TITLE : 風流滑稽譚(第二輯)
風流滑稽譚(第二輯) バルザック
小西 茂也 訳
目 次
前口上
騒士軽口咄
禁欲王
尼寺夜談義
アゼエ城由来記
一夜妻
おぼこ同志
恋の闇夜
ラブレエ異聞
妖魔伝
恋のすてばち
後口上
風流滑稽譚(第二輯)
前口上
むかしの言の葉を知りおらぬと、筆者を咎める御仁もあるが、兎の話しぶりが拙いと、とやかくいうのと同断じゃて。人喰人種とか、うるさがたとか、やっかみやとか、彼輩が尊称せられるのも御無理御尤もな次第で、ゴモラの邑の出のお人と、昔から相場はきまっとる。が、吾儕はしかく古風な悪口の華を、お歴々にたてまつることは差控え、ただ諸公らの皮を冠らぬよう、自戒しおるばかりじゃ。当世三文文士の陥りし傾向といたく背馳した、このしがない書巻を罵倒する藪睨みどもの仲間入りせぬよう、恥を知り、おのれを重んずるそれがしは、深く心に期しおる次第でござる。
はてさて意地わるどのには、大切な唾っ玉をむやくに吐き飛ばして御座るが、何とか貴公等のあいだで使い途もあろうに、あんとも埒のないこんだ。皆の衆に悉く気に入る工合には所詮まいらぬと、筆者は夙に観念いたしとる。されば不朽の文名を今にとどむるトゥレーヌのさる御老躰も、あらさがしの若僧の傲慢ぶりには、堪忍の緒を切られたかして、やはり前口上のなかで、「向後はいろはのいも書かぬ堅い決心をいたいた。」と、筆を折る辞を述べられたことも、いまの筆者には心慰みの一つじゃ。まこと時世は移っても、渝らぬものは慣わしで、天なる神から地なる人間に到るまで、何一つとして変相はしており申さぬ。
されば筆者は笑いを含んで芸文の野に鋤わざをいそしみ、辛気な労作の酬いは、これを将来に俟つばかりじゃ。慥かに『風流滑稽百譚』をものすることは、並々ならぬ骨折業で、岡焼や助平どもから、銃火を浴びせられるその上に、友達と称する連中の矢面にも立たねばならぬ始末じゃ。その辱知諸朋ときたら、こっちの気ぶっせいな時に、折悪しゅう友達がおでやって参って、『気でも狂いめされたか? 正気でお考えで御座るか? かかる俚譚の百篇をも、脳味噌の中に漬けてござらっしゃるとは、手前味噌じゃ。貴殿の御大層な看板はお外しめされい。とてもやりとげられるものではござらぬ。』なんどと仰せあるが、お歴々とてねっからの人間嫌いでも、また人喰人種でもござない。助平かどうかは生憎と存ぜぬが、世話焼きの直言家で、こちとらがおっ死《ち》ぬまで、くさぐさの苦言を呈する豪邁の気を有せられ、浮世のどえらいわざわいの折に馳せつけて参っては、好誼なり財布なり足労なりを惜しまぬ旨のかこつけの下に、常不断は馬櫛のように粗くとげとげしてござるが、いかさま今わの際の死水のさいは、友垣の真価を残りなく御発揮下さる御心底でごあろうが、さような悲しい優しさをお示し下さる分なら、いやもう結構なのじゃが、さはなくて不断は、ちょっとでもおのれの危惧が打消されると、『なんの、なんの、エヘン、それがしはちゃんと心得ておったのじゃ。儂の予言した通りじゃのう。』と意気揚々と威張られるのを何としょう。
されば御殊勝ながらも煩わしいうるさ型、これら雅友の芳情を挫くのも、甚だなんじゃから、筆者は如上の友人諸賢に、穴あきの古スリッパーを遺贈すると共に、卿等を力づけんがため、ここに太鼓判を据えて、筆者の脳髄の襞のなかの天然貯え処には、差押えられる惧れのない動産として、七十の立派なコントがお蔵になっておることを堅く請合い申そう。憚りながらその七十のコントたるや、智恵の落し子であり、狂言綺語に依って綴られ、斬新な諧謔を以て飾り、波瀾万丈を極め、想はあまねく昼夜の人生戯曲から構えしもので、太陽いまだ目も見えず、月のあんよも辿々しい頃から設けられた、宗門大旧暦の各分・各時・各週・各月・各年に亙って、人間眷属が織りなせしくさぐさの筋立てに綾どられておるのじゃ。この七十に及ぶ趣向《スウジエ》を、猟奇・猥雑・偏倚・頽唐・滑稽・自堕落・悪巫山戯にみちみちた悪趣《スウジエ》と、ちょがらかされても結構、ここにマホメットの下腹にかけて誓って申すが、以下に提供いたす物語には、なにがさてそれらの趣きを差し加えたれば、お約束申した滑稽百話の乏《ぼう》少《しよう》な内金と思召されい。
蠧魚を目の敵といたしておる愛書狂・蔵書家・珍書癖・書痴・書誌学者などの面々を、周章せしめる惧れさえなくんば、吾曹は百物語を洪水の如くに奔出いたいて、今のように一滴一滴、まるで脳髄的小便づまりに悩んじょるような、けちな出し方などはいたさぬのである。仍って著者の疝気を気に病まれぬよう、下帯《ててら》にかけてお願い申そう。現に次なる十話のいくつかに見られる通り、著者はいくつもの小咄を、一つのコントの中にぶちこみ、その膂力のただならぬのを、屡々明示もいたしてござる。あまつさえ吾儕は多くのなかで最も優れた、また最もえげつないものばかり、都合十篇を選んでござるが、それはぼけた談義と誹られまいための深いおもんぱかりからじゃて。
されば諸兄の憎しみにもっと愛情を導入いたし、その友情からもっと憎悪の念を減らして貰いたいものでごある。
物書く御仁はさわにあれど、何一つ申し分なき小咄作者は、およそ七人とは御座りゃないが、コント作家に対する造化の神のかくもけちくさい薄なさけをば棚に上げて、友達ぶってかように申す御仁も世にはござる。――世間一般が何かの喪にでも服してごあるように、黒衣をまとっておる時世ゆえ、あきあきするほど鹿つべらしきものか、糞真面目ぶったうんざりするものを、書く必要がござやりもうす。これからの文人は、宏壮な建物の中に、彼の精神《みたま》を祀りこまねば、よう生きてはゆかれぬのじゃ。石やセメントのびくともせぬ伽藍や城郭を、建てるすべをわきまえぬ作者は、法王の騾馬よりも無名の裡に死んでゆかずばなるまい。――なるほど、では聊爾ながらそれら友人諸賢に、借問いたしたい。極上の葡萄酒一合と、濁り酒の一樽と、どちらをお取りめされるか。二十二カラットの金剛石と、百斤の大石と、いずれがお好きでござるか。ラブレエの語るハンス・カルヴェルの指環物語と、学童の辻褄あわぬ稚拙な当世ぶりの綴り方と、どっちをお選びめされるか。すればそれらの御仁は、必ずや二の句もなく赤面めされるに相違なかろうて。よって吾儕は声おだやかにこう申したい。『如何でござる。お解りめされたか。結構、ではお手前の領分へお引取り下されい。』
爾余の衆すべてに、さらに次のことを申し添うる必要がござる。永遠不朽の権威あるファーブルやコントを我々に遺しめされた作者は、おおむね材料は、他人から失敬いたし、ただ夫子独得の用具をのみ、そこに用いられたに過ぎぬが、ささやかな画図のうちに費したその手際の程が、それらの物語に高い値打を賦与しておる次第なのじゃ。ルイ・アリオスト大人と御同様に、お茶番やよしなしごとに思いを馳せたとの罵言を、それらの方には受けるとしても、しかしそが作者によって刻み鐫られた昆虫人間のなかには、爾来不朽の記念物となり、いかめしく頑丈な作品のなかのそれより、遥かに牢固といたいておるげのものも、あるので御座る。わけの聖りの粋な御詮議では自然や真理の胎《すな》内《ぶくろ》からねじりとった一片の頁の方が、如何に見てくれは美しかろうと、笑い一つ泪一滴引き出せぬような生ぬるい全巻の本より、勝って尊信せられるのが慣わしの筈。
筆者は爪立ちして並外れた脊丈を得ようなどとの考えは毛頭になく、また事はいやしくも芸術の尊厳に関し、筆者自身の威厳なぞ一向に差支えないゆえ敢えて申すのじゃが――、いったい筆者なぞは、しがない一介の書記にしか過ぎず、偶々インキ壺にインクがあり、人生法廷の方々の言に耳を傾け、その口述するところをしたためたぐらいの取柄しかござらぬが――次のように申したとて決して不遜のそしりは受けまいと存ずる。すなわち詮ずるところ作者にとって大事なは、手際のみであって、爾余は悉く是れ自然の領分なのじゃ。そのゆえは上はアテネのフィヂアス殿の創られたヴィーナスの彫像を始めとし、下は当世名代のげて物作りの苦心の結晶たるゴドノオ人形三文人形《プルロツク》に到るまで、万人の領分にすべては属しておる人間模倣の永遠の鋳型に就いて、究め尽されたものじゃからだ。さればこのまっとうな文学稼業に於ては、剽窃家ほど仕合せなものはござない。絞り首になるどころか、敬われ可愛がられる始末でおじゃる。されば観念複合の偶然性によって得られた利生に、得々として肩をいからし闊歩めされる御仁があったとしたら、輪に輪をかけた頓馬どのであり、あたまに角を十本つけられた程の大間抜けでござる。故を如何とならば、そもそも名声は、性能の修錬に加うるに、忍耐と、敢為との裡にあるものではごあらぬか。
著者の耳元にやさしく凭れかかって、この風流草紙のお蔭で、髪をざんばらにし、裳裾のある個処を涜したと嘆かれる、優しい声音と愛らしい口許の女人衆に対しては、『何故こんな本をお読み遊ばされたのじゃ?』と申すより他はござない。
若干の方々のあらわな悪意に接しては、吾儕たるもの、大方の温厚なる君子人への注意書を一つ、上述の他に附け加えざるを得んのじゃ。さすれば吾儕に対する慳貪な駄作家どもの誹謗を抑えるよすがとして、洽く世の君子人の取上げ給うところとなるじゃろう。――ありようはこの『コント・ドロラティク』は、信憑すべき典拠に依れば、メディシス家のカトリーヌ女王華やかなりし頃に書かれたもので、旧教を庇って、何かと御政道向に彼女が容喙めされておった面白い時世にはござるが、なんせよ当時は仰山の方々が喉首の掴み合いを事とせられ、上は亡き国王フランソワ一世から、下はギュイーズ殿が倒されたブロワの王宮に到るまで、ひろく左様な騒ぎでござったによって、かかる乱闘・和睦・争乱の時代に於ては、フランスの言語もやはりすこしばかり乱脈に陥ったことは、銭投げ遊びをする学童でさえ、ずんと存じておるところじゃろうて。当時にあっては、今日びでも同断じゃが、詩人は銘々お手前だけの新フランス語を勝手に用うる癖があり、さまざまけったいな案出語の他に、異国人に依って舶載せられた妙竹林な言葉、ギリシャ語、伊太利語、独逸語、瑞西語、近東の言い廻し、スペインの俗語と、くさぐさの面妖な言葉が入り乱れ、バベルの塔建設の折のような、ごたごたいたした言の葉に乗じ、いかな三文文士とて、気儘にこれを操る余地がござったのを、後に到ってゲ・ド・バルザック、パスカル、フュルチエール、メナージュ、サンテヴルモン、マレルブその他のお歴々が割って入られ、先ずはフランス語に箒をかけ、蛮夷の言に赤恥を掻かせ、けっく誰にも使われ知られておる正嫡の言葉に、――ロンサール殿にはそれらを恥じておられたが――フランス市民権を与えたのでござる。
さて斯く言いつくしたる上は、筆者も愛人の懐ろに戻ろうと存ずる。著者を御贔屓下さる御仁には好運を祈り、爾余の衆にはそれ相応の悲運、烏しか啄まぬ胡桃でもくらわしたいものじゃ。燕が逐電して尻に帆をかける頃にあいなったら、第三輯第四輯を手土産にして、筆者も舞い戻って参ることを、仏頂面の文人の陰気な思案や、憂鬱症や、ふさぎの虫が、大のお嫌いであられるパンタグリュエルの徒、軟派大人、世の風流子がたに、茲で堅く堅くお約束をいたすこと、先ずは依って件の如し。
騒士軽口咄
むかしトゥールでトロワ・バルボオ(似鯉《にごい》三匹)館といえば、町一番の御馳走の食える宿屋であった。亭主は名代の庖丁利きで、祝言の料理づくりには、遠くシャテルロオ、ロシュ、ヴァンドオム、ブロワまでも、出掛けたほどだが、商売にかけては名うての古狸、昼間ランプをつけたことは決してなく、爪で火をともすくらいの始末屋で、毛や皮や羽をまで勘定書のなかに入れ、四方八方に眼を配り、贋金など容易につかまされず、勘定が一厘でも足りないと、大公であろうが何様であろうが、遠慮なく赤恥を掻かせておった。ただしそういった世智弁の点を除けば、生来いたっての剽軽者で、常連の呑助どもと一緒に飲んだり笑ったりし、「天恩の御名に於て《シツト・ノメン・ドミニ・ベネデイクトム》」と首記した大赦状を握った巡礼の前では、いつも恭しく帽子を手にし、どしどし財布の底をはたかせたが、必要とあれば冗談にまぎらせて、当節はお酒もお高くなりましてとか、いくら工夫してもこのトゥレーヌでは、何でも買わなければ、つまり何にでもお金《あし》を出さなければ通らぬ次第を、まめしげに立証するすべも心得ておった。いってみればこの亭主は、店の名を潰す憂いさえなくば、空気や景色の代金をまで、勘定に附け出しかねぬ仁で、そんな工合にして人の金で一身代つくり、葡萄酒樽を脂肉で包んだようにでっぷりし、皆から旦那《ムシウ》と呼ばれるに到った。
最後の市《いち》がトゥールに立った時、若い三人の風来坊が、市《いち》商《あき》人《んど》や其他の連中を一杯くらわせて快哉を叫び、またそれぞれに面白い目も見ようと、はるばるこの町にやって参った。何れも三百代言の卵で、上人になるより悪魔になる素質の方を多分に持合せておったし、絞首の縄にかかる一歩手前で、廻れ右をする芸当を心得てもいた。これら悪魔の教生は、アンジュの町で代訴人の見習書記をして、珍分漢分を勉強していたが、主人をすっぽかして先ずトゥールにやってまいり、トロワ・バルボオ館にお神輿を据え、飛切上等の間を提供させて、上を下への天手古舞をさせ、気難しい御託を並べ、市場へ八目鰻を別誂えさせ、商品も担がず、お供もつれないが、何を隠そう豪商のお忍びだなどと自分達を触込んだ。亭主は好い鴨とばかり、ちょこちょこ走り廻って、焼串を廻したり、秘蔵の自慢酒を出したりして、三人の与太者に山海の御馳走を吟味してならべ立て、騒ぎからいうと百エキュがとこも費したほどだったが、その実、三人を一緒くたに搾ったところで、彼等の一人がポケットでちゃらちゃらいわせている百ソルの銅貨も、取れそうにはなかったのである。
しかし金こそちんからり無かったが、才覚にはいちえん事を欠かなかった。三人ともそれぞれの役廻りに精通した肝胆相照らす仲だったが、但しその役廻りといっても、飲んだり食ったりの笑劇どころで、市の立ったまる五日間というもの、各種の糧食に三人は襲いかかって鱈腹と平げたが、その健啖ぶりときたら、食いしん坊の独逸傭兵の一隊を以てしても、及びもつかなかっただろう。裁判稼業のこれら三匹のどら猫は、しこたま食べたり呑んだりして、朝食で腹を膨らませてから市へ出掛け、そこで薄野呂や青二才をペテンにかけ、くすねごとをし、ちょろまかしをやり、賭博をし、損をし、或は玩具屋の看板を宝石屋に、宝石屋のを靴屋にといった工合に、店の招牌を外したり掛替えたり、商家に花火を投げこんだり、犬を噛みあわせたり、繋ぎ馬の手綱を切ったり、人だかりに猫を投げつけたり、泥棒泥棒と騒いだり、通りがかりの人を掴えて、『貴殿はアンジュから参った臀間《ダントルフエス》どのでは御座らぬか?』と訊ねたり、わざと人に衝き当ったり、麦の袋に穴を開けたり、御婦人のお布施袋《バ ツ グ》の中に自分のハンケチを探したり、落した宝石を探すといって、淑女のスカートを捲っては、『奥さん、どこかの穴に入ってしまったらしいです。』と泣声を出したり、子供に悪智恵をつけたり、ぼんやり烏を見ている人のお腹を叩いたり、人の物を失敬したり、捲き上げたり、あらゆるものを猥褻に洒落のめしたりいたした。掻摘んで申せば、これら極道の若者に較べれば、悪魔の方がまだしも温順なくらいで、実直な人間なみに振舞うくらいなら、いっそ首を絞られる方を彼等は好んだろうし、また左様な善行を彼等に所望することは、逆上した二人の訴訟狂に、寛宥を乞うにも等しかろう。散々のそうした狼藉の挙句、彼等は市場を後にするのだったが、それも疲労を覚えたがためではなく、悪戯に倦んだからで、昼食に戻っては夕方まで食べ、夜は夜とてまた闇の悪ふざけを再び始め出すのであった。すなわち露店商人の代りに、今度は町の遊女をからかいに出て、いろんな奸策を弄し、受けただけしか与えてやらなかった。ユスチニヤヌス帝の金言『各人に彼のjus(権利・液汁《ソース》)を。』の法章を服膺いたしてである。だから事がすむと、ふざけ半分にこれら哀れな娘っ子に、『こっちは真直ぐ《ド ロ ワ》(正しく)、お手前は曲って《ト ー ル》いる(膣)。』と放言したりした。
最後にお夜食の席では、悪戯も種切れになると、お互同志で馴れ合い喧嘩をおっ始めたり、さもなくば猶もふざけちらかそうと主人をつかまえて、蠅が多過ぎると文句をつけ、他の宿屋では貴人に失礼と申して、蠅をふん縛っているなぞと説教したりした。
しかし熱病なら峠に達する五日目の日になっても、亭主はいくら目を皿にしても、金貨に鋳出されている王様の顔をお客から拝めないし、また光るものがすべて金なら、万事安上りに済むとかねて合点していただけに、そろそろ鼻面をしかめ出し、これら豪商の御用達にも、渋々と二の足でしか応じなくなった。割に合わぬ取引をしてはと警戒しだした亭主は、連中の旅行鞄の膿瘍《おでき》に、探り針を入れようと試み出した。それと気づいた三人の書記見習は、絞首刑を宣告する奉行のような沈着さで、即刻出発するゆえ急いで極上の晩餐を準備いたすように命じた。のぶとい快活なその顔色に、亭主の杞憂も薄らぎ、金のない唐変木なら、鹿爪らしい顔をする筈と考えた彼は、阿闍梨の御馳走よろしくの堂々たるお膳立てをいたしたが、罷り違えば四の五をいわさず牢屋にぶちこめるように、盛り潰しておくことも亭主の調略のうちにあった。藁の上の魚のように、不自由な後生楽をきめ込んでいる部屋から、如何にして尻に帆をあぐべきか、手段に窮した三人は、窓の縦格子を眺めて、食い逃げの機を窺っても、これという隙間も割れ目も見出せぬまま、憤然としてひたすら飲み食いにこれ励んだ。三人は、あらゆるものを呪詛しつくした末に、甲は腹痛を口実に戸外へ股引を外しに行くことを思いつき、乙はよろしくにせ気絶した丙のために、医者を迎えに行く計を案出したが、なんせよ亭主の畜生がしょっちゅう料理場から食堂へ、食堂から料理場へと、ぶらぶら往復しては客人を見張り、おのが勘定を助けに、一歩前進するかと思えば、また本当の金持だった場合、ぶんなぐられてはと二歩後退するといった塩梅に、金なら一厘でも好きだが擲られるのは一つでも嫌いという健気で慎重きわまるこの亭主は、厳しい巡邏をすこしも怠らなかった。お客へのサーヴィス大事という辞柄に隠れて、亭主は何時も部屋に片耳を、中庭に片足をおき、ちょっと部屋に笑声が起っても、呼ばれた振りをして勘定書の代りに首を突出し、きまって三人に『何か御用で?』と訊ねるのであった。今のこの土壇場に、どっしりした二十エキュ金貨が一枚手に入るなら、銘々の後生の三分の一をも、売払うのを敢えて辞さぬといった彼等の心底を、百も承知の助のような顔つきで云う亭主のこの訊問に対し、返事にこいつの咽喉首に焼串の十節も、突込んでやりたいくらいに三人は思った。椅子どころか今は肉炙網にでも、坐らせられているような思いがして、足はいやにむずむずし出すし、お尻はじりじりと熱くなって来た。心得顔で亭主は晩餐のとどめとして、梨やチーズやフルーツ・サラダを、三人の鼻先に突きつけた。だが三人はちびりちびりと呑み、斜めに上の空で噛みながら、誰か三百代言的悪智恵を絞って、この急場の切抜け策を講ずる賢者もがなと、互いに顔を見交しつつ、ひどく侘しい気持で歓を尽しておった。
三人のうちもっとも老獪なブルゴオニュ生れの若者は、にやりと笑い、ラブレエの十五分《〈1〉》が遂にやって参ったことを観念して、その身法廷にあるかのごとくに、こう申した。
『諸君、一週間の延期を宣する要ありと認む、だね。』
他の二人は切端詰まった急場にも拘らず、急いで笑った。例の百ソル銅貨をポケットに鳴らしていた青年は、『勘定はいくらだね?』と訊ね、またチャラチャラいわせたが、それは恰も金に子を繁殖させようと試みるような、がいに性急な動かし方だった。この青年はピカルディの出で、怖ろしく癇癪持だったから、つまらぬことに腹を立てて、何の良心の咎もなく亭主を窓から抛り出しかねなかったが、まるで一万ドゥブロン西班牙金貨の年収でもあるような横柄な口調で、勘定書を主人に請求した。
『十エキュ頂きます。』亭主は答えて手を差出した。
『いや、子爵、あなたお一人に出して戴く訳には参りませんよ。』とアンジュヴァン生れの三番目の書生が言った。これは恋に陥った御婦人のように悪賢い男だった。
『そうだとも、そうだとも。』とブルゴオニュ人も言った。
『まあまあお二方、お嬲りになってはいけません。下っ端の拙者にこの場はお任せ願います。』とピカルディ人は答えた。
『とんでもない。もう三遍もあなたお一人でお払いになっている。ここの御亭主だってそんなお金は受取れませんよ。』とアンジュヴァン人は叫んだ。
『じゃこうしよう。我々三人のうち、一番拙い物語をした者が払うことにしては。』とブルゴオニュ人は言った。
『誰が判定《みたて》をするんだい?』と例の百ソルを鞘納めしながらピカルディ人は訊ねた。
『誰って、ここの御亭主さ。なかなかの風流人らしいから話は分るに違いない。さあ大膳職、どうぞこちらへ。お掛けになってまあ一緒に呑んで下さい。その上でお耳拝借と行きましょう。よし、開廷を宣する。』とアンジュヴァン人は言った。
勧められて亭主は坐り、もちろんなみなみと盃に受けた。
『じゃ俺から始めるぞ。』とアンジュヴァン人は言った。
わがアンジュ公領国では、在所の衆は何れもかんかんの旧教信者揃いで、懺悔をしはぐったり邪教徒を殺しはぐったりして、天国へ行きそびれた仁は、ただの一人もないくらいですから、もし外道の坊主が通りかかりでもしようものなら、何時殺されたか御当人にも分らぬうちに、塚穴の中に抛り込まれるような目にあうことでしょう。で、或晩のこと、ジャルゼの村のお人好しが松毬亭で酒を鱈腹きこしめして、晩祷を上げ、分別も記憶も酒壺に置き忘れて戻る途中、寝床と感違いして自宅の下水溜へ飛び込んでしまったのです。冬に向おうとしている時候だったもので、酔払い先生さっそく氷詰めになったのを、ゴドノオという隣人が見つけて、冷かし半分に、『そこで何を待ってござらっしゃる?』と訊ねますと、氷に自由を奪われているのに気づいた酔漢は、『融けるのをさ。』と抜からず返答いたしました。この地方の御領主である豊《お》御《み》酒《き》の守に対する深い尊信の念から、よき信徒であるゴドノオは、酔漢を柄《ほぞ》穴《あな》から引張り出し、彼の家の門を開けて送り届けてやりました。ところが前後不覚の呑兵衛は間違えて、若い優しい阿魔っ子の下女の寝床にもぐり込んでしまい泥酔ながらもさすが耕事にかけては古強者だけに、御内儀のと感違いして、下女の生温かい畑に犁を入れ、乙女の残肴余滴をそこに見出して大恐悦の態でした。ところが良人の声を御内儀は女中部屋に聞きつけ、金切声をあげて騒ぎ出したもので、耕夫もやっと済度の道を踏み外したことに気づき、可哀想に言いようのないほどしょげてしまいました。
『ああ、教会で晩祷を唱えたのでなかったので、神様が早速に罰をお下しになったのだ。』と彼は嘆息しました。
そして彼の下帯の記憶をはぐらかした酒の上での過ちに関し、精一杯の言訳を山の神にして、その懐ろに戻り、今般の罪業消滅のためのお供物には、持っている最上の牡牛を捧げてもよいゆえ、是非この咎目を良心から消したいと、御内儀にはかりました。
下女は取調べを受け、情人の夢を見ていた最中と答えましたが、向後はそんなねごい熟睡に陥らぬようにと、御内儀からしんどい折檻を受けたそうです。御内儀は『そんなこと、何でもないじゃありませんか。』と良人をなだめましたが、律儀まったい御亭主は罪障の重大性にかんがみ、神を惶れて、寝床に起き上って酒の涙を流す始末でした。
『じゃ明日早く懺悔にいったらいいでしょう。この話は、これでもう打切りにして下さいね。』と御内儀は申しました。
翌朝お人好しは懺悔室にはせつけ、管区の司祭にいとも殊勝に事の次第を申し述べました。司祭は天国に行って神様の御足のスリッパーになれるほどの有徳な老法師でしたが、懺悔人にこう申しました。
『一度の過ちはものの数には入らぬ、明日一日断食しさえすれば、お前の罪は宥されるじゃろう。』
『断食ですって、お安い御用ですとも。しかし飲んでも差支えはないでしょうな。』と酒好きは云いました。
『いや、滅相もない。但し水だけなら構わん。食物はパン四半分《カルテロン》と林檎一つだけ差許そう。』と司祭は答えました。
おのが記憶力にすこしも信頼を寄せてないこの結構人は、命ぜられた戒律を口の中で呟きながら家に戻りました。ところが初めのうちこそ、パン四半分《カルテロン》と林檎一つ、と間違いなく呟いていたのが、家へ帰りつく頃は、林檎四分の一とパン一つに変ってしまいました。なにがさて魂を浄めるため早速に、断食の役儀を彼は果すことになり、御内儀は鼠入らずからパンの大きな塊を一つ取出し、天井から林檎を下しました。そこでいとも憂鬱そうに彼は牙を噛みだしました。溜息をつきながら漸くパンの最後の一かけにまで漕ぎつけましたが、なにしろ喉の窪みにまで詰め込んだもので、もうどこへ押しこんでよいやら解らず、途方に暮れている亭主を見て御内儀が、神様は咎人の死ぬことを望んでいられるわけはないから、パンの最後の一片ぐらい、お腹の中におさめなかったからとて、ちっとばかり物を穴っぱいりさせたなんか受けまいと申しますと、
『黙ってろ、馬鹿。お腹がたとえ張り裂けても、断食をせにゃならんのだ。』とこのお人好しは怒鳴り返しましたとさ……。
『これで俺の割勘は払ったぞ。さあ、子爵、貴公の番だ。』とアンジュヴァン人は云って、こすからそうにピカルディ人の方を眺めた。
『盃がからです。お注ぎしましょう。』と亭主は言った。
『さあ乾盃だ! 舌(下)をしめらすと滑りが好くなるそうだぞ。』とピカルディ人は叫んで、なみなみと満した杯を酒滓一つ残さず飲み乾してから、談義僧のようにエヘン咳払いをして、次なる物語を始めた。
御存じのようにピカルディの娘っ子は、世帯を張る前に、まっとうな稼ぎに出て、スカートや食器や長持など、結婚道具一式を自分の力で稼ぎ出すのが慣いですが、その為にペロンヌやアベヴィルやアミアンなどの城邑の町家へ行って、小間使をやったり、皿拭いをしたり、コップ磨きに精出したり、洗濯物たたみをしたり、食事を運んだり、いろんなものを持ち上げたりしてのち、良人に生来持参してゆくものはさておき、一人前になにか出来るようになるや否や、お嫁に行って身を堅めます。ですからサーヴィスを、しかもその悉くを、極めてよく心得ている点からいったら、世話女房としては、けだし世界で一番と云ってよいでしょう。私はアゾンヴィルの所領を受け継いだ領主ですが、領内に一人の娘っ子がいて、巴里では六法銀貨なんぞの端た金は、拾おうと身をこごめる者もないとか、焼肉屋の前を通り、脂ぎったその湯気を嗅いだだけで、一日中何も食わずに腹鼓が打てるなんどの噂話を耳にし、自分もそこへ上って、お寺の賽銭函ほどのお金を稼いで来ようと思いつき、空《か》虚《ら》で一杯の籠を下げ、はるばるてくで巴里に辿り着きました。ところがサン・ドニの城門まで来ると、一隊の兵士が俄かに騎哨に立っているのにぶつかりました。折から宗教上の内乱があって、新教に加担の連中が蜂起した為です。女の景物が網にかかったのを見て立哨の軍曹はフェルトの軍帽を横っちょに冠り直し、軍帽の羽根を振り立て髭をひねり、目をむき手を腰において、声張り上げて娘っ子を呼びとめました。穴が尋常に開いてるかどうかを、(もちろん、耳のですぞ。)確めるためですが、さもない限り純な娘っ子は、巴里に入ることを禁ぜられていました。軍曹は娘に何の考えがあって都に来たのか、巴里城の鍵を奪いにではないかと、面白半分にしかし鹿爪らしい顔で訊問しました。好い稼ぎ口を探しに来たのだが、お金にさえなるなら、どんな荒稼ぎもいとわぬ積りだと、純朴な娘はそれに答えました。
『不思議な廻り合せだね、娘さん。俺もピカルディの出なんだ。同郷の誼みで一肌脱いでやろう。いっそここで勤めたらどうだね。女王様すら屡々御所望になるようなおもてなしを、お前さんにしてあげる上に、いいものもうんと得られるように取計ってやるよ。』
そう云って衛兵屯所へ娘を案内し、そこで床を掃いたり、酒瓶を滌いだり、火を熾したり、万端違却なく気を配るようにと云いつけ、兵士達へのサーヴィスに欠くるところさえなくば、兵士一人あたま月額三十スウずつ、お前さんに出させることにするから、分隊の駐屯期間一ケ月で、優に十エキュは稼げるし、隊が移動しても後釜が来る筈だから、引続いて勤められるように話をつけて行くゆえ、まっとうなこの稼ぎで、沢山の金と巴里土産を国へ持ち帰られるに違いないと説きつけました。従順な乙女はそこで兵舎を掃いたり拭いたり、御馳走ごしらえをしたり、何やかやを夜鶯の唄まじりで片附けましたので、その日戻って来た兵隊たちは、何時もの巣窟が僧院の食堂のように綺麗になっているのを見て、すっかり喜んで各々一ソル宛を娘っ子に与えました。ちょうど隊長は町の情婦のところへ行って不在なので、その寝床へ大騒ぎで給養充分の娘御を祭り込んで、哲人兵隊、即ち善なるものを愛するこれらさむらいどもは、手をかえ品をかえて娘を歓待し、やさしくもてなしました。さてシーツのなかに娘っ子が心地よくおさまってから、わが竿立先生らは喧嘩口論を避けるため籤を引いて順番をきめ、熱っぽく一列になって皆《かい》式《しき》物も云わずに、銘々闇相場なら二十六ソルがとこ以上のものを、ピカルディ娘からうまいことしました。娘っ子には馴れない荒稼ぎで、ちょっと辛いサーヴィスでしたが、全力を尽してこれに応じましたので、一晩じゅう片目をとじるはおろか、他のなにをもとじる暇とてありませんでした。朝方、兵隊たちがぐっすり寝込んでいるのを幸いと、娘は御神輿をあげました。さしも数々の猛襲突撃を受けたにも拘らず、お腹に擦り剥き一つしないのを何よりの果報にして、ちょっと疲れてはいましたが、三十ソルしっかりと握った儘、あとは野山と退散し、ピカルディへの道を戻る途中、友達の一人に逢いました。この友達も彼女と同じように巴里に憧れて、一竈興しに行くところでしたので、早速に彼女をとらえて巴里の景気を訊ねました。
『まあ、ペリーヌさん。行かない方がいいわよ。鉄のお臀でもない限りはね。それだってすぐと擦り切らされてよ。』と娘っ子は答えたそうです。
『おい、ブルゴオニュの太鼓腹先生、君の番だ。何か軽口咄をひり出し給え。いやならここの勘定を払うんだ。』と彼は隣りのブルゴオニュ人の自然の便《でき》腹《もの》を、ポンと兵隊式に叩いて云った。
『阿呆島《アンドウイユ》の女王にかけ、南無三宝にかけ、神にかけ、悪魔にかけ、御陀仏にかけ、わしは誓ってもいい。俺の知っているのはブルゴオニュの裁判所話だけで、どこにでも通用するといった代物じゃあないんだ。』とブルゴオニュ人は答えた。
『いいさ、御当地だって名門ボオフルモン《〈2〉》殿の御領地同然だもの。』と一人が答えて、空の酒瓶を振った。
『じゃディジョンで評判の話を一つ物語るとしよう。拙者がその地で采配を揮っていた頃の話で、ちゃんと筆にとめて残されてあるに違いないと思うが。』
フラン・トーパンという廷丁がおりましたが、こやつひどく性悪の天邪鬼で、何時もぶつくさ不平をならべ、人を擲ってばかりいて、誰にでも仏頂面をして見せ、絞刑にしょっぴかれてゆく奴にだって、戯談一つ云って慰めてやることもせず、一口に云えば人の禿頭に虱を探す男、神様に対し難癖ばかりつける野郎でした。ところがこの鼻摘みが女房を迎えたはいいとして、どうした風の吹き廻しか、玉葱の皮のように優しい女子が授かってしまったのです。この御内儀は良人の不足だらけな性分を見て、せめて家うちでは何不足なく過ごさせようと、他の女なら間男して亭主の目を盗もうと躍起になる以上に亭主に尽し、甘んじて何事にまれ、その言い分に従っていましたが、家内繁昌の為とあらば、神様さえ許せば、黄金の卵を良人にひり出してやりたいくらいにまで思っていました。ところがこの没義道の亭主は絶えず苦い面をして、借方が債鬼に空約束をふんだんにするように、さかんに女房をぶんなぐる始末でした。御内儀はいくら天使のように尽して失墜なく気を遣っても、一向に良人の理不尽な仕打は熄まぬもので、とうとう業を煮やし、里方へ泣き込んで行きましたので、女房の身内たちが仲裁にやって来ました。すると亭主はあべこべに、こう女房の悪口を並べ立てるのです。――うちの女房のしどもないことといったら、ただもう不愉快だらけで、偕暮しが味気ないくらいに侘しい。寝込んだと思ったらこっちを揺り起すし、帰って来ても直ぐとは門を開けてはくれず、雨や雪の中に人を立ん坊させておくし、家中のむさいことは、からきしお話にならず、着物にはボタンがなく、飾緒は総がとれ、シャツは汚れ放題、葡萄酒は酢っぱくなり、テーブルは拭きが足らず、寝台は不時に軋り出すといった工合で、すべてこれてんやわんやの乱脈の極みで、どうもこうもない。――なんどといった嘘八百を、下痢のように並べたてましたので、女房は着物や何やかを持ち出して、つくろいも完全に出来ていることを証拠だてましたので、凹まされた亭主は、今度は扱い振りがどだい悪いと難癖をつけ、食事の仕度が遅いとか、スープはきまって薄いか冷え切っているかだし、酒瓶と盃が二つ一緒に、ちゃんと揃っていたためしがないし、肉にはソースかパセリーを添え忘れるし、芥子は必ず気が抜けているし、焼肉には髪毛がついていて、ナプキンは臭くて食慾を失わされるし、云えば一度だって満足なサーヴィスを受けたためしがないと愚痴り立てました。とんと身に覚えもない手落ちを咎められて、驚いた女房はむきになってこれに抗弁してみましたが、
『何だと、嘘だというのか。このくそおんなめ。よし、じゃ皆さん、今日一つうちの家内の料理を召上って、如何に女房が不仕鱈か、一つその証人になって下さい。たった一度でも私の望み通りのサーヴィスが出来たら、重々私の言い分がわるく、非はこっちにあるとなされても結構、向後は決して女房のあたまに手をあげぬことを誓いましょうし、私の斧《ほ》戟《こ》も股袋も、女房どのに奉って、ここの天下さまに祀りあげますよ。』
『まあ嬉しい、じゃこれからは妾が当家のあるじになって威張れるってわけね。』とすっかり調子づいて御内儀は申しました。
女人の性根と欠陥に恃むところのあった良人は、中庭の葡萄棚の下で御馳走することを命じました。食卓と食器棚との往復《ゆきき》に、もし手間取れるようだったら、大声で呼び立てられると魂胆したからです。さて家事堪能の御内儀には、ここを先途と入念に食事の仕度をし、お皿は顔が写るくらい綺麗に、芥子も新しく香り高いのを入替え、料理はよく煮て口を窄めるくらいに熱くし、味は盗んだ果実のようにおいしくこしらえ、コップも磨き立て、お酒も冷やし、なにからなにまで結構ずくめ真白ずくめに、ぴかぴかさせて仕立てましたので、美食家の司教のお喋り婪妻も、ぐうの音も出ないくらい万端見事に整いました。さて御内儀は出来上ったところでテーブルの前に立って舌なめずりし、一家の主婦がよく何にでも投ずるあのとどめの蛇足的一瞥を投げた折りしも、良人がやって来て戸を叩きました。と、その瞬間、葡萄棚の上にのぼって葡萄で酔払おうという妙な気を起した鶏の畜生が、卓布の真中にポタリと不所存にも大きなやつを取落しました。御内儀の絶望の烈しさといったら、危くその場に気絶して倒れんばかりでしたが、鶏の粗相をかばう手立てとて他にないまま、咄嗟に有合せのお皿でむさい代物をかぶせて、卓上の釣合いも何もお構いなしに、ポケットにあった余分の果物をそれに盛上げ、誰にも気づかれぬようにと、急いでスープを出し始めました。さて席に就いた来客一同に、陽気に彼女はお給仕して廻りましたが、何不足のない饗応ぶりに一同大満悦で、見事な順立てと口々にほめたたえましたが、ただ一人、亭主の悪党だけは憂鬱そうに眉をひそめ、額に八の字を寄せ、口の中でぶつくさ云いながら、何か文句をつける材料もがなと、きょろきょろあたりを物色していましたが、女房は身内がいるので気強くなり、良人をギュウギュウ云わせようと、その傍らに寄って得意げに申しました。
『さあこの御膳立てはいかがです、お気に召しまして。ぬるくもありませんし、味も結構ですし、ナプキンも真白ですし、塩壺も一杯ですし、皿もぴかぴかしてますし、お酒も冷えてますし、パンも黄金色してますし、何かこれ以上御不足がありますか。欠けてるものがありますか。他に申し分はありますか。御入用なものはありますか。さあ何かほしいものは……』
良人はすっかりおこって叫びました。
『くそ!』
『はい、それもここに御座います。』と女房は早速例の皿をのけて良人に出しました。
それを見て亭主は、てっきり悪魔が女房の肩を持っているものと思い、あっけらかんとしてしまいました。彼は女房の身内から散々に油を搾られ、その根性のわるさをなじられて、沢山に小言をくらいましたが、ほんの僅かの間にまくし立てられたその悪口を写すだけで、書記が一ケ月かかっても書ききれぬほど罵倒されました。それからというもの亭主は、女房とごく睦じく暮すようになり、彼がちょっと機嫌が悪いか、眉顰めるかすると、御内儀は良人に、
『くそを差上げましょうか?』と訊ねるのでした。
『誰のが一番下手糞でした?』と亭主の肩を首斬人のようにやさしく叩きながら、アンジュヴァン人は叫んだ。
『お前のだ!』『彼奴のだ!』と他の二人は云った。
宗教会議に於ける坊さんたちのような諍論がそこで始まり、はては掴み合いやら酒瓶やコップの投げ合いとなり、立上った三人は戦いの模様によっては、その場をずらかろうと逃げ出す折を窺い出した。
『あなたがたを仲直りさせて上げましょう。』と亭主は三人の借方が、払おうという善き意志は持ちながらも、今の場合、誰も肝腎の勘定のことを考えていないのを見てとって云った。その声に三人はびっくりして止めた。
『私がもっといい話をお聞かせしましょう。聞いて御感服なすったら、一人あたま十リーヴルずつ戴きやすぜ。』
『御亭主の話を謹聴するとしようや。』とアンジュヴァン人は云った。
当館のございますこのノートル・ダム・ラ・リッシュの新町に、以前素晴しい別嬪が一人おりました。持って生れた美貌の他に、しこたま持参金づきだったもので、年頃になり祝言の荷を担える力が出た頃は、もう復活祭の日のサン・ガチアン寺の賽銭箱の銅貨の数ほども、言い寄る男が押掛けましたが、なかの一人に娘は白羽の矢を立てました。口幅ったい言い方ですが、その若者ときたら昼仕事でも夜なべでも、坊主二人をあわせたくらいの働き者でした。さて結納も済み愈々結婚の段取りとなりましたが、初夜の楽しみが近づくにつれ、娘っ子には軽い不安がつのりました。というのは彼女の地下の樋の故障のため、体内の瓦斯を排出する際、ややもすれば爆弾のような怪音を発するのに、困じ果てていたからです。それで初夜に際し、もやついて他のことに気をとられているあいだ、例の見境いなしの瓦斯溜りがゆるんで、ひょっと落しものでもしてはと心配し、母親にこっそり打明けて救いを乞いました。すると人の好い母親は娘を慰め、腹中瓦斯の排出音は、親代々の譲り物で、若い頃同じく母親も悩んだことがあるが、後年、排出管を圧搾する手立てを神様から授って、ここ七年間というもの、良人が死んだ時お別れの礼砲に一発ぶっ放したのを最後として、一度もとりはずしたことがないと申し、更に次のように言い添えました。
『けれど妾はこの余計な言の葉を揉消して、何の怪音もなく発散させる慥かな特効薬を、あの世にござらっしゃる阿母様から譲り受けている。それさえ使えばその瓦斯には、悪い匂いは決して伴わぬから、多分世間の音沙汰にもならずに済むだろう。ただしそれには、瓦斯体をとろ火で煮るように気長に煮立て、排出管の入口にじっと保っておいて、後で人のいない所で押出して、すかしておかなくてはならないよ。瓦斯は力が弱まっているから、そっと抜けてゆく筈だけど、この遣り口をうちでは屁の絞殺しと云っている。』と教えました。
屁の絞殺し方を習って、すっかり喜んだ娘は、母親にお礼を云いました。さて当夜はダンスを上手に踊りながらも、瓦斯を管の奥深く彼女は蓄積にと及びました。ちょうど弥撒に於て最初の吹奏を待つオルガン鞴手のようにです。そしていよいよ晴れの寝室に来て、寝台に上る前に、こっそり消散させようとしたところ、なむさん気まぐれな元素はすっかり煮つまってしまって、どうしても出ようとはしないのです。そこへ新郎がやって参りました。二物をもって千変万化し得るあの楽しい戦いを、如何に二人が戦ったか、それは御想像に任せるとして、さて真夜中に花嫁は起き上って、ちょっとした偽りの口実をつかって座を外しましたが、すぐ戻って来て床に就こうと良人を跨ぎしなに、彼女の気儘なパイプ口は、急にくしゃみでも催したせいでしょうか、轟然たる長砲の発射をいたし、宛ら寝台のカーテンも張り裂けるかと、当の私も思ったくらいの音を出しました。
『あら、打ち損じちゃったわ!』と彼女は言いました。
『おや、おや、大事におしよ。軍隊に行けば、お前の巨砲で食いはぐれはないからね。』とかく申す私は答えてやりました。
それが今の女房です。
『ほ、ほ、ほっ……』と騎士たちは叫んだ。
そして亭主に最大の讃辞を浴びせながら腹をかかえて爆笑に及んだ。
『どうだい、子爵、これより素敵なコントを聞いたことはあるまい。』
『全くだ、何という軽《コ》口《ン》咄《ト》だ《〈3〉》。』
『コントそのものだね。』
『コントの巨砲だ!』
『いや、コントの王だ!』
『あらゆるコントの臓腑をえぐるね。わが名割烹家のコントに勝るコントなしだよ。』
『こんな素晴しいコントを聞くのは、生れて始めてのことは、神様に誓ってもいいや。』
『屁の音がさながらに聞えるね。』
『そのオーケストラにキッスをしたいな。』
『ねえ、御亭主、我々は御内儀の姿を拝まずに、ここを立去る訳には参りませんよ。』とアンジュヴァン人は荘重に云った。『我々が御内儀の楽器に接吻するの要請を、敢えて差控えておるゆえんのものは、コントの大名人に対する大いなる尊敬の念からですぞ。』
そういった調子で三人は、主人やそのコントや女房の代物を、しさいらしく激賞いたしたので、老獪な亭主も、こうした無邪気な哄笑や、華々しい褒詞にすっかり気を許して、家内を呼び立てた。ところが女房が一向に現われて来ないもので、騎士たちは内心ずるい算段もあったが、口々にこちらから拝趨しようと言い出した。
そこで一同は食堂を出た。亭主は手に蝋燭を持ち、先に立って階段を上って、一同の足許を照らして案内した。ところが通りに面した戸が、ちょうど半ば開いているのを見た三人は、影のように軽く、素早く尻に帆をかけて逃げ出し、亭主は勘定を取るのに、さらに女房の屁咄をもう一発ぶたねばならなくされたのでごあった。
(1) 「ラブレエの十五分」とは勘定を払わねばならぬ切端つまった時の謂いで、むかしラブレエがリヨンの旅館で一文無しになり勘定が払えぬので、荷物に「王様用毒薬」「皇后用毒薬」と貼札をつけ、わざと重大犯人として逮捕を受け巴里に護送され、国王フランソワ一世にわけを話して釈放して貰ったという作り話から来ている。
(2) ボオフルモン家はローレヌの出の豪門で、ブルゴオニュに権勢を揮い、同州きっての名家で、トゥールにもその領地がはびこっていた。
(3) 騒士がコント、コントと頻りに云うのは、コントに物語の意味のコントと、勘定書の意味のコントとがあるのをかけて洒落たものである。
禁欲王
国王フランソワ一世が阿呆鳥のように俘虜となって、エスパニヤはマドリードの都に拉致されし顛末は、どなたさまもとくと御存じのところでござろう。カルロス五世皇帝には仏蘭西王をさながら高直な珍品さながらに取扱われて、お城の一隅に蔵いこんでおかれたが、青史に不朽の名をとどめるこのわが先王には、かねて天空海闊の御気象にましまし、色事はおろか、何事にまれ気随気儘に振舞われておられたので、いたく客地で脾肉の歎をかこたれ、猫にレースの畳み方が分らぬように、囹圄にあって如何に日を過すべきか、とんと合点が参られず、ためにけったいな憂愁に陥られて龍顔をくもらせられたが、その王の宸翰が、王太妃アングーレム母公《〈1〉》、王太子妃カトリーヌ夫人、デュプラ枢機相《〈2〉》、モンモランシー卿、さては仏蘭西の柱石ともいうべき重臣大官の面々が、綺羅星の如くに居並んだ最高会議の席上で朗読せられるや、みなみな、常日頃から国王のやんごとなき色好みのほどを御存じだったもので、慎重熟議の結果、かねて御仲むつまじくわたらせられた姉君マルグリット女王を王の御許へ差向けて、その御徒然を慰めまいらそうと衆議一決いたしたが、聞えた才媛にあられた当の明朗な女王には、国王と御二人きりで独房のうちにあるは、危うくもあり、後生のほども気遣われると申されたので、早速にフィズ卿という慧敏な書記官を羅馬宮殿に特派して、王の憂愁を和らげまいらせんがために、骨肉の御仲とて或は犯すやも計り難い軽罪を、御宥免するあらたかな免罪符を、特別に法王様から戴いてくることと相成った。
当時、和蘭生れのアドリアン七世《〈3〉》がなお法王の冠冕を戴いておられたが、これがまた存のほか物分りのよい御仁で、エスパニヤの皇帝とは同じスコラ学派としての誼みはあったものの、何分にも事はカトリック教派の御嫡男の御安危に関する次第とて、早速に女王の霊魂と国王の肉体とを、さまで神を蔑しろにせず救済できるような、霊験いやちこな免罪符を携えた特使を、エスパニヤにお下しになることを御快諾なされた。
聖代のかかる恨事に、フランス宮廷の卿相雲客、事をわが身に引き較べて、いたく仔細顔であったし、上臈方も足のあいだが、何となくうずかゆい思いがせられた。なにせよ何れ劣らぬ忠義な烈婦ぞろいとて、臣下の者はおろか、王の御一統にまで会わせまいとするカルロス五世皇帝の肚黒い猜疑に妨げられなんだなら、みながみな進んでマドリード行きを志願めされたに違いごあるまい。
ともあれ第一に、マルグリット女王御入国の交渉をせねばならなかったが、常日頃からいとおおっぴらにおもちい遊ばしていた常犯の御尊貴に対する、かかる嘆かわしい禁欲や、恋愛運動の欠如は、忽ちにして世間一般の大評判とはなった。なかには同情が余って、王の玉体より、持物の方を、いとおしむという御婦人方も出てくる始末で、この身に翼ありせばと、まず最初に打歎かせられたのは、王妃様であられたとか。――救いの天使になるには、翼ばかりでは駄目でしょうとオデ・ド・シャティオン《〈4〉》卿にはぬかりなくこれに答えられたと云う。たしか提督夫人のお言葉と覚えるが、お気の毒な王様が、ひどく御不足あそばしている代物を、お送り出来る手筈さえつけば、女という女は、欣んでかわるがわるお貸し申そうものをと、神様をお怨みなされたとも聞いている。――しかしよくまあ神様も取外しの出来ぬように、しておいてくださったもの。さもなくば良人たちが、こっちの貸出し中をいい口実にして、あたしたち女を裏切るに違いないでしょう! と王太子妃までもが、いともやさしく申されたげにござる。
こうしてさまざまに口の端に上り、やきもきと思案せられた挙句、いよいよマルグリットの女王の御出発という際には、これら心優なるキリスト教徒の女人たちは、王国の全女性からとして、国王にずんと接吻して来て戴くよう、くれぐれも女王に頼まれたのであったが、これで悦楽が芥子のように持ち運べるものなら、お見舞にしこたま持ち込まれて、女王もエスパニヤ三界を売り歩かねばならぬほどの、荷厄介な思いをせられたことであろう。
マルグリット女王が雪を蹴立てて、ピレネーを越え、王の御慰問にと、火事場に向うようにまっしぐらに、多くの騾馬に鞭打って進まれていた間、フランソワ一世には生涯またとお覚えのないほどのしんどい腰の重みに堪えかね、じゅつなく打ち喘いでおられた。それで烈しい本能の反射熱に対する、お慈悲深い特効薬を給して戴こうとなされ、国王にはカルロス五世皇帝に向って、一国の王ともあろうものを、女気も与えずにかつえぼしなさろうとは、御家門にとって末代の御恥辱でがなござろうと訴え出られたので、さすがに粋なスペイン皇帝は、フランス王の身代金を以て、適宜にスペイン女をまかなえばよいと思召され、穏かに警護の者に、仏王のいたく御所望遊ばすものを、与えてとらすようにと、それとなくお許しになられた。
そこで、かねてフランス宮廷に靡いて、運をひらこうともくろんでいたヒオス・デ・ララ・イ・ロペツ・バラ・ディ・ピント卿という、名家のくせに一文無しの大尉は、フランス王に生肉のやさしい罨法を授けまいらせて、彼地における己が出世のたつきにしようと計られたが、果してこの妙案がかなうかかなわぬか、それはフランス宮廷やフランス王を御熟知の方々なら、とくと御粋察に相成れよう。
さてこの大尉は、巡視かたがたフランス王のお部屋に推参いたし、恭しく王に向って、法王の免罪符に関してのように、かねがねお伺いを立てたいと望んでおったことがござるが、不躾ながら、お訊ねいたしても差支えござりますまいかと奏問に及ぶと、憂鬱症《ヒポコンドリア》に鎖され気味だった国王も、いささか眉を舒べさせられ、王座から身をやや乗出して御嘉納あらせられたので、大尉は猥りがましき言辞を弄するがお腹立ちなきようと前置きして、聊爾ながらフランス王におかせられては、フランス随一の色好みにわたらせられるとかねて承わっておりましたが、まさしくフランス宮廷の上臈たちはめでたき恋のわけ知りかどうか、親しく御教示願いたい旨を言上いたした。
御痛わしくも国王には、むかし執った杵柄を御想起あらせられて、腹の底から大きな溜息をお洩らしになり、月世界の女はおろか、この世のいかな国柄の女人とても、フランスの女子ほど恋の錬金学の秘術を、かずかずと弁えおるものは他にあるまいと勅諚あって、祖国の一女性とのみやびな、こまやかな、こうばしい愛戯の御儀をゆくりなく思い浮べられて、俄かに雄心勃々とならせられ、もしも当の女人がその場に居合せたなら、たとえ百尺もの絶壁の真上の、腐った床板の上であろうと、たけだけしく蹄鉄を打ち込み兼ねまじい御気配と見えた。
世に隠れもない好きものの王は、生命と情炎に輝いた眼を俄かに爛々と光らせ、その愛執の聖火の凄烈さには、さすがに肝大気の大尉の五臓六腑も、そぞろ竦まんばかりでごあったが、なおも勇を鼓してエスパニヤの女人の肩を持ち、――畏れながら恋するすべを、まこと弁えおるのは天下広しと雖も、西班牙《エスパニヤ》の女子衆のみと存ぜられます。と申しますのは、いかなキリスト教国に参っても、エスパニヤの国ほど宗教熱の旺んな地はなく、従ってここの女人は、あだな情人に身を任せて地獄落ちするのを、何よりも畏怖しておりますだけに、飜って一度身をゆるしたとなると、後生も未来も投げうっての烈しさで、瞬時の快楽に尽未来の贖いを求めようといたすからにて御座ります。論より証拠、もしも王様がフランス屈指の御采邑をお賭け下さいますなら、エスパニヤ式の恋の一夜をやつがれがおもてなし仕りましょう、うっかり御油断遊ばそうものなら、それこそ一夜女王のために錦《たふ》襠《さぎ》から肝魂を引抜かれておしまいになりまするぞと、畏る畏る言上に及んだのであった。
『これは近頃面白い! よし、上天にも御照覧あれじゃ。躬が負けたら、其方に、トゥレーヌの女人采邑《ヴイル・ド・ダーム》の領地に、狩猟権と上下の裁判権を相添えてつかわそうではないか。』と王には御座から立ち上られて申された。
そこで大尉は、トレードの大僧正猊下の寵妃ダマエギイ侯夫人にその旨を含め、フランス王をしっぽりとおもてなし申して、フランス女の変化のない動きに較べ、エスパニヤ女の奔放な手立てがいかにたちまさって見事であるかを、とくと御納得まいらするよう頼んだので、当のダマエギイ侯夫人も、一つにはエスパニヤの名誉のため、また一つにはこれまで宗門の名僧智識しか手玉にとらず、神が王者をいかなる捏《こね》物《もの》でお造りになったか、とんと覚えがなかったので、その方の興趣も手伝い、快くこれを引受けて、檻を蹴破った牝獅子のように、骨を噛み、髄を啖わんずる勢いで、フランソワ一世の許へ参上いたした。これが或は余人なら、成仏必至と相見えたが、さすがに名だたる大王だけあって、装《よそ》束《おい》十分、貪婪無慚、まっしぐらに猛りたつ獅子に対して、反噬これつとめられたので、寵妃も満身創痍、蹌踉としてこの凄愴な血闘から身を脱して、相手は婬魔でござりんしたと、自認いたさねばならなかった。
その翌朝、大尉はお伽に差出した鞘《さや》に自信があったので、まんまと封地をせしめたとばかり、御礼言上に王の御前へまかり出ると、フランソワ一世にはさも嘲るように、エスパニヤの女もちょいとは意《い》気《き》で熱高く、なかなかに味なことをやりおるが、しかし柔和に行くべきところを躁《タ》狂《フ》に走り、さながら手込めにされているか、嚔でもするような、色気のない鼻息を使うのが、どうも玉に疵じゃと仰せられ、それに較べてフランス女のそれは、いっかな倦むことがなく、なお一層とかつえさせるばかりであるうえに、ことに宮廷の女どものときたら、事はたぐいなく快美きわまり、決してパン屋がパン粉を捏ね廻すような力仕事ではござないと仰せあったので、可哀想に大尉はすっかり落胆してしまわれた。そしてひそかに、王にはいかめしくお誓い遊ばされはしたものの、これはもしかすると、巴里の人肉の市から堕落書生が、恋の一片を首尾よく詐取するように、この自分をば態よく担がれたのではあるまいかとまで、勿体なくも疑い奉ったくらいであったが、ひょっとすると侯爵夫人が、国王をあまりエスパニヤ式に歓待しなかったせいかも知れぬと思い直して、今度こそは素晴しい妖女を差出しまするゆえ、御領地をまたお賭け遊ばすようにと、畏る畏る再試合の儀を願い出ると、御仁慈にましました伊達者の王には、欣んで御裁許あらせられ、是非とも其方との賭けには、一敗地に塗れたいものじゃとの優渥な勅語までも賜わられた。
そこで夜祷が終ってから、大尉はフランソワ一世の御部屋へ、輝くばかり白皙で、けぶたいくらい臈たげで、髪も長く房々とし、手は天鵞絨のように滑らかで、笑みこぼれるような口元をした、なま暖かい生菩薩を連れて参った。むっちり膨れ上ったその肢体は、ちょっと身動きしても着物《ローブ》から盛り上らんばかりで、眼はまだきにしっとりとうるみ、初音のとろけるような声音の魅惑さといったら、王の下《たふ》帯《さぎ》もために綻びるかと気遣われ阿鼻叫喚の地獄も、しんと静穏になるようなひとがましい尤物でごあった。
大尉は得意満面、その翌朝、颯爽として王の御座所に伺候した。昨夜の美女は王の御朝餐後すでに姿を消していた。
大尉を目にせられるやフランソワ一世には叡感斜めならず、
『ようこそ、ヴィル〓オ〓ダーム男爵! そのような欣びを神様は其方に授けとらせられたのじゃ。躬もここな幽閉が一段と気に入ったわい。マドンナにかけて誓うが、フランス風の色事と甲乙をつける気は、はや朕にはないゆえ、賭けは其方に払ってつかわすぞ。』
『失礼ながら私もさように存じておりました。』
『ほう、して何故じゃ?』
『陛下、畏れながらあれなるは、この拙者めが家内に御座りまする。』
これがトゥレーヌに於けるラレイ・ド・ラ・ヴィル〓オ〓ダーム家の起原であるがララ・イ・ロペツが訛って、ラレイとかわったものである。其後、この一家は代々フランス王に忠勤をつくしたので、お覚えもいと目出度く、今では指おりの名家としてその一門は栄えている。
やがてマルグリット女王も当地に御来着になったが、国王にもそろそろスペイン式が鼻につかれていた折柄とて、いたくフランス式快美を御鶴首遊ばされておったが、これからさきは、この物語の本筋ではない。他日また筆硯をあらためて、法王のあらかたな免罪符がどう利いたか、マルグリット女王がいみじくも何と御意あったかを物語るといたそう。それにわがマルグリット女王は、かの「エプタメロン」のような美しい笑話集をものされた大先達ゆえ、この笑い草紙のうちに於ても、当然その聖龕の一つを割いて、敬意を表さねばならぬ次第である。
さてこの物語の教訓は、すぐと御納得が参られよう。先ず第一に国王ともあろうものが、戦争で俘虜になるなぞとは、以てのほかであるという一事だ。将棋の王様また同断、況んや一国の国王が捕虜になるなぞとは、その国民にとって、痛恨やるかたなき国難だ。これがまた王妃や王女だったらどうだろう、それこそ災殃ここに極まれりというべきだ。しかしこんな咄々怪事は、人喰人種の間でも金輪際起りっこはないと、吾儕は堅く信じておる。王室の花を幽閉などして、冥利が尽きぬものだろうか? 惟うにアスタロトやリュシフェルなどの悪鬼羅刹どもが、王座を簒逆して、万民がわずかに身を暖めていた恵み深きひかりを、あの民草のよろこびを、理不尽にも掩蔽しようとしたと考えるよりほかはない。さあれ殷鑑遠からずだ。鬼女と云おうか、般若と罵ろうか、邪悪異端の老夜叉エリザベス英女王が、不遜にも王座を冒して、スコットランドの美しいマリ・スチュアートを辺地に押し込められたことは、キリスト教を奉ずるあらゆる騎士の面々にとって、拭うべからざる汚辱ではあった。よしや何のお召しがなくとも、決然奮起して、鼓を鳴らしてこれを攻め、フォーザーリンゲイ《〈5〉》の城塞を蹴破って、一木一石をあまさぬよう壊滅してこそ、まことの騎士の面目ではなかったろうか!
