谷間のゆり(上)
バルザック/菅野昭正訳
目 次
ナタリー・ド・マネルヴィル伯爵夫人に
二つの幼年時代
初恋
J=B・ナカール氏に
親愛なる博士、これはおもむろに、かつ辛苦をこめて構築された文学的建造物の第二群の土台石(*)において、最大の彫琢《ちょうたく》を凝《こ》らした石のひとつであります。私はかつてわが生命を救われた碩《せき》学に感謝するとともに、日々の畏《い》友を顕彰すべく、ここにご尊名を刻みたいと存じます。
ド・バルザック
(*)バルザックは自分の全作品に『人間喜劇』という題をつけたが、その第二のシリーズは≪地方生活情景≫と名付けられた。「第二群の土台石」とは、このシリーズのこと。
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主要登場人物
ブランシュ・アンリエット・ド・モルソーフ伯爵夫人……ルノンクール=ジヴリー公爵家からモルソーフ伯爵のもとに嫁ぎ、トゥール近郊の小村ポン・ド・リュアンのクロシュグールドの城館《やかた》に住んでいる。病弱で憂鬱症の夫の圧迫のため、結婚生活はかならずしも幸福ではないが、二人の子供を心の支えとして忍従の生活を送る。その城館をとりまくアンドル川の谷間の風景さながらの清純な性格で、美徳の誇りに生きる女性。
フェリックス・ド・ヴァンドネス……この小説の語り手。トゥールの名門の家庭の次男として生まれたが、肉親の愛情に恵まれず、不幸な少年時代を過ごす。たまたまある舞踏会の席でモルソーフ伯爵夫人と出会い、この年上の女性に熱烈な恋愛感情をいだくようになる。
モルソーフ伯爵……大革命のために亡命を余儀なくされ、その亡命中の苦労で身心ともに傷つけられた老貴族。帰国して結婚生活にはいったのちも一種の生活無能力者となり、物心両面にわたり妻の献身的努力にすがって生きている。
アラベル・ダッドレイ卿夫人……イギリスの名門政治家の妻。情熱のおもむくまま奔放に生きる美貌の女性で、虚栄心を満足させるためにフェリックスに近づこうとする。
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ナタリー・ド・マネルヴィル伯爵夫人に
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あなたの要望に屈服することにしましょう。私たち男性は、女性から受ける愛よりも深い愛を女性に捧げるものなのですが、その女性の特権とは、なにごとにつけても私たちに良識の規則を忘却させるところにあります。あなたがた愛される女性の額に皺が刻まれるのを目にしたくないために、ほんの些細な拒絶に会うだけで、悲しげにゆがめられるあなたがたの唇の、あの拗《す》ねた表情を晴らすために、私たち愛する男性は、奇跡のように懸隔をのりこえたり、われとわが血を捧げたり、おのが将来を犠牲に供したりするのです。今日、あなたは私の過去を求めておられます。ではそれをお目にかけましょう。が、ナタリーよ、これだけはよく覚えておいていただきたい。あなたの要求に従うために、私がいままでみずから侵したことのない嫌悪の感情を、ついに足下に踏みにじらねばならなかったということだけは。それにしても、ときとして、幸福のさなかに私を唐突にとらえる長時間の物思いに、あなたはなぜ疑いをかけるのです? 私が沈黙をまもっているあることがらについて、なぜ愛される女性特有のあの美しい怒りの表情をうかべるのです? その原因を尋ねたりなさらずに、私の性格の明暗の対照と気軽に戯れてはいただけなかったのでしょうか? あなたの心になにか暗い秘密でもあって、それが許されるためには、私の秘密が必要だとでもいうのでしょうか? 要するに、ナタリーよ、あなたはちゃんと見ぬかれたのですし、おそらく、あなたにすべてを知ってもらうほうがいいのでしょう。そうです、私の人生はある亡霊に支配されており、その亡霊は、ほんのちょっとした言葉で誘いかけられさえすれば、すぐに茫漠と姿をあらわし、往々にして、自然に私の頭上に出現して動きまわることもあるのです。穏やかな天候のときにははっきりと見え、嵐のときの大波で断片となって浜辺にうちあげられるあの海底の藻草のように、私の魂の奥底には、重苦しい思い出が埋もれているのです。もろもろの思いを表現するために否応なく強いられるこの苦業のなかには、あまりに唐突によみがえってくる場合など、私にじつに深い苦痛をあたえる往時のさまざまな感動がふくまれておりますけれども、よしんばこの告白のなかにあなたを傷つけるような強烈な光があるにしても、あなたご自身が、あなたの要求に従わなければと私を脅《おびやか》したのだということを、どうか思いだしてください。要求に従ったという廉《かど》で、私を懲《こ》らしめたりはなさらないでください。この告白談があなたの優しさをますます深めてくれれば、と願っております。では、今晩また。
≪フェリックス≫
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二つの幼年時代
私たちがいつの日にか苦悩の感動的な悲歌と画像を得られるとしたら、まだやわらかな根は家庭という土壌のなかで堅い小石にばかりぶつかり、芽ばえたての若葉は憎しみの手でひきちぎられ、花々はいましも開こうとする瞬間に霜にうたれてしまうような人々が耐え忍ぶ苦悩の、こよなく感動的な悲歌と画像を得られるとしたら、それは涙を糧《かて》にして育ったどのような天才の力によるのでしょうか? 唇は苦い乳房に吸いつき、微笑は厳しいまなざしの焼けつくような炎におさえつけられてしまう子供、私たちにそういう子供の苦しみを語ってくれるのは、いったいどのような詩人でしょうか? 本来は周囲で感受性の成長を助けてくれるべき人々のために、逆に心を虐げられるそういう哀れな人間を描いた小説があるとすれば、それこそまさに私の少年時代のありのままの物語になることでしょう。私が、生まれたばかりの私が、どんな虚栄心を傷つけたというのでしょうか? どういう肉体上あるいは精神上の不具のために、私は母の冷淡な扱いを受けねばならなかったのでしょうか? 私は夫婦の義務でできた子供、思いがけず生まれてしまった子供、あるいは生きているのが呵責《かしゃく》の種になる子供であったのでしょうか?
田舎へ里子に出され、三年間家族から忘れられたすえ、やっと父の家へもどってきたときにもほとんどものの数にいれられず、私は召使たちの同情を買ったほどでした。この最初の見放された状態から立ち直ることができたのが、どんな感情の助力によるのか、どんな幸運な偶然の助力によるのか、私にもとんと見当がつきません。なにしろ子供の頃はなんのわきまえもありませんでしたし、大人になってからもなにひとつわからないのですから。兄と二人の姉とは、私の境遇をやわらげてくれるどころか、逆に私をいじめておもしろがるのでした。子供たちにとって小さな過ちを隠す手段となり、子供たちに早くも名誉ということを教えこむあの黙契なるものも、こと私に関しては存在しませんでした。そればかりでなく、私はしばしば兄の過失のために罰を受けることさえあり、しかもそういう不当さに抗議することすらできなかったのです。子供のなかにもすでに芽ばえている諂《へつら》いの根性に操られて、彼らは私を苦しめる虐待に力を貸し、自分たちもやはりこわがっていた母親の機嫌をとろうとしたのでしょうか? それとも、あれはややもすれば人真似に陥《おちい》りがちな性癖のしからしめるところだったのでしょうか? あるいはまた、力を試してみたいという欲求のせいだったのでしょうか、憐れみの心がなかったためなのでしょうか? おそらく、これらの原因が寄りあつまって、兄弟愛の楽しさを私からとりあげたわけなのでしょう。すでに愛情の恵みはいっさい奪いとられていましたから、私はなにひとつ愛することができませんでした。しかも、私は生まれつき情愛の深い性質だったのです! たえず冷遇ばかりされているこういう情に脆《もろ》い人間の洩《も》らす吐息を、どこかの天使が受けとめてくれるものなのでしょうか? ある人々の心のなかでは、無視された感情はやがて憎悪に変わるものだとしても、私の心のなかでは、それは一つに集中して河床を掘り、後年、そこから私の人生の上に勢いよく溢れだすことになったのです。当人の性格にもよることですが、いつもおずおずする習慣が身につくと、生まれつきの気質が弱められ、恐怖心が生じてきます。そして、恐怖心はいつも屈服を強いるのです。人間を堕落させ、なにかしら奴隷じみた根性を吹きこむ弱さは、そこに由来するのです。しかし、このたえまのない暴風のおかげで、私は、行使するにつれて威力を増し、精神的な抵抗の素質を魂に植えつける力を思うさまふるう習慣を、身につけることができるようになりました。ちょうど殉教者が新しい打撃を待ちかまえるようにして、いつも新しい苦悩を待ちうけているうちに、私の全存在はいつしか陰鬱な諦め、幼少時に特有の愛くるしさや活発さをその蔭に押し殺した陰鬱な諦めをあらわすようになったのにちがいありませんが、こうした態度が白痴の徴候とみなされ、母のいまわしい予想を裏がきしたのでした。が、この不当な仕打ちという確信によって、私の心のなかには、年齢のわりに早熟な自尊心が掻《か》きたてられました。ああいう教育法に助長されそうな悪い傾向を、かえって阻止してくれたらしい自尊心という理性の果実が。
母にはほっとらかしにされていましたけれども、それでもときおりは気づかいの対象になることもあって、ときどき彼女は私の教育のことを話題にし、自分がその役に当たりたいという希望を表明することがありました。そんなとき、母と毎日接触することになったらいったいどんな苦痛に襲われるだろうと考えると、激しい戦慄《せんりつ》が私の背筋を走るのでした。私はほったらかしの状態を心から喜び、庭で小石と遊んだり、昆虫を観察したり、大空の青さを眺めたりしていられて幸福だと思っていました。よしんば孤独が私を夢想に導いたにはちがいないにせよ、私の瞑想好みの性質はある偶然のできごとにも由来しているのであり、このできごとをお話しすれば、私の幼い頃の不幸の姿は、あなたの眼前にまざまざと描きだされるだろうと思います。なにしろ、私はほとんど問題にされていませんでしたから、ときには家政婦が私を寝かしつけるのを忘れることさえありました。ある晩、一本のいちじくの木の下にそっとうずくまり、子供の心をすっかりとらえてしまうあの好奇心にみちた情熱に駆られながら、しかも早熟な哀愁癖のせいで、そこに一種の感傷的な知性とでもいったものまでつけくわえながら、私はじっと一つの星を眺めていました。姉たちが遊びに興じ、さかんに騒ぎ声をあげていました。その遠くの騒がしさが、私にはさまざまな想念の伴奏のように聞こえました。やがて騒ぎ声もやんで、夜になりました。偶然、母が私のいないことに気づいたのです。お叱りを避けようとして、家政婦のカロリーヌ嬢という口やかましい女は、私が家をひどく嫌っているなどと言いはり、母のまちがった懸念を裏づけてしまったのです。もし彼女が注意ぶかく見張っていなかったら、私はとっくに逃げ出していただろうとか、私は知能こそ低くないが、陰険な子供なのだとか、世話を任された子供たち全部をとってみても、私ほど性質のひねくれた子にはついぞぶつかったこともないなどと、彼女は言いたてたのです。そして私を探すようなふりをして、私の名前を呼びました。私は返事をしました。彼女はいちじくの木のところへきましたが、私がそこにいることはちゃんと知っていたのです。
「そんなところで、なにをしてらしたんですの?」と彼女は言いました。
「星を見てたんだよ」
「星を見ていたのじゃないでしょ」自室のバルコニーから私たちの話を聞いていた母が、そう言いました。「お前ぐらいの年頃で、天文学がわかるものなの?」
「まあ、奥さま」とカロリーヌ嬢は大きな声で叫びました。
「坊っちゃまが水槽の栓をおあけになってしまいましたわ、お庭は水びたしです」
それで家中が大騒ぎになりました。じつは姉たちがさっきおもしろがってその栓《せん》をひねり、水が噴《ふ》きだすところを見ようとしたのです。ところが、勢いよく水が噴出して全身水びたしになってしまったので、姉たちはびっくりして前後のみさかいがつかなくなり、栓を締めるゆとりもなく、あわてて逃げだしていったのでした。このいたずらを思いついた犯人だという罪を着せられ、自分の無実を主張すると嘘をついていると叱られて、私は厳しい罰を受けました。けれども、ああ、ひどい罰だったのは、私の星への愛着が皮肉られ、夕方になったら庭へ出てはいけないと母から禁じられたことです。威圧的な禁止は、とくにそれが子供の場合、大人よりもいっそう激しい情熱を掻《か》きたてるものなのです。大人にくらべると、子供にはひたすら禁じられたもののことばかり考えるという強みがあり、しかもそうなると、禁じられたものはなんとも抗し難い魅力を示すようになるのです。そこで、私はたびたび星のために、鞭《むち》のお仕置を受けたことがありました。心のなかを打ち明けられる相手がいなかったので、私はあのいとも楽しい内心のおしゃべりにふけりながら――昔はじめて言葉を覚えたときそっくりのたどたどしい口のききかたでもって、子供心にはじめて芽ばえた考えをぎこちなく語っていく――あのいとも楽しい内心のおしゃべりにふけりながら、私の好きな星にむかって悲しみを訴えたのでした。十二歳になって中学校《コレージユ》へはいってからも、まだ私は言いしれぬ歓喜を覚えつつその星を眺めたものですが、人生の朝まだきに受けた感銘というものは、それほど深い痕跡《こんせき》を心に残すものなのです。
私より五つ年上のシャルルは、いまのあの美貌そのままで、当時からきれいな子供でした。彼は父の秘蔵の子であり、母の溺愛の的であり、家庭の希望であり、したがって一家の王さまでした。体つきがすらりと整った丈夫な子であったのに、彼には家庭教師がついていました。いっぽう、私のほうはみすぼらしい虚弱な子供であるのに、五歳のときに町の私塾へ通学生として通わされ、父の従僕に朝晩の送り迎えをされました。私は、なかみの少ないお弁当のバスケットをもって出かけていったのですが、それにひきかえ、仲間の子供たちはたっぷりと食糧をもってきました。私の貧しさと仲間たちの豊かさとのこの対照から、数しれぬ苦しみが生まれることになりました。家での朝食と夕食、夕食の時間というのは私たちの帰宅時間と一致していたのですが、そのあいだお昼どきにとる食事の主要品目は、あの有名なトゥールのリエットとリヨンでした。この加工食品は、ある種の食通からはたいへん珍重されていますが、トゥールでは貴族の食卓にはめったにあらわれないものなのです。私塾に入れられる前から話こそ聞いておりましたが、自分の食べるタルティーヌのうえにその褐色のジャムが塗られるところを目《ま》のあたりに見るという幸福は、ついぞ味わったことがありませんでした。しかし、よしんばそれが私塾で流行していなかったとしても、私の欲望はやはり激しいものだったでしょう。というのも、あるパリのもっとも優雅な公爵夫人が、門番の女のつくるシチュウに食欲をそそられ、女性であることをうまく利用して思いをとげたというあの話のように、それは私の偏執になっていたのですから。子供というものは、他人の視線のなかから、ちょうどあなたがた女性が恋を読みとられるのと同じく、渇望の色を見ぬいてしまうものなのです。そこで、私は恰好《かっこう》のからかいの的になりました。私の仲間の子供たちは、ほとんど全部が小市民階級に属していましたが、そのすばらしいリエットを私にみせびらかしにやってきては、製法や売ってる場所を知ってるかと尋ねたり、なぜ私がもってこないのかと聞いたりするのでした。ラードでいためた豚の屑《くず》肉でできていて、ちょうど松露を煮た料理に似ているリヨンを、彼らはしきりに得意そうにみせびらかしながら、舌なめずりをするのでした。そして私のバスケットを検査し、オリヴェのチーズか、さもなければ干した果物しか見あたらないので、「へえ、きみ、食べるものがないの?」などと言って私をたまらない気持ちにおとしいれるのでしたが、こういう言葉を通して、私は、兄と自分との差別待遇がどんなに大きいかということに気づかされました。
私のほったらかしの状態と他の子供たちの幸福とのあいだに、こうしたいちじるしい対照があったために、私の楽しかるべきばら色の幼年時代は汚され、みずみずしい緑の少年時代は萎《な》えさせられてしまいました。最初一度だけ、私もいかにも思いやりの深そうな感じにだまされて、偽善的な様子でさしだされたその宿望のごちそうを受けとろうと手をだしたことがありましたが、相手のいたずら好きの少年はすぐそのパンをひっこめてしまったので、こうした結果をあらかじめ承知していた仲間たちはどっと笑いくずれました。このうえなく卓越した精神の持主たちでさえ、なおかつ虚栄心に動かされやすいものだとしたら、軽蔑され冷笑されて泣く子供を、許してやれないはずがありましょうか? こんないたずらをされて、食いしん坊になり、欲しがりになり、卑怯になった子供がどんなにたくさんいることでしょう! いじめられまいとして、私は喧嘩ばかりするようになりました。絶望のはての勇気が、私を仲間からこわがられる子供にしてくれましたが、しかしまた憎悪の的にもなり、陰険な不意打ちに出会っても策のほどこしようもない状態に陥ったのです。ある夕方、帰宅する途中で、小石をいっぱい詰めこんだまるめたハンカチを、背中にぶつけられたことがありました。従僕が手荒く仕返しをしてくれましたが、彼がこのできごとを母に話すと、母は声を張りあげてこう言いました。
「このしょうのない子は、これからも、わたくしたちを悲しませてばかりいるのでしょうねえ!」
家族が私にいだいている疎《うと》ましさが、私塾のなかにもやはり見つかったものですから、私はすっかり自己嫌悪に陥ってしまいました。そこでも、家にいるときと同じように、自分の殻《から》に閉じこもるようになりました。二度目の雪のために、私の魂にまかれた種の開花はさらに遅れてしまったわけです。みんなにかわいがられている連中はほんとのすれっからしなのだ、私の自尊心は、そういう観察に支えられていました。そして私はひとりぼっちのままでした。こうして、私の哀れな心に充満しているもろもろの思いを、すっかり吐きだすことのできぬ状態がつづいたのです。私がいつも陰気にふさぎこみ、みんなに嫌われ、孤独にしているのを見て、私はひねくれた性質だという家族のまちがった推測を、先生までが承認してしまうありさまでした。読み書きができるようになると、母はさっそく私をポン・ル・ヴォワ〔ロワール河に臨む小さな町〕に転校させましたが、これはオラトリオ修道会の経営になる学校で、私と同じ年頃の子供たちは「ラテン語未修者」クラスに入れられ、このクラスには、また知能の程度が遅れていてラテン語の初歩にはいれない子供たちも残っていました。
私はその学校に八年間おりましたが、誰とも会おうとしないで、仲間はずれの生活を送っていました。その経緯と理由はこういう次第なのです。私は小遣いとして毎月三フランしかもらえませんでしたが、これは自分で準備しておかねばならないペン、ナイフ、定規、インキ、紙などを買うのに、かろうじて足りる程度の金額でした。ですから、竹馬もA縄跳びの縄も、そのほか学校での遊びに必要な道具もまるで買えなかったので、そのため私は遊びから除《の》け者にされてしまいました。仲間入りを認めてもらうには、同じ組の金持ちの子のご機嫌をとったり、腕力の強い子にお世辞を言ったりすればよかったのでしょう。子供はふつうそういうことをいともたやすくやってしまうものですが、私としては、そういう卑劣なことはほんの些細《ささい》なことですら、胸がむかむかしてくるのでした。私はうら悲しい夢想にふけりながらある木蔭にじっと坐りこんで、図書係が毎月一度私たちに配ってくれる書物を読みました。このおそるべき孤独の底に、どれほどの苦しみが隠されていたことでしょう! 私のほったらかしの状態から、どんな苦悶が生まれたことでしょう! ラテン語作文とラテン語訳読との賞という、もっとも尊重されている賞を二つも獲得した最初の賞品授与式にあたって、私の感じやすい魂がどういう感情にひたったか、どうか想像なさってみてください! が、拍手と賞讃の声のわきあがるなかを、その賞を受けとりに演壇にのぼっていくときですら、私を祝福してくれるべき父も母もその場にいませんでした。式場の平土間は学友全員の両親でいっぱいに埋められているというのに。慣例にしたがって、賞品授与者の手に接吻することをしないで、私はいきなりその胸のなかに駆けこみ、わっとばかり泣きだしてしまいました。その晩、私は授与された王冠を暖炉で焼きすてました。賞品授与式の前の一週間は口答試験にあてられていましたが、父兄たちはその頃もう町に泊っていました。ですから、仲間たちはみんな午前中から楽しそうに飛びだしていくのでした。それにひきかえ、私ときたら、両親がそこからわずか数リュー〔フランスの古い距離の単位で一リューは約四キロにあたる〕のところにいるというのに、海外組、これは家族が仏領の島々とか、外国とかにいる生徒につけられていた名称なのですが、その海外組と一緒に校庭に残っていました。夜になると、お祈りの時間のあいだ、思いやりのない連中は、両親といっしょに食べたおいしい夕食のことをしきりに自慢するのでした。これからずっとご覧になっていくはずですが、私が足を踏みいれていく社会圏の円周のひろがりにつれて、私の不幸はだんだん大きくなっていくのです。
一人で生きていくべしと宣告するかのごときこの判決を破棄《はき》するため、私はどれほどの努力を傾けたことだったでしょうか! あまたの憧憬をこめて長いあいだ心に暖めてきた希望が、たった一日で破壊されることがいったい何度あったでしょうか! 両親に学校へいってみようという気持ちを起こさせるように、私は真情のこもった手紙を何度か送りました。ことによると、この手紙は大げさな書きかたになっていたかもしれませんが、しかしそれにしても、これがはたして母の叱責を、私の文体について皮肉な調子で小言を言ってきた母の叱責を、買わねばならぬようなものだったでしょうか? 私は気を落とさずに、両親が来訪につけてきたさまざまな条件は全部|履行《りこう》するから、と約束しました。私は姉たちの援助を懇願し、二人の聖名祝日や誕生日がくると、ほったらかしにされた哀れな子供らしいきちょうめんさで手紙を出したのですが、しかしけっきょく、それも無駄な頑張りでした。賞品授与式が近づくと、私はいっそう頻繁に懇願を繰りかえし、賞をとれそうな予感がすると知らせてやりました。両親の返事がないのにだまされて、私は胸を高鳴らせて両親を待ち、仲間たちにそれを予告しました。そして、家族の人々がやってきて、生徒を呼びにくる門番の老人の足音が校庭に響くと、心臓が病的に激しく動機しはじめるのでした。が、この老人は、ついに一度も私の名前を呼んではくれませんでした。
私が生を呪った罪を懺悔した日、私の懺悔を聞いてくれた神父は、キリストの「幸いなるかな、悲しむ者」〔マタイ伝第五章三節にある、山上の垂訓の一節〕という言葉で約束された栄誉の棕櫚《しゅろ》の咲きひらく天国のことを、私に教示してくれました。そこで、最初の聖体拝受のとき、私は童心を魅了する教訓的な夢幻性をそなえたさまざまの宗教的観念にひかれて、祈祷の神秘な深みへと没入したのでした。熱烈な信仰に駆られて、私は殉教者列伝で読んだあの魅惑にみちた奇蹟を、私のためにもう一度繰りかえしてくださるよう神に祈りました。五歳のとき私は星のなかに舞いあがりましたが、十二歳のときには聖殿の扉を叩きにいったのです。私の恍惚《こうこつ》とした状態は、私の内部に、想像力を豊かにし、愛情を富ませ、そして思考力を強めてくれる筆舌につくしがたい夢想を生んでくれました。こうした崇高な幻想は、私の魂を聖なる運命に慣《な》れさせる任務を負った天使たちのおかげで得られるのだ、私はしばしばそんなふうに思うことがありました。なにしろ、この崇高な幻想によって、私の目には、事物の奥深くにひそむ霊を見ぬく能力があたえられたのですから。そしてまた、その幻想が私の心に呪術を受けいれる準備もほどこしたわけですが、この呪術こそは、自分の感知するものと現に存在しているものとを比較し、望んでいる偉大なものとすでに獲得ずみの些少なものを比較するという宿命的な能力がそなわっている場合には、人間を不幸な詩人にするものなのです。さらにまた、こうした幻想は、私の頭のなかに一冊の本を書きこんで、私の語らねばならぬことをすぐに読みとれるようにしてくれましたし、私の唇の上に即興詩人の火を点火してもくれたのでした。
父はオラトリオ会の教育の及ぼす効果に若干の疑問をいだき、ポン・ル・ヴォワまで私をひきとりにきて、今度はパリのマレー区にある私塾にはいらせました。私は十五歳でした。私の学力について試験が行なわれ、ポン・ル・ヴォワの修辞学級の生徒は第三学級に相当すると判定されました。家で、小学校で、中学校で味わった苦しみは、このルピートル塾に在学するあいだ、今度はまた新しい形で見いだされることになりました。父は金をまるでくれませんでした。私が食事を給与され、衣服をあたえられ、ラテン語をつめこまれ、ギリシャ語でぎゅうぎゅう言わされていることが両親にわかれば、それで万事解決でした。学生生活の期間を通じて、私はほぼ千人ほどの学友と知りあいましたが、ただの一人といえども、これほど冷淡に扱われている例に出くわしたことがありません。ブルボン王家に熱狂的な愛着をもっているルピートル氏は、忠実な王党派の人々が王妃マリー=アントワネットをタンブル寺院から奪い返そうと試みていた当時、私の父と交渉をもっていたのでした。そして、二人はまた旧交を暖めたというわけです。ですから、ルピートル氏としては、父の冷たさの埋めあわせをしなければという気持ちでいたのですが、なにしろ私の家族の意向がわからないものですから、彼が月々私にくれる金額はとるにたらぬものでした。塾は昔のジョワイユーズの館に設けられており、往時の封建領主の館がすべてそうであるように、ここにも門番の小屋がありました。薄給《ヽヽ》〔見習教師の蔑称〕が私たちをシャルルマーニュ高等中学校へ引率していくまでの休憩時間のあいだに、裕福な学友たちは、ドワジーという塾の門番のところへ朝食を食べにいくのでした。ルピートル氏は、まさに密輸業者というべきこのドワジーの商売を知らなかったのか、さもなければ黙認していたかどちらかですが、とにかく生徒たちにとっては、彼をだいじにするほうが好都合だったのです。彼は私たちがこっそり脱《ぬ》けだすときの秘密の付添人であり、帰りが遅れたときの腹心の友であり、禁じられた書物を貸しあう仲間の仲介人でしたから。牛乳入りのコーヒーつきで朝食をしたためることは、当時の貴族趣味となっていたのですが、ナポレオンの時代に植民地の物産が途方もない値段にはねあがったという事実で、その理由はあきらかになりましょう。コーヒーと砂糖の常用が両親たちの場合には贅沢《ぜいたく》の一つになっていたとすれば、私たちのあいだでは、それは虚栄心にみちた優越感、よしんば人真似をしやすい傾向とか、旺盛《おうせい》な食欲とか、流行の伝染力などという条件が充分に整っていなかったとしても、なおかつ激しい欲望を生みだしただろうと思われるほどの優越感を示すものでした。ドワジーは私たちに貸し売りをしてくれましたが、彼としてみれば、生徒の体面を認めて借金を払ってくれる姉なり伯母なりが、私たち全員にいるはずだと予想していたのです。私は長いこと簡易食堂の快楽に抵抗しました。もしも私の裁き手たちが誘惑の力の強さや、ひたすら禁欲をめがける私の魂の克己心にみちた熱望や、長い抵抗の期間中じっとおさえていた怒りなどに精通してくれたら、彼らとても私の涙を流れるままに任せたりはしないで、それをそっとふきとってくれたことでしょう。けれども、まだ子供だった私が魂の偉大さ、他人の侮蔑《ぶべつ》をこちらから侮蔑しかえすだけのあの魂の偉大さを、はたしてもつことができたでしょうか? それに、私自身にしても、おそらくはもろもろの社会の悪徳の攻撃に冒されていたでしょうし、しかもその悪徳の力は、私の欲望のために、いっそう増大していたわけなのでしょう。
二年目の暮に、父と母がパリにやってきました。到着の日どりは兄が知らせてくれました。兄はパリに住んでいるのに、それまでただの一度も私を訪ねてきてはくれませんでした。姉たちもこの旅行に加わり、私たちはそろってパリ見物をすることになっていました。最初の日はすぐフランス座へいけるように、パレ=ロワイヤル〔一六二九年、宰相リシュリューによって建てられた宮殿で、のちの改築により、十八世紀末〜十九世紀初頭にはパリのもっとも華やかな遊興の場所〕で夕食をとる予定でした。その思いがけぬ楽しい行事の計画が私を陶酔させてくれましたが、それにもかかわらず、私の喜びは、不幸に慣れた人間の心にいとも速やかに効果をおよぼす一陣の暴風によって、あっさり吹き払われてしまいました。ドワジーの奴が自分でご両親に請求すると脅《おど》かすので、彼のところに百フランの借金があるということを、打ち明けざるを得なくなったのです。私は兄にドワジーの代弁者、私の後悔の念の伝達者、お許しを得るための仲介者になってもらうことを考えつきましたが、父のほうは寛大なようすを示してくれました。ところが、母は冷酷そのもので、濃い碧《あお》い色の目で私をその場に立ちすくませ、ぞっとするような予言の言葉を投げつけてきました。≪十七のときにそんな大それたまねをするようでは、いったい、これからさきどうなるのかしら? ほんとに自分の息子なのだろうか? いまに家族を破産させるのではないかしらん? 家は自分一人だとでもいうわけなの? 兄さんのシャルルが志望している道ならば、べつに独立した財産をわけてやる必要はないとでもいうつもりなの? シャルルのほうは一家の名誉となるような品行の正しさでもって、もうちゃんとそれくらいのことをしてもらう資格は得ているのに、お前ときたら反対に一家の恥になろうとしているのだから。二人の姉さんが持参金なしで結婚できるとでもいうの? お金の値打ちも、また自分にどのくらいの費用がかかっているかということも、知らないというの? 砂糖やコーヒーが、教育にとってなんの役に立つというの? そんな行ないをしているということは、つまり、あらゆる悪徳を覚えこむことではないのかしら?≫マラー〔フランス革命の推進者のひとりで、当時は激しい畏怖と憎悪を買っていた〕も私にくらべれば天使だというわけです。私の心のなかに数しれぬ恐怖を流しこんだこの奔流の衝撃をじっと我慢したのち、私はすぐさま兄に連れられて、塾へ帰らされてしまったのです。こうして、私は「フレール・プロヴァンソー」〔パレ=ロワイヤルのなかの高級料理店〕の夕食も棒にふり、タルマ〔当時のフランス座の名優〕の「ブリタニキュス」も見られなくなりました。十二年間会わなかったあげくの母との会見は、こんなふうにして行なわれたのでした。
古典学級〔当時の高等中学校《リセ》の最高学年の名称〕を終了してからも、父はやはりルピートル氏に私の監督を委ねました。私は高等数学を勉強し、法科の第一学年にはいって、大学の過程をはじめることになっていたからです。自室をもつ寄宿生になり、教室の授業にもあまり縛られなくなったので、私は、惨めな境遇と自分とのあいだに一時的な休戦がくるものと思いました。だが、十九歳になっていたにもかかわらず、いや十九歳だったためかもしれませんが、かつてろくな食物もなしに小学校へ通わせ、お小遣いもなしに中学校へいかせ、ドワジーを債権者にする羽目に陥らせたあのやりかたを、父はまたもや続行したのです。私には、思い通りに使える金などはほとんどありませんでした。金をもたずに、パリでなにができるでしょう? その上、私の自由は巧妙に束縛されていました。ルピートル氏は、ある薄給《ヽヽ》を付添わせて法科大学まで私を送らせ、その男が私をいったん教授の手に引き渡し、あとでまた迎えにくることになっていました。私の身辺を守るために、母が心配に心配を重ねて思いついたさまざまの予防措置ときたら、どんな娘の身を守るための用心深さといえども、とてもおよばないくらいのものでした。パリが私の両親を怯《おび》えさせたのも当然です。男の学生たちにしたところで、寄宿寮で娘たちの関心の的になっているのと同じことがらでもって、ひそかに頭をいっぱいにしているのです。よそでどういうことが起こっていようと、娘たちは相も変わらず恋人のことばかり、男の学生は女のことばかり話しているでしょう。しかし、パリでは、その当時、学生仲間の会話は、パレ=ロワイヤルという東洋的なサルタンふうの世界のことでもちきりになっていました。パレ=ロワイヤルは、夜ともなれば金塊がすっかり貨幣となって流れだす恋の黄金郷でした。そこではもっとも純潔な疑問すら消えうせ、私たちの燃えさかりはじめた好奇心も癒《いや》されるのでした! が、パレ=ロワイヤルと私とは、互いに近づきながらもいっこう出会うことのできぬ漸近線でした。運命がどんなふうに私の企図を挫折させたか、そのいきさつはこういう次第なのです。
父がサン・ルイ島に住んでいるある伯母《おば》のところに私を紹介しておいてくれたので、私は毎週木曜日と日曜日に、その家へ晩餐《ばんさん》をごちそうになりにいくことになっていました。いつもはルピートル夫人かルピートル氏かに連れられていくのですが、その日はたまたま夫妻が外出する日に当たっており、晩に帰宅の途中でまた私を迎えにくるということになりました。これはなんとも奇妙な気晴らしでした! リストメール侯爵夫人〔フェリックスの母の姉で、『谷間のゆり』にしか登場しない人物〕は、私に一エキュくれようという考えなど一度として思いうかべたこともない、儀式ばった気位の高い貴婦人でした。大|伽藍《がらん》のように年をとり、細密画のようにお化粧し、豪勢な衣裳に身をかためた夫人は、その館のなかで、さながらルイ十五世がまだ在世中であるかのような暮らしかたをし、もっぱら年とったご婦人とか貴族連中などに会うだけでしたが、これがまた化石になった体の集まりみたいなもので、座に加わっているとまるで墓場にでもいるような気がしてくるのです。私に言葉をかけてくれる人は誰もいませんでしたし、さりとて、こちらからさきに話しかけるほどの気力も感じられません。敵意のこもった視線、あるいは冷たい視線にぶつかると、私はみんなに迷惑がられているらしい自分の若さが、恥ずかしくなってくるのです。こういう無関心につけこめばうまく脱《ぬ》けだせるはずだと私は考え、いつか晩餐が終えたらさっそく姿をくらまし、木造館〔パレ=ロワイヤル内の売春や遊楽の中心地〕へ飛んでいこうともくろんでいました。いったんホイスト〔トランプ遊びの一種〕をはじめようものなら、伯母は私のことなど気にもとめようとしません。伯母の部屋つきの従僕であるジャンも、ルピートル氏のことなどほとんど気にかけていませんでした。しかし、このろくでもない晩餐というやつは、みんなの顎が老朽したり義歯が不完全だったりするために、いつも長びいてしまうのでした。やっとある晩、私はまるで出奔の日のビアンカ・カペロ〔一六世紀イタリアの艶名で名高い女性〕のように胸をときめかせながら、玄関の階段のところまでたどりつきました。ところが門番が扉をあけてくれたとたん、往来にルピートル氏の馬車が見え、息切れのした声で、私を呼んでくれと頼んでいる老人の姿に出くわしてしまったのです。さらに偶然は三度までも、パレ=ロワイヤルの地獄と私の青春の天国とのあいだに、宿命的に立ちはだかりました。二十歳になったのにまだ無知でいることに恥ずかしく思い、どんな危険を冒しても、とにかく決着をつけようと決意した日のことでした。ルピートル氏が馬車に乗りこもうとするすきに――これがなかなか難しい作業なのでした。なぜなら、彼はルイ十八世のように肥っていて、その上|えび足《ヽヽヽ》だったからです――置きざりにして逃げだそうとしたその瞬間、なんとまあ、母が駅伝馬車でやってきたのです! 私は母の視線でその場に釘づけにされ、蛇に見こまれた小鳥のように立ちすくんでしまいました。どんな偶然で、母に出くわす羽目になったのか? それはしごく当然のことなのです。当時、ナポレオンは最後の反撃を試みているところでした。父はブルボン王家の復活を予測し、当時すでに皇帝政府の外交官の職にあった兄に、情勢を教えにきたのです。父は母を伴なってトゥールを発ってきました。敵の進撃ぶりを筋道立てて理解できる人々からすると、首府は危険にさらされているようにみえていたのですが、私にその首府の危険を避けさせるために、母のほうは、私をトゥールに連れて帰る役目を引き受けたというわけだったのです。
すぐさま、私はパリから連れ去られました。それも、パリ滞在が、私にとって運命を決するものとなろうとしていたその瞬間に。おさえつけられた欲望でたえず想像力を掻《か》きたてられる苦しさのために、また、たえまない窮乏で暗く閉ざされた生活の心労のために、私は昔みずからの運命に疲れはてた人々が僧院に閉じこもったのと同じように、勉学に打ちこむより仕方がなかったのです。私の心のなかでは、勉学は一つの情熱と化していたのですが、この情熱が私にとってはどうにもならぬ運命的なものとなり、青年が春のごとき天性の幻惑的な躍動に身をゆだねるはずの時期のなかに、私をいつまでも閉じこめることになったのかもしれません。
こうした少年時代の簡単な素描から、あなたは数しれぬ悲歌を見通されたことでしょうが、このような素描こそ、少年時代が私の将来に及ぼした影響を説明する上に、ぜひとも必要なものであったわけなのです。このような数々の病的な要素に悩まされたせいで、二十歳を過ぎても、私はまだ体も小さく、やせこけて、蒼白い顔をしていました。もろもろの欲求がみちあふれた私の魂は、外見こそ虚弱そうにみえるけれども、トゥールのある老医師の言葉によれば、じつは鉄のように頑健な体質が最後の融合を行ないつつあった体とのあいだに、戦いをまじえているところでした。体の上ではまだ子供なのに、考えの上では老成していた私は、たくさんの本を読んだり、多くのことに思いを凝《こ》らしたりしましたので、まさに人生の隘路《あいろ》の曲がりくねった難所や人生の平原の砂地の道が見えはじめようとする瞬間に、すでに人生の高遠さというものを形而上的に認識できたのです。さまざまな異例の偶然が重なったおかげで、私はあのすばらしい歓喜の時期、魂の最初の惑乱があらわれ、魂が官能にめざめ、そして魂にとってはいっさいが味わいに富み新鮮であるあのすばらしい歓喜の時期のなかに、いまだに踏みとどまっていたわけなのでした。私は勉学のために引きのばされた思春期と、遅ればせに緑の枝をのばした成人期との中間にあったのです。感じたり愛したりすることにかけて、その当時の私以上に、深い準備を受けた青年はたぶん誰もいなかったでしょう。私のこの物語をよく理解していただくために、どうぞあの青春時代というものをお考えになってみてください。口は嘘で汚れているということがなく、まなざしはたとえ欲望とうらはらな臆病さで重く垂れさがった瞼《まぶた》に覆われてはいるにせよ、なおかつ率直さにかがやき、精神は世のなかの偽善に順応することがなく、おずおずした心と直情的な衝動の高邁《こうまい》さとが激しさの点で匹敵しているような、そういう青春時代のことを!
母に同行したパリからトゥールへの旅のことについては、べつにお話しするつもりはありません。母の言動の冷淡さのために、私の愛情の躍動はおさえつけられてしまいました。新しい宿駅を発《た》つたびに、私は今度こそ話しかけようと決心するのです。ところが、一目じろっと見られたり、一言なにか話しかけられたりすると、あらかじめ慎重に考えぬいておいた前置きになるはずの言葉が、つい口に出せなくなってしまうのです。オルレアンで、ちょうど床に就こうとする間際に、母は私がだまりこんでいると咎《とが》めました。私は母の足もとに身を投げだし、熱い涙にむせびながら母の膝《ひざ》を抱きよせ、愛情にあふれる胸の思いのたけを打ち明けました。愛に飢えた滔々《とうとう》たる弁舌につきものの雄弁さでもって、母の心を動かそうと試みたわけなのですが、そのときの口調には、おそらく養母の心さえ動かすような切々たるものがこもっていたことでしょう。母は、私が芝居をしているのだと答えました。私はほったらかしにされてきた不満を訴えましたが、母は私がひねくれた息子なのだと言いました。私は胸をしめつけられる思いがして、ブロワまできたときには、橋の上に駆けよってロワール河に身を投げようとしたくらいでした。が、欄干が高かったので、私の自殺は阻止されてしまいました。
私が家に着くと、私のことをろくに知らない二人の姉は、優しさよりもむしろ驚きを示しました。けれども、しばらく経つと、以前にくらべれば、二人とも私に愛情を寄せてくれているようにみえました。私の居室として、四階の一室があてがわれました。母は二十歳の青年である私を、寄宿寮でつかっていたみすぼらしいもののほかに下着一枚もたせず、パリで着ていたもののほかに衣服一着もたせずにほっておいたと申しあげれば、私の惨めさの程度は了解していただけようかと思います。広間の一方のすみからもう一方のすみまで飛んでいって、母のハンカチを拾ってあげても、母は女性が召使に言うようないかにも冷たい口調の謝辞を口にするだけでした。その心のなかに、情愛の枝をいくらかなりと結びつけられそうな脆い箇所があるかどうか知るために、私は母を観察せずにはいられなかったのですが、その結果、母がリストメール家の女たち、高慢さも持参金のなかに数えられているリストメール家の女たちすべてと同じく、やせこけた背の高い女、遊びごとが好きで、利己的で、高慢な女であることを見てとりました。母は、生活というもののなかに、ただもろもろの果たすべき義務があるにすぎないと考えていました。私がこれまでに出会ったかぎりでも、冷たい女性というものは、一人残らず、母と同じように、義務をなによりも神聖なものと心得ているものです。とにかく、ちょうど司祭がミサのときに香を受けるような態度で、母は私たちの崇拝を受けいれるのでした。母の心にあったごくわずかな母性愛は、すでに兄がすっかり吸いつくしてしまったようにみえました。母は、思いやりのない人間の武器である辛辣な皮肉の矢でたえず私たちを突きさし、なにひとつ報いることにできぬ私たちにたいして、その武器を使うのでした。こうした棘《とげ》だらけの柵があったにもかかわらず、本能的な感情というものは、じつに多くの根でしっかりと支えられているものですし、また思いきるにはあまりにも高価な犠牲を必要とする母親によって、私たちの心に吹きこまれる宗教的な恐怖感というものは、じつに多くの絆《きずな》を保っているものなのですから、そのために私たちの愛情という崇高な過ちも、人生の道をさらに進んで最後の審判を受けたその日にいたるまで、ずっと継続されたわけでした。が、まさにその日、子供たちの報復がはじまるのです。過去のさまざまの幻滅から生みだされ、過去からもちこしている泥だらけの漂流物でふくれあがった彼らの冷淡さは、墓の上にまでひろがっていくのです。ともあれ、母のおそるべき圧制力は、私がぜひともトゥールでみたそうと狂おしく思いつめていたあの官能の思いをすら、すっかり追いはらってしまいました。私はもう破れかぶれな気持ちで父の書斎に飛びこみ、まだ読んだことのない書物をかたはしから全部読みはじめました。長時間にわたって勉強していれば、母との接触はいっさい免れることができましたが、しかしそのために、私の精神状態はいっそう悪化しました。上の姉、つまりいとこのリストメール侯爵と結婚した上の姉が、ときおり、なんとか私を慰めようと骨を折ってはくれましたが、私の心を苛《さいな》む憤激はいっこうに鎮《しず》まりませんでした。私は死にたいと思いました。
さまざまの大きな事件が、私のまるで知らないうちに、当時まさに起こりかけていました。パリでルイ十八世と合流すべくボルドーを発ったアングレーム公〔ルイ十六世、十八世の甥。革命で亡命したが、その後たえず王政復古運動の中心人物となった〕は、途中のどの町においても、盛大な歓迎を受けていましたが、これはブルボン王家の復活が、フランスの旧勢力の人々を捕えた熱狂に根ざすものだったのです。トゥーレーヌ州は正統の王子たちを迎えて興奮にどよめき、町は大騒ぎになり、窓という窓には旗が飾られ、住民たちは晴着で着飾り、祝宴の準備が整えられ、なにかしら心を酔わせるものが空中にただよっていましたので、私は、その王子のために開かれる舞踏会に列席したいという気持ちに駆られました。私がありったけの勇気をふるいおこして母にこの希望を話すと、ちょうどそのとき病床についていたため、とても宴会に列席することなどできなかった母は、すっかり腹をたててしまいました。何もわからないだなんて、コンゴから帰ってきたとでもいうの? 家族の者が誰もあの舞踏会に出席しないなどということが、どうして想像できるのかしら? 父親と兄が留守なら、お前が出かけるのが当然じゃないの? 母親がいないとでもいうの? 母親が子供たちの幸福のことを考えないとでもいうの? こうして、ほとんど否認されたも同然だった息子が、たった一瞬のうちに一|廉《かど》の人物になったのでした。
母が皮肉な口調でながながとまくしたてた、私の願いを受けいれてくれるというその理由の多さにも、また自分の地位の重要さにも、私はすっかり仰天してしまいました。姉たちに尋ねてみると、こういう芝居じみた不意打ちの好きな母は、かねがね仕方なしに私の衣裳のことを気にかけていたことがわかりました。母の無法な要求に驚かされて、トゥールの仕立屋には、私の衣裳の仕立てを引き受けられる者が一人もいませんでした。母は自分の頼みつけのお針女を呼びよせましたが、これはこの地方の習慣にならって、あらゆる種類の仕立てかたを一通りは心得ている女なのです。紺青色の燕尾服が、私の知らないうちに、まあどうにか仕立てあがりました。絹の靴下と新しい舞踏靴は簡単にみつかりました。その頃、男もののチョッキはまだ短かかったので、父のチョッキを着ればこれもどうにか間にあいました。生まれてはじめて、私は胸飾りのついたワイシャツを着たのですが、その飾りの丸|襞《ひだ》は私の胸をふくらませ、ネクタイの結びめのあたりで、とぐろを巻いていました。盛装をこらすと、私はすっかり見ちがえるばかりになったので、姉たちも私をほめそやし、トゥーレーヌ州の人々の集まる前に出ていこうという勇気を吹きこんでくれました。ところで、これがまったく骨の折れる大仕事だったのです! この祝宴は、まさに、それ招かるる者多けれど、身分高き者は少し、でした〔マタイ伝第二二章一四節の言葉のもじり〕。背の低いおかげで、私はパピヨン邸の庭園に設けられたテントの下にまんまと忍びこみ、王子が着座しておられる肘掛椅子のそばにたどりつきました。たちまち、私は暑さで息がつまり、生まれてはじめて列席した公式の祝宴の燈火、赤い幔幕《まんまく》、金色の装飾、衣裳、ダイヤモンドで目がくらんでしまいました。押しあいへしあいし、朦々《もうもう》とした埃のなかでぶつかりあう男女の人垣に、私は押しまくられました。軍楽隊の熱烈な金管楽器の響きやブルボン王家好みの華やかな調べは、「アングレーム公ばんざい! 国王ばんざい! ブルボン王家ばんざい!」という歓呼の声に、すっかり掻《か》きけされてしまいました。この祝宴はいわば熱狂の雪崩《なだれ》のようなもので、そこではブルボン家の日の出めがけて駆けよろうとする凶暴な熱意を競いあって、各人がそれぞれに遅れをとるまいと努力していたわけですが、これはまさしく党派のエゴイズムというものであり、そのために私はすっかり興ざめした気持ちにさせられて、じっと体を縮めて、自分の殻《から》のなかに閉じこもったようになっていました。
まるで藁屑《わらくず》のようにこの旋風のなかに巻きこまれながら、私は、アングレーム公になりたい、賛嘆しきっている民衆の前を威風堂々と通っていく王子の仲間に加わりたいという、ひどく子供っぽい欲望を抱きました。つまり、あのトゥーレーヌ人独特の愚かしい妬みごころから一つの野望が生みだされたというわけなのですが、それがたまたま私の性格とそのときの環境によって、高貴な趣きを帯びた野望になっていたのです。このような崇拝の場景は、数か月後、パリ全市がエルバ島から帰還した皇帝の前に殺到したとき、いっそう壮大な姿で私の前にふたたび繰りひろげられることになりましたが、ともあれ、こうした崇拝を受ける姿を羨望《せんぼう》しない者が誰かいたでしょうか? 感情も生命もことごとくただ一人の人間のなかに流しこんでいる群衆の上に、絶大な威力をおよぼすこのような支配力を目《ま》のあたりにして、私は突如として、名誉に身を捧げる誓い、つまり昔ゴールのドルイド教の巫女《みこ》たちがゴール人を犠牲に捧げたのと同じように、今日フランス人の喉笛を扼《やく》している名誉というこの女神に身を捧げる誓いを立てたのでした。それから、だしぬけに、私は一人の女性に出会ったのです。私の大望《たいもう》にみちた欲求をたえず激励し、そして王の側近のまっただなかに押しだして、その欲求を十二分にかなえさせてくれることになる女性に。
気が弱くて踊りの相手を誘うこともできず、それにフィギュアを乱す心配もあったので、私は自然ひどく浮かない顔つきになり、自分自身をどうしてよいのかわからなくなりました。人混みのために余儀なく足踏みさせられ、不愉快な気分に苦しめられているとき、靴の皮の圧迫と暑さとで腫《は》れあがった私の足を、一人の将校が踏みつけていきました。このうんざりするようなできごとを最後に、私は祝宴にすっかり嫌気《いやけ》がさしてしまいました。が、外へ出ることは不可能です。そこで片すみのあいている腰掛のはじのほうへ逃げだし、身じろぎもせず、不機嫌な顔で一点を凝視しながら坐っていました。
私の貧弱な風采のために誤解をした一人の女性が、母親の楽しみを待ちかねて眠気に襲われた子供だとでも思ったのでしょう、巣へ飛びこむ小鳥のような身ごなしでもって、私のそばに腰をおろしました。すぐさま、私はその女性の芳香を嗅ぎとりましたが、それが私の魂のなかで燦然《さんぜん》ときらめいたのです。ちょうどその後、私の魂のなかで東方の詩がきらめいたのと同じように。私は隣に坐ったその女性をみつめ、たちまち彼女に幻惑されてしまったのですが、その幻惑はさきほどまでの祝宴のそれにもまして深いものでした。彼女こそ私の祝宴のすべてになりました。私のそれまでの生活をよく理解してくださったとすれば、そのとき私の心のなかにわきだしたさまざまの感情も、ご推察いただけようかと思います。その上をころげまわれたらと思うような白い豊麗なふくらみをもった肩、あたかもはじめてむきだしになったかのように、羞《は》じらいを見せているかすかにばら色のさした肩、魂を宿しているようなつつましやかな肩、その繻子《しゅす》さながらの肌が光を浴びて絹織物のように輝いている肩、突如として、私はその肩に目をみはらされたのです。それは一条の線によって二つにわかれていましたが、私の視線は、その線に沿って、手よりも大胆に流れていきました。胸をわくわくさせながら、伸びあがって胸のあたりをのぞきこみ、薄紗《はくさ》で清らかに覆われてはいましたが、完璧なまるみを帯びた空色の二つのふくらみをレースの波のなかにやわらかに横たえている乳房に、すっかり魅せられてしまいました。その女性の顔のごく些細な細部さえも、私の心に無限の喜びを呼びさます誘い水になりました。少女のようになめらかな頸《くび》の上の艶《つや》やかな髪の輝き、櫛目の跡がはっきりと描きだされた、そして私の想像力が爽やかな小径のごとく駆けめぐった白い線、すべてが私の理性を失わせました。誰も見ている者のいないことを確かめてから、私はまるで母親の乳房にとびつく子供のように、その女性の背中に身を寄せかけて、顔をこすりつけるようにしながら、その肩のいたるところに接吻しました。相手の女性は鋭い叫び声をあげましたが、それは音楽にさえぎられて、人々の耳には届きませんでした。彼女はこちらをふりかえり、私の姿を見て、こう言いました。
「まあ、あなたは!」
ああ! もしも彼女が「まあ、坊っちゃん、どうなさったんです」などと言ったら、私は彼女を殺してしまったかもしれません。しかし、この|あなた《ヽヽヽ》は! という言葉を聞くと、私の目から熱い涙があふれだしました。清らかな怒りに燃えた視線に打たれ、その愛の背中とよく調和のとれた、うっすら灰色味を帯びた髪の冠をいただく崇高な顔に打たれて、私は呆然と立ちすくんでしまいました。彼女の顔の上には、羞恥心を冒された真紅《しんく》の色が一瞬きらめきましたが、自分が原因となった場合には、狂乱じみた行為も納得《なっとく》してくれて、後悔の涙のなかに限りない熱愛を見ぬいてくれるあの女性らしい許しによって、それもすぐにやわらぎました。彼女は女王のような身ごなしで、むこうへ立ちさっていきました。そのとき、私は自分の立場の滑稽《こっけい》さを感じました。やっとそのときになって、サヴォワの猿まわしの猿のようなみっともない身なりをしていることが、自分でもわかったのです。私は、つくづく自分が恥ずかしくなりました。いましがた盗みとったりんごの味をなおも味わいながら、さっき吸いこんだあの血の温《あたた》かみをいまだに唇の上にとどめながら、天上から舞いおりてきたその女性のうしろ姿を見送りながら、私は呆然としてその場にたたずみました。内心の激しい情熱の官能面での様相というものを、はじめて経験して、すっかりそれに捕らえられてしまった私は、人気のなくなった舞踏場をあちこちさまよいましたが、その見知らぬ女性の姿をみつけることはできませんでした。私はすっかり別の人間となって、帰宅し床に就きました。
新しい魂、色とりどりの羽根をもつ新しい魂によって、幼虫の殻はついに破られたというわけです。わがいとしき星が、賛美をこめてふり仰いでいたわが青き大草原から舞いおりてきて、明るさ、閃き、清らかさをそのまま保ちながら、女性に化身したのでした。私は恋愛についてはなにひとつ知らぬまま、とつぜん恋したのです。恋という男性のもっとも激しい感情の最初の激発とは、まったくもってふしぎなものではありますまいか? 私は伯母の家のサロンで、幾人かの美しい女性に会ったこともありましたが、どの女性にしても、ほんの些細な感銘すらあたえはしなかったのです。してみると、ある刻限、ある星と星との結合、もろもろの特別な事情の集合、あらゆる女性のなかのある一人の女性というような宿命的な事情がたしかにあって、恋の情熱が異性の全体を包みこんで働きだそうとする瞬間に、とくにある一つの唯一絶対の情熱を選定してしまうものなのでしょうか? わが選ばれし女性がトゥーレーヌに住んでいるのかと思うと、私は息を吸いこむのさえ喜ばしい思いでしたし、この季節独特の空の青さにも、まだどこでも見たことのない色彩が認められるのでした。私は精神的には喜びの絶頂にありましたが、外見は重い病気を患《わずら》っているようにみえたので、母は呵責《かしゃく》の気持ちの入りまじった懸念を、いだくようになりました。まるで苦痛の襲来を予感した動物のように、私は庭の片すみへいってうずくまり、あの盗みとった接吻のことをじっと思いめぐらすのでした。
この忘れがたい舞踏会から数日たつと、私が勉強をほったらかしにし、母の威圧的な視線にもとりあわず、皮肉も気にかけず、陰鬱《いんうつ》な態度ばかりしているのは、私くらいの年頃の青年が一度は苦しまねばならぬ自然な心身の転換のせいだ、と母はきめこんでしまいました。医学をもってしてもどうにもならぬ病いにとって、永遠の良薬である田舎が、その無気力状態から私をひきだす最良の方法とみなされました。母は私をフラペールへやって、しばらく過ごさせることにきめました。それはアンドル川のほとり、モンバゾンとアゼー・ル・リドーの中間にある城館《やかた》で、母の友人の邸なのですが、母はたぶん、その人物にひそかに事情を知らせてあったのでしょう。
こうして、田舎で過ごすことになった日には、私はすでに恋の大海をさんざん泳ぎまわったすえ、ついにそれをすっかり泳ぎ渡っていたわけでした。わが未知なる女性の名前を私は知りませんでした。どんな呼びかたをすればよいのか? どこでみつかるのか? それに、誰に彼女の話などできるのか? 内気な性質のために、恋を知りそめた最初に青年の心を捕えるあの説明しがたい不安はいっそう増大し、希望のない情熱の終局にやってくるはずの憂鬱の思いが、まずはじめに襲ってきたのでした。野原をあちこち歩きまわったり、駆けまわったりしていられるものなら、私にはまさに願ったりかなったりでした。なにごとも疑わぬ、そしてなにかしら騎士的なものを含むあの子供じみた勇気をふるって、私は徒歩でつぎつぎに訪ねまわって、美しい小塔のところへくるたびに、心のなかで「あれだ!」とつぶやいたりしながら、トゥーレーヌ州の城館《やかた》という城館《やかた》を探そうと思いたちました。
そんなわけで、ある木曜日の朝、私はサン・テロワの門をくぐってトゥールを発《た》ち、サン・ソヴールの橋を渡り、一軒一軒家をのぞきこむようにしながらポンシェまできて、シノンに通ずる街道に出ました。生まれてはじめて、私は誰からも問いただされたりせず、自分の思うままに、木蔭で立ちどまったり、ゆっくり歩いてみたり、かと思うと早く歩いてみたりすることができました。あらゆる青年の上に大なり小なり重くのしかかるもろもろの圧制によって、すっかり打ちひしがれていた哀れな人間にとっては、はじめて自由意志を行使するということは、たとえほんの些細なものにたいしてであろうとも、なにかしら晴れやかな気分を魂にもたらしてくれるのでした。数多くの理由が結びついて、この一日は魅惑にみちた祝祭の日となりました。子供の頃、散歩に出ても、私は町から一リュー以上のところまでいったことはありませんでした。ポン・ル・ヴォワの近郊への遠足もパリでの郊外への散策も、私に田舎の自然の美しさを味わわせてはくれませんでした。にもかかわらず、ごく幼い頃の思い出のせいで、私の心のなかには、自分の親しんでいたトゥールの景色のなかに息づく美への感覚が、まだ残っていました。ですから、風景の詩というものには完全に初心者でしたけれども、私は知らず知らずのうちに、気むずかしい好みをもつようになっていました。ちょうどある芸術を実際に手がけたこともないくせに、いきなり理想を思い描く人々と同じように。
フラペールの城館《やかた》へいくには、徒歩もしくは馬に乗った人々は、街道をそれて近道をし、通称シャルルマーニュという荒野を通りぬけるのです。これはシェール川の流域とアンドル川の流域をわかつ高原の頂きの未墾の土地で、シャンピーで分岐する間道が、そこへ通じているのです。この平坦《へいたん》な砂地の多い荒野は、約一リューほどのあいだ陰惨な気分を誘ったのち、やがて小さな木立になったところで、フラペールが属する村であるサッシェへの道につながります。この道は、バランのずっと先のところでシノンへの街道に出るのですが、アルタンヌという小さな村落まで、めぼしい起伏もなく坦々とうねる平原に沿っています。そこまでくると、モンバゾンにはじまってロワール河で終る谷間がひらけてきて、両側の丘の上にたたずむ城館の下に、まるで跳躍するかのようにつづいていきます。この谷間はすばらしいエメラルド色の盃のようで、その底には、アンドル川が蛇行しながら流れているのです。荒野の退屈さによって、あるいは道中の疲れによって、あらかじめすっかり準備が整っていましたから、その眺めを見ると、私はたちまち肉感的な歓びのまじった驚異の念に捕らえられました。
「女性の花たるあの女《ひと》が、もしこの世のどこかに住んでいるものなら、こここそ、まさにその場所だ」
