わたしは小声でその女に言った。「わたしは、ただ逃げたいだけなんだ。おとなしくさえしていれば何もしない。頼むから騒がないでくれ」
「心配なさらなくても大丈夫ですわ。あなたを裏切ったりしませんから」と、すぐに女は言った。
「よしよし、いい子だ。物分かりがいいな、お前は」わたしはほっとした。
「私は、自分が助かりたいからって、おとなしくしているんではありませんわ」と、女は静かにそう言った。
「なんだって?」
「私は、お妃様が慕っていらっしゃる方を、裏切ったりはしません」
「オザラ妃がわたしを慕っている? いや、そんなことはどうでもいい。今、オザラ妃はどこにいるんだ?」
「この塔の中に。ちょうどこの部屋の真上ですわ。ウル・ヴァス王は、なぶり殺しにする用意が出来上がるまで、お妃様をそこに閉じ込めているのです。ああ! ジョン・カーターさま、お妃さまを助けてあげてくださいまし! お妃さまは、あなた様がてっきり殺されたと思い込んでおいでです!」
「お前は、その部屋に行けるか?」
「いいえ、入口には、兵士が二人もがんばっていますから、とても駄目です」
「そうか……」
「なんとかして助けてあげてくださいまし。お願いでございます。お妃さまは、なぶり殺しになってしまいます」
「この部屋の真上だな?」
「はい」
「その部屋にも、窓はあるか?」
「はい」
「よし、わかった。どこかから、ロープと物を引っ掛けるような金具を探してきてくれ」
「はい、わかりました」
「見つからないようにやれよ」
女は、ドアを開けて外に出た。
大丈夫だろうか。あの女は、わたしから逃げ出すために、あんなことを言ったのではないか? そうだとすれば、もうわたしは袋のねずみだ。だが、信じるほかはない。
転《ころ》がっていた棒をドアにかまして、外から開かないように仕掛けると、わたしはそこに腰をおろした。あの女を信じて、戻ってくるのを待つ以外はない。
足音が聞こえてきた。一人ではない。来たか。やっぱり裏切られたな。荒々しい足音だ。来るなら来い――。さっき、牢の中であの兵士から取り上げた剣を抜いて、わたしは待ち構えた。足音は、もうすぐそこだ。
しかし、足音はそのままドアの前を通り過ぎて遠ざかっていった。やれやれ……。わたしは、ほっとして腰をおろした。
まもなく、足音が戻ってきた。何やら大きな声で話し合っているが、ドアを隔てているので、全然聞き取れない。
足音はまたドアの前を通り過ぎていき、あたりは、しいんと静まり返った。
ずいぶん長い時間がたって、ようやく日が暮れ始めた。だが、あの女は戻ってこない。ひょっとすると、捕まったのではあるまいか……。
あたりが、真っ暗になった頃、かすかな足音が近づいてきた。
「私です、開けてください」ささやくようなあの女の声だ。わたしは、すぐに支えの棒をはずしてドアを開けた。女は入ってきた。真っ暗で顔もよく見えない。
「ロープと金具です。だけど大変ですわ。あなたが逃げ出したことが知れてしまいました。あなたが入れられていた牢の中から、縛られていた兵士が助け出されたのです」
「そうか、とうとう……」
「兵士たちは、手分けをして探し回っています。もうすぐこっちにもやってきますわ。急いでください。さもないと……」
「よし、わかった。色々とありがとう。お妃は必ず救い出すからな」
「お願いしますわ」
ささやくようにそう答えると、女はこっそり廊下に出ていった。
さあ、仕事だ。わたしはドアに、もう一度棒をかませると、窓のところに行った。みんなが寝てしまうまで待ってから、始めたほうがいいのはわかっている。だが、そんなひまはない。わたしは、ロープの先に金具を取り付けると、それを持ったまま、窓から身を乗り出した。
六メートルほど上に、窓が見える。あそこに、ウル・ヴァス王の妃オザラは閉じ込められているのに違いない。わたしは、窓のまわりの具合をよく調べると、思いきってロープの先を、窓めがけて投げ上げた。
