TITLE : 風流滑稽譚(第三輯)
風流滑稽譚(第三輯) バルザック
小西 茂也 訳
目 次
前口上
不撓の恋
胴忘れ法官
アマドル和尚実伝
悔悛の花
あなめど綺譚
艶福冥加論
野良ん坊
巡礼浮世噺
天真爛漫
節婦インペリア
後口上
解説・あとがき 小西茂也
風流滑稽譚(第三輯)
前口上
なにがゆえ『こんと・どろらてぃく』に、さばかり精を〓まれるのか、来る年毎に必ず弄舌喋々めされるとは、如何なるご仔細か、女人衆がうわべは眉を顰められるていの不届き文句まじりの句節をしたためられるは、あんとした次第かなんどと、さまざまな空毬《いが》ごときを吾儕に投ぜられる御仁も、世に尠くはござらぬ。行く手に小石さながら撒き散らされた如上の佯言に、吾儕は心の臓深くを衝かれたことを認めはいたすが、おのが責務を充分にわきまえおるゆえ、格別御贔屓の看官に対し、この前口上に於ては、前二巻のそれとは異る理窟づけを仕ろうと存ずる。餓鬼どもには大きくなって、訳が解って口噤むまでは、諄々と説いて聞かせてやらねば相成らぬし、またこの『こんと・どろらてぃく』の本旨に、殊更に目をつぶろうとなさる無数のやかましやの中に交って、臍まがりの悪太郎どもがどやくや蠢いておるのを、夙に看破もいたしておるからじゃ。
偖てまず第一に、もし淑徳高き上臈衆が、――ここに淑徳高いと申し上げたは、下々の匹婦や下司女郎《めろう》どもは、これら書冊を決して読まず、公刊でけぬことを実地に行う方を好んでおられるからで、それに反して寛袖に襞〓《ひ だ》深く信心も深い上臈衆や町方の御内儀がたは、本の内容にまさしく気を悪く遊ばしながらも、邪念を満たすため、いと敬虔に読み耽られ、その結果身持正しくせられておるからでごある。なんとわが親愛なる間男され殿、御同感では御座らぬか。遊冶郎の話頭の上での寝取られ亭主にならっしゃるより、本の話の上での間男されになる方が、遥かましではあるまいか。莫迦亭主どの。すれば貴殿の御被害もこれということなくて済もうし、和文字の御令閨も本書の窃み読みによって、そぞろ春ごころを催し、さかんに貴殿名代の毛皮揉し棒を御所望めされること、世に必定と存ずるわ。従ってこの書冊こそ国土の人口増産に、大いに資するところあるべく、まった国びとの楽しみ、ほまれ、健康を保持するの三徳あること、いちえん夢疑いなしで御座ろう。して楽しみと申したは、貴殿が本書より無限の悦楽を摂取し得るがゆえ、ほまれと言ったる訳は、ケルト語で「コキュアジュ」(間男)となん呼ばれる不老の若造たる悪魔の爪牙から、貴殿の愛の巣が免かれ得るを以て、まった健康と申したは、脳充血よけの特効として、サレルノの医林がすすめる一儀へと、貴殿を促すがためにてござるよ。かくの如き顕著なる裨益を、他の黒ぼけた活版本に探せられるものなら、探してごろうじ。は、は、は! 子供《ややこ》を儲けられる本が他にござるか。ござるまい。見当るのは本を作るうじゃうじゃ餓鬼どもばかりで、しかも妊んでおるのは退屈のみときておるわ。おっと、脱線はこれくらいで……閑話休題、もしも性分に於て淑徳高く、精神に於て蓮葉な上臈衆が、本書に対して公けには文句をつけられようと、その大部分は内実のところ、吾儕を譴責せられるどころか、好きで堪らぬお方と仰有り、げに頼母しいお人と崇め、テレームの僧院の沙弥にいたしたいと、褒めちぎっておられるに違い御座りゃない。
されば大空に鏤められた星の数ほどもあまたな理由からして、吾儕は『滑稽譚』をおどけ調べる面白可笑しの笛を、いっかな口から放さず、人の誹りも馬耳東風に、飽く迄初志貫徹の信念でごある。何故と申すに、ゆらい高雅なフランスは、「いや。絶対にいや。なにをなさろうと遊ばすの。お断りしますわ。痛いじゃありませんか。」なんどとさかんに身もだえし叫んだりして、御存じのあのことを拒もうとめさる女子衆の如き科をつくるものでごあって、そのくせ風流な一巻十話が上梓される毎に、「まあ、先生、これだけなの。もっと他にありませんの。」と必ずや仰有るに違いないことを、よくと存じておるからじゃい。吾儕はもともと洒脱な人となりゆえ、「栄光」とか「流行」とか「世評」などのお名前の、婦女子の叫びや涙や身捩り同然のものには、一向に平気の平左の男でごあって、御婦人方はあれがちゃっとお好きで、力まかせの天晴れな手込めを待ち望んでござる性分のことは、百も承知の助じゃわ。フランスの戦いの雄叫びは、「モン・ジョワ《〈1〉》」なることも、吾儕の千も存じおるところだ。けだし雄壮活溌な喊声じゃが、その意味を歪曲して、「悦喜《ジヨワ》はこの世のものでなくかの世のものゆえ、急ぎお捉えめされよ。捉えはぐればおさらばで御座る。」なんどとの訳合だと申す文人も御座るが、吾儕はラブレエ大人より親しく伺った意味合いに、それを解釈いたしておる。なにがさて歴史を漁ってごろうじろ。フランスは楽しく跨られている時、勇ましく乗られている時、熱烈に組み敷かれている時、息ぜわしく下になっている時、一言でも文句を発したことが御座るか。何につけフランスは激情に駆られ易く、ゆらいが呑むことより跨られの方がお気に召しておられる。のう、そんてなものでは御座らぬか。さればこの『滑稽譚』は悦喜に於てフランス的、跨がりに於てフランス趣味、前門もフランス風、後門もフランス好み、いたるところに於てフランス臭紛々たることが、とくとお解りめされたじゃろう。されば解らずや輩、下におろう。ものども、いざお通りの音楽を奏せい。偏窟屋連中、口をひん噤めい、さあ、お進みあれ、風流のともがら、訳知りの侍童たち。貴公らのやさしい手を上臈衆におかしめされよ。徐ろに彼女等のおまんなかを擽り候え。待ったり、お真中と申しても、掌の真中のことにてござるぞ。は、はあ。さても吾儕が上述いたしたるは、げに四方にとどろく大理窟ではござらぬか。ずんと逍遥学派風の筋合ではごあるまいか。さもないと申さるるか。ならば吾儕はアリストテリスムも、釣鐘の轟かせ方も、一向に心得おらぬと申さねばならんじゃろう。が、吾儕に味方するもの、フランスの長楯あり、王室旗あり、サン・ドニ上人様ありじゃ。なんと上人は首を刎ねられめされた折り、「モント・マ・ジョワ」(わが悦喜に跨れ)と申されたではござらぬか。貴公ら四足獣は、これをしも虚言だと申されるか。いや、この言は当時の衆の多くが、しかと耳にせられておる筈。されど末法澆季の今日なれば、尊いひじりたちの申し条にも、悲しい哉、貴殿らははや信をおけずになりおったのじゃろうて。
吾儕の申したいことは、まだまだと御座る。この『滑稽譚』を目と手でお読みになる方々、まったあたまでだけ感じ、与えられる楽しみ、心臓に上る愉楽のために、この本を愛せられる方々に、一つ知って戴きたいことがござる。それは不運にも吾儕は過日わが斧、すなわち家産とも云うべき天賦の着想《も の》を見失い、探せど求め得ず、惨めな有様となり申したことがごある。で、恩師ラブレエ大人の本の前口上《〈2〉》のなかなる樵夫のように、何か他の変った斧をお授け頂くべく、天においでの君子人、万物の宗主さまのお耳に入るよう、大声はり揚げて叫んでござる。と、高所の仁には時の会議で御多忙中のなかを、使神マーキュリーに命ぜられて、インク壺皿の二つついたインク・スタンドを、吾儕に投げ寄越されたが、その表面にはまこと箴言か、AVEなる三文字が彫りつけてござった。他に救いを求めるとてない憐れな吾儕は、それなインク・スタンドをためつすがめつして、けったいな意味合いを探り、神秘な文句の謎を解いて、その精髄を究めようと努めてござる。で、先ずちゃっと思い浮びしは、神はこの世界を所有し、誰からも授けられたのでないねっからの大領主様ゆえ、ご懇切なお方に違いなかろうてなことでござった。しかし吾儕つらつら若き日の事どもを回想いたすのに、神様に対して格別の追従ごともいたしてはおらぬゆえ、神のこの慇懃さも、実はからっぽのものではないかと、不遜にも疑いを発しはいたしたが、とこう思い辿っても天のこの道具から、これという現実的な得分《おたから》を、引出す訳にも参らなかったのじゃ。それでこの文房具を引繰り返したり裏返したり、とみこうみして、さわったり撫でたり、満たしたり空らにしたり、真直にしたり、横にしたり、磨いたり叩いたり、逆立ちさせなどして究め尽した揚句、とうとうあべこべに読んでみることを、思いついた次第じゃ。EVA。なんとエヴァと申せば悉皆の女人衆を、たった一人の裡に体現つかまつった女子では御座らぬか。されば神の声は吾儕に、次の如くにお告げにあいなったものにも相違ござない。――《女のことを考えよ。女は汝の傷手を癒し、汝の腰巾着の空隙を塞いで呉れるに違いない。女は汝のお宝だ。一人の女を後生大事にせよ。着物《おべべ》の脱ぎ着せをして女を可愛がれ、女に就いて喋々せよ。女こそすべてじゃ。女もそのインク壺を持っておるぞ。底知らずのそのインク壺より掬み申せ。女は恋を恋しておる。インク壺に汝の鵞ペンを突込んで女と色事をせよ。女のファンテジアを擽って進ぜよ。恋のやさしい千変万化のすがたや手立てを、楽しげに女に描いて見せよ。女人は根が殊勝ゆえ、一人の女のために総てが、総ての女のために一人が、画家の労を犒ってくれようし、画筆の鵞毛を供給もいたして呉れようず。書き刻まれた箴言に、両義が含まれておることを省察いたせよ。AVE善哉、EVA女。或いはまたEVAイヴ、AVE栄あれ。又は帰命頂礼じゃ。女人は作り且つ崩すものじゃ。――》
さればこそインク壺万々歳じゃ。女は何を最も愛するや? なにを女人は欲するか? 曰く色恋の格別なこと悉くをじゃ。そしてその点、女人は正しい。生むこと妊むことは、常に陣痛の悩みをしている自然に対する、女人の模倣ではおりないか。されば我に女を。イヴを我のものに。
仍って天があらたかにも歴劫不可思議に調製し給われし頭脳濾し汁のあるこの豊潤なインク壺から、吾儕は掬んでみる決心を致した。即ち一対の片方のインク壺から真面目《ま じ め》事《ごと》を引出し、褐色インクでこれを記し、他方からは軽妙事を拈り出して、紙面を薔薇色に楽しく塗りたくってござる。さはさりながらしがない文人の吾儕のこととて、つい粗忽にもあちこちインクを混用いたしたことも、屡々とごある。時代の好尚に添うような著作の鹿爪文句を、鉋をかけ艶出しをし磨き上げおわるや否や、気のつきを晴らすべく吾儕は、片方のインク壺に残りおる好笑のインクの量りすくなにもめげず、欣喜雀躍してその幾滴かを傾け用いてものしたるものが、何を隠そう、この『滑稽譚』でごあって、率直な吾儕の如上の告白に依っても明らかな通り、総てこれ上天よりの霊感から成りしものゆえ、その権威をあげつらう態の差出口は、近頃ちと無礼でござろう。
さあれこのことにつき、また意地わるどもには、口うるさく喋々いたすことじゃろうが、借問す、この泥んこ地上に於て、ねっから満足し心足れりとなされる仁が御座るか。そんな知足の君子がござったら、恥さらしと申してよいわさ。されば神に見ならって、吾儕が賢明に身を処しておる所以のものを、茲に開き直って立証に及ぼうと存ずる。乞う、聞きねかし。
大宇宙の宗主たる神様には、巨きな歯車やどえらい鎖や怖ろしい引金や、焼串回転機のように螺旋や分銅でごたごた入り組んだしんどい機械類を、げしゅう作って御座るが、それと共に風のように軽い、ちっちゃな可愛いものや、グロテスクなものを、いろいろと作られて気晴らしをなされたによって、見て吹き出さずにはいられぬていの、楽しいあどけないものの創造主でも御座ったということは、なんと世の碩学泰斗に、明々白々に論証せられおるところではごあらぬか。されば吾儕に依って企てられた規模宏大な建造物の如き、同中心に向って集中する『人間喜劇』の大業にいそしむ旁ら、上述したような神の法則に倣って、何か愛くるしい花、可愛らしい昆虫、鱗に鎧われのたうち廻る極彩色の美しい龍――屡々黄金に欠乏する吾儕じゃが、――にも拘らず黄金塗りのドラゴンなどを作って、一方の白雪皚々たる山、巍々たる岩塊、雲霧に鎖された哲学の峯、長い怖ろしい著作《いとなみ》、大理石の柱廊、斑岩に彫りつけた妙想の脚下に投げ出すことが、いっち不可欠となっておったのでごある。
ああ、世にも楽しいおどけミューズの奏でる幻想曲や、狂躁曲や、フーガや、急奏曲などを、恥かしめ黜けるむさい木念仁どもよ。静脈で青く透いて見えるミューズの白い肌膚や、愛くるしい腰部や、しとやかな胴躯や、つつましく寝床にとどまる素足や、繻子のような紅顔や、艶な肢体や苦渋のないその心臓に、ゆめ爪を立てぬよう、貴公等の爪をお嚼みめされい。なんと不念の能無し殿、『滑稽譚』なる可愛い乙女は、フランスの心臓から出し、しかも女子の性分にぴったりと符合せる、使神マーキュリー直々の賜物として、天使達から優しい《幸あれ!》を享け、いえば芸術のもっとも明るい精粋にござるが、何かこれに言い分が御座るかどうじゃ。さればこの本のなかには、必然と有徳とファンテジアと女人の祈念と、天晴れパンタグリュエル党の奉献など、そのすべてが存在しておるのじゃ。よって無駄口を叩かずと、吾儕を祝賀めされよ。吾儕の一対の墨壺皿を備えたインク・スタンドより、百篇の赫々たる『滑稽譚』を奔出せしめて、一つ風流界に寄与せしめよじゃわい。
されば没風流漢ども、下におれ。お通りじゃわい、音楽を奏しめされよ。おしゃべり者めら、口を噤めい。解らずやども、出てうせろ。で、わが親愛なる粋士笑人がた、どうぞ前へお進みを。いざ、わが御贔屓の若衆どの、御身の優しい手を麗人におかし申して、こちょこちょとお真中をお擽りの上、《お笑い草に御愛読を。》と仰有りませい。その後でなんかざれごとをお聞かせ申して、女子衆を爆笑《はじけ》させ申すがよい。上臈衆が笑みを含めば、その唇は開かれ、恋の侵入にさしたる抵抗もなさらぬのが定じゃて。
一八三四年二月 寿府オーヴィヴ、アレック旅館にて
(1) モン・ジョワ。堆い岡、霊丘、軍隊の喊声などの他に、「我が悦喜」、「快楽に跨れ」、「快楽山」などいった言葉の洒落としてここでは用いられている。なおラブレエはこれを「紅臼山」陰阜の意味で用いたこともある。モン・ジョワはもともと紀元三世紀、巴里初代司教サン・ドニ上人の処刑せられたサン・ドニ丘の名であるが、軍神ジュピターをもそこに祭ったことがある。
(2) ラブレエ「パンタグリュエル」第四巻前口上に於ける樵夫クイラトリス(比奈佐岐)とその斧のくだり参照、なお斧には種々の暗喩があって、「女のもの」そのものをも指している。
不撓の恋
御降誕より十三世紀を経たるその初頭のこと、巴里の都でトゥール生れの仁の恋愛事件がおっぱじまり、町中はおろか殿中にまで、俗界の取沙汰とは相成ったが、して僧界ではと申せば、この物語は御坊のお蔭にて、後世に伝えられしものゆえ、宗門の演じたるその役割のほどは、以下に述べるところによって、明らかとなり申そう。
われらがうまし国トゥレーヌにて産湯をつかいしゆえ、「トゥール人」と彼は俗称せられておったが、本名はアンソオと申し、町や檀家寺の古記録に依れば、晩年はトゥールに戻って、サン・マルタンの町長となったが、巴里にあったその昔は、腕利きの金銀細工師であった。若い頃、その廉直や精励や何やかやのお蔭で、彼は巴里のれっきとした市民となり、当時の慣習に従って、王から保護状を購って家来となっておった。サン・ドニ街のサン・ルウ教会の近くに、貢税御免の家を彼は建てたが、立派な宝石を求める人士の間では、その細工場はかねて名代のものでごあった。
好き者揃いのトゥール人のちゃきちゃき出で、しかも有り余るほどの精力を擁しめされておったにも拘らず、彼は巴里の誘惑を尻目にし、生仏のように堅固に身を持し、青春の歳月のそのあいだ、一度だに遊里で股引を脱がした覚えもござらなかった。これは聖い宗門の神秘に払うべき信仰の念を助長せしめんとて、神様がわれわれの裡に賦与し賜わった所信の能力を、遥かに超えた咄咄怪事だと申される向きも多くあるかも知れぬゆえ、彼が清浄に身を持し得たけったいなそのいわれを、つぶさに立証せねばならぬが、それには先ず昔の仲間衆の言草をかりれば、ヨブよりも無一物で、彼が都にてくてく上って来たことを考えあわせて頂くとしよう。それにまた初手の熱中しかもたぬおらが国さの衆とは事違って、彼は金属のような硬い性根を持ち、坊主の復讐のように、その初一念を固執めされた。されば職人の当時とて稼ぎ続け、親方になってからもなお出精して怠らず、新しい秘法を習ったり、珍しい調合を案じたり、研精して各種の工夫を編み出したりなぞいたした。夜遊びの悪童や、夜廻りや、遅い通行人など、何時も彼の細工場の窓越しに、ランプの聖火を見て襟をば正したが、彼は戸を閉め耳を開けて、徒弟をひとり相手に、叩いたり彫ったり刻んだり鐫ったり剞ったり磨いたりして、ついぞ倦むことがおりなかった。貧窮は勤労を生み、勤労は分別を生み、分別は富貴を生む。金貨を啖い、酒を小便にするカインの餓鬼どもよ、このくだりをとくと省察いたされるがよい。
さて悪魔が十字架のしるしを睥睨する顔つきをしだすや、忽ち不倖な独り者の心身をむずつか悩ます、あの奇異な欲望を感じ出して、わがトゥール人は、金物をやけに叩いて精巧な工芸品や華麗な鏤刻物や、黄金の毛彫や、銀の彫琢づくりに無下に没頭いたし、あたまから謀叛気を払いのけ、おのがヴィーナスの勃怒を鎮めるのが慣いでごあった。のみならずこのトゥール人は、根が単純素樸、その怖れるものといったら、先ずは神様、次が泥棒、それから領主といった順序で、何よりも喧騒を嫌う実体なお人柄であった。両手こそ持っていたが、一時に一つのことしかしなかったし、その話振りの穏かさといったら、まるで祝言前の花嫁のようで、僧職者や軍人其他は、彼を学者としては余り認めてはいなかったが、母親譲りのラテン語はよくこれを諳んじて、促されもせずに正確に喋れた。
また巴里の連中は彼に、次のようなことを後天的に教えていた。すなわちわき目も触らずに進むべきこと、人のお切匙《せつかい》は焼かぬこと、収入以上の道楽はせぬこと、人に巧い汁を吸われぬよう気をつけること、自己の利益はあくまで守ること、見せかけにだまされぬこと、していることを人に言わぬこと、言ったことはちゃんとすること、水のほかは粗末にせぬこと、蠅が通常もっている以上の記憶力を備えること、おのれが心痛と財布は人に示さぬこと、街で雲行など気にかけぬこと、宝石をかかった以上の値段で売りつけること、――これらのことどもを聡く遵奉いたしたお蔭で、彼は商売を心おきなく快適に行うに十分な智慧才覚を獲得し、誰にも迷惑をかけることなく、世渡りいたすことが出来申した。
この人の好い小男の内幕を知って、「百年のあいだ、巴里の泥濘を膝まで浴びるような目に遭っても結構ゆえ、あの金銀細工人の身に成りかわりたいものじゃ。」と、多くの衆は羨望いたしたくらいでごあった。が、そうした望みはフランス王になりたい大望にも等しいと申そうか。というのは彼の腕ときたら、骨太で毛深く逞しく、その強いといったら、一度彼が拳を固めたが最後、どんな力持が鉄鉗《やつとこ》でねじあけようと気張っても、到底に叶わぬほどで、まったく彼は握ったら金輪際離さぬ男だったし、その上、歯ときたら鉄でも嚼め、胃袋は鉄を鎔かし、腸は鉄をこなせ、肛門も裂けずに鉄を排泄出来るといった頑丈ぶりで、両肩で世界を支えることも、恐らく彼には出来たであろう。ちょうどむかし、同様の仕事を託され、折よくキリストの御来臨で御用済みとなった、あの異教徒アトラスどののようにである。まったくのところ彼は一挙にして成った傑物《えらぶつ》でごあった。これに反し修補の結果成ったご連中は、何度か補綴や修復を要するゆえ、あまり高くは頂きかねるのである。一言にして申せばアンソオ親方は、種子の時にもう色づけせられた御仁で、その顔も獅子さながらで、眉毛の下からは、鞴の火が弱ければこれで金を鎔さんず勢の、烈々たる眼光がっておった。しかしそうした灼熱さも、万物の『調整者』が、彼の双眸に宿して下さった清澄な水気で、ほどよく緩和されておったからよかったものの、もしもそうでなかったら、忽ちに万物は彼のために、炎上させられてしまったに違いごあるまい。いやはや、なんと天晴れなる男前では御座らぬか。
五常五倫の見本のような行い澄ました彼の聖人ぶりを見て、身に生れつきの素晴らしい授かりものゆえ、何処へ行っても立派に用いられようものを、何故にアンソオ親方は、牡蠣のように独り身でいるのだろうと、しつこく不審がるお人があるが、これら頑固あたまのいぶかりやどもは、いったい色恋とはどんなものかを、御存じなのかしらん。いでや一番御教示がな申そうか。
それ色男のつとめといっぱ、往ったり来たりすること、耳を澄ますこと、様子を窺うこと、黙ること、喋ること、身を蹲むこと、大きく見せること、小さく見せること、己れを物の数でなくあらわすこと、人に跋を合せること、奏楽すること、嫌なことでも勇んですること、悪魔の棲家へ行って呼び出すこと、選種板《たねよりいた》の上の青豆を数えること、雪の下に花を見附けること、月に向ってお念仏を唱えること、飼猫や飼犬を撫でて進ぜること、友達にお愛想を振廻すこと、叔母さんの痛風や鼻風邪のお加減を訊ねること、時を見計らって伯母さんに《艶々しいお顔色ですな。人類の墓銘誌がお書きになれるくらい、御長命いたすことでしょう。》とお世辞を言うこと、――ばかりではない。まだある、まだある。親戚一同のお気に召すものを嗅ぎつけること、誰の足も踏まぬように注意すること、コップを壊さぬ用心をすること、蝉に蹄鉄をつけるようなわざをすること、煉瓦をごしごし洗うこと、愚にもつかぬ事柄を口にいたすこと、手の中に氷を握ってみせること、安ぴか物に感嘆した顔をすること、《いや、これは滅法界素晴しい!》とか、《正直のところ奥さんほどお美しい方は、世界に二人とはありません。》などと感激して叫ぶこと、等々。しかもこれらを千変万化を凝らしてお目にかけねば、恋人の役は相つとまらぬ。それ許りではない、お殿様のように身装をきちんとし、衣服には襞をとり、糊附けをすること、舌を素早く廻転し、しかも分別ありげに喋りちらすこと、悪魔のなすあらゆる艱難辛苦を笑って辛抱いたすこと、悉皆の己が憤怒はこれをひた隠しに隠すこと、本性の儘に振舞わぬよう努めること、神の指と悪魔の尻尾を併せ持つこと、阿母や従妹や腰元にまで贈物をすること、――えい面倒だから一口に申せば、常ににこにこ楽しそうな御面相をしてみせることだといってよろしかろう。さもない限りは相手の女子衆は、殊勝な理由など何一つ仰有らずに、貴殿から逃げ出し、貴殿をポカンとおいてきぼりにするじゃろう。したがなんとこれでもなお総てという訳ではないのである。
神様が上機嫌の折にお創りなされた、世にも稀なる温和な気立の娘っ子に対し、よしんばその情人が立派な書物のように口をきこうと、蚤のように跳びはねようと、骰子のようにくるくる廻りをしようと、ダヴィデ王のように妙なる音楽を奏しようと、また百千の地獄ダンスをしてみせようと、悪魔の円柱のコリント式のやつを彼女の為に建立いたそうと、――もしも御婦人方の何よりもお気に召すあの内緒内緒の格別ごと、女子自身でさえ屡々之を知らず、但し知る必要があるとされているあのことに於て、いやしくも殿御に一朝、欠くところあるに於ては、赤いレプラでも目にしたように、柔和な彼女も即刻背を向けること必定でがなござろう。しかも彼女はその特権を行使いたしたに過ぎなく、繕うべき編目を、何人もそこに見出すことは能わぬのである。文句のつけようもないこうした悲運に際会して、殿方は想像を絶するくらいに気を取乱し、仏頂面するわ、癇癪を起すわ、地団駄を踏むわ、はては、スカートのこの引卸しに直面して、自裁し果てる殿御まで、世には沢山とある始末じゃ。さればこの点に於てこそ人間は畜類と劃然と識別し得るのでごある。ゆえをいかにというに、恋の絶望から分別を失いし動物は、未だ嘗てないからであって、動物には魂がござらぬことは、これを以てしてもはっきりと窺える次第である。されば恋する男の稼業たるや、香具師、刀差し、法螺吹き、道化役、馬鹿殿様、野呂松、国王、閑人、坊主、幇間、遊冶郎、抜作、手妻師、鼻下長、木念仁、ぺてん師、御用聞、腰巾着、安本丹などの生業といささかも変りめされず、まさに御主キリストが堅く慎しまれたそれは生業《なりわい》なのである。仍って御主にならいて、高き悟道の士は何れもこの職に就くことを軽蔑して御座るが、それもことわり、なんせよ一廉の男性より、彼の心、魂、頭はいわずもがな、その時間、いのち、血液、美辞麗句の費消をまで要請するこれは大仕事で、しかもあらゆる女人は酷《むご》いくらいそれが大のお好きゆえ、しきりと求めて止み申さぬ。現に女人衆は、その舌の出し入れが出来る程になるともう、男からすべてを得るのでなければ、何一つ得たとはいえぬなどと、お互に話合っておる次第じゃ。仰せかしこみ殿方が百発つかまつったに対し、百一発できるのではないかと疑いを発して、眉をひそめて愚痴られる牝猿も、世にはあるくらいで、まことにはや何とも女人というものは、征服心と専横慾とから、多きを望んで止まぬものじゃが、こうした高等法学は巴里の慣習の下にあっては、常始終に栄えおることである。という訳は女どもは洗礼に際して、世界の何処でよりもたっぷり、塩加減を授けて貰っておられるからで、さればこそ彼女たちは、生れつき塩が利いて、ぴりっとして悪賢くござらっしゃるのである。
さればアンソオは、相変らず仕事場に陣取って、金を磨いたり銀を鎔かしたりはしておったが、恋にはとろけず、おのが妄想を磨くことも輝かすことも、また贅を凝らすことも衒うこともなく、耳型のついた鋳型を探し求めて、猿真似に身を持ち崩すことも絶えておりなかった。したがいくら王室御用の金銀細工師の若親方とはいえ、また花の巴里とは申せ、若人の寝床に娘っ子が落ちて来ることがないのは、街に孔雀の焼肉が降って来ぬと同じであって、だからこそアンソオは、上述したように、からきし女知らずの堅造でいられたのである。しかりと雖も、彼が宝石の値段を掛引した当の相手の、上臈衆や町女房などが、豊かに備え且つひけらかしておられる持前の自然の強み、即ち女性の美貌に目をつぶっていることは、流石の彼にもよう成し得なかった。だから屡々彼の好意を得ようとして、お世辞をふりまいたり、御愛想を云ったりする女人衆の、やさしい艶言を耳にしては、巣のない郭公以上に絶望を覚え、詩人よろしくの冥想に耽りつつ家路に辿る途中、こう肚の裡で彼は考えるのであった。「俺も女房を貰わにゃいかん。部屋は掃除して貰える。温い御飯は食わして貰える。寝床も畳んでくれる。ほころびもつくろって貰える。家の中で陽気な歌声も聴ける。家じゅうのすべてをおのが趣味に適えさせようと、亭主に可愛いらしい苦情百出ということもあろう。宝石をねだる時、良人に甘えるあの式で、この俺に話しかけるだろう。『ねえ、あなた、これを御覧遊ばせ。素敵じゃありませんか。』なんてな。町の衆もみんな俺の女房に見惚れ、それから俺のことも思い出して、天下の果報者と云うじゃろう。結婚する、祝儀をばらまく、家内を可愛がる、素晴しい着物をきせる、金鎖を呉れてやる、頭から足先までいたわってやる、俺の臍繰りだけ除いて、家政全体をさっぱりと委してやる。二階の部屋をあてがう。窓ガラスをはめ、筵を敷き、壁錦を掛け、立派な戸棚を据え、捩れ柱に黄絹カーテンのついた大寝台を備えてやる。美しい鏡も買ってやる。家へ戻ると二人の間に儲けた子が十人も寄り集まる。……」
が、家へ戻れば女房も子供達も、トンカチの響で雲散霧消してしまうのが常だった。アンソオは彼の憂鬱な構想力をファンタスクなデッサンに変え、愛の想念を風流な宝石に移したので、買手はいたく興がったが、彼のつくった金銀細工のなかに、女房子供へのあこがれがこもっておったことは、露知らなかったのである。
さればアンソオは、その技芸に心魂を打込めば打込むほど、益々衰弱して参った。
だからもし神様が彼に憐みを垂れさせ給わらなかったら、愛とは何かも知らず、この世をおさらばいたして、天国に於てそれを味わったことであろう。但し肉身の変形がないと仮定してだが、あったら色恋もお陀仏じゃ。てなことを申すと権威家プラトンどのの所説を覆えすようだが、しかし大人はキリスト教徒ではなかったゆえ、たまたまお誤りめされたのであろうわい。しかし如上に述べ来ったるごとき準備的な説話《まくら》は、要するに無為の枝葉論であり、勝手な註釈咄であって、裸でかけ廻らすべき子供を、無理におむつにくるむように、物語をくるめこもうとする無信家の常套手段でごある。されば大魔王はその赤い三叉の刺股を以て、くどくどしい長話に灌腸を施すぞと仰有るに相違ない。おっと大変、吾儕も道草を食わずに、本題にかかると致すべい。
さてその四十一歳の折、アンソオに起った事件とは、次の如くでごあった。とある安息日のこと、セーヌ河の左岸を散歩していた彼は、例に依って結婚の妄想に耽っているうち、後に坊主っ原《プレ・オ・クレール》と呼ばれるに到ったが、当時は大学の所属地でなくサン・ジェルマン僧院の寺領地であった野原へと、うかうか足を踏み入れてしまった。そして知らず識らず野原の真中へ差しかかったとき、貧しい乙女に出会った。彼の服装が立派なので娘も会釈して、「よいお天気でございまする。」と挨拶いたしたが、その快い親身な声音のメロディに、アンソオは思わず恍惚として、忽ちこの娘に恋慕の念を寄せた次第であるが、結婚問題に心唆られていた矢先だけに、何もかもそっちに向いてしまったのも、また無理からぬところであろう。が、もう行き過ぎた後だったので、逆戻りするほどの勇気が、彼には出なかった。快楽のために内スカートを捲るくらいなら、いっそスカートを鎖した儘、死んで行こうという乙女っ子のように、彼は根が内気だったからである。ものの矢頃ほども行った時分、けれど彼は考え直した。もう十年も錺職の親方として許されている自分、れっきとした市民となり、犬の年の二倍も馬齢を重ねているそれがしともあろうものが、想像力が地団駄を踏み、無性にファンテジアに駆られる以上は、彼女の顔をもう一度、正面きって見てわるいという法は、どこにもないではないか。――と言ったような理窟をつけ、彼は散歩の方向を変えた振りして廻れ右をし、娘に近づいて行った。道の傍らの溝ばたで、青草をたべている牛の古綱を、その娘は握っていた。
『娘さん、今日は安息日だというのに、稼ぎに出るなんて、そんなに暮しがお困りなんですかい。宗規に叛くと牢屋にぶちこまれても怖くはないの。』
『怖いことなんか御座いませんわ。妾は僧院の所属ですし、晩祷後に牛を放ってもよいと、和尚さんがお許し下さったのですもの。』と娘は目を伏せながら答えた。
『じゃお前さんの魂の救済より、牛の方が大切というわけですな。』
『だって妾達の憐れな暮しの殆んど半ばは、この牛が受け持ってるので御座いますもの。』
『しかし寺領地を歩き廻ったって探せないような宝を、お前さんはちゃんと身につけながら、貧しいぼろをまとった見栄えもせぬ恰好で、折からの日曜というのに、裸足で野原に出ているとは、何ともはや呆れた話だ。さぞや町の衆がお前さんに惚れて、言い寄って来て困るじゃろう。』
『いいえ、そんな心配はありませんわ。妾はお寺の奴隷ですもの。』そう言って左腕についている金輪を、アンソオに示した。それは野原の家畜がつけている頸輪と同じもので、ただ鈴だけはついていなかった。無量の悲しみのこもった娘の眼差に接して、アンソオは心暗澹として鎖されるのを覚えた。感情が強大の折には、眼によって以心伝心が行われるものだからである。
『へえ、それは何のしるしです?』とむさぼるように彼は好奇の念を以て訊ね、腕環にちょっくり触ってみた。僧院の紋所がはっきり刻まれてあったが、詳しく見る気もしなかった。
『妾は寺奴の娘です。従って妾と結婚で結ばれるお方は、巴里の市民であろうと何であろうと、農奴の身分に墜ちて、その身体も財産も、僧院の所有に帰してしまうのです。よしんば結婚によらない他の仕方で妾を愛しても、二人の仲の子供はやはりお寺に帰属するのです。その為に妾は、まるで野の家畜も同じように、人様から見棄てられ置きざりにされているんです。しかし私にとって一番辛いことは、和尚さまの思召しのままに、他の奴隷の男と、否応なしに将来一緒にされてしまうことです。だから今の妾よりもうすこし器量よく生れついていたにしても、妾の腕環を見ると、どんなに妾を好いたお方でも、黒死病でも見たように、妾から逃げ去ってしまうのですわ。』
そう言いながら、二人の後を牛がついてくるように、彼女は手綱を引張った。
『お前さん、いくつかね?』
『存じませんです。でも和尚さんの帳面には控えてある筈です。』
こうした悲惨さは、長いこと逆境のパンを食べた覚えのあるアンソオの胸をいたく締めつけた。彼は娘と歩調を合した。重苦しい沈黙裡に二人は川辺へ出た。その乙女の美しい額ぎわ、赤い円々とした腕、女王のようにすらりとした胴廻り、埃に塗れてはいるが聖母マリアの如き足恰好、巴里の守護神・野良娘の守り神ジュヌヴィエヴ聖女に生き写しの柔和な顔かたちなど、彼は惚々として眺めた。頭から足の爪先まで、童貞のこの堅造が、なんと、乙女の白い柔かな蕾のような乳首への臆測をまで、逞しくいたしたのである。もっとも当の物はつつましやかな優雅さで、ぼろ衣で大事に覆ってはあったが、夏の暑い日に紅い林檎が学童を唆るように、それは頻りにアンソオの気を唆った。それほどこの若芽さながらのむっちり張ったあじまやかな胸乳は、坊主の持っているものはなべてそうだが、妙適な申し分のない麗質を、表示しておったので、この愛の果実に、触れることを禁ぜられれば禁ぜられるほど、彼の口には涎がたまり、心臓も咽喉元まで跳び上りそうであった。
『立派な牝牛ですな。』と彼は言った。
『ミルクを少し差上げましょうか。五月の初旬にしては暑すぎるくらいですし、ここから町まで大分道のりがございますもの。』
その通り空は一点の雲もなく青く澄んで、炉のように燃えさかり、すべては青春の光に燦々と輝いていた、青葉も、青空も、乙女も、若者も、何もかもが燃えしきっていた、みどりだった、素馨のように香ばしかった。乙女の言葉の言うにいわれぬ温雅さといったら、いかほどの金貨を以てしてもあがなえぬほどだったが、何の報酬の期待もない純情なこの申し出や、娘が振りむきざまに言ったその仕草の生々《ういうい》しさに、アンソオはすっかり心締めつけられ、この奴隷娘に女王の衣裳を着せて、巴里をその足下に跪かせたいとまで心に思った。
『いや、娘さん、私が渇しているのは、ミルクじゃない、お前さんにだ。何とかしてお前さんを、解放する手続をとりたいものだなあ。』
『それはかなわぬことです。妾はお寺の奴として、死んで行かねばならないのです。父から息子、母から娘へと、妾達はもう長いことこのお寺の下者《げもの》として、代々暮して参ったのです。妾の御先祖たちと同じように、妾もこの地で一生を過さねばならぬ定めです。そして同じく妾の子供たちも。何故なら子孫を儲けるように、坊さんは妾達に強制するのですもの。』
『私が国王から自由を購ったように、お前さんの美しい眼を見て、その自由を購おうとは誰もこれまでしなかったのですかい?』
『だってあんまり高いものにつきますもの。ですから一目みて妾に惚れても、一目で愛想をつかしてみんな逃げて行ってしまいますわ。』
『達者な馬に恋人と相乗りで、他国へ駆落をする算段でも、思いつかなかったの?』
『でも、もしつかまったら、妾はすくなくも絞り首、妾の恋人はよしんば殿様であろうと何であろうと、所有地の一つ二つはもとよりのこと、いろんなものを失うにいたるは必定です。妾はそんな値打のある女じゃありません。それに妾の足が疾くても、僧院の腕はそれ以上に早く伸びるのです。ですからこの地に妾を据えおかれた神様に、すっかり服従をして生きているのでございます。』
『お前さんの父御は何をしている?』
『お寺の畑で葡萄をつくっております。』
『じゃ母親は?』
『お寺の洗濯物を引受けています。』
『で、お前さんの名は?』
『妾にはありません。父親の洗礼名はエチアンヌ、母親はラ・エチアンヌ、ですから妾はエチアンヌのちび、チアンネットと言われております。どうぞよろしく。』
『娘さん、お前さんほど儂の気にかなった女子は、ついぞなかったといってよい。お前さんの心にたしかな財宝が満ち満ちていることは、儂の信じて疑わぬところだ。儂がつれあいを娶ろうという堅い決心をしたその瞬間に、お前さんが儂の眼の前に現われたというのも、きっと神様のお導きだろうと思う。もしこの儂がいやでなかったら、儂の女房になっては呉れまいか。』
娘は再び伏眼となった。おごそかな口調と、心に徹するような態度で、アンソオは荘重にこの言葉を述べ立てたので、ついにチアンネットもそこへ泣き崩れてしまった。
『いいえ、いけません。妾はあなたの不仕合せのもとになり、沢山の御迷惑をお掛けすることになります。貧しい奴隷女に対して、それではあまりお言葉が過ぎます。』
『ふうむ、お前さんはこの儂という人間が解らないのだな。』
そう言ってアンソオは十字を切り、両手を合せて天に向って申した。
『金銀細工師の守り神であらせられるエロワ上人さまにお誓い申します。――私は腕によりをかけて、世にも美しい朱銀の壁龕を、一対つくって奉納いたしましょう。いつか最愛の妻が自由の身となった暁、それを感謝いたして、聖母マリア様の彫像の御安置所としてその一つは捧げ、他の一つはこのチアンネットの解放が巧く参るよう、上人様の御加護を祈るため、エロワ上人の壁龕として大願成就の際に献げまする。なおまた私はわが永遠の後生にかけて誓います、不退転の決意を以て私はこの遂行にあたり、私の持っているもの悉くを抛っても悔いず、且つ私の生きている限りは、彼女を手離さぬことを、茲に重ねて誓願いたします。上天もご照覧あれ――と、どうじゃ、娘さん、お前さんもよく聞いといておくれ。』そう娘の方を振向いて彼は言った。
『まあ、旦那様、有難うござ――あら、牛が逃げました。いいわ、妾はあなたさまを一生涯愛しまする。けれど今のお誓いはどうぞ取り消して下さいまし。』彼の膝許で泣きじゃくりながら、チアンネットはそう叫んだ。
『それより牛を追いかけようじゃないか。』そう言って彼は娘を抱き起した。娘の方はちゃんと心待ちしておったが、彼には娘に接吻してやる度胸がまだ出なかった。
『そうですわ、牛を逃すと妾なぐられます。』
そこでアンソオは、二人の恋なぞに一向お構いない牛の畜生の後を追いかけた。牛はすぐ角を抑えられ、豪力なアンソオの両手で、万力のように締めつけられた。場合によったら、藁屑のように、牛を空中に投げかねぬ凄じい勢いをまで彼は示したのである。
『じゃ娘さん、さよなら。町に出たらサン・ルウの近くだ、私の家に寄っておくれ。儂の名はアンソオ親方、国王御用をつとめる金銀細工師だ。エロワ上人像のついた看板が出ているよ。それから次の日曜にここでまた会う約束をしておくれ。槍が降ってもやって来るからね。』
『承知しました。垣根を飛越えてでもやって参りますわ。そして感謝のしるしに、すっかりあなたのものになりましょう。妾の未来の果報は投げうってでも、あなたに何の禍いもかからぬよう、また御迷惑の及ばぬよう、十分こころする積りでおりまする。仕合せの時が参るよう、あなたの御身を神様に祈りつつ、妾はお待ち申しておりますわ。』
そして彼女は石地蔵のように立ちつくしたまま身動きもせずアンソオの後影を見送った。アンソオはゆっくりした足取りでそこを立去り、時折り振返っては彼女の方を眺めた。彼が遠ざかってすっかり見えなくなっても、彼女はじっと物思いにわれを忘れて、晩方までその場に立ちつくし、今起ったことは夢ではないかと、半信半疑の態であった。夜も晩くなって漸く彼女は家に戻った。帰りが遅いので折檻を受けたが、その痛みもすこしも感ぜられぬほどであった。
アンソオは食い気も飲み気も失い、細工場を閉鎖してしまった。奴隷娘に熱中した彼は、娘のことしかもう考えられず、到る処に彼女の姿を見、すべてが彼にとっては、チアンネットであった。翌日早速に僧院に赴いて、おっかなびっくり院主に話してみようと出掛けたが、宮廷のおえらがたの口添えを頼もうと、途中でさとくも思い返し、その足で当時巴里にあった宮廷へととって返した。元来彼はその律儀さゆえに、みんなから尊敬を受け、秀れた腕前とその親切気とから、あまねく人に愛されてもおった。嘗て王の侍従に、その想い人に贈る宝石入りの金の菓子皿の絶品を、腕によりをかけて大至急調製して進ぜたことがあったが、その侍従が彼に助太刀を約束して乗馬の支度までし、アンソオにも馬を貸してくれたので、二人はすぐと僧院に赴き、当時九十三の高齢だった院主ユゴオ・ド・サンネクテールに面会を求めた。おのが判決の下るのを、息苦しい思いで待ちわびたアンソオと共に、一室に招じ入れられた侍従は、院主ユゴオに向って、願いの趣は貴僧によって快く認許し得る些事ゆえ、先ずは許すとのお言葉を、さきに賜りたい旨を懇請したが、猊下には首を横に振られて、しかく言質を与えることは、宗規の禁ずるところであり、拙僧のなし能わぬところじゃと仰せられた。
『実はこれにおりまする王室金銀細工師が、貴院に所属する奴隷娘に、止み難い愛慕の念を抱いて御座います。猊下のお望みは何なりとかなえるようにお取計いいたしまするゆえ、一つ私に免じて、その娘を解放してやっては頂けませんでしょうか。』
『ほう、何という娘じゃな?』と院主はアンソオに訊ねられた。
『チアンネットで御座います。』おずおずと彼は答えた。
『ほ、ほう、見事な大魚があの餌でかかったのう。』と院主は微笑しながら申された。『事は重大じゃ、儂の一存では計えぬわい。』
『お言葉の裏が拙者によく解ります。』と眉をひそめながら侍従は言った。
『したがあの娘の真価を貴殿には御存じがあるまい。』
そう言って院主はチアンネットを迎えにやり、一番美しい着物をきせて、綺羅を飾って召連れて参るようにと執事に命ぜられた。
侍従はアンソオを小蔭にまねいてこれに告げた。
『君の恋は物騒千万だ。そんな気まぐれなど早速に捨てたがよい。喜んで君と結婚する若い美しい物持の女が、到る処、宮廷にだって沢山といるじゃないか。そのために必要とあらば、貴族領地権の獲得方についても、王も一肌お脱ぎ下さるに違いないし、また追々と時が経つにつれ、名家の礎も築けようから、君ほどの資産があれば、立派な家門の御先祖ぐらいになれるじゃないか。』
『それが出来ないので。私は堅い誓願を立ててしまいましたから。』
『そんなら金で、あの娘の身代《みのしろ》を支払うがいい。儂は坊主の本音をよく知っている。奴等なら何でも金で解決がつく筈だ。』
院主のところへ戻ってアンソオはこう申した。
『あなたさまはこの世に於て、神の御仁慈を垂示なされるお役目とお勤めをお持ちの浄いお方でございましょう。神様は私達に、屡々寛厚をお示しなされ、私達の悲惨に対し御慈悲の限りなき宝をお持合せでございます。もしあなたさまが、あの娘を私に正式の妻としてお授け下さり、二人の間に生れた子供を奴隷視するようなことを、お控え下さいますならば、私はあなたさまのお情で限りない果報を授かりましたことを終世忘れず、朝に晩に、一生涯お祈りのなかに、あなたさまの御名を加えて、唱え続けさせて頂きたいと存じまする。その上私は、金や宝石や、翼のある天使の麗顔でちりばめた見事な聖餐物容器、それこそ世にも稀なる逸品を、丹誠に仕上げてあなたさまに献上いたしたく存じます。口幅ったい申し分なれど、天下に二つとない天晴れな名器を調進つかまつって、あなたさまの眼福とも、御祭壇の栄光ともいたしましょう。遠近を問わず貴賤を論ぜず、皆の衆が拝観に雲集いたすような、それはそれは絢爛たるものを、御堂に捧げたいと存じまする。』
