谷間のゆり(下)
バルザック/菅野昭正訳
目 次
初恋(つづき)
二人の女性
フェリックス・ド・ヴァンドネス伯爵に
解説
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三年間というもの、これほどすみずみまで幸せそのものになりきった彼女の声を、私は聞いたことがありませんでした。|つばめ《ヽヽヽ》のように好ましい感じの叫び声や、子供のようなあどけない語調のことは、あなたにも前にお話ししたことがありましたが、私はこのときはじめて、彼女のそういう声を聞いたのでした。私はジャックには狩猟服を一組、マドレーヌには針箱を一つもってきましたが、この針箱は夫人がいつも使うようになりました。以前の私は、母親のつましさのために、いつもけちけちせざるを得ない状態に陥っていたのですが、こうしてそれを埋めあわせることもできたわけです。子供たちが互いに贈物を見せあってはしゃぎまわり、喜色満面のようすを見せたために、誰も自分にかまってくれるものがないといつも不機嫌になる伯爵は、不愉快そうな顔つきをしました。私はマドレーヌにそれとなく合図をし、私を相手にして自分のことをしゃべりたがっている伯爵のあとに、そっとついていきました。彼は私を築山《つきやま》の上にひっぱっていこうとしました。しかし、彼が重大なことを話すたびごとに、私たちは正面の踏段のところで立ちどまるのでした。
「どうです、フェリックス」と彼は言いました。「ごらんのとおり、みんな幸せで元気にしていますよ。それなのに、このわたしだけが画面に暗影をつくっているのです。わたしが連中の苦しみを一人でひきうけているわけですよ、むろんこの苦しみをわたしにあたえてくださったことを、神に感謝しておりますがね。以前、わたしは自分の体がどうなっているかわかりませんでした。ところが、いまではちゃんと知っています。幽門が侵されていて、もうまるで消化機能がはたらかなくなっているのです」
「いったいどういうわけで、そんな医科大学の教授そっくりの学者になられたのです?」私は笑いながらそう言いました。「あなたにそんなことを言うなんて、おたくの医者はそんなに軽率な男なんですか?……」
「ありがたいことに、わたしは、医者にかかるまでもなく自分でわかりますよ!」みずから病気だと思いこんでいる人間というものは、まず大部分が医学に反感をもっているものですが、伯爵もそうう反感をあらわに示しながらそう叫びました。
それから、私はばかげた話につきあわされるはめになったのですが、そのあいだ、伯爵は、妻のこと、使用人たちのこと、子供たちのこと、生活のことをこぼしたりしながら、すこぶる滑稽《こっけい》な打ち明け話を私に聞かせるのでした。そして自分の毎日の主張を友人にむかって、その主張をまだ知らないためにときには驚いてみせることもできる友人、また儀礼上やむを得ず興味ありげに耳を傾けねばならぬ友人にむかって、くどくどとまた繰りかえせるというので、あきらかに喜びを感じているようでした。私の態度にたいし、彼は満足していたにちがいありません。というのは、この男の不可解な性格をはっきり見ぬこう、また彼が妻の上に加えている苦しみ、そして彼女がだまって耐えている新しい苦しみを推察しようと努力しながら、私はその言葉に深い注意を傾けていたからです。やがてアンリエットが踏段の上に姿をあらわして、この独白に決着をつけてくれました。彼女の姿を見ると、伯爵はかぶりをふって、私にこう言いました。
「あなたはわたしの話をちゃんと聞いてくれますな、フェリックス。ところが、ここでは、わたしに同情する者は誰もいないのですからなあ!」
まるで自分がいたのでは、私とアンリエットの話の邪魔になりそうだと気づいたかのように、あるいはまた、彼女にたいする騎士のような心づかいから、私たちを二人きりにしておくほうが夫人を喜ばすということを悟ったかのように、伯爵はそのまま立ちさってしまいました。伯爵の性格には、まったくなんとも説明のつかない屈折が示されていました。なにしろ、弱い人間がすべてそうであるように、彼も嫉妬ぶかい性質なのですが、ところが夫人の清浄さにたいする信頼にかけては、これまた際限ないほどなのですから。ことによると、その夫人の高潔な貞節さの卓越性のために、自尊心がいつも傷つけられてばかりいるという苦痛から、伯爵夫人の意志にたいする反抗、ちょうど子供が教師や母親にたちむかうような恰好で、夫人の意志にたちむかっていく彼の反抗がうまれてくるのかもしれません。ジャックは勉強の時間でしたし、マドレーヌは身づくろいをしているところでした。そんなわけで、ほぼ一時間のあいだ、私は伯爵夫人と二人きりで築山の上をぶらぶら歩きまわることができました。
「ところで」と私は彼女に言いました。「鎖《くさり》はいっそう重くなりましたか、砂はますます熱くなりましたか、茨《いばら》もずっと数がふえてきましたか?」
「それはおっしゃらないで」伯爵との会話から、私の頭にそれとなくはいりこんできた考えを察して、彼女はそう言いました。「あなたがここにいらっしゃるのですもの、なにもかも忘れてしまいましたわ! わたくし、ちっとも苦しんでなどおりません、苦しんだことなどございません!」
その白い衣裳《いしょう》に風を入れようとするかのように、その雪のごとく白いチュールの房飾り、ふっくらとした袖《そで》、あざやかなリボン、みじかいケープ、セヴィニエ夫人ふうに編《あ》んだ髪の毛〔セヴィニエ侯爵夫人は書簡によって知られる十七世紀の才媛で、まんなかで二分した髪の毛を、さらに幾つかの筋に編む髪型を好んだ〕の波うつ巻毛を、微風になぶらせようとするかのように、彼女は軽やかに二歩三歩と歩みをすすめるのでした。そして、私ははじめて、若い娘のような彼女の姿、生まれつきの快活さにみちあふれ、子供みたいに遊びまわろうとしている彼女の姿を、目《ま》のあたりにしたのです。そのとき、私は幸福の涙というものを知りましたし、男性が女性に楽しみを与えることによって味わえる歓喜というものを知ったのです。
「人間が花になった姿、それがあなたなのです。この美しい花をぼくは胸のなかで愛撫し、魂でくちづけするのです! ああ、ぼくの|ゆり《ヽヽ》よ!」と私は言いました。「いつも汚れがなく、すっきりと咲き匂い、いつも白く、気高く、香り高く、孤独に咲いているぼくのゆりよ!」
「もうけっこうですわ」彼女は微笑しながらそう言いました。「どうぞななたのお話を聞かせてくださいな、全部をすっかり話してくださいな」
そこで、この風にそよぐ葉ごもりの円天井《まるてんじょう》の下で、私たちは長い会話をはじめたわけですが、たえずもとにもどったり、横道にそれたり、またもとにもどったりして、果てしない注釈がいっぱいにつまったこの会話によって、私は自分の生活や仕事のことを彼女に教えてやりました。パリの住居のことまで逐一説明しました。というのも、彼女がなにからなにまで知りたがったからです。そして、当時はまだそのことの真価に気づいていませんでしたが、幸福なことに、私には彼女に隠さねばならぬことは一つもありませんでした。こうして、私の気持ちも、またたいへん骨の折れる仕事でみたされている生活の細部もことごとく知りつくし、さらには厳しい廉直《れんちょく》さをもった人間でなければ、たちまち裏切りを犯したり私腹をこやしたりしがちな、きわめて活動範囲のひろい職務であるにもかかわらず、私がきわめて厳格にその職務を遂行しているので、国王陛下も、私のことをヴァンドネス嬢と呼ばれているほどだということを――私はそれも彼女に話したわけですが――知ると、彼女は私の手をとって、その上に喜びの涙をこぼしながら接吻するのでした。こうしたとつぜんの役割の変化、こうたいともすばらしい賛辞、これほどすみやかに表現され、しかもそれ以上にすみやかに理解された「これこそわたくしが主人にしたかった人なのだ、わたくしの夢みた人なのだ!」という考えなど、つまり信従することによって偉大であり、そして官能の立ちいりえぬ地域で愛がそっとあらわれてくる彼女のこういう行為のなかに宿されたあらゆる告白めいたもの、これらもろもろの天上的なものが嵐となって私の心の上に襲いかかって、私を圧倒しさるのでした。私は自分が小さくなったように感じて、彼女の足もとでこのまま死んでしまいたいと思いました。
「ああ、ほんとうに!」と私は言いました。「あなたという女《ひと》は、いつでも、いかなる点でも、ぼくたちよりはるかにすぐれてらっしゃるのです。それなのに、どうしてぼくを疑ったりなさるのですか? こんなことを言うのも、とにかくさっきは疑ったのですからね、アンリエット」
「もう疑ったりいたしませんわ」彼女は言いがたいほど優しい表情、私にだけ見せる瞳《ひとみ》の光をうるませた優しい表情で、私のほうをじっと見まもりながらそう言いました。「でも、あなたのごりっぱな姿を拝見したとき、わたくし、こう思ったのです。≪マドレーヌにと考えていたあの計画も、どこかの女の方のために、あなたの心のなかに隠されている財宝を見通し、あなたを熱烈に愛し、わたくしたちの手からフェリックスを盗みだし、ここのすべてを破壊してしまうどこかの女の方のために、台なしにされてしまうかもしれないわ≫って」
「あいかわらずマドレーヌですか!」私はいかにも意外そうな顔つきでそう言いましたが、彼女のほうも、ほんのちょっと悲しそうな表情を見せただけでした。「それじゃあ、ぼくはマドレーヌに忠実にしているわけなのですか?」
二人ともそこでだまりこんでしまいましたが、あいにくとモルソーフ氏がやってきて、その沈黙は破られました。私は万感胸にせまった心をいだきつつ、さまざまな難関にみちた会話をつづけねばならぬはめに陥ったわけですが、当時国王陛下がとっておられた政策をめぐって、私がいろいろと真剣きわまる返事をしてみても、それがいちいち伯爵の考えと衝突するので、伯爵は陛下のご意向を説明するよう私に強制するのでした。伯爵の馬のことや、農作の情況のことを質問してみても、また五つの農場が満足できる状態かどうか、さらには古い並木道の木を切るつもりがあるかどうかと尋ねてみても、彼は老嬢みたいな気のもみかたをしたり、子供みたいな頑強な言いはりかたをしたりして、しじゅう政治の話ばかりむしかえすのでした。なにしろ、この種の人間の気質というものは、燈火の輝いているところに好んでぶつかっていったり、なにひとつ見ぬくこともできないくせに、しじゅう羽音をたてながら燈火のもとにもどってきたりするものであって、ちょうど大きな銀蝿《ぎんばえ》が窓辺でぶんぶんうなり声をたてて、ひどく耳ざわりな思いをさせるのと同じように、他人の心をひどく疲れさせてしまうのです。アンリエットはだまっていました。青年特有の熱しやすさのために、うっかりすると激しく煽《あお》りたてられてしまいそうなこの会話を、なるべく早く消しとめようとして、私は簡単にうなずきの言葉を発するだけで、なるべく無駄な議論を避けようとしました。けれども、モルソーフ氏もかなり頭の鋭い人でしたから、私の礼儀正しい態度のなかにこもっている侮蔑的なものは、すべてちゃんと感じとっていたのでした。しじゅうあいづちばかり打たれていることに腹をたて、とうとう激怒した瞬間には、彼の眉毛と額の皺《しわ》がピクピク動き、黄色い目がかっと輝き、いつも充血している鼻がいっそう赤くなって、ちょうど私がはじめて錯乱の発作を目撃したあの日と、そっくり同じ状態になったのです。アンリエットは、子供たちを弁護したり守ったりするために行使するあの威厳にみちた態度も、私のためにまで発揮できないということをわからせようとして、懇願するような視線をしきりに私に注ぎかけていました。そこで私も伯爵の言葉にまじめに相手になり、その猜疑《さいぎ》心の強い気質をたいへん巧妙にあしらいながら、問答をつづけていきました。
「お気の毒な方! ほんとにお気の毒な方!」彼女はこのみじかい言葉を何度となくささやくように繰りかえしましたが、それはさながら微風のように私の耳にとどいてくるのでした。
やがて、口をさしはさんでも大丈夫だと見きわめのついた頃、彼女はふと立ちどまって私たちにこう言いました。
「ほんとうに、お二人とも、ご自分がとても退屈な人間だということがわかっていらっしゃって?」
この問いかけの言葉によって、女性にたいして当然払うべき騎士的な服従にひきもどされ、伯爵は政治の話をやめました。そして、今度は私たちがとりとめのない話をして伯爵を退屈させる番になり、彼はこんなふうに同じ場所ばかり歩きまわっていたのでは、頭がくらくらしてくるなどと言いだして、私たちにはそのまま散歩をつづけさせたまま、むこうへ立ちさっていってしまいました。
私の悲しい推察は正確でした。十五年にわたって、この病人の激しい気分の動揺を鎮《しず》めてきた谷間のおだやかな風景も、温暖な空気も、美しく晴れた空も、陶酔を誘うような詩情も、いまとなってはまるで無力化していたのです。ほかの人々ならばとげとげしさも消えうせ、圭角《けいかく》もなくなろうという年配になって、この老貴族の性格は、昔よりもいっそう荒々しいものになったのです。二、三か月以前からべつになんの理由もなく、自分の意見が正当であることを証《あか》しだてようともせずに、彼はことごとに反対のための反対を述べたてるのでした。あらゆることにいちいち理由を要求したり、ちょっとした遅延や手ぬかりにひどく気をもんだり、家事の万般にいちいち干渉したり、家政のごく些細なことにまで報告を求めたりするのですが、しかもそれが妻や使用人たちの自由意志をすこしも認めず、みんなをただむやみに疲れさせるようなやりかたなのです。昔はなにかもっともらしい理由がないかぎり怒りませんでしたが、いまではしじゅう怒ってばかりいるのです。たぶん、財産についての心づかいだとか、農業についての計画だとか、波瀾《はらん》の多い生活などによって、それまで伯爵のさまざまな不安には適当な糧があたえられていましたし、また精神の活動力もそこで使いはたされていましたから、その陰鬱な気質もわきのほうにそらされていたのかもしれません。そしておそらく、いまでは仕事がなくなったせいで、病的な傾向が自分で勝手に格闘をはじめたのかもしれません。外側で適当に発散されることがなくなったので、病気はさまざまな偏執となってあらわれ、精神的な自我《ヽヽ》が肉体的な自我《ヽヽ》を奪取してしまったのです。彼は自分自身の医者になりました。医学書をいろいろ調べまわり、自分も現に症例を読んでいるこの病気にかかっているのだと思いこみ、健康をまもるために常識はずれなほどの予防措置を講ずるのですが、それがまたたえず変わってばかりいるので、はたからは予想することもできず、したがって彼の満足を買うこともできないのです。あるときは騒音をたててほしくないと言うので、伯爵夫人がその周囲に完全な静寂《せいじゃく》をまもる措置《そち》を講じておくと、彼はとつぜん、まるで墓場にいるようだと不満を言いたてます。物音をたてないということと、トラピスト修道院のような静寂ぶりとのあいだには、適当な中間があるはずだと彼は言うのです。またあるときは、この地上のものごとにたいして完全なる無関心を装うので、家中全体がほっと息をつき、子供たちは遊びふけり、家事の仕事はなんのお咎めもこうむらずに、つぎつぎにかたづいていくこともあります。すると、みんなが騒いでいるさいちゅうに、とつぜん彼がいかにも哀れっぽい叫び声をあげるのです。
「わたしを殺そうというんだな!――お前だって、これが子供たちのことだったら、どんなに差し障りになるかわかるだろうに」無理無体な言いぐさを、とげとげしい冷やかな口調でもっていっそうすさまじいものにしながら、彼は夫人にむかってそんなふうに言うのです。
伯爵はあたりの空気のごく些細な変化を丹念に調べあげ、しじゅう衣類を脱いだり着たりし、なにをするにも晴雨計を見るのでした。さながら母親のような夫人の心づかいにもかかわらず、彼は、どんな食物にも味覚をみたされることがありませんでした。なにしろ、彼の言うところによれば、胃がすっかりだめになっていて消化が困難であり、そのためにたえず不眠症にかかっているというのです。だがそうは言いながらも、どんな名医ですら感嘆するような健全さでもって、じつによく食べ、じつによく飲み、じつによく消化し、じつによく眠るのでした。彼の移り気には使用人たちもすっかり嫌気がさし、召使いというのものがすべてそうであるように、この連中も型通りにことを運ぶことに慣《な》れていましたから、たえず前後の方針が矛盾する要求に応ずることができませんでした。伯爵は、今後自分の健康には戸外の大気が必要だという口実のもとに、窓をすっかりあけはなしておくようにと命令したかと思うと、その数日後には、今度は戸外の空気は湿気が多すぎたり、あるいは熱気が多すぎたりして、とても我慢のならないものになってしまいます。そんなとき、彼はぶつぶつ小言を言ったり、いきなり口論をはじめたり、さらには自分の言いぶんを正当なものにするために、ときには前に命じた規則を覚えがないと言いはることもあります。こうした記憶力の欠陥のために、それともまたわざと知らん顔をしているのかもしれませんが、とにかくそのために、言い争いのさいに夫人が彼の前言をもちだして対照させようと試みても、けっきょくはかならず彼が勝利を占めるのでした。クロシュグールドの住みごこちは耐えがたいものになり、深い学識をそなえた人物であるドミニス神父ですら、なにかの学術上の問題の解法を研究しようという決心をかため、とうとう気づかぬふりを装うだけになってしまいました。伯爵夫人ももう昔のように、この狂気じみた怒りの発作を、できれば家族のなかだけに閉じこめておきたいと思ってはいませんでした。この年のわりに老《ふ》けこんでしまった男の理由のない激昂《げっこう》が、限度をはるかに越えたすさまじさを発揮する場面を、すでに使用人たちも目撃していました。彼らは伯爵夫人に忠実に仕えていましたから、それが外部にもれることはありませんでしたが、しかし、世間の思惑への気がねだけではもはや抑えきれなくなったこの錯乱が、もしや衆人環視《しゅうじんかんし》のもとで爆発しはしまいかと、伯爵夫人は毎日心配していたのです。その後、私は、伯爵の夫人にたいするふるまいについて、慄然《りつぜん》とするようなこまかな事実をいろいろ知りました。夫人を慰めるどころか、彼は夫人にさまざまな不吉な予言を浴びせかけ、将来おこる不幸はすべて彼女の責任だときめつけたりしていたのですが、それというのも、彼が子供たちに非常識きわまる療法を行なわせようとしたのを、夫人が拒んだせいなのです。たとえば夫人がジャックとマドレーヌを連れて散歩に出かけると、空が澄みきっているにもかかわらず、伯爵は嵐がくると予言するのです。そしてたまたま、予言の正しさを裏書きするような事態がおこると、彼は自尊心をすっかり満足させて、子供たちの体にたいする害のことなどには、とんと無関心になってしまうのです。さらにまた、二人の子供のどちらかが体のぐあいを悪くすると、伯爵はありとあらゆる知能をしぼりだして、夫人がとっている養護法のなかからその病気の原因をさぐりだし、じつに些細なことまでけちをつけたあげく、いつも最後にはこういう殺人同然の言葉を投げつけるのです。≪今後また子供たちが病気になったら、お前がそう望んだからなのだぞ≫と。家政のごく些細なことについても彼はいつもそういうふるまいかたをし、家政万般にたいして最悪の面しか見ようとせず、家付きの老馭者の言いかたにしたがえば、なにごとにつけても自分を|悪魔の弁護士《ヽヽヽヽヽヽ》〔弁護に値いしないことを強引に弁護する人間を指す言いまわし〕にしたててしまうのでした。
伯爵夫人はジャックとマドレーヌにたいして、自分と違う食事時間をきめてやり、こうして嵐はすべて自分の身にふりかかるようにし、子供たちが伯爵の病気のとんでもない巻きぞえを食わないようにしました。マドレーヌとジャックは、父親とはめったに会いませんでした。あのエゴイストに特有の錯覚のせいで、伯爵は自分が不幸の原因になっていることなど、ほんのこれっぽっちも意識してはいませんでした。さきほどのあの告白めいた会話の際にも、自分が家の者たちにたいしてどうも優しすぎていけないと、ことさらに嘆いたりしていたのです。つまり彼は猿さながらに棒をふりまわし、周囲のすべてを打ち倒し、たたきこわしてしまうのです。そのくせ犠牲者を傷つけてしまうと、今度は自分は犠牲者に触れたりはしなかったと言いはるのです。
こうして、剃刀《かみそり》の刃でつけたような伯爵夫人の額《ひたい》の皺《しわ》、私は再会したとたんにそれに気づいたのですが、この皺がいったいどこに由来するものか、私にもはっきり納得がいきました。気高い魂をもつ人々には、おのが苦悩を他人にもらそうとしない廉恥心《れんちしん》があり、とくに愛する者にたいしては、一種こころよい思いやりの気持ちから、その苦悩の大きさを誇り高く隠しておくものなのです。したがって、しきりに懇望してはみましたけれども、私は、アンリエットからこの打ち明け話を一挙に全部聞きだすことはできませんでした。彼女は、私に悲しい思いをさせまいと気づかっていましたし、さまざまなことを打ち明けて話すさいにも、とつぜん顔を赤らめて話を中断したりするのでした。けれども、しばらく経つと、伯爵が無為のうちに過ごしているせいで、クロシュグールドの家庭内の惨状はますますひどくなっているのだということが、私にも推察できるようになりました。
「アンリエット」数日後、私は、彼女の新しい心労の深さをすっかり見とどけたことを言外に示すような口調で、そう切りだしました。「土地のことをあんなにきちんと片づけて、伯爵が仕事をする余地をなくしてしまったのは、どうも失敗だったのではないでしょうか?」
「ですけれども」彼女は微笑をうかべながら言いました。「わたくしの立場は危なっかしくて、用心に用心を重ねる必要がありますし、ほんとうにわたくしとしては、あれこれと方法を考えめぐらした上で、やれるだけのことは全部やったのです。そうですわ、悶着《もんちゃく》はだんだんとひどくなるばかりでした。モルソーフとわたくしとはいつもいっしょにいるのですから、それをいろいろな点に分割してみたところで、悶着をやわらげることはできませんし、全部をあわせれば、けっきょく、わたくしにとっては同じようにつらいことになるでしょうし。トゥーレーヌの昔の産業の名残《なご》りで、クロシュグールドにもいくらか桑の木があるものですから、養蚕室でも建てたらどうかと勧めて、モルソーフの気をまぎらわすことも考えたのです。でも、それでもやはり家のなかではあいかわらず横暴でしょうし、おまけにその仕事のために、無数のわずらわしいことが起こるのはわかりきっていました。あなたはいろいろ観察してらっしゃいますけど、よろしいこと」と彼女は念を押すように言いました。「若い時代には、人間の好ましくない性質も世間の力でおさえつけられたり、情熱の作用によって抑制されたり、世間体《せけんてい》への気がねによって拘束されたりもします。ところが、やがて、孤独になり、年をとった人間になると、小さな欠点があからさまに、それも長いあいだ抑えられていただけにいっそう激しい形で、表面にあらわれてくるものなのですわ。人間の弱点というものは、もともとほんとに締まりのないもので、講和もなければ休戦もありません。昨日認められたことを今日も要求しますし、明日も要求しますし、いつまでだって要求しつづけます。一つの譲歩を足場にして、つぎの譲歩へひろげていくのですわ。ほんとの能力というのは寛大なもので、明白な事実にたいしてはすぐ折れあいますし、公平で穏和です。それにひきかえて、弱さから生まれた情熱は冷酷です。食卓に出された果物よりもこっそり盗んだ果物のほうが好きな子供、そういう子供のようなやりかたができる場合に、弱さから生まれた情熱は大喜びをするものなのです。ですから、モルソーフは、わたくしの意表をついたりすれば、それこそ心の底から喜んでしまいます。他の人をだましたりなどしそうもない人間ですのに、わたくしをだますとなると、それはもうすっかり喜んでしまうのですわ。もっともそれも、その嘘を、胸のうちにしまっておくことができる場合に限られていますけれども」
私が着いてから一か月ほど経たある朝、食事をすませて戸外へ出ると、伯爵夫人はいきなり私の腕をとって、果樹園に通ずる垣根の出入口から脱《ぬ》けだし、激しい勢いで私をぶどう畑へひっぱっていきました。
「ああ、わたくし、いまにきっと殺されてしまいます!」と彼女は言いました。「でも、わたくしはどうしても生きていたいのです、たとえそれが子供たちのためであるにすぎないとしても。ああ、なんということなのでしょう、一日だって気のやすまる日はないのですもの! いつも茨《いばら》のなかを歩きつづけ、しじゅう倒れてばかりいるというのに、しじゅうあらんかぎりの力を集中して、しっかりと平衡《へいこう》を保っていなければならないのですわ! 活動力をこんなふうに浪費させられたら、どんな人間だってたまったものではありません。どういう場所に力を注げばいいかがよくわかっているなら、まだわたくしの抵抗すべき個所がはっきりきまっているなら、心のもちかたをそれにあわせることもできましょう。でも、そうではないのです。毎日毎日、攻撃の性質は変わりますし、ふいに襲いかかってくるので防ぎようもないのです。わたくしの苦しみは一つだけでなく、多種多様なのです。ねえ、フェリックス、あの人の横暴ぶりがどれほどすさまじい形のものになったか、あの医学の本から暗示を受けて、どれほど野蛮な要求をするようになったか、あなたにはとても想像がつかないほどですわ。ああ、このさき……」彼女は私の前に頭をもたせかけてそう言ったまま、しばらく言葉をつづけることができませんでした。「いったいどうなるのかしら? どうすればいいのかしら?」言葉に出さないさまざまな胸の思いと戦いながら、彼女はまた話しつづけました。「どうやって防げばいいのかしら? わたくしはいまにきっと殺されてしまいます。いいえ、それよりさきに自分から死んでしまうでしょう。でも、それは罪を犯すことですものね! 家出すればいいのかしら? でも、あの子供たちがいます! 別れればいいのかしら? でも、十五年間も結婚生活をしてきたあげく、モルソーフといっしょに暮らすことはできないなどと、どうして父に言えるでしょう? それに父なり母なりがくれば、あの人はきっと落ちついた、分別のある、礼儀正しい、気のきく人間になりますものね。そればかりでなく、女がいったん結婚したら、父や母はいないのも同然ではないのかしら? 体も財産も夫のものなのですわ。わたくし、これまでは幸せとは言えないにしても、まあ静かに暮らしてきましたし、正直にはっきり申しあげますが、清らかに孤閨《こけい》をまもることから、なにがしかの力をひきだしていましたの。けれども、もしもそういう消極的な幸せまで奪われてしまったら、わたくしまで気が狂ってしまいますわ。わたくしの抵抗は、自分一人の個人的なものではない強い理由にもとづいております。はじめからたえず苦しまねばならぬ運命を負った哀れな子供を生むなんて、ほんとに罪悪ではありませんかしら? それなのに、わたくしの身のふりかたということになると、ずいぶんたいへんな問題がいろいろもちあがってきて、一人ではとてもきめかねるのです。なにしろ、わたくしは決定をくだす人間でもあれば、当事者でもあるわけですものね。明日、トゥールへ出かけて、ビロトー神父〔再出人物。フランソワ・ビロトーはトゥールの聖職者で、化粧品商セザール・ビロトーの兄〕さまにご相談申しあげるつもりですの、この方が新しくわたくしの霊魂指導者になってくださったのです。というのは、あのごりっぱなラ・ベルジェ神父さまはお亡《な》くなりになりましたの」と言うと、彼女はしばらく言葉をとぎらせました。「あの方は厳格でいらっしゃいましたけど、あの方の伝道の迫力は、いつまでも忘れられないでしょうね。後任の方は天使のようにお優しくて、叱ってくださるほうがいい場合にも、かえって同情してくださるのです。ともあれ、信仰のなかにひたっていれば、どんな勇気でも新しくわいてきますし、聖霊の御声が聞こえてくれば、どんな思慮でも新しくしっかりと固まります。――ああ、神さま」涙を押しとどめ、空をじっと見あげながら、彼女は言いました。「どうして、わたくしに罰をおくだしになるのでございましょう? でも、やはりそう思っていなければいけないのですわ」と言いながら、彼女は私の腕をかたく握りしめるのでした。「そうですとも、ねえ、フェリックス、そう思うことにしましょうね。わたくしたち二人が清らかで完全な人間として、あのいとも高い世界にのぼりつくまでには、まずたいへん苦しい試練を経なければいけないのだ、と。ああ、わたくしはもうなにも言ってはいけないのでございましょうか、神さま、お友だちの胸にすがって泣くことを、わたくしに禁じていらっしゃるのでしょうか? わたくしはこのお友だちを愛しすぎてしまったのでございましょうか?」
彼女はその胸にしっかりと私を抱きしめました。まるで、私の姿が消えはしないかと恐れてでもいるかのように。
「こういう疑問をどなたが解決してくださるでしょう? わたくし、良心にやましいようなことは一つもいたしておりません。星が高い空から、わたくしたち人間を照らしだしております。そうして、魂というものは、いわば人間のなかで輝く星なのですから、魂がその光でお友だちをつつみこまないはずはありませんわよね。たとえ純粋に心のなかでその人のことを思っているだけだとしても?」
この女性の汗ばんだ手を、それ以上に汗ばんだ自分の手のなかにじっと握りしめながら、私はその激した叫びにだまって耳を傾けていました。私が力をこめてその手を握りしめると、アンリエットも同じような力をこめてそれに答えるのでした。
「そっちにいるのかね?」帽子もかぶらずに、私たちのほうに近づいてきた伯爵が、そう叫びました。
私の再訪以来、伯爵はなにがしかの楽しみを得たいためもあったでしょうし、伯爵夫人が私に苦しみを打ち明け、私の胸にすがって嘆きを訴えていると思っていたせいもあるでしょうし、自分のあずかり知らぬ楽しみに嫉妬を感じていたためもあったでしょうが、しきりに私たち二人の話に首をつっこみたがるのでした。
「まあ、なんてしつこくつけまわすのかしら!」彼女はいかにもやりきれないといった口調で言いました。「菜園を見まわりにいきましょう、そうすればあの人から逃げられるでしょうから。みつからないように、生垣《いけがき》に沿って体をかがめていきましょうね」
私たちは厚く茂った生垣を砦《とりで》がわりにして、菜園のところまで駆けていきました。そしてまもなく、伯爵から遠く離れて、巴旦杏《はたんきょう》の並木道にたどりつきました。
「ねえ、アンリエット」その細い並木道までくると、彼女の腕を胸のあたりにしっかり抱きしめながら、そして歩みをとめて、苦悩にうちひしがれた顔をつくづくと眺めながら、私は彼女にこう語りかけました。「以前、あなたがゆきとどいた指導をしてくださったおかげで、ぼくは広大な世間の危険な道を無事に通りぬけることができました。今度はぼくが指針をいくつか提出して、この立会人のない決闘に早く決着をつける援助をさせてくださいませんか、こんなことをしていたら、あなたはいまにかならず倒れてしまいますよ。なにしろ、あなたのほうは対等の武器で戦っていないのですからね。もうこうこれ以上戦ったりなさらないでください、相手は狂人なのだし……」
「おやめになって!」目にいっぱいあふれでてきた涙をおさえながら、彼女はそう言いました。
「いいえ、言わせてください! ぼくが伯爵と話をしなければならないのも、あなたを愛しているからこそなのですが、ああやって一時間も話をすると、往々にしてこちらの考えが混乱してしまって、頭が重くなるようなことがあるのです。伯爵と話していると、自分の理解力が変なのではないかという気がしてきますし、何度も何度も同じ考えばかり聞かされるうちに、それがなんとなく頭のなかに刻みこまれてしまうのですよ。徴候《ちょうこう》がはっきりあらわれた偏執狂というものは、べつに伝染力などはもっていません。しかし、さまざまなものの見かたのなかに狂気が宿っている場合や、それがたえまのない口論という鎧《よろい》の蔭に隠れてしまっている場合には、かたわらでくらす人々に大きな被害をあたえるものなのです。あなたの忍耐はほんとに崇高ですが、しかしそのために、あなたの知力が衰えるようなことはないでしょうか? ですから、あなたご自身のために、かわいい子供たちのために、どうか伯爵にたいするやりかたをお変えになってください。あなたのあの申しぶんのない心づかいがあだになって、伯爵のエゴイズムはいっそうはなはだしくなったのですし、伯爵にたいするあなたの扱いかたは、母親が子供を甘やかすのと同じことだったのです。でも、いま、生きていきたいと思われるのでしたら……そして」私は彼女の顔をじっと見まもりながら言いました。「たしかに、あなたはそう望んでおられるはずです! それならば、伯爵にたいしてもっておられる支配権を、どうか十二分に発揮なさってください。あなたもご存じのとおり、あの人はあなたを愛していますし、あなたを恐れてもいます。それをもっと恐れさせるようにし、あの混乱をきわめたわがままを押えつけて、筋道立った意志を通すようになさってください。伯爵があなたの譲歩につけこんできたのと同じやりかたで、あなたの力をおしひろげていくようになさってください、そしてちょうど狂人を独房に閉じこめるように、あの人の病気を心の世界だけに閉じこめてしまってください」
「いいえ」彼女は悲しげに微笑しながらそう言いました。「そんな役割を演じられるのは、思いやりのない女だけですわ。わたくしは母親ですし、冷酷にはなりきれない女なのです。そうなのです、自分が苦しむことはできますけれども、他人を苦しめるだなんて! 絶対に」と彼女は言いました。「たとえ崇高な成果、あるいはまた偉大な成果をあげるためであろうとも、絶対にだめですわ。その上に、自分の心を偽《いつわ》ったり、自分の声をとりつくろったり、わざと顔をこわばらせたり、下品な動作をしなければいけないわけでしょう? どうぞ、そんなごまかしを要求なさらないでください。わたくし、モルソーフと子供たちのあいだに立つことはできますから、あの人の攻撃はわたし一人で受けとめて、誰にも禍《わざわい》をおよぼさないようにするつもりです。それぞれに利害が相反するたくさんのことに折りあいをつけるために、わたくしとしては、せいぜいそれくらいのことしかできませんもの」
「ああ、あなたに礼拝をささげさせてください! 聖なるあなた、聖なる上にも聖なるあなたに!」片膝を地面につけて彼女の衣服に接吻し、こみあげてくる涙をその衣服で拭いながら、私はそう言いました。そして、「でも、あなたが殺されたりしたら、いったいどうなるのです?」と言いたしました。
彼女の顔はさっと蒼ざめ、空を見あげながらこう答えました。
「だって神さまのおぼしめしですもの!」
「国王陛下がお父さまにむかって、あなたのことをどう言われたかご存じですか、『あの厄介者のモルソーフはあいかわらずご健在というわけなのか』とおっしゃったのですよ」
「陛下のお口なら冗談ですむことも」と彼女は答えました、「ここでは罪になりますわ」
私たちがずいぶん用心したにもかかわらず、伯爵はちゃんと跡をつけてきていました。夫人が一本のクルミの木蔭で歩みをとめ、そういう厳粛なる言葉を述べたとき、伯爵が汗まみれになって追いついてきました。その姿を見て、私はぶどうのとりいれの話をはじめました。伯爵は不当な疑惑をいだいたでしょうか? 私にはよくわかりません。とにかく、彼はなにも言わずに、くるみの木々から忍びよる冷気もいっこう気にせずに、私たち二人の姿をじろじろ眺めまわしていました。すこぶる意味深長な沈黙をあいだに何度かはさみながら、しばらくとりとめのない話をかわしてから、伯爵は心臓や頭が痛いと言いだしました。べつに私たちの同情をひこうとするでもなく、大げさな比喩を使って苦痛を説明して聞かせるでもなく、ただ穏やかな調子で痛みを訴えるだけでした。私たちはぜんぜん気にもとめませんでした。家へ帰ると、伯爵の気分はますます悪くなり、床に就くと言いだして、べつに仰々《ぎょうぎょう》しい大騒ぎもせず、いつもとはうって変わった自然さで、寝床へはいっていきました。私たちは、伯爵の憂鬱症のおかげであたえられたこの休戦状態を利用し、マドレーヌを連れてあのなじみぶかい築山《つきやま》までおりていきました。
「舟で川へ出てみましょうよ」築山を何度か歩きまわると、夫人はそう言いました。「今日は番人がわたくしたちのために魚とりをしてくれるはずですから、それを見物しにいきましょう」
私たちは小さな門から外へ出て、小舟《トゥー》のところまでいきました。そして、すぐさまそれに飛びのると、アンドル川をゆっくりとさかのぼりはじめました。たわいもないことをおもしろがる三人の子供のように、私たちは岸辺の草とか、青や緑のとんぼの群れを嬉々として眺めまわしました。そして、伯爵夫人は、胸をえぐるような深い悲しみにつつまれながらも、こうした安らかな楽しみを味わっていられることを、しきりにふしぎがっていました。しかし、自然の静けさというものは、私たちの苦闘などまるで頓着《とんちゃく》せずに進行していくからこそ、私たちの上に慰めの魅力を投げかけてくれるのではありますまいか? あふれでる欲情をかろうじて抑制している恋心のざわめきは、川の水のざわめきとぴったり調和し、人間の手に汚されたことのない花々の心のもっとも奥底に宿る夢想をあらわし、小舟のこころよい動揺は魂の内部にただようさまざまの思いを茫漠となぞっていきます。私たちは、この二重の詩情の駘蕩《たいとう》たる感化力にひたっていました。言葉は自然の音叉《おんさ》に乗せられて、ある神秘的な魅力を発揮していましたし、視線は赤々と燃える牧草地にいとも豊かに降りそそぐ太陽の光線と溶けあって、ひときわ輝かしい光を帯びていました。私たちがその上を飛びすぎていく小道、川はさながらそんな小道のようにも思えるのでした。さらにまた、徒歩で歩くときのように体を動かすことに気をとられる必要がなかったせいもあって、私たちの心は、ひたすら周囲の森羅万象《しんらばんしょう》の魅力をすっかりつかみとろうとするのでした。動作はすこぶる愛くるしく、言うことはすこぶるおしゃまな少女が、いましも自由を満喫《まんきつ》してはしゃぎまわっているような姿、それはまた二つの解放された魂を現実にあらわした画像ではなかったでしょうか、青春時代を幸福な恋でみたされた人々すべてによく知られた、あのプラトンの夢想したすばらしい被造物〔プラトンの対話篇『饗宴』のなかに、アリストパネスの説として記された人間の原型アンドロギュノスのこと。原始時代には、男女両性をそなえたアンドロギュノスという存在があったとされ、これがのちにゼウスによって両分され、男性と女性になったと考えられていた。プラトンによれば、恋愛という感情はこの原型への復帰の要求であるという〕を心中に思いえがく喜びにふけっている、そんな二つの解放された魂を? 筆にはつくしがたい細部についてではなく、その全体的な姿だけについて、この一刻のことをご説明するとしたら、私たちは周囲のあらゆる存在、あらゆる事物を通じて愛しあっていた、と申しあげたいと思います。私たち二人がそれぞれに望みあっている幸福が、まるで私たちの外にまであふれでたような感じでした。その幸福が私たちの心のなかに深く滲みこんだので、伯爵夫人は、あたかも心の奥底の熱気を冷やそうとするかのように、手袋をはずして美しい手を水のなかにひたしたほどでした。彼女の目ははっきり語っていました。だが、彼女の口は、風に吹かれるバラのようになかばひらいてはいましたが、欲情にぶつかればすぐ閉ざされてしまったでしょう。荘重な音と高い音とが完全に溶けあった協和音のことはあなたもご存じでしょうが、そういう協和音を耳にするたびに、私はいつもあのときの二人の魂の協和、その後もはや二度とあらわれたことのない協和を思いだすのでした。
「魚とりはどこでやるのですか?」と私は尋ねました。「おたくの地所のなかの川岸でやる以外にないのでしょ?」
「ポン・ド・リュアンの近くですの」と彼女は答えました。「そうそう、いまではポン・ド・リュアンからクロシュグールドまで、川はずっとわたくしどもの所有になりましたのよ。この二年間の貯金と最近いただいた年金の未払分とで、せんだってモルソーフが牧草地を四十アルパンほど買いましたの。びっくりなさって?」
「いや、ぼくは、この谷間全体があなたのものになればいいのにと思っています!」私はそう叫びました。
彼女は微笑で答えました。やがて、私たちはポン・ド・リュアンの下手の、アンドル川が川幅をましている個所に着きましたが、そこが魚とりの現場になっていました。
「どんな調子なの、マルティノー?」と彼女は言いました。「いや、奥さま、どうも運が悪うございましてね。水車小屋のところからここまでさかのぼってきて、もう三時間もこうしているのですが、獲物はなにもないのでございますよ」
最後の幾網かをおろすところを見物するために、私たちは舟を岸に着け、三人でそろって一本の|ブイヤール《ヽヽヽヽヽ》〔白樺の木を指す方言〕の木蔭に腰をおろしました。この木は樹皮の白いポプラの一種で、ダニューヴ河やロワール河のほとりに見かけられますし、さらにまた、その他の大きな河のほとりにも生えているだろうと思われますが、春になると、この木が、内側に花をくるんだ絹のような白い綿毛をさかんに飛びちらせるのです。伯爵夫人は、いつもながらの気品にみちた晴れやかさをとりもどしていました。マグダラのマリアのように、いや、恋と楽しい宴《うたげ》と放埒《ほうらつ》は知らないけれども、芳香と美貌はそなえたマグダラのマリアのように涙を流すかわりに、私にむかって、ヨブのように苦しみを洗いざらいうちあけて嘆きの叫びを発したことにたいして、彼女は後悔に似た思いをいだいていました。彼女の足もとにたぐりよせられた網は、魚であふれんばかりでした。ウグイ、ニゴイ、カワカマス、スズキ、それに大きな鯉が一匹、草の上をはねまわりました。
「これはまたわざわざ仕組んだみたいですなあ!」と番人が言いました。
魚とりの男たちは目をみはって、まるで仙女が魔法の杖で網にさわったのかと思えるこの女性の姿をつくづくと眺めていました。ちょうどそのとき、あの調馬師が、牧草地をつっきって大急ぎで馬をとばしながら姿をあらわしたので、彼女ははっと体をふるわせました。私たちはジャックを連れてきていませんでしたし、母親がまず最初に考えることは、ウェルギリウス〔ローマの最大の叙事詩人〕がいかにも詩的に述べているとおり、ほんのちょっとしたできごとがあれば、すぐさま子供を胸にだきしめることなのです。
「ジャックは!」と彼女は叫びました。「ジャックはどこにいるの? あの子がどうかしたの?」
彼女は私を愛してなどいなかったのです! もしも私を愛しているのだったら、私のさまざまな苦しみにたいしても、こういう絶望に駆られた牝獅子《めじし》のような表情を示してくれたわけでしょうから。
「奥さま、伯爵さまのぐあいがだいぶお悪いのです」
彼女がほっと息をついて、私といっしょに駆けだすと、マドレーヌもあとからついてきました。
「ゆっくりお帰りになってくださいな」と彼女は言いました。「あの娘《こ》が汗をかくといけませんから。そうなんですの、こういう暑いときに歩きまわると、モルソーフはいつも汗をかいておりましたわ、その上にああしてクルミの木の蔭に立ちどまったりしたのが、きっと禍《わざわい》の種になったのでしょうね」
心を動転《どうてん》させているさなかに言われたこの言葉には、彼女の魂の純粋さがはっきり示されていました。伯爵の死が禍だとは! 彼女はたちまちのうちにクロシュグールドへたどりつき、塀《へい》の破れ目からなかにはいり、菜園を通りぬけていきました。私のほうは、じっさいにゆっくりと帰っていきました。さきほどのあのアンリエットの言葉から、私の心にはなにごとかがきらめいたのですが、それはさながら、すでに納屋《なや》にいれた収穫物を台なしにする雷撃のきらめきに似たものでした。この舟遊びのあいだ、私は、自分のほうが愛されているのだとばかり思いこんでいたのです。が、いまや、彼女のいつもの言葉が本心から語られたものであることを、私は苦々しく意識しました。いっさいでない恋人など、なにものでもありません。私は一人でむなしく愛していたのです、おのが欲するものはことごとく知りつくしながら、優しい愛撫にあこがれるだけで満足している恋、そして将来のために残された官能の喜びがすでに入りまじっておればこそ、ただ魂の喜びだけで満ちたりている恋、そういう恋の数々の願望をいだきながら、私は一人でむなしく愛しているのでした。アンリエットはたとえ愛しているにせよ、恋の喜びについても、また嵐のような激情についても、まるでなにも知らなかったのです。ちょうど聖女が神にたいするように、彼女は感情を糧として生きていました。彼女のすげなく閑却《かんきゃく》されたさまざまな思いや感覚などは、あたかも蜜蜂がある花咲いた木の枝に愛着するかのように、ある対象に結びついていったわけですが、私はまさにそういう対象の役をしていたのでした。とはいうものの、むろん私が彼女の生の本源というのではなく、単に生涯の一つの事件にしかすぎず、生涯のいっさいではなかったのです。いまや玉座を追われた王となり、いったい誰が王国を返してくれるだろうかと考えながら、私は帰路をたどっていきました。狂おしい嫉妬に燃えながら、自分がついになにごとをも敢行しなかったことをみずから責め、もはや真実なものというより巧妙なものとすら思えるその情愛の絆《きずな》を、所有からつくりだされる明確な権利の鎖《くさり》でもって、しっかと繋《つな》ぎとめておかなかったことを痛切にくやむのでした。
伯爵の病気は、おそらくクルミの木の冷気のせいだったのでしょうが、数時間のうちに由々しい状態になりました。私は、オリジェ氏という有名な医者を呼びにトゥールへおもむき、夕方になってやっといっしょに連れてくることができました。もっとも、オリジェ氏はその晩から翌日にかけて、ずっとクロシュグールドにいてくれました。彼は調馬師を使いにだして、吹玉《すいだま》を多量にとりよせましたが、その前にむしろ刺絡《しらく》を急いでする必要があると診断しました。ところが、刺絡針をもってきていなかったのです。私は、すぐさま悪天候をついてアゼーまで駆けつけ、外科医のデランド氏をたたきおこし、まさに鳥の飛ぶような早さで、むりやりにクロシュグールドまでひっぱってきました。もう十分遅れたら、伯爵は死ぬところだったでしょう。が、その刺絡のおかげで一命はとりとめました。こうして最初はうまくいったものの、医者の診断によると、非常に悪性の炎症性の高熱が出るはずであり、それがまた二十年間もすこぶる健康に過ごしてきたような人が、とつぜんかかったりする病気だということでした。伯爵夫人はすっかりおろおろして、自分こそこの生死の境をさまよう発病の原因なのだ、と思いこんでしまいました。私の看護に感謝を述べる力すらなく、ときおり私のほうにほほえみを投げかけるだけでしたが、そのほほえみにこめられている感情は、いつぞや私の手にしてくれた接吻に匹敵するものでした。私としては、そこに不倫の恋の呵責《かしゃく》を読みとりたいような思いでしたが、しかしじっさいのところは、こういう純粋な魂の持主のなかにあらわれる場合には、それははたで見るのも痛ましい深い悔悟の行為であり、同時にまた、単なる想像上の罪の責めを自分一人に着せて苦しみながら、気高い人物と考えている男にむかって投げかける、賛嘆をこめた愛情の表現でもあったのです。たしかに、彼女は、ノーヴのロールがペトラルカを愛するように愛していたのであり、フランチェスカがパオロ〔リミニのフランチェスカは、もとラヴェンナ侯の娘で、両親の強制によって不具の男リミニ侯に嫁いだ。だが、彼女は義弟のパオロ・マラテスタの美貌に心をひかれ、やがて騎士道小説を仲介として不倫の恋に陥る。そしてある日夫にその不義の恋を発見され、二人とも殺される。この悲恋は、ダンテの『神曲』の地獄篇に歌われたこともあって、ひろく後世に伝えられた〕を愛するように愛していたのではなかったのです。この二つの種類の愛の融合を夢みていた人間にとっては、それはなんとしてもやりきれぬ発見でした!