カチリ。ロープの先の金具はおあつらえむきに、窓の枠《わく》にぴたりと引っかかった。試しに、ぐいと引っ張ってみる。大丈夫、ロープはびくともしない。
わたしはもう一度耳を澄ました。何も聞こえない。よし、今だ。わたしはロープを伝って、上へとよじ登った。こっそりと、用心深く両手を窓枠にかけると、部屋の中をのぞき込んだ。番人の兵隊がいるとまた面倒だ。
だが、中にいるのは一人だけ。妃オザラだ。わたしは思いきって、窓から部屋の中へ飛び込んだ。オザラは、はっとして飛び上がった。そして、入ってきたのがわたしだとわかると、思わず大声で叫ぼうとした。
「しっ!」わたしは大あわてで黙らせた。
「ジョン・カーター!」オザラのささやくような声は、激しい驚きに震えている。
「早く! ここから逃げ出すんだ!」
わたしは、オザラを窓の縁まで連れてくると、ロープのもう一方の端をオザラの体に縛りつけた。
「わたしがゆっくりロープをゆるめるから、下の窓まで下りていって、中に入るんだ!」
オザラは、黙ってうなずいた。
「部屋の中に入り込んだら、ロープを外して合図をしてくれ。わたしが下りていく」
わたしがロープをゆっくりとゆるめると、それにつれて、オザラの体も下へおりていった。
やがて、オザラは部屋の中に入ったらしい。ロープが大きく二度動いた。ロープを外した合図だ。大急ぎでロープを上にたぐり上げると、今度はわたしの体に縛りつけて、下へおりていった。
わたしが窓から中に入ると、待ちかねたようにオザラはわたしにしがみついた。
「もう殺されてしまったとばかり思っていたわ、ジョン・カーター。だって、あなたが棒で叩き倒されたのを見たんですもの……。いま窓からあなたが見えた時は、てっきり幽霊だと思ったわ」
「心配しなくていい。わたしは生きているんだから」
「あなたが、私を助け出すために、逃げ損《そこ》なったの、本当に感謝していますわ」
「あの連中はうまく逃げ出せたんだろうか」
「ええ」とオザラは答えた。「ウル・ヴァスはもうそのことでかんかんですわ。もしも私たちが今うまく逃げ出せないとしたら、私たちはその仕返しに、なぶり殺しにされるんですわ」
「ここから、逃げるうまい方法はあるのか?」
「秘密の廊下があるんです。ウル・ヴァスと、ウル・ヴァスのいちばん信用している奴隷しか知らない廊下です。私がそれを知っていることは、ウル・ヴァスも気づいていません。その廊下は、城の外にある小川に続いているのです。ウル・ヴァスは、自分の手下を誰も信用していません。今までずいぶんひどいことをし続けてきたので、いつ、手下に裏切られるかと、そればかり怖がっています。それで、もし、そんなことになった時、城の外へ逃げ出すために、その秘密の廊下をこしらえたんです」
「よし、すぐその廊下へ行こう」
「だけど怖《こわ》いんです」
「怖い? 何が怖いのだ」
「あの小川の向こうには、深い森があります。そこには、恐ろしい奴が住んでいます。おお、そのことを考えたら、ここで殺されたほうが、まだましだと思うくらいですわ……」
「しっかりするんだ! わたしがついているんだぞ! ここに残ったのでは、殺されるだけだ。小川を渡って森の中へ逃げ込めば、少なくとも、助かるチャンスがあるんだ!」
「わかっていますわ。ジョン・カーター、お願いだから私を捨てないで。あなたとなら、どこにでも行きますから」
「心配するな、わたしについてこい。必ず助け出してやるから……」
「あの宇宙船で助け出したデジャー・ソリスっていうきれいな女の人は、あなたのお妃ね?」
「そうだよ」
「あの人を大切にしているの?」
「もちろんさ、わたしの妃だもの」
「悔しいわ」
「おい、おい、そんなことを言っている時じゃない。さあ、その秘密の廊下へは、どうやって行けばいいのだ?」
「私についてきてください。こっちです」
わたしたちはこっそりと部屋を出ると、真っ暗な廊下を急いだ。オザラは、廊下の突き当りから、階段を下へとおりていく。