『お前さん、気でも狂ったのではあるまいな。正式にあの娘と夫婦になるとすれば、お前の財産も身柄も、わが寺院の僧会に帰属することになるが。』
『はい、それも承知しておりまする、私はあの憐れな娘を根限り愛しております。あの子の容色よりもその悲惨な生活、敬虔なその心根に、強く搏たれましてございます。然しそれよりも更に私を驚かせたのは、あなたさまの無慈悲でございます。もとより私の運命があなたさまの掌中にあることは、よくと存じておりますが、私は敢てそう申します。(彼は眼に涙を浮べていた。)もちろん私は寺法をわきまえております。私の身代が僧院に帰属し、こっちも寺の奴となり、家も市民権も喪失すると致しましても、私は、勉強と刻苦とによってかち得た名人技というものを、ちゃんと確保しております。そしてそれはここに宿っているのです。(そう言って彼はわれと額を叩いた。)神様を除いて、誰一人これには一指も触れられませんし、この技芸の働きによって成る天晴れな創造物には、あなたさまの寺院悉くを以てしても、償いとなすには足りませんでしょう。私の身体も妻も子供達も、あなたさまは手に入れられるでしょうが、何を以てしても、私の芸術を横奪することは出来ますまい。拷問だって私は怖れません。私は鉄より堅く鍛えられていますし、どんな苦痛をも凌ぐ不抜の忍耐力を有しておりまする。』
アンソオの持金を、僧院におさめる決意の程を示しているような院主の落着き払った冷酷さに、業を煮やした彼はそういいざま〓の木で出来た椅子を、拳固でドシンと強く叩いたので、鉄棍でなぐりつけられた如く、椅子は木っ葉微塵となってその場に散乱した。
『あなたさまの賤奴となる私の力量は、ざっとこんなものです。神品をつくる名匠を、あなたは輓馬としてつかわれようと云うのですか。』
『儂の心を軽率に忖度したり、儂の椅子を壊したり、ちとお前さんも軽はずみのお人のようじゃて。あの娘は僧院のもので、儂のものではない。儂は名誉あるこの僧院の権利や慣習の忠実な下僕にしか過ぎぬ。あの娘の腹から自由民の子供を作る許しを、この儂によしや与え得るとしても、それを神様や僧院の前で、立派に儂は申開きが出来んければならんのじゃ。で、この地に祭壇や寺奴や僧侶が設定されてこのかた、つまり、昔の大昔以来、れっきとした市民が、奴隷娘と結婚して僧院に帰属したためしは、嘗て一度もなかったのじゃ。されば僧院の鉄則を発揚して、その作法を海内に洽く弁えさせる必要がある訳じゃ。さなくば寺法は失墜して衰え弱まり、揚句は廃れて有名無実に帰するの結果は、由々敷い騒擾のもとともなる。このことは国家の場合にしてもまた僧院の場合にしても、お前さんの如何に精巧な細工物などより、遥かに重大な関心事なのだ。美しい宝石類を購うくらいのお宝は、この僧院も有しておるし、またどんな宝物を以てしても、慣例や法令を確立することは出来ぬのじゃ。われらが国王が国憲護持のために、いかに日夜御軫念あらせられておるか、側近にあって熟知しておられるそこな侍従どのも、儂と見解を同じゅうせられる事と思うが……』
『そう仰有られると一言もありません。』と侍従は云った。
法学者でなかったアンソオは、考え込んだ儘、突立っていた。そこへ、チアンネットが現われた。下女が磨き上げたばかりの錫の盆の様にピカピカし、髪も梳り、青い帯に白い毛織の衣裳をつけ、真白な靴下に可愛い小沓をはき、その挙措の神々しいくらい美しい都雅なさまに、アンソオはただうっとりとする許りで、侍従もこんな美しい麗人はついぞ見た事がないと白状めされた。こうした眺めはアンソオに益々危険だと思った侍従は、彼をせき立てて町へ連れ帰り、巴里社会の市民や貴族を捕えるこんな絶好な釣針を、そうたやすく和尚が解放する筈はないゆえ、よくよく考え直すようにとアンソオにすすめた。案の定、僧会は憐れな恋人に、次の様なことを通達して参った。――もし彼があの娘と結婚する気なら、家も財産も僧院のものとなることを覚悟すること、彼はもとより、この結婚から生れ出る子供達も、寺奴となることを認知すること、但し特別の思召しにより、動産目録を提出して年々その貸借料を支払うに於ては、現在の家屋にその儘居住しても差支えないが、年に八日間は寺領に附属する小屋に来って、寺奴たるの実を示すことと、いう諸条件であった。坊主の頑冥さをみんなから聞かされたアンソオは、院主がこの申渡しを飽くまで固執することを思い、魂も喪失せんばかりの絶望に陥った。或は僧院の五隅に放火してやろうと思い、或は院主を何処かへおびき出して、チアンネット解放の書類に署名するまで、折檻してやろうなどとも考え、立ち所に消え失せるさまざまの空想を心逞しくした。しかし数多の悲嘆ののち彼は、娘を誘拐して、誰にも解らぬような辺鄙で安全な場所に隠そうと決心し、著著とその準備を始めた。王国の外に出さえすれば、彼の友人や或は王も、坊主達に対して強腰で出られようし、なんとか彼等を納得もさせられるだろうと思ったからだった。しかしそうした目論見も坊主を勘定に入れないでの胸算用だった。というのは次の日曜日に野原に行ってみたが、遂にチアンネットの姿は見えず、聞くところに依ると僧院に厳しく幽閉され、そこから連れ出すためには、僧院を包囲攻撃でもせねばならぬ始末だったので、アンソオは悲嘆と号泣と憂悶の裡に、われを忘れたのであった。
巴里じゅうがこの事件で持切りになり、町人衆や世話女房どものかしましい口の端に上って、遂には国王の上聞にも達し、王には院主猊下を宮廷に召されて、何故にアンソオの偉大なる恋を憫れんで、キリスト教の仁慈を施為めされぬのかと御下問あらせられた。
『畏れ乍ら陛下、権利の悉皆は一領の鎧の部分品さながら、相互に結著しおるものにてござりまして、もしその一つが欠如せんか、悉くが崩壊に及ぶことは必定でござりましょう。さればあの娘が宗門の意に反して、われわれから奪われまするならば、またもし寺法が遵奉せられませんならば、これがあしき前例となり、民衆を塗炭の苦しみに陥れている現下の悪税や苛税の廃止を叫んで、陛下の人民共は立ちどころに蜂起いたし、由々敷き叛乱を惹起して、陛下の王冠を奪わんとするに到るものと存ぜられまする。』
ために王には二の句が継げられなんだ模様であった。さてこの事件の成行やいかにと、世人の好事の念にはただならぬものがあり、はては好奇心が昂じて、殿方はアンソオがその恋を断念する方に賭け、上臈衆はその反対を賭けるという騒ぎとまで相成った。坊主どもが愛人と会わせぬことを、アンソオは泪ながらに女王様に訴願に及んだので怪しからぬ理不尽なことと、これを思し召された女王が、院主を招いての鶴の一声に、アンソオは毎日、僧院の接見所に赴いて、チアンネットに会う許しを得、何時も上臈のように素晴しく着飾ったよそおいで、彼女は一老僧の監視下に姿を現わした。しかし二人の恋人は、顔を見合って話しあう許しを得たのみで、例のあの方の快楽の一片れだに、盗み食いが出来なかったため、両人の恋心は益々つのる一方となった。チアンネットはアンソオに、或日こう告げた。
『あなたに苦労をかけまいため、妾のいのちをあなたに捧げる決心をいたしました。その訳はこうです。いろいろ探りました結果、妾は僧院の掟を掠める工夫がつきました。妾から期待していらっしゃる至福の悉くを、あなたに捧げることがそれで出来ますことでしょう。何んでも宗門判事さまのお話ですと、あなたは生れつきの奴隷民でなく、ただ加盟に依って寺奴になっただけですから、寺奴となった原因が消滅しさえすれば、あなたは再び自由民となれるのです。ですからもしあなたが妾を、何にも増して愛して下さるのでしたら、二人の幸福を得るため、財産を犠牲にして妾と結婚して下さいまし。そして妾を十分に享受し、心ゆくまで満喫してのち、子供の授かる以前に、この妾は自裁して果てることにいたしますゆえ、どうぞまた自由の身となって下さいませ。あなたに御好意をお寄せになっていらっしゃる王様は、きっとあなたに味方して下さるでしょうから、後の悶著は憂うるに足りないでしょう。それに良人を釈放の為の自刃ですから、神様もきっと妾の罪をお許し下さると思いますわ。』
『ああ、チアンネット、もう何もいってくれるな。儂は賤奴となろう、お前さんも儂の生きている限り生き長らえて、儂の幸福を完うさせておくれ。お前さんと一緒なら、どんな厳しい繋縛も、儂には決して苦にならぬし、一文無しになっても構いはしない。儂の財宝悉くはお前の心の中にあるのだし、儂の専一の快楽は、お前の妙なる身体の裡にあるのだもの。儂はエロワ上人の御加護を篤く信じている。窮境に陥っている儂達に、上人は必ずや慈愛の眼差を注いでござるし、あらゆる災禍から儂達を護っても下さるだろう。儂はこの足で公証人の許に行って、必要な書類一式を作成してくる。儂のいのちの花たるお前の一生の間、よい着物をきて立派な屋敷に住い、女王様のごとくかしずかれるようには、尠くもして上げられるだろう。儂の稼ぎ分は自由に処理が出来ることになっているのだからね。』
チアンネットは泣いたり笑ったりして、おのが果報の受け入れを拒み、自由人を奴隷の身としないよう、われと自裁を望んだが、やさしい言葉でアンソオが説き聞かせ、墓の中へまで彼女の後を追うと強く脅かしたので、遂に彼女も結婚の承諾を与えたが、愛の快楽を味わって後、いざとなったら死ねば済むことだと、思い直したためでもある。
アンソオが屈服し、恋人の為に財産も自由も放棄したという噂が、都中に伝わると、誰もが彼の顔をみたがり、彼と一言でも交そうと多くの上臈衆は、宝石類を彼の店に持込んで来たので、女気なしに過した期間の埋合せが、たっぷりとつくくらい、沢山の女人が天上から彼のところへ舞い落ちて来た。もとより美しさに於てチアンネットに近いものも、なかには随分とあったが、彼女のような心根の持主は一人もおりなかった。さて隷属と結婚を告げる時の鐘が鳴りそめようとした時、アンソオはその持っている黄金悉くを鋳潰して王冠をつくり、手持の真珠やダイヤをそれにちりばめて、女王の許へこっそり持参してこう申した。
『私は財産をどう処分してよいやら解らないもので、ここに持参して参りました。明日、私の屋敷にある悉くのものは、無慈悲なあの坊主どもの手に帰して了うのです。ですからどうぞこれを御受納下さいまし。あなたさまのお情で、彼女をみることがかなった喜びの、これはささやかなお礼心であります。もっとも彼女の眼差一つには、如何な金品も換え難い思いですが。いったいこの身はどうなるか、自分でも解りません。しかし何日の日か子供達が解放されるとしたなら、それは女王様の御仁慈の賜物であろうと、私は信じて疑いません。』
『よくぞ申した。』と傍らから王もお言葉をはさまれた。『何時か僧院も余の助力を求めに参ることがあろう。その折りは其方の件は覚えていてとらすぞ。』
チアンネットの結婚式に、僧院には夥しい賀客が雲集いたした。女王から婚礼の式服が贈られ、王からは毎日金の耳環をつけて差支えないという免許状が彼女に遣わされた。
今は寺奴となったアンソオの、サン・ルウ近傍の屋敷に、新夫婦が僧院からの戻り道には、そのお通りを見ようと窓々には松明が出され、街の両側はまるで王様の行幸のように、夥しい人垣が築かれた。アンソオはサン・ジェルマン僧院へ従属のしるしに、彼自ら鍛えた銀の腕輪を、左の腕にはめていた。しかし賤奴の彼に対して、「万歳《ノエル》、万歳《ノエル》」と、まるで新王をお迎えでもするかのように、人々は歓呼した。チアンネットの都雅と淑良に、一同が表する讃嘆の声に、良人アンソオはすっかり嬉しくなって、幸福で堪らぬ恋人のように、あちこちにねんごろなお辞儀を送った。彼はわが家の門柱に、緑の樹枝と、矢車草の花冠がかけられているのを見た。町のお歴々が皆そこに参集していて、恭しく彼の為に音楽を奏し、『お寺が何と云おうと、あなたは永久に貴人だ……』と口々に彼に云った。
さて新夫婦は気が遠くなるまで組打に及んだことは、申すもおろかでござって、力まさりのアンソオは彼女の鋳型の中に、逞しい鉄挺をいくつか叩き込んだが、チアンネットも健気な野娘だけに、よくこれに応じたので、春先き巣をつくるために、小枝を一つずつ運び入れる鳩たちのように、二人はまる一月のあいだを、幸福に陽気に過ごしたのであった。チアンネットは美しい屋敷に住みつき、彼女を見に来て感嘆して戻ってゆく顧客に、すっかり心愉しみを覚えた。
この花爛漫の月が過ぎたある日のこと、彼等の主人であり領主でもあるユゴオ長老が、容儀もいかめしく彼等の(正確に云えば僧会の)屋敷に乗り込んで来て、二人にこう申した。
『そちたち二人は解放され、天下晴れての自由な身とは相成ったぞ。実をいうと最初から儂は、そちたちの切ない恋慕の念に強く心搏たれておったのじゃ。だがかく寺法が遵奉された以上は、儂は神の試煉《ルツボ》の中で其方たちの誠心をためしてからのち、限りない歓びをそちたちに授けてとらそうと、独断乍ら茲に決意いたして来た次第である。もとより解放いたしたからとて、一文の贖いをとる所存もさらにない。』
こう言って二人の頬を、指でちょっと軽く突つかれた。院主の膝許に二人は倒れ伏して、嬉し泪にかきくれたのも、また無理からぬところであろう。アンソオは町の人達にユゴオ長老の寛厚と祝福を伝えたので、みなお祝いに集って来た。アンソオは敬意を表して、長老の馬の手綱を自ら執って、ブシィの門までつき従いながら、おのが金袋から貧窮者に金品を撒いて、『仁慈じゃ、神の御仁慈じゃ。院主様万歳、ユゴオ長老どの万歳。』と叫んだ。家に戻った彼は友達を呼んで御馳走をし、まる一週間も続いた祝言の再披露を行った。
結構な獲物を呑噬しようと、大口を開けていた僧会から、院主はその寛仁さをいたく批難せられたことは、云わずもがなであろう。さればそれから一年後、ユゴオ長老が病気になった時、副院主はこれこそ長老が、僧会と神の聖なる利得をないがしろにいたした天の罰だと申した。
『あの男が儂の判断した通りの人柄であったら、われわれに対する感謝の念は、よもや忘れぬ筈じゃがのう。』と院主はこれに答えられた。
くしくもその日は、二人の結婚一周年記念日にあたっていた。と、そこへアンソオが院主にお目通りを願いに参ったと、取次の寺僧が伝えに来た。長老の部屋に罷り出たアンソオは、素晴しい一対の聖龕を奉献いたした。爾今基督教世界のいかなる地に於ける工匠の腕と雖も、これに勝る逸品はつくられたためしのないほどの結構な神品で、《不撓の恋の祈願品》の名でこれは一般に知られている。皆さん御存じの通り、今でも教会の主祭壇に安置されてあるが、アンソオが全身代を傾けて作ったものだけに、稀代の珍宝として末長く崇められている。しかしこの製作も彼の財布を軽くするどころか、たんまりそれを膨らませる結果となった。というのは彼の名声が一段と揚り、従って莫大な利得をも挙げることになったからで、彼は後に貴族の称号と数多の領地を購い、アンソオ家の礎を築いたが、その後この一家はトゥレーヌに隆昌を極めている。
さて以上の話は人生に処してゆくにあたって、神や上人たちの御加護を常に求め、よいと一旦認めたことは、何であろうとどこまでも押し通さなくてはならぬことを訓え、且つ偉大なる恋情は何物にも打克つことを教えてくれている。なるほどそれは古い言草かも知れぬが、吾儕がここに事新しく筆録いたせし所以のものは、それぞ吾儕大の気に入り文句だからである。
胴忘れ法官
美しいブルジュの町にわれらの国王が羽根を伸ばしておいでの頃、治安維持の任を王から託された名奉行どのがその地におられた。この王は他ならぬシャルル七世で、其後は佚楽を求められるより王領漁りの方に精を出されて、まさしく版図を拡張いたしておられる。さて当時にあっては、奉行職は王室奉行と称せられ、後にこの王の御賢息ルイ十一世の御代に設けられた検察奉行の先蹤をなすものであって、通称トリスタンのメレ殿が、のちにこの奉行職に任ぜられ、いささか苛酷な振舞にと及ばれた次第だが、陽気な仁ではないが、このトリスタン殿は『コント・ドロラティク』に於ても、既に御紹介つかまつっておる。新奇なのに小便を引掛けようとて、古い反古文書から寄せ集めを行ってござる友人諸君に、以上のことを申したは、この『コント・ドロラティク』はべつにそんな面つきこそいたさぬが、如何に学が深いかを解って戴きたいためである。如何でござる、お解りめされたか。
さてこのブルジュの奉行は名をピコ、或いはピコオと呼ばれておった。ピコタン(あらさがし)、ピコテ(ついばむ)、ピコレ(掠奪する)などの言葉は、彼の名から由来したものじゃ。人によってはピト或いはピトオと、彼を呼ぶ輩もあった。ピタンス(あてがい扶持)の言葉は、やはりここから発したものである。ラングドック語を用いる南方人は、彼をピシオと称したが、これからは別にとりたてていう言葉も淵源いたしてはおらぬ。ラングドイル語の旺んな北方では、彼はプチオ或いはプチエと命名され、リムウザン地方の人は、彼をプチトオ、又はプチノオ、或いはプチニオと名づけておったが、ブルジュでは一般にプチと奉行は云われ、結局これが彼の家名と相定まったが、彼の家門は極めて隆昌で、到る処プチ(子供乃至はちび)たちを御覧になることができよう。さればこの物語にあっても、プチ殿と彼を申すことに致そう。吾儕がかく語原の説明にまで及んだのも、一つは仏蘭西語の闡明のため、また一つには町人などが、如何にして苗字を獲得めされたかを、教示いたそうがためであるが、学問の話は先ずはこれくらいといたす。
宮廷が移る先々の土地に従って、呼び名の訛っていたこの奉行は、実のところ生れつき母御が、ちょっと塵を払い忘れたようなところがごあった。他でもないが彼が笑っている積りの時、牝牛が小便をする折りに面をしかめるような工合に、奉行どのには両唇を割られるだけじゃった。この笑い方は《奉行笑い》と申して、宮廷では評判であったが、ある日、国王には廷臣がこの名代の評言を、口にせられたのをお聞きになって、冗談交りにこう仰せられた。
『卿等の表現は当らぬ。プチには笑えないのじゃ。顔の下の方の皮膚が足らぬせいじゃろう。』
が、このえせ笑いは職掌柄大いに役立って、悪い種子を捕えたり見張ったりするのに、尤も好適であった。概していえば彼は掛っただけの値打はある男と言えよう。彼にとって不祥といったら、ちょっと妻を寝取られていることだけだったし、悪い癖といったら、夜分に外出することだけだった。また彼の智慧の総てといったら、都合の好い時だけ神様に服従することであり、その楽しみの全部といえば、家に家内があること、して楽しみの合間の気晴しの総てといえば、首を絞るべき悪人を見つけることでごあった。咎人を出さなくてはならぬ時は手頃なのを、必ず奉行は探し出して来たし、家で高枕で睡っている時は、決して盗賊なんど気にも掛けなかった。だから全基督教国の法官で、彼ほど悪いことをしない奉行を、探して御覧になるがよい。一人も御座るまい。どの奉行でもみんな、絞首刑を宣することが多過ぎるか、少な過ぎるかの何れかじゃが、彼ときたら奉行と云われるのにちょうど必要な数だけ、きちっと首を絞らせておった。
この愛すべき《ボ ン プ チ》法官、お人好し奉行のプチ殿は、ブルジュきっての別嬪女を擁しておられた。しかも正式の結婚で妻として有しめされていたのである。このことには彼自身も、他のすべての衆と同じように、吃驚いたしておった。だから屡々絞刑の立会に行く折なぞ、彼は一つの不審を神様に提訴いたした。それは町の衆が何度となく怪訝がったのと同じ疑問で、すなわち何故にかれ法官・王室奉行職プチの許に、捌役・王室奉行プチの持物として、あんな窈窕たる上玉の美形、驢馬でさえお通りを眺めて、欣然と嘶《いば》ゆるほどの艶女が、授かったのかということである。これに対して神様は何もお答えにならぬが、きっとそれには深いお考えがあってのことであろう。したが町の悪口屋が、神様に代って答えるには、彼女はプチの御内儀となった時、生娘というにはちと寸が足らなかったとも云い、また彼女はプチの専用物ではないと申すものもあれば、おどけ好きは驢馬が美しい馬小舎へ入ることは、屡々ある例だと笑った。が、かく人さまざまな悪口を総て採集するとなれば、大きな熊手が要るわけじゃが、しかし何れにせよその四分の四は、掃き捨てる必要がごある。というのは彼女は世にも操正しい御内儀で、快楽の為の情人をひとり、義務のための定まった亭主をひとりと、一夫一男を厳守めされておったからで、彼女ほど心や口のやぶさかな女人が、他に町で見受けられるだろうか。もし見附けられたらお駄賃に、一文か一蹴りか、お好きな方を差上げるとしよう。良人もなければ情人もないという女人には、いかにも沢山と出会われるだろう。情人は一人あるが亭主はない女人もあまたござろう。亭主はひとりあるが、情夫のない醜女もなかには居よう。が、誓って申すが、良人ひとり情人ひとり、貞淑に持って助平根性を出さずにいる当流女房に逢われることは、いちえんおりない奇蹟でごある。で、どうじゃ、豎子、お解りめされたか。世の安本丹、青二才、没字漢どの。お解りめされたら、プチの御内儀の操行は甲の上じゃと、貴殿の閻魔帳にしっかとつけ、貴殿は貴殿、吾儕は吾儕と、それぞれの道を歩むといたそう。
常不断ぐらつき、たゆたい、そよめき、がたつき、うじうじし、ちょこちょこし、泥んこを浴び、遊び廻り、ゆらめき、身裡に引きとめたりつなぎつけたりする重しや繋ぎがなく、ひどく尻軽で、まるで、おならの様にかるがるしく、その本体たる第五元素のあとを追うこと、風気《ガ ス》の風のあとを追うが如き態の浮ついた女子衆が、なんと世上には沢山とごあるが、奉行の御内室は決して左様なお人柄ではおりなかった。それどころか反対に極めて貞淑な世話女房であって、何時も腰掛尻《じ》りしているか、寝床にもぐっているかだし、燭台のようにしょっちゅう手近に準備が出来ておって、奉行外出の折は情人を待ち、情人の帰った後では奉行を迎えるという風でごあった。それに聞えた節婦ゆえ、町の女房連中にも見習わそうとしての着飾りのおめかしなど、すこしも考えたことがなかった。さりとは天晴れ千万ではないか。まった彼女は青春の楽しい時のめでたい使い方を、よく心得ておって、生命をもっと長びかせんがために、その附根のなかに生命を取入れてもおった。で、如何で御座る、これで奉行とその北の方との人となりは、お解りめされたろう。
結婚のいとなみに対するプチ奉行の代理職を勤めておった仁は、所領をあまた有して居られたさる大殿様で、国王からはいたって憎まれてござったが、ここな点はこの物語のかなめゆえ、ひとつ忘れずに願いたい。いったい結婚わざは、プチの御内儀には荷重なのであろうか、二人の殿方の力をかりてござらっしゃった訳じゃ。
さてスコットランド生れのあらっぽい元帥閣下《〈1〉》には、ふとしたことからプチの御内室を垣間見られて御懸想あそばされ、暁方彼女と気がねなしに、ちょっとお祈りを唱える時間が程、――お祈りとは、いやはや、基督教徒らしい至誠と申そうか、至誠なクリスチャンと申そうか、申す言葉もござらぬが、――会いたい、いや、ものにしたいと願われた。その目的は彼女と学の物事、或いは物事の学につき、とっくり講究いたしたいというにあったが、学の蘊奥を極めたと自負しておったものか、御内儀には元帥の好学の志を挫かれた。先にも申した如く根が貞淑な操正しく身持よい世話女房じゃったからでござる。
そこで元帥には手を換え品を換えて説いたり、口説いたり、策を設けたり、計を練ったり、恋文を送ったり、使者を差向けたりせられたが、悉く水泡にと帰したので、高位の〓紳ではあったが彼女の情人の臓腑を検分いたそうと、彼の巨きな黒いコックドゥイユにかけて誓われた。但し御内儀に対しては、左様な殺伐な誓いはなさらなかった。これこそよき仏蘭西人たるの嗜みをば示すものである。というのは無礼な他の国の下卑助だと、こんな場合にやみくもに躍り込んでダンビラを振り廻し、三人しかいないのに四人も殺すようなことがあるからじゃ。で、晩餐前にカルタを玩んでおられた国王やソレル女御《〈2〉》の御前で、元帥は彼の巨きな黒いコックドゥイユを賭物として、そのことをば誓われた。国王にはそのいたく忌諱あそばす〓紳を、南無とも唱えずに片附けられると聞しめされて、莞爾とあそばされた。
『どうやってお片附けになりますの?』と女御には愛くるしげに訊ねられた。
『ほ、ほう、マダム、それがしも拙者の黒い巨きなコックドゥイユをなくしては、一大事でごんすからな。』と元帥は成算たっぷりに答えられた。
さてこの巨きなコックドゥイユとは、当時の何か御存じかな。は、はあ! このものは暗闇に引込んで御座るに依って、古い本を漁って調べられても、眼を痛くするばかりじゃが、慥かにある重大なるものなのでごある。さればわれらも眼鏡を掛けて、どら一つ探索仕るといたそう。そもそもドゥイユとはブルタアニュ言葉で娘っ子の謂いじゃ。コックとは料理人のつかうフライパンを意味する。もともとはラテン語の方言コッキユスからじゃが、この語が仏蘭西に入って、コカン(悪擦れ者)となったのじゃ。コカン、すなわち盗食いしたり、盗飲みしたり、嘗めたり、舐ったり、吸ったり、啖ったり、煮たり、焼いたり、揚げたりして、何時も陽気で見境なくたべておる仁じゃが、従って食事と食事のあいだは何をしてよいか所在がなくなり、ついにそのうち根性も悪くなれば一文なしにもなり、ために盗んだり乞食したりするように唆かされてしまって、真正のコカンとなり果てるのじゃ。で、以上申したことから学者衆の結論としてはこうなる。すなわち巨きなコックドゥイユとは、女っ子をフライに揚げる、つまり料理るのに適した土瓶《コクマール》のかたちをした世帯道具の一つじゃとな。どうじゃ、お解りめされたか。
『さればで御座る。』と元帥ド・リッシュモン殿には続けられた。『王のためと申してあの奉行を、一日一晩田舎へ差しむけ、英人と通謀いたしおる疑いの百姓ども逮捕の命を下しまする。すれば良人の不在をいいことに、二人の鳩どもは閲兵手当を貰った兵隊のようにはしゃいで、楽しみごとをおっ始めましょう。そこで奉行を呼び戻して、二人のいる館へ遣わし、王の御名に於て屋探しをさせれば、あのあじなコルドリエ(縄綯い機械)を、一人占めしている気の色男は、そこを動くなと許り奉行の刀の錆となります。』
『コルドリエ(聖フランシス派僧侶)とは何のこと?』と女御には訊ねられた。
『両義ある掛け詞じゃ。』と微笑し乍ら王は仰有られた。
『じゃ晩餐に就きましょう。町の御内儀と神の奉仕者に対し、一語で双方に無礼を働くなんて、元帥もなかなかのお人わるね。』と女御には申された。
さて長らく前から御内儀は、かの〓紳の館で、あじなこいの跳躍に思いきり及んで、夜もすがら享楽をほしいままにしてみたいと願っておられた。そこなら咽喉もさけるくらい叫んでも、近所に聞える心配はなかったが、奉行の家だと、事せわしき出会となって、ひそかに色事のついばみを行うのが関の山で、おいしい御馳走もほんの一口しか食えず、それもひっそりかんとごく窮屈な思いで、せいぜい馬の早足並みにしか行えなかったので、是非とも馬蹄から火の出るような疾駆ぶりで、振舞ってみたいと予々望んでおったのである。それで翌日の正午頃、早速に御内儀は下女を貴公子の許につかわして、奉行の出立を告げ、奉行の接木ひめには〓紳の許で今晩いたく饑渇を覚えるに相違ござらぬゆえ、お楽しみの用意と酒食の支度を、よしなにして戴くようにと申入れられた。下女は常住貴公子から沢山の頂戴物をしておったので、もとより彼に非常な好感を寄せていた。
『承知いたした。何にてもあれ、決してひもじい思いは見せぬと、奥方によしなに伝えて呉りゃれ。』と貴公子は申した。
〓紳の屋敷まわりを見張っていた悪性な元帥の小姓たちは、館の殿がめかしこみ、酒肴の用意を始めたのを見て、元帥のところに戻って、万事は閣下のお憤りのままである旨を言上いたした。これを聞くや元帥は、奉行の及ぶであろう刃傷沙汰を思って、満足そうに手をこすられた。彼は早速に王の特別なお言附と称し、奉行を町へ呼び戻して、極く冥々の陰謀に加担している疑いのある貴公子の館から、連累の英国貴族を逮捕して参るようにと命じ、その前に王の御殿に参って、捕縛に際しての特別な配慮に関し、王の御指図を仰ぐようにと申しつけられた。
国王に拝謁を仰せつかって、天下もちの王様のように嬉しくなった奉行は、大急ぎで戻られたので、彼が町に着いた時は、二人の恋人は晩祷の第一鐘をついた許りのところであった。寝取られ地方、及びその周辺の御領主であった妻野呂殿様には、とどこおりなく万事を運ばれたので、彼が元帥や国王と対談の折には、時を同じゅうしてちょうど御内室にも、情人の貴公子と水入らずの款談に耽られ、亭主もいたく恐悦なら、御内儀も欣然と悦に入っておられたが、かく頃合を同じゅうしての喜悦など、結婚生活に於ては極めて稀なる現象にと属する。
奉行が王のお部屋に出頭に及んだので、元帥はこう申された。
『わが王国内にあっては、姦婦と情夫の馬乗りの現場を、もし良人がおさえたとしたなら、重ねて四つに致してもよい権利のあることを、いま陛下とお話申しておったが、仁慈にましますわが陛下には、騎者はよし殺そうとも馬は殺しては相成らぬと仰せられる。されば奉行どの、もし仮に貴公が天の法と人の掟に依って、貴殿ひとりのみ許されて花卉の水濺ぎや鋤入れをいたしおる花園へ、他の男が闖入するのを目撃せられたとしたなら、いかがめされる御所存か。』
『立ちどころに両人を叩き殺しまする。花であろうと、種であろうと、嚢であろうと、竿であろうと、玉であろうと、核であろうと、草であろうと、苑であろうと、雄であろうと、雌であろうと、森羅万象の五十万の悪魔さながらに、容赦なく木端微塵に粉砕仕るあるのみにてござるわ。』と奉行は意気込んで申した。
『それはとんだ不心得と申すものじゃ。宗門と王国の掟に違背いたすことと相成ろう。して国の掟に背くと申す訳は、朕から臣下をひとり奪うことともなるからで、まった寺法を犯すという次第は、懺悔も聴かずに無辜なる者を一名、冥界に送ることになるからじゃ。』と王は仰有られた。
『陛下の御叡慮には敬服のほか御座りませぬ。陛下こそ正義全体の中心に位せらるるお方のことが、やつがれに今こそ解り申した。』
『それでは騎士のみ殺せるという訳じゃな。アーメン。乗り手め往生だ。さあ奉行どの、あの嫌疑のかかった〓紳の館へ、急いで参ってくりゃれ。したが一杯くわんように、くれぐれも心めされよ。じゃと申してあの〓紳に対して、当然なすべきことは、なしはぐらぬようにな。』と元帥には申された。
首尾よくこの大命を果せば、司法卿には慥かになれると思った奉行は、お城を下って町へ行き、部下を引連れてかの貴公子の館に参り、見張りを配置し、出口を堅め、王命じゃと申して開門を命じ、こっそりと階段を上り、召使に貴公子の居場所を訊ねてのち捕縛し、自分ひとり上って、二人の恋人がみなさん御存じの打物をもって組みあっている部屋の扉を叩き、『開けろ、王の命令じゃ!』と高らかに叫んだ。
御内儀は良人の声と聞き知ったが、王の命令を待って前を開けた訳でもなかったので、つい笑わずにはいられなかった。が、笑いの後で、すぐと恐怖が来た。貴公子はマントを羽織って身を覆い、扉口に出て来た。おのが一命にかかわる大事とも知らなかったので、宮廷や王家と自分は極めて昵懇の者であることを申した。
『なんの、拙者はちゃんと国王陛下の特別な御言附で参ったものじゃ。すぐとここを開けぬに於ては、叛乱罪で容赦はいたしませぬぞ。』と奉行は言った。
それで貴公子は顔を出し、扉をおさえながら、『この中に何の御用があるのじゃ?』
『国王の敵がおる筈じゃ。お引渡し下され。貴殿も一緒にお城まで御同行を願おう。』
貴公子は考えた。――(こいつ、あの元帥が彼女に肱鉄を食った腹癒せだな。しかし何とかこの窮場を脱せにゃならんぞ。)そう思って奉行の方に向き直り、一か八か、この寝取られ殿を説き伏せてみようと、こう申された。
『成程、したが拙者は予て貴殿を、奉行職としてまことにふさわしき粋なさばけた御仁と心得ておった。で、貴殿を男とみこんで打明けたい儀がござる。何を隠そう、拙者は宮廷きっての美しい上臈と、いま共寝を楽しんでおる最中なのじゃ。英吉利人などと言われるが、貴殿をここへ寄越されたリッシュモン殿が、朝食に何を召上ったかを存ぜぬように、拙者にはとんと心当りがござらぬ、ありていを申そうなら、これは畢竟、儂が元帥とした賭事のいたずらからじゃろう。王も元帥側に半口乗っておられるのだ。儂の心の思い人を存じておると、お二人が賭けられるによって、儂はその反対を賭けたのじゃ。ピカルディの儂の所領を奪ったのは英人めゆえ、儂ほど英人を憎んでいる者はないくらいだ。儂との賭に、司直の手を煩わして探ろうなどとは卑怯きわまる。元帥閣下などと申したとて、家令にも劣る根性だ。うんと慙じしめてやる必要があるわい。で、プチ殿、どうぞお好きなように、一昼夜でも儂の家を、隅から隅まで家探しなされて結構じゃ。が、この部屋へはひとりで入ってお探しあれい。部屋じゅうのこらず、寝床を動かしてまで、お気の済むようお調べめされい。ただ天使長のみなりをしてござる裸の上臈だけは、布かハンケチで顔を覆わしておいて頂くとしよう。彼女の属しておる良人が誰か、貴殿に見知られたくはござらぬから。』
『いとお易きこと。なれど拙者は古狐ゆえ、尻尾を引張りなぞしたら、ただごとでは相済みませぬぞ。おいでになる方が、真正に宮廷の御婦人で、英吉利人でないことが拙者にはっきりと解れば、それで結講じゃ。英吉利人は女っ子の様に白い滑らかな肌をしておることは、随分きゃつらを吊し首にしてやったもので、拙者もよく心得ておりますからのう。』と奉行は答えた。
『よろしい、身に覚えもない重い咎目を蒙った以上、この嫌疑は是非共に晴らさねばならぬゆえ、彼女に説いて暫しがほど恥を忍んで貰うといたそう。いとしい儂の濡衣を晴らすためとあらば、まさかにいやとは申すまい。されば貴殿に名を悟られぬよう、俯《うつぷ》しになって、かたちだけをお見せいたすから、ひっくり返しのすがたながら、慥かに上つ方の奥方ということが、貴殿にもしかと見届けられるじゃろう。』
『それで結構。』と奉行は答えた。
内儀は三つの耳で一部始終を聞き、衣裳を畳んで枕の下に隠し、良人にしみでも感附かれてはと、シュミーズまで脱いで丸裸のまま、首をシーツの中に捩じ入れ、背柱の薔薇色あでやかな筋で両分された、円く膨れた肉のクッションを外にむき出した。
『さればお入りめされい、奉行どの。』と貴公子は呼んだ。
法官は煖炉の中をのぞき、衣裳戸棚や箪笥を開け、寝台の下や夜具や何やかやを調べ、やがて寝床の上を探索にと及んだ。
『閣下、拙者は斯様な腰つきをいたした英吉利人の若殿を、何人か見た覚えがありまする。』と奉行はおのが正統な所有物を、横目づかいで見ながら申した。『職務遂行上、甚だ以て失礼に御座るが、うしろを見せては下さらぬか。』
『うしろと申すと?』と貴公子は訊ねた。
『他の反面のこと。おもてのうら、うらのおもて側のすがたで。』
『しからばマダムは顔を隠し、われわれの果報の棲処の最小限だけを、貴殿に拝ますだけで御勘弁を願うとしよう。』御内儀のそれとすぐ解るところに、黒子があるので、貴公子はさように言った。『貴殿はちょっとわきを向いていて下され。マダムに身づくろいが出来るようにな。』
内儀は情人を見て嫣然と笑い、その頭のよいのに感心して、こっそり接吻を与えてのち、巧く身をつくったので、御亭主は彼の令閨が嘗て開帳したことのないものを、まじまじと眺めて、こんな輪郭は、あじな英吉利女ででもない限り、断じて英国の殿御のそれではないと、すっかり納得に及んだのであった。
『閣下、失礼仕りました。』と奉行はその代理職の耳許に囁いた。『まさしく宮廷の上臈衆に相違御座りませぬ。われわれどものような世話女房のしろものは、これほどでかくもなく、またかほどの趣きも御座りませぬ。』
館じゅうを探しても英吉利人が見当らぬので、奉行は元帥の言い附け通り、王の御殿へと引上げて参った。
『殺して参ったか?』と元帥には訊ねられた。
『誰をです?』
『貴殿の額へ寝取られ男の角を接木した男さ。』
『あの〓紳の寝床に、御婦人がひとりおいでなのを見たきりです。ちょうどお楽しみの最中で。』
『この寝取られ亭主め、貴殿はその目で当の女人を見たんじゃろう。それなのに間男を見逃すとは何としたことじゃ?』
『したが町の御内儀ではなく宮廷の上臈衆でした。』
『はっきりと見届けたか?』
『ええもう、両あなまでも嗅ぎました。』
『可笑しなことを申すな。』と国王には哄笑あそばされながら仰有られた。
『はい、陛下の御前で、何とも無躾な話で恐れ入りまするが、拙者は上のと、下のと両方しっかとこの目でたしかめて御座いまする。』
『何て物覚えの鈍いでくの坊だろう、じゃ貴公は、御内室の持物のすがたを御存じないのか。貴殿の罪はまさに絞首刑に値するぞ。』
『うちの家内の仰有るようなものを見るなんて大それたことは、かつふつ致した覚えがござりませぬ。それほど、私は大いなる尊敬を払っておりますので、はい。それに家内は生れつき信心深い女ゆえ、ちょっとでも左様なところを見せるくらいなら、いっそ死ぬ方を選ぶに違いありませぬ。』
『それは真実じゃ。眺めるために作られたものではないわ。』と王にも口をはさまれた。
『この古土瓶め、あれは貴公の御内儀じゃぞ。』と元帥は罵られた。
『したが元帥閣下、妻は宅で寝ておる筈ですが。』
『大急ぎで見に参ろう。馬をもて。さあ行こう。もし御内儀が家におったら、貴公の罪は牝牛の竿の百たたきで許しつかわす。』
乞食が喜捨箱を空らにするような早い僅かの間に、奉行を従えた元帥は、法官の家へ参った。ドンドン、ガタンピシン、壁を崩すほどの門外の騒ぎに、欠伸して両手でのびを打ちながら下女は、門を開けにやって参った。元帥と奉行は部屋に飛び込んだが、御内儀を起すのに一苦労だった。彼女は寝くたれた風をしてみせた。それにぐっすり眼をつぶってもいたので、眼に枠でも嵌め込まねば、眼をあいていられぬほどの始末だった。この有様に奉行は得々として、元帥に向って、閣下は慥かに担がれめされたのだ、うちの女房ほど操正しい女人は他にござらぬからと申した。それに御内儀もさも驚いたといった風を、実に巧くしてみせたので、元帥も遂に退散してしまわれた。
奉行は着物を脱ぎ、一刻も早く床に就こうとした。というのはさっきの出来事から、すっかり女房恋しくなったためである。奉行がシャツを脱ぎ、股引を取っているうち、なおも呆気にとられた風を装っていた御内儀は、奉行に向って、
『ねえ、あなた。この騒ぎっていったい何です? なぜ元帥や小姓を同行して来たのですの? 妾が寝ているかどうか見に来るなんて、人様の家のなかを窺きに来るのが、これからの元帥の職掌にでもなったのですか?』
『さあどうかねえ。』と奉行は言って、妻に今迄のことをすっかり話した。
『じゃあなたはこの妾の許しも得ずに、宮廷の上臈のを見たんですね。まあ口惜しい、アーン、アン、アン、ヒュー、ヒュー、アーン』
そういって彼女は呻き始め、泣き始め、叫び始めたが、その勢いの烈しさ、どえらさに、奉行もすっかりおどおどして、
『ねえ、おい、どうしたんだい、どうすればいいか教えておくれ、ねえお前ったら。』
『ああ、上つ方の上臈衆の上物を見たあなたは、もうあたしのものなんか、さだめし愛想が尽きはててしまったでしょう。』
『とんでもない。お前、相手は偉大な貴婦人だけあって、お前にだけこっそり云うが、べらぼうに何もかも偉大だったよ。』
『ほんとう、じゃあたしの方が見ばはよくって?』とにっこりしながら御内儀は訊ねた。
『そうとも。まったくお前のより一廻りぐらい大きかったよ。』とすっかり瞞着された奉行は申した。
『じゃ、それだけに楽しみも、あの方々は多い訳ね。』と彼女は溜息をつきながら言った。『妾のこんな小さなものからでも、あんなに大きな快楽が得られるのに較べればね。』
そう言う女房を、奉行どのは納得させようとして、もっと巧い理窟を考えあぐんだが、遂にどうやらこうやら理を説いて聞かせることが出来た。というのは、神様が小さなもののなかに仕込まれた、大きな快楽に依って、御内儀もとうとう説きつけられてしまったからである。
寝取られ亭主の牢固たる信念ほど堅いものは、この下界には何一つとしてないことを、この咄はわれわれに訓えるものである。
(1) リッシュモン元帥アルテュール三代、ブルタアニュ公(一三九三―一四五八)一四二四年元帥となり、ギュイエンヌやノルマンディを英軍より奪回。
(2) アグネス・ソレル(一四二二―一四五〇)トゥレーヌ生れ、シャルル七世の愛妾。「美の女王」と称せらる。
アマドル和尚実伝
粉糠雨のそぼ降る日ともあれば、上臈衆は心娯しく居間に閉じこもられるのが常だが、それは濡事好きな御性分と、嫌いでない殿御をスカートの傍にはべらせることが出来るからで、わが女王におかせられても、アンボワズのお城のお居間の窓の帷の下に、愛椅子を据えられて、暇潰しに綴錦を御刺繍遊ばされておられたが、針を運ぶお手先きもどこか気が抜け、ややともすればロワール川に落ちる雨脚の方にお目がとまりがちで、仰せ言もなく夢み心地に耽られてござったが、並いる上臈衆にもこれにならうものが続出いたした。
王には日曜日の夕べのお祷りから戻られたばかりで、礼拝堂からお供して来た廷臣たちと閑談に及ばれ、ひとしきりにぎやかに話の花を咲かせておられたが、女王を始め上臈衆が憂愁に鎖され気味なのと、また座にいる一同が結婚の諸事に、何れも精通した面々なのを御覧になって、
『これ、今しがた座にテュルプネイの方丈がおったようじゃが?』と仰せられになった。
声に応じて方丈は、王の御前に伺候いたした。むかし訴訟事の請願から、ルイ十一世を散々に悩ませ奉ったので、王には検察奉行に命ぜられて、この世から方丈の姿をお消させになったるところ、奉行トリスタンどのの思い違いから、幸いに方丈は一命助かり申した仔細については、第一輯『路易十一世飄逸記』ですでに述べた通りである。さて方丈も今は極めて福々しくなって心広く体〓《ひろ》く、恰幅も堂々といたして、艶々しい超《スーパー》顔色には精気てらてらと輝きわたっておったので、上臈衆の大のお気に入りとなって、午餐・晩餐・遊宴などには必ず招かれて酒やお菓子や御馳走を、しこたま押しつけられてござった。口も達者なら歯も達者という陽気な白歯の坊さんは、上客として歓迎を受けるのが世上の慣いだからである。が、この方丈は法衣に隠れて御婦人方に、旺んに艶笑ばなしをいたすという怪しからぬ色坊主で、すっかり聞いてしまってからのち女人衆には、眉顰められるのを常とせられた。もっとも物を批判するには、全部聞いた上でなくてはならないが。