伯爵夫人は猪《いのしし》の巣窟《そうくつ》を思わせるようなこの部屋の汚ならしい肱掛椅子に、腕をだらりとたらして、ぐったりと横たわっていました。翌日の夕方、帰りがけに、医者は徹夜で看護した夫人にむかって、看護婦を一人雇うようにと言いました。病気は長びくからというわけです。
「看護婦でございますって」と彼女は答えました。「いいえ、けっこうですわ。わたくしどもが看病いたします」私のほうを見やりながら彼女はそう言いました。「わたくしたちには主人の生命を救う義務がございますもの!」
この言葉を聞くと、医者はすっかり驚いて、観察するような視線をちらりと私たちのほうに投げかけました。この言葉の調子は、まさしく、なにか未遂の大罪を憶測させるような性質のものでした。
医者は週に二度ずつくることを約束し、今後とるべき手順をデランド氏に指示し、さらにこういう危険な徴候が起こったら、自分をトゥールまで呼びにくるようにと、くわしく説明していってくれました。
すくなくとも二日に一晩は夫人に睡眠をとってもらうために、彼女と交代で伯爵の看病をさせてくれるように、私は頼みました。そうして、三日目の晩、かなり骨を折ったあげく、やっと眠ろうという気持ちを彼女に起こさせることができました。やがて家中がすっかり寝静まり、伯爵もうとうとまどろんだとき、アンリエットの部屋から苦しげな呻《うめ》き声が聞こえてきました。激しい不安に襲われたので、私はようすを見にいきました。彼女はさめざめと涙にくれながら祈祷台の前にひざまずき、みずからの罪を責めているのでした。
「ああ、神さま、もしこれが不平など申した報いでございますなら」彼女はそう叫びました。「今後もうけっして愚痴《ぐち》などは申しません。――まあ、病人をほっておいて!」私の姿を見ると彼女はそう言いました。
「あなたの泣き声や呻き声が聞こえたので、心配だったものだから」
「あら、わたくしは」と彼女が言いました。「わたくしは大丈夫です!」
彼女は、モルソーフ氏が眠っているところを自分で確かめたいという気になりました。そこで私たちは二人でいっしょに階下へおりて、ランプの光で彼の寝姿を見まもりました。伯爵は睡眠をとっているというよりむしろ、多量に血を吸いとられて衰弱しきっているのでした。両手をぴくぴく震わせて、しきりに掛布団《かけぶとん》をひきよせようとしていました。
「こういうしぐさは、死期の迫った人間がするものだと言われておりますわね」と夫人は言いました。「ああ、ほんとうに、もしもこの病気で、わたくしたちのせいでかかったこの病気で死ぬようなことになったら、わたくし、けっして再婚などいたしません、ほんとうにそう誓います」儀式めいた厳粛《げんしゅく》な手つきで伯爵の頭上に手をさしのべながら、彼女はそうつけくわえました。
「伯爵の生命を救うために、ぼくもできるかぎりのことはやってみました」と私は言いました。
「いいえ、あなたは、あなたはほんとにりっぱな方ですわ」と彼女は言いました。「でも、わたくしのほうは、とても罪ぶかい女なのです」
彼女は伯爵の病苦にゆがんだ額に接吻し、そこに滲《にじ》みでたあせを自分の髪の毛でふきとり、敬虔《けいけん》な態度でその額に接吻するのでした。しかし、こうした愛撫を行なう彼女のしぐさがいかにも贖罪《しょくざい》の行為めいているのを見ると、私はひそかな喜びを感ぜずにはいられませんでした。
「ブランシュ、水をくれ!」伯爵が弱々しい声でそう言いました。
「ほら、ごらんなさい、この人はわたくしのことしかわからないのですわ」伯爵の口のところへコップをもっていきながら、彼女はそう言いました。
そして、彼女はその語調を通して、またその情愛のこもった動作を通して、私たち二人を結びつけている感情を病人のために犠牲にささげ、それをことさらに傷つけようと心を砕くのでした。
「アンリエット」と私は言いました。「すこしやすんでくださいよ、ぜひそうお願いしたいのです」
「もうアンリエットなどとお呼びにならないで」かさにかかったような早口で彼女は私の言葉をさえぎりました。
「とにかく、どうかやすんでください、あなたまで病気にならないようにね。子供たちのためにも、当人《ヽヽ》のためにも、あなたは自分をいたわらなければいけませんよ。エゴイズムが最高の美徳になる場合だってあるのですからね」
「ええ、そうですわね」と彼女は言いました。
夫を頼むという意味のしぐさをしながら、彼女は部屋から出ていきましたが、もしもそのしぐさのなかに、悔悟の情からくる痛切な懇願の気配に入りまじって、子供のような愛くるしさがあらわれていなかったならば、それはなにか、いまにも錯乱をおこしそうな気配とすらみえかねなかったかもしれません。この純粋な魂の持主のふだんの精神状態にくらべると、この一場の光景はいかにも恐ろしいものだったので、私は思わず慄然《りつぜん》とさせられました。というのも、彼女が良心の呵責《かしゃく》を極度につのらせはしまいかと心配したからです。そこで医者がつぎに訪ねてきたとき、わが清浄なるアンリエットの心をさいなんでいる、それこそ怯《おび》えきった貂《てん》さながらの小心な不安を、私は彼に打ち明けてみました。ひかえめに話しただけでしたが、この打ち明け話によってオリジェ氏の疑念も解け、伯爵はどういう原因からくるにせよ、いずれはこういうふうに発病するはずであったし、クルミの木蔭にいたということも、病状をはっきりさせたという点からみれば、有害というよりもむしろ有益でさえあったと述べて、この美しき魂の動揺を鎮《しず》めてくれました。
五十二日間、伯爵は生と死のあいだをさまよっていました。アンリエットと私は、それぞれ交代しあいながら、二十六日徹夜したことになります。たしかに、モルソーフ氏は私たちの看護のおかげで、オリジェ氏の指図を私たちが細心をきわめた正確さで実行したおかげで、一命をとりとめたのでした。りっぱな行為というものが、単にある一つの義務のひそかな遂行として行なわれているにすぎぬ場合でさえ、鋭敏な観察をはたらかせて、そのりっぱな行為の動機を疑ってかかる哲学者まがいの医者が世間にはいるものですが、そういう医者の部類にはいるこの人物は、伯爵夫人と私とのあいだに行なわれている悲壮な戦いをかたわらから眺めながら、穿鑿《せんさく》するような目つきでもって、私たちの動静《どうせい》をさぐらずにいられなかったのです。そうせずにはいられぬほど、彼はうっかりまちがって感心してはいけないと気をもんでいたのです。
「こういう病気では」三度目の来訪のとき、彼は私に言いました。「精神のほうからの副次的な作用もはたらいて、死があっというまにやってくることがあるのですよ。これは伯爵のように、精神のほうが相当にひどい変調をきたしている場合ですがね。ですから、医者も、看護婦も、また周囲にいる人々も、みんなが病人の生命を掌中に握っているわけです。なにしろ、そういう場合には、たった一つの言葉が口にされただけでも、動作のなかにちょっと不安の気配があらわれただけでも、毒薬と同じ力をもつのですからね」
そんなふうに語りかけながら、オリジェ氏は私の顔つきや態度をじっとさぐっていました。けれども、彼が私のまなざしから読みとったのは、無垢《むく》な魂の澄みきった表情だけでした。じっさい、このむごたらしい病気の期間を通して、私の頭のなかには、このうえなく汚れを知らぬ良心をもときには掠めすぎることのある、あのわれしらずふとうかんでくる邪念など、ほんのかすかにすらうかびあがってはきませんでした。自然を大きく見わたす人にとっては、万物は同化作用によって、統一の方向へむかいつつあるように見えるものなのです。精神の世界も、それと類似の原理に支配されているにちがいありません。純粋な地帯にあっては、いっさいが純粋です。アンリエットのまわりには、天上の香りがたちこめ、責められてしかるべき欲望をいだいたりすれば、永久に彼女のそばからひき離されるにちがいない、という気がしてくるのです。ですから、彼女はたんに幸福を恵むものであったばかりでなく、美徳を授けるものでもあったのです。私たちが、いつも同じように注意ぶかく看護に努めていることがわかったので、医師の言動にも、なんとなくつつしみぶかい気配や感動にうたれている感じが、あらわれてくるようになりました。まるで彼はこうつぶやいてもいるようでした。≪こちらこそ本物の病人だ、この二人は自分たちの傷口をじっと隠して、それを忘れさろうとしているのだ!≫と。このすぐれた人物の言うところによれば、こんなふうに心身を台なしにされた人々にあっては、ふだんと一変した態度を見せるというのは、かなりよく見かけられる現象なのだそうですが、モルソーフ氏の態度もまるで対照的に変わってしまって、忍耐づよくなり、すこぶる従順になり、丈夫なときにはどんな簡単なことをするにもさんざん小言を言いちらしていた彼が、ぜんぜん不平もこぼさず、驚くほどのすなおさを示すようになりました。以前はあれほど激しく否認していた医学にたいして、こんなふうに従順に従うようになった秘密を解く鍵は、心の奥底にひそむ死の恐怖、つまりこれまた勇敢そのものの人物のなかに見られる対照的現象たるあの死の恐怖に、ひそんでいるのでした! この恐怖感というものをもとにして考えれば、さまざまな不幸のために別人のように変わってしまった伯爵の性格の、数々の奇怪なところについてもかなりはっきり説明がつくかもしれません。
こんなことをはっきり言ってよいでしょうか、ナタリーよ、こんなことを信じてもらえるでしょうか? この五十日間、そしてそれにつづく一か月間は、私の生涯のもっともすばらしい時期でした。大河が美しい谷間において占めている位置、魂という無限の空間のなかで、愛はちょうどそういう位置を占めているのではありますまいか、雨も、小川のせせらぎも、谷川の奔流もことごとくそこに流れこみ、樹木も、花々も、岸辺の小石も、たいへん高々とそびえたつ岩塊も、ことごとくそこに落ちこんでいく大河が占めているような位置を? 澄みきった泉から注がれる流れのゆるやかな貢物《みつぎもの》によっても、また激しい嵐のもたらす雨滴によっても、大河はいっそう大きくなっていきます。そうです、愛しているときには、すべてが愛のもとへと帰着するものなのです。当初の大きな危険が過ぎさると、伯爵夫人と私は、病気にすっかり慣《な》れてしまいました。伯爵がさまざまな看護を必要としていましたから、たえずごたごたした状態がつづいてばかりいましたが、それにもかかわらず、はじめはあれほど雑然と見えた伯爵の居室は、しだいに清潔でこぎれいなものになっていきました。しばらくすると、その部屋に閉じこもっている私たちは、どことなく無人島に流れついた二人の人間とでもいった感じになってきました。それというのも、不幸は人間を孤立させるばかりでばなく、社会のけちくさい約束など締めだしてしまうからなのです。それにまた、病人のためということを考えると、私たちも他のどんなできごとにも許されないような接触点をも、否応《いやおう》なしにもたざるを得ないことになりました。それまではじつにおずおずとしていた私たちの手が、なにかちょっとした伯爵の世話をするはずみに、ふと互いにふれあったことがいったい何度くらいあったでしょうか? また、私がアンリエットの体を支えてやったり、手を貸してやったりしなければならないことが、いったい何度くらいあったでしょうか? 哨戒《しょうかい》の任務に就いた兵士のように、たえず動きまわっている必要に迫られて、彼女はしばしば食事をとるのを忘れることさえありました。そんなとき、私が彼女の食事の世話をしてやるわけですが、それもときには私の膝の上ですますことさえあるほどの、きわめてあわただしいものであり、そのためじつにさまざまな心づかいが必要とされるのでした。それはまさしく、なかば口をあけた墓穴のかたわらで演ぜられる一場の児戯《じぎ》でした。伯爵の苦痛をまぎらわせる処置をするさいなど、彼女はじつにてきぱきと私にいろいろなことを言いつけ、数多くのこまごましたことに私を使うのでした。はじめの頃、つまり危険の度合というものが、さながら戦闘の渦中にいるかのごとくすこぶる切迫していて、そのため日常茶飯のことがらの特徴たる微妙な気品など抹殺《まっさつ》されてしまうような頃、彼女も当然のことながら、礼儀作法を――他人の前にいるとき、あるいは家族の前にいるとき、あらゆる女性が、このうえなく自然な女性までが言葉づかい、まなざし、たたずまいのなかにこめるものであって、つまりもはやふだん着のままとは言えないあの礼儀作法を、きっぱりとかなぐりすてていました。たとえば、朝早く小鳥がさえずりはじめる頃、彼女が朝着を身にまとったまま私と交代しにきたときなど、ときおりその朝着の下から、あのまばゆい財宝がのぞいていることはなかったでしょうか、狂おしい希望に駆られるあまり、私がときにすでに自分のものだとみなすこともあったあの財宝が? 依然として気品にあふれ、誇り高い態度を保ってはいましたが、こういう状態におかれれば、彼女としても、あけすけなところを見せずにいられたでしょうか? その上、最初のうちは、危険な状態が迫っていたため、私たちが過度なほどに親密に結びついていても、情熱めいた意味あいはすっかり奪いとられていましたから、彼女にしてみても、べつに不都合な点を認めるわけにはいかなかったのでした。やがて、ゆっくり反省できる時期がきたときには、彼女はおそらく、この態度をことさら変えたりしたら、彼女にとっても私にとっても侮辱になるだろう、と考えたのです。私たちは知らず知らずにお互いになじみあって、なかば夫婦同然のようになりました。彼女は自分にたいしても、また私にたいしてもすっかり安心しきって、じつに気品にみちた信頼の態度を示すようになりました。そんなわけで、私は、彼女の心のなかにいっそうふかくはいりこむことになったのです。伯爵夫人はふたたび私のアンリエットになりました、彼女の第二の魂となるべく努力している男を、ますますふかく愛さずにはいられぬアンリエットに。まもなく、もはや私が待つまでもなく、ほんの一目だけ頼みこむようなまなざしを注ぎさえすれば、彼女の手はいつも抗《あらが》うことなく私に委ねられるようになりました。長時間にわたって、二人で病人の寝息に聞きいっているあいだに、私が美しい姿態の線を陶然と目でたどっていっても、彼女は私の視線を避けようとはしませんでした。私たちが互いにあたえあっていたわずかばかりの逸楽、つまり優しくうるんだ目つき、伯爵の眠りをさまさぬように小声でささやかれる言葉、何度となく繰りかえして語られた不安と希望など、要するに、長いあいだひきはなされていた二つの魂が、完全に一つに融けあったことからうまれる数々のできごとが、現在の目前の情景の痛々しい暗さを背景として、じつにあざやかにうきだしてくるようになりました。こういう試練のなかで――往々にして、このうえなく激しい愛情ですら、時々刻々見られていることに耐えられなくなって屈服したり、また生活という不断の密着を堪えがたいほど重苦しいとか、あるいはまた軽すぎて物足りないとか感ずることが原因となって、ついに離別を余儀なくされて屈服したりすることもあるこういう試練のなかで、私たちは、お互いに相手の魂を底の底まで知りつくしたのでした。
あなたもご存じのとおり、一家の主人の病気というものは家のなかをすっかり荒らしまわり、家事をひどく停滞させるものであって、なにごとにつけても時間が不足がちになってきます。主人の生命が障害にぶつかると、家の動きにも家族の動きにも、混乱が生じてくるのです。それまで万事がモルソーフ夫人の双肩にかかっていたとはいえ、それでも家の外のことにかけては伯爵でも役にたつこともありました。たとえば、彼は小作人たちのところへ相談しにいくこともしましたし、取り引き相手のところへも出かけていくこともしましたし、現金を受けとりにいくこともやりました。夫人が一家の魂であるとすれば、彼はその肉体であったわけです。夫人が伯爵の看護に没頭していても、家の外のことがらが支障をきたさぬように、私は自分から執事《しつじ》の役を買って出ました。彼女はべつに遠慮もせずに、改まって感謝の言葉を述べたりもせずに、すべてを受けいれてくれるのでした。こんなふうに家の仕事を二人で分けあったり、彼女の代理として命令を伝えにいったりするということは、つまりは、こころよい共有物がまた一つふえることにほかなりませんでした。夕方など、ときおり、彼女の部屋で、財産のことや子供たちのことを彼女と話しあうことがありました。そんな話しあいを通して、私たちの一時的な結婚は、いっそうそれらしい趣《おもむ》きを呈してきました。私に夫の役割を演じさせたり、食卓で夫の席を占めさせたり、番人のところへ相談にいかせたりするさい、彼女はなんと喜びにひたりきっていたことでしょう。そして、そういうことをすべて、完全に汚れのない気持ちでやっていたわけなのですが、かといって、内心の喜びがなかったわけではありません。掟を厳格にまもることと人知れぬ欲望がみたされること、この二つを結びつける方策をみつけだすことができれば、このうえなく貞節な女性の心にさえわきあがってくるはずの、あの内心の喜びがなかったわけではありません。病気のためにすっかり無力になってしまったので、伯爵はもはや彼女の上にも、また家全体の上にも、重くのしかかってはこなくなりました。そこで、伯爵夫人はその本然の姿にかえって、私のことにいろいろと注意をむけたり、私を数々の心づかいの対象にしたりすることができるようになりました。自分の人柄や長所の価値をことごとく私の前にあきらかにしようという考え、そしてもし自分という人間を理解してもらえるならば、いま生じつつある変化を私にすっかり見てもらおうという考え、たぶん漠然と意識されたものにすぎなかったかもしれませんが、しかし魅力たっぷりに表面にあらわしだされたこの考えを彼女のなかに発見したとき、私はどれほどの喜びを感じたことだったでしょう! 夫婦生活の冷たい雰囲気のなかで、たえずむなしく閉ざされてばかりいたこの花も、私の視線を浴びつつ、そしてただ私一人のために、いま咲きひらいたのです。すべてを知りたがる愛のまなざしをそこに投げかけるときに、私の心のなかにあふれてくるのとまったく同じ喜びに燃えつつ、彼女はその魅力を思うさま繰りひろげるのでした。彼女の心のなかで私の存在がいかに大きいものになっているか、日常生活のごく些細なことがらにも、それははっきりと証《あか》しだてられていました。私が一晩病人の枕頭ですごしたのち、朝遅くまで眠っている日など、アンリエットは誰よりも早く起きだして、私の部屋の周囲が完全な静けさにつつまれるようにしてくれるのでした。べつになにも注意されなくても、ジャックとマドレーヌは、遠くのほうで遊んでいました。彼女はまたいろいろ巧みに口実をつくっては、私の食事の用意を整える権利を獲得しようとするのでした。そして、私に給仕をしてくれるのですが、その動作には喜びがきらめき、身ごなしは|つばめ《ヽヽヽ》のようにしなやかになり、頬は真紅《しんく》に染まり、声はふるえを帯び、目はきらきらと鋭い輝きに燃えるのでした!
このような魂の真情の吐露《とろ》というものは、外面に描きだされるようなものなのでしょうか? しばしば、彼女はぐったりと疲れきってしまうことがありました。けれども、たまたまそういう疲労の折に、私のことでなにかがもちあがったりすると、ちょうど子供のためにそうする場合と同じように、私のために新しい気力をかきたてて、敏捷に、活溌に、そして楽しそうに立ちあがるのでした。自分の愛情を光線のように空中にまきちらすことを、彼女はどんなに好んでいたでしょう! ああ、ナタリーよ、そうなのです、ある種の女性というものは、この世にいながらもすでに天使の精霊を有する特権を付与されていて、「無名の哲人」サン=マルタンによれば、知性と諧調《かいちょう》と香気にみちたものと言われるあの光を、さながら天使のように、この地上にあまねくゆきわたらせるものなのです。私の思慮ぶかさを信じていたアンリエットは、未来を私たちの目から隠している重い帳《とばり》を進んで押しあげ、自分のなかにひそむ二人の女性を私に見せてくれました。つまり、その冷たさにもかかわらず、私を魅惑しつくした鎖《くさり》につながれた女性と、その優しさによって、私の恋を永遠のものとするはずの自由な女性とを。まったくなんという相違でしょう! モルソーフ夫人のほうはベンガル雀、寒いヨーロッパに運ばれてきて、博物学者の飼育する籠のなかで、悲しそうにやどり木にとまったまま、鳴声もたてずに死んでいくベンガル雀でした。それにひきかえ、アンリエットのほうは、ガンジス河のほとりの小さな森で東洋の歌を歌う小鳥、いつも咲きひらいている巨大な|くまつづら《ヽヽヽヽヽ》のばら色の花のなかを、枝から枝へさながら生きた宝石のように飛びまわる小鳥でした。彼女の美しさはますます美しくなるばかりでしたし、彼女の精神はいきいきとよみがえりました。この不断の喜びの火は、私たち二人の心だけの秘密でした。それというのも、世間の代表であるドミニス神父の目は、アンリエットにとっては、モルソーフ氏の目以上に恐ろしいものだったからです。とはいうものの、彼女も私と同じように、自分の気持ちを気のきいた巧みな言いまわしで表現することを、たいへん楽しみにしていました。彼女は嬉しさを冗談にまぎらわしたりしましたし、さらにまた、愛情のしるしの言葉を述べるさいにも、感謝のきらびやかな幕をその上に覆いかぶせたりしました。
「わたくしどもは、あなたの友情を厳しい試練にかけましたわね、フェリックス! ですから、ジャックに許してやっているくらいのわがままは、もう許してあげてもよろしゅうございますわね、神父さま?」彼女は食卓でそんなことを言ったことがあります。
厳格な神父は、他人の心のなかを読みとって、それが純粋なものであると認めた場合、敬虔な人物がもらすあの特有の優しい微笑でもって、それに答えました。それにまた、神父は伯爵夫人にたいして、天使によって呼びさまされるような賛美の情の入りまじった尊敬の念を、つねづねから表明していたのです。
この五十日のあいだに二度ほど、伯爵夫人は、私たちの愛情が閉じこめられていた境界の外へと踏みだしたらしいのです。とはいっても、この二度のできごともやはりずっとヴェールに包まれたままで、最後の告白の日がくるまで、そのヴェールはついにあげられることはなかったのですが、伯爵の病気のまだ初期の頃、ある朝、私の純潔な愛情にあたえられていた罪のない特権までとりあげたりして、私にひどく厳しい仕打ちをしたのを彼女が後悔していたときのことですが、私は彼女がくるのを待っていました。彼女はまもなく交代にきてくれるはずだったのです。すっかり疲れきっていたので、私は壁に頭をもたせかけて眠りこんでしまいました。なにか爽やかなもの、まるでバラの花でも押しあてられたような感じの、なにか爽やかなものが額にふれてくるような気がしたので、私はふと目をさましました。三歩ほど離れたところに伯爵夫人が立っていて、私にこう言いました。
「さあ、きましてよ」
私は部屋を出ていこうとしました。だが、その前に朝のあいさつを述べながら彼女の手をとると、その手は汗ばんでふるえているのが感じられました。
「苦しんでらっしゃるのですか?」と私は尋ねました。
「なぜそんなことをお聞きになりますの?」彼女は逆にそう尋ねかえしました。
私は顔を赤らめ、どぎまぎしながら彼女の顔をみつめました。
「僕は夢をみたんですよ」私はそう答えました。
それからまたある夕方、オリジェ氏は伯爵が快方にむかいつつあると確言して、最後の来診にきていた頃のことですが、私はジャックやマドレーヌといっしょに正面の踏段のところにいました。三人とも踏段の上に腹ばいになって、藁《わら》の釣糸と針のついた鉤《かぎ》棒とで藁釣り遊びをしながら、慎重な注意を要するこの遊びの面白さに夢中になっていました。モルソーフ氏は眠っていました。馬車の用意ができるのを待ちながら、医者と伯爵夫人は、広間でひそひそと話しあっていました。やがてオリジェ氏は帰っていきましたが、私はそれには気がつきませんでした。彼を見送ってから、アンリエットは窓辺によりかかって、たぶんしばらくのあいだ、私たちが気づかぬままに、私たちの姿を見まもっていたのでしょう。空は銅の色に染まり、野原はあまたの茫漠《ぼうばく》たる物音を木霊《こだま》として返してくるような、そんな暖かい夕方でした。夕日の沈みぎわの最後の光が一条、家々の屋根の上に消えがてにたゆたい、庭の花々はあたりの空気にかぐわしい香りをただよわせ、小屋へ連れもどされていく家畜たちの鈴の音が遠くで鳴りひびいていました。伯爵の眠りをさまさぬように、ひっそりと呼び声を押しころしながら、私たちはこのほのかに暖い時刻の静寂の気配にじっと従っていました。とつぜん、ゆるやかな小波《さざなみ》のような衣《きぬ》ずれの音にもさえぎられずに、のどをつまらせて嗚咽《おえつ》を懸命にこらえる声が私の耳にはいりました。私が広間へ駆けつけると、伯爵夫人が窓辺に坐って、ハンケチを顔に押しあてている姿が目にとまりました。彼女は足音で私だとわかると、一人にしておいてほしいと命ずるように、有無《うむ》を言わせぬような強い身ぶりを示しました。私は不安で胸をいっぱいにしながら彼女のかたわらに近づき、むりやりにハンケチをとろうとすると、彼女の顔は一面に涙でぬれていました。彼女はすぐさま自分の部屋へ駆けこみ、それっきり祈祷の時刻まで出てこようとはしませんでした。そのあとで五十日以来はじめて、私は彼女を築山《つきやま》の上へ連れだして、さいぜんの激情の理由を尋ねてみました。ところが、彼女は突拍子《とっぴょうし》もなく浮かれたふりをして、オリジェ氏が知らせてくれた朗報のせいだと弁明するのでした。
「アンリエット、ねえ、アンリエット」と私は言いました。「さっきあなたが泣いている姿を見たときにも、もうあなたはそれを知ってらしたはずじゃありませんか。ぼくたち二人のあいだで、嘘をつくなんてとんでもないことですよ。さっきはなぜ、ぼくに涙をふかせてくれなかったんです? あの涙はぼくのせいだったんですか?」
「わたくしね、こう考えたんですの」と彼女は言いました。「わたくしにとっては、この病気は苦しみのなかでの休息時間なのだ、と。いまのように、もうモルソーフのために心配する必要がなくなってくると、今度は自分のことを心配しなければならないのですわ」
まさに彼女の言うとおりでした。伯爵の健康の回復は、持前の気まぐれな気質がまたぞろあらわれだしたことによって、はっきりそれとわかるのでした。なにしろ、夫人も、私も、医者も、彼の看病のしかたを呑みこんでいない、自分の病気のことも、体質のことも、苦痛のことも、適切な治療法のことも、まるでわかっていない、彼はそんなことを言いだすようになっていたのですから。オリジェ氏は、なにやら見当もつかぬ学説に心酔しきっていて、気分の変調にばかり目をつけていたが、ほんとは幽門の手当てだけしているべきだったのだ、そんなことも言いました。ある日、伯爵は私たち二人のようすをさぐっていた男、あるいは二人の心を見ぬいた男とでもいったぐあいに、ひどく意地の悪い目つきで私たちのほうをみつめ、薄笑いをうかべながら、夫人にむかってこんなことを言いました。
「さあ、どうだね、お前、もしわたしが死んだら、お前だって悲しんではくれただろう、たぶんな。だが、はっきり言ってもらいたいが、これもしかたないことだと、すぐさばさばとあきらめてしまうのだろうな……」
「わたくし、ばら色と黒の宮中の喪服を着ることにしますわね」夫の言葉を封ずるために、彼女は笑いながらそう答えました。
しかしながら、とくに食物のこと、回復期の病人の空腹を言いなりに満足させてやるのは好ましくないからと称して、医者が慎重に一定の量に決めておいた食物のことでは、過去のどれとも比較にならない激しい口論や怒号の光景がまきおろされました。それというのも、伯爵の性質はいわばしばらく眠っていただけに、いっそうすさまじい形で発揮されたからでした。医者の処方や使用人たちの信服に力を得て、さらにまた、この争いこそ、夫にたいする支配力の行使のしかたを学びとる絶交の手段だとみなしている私にはげまされて、伯爵夫人は勇敢に抵抗しました。錯乱や怒号にたいしても、冷静な顔つきで対抗する術《すべ》を彼女は覚えました。伯爵をあるがままのもの、つまり子供と考えるようになったので、その不当な言辞を落ちついて聞きながすことに慣れたのです。私は幸いにして、彼女がとうとうこの病《や》める心の持主の操縦法を体得したところを、目《ま》のあたりに見とどけることができました。伯爵はどなりちらしますが、しかしけっきょくは彼女の言うことをききます。そしてさかんにどなりちらしたあとでは、とくにすなおに言うことをきくのです。よい効果が得られることは明白だったにもかかわらず、アンリエットは、この肉がこけて弱々しくなった老人の姿を見て、散りぎわの木々の葉よりも黄色くなった額や、輝きを失った目や、わなわなとふるえている手を見て、ときおり涙にくれることもありました。そんなとき、彼女はおのが無情さに自責の念にかられましたし、彼の食事の量をはかっているうちに、ついうっかり医者の制限量を超過するようなことがあると、伯爵の目のなかに喜色満面《きしょくまんめん》の気配があらわれるのを見て、それに屈服してしまうこともしばしばありました。それにまた、それまで私にたいして優しく親切な態度をとっていたせいもあって、伯爵にたいしてもたいへん優しく、たいへん親切にふるまっていました。けれども、そういうふるまいかたにも、おのずから相違があって、それが私の心を限りない喜びでみたしてくれるのでした。彼女はかならずしも根気よく努めてばかりいたわけでもなく、伯爵のわがままがいささか矢つぎばやにつづきすぎたり、伯爵が自分の気持ちをわかってくれないと不平を述べたてたりすると、彼女のほうも使用人を呼んで給仕させるという手を、覚えこむようになりました。
伯爵夫人はモルソーフ氏の健康の回復について、神に感謝を捧げたいと思いたち、ミサをあげてもらうことにきめて、私に教会までつきそってきてほしいと頼みました。私は彼女を連れていきました。しかし、そのミサが行なわれているあいだを利用して、私はシェッセル夫妻に会いにいきました。教会からの帰りみち、夫人は私の行動をなじろうとしました。
「いいえ、アンリエット」と私は言いかえしました。「ぼくは見せかけはできない人間なのです。溺れかかっている敵を助けるために水に飛びこみ、自分の外套を脱いでその敵の体を温めてやることぐらいはできます。でも、けっきょくは敵を許すようになるかもしれませんが、しかしその無礼はけっして忘れはしませんよ」
彼女はじっと沈黙をまもったまま、私の腕をその胸に強く押しつけました。
「あなたは天使のような方です、心の底から誠実に神に感謝を捧げられたに違いありますまい」私はそう言葉をつづけました。「ラ・ペー公の母君《ははぎみ》〔ラ・ペー公ドン・マヌエル・ゴドイは、スペインの対仏政策の指導者。一七九五年、バーゼル条約締結の断をくだしてラ・ペー公(講和公)という異名を得た。のちナポレオンに敵対してイギリスと結んだため、ナポレオンのスペイン遠征となったわけだが、このとき彼は国王とともに避難する途中、アランヘスで政敵の手に捕えられた。バルザックが記している挿話は、そのときのできごとである〕は、彼女を殺そうとする憤激した民衆の手から救いだされて、王妃さまから『どうしてらっしゃいましたの?』というご下問を受けると、『あの人々のために祈りを捧げておりました』と答えられたそうです。女性というのはそういうものなのですね。でも、ぼくは、このぼくは男ですし、したがって当然、不完全な人間ということになります」
「そんなふうにご自分を傷つけてはいけませんわ」私の腕を激しくゆりうごかしながら、彼女はそう言いました。「もしかしたら、あなたのやりかたのほうが、わたくしのよりもごりっぱなのかもしれませんわ」
「そうですとも」と私はまた言葉をつづけました。「だって、ぼくはたった一日の幸福のために、全生涯すら投げだしますからね、それなのに、あなたときたら!……」
「わたくしがですって?」彼女は誇りにみちた態度で私の顔をまじまじとみつめながら、そう切りかえしてきました。
私はだまりこみ、きらきらと輝く彼女の視線を避けようとして、じっとうつむいてしまいました。
「わたくしがですって」と彼女はつづけました。「わたくしとおっしゃるのは、それはどの|わたくし《ヽヽヽヽ》のことなのでしょう? わたくしのなかには、いろいろな|わたくし《ヽヽヽヽ》がいると思っておりますのに! あの二人の子供だって」ジャックとマドレーヌを指しながら彼女はそうつけくわえました。「やはり|わたくし《ヽヽヽヽ》なのですわ。ねえ、フェリックス」彼女は悲痛な口調で言いました。「わたくしのことをエゴイストだとお思いになりまして? わたくしのために生涯を犠牲にしてくださる方への代償として、わたくしも永遠の生命を犠牲にしてもよさそうなものだと、あなたはそうお考えになりまして? そういう考えはたいへん恐ろしいものですし、信仰心を永久に妨げつづけるものです。女がいったんそんなふうに堕落したら、もういちど立ち直れるものでしょうか? 幸福ということでもって、その罪が許されるものでしょうか? あなたのおっしゃるようにすれば、そういう疑問もすぐに答えがみつかるはずですわ!……そうですわね、こうなった以上、わたくしの良心のなかのある秘密をあなたにすっかりお話しいたしますわ。そういう考えはたしかに何度もわたくしの心をかすめましたわ、わたくしはたびたび厳しい悔悟《かいご》の苦業を行なって、それを償《つぐな》ってまいりましたし、一昨日あなたが弁明をお求めになったあの涙だって、そのために流れたのですわ」
「世間のありふれた女たちが大いに値打ちがあると考えているあることがらに、あなたは、重大な意味をあたえすぎてらっしゃるのではありませんか? でも、あなたにかぎってそんな……」
「まあ!」彼女は私の言葉をさえぎってそう言いました。
「あなたは、それほど重大な意味があるとはお考えになりませんの?」
この論法によって、私の反論はいっさい封じられてしまいました。
「それならば申しあげますけど」と彼女は言葉をつづけました。「はっきり覚えておいてくださいませね! そうですとも、わたくしにしたところで、わたくしを命の綱にしているあの哀れな年よりを見すてるという卑怯なまねくらいできますわ! けれども、よろしいこと、わたくしたちの前をああして歩いていくあの二人のかよわい子供たちが、マドレーヌとジャックが、父親といっしょに残されてしまうことになりませんかしら? そんなことになったら、よくお考えになっていただきたいと思いますけど、あの人の常規を逸《いつ》した圧力のもとで、あの子たちが三か月でも生きていられるとお考えになれまして? もしもわたくしが義務にそむくようなことをしても、それがわたくしのことだけですむのでしたら……」――彼女はそこでふとすばらしく美しい微笑をもらしました。――「けれども、そんなことをしたら、二人の子供たちを殺すことになりませんかしら? いいえ、二人が死ぬことは確実です。ああ、ほんとに」と彼女は叫ぶように言いました。「わたくしたち、なぜこんなことを話すのでしょうね? 早く結婚なさってください、そしてわたくしをこのまま死なせてください!」
彼女がたいへん苦々しそうな、たいへん深刻そうな語調でこの言葉を口にしたので、私の情熱にみちた抗弁もむなしく押えつけられてしまいました。
「この前、あなたは、あのクルミの木の下で愚痴《ぐち》をこぼされたでしょ。ぼくもいま、この榛《はしばみ》の木の下で愚痴をこぼしたのです。ただそれだけのことですよ。これからはもう二度と言いません」
「あなたのその寛大なお気持ちが、わたくしを苦しめるのですわ」彼女は空を見あげながらそう言いました。
私たちはすでに築山《つきやま》のところまできていましたが、その築山の上では、伯爵が日向に肱掛椅子をもちだして坐りこんでいました。弱々しい微笑によってかろうじて生気を見せているそのやせこけた姿を見ると、灰のなかからまたしても燃えあがった炎も、たちまち吹き消されてしまいました。私は手摺垣根にもたれかかって、目の前にさしだされた一幅の画面をじっとみつめていました。この瀕死《ひんし》の病人が子供と妻に囲まれている画面、あいかわらず虚弱な二人の子供と、徹夜の看護ですっかり蒼ざめ、このすさまじい二か月の過度の労働と不安のために、またおそらくは喜びのためにやせおとろえてはいるものの、この一場の場面の感動のためにすこぶる美しく上気した妻とに囲まれている一幅の画面を。曇りがちの秋の空からそそぐ鈍い光線がすき間を縫ってさしこむ、風にゆらめく葉ごもりにつつまれている家族、苦しみに閉ざされているこの家族の姿を見ているうちに、私は、自分の心のなかで、精神と肉体を結びつける絆《きずな》がしだいにほどけていくのを感じました。私は生まれてはじめて、精神の憂愁を感じました、戦いがたけなわに達すると、このうえなくたくましい戦士でさえもふと感ずるものと言われている、あの精神の憂愁をしみじみと味わいました。それはまさに一種の冷やかな狂気であって、このうえなく勇敢な人間を卑怯ものと化さしめ、信仰をもたぬ者を熱烈な信者に変え、いっさいのものごと、名誉や恋などもっとも根本的な感情にたいしてさえ無関心にならしめるものなのです。それというのも、疑惑というものは、私たちから自己を知る力を奪いとって、生きる意欲を失わせるからです。哀れなる神経質な被造物よ、みずからの体質の豊かさのために、なにか知らぬ不吉な精霊の手に防ぐ術もなくひきわたされる被造物よ、汝らの輩《ともがら》は、汝らの審判者はいずこにありや? 剛勇な武人であるとともに敏腕な交渉家でもあり、すでにフランス軍の元帥杖にも手を伸ばしかけていたあの大胆不敵な青年〔再出人物の一人アルマン・ド・モントリヴォー将軍を暗示するものと思われる〕が、どうしてああいう無実の殺人者となるにいたったのか、私もはっきり了解できました! 私のさまざまな願望にしたところで、いまはまだバラの王冠をいただいているにせよ、いつかそういう結末をたどることもあり得るのではなかろうか? 結末を思い、と同時に原因を考えて慄然《りつぜん》となり、さながら不敬虔な人間のごとく、いったいこの場合神の摂理《せつり》はどこにあるのかと考えあぐねているうちに、私は涙をこらえきれなくなり、それが両方の頬《ほお》をつたわって流れていきました。
「まあ、どうしたの、フェリックス?」マドレーヌがあどけない声でそう尋ねました。
それにつづけて、アンリエットも、私の心のなかで太陽のように輝きわたる優しい心づかいにみちたまなざしでもって、その黒々とした霧と闇とを吹きはらってくれました。ちょうどそのとき、あの老調馬師がトゥールからきた私あての手紙をとどけにきました。それを見て、私が思わず驚きの叫びを発すると、モルソーフ夫人も反射的に身をふるわせました。手紙には内閣の封印が見え、国王陛下が私を召還されているのでした。私がそれをさしだすと、彼女は一目でさっと読みとりました。
「ついに出発か!」と伯爵は言いました。
「わたくしはどうなるのでしょう?」太陽を失って荒涼とした砂漠のありさまを、そのときはじめて目にしたような口調で、彼女は私に言いました。
二人とも一様に呆然たる思いにうちひしがれて、私たちはそのまましばらくのあいだ、ぼんやりとその場にたたずんでいました。というのも、私たちが互いになくてはならぬ存在なのだということを、そのときほどはっきり感じたことはなかったからです。伯爵夫人は私になにごとを語るにせよ、たとえそれがごくつまらぬ話題であっても、あたかも楽器が弦を何本か失ったかのように、そしてほかの弦までゆるんでしまったかのように、いままでと違った声音を帯びるようになりました。動作は虚脱したようになり、目は輝きを失いました。彼女の心のなかを打ち明けてほしい、と私は頼みました。
「そんなものがあるはずがありまして?」彼女はそう答えました。
彼女は私を部屋へ連れていき、そこの長椅子に私を坐らせ、化粧《けしょう》台の引出しのなかをさぐり、それから私の前にひざまずいてこう言いました。
「これはこの一年間に抜けた髪の毛ですの。さあ、どうぞおとりになって。これはまちがいなくあなたのものですもの。どうして、なぜそうなのか、あなたにもいつかおわかりになりますわ」
私はゆっくりと彼女の額のほうに身を寄せましたが、彼女もうつむいて、その唇を避けようなどとはしませんでした。罪ふかい陶酔感もなく、刺激的な官能の歓びもなく、しかし荘厳な感動をこめて、清らかに私は唇をおしあてました。彼女は、いっさいを犠牲にしてもいいと思っていたのでしょうか? かつて私がやったように、ただ断崖のふちまでいっただけだったのでしょうか? もしも恋の感情に誘われてついに身をまかせるということになったりしていたら、彼女はこんな深い落ちつきも、こんな敬虔なまなざしも、とても保ってはいられなかったでしょうし、あの澄みきった声で、こんなふうに言ったりもしなかったでしょう。
「もうわたくしを恨んでいらっしゃらなくて?」
私は夜になりかかるころ出発しましたが、彼女はフラベールへの道路まで見送りたいと望みました。私たちは、あのクルミの木蔭で立ちどまりました。私はそのくるみの木を指して、四年前に、そこからどんなふうに彼女の姿を認めたかを話しました。
「谷間はじつに美しかったなあ!」と私は叫びました。
「では、いまは?」彼女はせきこんだ調子で問いかえしました。
「あなたがこのくるみの木蔭にいらっしゃるし」と私は言いました。「谷間はぼくたちのものですし」
彼女はじっとうなだれました。そして、私たちはそこで別れました。彼女はマドレーヌといっしょに彼女の馬車に乗り、私は一人で、私の馬車に乗りました。パリへ帰ると、私は幸いにしてさまざまなさしせまった仕事にかかりきりになり、その仕事のおかげで、騒然としているうちになんとか気をまぎらわすこともできましたし、また社交界からも遠ざからざるを得ない状態になって、なんとなく社交界からも忘れられていきました。モルソーフ夫人とは文通をつづけ、私のほうからは毎週日記を送り、彼女のほうからは月に二度返事がきました。それはまさに人知れぬ充実した生活でした、かつてあの最後の二週間のあいだ新しい花々の詩を織りあげながら、森の奥で賛嘆の思いをこめて愛した、あの厚い茂みに覆われ、花々が咲き乱れ、訪れる人とてない場所、ちょうどあの場所を思わせるような、人知れぬ充実した生活でした。
ああ、あなたがた恋する人々よ、あなたがたもまた、こうした美しき義務をみずからに課し、果たすべき規則をみずから立てられるとよろしい。ちょうど、教会がキリスト教徒のために日々のそれを定めてくれたごとくに、ローマ時代の信仰によって設けられた厳格な戒律遵守《かいりつじゅんしゅ》、これはまことに偉大なる着想であって、期待と恐れとをつねに保持させる信心の業を反覆させることによって、義務の畝溝《うねみぞ》をたえず、よりふかく、魂のなかに刻みこんでいくものなのです。こうして掘りこまれた畝溝の水流のなかを、もろもろの感情がつねに生き生きと流れていくのです、水をなみなみとたたえ、その水を浄化し、不断に心を爽やかによみがえらせ、そして、かけがえのない愛のかけがえのない思いがかぎりなく再生されていく聖なる泉とでもいうべき、ひそかに隠された信仰の無尽蔵の宝によって、生活を豊饒にしてくれるその畝溝の水流のなかを。
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二人の女性
中世を再興し騎士道を想起させるような私の情熱のことは、どういういきさつをたどってかはよくわかりませんが、いつしか人々のあいだに知れわたりました。たぶん、国王陛下とルノンクール公爵が語りぐさにしたからなのでしょう。世人との交際なくして美貌《びぼう》に輝き、孤独な生活にあって高貴さを保ち、義務という支えなくしても貞節をまもり通せる女性にたいして、敬虔な熱愛をささげる一青年の小説めいてもいれば、同時にまた単純でもあるこの物語は、そういうやんごとない世界から、サン=ジェルマン地区の中心へとひろがっていったわけなのでしょうか? あちこちのサロンで、私はわずらわしい注視の的になりました。それというのも、地味な生活というものには数々の利点があって、一度それを味わうと、たえず舞台の上に立っているまぶしさが耐えがたいものになってしまうからなのです。やわらかな色彩しか見なれていない人の目が、白昼のまばゆい光線に痛みを感ずるのと同じように、ある種の人々の精神はどぎつい対照を不快に思うものなのです。当時の私もそんなふうでした。今日、そう申しあげると、あなたはびっくりされるかもしれません。しかし、もうちょっと辛抱なさってください。現在のヴァンドネスの奇妙な性質はまもなく解明されるはずです。とにかく、そんなわけで、婦人たちは私に好意をもってくれましたし、社交界もまったくもうぶんなく迎えいれてくれました。ベリー公〔アルトワ伯(のちのシャルル十世)の第二子で、王政復古時代の初期には社交界の花形。ベリー公がナポリ王フェルディナン一世の娘マリー=カロリーヌ・ド・ブルボンと結婚したのは、一八一六年である〕のご婚礼以後、宮廷は昔日のような豪華さをとりもどし、フランスふうの饗宴がまた復活しました。外国の軍隊の占領〔ワーテルローの敗戦後、連合国の軍隊が主として北フランス各地に駐屯することがきめられた〕もすでに終わって、繁栄が再現し、さまざまの歓楽も可能となりました。その高い身分によってよく知られた人々、あるいはその財産によって名声を得ている人々が、ヨーロッパのあらゆる地点から、ほかの国々の優秀さと悪徳とがフランス精神によっていっそう拡大され、いっそう研ぎすまされているこの知性の首都へと、つぎつぎに殺到してきました。冬のなかばにクロシュグールドを発ってから五か月ほど過ぎると、私の優しい天使が一通の絶望にかられた手紙を書きおくってきて、息子が重い病気にかかり、なんとか生命だけはとりとめたけれども、さきざきの不安が残されているということを知らせてきました。医者の話によると、胸を警戒しなければいけないということでしたが、これはとくに科学の口を通して宣告されたら、母親のありとあらゆる時間を黒々と塗りつぶしてしまうような言葉です。アンリエットがやっと気力をとりもどしかけると、つまりジャックがようやく回復期にさしかかりはじめるやいなや、今度は妹のほうが心配を掻《か》きたてることになりました。マドレーヌ、母性愛の丹誠《たんせい》にじつにみごとに報いたこのかわいらしい花が病いに襲われたのですが、前々から予想されてはいたにせよ、このすこぶる虚弱な体質にとって、それは憂慮すべきものとなりました。ジャックの長期間の病気による疲労ですでに弱りきっていたため、伯爵夫人にはこの新しい打撃に耐える気力がなく、この二人の愛児のありさまを見せつけられると、夫の性格ゆえにいっそう深まる苦悩にもまるで無感覚になってしまうのでした。こうして、嵐はしだいに激しく吹きすさび、しだいに砂礫《されき》をましていって、その荒々しい怒濤《どとう》のために、彼女の心の底にきわめてふかく植えつけられていた希望さえ、根こそぎ奪いとられることになりました。そしてまた、くたくたに疲れきったすきに乗じて、ふたたび失地を回復した伯爵の暴君ぶりにも、彼女はすっかり屈してしまったのでした。
[#ここから1字下げ]
≪全力をあげて子供たちをかばっているときに≫と彼女は書いていました。≪その力をモルソーフにむけることなどできたでしょうか、死から身をまもろうとしているその上に、モルソーフの攻撃から身をまもることなどできたでしょうか? 今日も、かたわらに寄りそう二人のいたいけな悲しみにはさまれて、孤立無援で弱々しく歩いていくうちに、わたくしの心は、どうしようもない人生嫌悪の気持ちに襲われてまいりました。わたくしがいま、どんな打撃を身にしみて感ずることができましょう、どんな愛情に答えることができましょう? 生きているというしるしを示してくれるものと言ったら、やせたために大きくなって、年よりの目のように窪んでしまった美しい二つの目だけしかもっていないジャック、そして運命的な予兆のように、年のわりに進んだ知能と体の虚弱さとがいちじるしい対照をなしているジャック、そんなジャックのじっと身動きもしないでいる姿がいまも築山《つきやま》の上に見えているというのに。このかわいらしいマドレーヌ、あんなに元気で、あんなに気だてがよくて、あんなに血色がよかったのに、いまではまるで死人のように蒼ざめてしまったマドレーヌ、髪の毛も目もすっかり色|褪《あ》せてしまったような、そしてさながら最後の別れを告げるみたいな風情《ふぜい》で、わたくしのほうにもの憂《う》げな視線をむけるマドレーヌ、そんなマドレーヌの姿がすぐかたわらに見えるというのに。どんな食物をこしらえてやっても、この娘はちっとも食欲を起こしませんし、ときたまなにか食べるものをほしがっても、とても妙なものが好きなので、びっくりさせられてしまうのです。天真爛漫《てんしんらんまん》なあの娘が、わたくしの胸のなかで育ってきたくせに、自分の好きなものをわたくしにそっと打ち明けながら、顔を赤らめたりするのです。いろいろ努力してみても、子供たちに楽しい思いをさせてやることができません。二人ともわたくしに微笑を見せてはくれますが、でもその微笑もわたくしを喜ばせようとするから無理に笑ってくれるだけのことで、自然にうかんだものではないのです。子供たちのほうでも、わたくしの愛情に答えることができないのを悲しんでおります。病気の苦しさのせいで、子供たちの心のなかでは、ありとあらゆるもの、わたくしたちを結びつけている絆《きずな》までが、すっかりゆるんでしまったのです。こんなわけですから、クロシュグールドがどれほど悲しみに閉ざされているか、おわかりいただけると存じます。モルソーフはなんの邪魔だてもなく、権力を思うままにふるっております。――ああ、あなたにしたところで、わたくしの誇りであるあなたにしたところで≫、しばらく先のところで彼女はそう書いていました。≪いまなおわたくしを愛してくださるには、気力もなく、なにを感ずる力もなく、悲しみのために化石のようになってしまったこのわたくしを愛してくださるには、ほんとうに、ふかいふかい愛をおもちくださるほかないのでございます!≫
[#ここで字下げ終わり]