「おい、大丈夫か? 間違えてはいないか? たしか、そっちに行くと、わたしがぶち込まれていた牢屋のほうだぞ」
「大丈夫です。間違いありません」
オザラとわたしは、廊下の壁を手探りで、前へ前へと進んだ。廊下から階段、そしてまた廊下――と、もうどこをどう歩いているのか、さっぱりわからない。ただ、城の地下深いところへと下りていくらしいことがわかるだけ。
「もうすぐよ」オザラが暗闇の中でささやいた。「もう一階、下におりると、そこが秘密の廊下の入り口ですわ」
わたしたちは立ち止まって、じっと耳を澄ました。何も聞こえない。どうやら、無事にその秘密の廊下へと入れそうだぞ……。
わたしたちは先を急いだ。かびの匂いが、ぷんと鼻をつく。あたりがなんとなく、じめじめとしてきた。もうひと息らしい。
その時だ――ガチャリと音がして、いきなりすぐ横のドアが開き、明かりを手に持った兵士が三人出てきたのだ。危うくぶつかりそうな距離だ。
奴らはぎょっとなって、それから大声を上げた。
「お妃さま!」隊長らしい奴が、わたしを睨《にら》みつけた。「貴様は、あの空を飛ぶ船でやって来た男だな」
わたしたちは、びっくりして突っ立っている兵士たちを突き飛ばすようにして走り出した。
「待て!」
「逃がさんぞ!」
兵士たちは、口々にわめきながら追いかけてくる。
「急いで!」オザラが叫んだ。「もうそこよ!」
大声で叫ぶ兵士たちの声が、廊下いっぱいにがんがん響く。
廊下が突き当たった。ドアがある。これが、城の外へと出る秘密の廊下の入り口らしい。オザラは、何か、ドアについている特別の鍵らしいものを、大|慌《あわ》てでガチャガチャやり始めた。
「落ち着くんだ、オザラ!」と、わたしは言いながら剣を抜いた。「時間はたっぷりあるぞ」
慌てれば、それだけ鍵を開けるのに時間がかかるのに違いない。その間に、この三人を退治してやろう。わたしは、剣を構えながら振り向いた。
ばたばたと、一番先頭を走ってきたのは隊長らしい。ものすごい勢いで、剣で突っ込んできた。まるで、たったの一発で、わたしを殺せるとでも思っているみたいだ。がむしゃらに突いてきたその切先をさっとよけると、力いっぱい、わたしはそいつに斬りつけた。ぐうとも声を出さずに、奴はそのままぶっ倒れてしまった。それを見て、あとの二人は、ちょっとばかり用心深くなったようだった。
とはいうものの敵は二人。しかも、かなりの使い手らしい。ものすごい勢いで斬りかかってくる。油断はできない。それに早いとこ片付けないと、また応援がやって来る恐れもある。
がっと斬りかかってきた奴を剣でかわして、返す勢いで一人の胸を襲った。ばっと血が飛び散る。
「ううっ」と、そいつはうめいたが、急所は外れたらしい。血まみれになったまま、突きかかってくる。もう一人の奴も、いつの間にかわたしに斬られたらしい。顔や肩が血だらけだ。だが二人とも、剣の勢いはめっきり衰えてきた。
その時だ。廊下の向こうに明かりがいくつも見え始めた。来た――応援の奴らだ。
早くしろ、オザラ――と、わたしは叫びたかったけれど、ぐっと我慢した。せきたてたら、オザラは慌てるばかりだ。
「落ち着いてやるんだ、オザラ!」と、わたしはそう叫びながら、血まみれの兵隊どもに向かって、再び斬りかかった。
勇敢な奴らだ――わたしは力いっぱい斬り合いながら、心の中で叫んだ。敵ながら立派な男たちだ。
応援の兵士たちは、どんどん近づいてくる。
「開いたわ! 早く! ジョン・カーター!」と、オザラの声がした。
その声に、二人はますますいきり立って、気違いみたいな勢いで斬りつけてきた。それが奴らの命取りになった。どんな時でも、慌てた奴は負けだ。むちゃくちゃな勢いで斬ってきた、そのわずかな隙を狙って、わたしは、力いっぱい剣を突っ込んだ。
「ううっ」――剣はそいつの胸を突き通した。