(1) アングーレム夫人(ルイーズ・ド・サヴォワ)(一四七六―一五三一)フランソワ一世御母堂、当時の摂政太妃。
(2) デュプラ(一四六三―一五三五)枢機卿、大法官、法王使節。モンモランシー卿(一四九三―一五六七)フランス大元帥「金鉄の友」に前出。
(3) アドリアン七世は実在せず。アドリアン六世を指すものならん。但しこの法王は前々年一五二三年に退位せり。一五二五年の当時の法王はメディシス家のクレマン七世なり。
(4) オデ・ド・シャティオン(一五一七―一五七一)コリニイ提督の兄、枢機卿、但し当時は僅か九歳なるを以てバルザックの誤り。
(5) フォーザーリンゲイは英国ペーターボロー南西部の城郭、スコットランド女王メリ茲にて処刑せらる。
尼寺夜談義
ポワシイの尼寺は淫風吹きすさぶところとして、尼たちの御乱行の初道場として、往昔の文人に依りつとに艶名を謳われ、ためにわれらが浄き御宗旨を踏みつけにして、俗人共の哄笑をかうていの面白い話柄が、沢山にそこから作り出されている。従ってこの尼寺にかこつけた俚諺も数多くと生じ、今日学者諸公がそれを嚼みこなされようとて、精々篩をかけ挽き割りをいたしても、とんと始末におえぬほどじゃて。
学者先生の一人に、「ポワシイの橄欖油《オリーヴ》」とは何かとお伺いを立ててごろうじ。ねんもないこと、それは松露の一種をお上品に云ったものであって、これら有徳なる娘っ子たちをからかって、むかし言ったその調理法、「味の附け方」には一種格別な液汁《ソース》をもってせねばならぬと、鹿つべらしく答えられるに違いごあるまい。さればこれら鵞鳥ペンの大人も、百に一つぐらいは、ひょんと真実に衝き当られることもあるのである。
さて話を尼僧連中に戻すといたそう。彼女たちは善女の皮より、遊女の皮を冠る方を好むと、もちろん笑いに紛らせてだが、聊爾ながらしかく言われている。また口さがない連中は、比丘尼たちは聖女伝を自分勝手な流儀で真似たがって困ると非難しておる。つまりエジプトのマリア聖女の生涯を見ては、船頭に駄賃を貞操で支払ったその報い方だけを尊重しているような始末で、そこから「ポワシイ式に聖女を崇める」という外道文句が生じたのである。また「ポワシイの十字架」という謂いは、下腹をあたためる一物を指すに他ならぬ。「ポワシイの朝祷」という駄句は、これ合唱隊の少年で埒をあけるという意味。色の諸分を一切心得た豪の女のことを、「あれはポワシイの修道尼だ。」と言い、殿方にはお貸し申すことしか出来ぬ、御存じのあのものは、「ポワシイ修道院の鍵」と称されておる。それに相対するものが該修道院の「門」であるとは、誰方も朝飯前に御存じであろう。この門、戸口、とぼそ、潜り門、木戸、朱門は、何時も半開きの儘で、閉めるより開ける方が造作なく、その修繕ときたらひどく厄介至極である。言ってみれば当時の艶語で、ポワシイの尼寺から発生したのでないものは、一つとしてなかったとまで、極言が出来よう。ただしこうした俚諺や駄洒落や悪態口や世迷い言には、尠からず嘘っぱちや誇張が交っておったことは、勿論の話じゃ。
これらポワシイの尼っちょたちとて、他の女人の多くと同じに、ちょいちょい悪魔に味方して神様を時たまだまくらかす底の、根が善良なる令嬢方に過ぎぬ。何故ならわれわれ人間の本性は脆いものだし、それに尼さんじゃとて、ささやかな欠陥は矢張り免がれず、彼女たちのうちにあっても、御同様に身体の一角は欠けておるし、もろもろの悪はその欠所に胚胎しているのである。が、有《あり》様《よう》を申そうなら、何れも暇に飽かしてゆるゆると仕上げた、従ってぴんぴんした十四人の子供衆を儲けられた尼僧院長の振舞から、こうした悪口が生ずるに至ったものである。王家の血をひいたこの尼公のつがもない色恋と、乱痴気からして、ポワシイの修道院は人口に膾炙するにいたり、爾来、仏蘭西あちこちの修道院で起った面白い小噺は、みなこのポワシイの尼たちのむずむずした愛執の念から生じたものと、慮外ながら折紙をつけられることに相成ったが、それらの十分の一でも、実際にものに出来たのなら、彼女たちもさだめし冥加と心得られたでごあろう。
誰方も御存じのように、その後この修道院も改革の嵐を受け、彼女たちが享受しておった僅かばかりの冥加も自由も、のこりなく奪われてしまった。打続く近年のごたごたの為に、シノンに近いテュルプネイ僧院の古い記録類は、アゼエの現領主の篤い保護の下に、同地の図書館に疎開されておるが、そのなかで吾儕は、『ポワシイの祈祷時』と題する一断簡に逢会いたした。これテュルプネイの陽気な和尚が、近隣のウセエやアゼエやモンゴォヂェやサッシエなど、トゥレーヌ各地の尼寺の女人衆の気晴しのため、まさしく筆を執られたものでごあって、僧袍の威信の下に、吾儕はここにそれを提供することにいたそう。ただしラテン語からフランス語に移さざるを得なかったゆえ、吾儕の流儀通りに書き換えたことを、先ずは諒とせられたい。えへん。
で、ポワシイの修道女たちには、王の息女たる修道院長の尼公が御寝あってからする、一つの慣わしがござった。……序でだが愛の書を開いて、内容を読んだり、再読したり、究めたり悟ったり合点いたしたりするのでなく、ただ愛の書の緒論・序文・前書き・要旨・題辞・扉絵・前文・表題・目次・補註・見出し・献詞・巻頭言・前口上・解題・天金・唐草飾り・傍註・書込み・抄録・後記・欄外註・割註・後口上・口絵・圏点・見返し・埋《カ》め《ツ》草《ト》・装幀などの前戯にのみかかずらうことを、〈小鵞鳥遊びをする〉と名づけたのは、他ならぬこの尼公である。唇から発するが但しお下《しも》の唇ゆえ、すこしも声音のせぬこれらあじゃらけた、美しい言葉の、法権外なこまごました享楽法の悉くを、やんごとない法身に蒐めておられた尼公には、極めて聡明にこれをお用いになったため、形骸は失墜なく無垢の生処女として、容色しずくも衰えることなく逝かれたのであった。この華やかな芸文は、その後は宮廷の上臈衆に依って、ずんと研鑽せられた結果、彼女達は情人に、小鵞鳥遊びの相手、見せ誇りの相手、それからまた時折りは彼女達に対して、上と下の管轄権をあわせ持った悉皆のあるじなどを、(この身分こそ殿方の誰しも望むところであろうが、)あまた有せられておる。閑話休題。
淑徳高き尼公が何恥ずるところもなく、裸でお床入りを遊ばしたとなると、さて頤に皺もなく、心も快闊なこれら娘っ子たちは、それぞれ独房を忍び出て、みんなから一番好かれていた一人の尼さんの部屋に集まるのが常であった。そして楽しいお喋りの合間に、お菓子を食べたり、ボンボンをしゃぶったり、何か飲んだり、娘喧嘩をしたり、老尼の悪口を云って、その物真似を演じたり、無邪気に嘲ったり、または可笑し泪のこぼれるような小咄をしたり、いろいろな遊び事に耽ったりなどした。時とすると、誰のが可愛いか足を較べあったり、腕の真白な円味を見せあったり、夕食後赤くなる持病の鼻は誰のか調べあったり、雀斑を数えあったり、黒子が何処にあるか云いあったり、一番綺麗な肌や、もっとも美しい顔艶や、第一にすらりとした身丈の持主の名を、皆であげ合ったりいたした。神様に属する法性無漏のこれら身丈のなかでも、細いのや、円いのや、平たいのや、膨れたのや、潰れたのや、ひょろ長いのや、華車なのなど、各種さまざまにあったからでごある。また誰の腰帯が一番布地が尠くて済むかを言い争いなぞして、一寸でも短いものは、何故かは知らずに得意がるのであった。またある時は夢と、そのなかで見たものを語り合うこともあった。屡々一人か二人、時には全部が全部、「修道院の鍵」をしっかと握りしめていた夢を見た。また時にはちょっとした怪我のことを相談したりした。指に刺をさしたの、〓疽ができたの、朝起きたら眼が充血していたの、お祈りの時に食指を突き指したのなぞと、何れもがなにかしらちっちゃな故障を起していたためである。
『まあ、あなたは尼僧長に嘘をついたわね。爪に白粉がついてるじゃありませんか。』
『おや、今朝は随分長く懺悔していたようね。何か意気っぽい咎目でも心にあったんじゃないの?』
まったく牝猫以上に牡猫に似ているものがないように、彼女達はお互同志の間で、仲好くなったり、喧嘩をしたり、むくれたり、言い合ったり、親交を結んだり、和解したり、嫉みあったり、笑おうとして抓ったり、抓ろうとして笑ったり、新入りに悪戯を仕掛けたりなどいたした。
それからこんな冗談を言いあうことも屡々だった。
『雨の日に武《さむ》士《らい》がここに舞い込んで来たら、何処へかくまってやったらよいでしょう。』
『それはオヴィッドさんのところにきまってるじゃありませんか。あの人の房《あ》室《な》が一番大きいから、兜の前《まえ》立《だち》ごと入れてよ。』
『まあ、どうしてなの、あたしたちの独房はみんな似たかよったかじゃありませんか?』
そうしたオヴィッドの抗弁に、尼さんたちは熟んだ無花果のように大笑いをするのであった。
或晩、そのささやかな宗教会議に、美しい新入りを迎え入れることになった。まだ十七で生れたての赤ん坊そっくりに天真爛漫で、懺悔なしに神様の御懐へ飛び込めるように見えたが、若い尼僧たちが、その身体のいとも浄い繋縛のうさ晴しにする夜談義や、ささやかな遊宴や、戯れ事に、かねて垂涎し、その仲間入りを許されぬことを歎いていた沙弥尼だった。
『ねえ、新入りさん、毎晩よく睡れて。どう?』とオヴィッド尼が訊ねた。
『あたくし蚤に苦しめられて……』
『まあ、あんたは蚤を飼っているの。すぐ退治しなくてはいけないわ。蚤を駆逐することは宗規で厳命されてるじゃありませんか。ぶら下った尻《も》尾《の》を、二度と再び尼僧たちの目に触れさせぬように、本山ではそれほど細心な注意を払ってるのよ。』
『ちっとも存じませんでしたわ。』と新発意は答えた。
『じゃ妾が教えて上げましょう。どう、妾の独房に蚤がいて。蚤の痕跡がありまして。蚤の匂いがしますか。蚤の気配が察せられまして。一つよく探してごらんなさいよ。』
『なるほど、ちっともおりませんわね。』と新参尼は答えた。ド・ピィアンヌ家の令嬢だった。
『ほんとうに妾たちの匂いがする許りですのね。』
『妾の言う通りになされば、今後はもう蚤になんか咬まれませんよ。先ずチクリとしたら急いでシュミーズを脱いで、裸になるんです。その際からだじゅうを見廻して、罪作りなぞしてはいけませんよ。他の事を考えず、よそに注意を奪われぬよう、ただ真情を以て蚤のことに没頭し、蚤とその捕獲方をだけ念頭におくんです。解りましたか。但しこれとて決して容易なわざではありませんよ。生れつき肌についてる小さな黒子と見間違うことが、よくありますから。あなたにもきっとあるのでしょう?』
『ええ、紫色の黒子が二つあります。一つは肩、一つは背中のずっと下のところ、でもお尻のすじの中に隠れていますから、よく探さないと見つかりません。』
『じゃどうしてそれが解ったの?』とペルペチュ尼は訊ねた。
『妾も知らなかったのです。モントレゾル氏が見附けたのですわ。』
『ほ、ほう……彼氏が見たのはそれだけかしら?』と尼さんたちは言った。
『何もかも全部見たようです。だってあたしとても小ちゃかったのですもの。あの人は九つちょっとだったし、二人で仲好く遊んでいた時なのです。』
それで尼たちはさきに笑ったのは早計だったと思い直した。オヴィッド尼はさらに続けた。
『蚤めはあなたの足から眼へ跳びつくでしょう。窪みや繁みや掘割に隠れようとするでしょう。山や谷に這い込むことでしょう。逃れようとそれこそ必死になるでしょう。だけど、何をしたって駄目。アヴェ・マリアを唱えながら、甲斐甲斐しく蚤を追跡することを、宗規は堅く命じておりますから。でも大概の場合は三度目のアヴェ・マリアで、けものは捕まってしまいます……』
『蚤がでしょう?』と新入りは訊ねた。
『勿論蚤がです。』とオヴィッドは答えた。『この蚤狩の危険を避けるためには、身体じゅうの何処でけものを取押えにせよ、ただ蚤だけを掴むようにしなくてはなりません。……さてそうしたら、蚤の泣き声や、呻き声や、懇願や、身じろぎや、身もだえに、耳をかしたりなどしてはいけませんよ。よくあることですが、もしひょっとして蚤が反抗したなら、押えている手の拇指か何かできつく締めつけ、片方の手で垂れ頭巾を探して、けものの目を覆って跳べなくしてやりさえすれば、眼が見えないもので、蚤は何処へ行ってよいか解らなくなります。それでもまだ咬みついたり、怒りに荒れ狂うようでしたら、軽くその嘴を半開きにして、枕許に下っている黄楊の小枝のお榊を、そっと押込んでやれば否応なく蚤は静かになります。しかし宗門の掟に依って妾達は、地上の一物たりとも、私有には出来ぬ身の上ですから、蚤を我物にしたとは云えません。それに蚤だって神様のお創りになったものですから、もっと神様の大御心にかなったものとしてお返しするよう、努めなくてはなりません。それには先ず何よりも次の三つの重大なことを、たしかめる必要があります。すなわちその蚤は雄か雌か処女かどうかということです。これらの種属は極めて不仕鱈で淫奔なたちゆえ、手当り次第に身を委せますから、処女の蚤なぞ非常に稀ですが、もしもそうだったら、先ずその後肢を胴から引張り出して、あなたの一本の髪の毛で結び、尼僧長の許に持って参らなくてはなりません。そうすれば僧会を開いてのち、その蚤の出処進退をきめることになるでしょう。もしもそれが雄の蚤だったら……』
『蚤《ピユス》が処女《ピユセル》かどうか、どうして見分けたらいいのでしょう?』と好奇の念から新入りは訊ねた。
『先ずそれは淋しく憂鬱げな顔をしています。他の蚤のように、大声では笑いません。またきつくも咬みません。大口も開けません。御存じの彼処に触れると、顔をぼうっと赧らめます。』とオヴィッドは言った。
『まあ、それだったら妾、慥かに雄の蚤に咬まれたのですわ。』
この言葉にどっとばかり尼達は爆笑に及んだが、あまりに笑い過ぎて、なかの一人は嬰記号のラ音のとりはずしをしてしまったが、その爆音の凄じさといったら、われにもあらず小水を排出してしまわれたほどだった。床の上のその不始末を見つけて、オヴィッドは仲間に言った。
『おやまあ御覧、雨を伴わぬ風なし……だよ。』
新入りも笑ったが、おならにみんなが笑ったのだと思い込んでいた。オヴィッドはさらに続けた。
『それでもし雄の蚤だったら、鋏か、尼寺に入るに際して、恋人から形身に贈られた短剣かなんか、鋭利な刃物で蚤の胴体を注意深く切開するんです。もちろん吼えたり、咳をしたり、唾を吐きかけたり、お赦しを願ったり、身をよじったり、汗ばんだり、憐れみを乞う眼差をしたりして、この手術からなんとか逃れようと、蚤めはおよそ考えられるったけのことを、何でもしようとするに違いありませんが、そんなことに驚いてはいけません。堕落した被創造物を救霊の途に就かせるのだと考えて、勇気を持ち直してこの仕事に掛かるべきです。で、臓腑や肺臓や肝臓や心臓や胃の腑や貴い部分などを、器用に取出して何度も聖水に漬けてよく洗い浄め、口中で「聖霊」に対して、このけものの内臓を聖化するよう祈願をこめなさい。それが済んだなら、体内物を戻して貰いたがっている蚤のからだの中に、素早くまた元通りおさめてやるのです。こうして洗礼を授けてやれば、法界無縁の蚤の魂もすっかりカトリックになります。そこで直ぐ針と糸をもって、蚤のお腹を、能う限りの親切と注意と心づくしを以て、縫ってやるのです。何故ならイエス様から見れば、相手もわれわれと同じ仲間ですもの。蚤のためにまた祈ってやることも必要です。蚤の方でも如何にあなたを有難がっているかは、その感謝に満ちた眼差や跪拝ぶりで、よくこれを察することが出来ましょう。もう泣き叫びもしません。あなたを咬もうともしません。われらが浄き御宗旨に、かく改宗できた喜びのあまり、嬉し死する蚤も屡々見受けられるほどです。ですから捕まえた蚤のすべてに、かく振舞ってやらねばなりません。それを見れば改心者に吃驚して、他の蚤たちは、逃げ出してしまいます。なにしろ根が邪悪な連中ですから、基督者になるのを、ひどく怖れているのです。』
『まったく根生曲りの者共ですわね。御宗旨に入るほどの喜びが、他にあって堪りませんわ。』と新入りは云った。
『その通りです。ここにいさえすれば妾達は、娑婆の浮世や色恋の数々の危険から、全く遠ざかっていられるのですもの。』とユルシュール尼は相槌を打った。
『色恋の危険って、まがわるく身ごもる以外に何かあるのでしょうか?』と若い尼さんが訊ねた。『今の御治世になってからは、癩病や、聖アントワーヌの業火や、(壊疽性丹毒《マル・デ・ザルダン》)の悪瘡や、紅発疹などが色事に受け継がれ、愛の美しい乳鉢のなかに、狂熱や疼痛や毒薬や苦悩が、悉くに搗き合され、そこから生ずる怖ろしい苦しみといったら、悪魔の処方とでも申すより他はありません。でもこうした黴毒も尼寺には、仕合せをもたらしてくれました。というのはこれに怖れをなした沢山の上臈衆が、尼寺に入る機縁となったからで、愛に対するこの恐怖から、彼女達はすっかり身持が改ったわけです。』とユルシュール尼は首を振り振り言った。
その話を聞いて、あまりの怖ろしい言葉にぞっとしながらも、なおも詳しく知りたくて、尼たちは互に身をすり寄せあった。
『色事に耽るだけで、そうした病苦に罹るものでしょうか?』と尼の一人が云った。
『そうですとも、おお、神様!』とオヴィッド尼は叫んだ。
『その病気を煩っている意気な殿御と、ちょっとでも耽ったが最後、言いようのない烈しい苦しみで、歯はそれぞれ抜け落ちる、髪は一本一本落ちる、紅頬も蒼ざめてくる。睫毛も抜けてゆくといった工合で、身体じゅうの美しい品々と永別するその痛さ辛さと申したら、世にも堪え難い思いがするそうです。それ許りか鼻の先が蜊《ざり》蛄《がに》のように赤くただれる御婦人もありますし、女人のからだの一番に柔かいところを、千もの肢を持った虫けらが、何時もうずうず這い廻って、むしばんでゆくといった風にもなります。ですから法王様も、余儀なくこの種の情事を御破門遊ばされたのです。』とユルシュールは続けた。
『まあ、あたしそんな病気に罹らなくって、本当に仕合せだったわ。』と新入りはしとやかに叫んだ。
この愛の回想を耳にして、尼たちはここな新入りが、「ポワシイの十字架」の温気でもういくらか春を解しているくせに、オヴィッド尼をかついで面白がっていたのではないかと、疑いを発したほどだった。みんなは物の解った陽気なお転婆娘を(事実その通りのお人柄だったが)、一座に加え得たことを喜んだ。何故尼寺に入れさせられたのかと訳を問われて、新入りは答えた。
『ああ、妾は既に法礼を受けてた大きな蚤に、からだを咬ませたためなのです。』
この言葉にドレミハのラ女史は、第二のおとしものをよう怺えることが出来なかった。
『まあ、あんたは第三発は控えなくちゃいけませんわ。唱歌隊にいてそんなとりはずしなぞして御覧なさい。ペトロニィユ尼のような減食を、尼公から仰せ付けられますよ。ちっとは御自分の楽器に、制音栓でもあてがいなさいよ。』とオヴィッド尼は言った。
『ペトロニィユ尼の生前を御存じだったそうですが、神様のお蔭であの方は、年に二度しか勘《せつ》定《ちん》場に行く世話がなかったというのは、本当でしょうか?』とユルシュール尼が訊ねた。
『本当ですとも。』とオヴィッド尼は答えた。『一度なんかこんなことがありましたよ。晩から蹲んで朝祷の始まるまで埒があかないもので、《神様の思召しで妾は此処にいてよいのだろう。》とあの方は思っていたところ、と、どうでしょう、あの方に勤行を欠かせまいとして、朝祷の第一節目に、ひょっこり神様は安産させて下さったのですって。けれど亡くなった院主さまは、神様の御眼はそんなに低いところまでは及ばないと申して、天の特別な寵遇ゆえの押し出しではないと、これを言っておりましたわ。さて肝腎の話はこうです。ペトロニィユ尼を聖者の列に加えようと、法王庁へ教団から請願して、もう認可料さえ払えば片附くだけになったのですが、いったいがあの方は、聖者暦へ御自分の名を記載されたいという大望をかねて抱かれ、――ええ、もううちの教団にとっては、決して害にならない大望ですけれど、毎日祈祷に日を暮し、野に面した側の聖母様の祭壇の前で法悦にひたり、天国で天使の舞うのが、はっきり聞えると申して、天の楽の音の譜を写したくらいです。アドレムスの聖歌は、その譜から作られたことは、誰方も御存じでしょうけど、まったく地上の人間だったら、その一節だって創れぬような摩訶不可思議な曲ですわ。何日も何日も眼を星のように凝らしてあの方は断食めさり、たまに摂る食べ物といったら妾の眼の玉に入るくらいの僅かな品ばかり。肉ときたら生でも煮ても、金輪際食べぬ誓いを立てられ、普段の日はけちなパンの一片れ、特別の大祭日だけおまけとして塩魚をちょっぴり、それもソースもつけずに召上っていたのです。こんな食餌なのでおそろしく痩せ衰え、サフランの花より黄色くなり、墓場の骨のようにかさかさになりました。根が熱烈な体質の人だけに、猶さらのことです。なにしろその熱っぽさといったら、あの方を摩擦する幸運に恵まれた殿御がもしあったとしたら、火打石のようにあの方から火を打出すことも、出来たかも知れないと思われるほどでした。しかしいくら食べ物はすくなくても、幸か不幸かわたしたちが多少なりと、始末しなくてはならない凡聖一如の弱身から、あの方もすっかり免れるという訳には行きませんでした。まったくもしそれがなかったら、さだめしわたしたちは、荷厄介な思いをさせられたことでしょう。それは何かと云うと、食べた後で、あらゆる獣物たちと同じように、われわれ人間もそれぞれの人柄に応じて、しとやかな或は無骨なしろものを、体外にこむさく排泄せねばならぬことです。ところがペトロニィユ尼のは人と異って、硬い乾いた剛張りうんこで、臓腑を通って来た代物とは到底思えぬくらい、堅くこちこちしていました。まるで森の小径でひょっと踏んづける恋鹿の糞のようで、それのことを猟界の言葉では《結びっ玉》と云ってますね。しかしペトロニィユ尼のは別に超自然というほどの訳合のものではなかったのです。というのは断食のために、あの方の身体加減が永続的に沸騰しきっていたからで、先輩の尼さんたちの話だと、燃え立つような体質だったあの方を、いちど水に入れたところが、真赤な石炭のようにジュッといったそうです。また断食の厳しさに耐えかねて、あの方は夜分、両足趾のあいだで、卵をこっそり体熱でうでて食べたなどと、蔭口を言う尼さんもあるくらいです。
しかしそれらは他の尼寺から嫉まれるほど、奇特神妙をきわめたあの方の自性清浄を、穢そうとする中傷の言辞にしか過ぎません。ペトロニィユ尼の発菩提心を導き、解脱への導師となられたのは、巴里のサン〓ジェルマン・デ・プレの阿闍梨ですが、この和尚はきまって説教の終りに、すべては神様のお計いに依ることだから、われわれの苦しみ悩みは、悉く神様にお捧げ申し、その思召しに従わなくてはならぬと言うのが十《お》八《は》番《こ》でした。ちょっと聞くと、尤も至極のような御談義ですが、これが大変な諍論の的となりまして、正直その通りだとすると、罪業などは一切消滅してしまって、教会の収入《みいり》もとんと寡くなると、シヤチョン枢機官猊下がこれに反駁なさいましたので、とうとう邪説として、退けられてしまいました。けれどペトロニィユ尼は、師説の物騒なことも御存じがなく、あくまで心服いたしておりました。四旬斉も過ぎ、復活大祭の断食日も終えたある日のことです。八ケ月もお通じがなく過ぎたペトロニィユ尼に、黄金部屋へ赴きたいという要求が萌しましたもので、蹲《つくば》いに参りました。そしてスカートをしとやかに捲って、われわれ哀れな咎人が、やや度数繁く行うところのあの心構えと身恰好に移りました。ところがいくらあの方が息張っても、どうにか一物の始まりを泄しただけで、のぶとい後続分子は、なむさん貯蔵所を出たがらないのです。唇をひんまげ眉根を寄せ身体じゅうのバネを圧搾しても、お客はあの方の浄い体内にのこりたいらしく、大気を吸いに首を出した蛙のように、天然の窓からちょっと頭を突出した儘で、穢土の谷に落ちて他の不浄無明の衆と打ち交る定業では御座ないと申し、あくまでその六根清浄を言い張るのでしたが、なんと一介の糞虫にしては見上げた志ではありませんか。それで聖女は喇《らつ》叭《ぱ》筋を極度にはり拡げるとか、やせた顔面神経を外に突っ張らすまで膨らかすとか、ありとあらゆる強圧手段を講じましたが、世にまたとない難儀を覚えるばかりで、ついに肛門括約筋苦患の最高潮に達する困迫に陥って、到頭あの方は《おお神様、あなたさまにこれをお捧げ申します!》と呻き声で叫びました。と、この祈祷文句と同時に、化石のような堅物は、孔の入口でポキリと二つに折れて、まるで小石のようにコロ、コロ、コロコロ、パチャンと雪隠溜の壁にぶつかりながら落ちてゆきました。あの方に尻拭き紙の世話がなかったことが、これでお解りになったでしょう。後の臓物は鞘納めして第《オ》八《ク》日《タ》目《ヴ》まで延ばしましたとさ。』
『本当に天使たちを御覧になったのかしら?』と一人の尼は訊ねた。
『天使にもお尻があるものでしょうか?』と他の一人は聞いた。
『ありませんとも。御存じじゃなかったの。いつか集りの席で神様が、天使たちに坐ってもよろしいと仰有ると、天使たちは、でもお臀が御座いませんものと、答えたというじゃありませんか。』とユルシュールは云った。
そして尼さんたちは別れ別れに床に就いた。一人で、または殆ど一体をなして。悪いことは自分に対してだけしかしない彼女たちは、世に神妙な善女だったのでごある。
上述したように宗教改革が尼寺の大掃除を行い、尼僧たち悉くを無熱天の聖女に矯正いたした砌り、ポワシイに起った一椿事を述べることなしに、吾儕は筆を擱く訳には参らぬ。当時巴里の本山に、生仏のような殊勝な聖《ひじり》がひとり御座った。己れのしたことを鉦太鼓で触れ廻らず、貧しい人や悩める者の面倒をあくまでも見て、やさしい仁慈の念から彼等を済度し、気の毒な人のためにはわれを忘れて尽し、あらゆる苦患を探し求めては、その場合場合に応じて、言葉でなり、救済でなり、心づくしでなり、金銭でなり癒してやって、富者の災難にも貧者の難渋にも同じく馳せつけて、その魂を慰めつくろい、神の御許に戻すといった天晴れ利生の大徳ぶりで、信徒の羊を愛護するまこと世にも有難い牧羊者であった。この高僧はその仏身の形《うつ》骸《せみ》が、どうにか覆われてさえいれば結構という性分で、法衣や僧袍や下帯などは、いとも無頓著に着こなしておられた。無信者をさえ難儀な目から救おうとして、自分の身の質入れさえ辞せぬほどに、上人には情深かったのである。だから身の廻り一式を召使たちが始末して進ぜねばならなかった。しかし彼のぼろ着物を、頼まれもせずに新しいのと着換えさせたりしようものなら、あべこべにお小言をくうこと屡々で、それというのは最極限まで着物を補綴させることが、彼の慣いだったからである。
さて故ポワシイ殿には飲み啖い打つの三拍子で、遺留分まで蕩尽いたし、一人娘に鐚一文のこさずあの世に赴かれてしまったが、高僧にはこの事をよくと御存じであった。令嬢は冬は火もなく、夏は桜ん坊もなく、陋巷に起居して賃仕事に励み、賤しいやからとの結婚も、また貞操を売ることも、あえて肯んじようとはなさらなかった。高僧はよい婿金を彼女に世話してやれるまで、彼の古ぼけた猿又なぞを、婿どののもぬけのからの代用品として、繕いをば頼んでおったが、赤貧洗うが如き令嬢は、快くこれを引受けておられた。
さてある日のこと、大司教猊下にはポワシイの尼寺に赴いて、改革された比丘尼たちを監察して参ろうと胸の裡に思いながら、補綴工作を緊急とする彼の猿又の一番ぼろぼろのやつを下男に渡して、『サントオ、これをポワシイの娘さんに届けて来ておくれ。』と申された。もちろんポワシイ嬢のことを指したのであるが、尼寺を政道することばかりを考えておられたもので、こっそり困窮の身を庇ってやっておった令嬢の棲家を、下男に教えるのをすっかり忘れてしまわれた。
鶺鴒のように陽気にサントオは、阿闍梨の猿又をかかえて、ポワシイへの道をとり、途中で友達に逢って話し込んだり、居酒屋で一杯ひっかけたりして、大司教の猿又にいろいろ俗事を見せつけたので、すっかりこの道行で猿又は俗世間の物知りになったくらいだった。さて、ポワシイの尼寺に着いた下男は、尼公に主人からことづかった代物を持参して参った旨を告げて、恭しく僧形の禁欲的部分のなりかたちを、当時の流儀でくっきりと像《かたど》った外被と、永遠の父がその天使達に授けはぐったもの、しかもわが僧官にあっては、その豊偉さにおいて、決して恥かしからぬものの形像《メマージユ》を、尼公にのこして下男は立去った。尼公は尼たちに大司教直々の到来物の話をしたので、栗の毬がその共和国内に落ちた蟻どものように、いそいそと好奇の念に燃えて、尼たちは集まって参られた。ところが真中がパクリと開いたズボン下が、なかから現われたもので、尼たちはたちまち金切声を揚げて、片手で両眼を覆ってしまわれた。悪魔がそこから飛び出しはせぬかと懸念いたしたからである。尼公も慌てて『みなさん、早く顔を隠して下さい。これは致命《モルタル》の咎の棲処です。』と叫ばれた。
指のあいだからこわごわ窺い見た尼公は、この猿又のなかには、生きたけものなぞ宿ってはおらないと、アヴェ・マリアにかけて誓って見せられたので、聖女一統はたちまち勇気づき、陽物被覆衣《アビタヴイツト》を《〈1〉》とっくりと眺めて、思い思いに顔赧らめられたが、何かこれという訓戒か福音の譬話でも、そこに見出せという大司教の有難い思召しに違いないと一同は考えた。これらいとも敬虔な娘っ子たちは、とんだものを見て心に若干の衝撃は覚えながらも、臓腑の顫えも物ともせずに、この深淵の底に聖水をふりかけつつ、或は手で触れてみたり、或は穴に指を突込んでみたりして、勇を鼓して一同まじまじと物怪顔で思い思い眺め出した。なにがさて最初の騒ぎが鎮まってから、尼公は落着いた声音でこう申した。
『いったいどういう御了簡かしら。女人の堕落を仕遂げる代物を送って寄越されるなんて、長老さまのお気が知れない。』
『悪魔の頭陀袋を見る許しを得たのは、あたしこれで十五年振りだわ。』
『黙っていて頂戴、どう処置してよいか、うまく考えられないじゃないの。』
そこで有難い大司教猊下のズボン下を、裏返したり、引っ繰り返したり、嗅いだり、重味を計ったり、とみこうみしたり、引っ張ったり、伸ばしたり、畳んだり、畳み返したり、逆様にしたりして、一同は僉議し諮り沈思に耽り夢にみること一昼夜にも及んだが、翌日、一唱句と二答唱をぬかした朝祷を唄い終えてのち、尼さんの一人は仲間に言った。
『そうそう。大司教様の譬話が漸くに悟れましたよ。長老は妾達に難行苦行をさせる為に、猿又の繕い物をお授けになったのです。きっとあらゆる悪徳不善の尼御前たる無為閑居を避けよという、浄いおさとしからでしょう。』
大司教のズボン下を誰が繕うかということでまた一悶着があった。結局、尼公がその至大なる権威を揮って、そのつぎはぎ仕事に臨む内省瞑想を、おのがものとすることになり、尼公は副院長と共に、いともへり下って、このズボン下を繕い直し、絹地でつぎを当て、二重に縁取ったりして、十日以上もかかって入念にこれを縫い上げた。そして総員集合を行い、大司教が尼たちの修行を考えて下されたことに、修道院一同感謝の意を表して、立派な贈物をすることを決議いたした。なお阿闍梨の高徳を祝して、悟道受戒のえにしたるこのズボン下に、ほやほやの新入りに至るまでが、みな一針ずつ縫い添えることも可決された。
一方、大司教はいろいろの仕事に取紛れて、猿又のことなぞすっかり忘れてしまっていた。というのはいたって不行跡で、石《うま》女《ずめ》の御内室と死別をいたした宮廷の貴公子が、寝取られ亭主となる心配もなく、立派で丈夫な子宝を、うんとこさ生んでくれるような、信仰心に篤い貞淑な女性を妻に迎えたいが、信頼する御坊に、ひとつとりもっては頂けまいかと申入れて来たからであった。そこで高僧はポワシイ嬢のことを、口をきわめてほめちぎったので、すぐとこの佳人がジュノワック夫人におさまることに話がきまった。婚礼は巴里大司教の館で催され、めでたい華燭の宴が張られて、宮廷の人達や綺羅びやかな上流の夫人たちが列席いたしたが、もとより花嫁の美しさは一際とすぐれ、大司教が太鼓判の請合いのことゆえ、正真正銘のきむすめのほどは、しずくもこれに偽りなしと相定まった。
菓物や砂糖煮やお菓子が、贅美をこらして卓上にならべられた時、サントオが大司教に申した。
『御前様、ポワシイの尼僧たちから、結構な贈物が、本日の呼び物として参っておりまする。』
『それをお出し。』と大司教は云って、金糸や銀糸で刺繍され、ビロードや繻子で綺麗にくるまれた古代の壺のような形をした大きな容物を惚々として眺めた。その蓋からはいうにいわれぬ好い匂いが立ちのぼっていた。
花嫁はすぐとそれを開けた。なかから砂糖菓子やボンボンやケークや菓子パンなど、世にもおいしい御馳走が沢山に出て来たので、上臈衆は大喜びで召上られた。と、なかの一人で、いささか物好きにわたらせられる一信女が、絹かざりでくるまった包み物が、箱の中に残っているのに気づいて、それを引寄せて開けてみられると、現われたのは妹背の羅針盤《コンパス》の羅針箱だったので、大司教はとんと大狼狽に陥られてしまわれた。一座の者悉くが、小銃斉射のような爆笑にと及ばれたからである。
『これが本日の呼び物とはなるほど考えたものだ。尼さんたち、ぞんのほか話がわかるぞ。まったくこれこそ夫婦世帯の砂糖菓子じゃわい。』と花婿どのには申された。
ジュノワックどのの言草こそ、何より結構な訓え事であるから、他のは一切無用と申さねばならん。
(1) Habitavitとは、Habit a vitの意なるべし。
アゼエ城由来記
シモン・フールニエ、通称シモンナンの息子ジャンは、ボーヌの近傍ムーリノ村の出で、トゥールの市民となり、故ルイ十一世の御勘定方に任官いたした折、世の収税請負人たちの真似して、ボーヌという苗字を設けられたが、のち王の厳しい御勘気に触れ、トゥレーヌに息子ジャック《〈1〉》を裸ん坊で残したまま、妻と一緒にラングドックに高飛びをしてしまわれた。残されたジャックは、おのが身体と外套と剣としか、此の世に持合せこそなけれ、下帯に精の抜けた御年寄たちからは、なんと潤《じ》沢《ん》富《ば》強《り》な若者として羨望の的となり、彼また父親を再起させ、己れも宮廷で一旗揚げようとの堅い決意を、あたまの中には抱いておった。(当時、宮廷府はトゥレーヌに移っていた。)朝早く彼は家を出て、鼻だけ風に曝すほか、全身すっぽりとマントにくるまり、腹ぺこで町をうろつき、消化の悪いのをかつて苦に病んだことがなかった。彼は天主堂に入ってその結構さに感心したり、礼拝堂の財産目録を作ったり、宗教画から蠅を追払ったり、円柱を数えたり、まるでそれは時間と金とをもてあましている、のらくら者のような所在なさであった。時とするとお祈りを唱える振りをして、御婦人方に暗黙の御祈祷を捧げたり、立ち際に聖水を灌いで進ぜたり、遠くから後をつけ、この乏少なサーヴィスのお蔭で、何かの冒険に出会し、命を的に立働いて、あわよくば庇護者《パトロン》か、あでやかな情人に恵まれるといった寸法に、事を運びたいなどと願っていた。腰帯にドゥブロン金貨二枚をまきつけていたが、これを大事にすること、おのが肌身以上であった。というのは肌身なら再生するが、金貨はそうはまいらぬからである。なけなしの貯えのうちから、黒パンと萎び林檎の代金をどうにか拈出して、かつがつその日その日の露命を繋ぎ、ロワール川の水を気儘に、しかし手加減をして呑んでいた。こうした慎重賢明な食事規定は、彼の金貨にとって健康的であったのみならず、グレイハウンドのように彼を俊敏軽捷にきたえ、且つは頭脳を明快に、心をあつく保たせた。故をいかにとならば、ゆらいロワール川の水は、あらゆるシロップのなかで最も熱高めの精分に富んでおるからで、というのも源をはるか遠くに発し、トゥールに注ぐ迄に、多くの岸を流れて、温められて来るためである。かくてこの貧しい若鹿は、千一つの幸運と、千載一遇の邂逅とを心だのみにしておったが、それが現実化するには、ほんのちょっとのことでよろしかったのである。ああ、何たる好き御時世でありしか!