私がかつてないほど激しく心を動かされていたその頃、そしてただひたすらその女性の魂のなかで生きながら、暁方《あけがた》の光にみちあふれた微風を、紅《くれない》にいろどられた夕べの希望にのせつつ、その魂のほうへ吹きおくろうと努めていたその頃、私はエリゼ=ブルボン宮〔一七一八年エヴルー伯の住居として、建築家モレが建てた宮殿。その後ポンパドゥール侯爵夫人、ルイ十五世の住居とされ、革命後はナポレオンの所有に帰した。王政復古期には革命前の所有者ブルボン公妃の手にもどり、エリゼ=ブルボン宮という名称で呼ばれるようになった。一八一六年にはベリー公夫妻が居住するようになり、当時の優雅な貴族生活を一身に体現していたベリー公妃は、この宮殿でしばしば豪華な夜会を催した。のち第二共和制以後、この宮殿は大統領官邸として使用されるようになり、現在までおよんでいる〕の広間で、なかば女王といってもいいイギリスの名門の淑女《レディー》のなかに数えられる女性に出会いました。莫大な富、ノルマンのイングランド征服以来卑賤な階級との結婚に汚されたことのない名門の出生、イギリスの貴族のうちでも最高の地位にある老貴族との結婚、これらのさまざまな利点にしても、けっきょくのところ、この女性の美貌、優雅さ、洗練された態度、才気、魅惑するより先にまず眩惑するなにかふしぎな輝かしさを、いっそうひきたたせる付属品にすぎませんでした。彼女はその当時の偶像であり、しかもベルナドット〔大革命時代の有名な軍人でナポレオンの競争者と目された人物。ナポレオンの政権掌握とともに不遇に陥り、スウェーデン王に迎えられてその王子となり、一八一六年にはスウェーデンの王位に就いた〕の言うビロードの手袋の下につつんだ鉄の血という、成功にとって欠くべからざる長所をそなえておりましたから、パリの社交界になおのことあざやかに君臨したのでした。イギリス人の奇妙な人柄、すなわち、まだ知人になっていない人間と自分とのあいだに彼らが設けるあの傲慢にして越えがたいドーヴァー海峡、あの冷やかなセント=ジョージ水道〔大ブリテン島とアイルランド島とのあいだの海峡〕のことは、あなたもよくご存じのはずです。なにしろ、人類とは彼らイギリス人が足下に踏みつぶしていく蟻の群れのようなものなのです。彼らにとって、人類として認められるのは、彼らの仲間と認定された人々だけなのです。それ以外の人々のことは、言葉すら耳に入れようとしません。たしかに唇は動き、目はなにかを眺めているかもしれないけれども、しかしその音も視線も彼らのところまでは達しないというわけです。彼らにとって、そういう連中は存在しないのも同然です。こうして、イギリス人というのは自分たちの島国の姿、法則がすべてを支配し、どの社会圏もことごとく均一の型にはめられ、美徳の実践もさながら定刻に動きだす機械の歯車の必然的な運行であるかのようにみえる島国の姿を、そのままさしだしていることになります。餌皿《えざら》、水飲み、とまり木、餌などがすこぶるりっぱな家庭という籠《かご》のなかに、黄金の糸でつなぎとめられているイギリスの女性のまわりに、磨きあげられた鋼鉄の要塞がそびえたつことになると、彼女は抗しがたい魅力を帯びてくるのです。かつていかなる民族といえども、既婚の女性をなにごとにつけても社会的な生死の関頭にさらして、その偽善性をこれほどみごとに仕込んだためしはありませんでした。既婚の女性にとっては、恥辱《ちじょく》と名誉とのあいだに、いかなる緩衝《かんしょう》地帯もないのです。つまり、過ちは完全な過ちであるか、さもなければまったく過ちでないかどちらかです。いっさいか無かであり、ハムレットのトゥー・ビー・オア・ノット・トゥー・ビーなのです。このような二者択一が、世間の風俗のせいですっかり身についてしまった不断の尊大な態度と結合して、イギリスの女性を社交界でも一種とくべつな女性にしたてあげるのです。イギリスの女性というのは、無理に強いられて貞節をまもりながらも、たえず堕落しようと身構え、心のなかにいつも嘘をしまっておくことを余儀なくされた哀れな存在なのですが、しかし外形の点では好ましい感じをあたえてくれます。というのも、この民族はすべてを外形の整いにはめこんできたからです。そこから、この国の女性たちに特有の美しさが生まれてきます。すなわち、彼女らにとっては必然的に全人生の集約とならざるを得ない愛情のあの激しい燃焼ぶりとか、自分自身をだいじにする度はずれた気のつかいかたとか、シェイクスピアの天才がただ一筆でイギリスの女性を表現したあの『ロメオとジュリエット』の有名な場面に、じつに優雅に描きだされている恋心の繊細さなどが、そこから生まれてくるのです。数々の点でイギリスの女性を羨望《せんぼう》しておられるあなたにむかって、この白色の人魚について、なにかあなたのご存じないようなことを、はたして私が申しあげられるでしょうか? 一見不可解にみえはするけれども、すぐに理解できるようになるこの白色の人魚たち、恋愛には恋愛の感情があれば充分だと信じこみ恋、の楽しみにさまざまな変奏をつけくわえることをしないがために、そのなかにまで倦怠をもちこんでしまい、魂にはたった一つの音色しかなく、声にはたった一つの音節しかなく、いわば恋の大海とでもいうべきものであるこの白色の人魚たち、海を見たことのない者には心の竪琴《たてごと》の弦が幾本か欠けているのと同じように、そこで泳いだ経験のない者は官能の詩のある面を永久に知らずじまいに終わってしまう、そんな恋の大海とでもいうべきものであるこの白色の人魚たちについて、あなたのご存じないようなことがなにか言えるでしょうか? こういう言辞を弄する理由を、あなたはもうご承知のはずです。私とダットレイ侯爵夫人〔再出人物の一人。イギリスの元老貴族ダッドレイ卿の夫人〕との恋愛事件は、のっぴきならぬほど有名になりました。官能によって決断力がいちじるしく左右される年齢になってはいましたが、官能の燃焼を厳しく抑圧されてきた青年の心のなかでは、クロシュグールドでじわじわと責めつける殉教の苦悩に耐えている聖女の面影がじつに強烈に輝いていましたから、私もはじめは誘惑に逆らうことができました。が、こうした誠実さが、かえってアラベル夫人の注目をひく光彩となったのでした。私の抵抗は夫人の情熱を掻《か》きたてました。彼女が望んでいるのは、数多くのイギリスの女性と同じように、世間を騒がすこと、異常な事件をまきおこすことだったのです。イギリスの男たちが、食欲増進のために、舌に焼きつくような香味料をほしがるのと同じことで、彼女も心の糧《かて》にふりかける胡椒《こしょう》や唐辛子《とうがらし》を求めていたのです。さまざまなものごとがいつも完全であり、日常の習慣には整然とした規則正しさがあるために、こういう女性たちの生活は平板なものになりがちですが、その平板さがもとで、彼女らは小説めいたことがらや困難なことがらにたいして、あこがれをいだくようになるのです。私は、そういう気質を正しく判断することができませんでした。私が冷やかな侮蔑的態度に閉じこもればこもるほど、ダットレイ夫人はいっそう情熱を燃やしてくるのでした。彼女が名誉を賭けたこの戦いは、幾つかのサロンに集まる人々の好奇心を刺激しましたが、彼女にとってはそれがまず成功の第一であり、その成功のためにも輝かしい勝利をかちとらねばならぬ義務が生ずることになったのです。ああ、ほんとに私も救われていたでしょうに、モルソーフ夫人と私のことについて、彼女がもらした悪辣きわまる言葉を、もしも友人の誰かが私につたえてくれたならば。
「わたくし、あのおむつまじいお二人の溜息《ためいき》ごっこにうんざりしておりますの」彼女はそう言ったのでした。
ここで自分の罪を弁明しようなどとは思いませんが、ナタリーよ、こういうことだけはどうか心にとめていただきたいと思います。それは、あなたがた女性が男性の求愛から逃れるときにくらべると、男性が女性の誘惑に抵抗する場合には、ずっと方策にめぐまれていないということです。世間一般の風習として、手きびしいはねつけかたをすることは、私たち男性には禁じられていますが、それがあなたがた女性にあっては、かえって恋する男にたいする誘いの餌となりますし、さらには礼儀の上からしても、義務として定められたものでもあるわけなのです。ところが、われわれ男性の場合には、男のうぬぼれにもとづくおかしな法規があって、慎しみぶかい態度は笑いものにされてしまいます。われわれ男性は、つつましさというものをあなたがたの独占に委ねて、ひそかに好意をよせるという特権が、あなたがたのものになるようにしているのです。ところが、そういう役割を逆転させようものなら、男性はよってたかって嘲罵《ちょうば》の的にされます。恋の情熱にまもられてはいましたけれども、私にしたところで、誇り高さ、惜しみない熱愛、美貌という三重の誘惑に無関心でいられる年齢ではありませんでした。自分が女王としてふるまっていたある舞踏会の席上、アラベル夫人が、人々からよせられた賛美の言葉をそのまま私の足下に捧げたとき、そして私の視線をさぐって、自分の衣裳が私の好みにかなうかどうかを知ろうとし、それが私の気にいったとわかると、それこそ喜びに身をふるわせたとき、私もその彼女の感動ぶりに心を動かされたのでした。その上にまた、彼女は、私としては逃げようもない地帯にたちはだかっていたのです。外交界のある種の会合の招待をことわることは、私にはむずかしいことでした。彼女の身分からすれば、どんなサロンの扉でも自由にひらかせることができましたし、それにお望みのものを手にいれるときに女性が発揮するあの独特の巧妙さでもって、彼女は家の女主人に頼みこんで、食卓では私の隣りに坐るようにしてもらった上で、私の耳もとにこんなふうにささやきかけるのでした。
「モルソーフ夫人のように愛していただけたら」と彼女は言いました。「わたくし、あなたのために、なにもかも犠牲にいたしましてよ」
さらに、彼女はなかば冗談まじりにきわめて控えめな条件をもちだしてみたり、どんなつらいめにあっても秘密は厳守するからと約束したり、かと思うとまた、せめて私を愛することだけは認めてほしいと頼んだりするのです。ある日など、私にこんな言葉をささやいたりもしましたが、これは良心をおそるおそるまげるのもしかたがあるまいという気持ちと、青年の抑制のきかない欲望とを、ともにみたしてくれるものだったのです。
「いつもはお友だちということにしていただいて、あなたのお望みのときだけ、恋人にさせていただきますわ!」
やがて、彼女はついに私の性格の律義《りちぎ》そのものというべき点を私の陥落に利用しようと考え、私の従僕を買収しました。そしてある晩、夜会にいかにも美しい姿であらわれ、私の欲望をそそったと確信したふうでしたが、夜会がすんで私が家に帰ってみると、なんと彼女が私の部屋にいるではありませんか。この評判はイギリスに反響し、イギリスの貴族社会は、もっとも美しい天使の転落に驚く天上界さながらに、ただただ呆然自失するばかりでした。ダッドレイ夫人は、イギリスの天上界の雲の座をなげすて、ただ自分の財産だけを手もとに残し、みずからのこの犠牲によって、その貞節さこそがこうした周知の禍《わざわい》の原因であるところの|かの女性《ヽヽヽヽ》の光を消しさろうとしたのです。ちょうど聖殿の屋根のてっぺんにのぼった悪魔のように、アラベル夫人は、その欲情に燃える王国のもっとも豊饒な地方を私の目の前に見せつけて、大きな歓びにふけったのでした。
くれぐれもお願いしたいのですが、どうかこの手紙を寛大なお気持ちで読んでください。これはまさしく人間生活のもっとも興味ふかい問題の一つであり、大部分の男性が否応なしにぶつかってきた危機であって、よしそれがこの暗礁《あんしょう》の上に燈台を一つともすためであるにすぎないとしても、私はなんとかそれを解明してみたいと思うのです。
いかにもすらりとしていて、いかにもほっそりしたこの美しい女性、いかにもなよやかで、いかにもはかなげで、いかにも楚々《そそ》としていて、愛らしい額に鹿毛《かげ》色のやわらかな髪の毛をいただいたこの乳白の女性、ときにつかのまの燐光のような輝きをきらめかすこの女性、その彼女がじつは鉄のごときたくましい体質なのです。どんな駻馬《かんば》であろうとも、彼女の力のこもった手首、一見弱々しそうにみえながらも、じっさいはなにものにも疲れることのない手に抵抗できる馬はありません。彼女の足はさながら雌鹿の足であり、筆舌につくしがたい優雅さにつつまれた外見の下に、ひきしまった筋肉質の小さな足が隠されているのです。戦いにあたってなにも恐れる必要のない力が、彼女のなかにみなぎっています。どんな男でも、彼女の乗馬の腕前にはおよびません。かりにサントール〔ギリシャ神話にあらわれる怪物で、頭は人間、体は馬の形をしている〕と競争したとしても、野外障害物競技《ステイープルチエース》の一等賞をみごとに獲得したことでしょう。彼女は馬もとめずに、大鹿や雄鹿を射とめます。その身体は汗というものを知らず、大気のなかから熱気を吸いこみ、もしもそういうことを余儀なくされたら、水のなかででも生きられるはずです。したがって、彼女の情熱はまったくアフリカ的なのです。彼女の欲情はあたかも砂漠のつむじ風のように進行し、そのとき彼女の目のなかには砂漠の灼熱の広がりが描きだされるのです。青空と愛とにみち、けっして変わることのない空をいただき、爽やかな星月夜のめぐる砂漠が。クロシュグールドとなんといちじるしい対照であることでしょう! まさに東洋と西洋であり、一方はほんのわずかの水分まで自分のほうにひきよせて、それをおのが養いの糧にしようとします。他方はみずからの魂を分泌し、忠実に慕いよる者たちを光にみちた大気でつつみこんでくれます。一方が活発でしなやかであるのにたいして、他方はゆるやかで、ふくよかです。それからまた、イギリスのさまざまの風俗の全体に共通する意味というものを、あなたは考えてごらんになったことがおありでしょうか? その意味とは、つまり物質を神格化することなのではありますまいか、はっきり限定され、よく考えぬかれ、慎重に適用された享楽主義なのではありますまいか? どんなことをし、またどんなことを言っているにせよ、イギリスという国は物質主義的なのです。おそらく、自分ではそれと気づいてはいないでしょうが。さまざまな宗教的な主張、道徳的な主張を述べたててはおりますが、そこには神聖な霊性やカトリック的な魂が欠けています。とはいえ、こうした主張にこめられている豊かな魅力は、たとえそれがどんなに功妙に演じられるものであるにせよ、偽善をもってしてはとうてい代替《だいたい》できないものでありましょう。物質のもっとも些細な部分をも巧みに改良する生活の知恵、たとえばスリッパを世界一はきごこちのいいスリッパにしたり、下着になんともいえぬ感触をこめたり、箪笥《たんす》の内側に杉材をはって香りをよくしたりする生活の知恵を、イギリスは最高度に身につけています。さらにまた、一定の時刻に、おいしい紅茶を手際よく並べたり、塵《ちり》を残さぬように掃除したり、階段のいちばん手前の段から家のいちばん奥まで絨毯《じゅうたん》を敷きつめたり、地下室の壁をブラッシでこすったり、ドアの叩き金を磨いたり、馬車のばねの弾力をしなやかにしたりする生活の知恵。そして、物質を滋養に富み、ふくよかで、艶々とした清潔な果肉に変え、そのなかにいだかれた魂に喜びで消えなんばかりの思いを味わわせたり、かと思うとまた、安楽な生活の耐えがたい単調さをつくりだしたり、障害というもののまるでない、まったく自発性を欠いた生活をうみだしたりする、つまり一言であらわすとすれば、人間を機械にする生活の知恵。こうして、このようなイギリスふうの奢侈逸楽《しゃしいつらく》のなかに掻きいだかれつつ、私はまったくふいに、おそらく女性のなかにも類がなかろうと思われる一人の女性を知ることになったのですが、彼女は、快楽の極みのなかからつねに新たによみがえる力をもつ愛欲の網、そして私が厳しい禁欲をみずからに課して放埒《ほうらつ》に流れるまいとしていたあの愛欲の網のなかに、私をすっぽりつつみこんでしまったのです。圧倒するような美しさをそなえ、電気のように身も心もしびれさす力をもち、ときとして夢うつつの象牙《ぞうげ》の門からそのまま天国へ導きいれてくれることもあれば、ときにはまた翼をはやした腰に乗せてたちまち天国から連れだしてしまうこともある、そういう愛欲の網のなかに。その手にかけて殺したほかのもろもろの愛の死骸の上で嘲笑をほしいままにする、おそろしく実りのない愛。思い出というもののない愛、イギリスの政治に似ていて、しかもほとんどあらゆる男がその誘惑の罠に陥る残酷な愛。あなたもすでに問題の所在はおわかりでしょう。人間は物質と精神とでつくられています。獣性は人間において終局に達し、天使は人間からはじまります。そこからあの闘争がはじまることになります、私たちの予感する未来の運命と、まだ完全に脱しきっていない昔日の本能の記憶とのあいだで、私たちのすべてが経験するあの闘争が。つまり肉体の愛と聖なる愛との闘争が。ある男性はただ一つの恋愛にその双方を溶かしこみ、またある男性は双方を断念します。ある男は、昔日の本能の欲求をみたすために全女性のなかを探しまわりますが、べつのある男は、それをただ一人の女性のなかに理想化しますから、その女性のなかには全宇宙が集約されることになります。ある男たちは、物質の快楽と精神のそれとのあいだをどっちつかずにただよい、ほかの男たちは、肉体のあたえ得ぬものを肉体に求めつつ、肉体を精神化しようとします。このような愛の全般的な特徴というものを頭においた上で、体質の多様性から生ずる反発と親和、互いに試練にかけあったことのない人間のあいだに結ばれた契約などいとも簡単に絶ちきってしまう反発と親和のことを、考えてみてごらんなさい。さらにまたとくに精神によって生きる人、とくに心情によって生きる人、とくに行動によって生きる人、つまり考える人、感ずる人、行動する人それぞれの異なる希望によって誤謬《ごびゅう》が生まれること、しかもその誤謬のために、ともに二重の性質をもつ二人の人間がつくる結合のなかでは、彼らそれぞれの天与の能力もともすると裏切られがちになったり、誤認されがちになったりすることをも思いあわせてごらんなさい。そうすれば、あなたは社会が容赦ない態度で弾劾《だんがい》するある種の不幸にたいしても、たいへん寛大な気持ちをおもちになることができましょう。ところで、アラベル夫人は本能や感官や欲望など、つまり私たち人間を構成する精妙な物質の美徳と悪徳とを満足させてくれるのです。彼女は肉体の愛人でした。モルソーフ夫人は魂の伴侶《はんりょ》でした。肉体の愛人がみたしてくれる愛には限界がありますし、物質は有限ですし、物質のもろもろの特性には計算のできる力しかそなわっていませんし、けっきょくそれは避けがたい飽和《ほうわ》状態に置かれることになるのです。そのせいで、私はパリでダッドレイ夫人のかたわらにいると、しばしばなにかしらぬ空虚さを感ずるのでした。無限というものは心の領域に属するものであり、クロシュグールドでは愛には限界などありませんでした。私はアラベル夫人を熱烈に愛していましたし、たしかに彼女のなかの動物は卓抜なものでしたけれども、知性の面でもまた彼女は優れたものをもっていたのです。彼女のひやかし半分の会話にしても、あらゆる方面の話題におよぶのでした。とはいうものの、私はアンリエットを熱愛していたのです。夜、私は幸福な思いで涙を流します。が、朝になると悔恨の涙にくれるのでした。
ある種の賢明な女性というものは、嫉妬をこよなく天使的な優しさの蔭に隠すことができます。ダッドレイ夫人のように、三十歳を過ぎた女性がそうなのです。こういう女性たちは、そういう場合には感じつつ計算する術を知り、現在の枠《すい》をしぼりとりながら、同時に未来を考えることができるのです。傷を受けたことにも気づかず、獲物を追いつめて威勢のよい叫び声をあげる猟師のような気力をふるって、ときには正当な苦しみの呻《うめ》き声をも押し殺すこともできます。モルソーフ夫人のことなど口にもしませんでしたが、アラベルは、私の心にいつも夫人の面影が宿っているのを見て、それを抹殺《まっさつ》しようと試みるのでした。そしてこの征服しがたい恋の息吹にぶつかると、彼女の情熱はいっそう激しく燃えあがりました。自分が優位を占められそうな比較論で勝利を得ることを狙って、彼女は、たいていの若い女性たちに見られるような疑いぶかさ、口やかましさ、好奇心の強さを見せようとはしませんでした。けれども、餌食《えじき》としてむさぼるものを口にくわえて巣窟《そうくつ》へ運びこんでいく牝のライオンのごとく、なにものにも幸福を掻きみだされぬよう監視し、あたかも完全に掌中にしきってない獲物を見張るかのように、私に警戒の目をむけるのでした。私が目の前でアンリエットに手紙を書いても、彼女はけっしてただの一行たりとも読もうとしませんでしたし、なんらかの方法を使って、手紙の宛名を知ろうと苦心することもありませんでした。私は自由でした。彼女は心ひそかにこう考えているらしく思えました、≪わたくしがこの人を失っても、悪いのはわたくしだけなのだわ≫と。そして、彼女は愛の上に誇らしげによりかかっていましたが、それはすべてを捧げつくした愛でしたから、もしも私がそう望んだら、彼女は躊躇《ちゅうちょ》なく自分の生命を投げだしたことでしょう。もしも私に見すてられたら彼女はただちに自殺するだろう、ついには私はそう思うようになりました。このことについては、夫の火葬台の上で身を焼くインドの寡婦《かふ》の風習を賛美する彼女の言葉を、ぜひともお聞かせしたいくらいです。
「インドでは、そういう風習は貴族階級だけに許された特別待遇ですし、その点から見れば、こうした特権の誇りにみちた偉大さを見ぬけないヨーロッパの人間には、あまりよく理解できないかもしれませんけど、でも、ほんとうは」と彼女は言うのでした。「現在のわたくしたちの味気のない風習のなかでは、貴族精神というものは、もはや感情の非凡さでもって、頭角をあらわすよりしかたがないものなのではないかしら? わたくしたちの血管を流れている血があの人たちの血とは違うのだということを、ブルジョワ階級の人たちに教えてあげるには、あの人たちと違う死にかたをする以外に方法がないのではないかしら? 卑しい生まれの女たちだって、ダイヤモンドも、織物も、馬も、それからわたくしたちにしか許されていないはずの紋章まで、手にいれることができますものね、なにしろ、家名まで買うというご時世ですものねえ! でも、世間の掟《おきて》にそむいて堂々と愛すること、ベッドのシーツをそのまま死装束にして、自分が選んだ愛の対象のために死ぬこと、この世も天国もただ一人の男の方に委ねて、神をつくる権利を全能の存在から奪いとってしまうこと、どんなことであろうと、たとえ貞操であろうと、その男の方の気持ちにそむかないということ。だって、女の本文を口実にして貞操を拒むということは、つまり|その男の方《ヽヽヽヽヽ》ではないなにものかに身を任せることではないのかしら?……たとえそれが人間だろうと観念だろうと、そこにあるものはいつも裏切りですものね! とにかく、そういうことこそ、ふつうの女たちにはとてもおよびもつかない崇高な感情なのですわ。ああいう女たちには、二つのありふれた道しかないのですわ。貞操という表街道か、さもなければ娼婦という泥だらけの裏道のどちらかしか!」
ごらんのとおり、彼女の言動はすべて驕慢《きょうまん》によって動かされており、ありとあらゆる種類の虚栄心をそそのかしてそれを満足させ、私をひどく高くまつりあげたために、彼女自身は私の膝のあたりでしか生きられないということになってしまいました。ですから、彼女の精神からうまれる魅力は、奴隷のような態度と完全な服従によって表現されていたわけでした。彼女は日がな一日私の足もとに横たわり、なにも言わずにじっと私の顔をみつめて、トルコの後宮の寵姫《ちょうき》のようにひたすら快楽の時刻をうかがっていることもできましたし、さらには待つかのごとく見せかけながら、巧妙な媚態《びたい》でその時刻を早める術も心得ていました。最初の六か月間をどんな言葉であらわせばいいのでしょうか、豊かな快楽にみちた恋、そして経験のもたらす知識によってその快楽にさまざまな変奏をつけくわえながら、しかもその経験の教訓を情熱の昂揚《こうよう》のもとにおしかくしている恋、私がそういう恋の身も心も溶かすような逸楽の餌食《えじき》となっていた六か月間を? このような快楽は、官能の詩をとつぜんに明示するものとして、青年たちを年上の女性に結びつける力強い絆《きずな》をつくりあげるのです。けれども、この絆はいわば徒刑囚の鉄鎖の環であり、魂に消すべからざる痕跡《こんせき》を残していきます。そして爽やかで、純真で、もっぱら花々で豊かに埋めつくされた愛、燃えつきることない光炎のきらめく宝石を精巧にちりばめて美しく飾りたてられた金盃に、アルコールを注ぎいれることなどまるで知らない愛、そういう愛にたいする嫌悪感を事前に植えつけてしまうものなのです。じっさいに知ることなくただ夢想ばかりしていた官能の喜び、かつてわが花束のなかに表現したことのある官能の喜び、そして魂と魂の結合を通してさらに幾層倍も熱烈なものとされる官能の喜び、私はそれをたっぷりと味わいながら、この美しい盃を口にする満足感をわれとわが心に弁護する逆説を、つぎつぎにつくりあげていました。たとえば、ときとして、なんともけだるい飽和感におちこんで、魂が肉体を離れて地上はるかに飛びまわる場合など、こういう快楽は物質を抹殺して精神を至高の飛翔《ひしょう》につれもどす手段なのだ、と私は考えるのでした。ときとして、ダッドレイ夫人は、たいていの女性がやるように、歓喜のはてにいきつく忘我の瞬間を利用して、私をさまざまな誓いで縛ろうとすることがありました。そして、欲情に襲われた私の口から、クロシュグールドの天使にたいする冒涜《ぼうとく》の言葉をひきだそうとするのでした。一度裏切りを犯すや、たちまち私は嘘つきになりはてました。あいかわらず彼女の大好きなあのみすぼらしい青い服の少年であるかのごとく装って、モルソーフ夫人に手紙を書きつづけたのです。しかし、ありのままを白状しますが、ちょっとでも秘密がもれようものなら、あのあこがれの美しい城館《やかた》にたいへんな禍《わざわい》が起こるかもしれぬと思うと、私は透視力という彼女の天賦《てんぶ》の能力に恐怖を覚えるのでした。ときとして、喜びのさなかで、私は突然の悲しみに心も凍りつく思いをすることがあり、そんなとき、天上の声にのって聞こえてくるアンリエットという名が、さながら聖書の「カインよ、アベルはいずこにありや?」という一句のごとくに、私の耳に突きささるのでした。
そのうち、返事がこないようになりました。私はすさまじい不安に襲われるようになり、クロシュグールドへいってみようと思いたちました。アラベルはべつに反対はしませんでしたが、当然のことのように、トゥーレーヌへ私と同行すると言いだしました。障害に出会うとますますかきたてられる浮気な心とか、思いがけぬ幸福によって正しさを裏書きされた予感など、あらゆる事情がからまりあって彼女の心には真実の愛がうまれていたのですが、彼女はさらにそれを比類のない愛にまでたかめたいと望んだのです。女としての天性から、この旅行はモルソーフ夫人から私を完全にひきはなす絶好の手段になる、と彼女は気づいたのです。それにひきかえ、私のほうは、不安に目がくらみ、真実の情熱の純情さにかりたてられていましたから、いままさに自分がはまりこもうとしているその罠《わな》が、まるで目にはいりませんでした。ダッドレイ夫人はたいへん控えめな譲歩を申しでて、いっさいの反対をあらかじめ防いでしまいました。すっかり変装して、人知れずトゥールの近くの田舎に滞在し、日中は外へ出ないことにし、誰にも出会うおそれのない夜の時刻を選んで、二人で会うようにすればいいから、と彼女は言うのでした。
私は、トゥールから馬でクロシュグールドへ出かけました。この馬でいったということには、私なりの理由がありました。なにしろ、たびたび夜は遠出をするようになったら、馬はどうしても必要なわけですから。私の乗っていった馬は、もとはヘスター・スタンホープ夫人〔イギリスの宰相ウィリアム・ピットの姪で、その隠れた腹心として政治上に重要な役割をはたした〕からダッドレイ侯爵夫人に贈られたアラビア産の馬で、彼女は例のあのレンブラントの絵、現在ではこれはロンドンの彼女の家の客間にかかっていますけれども、私が妙ないきさつで手にいれたレンブラントの絵と交換でこの馬を私にくれたわけなのです。私は六年前に徒歩でたどったあの道筋をとり、例のクルミの木の下で馬をとめました。すると、そこから、築山《つきやま》のほとりに、白い衣裳を着たモルソーフ夫人の姿が見えました。たちまち、私は閃光《せんこう》のような速さで夫人のほうへ馬を進め、まるで野外横断競馬のようにその距離をまっしぐらに突破して、ほんの数分で塀《へい》の下のところにつきました。彼女は荒野を飛ぶつばめのような驚くべき疾駆《しっく》の音を聞きつけ、私が築山の一隅にぴたりと馬をとめると、私にむかってこう言いました。
「あら、あなたですの!」
この短い言葉は私を立ちすくませました。彼女は私の恋愛事件を知っていたのです。誰が彼女に教えたのでしょうか? 彼女の母親です、のちに彼女は、その母親の憎むべき手紙を私に見せてくれました! かつてはあれほど生気にあふれていたその声のよそよそしい弱々しさ、その口調の力ないそっけなさ、そこにはすでに熟しきった悲しみが示され、ふたたびもとに返すよしもなく切りとられた花々のような、なんとも知れぬふしぎな香りがただよっているのでした。ある土地を永久に砂で埋めつくしてしまうあのロワール河の氾濫《はんらん》のように、不実の大暴風が彼女の魂の上を吹きすさんで、豊かな牧草地が緑色にひろがっていた場所を砂漠と化してしまったのです。私はあの小さな門から馬を乗りいれました。馬は私の命令にしたがって芝生に横たわりましたが、ゆっくりした足どりでこちらに近づいてきた伯爵夫人は、声をはりあげてこう言いました。
「まあ、りっぱな馬ですこと!」
私に手をとらせないように、彼女は両腕を組んでいました。それがどういうつもりなのか、私にも察しはつきました。
「モルソーフに知らせてまいります」彼女はそう言って私のそばを離れていきました。
私は呆然《ぼうぜん》とその場に立ちつくし、べつに彼女をひきとめようともせず、そのうしろ姿をじっと眺めていました。あいかわらず気品にあふれ、ゆったりとしていて、誇り高いその姿、昔よりもずっと色白さはましたものの、しかしこよなく苦い憂愁の黄色い刻印を額につけ、さながら雨にうたれすぎたユリのように、うなだれて歩いていくその姿を。
「アンリエット!」と私は大きな声で叫びました、いま死につつあると自覚している人間のような忘我の叫びで。
彼女はふりかえろうともせず、立ちどまろうともしませんでした。そのアンリエットという名はもう私からとりあげてしまった、その名にはもう答えないと告げることさえ潔《いさぎよ》しとせず、彼女はどんどん歩きつづけていきました。大地にかえっていき、しかもいまもってその霊気で地表に活気をあたえているはずの幾百万の人々が、じっとたたずんでいるはずのあの恐るべき谷間に立てば、私にしてみても、各人をそれぞれの栄光で照らしだす広大な光のもとにひしめきあう人々の群れにまじって、自分がいかにもちっぽけな存在であることを身にしみて感ずるかもしれません。しかし、その場合でも、この白い衣裳を着た姿を前にしたときほどには、打ちのめされたような思いに駆られはしないでしょう。ある防ぎようもない洪水が都会の街路にしだいにはいあがっていくかのように、一定の間隔《かんかく》を保った足どりで、クロシュグールドの城館《やかた》をめざしてだんだんとのぼりつめていく、キリスト教徒のディードー〔ギリシャ神話の人物。ウェルギリウスの『アイネーイス』にも登場するが、古くからさまざまな所伝があるらしい。もとフェニキアのテュロス王の娘として生まれ、富裕な叔父シュカイオスと結婚したが、父の死後王位に就いた兄ピュグマリオーンのために夫を殺されて財宝を奪われる。その後、彼女は財宝を盗みだしてひそかにアフリカへ逃れ、カルタゴの基を築いた。しかし隣国の王イアルバースの求婚を受けて困惑した彼女は、夫の霊を鎮めるためと称して火葬壇を築き、みずからその上にのぼって自殺した〕の光栄とも劫罰《ごうばつ》ともいうべき、その白い姿を前にしたときほどには! 私はアラベルを呪う言葉をただ一言だけ口にしましたが、まるで神のためにいっさいを捨てるようにして、私のためにいっさいを捨てさった彼女がこれを聞いたら、このたった一言の呪いの言葉のために、死を選んだかもしれません! 四方八方に無限の悲しみがひろがるのを見ながら、私はもろもろの思いをいだいて呆然とたたずんでいました。そのとき、家族がそろっておりてくる姿が見えました。ジャックは、その年頃にふさわしい無邪気な急ぎようで走ってきました。弱々しいまなざしをした羚羊《かもしか》のように、マドレーヌは母親にじっと寄りそっていました。母親に拒まれたあふれんばかりの胸の思いと涙とをこの少年に注ぎながら、私はジャックをひしとばかり抱きしめました。モルソーフ氏は私に近づき、両腕をさしのばして私を抱きしめ、頬に接吻しながらこう言いました。
「フェリックス、わたしは、きみのおかげで命をとりとめたのだそうですな!」
二人がそうしているあいだ、モルソーフ夫人は、びっくりしているマドレーヌに馬を見せてやるという口実をつくって、私たちに背をむけていました。
「ああ、なんということだ! あれが女というものなのですなあ!」伯爵は怒ってそう叫びました。「きみの馬など調べまわしているんですからな」
マドレーヌはこちらをふりむいて、私のそばへやってきました。私は伯爵夫人のほうをみつめながら、マドレーヌの手に接吻しました。すると、夫人は顔を赤らめました。
「ずいぶん元気になりましたね、マドレーヌは」と私は言いました。
「ほんとに、弱くて困りますわ!」その額に接吻してやりながら彼女はそう答えました。
「ええ、いまのところみんな丈夫ですよ」伯爵がそう答えました。「ただわたしだけはどうもね、フェリックス、まるで崩れかかった塔みたいにほうぼうが傷《いた》むんですよ」
「将軍《ヽヽ》はあいかわらず憂鬱病にとりつかれてらっしゃるようですね」夫人のほうをみつめながら私は言いました。
「わたくしたちは、みんなそれぞれブルー・デーヴルズ〔憂鬱の魔〕をもってますわ」と彼女は答えました。「英語ではそう申すのじゃありませんの?」
私たちは連れだってぶらぶら歩きながら、そしてみんななにか重大なできごとが起こったのを感じながら、菜園のほうへのぼっていきました。彼女は、私と二人きりになりたがるそぶりをいっこうにみせませんでした。要するに、私は彼女の家の客にすぎなかったのです。
「ところで、きみの馬は?」門から出たとたん、伯爵がそう言いました。
「ほらごらんあそばせ」と伯爵夫人が言いました。「わたくしがそのことを考えれば考えるで叱られるし、考えなければ考えないで叱られるのですから」
「それはそうさ」伯爵は言いました。「ものごとはすべて有効な時期にしなければならんものさ」
「ぼくがいってきますよ」こういう冷たいあしらいがどうにも耐えきれなかったので、私はそう言いました。「あの馬をひっぱりだしたり、ちゃんと厩舎にいれたりできるのは、ぼくしかいませんよ。僕のグルーム(馬丁)がもうじきシノンから馬車できますから、馬の世話は彼がやってくれます」
「そのグルームもイギリスからきたんですの?」と彼女が言いました。
「それはあちら仕込みに限るさ」妻が悲しそうにしているのを見るとかえって陽気になって、伯爵がそう答えました。
彼にとっては、妻の冷淡さは妻にけちをつける絶好の機会になったので、彼は私にたいしてしきりに友情を浴びせかけるのでした。夫という人種の友誼《ゆうぎ》のわずらわしさを、私は思いしらされました。彼らの心づかいが高貴な魂にやりきれぬ思いを味わわせる時期は、彼らの妻がその夫にそそぐべき愛情をかすめとって、こちらにつぎこんでいる時期と一致するなどとは、ゆめゆめ思ってはいけません。いいえ、そうではなく、そういう愛が飛びさった日にこそ、夫という人種はいとわしい我慢しきれぬ存在になるのです。この種の友誼にとってなによりも必要な条件であるお互いの理解は、そのときたんなる手段に思われてくるのです。それは心に重くのしかかってきて、目的によって正当化され得なくなった手段がすべてそうであるように、まったく嫌悪すべきものになってしまうのです。
「フェリックス」伯爵は私の両手をとり、情愛をこめて握りしめながら言いました。「家内のことは許してやってください。女にはときどき気まぐれを起こす必要があるんですよ、まあ弱いところがあるのだから、それもしかたがないんですがね。連中は気分のむらのなさというものをもてないんですよ、わたしたち男だと、それが性格の強さのもとになってくれるわけですがね。家内はきみに好意をもっていますよ、それはわたしがちゃんと知っています。しかし……」
伯爵がしゃべっているうちに、夫人は私たち二人だけをそのままその場に残しておこうと考えたらしく、知らぬまにむこうへ立ちさっていきました。
「フェリックス」二人の子供を連れて城館《やかた》のほうへのぼっていく妻の姿を見まもりながら、伯爵は低い声でまた話しはじめました。「家内の心のなかになにが起こっているかは知りませんが、六週間ばかり前から、家内の性質がすっかり変わってしまいましてね。いままではあれほど優しく、あれほど献身的だったのに、信じられぬくらい陰気な女になってしまったのですよ!」
その後マネットが教えてくれたところによると、伯爵夫人はひどくふさぎこんでしまって、伯爵のうるさい言いがかりにもまるで反応を示さなかったそうです。矢を射かける弱い地点にでっくわさなくなったので、伯爵は不安に陥ってしまったのでした。ちょうど虫をいじめているうちに、その虫がはたと動かなくなったのを見て不安にかられた子供のように。そういうわけで、折も折、伯爵は死刑執行人が介添人を必要とするごとく、誰か相談相手をほしいと思っているところだったのです。
「そこでお願いというわけですが」しばらく間を置いてから彼はそう言いました。「家内の気持ちを聞いてみてくれませんかね。妻というものは、夫にはいつも秘密をもっていますからな。でも、きみにだったら、家内もたぶん悩みの種を打ち明けると思いますよ。よしんばわたしの残りの生涯の半分、わたしの財産の半分をついやさねばならないとしても、家内を幸せにしてやるためならば、なにもかも犠牲にするつもりですよ。家内はとにかくわたしの生活にぜひ必要なのですからな! わたしの老後の暮らしで、あの天使のような女の存在を身近に感じられなくなったら、わたしは世のなかでいちばん不幸な人間になってしまうでしょうな! わたしはやすらかに死んでいきたいのですよ。だから、家内にも言ってください、このわたしを我慢しなければならぬのも、あとそう長いことではないとね。わたしはね、フェリックス、まもなく死にますよ、自分でもわかっているんです。みんなにはこの避けがたい真相を隠してますがね、だってなにも前々から苦しめることもありませんからな。やはり幽門なんですよ、きみ! わたしはやっと病気の原因をつきとめたのですが、敏感さがけっきょく命とりだったんですな。じっさい、人間の感情というやつはすべて胃の中心に襲いかかり……」
「そうすると」私は微笑しながら言いました。「心の優しい人間は胃病で死ぬということになりますね」
「笑いごとじゃありませんよ、フェリックス、これほど確かなことはないですよ。心労があまり激しすぎると、交感神経のはたらきが過敏になるんです。すると、知覚の興奮のために、胃の粘膜《ねんまく》はたえず軽い炎症状態に置かれるのですよ。もしこういう状態がいつまでもつづくと、最初はごく微弱なさまざまな障害が、消化作用のなかに起こってくるのです。つまり、胃液の分泌が悪くなったり、食欲が衰えたり、消化が不順になったりします。しばらくすると、激しい痛みがあらわれ、それがだんだんひどくなり、日ましにひんぱんにおこるようになります。そして、機能障害が頂点に達すると、まるで口のなかの食物の塊に、なにか緩慢《かんまん》な毒物でもまじっているようになってきます。胃の粘膜が厚くなり、幽門弁が硬化し、命とりになる硬性|癌《がん》ができるのです。どうです、ほら、わたしはまさにその状態なんですよ! 幽門弁の硬化はどんどん進行して、とめようがないんです。ほら、見てくださいよ、このわたしの藁《わら》みたいに黄色くなった顔色を、このひからびてぎらぎらした目を、このひどいやせかたを! わたしはやせおとろえるばかりです。いまさら、どうしようもありませんよ! あの亡命生活から、この病気の種をもって帰ってきたわけなんですな。まったく、あの頃は苦しみましたものねえ! 結婚によって、もしかすると亡命時代の苦痛も回復するかと思ったのですが、ふかい悩みをいだいた心を鎮《しず》めてくれるどころか、かえって傷口が掻《か》きたてられてしまいましてね。ここへきてから、どういうことにぶつかったか? 子供たちのせいで起こるたえまのない心配だとか、家事の苦労だとか、財産の建て直しだとか、いろいろな窮屈な思いのもとになった倹約一点ばりの生活などですよ、そして家内にも窮屈な思いを強制しましたし、自分もまず第一にそれにさんざん悩まされましたしね。それから最後に、これはきみにしか打ち明けられない秘密なんですが、じつはこいつがいちばんつらい苦しみなんですよ。ブランシュは天使のような女ですが、しかしわたしのことを理解してないんです。私の苦しみのことなどなにもわからずに、それに逆らってばかりいるのです。まあ、それは許してやってますがね! いいですか、これは口にするのも嫌なことなんですがね、いいですか、きみ、家内ほど貞淑な女でなかったら、ブランシュの思いもおよばぬ優しい技巧を使って、わたしにもっと楽しい思いを味わわせてくれたでしょうね、なにしろ家内ときたら、子供みたいに気がききませんからな。その上に、さらに使用人たちにまで悩まされるのですよ、まったくあれは鳶《とんび》みたいにまぬけな連中で、わたしがフランス語をしゃべっているのに、ギリシャ語だと思っているしまつなんですからな。やっとどうにかこうにか財産の立て直しができて、気苦労がすこしは減ったときには、病気になり、食欲減退の時期にさしかかったのですよ。それから、あの大病になって、しかもあのオリジェにひどい誤診をされたわけですものね。要するに、いまでは、わたしはあと六か月しか生きていられないのですよ……」
私は慄然《りつぜん》たる思いで伯爵の言葉に耳を傾けていました。伯爵夫人に再会したとき、彼女のにべもない目つきのぎらぎらした光と藁《わら》のように黄色い不吉な色〔胃癌の徴候を示すための形容〕をした額とに、私ははっと胸を突かれたのでした。医学的な注釈をまじえた愚痴に耳を傾けるふりをしながら、私は伯爵を邸のほうへひっぱっていきましたが、じつを言えば私の頭はアンリエットのことだけでいっぱいで、彼女のようすをじっくり観察したいと思っていたのです。
伯爵夫人は広間にいて、マドレーヌに刺繍《ししゅう》の網目を見せてやりながら、ドミニス神父がジャックに数学の授業をするかたわらにつきそっていました。以前ならば、私の到着の日には、彼女はもっぱら私のことに打ちこんで、自分の仕事など延期することもあえて辞さなかったはずです。しかし私の恋はあくまで真実そのものでしたから、過去と現在とのこのいちじるしい対照からひきおこされた悲しみを、私は心のなかで押し殺しました。それというのも、藁《わら》のように黄色い顔色が、この天上的な容貌《ようぼう》の上にただようと、さながらイタリアの画家たちが聖女の顔の上に描きだした聖なる微光の反映そっくりにみえたからです。そのとき、私は死の冷たい風が心のなかを吹きすぎるのを感じました。それから、かつてそのまなざしにただよっていた澄みきった水のような輝きを失った眼光が、ふと私の上に落ちかかってきたとき、私は思わず身ぶるいしました。そのときはじめて、彼女のなかには悲しみが原因となった変化が起こっていること、そして戸外ではその変化が目にとまらなかったことに、私は気がつきました。この前の訪問のときには、額にほんのかすかに刻みこまれているにすぎなかった細かな皺《しわ》は、ずっと深くほりこまれていました。青ずんだこめかみは熱を帯びたようになり、窪んでいました。目は優しくうるんだ眉毛《まゆげ》の下で落ちくぼんで、その周囲は黒ずんでいました。あたかも表面には疵《きず》があらわれはじめ、内側に巣くう虫のために早くも黄色っぽくなってきた果実のごとくに、彼女は腐りかかっていたのです。私が、望みといえば一にかかって彼女の魂になみなみと幸福を注ぐことしかないこの私が、そうするどころか、逆に彼女の生命がたえず新しくよみがえり、彼女の気力がたえず新しく力を獲得する泉に、苦々しいものを投じてしまったのでなかろうか? 私は彼女のかたわらに腰をおろして、後悔の涙にくれる声でこう言いました。
「ご健康のぐあいはよろしいのですか?」
「ええ」私の目をのぞきこむようにしながら、彼女はそう答えました。「わたくしの健康は、ほら、あのとおりですわ」ジャックとマドレーヌのほうを指しながら、彼女はそうつづけました。
十五歳となり、輝かしい勝利のうちに自然との戦いを終えて、マドレーヌはもう一人前の女性になっていました。背も高くなり、褐色に焼けた頬には、ベンガル産のバラのような色があらわれています。あらゆるものをまともにみつめる子供らしい無頓着さがなくなり、伏目《ふしめ》がちに視線を落とすようになりました。母親と同じように、動作もごくたまにしか見せぬようになり、しかも落ちつきを帯びたものになりました。体つきはすらりとしていて、胸のあたりの優雅なふくらみもすでに美しく咲きひらいています。スペインふうの額の上で、まんなかから二つに分けた黒いすばらしい髪の毛には、なまめかしい艶が光っています。彼女は中世のかわいらしい小さな彫刻、輪郭《りんかく》がたいへん繊細で、形はたいへん華奢《きゃしゃ》なので、いとしげな目つきで眺めまわすだけでもすぐにこわれてしまいそうな、そんな小さな彫像に似ていました。けれども、数しれぬ努力のはてに身を結んだ果実である健康が、その頬に桃のような滑《なめ》らかな感じをただよわせ、母親と同じように光のたわむれる絹のようなうぶ毛を、首筋のあたりに這わせていました。彼女はすこやかに成長するにちがいない! 人間の生みだした花々のなかでももっとも美しい花の蕾《つぼみ》たるマドレーヌよ、あなたの瞼《まぶた》の睫毛《まつげ》の上にも、母親のそれのように豊かに成熟することを約束するあなたの肩の曲線の上にも、神がそのことを書きしるしておられたのだ! ところで、この健康そうな褐色の肌をしたポプラのような体つきの娘は、十七歳の弱々しい若者であるジャックにくらべると、まことにいちじるしい対照をなしていました。ジャックのほうは頭ばかり大きくなり、額は不安を誘うほど急速にひろくなり、熱っぽく疲れた目はふかぶかとよく通る声とぴったりじつに調和しています。まなざしにあまりにも多くの物思いがあらわれているのと同じように、のどにはあまりにも豊かな音量がたくわえられています。アンリエットからうけついだ聡明さと気質と感情とが、その急速な炎でもって、堅固さを欠いた肉体を焼きつくそうとしているのです。というのも、結核《けっかく》という業病《ごうびょう》にとりつかれて、一定の時期がくれば死ぬことになっているイギリス娘の特徴である、あの熱っぽい色彩で妙にいきいきとした乳色にそまった顔色、ジャックはまさにそういう顔色をしていたからです。これはうわべだけの健康さにすぎません! アンリエットがまずマドレーヌのほうを指さし、それからドミニス神父の前の机で幾何の図形や代数式を書いているジャックのほうを指さしたとき、私はそのしぐさにだまって従いながら、花々の下に隠されたこの死の相貌《そうぼう》を見て慄然《りつぜん》と身ぶるいし、哀れな母親の思い違いを尊重しようという気持ちになりました。
「この子たちがこうしているのを見ると、嬉しさのあまり、わたくし一人だけの苦しみなど忘れてしまいますわ、この子たちが病気になった姿を見るときに、そういうものがすっかり忘れられたり、消えさったりするのと同じように。ほんとうに」母親の喜びで目を輝かせながら彼女は言いました。「たとえほかの愛情で裏切られても、こちらのほうで気持ちが報いられ、義務がきちんと果たされて上首尾に飾られれば、ほかのところでの敗北ぐらいきれいさっぱり償《つぐな》ってくれます。ジャックもそのうち、あなたと同じように、高い教養を身につけ、りっぱな知識にみちた人間になりますでしょう。きっとあなたと同じように祖国の名誉と言われるようになり、国の政治を司《つかさど》るようになるかもしれませんわ、その頃はたいへん高い地位にお就きになっておられるにちがいないあなたのご援助を受けて。でも、わたくしとしては、あの子が幼い頃の愛情を忠実にまもり通す人間になるようにするつもりですの。マドレーヌもほんとうにかわいい娘で、もう気高い心をもっていますし、まるでアルプスのいちばん高い峰の雪のように純粋ですし、いまにきっと女らしい献身的な気持ちとしとやかな聡明さをもった娘になるでしょうし、それに誇り高い気持ちもありますから、ルノンクール家の人間にふさわしい娘になるでしょう! 以前は母親としてあんなに煩悶《はんもん》ばかりしておりましたわたくしも、いまではたいへん幸せですわ、かぎりないほどの、なんの不純なものもない幸せでいっぱいですわ。ええ、そうですとも、わたくしの生活は充実しておりますとも、わたくしの生活は豊かでございますとも。ほんとうにこのとおり、神さまは許された愛情のなかでわたくしの喜びの花を咲かせてくださり、危険な気持ちにひきずられた愛情のほうには、苦い味をおまぜになられたのですわ」
「よろしい」とドミニス神父が嬉しそうに声をはりあげました。「子爵さまは私と同じくらいおできになります」
解答の証明を書きあげて、ジャックは軽い咳《せき》をしました。
「今日はもう充分でございます。神父さま」伯爵夫人は落ちつきをなくした声で言いました。「それに、化学の授業はもうけっこうでございますから。――さあ、乗馬をしていらっしゃい、ジャック」情愛のこもった、しかしまた威厳《いげん》にみちてもいる母親らしい喜びをただよわせ、そしてまるで私の思い出を踏みにじろうとするかのように、、わざと私のほうへ視線をむけてジャックの接吻を受けながら、彼女は言葉をつづけました。「さあ、いってらっしゃい、よく気をつけるのですよ」
「しかし」彼女がいつまでもジャックのうしろ姿をみつめているあいだに、私はこう尋ねかけました。「ぼくの質問にはまだ答えてくださっていませんね、どこか痛みを感ずるところでもおありなのですか?」
「ええ、胃がときどき。パリにいたら、いま流行の胃炎にかかるという名誉にあずかれましたのにね」
「お母さまは、ときどき、たいへんお苦しみになることがあるのよ」とマドレーヌが私に言いました。
「まあ」と夫人は言いました。「わたくしの健康のことなど興味がおありになりますの?……」
この言葉のなかに刻みこまれた深い皮肉に驚いて、マドレーヌは私たちの顔をかわるがわる見くらべました。私の視線は、この広間を飾る灰色と緑に塗られた彼女の椅子のクッションの、ばら色の花模様の数を数えていました。
「こういう状態は我慢できません」と私は彼女の耳もとにささやきました。
「わたくしのせいでこうなったのですかしら?」彼女はそう尋ねました。「あなたという方は」女性が復讐心を飾りたてる手段に用いるあの残酷な陽気さを装いながら、彼女は高い声でさらにこうつけくわえるのでした。「あなたという方は、近世史をご存じありませんの? フランスとイギリスはずっと敵どうしではございませんの? マドレーヌだってそれくらいのことは知ってますわ、ひろい海で、冷たい海で、荒れくるう海で二つの国が隔てられていることは、あの娘だって知ってますわ」
たぶんそこに花をいっぱい挿しこむ喜びを私から奪いとるためでしょう、暖炉の上の花瓶はとりのけられて、かわりに大型の枝燭台が置いてありました。のちになってから、私は彼女の部屋でその花瓶をふたたびみつけましたが……やがて私の下僕《げぼく》が到着したので、私は外へ出ていろいろ指図《さしず》をしました。下僕が運んできてくれた幾つかの品物を、私はいつもの部屋へもっていこうとしました。
「フェリックス」と伯爵夫人は言いました。「おまちがえにならないでください。あの昔の伯母の部屋は、いまはマドレーヌの部屋になってますの。あなたの部屋は主人の部屋の上ですわ」
罪を犯したとはいうものの、私にも心はありますから、この言葉は、彼女が打ちかかろうと選んだらしいもっとも感じやすい個所に、まるで匕首《あいくち》のように、狙いたがわず冷やかに突きささったのでした。精神的な苦痛というのはそれだけで独立したものではなく、魂の敏感さと比例するものですが、伯爵夫人もそういうさまざまな苦痛の段階を、一から十までことごとくつらい思いで経てきたわけでした。しかしまた、まさにその同じ理由からして、もっともすぐれた女性というものは、それまでが親切さそのものであっただけに、こういう場合にはかならずたいへん残酷になるものなのです。私は彼女の顔をじっとみつめましたが、彼女のほうはそのままうなだれてしまいました。新しく私にあてられた部屋へいってみると、それはきれいな部屋で、白と緑に塗られていました。その部屋で、私は涙にくれました。アンリエットはその泣き声を聞きつけ、花束をもってはいってきました。
「アンリエット」と私は言いました。「過ちとはいっても、充分申しひらきの余地があるはずなのに、あなたは許そうとはしてくださらないのですか?」
「もう絶対にアンリエットとはお呼びにならないでください」と彼女は答えました。「だってもうこの世にいないのですもの、その哀れな女は。でも、モルソーフ夫人はいつでもおりますし、あなたのお話をうけたまわって、あなたに好意を寄せる忠実なお友だちはこれからもずっとおりましてよ。フェリックス、いずれゆっくり話しあうことにしましょう。いまでもわたくしにお優しい気持ちをおもちでしたら、冷静な気持ちであなたのお姿が見られるようになるまで、どうぞお待ちになってくださいませ。そうして、わたくしがこれほどつらい思いをせずにお話しできるようになったら、わたくしがもうすこし元気をとりもどせるときがきたら、そうしたら、そのときはじめて……ほら、谷間が見えますでしょ」彼女はアンドル川を指さしながら私に言いました。「あれを見ていると苦しくなってきますけれども、でも、いつでも好きなことには変わりありませんわ」
「ああ、イギリスも、イギリスの女もみんな滅びてしまえばいいのに! ぼくは国王陛下に辞表を提出します、ぼくは罪を許された上で、ここで死にます」