その声にはっとしたもう一人が見せた、ほんのちょっとした隙――わたしはそれを見逃さなかった。引き抜いた剣はそのまま、もう一人の奴を正面から斬り倒した。だが、応援の兵士たちは、もうそこまで迫っている――。
わたしは、転《ころ》げるようにしてドアの中に駆け込み、ドアを閉めた。
再びわたしたちは、真っ暗闇の中。
「早く! 廊下はまっすぐ続いてます!」とオザラ。わたしは、手探りで先へと急いだ。
ドアを開けようと、兵隊たちがガタガタやっている音が聞こえる。急がないと……。
いくらも行かないうちに、後ろから足音が迫ってきた。奴らがドアを開いたのだ。わたしたちはめちゃめちゃに走った。そして、だしぬけに、何か壁らしいものにぶつかった。ドアだ――オザラが、なにかガチャガチャいわすと、そのドアはすぐに開いた。ぼんやりと夜の光が差し込むドアの向こうは小川。そして、向こう岸は暗い森。なんともいえない気味の悪い感じだ。だが、兵隊たちの足音は、そこまで迫っている。捕まれば殺されるだけ。
わたしはオザラを抱きかかえると、思いきって川の中に飛び込んだ。
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二十四 バルスームへ帰る
小川の水は、ひどく冷たかった。わたしはオザラを片手で抱いたまま、必死で泳いだ。向こう岸には、暗い森が不気味に静まり返っている。あとひと息だ。後ろでは、タリッド族の兵隊どもが何やらわめいているのが聞こえる。
腕の中で、オザラはぴくとりもしない。気を失っているらしい。だが、ようやくのことで岸に泳ぎつくと、オザラは意外と元気よく、わたしの腕の中から起き上がった。わたしは、ほっとひと息ついた。
だが、オザラの目は、激しい恐れに震えている。
「これからどうするの? ジョン・カーター」歯をガチガチいわせながらオザラが言う。
「寒そうだな、今すぐ火をおこす。ちょっとお待ち」
しかし、オザラは首を振った。
「あたしは寒くて震えているんじゃないわ。怖いの」と、オザラは、わたしにしがみつくようにして言った。
「いったい何が怖いんだ、オザラ。ウル・ヴァスの兵士たちが追っかけてくるというのか?」
「いいえ。タリッド族たちは、絶対にこの森には近づかないわ。ウル・ヴァスもきっと安心してるでしょう。私たちは、明日の朝までに死んでしまうに違いないんですから」
「なんだって?」びっくりしてわたしは聞いた。「どういう意味だ、それは?」
「恐ろしいけだものが住んでいるのよ、この森には。絶対に逃げられないわ」
「けだもの?」
「そうよ。ウル・ヴァスに捕まったら、私たちはむごたらしい方法で殺されるに違いないわ。だけど、ここのけだものなら、きっと私たちをひと息で殺すわ。それだけでもましだと思って、あなたについてきたんです。ほら、聞いて」
じっと耳を澄ますと、遠くのほうで、なにやら動物の吠える声が聞こえる。
「大丈夫だ。ずっと遠くだから」
「すぐにやって来るわ」とオザラは言った。
「それなら、すぐに火をおこそう。そうすれば、怖がって寄ってこないだろう」
「そう思う?」
「そう願いたいよ」
わたしは、体にいつもつけている火打ち石を使って、たき火をおこしながら言った。
「その、けだものっていうのは、一体どんな奴なんだ?」
「マセナ族というんです」とオザラは答えた。
「マセナ族?」わたしは驚いた。「マセナ族といえば、あの猫男だろう? ウムカという奴と、長いこと一緒にぶち込まれていた。すごい顔だが、別にそれほどひどい奴じゃなかったぞ」
「一人の時はそうよ」とオザラ。「マセナ族は、人間の肉が一番のごちそうなのよ」
「なんだって!」
「だから、タリッド族たちは怖がって、森へは近づかないのよ」
そうか……そういえば、ウムカが生きている鳥にかぶりつく時のすごさときたら……。
まもなく、たき火は大きく燃え上がった。冷たい水に冷えきっていた体が、ぽかぽか温まってくる。赤々と燃えさかる炎は、オザラの美しい横顔を、くっきりと映し出す。