『時に和尚、物淋しい夕暮どきと相成ったが、御婦人方の耳に、何か面白い咄でも聞かしてやったらどうじゃ。女というものは赧くならずに笑ったり、笑いながら赧くなるという芸当を、自在に心得ておるから、なんか愉快な話をしてやってくりゃれ。坊主坊主した話がよいわい。儂も欣んで耳を藉そう。余も楽しみ、御婦人方も楽しむというのが、何よりの朕の願いじゃて。』
『陛下のお気に障らぬよう、わたしたち女子も、綸言にともあれ服従いたしましょう。と申しますのは和尚様のお話は、何時も少し行き過ぎの嫌いがあるからにて御座います。』と女王には仰せられた。
『ふうむ。』と王は仰言って方丈の方を向き直られ、『ではマダムの徒然を慰めるため、何か経文でも朗読いたしてはどうじゃ。』
『しかし拙僧は視力弱く、それに日も暮れかけましたなれば……』
『では帯のところで止まるような咄をして聞かせい。』
『畏りました。陛下、拙僧が申そうとしておった咄も、ちょうどそこらへんで止まる勘定で。但し足の方から始まってで御座りまするぞ。』と微笑しながら方丈は答えた。
座にいた殿方たちは女王や上臈衆に、やさしく異議を唱えたり、懇願につとめたりいたしたので、流石に女王はブルタアニュ生れの訳知りだけに、方丈の方に優雅な微笑を送られて、こう申された。
『ではその話を聞かせて頂くとしよう。但し神様に対する妾達の罪咎は、貴僧が引受けて下さるかや。』
『それはもう喜んで。何なら拙僧の分まで差出せとの仰せでも、恭しく承引仕りまする。』
この言葉に一同は笑いを洩らされた。女王もともどもにである。王はその最愛のお方の傍らに座を占められた。(王の熱愛の度は、知る人ぞ知るであろう。)廷臣たちにも坐る許可が与えられた。といっても御老体の廷臣たちだけで、若い廷臣方はその上臈のお許しを得て、銘々の彼女の椅子の傍らに立ち倚り、声をあわせて忍び笑いをすべく、身を構えた。そこでテュルプネイの方丈には、次のような話を愛嬌たっぷりに物語られた。際どい箇所を語る時、彼の声音にはフリュートを渡る風さながらの調べと風情とがあった。
百年は優に経った今は昔のことにてござりますが、わが宗門に大紛擾が起りまして、羅馬に法王が二人冊立いたし、互にわれこそ正統に選出せられたものと言い張りましたので、世の寺院・伽藍・門跡等いたく困却の態に見受けられました。というのはすこしでも余計に認められようとして、二人の法王はそれぞれその帰依者に、称号や権益を濫発いたしましたので、到る処に二重の持主が出来てしまったからでございます。されば近隣との間に、揉め事のある寺院や修道院は、容易にどちらかの法王を認めるという訳にも行かず、僧会の敵に有利な裁決を、他の法王にされる心配から、とつおいついたしておりました。この不祥な宗権分立から、無数の害毒が流されましたが、いかなペストでも、宗門の姦通ほどの惨害は、教派にとってないことが、明らかにせられた次第であります。さて魔の手がかく猖獗を極めておりました当時、不肖私が現に主宰しおりまするテュルプネイの僧院の寺領に対して、カンデどのと申す当時名代の悪殿様、無類の不信心者で大の異端者であるこの邪教徒と、われらが僧院との間に権利上の問題で、大変ないざこざが起っておりました。貴族の風体で地上に送られてきたこの悪魔は、それでも屈竟の猪武者で宮廷のうけもよく、英邁なシャルル五世の寵臣、ビュロオ・ド・ラ・リヴィエール《〈1〉》殿の股肱の臣でもありました。それでリヴィエールどのの御愛顧を笠に着て、このカンデどのはアンドルの谷も狭しとばかり我物顔に振舞って、天罰も怖れず、モンバゾンからユセエまで、悉くをおのが領地同然に心得て、狼藉の限りをつくしておりました。隣人たちは彼を憎み怖れること甚しく、といってこっちがお陀仏にされても困るので、好き放題にさせてはいましたが、もとより殿を地上に闊歩させるより、地下に眠らせる方を望み、災禍の限りなく彼の上に降ることを、祈願してはおりましたが、そんなことには一向に無頓着の気随気儘の殿でした。アンドルの谷一帯にかけて、この悪魔に抗戦が出来たのは、当時わが僧院あるのみでした。教会がその膝下に弱い人や悩める者を集め、虐げられた仁を庇うに全力を竭すことは、常にその教義といたしておるところですが、殊にその権利や特権が侵害された場合、教会がこれに抗して奮起することは、また当然でもありましょう。さてこの猛々しい荒武者は、大の出家嫌いでありました。就中テュルプネイの出家を、何より嫌悪しておりましたのは、力ずくであれ、術略であれ何ものを以てしても僧院の権利を、奪うことが出来なかったからであります。むろん彼は宗門の分裂を北叟笑って、わが僧院がどちらかの法王に組した場合、その相手方の法王に附いて、僧院の権利を私せんものと、待ち構えておりました。悪殿がお城に還ってからというものは、領内で出会う僧徒を責めさいなむのを常習とせられ、領内の川っぷちを歩いていたある僧なぞは、カンデ殿にばったりと出会して、川に身を投ずるより他に助かる途とてなかったところ、一心こめて祈念した神の格別なる御奇蹟に依って、その法衣が彼を水の上にひょっこりと浮かせ、カンデどのの見ている前を、見事向う岸まで漕ぎ渡れましたが、とのは何の恥ずるところなく、僧職者のこうした苦しみを、けたけた笑い興じておりました。呪うべきその人となりが、以上でよくお解りになれましたでしょう。
さて当時、この僧院を司っていた和尚は、極めて敬虔な悟道三昧の日々を送られ、神に篤く帰依しておりましたが、彼の信心ぶりの真摯さといったら、カンデ殿の爪牙から僧院を救うチャンスを一つ見出す前に、おのが霊魂を十度も救済できたことでありましょう。老和尚は事態をいたく憂慮しながらも、悲運の到来を達観して待っておりました。というのは、神の救いの手が必ずや差し伸べられるものと信じ切り、僧院の身代が一文でもへずられる如きは、絶対に許されぬであろうと申して、ヘブライ人の間からジュディス姫を、ローマ人のなかからリュクレチヤ女王を、蹶起せしめた神の御手が、必ずやテュルプネイの古刹に対しても、救いをもたらすに相違ないといったような、明敏なる達見を、常々口にいたしておりました。しかし輩下の坊主どもは、甚だ以て遺憾ながら、何れも不信のやからのこととて、和尚の無頓着さを咎めだて、天の車が間に合うように到着するには、国中の牛をみんなその車に繋がなくてはなるまいだの、ジェリコのラッパは当世では、世界の何処でも造られてはおらないだの、神様にはそのお創りになったものに愛想をつかされ、もうお構いつけにならなくなったのだなんどと、神に対する疑惑と懈怠に満ちた千一つの当世文句を、反対に並べるのが常でありました。
かかる歎かわしき折りも折り、蹶起いたした傑物こそ、アマドルという名の快僧でありました。人柄が邪教神パンどのに生写しというので、人嘲ってかくも呼ばれていましたが、パンのようにやはり太鼓腹で、同じくねじれ足をし、首斬男そこぬけの逞しい毛むくじゃらな腕、頭陀袋を背負うにふさわしい背恰好、顔といったら呑兵衛のつらよりも赤く、眼は爛々とし、髯は生え放題、額は剃り上り、脂肪と御馳走でその巨体が膨れ上っていたことは、さながら胎み女のようでした。その日々の行状といえば、朝祷は酒窖の階段で唱え、晩祷は御主の葡萄園で申すといった風で、瘡《かさ》かき乞食のよう、四六時中寝てばかりいて、たまにむっくり起きては和尚の禁令もないがしろに、在所へ行っては冗談口を叩く、詰らぬ遊びに耽る、祝言事に首を出す、葡萄をもぐ、娘っ子の小便するのを眺めるといった、放蕩無頼の〓け者で、謹厳なるべき僧団のなかにあって、手のつけられぬ生臭坊主だったので、僧院では誰一人かまうものもなく、ただ宗門の慈悲から、この破戒僧を阿呆同然に考えて、のらくらさせておいたのでしたが、豚小舎にいる豚のように、太平楽をきめこんでいた夫子みずからの僧院が、まさに危殆に瀕していることを知ったアマドルは、髯を撫で、身ずまいを繕い、各僧房を訪れたり、食堂で耳を傾けなどしてのち、わなわな口辺を慄わせながら、僧院を救う名案が、愚僧にはござると大言壮語いたしました。そして彼は紛擾の争点をたしかめ、訴訟を示談にする許可を和尚様から得、もしも悶著を有利に解決が出来たなら、空いている副修道院長の席を賜わるよう、全僧会に約束させてのち、カンデどのの不あしらいや残忍さなどにも一向に平気の助で、おのが法衣のなかにカンデどのをへこまし得るものを所持いたすと号し、のこのこ出掛けて行きました。路銀といっては裸一貫、但しその裸も雲水一僧団はゆうに養えるくらいに脂ぎっておりました。
何処の家のバケツも満々と一杯になるくらいの大雨の日を、殊更に選んで出掛けた彼は、城主の許にと赴きましたが、お城が見えるあたりまで行っても、人っ子一人にも会わず、溺れ犬よろしくの恰好で勇敢に城の中庭に入りこみ、豚小舎の庇の下で、空の不仕鱈が鎮まるのを暫時待ってから、怖れ気もなくカンデどのの御居間のあたりへ、押し入って行こうとしました。折りから晩飯の配膳をしていた下僕が、アマドルの姿を見て憐れを催し、すぐと立去らぬにおいては、殿から話の皮切りとして、鞭百杖をくらうぞと注意を与え、赤レプラよりも坊主が嫌いというこのお屋敷に、大胆不敵にも入りこむとは、またどうした風の吹廻しかと彼に訊ねました。
『はあ、儂は和尚様の御用で、トゥールに参るところですが、殿様が神の憐れな奉仕者がたにお優しいお人でござったら、こんな大雨の中を、中庭なんぞに雨宿りさせず、御殿の中に入れて頂けるんでしょうがねえ。殿様いよいよ御最後の折には、天の御慈悲に接せられますよう、儂は祈っておりますじゃ。』
この言葉を下僕は殿様に伝えました。カンデ殿は最初、さも穢らわしいもののように、坊主をお城の大濠の中なる不浄物のあいだに、投げ込もうとせられますと、良人に対して絶大の権勢を揮い、いたく煙たがられてもいた奥方が、それを止められました。(殿にはこの物持の奥方の遺産継承を、あてにしておられたので、嬶天下の気味があったのです。)すなわち雨宿りの僧徒と雖も、キリスト信者に変りはないと奥方には申され、こんな大雨の時は、泥棒だって警吏に対し、雨宿り場を与えようという殊勝気を起すものだと仰せられ、それに宗派分裂問題に於けるテュルプネイの坊主どもの肚を探るため、あの坊主を厚遇してみる必要があると説かれ、キリストの到来以来、教会に対抗できたほど強い王侯は一人もなく、遅かれ早かれ城郭は僧院に、屈伏させられるに違いないゆえ、僧院対当城のごたごたは、力づくでなく穏やかに片を附けるに若くはないなどと、分別ある理窟ごとを盛り沢山に吐き散らされました。いったいが、女人衆は、人生にひどく倦怠を覚えるや、生の嵐の絶頂に於て、こうした口の利きかたをするものであります。
それにアマドルの顔がいかにも惨めな上、なり恰好もあさましく、莫迦にするにはもってこいに見えましたので、雨で退屈していた殿様は、気晴しに彼をなぶり、思い切りこらしめ、酢を呑ませて、お城での虐待ぶりを、終生忘れぬようにしてくれようと思いつかれました。殿様はペロットと呼ぶ奥方の腰元と、密かに不義を通じておられましたが、この腰元に旨を含めて、可哀想なアマドルに対する彼の奸策を、仕遂げようとなさいました。さて二人の間でその打合せも済み、殿の気にかなうようにと、坊主を憎まれた腰元は、アマドルを精一杯たぶらかそうと、愛想好い顔をつくろって、豚小舎の軒下で雨宿りしていたアマドルに近づいて、先ずはこう申しました。『お城に空いた椅子があり、煖炉に結構なお火も燃え、食事の支度も出来ているというのに、神様におつかえするお方を、雨にさらすなどとは誠に以て恥さらしじゃとわが殿様には仰せられ、奥方様のお言附けもあり、命ぜられて妾が、御坊を御案内に参りましてございます。』
『殿様や奥方に儂は感謝の意を表しまする。いやなに款待を受けたからとて申すのでは御座ない。キリスト信者としてお二人の申出では、まこと理に叶った天晴れの振舞と存ずるが、憐れな儂の如き咎人に対し、僧院の祭壇におわす聖母マリア様さながらの美の天使を、使者としてつかわされたその御芳志に対して、ほとほと深謝の他はござりませぬわい。』
そう言いながらアマドルは、鼻をあげて、輝くその両眼から発する火花を閃々と燃やしましたので、腰元も彼をさほど醜くも臭くもむさくるしくも思わなかったくらいです。ところがペロットと一緒に、階段を上る途中、アマドルはいきなり鼻や唇や頤などを、強か鞭で擲られ、夕の祷り《マニフイカ》の際の蝋燭を悉く目のうちに見るような思いをいたしました。鞭で猟犬を折檻しておられた殿様が、アマドルに気づかぬ振りで、いやというほど彼に鞭をあてられたからです。殿はアマドルに不調法を詫びられ、そそくさと猟犬の後を追って、走って行ってしまわれました。アマドルはまた逃げて行く犬のために、すってんころりと転倒させられました。初手からこの筋書を予知して、ちゃんと巧く身をかわしていた腰元は、アマドルのそのざまを見て大笑いをいたしました。こうしたお膳立てを見たアマドルは、殿様と腰元の間が、或いは腰元と殿様の仲が、くさいくさいと怪しみましたが、もともとこの二人の密通の一件は、村の娘っ子たちの洗濯咄で、彼の耳に以前から入ってもいたのです。
さて部屋にいた連中は、誰一人として神の人に席を譲る者もなく、入口と窓との吹きざらしにアマドルは立たされて、やおら凍りかかった頃おい、殿様と奥方が、十六になる世嗣の姫を後見している、カンデ嬢という殿の妹君にあたる老嬢などと一緒に御臨席になって、下々と離れた上座にお就きになりました。古い仕来りに従ってですが、こうした陋習を当時の貴族たちが墨守めされていたのは、決して褒めた話ではありません。殿はアマドルには目もくれず、隅の末座に就かせるが儘にしました。二人の意地悪な従僕がそこでぎゅうぎゅう彼をいじめる役を仰せつかり、出家の足やら身体やら腕やらを責めさいなむこと、恰も拷問者の如くで、水の代りに湯呑杯に、白葡萄酒を注いだのは、その正体を奪い、嬲り者にしようとの魂胆からと見えました。ところが水差しで七杯も呑ませたのに、〓気《おくび》もせねばげっぷもせず、小便にも立たねば屁も垂れず、泰然自若たるその上に、眼玉も鏡のように澄んでいたのには、ひどく連中も驚きましたが、殿の目まぜもあり、さかんに悪戯を続けました。それで法師に敬意を表しながら、ソースを髯にぶっかけたり、それを拭うといっては、いやというほど髯を引張ったり、熱いスープを供するはずみに、頭に洗礼を施したり、脊骨に添って熱い液汁をたらしこんだりしましたが、アマドルはこの受難をおとなしく耐え忍びました。それは神霊が彼の裡に宿っていたのと、紛争を止めさせたいという希望が、彼を城内にあって斯く頑張らせたからです。呑口に栓をするという口実で、酒呑み坊主に脂ぎった肉ソープの洗礼を施した時には、さすがに旺んな爆笑や転業《てんごう》が、あたり憚らず湧き上りましたので、奥方にも末座で何が起ったかを気づかずにはおられませんでした。見るとアマドルはすっかり諦観したような眼つきで顔を拭い、錫の皿に盛られた牛の大きな骨を、退治している真最中でした。大きな骨をナイフで彼は勢いよく両断し、毛むじゃらな両手でそれを採り上げて、ポキリと二つに割り、温い髄をさもおいしそうに啜りました。《まあ、神様から大変なお力を授かっているのね。》と奥方は思って、従僕や小姓などに厳命して、御僧をいじめぬようにと計ってやりました。彼の前には蝕んだ林檎や腐った胡桃が、さも嘲弄したように供せられていました。奥方やお姫様や妹君や腰元が、彼の豪勢な骨の平げっぷりを熱心に眺めているのを意識したアマドルは、袖を捲り腕の筋肉の隆々たるところを見せて、手頸の附根に胡桃をおき、一つ一つ掌で景気よく潰して行きましたが、それはまるで熟れた山査子《さんざし》でも扱うような塩梅式でありました。そして忽ちのうちに犬の歯のように白い歯でかんで、野菜スープの如くどろどろにしたその外皮や核や実など、蜂蜜さながらに嚥下してしまいました。後に残った林檎は二本の指を樹鋏のように使って、何のためらうところなく、むしり取ってパクつき出しました。
女子衆は唖然として声もなく、下僕たちは悪魔がこの入道の裡に潜んでいるに違いないときめ、神をいたく怖れた殿様には、奥方や夜の闇のとばりがなかったら、坊主を外に突き出したかったところでしょう。この坊主はお城を濠の中に、投げ込むことも出来る豪僧に違いないと、誰もが思ったほどでした。
さて一座の者が口の端を拭き終ったので、殿には見るからに物騒なこの怪力の悪魔坊主を、閉じこめようと計られ、むさくるしい小屋へ案内させました。既にペロットは一夜さ彼を苛めるべく、万端の手筈を整えていました。お城の雄猫どもは彼に懺悔を聴聞して頂くべく、非常呼集を受け、恋慕の念を唆る木天蓼《またたび》に釣られて、その罪咎を申す仕組になっていましたし、豚どもは彼の寝床の下におかれた臓腑の御馳走におびき寄せられ、得度受戒を望む彼等も、沙門が唱える叱咤の禁令で、詮方なく思いとどまる手順がついていましたほか、シーツに馬の毛を入れて、夜っぴてちくちくさせたり、寝床の上に冷たい滴をたらして悩ますといったお城の悪戯者の常套手段たる沢山の悪巫山戯が、そこには準備してありました。さて一同は坊主の天手古舞いを思い描きながら、夢路に就きました。沙門の部屋は小塔の上の軒庇の下にあり、下の出口は、猛然と御坊に噛みつかんず勢いの番犬共が、用意周到に守っていましたので、彼の七転八倒ぶりは、もはや疑いなしと見えました。阿闍梨が猫や豚と、どんな言葉で問答するのか確かめようと、隣室のペロットの部屋へ、殿様はお忍びになりました。
さてアマドルはこうしたもてなし振りを見て、袋からナイフを取出し、巧みに戸の掛金を外し、寝静まった城の様子を窺って、殿様が腰元と笑いながら就寝遊ばすのを聴きました。二人の乱痴気騒ぎをいまいましく思いながら、彼は奥方が一人で御寝に就かれる刻限まで待ち、サンダル靴が音を立てるのを怖れて、わざわざ脱いで裸足の儘、奥方の寝室にと入りました。ランプの明りを受けた彼の姿は、夜分に沙門が現われるすがた、それは何もかも豪勢にでかく見せる法衣の効果に依るものゆえ、俗人には長くと続けられぬ、あのまさに驚奇すべきすがたで近寄って、彼がまさしく沙門であることを、奥方に見せてのち、優しく次のように申しました。
『奥方様に申し上げまする。お殿様がお持ちの一番に貴いものが、おぞましくもあなたさまから横奪され、腰元に授けられて、ためにあなたさまの淑徳も踏み躙られるという、世にも陋劣な醜怪事を、終熄せしめるようにとのお告げを、イエス様やマリア様から蒙って、拙僧はここへつかわされたものであります。あなたさまへの貢納《あがり》が他人に盗まれて、それで御領主の奥方としてのお顔が立ちますでしょうか。この故にあなたの腰元が奥方で、あなたさまは腰元にしか過ぎません。あの腰元めが満喫いたしている快楽は、当然あなたさまが占有すべきものではないでしょうか。されば悩める者の慰藉であるわが宗門に、御帰依なさいまし。ふんだんに快楽の欣びは貯えられてありますぞ。あなたさまがあきらめきれぬと仰有るのなら、そのお授けの用意が十分に出来ている使者と、拙僧をお考えになってはいかがでしょう。』
そう言いながら彼は、先程から窮屈となっていた腰帯を手軽く外しました。殿様が捨てて顧みぬ美しい品々を眺め嘆賞して、ひどく勝手が悪くなっておったからです。奥方には寝床の上に軽く起き直りながらこう申されました。
『あなたの仰有ることが本当としたら、お導き通りに振舞いたいと存じますわ。たしかにあなたは神様のお使いです。何故って妾がここにいて、もう長いこと気づかなかったことを、たった一日でお見抜きになりましたのですもの。』
そして奥方はアマドルと同行いたしましたが、御坊のいとも浄い法衣の上から、ちょっと触ってみて、慥に実法雄勃のことを知り、いたく興趣を唆られ、良人が過ちをしていますようにと、あべこべに望まれたほどでした。案の定、良人が腰元と寝床にいて、坊主の噂をしているのを奥方には聞かれ、この裏切りから烈しい憤怒に陥り、女人の慣わしに従って、怒気を言葉に変ずべく、腰元をお裁きに廻す前に、大口を開いて、大荒れに荒れようとなさいました。しかしアマドルはこれを遮って、先ずは復讐を遂げ、然る後に叫んだ方が賢明のことを告げました。
『じゃ思いきり叫べるように、急いで復讐させて頂戴。』と奥方には申されました。
そこで坊主は天晴れ素晴しい甘美な復讐を、いとも修道院風に奥方に成し遂げさせましたので、心おきなく奥方がそれに耽られたこと、酒樽の呑口に唇をあてがった呑助の如くでありました。御婦人方が復讐をなさる時、それに陶酔するか、或いはちっとも享楽せぬかの、何れかであるからです。奥方は身動きも出来ぬくらい復讐に酔ってしまわれました。まったく憤怒や復讐ほど人を興奮させ、息をはずませ、がっくりさせるものはありません。だから奥方は復讐し、再復讐し、再々復讐しても、なおかつ容赦してやる気が起らなかったほど、この出家と共に、ちょびちょび復讐する権利を、保有したがったほどです。復讐に対するかかる愛著の程を見て、緇徒は奥方の憤りが続くかぎり、復讐の手助けをいたすことを堅く約されました。事相の本然を観入する沙門の常として、復讐を行う様式、方法、技巧などの無限数を、彼はわきまえておることを奥方に告げ、また復讐することは如何に神の道にかなっているかを、宗法にてらして教示いたしました。すなわち聖書の全篇を通じて、神は他の悉皆の特質はさておいても、何よりも先ず復讐の神たることを御自負遊ばされ、「地獄」に関するくだりに於て明らかなる如く、神の復讐は永劫なるゆえ、如何にそれは聖なるものであるかが闡明せられております。されば女人や僧侶はおのがじし復讐に励まなければ信徒とは申せず、且つ神の訓えの忠実なるしもべとも称されぬと懇々と説き聞かせました。この教義は奥方に大層お気に召したらしく、教会の戒律をよくわきまえぬ初心の己れゆえ、何卒その奥の奥まで親しく御教授の程を願いたいと、愛すべき沙弥に懇請をまでいたされました。
かかる復讐の結果、精気溌剌、活力に満ち充ちて奥方には、腰元のお楽しみの部屋に闖入遊ばされました。それは盗まれぬよう、商人《あきゆうど》が大事な商品の上に、屡々目をやるように、奥方が監視怠りなかった殿のしろものの上に、腰元が偶然手を添えているところでありました。リゼ裁判長官《〈2〉》が上機嫌の折り発せられた言草を用いますと、それは正しく現行犯ならぬ猥行犯の二人でありました。濡れ場の二人の周章ぶり、愚かさ加減、恥じ入り方はいまさら申す迄もなく、奥方もまた口につくせぬほどの御不興を覚えられ、それが口先きにまでも現われました。してその舌端の仮借なさと申したら、水門を開けた彼女の溜池の水のそれのようであり、高音階の音楽に伴奏され、沢山の鍵に嬰記号のついた各種の音調に変曲された三節の説教節さながらでありました。
『いやはや婦徳ほど結構なものはありゃしない、こんな目をみるなんて、ああ殿、夫婦の誠に頼ることが如何に愚かしいか、よくぞ思い知らせて下されました。何故妾に子宝が授からなかったか、その訳がいまこそはっきり解りました。そも幾たりという子種を、あなたはこの賤しい竈に、慈善函に、底なしの布施袋に、癩病《かつたい》乞食の大椀に、カンデ家の墓所に、投げ込んで来たことでしょう。妾が子無しなのは妾の身体の咎か、それとも殿の罪か、それをためして見たいと存じます。あなたには腰元たちをあてがい、妾は妾で美しい騎士を招いて、世嗣を儲けることにいたしましょう。あなたは私生児をうんとおこしらえなさい。妾は嫡出子を作りますから。』
『だがお前、そ、そんなに怒鳴らないで……』と閉口の態で殿は云われました。
『いいえ、妾は怒鳴ります、怒鳴って聞いて貰いたいのです。大司教様に、法王使節殿に、王様に、妾の兄弟達に。ええ、みんなしてこの汚辱を、妾の為に雪いで呉れるに違いありませんから。』
『そう良人に恥を掻かさんでおくれよ。』
『おや、恥と仰有いましたね。まことに仰有る通りよ。けれどその恥もあなたゆえに持ち来されたのでなく、この阿魔っ子のために受けたのですから、ペロットは袋に縫い込んで、アンドル川に投げ込むとしましょう。そうすればあなたの恥も、洗い雪げますでしょうから。』
『頼むから静かにしておくれ。』と盲人の犬の様に愧じ入って、殿様は申しました。人を殺すには手早いこれらお偉い軍人方も、その御内室の一瞥にあっては、大概《おおむね》子供の如くになります。というのは世の常として、荒武者の裡には力が存し、物質的な鈍い肉体性がそこに見出されるに反し、女人衆の裡には、霊妙な精神的なものと、天の楽園を照らし出す香ばしい炎の閃きとがありますので、男達は眩惑されてしまうのです。精神は物質の王ということからして、世の女人衆がその亭主方を尻に敷かれるわけが、御納得に相成れますでしょう。(この言葉に座にいた上臈衆は笑い出され、王にも莞爾とせられた。方丈はさらに言葉を継いだ。)
さてカンデの奥方はなおも申しました。
『静かになんか出来ませんわ。妾は此上もない侮辱を受けました。妾の大身代、妾の貞淑な品行の、これが正当な報いなのでしょうか。あなたに従うことを、一度だって妾が拒んだことがあったでしょうか。精進斎にも、断食節にも、あなたの要求には応じたじゃありませんか。太陽を凍らせるほど妾の身体が冷たいのですか。義務の念、或いは純然たる御愛想、乃至は暴力の下に、あのことを妾がしていたとでも思し召すのですか。妾のものがきよすぎて近寄れぬとでも仰有いますか? 妾のが聖物櫃のようだとお考えですか? そこへ入るのに法王の免許状でも要るのでしょうか? まあ、あなたは一体、倦きがくるほどあれに慣れ親しんだとでも言われるのですか? 何だって妾はあなたのお好み通りにしたじゃありませんか。腰元が貴婦人方より殿方の趣味を心得ているとでも仰有るのですか? ああ、それはきっとそうかも知れませんわ。だって蒔かずに畑を耕させたのですもの。妾にも一つその秘訣を教えて頂戴。妾の好きな人とそれをためして見ますから。何故って妾が自由な身のことは、もうきまった話でしょう。まったく有難いわ。あなたと一緒になって、本当にくさくさして堪らなかったし、けちなお情けの楽しみを、妾はとても高くあなたに売りつけられていたわけですもの。やれやれ、これであなたにも、あなたの気まぐれにも、悩まされずに済む。妾は坊主のお寺にこもる決心ですわよ。(尼というつもりで、坊主と失言めされたのは、復讐好きのアマドルの影響であるらしい。)そうですわ。こんな腐った汚らわしいお城になんかいるより、娘と一緒にお寺に隠遁する方が、どんなに好いか知れやしない。あなたは腰元の財産でもお継ぎなさい。まあ可笑しい、下女の奥方だなんて。』
と、そこへ突然姿を現わしたアマドルは言いました。
『一体どうなさったのです?』
『どうもこうもありません。妾は復讐を叫んでいるのです。手始めに妾はカンデ家の種子を流用したこの淫奔娘を、袋に縫い込んで川に投じてやりたいのです。そうすれば首斬人の手間も省けますし、それから殿の方は……』
『まあ、まあ、怒気をお鎮めなさいまし。後生を大事と思し召すなら、おのれに対する人の無礼を赦すようにと、御宗旨の主祷書にも戒められてあるじゃありませんか。かく他人を赦す者を、神は赦し給うのです。人に仇を返す悪人にのみ、神は永劫に復讐を加え、その反対に赦した人は天国にとどめおかれるのです。大いなる喜びの日、大赦の佳節《ジ ユ ビ レ》はここから由来しているのです。負いめも無礼もみな帳消しになる日だからです。だから赦すということは、善果の種です。赦しなさい。お赦しなさい。宥恕は聖なるが上にも聖なる善行ですぞ。カンデどのをお許しなさい。あなたのやさしい寛容に対し、殿は必ずやあなたに感佩めされ、今後はあなたを熱愛いたすことでしょう。堪忍はあなたに青春の花々を返り咲かせるに違いありませぬ。赦すことは場合に依れば、復讐の一法でもあることを信じて下さい。腰元を許してお上げなさい。あなたのために腰元は、神様に祈ることでしょう。すればみんなから祈願された神様は、あなたをいとおしがられ、この宥恕をめでて、きっとあなたに世嗣の男子を授けられるに違いありませぬぞ。』
そう言いながらアマドルは、殿の手を執って奥方の手に握らせ、こう附け加えました。
『さあ行ってお赦しの話でもしていらっしゃい。』
それから殿様の耳に、アマドルは次のような賢明な忠告を囁きこみました。
『殿様、あなたのお得意の論拠をお示しなさい。その弁舌をお当てになりさえすれば、奥方を黙らせることは造作もありません。女の口はその穴が空いている時だけ、言葉で填っている阿吽の呼吸ものです。ですからこれからは何時もその三寸の舌をお用いなさい。そうすればきっと女人を下に敷けますぞ。』
『いやはや、なかなかに話の解った出家だ。』と殿は引下りながら呟かれました。
アマドルはペロットと二人きりになってから次の様に言いました。
『憐れな神の召使いを苛めようとして、お前さんは大変な罪を犯しなすった。天の震恚は必ずやお前さんの上に落下し、何処へ逃れようとあの世までも、お前さんの後を追って、その関節悉くを掴みひしぐだろう。地獄の竈の中で糊の様にお前さんを煮詰め、永遠に釜茹でにすることだろう。加うるにお前さんの筋書で、拙僧が蒙った鞭打の罰として、毎日七千億の鞭打ちを受けねばなるまいぞ。』
『まあ、怖い!』と腰元はアマドルの足許に身を投げて申しました。『あなただけが妾をお救いになれるのです。あなたの法衣の下に潜めば、神様のお怒りから妾は庇って戴けるのです。』
そう言って法衣の下に逃げ込もうとでもするように、それを捲ってみて、驚いてペロットは叫びました。
『まあ、お坊さんの方が殿様のよりずっと立派だわ。』
『これはしたり、お前さんは出家のを、見たことも嗅いだこともなかったのかね。』
『ええ。』
『ふむ、では僧侶が一言も云わずにお祈りを唱える祭式があることを、一向に存ぜぬのかな。』
『はい。』
そこでアマドルは大祭日の僧院の慣わし通り、大釣鐘を以てその祭式を、いとも見事に厳修いたしました。ヘ調で唄われる聖歌、耿々たる大蝋燭、合唱の寺童などといった鳴物や景物入りで、入祭祷から終弥撒まで、入念に身をもって行いのけましたので、腰元もすっかり大禊いを授かりました。従っていかな神様のお怒りも彼女の五体の何処にも、禊ぎで浄められてない個所を、見出せなかったことでしょう。
腰元に命じてアマドルは、殿様の妹君カンデ嬢の部屋に案内をさせ、懺悔いたしたい殊勝なお志はないか、お見受けしたところ当城に僧侶の来訪は、稀のようじゃがと申されました。総じて良きクリスチャンのためしに洩れず、老嬢も良心の煤払いが出来ることを、何よりの欣びといたしました。そこで良心を見せて頂きたいとのアマドルの要請に、彼女も素直に応じましたが、いかにもそれは娘っ子の良心らしく、真黒けだったもので、女人のあらゆる罪咎は、ここでなされるもののことをひじりは告げ、将来何の咎目もなしにありたいと思し召すなら、僧の免罪符を以て良心を塞ぐ必要があることを申しました。それに対して無智の老嬢は、何処で免罪符を入手してよいやら解らぬと答えましたので、アマドルは幸いと免罪の宝物を身に携え来ておるが、世界でこのものほど寛恕なるはないと申し、一言も喋ることなく無限の雅興を生じ得るものゆえ、まことこれこそ免罪の、真にして永遠頭初なる性格で御座ると述べました。老嬢は絶えて目にしたこともない宝物を見て、すっかり目を奪われ、身心共に恍惚となりました。アマドルの持参した御遺物のあらたかさを、尊信いたした身心恍惚たる老嬢には、恭しく免罪のわざに耽ること、恰も奥方が復讐に耽るが如くでありました。この懺悔わざの騒ぎに、カンデの姫君も、起きて見に参られました。この出会をアマドルはひそかに庶幾していたものに違いありません。美しいこの果実を見て、彼は垂涎おく能わなかったほどで、早速にこれにもむさぼりつきました。姫君の望む免罪のお余りが授けられるのを、叔母君にも禁ずる訳には参らなかったからで、かくして彼アマドルも、その労苦に対する十分の喜悦を受けて犒われた次第です。
朝となりました。豚も例の臓腑を食べ終り、猫もまたたびの匂いのする場所を小便だらけにし、恋慕の念も醒め果てたようなので、アマドルもおのが寝床に休息しに戻りました。いろんなからくりは、ペロットがもう外しておいてくれました。アマドルのおめぐみにより、お城の上つ方たちは、たっぷりと熟睡に陥られ、午餐の時刻である正午前に起き出して来る者は、一人もなかったので、召使たちは悪魔が坊主になって、猫や豚や主人たちをまで、運び去ったものに違いないと、みなみな思った程でした。
そんな噂をよそにして、食事時には漸くお城の主人方も起きて参りました。
『どうぞ御僧、こちらへ。』と奥方はアマドルに腕を貸して、自分の隣りの殿様の椅子に招じ入れましたが、カンデ殿は一言もこれに不服を申さぬので、召使たちは悉くおったまげてしまいました。
『小姓や、これをアマドル神父に差上げて頂戴。』と奥方は言いました。
『アマドルさんにこれを持って行ってお呉れ。』と妹君も仰言いました。
『アマドル師の盃に、もっと注いでお上げ。』と殿にも仰せられました。
『もっとアマドルさんにパンを上げてよう。』と姫君も申されました。
『何かお望みの品は?』とペロットも訊ねました。
なにかにつけ、あっちでもこっちでもアマドルさんで持切りでした。アマドルは婚礼の晩の花嫁御のように、ちやほやされたわけです。
『どうぞうんと召上れ、昨夜はお粗末な御馳走でまことに失礼仕りました。』と奥方が言いました。
『もっと呑んで下さらんか。貴僧のようなお偉い阿闍梨には、拙者初めてお目にかかる。』と殿は言いました。
『本当にアマドルさんは美しい坊さんだわ。』とペロットは云いました。
『寛仁なお坊さんだこと。』と妹君も言いました。
『慈悲深いお坊さんよ。』と姫君は申しました。
『偉大なお坊さんね。』と奥方は仰言いました。
『高僧という名に全くふさわしい高僧だ。』と城の執事も口を添えました。
アマドルは皿を数知れず平げ、啖いに啖って、鱈腹と押し込みました。呑みに呑んで鯨飲しました。〓気やげっぷが出るほど、咽喉元まで詰め込みました。牧場の牛のように、のうのうと腹一杯に食べました。召使たちは彼を魔法使と思って、ひどく恐怖に駆られ、唖然と打眺めていたくらいです。食事が済んでから、奥方や妹君や姫君など、例の紛争を示談にするようにと、盛り沢山の美辞麗句で殿様にからみつき出しました。城に出家が如何に有益かを奥方には詢々として殿に説かれましたし、今後は毎日でも良心の煤払いをしたいと望んだ妹君も、喋々として兄の説伏に努めましたし、姫君は父殿の髯を引張り乍ら、アマドルを永久にお城にとどめるようにと懇請いたされました。――お城のなかのいざこざが片附いたというのも、みんなそれはアマドルさんのお蔭だし、あの坊さんときたら、まるで上人様のように賢くおとなしく、悟りもよいから、あんなお坊さんの沢山いる僧院相手の確執は、とんだ不仕合せといってよく、もしも悉くの坊さんが、みんなアマドルのような傑僧としたら、地上到る処で僧院はお城に勝を制し、殿様なぞは滅されてしまうに違いない。何故ってあんなにお強いんですものと、――女達は言葉の洪水さながらに千もの理窟を滔々と並べ、それが大雨のように殿の真上に降り濺ぎましたので、女どもの望み通りに計らわねば、到底お城に平和のあり得ないことを観念いたした殿は、ついに譲歩せざるを得なかったのです。カンデ殿は、書役とアマドルとを呼びました。一刻たりと和解の遷延を殿や書役にゆるさぬ正規の書類や信任状を、即座にアマドルが提出いたしましたので、殿にはひどく吃驚せられました。
和議の支度が整うと見るや、奥方には小箪笥から上等のリンネル地を取出し、愛すべきアマドルが為に、新しい法衣を作ることになさいました。彼の法衣がどんなに擦り切れているかは、衆目に明らかな所だったので、こんな見事な復讐の道具を、あんな汚い袋の儘で帰すのは、如何にも残念と奥方には思われたからです。この浄衣の謹製を一同は我勝ちにと望みました。奥方が裁ち、妹君が縫い、姫君は両袖をつけ、腰元が頭巾を作るという工合に、みんなは坊さんをいやがうえにも飾りたい一心から、精を出して励みましたので、晩餐前にそれは仕上りましたし、和解の証書も同じく出来て、殿もこれに印章を捺されました。
『アマドルさん、大仕事でさぞかしお疲れでしょう。ペロットに沸かさせて置きましたから、どうか一風呂浴びてお寛ぎになって下さい。』と奥方は申しました。
そこでアマドルは香水風呂に入りましたが、出てみると上絹の新しい法衣に、美しいサンダルまで、取揃えてありました。これを着用した彼は、三千世界で一番輝きに満ちた美僧として、一同の眼には映ったくらいでした。
さて一方テュルプネイの坊さん達は、アマドルのことをひどく心配して、二人の坊主にお城の様子を窺って来るようにと命じました。これら物見の僧がお濠の近くまで来て見ますと、ちょうどペロットががらくたを重しにして、脂染みたアマドルの古衣を、お濠のなかに投げ込んで行ったところでしたので、あの可哀想な気狂い坊主も、遂にお陀仏かと思って御注進に戻り、まさしくアマドルは僧院の為に、むごい殉難死を遂げた旨を報じましたので、和尚は一山の大衆を礼拝堂に集め、かの殉教の下僕《しもべ》の忍苦の軽減を、神様に対して祈りました。
アマドルは夕食を済ませ、証書を帯の間に挟んでテュルプネイに戻ろうとしました。階段を下まで降りると、奥方の馬がすっかり支度出来ていて、口取りがこれを控えていました。殿もアマドルの身に途中間違いのないようにと、警護の士を附けられました。アマドルはここで一同に前夜の非行を恕し、改宗いたしたこの地を立去るに臨んで、みんなに祝福を与えてやりました。奥方は彼を見送って、立派な馬乗りじゃと申されました。ご出家ながら侍衆より、馬上の腰がしっかりしておりまするとペロットは云いました。妹君はただただ吐息を洩らされるばかりでした。姫君は彼を懺悔聴聞僧として再びお城に迎えたがりました。
『あの方はお城を浄めお祓いをして行かれた。』と女人衆は大広間に戻ってから、口々に語りあいました。
馬に跨ってアマドルが僧院の入口に着きますと、大変な騒ぎとなりました。坊主を血祭りにあげたカンデどのが、血に猛り狂ってテュルプネイの僧院を劫略に乗り込んだと、番僧たちは思ったからです。そこでアマドルは例の太い声で名乗を揚げ、それと解って中庭に通されました。彼が奥方の馬から降りた時、雹や霰にでも春さき接したように、坊主たちは大騒ぎしました。食堂で歓呼の叫びを揚げた僧たちは、証書を振り翳すアマドルに、祝意を表しに寄り集まって来ました。ヴゥヴレエの葡萄園を寺領としているマルムウチェの僧院から、テュルプネイの僧院に贈られた酒倉きっての極上葡萄酒を以て、警護の士たちは犒われました。
カンデどのとの契約文面を、一山の大衆に披露してのち、和尚には申されました。
『かく様々なる場合に、神の御指は必ず顕われるものであるから、我々はあつく深謝をいたさねばならない。』
和尚がアマドルに感謝しながらも、相変らず神の指に言及いたすので、アマドルは己が第六指を小さく評価された不満から、和尚に向ってこう申しました。
『せめて神の腕ぐらいに大きく仰有って、その話はもう打切りにして下されや。』
カンデどのとテュルプネイ僧院との間の紛議解決は、さらに殿様をば敬虔なる信徒たらしめるという好結果をも生みました。というのは九ケ月の月満ちて、殿には後嗣の男子を儲けられたからです。それから二年後、アマドルは僧たちから選ばれて修道院長となりました。この気狂いを担ぎ上げて、寺を後生楽な戒律の下におこうとした僧たちの策略のせいです。ところがその期待は見事に外れて、和尚となってのちのアマドルは、聡明な且つ極めて厳格な方丈となりました。修行の結果、彼は邪念を征服し、万物浄化の聖火たる女人の鍛冶炉で、彼の性格を鍛え直されたからです。まことその聖火たるや、地上に於ける最も永続的な、耐久的な、持続的な、完全な、探求的な、僭奪的な、また会陰的なものですから、総てを焼き滅し、アマドルの裡なる悪をも湮滅しつくしましたので、あとには滅し得べからざるもの、すなわち彼の精神を残すのみとなり、燦としてそれはダイヤの如くに輝いたのであります。誰方も御存じと思いますが、我々の地球をむかし炭化した大いなる火の滓ともいうべきものが、ダイヤなのです。ですからアマドルはわれらが僧院改革のため、神様から選ばれた道具だったわけです。彼はそこで総てを矯正し、夜昼となく坊さん方の行状を見張り、朝のお勤めには皆を起して廻り、羊飼が羊を数えるように、礼拝堂で彼等の人数を数え、充分に手綱を引き締め、誤ちは容赦なくこれを罰しましたので、天晴れ得道のひじりたちに、修道僧を仕上げました。
この話は女人に接するには、快楽を得んが為ではなく、悟道の為にせよということを訓え、且つは決して坊さんと争ってはならぬことを戒めるものです。
王も女王もこの物語を上趣味のものとお褒めになり、廷臣たちもこんな面白い話は、ついぞ聞いたことがないと口々に申し、上臈衆はみんなそれの実演を、心ひそかに希望いたしたのであった。
(1) ビュロオ・ド・ラ・リヴィエール シャルル五世、六世の侍従長兼王室顧問、一四〇〇年巴里で卒去。
(2) ピエール・リゼ(一四八二―一五五四)フランス法官、巴里裁判長官、プロテスタントに峻厳、のちギュイーズ公と争って辞任す。
悔悛の花
一之巻 奥方ながらおぼこのベルトが由来のこと
後にルイ十一世となられた王太子殿下が、第一次の亡命を遊ばし、父君シャルル勝利王の宸襟を悩ませられし頃、トゥレーヌのさる名家に思わぬ禍いが起り、家門の絶滅を呈したのを機縁として、世にも悲しい物語が、実はその蔭に伏在しておったという顛末を、いざ明るみに出すことにいたそう。その物語に於て、神のお言附で善の振作者《プロモーター》となった信仰告白者たち、殉教者たち、権天使たちなど浄い方々のお加護の下に、吾儕は以下の筆を進めることにいたしたい。
さてトゥレーヌきっての大領主アンベエル・ド・バスタルネイ殿には、性格上の一欠陥として、人間の雌の心ざまに毫も信頼を寄せられず、女人は膣周辺蠕動《あなめぐりうずうず》のため落着きがなくせわしないと難ぜられておったが、いかさま左様な節もないではない。で、アンベエル殿にはかかる邪念の裡に、御内室もなく年長けられたが、これは決して殿の身にとって好結果とは申せなかった。なにせよ何時も独り身だったゆえ、人に優しく振舞うことを御存じがなく、戦さの旅に出続けで、遠慮会釈の要らぬ若い衆と一緒になって、乱痴気さわぎに耽っておられたので、殿の下帯には雲子がつき、召物は汗じみ、手は真黒く、顔は猿そっくりになられておった。つづめて申せば殿はそのなり恰好だけから申すと、基督教国の男性のうち、もっともむさい醜いしんどい御仁に見受けられた。但しその心情、智分、其他の隠れた訳柄に関しては、数々の長所をば備えられ、十分賞讃に値する人物でごあった。この武辺者ほど、おのが陣地を堅く守り、汚れのない名誉心を持し、忠誠一途の寡黙なさむらいに、この世でお目にかかろうとならば、天使も足を棒にせねばならなかったであろう。もっとも天使に足があるとしての話だが。さるにより殿の謦咳に接せられたお人の話では、殿はいたって分別に富み、智略にも長けた、頼もしい御人体なそうだが、こんな不体裁な埒もないお人に、数々のすぐれた美点を授けられるとは、我々を嬲る上天の神の、ことさら遊ばされた悪戯ではあるまいか。まだ五十にしかならぬに、はやもう六十の坂を越したげに見受けられたが、世嗣を儲けるべく、殿には足手まといの妻どりの決心をば遊ばされた。そこでお気に召すような鋳型を、あちこちと物色しているうち、当時トゥレーヌにも藩領を有しておられた名門ロアン家の息女で、ベルト姫という大層すぐれた申し分のないお方の評判を耳にせられ、早速にモンバゾンの城に姫を見に参った殿には、ベルト・ド・ロアンの愛くるしさと手入らずの生娘ぶりにすっかり目を細く遊ばされ、こんな家柄もよい立派な姫君が、その本務を怠ることはよもあるまいとお考えになって、奥方として迎える肚をばたちどころにきめられた。