そう考えながら、私は一本のクルミの木にもたれかかっていましたが、その日以来、このわが懐しの谷間にもどってくるたびに、私はこの木の下で憩《いこ》うことにしているのです。内心のひそかな思いの聞き役であるこの木の下で、この前そこを発った最後の日以来流れさった月日のあいだに、自分が蒙《こうむ》ったさまざまな変化を、私はわれとわが心に尋ねてみることにしているのです。彼女はまさしくそこに住んでいました、私の心は私を欺《あざむ》きませんでした。ある荒れさびた野原の斜面に見えるいちばん手前の小さな城館が、彼女の住居でした。私がそのくるみの木の蔭に腰をおろしたときには、正午の太陽が降りそそいで、その小さな城館の屋根の石瓦と窓ガラスとが、きらきら輝いているところでした。上質の金巾《かなきん》の彼女の服が白い点をつくり、それがぶとう畑のアンズの木の下に認められました。あなたもすでにおわかりになった通り、彼女は、自分ではまだそれとも知らぬうちに、|この谷間のゆり《ヽヽヽヽヽヽヽ》になっていたのであり、その美貌の香気をそこにいっぱいにみたしながら、この谷間で、天上の生活をめざして成育しているのでした。私の魂をみたしているほんのかすかに垣間《かいま》見られた一つのもののほか、なんの糧《かて》とてもない限りない恋心、私はそれがそのまま描きだされているのだと思いました。陽の光を浴びて緑の岸辺のあいだを流れる長い水のリボンだとか、その揺れうごくレースのような葉ごもりで愛の谷間を飾っているポプラの並木だとか、川の流れがたえず異なったまるみを描いていく丘々の、ぶとう畑のあわいを縫ってつらなる樫《かし》の木立だとか、互いに重なりあいながらしだいに遠ざかるぼんやり霞んだ地平線などによって、そこに描きだされているのだ、と。婚約中の娘のように美しく純潔な自然をごらんになりたかったら、春の一日、そこへ出かけてごらんなさい。痛々しい心の傷口をやわらげたいと思われたら、秋のすえにふたたびそこを訪れてごらんなさい。春は、そこでは愛が大空のさなかに羽搏《はばた》いています。秋は、そこではもはや亡き人々のことが偲《しの》ばれます。病める肺は好ましい新鮮な空気を呼吸し、視線は、静かな甘美さを魂に伝えてくる金色の茂みの上に休らいます。ちょうどこのときも、アンドル川の滝つ瀬にかけられた水車が、このさざめく谷間に一つの声を添え、ポプラの並木がにこやかに迎えてくれるかのように揺れうごき、空には雲一つなく、小鳥たちが歌い、蝉が鳴き、いっさいが美しい調べと化していました。私がなぜトゥーレーヌを愛するのか、もはやお尋ねになるにはおよびますまい。私は、おのが揺籃《ようらん》の地を愛するように愛しているのでもなければ、砂漠のなかでオアシスを愛するように愛しているのでもなく、芸術家が芸術を愛するように、トゥーレーヌを愛しているのです。もっとも、この地を愛しているといっても、あなたへの愛ほどではありません。しかし、かりにトゥーレーヌがなかったとしたら、おそらく、私はもうこの世に生きてはいなかったでしょう。なぜとも知らず、私の目はその白い点のほうへ、あたかも緑の茂みのさなかに、触れればすぐに萎《しお》れる一輪の昼顔の花冠が咲き出たかのごとく、その広大な庭に輝いている女性のほうへと、ひきもどされていくのでした。
私は感動にゆさぶられてこの花籠の底へおりたち、そしてしばらくいくと、一つの村が見えてきましたが、心のなかにあふれている詩情のせいで、その村は類《たぐ》いのないものと思われたのです。水の草原のまんなかに、幾つかの木立の茂みをいただいて優美にくっきりと浮きだした島々があって、そのあいだに三つの水車がかけられている景色を、まあ想像なさってみてください。水の草原、この水生植物の群れに、それ以外のどんな名をつければいいでしょうか、これほど生命力に富み、これほど美しくいろどられ、河の表面を覆い、水面に浮かびだし、流れとともに波うち、気ままな流れにすっかり身を委ね、水車に打たれる激しい水勢に順応するこの水生植物の群れに? あちらこちらに、砂利の堆積が盛りあがり、その上に水が砕《くだ》け散っては陽光のきらきらと反射する縁飾りをつくりだしています。アマリリス、睡蓮《すいれん》、白睡蓮、燈心草、草夾竹桃などが、壮麗な綴れ織りとなって両岸を飾っています。腐りかかった梁《はり》で組みたてられ、橋脚は花で覆われ、たくましい雑草やビロードのような苔のはえた欄干が河のほうへ傾きかげんになりながらも、それでも崩れ落ちずにいるような、そんなぐらぐら揺れる橋。古びた小舟、魚を捕る人たちの網、羊飼いの単調な歌声、島と島のあいだを泳ぎまわったり、ジャール、これはロワール河に運ばれてくる大粒の砂の名称なのですが、そのジャールに羽根をこすりつけたりしている家鴨の群れ。頭巾を斜めにかぶり、騾馬《らば》の背に荷を積む仕事に没頭している粉ひきの若者たち。こういうこまかな点景の一つ一つが、この情景を驚くべく純粋なものにしているのです。その橋のむこうには、二つ三つの農場と、鳩小屋を、雉鳩《きじばと》の群れを、さらに菜園や生垣《いけがき》――すいかずら、ジャスミン、仙人草の生垣でへだれられている三十軒ばかりのあばら屋を、想像してみてください。それからまた、すべての家の門口に積まれた艶やかな藁塚《わらづか》や、道の上を動きまわる雌鶏、雄鶏の群れを想像してみてください。それがポン・ド・リュアンの村なのです。独特の風格にみちた古い教会、十字軍の時代のもので、いかにも画家たちが画題にしようと努力しそうな趣《おもむ》きの教会が、ひときわ高く聳《そび》えたっている美しい村。こうした全景のまわりを、幾歳月を経たクルミの木々と、薄い金色の葉をつけた若々しいポプラの並木でふちどってみてください。そして熱気に燃えてぼうっと霞む空のもと、目のとどくかぎりつづく蜿蜒《えんえん》たる草原のなかに、優美な建物を配してみてください。そうすれば、この美しい地方の眺望《ちょうぼう》の一つについて、まあ想像がおつきになるだろうと思います。
私は対岸を豊かに飾る丘々の景色を子細《しさい》に観察しながら、川の左岸を走るサッシェへの道をたどっていきました。やがて、とうとう、ここがフラペールの城館《やかた》であるとはっきり標示してくれるような、百年を経た樹木に飾られた庭園に着きました。ちょうど昼食を知らせる鐘が鳴っている時間に、私は到着したのです。食事がすむと、城館の主人は、私がトゥーレーヌから徒歩できたなどとは思いもかけなかったので、私を案内して所有地のまわりを一巡させてくれましたが、そこでもいたるところから、ありとあらゆる形態のもとに、谷間の景色が眺められるのでした。こちらではある一部分が見通され、あちらでは全景が見渡せるというふうに。たびたび、私の目はロワール河の美しい金色の帯にひきつけられて、地平線へむかうのでしたが、そのロワール河の水面では、うなぎのとりの網のあいだを、船の帆が幻想的な形象を描きだしては風に送られてやがて遠くへ霞んでいくのでした。ある丘の頂きに登ったとき、私ははじめて、アンドル川という枠《わく》のなかに嵌《は》めこまれ、花に覆われた基杭の上に支えられて、切子に刻まれたダイヤのようになったアゼーの城〔十六世紀に建てられたルネッサンス初期の城の代表的なものとして名高い〕を感嘆の思いで眺めました。それからまた、ある谷底には、サッシェの城館の野趣あふるる堂々たる姿が見えましたが、これは調和にみちた憂愁の住居であり、皮相な人々にとっては荘重にすぎましょうが、魂に悩みを負う詩人たちには親しみぶかいものなのです。であればこそ、私ものちになって、この城館の静けさや、枝の落ちた大木や、そしてそこの淋しい谷間にみちているなにかしら神秘的なものに、愛着をいだくようになったのです! けれども、隣りの丘の中腹に、最前見かけた小さな城館、最初の一瞥《いちべつ》でとくに選びとられたあのかわいらしい小さな城館の姿が見えるたびに、私は嬉しくなって足をとめるのでした。
「やあ!」私の年頃では、いつもありのままに表情に出てしまうあの躍動するような欲望を私の目のなかに読みとって、私の宿の主人は言いました。「遠くからちゃんと美人を嗅ぎあてましたね、猟犬が獲物のにおいを嗅《か》ぎつけるように」
獲物という言葉に嫌な感じがしましたが、私はその小さな城館《やかた》の名と所有者の名を尋ねてみました。
「あれはクロシュグールドですよ」と主人は言いました。「モルソーフ伯爵の所有になるきれいな邸で、この人物はトゥーレーヌの歴史的な名門の家柄の当主なのですが、この家系の盛運はルイ十一世の時代からはじまり、その名前は、紋章と家名の高さの由来をなした事件のことを、はっきり物語っているのです。伯爵は、絞首台にかけられたのに一命を取りとめた人物の子孫なのですよ。ですから、モルソーフ家の紋章は、筋違いT字形の黒色十字架模様を金字に浮かし、根もと豊かな金色のゆりの花をあしらったもので、銘としてわれらが主なる国王に神の加護のあらんことを、という言葉がついています。伯爵は亡命から帰ってきて、この領地に身を落ちつけたのです。この資産は夫人のものなのですよ、夫人はルノンクール家の、あのルノンクール=ジブリー家の娘ですが、この家系はやがて絶えてしまうでしょう。というのは、彼女はひとり娘ですからな。この一家の財産の乏しさときたら、夫妻の二つの家名の高さとじつに奇妙な対照をなしているものですから、気位の高さのためか、それとも必要に迫られているためなのかもしれませんが、とにかく夫妻はクロシュグールドにひきこもりきりで、誰とも会わないのですよ。いままでは、ブルボン王家への愛着ということで、そういう孤立した暮らしかたもまあ説明がつきましたがね。でも、国王が帰還されても、夫妻の暮らしかたが変わるかどうか、こいつは疑わしいものですな。去年わたしがここに落ちついたとき、夫妻のところへ挨拶に訪ねたんです。あちらからも返礼をしてくれて、わたしたちを晩餐に招いてくれました。やがて冬になったので、数か月のあいだ別れわかれになってしまいましたよ。それから、政治上の事件がいろいろ重なったために、わたしたちもここへくるのが遅れてしまいましてね。なにしろ、わたしがフラペールへきてから、まだいくらも経ってないのですよ。モルソーフ夫人という女《ひと》は、どこへ出ても第一級の地位を占められるような女性です」
「夫人はトゥールにはときどき出てくるんですか?」
「いや、ぜんぜんいきませんね。もっとも」彼は自分の言葉を訂正してこうつづけました。「最近、アングレーム公が通過されたさい、出かけていきましたがね。公はモルソーフ氏にたいへん鄭重《ていちょう》な態度を示しておられましたよ」
「あの女《ひと》だ!」私は叫びました。
「誰です、あの女《ひと》というのは?」
「肩の美しい女性です」
「トゥーレーヌには、肩の美しい女性はたくさんいますよ」と彼は笑いながら言いました。「でも、お疲れでなかったら、川を渡ってクロシュグールドまで登っていってもいいですよ。あそこで、そのあなたのおっしゃる肩かどうかよく確かめてごらんなさい」
私はすぐ承諾しましたが、やはり嬉しさと恥ずかしさで、赤面せずにはいられませんでした。四時頃、私たちは、ずいぶん長いこと私の目を楽しませてくれたその小さな城館《やかた》に着きました。あたりの景色に美しい効果を添えているこの住居も、実際には質素なものなのです。正面には窓が五つあります。南に面する正面の両端にある窓は、それぞれ約二トワーズ〔トワーズは古い長さの単位で約一九五センチ〕ぐらい前に張りだしていますが、これは両翼造りを模して、建物に優美さを添える建築上の技巧なのです。中央の窓は出入口の役をしていて、そこから二段になった正面の階段をおりると、段々状につづく庭へ出られるのですが、この庭はアンドル川の岸沿いにつづく細長い牧草地まで達しています。村道が一本通っていて、その牧草地と、アカシヤや漆《うるし》の木の並木道の木蔭になったいちばんむこうの築山とを二つにへだてているのですが、それでも牧草地はまるで庭の一部のようにみえます。それというのも、その道は窪《くぼ》んでいて、こちら側は築山がぐっと張りだし、あちら側はノルマンディーふうの生垣をめぐらされているからです。傾斜が巧みに整えられているため、住居と川とのあいだには十分な距離が置かれているので、水のそばだという不便さは救われ、しかも水際の快適さも失われてはいません。邸《やしき》の下には、馬車小屋、厩舎、食糧貯蔵所、調理場などがあって、その多種多様な出入口が弓形を描きだしています。屋根はそれぞれの角で優美なまるみをもたせてあり、横木に彫刻のついた十字窓と、破風の上の鉛の花飾りが装飾の役をしています。屋根瓦は、たぶん大革命のあいだはほったらかしにされていたせいか、南に面する家々の上に生える、ひらべったい赤みがかった苔でできる錆がびっしりくっついています。踏段のついた出入口兼用の窓の上には鐘楼があって、ブラモン・ショーヴリ家の楯形紋章が彫りこまれています。それは紺白交錯の縦縞模様で赤地を四分し、緋・金二色の抱き掌を脇づけ、黒地山型の二本槍を配したものです。なんぴとも見よ、されど触るるなかれ! という銘が、私の心を激しく打ちました。紋章の楯を支える動物は、口をつなぎあわせた金色の鷲面獅子《グリッフォン》と竜《ドラゴン》なのですが、この彫刻もみごとな効果をつくりだしていました。公爵のしるしの冠と、金色の実のついた緑色の棕櫚《しゅろ》をかたどってつくられた頂飾りとは、大革命のために破損されていました。公安委員会の幹事であるスナール〔当時の恐怖政治の推進者〕は、一八七一年以前はサッシェの大法官の職にありましたが、そのことがこうした荒廃の理由をあきらかにしてくれます。
これらのもろもろの配置の具合によって、さながら花のように細工を凝らされ、まるで地面に重みをかけてないようにみえるこの小さな城館《やかた》には、優雅な風貌があたえられていました。谷間から見あげると、一階が二階にあるような感じがするのですが、中庭のほうからだと、一階は幾つかの円形花壇で華やかにいろどられた芝生の球戯場に通ずる砂利敷きの小径でもって、地面と平らにつづいています。家の左右には、ぶどう園、果樹園、クルミの木を植えた幾つかの耕地が急勾配でくだり、そのこんもりした茂みで邸のまわりを包みながら、アンドル川の岸辺まで達しているのですが、その岸辺も、ちょうどここの地点では、自然そのものによって微妙な色合の差をつけられたさまざまの緑の木々の茂みで、飾られています。クロシュグールドの地所に接してつづく道を登りながら、私はすこぶるみごとに配置された木々の茂みに感嘆し、幸福を封じこめたような空気を吸いこんだのです。精神の自然というものにも、物理的な自然と同じように、それ独自の電流の交流や、急速な気温の変化などがあるのでしょうか? 私の心は、やがてそれを永久に変容することになるひそかなできごとに近づくにつれて、激しく鼓動しはじめました。ちょうど、動物が晴天を予感して元気づくように。私の生涯で特筆すべきその一日は、それを厳粛《げんしゅく》なものとするにたりる情況に、なにひとつとして欠けるところはありませんでした。自然は恋人との逢瀬《おうせ》におもむく女性さながらに飾りたてられ、私の魂ははじめてその自然の声を聞きとり、私の目はその豊饒で多様な姿に感嘆していたのですが、その豊饒《ほうじょう》多様ぶりたるや、中学時代の夢想のなかで、私の想像力が描きだしてくれたのと同じものなのでした。私は前につたない言葉を使って、中学時代の夢想が私におよぼした影響をあなたにご説明しましたが、それというのも、あの夢想こそ、私の生涯を象徴的に予言した黙示録のようなものだったからなのです。なにしろ、幸福なできごとも、あるいは不幸なできごとも、どれひとつをとってみても、奇妙な幻像という魂の目にのみ認められる絆《きずな》によって、その夢想に結びつけられているのですから。
私たちは、納屋、圧搾《あっさく》室、牛小屋、厩舎など、農事の営みに必要な建物に囲まれたいちばんとっつきの中庭を通りぬけました。番犬の吠え声を聞きつけ、一人の下男が私たちを迎えに出てきて、伯爵は朝からアゼーへ出かけられたが、まもなく帰ってこられるはずであり、夫人は家にいらっしゃると告げました。私の宿の主人は私の顔をみつめました。私は、夫が留守なのでモルソーフ夫人にも会わないつもりなのかと思って、心配に胸をふるわせましたが、しかし彼は下男にむかって、私たちの来訪を伝えてくるように申しつけました。子供じみた渇望《かつぼう》に駆られて、邸のなかをずっと通りぬけている細長い控《ひか》えの間に、私は大急ぎではいっていきました。「どうぞ、おはいりくださいませ!」そのとき、美しい声がそう呼びかけてきました。
あの舞踏会で、モルソーフ夫人はほんの一言ものを言っただけでしたが、私にはたしかにあのときの声だということがわかりましたし、それが私の魂のなかに沁《し》み通って、さながら一条の光線が囚人の土牢にあふれ、そこを金色に染めあげるように、私の魂をいっぱいにみたしたのでした。彼女が私の顔を覚えているかもしれぬと思うと、私は逃げだしたい気持ちになりました。だが、ときすでに遅く、彼女はドアの敷居のところに姿をあらわし、私たちの目と目が出会いました。彼女と私のどちらがひどく赤面したか、私にはわかりません。すっかり狼狽《ろうばい》してなにも言えなくなった彼女は、下男が肘掛椅子《ひじかけいす》を二つそのそばに近づけてから、やっともとの刺繍台《ししゅうだい》の前の席に腰をおろしました。だまりこんでいる口実をつけるために、彼女は縫《ぬ》いかけの糸を最後まで縫い終え、縫い目をいくつか数えて、それから穏やかな、と同時に毅然《きぜん》とした顔をシェッセル氏のほうにむけて、どういう好ましい風の吹きまわしのせいで、こうして訪ねてきていただけたのかと尋ねました。私が姿をあらわしたことについて、真相を知りたいと思ってはいたのでしょうが、私たち二人のどちらかの顔をも、彼女は見ようとしませんでした。彼女の目は、しじゅう川のほうに釘づけになっていました。けれども、他人の言葉を聞きとるその独特の聞きかたをもってすると、彼女は盲人と同じように、なにげない語調のなかにすら、心のざわめきを聞きつけることができるかのようでした。そして、それはまさにそのとおりだったのです。
シェッセル氏は私の名前を告げ、経歴を話しました。私は数か月前からトゥールにきているのだが、戦争の危機がパリに迫った頃、両親にトゥールの家へ呼びもどされたわけなのです、と。トゥールを知らぬトゥーレーヌ生まれの青年である私は、無茶な勉強によって身体を悪くし、気晴らしのためにフラペールに送られてきた青年と考えていただければよいのであり、はじめてやってきたこの土地を、シェッセル氏が案内してまわっているところだったのです。この丘の麓《ふもと》まできたとき、はじめて私がトゥールからフラペールまで徒歩できたことを話したので、すっかり弱りきっている健康のことが気がかりになり、夫人ならきっと休ませてくださるだろうと考えて、クロシュグールドに足を踏みいれることを思いついたというわけなのです……シェッセル氏は事実を言ったのですが、しかし運のよい偶然というものは、えてしてひどく作為的にみえるものなので、モルソーフ夫人はあいかわらずいくぶんか疑惑をもちつづけていました。彼女は冷やかな厳しい目を私のほうにむけてきたので、私はなにかしらぬ屈辱感のために、また睫毛《まつげ》のあいだにやっと抑えている涙を見せぬために、そっと目を伏せずにいられなくなりました。気品にあふれた城館《やかた》の女主人は、私の額に汗がにじんでいるのを見てとりました。たぶん、涙もちゃんと見ぬいたのでしょう。私の沈黙を解きほぐすような優しい慰めの表情を浮かべながら、なにか必要なものがあったら、と申し出てくれたのですから。私は過ちを犯した娘のように顔を赤らめ、まるで老人の声みたいな震《ふる》え声で、感謝をこめて断わりの言葉を述べました。「わたくしのお願いすることは」そう言いながら、私は彼女の目をまともに見あげました。私の目がこの目に出会ったのはこれで二度目でしたが、しかしそれも稲妻《いなずま》のようなほんの一瞬間のことでした。「ただここから追いださないでいただきたい、ということだけです。すっかり疲れきってしまったものですから、もう歩けそうにありませんので」
「まあ、この美しい土地のお客さまのもてなしかたを、なぜ信じてくださらないのですか?」と彼女は私に言って――それから隣人シェッセル氏のほうをふりむいて、「だいじょうぶ、クロシュグールドで晩のお食事を召しあがっていっていただけますのでしょうね?」とつけくわえました。
私は自分の保護者をちらっと見やりましたが、その目には深い懇願《こんがん》の色があふれていたので、彼も仕方なしにその申し出を受けいれることにしました。その言いまわしは、辞退を望んでいるものだったにもかかわらず。社交界に慣《な》れているせいで、シェッセル氏のほうでは、その微妙な意味あいをみわけることができましたが、無経験な若者のほうは、美しい女性の場合には、言葉と考えとは一致しているものだとばかり堅く信じこんでいましたから、その晩、帰りみちでシェッセル氏からこう言われたときには、すっかり驚いてしまいました。
「あなたがそうしたくてたまらないらしかったから、わたしも腰を落ちつけてしまいましたがね。でも、もしあなたがことをうまく運んでくれなければ、わたしはきっと、あの隣人たちとまずい仲になってるところでしたよ」
この『もしあなたがことをうまく運んでくれなければ』という言葉は、私を長いあいだ夢想にふけらせました。もしモルソーフ夫人が私に好意をもってくれるならば、私を案内してきた人物にたいして、彼女が悪意をもつわけはありません。してみると、シェッセル氏は、彼女に好意をいだかせるだけの力が私にあると考えていることになるし、そう考えてくれば、私も自分にその力があると思ってよいわけなのではあるまいか? こういう解釈は、私がなんらかの援助を必要とする折だっただけに、私の希望を強化してくれました。
「それはどうもむずかしいようです」とシェッセル氏は答えました。「家内が待っておりますのでね」
「奥さまは毎日ごいっしょにいらっしゃれますわ」と伯爵夫人は言葉をつづけました。「それに、奥さまにお知らせすることだってできますし。奥さまはおひとりですの?」
「ケリュス神父さまがおいでになるはずです」
「それでしたら」彼女は呼鈴を押すために立ちあがりながら言った。「わたくしどもとごいっしょにどうぞ」
今度は、シェッセル氏も夫人が心からそう言っているのだと思って、祝福のまなざしでちらっと私の方を見やりました。この屋根の下に一晩いられることが確実になると、私はたちまち、さながら永遠のごときものを自分が所有しているような気になりました。数多くの不幸な人々にとっては、明日というのは無意味な言葉であり、そして当時、私は、翌日をまるで信じられぬ人間の一人だったのです。ですから、何時間かが自分のものになると、私はそこに全生涯の快楽を賭けるのでした。
そのモルソーフ夫人は、土地のこととか、収穫のこととか、ぶどう畑のことなど、私には縁のない会話からきりだしました。
一家の女主人としては、こういうやりかたは教養のない証拠か、さもなければ、そんなふうにして話の外に閉めだされる人間にたいして、軽蔑をいだいている証拠です。しかし、伯爵夫人においては、それは困惑のためでした。最初のうち、私は、彼女がわざと私を子供扱いしているようにみせかけているのだと思いこみ、私にはさっぱりわからない重大な話題について、隣人の伯爵夫人と話のできるシェッセル氏の、三十男としての特権を羨望し、このもてなしはすべて彼のためなのだと考えて、くやしい気持ちに駆られましたが、しかしながら、それから数か月後になって、女性の沈黙がいかに意味ぶかいものであり、冗漫な会話がいかに多くの考えを秘めているものであるか、私は思い知ったのです。
最初まず、私は肘掛椅子にゆったりくつろごうと努めました。が、やがて、伯爵夫人の声に耳を傾ける魅惑にすっかりひたりきっているうちに、自分の立場の有利さに思いあたりました。彼女の魂の息づかいは、ちょうど音がフリュートの鍵に分割されるように、音節の襞《ひだ》のなかに伸びひろがります。それは波を打つようにして耳のところでいったん消えさり、今度はそこから血液の作用を促進するのです。彼女のイという語尾の言いかたは、なにか小鳥の歌を思わせました。彼女が発音するシュという音は、まるで愛撫のようであり、タ行を口にするときの音の出しかたには、優しい情愛の独裁がはっきり示されていました。そんなふうにして、彼女は自分でも気のつかないうちに、言葉の意味を拡張し、聞く人の魂をこの世を越えた世界へと誘いこむのです。もう切りあげてもよいはずの議論を、私がつづくがままに任せておいたことが、いったい何度くらいあったことでしょう! この人間の肉声による演奏に耳を傾けるために、魂をそのなかにこめつつ唇から出てくる空気を吸いこむために、まるで伯爵夫人その人をわが胸にひしと抱きしめるような熱情をこめて、このもの言う光を抱擁するために、私がなんの根拠もない叱責を甘んじて受けたことが、いったい何度くらいあったことでしょう! 彼女が笑ったりするときには、いとも楽しげなつばめの歌声でした! だが、彼女が悲しみを語るときには、仲間を呼ぶ白鳥の声でした! とにかく、伯爵夫人がこちらに注意をむけないので、私はしげしげと彼女を眺めることができたのです。美しい話し手の姿の上を滑りながら、私の視線は楽しさにひたりきり、彼女の胴を抱きしめたり、足に接吻したり、髪の捲毛のなかでたわむれたりしていました。が、そうしながらも、私はある恐怖の思いに捕えられていましたが、そういう気持ちは、生涯において真の情熱の限りない歓喜を味わったことのある人々ならば、よく理解してくれるだろうと思います。この前あんなにも熱烈に接吻した肩のあの場所に、いまじっと視線を注いでいるところを彼女にふいにみつけられはしまいか、私はそれが心配だったのです。この不安のせいで、誘惑はますます強く掻《か》きたてられ、私は誘惑に屈して、その肩をじっとみつめました! 私の目は布をひきさき、彼女の背を二分する美しい分けめの起点をしるしづけている、あの黒子《ほくろ》をふたたび目《ま》のあたりにしたのですが、それはあたかも牛乳のなかに溺れた蠅《はえ》のようであり、それこそがあの舞踏会のとき以来、想像は熱烈にして生活は純潔なる青年たちの眠りが漂う場所かとも思われる暗黒のなかで、夜ごとに輝いていたものだったのです。
どこへ出ていっても、伯爵夫人を人々の注視の的にすると思われるその顔だちの主要な線を、あなたに素描してさしあげることはできます。けれども、この上なく正確なデッサン、この上なく強烈な色彩をもってしても、たぶんなにひとつ描きだせはしないでしょう。その似顔をつくるには、この世に発見されえぬ画家、その手は内面の炎の反映を描きだす術を知っており、科学は否定し、言語は言いあらわせないけれども、しかし恋人の目にはしかと見とどけられるあの光輝にみちた気体を表現する術をも知っている画家を必要とするような容貌、彼女の容貌はまさしくそういうものの一つなのです。灰色がかったこまやかな髪の毛は、しばしば彼女に頭痛を起こさせることがありましたが、この頭痛は、たぶん、血が急激に頭のほうに逆流することが原因となっていたのでしょう。ジョコンダの額のようにまるみを帯びた秀《ひい》でた額は、言葉にあらわされぬ考えや、抑制された感情や、海の苦い水のなかに溺れた花々にみちみちているかと思われました。茶色の斑点のついた緑がかった目は、いつも淡い光をうかべていました。しかし、いったん子供たちのこととなろうものなら、またあきらめきった女性の生活にはまれなことですけれども、喜びや悲しみの感情が激しくあふれでてこようものなら、彼女の目からは、生命の源で燃えあがるかに思われる光、やがてはそれを涸《か》らすことにもなる鋭い光がさしてくるのでした。それはまさに稲妻《いなずま》の輝きであり、彼女一流のひどい侮蔑を浴びせられた瞬間には、それが私の涙をそそりたてたわけですし、たいへん厚かましい連中をして、思わず瞼《まぶた》を伏せさせるにたりるようなものでした。あたかもフェイディアス〔古代ギリシャの画家・彫刻家〕が描いたかのようなギリシャ型の鼻は、二つの弓形によって優雅な曲線を描く唇へとつづき、卵形の顔に精神的な感じを与えていました。そして、その顔色は白い椿の織物にも似て、美しいばら色の色調でもって、頬のあたりがほんのりと赤らんでいるのです。肉づきはふとりぎみでしたが、そのために体つきの優美さが損われることもありませんでしたし、その姿態が発達しきってはいながらも、なおかつ美しさをとどめておくのに必要なまるみが、傷つけられることもありませんでした。この前私を魅惑したあのまばゆいばかりの宝玉は、上搏部《じょうはくぶ》につながるあたりでも皺《しわ》ひとつつくらぬはずだということを知っていただければ、あなたもきっと、こうした完璧な美しさというものをはたと了解なさることでしょう。首のつけねには、ある種の婦人の首筋を樹木のみきに似たものにしているあの窪《くぼ》みがありませんし、筋肉も紐《ひも》のようにみえたりはしません。そしてどの部分においても、体の線はふっくらとまるみを帯びて、目にとっても絵筆にとっても、絶望をそそるようなみごとな屈曲を描きだしているのです。かすかな生毛《うぶげ》が、絹のようにしなやかな光をとどめながら、頬の線に沿って、首筋の前面の窪みのあたりに消えていきます。小さな恰好《かっこう》のよい耳は、彼女の表現にしたがえば、奴隷の耳であり、かつ母親の耳でもありました。のちになって、私が彼女の心のなかに住みつくようになったとき、彼女はよく「あら、主人だわ!」と言ったものですが、聴覚にかけてはそうとうひろい音域を有するこの私にも、まだなんのもの音も聞こえてこないというのに、彼女のほうはすでにまちがいなく聞きわけているのでした。彼女の腕は美しく、指がしなやかに撓《たわ》む手はすらりと長く、そして古代の彫刻に見られるように、ほっそりした隆起をもつ爪よりも肉のほうが少し高めになっています。なだらかな体つきのほうがまるみを帯びた体つきよりもよろしいなどと言ったら、あなたの不興を買うかもしれませんが、ただしあなたは例外なのです。まるみを帯びた体つきは力強さのしるしですが、しかしそういう体つきの女性というのは驕慢《きょうまん》で、わがままで、愛情深いというよりはむしろ情欲が強いのです。それにひきかえ、なだらかな体つきの女性というのは、献身的で、繊細さにみち、ややもすれば憂愁に沈みがちなものなのです。こういう女性は、他の女性たちよりもいっそう女らしいのです。なだらかな体つきはしなやかで弱々しく、まるみを帯びた体つきは柔軟さを欠き、しかも嫉妬深いものなのです。これでもう、彼女がどんな体つきであったか、あなたにもよくおわかりいただけたことでしょう。彼女の足はいかにも理想的な女性の足であり、あまり歩くことができず、すぐに疲れてしまって、衣裳の裾《すそ》から出ていると目を楽しませてくれるような足でした。二人の子供の母親でしたけれども、私はいまだかつて、これほど娘らしい感じをたたえた女性に会ったことがありません。彼女のようすには、なにかしらうろたえたような感じや、夢みる風情《ふぜい》などと結びついた天真爛漫さがあらわれており、ちょうど画家がその天才によって感情の世界を表現した像のほうへ私たちを連れもどしていくのと同じように、それがたえず私たちを彼女のもとへ連れもどしていくのです。それにまた、彼女のさまざまな表面にあらわれた美点も、比喩によってしか説明のつけられないものなのです。私たちがディオダーティ荘〔スイスのレマン湖畔に建てられた山荘で、イギリスの詩人バイロンがしばしば訪れた〕からの帰りみちに摘《つ》んだ、あのヒースの花の純潔な野趣にみちた香りを、どうか思いだしてみてください。あなたが黒とばら色の色彩をしきりにほめておられたあの花の香りを。そうすれば、この女性が、いかばかり世間ばなれした優雅さにみちているか、その表現がどれほど自然なものか、身についた独特のものがどれほど凝《こ》ったものであるか、つまりどんなふうにばら色であると同時に黒い色であるか、あなたにも推察がおつきになるでしょう。彼女の肉体には、開いてまもない若葉のみごとなみずみずしさがあり、彼女の精神には、野性的なもののなかにひそむ深遠なる簡潔さがありました。つまり、彼女は感情においては子供でありながら、苦悩においては深刻であり、城館の女主人であるとともにうら若い娘でもあったのです。したがって、彼女は坐ったり立ったり、じっとだまりこんだり、また一言なにか言ったりするその態度でもって、巧まずして人に好感を抱かせるのでした。ふだんはもの静かに落ち着き、全員の安全の任を背負って災厄の襲来を監視する歩哨《ほしょう》のように注意を凝《こ》らしていますが、ときとして、生活の強要する挙措《きょそ》動作の蔭に埋もれているほがらかな天性を、ふと垣間《かいま》見せるような微笑をもらすこともありました。彼女の媚態《びたい》は神秘的なものとなりきっていて、ふつうの女たちがそそりたてるような艶《つや》心を誘うかわりに人を夢想へと導いていき、溌剌《はつらつ》と燃えていた彼女の第一の天性や、若かりし頃の紺青の夢の数々をちらりと望見させてくれるのでした。ちょうど、雲の晴れ間から空が見えるように。このような巧まざる啓示を見ると、自分の内心の涙が欲望の火をもってしてもまだ乾いていないと感じている人々は、もの思いに誘われるのです。めったに大きな身ぶりをすることもなく、とくにめったに他人に視線をむけることもなかったので(子供たちを別にすれば、彼女は誰の顔もまじまじと見たりはしませんでした)、世間の女性たちが自分の体面を汚す告白をするときに見せるような態度でもって、彼女がなにか言ったり、なにか動作をしたりする場合には、その言動には信じられないほどの荘重さがそなわるのでした。ところで、その日、モルソーフ夫人は縞模様《しまもよう》のばら色の服を着ていましたが、襟《えり》には幅のひろいふちどりがしてあり、黒のベルトをしめ、これも同じ色の半長靴をはいていました。髪の毛は無造作に上にたばねて、べっこうの櫛《くし》で押えてありました。
お約束した不完全な素描は、まあざっとこのとおりです。しかし、家族の上に投げかけられるあの彼女の魂の不断の放射、太陽が光を発するごとくに、なみなみと惜しみなく注がれるあの養いの糧《かて》となる精気、また彼女の内奥の天性、はればれと心安らかなさいの態度、心にかげりがあるときのあきらめ、性格がすっかりあらわれるこれらの生活の転回というものは、日々の空模様と同じことで、思いもよらぬつかのまの事情に起因するものであり、しかもこうしたさまざまの事情というものは、その各々が分離して出てくる根柢より他になんの類似があるわけでもなく、それを描きだそうとすれば、必然的にこの物語のもろもろのできごとと関連してくることになるでしょう。まさに家庭の叙事詩そのもの、識者の目からすれば、大衆の目に悲劇が偉大に映ずるのと同じくらい偉大なものとみえるはずのあの家庭の叙事詩そのものである物語に、どうしても関連してくることになるでしょう。そしてこの物語をお話しすることは、私がそこに加わっていたことからしても、また大多数の女性の運命との類似からしても、きっとあなたの関心を惹《ひ》きつけるだろうと思うのです。
クロシュグールドでは、すべてがまぎれもなくイギリスふうの清潔さという特徴をそなえていました。伯爵夫人が坐っていた広間はいっぱいに板壁を張りめぐらし、濃淡二様の灰色で塗られていました。暖炉の装飾としては、その上に盃をのせたマホガニーの枠のなかに、きちんと嵌《は》めこまれた振子時計と、ケープヒースの花がいけられている金色の網目模様をあしらった二つの白い大きな磁器の花瓶とが置いてありました。ランプが一つ小卓にのせられ、暖炉とむかいあったところには、トリクトラク〔骰子を使って駒を取りあう遊び〕の盤があります。幅のひろい二本の木綿《もめん》の紐が、総《ふさ》飾りのない白いペルカル織のカーテンをくくっています。緑色の飾り紐の縫いとりをした灰色のカヴァーが椅子にかけてあり、そして伯爵夫人の刺繍台に張ってある布地は、この部屋の家具がなぜこんなふうに隠されているのかという理由を、かなりはっきりと物語っているのでした。が、こうした質素さは高貴さにまで達していました。私がそれ以来目にした部屋のうちで、どれひとつとして、クロシュグールドのこの広間、つまり伯爵夫人の生活さながらにひっそり静まりかえり、夫人の日々の仕事の修道院ふうの規則正しさが窺《うかが》えるこの広間で、私の心を捉えたものに匹敵するほど豊かでかつ複雑に入りくんだ印象をよびおこした部屋はありませんでした。私の思想の大部分のもの、科学や政治に関するすこぶる大胆なものでさえも、ちょうど芳香が花から発散してくるように、そこで生まれたわけなのです。そこには、私の魂に豊饒な花粉をまきちらす未知の草木が緑に咲きひらき、私のよき特質を成長させ、悪しき特質を枯れさせる太陽の熱気が輝いていたのです。窓からは、ポン・ド・リュアンの村がひろがる丘からアゼーの城にいたるまでの谷間が、一望のもとにすっかり見わたされ、フラペールの塔とか、堂々たる姿で牧草地を見おろしつつそびえるサッシェの教会、村落、古い領事館とかによって、多才な変化を与えられている対岸の丘の屈曲もたどられるのです。ひっそりした生活、家族があたえるもの以外にはなんの興奮もないこの生活とうまく釣りあって、ここの土地はその静謐《せいひつ》さを魂に伝えてくるのでした。もし私があの舞踏会の衣裳をまとった華やかな姿を見るのではなく、はじめての出会いとして、伯爵と二人の子供たちに囲まれた彼女に会ったのだったら、私とてもあんな狂気じみた接吻、そのためにわが恋の将来が台なしになりはしまいかと考えて、悔恨の念にかられたあの狂気じみた接吻を、盗みとったりはしなかったでしょうに! そうです、不幸な境遇のために暗い気分に落ちこんでいたのですから、私はきっと膝《ひざ》を折り、彼女の半長靴に接吻し、そこにいくばくかの涙を残して、アンドル川へ身を投げにいったことでしょう。
しかし、ジャスミンのように新鮮な彼女の肌に触れ、愛にみちたその杯の乳を飲んで以来というもの、私の心のなかには、この世ならぬ逸楽への嗜欲《しよく》と希望がわいてきたのです。私は生きる意欲にめざめ、野蛮人が復讐の時機を窺《うかが》うように、歓びのときの到来を待ちたいという気持ちになりました。それをかなえるためとあらば、木に登っていてもよい、ぶどう畑を這ってもよい、アンドル川のなかにうずくまってもよいとまで思いました。静かな夜やものうい生活や熱烈な太陽を共犯者にしたてて、すでに歯形を残したあの美味のきわみのりんごを、最後まで味わいつくしたい思いでした。たとえ彼女が歌う花を望んだり、「根だやしモーガン〔十七世紀のイギリスの有名な海賊〕」の一味が地中に埋めた財宝を望んだとしても、自分のほしい確実な財宝や、もの言わぬ花を手に入れるためとあらば、彼女のもとにそれを運んでいったことでしょう! おのが偶像を長いこと見まもりながら夢想に沈んでいた私が、ふとその夢想からさめると、下男がやってきて、彼女になにか話していましたが、ふとそれを聞くと、伯爵のことを言っているのでした。そのときはじめて、ああ妻というものは夫に属さねばならぬものなのだな、と私は考えました。そう考えると、めまいがしてきました。そして次には、この宝の所有者を見てやろうという、怒りをまじえた暗い好奇心が起こってきたのです。憎悪、そして恐怖という二つの感情に私は支配されました。いかなる障害をも認めず、しかもいっさいの障害を見さだめて、なおかつ怖れないような憎悪。そして、闘争と、その結末と、とくに彼女《ヽヽ》にたいする恐怖、茫漠《ぼうばく》たるものではあるけれども、しかし現実的な恐怖。言いしれぬ予感に捕えられて、私は面目をなくしそうな握手を恐れ、このうえなく荒々しい意志でさえも、そこにぶつかれば鈍ってしまうあの屈折に富んだ困難な状態を、早くも瞥見《べっけん》してしまったのでした。情熱的な魂をもつ人々が追究する解決法を今日の社交生活から奪いとってしまっているあの惰性の力というものを、私は恐れていたわけなのです。
「主人がもどりました」と彼女は言いました。
私は、ものにおびえた馬のような恰好《かっこう》で、はっとばかり立ちあがりました。シェッセル氏も、伯爵夫人も、この動作を見のがしはしませんでしたが、私はべつに無言の注視を浴びせかけられずにすみました。というのは、六歳くらいとおぼしい女の子がはいってきて、その場の雰囲気をやわらげてくれたからなのです。彼女はこう言いながら、広間にはいってきたのです。
「お父さまよ」
「あら、マドレーヌ、ごあいさつは?」と母親は言いました。
子供は、握手を求めているシェッセル氏に手をさしだしました。そして、ひどくびっくりしたようなようすで私におじぎをしてから、私の顔をまじまじと見まもりました。
「お嬢さまのご健康はよろしいのですか?」とシェッセル氏は伯爵夫人に尋ねました。
「だいぶよくなりましたわ」早くも母親の膝にあがりこんでいる娘の髪を愛撫しながら、彼女はそう答えました。
シェッセル氏がある質問をしたことから、私は、マドレーヌが九歳だということを知りました。自分の思いちがいに私はちょっとばかり驚きの色を示したのですが、それを見た母親の顔に、さっと憂《うれ》いの影がうかびました。私の紹介者シェッセル氏は、社交界の人々が私たちに第二の教育を授けようとするときに使う、あのいかにも意味ありげなまなざしを私に投げかけてきました。たぶん、そこには母親としての傷口があって、その包帯《ほうたい》に触れてはならなかったのでしょう。目つきは弱々しく、肌はかすかな光に照らされた陶器のように蒼白い虚弱児童のマドレーヌは、たぶん都会の雰囲気のなかでは生きていられなかったでしょう。田舎の空気と、さながら雛《ひな》を抱いているかとみえる母親の保護とによって、異郷の気候の厳しさに耐えつつ温室で咲きひらいた植物のように弱々しいこの体にも、生命が保たれていたわけなのです。マドレーヌは、母親の面影を偲《しの》ばせるところはぜんぜんありませんでしたが、その気質は受けついでいるらしく、その気質によって支えられているのでした。まばらな黒い髪の毛、くぼんだ目、こけた頬、やせほそった腕、狭い胸が、生と死との闘い、それまでのところは伯爵夫人の勝利に帰していた間断のない闘争を、はっきり物語っていました。マドレーヌいかにも元気そうにみせかけていましたが、たぶんそれは母親に悲しい思いをさせないようにするためだったのでしょう。それというのも、注意がいきとどかなくなると、ときおり、しだれた柳のようなようすをすることがありましたから。それはちょうど、道々もの乞《ご》いをしながら故郷を出てきて、すっかり疲れはてて飢えに苦しんではいるものの、それでも見物人のために元気をふるい起こして準備を整えたジプシーの小娘、とでもいったふうでした。
「ジャックはどこにいるの?」烏《からす》の羽根のように、髪の毛をまんなかから左右にふりわけている白い筋目に接吻しながら、母親は彼女にそう尋ねました。
「お父さまとごいっしょにくるわ」
ちょうどそのとき、伯爵が息子の手をひきながら広間へはいってきました。ジャックは妹にそっくり生きうつしで、同じような虚弱体質の徴候《ちょうこう》を呈していました。これほどすばらしい美しさをたたえた母親のかたわらに、この二人の弱々しい子供が並んでいるところを見ると、伯爵夫人のこめかみを憂《うれ》いの色で染めている悲しみの源が、嫌でもはっきり読みとれるのでした。神を相手として打ち明けるほかないものではありながら、しかし人間の面貌《めんぼう》に怖るべき刻印をしるしづけたりもするようなもの思い、そんなもの思いを夫人にだまって耐え忍ばせている悲しみの源が。
私にあいさつしながら、モルソーフ氏はちらりと一瞥《いちべつ》を投げかけてきましたが、それは観察するような目つきというよりは、分析の操作にあまり習熟していないために猜疑心《さいぎしん》をもたずにいられなくなった男特有の、ぎこちない不安の目つきでした。夫に事情を知らせて私の名前を言うと、夫人は夫に席をゆずって、私たちのもとを離れていきました。あたかも、そこから自分たちの光を汲みとっているかのように、母親の目にじっと視線を注いでいた子供たちは、母親にくっついていこうとしましたが、夫人は「そこにいらっしゃいね、よい子だこと!」と言って、自分の唇に指をあてました。子供たちは言われたとおりにしましたが、しかしその視線はくもりました。ああ! よい子だことというこの言葉を聞くためとあらば、誰しもどんな仕事だって企てたでしょう。彼女がその場にいなくなると、私も子供たちと同じように、温かみを感じられなくなりました。
私の名前を聞くと、私にたいする伯爵の気持ちが一変しました。冷淡な、見くだすような態度だったのが、情愛こまやかとまではいかなくとも、少なくとも礼儀正しい慇懃《いんぎん》な態度になって、私に敬意のしるしを示し、私を家に迎えたことを喜んでいるようにみえました。昔、私の父親はある重要な、しかし表だたない役割をつとめて、われわれの主君のために献身したことがありました。それは危険な役割でしたが、すこぶる効果的なものになるはずだったのです。が、仕事が最高潮に達したとき、ナポレオンの激情のためにすべてがご破算になると、数多くの秘密の策動家たちと同じく、父も苛酷でもありかつ不当でもある非難を甘受して、平穏な地方の私人生活へと身を避けたのでした。すべてを賭《か》けていっきに勝負を決しようと試み、政治の機構を動かす中軸の役をつとめたあげくに敗れていく賭博《とばく》者たちの、これは避けがたい報酬というものです。自分の家系の浮沈についても、過去の来歴についても、また将来のことについても、なにひとつ知らなかった私は、モルソーフ伯爵が覚えていてくれたその父の失敗の生涯の細かな事情に関しても、なんの知識ももちあわせていませんでした。しかしながら、彼の目からすると人間のもっとも貴重な美点とみえる家名の古さということによって、その私を困惑させるような歓待ぶりも一応の説明はつけられたものの、その真の理由については、私にもあとになるまでよくわかりませんでした。とにかく、さしあたり、そうした急激な変化のおかげで、私は気楽にくつろぐことができました。二人の子供たちは、私たち三人のあいだで会話が再開されたのを見てとると、マドレーヌがまず父親の手から頭をふりほどき、あけはなしてあるドアをみつめ、ウナギのようにするりと脱けだし、それからジャックもそのあとを追っていきました。遠くのほうで、大好きな巣のまわりを飛ぶ蜜蜂の羽音にも似た彼らの声や動作の気配が聞こえていたところからすると、二人とも母親のそばへいったのでしょう。
私はその性格を見ぬこうと努めながら、伯爵を見まもっていました。もっとも、若干の主要な特徴にかなり興味をひかれすぎて、その風貌の表面的な検討だけにとどまってしまったのですが。やっと四十五歳になったところだというのに、彼はもう六十ちかくにみえるのでした。十八世紀の終幕となったあの大きな難破のさいに、それほど急速に老いこんでしまったわけなのです。半円形の環《わ》が、すっかり禿《は》げあがった後頭部を修道者のような具合にとりまき、黒い毛の入りまじった灰色の髪の束となってこめかみを覆ったすえ、耳のあたりで消えています。彼の容貌《ようぼう》は、鼻面《はなづら》に血の痕《あと》をつけた白色の狼になんとなく似ています。というのは、その鼻のさきが、あたかも生命の根源からすっかり損《そこな》われ、胃は衰弱し、宿痾《しゅくあ》のために体質を冒されてしまった人間の鼻のように、真赤になっているからなのです。額は平べったく、かつまた顎《あご》のとがった顔には不似合なほどひろくて、不揃いな長さの皺《しわ》がいくすじか横に走っていますが、そこにあらわれているのは戸外での生活の習慣であって、精神の疲れの跡ではありませんでしたし、たえまない不運の重みはあるにしても、それを克服するための努力のしるしは見られませんでした。頬骨は突きでていて、蒼白い顔色のなかでそこだけ褐色に染まり、長命を保証するにたりるがっしりした骨組であることを示していました。目は澄んで黄色く、そしてけわしい感じのものでしたが、さながら冬の陽ざしのように熱気のない光をうかべ、思考を欠いた不安におののき、対象のない猜疑《さいぎ》を宿しながら、ふとこちらにむけられてくるのです。口は粗暴そうな横柄《おうへい》な感じであり、顎はまっすぐとがって長いのです。やせて背の高い彼の態度は、因襲的な価値にもたれかかり、自分が権利によって他人の上に立ち、事実によって他人の下にあることを知っている貴族の態度でした。田舎ぐらしの呑気《のんき》さのせいで、彼は外見に気をとめないようになっていました。その服装は、百姓たちからも近隣の貴族たちからも、もはやその土地財産にしか敬意を払われなくなってしまった一介の田舎者の服装でした。日に焼けて筋ばった手は、馬に乗るときか、日曜日にミサへいくときしか手袋をはめないということを、はっきりと証明していました。靴も粗末なものでした。十年間の亡命生活、さらに十年間の農業経営者としての生活が、その風貌の上に影響していたとはいえ、やはり貴族のなごりもまだ残っていました。このうえなく執念ぶかい左派自由主義者でさえ(ただし、この言葉は当時はまだ用いられていませんでしたが)、彼のなかに、騎士的な忠誠さや、永久にコーティディエンヌ紙〔一七九二年に創刊された反革命派の機関紙〕の支持者となった読者の不朽の信念を、おそらくはたやすく認めることができたでしょう。そして、この宗教的な人間、おのが主義に情熱をいだき、政治的な反感を示すことにかけては率直であり、おのが党派にみずから尽力するだけの力はないのに、それをみすみす破滅させることだけはいかにもしでかしそうな、しかもフランスの事態についてはなんの知識ももちあわせぬこの人間に、つくづく驚嘆したことでしょう。じじつ、伯爵はなにごとにも耳を藉さず、いっさいを頑固にさえぎり、指定された部署で武器を手にしたまま死んでいけるような人間、といってもかなり吝嗇《りんしょく》でもありましたから、金をだすよりさきに生命を投げだすような律儀《りちぎ》な人間の一人でした。夕食のあいだに、私は彼のたるんだ頬の窪《くぼ》みのあたりや、こっそり子供たちのほうへ投げかけるある種の視線のなかなどに、たえず激発しては顔の表面で消えていく執拗《しつよう》な想念《そうねん》の跡を見てとりました。彼のようすを見ても、まだ理解できぬ人がはたしていたでしょうか? 生命の欠けた肉体を子供たちに不可避的に伝えたということを、彼に咎《とが》めだてないような人がはたしていたでしょうか? 彼は自分自身の非を認めていたとしても、他人が彼を裁く権利は拒否していました。自分で過失を犯したと知っている権利者のように苦渋《くじゅう》にみちてはいるけれども、しかし自分が秤《はかり》の上にのせた苦悩の量を埋めあわせるだけの偉大さとか、魅力といったものはもちあわせていないので、彼の内面の生活には、そのごつごつした顔の表情や、たえずそわそわと落ちつかぬ目つきにあらわれているとげとげしさが、そのまま露呈されていたにちがいありません。
ですから、両脇を二人の子供にまつわりつかれながら夫人がもどってきたとき、私はある不幸の影がさしているように感じました。ちょうど穴倉の円天井を歩いているさいに、いわば足が深さを意識するのと同じように。この四人の人間が集まっているところを眺め、彼らをじっと見まもって、順々に一人ずつ顔つきやお互いの態度を観察していくうちに、憂愁の色に濡れた思いが私の心に降りかかってくるのでした。さながらあるすばらしい日の出のあとで、細かな灰色の雨が美しい土地を暗く閉ざしていくように。話の種がつきてしまうと、伯爵はシェッセル氏をほったらかしにして、またもや私を舞台に登場させ、私の一家についての、私の知らないようなさまざまな事情を夫人に教えるのでした。彼は私の年を尋ねました。私が答えると、伯爵夫人は、さっき娘にたいして私が示したのと同じ驚きの気配を、私のほうにむけました。おそらく、彼女は私を十四歳くらいと思っていたのでしょう。私ものちになって知ったことなのですが、それが彼女の心を私に強く結びつける第二の絆《きずな》となったのでした。私は彼女の心のなかを読みとりました。将来への期待から投げかけられる、遅ればせな一条の陽光に照らされて、彼女の母性愛が喜びにふるえたのです。二十歳を過ぎているというのに、こんなにやせこけ、こんなに虚弱で、にもかかわらずこんなに気力の旺盛《おうせい》な私を見て、おそらく一つの声が彼女に呼びかけたのでしょう。「この子たちだって生きていけるでしょう!」と。彼女は私の顔をしげしげとみつめました。そのとき、私たちのあいだで数多くの氷塊が溶けていくのを、私は感じとりました。彼女は私に尋ねたいことが無数にあったようでしたが、それを口に出すのは差しひかえました。
「ご勉強で身体を悪くなさったのでしたら」と彼女は言いました。「ここの谷間の空気できっと回復なさいますわ」
「現代の教育というのは子供には命とりですからね」と伯爵がその言葉をひきとりました。「われわれは子供たちに数学を詰めこんだり、科学で苦しめたりして、成長の時期がこないうちに健康を損《そこ》ねさせてしまうのです。あなたもここでゆっくり休養なさらなければいけません。あなたは、頭の上に落ちてきた観念の雪崩《なだれ》に押しつぶされてしまったのですよ。公民教育は昔どおり宗教団体の手にもどして、いまのうちに弊害を予防しておかないことには、この万人を相手にする教育というやつのせいで、いまにとんでもないご時世がくるでしょうなあ!」
このような言辞は、伯爵がある日選挙のさいに、王党派に尽力しそうな才能をもつ男への投票を拒んだときの言葉を、すでに前ぶれしていたわけです。「才子というやつを、わたしはいつまでも信用しないでしょうよ」選挙の運動員に彼はそう答えたのです。伯爵はそこで、私たちに庭のほうを一回りしようと提案し、すかさず立ちあがりました。
「あなた……」と伯爵夫人が言いました。
「なんだね?」彼はそう答えながら夫人のほうをふりかえりましたが、その尊大なそっけない態度には、彼が家のなかで独裁的でありたいと望んでいながら、しかもじっさいにはほとんどそうなれずにいるということが、如実に示されていました。
「この方は、トゥールから歩いていらしたんですのよ。シェッセルさまもそれをご存じなくて、フラペールのほうをずっとご案内なさったのです」
「それはまたむこうみずなことをしたものですね」と伯爵は私に言いました。「いくらお若いとはいっても……」
そして彼は残念そうに頭をふりました。
会話がまたつづけられました。伯爵の王党主義がいかに一徹《いってつ》なものであるか、そして彼の領海で衝突を起こすまいとするためには、いかに数々の慎重な処置を講じなければならないか、私にもまもなくそれがわかってきました。急いで伯爵家のお仕着せを着こんだ下男が、夕食の用意が整ったことを知らせてきました。シェッセル氏はモルソーフ夫人に腕をさしだし、伯爵は嬉しそうに私の腕をとり、やはり一階にあって、広間と対応するような恰好《かっこう》になっている食堂へと案内していきました。
トゥーレーヌ産の白い床石を敷きつめ、肱《ひじ》の高さのところまで腰板を張りめぐらした食堂には、花と果実のふちどりのついた大きな鏡板の模様を描きだしたニス塗りの壁紙が張りつめてありました。窓には、赤い縁飾りのついたペルカル地のカーテンがかかっています。食器戸棚は古いブール〔黒檀細工の名工〕のもので、手織りの綴れ織りを張った椅子の木の部分は樫材でできていて、彫刻がほどこされていました。食卓にはいろいろな品がいっぱいに並べてありましたが、とくに豪華なものはなにもありませんでした。型の不ぞろいな家伝の銀の食器、当時はまだ流行品として再生していなかったザクセンの陶器、八角形の水差し、瑪瑙《めのう》の柄のついたナイフ、それからぶどう酒の瓶の下敷きにする支那製の漆器の円形の皿。しかし、ぎざぎざの切れこみのついた金色のニス塗りの花活けには、さまざまな花があふれていました。私はこうした古めかしい品々を好ましく感じ、レヴェイヨンの壁紙と花模様のふちどりをすばらしいと思いました。帆をいっぱいにふくらませた満足感のせいで、私はこれほどすき間のない孤独な田園生活によって夫人と私のあいだに介在せしめられた解きがたい障害を見ぬくことができず、彼女の右手のすぐかたわらに坐って、その杯に酒をついでいるのでした。そう、まったく思いもかけぬ幸福でした。彼女の衣裳に触れ、一つのパンをいっしょに食べたのです。三時間も経つと、私の生活は彼女の生活と溶けあったのです! 要するに、あのすさまじい接吻によって、つまりお互いの心に恥じらいを呼びさますような一種の秘密によって、私たちは結びつけられていたのです。
私は得々とした気持ちで卑屈な態度にひたりきっていました。もっぱら伯爵に気にいられようと心がけていたのですが、伯爵はまた伯爵で、その私の阿諛追従《あゆついしょう》にいちいち調子をあわせてくるのでした。私はたぶん犬でさえ撫《な》でてやったでしょうし、子供たちがちょっとなにか欲しがろうものなら、すぐにでもそれにおもねったことでしょう。輪回《わまわ》しの輪だろうと、瑪瑙《めのう》の球だろうと、なんでももってきてやったでしょう。馬の役だってつとめてやったでしょう。彼らが私を自分たちのもののように掴《つか》まえてくれないのが、うらめしくさえ思われるのでした。天才には天才の直感があるのと同じく、恋にも恋の直感というものがあり、粗暴さ、陰鬱さ、敵意などはかえって自分の希望を破滅させるだろうということを、私は漠然と悟ったのでした。
夕食は、私にとっては内心の歓びのうちに過ぎました。いま自分は彼女の家にいるのだと思うと、私は彼女の現実の冷淡さにも、伯爵の礼儀正しい態度の蔭に隠された無頓着さにも、思いをおよぼすことができませんでした。人生と同じく、恋愛にも恋愛だけに自足していられる思春期というものがあります。私は、情熱のひそかなざわめきに即応するへまな返事を幾度かやってしまいましたが、しかし誰一人として、彼女《ヽヽ》さえそれを見ぬくことができませんでした。もっとも、彼女は恋愛についてはなにも知らなかったのですが。そのほかの時間はまるで夢のようでした。この美しい夢がさめたとき、私は月光を浴びて、芳香にみちた暖かい夜のなかを、牧場や川岸や丘々を飾る白い幻のような夜景につつまれながら、アンドル川を渡っていました。そのとき、一匹の雨蛙が一定の間を置いて間断なく投げかけてくる哀愁にみちた澄んだ鳴声が、静寂のなかに響くたった一つの音色《ねいろ》として、私の耳にはいってきました。その雨蛙の学術上の名称はなんというのか知りませんが、この厳粛な日以来、その声を聞きとめると、私の心にはかならず無限の歓喜がこみあげてくるのです。それからしばらくすると、ほかの場合と同じように、それまで自分の感覚を鈍磨しつづけてきた、例の大理石のような無感動の状態にぶつかっていることに、私は気がつきました。自分はいつまでもこうなのだろうか、と私は考えこみました。自分はどうにもならぬ宿命的な力に支配されているのだ、と考えました。そして過去のいまわしいできごとが、いましがた味わってきた純粋に自分一個の歓びと争いあうのでした。フラペールに帰りつく前に、クロシュグールドのほうをふりかえると、その下のところに、トゥーレーヌではトゥーと呼ばれている小さな艀《はしけ》が一艘《いっそう》、トネリコの木につながれて、川の流れにゆられているのが見えました。このトゥーはモルソーフ氏の所有になるもので、彼はそれを釣りに使うのです。