その時、オザラがはっと身を固くして、わたしにしがみついた。
「あそこ!」
オザラの指さす暗闇の中には、らんらんと輝く目。来た――。
「マセナ族よ!」
わたしは、火のついた木ぎれを取り上げると、その目玉に向けて力いっぱい叩きつけた――同時に、暗闇の中から、ものすごい叫び声がして、目玉は見えなくなった。
オザラは、がたがた震えている。
「ほら! あっちにも! あそこにも!」
わたしたちを取りまく暗闇の中では、ぎらぎらと光る目が、あっちこっちからじっとこちらをうかがっている。とても、木の切れ端ぐらいで追い払える数ではない。だからといって、剣を振り回して勝てるような奴らでもない。わたしはウムカをよく知っている。一人や二人ならまだしも、これだけたくさんの奴に囲まれたら、もう見込みはない。
そうだとすれば――木の上だ。木に登るしかない。
「オザラ、木に登れ。できるだけ上のほうに!」
そう言うなり、わたしはたき火の中の燃えている木を、片っ端から目玉めがけて叩きつけた。
ぎゃおうっ――、ぎゃあっ――。
猫男どもは、よほど火が嫌いと見える。炎を上げている木を叩きつけられるたびに、ものすごい声を上げと飛びのく。
だがそれも、その時だけのこと。すぐにまた、ぎらぎらした目が現われる。
みるみるうちに、たき火は弱くなってきた。と同時に、暗闇の中で猫男どもは、ぞっとするようなうなり声をあげ始めたのだ。
オザラはもう木の上だ。こっちも早く逃げないと危ない。わたしは、残っているたきぎを目玉めがけて叩きつけると、ぱっと木の枝に飛びついた。
ぎゃおっ。わたしの足すれすれのところに猫男が飛びかかってきた。わたしは必死でよじ登った。猫男どもは、鋭い爪をガリガリいわせて登ろうとするが、猫みたいな顔をしているくせに、木登りはあまり上手ではないらしい。ややしばらく、下でぎゃあぎゃあ騒いでいたが、諦めたのか、やがて静かになってしまった。
わたしたちは、木の上でまんじりともせずに、夜の明けるのを待った。だが、あまりの疲れに、わたしたちはいつの間にか眠り込んでいたらしい。はっと気がつくと、あたりはもうすっかり明るくなっている。どうやら、猫男どもはいなくなったらしい。わたしたちは、ほっとひと息ついて、木から下におりた。
オザラの国、ドムニアは、この森の中を川沿いにずっと奥へと進み、山を一つ越えたところだという。まず、オザラをそこまで無事に送り届けなければなるまい。
わたしたちは、ドムニアに向けて歩き始めた。川沿いなので水はたっぷりあったし、木には果物がたくさんなっている。だから、食べ物にはちっとも困らなかった。しかし、それからの三日間、わたしたちが猫男どもに食い殺されずに生きていられたのは、まったく奇跡としかいいようがない。いったい、何回、あのマセナ族どもに襲われたことだろう。そのたびに、わたしたちは木に駆け登っては、危ういところを助かったのだ。
昼の間は歩き続け、夜は木の上で眠る。そんな旅を四日間続けた。目ざす山はもうそこだ。あれを越えれば、オザラの国、ドムニアだ。オザラの父はドムニアの皇帝だから、きっと、あのガル・ナルの宇宙船でさらわれたわたしの妃、デジャー・ソリスの行方を捜すのを手伝ってくれることだろう。
それにしても、ジャット・オールやザンダ、それから殺し屋ウル・ジャンなどはどうしているのだろう。――わたしは、そんなことを考えながらとぼとぼと歩き続けた。
「あっ!」突然、オザラが悲鳴を上げた。
マセナ族だ――。こっちに向かってくる。いけない。わたしはオザラの手を引いて、近くの木に――だがそちらからもマセナ族。あわてたわたしは、ほかを探した。そこにもマセナ族。
奴らは、わたしたちをぴったりと取り巻いてしまっている。何回も何回も、わたしたちがきわどいところで木によじ登って逃げるので、今度は逃げ道を全部ふさいでしまったのだ。