時は戦争から漸く立直った許りで、戦さの傷手のつくろいに余念ござない折とて、七人もの息女をもたれたロアンの殿は、その縁づけに頭悩ましておった最中だったので、二もなくこれを快諾して、祝言も直ちにとり行われたが、果してベルト姫には、その結構な生い立ちや、母上の見事な躾けぶりが示すように、からきしうぶな未通女《ていらず》だったので、アンベエル殿にはなによりの果報と、これを祝着に存ぜられた。よって新妻をおっぺす許しを天下晴れて得られた初夜の晩に、早速に殿はあらっぽく子種を仕込まれめされたので、結婚後二ケ月にして、はやそれがまさしく実証せられ、殿にはいたく恐悦に存ぜられた。
物語のこの始めの部分の片を附けるため一言申し添えるが、この正嫡の種子から後のバスタルネイ殿が生れ、ルイ十一世の御恩顧で公爵となり、王の侍従、ついでヨーロッパの国々へ王の大使として遣わされ、ひたすら忠勤をぬきんでて、世人の怖れるこの王から、いたって御寵愛も深かった。こうした彼の忠義立ては実は父親譲りとも申すべく、父アンベエル殿も夙にルイ王太子に心を寄せられ、その浮沈につき従い、御謀叛の折りもこれに加担さえいたしたが、もし勅諚とあらばキリストを再び十字架にかけるのも、敢て辞さぬくらいの忠義ぶりを示されておった。惟うに大公貴顕の周囲にあっては、かかる忠義の華は極めて稀に花咲くものである。
ベルトは初手からまめやかに身を振舞われたので、女人の栄光に関して、殿のあたまに蟠っておった暗雲濛気も、すぐさま飛散するに到った。さてそうなると無信心者の例しに洩れず、殿は俄かに不信から盲信にと移られ、家職の一切をベルトに任せて、奥方を彼の施為行状のあるじとなされ、万事に君臨する家刀自とも、彼の名誉の女王とも、その白髪の守り神ともなされたから、もしもこの淑徳の鏡に対し、よしない悪口をぬかす者があったとしたら、たちどころに殿は掴み殺しかねぬ風で、まことや、背の君たる殿の冷たい萎んだ息しか、その鏡には掛らなかったゆえ、貞婦の鑑《かがみ》とたしかにこれを申せよう。
が、さてありようを残りなく申そうとならば、次なる事も附け加えずばなるまい。すなわちベルトが操高く身を持するに与って大いに力のあったのは、愛児がおったということである。六年のあいだ、夜となく昼となく、彼女はひたすらわが子の愛育に没頭し、大事にその乳で守り育て、子供を情人の代理とも心得て、美しい胸乳を授けっぱなしにし、好きなだけ齧りつかせること、さながら情人に対する如くでごあった。さても奥方が存じている快い刺戟と申せば、子供のばら色の唇からのそれであり、その心得ている愛撫といえば、いたずら鼠の趾のように、彼女の上をこそこそする愛児の紅葉のようなる手を以てしてのそれであり、彼女の読む愛の書といえば、青空の映っている子供の明るい可愛い眼のそれであり、耳にする愛の音楽といえば、天使の言葉のそれのように、彼女の耳に聞きならされる愛児の泣き声でござった。ベルトは愛息を一日中あやしつづけ、朝起きるともう頬桁へ喰いつきたくなり、夜は最後の仕事として接吻を忘れず、真夜中に子供にむしゃぶりつきたくなって、わざわざ起きたりなど、その他愛のないこと、まるで彼女自身子供のような始末であったが、母心の申し分ない心遣いを以て、かく愛児を育てて、云ってみればこの世に於ける最もすぐれた、最も幸福な母者人のように、振舞って参られたのである。そう憚りながら申しても、聖母マリア様に礼を失することにはなるまいて。われらの救世主を育てるに、マリア様はさぞかしお手数が掛らなかっただろうから。何故って神様だもの、聞分けはよかったに違いはござるまい。
かような育児わざと、妹背の契りに対するベルトの没趣味は、いたくアンベエル殿のお気にも召した。というのは殿は天晴れな床入りを度重ねる迫力に欠け、次子を妻に授けるのに、いたってけちけち遊ばされておったからである。
さて六年はかく過ぎて、ベルトは楯持や家隷たちの手に、わが子をゆだねねばならぬ仕儀とは相成った。家の名跡や領地もろとも、家門の面目、勲功、武勇、高潔の気象などまで世嗣の子に継がせようと、雄々しく仕込まれることを、父御の殿がお命じになられたからである。ベルトは一身の幸福を奪われ、いたく愁嘆にとくれた。事実、限りのない母心として、他人の手垢がついた最愛のわが子を、ほんのちょっとの間だけ、抱く許しを得るなぞ、さながら抱かぬにも等しい侘しさだったので、大いなる憂愁にベルトは陥ったのでごある。妻のこの嘆きを見兼ねて、お人好しの殿には、今一人子宝をものしようと力張られたが、如何とも授けられず、奥方をいかい苦労で徒らに悩ませられたに過ぎなかった。というのは奥方は子供作りは、辛気ごとで大の嫌いじゃ、と常々仰せられていたからである。あるまい事と仰せられるか。さはさりながらこれぞ正真正銘のはなしじゃ。奥方のこの罪のない仰せに、信をおかれぬとなら、福音書なぞ嘘八百のものとして、焼きすてめされるがよいし、あらゆる教旨は嘘事ということになる。されどこの奥方の喝破は、まこと世の女人衆には、うべないがたい虚言と聞えるやもしれぬ。但し殿方には信じて戴けよう。何故なら殿方には蘊蓄が御座るからじゃ。で、吾儕はこの世にもあんまりなこと、――つまり御婦人方が何よりもお好みめさるものを、ベルトが嫌悪し、しかもそうした悦楽欠如にも拘らず、顔も一向に老けず、心も悩まされなんだという咄咄怪事のかくれた理由を、次につぶさに御説明申し上げるといたそうか。如何で御座る。吾儕ほど御婦人方に親切な、優しい文人に出会われしことがござるか。ござらっしゃるまい。吾儕は由来、女子衆が大の好きなのじゃが、不幸にして思うほどの心意気を見せられぬのが何より残念。何故なら儂は常不断に鵞ペンを握りづめなもので、この羽根髭で女人衆の紅唇を、もちろんその同意を得たる上で、こそぐり笑わせ、仔細なく楽しませる余裕が、いかにしてもないからじゃ。で、その次第と申すは斯様で御座る。
アンベエル殿は意気間なわけ知りの粋人でもなければ、色の道のあじな奥義に達したるお人でもなかった。殿は殺しさえすればよいというたちで、殺し方なぞには没趣味に、あたるを幸い御免とも云わずに、殺して参られた。もちろん戦場での話である。で、この人を殺すに際しての無頓着ぶりは、人を生ます折りの無風流さと、軌を一にしておられ、御存じのあの艶っぽい例の竈のなかで、子供を煮えくり出すあの仕方・作り方には、平常からいたって無関心でごあった。すなわち殿には竈を熱するために入れる小さな粗朶の、いくつもの、順を追った、まだるい、中間の準備工作的な甘美な手順を、一向に不調法で御了簡がなかった。もっと申せば愛の森の中に一枝一枝積み上げる香気馥郁たる艶なる小枝の手だて、あやなし振り、いたぶり方、手なずけ法、あやつり工合、さては乳繰り合いや床入のさばき、餅搗の秘戯、二人で平らげるジャムのべたつき、猫のするなるお皿のべちゃ嘗めといった色のままごと、さざめごとのあだつく方面に、いかにも気疎く無念で御座った。つまり手早く申せば、世の恋人たちが珍重し、粋士たちが埒あけておる閨情の濃やかな愛のたわむれ、なぶりごとの談合づくに、ちゃちゃむちゃこ殿には不案内でござったのである。そもそもこれらの諸わけや手立てこそ、世の御婦人達は後生の道より遥かに大事と心得まいらせておるが、それぞ彼女たちが女人という牝猫の性に近いからで、そのことたる女人のならわしのなかに、遺憾なく発揮せられておるところじゃ。だから彼女達を眺める価値があると思わっしゃるなら、よく注意してごろうじろ。たとえば女人衆が物を食うさまじゃ。ここで女人衆と申したは、貴いお身分の教養ある上臈衆の謂いじゃが、それら女人のすべては殿方が荒く振舞われるように、いきなりナイフを肉に突き刺して、ぽんと口に入れるような真似は決してなさらない。先ずは料理をあさられる。お気に召す部分を小さくえらび分けられる。口をすぼめて掛け汁をちびちび吸われる。大口を要するものは据置きとせられる。法の掟に定められて、止むを得ず召し上るような塩梅に、ナイフやスプーンをもてあそばれる。といった工合に彼女達は、一直線にことを運ばれるのが大のお嫌いで、万ずにつけ手管や迂回や狡計や技巧を、ふんだんにお用いめされる。これが女子衆の特色であって、またアダムの伜たちが、彼女達に夢中になる理由でもあるのである。というのは彼女達は物事を男達とはまるで別の仕方で、お上品に巧みになさるからで。いかがで御座る。そんなものではござらっしゃらぬか。なに、儂の申す通りじゃと。エヘン、だから儂はお手前が大好きなので御座るよ。
さてアンベエル殿には、老武弁のこととて、左様な雛尖遊びはかいもく御存じがなく、まるで城でも乗っ取るように、泪に沈んだ憐れな住民どもの叫喚にも一向に耳をかさず、ヴィーナスの美しい苑のなかに、ひたおもてに突貫遊ばされ、暗闇に矢を放つが如く、子宝をば仕込まれたのである。それさえあるに優しいベルトは、そうした仕打を受けるにからきし慣れてはおらず、――子供じゃった。ようやく十五になったばかりじゃもの。――母となる果報には、こんな凄まじい、怖ろしい、征略的な、いまわしい、けったいなわざを、忍ばねばならぬのかと、うぶな乙女心は一途に思い込んでしまわれた。それで辛いこの職務遂行のあいだというもの、彼女は切に神様の御加護を祈り、聖母マリア様にアヴェ・マリアを誦え、聖霊受胎を忍ぶだけで、べつに雲雨にも濡れずに済んだマリア様の幸運を、つくづくと羨んだのであった。こんな訳で妹背の契りには、不快の念を抱くばかりだったので、ベルトは良人に二度とあのいいことを求めもしなかった。
ところが上述いたしたように、御老躰もその方の道はからきし苦手だったもので、ベルトはまるで尼さんのように、完全な孤独の裡に日を暮したのでごある。彼女は男と一緒を嫌い、無限の辛さしか覚えぬあのことに、造物主が無限の快楽を封じ込めておかれたなどとは、つゆ考えたこともおりなかった。だから生れる前に、こんなに彼女に嫌な思いをさせた息子が、猶一層と可愛ゆくて仕方がなかったのである。彼女があの粋な馬上試合――但しこの調息馬乗の伝に於ては、馬の方で騎手をあべこべに馭して指南し、へこたらせ、躓けば掛け声などかけておるが、――それを嫌って眉をひそめておったとしても、決して驚くにはあたるまい。御年輩の爺さん婆さんの話だと、こうした惨めなお嫁さんの例は、存のほか世上に沢山とある習いだそうだが、思うに後年にいたって、どうして分ったか存ぜぬが、してやられたことに気づき、人生の分け前を取戻そうとして、一日のなかに、二十五時間も押しこもうと、躍起になられる色狂いの御内儀の無分別は、たしかにこんなところに由来するものでござろう。
なんとおのおの方、吾儕の思索は形而上学的ではござらぬか。さればこのページをよく御きわめめされい。さすれば貴殿の御内室、御情婦、乃至は偶然の機縁から、貴殿が御守護を仰せつかったるよしある女子衆など政道いたすに、よき方便ともなり申そうし、上天の神も貴殿を冥護したもうこと、ゆめ疑うなかれじゃわい。
さて母ながら実はおぼこも同然のベルトは、二十一と相成ったが、彼女こそお城の花であり、良人のほまれであり、郷土の誇りでごあった。柳の枝のように軽快で、魚のように跳ね返り、愛息のごとくあどけなく、そのくせ分別にも富み思慮にも深い子供子供したベルトが、城内を往ったり来たりするのを眺められて、アンベエル殿は悦に入られておったが、何をするにも妻の意見を求めぬ折りとてはなかった。きよい天使のこころがその浄さを曇らせられなんだなら、こちらの訊ねることには何事にまれ、まことの正しい答えをせられるものと、殿には堅く思し召されていたからである。
当時ベルトはロシュの町に程近い殿のお城に住み、良妻賢母の古い慣わせどおり、世帯事のこと以外は一切目もくれずに過しておられた。お祭り騒ぎの大好きなカトリーヌ女王やその腹心の伊太利人どもが来る迄は、仏蘭西の上臈方も賢妻節婦の道はかく守られておったのであるが、フランソワ一世やその御世嗣の王たちが、婦道頽廃に手をかされたため、旧宗門の方々の悪逆無道と相俟って、遂に仏蘭西の国もそうした浮かれ遊びから凋落めされてしまったのであるが、しかしそう申してゆくと、この物語から脱線になる。
さてその頃国王には、宮廷の御一統と共に、ロシュの行宮に参られておったが、アンベエル夫妻を宮廷にお招きにとなられた。ベルトの美しさが、宮廷でもえらい評判となっておったからである。ロシュに参ったベルトは、王からめでたい称讃のお言葉まで賜わり、この愛の林檎を眼でむさぼられた若い殿原から、あくない渇仰の的となり、御老躰がたは彼女の太陽に身を暖めようとなされた。老いも若きも悉皆の殿方は、まなこを眩ませ頭をかきみだす、この女人の享楽作りの美しい道具を、もしも用いられるなら、万死をも敢ていとわぬ心意気をそれぞれに示され、ロシュでベルトのことが語られたは、福音書に神のことが語られている以上だったので、ついにはベルトほど魅力ある品々を、ふんだんに授かっておらぬ上臈衆の多数は、たいそう焼餅をやかれ、よしんば世にも不細工な醜男に十夜のあいだ肌を許そうとも、あの微笑あつめの佳人を、もとの城に追い返したいとまで、女心に思われたげである。なかでも一人、その情人がベルトに、ぞっこん心を移したのを、ひどく根に持った若い上臈がおったが、このためベルトはとんだ災難な目にあうと同時に、この世の果報をも授けられ、今迄知らなかった愛のうまし国を、発見するに到ったのである。
この肚黒の上臈の従兄で、ジャン殿と申すは、ベルトを垣間見られて、彼女と一ケ月のあいだ雲雨の契りを結べられたら、あの世に参ってもよいとまで、先ず身内の上臈に胸の内をば打明けられた。この仁は乙女が美しいように美しい若殿で、頤には髯が一本もなく、若い声音のその優しさといったら、命乞いを敵に願っても、きっと赦されそうな塩梅であって、年もやっと二十になったばかりであった。
『ジャンさま、では御殿を下ってお宅でお待ちなさい。あなたの望みは妾がかなえて進ぜましょう。なれどあの方の目にとまらぬよう遊ばせ。それとあの美しい妖精の持主で、キリスト教徒の茎に、自然が間違って接木したような狒々爺さんにも、顔を見知られぬようにお気をつけてね。』と上臈はその従兄に申された。
美しい従兄をこっそり隠しておいて、上臈はベルトの許にその陰険な鼻面をこすりつけに参り、ベルトにわたしの親友とか、無二の宝とか、美の星とか、散々とその気を惹くようなお世辞お追従をならべて、罪のない彼女に対する復讐を、是が非にでも遂げようといたした。ベルトは何ら心に覚えなくして上臈の情人を、不実にさせてしまったのであるが、恋の野望に強い女子にとっては、心の不実ということが、あらゆる不実のなかでも、もっとも堪忍成りがたいものなのである。さていろいろと四方山話が済んで、この悪賢い上臈は、ベルトが恋知らずのおぼこ気質で、その眼には澄明な水が沢山にあり、こめかみには襞一つなく、普通、快楽のじたばたの痕がしるされる鼻の愛くるしい頂きにも、小さな黒点一つ見えず雪のように真白で、額にも皺一本見当らぬのを見て、――つまり快楽常習の気が顔に微塵もなく、何知らぬ乙女っ子の顔のように、綺麗さっぱりとしているのを看取して、ベルトのからきし初心なことを悟りめされたが、さらに女同志の問いかけをして、ベルトのその応答に依り、彼女が母たる得分を受けてはいても、実は愛の快楽にかけては、まるまる御存じがないことを確かめ得たのであった。それで従兄の果報を思って、上臈にはいたく喜ばれたが、まったく奇特な善女もあればあったものである。
そこで上臈は、ベルトに次のように申した――ロシュの町にいるシルヴィと申すロアン家の不良娘には、父御ルイ・ド・ロアン殿の御勘気がゆるむように、お歴々の奥方のお口添えを願っておられるが、もしベルトが神様から身に数々の美しさを授っているように、よものやさしさをも心に有っておられるならば、姫を館へ引取って、清い生活に立戻ったかどうかをたしかめてのち、姫をおのが城館に迎え入れるのを、渋っておられる父ロアン殿とよろしく和解させて上げるべきだと申した。この申入れにベルトは躊躇なく応じた。駆落したその娘御の窮境を、かねて彼女は耳にしていたからで、しかしシルヴィという御当人には未だ面識がなく、外国にいるものとばかり思っていたのであった。
なぜ、さきに国王がアンベエル殿を招かれて、手厚く歓待せられたのか、その訳をここで申し添えておく必要がある。王には王太子がブルゴオニュの国へ高飛びせられることを御軫念遊ばされ、アンベエル殿のようなその屈竟な股肱の臣を、王太子から奪おうと計られたのであるが、しかし王太子に心身を擲っていた御老躰は、一言も口にせられなんだが、早くも心底の覚悟は定まっておった。それで彼は急遽ベルトを己が城に連れ戻ることにした。ベルトはお伽相手を頼み入れたことを良人に告げてこれを引き合せた。それはベルトを嫉み、その操に汚点をつけようとした上臈が手をかして、乙女シルヴィに変装させたかの従兄ジャン殿であった。
シルヴィ・ド・ロアンの行状を聞いて、アンベエル殿はちょっと眉をひそめられたが、ベルトの親切に感動した老人は、すっかり感激して迷える小羊を、羊舎に連れ戻す仲立ちをよしなに彼女に命じた。出発の前夜、彼は妻を十分にねぎらい、城に手兵をあまた残して、王太子と共にブルゴオニュへ出立いたしたが、残忍な敵を懐ろにしたなどとは、つゆ疑いもしなかったのである。もともとジャンの顔に、殿は見覚えがなかったからで、このジャンは王の宮廷を見に参った若い扈従で、デュノワ《〈1〉》殿に養われ、騎士候補《バ シ リ エ》として仕えていた若殿であった。さればアンベエル殿はシルヴィことジャンを、てっきり女っ子と信じて、ひどくつつましいおずおずした性分の娘と思われた。ジャンはその眼の物言いを怖れて、絶えず伏目になっておったが、ベルトに口を接吻された折りなぞは、おのがスカートが突っ張ったのが、ばれはしないかと、窓辺の方へしざって行ったのは、アンベエル殿に男と見破られて、情人をものにする前に、御成敗を受けはしないかと、怖れ戦いたためであった。だから彼の位置に、どんな勇敢な恋人が立ったところで、やはりその通りだろうが、城門がとざされ、殿が郊外へ馬に乗って立去られた時、うれしさのあまり、彼はふとい安堵の吐息をもらした。その間の彼の烈しい不安といったら、首尾よくこの危難から遁れられたら、お礼にトゥールの大寺院の柱一本を寄進することを、上天に誓願いたしたほどだった。事実、彼はその歓喜を神につぐなうために、銀五十枚を奉献つかまつった。が、ふとしたことからそれは悪魔にもまた、歓喜の喜捨をすることとなったのであるが、この物語に興趣を抱かれ、その先をつづけ読みたい気が、もしも御座ったなら、以下のくだりでその次第は、とくとお解りになれようかと思う。面白い話はみなそうあるべきだが、続きといってもごく簡潔になっておる。
二之巻 愛の奥義を識ったベルトの振舞のこと
そもそもこの若殿はジャン・ド・サッシエ殿と申し、モンモランシイ殿の従兄でござったが、領土保有権の慣行に依り、サッシエや其他の領地は、ジャン殿の歿後モンモランシイ殿の掌中にと帰せられたのである。当時ジャン殿は二十歳で、燠火のように燃えつき易い年頃ゆえ、ベルトの許で初日を送るのに、いかい難儀をば覚えられた次第は、皆々様にも御推もじに相成られよう。さてアンベエル老殿が馬で遠ざかってゆかれる間、二人の女子衆は城門の頂塔に身を置いて、出来るだけ長く殿を見送り、別れの合図をさまざまに交しておったが、馬の蹴立てる埃の雲も地平線にやや薄らいだ頃、塔を降りて二人は部屋に引下って参った。
『さて何をしましょう、シルヴィ、音楽はお好き? では二人で歌でも唄いましょう。むかしのバラードのやさしい小唄なぞいかが? どう、よくって? じゃ妾のオルガンのところへいらっしゃいよ。さあ、何かお歌い遊ばせ。』
ベルトはそう云ってシルヴィの手を執り、オルガンの鍵盤に押しつけた。シルヴィは女人のようにいとも優婉に腰を卸した。最初のキイを叩き終え、シルヴィが合唱しようと、ベルトの方に顔を振向けた時、ベルトは思わず叫んだ。
『まあ、なんてあなたの眼眸は素敵なのでしょう。怖いくらいだわ。なんかしら妾の心臓が突き刺されるようで。』
『ところがこの眼眸があたしの破滅のもとだったのよ。英国のさる優しい殿方が、あたしの眼を美しいと仰有って、うっとりするような接吻を何度もなさいましたわ。接吻される時の気持の好いったら、ぼうっと気も遠くなるくらい、ためにとうとうこの身を過ってしまったのですもの。』
『まあシルヴィ、じゃ愛は眼から掬むものなの。』
『キューピッドの矢は、眼で鍛えられますのよ。』そう言って火と炎の眼差を、ベルトの方に投げた。
『じゃ、歌いましょう。』
シルヴィの好みに依って、熱烈に恋愛を歌ったクリスチィヌ・ド・ピザンの対話詩を、二人はデュエットで歌い出した。
『ああ、シルヴィ、あなたのお声は、なんて深みがあって、音量に秀れているのでしょう。まるであたしの身裡に、沁みこんで来るようだわ。』
『まあ、何処へですの?』と怪しからぬシルヴィ。
『ここへよ。』そうベルトは答えて愛くるしい彼女の横隔膜のあたりを指さした。愛の協和音は耳よりもここに響くものである。というのは横隔膜の方が、ずっと心臓と、それから皆さん御存じのかのところの近くに、くらいしているからで、まさしくそのところこそ御婦人方にとっては、第一の脳髄であり、第二の心臓であり、第三の耳である。吾儕が満腔の敬意と尊信を以てかく申すわけは、ひとえに生理学的理由からであって、べつに他意はござらぬ。
『歌は止めましょう。シルヴィ、なんだか妾すっかりどぎまぎしてしまったわ。窓のところへいらっしゃい。一緒に夕刻まで、針仕事でもいたしましょう。』
『でもあたし、針を持つわざを心得ませんのよ。もっと他のことばかりしていたのですもの。今思うとそれがあたしの身の破滅の因でしたわね。』
『まあ、じゃ一日じゅう何に耽っていらっしゃったの?』
『ああ、あたしときたら愛の流れにこの身を任せてばかりいましたのよ。愛の魔力ときたら一日を数刻に、一月を数日に、一年を数月に変じてくれましたわ。もしももっとあの愛が続いたなら、苺のように、永遠をも丸呑みにさせられてしまったことでしょう。何故って愛の裡では何もかもが若々しく、香ばしく、甘美で、それはそれは限りない歓喜でしたもの。』
そう言ってシルヴィはきらきらする眼眸の上に、美しい眼瞼をかたくおろして、深い憂愁に鎖されたような面持をして見せた。その様は男に棄てられ悲嘆にくれた女が、あくまで男を引止めようとて、昔愛した愛の巣への薔薇の香高い道を、再び辿る気が男にあるなら、その裏切りをも水に流そうといったような趣きがごあった。
『シルヴィ、結婚していても、愛は花咲くものでしょうかしら?』
『それは駄目、なぜなら結婚してだと、すべてがお義理からになるでしょう。それに反して愛にあっては、何もかも心の自由裡になされるのよ。そしてそのような違いが、愛の花々である愛撫に、えもいわれぬ甘美な香気を添えているのですわ。』
『シルヴィ、もうその話は止めにしましょう。何だか音楽の時より激しく胸がときめいて参りましたもの。』
そう言ってベルトは俄かに家隷を呼んで、息子を連れて来るように命じた。現われた息子をシルヴィは眺めて、思わずこう叫んだ。
『まあ、まるで愛の神《キユピツド》のように美しいことー』
そしてベルトの愛児の額に接吻をした。
『さあ、坊や、いらっしゃい。』とベルトは言ったので、子供は母の膝に飛びついて来た。
『ねえ、坊、お前は母さんの喜びだよ。お母さんの混り気ない幸福の総て、不断の愉楽、王冠、宝玉、浄い真珠、白い魂、無二の宝物、お母さんの暁星と夕ずつ、唯一の炎、それに大事な心の臓だよ。さあ、手をお出し。食べちまおう。耳をお寄越し。噛んじまおう。頭を伸べて御覧。お前の髪に接吻をするんだから。妾から出た小さなお花、ねえ、わたしの仕合せを望むのなら、どうか仕合せになっておくれよ。』
『まあベルト様、まるで愛の言葉そっくりの語りようね。』
『じゃ愛の神は子供なのでしょうか?』
『そうですわ。だから異教徒は何時も子供のすがたで愛《エロス》を表わしていますのよ。』
そういった愛の象喩に満ちた話を、たくさんに取交しながら二人は、夕食まで子供と一緒に遊んだ。潮時を見てジャンは、熱い唇をベルトの左の耳に触れんばかりにして囁いた。
『もう一人、子供が欲しくはありません?』
『まあ、シルヴィ、勿論ですわよ。そんな喜びを神様がもしお授け下さるなら、わたし百年も地獄にいても結構ですわ。けれどこの妾にとって辛い惨めな骨折わざを、いくら殿が精を出して励まれ勤められても、妾の腹帯は一向に膨れませんのよ。まあ、まったく一人しか子供が授からないのは、一人もないのと、すこしも変りませんわ。お城の中で子供の叫び声なんか聞えると、妾の心臓は張裂けはしまいかと思われるほど早鐘を打ちますの。可愛い子供のことを思うと、人だって動物だってなんだか物騒で、怖気がして堪りませんわ。撃剣や乗馬や弓の稽古だって、いえば何から何まで子供の為に、こっちはびくびくしていなくてはなりませんのよ。あたしは子供の裡に生きているので、自分の裡に生きている気がちっともいたしませんわ。けれど何ということでしょう。あたしにはこうした辛い思いも、決して苦にはなりませんの。というのは妾が懸念がっているうちは、うちの坊やは達者で丈夫だというしるしですもの。聖人様や使徒さまに妾がお祈りするのだって、ただ子供の身のことばかりですわ。でもこんなお話は明日の朝まで喋ったって語り尽きませんわ。切上げて申せば、あたしの呼吸だって坊やがしているんで、自分がしているのじゃありませんのよ。』
そう言ってベルトは子供を胸に抱きしめたが、それは母が子に対してだけ出来るような締めつけ方で、子供の心の部分のみを押し潰すあの精神的な力を以てしてであった。おや、可笑しなことを申すと仰有るお方は、仔猫達を口にくわえて運ぶ母猫を御覧になるがよい。いたがって啼くのが一匹でもござるか。
美しいこの不毛の野に歓喜の水を濺いで、ぽてれんにでもいたしてはと、案じておったジャンは、ベルトのこの打明け咄にすっかりと元気づいた。彼女の魂を愛に帰服させることは、神の掟にもかなう所以とまで、ついに彼は考えるにいたったが、成程よくも考えつかれたものでごある。
夜も更けたのでベルトは昔流の慣わしに従って、――但し現今の上臈衆はこんな慣習は嫌っておいでだが、――館の大寝台に共臥するようにシルヴィに申した。良家の息女の役割を演じてのける手前、国振りに叛くのも不首尾のもとと考えたものか、シルヴィもこれを快諾に及んだ。
さてお城に消燈の鐘が鳴り、二人は絨毯や総飾りや、立派な綴織などに飾られた豪奢な奥方の寝室にと入った。ベルトは腰元衆に扶けられて、静かに衣裳を脱いだ。ところがシルヴィは内気にも腰元衆に触れられるのを拒んで、羞恥で真赧な顔をして、恋人のやさしい介添を受けなくなって以来、一人で脱ぐ癖がついたからと申し、近頃は女の手で脱がされるのが堪らなく嫌やで、脱ぎ支度で思い出させられるのは、恋人が彼女の衣裳を解きながらしたさまざまの巫山戯ぶりや、優しい言葉遣いで、それを今思い出すと、怪しからないが、口に涎が出そうになるとベルトに語った。この言葉にベルトもひどく吃驚いたしたが、その言う通りに、シルヴィを寝床のカーテンの蔭で、祈祷やらその他寝支度のさまざまなことを、思う通りにさせたのであった。
カーテンをくぐったジャンは、烈しい欲望に燃えつつ、大急ぎで身をひそめ、一点の損処もないベルトの妙なる美しさを、ちらりそこから垣間見られるのを、何よりの冥加と心得た。堕落娘と一緒にいると許り思いこんでいたベルトは、何時もの寝支度を、何一つ欠かさなかった。足のあげようが高かろうと、低かろうと、一向に頓着するところなく足を洗い、美しい肩をあらわにし、当時の上臈衆が寝しなに遊ばした数々のことを、悠々といたしてから、やおら寝床に入って、思い切りのうのうと身を楽にしてのち、傍らなるシルヴィの唇に接吻をしたが、妙にそれがあつぽったいので、
『まあ、シルヴィ、お加減が悪いのじゃなくって、とてもあつくってよ。』
『あたし床に入ると、何時もこう身がかっかっと燃えて来るのですの。あの人があたしを楽しまそうと工夫したいろいろの甘美な手立てが、床に就くとすぐあたまに浮んで来て、そのため益々身体がほてって、たまらなくなるんですもの。』
『まあ、あの人ってどんな御方だったの? 聞かせて頂戴。愛のいいことを妾にも教えて下さらない? あたしは老殿の白髪の蔭に暮して来たので、銀髪の雪に、あなたの仰有るようなそんな熱気などは、すっかり融かされてしまったのよ。ねえ、聞かせて頂戴。あなたは恋の熱病から、もうすっかり快癒なさったのでしょう。あたしにもよい戒めとなりますわ。あなたの過失も、二人の弱い哀れな女性には、有益な訓えとなるわけじゃありませんの。』
『あなたの仰せに従って好いものかどうか……』
『まあ何故おっしゃれないの?』
『ああ!』とシルヴィはドレミハのドのような大きな嘆息を放ちながら申した。『言うより行う方がいや勝っていますし、妾の恋人から浴せられた美快といったら、それこそ口にも上せられぬくらいで、そのちょっとをでもあなたにおこなってお伝えができたら、優にあなたに赤ちゃんを授けられるでしょう。妾には子をなす身裡の力が脆弱だったため、授からなかったのですけれど。』
『まあ、でも内緒に教えて下さらない。いったいあのことは罪作りにはなりませんの?』
『とんでもない。その反対ですわ。下界でも天国でも、愛のめでたさの祝い合いじゃありませんか。天使も喜んであなたのまわりに芳香を薫じてくれますし、妙なる音楽もあの最中には奏し続けてくれますわ。』
『もっと詳しく聞かせて頂戴ったら。』
『じゃ、こうやって妾の恋人は、無上の快楽をわたしに授けてくれましたのよ。』
そう言いざまジャンは、ベルトを両腕に抱き、たぐいない欲情を以て、彼女をきつく抱きしめた。寝床に横になった白衣のベルトをほのかに蘭燈は照らして、まるでそれは百合の純潔な萼の奥の雌蕊のようにも見えた。
『あの人は妾をこう抱いて、今の妾のなんか到底に及ばないような優しい声音でこう、囁いたのよ。「ああ、シルヴィ、お前は僕の永遠の愛だ。僕の千もの宝物だ。僕の昼夜の歓喜だ。お前は太陽よりも輝いている。世界中でお前ほど可愛いものはない。僕は神様よりお前の方を愛する。お前から与えられる果報と冥加のためなら、僕は万死をも辞さない。」そう云って妾に接吻するのよ。世間の良人の接吻のような粗っぽいものでなく、鳩のようにやさしい接吻をでしたわ。』
恋人式の遣り方が如何に優れて快絶かを、その場で立証するもののように、ジャンはベルトの唇からその蜜の悉くを吸い、猫の舌のように、ちっちゃな薔薇色の可愛いやつで、一言も物を言わずに相手の心臓に多くのことを語り聞かせるには、いかがすればよいかを指南いたした。そしてこうした戯れでますます燃え上った彼は、接吻の焔を口から頸へ、頸から……世にも麗しい果実、女子衆が愛児のはぐくみに含ませるあそこへと、飛火をして参った。彼の立場にいた殿方で、もしも彼の真似をせなんだとしたら、それこそよっぽど悪性なお人と申すより他はござなかろう。
わけも知らずに色ごころにすっかり捕えられたベルトは、
『ああ、なんて好いのでしょう。早速アンベエルに教えてやりましょう。』
『あら、とんでもない。あなたの年寄亭主なぞに何の教えることがあります? 洗濯棒のようにごつごつしたあの人の手に、この妾の手のような優しい快い真似が出来るでしょうか。無二の愉悦のこの中心部、あたしたちの福分、愛、富、精髄、幸福が宿っているこの薔薇に、あの人の斑ら髯をこすりつけて何になりましょう? 御存じ? これは生きている花、こうやって可愛がるべきもので、戦さの弩砲《カタパルト》を以て、ぶっぱなすようなものではありませんわ。あたしの恋人、英国の殿御の優しいやり方といったら、こうでしたわ。』
そう言いながらジャンはいとも雄々しく振舞って、殷々たる小銃斉射《エスコペツテリ》に及んだので、その道は何も知らないベルトは、思わず堪えかねてこう叫んだ。
『ああ、シルヴィ。天使が降臨してよ。奏でる楽の音が、あまりにも美しいので、あたしにはもう何も他に聞えないわ。天使の投げる光が、あまりにも灼くようで、眼もしぜんと閉ざされてしまう!』
左様まったくその通りで、愛の喜悦の重荷にひしがれ、ベルトは気が遠くなってしまった。歓喜はオルガンの最高音階のように、彼女の裡で張りさけ、世にも素晴しい暁光《オーロラ》のようにきらめき、またいとも妙なる麝香のように、彼女の血管のなかを駆け廻り、生命のきずなを弛めさせて、彼女に愛の子種をしこたまに授け申したが、その子宝はかつて覚えのないほどの激しい興奮と惑乱を伴って、大騒ぎの裡に宿るべきところに宿ったのであった。詮ずるところベルトは天上の楽園にあるの思いをいたしたのである。しばしがほど桃源の恍惚境に遊んだベルトは、ややあってこの美しい夢から醒めて、ジャンの両腕のなかに在るおのれに気づいてこう申した。
『ああ、あたしも英吉利で結婚すればよかったわ!』
生を享けてこの方、嘗て覚えぬほどの愉悦に、同じく耽ったジャンは言った。
『まあ、ベルト。あなたはあたしと仏蘭西で結婚しているのよ。この方がずっと妙適で趣きも深いじゃありませんか。何故って……あたし実は男ですもの。あなたのためなら、できたら千人の子供でもお授けしてあげたいくらいですよ。』
可哀想にベルトは壁もさけんばかりの烈しい叫び声を一つあげて、エジプトの七災禍の一つたるばったのように、ぴょこんと寝床から跳び出し、祈祷台へ崩れるように跪いて、両手をあわせ、マリア・マグダレナの流した以上の泪の真珠をこぼしながら申した。
『ああ、どうしよう! あたしは天使の顔をした悪魔に欺かれたのだ。もうこれまでだ! あたしはきっと胎ませられたに違いない。マリア様! あたしはあなたさまほど咎目も軽くはございませんでしょうか。地上の人たちからのお赦しをよしんば得られないとしても、どうか神様のそれはあなたさまからお願い申して下さいまし。さもなくばあたしのいのちを、今すぐこの場でお絶ちになって下さい。あたしは良人の前で、顔を赧らめたくは御座いませんもの。』
ベルトが彼に対してちっとも悪声を放たぬのを聞き、ジャンも起き上って参ったが、楽しい二つ玉でのダンスを、ベルトがこんな風に思っているのを見て、すっかり呆気にとられてしまった。ベルトは彼女の天使ガブリエルが身を起した物音を聞くや、急いで立上って、泪で一杯の顔でジャンを見たが、その眼は浄い憤怒できらきらと輝き、まこと見て美しい眺めであった。
『あなたが一足でも妾の方へ進めば、死の方へ妾も一足だけ進みます。』
そう言ってベルトは婦人用の短剣を取出した。
ベルトの懊悩の悲劇的なすがたに、目のあたり接したジャンは、悲しみに心搏たれてこれに答えた。
『この地上であなたほど深く愛された女人は、恐らくないでしょう。死ぬのはあなたでなく僕の方です。』
『あたしを愛しておいでなら、こんな殺し方はなされない筈です。良人から咎めを受けるより、あたしは死んだ方がましですわ。』
『じゃ、どうあっても死ぬと仰有るのですか?』
『勿論ですわ。』
『そんなら僕がこの場で、散々に切りさいなまれたら、あなたは良人からお赦しを得ることが出来るでしょう。あなたの純潔は涜されたが、欺した当の男は打果して、良人の名誉は雪いだと、そう告げればよいからです。僕の為に生きることをあなたが拒む以上、あなたの為に死ぬことは、僕にとってなし得る最大の果報事です。』
泪と一緒に語られたこのやさしい言葉に、ベルトは思わず短剣をとり落した。ジャンは走り寄ってそれを掴むが早いが、己が胸にグサリと突き刺して叫んだ。
『あんな冥加は死を以ての償いあるばかりです!』
そう云って彼はばたりと倒れた。
ベルトは驚いて腰元を呼んだが、やって来た腰元も奥方の部屋に血塗れの男がいて、奥方がそれをかかえて、《どう遊ばして?》と叫んでいるのを見て、同じようにたまげてしまった。ベルトは彼をてっきり死んだものと観念し、先刻の無上の快楽を想い起して、良人を始め誰もが乙女とばかり考えていたほどゆえ、まったくの美男であったと、今更のように彼を哀惜いたした。悲しみのあまりベルトは、一部始終を腰元に打明けて、且つ泣き且つ叫び、おのが心は子供のいのちを授かっただけでもう一杯なのに、なおこの美丈夫を失う歎きを、ともに重ねるとはと申した。その言葉を微かに聞いてジャンは、眼をあけようと努めたが、僅かにやっと白眼を見せただけだった。
『まあ、奥方様。徒らにお泣きあそばしている時ではありません。あたまを冷静に持って、この美しい騎士を助ける算段を講ずるのが先決です。外科医になどこの秘密を洩すわけには参りませんから、行ってファロットを呼んで来ます。魔法使のことですから、疵口など痕形もなく塞ぐ奇蹟を現じて、奥方様のお気に召すよう致すことでございましょう。』
『じゃ早く行って頂戴。御恩は一生忘れないわ。今宵の手伝いは、きっと後で厚く報いますから。』
何よりも先に、この椿事については絶対に他言を憚り、ジャンをみんなの眼から隠すことに、奥方と腰元は意見が一致いたした。夜にまぎれてファロットを迎えに行く腰元を、奥方は裏門まで送って出た。ベルトの特別な命令がない限り、門の扉はあかなかったからである。ベルトが戻って見るとジャンは痛手のあまり悶絶して、血は滾々と傷口から噴いていた。自分の為に流された血潮と考え、ベルトはその血を少量飲んだ。彼の大いなる愛と、差迫った命の危険に、すっかり感動してベルトは、この美しい快楽の下僕の顔に接吻し、温い泪で彼の疵口を洗滌しながらそこを括り、死なぬようにと呉々も言いきかせ、よみ返ってくれさえしたら熱愛いたすことをば誓った。生毛の生えた真白な艶々しいジャンのような若い殿御と、毛むじゃらな黄色な皺だらけのアンベエルの如き御老躰との間の差違をまざまざと眺めて、いかにベルトの恋心は唆られたか、それは今更申す迄もごあるまい。こうした差違は彼女に愛の快楽のうちに見出した相違を、ひとしお想起せしめたのであった。斯様な想い出に味つけられて、彼女の接吻は蜜のように甘くなったので、ジャンも息を吹き返し、その眼差も生気づいて、ベルトをそれと認めるや、弱々しい声音で彼女に許しを乞うのであった。ベルトはファロットが来る迄、ジャンに口を利くことを禁じた。それで二人は互いに眼と眼で愛し合ってその間を過ごした。ベルトの眼差にあるのは憐憫ばかりだったが、こうした場合、憐憫は愛にごく近いのが慣わしである。
ファロットはせむし女だったが、魔法を商うという評判が高く、魔法使のならいに従って、箒に跨って魔女の饗宴に列している疑いも濃厚であった。檐庇《のきひさし》の下にある厩で、例の箒に馬具をつけていた彼女を、見たという御仁もあるくらいである。しかし本当の処を言うと、彼女は医療の奥義に通じていて、御婦人方のある種の治療や殿方の介抱に大層つくしたので、たくさんのお金をためこみ、焚刑に処せられるどころか、羽根蒲団におさまって、枕も高く暮していた。彼女は毒薬を売買していると咎める医者衆もあるが、それだけはまことで、その次第は後でお解りになれよう。腰元とファロットは牝驢馬に相乗りして急いで戻って参ったので、お城に着いた時は、まだ夜は明けきっていなかった。
佝僂の老婆は奥方の寝室に入りながら、『お前さんたち、一体どうしたのだね?』と云ったが、上つかたの人をも別に尊ばずに、狎れ狎れしくつきあうのが彼女の癖で、もともと貴人など眼中になかったのである。ファロットは眼鏡を掛けて疵口を熱心に眺め、『奥さん、綺麗な血だね。お嘗めなすったかね。先ず先ずよかった。どうやら外出血らしい。』と言いながら、息を呑んでいる奥方や腰元の鼻の先で、疵口を上等なスポンジで洗い出した。さて手短かに申すと、ファロットはこの若殿は今度の傷では助かるが、しかし今宵の首尾から変死は免れまいとジャンの手相を見て、勿体振って言ったので、ベルトも腰元も、この妖しい予言にはひどくおどろかされた。ファロットは応急の手当を指図して、翌晩また参ることを約束した。その通り二週間ばかり、夜分こっそりと彼女は来て、疵の手当をして帰った。お城の下人たちには腰元の口から、シルヴィ姫にはお腹が膨れ出すという生命にかかわる大患にかかられた旨が告げられ、ベルトの従妹君ゆえ奥方の名誉を重んじて、呉々もことは秘密にするようにと触れられたが、みんなはこの虚言にすっかり納得し、この件で口が一杯になってしまったので、他の連中にも秘密をお裾分けつかまつった。
並々ならぬ危険な病状と、思われた人もあるかも知れぬが、さはなくて危険なのはむしろその癒り際であった。というのはジャンが強くなるにつれ、ベルトは弱くなったからで、弱くなりすぎて、果てはジャンが上らせてくれたパラダイスの中へ、顛落してしまわれた程である。もっとかいつまんで申せば、ベルトはジャンをますます熱愛するにいたった。しかしそうした歓喜のさなかにあっても、ファロットに威された予言の懸念と、ベルトの高い信仰心からとの心咎めが、常々彼女を苦しめていたし、アンベエル殿の目も怖ろしくて堪らなかった。良人により自分が身重になった由を、彼女はアンベエル殿に書き送り、御帰館をやがて生れる嬰児と楽しんで待つと、したためざるを得なかったが、胎児よりもでかい嘘事をついつい吐いた訳だった。ハンケチもしぼるほど泣きながら、この嘘手紙をかいたその日一日じゅう、彼女はジャンをよそよそしく避けた。火が一度咥えついた薪から離れぬように、離れがたくなっていた二人の仲とて、ジャンは避けられているおのれをすぐと悟って、彼女から疎んぜられたものと思い込み、同様に泪にと沈んだのである。
ジャンがいくら眼を拭っても、しるしが残っている泪の痕をベルトは見て、その晩、深い感動のあまり、彼女の苦悩の訳を彼に語り、未来に関する彼女の恐怖をあわせ告白して、二人は如何に過っていたかを、浄い泪と悔悛の辞に飾られた、美しい敬虔な言葉で述懐めされたので、ジャンも奥方のたぐいなき信仰心に、心の奥底まで動かされたのであった。悔恨に真率に結びついたこの愛、罪科のうちなるかかる高貴さ、強さと弱さのこの混和、――それらは昔の文人も申せしように、猛虎のような人の性格をも変えて、ほとほと情脆くするに違いごあるまい。さればベルトをこの下界で、また天国に於て済度いたさんが為に、その命ずるところ何なりとも遵奉いたそうと、ジャンが騎士の誓約にかけて申さざるを得なくなったとしても、あながち驚くことはござらっしゃるまい。彼女に対するこの信頼ぶりと、彼の優れた宏い心ばえに、胸を搏たれたベルトはジャンの膝下に身を投げ、彼の両足に接吻しながらこう申した。