「さてと」もう誰にも聞かれる危険のないところまでくると、シェッセル氏はそう切りだしました。「あなたの美しい肩に再会なさったかどうか、もうお尋ねする必要はないようですね。モルソーフ氏のあの歓待ぶりは、ぜひともお祝いしなければいけませんな! まったくの話、最初から核心に達しているわけですからね」
この言葉のあとに、さらに前にもうお伝えした言葉がつづけられたので、沈みこんでいた私の心もまた元気づけられました。私はクロシュグールドを出てから一言もものを言わなかったのですが、シェッセル氏は、その沈黙を幸福のせいだと決めこんでいたのです。
「どうしてそんな?」私は皮肉な口調でそう答えましたが、それとても抑えられた情熱が言わせたものと思われたかもしれませんでした。
「あの人は、相手が何者であろうと、あんなに歓迎したことはないんですよ」
「はっきり言うと、あのもてなしぶりにはぼく自身もびっくりしました」相手の最後の言葉には、内心の苦々しさがあらわれていることを感じながら、私は彼にそう答えました。
社交界のことには慣れていないので、シェッセル氏が味わった感情の原因は納得できかねましたけれども、それにもかかわらず、心の底を思わずもらしたようなその言いかたに、私ははっと胸を突かれました。私の城館《やかた》の主人は、デュランという姓を名乗る弱みをもっていて、大革命のあいだに莫大な財産を得た著名な工業家である父親の名を、ことさら否認するばかばかしいまねをしているのでした。彼の妻がシェッセル家、つまり政界の古い家柄であり、パリの法曹家が大部分そうであるように、アンリ四世治下の市民階級の出である家系のひとり娘なのです。高い能力をそなえた野心家として、シェッセル氏は、自分の夢みる栄位に到達せんがために、元来のデュラン姓を抹殺《まっさつ》したがっていました。はじめはデュラン・ド・シェッセルと名乗っていましたが、やがてD・ド・シェッセルとなり、その当時はもうただのシェッセル氏となっていたのです。王政復古の時代に、彼はルイ十八世の認可状によって、伯爵の称号のついた貴族世襲財産を設定することができました。その子息たちはやがて彼の勇気の果実を摘むことになるわけでしょうが、こうした勇気の偉大さはついに知る由もないでしょう。ともあれ、ある辛辣《しんらつ》な公爵の一語が、しばしば彼の頭上に重くのしかかってくるのでした。「シェッセル氏は、ふだんはデュラン家の人間というようすをあまり見せませんな」とその公爵は言ったのです。この言葉は、長いあいだトゥーレーヌ州をわかせたものでした。
成りあがり者というのは猿のようなもので、連中はまさに猿の器用さをもっています。彼らの姿は高所に見えるわけですし、よじのぼっているあいだは、誰しもその敏捷さに感嘆します。しかし、てっぺんまでいきついてしまえば、ただもうその恥ずべき面ばかりが人々の目につくものなのです。シェッセル氏の裏の一面は、羨望《せんぼう》のためにいっそう拡大された卑小さでもって形づくられているのでした。爵位と彼とは、現在までのところ、接触不可能な二つの接線です。野望をいだき、そしてそれを正当化するのは、実力のある人間だけが成しうる無礼な行為です。しかし、それとはっきり自認している野望にまだ達してない状態は不断の滑稽《こっけい》さとなり、それが精神の卑小な連中の餌食《えじき》とされるのです。ところで、シェッセル氏は、力強い人間の直線的な歩みを進めてはいませんでした。二度代議士に当選し、二度落選しました。昨日はどこかの長官であったのに、今日はなんでもなく、知事にさえなれないというありさまで、そうした成功や挫折《ざせつ》のために性格が損《そこな》われ、役立たずになった野心家特有のとげとげしさを身につけていました。信義に厚い人物、才気に富み大事業をやる能力もある人物だったにもかかわらず、土着の人士がなにごとにつけ嫉妬《しっと》することにばかり頭を使っているトゥーレーヌにおいては、生活に熱気を添えるものである彼の羨望が、上流の社交界でかえって致命的な禍《わざわ》いとなったのかもしれません。なにしろ、上流の社交界には、他人の成功に神経をいらだたせた顔だとか、お世辞は出しにくく警句は飛ばしやすい不平満々の唇などは、めったに集まってこないのですから。もっと望みが少なければ、おそらく彼とてもより多くのものを獲得したでしょう。だが、不幸なことに、彼はかなりすぐれた能力をもっていたので、いつも昂然《こうぜん》と胸をはって進もうとしていたのです。
ちょうどその当時、シェッセル氏は野心の最後の残光に直面していたところで、王党派が彼にほほえみかけていました。ことによると、彼はことさら鷹揚《おうよう》な態度を装っていたのかもしれませんが、それでもとにかく、私にとっては申しぶんのない態度でした。それに、一つのまったく単純な理由から、私は彼が好きになりました。というのは、私は彼の家で、生まれてはじめて休息というものを見いだしたからです。彼が私に示してくれる好意、これはおそらくとるにたりないものだったのでしょうが、それでも冷たくあしらわれる不幸な子供だった私にとっては、まさに父性愛の表現そのもののようにみえました。さまざまな心づかいのゆきとどいた歓待ぶりは、それまで私を苦しめていた冷淡な仕打ちといちじるしい対照をなしていたので、私は、なんの束縛も受けずに、ほとんど愛撫につつまれながら暮らしていけることにたいして、子供じみた感謝の念を表明したほどでした。ですから、フラペールの主人たちは、私の幸福の黎明《れいめい》期にしっくり溶けあっているので、私が好んで繰りひろげる思い出のなかでは、その二つが一つに溶けあって追想されるほどなのです。のちになって、それはちょうどさっき申しあげた認可状の一件のさいでしたが、私は喜んでこの私の宿の主人のために、なにがしかの尽力をはたしたのです。シェッセル氏は財産を存分に使って、近隣の誰彼が不快がるような豪勢な暮らしをしていました。りっぱな馬や優美な馬車を、つぎつぎに新しいのと替えることができました。夫人の衣裳もすこぶる凝《こ》ったものでした。客の招待もはででした。召使いの数にしても、この地方の習慣よりはずっと多く、まさに彼は王侯きどりでした。フラペールの地所は広大なのです。こういう隣人に直面し、こういう贅沢三昧《ぜいたくざんまい》のひきあいに出されたら、トゥーレーヌでは|がた馬車《ヽヽヽヽ》と駅逓《えきてい》馬車の中間に位する家庭用の二輪馬車しかもたず、ささやかな財産のためにクロシュグールドをできるだけ開拓しなければならぬモルソーフ伯爵は、国王の寵遇によって、おそらく思いもかけていなかった華々しさがこの一家に取りもどされたあの日までは、一介のトゥーレーヌの田舎者にすぎなかったのです。十字軍時代にさかのぼる紋章をもちながら、零落《れいらく》しはてた家系の次男である私にたいして、伯爵がああいう接待をしたということは、貴族ではない隣人の莫大な財産を辱《はずか》しめ、その山林、畑、牧草地の価値を貶《おとし》めるのに役だったわけのなのです。シェッセル氏には伯爵の気持ちがよくわかったのです。ですから、二人ともいつも礼儀正しく訪問しあってはいましたが、しかし日々の交際はまるでありませんでしたし、アンドル川によって隔《へだ》てられているだけで、両方の城館《やかた》の女主人がそれぞれ窓から合図を送れるような二つの所有地、クロシュグールドとフラペールとのあいだに、当然つくりだされてもしかるべき気持ちのよい親密さもありませんでした。
モルソーフ伯爵が孤立して暮らしていたのは、嫉妬心だけが唯一の理由だったわけではありません。伯爵の受けた初等教育は、名門の子弟の大部分のそれと同じで、不完全な皮相な知識の授受にすぎぬものであり、ふつうは社交界の教訓だとか、宮廷の作方だとか、国王の側近の重責や高い地位に就《つ》いての実地訓練などによって、それがしだいに補われていくものなのです。ところが、モルソーフ氏はちょうどその第二の教育がはじまる時期に亡命し、そうした教育が欠けていたのです。彼は、フランスの急速な王政の再建を信じている人間の一人でした。そういう確信をいだいていたので、彼の亡命生活は、無為のうちでももっとも痛ましいものでした。コンデ軍〔コンデ公が亡命貴族を集めて創設した軍隊で、一七九五年頃まで革命政府軍としばしば激烈な戦闘をまじえた〕に参加しているあいだ、彼はその勇敢さによって、もっとも献身的な仲間のうちに加えられていたのですが、それが解散してしまうと、まもなくまた国王軍の白色旗のもとに復帰できるものと予想し、ある種の亡命者たちのように、みずから求めて実業家としての生活の道をつくろうとはしませんでした。おそらくはまた、一家の家名を捨ててまで、いやしい仕事に汗水たらして生計の資を稼《かせ》ぐような気力を、もちあわせてなかったということもあるでしょう。いつも明日になれば地位を得られるという期待の思いのため、またおそらく名誉心のため、外国の権力に奉仕することもできなかったのです。辛苦は彼の勇敢さを徐々に弱めました。充分な食糧もなしに、長い旅程を徒歩で歩くことを企て、しかもいつも期待を裏切られてばかりいたために、健康状態は悪化し、気力は失われました。しだいに、その窮乏は極端なものになっていきました。よしんば多くの人間にとって貧窮が強壮剤であるにせよ、それが溶解剤になるような人間もまたいっぽうに実在するのであり、伯爵はそういう人種に属しているのでした。
この哀れなトゥーレーヌの貴族がハンガリアの道路を歩き、野宿をし、エステラジー公〔エステラジー家は、十六世紀以来ハンガリーのもっとも富裕な一族となった家柄〕の羊飼いたちと一片の羊の肉を分けあっている姿、そして彼らの主人のエステラジー公からは貴族の体面上受けとることができず、またフランスの敵手の手から恵まれるのを幾度となく拒んできたパンを、旅人としてその羊飼いたちに乞うている姿に思いをはせると、勝利を得てからの滑稽なようすを目にしたときですら、この亡命者にたいする辛辣な感情が私の心にわきだすことは、ただの一度もありませんでした。モルソーフ氏の白髪はおそるべき苦悩を物語ってくれましたし、私は亡命者にたいして共感の念をいだいているので、彼らを批判することなどとてもできないのです。
フランス的な、そしてトゥーレーヌ人的な陽気さは、伯爵のなかから失われてしまいました。彼は気むずかしくなり、病《やま》いに倒れて、ドイツのどこやらの救済病院で施療患者として治療を受けました。病気は腸間膜の炎症でしたが、これは往々にして一命にかかわることのある病気で、回復しても体質の変化をともない、ほとんどかならず憂鬱症をひきおこすものなのです。彼の幾度かの情事は、心のもっとも奥深いところに埋もれていて、それをみつけだしたのは私だけだったのですが、それがまた低級な情事ばかりで、彼の生活を傷つけたばかりではなく、その将来まで台なしにしてしまったのです。十二年の貧窮の生活ののち、彼はナポレオンの布告〔一八九九年に出された亡命貴族の帰国制限を緩和する布告〕によって帰国が可能となったフランスのほうへ目をむけました。ライン河を渡って、この病苦に悩む歩行者が、美しい夜のたたずまいのなかにストラスブールの鐘楼《しょうろう》の姿を認めたときには、もう失神せんばかりでした。
「フランス! フランス! ≪あれがフランスだ≫、わたしは思わずそう叫んでしまいましたよ。ちょうど怪我《けが》をしたとき、子供が≪お母さん!≫と叫ぶようにね」伯爵は私にそう話してくれたことがあります。
生まれる前から裕福でありながら、彼はいまでは貧しい人間になっていました。連隊を指揮したり、あるいは国政に預《あず》かったりすべき身でありながら、いまや権威もなく将来もない境遇になっていました。健全で頑強な生まれつきであったにかかわらず、病弱で疲れきって帰ってきたのです。人間も事物も成長を遂げた国のまっただなかで、なんの知識ももちあわせず、また当然勢力をおよぼしようもなく、いっさいを奪いとられてしまったのです。体力や精神力さえ奪いとられてしまったのです。財産がないために、その家名が彼には重荷になりました。その頑固な主張、コンデ軍での経歴、さまざまな悲しみ、失われた健康などのために、嘲弄《ちょうろう》の国フランスにおいては、あまり思いやりをかけてもらえぬ激しやすい性質の人間になってしまったのです。
半死半生の状態で、伯爵はメーヌ州にたどりつきましたが、そこではおそらく内乱に起因する偶然のおかげで、革命政府が公売に付すのを忘れたかなり広大な農場が一つ残っていて、伯爵家の小作人が自分をその所有者のようにみせかけて、伯爵のためにそれを保持しておいてくれたのでした。この農場の近くにあるジヴリーの城館《やかた》に住んでいたルノンクール家の家族は、モルソーフ伯爵の到着を知ると、ルノンクール公爵自身がわざわざ出むいてきて、住居がきちんと整うまでのあいだ、ジヴリーに滞在するようにと提案しました。ルノンクール家の人々は伯爵にたいして貴族らしい温かさを示し、伯爵は数か月の滞在のあいだにそこで心身ともに回復したのですが、この最初の休息の期間中、彼はなるべく悲しみを隠そうと努めていました。ルノンクール家にしても、莫大な財産を失ったあとだったのです。その家名からして、モルソーフ氏はこの一家の娘のうってつけの結婚相手でした。三十五歳にもなる病身で、しかも年寄りくさい男との縁組に反対するどころか、ルノンクール嬢はかえってそれを喜んでいるようにみえました。結婚すれば、彼女は伯母のヴェルヌイユ公爵夫人、すなわちブラモン・ショーヴリー公爵の妹で、彼女の養母にあたる夫人といっしょに暮らす権利を得られることになっていたのです。
ブルボン公妃〔フィリップ・エガリテ(前出)の妹。ブルボン公と結婚したが、まもなく別居して革命思想に好意をもち、自発的に全財産を放棄した〕の親友だったせいで、ヴェルヌイユ夫人は、トゥーレーヌ生まれの人間で|無名の哲人《ヽヽヽヽヽ》という異名をとっていた、サン=マルタン氏〔神秘的見神論を説いた宗教思想家〕を中心とする信仰団体に加入していました。この哲人の弟子たちは、神秘的な見神論の高尚《こうしょう》な思弁によって説かれる徳行の実践を心がけていたのです。この教義は神の世界を解く鍵をあたえ、この世での生存を人間が至高の運命へむかうためのもろもろの変型の過程と説明し、義務を法という堕落形態から解放して、生活上の苦痛を処理するにはクエーカー教徒の変わることなき温和さを適用し、そして私たちが天上にいただく天使にたいして、母性愛とでもいった感情をいだくようにしむけつつ、苦痛を蔑視《べっし》せよと教えるのです。これはつまり未来の世界をもったストア派の教義です。積極的な祈りと純潔な愛とが、ローマ教会のカトリシスムを脱して、原始教会のクリスティアニスムに復帰しようとするこの信仰の基本原理なのです。しかしながら、ルノンクール嬢は依然としてローマ法王の教会の内部にとどまっていましたし、彼女の伯母もやはりその教会の忠実な信徒でありつづけました。革命の動乱に厳しい試練を受けたヴェルヌイユ公爵夫人は、生涯の晩年にいたると、情熱にみちた敬虔《けいけん》さを帯びてきて、サン=マルタンの言いかたをそのまま借りると、それが愛する少女の魂に|天上の愛の光と内心の歓喜の油《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》を注ぎこんだわけでした。温和で徳の知識に富むこのサン=マルタンという人物は、しばしば伯母の家に訪ねてきたものでしたが、その伯母が死んでからのちも、伯爵夫人は何度か彼をクロシュグールドの客として迎えたことがありました。サン=マルタンは、晩年の著作がトゥールのルトゥルミー社で印刷されていくのを、クロシュグールドから監督していたわけなのです。
波瀾にみちた人生の隘路《あいろ》を幾度か経験した老婦人としての知恵にうながされて、ヴェルヌイユ夫人はクロシュグールドを新婚の娘に与えて、自分たちだけの家庭をもてるようにしてやりました。老人が親切である場合、その親切さというものはいつもまったく非のうちどころのないものなのですが、公爵夫人は、そういう老人独特の親切さでもって、すべてを姪《めい》にゆずってしまって、自分はそれまで居間にしていた部屋の真上の一室だけで満足し、それまでの部屋は伯爵夫人が使うことになりました。急|逝《せい》といってもよいこの伯母の死によって、結婚の喜びには喪章が投げかけられ、クロシュグールドの上にも、また新夫人の迷信ぶかい魂の上にも、消えがたい悲しみが刻みつけられました。トゥーレーヌに定住したごく最初の時期だけが、伯爵夫人にとって、生涯のうちで幸福とまではいかないにしても、とにかくまあ心配ごとのない唯一の時期となったのでした。
異郷に滞在中のさまざまな艱難辛苦のあげく、やっと平穏な将来を見通せるようになったことに満足して、モルソーフ氏は魂の回復期とでもいったものを迎えていました。彼はこの谷間で、花咲ける希望の快い芳香を吸いこんでいたのです。財産のことを考えざるを得なかったので、農業経営の準備にうちこみ、まずはじめのうちはいくばくかの喜びを味わったのでした。ところが、ジャックの誕生が、現在も将来も破壊する雷撃になりました。医者が産児を発育不能だと見放してしまったからです。伯爵はこの宣言を母親には注意深く隠しておきました。それから彼は自分の体を診察してもらったのですが、そのとき絶望的な診断をくだされ、やがてマドレーヌの誕生によってそれがはっきり確証されたのです。この二つの事件は、致命的な宣告についての一種の内的な確証となったわけですが、そのためにこの亡命貴族の病的な素質はいっそうひどくなりました。自分の家名は永遠に消えさるのだ、けがれのない、そして非難のしようのない一人の若い女が自分のかたわらで不幸になり、母性愛の喜びを味わうこともなく、ただその苦しみばかりに身を献げることになるのだ。こうして、古い生活の腐植土《ヽヽヽ》が、新しい苦しみを発芽させながら彼の心に襲いかかり、とことんまで彼を破滅させました。伯爵夫人は現在を通して過去を推察し、未来をも読みとりました。自分に欠陥があると自覚している男性を幸福にするということは、なにごとにもまして困難なことですけれども、伯爵夫人は天使が行なうにふさわしいこの企てを、とにかくやってみようとしたのです。すぐさま、彼女は禁欲家になりました。深淵へ、そこからまだ青空を眺めることもできる深淵へおりてから以後、彼女は、慈善病院の尼僧が万人のためにはたしている使命を、ただ一人の男のために献身的に実行したのです。そして伯爵に良心のやわらぎを得させるために、彼がみずから許しがたく感じていることをも、彼女のほうはすすんで許そうとしました。伯爵は吝嗇になりましたが、彼女は押しつけられた欠乏の生活をそのまま受けいれました。社交界の生活からもっぱら嫌悪感しかもちこしていない人々と同じように、伯爵はだまされることを怖れていたのですが、彼女は孤独な生活に踏みとどまり、不平ももらさずに夫の猜疑《さいぎ》心に従っていました。そして女性らしい計略をめぐらしては、夫が適切なことばかり望むようにしむけたので、彼は自分を着想に富んだ人間だと思うようになり、どこに出てもたぶん感じたことのない優越感の快感を、家庭においてじっくり味わうようになったのです。やがて、結婚生活の道のもっとさきまで進むと、彼女は伯爵がヒステリー性の人間であり、この悪意と悪口のさかんな土地においては、その突飛《とっぴ》な言動が子供たちにまで累《るい》をおよぼすおそれがあることがわかったので、絶対にクロシュグールドから出るまいと決心したのです。そういうわけで、モルソーフ氏の実際の無能力さに気づいた人は誰もなく、夫人は分厚いキヅタの衣でその廃虚を飾りたててしまったのです。伯爵の不安定な性質、不平満々というわけではないにせよ、やたらにひがみっぽい性質は、こうして妻のなかに居心地のよいゆったりした地平を探しあてて、心の底に秘めた苦痛が爽やかな香油でやわらげられていくのを感じながら、そこにのびのびと手足をのばしたというわけなのです。
このような経緯は、シェッセル氏がひそかにいだいている怨恨《えんこん》に駆られて、ふともらした話をたいへん簡単に記したものです。シェッセル氏は世間をよく知っていたので、クロシュグールドに埋もれている謎のいくつかを、ちらりと盗み見ることができたのです。けれども、かりにモルソーフ夫人が、その崇高な態度によって世間をだましていたのだとしても、恋の明敏な感覚をだますことはできなかったはずです。こうして、自分の小さな部屋に落ちつくと、真相を予測したために、私はベッドのなかで輾転反側《てんてんはんそく》し、彼女の部屋の窓を見ることができるというのに、このままフラペールにじっとしていることに耐えられなくなりました。で、私は着替えをし、忍び足で階下におりて、螺旋《らせん》階段のある塔の出入口から城館《やかた》を脱《ぬ》けだしました。夜の冷気が気分を晴れやかにしてくれました。私は「赤水車」の橋を通ってアンドル川を渡り、クロシュグールドの前につながれたあの幸福のトゥーのところへ着きましたが、そのときクロシュグールドでは、アゼーの方角のいちばんはじの窓に灯りがともっていました。私はまたもや昔ながらの瞑想にふけりましたが、しかしこれは穏やかな瞑想、夜鶯《ようぐいす》のさえずりと葦切《よしきり》の独特の音色《ねいろ》が入りまじった瞑想でした。私の心のなかには、それまで私の目からすばらしい未来を隠していた薄地の幕をひきはがしながら、あたかも亡霊のように滑っていくさまざまの思いが、つぎつぎに目ざめてきました。魂も官能もひとしく魅惑されていました。私の欲望は、どんなに激しい勢いで彼女のところまでのぼっていったことでしょう! 気のふれた男がきまり文句を繰りかえすように、「ぼくは彼女をものにできるだろうか?」といったい何度つぶやいたことでしょう! その前の数日間に、私にとって宇宙が拡大されたのだとすれば、そのたった一夜のうちに、宇宙が中心をもつことになったのです。私の意欲も大望《たいもう》もほかならぬ彼女に結びつけられ、私は彼女のひきさかれた心をつくろい、そして充実させんがために、自分が彼女のすべてになりたいと願いました。水車の堰《せき》口を通って流れていく水、そしてサッシェの鐘楼《しょうろう》で時刻を告げる鐘の声にくぎられる水のせせらぎのさなかで、彼女の部屋の窓の下にたたずんで過ごしたその一夜の、なんとすばらしかったことでしょう! 花と咲く星々が私の人生を照らしだしているこの光にひたされた一夜のうちに、私は、セルヴァンテスのなかに書かれたあの私たちの嘲弄の的たる哀れなカスティーリアの騎士のごとき誠実な誓いをこめて、我々が恋の第一歩とする誠実な誓いをこめて、おのが魂を彼女と婚約させたのでした。やがて空に曙《あけぼの》の微光がさしそめ、小鳥が朝の歌を歌いはじめるや、私はすぐさまフラペールの庭園へ逃げこみました。村の誰にもみつかりませんでした。夜中に脱けだしたことに気づいた人も誰もなく、そのまま朝食の鐘が鳴る時刻まで、私は眠りつづけました。
暑い天気でしたけれども、朝食後、私は牧草地へおりていってアンドル川とその島々、谷間とその周囲の丘々をまた眺めようとしましたが、そんな私の姿は、いかにもこの風景の熱烈な讃美者のようにみえたはずです。けれども、放れ馬のそれをも凌《しの》ぐこのすさまじい速さの足どりでもって、私はまたしても例の小舟と柳のもとへ、あこがれのクロシュグールドへやってきたのです。さながら真昼の田園のように、すべては静まりかえり、かすかに息づいていました。そよとも動かぬ木々の葉ごもりが、青空を背景にくっきりとうかびあがっていました。緑のトンボやハンミョウなど、光を糧《かて》として生きている昆虫が、それぞれのトネリコや葦のまわりを飛びまわっています。牛の群れは木蔭で反芻《はんすう》し、ぶどう畑の赤っぽい土は熱くなり、蛇が土手に沿って這っています。
私の眠る前はあんなにもすがすがしく、あんなにも艶やかだったこの風景に、なんという変化が起こったことでしょう! とつぜん、私は小舟の外へ飛びだし、クロシュグールドのまわりをとりまく坂道を登りはじめました。城館《やかた》から伯爵の出ていく姿が見えたような気がしたからです。はたして私の思いちがいではなく、彼は生垣《いけがき》に沿って歩いていましたが、たぶん川岸沿いのアゼーへむかう道に面する門のほうへいこうとしていたのでしょう。
「伯爵、今朝《けさ》はいかがですか?」
彼は嬉しそうに私の顔をみつめました。こういう呼びかたをされるのは、彼にはそうしじゅうはないことなのです。
「おかげでね」と彼は言いました。「でも、あなたは田舎がお好きのようですな、この暑いのに散歩なさるとはね」
「ここへ送られてきたのも、野外生活をするためなのですから当然ですよ」
「では、ひとつうちの裸麦《はだかむぎ》を刈るところを見にいらっしゃいませんか?」
「喜んでいきますとも」と私は言いました。「はっきり申しあげますと、ぼくときたらまったくの無知なんですよ。裸麦と小麦の区別も、ポプラと白楊の区別もつかないのです。耕作のことも、土地のいろいろな開拓法のことも、まるで知らないのです」
「では、まあいらっしゃい」彼は楽しげにそう言って、いまきた道をまたひきかえしはじめました。「上の小さな入口からはいっていらっしゃい」
生垣に沿って彼は内側を、私は外側を登っていきました。
「シェッセルさんのところにいらっしゃったのでは、なにも覚えられませんよ」と彼は言いました。「あの人はなにしろ大貴族さまですから、管理人の計算書を受けとることだけで、それ以外のことには頭がまわらないでしょうね」
伯爵は中庭、種々の建物、遊戯場、果樹園、菜園などを見せてくれました。そして最後に、アカシヤと漆《うるし》の木の立ちならぶ川沿いの長い並木道のほうに私を連れていきましたが、その並木道のむこうのはずれのところに、ベンチに腰掛けて、二人の子供の相手をしているモルソーフ夫人の姿が、私の目にはいりました。かすかに揺れうごきつつ、くっきりとうきあがっているその小さな葉ごもりの下にいると、女性の姿はまことに美しく見えるのです! おそらく私の無邪気な熱中ぶりに驚いたためでしょう、彼女は私たちが近づいてくるのを知っているのに、その場を動こうともしませんでした。伯爵に説明してもらいながら、私は谷間の眺めに感嘆していましたが、そこから見ると、谷間はさきほどから通ってきたさまざまな場所での、高低にしたがって繰りひろげられていた種々の姿とは、またまるで異なった眺望を呈しているのです。そこから眺めると、さながらスイスのとある一遇から見ているような感じがします。アンドル川に注ぎこむ小川が、あちこちに筋をひいて走っている牧草地は、その奥行をすっかりあらわしだし、遠くの霞のなかに消えていきます。モンバゾンの方角には、広大な緑のひろがりが見わたされ、そしてそれ以外の個所は、ことごとく丘や木立や岩で眼路《めじ》がさえぎられます。私たちは足を速めて、モルソーフ夫人にあいさつをしにいこうとしましたが、そのとき、彼女はとつぜんマドレーヌに読ませていた本を取りおとして、ひきつけるようにせきこみだしたジャックを膝の上に抱きあげました。
「おい、どうしたんだ?」伯爵が蒼ざめてそう叫びました。
「のどを痛めてますの」母親はそう答えましたが、私の姿などまるで目にもはいらないようでした。「でも、きっとなんでもありませんわよ」
彼女はジャックの頭と背中とをさすってやっていましたが、その目からは二条の光がさしだして、この哀れな虚弱児に生命を注ぎこんでいました。
「お前はまったく軽率だな」伯爵はとげとげしい口調でそう言いつづけました。「川のそばの冷い空気にさらして、石のベンチに坐らせたりして」
「でもねえ、お父さま、木のベンチはすごく熱いわよ」
「あちらだと、この子たちは息がつまりそうだったものですから」と伯爵夫人は言いました。
「女というやつは、いつでも自分が正しいと思いたがるものなんですな!」私のほうを見ながら彼はそう言いました。
彼の言葉に目顔で賛意を示したり、あるいは反対をとなえたりするのを避けようとして、私はじっとジャックのようすを見ていましたが、彼はしきりにのどが痛いと苦しがり、とうとう夫人がむこうへ連れていきました。私たちのそばを離れる前に、夫のこんな言葉が彼女の耳にも達したはずです。
「こんな体の弱い子供をつくったら、面倒のみかたぐらい心得ておくべきじゃないか!」彼はそう言ったのです。
まったくもって不当な言いぐさです。だが、彼の自尊心が、妻を犠牲にして自分の立場を弁明するようにしむけたのです。伯爵夫人は、大急ぎで坂道や階段を登っていきました。やがて、あの出入口兼用の窓のところに消えていくのが見えました。モルソーフ氏はうなだれて、じっとなにか考えこむような恰好でベンチに腰かけていました。私の立場は耐えきれないものになりましたが、彼は私のほうを見ようともしなければ、話しかけようともしません。伯爵の受けをよくするつもりでいたこの散歩も、もうそれまでです。私の人生で、これほどやりきれない十五分間を過ごした覚えはありません。私は汗をだらだら流し、「このままいってしまうべきだろうか、それともいってはいけないのだろうか?」と考えつづけました。ジャックのぐあいを見にいくことさえ忘れていたくらいなのですから、伯爵の心のなかには、どれほどの悲しい思いがわいていたことでしょう! 彼はだしぬけに立ちあがると、私のかたわらにやってきました。私たちはふりかえって、美しい谷間を眺めました。
「ぼくたちの散歩は、日を改めてやり直すことにしましょうよ、伯爵」私は穏やかにそう言いました。
「じゃあ、あちらへいきましょうか」と彼は答えました。
「わたしは不幸なことに、ああいう発作《ほっさ》をしじゅう見せつけられて慣れっこになっていましてね。あの子の命を守るためなら、自分の命を投げだしても惜しくないとまで思っているほどなんですが」
「ジャックは元気になりましたわ、もう眠っています」と美しい声が語りかけてきました。
モルソーフ夫人が、だしぬけに道のはずれのところに姿をあらわしました。不快そうなようすも、苦々しそうな態度も見せずに、彼女はそばに近寄ってきて私にあいさつを返しました。
「クロシュグールドが気にいっていただけて、わたくしも嬉しゅうございますわ」と彼女は言いました。
「どうだろうねえ、お前、わたしが馬に乗っていって、デランドさんを呼んでこようか?」さきほどの不当な言葉を許してもらいたいという気持ちをはっきりあらわしながら、伯爵が夫人にそう言いました。
「ご心配にはおよびませんわ」と彼女は答えました。「ジャックは昨夜眠れなかっただけなんですのよ。あの子はたいへん神経質で、嫌な夢を見たらしいんです。わたくしがずっと起きていて、いろいろお話をしてやって、寝かしつけようとしましたの。あの咳《せき》もただ神経からくるものなのですわ。咳どめにゴム入りボンボンをやったら、そのうちに眠ってしまいました」
「気の毒にな、お前も」伯爵夫人の手を両手で握りしめ、うるんだ視線を彼女のほうに投げかけながら、彼はそう言いました。「そんなこととはぜんぜん知らなかったよ」
「そんなとるにたりないことを、ご心配になるにはあたりませんわ。さあ、麦刈りのほうへいらしてください。あなたがいらっしゃらないと、小作人たちがうっかりして、刈った麦もまだどけないうちに、よその村の落穂拾いの女たちに畑にはいられてしまいましてよ」
「ぼくはこれから農学の最初の講義を拝聴するところなんですよ」と私は夫人に言いました。
「それならりっぱな先生につけますわ」彼女は伯爵の方を指さしながらそう答えましたが、すると伯爵の口もとがゆがめられて、俗に|口をつぼめる《ヽヽヽヽヽヽ》と呼び慣《なら》わされている会心の笑《え》みがうかべられました。
その後二か月ほど経ってから、彼女がその一夜を激しい不安のうちに過ごしたこと、息子がジフテリアにかかったのではないかと心配したことを、私ははじめて知りました。それなのに、私のほうはあの小舟のなかで恋の思いにゆらゆらとゆさぶられつつ、蝋燭《ろうそく》のほのかな光にうっとりとあこがれのまなざしを送るこの自分の姿を、彼女が部屋の窓から見てくれているはずだ、などと空想していたのです。その蝋燭の光は、じつは死ぬほどの不安にくもった彼女の顔を、照らしだしていたわけでしたのに。その頃、ジフテリアがトゥールで大流行して、おそるべき被害をもたらしていたのです。私たち二人が門のところまでくると、伯爵はしみじみとした声で、私にこう言いました。
「家内は天使のような女です!」
この言葉は私を動揺させました。私はまだこの家族のうわべのことしか知りませんでしたし、こういう場合に、若者の心を捕えるきわめて自然な良心の呵責《かしゃく》が、私にこう呼びかけてきました。「いったいどんな権利があって、おまえはこの深い平和を乱そうとするのか?」と。
簡単に勝利を奪いとれる青年を、聞き手としてみつけられたことを喜んで、伯爵はブルボン王家の復活によって、フランスにどんな将来が準備されるかを私に語りはじめました。私たちはとりとめのない会話をかわしましたが、そうやって話しあううちに私はまるで子供じみた言葉を聞かされて、異様なほど驚かされました。というのは、伯爵は、まさしく幾何学的な明白さをそなえた事実さえ知らないのです。教育のある人々に恐れをいだき、すぐれた人々を否定してのけるのです。また、ことによるとそのほうが正しいことなのかもしれませんが、さまざまな進歩も彼の眼中にはないのです。要するに、彼の心のなかには、じつに多量の苦悩する琴線《きんせん》があって、そのために彼を傷つけまいとすれば、どうしてもひどく用心せざるを得ないわけなので、したがって筋道のたった会話をまじえることは一種の精神労働になるということが、私にもわかったのでした。そこで彼のさまざまな欠点を触診し終わるやいなや、私は伯爵夫人がその欠点をいたわるのと同じような従順さでもって、それに順応することにしました。生涯のほかの時期でしたら、私も疑う余地なく、伯爵の感情を傷つけてしまったことでしょう。しかし、子供のように臆病で、自分はなんにも知らぬと思いこんでいた私、あるいは、成人した人間はなんでも知っているものだとばかり思いこんでいた私は、この忍耐強い農業家がクロシュグールドで獲得した驚異的な成果に、驚嘆の目をみはりました。私は彼の計画を聞いて、感嘆の念にうたれました。そしてついには、これこそこの老いたる貴族の好意をもたらすもととなったいわば無意識のお世辞というわけなのですが、私はこの美しい地所、その現状、この地上の楽園をフラペールよりもずっと優るものと評価し、羨望の思いをもらしたのでした。
「フラペールは」と私は彼に言いました。「フラペールは銀むくの容器ですが、クロシュグールドはまさに宝石箱です」
この言葉は、その後たびたび、伯爵がその発言者の名をあげて、ひとに話してきかせるものとなりました。
「ところが、わたしたちがくるまで、ここは荒廃しきっていたんですよ」と彼は言いました。
伯爵が苗作や苗床のことを話しだすと、私は全身を耳にして聞きいりました。畑の仕事のことはまるで知らない私は、作物の値段や栽培法のことなどについて、やつぎばやに質問を浴びせかけましたが、伯爵は私に教えねばならぬことがたくさんあるので、さも嬉しそうなようすをしていました。
「いったい学校でなにを教わっているんです?」彼はびっくりした顔つきで、私にそんなふうに尋ねるのでした。
この最初の一日だけで、早くも伯爵は帰宅するなり妻にこう語ったのでした。
「フェリックスくんは、じつに感じのいい青年だなあ!」と。
その晩、私は母に手紙を書き、当分フラペールに滞在するつもりだということを知らせて、衣類、下着類を送ってほしいと頼みました。そのころ大きな変革がなしとげられていたことも知らず、やがてその変革が私の運命にどんな影響をおよぼすかも理解できず、私はパリにもどって法科の過程を終了するつもりでいたのですが、学校は十一月の初旬まで講義を再開しないことになりました。ですから、私には二か月半もの時間があるわけだったのです。
滞在の最初の頃、私は伯爵と心からの結びつきをつくろうと努力しましたが、それは耐えがたい印象にみちた時期でした。この人物のなかに理由のない怒りっぽさ、捨てばちになった場合の気短かな行動ぶりをみつけだし、私はびっくりさせられました。彼のなかには、往年のコンデ軍のきわめて勇猛果敢な貴族ぶりが再現することもありましたし、ひとたび重大な情勢が起こると砲弾のように策略を粉砕することも可能な意志力、そして剛直さと果断さとから生まれる僥倖《ぎょうこう》によって、この田舎屋敷に暮らすことを余儀なくされた人物をデルベや、ボンシャンや、シャレット〔三人とも「ヴァンデの反乱」(一七九三〜九六)の中心人物〕のごとき人間にしたてる意志力の、抛物線《ほうぶつせん》の閃光が現われでることもありました。ある種の臆測《おくそく》を前にすると、その鼻はひきつり、額は輝き、目は電撃のような光を発しましたが、それはたちまち弱まってしまいます。私の目の語る言葉を見やぶられて、モルソーフ氏にたちどころに殺されはしまいか、と私は心配しました。その当時、私はただもう柔弱なだけの人間でした。意志の力というものは、男性をじつに異様に変貌させるものですが、それは私のなかにやっと生まれはじめたばかりでした。欲望が強すぎるあまり、恐怖の衝動にも似た感受性の急激な動揺を、私は感じさせられました。戦うことに戦慄を覚えたりはしませんでしたが、しかし相思相愛の幸福を味わわずに生命を失うのは嫌でした。さまざまの障害と私の欲望とは、二本の平行線をなしつつ大きくふくれあがっていきました。自分の気持ちを、どういうふうに話せばよいのだろう? 私は、胸をえぐるような当惑にとらえられました。偶然を待ち、じっと事態を観察し、子供たちと親しんで、彼らに好かれるようにし、この家の家風に同化しようと努力しました。
いつとはなく、伯爵は私といっしょにいても自制しないようになりました。こうして、とつぜん彼の機嫌が変わったり、わけもなく深い悲しみに陥ったり、急激に激昂したり、とげとげしく横柄に不満を述べたり、憎悪にみちた冷やかな態度を示したり、狂気じみた衝動をやっと抑えたり、子供のような悲鳴をあげたり、絶望した男のような叫び声をあげたり、思いがけぬ怒りを見せたりすることを、私は知ったわけです。精神的な自然界は、そこではなにひとつ絶対的なものがないという点において、物質的な自然界と異なっています。ですから、さまざまな印象の強度は、それぞれの性格の到達力、あるいは私たちが一つの事実に集中するそれぞれの観念の到達力に、正比例するものなのです。クロシュグールドにおける私の態度も、私の人生の未来も、この気まぐれな意志をもつ人物に左右されたのです。「彼はどういう態度でぼくを迎えるかな?」そう考えながら彼の部屋へはいっていくとき、その頃はすぐ晴れやかにもなれば、またすぐ閉ざされがちでもあった私の魂が、いったいどのような不安にしめつけられていたか、私にはとても言いあらわすことができません。あの白いものを混じえた髪のたれた額に、とつぜん雷雨が湧きあがろうとするとき、いとも激しい不安で私の心は千々に乱れるのでした。それはいわば、たえまなく誰何《すいか》の声を発しているようなものです。そんなふうにして、私はこの人物の圧制のもとに落ちこむ身となったのです。
自分の苦しみを通して、私はモルソーフ夫人の苦しみのほどを推察できるようになりました。私たちはやがて理解の通いあった視線をかわすようになり、ときには夫人がじっと涙をこらえているようなときに、私が涙を流すこともありました。伯爵夫人と私とは、こうして悲しみを通して心と心をふれあわせたのです。現実の苦痛にみちていながらも、しかし暗黙の歓喜にみち、ときには沈み、ときにはうかぶ希望にみちたあの最初の一か月半のあいだに、私はいかばかり多くのことを発見したでしょうか! ある夕暮、夕日が丘の頂きを赤々と官能的に染めあげ、谷間はさながら寝床のように見たてられるので、自然が万物を愛に誘うあの永遠の雅歌に、思わずも耳を傾けずにいられなくなるような日のことでした、その夕日を前にして、夫人がじっともの思いにふけっている姿が私の目にとまりました。少女に帰った夫人が、飛びさった幻影を思いおこしているのでしょうか? それとも人妻として、なにか心の底に秘めた比較に思い悩んでいるのでしょうか? 私はそういう彼女の姿勢に、最初の告白に好都合な放心の気配が見てとれると思って、こう語りかけました。
「つらい日があるものですね!」
「わたくしの心のなかを、お読みとりになりましたのね」と彼女は言いました。「でも、どうしてですの?」
「ぼくたちがじつにいろいろの点で似ているからですよ!」と私は答えました。「ぼくたちは二人とも、苦しみや喜びにたいしてとくべつな敏感さをもつ少数の人間、心のなかに大きな反響を呼びおこしながら感性がこぞっていっせいに震えだすような、そして神経の組織が事物の原理とつねに調和を保っているような、そういう少数の人間に属しているのではないでしょうか? いっさいが不調和だらけの環境に置かれたら、そういう人間はひどく苦しむでしょうが、それだけにまた、好ましく感じられる思想や、感覚や、人間に出会うと、そういう人間の喜びは熱狂にまでたかまるわけなのです。ところが、ぼくたちにとってはさらに第三の状態というものがありますが、この状態の不幸さは、同じ病いに冒されて、そのあいだに兄弟のような理解の通いあう人々にしかわからないものなのです。つまり、ぼくたちが楽しく感じもしないし、苦しく感じもしないような状態があるのです。そんなとき、桁《けた》ちがいなほど敏感な動きに富んだぼくたちの心のなかのオルガンも、むなしく虚空で奏《かな》でられるだけであり、対象もなしにただ熱狂するばかりであり、いくら音を出したところでメロディーをつくれるわけでもなく、調子を張りあげてみたところで、けっきょくは沈黙のなかに失われていってしまうのです。これはいわば、虚無の掴みどころのなさに反抗する魂が出会う、一種のおそるべき矛盾とでもいったものです。まったく耐えがたい苦闘であり、この苦闘のなかでは、ぼくたちの力はちょうどどことも知れぬ傷口から血が流れるように、なんの糧《かて》も得られぬまま、ことごとく脱けおちていってしまうのです。感受性は奔流のごとく流れだし、そこから激しい衰弱が起こり、さらには懺悔《ざんげ》のときにさえ打ち明けようのない言語に絶する憂鬱が生ずるのです。いかがでしょう、これでぼくたち二人に共通する苦しみを、言いあらわしたことにはなりませんかしら?」
彼女は驚いたように身をふるわせ、あいかわらず夕日をみつめながら、私にこう答えました。
「そんなにお若いのに、どうしてそういうことがおわかりになりますの? 昔、女でいらしたことでもおありになるのかしら?」
「ほんとうに!」と私はしみじみした声で答えました。「ぼくの子供の頃というのは、まるで長い病気のようなものでした」
「あら、マドレーヌが咳《せき》をしてますわ」彼女はそう言うと、急いで私のそばから立ちさっていきました。
伯爵夫人は私がしじゅう訪ねてくるのを見ても、べつに気にかけようともしませんでしたが、それには二つの理由があります。まず第一には彼女が子供のように純真で、とんでもない方向に考えがそれるようなことがなかったからです。それからまた、私は伯爵の暇つぶしのよい相手でしたし、この爪もたてがみもないライオンにとって、まさに恰好《かっこう》の餌《えさ》になっていたからです。さらにその上、私はもう一つ出かけていく理由をみつけだしたのですが、これは誰が見ても、いかにももっともだと思えるようなものでした。私はトリクトラクを知りませんでした。モルソーフ氏がそれを教えてあげると言いだしたので、私はすぐそれに応じたのです。私たちの相談がまとまった瞬間、伯爵夫人は思わず私のほうに同情の視線をむけましたが、そこには「狼の口にご自分から飛びこんだりなさって!」と言いたい気配がありありとあらわれていました。最初のうちこそ、その意味がまるで呑みこめなかったにせよ、三日目になって、自分がどういうことにかかわりあったのか、さすがの私にもわかってきました。なにごとにも倦《う》まぬ私の忍耐力、つまり私の幼年時代の果実は、この試練の期間に完全に成熟をとげたのです。伯爵に説明してもらった定石《じょうせき》や規則を、私が実地に応用できなかったような場合に、手ひどい嘲笑を浴びせかけることが、伯爵にとっての楽しみなのでした。私が長考したりすると、遅い勝負運びはたいくつだと不平を言います。私が速くやると、せきたてられるのはかなわぬと怒りだします。私がへまをすると、それをまんまと利用して、あんまり急いでやるからだと言うのです。まったく教師のような横暴ぶり、厳しい生徒監のような圧制ぶりであり、そのありさまをあなたに想像していただくには、私はさしずめいじわるな少年に屈伏せしめられたエピクテートス〔古代ギリシャのストア派の哲学者〕のようでした、とでも申しあげるより仕方がありません。やがて私たちが金を賭けるようになると、伯爵はいつも勝を占めては、見るに耐えない賎《いや》しい喜びに駆られるのでした。そんなとき、夫人がなにか一言でも言ってくれれば、私はそれでもうすっかり慰められた気分になりましたし、伯爵のほうも、すぐさま礼儀作法の感情をとりもどすのでした。ところが、まもなく私は思いがけぬ苦難の火のなかに落ちこみました。こういう遊びごとのために、金がなくなってきたのです。私が辞去するまで、ときにはそれがたいへん遅くなることもあったのですが、伯爵はいつも夫人と私といっしょにずっと同席していましたけれども、それにもかかわらず、いつか夫人の心のなかに忍びこめる瞬間がみつかるだろうという希望を、私はたえずもちつづけていました。しかしながら、猟師のごとき苦しい忍耐をして待ちかまえたあげく、やっとのことでその瞬間を獲得できるにしても、そのためには、しじゅう魂を裂かれるような思いを味わい、しかも自分の金をすっかりもっていかれてしまう、この翻弄《ほんろう》されっぱなしの勝負をつづけねばならなかったのです! 牧草地を照らす太陽の光、灰色の空にうかぶ雲の群れ、霞のかかった丘、宝石のような河の小石に落ちかかる月光のゆらめきなどをじっと見やりながら、私たちが二人ともだまりこんでいたことが、いったい何度くらいあったでしょうか。ほんのときおり、お互いにこんな言葉をかわすだけで。
「美しい夜ですこと!」
「女性のように美しいですね、奥さま」
「なんて静かなのかしら」
「そうですね、ここにいたら、完全に不幸になるはずはありませんね」
この答えを聞くと、彼女はまた刺繍《ししゅう》の仕事にもどりました。私はとうとう、彼女の心のなかに、みずからの場所を求めている愛情からわきおこる、真情のうごめきを聞きつけるようにまでなっていたのです。だが、金がなくなれば、こうした夜の時間ともおさらばです。私は母に手紙を書いて、金を送ってくれと頼みました。母は私を叱りつけ、一週間分の金もくれませんでした。では、いったい誰に頼めばよいのか? しかも、ことは私の生命にもかかわっているというのに! こうして、私は自分の最初の大きな幸福のさなかで、かつていたるところで悩みの種となったあの苦痛に、ふたたび出会うことになったのです。けれども、パリでも、中学校でも、私塾でも、私は思索的な禁欲によってそれをくぐりぬけたわけであり、私の不幸はいわば消極的なものでした。が、フラペールでは、それは積極的なものに一変したのです。そのとき、私ははじめて盗みの欲望を知りました、魂に深い痕跡を残し、それを押し殺さなければ自分自身への尊敬を失ってしまうような犯罪の夢想や、凶暴な憤激というものを知りました。母の吝嗇のために、私に無理|強《じ》いされたあの痛々しい瞑想や不安のことを思いだすと、私の心には青年たちにたいする聖者のごとき寛大さ、自分は落ちこんだことがなくても、あたかもその深さを測《はか》ろうとでもするように深淵の縁まで達したことのある人々がそなえている、あの聖者のごとき寛大さがわいてくるのです。私の清廉潔白さは冷たい汗を糧《かて》として育ったので、人生の表面が左右に割れて、その河床の荒涼たる砂礫《されき》がさらけだされたこの時期にますます強められたわけですけれども、それにもかかわらず、人間の行なうおぞましい裁判が一人の男の首に剣を突きたてるたびに、私はひそかにこうつぶやいたものでした、「刑法というものは、不幸を経験したことのない人間たちによってつくられたのだな」と。
こうした苦境に陥ったとき、私はシェッセル氏の書庫で、トリクトラクの解説書をみつけて、それを研究してみました。それから、シェッセル氏も私に若干の指南をしてくれました。今度はそれほど荒っぽい指導ではなかったので、私も手があがり、覚えこんだ規則や指手《さして》を応用してみることができました。ほんの数日のうちに、私は先生格の伯爵を屈服させられるようになりました。しかし、私が勝つようになると、彼の機嫌がひどく悪くなってきました。目が虎のようにぎらぎら輝き、顔がひきつり、どんな人間にも見かけたこともない動かしかたで、眉毛《まゆげ》が動きだすのでした。彼が並べたてる不平も、まるで甘やかされた子供のそれなのです。ときにはまた、骰子《さいころ》を投げつけたり、烈火のように怒りだしたり、地団駄《じだんだ》を踏んだり、自分の骰子壺を噛《か》んでみたり、私に罵倒を投げかけたりすることもありました。もっとも、こういう乱暴な態度もまもなく終止符をうちました。やがてこちらに相手を凌《しの》ぐだけの力がつき、思いのままに勝負を運べるようになったのです。ついにはどちらもほぼ互角の形勢になるように加減をして、中盤までは伯爵に勝たせておき、それ以後|伯仲《はくちゅう》の勝負になるようにしたのです。弟子が急速に自分を追い越してしまったことは、伯爵にとって、それこそ世界の終末以上の驚きでした。しかし、彼は追い越されたことを素直に認めようとはしませんでした。私たちの勝負がいつも同じ結末をたどるということが、新しい言いがかりの餌となって、彼の心の動きはいつもそこに襲いかかってくるのでした。
「あきらかに」と彼は言うのでした。「わたしの頭が疲れてくるにちがいありませんな。あなたはいつも終盤のところで勝ちだす、その時分になると、こちらに得意な手が出てこなくなってしまうんですよ」
伯爵夫人は、この遊びのことはよく知っていましたので、最初のときから私の手かげんに気がつき、そこに大きな愛情のしるしを読みとっていました。こうした手かげんの詳細な点については、トリクトラクの厄介な難かしさに通じた人でなければ、とても正確に認めることはできないのです。このささやかなことがらには、どれほど多くのことが語られていたでしょうか! それにしても、愛というものは、ちょうどボシュエ〔十七世紀の宗教家〕の神と同じように、このうえなく堂々たる勝利にもまして貧者の一杯の水や、人知れず死んでいく兵士の苦闘により大きな価値を認めるものなのです。伯爵夫人は、青年の心を動顛《どうてん》させる暗黙の感謝を、私に送ってくれました。子供にしか見せないまなざしを、私にも注いでくれたのです。このいとも幸福なる夜以来、彼女が私に話しかけるときには、いつもじっと私の顔をみつめるようになったのです。
その夜、帰りの道をたどっていくとき、私がどんな気分にひたっていたか、それをはっきり説明することはとてもできません。魂が肉体を吸いこんでしまって、私には重さがなくなり、地に足を着けて歩くことができず、まるで宙を飛んでいくような感じでした。心のなかにあのまなざしをありありと感じとり、そのまなざしが私を光でみたしていました。さきほど、彼女の「さようなら」という声が、私の魂のなかに、あの復活祭の「子らよ、娘らよ」という聖歌の美しい調べを感じさせたのと同じように。私は新しい生を享《う》けたのです。だから、私は彼女にとってなにものかになったのです。緋《ひ》色の産衣《うぶぎ》につつまれながら、私は眠りにつきました。炎が私の閉じた目の前を通りすぎ、さながら紙を燃やした灰の上をつぎつぎに走りすぎるきれいな小さい火虫のように、闇のなかを飛びつづけていきました。夢のなかで、彼女の声はなにかしら触知できるものと化し、私を光と芳香で包みこむ空気となり、さらには私の心を愛撫するメロディーとなりました。翌日、私の訪問を迎える彼女の態度には、心から許しきった気持ちがみちあふれており、私はそのとき以来、彼女の声のなかに隠された秘密にすっかり通ずるようになりました。その日こそ、私の生涯のもっとも特筆すべき日の一つになることになったのです。夕食後、私たちは丘のほうへ散歩に出かけて、なにも成長できないような荒地、地面は石ころだらけですっかり干あがり、植物が育つ場所のない荒地のなかに足を踏みいれました。もっとも、そこにも樫の木が数本と、サンザシの実がいっぱいついている茂みがありました。しかし、地面には草は生えてなくて、そのかわりに縮れた鹿毛色の苔の絨毯《じゅうたん》が、夕日の光に映《は》えながらひろがっていて、その上を踏むたびに足もとが滑りそうになりました。私はマドレーヌの手をひいて支えてやり、モルソーフ夫人はジャックに腕を貸してやっていました。伯爵はさきに立って歩いていましたが、ふとこちらをふりかえると、ステッキで地面をたたきながら、すさまじい語調で私にこう言いました。
「これがわたしの人生ですよ!」――それから妻のほうに詫《わ》びるような視線を投げかけて、こう言葉をつづけました。「いや、もっとも、お前と会う前のことがだね」
前言の訂正もすでに手おくれで、伯爵夫人は蒼ざめた顔をしていました。こんな打撃を受ければ、どんな女性にせよ、彼女と同じように動揺せずにはいられなかったでしょう。
「じつによい香りがしてきますねえ、それに光線の美しさときたら!」と私は叫びました。「ぼくはこの荒地を自分のものとして所有したいですね。調べてみれば、いろいろな宝がみつかるかもしれませんよ。もっとも、いちばん確実な富は、お宅の隣りだということでしょうね。それに、こんなにこころよく眺められる景色にたいして、また、トネリコや榛《はんのき》の木立のなかで魂を洗ってくれるあの曲がりくねった川にたいして、高いお金を払わない人間が誰かいるでしょうかね? ほんとに、人それぞれに趣味が違うものなんですね。あなたにとっては、この一角の土地は荒地です。けれども、ぼくにとっては楽園なのですからね」
夫人は目顔で私に感謝の気持ちを示しました。
「田園詩というわけですな!」伯爵は苦々しげな口調でそう言いました。「ここは、あなたのようなりっぱな名前をもつ人の生活するところじゃありませんよ」
それからちょっと言葉を中断し、やがてこう言いました。
「アゼーの鐘が聞こえるかい? 鐘の鳴る音が、わたしにははっきり聞こえるんだが」
モルソーフ夫人はぎょっとしたようすで私の顔をみつめ、マドレーヌは私の手をしっかり握りしめました。
「どうでしょう、帰ってトリクトラクを一勝負やりましょうか?」と私は言いました。「骰子《さいころ》の音がすれば、鐘の音なんか聞こえなくなりますよ」
私たちはときどき思いだしたように短い言葉をかわしながら、クロシュグールドへ帰りました。伯爵は激しい苦痛を訴えていましたが、どういうふうに苦しいのか、はっきり説明しようとはしませんでした。広間に落ちつくと、みんなのあいだに、言うに言われぬ不安な気分がただよいました。伯爵は肘掛椅子にぐったりと坐りこんで、じっと物思いに沈んでいましたが、病気の徴候《ちょうこう》のことはよく知っていて、発作を予想することのできる夫人は、彼のその物思いを妨げまいと気を配っていました。私も夫人の沈黙にならいました。彼女が私にひきとってほしいと頼まなかったのは、おそらく、トリクトラクを一戦まじえれば伯爵の気分も晴れるかもしれない、発作のたびにたまらない思いにさせられるあの手のほどこしようのない神経過敏症も、なんとかまぎらされるかもしれない、と思ったからなのでしょう。
だが、いつだってほんとはひどく乗気なくせに、このトリクトラクの勝負を伯爵にやらせるということは、なによりもむずかしいことなのでした。まるで気取り屋の若い娘のように、伯爵はちらほや頼まれたり、しきりにせきたれられたりしたがって、おそらくじっさいには嬉しがっているために、かえってそういうようすを見せまいとするのでした。面白い会話につられて、私がつい鞠躬如《きっきゅうじょ》たる態度を忘れようものなら、彼はすぐむっつりとだまりこみ、気むずかしく、とげとげしくなってしまうのでした。そして、会話をすることにもいらだちはじめて、なにごとにもいちいち反対を唱えるのです。その不機嫌なようすに気がついたので、私は一勝負やろうと申しでました。すると、彼は思わせぶりな態度を示しました。そして、「だいいちもう遅いですしね。それに、私はべつにそんな気もないし」と言うのです。要するに、けっきょくは自分たちのほんとうの希望を、相手にわからなくしてしまう女性たちと同じことで、ただ脈絡《みゃくらく》のない思わせぶりな言葉が並べられるだけ、というわけです。私は下手《したて》に出て、稽古《けいこ》をしないとすぐ忘れがちだから、どうか腕前が維持できるようにしてほしいと頼みこむのです。このときも、彼にやる気を起こさせるために、私はもう馬鹿みたいにはしゃぎまわらねばなりませんでした。彼はめまいがして、とても先が読めないとこぼしたり、万力で頭がしめつけられるようだと言ったり、耳鳴りがすると訴えたり、息がつまりそうだと嘆いたり、大きな溜息を何度もついたりしていました。それでも、やっと承知して盤にむかうことになりました。
モルソーフ夫人は、子供を寝かしつけたり、家中の者にお祈りを唱えさせるために、私たちのそばから離れていきました。彼女が座をはずしているあいだ、万事はうまく運び、私はモルソーフ氏が勝つように手かげんしたので、彼は自分の運のよさを嬉しがって急に陽気になりました。自分についての不吉な予言を、思わず口に出さずにいられぬほどふさぎこんでいたのに、今度は酔った人間のように喜びだし、ほとんど理由もなしに気ちがいじみた笑い声をあげはじめたわけですが、この唐突な変わりかたに私は不安になり、ひやりとしました。彼がこれほど腹蔵なく感情の動きを示すのを、私はそれまで見たことがありませんでした。私たちの親密な交際が実を結んで、彼はもう私に気がねしなくなったのです。彼は毎日、私を自分の暴君的な支配下に包みこんでしまおう、そして自分の気分しだいでどうにでもあしらえる餌を確保しようと試みていました。それというのも、精神の病気というものは、まさに食欲や本能をもつ人間そのままのものであって、ちょうど地主が地所をふやしたがるのと同じように、その支配圏をひろげたがるものだからなのです。
伯爵夫人はやがて階下へおりてきて、刺繍《ししゅう》の仕事の手もとがあかるくなるように、トリクトラクの台のそばに近寄ってきました。しかし、彼女は仕事の手を進めながらも、懸念の色を隠すことができませんでした。そのうちに、ある致命的な悪手、私にもはばむことのできない悪手を指したために、伯爵の顔色がさっと変わりました。いままで陽気そうだったのが陰鬱になり、赤かったのが黄色くなり、目つきも落ちつかなくなりました。さらにそれから、私には予想もつかず回復しようもない不運が起こりました。モルソーフ氏が、自分の敗北を決定づけるおそるべき骰子《さいころ》の目を、自分で出してしまったのです。やにわに立ちあがると、盤を私の上に、ランプを床の上に投げつけ、盤の乗っていた台を握り拳《こぶし》でたたいて、広間のなかを飛びまわりましたが、それはまさに歩きまわることなどとは、とても言えないような恰好《かっこう》でした。彼の口から飛びだす罵倒《ばとう》、呪い、脈絡のない言葉などを聞いていると、昔、中世の頃に見られたという悪魔に憑《つ》かれた人間かと思うほどでした。私のとった態度については、まあ想像なさってみてください!