「いいえ、いけませんわ。どうぞその方を愛してあげてくださいませ! アンリエットはもうおりませんから、これはけっして冗談ではございません、あなたもいまにわかっていただけるでしょうけれども」
この最後の一語の語調によって、傷口の大きさをまざまざと見せながら、彼女はそのまま部屋から出ていきました。私も急いで部屋を飛びだし、彼女をひきとめて、こう言いました。
「もうぼくを愛してくださってないのですか?」
「あなたのことで苦しんだ苦しみの量は、ほかの人々のせいで苦しんだ量を全部あわせたよりも多いのです! いまでは、やっとそれほど苦しまずにすむようになりました、ですからあなたのことも以前ほど愛していないことになりますわね。でも、『決してとか、永久にとか言うべからず』などと言っているのは、イギリスだけに限った話で、こちらでは、ふつう『いつまでも』と言ってよろしいものなのですわ。さあ、もうよくお聞きわけになって、わたくしの苦しみをこれ以上大きくなさらないでください。そうして、あなたも苦しんでおられるのだったら、わたくしが生きていることをお考えになってください、このわたくしでも!」
冷たくて、そして動こうともしない手、しかしじっとりと汗ばんでいる手を私はじっと握りしめていましたが、彼女はその手をさっとひっこめると、いましもこのまさに悲劇的な場面が演ぜられた廊下を走りぬけて、まるで矢のように逃げていきました。夕食のとき、伯爵は、私がまるで思いもかけていなかった刑罰を準備していました。
「ダッドレイ侯爵夫人はパリにおられぬわけですかな?」と彼は私に言いました。
私はすっかり顔を赤らめて答えました。
「はあ」
「トゥールにもおられぬのですかな?」伯爵はやつぎばやにそう尋ねました。
「まだ離婚はしておりませんから、イギリスへいっているのかもしれません。ご主人のほうでも、夫人が帰ろうという気持ちになれば、きっと喜ぶでしょうね」私は激しい語調でそう答えました。
「お子さんはいらっしゃいますの?」モルソーフ夫人がいつもと調子の違う声でそう尋ねました。
「男の子が二人います」と私は答えました。
「どこにいらっしゃいますの、そのお子さんたちは?」
「イギリスです、父親といっしょに」
「さあ、フェリックス、率直に答えてくれたまえ。――夫人はほんとに世間の評判どおりの美人ですかね?」
「あら、そんな質問をなさって! ご自分の愛してらっしゃる女性というものは、どんな場合でもとびきりの美人ではありませんこと?」伯爵夫人は声を高くしてそう言いました。
「ええ、そうですとも、どんな場合でも」私は誇らしげな調子でそう言いながら、彼女のほうを一瞥《いちべつ》しましたが、彼女はその視線に耐えることができませんでした。
「きみは幸運な男だ」伯爵がまた口をさしはさみました。
「そうですよ、ほんとにきみは果報者ですよ。ああ、わたしだって若い頃だったら、そんな女性を手にいれられたら、もう夢中になってしまったでしょうがねえ……」
「もうおやめになって」伯爵にマドレーヌのほうを目顔で示しながら、彼女はそう言いました。
「いや、わたしはもう子供じゃないからな」と伯爵は言いながら、若がえったような気持ちになってすっかり悦《えつ》にいっていました。
食事が終わって食卓を離れると、伯爵夫人は私を築山《つきやま》の上へひっぱっていき、その上までくると、こんなふうに叫びました。
「なんということかしら! 一人の男の方のために、子供を犠牲にする女がいるものなのかしら? 財産や世間だったら、わたくしにもまだわかりますわ、永遠の生でもたぶんわかるでしょうね! でも、子供を、子供を捨てるなどということが!」
「ええ、そうなんです、しかもそういう女性は、まだそれ以上に犠牲を払わなければならないと思っていますよ、なにもかもいっさい捧げつくしてしまうのです……」
伯爵夫人にとっては、これは世界が顛倒《てんとう》するようなことであり、彼女の考えはすっかり混乱してしまいました。その愛の壮大さに驚愕《きょうがく》の思いを誘われたり、幸福が得られるならばそういう犠牲を払うのも正しいことに相違あるまいと想像してみたり、自分の内部で肉体が反抗する叫びを聞いたりしながら、彼女は自分のむなしく過ごした生活に直面して呆然《ぼうぜん》としていました。そうです、彼女は一瞬恐ろしい疑惑に駆られたのです。しかしやがて彼女は顔をあげて、気高く清らかに立ち直りました。
「どうか心から愛してあげてくださいませね、フェリックス、あの方をね」目に涙をうかべながら彼女は言いました。「あの方は今後はわたくしの幸せな妹になるのですわ。あの方のためにわたくしが受けた苦しみも許してさしあげられます、あなたがここではけっしてみつけられるはずのなかったもの、わたくしからは得られないものを、あの方があなたにあたえているのだとすれば。あなたはもっともなことをなさっただけですわ、わたくしは、あなたを愛していると申しあげたこともなければ、ふつうの世間並の愛しかたであなたを愛したこともありませんものね。でも、あの方が母親らしいこともなさらないのに、どうして男の方を愛することができるのでしょうね?」
「あなたはぼくの聖女だ」と私は答えました。「ぼくのいまのこの興奮がもっと鎮《しず》まらなければ、うまく説明できそうにありませんが、あなたはあの女の頭上を勝ち誇った姿で舞っているのですよ、彼女は地上の女であり、天国から堕《お》ちた種族の娘だけれども、あなたは天国の娘であり、聖なるものと崇《あが》められている天使なのです、あなたのほうはぼくの心をすっかり捕えているのに反して、彼女のほうは肉体を捕えているにすぎません。彼女はそれを知っています。それをたいへん残念がってますし、あなたとかわりたいと思ってますよ、そのための代償として、このうえなく苛酷な殉教が課されるとしてもね。しかし、いっさいは取りかえしようもないのです。魂もあなたに、心もあなたに、純粋な愛もあなたに、青春も老年もあなたに捧げています。彼女に残されているのは、つかのまの情熱から生まれる欲望と快楽だけです。ぼくの思い出はすみずみまですべてあなたに捧げられ、彼女に残されているのはこのうえなく深い忘却だけなのです」
「おっしゃって、おっしゃって、わたくしにそういうことをもっとおっしゃって、さあ、もっとおっしゃって!」
彼女はベンチのところへいって腰をおろし、涙にくれました。
「それならばフェリックス、貞節も、生活の清らかさも、母性愛も、まちがいではないわけですのね! さあ、わたくしのさまざまな傷口をそういうふうに慰めてくださいませ! わたくしを天国へ連れていってくれる言葉を、あなたとごいっしょに飛翔《ひしょう》して近づきたいと願っていた天国へ連れていってくれる言葉を、どうかもう一言おっしゃってくださいませ! あなたのまなざしでもって、聖なる言葉でもって、わたくしを祝福していただければ、二か月このかたわたくしを苦しめてきたさまざまな苦しみも、すっかり許してさしあげられましてよ」
「ねえ、アンリエット、ぼくたちの生活には、あなたがた女性の知らない秘密があるものなのですよ。本性が掻《か》きたてる欲望も感情でもって抑えられるような年頃、ぼくはそういう年頃であなたに出会ったのです。でも、何度も起こったああいう場面、おそらく死期の迫った瞬間にもぼくの思い出になまなましくよみがえってきそうなああいう場面を通して、その年頃が終わりつつあることは、あなたの目にもはっきり証《あか》しだてられていたにちがいありませんし、それにまた、あなたがいつも勝利を得ておられたということ、これはつまり、その年頃に特有の内に秘めた快楽を、いつまでも延長させておくことだったのです。肉体の占有を伴なわぬ愛は、欲望をたかぶらせるという、まさにそのことによって維持されていくのです。やがて、ぼくたちの内部で、どの点をとってもあなたがた女性といささかも似ていないぼくたちの内部で、いっさいが苦しみとなるような時期がやってきます。ぼくたち男性というものは、どうしても捨てることのできない一つの力を所有しており、それを捨てれば男ではなくなってしまうのです。が、心を養う糧を奪いとられれば、心はみずからを食い荒して、死とまではいかないにせよ、死の前ぶれである鎮静を感ずるようになります。ですから、人間の本性はそう長いあいだだまされつづけはしません。ほんのちょっとした思いがけないことが起これば、その本性は狂気に似た激しい力を伴ないつつ目をさますものなのです。そうですとも、ぼくは愛したりはしませんでした、ぼくは砂漠のなかで渇《かつ》えていたんです」
「まあ、砂漠だなんて!」彼女は谷間をさしながら苦しげにそう言いました。「それに」とさらにこう言いたしました。「ずいぶん筋のたったお話ですわね、ずいぶん細かくいきとどいたごりっぱなお話ですわね! ほんとうに誠実な方は、それほど才気煥発なところはないものでしてよ」
「アンリエット」と私は言いました。「なにげなしに使った言葉のはしを捕えて、言い争ったりするのはやめましょうよ。そうですとも、ぼくの魂は動揺したりはしませんでした、ただぼくは自分の官能を制御することができなかったのです。あの女にしても、あなたこそ愛されている唯一の女性だということを知らぬわけではありません。彼女はぼくの生活のなかでは第二義的な役割を演じているにすぎないのですが、本人もそれはちゃんと承知していて、もうあきらめているわけなのです。ぼくはいつでも彼女と別れることができます、ちょうど娼婦と別れるように……」
「それからどうなりますの?」
「そんなことになったら自殺する、と彼女は言ってました」この決心はさぞかしアンリエットを驚かすだろうと思いながら、私はそう言いました。
しかし、私のその言葉を聞くと、彼女は、表にあらわれた気持ち以上に多くのものを語っている、あのさげすむような微笑をもらしました。
「ぼくの良心であるあなたが」と私は言葉をつづけました。「ぼくのさまざまな抵抗のことを、それからぼくの堕落をそそのかしたさまざまな誘惑のことを考慮に入れてくださったら、あなたもきっとわかってくださるでしょう、この宿命的に避けがたい……」
「ええ、そうですわ、宿命的に避けがたいのですわ」と彼女は言いました。「わたくしはあなたを信じすぎたのです。あなたにそのくらいの高潔さがないはずはあるまいと思っておりました、司祭さまもちゃんと守っておられますし……モルソーフだってもちあわせている高潔さが」その声に警句のような辛辣《しんらつ》な調子をこめながら、彼女はそうつけくわえました。――「いっさいはもう終わりですわ」しばらく間を置いてから彼女はまた言葉をつづけました。「あなたにはふかく感謝しなければなりません。あなたは、肉体的な生命の炎をわたくしのなかから消してくださったのですものね。道のいちばん歩きにくい個所はもう通りこしましたし、だんだん年もとってきて、現に体が衰えてきていますし、もうすぐきっと病気になってしまいますわ。わたくし、あなたに好意の雨を降りそそぐ輝かしい妖精になど、とてもなれそうにありませんの。どうぞ、アラベル夫人をいつまでも愛してあげてくださいませ。マドレーヌも、ぜひあなたにと思って心をこめて育ててきましたのに、いったいどなたのところへ嫁《かた》づくのでしょうね? かわいそうなマドレーヌ、かわいそうなマドレーヌ」彼女はさながら悲しいルフランをつぶやくように、そう繰りかえしました。「あの娘が『お母さま、お母さまはフェリックスに優しくしてあげないのね!』と言うのをお聞きになったら、あなたはどんな気がなさるでしょう。ほんとにいじらしい娘《こ》ですわ!」
彼女は、葉ごもりからこぼれ落ちる夕日のほのかに暖かい光線のもとで私をみつめました。そして、私たちの愛情の残骸《ざんがい》にたいしてなにか惻隠《そくいん》の情に似たものを感じて、まことに清らかな私たちの過去のなかにひたり、二人のあいだを相互にゆきかようさまざまな物思いにふけるのでした。私たち二人のかぐわしい花束でもって、私たちの願望の数々の物語でもって、この夢想をみたしながら、私たちはさまざまな思い出をたどり、私たちの目は谷間からぶどう園へ、クロシュグールドの窓からフラペールへと移っていきました。これは彼女にとって最後の、しかもキリスト教徒にふさわしい敬虔な魂の純真さをもって味わわれた官能の喜びでした。私たちにとってたいへん重大なものだったこの場面によって、私たちは二人とも、一つの同じ憂愁のなかに投げこまれたのでした。彼女は私の言葉を信じ、私が彼女の位置だと説明した天上の世界に、自分の姿を見たのです。
「わたくしは」と彼女は言いました。「神さまのご意志に従うだけですわ。だって、こういうことすべてのなかに、神さまの指が働いているわけですものね」
私がこの言葉の深い意味に気づいたのは、ずっとのちになってからのことです。それから、私たちはゆっくりと築山《つきやま》の上を通って邸のほうへのぼっていきました。彼女は私の腕をとり、あきらめきったようにもたれかかって、たいへん痛々しいようすをしていましたが、しかしその傷口にはすでに包帯《ほうたい》が巻きつけてありました。
「人生というものはそういうものなのですわ」と彼女は言いました。「モルソーフがあんな運命に会わねばならないのは、いったいどういうわけなのでしょう? それをとってみても、もっとよい世界があることがはっきり証明されているわけですわ。正しい道を歩いてきたことを嘆くような人間に不幸あれですわ!」
そこで、彼女は人生というものを正確に評価し、そのさまざまな局面について深い考察を述べはじめたのですが、それがたいへん正確で、たいへん深いものだったので、私はその冷やかな計測を通して、彼女がこの世のあらゆるものにたいして嫌悪の念をいだいていることを知らされたのでした。邸の前の踏段のところへくると、彼女は私の腕をはなし、結びの言葉としてこんなことを言いました。
「幸福を求める気持ちや欲求をわたくしども人間にお授けになった以上、神さまが、この世で苦しみしか見いださなかった無垢《むく》な人々のことを気にかけてくださらぬはずはありませんわね? それは確実ですわ、もしそうでないなら、神さまは存在しないか、それともわたくしたちの生涯が耐えがたい冗談か、そのどちらかだということになりますものね」
この最後の言葉を言うと、彼女はやにわに家のなかへはいっていってしまいました。あとを追っていってみると、あたかも聖パウロを地上に打ち倒した声に撃《う》たれでもしたかのように、長椅子の上にぐったりと横たわっていました。
「どうなさったのです?」と私は言いました。
「わたくし、貞節とはどういうことなのかわからなくなりました」彼女はそう言いました。「それに、自分に貞節がそなわっているという自覚をもてないのですもの!」
まるで深淵に投げこまれた石の音でも聞くように、この言葉の響きにじっと耳を傾けながら、私たちは二人ともその場に立ちすくんだようになってしまいました。
「もしわたくしの人生がまちがっていたらならば、|あちら《ヽヽヽ》のほうが正しいわけですわ、|あちら《ヽヽヽ》のほうが!」モルソーフ夫人はそう言葉をつづけました。
こうして、彼女にとっての最後の官能の喜びのあとには、最後の戦いがつづいたわけです。やがて伯爵が部屋へやってくると、苦痛などけっして訴えたことのない彼女が、苦痛を訴えました。私はその苦しみをはっきり話してくれるよう彼女に頼みましたが、彼女は説明するのを拒み、つぎつぎにわきあがってくる悔恨に悩まされている私をその場に残したまま、寝室へひきとっていってしまいました。マドレーヌも母親のあとについていきました。そして翌日、私がマドレーヌから聞いたところによると、伯爵夫人は嘔吐《おうと》の発作に襲われましたが、それはその一日の激しい心の動揺のせいで起こったのだ、と言っていたということでした。そういうわけで、私は彼女のためなら生命も投げだすつもりでいたのに、じっさいには逆に彼女の寿命《じゅみょう》を縮めていたわけなのです。
「伯爵」トリクトラクの勝負を無理強いするモルソーフ氏にむかって、私はこう切りだしました。「伯爵夫人の容態《ようだい》はたいへん悪いような気がします。いまならまだ手後れという時期にはなっていません。オリジェを呼んでください、そして彼の指示に従うよう伯爵夫人によく頼んでみてください……」
「わたしを殺しかけたあのオリジェを?」伯爵は私の言葉をさえぎりながらそう言いました。「いや、とんでもない、わたしはカルボノーに診察してもらうつもりです」
その一週間、とくに最初の二、三日のあいだ、私にとってはすべてが苦痛であり、心の麻痺《まひ》状態のはじまりであり、虚栄心の痛手であり、魂の痛手でした。視線、吐息といったすべてのものの中心になったことがないかぎり、生活の根源になったことがないかぎり、各人がそれぞれの光をひきだす光源になったことがないかぎり、空虚というものの恐ろしさはとてもわかりません。いまだに同じ事物が存在しているにもかかわらず、かつてそれを活気づけていた精神は、さながら吹き消された炎のように消えさってしまったのです。恋人どうしというものは、愛が過ぎさったときにはもう会わないようにしなければならぬという耐えがたい必要を、私ははっきり納得しました。かつて君臨していた場所にいながら、もはやなにものでもないのです! かつて生命の楽しげな光がきらめいていた場所に、死のひそやかな冷たさを見いだすのです! こんなふうにさまざまな比較をすると、心は滅入《めい》ってくるばかりです。やがて、私は、自分の少年時代を暗く閉ざしていた、あの幸福というものをまるで知らぬ悲しむべき状態を愛惜するようになりました。そこで私の絶望はいとも深いものになりましたから、伯爵夫人もたぶん情にほだされたのだろうと思います。ある日、夕食がすんでから、私たちがみんなでそろって川のほとりを散歩したとき、私は許しを得ようとして最後の努力を試みました。私はジャックに頼んで妹を連れて先にいってもらい、伯爵は一人で歩いていくままにしておいて、夫人を小舟《トウー》のほうへ導いていきながら――
「アンリエット」と切りだしました。「一言でいいから言ってください、お願いですから言ってください、さもなければぼくはアンドル川に身を投げます! ぼくは過失を犯しました、そうです、まさにそのとおりです。でも、このぼくは最高の愛着を示す犬そっくりではないでしょうか! 僕は犬のように帰ってきました、恥ずかしさでいっぱいになった犬のように。悪いことをすれば、犬は罰を受けますけれども、自分を叩く手を慕っているのです。どうかぼくを叩きのめしてください、でもあなたの心だけはもういちどぼくに返してください……」
「かわいそうな子ね」彼女はそう言いました。「あなたはいつだってわたくしの息子じゃありませんの?」
彼女は私の腕をとり、黙々としてジャックとマドレーヌに追いつくと、子供たちといっしょにぶどう園を通ってクロシュグールドへ帰っていきましたが、私はそのまま伯爵のそばに置きざりにされた恰好《かっこう》になりました。すると伯爵は、近隣の人々の噂《うわさ》を種にして政治談義をはじめるのでした。
「帰りましょうよ」と私は言いました。「帽子もかぶらずにいらっしゃると、夜露のせいで体に故障が起こるかもしれませんからね」
「きみはわたしに同情してくれるんだ、きみはね、フェリックス!」彼は私の意図を誤解してそう答えました。「家内はただの一度だってわたしを慰めようと思ったこともないんですよ、それもたぶん計画的にやっているんです」
以前だったら、彼女は私と伯爵を二人だけ残していったりはしなかったでしょう。それなのに、いまや彼女のそばにいくには口実が必要なのです。彼女は子供たちといっしょにいて、ジャックにトリクトラクの規則を説明することにかかりきりになっていました。
「ほら、このとおりですよ」彼女が二人の子供に注ぎかける愛情にたいしていつも嫉妬を感じている伯爵は、そう言いました。「この連中のために、わたしはいつもほったらかしにされているんです。夫というものは、ねえフェリックス、いつだって旗色の悪いものときまっているんですよ。どんなに貞淑な女でも、なんとかして自分の要求を満足させたり、夫婦の愛情をないがしろにしたりするものなんですからね」
彼女はそれには答えず、依然として子供たちに優しく相手をしてやっていました。
「ジャック」と伯爵は言いました。「ここへきなさい!」
ジャックはすぐに言うことをきこうとしませんでした。
「お父さまがお呼びですよ、さあ、あちらへいらっしゃい」夫人はジャックを押しやるようにしながらそう言いました。
「子供たちは言いつけられてわたしを愛するのですからねえ」と伯爵は言いましたが、ときには自分の立場がわかることもあるのです。
「あなた」金具《かなぐ》の美女《びじょ》〔王政復古の頃に流行した髪型。髪の毛を平らに編んで、中央に宝石をちりばめた銀の輪を額につける〕の髪型にゆったマドレーヌの髪の毛を何度となく手で撫でつけながら、彼女は答えました。「女というかわいそうなものをつかまえて、そんな不当なことをおっしゃってはいけませんわ、生活というものは、女にとってはかならずしも耐えやすいものではございませんし、たぶん子供というものこそ、母親になった女がつくすべき道なのですもの」
「するとお前」ここは一つ論理的に出るべきだと気づいた伯爵はそう答えました。「お前の言うことはこういう意味になるわけだな、つまり、子供がいなければ、女は女としての道にそむき、夫をほったらかしにするだろうというのだな」
伯爵夫人はとつぜん立ちあがって、マドレーヌを玄関の前の踏段のところに連れていきました。
「これが結婚というものなんですよ」と伯爵は言いました。
――「そんなふうにこれ見よがしに出ていって、わたしが屁理屈《へりくつ》をこねているとでも言いたいつもりなのか?」伯爵は息子の手をとり、踏段の妻のそばへ近づきながらそうどなって、怒りに燃えた視線を彼女に浴びせかけるのでした。
「とんでもありませんわ。ただなんだかとてもこわくなってしまったのです。あなたのお考えをうかがったらひどく胸が傷んできてしまって」罪を犯した人間のような視線を私のほうに投げかけながら、彼女はうつろな声でそう言いました。「女の道というものが、子供や夫のために犠牲になることでないとしたら、いったいなにが女の道なのでしょう?」
「ギ、セ、イ、になるだって!」音節を一つずつ区切って犠牲者の心臓に棒を突きさすような調子で、伯爵はそう言葉をつづけました。「子供のためになにを犠牲にしているというのかね? わたしのためになにを犠牲にしているというのかね? 誰を、なにを犠牲にしているのだ? さあ、答えてみたまえ! さあ、答えられるかね? いったいこの家でどういうことが起こっているというのだ? お前はなにが言いたいのだ?」
「あなた」と彼女は答えました。「それでは、ご自分がただ神への敬愛ゆえに愛されていれば、ご自分の妻が女の道そのもののために女の道を貞淑に守っているとわかれば、あなたはそれでご満足なのでしょうか?」
「奥さまのおっしゃることは正しいと思います」二人の心のなかにまで反響を起こすような感動にみちた声で私はそう切りだしましたが、その声には私の永遠に失われた希望が注ぎこまれ、しかもそれはこよなく深い悲しみの語調でやわらげられてはいましたけれども、暗黙のうちに悲しみのこもったこの悲痛な叫びによって、ちょうどライオンの咆哮《ほうこう》であらゆるものがいっせいに鳴りをひそめるように、その口論もぴたりと消しとめられたのでした。「そうですとも、理性がぼくたちに授けてくれたもっともすばらしい特権は、ぼくたちがその幸福の生みの親になってやるべき人々の上に、ぼくたちが打算や義務からではなく、かぎりのない自発的な愛情でもって幸福にしてやるべき人々の上に、ぼくたちの力をむけられるということなのです」
アンリエットの目に一滴の涙が光りました。
「そこでです、伯爵、もしも一人の女性がひょっとしたことから、心ならずも、社会の要求するものと違う感情をいだくようになった場合があるとしたら、その感情が抵抗しがたいものであればあるほど、それをなんとかして抑えつけ、子供や夫のために|犠牲になろう《ヽヽヽヽヽヽ》とすることによって、その女性はますます貞節になるのだと思いますがね。ただし、この理論は、あいにくまるで反対の見本を示しているぼくにも、またそんなことには絶対に関係のないあなたにも、適用はできないわけですけれども」
汗ばんでもいるし、また燃えるように熱くなってもいる一つの手が私の手の上に重ねられて、静かに押しあてられました。
「きみは心の美しい人ですなあ、フェリックス」と伯爵は言いました。そして妻の体に優しく手をまわし、自分のほうへそっとひきよせながらこう言いました。――「自分が受けるにふさわしい愛情以上のものを要求しているらしいこの哀れな病人を、許しておくれ、ブランシュ」
「ほんとに寛大さそのものの心をもっている人がいるものなのですね」彼女は伯爵の肩に頭をもたせかけながらそう答えましたが、伯爵のほうはその言葉が自分にむかって言われたものと思いこんでしまいました。
この誤解のために、伯爵夫人はなんとも得体《えたい》の知れぬ身ぶるいで全身をふるわせました。櫛《くし》は落ち、髪の毛はほどけ、顔色は蒼白になりました。彼女の体を支えていた伯爵は、彼女が失神するのを感じて一種のうなり声のような声をあげ、まるで自分の娘でも抱くようにしてその体をかかえて、広間の長椅子の上へ運んでいったので、私たちはその周囲を取りかこみました。アンリエットは私の手をしっかり握りしめたままでした、うわべはいとも単純でありながら、彼女の心の悲痛さからすればじつに恐るべきものであるこの場面の秘密を知っているのは、ただ私たち二人だけだと告げるためででもあるかのように。
「わたくし、まちがっておりましたわ」伯爵が私たち二人だけを残して、オレンジのエッセンスの水をつくらせにいっているあいだに、彼女は私に小声でそう言いました。「わたくし、あなたにたいして、ほんとうに何度となく申しわけないことをしてしまいましたのね、本来なら感謝してあなたをお迎えすべきところなのに、あなたを絶望に追いやろうとしたのですものね。あなたという方は、ほんとうに優しい方ですわ、わたくしにしかわからない優しさをもった方ですわ。ええ、そうですとも、わたくしにはよくわかっておりますけど、情熱からくる優しさもあるものなのですわ。男の方の優しさには、幾とおりもの優しさがありますものね。軽蔑からくる優しさもありますし、なんとなく押し流されたための優しさもありますし、打算からくる優しさもありますし、性格の無頓着さからくる優しさもあります。でも、あなたはいま、ほんとうに純粋な気持ちで優しくしてくださったのですわ」
「もしそうだとすれば」と私は言いました。「ぜひ知っておいていただきたいのですが、ぼくのなかになるかもしれぬりっぱなところは、すべてあなたからきたものなのです。ぼくという人間があなたの手でつくられたのだということを、覚えてらっしゃらないわけではないでしょうね?」
「そういうお言葉だけで、女としてもう充分に幸福になれますわ」ちょうど伯爵が部屋へもどってきたとき、彼女はそう答えました。――「気分はもうよくなりました」彼女は立ちあがりながらそう答えました。「すこし外の空気を吸うほうがよさそうですわ」
私たちはみんなそろって、まだ花の咲いているアカシヤの香りのたちこめた築山《つきやま》のほうへおりていきました。彼女は私の右腕をとり、悲痛な思いをあらわそうとして、その右腕をぴったりと自分の胸に押しあてました。もっとも、彼女の日ごろの言動から考えれば、これはむしろ彼女の好む悲しみでしたけれども。彼女はたぶん私と二人きりになりたかったのでしょう。だが、女らしい術策の不得手な彼女の想像力をもってしては、子供たちや夫を追い返す手段などまるで思いつきもしませんでした。そこで、私たちはどうでもいいことを話すよりしかたがありませんでしたが、そのあいだ、彼女はその胸中の思いを私の胸のなかに吐《は》きだす好機をうまくつくりだそうとして、しきりに知恵をしぼっていました。
「だいぶ長いこと、わたくしは馬車で散歩に出たことがありませんわ」夕方の景色の美しさに気がついて、彼女はやっとそう切りだしました。「あなた、そうお言いつけになってくださいませんか、お願いいたしますわ、わたくしがちょっと一回り散歩してこられるように」
彼女は、祈祷の時間まではどんな説明をしても通用しないことを知っていましたし、それに伯爵がトリクトラクをやりたがりはしまいかと心配していたのです。たしかに、夫が床に就いてしまってからなら、この芳香のたちこめるほのかに暖かい築山《つきやま》の上に私といっしょに出てくることもできたかもしれません。けれども、彼女はおそらく、官能をそそるような微光のもれてくるその木蔭にじっとたたずんだり、牧草地のなかを流れるアンドル川の流れを、一望のもとに見わたせる手摺垣根《てすりかきね》に沿って散策したりすることを恐れたのでしょう。暗く静まりかえった円天井をいただく教会が、敬虔な祈祷を捧げたい気分を呼びさますのと同じように、月光に照らしだされ、強い芳香にひたされ、春のひそかなざわめきに活気づいている木々の葉ごもりは、心の琴線《きんせん》をゆすぶり、意志の力を弱めてしまいます。田園は老人の情熱を鎮《しず》めはしますが、若い心の情熱をかえって掻《か》きたてるのです。私たちはそのことを知っていました! やがて、鐘が二つ鳴って祈祷の時間を告げ、伯爵夫人はふいに身ぶるいしました。
「アンリエット、どうなさったんです?」
「アンリエットはもうおりませんわ」と彼女は答えました。「彼女をもう生きかえらせないでくださいませ、彼女は無理な要求ばかりする移り気な女でしたわ。いま、あなたとごいっしょにいるのは、さきほどのあの神さまがあなたの口を借りてお告げになった言葉でもって、貞節さをしっかりと固められた心安らかなお友だちなのですわ。そのこともあとですっかり話しあうことにしましょうね。祈祷の時間はきちんと守りましょう。今日はわたくしがお祈りを唱える番にあたっていますの」
伯爵夫人が祈りの言葉を唱えつつ、人生の試練への加護を神に願ったとき、そこには、一人私のみならずみんなの胸を打つような語調がこもっていました。まるで彼女はあの透視力という天賦《てんぶ》を使って、私がアラベルとの約束を忘れたことから起こった不手際のせいで、やがて彼女の上に襲いかかってくることになるすさまじい心の動揺を、そのときすでにちらりと予見したのかと思われるほどでした。
「馬車の支度ができるまで、三番ばかりやる時間がありますよ」私を広間のほうへひっぱっていきながら、伯爵はそう言いました。「妻といっしょに散歩に出かけてください。わたしは寝ることにしますから」
私たちの勝負がいつもそうであるように、この勝負も荒れ模様になりました。伯爵夫人は自室か、さもなければマドレーヌの部屋にいたのですが、とにかく夫の声をちゃんと耳に入れていました。
「あなたという方は、おもてなしを変なふうに濫用《らんよう》なさいますのね」広間へもどってくると、彼女は伯爵にむかってそう言いました。
私はあっけにとられて彼女の顔をみつめました。彼女の冷やかな口ぶりを私は聞きなれていなかったのです。以前だったら、伯爵の横暴から私をかばうことなど、彼女は絶対にさしひかえたでしょう。昔だったら、私が彼女と苦痛をともにし、彼女への愛ゆえにそれを忍耐強く耐える姿を好んでみていてくれたものでした。
「ぼくは生命を捨ててもいいのです」私は彼女の耳もとにそうささやきました。「あなたが『お気の毒な方 お気の毒な方!』とささやいてくださるのを、もう一度この耳で聞くためとあったら」
私がいつのことをほのめかしているかを思いだして、彼女は目を伏せました。彼女の視線はすばやく私のほうに走りより――もっとも視線を伏せたまま走りよってきたのですが――自分の心をありのままに示したいとも移ろいやすい抑揚《よくよう》のほうが、もう一つの愛欲の深い悦楽《えつらく》よりはるかに愛されていることを見とどけた女性の、喜びの表情をうかべました。すると私は、伯爵のそんな不当な侮辱を受けるたびにいつもそうなるように、自分の心が理解してもらえたのだから、彼の侮辱も許そうという気持ちになりました。彼はその一番に負けると、すっかり疲れてしまったから勝負をもう投げると言いだしたので、私たちは馬車の支度ができるまで、球戯場の芝生のまわりをぶらぶら散歩しにいくことにしました。伯爵が私たちを残して出ていくと、すぐさま私の顔には喜色がいきいきと輝きだしましたので、伯爵夫人はさもふしぎそうなびっくりした目つきで私に問いかけてきました。
「アンリエットはちゃんと生きています」と私は彼女に言いました。「ぼくはいつだって愛されつづけています。あなたは、ぼくの愛情をくじこうというおつもりで、わざとぼくを傷つけようとなさっているだけなのです。だから、ぼくはまだ幸福でいられるはずです!」
「いいえ、もう女の切れはしが残っているだけですわ」怖気づいたような口調で彼女はそう言いました。「そうして、その切れはしもあなたがいま奪いとっていこうとされているのです。ほんとに神さまを讃えなければなりませんわ、当然受けなければならない苦悩に耐える気力を授けていただいているのですもの。そうですわ、わたくしはまだあなたを愛しすぎるほど愛しています、わたくしはすんでのところで過ちを犯すところでしたの、ですからそのイギリスの女の方は、わたくしのために深淵を照らしだしてくださっているわけですわ」
ちょうどそのとき、私たちは馬車に乗りこむことになり、馭者が行く先を尋ねました。
「並木道を通ってシノン街道へ出てください。帰りみちはシャルルマーニュの荒野とサッシェへいく道を走ってくださいね」
「今日は何曜日ですか?」私はひどく勢いこんだ調子でそう尋ねました。
「土曜日ですわ」
「そちらの方向へいくのはおよしなさい。土曜日の晩は、あの街道はトゥールへいく卵売りでいっぱいですから、きっとその連中の荷車に出会いますよ」
「わたくしの言ったとおりにしてください」馭者のほうをみつめながら彼女はそう言いました。
私たちはお互いに声の調子をよく知りあっていましたから、その調子がいかに無数に存在しようと、二人の心の動きのごく些細なものさえ隠すことはできなかったのです。アンリエットはすべてを悟ったのでした。
「今夜をお選びになるとき、あなたは卵売りのことなどお考えにならなかったでしょうに」軽い皮肉のこもった口調で彼女はそう言いました。「ダッドレイ夫人がトゥールにいらっしゃるのね。嘘をおっしゃってはいけませんわ、この近くであなたを待ってらっしゃるのでしょ。今日は何曜日ですか? 卵売り! 荷車!」と彼女は言葉をつづけました。
「以前に二人で出かけたとき、あなたがそんなことに注意なさったことがありましたかしら?」
「それは、ぼくがクロシュグールドではすべてを忘れている証拠です」私は簡潔にそう答えました。
「あの方はあなたを待ってらっしゃるのですね?」彼女はまたそう言いました。
「ええ」
「何時にですの?」
「十一時から十二時のあいだです」
「どこでですの?」
「あの荒野のところで」
「わたくしをだましたりなさらないでくださいね、まさかあのクルミの木蔭のところではないでしょうね?」
「あの荒野のところです」
「さあ、いきましょう」と彼女は言いました。「わたくしもお会いしますわ」
この言葉を聞くと、私は自分の生涯が決定的に歩みをとめたのだと考えました。感受性をいまにも涸《か》れつきさせようとする苦しい戦い、激しい衝撃を何度となく繰りかえし、選りぬきの果実も似た快い微妙な官能の喜びまで奪いとろうとするこの苦しい戦いに、ダッドレイ夫人と正式に結婚することによって決着をつけよう、と私は一瞬のうちにそう決意を固めました。私のかたくなな沈黙のせいで伯爵夫人は不快な気分に襲われたようですが、それもつまり、夫人の崇高そのものの心が私にまだわかっていなかったからなのです。
「わたくしに腹をおたてになることはありませんわ」あの持前の美しい声で彼女は言いました。「これは、わたくしがこうむらねばならない罰なのです。あなたは、あなたがいまここで受けてらっしゃるような深い愛情で愛されることは、今後けっしてあるまいと思いますわ」自分の胸に手を当てながら彼女はそう話しだしました。「さっきもはっきり申しあげなかったかしら? ダッドレイ侯爵夫人はわたくしを救ってくださったのです。あちらには汚れた愛があるだけですから、わたくしはそれをうらやましいなどとは思いません。わたくしには、輝かしい天使の愛があるのですもの。あなたがいらっしゃってから、わたくしはとてもひろい野原を駆けめぐりました。人生というものをはっきり判断してみたのです。人というものは魂を高めようとすると、かえってそれをひき裂いてしまうものなのです。高いところへ進めば進むほど、他人の好意は得にくくなるものなのです。あなたは谷間で苦しむかわりに、どこやらのがさつな羊飼いに射こまれた矢を心臓に付けたまま空を舞っている鷲《わし》のように、大空で苦しむことになるのです。わたくし、今日はじめて、天と地が両立しないものだということがわかりました。そうなのです。天上の世界で生きたいと願う者にとっては、ただ神さましか存在し得ないのです。ですから、わたくしたちの魂は、地上のいっさいの事物から解脱《げだつ》しなければならないはずですわ。お友だちを愛する場合でも、子供たちを愛するのと同じように、相手本位に愛するようにし、自分本位に愛してはいけないのです。自分《ヽヽ》というものは不幸や悲しみをひきおこします。わたくしの心は、いまに鷲よりもっと高く昇っていきますわ。そこにこそ、わたくしをけっして裏切らない愛があるのですもの。それにたいして、この地上の生活を生きるということを考えてみますと、そういう生活のために、わたくしたちの内部にある天使ふうの霊性が官能のエゴイズムに支配されてしまって、わたくしたちはそれこそすっかり呑みこまれてしまうのです。情熱があたえてくれる享楽はぞっとするほど激しいもので、しかもあとでは神経をいらだたせるような不安を代償として支払わなければならなくなり、そのために魂の気力も屈服させられてしまうのです。わたくしは、そういう嵐が吹きすさんでいる海岸まで近づき、それをあまりにも間近から見てしまったのです。ときとしては、その嵐の雲に包みこまれてしまったことも何度かありますし、波もかならずしも足もとばかりで砕け散っていたわけではありませんし、心を冷たく凍りつかせる波の荒々しい重圧をまざまざと感じたこともありました。でも、わたくしは、やはりあの高いところに退くべきなのです、だってこんなひろい海の岸辺にいたのでは、きっと身を滅ぼしてしまいますもの。わたくしはあなたのことを、わたくしを悲嘆にくれさせた人々すべてのことをそう思っているのと同じように、わたくしの貞節の守護者だと考えておりますの。わたくしの生活にはずいぶん苦しいことも入りまじっていましたが、幸いなことにそれもわたくしの力に釣りあったものですし、そのせいで道をはずれた情熱に汚されることなく、誘惑の忍びこむような緊張のゆるんだ状態もなく、いつも神の前に出られるようにしながら、自分の身を持してまいりました。わたくしたち二人の愛情は、ほんとに無分別な試み|でしたわ《ヽヽヽヽ》、二人の心も、人々も、神さまも、みんなすっかり満足させようとする無邪気な子供のような努力でしたもの……まるで狂気の沙汰《さた》でしたわね、フェリックス!――あら、そうでしたわ」しばらく間を置いてから彼女は言いました。「あの方は、あなたのことどんなふうにお呼びになりますの?」
「アメデです」と私は答えました。「フェリックスというのは特別な存在で、あなた以外の誰のものにもならないでしょう」
「アンリエットだってなかなか死にきれませんわ」敬虔な微笑をもらしながら彼女はそう言いました。「でも、つつましい信者としての、誇り高い母親としての、昨日は貞節がよろめきましたけれども、今日はまたしっかりと立ち直った女としてのまず最初の努力で、アンリエットはきっと死んでいきますわ。どう言ったらいいのでしょう? ええ、そうなのです、つまりわたくしの生活というものは、どんなにだいじな状態のときでも、またどんなにとるにたりない状態のときでも、生活それ自体にぴったり合致しておりますの。わたくしが最初の愛情の根を結びつけねばならなかった心、つまり母の心は、なんとか忍びこめそうな折目を探しだそうとして粘りづよく努力してみたのですけれども、わたくしにたいしては固く閉ざされたままでした。わたくしは女の子でしたし、男の子が三人も死んだあとの子供でしたから、両親の愛情のなかで兄たちの位置をかわりに占めようとずいぶん努力してみたのですが、けっきょくは無駄でした。一家の誇りの上につけられた傷を、わたくしでは癒《いや》すことができなかったのです。そういう暗い少女時代が過ぎて、あのほんとうにりっぱな伯母と親しくなったかと思うと、すぐまた伯母に死なれてしまいましたの。モルソーフに仕えるようになってからも、たえず、休む暇なしにあの人に苦しめられましたわ、それも相手のほうでは気がついていないのですものね、あの人もほんとに気の毒な人ですわ。モルソーフの愛情には、子供がわたくしたちにむける愛情に見られるような、とても無邪気なエゴイズムがあるのです。あの人のせいでわたくしが苦しんでいることなどちっとも気がついていませんし、わたくしも、あの人のすることはいつも許すことにしているのです! 子供たち、ありとあらゆる苦しみでわたくしの肉体とつながり、ありとあらゆる素質でわたくしの魂とつながり、ありとあらゆる無垢な喜びでわたくしの自然な天性につながっているあのかわいい子供たち、あの子供たちは、母親というものの心のなかに、どれくらいの力と忍耐があるかをあきらかにするために、わたくしに授けられたのではないでしょうか? ええ、そうですとも、わたくしの子供たちこそわたくしの貞節のしるしですの! あなたはご存じでらっしゃいますわね、あの子たちのために、あの子たちの身代わりになって、あの子たちの気持ちにそむいてまで、わたくしがどんなにひどい苦痛を受けているかを。母親になるということは、わたくしにとっては、たえず苦しむ権利を買うことでした。ハガル〔旧約聖書の人物で、『創世記』にその物語が描かれている。エジプト生まれの奴隷女として長老アブラハムに仕え、イシマエルを生んだが、正妻サラがイサクを生むとともに家を追われて、ベールシバの砂漠を放浪する。ここに語られているのは、その苦痛にみちた放浪中の挿話である〕が砂漠で泣き叫んでいると、愛されすぎるほど愛されたこの女奴隷のために、天使が清らかな泉をわきださせてくれたと言われていますわね。でも、このわたくしにたいしては、あなたが連れていってくださろうとなさった澄みきった泉が(あなたはまだ覚えていらっしゃるかしら?)、クロシュグールドのまわりを流れだしたときにも、それは苦い水を注ぎかけるだけでしたの。そう、ほんとうにあなたという方は、わたくしにこの世に例もない深い苦痛をなめさせたのですわ。苦しみを通してしか愛情というものを知らなかった人間を、神さまもたぶん許してくださるでしょう。でも、わたくしの味わったいちばん激しい苦痛があなたの手で加えられたにしても、たぶんわたくしは、当然それを受けるべきだったわけなのでしょうね。神さまは不当なことはなさいませんわ。ええ、そうですとも、フェリックス、誰かの額にこっそり接吻すれば、きっとさまざまの罪を伴なうものなのですわ! 一人で子供たちや夫と関係のない思い出や物思いにふけるために、夕方、散歩に出たときなど、そして歩きながら、心をほかの人の心に結びつけていたときなど、子供や夫の前に立って進めていくその足どりのためにも、たぶん厳しく罰を受けなければならないのですわ! 接吻を受けようとさしだしている場所のことだけに没頭するために、内面にひそむ存在が身を縮めて小さくかがみこむような場合には、それこそ罪のなかでも最悪のものなのですわ! 女が額を誰にも触れさせまいとして、夫の接吻を身をかがめて髪の毛に受けたりする場合も、やはり罪を犯しているのですわ! 誰かの死を当てにして未来を思い描くのも罪ですし、心配ごとのない母親になった姿だとか、家族全体から慕われている父親といっしょに、幸せな母親の優しいまなざしのもとで遊んでいる子供たちの姿だとかを、未来のなかに想像することも罪なのですわ! そうですの、わたくしは罪を犯しました、とても大きな罪を犯しました! わたくしは、教会によって課される贖罪《しょくざい》を好ましいものとまで思っていましたが、この贖罪によっても、司祭さまがどうもあまり寛大に扱いすぎてくださったらしく、こういうさまざまな過失は充分に償われてはいないのですわ。神さまはたぶん、その人ゆえにこうした過ちが犯された人に懲罰をお託しになろうとして、その過ちの中心のところに罰をすえつけられたのでしょうね。髪の毛をさしあげるのは、つまりわが身をお約束することだったのではありませんかしら? わたくしは、なぜ白い服を着るのが好きだったのでしょうか? そうすれば、いっそうあなたのユリにふさわしくなると思いこんでいたのですわ。あなたが、ここで、はじめてわたくしの姿をごらんになったとき、わたくし、白い服を着ていませんでしたかしら? 悲しいことには、わたくしは前ほど子供を愛さないようになってしまいましたの、それというのも、すべての激しい愛情は正当な愛情を奪いとってしまうものだからですわ。ほんとにそうですのよ、フェリックス、どんな苦しみにもそれなりの意味があるものなのです。どうかわたくしを苦しめてくださいませ、モルソーフや子供たちがやる以上に苦しめてくださいませ。あの女性は神さまのお怒りの媒介《ばいかい》者なのですわ、わたくしは憎しみをもたずにそばに近より、こちらから笑いかけていくつもりですわ。もしもそうしなければ、信者でもなくなり、妻でも母でもなくなるわけなのですから、わたくしは、どうしてもあの方を愛さなければなりませんの。もしもあなたがおっしゃるように、わたくしもいくぶんかお役に立つことができて、それであなたのお心が美しさを汚すようなものと接触せずにすんだのだとしたら、そのイギリスの女性も、わたくしをお嫌いになるわけはありませんわ。女というものは、自分の愛する人の母親まで好きになるはずですし、わたくしはあなたの母親ですものね。あなたのお心のなかで、わたくしがどういう場所を占めたいと思っていたか、言ってみましょうか。それは、お母さまのヴァンドネス夫人がからっぽのまま残しておかれた場所ですの。いいえ、ほんとにそうですのよ。あなただっていつもわたくしの冷淡さを嘆いていらしたじゃありませんの! ほんとにそうですのよ、たしかに、わたくしはあなたの母親にしかなれませんわ。あなたがお着きになったとき、心にもない厳しいことを言ったのをどうぞ許してくださいませね。だって、自分の息子がそんなにふかく愛されていると知ったら、母親なら心から喜ぶはずですものね」
彼女は私の胸に頭をもたせかけて、何度もこう繰りかえしました。
「ごめんなさいね、ごめんなさいね!」
そのとき、私の耳にはかつて聞いたことのない語調が聞きとれました。あの少女のような声とその楽しそうな口調でもなく、成熟した女らしい声とその抑えつけるような語尾の調子でもなく、悲しみにふける母親としての吐息でもありませんでした。それは悲痛な声でした、新しい苦しみゆえの新しい声でした。
「それから、あなたのことですけれど、フェリックス」彼女はまた元気をとりもどしてそう言葉をつづけました。「あなたは、なにをなさっても差しつかえのないお友だちなのです。ほんとうに、わたくしの心のなかで、あなたが占めておられた部分はちっとも減ってなどいませんわ、ですからご自分を咎めたりなさらないでください、ほんのわずかの呵責《かしゃく》もお感じになる必要はありませんの。このうえなく大きな喜び、なにしろそれを味わうために、一人の女性が子供を捨て、地位を放棄し、永遠の生をあきらめるくらいなのですから、ほんとにとても大きな喜びなのでしょうが、あり得ない未来のためにそれを犠牲にしていただきたいと要求するなんて、ほんとにとんでもないエゴイズムだったのではないかしら? あなたのほうがわたくしよりもずっとすぐれた方だと思ったことが、いったい何度くらいあったでしょうか! なにしろ、あなたはごりっぱで気高い方なのに、わたくしのほうは、ちっぽけで罪に汚れた女でしたもの! さあ、これでお話はすっかり終わりましたわ。わたくし、あなたのためには、高々ときらめく冷たい光、といっても、けっして変わることのない光にしかなれないのですわ。ただし、フェリックス、わたくしのほうだけが、弟に選んだ人を一方的に愛してるという状態にはしないでくださいませね。わたくしを優しくいたわってくださいませね! 姉の愛情というものには、好ましくない翌日もなければ、つらい瞬間もありませんわ。嘘をおっしゃる必要などはありませんわ、あなたのごりっぱな生活を糧として生き、あなたの苦しみはいつもかならず自分の苦しみとし、あなたの喜びによって晴れやかな気分になり、あなたを幸せにしてくれる女性たちを愛し、あなたを裏切る人々に憤りを感ずるこの姉の寛大な心にむかって、嘘をおっしゃる必要などはありませんのよ。わたくしには、そんなふうに愛してあげられる弟はおりませんでした。どうぞ大きな人物におなりになって、自尊心などすっかりお捨てになり、これまではたいへん曖昧《あいまい》で波瀾《はらん》にみちていたわたくしたちの心の結びつきに、この温和で清らかな愛情という結着をつけてくださいませ。わたくしは、これからもそんなふうに生きていくことができます。ダッドレイ夫人の手を握って、まずわたくしのほうからお近づきのあいさつをさせていただきますわ」
彼女は涙を流しませんでした! こういう苦い知恵にみちた言葉を述べながらも、彼女は涙を流しませんでしたし、しかもその言葉によって、彼女の魂とその苦痛を私の目から隠していた最後の幕をとりのぞきながら、彼女がいかに多くの絆《きずな》によって私と結ばれていたかを、また私がいかに多くの強い鎖《くさり》を断ちきってしまったかを、私にはっきりと示してくれたのでした。わたくしたちはそういう無我夢中の状態に陥っていたので、滝のように降りだした雨にも気がつかぬほどでした。
「奥さま、しばらくここへはいっているほうがよろしくはございませんか?」バランのいちばん大きな宿屋をさしながら、馭者がそう言いました。
彼女はうなずきました。そして、私たちは入口の円天井の下に半時間ほど雨宿りしていましたが、宿屋の者たちはすっかり驚いてしまって、モルソーフ夫人がなぜ夜の十一時に馬車で走りまわっているのか、しきりにいぶかしがっていました。夫人はトゥールへいくのだろうか? それとも帰り道なのだろうか? やがて豪雨がやみ、雨もトゥールでブルーエ〔brouillard(霧)の方言〕と呼ばれている状態に変わり、高空の風に急速に吹き払われる上層の霧が月光に照らしだされるようになると、馭者は馬車を出発させて、さっきやってきた道をひきかえしはじめたので、私は大いに喜んだものでした。
「前に言いつけたとおりにしてくださいな」伯爵夫人は穏やかな調子でそう声をかけました。
そこで、私たちはシャルルマーニュの荒野へいく道を走りだしましたが、またもや雨が降りはじめました。荒野のなかほどへさしかかると、アラベルの愛犬の吠え声が聞こえてきました。そして一頭の馬が、とつぜん樫の木の茂みの下から走り出てきて、ただ一跳びで道をまたぎこし、耕作できると信じられていたこの未墾地に、地主たちが相互の地所の区画をつけるために掘った溝を跳びこしました。そして、ダッドレイ夫人は荒野のまんなかに位置を定めて、馬車の通りすぎていくところをしっかり見とどけようとしました。
「あんなふうに自分の子供がくるのを待っていられてら、ほんとにどんなに楽しいでしょうね、それも罪を犯さずにそうできるとしたら!」とアンリエットは言いました。
犬の吠えかたで、私がその馬車に乗っていることは、ダッドレイ夫人にはもうわかっていたのです。彼女はたぶん、悪天候のせいで、私がそんなやりかたで迎えにきたものと思ったのでしょう。私たちが夫人の立っているところまでくると、彼女は独特の巧妙な騎手ぶりで道端まで馬を疾駆《しっく》させましたが、アンリエットはまるで奇跡でも見るように、その巧妙さにすっかり感嘆してしまいました。甘えた呼びかけかたをしようとして、アラベルはよく私の名の最後の音節だけを、それも英語ふうに発音したものでしたが、この呼びかたが彼女の唇にのぼると、まるで妖精にもふさわしい魅力を帯びるのでした。そのときも、私だけにしかわからないはずだと知っての上で、彼女はこう呼んだのでした。
「マイ・ディー!」
「ええ、あの方ですのよ、奥さま」伯爵夫人はそう答えながら、待ちかねた表情の顔の上に、ほつれた長い巻毛《まきげ》が奇妙な恰好でたれさがっているその幻想めいた女の姿を、あかるい月の光のもとでまじまじと見まもりました。