『あなたは本当にお優しくて、そのうえあたしをいとおしんで下さいますので、重い罪業とは知りながらも妾は、あなたを愛せずにはいられないのです。おお、ジャンさま。あたしが何時もあなたのことを、なごやかに考えることをお望みなのでしたら、まためでたい甘美な泉からの、あたしの泪の流れをせきとめたいとお思いでしたら、――そう云って、その泉を掬まそうとしてベルトは、ジャンにその接吻を奪うが儘に任せた。――ジャン様、妾達の至上の快楽の思い出、天使の音楽、愛の芳香が、あたしの胸に重くのしかからず、反対に不幸な日々のあたしの心慰めともなるようにとのお考えでしたら、思い余って今のこの苦しみの打開を、聖母様に懇願してお救いを求めた折り、あたしの夢枕にお立ちなされたマリア様が、あなたにそう命ずるようにと、この妾に仰有ったことを、どうか実行に移して下さいまし。
あたしは胎内に既に動いている生れ出る子のために、また他人の手にかかって変死するとファロットに卜われ、父御となった罪科を、己がいのちで償わねばならぬその父親のために、不安のあまり怖ろしい責苦を日夜にわたって受けている旨を、マリア様に訴えましたところ、妾達がおさとしに従いさえすれば、二人の過ちは宗門から赦されるゆえ、神様がお忿りになられる前に、いち早く悔悛して地獄の業火を受けぬ算段を、われとするがよいとマリア様にはにこやかに仰せられ、あなたそっくりな、しかしあなたが将来身につけるべき着物をまとったあなたを、マリア様は手ずからお示し遊ばされました。もしあなたがこのベルトを、永遠の愛でお愛しになって下さるのでしたら、どうかその姿におなり遊ばして下さいまし。』
ジャンはベルトを扶け上げ、おのが膝に抱きかかえて、熱い接吻を浴びせながら彼女の申し条に、どこまでも承服する旨を確言いたした。その時になってベルトは、その着物というのはほかならぬ僧衣であることを告げ、拒まれはしないかとびくびくしながら、ジャンに、宗門に帰依して、トゥールの先のマルムウチェへ隠遁するようにと頼み込み、最後の一夜をその前に彼に授け、その後はもう彼のものにも、この地上の誰のものにもならぬことを堅く誓い、その代りには今後は毎年一回、息子に会いに彼女の許に参ってもよいと申し伝えた。騎士の誓約に縛られたジャンは、ベルトの望み通りに宗門に帰依することを約し、出家となってベルトに実意のあるところを示し、彼女とともに味わった浄い愛の快楽を、同じく今後は余人に絶って、その懐しい想い出の裡にのみ生きて行く決意の程を披瀝いたした。やさしいその言葉を聞いてベルトは、おのが罪科は如何に大きかろうと、また神からどんな目に遭わされようと、あの時の幸福を思えば、何事でも辛抱が出来ると申し、まこと人間に接したのでなく、天使に接したような思いであったと述懐めされた。
そして二人の愛が孵った巣の中へ、彼と彼女は寝に引籠って、美しい花々の悉くに最後の別れを告げたのであった。世界の何処であろうと、かかる悦楽を味わわれた女子衆は嘗てなく、また殿御の方も同じ思いでござったから、この大饗宴に関与めされたキューピッド殿のお膳立ては、よろしく御粋察めされい。そもそもまことの愛の特質は片方が与えるほど、相手はこれを淀みなく受け、交互にそれが繰返されるという一種の意気投合にあるのであって、ものがそれ自体に依って無限に乗ぜられてゆく数学方程式の或場合と、それは同じなのである。と申しても学問に造詣のない仁にはお解りめされまい。よろしい、こう喩え申そう。たった一つのものが、千もの映像に見えるヴェニスの鏡と、同じようで御座ったとな。さて二人の恋人のそれぞれの心の裡深く、快楽の薔薇が鼠算をもって繁殖いたして、そのあまりの愉しさに、心臓やら何やら張り裂けぬのが、むしろ訝しいくらいでごあった。ジャンもベルトもこの晩がいのちの最後《いやはて》であれかしと望み、気の遠くなるような血管内のけだるさから、愛が死の接吻をもって、その翼の上に、二人を運んで行くのではないかとまで考えた次第であった。しかし二人はこの無限の鼠算にも拘らず、よく身をそれぞれに持ちこたえめされたのである。
アンベエル殿の帰郷も近づいたので、翌日シルヴィ姫もいよいよ戻らねばならなかった。可哀想な娘は泪と接吻を従姉の奥方にふり灌いだ。何時も最後最後で、その最後は晩遅くにまで及んだ。遂に本当に立去らねばならなくなり、心臓の血は聖燭から滴った蝋のように、凝りついてしまっていたが、ジャンはベルトと別れ、約束通りマルムウチェへ赴き、午後の十一時に着いて新発意の仲間入りをいたした。アンベエル殿には、シルヴィは卿《ロード》と共に戻ったと告げられた。ロードとは英語で神様をも意味するから、従ってベルトはこの場合決して嘘をついた訳ではない。
ベルトのお腹が大きくなり、帯もつけられなくなっているのを見て、アンベエル殿にはたいそう欣ばれたが、人を欺くことの出来ぬ性分のベルトの殉教は、ここから始まったと申してよい。詮方なく嘘をつく度に、ベルトは祈祷壇に跪ずき、眼から血の泪を流して泣き、一心不乱に祈祷に没入し、天国なる上人衆の御仲立を、とくと懇請いたしたのであった。ベルトがあまり烈しく神様を呼んだので、神様のお耳にもその声が達した、何故なら神様には何でもお耳に入るからである。水の中で石が転げる音でも、貧乏人の呻き声でも、空を蠅が飛ぶ音でも、すべて神様には筒抜けじゃ。このことはよく心得ておかれるがよい。さもなくば次なる話に信をおくことがかなわなくなり申そう。されば神様は首天使ミカエルを召されて、あの悔悛の花が論なく天国に入れるよう、現世で地獄の思いをさせよと御命じになられた。そこでミカエル聖人は天から地獄の門に降り、三つの魂を悪魔に引渡して、ベルトとジャンとその子供の余命が尽きるまで、三人を責め苛むこと勝手たるべき旨をサタンに伝えた。神様の善き意志に依り、あらゆる悪のあるじであった悪魔は、その使命を滞りなく果す旨を、首天使に誓った。
天上でこうした手配がなされている間、地上ではこれという異状もなく万事が運んでいた。アンベエル殿にベルトは世界でも最も美しい嬰児を授けられた。百合か薔薇のような男の子で、いとけないイエスさまのように賢く、邪教徒の愛の神《キユーピツド》のように、快活で陽気な赤ん坊であったが、日に増し美しく成人して行った。それに引換え長子の方は恐いくらい父の殿によく似て、猿面になって行かれた。次子は父や母に似て、星のように輝いていたが、両親のからだとこころとの無上の円満さが、妙なる優雅と素晴しい叡智の混ぜ合せを、かく産みなしたものであろう。人にすぐれた遺伝因子の混淆を以て成る心身のこの常住の奇蹟を、赤ん坊の裡に看取せられたアンベエル殿には、次子を長子にかえられたら、あの世へ参って未来永劫浮ばれなくとも差支えないとまで申され、王の格別なるお計いに依って、末子相続にいたそうとまで決意せられた。ベルトはジャンの子の方を偏愛し、しぜんに長子には愛が薄まっていたが、この場合、身の処しように窮して、迷い抜いた末、それでも殿の不所存な御意嚮に逆らって、長子をあくまで庇った。ベルトは事のしぜんの成行に満足し、良心に嘘の靴を穿かせ、すべては巧く落着したものと思い込んでいた。それにはや十二年の歳月が流れたし、時折軽い懐疑の念が、彼女の喜びを毒したくらいで恙なく事は済んだからである。
例の約束通り年一回、マルムウチェの沙弥が子供に逢いにお城に参って丸一日を過ごして行かれたが、あの腰元を除いて、この僧を見知っている者は誰一人もなかった。それでもベルトは、何度も僧都ジャンどのに、その権利を放棄するよう、哀願いたしたことがあったが、僧都はベルトに子供を指さしてこう申した。
『そなたは一年中毎日この子を見ておれるが、拙僧は僅に一日しか見ておれぬのじゃ。』
そう言われるとベルトには二の句が継げぬのであった。
ルイ王太子が父王に対して、最後の叛旗を飜されたその数月前、次子もはや十二の坂を歩み、あらゆる学芸に堪能なので、将来は偉い学者になるに違いないと思われていた。ためにアンベエル殿は父親たるの喜びで世にも得々とし、ブルゴオニュの宮廷へ息子を伴って参ろうと決心せられた。彼の息子をシャルル大公が、公子たちも羨むような地位に就かすことを約束してくれたからである。大公は賢良を愛することで評判のお方であった。
物事が万事こう上首尾に運んで行ったのを見て、悪魔はいよいよいたずらをする時がやって参ったと考えた。サタンはその尻尾を持上げて、この幸福の渦中に突込み、思うが儘にかき擾してやろうと、さてこそ尻をもち上げたのである。
三之巻 ベルト怖ろしき冥罰を蒙ること 並びに贖罪ののち赦されて大往生のこと
その頃三十五歳だったベルトの腰元は、殿の家隷と好い仲になり、愚かにもその竈でパンを幾度か焼かせたので、御当地で人が巫山戯て称する《九ケ月の水腫》という天然自然の腫物が、彼女の裡に出来てしまった。寝床の中で始めたことを、祭壇の前で鳧をつけるようにと、殿から悪性男に厳命あそばすことを、腰元は奥方にその執成し方を頼んだ。優しいベルトは何の造作なく殿の御認諾を得てやったので、腰元も一安心に及んだ。ところが元来が極めて荒々しい老武弁の殿には、糺問所へ例の家隷を召寄せられて、散々に悪態口をつかれ、腰元と祝言せねば絞刑に処するとまで御叱正になったので、おのが後生より頸の方が可愛かった家隷は、早速にこれに承引の旨を申し述べた。さらに老殿は腰元をも呼ばれ、お城の名誉を思って激語をつらねた大袈裟な説教文句を並べ立てられ、祝言なぞ許すどころか牢の地下窖にぶち込んでやると、こらしめの為におどされた。腰元は、奥方が不義の子の出生にからまる秘密を葬るため、自分を亡き者に計っていると邪推して逆上した揚句、老殿が《わが城に淫婦を飼いしとは一代の不覚……》などと喚かれる竹篦返しに、《いかさま大の不覚人じゃ、長い以前からの奥方の淫婦ぶりを知らぬとは笑止のいたり。しかも相手は武士にとって不吉此上もない坊主じゃ。》と、アンベエル殿に言い返された。
各々方が一生のうち出会われた最大のあらしをここで想起して頂いても、三重の生命が宿っている殿の心臓の泣き処を、かく衝かれて陥られたアンベエル殿の猛々しい憤怒の面影は、到底にこれをおし偲べるものではない。殿は腰元の喉首を掴んで、即座に縊り殺そうとなされた。そこで腰元は弁明のために、そのいわれやいきさつをくまなく論証して、もしも彼女の言葉に信を措けぬとなら、マルムウチェ修院長ジャン・ド・サッシエどのがお城に参る年中行事の日、身を隠して御自分の耳でたしかめめされれば、年に一度目の正月に、息子を見に参ってたんまりと接吻して帰って行くまことの父親の対話を、蔭で聞くことが出来る筈と申した。アンベエル殿は腰元に即刻城から退散を命ぜられた。というのは彼女の告発が真と解ろうと、また嘘っぱちとばれようと、疳癪持ちの殿には彼女を殺さずには済まなくなるからであった。そこでその場で百エキュの金とかの家隷を与え、二人にトゥレーヌに長居は無用と命じ、さらにその安全を期するために、部下の一人を添えて、ブルゴオニュへ送り届けさせたのであった。殿は奥方に二人の逐電を語り、あの腰元めは傷んだ果実だから外へ投げ棄てた方が賢明と考えたゆえ、百エキュの金を与え、情夫にはブルゴオニュの宮廷でつとめ口を授けてつかわしたとベルトに申し伝えた。おのが腰元が主人たる彼女に、一言のお暇乞いもなしに立去ったと聞いて、尠からずベルトは吃驚いたしたが別に何とも申さなかった。
やがてベルトには苦労の種が一つ増えた。というのは殿の様子がすっかり変って、長子と殿との酷肖を較べなどしだし、いた可愛がりに可愛がっていた次子とは、鼻つきも、額ぎわも、これも、あれも、一向に似ておらぬなどと言い出したため、烈しい懸念に襲われたからである。
殿があまりにも不審げなことを口にするので、ある日ベルトはこう言い返した。
『次男は妾に生写しなのですわ。上流の家庭では子供は交互に父母の血筋を受けるか、多くの場合は、一緒に父母から血をひくものなのです。何故って父親の精力と共に、母親の精気も交っているのですもの。それ許りか父母にちっとも似ていない子供だって、世には随分とあると、お医者さんは申しておりますわ。そうした神秘は神様のお気まぐれの所為だろうって。』
『お前もなかなか物識りになったのう。儂は無学で何も解らんが、しかし坊主に似た子は……』
『まあ坊主の子だと仰有るの?』
そう言ってベルトは恐れる色もなく殿の顔を見返された。しかしその実、彼女の血管のうちは、血のかわりに氷が流れたのである。
殿はおのが感違いと思い、ひとしきり腰元を呪ったが、しかし何とかしてことの実相を突止めたいものと躍起になられた。そのうちジャン僧都の来る日が近づいて参った。アンベエルの言葉から警戒心を起したベルトは、詳しい理由は差控えて、ただ今年は不参して戴きたい旨の手紙をしたため、ロシュに行って、ファロットを通じてジャンに手紙を渡させ、先ずはこれにて当分は一安心と思った。それにアンベエル殿は毎年ジャンの来る定例の祭日ごろには、おのが領地のあるメエヌ地方へ行く慣わしなのに、今年はルイ王太子が父君に刃向う叛乱の準備のため、――この騒乱に父君はいたく御激発あられて、世を早められた顛末は、誰方にもとくと御存じのところであろう。――同地に赴かぬことをベルトは知り、なおとジャンに来訪を断る旨の書簡を出したことを、好便としたのであった。それに旅行取止めの理由が、こうまではっきりしているので、ベルトもつい一杯くって、さまで心を煩わされることもなかった。ところがその吉例の日、何時ものようにジャンが姿を現わした。ベルトはジャンを見て蒼白になり、手紙を受取らなかったのかと訊ねた。
『手紙って何の手紙です?』とジャン師は言った。
『あたしたち三人、いよいよ万事休すですわ。』
『何故ですか?』
『何故か知りませんが、あたしたちの最後の日が、ついにやって参ったような予感がしますの。』
ベルトは良人の居場所を息子に訊ねた。殿は急使が来てロシュへ赴き、夜分にならねば戻らぬという返事だった。それを聞いて、ジャンはベルトが制止するのも聞かず、坊やが生れて十二年も経っているゆえ、何の災いも起る気遣いはないと、ベルトや愛児と一緒に今日一日を送ると云って聞かなかった。御存じのあの濡事の夜を祝うこの吉例日には、何時も夕食までベルトは、ジャンと己が部屋にとどまるのが慣いだったが、ベルトの不吉な予感を伝えられたジャンは、ともども心配して、何時もより早く夕食に取掛ることとなったが、宗門の諸特権のことを、ジャンはベルトに語って安心させ、それに宮廷ですっかり受けが悪くなっているアンベエル殿が、マルムウチェの高僧に狼藉を加えるような懸念は、万々あるまいと奥方を慰めた。二人は食卓に就いたが、愛児は遊戯にばかり夢中になり、母親がいくら繰返し呼んでも、遊び止めようとはしなかった。シャルル・ド・ブルゴオニュ公よりアンベエル殿が拝領したスペイン産の馬に乗って、お城の中庭を乗り廻るのに、子供は夢中だったからである。子供が大人の真似を、足軽が郎党の真似を、郎党が武士の真似を、それぞれ好んでするように、この少年は友達の沙門に、如何に彼が大きくなったかを、見せたくて堪らないのであった。それで彼は蚤がシーツでとび跳ねるように、馬に乗って跳ね廻り、乗馬の豪の者さながら、鞍上びくともしないところを、得々と示していた。『好きなようにさせたがよい。言うことを聞かぬ子供は、大きくなって根性骨のしっかりした人物になる例が多いというから。』とジャンはベルトをなだめた。
水を含んだ海綿のようにベルトは心が膨れてしまっていたので、僅かしか口へ入らなかった。一口食ってジャンは、胃に疼痛を感じ、舌にぴりっと刺すような毒味を覚えたので、さすが大学者だけに、アンベエル殿が彼等三人に毒を盛ったのではないかと早くも疑った。が、彼がこう気附く前に、ベルトはもう口にし終っていた。ジャンはいきなりテーブルクロースをはがして、卓上の一切をまるめこんで炉の中へ投げこみ、ベルトに彼の疑惑を伝えた。息子が遊戯に夢中になっていたことを、ベルトは先ず聖母様に感謝いたした。沈着を失わなかったジャンは、その最初の職だった扈従の昔に戻って、素早く中庭に飛び降り、愛児を馬から引卸してさっと跨り、野山をまっしぐらに疾駆して行った。馬の脇腹も裂けよとばかり、彼は踵で蹴って蹴りまくって、さながら流星のような速さで、ロシュのファロットの許にはせつけ、悪魔のみがよくなし得る短時間で魔法使の棲家に着いた彼は、手短かに事の次第を述べて解毒剤を老婆に求めた。毒薬は既に彼の臓腑をきりきり舞いさせていた。
『へえ、あの毒薬があなたがたに使われるのでしたら、あの時脅かされた短剣で、むしろこの妾の胸を突かせるんだったっけ。神につかえる浄い御僧や、嘗てこの地上に花咲いたこともない立派な奥方の身替りに、この婆がいっそなればよかったのだ。残念ながら、解毒剤は、この罎に残っているこれっぽっちしか、もうないのですよ。』
『あの方の分はこれだけで充分か?』
『早ければ助かりますとも。』
ジャンは来た時よりも早く城に戻ったので、馬は中庭で乗り潰されて斃死したくらいであった。急いで彼はベルトの部屋に入った。最後の時が迫ったのを観念したベルトは、火にあぶられた蜥蜴のように、のたうち廻りながらも、愛児に別れの接吻をした。彼女の嘆きはおのが身の上にはあらで、アンベエル殿の怒りに触れた息子を、後にのこしてゆく悲しみだけで、わが子の惨めな将来を思い、己が苦痛も打忘れたのであった。
『これを飲んで下さい。愚僧のいのちはもう助かったから。』
死の爪が彼の心臓に食い入っていることを感じてはいたが、気強い顔でジャンはそう昂然としてベルトに言った。が、ベルトが薬を呑むと直ぐ彼はその場に倒れて息子を接吻してのち、ベルトの方を見ながら死んで行った。最後の息を引取った後さえベルトを見る彼の眼の玉は変らなかった。この光景はベルトを大理石のように凍らせ、いたく恐愕を覚えしめた。泣きじゃくる子供の手を握りしめながら、彼女はその足下に倒れている死人を前にし、凝然と立竦んだままであった。モーゼどのに導かれて、ヘブライ人が渡った紅海のように、彼女の眼は乾いていた。目蓋の下で、熱砂が崩れ落ちているような気が、彼女にはした。世の仁慈な御婦人方よ、どうかベルトの為に祈ってやって下されい。ジャンが彼女を救おうとして、生命を捨てたことを察したベルトの苦しみのほどの苦しみを味わった女子衆は、いまだ嘗てこの世には御座らぬのじゃから。
息子に手伝われてベルトは、死体を寝台の中央に載せ、その傍らに立って息子と一緒に祈った。ジャンがまことの父親であることを、ベルトは初めて息子に打明けた。こういった有様で彼女は大詰の来るのを待ったが、それはそう長く待つ迄もなかった。十一時頃アンベエル殿は戻られたが、門の落し格子のところで、沙弥が死に母子は生き残ったことを聞き、また愛馬がそこに乗り潰されているのを見て、殿は母子の一命を絶とうという狂暴な欲望に駆られ、階段を一跳びに飛んで参られたが、僧の死体の前に妻と息子がはてしない連祷を打返し誦しているのを見、また殿の激しい悪罵にも耳をかさず、威嚇や身振りにも一向に目をくれぬのを見て、兇悪な所業に及ぶ勇気がつい殿にはなくなってしまわれた。最初の憤怒の炎が鎮まり、それをどう消散さす術もなくて、殿は死者の為に唱え続けの祈祷に、心搏たれながら、悪いことをしているところを見つかった意気地なしのように、こそこそと部屋から立去って行かれた。かくてその夜は、涙と呻きとお祈りの裡に更けて行ったのである。
奥方の特別なお言附けで、ロシェへ参った侍女は、奥方に上臈の着物一揃いと、御子息に小馬と小姓の物具とを購って戻って来た。それを見た老殿はひどく吃驚せられ、奥方や子息にその訳を訊ねられたが、二人は何の返事もせず、侍女の買って来た着物の虱を取っておった。ベルトの命で侍女は、城の家計の清算をのこりなく済ませ、寡婦がその権利抛棄をする時のように、一切の衣服や真珠や宝石やダイヤを整理してこれを引渡した。そればかりかベルトは臍繰財布までも差出して、生半可な清算は潔しとしないところの気象を見せた。奥方の決意の程は、すぐと城内に知れ渡り、立去ろうとする奥方を懐しんで、深く一同は悲しんだ。つい今週来た許りの皿洗いの小僧までもが、優しい言葉を掛けて頂いた奥方を惜しんで、さめざめと涙を流した。こうした立支度に吃驚したアンベエル殿は、奥方の部屋にはせつけて参った。ベルトはジャンの屍体の傍らで泣いていた。初めて泪が彼女に湧いたのである。が、良人を見るや彼女の涙も俄に乾いた。こうるさい殿の質問に、遂にベルトは己が過失の起りに就て、簡単ながら良人に物語った。――彼女が欺かれた次第やら、また死者に残っている短刀の傷痕を見せて、ジャンの自刃した事情やら、傷の療治が長く掛った経緯、ジャンが彼女に対する服従の念と、神や人に対する悔悛の念とから、騎士としての立派な将来を棄てて、死よりも辛いおのが家名の断絶も覚悟して出家いたしたる顛末、彼女はその名誉を雪いだ以上、子のために一切を犠牲にしたジャンが、いとし愛子を見に、年に一回来ることは、神様と雖もお拒みにはなるまいと考えたる次第、人殺しと一緒に向後は住みたくないゆえ、持物も何もかも捨てて、この城を出るという決意やら、またよしんばこの家の名誉は傷つけられたにしても、ベルトの方は手をつくして事態収拾に当ったるゆえ、不面目なのは奥方でなくむしろ殿の方であること、最後に彼女と息子は罪障一切消滅となるまで、山や谷をさすらい歩く積りのこと、如何にして総ての罪を贖うべきかを、とくと彼女は存じておる次第、云々。――そういった健気な言葉を蒼い顔して、気高く言い放ってから、息子の手をとって、一同哀傷の裡にベルトは出て行った。その颯爽とした美しさは、長老アブラハムの許を立退くアガル《〈2〉》よりも見事だったくらいで、誇りやかなベルトの眉宇に接して、城の召使一同もそのお通りには土下座して、合掌懇願に及んだることは、さながらノートルダム・ド・ラ・リッシュにお詣りいたした折りの如くであった。その彼女の後をアンベエル殿が、断頭台にお陀仏に引かれて行く男のように絶望しつつ、おのが非を認めて泣きながらしおしおついて行くさまは、まこと見るも憐れな姿でごあった。
ベルトは何一つ良人に耳をかそうともしなかった。それほど彼女の悲憤は激しかったのである。跳橋が下りているのを見て、急に引上げられぬようにと、彼女は足を早めて城から出ようとした。しかし誰も彼女を妨げようとするような才覚も出さなければ、またそんな不人情な心の持主もおりなかった。ベルトはお濠の石垣に腰かけて、最後の名残に城の全景を振り返った。城内の者悉くは彼女にとどまるよう泪で哀願しておった。憐れなアンベエル殿は、落し格子の鎖に手をかけたまま、じっと立ちつくされたさまは、玄関の上に彫られた石の上人像そっくりでごあった。ベルトが息子に跳橋の端で、靴の裏の埃を払って、アンベエル殿に属するものは何一つつけて来ぬようにと命じているのを、殿はぼんやり目にされておった。ベルトも同じく靴の裏の土を払い落して、おごそかな態度で、息子に向ってアンベエル殿を指さしながら言った。
『坊や、お前のお父さんを殺したのはあの人だよ。知っているだろう、お前のお父さんはお坊さまだった。が、お前はあの人の名を継いだのだ。だから今ここで靴の裏のお城の土を仏い落して行くように、今迄の苗字もあの人に返して行っておやり。あの人に養われて大きくなった食扶持の恩だけは、神様のお助けを以て何れそのうち返済するとしよう。』
この怨嗟の言葉を聞いた老殿は、妻や、将来家名を揚げるに違いない子供から見棄てられまいため、妻に坊主一人どころか、修道院の坊主悉くの引接をも許してよいくらいに考え、鎖に頭を押しあててよよと泣いた。
『悪魔よ、もうこれでお前も満足であろう!』とベルトはこの事件への悪魔の介入ぶりを知らぬながらも、そう心に叫んだ。『いまこそ万事の破滅の上に、妾が祈誓に祈誓を重ねた神や上人や首天使の救いの手が下りますように!』
と、ベルトの心は俄かに浄い慰藉の念で、一杯になるのを覚えた。大僧院の弔旗が、野道の曲り角に見え、それに伴う教会の歌が、天の声のようにも聞きなされたからである。敬愛するジャン院長が殺されたことを聞いた僧侶たちが、宗門法に衛られ堂々と行列をつくって、屍体引取りに参ったのである。これを見るやアンベエル殿は、後始末にも及ばず慌てふためいて部下と一緒に裏門から逃れ去って、ルイ王太子の許へと高飛びいたした。
息子の馬の臀に乗ったベルトは、モンバゾンに行き、父親と永の別れを告げ、この度の打撃が彼女には命取りのことを訴えた。身内の人々はベルトを元気づけようと、いろいろに慰めたがその甲斐もなかった。ロアン老殿は孫に立派な鎧一かさねを贈り、勲功をたてて名と誉れを揚げ、母の過失を永遠の栄誉と転ずるようにとさとされた。然し母が子のあたまに染み込ましていた考えは、永劫の堕地獄から母とジャン師を救うように、過去の罪障を贖うことだけであった。それで二人はアンベエル殿に、いのちよりもっと貴重な恩義を授け返すべく、何か彼の為に力を尽そうと、戦乱の巷を探し歩いた。誰方もが知る如く、ギュイエンヌのボルドオやアングレエム附近、及び王領のその他の地で激戦が展開され、叛乱軍と王軍の間に大合戦が行われた。この兵乱のとどめとなった決戦は、リュフエク・アングレエム間で行われ、捕虜は即決裁判で絞刑に処せられていた。アンベエル殿指揮の下に戦われたこの血戦は、ジャン師の死後七ケ月日、ちょうど十一月に起った。殿はルイ王太子無双の軍師とて、その首には莫大な恩賞がかかっていた。その日の激戦に部下は下手に取残され、殿ひとり敵六人に囲まれて危く捕えられようとした。生きながら殿を捕えようとする敵方の魂胆は、彼の一家を謀叛罪で告発し、その家名を傷つけ、身代を没収するにあることを知るアンベエル殿には、一門を救い、所領を長子に全うすべく、死をも辞せずに戦われた。荒獅子の名に背かぬ殿の死闘ぶりは、まこと獅子奮迅の勢いでござった。六人の敵兵は、その三名まで打ち果されたのを見て、アンベエル殿生捕りは断念し、あくまで殿を討取らんものと、殿の郎党二名扈従一名を血祭にあげてのち、三人一時に襲いかかって参った。かかる絶体絶命の折しも、ロアン家の紋章をつけた一人の若武者が現われて雷電の如く敵に立向い、その二人をたちどころに殺して、『神はアンベエル殿一門を御守護なされるのだ!』と高らかに叫んだ。折しもアンベエル殿を組み敷いていた最後の一人は、若武者の猛襲を受けて止むを得ず老殿から離れ、矛を返してこれに立向い、若武者の鎧の喉当の隙間を、短刀でグサリ刺し貫いた。アンベエル殿も天晴れ武士だけに、わが家の恩人が倒されたのを見ながら、おめおめ後ろを見せるような真似はせず、鉄棍を揮ってこの敵を倒し、傷ついた若武者を馬にかきのせて、道案内者の導くままに、そこを逃れて、ロシュ・フコオの城へ夜に入ってから着いた。城の広間にはベルト・ド・ロアンがいた。彼女の指図で、かく無事にアンベエル殿には、落ちのびることが出来たのである。殿は命の恩人の冑の面当てを外した。見るとそれはかのジャン師の息子であった。若武者は最後の力をふりしぼって母に接吻し、『お母さん、私達は彼への恩義を返しました。』と云ってテーブルの上で息を引取った。
この言葉を聞いてベルトは息子の身体にしっかと抱きつき、永遠に相擁した儘、そこに冷たくなってしまった。アンベエル殿の詫びも悔みも耳に入れず、悲しみの余りにこときれたのである。
この思いがけぬ災厄でアンベエル殿の寿命もひどく縮まり、ルイ十一世の即位も見ずに大往生を遂げられた。しかしその前に殿はロシュ・フコオの天主堂に、母と息子を手厚く一緒に葬って、二人の生涯を讃えたラテン語の碑銘を彫った大きな墓を、そこに建立して永代供養の弥撒をばあげられた。
この物語から各々衆が掬みとられる訓えは、人生に処してゆくにあたって極めて有益なるものがあろう。先ず紳士たるものはその御内室の情人に対して、懇ろにこれに接しなくてはならぬことを教えると共に、あらゆる子供は何れも神御自身のお贈り下すった宝物であるから、本当の父であろうと嘘の父であろうと、我が子を殺す権利など毛頭にないことをも誨えている。むかし忌まわしい邪教徒の法令に依って、羅馬では不義の子を殺すのを許されたことがあるが、それぞ我人ともに悉く神の子であるとなすキリストの教えと、背馳すること甚しきものである。
(1) ジャン・デュノワ(一四〇三―六八)「一夜妻」のオルレアン公の私生児。ルイ十一世の股肱、豪将、英軍に大捷す。
(2) アガル。エジプトの奴隷、アブラハムの妻サラの侍女、アブラハムの妾となりイヌマエルを宿したため、サラのため沙漠に追放されたバイブル中の人物。
あなめど綺譚
いずれも方御存じのように、タシュロオ親父の御内儀になったポルチョンの小町娘は、かく紺屋のお上さんになる前は、ポルチョンで洗濯娘をしていたので、ラ・ポルチョンヌと呼ばれておった。トゥールを知らぬ方々の為に申し添えるが、ポルチョンはロワール川の下手、サン・シール河岸の側にあって、トゥールの聖堂に通ずる大橋からの距離は、マルムウチェより大橋までのそれに等しい。つまり橋はポルチョンとマルムウチェを結ぶ堤防のちょうど中間にくらいした訳で、これで、お解りめされたろう。いかがでござる。よろしいとな。
さて彼女は同地に洗濯場を設けたので、ロワール川へ洗濯には、ほんの瞬く間に行けたし、向う岸のサン・マルタンへは渡船で渡って、洗濯物の大部分のお得意先たる、シャトオヌフやその他に、くばって歩くことが出来た。
タシュロオ親父と結婚する七年前のサン・ジャン祭の盛夏のことである。彼女はもう恋い慕われる年頃になっておったが、根が陽気なたちとて、言い寄る若者を選びわけもせず、惚れられるが儘にしておった。して彼女の窓の下の腰掛に、屡々張りに来た連中といえば、ロワール川に七隻の船を持っていたラブレエの息子、またジャンどのの長男、裁縫師のマルシャンドオ、仏具商のペカールといった面々で、散々にこれら色男どもは、彼女から飜弄を受け申した。というのは嬰児をお腹に宿す前に、祭壇に立ちたいと、もともとは望んでおったからで、操に汚染をつけぬ前は、如何にもの堅い娘っ子であったか、これにてお解りめされたであろう。いえば彼女は身を汚されることを極度に警戒しておったくせに、一度、ふと身を汚すや、その後はもう無軌道に発展してゆくといった阿魔っ子のひとりで、ひとつのしみだって千ものしみだって、いざ洗い浄める段になれば、五十歩百歩だと考えておったものの如くであるが、この種の人柄に対しては、寛大を以て臨む必要がごある。
暑い日差しが豊満な彼女の美しさを輝かせていた、とある昼さがりのこと、宮廷の若い貴公子が、川を渡ろうとする彼女を見て、その素性を河岸で仕事している老人足に訊ねたところ、あれこそ高笑いと気転ききで有名なポルチョンの小町娘で、洗濯屋さんだとの答を得た。糊付けすべき襞襟を附けていたこの貴公子は、貴重な布帛や絹地を、沢山に有してもおったので、道で逢ったこの洗濯娘に、家の洗濯物を一切たのもうとせられたので、娘からいたく感謝の言葉を浴び申した。王の侍従フウ(気じるし)どのという、お歴々じかの御下命だったからで、このめぐり逢いを小町娘は至極の仕合せに思って、その紅唇は若殿の名で一杯になってしまわれた。サン・マルタンの人達にも得意になって吹聴したし、洗濯場に戻ってからも、口酸っぱくなるほど言い触らし、翌日も川で洗濯しながら、さかんに口に上せたので、ポルチョンでフウどのの名が唱えられること、説教壇に於ける神の御名以上であったと申すが、これはちとどうかと思う次第である。
『冷たい水にいながら、あんなにのぼせているけど、暖かい水に接したらどんなだろう。フウどのなんかふうふうと煮つめられてしまうよ。』と洗濯の老婆が噂をしあったくらいでござった。
フウどので口を膨らかせた風《ふう》狂な彼女が、洗濯物を届けに、初めてその御屋敷に参上いたした折り、若殿には直々に彼女をお召しになって、その縹緻に就いて数々の頌歌と祝詞とを賜り、其方は美しいばかりか、薙刀つかいの美女とも聞き及ぶが、みどもと槍合せはいかがじゃと仰有られた。なるほどさむらいに二言なしで、召使いどもが退って、二人きりとなった時、若殿には矢庭にお挑みになり、鎗突掛けてむずと組もうと遊ばされたので、財布からたんまりとお手当が出るものと合点していた娘は、俸給を受けるのを恥かしがる内気な娘っ子の常として、敢て財布を見ようともせずにこう申した。
『まあ、あたし初めてよ。』
『いや案ずるには及ばぬ。』と若殿。
さりながら娘を犯すに、若殿は散々と難儀し、けちな犯しようをいたしたと言うものもあれば、したたか手込めにされて、彼女は痛い思いをめされた筈と申す仁もある。何故かなら彼女は敗残の兵のように萎れ返って外に出て、呻いたり愚痴ったりして、法官の許へ馳せつけたからというのである。ところが法官は生憎と外出中だったので、泣きながら控室で帰りを待ち、掠奪を受けた旨を法官の下女に訴え申した。つまりフウどのは危害を彼女に与えたのみで、他に何一つくれなかったが、これが寺方の和尚さんなら、若殿が彼女から奪ったものに対して、多額のお布施をくれるのが慣わしとなっていると云い、もしも好きな男の場合だったら、ともに楽しむのだから、ただでお楽しみを提供することも考えられるが、若殿ときたら、こっちの望む通りにやさしく振舞うどころか、荒々しく人をこづき廻して突貫いたしたから、いやちこな千エキュを支仏う義務があると下女に物語った。
帰ってきた法官は、美しい娘を見るや、しなだれかかろうといたしたので、彼女は身を警戒しながら、訴えに来たのだと申した。法官は愁訴を聞き終って申すには、もしも彼女が望むなら、そんな無法者はまさしく絞り首じゃ、御身の所望とあらば、かく申すそれがしも、千苦万難を排しても粉骨砕心いたそうと、凛然として述べられた。それに対して彼女は、犯人を殺すことは本意ではないと云い、ただこちらの意志に反して、無理ずくで犯されたことゆえ、千エキュの慰藉料を取って頂きたいと頼み入れた。
『ははあ、したが蹂躙された御身の花は、もっと値打ものじゃぞ。』
『いえ、千エキュで結構です。そうすれば洗濯などせずに、世を渡れますから。』
『したが其方から快楽を窃取した男は金持かな?』
『はい、大変な物持です。』
『ではうんと搾ってやるがよい。して相手は誰じゃ?』
『フウ閣下です。』
『そうなると事件《ケース》は一変じゃ。』
『まあ、お捌きもですか?』
『いや、事件と申したのでお捌きのことではない。さて如何にして椿事が起ったか、その仔細を入念に聴取する必要がある。』
そこで娘は率直にその次第を物語った。――若殿の衣裳箪笥へ洗濯物をおさめていると、彼女のスカートを若殿がおふざけになるので、思わず振り返って《好い加減になさい!》と申すと……
『それで解った。好い加減にやって呉れという許しを、若殿は其方から得られたと思い込まれたのじゃ。』
けれど娘は、泣き叫びながら身を護ったが、遂に若殿のために手込めにされてしまったのだと反駁した。
『しかし泣き叫びなぞは、相手を唆かそうとする娘っ子の手管にしか過ぎん。』
そこでさらに、彼女は続けて申したには、否応なしに、とうとう若殿に腰のまわりを掴まれ、じたばたしたり、泣き叫んだりした揚句は、ついに寝床におしつけられてしまったので、助けの綱とてなく、そのまま観念に及んだる次第を述べた。
『なるほど。で、良い思いをしたというわけだな?』
『とんでもない。妾の受けた痛手は、ただ千エキュの黄金がこれを贖えるだけです。』
『したが其方の訴えを、本官は受理するわけには参らん。いそいそと手込めに遭わなんだような娘っ子は、天下に一人としてあるまいからのう。』
『まあ何ということを仰有るんです。ではあなたのお女中に、訊ねてみて下さい。すればお解りになりますから。』と娘は泣きながら言った。
下女の証言によれば、世には快い手込めと、快からぬ手込めとがあって、もし洗濯娘さんが金品にも快楽にも接しなかったとすれば、当然その何れかを受ける権利がある筈だと申したので、この分別ある意見に、法官もはたと途方にくれてしまった。
『ジャックリイヌや、夕食前に儂はこの片を附けてしまいたい。行って儂の穴開き文鎮と、訴訟袋を閉じる赤い糸とを、持って来てお呉れ。』
下女はまん円い可愛らしい穴のあいた文鎮金具と、法曹界の仁がよく用いている太い赤糸とを持参して参った。彼女はすっかり興味を唆られ、審理の捌き工合を見ようと、その場を去らずに立ちつくした。面妖きわまるこの道具立てに、怪訝な思いはポルチョン小町も同じであった。
『さて娘さん、儂はこうして文鎮を持って立つ。文鎮の孔は大きいから、楽に糸を通せるじゃろう。お前さんが糸をもってこの孔に通せたら、儂はお前の訴訟に肩をもって、いやいやながらも若殿に金をはき出させ、ことを示談《じだん》に持ってゆくといたそう。』
『示談ってなんですの? じだんだ踏むのだったら真平よ。』
『双方が相和することを云う裁判用語じゃ。』
『じゃ示談って裁判のちんちんかもかもね。』
『そうじゃ。手込めにされてお前のあたままで開けたな。どうだ、めどに通せるか?』
『ええ、やってみますわ。』
こすからい法官は孔を娘の方にぴたりと向けて、晴れの勝負を行わせることにした。が、真直にしようと彼女が綯い返した糸を、目的の孔に通そうとすると、法官はちょっとあなを動かしたので、第一発は美事に外されてしまった。
彼女は法官の真意を疑ぐり出した。そして今度は糸を濡らし、張りしきらせて、攻撃を再開した。法官は敢てする意気地のない娘っ子のように、動いたりみじろいだりゆらいだりするので、糸の畜生はどうしても通らなかった。娘はあなめどを狙う。法官はあちこちと動く。ためにどうしても糸の祝言事が成し遂げられず、めど穴は手入らずのままだった。見ていた下女も吹き出して、手込めをするよりされる方が、遥かにお上手とお見受けすると娘に申したので、法官もからから笑い出してしまい、ひとり彼女のみ大枚の黄金を惜しんで、さめざめと泪を流した。ついに我慢しきれなくなった彼女は法官に言った。
『じっとしておれないんですか。そんなに動いてばっかりいては、何時迄たっても孔へ入らないじゃありませんか。』
『そんなら娘さん、お前さんだってこんな風にさえすれば、若殿にも手の下しようがなかった筈じゃないか。それに考えても御覧、この孔めどは開きっきりだが、娘っ子のは一体が閉じめどなんだよ。』
手込めにされたと言い張っていた娘は、ちょっと思案にくれ、如何にして彼女が譲歩を余儀なくされたかを実証して、法官をへこます手立てもがなと考えあぐんだ。手込めを受けるに適した年頃にある悉皆の娘っ子衆の名誉に、事は関する一大事と思ったからである。
『では公平を期するために、フウどののした通りを、妾にさせて戴きますわ。動くだけで防げるものなら、今の今迄だって動きづめでいられますが、若殿には別の手立てを、用いられなすったのです。』
『ほう、じゃそれをやってみて御覧。』
そこで小町娘は糸を真直ぐにし、堅くしっかりさせるために、蝋燭の蝋をなすりつけ、法官が相変らず右に左に揺っている孔めどをめがけて、一本気の糸を通そうと狙いながらも、次のようないろいろのあじゃらな軽口を叩き始めた。――《まあ、なんて愛くるしいめどなんでしょう。突き刺すのにもってこいの穴だわ。こんな美しい宝石は、ついぞ見たことがない。何て綺麗な中間部《あ わ い》でしょう。この口説《すかし》上手の糸を突き込ませて頂戴。まあ、おや、おや。とんだところで妾の大事な糸、愛らしい糸を、危く傷つけるところだった! じっとしていてよ。ねえ、あたしの可愛い法官さん、あたしの切ない気持を捌いて頂戴よ。あら、この鉄門のなかには、巧く糸が入らないのかしら。鉄の岩戸さん、あんたは糸をあんまり厳しくするものだから、あなたの間口から出てゆく糸は、みんなうなだれて戻って来るのね。》――そんな甘ったるい言葉を遣いながら、嫣然と笑う小町娘の艶っぽさに、さすが法官もこの道にかけては、一枚役者が下のこととて、思わず破顔いたしてしまった。それほど糸を出したり引込めたりの、彼女の手際や風韻や情趣には、閨情濃やかなものがあったのである。法官は孔めどを手にしたまま、夜の七時までさながら檻を離れたモルモットよろしく、相変らず身を捩ったりゆすったりしながら、彼女のために立ちん坊をさせられた。けれど糸がめど孔をくぐることを、あくまで峻拒されているうち、夕食の炙肉も焼けて来た上、法官の手も疲れを覚えたので、ちょっと彼はテーブルの端に手を休めた。と、それを待ち構えていたように、ポルチョンの小町娘は、あざやかに糸をめどに突き刺して、こう叫んだ。
『こんなにしてあたし目的を達せられてしまったのよ。』
『したが儂の炙肉が焦げそうだったので気が弛んだのじゃい。』
『まあ、あたしの身うちだって焦げつきそうよ。』
遂に降参せしめられた法官には、フウどのに対する諭告を彼女に約して、訴訟を受理いたした。若殿が彼女の意志に反して、手込めに及んだることを、しかと実証つかまつったからである。しかし尤もな理由からして、彼は事件を秘密裡に処理する肚であった。その翌日、法官は宮廷に於てフウどのに会い、小町娘の訴えの趣きを告げて、如何に彼女がそれを陳述してみせたかを物語った。この巧みな訴えぶりに、国王も叡感斜めならずでごあった。フウどのもその真正なることを認められた。国王はフウどのに対して、入りこみ難き趣であったかと、お訊ねに相成られたが、フウどのは率直に、その然らざる塩梅を答えたので、さらばその孔めどは、黄金百エキュほどの値打でよろしかろうと、勅諚あったので、吝嗇坊の名を取るまいとしてフウどのは、法官に百エキュの金を支払われ、洗濯娘にとっては、糊付けはよき身入りじゃと申された。その足でポルチョンに赴いた法官は、百エキュを取立てて参ったと、微笑しながら彼女に言い、もしも残りの九百エキュの金が欲しいとなら、今ちょうど宮廷の殿原で本件を聞知し、彼女の意志に従って、その穴埋めを志している者が、多数あるがと申したので、彼女はこの提案に快諾を与え、爾後は洗濯物一般の洗い滌ぎは御免蒙って、局処の洗滌のみにとどめたいとその抱負のほどを語った。彼女は法官の尽力を多謝して、やがて一ケ月で千エキュの金を稼いだ。
彼女に関する妄談虚説は、ここから多く胚胎いたしたもので、相手にした十人の貴公子が、女人衆に妬まれて百人の数となっておるが、しかし彼女は世の於淫於乱《おいんおらん》とは違って、千エキュの黄金を掌中にするや、俄かに分別臭くなってしまわれた。だから公爵様であろうと、五百エキュ出さねば、彼女を意の儘に出来ぬくらいだったので、持物に関しては存のほかに世智賢い女人と、彼女をば云うことが出来よう。国王も彼女をシャルドンヌレ通りのカンカングロオニュ街の御別邸にお招きになって、世にも美しくあじまやかな女人と思し召してお戯れになり、彼女がいささかも風紀取締役人衆に咎められぬよう、よろしくお取計いになったというのは、無妄真正の話である。