「庭へいってらしてくださいませ」夫人は私の手を押えながら言いました。
私は部屋を出ていきましたが、伯爵はそれに気がつかないようでした。築山《つきやま》のところまで私はゆっくりあるいていきましたが、食堂の隣りの伯爵の居間からもれてくる怒声や悲鳴は、そこまで聞こえてきました。その嵐のようなどなり声を縫って、夫人の天使にも似た声も聞こえてきましたが、それは雨のあがる寸前の夜鶯《ようぐいす》の鳴声さながらに、とぎれとぎれに響いてくるのでした。八月もすえ近くなった美しい夜のなかを、私はアカシアの並木の木蔭に沿ってぶらぶらと歩きながら、伯爵夫人がきてくれるのを待っていました。彼女はきっとくるはずでした。さきほどの身ぶりが、私にそう約束してくれたのです。
数日前から、私たち二人のあいだには話しあいを求める空気がただよい、私たちの心のなかにいっぱいにあふれている泉の水をほとばしらせるような言葉を、なにか一言でも口に出しさえすれば、その空気はすぐにはちきれるにちがいあるまいと思われました。いったいどんな恥じらいの気持ちがあって、私たちの完全な了解の時期が遅らされたのでしょうか? いまにもあふれでようとする生命をじっと抑えつけている瞬間、そしていよいよ愛する夫の前に姿をあらわそうとする若い娘の心をうちふるえさせる羞恥と同じような羞恥の感情に屈しながら、内心の思いをさらけだすことをためらっている瞬間、そういう瞬間に、私たちの感受性を苦しめるさながら恐怖の衝動にも似たあのおののきを、おそらく彼女も私と同じように好んでいたのでしょう。私たちはみずからもろもろの思いを積みかさねたために、もはやそれは避け得ぬものとなっているにもかかわらず、最初の告白をますます過大なものにしてしまっていたのです。一時間がすぎました。私は煉瓦《れんが》の手摺垣根《てすりかきね》に腰かけていましたが、そのとき裾《すそ》のゆったりした衣裳のゆるやかな衣《きぬ》ずれの音とまざりながら、彼女の足音がひびいてきて、夜の静かな空気がざわめきました。心にとてもはいりきらぬような、激しい感動が私のなかにこみあげてきました。
「主人はもう眠りました」と彼女は言いました。「ああいうふうになると、ケシの実を二三粒いれて煎《せん》じた水を、コップに一杯飲ませることにしてますの。発作はかなり間をおいて起こりますから、そんな簡単なお薬でも、いつも同じようなききめがありますのね」――そこで彼女は言葉の調子を変え、聞く者を納得させずにはおかないような抑揚をこめた声でこうつづけました。「あいにく思いがけないことになりまして、これまで注意深く隠しておりました秘密を、とうとうあなたにお見せしてしまいましたけど、あのできごとのことは、あなたの胸のなかにしまっておいてくださるよう、お約束いただけませんかしら。このわたくしのために、どうかそうなさってくださいませ。誓いをたててください、などとは申しません。ただ名誉を重んじられる方として、『ええ』とだけ言ってくだされば、わたくしはそれで安心できますの」
「その『ええ』という言葉を、ぼくがはっきり口に出す必要があるんですか?」と私は尋ねました。「ぼくたちはお互いに理解しあっていたんじゃないのですか?」
「亡命時代の長い苦しみに耐えてきたせいなのだとお考えくださって、どうか主人を悪くお思いにならないでくださいね」と彼女は言葉をつづけました。「明日になれば、自分の申したことなど、すっかり忘れておりますし、りっぱな情愛の深い人間にもどっているはずですから」
「伯爵をかばうのはやめてください」私はそう答えました。「ぼくはあなたのお望みになることなら、どんなことだってします。いますぐアンドル川へ飛びこみもいたしましょう、もしもそれでモルソーフ氏を生まれかわらせ、あなたの生活を幸せなものにすることができるならば。ただひとつ自分でも改めようのないのは、ぼくなりの意見です。ぼくの心のなかに、これほど強く織りこまれているものはないのですからね。あなたに生命をさしあげることはできても、ぼくの良心をさしあげるわけにはいきません。良心の声を聞くまいとすることはできるかもしれませんが、しかし良心が語るのを妨げることはできるでしょうか? ところで、ぼくの意見では、モルソーフ氏は……」
「それはわかってます」彼女はそう言って、ひどくぶっきらぼうな調子で私の言葉をさえぎりました。「あなたのおっしゃるとおりですわ。主人はまるで気どり屋の若い娘みたいに神経質ですわ」彼女は気ちがいという観念をやわらげようとして、なるべく穏やかな言葉を選んで話しつづけました。「でも、ああいうふうになるのは時間を置いて、年にせいぜい一度くらい、暑いさかりのときだけなんですの。亡命のせいで、不幸な境遇に陥った方が、どんなにたくさんいらっしゃることでしょうねえ! りっぱな生活を失われた方が、どんなにたくさんいらっしゃることでしょうねえ! 主人だって、きっとりっぱな将軍に、国の名誉となるような将軍になったにちがいありませんわ、わたくし、そう信じておりますの」
「それはぼくも知っています」だまそうとしても無駄だということを納得させようとして、今度は私のほうが彼女の言葉をさえぎりました。
彼女はしばらくだまりこんで、額のあたりにその手をあてると、こんなふうに言いました。
「わたくしどもの家庭のなかにあなたを連れてきてくださったのは、いったいどなたなのでしょう? 神さまがわたくしに救いの手をさしのべ、支えとなる友情を送りとどけようとなさったわけなのかしら?」彼女は一方の手を私の手にしっかりと押しあてながら、さらにこうつづけました。「だって、あなたはご親切ですし、心の温かい方ですし……」
胸の奥に秘めた希望をはっきり裏づけてくれる、目に見える証拠をひきあいにだすためでもあるかのように、彼女はじっと空を見あげてから、その視線をまた私のほうにもどしました。魂をそっくり私の魂のなかに投げこもうとするその視線によって、あまりにも深い感動に襲われたために、私は社交界のきまりに従えば、いかにも気のきかないことをやってしまったのです。だが、ある種の魂をもつ人々にあっては、往々にして、危険に立ちむかおうとする高潔な衝動や、衝撃をあらかじめ防ごうとする願望や、襲いかかろうとしている不幸への恐れなどは、こんなあらわれかたをするのではないでしょうか? さらにまた、ある心にむかって行なわれる唐突な問いかけや、その相手の心が同じ音で共鳴するか否かを知るための打診が、こんなあらわれかたをするということは、よりしばしば起こることではないでしょうか? ともあれ、私の心のなかには、さまざまな思いが閃光のようにわきあがり、完璧な心の一致への第一歩が授けられようとしているこの瞬間に、私の純真さのけがれとなっているあの汚点を、ぜひとも洗い流しておくようにと勧告したわけなのです。
「立ちいったことをお話しする前に」私はそう切りだしましたが、私たち二人をつつむ深い静寂のなかでは、いともたやすく聞きとれるほど高鳴っている胸の鼓動のために、声の調子まで変わっていました。「まず過去の思い出を清めさせていただきたいのです」
「おっしゃらないで」彼女は私の唇に指を当てて激しい口調でそう言ってから、すぐにまたその指を離しました。
彼女は、侮辱に傷つけられるおそれのない高い位置にいる女性のように、毅然《きぜん》として私の顔をみつめ、そして当惑したような声でこう言いました。
「あなたの言おうとなさっていることは、よく存じております。わたくしが受けたあの最初にして最後の、たった一度だけのひどい侮辱でございましたもの! あの舞踏会のことは、どうかもう二度とおっしゃらないで。キリスト教徒としてはあなたをお許ししてはいても、女としてはまだ苦しんでいますわ」
「そんなに冷酷にならないでください、神さま以上に冷酷に」あふれでてくる涙を睫毛《まつげ》のあいだにたたえながら、私はそう言いました。
「神さまより厳しくならなくては。わたくしのほうが弱いのですものね」と彼女は答えました。
「とにかく」と私は子供がむずかるような調子で言いました。「これが最初にして最後の、たった一度だけのことになるとしても、どうかぼくの言うことを聞いてください」
「では、どうぞおっしゃって! さもないと、まるでわたくしがこわがってでもいるように思われそうですから」
こうして、いまのこの瞬間は、私たちの生涯に二度と訪れてはこないのだと思いながら、私は注意をひきつけずにはおかぬような語調で、あの舞踏会にきていた女性たちにしても、私がそれまでに見た女性たちと同じく、まるで関心がもてなかったということを話しました。ところが、彼女の姿を目《ま》のあたりにしたとき、すこぶる勤勉な生活を送っていた上に、あまり勇敢な人間でもないはずの私が、まるで狂乱状態に――そういうものを経験した覚えのない人々でない限り、とても平然と非難などできない激しい狂乱状態に陥り、まるで逆上したようになってしまったのだ、と話しました。かつて男の心というものが、あれほど激しく欲望にみたされたためしはないのだ、どんな人間にも抑えようもなく、あらゆるものを、死をさえもあえて踏みこえさせるような欲望に、あれほど激しくみたされたためしはただの一度もないのだ、と……
「では、軽蔑にみたされたためしは?」彼女は私の言葉をさえぎってそう尋ねました。
「じゃあ、あなたはぼくを軽蔑なさったんですか?」と私は聞きかえしました。
「もうこんなお話しはやめましょう」と彼女は言いました。
「いや、話しましょう」私は人間には耐えきれぬほどの深い悲しみに駆られ、たかぶった口調で答えました。「このぼくのすべてに関することなのです。ひとには知られていないぼくの生活に、あなたにだけは知っていただかねばならぬぼくの秘密に、関することがらなのです。さもなければ、ぼくは絶望のあまり死んでしまうかもしれません。それに、これはあなたにも関係しているのじゃないでしょうか、ご自分では気がついておられなかったにせよ、女王に選ばれ、競技の勝利者の栄冠がその手に輝いていたあなたにも?」
私は自分の幼年時代のこと、少年時代のことを彼女に話しました。それもあなたにお話ししたような、遠くから距離をへだてて判断を加えた話しかたではなく、傷口からまだ血が流れだしている青年の熱い言葉でもって。私の声は、さながら森にこだまする木樵《きこり》の斧《おの》の音のように響きました。その斧にあたって、枯死した歳月、そしてまたそれらの歳月を葉のない枝でうずめた長いあいだの苦悩が、つぎつぎに大きな音をたてて倒れていきました。私は熱にうかされたような言葉でもって、数々の痛ましいできごとを、それはあなたにあえて申しあげる必要のなかった些細なできごとですが、とにかくそうした些事をことこまかに述べたてました。華々しい希望という財宝を、願望という無垢《むく》の黄金を、たえまない冬が積みあげたアルプスの氷塊の下になおも燃えつづけている心のすべてを、私は彼女の前にすっかりさらけだしたのです。こうして、イザヤの炭火〔イザヤはユダヤの四大予言者の一人。ここでは、バルザックは、激しすぎる情熱というような意味をふくませているものと思われる〕を燃やして語った苦悩の思い出の重みに屈した私が、それまでうなだれて耳を傾けていた夫人の口から、どういう言葉が出てくるかと待っていると、彼女は闇を照らすようなまなざしを投げかけてから、地上の世界と神々の世界に生気を吹きこむような言葉をただ一言だけもらしました。
「わたくしたち、同じような幼年時代を経験したわけですのね!」殉教者の後光がさしているような顔を私のほうにむけながら、彼女はそう言いました。
しばらくのあいだ、私たち二人の魂は、「それでは、自分一人が苦しんでいたわけではなかったのだ」という同じ慰めの思いでしっかり結ばれていましたが、やがて伯爵夫人は、愛児たちに語りかけるときのとくべつな語調で、跡《あと》とり息子がつぎつぎに死んでいく家庭のなかで、ひとり娘だった彼女がどういう苦境に見舞われたか、そのいきさつを話しはじめました。母親の膝もとにいつもつながれどおしだった娘の身分と、学校という社会になげこまれた少年とのあいだには、苦しさの点でいろいろな違いがあることを彼女は説明してくれました。私の孤独などは、彼女の魂を苦しめていた石臼《いしうす》との接触にくらべれば、まるで天国のようなものでしたし、しかも真の母親ともいうべき優しい伯母が、彼女をその責苦から解きはなって救ってくれる日まで、苦しみはずっとつづいたのでした。いまなおよみがえってくるその責苦の苦しさを、彼女は私に話してきかせました。それはなんとも説明しがたい口やかましいあら探しであり、短剣の一撃にはたじろがないにせよ、ダモクレスの剣〔たえず危険が身近かに迫っている状態を指す〕のもとには倒れ伏す神経の鋭い人間にとっては、まったく耐えがたいものでした。あるときは温かい情愛の発露《はつろ》が冷やかな命令でさえぎられたり、あるときは接吻がいとも冷淡に受けとめられたり、またあるときはだまっているように無理|強《じ》いされたかと思うと、つぎにはだまっていると咎《とが》められたりするのでした。彼女の心には、いつもかろうじて押えた涙がたまっていました。要するに、無数の僧院さながらの圧制が加えられたわけであり、しかも外の人間の目にたいしては、それが得々と吹聴《ふいちょう》される母性愛の外見のもとに隠されてしまっているのでした。母親は彼女のことを自慢し、さかんにほめそやしました。けれども、その翌日になると、育ての親としての成功を誇示するためにぜひとも必要だったそういう見えすいたお世辞にたいして、高い犠牲を払うことを彼女に要求するのでした。言うことをよく聞いて優しくつくしたおかげで、やっと母親の心をつかめたと信じきって、母親に胸中を打ち明けたりすると、その打ち明け話を楯《たて》にとりつつ、またしても暴君が姿をあらわすことになるのです。スパイにしたところで、これほど卑劣になり、これほど陰険になることはできなかったでしょう。若い娘としての楽しみも、さまざまな祝日の催しも、けっきょくはすべて高い代価で買わされることになるのでした。というのは、彼女が楽しい思いにひたったりすると、まるで過失を犯しでもしたように、ひどく叱りつけられるにきまっていましたから。貴族の娘にふさわしい躾《しつけ》を身につけるための教育も、愛情をこめて授けられたようなことは一度もなく、いつも手ひどい皮肉とともに教えこまれるのでした。それでも、彼女は母親に恨《うら》みがましい気持ちを抱いたりはせず、母親にたいして愛よりもむしろ恐怖を感ずることに、ひそかな自責の念を感じてばかりいたのです。ことによると、こういう苛酷な仕打ちも必要なことだったのかもしれない、この天使のような女性は当時もまだそう考えていました。なぜなら、そういう苛酷な仕打ちによって現在の生活に耐えていく準備がほどこされたのではないかしら、というわけなのです。彼女のそういう話を聞いているうちに、さきほど私が異教徒の荒々しい調べをかきならしたヨブの竪琴〔悲しみに耐えつつ神を賛美することを意味する〕も、いまやキリスト教徒の指に操られて、十字架のもとでの聖母マリアの連祷《れんとう》を奏《かな》でつつ、彼女の話に唱和しているかのように思われました。
「ぼくたち二人は同じ地帯で暮らしていたのですね。あなたが東、ぼくが西から出発してここで再会する以前から」
彼女は絶望的な身ぶりで頭をふりました。
「いいえ、あなたは東へ、わたくしは西へいくのです」と彼女は言いました。「あなたは幸せにお暮らしになるでしょうが、わたくしは苦しみで死ぬに違いありませんわ! 男の方々はご自分でご自分の生涯をどうにでもできますが、わたくしの生涯は永久に動きようがないのです。どんな力だって、あの重い鎖《くさり》をこわすことはできませんのよ。人妻の貞淑さを象徴する金の指輪でもって、女性をつなぎとめているあの重い鎖を」
いまや同じ胎内から生まれた双生児のような気持ちでいたわけですから、彼女にとっても、同じ泉の水を飲みあっている姉弟どうしのあいだで、打ち明け話を中途はんぱにしておくことなど、とうてい考えもおよばないことでした。純粋な心を持った人間が胸中の思いをすっかり打ち明けるとき、彼らはごく自然に深い吐息をつくものですが、彼女もまずそういう吐息をついてから、結婚のはじめの頃のこと、最初の幻滅のこと、不幸の復活《ヽヽ》の全貌などを私に語りました。私と同じように、彼女もさまざまな瑣末《さまつ》なことを経験したのでした。ごく小さな衝撃を受けただけでも、その透明な中身がすみずみまでゆり動かされるような魂にとっては、湖水に投げこまれた小石が水面をも水の底をも一様にかきみだすのと同じことで、些細なことがらもじつに大きな衝撃となるものなのです。結婚するとき、彼女は貯《たくわ》えをもっていましたが、そのわずかばかりの金貨は、折々の楽しかった時期や、少女の頃の希望を象徴するものなのでした。だが、窮迫したある日、彼女はそれを気前よく出してしまって、それがただの金貨ではなく、思い出の品々であることもべつに言おうともしませんでした。夫はそれをありがたがる気配も見せず、自分が債務を負ったことすら知らないありさまでした! 忘却の澱《よど》んだ水のなかに呑みこまれたこの宝の代償として、あのいっさいを清算してしまう涙にうるんだ視線、寛容な心をもつ人にとっては、つらい日々にもいつも光を輝かす永遠の宝石のごときものである涙にうるんだ視線すら、彼女は得られなかったのです。まったくのところ、彼女は苦悩から苦悩へと歩みつづけたわけでした! モルソーフ氏は、家計に必要な金を渡すことさえ忘れました。それでも、彼女が女の気弱さを打ちやぶり、思いきってその金を催促すると、彼はやっと夢からさめたようになるのです。だが、彼女がそんな胸のはりさける痛ましい思いをしなくてもすむようにしてくれたことは、ついにただの一度もなかったのです! この破産した男の病的な性質がはっきり示されたときには、彼女はどれほど激しい恐怖に捕えられたことでしょうか! 彼の狂気じみた怒りの最初の発作だけで、彼女はがっくりしてしまいました。自分の夫、一人の女性の生活を支配するこのいかめしい人物を、無能な人間と見なすようになるまでには、どんなに多くのつらい熟慮を味わったことでしょうか! 二度の分娩《ぶんべん》にひきつづいて、どんなにひどい災厄に襲われたことでしょうか! 死児のようになって生まれてきた二人の子供を見たとき、どんなに激しい衝撃を受けたことでしょうか!
「わたくしがこの子たちに生命を吹きこんでやろう! 毎日毎日、新しく生み直すつもりになってやろう!」心ひそかにそう思うためには、じつに大きな勇気が必要でした。やがてまた、世の夫人たちが救いのよすがとしている胸や手のなかに、逆に障害を感じとらねばならなかったとき、どんなに激しい絶望に駆られたことでしょうか! ある難関がやっと越えられたと思うと、またもや茨だらけの大草原を繰りひろげる大きな不幸を、彼女はたえず目《ま》のあたりにしつづけてきたのでした。ある岩の上にやっとよじ登ると、かならずまた越えねばならぬ新しい砂漠が目にはいり、それは彼女が夫のこと、子供たちの体質のこと、自分の暮らさねばならぬ土地のことを充分に知りつくす日まで、変わることなくつづいたのです。ナポレオンのために、優しい心づかいにみちた家庭から連れ去られた少年兵士のように、泥と雪のなかの行軍にもすっかり慣れ、砲弾に平然と顔をさらし、身心のすべてを兵卒のように受け身に服従させることにも慣れきってしまう日まで、それがずっとつづいたのです。私は要点だけをかいつまんでお話してきたわけですが、彼女はこれらのさまざまなことがらを、その暗く閉ざされたひろがりのすべてにわたって、もろもろの悲しい事実、徒労に終わった夫婦のあいだの争い、無益な結果となったいろいろな試みなどをまじえながら、すっかり話してくれたのでした。
「とにかく」彼女は話の結びとしてこんなふうに語りだしました。「クロシュグールドの改良のために、わたくしがどのくらい苦労しているかということも、また主人の利益にほんとに役だつことでさえ、主人にやる気を起こしてもらうまでには、どんなに骨を折ってご機嫌をとらねばならないかということも、ここに数か月滞在なさってからでなければ、とてもわかっていただけそうもありませんわ。わたくしの勧《すす》めではじめられたことが、最初のうちうまくいかなかったりすると、主人は子供のように意地の悪いことをするんですの! そのくせ、うまくいったことは自分の手柄にして、すっかり喜んでしまうのです! わたくしはそれこそ苦心|惨澹《さんたん》して主人の退屈な時間をまぎらわせたり、主人のために空気に香をたきこめたり、主人が石をばらまいてしまった道に砂を敷いたり、花を植えたりしておりますのに、いつも愚痴《ぐち》ばかり聞かされるのですから、ほんとに辛抱強くしなければならないのです! それなのに、わたくしの得られる代償ときたら、「わたしは死んでしまいそうだ! 生きていくのが重荷なんだ!」というひどいきまり文句なのです。それがもし運よくお客さまでもいらっしゃろうものなら、そんなものはすっかり消え失せて、愛想もよく礼儀も正しくなるのです。家族にたいしては、なぜそうなれないのでしょう? ときにはほんとにりっぱな人物となることもあるのに、どうしてあんなに誠実さを欠いたようになるのか、わたくしにはどうもよくわかりませんの。こっそり大急ぎで馬を飛ばして、パリまでわたくしの装身具を買いにいってくれたりもするんです、最近ではあのトゥールの舞踏会へいくときも、やはりそうしてくれましたけど。家計のことにはお金を出し惜しみしながら、わたくしのこととなると、こちらが望みさえすれば、いくらでも気前よく使うのです。ほんとうは逆にならなければいけませんのに。わたくしはべつになにも欲しくありませんし、家計の費用はずいぶんかさみますものね。主人の生活を幸せにしたいという希望があだになり、それに自分が母親になることなど考えてもみなかったものですから、わたくしが主人に悪い習慣をつけさせて、わたくしを餌食《えじき》のように扱うようにしむけたのかもしれませんわね。わたくしは、ちょっとご機嫌とりをすれば、主人を子供のように操ることぐらいはできます、もしわたくしがそこまで身を落として、そんな恥ずかしい役割を演じようという気持ちになれるものならば! でも、家庭のためを思うと、わたくしが正義の女神の像のように、冷静になり毅然《きぜん》としていることがどうしても必要なのですわ、ほんとうは、わたくしだって感情にもろい、感じやすい気質の女ですのに!」
「なぜ」と私は言いました。「なぜそういう力を利用して、伯爵をうまく操ったり、思うままに動かしたりなさらないのですか?」
「わたくしひとりだけのことだったら、何時間でも正しい説明に反対しつづけて、頑固にだまりこんでいるああいう沈黙にはとても勝てませんし、あんな筋の通らない意見や、まるで子供っぽい理窟にたいしては、とても返事のしようがありませんの。相手の弱さや子供っぽさに反対する勇気は、どうしても出てまいりません。弱さや子供っぽさにぶつかると、抵抗もできずに、ずるずると負かされてしまうのです。相手が力でくれば、こちらも力で対抗できるかもしれませんけれど、気の毒な気のする人々にたいしては、まるで力がなくなってしまうんですの。もしも、マドレーヌの命を救うために、あの子にどうしてもなにかを強制しなければならないという事態が起こったら、わたくしは、あの子といっしょに死ぬほうがましです。かわいそうだという気持ちになると、体じゅうの筋がゆるみ、神経の張りがなくなってしまうのです。ですから、十年間の激しい動揺のために、わたくしはもうへとへとに疲れきってしまいました。いまではものごとを感ずる力も、あんまりしばしば傷めつけられてばかりいましたので、ときにはまるで頼りにならないことさえあり、どうしてももとどおりには回復しないのです。嵐を耐えしのいできた気力にしても、ときには欠けてしまうことがあります。そうですの、ときどき力がつきてしまうことがあります。ちょっと休息するか、海水浴でもして新しい体力をつけるかしなければ、わたくし、もう倒れてしまいそうです。モルソーフはわたくしを殺した上、そのわたくしの死のために、自分も死ぬことになるんですわ」
「二、三か月のあいだだけでも、クロシュグールドを離れたらいかがですか? お子さんたちを連れて、海岸にでもいらしたらいかがですか?」
「わたくしが出かけたりしようものなら、だいいち、モルソーフが自分はもうだめなのだという気持ちになってしまいますわ。主人は自分の立場を認めたがりませんけれども、ちゃんとそれに気がついてはいるのです。主人のなかには、ふつうの人間と病人とが、つまり二つのまるで違う性質があって、いろいろな奇妙な言動も、その矛盾から起こると考えれば充分に説明がつけられるのです! それに、心配するのも無理はありません。もしそういうことになったら、ここではなにもかもうまく運ばなくなりますもの。あなたはきっと、わたくしが一家の母親として、頭上を舞う鳶《とび》から子供たちを保護することにかかりきりになっているとお思いになったかもしれませんわね。それだけでもたいへん骨の折れる仕事ですのに、モルソーフの要求するいろいろな世話が、その上にさらにつけくわわるのです。なにしろ、主人ときたら、しじゅう『奥さんはどこだ?』と尋ねまわっているありさまなのですから。でも、それだけならなんでもありません。わたくしはジャックの家庭教師の役もしますし、マドレーヌの保母の役もしなければなりません。いいえ、それだけなら、まだなんでもありませんわ! わたくしは執事の仕事まで、管理人の仕事までやらなければならないのです。そのうち、ここの土地を開発することが、このうえなく骨の折れる仕事だとおわかりいただければ、わたくしの申しあげる言葉の大きな意味も、いつかは理解していただけるだろうと思います。わたくしどもには、現金の収入はほとんどありませんし、農場は半小作になっているのですが、この方式だとたえず監視している必要がありますの。穀物も、家畜も、あらゆる種類の作物も、すべて自分で売らなければなりません。それに競争相手が自分の小作人たちときていますし、この人たちは居酒屋で買手と話をつけて、自分たちの作物はまずさきに売ってしまってから、わたくしたちの分の値段をつけたりするのです。こんなふうに、ここでの農業のやりにくさをいろいろお話ししても、あなたにはわずらわしいだけでしょうけれど。とにかく、わたくしがどんなに一生懸命になっても、小作人たちが自分たちの畑の収穫をますために、わたくしどもの堆肥《たいひ》を使っていないかどうか、そこまでとても監視してはいられません。それにまた、差配の男たちが収穫の分配のときに、小作人たちとしめしあわせたりしないかどうか、わざわざ出かけていって見ているわけにもいきませんし、作物を売るのにいちばん適当な、頃あいの売りどきというのもよくわかりませんの。ところが、モルソーフの記憶力の悪いこと、家のことに関心をもたせるためには、わたくしがじつにいろいろ苦労しなければならないということ、そういうことをお考えになれば、すぐ納得していただけると思いますが、わたくしの負担はたいへん重いものですし、一瞬たりともそれを投げすてることはできないのです。わたくしがちょっとでも留守にしようものなら、それこそ破産してしまうでしょう。主人の言うことを聞く者など、一人もおりません。たいていの場合、主人の言いつけは食いちがっているからですの。それに主人に好意をもつ者など、一人もおりません、むやみに小言ばかり言いすぎますし、わがままを押し通しすぎるからですの。それにまた、気の弱い人というのはみんなそうですが、主人も目下《めした》の者の言葉にすぐ耳を籍するものですから、雇人たちの心を一つに結びつけるだけの強い情愛を、自分のまわりにひきつけることができないのです。もしわたくしが出かけたら、どんな召使いだって、一週間とここに残ってはいないでしょう。これではっきりおわかりいただけたことと存じますが、わたくしは、ちょうどわたくしどもの屋根の上に、鉛の花束がああしてしっかりくっついているのと同じように、クロシュグールドにしっかり縛りつけられておりますの。あなたには、これまでなにひとつとして隠しだていたしませんでした。この土地の方々は、どなたもクロシュグールドの秘密はご存じありませんのに、いま、あなただけは、その秘密をすっかり知っていらっしゃいます。くれぐれもお願いしておきますが、どうぞここのよい点、好ましい点しか人にはおっしゃらないようにしてくださいませ。そうすれば、ほんとにごりっぱだと尊敬もできますし、心から感謝をささげられることと思います」それから彼女は優しい声でこう言いそえました。「そのかわりに、これまでどおりクロシュグールドにおいでいただいてけっこうですし、親しくおつきあいできるはずだと存じます」
「しかし」と私は言いました。「しかし、ぼくなどまるで苦しんだことがないようなものです! あなただけが……」
「いいえ、そんなことはありませんわ」彼女は花崗岩《かこうがん》さえ割れんばかりの、あの忍従した女性独特の微笑をもらしながらまた語りだしました。「こんな打ち明け話に、あまりびっくりなさらないでください。こういう話のなかに示されているのは、あるがままの人生というものなのですわ。それはあなたがご自分でご想像になって、こういうものであってほしいと望んでおられる人生とはちがうかもしれません。わたくしたちは、みんなそれぞれ欠点もあり長所もあります。もしわたくしがどこかの浪費家と結婚していたら、きっと無一文にされてしまっていたでしょう。もし情熱的で享楽好きな若い方のところに嫁いでいたら、きっと夫はほうぼうで艶福にめぐまれ、わたくしはたぶん夫をひきとめることができず、夫に捨てられて、嫉妬で死ぬような思いをしていたことでしょう。わたくしって、たいへん嫉妬ぶかい女なのです!」通りすぎていく激しい雷雨の雷鳴を思わせるような、興奮でたかぶった語調で彼女はそう言いました。「それにくらべれば、モルソーフは精いっぱいわたくしを愛してくれています。心のなかに容れられるかぎりの愛情を、すっかりわたくしの足もとに注ぎかけてくれます。ちょうど、マクダラのマリアが残っている香油を、すっかり主の足もとに注ぎかけたように。わたくしははっきりそう信じておりますが、愛情の生活というものは、地上の掟にとってはどうにもならない例外なのですわ。どんな花だってかならず色あせますし、大きな喜びにも好ましくない明日という日がやってくるものです。それも、明日という日がある場合のことですけれど。現実の人生というのは、つまりは苦しみの人生なのです。人生の姿はこのイラクサのなかに、こんな築山《つきやま》の下にはえて、日光もあたらないのに、茎を伸ばして緑色に育っているこのイラクサのなかに、はっきりあらわれています。北の国と同じように、ここでも、空が晴ればれとほころびることもありますし、それはほんのときたまのことかもしれませんが、それでも苦労の埋めあわせにはなってくれます。それにまた、ただひたすら母親であるような女は、快楽によってではなく、むしろ犠牲によって、精神を集中するものなのではないでしょうか? ここで、使用人たちや子供たちの上に嵐が襲いかかりそうになると、わたくしは、すぐそれを自分のほうにひきつけるようにしてますの。そうして、その嵐をそらしてしまうと、なにか自分でもよくはわかりませんが、ひそかな力をあたえてくれる感情がわきだしてくるのです。いつだって、前日のあきらめでもって、翌日のあきらめの準備はちゃんとできておりましたの。そればかりでなく、神様のおかげで、いまのわたくしにも、さきざきの希望がないわけではありません。はじめのうちは、子供たちの健康はとても見込みがないと思っていましたが、いまでは、二人とも大きくなるにつれて、だんだん丈夫になってきます。けっきょくのところ、わたくしどもの住居も以前よりはきれいになりましたし、財産もなんとか持ち直してまいりました。わたくしの力で、モルソーフの老後が幸せにならないものでもありません。わたくしはそう信じきっておりますが、緑の棕櫚《しゅろ》を手にたずさえて裁きの神の前に出ていく人間が、昔は生を呪っていた人々を、慰めで心のやわらいだ人としていっしょに伴なっていったとしたら、その人物は昔の苦しみをみごとに歓喜に変えた、と言ってもよろしいですわね。わたくしの苦しみが、家族の者の幸福にとってなにかの役に立つとすれば、はたしてそれが苦しみでしょうか?」
「それはそうです」と私は言いました。「そういう苦しみは、ぜひとも必要なものだったのです。ちょうど、ぼくたちの岩山に熟した果実の味がぼくがほんとに賞味できるようになるには、ぼくのこれまでの苦しみがぜひとも必要だったのと同じことです。いまこそ、ぼくたちはその果実をいっしょに味わうこともできそうですし、その驚嘆に値いする味や、魂にあふれんばかり滲《し》みわたるその愛情の流れや、黄ばんだ葉をもよみがえらせるその樹液を、たぶんいっしょに賞味することもできそうです。そうすれば、人生はもう重荷ではなくなりますし、ぼくたち二人だけのものでもなくなります。――ああ! ほんとうに、ぼくの申しあげる意味がわかっていただけませんかしら?」私たち二人の受けた宗教教育のせいで、二人ともすっかり慣れっこになっている神秘主義の用語を使って、私はさらにこう言葉をつづけました。「ねえ、考えてみてください、ぼくたちがどんな道を通って、お互いに歩みよってきたかを。どのような磁力に導かれて、苦い水にみちた大海の上を渡ってきたか、そして甘い水のわきだす泉、花の咲き乱れた緑の岸辺のあいだを縫って、山々の麓《ふもと》の砂金のきらめく砂原を流れていく泉のほうに近づくことになったか、考えてみてください。あの東の三博士のように、ぼくたちは同じ星を追ってきたのではないでしょうか? ぼくたちはいま、神の子が目ざめようとしている秣桶《まぐさおけ》を前にしているのです、やがては葉の落ちた木々にむかって矢を射かけ、その喜びの叫び声で世界をよみがえらせ、たえまのない楽しさで生活に味わいをつけ、夜には夜の眠りを、昼には昼の歓喜を返してやるはずの神の子が、いましも目ざめようとしている秣桶の前に。毎年毎年、ぼくたちのあいだに新しい結び目をきっちり結んでくれたのは、いったい誰だったのでしょう? ぼくたちは、姉弟《きょうだい》以上のものではないでしょうか? 天なる神によって結びつけられたものを、ほどこうなどとはなさらないでください。いまうかがったさまざまな苦しみも、播種《はしゅ》の神の手によって、やがて収穫を実らせるべく大量にまかれた麦粒だったのであり、それがすでにこよなく美しい陽ざしを受けて、金色に実っているのです。ねえ、いっしょにすこしずつ摘《つ》んで、すべてを刈りとろうではありませんか? こんなことを思いきってお話しできるくらいですから、ぼくのなかには、じつに大きな力があふれているのです! どうか、答えてください! でなければ、ぼくは今後もうアンドル川を渡らないことにします」
「恋《ヽ》という言葉は避けてくださいましたが」彼女は厳しい声で私をさえぎりながら言いました。「しかし、あなたがお話しになっておられるのは、わたくしのまるで知らない、そしてわたくしには許されない感情のことなのですわ。あなたはまだ子供でいらっしゃいます、これまでのところは許してさしあげますが、でもこれが最後でしてよ。よくご承知おきねがいたいのですが、ようございますか、わたくしの心は、母親としての気持ちだけでもう酔ったようになっているのです。わたくしは社会の義務とか、永遠の至福を得たいという思惑などからモルソーフを愛しているわけではなく、わたくしの心のすみずみに主人を結びつけようとする、どうにも抑えきれない気持ちがはたらいているだけなのです。はたから強いられて結婚したわけでもございません。不幸な人にたいする同情の気持ちから、結婚しようと決心したのでした。時世の禍《わざわい》を償ったり、戦野を駆けめぐって傷ついて帰ってきた人々を慰めたりするのは、女のなすべき務めではないでしょうか? こう申してはなんですが、あなたが主人を楽しませてくださるところを見ながら、わたくしは、なにかしら利己的な満足感を感じておりましたの。これは純粋な母性愛ではございませんかしら? さきほどの打ち明け話で、わたくしには三人《ヽヽ》の子供がいるということ、絶対に目をはなしてはならないし、しじゅう力づけの露をかけてやったり、ほんのわずかな曇りもまじえずに、わたくしの魂の光をそのまま投げかけてやったりしなければならない、そんな三人の子供がいるということは、充分におわかりいただけるのではないでしょうか? どうか、母親の乳を酸《す》っぱいものにしないでくださいませ! わたくしの心のなかでは、人妻だという自覚はけっして傷つきようのないものになっておりますけれども、でもとにかく、そういうお話しはもうなさらないでくださいませ。こんな簡単な禁止事項もまもっていただけないのでしたら、あらかじめ申しあげておきますが、絶対にこの家に立ち入っていただかぬようにしなければなりません。わたくし、これまでただ純粋な友情だとばかり、無理に押しつけられた姉弟《きょうだい》愛などよりずっと確実な、自発的なお気持ちからの姉弟愛とばかり思いこんでおりましたのに。思いちがいでしたのね! わたくしは、裁き手ではないようなお友だち、叱りつける声が責め殺そうとする声に聞こえるようなこういう弱気にとりつかれたときに、わたくしの話を聞いてくださるお友だち、なにも恐れる必要のない聖者のようなお友だち、そういうお友だちがほしかったのです。若さというものは気高くて嘘がなく、喜んで他人の犠牲にもなれるもの、無私無欲なものなのですわね。あなたが辛抱強くきてくださるのを見ているうちに、はっきり申しあげますと、わたくし、これはなにか神さまのおはからいだと信ずるようになりましたの。司祭さまが世間のすべての方々のものであるのと同じように、わたくし一人のものになってくださる方、苦しみがあふれんばかりになったときには、その苦しみを心ゆくまで打ち明けられる方、そして泣き叫びたい気持ちを抑えかね、それをじっとこらえると息がつまりそうなときには、思いきり泣かせてくださるような方、そんな方になっていただけるだろうと信じておりましたの。そうすれば、あの子供たちにとってはじつに貴重なわたくしの生命も、ジャックが一人前になる日まで、どうやらひきのばすことができますでしょう。でも、これではあんまり身勝手すぎるのでしょうね? ペトラルカのロール〔イタリアの詩人ペトラルカの詩に歌われた永遠の恋人〕は、二度繰りかえすことができるものなのでしょうか? わたくしがまちがっていたのですわ。神さまも、そんなことをお望みではないのですもの。わたくしは、わたくしの持場で、ただ一人で死ななければならないのでしょうね、味方のいない兵士のように。懺悔《ざんげ》を聞いてくださる司祭さまは、冷たい厳格いっぽうの方ですし、それに……それに、伯母はもうおりませんし」
大粒の涙が二つ、月の光に照らされて彼女の目からあふれ、頬をつたわり、頬の下のあたりまで流れてきました。が、その瞬間、私は頃あいをはかって手をさしのばしたので、その涙を受けとめることができました。そして、十年にわたるひそかな涙と、すりへらされた感じやすい心と、たえまのない心づかいと、間断のない不安とに裏づけられたこの言葉、あなたがた女性のもっとも崇高な克己心がみちあふれたこの言葉によって、私は敬虔な渇望をかきたてられながら、その涙を飲みほしたのでした。彼女は、優しさのこもった呆然《ぼうぜん》とした風情《ふぜい》で、私の顔をみつめました。
「これこそ」と私は言いました。「これこそ、愛の最初の聖体拝受、神聖なる聖体拝受です。そうですとも、ぼくはいまこそあなたの苦しみをともに分けもち、あなたの魂と一つに結びついたのです。ちょうど、キリストの聖体を飲みほすことによって、ぼくたちがキリストと一つに結びつくのと同じように。希望なくして愛することも、これまたひとつの幸福なのです。ああ! いまこの涙を吸いこんだ喜びに匹敵する大きな喜びは、この世のどのような女性によっても、あたえられるはずはありますまい! ぼくにとって、けっきょくは苦痛となるにちがいありませんが、ぼくはそのお約束を承諾いたします。ぼくはなんの下心もなしにあなたに身を捧げ、それがどういうものであれ、あなたの望まれるとおりの人間になるつもりです」
彼女は手まねで私の言葉をさえぎり、深みのある声でこんなふうに言いました。
「わたくしたちを結ぶ絆《きずな》を、けっしてこれ以上強くはするまいとしてくださるなら、わたくしもこのお約束に同意いたしますわ」
「大丈夫です」と私は言いました。「でも、ぼくにあたえてくださるものが少なければ少ないほど、それをいっそう確実に所有しなければならないというわけですね」
「最初からもう疑ってらっしゃるのね」彼女は疑われる悲しみをありありと顔にあらわしながら、そう答えました。
「いいえ、そうではありません。ただ純粋に楽しみたいからこそ、そんなふうに考えるのです。ところで、ひとつお願いがあるのですが、ぼくたちの捧げあっている感情は、ほかの誰にもかかわりのないはずのものなのですから、名前もほかの人の使わないようなものにきめていただきたいのです」
「まあ、ずいぶん大変なことですのね」と彼女は言いました。「でも、わたくし、あなたの考えておられるほど心のせまい女ではありませんのよ。モルソーフは、わたくしのことをブランシュと呼んでいます。この世でただひとりだけ、それはわたくしがいちばん好きだった人ですけど、あの大好きな伯母だけは、わたくしをアンリエットと呼んでいました。ですから、わたくしは、あなたにたいしてだけ、もう一度アンリエットになることにいたしましょう」
私は彼女の手をとって、それに接吻しました。女性を私たちよりはるかに優ったものとするあのすっかり信じきった態度で、彼女は私のなすがままにまかせていましたが、こういう信頼の態度こそ、私たちを圧倒しさるものなのです。彼女は煉瓦《れんが》の手摺垣根《てすりかきね》によりかかって、アンドル川をみつめました。
「これではいけないのではないかしら?」と彼女は言いました。「最初から一足飛びに、いきなり最後のところまでいってしまうわけですもの。けがれのない気持ちでさしだした盃《さかずき》を、最初の一息で、すっかり飲みほしてしまわれたわけですもの。でも、嘘偽りのない感情というものは分割ができず、全部が一体となるか、でなければ存在しないか、そのどちらかなのですわね。モルソーフは」彼女はしばらく間を置いてから、こうつづけました。「なによりもまず信義に厚く、自尊心の高い人なのです。ことによると、あなたはわたくしのために、モルソーフが口にしたことを忘れようとしてくださるかもしれません。でも、主人があのことをなにも覚えていなくても、明日になったら、わたくしから申しておきます。どうかしばらくのあいだ、クロシュグールドへお見えにならないでくださいませ。そうすれば、主人はあなたをいっそう尊敬するようになりますでしょう。今度の日曜日、教会からの帰りがけに、主人のほうからあなたをお訪ねすることになるでしょう。わたくしにはよくわかっておりますが、主人はきっと自分の落度はお詫びした上、自分の言動に責任をとる人間として扱っていただけたことで、あなたをいっそう好きになるだろうと思います」
「五日間もですか、あなたに会わずに、あなたの声も聞かずに!」
「今後わたくしになにかおっしゃるときには、そんな熱っぽい言いかたをなさらないようにしてくださいませね」
私たちは、黙々として築山《つきやま》のまわりを二度歩きました。それから、私の魂をしっかりとつかんでいることを証《あか》しだてる命令の口調で、彼女はこう言いました。
「もう遅くなりましたわ、これでお別れしましょう」
私が手に接吻しようとすると、彼女はためらったすえ、やっとその手をとらせてくれました。そして、哀願するような口調でこう言いました。
「わたくしのほうからさしだしたとき以外、手をおとりにならないでくださいませね。わたくしに自由意志を残しておいてくださいね。さもないと、わたくし、あなたの所有物みたいになってしまいますもの。そうなってはいけないことですのに」
「では、さようなら」と私は言いました。
彼女があけてくれた下のほうの小さな門から、私は外へ出ました。彼女はいったんその門をしめかけてから、もう一度それをあけ、私のほうに手をさしだしながらこんなふうに言いました。
「ほんとうに、今夜はずいぶん親切にしてくださいましたわね。わたくしの将来も、すっかり慰めていただけましたわ。どうぞ、この手をおとりになって、どうぞ!」
私は、何度も繰りかえして、その手に接吻しました。そして視線をあげると、彼女の目には涙がうかんでいました。彼女はまた築山の上にのぼって、しばらくのあいだ牧草地を横ぎっていく私の姿を見送っていました。フラペールに通ずる道に出たときにも、月光に映《は》える彼女の白い服がまだ見えていました。やがて、しばらくすると、彼女の部屋に灯りがともされました。
「ああ、ぼくのアンリエット!」私はそっとつぶやきました。「かつてこの地上に輝いた愛のなかでも、もっとも純粋な愛をあなたに捧げるのだ!」
一足ごとにうしろをふりかえりながら、私はフラペールに帰りつきました。心のなかには、なにか言いしれぬみちたりた思いがあふれていました。あらゆる青年の心にみなぎっている献身的精神、私の場合はじつに長いあいだ活動力を欠いたままであった献身的精神にとって、一つの輝かしい道がいまようやくひらけたのです! わずか一歩の歩みで、一挙に新しい生涯に踏みこんだ司祭さながらに、私はそれこそ全身を捧げつくすことになったのです。「ええ、奥さま!」というただの一言によって、抑えがたい恋心を自分一人の心のなかに秘めておくこと、そして友情につけこんでこの女性を少しずつ恋にひきいれたりしないことを、私はしかと約束することになったのでした。高貴な感情がことごとく目ざめて、私の心のなかに、その錯雑とした声が聞きとれるようになりました。
窮屈な部屋にもどる前に、私は体の奥底からこみあげてくる喜悦にひたりつつ、一面に星をまきちらした大空の下にたたずみ、胸のなかにまだ残っているあの傷ついた山鳩の歌声、あの率直な告白の飾り気のない口調に耳を傾け、そのことごとくが私のもとに届いてくるあの魂の発散物を、あたりの空気のなかに集めたいと思いました。徹底した自己放棄、傷ついたもの、弱いもの、苦しむものにたいする真情のこもった配慮、法に定められた絆《きずな》などに縛られずに献身する態度ゆえに、私の目に、この女性はいかばかり偉大にみえたことでしょうか! 聖女の火刑台、殉教者の火刑台の上に、彼女は静かにたたずんでいるのでした! 私は、闇のなかにまざまざと見える彼女の姿を驚嘆して眺めていましたが、そのとき突如として彼女の語った言葉のなかにある一つの意味、私にとって、彼女を間然《かんぜん》するところのないほど崇高なものとした神秘的な意義が、はっきり読みとれたような気がしました。おそらく、彼女は自分が子供たちに果たしている役割と同じものを、私が彼女にたいして果たすようになってほしいと望んでいたのでしょう。自分の力となり慰めとなるものを私のなかからひきだし、自分と同じ圏内、同じ線上に、もしくはもっと高いところに私を位置させたいと望んでいたのでしょう。二、三の大胆なる世界像の建設者の言うところによると、さまざまな天体も、やはりこうして運動と光を互いに伝達しあうものなのだそうです。そういう考えが、私を突如として至純の高みにひきあげました。私は昔の夢想の天空にふたたび舞いあがり、少年時代のさまざまな苦痛も、いまこうして浸っている測りしれない幸福を得るためだったのだということが、まざまざと理解できました。
涙のなかに消え失せた精霊、顧みられることなかった心の持主たち、世に知られていない聖なるクラリッサ・ハーロウ〔イギリスの小説家リチャードスンの同名の書簡体小説の女主人公。彼女はもともと清純な魂の娘だったが、家族にさんざん虐待されたあげく、不幸な結婚を強制されたために家出し、恋人の庇護を求める。しかし、その恋人によって売春婦として売りとばされ、清純な魂をいだきながら倫落の生活に陥って自殺する〕たち、親に否認された子供たち、無実の罪に追われた人々、あなたがた、荒涼たる砂漠を経て人生に足を踏みいれた人々よ、いたるところで冷たい顔、閉ざされた心、ふさがれた耳に出会った人々よ、ゆめゆめ悲嘆にくれてはならないのだ! あなたがたのために一つの心がひらき、一つの耳があなたがたの言葉に耳を傾け、一つの視線が答えてくれるその瞬間に、無限の歓喜を知ることができるのはあなたがただけなのだ。そのたった一日が、逆境の日々を消しさるのだ。苦しみも、瞑想も、絶望も、また過ぎさりはしても忘れ得ぬ憂愁も、それぞれが絆《きずな》となって、心を打ち明けた相手の魂とおのが魂を結びつけるのだ。我々の抑えつけられた欲望のせいで、いちだんと美化された一人の女性が、そのとき、かつて失われた嘆息や恋を受けつぎ、すべての裏切られた愛情をいっそう大きくして我々に返還し、それまでのもろもろの悲しみは、この魂の婚約の日に彼女があたえてくれる永遠の至福のために、運命が要求した平衡補足金であったことを解きあかすのだ。この聖なる愛に名づけるべき新しい名を述べ得るものといえば、わずかに天使たちがいるばかりだが、それと同じように、貧しく孤独な私にとって、モルソーフ夫人が突然にどのようなものになったかを知ってくれるのは、わずかにあなたがただけなのだ、あなたがた親愛なる殉教者だけなのだ!