二人の女性がどんなにすばやく相手を調べまわすものか、あなたもよくご存じのはずです。イギリスの女性のほうはすぐに恋敵《こいがたき》だと悟って、堂々とイギリス女性になりきりました。持前のイギリスふうの軽蔑にみちたまなざしで私たちを見まわすと、矢のような速さでヒースの茂みのなかに姿を消してしまいました。
「急いでクロシュグールドへ帰ってください」と伯爵夫人は叫びましたが、彼女にとっては、この痛烈な一瞥は、さながら心臓に加えられた斧の一撃のようなものだったのです。
馭者は馬車の方向を変えてシノン街道へ出ることにしましたが、そちらのほうがサッシェへいく道よりもりっぱな道路だったのです。馬車がふたたび荒野に沿って走りだすと、アラベルの乗馬のすさまじい疾駆の響きと彼女の犬の足音とが、私たちの耳に聞こえてきました。三つの姿がヒースの茂みのむこう側、林とすれすれのところを走っていました。
「あの方はいっておしまいになったわね、あなたはあの方を永久に失ってしまいましたのね」アンリエットは私にそう言いました。
「いいんですよ」と私は答えました。「いかせてしまえばいいのです! 彼女はべつに後悔しはしないでしょうよ」
「ああ、女ってほんとにかわいそうなものなのねえ!」伯爵夫人は思いやりにあふれた恐怖の気持ちをあらわしながら、そう叫びました。「それにしても、あの方はどこへいらっしゃるのかしら?」
「グルナディエール荘です、サン・シールの近くの小さな邸ですよ」と私は言いました。
「あの方、一人でいっておしまいになったのね」アンリエットはそう言葉をつづけましたが、彼女のその口調は、女どうしは恋愛においては互いに固く結びついていると思いこみ、けっして相手を見捨てないものだということを、私にはっきりと証しだててくれました。
私たちがクロシュグールドの並木道にさしかかったとき、アラベルの犬が馬車の行く手に走りよってきて、嬉しそうに吠えたてました。
「先回りしてらしたのね!」と伯爵夫人は叫びました。
それから、ちょっと間を置いてから、彼女はまたこんなふうに話しだしました。
「あんなに美しい女性は見たことがありませんわ。なんとおきれいな手なのかしら、なんとお美しい体つきなのかしら! あのお美しい顔色を前にしたら、ユリの花だってすっかり色|褪《あ》せてしまいますし、あの方の目にはダイヤモンドの輝きがありますわ! でも、乗馬があんまりお上手すぎますわね、ご自分の能力を見せつけるのがお好きな方にちがいありませんわ、きっと活溌で気性の激しい方なのでしょうね。それにまた、わたくしからすると、礼儀正しい作法をすこし大胆に無視なさりすぎるように思います。世間の掟を認めない女性というものは、自分の移り気な気分だけにまかせて勝手に行動するのも同然ですものね。派手にめだつことや、いろいろ動きまわることが大好きな女性たちは、節操の強さという天賦にめぐまれなかったわけなのです。わたくしの考えでは、愛情にはもっと安らかなものが必要なのですわ。愛情というものは、測鉛をおろしても底のわからない湖、嵐がきて荒れ狂うことがあっても、それもほんのときたまのことで、すぐ越えがたい境界のなかに静かにたたえられてしまう大きな湖のようなものだと、わたくしは思っておりましたの。二人がそこの花の咲きひらいた島で、世間を離れて生活し、世間の豪華さや華やかさも二人には不愉快としか思えないものなのだろう、と。でも、愛にも人それぞれの性格のしるしが刻みこまれているはずですし、たぶんわたくしの考えがまちがっているのでしょう。自然の原理というものが、風土の要求する形態に順応するものだとすれば、一人一人の個人の感情だって、そういうふうにならないはずはありませんものね。たぶん、その感情にしても、全体としては普遍的な法則につながっていても、ただそのあらわれかたにだけは、相違が生まれてくるのでしょうね。人の心にはそれぞれの流儀があります。侯爵夫人は、どんな距離でも踏みこえていき、男の方のような強い力で行動なさるたくましい女性でいらっしゃいます。愛する人を捕われの身から救いだし、獄吏《ごくり》や番人や死刑執行人を殺すこともできる女性でいらっしゃいます。でもいっぽうではまた、ある種の女というものは、ただその魂のすべてを捧げて愛することしかできないのです。危険が迫ると、そういう女はひざまずき、祈り、そして死んでいくのですわ。こういう二つの型の女性のどちらがあなたのお心にかなうのかしら? 問題はけっきょくそこにつきるわけですわ。そうですとも、もちろん、侯爵夫人はあなたを愛していらっしゃいます、あなたのために、ほんとに多くのことを犠牲になさったわけですものね! たぶん、あの方のほうはいつまでもあなたを愛しつづけてらっしゃることでしょう、あなたの愛が失われてしまったあとになっても!」
「あなたがいつぞや言われたことをもういちど繰りかえすことになって、どうも申しわけありませんが、あなたはどうしてそんなことをご存じなんです?」
「どんな苦しみにも、それなりの教訓がこめられておりますし、わたくしはじつにいろいろなことで苦しみましたから、知識がとてもひろくなったのですわ」
私の召使いはさきほど馭者に行く先を命ずるのを聞いていましたから、私たちが築山《つきやま》のほうから帰ってくるものとばかり思って、私の馬の用意をすっかり整えて並木道につないでおきました。アラベルの犬は、その馬の気配を嗅《か》ぎつけたのでした。そして、主人のアラベルのほうも、まったく当然の好奇心に駆りたてられ、森のなかを抜けて犬のあとについてきて、たぶんそのまま森のなかにひそんでいたわけなのでしょう。
「さあ、仲直りをしていらっしゃい」アンリエットは微笑をうかべ、悲しみの色を見せずにそう言いました。「あの方がわたくしの気持ちをどれほど誤解なさってらっしゃるか、あなたからよく話してあげてくださいませ。わたくしとしては、あの方の手にはいった宝物の値打ちを、すっかり教えてさしあげたかったのですわ。わたくしの心のなかには、あの方にたいする好意しか宿されておりませんし、ましてや怒りや軽蔑などまるでありはしませんわ。どうぞよく説明してあげてくださいませ、わたくしはあの方の姉妹《きょうだい》であって、けっして恋敵などではないということを」
「ぼくはいきません」私はそう叫びました。
「あなたはこんなふうにお感じになったことはおありにならないかしら」彼女は殉教者のきらめくような誇りをこめて尋ねました。「ある種の思いやりはかえって侮辱になってしまうことがあると? さあ、いってらっしゃいませ!」
私はそこでダッドレイ夫人がどんな気持ちでいるかを知ろうと思って、彼女のほうへ駆けよっていきました。
「もしおの女が怒って別れてくれたらばなあ!」私はそう考えました。「すぐにクロシュグールドへ帰れるのだが」
犬に導かれて一本の樫の木の下までいくと、そこから侯爵夫人がやにわに跳びだしてきて、こう叫びました。
「アウェイ《いきましょう》! アウェイ!」
こうして、私は彼女についてサン・シールへいくより仕方がなくなり、私たちは十二時にそこへ着きました。
「あの奥さまは健康そのものでらっしゃるのね」馬からおりると、アラベルはそう言いました。
≪わたくしだったら、死んでしまってるでしょうに≫と言わんばかりの口ぶりでもって、そっけなく言い捨てられたこの観察のなかに含まれているあらゆる皮肉は、彼女をよく知っている人々でなければ、とても想像はつきますまい。
「モルソーフ夫人のことについて、たとえ一言なりとも、毒をふくんだ冗談を言ってはいけませんよ」私はそう答えました。
「慕わしいと思ってらっしゃる方がご健康にめぐまれていることを見てとったりすると、わが愛の神さまはご不快におなりになりますの? フランスの女は、恋人の犬まで憎むそうですわね。イギリスでは、わたくしども女は、至上の殿方さまが愛しておられるとあらば、なんでもかんでも愛してしまいますし、憎んでおられるとあらば、なんでも憎んでしまいますのよ。なぜって、わたくしたちは、愛する殿方さまと一体になって生きるからですの。ですから、わたくしも、あの奥さまを愛させていただきましてよ、ちょうどあなたと同じだけね。ただし、いいこと」雨に濡れた腕を私の体にからませながら、彼女は言うのでした。「もしあなたがわたくしを裏切ったら、わたくし、起きてもいなければ寝てもいなくなりましてよ、従僕を従えた馬車にも乗りませんし、シャルルマーニュの荒野へ散策にもいきませんし、どの国の荒野へも出かけませんし、自分のベッドにもいませんし、先祖の家にもいませんわよ。この世にはもういやしませんわ、このわたくしは。わたくしはランカシアで生まれたのですけれど、これは女が恋のために死ぬ国ですの。あなたと知りあったのに、あなたをゆずるだなんて! どんな力にたいしてだって、死にたいしてだって、あなたをゆずったりしませんことよ、だって、そんなことになったら、わたくしもごいっしょに死んでしまいますもの」
彼女は私を自分の部屋へ連れていきましたが、そこにはすでに快い雰囲気が享楽の気分をくりひろげていました。
「あの女《ひと》を愛してあげてください」私は熱烈な口調でそう言いました。「あの女《ひと》はあなたを愛してますよ、それもからかい半分などではなく、真心をこめてね」
「まあ、真心をこめてですって?」乗馬服の紐《ひも》を解きながら彼女はそう言いました
恋する男の虚栄心から、私はこの驕慢《きょうまん》な女にむかって、アンリエットの性格の崇高さを教えてやりたい気持ちになりました。フランス語のぜんぜんわからない小間使いが、彼女の髪の毛を整えているあいだ、私はその生活ぶりをざっと説明しながら、モルソーフ夫人の人柄をなるべくはっきり描きだそうと試み、すべての女性が卑しくなり、いやらしくなってしまうような危機にぶつかったさいに、彼女の念頭にうかんだ数々の気高い考えのことを何度も繰りかえして説明してやりました。アラベルは、うわべこそ私の話にまるで注意をむけていないようにみえましたが、じつは一言も聞きもらしてはいなかったのです。
「とても楽しうございましたわ」二人きりになると、彼女はそう切りだしました。「だって、あなたが、そういう信心ぶかいお話に趣味をおもちだということがわかりましたものね。わたくしの領地のあるところに、誰もかなう者のないくらい、お説教の文章を綴ることに明かるい助祭がいますわ。お百姓にも彼のお説教ならわかるくらいで、この男の文章は聞き手にぴったり当てはまっておりますのね。この男を船でこちらへよこしてくれるよう、明日、父に手紙を書くことにしますから、あなたもパリでお会いになれましてよ。一度彼のお説教を聞こうものなら、おまけに彼も健康そのものときていますから、あなたも、今後はもう彼の話しか聞きたくないと思うようになるでしょう。彼の道学談義でしたら、そんな涙を誘うような激しい感動は呼びさまされはしないでしょうね、まるで澄んだ泉のように波瀾もなく流れていって、それは心地よい眠りにつかせてくれましてよ。あなたさえおよろしかったら、毎晩でも、お夕食のあとの腹ごなしのために、あなたのそのお説教熱を堪能《たんのう》させるといいでしょうね。イギリスの道学というものは、ねえ、よろしいこと、これもまたトゥーレーヌのよりはすぐれておりますのよ、わたくしどもの国の刃物や銀細工や馬が、お国のナイフや動物よりもすぐれているのと同じように。どうぞその助祭の話を聞いてやってくださいね、聞いてやると約束なさってくださいね! わたくしは女にすぎません、ですから愛することはできますし、もしお望みならば、あなたのために死ぬことだってできましてよ。でも、イートン校や、オックスフォード大学や、エジンバラ大学などで勉強したことはございませんの。わたくしは博士でもなければ、偉い神父さまでもありませんわ。ですから、あなたに道学の手ほどきをしてあげることなどとてもできませんの。そういうことにはまるで不適任ですし、かりにやってみたところで、もうこのうえないほどぶざまなことになるでしょうね。わたくし、べつにあなたのご趣味を咎めてるわけじゃありませんのよ、あなたがもっと悪いご趣味をもっていらしても、それに順応するように努力するだろうと思いますの。というのも、あなたのお好きなものならば、恋の楽しみでも、食事の楽しみでも、教会の楽しみでも、上等のクラレット酒でも、信心ぶかい貞淑ぶりでも、すべてわたくしの身近にみつけられるようにしてさしあげたいからですの。お望みでしたら、今晩は苦行者の使う腰帯を着けましょうか? あの奥さまはほんとにお幸せですわ、道学であなたに奉仕するとはねえ! フランスの女性たちは、どこの大学で学位をとるのかしら? 哀れなものですわ、わたくしなんて! わが身を捧げることしかできないのですもの、あなたの奴隷でしかないのですもの……」
「それなら、なざさっき逃げだしたりしたんです、ぼくはあなたがた二人に会ってほしいと思っていたのに?」
「どうかしてらっしゃるの、マイ・ディー? わたくし、従僕に変装してパリからローマまでいってもかまいませんし、あなたのためなら、このうえもなく無分別なことをしたってかまいません。でも、道のまんなかで、紹介もされない女の方、それも三つの要点のあるお説教をはじめようとなさる女の方にむかって、どうして話しかけられるはずがありますの? わたくしはお百姓になら話しかけられますし、もしおなかがすいてたら、職人にパンを分けてほしいと頼みますし、何ギニーかお金をやりますわ、そうすればすべて作法にかなうわけですもの。でも、まるでイギリスの街道紳士がやるように、馬車をとめたりすることは、わたくしの作法集にはのっていませんの。あなたって、愛することしかご存じでないのね! 生活していく術をご存じではありませんの? それに、わたくしは、まだあなたに完全に似ているわけではありませんのよ! だって、道学は好きじゃありませんものね。でも、あなたのお気にいるためなら、このうえなく苦しい努力だってちゃんとやれましてよ。いいえ、なにもおっしゃらないで。わたくし、すぐにとりかかるつもりです。お説教の上手な女になるようせいぜい努力します。わたくしのそばに出たら、いまにエレミヤ〔イスラエルの四大予言者の一人で、旧約『エレミヤ記』『エレミヤ哀歌』の作者〕だってただの道化役者になってしまいますわ。これからは優しい愛撫をするときにも、かならず聖書の章句を添えることにさせていただきますわね」
彼女は自分の魅力を利用し、彼女の魔力がはたらきはじめると、いつもすぐさま私のまなざしに描きだされるあの熱烈な表情を読みとるやいなや、その魅力をますます濫用《らんよう》するのでした。彼女はあらゆるものを征圧しました、そして私ときたら、カトリック的な詭計《きけい》を弄する女性よりも、身を捨て、未来を捨てて恋を自分の美徳のすべてとする女性のほうが偉大だと、喜んで認めてしまうありさまでした。
「あの方はあなたを愛する以上に、ご自分を愛してらっしゃるわけなのかしら?」と彼女は言いました。「あなたではないなにかのほうが、あなたよりだいじだと思ってらっしゃるのかしら? わたくしたち女のもっているのもののなかに、男の方々が尊重してくださる価値以外に、なにかだいじなものが認められるはずがあるものなのかしら? たとえそれが偉い道学者であるにせよ、どんな女だって、とても男の方と対等になれるわけはありませんわ。わたくしたち女の上を踏みにじり、わたくしたちを殺し、わたくしたちのために、ご自分たちの生活をわずらわされないようになさればいいのです。死ぬのはわたくしたち、偉大に誇り高く生きるのはあなたがたですわ。あなたがたからわたくしたちには短刀が、わたくしたちからあなたがたには愛と許しが、受け渡されるのですわ。太陽の光線を浴び、太陽の光で生きている羽虫のことを、太陽がいちいち気にかけるかしら? 羽虫は可能なだけ生きて、太陽が消えれば、すぐ死んでしまうか……」
「さもなければ飛びさってしまうか」彼女の言葉をさえぎって、私はそう言いました。
「さもなければ飛びさってしまうか」彼女が男性にあたえている奇妙な権力を、思いきり利用しようと決心した男の心さえひるませるような冷淡な口調で、彼女はまた話しだしました。「貞節というバターを塗りつけたパンを男の方の口に無理に押しこんで、信仰と恋愛は両立しないと納得させようとするなんて、それが女にふさわしいことだとお思いになって? じゃあ、わたくしは神にそむいた女なのかしら? 恋愛は受けいれるか、拒むかのどちらかしかありませんのよ。それなのに、拒んでおきながらしかも道学をふりまわすなんて、二重の刑罰ということになりますし、そんなことはあらゆる国の法律に反することですわ。ここなら、あなたは、アラベルという侍女の手で用意されたすてきな|サンドウィッチ《ヽヽヽヽヽヽヽ》だけ召しあがってればよろしいのよ、そのアラベルに道学があるとしたら、どんな男の方もまだ味わったこともないような愛撫、天使が教えこんでくれる愛撫を考えだすことだけですものね」
イギリスの女性の弄する冗談ほど破壊的なものを私は知りませんし、イギリスの女性はそういう冗談に滔々《とうとう》としたまじめな調子をふくませたり、イギリス人が自分たちの偏見にみちた生活の極端な愚劣さを包みかくす道具にしている、あの大げさな自信たっぷりの態度を伴わせたりするのです。フランス人の冗談はいわばレースの飾りのようなものであり、女性たちはそれを使って、自分が人々の心によびさます喜びや、自分がまきおこす争いを美しく飾りたてる術を心得ています。それは彼女らの凝《こ》った身なりと同じように優雅な、精神の装飾品なのです。ところが、イギリス人の冗談はいわば酸のようなもの、ふとぶつかった人々をことごとくすっかり腐蝕させてしまって、洗いざらしの骸骨《がいこつ》をつくりだす酸のようなものなのです。機知に富むイギリスの女性の舌は、自分では戯《たわむ》れているつもりでいるくせに、肉を骨ごと食いとっていく虎の舌そっくりです。いわば≪たったそれだけのことかね?≫と、いかにも嘲笑的に言ってのける悪魔の全能の武器とでも言うべきそういう嘲笑が、おもしろ半分に切りひらく傷口のなかには、致死の毒が残されることになるのです。その夜、アラベルは、さながら自分の技倆《ぎりょう》のほどをためすために、罪もない人々の首を刎《は》ねて悦にいっているトルコの皇帝のように、その力のほどを見せつけようとしました。
「ねえ」幸福以外のものをいっさい忘れてしまうあの半睡状態に私をひきいれると、彼女はこう話しかけてきました。「いま道学を考えてみましたのよ、わたくしのほうでもね! あなたを愛すると罪を犯すことになるのかしらとか、自分が神の掟にそむいているのかしらなどと、よく考えてみたのですけれども、これほど敬虔でこれほど自然なことはないということが、わたくしにもよくわかりましたの。その人々を崇《あが》めるべきだということを、わたくしたちに教えるためでないとしたら、なぜ神さまが他人より美しい人間をおつくりになったりするのでしょう? あなたを愛さなければ、それこそ罪になってしまいますわよ、だって、あなたは天使でいらっしゃるのではなくて? あの奥さまはあなたと他の人々をいっしょくたにしたりして、あなたを侮辱しているのですわ、道学の掟などあなたには当てはまりませんし、神さまはあなたをあらゆるものよりも上に置かれたのですわ。あなたを愛するということは、つまり神さまにいっそう近づくことなのではないでしょうか? 聖なるものをほしがるというかどで、神さまがかわいそうな女を憎んだりなさるでしょうか? 広大で輝かしいあなたのお心はほんとうに空そっくりなのですから、わたくしなど、ただもうまごまごするばかりなのですわ。まるで宴席のろうそくの火に飛びこんで焼け死ぬ羽虫のように! そういう羽虫にむかって、まちがえたからといって罰を加えたりするものかしら? それに、まちがいと言えるのかしら? それは光にたいする崇高なあこがれではないのかしら? 羽虫は信仰が深すぎるあまり身を滅ぼしてしまうのですわ、もっとも、愛するものの首に抱きつくことをしも、身を滅ぼすと言うのならばですけれど。わたくしには、あなたを愛するという弱さがありますけど、それにひきかえて、あの方には、カトリックの礼拝堂に踏みとどまっていられる強さがありますのね。だめ、眉《まゆ》をひそめたりなさらないで! わたくしがあの方を憎んでるとお思いになって? いいえ、とんでもありませんわよ! わたくし、あの方の道学を尊敬しておりますの、あなたを自由にしておくようにとあの方に勧告した道学、そしてわたくしがあなたの愛情をかちとり、あなたをいつまでもそばにひきとめておけるようにしてくれた道学を。だって、あなたはいつまでもわたくしのものですものね、ねえ、そうなのでしょ?」
「ええ」
「いつまでも?」
「ええ」
「もう一つ申しあげさせていただけますでしょうか、皇帝さま? あなたにどんな値打ちがあるかを見ぬいたのは、このわたくしだけでしてよ! あの方は土地の開拓法を知ってらっしゃる、あなたはそうおっしゃいましたわね? わたくしなら、そんな知識は小作人にまかせておきますわ、わたくし、あなたのお心を開拓するほうが好きですもの」
この女性の姿をあなたの前にはっきり描きだし、この女性について私の述べた言葉の正しさを証しだてるために、さらにはそのことによって、あなたにも最後の結末の裏側の事情にすっかり通じていただくために、私はこうしたうぬぼれをよびさますような饒舌《じょうぜつ》を思いだそうと努力したわけなのです。けれども、あなたもよく知っておられるはずの、この種の甘ったるい言葉に添られるさまざまの伴奏については、いったいどんなふうに描写すればいいのでしょう? それは、私たちの夢想が描きだすもっとも途方もない幻想にもくらべられる狂態であり、あるときは、あの私の花束のそれにも似た創造となることがありました。すなわち、優雅さが力と一つに結びついたり、優しさとその物憂い緩慢さとが、火のような激情の奔騰《ほんとう》と対照しあったりするわけなのです。またあるときは、私たちの官能の協和にあわせて、巧妙きわまる漸層《ぜんそう》法の楽調にも似たものが奏でられることもあるのです。つぎにはまた、もつれあう蛇を思わせるような身のくねりが出現します。そして最後には、このうえなく楽しそうな思いに飾られたこのうえなく甘い言葉が、つまり精神が官能の喜びに添え得る詩情にみちたものが、ことごとく撒《ま》きちらされるのです。その激情にみちた恋の雷撃の力で、彼女は、アンリエットの清純で静けさにみちた魂が私の心のなかに残した印象を、なんとか抹殺したいものと願っていたわけなのです。侯爵夫人のほうでも、モルソーフ夫人が彼女のことを見ぬいたのと同じように、伯爵夫人をよく見ていたのです。彼女らは二人とも、相手を正しく批判しあったのでした。
アラベルの浴びせかける攻撃のすさまじさによって、恋敵にたいする彼女の不安な気持ちやひそやかな賛美の念の深さにほどを、私ははっきりと悟ることができました。朝になって私の目にとまったのは、目にいっぱい涙をためた、そして一睡もしていない彼女の姿でした。
「どうしたのです?」と私は尋ねました。
「こんなに激しく愛していては、自分のためによくないのではないかしら」彼女はそう答えました。「わたくし、なにもかも捧げつくしてしまいました。わたくしなどよりはずっとお上手ですから、あちらの女性は、あなたがほしがるかもしれないなにかを、まだ自分のなかにもってらっしゃいますわ。あなたはあの方のほうがお好きでしたら、どうかもうわたくしのことなど考えないようになさいませ。わたくし、自分の悩みや後悔や苦しみでもって、あなたにわずらわしい思いをさせるつもりはありませんもの。そうですのよ、わたくし、あなたから遠く離れたところへいって死にますわ、生気をふきこんでくれる太陽を失った植物のように」
彼女は私の口から愛を誓う言葉をひきだすことに成功し、その愛の誓いの言葉によって、彼女の心には喜びがあふれてきました。じっさいのところ、朝がた涙を流す女にむかってなにが言えるでしょう? そんなとき、苛酷な態度をとるのは恥ずべきことだと私には思われます。前夜彼女の言葉に逆らわなかったのなら、翌日は嘘をつかざるを得ないのではありますまいか、なぜならば、≪男性法典≫は私たちにたいし、女性への礼儀として、嘘をつくことを義務と定めているのですから。
「それならば、わたくしだって思いやりのある女ですもの」彼女は涙をふきながらそう言いました。「さあ、どうぞあの方のそばへお帰りになってくださいな、ここにいてくださるなら、わたくし、自分の愛の力であなたを強いるのではなく、あなた自身のご意志でそうなっていただきたいのよ。またここへもどってきてくださったら、わたくしがあなたを愛しているのと同じくらい、あなたもわたくしを愛してくださっているのだと思いますわ、いままで、そんなことはとてもあり得ないことのような気がしつづけていましたけれども」
彼女はクロシュグールドへ帰るように、私を説きふせてしまいました。これから踏みいろうとしている立場の奇妙なゆがみは、幸福をいっぱいに詰めこんだ男には、とうてい見ぬくことのできないものでした。クロシュグールドへいくことを拒めば、ダッドレイ夫人のアンリエットにたいする勝利を決定づけることになったわけです。そうすれば、アラベルは私をパリへ連れていくでしょう。ところが、逆にクロシュグールドへいくとなると、これまたモルソーフ夫人を侮辱することになるわけではありますまいか? そうなれば、私はいっそう確実にアラベルのもとへ帰ってくることになるはずです。こんなふうな愛情侵害罪を許した女が、かつてあったでしょうか? 天上からおりたった天使でないかぎり、そしてまた天上へおもむく浄化された霊魂でないかぎり、恋する女というものは、恋人が他の女によって幸福にされている姿を見るより、臨終《りんじゅう》の苦悶《くもん》にあえぐ恋人の姿を見るほうが、ずっと好ましいと思うでしょう。そういう場合、愛していればいるほど、いっそうふかく傷つけられることになるわけなのですから。その二つの面からこんなふうに眺めてみると、いったんクロシュグールドを出てグルナディエール荘へきてしまった以上、私の立場というものは、いわば選りぬきの恋にとって致命的であり、と同時に偶然の恋にとっては有利なものになるわけでした。侯爵夫人は念いりな考え深さでもって、すべてを計算していたのでした。のちに彼女が告白したところによると、もしモルソーフ夫人のほうから荒野へ会いにこなかったら、クロシュグールドのまわりをうろついて、私の体面を汚してやろうと考えていたのだそうです。
伯爵夫人のそばへ近よっていって、まるで苦しい不眠に悩まされた人のように血の気を失って衰弱しきった姿を目にした瞬間、私は、突如としてあの触覚ならぬ嗅覚《ヽヽ》――大衆の目にこそどうでもよいものに見えはすれ、高貴な魂の裁きに従えばまさしく罪深いものとされる行為がおよぼす影響のひろさを、まだ若々しく寛大な心をいだく人々にまざまざと感じとらせてくれるあの嗅覚を、突如としてはたらかせたのでした。すると、たちどころに、あたかも遊んだり花を摘んだりするうちについ深い穴の底へおりてしまった子供が、もういちど上までのぼることが不可能だと気づいて不安に襲われ、遠くのとても踏破できぬ距離のかなたにしか人里がないことに気がつき、やがて夜になると一人ぼっちだということをしみじみと感じ、野獣の咆哮《ほうこう》を耳にしているかのように、私たち二人がちょうどそんな子供のように、ある一つの世界によって完全にひきはなされてしまったことを、私ははっきりと悟ったのでした。私たち二人の心にはすさまじい叫喚《きょうかん》がまきおこり、聖金曜日、救世主キリストの息が絶えた時刻に、つまり宗教が初恋であるような若い人々に魂も凍りつく思いをさせるあの無残な場面が起こった時刻に、諸所方々の教会で叫ばれるあの悲痛なコンスマトゥム・エスト〔わがこと終えり〕の響きにも似たものが、湧きあがってきました。アンリエットの幻影はことごとくただ一撃のもとに死にたえ、彼女の心は一つの受難の苦しみを味わったのでした。快楽からあれほど敬遠され、快楽のしびれるような襞《ひだ》をまきつけられたことのない彼女も、今日こそ幸せな恋の官能の喜びをはっきり見ぬいて、それでその視線を私に拒もうとしたのでしょうか? というのも、六年前から私の生命の上に輝いていたその光を、彼女はそのとき私から奪いとってしまったのですから。私たちの目からあふれでる光の源泉は私たちの魂のなかにあり、その光は私たちの魂にとっては、ちょうどなにもかも話しあう猜疑《さいぎ》心のない二人の女と同じように、互いにふかくまざりあったり、一つに溶けあったり、かと思うとまた離れたり、戯れあったりするための道路の役をしているのだということは、彼女もちゃんと知っていたのでしょうか? 激しい恋の愛撫などまったく知らぬこの屋根の下に、快楽の翼によって色さまざまの粉を撒きちらされた顔を運びこんだ過失を、私は悲痛な思いで感じとりました。もし、前夜、ダッドレイ夫人をあのまま一人でいかせたら……おそらくはアンリエットが私を待っていたクロシュグールドへ、あのまま帰ってきたら……おそらくはまた……けっきょくのところ、おそらくはモルソーフ夫人にしたところで、それほどつれなく、私の姉になろうと言いはりはしなかったでしょう。ともあれ、彼女はどんな心づかいをみせてくれる場合でも、ことさらに大|袈裟《げさ》なやりかたをひけらかそうとし、強引に自分の役割にはまりこんでしまって、そこからぜんぜん出ようともしなくなりました。昼食のあいだも、彼女は私のためにはじつにいろいろと気をつかってくれるのでしたが、それもこちらを見くだすような気のつかいかたで、まるで憐れみをかけている病人を扱うかのように、私の世話をするのでした。
「ずいぶん朝早く散歩をなさいましたね」伯爵は私にそう言いました。「それじゃあ、すごく食欲がおありにちがいないですな、あなたはべつに胃をこわしてるわけでもありませんし!」
この言葉は、伯爵夫人の唇に悪い姉のような微笑をうかばせこそしませんでしたが、私の立場の滑稽さをはっきり悟らせてくれました。昼はクロシュグールドに、夜はサン・シールにいるなどということは不可能です。アラベルは、私の心のこまやかさとモルソーフ夫人の魂の気高さを頼みにしていました。この長い一日のあいだに、久しく欲望の対象として考えてきた女性と友だちの関係になるのはどんなに難しいことか、私はしみじみと痛感しました。こうした移行は、何年にもわたって準備されてきた場合にはたいへん簡単ですが、若い年代の者にとっては一種の病気になります。私は恥ずかしくなり、快楽を呪い、モルソーフ夫人が私を殺してくれればいいのにとまで思いました。夫人にむかって恋敵の悪口を並べたてることはできませんでしたし、夫人のほうでもその話は避けていましたし、それにアラベルのことを悪く言ったりすれば、心のいちばん奥底の襞《ひだ》にいたるまで美しく高貴なアンリエットを軽蔑するような、恥ずべき行為になってしまいます。五年間の深い喜びにみちた親密さのあげくに、私たちはいまなにを話しあったらいいのかわからなくなっていました。私たちが口にする言葉は心と裏腹でした。私たちはお互いに悲痛な苦しみを隠しあっていたのです、いつも苦しみを忠実な代弁者としてきたその私たちが。アンリエットは、自分にたいしても、また私にたいしても、ことさら嬉しそうな態度を装っていましたが、心のなかでは悲しんでいました。なにごとにつけても私の姉だと称しているにもかかわらず、また女性であるにもかかわらず、彼女は会話をつづけていくためになにひとつ思いつくこともできず、私たちは大部分の時間をぎこちなくだまりこんでいました。彼女が自分一人があの夫人の犠牲者だと思いこんでいるふりをするので、私の内心の苦衷《くちゅう》はいっそう高められるのでした。
「ぼくもあなた以上に苦しんでいます」この姉がふといかにも女性的な皮肉をもらしたさいに、私はそう言いました。
「なんですって?」女性が自分の感情の強度を相手より低く見られた場合に示すあの尊大な口調でもって、彼女はそう答えました。
「でも、すべてぼくが悪いんです」
そのうち、伯爵夫人が私にたいして冷たく無関心な態度をとって、私の気力をくじきさった瞬間が訪れました。そのために、私はもう発《た》とうと決心しました。夕方、築山《つきやま》の上で、そこに集まった家族の人々に私は別れを告げました。みんなは球戯場のところまで送ってきてくれましたが、そこで私の馬がいらいらと地面を蹴《け》あげているので、みんなはそのそばから離れました。しばらくして私が手綱《たづな》をとると、彼女は私のそばにやってきました。
「二人だけで、歩いて、並木道のほうへいきましょう」と彼女は言いました。
私は彼女に腕を貸し、私たちはあたかも一つに溶けあった二人の動作を味わおうとするかのように、ゆったりした歩調で歩きながら、中庭から外へ出ていきました。そんなふうにして、やがて外側の囲いの一角をとりかこむ木立のところに着きました。
「お別れですわね」ふと歩みをとめ、頭を私の胸に、両腕を私の首のまわりに投げかけながら彼女はそう言いました。「お別れですわね、これでもうお目にかかることもありませんのね! 神さまは、未来を見通す悲しい力をわたくしに授けてくださいました。いつぞや、あなたがたいへんごりっぱになって、たいへん若々しいお姿でお帰りになったとき、そして今日こうしてクロシュグールドを去られてグルナディエール荘へいらっしゃるのと同じように、あなたがむこうをむいてらっしゃるお姿がわたくしの目に見えたとき、あのとき、わたくしがとても恐ろしい気持ちに襲われたことを覚えてらっしゃるかしら? ところが、もういちど、昨夜、わたくしは、わたくしたち二人の運命をちらっと目にとめることができましたの。いまこうしてお話ししているのが、これがほんとうに最後なのですわ。わたくし、あとのほんのちょっとしかあなたとお話しできませんの、なぜって、このつぎあなたとお話しするときには、もう完全にわたくしではなくなっているでしょうから。わたくしのなかのなにかが、もう死に冒されてしまっておりますの。ですから、あなたがあの子たちから母親を奪ってしまうことになるのですわ、どうぞあの子たちのそばで母親のかわりになってやってくださいませ! あなたならそれがおできになります! ジャックとマドレーヌは、まるでいつもあなたのために苦しめられていたみたいに、あなたをとても愛しておりますのよ」
「死ぬだなんて!」彼女の顔をみつめ、そのきらきらと光る目の乾いた輝きをもう一度まざまざと見とどけて、思わずはっとしながら私はそう言いましたが、自分の親しい者がこのおそるべき病気に冒された経験をもたない人々にたいしては、黒びかりする銀の玉にでもなぞらえるよりほかに、この乾いた輝きがどんなものか想像していただくことはできますまい。「死ぬだなんて!……アンリエット、ぼくが命令します、生きていかなければいけませんよ。昔、あなたがぼくに誓いを求めたことがありましたね、だから今日は、ぼくのほうから誓いを立ててくださるよう要求します。オリジェに診察してもらって、すべて彼の指示に従うとぼくに誓ってください……」
「あなたは神さまの寛大なお心に反対なさるおつもりですの?」自分の気持ちが誤解された場合のあの憤りをまじえた絶望の叫びで私の言葉をさえぎりながら、彼女はそう言いました。
「あなたはぼくを愛していないから、どんなことでもぼくの意見にだまって従おうとはなさらないというわけですね、あのくだらない夫人とはちがって?」
「なんでもあなたのお望みのとおりにしますわ」思わず嫉妬に駆られて彼女はそう言いましたが、この嫉妬のために、彼女はそれまで侵すまいとしてきた距離を、一瞬にして踏みこえてしまったのでした。
「ぼくのほうがここにしばらく残っていますから」彼女の目に接吻しながら私は言いました。
そんなふうに同意してしまったことに自分ながらびっくりしたらしく、彼女は私の腕をすりぬけると、一本の木のところへいってもたれかかりました。それから、急ぎ足に、うしろをふりむこうともせずに家のほうへ帰っていきました。しかし、私がそのあとを追っていくと、彼女は涙を流して祈りの言葉を繰りかえすのでした。球戯場の芝生のところまできたとき、私は彼女の手をとり、尊敬の念をこめて接吻しました。この思いがけないすなおな態度が、彼女の心を動かしました。
「やはり、ぼくはあなたのものですよ!」と私は言いました。「伯母さまと同じような愛しかたで、あなたを愛しているのですからね」
すると、彼女は私の手を激しく握りしめながら体をふるわせました。
「あのまなざしで」と私はつづけました。「あのぼくたちの昔のまなざしでもういちど見てください!――すべてをすっかり捧げつくしてくれる女性でも」彼女の投げかける一瞥に心が照らしだされるのを感じながら、私はこう叫ぶのでした。「ぼくがいま受けとったほどの生気や気力をあたえてはくれません。アンリエット、あなたこそぼくのもっとも愛する女性なのです、たった一人の愛する女性なのです」
「わたくし、生きていきます!」と彼女は言いました。「でも、あなたもしっかり立ち直ってくださいませね」
そのまなざしのおかげで、アラベルの嫌味《いやみ》から受けた印象は消えさりました。つまり、私は前にもあなたにご説明した二つの両立しがたい情熱に翻弄《ほんろう》され、その二つの影響をかわるがわる受けていたわけです。私は天使と悪魔を愛していたのです。同じように美しい二人の女でありながら、一人はみずからの不完全さを憎むあまり私たちがともすれば傷つけがちなあらゆる美徳でもって、もう一人は私たちがエゴイズムから神のごとくに崇《あが》めがちなあらゆる悪徳でもって、飾りたてられているのでした。かつてうしろをふりかえりながら、じっと木にもたれて、ハンケチをふる二人の子供にはさまれている夫人の姿を眺めたことのある並木道、いまその道に馬を走らせつつ、自分がかくも美しい二人の女性の運命の絶対的支配者になっていることを知って、私は誇らしい気持ちがわいてくるのに気づきました。かくも異なった資格のもとにかくもすぐれた二人の女性の賛美の的となり、しかもその二人のそれぞれに、もし私がいなくなったら、死に襲われるほどの激しい情熱を掻《か》きたてていたのです。こうした一時のうぬぼれは、やがて二重に罰せられることになりました。まさにそうなのです! ともあれ、得体の知れぬ悪魔が、このままアラベルのそばにいて、アンリエットはあいかわらず愛しつづけていてくれるのだから、なんらかの絶望なり、伯爵の死なりによって彼女がこちらにひき渡されるときを待つように、と私に語りかけるのでした。彼女の苛酷な態度や、涙や、悔恨や、キリスト教徒らしいあきらめは、彼女の心からも私の心からも、とうてい消えがたい一つの感情の雄弁な名残りだったわけなのです。その美しい並木道に並足で馬を進め、そんなことを思いめぐらしていたそのとき、私はもう二十五歳の男ではなく、五十歳の男のような状態になっていました。一瞬のうちに三十歳から六十歳に移ってしまうのは、女性よりもむしろ若い男性なのではないでしょうか? 私がいっきにこうした邪念を追いはらおうとしたにもかかわらず、それが執念ぶかくつきまとったことは白状しなければなりません! おそらく、こうした邪念の根源は、チュイルリー宮殿の王室官房の羽目板の下にあったのかもしれません。ルイ十八世のお言葉によると、情熱というものは、不能という状態がかかわりをもってこないかぎり、つまり快楽に臨《のぞ》むその都度《つど》、最後の金を賭ける賭博者のようにならないかぎり、美しいものにも狂おしいものにもならないのだから、人間は老齢にさしかからなければ真の情熱をもてないものなのだそうですが、王のこの純潔の価値を踏みにじるような機知にいったい誰が抵抗できたでしょうか? 並木道のはずれまできたとき、うしろをふりかえってみると、アンリエットがたった一人で、まだそこにたたずんでいる姿が見えたので、私はまたたくまに並木道をもういちど駆けぬけました! 彼女にはその理由を知る由もない贖罪《しょくざい》の涙に泣きぬれながら、私は最後の別れを告げました。それは心の底からの涙、永久に失われたあの美しい愛にたいして、あの純潔な感動にたいして、あの二度とよみがえることのない人生の花々にたいして、それとは意識せずに注がれた涙だったのです。二度とよみがえらぬというのは、年をとるにつれ、男はもうあたえることがなくなり、ただ受けるだけになるからです。恋人のなかにも自分自身をみつけて、それを愛するものなのです。それに反して若い頃には、自分自身のなかに恋人をみつけて、それを愛します。年をとると、私たち男性は、私たちを愛してくれる女性にこちらの趣味や、おそらく悪徳までも植えつけてしまうのです。それに反して人生の門出のときには、私たちの愛する女性のほうで、美徳や高雅さを押しつけてくるものなのです。彼女が一度微笑してくれれば私たちは美へと招きよせられ、彼女の示す手本によって、私たちは献身ということを教えられます。おのがアンリエットをもたざりし男に禍《わざわい》あれ! ダッドレイ夫人のごとき女性をもたざりし男に禍あれ! そういう男が結婚すれば、後者は妻を手もとにひきとめておけないでしょうし、前者はたぶん恋人に捨てられるでしょう。しかし、ただ一人の女性のうちに両者を見いだす男は幸せです。ほんとに幸せです、ナタリーよ、あなたに愛される男は!
パリにもどると、私とアラベルは、以前よりもさらに親密になりました。しばらくすると、私たちは、それまで私が自分に課してきた世間的体面、それさえ厳重に守っていれば、ダッドレイ夫人の置かれている立場の曖昧《あいまい》さもときには人々から大目に見てもらえることもある世間的体面という掟を、いつのまにか破るようになりました。世間というものは、表むきの姿のむこう側にあるものを見ぬきたがるものですが、いったんその蔭に隠されている秘密を知ってしまうと、表むきの姿を正式のものと認めてくれるのです。上流の社交界のなかで生活するように強いられた恋人たちが、サロンの法規の要求するそういう柵をくつがえせば、それはかならずまちがいを犯したことになるわけなのでしょうが、これはつまり、風習によって強いられた約束ごとにきちんと従わないというまちがいなのです。こういう場合、問題は他人についてのことであるより、むしろ自分たち自身のことなのです。障害を克服しなければならなかったり、体面を保たなければならなかったり、芝居を演じなければならなかったり、秘密を隠さなければならなかったりという、これらの幸福な恋のなかのみじめさはかえって生活を忙しくさせ、欲望を新鮮にして、私たちの心を習慣による弛緩《しかん》から守ってくれます。しかし、本質的に浪費的なものである最初の情欲というものは、青年がそうであるのと同じように、自分の森の伐採《ばっさい》のしかたをきちんと整えようとせず、それを根こそぎ切り倒してしまうのです。アラベルは、そういうブルジョワふうの考えかたを認めていたわけではなく、私の気にいられたいために、それに従っているわけなのでした。自分の手にかける犠牲者を自分のものとして手なずけてしまうために、あらかじめ烙印《らくいん》を押しておく死刑執行人さながらに、彼女は私を|公然の秘密の男《ヽヽヽヽヽヽヽ》〔原文は花婿という意味のイタリア語が使われている〕にするために、全パリの人々の面前で私の評判を傷つけようとするのでした。ですから、しきりに持前の媚態を示して私を家へひきとめようとしました。なにしろ、彼女としては、証拠がないためにせいぜい扇《おうぎ》の蔭のひそひそ話の種にしかならないような艶聞《えんぶん》では、満足できなかったのです。自分の立場をあけすけに示してしまうような軽はずみなまねをして嬉しがっている彼女のようすを見て、どうして彼女の愛情を信じないでいられましょうか?
いったん不倫な婚姻の甘さにひたってしまうと、私は自暴自棄の思いに捕えられてしまいました。というのも、自分の生活が世間並の慣習やアンリエットの忠告の裏側でひきとめられてしまったことが、はっきりわかったからです。そこで、私は肺病患者が死期を予感して、自分の呼吸の音を調べさせまいとするときのような、一種の狂気じみた思いで生きていました。私の心の片すみには、そこに閉じこもればかならず苦痛を感ずる部分がありました。そこに一個の復讐の霊がひそんでいて、私にはとても深く究《きわ》める勇気をもてないような思いを、たえず投げかけてくるのでした。アンリエットへの手紙のなかには、いつもこの心の病いのことを記しておいたのですが、それが彼女にとってはかぎりない苦痛の種になりました。≪あんなにたくさんの宝が失われたかわりに、せめてはご幸福になればと願っておりましたのに!≫、私がたった一度だけ受けとった返事のなかに、彼女はそう書いていました。それなのに、私は幸福ではなかったのです! 愛するナタリーよ、幸福とは絶対的なものであって、比較など許容しないはずのものです。が、最初の熱中が過ぎてしまうと、私はどうしてもこの二人の女性を比較せずにはいられなくなりましたが、それまで、私にはその対照を検討することなどできなかったのです。じっさいのところ、すべての偉大な情熱というものは、私たちの性格の上にたいへん重くのしかかってくるので、それはまず最初に性格の凹凸を踏みならして、私たちなりの欠点なり美点なりを形づくっている習慣の痕跡を埋めてしまうのです。けれども、しばらく経つと、互いにすっかり慣れきった二人の恋人のなかには、精神の容貌の特徴がふたたびあらわれてきます。そうなると、二人が互いに批判しあうようになりますし、性格が情熱にたいして反撥を試みるこの反動の期間には、往々にして反感が表面にはっきりとあらわれることがあり、そのために、浅薄な連中が人間の心の変わりやすさを非難するための武器とするあの恋人どうしの心の離反が、準備されはじめるのです。私たちのあいだには、その時期がはじまったわけでした。もうさほど誘惑に目をくらまされることもなかったので、そしていわば自分の快楽を仔細《しさい》にわたって調べあげたために、私はおそらくはそんなつもりもなく、ダッドレイ夫人を傷つける検討を企てたわけでした。
私はまず、彼女のなかに、あらゆる女性のなかからとくにフランス女性を区別する才気、生活上のさまざまな偶然の事情から、各国のそれぞれの愛しかたを直接に経験した人々の告白によれば、フランスの女性を恋人をしてはもっともすばらしいものにしているあの才気が、欠けていることに気づきました。フランスの女性は、恋をすると一変してしまいます。あまねく賛美の的となっているその独特の媚態を、彼女は恋を飾るために使い、その危険きわまる虚栄心は犠牲にして、いっさいの意図をふかく愛することにむけるようになります。恋人の利害、憎悪、友情をすっかり背負いこみます。たった一日のうちに事業家の老練な巧妙さを獲得し、≪法令集≫を研究し、金融の機構を理解し、どこかの銀行家の金庫を籠絡《ろうらく》します。そそっかしくて濫費家でありながら、もはやただ一つのまちがいもせず、ただ一枚のルイ金貨も無駄には使いません。同時に母親にもなり、家政婦にもなり、医者にもなれますし、しかもそうしたありとあらゆる変貌に、いとも些細な細部にいたるまで無限の愛を示すさも幸福そうな優雅なおもむきを添えるのです。各国の女性を賛美に値いするものとしている特殊な美点をすべてとりそろえ、才気によってこの混合物に統一をあたえるのです。あらゆるものを活気づけ、許容し、弁護し、多才ならしめる種《たね》、そしてたった一つの動詞の第一時制にばかりもたれかかっているある一つの感情の単調さ〔aimer(愛する)の直接法現在形ばかり使いがちな単調な愛情表現法を指す〕を一掃するフランス独特の種《たね》である才気によって、フランスの女性は、休みなしに、疲れることもなしに、衆人環視のなかでも、一人ぼっちのときにも、いつも愛しています。衆人環視のさいには、一人の耳にしか響かぬ語調をみつけだし、沈黙そのものによって話しかけ、伏目《ふしめ》のままこちらをみつめることも辞しません。たまたま言葉も目も禁じられたような場合には、砂を使い、その上に足跡を刻んで胸の思いを書きしるそうとするでしょう。一人ぼっちでいるときには、睡眠中にさえその情熱を表現します。要するに、彼女は世間をその恋に折れあわせてしまうのです。
それに反して、イギリスの女性は恋を世間に折れあわせるのです。教育を通してあの冷やかな習慣を、つまり前にもあなたにお話ししたあのたいへん利己的なブリタニア式の態度をいつも保ちつづけるように慣らされているので、イギリスの女性は、イギリス製の機械のような容易さで心を開いたり閉じたりするのです。端倪《たんげい》すべからざる仮面をもっていて、それを冷静に着けたりはずしたりするのです。誰の目にもとまっていないときにはイタリアの女性のように情熱的なのに、世間というものが介在すると、たちどころに冷やかにもったいぶるのです。そこで、もっとも熱烈に愛されている男でさえ、イギリスの女性が閨房から出てきたときの特徴であるはなはだしい無表情ぶりや、声の静かさや、落ちつきはらった完全に自由な態度を見て、自分の力について疑惑をいだくのです。そのとき、偽善は無関心にまで達していて、イギリスの女性はすべてを忘れさった状態にいるのです。まったく、恋愛を衣裳のように投げすてられる女性なら、それをあっさりとり変えることも平気だろうと思わせられるのです。こうして、一人の女がつづれ織を手で織るようにして恋愛をなじめ、それを中断し、またまたやりはじめる姿を見て自尊心を傷つけられ、男性の心に大波がたちさわぎだす場合、そこにはどんな激しい嵐がまきおこることでしょうか! こういう女性たちはあまりにも自分自身の主人になりきっているので、すっかりこちらのものになってはくれないのです。彼女は世間にたいしてあまりにも大きな影響力を認めているので、われわれ男性の支配力は全的なものになりきれないのです。フランスの女性なら忍耐づよい男をまなざしで慰めたり、なにか気のきいたからかいの言葉で訪問客への怒りをあらわしたりする場合でも、イギリスの女性の沈黙は絶対的なものであり、魂をいらだだせ、精神をじりじりさせるのです。こうした女性たちは、どんな場合でもたえず君臨しつづけようとばかりしますから、彼女らの大部分にとって、|上流社会の風習《ヽヽヽヽヽヽヽ》の万能ということが、快楽の上にまでおよんでいくにちがいありません。慎みを誇張する者は愛をも誇張するはずですが、イギリスの女性たちがまさにそうなのです。彼女らはすべてを形式のなかに詰めこんでしまいますが、彼女らの場合には、その形式への愛着もべつに芸術への愛を生みだすわけではありません。イギリスの女性たちがなんと言おうとも、フランスの女性の魂をイギリスの女性の理屈っぽく打算的な恋よりもはるかにすぐれたものたらしめている差異は、プロテスタンティスムとカトリシスムとの差によって説明がつきます。プロテスタンティスムはさまざまの信念を疑い、吟味し、そして殺してしまい、つまりは芸術と愛との死を招くのです。
社交界が支配する場所では、社交界の人々はそれに従わなければなりません。しかし、情熱的な人々はすぐさまそこを逃げだしますし、彼らにとってはそれは耐えがたいものなのです。ですから、ダッドレイ夫人が社交界というものなしにはすまされぬこと、そしてあのブリタニア式の変わりかたが彼女にとって日常|茶飯事《さはんじ》であることを発見したとき、私の自尊心がどんなに傷つけられたか、あなたにも納得していただけるだろうと思います。しかも、それも社交界からむりやりに押しつけられた犠牲というわけではなかったのです。そうではなく、彼女は互いに対立する二つの形態の双方において、ごく自然に自分を示せる女性なのでした。愛するときには、陶酔したように愛します。その点では、いかなる国のいかなる女性も彼女にくらぶべくもありませんでしたし、彼女はまさに全|後宮《こうきゅう》に匹敵しました。けれども、この夢幻劇めいた場面に幕がおろされると、その思い出にいたるまで追いはらわれてしまうのです。彼女はまなざしにたいしても、微笑にたいしても答えようとはしません。恋人でもなければ奴隷でもなくなり、さながら言葉づかいや腕のあげおろしにまるみを帯びさせざるを得ない大使夫人のようになり、その落ちつきはらったようすで相手をじりじりさせ、その格式ばった礼儀で相手の心を傷つけるのです。そんなふうにして、彼女は恋愛を熱中によって理想にまでたかめるのではなく、たんなる必要事に低下させてしまうわけなのです。彼女は不安、悔恨、欲望を口に出すことはありませんでした。しかし、一定の時刻がくると、彼女の愛情は突如として点火された炎のように燃えあがって、いつもの慎みぶかさを侮辱しているかのようにみえるのです。いったい、この彼女のなかの二人の女性のどちらを信ずべきだったのでしょうか?