ところが彼女を美しすぎると見た、王の愛妾ニコル・ボオペルテュイは、彼女に百エキュの金を与えて、オルレアンに遠ざけ、同地のロワール川の水色は、ポルチョンにおけると同じかどうかを調べさせたので、国王の御愛顧にも一向に無関心であった彼女は、快く同地に赴かれた。王の御最後の折り、その懺悔を聴聞つかまつり、のちに聖者の列に加えられたさる高僧が、トゥールに参った節、彼女は行ってその良心の穢れを濺ぎ、悔悛をしてサン・ラザレ・レ・トゥールの癩病院に、寝床を一つ寄進いたされた。十人以上もの殿方から悦んで手込めにされ、しかも自分の家の寝床しかかまわぬような上臈衆を、沢山と貴殿も御存じであろうから、ここにポルチョン小町の汚名を雪ぐために、聊か彼女の善行を申し添える必要があったのである。彼女は他人様の汚れを沢山と洗滌いたしたが、のちにその頓智と形艶とで令名を馳せるにいたり、タシュロオと結婚して数々の美点をあらわした。すなわち良人をまんまと寝取られ亭主にし、しかも夫婦ともそれぞれこの世の果報に堪能いたしておったという事の仔細は、『当意即妙』という滑稽譚で既に述べた通りである。
この咄は努力と根気とさえあれば、お捌きをだって手込めに出来ることを、世にも歴然と顕示いたしたものである。
艶福冥加論
千載一遇の好運を求めて騎士たちが、協力や援助を互いに懇ろにしあっていた頃、シシリイの森の中で一人の騎士が、はからずも仏蘭西人らしい風貌の一騎士とめぐりあった。(御存じない方に申すが、シシリイとは地中海の一隅にある島嶼で、昔は聞えた国柄であった。)さてその仏蘭西騎士はどう見ても廻り合せが悪く、天上天下無一物らしかった。というのは徒歩のおひろいすがたで、楯持も連れず供廻りもなく、ひどく貧相な身装りをしておったからで、気品ある物腰がもし彼に備わっていなかったなら、慥かに山賊とも見誤まられたことであろう。運が向くものと信じて、仏蘭西の衆は、多くシシリイに参ったが、時たまその期待も裏切られざること、以下の物語の示す通りである。してその騎士の乗馬は、上陸の際、飢えか疲れで斃死したものと見えた。
一方、シシリイの騎士は、ペザレと申すヴェネチア人で、もう長いことヴェネチア共和国を後にしておったが、祖国に戻る気はあまりないらしかった。シシリイ王の宮廷に、すっかり根が生えてしまったためである。末っ子だったのでヴェネチアにも取得すべき財産もなく、商売いたすのも気が進まなかったので、それらが主な理由となって、遂に一家からも義絶を受けた次第だが、家柄はもともと屈指の名門で、幸いシシリイ王の寵遇をうけ、今はその宮廷にとどまっておった。彼はスペインの名馬に跨って、森林を逍遥しながら、後楯もなく外国の宮廷にあるおのが孤独の身を顧み、助け手のない場合、運命はいかに苛酷で叛きがちのものかを嘆じていた折り、この貧しい仏蘭西騎士に出会いたしたのであった。しかし相手は彼より遥かに不足勝ちに見えた。尠くも彼は立派な武具や良馬を持ち、さかんな晩餐の支度が設けられつつある彼の旅宿には、大勢の召使が待っておったからである。
『夥しいおみ足の埃じゃが、さだめし遠くからお出ででござろうな。』とペザレは声を掛けた。
『へめぐって参った悉くの道の埃を、足につけているわけでもござない。』と仏蘭西騎士は答えた。
『しかく御遍歴に相成れば、さだめし物識りにおなりでござろう。』
『拙者の学びしは、己れに関係なき方々の疝気をば気に病まぬこと、いくら図抜けて人が成り上ろうと、足は身共と同じ地面に据えられてあること、冬期の暖かき気候と、敵の睡り込みと、友の約束には、ゆめ気を許しては相成らぬことなどじゃ。』
『ふうむ、貴殿はそれがしより遥かに富んでじゃ。いま承ったる文句は、身共のほとほと考え及ばざりしところでござるて。』とひどく感心してペザレは申した。
『人は、銘々のことに思いを致すが肝要でござるわ。して貴殿よりお訊ねに預ったるゆえ、こちらも其許にお聞き申すが、パレルモへはいかが参るのでござろう。日も暮れかかり申したが、何処かに然るべき旅館はござるまいか。』
『パレルモにお知合の同国人か、シシリイ貴族でもおありでござるか。』
『生憎と存ぜぬわ。』
『然らば門前払いをお覚悟じゃな?』
『身共を冷遇する連中を赦しつかわす存念でござる。して、道は?』
『それがしも同じく道に迷いし者、御一緒に探すといたそう。』
『なれど貴殿は馬上、拙者は徒歩《か ち》、ともどもには致しかねるわ。』
そこでペザレは仏蘭西の騎士を、おのが馬の尻に相乗りさせて、こう申した。
『何者と一緒かお解りめさるるか?』
『見たところ一個の男性のようじゃが。』
『身の危険は覚えめされぬか。』
『もし其許が悪者なら、怖い思いはそっちでござろう。』そう云って彼はペザレの胸に、短剣の柄を擬した。
『まことや貴殿は天晴れ思慮分別に富んだる豪傑と、ほとほと拙者感服いたした。何を隠そう、それがしはシシリイの宮廷に仕える貴族じゃが、孤立無援ゆえ親身の友達を求めておったところじゃ。失礼ながら貴殿も左様ではござらぬか。お見受けいたすところあまり運勢にもめぐまれず、万人を必要とせられておる様子じゃが。』
『万人が身共にかかわりがあったら、ちっとは仕合せになるとでも仰有るか。』
『拙者の言葉尻を一々とって食ってかかるとは、其許もなかなかの天邪鬼。――して貴殿に信頼つかまつれるかのう?』
『拙者を欺いて盟友の誼みを結ぼうとめされた其許より、これでちっとは信頼の出来る男じゃて。森に迷ったと申されながら、まるで道を諳んじた者のように馬を駆る貴殿こそ、あのここな不審の曲者でござる。』
『そう申せば御貴殿にしても、そのお若さで賢哲ぶっての徒歩《か ち》ひろい、由緒あるさむらいにして、山賊の風を装うなんぞは、やはり拙者を欺く心底とお見受け申した。おお、宿へ着いた。召使たちが夕飯を待ってござろう。』
晩餐の相伴を承諾いたした仏蘭西騎士は、馬から降りてペザレの旅宿に入り、早速に二人は食卓に就いた。仏蘭西騎士は決然と歯を鳴らして咬みくらい、貪る如くに慌しく快啖いたしたので、彼が喫飯にかけての嗜みも一方でないことが窺えたが、さらに酒瓶を豪快に痛飲めされながらも、眼も据らずあたまも慥かなその呑みっぷりに依って、斯道に造詣のあついことが、愈々と明らかにせられた次第であった。ペザレは人祖アダムちゃきちゃきの秘蔵子に際会の思いを、一段と強くいたした。それで談笑の裡にも、新しい友人の肚の底の膿瘍に、探り針を入れる隙間もがなと探り窺われたが、相手に慎重のころもを脱がせるよりは、着ているシャツを脱がせる方が手早いことを見定めて、こっちもその胴着《きようきん》を披いて、仏蘭西騎士の尊信を得るのが早道と、先ずは考えついたのであった。
そこで彼は国王ルウフロワと、その優しい王妃が君臨しておるこのシシリイ国の国情、その宮廷の都雅なこと、儀礼の旺んなこと、西班牙、仏蘭西、伊太利などの国々の貴公子が、羽毛飾で風を切っておること、高貴なくらい金持で、金持のくらい器量佳しの上臈衆が数多いこと、国王はギリシャ半島《モ レ ア》やコンスタンチノプルスやエルサレムやスーダン其他のアフリカの地に、制覇の志を抱いておること、王を補佐する賢臣たちは、基督教国騎士の精華を勢揃いに召しあつめ、往昔の栄華を極めたこのシシリイを、再び地中海の覇者たらしめ、寸土も持たぬヴェネチアを、滅亡させようと企ていることなどを、先ず以て彼は打明けた。
これらの大望は彼ペザレに依って、王のあたまに注入せられたのであるが、彼は王の寵遇を忝くいたすとはいえ、廷臣のなかにこれぞという後楯がなく、ためにその勢力の微弱を嘆じて、力となる親友をかねて探し求めておった。かかる窮境に悩んだ彼は、ひとり馬を駆って、思案を練りつつ散策の折も折、並々ならぬ智略の士と見受けられるこの仏蘭西騎士に、ゆくりなく際会いたしたのであった。
ペザレは早速に兄弟の誼みを結ぶことを提言し、彼のためなら財布の紐をゆるめ、居場所としておのが屋敷の提供方をまで申し出た。つまり隔意なく二人が打ちとけあって、よもの快楽に耽りつつ出世街道を驀進いたす道づれとなり、十字軍に於ける金鉄の友のように、何事が起っても助け合う契りを、堅く結ぼうという訳だった。なにせよ仏蘭西騎士は好運を探し求め、援助を要請いたしておる最中とて、やわかこの助けあいの提案を、無下に退ける筈はあるまいと、彼はさとくも考えついたからである。
『望むもの悉くを得られる妙処《ポイント》に、深い信頼を拙者は繋いでおるゆえ、さしあたり何の助けも要り申さぬが、其許の御親切は身に沁みて感じ入ってござる。したがペザレどの、うまし国トゥレーヌの郷士、ゴオチェ・ド・モンソロオめの寸志を貴殿が蒙ることも、遠い日のことには御座りますまいて。』
『ほう、すりゃ其許の幸運が宿りおるあらたかなる御遺物でも、御所持めされてか。』
『さればやさしき母者人より賜ったる護符を、拙者は有してござる。このものさえあれば城でも町でも作り壊しは自由自在、或は貨幣を鋳造する金鎚ともなれば、或は万病平癒のくすりともなり、まった質入れ出来る旅の杖ともあいなる。しかも貸す時が最も値打物でござる。あらゆる鞴に些かの物音も立てず、霊妙な彫鏤を施せるという、げに天晴れ至極の用具でござるわ。』
『ほう、これはしたり、されば貴殿は鎖子鎧《くさりかたびら》の下に、神秘を蔵してござるのじゃな。』
『いや、いと当り前の持物にてござるわ。失礼ながら御覧に供そう。』
そう言ってモンソロオは、すっくと食卓から立上って、寝床に大の字になり、ペザレが生れてこのかた見たこともない、世にも立派な快楽づくりの一物をば示した。
当時の慣習に従い、二人の騎士が一つの寝床を相共にいたした折り、モンソロオはペザレに申した。
『さればこの逸物こそ、女人の心を征服いたし、よもの障碍を除きくれる世にも稀代の逸品にてござる。上臈衆がシシリイ宮廷の女王たちと貴殿は申されたが、然らば其許の親友、このモンソロオめが、すぐとその宮廷に君臨つかまつってお目にかけよう。』
モンソロオの隠秘な美しい代物を見て、ペザレは驚嘆これを久しゅういたした。モンソロオの母と、また恐らく彼の父とに依って、素晴しく立派にしつらえられたこの肉塊的申し分なさに加えて、若小姓の才覚と老悪魔の奸智とが、かく鼎立して備っている以上、天下の何物にも打克つこと、げに必定と相見えたからである。
かくて二人は、女人の心などよしんば踏みつけにいたしてもと、男同志の全き友愛を相共に契りあい、二人のあたまが同じ一つの鉄兜でも冠ったように、同じ考えをあたまに抱き合うことをば誓ってのち、堅き友誼の成立に、心楽しく同じ枕にと寝入ったが、当時はこんな風にことが運ぶのは、珍しからぬことでござった。
翌日ペザレはモンソロオに、立派なスペイン馬と、金貨の詰った財布と、上絹の股引と、金笹縁のビロードの胴着と、縫箔した外套などを贈られたが、これらの衣裳道具は彼の上品な顔立ちを一際と引立て、そのもろもろの男性美を燦然たらしめたので、上臈衆悉くが彼に籠絡せられること、よも疑いなしとペザレには思われた。召使どもには、客人に従うこと主人に従うごとくあれと命ぜられたので、漁に行って主人が釣り上げて来た客人と、(とんだ厄介者を引摺り込んだものと、)モンソロオのことを噂しあった。
王と王妃の御散策の刻限に、二人の友はパレルモ王宮に着到いたした。ペザレは友の長所を口をきわめて褒め称えながら、得々として彼を紹介して廻り、殊遇を受けるように懇ろに計ったので、王もモンソロオを晩餐にお引留めになられた。炯眼よく宮廷を看取いたしたモンソロオは、無数の暗闘や策謀がそこで行われているのを察知いたした。王は逞しい偉丈夫で、王妃は熱高いスペイン生れの麗人、ちょっと憂愁味は帯びているが、宮廷随一の美人で、気稟の高いことも無類であった。王妃を目にして、トゥレーヌ人たるモンソロオは、彼女が王からけちなサーヴィスしか受けていないことを早速に見てとった。トゥレーヌのさだめだと、顔のよろこびは下のよろこびから来るものと、なっておったからである。やんごとなくも王が玉体の一部を貸し与えられておられた、いくたりかの上臈衆をペザレは友に素速く教えた。これら女人は互いに嫉みあって、女人特有の手の込んだ秘術を尽して、王をめぐっての恋愛合戦に、ここを先途と鎬を削っておったのであった。
こうした観察からモンソロオは、次なる結論にと達した。すなわち王は世界一美しい王妃を迎えさせられながらも、宮廷でいたく漁色に耽られておること、シシリイの悉皆の上臈衆に税関の鉛印を捺そうと、御専念になっておられること、つまりその御愛馬を彼女達の厩につなぎ、変った飼葉を味わい、各国さまざまの調馬調練術を御習得なさりたがっておられることなどであった。
かかる王の御日常を見るにつけ、且つ宮廷の誰一人として、女王に恋の手ほどきをお授け申したものもないことを確信して、モンソロオはこの美しいスペイン女人の畑のなかに、先ず以て彼の鋤を思い切り突込んでみたいと、心に深く期せられたのであった。さてそれについての彼の手口と申せば、左の通りでごあった。
晩餐の折り、外国の騎士を歓待して王はモンソロオの座を、王妃の傍らに設けられたので、騎士は王妃に腕を貸してその席上に赴かれる途中、後から続く連中との間隔を、なるべくあけようとして、足早に王妃を導いたが、それはどんな階級の女人をも、きまって喜ばす話題に就いて、先ず一言を費したいと望んだからである。してその話題とは何であったか、また彼が愛の燃え立つ繁みのなかへ、どう猪突猛進して参ったか、乞う、次に説くところを聞きねかし。
『女王様、なぜにあなたさまのお顔色がお蒼いか、その訳をよっく存じておりまする。』
『ほう、してその訳とは?』
『あなたさまがあまりに乗り心地がよろしいので、王様が昼夜御馬上にあらせられるからにて御座りましょう。したが女王様にはあまりにも御功徳を御濫用遊ばされ過ぎます。この分では王の御宝算を縮めまいらすやも計り知れませぬぞ。』
『されば王の御長寿を望むには、如何いたしたらよいのじゃ?』
『日に三回を越えるお祈祷を、あなたさまの祭壇で遊ばすことを、御制止になればよろしいのでございます。』
『騎士どの、御辺は仏蘭西式ざれごとで妾を嬲ろうとめされるのか。王より聞き及ぶところに依れば、お祈りは週に一度の短祷を限りとし、その度が過ぎれば生命取りの筈じゃが。』
『あなたさまには欺かれておられまする。』と食卓に就きながらモンソロオは申した。『僧院の御坊が勤行を果すように毎日熱烈に、日に三回、弥撒と朝祷と晩祷と、それに時折のお加持とを、相手が女王様であろうと並みの女人であろうと、殿方は誦えるべきなのが、愛の本務に御座りまする。しかしあなたさまのようなお方に対しては、甘美な連祷を唱え続けでなければ相済みますまい。』
女王がモンソロオに投げられた眼差には、怒りの色はすこしもなかった。嫣然とほほえまれた女王には、首を振られてこう申された。
『したがそうとすると殿方は大の嘘つきじゃのう。』
『しかしあなたさまのお望み通り、それを実証して御覧に入れる自信が、手前には十分にござりまする。女王様にふさわしく、憚りながらやつがれがそれを授けまいらせ、歓喜の絶頂にあなたさまをおのぼせいたし、お失い遊ばされし時を、一挙に恢復して差上げましょう。王様は他の上臈衆のために、身をへずられておるのに引換え、拙者はあなたさまへのサーヴィスに、ひとえに万全を期しておりまする。』
『けれどもし王が妾達の約定を知れば、そなたの首は足下に落ちまするぞ。』
『さような悲運によしや際会いたしますとも、あなたさまと一夜を共にいたしてののちなら、得られた果報冥加は、百歳の長寿を全うしたも同じでござりまする。多くの宮廷をこれで拙者は見ておりますが、あなたさまのお美しさに匹敵するような女王様は、ついぞ見たことがありませぬ。よしんば拙者が御成敗の刀の錆にならずとも、あなたさまのために一命を堕すことになり申しましょう。いのちはいのちを授けられる局所から失われゆく慣いゆえ、われらが恋に、このいのちを費す覚悟を、拙者は堅くきめておるからにて御座いまする。』
王妃にはこの種の言葉を御耳にせられたことが従来なかったので、世にもいみじく誦えられた弥撒を聞かれた以上に、心の法悦を覚えさせられ、顔にまでその気色はほの見えて、さっと紅潮を呈せられた。これらの言葉が血管内の御血を沸き立たせたからで、それほど彼女の琴線は掻きゆすぶられ、高音階のその和絃は耳にまでも鳴り響いたのであった。この種の琴はその妙なる音色と清韻に依って、鏗々と撥音も高く女人衆のあたまやからだを、一杯にするものだからである。若くて美しく、しかも女王でスペイン生れときているのに、欺かれてなおざりな目に遭うとは、そも何たる怪しからぬことであろう。王を怖れてその没義道に就き、口を噤んで素知らぬ顔の宮廷の面々に対し、されば王妃は限りない軽侮の念をば覚えられた。それに反して女王がもし、まっとうにその義務を果すに於ては、当然死罪を免れぬていの言葉を、のっけから平気で王妃に用うるほど、生命を軽んじているこの美丈夫の助けを得て、さればとばかり彼女は復讐を志したのである。それと解る意味合いで、王妃にはその御足を以て彼の足を踏みつけられ、うわべはこう口に出して申された。
『騎士どの、話題を変えましょうぞ。可哀想な王妃の泣き所を、さように衝かれるものではない。仏蘭西宮廷の上臈衆のお話でも、一つ承ろうではありませぬか。』
事は思いの壺にはまったという、あた忝い吉左右を、かくしてモンソロオは得たわけであった。そこで彼は愉快な面白い艶話に移り、晩餐のあいだ、ひとしきり宮廷一統、王や女王や廷臣たちを興がらせ、すっかり座を上機嫌にいたしたので、王には玉座をお立ちぎわに、こんな面白い思いをしたのは、生れて初めてじゃとまで仰せられになった。世界で一番に美しい庭先きに一同は思い思いに歩を運んだ。女王は騎士の言葉をよい藉口にして、馥郁と馨る花爛漫のオレンジの繁みに、モンソロオを誘った。
『女王様、拙者がよもの国で見てまいったるところでは、儀礼という伊の一番の心遣いのために、多く恋に破綻が生じ勝ちでござりまする。拙者に御信頼下さるのなら、何とぞ粋同志のおつきあいとして、虚飾や煩礼は抜きに、平たく愛し合うことに致そうではござりませぬか。さすれば外部から疑いを招く危険も寡く、何の懸念なしに何時何時迄も幸福に暮せましょう。女王の恋をまっとうするためには、先ずはかく振舞わねばなりませぬぞ。』と劈頭から彼は言ってのけた。
『仰せの通りじゃ。なれど妾はその道にかけては、ねからのうぶゆえ、いかな手順をもちうべきかを存ぜぬのじゃ。』
『あなたさまの侍女のなかに、これなら信頼出来るというお方はございませぬか。』
『ひとりスペインより連れて参りし侍女がおじゃる。ロオラン上人《〈1〉》が神様の為にせしように、妾のためなら喜んで火炙りにもなり申そう。ながら生憎と病いがち……』
『なおと重畳ではござりませぬか。見舞いに行く口実が楽々とつくれましょう。』
『さよう、時々は夜分ものう。』
『ああ、拙者はこのたぐいなき果報のお礼心に、シシリイの守護神ロザリイ聖女様のために、黄金の祭壇を奉献つかまつりたいくらいに存じまする。』
『まあ、神様、優しく、しかも信心深い恋人を妾にお授け下さるとは、これぞ二重の仕合せとも申そうか。』
『一人は天上に、一人は下界にと、熱愛いたす女王様を拙者も今は二重に擁したる次第、なれど幸いと角突合いの心配もござりゃ申さぬ。』
このやさしい言葉はいたく王妃を感動せしめたので、胆太いモンソロオが誘いの隙でも見せれば、王妃は彼と駈落をでも敢ていたしたに違いはござるまい。
『聖母マリア様は天界にあって、最も権勢あるお方でおじゃる。妾もこの地上で愛のお蔭により、あの方にあやかりとう存ずるわ。』
『なんじゃ、二人は聖母マリアの話をいたしておるのか。』とこっそり二人の様子を窺いにまいられた王には呟かれた。モンソロオめの俄かの寵遇を嫉んだ廷臣が、王の御心に嫉妬の炎を点ぜられたので、王にはしかく振舞われたのである。
女王と騎士は万端の打合せを済し、王の天頂《おつも》に間男されの見えざる羽毛飾りをつける下相談は、かくて巧い具合に運び申した。モンソロオは宮廷一統のところに戻り、ひとしきり座を賑わせてのち、ペザレの館に戻り、二人の運勢が開けたこと、明日の晩、女王と御寝を相倶にする議がまとまったことなどを告げた。あまりにも手早いこの段取りに、ペザレは眼は円くいたしたが、健気な友達の誼みとして、外装の函がなかなる薬にふさわしいようにと万端、友の身の廻りの世話を焼き、香水だとか、ブラバンのレースだとか、立派な衣裳だとか、女王の前に出ても恥かしからぬていに、友の身支度に汲々といたした。
『したが其許は、へこたれずに手際よくやってのける自信がござるか? 女王に天晴れ見事なるサーヴィスを供して、ガラルダンの王宮で快美に悦に入らせ、水難者が板子に縋る如く、貴殿の御立派なバトンに、何時何時までも女王がすがりつくといった工合に、巧く参るか、ちと心許ないて。』
『その儀は必ず御懸念なされな。ペザレどの、それがしも旅空で大分お余りが残してござる。久しく仕舞われておったちんころを以て、はした女なみに女王様を紡錘《つ む》竿《ざお》にてしたたかに紡ぎ、トゥレーヌの上臈衆の慣わせ悉くを御教示がな致そう。世上いずれの女人にもまして、愛の秘術を心得たるは、拙者《お ら》が国さの女子衆が随一。まこと彼女達と申せば愛に耽り、耽り直し、さらに反復して耽らんが為に耽り止めるといった工合で、耽り返すうちにずっと耽り続け、一体がすることの他には、することのないという女っ子どもじゃ。で、こういたそうではござらぬか。われら両人でこの島を牛耳る段取りは、まず拙者が女王を押え、貴公が国王を掴む。しかも我々は犬猿の間柄の如くに廷臣連中に見せかければ、必ずや二派に分れて彼等は、尊公と拙者の下につこう。その実、我々はこっそり蔭で手を握っておれば、貴公には拙者の敵の動静が探れ、それがしにも其許の敵方の策謀が筒抜けとなるゆえ、彼奴等の陰謀を嗅ぎつけて、裏を掻くことも難なく出来申そう。よってここ数日中に、勢力争いの八百長喧嘩を、両人でおっぱじめることにいたそう。拙者を差措いて尊公に最高権力をば国王が授けるよう、女王を通じて巧く仕組んでおくゆえ、その御恩寵を二人の反目の原因と、世間に見せかけてはいかがで御座るな。』
その翌日、モンソロオはスペイン生れの侍女の許に参上つかまつり、スペインで二人は旧知の仲のように廷臣の前を取繕い、まる一週間彼はそこに滞留いたした。熱愛せられた女性としての饗応を、ふんだんにこのトゥレーヌ人から振舞われた王妃には、愛の未知の国々を諸所方々と案内されて、仏蘭西式流儀や、その甘美な手立てや粋な気晴しを、さまざまに満喫いたされたことは、皆々様の御想像に難からぬところでござろう。歓喜にあわや喪心せんばかりとなられた王妃には、情の道を知るのは世に仏蘭西人あるのみ、とまで仰せられになった。女王を淑良にとどめようと、その美しい愛の穀物庫の中に、麦稈の束ばかりを積み込まれめされた国王は、かくてまんまと罰せられた次第である。この世のものならぬ歓待を享けて、歓楽の美快を味わい尽し、眼を〓かせられた思いをいたした女王は、当のモンソロオに永遠の恋をば誓われたのであった。
かのスペインの侍女は、相変らず病気で寝続けのように取計らわれ、二人の恋人が信頼の出来る唯一の男性は、女王を敬愛すること深き王室侍医ということが相定められた。ところが偶然にもこの侍医は、その声門に、モンソロオとそっくり同じの声帯を有しておられたので、造化の神の戯れから、女王も吃驚いたすくらい二人は同じ声音を持っていた。美しい女王が寂しく見棄てられておるのを、かねて侍医は慨嘆めされていただけに、女王が女王らしい愛のもてなしを受けさせられる(これは極めて稀有なる事例に属する)のを喜んで、二人にまめまめしくつかえることを、一命にかけて彼は誓ったのであった。
一箇月は経った。二人の友達の望み通りに事は運んで、学識を王からめでられていたモンソロオとせりあって、政権はペザレの手中に落ちた。かねて仕組んだように、女王のお声がかりがあったからで、モンソロオは無粋者ゆえ大の嫌いと、女王には仰せられたが為である。宰相カタネオ公は失脚し、ペザレがその後を継いだ。しかし新宰相はモンソロオを疎んずる風を見せたので、友の背反を憤ってみせた彼は、浄い友誼に悖ると、さかんにその非を鳴らしたので、忽ちにカタネオやその一党は彼に味方し、ペザレ打倒の盟約がここに結ばれるに到った。経政家肌で才智に長けていることは、ヴェネチアの方々の持前であるが、ペザレもそのヴェネチア人だけに、職に就くと同時にシシリイの振興策に乗り出し、港湾を改修し、種々の免税と便宜供与に依って、貿易商人を招き、多数の貧民に生業を授け、お祭り騒ぎを盛大にして、あらゆる技芸の工匠や、各国の金持や閑人を蒐め、それは東方からさえ陸続と来るまでになった。従って穀類や鉱産や其他の貨物は、様々の船で舶載せられ、遠くアジアからも蛮船が輻湊いたした。かかる殷賑の結果は、王の宮廷はヨーロッパの国々のなかでも、とみに盛名を博するにいたり、国王は基督教国の諸王のうち、最も羨望され、また最も幸福な身の上と相成ったが、こうした天晴れなる善政も、互に相許す二友人の申し分ない提携ぶりから、くしくも産み出されたものである。
即ち一方は快楽の方を受け持ち、手ずから身ずから女王の悦喜をお膳立ていたしたので、トゥレーヌ式方法を満喫せられた女王には、絶えず晴々しいお顔を、幸福の炎で輝かせておられた。さらに彼は国王に対しても新しい情人衆をたてまつり、さまざまなお楽しみをあてがい申して、その歓喜をいやまさせることを忘れなかった。さればモンソロオがこの島に着いて以来、ユダヤ人が豚肉《ベーコン》に触れぬように、王には女王にお近附きに相成らなかったが、にも拘らず女王が御夫君に対して、常にも増して愛想よくわたらせられるのに、内心では王も驚かれておった。王や女王にはかく要務御繁多の御身のため、他の一人に国政が一任せられたが、ペザレは政務を統べて富国強兵の基をきずき、経国よろしきを得た国庫の富饒を以て、さきに述べし如き大経綸を展開いたそうと計ったのであった。
こうした美しい親善は三年間続いた。四年間とも云う人があるが、サン・ブノワ《〈2〉》の学僧が慥かな年代を調べておかなかったので、はっきりとはいたさぬが、同じく二人の友が仲違いした真因に就ても、やはりぼんやりいたしておる。が、惟うにペザレがモンソロオにつくして貰った恩義も忘れて、何憚るところなく思う存分に、権勢を揮いたいという高い野望を抱いたがためであろう。宮廷の方々にはすぐとこんな御了簡を起されるもののことは、アリストテレスどのもその御本のなかで、世の中で最も早く褪せ萎むのは、受けた恩だと申しておる通りであるが、しかし消えた恋ときては、もっと鼻持ちならぬ悪臭を放つのは、毎々のことである。
ペザレのことを「おやじ《コンペール》」と愛称で呼び、また、もし彼が欲するならば、御自らのシャツの中にまで、入れさせて下さるに違いない国王の無二の御寵愛を頼みにして、彼は友の姦通と、女王の恐悦ぶりの訳合を王に密告いたしたならば、シシリイに於ける不義の成敗のしきたりに従って、王には早速にモンソロオの首を刎ねられるに違いないゆえ、厄介払いが出来るものと考え、さすれば二人でこっそりジェノワのロンバルジヤ人の銀行に預けこんだ金が、自分一人のものになるとペザレは、姦計を逞しくいたしたのである。この金は二人の親交上からして、共有の約束であったが、スペインに宏大な領地を持ち、イタリイにも莫大な不動産を相続せられた女王が、極めておおどかにモンソロオに下しおかれた金品やら、また王がお気に入りの宰相ペザレに賜った諸特権や、商人からの貢物や袖の下などで、かなりな額に上っていた。裏切りの肚をきめたこの佯りの友は、何分にもモンソロオが手剛い相手と承知いたしておったので、その心臓を狙い誤たず一挙に打抜こうと、深く謀るところがあった。
さて艶事に堪能となられた女王が、来る宵毎を新婚の初夜のごとくに遇しまいらすモンソロオと、いつものように御寝あそばされたのを知って、ある晩のことペザレは、ずっと重態を装っていたスペイン侍女の衣裳戸棚に、のぞき穴を開けて、王に姦通の現場を垣間見させる約束をいたし、それがよく見えるようにと、夜明けになるのを待つことにいたした。達者な足腰に加えて、素迅い眼と堅い口とを持ったスペインの侍女は、情人を迎える最善のメソッドたる褥内で、女王がモンソロオと同座あそばすあいだ、ずっと下っていた小部屋の格子の間から、外の跫音を聞きつけて鼻を突出してみると、なんとペザレに導かれた国王がお出でなので、この裏切りを二人に御注進すべく慌てて馳せつけて行かれた。
したが、王にはもう眼を穴めの畜生にあてておられた。王は御覧になられた。何をか? 多くの油を燃し、世を照らすあの美しく神々しい龕燈をである。いとも妙なる小細工を以って飾った奕々たる御秘蔵のランタンをである。そのものたるや、悉皆の他の同類のそれより、遥かに立勝った代物と王には御覧じあそばされた。と申すはそれを長いこと目にせられなかったので、全く新規なもののように見受けられ申したからである。が、何分にも穴に遮られて王には、このランタンをつつましやかに鎖す男の片手しか見えず、それと「今朝はこの姫《ひめ》様の御加減はいかがで?」と云うモンソロオの声しか聞えなかった。いやはや何とも笑止千万な言葉ではあるが、情人はふざけてこんな言辞を弄するのが常じゃ。というのはまことこのランタンたるや、世界の何処の国にあっても、愛の太陽たるに他ならず、さればこそ人はそれを最も美しいものになぞらえて、例えば私の柘榴とか私の薔薇とか、私の貝殻とか私の刺毛獣《はりねずみ》とか、私の愛の深淵とか、私の宝物とか、私の主人とか私の嬢やなどと、千もの可愛げな名をたくさんにつけられてござるが、なかには私の神様などと、敢えて申す異端きわまりなき連中もある。嘘だと思召すなら大勢の方に聞いてごろうじ。
丁度この瞬間、侍女は国王が窺いておられることを、合図でそれと解らせた。
女王は訊ねられた。
『聞えたかのう?』
『いかにも。』
『見えたかしら?』
『はい。』
『誰がお連れしたのじゃ。』
『ペザレで。』
『急いで侍医を呼んでくりゃれ。それとモンソロオどのを速くお部屋に帰してたも。』
乞食が有難文句を唱えるくらいの早業で、女王にはランタンに赤い塗料を塗りつけられ、ひどく〓衝を起した恐ろしい傷口の態に見せて、布地でその上を御繃帯あそばされた。不埒な一言を耳にせられて、怒髪冠を衝いた国王が、戸を蹴破って入っておいでになると、穴から窺き見た場所と同じの寝床に、女王には横臥あそばされ、傍らには鼻に眼鏡を掛けた侍医が、繃帯したランタンの上に手をあてて、先ほど王が聞いたのとすっかり同じい声音で、「今朝はこの姫様のお加減はいかがで?」と、艶笑じみたからかい口調で申しておったところであった。侍医や刀圭がたは上臈衆に対しこの種の花言葉を用いて、あの輝かしい花葩を臨床的に取扱うのが、一般に慣いであった。この光景に接せられて、王は罠にかかった狐のように頓馬な顔をせられた。羞恥の念から真赧となられた女王には、俄かに跳ね起きられて、かかる時刻に推参した不届きな殿原は何奴じゃと喚かれたが、王のすがたを目にせられるや、次のように申し述べられた。
『まあ、との、お隠し申そうと致しておったことを、お見あらわしになりましたな。とのよりいたく疎んぜられしため、何を隠しましょう、わらわは局部炎症を来しておじゃる。したが女王の威厳を損じてはと、事を内証裡に処すべく、精気蝟集の祟りを癒す秘密裡の治療を、ここに志しましたるなれど、王や女王としての体面もござるゆえ、妾の悩みの唯一の訴え手たるミラフロラの許に、かく忍んで参ったる次第でおじゃる。』
それから侍医は、ヒポクラテス《〈3〉》やガリアン《〈4〉》やサレルノ医林などから選り出した珠玉の砕辞たるラテン語の鴃舌を、たっぷり入れ交えた名論卓説を国王の前に披瀝いたした。すなわち女人にあっては、ヴィーナスの畑を休閑地といたすことは、如何に由々敷い禍事であるかを論証し、ましてや生来すきずきしい血を備えたスペイン女人の体質を有せられる女王にとっては、それは死の危険にも等しきものであることを、真直ぐな髯をしごき、舌を長く引張り出して、荘重にあげつらってみせたので、その隙にモンソロオは悠々と、おのが寝床に引上げることが出来た。
女王も侍医の弁舌を楯にとって、棕櫚ほども長いお談義を王に浴びせた末に、人の蔭口を避けるため、何時も病弱の侍女が附添って戻る慣いゆえ、今朝はそれを煩わさず、王の御手をかり申したいと要請めされた。
さてモンソロオが休んでいる部屋の前をお通りがけに、女王は戯れて王にこう申された。
『モンソロオに何かいたずらをしておやり遊ばせ。きっと今頃はどこかの上臈方の許にお忍びで、部屋を明けておるに違いございません。なにせよ上臈衆悉くがあの人に血道をあげておりますので、きっと今にあの方のことで、何か悶着が起りましょう。妾の意見にとのが従って下されば、とっくにシシリイを追放されておりますものを。』
王は俄かにモンソロオの部屋に入られた。ところが、モンソロオは内陣に於ける修道僧のように、大鼾の高枕でぐっすりと寝込んでおった。王と戻られた女王には、背の君をお引留めになって、楽しく一緒に朝餐の席に就かれ、精一杯に御歓待申し上げながら、こっそり警護の者に命じてカタネオどのをお召しになり、隣室でこの前宰相に、次のように囁かれた。
『城砦の上に絞首台を設け、ペザレどのをそこへ御案内申し、一句も後に書き遺さずまた一言も余人に喋らせぬようして、即刻に絞首いたしてたもれ。これわれらが御意ゆえ、至上命令と心得られよ。』
カタネオは一言も文句をさしはさまなかった。
モンソロオの首が落ちた時分とペザレが内心考えていた折りしも、突然にカタネオが彼を逮捕にまいって、城砦の上へとペザレは引き出された。女王の窓辺に、王や女王や廷臣たちと揃って、モンソロオが首を出しているのを見て、女王に附き纏った方が、王にくみするよりも得なことを、その時になって沁々とペザレは痛感いたした。
女王は王を窓側に導かれながらこう申し上げた。
『あなたがこの世でお持ちの一番に貴いものを、奪い去ろうとたくらみし裏切者が、あれあそこにおりまする。いつかお暇になった折り、御堪能なさるまでその証拠を、お目にかけて差上げましょう。』
死刑執行の準備がなされているのを見て、モンソロオは王の足下に身を投げて、不倶戴天の敵の恩赦を懇願いたした。王もこれにはいたく心動かされた面持であった。が、女王は柳眉を逆立ててこれを遮られ、
『モンソロオどの、王と妾の楽しみの邪魔を、御辺は遊ばす御所存か?』
王はモンソロオを扶け起しながらこう申した。
『御身は高潔すぎる騎士ゆえ、ペザレが如何に陋劣に御身を陥れんとしたかを存ぜぬのじゃ。』
ペザレは首と両肩のあいだをやんわりと絞られた。女王のお計らいでジェノワの銀行にペザレが密送した莫大な金子のことが、町のロンバルジヤ人の証言から王のお耳に入り、彼の叛逆の罪証がなお一段と明らかにせられた。その金は悉くモンソロオの所有にと帰した。
この美しく気高い女王には、シシリイの正史にもしたためられてあるような崩御ぶりをなされた。すなわち男子を御分娩あそばした難産のせいでおかくれになったのであるが、この王子は後に偉くなられ、また偉い敗北も喫せられたお方である。出産の際の夥しい出血のため惹起したこのわざわいのもとは、女王があまりにも純潔に身を持せられた結果であるという侍医の証言を、王にはそのままにお信じになって、この操高い女王の死因を、おのが咎となされて、いたく御悔悛のあまり、マドンナの天主堂を御建立になられたが、これはパレルモの町の最も美しいものの一つとして、今なお現存いたしておる。王の苦悩を目のあたりにしたモンソロオは、王が女王をスペインから連れて参られる折り、スペインの女人は旺盛なたちゆえ、並の女人の十人分ぐらいのサーヴィスを、供せねばならぬことを、しかと御存じあるべきであって、ただ見せかけだけの女王が欲しいとなら、冷やかなたちの女ばかりのドイツの北部からでも、お選びになるのが至当であった旨を申された。
モンソロオは数々の財宝を擁してトゥレーヌに戻られ、長い余生をそこで過されたが、シシリイに於ける彼の果報に就ては、遂に口を噤んで人に語らなかった。王の御嗣子がナポリに大掛りな遠征を企てられた際、モンソロオはシシリイに戻ってこれを扶けられたが、歴代史略に記されてあるような顛末に依って、手傷を蒙って王子には崩ぜられたため、モンソロオは再び伊太利の地を後にいたした。
運命の神は女神ゆえ常に女人に味方するを以て、殿方は女人衆に対し、サーヴィスにこれつとめねばならぬという、このコントの標題『艶福冥加論』(運命の神は常に女性でおわしますという証明に就て。)のなかに含まれている、高遠な訓えを別にいたして、沈黙は慧智の十分の九を占めていることを、このコントはわれわれに立証してみせてくれている。しかしこの物語の著者である学僧は、利害関係に依って多くの友誼が生れると共に、またぶちこわしともなっているという、同じく甚だ含蓄ある他の訓えを引き出す方に、肩を持っておられるが、以上三つの解釈のうち、もっとも貴殿の意に適うもの、且つ時宜に即したるものを、適宜お選みめさるるがよろしかろう。
(1) ロオラン上人。ローマ帝ヴァレリアンの御代、二五八年、ローマで火炙りとなった殉教者。
(2) サン・ブノワはロワール州にあり、オルレアンより三十粁、六五一年に設立された僧院で有名、十、十一、十二世紀のクロニックがあまた保存されている。
(3) ヒポクラテス。古代ギリシャの名医、紀元前四六〇年に生る。
(4) ガリアン(一三一―二〇一)ギリシャの名医、十七世紀までは最大の医家とされていた。
野良ん坊
以下に申す咄を織りなすそもそもの麻苧を提供してくれたのは、事件の当時ルーアンの町におられたさるお年寄の編史家で、町の記録にもちゃんとこの話はしたためられてあるそうである。美しいこの町にリシャアル大公がおいで遊ばした頃、町の近在を徘徊して歩くトリバロオというお人好しの乞食があった。渾名を「野良ん坊《ヴイユ・パルシユマン》」といったのは、犢の皮《パルシユマン》のように黄色く乾からびていたことよりも、もっぱら彼が往還や縄手や岡や窪地を跋渉し、大空の天幕の下に起き臥しして、乞食のようにぼろを着て歩いておったところに由来する。けれども公領地一帯では彼はいたく愛せられ、誰もが彼に馴れっことなっていたので、托鉢《たくはつ》のお碗を差出しに来るのが一ケ月も欠けると、『野良ん坊はどこにいるんだろう?』『なあに、野良にさ。』といった問答が常に繰返されるのであった。
彼の父親トリバロオは生前きわめて実直な、ひどく始末屋の吝ん坊だったので、息子に沢山の身代を遺したが、息子の遣り口は親父と正反対だったため、放蕩三昧に耽ってすぐとその悉くを蕩尽してしまった。なにしろ親父は野良からの帰りがけにも、燃し木や木切れを道の右左からあちこちと拾いあつめ、空手で家に帰っては申訳ござらぬと実法に申し、不精者に損をかけて、一冬をそれでほかほか過しめされていたくらいだった。されば彼は国中によい手本を示されたといってよい。というのは彼の死ぬ一年前には、往還の燃し木を拾わぬ者は一人もなくなり、またどんな甚だしい浪費家も、たいへんな節倹家に、或は整頓屋になることを余儀なくされたからである。したが当の息子どんときたら、むやくに総てをつかい果して、父の賢明な流儀に倣おうともしなかった。そのことはまた賢父が早くも見抜いておった所で、豌豆や蚕豆や穀類を啄みに来る鳥の畜生、殊にすべてにうんこを引掛ける樫鳥を追払う見張り役などを、息子が幼少の砌り父から言い附けられでもすると、鳥の動態の研究の方にばかり熱中し、鳥が飛んで来て素早い横眼づかいをしながら、羂やかすみ網をくぐり抜け、巧みに餌を掠め去ってゆく様子の好さを眺めては悦に入り、つかまらずに逃げるそのあざやかさに打ち興じておったからである。二畝や三畝もの畑が、すっかりこうして荒されているのを見て、父親は怒気満々として、榛の木の下で阿呆づらをしている息子の耳を、引張ってはみたのだが、相変らず馬鹿息子はぽかんとして、なおもつぐみや雀その他のきわめて学殖のある啄み屋どもの手練を、歎賞し続けたのであった。で、とうとう父は息子に、『あいつらをよく見習うがよい。今の調子でゆくと、年をとってからお前もあいつらの様に、あちこち啄み歩いて、巡視どもに追い廻されるようなことになるぞ。』――と罵倒したが、案の定、その予言通りとはなった。何故かなら上述したように、吝ん坊の父親が一生かかってためた金を、僅かのうちに散じ尽してしまったからで、しかもその際、彼はさきに雀にしたように、幇間どもに対したのである。つまり彼の金袋に、好き勝手に手を突込ませて、そのくすね振りのあざやかさ、品のよさに感じ入ってなぞおったので、忽ちに空《から》っ尻《けつ》となってしまった。金袋の中に残ったのは悪魔銭だけという嚢中無一物の時になっても、一向に落着き払ったもので、地上の富に煩わされたくないなんどと号して、彼は鳥類学派の哲学に悟入した風を見せておった。
堪能するまで道楽したので、全身代のうち遺ったものといったら、大市で買った盃一つと、骰子三個だけとなってしまったが、飲んだり遊んだりするには、結構これでまにあう世帯道具であった。なにしろ彼は、乗物や敷物や鍋釜や沢山の家隷などなしには、旅の出来ぬ貴人とは違って、道具立てなんぞに煩わされずに、大手を振って歩くことが出来た。むかしの親友たちに会いたいと思ったが、みな素知らぬ顔をするので、誰一人見知る必要もない許しを得たのも同然であった。こうした浮世の風に触れ、また飢えで歯も鋭くなったので、何もしなくって、しかもどっさりと儲かる商売を、あれこれと考えた。思い出したのは、つぐみや雀の動作の美しさであった。そこで気のやさしい彼は、人様の家を物乞いして、啄み歩く商売を選ぶことにした。ところが初日からもう善男善女は、施しをいたしてくれたので、金の先渡しも要らなければ、どんでん返しの心配もないこの商売を至極結構なものに思い、安楽此上もないと恐悦つかまつった。さればいそいそと稼業に励んだので、到る処で歓待を受け、富者には阻まれている多くの慰藉を、彼は享受することが出来た。植えたり蒔いたり刈ったり収穫したりする農夫のさまを見て、彼はおのが為に孜々として人が働いていてくれると思った。貯肉庫に豚を吊す人は、それとは知らずに、彼にその一片を施与する義理があった訳だし、竈でパンを焼く仁は、彼の為にせっせと焼いてやっているのも同様なことを、夫子自身つゆ知らぬのであった。腕づくで物を捲き上げたことなぞ、彼は一度だってなかった。それどころか人は彼に施しをする時、次のようなお愛想をさえならべた。――『これを受けておくれ、野良ん坊さん。景気はどうだい。しっかりお稼ぎよ。さあ、一つこれを持って行っておくれ。猫の齧りかけだが、お前さん片附けてくれるね。』