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初恋
この場面が演ぜられたのは火曜日のことでしたが、私は日曜日がくるまで、散歩のときもアンドル川を渡らずにじっと待ちつづけました。この五日のあいだ、クロシュグールドでは、幾つかの大きな事件が起こりました。伯爵は少将に任ぜられ、サン=ルイ十字章〔一六九三年にルイ十四世が設定した勲章〕と四千フランの年金とを授けられました。ルノンクール=ジヴリー公爵は上院議員に任命され、二つの森林の所領を回復し、ふたたび宮廷に出仕することになりましたが、その夫人のほうも、公売を免れて王室料有地の一部に繰りいれられていた旧資産を取りもどすことになりました。モルソーフ伯爵夫人は、こうして、メーヌ州でもっとも裕福な相続資産所有者の一人になったわけです。彼女の母親は、ジヴリー家の領地の収入のなかから貯えた十万フランを、夫人のもとへ持参してきました。これはつまり、それまでまるで支払われたことのない夫人の持参金の総額というわけですが、伯爵は窮乏していたにもかかわらず、そのことは一度も口にしたことはありませんでした。外面生活に関することがらにかけては、この人物の言動は、あらゆる無私無欲さのなかでももっとも高潔なものを示していたのです。この金額に自分の貯えをつけたして、伯爵は、年収約九千フランの価値のある隣の二つの地所を買うことができました。彼の息子は将来祖父の爵位を継ぐことになるわけでしたから、伯爵はそのときふいに、両家の領有地の不動産からなる世襲財産を息子のために設定しておいてやろうと思いたったのですが、マドレーヌのほうはルノンクール公爵の寵愛によって、たぶんりっぱな結婚ができるだろうから、この財産設定によっても、べつに損害をこうむることはあるまいと考えたのです。このようなさまざまな処置を講じたことと、このような幸運がめぐってきたことによって、この亡命貴族の心の傷口にもいくばくかの慰めの香油が注がれたのでした。
ルノンクール公爵夫人のクロシュグールド訪問は、この地方では一つの大事件となりました。この夫人が身分の高い貴婦人であることを、私はせつない気持ちで考えていましたが、するとそれまで感情の気高さの蔭に隠れて私の目にはとまらなかった身分意識が、その娘のなかにもひそんでいることに気がつきました。勇気と能力以外なんの未来もない貧しい私など、まったくとるにたりないものではないのか? 私は自分にとっても、また他人にとっても、王政復古の影響がどうなるかということなど考えてみたこともなかったのです。
日曜日になると、私はシェッセル夫妻やケリュス神父といっしょに教会へ出かけていき、あらかじめ予約してある礼拝室に坐って、そこから公爵夫人、その娘、伯爵、子供たちなどが席を占めているもう一つの脇《わき》の礼拝室のほうに、むさぼるような視線を投げかけました。私の偶像を私の目から隠している麦藁《むぎわら》帽子は揺れうごく気配も見せず、私のことなどすっかり忘れきったその態度は、過去のあらゆる瞬間にもまして私の心を激しくひきつけるように思われるのでした。この高貴な身分であるアンリエット・ルノンクール、いまや私の愛するアンリエットであり、その生活を私が花で飾りたてたいと願っているこの女性は熱心に祈りを捧げていました。信仰によって、彼女の態度にはなにかしら深く没入しているような、篤くひれふしているような感じがただよい、宗教的な彫像さながらのその姿勢は私を深く感動させました。
田舎の村落の教会の習慣にしたがって、晩祷《ばんとう》はミサがすんでしばらくしてから唱えられることになっていました。教会を出ると、シェッセル夫人は当然のことながら、この暑いなかを二度もアンドル川を渡ったり牧草地を横切ったりなさらないで、フラベールで二時間ばかりお待ちになったら、と隣人たちに勧めました。この申し出はこころよく受けいれられました。シェッセル氏は公爵夫人に腕を貸し、シェッセル夫人は伯爵の腕を借り、私は伯爵夫人に腕をさしだすことになったので、私ははじめてその美しくて若々しい腕を、自分の小脇にまざまざと感じとることができました。教会からフラベールへもどる道は、サッシェの森を抜けていく道筋にあたり、そこでは木々の葉のあいだからこぼれる光が、小|径《みち》の砂の上に、さながら華やかな色彩をつけた絹布《けんぷ》にも似た美しい光線の模様をつくりだしているのでしたが、その道をたどりながら、私は誇らしい感覚とさまざまな思いに捕えられて、胸の鼓動を激しく高鳴らせずにはいられませんでした。
「どうなさいましたの?」私のほうは沈黙を破ろうという気になれなかったので、二人ともしばらくだまって歩いていきましたが、やがて彼女がそう言いました。「心臓の鼓動がとても早くなってらっしゃいますわ……」
「聞くところによると、いろいろお幸せなことがあったそうですね」と私は言いました。「それで、深く愛する人間はみんなそうであるように、ぼくもなんとなく心配なのです。偉くおなりになったことが、友情の差し障《さわ》りになったりはしますまいね?」
「わたくしが?」と彼女は言いました。「まあ、とんでもないことですわ! もう一度そんなことをお考えになったら、いいえ、わたくし、あなたを軽蔑したりはいたしませんわ、あなたのことなど永久に忘れてしまいますわ」
私は陶酔したようになって彼女の顔をじっとみつめましたが、その気分は彼女にも伝わったにちがいありません。
「わたくしどもは、法に定められた特典に預かってはおりますが、べつにこちらから運動したり要求したりしたわけではございませんし、今後も物乞いしたり欲ばったりはいたしませんわ。それに、あなたもご存じでしょうけれど」と彼女は言葉をつづけた。「わたくしもモルソーフも、クロシュグールドを離れることはできませんの。わたくしの助言を受けいれて、主人は赤衣部隊〔国王の側近の警護にあたる近衛部隊〕で指揮をとる権利を辞退させていただきました。わたくしどもとしては、父が官職についてくれればそれで充分ですもの! しょうことなしにつましい生活をしてきましたけれども」悲しそうに微笑をうかべて、彼女はそう言いました。「それがいままで、子供のためにずいぶんと役に立ってきました。国王陛下は、父が側近としてお仕えしておりますので、かたじけないことには、わたくしどもが望まないのなら、その恩典はジャックにまわすようにしよう、と仰せられたそうですの。ジャックの教育のことも、ぜひとも考えねばならなくなってきましたので、それがいま重大な論議の的なのです。なにしろ、あの子は、ルノンクール家とモルソーフ家の二つの家門を相続することになるのですから。わたくしとしては、あの子のこと以外に野心などもちようがありません。そこで、心配がますます大きくなっていくのです。ジャックは無事に生きていかねばならないだけではなくて、その上、家名にふさわしい人間にもならねばなりませんから、二つの矛盾した義務が課されているというわけですわ。いままでのところは、あの子の体力に応じて勉強をかげんしていましたから、わたくしの力でも、まあ充分あの子の教育に間にあってまいりましたけど。でも、まず第一の問題として、わたくしの気にいる家庭教師がいったいどこでみつかるでしょうかしら? それにこれからさき、あの恐ろしいパリで、あらゆるものが魂にとっての罠《わな》となり、肉体にとっての危険となるあのパリで、いったいどんなお友だちに、あの子を保護していただけるでしょう? あなたの」彼女はしみじみした声でそう言いました。「あなたのお顔や目を拝見すれば、いまにきっと高い地位にお就《つ》きになるはずの方だということは、誰だって見ぬけますわ。どうか高々と飛躍なさって、わたくしどものいとしい子供の保護者になってやってくださいませ。どうか、パリへお出になってくださいませ。お父さまやお兄さまが援助してくださらないようでしたら、わたくしたちの家族の者が、とりわけ母などはそういうことにかけては達者ですから、かならずお力になれると存じます。どうぞ、わたくしども一家の勢力をご利用なさってください! そうすれば、どんな道を選ばれても、まちがいなくお力添えもご援助もできるはずですわ! ですから、その余っていらっしゃる力を、気高い大望《たいもう》のほうに注いでくださいませ」
「わかりました」と私は彼女の言葉をさえぎって言いました。「大望《たいもう》がぼくの恋人になるわけですね。そんなことを必要とするまでもなく、ぼくのすべてはあなたに捧げつくしています。とんでもありませんよ、あちらでの好意でもって、こちらでの分別《ふんべつ》に報いていただくことなどぼくは望んでいません。ぼくはいきます、ひとりで、自分だけの力で、ぼくは偉くなります。あなたからならば、どんなことでも受けいれましょう。でも、ほかの人からはなにも望みません」
「子供じみたことをおっしゃって!」彼女は小声でそうつぶやいたものの、満足そうな微笑はやはり抑えきれませんでした。
「それに、ぼくはもう身を捧げきっているのです」と私は言いました。「ぼくたちの立場をよく考えた上で、絶対にほどけぬような絆《きずな》でもって、あなたと結びつくことをぼくは考えたのです」
彼女はかすかに身ぶるいし、立ちどまって私の顔をじっとみつめました。
「それはどういう意味ですの?」前を歩いている二組は遠ざかっていくままに任せ、子供たちだけをそばにひきとめて、彼女はそう言いました。
「それでは」と私は答えました。「どんな愛しかたをぼくに望んでらっしゃるのか、どうか率直におっしゃってください」
「伯母と同じような愛しかたで、わたくしを愛してくださいませ。わたくしの呼名のなかから、伯母がとくに選んだ名前でもって呼んでいただくようにしたのですから、あなたには伯母と同じ権利をさしあげたわけですもの」
「では、ぼくは希望もなく、完全に身を捧げきって愛するというわけですね。ええ、そうしましょう、人間が神のためにすることを、ぼくはあなたのためにやりましょう。あなたはそう要求なさったのでしょう。ええ、ぼくは神学校へはいりましょう、そこを卒業して司祭になって、ジャックを育てましょう。あなたのジャックも、もう一人のぼくみたいになるでしょう。政治観も、思想も、活力も、忍耐力も、ぼくはあらゆるものをジャックにあたえましょう。そんなふうにすれば、ぼくがずっとあなたのそばにいても、ぼくの愛情、まるで水晶のなかの銀の像のように宗教のなかにすっかりはめこまれたぼくの愛情も、嫌疑をかけられずにすむというわけでしょうね。男の心を捕えるあの途方もない激しい情熱、ぼくももう一度はそれに屈服したわけですが、あの激しい情熱にたいしても、あなたが心配なさる必要はぜんぜんないわけですよ。ぼくはその情熱の炎のなかで身を焼きつくし、清められた愛であなたを愛することになるでしょうからね」
彼女は蒼白になり、早口でこう言いました。
「フェリックス、さきざきあなたの幸福の障害になるような束縛で、ご自分を縛りつけたりなさらないで。そんな自殺行為の原因になったりしたら、わたくしは死ぬほど悲しい思いをするでしょう。ほんとに子供みたいな方ねえ、いったい愛の絶望がそんなにすぐ神への献身になるものですの? 生涯のことをおきめになるには、いろいろな試練を待たなければいけませんわ。わたくしはそうしていただきたいと思いますし、そう命令もいたしますわ。教会と結婚なさってもいけないし、女の方と結婚なさってもいけません、とにかくどうしても結婚なさってはいけません、わたくしがそれを禁止いたします。どうか自由のままでいらしてください。あなたはまだ二十一歳ですもの。将来どんなことが起こるものやら、あまりよくわかってらっしゃらないのですわ。ほんとうに、わたくし、あなたという方について思い違いをしていたのかしら? でも、わたくしとしては、二か月もあればある種類の人々の気心なら、充分に見きわめられると思ってましたのに」
「いったい、どんなことを望んでらっしゃるのです?」私はきらきら目を輝かしながらそう言いました。
「どうかわたくしのお力添えを受けいれてください、高い地位にお就きになり、ご栄達をお遂げになってください。そうすれば、わたくしの望みもわかっていただけるでしょう。とにかく」思わず心のなかの秘密をもらしたようなようすで、彼女はこう言いました。「マドレーヌの手をけっしてお離しにならないでくださいませ、いまそうやって握ってらっしゃるマドレーヌの手を」
彼女は私の耳もとに顔を寄せてそう言ったのですが、その言葉は、彼女がどんなに私の将来のことに心を砕いているか、はっきりと証しだてていました。
「マドレーヌを?」と私は言いました。「ええ絶対に!」
この二つの言葉が、私たちをふたたび興奮にみちた沈黙のなかに投げこみました。永遠の刻印を残すようなやりかたでもって、魂に深い溝を掘りこんでいくあの激しい動揺が、私たちを捕えました。ちょうどフラベールの庭園にはいる木の門が見えるところまできていましたが、蔓草《つるくさ》や、苔や、雑草や、茨に覆われたその二本の朽《く》ちかかった門柱が、いまもありありと見えるような気がします。突如として、一つの考え、伯爵の死という考えが、矢のように私の脳裡《のうり》をかすめました。で、私はこう言いました。
「おっしゃることはわかりました」
「それならけっこうですわ」彼女はそう答えましたが、私はその語調から、彼女がけっしていだくはずのない考えを自分が勝手に臆測《おくそく》したのだということを、はっきり悟らされたのです。
彼女の貞淑さに私は思わず感嘆の涙を催しましたが、情熱のエゴイズムのせいで、その涙もすこぶる苦いものになりました。私はわれとわが心を反省しながら、彼女が私を愛してくれているにしても、その愛を貫くために自由の身になりたいとまで願っているわけではないのだ、と私は考えました。愛が罪にぶつかってたじろぐかぎり、私たちには、その愛に限界があるように思われるものなのです。そして愛とは無限のものでなければなりません。私は胸を激しくしめつけられました。
「彼女はぼくを愛してはいない!」私はそう考えました。
心のなかを読みとられないように、私はマドレーヌの髪の毛に接吻しました。
「ぼくはあなたのお母さまがこわいのです」話をつづけるきっかけをつかもうとして、私は伯爵夫人にむかってそう言いました。
「わたくしもですわ」ひどく子供っぽいしぐさをしながら彼女はそう答えました。「でも、母にはいつも公爵夫人と呼びかけて、最上の敬語で話しかけることをお忘れにならないでくださいね。このごろの若い方々は、そういう礼儀正しい作法の習慣をなくしてらっしゃいますけど、どうかそれをとりもどしてくださいませ。わたくしのために、そうなさってくださいませね。それに、どんな年齢の相手であろうと、女性を尊敬するということや、社会的な身分の相違というものをはっきり認めてそれに疑問をもったりしないということは、たいへんりっぱな嗜《たしな》みですわ! はっきり目上と定められた人々に敬意をあらわすことは、あなたに当然払われるべき敬意の保証を受けるということなのではありませんかしら? 社交界では、すべてがお互いに固く結ばれているのです。ロヴェレ家の枢機卿〔ロヴェレ家はイタリアのウルビノの名門の家系。ここではジュリアーノ・デラ・ロヴェレを指す。彼は一四七一年枢機卿の職につき、一五〇三年法王の位にのぼってユリウス二世となり、とくに学芸・芸術の育成に努めたことで有名〕とウルビノのラファエロ〔イタリア・ルネサンス期の画家ラファエロ・サンツィオのこと。ラファエロもウルビノの出身で、前記ユリウス二世の知遇を得て豪華な生活をいとなみ、ウルビノの生んだ偉人として尊敬されていた〕は、昔は同じように尊敬された二大勢力家でした。あなたは学校で大革命の乳をお吸いになったわけですから、あなたの政治上の考えかたには、その名残りが残っているかもしれません。でも、だんだん人生の経験を積んでいかれるうちに、不明確な自由の原理などというものは、民衆の幸福をつくりだすのにいかに無力なものか、あなたにもきっとおわかりになるでしょう。わたくしだって、ルノンクール家の人間という資格でもって、貴族階級とはどういうものか、またどういうものであるべきかなどと考えてみるまでもなく、ただの農民の女としての常識から考えても、社会は階級制度によってはじめて存続するということがわかりますわ。あなたはいま、ぜひともしっかり選ばねばいけない人生の一時期にさしかかってらっしゃるのですわ! どうか、あなたご自身の党派におつきになってくださいませ。とくに」と彼女は笑いながらつけくわえました。「そちらの党派が優勢なときには」
愛情の温かみの蔭に政治的な深さがひそんでいるその言葉に、私は深い感動を受けましたが、この二つのものが結びつくと、女性はじつに大きな魅惑の力を帯びるものなのです。そういう女性たちはみな、このうえなく鋭い推察力に優しい情感の形式を伴わせる術《すべ》を知っているのです。アンリエットは、伯爵の言動をなんとか弁明したいという気持ちがあったので、私が宮廷人の卑屈さのあらわれをはじめて目《ま》のあたりにするさい、かならずや私の心にわきおこるにちがいないさまざまな反応を、あらかじめ見通していたかのようでした。モルソーフ氏は、歴史的な後光にとりかこまれたお城の王者であり、私の目からすれば壮大な大きさを帯びていたわけですが、はっきり申して、その伯爵がどうみてもおもねるような物腰でもって、公爵夫人と自分とのあいだに距離を置いていることに、私はひどく驚かされたのでした。奴隷にも虚栄心はあるもので、伯爵も暴君のなかの最大の暴君にしか従おうとしません。私の恋をすみずみまで支配し、私をふるえあがらせているこの人物の卑屈さを見て、私はまるで自分が辱《はずか》しめられているような気がしました。このような心の動きを通して、私は、高邁《こうまい》な魂をある一人の男に結びつけられ、しかも毎日その男の卑劣さをなんとか表立たすまいとしている女性たちの苦痛のほどを、察することができました。敬意というものは身分の高い者、身分の低い者をひとしく保護する柵のようなもので、この柵の両側にいれば、互いに相手を正視できるはずなのです。私は若年でしたから、公爵夫人にたいして敬意のこもった態度をとりました。しかし、ほかの人々が公爵夫人として見ていたのに反して、私はアンリエットの母として見ていたので、私の尊敬のなかには一種の神聖さがこめられていました。
私たちはフラベールの広い中庭へはいり、先着していた一行といっしょになりました。モルソーフ伯爵がたいへん愛想よく私を公爵夫人に紹介すると、夫人は冷やかな打ち解けない態度で、私をしげしげと眺めまわしました。当時、ルノンクール夫人は五十六歳になっていましたが、まだ完全に若々しさをとどめていて、物腰のひどく大仰な女性でした。碧《あお》い色をしたけわしい目、筋ばったこめかみ、やせぎすの化粧を凝《こ》らした顔、堂々とした姿勢のよい体つき、ほんのときたま見せる仕草、娘のなかにいとも輝かしく再現している淡い鹿子《かのこ》色を帯びた肌の白さ、そういうものを見ているうちに、私は鉱物学者がスウェーデン産の鉄を鑑別するような速さでもって、夫人もまた私の母が一員となっているあの冷たい種属の女性なのだということを、はっきりと見てとりました。彼女の言葉は昔の宮廷言葉で、オワという音をエーと発音し、フロワ(寒い)をフレー、ポルトゥール(持参人)をポルトゥーを言うのです。私はべつにおもねったりもせず、気取ったりもしませんでした。たいへんりっぱな態度でふるまったので、晩祷《ばんとう》に出かける道すがら、伯爵夫人が私の耳もとにこうささやいてくれたほどでした。
「申し分ありませんわ!」
伯爵は私のそばにやってきて、私の手をとってこう言いました。
「フェリックス、まさかもう仲良くできぬというわけじゃないでしょうね? わたしもちょっと癇癪《かんしゃく》を起こしましたけど、親しい友人どうしのことですから、まあ勘弁《かんべん》してください。たぶん今日の夕食はこちらですることになるでしょうが、今度の木曜日、つまり公爵夫人のご出立の前日、わたしどものほうからあなたがたを招待させていただきましょう。わたしは用事を二、三件かたづけにトゥールへいきます。どうかクロシュグールドを忘れないでください。義母と親しくなられるよう、わたしからお勧めします。義母のサロンは、いまにサン=ジェルマン地区〔貴族の邸が集まっていた地区〕の手本になるでしょうね。義母は上流社会のしきたりを保ってますし、たいへんな事情通で、なにしろヨーロッパの貴族という貴族の紋章を、ことごとく知っているほどですからな」
伯爵の趣味のよさは、たぶんその家庭における守護神の助言もあったのでしょうが、支持する党派の勝利で新しい情況に置かれるようになると、はっきり表面に出るようになりました。彼は尊大でもなければ慇懃無礼《いんぎんぶれい》でもありませんでしたし、ことさらに誇張したところもありませんでした。そして、公爵夫人もべつに保護者ぶったようすは見せませんでした。シェッセル氏夫妻は、つぎの木曜日の晩餐の招待を、感謝をこめて承諾しました。私は公爵夫人の好意を得ることができましたし、そのまなざしから察するに、娘の口から話を聞かされた男として、私を観察していることがよくわかりました。晩祷《ばんとう》からもどってくると、彼女は私に家族についての質問を発し、外交界で地位を得ているヴァンドネスは私の親戚なのかと尋ねました。
「あれはぼくの兄です」と私は言いました。
すると、公爵夫人は情愛にあふれたといってもいいような態度になりました。私の大伯母の老リストメール侯爵夫人がグランリュー家〔『人間喜劇』の再出人物の一族〕の出であることを、彼女は私に教えてくれました。彼女の言動は、ちょうど私とはじめて会った日のモルソーフ氏がそうだったように、すこぶる礼儀正しいものでした。その視線からは、地上の王侯たちが自分たちと他人とのあいだの距離をまざまざと感じとらせるために、あからさまに示すあの尊大な表情が消えていました。自分の家族のことについて、私はほとんど無知同然でした。公爵夫人の話によると、私の大伯父にあたる人物で、私は名前さえ知らない老神父が枢密院に加わっているということでした。また、私の兄も昇進したそうですし、私がまだ知らなかった憲章〔一八一四年六月四日、王政復古にあたってルイ十八世が公布した「立憲憲章」〕の一条項にもとづいて、父はふたたびヴァンドネス侯爵になったということでした。
「ぼくはただ一つのものでしかありません、クロシュグールドの農奴でしかありません」私は伯爵夫人に小声でそうささやきました。
王政復古の魔法の枝の一撃は、帝政治下に育った子供を呆然とさせるような速さで成就されました。この変動も、私にとってはなんでもありませんでした。モルソーフ夫人のほんのちょっとした言葉やいとも単純な身ぶり、それこそが私の重視する唯一の事件だったのです。私は枢密院とはなんであるか知りませんでした。政治についても世のなかのことについても、なにも知りませんでした。ペトラルカがロールを愛した以上にアンリエットを愛したい、私にはそれ以外にどんな野心もありませんでした。こうした無頓着さのせいで、私は公爵夫人からただの子供と思いこまれてしまいました。
フラベールにはたくさん客がやってきたので、晩餐《ばんさん》のときには三十人ほどにもなりました。自分の愛する女性がすべての女性のなかでもっとも美しいこと、情熱に燃えた視線の的になっていること、彼女の清らかにも慎《つつし》みぶかい視線の光を受けられるのは自分しかいないということ、それを目《ま》のあたりにするのは、青年にとっていかばかり大きな陶酔だったことでしょう。彼女の声音の微妙な陰影をことごとく知りつくし、うわべは気軽そうな、あるいは冗談半分のようなその言葉のなかに、つねに変わらぬ心のしるしを見いだすということは、よしんば一座の人々の興じあう姿にたいして激しい嫉妬を感じようとも、青年にとってどんなに大きな陶酔だったことでしょう。
伯爵はみんなが親切にしてくれるのを喜んで、ほとんど若々しいと言ってもいいほどでした。夫人は、これで彼の気分もいくらか変わるだろうと期待しました。私はマドレーヌを相手に笑い興じていましたが、彼女は体が魂の重圧に押しつぶされている子供たちと同じように、悪意はないけれども、しかし誰一人として容赦しない皮肉たっぷりの機知にあふれた途方もない観察をしては、私を笑わせてくれました。この日はすばらしい一日でした。一つの言葉、その朝生まれた一つの希望、それが森羅万象《しんらばんしょう》を輝かしいものにしてくれたのでした。そして私がたいへん楽しそうにしているのを見て、アンリエットもまた楽しそうでした。
「灰色に曇った生涯のさなかで、こんな幸福に出会ったので、主人にはとてもすばらしいことに思えたのでしょうね」翌日、彼女は私にそんなふうに言いました。
翌日、私はもちろん一日中クロシュグールドで過ごしました。五日間もそこから追放されていたので、私は自分の生命に渇《かつ》えていたのです。伯爵はトゥールで買収契約書を作成するために、朝の六時にはもう出かけていました。母娘のあいだには、ある重大な議論の種が起こっていました。公爵夫人は、伯爵夫人が自分についてパリにくることを望んでいました。パリにくれば、伯爵夫人もなんらかの宮廷の役職を得られるはすだし、伯爵も辞退をとり消せば、高い職務に就くことができるだろうというわけです。アンリエットは、世間から幸福な妻と思われていたばかりか、自分のはなはだしい苦衷《くちゅう》を誰にも、母親の心にすら明かそうとしませんでしたし、夫の無能さも他人にもらそうとしませんでした。母親に夫婦の秘密を見やぶられないように、彼女はモルソーフ氏をトゥールへ出かけさせて、公証人たちとの掛合いにあたらせたわけでした。彼女が前に言ったとおり、クロシュグールドの秘密に通じているのは私一人だけでした。この谷間の澄んだ空気や青い空が、気分のいらだちやつらい病苦をどれほど鎮《しず》めてくれるか、そしてクロシュグールドの住居が子供たちの健康にどんな影響をおよぼすか、それを経験によって確かめた上で、彼女は充分理由のある断わりかたをしたのですが、他人のことに侵入しがちな女性で、娘の不運な結婚を悲しむというよりむしろ屈辱に感じている公爵夫人は、しきりに反対を言いたてていました。アンリエットは、母親がジャックやマドレーヌのことなどほとんど気にかけてないのに気づきましたが、これはまたなんという恐ろしい発見でしょう! 娘がまだ若い頃に押しつけていた圧制を、相手が結婚してからも依然として加えつづけることに慣れているすべての母親と同じく、公爵夫人は、反駁《はんばく》をまるで認めぬ論法で押し通すのでした。彼女はあるときは自分の意見にたいする同意を無理|強《じ》いするために、詭弁《きべん》まじりの親身そうな態度を装うかと思うと、またあるときは甘言で獲得できぬものを畏敬で手にいれようとして、手きびしい冷酷な態度を装ったりするのです。やがて、その努力も無駄だと見てとると、今度は私がかねがね母親のなかに見ぬいていたのと同じ皮肉な気質を、あからさまにむきだしにするのでした。
十日間に、アンリエットは、独立を確立するのに必要な反抗が若い女性にもたらす激しい苦しみを、ことごとく味わいつくしました。あなたは幸せなことに、このうえなくよい母上に恵まれておられますから、そういうことはおわかりにならないかもしれません。優しみがなく、冷淡で、打算的で、野心の強い婦人と、けっして涸《か》れることのない穏やかですがすがしい善良さにあふれたその娘とのあいだに起こったこの争いのことを、はっきり思い描いていただくためには、ゆりの花、私はいつも心ひそかに彼女をゆりの花になぞらえていたのですが、ゆりの花が磨きたてられた鋼鉄の機械の歯車にこなごなにされるところでも、想像していただかねばなりますまい。この母親には、娘とつながりあうところなどまるでありませんでした。ですから、娘に王政復古の利益を利用することをはばみ、依然として孤独な生活をつづけることを余儀なくしている真の障害を、彼女は見ぬくことができませんでした。娘と私とのあいだに、なにか恋愛遊戯でもあるのだろうと彼女は思いこみました。彼女は疑念を表明するに当たって、はっきりとこの恋愛遊戯という言葉を使ったのですが、まさにこの一語のために、二人の女性のあいだには、それ以来どうにも埋めようのない深淵がひろがるようになってしまったのです。
さまざまな家庭には、こうした耐えがたい不和が注意深く隠されているものですが、一度そのなかに深くはいりこんでごらんなさい。すると、ほとんどすべての家庭に、お互いの自然な感情を傷つける深く癒《いや》しがたい傷が見出されるでしょう。あるいはまた、真実で情のこもった情熱が性格の一致によって永遠に変わらぬものとされ、それが死とともに一つの反動をあたえられ、その陰惨な傷口が消えがたいものになることもあります。さらにまた、潜在的な憎悪が徐々に心を凍《こお》らせ、永遠の訣別《けつべつ》の日には涙を涸《か》れさせてしまうこともあります。
昨日も苦しめられ、今日も苦しめられる女性、あらゆる人間に傷つけられ、彼ら自身が耐えている苦痛についても、また彼らゆえに他の人々が味わう苦痛についてもなんら罪科《つみとが》のない二人の病弱の子供にまで傷つけられているこの哀れな女性、その彼女が、けっして打撃を加えることのない男を愛さぬはずがあるでしょうか、嵐から、ありとあらゆる接触から、ありとあらゆる傷手《いたで》から彼女を護るために、三重の茨の垣根をめぐらそうとしている男を? 私はこのいさかいに苦痛を感じはしましたが、ときとして彼女が私の心のなかに逃げこんでくるように感じて、というのはアンリエットが新しい苦しみを私に打ち明けてくれたからなのですが、かえってそのいさかいを好ましく思うことさえありました。彼女が苦痛を味わいながらも落ちつきを保っていること、辛抱強い忍耐力を発揮できるということを、私はいかにも立派だと思いました。「伯母と同じような愛しかたで、わたくしを愛してくださいませ」私にもこの言葉の意味が日一日とよくわかるようになりました。
「では、あなたには大望《たいもう》がないのですね?」夕食の席で公爵婦人がいかめしい態度でそう言いました。
「奥さま」私は真剣なまなざしを投げかけて答えました。「私は世界を征服するほどの力があると自覚しています。でも、まだ二十一歳にしかなっていませんし、それにまったく孤独ですし」
彼女は唖然《あぜん》としたようすで娘をみつめました。てっきり娘が私をそばにひきとめておくために、いっさいの大望《たいもう》を私のなかから消し去ったものと思いこんでいたのです。ルノンクール公爵婦人のクロシュグールド滞在中、たえず気づまりな時間ばかりつづきました。伯爵夫人は私に礼儀正しくするように要求しますし、なにか一言穏やかに言うだけで、彼女はすぐ怯《おび》えてしまうのです。そこで彼女の気にいるようにするには、韜晦《とうかい》の鎧《よろい》をまとわねばなりませんでした。やがて輝ける木曜日がきましたが、それは退屈な儀式の一日、日々のくつろぎから生まれる甘い言葉に慣れ、自分の椅子がいつもの場所にあり、家の女主人もすっかり自分のものであることに見慣れている恋人たちが、憎しみをいだくような一日でした。恋とは、恋でないものをことごとく嫌悪するものなのです。それから、公爵夫人は宮廷の豪華な生活にひたるべく出立していき、クロシュグールドではすべてがもとどおりの秩序を回復しました。
伯爵とちょっとした仲違《なかたが》いをした結果、私は以前よりもいっそう深くこの家のなかにはいりこむことになりました。私がいつなんどき出かけていっても、いささかも疑念を惹《ひ》きおこしませんでしたし、過去の生活の来歴のおかげで、私は相思相愛の魅惑的な世界が開かれている美しい魂のなかに、さながら蔓《つる》草のように伸びひろがっていくことができました。
一時間ごとに、いや一瞬ごとに、信頼の上に築かれた私たちの友情の結婚は、ますます緊密に結びついていきました。私たちは、お互いにそれぞれの立場をしっかり固めました。伯爵夫人は乳母《うば》のように私を保護し、完全な母性愛の白地の布のなかに包みこんでくれました。いっぽう、私の愛情は、彼女といっしょのときこそ清浄そのものですが、いったんそのそばを離れると、さながら真赤に熱した鉄のように激しく焼けつくのでした。私は二重の面をもつ愛、何千ともつかぬ欲望の矢をつぎつぎに放っては、その矢を虚空の越えがたい霊気の層のなかにむなしく見送るという、そんな二重の面をもつ愛で彼女を愛していました。
若く、そして激しい意欲にみちた私が、なぜプラトニック・ラヴへの度はずれな信頼をもちつづけていたのかとお尋ねになるなら、はっきり打ち明けて申しますが、私はまだ一人前の大人になりきっていなかったので、どうしてもこの女性を苦しめるに忍びなかったのです。なにしろ、いつも子供たちに最悪のことが起こりはしまいかと懸念し、しょっちゅう夫の癇癪《かんしゃく》の爆発や激情的な気分の変化を予想していなければならぬ女性なのですから。ジャックかマドレーヌの病気に悩まされていないときには、夫に苦しめられるし、夫が平静にしていていくぶんか休息がとれそうなときには、どちらかの子供の枕もとに坐っているという女性なのですから。あまりに熱烈な言葉の響きは彼女の存在をたじろがせますし、欲情を示せば彼女の心を傷つけることになります。彼女にとっては、包みかくした愛情、優しさのまじった力強さ、つまり彼女がほかの人々に示す態度が必要だったのです。それから、あなたはじつに女性的な女性であるからこそ、あえて申しあげるのですが、こういう情況にはうっとりさせるような悩ましさや、神々《こうごう》しいほどの甘美な瞬間や、暗黙の犠牲を捧げたあとの満足が伴なっていました。彼女の良心には感化力が宿っていましたし、地上の報いを求めぬ献身ぶりは、とくにその堅固さで人を敬服させるのでした。この熱烈でひそかな敬虔《けいけん》さは、ほかのさまざまな彼女の美徳を結びつける絆《きずな》の役をしていたのですが、それが周囲にたいしては、あたかも霊的な香《こう》のように働きかけていたのです。それにまた、私は若かったのです! 若かっただけに、彼女がほんのときたまその手にさせてくれる接吻、それも手の甲をさしだしてくれるだけで、彼女にとってはおそらく官能の喜びがはじまるさかい目である掌《てのひら》はけっして出そうとしないのですが、この接吻のなかに、私は自分の心身を集中することができたのです。かつて二つの魂がこれほど熱烈に契《ちぎ》りあったことはないとすれば、かつて肉体がこれほど勇敢に、これほど誇らしげに抑制されたためしもまたありませんでした。のちになって、ようやく私にもこのみちたりた幸福の原因がわかりました。当時の私の年齢からして、私はいかなる利害にも心を惑わされませんでしたし、奔流のように激しくあふれだし、押し流していくものをことごとく一つの波に捲きこむこの激情の流れは、いかなる大望《たいもう》をもってしても乗りきることができなかったのです。そうです、もっと年をとると、私たち男性は女性のなかの女性らしさを愛するようになります。それに反して、最初に愛した女性については、私たちはそのすべてを愛するものなのです。彼女の子供は私たちの子供であり、彼女の家は私たちの家であり、彼女の利害は私たちの利害であり、彼女の不幸は私たちの最大の不幸であり、私たちは、彼女の衣裳も家具も愛します。彼女の小麦畑が風に吹き倒されるのを見れば、私たち自身の金が失われたのを知ったとき以上に悲しみにくれます。暖炉の上に置かれた|私たちの《ヽヽヽヽ》骨董品を散らかす客は、叱りつけてやりたい気持ちになります。この聖なる愛情によって、私たちはまったく別の人間となって生きていくわけなのですが、それにひきかえ、もっと年をとると、悲しいことに、私たちは別の一つの生活を自分のなかにひきいれて、その相手の女性が若々しい感情でもって、私たちの乏しくなった能力を豊かにしてくれることを求めるのです。
私はまもなく家族の一員のようになりました。そして、ちょうど湯浴《ゆあ》みが疲れた体を癒《いや》してくれるように、苦しめる魂を優しくやわらげてくれるあの限りない安らぎを、生まれてはじめて味わったのでした。こうした安らぎにひたるとき、魂はその表面をすっかり新鮮にされ、いちばん奥深い襞《ひだ》まで愛撫されます。あなたには、私の言うことはわかっていただけないかもしれません。なにしろあなたは女性ですし、ここではあなたがあたえこそすれ、けっして受けとることのない幸福を問題にしているわけなのですから。よその家庭のなかにはいりこんで、その家の女主人から特典を授けられ、その愛情のひそかな中心になるというすばらしい味わいの楽しみは、男性にしかわからないものなのです。もう犬も吠えかからなくなりますし、召使いたちも犬と同じように、こちらの体のどこかについた隠れたしるしを認めてくれます。子供というものはなにごとも偽ったりできないものであり、自分たちの受ける愛情の分け前がべつに減るわけでなく、かえってこちらが彼らの生活の光にとって有益な存在であることを知っていますから、彼らには洞察力に富んだ心がそなわってきます。彼らは猫のようにじゃれつき、自分たちのほうでも好きになれるし、むこうもかわいがってくれる相手にだけに示す好ましいわがままさをもつようになります。彼らは機知にたけた慎重さをもち、無邪気な共犯者になってくれます。爪先だってそばまで近よってきて、微笑をしてみせてから、また足音を立てずに立ちさっていきます。ともあれ、あらゆるものがこちらに好意を示し、あらゆるものが愛情を寄せ、あらゆるものが笑いかけてくれるのです。真の情熱というのは美しい花、その咲きひらいた土地がやせた土地であればあるほど、いっそう楽しい思いで眺められる美しい花のようなものなのでしょう。
けれども、こうして自分の心にかなう肉親をみつけだして、その家庭に順化するという喜ばしい利得に恵まれたにせよ、いっぽうまた、私はそれなりの負担を負うことにもなりました。それまでは、モルソーフ氏は私に遠慮していました。ですから、私は伯爵の欠点をおおざっぱにしか見ていなかったのですが、しばらくすると、その欠点の実際のあらわれを全範囲にわたって感じとれるようになりましたし、伯爵夫人が日々の戦いのありさまを私に話してきかせるさい、どんなに気高い慈愛にみちていたかがわかるようになりました。こうして、私は伯爵の鼻もちならぬ性質をすみずみまで知りつくしました。なんでもないことにたえずどなりちらしたり、外面にはなんの徴候もあらわれていない苦痛を訴えたりする声、先天的に身についた不満をもらして生活を味気ないものにしたり、それこそ毎年でも新しい犠牲者をむさぼらせそうな横暴なふるまいをしじゅう要求したりする声を、私は耳にしました。夕方、そろって散歩に出かけるときも、彼はいつも自分勝手に方向をきめてしまうのです。だがどこへ散歩しようと、彼はかならず退屈してしまいます。そして家へ帰ってくると、つまらない思いをした責任を他人になすりつけるのでした。こちらは気乗りしなかったのに、夫人が自分勝手に好きなほうへひっぱりまわしたのだから、つまらない思いをしたのは夫人のせいだ、と言うのです。自分が私たちをひっぱっていたことは思い出そうともせず、生活のごく些細なことまで夫人に支配されているとか、これでは自分の意志も考えも保てるわけがないとか、家のなかで零にひとしい人間だとか言って、愚痴《ぐち》をこぼします。その冷酷な言動にたいして、相手が我慢づよくだまっていようものなら、今度は自分の権力の限界を悟って怒りだすのです。宗教は妻にたいして、夫の気にいるようにせよと命じていないかとか、自分の子供たちの父親を軽蔑していいものかなどと、辛辣《しんらつ》な調子で尋ねたりします。けっきょく、いつも最後には妻のなかの感じやすい弦に攻撃を加えるのです。そして、その弦に悲鳴をあげさせると、そういうなんの役にも立たぬ威圧から、一種独特の喜びを味わうらしいのです。ときおりまた、陰鬱にだまりこんだり、病的にふさぎこんだりすることもありましたが、すると夫人はたちまちひどく怯《おび》えてしまい、かえって伯爵のほうが、見る者の胸をうつような心づかいを夫人から受けることになるのです。母親の心配などまるで気にかけずに、思いのままにふるまうわがままな子供と同じことで、伯爵はジャックやマドレーヌのようにちやほや扱われ、ジャックやマドレーヌに嫉妬《しっと》さえしていました。要するに、そのうちだんだん私にもわかってきたのですが、どんな些細なことがらのさいでも、またどんな重要なことがらのさいでも、伯爵は召使い、子供たち、妻にたいして、あのトリクトラクの勝負のときに私にたいして見せたのと同じ態度でもって、ふるまっているわけなのでした。
さながら蔓《つる》にも似て、この一家の人々の行動や呼吸を圧迫したり窒息させたりする障害、かすかな、しかし無数の糸で家事の進行を束縛し、もっとも肝要な行為をすら妙にこみいったものにして、財産の増加を遅らしているさまざまな障害、そういう障害の根や枝葉にいたるまでことごとく了解しつくした日、私は敬服の念の入りまじった恐怖を感じて、そのために私の恋心は抑えつけられ、心のなかに深く押しこまれてしまったのでした。まったく、この私など、ものの数でもありませんでした! 私の飲みほしたあの涙は、私の心のなかに至高の陶酔とでもいったものを生みだし、私はこの女性の苦しみをともにするという契《ちぎ》りを結んだことに、幸福を見いだすようになりました。それまでのところ、私はちょうど密輸業者が罰金を払うような恰好《かっこう》で、伯爵の暴君的なふるまいに屈していたのです。が、それ以後というもの、できるだけアンリエットのそばに近よれるように、この暴君の打擲《ちょうちゃく》にすすんで身をさらすようになりました。伯爵夫人は私の気持ちを察し、隣りの席を私に占めさせ、彼女の苦しみをともに分かつ許しをあたえて私に報いてくれました。ちょうど昔、改悛した背教者がかつての僚友たちと同行して天国に昇ることを熱望し、ついに闘技場で死ぬ許可を得たのと同じように。
「あなたがいらっしゃらなければ、わたくし、この生活に負けてしまうところでしたわ」ある夕方、伯爵がまるで炎暑の日の蠅《はえ》のように、ふだんよりいっそうとげとげしく、いっそう気むずかしく、いっそう気まぐれな態度を見せつけたあとで、アンリエットは私にそう言いました。
伯爵はすでに寝床に就いていました。アンリエットと私は、この夕べの一刻が過ぎていくあいだ、あのアカシヤの木の下にとどまっていました。子供たちは落日の光を浴びながら、私たちのまわりで遊んでいました。ほんのときたまとりかわす、それももっぱら詠嘆をあらわすだけの言葉から、私たちがお互いに同じ思いにひたって、共通の苦しみを癒《いや》しつつあるのだということがわかるのでした。言葉がとぎれると、沈黙が忠実に私たちの魂に奉仕してくれたので、私たちの魂はなんの支障もなく互いに相手のなかにはいりこんでいきましたが、かといって、べつに接吻の誘いでそうなったわけではありませんでした。どちらもとりとめのない物思いにひたる楽しさをしみじみと味わいながら、私たち二人の魂は、一つの同じ夢想の波のなかに捲きこまれ、いっしょに河のなかにもぐりこみ、そもそも嫉妬心が望みうるかぎりの完全さでもって結びつき、しかもなんら地上の絆《きずな》のない二人の妖精のように、爽やかに洗いきよめられてその河から出てくるのでした。私たちは底しれぬ深淵へおりていき、それから空手のままむなしく水面までもどってきて、お互いに目と目を見あわせてこう尋ねあうのです。「あまたの日々のなかから、ただの一日だけでも、私たちだけの日がくるものなのでしょうか?」官能の喜悦が、根もなしに咲き出たこの花々を私たちのために摘みとってくれるというのに、肉体が不満をささやいたりするわけがありましょうか?
こよなく静|謐《ひつ》な、こよなく清らかなオレンジ色の色調を手|摺《すり》垣根の煉瓦に添えている、夕ぐれどきの気を滅《め》入らすような詩情がただよっているにもかかわらず、また、二人の子供の叫び声をやわらいだ響きで伝え、私たちを静かな気分にひたらせてくれるあの宗教的な雰囲気がひろがっているにもかかわらず、さながらなにか祝火ののろしがあがるように、欲情が私の血管のなかをうねっていました。三か月経っていましたから、もう私もあたえられた分け前だけで満足しきれなくなっていましたので、アンリエットの手をそっと愛撫しながら、身内に燃えたぎる豊饒な官能の喜悦をそこに移しかえようとしました。アンリエットはたちまちいつものモルソーフ夫人にもどり、私の握っていた手をひっこめてしまいました。私の目から二粒、三粒と涙があふれだしましたが、彼女はそれを見ると、手を私の唇に押しあてながら、優しくうるんだまなざしを投げかけました。
「わかっていただきたいの」と彼女は言いました。「これだけのことでも涙の出るほどつらいのです! こんなに大きな好意のしるしを必要とする友情なんて、ほんとに危険ですわ」
私は抑えていた思いを爆発させ、彼女をなじる言葉を滔々《とうとう》と述べたて、自分の苦しさを語り、その苦しさに耐えるにはいくばくかの慰めがほしいと訴えました。私の年頃では、たとえ官能もまさしく魂そのものであるにはせよ、魂にもまた性があるものなのだ、私は勇を鼓《こ》してそうぶちまけました。死ぬことはべつにかまわないが、このままだまって死ぬのはたまらない、とも言いました。彼女は毅《き》然としたまなざしを私のほうに投げかけて、私の言葉をさえぎりましたが、そのまなざしのなかには、あのアズテックの酋長〔メキシコのアズテック族の最後の皇帝グワチモジンのこと。彼はスペイン人の侵略に抗して戦ったが、ついに捕えられて処刑された。バルザックの記している言葉は、処刑前に火を放った草原に立たされて拷問にかけられたとき、かたわらで苦痛を訴えた部下にたいして、グワチモジンが語ったと伝えられている言葉である〕の「じゃあ、このわしがばらの花の上に坐ってるとでもいうのか?」という言葉が読みとれそうな気がしました。たぶん、それもまた私の思いちがいだったのでしょう。フラベールの門の前で、私が彼女の考えを誤解して、彼女は一人の男の墓から私たちの幸福が生まれると思っているのだときめこんだあの日以来、むきだしの情熱の跡を刻みつけた願望で、彼女の魂を汚すことを私は恥じていたのです。彼女は話しはじめ、蜜を塗ったような優しい口調で、なにもかもすっかり私のために捧げつくすわけにはいかないし、そのことは私もよく知っているはずなのに、と言いました。彼女がこの言葉を述べた瞬間、私は、もし自分が彼女の言葉に従わなければ、私たち二人のあいだには、深い溝が掘られるだろうということを理解しました。私はうなだれました。彼女はさらに言葉をつづけて、一人の男を兄弟として愛するかぎり、神をも人間をも傷つけることにはならないという宗教的な確信があると語り、さらにこの崇拝の対象をもっと深めて、神の愛の生ける面影《おもかげ》、すなわちサン=マルタン老師によれば、世界の生命そのものである神の愛の生ける面影にしあげるという仕事には、なにか心楽しいものがあるとも言いました。もしも私が彼女にとって、あの年老いた懺悔聴聞僧のようなもの、つまり恋人ほどではないにしても、兄弟以上のなにものかになれないとしたら、私たちはもう二度と会ってはならない。涙なくしては、胸もはりさけるほどの悲しみなくしては、とうてい耐え忍べぬ激しい苦しみの上に、さらにつけくわえられたこの苦しみを神のみもとに捧げることができれば、それでもう死んでもいい、彼女はそんなふうにも語りました。
「わたくしは」と彼女は最後に言いました、「もうそれ以上なにもとらせてあげるものがないようにしようと思って、さしあげてはならないものまでさしあげてしまいましたの、ですから、もうその罰を受けているのですわ」
私は彼女をなだめ、今後はけっして苦しい思いはさせないし、二十歳であっても、老人が末っ子を愛すように彼女を愛すからと約束せざるを得ませんでした。
翌日、私は朝早くやってきました。彼女は、灰色の広間の花瓶にさす花をみつけあぐねているところでした。私はすぐ飛びだしていき、野原やぶどう畑で花を探しまわって、彼女のために花束を二つこしらえにかかりました。しかし、そうやって花を一つずつ摘《つ》みとり、根もとから切りとったり、つくづくと眺めたりしているうちに、花の色彩や葉には一つの調和があるということ、ちょうど音楽の楽節が愛し愛される人々の心の底に、数かぎりない思い出を呼びさますのと同じように、そこには視線を魅了しつつ悟性のなかにうかびあがってくる詩情があるということに、私はふと思いあたりました。色彩が光線の組みあわせであるとすれば、楽調の配合がそれぞれの意味をもつのと同様に、色彩にも色彩の意味があるはずではなかろうか? ジャックとマドレーヌに手伝ってもらい、三人とも、大好きな人をびっくりさせるのだという企てをこっそり楽しみながら、私は、正面の踏段のいちばん下のところに三人の花の司令部を設営し、そこで二つの花束をつくりはじめましたが、その花束によってある一つの感情を描きだそうと試みたのです。花の泉が二つの花瓶から泡をたててあふれだし、それからギザギザの波形を描いて下に流れ落ち、しかもその花の泉のまんなかには、白いばらの花と、銀色の盃のようなゆりの花の形をとりつつ、私の願望が伸びあがっているところを想像なさってください。この鮮やかな布地の上には、矢車菊、忘れな草、シャゼンムラサキなどありとあらゆる青い花が輝き、空の色からとってきたようなその濃淡さまざまな青の色調は、白い色とじつにしっくり調和しているのです。これはすなわち二つの汚れのなさ、なにも知らぬ汚れのなさとすべてを知りつくしている汚れのなさ、子供の心と殉教者の心ではありますまいか?
愛には愛の紋章があるものですが、伯爵夫人はそれをひそかに解読しました。彼女は、傷口をさわられた病人の悲鳴にも似たあの鋭いまなざしを、私のほうに投げかけました。彼女は羞《は》じらいを見せると同時に、恍惚《こうこつ》となってもいました。そのまなざしのなかには、どれほどの褒賞《ほうしょう》がこもっていたことでしょうか! 彼女を幸福にしてやること、気持ちをひきたたせてやること、これはどんなにやりがいのあることだったでしょうか! そこで、私は愛のためのカステル師の理論〔イエズス会士ルイ=ベルトラン・カステルは「視覚のクラヴサン」とよばれる独特の光学理論を展開した〕を考えだし、東洋では芳香のこもった色調で書物が書かれているのにひきかえて、もっぱらインク壺からうまれた花々のみ栄えているこのヨーロッパにおいてはすでに失われてしまった科学を、彼女のために再発見したのでした。この太陽の娘たち、愛の光線のもとに咲きひらく花々の姉妹たちを用いておのが感情を表現するということは、どんなにすばらしいことだったでしょう! 私はまもなくその野生の植物群と肝胆《かんたん》相照らすようになりました。その後グランリューで会ったある男が、蜜蜂と心を通いあわせていたのと同じように。
その後フラベールに滞在するあいだ、週に二度ずつ、私はこの詩的な作品をつくりだす仕事に長い時間をかけるようになりましたが、それを仕上げるためにはあらゆる種類の禾本《かほん》科植物がどうしても必要でしたので、私はこれらの植物について、植物学者としてよりはむしろ詩人として、その形態よりも精神に重きを置きながら、徹底的な研究を行ないました。ある一輪の花をその咲きひらいている地点でみつけだそうとして、しばしばひどく遠くまで、水のほとりや、ほうぼうの谷や、岩山の頂きや、荒地の奥のほうまで出かけていったことがありましたが、その途中の森やヒースの茂みのなかで三色すみれを漁《あさ》ったりするのでした。
こうした跋渉《ばっしょう》を重ねるうちに、私はさまざまな楽しみを知るようになりましたが、それは思索にふけって暮らしている学者だとか、専門のことにばかり没頭している農業家だとか、都会に釘づけになっている職人だとか、勘定《かんじょう》台に縛りつけられている商人などの知らないものであり、ある種の森番だとか、木樵《きこり》だとか、夢想家だけが知っている楽しみでした。自然のなかには、無限の意味あいを有し、しかももっとも深遠な精神的概念の高みにまで達している感銘ふかい光景が実現されるものなのです。たとえば、花の咲いた一|叢《むら》のヒースの茂み、しとどに濡らすダイヤモンドのような露に覆われ、そのなかで陽光が戯れ、そして折よくそこに視線が投げかけられれば、その視線にとっては、粧《よそお》いを凝《こ》らした広大無辺のものとなるヒースの茂みがそうです。あるいは、崩れかかった岩々に囲まれ、砂地で区切られ、苔に覆われ、杜松《とどまつ》が生えている森の一遇、なんとなく荒涼とした、ごつごつした、ぞっとするような感じで人の心を捕え、そしてそこから急にミサゴの鳴声が聞こえてくる森の一遇がそうです。あるいは、草木が生えてなく、石ころだらけで、けわしい斜面をもつ日ざしの強い荒地、地平線が砂漠の地平線に類似していて、私が崇高な孤独な花、つまり金色の雄蕊《おしべ》に絹のようなすみれ色の覆いがかぶさっている|西洋おきな草《ヽヽヽヽヽヽ》に出会った荒地がそうです。この花こそ、谷間で孤独に暮らすわが白皙《はくせき》の偶像の、胸をうつばかりの似姿でした! あるいは自然によってたちまち緑色の影を投げかけられ、なにか植物と動物との中間の過渡的状態でもあるような大きな沼、そこではほんの数日のうちに新たな生命がわきだし、植物や昆虫が高空の霊気のなかにうかんだ世界さながらにただよっているのですが、そういう大きな沼がそうです。あるいはまた、一面にキャベツの植えてある菜園や、ぶどう畑や、杭垣などのある藁《わら》ぶきの家、窪地の上にあぶなっかしく立ち、そこばくのやせた裸麦にとりまかれ、そのままこの世の幾多のつつましい生活の象徴となっている藁《わら》ぶきの家がそうです。あるいはさらに、どことなく教会堂を思わせるような森の長い並木道、木々は柱廊であり、枝々は円天井のように弓形を描きだし、そしてはるか道のはずれのところでは、影をまじえた日ざしや、夕日の赤い色彩をかすかに帯びた日ざしの落ちこむ林間の空地が木《こ》の葉がくれにぽっかりとうかびだして、まるで歌を歌う小鳥たちがいっぱいにむらがる聖歌隊席のステンド・グラスとでもいった光景を現出させている、そんな森の長い並木道がそうです。それからまた、この涼しく、こんもり茂った森を出たところにひろがっている石灰質の休耕地、きらきらと光りさらさらと鳴る苔の上を、優美で華奢《きゃしゃ》な頭をもたげながら、飽食《ほうしょく》した蛇どもが巣へもどっていく休耕地がそうです。これらの画面の上に、恵みの波のように流れ落ちる日光の奔流だとか、老人の額《ひたい》に刻まれた皺《しわ》のように幾条もの線をなして並ぶ灰色の雲のむらがりだとか、あるいはまたかすかにオレンジの色合を帯びつつ、青白い色の帯を幾筋か走らせている空のいかにも冷たい感じの色調だとかを描き添えてみてください。それから、じっと耳を澄ましてください。そうすれば、人を当惑させるような静寂のただなかから、さまざまな言うに言われぬ諧調が聞こえてくるはずなのです。
九月と十月のあいだ、私のつくった花束のなかで、三時間以下の凝《こ》りかたですんだようなものは一つもないありさまでしたが、私は詩人のようなこころよいうちこみかたでもって、このすぐ色|褪《あ》せる寓意の術にそれほどまで賛嘆を寄せていたわけなのです。私にとっては、そこには人間生活のもっとも対照的なさまざまな局面が、つまり、いま私の記憶が掘りおこそうとしている荘厳な光景が、描きだされていたのでした。今日もなお、私はときとして、あのすばらしい場景に、当時自然の上に惜しみなくひろげられていた魂の思い出を結びつけて考えることがあります。いまでも、私は、白い衣裳を雑木林のなかに波うたせ、芝生の上にひるがえしていた女王、そしてその思いがさながら約束された果実のごとくに、愛の雄蕊《おしべ》にみちた萼《がく》の一つ一つから立ちのぼってくる女王の姿を、そこにさまよわせることがあります。
いかなる宣言にしても、またいかなるむこうみずな情熱の証明にしても、この花々の交響楽ほど強烈な感染力をもってはいませんでした。なにしろ私としては、欲望をむなしく逸《そ》らされたために、ベートーヴェンが音符で表現したような努力、つまり深い自己省察と奇蹟的な天上への飛躍の努力を、そこに繰りひろげることになったわけなのですから。モルソーフ夫人も、それを目にすると、とたんにアンリエットになりきってしまうのでした。彼女はしじゅうそのそばにもどってきて、そこから養分を吸いとり、そして「まあ、なんて美しいのかしら!」と言いながら、刺繍《ししゅう》の仕事から顔をあげて、私が花のなかにこめておいた思いをことごとく受けとってくれるのです。
ある一つの花束についてくわしく述べれば、あなたにもこの甘美な意志の疎通のことがわかっていただけるでしょう。ちょうどある一つの断章によって、サアディー〔ペルシャ文学史上の最大の詩人。生涯の大半を放浪生活に過し、実践道徳の追究を主題とする作品を書いた。代表作は『果樹園』『ばら園』の二冊〕がおわかりになるように。あなたは、五月の牧草地であの香りをかがれたことがあるでしょうか。万物に受精の陶酔を伝えてくれるあの香り、小舟のなかから思わずも波に手をひたさせたり、風のまにまに髪をなぶらせたい気分をかきたてたりして、あなたの思いを森の茂みのように青々と活気づけてくれるあの香りを。ハルガヤという小さな草が、この隠れた調和のもっとも力強い原動力の一つなのです。ですから、この草をそばに置けば、その報いを受けずにすむ人は誰もいないのです。白と緑の網目の衣服のような筋のついた艶《つや》やかなその薄い葉を、花束のなかにいれてごらんなさい。つきることのない香りがただよってきて、あなたの心の底で、羞恥心のために押しひしがれている蕾《つぼみ》のままのバラをゆさぶってくれることでしょう。ところで、磁器の花瓶のひろい口のまわりに、トゥーレーヌの|べんけい草《ヽヽヽヽヽ》独特の白いふさふさした花ばかりでつくられた、豊かなふちどりを考えてみてください。それはあこがれの的である姿態の、そして従順にすべてを捧げる奴隷女のそれのようにしなだれた姿勢の、茫漠《ぼうばく》とした象徴をなすものなのです。そのふちどりのもとのところからは、白い鐘型の|西洋ひるがお《ヽヽヽヽヽヽ》の渦巻《うずま》きとばら色のエニシダの小枝が出ており、えにしだの小枝には、幾枚かの羊歯《しだ》の葉、すばらしい色彩と光沢の葉をつけた何本かの樫《かし》の若枝がまじっています。そして、すべてが|しだれ《ヽヽヽ》柳のようにつつましくひれふし、祈りを捧げるようにおどおどした哀願の気配を示しながら、さしのべられているのです。その上のところで、ほぼ黄色に近い色の葯《やく》をなみなみとそそぎかける|もくせい草《ヽヽヽヽヽ》の、いっぱいに花をつけたほっそりした茎がたえず揺れうごいているさまを想像してみてください。そしてまた、雪をかぶったピラミッドのような格好をした野の萱《かや》と河辺の萱、緑色の髪のような雀麦、俗に風向草と呼ばれている、ほっそりした羽根飾りをつけた|ぬかぼ《ヽヽヽ》を想像してみてください。これらのものこそ、青春の夢がその飾りとする紫色がかった希望そのものであり、花咲く茎のまわりに光線がきらめく亜麻《あま》色の地を背景にして、その希望がくっきりとうかびあがっているのです。だが、その上のほうには、すでに幾輪かのベンガル産のバラがまばらに挿しこまれ、そのあいだに|葉にんじん《ヽヽヽヽヽ》の思うさま伸びきったレースのような葉、ワタスゲの綿毛、|しもつけ草《ヽヽヽヽヽ》の薄い羽毛、野生のチャーヴィルの小|繖《さん》形花、実《み》をつけた|せんにん草《ヽヽヽヽヽ》の金髪、乳白色のリンドウのかわいらしい十字架、|西洋のこぎり草《ヽヽヽヽヽヽヽ》の繖《さん》房花序、ばら色と黒のまじった花をつけた|西洋えんごさく《ヽヽヽヽヽヽヽ》のもつれあう茎、ブドウの巻ひげのような蔓《つる》、|すいかずら《ヽヽヽヽヽ》の曲がりくねった若枝など、要するに、そういう素朴な植物のもつこの上なく乱雑でこの上なく分裂した感じのことごとくが、つまり炎の形の花々や、三葉になった雌蕊《めしべ》や、槍形や鋸《のこぎり》状の歯や、魂の奥底でとぐろを巻いている欲望さながらのねじ曲がった茎などのすべてが、そこにひしめきあっているのです。この滔々《とうとう》とあふれでる愛の奔流のさなかから、いまにもはじけそうな実をつけて、みごとな一輪の八重の赤い|けし《ヽヽ》の花が高々と伸びあがり、その燃えあがる火の粉のような色を星形のジャスミンの上にひろげ、無数のきらめく微粒で陽光を反射しながら空中に輝く美しい雲のような、たえまなく降りそそぐ花粉の雨を見おろしているのです! |はるがや《ヽヽヽヽ》のなかに隠されたアプロディーテ〔ギリシャ神話の愛と美と豊穣の女神〕の香りに陶然とさせられたら、はたしてどんな女性が、この心に秘めたもろもろの想念の豪華な饗宴を、このやむにやまれぬ衝動にかき乱された純白の愛情を、そしてじっとおさえつけられた倦《う》むことを知らぬ永遠の情熱が、幾度となく繰りかえしてきた争闘のなかで、ついに拒まれ通しだった幸福をなおも求めつづけるこの赤い恋の欲求を、理解せずにいられるでしょうか? この愛を語る花束のみずみずしい細部や、微妙な対比や、唐草模様《からくさもよう》がはっきり見えるようにするために、また心を動かされた最愛の女性の目に、ひとしお咲き匂った花から涙がこぼれてくるさまが見えるようにするために、それを十字窓の光線のなかに置いてごらんなさい。彼女はいまにも身を任せそうになるでしょう。天使か、さもなければ子供の声が、深淵のふちで彼女をひきとめねばならなくなるでしょう。そもそも人間は神に何をさしだすのでしょう? 芳香と光と歌、つまり私たちの天性のもっとも純化された表現を、です。だとすれば、人間が神に捧げるあらゆるものが、この光にあふれた花々の詩のなかでは、愛に捧げられていたのではありますまいか? 隠された官能の喜びとか、語られぬ希望とか、暖かい夜の|かげろう《ヽヽヽヽ》のように燃えあがったり消えうせたりする幻影などを優しく愛撫しながら、その旋律《せんりつ》をたえず心にささやきかけるこの花々の詩のなかでは。
このような当たりさわりのない楽しみは、私たちにとって、恋人の姿を長いあいだじっとみつめている状態のために、また眺める対象の姿態の奥底まで照らしだして楽しむ視線のために、自然にいらいらとたかぶってくる情をまぎらわせる上で、大きな救いになってくれました。それは私にとっては、あえて彼女にとってはとは申しませんが、崩れがたい堰《せき》のなかにたたえられた水の吐け口となったり、しばしば必然の力の一部と化して災害を防ぐのに役立ったりすることもある、そういう割れ目のようなものでした。欲望の禁圧には、ダンからサハラにかけて旅人にマンナ〔ダンはヨルダン河の源流に近いパレスチナの小都市。マンナはイスラエルの民が天から与えられた食物〕を与えてくれるあの空から、一滴一滴と落ちてくる水滴によって防がれるあの死ぬほどの疲労に似たものが、かならず伴なっているものなのです。それはそれとして、こうした花束を眺めながら、アンリエットが両腕をだらりとたらし、奔騰《ほんとう》する夢想に沈む姿、さまざまな思いが胸をふくらまし、顔を生気づけ、波となって襲いかかり、泡をたてて湧きかえり、脅《おびや》かすように迫ってきたあげく、虚脱感を誘うような倦怠を残していく奔騰する夢想に沈む姿を、しばしば、私は思いがけずみつけたことがありました。このとき以後、私は誰のためにもけっして花束をつくったことはありません! この私たちだけが使う言葉をつくりだしたとき、私たちは、主人をだます奴隷のような満足感を味わっていたのです。
その月が終わるまでの期間、私が庭から庭を走りまわっていると、ときおり、ガラス窓にぴったりくっついている彼女の姿を見かけることがありました。でも、私が広間にはいっていくと、彼女はいつも刺繍《ししゅう》台にむかっているのです。私が定刻に着かなかったりすると、といってもべつに時間をはっきりきめておいたわけではありませんが、ときおり、白い衣裳を着た彼女の姿が築山《つきやま》の上をさまよっていることがありました。そういうところを私にひょっこりみつかると、彼女はこんなふうに言うのでした。
「あなたを迎えにきてあげてましたのよ。だって、末っ子にはすこしは優しくしなければいけないでしょ?」
伯爵と私のあいだでは、痛ましいトリクトラクの勝負もずっと中断されていました。最近の土地の取得のために、伯爵はほうぼう駆けまわったり、証書をつくったり、検査をしたり、境界をきめたり、測量をしたりしなければなりませんでした。彼はいろいろ指図をあたえることに忙殺されていましたし、主人の目をどうしても必要とする、そして夫人と二人で決定されることになる畑の仕事も忙しかったのです。夫人と私とは、よく子供たち二人を連れて、新しい地所にいる伯爵のところへ会いにいったことがありましたが、その道々、子供たちは|かぶと虫《ヽヽヽヽ》や|ぞう虫《ヽヽヽ》のような昆虫を追いかけたり、彼らなりの花束、というより正確に言えば、花をたばねた輪をつくったりするのでした。愛する女性といっしょに散策すること、彼女に腕を貸してやること、彼女の歩く道を選んでやること、この限りない喜びは一生を賭けるにたりるものです。そんなとき、私たちがかわす言葉もじつに信頼にみちたものとなります。行きは私たち二人きりですが、帰りは将軍といっしょでした(これは私たちが機嫌のいいときの伯爵を呼ぶのにつけた、ごく軽いからかいの仇名《あだな》です)。この二通りの散策のしかたには、結合をはばまれた二人の心にしかわからぬいちじるしい対照があったので、私たちの楽しみには微妙な差が生じました。帰り道には、見かわす目つきとか、握りあった手とか、同じ喜びにも不安がいりまじります。言葉にしても、行きにはあれほど自由だったのに、帰りになると神秘的な意味を帯びるようになって、罠《わな》をかけるような質問にたいして、しばらく間を置いてからどちらかが答えをみつけることになったり、なにか議論がはじまれば、フランス語がじつにぴったりと当てはまる、そして女性がじつに巧妙につくりだすあの謎めいた形の会話で、その議論がつづけられることになったりします。いわばお互いの精神が俗衆から遠く離れ、世俗の掟の目をくらましながら一つに結びつく未知の領域とでもいった場所で、こんなふうに理解しあうという喜びを味わったことのある人が、かつて誰かあったでしょうか?