剣を抜くひまもない。わっとばかりにものすごい顔をした猫男どもは、わたしたちに襲いかかってきた。もうだめだ。
「ジョン・カーター! 助けてえ!」
オザラの悲鳴は聞こえるが、どうしようもない。――このまま、食い殺されてしまうのか……。
わたしは、あらん限りの力をふりしぼって暴れまわった。化け物みたいな猫男が相手だ、いくらわたし一人で頑張っても、とてもかなうわけはない。だが、せめて力の続く限りは戦うのだ。わたしは、必死で猫男とつかみ合いながら、いつのまにか心の中で叫び続けていた。
――宇宙船、やって来い。わたしを助けてくれ――。
宇宙船が今どこにいるのか、それもわからない。だが、もしもわたしたちが助かる道は、それしかない。宇宙船がやって来て、ジャット・オールかザンダか、それとも殺し屋ウル・ジャンが宇宙船の光線砲をぶっぱなしてくれない限り……。
しかし、それも無駄だろうと思った。とうとうこのわたしも、猫男どもに食われてしまうのか……。
猫男どもは、ものすごく力が強い。火星の月の重力が小さいから、わたしの力が強いといったところで、それには限りがある。わたしは、猫男に押さえ込まれたまま、力が尽き果てようとしていた。もう駄目だ。これでがっくりきたとたん、こいつらはわたしの体にかぶりつくだろう……。
わたしは、気が遠くなり始めた。いよいよおしまいか……。
その時だ。突然、わたしを組み敷いている猫男の力がゆるんだのだ。はっと気がつくと、すぐそばに立っているのはまぎれもない猫男のウムカ――。そして、向こうには、宇宙船が着陸しているではないか。
助かった――宇宙船の〈機械脳〉にわたしの命令が届いたのだ。ジャット・オールとザンダが、宇宙船から飛び出してくる。殺し屋のウル・ジャンもすぐ後から現われた。
「危ないところだったな、ジョン・カーター」と、ウムカは言った。
「まったくだよ! 危うくお前の仲間の餌《えさ》にされるところだったぜ」と、わたしはほっとして言った。
「もう大丈夫だ。今、奴らにあんたがおれを助けてくれたのだと、話したところだ」
そこへジャット・オールが駆けてきた。
「よかった! もうてっきり、ウル・ヴァスの兵士どもに殺されたと思っていました。宇宙船の動かし方がわからなくて、あれからずっと浮いていたんです」
「そしたら、突然動き出して……」と、ザンダは、嬉しそうにジャット・オールと目を合わせる。
殺し屋ウル・ジャンは、発明家のガル・ナルがわたしたちとの約束を破って、デジャー・ソリスをさらって逃げたことに、もうかんかんになって怒っている。
「それにしてもな、ジョン・カーター。このウル・ジャン、ずいぶんいろいろな奴と斬り合いはやったが、お前ほどの使い手には会ったことがない。おれは、もう二度とお前と戦うようなことはしないぞ」
わたしは、ウル・ジャンの差し出した手を、黙って握り返した。
「ご無事でよかったわ、ヴァンドール様」ザンダは、ヴァンドールという言葉に力を入れて言った。わたしは、思わず微笑んだ。
「どうもありがとう。ところで、ザンダ、ジョン・カーターを殺してお父さんの仇《かたき》をとる計画はどうしたい?」
ジャット・オールとウル・ジャンが大声で笑った。
「ジョン・カーターに会ったら、ザンダという、美しい娘には会わないように気をつけろと言っておくよ。だがね、あいつはそんな悪い奴じゃないんだぜ」
「わかってますわ」と、ザンダも笑いながら答えた。「だからもう、怖がらないでもいいのよ、ってジョン・カーターに言っといて」
わたしたちはみんなで、大声を上げて笑った。何も知らないウムカとオザラは、変な顔をしている。
それからまもなく、わたしたちはウムカに別れを告げて、宇宙船でドムニアへ向かった。もちろん、オザラを送り届けるためだ。
深い森や山を、ひと息に飛び越える。もしも、ここを歩いて越えるとしたら、かりにマセナ族がいなくても、本当に苦労したことだろうと思わずにはいられなかった。