ある晩、ジャック・ド・ボーヌは、(彼はボーヌの領主でもないくせに、斯く僭称していた。)河岸っぷちを散歩しながら、おのが運勢や其他すべてを呪いに呪っていた。最後の金貨一枚が失敬とも云わずに、彼から逃げ出しそうな顔つきをしておったからである。と、彼は小さな路次の曲り角で、ヴェールをかけた御婦人と、危く衝突をしはぐった。女人特有のえもいわれぬ匂い風が、つんと彼の鼻を衝いた。可愛らしい小沓をすんなりと穿き、繻子で裏打ちされた広袖のついた伊太利ビロードの高雅な衣裳《ローブ》を、この散歩女はまとっておったが、権門豪家の女人である証拠には、額髪につけたかなり大きな白ダイヤが、折からの夕日に〓くのがヴェール越しに見えた。腰元が三時間もかかって編み、撫でつけ、綺麗に分けたと思われる髪は、うるわしく結ってあった。輿でしか歩かぬ人のような歩き振りをし、武装いかめしい扈従がひとりつきそっていた。どうやら高位の人の想いものか、あるいは宮廷の上臈か、褄のとり工合といい、尻を軽く捻る調子といい、並や普通《つうず》の女の身ごなしではなかった。上臈にせよ愛妾にせよ、とまれその女人はいたくジャックの気に適った。彼はそっぽを向くどころか、何とかして死ぬまでこの女人に、かじりついてみたいと無法な考えを起し、一旦そう思い定めるや、飽く迄この女人の後をば逐って、何処へ彼を導いてゆくか。天国へか或は地獄の冥界にか、獄門柱へか或は愛の隠り巣へか、とことんまで見届けたいものと思った。悲惨のどん底にいた彼にとっては、すべてが希望であったからである。
婦人はロワール川の上流プレシスの方へ、河沿いにぶらぶらしながら、鯉のように川水の爽かな快さを呼吸し、あらゆるものを見たり味わったりしたがる小鼠の如く、〓々としてしょこしょこ歩を運んでいた。ジャックがしつこく婦人の一挙一動を追い、その立止まる度に自分も足をとめて、よしないその遊び振りを、まるで特別のお許しでも頂戴したように、あつかましくじろじろ眺め廻すのを扈従は気づくと、とうとう屹となってジャックを振り返り、『下れ、こいつめ!』と犬のような横柄な権《けん》輿《によ》もない顔をしてみせた。しかしジャックにもそれ相応の理由はあったのである。法王様のお通りを、犬が見て差支えないものならば、ちゃんと洗礼を受けている彼ジャックが、美しい女子を眺めて悪い法があろうか。そんな訳でジャックは前に進み、扈従ににっこり装い顔をして見せ、かの婦人の前か後ろを、気取って悠々と歩いた次第である。婦人は何にも言わず、夜の寝帽を冠っている夕空を見上げたり、星や何かを眺めたりして、気のつきをば晴らしていた。なにがさて万事は幸先よく行った。
そのうちポルチョンの対岸に来ると、婦人は立止って、目に邪魔なヴェールを、肩の上に脱ぎしなに、ジャックの方をきらっと見られたが、それは追剥ぎの危険があるかどうか、確かめようとする用心深い御内儀の眼差であった。しかしジャックはみなさま御存じの通り、良人三人前の働きが出来る美丈夫であり、姫君の傍らに並べても、一向に恥かしからぬ男振りで、上臈衆のお気に召す勇しく凜々しい風〓をばそなえられていた。ただし戸外を出歩いてばかりいたので、いささか陽に〓けてはいたが、寝台のとばりの中でなら、白い肌色に見えたに違いはあるまい。この婦人がジャックに投げた、鰻のように滑っこい眼差は、弥撒の本に投げる彼女の眼差よりも、さらに生々とした、人を鼓舞するものがあるように、彼には合点せられた。それでこの一瞥から、ジャックは恋の棚牡丹の期待をかけ、今宵の冒険をスカートの際まで推し進め、それから先は、何を賭しても突貫しようと決心いたした。しからば何を賭したかと仰有るか。いのちでは御座らぬ。彼は元来がいのちにさしたる執着などあろうか。さればいのちより大事なもの、つまり彼の二つの耳袋と、それよりかもっと大事な、あのあれをさえ賭したのでごある。
ジャックは婦人の後を追って町の中に入った。トロワ・ピュセル街を通って、小路の錯綜したあたりを、現今クルウジルの館がある辻広場に何時しか達した。と、そこの豪勢な建物の玄関に彼女は立留った。扈従が門を叩くと、下僕が開けに来て、婦人は中へ入り、門はそのままに閉ってしまった。取残されたジャックは、己が首を拾う才覚も出ぬ前のサン・ドニどののように、ぽかんと呆気にとられ、うつけ者よろしく突立った。彼は鼻を空に向けて、おめぐみの滴でも形身に落ちて来はせぬかと見上げたが、階段を上り、部屋部屋を通り、上臈のお居間らしい立派な窓のところに、ぴたりととまった明りの他には、何一つ見ることを得なかった。可哀想に彼はむやくやした夢心地で、そこに立ちつくしたまま、さてどうしてよいやら算段もつかなかった。と、俄かに窓が軋ったので、彼の幻想は破られた。かの婦人が呼ぶのかと思って、彼はまた鼻をあげた。窓のところの扶壁が、冑のように彼のあたまを庇ってくれなかったら、ざんぶり冷たい小便水を浴び、溲瓶の頭上落下を免れなかったことだろう。瓶の把手だけが、ジャックに水をぶっかけようとした先方の手に残ったのだった。ジャックはこれを好い幸いにして、塀の下側にことさら倒れながら、『人殺しだ!』と絶え入るような声で叫び、瓶の破片の中に死んだ如くに横たわって、結果いかにと待つことにいたした。
館の召使たちは大騒ぎをし、女あるじに早速と手落を詫び、恐縮して門をあけに来て、ジャックを館うちに運び入れたが、階段を運ばれて行く途中、ジャックはおのずと泛ぶ北叟笑みを、禁ずることが出来なかった。
『冷たくなってるぞ。』と扈従が言った。
『血だらけだ。』と給仕頭は言った。ジャックの身体を触った時、彼の手がしとどに濡れたからである。
『もし生き返ってくれたら、サン・ガチアンのお寺にお礼の弥撒を上げるよ。』と当の犯人はほえづらをかいた。
『マダムは亡くなられたお父君の御気象そっくりであられる。貴殿が絞罪を免れるとしても、所詮このお家は放逐され、職を解かれるは必定だろう。……慥かに死んでるぞ。いやに重いもの。』と他の一人は言った。
『はて、何様かお偉い御婦人のお屋敷に運ばれたのだな。』とジャックは考えた。
『ねえ、死臭がするようかい。』と加害者は言った。
やっとの思いで、ジャックを階段に引上げてゆく途中、手摺の出っぱりにジャックの胴着が引っ掛ったので、『おい、胴着が大変だ!』と、この死人はうっかり喋った。
『占めた、呻いたぞ。』加害者は安堵の吐息をついた。――摂政の宮の家令達は、――この屋形は淑徳高き故ルイ十一世の御嫡女、アンヌ・ド・ボオジュ《〈2〉》のお館であった。――ジャックをひと部屋に担ぎ込み、テーブルの上にどさりと置いたが、助かるものとは思っておらなかった。
『外科の侍医を呼んでたも。お前はあちら、其方はこちらの用……』と摂政の姫宮には仰せられた。南無とも云いきらぬ僅かのうちに、家令たちはそれぞれ階段を降りて行った。女摂政は腰元たちに、塗薬や繃帯や罨法に使う水などを取りにつかわされ、座におひとりとなられた。彼女は気絶している美丈夫をみそなわし、その凜々しさや死んでもなお美しい顔ばせを御歎賞のあまり、口に出してかく申された。
『ああ、神様が妾をお叱りめされたのじゃ。一生のうちたった一度、それもほんのつかの間、妾の本性の奥で邪念がめざめ、魔につかれはぐったのを、守り神様がお忿りあそばされ、生を享けてこのかたついぞ見たこともないような、この美しい殿方を、妾からお奪いになったのじゃ。ああ、神様、妾はこの殿方を亡きものにした者どもを、絞首刑もて処断いたすことを、亡き父王の御霊にかけて誓いまする。』
『マダム!』と摂政の足下に横たわっていたジャックは、床から跳ね上って声をかけた。『私はあなたさまにお仕えいたさんが為に生き返ります。怪我なんかなんのこれしき……今夜只いまからでも、異教のさむらいヘルクレスどのに倣って、一年のうちにある月の数ほども、あなたさまに悦楽をお約束申すことが、ちゃっと出来るくらいにてござりまする。(事を巧く運ぶために、すこしは嘘をつく方がよいと考えて、ジャックは更にこう附け加えた。)実はもう三週間も以前から、あなたさまをお慕い申すのあまり、何度遠くからこっそりお姿を拝したことでしょう。けれどあまりにもやんごとない御身分ゆえ、あなたさまの前に進み出ることが、どうしても能わなかったのでございます。なれどあなたさまの高貴なお美しさに酔ったあまり、御みあしの下に跪く果報を得んものと、今宵のこの策略を考え出しましたような次第で。』
そう言って彼は、熱情をこめて摂政の姫宮の御足に接吻いたし、あらゆるものを魅了せずんばやまぬ涼しい眼差で、じっと王女を見詰められた。王妃をも憚らぬ「年」の作用で、当時摂政の姫宮には、何れも様も知らるる如く、御婦人の第二の青春期にあらせられた。この堪え難い更年期の危機にあっては、元来が身持正しく情夫も持ったことのない女人と雖も、神を除くあらゆるものに知れぬように、あちこちで恋のうまし夜の撮み喰いを遊ばしたいと、渇望せられるのが習いである。というのは御存じのあの格別なことを、ろくすっぽ味わずに、手や心や何もかもからっぽのまま、あの世に行ってしまうのでは、とても浮ばれぬとけなりがられるからである。で、わが摂政の宮におかせられても、王家の方々は何でもものを、ダースで入手するのに慣れておられるので、この青年の一ダースの美快という約束を聞召しても、さまで吃驚した面持は見せられなかったが、野心満々のこの言葉を、あたまの奥か、又は彼の言葉にいちはやく燃え出した恋の帳簿に、ずんとお控えになられた。そしてジャックに、立ち上るようお命じになられた。窮場の裡にあったが、ジャックはなお摂政にほほえみかける勇気は持っておった。摂政には半靴のような御耳をそなえられ、病める猫さながらの御肌色で、古ぼけた薔薇の如き御威厳を持しておられたが、なんせよ身なりがよく、丈も立派で、足腰もゆたやかに、お臀も敏活ときていたので、ジャックが口を滑らした約束を遂げさするのに、与って力ある未知の指導力を、彼は逆境に陥りながらもマダムの裡に、見出すことが出来たのでごあった。
『其方は何者じゃ?』と先王の癖だった厳しい口調で、摂政には訊ねられた。
『ジャック・ド・ボーヌと申す忠良な臣下の一人にござりまして、その忠勤にも拘らず先王の忌諱に触れました御勘定方ジャンが嫡男であります。』
『さようか。横にまたおなり、誰か来たようじゃ。其許の相棒になって、躬がこの狂言に加わっておると、召使どもに気どられては拙い。』
摂政のおやさしい声音で、ジャックはだいそれた彼の恋が、優渥にも御嘉納に相成ったことを悟った。それで彼は再びテーブルの上に臥して、かつては古い鐙を踏んまえて宮廷を乗り廻し、立身の緒をひらいた殿《〈3〉》もあったことを思い出し、この考えは彼の果報と彼を、巧く相容れさせたのであった。
『もう結構、何も要らぬ。』と摂政の君は腰元たちに申された。『ここな仁には恢復せられた模様じゃ。躬の館で不祥事が起らなんだことは、ひとえに上天の神とマリア様の御加護によるものであろう。』
そう宣せられて摂政には、天から舞い落ちて来た情人の頭髪へ御手を差入れられ、次いで罨法の水で彼の顳〓をこすり、病人を楽にいたしてやるという御口実のもとに、胴着の釦をはずして、検証に立会の書記以上にもはっきりと、悦楽約束人たるこの精悍な若者の肌膚が、いかに柔く若若しいかをみそなわせられた。座にいた家隷も腰元も、やんごとなき摂政が親しく御介抱の御手を、かく差伸べさせられるのを見て、呆気にとられ申した。しかし王家の方々たりと雖も、仁慈がふさわしからざる筈とてはない。ジャックは起き上って、我に返った振りをし、恭しく摂政君にお礼を言上いたして、すっかり元の身体に本復つかまつったと申し、医師刀圭などの黒衣の仁に引取って戴き、ついでその名を名乗り、摂政宮に御挨拶申してから引下ろうといたした。父の失寵から、姫君の御前を怖れるかのような風であったが、実は先刻の高言に、いささか不安を覚えたせいでもあろう。
『下ることはかなわぬ。妾の屋形に参った者が、其許の如き取扱いを受けてなろうか。これ、ボーヌ殿に晩餐の支度をせい。(彼女は大膳職にそう命じた。)客人に狼藉を働いた者は、今すぐ名乗って出れば、処分の儀はボーヌ殿次第じゃ。犯人が見当らぬとあれば、奉行に命じて飽くまで糾明の上、縊り首といたすぞよ。』
言下に、先程の御散策にお供をした扈従が名乗って出た。
『マダム、この者にはむしろ宥免と感謝と引出物を、つかわしてやって頂きたく存じまする。この者のお蔭で私儀は、あなたさまに拝顔の栄に浴し、且つ御陪食の御沙汰まで賜わり、なおまた先王よりお目かけられし原職に、父が復帰し得るやも知れぬ機会をまで、与えられましてござりまするゆえに。』
『よくぞ申した。デストゥトヴィル、――彼女は扈従の方に向き直って仰せられた。――其方は弓大将に取立てて遣わそう。されど二度と再び、窓より物は投げまいぞ。』
そう仰有って、ジャックに魅せられ給うた摂政には、彼に御手を差伸べられ、お部屋に親しく御案内遊ばされた。そこで二人は食事の支度を待ちながら款談にと移った。席上ジャックはその才学のほどを披瀝いたし、父の潔白を申立て、摂政君の受けをよくするよう大いに努めた。摂政君は人も知る如く、御政道筋も父王そっくりで、速断即決であらせられた。かくひとがましい懇談に耽りながらも、ジャックは摂政君と共臥しの儀は、憚りながらむずかしかろうと内心では考えておった。猫の祝言のごと、人家の屋根の雨樋の中で、耽るような塩梅式に済ます訳には、かつふつ参らぬではごあらぬか。なにがさてあの怖ろしい十二どりの首尾を引受けずに、準女王とお近附きになれたことが嬉しかった。いくらなんでも事をものするには、侍女や家隷を先ず遠ざけて、名誉を守る必要があったからである。しかし摂政宮が何か策でもめぐらされることをいささか懸念いたし、(この俺にそんな芸当が出来るかしらん)と、時折りわれとわが心に訊ねてみた、ところが摂政宮におかせられても、ジャックとお言葉を交させられながらも、同じことを考えておられたのである。姫君には従来やはりこれと同じような難境を、幾度か巧みに埒を明けて、もってうぜられたことがあった。それで秘書官をお召しに相成った。(この仁は政道に適切な機略を備えた出頭第一の才人であった)。王女は食事中こっそり偽手紙を持参して参るよう、該秘書官にお命じになられた。愈々膳部が運ばれて参ったが、摂政の君にはあまり御手をつけさせられなかった。心臓がスポンジのように膨れて胃を圧したからで、それほどこの好ましい若殿のことばかりお考え続けで、彼にしか食慾があらせられなかったのである。然しジャックは、各種の理由からしてさかんにぱくつき食悦いたした。とやかくするうち例の特使が信書をもたらして参った。と、摂政には御機嫌俄かにあしくなられ、故王のなされたように眉を顰めて申されるには、『この国には泰平の折は一刻もないのか。何ということじゃ。おちおち一晩も寛いで食事ができぬとはのう。』そう仰有って立ち上りざま、部屋うちを歩まれた。『これ、馬の仕度をしや。別当のヴィエイユヴィルはあるか。おお、そうじゃ、ピカルデイに参って不在じゃな。デストゥトヴィル、其方アンボワズのわらわの城に家の子どもを引き連れて参りゃれ。……(と、ジャックのいるのに気附かれた振りで)……ボーヌどの、卒爾ながら別当の代理をお頼み申す。仕官いたしたいげにござったが、よい機会じゃ。さあ、参ろう。不満の徒を平げねばならぬゆえ、忠義の士がずんと必要なのじゃ。』
乞食がお有難うと百度繰返すほどの僅かの間に、乗馬の手綱も腹帯も準備が整い、摂政は馬上に、ジャックはその傍らに従って、護衛の兵を後に控え、急遽アンボワズのお城にと疾駆いたした。
さて手短かに、何の註釈も須いず要点のみを申し上げることにいたそう。ジャックは穿鑿ずきの下人達の眼を遁れて、摂政からまさしく十二尋《トワーズ》ほど離れて、お城に宿ることと相成った。廷臣や家隷はひどく吃驚して、何処から敵が攻めて来るのかと、互に尋ね合ったりしたが、言質をとられた「十二」之助にあっては、敵の正体はよくとこれを存じておったのである。女摂政にはペロンヌの城のように、難攻不落で通っており、そのお堅くあられることは、国中の評判だったゆえ、今宵の仕儀もべつに怪しまれずに済んだ。
消灯の時刻となり、耳も眼もすべて鎖され、城は沈黙にと陥った。摂政はお傍の腰元を退けられて、ジャックをお召しになられた。彼は早速に伺候つかまつった。高い煖炉の棚の蔭、ビロードのふかふかした腰掛に、二人はならんで腰を卸した。好奇の念に燃えられた姫宮は、すぐとジャックに甘たるい声音で、御下問になられた。
『傷はどうじゃ。妾の下人に不調法されたばかりの優しい従者を、十二哩も走らせて済まなんだのう。それが気になって、休む前に御身に問おうと召寄せた次第じゃが、べつに悩みはせぬかや?』
『はい、悩みは待ち遠しさだけにござりまする。』と一ダース高言者は言った。この場合、不承顔をしてはならぬと考えたからである。『先刻のやつがれが不所存、お許しなされ下さりまするか。』
『したが、そちが先程申したること、よもや嘘ではあるまいのう?』
『はっ、何で御座りまする?』
『其方が十二度もそれ、その……躬が教会やその他へ赴いた都度、後を慕ったということじゃ。』
『まさしく左様に御座りまする。』
『勇気の程が顔立ちにまで、まざまざ現われおる其許の如き若き、剛勇の士を、今日になって初めてわらわが気づいたとは、われながらどうもげせぬわ。したが其方を亡き者と思った折、躬が口走ったことを、そちも耳にせられた筈、あれはしんぞ嘘ではない。其方は妾の意に適い申した。何かよいことをそなたに授けとらせたいものじゃ。』
かくて魔性の生贄の時を告げる鐘は鳴りそめた。ジャックは摂政宮の膝下に身を投げて、足や手やその他なにもかもに(但しこれは下世話の取沙汰だが、)接吻をつかまつった。そして接吻しながら活動開始の準備をいたし、国家の重任を担っておるほどの女人なら、ちっとは気晴しをする権利が慥かにござることを、よもの論証をもちいて、君主たる婦徳の姥桜に証明をいたした。咎目は総てジャックに塗りつけようと、表向きは強いられてしたようにするお積りの王女には、そうした論結をおとなしくお認めにはならなかった。そのくせ姫君にはあらかじめ蘭麝の香りをふんだんに身に焚きしめられて、なまめいた身支度に及び、一儀の欲望に全身満ち輝き、嗜慾にてらてらしたその色艶は、恰ら極上の紅白粉を、肌に刷いたようなもたせぶりがごあった。摂政は脆い防禦をほんの体裁にせられた。が彼の突撃に一たまりもなく、小娘のようにやすやすと王室用寝台へ運び込まれ、ここに上臈と十二之助はむんずとばかり合歓めされたのである。そして二人は戯れから喧嘩に、喧嘩から取組合いに、取組合いから組んずほぐれつに、また糸から針にと及んだる次第であるが、摂政君には、ジャックの約束した一ダースより、聖母マリア様の処女性の方が、まそっと信ぜられると御意あらせられた。ところが何とした加減か、夜具の間の摂政宮が、ジャックにはさほどの御年配にも相見えなかった。夜のランプの光りでは、すべてが変形して見えるものだからで、昼間は五十の大年増でも、夜分には二十の出花に化け、正午には二十の娘っ子でも、深夜には百の娑さんとなることも屡々でごある。左様な訳でジャックは、かかる遭遇に、絞罪日の王様よりも有頂天になって、改めて一ダースの賭けをば申入れた。摂政宮も内心はいささか驚かれたが、敢えて援助を惜しまぬ旨をお約束あそばされ、もしもこの合戦に、彼女が一敗地に塗れんか、騎士に、その父の赦免とともに、アゼエ・ル・ブリュウレの王領地に諸権利を添えて、知行としてとらせるという賭けに及ばれた。さるによりこの孝行息子は独り心にこう呟いた。《これは父親復権の分だ! これは封土の分だ! これは藩内財産売買税の分だ! これはアゼエの森の分だ! これは漁猟権の分だ! これはアンドル川の川中島の分だ! これは牧場の分だ! これは親父の辛苦して求めたカルトの地の差押え解除の分だ! これは宮中の官職の分だ!》――
さしたる困難支障もなく済《なし》崩《くず》しで此処まで賦払いいたした折、賭したる事の成否は彼の下帯の威厳に関する一大事であり、またフランスを下にふんまえている以上、はれやれ事は王冠の栄誉にもかかわると考えた。で、かいつまんで申せば、彼は守り神たるジャック上人どのに祈誓して、大願成就の暁にはアゼエの地に、礼拝堂を建立つかまつるという悲願をこめ、摂政君に対する臣従の契りとして、十一の明るい、澄んだ、清らかな、戞然たる婉曲語法《ベリフラアズ》を奉った。下がかったこの語法のどんじりの後口上として、最後の十二番目のやつは、アゼエの領主がその君主に奉る大名御取立ての礼物として、摂政のおめざの際に、たっぷりとお捧げ申そうと、僭越にも考えて取残しておくことにいたした。考えは成程天晴千万だったが、しかし物には阿〓あり、それ肉体の力たるや、へとへとに疲れると、さながら馬のようなその性根をあらわにし、一度ぶっ倒れたとなると、死ぬほど鞭打たれてもいっかな動こうとせず、その弾倉に充填が済み、立ちたい気が起るまでは、横になってしまうものである。それで暁方になって、アゼエ城の軽砲がルイ十一世の内親王に対し、皇礼砲を放とうと試みた折、いくら祝砲をぶっ放そうとしても、王者同志の儀礼砲、つまり火薬だけの空砲しか、彼には発射出来ぬのであった。それで摂政君には御起床の後、朝餐をともにしたためられながら、正統のアゼエの領主と自称するジャックが言葉尻を捕えて、不十分なるこの一儀に言及せられ、賭けに勝たなかったゆえ、領主ではないと逆襲あらせられた。
『これはしたり、九分九厘まで仕遂げたでは御座りませぬか。したが本件は、畏れながらあなたさまにもまた拙者にも、判定すべき筋合いのものでは御座りませぬ。元来が封土の問題なるに依り、御前会議にかけられるのが至当かと存ぜられます。アゼエの封土が、王領直轄地より切離されるかどうかの場合で御座いませんか。』
『おやおや。』と摂政君には笑いながら仰せられた。彼女にはまことに珍らしい所作である。『では本件を御前会議の席上、躬の名誉を傷つけることなく、其方に陳ずることが出来たなら、ヴィエイユヴィルの後任として、躬の館に召し抱え、父御の勅勘も穏便にすませ、且つアゼエの領土を御辺に与えて、宮廷府の官職に陞すといたそう。但し一言でも妾の婦徳を傷つけるに於ては、其時は……。』
『其時は絞り首も苦しゅうは御座りません。』事を笑いに紛らかそうとして、「十二」之助はさように申した。慳《けん》とした摂政のお顔に、ちょっと怒気が浮んでおったからである。
実のところ摂政君には、甘いみそかごとの一ダースより、王威の方を遥かにお心にかけられておられた。財布の紐を解かずに、楽しい一夜を過されたと思召しておられた女君には、ジャックが今後また実際に捧げようとする新規の一ダースより、一件のむずかしい説明の方に、より御興趣を寄せられたため、従って濡事などは俄かに御軽視あそばされたゆえんである。
『さるに於ては拙者、疑いもなくあなたさまの家臣と相成れましょう。』
摂政の補弼に任じておった軍官の重臣の面々は、王女の御動揺とその俄かな御出立に驚き、なにやつの騒乱なるかたしかめようと、急遽アンボワズのお城に参集いたし、王女の御起床を待って、御前会議を開くべく待ち構えておった。やがて摂政には一同をお召しに相成った。重臣一同を欺いたなどとの疑いを受けまいが為、摂政には好い加減な議案をあてがわれたが、重臣ら額を集めて慎重凝議にと及んだ。会議が終るや、新規召抱えの廷臣ジャック殿が紹介され、立ち上った重臣連にこの大胆な若者は、彼自身及び王領に関聯した係争の審議方を要請つかまつった。
『この者の申すことを聞いてくりゃれ。本当の事じゃ。』と摂政宮にも口を添えられた。
そこでジャックはいかめしい座の儀容にもいっかな怯じず、ほぼ次のように申し立てられた。
『御重臣の皆々様、私の申し上げまするは胡桃の殻のことに過ぎませぬが、卑近な言辞とお蔑みにならず、何とぞ最後まで御清聴の程を煩したく存じまする。さる貴族が友人の貴族と、果樹園を逍遥しておりましたるところ、図らずも美しい天成の胡桃の木が生えておるのが目にとまりました。その木はがっちり成熟しきって、ちょっと空洞のところもありますが、見て美しく、珍重の価値は十分にございますし、その果実にも常住渝らぬ新しみがあって、味も結構なら、いくら食っても倦きの来ないという代物です。神様に依って禁ぜられ、われらの母エーヴとその御亭主アダムどのが追放を蒙る因となった、あの善悪不二の木にも似た、愛の胡桃の木とそれを申してもよろしいでございましょう。で、皆々様、この胡桃が二貴族の間で、ちょっとした悶着の種となり、友達同志がよくやる面白い賭けの一つにあいなったのでございます。即ち若い貴族はこう法螺を吹きました――こんもり繁った胡桃の木の間に、竿を十二度突き入れて、各突き毎に胡桃の実を地上に落してみせるがどうだ。――彼はちょうど一管の竿を携えておったのです。われわれの誰もが、おのが果樹園を散歩する時、それぞれ帯びてゆくあれです。マダム、本件の核心はこの点と存じまするが?』とジャックはちょっと摂政宮の方に向き直ってお伺いを立てた。
『左様じゃ、諸卿、傾聴!』と摂政はジャックの単刀直入にはらはらしながら仰せられた。
『ところが相手の貴族は、それと反対を賭けました。そこで我が竿つかいは、練達と勇武を以て竿を繰り出し、そのあじな巧みさに双方さながら酔ったものの如くにございました。この様をみそなわして、興ぜられたに違いない上人様たちの粋な御加護に依り、竿の各突き毎に、胡桃の実が落ちて、地上にまさしく十二個相並びました。ところが偶然にも、最後に落ちた胡桃の実は、なかが空っぽで、庭師がそれを地面に植えましても、胡桃の芽生えるべき種の果肉が、ちっとも含まれておりませんでした。で、如何にございましょう、竿使いの貴族の勝ちといたして、宜しゅうございましょうか、この儀、皆々様の御裁決を仰ぎとう存じまする。』
『それ程簡単にして明瞭なことは御座ない。相手のなすべきことはただの一つじゃ。』と時の内大臣でトゥレーヌ人であったアダン・フュメ殿は申された。
『してそれは何じゃ?』と摂政には訊ねられた。
『賭けを払うことでは御座りませぬか。』
『其方はあまり利発すぎるようじゃ。何日かは絞り首になろうかも知れぬぞよ。』とジャックの頬を、軽く指弾きなさりながら摂政宮には申された。
冗談のお言葉ではあったが、これが遂には本当の予言となった。後に大蔵大臣に納ったジャックは、王家の寵遇に浴した極み、もうお一方の老女、アングウレム摂政《〈4〉》君の復讐と、彼が取立ててやった秘書で、プレヴォと云うバラン生れの男(これをルネ・ジャンチル《〈5〉》と云っているのは大間違いである。)の明白な裏切りに依り、モンフォコンの刑場で絞首刑に処せられたからである。人の噂ではこの裏切り秘書が、アングウレム摂政太妃に、己れが預かっているジャックの会計簿をこっそり手交いたしたためとのことである。当時ジャックはサンブランセエ男爵となり、カルト、及びアゼエの領主におさまり、国の重職の一人となっていた。彼の二子のうち、一人はトゥールの大司教、一人は大蔵卿兼トゥレーヌ州知事となった。しかしそれらはこの物語の本筋ではない。
さてわが好漢の若き日の冒険譚だが、遅蒔きながら愛の快《ボオ》美《ジウ》を得られたボオジウ摂政君には、かりそめの情人の公事に対する図抜けた智慧才覚に、いたく御満足あらせられて、彼を王室蓄財係に命ぜられたが、彼の敏腕よろしきを得て、十二分に御内帑金も豊かになり、ために一躍してその財政的手腕の名も上って、遂には大蔵大臣として国の財政を賄うことになり、恙く職務を果すとともに、彼自身も相当の利得を得た。(怪しからぬというがものは、ないではござらぬか。)おやさしい摂政には賭けをお払いになって、アゼエ・ル・ブリュウレの藩領をお下げ渡しに相成った。(アゼエの城はそれよりもずっと前に、トゥレーヌに侵入した初期砲撃兵の為に、壊滅しておったことは誰方も御存じであろう。この火薬の奇蹟に対し、これら攻撃の砲兵どもは、司教会の宗教裁判で、悪魔の幇助者及び異端の徒として、国王の御干渉がもしなかったならば、有罪の決定を受けたに違いなかった。)
ちょうどその頃、大蔵卿のボイエ殿の肝煎りで、シュノンソオの城が築かれたが、これはシエル河に跨った珍奇で優雅な水殿雲廊であった。サンブランセエ男爵はボイエ殿の向うを張って、アゼエ城の土台をアンドル河の底に築こうと力まれた。杭の上によほどしっかりと設けられたと見え、それは今でも緑の美しい谷のなかの宝玉のように、ちゃんと残っている。領民の賦役は別として、ジャックは三万エキュほどをお城の御普請に費した。美しいトゥレーヌに於ても、この城などは最も美しい、みやびな、愛くるしい、凝ったお城の一つで、離れ屋や、薄紗の窓や、兵隊はみんなそうだが、風のまにまに廻る風見についた、可愛らしい兵隊人形などに飾られて、公侯の想い者といった優姿を、今も昔に変らずアンドルの河波に洗わせている。が、この城が完成する前に、サンブランセエは絞罪に処せられ、その後このお城を仕上げようという奇特な金持は一人も見当らない。
ジャックの御主君であるフランソワ一世には、嘗てこの城に行幸めされて、客人になられたことがあり、今でも王のお休みになったお部屋はちゃんと残っている。王はジャックの白髪をめでて、「おやじ」と呼んで目をかけられておられたが、ちょうど王が御寝遊ばそうとすると、十二時が鏘然と鳴ったので、王はジャックに、
『おやじ、いま鳴ったのは十二時のようじゃな。』と申された。
『はい、今はもう古時計となりましたが、これでもむかしは十二時をちょうど今時分、威勢よく打ちましたお蔭で、私はこの領地も、この城郭普請の雑《ぞう》用《よう》も、我が君に仕え奉る只今の果報も、すべて得られたので御座いまする。』
ジャックのこの奇妙な言葉に、いたく王は御不審がられたので、お寝間のお伽噺に、ジャックはみなさん御存じのこのお話を申し上げた。こういった風の意気なお噺を、殊のほかお好み遊ばされておられた国王には、いと面白の物語としてこれを御歎賞に相成り、ちょうどその頃、母君のアングウレム公妃が人生の返り咲きをして、ブルボン元帥《〈6〉》から例の一ダースのうちの若干をせしめようと、頻りに追い廻しておられた際だったので、ジャックのこの物語と思い合せて、王には一段と打興ぜられたる次第である。王の母君のこの一件は、悪性な女の邪恋とでも申そうか、ために王国は危殆に瀕し、王は捕虜となり、さっき述べたように、可哀想にサンブランセエも死刑に遭うような目に陥ったのである。
如何にしてアゼエの城が建てられたかを、吾儕がここに物語った仔細は、サンブランセエの隆運、かく始まりしこと、蔽うべくもない千古不磨の真実だからで、それに彼は生れ故郷の町を飾るために尽瘁したところも大きく、大寺院の塔の建立には、莫大の金子を喜捨されてもいる。この面白い物語は、アゼエ・ル・リデルに於ては、父から子へ、領主から領主へと言い伝え語り継がれ、恭しく今日まで遺されているお城の王の寝室のカーテンの下で、今なおこの話は跳ね廻っている。さればこのトゥールの「十二」之助を、独逸のさる騎士の振舞として、ハプスブルク家に墺太利の領地を、この伝を以て附与いたしたとなす説は、嘘中の嘘でごある。東羅馬帝国賞勲局の書類にも、このような手段に依る獲得に就いては、一言も書いておらぬゆえ、かかる謬説を世に弘めた現時の文人は、その博識にも拘らず、何処ぞの編年史記者に、一杯くわされたに違いはない。ビールで養われた一物如きが、かのラブレエ大人がさしも嘆賞いたしおるシノン地方の一物ほどの、錬金術的栄誉に及べるなどと、ちょろり思い込まれた文士の浅墓さに対し、吾儕また愍然たらざるを得ない。されば吾儕はわしが国さの名誉のため、アゼエのほまれのため、アゼエ城の良心のため、ソーヴ家やノワールムウチェ家の宗家たるボーヌ家の名声のため、掛値のないその真相を、真実と歴史と雅趣の裡に、ここに再建いたしたる次第である。もし御婦人方にしてアゼエの城を見に行かれるとなら、今なおその地に、一ダース氏を数多く見出されるであろうが、しかし当今はダース売りはせず、専らちびりちびりの小売だけのようじゃ。
(1) ジャック・ド・サンブランセエ(一四五七―一五二七)フランソワ一世の下で財政の衝に当り剛直を以て聞えた。のち公金費消の濡衣を受けモンフォコンで絞首刑となる。
(2) ボオジュ(アンヌ・ド・フランス)(一四六〇―一五二二)ルイ十一世長女、一四七四年ボオジュに嫁す。一四八三年より九年間、弟シャルル八世幼少のためフランス摂政となる。その娘スザンヌはブルボン元帥に嫁ぐ。
(3) 老齢の貴婦人(古い鐙)を騎乗膝下にして宮廷に立身したる一例に、ルイ十二世御母堂と婚したるジャン・ド・ラボダンジュあり。
(4) アングウレム摂政太妃(ルイーズ・ド・サヴォワ)(一四七六―一五三一)フランソワ一世の御母堂、摂政となる。姻戚たるブルボン元帥と遺産上の問題から犬猿の仲となる。
(5) ルネ・ジャンチル サンブランセエの敵手だった財政家、後に同じく財政問題にからみ絞首された。
(6) ブルボン元帥(一四九〇―一五二七)マリニヤン戦役に大功あり。ルイーズ・ド・サヴォワと反目し伊太利に亡命祖国に叛旗を飜えす。ローマ攻囲戦に討死した。
一夜妻
国王シャルル六世の弟君オルレアン公が非命の最期を遂げられた事の真相に就いては、未だにもって詳かではない。公の横死をめぐって行われている数々の推測のうち、次の物語に於て語るところも、その一つである。
色好みにかけては、およそ余人に後れを取らぬわれわれフランス粋士の持前や短所を、さながらに移したように、享楽三昧の限りを尽された親王摂家のお歴々が、フランス国王として生前しろしめし給うた聖ルイ王の御一家御一統のなかにも、数多くとあらせられて、鬼のいない地獄など想像出来ぬ如く、これら名代の常犯の王様や御世子を抜きにしては、フランスの国が思い泛べられぬほどだが、なかでもその途方途轍もない御乱行振りにかけて、わがオルレアン公の右に出るものはけだしあるまい。
従って「親父のころは総じて人だねがよかったものだ!」などいう泣哲学の糞虫や、「人間はひたすらに向上しつつあるわい。」とか抜かす笑い上戸の腐儒どもが言い草なぞ、よろしく一笑に附するがよい。これらの手合ときたら牡蠣の翼も小鳥の殻も、どちらがどうとも見分けがつかぬとんだ明盲目どもなのである。惟うにわれわれ人間の振舞うところはその形恰好と同様、太古よりこの方、寸毫も変化いたしてはおらぬのである。されば若いうちは楽しめるだけ楽しみ、飲めるだけ飲んで、涙はこれを一滴でも惜しむがよい。百キログラムの憂鬱も、一オンスの歓楽を、償い難い慣いではないか。
イザボオ王妃最愛の情人として時めいていたオルレアン公は、生来ひとなぶりが巧く、それにアルキビアデスもどきの切れ者で、生粋のフランス気質の好典型であられたが、度外れたその御乱行から、数多の綺譚珍聞が生れている。たとえば女リレーのプランを最初に案出せられたのも、ほかならぬこの公であった。――巴里からボルドオに御下向の砌り、宿場宿場に結構な御馳走と、綺麗な美形をお伽に侍らせた寝床を準備させ、夜を日に継いで、馬から馬へと乗り継ぎ鞍替えてゆかれたのであったが、こうして一生のあいだ、寝ても醒めても鞍上にあり、調息馬乗の伝を心得た鞍ずれの公が、最後も馬上で御落命遊ばすとは、そも何たる男冥加な幸運児であろうか!
わが英邁なるルイ十一世が、ブルゴオニュ宮廷に亡命あそばされていた砌り、勅撰せしめられたかの「新百話《サン・スーヴエル・ヌーヴエル》」のなかに、このオルレアン公の飛拍子もない悪巫山戯の一つが記載されている。当時、国王には晩餐後の御つれづれのあまり、従兄君シャロレイ伯《〈1〉》などと、当時のよもやまの奇聞珍談に打興ぜられ、「新百話」として筆にとどめさせられたが、これという実録談のない折なぞ、廷臣たちは空想を逞しゅうして、作り噺など競って申し上げていた。さすがに王も御一統の御身辺に及ぶ訳合のものは御遠慮遊ばして、オルレアン公とド・カニイ夫人に関した逸話なども、これを下々の女房の話に作り変えさせられ、「メダルの裏」という標題にておさめられた。これは「新百話」のうちでも、ひときわ群を抜いた秀篇の一つで、その巻頭を飾っているから、篤志家は、よろしく就いて読まれたい。それは兎も角として、吾儕の物語の方に移ることにいたそう。
オルレアン公の股肱の臣に、ピカルディの一領主で、ラウル・ドクトンヴィルという御仁があったが、ブルゴオニュ家とは縁続きの大領主の素封家の一令嬢を娶られた。(これがそもそも後年公の憂悶の種とはなったのである。)世間によくある持参金附きの嫁御寮とはこと違い、それはそれは美しく輝いたお方だったので、イザボオ王妃やヴァランチーヌ夫人《〈2〉》をはじめ、宮廷のなみいる美女伉麗もその前に出ては、とんと影薄くなるほどであった。しかもこのドクトンヴィル夫人にあっては、ブルゴオニュ家との縁続き、莫大な持参金、天来の麗質、柔和なお気立てなどのたぐい稀なるめでたさにくわえて、――崇高なまでの純情、うるわしい淑良、清浄そのものの庭訓などから、おのずと射しそうる神々しいばかりの光暉によって、一段とその輝きを増しておられたのであった。
オルレアン公には、天から舞いおりたこの花葩の香りに、俄かに烈しく横恋慕あそばせられ、それからというもの、物思いにお沈み勝ちとなり、あれ程しげしげとお通いになっていた悪所からも、ふっつり足を遠のかれ、独逸生れのイザボオ王妃の、玉の御肌に舌鼓うたれることもおのずと心憂く、ややともすれば杜絶えがちとなり、はては物狂わしくなって、いかにもしてあの臈たけた夫人を、靡かせてなり、妖術でなり、腕ずくでなり、欺いてなり、己が意のまま手折ろうと、心に堅く誓われるのであったが、夜毎にあの形《けい》艶《えん》な夫人の女体が、幻のようにちらつくので、味気ない孤閨の思いを、度重ねられ、はてはわれとわが身が気遣われるまでにいたった。
最初の程は甘言を弄して、執念く夫人に附纏ってはみたものの、飽くまで貞節をたて通そうとする奥方の健気な心ばえを、そのにべもない仕打から、したたか思い知らされねばならなかった。いくら公が口説いても、奥方には従容として、また仇し女のように腹立もせずに、きまって静かにこう答えるのであった。
『公爵さま、わたくしが良人以外の殿方の思召しを、退けとおしておりますは、なにも恋の快楽を軽んじているからでは御座いません。世間の多くの御婦人方が、家も名も身も来世もなにもかも、悔ゆるところなく恋の淵に投げ込んでおられるほどですから、さだめし結構なものがあるのでございましょう。しかしわたくしとしましては、しんじつわが子たちが可愛いからなのでございます。貞節のうちにこそ、女のまことの浄福があるという信念で、娘たちを育て上げるつもりでおりますわたくしは、わが子の前で赤面するようなことは、いたしとう御座いません。青春のあけぼのは短く、残齢のたそがれは長いと申すではありませんか。わたくしたちは長い老いさきのことを考えねばなりませんし、自然の情愛の慥かなことを除けば、すべてはみな束の間のものであると、そうまた幼い時から訓えられ、この世を正しく見さだめよとの庭訓のうちに、人となって参りましたのです。それゆえわたくしは皆様から、とりわけわたしの良人から、尊敬されたいと思っております。良人はわたくしにとって、全世界も同じなので、わたくしは良人の目に、飽くまで貞節な妻と映りたいと望んでいるのです。さあ、これでわたくしの話は終りました。今後はどうかお構い下さらず世帯事にかまけることを、このわたくしに許して下さいまし。さもないと良人にありのまま、一部始終を申し伝えてあなたさまの御許から、身を引くようにいたさなくてはなりませぬ。』
こうした気高い返答は、猶のことオルレアン公の恋慕の炎を煽り立て、遂にはこの貞淑な夫人を、生け捕りが叶わずば、むくろの体でも苦しくはないゆえ、手籠めにいたそうと、さまざまその籠絡の手段に、心を砕くまでになったが、なにさま公は猟という猟のなかで、もっとも快絶な女狩りにかけては、いたって御造詣が深かったので、必ずやいつかは奥方をその爪牙にかけうるものと、深く心に恃むところがあった。ところでこの美しい獲物を拿捕するには、――勢子狩、松明狩、朝狩、夜狩、さては城内、田園、草叢、水辺とありとあらゆる狩場狩倉をたずね追って、地にひそみ天駈ける狩物を、網で、鷹で、槍で、銛で、鉄砲で、囮で、羅《あみ》で、呼子で、法螺で、布罠《くくり》で、鳥黐で、餌食で、陥穽《おとし》で、紐縄でと、いわばアダムが楽園追放以来のことごとくの手立て調略を、これに用いなくてはならず、してその仕留めざまにもさまざまあれど、まずは大概の場合は馬乗りに跨ってである。
奸智にたけたオルレアン公は、下心をひたかくしに隠して、ドクトンヴィル夫人を王妃附侍従に推挙し、或日、イザボオ王妃が病王の御見舞かたがた、ヴァンサンヌに行啓あらせられ、御留守中サン〓ポールの御殿を、オルレアン公にお預けになったのを幸い、公は大膳職に命じて、盛大な饗応の設けをととのえさせ、王妃の御居間に運ぶように命じ、さらに王妃附きの扈従をわざわざ差向けて、つれない夫人をお招き寄せになられた。
ドクトンヴィル伯夫人はこの急なお召しを、お役目柄の御諚か、俄かのお伽のお相手かと心得て、急いで御殿に向われたが、このとき早くも没義道の色魔が手を廻しておったので、一人として夫人に、王妃の御不在を告げるものとてもなかった。
サン〓ポールの御殿に上って、王妃がいつも御寝あそばす隣りの美しいお部屋まで、ドクトンヴィル夫人は足を運ぶと、そこにはオルレアン公唯ひとりいるだけなので、さては何かの奸計かと、不安の念に駆られながら、急ぎお部屋に参ってみたが、王妃のお姿は影かたちもなく、オルレアン公のにくさげな高笑いが、背後から聞えるばかりであった。はっと思って奥方は、慌てて逃げ出そうとせられたが、早くもこの女狩りの達人は、委細も告げず腹心の家隷どもに命じて、各部屋部屋の戸を締めさせ、屋形をすっかり閉ざしておいたので、およそ巴里の四分の一もあろうほど宏大なこの御殿に、幽閉されてしまったドクトンヴィル夫人は、さながら沙漠のただなかに取残されたと同じで、助けといっては、上天の神様と己が守り本尊しかないといった有様であった。恐ろしい数々の懸念に身を戦かせながら、可哀想に夫人は、ばったり椅子の上に倒れた。巧みに仕組まれたこの陥穽のからくりが、オルレアン公のわるごうな笑いで、奥方にはまざまざと解ったのである。近寄ろうとする公の気配に、すっくと立ち上った夫人は、ありったけの呪詛をその眼差にこめながら、先ずは三寸の舌を唯一の武器にして叫んだ。
『わたくし、生きている限りは、むざむざとあなたの餌食にはなりませぬ。公爵様、後日必ずや人の耳に入るような組打に妾を強いて陥し込まないで下さいまし。ただし今のうちなら妾も黙って引下り、御前から受けた終生の汚辱も、良人の耳には入れますまい。――公爵、あなたは女の顔を眺めることばかりせられて、男のそれを見るの余裕がなく、家臣の者の面魂など、すこしも御存じがないのでしょう。忠義一徹のあたしの良人は、あなたさまの為なら、御馬前で討死の覚悟までして、欽慕の的たるあなたさまの鴻恩に篤く感佩いたしておるのです。しかし愛に強い人は、憎しみにも強いと申します。あなたの為に、わたくしが叫び声をあげねばならぬような仕儀に立到ったとしたら、復讐の念に燃えて良人はあなたの頭上に、容赦なく鉄棍の一撃を加えかねぬ稜々たる気骨のひとです。あたしの身を滅ぼし、御自分も生命をお投げ出しになるほどのお覚悟が、出来ておられるのですか? わたくしもまっとうな人妻の常として、身に起った一切の幸も不幸も、良人に隠し立ての出来ぬ性分であることを、よっくお考え遊ばしての上のことですか? さあ、どう遊ばします? この儘わたくしをお戻し下さるか、御返事はいかがです。』
しかし色餓鬼の公には洒々と口笛を吹き出した。それを耳にして奥方は矢庭に王妃の御寝所に駈けこみ、かねて弁えていた場所から、鋭利な懐剣を取り出して、不審気に後をついて来た公に向って、
『そこの境界《さかい》から、一歩でも近寄ったら、わたくしこれで死んでみせます。』と敷居を指さしながら叫んだ。
公爵は悠然と構えて椅子を持ち出し、境界線の端にどっかとそれを据えて、このつれない木石の女ごころをたきつけ、痺れるような悦楽の象喩《イマージユ》で前後のわきまえも失うほど、その理性や心情や肉体をゆさぶって、首尾よく我物にしようと、くどき手独特の甘い優しい口調で、あれこれ魂胆ばなしをならべたのであった。
――いったいが世間の貞女というものは、すこしく貞操を買いかぶり過ぎ、あてにもならぬ未来や後世を空頼みにして、今生の優れて美しい快楽を、等閑にしすぎている。それというのは、良人たちが結婚上の高等政策から、妻たちにめでたい愛の宝石匣を、なるべく開け知らせまいとしているからで、第一それはあまりにも心にまぶし過ぎるばかりか、火のような快美と、こそばゆい肉感をもっているので、女が一度これに堪能すると、家庭や世帯などという冷やかな領域に、棲息出来なくなるからなのだ。世の亭主たちのこうした得手勝手な算段は、甚だもって怪しからぬ次第で、良人たるもの、御内儀のまめやかな身持や、かずかずの勲《いさ》績《おし》にかんがみ、翼を比べ嘴を交わし、鍾愛可愛の情を述べ、恋の美酒、愛の珍庖佳肴、色のままごとさざめごとの悉くに、手をつくし、品をかえてその妻女に饗応すべきであるし、雲を呼び雨を呼ぶ妹背の契りに精をつくし、身を撓め、肝腎を涸らして妻に馳走奔走すべき義務がある筈だ。あなたはまだ御存じがないだろうが、こうした大《お》盤《お》振《も》舞《り》の無上の法悦や桃源郷の浄福を、たとえすこしでも賞翫いたしたとなら、この世のくさぐさのものは、からきし味も素気もなく見えてくるは必定、またもしお望みとなら、この一件に就いては、黄泉の客のように自分は口を緘していようから、決してそこもとの操に傷のつくような醜聞の起る気遣いはない。――
こうオルレアン公は王侯貴人お手のもののやさしい物腰態度で、ぬけぬけと奥方を口説き出したが、夫人が耳を覆おうともしないのを見て、なおもこの色餓鬼は、当時さかんに流行っていた頽唐のアラベスクの絵画もどきに、背徳の淫逸きわまる手立て諸しきを、あれこれ述べ立てた。その眼は妖しく輝き、言葉は焔々と燃え、はては作り声をかいなでて、公は己が情婦の名をひとりひとり並べ立て、そのさまざまな床入りの形儀を囁いては有卦に入り、ついにはイザボオ王妃のやさしい抱擁のさまや、その媚態や嬌艶や調儀までをも、洗いざらい口にしたのであった。
公の熱い熱いその口車に、そぞろ心魂をとろかし、懐剣を握りしめた奥方の柄元も思わずゆるむと見るや、突嗟にオルレアン公は身を挺して近寄ろうといたした。われにもあらずおぞましい春夢に耽らせられたことを自ら恥ずるが如く、ドクトンヴィル夫人は、誘惑の魔の手を伸ばさんとする鰐を、傲然と眺めながらこう云いかぶった。
『公爵様、いろいろと御教示頂きまして、有難う存じます。あなたのお話を伺って、わたくし良人が余計にいとしくなりました。あなたの仰有るような、不仕鱈な魔性女仕込みの淫佚な手立てや、恥知らずの真似をして良人がわたくしの寝所を汚したことは、嘗てありませんゆえ、如何に良人がわたくしを敬い崇めていてくれたか、折角の御前のお話からようく解りました。仰有るような穢らわしい、極道女ごのみの靡爛した泥溜りに、もしわたくしが誤って足を踏み入れでもしたら、永遠にこの身心は穢され、はじしめられることでしょう。あなたには妻と情婦とは別物だということが、いったいお解りにはならないのですか?』
しかしオルレアン公は冷笑を泛べながら答えた。
『そう仰有る口の下から、そなたは良人のラウルを、これからはもうそっと、事に際してきつくお抱き締めになるのに違いないのだ。』
清浄そのもののような夫人は、この雑言に対して、思わず身を慄わせながら叫んだ。
『何という人非人《ひとでなし》でしょう。今こそわたしはあなたを軽蔑します。憎み続けます。まあなんということを仰有る! わたくしの誇りを奪えぬからといって、こちらの魂までも汚そうとなさる! 公爵、あなたのけがらわしい所業は覿面にあなたに報いまするぞ!
よしやわたしは許しても
Si je vous le pardoint,
神はお忘れめさるまい
Dieu ne l'oubliera point.