そんなとき、私は、数しれぬ針に刺されるような思いで、アンリエットとアラベルを隔てる無限の差異を感ずるのでした。私のそばからしばらく離れていくような場合、モルソーフ夫人は、あたりの空気に彼女のことを私に語っていてほしいと任せていくように思えました。彼女が立ちさっていくときには、その衣裳の襞《ひだ》が私の視線に語りかけましたし、同じように彼女がもどってくるときには、その小波《さざなみ》のような衣《きぬ》ずれの音が、さも楽しげに私の耳もとまで達してくるのでした。彼女が目を伏せながらまぶたをそっとひろげるしぐさには、かぎりない優しさがこもっていました。彼女の声、あの音楽のような声はいわばたえまのない愛撫でした。彼女の話しぶりにはいつも変わらぬ思いが示されていましたし、彼女はいつでもちっとも変わりませんでした。一方は熱烈でもう一方は冷却しきったというような、そんな二つの雰囲気に心を分割することもありませんでした。要するに、モルソーフ夫人はその才気といちばんだいじな心の動きとを、さまざまな感情の表現のためにとくにとっておいて、子供たちと私にたいしては、心のなかで女らしい色香をただよわせるのです。しかるに、アラベルの才気は、生活を愛すべきものとする上にはちっとも役立ちませんし、彼女がそれを私のために発揮してくれるわけでもありませんでしたし、それはただ世間というものによって、世間というもののために存在するだけであり、彼女はもっぱら嘲笑をこととするにすぎませんでした。彼女は私を楽しませるためではなしに、自分の趣味を満足させるために、好んで人を中傷したり、辛らつに批判したりするのでした。モルソーフ夫人ならば、自分の幸福をあらゆる人々の目から隠そうとするでしょうが、アラベル夫人のほうは、自分の幸福を全パリの人々の前に示したがり、しかもおそろしくもったいぶったようすで、私といっしょにブーローニュの森を得々と歩きまわりながらも、世間的体面のなかにおさまっているのです。このひけらかすような態度とすましこんだ態度との、愛情と冷淡さとのまざりあいのために、純真であると同時に情熱的でもある私の心は、たえず傷つけられてばかりいるのでした。そして、そんなふうにある温度から別の温度に移ることは私にはできませんでしたから、私の気分は憤懣に燃えてばかりいるのです。彼女のほうが世間的なつつましさをとりもどしているようなときに、私のほうはまだ愛に胸をときめかせているというしまつなのです。
私がついに不満を述べようと思いたち、それもたいへん慎重な言いかたで切りだすと、彼女は自分の情熱についての誇大な表現と、さきほどあなたにご説明しようと努めたあのイギリスふうの冗談とをまじえながら、逆に私にむかって毒舌を浴びせかけてくるのでした。私と考えが食い違うと、彼女はたちまち私の心を傷つけ私の精神を辱《はずか》しめて嬉しがったり、私をまるで捏粉《ねりこ》のようにこねまわしたりするのでした。なにごとにつけても守らねばならぬ中庸ということに関して意見を述べると、彼女はそれに反駁《はんばく》して、私の考えを極端にまで押しすすめて戯画化するのでした。私が彼女の態度を非難すると、全パリの人々の前で、たとえばイタリア座〔一八〇一年に創立されたイタリア歌劇を専門に上演する劇場。イタリア歌劇は十七世紀頃からフランスで大いにもてはやされたが、王政復古期にもこの劇場を中心としてフランスにおいて人気を博し、この劇場はパリの最高の社交機関の一つとなった〕かどこかで接吻してほしいのか、と問いつめてくるしまつです。彼女があんまり真剣にそう約束しようと言いはるので、人々の話題の的になりたがる彼女の気持ちを私はよく知っていましたから、彼女がほんとうにその約束を実行しはしまいかとびくびくしたほどでした。その真実の情熱にもかかわらず、アンリエットの場合のような静かな落ちつきにみちたもの、清らかなもの、深みのあるものは、私にはまるで感じられませんでした。彼女はまるで砂地のように、いつもみたされぬ思いでいるのでした。モルソーフ夫人はいつでも落ちついていて、ちょっとした語調とか、まなざしなどのなかからも私の心を感じとってくれるのにひきかえて、侯爵夫人のほうは、視線や握手や優しい言葉でもって、心を動かされることはけっしてありませんでした。いや、それどころではありません! 前夜の幸福も翌日になればもうなんでもなく、どんな愛の証拠も彼女を驚かすことはありませんでした。興奮や大さわぎや華々しさにたいしてたいへんな欲求をもっていましたから、なにものをもってしたところで、たぶん彼女のその種の理想にまでは達しなかったでしょうし、またそんなところから、彼女の狂おしい愛のための努力が生まれてくるわけでもあったのです。その途方もない思いつきにしても、彼女自身についてのものであって、私についてのものではありません。あのモルソーフ夫人の手紙、いまなお私の生活の上に輝く光であり、私の栄達のすべてについてたえざる警戒と不断の理解とを示すかたわら、もっとも貞淑な女性がいかにしてフランス女性のすぐれた天性に従い得るか、その従いかたを証しだてたあの手紙、あれを見ていただければ、アンリエットがどんなふうに心を配って私の物質的な利害や、政治上の交際関係や、精神的な獲得物のことを心配してくれたか、また許された部分で、どんなに熱心に私の生活を抱擁していたか、あなたにもきっとわかっていただけるにちがいありません。これらすべての点について、ダッドレイ夫人は、たんに一面識あるにすぎない人物のような他人行儀さを装っていました。私の身辺のことがらについても、栄達についても、仕事のことについても、生活上の障害についても、さまざまな憎悪のことについても、男の友人との友情についても、彼女はいっさい知ろうとしませんでした。自分のために浪費をしても、根が気前のよいほうではない彼女は、利害と恋愛とをいささか激しすぎるほどはっきりと区別していました。それにひきかえて、べつにそういう経験をしたことがあったわけではありませんが、私に不快な思いをさせないためとあったら、アンリエットは自分のためには探そうとしないものでも、私のためには探しだしてくれるだろうということも、私にはよくわかっていました。もっとも高い地位にあるもっとも富裕な人々をさえ襲うかもしれぬ非運、それは歴史が充分に証明しているところですが、万一そういう非運に陥った場合、私はアンリエットには相談するでしょうが、ダッドレイ夫人には一言も言わずに牢獄にひきたてられていくでしょう。
これまでのところ、二人の対照はもっぱら感情のことだけにとどまっていましたが、しかし事物のことについても対照はまったく同様でした。豪奢《ごうしゃ》というものは、フランスにおいてはつまり人間の表現であり、その人物の思想や特殊な詩情の再現なのです。そこには性格が描きだされ、恋人どうしの場合だったら、愛の対象という主要な思いを自分たちの周囲に輝かせることによって、ほんの些細な心づかいにまで価値を付与することになるのです。ところが、イギリスふうの豪奢というものは、とくにその凝《こ》りかたの繊細さで私を魅惑しましたが、これもまた機械的なものであって、ダッドレイ夫人はそこに自分の人柄をまったくつけくわえていませんでしたし、それは要するに使用人たちから生まれてくるのであり、買われたものにすぎなかったのです。クロシュグールドの数しれぬ優しい心のこもった心づかいは、アラベルの目からすれば、召使いのすることにみえたでしょう。召使いには各自それぞれの義務と専門がある、というわけです。最上の従僕を選ぶことは、まるで相手が馬である場合と同じように、家令の仕事なのです。この女性は使用人たちにいっこう愛着をもっていませんでしたし、かりにそのなかのいちばん貴重な男が死んだとしても、べつに心を動かされたりもせず、金にあかせて、別の同じように有能な男をあとがまにするだけだったでしょう。隣人にたいしてはどうかと言えば、彼女の目のなかに、他人の不幸を悼《いた》む涙がうかんでいるのを私はついぞ見とどけたこともありませんし、どうしても笑いの種にするしかない利己的な無邪気ささえもっていました。つまり貴婦人の赤い衣裳によって、こうした青銅づくりの天性が覆われていたわけなのです。夜ともなれば絨毯《じゅうたん》の上をころげまわり、恋の狂態のあらゆる鈴の音をひびかせる魅惑にあふれたエジプトの舞姫のような姿のおかげで、青年はたちどころに、この無情で冷酷なイギリスの女性と和解することになってしまうのです。したがって、私にしても、蒔《ま》いた種が無駄になるばかりで、いっこうに収穫をもたらすはずのないその凝灰岩《ぎょうかいがん》のごとき性格を、徐々に一歩一歩みつけていったにすぎないのです。モルソーフ夫人は、あのつかのまの出会いのうちに、一挙にそういう本性を看破《かんぱ》していました。私は、彼女の予言めいた言葉を思いだしました。アンリエットの言うことはすべての点で正しかったわけであり、アラベルの愛は私にとって耐えがたいものとなってきました。乗馬の上手な女性は大部分が愛情に乏しいものだということに、私はその後気がつきました。ちょうどあのアマゾンたち〔ギリシャ神話に語られている伝説の種族。男子が出生すると捨て児にする習慣をもち、全種族が女子だけで成りたっていた。この種族は乗馬術にすぐれ、騎射に便利なように右の乳房を焼きとる風習をもっていたという〕と同じように、そういう女にも片ほうの乳房が欠けており、彼女らの心臓は、それがどこなのか私にもよくわかりませんが、ある部分が凝《こ》りかたまってしまっているのです。
私がこの軛《くびき》の重さを感じはじめ、心身ともに疲れはてて、真実の感情が愛のなかに注ぎこむ清らかなものをはっきり理解した頃、そしてはるかに距離を隔てていたにもかかわらず、そのことごとくのバラの香りと築山《つきやま》の熱い空気を呼吸したり、夜鶯《ようぐいす》の歌声を聞きとめたりしながら、クロシュグールドの思い出に悩まされていた頃、つまり水量の減った流れの下から、奔流《ほんりゅう》の石だらけの河床が見えはじめたその不快きわまる時期に、私の上にある一撃が加えられることになったのですが、それが私の生活のなかにいまだに鳴りひびいているのです。なにしろ、時々刻々にその反響が聞こえ得るほどなのですから。私はそのとき国王陛下の居室で仕事をしていましたが、陛下は四時に外出される予定になっていました。ルノンクール公爵も出仕の番にあたっていました。公爵が部屋にはいってくるのを目にとめられると、陛下は伯爵夫人の消息をご下問になりました。私はだしぬけに顔をあげましたが、その顔のあげかたがあまりにも意味深長なものになってしまったのです。国王陛下はこの動作にご不快を感じられて、私のほうをちらりと一瞥なさいましたが、それはたいへんみごとに言ってのけられるあの手きびしいお言葉を前ぶれするまなざしでした。
「陛下、哀れなことに娘は死期が迫っております」公爵はそうお答えしました。
「陛下、わたくしに休暇をお許しくださいますでしょうか?」目に涙をうかべ、いまにも爆発しそうな逆鱗《げきりん》をあえて冒して私はそう申しあげました。
「ただちに駆けつけるがいい、イギリス貴族殿」陛下はそうお答えになって、一語一語に鋭い皮肉をこめて微笑され、ご自身の機知に免じてご叱責《しっせき》を許してくださいました。
父親である以上に宮廷人である公爵は、休暇をお願いすることもせずに、馬車に乗って陛下に随行していきました。運のいいことにダッドレイ夫人はちょうど外出中だったので、私は国王陛下の使者として派遣されることになったからと書きおいて、彼女に別れの言葉を告げずに出発しました。クロワ・ド・ベルニーのところまでくると、ヴェリエールから帰ってこられる陛下にお会いしました。奉呈された花束をいったんお受けとりになられたものの、すぐまた足もとに落としてしまわれて、耐えがたいほど深遠な王者の皮肉のみちた視線を私のほうに投げかけられましたが、そこにはさながらこんなお言葉がこめられているように思われるのでした。≪もし政治において一|廉《かど》の存在になりたいと思うならば、すぐ帰ってくるのだぞ! 死者との話しあいに興じていてはならぬぞ!≫公爵は私にむかって、手まねで悲しみを示しました。八頭の馬にひかせた二台の豪華な四輪馬車、金色に着飾った隊長たち、儀杖《ぎじょう》隊とその埃の渦巻は、≪国王陛下ばんざい!≫という叫び声のなかをたちまち通りすぎていきました。私はモルソーフ夫人の体が、自然が私たちの災厄《さいやく》にたいして示すあの無頓着さでもって、宮廷の人々に踏みにじられているような気がしました。たしかにりっぱな人物にちがいありませんでしたが、公爵はたぶん国王陛下のご就寝のあと、≪殿下≫〔ブルボン王朝においては、国王の現存する兄弟のうちの最年長者を≪殿下≫という称号で呼ぶことが、慣例になっていた。ここでは、ルイ十八世の次弟アルトワ伯、のちのシャルル十世のこと〕のホイストのお相手をしにいったことでしょう。公爵夫人はと言えば、ただ一人この婦人だけがダッドレイ夫人のことを娘に告げ口して、ずっと以前に最初の一撃を加えていたのです。
私の急ぎの旅はまるで夢のようでしたが、しかしそれは破産した賭博者の夢でした。私はなんの消息も受けとれなかったことで、すっかり絶望しきっていました。あの懺悔聴聞僧《ざんげちょうもんそう》が厳格な態度をさらに押しすすめて、私がクロシュグールドに近づくことを禁止するほどになったのだろうかと考えたり、マドレーヌやジャックやドミニク神父やあらゆるものを、はてはモルソーフ氏までをも非難したいと思ったりしました。トゥールの町を越え、サン・ソヴールの橋を渡ってポンシェに通ずるポプラ並木の道、かつて名も知らぬ恋人を探し求めて走りまわったとき、すっかり感嘆したあのポプラ並木の道をおりていこうとしたとき、私は偶然にもオリジェ氏に出会いました。彼のほうは、私がクロシュグールドへおもむく途中であることを察し、私のほうは彼がそこからの帰りみちであることを察しました。私たちはお互いに馬車をとめ、私のほうは容態《ようだい》を尋ねるために、彼のほうはそれを私に知らせるために、それぞれ馬車からおりました。
「それで、モルソーフ夫人はどんなぐあいなんですか?」と私は言いました。
「あなたがお会いになるまで、ご無事にもつかどうか疑わしいですな」彼はそう答えました。「夫人はひどい死にかたをされるのですよ、飢餓衰弱で死なれるわけですからな。六月にわたしが呼ばれたときには、もうどんな医術の力をつくしても、とても病勢を食いとめるわけにはいかぬ状態でした。なんともひどい徴候があらわれていましてね、この徴候のことは、たぶんあなたもモルソーフ氏からお聞きになっただろうと思いますよ、なにしろ、あの方はご自分がそれを患《わずら》っていると思いこんでおられるのですからな。その頃、伯爵夫人は、体の内部的な争闘に起因する機能障害の一時的な影響をこうむっているという状態ではなかったのです、それならば医学で処置できますし、その体の内部的な争闘がかえって快方にむかう原因にもなりますからね。あるいはまた、ごく初期の発作、いずれは混乱が回復するような発作に襲われているわけでもなかったのですよ。そうではなく、病勢は医術では役にたたぬ点にまで達していたのです。これはなにかの心痛からきた治療しようもない結果でして、ちょうど致命傷は短刀で刺された結果だというのと同じことなのです。この病気はある一つの器官の活動停止から起こったのですが、その器官の働きというのが、心臓の働きと同じ程度に、生命にとっては必要不可欠なのです。心痛が短刀の役目をはたしたわけですな。その点をおまちがえにならないようにしてください! モルソーフ夫人は、窺《うかが》い知れない苦しみのために死んでいかれるのです」
「窺い知れない苦しみですって!」と私は言いました。「子供は病気をしていなかったのですか?」
「ええ」いかにも意味ありげな態度で私の顔をみつめながら、彼は言いました。「それに、夫人が重態になられてからというもの、モルソーフ氏も夫人を苦しめるようなことはなくなりましたしね。わたしでももうお役に立たないのですよ、アゼーのデランドさんで充分です。どんな療法もありませんし、苦痛がほんとにひどいのですよ。お金があって、若くて、お美しいのに、おやせになって、飢えで衰えて死んでいかれるのですものねえ、なにしろ夫人は飢餓のために死なれることになるのですからな! 四十日いらいというもの、胃が閉塞《へいそく》されたようになってしまっているので、どんな形でおすすめしてみても、食物はいっさい受けつけないのですよ」
オリジェ氏は私のさしだした手を握りしめましたが、それが尊敬の念のこもったしぐさでしたから、ほとんど彼のほうから私に握手を求めたような格好になりました。
「元気をお出しなさい!」空を見あげるようにしながら彼はそう言いました。
その言葉には、苦痛にたいする同情があらわれていましたが、彼にしてみれば、私も夫人と同じように苦痛を分けもっていると思っていたのでしょう。彼は、自分の言葉に毒をもりこんだ針がひそんでいようとは気づきませんでしたが、その彼の言葉はまるで矢のように私の心臓に突きささったのです。私はいきなり馬車に乗りこんで、もし間にあうように着いたら、報酬《ほうしゅう》はうんとはずむからと馭者に約束しました。
焦慮《しょうりょ》に駆られていたにもかかわらず、たった数分間で着いてしまったような気がしたくらいで、つまり、私は心にひしめく数々の苦い思いにそれほど注意を奪われていたわけなのです。彼女が心痛のために死んでしまう、しかも子供たちは元気なのだ! では、彼女は私のせいで死ぬのだ! 脅かすような良心の声が、全生涯に渡って、いやときには生涯を越えてまで響きわたる論告に数えられるべきものを、そんなふうに読みくだしました。人間による裁きには、なんという弱点があり、なんという無力さがひそんでいるものなのか! なにしろ、その裁きというのは公然たる行為しか罰そうとしないのだから。ただ一撃のもとに人を殺す殺人者、寛大なことには睡眠中を襲って、そのまま永遠に眠らせてくれたり、あるいはまたふいに襲いかかってきて、臨終の苦しみを免れさせたりしてくれる殺人者にたいしては、なぜ死と汚辱《おじょく》があたえられるのか? 人の魂に一滴一滴と苦汁を注ぎこみ、その肉体をすこしずつ衰弱させてついには破壊しつくしてしまう殺人者にたいしては、なぜ幸福な生活があたえられ、なぜ敬意が払われるのか? 罰を受けぬ殺人者の数がなんと多いことか! 上品ぶった悪徳にはなんと好意が寄せられていることか! 精神的迫害にもとづく殺人罪にたいしては、なんという赦免《しゃめん》があたえられていることか!
なにか得体《えたい》の知れぬ復讐の手が、突如として、社会を覆っている色彩豊かな幕をあげてみせたわけです。私の目には、数多くのそういう犠牲者の姿がうかんできましたが、それはあなたも私と同様によく知っておられる人々です。たとえば、私の出発の数日前に、瀕死《ひんし》の状態でノルマンディーへ発《た》っていったボーセアン夫人〔夫人は恋人ダジュダ侯爵に捨てられ、傷心のあまりパリを離れてノルマンディーへ発っていく〕。世間的に汚名をこうむたランジェ公爵夫人〔モントリヴォー将軍との恋愛事件のため、パリの社交界から去ることを余儀なくされた〕。ダッドレイ夫人が二週間滞在していたあのささやかな家で死を迎えるために、トゥーレーヌまでやってきたあげく、あなたもご存じのように、なんとも慄然《りつぜん》たる結末によってむごたらしく殺されたブランドン夫人〔再出人物。イギリス貴族ブランドン卿夫人。夫に捨てられたのち、グルナディエール荘にウィレムセンス夫人の変名で隠れ住み、三十六歳で悲嘆のうちに世を去る〕。現代にはこの種の事件がじつにたくさんあります。嫉妬に、それもおそらくはモルソーフ夫人の死を招いたのと同じような嫉妬に打ち負かされて、みずから毒を仰いだあの哀れな若い娘〔再出人物の一人エステル=ヴァン・ゴプセックのこと。パリの有名な高利貸『ゴプセック』の曾孫姪にあたり、早くから社交界の裏面で娼婦生活を送る。その後リュシアン・ド・リュバンプレ(『幻滅』)の恋人となったが、リュシアンの保護者ヴォートランに操られてニューシンゲン男爵に身をまかせたため、リュシアンとの恋の夢が敗れて自殺する(『浮かれ女盛衰記』)〕のことを知らぬ人が、はたして誰かいるでしょうか? ちょうどアブに刺された花のように、みずからの純潔な無知の犠牲となり、さらにまたロンクロール〔再出人物の一人。ルイ・フィリップ治下になると名外交官として活躍する人物〕、モントリヴォー、ド・マルセー〔再出人物。ダッドレイ卿とヴォルダック侯爵夫人とのあいだに生まれ、のちにアラベル・ダッドレイの恋人となる。『人間喜劇』の種々の作品に登場する〕のごとき徒輩から、彼らの政治上の計画に役立つ男という理由で力を借りていた賎しむべき男の犠牲者となって、二年の結婚生活のうちに萎《しお》れはてたあの感じのよい乙女〔再出人物の一人オーギュスティーヌ・ド・ソンメルヴューのこと。パリのラシャ商の娘に生まれ、当時の一流画家テオドール・ド・ソンメルヴューと結婚したが、夫の変心のため悲惨な最期をとげる(『セザール・ビロトー』)〕の運命に慄然《りつぜん》としなかった人が、はたして誰かいるでしょうか? まことに貴族らしいりっぱなやりかたで夫の借財を支払ったあげく、いかに懇願されても決心をひるがえさず、ついに夫と再会しようとしなかったあの女性〔再出人物のひとりラ・シャントリー夫人のこと。ノルマンディー地方の名門の出である彼女は、ラ・シャントリー男爵と結婚したが、夫は革命時代に過激な革命派であったために投獄された。夫が入獄中献身的につくし、脱獄の協力すらしたが、夫はのちに重婚の罪を犯したり、厖大な負債をつくったりして、彼女に悲惨な生活を強いた(『現代史の裏面』)〕の臨終の哀話に胸をふるわせなかった人が、はたして誰かいるでしょうか? デーグルモン夫人はまさに墓場を目《ま》のあたりにしたのではなかったでしょうか、私の兄の配慮がなければ、彼女ははたして生きていたでしょうか?
世間も学問もこういう犯罪、そのための重罪裁判所のないこういう犯罪の共犯者なのです。まるで悲しみや、絶望や、恋や、ひそかな窮迫のために死ぬ人、どんなに養ってもいっこうに実を結ばず、たえず植え直しては根こぎにされつづけている希望のために死ぬ人など、この世に存在しないかのようです。新しい分類|語彙《ごい》表には気のきいた言葉があって、あらゆるものを説明してくれます。胃潰瘍《いかいよう》とか心嚢炎《しんのうえん》とか、その名称が耳もとでそっとささやかれる無数の婦人病などが、しばらくすれば公証人の手でぬぐいさられることになる偽善の涙に付きそわれた葬列にとって、ちょうど旅券の役目をはたすことになるのです。こういう不幸の奥底には、なにか私たちの知らない法則がひそんでいるのでしょうか? 百歳の人間というものは、仮借《かしゃく》なく地面に死をまきちらし、まわりの地面を干《ひ》あがらせてみずからを高めていかねばならないものなのでしょうか、百万長者が無数の小産業の努力の結果をみずからの手中に収めてしまうのと同じように? おとなしく優しい人間たちを餌食にする、有毒のたくましい生命とでもいったものがこの世にあるのでしょうか? ああ、悲しむべきことには、私は虎の種族にでも属していたのでしょうか?
悔恨は燃えるような指で私の心臓をしめつけ、私は幾筋もの涙の跡を頬にとどめながら、アンリエットの指示のもとに植えられたポプラの並木から枯葉が散りしきる、湿っぽくじめじめとした十月のある朝、クロシュグールドの並木道へ、かつて彼女が私を呼びもどそうとするかのように、しきりにハンケチをふっていたあの並木道へ、馬車を乗りいれたのでした。彼女はまだ生きているだろうか? うなだれた私の頭の上に、彼女は二つの白い手がそっと置かれるのを感じとることができるだろうか? 一瞬のうちに、私はアラベルからあたえられた快楽の代価をすっかり支払い、それがまこと高価に売りつけられたことに気づきました! 私はもう二度とアラベルには会うまいと誓い、イギリスという国を憎悪しました。ダッドレイ夫人はその種属のなかの一変種であるにすぎないのに、私は自分の判決の喪《も》のヴェールのなかに、すべてのイギリスの女性を包みこんでしまったのです。
クロシュグールドへはいったとき、私はまたもや新しい打撃を受けました。ジャックとマドレーヌとドミニス神父が、三人そろって、一つの木の十字架の下にひざまずいている姿が目にはいったのです。それは鉄格子《てつごうし》の柵ができたときに、邸の敷地のなかにとりいれられた地所の一隅に立てられたもので、伯爵も夫人もそれをとりのぞこうとしなかったのです。私は馬車から飛びだし、顔には一面に涙をうかべ、二人の子供と謹厳な人物とが神に祈っているその光景に胸のつぶれる思いを味わいながら、彼らのほうに近づいていきました。あの老調教師もちょっと離れたところに、無帽の姿でたたずんでいました。
「どうなんですか、いったい?」私はドミニス神父にむかってそう言いながら、ジャックとマドレーヌの額に接吻しましたが、二人とも私のほうに冷やかな視線を浴びせただけで、そのままお祈りをつづけるのでした。
神父は立ちあがり、私はその腕をとって寄りそいながら、こう尋ねました。
「まだもちこたえておられるのですね?」
彼は悲しげに、そして優しくうなずいてみせました。
「話してください、お願いします、主の受難の名にかけてお願いします! なぜ、あなたがたはこの十字架の下で祈っているのです? なぜ、ここにこうしているのです、あの方のそばにいないで? なぜ、こんな寒い朝なのに、子供たちが外にいるのです? さあ、なにもかも話してください、ぼくがなにも知らないせいで、禍《わざわい》の種をつくったりすることのないように」
「三、四日ほど前から、伯爵夫人は、きまった時間にしかお子さまがたにお会いになろうとなさらないのです。――あなたも」しばらく間を置いてから神父はまた言葉をつづけました。「たぶんモルソーフ夫人にお会いになるまでに、何時間かお待ちくださらねばなりますまい。夫人はすっかり変わってしまわれました! それでも、夫人にご対面の心がまえをしていただくほうがよろしいのです、あなたとお会いになれば、またいくぶんか苦痛が加わるかもしれませんし……死を迎えられることは、天の恵みかとも思われるくらいなのです」
私はこの神のごとき人物、そのまなざしも声も、他人の傷口を掻《か》きたてたりせずに、かえって優しくいたわってくれるこの人物の手を、しっかり握りしめました。
「わたしたちはここで、みんなであの方のためにお祈りをしているのですよ」彼はそう言葉をつづけました。「それと申すのも、じつに清らかで、じつにみごとに苦痛に耐えられ、すっかり死を迎える覚悟をしておられたあの方が、ここ三、四日ほど前から、死にたいしてひそかな恐怖をいだかれるようになり、生気にあふれている人々にむかって、まさしく生まれてはじめて、暗い嫉《ねた》むような感情のあらわれた視線を投げかけられるようになったからなのです。そういう迷いは、わたしの思うに、死への恐怖感よりもむしろ心のなかのある陶酔感によって、つまり萎《しお》れながらもひそかに醗酵《はっこう》しているお若い頃の花々、いまは色|褪《あ》せた花々によってひきおこされたらしいのです。そうなのですよ、悪しき天使がこの美しい魂を手中にせんものと、天なる神と争っているのです。奥さまは奥さまなりのオリーヴ山の戦いに耐えておられるのですし、人妻となったエフタ〔前十二世紀のイスラエルの法官。エフタはアンモン族との戦いに出陣し勝利を博したが、出発にさいしての神への誓いにしたがって、凱旋後ただ一人の娘を祭壇へ犠牲として捧げねばならなかった。ここではそのエフタの娘を指す〕のようなその頭上を飾りながら、一つまた一つと散っていく白いバラの花々の散りぎわに、涙を注いでおられるのですよ。とにかく、しばらくお待ちください、まだ姿をお見せにならないでください、あなたは宮廷の輝かしさをおもちこみになるわけですし、そのあなたのお顔の上に、あの方は社交界の華やかな饗宴の名残りをみつけられるでしょうし、あなたのせいで、あの方の悲嘆がいっそう強められもするでしょう。神でさえも、人間の姿となられた神の子イエスにそういう弱さをお許しになったのですから、どうかあの方の弱さをお気の毒に思ってあげてください。それに、わたしどもにしても、敵対する者もないところで戦いに勝ったところで、なんの手柄になるでしょうか? どうかあの方の懺悔聴聞僧かわたしに、すっかり衰えてあの方のまなざしのさしさわりにならないこの二人の老人におまかせになって、この思いがけないご対面の、そういう心を激しく動かされる場面の心がまえをあらかじめ固めていただくようにとりはからわせてください。ビロトー神父は、そういう場面をあきらめてくださるようにと申しておられたのですけれども。けれども、この世のことがらには、敬虔な人の目にだけは認められる、天なる神の張りめぐらされる目に見えぬ糸というものがありますし、あなたがここへおいでになったのも、ことによると、心の世界に輝いているあの神の星々、揺籃《ようらん》に導いていくと同時に墓場へも導いていくあの神の星々の一つに、誘われていらしたのかもしれません」
そこで、神父はまるで露のように心に沁みてくるしみじみとした雄弁をふるいながら、もう六か月も前から、オリジェ氏の手当のかいもなく、伯爵夫人は日毎に苦痛を増すばかりだったと話してくれました。二か月間、医師は毎晩クロシュグールドへやってきて、死の手からこの獲物を奪いとろうと試みたのでした。それというのも、伯爵夫人が≪わたくしの命を救ってくださいね!≫、と口にしていたからこそなのですが。
「しかし、体を直されるには、まず心のほうから直されておくことが必要でしたのに!」ある日、老医師はそう叫んだものでした。
「病勢の進行につれて、あんなにお優しい方の言葉が激しいものになってまいりました」とドミニス神父は言いました。「神にむかってお召しくださいと訴えられようとはせずに、大地にたいしてこのままひきとどめておいてほしいと叫ばれるのですよ。しかもつぎには、天なる神のご意志にそむく言葉をもらされたことを後悔なさるのです。それをかわるがわる繰りかえしておられるうちに、胸の張りさけるような思いをなさって、肉体と魂の争いがさらにすさまじいものとなっていくのですね。ときには、肉体が勝利を占めることもあるのです! ある日など、マドレーヌとジャックを寝台のそばから押しのけて、『あなたがたのためには、ほんとにずいぶん犠牲を払わされたわ!』と言ったりもなさいました。しかし、ちょうどそのとき、わたしの姿を見て神のことを思いだされたらしく、マドレーヌにむかって、こういう天使のようなりっぱな言葉をお述べになりました。『もう自分では幸福になれない人間にとっては、他人の幸福が嬉しいことなのよ』と。それに、その口調がいかにも胸に迫るものでしたので、わたしも思わずまぶたがうるんでくるように感じたほどでしたよ。あの方はときには倒れそうになります、それはたしかです。けれども、つまずかれるそのたびに、あの方はきちんと立ち直られて、いっそう天のほうへ近づいていかれるのです」
私のもとに偶然に送りとどけられたこの一連の知らせ、そしてこの数々の非運の大合奏のなかで、悲しみにみちた転調を奏でつつ葬送の主題の準備、つまり息絶えんとする愛の最後のすさまじい叫びの準備をもなしていたこの一連の知らせに胸を打たれて、私は思わずこう叫びました。
「ほんとにそう思われるのですか、あの美しいユリの花は、たとえ切りとられても、天国でまた咲きひらくだろうと?」
「あなたがお別れになったときは、まだ咲きひらいた姿のままでしたね」と彼は答えました。「しかし、今度ごらんになるあの方の姿は、苦しみの炎に焼きつくされ、清められて、まだ灰のなかに埋められたままのダイヤモンドのように、清らかなものなのです。そうですとも、あの輝かしい霊魂、天使の星のような霊魂は、まもなく燦然と雲間から脱けでて、光の王国へとおもむかれるはずなのです」
私が感謝の念に胸をしめつけられつつ、この福音をつたえてくれる人物の手を握っていたとき、伯爵がすっかり白くなった頭を家の外へ突きだし、すぐさま驚きの色をいっぱいにうかべた身ごなしでもって、私のほうへ走りよってきました。
「家内の言ったとおりだ! ほんとにきてくれたんだ。『フェリックスが、ほら、フェリックスがきてくれましたわ!』、家内がそう叫んだのですよ。ねえ、きみ」伯爵は恐怖のあまり気の狂ったような視線を私に投げかけながら、さらに言葉をつづけました。「死がここにやってきたのですよ。なんだって、死はわたしみたいな年よりの気ちがいをつかまえなかったのでしょうな、前にも一度手をかけたことのあるわたしを?……」
私は勇気を呼びおこしながら、城館《やかた》のほうへ歩いていきました。しかし、邸のなかをずっと貫いて、球戯場のところから正面の踏段のところまでつづく細長い控えの間の敷居のところで、ビロトー神父に呼びとめられました。
「伯爵夫人は、まだおはいりくださらぬようにと申されております」と彼は言いました。
家のなかのようすを一瞥すると、使用人たちがみんな忙しそうに右往左往し、悲嘆で心をいっぱいにしながらも、マネットの伝えるさまざまな言いつけにびっくりしているらしい姿が目にとまりました。
「いったいなにが起こったんです?」恐ろしいできごとを気づかう気持ちのせいもあり、またその性格から自然に出てくる不安のせいもあって、伯爵はその騒ぎにすっかり怯《おび》えてそう言いました。
「ご病人の気まぐれです」と神父は答えました。「伯爵夫人は、あの状態のままで子爵さまをお迎えしたくないとおっしゃるのです。身づくろいをなさると言われますので、べつに反対申しあげることもありませんし」
マネットがマドレーヌを呼びにいきましたが、やがていったん母親の部屋へはいってから、しばらくしてまた出ていくマドレーヌの姿が見えました。それから、ジャック、伯爵、二人の神父、私の五人がそろって、球戯場の芝生に面する家の正面に沿って黙々と歩きながら、やがて建物のはずれを通りこしました。私はモンバソンとアゼーを交互に眺めながら、黄ばんだ谷間の光景をじっと見まもっていましたが、そのときそこにただよっていた死の悲しみの気配は、いつもと同じように、私の心をゆりうごかす感情にぴったり即応するものでした。とつぜん、秋の花々を探しまわり、摘みとった花で花束をつくろうとしているらしいあの愛らしい娘の姿が、私の目にとまりました。私の愛の心づかいにたいするこの応答がなにを意味するかを考えているうちに、私の心のなかには、なんとも得体の知れぬ心の底からの衝動がわきおこって、私は思わずよろめき、目の前がまっくらになり、ちょうど両脇にいた二人の神父の手でそばの露台の縁石の上に運ばれていきました。そしてまるで気力を失ったようになって、とはいっても完全に意識をなくしたほどではありませんでしたが、しばらくそこにじっとしていました。
「気の毒にな、フェリックス」と伯爵が言いました。「家内からきみに手紙を出すことを禁じられていたんですよ、きみがどれほど家内に好意をもっているか、家内はよく知っているんですよ!」
苦しい思いをすることは覚悟していましたけれども、私のさまざまな幸福の思い出をことごとく圧縮したようなその心づかいにたいして、私はもう耐える力もありませんでした。
「あれなのだ」と私は考えました。「あの灰色の光に照らされた、骸骨のようにひからびた荒地なのだ、まんなかにたった一|叢《むら》だけ花が育っていて、いつか歩きまわっていた途中で思わず見とれはしたけれども、不吉な戦慄《せんりつ》を感ぜずにはいられなかったあの荒地なのだ、あれこそがこの悲痛な喪の時刻の象徴だったのだ……」
かつてはあれほどいきいきとしていて、あれほど活気にみちていたこのこぢんまりした城館《やかた》のなかで、いまやすべてが陰鬱となり、すべてが涙を流し、すべてが絶望と放棄を物語っていました。小径《こみち》は半分だけ掻《か》きならされたままになり、工事は手をつけられたものの途中で放棄され、職人たちは城館を眺めたまま呆然と立ちすくんでいるのでした。ブドウ園では取りいれが行なわれていましたけれども、なんの物音も話声も聞こえてきませんでした。ぶとう畑には誰もいないと思われるほど、深い静寂がみなぎっていました。私たちは、悲しみのために月並な言葉を封じられた人々のように歩みを進め、ただ一人だけ話しつづける伯爵の言葉に耳を傾けていました。妻にたいしていだいている機械的な愛情が言わせる言葉を述べたのち、伯爵はその気質の傾きに導かれて、夫人への愚痴《ぐち》を口にしはじめました。妻は養生《ようじょう》しようという気持ちがちっともなかったし、彼が適切な忠告をあたえてやってもまるで聞こうとしなかった、と彼は言うのです。伯爵はまっさきに病気の徴候に気づいていたが、それというのも、自分の体についてそういう徴候を研究し、ある摂生《せっせい》法以外にはなんの手当もせず、激しい感情はいっさい避けるようにしながら、たった一人でそれと戦いつづけ、とうとう直した経験があったからなのだ。だから、彼の力で伯爵夫人だって充分直してやれたはずだ。けれども、夫というものは、とくにあらゆることがらにおいて不幸にも自分の経験を軽んじられているような場合には、とてもそんな責任まで負いきれるものではあるまい。彼のさまざまな意見をきかずに、伯爵夫人はオリジェを主治医に迎えてしまったのだ。オリジェは、以前には彼にへまな治療をほどこしておいて、今度は妻を殺そうとしている。この病気が極端な心痛を原因とするものであるならば、彼こそこの病気を背負いこむあらゆる条件をそなえているのだ。ところが、妻の心痛といったところで、はたしてどんなことがあるのだろう? 伯爵夫人は幸福だったし、苦労も不満もありはしなかったのに! 夫妻の財産は、彼の配慮とすぐれた着想とのおかげで、まったく満足すべき状態に達している。彼は、夫人の思うままにクロシュグールドをとりしきらせたのだ。子供たちはきちんと育てたし、健康だし、もうなんの心配もなくなっている。それなのに、いったいどこから病気が起こったのだろうか? 伯爵はそんなふうに論じて、ばかげた非難の言葉に痛恨《つうこん》の思いの表現をまじえながら、話しすすめるのでした。それからまた、しばらく経つと、なにかある思い出に誘われて、この高貴な女性が受けるにふさわしい賛美の気持ちを呼びもどされ、もう久しいこと乾ききっていた彼の目から、数滴の涙がこぼれおちてくるのでした。
マドレーヌがやってきて、母が私を待っていると知らせてくれました。ビロトー神父が私のあとについてきました。厳粛《げんしゅく》な態度を装ったマドレーヌは、夫人が私と二人きりになりたがっているからと言って父親のそばに残り、さらにその口実として、たくさんの人々がそばにいては夫人が疲れるだろうからとつけくわえました。この瞬間の荘厳さのせいで、私の心のなかには、生涯の重大な状況にさいして私たちの心をくじけさせる、あの内部は熱く燃えているのに外部は妙に冷たい感覚が生まれでてきました。ビロトー神父は、神が柔和と純朴の衣をまとわせ、忍耐と寛容の心を授けられて、神ご自身の一党に属するものとして特徴づけられた人々の一人でしたが、その神父が私をそっと小脇へ連れていきました。
「ところで」と彼は言いました。「ご承知おきいただきたいのですが、わたしは人間の力でおよぶかぎりをつくし、この再会をなんとか阻止しようとしました。あの聖なる女性の永遠の救済のためには、ぜひそれが必要だったのです。わたしはあの方のことばかり考え、あなたのことは考えておりませんでした。あなたがあの方に、あなたにとっては、天使によって接近を禁じられていたはずのあの方に再会されようとしておられる現在、これはぜひお認め願わねばなりませんが、わたしがあなたから、さらにはおそらくあの方ご自身から、あの方をお守りすべく、お二人のあいだに立たせていただくことにいたします。あの方の弱さを尊重してあげてください。わたしは司祭として、あの方にご同情くださるようお願いしているのではなく、あなたにもたれることのなかった一人のつつましい友人、あなたに良心の呵責《かしゃく》の種を避けていただきたいと望む友人として、お願いしているのです。わたしどもの敬愛するご病人は、まさしく飢えと渇きのために死なれようとしておられます。今朝ほどから、そういうむごたらしい死を前ぶれする熱のための興奮に悩まされておられますし、それにわたしにもとても隠しようのないことなのですが、あの方はたいへん生命に執着しておられるのです。あの方の反抗する肉体から出てくる叫びは、わたしの胸のなかだけにしまっておくようにしておりますが、その叫び声は、いまだにわたしの心に残っているあの方の優しい声の谺《こだま》を痛めつけるのです。けれども、ドミニス氏とわたしは、そうした宗教的な務めをすすんで受けいれて、こういう精神上の死の苦悶のありさまをこの高貴な家族の方々の目から、もはや朝夕の星を認められなくなったこの家族の方々の目から、隠しておくようにしたわけなのです。なにしろ、ご主人も、子供さんたちも、召使いの人々も、みなさんが『どこにあの面影があるのだろう?』と尋ねられるくらい、それくらいあの方は変わってしまわれたのです。あなたの姿をごらんになれば、悲嘆がまたぶりかえしてきましょう。どうか社交界の方としての考えをお捨てになってください、愛情の虚栄もお忘れになってください、あの方のかたわらで、天上の補佐となってさしあげてください、地上の補佐ではなしに。あの聖なる女性が絶望の言葉をもらしながら、神への疑惑に捕えられつつ死を迎えられることなどないようにしたいものです……」
私はなにも答えませんでした。私がだまりこんでいるので、懺悔聴聞僧は気の毒にも呆然としていました。私は目で見ていましたし、耳で聞いていましたし、歩いてもいましたけれども、もはや地上に存在しないも同然でした。
≪いったいなにが起こったのだ? いったいどんな状態の彼女に会うことになるのだ、誰も彼もがこんなに予防線を張るなんて?≫、こういう考えから、茫漠としているだけにいっそう苦痛にみちた懸念《けねん》が生まれてきました。つまり、その考えのなかには、苦悩という苦悩がことごとく含まれていたわけなのです。
私たちは部屋のドアのところに着き、懺悔聴聞僧が不安に駆られながらそのドアをあけてくれました。すると、白い衣裳を着て、花をいっぱいに活《い》けたあの思い出の二つの花瓶を飾った暖炉の前に、小さな長椅子を置いて腰をおろしているアンリエットの姿が目にとまりました。そしてさらに、十字窓の前に置かれた小さな机の上にも花がありました。この即興的な華やかさととつぜんに昔の状態にもどったこの部屋の変化を目《ま》のあたりにして、ビロトー神父はすっかり唖然《あぜん》としていましたが、その彼の顔つきを見れば、臨終の迫ったこの女性が、病床のまわりのいとわし道具類を片づけさせたことが察せられました。彼女は、高熱にいまにも息絶えようとするなかから最後の力をふりしぼり、この瞬間にもなにものにもまして愛する男を、それにふさわしい形で迎えいれようとして、乱雑になった部屋を飾りたてたのでした。波うつレースの蔭から、すっかりやせほそり、なかば咲きかけた木蓮《もくれん》の花のような緑色がかった蒼白さを帯びた彼女の顔が、さながら肖像画の黄色の画布の上に白墨《はくぼく》で描きだした愛らしい顔のまず最初の輪郭《りんかく》のように、のぞいていました。けれども、禿鷹《はげたか》の爪がいかにふかく私の胸に突きささったか理解していただくために、この素描のうちで、目だけが完成されて生気にあふれていると考えてみてください、死にはてたような顔のなかで、落ちくぼんだ目だけがこの世ならぬ輝きをはなっているのだと想像なさってみてください。苦しみから奪いとった不断の勝利が装わせていたあの静かな気品は、彼女にはもはやそなわっていませんでした。ただ一個所だけ美しい均斉をとどめている額には、欲望に憑《つ》かれ、威嚇《いかく》をむりに押えた挑戦的な大胆さがあらわれていました。やせほそった顔は蝋のような色調を呈しているにもかかわらず、内部に燃えている炎は、さながら炎熱の日の野づらに燃えあがる液体のごとき輝きとなって、そこから噴きだしてくるのです。落ちくぼんだこめかみや痩《や》せこけた頬には、顔の内側の輪郭がまざまざと示されていますし、蒼白になった唇のあたりにうかぶ微笑は、なんとなく死の嘲笑にも似ています。胸のあたりで重ねあわせた衣裳も、あの美しかった胸部がやせほそったことを証しだてています。彼女の顔の表情には、自分がすっかり変わりはててしまったことを知って、そのために悲嘆にくれていることが充分に物語られていました。それはもはやわが魅惑にみちたアンリエットでもなければ、崇高にして清らかなるモルソーフ夫人でもありませんでした。それはボシュエの言う名づけられぬなにものか、虚無に抗してもがきつつ、飢えと裏切られた欲望とによって、死に反抗する生の利己的な戦いへと追いやられたなにものかでした。
私は彼女のかたわらに腰をおろし、その手をとって接吻しようとしましたが、それは燃えるように熱く、しかもかさかさに乾いた感じがするのでした。私は驚きを隠そうと苦心しましたが、彼女はその苦心するようすそのもののなかから、私の悲痛な驚きを読みとってしまいました。そして、彼女の色|褪《あ》せた唇が飢えに苦しむ歯を覆いつつ左右に伸びて、むりに微笑をつくろうと努力しましたが、それは私たちが復讐という皮肉な感情、快楽への期待、魂の陶酔、期待を裏切られた憤怒《ふんぬ》をすべて一様にその蔭に隠すあのつくり笑いの一種でした。
「ああ! いよいよ死ぬのですわ、フェリックス」と彼女は言いました。「でも、あなたは死がお好きじゃないでしょ! 死ぬなんてほんとに嫌なことね、どんな人だって、どんなに勇気のある恋人だって、死ぬのをこわがりますものねえ。そこでもう恋もおしまいですのよ。わたくしだって、そのくらいちゃんと知っていましたわよ。ダッドレイ夫人は、ご自分の変わりはてた姿にあなたがびっくりなさるところなど、絶対にごらんにならないわけですわよね。ああ、なぜ、わたくしはこんなにもあなたを待ちこがれたのかしら、フェリックス? とうとう、あなたはいらっしゃいましたのね。その忠実さにお報いする報酬として、わたくし、こんなあさましい姿をさらしておりますのね、昔、ランセ伯爵〔三〇歳のとき愛人モンパゾン夫人の死に遭い、悲嘆のあまり現世の快楽のいっさいを捨てトラピスト派修道院の修道士となり、その改革に生涯を捧げた〕がトラピスト修道院にはいるもととなったようなあさましい姿を。わたくし、あなたの思い出のなかに、いつまでも美しく気高い姿でとどまりたいと思い、永遠のユリのように生きたいと願っておりましたのに、そういうあなたの幻想を奪いとってしまうわけですのね。真実の愛というのは、計算などしないものでしてよ。でも逃げたりしてはだめ、ここにいらしてくださいな。オリジェさんも今朝はずっとよくなったと考えてらっしゃったし、わたくし、もうすぐまた元気をとりもどしますわ、あなたの目の前でよみがえってみせますわ。そのうちに、いくぶんか力をとりもどして、なにか食物がいただけるようになったら、またもとのように美しくなりますわ。わたくしだって、やっと三十五になったばかりですもの、まだ何年間も美しくしていられましてよ。幸福は人を若返らせるものですし、わたくしも幸福を知りたいと思うの。わたくし、とてもすばらしい計画をたてましたのよ。あの連中をクロシュグールドへ置いたまま、わたくしたち二人でイタリアへいきましょうよ」
涙が目ににじんできたので、私は花を見るようなふりをして窓のほうをふりかえりました。ビロトー神父があわてて私のそばへやってきて、花束のほうに身をかがめました。
「涙をお見せになってはいけません」彼は私の耳もとにそうささやきました。
「アンリエット、じゃあ、あなたは、もうぼくたちのなつかしい谷間が好きではないんですか?」自分の唐突な動作を弁明するために、私はそう答えました。
「いいえ、好きでしてよ」甘えるようなしぐさで私の唇の下に額をもってきながら、彼女はそう言いました。「でも、あなたがいらっしゃらなければ、谷間もただ悲しいだけ……あなたなしでは」私の耳もとに熱い唇をかるく触れ、その短い言葉を吐息のようにそのなかに吹きこみながら、彼女はそうつけくわえるのでした。
二人の神父の耐えがたい話にさらに輪をかけたこの途方もない甘い言葉に、私は思わず恐怖を感じました。が、そのとき、私の最初の驚きは消えました。しかし、よしんば私が理性を働かせることはできたにしても、意志の力はそれほど強くはありませんでしたから、この場面のあいだに私の心を掻きみだした神経の動揺は、どうしても抑えることができませんでした。私はなにも答えず、じっとその言葉に聞きいっていました、というよりはむしろ、彼女の気持ちに逆らわないように、ちょうど母親が子供を扱うようなぐあいに、たえず微笑をうかべ同意のしぐさを示して答えていました。私は彼女の姿の変わりようにすっかり驚かされましたが、しばらく経つと、以前にはその崇高さによってあんなにも畏敬の念をそそったこの女性が、態度、声、物腰、まなざし、ものの考えかたなどに、子供のような純真な無経験さや、天真爛漫な品のよさや、動作の熱中ぶりや、自分の欲望以外のものとか自分自身以外のものにたいするはなはだしい無頓着を、要するに子供のためには保護してやる必要のある弱点を、すべてもっていることに気がつきました。臨終の迫った人間というものは、みんなこういうふうになるのでしょうか? 彼らはいっさいの社会的な仮装を脱ぎすててしまっているのでしょうか、ちょうど子供たちがまだそれをまとっていないのと同じように? それともまた、いま永遠の生の岸辺にたたずみつつ、伯爵夫人は人間のあらゆる感情のなかから愛のみしか受けいれようとしなくなって、ちょうどクロエー〔古代ローマの作家ロンゴスの牧歌的な恋愛小説『ダフニスとクロエー』の女主人公〕のように、愛の甘美な汚れなさを描きだそうとしていたのでしょうか?