ドムニアの皇帝は、自分の娘オザラが無事に帰ってきたのを、夢かとばかりに喜んだ。そして、わたしたちに何度も何度も礼を言うのだった。それから、もしもデジャー・ソリスがこの火星の月のどこかに閉じ込められているのならば、あらゆる努力をして捜し出しましょうと約束してくれた。
ところがその夜のことだ。
オザラの父、つまりドムニアの皇帝の大歓迎を受けて、夜遅く宇宙船に戻り、これからどんな方法でデジャー・ソリスの行方を捜し出そうかと話し合っていた時だった。
突然、何の命令もしないのに、恐ろしいスピードで宇宙船が動き出したのだ。わたしたちは、ひどい勢いで床に叩きつけられた。
――止まれ。止まるんだ――
わたしは必死になって、宇宙船の〈機械脳〉に向かって命令を下した。
だが、一体どうしたことか。宇宙船は全くわたしの言うことを聞かないのだ。みるみるうちに火星の月は遠ざかり、どうやらコースは一路バルスームに向かっているらしい。わたしたちは、なんとかして宇宙船を操縦しようとするのだが、全然駄目だ。あまりのスピードに、ザンダは気を失ったまま。ウル・ジャンも苦しそうだ。
わたしとジャット・オールは、もうすっかり諦めてしまって、操縦席に座り込んだまま、ぐんぐん近づいてくるバルスームを、ぼんやりと見つめるだけだった。
だが、宇宙船はバルスームに近づくにつれて、スピードはだんだんと下がってきた。そして、バルスームの上空を低く、ぴたりとコースを決めたまま飛び続ける。
「一体、どこに向かって飛んでるんでしょう」とジャット・オール。
「ゾダンガらしいぞ」と、わたしは答えた。
わたしの考えた通りだった。宇宙船はまっしぐらに飛び続け、あっという間にゾダンガを囲む城壁の上を飛び越え、町の中へ入っていった。そして、まっしぐらに飛んでいく先は――なんと、ファル・シヴァスの屋敷。
「ファル・シヴァスの家だ!」と、ウル・ジャンが叫ぶ。
そうか。やっぱりそうか。わたしは心の中でつぶやいた。――ということは、ファル・シヴァスの仕業《しわざ》だったのか。あいつが、サリアに着陸していた宇宙船の〈機械脳〉に、命令を出したのだ。
宇宙船はぴたりと、実に上手にファル・シヴァスの研究室の上へと着陸した。ドアが開き、梯子《はしご》がおりるのももどかしく、わたしたちは宇宙船から飛び降りて、ファル・シヴァスの部屋に駆け込んだ。
部屋の中はからっぽ。机の上に手紙が一通置いてある。
ジョン・カーターへ
ファル・シヴァスより
お前は、おれを裏切ったな。
そして、おれの大切な宇宙船をよくも盗み出したな。しかし、これでわかったろう。あの宇宙船は、おれの命令を一番よく聞くようにできているのだ。
お前の妃は、バルスームの月サリアにいる。
だがよく聞け、ジョン・カーター。あの宇宙船はもう、二度と飛ばぬぞ。
おれがそう命令したからだ。
だから、お前は二度とデジャー・ソリスに会えないだろう。
手紙にはそう書いてあった。ジャット・オールが、みんなにその手紙を読んで聞かせた。みんなは、あまりのことに口を利く元気もない。
その時、カサリと音がした。はっと振り向くと、部屋に入ってきたのは〈ねずみのラパス〉。
わたしとウル・ジャンがいるのに気がつくと、奴はぎょっとした。逃げようか、どうしようか――という風にしばらくもじもじしていたが、逃げても無駄だと悟ったのだろう。
「やあ、お二人さん、こんにちは」と言いながら、へらへら笑って近づいてきた。「お揃いとは、びっくりしましたね」
「こっちもびっくりしたよ」と、わたしが言った。「ここで何をしている?」
「いえ、なに、その、ファル・シヴァスの旦那に会いたくてね」
「ここに、ファル・シヴァスがいると思ったのか?」と、ウル・ジャンが鋭く聞いた。
「ええ、もちろん」
「そんなら、なんでそんなにこそこそと入ってきた?」と、ウル・ジャンが言う。「貴様は嘘をついてるな、ラパス」
ウル・ジャンは突然ラパスに飛びかかって、首を絞《し》めた。