たしかこの詩は御前のお作の筈でしたわね。』
さすがのオルレアン公も憤怒に蒼ざめて言った。
『マダム、私はそなたを高手小手にいましめさすことも出来るのですぞ。』
『いいえ、その前にあたしは、これで自由の身となってみせます。』と鋭利な懐剣を振り翳しながら奥方は答えた。
奸佞な公爵は冷然と打笑って、
『そう、じたばたなさらぬがよい。おさげすみになる極道女の泥溜りへ、いまに御自分で入るようになるのだから。』
『あたしの息のある限り、そんなことは出来るものですか!』
『いいや、そうなる。必ずそう仕向けてみせる。あなたをまっしぐらにそこへ陥し入れてやる。それその両手、両足ぐるみ、双の象牙の乳房や、雪をあざむく双股ともどもに、――そうだ、そなたのその歯、髪毛、いや、その他の何もかももろともに、きっと押し込んでみせてやる。春心に堪えかねて、われと飛び込んでゆくように細工してやる。鞦《しりがい》を蹴こわす悍馬のように、飛び跳ね、撥ね返って、さんざ乗手をあしらい、へとへとにするように、必ず振舞わせてみせてやる。聖カスチュドにかけて誓ってもよい!』
オルレアン公は口笛を吹いて小姓を呼び、家臣ドクトンヴィルはじめサヴォアジイ、タンネギイ、シピエールなどの連中と、それに豊満な膩肉をした遊び女の幾人かを、ともども晩餐に招くように、夫人の方に眼を釘づけにしたまま、こっそりお命じになられた。
そして十歩ほどの距離をおいて、夫人の許へ戻って来て、再び腰をどっかと卸して言った。
『ラウルは嫉妬深い性質のようだから、いいことをあなたにお教えしよう。この翠帳のうしろには、王妃がいつも用いる蘭麝の香料や華膏が入っているし、またこちらは御婦人方が沐浴やお手水の身づくろいを遊ばす洗面所になっておる。――そう云って彼は傍らの後房を指さした。――儂の従来の経験によると、あなたがた御婦人のおつな口々には、それぞれ特有の匂いがあって、すぐと嗅ぎわけられるから、ラウルが仰有るようなしどもない殺伐な焼餅屋としたら、これら傾城の香料を、忘れずにおもちいになるがよろしかろう。さもないと形勢あやしくなりますぞ。』
『なんと仰有います?』
『いや、いずれ解る時がまいる。わしはそなたを苛めるつもりはない。それどころかそなたを限りなく尊敬し、今日のわしの敗北に就いては、永久に口を緘することを、騎士として誓おう。オルレアン大公爵は宏大な心根ゆえ、女子の軽侮に報ゆるに、天国の鍵を授けて、以て気高い報復を遂げたということを、くれぐれも覚えておいて頂きたい。そなたはただ隣りの部屋で喋られる莫迦話に、耳を傾けてさえいてくだされば結構。ただ御注意までに申し上げるが、御子さんが可愛くば、咳一つせぬよう、息をこらしておられたがよい。――』
王妃の寝室には出口も他になく、窓格子も首一つがやっとの狭さということまで、ぬかりなく調べあげ、袋の鼠とほくそ笑んだオルレアン公は、じっとしているようにと、夫人にくれぐれも念を押してから、部屋の扉をしっかと締め、奥方ひとりを残して立去られた。
陽気な取巻き連中は大急ぎではせつけて来た。卓上の朱銀の器に盛られた山海の珍味や、同じく銀の酒壺に入った芳醇の美酒が、煌々とした灯火の下に、贅をつくして並べ立てられた。
主人役のオルレアン公が先ず口を切った。
『さあさあ、席についてくれ給え。あまり退屈で堪らないから、ひとつ貴公らを呼んでむかし式に、無礼講でみんなで飲んで食って騒ぎたいと思ったのだ。ギリシャ人やローマ人は、プリアプスやバッカスの角《つの》神に祈祷文句《パーテル・ノステル》を唱えながら、さかんにお神酒を戴いたというじゃないか。この我輩の長い経験を以てしても、どこに接吻してよいやら迷うくらいの、三ところに素晴しい口を持った美しい女鴉どもを、食後のお相手にちゃんとお次に控えさせておいたから、今夜は二重の大々祭日という寸法だ。さあ、どしどしやってくれ。』
この賑かな開会の辞に、一座は手を打って喜び、いかにも公らしい御趣向といって喝采したが、ただひとりラウル・ドクトンヴィルは公の御前に進んで、
『殿、戦さごとならこの身を抛ってでも、犬馬の労をつくしましょうが、スカート合戦の方は平に御容赦願いたく存じます。打打発止の太刀打なら敢えて人後には落ちぬ積りでおりますが、酒と鎬を削ることは、いたって不調法な拙者です。一座の諸君は、いずれも独り身の方々のようですが、私にはその日その日の行状をつつみなく打明けるのを常としている愛妻が、家に待っておりますのです。』
『では同じ女房持ちのこの儂にも、すこしは慎しめとでも申すのか?』
『いえ、とんでもない。御前と拙者とでは身分が違います。殿は殿の御流儀で御随意に遊ばしませ。』
この立派な言葉が、囹圄の裡なる夫人の心を、いかに熱くまた冷たくしたか、およそ想像に難くあるまい。『まあラウル、なんて健気なこと!』と思わず夫人も呟いたほどであった。
『うむ、天晴れな言葉じゃ。だから儂は貴公が好きなのだ、ラウル。忠義一徹の御身には、わしども悪童ばらはみんな頭が上らないくらいだ。――と三人の家臣を眺めながら、オルレアン公は言った。――が、ラウル、まあ坐れ。儂が選りすぐった飛切りの別嬪たちがやって参ったら、お前だけ先に恋女房の許に帰るがよい。こうなればすっかり言うが、儂は貴公を女房の味しか知らぬ木念仁と憐んで、実はこの隣りの部屋に女《レ》護《ス》ケ《ボ》島《ス》の女王、それこそありとある秘戯閨事に巧みな生菩薩を、世話しようと待たせておいたのだ。色道の風流をさまで味わった覚えもなく、常始終戦さのことばかり夢みている猪武者の御辺に、一生にせめて一度なりと、巫山雲雨の奇夢の神秘きわまる驚異に、目を〓らせてやりたいと思ったからだ。この儂の麾下の臣ともあろうものが、女子衆への奥勤めが拙いとあっては、われわれ一門の名折れだからなあ。』
この御諚にドクトンヴィルも、さすがに公の手前、我慢できるだけ我慢いたそうと座に戻った。
たちまちあたり憚らぬ哄笑だの、興に乗った色咄だの、聞くに堪えぬ床談義などで座は賑わい立った。例によって次から次へと、とんだ品定めや濡事やら、惚気話がぶちまけられて、各自最愛の女人を除いたあらゆる女人が、容赦なく俎上にのぼされて、色の諸分やその独特な手立てまでもが、あけすけにさらけ出されたのであった。酒壺が減るに従って、ますますけしからぬ好色咄が増えて行った。全遺産が舞い込んだ人のように有卦に入った公は、一座をますます嗾かけようとして、本当のことを言わせるために、わざと自分で嘘をついたりしたので、一座の面々は御馳走の方へは刻み足になり、酒壺の方へは駈け足になり、猥談の方へは韋駄天走りとなった。
それらを耳にして、顔の赧らむのを覚えたが、次第にドクトンヴィルは反撥の念の薄らぐのを、如何とも為し得なかった。堅人で通った彼ではあったが、不知不識のうちに好きごころが萌し、情慾の炎が燃え始めて、祈祷をさかんに唱えつつも、煩悩の虜となってゆく僧侶のように、猥らわしい座の温柔な空気のうちに、蕩々と捲き込まれて行ったのである。
忿怒と鬱憤の捌口を、ひそかに求めていたオルレアン公は、それと見るや冗談半分のように、ラウルに云った。
『なあ、ラウル、聖カスチュドにかけて誓ってもいい。儂達は御覧の通りみな断金の契りの間柄だ。この場を離れたら、一切他言無用のことは申す迄もない。――さあ、隣室へ足を運んでみたらどうだ。御辺の御台所には金輪際儂達は口を噤んでいることにする。まったくのところ、儂はおぬしに天上界の法悦を味わわせて進ぜたいのだ。ここに――そう言ってドクトンヴィル夫人の隠れている部屋の扉を叩いた。――宮廷きっての麗人で、王妃のお友達のさる女性が控えておるが、これが三界にまたとないヴィーナスの女僧ときている。いかな娼婦も私窩子《ふんばり》も蹴転《けごろ》も、売女《ばいた》も、はては婬〓《じごく》も、高等内侍も、彼女には三舎を避けるだろう。天国が合《ねや》歓《ごと》に酔い痴れ、地上が交合にたわぶれ、植物もつるめば動物もさかるといった、森羅万象ことごとく春機づいた折に、生れおちたのがこの御婦人だ。寝所を祭壇と心得てるその道の豪の者だが、ちらりお姿を拝しても、声音を洩れ聞いても、すぐにそれと知れる名のある上臈衆ゆえ、愛の叫びのほかは口にもせぬし、眼は焔々と情炎に燃え上っているから、明りの要もないだろう。繁みで不意を襲われた野獣よりも素早い身のくねりと動作で、雄弁に物を言うから、それと言葉の必要もあるまい。ただし名だたる悍馬だから、しっかと鬣に取附いて跨っていないと、梁《うつばり》材までも眺ねとばされ貴公の背柱に松脂がついていたら、天井に貼りつけられるぞ。鐙ふんばりくれぐれも鞍を外さぬ用心が肝要だ。なんせよ当の相手は、四六時ちゅう羽根蒲団にくるまって、淫欲の火を燃し続け、絶えず殿方を漁り求めているという名代の代物だ。貴公も知ってるだろうが、あのジャックの若殿も、この女人のために蒼ん坊となり、たった一と春で、骨の髄まで噛み破られたという話だ。鈴口を鳴らし秘楽の神火をとぼして行ずるこの女僧とのお祭りのためなら、いかな男も未来の幸福の三分の一を、欣んで投げ出すことだろう。それに一度その味を知ったが最後、第二夜をともにするためには、「永遠」悉くを捧げても、ゆめ悔いないに相違はあるまい。』
『しかし自然に合するといった同じ式のことを、結局はするのに、甚しいなんの違いが、そこにあるというのでしょう?』とラウルは訊ねた。
『わっは、は、は……』と一座の者は笑い出した。そして酒の勢いと公の目くばせにけしかけられて、一同は叫びどよめき、ざわめきたって、舌なめずりしながら、ここを先途といかがわしい色の諸《しよ》分《わけ》を述べ立てだした。純真な女書生が隣室にいるとも知らず、これら酔狂の極道どもは、恥も外聞も酒壺に溺らせて、煖炉や羽目板や鏡板に彫られた無心の彫像でさえも、思わず真赧になるくらいの猥ら話を、声高に語り始めたのである。オルレアン公もそれに拍車をかけて、あの翠帳紅閨のうちなる女人は、エロスの女王で、常始終淫逸な手立てに思いを馳せ、ぬくぬくやんわりとした新手を、毎晩のように考案するのを無上の楽しみといたしている色好みの姫御前だと、しきりにラウルを唆かした。こうした誘いの言葉に刺戟され、酒に酔った勢いにまぎれて、ラウルはオルレアン公に肩を押されるまま、魔につかれたもののように、ついうかうかと隣室に進み入ってしまった。かくオルレアン公は、生か死か、いずれかの業物の穂さきを受けねばならぬ羽目に、ドクトンヴィル夫人を陥れたのであった。
その真夜中頃、ドクトンヴィルは貞淑な妻を欺いた後の悔恨を覚えながらも、隣室から恐悦のていで戻って参った。ラウルより先に家に戻れるようにと、オルレアン公が庭の小径づたいにドクトンヴィル夫人を裏門に送って行ったが、夫人は門をくぐりながら公の耳に囁いた。
『今宵の仕儀は、あたしたち三人の身に、きっと由々しく報いてくるでしょう。』
それから一年後、オルレアン公の許を去ってジャン・ド・ブルゴオニュ《〈2〉》の麾下となったラウル・ドクトンヴィルが、タンプル古街道の路上で、率先して王弟オルレアン公の頭上に鎚《つち》矛《ほこ》の一撃を加え、その場に公を倒したことは天下周知の通りである。
その同じ年、ドクトンヴィル夫人は、大気を奪われた花か、虻に蝕まれた花朶のように、凋れきって死んで行った。心優しい良人は、ペロンヌの僧院なる妻の墓標の大理石に、次のような碑銘を刻ませた。
ここに
ベルト・ド・ブルゴオニュねむる
きよくうるわしき
内室として
ラウル・ドクトンヴィル卿に添いぬ
さあれ、深くな歎きそ
そが芳魂
天国に蘇りて咲き匂えればなり
于時 睦月十一日
我主御出世より千四百八年
行年 二十二歳
愁歎きわまりなき
良人と二児に先立ちて
†
この墓碑銘は美しい羅甸語で記されたのを、大方の便宜のため、茲に仏蘭西語に訳出いたした次第であるが、「うるわしき」というFormosaの訳語は、「眉目かたちよろし」の原語の意から、やや弱い感じがせぬでもない。
「荒胆《サン・ブウル》」と云われたブルゴオニュ公は、ドクトンヴィル卿の今わの際に、こころの奥深く秘め通して来た卿のこの懊悩と痛恨の打明け咄を聞かれて、斯道には縁遠い荒武者の公も、その後一月あまりというもの、かの墓銘の蔭に伏在した痛ましい悲劇を想起なされて、深い憂愁に鎖されておられた。公には従兄にあたるオルレアン公の犯したかずかずの罪業のうち、この地上のものならぬ浄い美しいまごころを、むざむざと邪悪に突落し、清純な二つの魂を互いに涜しあわせたこの奸佞さ一つを取上げても、オルレアン公を再び殺し直してもあきたらぬと、ブルゴオニュ公はよく人に語られ、オルレアン公の書斎に、遊女売女どもの肖像画と交って、理不尽にも掛けられていたおのが妻の肖像画のことやら《〈4〉》、このドクトンヴィル夫人の身の上のことを思って、長いこと沈思に耽られるのが屡々だったという。
シャロレイ伯の物語ったこの話はあまりに惨忍なので、後にルイ十一世となられた世子殿下には、大伯父にあたるオルレアン公や、公の子息で嘗てはお仲間であったデュノワ卿なぞに、さすがに御遠慮遊ばされ、これを「新百話」のうちにおさめて世の明るみに出すことを厭われ、祐筆に命じてその悉くを削除なされたということである。
しかしオルレアン公のこの怖ろしいまでの奸智や報復は兎に角としても、わがドクトンヴィル夫人の淑やかな美しい心ばえと、そこに湛えられた一抹の悒愁美に、深く心搏たれた吾儕は、これをこの「コント・ドロラティク」からも省くには忍びなかった。何卒ドクトンヴィル夫人に免じて、ひらに大方の御寛恕を得たい。なおオルレアン公に下った正しい天罰にも拘らず、その後数多の内乱が国内に勃発したが、決然立ったルイ十一世の雄図により、一刀両断、悉くそれらは制圧せられたのである。
さてこの物語は、フランスに限らず何処に於ても、如何なる事件の裏にも女性が伏在していることを明証するとともに、己れが蒔いた愚かなる種は、遅かれ早かれ、当の己れが刈らねばならぬことを、訓えているのである。
(1) シャロレイ(シャルル・ル・テメレール)(一四三三―七七)ブルゴオニュ最後の大公、後年ルイ十一世と角逐す。
(2) ヴァランチーヌ夫人(一三七〇―一四〇八)ミラノのヴィスコンチ家の出、オルレアン公妃、貞女を以て聞ゆ。詩人公子シャルル・ドルレアンの母。
(3) ジャン・ド・ブルゴオニュ。ブルゴオニュ大公、荒胆の渾名あり。(1)のシャロレイの祖父、宿敵オルレアン公を倒しシャルル七世と覇を争う。
(4) プラントーム「艶婦伝」第六章に依ると、オルレアン公はその関係した女人の肖像画を、書斎にあまた掲げて、自慢していたが、そのなかにブルゴオニュ公夫人の肖像画も交っていたのが、良人のブルゴオニュ公の目にとまり、嫉妬の念からオルレアン公を暗殺せしめ、且つ妻をも毒害したということになっている。
おぼこ同志
われらが栄ある国王となられたアンジュ公のモンコントゥル《〈1〉》における戦捷を祝されて、トゥレーヌの武辺者モンコントゥル殿には、ヴウヴレエの城を造営せられたが、さんぬる戦いに、殿は異端のやからをあまた誅伐せられ、なにがさて赫々たる武勲をあげられたので、モンコントゥルの呼名を帯びることをば許された次第でごあった。さて、老殿には二子ござって、ともに敬虔な旧教徒だったが、長子は宮廷でも極めて羽振りを利かしておられた。サン・バルテレミイの日と定められた虐殺のたくらみの前に、媾和が一旦は成立したもので、老殿には居城にと戻られたが、(その城ももとより今日のような壮麗さはなかった。)そこで長子がヴィルキエ《〈2〉》殿の為に、決闘で果敢なくなったという悲報に接せられ、折節アンボワズ家の男系のさる姫君との間に、嘉辰吉日を期しての良縁がまとまっておった際とて、猶のこと父殿には悲歎に沈まれた。殿が望みをかけておられた悉皆のわが家の果報も、家門の隆盛も、思いがけぬこの無慙の夭折のため、あったら水泡に帰してしまわれたからである。
かねて殿には、さような目論見からして、次子を僧籍に入れ、道心堅固で評判のさる高僧の許に預け、行末はすぐれた枢機官にという高邁な野心を抱かれておったので、当の次子も極めて沙門らしい厳しい躾けをば受けておった。すなわち法性無漏の高僧には先ず以てその新発意を不法監禁いたし、あたまのなかに悪い草が生えぬようにと、おのが独房に一緒に寝起きして監督し、なべて僧侶たるものは、まさにしかあるべきことながら、魂の純白と真の悔悛の裡に、雛僧を薫育めされたので、この青道心は馬齢十九を数えながらも、神の愛以外の愛を知らず、天使の性以外の他の性を存じなかった。尤も天使はわれわれのような肉で出来たものを持たれぬゆえ、いとも清浄無垢に御辛抱が出来るわけだが、もしそうでなかったら、きっと彼等とてさかんにそれを用いられたに違いなく、常に浄いお小姓を座右に持ちたがっておられる天上の王様も、その点を何よりも御懸念なされたかして、まったく巧いことを遊ばしたものだ。何故なら天使諸公はわれわれのように、居酒屋で喇叭呑みも出来ぬし、淫売宿で掘り起しも出来ぬから、しぜん神様も神性なサーヴィスを受けられる訳で、おもうにそれも当然至極と申さねばならぬ。なぜなら神様は万物のあるじじゃもの。
さて事がぐりはまに相成ったモンコントゥル殿は、次子を僧坊から召出し、宗門の緋衣の代りに、緋縅の鎧や真紅の位袍を着せようと思いつかれ、さらに長子との婚約がすっかりできていた姫君を、次子に添わす手立てをも考えつかれたが、これは至妙至極の名案であって、納所坊主よろしく制欲でくるまれ、克己によろわれた次男坊だけに、はやもう上臈衆に荒らされ損われ頽された総領の甚六どのに添うよりは、嫁御としても遥かに仕合せだし、いちえんよくかしずかれもしようというものじゃ。
羊のように温順に仕込まれた還俗の青道心は、父の聖なる意思に従って、女房とはどんなものかも知らず、いや、それどころかもっと険呑なことには、乙女っ子とはいかなものかも弁えずに、嫁取沙汰を承諾いたした。争う新旧両宗派の反目や乱闘のため、帰郷を阻まれて、このおぼこなること天下無類という律儀まったい童貞息子が、モンコントゥルの城に戻ってまいったのは、偶然にも婚礼の前日だったが、トゥールの大司教から、兄の許婚者との婚礼特免状は、もう既に購ってごあった。
さてここに花嫁御寮の人となりに就いて、一言御披露に及ぶ要があるだろう。彼女の母親アンボワズ夫人は、早くから良人と死別し、巴里城砦の所司代ブラグロンニュ殿のお館に身を寄せ、一方所司代の奥方は奥方で、リニエール殿と同棲いたし、これらの事柄は当代での大きな醜聞となっておった。然し当時は誰もが眼のなかに梁《うつばり》を持っていたので、他人の眼のなかの垂《たる》木《き》を見て、兎や角いうこともおりなかった。さればいずくの家庭でも、御時世柄、隣人の振舞に目をくれることなく、それぞれに堕獄の道を、或は緩歩、或は早足、多くは疾駆、僅かに速歩と、急勾配の地獄街道への足取りもまちまちに、おのおの歩みつつあったのである。それゆえ自堕落が幅を利かせておったこの時代にあっては、悪魔は天手古舞の大繁昌で、「有徳」などという古風にして貧相なる奥方は、慄えながらどこへやら御避難遊ばし、はしばしで操正しい御婦人方の御相伴をして、細々と露命を繋いでおったに過ぎぬのである。
名門アンボワズ家には、ショオモンの後室がなお生き残っておられた。この法性歴々たる烈女は、恃むに足る婦徳の権化ともいいつべき老嫗で、この名家のあらゆる宗教心と貴族精神は、ひとり彼女の裡ふかく隠遁しておったと云ってよかったが、花嫁御たるべき姫君を、十の年からその膝下に引取って養育めされたので、母者人アンボワズ夫人には何の気苦労もなく、思うさま放埒に耽ることが出来、毎年その地に宮廷が移った折に、年に一回、娘に会いに立寄るだけであった。こうしたよそよそしい母心の隔意にも拘らず、アンボワズ夫人は娘の祝儀に招かれ、情夫の所司代も、つきあいの広いモンコントゥル殿の知己だった関係で、同じく招待を受けた。しかしたのもしずくな後室どのには、癪な坐骨神経痛と持病の加答児、自由の利かぬ足腰との為に晴れの盛儀につらなれぬのを、いたくじゅつながられておった。美しい娘が美しくあり得る限り精一杯に美しいこのおぼこ娘を、宮廷や世間の危難のもなかへ投ずることを、後室はげしゅう憂えておられたが、かといってまた、そこへ飛び立たせぬ訳にも参らなかった。それで晩祷の度に後室の幸運を祈って、弥撒や祈願をたくさんに上げるという堅い約束を、くれぐれも花嫁にさせた。婿殿はかねて後室と眤懇の例の高僧に薫陶された、半ば聖徒のような円満な君子人というので、降って湧いた婿殿肩代りの一件も、べつに何の支障もなく運んだし、その老いの杖を手離すにも、後室はやや心安堵を覚えられた。泪とともに接吻しながら、奥方衆が嫁御に与える最後の訓誨、――姑御前を敬うべきこと、良人に対して諸事服従いたすべきことなど、有徳な後室には懇々と花嫁にさとされた。ショオモン家の貴族や従僕や侍女や腰元に導かれて、花嫁の一行は法王使の行列のような立派な供廻りで着到し、かくして挙式の前日、花婿花嫁ともどもお城にめでたく参集いたしたのである。
モンコントゥル殿の辱知、ブロワの司教の唱える弥撒で、黄道吉日に祝言もお城で滞りなく済んで、賑かな酒盛や舞踊や遊宴が、朝方まで続けられた。トゥレーヌの慣わし通り、夜の十二時前に花嫁は附添婦に連れられて寝所にと引取った。一方、気の毒にも花婿は、花嫁の許に渡るのを妨げられ、さんざんな駄洒落でからかわれて足留めをくらったが、いかいうつけの婿君には、何の御了簡もなく、これに相槌を打っておられた。見かねられた老殿には、悪ふざけや嘲弄のなかに割って入られ、息子殿に素意が達せられるよう計らわれた。漸くのこと花婿は、花嫁の寝間にと参られたが、そこに見出したものは、常々跪いて足下から恭しくお祈りを誦えた、イタリアやフランドルなどの名画に描かれた聖母マリア様より、一段と美しい艶女でごあったが、こんなにちょろりと良人になってしまっているのに、内心いたく当惑気味であったことは、何れも様方、とくと御推もじに相成られよう。そのゆえは、花婿どのには何かの勤めを、手早く片附けねばならぬことは、薄々と承知しながらも、それがどんなお勤めか、なにがさて御存じなかったからで、心の内ではやきもきめされながらも、根がたいへんにつつましかったので、よう父御に訊ねることも、なし得なんだのである。父君は概略こう申されただけだった。
『おぬしはしなければならんことは、よく心得ておるじゃろう。いいか、勇敢にやってのけて来いよ。』
授けられた嫁御が、ずんと好奇の念に燃えながら、シーツにくるまって首を斜めにし、そのくせ槍の穂さきのように人を刺す眼で、こっちを窺っているのを婿殿は見た。良人に従わなくてはならないと、花嫁は熱心に考えるだけで、これまた何一つ知らず、名目上彼女が属しているやや抹香くさいこの貴公子の意思一つを待っておられた。それを見て童貞者は、寝床の傍らに近寄り、耳のうしろを掻いた。それから跪いた。彼にはお手のものの所作である。
『あなたはお祈りを済ませましたか?』と婿どのは敬虔な口調で訊ねた。
『あら、忘れていたわ。一緒にお祈りを上げましょうか?』
かくして新婚同志は、神に祈ることを以て、夫婦の道の皮切りといたした。これは断じて場違いではない。しかし、ひょんなことにこの祈願を耳に入れたのは悪魔だけで、早速にその回答にと及ばれた。当時、神様には新しい面妖な宗派のことで、用務御繁多中だったためである。
『何をするように云われて来ましたか?』と道心堅固の良人は訊ねた。
『あなたを愛せよって。』妻は無邪気に答えた。
『僕はそうは云われて来なかった。しかし僕は君を愛する。お恥かしいが、神様より君の方を愛しているくらいだ。』
かく涜神の言を耳にしても、花嫁はべつに怫然ともしなかった。
『君の寝床に入りたいけど構いませんでしょうか?』
『どうぞ。欣んで席を設けますわ。妾はあなたの仰せに従う義務があるんですもの。』
『じゃ、ちょっとこちらを見ないで下さい。着物を着換えますから。』
この極めて躾正しいまじような言葉に、嫁君は大いなる期待を抱きながら壁の方を向かれた。殿方とシュミーズ一枚を境として陣取ることは、まったくこれが初めての経験だったからで、やがて良人も床入りに及び、かくして二人は事実上は一緒にくっついた訳だが、諸君の御存じのあれあのことからは、ちゃっと隔っておったのであった。
異国から参った猿が、始めて胡桃の実を与えられたさまを見たことが御座るか。猿の高遠な想像力で、外殻の下に隠れている核果が、いかに甘美なものかを知っているので、総ゆる猿真似をし猿智慧を出して、ぶつくさ口の中で言いながら、それを嗅いだり捩ったりして、おお、何という感動でそれを究めることか、何という究め方でそれを調べることか、何という調べ方でそれを熱心に手にし、投げ、転がし、揺すぶることか。が、それが血統の卑しい、了簡の狭い猿だったら最後にはあきらめて、胡桃をおっぽり出してしまうことが間々ある。ちょうどそれと同じに、この花婿も可哀想に朝方になっても、どうやっておのが職務を果たすべきかを知らず、またその職務が何たるかも、且つどこでその職務が執行せられるかも解らぬまま、誰ぞ識者に訊ね、その助力と救援を乞わざるを得ないことを、いとしの妻に告解するの止むなきに到ったのである。
『それがいいわ。残念ですけど妾にもお教えが出来ないのですもの。』と花嫁も申した。
実際おぼこ同志がいくらつどつど工夫しても、くさぐさのことを仔細らしゅう試みても、また斯道の達人すら思いつかぬようなあじなことを、仰山に編み出しても、一向に二人には合点がまいらぬので、結婚の胡桃を開けることがかなわぬのに絶望のあまり、むやくやと二人は遂に寝込んでしまった。しかし巧く埒を明けたように、世間態は取繕うことを、聡くも双方で同意しあった。
斯かるが故を以て、相変らず生娘で非奥方の花嫁は、翌朝、女子衆のすなる初夜の穿鑿咄に加わって、仰山に己が床入りの冥加を誇り、飛切上々吉の良人が授かったことを自慢いたし、昨夜の首尾をまるで御存じない連中に負けず劣らず、元気よく猥談や艶笑譚のなかへ割って入ったので、この粋なわけ知りの花嫁に、みんなはちょっといかれたかたちであった。二重の冷かしの積りで、ロシュ・コルボンの奥方は、一儀のことに気疎いブルデジエールの姫君を焚きつけ、「お婿さんは窯の中にいくつパンを入れたの?」と訊ねさせたところ、二十と四つと花嫁には方図もなく答えられた。
けれど張合いなさそうにぶらぶらしている婿殿の様子を見て、けなりがった嫁が君は、何とかして良人の童貞を始末したいと内心ではやきもきめされていた。座にいた上臈衆は、花婿は初夜の喜びに精気を抜かし、花嫁はまた花嫁で、あっけなく良人をふならふならにしたことを、悔やんでいるものと感違いしておった。朝餐の席上、たちの悪い駄洒落や悪巫山戯で、やいのやいの座は賑わった。これは当時、非常に結構なものとして、あまねく持囃されていたところのならいである。
甲は曰く「花嫁は急に開けた容子が見える。」
乙は曰く「昨夜お城で地響がした。」
丙は曰く「竈に火がついた。」
丁は曰く「両家とも昨夜は取戻せぬものを失われた。」
こんな隠し言葉やてんごうやざれごとが仰山に取交されたが、不幸にして婿どのには、すっきりしゃんと会得がつきかねるげに見えた。縁者や隣人や賀客が大勢集まったこととて、昨夜から誰一人寝るものもなく、踊ったり跳ねたり呑んだり巫山戯たりのどんちゃん騒ぎや、田舎の若殿様の嫁取りの形儀どおりな騒ぎがおっ始まっていた。なかでも陽気なのは所司代ブラグロンニュ殿であった。情婦のアンボワズ夫人は娘が首尾したいいことを想望して、おのずと顔も紅潮を呈し、しきりと所司代に鷹のような眼差を送り、艶っぽい召喚を以て誘ったが、片や巴里の無道人を搦めとる司直の奉行職だけに、執達吏や警吏式の催告や目はじきには明るく、奥方のおもわくは百も承知の助だったが、そうした据膳を、見て見ないような振りをいたした。というのは奥方の愛執が、近頃もう鼻について堪らなかったからで、腐れ縁が依然として二人の間に続いていたというのも、専ら彼の遵法精神の致すところというべく、そのゆえは町の風儀、警察、宗教のお目附役たる彼の職掌柄、廷臣のように左右なく情婦を替えることは、所司代としてふさわしくなかったからである。然し何時迄も奥方の願立てに逆う訳には参らなかった。何故なら祝言の翌日、賀客の多くは退散し、後は奥方と所司代と、近しい縁者ばかりとなり、いよいよ寝床に引取らざるを得ぬ破目とはなったからである。
で、晩餐のまえ、所司代は半ば言葉に依る催促を奥方から受けたが、公事沙汰とはこと違い、これには延期の理由のつけようがなかった。夜食の始まらぬさき、奥方は花嫁と同座している所司代を、晩餐の席から連れ出そうとして、ありゃこりゃいろいろ仕かけを凝らされたが、出て来たのは所司代《リウテナン》でなく代理人《リウテナン》たる婿どのであった。そこではからずも姑御と一緒に、散歩という段取りとは相成った。それは童貞婿どののあたまに、一つの調略が茸のように生えたからで、つまり何事にまれ世故に長けたお年寄りに、物を訊ねよという高僧の浄い誨えを想い出し、この堅作りの奥方に、――そう彼は思い込んでおった。――己が大事を打明け、一儀に就いて教えを乞いたいと考えたからである。けれど初めの程は、体もこわばり息も詰まり、奥方とそぞろ歩きをしながらも、切り出すしおがないのに困じ果てていた。
奥方も同じくだんまり勝ちだった。ブラグロンニュ殿の態とがましい盲と聾と中《よい》気《よい》に接して、法外な悋気のあまり、修羅を燃やしておられたからで、従って噛んであじまやかな御馳走と並んで歩きながらも、すこしも若い相手方のことなぞ念頭になく、ましてや若い脂肉《ラード》をふんだんに味われたこの若雄猫どのが、老いた脂肉のことなど考えて御座ろうなどとは、さらさら御存じがなかった。
『蠅の足のような髭を生した極道爺め、あっけらぽんの鯰髭爺め、ちろちろ目の洟すすりの鱒髭め、薄っぺらな、灰色の、しょげた、甲斐性なしの老耄れ髭、厚顔無恥で女人を敬うことを知らない鈍い安本丹の八字髭め、見も聞きも感じもしない風を装う薄ら髭、奄奄として、大儀そうな、しんどい萎れ髭め、図無いへこたれ髭、けなりいしょぼしょぼ髭め、あんな悪性男なんか、伊太利渡りの鼻取り梅毒でくたばるがいい。けったいな柘榴鼻め、火のついた焦っ鼻、うんこ臭い、凍った、信仰心のない猪鼻め、封泥のテーブルのように乾からびた潰れ鼻、虫唾の走る蒼白い団子鼻、魂のぬけた尖り鼻、影しか持たぬ象っ鼻、物の見えぬ塞り鼻、葡萄の葉のような縮れ鼻、ひしげたぺちゃんこの老耄れ鼻め、風の詰まったふがふが鼻、ぞうっとする死人の鼻、松露よろしくの鼻、ずんずら短いかんぬき鼻め、……ああ、どうしてあんな男に妾は気を惹かれたのだろう。名誉心のない古っ鼻、汁気のない古髭、胡麻塩ちんからりの年寄りあたま、妙竹林なひょっとこづら、骨太の毛むくじゃら爺、ぼろ屑同然のあのでくの坊なんか、いっそ悪魔外道に攫われるがいい、妾の欲しいのは、若い水々しい殿御、張り切った意気な男衆、妾に沢山と、毎日のように、如才なくあれをうんと堪能させてくれるような……』
奥方がこうした粋な思惑を辿っているうち、婿どのはその祝《ほ》婚《ぎ》歌《うた》を、どうやらこうやら辿々しく姑御どのに伝えたが、ひどく婉曲なその歌い出しに、忽ち奥方のあたまは、火縄銃の古ほくちのようにめったむしょうに燃えついてしまって、方図もない擽ったさを全身に覚えたが、婿どのをためすのも、なむさん上分別と考え、奥方は次のように胸の裡で独語なされた。
『ああ、若い香ばしい髭、おお、新鮮な愛くるしい鼻。爽かな髭、……若々しい鼻、おぼこ髭、随喜の鼻、懐春の髭、愛の美しい栓、色っぽい楔!』
広い庭のあちこちを歩きながら、奥方には云うべきことが仰山にごあった。が、到頭ふたりの間にちゃっと話はきまった。その結果、婿どのは夜になったら部屋を抜け出して奥方のところへ忍び、そこで父親以上のわけ知りに、教育して貰うことと相成った。婿どのはすっかり喜んで、この取引に関しては一切他言を憚るよう奥方に頼み込み、厚くお礼を述べたのであった。
一方、ブラグロンニュ殿は心の中でこう罵っておられた。
『古狸の鬼婆め、百日咳で窒息しやがれ。蝦に急所を挟まれるがいい。歯ぬけの古ぼけ鉄櫛、足にずるずるの古スリッパーめ、旧式火縄銃のももんじい婆め。十歳の古鱈め、夜にならねば働けぬ古蜘蛛、眼を剥き出した死人の婆め、悪魔の揺《ゆり》床《どこ》のお古《ふる》、煎餅売りの古提灯め、邪眼で人を殺す悪婆、大法螺吹きの下髭婆め、死人も泣き出す般若婆、オルガンの古ペダルめ、百もの短刀のすかすか入る古鞘め、膝頭で擦り切れた教会のぼろ玄関石め、誰もが入れる古賽銭函め、貴様と別れられるなら、俺の後生なんか、喜んで犠牲にするんだが。』
こうした胡乱な考えに、席上で所司代どのには耽っておられたが、同じく席にあった花嫁御寮は、良人が結婚に必須なあのことをわきまえず、一体それがどうすることかも、かいもく見当がつかぬまま、深く絶望していたことを思って、自分がそれを習得し、婿どのを懊悩や羞恥や気苦労から救い、肝心要の義務を早速に次の夜良人に教えながら、――「ねえ、これがあのことよ。わかって。」と良人にもっちょうじて、かつは驚かせ、かつは喜ばせたいと心構えをしておられた。それに彼女はかの御後室から、年寄りに大いなる尊敬を払うようにと躾けられてもいたので、世智がしこい所司代どのに憚りながら一つの御不審を申し上げ、妹背の契りの甘美な秘密を、体得いたそうと密かに計った。
ところがブラグロンニュ殿は、これからの奥方お相手の夜のいとなみという、歎かわしい苦役に顛動したあまり、華やかな伴侶のお話相手をつとめることを、すっかり失念しておったので、慌ててお世辞交りに、花嫁御に対し、若い悟りのいい良人に添って冥加かどうかの略式訊問をば行った。
『それはもう。本当に悟りのいいお方ですもの。』
『悟りがよすぎはしませんかな。』と微笑しながら所司代は申した。
いうも管《くだ》くだしいゆえ手短かに申せば、話は二人の間ですぐ埒が明いて、躍り上って喜んだ所司代は、おのが祝婚歌を口裡で唄いつつ、花嫁の申出でに一大快諾を与え、慮外ながらその蒙を啓くべく、全精力を傾けることを諾い、花嫁の方でもまた彼を粋師と仰いで、その蘊蓄の一端を彼の部屋で学習に参ることを約された。
さて晩餐後アンボワズ夫人は、ブラグロンニュ殿に対し、高音階で凄じい音楽を奏せられ、奥方が持参した持物――彼女の身分、財産、貞節、その他のものを、所司代がすこしも恩に着ないことを難詰せられ、半時間も立てつづけにどやくや怒鳴られたが、奥方の忿怒の四分の一も消散しきれなかった揚句の果、二人の間には千もの短刀が抜かれておかれたが、但し鞘はまだ各自がそれぞれに擁しておられた。
そのあいだ新郎新婦には楽しい新床にと就かれたが、互に相手に人生の機微を教えたい一心に、床から抜け出しの口実を、それぞれに考えておられた。何かしらぬが落着かぬゆえ、ちょっと戸外の大気に触れて来たいと、童貞亭主は申され、ゆっくり月光を浴びて、ひとり散歩して参られるように、欣んで良人に処女妻は勧めた。そう云われてお人好しの良人は、束の間ながら、愛妻を残してゆくのが、大層あわれに感じられた。
もっと縮めてお聞きになりたいと仰せられるか。よろしい。で、二人は違った刻限に、同衾の床から抜け出し、智慧の詮議にと急いでそれぞれの師匠の許にと忍ばれたが、当人らはもとより師の君も大いに苛々して待ち兼ねておられたことは、とくと御賢察にも相成られよう。さればそこで銘々に立派な教育が授けられた。如何にしてか? それは吾儕にも申し上げられぬ。ゆえをいかにというに、およそ学には人それぞれの独自な方法と技術があるものであるし、あらゆる学問のうち、斯学はその原理に於て、もっとも千変万化に富むものだからである。ただどんな語学であれ、文法であれ、課業であれ、その教えをこの二人ほど熱心活溌にちゃちゃくった学徒は、いちえん他におりないことをここに断ずるにとどめよう。
学問遍歴の修行の成果を、互に通ずべく二人は、喜び勇んで一つ寝床にと戻って参った。
『まあ、あなた。あなたったら、もう妾の師匠より達者なものね。』とその結果、花嫁には申された程でごあった。
さて世にも稀なこのためしぶりから、二人の妹背合いの快美と、完全なる操守とが生ずるに到った。というのは二人が結婚街道に入るや否や、如何に相手が愛の楽しみに適った結構な重宝を、かの師匠連はもとより、爾余の衆すべてにも、一段と立勝って有しておるかを、しんぞ経験するを得たからである。されば二人は長い一生涯のあいだ、正統の持物しか互に相手といたさなかった。じゃによってモンコントゥル殿も晩年に及んで、その仲間に屡々語って申すには、
『儂のようにするんじゃな。草葉の折は寝取られても、刈束になってから間男とならぬが一番じゃて。』
されば、これこそ夫婦下紐の真の訓えとも申そうか。
(1) モンコントゥルはルーダンにあり、一五六九年アンジュ公(後のアンリ三世)の率いる旧教徒軍がコリニイ提督の指揮する新教徒軍を破った古戦場である。
(2) ルネ・ド・ヴィルキエはアンリ三世の寵臣で、のち一五七七年、殿中に於て妻を殺害したが、何のお咎めも蒙らなかったという。
恋の闇夜
いわゆる「アンボワズの擾乱」によって、宗教戦争の取組合に口火が切られた年の冬のこと、アヴネル《〈1〉》という弁護士が、マルムウゼ街にある己が屋敷を、同じ一味の新教徒《ユグノオ》たちの密談所に提供しておったが、コンデ公やラ・ルノヂーなどの巨魁が、国王誘拐の密議をそこで凝らそうなどとは、当のアヴネルも露知らなかった。
甘草の根のように、アヴネルはてらてらした薄汚い赤髯を生やし、裁判所の薄暗闇にもぐっている屁理窟屋の御多分に洩れず、彼また悪魔的な蒼白い顔附をしておったが、稀代の悪弁護士といってよく、人の絞首されるのをあざ笑い、裏切らぬかたとてない正真正銘のユダであった。されば若干の文人は、姦智に長けた曲者のアヴネルゆえ、例の陰謀事件にこっそり加担し、二股をかけていたに相違ないとの説を立てているが、それが真正なることは、以下の物語でとくと御領会めされよう。
さてアヴネルは巴里の町家の出の、うるわしい娘を妻として迎えたが、生来彼の嫉妬深いことといったら、シーツにあやしい皺目でも見つけたが最後、最愛の妻をも殺し兼ねまじいほどで、それも、天下晴れての襞目が残る場合も、間々あったことゆえ、まことにもって物騒千万な話ではあったが、そこは当世女房の方もちゃんと心得たもので、いつもきちんと皺伸ししておいたから、絶えて悶着も起らなかったし、良人の兇暴な性格は百も承知だったので、いたって従順に立振舞い、何時でも燭台《シヤンデリヤ》のように準備が出来ていて、貧乏ゆるぎもせず、命令一下、ただちに開けられる長持箪笥なみに、観念してその義務に応じておったのである。
にも拘らずアヴネルは、その淑かな妻を、根性わるの老姆の監視下におき、四六時ちゅう油断なく見張らせておいた。このお目附役は、まるで口のない壺のように醜い女だったが、もとアヴネルの乳母だったところから、へんに忠義立てしていたのである。
こうした冷たい家庭に押籠められていた憐れな夫人にとって、許されたたった一つの楽しみといえば、グレーヴの広場にあるサン・ジャンの教会へ、お勤めにお詣りすることであった。御承知のように、ここは上流の貴顕淑女が、あまた集まる会堂で、綺羅をこらし、髪を縮らせ、糊附けしたしゃんとした貴公子たちが、蝶のごと軽やかに往来するさまを、アヴネル夫人はお祷りを唱えながらに眺めては、しばし眼の保養をするのであったが、そのうちいつしか殿方のひとりで、王太妃お気に入りのうら若いイタリア貴公子に、ぞっこん彼女は打ち込んでしまった。
この貴公子はまだ人生の五月といった年頃で、その雅びな身装といい、美しい挙措といい、雄々しい目鼻立ちといい、――厳しく結婚の絆にいましめられて世をわりなく思い、隙あらば偕老の戒律から逃れ出ようとしていた人妻の恋ごころを、そぞろ誘うに十分の男前であった。それに貴公子の方でも、夫人を憎からず思うようになった。悪魔も、また当の二人も、それと仔細は知らねど、無言の恋慕が互に通じたものであろうか、二人は何時とは知らず、愛の交感を暗黙裡に交しあう仲とはなったのである。初めのほどはアヴネル夫人も、教会に通うというのでおめかしをして、何時も真新しい華美な身装で来ていたが、そのうち、さぞ神様もお腹立なさったろうが、神様なんぞそっちのけに、眉目秀麗の貴公子のことばかり思いつめ、遂にはお祷りもおろそかになり、ひたすら己が胸中に燃える情火を煽り立てていたが、〓々たるこの焔は、きまって水分に変性するものと見え、眼や唇やそのほかのところが、何時知らずしっとりと潤ってくるのであった。それで夫人はマドンナ様に連祷を唱えるかわりに、頻りに胸のなかでこう呟いていた。
――(ああ、このあたしを慕って下さるある美しい若殿と、一夜なりとも添臥がかなうものなら、この生命など、どうなってもよいくらいだわ。――あのかたと栄ある青春をともにし、たとえ一瞬なりと愛の歓喜が満喫出来たなら、よしやこの身は、異端の徒類を焚く劫火に投げ込まれようと、なんの悔ゆるところがあろう!)
それにまた貴公子の方でも、この臈たけたアヴネル夫人の容色をいたく賞でて、ゆくりなく視線の合った折なぞ、夫人が頬を染めるのをこよなきものに思い、何時も夫人の傍ら近く身を寄せては、上臈衆先刻ご存じのあの愛の嘆願の眼差を送っていたが、やはりこれも心の裡では、ひそかにこう思っていた。
――(親父の一対の角細工にかけて、俺は彼女をわがものにしてみせる。たとえそのため生命を失おうともだ!)