ある日、私は愚かしい希望をいだいたことがありましたが、私たちの話を知りたがった伯爵の質問にたいして、アンリエットが彼をうまく言いくるめられる二重に意味のとれる表現で答えたので、その愚かしい希望もすぐきれいに雲散霧消してしまいました。その無邪気なからかいの言葉はマドレーヌをおもしろがらせはしましたが、あとで夫人を赤面させることになり、彼女は厳しい視線をむけて、いつぞや手をふりほどいたときと同じように、今度は魂もふりほどくかもしれないということを私に知らせ、非のうちどころのない妻という立場を守りつづけようとしました。けれども、この純粋に精神的な結合にはやはり大きな魅力がありましたから、翌日、私たちのあいだはまたもとどおりになりました。
たえずよみがえってくる喜びにみちあふれながら、こうして時間は流れ、日々は過ぎ、幾週間かが経過しました。ブドウのとりいれの時期がやってきましたが、トゥーレーヌではこれはまさにお祭りなのです。九月の終わりになると、太陽は麦の収穫の頃ほど暑くないので、陽《ひ》焼けや過労の心配をすることなく、戸外に出ていられます。それにブドウを摘《つ》むのは麦を刈ることよりやさしいのです。果物はすっかり熟しています。そういう豊かさが生活を幸福なものにしてくれます。けっきょく、汗と同じくらい多量の金が埋もれていく畑仕事がどういう結果になるか、あれこれ案じていた取越苦労も、ぎっしり詰まった穀物倉とまもなくいっぱいになるはずの酒倉を目の前にして、もうすっかり消え去っています。そこで、ブドウのとりいれは、あたかも麦の収穫の饗宴のあとの楽しいデザートのようなものになり、秋がいちだんとすばらしいトゥーレーヌでは、空はいつもとりいれにほほえみかけてくれるのです。客を厚くもてなすこの地方では、ブドウ摘《つ》みの連中も、邸でごちそうになります。この食事は、そういう貧しい人々にとっては、毎年、丹念に献立《こんだて》した滋養に富む食事をとる唯一の機会ですから、彼らは、ちょうど家長制大家族の家庭の子供たちが毎年の記念日の大宴会に愛着するように、その食事に愛着しています。ですから、主人がけちけちせずにもてなしてくれる家へ、彼らは大勢で押しかけていくのです。そこで、家のなかは客と食物でいっぱいになります。圧|搾《さく》機の蓋《ふた》はしじゅう開かれっぱなしです。樽つくりの職人たちや、笑いさざめく娘たちを乗せた荷車や、一年のうちでいちばんよい賃銀をもらって、なにごとにつけても歌ばかり歌っている連中のかもしだす動きによって、いっさいが活気づいているかに思われます。それにもう一つの楽しい理由は、身分がごたまぜになることです。女、子供、主人、使用人、誰も彼もみんな神の恵みのぶどう摘《つ》みに参加します。
一年のうちで最後にやってくる好天の日々に繰りひろげられる哄笑《こうしょう》、そしてこの哄笑の思い出にみちびかれて、かつてラブレー〔十六世紀の大作家でトゥーレーヌの出身〕は偉大な作品のバッカス的形式の発想を得たわけなのですが、世々代々伝えられていくこの哄笑がうまれる所以《ゆえん》は、こうしたさまざまな事情によって説明がつけられるのです。子供たち、いつも病気ばかりしているジャックとマドレーヌは、それまで一度もぶどう摘みにいったことがありませんでした。私も彼らと同じでしたが、その私が自分たちと興奮をともにするありさまを見て、彼らはなにかいかにも子供らしい喜びかたをしました。というのは、私たち三人を連れていくと夫人が約束してくれたのです。私たちは、この地方独特の籠《かご》の生産地であるヴィレーヌへ出かけていって、とびきり美しいのを注文しました。私たち四人だけで摘む場所を、幾列かとくにとっておこうということになりました。ただし、ぶどうをあまり食べすぎないようにときめられました。トゥーレーヌ特産の大粒の|コーぶどう《ヽヽヽヽヽ》をぶどう畑で食べるのは、たいへんすばらしいことらしく、食卓に出るいちばんみごとなぶどうさえ、鼻さきで軽くあしらわれるしまつでした。どこの収穫も見にいかないで、かならずクロシュグールドのぶどう園のとりいれを待っている、ジャックは私にそう約束させました。ふだん病弱に悩んで青白い顔をしているこの二人の子供たちが、その朝ほど生き生きと血色がよく、さかんに動きまわったり飛びまわったりしたことはついぞありませんでした。彼らはおしゃべりのためにおしゃべりをし、はっきりした理由もなしに歩きまわったり、駆けだしたり、またもどってきたりしていました。それもほかの子供と同じように、生命がありあまっているので、揺りおとさずにはいられないというようにみえるのでした。モルソーフ夫妻も、彼らのそんなようすを見たことがありませんでした。私も彼らとともに子供に返りました。たぶん彼ら以上に子供に返っていたかもしれません。なにしろ、私もぶどう摘みを待ち望んでいたのですから。私たちは快晴のなかをぶどう畑へ出かけ、そこで半日過ごしました。誰がいちばんみごとな房をみつけるか、誰がいちばん早く籠をいっぱいにするか、私たちはなんと熱心に競《きそ》いあったことでしたか! ぶどうの木と母親とのあいだの往復が繰りかえされ、一房摘み終わると、それはかならず夫人の前にさしだされるのでした。そのうち、彼女の若々しさにみちた楽しそうな笑い声をあげました。それは私がマドレーヌのあとから籠をかかえて近づいていき、彼女にむかってマドレーヌと同じようにこう言ったときでした。
「じゃあ、ぼくのはどう、ママ?」
すると、彼女はこう答えました。
「あんまり熱中しすぎちゃだめよ」
それから、私の首筋や髪の毛をかわるがわる撫《な》で、頬を軽く突っついてこうつけくわえました。
「まあ、あなた、汗びっしょりよ!」
これは私があの声の愛撫を聞き、恋人どうしの呼びかけの|あなた《ヽヽヽ》を耳にした唯一の機会でした。|さんざし《ヽヽヽヽ》や|木いちご《ヽヽヽヽ》の赤い実が一面についたきれいな生垣《いけがき》を私はみつめていました。子供たちの叫び声を聞き、ぶどう摘みの女たちの群れ、樽をいっぱいに積んだ荷車、負籠《おいかご》を背負った男たちの姿を眺めていました! ああ、私はいっさいを記憶のなかに刻みこんだのです、彼女がすがすがしく、上気して頬を染め、微笑を含んで、日傘をひろげてその木蔭に立っていた巴旦杏《はたんきょう》の若木にいたるまでのいっさいを。それから、私は黙々とたえずむらなく身体を動かし、魂を自由にさせてくれる緩《ゆる》やかで整然たる歩調でもって、ぶどうの房を摘んだり、籠をいっぱいにしたり、収穫の樽《たる》のなかにそれをあけにいったりしました。私は外面的な労働のなんともいえぬ楽しさを味わいましたが、このような労働は、こうした機械的な動作がなければ、そべてを焼きほろぼしかねない情熱の流れを調整して、生活を円滑《えんかつ》に運んでいってくれるものなのです。私は、規律正しい労働のなかにいかに多くの叡智《えいち》が含まれているかを知りましたし、僧院の規則というものにも納得がいきました。
まったく久しぶりに、伯爵は陰気さも苛酷さも見せませんでした。いまにルノンクール=モルソーフ公爵になる自分の息子が、いかにも元気そうで、白い肌をばら色に染め、ぶどうの汁で顔を汚しているようすを見て、彼の心もはればれとなったのです。その日はぶどうのとりいれの最後の日であり、将軍《ヽヽ》はブルボン王家の復活を讃える意味で、夜になったらクロシュグールドの前でダンスの会を開くことを約束しました。こうして、お祭り気分は全員にとって申しぶんのないものになりました。帰り道に、伯爵夫人は私の腕をとりました。そして、私の心臓が彼女の心臓の重みをすっかり感じとれるように、ぴったりと私に寄りかかってきましたが、自分の喜びを伝えようとするこのいかにも母親らしい動作をしながら、彼女は私にこう言いました。
「あなたは、わたしたちに幸福をもってきてくださいましたのね!」
彼女の眠られぬ夜々のこと、さまざまな不安のこと、神の手で支えられているにはせよ、すべて無味乾燥《むみかんそう》で骨の折れることばかりだったそれまでの生活のことなどをよく知っている私にとっては、たしかに、この美しい声で感情をこめてささやかれた言葉こそ、その後どんな女性も私にあたえることのできなかった喜びを、はぐくんでくれるものになったのでした。
「毎日不幸なことずくめだった日々も、もうこれで終わりになりましたわ。いろいろな希望もあって、人生がまたすばらしいものになりますわ」しばらく間を置いてから彼女はそう言いました。「ほんとに、わたくしのそばを離れないでくださいませね! わたくしの無邪気な迷信を裏切らないでくださいね!どうかお兄さまとして、あの弟や妹を保護してやってくださいね!」
ナタリーよ、ここには小説めいた感情などまるでありません。そこに秘められた無限の深い感情を発見するためには、若い頃にみずから苦しみの大きな湖のほとりで暮らし、そのなかに測鉛を投げこんだという経験が必要とされるのです。
たとえ多くの人々にとっては、情熱とは乾燥した岸辺のあいだを流れる溶岩の奔流であったにせよ、越えがたい障害に抑えられた情熱が火山の噴火口を澄みきった水でみたしているような魂、そういう魂もまた存在するのではありますまいか?
私たちはさらにもう一度、同じような楽しいお祭り気分にめぐりあいました。モルソーフ夫人は子供たちを生活上のいろいろなことに慣れさせて、お金を手にいれるための苦しい労働についての知識をあたえておきたいと望んでいました。そこで、彼女は農作物の出来不出来に影響される収入源を、彼らのために設定しました。クルミの収益がジャックのもの、栗の収益がマドレーヌのものときめられました。それから数日後、私たちは栗とクルミのとりいれをしたのです。私たちはマドレーヌの栗を竿でたたき落としていき、栗の木のはえるやせた土地の乾いた艶《つや》のないビロードのような地面の上に、栗の実が|いが《ヽヽ》のせいで跳《は》ねかえりながら落ちてくる音を聞きました。自分にとって、なんの制約もなしに自由に手にいれられる楽しみの表示であるその栗の価格をあれこれ値ぶみしながら、積まれた山を調べている少女のまじめくさった真剣な態度を目にしました。家政婦のマネットは、子供たちにたいして伯爵夫人のかわりを勤められるただひとりの女性でしたが、その彼女のお祝いの言葉も聞きました。変わりやすい気候のせいで、しばしば危険にさらされることのある些細な富のとりいれに不可欠な労苦が費やされていく現場を見ることによって得られる教訓も、私たちはまざまざと目《ま》のあたりにしたわけですが、これこそ子供特有の天真爛漫な喜びが、秋のはじめの荘重な色彩のなかで、ひときわ好ましいものと映ずる一場面でした。マドレーヌは自分専用の納屋《なや》をもっていましたが、私は彼女がそこに栗色の財産をしまうところを、彼女と喜びをともにしながら見とどけたいと思いました。ああ、床《ゆか》がわりに敷かれた泥のまざった黄ばんだ屑《くず》の上を、負籠《おいかご》をあけるたびにころがっていった栗の音を思いだすと、私はいまもなお胸がわくわくしてきます。そのなかから、伯爵が家で必要な分を買い入れました。差配や使用人たちやクロシュグールドのまわりの人々が、それぞれ「お嬢ちゃま」のために買い手をみつけてくれました。これはもともとはこの地方の農民たちが、よそ者にたいしてまで好んで使う親しみのこもった呼びかたなのですが、どうやらそれがとくにマドレーヌにたいしてだけ使われるようになっていたらしいのです。
クルミの摘みとりについては、ジャックはそれほど幸運に恵まれず、数日間雨が降りつづいたのですが、私はくるみの実を手もとに取っておいて、しばらく経ってから売るようにと忠告して、彼を慰めてやりました。その年はブレモンのほうでも、アンブロワーズのほうでも、ヴヴレーのほうでも、くるみの実がろくにならないという話を前にシェッセル氏から聞いていたからです。トゥーレーヌでは、くるみの油はたいへんよく使われます。くるみ一本について、すくなくとも二フランはジャックの手にはいるはずであり、彼の所有の木は二百本くらいでしたから、総額はそうとうなものになりました。彼はそれで乗馬の道具を買いたいと望んでいました。彼の希望は全員のあいだに議論を捲《ま》きおこし、父親は収入というものの不安定なことや、木々が実をつけない年のために積立金をつくり、平均した収入が得られるようにする必要があることを、息子によく考えさせようとしました。伯爵夫人はだまっていましたが、その沈黙のなかに私は夫人の心を読みとりました。つまり、ジャックが父親の意見に耳を傾ける姿を見、そして彼女があらかじめ用意しておいたこの崇高な欺瞞《ぎまん》のおかげで、父親がそれまで失っていた品格をいくぶんかでも回復する姿を見て、彼女は喜んでいたのです。前にこの女性のひととなりを述べるにあたって、地上の言葉にはその特質や天性を表現する能力がない、私はそうあなたに申しあげたことがなかったでしょうか!
こういう種類の場面が起こると、魂はもっぱら歓喜を味わうばかりで、それを分析しようなどとはしないものです。しかし、時が経つと、不安に苛《さいな》まれた生涯という暗黒の背景の上に、そうした歓喜が、たいへん力強くうかびあがってくるものなのです! ちょうどダイヤモンドのように、それはさまざまの合金でいっぱいになった思いを飾りの枠としつつ、言いかえれば、はかなく消え去った幸福のなかに溶けこんだ数々の愛惜《あいせき》にみちた思いを飾りの枠としつつ、燦然《さんぜん》と輝いているのです! 最近買いいれられたばかりで、モルソーフ夫妻がしきりに気にかけていたカシーヌとレトリエール、なぜこの二つの地所の名が、聖地やギリシャのもっとも美しい地名にもまして、私の感動を誘うのでしょうか? 「愛する者は言葉に語る!」ラ・フォンテーヌ〔十七世紀の文学者。寓話形式の作品を数多く残した〕はそう叫びました。その二つの地名には、降神術に用いられる燦然たる言葉のもつ護符《ごふ》のような魔力がそなわっていて、私に妖術を説きあかしてくれますし、眠っているもろもろの形象を目ざめさせては、それをただちに起きあがらせて私に語りかけさせてくれるのです。私をあの幸福の谷間へ連れていってくれますし、あの空と風景をまざまざとつくりだしてくれるのです。ともあれ、降神術というものは、精神界のさまざまな領域で、昔からたえず行なわれてきたのではないでしょうか? ですから、私がこんなありふれた場景のことばかりお話ししても、どうか驚かないでください。この単純であたりまえといってもいいような生活のどんな些細なことがらですら、それほど大きな絆《きずな》になったわけなので、たとえうわべは微弱であったにせよ、ほからなぬその絆を通して、私は伯爵夫人と緊密に結びついていたのです。
子供たちの収入のことは、彼らのひよわな体と同じくらい、モルソーフ夫人の心痛の種になっていました。この地方について、政治家ならば心得ておかねばならぬような微細な問題を知るにつれて、私は徐々に一家の経済問題にも通じていきましたが、それとともに、一家の経済における自分のひそやかな役割に関して、彼女が前にもらしてくれた事柄の真相もやがてわかるようになりました。十年間努力したあげく、彼女はその所有地の耕作法を一変したのでした。そして「四年だて」にしたのです。これは毎年一種類の作物に大きな収穫をあげさせるために、耕作者は四年ごとに一度しか麦を蒔《ま》かないという新しい方法の結果を指すものとして、この地方で使われている表現です。とにかく、農民たちの頑固さをうちやぶるためには、従来の契約を解除し、彼女の所有地を四つの大きな小作地に分割して、トゥーレーヌとその近隣の地方特有の小作法である「折半」でやっていかなければなりませんでした。地主はまじめな小作人にたいして住居や農事小屋や種子をあたえ、そして栽培費と収穫高を分割するのです。この分配は「差配」つまり地主のものになる半分を取りたてる役目の人間によって監督されるのですが、これは分配物の性質しだいで計算法がしじゅう変わるので、費用のかさむ複雑な制度なのです。さらに、伯爵夫人はモルソーフ氏に勧めて、クロシュグールドの周囲の土地で五番目の農地をつくり、それを自作させることにしましたが、これは伯爵の仕事をつくるためであると同時に、歴然たる事実によって、「折半小作人」に新しい方法の優秀さを見せつけるためでもあったのです。耕作の指導に優れた力をそなえていましたから、彼女は徐々に、そして女らしい根気強さでもって、四つの折半小作地のうちの二つを、アルトワ地方やフランドル地方の農場にならって立て直させたのでした。
彼女の意図はたやすく推察できます。折半小作契約の満期になると、彼女はクロシュグールドの収入をもっと簡単なものにするために、四つの小作地を二つのりっぱな農園につくりかえ、それを勤勉で頭のきれる人間に賃貸しすることにしたのです。自分がさきに死んだらと心配していましたから、彼女は伯爵には徴収しやすい収入源を、子供たちにはどんな無経験でも危険に陥らずにすむ財産を残しておこうと心を砕いていたのです。その当時は、植えてから十年も経つ果樹がさかんに収穫をあげるようになっていました。将来の紛争にそなえて地所のまわりにつくった生垣《いけがき》も、すくすく伸びていました。ポプラも楡《にれ》の木も、すべてみごとに育ちました。新しく手にいれた地所をあわせ、すべてに新しい経営方式を導入すれば、クロシュグールドの土地は四つの大きな農場に区分されることになり、もっともなかの二つはまだこれから整理しなければならないわけですが、とにかく四つの農場それぞれ四千フランずつの割合として、合計して現金で一万六千フランの利益をもたらすことが可能です。ぶどう畑や、その地つづきの二百アルパン〔土地の面積をあらわす単位。一アルパンは約一エーカーにあたる〕の森林や、例の試作農園を別にしてです。この四つの農場へいく道は、すべて一本の広い並木道に通ずる予定になっていましたし、その並木道をまっすぐいけば、シノン街道に接続できるようになるはずでした。並木道とトゥールの木よりはわずか五リューほどでしたし、とくにちょうどみんなが口々に伯爵のやった改良のことを噂し、改良の成功、地味の質的向上のことを語りあっているさいでしたから、農場の借り手がいないはずはありませんでした。新しく買いいれた二つの地所の双方に、夫人はそれぞれ約一万五千フランほど投じ、前の持主の邸を大きな農園に変えましたが、これは一年か二年耕作してから、もっと有利な値段で貸すようにするためでした。さしあたってそこには管理人として、マルティーノとかいう男を派遣したのですが、これは差配のなかでいちばん善良で、いちばん誠実な男であり、しかも彼はまもなく職がなくなることになっていました。というのは、例の四つの小作地の折半契約が満期に近づき、それを二つの農園にまとめて賃貸しする時期がきていたからでした。
彼女の着想はじつはたいへん簡単なものでありながら、三万何千フランかの出費が必要なために複雑化し、それが当時伯爵とのあいだで、えんえんとつづく言い争いの種になっていました。なんともひどい争いであり、それをつづけているあいだ、彼女を支えるものといえば、ただ二人の子供のためという気持ちがあるだけでした。「もしわたくしが明日にでも死んだら、いったいどうなるのかしら?」そう考えると、彼女は胸がどきどきしてくるのです。
怒ることなどできず、内面の深い平和を周囲にゆきわたらせたいと願う穏和で静かな魂、そういう魂をもっている人々だけが、こうした争いのためにはどれほどの力が必要であるか、戦いをはじめる前にどんなにおびただしい血が心臓に逆流してくるか、そして戦ったあげくなにひとつ獲得できなかった場合に、どれほどの倦怠に捕えられるかということをよく知っているのです。折も折、果実の季節が効果をあらわしたせいで、子供たちは血色もよく痩《や》せかたもめだたなくなり、ずっと活溌になってきたときに、そして心をすがすがしくよみがえらせて新しい力をわきださせる満足感を味わいながら、うるんだまなざしで子供の遊ぶ姿を追っているときに、彼女は哀れにも激しい反対を浴びせかけられ、悪罵《あくば》をまじえた小理屈《こりくつ》と手ひどい攻撃に耐えていたのです。伯爵はそうした改革に怖れをなし、揺るがしようのない頑固さでもって、その改革の利益と可能性を否定しました。反対しようのない夫人の議論にたいし、彼は子供じみた反論で答え、夏の日光の影響まで問題にしかねないしまつでした。が、伯爵夫人が勝ちました。良識が愚劣さに勝ったので彼女の傷口の痛みはやわらぎ、彼女は傷を忘れました。
その日、彼女は工事の計画をきめるために、散策がてらカシーヌとレトリエールへ出かけていきました。伯爵は一人で先にたって歩き、子供たちがそのあいだにはいって、私たちは二人ともうしろのほうから、ゆっくりとついていきました。というのは、彼女があの優しい低い語調で私に語りかけたからなのですが、その語調のせいで、彼女の言葉は、さながらこまかい砂の上に海がささやきかける小波かと思われるほどでした。
成功はまちがいない、彼女は私にそう言いました。まもなくトゥールからシノンへの馬車の便に競争相手が一つ新設されることになり、これはマネットのいとこで運送屋をやっている勤勉な男の事業なのだが、彼は街道筋に大きな農場をもちたがっている、ということでした。その男は家族が多く、長男が馬車の馭者をやり次男が運送をやるそうで、父親が街道筋、つまりこの貸農場の一つで、道筋の中央にあたるラブレーにいれば、馬車の中継駅の監視もできるし、厩舎からできる肥料で地味を改良しつつ、きちんと耕作をしていくこともできるだろう。もう一つのボードという農場、つまりクロシュグールドのすぐ近くにある農場のほうは、四人の小作人のうちの一人で、誠実で頭もきれる勤勉な男が、新しい耕作法の利点を理解し、すでに賃貸契約したいと申しでている。カシーヌとレトリエールとは、この地方でもいちばんよい土地で、ここに農場が設けられて耕作がはじめられるようになったら、トゥールに広告を出しさえすればよろしい。もう二年も経てば、クロシュグールドは年収約二万四千フランの土地になるだろう。モルソーフ氏の手にもどることになったあのメーヌ州の農場グラヴロットも、最近、九か年七千フランで貸すことになった。それに陸軍少将の年金は四千フランになる。こうした収入ではまだ財産とまではいかないにせよ、だいぶ楽な暮らしができるようにはなるだろう。もっと時間が経てば、ほかのほうもいろいろ改善されて、たぶんいつかはパリへいって、ジャックの教育に気を配ることもできるようになるだろう。ジャックの教育は、もう、二年ぐらいして、この推定相続人の健康がしっかり固まってからのことになるけれども。
その「パリ」という言葉を口にしたとき、彼女の声はなんと激しくふるえたことだったでしょう! 私のこともその計画の根本になっていて、私という友人からできるだけ離れたくない、と彼女は思っているのでした。その言葉を聞いたとたん、私の心は激しく燃えさかり、彼女は私という人間をよく知らないのだと言いました。彼女にはっきり明言はしなかったけれども、私はかねがね昼夜をわかたず勉強して自分の教育を磨きあげ、ジャックの家庭教師になろうともくろんでいたのだ、と。それというのも、彼女の家庭のなかに誰か別の若い男がいると知らされることなど、考えるだけでも耐えられないだろうから。
この言葉を聞くと、彼女はまじめな調子になりました。「いいえフェリックス」と彼女は言いました。「それではいつぞやの司祭になるというお話と同じではありませんか。あなたのそのたった一言に、母親としての気持ちは奥底まで動かされますけれど、女としては本当に心からあなたに愛を注いでいるのですから、あなたが愛情の犠牲になるままほっておくわけにはまいりませんわ。そんな犠牲的な献身の報いといったら、手のつけようもないほど世間の評判が悪くなるだけですし、それにたいして、わたくしはどうすることもできません。いいえ、いけません、わたくしはどんなことにせよ、あなたの禍《わざわい》にはなりたくございません! あなたが、ヴァンドネス子爵であるあなたが、家庭教師にですって? あなたともあろう方が、紋章の気高い銘句が、『おのれを売らず』となっている、あなたともあろう方が! そんなことをなさったら、たとえあなたがリシュリュー〔十七世紀の政治家でルイ十三世時代の宰相(一五八五ー一六四二)〕のような方であったとしても、人生の道は永久に閉ざされてしまいます。あなたのご家族にも、このうえなく深い悲しみをあたえることになります。ああ、あなたはまだご存じないのですわ、わたくしの母のような女が保護者ぶった目つきのなかに無礼な色をうかべたり、ちょっとした言葉にも見くだした調子をこめたり、おじぎ一つするのにも軽蔑を含ませたりするのを」
「でも、あなたがぼくを愛してくださりさえすれば、世間がなんだというんです?」
彼女は聞こえないふりをして、そのままこの言葉をつづけました。
「わたくしの父はりっぱな人で、わたくしの頼むことは聞きとどけてやろうという気持ちでいるのですけれど、あなたが世間で妙な地位にいらしたら許しはしないでしょうし、あなたのお力になることもきっと断わるでしょう。たとえ王子さまの教育係であろうと、わたくしはなっていただきたくありません。ありのままの社会を受けいれられて、処世の上での過失を犯したりなさらないでください。あなたときたら、そんな突飛な提案で……」
「愛ゆえのです」私は小声でそう言いました。
「いいえ、思いやりからの提案ですわ」彼女は涙をこらえながら言いました。「そんなとんでもない考えをいだかれることからも、わたくしにはあなたの性格がよくわかります。あなたの優しいお気持ちが、いまにきっとあなたの害になります。いまこの瞬間から、あなたにいろいろなことを教えてさしあげる権利をください、と要求いたしますわ。さしでがましいようですが、ときどき女の目からあなたのことを考えさせてくださいませ。そうですわ、わたくし、クロシュグールドの片すみから、ひそかに、そして喜びながら、あなたのご成功を見まもっていたいのです。家庭教師の件は、どうぞもうご安心ください、昔のイエズス会の方かなにか、りっぱな年とった司祭さまでもみつけるようにしますし、父も自分の家名を名乗るはずの子供の教育のためなら、喜んで費用を出してくれるでしょう。ジャックはわたくしの誇りです。あの子だってもう十一ですわ」しばらく間を置いてから、彼女はそう言いました。「でも、あの子もあなたと同じですの。あなたをはじめて拝見したとき、わたくし、十三ぐらいにお見うけしたのですもの」
私たちはもうカシーヌに着いていました。ジャックとマドレーヌと私は、この農場で、まるで幼児が母親のあとを追うように彼女のあとばかり追いまわしていました。が、私たちがいては邪魔になるばかりでした。そこで私はしばらく彼女のそばを離れ、果樹園のほうへいってみると、番人をしている兄のマルティノーが、差配の弟のマルティノーといっしょに、切り倒すべき木とそうでない木とを調べているところでした。彼らはまるで自分たちの財産のことを議論するような調子で、その問題を論じあっていました。そのとき、伯爵夫人がいかに愛されているか、私ははっきり見とどけたのです。鋤《すき》の上に片足をのせ、その柄に肱《ひじ》をついて、二人の果樹学の大家の議論をそばで傾聴している貧しい日雇《ひやとい》人夫に、私は自分の思っていることを話してみました。
「いや、そうですとも、旦那」とその男は答えました。「まったくりっぱなご婦人ですよ、それにお高いところがなくて、アゼーのみっともねえ女どもとはてんで違いますよね、あの連中ときたら、溝一トワーズについてあっしどもに一スーよけいに出すよりは、あっしどもをくたくたに疲れさせるほうがよいというんですからなあ! あの方がこの土地から立ちのかれる日がきたら、聖母さまもお泣きになるでしょうし、あっしどもも泣きますね。あの方は、自分が当然取るべきものはちゃんと知ってらっしゃる。でも、あっしらの苦労をご存じだし、そいつをちゃんと考えにいれてくださるからね」
じつに大きな喜びを味わいながら、私はこの男に所持金を全部やってしまいました!
それから数日後、ジャックのところに小馬が一頭とどきましたが、これはすぐれた騎手である父親が、息子を徐々に乗馬の苦労に慣れさせておこうと考えたからなのです。ジャックは、クルミの収入で買ったきれいな乗馬服も手にいれました。彼が父親につきそわれてはじめての稽古《けいこ》をしたとき、マドレーヌはびっくりして叫び声をあげ、ジャックがまわりを乗りまわしている芝生の上に跳《と》びあがったりしましたが、その朝こそ伯爵夫人にとっては、母親としてのはじめての晴れの祝祭の日でした。ジャックは、母親に刺繍《ししゅう》してもらった襟飾《えりかざ》りをつけ、空色の地の小さなフロックコートを着て、その上からエナメルを塗った革帯をきっちり締め、ひだのついた白いズボンをはき、スコットランドふうの騎手帽の下から、灰色がかった髪の毛をふさふさとたらしていました。まったく、それは見るからにうっとりするような姿でした。それで、家の使用人たちまでみんな集まってきて、家族の喜びをともに分かちあいました。幼いあとつぎは母親のそばを通りかかると微笑を投げかけ、べつにこわがるようすも見せずちゃんと乗っていました。あれほどしばしば死に近づいたこの子供のはじめての男性らしい行為、彼の姿をたいへんりっぱに、たいへんかわいらしく、たいへん颯爽《さっそう》と見せてくれるこの乗馬によって保証される華やかな将来への期待、ああ、なんと喜ばしい報いでしょうか! 若々しくなり、久しぶりの微笑をうかべた父親の喜色、すべての使用人たちの目に描きだされている幸せの思い、ちょうどトゥールからもどってきていたルノンクール家の老調馬師の叫び。ジャックの手綱《たづな》のさばきかたを見て、老調馬師はこう言ったのです。
「おみごとですよ、子爵さま!」
あまりの喜びに、モルソーフ夫人は涙にくれました。苦しいときにはあれほど冷静な彼女も、かつてしばしば日向《ひなた》を歩かせながら、その死を予知して悲しみにくれたその同じ砂地の上に、いま馬を乗りまわしているわが子の姿を眺めていると、喜びをこらえきれぬほど気が弱くなってしまうのでした。そのとき、彼女はなんの良心の呵責《かしゃく》もなく私の腕にもたれかかって、こう言いました。
「わたくし、苦しんだことなどないような気がしますの。今日はずっとわたくしたちといっしょにいらしてくださいませね」
稽古が終わると、ジャックは母親の腕のなかに駆けこんでいきました。すると、母親は彼を抱きとめ、あふれるほどの喜びからわきあがる力をいっぱいにこめてじっと抱きしめて、果てしのない接吻と愛撫を繰りかえすのでした。私はマドレーヌを連れて、騎手を讃えて食卓に飾るために、二つのみごとな花束をつくりにいきました。私たちが客間へもどると、伯爵夫人は私にこう言いました。
「十月十五日はほんとにすばらしい日ですわ。ジャックははじめての乗馬の稽古を受けましたし、わたくしは、家中の家具の覆いの最後の仕上げを終えたところなのですから」
「そこでな、ブランシュ」と伯爵が笑いながら言いました、「このわたしからも褒美《ほうび》をあげたいのだよ」
伯爵は夫人に腕をさしだして、いちばん手前の中庭のところへ彼女を連れていきました。するとそこには、彼女の父親がくれた四輪馬車が置いてあり、伯爵がイギリスで買い求めた、そしてルノンクール公爵のものといっしょに送られてきた二頭の馬が、それにつないでありました。乗馬の稽古のあいだに、老調馬師がその中庭ですべて準備を整えておいたのでした。私たちは馬車に乗りこみ、クロシュグールドからシノン街道へまっすぐに通ずるはずになっているあの並木道の道筋を見に出かけましたが、今度の土地の買い入れのおかげで、新しい土地を横切ってその道路を造成できるようになったのです。その帰りみち、伯爵夫人は憂《うれ》いにみちた調子でこう言いました。
「わたくし、あんまり幸福すぎますわ。わたくしには、幸福というものは病気と同じで、なにかぐったりさせられてしまうのです、それにこの幸福が夢みたいに消えていきそうな気がして」
私は情熱をこめて熱愛していましたから、やはり嫉妬を感ぜずにはいられませんでしたし、しかも自分ときたら、彼女になにひとつあたえることができないのです! 腹立たしくてたまらなかったので、彼女のために死ぬ方法はないものかと思案しました。なにを考えて目をくもらせているのか、と彼女が尋ねかけてきたので、私が思ったままをすなおに話すと、彼女はどんな贈物《おくりもの》にもまして深く心を動かしたのですが、その彼女が私の心に慰めを投げこんでくれたのは、正面の踏段の上に連れていって耳もとにこうささやきかけてくれたときでした。
「どうぞ伯母と同じような愛しかたで、わたくしを愛してくださいませね、そうすれば、わたくしのために、命を投げだしてくださるのと同じことではないかしら? わたくしがそう思ってお受けすれば、わたくしにいつでも恩義をほどこしてくださっているということにはならないかしら?」
「刺繍《ししゅう》はちょうど終わるところだったのです」広間へはいろうとするとき、彼女はそう言葉をつづけましたが、その広間で、私はあらためて誓いを立て直すかのように、彼女の手に接吻しました。「あなたはたぶんご存じないでしょうね、フェリックス、わたくしがなぜあんな時間のかかる仕事を自分に課したのか? 男の方々は、仕事のなかに悲しみをおさえる手段をみつけることができますし、いろいろなことの成りゆきが気を紛らわせてもくれます。でも、わたくしども女は、悲しみを支えてくれるものを心のなかにまるでもっておりません。わたくしが悲しい思いに取りつかれたときにも、子供たちや主人に笑顔を見せることができるように、体を動かすということでもって、苦しみを調節していく必要があると感じましたの。そういうふうにして、力をたくさん使いはたしたあとにやってくる、あの無気力な状態を防ぐことができましたし、ひどい興奮状態を避けることもできました。ひとしい間隔で腕をあげたりおろしたりする動作をしていると、心が優しくゆすられますし、嵐がうなりをあげている心にも、潮の満干のような静けさがつたわってきて、興奮を整えてくれるのです。あの刺繍《ししゅう》の一つ一つの縫い目に、わたくしの秘密が打ち明けてあるのですけど、おわかりいただけるかしら? そうして、あの最後の肘掛椅子の覆いを刺繍しながら、あなたのことばかり考えていましたの! そうですわ、ほんとうに考えすぎるくらい。あなたがあの花束にこめてくださったものを、わたくしは、刺繍の模様に打ち明けていたのですわ」
夕食は楽しくすみました。ジャックは、いかにもみんなにちやほやされている子供らしく、私が王冠がわりに摘んできてやった花を見ると、私の首筋にかじりつきました。母親の夫人は、私にむかって、この背信行為が不満だというような顔をわざとしてみせました。その嫉妬を買った花束を、どんなに優雅な風情《ふぜい》で愛児が母にさしだしたか、あなたにもご推測いただけるでしょうね! 夕方、私たちは三人で、つまり私対モルソーフ夫妻で、トリストラクを一勝負やり、伯爵は上機嫌でした。やがて日の沈むころ、感情が鮮烈さの点で失った分を、深さの点で取りもどさせるような調和にみちた静かな夕暮のなかを、夫妻はフラベールの道まで送ってきてくれました。この日こそ、この哀れな女性の生涯においてかけがえのない一日であり、その後苦しい折々に、その思い出をたどってなつかしむことになる輝かしい一点でした。そしてじっさい、しばらくすると、乗馬の稽古が不和の種になったのでした。かねがね伯爵夫人は、父親が息子を荒々しく叱るのではないかと心配していたのですが、まさにそのとおりでした。ジャックは早くも痩《や》せこけて、美しい青い目のまわりには隈《くま》ができました。母親に悲しい思いをさせまいとして、彼はだまって苦しむほうがいいと考えたのです。私は彼の苦しみを救う方法をやっと一つみつけて、伯爵が怒りだしたら、もう疲れたと父親に言うようにと勧めました。しかし、こんな姑息《こそく》な手段では不充分でした。けっきょく、老調馬師が父親と代わるほかなくなったのですが、父親から生徒をひきはなさせるまでには、さんざん悶着《もんちゃく》がありました。こうして、どなり声と言い争いがまたぶりかえすことになりました。伯爵はたいざる不平の題目として、女には感謝の念が乏しいということを言いたてました。あの四輪馬車のこと、馬のこと、馬丁のお仕着せのことを、日に何度となく妻の前にもちだすのでした。
こういう種類の性格をもち、こういう種類の病気をもつ人間がとかくしがみつきたがるような事件が、ついに一つもちあがりました。カシーヌでもレトリエールでも、傷《いた》んでいた壁や床板が崩れて、出費が予算の半分くらい超過してしまったのです。不手際《ふてぎわ》なことには、一人の職人がそれを知らせにきて、伯爵夫人に言わずに、モルソーフ氏に言ったのです。言い争いははじめのうちこそ穏やかでしたが、だんだん険悪になり、数日来おさまっていた伯爵の憂鬱症《ゆううつしょう》が、哀れなアンリエットに延滞金を要求しました。
その日、私は朝食をすませてから十時半にフラベールを出て、クロシュグールドへきてマドレーヌといっしょに花束をつくっていました。子供は築山《つきやま》の手摺《てすり》垣根の上に花瓶を二つもってきてくれ、私はたいへん美しい、しかしとても数のすくない秋の花々を探しながら、あたりの庭園をあちこち歩きまわっていました。最後の花探しからもどってくると、ばら色のベルトをしめ、ぎざぎざの縁飾りのついたケープを着た私の副官の姿が見あたらず、クロシュグールドのほうから叫び声が聞こえてきました。
「将軍《ヽヽ》が」とマドレーヌは泣きじゃくりながら言いましたが、彼女の場合、この言葉は父親にたいする憎悪の言葉なのでした。「将軍があたしたちのお母さまを叱ってるの、ねえ、すぐいって守ってあげて」
私は飛ぶようにして階段をのぼり、広間へはいっていきましたが、伯爵も夫人も私の姿が目にはいらず、あいさつしようともしませんでした。狂乱した男の甲高《かんだか》い叫び声を聞きながら、私は家中のドアを全部しめにいき、それからまたひきかえしてきました。アンリエットがまるでその白い衣裳のように、すっかり蒼白になっているのを見たからです。
「絶対に結婚などしなさるなよ、フェリックス」伯爵は私にむかってそう言いました。
「女というやつは、悪魔から助言をもらっているんですからな。どんな貞淑な女だって、もしも悪というものがなければ、自分でそいつをでっちあげてしまうでしょうからな、まったく、どいつもこいつもろくでなしばかりですよ」
そこで私は、はじめもなければ終わりもない理屈を聞かされることになりました。自分が前に述べた意見を得々とふりまわしながら、伯爵は、新しい耕作法を拒否する農民たちそっくりのばかげた言葉を繰りかえしました。もし自分がクロシュグールドの管理をやっていたら、いまの倍くらい金持ちになっていただろう、と彼は主張しました。荒々しくののしるような口調で冒涜《ぼうとく》の言葉を並べたてながら、口汚くわめきちらしたり、家具から家具へと跳びまわって、それを押しのけたり殴《なぐ》りつけたりしました。それから、なにか言いかけた途中で急にそれをやめて、骨の髄《ずい》が焼けるように痛いだとか、自分の金がどんどん消えていくように、脳髄もどんどん流れていくなどと口走りました。妻のために破産してしまう。不幸な男で、自分の所有する三万何千フランかの年収のうち、もう二万フラン以上も妻にもちだされてしまったのだ。ルノンクール公爵夫妻の財産は年収五万フラン以上になるが、そいつはジャックの分として取ってあるのだからな。伯爵夫人は美しい微笑をうかべて、じっと夫をみつめていました。
「そうだとも、ブランシュ」伯爵はどなりたてました、「お前はこのわたしを苦しめる、わたしを殺そうとする、わたしが重荷なんだ!……きさまはおれを厄介払いしたがってるんだ、きさまは偽善の化け物だ。あいつめ、笑ってるんだな!――あいつがなぜ笑ってるか知ってるかい、フェリックス?」
私は沈黙をまもったまま、うつむきました。
「この女はだな」われとわが問いに自分で答えながら伯爵はつづけました。「この女は、わたしからいっさいの幸福を奪いとってしまうのさ、この女はわたしのものであるとともに、きみのものでもあるわけさ、それだのに、わたしの妻だと言い張ってるんだ。わたしの名を名乗っていても、神と人間の掟で定められた義務はまるで果たそうとしない、そんなふうにして、人間にたいしても神にたいしても嘘をついているんだ。この女はわたしをくたくたになるまで走りまわらせ、わたしを疲れさせて、わたしを近づかせまいという了簡《りょうけん》なんだ。わたしを嫌い、わたしを憎み、秘術をつくしてなんとか若い娘のままでいようというわけだ。わたしに不自由な思いをさせて、わたしを気ちがいにしようとしてるんだ、なにしろ、そういうふうにされりゃあ、なにもかもわたしの哀れな頭にこたえるわけだからな。この女はわたしをじりじりなぶり殺しにしながら、ご自分じゃあ聖女だと思ってるんだ。毎月毎月、聖体拝受なんぞしくさって!」
伯爵夫人はそのとき、この男の低級な言葉に辱《はずか》しめられて、熱い涙をさめざめと流しながら、ただこう答えるばかりでした。
「ああ、あなた!……あなた!……あなたという方は、なんてひどいことを!……」
伯爵の言葉を聞いているうちに、私は彼にたいしても、またアンリエットにたいしても恥ずかしい気持ちをもたずにいられなくなりましたが、にもかかわらず、この言葉は私の心を激しく動揺させました。というのは、そこには、いわば初恋の生地ともいうべき純潔さや繊細さの感情とよく通じあうものがあったからなのです。
「この女はわたしを犠牲にして、処女をきどっているんだ!」と伯爵は言いました。
この言葉を聞くと、伯爵夫人は声をはりあげてこう言いました。
「まあ、あなたという方は!」
「いったいなんなんだ」と彼は言いました、「その威張《いば》りくさったあなたという言い草は? おれは主人じゃないのか? それをお前に教えてやらなきゃいけないのか?」
伯爵は夫人のほうへにじりよって、すさまじい形相《ぎょうそう》になった白狼のような顔をさしだしました。とにかく、彼の黄色い目にうかんだ表情は、森から出てきた飢《う》えた獣を思わせるようなものでした。アンリエットは肘掛椅子から床の上に滑りおちて、襲いかかってくる殴打を受けようとしましたが、殴打はじっさいにははじまりませんでした。なにしろ、それよりも早く彼女は精も魂もつきて意識を失い、床板の上に倒れてしまったのです。伯爵は、さながら犠牲者の返り血が自分の顔にはねかかるのに気づいた殺人者のようで、まったく呆然自失《ぼうぜんじしつ》してしまいました。私が哀れな女性を腕のなかに抱きあげましたが、伯爵のほうは、まるで自分は彼女を運ぶにふさわしくないとでもいった態度で、私のなすがままに任せきっていました。それでも、自分が先にたって広間の隣の部屋のドアをあけてくれましたが、この部屋は私がまだ足を踏みいれたことのない聖なる部屋でした。私が伯爵夫人を立たせ、ほんの一瞬だけ片腕を腰のまわりにまわし、もう一方の腕で体全体を支えているあいだに、モルソーフ氏は蒲団《ふとん》の覆い、羽根枕、蒲団などを取りのけました。それから、二人でかかえあげ、服を着せたまま彼女の体を横たえました。やがて意識を取りもどすと、アンリエットは手まねをして、ベルトをはすしてほしいと頼みました。モルソーフ氏は鋏《はさみ》をみつけてベルトをすっかり切りはなし、私が塩をかがせると、彼女は目をあけました。伯爵は悲しいというよりはむしろ恥ずかしそうにして、部屋を出ていきました。それから深い沈黙のうちに、二時間が過ぎました。アンリエットは、片手を私の手のなかにあずけてじっと握りしめたまま、なにも言おうとしません。ときどきそっと目をあけ、このままじっと静かにしていたい、とまなざしで語りかけるだけでした。そのうち、ほんのしばらくのあいだ一時的に苦痛がおさまり、片肱をついて体をおこすと、私の耳もとにこうささやきました。
「不幸な人ですわ! もしあなたがご存じなら……」
彼女はまた頭を枕の上にのせました。昔の苦労の思い出と現在の苦しみとが結びついて、彼女はまた神経性の痙攣《けいれん》をおこしはじめましたが、私としては、それは愛の磁気の作用で鎮《しず》めるほかありませんでした。この作用はそれまで私にとって未知のものでしたが、そのとき私は本能的にそれを使ったのです。私は愛情をこめて力をやわらげ、彼女の体をじっとおさえていました。そしてその最後の発作のあいだ、彼女は、こちらまで思わず涙を誘われるような視線を私に注ぎかけてきました。やがてこの神経性の動揺がおさまると、私は彼女のほつれた髪の毛を直してやりましたが、このとき生涯にたった一度だけこの髪の毛に触れたわけでした。それからまた、私は彼女の手を握って、褐色と灰色とに装われたその部屋、インド更紗《さらさ》のカーテンのついた質素なベッドや、古風な装飾の鏡台をのせたテーブルや、あわせ縫いをしたクッションを敷いた粗末《そまつ》な長椅子を長いことじっと眺めていました。そこには、なんと豊かな詩情がただよっていたことでしょう! 彼女の身のまわりには、なんという贅沢《ぜいたく》を捨てきった雰囲気がしみついていたことでしょう! 彼女の贅沢というのは、このうえなく典雅《てんが》な清潔さのことでした。それはまさに聖なる諦念《ていねん》にみちた有夫の修道女の気高い僧房であり、そこにはたった一つの装飾としてベッドのキリスト十字架像があるだけで、その上に伯母の肖像がかかっています。それから、聖水盤の両側に、彼女の描いた二人の子供の鉛筆画の肖像と、彼らの幼い時分の髪の毛。華やかな社交界に出ていけば、もっとも美しい婦人たちの色香さえ褪《あ》せさせるほどの女性としては、これはまたなんという私室でしょう! これが輝かしい名門の娘、そのときも苦悩にひたり、慰めとなったかもしれぬ恋すら拒んでいた名門の娘が、たえず泣きくらす居間だったのです。人知れぬ、償《つぐな》いようもない不幸! そして犠牲者のほうでは加害者のために涙を流し、加害者は加害者で、犠牲者のために涙を流しているのです。やがて子供たちや小間使いがはいってきたので、私は部屋を出ました。伯爵は私を待ちかまえていましたが、すでに私のことを、妻と自分の仲介にたつ力をもつ人間と認めていたのです。そして、彼は私の両手をつかみながら、こう叫びました。
「ここにいてくれたまえ、帰らないでくれたまえ、フェリックス!」
「あいにく」と私は言いました、「シェッセルさんのところにお客がありましてね、会食する人たちにぼくのいない理由をせんさくされたりすると、ぐあいが悪いですから。でも、食事がすんだら、もう一度きますよ」
彼は私といっしょに家を出て、下の門のところまで送ってきてくれましたが、そのあいだ一言も話しかけようとしませんでした。それから、自分がなにをしているのかわからぬようすで、フラベールまで私にくっついてきてしまいました。とうとうフラベールにつくと、私は彼にこう言ってやりました。
「誓って申しますがね、伯爵、お宅の管理のことは、奥さまさえその気でいらっしゃるなら、お任せになったほうがよろしいですよ、そうして、もうあまりお苦しめにならないことですね」
「わたしはもう長いこと生きてはいられませんよ」彼は真顔でそう言いました、「あれもわたしのせいでそう長いこと苦しみはしないでしょうよ、わたしはもういまにも頭が割れそうな気がするのです」
そうして彼は無意識のエゴイズムの発作の状態に陥って、私のそばを離れていきました。
夕食がすんでから、私はもう一度モルソーフ夫人の状態を見にいきましたが、彼女はもうだいぶ元気になっていました。結婚の喜びというのがこういうものであり、こんな場景がしばしば繰りかえされるのだとしたら、彼女はいったいどうやって生きていけるでしょう? まったくのところ、罰を受けずにすむ緩慢《かんまん》な殺人ではありませんか! 伯爵がどんな前代未聞の苦しめかたで妻の神経をいらだたせているか、その晩、私ははっきり理解しました。こうした係争は、いったいどんな裁判所へもちこめばいいのでしょうか? そういう考えをめぐらしているうちに、私は頭がぐったり疲れてきてしまって、アンリエットにはなにひとつ言えなくなってしまいました。しかしその夜を徹して、私は彼女に手紙を書きました。三、四通かいたなかで、私の手もとに残ったのは次のような書きだしのものですが、これとても私としては満足がいったものではありません。しかしこの書きだしが、私にとってはなにひとつ表現できていないように見えたとしても、あるいはまたひたすら彼女のことだけ考えていなければならぬときに、自分のことばかり語っているように思えたとしても、あなたがお読みになれば、当時、私の心がどんな状態だったかはおわかりいただけるかと思います。
モルソーフ夫人へ
あなたのもとに着いたら、ああも言おう、こうも言おうと道々あれこれ考えてきたくせに、あなたにお目にかかったとたんにすっかり忘れてしまって、遂に口に出さなかったことがらが、どんなにたくさんあることでしょう! そうなのです、愛するアンリエットよ、あなたにお会いすると、ぼくはたちまち、ぼくの言葉など、あなたの美しさをひときわ際だたせている魂の輝きとまるで調和しないものだと思えてくるのです。それに、あなたのそばにいると、限りない幸福が感じられてくるので、その現在の感情によって、これまでの生活の感情がすっかり消し去られるのです。そのたびごとに、ぼくはより広大な生へと生まれかわり、ある大きな岩山をのぼりながら、一足ごとに新しい地平線を発見していく旅行者のようになります。なにか一言会話をまじえるごとに、ぼくは、ぼくの莫大《ばくだい》な財宝に新しい財宝をつけくわえてきたのではないでしょうか? そこにこそ、とぼくは思うのですが、長いあいだの、そしてつきることない愛着の秘密があるのです。ですから、ぼくとしてみれば、あなたのそばから離れてないかぎり、あなたにむかって、あなたのことを語ることができないのです。あなたとごいっしょにいると、ぼくは目がくらむ思いがして、ついあなたをまともに見ることができなくなりますし、幸福すぎるあまり、つい自分の幸福が判断できなくなってしまうのです。あなたの姿でいっぱいになるあまり、ついぼく自身ではいられなくなりますし、あなたの口を通じて雄弁になるあまり、ついあなたに語りかけることができなくなりますし、また現在の瞬間を捕えることに熱中するあまり、つい過去を思いだすことができなくなってしまうのです。こういう絶えまのない陶酔状態を理解してくださって、そのために犯したぼくの数々の過ちを許してください。あなたのそばにいると、ぼくは感ずることしかできなくなるのです。けれども、あえて申しあげますが、愛するアンリエットよ、あなたがつくりだしてくださった数々の歓喜のなかでも、昨日、あなたが超人的な勇気で悪と戦ったあの恐るべき嵐のあと、一場の不幸なできごとによってぼくが導かれていったあのあなたの部屋の薄くらがりのなかで、あなたがぼく一人だけのものとして意識を取りもどされたとき、あのときぼくの心をみたした喜びに比肩する至福の思いを、ぼくはかつて味わったことがありませんでした。このぼく一人が、ぼくだけが、一人の女性の死の門から生の門へとたどりつき、再生の曙《あけぼの》がその額を微妙に染めるとき、彼女がどんな光に照らされるものであるかを、このぼくだけがはっきり知ったのです。あなたの声はなんと調和にみちていたことでしょう! ぼくの大好きなあなたの声の響きのなかに、過去の苦しみの茫漠《ぼうばく》としたぶりかえしが、ぼくをやっと安心させてくれることになった崇高な諦念と入りまじりつつ現われてきて、あなたのいちばん大事な考えをもらしたあのとき、言葉というものは、よしそれがあなたの言葉であろうとも、なんと些細なものに思えたことでしょう。あなたが人間の壮麗さをことごとく取りあつめて、燦然《さんぜん》と輝いている女性であることはぼくも知っていました。だが昨日、ぼくはもう一人の新しいアンリエット、もし神が望み給うなら、それこそぼくのものであるべき新しいアンリエットを垣間《かいま》見たのです。昨日、ぼくは魂の火を燃やすことをさまたげるあの肉体の束縛から、すっかり解放されたと言っていいような存在を垣間見たのです。倒れておられるあなたはじつに美しく、衰弱しておられるあなたはじつに荘厳でした! 昨日、ぼくは、あなたの美しさよりもさらに美しいなにものか、あなたの声よりもさらに甘美ななにものか、あなたの目の光よりもさらに輝かしい光、言葉にあらわす術もない香りを発見したのです。昨日、あなたの魂は目に見えるもの、手に触れられるものとなったのです。ああ、このぼくの心臓を切りひらいて、あなたをそこでよみがえらせてあげられなかったことに、ぼくは深く苦しみました。ともあれ、昨日、あなたがぼくの心に吹きこむ畏敬の念を、ぼくは捨てさったのです。つまり、あの失心が、ぼくたちを近づけてくれたのではないでしょうか? そうして、あなたの発作のせいで、あなたがぼくたち二人のものである空気を呼吸することになったとき、あなたとともに呼吸するのがどういうことであるか、ぼくははっきり知ったのです。ほんの一瞬のうちに、いったいどれほどの祈りが天に昇っていったことだったか! あなたをまだぼくのものとして残しておいてくださるよう神のもとに願いにいくため、ぼくは広大な天空を踏破したわけですが、あの天空を横切りながらもなおかつぼくが死ななかったとすれば、人間は喜びや苦しみで死ぬことはないものなのです。あの瞬間は、ぼくの魂のなかに深く埋められることになる思い出、これからさき魂の表面にうかびあがってくれば、かならずぼくの目を涙で濡らさずにはおかぬ数々の思い出を、ぼくに残していってくれました。今後、一つ一つの喜びがかならずその思い出の溝をひろげ、一つ一つの苦しみがかならずその思い出をいっそう深めるでしょう。そう、昨日ぼくの魂をゆり動かしたあの不安は、今後のぼくのあらゆる苦しみにたいして比較の項になることでしょう。ぼくの生涯の永遠に変わらぬ思慕の対象であるあなた、あなたがぼくに惜しみなくあたえてくれた喜びが、今後神の手がぼくの心にあふれさせてくれるはずのありとあらゆる喜びの上に、かならずや君臨《くんりん》するのと同じように。あなたは聖なる愛というもの、力と持続にあふれ猜疑《さいぎ》や嫉妬を知らぬ堅固な愛というものを、ぼくに理解させてくれたのです。
私の魂は深い悲愁に悩まされましたが、社会の感情に慣れていない若い心にとって、こういう内面生活を眺めることはまさに胸をえぐる苦痛でした。なにしろ、世のなかへの門口でこうした深淵に、底なしの深淵に、死んだ海に、出会うわけなのですから。数々の不幸のこの恐るべき合奏は無限の思いを私に示唆し、社会生活の第一歩において、私は一つの広大な尺度をもつことになったわけですが、この尺度に照らせば、ほかのさまざまな場景をいかに寄せ集めてこようと、もはやまったく些細なものにしかなり得ません。私の悲しみを見て、シェッセル夫妻は私の恋が不成功に終わったのだと考えましたが、そのおかげで、私は幸運にも、わが崇高なるアンリエットの名誉を私の情熱で傷つけずにすみました。
翌日、私が広間へはいっていくと、彼女が一人でそこにいました。彼女は私に手をさしだしながら、しばらく私の顔をじっとみつめ、それからこう言いました。
「じゃあ、これからもいつまでも優しいお友だちになってくださいますのね?」
目をうるませて彼女は立ちあがり、それから必死に懇願するような語調で、こう言いました。
「どうか、もうあんな手紙はお書きにならないで!」
モルソーフ氏は慇懃《いんぎん》でした。伯爵夫人はいつもの元気さと晴れやかな顔つきを取りもどしていました。しかし、彼女の顔色には前夜の苦痛の影がもれていて、それが鎮《しず》められたとはいえ、まだ完全に消え去ってはいませんでした。その夕方、足もとでしきりに鳴る秋の枯葉のなかを私たちが散歩したとき、彼女は私にこう言いました。
「苦しみというのは果てしのないものですわ、喜びには限界がありますけれど」
この言葉は、みずからの苦悩をみずからのつかのまの喜びと比較することによって、苦悩の深さをはっきり示そうとするものでした。
「人生をつまらないと言うのはいけませんよ」と私は言いました、「あなたはまだ恋をご存じありませんが、恋というものには天にまで輝く楽しさがあるのですからね」
「おやめになって」と彼女は言いました、「わたくしはそんなものは知りたいと思いませんわ。グリーンランドの人間が、イタリアへいったら死んでしまいます。あなたのおそばにいれば、わたくしは静かな幸せな気持ちになれますし、あなたには自分の考えをなにからなにまで、すっかりお話しすることもできます。どうぞ、わたくしの信頼をこわさないでくださいませ。神父さまのような美徳をそなえながら、いっぽうでは自由な人間として魅力をおもちになることが、なぜできないのでしょうかしら?」
「あなたがそうしろとおっしゃるなら、ぼくは毒薬の盃を飲んだってかまいません」激しい鼓動を打つ自分の心臓に彼女の手を押しあてながら、私はそう言いました。
「またですの!」まるでなにかひどい痛みでも感じたかのように、彼女はその手をひっこめました。「お友だちとして結ばれた手でもって、わたくしの傷口の血を止めていただこうという悲しい喜びまで、わたくしからとりあげようとおっしゃるの? わたくしの苦しみを、どうかこれ以上ふやしたりなさらないでください、もうなにからなにまでご存じでいらっしゃるのに! いちばん目につきにくい苦しみが、いちばん耐えにくいものなのです。あなたが女の方だったら、きっとわかっていただけるはずですけど、誇り高い心をもった女というものは、ほんとはなんの償《つぐな》いにもならないのに、|あちら《ヽヽヽ》ではそれですべて償いがつくつもりの親切を浴びせられたりすると、嫌悪感のまじった憂鬱のなかに落ちこんでしまうものなのです。これから幾日か、わたくしはきっとちやほやされますし、|あちら《ヽヽヽ》は自分のやった落度を許してもらおうとすることでしょう。それでわたくしは、まるで理屈にならない意地ずくの言いぶんをおさえて、やっと承知させることができるのですわ。卑下するような態度やお追従《ついしょう》は、|あちら《ヽヽヽ》でわたくしがすっかり忘れたと思いこんだときに終わりになるのですけど、わたくし、あれにはほんとに恥ずかしい思いをさせられます。主人から優しくしてもらうのに、むこうの落度に頼るよりしかたがないなんて……」
「いいえ、むこうの罪悪です!」と私は勢いこんで言いました。
「ひどい生活状態じゃございません?」淋しそうな微笑を私に投げかけながら、彼女はそう言いました。「それにまた、わたくしは、そんな一時的な権力を上手に使うことができませんの。いまのところ、わたくしは落馬した相手に打ちかからぬ騎士のようなものですわ。尊敬しなければいけない人が地面に倒れたのを見て、それを助け起こすと、またひどい目に会わされますし、相手の倒れた姿にそのご当人以上に苦しい思いをし、たとえ役にたつ目的のためであっても、一時的な影響力を利用したりすれば、自分が堕落したように思うのです。そんな品位のない争いごとで力を無駄に費やしたり、魂の宝をすっかり使いはたしたりし、死ぬほどの痛手を受けたときでなければ意見を通せないのですわ! ほんとに死ぬほうがましです。子供たちがいなければ、こういう生活でも成りゆきまかせにしておくでしょう。でも、わたくしが蔭で元気を出すようにしなくなったら、あの子たちはいったいどうなるでしょう? どんなに苦しかろうと、わたくしは子供たちのために生きていかねばならないのですわ。そんなわたくしに、あなたは恋の話などなさいますの? ねえ、考えてもみてくださいませ、もしわたくしがあの憐れみの心のない人に、もっとも弱い人間というのはみんなそうですけれども、とにかくあの人にわたくしを軽蔑できる当然の権利をあたえたりしたら、いったいどんなにひどい地獄のような状態に陥るでしょうか! ほんのちょっとの疑いでも、わたくしにはとても耐えられませんわ。品行の潔白なことがわたくしの力なのです。貞節というもののなかには、そこにひたれば新しい気力がよみがえり、神への愛を新たにして出てこられる聖なる水が宿っているのですわ!」
「アンリエット、ぼくはあと一週間しかここにいられないのです、ぼくの希望としては……」
「まあ、もうお発《た》ちになるの?……」彼女は私の言葉をさえぎりながらそう言いました。
「でも、ぼくの身のふりかたを父がどうきめるのか、確かめないわけにはいかないでしょう? まもなく三か月になりますし……」
「わたくし、どのくらい経ったのか考えてもみませんでしたわ」女性が動揺したときにみせる放心したような口調でもって、彼女はそう答えました。
彼女は気をとり直して、私にこう言いました。
「歩きましょう、フラベールまでごいっしょしましょう」
彼女は伯爵と子供たちを呼び、ショールをもってきてもらいました。それから、支度がすっかり整うと、ふだんはじつにゆったりとしてもの静かな彼女が、パリの女性のような活溌さを示し、私たちは一団になってフラベールへ出かけたわけですが、伯爵夫人としては、なにもこんなフラベール訪問をする義務はなかったのです。彼女はなるべくシェッセル夫人に話しかけようと努力していましたが、幸いなことに、シェッセル夫人の応答はだらだらと長くつづきました。
伯爵とシェッセル氏は仕事のことを話しあっていました。伯爵があの馬車や馬のことを自慢しはしないかと私は心配しましたが、彼は一|分《ぶ》のすきもなくふるまいました。隣人のシェッセル氏は、カシーヌとレトリエールで行なわれている工事のことを、彼に尋ねました。その質問を聞いて、私はあれほど忌《いま》わしい思い出につつまれ、あれほどひどい苦々しさにみちた話題は、伯爵にしても避けるだろうと思って、彼の顔をじっとみつめました。ところが、伯爵はこの地方における農業の状態を改善すること、諸設備が堅固で健康的なりっぱな農業を造成することがどんなに急務であるかを、立証しようとしました。要するに、彼は妻の考えを自分の手柄《てがら》にして、得々としているのでした。私は思わず赤面して、伯爵夫人のほうをみつめました。場合によってはあれほどこまやかな心づかいを見せる人間が、こんなふうに心づかいを欠いた態度を示し、あのすさまじい場面を忘れ、自分であんなに激しく反対を唱えた考えをとりいれ、こんなふうに自信たっぷりにしているのを見て、私は唖然としてしまいました。
「採算はとれるとお思いになりますか?」とシェッセル氏が尋ねると、
「とれるどころじゃありません」彼は断言するような身ぶりをしながらそう答えるのでした。
こういうたぐいの発作を説明するには、精神錯乱《ヽヽヽヽ》という言葉によるほかありません。アンリエットは、天使のように晴れやかな顔をしていました。伯爵が、いかにも良識のある人間、りっぱな手腕家、すぐれた農業経営者であるようにみえたのです。夫人は嬉しそうにジャックの髪の毛を撫でつけていましたが、自分のことにも、息子のことにも、しみじみと満足そうな風情《ふぜい》でした! なんという恐るべき喜劇、なんという嘲笑すべき劇でしょう! その後、私にとって社会の劇の幕がいよいよあがったとき、私はいかに多くのモルソーフ氏を見たことでしょう、しかもこの人物ほどの誠実さの輝きもなく、信仰もないモルソーフ氏を! 狂人に天使を、真心のこもった詩的な愛情のある男に悪女を、卑しい男に偉大な女性を、猿のような醜男に美しくも崇高な天使を、たえず投げあたえつづけていくこの力、そもそもこれはどういう奇怪かつ皮肉なる力なのでしょう。ボルドーでの話はあなたもご存じのあのディアール大尉を気高いジュアナ〔『人間喜劇』の再出人物で、代々娼婦ばかりの家系に生まれた娘〕に、ボーセアン夫人〔再出人物の一人。名門の子爵夫人であり、ポルトガルの名門の出でパリ随一の洒落者といわれたミゲル=ダジュダ・パント侯爵とのあいだに、恋愛関係を結ぶ〕にダジュダのような男を、デーグルモン夫人〔再出人物の一人。父の意向を無視してヴィクトル・デーグルモン大佐と結婚したが、夫はさまざまな女性関係をつくり、彼女の結婚生活は幻滅にみちたものとなった〕にその夫を、デスパール侯爵〔再出人物の一人。名門の家系に生まれた人物で、高潔な人格と深い学問的情熱の所有者。しかし、その夫人は浮薄な社交生活に熱中する浪費家で、夫や家庭を無視して乱交にふけった〕にその夫人を投げあたえるあの力は? 打ち明けて申しますと、私は長いあいだこの謎の意味を探究してきました。私は数多くの神秘的現象を調べあげ、さまざまな自然法則の理由や、ある種の神聖な象形文字の意味を発見しました。だが、この力の謎についてはなにひとつ解明できず、あたかもバラモン教徒のあいだにのみその象徴的な構成の意味が伝えられている、あの古代インドの謎文字の形態を研究するかのようにして、いまだにたえずそれを探究しているのです。ここでは、あきらかずぎるほどあきらかに、悪の精霊が支配していますが、だからと言って、私はあえて神を非難するつもりはありません。ああ、繕《つくろ》うことのできぬ不幸よ、そもそも何者がお前を織りあげるのか? それならば、アンリエットとあの「無名の哲人」が正しいというのでしょうか? 二人の神秘主義のなかにこそ、人類の普遍的な意味が含まれているというのでしょうか?