どこの婚礼にも洗礼にも葬式にも、野良ん坊の姿が見られた、人寄せやお祝いを公然と、或いは隠れて催す家々に、きまって立廻っていたからである。おのが生業の掟や律令を、彼は謹しんで守ることにいたした。つまり何もせぬことであって、もし彼がちょっとでも働きなんどしようものなら、誰もが彼にもう施しをしなくなるだろう。だから食い飽きるとこの賢人は、堀っぷちに寝転がるか、教会の柱に凭れるかして、天下や杜会のことどもに思いを馳せ、彼の優しい先哲たるつぐみ、かけす、すずめのように哲学して、身は一介の物乞いながら、いたく思索に耽るのであった。彼の着物が貧しいからとて、彼のあたまが豊かでないとは、まさかに申せぬであろう。彼の哲学は彼の顧客を喜ばせた。彼は感謝のしるしとして、斯道の一端たる世にも美しいアフォリズムを、お得意先にのこして参った。暫く彼の言を聴こう。――スリッパーは金持に痛風を与える。それに反して彼の足は憚りながら軽快至極である。天なる彼の靴屋《か み》から、寸法通りの出来合い靴をさずかって、はいておるからである。王冠のために頭痛を訴うる者がある。そんな煩いを彼は嘗てしたことがない。気苦労や頭飾りでおつもを痛めた覚えがないからである。宝石入りの指環は血液の運行を妨げる、云々。
物乞い稼業人の慣わせに従って、腫物で悩んだことはあったが、いったいが彼は洗礼盤に於ける子供よりもぴんぴん溌剌としておった。何時も貧乏でいられるように、金を浪費することを忘れまいとして、大事に持っていた三つの骰子で、仲間の乞食たちと賭博などして楽しんだ。そうした彼の希求にも拘らず、托鉢僧団の連中のように、その懐ろは暖かくなったので、ある復活祭の日、他の乞食が彼にその日のあがりを十エキュぐらいと踏んで、借用方を申し込んで来たが、彼は峻拒してその晩、早速に右や左のお旦那衆の健康を祝して、十四エキュ快飲してしまった。施主に感謝の意を表せよとは、乞食道の戒律だったからである。楽がありすぎて苦を求めるていの世人の気苦労から、つとめて遠ざかっていた甲斐があって、親の金を持っていた時より、一文なしの今の方が、遥かに仕合せであった。貴族たるの資格から云えば、彼は常にそれを具備しておったといってよかろう。というのは気が向かなければ、決して何もしなかったし、また何の労働もせずに殿様然と暮しておったからでもある。一度横になってしまえば、もう三十エキュの金を出しても、起き上らせることは出来なかった。こうした後生楽な明け暮れを送る彼にも、爾余の衆と同じように、やはりきまって明日が日の太陽は訪れてくれた。この書に再三その権威ある名言を援用いたしたプラトン大人の仰せに従えば、いにしえの賢哲も、かような暮しを遊ばされたるよしである。
さて野良ん坊も八十二の高齢にと達したが、一日と雖も金を貰いはぐったためしがなく、想像も及ばぬくらい艶々しい顔色を、当時もなおもち続けておられた。だからもし彼が富貴の道にあのままおったら、とうに身体を擦り切って、ずっと前にもうお墓の中に入っていたに違いござないと述懐めされていたが、或いはその申す通りかも知れぬ。
野良ん坊はその若い頃には大の女泣かせという艶名隠れもない評判がごあった。色道に於ける彼の滾々たる潤沢さは、ひとえに雀の習性を研究いたした賜物だと申す御仁もある。御婦人に天井の梁を数えさせる援助を、ついぞ彼は惜しまなかったが、こうした鷹揚《おうよう》さは他に何もすることがないので、何時もする準備が整っておったという彼の肉体的理由に、もっぱら基くものであろう。この地方では洗い女といっておるが、洗濯女たちは御婦人方のシャボン塗りや泡出しは、到底に野良ん坊にかなわぬと匙を投げておった。彼のこの隠れた偉力が物を言って、国じゅう彼の享受しているいまの御愛顧を産んだのだなど、蔭口を叩く輩さえもある。また彼の方途もない逞しさに関して、巷間伝えられる事の真偽を確かめるべく、コオモンの奥方にはその城館に彼を招き、乞食を止めさせようと一週間彼を幽閉いたしたが、金持になるのをひどく怖れた彼は、垣根から逃げ出してしまったと云う話もある。したがこの精の腎張り大家も、年をとるにつれて、色道に於ける名だたる彼の達人ぶりは毫も衰えぬながらも、やや女人から疎んぜられる気味がごあった。雌属のこうした公正を欠く変心は、野良ん坊にとって何よりの苦痛の種であり、ルーアン著名の裁判沙汰を惹起するの因ともなったのであるが、いでその次第を物語るといたそうか。
八十二歳になった年、野良ん坊は善き意思を持つ御婦人に出会わさなかったもので、約七ケ月のあいだ、禁欲を余儀なくされる始末とはなったが、けだし彼の長い立派な御生涯のうち、これぞ最大の驚異でごあったと、後に彼は裁判官諸公の前で述懐いたしたくらいである。
かかる惨めな状態にある折りしも、彼は野原で一人の娘をみた。偶然にもそれは手入らずのおぼこ娘で、折から牛の番をしておったが、美しい五月のことで、あまり日差しが暑いので娘は山毛欅の樹蔭に横になって、野良に働く連中の習俗通り、牛が反芻しているそのあいだ、顔を草におしつけて、一寸昼寝してしまったが、可哀そうに娘っ子には一度しか与えることが出来ぬものを、奪い取るという野良ん坊の所業に、はっと彼女は眼を覚ました。何の予告も快楽も受けぬ先に花を散らされてしまったのを見て、娘は大声で叫び立てたので、野良に働いていた衆は馳せ集まり、花嫁が祝言の夜に蒙る損傷を受けたことに気づいた娘の立会人となった。娘は泣いたり喚いたりして、この不仕鱈な老猿は、いっそ私の母を犯したらよかろうに、そうすれば母は口を噤んで、何も文句は言わないものをと申した。野良ん坊を制裁しようと、鍬を振り上げた野良の衆に対して、彼は鬱散の衝動につい駆られたからだと申し立てたが、娘っ子を犯さずとも、男はひとりで気散じが出来るではないかと、在所の衆はこれに反駁めされたが、いかさまその申すとおりではある。即刻に絞首台行きのお白洲ものだというわけで、彼は喧々囂々たるなかを、ルーアンの牢屋に引かれて行った。
奉行に尋ねられて娘は、所在ないまま睡っておった最中と答え、ちょうど彼女の恋人の夢をみていたところと申し立てた。その恋人は祝言の前に、彼の仕事場の寸法を測りたいと懇請したため、互いに仲違いしておったもので、当の夢の中では彼女は、たわむれに彼にものがよく合うかどうか、お互に不都合なところがないかどうかを、しかと験させていたところ、彼女の制止にも拘らず、許可区域外《オフ・リミツツ》にまで彼が進出いたし、快楽より苦痛の方をより多く感じて眼を覚ましたら、野良ん坊の重みに押しひしがれていたと陳述し、まるで精進斎の明けに、ハムに飛びつく托鉢僧のような、それはそれは烈しい勢いであったと申し述べた。
この公判はルーアンの町じゅうで大評判となり、大公殿下におかせられても、事の実正をしかとお定めになりたいという熾烈なる御要望から、奉行をお召しになりその確答を得るや、御殿に野良ん坊を拉致するよう命ぜられ、親しくその弁護の言を御聴取遊ばされることとなった。大公の前に出頭いたした御老躰は、自然の欲望と衝動から、彼が陥った非運のほどを朴訥に吐露し、若者と同じく止むに止まれぬ欲情より駆りたてられた次第を語り、この年まで女気の絶えたことのなかったに、もう八ケ月もかつえぼしされ、一文無しゆえ遊女で埒をあけることもかなわず、また彼にお慈悲をかけてくれた堅気の女人衆は、彼の色の道は緑なのに、いまいましくも白くなった彼の霜髪に嫌悪を覚えて、よりつかなくなったもので、山毛欅の木の下でうつぶしに寝ころがって、彼の悟性を奪うような愛くるしい熊皮《ローブ》の裏地と、雪のように白い二つの半球をのぞかせていたあられもない娘っ子を見て、快楽をその在り場からとらえることを、余儀なくされた次第を述べた。されば罪は娘っ子の方にあって、自分にはないと彼はさかんに反駁いたした。そもそもヴィーナス式のうしろ弁天をあらわにして、通行人の気を唆るようなことは、娘っ子の断じていたしてはならぬことだし、それに昼下り男性がその煩悩の犬《ち ん こ ろ》を牽きとめることは、如何に辛いものであるかを大公にも御賢察ありたいと申し入れた。というのはダヴィデ王《〈1〉》がウリどのの御内儀に現つを抜かされたのも、やはり同じ時刻だし、神様の秘蔵っ子たるヘブライの王さえ、かく誤ちを犯しているくらいゆえ、何の楽しみもなく物乞いしながら世を送っている乞食が、同じ誤ちに陥るのも致し方がないと述べ、爾今はダヴィデ王に倣って、贖罪のしるしに琵琶をかかえて、聖詩を吟唱しつつ余生を送る事を承諾いたすと語り、いったいダヴィデ王は御情婦の良人をまで殺すような大罪をも犯したに引き換え、自分は野良娘を、それもちょっぴり傷つけたに過ぎぬと陳弁いたした。大公には野良ん坊の弁明を一理あるものとお聞きとりになって其方は「つよきん」の男じゃと仰せられた。そして後世にのこるべき次なる判決をお下しになられた。すなわちこの乞食の申し述べる如く、年に似合わぬ向う気に、それほど駆り立てられるものならば、既に奉行の申し達した絞首の刑に上る梯子の下で、それを実証して見せるがよく、もしも引導坊主と絞首執行人にかこまれ、頸に縄をつけられてもなおかつ、そんじょう気ざしが起るようであったら、恩赦いたそうというのであった。この判決が知れ渡るや、絞首台に赴く野良ん坊を見ようと、それこそ大変な人出で、まるで大公の入洛の時のような人垣が出来、何でも男子帽より婦人帽の方が遥かに多かったということである。
世にもたいへんなこの手込め男の最後をば見届けようという、物好きなさる上臈のお蔭で、しかし野良ん坊は一命を救われることになった。というのは御年寄に晴れの勝負をさせるのは、御宗旨の命ずるところであると、大公に上臈は断って、さながら舞踏会に赴く時のようなおめかしをして、襟飾のいとも純白な白麻も、並べたら蒼ざめて見えるくらいに真白な、艶々しい二つの肉塊の小球を、ことさらこれ見よがしに露出してあらわしたので、コルセットの上にまるで二つの大きな林檎のように、例の美しい愛の果実の一対が、皺目一つなく突き出たその濃艶さといったら、思わず見る人も涎が垂れんばかり味まやかでごあった。この上臈は見る殿方をして、すべて雄心勃々たらしめるといった御婦人の一人であったが、紅唇に応諾の微笑を泛べながら、野良ん坊を待ち設けられた。
さて野良ん坊は粗麻の獄衣を着せられておったが、絞首前より絞首後に於て、手込めの折りの体勢を、よく現わしそうな塩梅式でごあった。刑吏に囲まれた彼はひどく物悲しそうに、左右に眼を投じておったが、見えるものは髪飾りばかりで、あの牛飼い娘のように、もしも裾を捲り上げた娘っ子がおったら、彼を迷わせた白い大きな美しいヴィーナスの柱を、彼に想起させて、その一命を助けてくれるに違いないゆえ、百エキュお礼にやっても惜しくないとまで思ったと後になって語られた。が、何分にも彼は年をとっていたので、どうにも記憶だけでは充分に効力も発生いたさなかったところ、梯子の下でかの上臈の二つのあでやかなものと、その円味が合流して出来た素晴しいデルタとを眼にとめるや、俄かに彼の得手吉先生《ジアン・シユアール》は逞しい勢いを示して、薄い獄衣はいとも顕著にそのどえらい隆起ぶりを誇示いたしたのでごあった。
『さあ、急いでお調べなすっておくんなさい。儂は恩赦の栄に浴しましただ。したがあの命の恩人にお答え申すすべがないのが、何ともはや残念でござるわい。』と彼は刑吏に向って申した。
したが上臈はこの答礼にいたく喜ばれ、手込めよりはるか強烈なる敬意の表し方だと申された。彼の獄衣を捲って調べた見分役の刑吏どもは、野良ん坊は悪魔に違いないと思った程だった。というのは老人の立ちものほど真直ぐに突立った大文字のIは、彼等の記帳の中にも嘗つて見出されなかったからで、かくて野良ん坊は意気揚々と町を練り歩いて、大公の屋形まで赴き、ことの明白実正なることを、刑吏たちは揃って大公に証言いたした。当時のような無智蒙昧な時代にあっては、斯様な名裁判の本舞台になったことは、どえらい町の栄誉と考えられたもので、野良ん坊が恩赦を獲得したその当の場処に、記念碑を建立することが町会で議決され野良ん坊のすがたは石で刻まれたが、彼があの貞淑で謹直な上臈の艶姿に接した折りの勃々さが見事にそこには盛り上っておった。この彫像はルーアンが英軍のために占領されたときもなお残っていたし、当時の文人たちはみなこの話を、当代の特筆大書すべき大事件の一つとして筆にとどめておられる。
野良ん坊に女気を与え、その衣食住に不自由をさせるなという町の総意をきこしめされて、仁慈にまします大公には、かの牛飼いの非処女に千エキュの大金を与えて野良ん坊にとつがせ、万事に埒をばあけさせられた。御老躰は野良ん坊の名を棄てて、大公から「つよきん」どのの名を賜られた。その九ケ月後、彼の妻は生き生きとした元気な男の子を産んだが、産れたときもう歯が二本も生えていた。この結婚から「つよきん」家が生ずるに到ったが、この一家は決して褒めた話ではないが、へんな羞恥心から家名を「つよもの《ボンヌシヨーズ》」と改名いたしたいという嘆願書を、われらが敬愛するルイ十一世に対してたてまつった。寛闊なルイ大王には「つよきん」殿に対して、ヴェニスの国には、「ふぐり《コリオーネ》」家という聞えた名家があるが、その家の紋章は実物大の三つの逸物がついておるぞと御説得なされたところ、「つよきん」どの一家は恐る恐るこれに言葉を返して、御内室たちが公けの席で、さよう名をよばれるのを痛く恥じておりまするためと言上仕ったので、女たちは失うところが多いのを知らぬのか、名がなくなると実もなくなるぞよと王には御言葉があり、したが遂には改名を御聞き届けに相成られた。このときからこの一家は、「つよもの」の名で知られ、多くの国に弘まるにいたったのである。初代の「つよきん」どのにはなおも二十七年生きのび、息子をもう一人と娘を二人儲けられたが、彼は富裕に身を終るのを嘆き、野良をほうつき歩いて物乞いが出来ぬのを、いたく残念がっておられたという。
さてこの百篇の赫々たる『コント・ドロラテイク』をもちろん除いて、貴殿が一生のうちお読みめさるどんな物語からも、決して得られぬような最も立派な訓え、また有難いさとしを、この咄から貴殿は悟ることが出来よう。すなわちこの種の出来事《アヴアンチユール》は、絶対に宮廷の餓鬼どものような萎れた活気のない体質の仁には、起らぬということじゃ。まったくこれら裕福な連中ときたら、暴飲暴食して歯でおのれが墓を掘るような真似をしくさって、快楽作りの機械を台無しにし、野良ん坊どのが堅い床上で休んだに引換え、これら便腹の仁には、高価な寝具や羽根蒲団で身をば持ち崩しておられる。そんなざまだからして、キャベツを食っても下痢をいたすのじゃい。で、この咄をお読みになった方々の多くは、年を取られてからも野良ん坊にあやかろうと、暮し振りをきっと改めるよすがともなり申そうと云爾。
(1) ダヴィデ(前一〇五五―一〇一四)イスラエル王、王はウリの妻ベスサベと通じ、結婚せんがためウリを殺せり。次王のソロモン賢王は二人の不義の胤である。旧約聖書詩篇中にダヴィデ王の作品散在す。
巡礼浮世噺
法王様がアヴィニヨンの市坊から羅馬に移ってしまわれたので、お膝下を目指して道を急いでいた巡礼たちは、どえらいその罪障の御赦免《ルミデイムス》を受けに、アルプスの峻嶺を越えてはるばる羅馬の地まで足を運ばねばならなかった。当時は到る処の往還や旅宿に、カイン品級の頸印や、改悛の花環をつけた手合が多く見受けられたが、いずれも極道の衆生ぞろいで、犯した罪業の贖罪にもと、黄金や宝物をたずさえ、それで大勅書をあがなったり、聖人様へ奉献の供物にいたそうと、法王の聖水盤へ身を清めに、絡繹として引続いたが、しかし往きには殊勝にも水ばかり飲み、帰りには水は水でも、酒窖の聖水を宿の亭主に望むといった徒輩ばかりでごあった。
その頃、このアヴィニヨンの城下にはるばると参って、法王様が御遷都になったのを聞いて、ひどく落胆した三人の巡礼があった。詮方なく三人そろって羅馬詣りに赴くこととなり、地中海岸さしてローヌ河を下ってゆく途中、十歳ばかりの愛児を伴れた道連れの一巡礼が、不意に姿を消したかと思うと、ミラノの町の手前で、子供も連れずにひょっこりとまた仲間に加わって来た。
法王様がアヴィニヨンにおいでにならないので、改悛するのに嫌気が差したのだろうと、噂していた当のお人が再び現われたので、その晩ミラノで、早速にさかんな歓迎の晩餐が開かれた。
これら三人の羅馬詣りのうち、一人は巴里、一人は独逸、残る一人はブルゴオニュ公領の出であった。可愛い子に旅をさせようと、途中まで連れ出して来たこのブルゴオニュ人は、ヴィリエ〓ラ〓ファイ家(Villa in Fago)の季子で、ラ・ヴォグルナンという名の領主であった。独逸郷士と巴里町人とはリヨンを過ぎて近附きとなり、アヴィニヨンの手前で、この巡礼親子と知り合ったのである。
さてこのミラノの旅宿に御神輿を据えた三人の巡礼は、大いに胸襟を開いて語り合い、法王様が心の重荷をお解き下さる先に、身体の重荷を解こうとする稼業の不埒な追剥や山賊の夜禽どもから、ともに身を護り合うべく、三人揃って羅馬まで同行いたすことに、目出度く話が決ったのであった。
俗に酒は話の鍵と云うが、案の如く鱈腹きこしめした三人は、べらべらと舌の根をほどいて、こうした巡礼の旅に上るのも、もとはといえば女の一物からの罪作りと、銘々に打明け話を始めたのであった。傍らにいた給仕の女も、ここいらに来る巡礼百人のうち、九十九人までは、やはり女ゆえの罪つくりだと口を添えたので、三賢人は今更のように、男にとって女ほど邪悪なものはないと、慨歎これを久しゅういたした。
やがて郷士は鏈帷子の下に隠し持っていた重い金鎖を取出して見せて、これはピエール聖人様に奉る供物だが、たといこんな鎖を十箇奉献つかまつったところで、帳消しになるような己が罪業では御座ないと語れば、巴里っ子も手袋を脱いで白ダイヤの指環を見せ、法王様にこれを百箇ほど差上げねばならぬくらいの罪深き身であると述懐するなかに、ブルゴオニュ人は帽子を脱いで、見事な真珠の耳飾りを一対しめして、これはロレットのマドンナさまに捧げる品だが、いっそうちの女房殿の頸に残しておきたかったと告白めされた。
それを聞いた給仕女は、あなたがたの罪障は、この町のヴィスコンチ家のそれに劣らぬくらい罪深いものに違いないと云ったのに対し、巡礼たちは口を揃えて、これからは法王様から課せられる罪業消滅の苦行を守るは勿論のこと、いかな美しい女人に逢おうと、金輪際、煩悩には打迷うまいという堅い誓いを、心中に立てている旨を、異口同音に述べたてたので、尠からず給仕女も吃驚いたした。
ラ・ヴォグルナンは言葉を継いで、アヴィニヨンを出てから自分ひとり遅れたというのも、実はこうした誓いを済ませるためで、自分の息子はまだ年歯もゆかない子供だが、女色に迷うことがあってはと懸念して、わざわざ国に連れ戻し、己が屋形や領地では、人や家畜も一切まじわりを禁止いたす旨のお達しをしてから、急ぎ立戻って来た次第であると語ったので、不思議に思った独逸人がその訳を訊ねると、ラ・ヴォグルナンは次のように語り出した。
『そのむかし、アヴィニヨンの御城主ジャンヌ伯爵夫人がきついお触れを出して、城下の淫売女を悉く町外れに追い払われ、稼業の目印しに窓の鎧扉を赤く塗って鎖すようにと御布告なされた次第は、夙に御存じのことと思いますが、過日あなたがたと御一緒にその汚らわしい界隈を通り過ぎました際、さすがに子供は目ざといもので、今年十歳になる私の息子が、赤鎧扉の家に眼をとめて不審がり、頻りに私の袖を引張ってあの家はなにかと訊ねますので、仕方なく私はそのおよその説明として、ここは男や女を造る場所だから、子供などには縁のないところだし、入ろうとすればいのちがあぶない。第一その作業を知らぬ者が、のこのこ出掛けてなどゆこうものなら、忽ち飛蟹や猛獣が顔に飛びついて来て、喰い殺されてしまうぞと脅かしてやりますと、子供はすっかり怖気づき、二度と眺めようともせず、ほうほうの態で私について旅宿まで来ました。ところが私が馬の蹄鉄をしらべに、厩舎に降りたその隙を見て、子供は泥棒のようにこっそり忍び出たらしく、女中に聞いても伜の居場所は皆目知れません、さては女郎買いにでも行きおったかと、ひどく気を揉みましたが、考えてみると、法令の手前もあるし、十歳足らずの子供を客にする気遣いはあるまいと、心静めて待っているうち夕食時分になって、学者先生たちの大勢群っている寺院のなかへ、怖れ気もなく入ってゆくキリストのように、悠然として子供は戻って来たではありませんか。
――おい、何処へ行って来たんだ? と私は訊ねました。
――赤い鎧扉の家へ。
――餓鬼のくせしてこの道楽者め! よし、鞭でうんとお仕置をくらわしてやる!
そう私は怒鳴りますと、子供は泣いたり喚いたりして、憐れみを乞いますので、何をしてきたか有体に白状しさえすれば、痛い目にだけは会わさずにおこうと申しました、すると子供は、
――なんでもないんです。飛蟹や猛獣がいるっていうから、用心して内へ這入らずに、一体どうやって人間をつくるものか見ようと、窓格子の間から覗いて来ただけ。
――それで何を見たのだ?
――ちょうど美しい女の人が出来上りかけているところだったの。あともう楔《くさび》一本で済むらしく、若い職人が一生懸命に打ち込んでいましたが、それが終ってから、女の人は向き直って作り手に話しかけ、二人で接吻なんかしていました。
――よし解った。さっさと夕飯でも食べろ。
その晩のうちに私は伜をブルゴオニュに連れ戻って、家内にしっかと預けて来ました。旅先きでいきなりそこいらの娘さんに、伜のやつめ、楔でも打ち込んではと、ひどく気に掛ったものですから。』
『子供はよくそういった名答をやらかすものですよ。私の隣人の息子ですが、親父が寝取られ男のことを、たった一言で素破抜いたという話があります。』と巴里の町人は語り出した。『ある晩のこと、私は学校でその子供が信仰釈義のことをよく習っているかどうか験そうと思って「エスペランス(本願)とは何ぞや?」と訊ねますと、「父親の留守に、しげしげと家へ来る巨きな弓使いです。」と答えるじゃありませんか。なるほどその王室弓杖士は、隊内でエスペランスという名で通っている男でした。それを聞いて親父はひどくたまげたようでしたが、無理に平静をよそおって、傍らの鏡なぞのぞいていましたが、間男されの角など映らなかったでしょうよ。』
独逸の郷士は傍から口をはさんで、
『その子供の珍答はなかなかに穿っていますね。エスペランスというのは、われわれがうつらうつらした折り、添臥しに来る妖女を云いますからなあ。』と云った。
『寝取られ男というのも、やはり神様のお姿にかたどって創られたものでしょうね。』とブルゴオニュ人が云った。
『いや、そうではありますまい。その点にかけては、さすがに神様は賢明ですよ。女房を娶らぬだけに、未来永劫まで気は楽でさあ。』と巴里人は答えた。
『神様の似姿どおりに、コキュは創られているのですわ、角をつけられる前まではね。』と給仕女は口をはさんだ。
そういわれて三人の巡礼は、今度は話頭を転じて、この世のありとあらゆる悪は、みな女人ばらのなせるわざだと、口を揃えて女を呪いあった。
『女のもちものは兜のようにからっぽだ。』とブルゴオニュ人。
『女の心は鉈のように真直ぐだ!』と巴里っ子。
『しかし男の巡礼は多くて、女の巡礼の尠いのは何故でしょうなあ。』と独逸郷士は言った。
『あんな夜叉の代物に、罪の念なんてあるものですか。生みの父母もわきまえねば、神の掟も、教会の律《さだめ》も、天の道も、人の法も、てんで認めようとしないのが、女人の持物なのですからねえ。ありがたい訓えも邪しまな異端も、一緒くたにしているのですから、どだい咎めようもありませんや。邪気がなくって高笑いばかり始終しくさって、物もなんにも解らぬとくる……だから私は女の持物が真平なのでさあ。いくら憎んでも憎み足りないくらいですよ。』と巴里の町人が答えた。
『至極同感ですなあ。』とブルゴオニュ人も相槌を打った。『そういえば聖書の創世記のところの一節に、新解釈を下している一学者の異説があります。私達の国ではそれをノエル釈義と云っていますが、女人の持物の欠陥が、鋭くそこでは解釈づけられているのです。なにしろ女のもちものには、ほかの雌どもとは較べようもないほど、悪魔のあつい熱気が宿っているので、いくら女人の渇きを癒してやろうとしても、到底男子の力では、済度出来ないという訳合があるのです。
なんでもこのノエルに依りますと、むかし神様がせっせとエヴをおつくりになっていた最中、ちょうど天国ではじめて驢馬が嘶いたもので、神様がちょっとその方を御覧になった隙に、最前から機会を窺っていた悪魔が、純美そのもののようなエヴの肢体に、指を突込んで熱い熱い傷口をつけたのを、神様が早速縫針でお塞ぎになったというのです。それが素女点のそもそもの由来だそうですが、こうした繋帯《けいたい》のあるために、女人のはうまくそこが塞がっていられるので、また天が地よりも高いように、肉悦を高く超えた浄い歓喜を以て、神様が天使をおつくりになった如く、女人に子供がつくれるのだという訳ですが、こうした閉門を見て残念がった悪魔は、へこまされた口惜しまぎれに、ちょうど傍らに寝ていたアダム殿の皮膚の一部をば引張って、悪魔の尻尾に似せて伸ばしたのですが、人間の父親は、この時あおむけに寝ていたもので、悪魔の景物は、前の方にと伸びてしまったというのです。こうして悪魔の仕業のこの二物は、神様が世界運行のためにお定めになった、同気相牽くの法則に基いて、互いにあいあわんとして、烈しく求めあうようになったというのですが、神様は悪魔の仕業を御覧遊ばして、このさきどうなるものか、暫く傍観してみようと、手を拱いてしまわれたので、人類の原罪と永遠の苦患は、かくして生じたという話です。』
その時、傍らに控えていた給仕女は膝を乗出して、まことに殿方たちの仰有る通り、あたしたち女は罪深いけだもの揃いで、現に妾の知っている女のなかでも、この世にいるより地獄にいる方が似つかわしいのが、いくらでもおりますという言葉に、巡礼たちは今更のようにその顔を見ると、これがなかなかの別嬪なので、かねての誓願を破ってはと怖気づいて、それぞれの寝床に駆け込んで行った。
給仕女は宿の女将の許へ行って、とんでもない邪宗門たちに宿を貸したものだと訴え、さきほどからの女人に対する悪口雑言のかずかずを並べ立てると、女将は、
『お客が、あたまにどう思っていたって、財布にたんまりお金さえ持っていれば、あたしの知ったことじゃないよ。』と素気なく云うので、給仕女は彼等の宝石の話を持出すと、
『なるほど、それじゃ女として黙ってはいられない。行ってひとつ道理を諭して来てやろう。妾は貴族二人を手玉に取ってくるから、お前は町人をとっちめてお出で。』と張りきって女将は言った。
この女将はミラノ公領きっての好きものの淫婦だったので、早速にブルゴオニュ人と独逸郷士が同宿している部屋に行って、二人の殊勝な誓願を褒め揚げて、殿御に添わぬとの女子衆の誓い事ならいざしらず、殿方がそうした誓いを遊ばすからには、どんなとろけるような誘惑を受けても、断じて参らぬという修業を、今のうちから積んでおくのが大切でしょうと申して、進んで二人の傍へ添寝いたした。男と共寝して跨られなかった例しのついぞない女将としては、無難に一夜を過ごせるかどうかに、深甚な好奇心が湧いたからでもある。
その翌朝、朝餐の席上で給仕女は指に指環を光らせ、女将は頸に金鎖を、耳に真珠を飾っていた。
三巡礼はこの町に一月ほど滞留して路銀の財布の底をはたき、いつぞや三人して女人を呪いあったというのも、ミラノ女の味を知らなかったからだと頷きあった。
独逸に帰った郷士は、今迄お城にばかり蟄居して世の中を知らなかったことが、たった一つの罪業だったとの悟りを開いたし、――寝物語を数々と仕込んで、巴里に戻った町人は、女房が「エスペランス殿」と密通の場に出逢わし、――ブルゴオニュの領主は、奥方がすっかりお冠りなので、さきにお達しをした手前にも拘らず、勤行《サーヴイス》にこれ努めた揚句、腎虚して危く死にはぐるところであったという。
宿屋などでは、あまり軽口をたたかぬがよろしいとの、これはこれ修身譚である。
天真爛漫
吾儕の雄〓《もちもの》の赤い一対の鳥冠にかけて、吾妹子の黒い上沓の薔薇色の毛裏にかけて、またわが親愛なる寝取られ亭主の殿がたの角細工物にかけて、及びそのいともかしこき御内室連中の操の花にかけて、――およそ人間の造ったもののうち、もっとも立派な作品といえば、詩文でもなければ絵画でもなく、音曲でもなければ城郭でもなく、巧緻を極めた彫刻でもなければ、帆前船や櫓船などでもさらさらなく、実に子供であるのである。といっても十歳までの子供で、それを過ぎればただの男か女になってしまって、物心もつくかわりに、かかっただけの値打もなにも失われてしまう。もっとも始末のわるいのが、もっとも上乗のものとなることがあるからだ。
子供があどけなくスリッパー、それも孔のあいたやつや、家具調度など、総ゆるものを遊び道具として気に向かぬものは打棄り、気に入ったものは無性に欲しがり、蔵いかくした砂糖菓子やジャムをこっそりとぱくつき、とっときのお菓子を、もぐもぐと失敬し、歯が生えそめるや、何時もにこにこしているさまを、まあ見てやって頂きたい。そうすれば子供は無性矢鱈に可愛いものだという私の説に、きっと同心して頂けるであろう。まことに子供は花であり、実である。愛の果実であり、人生の花朶である。浮世の荒浪に押し流される前の子供たちの云う言葉ほど、世にも聖く、悦ばしいものはない。これこそ天真爛漫の極みで、牛に臓腑が一対あるのと同じくらいの千古に炳たる真理である。一人前の大人が子供のように、無邪気になろうとしても不可能である。大人の無邪気さには、理性という不純物が交っているが、子供の無邪気さときたら、清浄で、無垢で、しかも母親ゆずりの才智が閃いていること、以下の物語の示す通りである。
カトリーヌ王妃がまだ皇太子妃でましました頃、当時ちょうど御不例にわたらせられた御舅君の国王への御愛想として、時おりイタリアの名画などお贈りになって、御機嫌を取結ばれておられた。国王フランソワ一世はいたって丹青の道をお好みになっていることを、存じておったからである。王にはウルビノのラファエル画伯や、プリマティス画匠、レオナルド・ダヴィンチ大人などをお召しになって、莫大なお手許金を毎々賜っておられた。
ある時、カトリーヌ妃殿下は、カルロス五世皇帝の御愛顧も深い、今を時めくティシアンというヴェニス生れの画家の描いた素晴しい名画を、実家のメディシス家からお取寄せになって、御舅君に献上いたした。メディチ公は当時トスカナの領主であったので、百花競爛の当時のイタリア画壇を、すっかり壟断しておったのである。
このティシアンの画というのは、神に追放されて地上の楽園を〓佯しているアダムとエヴを等身大に描いたもので、当時のままの身なり――つまり無智そのものの形恰好で、何れも天の生みなせる麗質をあらわに露出している姿態だったから、よもやおとこおんなを見間違う筈とてもなかった。このような絵は、その色彩からいって、実に描きにくい難物であるが、上述のティシアンは、こうした丹青の妙にいたって精通しておられたのである。
ちょうどその頃、一期《いちご》の病いに御呻吟あそばされていた国王の御病室に、このティシアンの名画は飾られることとなり、たちまちにして宮廷中の大評判となって、一目なりともその絵を眺めようと廷臣たちは大騒ぎであったが、病王の思召しにより、御存命中これを御病室におとどめおかれることになったので、王の百年の後を待たねば、何人にも観賞のお許しが得られないのであった。
ある日のこと、カトリーヌはフランソワ王子とマルゴー王女を伴われて、病王の御病室に参上つかまつった。この小さなお二方とも、下々の子供たちと同じように、出まかせに喋る年頃におなりになっておられたが、あちらこちらで評判のアダムとエヴの絵のことをお耳にせられて、無性に好奇の念に駆られ、しきりと母君におせがみになったので、つねづね病王のお慰み相手となっていた可愛い若君たちのたっての御所望のこととて、ともども連れて参られることに相成ったのである。
『さあ、お前たちが見たがっていた、人間の御先祖、アダムとエヴの絵がこれですよ。』とカトリーヌは申された。
そしてティシアンの絵の前に、大きな口を開けて立ち止っている二人を残して、カトリーヌは王の枕許に参られたが、病王もお気に入りの孫君たちを、にこやかに御覧じ遊ばされておられた。
『この二人のうちどっちがアダムだろうなあ?』とフランソワは妹のマルゴーの肱を突つきながら云われた。
『まあ、お莫迦さんね。着物きせてみなくっちゃ解らないじゃないの。』とマルゴーはこれに即答いたされた。
この名答を国王も皇太子妃も、いたく興あるものに思召したらしく、カトリーヌがフロレンスへ送られた書簡にも、そのよしが記載せられてある。
この珍答を明るみに出した文人は、未だ嘗てござらぬゆえ、これはこの『風流滑稽譚』の一隅に、珍らかな花の如くに末ながく残ることであろう。もっとも一向に滑稽という訳でもなく、またこれといった教訓もこれから引き出せないが、しかしこうした可憐な童児の言葉を聞かんが為には、先ずは子供を儲けることが肝要という訓えをでも、汲みとって頂くことにいたそうか。
節婦インペリア
一之巻 恋の罠にインペリア あべこべに陥りしこと
一世に赫々たる艶名を揚げた美姫インペリアの物語を以て、これな『コント・ドロラティク』の華々しい幕びらきといたしたが、さてかの宗門会も済んでのち、インペリアは羅馬の都に移らねばならぬ仕儀とは相成った。ラグーザ枢機官どのがその角帽の体面を失うくらい、インペリアに惚れ込んで、身近に引き留めたがって聴かなかったからである。この色好みの僧都はいたく豪勢だったので、羅馬で立派な御殿をインペリアに贈られたほどだった。丁度この頃、インペリアはこの枢機官によって、お腹のかさが高くなるという不運に際会いたした。
誰方も御承知のように、この腫物の結果、玉のような女子が生れ、テオドルと命名するがよろしかろうと、法王にも冗談まじりに仰せられたが、神様《テ オ》の贈物《ドナム》というこれは洒落からである。さよう名づけられたこの嬰児は、たまげるくらい美しく育った。さて枢機官どのにはテオドルに全身代をのこして逝かれたが、母のインペリアは子宝の授かる有害の都を遁れて、在所の故枢機官どのの居館に移り住まれた。法王様が信徒たちの上位におさまっておられるように、インペリアを基督教国の美女麗姫らの先頭に祀り込んだ因をなしたそのあでやかな躯肢、五体取揃ったしたたるさ、すらりとした身体の線、麗しい背中のカーヴ、妖冶な腰つき、蛇のような小股の切れ上り振りなど、危く彼女は妊娠のために台無しにされるところだったので、都に懲り懲りいたしたのである。
しかしパドゥアの十一人の医師、パヴィアの七人の外科医、各地から集まった五人の刀圭などが、その産褥に立会った甲斐あって、それら仇めいた美しさは何一つ損われることなく助かったのを、情人たちの悉くは祝着にと存じた。なかには母となって却って肌の白さと、きめの細かさをインペリアには増されたと、取沙汰いたすものさえあった。もっともこの点に関しては、サレルノの医林の聞えた碩学が、一巻の書冊を著して、御婦人方の若返りに、健康維持に、皺伸しに、また美容保全に、分娩が極めて有効適切なることを立証めされておられる。またこの該博なる書中に於ては、インペリアの裡にあって、最も見て美しいものは、情人たちにのみ眺めることを許されし箇所であることが、読者に明らかにせられておるが、しかしこれが御開帳は極めて稀有なる事例に属し、彼女は独逸の小公などに帯を解くが如きことはせず、隊長が麾下の兵卒に対するように、それらの面々を彼女の藩侯、城主、選挙侯、公領主なんどと呼んで、見下して扱われておったほどである。
これも皆の衆御存じの筈と思うが、芳紀十八になられたテオドルは、母の放恣な生活の罪滅しのため、発心して尼となる決意の程を堅め、全身代をクララ修道院に贈る手筈にし、一枢機官を法の師として、勤行にいそしまれた。ところがあまりにも新発意が端麗なために、邪念を萌したこの性悪の師の君には、あべこべに彼女を手ごめにいたそうと迫ったので、浄いからだを汚されまいとして、テオドルはついに自刃して果てた。この出来事は当時の史書にも記されてあるが、インペリアの息女はみんなからいたく敬愛されておったこととて、羅馬全市を震駭させ、都民一般の愁傷ただならぬものがござった。
高貴な遊君には大層これを悲しまれて、羅馬に泣きに戻って参られた。年もその頃は三十九の下り坂にさしかかっておったが、時の文人の言に依ると、しかしそれは姥桜の爛熟美の、そのもっとも緑濃き時候であって、熟しきった果実に於けるように、彼女の裡にあっては、すべてが、まさに脂がのりきった完美の絶頂でごあったと申す。さればその泪を乾かそうとして、彼女に愛を囁いた連中は、インペリアが苦悩によって、いとも厳かになり、きつくもなったと評しておったくらいである。法王御自らも駕をまげられて、彼女の館に光臨遊ばし、懇篤な御慈誨をまで賜った。しかし彼女は神様に身を委ねると申し、深喪の裡に引籠ってしまわれた。というのは神様だけは、彼女を欺かなかったからで、その他のありやこりやの男は彼女を欺き、いつぞやは彼女が聖櫃のように崇めた雛僧フィリップにしても、その例しに洩れず、心の裡では今まで随分と望んだのだが、遂に今日びまで男という男に、満足を覚えたためしがなかったのであった。
彼女のかかる決心に、気をとり乱さぬ聖人君子とて尠かった。それほどインペリアは無数の殿方の喜びの的であったのである。だから羅馬の街なかでは、寄ると触ると大変な騒ぎとなった。――《マダム・インペリアはいかがいたす所存かな?》――《この世から色恋を総消しにする心算ではござるまいか。》各国使臣はそれぞれ本国の主君に宛て、這般の詳しい情報を書き送られた。羅馬皇帝にもいたく御軫念あらせられた。というのはいつぞや十一週間も皇帝には、鼻毛を伸ばしてインペリアを御溺愛になり、戦いに赴かれるため御膝下から渋々とお放ちになったが、今でも彼女を愛する事、やんごとなき玉体の要処を愛するが如くであらせられたからである。但し、要処と申しても、廷臣衆のお考えめされるような箇所では決してなく、皇帝の仰有るそれは眼の玉の謂いである。何故と申すに眼に入れても痛くないインペリアの悉くを嵌めこめるのは、ただ眼の玉あるのみと迄、勅諚せられておったからである。
事態かくの如く険悪化するに及んで、憂慮に堪えかねられた法王には、スペインの名医をお召し寄せになり、インペリアの許に差遣わされたるところ、国手はギリシャやラテンの引き言で飾った演繹論法をもってして、泪や痛恨は美貌を損う惧れのあること、悲しみの門から皺は滑り込んでくる次第など、いとも巧みに論証いたし、彼のお談義はまた反対派のサクレ・カレッジの博士たちによっても裏書せられたので、その結果早速その日の晩から、インペリアの館は大々的に公開せられることとなった。若い枢機官たち、外国の使臣ら、物持の旦那衆、羅馬の都のお歴々が、大部屋も狭しとばかりやって参って、盛大な夜宴が彼女の館にひらかれ、下々ではお祝いの篝火までも焚かれた。快楽の女王が原職に復帰めされたのを、かく一同は祝い申したが、まこと彼女は当代に於ける愛の女帝の観がごあった。
もろもろの芸術《たくみ》の工匠たちも、インペリアを篤く敬愛いたしておった。彼女はテオドルの墓のあるところに天主堂を築くため、莫大な金品を投ぜられたからで、この天主堂はのちに叛将ブルボン元帥《〈1〉》の薨ぜられた折り勃発いたした羅馬掠奪の際に、破壊されてしまった。というのはこの浄い乙女は、重い金塗の銀の柩に入れて葬られてあったのを、極道な兵士たちが発掘しようといたしたからである。なんでも当時の評判ではこのバジリック式寺院を作るのに、御主降誕前千八百年、エジプトの遊女ロードピス《〈2〉》がむかし建立したピラミッド以上の費用が、掛ったとかいうことである。これから見ても華かなこの稼業が、なんと太古よりのものであるかが解るし、また賢明なるエジプトの御仁らが、快楽に対し、如何に高価に支払っておったかが察せられ、それと共になんとよろずのものは、品下りつつあるかが慨嘆せられるのである。何故なら現今では銀貨一枚で、巴里プチ・ウルウ街に於て、白い肉《しし》むらの詰ったシュミーズを、ものにすることが出来るからで、いやはや、忌まわしいともなんとも、言いようがないわい。
喪を済ませて初めて現われたこの夜宴のあいだでほど、インペリアが美しく見えたことは絶えてなかった。公侯、阿闍梨其他のお歴々衆ことごとくは、口を揃えてインペリアは、地球全体の礼讃を受けるに値すると申した。その夜彼女の傍らには、名ある国々より参った俗性歴々の御仁が侍って、さながら地球全体の代表が一堂にあいつどった観があり、地上到る処において、美は万物の女王であることが、ここにはっきりと実証せられた次第であった。
仏蘭西王の使臣は、リラダン家の末弟であったが、いまだインペリアに拝顔の栄を得なかったので、ひどく興味を覚えて遅ればせながらその席に姿を見せた。このリラダンと申すは仏蘭西王の御寵愛あつい美しく若い騎士だったが、無量の優しさをこめて愛していた佳人、隣り合わせの御領主モンモランシイ殿の御息女を、宮廷に残して母国を旅立って参ったものである。末っ子貧乏の彼ではあったが、王命に依りミラノ公国へ派遣され、恙く使命を果したので、ついで羅馬へ特使され、史家がその著書に於てごてごてと書いてござる、さる重大な交渉の進捗役に当っておった。およそ無一物の彼ではあったが、華々しいデビューに幸先きよしと頼むところがあった。身丈は華奢で、円柱のようにすらりとし、頭髪は褐色で、黒い眼は太陽のように輝き、籠絡でけぬ法王使節の御老躰の鬚の如く、頼もしずくなところがござった。それに抜け目がないのを隠すように、風〓といったら、無邪気な子供そっくりだったので、まるで陽気な小娘のように、優しく愛くるしく見えたことである。
この伊達な白面の貴公子が颯爽と乗り込んで来たのを眼にとめたインペリアは、えならぬ幻想曲《フアンテジア》に身を喰い入られるのを覚えた。彼女の胸の琴線は、烈しく掻き鳴らされ、もう長いこと聞いたこともないような音色を、そこに発せしめられた。青春のこの新鮮な爽かさを見て、真剣な恋心に陶酔いたした彼女は、女王の威厳に遮られなかったら、林檎のように艶々しい彼の美しい頬辺に、飛びついて行って接吻したに違いはなかった。
が、さて次なることを、わきまえられたい。そもそも操高い御内儀や、紋章かがりのスカートをはいた謹直なる上臈衆には、殿御の性分を金輪際御承知に相成ってはおらぬのである。その訳はたった一人の殿御を、後生大事に守っておられるので、ちょうど仏蘭西の女王様と同じく、王様が鼻茸《はなたけ》だと、あらゆる男性の鼻は臭く、鼻持ちならぬものと御了簡あそばしているのと変りがない。それに引換え、インペリアのような高等内侍になると、男というものを底の底まで心得られておる。それは大層な数の殿御を手にかけられ、その紅閨にあっては、母犬にじゃれつく仔犬よろしく、男という男は、恥も外聞も脱ぎすて、長くつきあう仲でもないと考え、ありの儘のおのれを露呈いたしているためである。こうした忍従を歎き悲しんだ彼女は、常々自分は色稼ぎではなく荒稼ぎで、上臈でなく女郎であるとこぼしておったが、この点に彼女の生活《メタル》の裏面《う ら》があったということ合点歟。