そしてお附きの老姆が、余所見している隙に、二人の恋人は眼差だけで、――身をすりあったり抱きあったり触れあったり息づきあったり、食べたりしゃぶったり、接吻したりなどしておったが、その熱烈さといったら、あたりに火縄銃でもあったら、急ちその口火も燃え上らんばかりであった。
かくまで深く心に喰い入った恋慕が、まさかにこのままで済む筈はない。貴公子はモンテーギュの学生といった姿恰好に身をやつし、アヴネルの書記たちに近づき、その遊び仲間となって一緒に飲み歩いて、ひそかにアヴネルの日常や不在時や、旅出の留守などを探り出して、御内儀と旨いことをしようとたくらんで、まんまと寝取りはしたものの、これが身の禍になろうとは、神ならぬ身の知る由もなかった。――という訳はこうである。
ひょっとして陰謀の雲行でも怪しくなったら、いちはやく寝返りをうって、敵方のギュイーズ党に一味を売る下心で、ずるずるとこれに加担していた弁護士のアヴネルは、ブロワまで赴いてみようとこころざした。魔手のかく及んでいたフランス宮廷は、当時ブロワにあったからである。
アヴネルのブロワ行を聞き出した貴公子は、すぐさまブロワに先廻りして、この悪賢い弁護士をあべこべに一泡ふかせ、まんまと寝取られ男の真紅の角じるしをつけてやろうと、網を張って待ちかまえておった。――即ち弁護士夫妻と老姆の一行がブロワに来て、あちこち旅宿を訊ねても、宮廷御用の人達で満員という口実で、どこでも断られるように、恋に目眩んだこのイタリア貴公子は、従僕や扈従に命じて、金にあかして計らわせてから、自分は「ソレイユ・ロワイヤル館」の亭主を買収して、そこを独占買切りとし、更に万全を期して、亭主や番頭、女中までみんな田舎の方へ追いやって、かわりに己が召使をそれぞれの役どころに配置し、ひたすら弁護士に気どられぬよう、事をたくらんだのであった。就いては先ず、御殿伺候にはるばるとやって参った友人たちを、「ソレイユ・ロワイヤル館」に泊まらせ、自分はちゃんと、弁護士夫妻と老姆に充てた部屋の真上に陣取って、いちはやく床に揚戸を刳り貫いて待ち構え、連れて来た料理番は旅館の亭主役に、扈従は小番頭、下婢は給仕女にと、それぞれ役を振りあてて、宿引に扮した者が案内してくる筈のこの喜劇の登場人物――女房、良人、老姆、その他の到着を、手具臑ひいて待ち構えたが、程なくその待ち甲斐の時はきた。
折から稚い国王はじめ、二王妃、ギュイーズ一族、その他、宮廷の高官顕客の悉くが、このブロワに滞留していたため、これら雲上人に附従う諸侯、武士、郎党、商人たちでひどく町はごった返していたもので、三百代言に対するかかる陥穽や、ソレイユ・ロワイヤル館を一変させた大異動も、さまで人の口の端にも上らなかったし、怪しむものもおりなかった。
さてアヴネルの一行は、旅宿をとろうとしては次々と断られ、最後に漸くかの貴公子が恋慕の太陽《ソレイユ》に燃えていたソレイユ・ロワイヤル館に迎え入れられた時には、有頂天になって悦んだのであった。
弁護士一行が宿に着いたことを知って、一目なりと愛人から一瞥の栄に浴しようと、貴公子は宿の中庭をそれとなく歩いてみたが、長くじらされる迄もなかった。というのは、アヴネル夫人が女人の常として、すぐと中庭に目をやると、夢寐にも忘れがたい恋人が逍遥していたので、彼女は天にも昇る心地がし、心のそわそわを抑えるべくもなかった。もし思いがけない天佑でもあって、ほんの瞬時なりとも二人差向いになれたら、すぐにも身を許しかねまじいほど、彼女は頭の天辺から足の爪先きまで、すっかり燃え上ってしまったのである。
晴れわたった日の光りを仰いで、彼女はお天気というつもりで、うっかり『まあなんて煌々としたおかたでしょう!』と口を滑らせてしまった。
それを耳にしたアヴネルは怖ろしい権幕で窓側に跳びつき、例の貴公子の姿を認めるや、『この阿魔め、あんな男が欲しいのか!』と云いざま、妻の腕を引張り、まるで袋かなんぞのように寝床の上にはたきつけ、『おい、儂は人斬庖丁こそ携えんが、筆入箱はちゃんと持っとる。箱のなかには鋭利な短刀が入っているんだぞ。――お前がちょっとでも妻として後暗いことをすると、ぐさりお前の胸にそれが突き刺さるのだ。わかったか。……そういえば何処かで見たことのある男のようだが?――』
あまりの手荒な良人の所業に、思わず赫となった夫人は、いきなり立上るや良人に向って、
『さあ、あたしをすっぱりと殺して下さい。あなたのような人でも裏切っては相済まぬと思って、これまでは心に恥じて参りました。あたしをそう脅かしたからには、もうあたしの身体に、指一本触れないで下さい。今日という今日からは、あなたより優しい殿方と、あたしは床を一つにすることばかり考えることにしましたから。』
『まあまあお前、すこしわしが出過ぎてすまなかった。どうか堪忍しておくれ。さあ、仲直りにひとつ接吻してくれぬか。』とアヴネルは、妻のどえらい権幕に驚いて、とりなすようにそう云った。
『接吻もいやなら、仲直りだって真平です。一体あなたという人は性根の腐った方ですよ……』
この痛罵にアヴネルも怒って、妻の拒むものを無理矢理奪おうとして、互に烈しい掴み合いとなり、揚句のはて、アヴネルは顔一面引掻かれたところへ、折あしく、密談中の一味から呼出しの急使が来たので、妻を老姆に見張らせておいて、蚯蚓脹れのまますぐとその席へ赴かねばならなかった。弁護士の立去るのを見すました貴公子は、従僕を街角に見張らせ、すぐさま自分はあのかたじけない揚戸のところへ行き、こっそりそこを開けて、シッシッと声をひそめて恋人を呼ぶと、物わかりが早く耳ざとい恋の心臓にはすぐそれと通じて、夫人が顔を上げると、蚤で四跳びほどの真上の天井に、優しい貴公子の顔が見えたので、合図と共にたらされた黒絹の二条の太紐を掴み、それについていた輪の中に両腕を通すや、あっという間に一対の滑車の働きで、夫人は寝床から階上の部屋に飛び移ってしまい、あとはまたもとのように揚戸は音もなく閉された。
ひとり取残された見張りの老姆は、ふと見ると、夫人の影もなければ姿もないので、天狗にでもさらわれたかとひどく魂消てしまった。――どうしたんだろう? 誰の仕業だろう? どう消えたのかしら! 何処へ行ったのだろう? これは驚いた! 妙ちくりんだ! おったまげた! へんてこだ! 化されたのかしら?……とまるで錬金術師が、鞴の傍らで、ヘル・トリッパを読みながら思わず発するような驚嘆の掛声を連発いたしたが、但しこの老姆の方は、坩堝とその作り事、――夫人の代物と密通沙汰を、よく弁えておった点だけが、ちゃっと錬金術先生とは違うのである。唖然とした老姆は、いまはただアヴネルの帰りを待つよりほかはなかったが、なにしろ弁護士ときたら、憤怒のあまりなんでも叩っ殺しかねぬ気象だったので、それは徒らに死を待つにも等しかったが、焼餅やきのアヴネルは用意周到にも、鍵まで持って出掛けたので、老姆には逃げることもどうすることも出来なかった。
アヴネル夫人の眼にまず入ったものは、おいしそうな御馳走と暖かな煖炉の火と、それよりもっと暖かそうな情炎を心に宿した情人のさまであった。いきなり彼は夫人を抱き締めて、喜びの泪に濡れながら。――グレーヴのサン・ジャン教会でお勤めの間、うれしい目遣いを送ってくれたお礼に、――先ずは彼女の眼に接吻をいたした。燃え上った夫人もうっとりとなって、恋人の愛の口づけをすこしも拒まず、かつえきった愛人のように、優しくあやされ、抱かれ、撫でられるままに、そのままあやさせ、抱かせ、撫でさせておいた。――よしや天地がひっくり返ろうと夜の白々あけまで一緒にいようと、二人は堅く肚をきめた。彼女には未来や後世なぞ、この一夜の歓喜に較べては、取るに足らぬもののように思われたし、彼またその才覚や長剣を頼みとして、こうした逢う瀬を幾夜さも重ねる覚悟であった。いえば二人ともいのちさえ軽んじて、ひたすら、この一戦にわれとわが生《いき》身《み》をかたみに与え合いつつ、百千の生命を泯し、百千の快楽さえ味到がかなえば、まこと本望だったのである。この一会戦に、いっそありったけの情熱をぶちこんで、烈しく相抱いたまま、無我夢中でずるずると深淵に落込んでゆく思いだったし、また現にそれを切望してやまなかったのであった。はてさて何と烈しく愛し合ったものではござらぬか。
糠味噌くさい女房殿と、物静かな御寝にお耽りめされている素町人がたには、お気の毒に、この二人に見らるる如き愛の正体は御存じあられまい。そこにある奥深いもの、心臓のあのあらあらしい躍動、生暖かい生命の奔出、しびれるような抱擁は、ひとりこうした愛恋のうちにのみ見出せることを、ちんからり御存じがないからである。見よ、二人の若い恋人は真白に結びあって、欲情に輝きわたり、死の危難を前にして、なおも悠然と行いすましたのである。――というような次第で、彼も彼女もあまり御馳走には手を出さず、早目に床に就いてしまわれたのであるが、こっちもひとつ御両人の仕業を静かに放っておこうではないか。けだしわれわれには、皆目通ぜぬ天上界の言葉でも使わぬ限り、二人の嬉しい苦しさや、苦しい嬉しいもじもじを、およそ形容するすべとてあるまいから。
思わぬ首尾に、結婚の思い出も綺麗さっぱり押し拭われてしまったほど、ものの見事に妻を寝取られたアヴネルは、時を同じゅうして絶体絶命の立場に陥っていた。新教徒たちの陰謀の席上にコンデ公は、領袖たちやお歴々衆を率いて御臨席になり、幼王、幼王妃、王太妃を始め、ギュイーズ一族をも押込めて、天下を乗取ろうという決意の程をお示しになったので、今まで洞ヶ峠をきめこんでいたアヴネルは、さてこそ己が頭部《こうべ》が一大事と見て、(といっても間男されの角をつけられたことは、御存じなかったが、)急に怖気づいて寝返りをうち、ロレーヌ枢機卿の許に陰謀の顛末を、そっくりそのまま御注進に及んだので、すぐと兄君ギュイーズ公のもとへ召し連れられ、そこで三人は鳩首凝議に及んだが、アヴネルは莫大な恩賞のお沙汰を拝して、真夜中頃、漸くのこと帰宅のお許しを得、こっそりお城から抜け出して帰途に就いた。
あたかもその頃、貴公子の従僕や召使たちは、主人のまがよいお床入りを祝って、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎに、羽目をはずしておった真最中だったが、そこへ戻って来たアヴネルは、忽ち酔った勢いの罵詈讒謗を八方から浴びせかけられ、ために真蒼になって部屋に戻って来たが、老姆の姿しかそこには見えなかった。主人の姿を見て慌てて口を開こうとする附添女の喉元を拳固で押えて、黙っているように身振りで命じ、彼はやおらトランクを掻探して短刀を一振り取出し、鞘をはらって切れ味を見ようとした時、明るい楽しげな、可憐で無邪気な、艶っぽくこの世のものならぬ笑い声が、そしてそれにすぐ引続いて、それと意味の聞き取れるような男声の痴《ざ》話《れ》言《ごと》が、天井の揚戸から洩れ聞えて来た。妻と相手の男の艶声と知って、突嗟にアヴネルは明りを吹き消した。天井の隙目、つまり非合法な揚戸の狭《はざ》間《ま》から、微かに洩れて来る一条の光りで、ぼんやりながら彼は事の真相を悟った。と、いきなり老姆の手をひっ掴んで、忍び足で階段を上り、ふたりの部屋の戸を造作なく探りあてるや、猛りたったアヴネルは、身をすくめて扉に体当りして蹴倒し、一跳びに寝床の上に飛び移って、半裸のまま男の腕に抱えられていた妻を、上からぎゅっと鷲掴みにした。
『あれえ!』と夫人は悲鳴をあげた。
振り上げられた刃の下をかいくぐって、貴公子はアヴネルの手許に飛び込み、堅く握られた短刀をもぎ放そうとした。こうした生死の挌闘を続けるうち、アヴネルは若者の鉄腕でしっかと掴まれた上に、己が妻の美しい歯で、骨を噛る犬さながら、思いきり噛みつかれたため、他にその怨みを晴らす途を求めて、突嗟に悪智慧を出し、傍なる老姆に二人を揚戸の絹紐で絡めるよう俚語で言い附け、短刀を遠くへ投げ棄てるや、老姆に加勢して、瞬くうちに二人を雁字搦めに縛り上げ、声立てぬよう、口に猿轡までかませて、物も云わずに短刀を拾いに立上った。と、その瞬間、ギュイーズ公麾下の兵士の一隊が、どやどや部屋に闖入して参った。――くんずほぐれつの挌闘の真最中、この旅館に乱入してアヴネルを上へ下へと探し廻っていたのであったが、一同の耳にはとんと入らなかったものである。縛られて猿轡をかまされ、息絶え絶えの御主人の、急を告げる扈従の叫び声に、それと気づいて兵士たちは二階に駈け上って来るなり、短刀を持った良人と情人たちの間に、いきなり割って入って兇器を取上げるや、直ちにアヴネルを逮捕し、彼等夫婦と老姆の三名を、上意によって保護検束いたそうとした。
王太妃のお召しで、会議の席に急ぎ伴って参るよう命ぜられてあった当の貴公子、主人ギュイーズ公の友人をそこに認めて、隊長は貴公子に、一緒に戻るよう勧めたので、すぐと縄目を脱し、着物も着終ったこの若い恋人は、うなずいて、ひそかに隊長を傍らに呼び、後生だから弁護士夫妻を、互に隔ったところにおいてくれと、くれぐれも頼みこみ、巧く計ってくれれば、恩賞も出世も金品も望みの儘だと約束し、なお万一を慮って、詳しく事件の経緯を話し、妻を良人の手の届くところにおいたら、お腹を蹴殺されかねぬことまで打明けて、お城の牢獄に入れるにしても、女の方は一階のこざっぱりした独房に入れ、男の奴は地下牢にでも厳重にからめたまま、ぶち込んでおくようにと頼んだ。隊長もこれを承諾して貴公子の望み通りに取計うことを約した。
さて貴公子はお城の中庭まで、夫人に附添って行き、その途中でこっそり囁いて――今度の騒ぎで、きっとあなたは未亡人となり、私と正式に結婚が出来るようになるに違いないと、頻りに慰め励ました。
貴公子の口添いでアヴネルは、じめじめした地下牢に入れられ、妻の方はその真上の独房に入れられたが、そもそもこの貴公子はリュッカの大貴族、スキピオ・サルヂニ《〈2〉》という富豪で、さきに述べたように、万事ギュイーズ党とはかつて国事を統べておられた王太妃カトリーヌ・ド・メディシスから、ひとかたならぬ御愛顧を辱くしていた。
サルヂニはすぐと王太妃のお部屋に参じたが、ちょうど緊急の密議が開かれていたところで、この席で初めて今度の事件の全貌と、王家の危急とを彼は耳にしたのであった。
寝耳に水の突発事に、重臣たちはただただ狼狽するばかりだったが、智謀に富んだサルヂニは、早速にこの危局を収拾して禍を福に転じ、却って逆襲に乗り出す妙策を案出いたしたので、漸くに一座は安堵の胸を撫で下した。サルヂニの妙案というのは、アンボワズの城に王を遷座して、狐どもを罠にかけるように、そこへ邪教徒たちを寄せ集め、一網打尽にこれを殲滅するというのであったが、彼の術策に従って、カトリーヌやギュイーズ党の面々が、初めのほどはひたすら韜晦にこれ努めて、首尾よくアンボワズの擾乱を鎮圧せる顛末は、既に史上にも詳かであり、また本篇の主題とは、あまり関係のないところでもある。
その翌朝、万端の準備を整えおわった一同は、王太妃の部屋を退出いたした。
ラ・トゥール・ド・チュレンヌ家を通じて王太妃の縁者にあたる、リムイユ《〈3〉》というカトリーヌ附きの美しい女官に、その頃サルヂニはぞっこんであったが、さすがにアヴネル夫人への深い愛執を捨てきれず、弁護士の投獄せられるにいたった事由を、一座の人達に反問した。ロレーヌ枢機卿はそれに答えて、――あの荒療治はべつに弁護士に迫害を加える意図から出たのではなく、ただ曲者のアヴネルが、後悔して寝返りし直すのを懼れたのと、事件の祝着するまで外へ口を割らさぬよう、暫くのあいだ暗いところに抛り込んだのだが、いずれ折を見て釈放するつもりである。――という意外の言葉に、サルヂニは思わず叫んだ。
『なんですって、釈放すると仰有るのですか! とんでもない。あんな奴は袋に入れて、ロワール川に叩き込んでおしまいなさい。あの黒衣の悪魔の正体は、誰よりもこの私がよく知っています。牢へぶちこまれた恨みを、一生忘れるような男じゃない。きっとまた新教徒の方へ、加担するに違いありません。この際、邪教徒を一人でも片附けることは、神の思召しにもかなった善哉じゃありませんか。幸いあなたの秘密を知るものは、誰一人だってないでしょうし、彼奴の一味のやからにしたって、裏切者のあの男がどうなったか、あなたに訊ねるものも一人もありますまい。彼奴の女房をこの私に救わせて下さい。どうか万事御一任下さいませんか。美事に厄介払いして御覧に入れますから。』
『は、は、は、あなたもなかなかの智慧者だ。まあ、その御忠告に従う前に、取敢えずあの二人を、しっかり監禁しておくよう計いましょう。ちょっとお待ち下さい。』
そう言って枢機卿は法官を呼んで、二人の囚人に絶対に外部との接見を禁ずる旨を申し渡し、さらにサルヂニに向って、旅館へ戻ったらアヴネル夫妻は、訴訟の用で巴里に帰らねばならなくなって、急遽ブロワを立ったと言い触らすようにと頼んだ。
弁護士を拘引はして来たものの、身分ある仁として取扱うよう口頭で命ぜられてあったので、アヴネルの懐中や身の廻りには、誰一人として手をつけなかったため、彼は財布に三十エキュの金を温めていた。この金悉くを擲ってでも、復讐の一念を遂げようという肚のアヴネルは、巧みに牢番を欺いて、一目でいいから妻に逢わせてくれるように、こっそり頼み込んだ。熱愛している妻と夫婦の語らいをしたいというのだった。
赤髪のアヴネルの毒手が、夫人の身に及ぶのを怖れたサルヂニは、夜にまぎれて彼女を救い出し、安全な場所に移そうと謀って、船や船頭を傭って橋近くに忍ばせ、腕の利いた三人の従僕に命じて、夫人の独房の鉄格子を鑢で切り開いて、彼が待っている庭塀のところまで、ひそかに連れ出してくるよう命じた。その準備もとどこおりなく済み、屈竟な鑢も手に入ったので、サルヂニは早朝というのに、王太妃の許に参って、ギュイーズ公や枢機卿には内緒で、王太妃のお部屋の真下にあたる両人のいる独房から、アヴネル夫人救出に就いての御諒解と御援助を乞い、かつまたアヴネルを水葬礼するよう、ロレーヌ卿に重ねて御厳命下さるまいかとお願いいたしたが、王太妃はこの最後の要請にはただ、「アーメン」と仰有られただけであった。
サルヂニは一通の手紙を、胡瓜の皿に忍ばせて夫人の許へ届け、間もなく寡婦となるという吉報と、脱出の手筈や刻限を伝えたので、夫人も非常に喜び勇んだ。
その日の夕刻のこと、いつになく物怖ろしい月の色だと王太妃は仰有って、見張りの番衆たちを見にお遣わしになられたので、その隙にサルヂニの従僕たちは、大急ぎで牢格子を破って夫人の名を呼ぶと、いそいそ出て来たので、早速に主人の待ち兼ねている塀際まで、なんなく送り届けることが出来た。
ところが生憎と裏木戸が締っていたので、サルヂニは夫人とともに、塀外で待っているうち、矢庭に夫人は面紗《マントル》をかなぐり捨ててアヴネルの形相に変り、サルヂニの咽喉をいきなり締め上げて河べりに引摺ってゆき、絞り殺してロワール川深く投げ込もうとした。サルヂニも大声をあげながら、必死となってこの女装の悪魔に立向い、身を振りもごうとあせったが、腰の長剣を抜く隙もなく、気力尽きて泥濘のなかへ打ち倒され、さんざん足蹴にされ息絶え絶えとなったが、阿修羅のこの足蹴の死闘を透して、折柄の月の光りに、妻の返り血を顔一面に浴びたアヴネルの兇悪な面構えを、サルヂニはぼんやり認めたのであった。
松明をかざした従僕たちが、はせつけるのを認めた悪鬼アヴネルは、姦夫の息の根も絶えたと思ったか、ひらり傍らの船に飛び乗って、急ぎ姿を漕ぎ隠してしまった。
こうして憐れにもアヴネル夫人は、ひとり淋しく死んで行った。というのは絞め殺されはぐって半死半生で倒れていたサルヂニは、介抱の甲斐があって、この世に再び蘇ったからである。
ずっと後のことだが、王太妃のお部屋で、にわかに産紐を解いたリムイユと、このサルヂニが結婚いたした経緯については、どなたもよく御存じのところだろう。王太妃には御憐憫の念から侍従リムイユの失態を御内聞になされ、サルヂニも彼女を熱愛していたこととて、快くおのが妻にと迎え、どうやら局面を糊塗いたしたのであった。
サルヂニは王太妃から、ショーモン・シュール・ロワールの封地と城館を拝領いたしたが、アヴネルにこっぴどく締め上げられたばかりか、したたか足蹴にまでされ、押し潰された全身はからきし利かなくなってしまっていたので、再びもとの身体に恢復するよしもなく、美しいリムイユをまだ花の盛りというのに、あたら未亡人にしてしまったのである。
アヴネルはこうした悪虐の所業を敢えてした身でありながら、お尋ね者にもならず、それどころか最後の宗教媾和会議の際には、巧く立廻って、過去の行状も悉く不問に附された仲間うちに入り、その後は新教徒として、ドイツでさかんに活躍を続けたという。
さればここにひとり憐れをとどめたアヴネル夫人のために、どうかその冥福を祈ってやって頂きたい。教会の手厚い供養も受けず、キリスト教徒としての墓も建てて貰えず、どう亡骸も始末されたことやら、皆目わからぬのであるから。ああ、恋にめぐまれし世のおおかたの御婦人方よ、何卒彼女に一掬の涙をお濺ぎめされい。
(1) アヴネル(Pierre des Avenelles)巴里高等法院弁護士、新教徒、「アンボワズの乱」を旧教徒側に密告す。
(2) サルヂニ(Scipio Sardini)伊リュッカの銀行家、リヨン、次いで巴里に居を構う。
(3) リムイユ(Isabelle de La Tour de Turenne, dame de Limeuil)カトリーヌ女王の女官、ブラントームと親交あり、彼女の逸話三つほどが「艶婦伝」のなかで語られている。なかでサルヂニと夫婦喧嘩のくだりもある。彼女がコンデ公の愛人となってその胤を分娩したのはカトリーヌ女王の指金で、公を誘惑して旧教徒側に引き入れるための算段からといわれている。
ラブレエ異聞
フランソワ・ラブレエ大人がアンリ二世の宮廷に、最後に伺候せられた折りのことである。天寿をまっとうしてその年《一五五三年》の冬大人には肉の胴着を脱して、燦たる経籍の裡に、永遠に再生せられたが、その優れし哲学の斯文には、常不断に立戻って省察の要あること、あえて贅言を須いぬであろう。
当時の大人は、かれこれ七十回の燕巣孵りを閲しておられた。ホーマーのようなるその頭顱は、にべもなく毛が抜け落ちていたが、いかめしい髯はまだなお堂々たる異彩を放ち、広額には全智がいきづき、穏かなその微笑には不断の春色がたゆたっていた。ソクラテス対アリストファネスという、嘗ての仇敵同志の面影が、今は仲好く入交った観のある彼の顔貌に、親しく接するの幸運に恵まれた人々の言によれば、それは全く世にも天晴れな老翁《おきな》さびであったと申す。
命臨終の時鐘が鳴りそめたのを耳朶にいたした大人は、フランス国王に今生のお暇乞をしに参ろうと存じた。トゥールネルのお城に王はちょうど参っておったゆえ、ジャルダン〓サン・ポールにあった大人の屋敷から宮廷までは、ほんの投輪が届くくらいの距離だったからである。
その時カトリーヌ女王のお部屋に同座せられた面々は、高等政略から女王が座に迎え入れられていたディアーヌ夫人をはじめ、国王、元帥閣下、ロレーヌ及びデュ・ベレエ両枢機官、ギュイーズ家の方々、女王の御庇護の下に当時すでに宮廷府に嶄然卓出しておったピラーグ殿以下伊太利の殿《との》原《ばら》、海軍長官、モンゴメリイ、お役柄の殿上人衆、それにメラン・ド・サン〓ジュレエ、フィリィベエル・ド・ロルム、ブラントームなどの詩人墨客等であった。
かねて剽軽者と思召しの大人を御覧になった国王には、二三お言葉を交されてのち、微笑しながらこう仰せられた。
『ムードンの其方の檀家衆に、なんかもう説法をいたされたか?』
司祭区からおさめる貢賦のこと以外に、王は大人の僧職に関し、おつむを煩わさせられたことがないのを、よく存じていたムードンの司祭(ラブレエ)は、冷かし半分の御意とこれを心得て、こうお答えいたした。
『陛下、拙僧の檀家は到る処にござるによって、御談義も基督教諸国すべてのお歴々衆から、聴聞の栄を辱うしておりまする。』
そう申しざまずらり宮廷の方々を見廻されたが、デュ・ベレエどのとド・シャチョンどのを除いては、誰もが彼の裡に物知りの諧謔先生を《トリブウレ〈1〉》見るのみで、大人が精神界の王者であり、恩沢に与かれる王冠だけを廷臣から敬われている人王より、遥かに秀でた哲王であることを知る者は一人もおらなかった。ガルガンチュアがノートル・ダムの塔上から、巴里人共に小便を引っかけて打興じた伝で、この世からお暇をするに先立ち、一座の連中の頭上に、形而上学的小便を引っかけて参ろうという悪戯っ気が、ふと大人の胸に浮んだので、次のように附け加えた。
『陛下、もし御機嫌うるわしく渡らせられるならば、宮廷の譬話として何時かは申し上げようと存じ、愚僧が左耳の鼓膜下に秘めおきましたる、何時いかなるところでも役立つお説法を御披露申して、御一興に供したく存じまするが。』
『皆の衆、フランソワ・ラブレエ師に清聴いたそうではないか。事はわれわれの済度に関する一大事じゃと申す。静かに聴聞いたせ。福音書的ざれごとに通暁せる御仁の申し条じゃ。』
『陛下、では始めまする。』
そこで廷臣悉くは雑談を止めて、パンタグリュエルの父の前に、柳のようにしなやかな輪をつくった。たくらべようもない醇乎たる雄弁で、次なるコントは物語られたのであるが、今に到るまで口ずから伝えられたに過ぎぬゆえ、吾儕の例の筆法でものすることを、先ずは御諒承願いたい。
頽齢に達したガルガンチュアの行状の突飛さは、家人もたまげるほどでしたが、なんせよ七百四歳もの高齢ゆえ、それも無理からぬところでしょう。但しアレクサンドリアのクレマン上《〈2〉》人が、その『綴錦経文《ストロマート》』で述べるところに依ると、当時の一年三百六十五日は、四分の一日だけ実際より足りない勘定になりますが、まあそんなことはどうでもよろしいとして、この父老は、おのが屋敷うちが自堕落に陥り、みんながてんでに私腹ばかり肥しているのを見て、晩年に無一物の空っけつにされるのをひどく怖れ、なんとかおのが所領を見事に政道できる方法を、考え出そうと決心しましたが、断じてそれはわるい了簡とは申せますまい。そこで巨大なガルガンチュア邸の一隅に彼は一室を設け、紅麦の堆い山を隠し、芥子の甕を二十、数多の山海の珍味、たとえば乾李、トゥレーヌの巻菓子、厚焼煎餅、肉団子、肉饅頭、オリヴェのチーズ、ランジェからロシュにかけて音に聞えた名代の山羊チーズや、その他の乾酪、バター壺、兎の肉パイ、吊し家鴨、糠づけの豚脚、潰し豆の壜、オルレアンの榲《まる》〓《めろ》ジャムの小箱、八目鰻の大樽、緑ソースの桶、塩水に漬けた沼の獲物――しゃこ、小鴨、紅鶴、あお鷺、つくし鴨等、また乾葡萄、かの名高い祖先ハップ・ムウシュの創製にかかる燻製の牛の舌、祭日にガルガメルに進ずる積りの砂糖菓子、等々……その他さまざまを隠匿いたしましたが、その詳しい内訳は、フランク律令書にあり、また当時の僧会法程、国事詔勅、王室典範、憲章政条、制法格令なんどの、頁の飛んだ大判の経籍に、もじゃくじゃ散見せられるところです。
で、ガルガンチュアは鼻に眼鏡を掛け、というよりは眼鏡のなかに鼻をおき、これら貴重な宝物の番が頼めるような、一角獣か飛龍をば探求に及ばれました。彼はしかつべらしい瞑想に沈んで、庭うちを歩き廻りましたが、怪鳥のコックシグルュ(鶏・白馬・鶴の化物)は真平御免でした。象形文字より判読するに、エジプト人から嫌われていたらしいからです。皇帝たちが手を焼いている魑魅魍魎《コオクマアル》の歩兵隊も願い下げでした。タシトゥスという陰険な仁の報告を聞いておったので、羅馬人に頼む気もしなかったのです。元老院に集まったピクロコリエもいやなら、占星博士どのも蹴りました。ドリュィド教団も尻目にしましたし、パピマニイ国の軍士も、マソレッツの軍団も退けました。息子パンタグリュエルの旅の土産話だと、彼等は浜麦のように早生し、国中を席巻するというので、とりやめにしたのです。かくゴールの昔の史譚を、次々とゴール・アウトにして、何れの種族にも信が措けぬあまり、もしも叶うことなら、万物の創造主に、全く新しい代物を賜わるよう、祈請いたしたいくらいに思いましたが、そんな甘え方をして、天帝を煩わせる勇気のない彼は、誰を選んでよいやら、大身代を擁して、ほとほと持てあましていた折りも折り、途上で小さな可愛い地鼠に際会いたしたのです。青い紋地に紅色の入った、地鼠族の高貴な血を享けたそれは、まったく天晴れな偉丈夫で、種族とびきりの美しい尻尾を持ち、神の創られた地鼠として、日の下を闊歩し、ノアの大洪水以来、この世上に棲息し来ったことに大得意でありました。ノアの方《はこ》舟《ぶね》のなかに、地鼠がおったとは宇宙の書バイブルに認められてある通りで、その争うべからざる名門の出たることの特許証は、夙に宇宙登記所にも登録ずみのところです。(アルコフリバス大人(ラブレエ)は旧約聖書のくだりを口にするに当り、帽子にちょっと手をやってから、恭しく語り続けた。)
初めて葡萄を植えて葡萄酒に酔っぱらうの幸運を、先ず有せられた斯道の大先達、ノアの方舟に、つまりわれわれ悉くの発祥たる方舟に、一匹の地鼠がおったことは、牢固たる大真実です。しかし人間どもが雑婚したのに引換え、地鼠は他の総ての獣物にもまして、その紋章を後生大事にしたため、左様な不仕鱈には陥らず、よしんば野鼠に、砂粒をはしばみの実に変えるほどの天賦の特質があろうと、敢えて仲間うちに迎えるような真似はいたさなかったのです。この貴族的な立派な操守と襟度は、いたくガルガンチュアの気に適いましたので、彼はこのまめしげな地鼠にふんだんの権力、――司法権、特別裁判上訴権、地方探題権、宗教権、武力、その他の一切合切を与えて、おのが食料庫の管理を一任しようと思いつきました。麦の山で坐食し放題という条件で、チュウ義な地鼠としての任務と役義を、立派に果すことを地鼠は約しましたが、この条件をガルガンチュアもしごく妥当と認めました。
さてわが地鼠は美しい棲処をあてがわれて欣喜雀躍し、福々しい王侯のような幸福感に溢れて、芥子の大国、砂糖菓子の邦土、ハムの州域、葡萄の封地、腸詰の属邦、その他あらゆる種類の領国を親しく巡幸に及んで、麦の山にも登臨あり、すべてをその尻尾で掃い歩きましたが、到る処で恭しい歓迎を受け、酒罎は敬意ある沈黙を以てし、一二の金の洋盃は教会の鐘のように触れ合って、祝鐘の如くに鳴り響きました。地鼠大王は恐悦の面持で、右に左に軽く答礼を与えながら、棲処にさしこむ陽光の輻のなかを、意気揚々と闊歩し廻りました。彼の毛皮の渋色も燦然として輝き、さながら黒貂の毛皮を召した北国の王様の概がありました。往ったり来たり飛んだり跳ねたりしてのち、地鼠は麦を二粒もぐもぐ噛みながら、満廷の綺羅星の如きなかを、王座に就かれる王様のように有卦に入り、どっかりと麦の山の上に坐し、地鼠族の唯我独尊と、われから大いに矜ったのでした。
と、この時いつもの穴に現われいでたのは、ちょろちょろ抜足で床上を駆け廻る夜行の大臣《おとど》の面々、町人共や御内儀連が愚痴る、徒食で齧り屋で泥的のけものたちのお歴々、ちゅうちゅうねずみの一隊でありました。それら一同は地鼠を見て怖気をふるい、巣穴の入口に凝然と立ちすくみました。したが、遂に危険を冒して、なかなる一匹が前へと進み出ました。それは馳道都尉の外道の老鼠で、勇を鼓して彼は窓に鼻面を押しあて、地鼠大王が尻尾を宙に立ててどっかと臀の上に坐し、あたりを睥睨しているさまを眺めましたが、当の相手こそ悪魔で、悪くすると爪でひっかかれるのが落ちと、結局のところ彼は見極めをつけました。と申すのはガルガンチュアが、彼の代理職の威信を、宇内に払わせようとして、他の地鼠ども、猫、貂、野鼠、小鼠、大鼠などのいたずらものから、すぐと識別が出来るよう、燻肉針のように尖った地鼠大王の鼻づらを、ちょっと香油の中に、浸しておいてくれたからです。――この特徴は爾後、地鼠どもの遺伝となりました。というのはガルガンチュアの賢い勧告にも拘らず、かの大王は他の同種族の連中と鼻を擦りつけあったからで、地鼠族のごたごたはここから惹起いたしたのです。時間の余裕さえあれば、史書を編んでその騒乱の跡を詳説が出来るのですが。――
で、老鼠は(これが大鼠だったか小鼠だったかは、猶太経伝《タルムツド》の博士連中にも、未だいずれとも判定がついておりませんが、)上述の匂いに依って、件の地鼠こそガルガンチュアの穀類を見張る使命を帯び、諸徳を授けられた上、十分の権力をもあわせ与えられ、武備も十二分に整っている模様のことを見定めましたもので、今後は鼠賊のならわし通り、パン屑や、パンの端切れや、残り物や、パン皮や齧り残しや、断片や、余り物や、粉滓など、この鼠の楽土のさまざまな余徳物にありついて暮すことが、かつふつ出来なくなったのに愕然といたしたのです。かかる難局に直面し、二摂政朝と三王朝に歴任を閲した老廷臣のごと老獪な古鼠は、地鼠大王の賢愚を小当りしてみようと肚をきめました。全鼠族の福祉のために、おのが一身を投げ出す決意を以てしてです。天晴れな心掛けと人間界でも云いたいところで、鼠のエゴイズムにも拘らずのこの仁侠ですから、なおのこと褒めてやって然るべきでしょう。何分にも鼠族ときたら、恥も外聞もあらばこそ夫子自らのためにのみ生き、手短かに世を渡ろうとして、聖餅の上に糞は落すわ、和尚の襟垂を慚愧なく噛むわ、神様を莫迦にして聖餐杯から水を呑むわといった、おぞましき所業のやから揃いだからです。
古鼠は馬鹿丁寧なお辞儀をしながら前に罷り出ました。地鼠大王はその近づくのに委せました。ゆらい地鼠族はその本性からして、近眼者流であることを、茲で言っておく必要がありましょう。
愛国の志士クルティウス《〈3〉》さながらの年老いた社君《ねずみ》は、次のようなる辞吐を弄しました。なみの鼠の方言を以てしてではなく、チュウ部伊太利、トスカナの訛りを用いてです。
『大王様、あなたさまの赫々たる御一家御一門のことは、予てお噂を耳にいたしておりまする。手前儀はその恪勤の下僕の一人にて、大王の御先祖さまの伝説悉くを、諳んじおるほどにてござります。いうも管《くだ》ながら御祖先様は、古えのエジプト人より篤く敬われあがめられて、神鳥に劣らぬ尊崇ぶりを受けて参られたので御座いましょう。したがあなたさまの皮ごろもから漂うえならぬ薫香と申し、目もあやな渋色あてやかなお色合と申し、憚りながら地鼠族の御方などとは、つゆ御見受けできぬくらいの世にも稀なる見事なお召物に御座りまする。そのうえあなたさまの穀類の召上り振りは、まこと醇乎たる古式のそれと拝しますし、そのお鼻つきもまたいかにも智謀に富み、八宗見学の地鼠のような御み足の蹴りぶりをなされておりまする。したがもし真実あなたさまが地鼠でございますなら、御耳のどこいらかは存じませんが、超聴覚の管、乃至は化転の門といったたぐいのものを、随意に鎖して、お気に染まぬことをお耳に入れぬ工夫が、どうやらして出来るとか承っておりましたが、それはじたい本当に御座いましょうな。あなたさまの聴官はあまりにも霊妙で面妖ゆえ、なんでも物事が筒抜けになり、いまいましくも物怖じをおぼえさせられるためとか聞き及んでおりまするが。』
『それはまことじゃ。そら、耳の戸が卸された。躬はもう何事も聞えぬわい。』
『ほほう。』と老鼠は答えて麦の山に行き、冬の間の食扶持をせっせと運び出しながら、
『何か聞えますかな?』と近眼の大王に申しました。
『躬が心臓のドキドキが聞えるばかりじゃ。』
『しめた、この分なら欺せるぞ。』それと聞いて鼠どもは、みんなこう叫びました。
律義まったい家臣に逢ったつもりの地鼠大王は、音楽孔の揚戸をふと開いてみますと、こは、いかなこと、鼠の巣の中へ流れ込む麦のコトコトという音が聞えましたので、司法委員会の手を煩わすまでもなく、矢庭に古鼠に跳りかかって、その場に扼殺いたしました。それはいと赫々たる死にざまでありました。麦の中で往生を遂げた英雄鼠は、殉教者として聖列に加えられました。大王は古鼠の耳を吊し上げて、食料庫の戸にぶら下げられました。わがパニュルジュが危く串刺の刑にされるところだった、あのトルコ門の曝し物ふうにです。断末魔の叫びを聞いて悉皆の鼠どもは、大鼠も小鼠も、怖れ戦いて一目散、それぞれの穴へ逃げ込んでしまいました。
さて夜となりました。鼠どもは公事を僉議すべく会議の召集を受けて、穴倉へみんな集まって参りました。その凝議にはローマ家族法その他の定めに依って、正妻たちも同席することに相成りました。大鼠は小鼠の上座に就こうとしましたので、激しい席次争いの口論から、危くなにもかもが滅茶苦茶になるところでした。したが結局、大鼠はその腕の下に小鼠をかかえ、良人鼠は妻鼠を同じ式に擁することで、漸くその場は落着し、一同は尻尾を宙に伸ばし、鼻面を突き出し、髯をひらつかせ、眼を鷹のように輝かせて、臀《いしぎ》の上にそれぞれ泰然と坐りこみました。かくて協議にと移りましたが、全世界の高僧たちの宗教大会議もかくやと思われるほどの喧囂と讒謗に終始したのです。賛否黒白の両論かまびすしく、――ブウブウ、フルウウウ、ウイク、ウイク、ブリフ、ブリフナック、ナック、ナック、フィクス、フィクス、トラトラトラ、ラザザザザア、ブルブルウ、ラアアラララ、フィックス。――などというひょんなけったいな響音は、たまたま通りかかった猫が聞いて、怖れをなして逃げ出したというくらいで、がやがやわあわあのその喧噪は、一つに融けてかまびすしい声の喧騒になりましたが、市会の議員諸公たちとて、よもやこれほどのざわめきは真似られなかったでしょう。
議場に入る年頃に達してなかった小さな一匹の雌鼠が、折からこのあらしの中へ、物見高いその鼻面を割れ目から突き入れました。彼女の毛は異性をまだ知らぬ鼠のように、こまやかな綿毛でした。騒ぎが大きくなるにつれ、その雌鼠の身体は鼻面に従ってますます乗り出され、そのはずみに、あっと顛落するところを、酒樽の箍に巧く縋りつきましたが、そのさまは古代の浮彫に刻まれた、愛くるしい工芸品さながらの観がありました。
国難克服を上天に祈るべく、目を空にあげた一匹の老鼠が、うるわしいこのやさねずみをたまたま目にして、彼女に依ってこそ国は救わるべきだと宣しました。救国の女神へと振向けられた一座の鼻面は俄かに噤まれ、地鼠大王の許に彼女を派遣することが、満場一致で可決せられました。彼女を嫉む二三の蔭口も出ましたが、歓呼の裡に穴倉の中を、彼女は練り歩いて行進しました。その楚々たる歩き方、後趾のバネの機械的な動かしぶり、こざかしい小さなあたまのこっくり具合、透きとおった耳の揺りざま、薔薇色の小さな舌で、唇辺や咽喉に生えかけのひげを甜《ねぶ》る様子などを見、古鼠どもは俄かに彼女に恋慕の念をおぼえ、白髪の生えた皺くちゃの唇で、バリトン声を出したり、一絃琴を奏でるような声を出したりしましたが、そのさまは恰もむかしトロイの助平親爺どもが、湯上りすがたの美女ヘレナを歎賞いたしたのとそっくり同じでありました。ヘブライの艶女エステルが神の選民を救うべく、回教君主アッシュラスの許に寝に赴いた如く、地鼠大王の心をとろかし、よめがきみの一族を助ける使命を帯びて、かくて雌鼠は食料庫にと遣わされたのです。(エステルの件は神典にも記されてありますが、そもそもバイブルなる語はギリシャ語のビブロス、唯一の書という意味からです。)雌鼠は食料庫を解放させることを約しました。たまたま彼女は鼠のなかの女王、艶冶なブロンドの豊満な美女、梁を楽しく駆け廻り欄間を陽気に飛び歩く眷属のなかの、もっとも愛くるしい上臈、道すがら胡桃やパン屑やパンの端切れに出会って、優しい嬌声を上げる濃艶窈窕の妖女、白ダイヤのように明るい眼差、小さな首、滑らかな毛、淫逸な身体つき、薔薇色の趾、ビロードの尾、高貴な生れ、雅びな言葉遣い、寝て暮すのが好きでその他は何もせぬ性分、陽気な気象、勅令集を底の底まで知っているソルボンヌの老博士より遥かに抜目のないやさもの、快活で、お腹が白く、背に筋があり、入黒子のような尖った可愛い乳首をし、真珠の歯並、清爽な風情、一言にしていえばそれは王様向きの逸物でござりました。
(如上の描写は大胆きわまるものだった。というのはこの雌鼠は、その場にいたディアーヌ夫人にそっくり生き写しと、一同には思われたからで、廷臣たちもはっと胆を冷した。カトリーヌ女王は御微笑遊ばされたが、国王には莞爾たる御気分から遠いものがあられた。《〈4〉》ラブレエの身をひどく気づかって、デュ・ベレエやド・シャチョン枢機官が目くばせするのも気づかぬげに、大人はさらに楽しげに語り続けた。)
雌鼠は首鼠両端を持するまでもなかったのです。まかり出た最初の晩から地鼠大王を、すっかり手なずけてしまったからで、何処の国の女類でもが、ふんだんに用いるあらゆる陥穽、いわく嬌態、阿諛、しなだれ、猫じゃれ、色仕掛、気を唆るような拒みぶり、ながしめ、鼻毛よみ、欲するくせに敢えてしようとしない娘っ子の手管、艶な誘いかけ、半ば愛撫のじゃれつき、前戯の手妻、己が値打を知っている女鼠の矜持、笑わせの騒ぎ、騒ぎのための笑わせ、他愛ないいたずら、甘えぶり、雌式のペテン、絡むような艶言葉、――などをあじゃらけて発揮いたして、大王を永久に鼻毛のばしのでれでれにしたからです。それに対して大王はひたすらなる平身低頭、手すり足すり、鼻のこすりつけ、情夫の媚びへつらい、眉しかめ、嘆息、セレナード演奏、麦の山での午餐、晩餐、お八つ、その他さまざまなお追従の甲斐があって、雌鼠の逡巡《きがね》を破り、二人は不倫な邪恋に耽ることとなりました。雌鼠は大王の股袋をしっかと掴んだので、悉皆の女王様になり、小麦に芥子を要求し、砂糖菓子をパクつき、すべてを掠めようと計りましたが、大王は心の女后《おきさき》の意の儘になり、それはそれはいかい尻敷かれのうつけ沙汰でした。もっともおのが義務の背反や、ガルガンチュアへの誓約違反に対して、胸裡では心安らかではなかったのですが。
さて女人の執拗さを以て、その福音の獲物を引銜えて増長の極、雌鼠はお楽しみ最中のある晩のこと、年老いた父親をふと想い出し、父にも三度三度、穀類を食べさせたいと思い立ち、おのが孝心の流露を妨げるに於ては、大王を大邸宅に一人ぽつねんとおいてきぼりにすると脅したのでした。踵をめぐらす遑もあらせず大王は彼女の父親に、緑蝋の大きな印璽を捺した紅絹の総つきの特許状を与えて、四六時中ガルガンチュア邸に出入自由のうえ、孝行娘の額に接吻しに罷り越して差支なく、隅の方でなら腹のくちくなるまで食べて行って構わぬと許しました。そこで白い尾をひきずった尊敬すべき父老、二十五オンスも目方があり、大審院長のような歩き振りの老鼠が、首を振り振り十五人か二十人の、何れも鋸のような歯をした甥どもを従えて現われ、一同は大王に対して各種の甘言と追従たらたらで次のように申しました。すなわち自分達一門は大王に粉骨砕身の忠誠を尽し、大王が依託されている在庫品を数え上げたり整理したり札をつけたりいたして、ガルガンチュアが調べに来られた際、食料庫のなかの様子が一目瞭然たるように、きちんと整頓いたしましょうと、お為ごかしに申し述べましたが、それらの言い分も一応は時宜に叶ったものと思えました。
しかし斯様な屁理窟づけにも拘らず、地鼠大王は天の思惑を懼れ、地鼠的良心の苛責に悩みました。ために大王が万ずにつけ気ぶっせいになり、けなりそうに片足でしか歩まぬのを見た雌鼠は、おのが奴隷となったあるじの心配を心配して、はや其頃は身重となっておりましたが、ソルボンヌ学林風の勘文を徴して、大王の不安を鎮め、その気のつきを晴らそうと思い、ねずみの神学博士たちを呼び寄せました。その日のうちに暗証禅師《エヴゴオル》どのが伺候いたしました。常楽我浄に粛然と美遊していた年くった懺悔聴聞僧で、脂ぎってつやつやしい顔に、美しい墨染の法衣をまとい、塔のように四角で、あたまは猫に爪を立てられたあとを、ちょっと剃髪しておりました。それは布袋腹した、しかつべくさい梁上君子で、陀羅尼の羊皮紙や経典の反故をかじって学の蘊奥を咀嚼し、各種の書冊を腹中におさめて、断簡零墨がその灰色の髯をはだら色にして、まだ口辺には残っておりました。その高徳と叡智と悠々濁遊ぶりに敬意を表した一群の黒鼠に、彼は囲繞されて罷り出ました。ねず公の宗教会の宗規がまだ裁定されていなかったので、これら黒鼠どもも梵妻を擁すことが許され、それぞれに可愛らしい大黒ねずみを伴っていましたが、丸儲けの福々坊主どもは、報恩式につらなる大学教授の行列のように、二列に並んで罷り越し、食料庫の食物を旺んに嗅ぎ始めました。
一同威儀を正して式場に着席いたした時、鼠の老僧正はやおら口を開いて、鼠のラテン語で演説して申すには、神を除く誰一人として、地鼠大王の上に位するものはなく、ただ神にだけ大王は服従をすればよいと説き来たり説き去り、福音書からの引用でけばけばしく飾った美辞麗句を、沢山にならべて本題から脱線し、並いる連中を煙に捲きましたが、まことにそれは凡智の輪切り肉のような、結構なのぶとい理窟附けでありました。その演説は大王をたたえて、日の下に於て大王ほど偉い立派な君子人はないといった絶讃の文句で、太鼓を叩いた結論で結ばれ、ために大王もすっかり目くるめかされたほどでした。
人の好い大王はすっかり頭も逆上し、というよりは逆上あたまになり、これら巧言令色の忠公どもを、おのが屋形に陣取らせたので、夜となく昼となく、大王の栄誉を祝する金色の称讃や栄ある讃歌が、めったむじんに唱えられ、同じくかの雌鼠も非分に欣仰せられました。一同は彼女の足に接吻し、美しい尻を嗅ぎました。雌鼠は若い鼠どもがまだ腹をへらしているのを憂え、なんとか埒を明けて功を全とうしようと計りました。そしてその美しい口つきで色気たっぷりに大王に訴え、千もの甘えぶりを示しましたが、その一つだって、優に大王《けもの》の魂を喪失させるには十分だったでしょう。すなわち大王がお役目柄の見張りに行ったり、物見に出かけたりして、二人の愛の貴重な時間を空費しているのを彼女は不満とし、何時も大王が東西に奔走して席の暖まる暇がないため、愛のおしきせを分相応に授かったことがないと愚痴り、彼女が大王を欲する時、大王は雨樋に跨ったり猫を追ったりしておられるが、冀くば何時も槍のように構えが出来ていて、小鳥のように優しくあってほしいと希望いたしました。悲しみのあまり彼女は灰色の毛を掻きむしって、自分ほど不仕合せな鼠は、世界にないと泣き沈みました。そこで大王は彼女がすべてのあるじであることを説き聞かせて、なんとか誘惑に抗しようとしました。が、雌鼠の流した車軸のような涙を蒙った大王は、遂に休戦を申し出て、彼女の望みを訊ねました。素早く涙を乾かした彼女は、趾に接吻を許しながら、兵士鼠や、屈竟ねずみや、傭兵ねずみや、血気鼠を召し出させて、見張りや巡邏に当らせるよう大王にすすめましたので、早速その言いなりに万事は手配されたのでした。
それからというもの、一日の大部分を大王は、踊ったり舞ったり鼻毛を伸ばしたり、詩人たちが捧げる頌歌や小唄を聞し召したり、琴やマンドリンを弾じたり、折句を作られたり、飲んだり食ったりの大饗宴に耽られてばかりいました。ある日のこと雌鼠は可愛い地鼠・ねずみを産みました。ねずみ・地鼠と申すのが至当かも存じません。こうした愛の錬金術的産物を、どう呼ぶべきかを知りませんが、何れ猫じゃ猫じゃの法官どのが嫡出子に直してくれるでしょう。
(モンモランシイ元帥はその子息を、妾腹ながら正嫡に直った王女と婚姻させていたので、凄い形相で剣に手をかけ、柄も挫けよと握りしめていた《〈5〉》。)
さて彼女の床上げにあたって、食料庫でさかんなお祝いが催されましたが、その盛大さは宮廷のいかな祝宴も盛事も及びもつかず、「金衣裳」の華美をも凌ぐほどでした。到る処の隅々で鼠どもは遊興し、方々で各種のダンスやコンサートやサラバンドや、音曲や歌唱や酒盛や祝《ほぎ》歌《うた》や大盤振舞が行われました。鼠どもは甕を平げ、徳利を倒し、玉杯を傾け、貯え物をからにしました。芥子は河となって流れ、ハムは食い散らされ、穀類は散乱いたしました。あらゆるものが床の上にこぼれ、流れ、放り出され、ちらばりました。小鼠は緑のソースの小川を這い廻り、大鼠は砂糖菓子の海を泳ぎ、古鼠はパイの山を運び去りました。塩漬の牛の舌に跨るいたずら鼠もあれば、酒壺の中で泳ぐ野鼠もありました。なかで最も老獪なのは、お祭り騒ぎをよいことに、しこたま稼ごうと自分の巣に麦をわきひら見ずに運んでいる鼠でした。オルレアンのマルメロの実の前を通りがかりに、歯で一口か、多くは二口、これを齧って敬意を表さぬものとてなく、いやはやローマの謝肉祭そこのけのちゃちゃむちゃらの大饗宴でありました。耳ざとい御仁ならフライパンのがちゃがちゃ、台所のがやがや、竈のごうごう、摺鉢のごとごと、鍋のがらがら、肉炙りのぐるぐる、お碗のかちゃかちゃ、鼎のぐつぐつ、焙烙のぱちぱち、床の上を馳せる足音の、霰のようなざらざらを聞いたに違いないでしょう。それは天手古舞いのお祝い騒ぎの物音であり、召使たち、料理番、給仕人、厩番などの往ったり来たりのてんやわんやの騒音でありました。楽の音、道化役のはしゃぎ、各自のお世辞文句、軍楽隊のタンブリン、教団の鐘の音などは、そこに数え入れないでです。いってみれば底抜け騒ぎの大乱痴気で、誰もが楽しいお祝いに、てんでに音頭をとって、夜もすがら狂い廻ったのでありました。
と、食料庫に用があって階段を上って来るガルガンチュアの怖ろしい跫音が、梁や床や何やかを轟かせて聞えて来ました。老鼠たちはこの物音を訝り、ガルガンチュアの跫音とは誰もが気づかぬままに、慌てふためいて鼠竄いたしましたが、これまた賢明な措置と申せましょう。いきなりそこへガルガンチュアは踏み込んで来たからです。彼は鼠賊諸公の御乱行をみ、貯えの品々や酒壺が空《から》になり、芥子が平げられ、すべてが滅茶苦茶に荒らされているのを見て、叫ぶ遑もあらせずかの淫奔な雌鼠を、ぎゅっと踏み潰しましたので、繻子の衣裳や、真珠や、ビロードや、錦切れも、すっかり台無しになって、お祭り騒ぎもつんとぶちこわされてしまいました。……
『で、地鼠大王はどうなったのじゃ?』と王は物思わしげな顔を棄てられて訊ねた。
『ガルガンチュア族が如何に不公平か、驚くに堪えたるものがございまする。地鼠は死刑に処せられました。しかし貴族としての体面もあり、いさぎよく首を刎ねられました。大王は欺かれたに過ぎぬのですから、些かこれは酷かと存ぜられますが。』とラブレエは答えた。
『そちの話はちと行過ぎじゃ。』と王には仰せられた。
『いや、高遠に過ぎましたのです。しかし説教壇を王冠より優位に置いたのは、陛下では御座いませぬか。拙僧に説法をお求めなさいましたによって、福音書風に申し上げたまででございます。』とラブレエは答えた。
『宮廷の監督坊主さん、妾がもし怨み深かったらどうなさいます?』とディアーヌ夫人は大人の耳許に囁かれた。
『マダム、黄金虫のように宮廷に繁殖する女王一味の伊太利人どもに対し、王様にあらかじめ御忠告申しておくのも、必要では御座いませんか。』
『大変な説教をなされたな。早く異国へ亡命めされるがよい。』とオデット枢機官は耳打ちした。
『閣下、ほどなく愚僧はよみの国に参る身の上であります。』と大人は答えた。
『何ということだ、やんごとない方々に大胆にも楯をつかれるとは。へぼ文士どの、御身は高いところに上りたいと申すか。よろしい。拙者誓って御身を高処に吊して進ぜよう。』と元帥が云った。誰方も御存じのように元《〈6〉》帥の子息は、許嫁のピアンヌ嬢を卑劣にも棄てて、王とアルプス彼方の御婦人との間に儲けられたディアーヌ・ド・フランス《〈7〉》と結婚なされていたのである。
『われわれ悉くは何れは高処に赴く身でござる。したが貴殿も祖国と国王に、誼みを有せられるとなら、拙僧に感謝いたされてはいかが。総てを台無しにする鼠賊どもに等しいロレーヌ家の奴ばらの陰謀を、愚僧は王に忠告して進ぜましたぞ。』
『法師どの、貴下のパンタグリュエル第五巻の出版費用は、拙者が出しても苦しゅうはござらぬ。王をたぶらかすあの婆あ鼠とその一党の仕業を、よくぞ発いて下された。』とシャルル・ド・ロレーヌ枢機官は大人の耳に囁いた。
『さて御説法に対する一同の意見はどうじゃな。』と王は仰有られた。
『陛下、拙者はこんな結構なパンタグリュエル的説法を聴聞いたしたのは始めてです。
この内に入り給え、卿等、世の怒号にもめげず、
真心もて聖福音書の御《み》教《おしえ》を説く人々よ。
この内にこそ、隠所《かくれが》と城砦《とりで》とは備わりて、
邪《よこしま》なる筆もて世を毒せんと苛立てる
かの敵意ある謬説より卿等をば護らん《〈8〉》。
テレームの僧院にこうした詩篇を記された大人に、われわれは厚く御礼を申すことにいたしましょう。』と一座の満足げな様子を見て、メラン・ド・サン〓ジュレエは言った。
廷臣そろってラブレエを称讃し、口々に御愛想を述べたが、大人は特旨に依り松明をともした扈従たちに見送られて、華々しく座を退場にと及ばれた。
われらが郷土の無上の栄誉たるフランソワ・ラブレエどのに対して、悪態や猿《さる》楽《ごう》言《ごと》をつかれる御仁がさわにあるが、それはこの哲学的ホーマー、霊智の王者、滾々たる輝烈豊贍な傑作をあまた産まれし大黒柱の父者に対して、とんだ的外れの誣罔であることは、多言を須いぬであろう。大人のあらたかなおつむを穢す者どもに災いあれ! 大人の聡明慎厚な滋味を味わい知らぬ奴等は、一生涯その歯で砂利を食いあてるがよい!