「昔と同じように、あなたがわたくしを健康な体にしてくださいますわね、フェリックス」と彼女は言いました。「そうなれば、わたくしの谷間も健康のためによくなってくれるでしょうし。あなたが勧めてくださるものなら、どうしてわたくしが食べないはずがあるでしょう? あなたという方は、ほんとに看病がお上手ですもの! それにまた、たいそう力と健康に恵まれていらっしゃるから、あなたのおそばにいると、生命力が乗りうつってくるほどですわ。ねえ、あなた、どうぞわたくしが死ぬはずがない、裏切られ通しで死ぬはずがないということを、わたくしのために証明してくださいませよ! あの人たちったら、わたくしのいちばんの苦しみはのどが渇くことだと思ってますの。ええ、そうですとも、それはのどは渇きます。アンドル川の水を見ても苦しいくらいですわ、でも心のほうがもっと激しく渇いていますのよ。わたくし、あなたにお会いしたい気持ちでいっぱいでしたの」前よりもいっそう低く押し殺した声でそう言いながら、燃えるような手で私の両手を握りしめて自分のほうへひきよせ、私の耳もとにこんな言葉をささやきかけるのでした。「わたくしの死の苦しみというのは、あなたにお会いできないということでしたのよ! あなたはわたくしにこうおっしゃらなかったかしら、生きていくようにって? わたくし、生きていたいんですの。馬に乗ってみたいのよ、わたくしだって! なにもかも知りたいのよ、パリも、華やかな饗宴も、いろいろな楽しいことも」
ああ、ナタリーよ、こうしたすさまじい叫びは、はるかな距離を隔ててみれば、裏切られた官能の物質本位の傾向ばかりが露骨でいかにも寒々しく感じられますが、そのときは私たちの、つまり老司祭と私の耳をまさに聳動《しょうどう》させたのでした。というのも、そのすばらしい声の抑揚には、一人の女性の生涯のもろもろの戦いが、むなしく欺かれた真実の愛の苦悩が、ありありと描きだされていたのですから。伯爵夫人はまるで玩具をほしがる子供のように、いかにもいらだたしそうなしぐさで立ちあがりました。自分の告解者がこんな状態になっているのを見ると、まことに気の毒なことには、懺悔聴聞僧はとつぜんその場にひざまずき、両手を組みあわせて祈祷を唱えはじめました。
「そうですとも、生きるのですわ!」私を立ちあがらせてじっともたれかかりながら、彼女はそう言いました。「現実によって生きるのですわ、虚妄《きょもう》によってではなしに。わたくしの生涯は、なにもかもすべて虚妄でした。ここ数日前から、わたくしはずっと数えあげてみましたの、そういうまやかしをね。わたくしが死ぬはずがあるかしら、これまで生きたことのないわたくし、荒野へ誰かに会いにいったことなど一度もないわたくしが?」
彼女は話すのをやめ、じっと耳を澄まして、壁ごしになにかの香りを嗅《か》いでいるようでした。
「フェリックス! ブドウ摘みの女たちが晩のお食事をするところですわ、それなのに、わたくしは、わたくしときたら」彼女は子供のような声でそう言いました。「主人であるくせに、ひもじい思いをしているのです。愛にしてもやはりそうなのよ。あの女《ひと》たちは幸せなのよ、あの女たちは!」
「|主よ憐れみたまえ《キリエ・エレイゾン》!」両手を組みあわせ、天を仰ぎながら連祷を唱えていた気の毒な神父は、そう言いました。
彼女は私の首のまわりに腕を巻きつけ、激しく接吻し、しっかりと抱きしめながらこう言いました。
「あなたはもう逃げられませんわよ! わたくしは愛されたいの、ダッドレイ夫人のように気ちがいじみたまねだってやります、英語を勉強して、≪マイ・ディー≫と上手に言えるようになってみせますわ」
彼女はうなずくようなしぐさをしてみせましたが、それはかつて私のそばをちょっと離れるときに、すぐまたもどってくるからという意味を示すためによくやってみせたしぐさでした。
「いっしょにお食事をしましょう」と彼女は言いました。
「マネットに知らせにいってきますわ……」
彼女が急にがっくりと力を失って立ちどまったので、私は衣裳を着せたまま彼女をベッドに寝かしつけました。
「前にも一度、こんなふうに抱いてくださったわね」そっと目をあけながら彼女はそう言いました。
彼女はたいへん軽やかでしたが、しかしなによりも驚かされたのは、その熱っぽさでした。なにしろ抱いていると、その体が燃えだすような感じがするくらいなのです。そのとき、デランド氏が部屋へはいってきて、部屋のなかがそんなふうに飾りたてられているのを見てびっくりしました。だが、私の姿を見ると、彼にもいっさいの事情がわかったようでした。
「死ぬまでには、ずいぶん苦しい思いをするものですのね、先生」彼女はかすれた声でそう言いました。
デランド氏は腰をおろし、病人の脈を見てから、いきなりまた立ちあがって、司祭に小声でなにか話しかけると、そのまま部屋を出ていきました。私は彼のあとを追いました。
「どうなさろうというのです?」私はそう尋ねました。
「むごたらしい臨終の苦しみを除いてさしあげるのですよ」と彼は言いました。「あれほどの気力がおありになるとは、ほんとに誰だって信じられないことですよ。あの方のこれまでの生活法を考えてみなければ、どうしてまだ生きておられるのか、わたしどもにもとても理解できませんね。これでもう四十二日間、伯爵夫人は飲みもしないし、食べもしないし、眠ってもおられないのですからねえ」
デランド氏はマネットを呼び、ビロトー神父は私を庭へ連れだしました。
「医者のするままにまかせておくとしましょう」と神父は言いました。「マネットに手伝ってもらって、アヘンを塗りつけるのですよ。ところで、あの方の言葉をお聞きになったわけですが」と彼はつづけました。「もっとも、あんな錯乱した言動があの方のものだとしての話ですがね!……」
「いいえ」と私は言いました。「あれはもうあの方ではありませんよ」
私は苦しみのあまり呆然となりました。考えてみればみるほど、その場面のどの光景もいっそう拡大されてくるのでした。私は唐突に築山《つきやま》の下の小さな門から外へ出て、小舟《トウー》のなかへはいって腰をおろし、そこで人目を避けつつ、ただ一人でさまざまな胸の思いを懸命にこらえようとしました。私は、自分が生きていく支えとなってくれていた力から、むりやりにも自分をふりほどこうと努力しましたが、これはまさにあのダッタン人が姦通の罰として加える刑罰、姦通を犯した男の手足を木のなかにはめこみ、罪人が餓死したくなければその手足を自分で切り落とせるよう、短刀を一本残しておいてやるというあの刑罰に似たものでした。ともあれ、この努力こそ、私の魂に課せられたおそるべき懲戒だったわけです、なにしろ、私の魂の美しいほうの半分を切りすてねばならなかったのですから。自分の生涯もまた挫折《ざせつ》の生涯なのだ! そういう絶望感から、私の頭のなかには、いとも奇妙なさまざまの想念がうかんできました。あるときは彼女といっしょに死にたいと思ったり、あるときは最近トラピスト修道院が設立されたばかりの、ラ・メーユレーに閉じこもってしまいたいと考えたりしました。輝きを失った私の目には、もはや外部の事物は見えなくなりました。私は、アンリエットが苦しんでいる部屋の窓を眺めながら、かつて彼女と心の契《ちぎ》りを結んだ夜、その窓を照らしていた灯火を見ているようなつもりになっていました。職務に没頭しつつただ彼女にのみ自分を捧げて、彼女がつくりあげてくれた簡素な生活に従っているべきではなかったのだろうか? 世間並の男たちと同様に、私をもまた翻弄しつくしたあの下賤《げせん》で恥ずべき情欲から身を守らせようと願ったればこそ、彼女は、偉大な人物になるようにと私に命じたのではなかったのか? 純潔というものこそ、私がついに保ちきれなかった最高の品位なのではあるまいか? こうして、アラベルの考えているような愛に、突如として、私は激しい嫌悪をいだきました。
今後はどこから光明と希望が訪れてくるのか、これから先なにをめざして生きていくべきなのかと思いあぐねつつ、苦悩に打ちひしがれた頭をあげた瞬間、あたりの空気が、かすかな物音の気配にざわめきました。築山《つきやま》のほうをふりかえると、たった一人で、ゆっくりとした足どりで散歩しているマドレーヌの姿が目にとまりました。さきほどあの十字架の下のところで、この愛すべき娘が私に投げかけた冷やかなまなざしの意味を説明してもらおうと思って、私が築山のほうへのぼっていくあいだに、彼女はそこのベンチに腰をおろしていました。ちょうど中途まできた私の姿を目にとめると、彼女はつと立ちあがって見なかったようなふりをし、私と二人きりになるまいとするのでした。彼女の態度はあわてふためいていて、なにか意味ありげでした。
彼女は私を憎み、母親を殺した男を避けていたのです。踏段を通ってクロシュグールドへ帰ってくる途中、まるで彫像のように、じっと身じろぎもせずに立ちつくしたまま、私の足音に聞きいっているマドレーヌの姿が見かけられました。ジャックは踏段のところに腰をおろしていましたが、その彼の態度には、さきほどみんなでいっしょに歩きまわったさいに私に襲いかかり、さまざまの想念――私たちがそっと魂の片すみに残しておいて、しばらく経ってからゆっくりと時間をかけて、もう一度取りだしてよく掘りさげてみるたぐいの、そういうさまざまの想念を私の心に吹きこんでいったのと同じ無感覚の状態が、あらわれていました。私が気づいたところでは、内部に死を担《にな》っている青年というものは、すべて喪の悲しみにたいして無感覚です。私は、この暗い心をいだいた青年に尋ねてみたいと思いました。マドレーヌはその考えを自分一人の胸にしまっているのだろうか、それともその憎しみをジャックにまで吹きこんでしまったのか、と。
「きみも知ってるはずだね」私はそう言って話のきっかけをつくろうとしました。「ぼくがたいへん忠実なきみの兄弟だということは?」
「あなたの友情もぼくには役に立たないのですよ、ぼくもいずれ母のあとを追うことになるでしょう!」痛切な悲しみのまなざしを投げかけて、彼はそう答えました。
「ジャック」と私は声を張りあげました。「きみまでも?」
彼は咳《せ》きこんで、私のそばから離れていきました。それから、またもどってくると、血に染まったハンケチをさっと私に示しました。
「おわかりでしょう?」と彼は言いました。
こんなふうに、兄妹がそれぞれどうしようもなく暗い秘密をいだいているのでした。その後私にもわかりましたが、二人はいつも互いに避けていました。アンリエットが倒れたために、クロシュグールドではいっさいが崩壊してしまっていたのです。
「奥さまはおやすみになっておられます」伯爵夫人が苦しんでいないとわかっていかにも嬉しそうに、マネットが私たちにそう知らせにきました。
こういう痛ましい瞬間がくると、誰しも避けられぬ終末を悟ってはいるものの、真の愛情をいだく人々も愚かしくなってきて、とるにたらぬ僥倖に執着するものです。一刻一刻が数世紀にひとしくなり、みんながそれを楽に過ごせるものにしたいと願うのです。病人がバラの床に憩《いこ》う気分であってほしいと思い、病人の苦痛をみずから引き受けたいと望み、最後の息を引きとる瞬間が、病人の予期しないうちにやってきてほしいと願うものなのです。
「デランド先生のお言いつけで、あの花は片づけてしまいました、あれが奥さまの神経にはあんまりきつすぎたのだそうです」マネットは私にそう言いました。
それならば、あの花が原因で彼女は錯乱の発作を起こしたわけであり、べつに彼女自身の罪ではなかったのです。地上のさまざまな愛の形姿や、繁殖の饗宴や、草木の愛撫するありさまなどが、その芳香でもって彼女を酔わせ、若い頃からずっと彼女のなかに眠っていた幸福な愛についての思いを、目ざめさせたというわけなのでしょう。
「さあ、いらしてくださいませ、フェリックスさま」とマネットは言いました。「どうぞ奥さまをごらんになってくださいませ、ほんとに天使のようにお美しいお姿でございます」
太陽が沈みかけ、遠くレースのようなアゼーの城の屋根を金色に染めている時刻に、私はふたたび臨終の迫りつつある女性の部屋にもどりました。すべてが静かで清らかでした。一条のやわらかい光線が、全身に阿片を塗りつけたアンリエットの眠るベッドを照らしていました。その瞬間、肉体はいわば無となり、もっぱら魂のみが、嵐のあとの美しい空のように晴れやかなその顔を領しています。ブランシュとアンリエット、同じ女性のそのふたつの崇高な容貌《ようぼう》が、ふたたび美しくあらわれでていて、しかも私の追憶、思念、想像が自然に援助の手をさしのべつつ、どの顔立ちの特徴の変わりぐあいをもきちんと修正していましたから、それはひときわ美しいものとなり、いまや勝利を得た魂が、呼吸の波と一つに溶けあった波動に乗せて、ほのかな光をその顔の上に送りとどけてくるのでした。二人の神父はベッドのかたわらに腰かけていました。伯爵はいまやこの愛する女性の上に死の旗がなびいているのを確認しつつ、呆然と立ちつくしていました。私は、長椅子のさきほど彼女が占めていた場所に腰をおろしました。それから、私たちは四人とも互いに視線を見かわしましたが、そこには愛惜の涙に入りまじって、この天上的な美しさをそなえた女性への賛美の思いがあふれていました。あたりには想念の光がただよって、神がいましもそのもっとも美しい幕舎の一つに帰着されようとしつつあることを告げていました。ドミニス神父と私は、互いに手まねで話をかわしながら、胸のなかの思いを伝えあっていました。そうです、天使たちがアンリエットを見まもっていたのです! そうです、天使たちの剣が、おごそかな美徳の表情をふたたび取りもどしたこの気高い顔の上に、燦然《さんぜん》と輝いていました。かつてこの顔をさながら目に見える霊魂であり、同じ世界に属する精霊たちと対話をかわす霊魂であるかのごとくに思わせるゆえんとなっていた、あのおごそかな美徳の表情をふたたび取りもどしたこの気高い顔の上に! 彼女の顔の線は清らかになり、彼女のなかのあらゆるものが、彼女を守護する熾天使《してんし》の目に見えぬ香炉のもとでますます崇高さを増し、荘重なものとなっていきました。肉体の苦痛からくる緑色がかった肌の色は、完全な白の色調、死の近づいたことを示す艶をなくした冷たい蒼白さに席をゆずりました。やがてジャックとマドレーヌがはいってきました。マドレーヌは、熱愛の衝動に駆られてベッドの前に走りよって、私たちみんなを思わずはっとさせましたが、それから母親の両手を組みあわせて握りしめ、こういう崇高な感嘆の叫びを投げかけました。
「とうとう、いつものお母さまにおなりになったのね!」
ジャックは微笑をうかべていましたが、彼としては、母親のおもむくところへ自分もついていけると確信していたのです。
「いよいよ安息の場所にお着きです」とビロトー神父が言いました。
ドミニス神父は私の顔をじっとみつめていました、まるで≪星は美しく輝きながら昇っていくでしょう、わたしはそう申しあげなかったでしょうかね?≫と繰りかえすためでもあるかのように。
マドレーヌは母親の姿をじっと見まもりながら、母親の呼吸にあわせて呼吸し、母親を生につなぎとめている最後の糸、そして苦しげな息づかいの努力のたびごとにいまにも切れはしまいかと懸念しつつ、私たちがこわごわと見まもっている最後の糸であるかすかな気息をまねていました。あたかも聖殿の扉を守る天使のように、この若い娘は心を張りつめながらも冷静さを失わず、毅然《きぜん》たる態度を示しながらも敬虔にうなだれていました。折しもそのとき、村の鐘楼で|お告げの鐘《ヽヽヽヽヽ》が鳴りました。なごやかな空気の波動が、まさに波のようにうねりながら鐘の音をつたえてきて、同性のもろもろの過誤を一身に贖《あがな》った一人の女性にたいして告げられた天使の言葉を、いまこの時刻に全キリスト教徒が繰りかえしているということを、私たちに知らせてくれるのでした。その夕暮、アヴェ・マリアの響きは、天上から送られたあいさつかとも思われました。予言はいとも明瞭であり、最後の事態はいともさしせまっていましたから、私たちは涙にかきくれました。夕暮のかすかなざわめき、葉ごもりを吹きすぎる調べも美しい微風、小鳥たちの最後のさえずり、虫たちの単調な鳴声と羽音、川の水の音、嘆きを訴えるような雨蛙の鳴声、要するに田園一面がこの谷間のもっとも美しいユリの花にむかって、その簡素な田園での生涯にたいして、最後の別れの言葉を告げていたのです。これらすべての自然の詩情と結びつきつつ、宗教的な詩情が、旅立ちの歌をいともみごとに歌いあげたがために、私たちの嗚咽《おえつ》の声はたちまちにしてまた繰りかえされるのでした。部屋のドアはあけはなされていましたけれども、私たちはあたかもこの思い出を魂の底に永遠に刻みつけておこうとするかのように、慄然《りつぜん》たる思いでこの臨終の場面を凝視《ぎょうし》することに没頭していましたから、使用人たちが一団となってひざまずき、熱烈な祈りを唱えている姿も目にとまらぬほどでした。この使用人たちは一人残らず、いつもいいほうにばかり望みをかけることに慣れているせいか、いまだに女主人の生命をとりとめられると思いこんでいたのですが、こんなに明瞭な予兆があらわれたので、すっかり悲しみに打ちひしがれてしまったのです。
ビロトー神父があるしぐさをすると同時に、老調教師がサッシェの司祭を呼びに部屋を出ていきました。科学そのもののごとく落ちつきはらって、ベッドのそばにたたずみ、病人の眠った手をとっていた医者が、この眠りこそ神に呼びもどされる天使に残された最後の苦痛のない時刻だと告げるために、懺悔聴聞僧にそっと合図しました。教会の最終秘蹟〔カトリックの慣習では、悔悛・聖体・終油の三つを最終秘蹟と呼ぶ〕を授ける時刻が、いよいよ到来したのです。九時になると、彼女は静かに目をさまし、いかにもびっくりしたような、しかし穏やかなまなざしで私たちをみつめ、私たちのほうでも、もっとも華やかだった頃の美しさをとりもどした彼女の姿を、ふたたび目《ま》のあたりに見たのでした。
「お母さま、お母さまはほんとにお美しいのですもの、死んだりなさるはずありませんわ、またお元気に、お丈夫におなりになりますわ!」とマドレーヌは叫びました。
「そうよ、いつまでも生きています、ただしあなたの心のなかにね」彼女は微笑をうかべながらそう言いました。
それから、母親から子供たちへ、子供たちから母親へ、悲痛な抱擁がかわされました。モルソーフ氏は妻の額に敬虔に接吻しました。伯爵夫人は私の姿を見て顔を赤らめました。
「フェリックス」と彼女は言いました。「さきほどのことは、たぶん、このわたくしが、あなたにおかけしたたった一つのご迷惑ということになりますわね、でも、どうぞお忘れになってくださいませね、わたくし、情ないことにすっかり正気を失って、とんでもないことを口走ったかもしれませんけれど」
彼女は私に手をさしだし、私は接吻しようとしてその手をとりましたが、そのとき彼女は美徳にみちた優美な微笑をうかべつつ、私にむかってこう言いました。
「昔のようにしてくださって、フェリックス?……」
私たちはみんなそろって部屋を出て広間へいき、病人の最後の懺悔のつづくあいだ、そこで待つことになりました。私はマドレーヌのそばに席を占めました。彼女としても、みんなのいる前で私をむりに避けようとすれば、どうしても非礼を犯すことになるわけでした。しかし、彼女は母親のまねをして、誰のほうをも見ようとせず、じっと沈黙を守って、ただの一度も私のほうに目をむけようとはしませんでした。
「ねえ、マドレーヌ」と私は小声で話しかけました。「どういうわけで、ぼくのことを怒っているのです? なぜ、そんな冷たい気持ちをもっているのです、死を前にしてみんなが仲直りすべきだというのに?」
「いま、お母さまがおっしゃっていることが、あたくしの耳に聞こえてくるような気がするんです」あの「神の母」を描いた絵のために、すでに悲しみに心をみたしながらも、おのが息子を殺そうとしているこの世を守護しようと覚悟を定めたあの聖母の像のために、アングルがみつけだしてきたものとまったく同じような表情をうかべながら、彼女はそう答えました。
「それでは、お母さまが許してくださっているこの瞬間でも、あなたはやはりぼくを責めるのですか、もっとも、かりにぼくに罪があるとしてですけれど?」
「|あなた《ヽヽヽ》です、いつだって|あなた《ヽヽヽ》です!」
彼女の口調には、まるでコルシカ島の人間のいだくような熟慮のすえの憎しみがあらわれていましたが、それはまだ人生をふかく検討したことがないために、心情の掟にそむいた罪にたいしていかなる情状酌量《じょうじょうしゃくりょう》をも認めまいとする人々の判定と同じように、やわらげる余地のない激しいものでもありました。深い沈黙のうちに、一時間が経過しました。ビロトー神父が、モルソーフ伯爵夫人の終生懺悔を聞き終えてもどってきたので、私たちはみんなまた部屋へ帰っていきましたが、ちょうどそのとき、気持ちの上ではすでにすみずみまで修道女となりきった高貴な魂の女性には、かならずこうした思いつきがうかぶものなのですが、アンリエットもまたその種の思いつきにしたがって、屍衣《しい》として用いられるはずの裾《すそ》の長い衣裳をまとったところでした。彼女は贖罪《しょくざい》を果たし永生への希望に輝く美しい姿で、ベッドの上に坐っていました。暖炉のなかには、いま焼きすてられた私の手紙の束の黒い灰が見えましたが、懺悔聴聞僧の語ったところでは、これは死期が訪れるときまでは、どうしても捧げようとはしなかった犠牲なのだそうです。彼女は、私たちみんなにむかって、昔のままの微笑でほほえみかけました。涙にうるんだその目は最期《さいご》の開眼が行なわれたことを告げ、彼女のまなざしは、すでに約束の地の天上的な歓喜を望見しているのでした。
「フェリックス」私のほうに手をさしのべ、私の手をしっかり握りしめながら、彼女はそう言いました。「ここにいらしてくださいませ。わたくしの生涯の最後の場面の一つに、あなたも立ち会ってくださらなければいけませんわ、それはいちばん苦しくない場面ということにはならないでしょうけど、あなたも大いに関係があるわけですものね」
彼女はちょっと手まねをし、ドアが閉められました。彼女に招きよせられて、伯爵がかたわらに腰をおろしました。ビロトー神父と私はたたずんだままでした。マネットに助けられて伯爵夫人は立ちあがり、伯爵の前にひざまずいて、そのままの姿勢でいたいと望みました。それから、マネットがひきさがると、びっくりしている伯爵の膝にもたせかけていた顔を、まっすぐにあげました。
「わたくし、あなたにたいしては忠実な妻としてふるまってまいりましたけれども」彼女はかすれた声で言いました。
「ときには、義務にそむいたこともあったかもしれません。いましがたも、自分の過ちのお許しをあなたにお願いする力を授けてくださるよう、神さまにお祈りしたところです。家庭の外にあるお友だちにたいする心づかいのなかに、あなたに捧げねばならなかったものよりも、ずっと愛情のこもった心づくしをこめたかもしれませんの。ことによると、そういう心づかいやそういう気持ちを、あなたにむけているものと比較されて、あなたもわたくしにたいして、腹を立てられたことがあるかもしれませんわね。わたくし」と彼女は小声で言いました。「ある方に深い好意をもっておりました、どなたにも、その相手の方でさえ完全にはわかっていただけなかったほどの好意を。この世の掟にしたがって女の道はきちんと守りましたし、非難の余地のない妻でありつづけましたけれども、でも往々にして、意識的なこともあれば無意識的なこともありましたが、さまざまな思いが私の心をかすめすぎる場合があったので、いまになってみると、そういう思いを心に迎えいれすぎたのではないかしら、と心配なんですの。でも、わたくしは心からあなたを愛しておりましたし、あなたの従順な妻でありつづけましたし、雲も空の下を通りはしましたけれども、べつにその清らかさを変えたわけではありませんでしたから、いまでもごらんの通り、清らかな顔であなたの祝福の言葉をお願いしているのですわ。あなたのお口から、あなたのブランシュにむかって、あなたの子供たちの母親にむかって、優しいお言葉を聞かせていただければ、そうして、当のブランシュさえ、わたくしどもみんなが裁きを受ける最後の法廷の保証がいただけるまでは、自分自身にたいし許すことのできなかったことがらを、もしもあなたが許してくださるなら、わたくし、ほんとになんの苦しい思いももたずに死んでいけますわ」
「ブランシュ、ブランシュ」だしぬけに妻の頭上に涙を注ぎながら、老伯爵はそう言いました。「お前が死んだら、このわたしも死ぬほかないじゃないか」
伯爵はいつにない力で彼女の体をかかえあげて、その額に清らかな接吻をし、そしてそのまましっかり抱きしめて――
「わたしのほうこそ、お前に許してもらわねばならないことがあるじゃないか……」と言葉をつづけました。「わたしはよく冷酷にあたりちらしたじゃないか、わたしは。子供っぽいとるにたりない心配を、お前は大げさに考えすぎているのじゃないかね?」
「そうかもしれません」と彼女は言いました。「でも、どうぞ、死のまぎわの人間の心の弱さを寛大に許してくださいませ、わたくしを安心させてくださいませ。いつかあなたもこの最期の瞬間をお迎えになったら、わたくしがあなたを祝福しながらお別れしたということを、思いだしてくださいませね。あなたは許してくださいますかしら、ここにいるわたくしどものお友だちに、深い心のしるしとしてこれをお渡しすることを?」暖炉の上に一通の手紙をさし示しながら、彼女はそう言いました。「それというのも、このお友だちがいまはわたくしの養子だからですわ、ただそれだけのことからですわ。真心というものには、真心からの遺言があるものなのですわ。そこで、わたくしの最後の希望として、このフェリックスに、ぜひともやりとげなければならない神聖な仕事をはっきり書いてありますの、わたくし、この人を見そこなっていたとは思っておりませんし、この人にわたくしの考えをすこしばかり書き残すことをお許しいただければ、あなたを見そこなっていなかったこともはっきりいたすわけですわ。わたくし、どこまでもやはり女ですのね」甘美な憂愁の思いをこめて顔をかしげながら、彼女はそう言いました。「お詫びがすむと、すぐこんなお願いをするのですものね。――どうぞお読みになってね、ただし、わたくしが死んでからですわよ」謎を秘めたその手紙を私のほうにさしだしながら、彼女はそう言いました。
伯爵は妻の顔色がさっと蒼ざめたのを見てとり、彼女の体をかかえて自分でベッドへ運んでいきました。そして、私たちはそのまわりを取りかこみました。
「フェリックス」彼女は私に言葉をかけました。「わたくし、あなたにいろいろ申しわけないことをしているかもしれませんわね。ときには、あなたに楽しいことを期待させながら、こちらがしりごみしたりして、あなたを苦しめたこともあったかもしれませんわね。でも、わたくしがこうしてみんなと融和して死んでいけるのも、妻としての、母親としての勇気のおかげではありませんかしら? ですから、あなたもわたくしを許してくださいませね、しじゅうわたくしを咎めていらしたあなたもね。もっとも、不当に咎められると、わたくしはかえって嬉しかったものですけれど!」
ビロトー神父が唇に指をあてました。このしぐさを見ると、臨終の迫った女性はがっくりと頭をうなだれ、急激に衰弱に襲われて、教会の人々、子供たち、召使いたちを部屋のなかへ入れるようにと訴える手まねをしました。それから、彼女は私にむかって命令するようなしぐさをして、呆然自失している伯爵と、そのときちょうど部屋へはいってきた子供たちのほうをさし示しました。その隠れた錯乱の発作のことを知っているのは、ただ私たち二人だけであるこの父親が、いかにも弱々しい子供たちの保護者となったのを目《ま》のあたりにすると、彼女の心には無言の懇願が湧きあがってきて、それがさながら聖なる炎のように私の魂に注ぎかけられるのでした。終油の秘蹟《ひせき》を受ける前に、彼女は使用人たちにむかって、ときどき無愛想な仕打ちをしたことを詫びました。そして自分のために祈りを唱えてくれるよう彼らに頼み、彼らの一人一人について、今後もめんどうをみてやってほしいと伯爵に訴えました。この一か月のあいだ、人々の眉をひそめさせるようなキリスト教徒らしからぬ嘆きの言葉を口走ったことを、彼女は高貴な態度で告白しました。子供たちを追いはらったこともあったし、世間の作法にはずれた感情をいだいたこともあったけれども、神のみ心にそむくそういう行為を犯したのも、耐えがたい苦しみのせいだったと言うのです。最後に、彼女は惻々《そくそく》と胸に迫る調子で真情を吐露《とろ》しつつ、この世のことがらのむなしさを教えてくれたことについて、一同の前でビロトー神父に感謝しました。
彼女が語り終えると、祈祷がはじまりました。それから、サッシェの司祭が臨終の聖餐《せいさん》を授けました。しばらくすると、彼女は呼吸困難に陥り、目がかすみはじめましたが、やがてまたそれは見ひらかれました。彼女は私に最後の視線を投げかけ、おそらくは私たちの嗚咽《おえつ》の合唱に耳を傾けながら、みんなに見まもられつつ息をひきとりました。これは田園ではごく自然に起こる偶然にすぎませんが、そのとき、さながら優しい呼びかけのように清らかに流れていく独特の音色を、何度となく繰りかえしつづける二羽の夜鶯《ようぐいす》の交互に鳴く声が、私たちの耳にはいりました。長い苦痛そのものだった一つの生涯の最後の苦しみとして、彼女のさいごの吐息《といき》がはきだされたその瞬間、私はあらゆる機能を傷つける激しい衝撃が自分の心のなかに打ちこまれたと感じました。伯爵と私は、夜を徹《てつ》っして死の床のかたわらにとどまり、二人の神父ならびにサッシェの司祭とともに、ベッドの敷布団《しきぶとん》の上に横たわっている死者の姿を、ろうそくのほのかな光のもとで、じっと見まもっていました。あれほど苦しんだその場所に、いまは静かに横たわっている死者の姿を。
これは私にとって死と親しく交渉をもったはじめての経験でした。その夜一晩中、私はアンリエットをじっと見まもりつづけ、いっさいの嵐の静まったあとの清らかな表情や、いまなおそこに数かぎりない愛情が宿されているはずだと思ってはみるものの、私の愛にもはや答えてはくれないその顔の白さに、魅せられていました。その静寂のなかには、その冷たさのなかには、なんという荘厳さがただよっていたことでしょう! そこには、いかに多くの深い思いがあらわれていたことでしょうか? その絶対の急速のなかにはなんという美しさがただよい、その不動の姿にはなんという威圧がこもっていたことでしょう! そこにはいまだにすべての過去があり、しかも未来がはじまっているのです。ああ、私は死せる彼女をも愛していたのです、生きていた彼女を愛するのと同じくらいに。
朝になると、伯爵は寝にいき、三人の司祭は疲れはてて、夜通し起きている人々のよく知っているあの睡魔の襲う時刻がくるとともに、みんな眠りこんでしまいました。そこで、私は誰に見られることもなく、あらんかぎりの愛をこめて、彼女に接吻することができました。彼女が生前けっして表現を許さなかったほどの愛をこめて。
翌々日、爽やかな秋の朝がた、私たちは伯爵夫人を最後の住家へ送っていきました。老調教師とマルティノー兄弟とマネットの亭主とが、遺体を運んでいきました。かつて私が彼女と再会する日、すっかり喜びに燃えてのぼっていったあの道を、私たちはおりていきました。そしてアンドル川の谷間を渡って、サッシェの小さな墓地に着きました。教会の裏手にあたる小さな丘の頂きにある貧弱な墓地でしたが、彼女はキリスト教徒らしい謙譲《けんじょう》の心から、ちょうど野良で働く貧しい女のように、質素な黒い木の十字架を立ててそこに埋葬してほしい、と遺言していたのです。谷間のまんなかのあたりで、村の教会と墓地のありかを見たとき、私は痙攣《けいれん》するような身ぶるいに襲われました。ああ、私たちは誰しもみな生涯に一度はゴルゴダの丘を経験するものなのです、心臓に槍の一撃をこうむりながら、頭上にバラの冠にかわる茨《いばら》の冠を感じながら、生涯の前半の三十三年という月日をあとに残していくゴルゴダの丘を。つまり、その丘は私にとっては贖罪の丘となるはずのものでした。私たちのうしろには、彼女がひそかに数々の善行を埋めておいたこの谷間をあげての愛惜の意を告げるべく、じつにたくさんの人々が駆けつけてきていました。彼女の相談相手であったマネットから聞かされたところによると、貧しい人々を救うために、彼女は貯えだけでは足りない場合など、自分の化粧代を節約していたのだそうです。そうやって裸の子供に着るものをあたえてやったり、産衣《うぶぎ》を送りとどけてやったり、母親たちを救ってやったり、体の動かぬ老人のために冬になると小麦の袋を粉屋から買ってやったり、どこかの貧しい夫婦に牝牛を一頭やったり、要するにキリスト教徒としての、母親としての、城館《やかた》の夫人としての善行をほどこしていたのです。さらにまた、愛しあっている男女を結婚させてやるために、適当な時機を見て持参金を贈ったり、兵役の籤《くじ》にあたった不運な若者のために、身代り服役の費用を支払ってやったり、≪もう自分では幸福になれない人間にとっては、他人の幸福が嬉しいことなのよ≫と語った愛にみちた女性としての、しみじみと心を打つような贈物をしていたのです。こういうことが三日このかた通夜のたびごとに語られたので、そのために会葬者の数が厖大なものになったのでした。私はジャック、ならびに二人の神父とともに、柩《ひつぎ》のうしろから歩いていきました。習慣に従って、マドレーヌと伯爵は私たちと同行せず、二人だけクロシュグールドに残っていました。マネットは、どうしてもいっしょにいきたいと言いはりました。
「おかわいそうな奥さま! おかわいそうな奥さま! でも、これでお幸せになれましたわね」すすり泣きのあいまを縫って、何度となくそう繰りかえす彼女の声が私の耳にはいりました。
葬列が水車の立ちならぶ土手道から離れようとする瞬間、涙をまじえた悲嘆の叫びがいっせいにわきおこって、さながらこの谷間がその魂ともいうべき女性の死を悼《いた》んでいるのかとも思わせました。教会は人でいっぱいでした。儀式がすんでから、私たちは、彼女が十字架のかたわらに埋葬されるはずのその墓地へいきました。小石と土くれが柩の上をころがる音を耳にしたとき、私は気力がぬけおち、思わずその場によろめき、マルティーノ兄弟に頼んで体を支えてもらいました。そして彼らは、死んだようになった私をサッシェの城館《やかた》まで運んでいってくれました。城舘の主人たちが丁重に宿を貸そうと申しでてくれたので、私はその好意を受けいれました。ありのままに申しますと、私はクロシュグールドへ帰りたいとは思いませんでしたし、アンリエットの小さな城舘の見えるフラペールへいくことも、どうにも気がすすみませんでした。それにサッシェならば、彼女のそばにいられるわけでした。数日のあいだ、私はそこの一室に滞在しましたが、その部屋の窓は、さきほどお話ししたあの静かな寂《さび》しい谷に面していたのです。それは両側に二百年を経た樫の木の立ちならぶ大きな地壁《ちへき》で、大雨が降ると急流がそこを流れるのです。その眺めは、峻烈《しゅんれつ》かつ厳粛《げんしゅく》な瞑想にひたりたいと願っていた私の気分に、まさにふさわしいものでした。あの最期の夜につづく一日のあいだ、自分の存在がこれからクロシュグールドでどんなにわずらわしいものになろうとしているか、私ははっきりわかったのでした。伯爵はアンリエットの死に激しく心を動かされはしたものの、しかしこの恐ろしい事態はかねがね覚悟していたわけですし、彼の心の奥底には一つの偏執的な態度がありましたが、それはほとんど無関心といってもいいようなものでした。私は何度となくそれに気づきましたし、それに伯爵夫人がひれ伏しながらあの手紙を、私にはまだ開いてみる勇気の出ないあの手紙を私に渡してくれたときにも、彼女が私にたいする愛情について語ったときにも、猜疑《さいぎ》心の強いこの人物が、私の予想していた恐ろしい視線をこちらに浴びせかけてはきませんでした。アンリエットの言葉にしても、彼女の良心がじつに清らかなものであることをよく知っている伯爵は、その良心の過度の敏感さから発したものときめこんでしまったのでした。こうした利己的な鈍感さも自然のものだったのです。この二人の人間の心は、その肉体ほどにも結びついていませんでしたし、感情をたえず新しくよみがえらすあの不断の交流というものを、彼らはたえてもったことがなかったのです。お互いに苦しみも喜びも交換しあったことはありませんでしたが、じつはそういうものこそがたいへん強い絆《きずな》であって、それは私たちのあらゆる神経と接触しているがために、また、私たちの心臓の襞《ひだ》にふかく結びついていると同時に、かつてその結びつきの一つ一つを承認した魂を優しく愛撫したこともあったがために、それが断ちきられた場合には、私たち自身も数しれぬ多くの個所を傷つけられてしまうのです。要するに、マドレーヌの敵意によって、私はクロシュグールドからしめだされてしまったわけなのです。このかたくなな娘は、母親の柩《ひつぎ》をきっかけにその憎悪をやわらげようという気持ちになどなりませんでしたし、私にむかって自分のことばかり話しかけてくるであろう伯爵と、私にたいしてどうにもならぬ嫌悪を示すであろう城舘の女主人とのあいだにはさまれて、私はひどく気まずい思いをさせられることでしょう。かつては花々さえ優しく愛撫してくれたし、踏段の一段一段さえ雄弁に語ってくれたその場所、私のありとあらゆる思い出によって、露台も、縁石も、手摺《てすり》垣根も、築山《つきやま》も、木々も、各所の眺望も、すべて詩情を帯びたものとなっているその場所に、そんなふうにしているということ、すべてが私を愛してくれている場所で憎悪されているということ、そういう考えには私はとても耐えきれませんでした。ですから、最初から、私の決心はきまっていたわけです。悲しむべきことには、これが激しい恋の、かつて人間の心に宿ったもっとも激しい恋の結末でした。局外者の目には、私の行動は唾棄《だき》すべきものと映《うつ》りそうでしたけれども、そこには私の良心の承認がひそんでいました。青春のもっとも美しい感情ともっとも深遠な劇は、このようにして終わるものなのです。私たちはほぼ誰しも、ちょうどトゥールからクロシュグールドへの途上にあったあの私のように、世界を一人で独占したつもりになり、愛に飢えた心をいだいて朝がた出発します。やがて、私たちの心の富が試練のるつぼを経たのちになると、つまり私たちが人々や事件のなかにまきこまれるようになると、いっさいがいつしか小さくなり、おびただしい灰のなかからほとんど黄金をみつけられなくなってしまいます。まさにそれが人生というものなのです! ありのままの人生というものなのです。大きな抱負、そして小さな現実。私の花々をことごとくなぎ倒してしまったこういう打撃を受けたあと、これからさきどうしようかと思いあぐねながら、私は長いこと自分の身の処しかたを考えました。そしてけっきょく、大望《たいもう》という曲りくねった小径《こみち》に踏みこんで政治と学問に邁進《まいしん》しよう、自分の生活から女性を遠ざけよう、そして冷静で情熱にまどわされぬ政治家になろう、自分の愛してきた聖女に忠実でありつづけよう、と決心したのです。私の視線が、いかめしい梢と青銅の幹を擁して金色に色づいた樫の木々の壮麗な絨毯《じゅうたん》に注がれているあいだ、私の瞑想はいわば目路《めじ》のかぎり果てしなくつづくのでした。そして私は、アンリエットの貞節さはつまりは世間知らずということだったのではあるまいか、自分がはたしてほんとに彼女の死について罪があるのだろうか、と考えこみました。私は悔恨《かいこん》のさなかでもがき苦しみました。そしてついに、ある心地よい秋の真昼どき、トゥーレーヌではじつに美しい晩秋の空もうららかに晴れた一日、私は彼女の手紙を読みました、彼女の勧告に従えば、死後にならなければ開いてはいけないことになっていた手紙を。どうぞその手紙をお読みになって、私のさまざまな感慨《かんがい》をご推察ください!
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モルソーフ夫人からフェリックス・ド・ヴァンドネス子爵への手紙
≪フェリックス、お友だちとしてはあまりにも愛しすぎてしまったあなたに、いまこそ私の心を打ち明けなければなりません、それはわたくしがどんなにあなたを愛しているかをお示しするためというよりも、あなたがわたくしの心に残された傷口の深さと重大さをはっきりお目にかけて、あなたの責任の大きさを知らせてさしあげるためでございます。わたくしが旅の疲れに疲れはて、戦いのあいだに受けた痛手のために力がつきて、とうとう倒れてしまったいま、幸いにして女は死んでしまって、ただ母親だけが生き残っております。どういうしだいであなたがわたくしの病いの根本の原因となったか、あなたにもやがておわかりいただけるでしょう。最初にお会いしたのち、しばらく経ってからは、わたくしのほうから好んであなたの打撃に身をさらしたのであるにせよ、いま、わたくしは、あなたから最後の痛手を受けて死んでいくのでございます。でも、愛する方に傷つけられているのだと思うと、すばらしい喜びがあります。しばらくすれば、苦痛のために力を奪いとられてしまうでしょう、ですから、こうして知能の最後の微光を利用して、子供のために、あなたが彼らから奪いとってしまわれた愛情のかわりをしてくださるよう、くれぐれもお願いするわけなのでございます。もしもこれほどあなたを愛しているのでなければ、わたくしも威張ってこの役目を押しつけることでしょう。でも、わたくしとしては、それよりも清らかな悔悟の情のあらわれとして、あなたの愛のつづきとして、あなたご自身のお気持ちからそれをひきうけていただきたいのです。と申すのも、わたくしの心のなかでは、愛というものは、いつも悔悟の思いや贖罪の恐れと入りまじっていたからですの。そうして、わたくしはよく知っておりますが、わたくしたちはいまもやはり愛しあっております。あなたの過ちも、あなたのせいで致命的なものになった度合よりも、そのためにわたくしの心のなかに起こった反響のせいで致命的なものになった度合のほうが、むしろ大きいのです。わたくしは嫉妬ぶかい女だと申しあげなかったでしょうか、いいえ、死ぬほど嫉妬ぶかい女だと? ですから、こうして死んでいくのです。けれども、お気を落とさないでくださいませ。わたくしたちは、この世の掟をりっぱに守ったのですから。教会のもっとも清らかな方々のあるお一人の声を通して、教会がわたくしに伝えてくださったことによれば、神さまの戒律のために自分の自然な気持ちの傾きを犠牲に捧げた人々にたいしては、神さまも寛大になってくださるだろうということでございます。愛するあなた、どうぞ一部しじゅうを知ってくださいませ、わたくしは、自分の考えのなかのただ一つといえども、あなたが知らずにいらっしゃることなどないようにと望んでいるのですから。この世の最後のときにあたって、わたくしが神さまに告白いたすはずのことは、あなたもまた知っていらっしゃらなければなりません、神さまが天国の王者であられるのと同じように、あなたはわたくしの心の王者でいらっしゃるのですから。
アングレーム公のために催されたあの祝宴、わたくしが列席した唯一のものとなったあの祝宴のときまで、結婚はいたしましたものの、わたくしは、若い娘の心に天使の美しさを付与する無垢のままの状態でおりました。わたくしは母親になっていました、それは事実です。けれども、夫婦の愛に認められた喜びが、わたくしをとりまいてはおりませんでした。どういうわけで、わたくしはそんなふうだったのでしょう。自分でもまるでわかりません。その上また、どういう法則によって、わたくしのなかのすべてが一瞬にして変わってしまったのやら、これもわたくしにはわかりません。あなたのあの接吻を、いまでもまだ覚えておいででしょうか? あれがわたくしの生活を支配し、わたくしの心に溝を掘りこんでしまったのです。あなたの血の熱さが、わたくしの血の熱さを目ざめさせたのです。あなたの若さがわたくしの若さのなかに侵入し、あなたの欲望がわたくしの心のなかにはいりこんだのです。わたくしがあんなに毅然《きぜん》として立ちあがったとき、じつはわたくしは、どんな言葉を使っても言いあらわせない激しい感覚を味わっていたのでした。なぜならば、子供というものは、光と自分たちの目との結合を言いあらわしたり、唇に押しあてられた生命の接吻を言いあらわしたりする言葉を、まだみつけだしてはいないわけなのですから。そうですわ、あのときから谺《こだま》のなかに音がこもり、闇のなかに光が投げこまれ、宇宙に活動があたえられたのでございます。少なくとも、あれは急激にはじまりました、いま申したすべてのものと同じように。もっとも、それよりもずっと美しかったのですけれども。なにしろ、あれは魂に生命をあたえることでしたもの! わたくしは、世界のなかにわたくしにとってなにか未知のもの、心の思いよりももっと美しい力が存在することを理解したのです、それはいわばありとあらゆる思い、ありとあらゆる力、感動をともに分かちながら過ごすありとあらゆる未来でした。わたくしは、自分が母親だということすら、もはや半分ほどしか感じられなくなりました。わたくしの心の上に落ちかかりながら、この雷の一撃は、わたくしの知らないままに眠りこんでいた数々の欲望に火をつけたのです。伯母はわたくしの額に接吻しながら、≪かわいそうにね、アンリエット≫と言ったものでしたが、その伯母の言った意味がそのときとつぜんわかったのです。クロシュグールドへ帰っていく途中、春も、若葉も、花々の香りも、きれいな白い雲も、アンドル川も、空も、あらゆるものがそのときまでわからなかった言葉を語りかけ、その言葉を通して、あなたがわたくしの官能に刻みつけていった衝動のいくぶんかが、わたくしの魂に伝えられてくるのでした。あなたがあの恐ろしい接吻をお忘れになったとしても、わたくしは、わたくしとしては、あれを思い出から消しさることはどうしてもできませんでした。だからこそ、わたくしはこうして死んでいくのです! そうですわ、あれ以来というもの、お会いするたびに、あなたゆえに、その痕跡《こんせき》はますます掻《か》きたてられるのでした。あなたのお姿を見ると、いいえ、そればかりか、あなたが近づいてこられる予感がするだけで、わたくしは頭から足のさきまで興奮してしまうのでした。時の流れも、わたくしの堅固な意志も、こういうどうにもならぬ官能的な喜びを制御することはできませんでした。わたくしは、無意識のうちに、≪快楽ってどんなものなのかしら?≫と考えこんだりしました。わたくしたちがふと視線をかわしたり、あなたが手に敬意をこめて接吻してくださったり、腕をあなたの腕に重ねあわせたり、優しい調子のあなたのお声を聞いたりすると、要するに、どんな些細なことにもわたくしは激しい動揺を感じましたので、たいていの場合、わたくしの目の前は雲がかかったようになってしまうのでした。そんなとき、騒ぎたつ官能のざわめきが、わたくしの耳にいっぱいにひろがるのでした。わたくしがいつもよりいっそう冷たい態度をとった折など、もしもあなたが腕のなかに抱きかかえてくださったら、わたくし、死ぬほど幸福な思いを味わったことでしょう。ときには、あなたがなにか乱暴なことをしてくださればいいのに、と思ったこともありましたけど、お祈りを唱えて、そういうよこしまな考えもすぐ追いはらうようにしておりました。子供たちがあなたのお名前を口にすると、わたくしの心にはひときわ熱い血がいっぱいにあふれて、そのために顔までたちまち赤く染まってしまいましたし、そしてまた、わたくしはかわいそうにマドレーヌに罠《わな》をかけて、あの子にあなたのお名前をわざわざ言わせたりもしましたが、つまりはそれくらい、その感覚のわきたちが好きだったのです。うまく申しあげられませんが、とにかくあなたの筆跡にまで魅力を感じて、まるで肖像画でも眺めるみたいにして、あなたのお手紙をじっとみつめたりもしたものでした。
あの最初の日から、早くもあなたがわたくしにたいし、なにか得体の知れぬ宿命的な力を獲得しておられたのだとしたら、あなたもよくおわかりでいらっしゃるでしょうが、あなたのお心を読みとることがわたくしに許されるようになったとき、その力はかぎりなく大きくなったのでございます。あなたがあんなにも清らかで、あんなにも非の打ちどころなく真実で、あんなにもごりっぱな資質に恵まれていらっしゃって、あんなにも大きなお仕事をなさる能力をおもちで、そのうえ早くもあんなにも試練をお積みになっておられることがわかったとき、わたくしの心のなかには、なんという喜びがあふれかえったことでございましょうか! 大人でありながら子供らしいところもおありになるし、内気でありながら勇気もおありになるあなた! 二人とも、共通の苦しみによって聖化されているとわかったとき、わたくし、なんという喜びを味わったことでございましょうか! お互いに心のなかを打ち明けあったあの夜以来というもの、あなたを失うということ、これがわたくしにとっては死ぬことにひとしくなったのでございます。ですから、わたくしとしては、利己主義からあなたをそばにおひきとめしたわけなのです。ド・ラ・ベルジェさまも、わたくしがあなたとお別れしたらきっと死んでしまうだろうと確信されて、たいへん同情してくださいました。と申しますのも、あの方は、わたくしの心のなかを読みとっておられましたから。わたくしは子供たちにとっても、主人にとっても必要な人間なのだ、あの方はそう考えていらっしゃいました。わたくしにむかって、あなたを家にいれないようにせよとはお言いつけにはなりませんでしたが、それと申しますのも、わたくしが行ないの上でも、考えの上でも清らかさを保ちつづけるとお約束したからですの。≪考えるということは意志どおりにはいかないものです≫、あの方はそうおっしゃいました。≪しかし、それをいつも自責の種にすることはできます≫――≪もしもわたくしが考えましたら≫とわたくしはお答えしました。≪なにもかもおしまいになってしまうでしょう。どうぞ、わたくしをわたくし自身から救ってくださいませ。どうぞ、あの人がずっとわたくしのそばにいらっしゃれるようにしてくださいませ、そしてわたくしが清らかさを保ちつづけられるように!≫ すると、ごりっぱな老神父さまは、たいへん厳しい方でございますけれども、それほど真情にあふれた言葉には寛大さを示してくださいました。≪あの人をお嬢さまとごいっしょになさるおつもりになれば、息子を愛するようにして、あの人を愛していくことがおできになるわけです≫とおっしゃってくださいました。わたくしはあなたを失うまいとして、苦しみにみちた生活を勇敢に受けいれました。そうして、わたくしたち二人が同じ軛《くびき》につながれていることを見てとって、喜んで苦しみに耐えたのでございます。ああ、まさしく、わたくしはどっちつかずの立場にいたのです、夫にたいしては忠実でありつづけながら、フェリックス、あなたにたいしては、あなただけの王国へ一歩も足を踏みいれさせまいとしていたのです。わたくしの情熱の激しさはわたくしの心の働きに逆作用をおよぼして、わたくしは、モルソーフがわたくしに加える苦痛を贖罪《しょくざい》とみなすようになり、誇り高くその苦痛を耐え忍んで、自分の罪深い心の傾きを傷めつけようとしたのでした。以前は、わたくしもよく不平をもらしがちでした。けれども、あなたがわたくしのそばにいてくださるようになってからというもの、わたくしもいくぶんか快活さをとりもどし、モルソーフもそれで喜んでおりました。あなたが貸してくださった力がなかったら、わたくしはとうの昔に、いましがたお話し申しあげた内面の生活に負けてしまっていたことでしょう。わたくしの過ちにとって、あなたは大きな原因となっておられたにせよ、わたくしが妻としての道をりっぱに果たす上でもまた、あなたは大きな原因となっておられたわけなのです。子供たちのことについても、事情はやはり同じでした。わたくしは、自分が子供たちからなにかを奪いとったと思っておりましたし、子供たちに充分なことをしてやっていないのではないかしら、と懸念《けねん》しておりました。それ以来というもの、わたくしの生活は、みずから喜んで耐え忍ぶ不断の苦しみになったのです。自分が以前ほど母親らしくなくなった、貞淑な妻でもなくなったと感ずるようになると、悔恨がわたくしの心に宿りはじめました。そうして、自分の義務にそむくことを恐れて、いつも義務以上のことをやろうとしたのです。
過ちを犯すまいとして、わたくしはあなたとのあいだにマドレーヌを置き、あなたがたをいつかごいっしょにする心づもりになって、わたくしたち二人のあいだに柵をそびえたたせようとしたのでございます。でも無力な柵でした! どんなものをもってしても、あなたからあたえられる震えるような感じを抑えつけることはできませんでした。その場におられようとおられまいと、あなたは同じ力をもっていらっしゃったのです。わたくしは、ジャックよりもマドレーヌのほうが好きでした。なぜかと申せば、マドレーヌはあなたのものになるはずだったからです。でも、あなたに娘をゆずるにしても、心の苦闘がなかったわけではございません。あなたにお会いしたとき、わたくしはまだ二十八歳でしかなかった、そしてあなたは二十二歳になろうとするところだった、わたくし、そんなことを心ひそかに考えたこともございました。そうして、その距離を縮めてみて、むなしい希望にふけったのでした。ああ、フェリックス、わたくしがこんな告白をいたしますのも、あなたの心から悔恨をとりのぞいてさしあげるためですし、おそらくはまた、わたくしが愛というものに無関心ではないということ、わたくしたち二人の愛の苦しみがほんとに痛ましいくらい相等しいということ、そしてアラベルがわたくしより優っている点など一つもなかったということを、あなたにお知らせするためなのです。わたくしもやはり、男の方々がたいへんお好みになる、あの神さまに見はなされた種族の娘の一人でございます。ある一時期には、苦闘がたいそうすさまじくなって、夜毎涙にくれたこともありました。そのために、髪の毛が脱けてしまいました。その髪の毛を、あなたがもっていらっしゃったわけなのです! モルソーフの病気のことは、あなたも覚えておいででしょうね。あのときのあなたのお心の崇高さによって、わたくしの心は高められるどころか、かえって卑小になってしまいました。悲しむべきことには、あの日から、わたくしは、あれほどのごりっぱな克己《こっき》の行為への当然の返礼として、あなたに身を捧げたいと思うようになったのでございます。でも、この愚かしい気持ちはほんのつかのまのものでした。あなたが参列をお断わりになったあのミサのあいだに、わたくしはそれを神さまの足もとに捧げたのでした。ジャックの病気とマドレーヌの病弱は、わたくしにとっては、迷える仔羊をご自分のほうに力強くひきつけようとされる、神さまの威嚇《いかく》のように思えました。そのうちに、あのイギリスの女性にたいするあなたのきわめて自然な愛情によって、わたくしは、自分自身でも知らずにいたさまざまな秘密を教えられました。わたくしは、自分で思っていた以上にあなたを愛していたのでございます。マドレーヌのことなど、消えうせてしまいました。波瀾の多い生活からくるたえまのない心の動揺とか、信仰のほかにはなんの救いも求めずに、自分を抑制していたあの努力など、ありとあらゆるものが、いまわたくしの命とりになっているこの病気をかねがね準備していたのです。あの恐ろしい一撃のために、わたくしがだまって秘めてきた発作は、とうとうあからさまなものになってしまったのでございます。わたくしは、こうした人知れぬ悲劇のたった一つの解決は、死のなかにあることを見てとりました。あなたとダッドレイ夫人との関係を知らせる母の手紙がきてから、あなたが訪ねてきてくださるまでの二か月間というもの、激情にみち嫉妬に燃えた狂おしい生活を送ったのです。パリへいきたいと思い、人殺しをしたいと切望し、あの女性の死を願い、子供が甘えてくれてもいっこうなんとも感じませんでした。それまでわたくしにとって慰めのようなものだったお祈りも、わたくしの魂になんの効果もおよぼさなくなりました。嫉妬のために大きな裂け目ができて、そこから死がはいりこんだのです。けれども、わたくしは、表面はずっと平静な顔つきをしておりました。そうなのです、この戦いの時期は、神さまとわたくしのあいだだけの秘密でした。わたくしがあなたを愛しているのと同じくらい、あなたもわたくしを愛してくださっているのだとはっきりわかったとき、またわたくしは人間の本性というものに裏切られたにすぎないのであって、あなたのお心に裏切られたのではないとはっきりわかったとき、わたくし、生きたいと思いました……でも、もう遅すぎましたわ。神さまがわたくしをずっと加護していてくださったのでした。自分自身にたいしても神さまにたいしても真実で、しかも苦しみに導かれて、しばしば聖殿の扉のところまでおもむいたことのある一人の女性に、たぶん神さまも憐れみを覚えられたのでしょうね。ああ、愛するあなた、神さまはもう裁きをおくだしになりましたし、モルソーフもたぶん許してくれると思いますの。でも、あなたは、あなたは寛大におなりになれるでしょうか? いま、墓の下から聞こえてくるわたくしの声に、耳を傾けてくださるでしょうか? おそらくはあなたのほうが軽いとは思いますが、わたくしたちが同じように罪を負わなければならないさまざまな不幸を、あなたは償《つぐな》ってくださるでしょうか? わたくしがなにをお願いしたいと思っているか、もうおわかりのはずです。どうぞモルソーフにたいして、病人を看護する慈善病院の修道女のようになってやってくださいませ、あの人の言うことをよく聞いてやって、愛してやってくださいませ。誰一人として、あの人を愛してくれる人はいないでしょうから。わたくしがしていたように、子供たちとあの人のあいだをとりもつようにしてくださいませ。あなたの義務もそう長い期間のことではありますまい。ジャックは、まもなく家を離れてパリの祖父のもとへいくことになるでしょうし、この世の暗礁《あんしょう》のあいだを縫ってあの子を導いていってくださると、あなたは前にお約束してくださいましたわね。マドレーヌも、いずれ結婚することになるでしょう。どうぞいつの日か、あの娘があなたを愛するようになってくれますよう! あの娘はなにもかもわたくしそっくりですし、そのうえ丈夫ですし、わたくしに欠けていた意志の強いところもありますし、政治生活の波瀾に立ちむかう生涯を送るべく運命づけられた男性の伴侶として、ぜひとも必要な気力ももっておりますし、よく気もききますし、洞察力にも富んでおります。もしあなたがたの運命が一つに結びつけられるなら、あの娘は母親よりも幸福になれますでしょう。そういうふうにして、クロシュグールドでのわたくしの仕事を受けつぐ権利を手中にお収めになって、まだ充分に償いのすんでいない過ちをぬぐいさってくださいませ。もっとも、その過ちは天上でも地上でももう許されてはおりますけれども。と申しますのは、|その方は《ヽヽヽヽ》寛大でいらっしゃるし、きっとわたくしを許してくださるはずですものね。わたくし、ほんとに、いつでも利己的ですわね。でも、それが絶対的な愛の証拠なのではありませんかしら? わたくしは、自分の血縁の者を通して、あなたに愛されたいと願っておりますの。あなたのものにはなれませんでしたから、わたくしの考えと義務とをあなたに遺贈《いそう》していくのです! もしもあなたがわたくしを愛しすぎるあまり、とてもわたくしの申すことを聞きいれていただけないならば、もしもあなたがマドレーヌと結婚しようというお気持ちになれないならば、せめてモルソーフをできるだけ安楽に暮らさせてやって、せめてわたくしの魂の平和にお心を配ってくださいませ。
さようなら、わたくしの心の愛児よ! これはまだ完全に知力を保ち、生命にみちたお別れの言葉です、あなたが大きな喜びを注いでくださった魂、あまりにも大きなものなので、そこから生まれた不幸な結末などあなたはちっとも悔やむにおよばないような、そういう大きな喜びを注いでくださった魂の、お別れの言葉なのです。不幸な結末という言葉を使うのは、あなたがわたくしを愛してくださっているものと考えたからですのよ。だって、わたくしのほうは、義務に身を捧げて、いよいよ安息の地にたどりつこうとしているのですもの。それを思うと身心がざわめいてきますけれども、心残りがないわけではありません! わたくしが神さまの掟を、はたしてその精神に則《のっと》って実践したかどうか、それはわたくし自身よりも、神さまのほうがよくおわかりになると思います。わたくしは、しばしばよろめいたかもしれませんけれども、でも一度も倒れはしませんでしたし、わたくしの過失のいちばん有力な申しひらきとなることがらは、わたくしの周囲をとりまいた誘惑がたいへん大きかったということなのです。主がごらんになるわたくしの姿は、きっとあの誘惑に負けたときと同じくらいに震えおののいていることでしょう。それでは、もういちど、さようならを申します。昨日、わたくしたちの美しい谷間に告げたのと同じさようならを。やがて、わたくしはこの美しい谷間にいだかれて憩《いこ》うことになりますが、あなたはここへたびたび訪ねてきてくださいますわね?
アンリエット
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この最後の炎によってあかるみに出されたこの生涯の、人知れぬ奥底の部分を望見したがために、私はさまざまの反省のひしめく深淵のなかに落ちこみました。私の自己本位の考えの雲は四散してしまいました。彼女は私と同じくらいに、いや、そのために死んだほどなのですから、私以上に苦しんでいたわけだったのです。他の人々も彼女の友たる私にたいして好意をもっているにちがいない、彼女はそう思いこんでいたのです。自分の愛にすっかり目がくらみ、娘の反感など考えてもみなかったのでした。彼女の愛情を示すこの最後の証拠は、私にたいへんな苦痛を強いました。気の毒なアンリエット、私にクロシュグールドと娘とを贈りたいと思っていたとは!