私がこの谷間で過した最後の数日間は、木々の葉の落ちこぼれる秋の日々であり、この美しい季節にはいつもじつに清らかで、じつに澄みきったトゥーレーヌの空が、ときおり雲に覆われる曇りがちの日々でした。出発の前の日、モルソーフ夫人は夕食の前に、私を築山《つきやま》の上へ連れだしました。
「フェリックス」葉の落ちつくした木々の下を黙々として一周してから、彼女はそう切りだしました。「あなたが世間へお出になるのだから、わたくし、せめて心のなかでごいっしょについていくことにしたいと思いますの。苦しみの多かった人間は、よく生きてきた人間なのですわ。ですから、孤独な魂の持主は世のなかのことをなにも知らない、などと思わないでくださいませね。だって、そういう人間は正しく判断しているのですもの。お友だちに頼って生きていかねばならないとしたら、わたくし、そのお友だちの優しさにも、良心にも、不安をいだかずに頼っていきとうございます。でも、戦いがたけなわのときには、規則を全部覚えているのはたいへんむすかしいことですから、どうぞ母親が息子に教えるようなことを、わたくしにもすこしばかりお教えくださいませね。ご出発の日、あなたに長い手紙をお渡しいたしますが、そこには世間だとか、人間だとか、こういう利害の大混乱が起こっているなかでは、どんなふうに困難な問題に取り組めばよいかということなどについて、女としてのわたくしの考えが書いてございます。パリに着くまでお読みにならない、とお約束していただけまして? このわたくしのお願いは気紛れのあらわれにすぎませんけれど、こういう気紛れが、わたくしども女の心の秘密なのですわ。この秘密を理解していただくのは不可能とは思いませんけれど、もし理解していただけたとわかったら、きっとわたくしたち女はさぞ悲しい思いをすることでしょうね。ですから、女が一人でそぞろ歩きをしたがるこの心の小道を、どうかわたくしに残しておいてくださいませね」
「お約束します」私は彼女の手に接吻しながらそう言いました。
「あら、そうでしたわ」と彼女は言いました。「誓いを立てていただきたいことが、もう一つあります。でも、お話しする前に、かならず誓うと約束してください」
「ええ、いいですとも」たぶん愛の忠実さの近いだろうと思って、私はそう答えました。
「わたくしのことではありませんの」彼女はさもつらそうに微笑しながら、言葉をつづけました。「フェリックス、どちらのサロンへいらしても、勝負ごとはけっしてなさらないでください。例外なしにどなたのサロンでもですのよ」
「勝負ごとはけっしてしません」と私は答えました。
「けっこうですわ」と彼女は言いました。「勝負ごとで時間をつぶすより、もっとずっとよい時間の使いかたをみつけておいてあげました。いずれおわかりになりますが、ほかの方々が遅かれ早かれ身を破滅させる場合にも、あなただけはいつも成功なさいます」
「どんなふうにです?」
「それは手紙をごらんあそばせ」彼女はおもしろがっているような口調でそう答えましたが、その口調のせいで、ふつう祖父母の忠告につきもののもったいぶったところが、彼女の忠告からは消えていました。
伯爵夫人はほぼ一時間あまり私と話しあいましたが、その言葉のはしばしにも、この三か月間どんなにこまやかな心づかいで私を見まもっていたかが察せられ、その愛情の深さをはっきりと私に証《あか》しだててくれました。彼女は私の心のいちばん奥の襞《ひだ》のなかにまではいってきて、そこに自分の心を注ぎこもうと努力しました。彼女の語調は変化にみち、説得力に富んでいましたし、彼女の言葉は母親の唇からもれてくる言葉のようで、その口調にも内容にも、私たちがすでにいかに多くの絆《きずな》で結ばれているかが示されていました。
「ほんとうにあなたにわかっていただけたらと思います」最後に彼女はそう言いました。「わたくしがどんな不安な気持ちで、あなたのお進みになる道を見まもっているか、あなたが順調に歩いていかれたらどんなに嬉しいか、あなたが障害にぶつかったりなさったらどんなに悲しい思いをするか、あなたにもわかっていただけたら! 信じていただきたいのですが、わたくしの愛情は、ほかにくらべるものがないほど強いものなのです。それは自然にそうなったと同時に、とくに選びとった愛情でもあるからなのでしょうね。ほんとうに、お幸せで、高い地位に就かれていて、世間の尊敬を受けておられるあなたの姿を、わたくしにとって生きた夢のようなものにおなりになった姿を、わたくし、ぜひ拝見したいと思いますの」
彼女のこの言葉に、私は思わず涙ぐみました。彼女は優しくもあり、同時にこわい女性でもありました。彼女の感情は、大胆すぎるほどにはっきりとさらけだされていましたが、それはあまりにも清らかなものでしたから、快楽に飢《う》えた青年にたいしても、ほんのわずかな希望をもつことさえ許そうとはしませんでした。彼女の心のなかで、ずたずたにひき裂かれたままになっている私の肉体へのお返しとして、彼女はあの聖なる愛、もっぱら魂をのみ満ちたりさせるあの聖なる愛の、とだえることもなく朽《く》ちることもない光を私に注ぎかけてくるのです。私の心をかきたてて彼女の肩をむさぼらせたあの色とりどりに飾られた恋の翼をもってしても、とうてい到達できない高みに、彼女は昇っていってしまったのです。彼女のそばへいきつくには、熾《し》天使の白い翼を手にいれねばならなかったでしょう。
「どんなことでも」と私は彼女に言いました。「ぼくはかならずこう考えることにします、≪アンリエットはどう言うだろうか≫と」
「けっこうですわ、わたくし、星にでも祭壇にでもなりたいと思います」と彼女は言いましたが、この言葉で私の少年時代の夢想を暗にほのめかし、私の欲望をまぎらすために、その夢想の実現という思いつきを申しでたわけでした。
「あなたはぼくの信仰になり、ぼくの光になるのです、ぼくのすべてになるのです!」私はそう叫びました。
「いいえ、だめですわ」彼女は答えました。「わたくし、あなたの快楽の泉にはなれませんから」
彼女は溜息をつき、胸のなかに秘めた苦しみを物語る微笑、言いかえればほんの一瞬反抗の挙に出た奴隷の微笑を、私に投げかけました。この日以来、彼女はたんなる恋人ではなくなり、またとない最愛の女性になったのです。一つの場所を占めようとする女、献身によって、あるいは強烈きわまる快楽を通してそこに刻みこまれた女、彼女が私の心のなかで、そういう女性になったというのではありません。そうではなく、彼女は私の心をことごとく占有し、筋肉の活動にとって必要欠くべからざるものとなったのです。あのフィレンツェの詩人〔ダンテのこと〕にとってのベアトリーチェ、あのヴェネチアの詩人〔ペトラルカのこと〕の汚れなきロールにひとしいものとなり、さまざまな思考の母となり、難局を救うもろもろの決意のごく自然な原因となり、将来の支柱となり、さながら暗い葉ごもりのなかの|ゆり《ヽヽ》のように、闇のなかに輝く光となったのです。そうです、火のついた部分を断ちきり危殆《きたい》に瀕《ひん》したものごとを再建しようとする高邁《こうまい》な決断を、彼女は私の心に刻みこませてくれたのです。あのコリニー〔十六世紀の有名な武人で、植民地の獲得にすぐれた手腕を示し、また宗教戦争で新教徒軍の総帥として勇名を馳せた〕ふうの粘《ねば》りづよさを私にあたえて、勝ち誇った者にも打ち勝ち、敗北からふたたび立ち直り、このうえなく強力な相手をも屈服させるようにしむけてくれたのです。
翌日、フラベールで昼食をすまし、私の恋のエゴイズムにたいして、たいへん好意を示してくれた主人夫妻に別れのあいさつを告げてから、私はクロシュグールドへおもむきました。私はその夜のうちにトゥールを出てパリへむかうつもりでいましたが、モルソーフ夫妻は、そのトゥールまで私を送っていく予定をたてていました。道々、伯爵夫人はしみじみとした沈黙をまもっていました。はじめは頭痛を訴えたりしましたが、やがてそんな嘘が恥ずかしくなり、急にそれを言いつくろって、私が発《た》っていく姿を見ると、名残《なご》り惜しくてならないのだと言いました。シェッセル家の人々が留守のときに、このアンドル川の谷間を眺めたくなったらいつでも自分の家へくるように、伯爵はそう私を誘ってくれました。私たちはうわべは涙も見せず、毅然《きぜん》として別れました。しかし、ある種の病身の子供に見られるように、ジャックは気持ちをたかぶらせて涙を流しましたが、いっぽうマドレーヌのほうはもう一人前の女のようなようすを見せ、母親の手をじっと握りしめていました。
「まあ、この子ったら!」伯爵夫人はそう言って、ジャックを熱烈に接吻してやりました。
トゥールで一人きりになると、私は夕食のあと、若い頃に経験するなんとも説明のつかぬ激情に襲われました。私は馬を借り、一時間十五分ほどかかってトゥールからポン・ド・リュアンまでの距離を、いっきに駆け通しました。そこまでくると、自分の狂気じみた姿を人に見せるのが恥ずかしくなって、私は徒歩で道を走りだし、まるでスパイのように、足音を忍ばせて築山《つきやま》の下のところまでやってきました。伯爵夫人の姿がそこに見あたらなかったので、私は、体のぐあいでも悪いのだろうと思いました。私はあの小さな門の鍵をもっていましたので、庭園のなかへはいっていきました。ちょうどそのとき、日没の頃の景色の上に刻みつけられている甘美な憂愁を、もの悲しい気分でしみじみと味わおうとして、彼女が子供たちを連れて正面の踏段をおりてきました。
「お母さま、フェリックスよ!」とマドレーヌが言いました。
「ええ、ぼくです」私は夫人の耳もとにそうささやきました。「まだあなたにたやすく会えるのに、自分はなぜトゥールなどにいるのだろう、そう思うとふしぎな気がしてならなかったのです。もう一週間もすれば、どうしてもかなえられなくなる望みを、なぜすぐに遂げようとしないのか?」
「ぼくたちといっしょにいるんだってさ、お母さま!」ジャックは何度も小踊りしながらそう叫びました。
「だまってらっしゃいよ、お兄さま」とマドレーヌが言いました。「将軍《しょうぐん》がここまできちゃうじゃないの」
「こんな思慮のないことをなさって」とアンリエットはつぶやきました。「なんてばかなことを!」
彼女の声でもって涙ながらにつぶやかれたこの協和音、それは恋の高利勘定とでも呼ぶべきものをいっきに償《つぐな》ってくれる、まことにすばらしいものでした!
「あの鍵をお返しするのを忘れていました」私は微笑をうかべながらそう言いました。
「では、もう二度といらしてくださいませんの?」と彼女は言いました。
「ぼくたちがはなればなれなんですか?」私はじっと彼女の顔をみつめながらそう尋ねましたが、その私の視線に出会うと、彼女は無言の答えをその蔭につつみかくそうとするように、瞼《まぶた》をふせてしまいました。
興奮が鎮《しず》まり、そして狂おしいほどの恍惚《こうこつ》がはじまる地点にまで到達した魂が味わうあの幸福なる虚脱感、私はしばらくのあいだそういう虚脱感にひたったのち、そこを立ちさりました。たえずうしろをふりかえりながら、私はゆっくりした歩調で歩いていきました。あの高台の頂きからこれを見おさめとして谷間を見おろしたとき、ここへやってきた頃の光景にくらべると、いま眼前にさしだされている光景がまことにいちじるしい対照をなしているので、私は驚嘆の念に打たれました。あの頃、谷間は緑に色づき、燃えさかってはいなかっただろうか、私の欲望と期待が燃えさかり、緑に色づいていたのと同じように? それなのに、いまや一つの家庭の暗く悲しい秘密を知り、キリスト教徒のニオベー〔ギリシャ神話の人物。母親の悲しみの象徴。タンタロスの娘でテーバイのアンフィオンの妻。二人のあいだには七男七女があったが、アポローンとアルテミスの二児しかない女神レートーにたいして多産を誇ったため、レートーは怒って二人の子に復讐を求めた。そこでアポローンは男子を、アルテミスは女子を射殺した。ニオベーは深い悲しみのあまり、石に変じたという〕とでもいうべき女性と苦悩をともにし、彼女と同じように悲しみをいだき、魂を暗く閉ざされてしまった私は、そのとき、谷間が私自身の胸の思いの色調に染まっていると思ったのです。野原はすっかり裸になり、ポプラは落葉し、残った葉も錆《さび》色をしていました。ぶどうの枝は焼きはらわれ、森の梢《こずえ》は、かつて代々の国王によって衣服の色として採用され、権力をあらわす緋《ひ》色の悲しみを示す褐色の下にちらつかせている、あの渋色の重厚な色どりを呈していました。つねに私の思いと調和を保つこの谷間では、折しも生暖い太陽の黄ばんだ光線が消えかかろうとし、またもや私の魂をそのままに映しだした光景が展開されていました。
愛する女性のもとを離れていくということ、これは人それぞれの性質にしたがって、耐えがたい情況ともなれば、単純な情況ともなります。私はといえば、とつぜん、言葉も知らぬ異国へきたようなものでした。もはや自分の魂との結びつきを感じられぬものばかり目《ま》のあたりにして、私はなにごとにも執着できませんでした。そこで私の恋の領域だけが大きく繰りひろげられることになり、わが愛するアンリエットの姿は、私がただ彼女の思い出によってのみ生きているこの砂漠のなかに、全身を伸ばしてたちはだかるのでした。それはまさしく、宗教的な崇拝の念を呼びさますような姿でしたから、私は、この自分のひそかな女神の前でいつまでも汚れなく身を保とうという決意を固め、ノーヴのロール〔ロールは南仏ノーヴの町に出生したと言われている〕の前に出るときには、かならず全身に白い衣裳を着けたというあのペトラルカにならって、自分がイスラエルの祭司の白衣をまとった姿を、心のなかに思い描いたりしました。
最初の夜、父の家へもどり、まるで守銭奴が肌身につけた札束をさするような恰好《かっこう》で、道々手でさわりつづけたあの手紙を読むことのできる最初の夜を、私はどんなに待ちかねたことでしょう。夜のあいだ、私はその紙片に接吻しつづけました。アンリエットが意向をはっきり述べたその紙片、やがて私が彼女の手からもれた神秘的な発散物をつかみとることになるはずの紙片、省察にふける私の悟性のなかに彼女の声の抑揚《よくよう》を飛びこませるであろうその紙片に。彼女の手紙を読む場合、いつも私はこの最初の手紙のときのように、ベッドにはいって、完全な静寂のなかで読むことにしていました。愛する女性の書いた手紙を読むのに、どうしてそれ以外の読みかたができるのか、私にはどうもわかりかねます。しかしながら、世のなかにはこうした手紙を日々の気苦労とごたまぜにし、いやらしいほど平静にそれを途中でほったらかしたり、また読みかえしたりするような、そんな愛される値打ちのない人間もいるものなのです。
ナタリーよ、夜の静寂のなかに唐突に響きわたったすばらしい声、私がたどりついた十字路で、正しい道を指示するためにすっくと立ちあがった崇高なる姿、それは以下のようなものでした。
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なんという幸せでしょう、脈絡もなしに散らばるわたくしの経験のさまざまな要素を寄せあつめて、それをあなたにお伝えし、今後あなたが上手にお渡りにならねばならぬ世間の危険にたいし、充分な警戒をしていただくよすがにできるとは! 幾晩かのあいだ、あなたのことを心にかけながら、わたくしは、母親の愛情に許されたもろもろの喜びをしみじみ感じました。一句一句これを認《したた》めておりますあいだも、あなたがこれからお送りになる生活をあれこれと予想しながら、ときおり窓のところへまいりました。そこから月の光に照らされたフラベールの塔を見て、≪あの方はお寝《やす》みになっていらっしゃる、わたくしはあの方のために起きていてあげるのだわ≫と、たびたび考えました。それはほんとうに好ましい感じで、目がさめたらお乳をやろうと、揺り籠《かご》のなかで眠るジャックの姿を見まもっていたあの頃の、わたくしの生涯の最初の幸せを思いださせてくれるのでした。あなたはまだ未完成のおとなではありませんかしら? なにがしかの掟――あなたはたいへんな苦しみを味わわれたあの恐ろしい学校では、とうとうそれを糧となさることができませんでしたけれども、わたくしども女にはそれを教えてさしあげる天賦《てんぷ》がそなわっている、そういうなにがしかの掟で魂を強く固めねばならぬ未完成のおとなではありませんかしら。ここに記すとるにたりないことは、やがてはあなたのご成功に影響をもつようになりますし、きっとその準備ともなり、それを強化するものともなるはずです。男の方が人生の活動の指針となさるべき方式を生みだすということは、精神的に母親になること、子供によく理解してもらえる母親になることなのではないでしょうか? フェリックス、わたくしが、このお手紙でまちがいを幾つか犯したといたしませても、わたくしたちの友情には、友情を清らかにする無私の気持ちが刻みつけてある、どうぞわたくしにはそう信じさせてくださいませ。と申しますのも、あなたを世間に委ねるということは、つまり、あなたを手放すことですものね。でも、わたくしはあなたを愛しておりますから、自分の楽しみなど、あなたのすばらしい将来のために犠牲に捧げるのです。この四か月近くのあいだ、あなたのことを考えながら、ふしぎなことに、わたくしは、いまの時代を支配している法則や風習のことに思いは致さずにいられませんでした。私が伯母とまじえたさまざまな話――この話の含蓄《がんちく》も、いまではあなたが伯母のかわりをなさっておられるのですから、あなたの一部になっているわけですけれど!――モルソーフが語ってくれた生涯のいろいろなできごと、宮廷に精進しておりました父の言葉、大小とりまぜてさまざまな偶発事、こうしたすべてのことがわたくしの記憶のなかにうかびあがってきて、これから世間の人々のなかへ、ほとんどひとりぼっちで飛びこんでいこうとしているわたくしの養子のために、役だってくれることになったのです。たくさんの人々が、自分の長所を軽はずみに発揮したせいで破滅していく国、またある人々は短所を上手に使ったせいで成功する国、そういう国で、なんの助言もなしに進んでいこうとしているわたくしの養子のために。
最初にまず、社会全体についてのわたくしの意見を簡潔に記しますから、よくお考えになってみてくださいませ。簡潔にと申すのは、あなたにならば、ほんのわずかな言葉で充分だからです。社会が神に起源をもつものなのか、それともまた人間によってつくりだされたものなのか、わたくしにはよくわかりませんし、また、それがどういう方向へ動いているのかもわかりません。わたくしにとって確実だと思えるのは、社会がたしかに存在するということでございます。あなたが社会を離れて生きていかれるのではなく、社会というものをお受けいれになったら、すぐにそのさまざまな構成要件を適切なものとお考えにならなければいけません。社会とあなたとのあいだには、明日になれば、契約が取りかわされることになるのでございます。今日の社会というものは、人間に利益をもたらすというよりは、むしろ人間を利用するのではなかろうかとおっしゃるなら、わたくしも一応はそう思います。けれども、人間が社会に利益よりもむしろ負担を見いだすとか、社会から受ける特典を買うのは高くつきすぎるとか、そういう問題は立法家に関係することで、個人に関係のあることではございません。わたくしの考えによれば、それがあなたの利益に反しようと、あるいはまたそれが好都合であろうと、あれこれおっしゃらずに、なにごとによらず世間一般の掟に従わなければいけません。この原則はいかにも簡単そうにみえるかもしれませんけれども、じっさいに応用するとなるとむずかしいものなのです。それはちょうど樹液のようなものです。樹木に生気を与え、みずみずしい緑を保たせ、花を開かせ実をみごとに実らせて、人々の全般的な感嘆を呼びおこさせるために、どんな些細な毛細管のなかにもしみこんでいかねばならぬ樹液のようなものなのです。でも、掟というものは、ある一冊の書物のなかに全部書きつくされているわけではなく、風習が掟をつくることもありますし、いちばん重要な掟はいちばん人々に理解されていないものなのです。あなたの行為、言葉、外面的な生活、世間へ出ていらっしゃるさいのやりかたやご栄達をおつかみになる場合のつかみかた、そういうものを支配する法律に関しては先生もいなければ、教科書も学校もないのです。こうしためだたない掟を破ること、それはつまり社会の現状を支配することができずに、そのどん底にとどまるということなのです。このお手紙には、あなたのお考えと重複する言わでものことがたびたび出てくるでしょうけれども、そういうわけなのですから、どうか女の政治学をお話しすることをお許しくださいませ。
万人の犠牲の上に立って個人の幸福を巧妙につかむこと、こういう幸福の理論で社会というものを説明するのは、危険きわまりない考えかたでございます。なにしろ、この考えかたを厳格に押し進めてまいりますと、法律や世間や個人が損害に気がつかないうちに、一目に隠れて自分の所有にしたものでも、すべてりっぱに正当に獲得されたものだという考えに、人間を導いていくからです。この憲章に従うとすれば、巧妙な泥棒は罪を許されてしまいますし、人々に悟られずに自分の義務にそむく行為をする女性は、幸せで賢明な女ということになります。司直の手になにひとつとして証拠を残さずに殺人を犯したとしましょう、それでももしあなたがマクベスのように王冠を手にいれれば、あなたはりっぱに行動なさったということになるのです。あなたの利益が至上の掟になり、問題は要するに、風習と法律とによってあなたとあなたの満足とのあいだに置かれた障害を、証人も証|拠《こ》もつくらぬようにして、まんまとくぐり抜けることにある、ということになってしまいます。社会をそういうものとして見る人にとっては、栄達を遂げるという問題も、百万フランかそれとも徒刑場かという賭博《とばく》や、政治的地位かそれとも不名誉かという賭博に、一か八か賭けてみるということに帰着するのです。それに、賭博台のラシャは賭《か》ける人々全員をいれるほど大きくありませんから、よい手を考えだすには、天才的な力が必要になります。わたくしは、宗教的な信念だとか、人間の感情の問題などを言っているのではありません。ここで申しあげているのは、黄金や鉄でできた機械の歯車仕掛のこと、人々が頭を悩ませているその直接の結果のことなのです。わたくしの心のなかの愛児であるあなた、もしあなたもまた、こうした犯罪者たちの理論にたいする嫌悪《けんお》の気持ちを分かちもってくださるならば、あなたの目にも、すべての健全な悟性をもつ人々が説明するとおり、社会というものは義務の理論で説明されるべきだ、と見えてくることでしょう。そうです、あなたがたは、じつに多種多様の形でお互いに義務を負いあっているのです。わたくしの考えでは、公爵や上院議員が貧民や職人にたいして負う義務は、貧民や職人が公爵や上院議員にたいして負う義務にくらべれば、はるかに大きいものなのです。どんな場合であれ、気苦労の重さは利益の大きさに比例するという、この商取引にも政治にも正しく当てはまる原則に従えば、相互のあいだに結ばれた責務とというものは、社会が人間に提供する利潤に比例して増大するわけです。人間は、それぞれ各自のやりかたでその負債を払っています。わたくしどものレトリエールの貧しい男が、労働に疲れはてて寝に帰ってくるとき、彼が義務をはたさなかったなどと考えられましょうか? いいえ、たぶん、多くの高い地位にお就きの方々以上に、りっぱに義務を成しとげています。あなたが、そこでご自分の知能と能力に釣りあう地位を得たいと望んでいらっしゃるこの社会を、そういうふうにお考えになるとしたら、すべての基礎となる原理として、次のような準則をお立てになるべきなのです。自分の良心にそむくことも公衆の良心にそむくことも、なにひとつ自分の許容しないこと。くどくど申すのは余計なことだと思われるかもしれませんけれど、どうかお願いでございますから、ええそうなのです、あなたのアンリエットのたってのお願いでございますから、この短い言葉の意味をしっかりお考えになってくださいませ。一見いかにも簡単ですけれども、この言葉は、公正、節操、誠実、礼節があなたのご栄達のもっとも確実な、もっとも迅速な手段だということを意味しております。この利己的な世のなかでは、たくさんの人々が、高貴な感情などでは道は開けないとか、道徳的な考慮をあまり重んじすぎると支障をきたすとか言うだろうと存じます。気品がなく、ものがわからず、未来をおしはかる力がなく、小さい子供を痛めつけたり、年老いた婦人にたいして無作法《ぶさほう》という罪を犯したり、なんの役にも立たないからという口実でもって、善良な老人を相手にほんのちょっとだけ退屈な時間を過ごすことを断わったりする人々、あなたはそういう人々にもお会いになるでしょう。後日、そういう人々がみずから|とげ《ヽヽ》を抜いておかなかった茨《いばら》にひっかかって、ほんの些細なことで栄達を取り逃した姿が、きっと見かけられるはずです。それにひきかえ、早くからこの義務の理論に慣《な》れた人間は、けっして障害にぶつかったりはしないでしょう。他人より早く成功はしないかもしれませんが、しかしそういう人のつかんだ栄達は、他の人々の栄達がくずれるような場合でも、依然として堅固でりっぱにもちこたえることでしょう。
わたくしが、この考えかたをじっさいに応用するさいには、なによりもまず礼儀作法の知識が必要だと申しあげたら、あなたはおそらく、わたくしの法律学には宮廷の臭《にお》いと、ルノンクール家で受けた教育の臭いがただよっていると思われるでしょう。でも、ほんとにそうですのよ! わたくしは、一見じつに些細なこういう知識を、なによりも大切なものだと考えております。上流社会の習慣というものは、あなたが身につけておられる広汎で多種多様な学識がそうであるのと同じくらい、必要なものなのです。ときには、そういう習慣がそれらの知識の補いになった例もあるのです。じっさいには学識がなくても、生まれつき飾り気のない精神にめぐまれ、ものの考えかたに一貫した筋道をつけることに慣れている方々が、もっと能力のある方々を避けて通ってしまったような高い地位に、首尾よく到達されたことだってあるのです。中学校でお友だちといっしょにお受けになった教育が、あなたに害をおよぼさなかったかどうかを知るために、フェリックス、あなたという方を私は充分に研究いたしました。いまのあなたに欠けているほんのわずかなものも、これからきっと体得なされるはずだとわかったとき、わたくしがどんなに喜んだか、それは神さまだけがご存じです! ああいう|しきたり《ヽヽヽヽ》のなかで育てられた方々の多くは、礼儀作法がまるで表面だけのものになっております。と申しますのも、高雅な礼節や、りっぱな作法というものは、心がけとか、品位を尊ぶ高尚《こうしょう》な感情などに由来するからですし、またそうであればこそ、きちんとした教育を受けているにもかかわらず、ある種の貴族の方々は品のない態度を示すことになり、そのいっぽうには、平民出の方々でも生まれつきりっぱな嗜《たしな》みをもっておられ、ほんのちょっとした教示を受けただけで、不器用な人|真似《まね》でなしに、すぐれた礼儀作法を身につける方もいらっしゃるのです。今後もけっして谷間から出ることもないとるにたりない女の申すことでも、どうかこれだけはお信じになってくださいませ。つまり、そういう高尚な気品、また言動や服装や、さらには住居のなかにまで刻みつけられている優雅な簡潔さは、抗しがたい魅力をもつ有形の詩とでもいったものをつくりだすのです。その詩の源《みなもと》が心のなかにある以上、その力がどれほどのものか、お考えになってみてごらんなさい! 礼儀というのは、他人のために自分というものを忘れているふうな態度を示すことなのです。それなのに、多くの人々の礼儀は、たんに社交上の不承不承《ふしょうぶしょう》の表情にすぎないものになっていて、利益があまりひどく損《そこな》われて馬脚をあらわすと、この表情がたちまちのうちに一変し、そうなると、身分の高い方も下賤《げせん》な人間になってしまうのです。でも、フェリックス、あなたにもぜひそうなっていただきたいと思うのですが、ほんとの礼儀には宗教的な思想がこめられております。それは慈愛の心から咲き出た花のようなものであり、じっさいに自分というものを忘れることなのです。アンリエットの思い出のために、どうか水のなくなった泉などにならないでくださいませ、精神と外形を二つながら身につけてくださいませ! 間々あの社交的なうわべの美徳に欺《あざむ》かれることもおありでしょうが、そんなことをお気になさらないでください、そして一見風のまにまに吹き散らされていくようにみえるたくさんの種から、遅かれ早かれ果実が摘みとれるのです。わたくしの父がかつて申したところによりますと、礼儀のはきちがいのうちでもいちばん不愉快なものの一つは、約束を破ることだそうです。とてもできそうにないことをお頼まれになったら、相手の方に空頼《そらだの》みの余地など残さぬように、きっぱりお断わりになってくださいませ。そうしてまた、やってさしあげたいとお思いになったことは、すぐになさってあげてくださいませ。そんなふうになされば、人柄をすばらしく引きたたせる二つの誠実さである断わりかたの品位と、親切のつくしかたの品位とをご習得になれるでしょう。ほんとうに人間というものは、好意を感謝する気持ちより、希望を裏切られたことへの恨《うら》みのほうが強くないとは申せませんものね。こんなことを申しあげるのも、こういうとるにたりぬ小さなことこそわたくしの領分に属することであり、わたくしは自分でよく知っていると自信のあることがらなら、いくら力説しても差しつかえないはずと思うからなのですが、とくにあまり人を信用しすぎたり、俗っぽくなりすぎたり、お節介を焼きすぎたりしないでくださいね、なにしろそれが三つの暗礁《あんしょう》なのですから。人を信用しすぎると尊敬されなくなりますし、俗っぽくなりすぎると軽蔑を買いますし、お節介を焼きすぎると利用しやすい人間と見られてしまいます。そしてなによりもまず大切なこととして、生涯を通じて二人か三人以上のお友だちをおつくりになってはいけません、あなたの全面的な信頼がその方々の財産になるわけです。ですから、それをたくさんの人にあたえたら、そういうお友だちを裏切ることになりはしませんかしら? 二人か三人の方々と、他の人々よりもとくに親密に交際なさる場合にも、ご自分のことに関しては慎重にふるまい、いつも控え目になさってくださいませ。あたかも、いつの日かそういう方々を競争相手や反対派や、あるいは敵にまわす日がかならずくるとでもいうように。人生の偶然というものは、ほんとにそういうことを要求するかもしれませんもの。ですから、いつも冷淡でもなければ熱烈でもないような態度をお保ちになり、なんら危険を冒すことなく踏みとどまっていられる、中庸《ちゅうよう》の線をみつける術をお覚えになってくださいませ。そうなのです、りっぱな男性というものは、フィラントの卑劣な愛想のよさからも、アルセスト〔フィラントもアルセストも、モリエールの喜劇『人間嫌い』の登場人物〕のとげとげしい美徳からも同じくらい、遠いものなのだ、とお考えになってください。あの喜劇詩人の真髄は、高貴な心をもつ観客によって把握《はあく》される真の中庸というものを、はっきりと指示したところに輝いているのです。たしかに、誰でもみんな、善良そうな利己主義の蔭にそっと隠されたこのうえなく激しい軽蔑の念よりも、美徳の滑稽さのほうに共感を感じやすいかもしれません。けれども、そう感ずる人でも、その両者を警戒する術を覚えなければならないでしょう。つぎに俗っぽさということについてですが、もしもその俗っぽさのおかげで、ある愚《おろ》かしい人たちから感じのいい男だなどと言われようものなら、人間の才腕を測定したり評価したりすることに慣《な》れている人は、すぐあなたの欠陥を推察して、あなたはたちまち悪評を受けることになりましょう。なにしろ、俗っぽさというものは弱者の使う手段なのですから。そして、不幸なことには、弱者というものは、各々の成員を機関としかみなさない社会から軽蔑の的にされるのです。もっとも、たぶん社会のほうが正しいのでしょうし、不完全な存在にたいしては、自然が死を宣告するわけなのです。ですから、女のいじらしい保護ぶりにしても、ある盲目的な力と戦って、情愛の知恵でもって物質の凶暴さを打ち負かすところに女が見いだす喜び、そういう喜びによって生みだされるものなのです。けれども、社会は母親というよりはむしろ継母のようなもので、自分の虚栄心におもねる子供をいつくしむのです。それから、熱意にみちたお節介ということですけれども、これは若い時代、若さの力を発揮することに現実的な満足をみつけだし、他人にだまされる以前に自分自身にだまされる若い時代の、最初に犯しがちな最大の誤りなのですが、この熱意は心をともに分かちあえる女《ひと》のために、女性と神のために大切にしまっておいてくださいませ。世間という市場も政治という投機の場も、この宝とひきかえにガラス細工を返してくれるだけですから、こういう大切な宝をそんな場所へおもちこみにならないでくださいませ。なにごとにおいても気品を保たれることをお勧めしている女の声が、惜しげもなく好意をおあたえにならぬようお願い申している場合には、あなたはその声をお信じにならなければいけません。と申しますのも、不幸なことに、世間の人たちはあなたが役に立つ度合に応じてあなたを重んじて、けっしてあなたの値打ちを考慮にいれてはくれないのですから。あなたの詩的なお心のなかに刻みこまれている比喩《ひゆ》を使えば、数字が途方もない大きさに達して、それが金文字で描かれていようと、鉛筆で書かれていようと、数字はどこまでも数字にしかすぎないでしょう。現代のある人物が語ったように、「絶対に熱意をもってはいかん!」〔十八世紀末から十九世紀初頭にかけて活躍したフランスの外交官タレーランの言葉〕というわけです。熱意とは欺瞞《ぎまん》とすれすれのものなのですし、いろいろの誤算をひきおこしもするのです。どんなに熱意をもっても、目上の方々のなかに、そのあなたの熱意に匹敵するものがみつかることなど、まず絶対にないでしょう。王侯というものは、女たちと同じことで、すべて当然受けるべきものだと思っておられるのですから。こういう鉄則は悲しむべきものだとしても、とにかくそれが真実なのですし、かといってそれが魂を悲嘆におとしいれたりはしません。あなたの純粋な感情は、その感情の花が情熱をこめて賛美されるような、芸術家が恋にも似た思いで傑作の夢想にふけるような、そういう誰にも近よりがたい場所にしまっておいてくださいませ。義務というものは感情ではありません。なすべきことをするというのは、気にいることをすることではありません。男の方は国家のために従容《しょうよう》として死におもむかねばならないこともありますし、一人の女のために喜んで生命を捧げることもあるかもしれません。礼儀作法の知識のうちで、いちばん大切な規則の一つは、あなたご自身のことについては、ほとんど完全に沈黙をお守りになるということです。いつかそのうち、ほんのちょっとしか知らぬ方々にむかって、戯《たわむ》れにあなたご自身のことを話してみてごらんなさい。あなたの苦しみや楽しみや、あるいはまた一身上のできごとなどを話題にしてごらんなさい。相手は最初こそ興味のありそうなようすをしていても、すぐいかにも冷淡な態度を見せるでしょう。それから退屈そうな雰囲気が襲ってきて、その家の女主人が礼儀をわきまえたやりかたであなたのお話を打ちきるようにしなかったら、みんな巧みに口実をつくって帰っていってしまうでしょう。でも、あなたとしてはそんなふうになさらないで、そういう方々の好感を呼びあつめ、感じがよく、才気にあふれ、安心して交際できる人物という評判をおとりになってくださいませ。相手の方々のことを話題にし、表むきは個人のこととは相容れない問題をもちだされる場合でも、つとめてその相手の方々を話題の中心にする方法をお探しになさってください。そうすれば、相手の方々は晴れやかな顔をされて、あなたにたいして口もとをほころばせるでしょうし、あなたが帰られたあとでも、異口同音《いくどうおん》にあなたをほめたたえるでしょう。どこからが卑屈なお追従《ついしょう》で、どこまでが品のよい会話なのか、あなたの良心と心の声がその境界線をはっきり教えてくれるはずです。たくさんの方々の前でお話しになる場合のことについて、もう一言つけくわえたいと存じます。お若い方々はともすればなにかしら性急な判断に傾きがちなもので、それがりっぱなところでもありますけれど、しかしそのために害毒もこうむるのです。昔の教育が、いわば長上者のかたわらで人生勉強のための実習をしている若い人々にたいし、沈黙を課した理由はそこにあるのです。なぜならば、昔は貴族という身分には、技芸の世界と同じように徒弟というものがあり、自分を養ってくれる主人に献身的に仕える小姓というものがあったからです。今日では、若い方々が温室育ちの、したがって酸味だらけの未熟な知識をもっていて、それに振りまわされ、他人の行為や思想や文章を激しく裁こうとするのです。つまり、まだ実際の役に立ったことのない刃物で、ものを切ろうとしているのです。どうか、そういう悪癖にお染まりにならないでください。あなたのご判断は、周囲のたくさんの方々を傷つける手きびしい批判になってしまうでしょうし、どんな人にせよ、ひそかに痛手を受けるよりは、人前で公然と非難を加えられるほうがまだましだと思うでしょう。若い方々は、人生についても、なにもご存じありませんから、寛大さというものを欠いていらっしゃいます。年をとられた批評家は親切で穏やかですが、若い批評家は苛酷です。後者はなにも知らず、前者はすべてを知っております。それにまた、すべて人間の行為の奥底には、神だけが最後の判定をおくだしになれるもろもろの決定理由が、迷路のようにからみあっているものなのです。ですから、あなたご自身にたいしてだけ厳格な態度をおとりになってください。あなたのご栄達はすぐ目前にありますけれども、この世のなかでは、なんの援助も受けずに栄達を遂げられる人は誰一人おりません。そういうわけですから、どうか父の家に足|繁《しげ》くお訪ねになってくださいませ。いつでもあなたをお迎えできるようになっているのですし、そこでいろいろな交際がおできになれば、きっと多くの場合にあなたのお役に立つことになるでしょう。けれども、母には一歩たりともお譲《ゆず》りになってはいけません。母は言いなりになる人間は踏みつぶし、抵抗する人間の誇り高さには感心するのです。母は鉄のような女、叩かれれば鉄と結びつくことはしますが、同じ固さをもたぬものはすべて、接触するなりすぐに押しつぶしてしまうあの鉄のような女なのです。ともあれ、母と疎遠にならないようにしてくださいませ。母があなたに好意をいだけば、きっとほうぼうのサロンに紹介してくれるでしょうし、あなたとしては、そこであの避けるわけにはいかぬ社交界の知識、他人の話に耳を傾けたり、こちらから話をしたり、返事をしたり、進んで自分を押しだしたり、退席したりする秘訣《ひけつ》をご習得になれるでしょう。当を得た言葉づかい、言いかえれば、服装が天才をつくりだすわけではないのと同じように、べつに優位のしるしというわけではありませんが、しかしそれなくしてはもっともりっぱな才能さえけっして認められない、あの|いわく言いがたい《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》言葉づかいもご習得になれるでしょう。わたくしは、あなたという方をよく存じあげておりますから、こうなっていただきたいと望んでいるお姿を予想しても、なんら幻想を描いているわけではないと確信できます。礼儀作法はもってまわったところがなく、口調も穏やかさにみち、誇りはあってもうぬぼれはなく、敬老の念に厚く、慇懃《いんぎん》ではあっても卑屈ではなく、そしてとりわけ慎み深いにちがいありません。才気は存分に発揮されてけっこうですが、でも他の方々をおもしろがらせる役を買って出てはなりません。それと申しますのも、これはよく覚えておいていだたきたいことですが、もしあなたのすぐれた才気のためにある凡庸な人が感情を害することがあると、その人はいったんはだまっていても、つぎには軽蔑の言葉として、あなたのことを≪あれは面白い男さ!≫と言うようになるからです。どうかあなたの卓越はいつも獅子《しし》の卓越でありますように。それにまた、むりに男の方々の気にいられようとなさってはいけません。男の方々とのご交際では、ときにはあちらが憤慨《ふんがい》もできぬほどの傲岸《ごうがん》さにまで達することもある、冷やかな態度をおとりになるようお勧めします。人は誰しも自分を軽くあしらう人物を尊敬するものですし、またこういう軽くあしらう態度こそ、すべての女性の好意をかちえさせてくれるでしょうし、あなたが男の方々を軽視すればするほど、女性たちはあなたの価値を高く買うでしょう。評判の悪い人物は、たとえそれが悪評に値いしない場合でも、そばにお近づけにならないでくださいませ。と申すのは、世間というものは、わたくしたちの友情についても、また嫌悪についても、その責任を明らかにすることを求めてくるからです。この点については、ご判断は長い時間をかけて熟慮のすえにおきめいただきたいのですが、そのご判断は撤回《てっかい》のきかないようなものであってほしいと存じます。あなたの拒絶なさった人物が、やがてあなたの拒絶の正しさを証明するような事態がくれば、人々はしきりにあなたの敬意を求めてくるようになるでしょう。こうして、ある一人の人物を衆にぬきんでてりっぱに見せるあの暗黙の尊敬を、他の人々の心に植えつけることになりましょう。そこで、あなたは人から好ましく思われる若さと、人をひきつける気品と、勝利を保持する知恵とで武装されたことになります。わたくしが述べてまいりましたことは、あの『貴族たる者は貴族たる義務を尽すべし』という昔ながらの言葉に、すっかり要約されるわけなのです。
さて、今度はこうしたさまざまな掟を、お仕事の政略にも応用してくださいませ。ぬけめのなさこそ成功の基礎であり、大勢の人を押しのけるやりかたこそ、人々のあいだに自分の地位を築くこつである、多くの人々の口からそんな話を聞かされることでしょう。そうです、王侯たちに競争相手がたくさんあって、その競争相手を互いに滅亡させあうように仕向けねばならなかった中世には、おすいう原理も役に立つものでした。けれども、今日では、すべては明るみに出されておりますし、そういう方式は、たぶんたいへんな害毒をもたらすだけでしょう。じっさい、あなたの行手には、信義に厚い誠実な人間も現われれば、気を許せぬ敵も、誹謗《ひぼう》や中傷や欺瞞《ぎまん》でことを運ぶ人間も現われるでしょう。そこで、これはよく心得ておいていただきたいのですが、そういう油断のならない相手は、じつはあなたにとってもっとも力強い援助者なのです。つまりこういう人間のほんとうの敵は、ほかならぬその人間自身なのです。あなたは正々堂々たる武器をお使いになって、その男と戦って差しつかえないのですし、遅かれ早かれ、相手は人々の軽蔑を買うようになるでしょう。いっぽう、第一の信義に厚い人物について申せば、あなたの率直な態度によって、あなたはきっと相手の敬意をかちとることができましょう。そして、双方の利害が一致すれば、(なぜならば、なにごとも話しあいはつくものなのですから)、相手の方もあなたのために尽力してくださるでしょう。敵をつくることを恐れてはいけません。あなたがいま進んでいこうとしておられる社交界で、敵をもたぬ人間に禍《わざわい》あれかし、ですもの。でも、滑稽《こっけい》な物笑いの種をまいたり評判を落とす種をまいたりなさらぬよう、くれぐれも努力なさってくださいませ。努力なさってと申したのは、パリでは男の方はかならずしも自由にふるまえませんし、どうにも逃れられぬ事情に服さねばならぬことがあればこそです。あなたにしたところで、路傍《ろぼう》のどぶの泥水や落ちてくる瓦はお避けになれません。道徳には道徳のどぶがあって、名誉を失墜した人々は、そのどぶのなかから、自分たちが溺れこんでいるそこの泥水を気品ある方々の上にはねかけようとするのです。けれども、どんな世界においてであれ、あなたが最後の決断にかけては厳格なことを示せば、あなたはいつも他人の尊敬を得られるのです。このような野心と野心の戦いのなかでも、このような複雑にいりくんだ障害のさなかにあっても、どうかいつも大切な事実にむかって直進し、肝心の問題にむかって決然と歩みより、ただ一点の目標だけにむかって全力をつくして戦ってくださいませ。モルソーフがどんなにナポレオンを憎んでいたか、それはあなたもご承知のとおりです。モルソーフはナポレオンに呪いを浴びせつづけ、まるで司法当局が犯罪者を監視するように彼の動静をしつこく監視し、そして毎晩、アンギアン公〔ブルボン公妃(前出)の息子。革命とともに亡命してコンデ軍に参加、コンデ軍の解散後はドイツのエッテンハイムに陰棲していた。一八〇四年、王党派の反ナポレオン運動の陰謀が発覚すると、ナポレオンは効果的な弾圧の手段として、旧ブルボン王家に属する人物を処刑することを思いついた。その結果、まったく無実であったアンギアン公が逮捕されて、秘密の軍法会議の結果、銃殺刑に処せられた〕、ナポレオンもこの方のご不運と死にだけは涙を流したというアンギアン公の生命を返せ、と要求しておりました。ところがです、モルソーフは、名将のなかでももっとも豪胆《ごうたん》な人物としてナポレオンを讃え、わたくしにもよく彼の戦術のことを説明してくれたりしました。この戦略は、利害の戦いにも応用できるのではありませんかしら? もう一つの戦いで人員と距離の節約になったのと同じように、この戦略は、利害の戦いにおいても、きっと時間の節約になるだろうと思います。その点はどうぞくれぐれもよくお考えください、なにしろ女というものは、こうした本能と感情で判断するほかないようなことにかけては、往々にしてまちがいを犯すことがありますから。でも、わたくしにも、ただ一点だけ強調できることがございます。つまり、どんなぬけめのなさも、どんな欺瞞もやがては暴露され、けっきょくは自分に禍《わざわい》をおよぼすことになるますが、それにひきかえ、人間が率直さという足場に身を置いている場合には、どんな状況もわたくしにはさほど危険にはみえない、ということです。自分の例をあげさせていただけますなら、あなたにこういうことをお話ししておきたいと存じます。ここクロシュグールドでは、モルソーフのあの性格から、わたくしはどうしてもあらゆる紛争《ふんそう》を予防する立場にまわらざるを得ませんし、またいろいろな異議の申したて、これがまたモルソーフにとっては、すすんで罹《かか》りたがってはけっきょく手ひどく悩まされることになる一種の病気のようなものなのですが、とにかく、そういう異議の申したてを仲裁する役目をわたくしがひきうけざるを得ないものですから、わたくしはいつもその紛糾《ふんきゅう》の要点にむかって直進し、相手にむかって≪この紛糾を解決しましょう、でなければこのまま打ちきりにしましょう≫と言って、自分一人ですべて決着をつけてまいりましたの。他の方々のために役にたってあげたり、めんどうをみてあげたりすることも間々起こるでしょうけれど、それが報いられることはまずほとんどないと存じます。けれども、世人にたいして不満をいだいたり、忘恩の徒しかみつからぬなどと吹聴《ふいちょう》してまわったりする人たちの真似は、どうかなさらないでくださいませ。それはつまり自分を買いかぶることではないでしょうか? それにまた、そんなふうに世間知らずを自分で告白するのはちょっとばかげていないでしょうか? だって、あなたが善を行なわれるのは、高利貸しがお金を貸すのと同じことなのでしょうか? あなたがそれをなさるのは、善そのもののためではないのでしょうか? 『貴族たる者は貴族たる義務を尽すべし』です。とは申しましても、めんどうをみすぎたりして、相手の方々を感謝できぬようなところに追いこんだりはしないでくださいませ。なぜならば、そういう人々は、やがてあなたにとって和解しがたい敵になってしまうでしょうから。破産のための絶望と同じように、恩義をこうむりすぎたための絶望も、はかりしれないほどの力をもたらすものなのです。またいっぽう、あなたご自身としては、できるだけ他人の世話はお受けにならないようになさってくださいませ。どんな人物の臣下にもならず、ひたすらご自身だけのものでいらしてくださいませ。わたくしは、生活上の些細なことがらに関するご忠告しか申しあげられません。政治の世界となりますと、なにもかもようすが一変し、あなたという人格を支配するさまざまな法則も大きな利害の前に屈することになります。でも、その偉大な方々が活躍しておられる世界にあなたが首尾よく到達された暁《あかつき》には、ちょうど神と同じように、あなたの決意に判断をくだすのはあなたご自身しかいらっしゃらないことになります。そのとき、あなたはもはや一個の個人ではなく、生きた法律におなりになるのです。もはや個人ではなく、国家を一身に具現された方になるのです。けれども、あなたは判定をくだすいっぽうで、判定をくだされてもいらっしゃるわけです。後日、あなたは数々の世紀の前にご出頭になることになるでしょうが、あなたは歴史を充分にご存じでいらっしゃいますから、ほんとうの偉大さを生みだす感情や行為については、りっぱにご判断がおつきになっておられると存じます。
さて、わたくしはいよいよ、重大な問題、女性にたいする身の処しかたに触れるところまでまいりました。これからほうぼうのサロンへお出かけになるわけですが、そこで女性の気をひく小細工を弄《ろう》するという無益なことにふけらぬということを、鉄則になさってくださいませ。前世紀にじつに数多くの成功を収められたある方は、いつもかならず一つの夜会ではただ一人の女性だけの相手になり、それも一座の人々から無視されたようにみえる女性に気を配るという習慣を、身につけていらっしゃいました。この方こそ当時の社交界を牛耳《ぎゅうじ》っておられたのです。ある時期が経てば、誰もがこぞって自分に賛辞を寄せてやまぬようになるだろう、その方は賢明にもそういう目算をたてておられたのです。大多数の若い方々は、社会生活の半分を占める交際関係をつくるのに、必要欠くべからざるものである時間というもっとも貴重な財産を無駄に費やしてしまいます。若い方々は、若いということだけでみんなから好かれますから、たいしたことをしなくても、むこうからいろいろ利益をはかってくれるものです。でも、こうした春はたちまち過ぎていきますから、それを上手に使う使いかたをぜひお覚えになってくださいませ。ですから、まず勢力のある婦人の好意を得るようにお努めになってください。勢力のある婦人はお年をめしておられますから、あらゆる家族の姻戚《いんせき》関係や秘密を教えてくださるでしょうし、また目的に早く導いてくれるような近道も教示してくださるでしょう。そういう婦人たちは、あなたに真心を捧げてくれるでしょう。もし熱烈な信仰に凝《こ》っていない場合でしたら、若い男の方のうしろ楯《だて》になるということは、そういう老婦人にとって最後の恋愛なのです。驚くほどあなたによくつくしてくださいますし、しきりにあなたををほめそやし、好ましい男性にしあげてくださるでしょう。でも、若い女性はお避けになってくださいませ。わたくしの申しあげることに、ほんのちょっとでも私心がふくまれているなどと、どうかお考えにならないでくださいね。五十歳の女性は、あなたのためにどんなことでもするでしょうが、二十歳の女性はなにもしてくれないでしょう。二十歳の女性はあなたの生活の全部を求めますが、五十歳の女性は、ほんの一瞬の時間や、ほんのちょっとした優しい心づかいを求めるだけです。若い女性は軽くあしらい、すべて冗談として受けとるようにしてくださいませ、なにしろ若い女はまじめな考えなどもてるわけがないのですもの。そうですわ、若い女は利己的で、こせこせしていて、ほんとの情がなく、もっぱら自分を愛するだけで、一夜の夜会でもてはやされるためとあらば平気であなたを犠牲にするでしょう。さらにまた、若い女はそろいもそろって献身的な態度を要求しますし、あなたの立場は、いまのところ相手から献身的態度でつくしてもらう必要があるのですから、これは妥協の余地のない二つの主張ということになります。あなたの利害ということを理解できる女は、ただの一人もいないでしょうし、みんながみんな、自分のことばかり考えて、あなたのことなど考えようとしないでしょうし、相手が愛情でつくしてくれるというよりはむしろ、虚栄心であなたに害をおよぼすことになってしまうでしょう。平然としてあなたの時間を食いつぶし、ご栄達をつかむきっかけをとり逃させ、最大の恩恵にあずかれる機会さえも台なしにしてしまうでしょう。もしあなたが不平をもらそうものなら、若い女のなかでもまたいちばん愚かな女ですら、彼女の手袋は全世界に匹敵するということを、彼女につくすにまさる光栄はないのだということを、あなたに証明しようと躍起《やっき》になるでしょう。みんな異口同音《いくどうおん》に、自分はあなたを幸福にしてあげているなどと言って、あなたの将来の輝かしい運命のことを忘れさせてしまうのです。その幸福は不安定なものであり、あなたのご偉業《いぎょう》は確実なものですのに。恋の気まぐれを満足させるために、一時の好みにすぎないものを、地上ではじまって天国でもつづくはずの大恋愛に変えるために、そういう女たちがどんな不実な手練手管《てれんてくだ》をめぐらすものやら、あなたはまだご存じありません。こういう女たちは、あなたのもとを去る日がくると、|愛しています《ヽヽヽヽヽヽ》という言葉が恋の口実になったのと同じように、|もう愛してはいません《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》という言葉であなたを捨てる名目はちゃんと立つとか、恋は思うままにならぬものだとか言うのです。ほんとうにばかげた考えかたですわ! これはぜひとも信じていただきたいのですが、真の愛とは永遠のもの、無限のもの、いつも同じ姿を保ちつづけるものなのです。それはむらのないもの、清らかなもの、激しい感情の表示など伴わぬものなのです。それは白髪をいただく年になっても、依然として若々しい優しさにみちたものでありつづけるのです。社交界の女性たちのあいだには、そういうものはいっこうに見かけられませんし、みんなそろいもそろってお芝居をしているだけなのです。ある女はそのさまざまな不幸であなたの関心をひき、このうえなく優しい女、このうえなく口やかましさの少ない女にみえるかもしれません。けれども、自分が必要欠くべからざる存在になってしまうと、そういう女は徐々にあなたを支配するようになり、自分の意志を押し通すようになるでしょう。あなたが外交官になりたい、各地をいったりきたりして、さまざまな人間、利害関係、国々の事情などを研究したいとお望みになっても、いいえ、もうだめなのです、あなたはパリか、さもなければ彼女の故郷にとどまることになってしまうでしょうし、相手は狡猾《こうかつ》にあなたを自分のそばから離そうとしないでしょう。そうして、あなたが献身的な態度をお示しになればなるほど、相手はますます報いるところ少なくなっていくでしょう。また、ほかのある女は従順さであなたの関心をひこうとし、まるであなたの侍女のようになり、小説もどきに世界の果てまであなたのあとをついてまわり、あなたをひきとめておくためとあらば体面を顧みることもしなくなり、あなたの首にまつわりつく小石のようなものになるでしょう。でも、いつかあなたが溺れるようなことがあっても、彼女のほうは生きながらえるでしょう。女というものは、どんなにずるさのない女でも、無数の罠《わな》をもっているものなのです。どんなに愚かしい女でも、相手に疑う必要もあるまいと思いこませ、それにつけこんで勝利を占めるものなのです。いちばん危険でない女といえば、べつに理由もなくあなたを愛するようになったり、これという動機もなくあなたを捨てたり、かと思うと虚栄心であなたにまた近づいてきたりするような、そんな浮気な女ということになりましょう。とにかく、どんな女性もすべて、現在のあなたに、あるいはまた将来のあなたに害をおよぼすことになるでしょう。社交界へ出かけていって、楽しみと虚栄心の満足とで生きている若い女性は、一人残らずなかば堕落した女であり、やがてはあなたを堕落させるでしょう。その心のなかにあなたがいつまでも君臨《くんりん》するにふさわしい女性、そんな純潔で考えぶかい女性は、そういうなかにはいないはずです。そうですとも、きっと孤独な女の方です、あなたを愛するようになる女性は。その方にとって、こよなくすばらしい喜びはあなたのまなざしでしょうし、ひたすらあなたのお言葉で生きていくようになるでしょう。ですから、その女性が、あなたにとって、全世界にひとしいものになりますように。と申すのも、その方にとっては、あなたがすべてなのですから。心から愛してあげてくださいませ、悲しい思いをおさせになったり、他の女性に気をひかれたり、嫉妬を掻《か》きたてたりなさってはいけません。愛されるということ、理解されるということ、これはいちばん大きな幸福ですし、わたくしは、あなたがその幸福を味わわれるよう心からお祈りいたしますが、でもあなたの魂の花を朽《く》ちさせたりなさらずに、愛情を注がれる女性の心ばえをしっかり確かめるようにしてくださいませ。その女性は絶対に自分本意ではなく、自分のことなどまるで考えようともせず、ひたすらあなたのことだけを考えるでしょう。なに一つ争うようなこともせず、自分自身の利害などけっして考慮にいれようとせず、あなたが気づかれない場合にも、自分の危険をすっかり忘れて、あなたのために危険を察知することができるでしょう。そして、もしその方が苦しむようなことがあっても、不満などもらさずにじっと苦しみに耐えているでしょうし、美しい装いを凝《こ》らすのも自分一人のためではなく、自分のなかのあなたに愛されているものを尊重すればこそなのです。どうぞそれに優る愛でもって、そういう愛に報いてあげてくださいませ。もしあなたが幸運にめぐまれて、この哀れなわたくしの上に永遠に訪れることのないもの、つまり二人の心にひとしくいだかれ、ひとしく感じられる愛にめぐりあわれた暁には、たとえその愛がどんなに完璧なものであろうとも、とある谷間で、あなたのために一人の母親が生きていること、あなたがいっぱいに注いでいかれた感情で深く掘りさげられ、やがては底も見えなくなるはずの心をいだく一人の母親が生きていることにも、どうぞ思いを寄せてくださいませ。そうなのです、わたくしはあなたに愛情を捧げておりますが、その愛情の広さはあなたにもけっしてわかっていただけますまい。なぜなら、あなたがそのすばらしい知能をおなくしにならぬかぎり、この愛情はありのままの姿をあらわしだしはしませんし、よしんばそういうことになっても、わたくしの献身の気持ちがいったいどこまで広がるのか、あなたには見当もおつきにならないでしょうから。みんながみんな、多少なりとも狡猾《こうかつ》で、人をばかにしがちで、虚栄心が強く、軽薄で、浪費好きな若い女性をお避けになるようにと申しましたし、また勢力のある婦人たち、堂々とした風格をもち、わたくしの伯母のように良識に富んだ未亡人たち、あなたのためにたいへん力になってくださり、蔭でのさまざまな非難を一掃してあなたを擁護してくださり、あなたの一身上のことについて、あなたがご自分の口からはおっしゃれないようなことを言ってくださるそういう方々と、親しく交際なさるようにと申しましたが、そういうことを申しあげるわたくしに、なにか下心があるとお疑いになるでしょうか? でも、要するに、あなたの熱愛のお気持ちは、清らかな心をもった天使のような女性のために、大切にしまっておきなさいとご命令しているわけなのですから、わたくしは寛大なのではありませんかしら? 『貴族たる者は貴族たる義務を尽すべし』という言葉のなかに、わたくしの第一のご忠告の大部分がふくまれているとすれば、女性とのおつきあいについてのわたくしの考えも、この騎士道の言葉のなかに言いあらわされています。『すべての女性に奉仕せよ、されどただ一人の女性のみを愛せよ』