床しい清水愛飲家、寺精進の忠実なしもべ、二十五カラットの大学者、わがラブレエ大人よ、もし御身が再びシノンに蘇って、御身のたぐいなき著作を、解釈し、註解し、寸断し、辱しめ、誤解し、裏切り、弑逆し、変造し、汚濁するあっけらぽんの下卑助どもの、けったいな繕いぶりや、迷妄な補綴や、あじゃらな反故貼りを読みめされたなら、それこそ止めどない爆笑と嚔気《くさめ》に、おかかりめされることだろう。パニュルジュが教会でさる奥方の裾に、数多の犬が戯れるのを目にしたように、あたまに脳膜なく、横隔膜に収縮のない二本足の官学帽先生が、御身の高爽な大理石のピラミッドを、糞《まり》だらけにいたすのを、大人は御覧になるだろう。そのピラミッドにこそ、幻想的で滑稽な創見のあらゆる種子がセメントづけされ、万物に対するいとも素晴しい訓えがおさめられているというのに、作麼生《そもさん》、なんたることだろう。
思索、方法、神気、悟道、慧智、人世の虚幻等々の大海の中に、崇高な遍歴を行う御身の巨舫の潮路を、追い従うほど呼吸の長い巡礼者は、よしんば数尠いにせよ、その少数の捧げる薫香の礼讃は、何の交り気もない純な良質のそれであり、御身の全能・全智・全句は、彼等に依って見事に認讚せられておるのである。さるにより陽気なトゥレーヌの貧しき伜である吾儕も、御身を正しく按定せんがために、ささやかながらここに御身のすがたを讃美し、御身の不朽の名著を褒めたたえる次第である。それと中核を同じゅうする作品を愛する読者に、御身の著作ほど讃仰せられおるものはない。そこには仁輪加狂言式のおどけ振りの彼方に、精神的な宇宙が閉じこめられ、樽の中の鰯のように、あらゆる哲学的思索が、もろもろの玄学が、くさぐさの芸術が、たぐいなき雄弁が、ぎっしりと詰められておるからである。
(1) トリブウレ。ルイ十二世、フランソワ一世につかえた道化師、一五二八年卒。
(2) クレマン上人(一六〇―二二〇)大学者、神学者。その著『ストロマート』八巻は断簡として遺れり。
(3) クルチウス。ローマ伝説、西紀前三六二年ローマに対する神の怒りを解かんため公会堂の坑隙中に自ら身を投じて死す。
(4) コナール版では「王の寵妾の婿殿であったモンモランシイ元帥は、凄い形相で剣に手をかけ、柄も挫けよと握りしめていた。」の一句がここに挿入されている。
(5) ここの二行はコナール版になし。
(6) コナール版では以下は次の通り。『元帥はディアーヌ夫人と王との間に儲けられた御息女と結婚せんがために、婚約中のピアンヌ嬢を卑劣にも裏切られていた。』但し史実ではディアーヌの娘はドオマル公に嫁している。流布本のモンモランシイ元帥は父のアンヌを指し、コナール版では息子のフランソワを指しているが、より史実を重んじて、ここでは流布本に従いたい。けれど元帥の結婚は何れにせよラブレエの死後(一五五三年)のことである。
(7) ディアーヌ・ド・フランス(一五三八―一六一九)アンリ二世とピエモンテの女フィリッパの間に生れ、アンヌ・ド・モンモランシイ元帥の子息フランソワに一五五七年嫁す。
(8) 渡辺一夫氏訳『ガルガンチュワ物語』第五十四章。
妖魔伝
プロローグ
めぐし国トゥレーヌの昔話、綺譚、好笑、艶事などを熱心に探索いたした吾儕は、郷土の衆を啓発すること、大なるものがごあったとみえ、吾儕なら慥かに何でも知っとるに違いないと合点してか、もちろん一杯呑んでの揚句のことだが、トゥールの町の灼熱《シヨード》街の名称の来歴、町中の女子衆が好奇の念を燃やしているその語原的いわれが、解《げ》せたかどうかを訊ねられる土地の衆が多い。この街に修道院が沢山にあることを、古い町の衆がお忘れめされたとは怪訝じゃと、吾儕はこれに答えて参った。つまり坊さんや尼さんが性の焔を厳しく抑圧めされた結果、その余燼が塀を焦すほどに熱くなり、夕方など町の良家の御婦人が、あまり、ゆっくりと塀ぎわを散策などしてござると、たちまち身ごもるくらいではおりないかと、これに名答をばいたした。ところが学者振った田舎紳士は、むかし町の女郎屋が、みんなこの界隈に追いこまれたところから、その名が起ったのだと陳ぜられた。また学の蘊《こせ》奥《こせ》に迷い込んで、世に解らぬ金ピカの言を吐き、人を煙に捲こうとて言葉を修飾し、新古の音節を調和し、慣用語をならべ、動詞を蒸溜し、ノア以降の諸言語を錬金術化いたし、ヘブライ、カルデヤ、エジプト、ギリシャ、ラテン等、またトゥールを建てたトゥルヌスなどを引用めされたはてはChauldからhとlを取ったCauda(尻尾)と申すラテン語に、街の名は由来しておるゆえ、本件にはぶら下り物が関与いたしておる筈など申された仁もごあるが、御婦人方にはこの最後の尻《いち》尾《もつ》の件しか、解らぬように見受けられ申した。またこのところにはむかし、熱泉が湧いて、現に高祖父の太翁などはそれを呑まれたものじゃと語る老人もござった。
こうした訳で蠅が一番つがうくらいの僅かな間に、ポケット一杯もの仰山な語原説があつまり、事の真相は托鉢僧のむさい長髯の中に、虱を見つける以上の難事と相見えたのである。なかに一人、あちこちの僧院に足を踏み入れ、夜なべに沢山の油をついやし、幾多の書冊を掘り返し、トゥレーヌの歴史に関する文献や記録や蠧書や零墨や旧記を、堆《うずたか》く積むこと、八月の農家の納屋の麦稈以上という博学のお年寄が、脚痛風でよたよた隅の方に引込んで、一言も先刻から口を出さず、ちびりちびりと呑んでござったが、唇をゆがめて学者風の微笑を洩らしめされているうち、その微笑がチェッという舌打ちに、はっきり変ったのを吾儕は聞きつけ、さては歴史上面白い話を沢山に知ってござるに違いないゆえ、この甘美な編著に雅趣を添えて戴きたいものと内心願っておった。
ところが翌日、この老人が吾儕に申すには、
『貴殿の「仮《かり》初《そめ》の咎《とが》」となん題する詩文を読んで、儂はすっかり畏敬の念を篤くしましたわい。あれこそぴんからきりまで、すべて真正の物語じゃ。あのようなテーマを扱うに際しては、真実の過剰こそ何より尊いものと儂はかねがね信じておる。したが貴殿はブリュアン・ド・ラ・ロシュ〓コルボンどのに依って、尼寺に入れられたモール娘に、その後起ったことどもは、いちえん御存じがなかろう。儂はそれを知っておる。で、もしショード街の語原や、エジプト尼僧のその後のことを、是非に知りたいと思召すなら、儂どもの明日が日のいのちも知れぬという騒ぎの頃、劫掠された大司教館の図書室の、宗門吟味帳の中で見つけて参った、古い珍しい訴訟書類をお貸し申そう、御得心か、いかがじゃな?』
『是非ともお願い申す。』と吾儕はこれに答えた。
この真実蒐集家は吾儕に、立派な、しかし埃だらけの羊皮紙文書を貸与いたしてくれた。吾儕は尠からぬ難渋を以て、これな古い宗教裁判文書をフランス語に訳出いたした。往昔の素樸な愚昧に満ち満ちた古臭いこの裁判事件を、現実的に蘇らすほど、滑稽なことはあるまいと信ずるゆえ、なにとぞ御清聴を煩わしたい。すべては稿本の順序通りであるが、但し用語が面妖に晦渋だったため、何時もの吾儕の流儀を用いたことをお断りしておく。
一之巻 妖魔の正体のこと
† 聖父と聖子と聖霊の御名によりて。アーメン。
御出生以来一二七一年、それがしことジェローム・コルニイユは、さきにトゥールの大伽藍サン・モオリス僧会の緇徒たちに依り、大司教ジャン・ド・モンソロオ猊下御臨席の下に、任命せられたる異端糺問所長、宗門法務判事にござるが、トゥールの町民どもより苦情を申し立てられし訴願の趣、きつく僉議いたそうと存ずる。なお訴えの告文は別葉添附いたしたが、女人の容儀を装いし疑いある悪魔の所業に関し、管区の貴族、町人、下人ども、それがしの面前に於て、左の如き証言をいたしてござる。なお該管区の人心をいたく攪乱したる廉を以て、問題の女人は目下、僧会所属の牢獄に閉じ籠めてござるが、訴状の真偽黒白を確むるため、十二月十一日月曜日、弥撒に身を浄めてのち、一同はこれが審問に着手し、各人それぞれの証言を該悪魔に伝達し、その罪状の反駁と弁明を聴取いたしたる上、悪魔調伏令に基き、裁断つかまつろうと存ずる。
さて、証人訊問の際には僧会の書役、聞えた博学の士ギョーム・トゥルヌブゥシュどの立会めされ、それがしのために、その悉皆を書き記してござる。
第一に我々の前に出頭いたしたるは、ジャン、又の名をトルトブラ(捻れ腕)と申し、トゥールの町人にて、官許を得てポン広場に「こうのとり《シ ゴ ニ ユ》亭」なる旅館を営んでござるが、福音書に片手をあて、その魂の済度にかけて、親しく見聞せる以外のことは、毛頭述べぬよしを誓言の上、次の通りに物語って候。
お祝いの花火が揚ったサン・ジャン祭のおよそ二年前のことです。聖地からちょうど凱旋めされた国王の麾下の侍と覚える、生面の貴族が、私の処に参りまして、サン・エチアンヌに近い僧会所領地に建てた別墅を、貸してくれと申しましたゆえ、純金ビザンチン貨幣三枚で、九ケ年の賃貸契約を結びました。
その屋敷にサラセンかモハメットの蕃夷の身なりをした、美しい女らしいものを、騎士は愛妾として囲いましたが、矢《や》頃《ごろ》より近くは何人をも近づけず、また覗かせもしませんでしたので、私がこの目で見ましたのも、ただその女人のあたまに附いた面妖な羽根飾りと、此の世のものならぬ白い顔色と、地獄の業火をでも移したような焔々とした眼ばかりでした。
屋敷の様子を窺うような奴は、容赦なく叩っ殺すと、故人になった騎士が脅しましたもので、私もひどく怖れ上って、あの家は任せきりにしておりました。したがあの異国女の不祥なすがたに就いて、疑惑と邪推を今日《きよう》びまで私は、心ひそかに蔵して参りました。いや、まったくあの女ほど窈窕たるのは、ついぞ見たことがございません。
当時、各層の多くの連中は、次のような噂を立てておりました。すなわち、あの騎士はこの世のものではない、トゥレーヌに住みたがった悪魔が、女人の姿を藉り、魔の呪文と媚薬と蠱惑と妖術の業に依って、あの騎士の両足を立たせているのだ、云々。またそう評判がたつのも尤も、何時見ても騎士は死人じみて蒼く、その顔色といったら復活祭の聖燭の蝋そっくりでした。シゴニュ亭の傭人はみな知っていますが、着いて九日目に、騎士は埋葬されました。死者の枕許で騎士の楯持が恐ろしげに私に打明けたところでは、騎士はまる七日間、別墅に閉じ籠ったきりで一歩も外に出ず、モールの女人と熱烈な添臥に及んでいたそうです。なんでも長い髪の毛で妖魔めが騎士に絡みついて、お腹の上に金縛りしたため、熱気を帯びたその髪は、愛の形儀をもちいて、キリスト教徒に地獄の火を通じ、魂を身体から引抜いて大魔王に捧げるまで、とことんやりぬかせおったのだと、その頃、噂する仁もござりました。しかし私はそれをこの目で見たわけでもありません。目にしたのは、ただ亡くなった騎士が憔悴し腎虚し、動けないくせに懺悔聴問僧に逆らってまで、なおも囲い女の許に赴こうとしていたことだけで、その名はブュエイユ殿と申し、十字軍に加わり、ダマスクスかどこかのアジアの国で出会った妖魔の蠱惑に、魅せられたのだと町の人は申しておりました。
賃貸契約の条項に従えば、未知の女人にそのまま家を任せる仕儀になりますので、ブュエイユ殿は亡くなったが、矢張り引続いてその家に住む積りかどうか、直接あたって聞いてみようと、私は別墅に参り、押問答の末、白い眼をした半裸の黒人に導かれ、妖魔の前に連れて行かれました。金と宝玉で輝き、眩しい光に照らされた奥の間で、薄物を纏ったそのモールの娘は、アジアの絨毯の上に坐しておりました。傍らには魂を失った別の貴族がはべっていました。その女人の眼を見ただけで、こっちもすぐ耽溺してしまいたい気になり、声を聞いただけで、お腹が縮み、あたまも一杯になり、魂も堕落させられそうでしたので、私にはその女人をよう眺めるだけの度胸も出ませんでした。そんな塩梅式なので、神を畏れ、地獄を怖れるのあまり、俄かに私は踵を廻らせ、屋敷は妖女の好き勝手に悉皆任せることにいたしました。魔の熱気の湧き出るモール女のかんばせに接するのが、それほど私には険呑に思われたのです。それに生きた女人の足とは、到底に考えられない小さな華奢な足といい、人の心に深く食いいってくる声音といい、まったくの話、あの日以来、二度と再び自分の家ながら行く気がしませんのです。地獄に堕ちるのがひどく怖いものでして、はい。
次いで上記のトルトブラに、アビシニヤ人かエチオピヤ人かヌビヤ人の、頭から爪先まで真黒な黒人を引合せたるが、この者は基督教徒がみな普通そなえおる男性の持物を欠如し、幾度かの体刑や拷問にも、呻きはしたれど沈黙を守り通せしゆえに、仏蘭西語を弁ぜぬことが立証せられたるが、異端のこのアビシニヤ人をトルトブラは、かの妖魔の館にあって魔霊と気脈を通じ、妖術に手をかしたる疑いある男と同一なることを認定仕って候。
さらにトルトブラはカトリックの御宗旨に対する彼の大いなる信念のほどを吐露してのち、上記以外のことは皆目存ぜず、他は何人もよく弁えおる巷説を耳にしたるのみにて、それもただ聞いたという以外に、何等証言をなし得ぬ底のもののことを述べてござる。
召喚に応じて、次いでマシウ、一名コニュフェチウ(無駄骨折り)なるサン・エチアンヌ料地の日雇百姓罷り出で、真正を述べることを福音書に誓い、次の如くに告解仕り候。
――例の異国女の館には、常々明りが煌々とともされ、祭日や断食日にも昼夜、大勢の来客がありし模様にて、埒もない悪魔笑いがさかんに聞え、殊に復活週や降誕週にはそれが甚だしく、またかの館を窓越しに見た様子では、魔法でも用いたように、冬でも百花繚乱と咲き匂い、石の凍みわれる厳寒というに、薔薇など殊に見事でござったが、さだめし大変な熱気が要り申したのであろうこと、但しそれも驚くに当らぬと申す仔細は、かの異国女が体内より烈しい熱気を発散しおるゆえにて、晩方あの女人が塀傍を散歩せし翌朝は、隣のわが畑のサラダが著しく生長しおるのを発見、且つかの妖女のスカートがちょっと木に触れたのみにて、樹液を発進させ、芽立ちを早めたるさえありしこと、もともとおのれは朝は早くより稼ぎに出で、夜は鶏の塒に就く頃には床に入る慣わしゆえ、以上のことの他は何も存ぜぬ次第を、彼は最後に述べて御座る。
続いてコニュフェチウの女房が出廷、宣誓ののち、本件に関しその聞知しおる一切を述べるよう申し渡せしところ、徒らにかの異国女の礼讃を喋々と述べるのみにて、太陽が八方に光輪を投ずる如く、大気中に愛を四方にまき散らすかの優しき女人と隣りあって以来、女房に対する亭主の仕打が、いと情深くなったなどと、突飛なあだぐちを述べたてたるゆえ、ここに詳しく記することは差控えて候。
コニュフェチウ夫婦に件の怪しきアフリカ人を示したるところ、かの屋敷の庭に於て見かけたることある由を口々に述べ立て、まさしく悪魔の一味なることを肯いてござる。
第三番目に進み出でたるは、マイエの領主アルドアン五代どのなるが、宗門の御《み》法《のり》に光を与えられんことを、我々より恭しく懇請せるところ、老殿には快くこれを応諾あそばされ、親しく目睹せし以外は一切妄語せざることを、武士の面目にかけて誓われて御座る。
問題の悪魔に殿が初めて接せられたるは、十字軍に参陣の砌にて、ダマスクスの町にて故人ブュエイユどのが、かの女人を独占すべく決闘に及ばれたるを、目撃せられし由に候。かの賤女、乃至悪魔は、当時ロシュ・ポザイの領主、ヂョフロワ四代どのの持物にて、サラセン生れなるも、トゥレーヌよりこれを召連れ参ったる旨、常々ヂョフロワどのには揚言せられ、仏蘭西騎士の面々を煙に捲きたる次第に御座るが、それにも増して人を驚奇せしめたる一事は、たぐいなき妖魔の艶冶ぶりにて、陣中にても旺んなる評判となり、数多のいまわしき惨事の因ともなった由にて候。すなわち征旅の途次、この賤女を繞って数多の流血の惨を見、妖女の愛顧をひそかに享けたる若干の殿方の言に依れば、いかなる女人も遠く及ばぬ愉楽を授けるかの女怪を、一人占めにと謀ったる十字軍の豪傑が、あまたロシュ・ポザイどのの手にかかって果てられたげに御座る。
したが最後にブュエイユどのがヂョフロワ殿を討って、この殺人鞘のあるじとも領主ともなられ、サラセン式に修道院乃至は後宮《ハレム》の中に、妖魔をかくまいたる由にて候。まったその以前のことなるが、妖女の饗宴につらなりし方々は、妖女が海波蛮貊のさまざまな方言、アラビア語・ローマ帝国内のギリシャ語、モール語、さらに陣中に於ける仏蘭西語の達人名人も舌を捲くほど見事な仏蘭西語をまで、自在にその紅唇に操るのを、見もし聞きもしたる由にて、彼女の魔性に就いての一般の取沙汰は、専らここより胚胎いたせし趣にてござる。
更にアルドアン殿が懺悔して申されるは、聖地に於て彼の女人の争奪をめぐる血闘に、殿が加わらなんだ仔細は、恐怖に依るに非ず、無関心その他のゆえにもあらず、実に本物の十字架の断片を、殿が肌身につけておられたのと、またギリシャのさる上臈衆に、昵懇いたしおったる果報の賜物にて、この婦人が殿より実質的に何もかも奪いめされ、他の女人への分など、心にもまた身体のどこにも剰さぬほど、朝に晩に、色ごころを殿より抜き取り、かかる危険なる目から殿の身を救済いたしたる為にて候由。殿が我々に確言せられしところに依れば、トルトブラの持家に住みなすかの女人は、まさしくシリヤの国より参ったサラセン女に相違なく、クロワマールの若殿に招かれ、妖女の宅に催されし遊宴に列したる折、しかと見覚える由にて候。なおクロワマール御母堂の申条に依れば、その遊宴の一週間のち、若殿にはかの女人との交合に、悉くの精力を消耗いたし、妖女の奇怪な気まぐれのままに、財宝を散じ尽したる揚句、かいもく無一滴無一物のうちに、遂に身まかったげにござる。
郷国に於ける廉潔と叡智と権威とを具現せる達士と、老殿を見込んで、かの女人に対するその忌憚なき見解を徴したく存じ、宗門の信と神の正義にかかわるいとも禍々しき大事ゆえ、なにとぞ本心を御吐露めさるよう、我々より勧請せられたる殿には、次の如くに答えられてござる。
十字軍の陣営に於ける殿の仄聞に依れば、跨る殿御にとって、常にかの妖女は生娘でござったは、まさしく魔物が妖女の裡にひそみ、その情人の各々に接する毎に、妖女に新たなる素女点を賦与し参りしものに相違ござないなどの、酔いどれのたわごと如きを、数々と殿には耳にせられたる由にて、むろんこれらの阿呆言は、福音書第五篇を編むに資するが如き性質のものでは御座なく候由。したがここに慥かなることは、アルデアン殿、人生の下り坂にある老武弁にして、はや快楽を何一つ覚えぬ目口かわきの老殿が、クロワマール若殿の招宴にあずかったる最後の晩餐に於ては、まさしく回春の情を催され、俄かに壮漢に若返りし如く、魔女の声音は殿の耳に達するより前に、早くもその心臓に直結し、殿の身体に愛の激動を勃々たらしめ、ために老殿のいのちも、いのちを授けられるその個処から、逆に喪失退潮せんとする始末にて、なにがさて妖魔の焔々たる眼を見ぬよう、また魔女の裡にて命玉を引抜かれぬよう、殿にはしたたかサイプラスの酒をあおられ、目ぢからうせて腰掛の下に倒れ伏したるこそよけれ、さなくば妖女をよし一度なりと自由にせんものと、クロワマール若殿をまさしく殺害にも及んだに相違ござないと、殿には顧みて申されてござる。その後老殿には、早急にこの邪念を懺悔聴聞僧に告解し、また天のお告げに依り、本物の十字架の遺物を、御内室より取り戻して肌身につけ、城館深く蟄居いたされ候も、如上の基督教徒的予謀にも拘らず、妖女の声は殿のあたまへ常始終纏綿いたして、朝方なぞは、火縄のように燃える女怪の胸乳を、屡々老殿には想起に及ばれたる由にて候。
かの賤女と対決に相見ゆるは、いと熱くるしく、且つ半ばはや死灰の老体を、若者のごと燃え立たしめられる惧れもあり、その際むやくな精力の横溢泄瀉を来たし過ぎて、身を耗ってはとの憂慮に及ばれたる殿には、愛の女王との対面を容赦せられるよう我々に要請し、かの女人はもし悪魔でなくんば、男の一物を制する異常なる免許を、父たる神より授けられし秀でた女子じゃと申されて候。己が証言の口供書朗読に耳をかし、例のアフリカ人を女人が召使にしてその小姓たるを認知いたしてのち、老殿には罷り出られてござる。
第四番目には、僧会及び大司教猊下の名に於て、一切、拷問責苦は加えざること、商用旅行の関係上、本証言の後は二度と召喚いたさぬこと、聴取後は自由に引取って差支えなく、身柄拘束なぞ決して之を行わぬこと、以上三点を我々に誓わしめてのち、サロモン・アル・ラスチャイルドなる猶太人、出廷に及んでござる。人柄の賤劣と、その奉ずる猶太教にも拘らず、敢えて我々が彼を召喚してこれに傾聴したる所以のものは、かの悪魔の非行を悉皆聞知せんがための熱意に他ならず、またサロモンに宣誓を免れしめたるは、彼が宗門の埒外にあり、(我々ノ間ニ居ル救世主殺害者)われらが救世主の御血により、我等と隔てられおるためにござる。
王の勅命及び宗法を蔑視して、あたまに緑の帽子も冠らず、着物の左胸部にはっきり黄色の輪も縫いつけずに、出頭いたせし理由を詰問せられて、アル・ラスチャイルドには国王より下付せられ、トゥレーヌ及びポワトゥ奉行の副署あるお目こぼしの特免状を、我々に提出いたしてござる。
トルトブラの別墅に住む婦人と、夥しい商取引をいたせる旨を該猶太人は申し立て、さてもその売却いたせし品々とは、繊巧な彫物ある数枝の金の燭台、鍍金《めつき》せる銀盆、宝石・エメラルド・ルビーで飾りし脚附洋盃、東方より取寄せたる多数の高値なる織物、ペルシヤの絨毯、綾絹、布帛なんど、其の他いかなる基督教国の女王も、御座右に有せられぬ宝玉や調度の数々の絶品、なおまたインドの花卉、鸚鵡、小鳥、羽毛、香料、ギリシャの酒、ダイヤ等珍奇なる代物を、八方探索して彼の女人に調えし結果は、三十万リーヴルの金貨を妖女より受取りたるげにござる。
巫呪卜筮の品々、嬰児の血、禁呪書、その他妖術師が用うるあらゆる符呪を、供給に及びしことの有無、よしや要求に応じたりとも、毫も其方に累は及ばざるべしと、厳しく糺問せられたる猶太人は、この種の商いを行いしこと絶対になしと、ヘブライの宗旨にかけて誓言し、かかる三文取引を行うことは、あまりにも高利の金子に身を縛するも同様、いやしくもモンフラ侯爵、英国王、サイプラス王、エルサレム王、プロヴァンス伯、ヴェニス、ドイツの名士諸侯など、お歴々の貴顕の金子御用達に任じ、各種の貿易帆船を有して、サルタンの庇護の下にエジプトに赴き、トゥールの両替市場に参っては、金銀の貴重品を手広く取引いたしおる名門の豪商たる彼が沽券にかかわる旨、大見得きって陳じてござる。なお問題のかの女人は実法な、尋常一様の女性と存ずるも、ただしかくばかり窈窕艶冶の女人は、嘗て目にしたることなしと申し、魔性の女なんどとのよしなき噂も、人並はずれたるその美貌に、起因するものなるべしと語り候。
さるはまた奇怪なる想像力にかられ、恋慕の情やみ難きまま、彼女が空閨たりし折、彼はこれに言い寄りたるところ、かの女人には応諾いたしたる由にて候。
なれどこの一夜の契りにより、彼は其の後長い間、骨は脱臼し、腰は打挫けたる趣なるも、一度陥りたる者は二度と戻れぬとか、錬金術師の坩堝の中の鉛塊さながらに、鎔かされてしまうなんどの世上の浮説の如き経験は、絶えて覚えざる旨、語り申し候。
悪魔と交合せることを自認せる如上の証言にも拘らず、護照既に与えたる手前、我々はサロモンを帰宅せしめて候。基督信徒が何れも一命を損じおるにも拘らず、無事息災なりし彼は、立去るに当りてかの悪魔に関し、一つの提案を遺して候。すなわちかの女人が生きながらに火炙りの刑を宣告せられたる場合は、それが身代金として、目下建造中のサン・モーリス教会の最高塔の建築仕上費を、大伽藍の僧会に寄進せんと云うにあり。
如上の提案に対しては、然るべき折り僧会を開いて協議いたすこととし、その段ここに書き遺しおくものなり。サロモンはその住所を告げることを欲せず、僧会の回答はトゥールのユダヤ街に住む猶太人、トビアス・ナタネウスを介して通告せられんことを乞い、退廷いたしたるが、その立去るに先立ちアフリカ人を引合せたるところ、悪魔の小姓なることを認め申し候。なおサラセン人は古来の仕来たりにて、女人の見張役を託する奴隷を、かく去勢せしめる慣わしなることをサロモンは申し、詳しくは稗史のコンスタンチノプルスの総督ナルセズの項、その他のくだりを参照いたせば、明白なるべき趣を語り遺してござる。
翌日、弥撒ののち、第五番目の出廷人として、淑徳高きクロワマールの奥方が蓮歩を進められ、福音書にかけて誓われて後、泪ながらに御後室には、魔女と荒淫の結果、身まかりたる嫡子の逝去の次第を物語られてござる。二十三歳に相成る御令息には恰幅よく、男前も雄々しく、亡き父殿に劣らず髯むじゃらな骨柄男なりしところ、巷間伝うるところの「ショード街の妖魔」と交媾に耽りしため、遂には痩削し、形容腎虚の相あらわれ、僅か九十日で徐々に蒼ざめ、母の権威も及ぼすによしなく、最後の数日は、部屋の片隅に掃除婦が見つけし枯痩の虫《むし》螻《けら》の如くにひからび果て、しかも歩く気力のある限りは、体力も財力も空にせられた、かの呪われし女人の許にて、なおも生を遂げんとし、瀕死の床にあっておのが死期の近づくを知るや、家じゅうを、妹を、弟を、御後室の母君をまで、呪い、罵り、数多の悪声をば放ち、懺悔僧を侮り神を否定し、堕獄者として死ぬ決意のほどを表明され、一家のものをいたく悲しませし趣にござる。されば若殿の魂を地獄より救い出ださんため、施主として年に二回の弥撒を、大伽藍に厳修いたし、且つは聖域に亡骸埋葬方の許可を乞うべく、クロワマール家は向う百年間、復活祭当日のお蝋を、礼拝堂や教会に寄進いたす所存のことを、僧会まで申し出でられて候。臨終の折に参ったマルムウチェの高僧ルイ・ポット猊下が、耳にせられし悪態口以外には、故若殿がその命取りのかの悪魔に、つゆちり言及いたせしことなしと、最後に立証あそばされてのち、深喪に打沈んで淑徳高き御後室には、退席いたされて候。
休会ののち第六番目に我々の前に出頭せるは、ジャッケット、一名、車軸塗布用豚脂《ヴイユー・オワン》なる台所の皿洗い女にて、目下、魚河岸に居住なし、皿拭きに各家を廻る老婆にて候。真正と信ずる以外のことは、一切口にせぬ旨誓約ののち、老婆は次のごとくに述べてござる。すなわち彼女は、妖魔が男性をのみ取啖うさがなるを存ぜしゆえ、少しも怖れず妖女の台所に廻りおりたるところ、ある日妙適に着飾った妖魔が、その庭を貴公子と逍遥しながら、並の女人の如くに笑い興じておるさまを見て、かの妖魔がトゥレーヌ及びポワトゥの奉行、故ブリュアン・ド・ラ・ロシュ〓コルボン伯により、エグリニョルのノートル・ダム修道院に帰依得度せしめられしモール娘に、生写しなることを相認めたる旨、申して候。およそ十八年が程も前、エジプトの浮浪の徒、われらが救世主の御母、聖母マリア様の御像を盗み、場所柄もわきまえずそこに遺し去ったるかのモール娘の一件に就いては、当時トゥレーヌ州に打続く騒乱勃発のため、記録のこれを伝えたるものなきも、約十二歳のこの地獄の少女は、火炙の刑を免かれて洗礼を受け、奉行御夫妻が洗礼親とまでなられし由にてござる。当時、修道院の洗濯女たりしジャッケットは、モール娘が入門後二十ケ月にして脱走せることを、記憶に留めおる旨陳述いたしてござるが、しかもその韜晦ぶりたるや、至極巧みにして、今日に到るまで如何にして脱出せしものか、その足取りさえ判明せず、もとより修道院内に厳しい吟味を遂げたるも、脱出経路の痕跡杳としてなく、万事は平生通りにまかりありたる趣にて候。ために悪魔の助けにより空翔りて逃れたるものの如く、当時は一同、取沙汰いたせし由にて候。なおかのアフリカ人を皿洗い婆に示したるところ、見覚えなしと申し、モール女が樽挿口《さしぐち》に依って男ごろしをなす濡れ場の見張り役ゆえ、かねて該黒人に好奇の念を寄せおりたる旨、自解してござる。
第七番目に我々の前に召喚せられしは、ブリドレ殿の御子息、当年二十歳に相成る物狂いのユグウでござって、父殿の藩領を対人保証として、暫時のあいだ保釈出獄をいたしおる者なるも、特に本廷に出頭いたさしめて候。彼は未知の悪童数名をかたらい、大司教及び僧会直属の牢獄に侵入し、問題の妖魔を脱獄せしめて、宗法の権威を削がんとの不逞を企てたる廉により、正式に起訴せられ、その処断を受くるや否やは、すべて本件の成行如何に係わる次第にて御座る。されば悪魔についてその知悉しおる一切を、誠実に証言致すよう、妖魔と交合いたしたる悪名の高き不所存者の彼に申し聞かせ、事は彼の魂の済度とかの妖女の一命に関する重大事と、説得つかまつってござる。よって宣誓の後、彼は次の如くに申して候。
「――永遠の僕の後《ご》生《しよう》と、今この僕の手の下にある福音書にかけて、誓って申します。悪魔と疑われているあの女人は、まさしく天使です、一点の非の打ち所もない女人です。肉体的というよりは遥かに精神的な意味に於て、敢えてそう申し上げたいのです。まこと実法な有《う》徳《とく》な暮しをせられ、愛の温雅と秀麗に満ち、邪気などは微塵もなく、それどころかいと義気に富まれ、貧しい人や悩める者を、沢山に救われております。友達のクロワマール殿が亡くなった時も、心底からの涙を流して、さめざめと泣かれたのを、しかとこの目で見たくらいです。お役がつとまらぬような弱い華奢な体質の若い公達には、愛のお情は今後は一切授けぬことを、聖母マリア様にかけてあの日、堅くあの人は誓われたので、僕に対しても身体を任せることを、雄々しく拒み続けられ、心のみの愛とその占有をだけ僕に許して、あの人の心の主と、こっちを定めてくれました。うるわしいこの賜物を受けて以来、僕は情炎がいや増しに募るにも拘らず、一日の大部分をひとりぼっちのあの人の家で過し、その姿を見、その声を聞くのを、この上ない果報としました。僕はあの人の傍らにあって食べ、あの人の咽喉に入る大気を倶に頒ち、あの人の美しい眼を輝かせる光りに与に浴し、こうした瑣事《メチエ》に天国の衆が味わう以上の法悦至楽を覚えました。あの人を永遠のわが想い人と、僕は選び定めています。何時の日かはあの人を僕の鳩、僕の妻、僕の唯一の恋人にすることを、堅く心に思い決したのです。憐れな風狂人である僕は、あの人から将来の快楽の前渡しといったものは、何一つとして受けてはおりません。それどころか沢山の有徳な助言を、あべこべに授かっていたくらいです。立派な騎士としての誇りを如何にしてかち得べきか、強い健かな偉丈夫となるには如何に修行すべきか、また神の他は何も怖れてはならぬこと、貴婦人たちを敬い、そのうちの一人にのみ誠心をつくし、その人を懐い偲んで悉皆の上臈衆を敬愛いたすべきことなど、この僕に訓えさとしてくれました。そして武芸の鍛錬で強壮になった暁、僕の心になおあの人が好ましかったら、その時こそあの人は、僕のものになってくれるという約束です。僕を熱愛しながら、待っていてくれるというのです……」
かく申してユグウの若殿は涙に沈んで候が、泣きながらも次のように申し添えられてござる。すなわち、金鎖の軽い重みも支えるに堪えがてな、華奢優婉なかの女人の繊手が、無慚にも鉄鎖でいましめられ、不当な冤罪を蒙って、囹圄に悲惨な日々を送りめされるのを想望し、痛憤やるかたなきあまり、遂に不逞を企てたる旨申し立てて候。なお若殿は宗教裁判に対し、堂々と抗訴いたす権利ある旨を抗弁し、そのいのちは、かの優雅な女人のいのちに堅く結びついてござれば、妖女が悲運に際会するの日は、まさしく己が最後の日なるがゆえにと申し述べられて候。
さらに若殿には悪魔の礼讃に、数千言を費して怒号してござるが、それこそ彼が烈しく妖魔に魅入られおる何よりの証拠にて、目下陥れる忌わしくも穢れた度し難い堕地獄の悪趣に、虚妄の妖気、身辺になお濛々たるを、一段とそれは立証いたすものと存ぜられ候間、悪魔の呪縛のため手遅れの憂いさえなくんば、地獄の罠よりこの若き魂を、悪魔祓いと悔悛の秘蹟に依って救済いたされるよう、大司教猊下の然るべき御裁断のほどを、茲に懇請仕って候。
次いで彼にアフリカ人を引合せ、妖婦の下僕と認定せしめて後、父殿の手に引渡してござる。
第八番目に大司教猊下の警士が、恭しく附添って導き参ったるは、御本尊モン・カルメルの名で知られた聖母修道院の院主、あてにいつしき尼公ジャックリイヌ・ド・シャンシュヴリエさまにて候。現在該修道院の檀家筆頭たるロシュ・コルボン伯爵閣下の父御、今は亡きトゥレーヌのさきの奉行に依って、ブランシュ・ブリュアンなる洗礼名を賜ったエジプト娘は、かつて修道院の礼律下に預けられたる一女性たりし故にてござる。
宗門の安危、神の栄光、悪魔に悩む管区民の永遠の福祉、或は冤罪なるやも計り知れぬ一女性のいのち等々は、本件に等しくかかわりおる一大事なるを以て、尼公に事のあらましを伝え、クレール尼の名の下に、救世主にとつぎたる神の娘、ブランシュ・ブリュアンの魔幻の失踪について、その知悉しおる一切を証言いたすよう要請仕ったれば、いしくも高く貴くかしこき尼公には、次の如くに語り申されてござる。
身許は不詳なるも、神の御敵なる邪宗門の父母より生れ落ちし疑いのあるクレール尼は、「不肖ながら」宗規に依り任を授けられ、小尼が管理いたすわが修道院に、かつて帰依いたせし新発意に相違ござなく、初めの程は沙弥尼クレールもその修練期間を実法に済まし、宗門の戒法通りに誓を立て、道心堅固と相見えしも、宣誓式の後はいたく悲愁に沈み、とみに顔色も蒼ざめたる故、尼公にはその憂愁がちの業因に就いて問いただせられたるところ、少しもその訳合を存ぜぬ次第を泪ながらに答え、さらに語って申すには、頭上に緑の黒髪を感ぜぬのが、千と一つの泪の種と告げ、その他、やれ空気に渇えてかなわぬの、大空の下での昔の生活通り、木から跳び下りたり、よじ登ったり、跳び廻りたくてたまらぬの、昔その下蔭に寝た森を夢みて、夜は涙ながらに過して居るのだの、さような想い出に悩まされて、息苦しい修道院の空気の質がいやでたまらぬの、身体の内から禍々しい蒸気が湧き出して困るの、おのれを狼狽させるていの不逞な考えから、教会内でひそかに心慰みを計ったことも度々あったなどと、尼公に打明けたる由にてござる。
さるに依り尼公は宗門の浄き訓えを以てクレール尼を諄々と説き、罪穢れなき女人が、天国にて享受しおる永遠の幸福を想起せしめ、地上の生命はいかに過渡的なるものか、それに反して、失われた若い快楽の代りに、無限の愛をわれらに保持したもう神の御仁慈が、如何に牢固たるものかを説かれたげにござる。されどかかる母心の、分別ゆたかなる訓戒にも拘らず、クレール尼の裡にはなおも悪霊が跳梁し、お祈りの間やお勤めの間、教会の窓越しに、木立ちや野原を眺めるを常とし、寝床に寝て居りたいとの邪念から、相も変らず衣帛のように蒼ざめ続け、かと思うと時には杭から放たれし山羊の如く、修道院内を馳せ廻ることもござったる由。かくて遂には無下に痩せ衰えて絶世の美貌も失われ、見る影もなくなり果てたるげにござる。如上の仕儀により母なる尼公は、クレール尼の生命を気遣い、病室に入れられてござるが、或冬の朝、忽然とクレール尼の姿は掻き消えし由に候。すなわち何の足取りも残さず、戸も破らず、掛金も壊さず、窓も開けず、およそその罷り出でたる経路を示す如き態は何一つとして残り申さず、そはあまりにも驚くべき椿事なるを以て、クレールを悩まし苦しめたる悪魔の助けを得て仕遂げられしものと、必定せられたるげに候。詮ずるところ、本山のお歴々衆の僉議に依れば、この地獄の娘は、尼僧をその浄い途から脱落せしめんとの使命を以て、遣わされたる者なるが、真如法性の尼僧たちの浄き勤行に驚嘆して、魔法使の夜宴にと空駆りて戻りたるものと相定まり、先にわれらが浄き御宗旨を嘲って、聖母マリアの代りにモール娘を置去りにせるは、これみな魔法使どもの差金と、認定せられたるげにござる。
かく陳述をいたしてのち、尼公には威儀正しく退廷に相成ったが、大司教猊下の御指図に依り、モン・カルメル修道院まで、警衛の士を附添わせて候。
第九番目の召喚に応じて罷り出でたるは、橋の上手に於て、「ブザンチン金貨」の招牌を出して両替商を営むジョゼフ、一名、杓子づら《ルシアロビエ》で御座ったが、宗教裁判所に於て僉議の本件に関し、その聞知し、且つ真実と信ずる以外のことは、口外致さぬ旨を、御宗旨にかけて誓ったるのち、以下の如くに証言仕ってござる。
――儂は神様の尊い思召しで、いたく難渋しておる憐れな父親です。ショード街の妖魔が来るまでは、全身代として儂は一人の伜、それこそ貴族の様に美しく、僧徒の様に物知りで、十二度以上も外国をへめぐって来た立派な信徒で、儂の老後の杖、眼の愛、心の不断の欣びたることを、当人も知っておりましたか、降る縁談にも耳もかさず、従って色恋の刺針からも、身を遠ざかっておりました。仏蘭西の王様でも、あの様な伜を持ったら、さぞ鼻高々でござりましょう。まったく健気な天晴れもので、儂の商売の光り、儂の屋根の下の楽しみともなり、云ってみれば値ぶみの出来ないお宝同然でござりました。一体が儂は不仕合せにも家内に先だたれ、もう一人子供を作るには年寄すぎ、そんな訳で此の世で一人ぼっちなのでございます。ところが旦那、この無比の財宝が奪われ、あの悪魔の為に地獄の深間に陥れられてしまったのです。はい、判事さま、あの千もの短刀の鞘、全てが破滅の工作場であり、邪淫な快楽の鰐口であり、何を以てしてもねっから満喫させられぬあの妖女を、息子は見るが早いか、その色事の黐の中に、すっかり絡められてしまったのです。それからの伜は妖女のヴィーナスの円柱の中で生を続けたにすぎず、それも長いこと生き長らえもしませなんだ。というのはあの個処には大変な熱が宿っておったからで、その深淵の渇をいやすには、何を以てしても駄目で、よしんば世界中の種《たね》をそこにぶちこんだって、甲斐がないことでしょう。ああ、そんな訳で、儂の可哀想な息子は、その財布、その子孫繁殖の望み、その後生もろとも、息子のすべてが、いや、息子以上のものが、牡牛の口の中に粟粒が呑込まれる様に、あの赤穴の中に巻込まれてしまったのです。かくて老いぼれ孤児となったこの儂の、今生のたのしみはただ一つ、血と金で身を肥やしているあの悪魔、多くの祝言を、多くの未生の家族を、多くの心臓を、基督教国の全癩院にいる癩病人より多くの基督信徒を、籠絡し、絞り取ったあの女郎蜘蛛を、焚き殺すさまをこの目で見ることです。霊魂を啖うあの食人鬼、吸血魔、生血を呑む虎狼の女人、あらゆる蝮蛇の毒をとぼすあの淫慾の陰器ランプを、どうか火炙りにしてやって下され。うんと拷問して下され。底知れぬあの深淵を塞いでしまって下され。悪魔を焚く薪は儂が僧会に寄進します。火をつける役はこの腕でいたしまする。どうか按罪師さま、あの悪魔を厳しく監禁するよう、十分に心しておくんなさい。地上のいかなる火よりも烈々たる火を、あの女は持っています。その膝許に地獄のあらゆる業火を蔵している女です。その髪にサンソンの力を、その声に天の音楽にまがうものを有している女です。僅か一合戦で身心ともに滅すべく、あの女は蠱惑をふりまくのです。噛むために微笑するのです。啖わんがために接吻するのです。一言でいえばあの女は、女犯の穢れない上人をも蠱惑して、神を拒否せしめることでしょう。ああ、息子よ、儂の命の花は今何処にいるのか。鋏での様にあの女の筒で切られた花はどうしたのか。ああ、旦那様、何故に儂をお呼び出しになりました? 万人に死を与え、何人にも生を与えぬあの子袋のために、魂を吸いとられた儂の息子を、誰方が儂に返してくれるんです? 番《つが》いながらも子を姙まぬのは、ただ悪魔のみじゃござんせんか。以上が儂の証言です。トゥルヌブゥシュさん、聊爾乍らどうか一字も省かずに書き記しておくんなされ。そして儂にその覚え書を下さい。儂のお祈りの中に、毎晩それを唱えて神様に読み上げます。無辜の血を神様のお耳に絶えず叫ばせて、その無量無辺の御憐憫を以て、儂の息子のお赦しを得たいと思いますから。
〔引続いてさらに二十七に及ぶ証言があったが、それらを真正の客観性を以て、また夥しいスペースをかけてのこれが転写は、冗長の極みであり、莫迦長くもなる上、珍しい事件の糸を、はぐらかす惧れもあれば、物語は事実に単刀直入なるべきこと、牡牛が正闘牛師に向うが如くでなくばならぬと云う昔の訓えに従い、以下それら口供書の骨子を、かいつまんで記すことにいたそう。