「よく聞け、このねずみめ! ファル・シヴァスがどこにいるか知っているだろう? 言え。言わんと絞め殺すぞ」
〈ねずみのラパス〉は、青くなって叫んだ。
「た、助けて! あ、あたしはなんにも……」
「そうか、知らんのだな。じゃ殺してしまおう」と、ウル・ジャンは言った。
「よかろう、殺してしまえ」わたしは、わざと冷たくそう言った。
「い、い、言いますから、こ、殺さないで!」ラパスはもう泣き声だ。
「ファ、ファ、ファル、シ、シヴァスは、ガ、ガル・ナルの、い、家に、い、います!」
「ほんとか?」と、思わずわたしは言った。ファル・シヴァスとガル・ナルは、お互いに相手の発明を盗もうと、必死になっていたではないか。お互いに相手を殺そうと、ファル・シヴァスは、殺し屋に化けていたわたしを雇い、ガル・ナルはウル・ジャンを雇っていたのではないか。
「ほ、ほんとのことです!」青くなってそう言う〈ねずみのラパス〉が、嘘をついているようにも見えないし……。
「行きましょう!」と、ジャット・オールが言った。ウル・ジャンもうなずく。
わたしたちは、〈ねずみのラパス〉に道案内をさせて、ガル・ナルの家へと急いだ。
もう真夜中だ。ガル・ナルの家の前に着くと、わたしはラパスに言った。
「中に入って、本当に奴らがいるかどうか、よく見てこい」
「ふ、二人ともいます」
「よし、ドアを開けろ!」とジャット・オールは言った。
わたしたちはずかずかと、家の中へ入り込んだ。ガル・ナルとファル・シヴァスは、わたしたちの姿に腰を抜かさんばかりに驚いた。そして、大慌てで逃げ出そうとしたが、あっさりとわたしたちに、捕まえられてしまった。こいつらは、二人で手を結び、またもや何かよくないことを企《たくら》んでいたらしい。
「二人ともゾダンガにいるとすれば……」とウル・ジャン。「デジャー・ソリス妃はどこに隠した?」
「おれが言うと思うかね?」憎々《にくにく》しげにガル・ナルが言った。
「言わすとも。おい、ラパス!」ウル・ジャンは落ち着きはらっている。「この剣の先を真っ赤に焼いてこい!」
だが、いつのまにか、ラパスは逃げてしまったらしい。
「よし、それならおれが焼いてくる。こいつでまず、ファル・シヴァスのほうを――」
「た、助けて! お、おれは、なにも、デジャー・ソリスを、さ、さらったりはしなかった。やったのは、ガル・ナルだ!」
「お前は知らんのか?」
「し、知らない。全然知らない」
「そうか、じゃあもう用はない。今すぐ殺してしまう。さあ、覚悟しろ」
ファル・シヴァスは、悲鳴を上げた。
「た、助けてくれ! お、教えるから!」
「さあ、言え!」
「ガル・ナルが、サリアに置いてきた」
「本当か?」
「ほ、本当だ」と、ファル・シヴァスは言った。
ウル・ジャンは手をゆるめた。
「ジョン・カーター」と、ウル・ジャンが言った。「元はといえば、おれのしでかしたことだ。すぐにサリアに行って、助け出してくる」
その時だった――。隣りの部屋で何か物音がした。ジャット・オールが剣を抜いて駆け込んだ。と同時に、転《ころ》げるように出てきたのは、妃デジャー・ソリス。手を縛られ、さるぐつわをかまされたままだ。隣りの部屋に閉じこめられていたデジャー・ソリスは、ようやくのことで足の縄を解いて飛び出してきたのだ。
あまりの嬉しさに、もう口も利けないようだ。
「この卑怯者め!」ジャット・オールが、がたがた震えている発明家どもを怒鳴《どな》りつけた。
ゾダンガの殺し屋どもを、一人残らず退治したのは、それから間もなくのことだった。もちろん、その親玉《おやだま》ウル・ジャンが、その罪を悔《く》いて、全面的に協力してくれたからできたのだ。そして、ファル・シヴァスやガル・ナルのいろいろな発明は、全バルスームの人たちの幸せのために使おうと、目下、着々と準備が始められている。
ジャット・オールが、ザンダを妻にしたのは、もちろん言うまでもないことである。
(完)