ナタリーよ、いまはあなたもよくご存じのこの気高いアンリエットの遺骸《いがい》につきそって、私がはじめて墓場に足を踏みいれたあの永劫に痛ましいものとなった日以来、太陽はかつてほど暖かくも明るくもなくなり、夜はいっそう暗くなり、森羅万象《しんらばんしょう》の活動は敏速でなくなり、思考はいっそう重苦しくなったのです。世のなかには、私たちが大地のなかに埋めてしまう人々もありますが、しかしまた私たちの心を死の装束《しょうぞく》とし、その思い出が日毎に私たちの心の鼓動とまざりあうような、とりわけ慕わしく偲《しの》ばれる人々もあります。私たちはまるで呼吸をするようにその人々のことを思い、その人々のほうは、愛というものに固有の輪廻《りんね》という甘美な法則によって、私たちの心のなかに住んでいるものなのです。私の魂のなかにも、一つの魂が宿っています。なにかりっぱなことを私がやる場合とか、ある美しい言葉を私が口にする場合には、じつはその魂が行動しているのであり、その魂が語っているのです。私の所有できるすぐれたもののことごとくは、さながら一輪のユリの花からあたりの空気を香ばしくする芳香がたちこめるように、この墓から発散してくるのです。嘲笑や不当な仕打ちなど、あなたが私にたいして非難なさることは、ことごとく私自身から出てくるのです。これからはもう、私の目がある曇りを帯びて暗く閉ざされたり、長いあいだうつむいたあげく急に空へむけられたりする場合にも、また私の口があなたの言葉や心づかいにたいしてかたくなにだまりこんでいる場合にも、≪なにを考えていらっしゃるの?≫などとお尋ねにならないでください。
愛するナタリーよ、私はしばらくのあいだ筆を中断していました。こうした思い出が、あまりにも激しく胸に迫ってきたからです。いまや、この不幸な結末につづくさまざまのできごとをお話ししなければならないわけですが、それはほんのわずかな言葉しか必要としません。ある人間の生活が行為や活動だけでつくられている場合には、すべてはたちまちにして言いつくされてしまいます。それにひきかえ、その生活が魂のもっとも高尚な領域で営《いとな》まれてきた場合には、その物語は厖大な言葉を要するのです。
アンリエットの手紙によって、私の目の前には一つの希望が輝きました。このすさまじい難破のなかで、私はたどりつくことのできそうな一つの島影を認めたのです。クロシュグールドでマドレーヌのそばに暮らし、彼女のために生涯を捧げるということは、私の心をゆさぶるさまざまな思いがことごとく満たされる生きかたでした。だが、それにはマドレーヌのほんとうの気持ちを知ることが必要でした。いずれにしろ、私は伯爵に別れを告げにいかなければなりませんでした。そこで、クロシュグールドへ出かけていくと、ちょうど築山《つきやま》の上にいる伯爵に出会いました。私たちは、長いあいだあたりを歩きまわりました。まず最初に、伯爵は自分の喪失《そうしつ》の大きさをよく知り、その喪失によって自分の内面生活にひきおこされたあらゆる損害を知悉《ちしつ》している人物としての語りかたで、伯爵夫人のことを話しました。しかし、この最初の苦痛の叫びがすむと、彼は現在よりもむしろ未来のことを思いわずらう態度を示しました。彼は娘を恐れていて、あの娘には母親のような優しさがない、と言ったりするのでした。マドレーヌのしっかりした性格のなかには、なにかしら凛々《りり》しいところと母親の優雅な美質とが入りまじっているのですが、それがアンリエットの優しさに慣《な》れきったこの老人を怯《おび》えさせ、なにものによっても屈することのない強固な意志の力がそこにひそんでいると、予感させたのです。しかし、こうしたとりかえしのつかぬ喪失を慰めてくれるのは、まもなく妻のもとへいけるという確信でした。この最近の日々の心の激動と悲しみによって、病的な状態はいっそう悪化し、昔の痛みがまたぶりかえしてきた、と彼は考えているのでした。父親としての自分の権威と、今後は家の女主人となるはずの娘の権威とのあいだに生じようとしている相克のために、やがて彼の生活は苦痛のうちに終わることになりそうでした。というのも、妻とならば争えた場合でも、子供にたいしてはいつでも譲歩しなければならないわけだからです。それにまた、息子のほうはいずれは家を離れることになるだろうし、娘も結婚するでしょう。だがいったい、どんな婿《むこ》がくるものやら? 彼はすぐにも死にそうなことを口にしてはいましたが、じつはこれからさきまだ長いあいだ、誰の好意も受けられずに、一人ぼっちで過ごさねばならないと感じていたのです。
妻の名において私の友情を求めながら、彼がもっぱら自分のことばかり話しつづけているそのあいだに、彼は現代のもっとも重々しい典型の一つである≪亡命貴族≫の巨大な姿を、私の前に完全に描きだしてみせたのでした。彼はうわべこそ弱々しく衰えていますが、しかしほかならぬその謹厳な性行と田園での仕事のせいで、生命力は彼のなかに根強く保たれていきそうにみえました。いま私が筆をとっているときにも、現に彼はまだ生きつづけているのです。
マドレーヌは、私たちが築山に沿って歩いている姿を目にとめたはずですが、こちらへおりてはきませんでした。私にたいして軽蔑の気持ちを見せつけるために、何度となく踏段のところへ出てきては、また家のなかへひっこんでいってしまいました。私は彼女が踏段のところへきた瞬間をとらえて、伯爵に城館《やかた》までのぼっていってくれるように頼んでみました。私はぜひともマドレーヌと話をする必要があったので、伯爵夫人から託された遺志を伝えることを口実にしたのですが、私にはもはや彼女に会うにはそれくらいの方法しかなかったのです。伯爵が彼女を呼びにいって、私たち二人を築山に残してその場をはずしました。
「ねえ、マドレーヌ」と私は切りだしました。「ぼくがあなたにお話ししなければならないとしたら、やはりここでお話しすべきではないでしょうかね、お母さまがぼくのことというよりはむしろ、人生のさまざまなことがらについての苦労を話される場合に、ぼくの意見を聞いてくださったここで? ぼくはあなたの考えておられることは知っていますが、しかしあなたは事実を知らずに、ぼくを非難しておられるのじゃありませんか? ぼくの生活とぼくの幸福はここの土地に結びついているのですよ、それはあなたもご存じのとおりですが、それなのにあなたはいままでぼくたちを結びつけていた兄弟のような親しみ、お母さまの死をきっかけにして、同じ悲しみの絆《きずな》でいっそう強く固められた兄弟のような親しみのかわりに、逆に冷たい態度をとられるようになって、ぼくを追いだそうとしていらっしゃる。マドレーヌ、あなたのためならば、ぼくはなんの報酬の望みがないとしても、またたとえあなたにそれを知ってもらえなくても、即座にぼくの命を投げだすことだってできますよ、ぼくたち男性というものは、生前に自分を保護してくれた女性の子供をそれほどまでに愛するものなのですが、ともあれ、あなたは、あのごりっぱなお母さまが、この七年のあいだ心に秘めておられた計画をご存じないのですよ、それがわかれば、たぶんあなたの気持ちも変わるだろうと思いますがね。でも、ぼくはそんな都合のいいことを望んではいません。ぼくがあなたにお願いするのは、この築山の空気を吸いにくる権利と、時が経つのにつれて社会の生活についてのあなたの考えが変わるのを待つ権利とを、ぼくからとりあげないでほしいということだけです。さしあたって、ぼくはあなたの考えに正面からぶつかることは控えます。いまあなたの心を混乱させている苦しみを、ぼくは尊重します。こういう言いかたをするのも、その苦しみのために、ぼく自身も自分のいま落ちこんでいる状態を正しく判断する能力を、奪われてしまっているからなのです。いまでもまだ、ぼくたちを見まもっておられるあの聖女のようなお母さまも、こうしてあなたの気持ちとぼくという人間とのあいだで、しばらくとちらともつかずとどまっていてくださるようあなたにお願いするだけにして、ぼくが慎重な態度をとることを許してくださるでしょう。あなたはぼくに反感を示しておられますけれども、ぼくはあなたをたいへん愛しておりますから、伯爵が熱心に押しすすめそうなある計画のことなどを伯爵にお話しするつもりはありません。どうぞ自由な気持ちでいらしてください。しばらく経ったら、ぼくほど気心の知れた男にあなたは誰一人としてめぐりあえないだろうということを、どうかよく考えてみてください……」
それまで、マドレーヌはうつむいて私の話に聞きいっていましたが、そこでふと手まねで私の言葉をさえぎりました。
「いいえ」彼女は心の動揺で声をふるわせながらそう言いました。「あたくしも、あなたのお考えはぜんぶわかりますわ。でも、あなたにたいする気持ちはけっして変わらないでしょうし、あなたとごいっしょになるくらいなら、アンドル川に身を投げるほうがましだと思います。あたくしは自分のことは言いたくありません。でも、母の名がまだあなたにたいしてなんらかの力をもっているならば、その母の名にかけて、あたくしがいるかぎり、けっしてクロシュグールドへはおいでにならないようにお願いいたします。あなたのお姿を見るだけで、あたくしの心には、なんとも言いあらわしようのない混乱が、けっして抑えきれそうにない混乱がおこってくるのです」
彼女は気品にみちた動作で私にあいさつすると、うしろをふりかえろうともせず、かつて母親がただ一日だけ見せたような冷静そのものの、しかしまた峻厳さにもみちた態度で、クロシュグールドへのぼっていきました。この若い娘の慧眼《けいがん》は、おそまきながらも、母親の心のなかをすっかり見ぬいていましたし、おそらく、彼女には忌《いま》わしい存在と思われていた男にたいする憎悪の念も、自分が無邪気な共犯者になっていたという後悔の念のために、いっそう大きくなっていたのかもしれません。そこでは、いっさいがまさに深淵でした。マドレーヌは、はたして私がこれらの不幸の禍根《かこん》であったか、それともまた犠牲者であったかをはっきり考えてみようともしないで、ただ私を憎悪しているのでした。もし母親と私が幸せな関係になったりしたら、彼女はきっと私たちを二人とも同じように憎悪したかもしれません。このようにして、わが幸福の美しき殿堂はすみずみまですべて破壊されてしまいました。ただ一人私だけが、この誰にも知られていない崇高な女性の生涯を全体にわたって知悉《ちしつ》する人間であったはずですし、ただ一人私だけが彼女の感情の秘密に通じている人間でしたし、ただ一人私だけが、彼女の魂全体をくまなく駆けめぐった人間だったのです。彼女の母親も、父親も、夫も、子供たちも、ついに彼女の真の姿を知らなかったのです。まったく奇妙なことです! 私はこの灰の山を掻《か》きまわして、それをあなたの目の前にひろげていると、楽しくなってくるのです。私たちは誰しも、このような灰の山のなかに、自分のもっとも貴重な財産に数えられるなにものかを見いだすことができるのです。どれほど多くの家庭に、それぞれのアンリエットがいることでしょうか! どれほど数多くの高貴な人々が、その心の底に測鉛をおろし、その深さとひろがりを計ってくれる聡明な歴史家に出会うことなく、この世を去っていくことでしょうか! これが、その真相において捕えた人生の姿なのです。往々にして、子供が母親の人柄を知らない場合があるのと同じように、母親のほうも子供を知らないことがあります。夫婦でも、恋人どうしでも、兄弟でも、事情は同じことです! 私にしたところで、いつか父の柩の前で、シャルル・ヴァンドネスを相手どって、その昇進のために私がずいぶん貢献《こうけん》してやったあの兄を相手どって、訴訟を起こす日がこようなどということを知っていたでしょうか? ああ、このうえなく単純な一つの歴史のなかにさえ、いかに多くの教訓がひそんでいることでしょうか! ともあれ、マドレーヌが踏段の出入口から姿を消すと、私は傷つき疲れはてた心をいだいて、家の主人たちに別れを告げにもどり、はじめてこの谷間にきたときに通ったアンドル川の右岸に沿って、そのままパリにむかって出発しました。私はポン・ド・リュアンの美しい村を、悲しい思いで通りすぎました。だが、私は金持ちでしたし、政治生活は私にほほえみかけていましたし、もはや一八一四年のあの歩み疲れた旅人ではなかったのです。あのとき、私の心には欲望があふれていました。だが、いまや私の目には涙があふれているのでした。かつて、私は前途に充実すべき生涯をもっていました。だがいまや私はそれが荒涼たるものであることをしみじみと感じていたのです。私はまだ若く、二十九歳でしたが、私の心はすでに色|褪《あ》せていました。この風景からあの最初の壮麗さを奪いとり、人生にたいする嫌悪を私の心に植えつけるためには、数年の歳月があれば充分だったわけなのです。ふとうしろをふりかえり、築山の上にマドレーヌの姿を見たときに、私の心がどのように動揺したか、いまはもうあなたにもよくわかっていただけるはずです。
どうにもならない悲しみに押しひしがれて、私はもはや帰る場所のことなど考えようともしませんでした。ダッドレイ夫人のことはまるで頭のなかになかったのに、私はそれとも気づかずに、いつもまにか彼女の家の中庭にはいりこんでいました。いったん愚かなことをしでかしてしまった以上、あとへひくわけにはいきませんでした。彼女の家では、まるで夫婦のように過ごす癖がついていましたから、別れ話からおこるさまざまのわずらわしさを考えながら、私は憂鬱な気持ちで階段をのぼっていきました。ダッドレイ夫人の人柄や言動がよくおわかりになっていらっしゃるならば、旅装のまま家令に案内されて広間へはいっていき、華やかに着飾って五人の男にとりかこまれた彼女の姿をみたときの、私の切歯扼腕《せっしやくわん》せんばかりの思いを想像してみてください。イギリスのもっとも有力な老政治家の一人であるダッドレイ卿〔再出人物の一人で、『人間喜劇』の諸編に挿話的に登場するが、きわめて背徳的でド・マルセーをはじめとして、数多くの私生児の父となった〕は、堅苦しくすましこみ、尊大さにみちた冷然たるようすをし、議会で見せているに違いない嘲笑的な態度でもって、暖炉の前に立ちはだかっていました。私の名を聞くと、彼は薄笑いをうかべました。アラベルの二人の子供たちは、この老貴族の私生児の一人であり、やはりその部屋で侯爵婦人のかたわらの二人用の長椅子に腰かけていたド・マルセーに驚くほどよく似ていましたが、この二人の子供たちも母親のそばにいました。アラベルは私の姿を見るやいなや、すぐさま驕慢《きょうまん》な態度を装い、彼女の家へなにをしにきたかとたえず問いつめでもするかのように、私の旅行用の帽子をじっとみつめるのでした。まるでいまはじめて紹介された田舎貴族にたいするような態度で、彼女は私の姿をじろじろと見まわすのでした。私たちのあの親密さ、あの永遠の情熱、もし私が愛を捨てたら死んでしまうというあの誓い、あのアルテミス〔イタリアの詩人タッソーの叙事詩『エルサレム解放』中の人物。魔術的な魅力をそなえた女性の典型とされる〕のような変幻きわまりない恋の幻想、すべては夢のごとくに消えさっていました。私は彼女と握手をしたことのない男であり、なんの関係もない他人であり、彼女は私など面識もないとでもいうようなありさまでした。外交官ふうの冷静さというものに多少は慣れはじめていたものの、私はすっかり驚かされてしまいましたが、私以外の誰にしたところで、私の立場になったら、やはり驚かずにはいられなかったことでしょう。ド・マルセーは、妙に気取ったようすで自分の長靴を調べまわしては、しきりに薄笑いをうかべていました。しばらく経つと、私は決意を固めました。ほかのすべての女にたいしてだったら、私もおとなしく敗北を甘受したことでしょう。けれども、恋のために死にたいと願い、いまは死者となった女性を嘲《あざけ》ったことのあるこの女主人公が、こうしてぬけぬけとしているさまを見ると憤激に耐えきれなくなり、私は無礼には無礼をもって報いようと決意したのです。彼女もブランドン夫人の不幸のことは知っていました。彼女にそれを思いださせるということは、たとえこちらの武器がそのために鈍磨するにしても、彼女の心臓を短刀で一突き突くことにはなるわけです。
「奥さま」と私は言いました。「こんな無作法な身なりでお宅へうかがったことも、許していただけるだろうと存じます、わたしがトゥーレーヌからたったいま帰ってきたところであり、ブランドン夫人から、一刻の猶予《ゆうよ》も許さぬ伝言を奥さまにお伝えしてほしいと依頼されていることがおわかりになれば。わたしは、じつは奥さまはランカシアにお発《た》ちになったのではあるまいかと心配しておりました。しかし、まだパリにご滞在でいらっしゃいますから、奥さまのお指図と、拝眉《はいび》を賜われる機会とをお待ちするつもりです」
彼女がだまって頭をさげたので、私はそのまま部屋を出てきました。この日以来、私は社交界の席上以外で彼女に会ったことはありませんし、そういう席で会うときには、私たちは愛想よく会釈《えしゃく》をかわして、ときおり警句をやりとりするだけなのです。たとえば、私が彼女にむかって、ランカシアの女性は慰めにくいと言うと、彼女のほうは、失意を飾りたてて胃病のせいにするフランス女性のことを、私に語るというしだいです。彼女がいろいろお節介を焼くおかげで、現在彼女がたいへんかわいがっているド・マルセーは、私にとっては宿敵となっているのです。そこで私のほうも、あの女は親子二代を相手に結婚していると言ったりするのです。
こういうわけで、私の破綻《はたん》には一つとして欠けたところがありませんでした。私はサッシェに閉じこもっているあいだにきめたあの計画を実行に移しました。ひたすら仕事に打ちこみ、学問、文学、政治に没頭しました。シャルル十世の即位のさい、亡くなった前国王のもとで携《たずさ》わっていた職が廃止されたこともあって、私は外交界にはいりました。このときいらい、たとえどんなに美しく、どんなに才気にあふれ、どんなに愛情豊かな女性であろうとも、いかなる女性にもけっして注意をむけるまいと決心したのです。この決心は、私の場合、すばらしい成功を収めました。私は信じられぬほどの精神の平静さと、仕事にたいする厖大な力とを獲得し、そういう魅力ある女性たちが、ほんのちょっと愛想のいい言葉をかけさえすればすぐ償いはつくなどと思いこんで、私たち男性の生活からどんなものを浪費させているか、すべて理解することができました。しかし、私のそういう決意はことごとく挫折してしまいました。そのいきさつと理由とは、あなたがよくご存じです。
愛するナタリーよ、まるで自分自身に語りかけるように、なにも包みかくさず、なんの技巧も弄さずに私の生涯をお話ししたために、また、あなたはなんの役割も演じておられないさまざまな感情のことを語ったために、ことによると、あなたの嫉妬ぶかく感じやすい心を傷つけてしまったかもしれません。しかし、世のありきたりの女性ならば憤激を買いそうなことがらも、あなたにとっては、私を愛する一つの新しい理由になるにちがいない、私はそう確信しています。すぐれた女性というものは、苦しみに悩む病《や》んだ魂にたいして、一つの崇高な役割をはたさなければなりません。傷口に優しく包帯《ほうたい》をあてる慈善病院の修道女のような、また子供を許してやる母親のような役割を。芸術家や大詩人だけが苦しんでいるわけではありません。みずからの情熱や思想のおよぶ範囲を拡大しつつ、国のため、国家の将来のため生きている人々も、往々にしてまことに痛ましい孤独の境涯をつくりだすことがあるものなのです。そういう人々にとっては、かたわらに清らかで献身的な愛を感ずることが必要なのです。彼らがその愛情の偉大さと価値とをはっきり理解していることを、くれぐれも信じてください。ともあれ、明日になれば、あなたを愛したのがまちがっていたかどうか、私にも判然とするでしょう。
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フェリックス・ド・ヴァンドネス伯爵に
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〈親愛なる伯爵さま、あなたはそのお気の毒なモルソーフ夫人から一通のお手紙をお受けとりになられ、あなたのお言葉によれば、それが世間で身を処していく上に無益ではなかったということですし、またそのおかげで、あなたは現在の偉大なるご栄達を遂げられたわけですのね。そのあなたのご教育の最後の仕上げを、どうぞこのわたくしにやらせてくださいませ。お願いでございますから、あなたのその忌《いま》わしい癖をお捨てくださいませ。しじゅう最初のご主人の話ばかりして、二度目のご主人の面前に亡くなったご主人の美徳ばかり投げつけるような、そんな未亡人のまねみたいなことはおよしあそばしませ。わたくしはフランスの女でございましてよ、伯爵さま。ですから、自分の愛する男性ならどんな方とでも結婚いたしたいと存じますが、ありのままに申しあげて、モルソーフ夫人にはとても与《くみ》しかねますの。当然それにふさわしい注意を凝《こ》らしつつ、あなたのお手紙を読み終えたあとで、それにわたくしがどんなにあなたのためを思っているかはご存じのとおりでございますが、ともあれお手紙を読み終えたあとで、あなたはダッドレイ夫人にたいしては、モルソーフ夫人の完全さをもちだして夫人をひどくお悩ましになり、いっぽう伯爵夫人にたいしては、イギリスふうの愛の策略のことをしきりに浴びせかけて、夫人をたいへんお苦しめになったらしいという気がいたしましたの。わたくしは、あなたのご好意を得ているということよりほかに、なんの長所もない哀れな女でございますが、あなたはそのわたくしにたいしてまで、心ない所業をなさったのです。なにしろ、あなたは、わたくしがアンリエットのようにも、またアラベルのようにもあなたを愛してさしあげていない、と仄《ほの》めかされたわけでございますものね。わたくし、自分は至らぬ女だと認めておりますし、至らぬ点は自分でよく知っております。けれども、なぜ、それをこんなに手荒く感じさせるようなことをなさいますの? わたくしがどなたに同情しているか、おわかりになるでしょうか? あなたがやがてお愛しになる、四人目の女性でございます。その女性は、否応なしに三人の相手と戦わざるを得ないことになりましょう。ですから、わたくしといたしましては、あなたのためにも、またその女性のためにも、あなたの記憶力という危険なものを警戒されるよう、あらかじめ申しあげておかなければなりませんの。わたくし、あなたを愛するというつらい名誉はあきらめることにいたします。だって、それにはあまりにも多くのカトリック的な、あるいはイギリス国教会的な美点をもたなければなりませんし、わたくしは、幻影と戦おうという気はありませんもの。クロシュグールドの聖母の数々の美徳は、このうえなく自信の強い女性をさえ絶望に追いやるでしょうし、いっぽうまた、あの勇敢なる乗馬服の女性は、このうえなく大胆な幸福への願望をさえ挫《くじ》きさってしまいます。たとえどんなに努力したところで、一人の女の身で、みずからの願望に匹敵するほど大きな喜びをあなたのために生みだすことなど、けっして期待できはいたしますまい。真心にせよ、感覚にせよ、あなたの思い出にはけっして勝てますまい。わたくしたちがよくごいっしょに乗馬をすることを、あなたはお忘れになっていらっしゃいましたのね。わたくしは、聖女アンリエットの死でもって冷たくなった太陽を、もう一度暖めてさしあげることはできませんでしたし、わたくしのそばにいらっしゃると、いまにあなたは寒けに襲われることになりましょう。親しいあなた――と申しますのは、あなたはいつまでも親しいお友だちだからでございますが――どうぞこのような告白、あなたの幻滅をむきだしにし、愛情を挫き、相手の女性の自信をぐらつかせるようなこのような告白を、いつかもう一度はじめることだけはさしひかえてくださいませ。伯爵さま、愛というものは、信頼だけで生きるものでしてよ。女というものは、なにかちょっと言ったり、あるいはまた馬に乗ったりする前には、あの清らかなアンリエットならもっと上手に言うのではないのかしらとか、アラベルのような乗り手ならもっと優雅さを発揮するのではないかしらなどと考えるものですけれど、そういう女は、これは信じていただきたいことですが、きっと脚も舌もふるえだしてしまうことでしょう。心を酔わせるようなあなたのその花束を、幾つかいただきたいという望みがわたくしの心にもわいてまいりましたけれども、でも、あなたはもうそういう花束をおつくりにはなりません。そんなふうに、あなたがもうおやりになるお気持ちのないようなことがらは無数にありますし、あなたにとってもう二度とよみがえるはずのない思いや楽しみも、無数にあるのですわ。どんな女性でも、これはくれぐれも覚えておいていただきとうございますが、あなたが面影をいだきつづけている亡き女性と、あなたのお心のなかで肱《ひじ》をふれたいなどとは思わないでしょう。あなたはわたくしにむかって、キリスト教徒ふうの思いやりで愛してほしいと望んでおられます。正直に申しあげて、わたくしにしても、思いやりの心で数かぎりないことをやれますし、どんなことでもできるでしょうけれども、ただ愛だけは別でございます。
あなたはときおり他人に退屈な思いをおさせになったり、ご自分でも退屈なさったりすることがおありですし、ご自分のその陰気くささを憂鬱症と名づけていらっしゃいますが、ほんとにけっこうなことでございますわね。それにしても、あなたはやはり気づまりな方ですし、あなたを愛している女に痛ましい気苦労をおあたえになるのです。わたくしはあまりにもしばしば、わたくしたち二人のあいだにある聖女のお墓にぶつかりました。わたくし、自分の心をとくと考えてみましたし、自分という女のことはよく知っておりますが、あの方のような死にかたはしたくないのです。たいへんすぐれた女性でいらっしゃるダッドレイ夫人ですら、あなたにたいしてやりきれない思いを感じたのだとしたら、激しい欲望をもっていないわたくしなどは、あの方よりももっと早く心が冷えはしまいかと心配ですの。とにかく、あなたという方は、もはや亡くなった女性としか愛の幸福をお味わいになれないわけなのですから、わたくしたちのあいだから、愛をとりのぞくことにいたしましょう、そうして、いつまでもお友だちでいることにいたしましょう。わたくしは、そうお願いしたいのです。なんということでございましょうね、伯爵さま。あなたという方は、人生の門出にさいしてすばらしい女性、あなたのご栄達のことばかり考え、あなたに貴族院議員の地位を授け、酔ったようにあなたを愛し、しかもあなたには忠実さを守ってほしいとしか要求しなかった申しぶんのない女性をおもちになったのに、しかもその女性を悲しみのために死なせておしまいになったのですわ! とにかく、これほど非道な話はついぞ知りません。パリの舗道に野心の裾《すそ》をひきずっているこのうえなく激しい渇望に燃え、しかもこのうえなく不遇な青年たちでさえ、誰彼の別なくみんながみんな、あなたご自身ではそれとお気づきにもならなかったその恩恵の半分でも獲得するためとあらば、十年間でも賢明に身を処しつづけることでしょうに。そんなふうに愛されているのに、なおその上になにを要求できるというのでしょう?
ほんとにお気の毒に、その方はとてもお苦しみになったでしょうに、あなたはほんのちょっと感傷的な言葉をお述べになって、それでその方の柩《ひつぎ》への責任はすんだと思っていらっしゃるのです。それがたぶん、わたくしのあなたへの愛情の行方《ゆくえ》に待っている報酬なのでしょうね。ありがたいことではございますが、伯爵さま、わたくしは墓のむこう側にも、また墓のこちら側にも、恋敵をもちたいとは存じません。自分の良心にこのような罪をもっている場合には、せめてそれを口外しないようにいたさなければなりません。わたくし、あさはかなお願いをいたしました。それと申すのも、わたくしは女としての役割を、つまりイヴの娘という役割を演じていたからなのですわ。それにたいして、あなたの演ずべき役割は、わたくしへのご返事をどこまでの範囲に限るか、よくご考慮なさることにあったのです。要するに、わたくしをおだましになるべきだったのです。そうすれば、あとあと、わたくしは感謝いたすことになったでしょうに。あなたには、艶福家《えんぷくか》の徳というものがまるでおわかりになっていないのでしょうか? 艶福に恵まれていらっしゃる方々が、自分はいままで恋をしたことがない、いまはじめて恋をするのだとわたくしたちに誓ってくださるとき、それがどんなに思いやりの深いふるまいになるか、あなたには感じとれないのでしょうか? あなたのご計画は、とても実行のできないものですわ。モルソーフ夫人であるとともにダッドレイ夫人であること、でも、こんなことは水と火をいっしょにしようというようなものではありませんかしら? あなたという方は、女性をご存じないのでしょうか? 女性というものは、所詮はあるがままのものであって、それぞれ長所につながる欠点をもっているはずのものなのです。あなたはダッドレイ夫人に早くお会いになりすぎたので、あの方の値打ちをお認めになれなかったわけですし、あの方のことを悪くおっしゃるのも、けっきょくはあなたの虚栄心が傷つけられた腹|癒《い》せのように思えますの。あなたはモルソーフ夫人のほんとの心を理解なさるのが遅すぎましたし、あなたはお二人の一方がもう一方でないという罪を、お咎めになったわけですわ。では、お二人のどちらでもないわたくしの身には、いったいどういうことが起こるのでしょうか?
わたくしはまだあなたに好意をおもちしておりますから、あなたのご将来のことをとくと考えてみました。なにしろ、いまでもたいへんお慕いしているのですもの。まるで≪憂《うれ》い顔の騎士≫〔セルバンテスの作中人物ドン・キホーテの綽名〕のようなあなたのお姿に、わたくしはずっと心をひかれつづけてまいりました。と申すのも、憂鬱に沈みがちな方々は節操が堅いものと思っておりましたから。けれども、あなたが世間への第一歩を踏みだされるにさいして、女性のなかでももっとも美しく、もっとも貞淑な方を死なせたとは、まるで存じませんでした。そこで、わたくしは、今後あなたのとるべき道を思案してみましたの。ほんとうに、ずいぶん考えてみました。あなたは、たとえばシャンディ夫人〔イギリスの小説家ローレンス・スターンの小説『トリストラム・シャンディの生活と意見』の女主人公。偉大な数学者だが、狂人とさえ思えるような脱俗的な奇行の多い夫に献身的に奉仕し、しかも陽気にふるまう模範的な妻として描かれ、美徳にみちた女性の一つの典型と考えられている〕のような方とご結婚あそばすほかはない、わたくしはそう思いますの。恋についても情熱についてもなにもご存じなく、ダッドレイ夫人のこともモルソーフ夫人のことも気にかけたりなさらず、あなたが雨のように鬱々《うつうつ》と楽しまれなくなる、あのあなたが憂鬱症と呼んでおられる時間についてもひどく無頓着で、あなたにとっては、まさしくご要求通りの慈善病院の修道女のようにおなりになれる、シャンディ夫人みたいな女性と。愛すること、ただ一言に身を震わせること、幸福を待ったり、幸福をあたえたり、幸福を受けとったりする術を身につけること、情熱のあまたの嵐を感じられること、愛される女性のささやかな虚栄心をともに分けもつこと、親愛なる伯爵さま、そういうことはどうぞもうおあきらめくださいませ。若い女性については、あなたのお優しい天使がお授けになった助言に、あなたはお従いになりすぎるほどよくお従いになりましたわ。あんなふうに若い女性をきちんとお避けになったので、あなたは若い女性というものがわかっていらっしゃらないのですわね。モルソーフ夫人が、最初から一挙にあなたを高い地位におつけになったのは、たしかにごもっともなお考えでした。でなければ、あなたはすべての女性の敵におなりになり、どんなものにもおなりになれなかったでしょうから。いまとなってはあまりにも遅すぎて、新しくご研究をおはじめにもなれますまいし、わたくしども女性が嬉しい気持ちで聞ける言葉をお学びにもなれますまいし、必要なときには堂々とふるまわれることもできますまいし、わたくしどもが甘えていたいときに、わたくしの他愛もない甘えかたを喜んでくださるわけにもいきますまいね。わたくしども女性だって、あなたが考えておられるほど愚かではございません。わたくしどもが愛する場合には、自分が選んだ男性を、なにものにも優る方と考えますの。自分がすぐれているという信念がぐらつけば、愛情も同じ原因からぐらつくことになりますわ。わたくしどもを喜ばせてくだされば、あなたご自身もお喜びになれるのです。あなたがこれからも社交界におとどまりになり、女性たちとのご交際をお楽しみになろうというおつもりならば、わたくしあてに書いてくださったようなことがらは、どうぞ慎重に隠しておくようになさいませ。女というものは、自分の愛の花々を岩の上に撒《ま》きちらすことも好みませんし、しきりに甘い言葉をふりまいて、病《や》んだ心を癒《いや》すことも好まないのでございますから。ああいうことをなさるようでは、すべての女性があなたのお心の枯渇《こかつ》に気づくでしょうし、あなたはいつまでも不幸なままでいらっしゃることになりましょう。わたくしが申しあげておりますようなことを、率直に申しあげられる女性、そうして、みずからあなたの献身的なお友だちと名乗って、わたくしがいまやっておりますようにあなたに友情を捧げながら、なんの恨みもなくお別れできるような優しい女性、そんな女性はすべての女性のなかでもあまり見あたらないのでございます。
ナタリー・ド・マネルヴィル
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解説
一 生い立ち
オノレ・ド・バルザック(Honore de Balzac)は一七九九年、大革命の余震がまだおさまらないころ、フランス中部地方のトゥールという、当時人口二、三万の小さな町に生まれた。父親は五十二歳、この町の高級官吏で、フランス南部の百姓の出、母親は非常に若く二十歳、このほうはパリで代々商業をいとなむ市民階級の出だった。バルザックの父親には社会問題をあつかった二、三の論文があるし、母親も神秘主義の宗教書を好んで読むような一面があったし、当時の市民階級としてはまず相当インテリくさい家庭だった。
母親は、まえの年生まれた長男を自分の乳でそだてることに失敗して、生後一か月で死なせてしまった。それにこりたのか、次男のオノレは生まれるとすぐ、サン・シールという近くの村に里子にやった。トゥールの町の北はずれをフランス第一の長流ロワール河が東から西に流れているが、サン・シールの村はトゥールのすぐ対岸の丘にある。四歳のとき父母の家に連れもどされたが、若くて美しい母親はオノレをあまりかわいがらなかった。それよりもオノレが八つのときに生まれたアンリという男の子のほうを、よけいにかわいがった。トゥールの南西二十数キロ、アンドル川ぞいにサッシェという村があり、そこの小じんまりした城館《シャトー》に住む若い貴族がアンリの実父だという。つまり母親にとって次男のオノレは結婚の自然の成行きであり、末子のアンリは恋の美しい果実というわけだ。アンリが母親に甘えほうだいに甘えているのに、バルザックのほうは冷たくきびしい目つきに追いまわされて、いい加減大きくなってもまだオドオドしていた。
八歳から十四歳まで、トゥールの北東五十キロばかりの田舎町で寮生活をおくった。そこの学院にはきびしい規則があって、生徒は卒業するまで一回の帰省もゆるされない。家族のほうから面会に出かけるのである。ところがバルザックの母親は、六年間を通じてわずかに二度しか会いに行かなかった。ポカンとしているのでよく教師に叱られた。不足がちの小づかい銭では遊戯の道具が買えず、放課後の遊びの仲間にも入れてもらえなかった。彼はひとりかくれて本ばかり読んでいた。年端もいかないのに、宗教、哲学、歴史、物理学など、図書館から手あたりしだい借り出して、あらゆる本を読んだ。幼年時代から母の愛を知らなかったことを最初の不幸とすれば、少年心理に暗い教師たちの無理解と、わびしく味気ない寮生活、これをバルザックの第二の不幸、第二の悲しみと呼んでもさしつかえあるまい。
父親のパリ転任にともない、十五歳でパリに出てきたバルザックは、ここでも二年ばかり私塾に入れられて、そこから高等学校にかよった。ラテン語の点がわるく、母親から手紙でひどく叱られたこともあった。社交のたしなみとしてダンスを習わされたが、臆病でもあり不器用でもあって、稽古場ではいつも壁ぎわのベンチにへばりついていた。十七歳から十九歳までソルボンヌで法律を学んだ。それといっしょに法律事務所にもかよって、実地に法律事務の見習いをさせられた。しかしこの三年間、ただ法律一本槍ですごしたわけではない。法律の勉強は父親の命令でいやいやながらのことだったが、当時評判の文学の講義には時間をさしくって熱心に出席した。そして家では哲学の本をせっせと読んだ。『霊魂不滅についてのノート』とか『哲学ノート』とかいう最初の試作断片がいまも残っている。哲学所を読んで頭を緻密にきたえたわけで、十八歳前後のこの三年間は、彼の精神形成にとってとくに重大な時期と考えられる。
二十歳になったバルザックは、生まれてはじめて両親に反抗した。父親のあまい期待を裏切り、母親のいつもの弾圧をはね返して、はっきり文学者として立つ決意を表明したのだ。彼はパリの場末のバスティーユ広場に近い屋根裏部屋に立てこもって、苦しいけれども楽しい文学修業の道にはいった。この習作時代は十年間つづくが、途中でふと魔がさしたのか、経済的独立をはかるつもりで出版業や印刷業などに手を出し、みごとに失敗して十万フランという、若い身空の無名文士にはとてもしょいきれないほどの、莫大な借金をこしらえた。一時は思いつめて自殺を考えたこともあったが、生来の楽天主義と強い意志が支えとなって、とにかく筆一本でこの赤字の山を切りくずす覚悟をきめた。
文壇へのデビューは三十歳である。『ふくろう党』と『結婚の生理』という二つの長篇小説が出世作だが、三十二歳になると『あら皮』という、なかば写実的なかば幻想的な長篇を書いて、国外では晩年のゲーテに注目され賞賛された。暗中模索の長い修業時代がここにりっぱな実をむすんで終わったわけで、バルザックは堰《せき》を切ったように猛烈な勢いで書き出した。矢つぎ早に生み出される作品は潤沢に稿料や印税をもたらした。本来ならば例の赤字の山もしだいに低くなるはずだったが、もともとぜいたく好きに出来ている上に、上流社交界に色目をつかって派手にふるまうので、借金はむしろふえるばかりだった。シュテファン・ツヴァイクの伝記文学の傑作『バルザック』によれば、「彼の右手つまり書くほうの手がねばり強くもあれば酔ったようでもあるすばやい仕事でかき集めるものを、彼の左手つまり浪費家の手がめくら滅法界に使ってしまうのだ」そこで多くの興味ある逸話がつたえるように、彼は死ぬまで借金とりに追いまわされた。手形の切替えだけで当面をごまかす生活、いつ執達吏に踏みこまれて家財道具に封印をおされるかわからないような生活、――こういう不安が二十代の終わりごろからはじまる第三の不幸だった。
母の愛が薄かっただけに、よけいバルザックはよその女に愛を求めた。彼の感情生活にはいろんな女性がにぎやかに登場するが、まっさきにあげるべきはベルニー夫人の名前である。彼女は宮廷音楽師の娘で、ブールボン王朝の落日のかがやきを目のあたり見ながら、ヴェルサイユの宮殿で少女時代を過ごした。そして十六歳の春、ちょうど大革命のまっさいちゅうに、古い家柄の青年貴族と結婚した。バルザック家とベルニー伯爵家とはパリでもヴィルパリジという村でも、お互い近所同士だったので、かねてから親しい交際があった。しかしロール・ド・ベルニーとバルザックがはじめて会ったのは前者が四十四歳、後者が二十二歳の夏のことで、場所はバルザックの父親が引退生活をおくっているパリ東北二十キロほどのヴィルパリジの村であった。
宮廷や貴族社会を知っているだけに、ベルニー夫人は自然物腰が優雅で、機知に富む話術を心得ていた。鼻はギリシャ型、目は特別大きく、深い教養を思わせるやさしい光をたたえていた。そして大革命のいろんな悲惨事を見聞きしたせいか、その卵なりの上品な顔にはどこかに愁いの影がさしていた。バルザックはたちまち彼女の魅惑のとりこになって、暇さえあればベルニー家に足を運んだ。そこの子供たちの学課を見てやるというのが口実だった。バルザックのひたむきな情熱にしだいにおしまくられて、夫人も最初の母親らしい好意だけを持ちつづけていくことができなくなった。いつの間にか夫人のほうにも愛情が芽生え、それがやがて生涯の最後の恋に変わっていった。
バルザックをはじめて愛した女、はじめて彼の天才をみつけた女、それがベルニー夫人であった。二十代の名もない文学青年をはげまし力づけ、十年の辛苦にみちた修業時代を、いつもそばからやさしくなぐさめたのがこの女であった。年若い愛人のあぶなっかしい出版業その他の事業にも、惜しみなく金銭上の援助をあたえた。あわただしく書きとばす原稿をていねいに読み、まずいところは遠慮なく指摘し、校正を手伝った。その後バルザックには何人も愛人が出来たが、彼女ほど純粋に彼を愛した女はひとりもない。もちろん二人の歳があまりにも違いすぎているために、ときたま誤解や嫉妬にはばまれて、二人の愛欲の道はつねに必ずしも平坦だったわけではないが、ベルニー夫人がいなかったら後年のバルザックが出来上がったかどうかは疑問である。夫人は青年バルザックを母親の圧制から解放し、その荒削りの感性に磨きをかけた。彼を女性の心理に明るい、一種独特の作家に仕立てた影の功労者だった。
ベルニー夫人は五十九歳で死ぬが、晩年は当然のことながらまた母親ないし友だちの立場にもどって、むかしの愛人の新作があらわれるたびごとに批評や激励やらを怠らなかった。夫人が死んで間もなく、バルザックはあるひとにあててこう書いている。――「はげしい嵐のあいだ、彼女は言葉で行為で献身で、ぼくを支えていてくれました。ぼくがいまもなお生きているのは、ひとえに彼女のおかげです。彼女はぼくにとってすべてでした」
二 「谷間のゆり」
フェリックス青年がモルソーフ伯爵夫人の住むクロシュグールドの城館《やかた》をはじめて訪ねた日から、夫人の死後、断腸の思いで谷間に別れを告げるときまで、およそどれほどの月日がたったか、次にそれを簡単な表にまとめてみよう。フェリックスが谷間で夫人と愛を語ることができた期間を、かりに【谷間】と名づけ、夫人のそばを遠くはなれていた期間を、かりに【不在】と呼んでおく。
【谷間】その一。愛の芽生え。フェリックス二十歳、モルソーフ夫人二十九歳。(一八一四年八月〜同年十月末)
【不在】その一。フェリックス、ナポレオンの百日天下のさいちゅう国王の密使となってフランス国内に潜入。(一八一四年十月末〜一八一五年六月末)
【谷間】その二。久しぶりで顔を合わせた二人は、愛の深まりを互いに認めあう。(一八一五年六月末〜同年七月はじめ)
【不在】その二。フェリックス宮内官として重く用いられる。(一八一五年七月〜一八一七年八月)
【谷間】その三。モルソーフ伯爵の病気をきっかけに、二人はいっそう親密になる。フェリックス二十三歳、伯爵夫人三十二歳。(一八一七年八月〜同年十一月はじめ)
【不在】その三。フェリックス、アラベルの愛欲の罠に落ちこむ。(一八一七年十一月〜一八二〇年六月はじめ)
【谷間】その四。アラベルとモルソーフ夫人の夜の出会い。フェリックス二十六歳、モルソーフ夫人三十五歳。(一八二〇年六月の数日)
【不在】その四。フェリックスしだいにアラベルから離れる。(一八二〇年六月〜同年十月)
【谷間】その五。モルソーフ夫人の死。(一八二〇年十月)
右のようにフェリックスは何度もモルソーフ夫人と別れてパリに出ていく。パリ滞在は回を追って長くなるが、しかしその重要性は逆にだんだんへっていく。いっぽう彼の谷間での逗留《とうりゅう》はしだいに短くなるが、漸増《ぜんぞう》的に重大な意味をもつようになる。そしてこの小説のいろんな事件や挿話は、かような「時」の弛緩《しかん》と緊迫をこもごもはらみながら、結末を目ざして不可抗的に積み重ねられていく。巧みな構成といわなくてはならない。
右の表にもあるように、【谷間】その一は一八一四年八月にはじまるが、フェリックス青年とモルソーフ伯爵夫人の初対面はそれより二か月あまりまえの五月二十五日である。この日トゥールの町では国王の甥アングーレーム公の帰還を祝って盛大な舞踏会がもよおされたと本文にあるが、アングーレーム公のトゥール通過にしろこの日の舞踏会にしろ、いずれも作者の小説的虚構ではなく、れっきとした史実である。この日どこのだれともわからない青年からいきなり肩先に接吻をあびせかけられたモルソーフ夫人は、いわば官能の開眼を強いられて、それからわずか六年半ほどのあいだに生命を燃やしつくして死んでいく。しかもこの間フェリックスと親しく言葉をかわすことができたのは、右の表の断続的な【谷間】を全部よせあつめても半年そこそこにしかならない。この小説が分量のわりに退屈を感じさせないのは、主要人物二人の接触と心理が、長い不在と短い再会の繰り返しという興味ある状況のもとに描かれているからだろう。
「あててごらん、だれをつれてきたか。……フェリックス君だよ。」そう伯爵から声をかけられ、モルソーフ夫人は意外な再会に茫然自失する。こうして【谷間】その二がはじまる。意外といえば、フェリックスのほうでも意外だったわけで、もともと彼は去年同様クロシュグールドの城館《やかた》ではなく、フラペールの城館に宿をとるつもりだったのである。ところが、ふだん人づきあいがわるいくせに、伯爵はなぜか急に好意的になり、危険をおかしてフェリックスをかくまう気になる。モルソーフ夫人もいっとき女らしい警戒心を忘れ、あれこれ親身になって青年の世話をやく。いささか不自然な場面のようにも思われるが、しかし考えてみれば時はまさに百日天下の末期であり、フェリックスは国王の密使である。つまり特命を奉じて潜行する青年の不意の出現が、田舎ずまいの伯爵夫妻の胸に王党意識を目ざめさせたまでのことで、物語はかような歴史的設定に助けられて、なんの無理も淀みもなく進行する。
【谷間】その三では伯爵が腸チフスだかパラチフスだか知らないが、悪性の炎症にかかる。快復後、フェリックスと伯爵夫妻の三角関係は、モルソーフ夫人が思い切って一歩踏み出さないかぎり、どうにも持ちこたえられないものになる。と、ちょうどそのとき国王の命令でフェリックスがパリに呼びもどされ、場面はやっと膠着《こうちゃく》状態から抜け出す。国王の絶対力が意外なとき意外なところに働いたのである。小説の読み巧者で、スタンダールとバルザックの愛読者として聞こえている哲人アランは、この小説を評して「これはロワール河のほとりの城館《やかた》から眺めた百日天下の歴史だ」といった。パリを遠くはなれたアンドル川の谷間にも、時代の波は容赦なくおしよせる。クロシュグールドの城館の生活も、陰に陽に中央政界の情勢に支配される。バルザックはかような機微を深くさぐってプラトンふうの恋物語に「時代」の箍《たが》をしっかりはめこんだわけだが、右の名文句は、アランが作者のそういう用意を十分読みとったことを示している。
この小説にはバルザックの自伝的要素がかなり豊富に見られる。ちょっと読んでもわかるように、フェリックスの生い立ちは作者自身の経歴に多少の潤色をほどこしたものだし、モルソーフ伯爵夫人の容姿や性情に若いころのベルニー夫人の面影がしのばれるとしても不思議はない。しかし伯爵夫人がフェリックスとおなじく母の愛を知らなかったというくだりは、ベルニー夫人の少女時代ではなくハンスカ夫人のそれを写したものだという。バルザックのもう一つの恋物語、ポーランドの名家に生まれてロシア領ウクライナの大地主の妻となったハンスカ夫人が、前後十八年の愛人関係を経てバルザックの死ぬ五か月まえにその正妻となったいきさつは、ベルニー夫人の場合同様ひろく世に知られている。
フェリックスがモルソーフ伯爵夫人の葬儀のあとしばらく滞在するサッシェの城館《やかた》は、バルザックにとって熟知の建物であり、フェリックスが「谷間のゆり」を求めてトゥールからフラペールの城館まで歩いた道は、バルザックがじっさいに行きなれた道でもあった。バルザックのサッシェ逗留は少年時代の一八一三年にはじまり晩年の一八四八年におよぶが、ことに三十代はほとんど毎年のようにこの谷間にきてパリ生活の疲れをやすめるいっぽう、城館のあるじマルゴンヌ氏の寛容にあまえて執筆に没頭した。城館はバルザック記念館として現存し、かつてバルザックが仕事部屋兼寝室として用いていた三階の一室、マルゴンヌ一家やその知人たちと夕食後の談笑を楽しんだ二階のサロンなど、代々の所有者のゆかしい配慮からいまもなお当時のままの姿をとどめている。
モルソーフ夫人の恋敵ダッドレイ夫人がフェリックスとの夜の逢引につかったざくろ屋敷も作者の虚構ではない。この名で呼ばれる家はトゥール対岸の、バルザックが幼年時代の四年間をすごしたサン・シールの村にあり、巻末年譜にもあるとおり、彼は一八三〇年に別荘ふうのこの屋敷で三月あまりの田園生活をベルニー夫人とともにしている。現在もほぼ当時のままに残っているこの思い出の家を舞台として、のちにバルザックは哀切きわまりない好短編『ざくろ屋敷』を書いた。――以上のべたことによっても、彼の生まれ故郷トゥーレーヌ州がこの小説でどんなに大切な役割をはたしているかがわかる。もしこの小説の背景にトゥーレーヌ州がなかったとしたら、果たしてこれだけの牧歌的情調や香気が味わえるかどうか疑問である。
この小説の組立てについて一言すると、これは三つの部分から成り立っている。第一はフェリックスのごく短い手紙で、愛するナタリー・ド・マネルヴィル伯爵夫人にあてて、彼女のせっかくの頼みだから「手記」をとどけると書いてある。第二がその手記で、分量からいうとこの小説のほとんど全部を占めている。モルソーフ夫人の死後、大分してから書かれた告白体の手記である。「思えばこれが、かつて男の心におそいかかった最もはげしい恋の結末だったのか。青春の最も美しい感情や最も大きな劇は、いつもこんなぐあいに終わるものなのか」という感慨をこめて、もはやどうにもならない愛の谷間の出来事を回想している。第三はこの長い手記を読まされたマネルヴィル伯爵夫人の、フェリックスに対する痛烈な縁切り状である。すなわちこの小説は単に【谷間】だけでおわるのではなく、第一段が「谷間のゆり」、第二段がそれを書いたフェリックスのその後の恋愛事件という、二段構えになっている。しかも作者はまったく顔を出さず、全体の筋はすべて作中人物の手記や手紙だけで進行するから、作者が何をどう考えているのか、少なくとも直接には知るよしもない。いっさいはあげてわれわれ読者の自由な判断にまかされているわけだ。いかにも巧妙な仕組みともいうべきで、ここにも作者バルザックの深い用意がみとめられる。
一八三五年、五十八歳のベルニー夫人はパリ南方八十キロのヌムールにほど近い小さな村で病みおとろえていた。子供たちの病死や発狂など、不幸が重なって彼女をめっきり弱らせたのだった。バルザックはこの年しばしば見舞いに出かけ、おりから執筆中の『谷間のゆり』の原稿や校正刷を枕もとで読んで聞かせた。十月のある日、「わたしは安心して死ねます」と、彼女はいった。『谷間』は傷も何もない崇高な作品であり、自分はバルザックの頭上に勝利の栄冠のかがやく日を長いこと夢みていたが、もはやその日のくることは確実だからというのである。ただ一つ、モルソーフ夫人が臨終の場面で口ばしる恐ろしい悔恨のことば、あれはなくもがなだと思う。彼女の美しい遺書がそのためにそこなわれるからといった。――これがバルザックの守護天使ともいえるたぐいまれな女性の最後の助言だった。そしてバルザックにしても、この月の滞在がベルニー夫人の見納めとなった。翌一八三六年六月『谷間のゆり』がいよいよ本になると、さっそくそれは病床にとどけられて大きな喜びを生んだが、それからひと月あまりで彼女は死んだ。こうしてこの小説は作者がひそかに考えていたように、ベルニー夫人をたたえる文学的記念碑となったのである。しばらくしてから再版が出るはこびになると、彼は亡きひとに指摘された場面からおよそ百行ばかりを、「敬虔な思いをこめて」けずった。
この作品を献呈された巻頭のナカール博士というのは、バルザックが青年時代から死ぬまで世話になった彼の主治医である。一時医学アカデミーの院長をつとめたこともあるこの学究肌の医者は、バルザックに医学上の新知識をゆたかに供給し、金にこまっているときはいつも快く無心に応じた得がたい友人でもあった。