トゥールの町の住民たる多くの基督教徒、町人、御内儀などに依って概略左の如くに陳述せられた。――即ちあの悪魔は毎日のように盛大な酒盛や、どんちゃん騒ぎをしておった。教会に詣でたためしがなかった。神を呪詛していた。僧徒を嗤笑しておった。何処でも十字を切ったことがなかった。神に依って十二使徒たちにのみ差許された各国語を喋る才能を、妖魔は有していた。未知のけものに跨って雲上を駆りゆく妖女の姿を、野原で何度も見た。すこしも年を寄らず常に艶々しい顔をしていた。門戸には罰はたからぬと申し、同じ日に父親と息子のために腰紐を解いていた。かの妖魔は慥かに妖気を身裡から発散せしめていたに違いない。というのはある晩、戸口に腰掛けていたお菓子屋が妖女に逢って、恋の熱気を吐きかけられたためか、家へ帰って床入りを急ぎ、大変なご権幕で御内儀に挑まれたが、夜が明けてみると馬上のまま落命に及んでいたことがあるからだ。町のお年寄りどもは、その昔の若い日の罪な楽しみを味わおうと、妖女の鍛冶場へ、残ったいのちや金を費いに赴き、何れも天の方を向かず打臥し死をし、縄のような死に様で、しかもモール人そこのけに、真黒な死骸となっておった。あの悪魔めは朝昼晩、食事のさまを人に見せずにひとり啖いおったのは、脳味噌で生きていたからに違いない。夜分、墓場へ行って、嬰児の死骸を啖っている魔女の姿を見かけたものが何人もあるが、かの魔女の五臓のなかで地団駄を踏み、嵐のように暴れ騒いでいる悪魔を、そうしなければ満足させられなかったからである。またそこから、多くの男が蒼ざめ身をすりへらし、銷沈し、憔悴し、腑抜けのふならふならになって戻ってくる、あの艶っぽい抱擁、身捩り、顫動などの悪魔的な渋味、辛味、酸味、苦味、鹹味、酢味などのひりりとした収斂性が、生じたものに相違ない。悪魔大王を仔豚の体内に封ぜられたわれらの救世主御出世以来、あんな極悪兇猛な化生のけものは、地上のどこにもおよそ見られないが、トゥールの町をあのヴィーナスの野に投げ込んだとしても、あの悪魔めはそれを群落の粒にと変えて、苺のように嚥下してしまうに違いないだろう、云々。
そういった沢山の証言、供述、口供などによって、悪魔の娘、姉妹、祖母、妻、妾、乃至は兄弟たるこの女人の獄道ないわれが、白日の下にさらけ出されると共に、妖女に依ってあらゆる家庭にまきちらされた災厄と禍事のあまたの罪証が、続々ともたらされ来ったのである。これらの文書を発見いたしたかの老学者が御保存めされておいた内容通りに、ここにその悉くの道聴塗説《ドキキユマ》を御覧に入れられたら、必ずやエジプト人が第七の疫病の日に発したような、怖ろしい号泣哀悼の見本ごときものとなるに違いはないだろう。されば該調書は刻苦してその悉くをお書きとめめされたギョーム・トゥルヌブゥシュどのの能筆の才名を、天下にとどろかするに資するものがごある。
十回に及ぶ開廷ののち、審理は信憑すべき証言をあまた提供され、論証や、告訴や、禁令や、異議申立てや、摘発や、動機挙示《アサイメント》や、検真や、公開懺悔や、私的白状や、宣誓や、延期や、召対や、論争などで、たんまりと膨れ上って、証拠立ての成熟期に達して終結にと相成ったが、悪魔はこれらに反証して、弁駁せねばならぬ仕儀にと立到ったわけだった。だから彼女が正真の妖魔で、男の生血を吸って壊滅させる内部喇叭管を、よしんばその体内に隠し持っていたにせよ、地獄へつつがなく到達するまでには、これら書き物の海を、長いこと泳がねばならぬだろうと、到る処で町人たちは噂をしあったほどであった。〕
二之巻 妖魔御吟味のこと
† 聖父と聖子と聖霊の御名によりて。アーメン。
御出世以来一二七一年、宗規に依り任命せられたるそれがし、異端糺問所長、宗門法務判事ジェローム・コルニイユの前に、下記の方々、罷り出られて御座る。
すなわちトゥールの市区、及びトゥレーヌ州の代官、シャトオヌフの焼肉屋街の官舎に住居いたすフィリップ・ディドレどの、「縛められたサン・ピエール」の招牌の下に、ブルタアニュ河岸に居を構え、羅紗商親睦組合長を勤むるジャン・リブウ親方、「金勘定するサン・マルク」の商標の下に、橋広場に住む両替商組合長兼トゥール市参事会員アントワーヌ・ジャン氏、お城に居住する町の警吏隊長、マルタン・ボオペルテュイどの、サン・ジャック島の港口に住むロワール水運組合会計役、船棟梁、船舶塗料業者、ジャン・ラブレエ親方、労資協調会長にして、「サント・セバスチアンヌ」の看板の下に、靴下商を営むマルク・ジェローム、又の名マシュフェル(鉄屑)氏、大通りに住む葡萄耕作人、「松ぼっくり亭」の酒場も経営いたすジャック、一名ヴィルドメエなどでござって、代官フィリップ・ディドレどの以下、町の町民代表たちは、宗教裁判所に訴え出るべく寄合い協議の上、したため自署せる次なる請願書を、それがし彼等の面前にて改め読み聞かせてござる。
請願書
とぅーるノ良民タル我々下名ハ、市長不在ノタメとぅれーぬノ代官でぃどれ殿ノ御屋形ニ罷出テ下記ノ事実ニ関スル我々ノ愁訴ヲ陳情仕リ、併セテ宗罰ノ裁断役、イトモ尊キ大司教猊下ノ裁判所ヘ告訴ニ及ビ申シ候事。
一、久敷以前ヨリ此ノ町ニ、女人ノ顔セル悪魔罷越シ、さん・てちやんぬ寺領地内ニ、旅宿業者とるとぶらノ持家ヲ借リ、住居致居候。(同地ハ僧会ノ所属地ニシテ、大司教領地ノ俗務管轄区域トナリオレリ。)該異国婦人ハ悖徳放縦ナル手口ヲ以テ、売春婦ノ賤業ヲ営ミ、ソノ奸佞ナル邪淫ノタメ、今ヤコノ町ノかとりっく御宗旨モ、危殆ニ瀕シ居候事。例セバ彼ノ女人ノ許ヨリ罷出候者、悉皆ソノ魂ヲ喪失仕リ、数多ノ没義道ナル罵言ヲ放チテ、宗門ノ冥護ノ手ヲ拒ミオリ候事。
一、彼ノ女人ニ愛溺セル者ノ多クハ、ミナ一命ヲ落シ居候事。マタ彼ノ蕩婦ハ身一ツデ我ガ町ニ来リタルニモ不拘、今ヤ巷説ニ依レバ、無限ノ財宝ト、王者ヲ凌グ豪富トヲ擁スルニ到リタルハ、畢竟スルトコロ、イト濃艶ナルソノ肢体ノ魔法的蠱惑ノ力ヲカリ、窃盗ヲ働キタルニ非ズンバ、妖術ヲ以テ獲得セル形跡、歴然有之候事。
一、右之通リニ御座候故、事ハ我々ノ家族ノ名誉ト安危ニ関スル一大事ト存上候。猶ソノ淫奔ナ手立テニ依リ、斯ノ如キ惨害ヲ我々ニ及ボシ、コノ町全住民ノ生命、貯蓄、風儀、純潔、信仰、ソノ他スベテヲ、カク顕然ト強烈ニ脅カセル淫婦、乃至ハ春婦ハ、コノ国ハジメテノコトト相見エ候事。
一、サレバ彼ノ女人ノ人柄、ソノ財物、所行等ヲ御詮議ニ相成リ、如上ノ痴愛ノ効果ハ、常道ノモノニシテ、仇メク振舞ハ兎モアレ、悪魔ノ妖術ノ為セルワザニ非ザルコトヲ、究明ノ要アルベシト被存候事。按ズルニ悪魔ガ女人ノ容儀ノ下ニ、基督奉教国ヲ訪レタル事例ハ罕ナラズ。聖書ニモ我等ガ尊キ救世主ニハ、山上ニ連レ行カレ、るしふぇる或ハあすたろとヨリ、ゆだやノ沃土ヲ示サレタル旨、記載シアリ。且ツマタ多クノ場処ニ於テ、女人ノ顔ヲセル妖魔、乃至ハ悪魔ガ地獄ニ戻ルコトヲ欲セズ、貪婪ナ焔ヲ身裡ニ蔵シ、人ノ魂ヲ掴ミ啖イテ、爽快ヲ覚エ活力ヲツケオルハ、珍シカラヌ事例ト被存候事。
一、町ノ全住民ガ公然ト噂仕居候処ノ妖法ニ関スル幾多ノ証言ヲ、彼ノ女人ニ弁疏被仰付度候事。誣言浮説ノ趣ナルコト実正ニ判明仕ルニ於テハ、彼ノ女人モソノ悪業ユエニ、破滅ヲ蒙レル人士ノ攻撃ヲ受クル憂イモ無之、身心ノ安ラギヲ得ベシト奉存候事。
一、如上ノ仕儀ニ依リ、我等ガ魂ノ御領主、本管区ノ教父、法性無漏ノ大司教じゃん・ど・もんそろう猊下ノ御明断ヲ仰ガンタメ、茲ニ悩メル信徒等ハ貴老ヲ通ジ哀訴仕候間、宜敷御執成シノ程奉願候事。
一、該措置ハ貴老ノ職責上、至当ノ義務遂行ト奉存候モ、マタコノ町ノ治安ヲ掌ル我々ノ任務上、当然ノ施為ニ有之、各々ソノ職務上、ケダシ妥当ナルベキコトハ論ヲ俟タザルベク存ジ候事。
仍ッテ我々ハ御主出世一二七一年万聖節当日、弥撒ニ身ヲ浄メテ後、ココニ署名イタスモノニテ候。
請願書の朗読をトゥルヌブゥシュどのには終えたるに依り、それがしジェローム・コルニイユ、請願者たちに左の如く問いただしてござる。
「貴殿等は今日なおこれらの申し条を固執致居候歟。吾人の聞知せる以外の証拠をお持ちで無御座候歟。以上が真実なることを、神や世人や被告の前で、貴殿等は飽くまで主唱いたす存念に有之候歟?」
然るところジャン・ラブレエ親方を除いて一同は、その確信をなおも固執めされて候。ラブレエ親方には、かのモール女は並の女人と変りなく、ただその欠陥といえば、愛の熱度がやや高過ぎる嫌いあるのみと申して、本件より身を引いてござる。
仍って吟味方を託されたる我々は、熟慮審議の結果、町民達の請願書を取上げ、本件を僉議いたすことと相成り、僧会の牢獄に幽閉中の女人に対し、悪魔調伏に関し宗法及び寺令に記載ある悉皆の訴訟手続をもって、吟味を行うことに決定いたしてござる。
妖魔召喚に伴う布告は、町の触出し衆により、各辻にてラッパの音と共に万人に告知せらるべく、良心に従って証言せる者に、かの悪魔と対決せしむべきこと、慣例に従い被告にも弁護人を与うること、訊問と公判は合当して進めらるべきことなどを、一般に通達いたしてござる。
署名 ジェローム・コルニイユ
遥か末段に トゥルヌブゥシュ
† 聖父と聖子と聖霊の御名によりて。アーメン。
御出世より一二七一年二月十日、弥撒の後、それがし宗門吟味役ジェローム・コルニイユは、サン・モーリス大伽藍僧会所領地の旅宿業トルトブラの屋敷より拉致せる女人を、僧会の牢獄より引出すことを命じ、トゥール大司教の世俗権及び領主権裁判手続に附し、併せてその帰せられおる罪業の性質上、異端糺問の宗教裁判のお捌きにも廻すべき旨を、被告に瞭々然と申し渡してござる。
次いで先ず町の衆の請願書、さらにトゥルヌブゥシュどの、二十二頁の大判全紙にしたためられたる上述の如き証言、告発、愁訴、弁論など、巨細もらさず厳粛に読み聞かせたるところ、被告にはその趣旨をよく解したげにござる。上帝と教会の祈請及び庇護の下に、それがし事の実正を確かむるべく、先ず被告を次の如く訊問仕って候。
一、最初に其方こと、いずれの国、又は町に生れ候者哉と問懸候処、「モーリタニイ。」と被告答申候事。
一、又相尋候は、其方父母、若しくは親戚有之哉との御吟味に対し、身内はかつふつ存ぜざる旨、答申候事。
一、又その本名を相尋候処、アラビア語にてヅルマと申せし由、答申候事。
一、又尋申候は、其方儀フランス語を操るは、如何なる次第にやと訊ね候処、此の国に罷在候ゆえと答申候事。
一、又その罷越せる時期を尋候処、およそ十二年が程前と答候故、当時の年齢を問いたるに、十五歳あまりと答候間、然らば現在は二十七歳に相成哉と申せしに、然りと答申候事。
一、又尋申候は、其方聖母マリアの聖龕に遺棄せられしモール娘にて、故ロシュ・コルボン御領主、及びその御内室アゼエの姫君が代父母となり、大司教猊下より洗礼を受け、後にモン・カルメル修道院に帰依せしめられ、クレール聖女を守護神として、純潔・清貧・沈黙・神の愛の誓いを立てし覚え無之哉と尋候処、左様に候と答申候事。
一、又尋申候は、淑徳高きモン・カルメル尼公の申し条、又台所の皿洗い婦ジャッケット、一名ヴィユー・オワンの証言は相違無之哉。被告答申候は、御両所の申立ての最大部分は実正なる旨、答申候事。
一、されば其方は奉教人にて候哉との御吟味に対し然りと答申候事。
右之趣ゆえ、それがし被告に十字を切ることを要請し、ギョーム・トゥルヌブゥシュが被告の手近かに置ける聖水盤より、聖水を灌頂せんことを乞いたるところ、被告は正しくそれを仕遂げて候。さればモーリタニイの女ヅルマ、我が国にてブランシュ・ブリュアンと呼ばれしモン・カルメル修道院尼僧、悪魔が女人を装いし疑いのあるクレール尼は、われらが面前に於て、宗教儀式を執行いたして宗教裁判の権威を認めたること、我々はしかとこれを目睹し、紛れなき事実と見定めてござる。
一、次いで被告に申し候は、其方が修道院より姿を晦せしその超自然の忍術ゆえ、悪魔の助けをかりおる疑いを、濃厚にいたしおるものに候わずやと問糺し候処、被告のこれに対する答えは左の通りにて候。
――妾は夕刻、街の門から抜け出ました。修道院を訪れたジャン・ド・マルシリス師父の法衣の下に隠れてで御座います。町の塔の近くのキューピッド街にある師父の部屋に、妾は先ず匿まわれ、その時まで露知らなかった性愛のめでたさを、ゆるゆると師父から納得まいるまで教え込まれ、その結構な味わいに、無下に雅興を覚えました。そのうち隠れ家の窓から妾を垣間見たアンボワズの殿には、妾を熱愛して大変なのぼせ方となりました。妾も僧侶よりは殿様を好ましく存じ、快楽の玩び物として、妾を幽閉していたマルシリス師の部屋から遁れ、大急ぎでアンボワズの殿の館に赴いて、そこで狩りとか、ダンスとか、女王の様なお召物とか、沢山の気晴しをいたしました。ところがアンボワズの殿のお招きで、遊びに参られたロシュ・ポザイの殿に、主人役の殿は当方の知らぬ間に、湯上りのあられもない妾の姿を覗かせたもので、よこしまな愛執に目くらんだロシュ・ポザイの殿には、その翌日、一騎討でアンボワズの殿を倒し、妾の泪も容赦なく、腕ずくで聖地に伴い、妾はそこで美の女王としてかしずかれ、掌中の珠とあがめられるような暮しをいたしました。それからいろいろ波瀾万丈があって、この地に妾は連れ戻されましたが、不吉な予感があって気の進まぬ妾も、殿であり主であるブュエイユ騎士の意に、従わざるを得なかったのです。騎士はアジアの国がほとほと嫌やになって、故郷のお館に戻りたがり、将来のあらゆる紛糾から、この妾を守る約束をして下さいましたので、熱愛する殿のお言葉でもあり、妾もそれに満腔の信をおいて、一緒に戻って参りました。ところがこの地に着くとすぐ、ブュエイユ殿は病いに罹り、妾がいくら熱心に勧めても、服薬を肯んぜずついに夭折いたしました。医師や刀圭や薬剤師が大嫌いなお方だったからです。以上が事の真相で御座います。――
一、次いでアルデアンどのや、旅宿業トルトブラの証言は、真正なるや如何と、それがし被告に相尋候処、その大部分を実正と認めたるも、若干の個所は浮説誣言にして、愚かしき限りと一蹴仕り候。
一、住民達の申立てや陳述の証する如く、其方儀夥しい貴族や町民どもと、情を通じ肉的交合を行いたる覚え有之歟と問懸候処、被告は甚しく不遜なる態度を以て、恋情の心ざしはありたるも、交合などとは何事を指すにや不存候由申候。
一、仍って其方の所為に依り、鬼籍に入りたる者多数あるに非ずやとさらに申候処、彼等の往生成仏は、決して被告の所為に御座なしと申して、左の如くに弁明仕候。
――妾は何時も殿方を拒み続けておりました。けれど避ければ避けるほど、殿方は執拗に妾に迫りまして、大変な権幕で妾を追い廻すのでございます。さりながら一度しっかりと殿方の手に掴まりますと、神のお恵みのままに、妾も気を合せて、つい衝動に駆られてしまうのです。それはあのような無限な快楽は、到底ほかに覚えがないからで御座います。こう妾が秘密の感情をまで、ここに打明けて申しますのも、悉皆の真実を申し述べるよう、判事様から厳令を受けましたのと、拷問の責苦が何より怖いからにてございます。――
一、右の次第に依りさらに相尋候は、其方と交媾の結果、貴人が相果て候趣を聞知せる折り、其方の内心は如何なりしや、有体に答えざるに於ては拷問を覚悟いたせと申候間、左の通り答申候。
――悲報に接するたび妾は、重い憂愁に鎖され、自裁して果てようと、神様やマリア様や上人様に、この妾を天国に迎え入れて下さるよう、何度祈ったことか知れません。何故なら妾の逢った人達は、みんな心根の美しい優しい方々ばかりで、悪逆無慚の方は一人もおりませんでしたもの。その方々が亡くなったと聞いて、妾は深い悲愁に沈み、この自分は人に害を及ぼす生れつきか、或は悪い星の下に生れあわせ、そのためにペストのように、人に災いを伝えるのではないかと、思いかなしんでございまする。――
一、次いで其方は何処で祈祷を唱えおるやと尋候処、おのが祈祷室に於て神の前に跪ずいて勤行いたし居る旨を答え、無量無辺の神は到る処に遍在し、すべてを見、すべてを聞かれおる旨、福音書に述べられたりと答申候。
一、然らば其方は祭日や行事日にも、教会に罷越さざるは、如何なる仕儀にやと相尋候処、被告の許に寛ぎに参る殿方が、多く祭日を選んで罷越すを以て、その意思に従いたるためと答申候間、其方は神の思召しより人間の思召しに従う不所存者歟と、教化仕って候も、被告の答えは左の通りにて候。
――妾を愛して下さるお方の為なら、猛火の中へでも飛び込む積りでおりますわ。妾は恋愛する場合、おのが性分にしか従わぬ慣わしです。どんなに黄金を山と積まれても、よしんば相手が王様であろうと、妾が心で、足で、頭で、髪で、額で、何もかもで前以て愛しておらないお方に、身心をまかせた覚えは、嘗て御座いません。妾はこの方と見込んだのでない殿御に、愛の切れっぱしでも売ったためしはありませんし、そんな娼婦のような振舞に及んだこともかつふつ御座いません。ですから妾を一時間でもその腕に抱いた人、妾の口にちょっとでも接吻した方なら、その死ぬ日までずっと妾を占有したと申せるのです。――
一、其方の屋敷に於て発見し、目下僧会の金庫に保管しある宝石類、金銀の什器、宝玉、豪奢な調度類、絨緞等、鑑定家の評価では二十万ドウブロン金貨にも及ぶ品々の入手の経路はと問い糺せる処、被告答申候は、神御自身に対する如く、裁判官様に満腔の望みを嘱しおり候も、そのお訊ねにはようお答え致し難しと申し、被告が暮し続けて参りし、愛の甘美なるひめごとを露わすは、いと得堪難き旨、答申候。依って声を励まして重ねて詰問仕候処、被告は左の如く答候。
――妾が愛するお方を、如何に熱烈に遇するか、善いことであれ、悪いことであれ、如何に従順に殿方に従うか、如何にいそいそと殿御の欲望に応ずるか、如何に汲々として殿方の唇を洩れる聖言に服膺いたすか、如何に殿御を崇拝して、惜しみなくおのが肢体を与えるか、その恭順ぶりを若し裁判官様方、御存じになれましたら、いくら御老体の皆々さまで御座りましょうと、悉皆の殿方が目の色を変えて追われるあの大いなる愛情は、どんなに金を積みましょうとも、買い取ることが能わぬことを、妾の恋人たちと同じように、きっとお悟りになるに違い御座いません。妾は好きな人の誰からも、贈物やプレゼントを、ねだり取った覚えはありません。好きなお方の心の裡に生きてゆければ、それで妾は、すっかり心満足を感ずるのです。云うにいわれぬ無尽の快楽を味わえるのです。何を手に入れたよりも、心豊かさを愉しめるのです。恋人から受けた以上の喜びと果報を、相手に報ゆることしか、妾の念頭にはございません。ですけど妾がいくら再三拒みましても、恋人たちは感謝の意を表して、何か妾にねぎらおうと、何時も大童になっているのでございます。真珠のブローチをたずさえ来て、『あなたの肌の繻子のようなぬめらかさは、真珠より白いのも伊達ではないのを、お見せしようと持参してきました。』などと言いながら、妾の頸に真珠を飾って、強く頸根を接吻なさるという塩梅です。こうした無駄遣いに、妾も眉を顰めましたが、妾の身に飾りつけて、相手が喜んで眺めているくだんの宝石を、押し戻す訳にも参りませんので、そのまま手許に預ってしまいました。人それぞれに気まぐれがあります。妾が入念に着飾って出た高価な衣裳を、破り裂いて快をむさぼる人もあれば、妾の腕に、足に、頸に、髪に、サファイヤを飾りつけて、惚れ惚れと眺め入る人もあります。絹の長い白衣や、黒ビロードを妾の身にまとわせ、絨緞の上に妾を横たわらせて、その美しさに何日も恍惚となって、傍らを離れぬ人もあります。恋人たちの望みをかなえさせることは、妾にとって無限の快美でした。また贈物の悦びに、贈る方でもすっかり心楽しみを覚えていたようでもありました。妾たち人間にはその快楽ほど愛するものはありませんし、心の裡でも、また心の外でも、すべてが美と調和に輝くということは、万人の望みでもございますので、妾が住んでいる住居を、この世の最も美しいもので飾ってみたいというのは、妾はじめ殿方一同の願うところでもありました。こんな考えから、恋人たちも妾も、黄金や絹や花で、家うちをきららかに飾りつけて興に入っていたのです。これら美しい品々が目障りになる筈もありませんので、妾としても恋人の騎士や金持の町民が、その思いのままに振舞うのを制止する力もなければ、楯突くわけにも参りませんでした。それで貴重な香料や高価な贈物を、受けるの止むなきに到ったのですが、妾とて本心からそれらの品々が嫌いだったわけでもありません。そんなわけで司直の手で、家から差押えられた金の皿や、絨緞や、宝石のかずかずが、妾の周囲には集まってしまったのでございます。――
悪魔の疑いあるクレール尼に対する第一次の訊問は、以上で打切ることと致してござる。と申すはそれがしもまたギョーム・トゥルヌブゥシュも、被告の淫声を耳にいたすのが、あまりにも大儀となり、且つまたあたまもすっかり惑乱を覚えたるためで御座る。
されば本日より三日後に第二次訊問を行い、女人の体内に棲む悪魔の存在と、取憑きの証拠を再び究明に及ぼうと存ずる。なお吟味役の指図に従い、彼の女人はギョーム・トゥルヌブゥシュどの附添いて、牢獄に送り戻してござる。
† 聖父と聖子と聖霊の御名によりて。アーメン。
同じ二月の十三日、それがしジェローム・コルニイユの前に、上述のクレール尼被召出て、告発を受けたるその施為行状に就いて、再び吟味を遂げることと相成り候。
それがし被告に申し候は、前回の御僉議に於ける其方の答弁より徴するに、およそ如何なる特権を賦与せられあるにせよ、(但しさような特権はあり得べからざるなり。)万人に等しく快楽を与える肉体の女性の渡世を致し、かほどの殿方を成仏させ、天晴れ妖蠱を四方に及ぼせるは、身裡に巣くいおる悪魔の加護か、乃至は魂を特別契約を以て、悪魔に売渡せる冥助に依らずんば、到底に一介の婦女子の力を以てしては、成し能わざるところゆえ、これら諸悪の張本人たる悪魔が、其方の体内にひそみおることは、明らかに立証せられおるも、そも何歳の頃より其方は悪魔と接したる歟、また其方と悪魔との間に結びし約定の仔細、共同の呪詛の経過等につき、有体に白状いたせと、厳しく訊問仕ったるところ、被告は左の如くに答申候。
――妾たち人間のお裁き手である神様にお答えいたすよう、裁判官様に有りの儘お答え申します。妾はまだ悪魔を見たこともありませんし、話しかけたことも御座いません。今後も会いたいなどとは、すこしも考えてはおりませぬ。また娼婦の稼業に耽ったことも決してございません。愛の織りなすさまざまな快美を、諸人に振舞いましたのは、神様があのことのなかに籠められました快楽に、先ずこの妾が動かされたからで、それも常不断、身裡に跳梁する烈しい淫欲に駆られたからでは決してなく、妾の好きな殿御にやさしくよくしてやりたいという望みから、心唆られたに過ぎません。そうした妾の意図は意図として、一つ裁判官さまに御諒承ねがいたいことは、妾がアフリカ生れの娘であるということでございます。熱い熱い血潮を、神様から授かって生れた妾は、愛の快美に悟りが早いあたまを持って生れましたので、殿方から見つめられると、すぐ心に激しい胸騒ぎを覚えるのです。好き心を萌した殿御から、身体のどこであろうと、手で触れ廻られると、われにもあらずその殿御に制せられてしまうほど、妾は俄かに気がぼうっとうわずってくるのです。触られるだけで愛の悉くのめでたい欣びが、中《あ》心《そ》部《こ》にめざめ念頭に思い出されて、怪しゅう合点がせられるのです。そして熾烈な熱気で身体じゅうがほてりだし、あたまは燃え、血管は湧き返り、頭から足まで、妾は色事と悦喜で一杯になってしまうのです。マルシリス神父が初めて妾に、性の秘密を悟らせてくれたあの日以来、もう他のことが考えられず、愛こそは妾の特殊な体質に、ぴったり合致したものということが、その時から沁々と解りました。妾の悲しい生理は、男旱りと自然の灌漑のないため、修道院にいたらきっとひからびて死んだかも計り知れません。それが証拠には、修道院から脱出以来、妾は一日でも、一時でも、憂鬱に陥ったり悲愁に沈んだりしたことがなく、何時も陽気で晴々していられましたのは、妾に対する神様の浄い思召しに従うことになったからだと、妾は信じて疑いません。ですから妾が修道院におって時間潰しをしたのは、神様の有難い思召しに叛いたものとしか思われないのです。
依ってそれがしジェローム・コルニイユは、悪魔に反駁して左の通りに論難仕ってござる。其方の返答はまさしく天に対する不敬の言辞ならずや。我々すべてが創られたは、神の大いなる栄光を仰がんがため、まったこの世界に生じたるは、神を讃え、ひとえに神に仕えんがためじゃ。すなわち神の尊き戒律を守り、清浄に身を持して、永遠の福祉を得んがためであって、けものですら定時にしか行わぬことを、四六時中寝て行わんがために生れたのではおりないぞ。――
右の趣説得仕候処、被告には左の如くに弁じてござる。
――神様を尊ぶことにおきましては、妾も人後におつるものではありません。何処の国に参りましても、妾は貧窮者を憐れみ金や着物を沢山と施し、その悲惨を見聞いたしてはともに泣いて参りました。ですから最後の審判の折りは、神様の嘉せられる聖業にいそしんだ方々が、一団となって妾を取巻いて、神様に妾の取りなしをして下さるに違いないと思っております。妾が遠慮深くなく、また僧会の方々の非難も平気、その御不興を買っても恬然としておられるなら、妾は喜んで巨富を散じて、サン・モーリスのカテドラル竣工費の一部に奉加し、妾の魂の救済の為に、惜しみなく妾の快楽なり肉体なりを捧げて、御奉加を寄進いたしたいくらいに存じております。こうした手筈さえつけば、妾は夜毎の楽しみを、さだめし二重のものに出来たことでありましょう。妾の艶事の一つ一つが、天主堂建立の一木一石になるわけですし、斯様な勘進の芳志と、妾の永遠の福祉のため、きっと妾を愛する方々は、みんな喜んでその持物を寄進してくれるに相違ござりませぬ。――
それがしさらに悪魔に向って申すようは、其方儀、夥しい交合に及びながら、一人の子を生《な》す事なく、石女で止まりし所以を如何に釈明いたすや。それこそ体内に悪魔の存せし何よりの証拠には非ざる歟。まったアスタロトひとり、乃至は十二使徒のみ万国語に通暁なし得る定めなるに、其方ことよろずの国の言葉を操りなすとは、これまた体内に悪魔の棲む証拠と覚えたり、と問懸候処、被告は左の如くに答申候事。
――各国の言葉と仰有いますが、ギリシャ語では、「主よ憐れみ給え《キリ・エレイゾン》」しか存じませんが、これを旺んに妾は唱えましたし、ラテン語ではアーメンしか知らず、自由を得たいと願いまして、神様にこれは口酸っぱく申しました。それからまた石女と仰せられましたが、まこと子供が授からぬのは、何よりも妾の嘆きの種だったのでございます。世間の御内儀が子を胎みますのは、ことに際して、けちな快楽しか覚えぬためと、憚り乍ら存じまするが、妾はいささか快楽を、ぎょうに覚え過ぎるのでございましょう。が、それもまさしく神様の尊い思召しでございます。あまり烈しい至福を覚えると、世界は滅びる危険があると、神様にはきっとお考えになったものに違いござりませぬ。――
そもそも悪鬼外道《ルシフエル》の慣いとして、さも尤もらしき異端の屍理窟をこねるがその定なれば、被告の申す数々の言分は、まさしく悪魔が体内におる何よりの証左とそれがし存じ、苦痛を与えて悪魔を調伏し、宗門の権威に屈せしむべく、それがしの面前に於て、被告に拷問の責苦を加うるよう命じてござる。仍って僧会の医方、外科のフランソワ・アンジエどのの臨席を乞うため、下記の召喚状を発して、該被告の女性器官(Virtutes Vulvae)の性質を検証し、その膣《ヴオワ》に於て人の魂をとらえる悪魔の遣り口を探索、且つ何等かの細工がそこに施しあるや否やを発見いたして、われらが宗門を啓発するよう依嘱仕って候。
さるところモール娘には早くも泣き呻き、鉄鎖に身を拘せられおるにも不拘、跪いて上の申達の取消を、号叫哀嗷して懇願し、肢体も華奢に骨細なるゆえ、ガラスの如く打砕かるべしと、異議申立ててござるが、最後には僧会にその持物を悉く寄進し、即刻にこの国を立退くを以て、我身を贖い、身請いたしたしとの提案まで発してござる。
因ってそれがし被告に対し、邪淫の兇悪な快美と手管とをもちい、信者を堕落させに参ったる妖魔の夜叉なることを自認いたせと迫りたる処、被告答申候は、おのれは常に並の女人と心得おりたれば、さような証言は、いまわしき妄語なるべしと申してござる。
拷問者罷り出て被告の鉄鎖をはずしたるが、被告にはことさら裾を乱し、その肉体の一部をあらわにして、意地わるく、しかもすえだくみを持ちて、それがしらのあたまを掻き乱し、朦朧たらしめてござるが、男性に対する、げに超自然の威圧を覚えしむるものかなと、ほとほと嘆じ入り申候。
ギョーム・トゥルヌブゥシュ氏には人性の本然に打負けて、この個処にて筆を擲ち、別室に退いてござるが、悪魔が烈しく彼の身体に取憑くのを覚えたるゆえ、信ずべからざるほどの誘惑に、あたま駆られる憂いあるを以て、この拷問の立会をいたすことは能わぬと申候。
以上で、第二次の訊問は終了いたして候。僧会の送達吏の申立てに依れば、フランソワ・アンジエどのには、市外に他出せる趣なるを以てなり。されば拷問と吟味は、追って明日の正午、弥撒ののちと相定めてござる。
ギョーム・トゥルヌブゥシュ闕席せるゆえ、末節はそれがしジェローム、調書にしたため、書役の名に於て署名いたすものに候。
ジェローム・コルニイユ
異端糺問所長
裁決書
本日、二月十四日、某じぇろーむ・こるにいゆノ前ニ、じゃん・りぶう、あんとわーぬ・じゃん、まるたん・ぼおぺるてゆい、じぇろーむ・ましゅふぇる、じゃっく・ど・びるどめえ、とぅーる市長代理でいどれ殿等、市役所ニテ先ニ作成セル訴願書ニ署名セル町会ノオ歴々衆、罷リ出ラレタルユエ、くれーる尼ノ法名デ、もん・かるめる修道院ニ再勤仕イタス決意ヲ示セルぶらんしゅ・ぶりゅあんノ提議ヲ採択イタシテ、魔ニ憑カレタル嫌疑アリシ該被告ガ、尋常ノ女人ニシテ、無辜ナルコトヲ証センガ為、僧会及ビとぅーる市ノ前ニ於テ、水火ノ探《くが》湯《たち》ヲ行イ神ノオ裁キヲマタントスル被告ノ申シ出デ受理イタシタル旨ヲ宣告セリ。
コノ宣告ニ原告等モ賛同シ、町ニ危害ヲ及ボス怖レサエナクンバ、探湯ノ場処、護摩壇等、準備万般ハ当方ニテツカマツル上、ソノ教父教母タルヲ引受クベシト申セリ。
仍ッテ某ハ探湯ノ日時ヲ、新年ノ元旦、即チ来ル復活祭ノ第一日、正午ノ弥撒終了後ト相定メ、原告被告ハ夫々ニコノ日延ベニ賛意ヲ表シタリ。
サレバ本決定ハ原被告双方ノ請求ニヨリ、ソノ費用ヲ以テとぅれーぬ及ビ仏蘭西国ノ全市、全村、全城ニ、遍ク布告シ東西ニ周知セラルベキモノトス。
じぇろーむ・こるにいゆ
三之巻 妖魔、老吟味役を誑しのこと
以下に記すは、御出世より一二七一年三月一日、長老、サン・モーリス大伽藍《カテドラル》僧会員、異端糺問所長等の聖職を涜せしことを自認せる、不徳の破戒僧ジェローム・コルニイユが、臨命終の折りの懺悔文でござる。堕落の老僧には最後の折り、本心に立帰られ、犯せる罪業曲事のほどを悔悛して、その告解を天下に公表いたし、以て、真理、神の栄光、法の正義の称頌に資せられ、併せて他界に於ける冥罰の軽減を期せんと望まれてござる。瀕死の床上に於けるジェローム・コルニイユの告白を聴取すべく、その枕頭に参じたるは、サン・モーリス教会の助任司祭、ジャン・ド・ラ・エイ(ド・アガ)師、大司教ジャン・ド・モンソロオ猊下の命に依り書役を勤むべき僧会の出納方ピェール・ギャール、マイウス・モナステリウム(マルムウチェ)僧院修道僧にして、大司教猊下の選任に依り、老僧の魂の師父と懺悔聴聞を勤むるルイ・ポット師、さらに如上三人の他、法王使節として本管区につかわされたる羅馬の副司教、いとも高く尊きギョーム・ド・サンソリ博士にも、光臨の栄を辱ういたした。折も折り四旬節に際し、堕獄の途上にある奉教人等の眼を〓かんがため、公開懺悔を望まれたる老僧の末期に立会うべく、多数の信徒も、ともども其の場に罷り越してござる。
極度に衰弱せるジェローム師には、口を利くことがかなわず、代ってルイ・ポット師が彼の面前に於て、次なる懺悔文を代読いたしたが、満場の驚愕にはただならぬものがござった。
我が兄弟たちよ、七十九歳の今日に到るまで、信徒に適わしい有徳な日々を、拙僧は送り来った積りである。尤もいかな聖い奉教人であろうと、神様に対して引け目を覚えるていの、ささやかな瑕瑾、贖罪に依って優に償い得るが如き微罪は、これを犯さぬでもなかったが、この管区ではお蔭で愚僧も少しは名も知られ、人にも賞揚され、不肖ながら異端糺問所長の高職をまで授かるにいたった。されど神の無限なる栄光を豁然と覚り、奸佞な徒輩に対する地獄の責苦に恐惶いたしたる愚衲は、末期の際に臨んで大いなる悔罪をつかまつって、犯せる大悪の軽減をば思いついたる次第である。仍って野僧は古代の基督者の如く、公けにおのれを弾劾する機縁を賜らんことを宗門に祈請いたした。法灯の権と法を裏切り背き悖逆したる老衲は、より大いなる悔悛の衷情を現わさんがため、さらに寿命さえ賜るに於ては、大伽藍の玄関にまる一日跪坐し、跣足のまま、頸に縄をつけ、蝋燭を片手に、同宿の坊ことごとくより罵詈の的となって、神の浄い利益を計らず地獄へと彷徨せる拙僧の罪業の告解を、なしたく望んだに相違ござらぬ。ルシフェルに魅入られ、おのが脆弱な徳操の大難破に陥ったる愚僧は、和主らすべての調停に依り、御主イエス・キリストの御憐憫に浴したく存じ、憐れ背信の悪僧は、ここに滝津瀬の涙を流して、御辺らの救援と祈祷を懇請いたす次第であるが、それがしのこの戒飭こそは、悪徳を逃れ、悪魔の罠より脱し、あらゆる救いの存する法門に逃避する善縁ともなろうずる。拙僧は贖罪のわざにいそしんで、他界に一生を懺悔滅罪に送る存念でござるが、いざやそれがしの申し条を傾聴いたし、大いなる恐怖に戦《おのの》きめされい!
邪教の国より罷り越した、ヅルマと名乗る破戒無慚の比丘尼の、女体をかりて出現せる悪魔を裁く吟味役として、拙僧は僧会より選出せられた。該悪魔は本管区に於て、モン・カルメル修道院所属クレール尼の名の下に跳梁し、地獄の王子達、マンモンやアスタロトやサタンに、殿原の魂を啖わさんため、無数の殿方の下になり、いのちの生じ由来するまさにその個処に於て死を与えて、致命の咎を蕩子に犯させ他界に連れ行き、いたくこの町を悩まし苦しめ参ったるが、吟味役のこの野僧も、わが生命の落日に於て、その陥穽にはまって、分別を失いし結果は、冷灰のわが老齢に信頼せる、僧会より託されし任務に、背反の振舞にと及んだのである。されば老獪なる悪魔の奸計を聞知して、ゆめ誑かされぬよう、呉々も今後の戒慎とせられよ。
妖魔に対する第一次訊問の砌り、その手足にはめられた鉄鎖が、些かの痕跡をも残しおらぬのを見て畏怖せるそれがしは、その隠密な力とうわべの華奢なるに眼を円くいたしたが、悪魔が身づくろいせる容儀の麗わしさに、ふと気づいた愚僧のあたまは、忽ちに混乱を覚えたのである。人の総身を燃え立たせる悪魔の声の音楽に、聞き惚れたそれがしは、若返ってこの悪魔に耽溺いたしたいという邪念が、むらむらと萌して参った。ともに一《いつ》時《とき》を送れたならば、拙僧の永世の後生などは、この皓腕に擁されて味わう愛の快楽の、とぼしい残額にしか過ぎぬような気がいたして参り、かくして遂にそれがしは、吟味役が備えおるべき剛毅を、茲に打忘れるに到ったのである。
愚衲の訊問に巧みな受答えをなす悪魔の、その第二次訊問の砌り、罪なき子供のように泣きじゃくる憐れな少女を、折檻し虐げる大罪を犯しおるかの如き錯覚を、それがしは抱くに到ったのである。が、天なる声は拙僧に、おのが義務を果せよ、金ピカの言葉に用心せよ、見掛けは浄い声音ながら、悪魔の細工ぞや、優艶な肢体も、鋭い爪をした毛深い怪獣に変るぞ、穏かな眼も地獄の燠火に化するぞ、麗しい臀部も鱗ある尾になるぞ、紅唇の愛らしい口許も、鰐魚の巨口に化けるぞとの優渥なお告げが、拙僧の心を掠めたのである。漸くに我れに返ったそれがしは、従来屡々基督教国に於て、行われおる例しなるが、同じようにこの妖魔を拷問して、遣わされたるその密命の泥を、吐かせくれんずと決意いたした。さりながら拷問の庭に臨んで悪魔が全裸のまま、拙僧の前に横たわったる折りしも、俄かにそれがしは魔に魅入られ、妖気に打伏されざるを得なくなったのである。かくて愚僧の老骨は軋み、脳髄《なずき》は熱光を受け、心臓には若い血潮が横溢してたぎり立ち、五体忽ちに軽やぐのを覚えた。わが眼に投ぜられたる催淫剤の働きか、額にいただく白髪の雪も溶け、わが基督者的生涯の知覚も失われ、授業を抜け出し、林檎を盗み食いしながら、野原を駆け廻る悪童気分に、とみに若やぐのを感じ申した。十字の印一つ切る力さえはや失われ、宗門も父なる神もやさしき救世主も、想い出すよしとてついになかったのである。
斯様な邪念の虜となり果てたそれがしは、街中を歩きつつ悪魔の声音の優しさ、いまわしくも美しいその肢体を回想いたしては、数々の悪念に耽ったのである。〓に食い入る鉈のように、拙僧のあたまに食い入った悪魔の鉄叉に引摺られ、鋭いその鉄把の導くままに、憑かれたもののように足は牢獄へと向いた。拙僧の腕を時折り引張って、この種の誘惑から、やつがれをお庇い下さったわが守護天使の引止めも空しく、その浄い訓戒もまた冥助の甲斐もよしなく、野僧の心臓に突き入った幾百万の爪牙に引寄せられ、早くも身を牢獄の中に踏み入れた。と、門が開かれるや、牢獄の趣は皆目そこには見当らなかった。悪霊か妖精の助けをかりて、芳香と花葩とに満ちた絹ずくめの深紅な小亭をそこに打建てた妖魔は、頸に鉄枷も、足に鉄鎖もなく、華麗な衣裳をまとって嬉戯いたしおったのである。拙僧は法衣を脱がされ、香水風呂を供せられ、次いでサラセンのローブを着せられ、貴重な容器に入れた珍奇な料理、金の杯、アジアの酒、素晴しい歌や音楽、それがしの魂を耳から擽る千もの妖言などの大饗宴で、いたれりつくせりの厚遇を受けた。妖魔は拙僧の傍らに附ききりであったが、いまわしい甘美なその交合は、愚僧の腰部から新たな熱気を滴らしめおった。かくてわが守護天使も遂に愚僧から去ったのである。
爾今、拙僧はモール女の眼の妖光で生き、濃艶な肢体の灼熱の抱擁を熱望いたし、拙僧には世並のものと思われた彼女の紅唇を、常に感触せんと望んで、奈落の最奥部へと引摺る妖魔の歯の噛付きを、些かも怖じなんだのである。彼女の手のたぐいない優しさを、身に感ずるのを快しとしたそれがしは、それが汚猥な爪牙であることを、つゆ悟らなかった。つづめて申せば、死の花嫁であることを思わず、その許に赴こうとする花婿の如くに、愚僧はいそいそと躍り上って参じおったのである。この世のくさぐさのことも、神の御利益のことも、みじんこっぱい考えず、あたまにはただ情慾と、愚僧の身を燃やす美しい胸乳と、この身ごと投じ入れたい妖女の地獄の門としか、はや考えられなんだのである。
嗟乎、わが浄侶たちよ、まる三昼夜のあいだ、拙僧はかく渾身の精を絞るの羽目に陥ったが、わが腰から流れ出る泉を、涸らすことも能わなんだのである、妖魔の両手は二本の矛のように、わが腰のなかに食い入り、えたい知れぬ愛の発汗の如きものを、憐れなこの衰老に、ひからびたわが老骨に通じおった。悪魔は先ず以て儂を引きつけて、美妙な牛乳ごときものを、拙僧の裡に流しこんだ。と、それがしの骨を、髄を、脳漿を、神経を、百本の針ででも刺す如き疼くがような快感に襲われ、その愉悦に引続いて、拙僧のあたまの隠秘なものどもが、血が、腱が、肉が、骨が燃え上り、まこと地獄の業火で全身が焼け焦げ、各関節を〓じくり廻す思いと共に、信ぜられぬような、堪えがたい、引き裂かれる如き肉感味《ヴオリユブテ》が、それがしのいのちの繋索《きずな》を弛め解いたのである。愚僧の憐れな体躯をくるんだ妖魔の髪の毛は、炎の露をそれがしに注ぎ、編毛の一つ一つは灼熱の鉄灸串のようにも感ぜられた。命取りのこの悦楽快美のさなかに、妖魔の燃えるような芳顔を見やれば、嫣然として千もの挑発的な言辞を、それは儂に云いかけた。たとえばそれがしは彼女の騎士であるとか、彼女の殿様、槍、昼、喜悦、雷電、生命、善きもの、最良の騎手などであるとか、或はもっときつくそれがしと結合いたしたい、それがしの肌のなかに入りたい、さなくばそれがしを、彼女の肌のなかへ入れて進ぜたいなどと申しおった。その艶言を聞き、また魂を儂から吸い出す女めの舌の刺針の所為に、拙僧は奈落のなかにと、しだらてん深く突入にと及んだが、底に達するよしとてもなかった。かくて愚僧の血管に一滴の血の気も失せ、もはや魂も身体に鼓動はせず、ほとほと困憊疲弊しつくした折り、なおも溌剌と輝く紅顔皓身の妖魔には、笑いを含んで拙僧に、次の如くに申したのである。
――妾を悪魔とは笑止のいたりじゃ。のう、接吻を許すゆえ、魂を売渡しめされと申したなら、喜んで応じ下さるかや。
――勿論のこと。と儂は答えた。
――かく振舞いつづけるためには、嬰児の血を啜って回春剤となし、妾の寝床で悉皆それを費す覚悟を要すれど、喜んで血を啜って下さるかや。
――御念には及ばぬ。と儂は答えた。
――青春の若人さながら陽気に人生を味わい、ロワール川の泳ぎ手の如くに快楽を浴びて、喜悦の底にもぐり、常に跨る騎手でいられるため必要とあらば、神を否認して下さるかや、キリストの顔に唾ひっかけて下さるかや。
――もとよりのこと。と儂は答えた。
――二十年の僧院生活をなお許されたとて、貴僧の身心を焼く愛の二年間、この楽しい身動きに耽れるよう、その歳月を喜んで交換して下さるかや。
――応とも。と儂は答えた。
と、その時、拙僧は百もの鋭い爪牙が、それがしの横隔膜を外方滅法に引裂くのを覚えた。まるで千もの猛禽が喚び立ちながら、その嘴で突掛かってくるような思いがいたした。俄かにこの妖魔が翼を張って、それがしを地上から運び去ったためである。
悪魔は拙僧に申した。
――乗れ、乗れ、わが騎手、御身の牝馬の尻にしっかりと跨れ。その鬣に、その頸に懸命に掴まれ。跨れ、跨れ、わが騎手、万物は跨る!