あなたの知識は該博《がいはく》でいらっしゃいます。あなたのお心は苦悩に守られて、なんの汚れもないままでいらっしゃいます。あなたのなかでは、いっさいが美しく、いっさいがりっぱなのです、ですから、|さあ大きな望みをおもちなさい《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》! あなたの将来はこのただ一言、偉大な人々の金言であるこの一言にかかっているのです。あなたのアンリエットの言うことを聞いてくださるでしょうね? これからもアンリエットに、あなたのことについて、あなたと世間のご関係のことについて、いろいろ考えたことをお話しさせてくださるでしょうね? わたくしの魂のなかには、あなたや子供たちのために、将来を見通す目があるのです。平和な生活がめぐんでくれたものであり、孤独と静寂のなかでもいっこうに衰えずに、もとのままに保たれている神秘的な天賦《てんぷ》であるこの能力を、どうかあなたのために使わせてくださいませ。そのお返しとして、わたくしのほうでも、大きな幸せをわたくしにあたえてくださるようお願いいたします。と申しますのは、わたくしは、あなたが人々のあいだで偉大な地位に昇っていかれるのを拝見したいのですが、額に皺《しわ》をつくってあなたのご成功をお迎えすることのないようにしたいと思うのです。また、あなたがお名前にふさわしい高い地位に早くお就きになって、自分の望み以上にあなたのご偉業《いぎょう》に寄与したと考えられるようになりたいのです。この蔭ながらのご協力だけが、心おきなくわが身に許せる唯一の楽しみなのです。わたくしは、いつもお待ちしております。お別れのごあいさつは申しあげません。わたくしたちは離れ離れになっており、あなたはわたくしの手に唇をおふれになることはできませんが、でも、あなたがわたくしの心のなかでどんな場所を占めておられるか、それは充分にお察しいただけたはずと存じます。
あなたのアンリエット
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この手紙を読み終えたとき、私はまだ母親の厳格な扱いにひえびえとした思いをさせられていた時期でしたので、母性愛にみちた心が指の下で脈うっているように感じました。伯爵夫人がなぜトゥーレーヌでこの手紙を読むことを禁じたのか、その理由は私にも推察がつきました。彼女はたぶん、私が彼女の足もとにひざまずく姿を見ることになり、その足が私の涙で濡れるのを感ずることになりはすまいか、と恐れたのでしょう。
兄のシャルルは、それまで私にとっては他人同然でしたが、私はやっと兄と近しい仲になりました。しかし、彼はほんのちょっとした交渉にすら尊大さを見せるので、そのために私たちのあいだには隔《へだ》たりが生じ、とても兄弟として愛しあうことはできませんでした。優しい感情というものは、すべて魂と魂の対等さに根拠を置くわけですし、それに私たち二人のあいだには、なんの結合点もありませんでした。ちょっとした精神の持主なら、あるいはちょっとした心の持主なら、すぐに見ぬけるような些細なことまで、彼はもったいぶって私に教えてくれるのです。なにごとにつけても、ことごとに私をみくびります。もしも私が恋を交点にしていなかったら、私などなにも知らぬ人間だと思いこんでいるふりをするその態度のために、いかにもぶざまで愚かしい立場におとしいれられてしまったことでしょう。
それでもとにかく、兄は私を社交界に紹介はしてくれましたが、それというのも、そこへいけば、私の間のぬけた言動のせいで、彼の長所がいっそうひきたつことになるはずだったからです。子供の頃のさまざまな不幸がなければ、私もことによると、兄の保護者ぶった虚栄心を兄弟愛と思いこんだかもしれません。しかし、精神の孤独は世俗での孤独と同じ効果を生みだします。静謐《せいひつ》さのおかげで、このうえなくかすかな反響すらはっきり聞きわけられますし、自分の内部に閉じこもる習慣のせいで感受性が発達し、その感受性の繊細さが、私たちの心を動かす愛情のもっとも微細な陰影まであきらかにしてくれるのです。モルソーフ夫人を知る前には、私はちょっとした厳しい目つきにも心を傷つけられ、そっけない一言の語調にも胸をつかれました。私はそのために悲嘆にくれましたが、しかし互いにいつくしみあう生活については、まるでなにも知らなかったのです。それにひきかえ、クロシュグールドから帰ってきてからは、いろいろ比較することができるようになり、それが私の早熟な知識を完全なものにしてくれました。自分で味わった苦しみにもとづく観察は、不完全なものです。幸福にもまた幸福の光というものがあります。私はべつにシャルルにだまされていたわけではなかっただけに、いっそう逆らわずに長子権の優越に従順に従っていました。
ルノンクール公爵夫人の邸へは私一人で出かけましたが、そこではべつにアンリエットの噂も聞きませんでしたし、質朴さそのもので好人物の老公爵を別にすれば、誰一人として私に彼女の話をしかけてはきませんでした。だが、公爵の私にたいする接しかたから、私は娘のひそかな推薦があったことを見ぬきました。上流社会を目《ま》のあたりにすると、はじめて社交界に出た人間すべての心に生ずる愚かしい驚きもめざめだした頃、また上流社会が大望《たいもう》をいだく人間に提供してくれる便宜もわかってきて、いろいろ楽しいことが見えはじめた頃、さらにアンリエットの処世訓《しょせいくん》の深い真実さに感嘆して、すすんでそれを実地に用いるようになった頃、三月二十日の事件〔ナポレオンがエルバ島を脱出してパリのチュイルリー宮殿にはいった日。ルイ十八世の宮廷は、その前日ベルギー領のガンに移動していた。こうしていわゆる「百日天下」がはじまる〕が起こったのです。兄は宮廷の一行に随行してガンへいきました。私は、伯爵夫人とこちら側だけ一方的に熱心な文通をつづけていましたが、その彼女の助言によって、ルノンクール公爵に同行してやはりそこへ出かけました。いつも変わらずに示される公爵の好意は、私が心も身もブルボン王家に愛着しているのを見てとると、それこそ心底からの庇護《ひご》になりました。彼はみずから私を国王陛下にひきあわせてくれました。逆境時代に仕える宮廷人というものは、さほど数の多いものではありません。青年は純真な尊敬の念と打算のない忠誠心をもっています。王は人を見る目をもっておられました。ですから、チェイルリー宮ではことさらめだたなかったようなことも、ガンではたいへんはっきり目につくようになり、私は幸いなことにルイ十八世の愛顧を得ることができました。ヴァンデ軍〔革命当時「ヴァンデの反乱」を起こした同地方は、とくに王党派勢力の強い土地柄で「百日天下」のさいにも、ナポレオン軍と抗戦する人々がいた〕の密使が、急遽公文書とともに届けてきた父公爵にあてたモルソーフ夫人の手紙によって、そのなかに私にあてた言葉も一言あったからですが、私はジャックが病気であることを知りました。モルソーフ氏は、息子の健康状態の悪化に心痛するとともに、また自分と無関係に第二の亡命時代がはじまりつつあるのを見て絶望に駆られ、そこに若干の言葉を書き添えていましたが、その彼の言葉からも、愛する女性の現況を推察することができました。昼も夜も休息する暇もなく、しじゅうジャックの枕もとで過ごしているのに、いっぽうではきっと伯爵に悩まされているのでしょう。嫌がらせなど寄せつけはしないにしても、子供の看病に精魂を傾けつくしているさいには、それをうまくあしらうだけの力はないでしょうから、アンリエットは友情の援助、よしんばそれがモルソーフ氏の相手を勤める役にしか立たなかったとしても、かつて彼女の生活の重荷をいくぶんかへらしてくれた友情の援助を、ひたすら待ち望んでいるにちがいありませんでした。すでに何度となく、伯爵が彼女を苦しめそうになると、私は彼を外へ連れだしたことがありました。それは無邪気な術策でしたが、この術策に成功すると、愛する心にとってはさまざまの約束が読みとれる、情熱にみちた感謝の気持ちをこめた視線が私に注がれるのでした。私は、つい先ごろウィーン会議〔ナポレオンのエルバ島流刑後、ヨーロッパの政治情勢の安定のためにウィーンで開かれた外交会議。一八一四年十一月に開会されたこの会議は、各国の意見の調整がなかなかつかずに難航し、ナポレオンのエルバ島脱出の一因となったりしたが、翌一五年六月、ようやく調印の運びにいたった。この会議では、タレーランの功名なかけひきによって、フランスはきわめて有利な結果を得ることができた〕に派遣されたシャルルの例にならいたいとあせっていましたし、また自分の生涯を賭してでも、アンリエットの予言の正しさを立証してみせ、兄にたいする隷属から解放されたいと願ってはいましたけれども、それにもかかわらず、大望《たいもう》も、独立の欲望も、王のもとを離れずにいることの有利さも、モルソーフ夫人の悲しみに沈んだ姿を前にすると、ことごとく色|褪《あ》せてしまうのでした。私はガンの宮廷を離れ、私にとってのまことの君主のもとへいこうと決心しました。神が私の心に報いてくださいました。ヴァンデ軍から派遣された密使は再度フランスへひきかえすわけにはいかず、勅命《ちょくめい》の伝達という仕事に身を捧げる人物は誰かいないものかと、王は求めておられたのです。王がこの危険な企ての任に当たった人物をけっしてお忘れにならないだろうということを、ルノンクール公爵は知っていました。そこで、公爵は私の意向も打診せずに、私がその任務に就くように取りはからってくれましたし、私としても、大義名分に仕えながら、しかもクロシュグールドへいけるということをたいへん喜んで、それを承諾したのです。
二十一歳になったばかりのところで、親しく王の謁見《えっけん》を賜わってから、私はフランスへもどってきたわけですが、パリでも、ヴァンデでも、幸いにして陛下のご意向を完全に果たすことができました。五月の終わりごろには、私の人相書の通報を受けたナポレオン政府当局に追及されて、いかにも自分の邸へ帰る男にみえそうな風体《ふうてい》に身をやつし、ヴァンデの高地を横ぎり、ボカージュとポワトゥーを通り、場合に応じて道筋を変えながら、私有の所領地から所領地へ、森から森へ、徒歩で逃げていかねばなりませんでした。やっとソミュールまでたどりつき、次にはソミュールからシノンへ出て、シノンからたった一晩でニュエーユの森へ達しましたが、そこのとある荒地で折よく乗馬姿の伯爵に出会いました。伯爵は私を馬の尻にのせ、私の顔のわかりそうな人間には一人も会わずに、無事に家まで連れていってくれました。「ジャックは元気になりましたよ!」これが彼の最初の言葉でした。
まるで野獣のように追いつめられている外交上の歩兵とでもいうべき私の立場を打ち明けると、この貴族は、持前の王党派精神をますます強固にして、シェッセル氏を斥《しりぞ》けて私を家に迎える危険をひきうけようとしました。クロシュグールドが見えはじめたとき、過ぎさった八か月間がまるで夢のような気がしました。伯爵が先に立って家へはいっていき、妻にむかって――
「誰を連れてきたかわかるかね?……フェリックスだよ」と言うと、
「まさかそんなことが?」彼女は両腕をだらりとたらし、呆然《ぼうぜん》とした顔つきをしてそう尋ねました。
私は姿をあらわし、私たちは二人とも身じろぎもせずにたたずみました。彼女は肱掛椅子に、私は部屋のドアの敷居《しきい》のところに釘づけになったまま、ただ一目お互いに見かわすだけで、失われた時間のすべてをとりもどそうとする恋人どうしのむさぼるような凝視の視線で、じっと見つめあいながら。しかし、心のなかをすっかりさらけだすほどの驚きを示したことを恥じて、彼女は椅子から立ちあがり、私のそばへ近よってきました。
「あなたのことを神さまにお祈りしておりましたわ」私の接吻を受けるために手をさしだしてから、彼女はそう言いました。
彼女は父公爵の消息を私に尋ねました。それから私が疲れていることを察して、私の寝泊りする部屋の世話をしにいきましたが、いっぽう伯爵のほうは、そのあいだに私の食事の支度を命じてくれました。なにしろ、私は空腹で死にそうだったのですから。私の部屋は彼女の部屋の真上にある部屋、つまりあの彼女の伯母の部屋でした。たぶん彼女は、自分もその部屋まで私についていこうかどうかと思案していたのでしょう、階段を一段のぼりかけたのですが、そこまできただけで、あとは伯爵に案内をまかせてしまいました。私がふりかえると、彼女は顔を赤らめ、おやすみなさいと言って、そそくさとひっこんでいきました。
夕食におりていったとき、私はワーテルローの敗戦、ナポレオンの逃亡、連合軍のパリへの進撃、だいたい確実らしいブルボン王家の復活などを知りました。こうした事件は、伯爵にとってはすべてでしたが、私にとってはなんでもありませんでした。子供たちにあいさつの愛撫をしてやったあとの最大の知らせがなんであったか、あなたに見当がおつきでしょうか? といっても、伯爵夫人の顔色が悪くやせほそった姿を見て、私のいだいた不安はここでは話題にしないつもりです。驚いたそぶりも見せようものなら、憔悴《しょうすい》の種をあたえることは私も承知していましたので、彼女と再会したときも、私はひたすら喜びの表情を示しただけだったのです。私たちにとっての大きな知らせとは、「氷がありますのよ!」ということでした。前の年、氷のような冷たい水が好きで、ほかのものは飲もうとしない私のために、ちょうど適当な冷たさの水が手にはいらないので、彼女はしばしば残念がっていたことがありました。氷室をつくらせるのにどれほどめんどうな手数がかかったか、それはまさに神さまだけがご存じです! あなたは誰よりもよくご承知でしょうが、愛というものにとっては、一つの言葉、一つのまなざし、一つの声音、表むきはごく些細な心づかいだけで充分ことたりるのです。愛のもっともすばらしい特権は、愛そのものによる自己証明ができるということなのです。そうなのです! 彼女の言葉、彼女のまなざし、彼女の楽しそうな態度は、彼女の感情の広がりをまざまざとしめしてくれました、以前に私がトリクトラクの勝負運びで私の感情を訴えたのと同じように。もっとも、彼女の愛情を率直に示す証拠はじつにたくさんありました。私の到着後七日目には、彼女はまた生気をとりもどしました。健康と喜びと若さにきらめきました。わが愛する|ゆり《ヽヽ》はいちだんと美しさをまし、いちだんとみごとに咲きひらいたようにみえましたし、さらにまた、わが心の財宝もいちだんと豊かさを加えたように思えました。別離のために感情が弱まったり、魂の光芒《こうぼう》が消えたり、恋人の美しさについて確信が弱まったりするのは、矮《わい》少な精神の持主とか、卑俗な心の持主だけに起こることなのではありますまいか? 熱烈な想像をめぐらし得る人間、情熱が血液のなかにまではいりこんで、それを新しい真紅の色彩で染めあげる人間、そして情熱が恒常性の形態を帯びる人間にとっては、別離というものは、初期キリスト教徒たちの信仰をますます強固なものとし、彼らの目に神の姿を可視のものとするあの拷問《ごうもん》の効果をもつのではないでしょうか? そのとき、愛にみたされた心のなかには、とだえることのない願い、夢想の炎でいろどられた慕《した》わしい者の姿をかすかに遠望させることによって、その姿をいっそう貴重なものとするとだえることない願いが、宿るのではないでしょうか? 熱愛する者の面影にさまざまな思いを織りこみながら、そこに理想の美を注ぎこむような焦慮《しょうりょ》が感じられるのではないでしょうか? 思い出から思い出へとよみがえりつつ、過去はひときわ大きくなります。未来は希望で豊かに飾られます。このような雷雲がみちあふれている二つの心のあいだでは、二人がめぐりあいさえすれば、それはただちに恵みの雨のようなものになり、すばらしい稲妻《いなずま》のきらめきをもたらしつつ、大地に生気をふきかえさせて豊饒《ほうじょう》にするのです。私たち二人の心のなかに、そういう思念、そういう感情がともに宿っているとわかったので、私はいかばかり心地よい喜びを味わったことでしょう。どんなに楽しげな目でもって、アンリエットの幸福のたかまりの跡を追っていたことでしょう。恋する相手のまなざしのもとで再生する女性は、猜疑心《さいぎしん》のために生命を縮めたり、樹液が欠乏して立ち枯れたまま死んでいくような女性にもまして、その感情が真実であることをまざまざと示しているのです。この二つの型の女性は、どちらがより感動的であるか私にもよくはわかりませんが。
モルソーフ夫人の再生は、ちょうど五月という月が牧草地におよぼす効果のように、また太陽と水が萎《しお》れた花におよぼす効果のように、いとも自然なものでした。私たちの愛の谷間と同じように、アンリエットも彼女自身の冬を過ごしたのち、いま谷間と同じように春とともに再生したのです。
夕食の前、私たちはなつかしい築山《つきやま》のほうへいきました。その築山の上で、前よりもまた虚弱そうになり、あたかもいまだに病根を宿しているかのようにひっそりだまりこんで、母親のかたわらを歩いている哀れな愛児の頭を優しく撫でながら、彼女はこの子の病床の枕辺《まくらべ》で過ごした夜々のことを話してくれました。――この三か月間というもの、まったく内面的な生活にあけくれてきた、と彼女は言いました。彼女はまるで闇にとざされた宮殿に住んでいるのも同然で、しかもそのあいだ、まばゆい光が照りかがやき、彼女にとっては禁断の祝宴がもよおされているまわりの豪華な部屋のなかへ、いまにも足を踏みいれはしまいかという不安にたえずおののき、一方の目を愛児に、他方の目をはっきり見さだめがたいある面影の上にそそぎ、一方の耳を苦しみのうめきに傾け、他方の耳である一つの声を聞きとりつつ、その豪華な部屋の戸口にうずくまっていたのでした。彼女は、いかなる詩人も思いついたことのないような語りかたで、孤独によって心のなかによびさまされる詩情を語ってくれました。とはいっても、ごく自然に、そこにかすかな愛の足跡、官能の思いの跡、フランジスタン〔十字軍の遠征以来、中近東地方で西洋を指すのに用いられた言葉〕のバラという言いかたのような東方的な甘美な詩情がまざっているとも気づかずに、語ってくれたのです。伯爵が私たちのところへやってきたときも、彼女は夫に誇らしい視線をむけることもできれば、なんの羞《は》じらいもなく愛児の額に接吻することもできる自信にみちた妻として、同じ語調で話しつづけました。看病の夜々のあいだ、彼女はジャックが死ぬことのないよういちずに神に祈りを捧げ、夜通し合掌した手のなかに彼を抱きつづけたのです。
「わたくしは」と彼女は言いました。「神殿の最後の戸口のところまでいって、神さまにこの子の命を救ってくださるようお願いしましたの」
彼女はさまざまな幻覚を感じたこともありました。そして、それを私に話してくれました。ところが、天使のような美しい声で、
「わたくしが眠っているときも、わたくしの心はめざめていました!」という驚嘆すべき言葉を述べた瞬間、
「つまり、お前は気ちがいも同然だったというわけさ」彼女の言葉をさえぎりながら伯爵がそう答えたのです。
あたかもこれがはじめて受けた傷であるかのように、あたかもこの男が十三年このかた、しじゅう彼女の心臓に矢を射かけつづけたことを忘れたかのように、激しい苦痛に襲われて彼女はだまりこんでしまいました。飛翔《ひしょう》のさいちゅうに、この無礼もはなはだしい鉛の弾丸に襲われた至高の小鳥のごとく、彼女は呆然として力がぬけたようになりました。
「まあ! あなたという方は!」しばらく間を置いてから彼女は言いました。「あなたの心の法廷では、わたくしが口にすることはどれひとつとして、恩赦《おんしゃ》にあずからせていただけないんですの? わたくしの弱点を寛大に許してはいただけませんの、わたくしの女としての気持ちを理解してはいただけませんの?」
彼女は口をつぐみました。早くもこの天使はそういう不満のつぶやきを後悔し、たった一目でもって過去と未来を判断したのです。こちらの言うことがはたしてわかってもらえるかしら、と。どうせ辛辣《しんらつ》な罵声を浴びせられるだけではないかしら、と。彼女のこめかみの青い静脈は激しく脈うち、涙こそ流しませんでしたが、緑がかった瞳《ひとみ》は輝きを失っていました。それから彼女はじっとうつむいて地面に視線を落とし、私の視線に自分の苦痛がより拡大されて映っているありさまから、自分の感情がすっかり見通されている気配から、私の魂の内部で自分の魂が優しく慰められているという事態から、なんとか目をそらそうとするのでした。そしてとくに、自分の女主人を傷つけるものにたいして、その襲いかかる相手の力も身分も顧慮《こりょ》しようともせずに、まるで忠犬のように無鉄砲に噛みつこうと身構えている若い恋人の怒りに燃えた同情の表情から、目をそらそうとするのでした。こうした痛ましい瞬間に、伯爵が見せた高慢無頼の態度がどういうものだったか、それはじっさいに見ていただくほかはありません。彼は夫人をたたきのめしたつもりになって、もっぱら同じ考えをむしかえしてばかりいる非難の言葉、そしてたえず同じ音をたてつづける斧の打撃にも似た非難の言葉を、雨霰《あめあられ》とばかり浴びせかけるのでした。
「伯爵はあいかわらずなんですねえ?」調馬師が呼びにきたので伯爵がしかたなしに私たちのもとから去っていくと、私はそう尋ねました。
「ちっとも変わらないよ!」とジャックが答えました。
「いつも変わらずにいいお父さまなのよ、ジャック」子供たちにモルソーフ氏を批判させまいとして、彼女はそう言いました。「あなたはいまのことを見ているだけで、前のことを知らないのですから、あなたがお父さまのことを非難したりすると、かならず正しくないことを言うことになるのですよ。でも、もしお父さまがまちがっていらっしゃるとわかって、そのためにつらい思いをしても、おうちの名誉ということがありますから、あなたはそういうことを絶対に秘密にしておかなければいけませんよ」
「カシーヌとレトリエールの改築工事はどんなぐあいですか?」彼女をつらい思いからひきだそうとして、私はそう尋ねました。
「期待以上ですわ」と彼女は答えました。「小屋の建築がすんだら、一人は税金は先方払いで四千五百フラン、もう一人は五千フランで、優秀な小作人が二人みつかりましたの。それに賃貸契約は十五年ということに話しあいがつきました。あの二つの新しい農場に、もう三千本も木を植えましたのよ。マネットの親戚の人はラブレーが手にはいったので、それはもうすごい喜びようですわ。マルティノーはボードを借りています。この四人の小作人の地所は牧草地と森林ばかりですから、あまり良心的でない小作人がよくやるように、わたくしどもの耕作地に使う堆肥《たいひ》をそこへ運びこんだりしません。そういうわけですから、|わたくしども《ヽヽヽヽヽヽ》の努力はこれ以上ないほどの成功に飾られたわけですの。わたくしたちが「城館《やかた》の農場」と呼んでいる残りの農場や、森林やぶどう畑を別にしても、クロシュグールドは年収一万九千フランになりますし、それに植林しておいた木も、かなりの年収を貯えたことになってまいりましたしね。残りの農場をマルティノーに貸すようにしようと思って、いま苦心しているところですの。あの番人をしているマルティノーのほうですが、番人の仕事はもう息子にかわってもらえるようになりましたから。あの男は、モルソーフがコマンドリーに農場を一つつくってくれるなら、三千フラン出してもいいと言っているのです。そういうふうになれば、クロシュグールドと周囲の地所を切りはなして、かねがね計画していたシノン街道までの並木道を完成することができますし、ぶどう園と森林の管理だけすればいいようになりますわ。陛下がご帰還になれば、|わたくしども《ヽヽヽヽヽヽ》の年金も復活いたしますわ。また|うちの家内の《ヽヽヽヽヽヽ》良識に逆らって幾日かごたごたするでしょうけど、けっきょく|わたくしどもは《ヽヽヽヽヽヽヽ》その年金をいただくことになるでしょう。ですから、ジャックの財産はびくともしないものになります。この最後の成果が確保できたら、わたくし、あとはもうモルソーフにまかせて、マドレーヌのために貯えをつくってもらうようにいたします。それにあの娘には、慣例にしたがって陛下から持参金がいただけるはずですし。わたくしは、すっかり安心しておりますの。わたくしの仕事は完全に終わりましたわ……それで、あなたはいかがですの?」と彼女は私に尋ねました。
私は今度の使命のことを説明し、彼女の助言がどんなに実り多く、かつ賢明なものであったかを話しました。こんなふうにさまざまなできごとを予感するとは、彼女には透視の能力でもそなわっているのか?
「あなたにさしあげたお手紙に書かなかったかしら?」と彼女は言いました。「あなたにだけは、わたくし、ふしぎな力を発揮することができますの、この能力のことは、懺悔聴聞僧《ざんげちょうもんそう》のラ・ベルジェさまにしかお話ししたことがありませんが、あの方は神さまが介添《かいぞ》えしてくださるのだと説明なさいます。子供たちがいまどうしているかしらと心配になって、ちょっとした深刻な感慨にふけったあとなど、ときおりわたくしの視線から地上のものがかき消えてしまって、もう一つの別の世界が見えることがありましたの。そこにジャックやマドレーヌの輝かしい姿を認められる場合には、あの子たちもしばらくのあいだ健康に過ごしておりました。霧につつまれたようなぼうっとした姿にみえる場合には、まもなく病気になってしまうのです。あなたのこととなると、ただまばゆく輝いたお姿が見えるだけではなく、あなたはどうなさるべきなのか、言葉をまじえずに、心の交流によって説明してくれる優しい声まで聞こえてくるのですわ。こういうすばらしい天賦《てんぷ》の才能を、子供たちとあなたのためにしか使えないとは、どんな掟できめられたことなのでしょうかしら?」彼女は、そう言いながら物思いにふけりました。「神さまが、この三人の子の父親の役をしてやろうとお考えになってらっしゃるのかしら?」しばらく間を置いてから彼女はそう自問しました。
「どうかぼくには」と私は言いました。「あなたのおっしゃるとおりにしているだけだ、と思わせておいてください!」
彼女はあのすみずみまで優雅そのもののほほえみを私に注ぎかけましたが、こういうほほえみを投げかけられると、私の心はいつも深い陶酔に誘われてしまうので、致命的な打撃を受けても、もはやなにも感じなかったかもしれません。
「国王陛下がパリにご帰還遊ばしたら、すぐパリへいらしてくださいませね、すぐクロシュグールドをお発《た》になってくださいませね」と彼女はまた言葉をつづけました。「地位や恩典を追いまわすのは卑しいことですけど、そういうものをお受けできるところにいないのも、同じように滑稽《こっけい》なことなのですわ。今度はきっと大きな変化が起こることでしょう。能力のある信頼できる方々を陛下は必要としてらっしゃるのですから、おそばを離れてはいけませんわ。そうすれば、あなたは若くして政治の実務に就かれることになりますし、それがのちのちきっとお役に立つようになります。それというのも、政治家にとっても俳優にとっても、天性をもってしてもわからない職業上の問題というものがあって、ぜひともそれを覚えなければならないからなのですわ。わたくしの父は、そういうことをショワズール公〔ルイ十五世の時代に外相、陸相、海相等の地位を歴任、陸海軍の整備に尽力して、コルシカ島のフランス併合に勲功をたてた〕から学びとっているのです。どうぞわたくしのことも考えてくださいませ」そして彼女はしばらく間を置いてからこう言いました。「わたくしがすみずみまでわたくしのものである魂にあやかって、抜群のすぐれた能力をもつ喜びを味わえるようにしてくださいませね。あなたはわたくしの息子でいらっしゃいましょ?」
「息子なのですか?」私は不満な顔つきでそう問いかえしました。
「そうですとも、ただの息子ですとも」そんなふうに言って彼女は私をからかうのでした。「わたくしの心のなかで、相当すばらしい位置を占めてることにはなりませんかしら?」
夕食をつげる鐘が鳴り、彼女は私の腕をとって、さもみちたりたように寄り添ってきました。
「背が高くおなりになりましたね」段々になった道をのぼりながら、彼女はそう言いました。
邸の前の踏段のところまでくると、まるで私の視線があまりにも熱烈にそそがれすぎるとでも言わんばかりに、彼女は私の腕をゆすぶりました。じっと目を伏せてはいましたが、私が彼女のほうばかりみつめているということを、ちゃんと知っていたのです。そして、たいそう優雅な、しかもたいそう艶美な、わざとじれったがっているようなようすを見せながら、私にこう言いました。
「さあ、しばらく、わたくしたちの谷間をごらんになってくださいませ!」
彼女はそちらにふりかえり、ジャックをぴったりと抱きよせながら、私たちの頭の上に白い絹の日傘をさしかけました。そしてただ軽く頭を動かすだけで、アンドル川、小舟《トウー》、牧草地とつぎつぎに私に示してくれましたが、そのしぐさには、私のあの滞在と私たちのあの散策いらい、ずっと彼女が煙るような地平線や曲線を描いてぼうっと霞んだ風景と睦《むつ》みあっていたということが、ありありと証《あか》しだてられていました。自然はいわば、彼女のもろもろの物思いを暖かくくるんでくれるマントだったのです。夜鶯《ようぐいす》が夜をこめてなにを訴えているか、また沼の歌い手たちが嘆きの声を単調にひびかせながらなにをくどくどと繰りかえしているか、いまや彼女もそれをはっきり知っているのでした。
夜の八時に、私はある一つの情景に立ち会って深い感動を誘われたのですが、それまで私は一度もこれを見たことがなかったのです。というのは、子供たちの就寝前に食堂でこれが行なわれているあいだ、私はいつもモルソーフ氏とトリクトラクの勝負をしていたからです。鐘が二つ鳴って、使用人たちが全員集まってきました。
「あなたもこの家の客になられた以上、修道院の規則に従ってくださいませ!」ほんとうに信仰ぶかい女性の特徴である無邪気な冗談めかした態度で私の手をひっぱりながら、彼女はそう言いました。
伯爵も私たちのあとについてきました。主人夫妻、子供たち、召使いたち、みんながいつもの定めの席につき、帽子をとってひざまずきました。マドレーヌが祈祷を唱える番に当たっていました。かわいい少女が子供らしい声で祈祷を唱えると、その汚れのない語調が妙なる調和にみちた田園の静寂のなかにはっきりとうかびあがり、一つ一つの章句に無垢《むく》な心の聖なるあどけなさと、天使のごとき優雅さとを添えるのでした。それこそまさに、私が耳にしたもっとも感動的な祈祷でした。かすかに奏でられるパイプオルガンの伴奏のような、幾千ともつかぬ夕べの時刻のさざめきの音を通して、自然が少女の言葉に答えをかえしてきます。マドレーヌは伯爵夫人の右に、ジャックはその左に席を占めています。母親の編みあげにした髪の毛が中間に高く出ていて、そしてモルソーフ氏のすっかり白くなった髪と黄色がかった頭蓋《ずがい》に見おろされているこの二つの頭の優美な髪の毛、それはまさに一幅の画面を構成しているのでした、祈祷の旋律《せんりつ》によって呼びさまされたさまざまの思念を、その色彩がいわば精神に繰りかえしてたたきこんでくれるとでもいったような一幅の画面を。さらにまた、崇高さというものは純一性によって特徴づけられるわけですが、その純一性をつくりあげるさまざまな条件をみたすためでもあるかのように、この敬虔な思いにふける集会は落日の穏やかな光につつみこまれ、その落日の赤々とした色彩が部屋を美しく染めあげて、詩的な気分にひたっている人々、あるいは迷信的な気分に沈んでいる人々の心に、なんら階級の区別なく、教会の求める平等の状態でここにひざまずいている忠実な神の僕《しもべ》たちの上に、いましも天上の火が訪れているのだという思いを、しきりに誘いかけるのでした。遠い昔の族長時代のことを偲《しの》びながら、私は、すでにその簡素さによってすばらしいものとなっているこの場景を、いっそうすばらしいものとして思いめぐらしました。やがて、子供たちは父親におやすみなさいと言い、使用人たちもあいさつを述べてひきとり、伯爵夫人は両手でそれぞれの子供の手をひきながら食堂を去り、私も伯爵と連れだって広間へもどりました。
「あちらではあなたの救霊をしてさしあげ、こちらでは地獄の苦しみにおとしいれようというわけですよ」トリクトラクの盤を指しながら伯爵はそう言いました。
半時間ほど経ってから、伯爵夫人が私たちのもとへもどってきて、刺繍台《ししゅうだい》を私たちの台のそばに近づけました。
「これはあなたのですよ」布地をひろげながら彼女はそう言いました。「でも、この三か月というもの、仕事はちっともはかどりませんの。この赤い石竹《せきちく》とこのバラのあいだで、あの子が病気にかかってしまいましたの」
「さあ、さあ」とモルソーフ氏は言いました。「そんな話はやめようじゃないか。ほうら、六の五ですぞ、勅使どの!」
私は寝床に就いてから、階下の部屋で彼女がいったりきたりする気配《けはい》を聞きとろうとして、じっと息を凝《こ》らしていました。彼女は冷静な澄みきった心でいるとしても、私のほうは、こらえきれぬ欲情によって狂気じみた思いを駆《か》りたてられて、懊悩《おうのう》の極に達しているのでした。
「なぜ彼女がぼくのものになってはいけないんだ?」私は一人ひそかにそうつぶやきました。「ことによると、彼女だって、ぼくと同じように、めまぐるしい官能のいらだちのなかに落ちこんでいるのではないだろうか?」
一時に私は階下へおり、足音をたてずに歩いていって、彼女の部屋のドアのところまで近よると、そこに腹ばいになりました。ドアのすき間に耳をあてると、彼女の子供のように規則正しい安らかな寝息が聞こえてきました。やがて寒気がしたので、私はまた部屋へもどってベッドにはいりこみ、そのまま朝まで静かに眠りました。こんなふうに断崖のふちまで近づき、悪の深淵の深さを調べ、その底を探索し、その冷たさを感じとり、そして切々と胸をつまらせてひきあげてくれば、たしかに私は喜びを感ずるわけでしたが、いったいこの喜びがどのような宿命のせいであるのか、またどのような天性のせいであるのか、私にはいまもって解《げ》しかねるのです。私が興奮して涙を流しながら、彼女の部屋のドアのところで過ごしたこの夜の時刻、しかも彼女のほうは、翌日になって私の涙と接吻の跡の上、かわるがわる犯されたり尊ばれたり、呪われたり敬《うやま》われたりした自分の貞淑さの跡の上を、いまこうして歩いているのだということすら気づかなかったこの夜の時刻。多くの人々の目に愚かしいものと映ずるでしょうが、この時刻こそ、まさに兵士を駆りたてるあの不可解な感情、つまり幾人かの人々がこの種の決死の行為の経験があると私に語ってくれたことがあるのですが、自分が砲弾を免れられるかどうかを見きわめるために、また確率の深淵の上にまたがったり、ジャン・バール〔十七世紀の有名な武将で、とくにアウグスブルク同盟とのあいだに交えられた九年戦役で勇名を轟かせた〕のように火薬の樽《たる》の上で煙草をふかしたりしても、はたして自分が幸運にめぐまれるものかどうかを見きわめるために、敵の砲列の前にとびだしていこうという決意に兵士を駆りたてるという、あの不可解な感情から生みだされたものなのです。翌日、私は花を摘《つ》みにいって、花束を二つこしらえました。伯爵もその花束にはつくづく感嘆したものでした、この種のことがらにはいっこう心を動かされず、「彼は空中牢獄を描いている」というシャンスネ〔通称シャンスネ侯爵。過激王党派の機関紙の編集にたずさわり、一七九四年七月二十三日、ギロチンにかけられた〕の言葉は、まさしく彼のために言われたのだとも思われる伯爵までもが。
私はクロシュグールドで数日を過ごし、そのあいだフラベールには何度か短時間の訪問をしただけでした。といっても、そちらでも夕食を三度ごちそうになりましたが。そのうちフランス軍がトゥールの町へ〔ワーテルローの敗戦、およびその後の連合軍の第二回のパリ占領の結果、フランス軍はフランス中部のロワール河の線まで後退せしめられた〕やってきました。明らかに私こそモルソーフ夫人の生命であり健康であったにもかかわらず、彼女はとにかくシャトールまでいき、そこからイスーダン、オルレアンを通ってパリへ帰ってほしい、と私に頼みました。私は反対したかったのですが、彼女はあの守り神のお告げがあったのだと言って、それを強制するのでした。私はやむなく従いました。私たちの別れは今度は涙に濡れたものとなり、私が今後生きていく世界のさまざまな誘惑のことを、彼女はしきりに懸念《けねん》していました。もろもろの利害、もろもろの情熱、もろもろの歓楽のために、純粋な良心にとってそうであるがごとく、純潔な恋心にとってもまたパリは危険な海であるわけですが、まさかそういうものの渦巻《うずまき》のなかへ、本気ではいりこみはしないだろうけれど、と彼女は懸念《けねん》したのです。たとえそれがひどく他愛《たあい》ないことであろうとも、その日のできごとや感想を、毎晩かならず書きおくることを私は約束しました。この約束を聞くと、彼女は頭を私の肩に静かにもたせかけて、こう言いました。
「なにひとつ忘れないようにしてくださいね、わたくし、どんなことでも興味をもつでしょうから」
彼女は私に公爵あての手紙、公爵夫人あての手紙を托し、私はパリへ着いて二日目に、公爵夫妻のところへ出かけました。
「あなたは幸運ですよ」と公爵は私に言いました。「ここで夕食をして、今夜はわしといっしょに城館《シャトー》〔ルイ十八世の宮廷となっていたチュイルリーの宮殿を指す〕へ参上しましょう、あなたはもうりっぱな地位を得たと同然ですよ。陛下は今朝あなたの名前をあげられて、≪あれはまだ若いが、能力のある忠実な男だ≫と仰せられましたよ。そして、あなたの生死がわからぬこと、あんなふうにりっぱに使命をはたされてから、あなたが事件の難を避けた土地の見当がつかないことを、たいへん残念がっておられました」
その夜、私は参事院請願委員となり、ルイ十八世の治世のつづくあいだ、王の側近で、ある秘密の職務を行なうことになったのですが、これは王の信頼をになった人物にしかまかせられぬ地位であり、華やかな寵遇《ちょうぐう》はないかもしれませんが、しかし失寵をこうむる危険性もなく、この地位によって私は政府の中枢部に位置するようになり、それが私の盛運の源になったのでした。モルソーフ夫人の見通しは正確だったわけであり、権力も富も、また幸福と知識も、私のすべては彼女の賜《たまもの》なのです。彼女は私を指導し、鞭撻《べんたつ》し、私の心を清め、私のもろもろの意欲にたいして、それなくしては若さの力も無益に浪費されることになるあの純一というものを、授けてくれたのでした。その後、私には同僚が一人できました。私たちは、それぞれ六か月ずつ職務を勤めることになりました。必要な場合には、その都度お互いに交代することもできました。私たちは城館《シャトー》に一室をもち、専用の馬車もつき、旅に出かけねばならぬときには、多額の手当てを支給されました。それはなんとも特異な立場でした! のちに対抗勢力にまでその政策の正しさをはっきり評価された君主、そういう君主の秘密の弟子となり、内政・外政いっさいを裁可する君主の言葉をかたわらで聞き、公然たる勢力はなにもないのに、ときとしてモリエールにたいするラフォレ〔モリエール家の女中として働いていた女。モリエールは作品ができあがると、この女中にそれを読ませて、喜劇としての効果を確かめていたという〕のように意見を求められ、老年の経験のためらいが青年の信念で支えられていくのを感じとるのです。それにまた、大望《たいもう》を充分満足させるような形で将来も保証されていました。参事院予算から支払われる請願委員の俸給以外に、国王陛下はご内帑金《ないどきん》のうちから月々千フランを私に賜《たま》わり、さらにしばしば、ご自身で特別手当を渡してくださることもありました。二十三歳の青年が、陛下から課せられたこの過重な仕事に長いあいだ一人ではとても耐えられまいということは、陛下自身が見ぬいておられたにもかかわらず、現在貴族院議員になっている私の同僚は、一八一七年の八月頃になってやっと選ばれたのです。この人選はたいへん困難なものでしたし、私たちの任務にはじつに多くの資質が必要でしたから、陛下はなかなか決断をおつけになれなかったのです。陛下は候補として考えてはおられるものの、ご自身ではいずれも一長一短だとためらいを感じられる青年たちの名をあげ、そのなかで私がいちばんよく意見があうのは誰か、と私に尋ねてくださいました。そのなかには、ルピートル私塾時代の学友の一人がはいっていましたが、私はその男を指名しませんでした。陛下は私に理由をお尋ねになりました。
「陛下は」と私は答えました。「忠義という点ではすべて相等しい人物をお選びになりましたが、しかし能力にはそれぞれ相違がございます。私といたしましては、この人物なら親しく交際できると確信しつつ、もっとも有能と思われる人物を選ばせていただきました」
私の判断は陛下のご判断と一致していましたので、この選定にあたって私が犠牲を払ったことにたいし、陛下はその後もずっと感謝の念をもちつづけてくださいました。そして、陛下は私にこう申されたのです。
「そのほうはいずれは宰相になるだろう」
陛下は、私の同僚にこうした事情をお伝えになったので、その尽力に報いようとして、彼は私に深い友情をよせてくれました。ルノンクール公爵は私に一目おいた態度を示してくれていましたが、それが尺度となって、周囲の人々もみな私に一目おくようになりました。「陛下はこの青年に深い好感をよせていらっしゃる。この青年は将来のびそうだし、陛下もそれを認めておられるのだ」あるいはこういうふうな言葉が、才能にかわってくれたのかもしれません。けれども、じっさいのところは、こうした定評のおかげで、ふつう青年が受ける親切なもてなしの上に、権力にたいして示されるあのなにか茫漠《ぼうばく》とした妙な感じが入りまじってくるのでした。ルノンクール公爵邸とか、またちょうどその頃、私がかつてそのサン=ルイ島の家を訪問していた老伯母の息子で、私たちのいとこにあたるリストメール侯爵と結婚した姉の邸などで、私はいつのまにか、サン=ジェルマン地区でもっともはぶりをきかせていた人々と、面識を得るようになりました。
アンリエットは、やがて義理の大伯母にあたるブラモン=ショーヴリー公爵夫人の仲介を経て、私を「小城館《プテイ・シヤトー》」〔国王ルイ十八世の側近のグループ〕とよばれる社交界の中心に押しだしてくれました。彼女が公爵夫人にあてて、真心のこもった手紙を書いて私のことを頼んだので、夫人はぜひ自分のところへ会いにくるように、と即座に私を招待してくれました。私は夫人の好意を得ようと努め、そのおめがねに叶うことができました。しかも、夫人は私の保護者ではなく、なにかしら母性愛ふうの感情をもった友人になってくれたのです。老公爵夫人は、その娘のデスパール夫人〔『人間喜劇』の諸編にしばしば登場する再出人物〕とか、ランジェ公爵夫人〔再出人物。『ゴリオ爺さん』『ランジェ公爵夫人』等で重要な役割をはたす〕とか、ボーセアン子爵夫人とか、モーフリニューズ公爵夫人〔『人間喜劇』のもっとも重要な再出人物の一人。『浮かれ女盛衰記』『暗黒事件』等に登場〕など、かわるがわる流行の支配権を握った女性たちに私を近づけようと気にかけてくれましたし、私としても、こういう女性たちにたいしてべつに卑しい下心もなく、ただいつも好意をもってもらいたいと思っているだけでしたから、彼女らも私にたいしてはいちだんと親切にしてくれるのでした。兄のシャルルも、私をないがしろにするどころか、その頃からはなにかと私に頼るようになりました。もっとも、こうした急速な成功のために、彼の心にはひそかな嫉妬心がかきたてられて、のちにはそれが数々のわずらわしさの種になったのですが。父と母は、この思いがけない栄達にすっかり驚き、親としての虚栄心を満足させられて、やっと私を息子あつかいしてくれるようになりました。けれども、彼らの気持ちは、とってつけたようなお芝居とまで言わぬにしても、いわば人工的につくりだされた気持ちとでもいったものでしたし、深い怨みをいだいた心にたいして、この失地回復めいた態度もほとんどなんの影響力ももちませんでした。それにまた、エゴイズムという汚点をつけた愛情など、ほとんど共感をよびさますわけがありません。人間の心というものは、どんな種類の打算も利得もひどく嫌悪するものなのです。
私は愛するアンリエットに忠実に手紙を書きつづけましたが、彼女のほうからも、月に一度か二度くらいは返事がきました。こうして、彼女の心はたえず私の頭上を飛翔《ひしょう》し、彼女の思念は遠い隔たりを踏破して、私のまわりに澄みきった雰囲気をつくりだしました。私の心を捕えることのできる女性など、誰一人としてありませんでした。私の身持ちのよさは、国王陛下の知るところとなりました。この点にかけては、陛下はルイ十五世派〔ルイ十五世は数々の艶名をうたわれた人物で、愛王と称せられた。ポンパドゥール夫人、デュバリー夫人などが、この王の寵姫として知られている〕でしたので、笑いながら私を「ヴァンドネス嬢」などと呼ばれることもありましたが、しかし私の品行の方正さを、陛下はたいへん好ましいものとお考えになっておられました。私が少年時代に、そしてとくにクロシュグールドで習慣として身につけた忍耐強さが、国王陛下の寵愛を得る上で大いに役だったという確信を、私はいまだにいだいておりますが、じじつ陛下は、私にたいしていつもねんごろにふるまわれました。陛下はふと気まぐれを起こされて、私の手紙をお読みになったこともおありのようでした。というのは、娘みたいな私の生活ぶりに、そう長いことだまされてばかりはいらっしゃらなかったからです。ある日、ルノンクール公爵が出仕され、私が陛下の口述されるお言葉を書きとっているときのことですが、公爵が部屋にはいってくる姿をごらんになるなり、陛下はいたずらそうな目つきでもって、私たち二人をみつめられました。
「ところで、あの厄介者のモルソーフはあいかわらずご健在というわけかな?」銀のように澄みきった美しい声、しかもお望みのときには、寸鉄人を刺す辛辣《しんらつ》さをおこめになることもできる美しい声でもって、陛下はそう申されました。
「あいかわらずでございます」と公爵は答えました。
「モルソーフ伯爵夫人は天使のような女性と聞いておるので、余もかねがねこの宮廷で一度会いたいと思っているのだが」陛下はそうおつづけになりました。「しかし、この余にはしょせんかなわぬ望みであるのに、余の書記官は」と私のほうをふりむかれながら、「はるかに幸福な男らしいな。そのほうは六か月間自由にしてよいぞ、余は昨日話しあったあの青年を、そのほうの同僚とすることにきめた。クロシュグールドでゆっくり楽しんでくるがよいぞ、カトーくんよ!〔カトーは謹厳な人物として有名なローマの法官〕」
そして、陛下は微笑をうかべられて、その部屋からさっさとご退出になりました。
私はそれこそ|つばめ《ヽヽヽ》のようにトゥーレーヌへ飛んでいきました。いまこそはじめて、愛する女性の前に、以前よりはいささかは気のきいた青年として、いやそればかりか、優雅な青年の華々しい姿であらわれようとしているのです、その言動はこのうえなく礼儀正しいサロンで鍛えあげられ、その躾《しつけ》はこのうえなく気品高い女性たちの手で完成された青年、もろもろの苦悩の代償をついに摘《つ》みとり、天から子供の守護を委ねられたもっとも美しい天使の実験をみごとに実地に応用した青年の華々しい姿で。あの最初のフラベール滞在の三か月間、私がどんな身なりをしていたか、それはあなたもご存じのはずです。
ヴァンデ軍への使命を帯びてクロシュグールドへもどったときには、私はちょうど猟師のような服装をしていました。うっすら赤色がかった白いボタンのついた緑色の上衣を着こみ、縞のズボン、革ゲートル、短靴といういでたちでした。さんざん歩きまわった上、あちことの叢林《そうりん》に踏みこんだりもしたため、とにかくひどい恰好《かっこう》になってしまったので、伯爵から下着を借りねばならないありさまでした。今度は二年間のパリ滞在や、国王陛下の側近で過ごす習慣や、栄達によってもたらされるりっぱな風采や、すっかり成熟しきった体つきや、さらにはクロシュグールドから私を照らしだしているあの清らかな魂に、さながら磁石《じしゃく》によるようにぴったり結びつけられてる魂の温雅さのせいで、筆舌につくしがたい輝きを帯びている若々しい顔つきなど、すべてが私を一変させているのでした。私は自信は身につけていましたが、さりとてうぬぼれたところはなく、内心の満足感にあふれていました。また、この世のもっともすばらしい女性のひそかな支柱であり、告白されざる希望の的であることを、はっきりと意識していました。シノン街道からクロシュグールドに通ずる新しい並木道に、馭者たちの鞭《むち》の音が鳴りひびき、私には見覚えのない新しい鉄柵の門が、これまた最近つくられたばかりの円形の垣根の中央でさっとひらいたときには、おそらくは私にしたところで、かすかに虚栄心をときめかせたかもしれません。ふいの出現をして伯爵夫人を喜ばせようと思って、私は到着を知らせておかなかったのですが、そのために私は二重の過ちを犯してしまいました。長いあいだ待ちのぞんではいるにせよ、とうてい不可能と思われている楽しいことが実現したとき、人は激しい衝撃に襲われるものですが、まず第一の誤算として、彼女はそういう衝撃に襲われてしまったのです。そして第二には、計算ずくのふいの出現というものがすべて悪趣味であることを、彼女は態度でありありと示したのでした。
子供としか見ていなかった人間が、いまやりっぱな青年になっている姿を目《ま》のあたりにしたとき、アンリエットは悲壮なほどの緩慢な動作でもって、視線をじっと伏せてしまいました。彼女はだまって手をとられるままにして、私の接吻を受けてくれましたが、さながら|おじぎ草《ヽヽヽヽ》のような体のふるえかたからそれと知れる内心の喜びは、まるでおもてにあらわそうとはしませんでした。そして、顔をあげてもう一度私をみつめたとき、私は、その顔がひどく蒼ざめているのを見てとりました。
「やあ、昔の友だちを忘れてはいなかったのですな?」モルソーフ氏はそう言いましたが、彼はかくべつ変わったところもなく、とくに老《ふ》けこんだようすも見えませんでした。
二人の子供たちは私の首に飛びついてきました。邸の入口のところに、ジャックの家庭教師のドミニス神父の謹厳な姿が見えました。
「忘れるものですか、伯爵」と私は言いました。「これからは毎年六か月ずつ自由になれるので、おたくで過ごさせていただくようにしようと思います。――あ、どうなさったんです?」と言いながら、私は家中の使用人がみんないる前で、伯爵夫人の腰に腕をまわして、その体をささえてやりました。
「いいえ、だいじょうぶですわ」飛びのくようにしながら彼女はそう言いました。「なんでもありませんの」
私は彼女の心のなかを読みとり、その内心のひそかな思いに答えてこう言いました。
「では、もうあなたの忠実な奴隷のことを覚えていらっしゃらないというのですか?」
彼女は私の腕をとり、伯爵、子供たち、神父、さらにはそばに駆けよってきた使用人たちのもとを離れ、球戯場の芝生のまわりを一周しながら私をみんなから隔たったところへ連れていきましたが、しかしこちらの姿はみんなの目にはいるようにしておきました。それから、声を聞きとられる気づかいのないところまできたと判断すると、
「ねえ、フェリックス」と切りだしました。「こわがったりしたのを許してくださいね、だってわたくしは、たった一本の糸を頼りに地下の迷路を歩いているのですし、その糸もいまにも切れやしないかといつも怯《おび》えてばかりいるのですから。わたくしがいままで以上にあなたのアンリエットであり、あなたがけっしてわたくしをお見すてにならない、わたくし以上に価値のあるものはなにひとつない、あなたはいつまでも忠実なお友だちでいてくださる、どうかもう一度そうおっしゃってくださいませ。わたくし、さっきはふいに未来が見えたのです。そこにはあなたの姿、輝かしいお顔でわたくしをみつめていらっしゃる、あのいつものようなあなたの姿が見あたりませんでした。あなたは、わたくしに背中をむけていらっしゃいましたわ」
「アンリエット、あなたという偶像にぼくは神にもまさる崇拝をささげていいいます、あなたはぼくの|ゆり《ヽヽ》であり、ぼくの生命の花なのです、そのあなたにどうしてわかっていただけないのですか、ぼくはあなたの心とまったく一体になっているので、身はパリにいるときでも魂はここにあるのだということが、ぼくの良心であるあなたにどうしてわかっていただけないのですか? ぼくがたった十七時間でここへやってきたこと、馬車の車輪が一まわりまわるたびに数限りない思念や欲望が運ばれ、あなたの姿を目にしたとたんに、それが嵐のようにあふれでたのだということを、あなたにいまさらお話ししなければいけないのでしょうか?……」
「どうぞお話しになって、お話しになってくださいませ! わたくし自信があります、罪を犯さずにあなたのお言葉を聞くことができます。神さまは、わたくしの死を望んではいらっしゃらないのですわ。だからこそ、ちょうど非造物にご自身の息吹《いぶ》きをお吹きこみになるように、乾ききった土地に黒雲の雨をふりそそがれるように、あなたをわたくしのもとに送りとどけてくださるのですわ。さあ、お話しになって、お話しになってくださいませ! わたくしを清らかに愛していてくださいまして?」
「ええ、清らかに」
「いつまでも?」
「ええ、いつまでも」
「いつもヴェールをつけ、白い冠をかぶったマリアさまのような女としてですね?」
「ええ、目に見えるマリアさまとして」
「姉妹《きょうだい》として?」
「ええ、熱愛する姉妹として」
「母親として?」
「ええ、ひそかにあこがれる母親として」
「騎士のように、希望もなしに?」
「ええ、騎士のように、ただし希望をいだきながら」
「つまり、いまでもまだ二十歳だというふうにですわね、あのみすぼらしい青い夜会用の服を着てらしたときのようにですわね?」
「いいえ、それ以上にです、そういうふうに愛してはいますが、その上にちょうど……」
彼女は激しい不安に駆られて、じっと私の顔をみつめました。
「ちょうど伯母さまと同じような愛しかたで、あなたを愛しています」
「わたくし、幸福ですわ。これでこわいという気持ちもすっかり消えました」私たちの密談にびっくりしている家の人々のほうへひきかえしながら、彼女はそう言いました。「でも、ここでは子供のようにしていてくださいませ。だって、あなたはまだほんとは子供なのですもの。あなたの方策からいけば、国王陛下にたいしては、おとなのようにしておられるほうが得策なのでしょうけれども、よろしいこと、ここではあなたにとっての得策は、いつも子供のようにしていることなのですわ。子供のようにしてらっしゃれば、あなたは愛されます。わたくし、一人前のおとなの力には反抗しつづけます。でも、子供にたいしてなにか拒《こば》んだりできるでしょうか? いいえ、どんなことだって拒めませんわ。子供というものは、こちらが許可してやれないようなものは、絶対にほしがったりしませんものね。――密談はもうすみましたわ」と言いながら、彼女はいたずらっぽいようすで伯爵のほうをみつめましたが、そこにはいかにも若やいだ娘らしさと生地《きじ》のままの性質とが、ふたたびよみがえっていました。「ちょっと失礼させていただいて、服を着かえてまいりますわ」(つづく)