それがしは地上の町々を濃霧さながらに見た。それぞれの男が女の悪魔と交尾し、大いなる淫慾に駆られて巫山雲雨にさかり狂い、つがもない愛の言葉や叫喚をあげて、まじわり、つるみ、番《つが》うさまが、玄妙不可思議な作用に依り、拙僧の眼にありありと映じた。空を飛び雲を押し分け乍ら、モール女の首をしたわが牝馬は、それがしに太陽と交媾している地球のすがたを指し示した。その巨大なる交媾からは、群星が精液となって溢れ出ておった。と、見れば各雌天体は雄天体と交合しておったが、生物が揚げる言葉《よがり》の代りに、春態に熱中のこれら諸々の天体は、その愛の嘆声として、嵐や雷鳴や稲光りをば発しおった。更に上昇せるそれがしは、有象無象の遊星の遥か上に於て、森羅万象の雌性が、宇宙運行の王子と番っているさまをば認めた。その時、妖魔はふざけてこの儂を怖ろしい絶えざる交合の真只中に遺棄したが、大海のなかの一粒の砂のように、愚僧のすがたは見失われたのである。白いそれがしの雌馬はなおも《乗れ、乗れ、わが騎手、跨れや、万物は跨る!》と囁いた。荒々しい勢いで、金属や、石や、水や、空気や、雷や、魚や、植物や、動物や、人や、精霊や、恒星や、遊星などが、番い交尾しつづける諸々の天体の精液の奔流のなかに於ては、一介の坊主の振舞なぞ、無限小の取るに足らぬものと看取して、加持力信仰を愚僧はふっつりと抛棄いたしたのである。そのとき天に見える星の大いなる斑点を指して妖魔は、あの天の川は交接に耽った諸世界の出した、天の精液の滴りであると告げた。それがしは星の幾千百万の光りの下で、さらに猛々しく妖魔に挑み申したが、跨りながらそれがしは、これら幾千百万の生物の本性を、感得いたしたいと望んだ。この房事の大いなる努力の結果、それがしは不随不儘に陥って墜落した折りも折り、遥かに大なる地獄笑いをこの耳にいたした。
気付くと拙僧はおのが従僧らに取囲まれて寝床にあった。聖水をバケツ一杯、寝床に撒きつつ、熱烈なお祈りを神に唱えながら、従僧らは雄々しく悪魔と戦ってくれたのである。
かかる援助にも拘らず、拙僧の心臓に爪牙を立て、無限の苦痛を蒙らせる妖魔に対し、怖しい挌闘をなおも愚僧はいたさねばならなかった。すなわちわが従僧、身内、友人らの声で蘇ったるそれがしは、十字の印を切るべく努めたなれど、妖魔はわが寝床の枕許に、足許に、到る処にその姿を現わし、それがしの気力を衰弱させ、高笑ったり、顰め面をしてみせたり、儂の眼に幾千もの淫猥な画図を示して、あまたの汚らわしい欲望に、愚僧の心を唆って止まぬのであった。さりながら大司教猊下には、愚僧を御憐憫めされて、ガチアン上人の御遺骨を、それがしの許にお届け賜ったので、儂の枕許に聖物櫃が安置されると共に、妖魔は退散を余儀なくせられて、あとに硫黄と地獄の匂いとを遺し去ったが、その強烈な臭気に、従僧や友人らは、まる一日も咽喉を痛められたということである。かくして初めて拙僧は、神の聖い光りにわが魂を照され、おのが罪科と、また悪霊との挌闘の結果、危く死に瀕しておった大いなる危険のほどを、計り知ったのでござった。
仍って拙僧は奉教人の済度のため、十字架上で逝かれたキリストの無限の功徳をたたえ、神とその教会の栄光を頌徳つかまつらんと、今しばし生きる寵遇をなにとぞ授かるよう、天に祈請いたした次第であるが、この祈願により、おのが罪をわれと弾劾する気力をやや恢復し得て、茲に無限の苦患を以てわが過ちを贖いに赴く煉獄より、それがしを免れしめるよう、サン・モーリス教会の全衆に、その助けと救いを愚僧にかされんことを、祈誓してやまぬ次第である。
さるにより拙僧は次の如くに明言をいたす。すなわち、かの悪魔に神裁の上告を仰がしめ、水火の探《くが》湯《たち》を課することを宣したそれがしの判決は、悪魔に依って示唆された邪心に基く妖偽であって、悪魔はかくして大司教及び僧会の裁判の手から、遁れんと計ったものに他ならず、私かに悪魔が拙僧に打明けしところに依れば、かかる試煉に常習の悪魔を、身代りに立てる算段であったとか申すことである。
最後にそれがしは一切の持物を、悉くサン・モーリス教会の僧会に寄進し、該教会のなかに礼拝堂を建立して、ジェローム上人及びガチアン上人に捧げることに致したき所存である。前者は拙僧の守護神、後者は拙僧の魂の救済神なるをもってである。
満座の傾聴せるこの懺悔文は、ジャン・ド・ラ・エイ師(ヨハネス・ド・アガ)に依って、宗教裁判所に提出せられたり。
宗門ノ慣習ニ従イ、僧会ノ総会ニヨリ、さん・もーりすノ異端糺問所長ニ選出セラレタルソレガシ、じゃん・ど・ら・えい(よはねす・ど・あが)ハ、目下僧会ノ牢獄ニ監禁中ノ妖魔ニ対スル吟味ヲ、改メテ新規ニ訴追イタスコトト相成ッタユエ、新タナル僉議ヲ以テ臨ム関係上、本件ニカカワリアル管区民ハ振ッテ証言イタサレタイ。ナオコレ以外ノ他ノ訴訟手続、訊問、判決、吟味等ハ一切コレヲ無効トシ、僧会全員ノ名ニ於テ、取消スト共ニ、サキノ本件ニ於ケル邪シマナル悪魔ノ介入ハ瞭然タルユエヲ以テ、神裁ノ判決ハモトヨリコレヲ却下トイタス。故じぇろーむ・こるにいゆ師ノ告白ニ依ッテスベテハ明白ナレバ、悪魔ノ教唆ニ基クイマワシキ先月ノエセ布告ガ発セラレタル管区内ノ各辻ニ、本布告ハらっぱノ音ヲ以テ宣布イタスモノナリ。
各奉教人ハヨロシクワレラガ浄キ宗門トソノ戒律ニ、一臂ノ力ヲツクサレンコトヲ。
じゃん・ど・ら・えい
四之巻 妖魔火炙りのこと
以下は遺言の形式で一三六〇年五月したためられたものである。
わが懐しく愛しき息子よ、お前がこの文面を読む時分には、父親の儂はとうに墓場に入って、お前から冥福を手向けられるのを待つ身となっていよう。家門の繁栄、一身の果報、家内安全などに役立つ以下にしるした家憲を、よくお前が遵奉して、世に処してゆくよう、儂は衷心あの世から祈る次第である。人間のこのうえない不正義に接して、その生々しい印象の下に、儂はこれを書きのこすが、若い頃、儂は僧界で名を揚げ、天晴れ名智識となる青雲の志を抱いたことがある。これほど立派な生涯は他に求め得ないと思ったし、この大望の下に、儂は読み書きに研鑽し、漸くの思いで宗門に得度をば許されたが、後楯もなく、またこれという出世への導きもなかったので、サン・マルタン僧会の書役、録事、祐筆ともなろうと志した。この僧会は基督教国に於ける最も著名なお歴々の集りで、仏蘭西国王もそこでは一介の正会員にしか過ぎぬ。されば儂はそこへ入って、貴顕の御用をよろしく勤めれば、引立てても貰え、その御愛顧にも預れようし、はては宗門に名を成して、司教にも大司教にも栄達するには、あまたの前例もあることゆえ、けだし絶好の場所と思った次第だ。が、この初志は慢心であり、いささか野望に過ぎたことを、神様は実地に悟らせて下された。すなわち、のちに枢機官となられたジャン・ド・ヴィルドメル猊下が、この地位を占められ、儂は黜けられ惨敗を喫したからである。
この逆境の折しも、儂は、度々お前に話したことのある、大伽藍按罪師ジェローム・コルニイユ老師から、慰撫激励を受けたのである。優しい師翁は親切にも儂にトゥールの大司教管区、サン・モーリス僧会の書役となることを勧められたが、儂は聞えた能筆だったので、謹しんでこの役をお引受けいたした。儂がちょうど僧職に入ろうとした年、起ったのがショード街の悪魔の有名な公判で、今でも老人は夜咄として若い者に、この話を聞かせている位だが、当時は仏蘭西の国じゅうの炉辺で、持ち切りの大評判であったのである。
仍って儂の野心の便宜にもなり、こうして手伝ってもおけば、将来の出世への僧会の衆の後押しも期待されたので、老師は儂をこの大公判の書役に抜擢し、記録係の職を与えて下されたのである。
当時ジェローム・コルニイユどのは八十に近い御年配で、しっかりした分別と正義感と良識とを備えたお人であったが、最初からこの事件に何か邪念が伏在しているものと疑っておられた。淫奔な女人などはもともと老師の嫌厭する尤なるものであって、嘗て女人に接せられたことのない師は、まこと自性清浄の生仏と申すべく、さればこそ吟味役として選出せられたのであるが、原告の供述も聞き、被告の陳述をも聴取めされてのち、この春婦は修道院の掟こそ犯したが、妖気などは微塵もなく、ただその大身代を敵方やその他から――儂は事なかれ主義から、その名指しは憚ることにするが、――狙われたに過ぎぬことが、老師にはすぐと悟れたのである。
当時かの女人は気が向いたら、トゥレーヌ伯爵領でも買い取れるくらいの、莫大な金銀を持っているという取沙汰が専らだったし、堅気な女人が羨望して止まぬくらいに彼女をめぐって、沢山の浮説誣言が世に伝えられ、福音書の如くに信を措かれていたのであった。
かかる局面に接してジェローム・コルニイユ老師は、愛の悪魔以外の悪魔が、彼の女人には宿っておらないことを見定めたもので、余生を修道院で送ることを、彼女に承引させたのである。それに戦いに強く、領地も多いさむらいどもが、彼女を救うために、何でもやりかねぬのを察知せられた老師には、こっそり原告たちの許へ手を廻し、神裁を承諾させるよう彼女に運動をばすすめ、また一方、世間の悪口を封ずるため、彼女を説いて、僧会へその全身代を寄進する段取りにまで、事をこぎつけられたのである。かくて天がこの地上に舞い落した、稀代な美しい花葩は、火炙りの厄を免れるかに見えた。いったいこの花葩は、その眼で懸想びとたちの心に、恋の煩いに対するいささか度外れな柔媚と慈憐を投じたのが、たった一つの欠点と云えば云えよう。ところが本物の悪魔が、法衣をまとって、本件に関与しておったのである。その訳はこうである。
ジェローム・コルニイユ老師の高徳、廉直、清浄をば何より目の敵としておったジャン・ド・ラ・エイ師は、牢獄内でかの女人が、女王のように遇せられていることを知り、異端糺問所長は妖魔と通謀して、その僕隷になっていると、邪しまにも讒訴して廻り、妖魔は老僧を若返らせ、惚れさせ、男冥加にしているとまで、この悪僧は言い触らしたのである。可哀想に老師も、ジャン・ド・ラ・エイがおのれを失脚させ、その後釜に据ろうとする策謀であることを知りながら、僅か一日で憤死に及ばれたのである。
この噂を耳にせられた大司教猊下が、早速に牢獄を監察せられると、モール娘は鉄鎖もつけずに快適なところで、のびのびしておるのを目にせられた。というのは人の思いも寄らぬような局処に、こっそりダイヤを隠していた妖魔は、それで牢番を買収して、御慈悲に浴していたためで、この牢番は彼女に恋慕したか、或はこの女子の情人たちの若い騎士の面々に脅かされてか、彼女の逃亡を計っていたという噂まで、当時さかんに取沙汰されたほどである。
コルニイユ老師は瀕死の床に就かれたが、ジャン・ド・ラ・エイの策動に依り、僧会は老師のなした僉議やその判決を、無効として取消す必要あるのを痛感いたされた。当時、大伽藍の一介の助任司祭にしか過ぎなかったジャン・ド・ラ・エイは、これに入智慧をして、臨終の床の老師の公けの懺悔があれば充分といったので、瀕死の宿老は、僧会やサン・マルタンやマルムウチェの沙門たち、大司教猊下、法王使節などからまで、宗門の御利益のために、前文を取消すようにと、責められ苛められたが、頑としてこれに応じられなかったのである。
が、すったもんだののち、老師の公開懺悔文が起草され、町のお歴々衆がそれに立会うこととなった。ために口で述べ尽せぬほどの恐異と驚倒が町を支配し、管区内の各教会は、このゆゆしき災禍に対し大祈祷を修したし、悪魔が炉から侵入しはしないかと、町民の恐怖には只ならぬものがあった。しかも事の真相はジェローム師が高熱にうなされ、部屋内でうつらうつら幻影を見ておられた折り、老師からこの公式取消を掠めとったに過ぎなく、発作が済んだ折り、儂から彼等のトリックを聞かれて、お気の毒に老師はいたく愁歎に沈まれた。老師は侍医にみとられ、儂の腕に抱かれつつ息を引取られたが、かのえせ儀式に断腸の思いをし、歎かわしいかかる邪曲がなしとげられぬよう、神様の膝許に参って、お頼み申そうと云い乍ら、果てられた。かく隣れなモールの娘はその泪と悔悛で、いたく老師の心を動かしておったのである。神裁を乞う段取りとなる前に、老師は懇ろに彼女を懺悔させ、その躬内にのこる魂をすっかりと浄化めされたので、その悔罪のすんだ後は、よしや生命を奪われようと、神様の聖い冠を飾るにふさわしいダイヤの様に、彼女は浄らかになったと、老師は儂に申されたくらいである。
さて町での噂や、この娘の率直な受け答えで、本件の筋書がのこりなく解ったもので、儂は僧会の医方フランソワ・ド・アンジエのすすめで、病気を口実にして、サン・モーリス教会及び大司教管区の勤仕を、すっぱりと止めることにいたしたが、今猶お泣き叫び、神様の前の最後の審判の日まで、泣き叫び続けるであろう無実の女子の血の中に、この手を浸すことを欲しなかったからである。牢番も直ちに追放されて、その後釜には拷問係の次男が据り、すぐ彼はモール娘を地下牢にぶちこみ、五十リーヴルもの重さの手枷足鎖を、無慈悲にも彼女につけ、木の帯をまでまとわしたのである。牢獄は町の射手隊や大司教の護衛兵で、厳しく守られた。彼女は骨を挫いたほどの拷問の苛責を受けたが、苦痛に堪えかねて、ジャン・ド・ラ・エイの思う通りの告白を申したため、硫黄色の獄衣を着せられ、教会の正門に晒された後に、サン・エチアンヌの囲地で火炙りに処すべく、その全身代は僧会に没収という宣告が、すぐと下された。
この判決が大騒ぎのもとになり、町で夥しい流血の惨を見る因をなしたのである。というのはトゥレーヌの三人の若い騎士が、モール娘の為に死を賭しても尽し、万難を排してまで彼女を解放いたすことを誓い合ったからである。そして騎士たちは、彼女が嘗て困苦や飢餓や貧窮から救ってやった覚えのある、千人あまりの窮民や賤奴や老兵や浪人や工匠その他を引連れ、町に乗込んで参って、更にむかし彼女に救って貰った連中を、貧民窟から狩り集め出した。一揆の面々は騎士方の手勢の保護を受けて、モン・ルイの平地に集まり屯ろした。町の二十里四方の若衆ども悉くまで、それに来たり投じた。そして朝まだき大司教の牢獄を包囲に及んで、モール娘を渡せと口々に喚き叫んだが、まるでそれは彼女を手にかけて、殺そうとでもするかのような形勢であった。が、実のところは騎手のように乗馬に巧みな彼女を、こっそり馬に乗せて逃げのびさせようという一同の算段であった。この怖ろしい人波の嵐のなか、大司教館と橋の間には、一万人以上もの群衆がむらがり、そればかりか、暴徒の騒ぎを見ようと、家の各階は鈴なりだったし、屋根の上までぎっしりと弥次馬で、黒山の人だかりとなった。
真剣な気持で集まった信徒らや、女人を脱獄させる目的で牢獄を取囲んだ暴徒たちのあげる怖ろしい叫び声は、ロワール川の対岸、サン・サンフォリアン河岸にまで響き渡った。冥加にも彼女に拝顔の栄に浴せたら、みんなその膝許に跪坐するに違いないような連中だったが、彼女の血に渇し切ったこれら人波の押し合いへし合いするその甚だしさといったら、子供が七人、女人が十一名、男子の市民が八人その下敷になって踏み潰され、くちゃくちゃと、まるで泥の塊りのように、見分けがつかぬまでになったくらいである、怖ろしい怪獣、群衆ルヴィアタンがその巨口を開いたことといったら、その咆哮がモンチレ・レ・トゥールにまでとどろいたほどだった。烏合の衆は叫んだ。――妖魔を殺せ! 悪魔を渡せ! 四分の一ほどくれ! 毛を頂戴! 俺は足がいい! 貴様にはたてがみだ! 儂に首をくれ! 僕は一物が欲しい! 真赤かな? 拝む積りかね? 炙って食う気かい? やっつけろ! 叩っ殺せ! と、各自に勝手な事を、銘々に怒鳴っていた。けれどなかでも《神様のお情けを》という叫びと、《妖魔を殺せ!》という喚声とがむごく荒々しく同時に響いたので、耳も心臓もために出血せんばかりで、他の叫喚は家なかでは殆ど聞えぬくらいであった。
なにもかも打壊そうという権幕のこの嵐を鎮めようと大司教は一計を案じて、御神体を奉持しながら、威儀を正して教会から、きらびやかに出て参ったので、漸く僧会も壊滅を免れることとなった。若衆連や騎士たちは、寺を壊して炎上させ、坊主をみな殺しにするというのが、初めの意気込みだったからである。
さてこの術策にかかって、暴徒も解散の余儀なきに到り、それに食物の準備もなかったので、各自の家へと引揚げたのである。
トゥレーヌの各修道院や諸々の領主たち、または富裕な町民等は、掠奪でも明日は起りはしないかと、ひどく心配して深更まで協議に及び、僧会の方に味方することに決した。それから早速に警護の兵や警吏たちや騎士連や町の自警団などを、数限りもなく呼び集め、物々しい警戒の陣を布いて、トゥールの町の混乱に乗じて、不平の徒を募りに来た牧童や雲助や浮浪人の一隊を殺害した。
老貴族アルドアン・ド・マイエどのには、モール娘の擁護者たる騎士たちをば、詢々と説得めされて、――たかが一人の女っ子の為に、貴公等はトゥレーヌを火と血の巷にめされる御所存か。よしんば勝鬨をあげられたにせよ、方々が集められた無頼の徒を、いかが御統率に相成るのか、食詰者のかれらは日頃の敵たるお屋敷を劫略してのち、必ずや公等の城を襲うに相違ござるまい、暴動の火蓋は切られても、出端を挫かれ、既に暴徒らは退散いたしたゆえ、素志の貫徹は到底に覚束なく、また王の救援あるトゥールの宗門を、制圧する成算が御身等に御座るのかな。――などと、さまざまな老獪な説法にと及ばれた。
このお談義に対し、若い騎士らは、僧会が夜分こっそりあの女人を落ちのびさせれば、騒ぎのもとは消失して、片附くではないかと建議いたした。人情味のあるこの分別豊かな提案に対し、法王使節のサンソリ猊下には、宗門と御宗旨の権威を確立する必要が、是非共にある旨を力説して反駁めされた結果、かの女人にすべての罪を負わせることにし、今回の騒ぎの煽動者たちの穿鑿も、一切それで棒引きにすることに、話がきまったのである。
そこで僧会はモール娘の極命を、天下晴れて行うことが出来るようになった。執行儀式や処刑のさまを見に、十二里四方もの近在から、見物人が押し寄せて参った。天への贖いの祭式のあと、俗界のお裁きにより、公衆の面前にて妖魔が、いよいよ火炙りという当日は、黄金一リーヴル払っても、俗人はもとより僧侶でさえ、トゥールの町に宿をとることは、かなうまじいほどの雑沓ぶりで、その前夜多くの連中は、町の外でテントの下か藁の上に、野宿するの止むなきに到った。町の食糧も欠乏を告げ、満腹で来た多くは、遠くから火煙りを見ただけで、空き腹で戻って行ったし、沢山の追剥が道で怪しからぬ振舞にと及んだ。
可哀想にモール娘は半死半生の態で、その頭髪もすっかり白くなってしまっていた。云えばそれは肉でやっと覆われた骸骨にしか過ぎなく、身につけられた鉄鎖は、彼女の体重より遥かに重いくらいであった。よしんば彼女が一生の間、散々と楽しい思いを味わったところで、今のこの思いで、充分その報いを受けたといってよかった。運び行かれるそのさまを見た人の話では、彼女を最も面憎く思っていた連中にさえ、憐みを催させるほどのそれは泣き叫びぶりであったという。だから天主堂では彼女の口に、余儀なく猿轡をはめねばならなかったが、蜥蜴が棒を噛むように、彼女はそれを噛んだそうである。しっきりなしに身が崩れ、力なくずるずる倒れるので、その身を支えるために、死刑執行人は彼女を獄門柱にゆわえつけた。と、俄かに彼女の手頸は力を盛り返した。そして矢庭に縄を振りちぎって天主堂のなかへ逃込み、むかし覚えた軽業師の本領を発揮し、するすると廻廊を伝って、天井によじ登り、小柱や小欄間づたいに飛鳥のように飛び廻った揚句、屋根から身を脱せんとした折り、一人の射手が狙い放った弩の矢が、発止と彼女の足の踝に当った。足を半ば削がれてもめげず、可哀想に彼女はなおも天主堂内を敏捷に走り狂い、血を流し乍ら、砕けた足の骨で立って逃げ廻った。薪の火焔がそれほど彼女には怖ろしかったのである。が、とうとう捕われ縛められて檻車に押し込まれ、薪のところに連れ行かれたが、それからの彼女は一言も叫びをあげなかった。天主堂のなかを駆け歩いたことから、愚民どもはますます彼女を悪魔に違いないときめ、なかには妖魔が空中を飛翔したとまで、取沙汰するものさえあった。死刑執行人が彼女を火中に投じた折り、二度か三度、怖ろしい跳躍を彼女は行ったきり、薪火の炎の底にと陥ってしまった。劫火は一昼夜のあいだ燃え続いた。
翌日の夕刻、儂はあの優しい可愛らしいモール娘の残骸を見に参ったところ、丹田の骨の断片が僅かばかり残っていたきりであった。さしもの猛火をくぐったにも拘らず、まだ湿り気が骨片にあったし、一儀の高潮に達した折りの女人のごとく、それは振動しておったと語る御仁もござった。
わがいとしの息子よ、それからの十年間、儂の上にのしかかった、較べようのない限りなき悲愁を、どう言ってよいかを知らぬのである。奸人によって害されたこの天使のことが、常にあたまを離れず、愛に満ちたその眼差が、絶えず目にちらついていたのである。純朴なあの美少女の、この世のものならぬ天賦の輝かしさが、夜となく昼となく儂の前にきらきらするもので、何度となく儂は彼女が生贄となった天主堂へ足を運んで、彼女の冥福を祈ったことか知れない。それに儂は異端糺問所長ジャン・ド・ラ・エイの顔を、身慄いなしに仰ぐ気力も胆力もなかった。しかし彼は虱に喰われて死去した。天罰として業病のレプラに罹ったからである。彼の邸宅は焼打に遭い、彼の妻や、モール娘の火炙りに手をかした連中は、炎の中から引出された。
わが愛する伜よ、この一件から儂はいろいろな考えに耽るようになり、その結果、わが家の不磨の大典として、以下の家訓を書きしるすことにする。
儂は宗門への勤仕を止め、お前の母御と結婚し、儂のいのち、財物、魂、其他悉くを共に頒って、無限のさちを受けた。彼女も次なる訓戒には、儂と意見を同じゅうしてくれた。
すなわち第一条は、仕合せに暮すには教会の連中から、恭しく遠ざかる必要があるということだ。それのみならず正しい、或は不正の権利に依り、我々より目上とされている権門のお歴々も一切敬遠申し上げて、決してわが家の閾を越させてはならない。
第二条は飽くまで地味な暮しをして、決して人に金のあるような様子は見せぬことだ。人の羨望を買わぬように心することだ。また誰であろうと相手を何事にもやっつけてはならぬということだ。そねみあたまを踏みにじるには、足下に他の植物を根絶しにする〓のように強くなる必要がある。それでもややもすると夫子自身圧倒される怖れがあろう。〓界の人間などは特に稀な存在だからで、トゥルヌブゥシュ一家の者は、トゥルヌブゥシュである限り、己れを〓のように強いなどと、思い上ってはならない。
第三条は収入の四分の一以上は遣わぬこと、己が持物を人に知らせぬこと、棚《たな》牡《ぼ》丹《た》を隠すこと、何の公職にも就かぬこと、世間様と同じに教会へお詣りすること、何時もおのれが考えはわれと秘めておくことだ。そうすればこっちだけの考えになり、相手の考えを勝手にまとい、裁ち切って着服し、それでこっちを讒謗するといった他人さまのものになる気遣いもなかろう。
第四条は常にトゥルヌブゥシュの境遇に甘んずることだ。つまり現在もまた未来も羅紗屋でいることだ。娘は立派な羅紗屋にとつがせ、息子は国なかの他郷の羅紗屋に、丁稚見習に出し、野心的な考えは一切抱かせず、分別あるこの教戒をしっかりと身につけさせ、どこまでも羅紗屋の名誉を重んずるように育て上げて、《トゥルヌブゥシュのような羅紗屋》ということが、子孫の名誉、紋章、肩書、標語、生命とならねばならない。そうすれば未来永劫にわたって羅紗屋でいられ、トゥルヌブゥシュ家は何時までも残るだろう。人には知られずとも、安楽裡に暮してゆけるだろう。梁を穿ってなかに巣ごもって、繭づくりまでぬくぬくと、安泰にくらしてゆく小さな昆虫のような生き方がそれで出来るわけだ。
第五条は羅紗屋の言葉以外の言葉を、決して口にせぬことだ。宗門や政治を決してあげつらわぬことだ。国政や州政や宗門や神がどう転換しようと、如何に右傾乃至左傾する気まぐれを起そうと、常にトゥルヌブゥシュの本分として、羅紗のなかに留まっていることだ。そうすれば町の誰からも人目に立てられず、トゥルヌブゥシュ一家はトゥルヌブゥシュの孫子もろとも、安穏に暮して行けるだろう。租税や貢納や、その他支払いを力づくで要求されるすべてのものを、神なり、王なり、町なり、管区なりにおとなしく払って、決して彼等に逆らわぬようにするがよい。家督財産はしっかりと握って、平和を得て、平和を購い、決して人から借りず、穀類は家屋敷に貯え、戸や窓を全部締めきってから遊び楽しむがよい。
そうすれば国家も宗門も領主も、トゥルヌブゥシュから強奪が出来ぬだろうし、もしも先方が力づくで来た場合には、貸してやるがよい、再びお目にかかろう(勿論お金の顔をである。)などという気を、決して起さずにだ。こう振舞っていれば四六時中、みんなはトゥルヌブゥシュ一家を愛するだろう。トゥルヌブゥシュの連中は、詰らない奴、物の数にも入らぬ奴、尻穴の狭い奴と、よしんば嘲けられても、解らずやどもには勝手にほざかしておくがいい。すれば王のために、教会のために、或は他のなにかのために、トゥルヌブゥシュ一家の者が、焼かれたり絞られたりすることは、決してあるまいし、賢明なトゥルヌブゥシュ一家は、誰にも知れずに隠し場に金を貯え、家うちでふんだんにこっそり楽しむことが出来るだろう。
さればわが最愛の息子よ、平凡なけち臭い暮し方だが、以上の訓告に従うがよい。憲法のように、これを一家の家憲とするがよい、お前が死んでもお前の世嗣に、これをトゥルヌブゥシュ家の聖い福音書として、堅く遵奉させるがよい。そうだ、神様がこの世界にトゥルヌブゥシュはもう不要だと仰有るまで、末長く服膺させるがよい。
上述の書簡は王子殿下の大法官、ヴェレッツの領主、フランソワ・トゥルヌブゥシュが王子に味方して国王に謀叛せる廉により、巴里裁判所より死刑を宣せられ、家産没収の憂目を見し際、該邸宅の家産目録作成の折りに発見せるものなるが、歴史上の珍譜としてトゥレーヌの知事に回送され来たったゆえ、拙者ピェール・ゴーチエ(市参事会員・労資協調会長)は、これをトゥール大司教管区訴訟書類中に綴りおくものなり。
〔吾儕は如上の羊皮紙文書の判読と転写にあたり、昔の妙竹林な言葉を仏蘭西語に修復するに、いかい苦労をいたしたが、この文書の提供者が吾儕に申すところでは、トゥールのショード街は太陽が、町の他の場所より長く照しているところから、由来した名との説もあるという。しかしそんな解釈より、妖魔のあの暖い膣《シヨード・ヴオワ》が、街名の本当の由来であることは、あたまの好い粋人にはちゃっと御賢察に相成れよう。吾儕もその説に賛成じゃて。
さればこの物語は、我々の肉体を濫用はせずに、魂の済度を思って、程よくお使いめされいという訓えと解されて結構でござる。〕
恋のすてばち
シャルル八世にはアンボワズのお城を、飾附けなさろうとて、はるばるイタリアから名だたる彫工、絵師、石匠、棟領などの工匠をお連れになり、廻廊のはしばしまでも贅を凝らしてお装いになりましたが、その後すっかりなおざりにされたために、今では見る影もない荒廃ぶりです。
当時、この美しい都邑に宮廷府は移っておりましたし、それにどなたも御存じのように、紅顔の王君には、工匠たちがさまざまと巧みを凝らすさまを御覧じ遊ばすのが、無上のお楽しみでもございました。
さて、異国より参った工匠の方々のなかでも、フイレンツエの生れで、アンヂェロ・キャバラ殿と申す御仁こそは、年歯こそ若けれ、既に抜群の技をもち、彫刻や彫物にかけてはその右に出る者とてなく、未だ人生の春というに、その妙腕には何人もほとほと舌を巻くばかりでありました。ますらおの威厳をそえるあのいかつい髯も、まだアンヂェロの顎にはちょっぴりとも生えておらないくらいで、かずかずの名ある御婦人方も、このアンヂェロにはぞっこん参っておりました。それはまるで夢のように優しく、塒にぽつねんとしている嬬の山鳩のような憂愁を湛えた若者だったからです。なぜにアンヂェロはこう鬱いでばかりいるかというに、日頃から手許がいたって不如意勝ちで、人生万事、彼の意の如くにはならなかったからです。なんせよ食う物も食いがての惨めなその日暮しとて、御当人もつくづくと愛想が尽き、自《や》棄《け》っ腹になって、ただもう腕にまかせて制作に励んでいましたが、それというのも魂の仕事にかかずらっているひとにとっては、げに無上の後生楽ともいうべき、悠々閑々たる歳月を、是が非でも自分も送りたいものと切望していたからでした。
しかしアンヂェロは虚勢を張って、いつも瀟洒な身装をして御殿に出仕していましたが、若さからくる弱気と、身の不運にいじけていたため、国王にお手許金のそこばくをおねだりすることもようなし得ず、また国王もアンヂェロのりゅうとした風采を御覧になって、何不足のない物もちとばかり思し召されておりました。殿上の殿方や上臈衆も、アンヂェロの見事な仕上げ振りや男振りに、つねづね讃歎の声を放ってはおりましたが、お宝といったら鐚一文出すものとてありませんでした。何人にもあれ、べっして上臈衆ときては、アンヂェロを生れながらの分限者と思い做し、その美しい青春や、長い黒々した頭髪や、明るい眼眸など、その豊かな分際をもてそやし、あれこれと余計な穿鑿にまで及びながらも、ついぞお鳥目のことに思い当る女子衆とてありませんでしたが、それも道理で、こうした美貌を餌にして、土地であれ、財宝であれ、なんであれ、器用に立廻ってうまうまとものにしている才人が、ここら宮廷にはごろごろしておった時世なのですから。
美少年そっくりのアンヂェロでしたが、もう廿歳にもなっていましたし、眼から鼻へつん抜けるほど賢く、胸には宏い心ばえを、頭には美しい詩想を持ち、更にその想像力といったら放胆きわまるものでした。しかし貧しい無果報な人たちと同じように、アンヂェロもひどく己れを卑下して、世間の能無しどもがどんどん出世してゆくのを見るにつけ、すっかり度胆を抜かれ、きっとこの自分は身体か心のどちらかが、出来損っているのに違いないと悩み抜いて、深く思いを内にひそめるのでした。そうはいっても、しかし星影明るい夜など、アンヂェロは闇に向って、神に対して、悪魔にあてて、およそありとあるものに、その心のたけを訴えるのでした。かほど燃え上るこころを持ちながら、まるで灼熱の鉄かなんぞのように、あたら女子衆から敬遠せられるわが身の不運を打ち歎いたのです。そしてもしもこの己れに美しい恋人でもあったら、どんなにか鍾愛するだろうにとか、一生崇め奉ろうものをとか、まめやかにかしずこうものをとか、いとおしんでめで愛そうものをとか、いかな仰せごとにも従おうものをとか、曇り日のよきひとのそこはかとない憂愁の雲を、追い払う術もしかじか心得ておるものをなんぞと、われとわが身に、ひとりごとのように掻き口説くありさまでしたが、果て果てはまぼろしに女人を眼前に思い泛べて、その足下に伏しまろび、接吻したり、愛撫したり、抱擁したり、噛んだり、しゃぶったりするその狂態といったら、さながら牢獄の隙間から緑の野をかいま見て、狂い廻る囚人のさまを偲ばせるものがありました。そしてまぼろしの影に向って、胸ときめくばかりに話しかけ、はては心もそらになって、呼吸もつまらんばかり抱き締めようとしたり、敬い崇めながらも押倒そうとしたり、はてはひとり寝所にあって、いずかたなき佳人を探ね廻って、熱狂のあまりシーツやなにやかを噛み裂くほどの物狂おしさで、孤りいる時はまこと勇気凜々たるさまでありましたが、翌る日、ゆきずりに女人に擦れ違っても、ひそかに顔を赧らめるほどの、弱い内気な性分でした。
まぼろしの恋慕に思い焦れながらも、アンヂェロは、彫刻の鑿を片時も手放さず、清らかな滑《なめ》石《いし》のかんばせを刻んだり、恋の美しい果実たる乳房を彫って人に涎をたらさせたり、その他のしなじなをむっちりと盛上げたり、華奢に削ったり、鑿でえぐったり、鑢で撫でたり等々、さながらあるがままに造り上げましたので、いかなうつけ者でも、そのなりかたちを一目見さえすれば、忽ちその用い方を余すところなく悟って、とんと世心づいて訳知りになるに違いないと思われるくらいでした。それに御婦人方も、こうした美しい個所局処が、まるで自分のをモデルにしているように早合点して、なおのことみんなは心案じアンヂェロに熱を上げる始末でした。しかし当のアンヂェロは、燃えるような眼で女子衆にとこう相触れて、何時の日か、指に接吻でも許してくれるような女人にめぐりあったら、その時こそ、なにもかもをわがものにしようと、ひそかに心構えをしておりました。
或日のこと、さる上つ方の奥方が親しくアンヂェロの傍らに参って、なぜそんなに人見知りをするのか、上臈の女子衆のうち、だれもそなたを馴致してくれるものはないのか、などとお訊ねになり、夕刻頃、わらわの館へ参るようにとやさしくお招きになりました。
アンヂェロは繻子の裏地がつき縁飾りのある天鵞絨地の上衣を買入れ、身体じゅうに香水をふりかけ、広袖の外套や切込みのある胴衣や、絹の股引などを、友人から借用に及んで、早速にお館に参上しましたが、上気した足つきで階段を駆け上り、希望を咽喉一杯に吸込んで、山羊のように踊りはねる心臓の高鳴りを扱いかね、いえばもう頭の天頂から足の爪先きまで、恋心に燃え上って、背中にびっしょり汗までかいている始末でした。それも道理で、この奥方はまこと素晴しい美人だったのです。むっちりした腕の肉づきの好さや、すらりとした肢体の均斉美、美しい臀のみそかな豊満美やその他かずかずの神秘美を、アンヂェロは職掌柄、さすがにちゃんと見極めておりました。この奥方こそは、芸術の特殊なくさぐさの美の基準にも適い、色白で華奢なうえに、声音は生命の内奥までゆすぶり、こころやあたまや其他のところを、無性に燃えたたせるほどの蠱惑に充ち満ちておりました。いってみればこの奥方は、持物の甘美な心象《イメージ》をことさらひとにたきつけ、そのくせ御当人は、知らん顔をして澄ましているといった、極道な女人の特性をふんだんに備えたお人だったのです。
さてアンヂェロが入ってゆきますと、奥方は煖炉の傍らの高椅子に、ゆったり腰を卸し、弁舌いと爽かになにやかやと話し掛けますのに、アンヂェロはただ「はい」とか「いいえ」と言うのが精一杯で、なんの言葉も咽喉から出ず、あたまにも何の考えもなくなり、日光を浴びている蠅のように、嬉々として軽快なこの美しい奥方を、せめて目にふれ耳に聞いたりする果報がもしもなかったなら、アンヂェロはあまりのおのが腑甲斐なさに、われとわが頭を煖炉にでもうちつけて、自殺しかねなかったことでしょう。
こうした無言の歎賞にも遮げられず、二人は愛の花咲く小路へと、しずしずさまよいこみ、思わず夜半まで時を過してしまいました。アンヂェロは幸福に溢れて、家路に就きましたが、もし奥方が夜の四時間がほども、もっと膝近く自分をおいてくれたなら、後《きぬ》朝《ぎぬ》の暁方まで居残るようになるのも造作はないと独りぎめし、こうした前提から、いくつかの楽しい帰結を引出して、遂には奥方に、並みや通《つう》塗《ず》の女としての例のことを、要求してみようと決心し、己が紡錘竿で一時間の快楽もよう紡げないようなら、良人であれ、奥方であれ、またはこのわが身であれ、一蓮托生、みんなあの世へ送りこんでくれるとまで心に誓ったくらいでした。慾情に目くらんだアンヂェロには、生命なんどは恋のゲームにあっては、とるに足りない賭物としか思われず、一夜の情は千百の生命にも換え難いとまで、一途に思いつめてしまったのです。
翌日、アンヂェロは咋夜の楽しさにわくわくしながら、石を彫っていたもので、下《ほ》鼻《か》の聯想にはしって、ために彫像の鼻をいくつか台無しにしてしまったほどでした。あまりのへまさ加減に、仕事には嫌気がさし、また香水を身にふりかけて、こんどこそ事を実行にまで移そうとの下心を抱いて、奥方の蜜のようなお言葉を味わいに参りましたが、如何せん当の女王の前に出ると、女らしい威厳が輝きわたるばかりなので、街ではライオンのアンヂェロも、その犠牲者を見て俄かに小羊のように小さくなってしまうのでした。
けれども情慾が互に熱しあってくる頃おいともなれば、アンヂェロは奥方においかぶさるようにかたく抱きついて、漸くの思いで接吻を奪い、すっかり有頂天になってしまいました。女人が接吻を与える時には、拒む権利を保留しているものですが、接吻を奪わせる時には、千もの接吻を快く盗ませるという寸法になっています。それで女という女は、接吻を奪われるが儘に委せるという手立てに、馴れっことなっている次第なのです。でアンヂェロもたんまりと接吻を略奪して、いまや万事好首尾に展開しようとした折り、潮時を心得ていた物惜しみの強い奥方は『良人が戻ったようですわ!』とつれなく叫び出しました。
案にたがわずお殿様が毬打から戻って参ったので、アンヂェロは、たのしい逢瀬を遮られた際の女人特有の濃艶な秋波を奥方から送られつつ、すごすごと戻らねばなりませんでした。まる一月というもの、こうした段取りがアンヂェロの収穫のすべてであり、体のいいお手当、いや、快楽の全部でありました。というのはいつも快楽の土壇場になって、良人なるものがひょっこり戻ってまいり、女人のにべもない拒絶と、やんわりと肘鉄にいろをつけるあの甘いやさしい慰撫との間に、色消しにも割り込んで来たからです。こうした手管たるや、ますます相手の恋心をたきつけ、烈しく修羅を燃やさせるすえだくみであることは、皆々衆も御粋察になれますでしょう。
すっかり苛れきったアンヂェロは、思わぬ邪魔立てから辛くも寝取られずに済んでいる果報な良人の来る前に、凱歌をあげようとして、着くなり早々スカート合戦を始めるのでしたが、アンヂェロの眼の色に、その下心を早くも読んだ奥方は、すぐとよしない痴話喧嘩を限りなくしかけて、いつわりに嫉いてみせたり、恋のたのしい口諍いを持出したり、接吻の水気でアンヂェロの怒りを鎮めたり、未来永劫、離れぬと誓わせたり、妾に好かれようとなら、お利口にしていて頂戴などと甘えかかったり、あたしの云うことを聞かねば、身も心も差上げませんとおどしつけたり、情慾のことなど、女人の前に持出すのは下の下であり、あたしなぞ人一倍恋心が強いだけにそれだけ犠牲も大きく、健気なものじゃありませんかなどと、巧みに逃げを打ったりしていましたがなおもアンヂェロが追求すると、『いけすかないこと!』と、女王のように凜然と言い放ったり、時には柳眉を逆立ててみせて、『あまり聞きわけのないことをなさると、二人の仲もこれきりですよ。』と、アンヂェロの咎め立てに、きっぱり答えることなど、時折はあるという風でした。
守銭奴が銭勘定するようには、こうした色恋沙汰は快楽の数には入らぬと、可哀想にアンヂェロが悟った時は、もうあまりにも遅過ぎました。奥方のたわむれの恋は、かくしてアンヂェロを美しい愛の聖域からへだてて、それ以外の好き放題のことは許し、徒らにちょがらかし、面白ずくにやきもきさせていただけなのでした。
アンヂェロは、こうした奥方の駈引に気づくと、外方滅法に憤りました。そして腹心の友二三を語らって、奥方の良人が国王との毬打遊びの帰るさを擁して、うまく引留めておくように頼み込んでから、何時もの時刻に奥方の許を訪れました。楽しい恋路のかずかずのさざめごと、呼吸のとまるような甘い接吻、髪の毛を指に巻いたり解いたりの睦言、気色ばんで手に噛みついたり、耳をねぶったりのざれごとなど、ありとあらゆる痴戯秘楽に、両人はよろしくふけっておりました。――温厚な文人として、筆にするのも汚らわしいあのことだけは除いて。――そのうち、やや長い接吻と接吻のあいだに、アンヂェロはこう申しました。
『何よりも僕を愛してくれますか?』
『もちろんよ。』と、言葉には元手がかからぬので、奥方はそう安請合をしました。
『じゃすっかり僕のものになってください。』とアンヂェロは例によって例の催促をしました。
『でも良人が帰る刻限ですから……』
『工合がわるいと仰有るのは、それだけの理由からですか?』
『ええ。』
『それならご安心下さい。友達に頼んで御主人の帰りを妨げ、この窓に明りを出すのを合図に、道を明けることを打合せておきましたから。それによしんば不届きな狼藉者のなんのと、御主人が国王に訴え出たところで、友達同志の冗談から、人間違えしたまでだと言い抜ける手筈にしてあります……』
『まあ、抜け目のないひとね。でも家の者が寝静まったかどうか、ちょっと一つ見て来ますわ。』
そう言って立上ったかと思うと、奥方は窓に明りを持出したので、アンヂェロはそれを見るや、すぐさま明りを吹き消し、いきなり剣を引っ掴んで奥方の前に立ちはだかりました。男の純情を踏みつけにする奥方の邪心が、愚弄が、まざまざとアンヂェロにはわかったのです。
『私はあなたを殺すようなことはいたしません。が、あなたが二度と再び若い憐れな恋人を手玉にとって、その一生を台無しにするようなことがないよう、あなたのそのお顔に見るも怖ろしい疵をつけて進ぜます。恥知らずのあなたは私を欺きました。あなたは根生の腐った女です。一つの接吻は純情の恋人の一生から、決して拭い去ることができぬこと、接吻を味わった口は、さらに他のものを求めてやまぬことを、あなたは知らねばなりません。あなたのために私の生涯は永久に暗い惨めなものとなってしまいました。あなたに計られて身を滅したこの私というものを、何時何時迄も忘れぬように、あなたに思い知らせてやりたいのです。これからのあなたに、鏡を見るたび、この私の顔をそこに見るに違いなくしてやりたいのです。――』
そう云ってアンヂェロは刀を振り上げ、彼の接吻のあともまだ生々しい奥方の紅頬の一片を削ごうとしましたので、「薄情者!」と奥方はアンヂェロを罵りました。
『おだまりなさい。何よりも僕を愛するといった口の下から、あなたはもうそんなことを仰有る! 夜毎あなたはこの私を、天国に天国にと引上げながら、一挙にして地獄へ蹴落してしまわれた。裏切られた恋人の怒りを、スカートで避けられるとでも思っているのですか!』
『ああ、あたしのアンヂェロ、あたしあなたのものになりますわ。』
瞋恚のほむらを燃やしたアンヂェロの男性美にすっかり讃嘆した奥方は、思わずそう叫びましたが、アンヂェロは三歩ほど後しざって、
『は、は、は、それが御殿女の腐れ根性というものです。あなたは恋人などより御自分の顔の方が大切なのでしょう! いざ、お覚悟を……』
奥方は真蒼になりました。そして素直に顔を差出しました。今になって初めて、過ぎ来し数々の不貞不実が、今やあらたに目覚めたこの恋の障碍をなしていることが、奥方には沁々と思い知られたからです。
アンヂェロは奥方の頬を一太刀斬りつけて、すぐさまその屋敷を後に、国を逐電してしまいました。窓に明りが見えたので道を遮げられずに済んだ良人が、お館に戻って見ると、愛妻の左の頬がむごく削がれていました。激しい痛みにも拘らず、奥方はついに一言も口を割りませんでした。斬りつけられたその瞬間から、アンヂェロがいのちより何より、恋しくなったためです。しかし良人はその儘では済まそうとせず、飽く迄犯人を挙げようとして、アンヂェロのほか誰もお館を出たものがなかったので、国王にそれと訴え出たため、アンヂェロは逮捕されてブロワで絞首の刑に処せられることになりましたが、そのお仕置の当日、さるやんごとなき女人が、この男々しいアンヂェロこそ、まこと恋人中の恋人であると思し召され、王に御赦免をお縋りしてその身柄を申し受けられましたが、アンヂェロは例の奥方にすっかり虜となってしまって、どうしてもその思い出が忘られぬと云うので僧藉に入り、後に博学ならぶものなき枢機官となりましたが、その晩年、よく述懐して申されるには、あの奥方から、よくもあしくも手玉にされていた束の間の惨めな快楽のなやましい思い出のうちに、こうしてあるかなきかの生命を、生き永らえているのだと、歎息めされていたそうです。
もっとも一説には、その後、傷の癒えた奥方とアンヂェロとは、スカート以内の仲になったとも云いますが、吾儕にはどうも信ぜられません。というのはアンヂェロは恋の浄い法悦について、高遠な理想を抱いていた信念家なのですから。
この物語は本当にあった実話なのですが、世の中には不幸な密会もあるものだぐらいの教訓しか与えてくれませんけれど、しかしこの笑い草紙の他の個所で、やや曲筆舞文を弄して、真実から外れ気味のないでもない筆者を、世の恋路の男女たちから、いささかなりと見直して頂けたら幸甚と思います。
後口上
この第二輯はその本扉に、雪と寒気の折に書き終えたと記されてごあるが、江湖に現われるは万物みどりの美しい六月でごある。吾儕のつかえ奉るミューズどのには、女王の気まぐれな恋よりよっぽどのむら気で、その果実を花爛漫の頃おい投げ出したいと、神秘的にも望まれたからじゃろう。まったくこの妖精《ミユーズ》を思う儘に牛耳ったと誇りうる者は、一人も御座らっしゃるまい。何か由々しい思案に吾儕がこころ占められ、あたまも縺れからくんでおる時、陽気なミューズどのには参って、吾儕の耳に甘っこい空想を吹き込み、その羽毛でこっちの口許をこそぐったり、サラバンド踊りを始めたり、家じゅう鳴りどよむような大騒ぎをなされ出す。で、こっちも時として学をなげうって、遊興に打加わろうと、《待たっしゃれ、今まいるから。》と申して、一緒になって遊ぼうと、大急ぎで立上ると、はて面妖、もうミューズどのの姿は見えぬ。巣へ走り戻って姿を隠し、身を〓いて呻いて御座らっしゃる。鞭、牧杖、火掻棒、婦人杖を振り上げ、ここなミューズめを打ちひしぎ、悪態三昧を加えてもただ呻くばかり。裸に剥けばこれまた呻くのみ。可愛がりあやしてやっても呻き、接吻して優しく声を掛けても、やはり呻く一方。さてはミューズどのは冷たくなるのか、いよいよお陀仏か。もう愛も、笑いも、喜びも、面白可笑しい物語も、これでいちえんおさらばじゃ。ミューズどののおっちんだのをあつく弔い、悼み歎くの他はないと、こっちが泣く泣く観念いたす折しも、こりゃどうじゃ。ミューズどのは首をもたげ、大笑いをしくさって、その白い翼をひろげ、何処へとも知らず飛び去り、空中をぐるぐる旋回し跳び廻って、その小妖精のような尻尾や、女人の乳首や、逞しい腰つきや、天使の顔をあらわにして、香ばしい髪を打ち振り、太陽の光線のなかに跳びはね、全き美しさに輝き、鳩の胸元のように色合を変え、泪の出るほどに笑い、海へ泪を投げ入れ、美しい真珠に変じたその泪を、漁夫は拾って女王の額を飾るといった風で、放たれた若駒のように身をくねり廻って、清らかなうぶの臀部や、あてやかな品々を、こちとらに垣間見さすが、その艶然たるミューズどののさまを一目拝んだばかりで、いやはや法王と雖も、堕獄の罪に陥るでござろう。いやもう馭し難いこの神馬の乱痴気騒ぎの折り、なんとこの憐れな文人に次のように申す無学の徒や町人どもが御座る。《貴殿の乗馬は何処にござる?》《御辺の十話は如何めされた?》《其許は邪教徒の予言者に相違ござらぬ。》《そうじゃ、貴公は札つきのしれものじゃ。鱈腹くらってばかりいて、合い間に何もしでかさぬ》《御身のでかしたものは何処にごあるのじゃ?》……
はてさて吾儕は本来柔和な性分じゃが、しかしこれらの連中の一人を、トルコ式に串刺しの刑に処して、そうした身恰好で、兎狩りにでも参れと、申してやりたいものじゃわい。
さてこれで第二輯の十篇も終りじゃ。どうぞ悪魔がその角でこの一巻を押し出してくれればよいが。さすれば笑い上戸の基督教信徒の方々から、篤い款待を受けること、ゆめゆめ疑いなしじゃろうて。
解 説
騒士軽口咄 LES TROIS CLERCS DE SAINCT-NICHOLAS
十六世紀中葉のトゥールに於ける物語である。原名「サン・ニコラスの書生」は、「衣手の風流」(〓)でその解説をバルザックは行っているが、仏蘭西古語ではなく、沙翁が「ヘンリー四世」(第一部第二幕第一場)で用い、スコットも「アイヴァンホー」(第十一章)で使っているそうである。
この物語にはラブレエの影響が殊に著しい。騒士たちの行状はパニュルジュの巴里に於ける悪戯を模倣したものといってよく、バルザックは「ラブイユーズ」に於て、やはり斯様の悪戯を「つれづれ組」の悪ふざけとして描いている。
なおこの物語の続篇をバルザックは第四輯に発表する予定であったらしく、その一部分が現存している。宿屋の主人がまたもや違う騒士のため食い逃げを喫するというファルスで、詳しくは「風流滑稽譚拾遺」を参照せられたい。
禁欲王 LE IEUSNE DE FRAN?OYSPREMIER
フランソワ一世が捕虜となってマドリードに連れて行かれたのは、一五二五年のことである。カトリーヌ女王は当時まだ七歳で、王太子妃ではないが、バルザックの筆の勢いであろう。
なお「エプタメロン」はフランソワ一世の姉君で、アランソン公と死別、ナヴァール王に再婚したマルグリット女王の筆になる「デカメロン」風の小話集で、七十二話より成っている。一五五九年、女王の死後十年にして発表されたもので、その詳しい解説は「風流滑稽譚拾遺」に譲る。沢木譲次氏の完訳がある。「禁欲王」の続篇はバルザックの予告だけで、遂に書かれずにしまった。
カルロス五世皇帝も色好みで、ギャラントリイから一夜に三回を厳守せられておったことを、ブラントームは語っている。
尼寺夜談義 LES BONS PROUPOS DES RELIGIEUSES DE POISSY
ポワシイはヴェルサイユより北北西二十粁のセーヌ河沿岸にあり、一一四〇年の建立にかかる修道院は、中世から有名である。
バルザックの女友達だったズルマ・カロオ夫人が、母から聞いた話として一八三二年、バルザックへの手紙に、イスウダンで四十年程前に、上官が部下の猿又を全部一纏めにして同地の修道院に寄進したので大恐慌を来たしたという笑話を、書き送って来たのからヒントを得たらしい。また「カンタベリ・テールス」のなかにソクラテスが悪妻ザンティッパに頭上から小便を浴びせられ、頭を拭いながら「雷が止まぬうちは雨が降る」と云ったという話は、「雨を伴わぬ風なし」と尼僧の一人が本篇のなかで云った洒落と思い合せて滑稽である。なお「小鵞鳥遊びをする」ことを、「金鉄の友」のなかでもバルザックは言っているが、どうやらヴァン・デル・ヴェルデのいわゆる「性愛の前戯」のことを指すものらしい。
アゼエ城由来記 COMMENT FEUT BASTY LE CHASTEAU D'AZAY
ボオジウ摂政宮(一四六〇―一五二二)は一四八三年から九一年まで摂政の任にあった。即ち二四歳より三一歳までの間である。ジャック(一四五七―一五二七)は丁度その頃二十七歳から三十四歳にあたり、摂政より三歳年上で、また摂政も姥桜といった年配ではない。
十二之助のような強蔵が実在したことは、ブラントームの「艶婦伝」(第一章)にもあり、ボナヴァンチュール・デ・ペリェも十二之助のことを語っているが、バルザックがもっぱらヒントを得たのは、ラブレエの「パンタグリュエル」第二巻第十五章、『パニュルジュ、巴里の城壁を築きしこと』あたりかららしい。また珍妙な賭けとその判決の話は、「新百話」(六二話)にも似たようなのがある。
アゼエ城は一五一八年から二九年にわたって築かれ、一九〇五年、四万ドルで売りに出た話は「衣手の風流」(〓)の際に述べたことがある。なおジャックの処刑の際の従容たる態度は、クレマン・マロが詩に綴って称えたくらい天晴なものであった。
一夜妻 LA FAULSE COURTIZANE
舞台は巴里、年代は一四〇七年である。オルレアン公(一三七二―一四〇七)は文学や美術を奨励し庇護する一方、大の色好みであったことは、ブラントームもその「艶婦伝」で、公の二三の逸話をあげているのを見ても知れよう。イザボオ王妃やサヴォワジイは「元帥夫人」(〓)でお馴染の筈である。
バルザックがあげているド・カニイ夫人(マリ・ダンギャン)の逸話は、好色譚の屈指の材料となり、「新百話」第一、ブラントーム「艶婦伝」第一章、「滑稽譚」の「胴忘れ法官」(〓)など、みなヒントをそこに仰ぎ、伊のバンデルロ、ストラパロラ・ト・カラヴァジュ、マレスピニ、ジョヴァンニ・フィオレンチノなどもコントに仕立てている。「コント・ドロラティク」には主として肉体を描いたものが多いが、なかにはこの「一夜妻」のように、心理の微妙なメカニックを解剖したものもある。なお本文にある三箇所の妙適な口とは、上のと尻と前とにある口の謂いである。
おぼこ同志 LE DANGIER D'ESTRE TROP COCQUEBIN
ヴウヴレエはトゥールの東九粁にある。時代は一五六九年頃の物語である。ファブリオ以来この種の莫迦婿どんの咄は東西とも枚挙に暇がない。ファブリオにある有名な話は"Le sot chevalier"と云い、やはり婿と姑の色咄である。ヴェルヴィルも「立身の途」第二巻で同じような話を述べているし、ポッヂヨの「道化咄」第一四九話にも、ブラントームの「艶婦伝」(第六章)にも、それがある。他の物語のように親子二重の不倫事とせず、巧く滑稽化して、際どいところを逃れているあたり、なかなか隅におけぬ腕前である。
恋の闇夜 LA CH?IRE NUICT?E D'AMOUR
この小説は「人間喜劇」の雄篇「カトリーヌ・ド・メディシス」の姉妹篇とも云うべく、サルヂニ、リムイユ、アヴネルなど、やはり「カトリーヌ・ド・メディシス」に登場している。何れも実在人物で、アヴネルはこの密告の功に依り一万二千法の礼金と、ロレーヌ州で法官の職を得たし、リムイユ孀は「金鉄の友」(〓)で御馴染の筈だが、当時の宮廷界の花形で、ロンサールも詩を献じ、ブラントームも彼女に惚れ、「艶婦伝」の中で種々語っている。彼女はコンデ公の情婦で、一五六四年六月リヨンで、皇太后の衣裳戸棚に於て男子を分娩、それより四月してサルヂニに嫁いでいる。この小説の舞台はブロワ、年代は一五六〇年である。本書の恋愛描写は、フランス文学に於ける最も熾烈な官能讃歌であると、バルザック研究家ポール・フラットはその著のなかで述べている。なおモンテーギュの学生とは、ジル・モンテーギュが一三一四年巴里に創設したカレッヂの学生を指す。
ラブレエ異聞 LE PROSNE DU IOYEULX CUR? DE MEUDON
舞台は巴里、年代は一五五三年である。この短篇は一八三三年六月十三日の「バガテル」誌に発表せられた。バルザックとしても会心の一篇であろう。ラブレエのスチルを其儘真似たために、ややごてごてし過ぎた嫌いもあるが、そこが所謂ラブレエ調であろう。普通の寓話と違って、一人の性格が動物一匹の裡に比喩されておらず、一匹の動物のなかに、同性の幾人の性格、風貌、欠陥が、渾然と混淆しているため、諷刺が一段と利き、しかもモデル化の非難が宙に浮いて、遣り場がなくなっている。普遍的に堕せず、また個別化もせぬところに作者ラブレエの苦心があり、ひいてはそれが作者の作者たるバルザックの味噌ともなっているのである。
妖魔伝 LE SUCCUBE
「滑稽譚」の最傑作であり、世界文学に於ても有数の名作と信ずる。これに較べると「聊斎志異」も芥川の「藪の中」も、メリメの妖異譚も、すっかり影が薄くなってしまう。小説の技巧からいっても、所謂「背負い投げ」を食わす小説の一種で、小説読者を充分に堪能させてくれる。中世の雰囲気をこれほど如実精細に描出した退屈せぬ歴史小説は、そうざらにあるものではない。バルザックも六ケ月あまりこれに心血を注いだと、ハンスカ夫人に書き送っている。(一八三三年十月廿三日)。なおこの「妖魔伝」の対をなすものに「婬魔伝」がある。「滑稽譚拾遺」に飜訳しておいた。大宇宙の交媾といった雄大な描写は、ミュッセの作と誤り伝える「ガミアニ」のなかにも、これと同じような幻想が、手淫の際に覚える現象として荘厳に描かれてあるが、恐らくこの「妖魔伝」からヒントを得たものであろう。
トゥルヌブゥシュの家憲五ケ条ほど痛烈なペシミスムに貫かれたものを、バルザックは「人間喜劇」中に於ても書いておらぬと左翼批評家マリ・ボールは驚嘆している。
恋のすてばち D?ZESP?RANCE D'AMOUR
シャルル八世のアンボワズ城修覆の事業は一四九一年からであるから、その頃の話と見てよい。このコント初版には、左のような書き出し文句があったのを、後の版には抹消されている。
さる色白の麗しい上臈より、特別なるお誂えがあったれば、吾輩は次なる物語を以て、第二輯の結びといたしたい。輯中の他の物語とは違って、これはちと哀喪につつまれ、悒愁に泥まみれて、悲しみの轍のなかへ、やや深入りしすぎた気味も、あるやも知れぬ。
色白の上臈とはハンスカ夫人である。なおこのコントのモデルはバルザック自身と、その情人の一人であったド・カストリ公爵夫人の仲を描いたもののようである。
小 西 茂 也
本作品中、今日の観点からみると差別的ととられかねない表現が散見しますが、作品自体のもつ文学性ならびに芸術性、また訳者がすでに故人であるという事情に鑑み、原文どおりとしました。
〈編集部〉
この作品は昭和二十六年一月新潮文庫版が刊行された。
表記は新字新かな遣いに改めた。
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風流滑稽譚 第二輯
発行 2001年9月7日
著者 バルザック(小西 茂也 訳)
発行者 佐藤隆信
発行所 株式会社新潮社
〒162-8711 東京都新宿区矢来町71
e-mail: old-info@shinchosha.co.jp
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ISBN4-10-861124-1 C0897
(C)Kikuyo Konishi 1951, Coded in Japan