いったい彼女の寝床に一夜を明かすには、驢馬に背負わせるほどの黄金が屡々と要り申した。にも拘らず彼女の肱鉄を受けて、喉を掻切った色好みも、決して尠くはなかった。そうした彼女にとって楽しい饗宴といえば、「美姫インペリア」の物語に於ける雛僧に対して抱いたような、青春のファンテジアに心ときめかすことでごあった。しかしあの楽しい時代に較べれば、彼女の年はもっと進んでいたし、愛の一念もまた彼女の裡に、さらに烈しくしっかと根を張って、一度それが揺られると、火の性のことをあらわにしておった。
まったくのところ、生皮を剥がれる猫のような熱い疼痛を、インペリアはその折り身に覚えたのであるが、その烈しさといったら、この貴公子にとびついて、鳶が獲物を銜え込む如くに、おのが閨房に連れ入りたい気が、無性にいたしたのを、じっとスカートのうちにこらえるに、いかい大骨折りをいたされたのであった。
そのリラダンがインペリアの許に初対面の挨拶に参ったる時、心の裡は愛執に燃えしきられている御婦人方のみなすなるように、表面は彼女もつんと〓頭《あたま》をのけぞらして、真紅の威厳を鎧ってこれに相対めされたが、若い使臣に向って仰山な荘重さを、インペリアがかく示されたのを見て、彼女が彼に対しオキュパシオンを(商売気とでも尻燃え《オキユパシオン》とでも訳そうか、当時の語法は極めて曖昧じゃ)、心に抱かれたのを一座の者は看取いたした。しかし母国にのこした恋人から慕われている身のことを、わきまえておったリラダンは、インペリアが厳粛であろうと軽佻であろうと一向に無頓着で、放たれた山羊のように、陽気に座を跳ね廻りめされた。その様を口惜しがったインペリアは、俄かに調子を変え、陰気から陽気に移り、いと華やかに振舞われた。即ちインペリアは親しく彼の許へ近づき、声を和げ、眼差を輝かせ、首をしなだれ、袖で何気なくさわり、《閣下》と呼びかけ、蜜語で抱きしめ、手で彼の指をもてあそび、艶然と笑いかけまでもいたした。一文無しのしがない若造が、彼女のお気に召すなどとは、考えもつかず、また彼の美貌は彼女にとって、世界の全宝物にも匹敵するなどとは、ついぞ思ってもみなかったので、リラダンはこんな罠にも引掛らず、腰に拳固をあて、蹴爪の上に悠然と構えておったのである。おのが恋慕曲をかくも蔑ろにされて、インペリアの心は苛立ち、この火花から心の裡は一面の火と相成った。このことを疑われるお方は、インペリアの生業を御存じないからであって、彼女は稼業に精出した結果、沢山の楽しい火を燃やしたゆえ、それは煤でつまってしまった煖炉にも、よそえることが出来申そう。こうした状態だと、百もの薪がぶすぶす燻っていたそこは、マッチ一本で何もかも燃やし上らせることが、造作ないのである。そんな訳で彼女の裡では、上から下までおそろしく旺んに燃え上ってしまって、愛の水をもってしなければ、到底に消せぬような仕儀と相成ったのでごある。
こうした猛火にすこしも気づかず、リラダンは辞去めされようとした。さりげない彼の退出のさまに、絶望に駆られた思いのインペリアは、頭から踵まで分別を失ってしまわれ、侍女をして彼を廻廊まで追わせ、彼女と共に臥せることを勧誘いたさせたのである。彼女の生涯のいかな時期に於ても、たとい相手が国王であろうと、法王であろうと、皇帝であろうと、かかる卑屈ぶりを示したことは、金輪際なかったところである。いったい彼女の身体《みのしろ》の高騰は、男性をその尻の下に敷く圧制さに由来するものであって、男を下へ踏み附けにすればするほど、彼女の器量は上にあがっていたのであった。
如才ない腰元頭《がしら》は情しらずのリラダンに、マダムが飛切りあじな恋の才覚をもって、おもてなしいたすに違いないゆえ、素晴しい床入りの風流事で、埒をあけられることを申し伝えた。身にあまるひょんな冥加に、ほくほくの態でリラダンは元の部屋に戻られた。彼の退出に色蒼ざめたインペリアを眺めた一同は、再び舞い戻った仏蘭西の使臣を迎えて、座の喜悦は大千世界にまでも拡がり申した。インペリアが甘美な愛の生活をまた始め出したので、何れもはや祝着に存じたからである。
一升徳利を幾つか倒し、さらに美姫インペリアの味をも試みようといたしておった英吉利の枢機官は、リラダンの傍にまいって、その耳許に囁いた。
『御辺の紡錘《つ む》竿《ざお》で、きつく彼女をお紡ぎめされい。爾今、我々から逃げ出さぬようにな。』
この晩の話は翌朝の起床時、早速法王のお耳に入った。法王はラテン語でこうお答えになられた。
「主ノ甦リニツグ欣ビトモ申サン。」
この法語に対し枢機官のお年寄連中は、聖書の冒涜であるとして、いたく禍々しがられた。それを聞かれて法王は大層お憤りになり、これを機として一場の御訓誨を遊ばされ、御辺らは立派な信徒かは存ぜぬが、断じて立派な政治家では御座らぬと仰有られた。ありようを云えば、法王は皇帝を懐柔いたそうとなされて、インペリアを利用し、ためにインペリアに追従たらたらで、諂いの水を向けておったのでごある。
館の灯は消え、金の酒壺は床に転がり、酔いしれた召使は、絨毯の上で高鼾であった。白羽の矢を立てた、いとし殿御の手をとって、インペリアはいそいそ閨房へと赴かれた。後に彼女の告白せるところに依れば、烈しい欲情に狂おしくなり、いっそのこと圧し潰して頂戴と叫んで、荷鞍馬のように床上に大の字になろうとまでいたしたるよしにござる。リラダンはおもむろに着物を脱ぎ、我が家にいるように、悠然と床に就いた。その様を見た彼女は、スカートを外す間も遅しと、じたばた足で寝台の上に躍り上り、歓楽の只中へと突き入られたが、床入りにあっては、較べる女子もないくらい、彼女がしおらしいことをよくと存じていた侍女たちは、今宵の彼女の荒々しさには、とんと度胆をば抜かれたともうす。
国全体もまたかかる驚きを共にいたした如くであった。というのは恋人同志はまる九日間、寝床の中に留って、飲んだり食ったり、それからまた最上級の人外なる手業をもちいて、追羽子あそびにとっくり堪能いたし、追いつ追われつ身をばこなされたからである。インペリアが腰元衆へ述懐めされたところによると、愛の不死鳥《フエニツクス》を掌中にいたしたかの如くで、それほど彼は撃ち合い毎に、生々溌剌と再生して参った趣きである。どんな殿御にも降参はせぬと、豪語いたしておったインペリア屈服の噂は、羅馬や伊太利の仰山な取沙汰とまであいなった。公爵様はおろか、あらゆる男という男に、唾をかけておった彼女である。上述いたした城主太守や藩侯などの手合には、衣裳の裾を捧持するの光栄を許すぐらいが関の山で、もしも彼等を下に踏み敷かなかったら、彼等の方で彼女の上に踏み登って参るに違いないと申しておったその御当人が敗北めされたのである。とにかくインペリアが腰元衆への打明け咄に依れば、これまで長く我慢して参った並の男たちとは反対に、あの殿御はいとしがればいとしがるほど、もっといとしんでやりたいという癖がつき、彼なしには済ませなくなり、彼女の眼を昏くする彼の美しい眸なしにはとんと埒もあかず、常に彼に饑渇を覚えさせるていの彼の珊瑚の枝なしには、了簡つかなくなるとの御託宣でごあった。だからもし彼が望むのなら、おのが血潮をも吸わそうし、世界でもっとも美しいおのが乳首も齧らせようし、うるわしいこの髪を切っても差上げようとの告白まで、インペリアはつかまつったという。彼女の髪の一筋は、羅馬皇帝お一方にだけかつて授けられたことがあったが、皇帝にはやんごとない聖遺物のように、頸にかけてこれを御秘蔵あそばしておられるとか申すことである。最後にもう一つ、彼女が打明けめされた所では、漸くこの晩初めて、彼女の本当のいのちが始まり申したといってよく、それほどこのヴィリエ・ド・リラダンは、温柔郷にて彼女に本懐を遂げさせ、蠅のちょっとつがうような間に、彼女の心臓をへめぐる血の廻転を、三層倍も早めるにいたったのでごあった。
かかる秘めごとが世に伝わるや、諸人いたく落胆に及んだ模様でござった。インペリアは床から出るや否や、羅馬の上臈衆に向って、もしもこの殿から捨てられるようなことがあったら、おのが冥利は尽きて死ぬるであろうと申し、クレオパトラ女王のように、蝎か蝮蛇に身を咬ませて、相果てる所存のことを述べ、今迄の狂わしい妄想に、永遠のおさらばを告げ、全基督教国に君臨するより、この殿御の下婢となる方が好ましいゆえ、おのれが美しい天下を彼のために見棄てて、貞淑とはいかなるものか、全世界に示してやる心組だとまで、とどのつまりには明言をなされたという。
万人の悦楽であった女人の心を、たった一人に与えて了うような真剣な恋は、劣悪なる堕落事であるから、風流界をないがしろにするこの結婚を、法王には異端教書を発して、無効と宣すべきであると、英吉利枢機官は法王に御苦諫あそばされた。然しその生活の惨めさを懺悔する、この憐れな乙女の愛情には、まことに哀切で美しいものがあり、いかな悪性男の肺腑をも刳ったので、いろんな故障も次第に立消えとなって、ついには万人はその果報をインペリアに相許したのであった。
四旬斎《カレーム》の日、やさしいインペリアは召使たちを精進潔斎させ、懺悔に行って神の御許に戻るようにと命じ、彼女自身は法王の足下に身を投げて、過ぎ来し愛慾の罪業をすっかり悔悟贖罪めされたので、悉くの罪障の特赦を法王から賜り申したが、やんごとなき法王の宥免は、彼女の魂に処女性を賦与するものとインペリアは了解めされた。リラダンに処女性を捧げることは能わぬのではないかとは、密かに彼女が憂えておったところであったのである。
されば宗門の洗礼盤の霊験いやちょこなること、まこと驚くに堪えたるものがある。と申すはリラダンは鳥黐だくさんな網にすっかりとくるめられ、その身さながら天国に遊ぶの思いをして、仏蘭西王から託された談判も忘れ、モンモランシイ御息女に対する恋慕も消え、遂には何もかも打棄てて、インペリアと生死を共にすべく、彼女と結婚する段取りにまで、覿面に相成ったからである。快楽の姫御前が上質の愛の方へと一度にその蘊蓄を傾けめされれば、万事すらすらと埒の明くこと、なんとかくの通りでごある。
インペリアはさかんな華燭の宴を催して、彼女の御贔屓や恋鳩たちに、別れを告げたが、その盛大なことは前古未曾有で、伊太利の貴顕悉くは一堂に相会した。彼女は黄金百万枚持っておったとの噂が立った。この金額の尨大さに、世人は花婿どのの蔭口をいうどころか、たくさんの祝辞を申した。というのはインペリアもまたその若い燕も、二人ともお宝なぞに目もくれず、ひたすら愛の一儀のみしか念頭にない天晴れなる方々のことが、はっきり世間には判っておったからである。法王におかせられても二人の結婚を祝されて、狂おしい乙女が結婚の道に依って、神の御許に戻る結著を見るのは、まことに善哉じゃと仰せられになった。仏蘭西の一介の城主の奥方になろうとする美の女王を、最後に見ることを許された、いやはての晩のあいだ、多くの人達は嘗ての酒池肉林の夜会や、真夜中の饗応や、仮面舞踏会や、愉しい歓楽の宵々や、心のたけを彼女に打明けた温柔の時々を偲んで、いたく打嘆き、このたおやかな女人の邸宅に見受けられたあらゆる気随気儘を哀惜すること、頻りなるものがごあった。
情熱の方図もないあつさは、彼女を太陽のように光り輝かせて、その生の春の如何なる時期より、今宵のインペリアは、蠱惑的に見えた。堅気になるなどの陰気な考えを、彼女が起されたことを歎き寄るお人に、二十四年も公共のために尽した以上、退隠いたしてもよろしかろうと、冗談半分に彼女は答えられた。太陽はどんなに遠くにあっても、誰でも身を温めることが出来るのに反し、愛の太陽である彼女はもう姿を現わさなくなって了うのかと、涙する御仁には、律儀な御内儀ぶりを見に参られる殿方に対しては、決して微笑を惜しまぬ旨をインペリアには約束めされた。これを聞かれて英吉利の使臣は、インペリアはあらゆることが出来、貞淑を最高の域にまでも推し進めることさえおできじゃと申された。インペリアは友達のそれぞれに贈物を遣し、羅馬の貧しい者や悩める人々に莫大な金を贈った。ラグーザ枢機官から戴いたテオドルの遺産金悉くを継承めされていた彼女は、テオドルが入る筈だった修道院や、テオドルの冥福の為に建てた天主堂にみなそれを奉献してしまわれた。
鳴りをひそめた殿方はもとより一般の大衆までさえ、新婚夫婦の旅立ちを、はるばるどこどこまでも見送って、前途の幸福を口々に祈った。インペリアは偉いお方に対してだけ冷酷で、貧しい人には遍くやさしくいたしておったからである。美しいこの色界の女王は道筋の伊太利の町々からあつい歓迎を受けた。彼女の改宗の噂は国中に拡まって、類い稀れな相愛のこの妹背仲を見ようと、誰もが躍起になっておった。万人に対するその権勢を投げうって、堅気な女房になろうとするインペリアの勇気には、敬意を表する必要があると申して、多くの諸公がたはきそってその宮廷に新夫婦を招待いたした。しかしなかにはフェラーラ公どののような肚黒の仁も御座って、リラダンに対し大身代を安くお手に入れめさったと皮肉られた。この最初の侮辱に対しインペリアは、如何に彼女が高潔な心根を持っておるかを実証めされた。すなわち彼女の恋の鳩どもからあまた頂戴いたした黄金悉くを散じて、フロレンスの町のサンタ・マリヤ・デル・フィオレの円屋根の装飾に、すっぱり寄進いたしてしまったからで、その結果、歳入の空っ尻にも拘らず、天主堂を建立つかまつったと誇って御座ったエスト太守は、とんと世の物笑いになってしまわれた。エスト太守は兄の枢機官から、妄語のお叱りを受けたことは勿論である。
インペリアはおのが財産と、かつて手切れにあたって純然たる御友情から下し賜った、莫大な額の皇帝のお手許金だけを身にのこした。リラダンはフェラーラ公に決闘を申し込んでこれに手傷を負わせた。かくしてリラダン夫妻には、批議される節は何一つとてなかった。騎士道の精華をかく現わした彼等は沿道の各所、殊にピエモンテに於ては、華やかな送迎を受けた。ピエモンテ地方の歓迎ぶりと申したらまったく風雅きわまるもので、インペリアを謳う詩や小唄や祝婚歌や頌歌は、無慮数巻の名詩選《アンソロジイ》に輯められたが、しかしいかな詩歌も彼女に比しては、とんと影薄いものでしかおりなかった。何故かならボッカチオ大人の言葉を藉りれば、インペリアは詩そのものであったからである。
こうした祭典や風流の競い合いのなかで、なんといっても白眉なのは、寛仁な羅馬皇帝の思召しであった。皇帝はフェラーラ公の失態をお聞きになられて、特使を発してラテン語の御親書を御寄せになり、飽く迄彼女の身そのものを愛しておること、彼女の幸福を知って喜ばしいこと、ただおのれが授けた果報でないのが淋しく、彼女に贈物をとらす権利を失ったことが限りなく悲しいことなどを告げられ、もしも仏蘭西国王が彼女を冷遇するのであったら、神聖帝国内の好きなところにリラダンの公国を授けるゆえ、そこに永住して貰えたら光栄に存ずる旨をば書き送られた。インペリアは早速に返書を認め、皇帝の御仁慈に感泣のむね申し、仏蘭西でどんな無礼を受けようと、さりながら彼地で余生を送る心算のことを、これに告げ知らせたのであった。
二之巻 めでたき結婚の終幕のこと
歓迎されるかどうか解らなかったので、インペリアは上流社会にも交わらず田舎暮しをいたした。良人はボオモン・ル・ヴィコントの采邑を購って、妻の快い閑居地にした。真紅な麗しい丘《ボオモン・ルビコン》(紅臼山・陰阜)とでも申すべきこの地名のてこへんな語呂合せに就ては、われらが敬愛するラブレエがそのいみじき名著のうちで既に語っている通りである。兄ヴィリエの住んでいたリラダンの近傍の地、ノワンテルの領地、カルネルの森、サン・マルタン其他を弟リラダンは更に買い求めたので、イル・ド・フランスや巴里子爵領地方で、もっとも権勢ある領主となった。ずっと後に英軍の為に壊されたが、ボオモンに見事な城館を彼は建てて、優れた鑑識家だった妻インペリアの選んだ家具や調度や異国の絨毯や、箪笥や絵や彫刻や骨董品などで、一面に飾りつけたので、この城館は聞えた名代のお館にも負けぬ立派なものとなった。
新夫婦はみなから羨まれるような暮しを送ったが、みやこ巴里でも宮廷でも、この結婚のこと、リラダン殿の果報のことが、大層評判になり、それにも増して取沙汰されたのは、彼の妻の完全で忠実な、優美で信仰篤いその暮しようであった。昔通りの習慣で、相変らずマダム・インペリアと呼ばれていたが、もう前のように権高くもなければ、鋼の如く尖鋭なところもなく、女王様の修身のお手本にもなれるくらいの烈婦の貞淑と美点を備えめされていた。篤い敬神の念からインペリアは宗門からも愛されていた。いったいが彼女は一度でも神様を忘れたためしがなかったからで、その昔彼女が申したように、教会の御連中、司祭、司教、枢機官などに、衆妙の門で煩悩即菩提を訓えまいらせ、その蛤貝に有難い洗礼水を授けて戴いて、ベッドの二つのカーテンの間で、彼等に無常迅速色即是空を観じまいらせたそれは功徳のためだった。
インペリアに対する世上の称讃があまり烈しかったので、国王もこの生菩薩を御覧じ遊ばそうと、ボオヴェまでわざわざ玉駕を扛げさせられ、ボオモンに駐輦あそばすという君寵を、リラダンどのに授けられた。国王には女王や廷臣一統と、三日間御滞在に相成り、その地で御猟を催された。インペリアの容体のあてやかさに、王をはじめ女王、官女、宮廷一同、舌を捲いたことは申す迄もなく、淑徳と艶美の第一人者との折紙までもつけられたほどだった。初め国王、次いで女王、それから臣下の面々がリラダンどのに対し、かかる女人を選んで参ったることを、お祝い申した。インペリアの淑雅は、その気位高さ以上の効果を発揮いたし、早速に宮廷へも招かれ、到る処で引張凧になった。けれど彼女の優れた心根が、切なるものになればなるほど、良人に対する烈しいその愛執は、さらに圧倒的なものになって行ったし、淑徳の旗印の下に秘められたその魅惑は、いやがうえにも典雅なものとなったことは、くどくどしく申し上げるまでもあるまい。王はリラダンを、空席だったイル・ド・フランスの国王代理官に任じ、巴里の奉行を兼ねしめ、ボオモン子爵の称号までも授けられたので、彼は全州の太守たる地位を確立し、宮廷に巨歩を印することに相成った。
しかしインペリアは王の御滞留中、心に一つの痛手を受けた。というのはこの混り気のない幸福を嫉んださる肚黒の御仁が、リラダン殿から初恋の佳人モンモランシイ姫に就いて、何かお聞きめされたかと、彼女に冗談半分訊ねたからである。羅馬でリラダンが結婚した折り、十六だったモンモランシイ姫は、その頃二十二になっていたが、リラダンを熱愛していたので、その後も嫁がず、降る縁談にも耳をかさず、奪われた恋人の思い出を心に消しかねて、失恋の悩みをスカートの裡につつみ、シエルの修道院に入ろうとまで、思い決していたのであった。
幸福な六年間のあいだ、インペリアはついぞ姫の名を耳にしなかったが、そのことだけでも、如何に彼女が、深く愛されていたかが、はっきりと解ったのだった。実際のところ、この長い歳月もたった一日の如くに過ぎ去り、二人は前の日結婚したようにその日その日を送り、各夜は結婚初夜の連続であったから、リラダンが何かの用で他出しても愛妻の姿が見えぬのが心憂く、その傍を離れるのが無性に淋しかったし、思いはインペリアも同じであった。
リラダンを寵愛めされていた国王が、ある日、『貴殿には子宝が授からぬのか?』と仰有られたその一言が、彼の心には〓のようにささったが、指で傷口を突込まれた人のように彼は、『私の兄には授かっておりますので、家名の絶える憂えは幸いと御座いません。』とお答えした。ところが兄のその二子が不幸にも夭折いたした。一人は馬上試合で落馬して果て、一人は病いがもとで早世し、二人の子供を大層可愛がっていた父親も、子を失った嘆きで、これまた果敢なくなってしまわれた。その結果ボオモンの子爵領も、カルネルもサン・マルタンもノワンテルも、またその近傍の采邑も、みな亡兄リラダンの領地やその隣れる山林地と併合されて、弟ヴィリエ・ド・リラダンはここに家長としておさまったのであった。
この頃インペリアは四十五歳になっていたが、まだ肢体は水々しかったので、依然子供の出来そうな塩梅であったが、どういうものか授からないので、リラダン家の家系断絶を憂えて、何とかして後嗣が欲しいと躍起になっておった。ところが、七年も経つのに、ちっともその気配は見えず、巴里からこっそり呼んだお偉いお医者さんの診断では、不妊の原因は夫婦とも何時も夫婦であるより、恋人同志でありすぎて、ために事に際して、あまりに喜悦がるので、妊む方がおろそかになる所為だと申されたが、やはり彼女もそう考えざるを得なかった。そこで健気にも暫しの間というもの、雄〓に組み敷かれた雌〓のように、泰然としてみようと努めることにした。というのは医者衆から、次のような御卓見を聞かれたからである。即ち自然の成行にまかせれば、獣類は必ず妊まざるを得ない。その訳は人類の雌どもがポワシイの橄欖油《オリーヴ》を以て調ずるあのあじゃらけた技巧や手管や諸わけやちょっかいなぞ、畜類の雌はちっとも用いられないからで、だからこそ馬鹿畜生と云われるのも、むべなるかなである。――といったような次第で、彼女はもうその大事大事の彼の珊瑚の枝を玩びもせず、また彼女の編み出したあじな砂糖煮づくりの秘法も、一切忘れ切るべく心に誓われた。そして当時名代だったドイツ女のように、横になったきりで、じっとおとなしく観念してみた。それなのに嗚呼、ついぞ子宝には恵まれぬので、深い憂愁に陥らざるを得なかった。そのドイツ女というのは、事にのぞんであまりにも神色自若たりし結果、良人に乗り潰されてしまわれたので、良人は法王に罪業消滅の特赦をお願いしたところ、かの有名な親書を法王には御発布遊ばされて、二度とこうした罪障の起らぬよう、一儀をものするに当って、まそっと身体を動かされるようにと、バヴァリアの上臈衆に懇請せられたげに御座る。
愛の実が結ばぬことを、良人も妻に隠れて時折り嘆いては茫としているさまを、インペリアはそれと窺い知り出すようになった。それで間もなく夫婦はともに泪を交えわかつことになった。美しいこの夫婦仲にあっては、すべてが共通だったし、堅く二人は結び合っていたので、しぜん一人の考えは、他の考えとなってしまったからである。インペリアは貧乏人の子供を見ると、羨望のあまり死なんばかりになり、その気力を恢復するのに、まる一日も掛る始末だったので、こんな苦しみを妻から除こうと、リラダンはあらゆる子供を、インペリアの眼から遠ざけるように命じ、傍ら妻に数々の慰め文句を言った。たとえば子供は根性わるく育つ例が多い、と気安めを申せば、相愛の二人の仲の子供なら、世にまたとない育ちの好い子が出来る筈と彼女は反駁めされたし、兄の子供達のように、わが子も早世するかも知れないと危ぶめば、牝〓が雛っ子をはぐくむように、彼女のスカートから子供を遠放さずに、目の届くところに何時もおくから大丈夫と打消し、何を言われてもインペリアは、決して返答には窮しなかった。
魔法使いの評判があり、その奥義に参じている疑いの一老婆を、インペリアは招いてお伺いを立ててみると、子を授かろうといろいろやってみても、一向に御利益がなかったので、一番簡単なけもののやり方を真似てみたところ、首尾よく懐妊いたしたという御婦人が、世に多くあることを老婆から聞かされて、インペリアも早速と畜類の真似に精出されたが、ちっともお腹のかさは膨れ上らず、それは大理石のように堅く白く、とどまっている許りであった。そこで彼女はまた自然科学に転向いたし、巴里の刀圭医伯に縋ろうとした。ちょうどそこへ新科学をひろめようとの考えをもって、仏蘭西に当時渡海して来たアラビアの著名な名医があったが、アヴェロエス《〈3〉》殿とか申す仁の学派に育ったこの医伯は、次のような残忍な宣告を、診断の結果インペリアに下した。――すなわち愉しい色事稼業の慣わしに洩れず、彼女は余りにも沢山な男性を、その舟の中に迎え、殿方の意の儘に身を惑溺めされた結果、花実の房を永久に壊してしまっていると申すのであった。何でも彼の学説ではその房のなかに、造化の女神は卵を結びつけておかれ、それが雄に依って受精したものが、かくまわれて孵えり、そこからあらゆる哺乳動物の子供は生れ出てくるもので、そのことは嬰児が引摺って生れてくる胞衣で、それと証明が出来ると、アラビアの名医には説かれた。
が、この議論はひどく乳臭くおろかしく、馬鹿げてもいるし、下らなくもあり、健全な理性と該博な教説との裏附けする学の諸体系と、まったくあべこべで、また神にかたどって作られた人間の尊厳を確証する聖書の訓えとも、ちょうど正反対でもあるので、巴里の碩学大家は散々にこれを笑い草にいたしたので、アラビア医師も大学から逐電してしまい、爾後はその師アヴェロエスの名も埋れるに到った。
鼠のように密かに巴里に赴いたインペリアを、名医たちは診断して、どしどし今迄通り続けられるがよろしかろうと勧告めされた。というのは彼女はその愛欲生活の砌り、ラグーザ枢機官の胤を宿して、美しいテオドルを生んでいるし、それにまた子供を作る権利は、血の潮が続くあいだ、女人にのこっているものゆえ、受胎の機会を増やす心掛が、何よりも肝要と名医たちには申された。この意見は彼女にもまったく道理に思えたので、インペリアはその捷利を増やしたが、それは徒らにその敗北を増やすばかりで、彼女の摘んだものは徒らに実のない花だけであった。
そこでインペリアは彼女をいたく御寵愛めされていた法王に手紙を書き、心の悩みを訴え申した。柔和な法王には手ずから親書をしたため遊ばされて、懇々と彼女を御訓戒に相成り、人智も俗事も及ばぬ折りは、神頼みいたしてその御慈悲を乞うようにとすすめられた。インペリアは思い立って良人と一緒に、子授けの霊験で聞えた歓喜慈母院へ跣足でお詣りして、首尾よく子宝を得たお礼には、立派な御堂を建立いたすことを誓願こめられた。しかし彼女は徒らにその美しい足を、傷つけ痛めるばかりで、宿したのは世にも深い悲しみだけであった。してその烈しい悲しみようと申したら、その美しい髪の一半は抜け落ち、一半は白くなった程で、遂に子供をつくる月々の機能までも全く彼女から退潮し、上腹病《ヒポコンドル〈4〉》から発散した濃い鬱気は、憂鬱心気症となって彼女の気を鬱がせ、その肌色を黄色にいたしたのであった。
その頃彼女は四十九で、リラダンの結構な城館に住みながらも、慈善病院の癩病人のように、日ましに痩せ細りつつあった。さらにまたインペリアを絶望させたことは、良人が相変らず彼女に御執心で、また彼女にも良人がパンのように飽きがこず結構に思われ、そうした気は気でいても、彼女の身体の方は、その勤めを見事に果し兼ねてゆくことであった。それというのも昔彼女が、殿方によってあまりしてやられ過ぎたからで、今の彼女は、そのさげすんだような自嘲に依れば、臓物煮《ごつたに》の大鍋にしか過ぎなくなっておったのである。
こうした考えにいたく心さいなまれたある晩のこと、彼女は独り言した。『ああ、宗門の冥護も国王の加護も、其他あらゆるものをもってしても、もはや到底に駄目じゃ。所詮リラダン夫人は悪性女インペリアに他ならぬのじゃもの。』
全くのところこの華やかな若殿御が、万事望みの儘の身分で、身代も豊かに、王の御愛顧も深く、較べもののない恋をし、継ぐものもない佳人を妻とし、余所の女人の与え得ぬていの快楽をほしいままにしながらも、ただ一つ、名門の家長にもっとも大切な要処、世嗣だけを欠いている現状を、インペリアは想い見て、無性に切なくなるのであった。如何に彼が彼女に対して立派で気高いか、また彼女が彼に子宝を授けず、今後と雖も出来そうもないので、如何にその義務に欠くるところがあるか、それを考えあわせると、いっそ彼女は死にたいくらいに思ったのであった。インペリアは心のもっとも奥深くに、悲しみを秘めて、その偉大なる愛にふさわしい献身を覚悟いたした。そしてこの雄々しい目論見を遂げるため、以前にも増して嫋々となまめかしくなり、その美容に極度の心くばりをし、この世のものならぬ輝きを放つ、とりそろったその五体の完璧美をあくまで保つべく、さかしい手立てをばあれこれと惜しまなかった。
丁度この頃モンモランシイ殿は御息女の結婚嫌忌を御説破なされて、シャチヨン殿と縁組を遂げさせられるような噂が、世上に伝わった。モンモランシイから三里隣りに住んでいたマダム・インペリアはある日、良人を森の狩猟に出して、自分はこっそりモンモランシイ姫の館へと赴いた。彼女はその門前の芝生を散歩しつつ姫の家隷をとらえて、火急なお話で参ったものゆえ、姫にお目通りが願いたいと申し入れた。未知の女人の都雅と美貌と供廻りの立派さを伝え聞いて、好奇の念に駆られた姫には、大急ぎで初対面の女人の前に出て参った。かつての自分に劣らず美しい姫の姿を見て、インペリアは涙に咽びながらこう申した。
『お姫様、あなたはまだリラダン殿を愛しておられるのに、シャチヨン殿とたって祝言を命ぜられたと承りましたが、妾がここであなたにいたす予言を、どうぞお信じになって下さいまし。あなたが愛した殿御、天使でさえ陥るような罠にかかって、あなたから余儀なく背いたあの方は、秋の木の葉が落ちる前に、その年寄り妻からきっと解放されることでしょう。ですからあなたの渝らぬ愛に、花の冠が授けられるのも、そう遠いことでは御座いません。どうか勇気を出して、押しつけ結婚なぞは断り、あなたの最愛の方と一緒になって下さいまし。リラダンは男のなかでも、もっとも情味のあついお人ですから、精一杯愛してあげて下さいな。あの人に何一つ気苦労をかけさせないで下さい。そのことだけは堅く妾に約束して下さいませんか。そして首尾よく嫁いだらマダム・インペリアが工夫した愛の秘密の悉くを、あなたに明すようにあの人に頼んで御覧なさいまし。その手立てさえ用いれば、若いあなたのことですから、容易にあの人の心から、亡妻の思い出なぞは、消し拭うことが出来ますでしょう。』
モンモランシイ姫はすっかり吃驚して、返す言葉もなく、美の女王が去ってゆくのを黙って見送られたが、きっと妖女に違いないと内心では思った。しかしこれがリラダン夫人であることを、後で園丁から彼女は聞き知った。いと解しかねる不思議ごとながら、姫は父親に、祝言の儀は秋が過ぎてからとその延引方を申し述べた。優雅なあの惑わしの女人が、蜜のお菓子のように彼女に嚥下させて行った途轍もない甘言に、べつに乗ぜられた訳でもなかったが、愛は希望と結ばれるのが、その習わしである。
葡萄の摘まれる月じゅう、インペリアは良人を一寸も傍から放したがらなかった。そして彼女のもっとも輝かしい享楽の奥義の秘術を尽したが、まるでそれは彼の身を滅ぼそうとしているかのようだったし、彼また内心、毎晩新規な女人に接している如き思いがいたした。朝方、目が覚めるとすぐ彼女は、完璧の域に達した昨夜の閨事の思い出を忘れぬようにと彼に懇願すると共に、彼の本心を探ろうとして、二十三の若者が、四十を越したお婆さんと結婚いたしたのは、とんだ了簡違いだったのではないかなどと訊ねるのであったが、彼は真剣になって、自分の果報は千人もから羨まれているし、彼女は今の年頃になっても、その美しさに及ぶものは、どんな姫御前のなかにもなく、よしんば彼女が老い込もうと、彼は彼女の皺を愛するであろうし、墓に入ってもきっと美しいに違いなく、その骸骨もさぞかし愛くるしかろうと答えめされた。こうした返事に、インペリアは眼に露の玉を宿すのであった。
ある朝のこと、彼女はモンモランシイ姫は美しくて実があると、意地悪るげに彼に答えた。この言葉に対してリラダンは、自分が一生でしたたった一つのひがごと――最初の恋人と約束をつがえたことを、今さら思い出させるとは、あまりにもむごい仕打だと怨じ、姫に対する恋心を消したのは、ほかならぬ御身の所為だと詰ったので、この素直な言葉に彼女は、彼にきつく縋りつき、堅く堅く抱きしめた。他の男なら何とか言いまぎらすところを、彼は言葉を濁さぬので、インペリアはなおのこと感動の極に達したのであった。彼女は言った。
『若い頃から妾は心臓収縮症を患い、何度それで死にはぐったか知れません。先日のアラビア医師の診断だと、その病気がどうやらここ数日来、再発いたした模様です。もし妾がなくなりましたら、モンモランシイ姫を妻に迎えると、堅い騎士の誓いを、妾に立てて下さいませんか。妾もきっと今度は助からぬと思いますので、その結婚を条件に、妾の遺産悉くを、あなたに遺して参りたいのです。』
この言葉を聞いてリラダンは蒼ざめた。最愛の妻と永遠の別れをすることを思っただけで、気が遠くなるような心地になった。
『数々の罪業を重ねたあの閨事《ねやごと》に於て、神様からまさしく覿面に妾は罰せられているのです。と申しますのは妾の感ずる大いなる悦楽は妾の心臓を膨らせ、なんでもアラビア医師の言葉では、その結果脈管が弱まり、殊に快美の最高潮に達した折りなぞ、破裂する怖れがあるそうです。そんな訳でこの今の年齢のまま、あの世へ召されるよう、妾は絶えず神様に祈っております。時の力で妾の美しさが損われるのを、見るに忍びませぬもの。』
如何に彼女が愛されているかを、この時わが秀でた気高い女性は、はっきりと看取いたした。地上でなされた愛の犠牲のうちの、その最大なものを、インペリアは得ることが出来たからで、その訳とは――いったい彼女との雲雨の契りにあたって、雛尖《ひなさき》あそびや舐めっくじりや乳繰合いの手くだや仕かけや手だれがいかに魅力的であるか、それこそリラダンにしても、彼女の漬ける恋の砂糖煮を取上げられるくらいなら、殺される方を好むに違いないことは、彼女ひとりよく知るところであった。されば愛の激発のあまり、心臓がはり裂ける惧れがあるという告白を聞いて、リラダンは彼女の膝許に身を投じて誓うには、彼女の命をつなぎとめる為、もう決して色事を要求はいたさず、彼女を見、その傍らにあって彼女を感ずるだけで冥加と思い、髪に接吻し、スカートに触れるだけで、爾後は心満足を覚える積りだと決然として述べられた。それを聞いて泪にかきくれながらも彼女は答えて申すには、彼の繁みの中の野薔薇の蕾一つをでも失うくらいなら、いっそ死んだ方がましだと云い、幸いにも彼女は、もしそれを欲するならば、一言を須いずとも、殿方をして彼女に跨らしめるすべを心得ておるゆえ、いっそ今迄通りの生き方で仕って、身を滅ぼしたいものと返事めされた。
さてここで是非とも申し上げておかねばならぬが、彼女はラグーザ枢機官からin articulo mortis(死際に)という大事な贈物を貰って持っておったことである。(この三語のラテン文句は、枢機官どのより来たもので、吾儕の衒学ではござらぬ。)これはもとヴェニスで作られたもので、大きさは豆ぐらいの薄いガラスの小罎に入った微妙な毒薬で、歯で噛み砕くと、何の苦痛もなく、急激に死が襲いかかってくるのである。枢機官はこれを羅馬の名高い毒薬師トファナ殿から手に入れめされた。さて彼女はこの罎を貰って指環の宝石を嵌めるところへ入れ、物に当って壊れぬよう、金の板金を上に張っておったが、幾度となくこの罎を口中に含みながらも、くい切る決心《はずみ》がついにつかなかった。それほど彼女はこれが最後だ、死ぬ死ぬと思った瞬間の快楽に、えもいわれぬ快美を覚えめされたのである。そんな時、彼女は罎を噛む前に、一儀の際の彼女のいろいろな思いを回想いたしては、あらゆる悦楽のうちその最も完璧なものを感じた折りに、ガラスを砕こうと、われとわが心に云いきかしておったのであった。
可哀想なインペリアがこの世に別れを告げたのは、十月一日の晩のことであった。その時まるで愛の神々が「偉大な陰穴《ノツク》(膣)は死せり!」と叫びでもしたような大きな叫喚が、森や雲の中から聞えたという。それは恰も邪教の神々が、救世主光臨に際して、「偉大なるパン神は果てたり」と叫びながら天涯へ逃れ、その言葉はエエゲ海の舟人《〈5〉》に聞え、教会の父に依って、後世に伝えられたが、さながらそれを髣髴せしめるものがあった。
マダム・インペリアは容顔衰えることなくして逝いた。寸毫の瑕瑾のない艶女のモデルをつくろうと遊ばされた神の思召しにひとえによるものであろう。彼女の死を悼み、その傍らに泣き崩れた快楽の天使の灼々たる翼が触れたためか、その死顔も素晴しく艶々した色合いを帯びていたそうである。良人リラダンの哀哭ぶりは比類ないくらいだったが、彼女の屍体を香剤詰めした医師は、死因については良人に一言もいわなかったので、石女の妻から彼を解放しようとしてインペリアが自殺したことを、リラダンは夢にも知らなかった。この美しい心根が明らかとなったのは、彼がモンモランシイ姫と結婚して六年後であった。すなわちインペリアの訪問の顛末を、妻から聞いてから後である。それからというもの、彼は鬱々として日を送り、遂にあの世の客となった。初心な女人の力では到底に再建出来ぬ愛の悦楽の思い出を、彼の胸裡から一刻も消すことが能わなかったためである。インペリアは一度君臨した殿御の心の中で、不死であると当時云われておった真理を、これまた裏書いたしたものに他ならぬ。
この話は貞淑というものは、不品行に陥った女人にして始めて、よく合点できるもののことを訓えるものである。何故ならいくら淑徳高い御婦人方の間でも、よしんばどんなに信仰心が篤かろうと、インペリアのように生命を捨てた女人衆は、世間でもいたって稀れだからである。
(1) ブルボン元帥(一四九〇―一五二七)マリニヤン戦役の勇将、王太妃ルイーズ・ド・サヴォワと不和になり祖国に弓を引き、ローマ侵略の折り(一五二七年)戦死す。「アザイ城由来記」参照。
(2) ロードピス。タラス生れのギリシャ娼婦、エジプトに渡って巨富を積み、ミセリノスのピラミッドを建立した。
(3) アヴェロエス。アラビア哲学者、本名はイブン・ロシャッド、一一九八年歿、コルドバ生れ、天文学、医学、数学、物理学、法学に精通す。
(4) 上腹病。「上腹部痞悶困重して心思鬱憂せる一病をヒポコンデルと名づく」(宇田川槐園「内科撰要」より)
(5) プルタルクによるとチベール川で水先案内が「偉大なるパンは果てたり」の叫びを聞いたことになっている。
後口上
おお、おどけミューズよ、屋形じゅうを陽気にする任を帯びながら、お手前はしちくどい制止の声を聞き流して、憂愁の泥んこ沼にはまりこみ、「悔悛の花」のベルトを釣り上げなどして、傭兵の一隊に犯された娘っ子よろしく、髪ふり乱して戻りおったな。鈴のついた美しい金の垂れ金具、アラベスクの幻想を織った透し細工の花は、いったい何処に置いてきおったか? 真珠の一ミノーほどの値打ある貴重なボバン細工に飾られた、お手前の真紅の鈴付《マロツト》帽を何処に置き忘れおったぞ? コントの茶気が閃いている其許の黒い娯しげな眼を、悪性な泪で何故に台無しにしおったぞ? お手前の歯の象牙の間に魂を吸いとられ、その舌の薔薇色のあざやかさに、心奪われた法王たちは、笑い声ゆえにお手前の戯言をお許し下さるじゃろうて。御身の朱唇の上にたゆたっている百もの微笑と引換えに、法王たちにはそのスリッパーを御下賜なされるだろう。笑いずきの乙女ミューズよ、何時も若く溌剌としていたかったら、もう決して泣くではないぞ。手綱なしに蠅に跨ることを考えめされい。カメレオンのようなお手前の幻想獣《キミーラ》に、美しい金色の雲で馬勒をつけることを考えめされい。虹をまとい、真紅の夢をよろい、しゃこの眼さながらな青緑の翼をつけたすがたに、生々しい現実を変形させることを考えめされい。聖体と御血にかけ、香炉と印璽にかけ、聖書と宝剣にかけ、襤褸と黄金にかけ、音と色にかけ、誓ってもうすが、宦官が愚かなサルタンのため、醜婦《しこめ》を女衒する如き哀調の陋屋になんど、お手前が戻りでもするなら、儂は其許を呪うぞ、ひどい目に会わすぞ、愛と艶笑をお手前から取り上げるぞ、それと……
おやおや、大空のように晴々しい好笑の一巻をたずさえ、お手前は俄かに光線に打乗りおったな。光のプリズムのなかにたわむれ、無茶に、突拍子もなく、図々しく、滅多矢鱈に、逆向きに、あべこべに、高く高く走り出しおったな。新しい笑いの手管のなかで、きらきらするお前の銀の切子のシレーヌの尾を追いかけようためには、長い羽毛でお手前にタッチしなくばなるまい。やあ、晩祷のあとで、野莓のむらがった垣をめがけて突進する、百人の学童そこぬけのお手前は狂い廻りようだ。村夫子《せんせい》なんか悪魔にくわれろ、ほい、一巻出来たぞ。仕事は真平だ、おい、悪童ども、集まってまいれ!
解 説
不撓の恋 PERSEU?RANCE D' AMOUR
一八三三年九月八日、「ユーロップ・リテレール」紙に、バルザックはこの短篇を発表しているが、但し現代文の形式をもってしてである。後に擬古文に書き改められて、「コント・ドロラティク」に再録したわけである。
「この『不撓の恋』は何の掛念なしに読めるでしょう。『滑稽譚』の第一輯、第二輯の概念を、それはあなたに与えてくれるに違いありません。」と、一八三三年九月九日、バルザックはハンスカ夫人に書き送っている。
この短篇には悲惨な中世の寺奴の運命や、その暗黒面が描かれていて、ちょっと興味がある。金森徳次郎氏も「寺院所属の奴隷のことを知って利益した」と嘗て書評に述べられていた。
胴忘れ法官 D'UNG JUSTICIARD QUI NE SE REMEMBROYT LES CHOUSES
ブルジュにおけるシャルル七世滞在の折りの出来事である。一四二三年頃、英軍スパイ横行時代の一挿話で、原話は、「新百話」の第一話「メダルの裏」の換骨奪胎で、さらにその綺譚はブラントームが「艶婦伝」でも扱っている。
なお第二輯「一夜妻」にも、この咄のことが出ているから併せ読んで頂きたい。「滑稽譚」の比較研究には何れも貴重な資料である。伊太利のバンデルロ、ストラパルダ、マレスピニなどもこの「メダルの裏」からヒントを得たコントをそれぞれにものしている。それらを読むと、いかにバルザックの「胴忘れ法官」が抜群か、またバルザックのユーモラスな妙筆がなんと優れているか、沁々と痛感せられるだろうと思う。
アマドル和尚実伝 SUR LE MOYNE AMADOR QUI FEUT UNG GLORIEULX ABBEZ DE TURPENAI
カンデはブロワの南西一粁にあり、アマドル和尚の活躍したのはシャルル五世治下、一三七〇年頃であろう。アマドルはラブレエが描いた豪僧ジャン・デザントムールの類型といってよく、その第二世とも称してよろしかろう。なおアンボワズのお城の王とはルイ十一世の世子たるシャルル八世、女王様はアンヌ・ド・ブルタアニュ妃である。
テュルプネイの僧院については、第一輯の「美姫インペリア」や「路易十一世飄逸記」を参照せられたい。なおバルザックは第四輯に於て、この続篇ともいうべき「坊主三人」を書く予定で、最初の数頁を書いたまま中絶してしまった。
悔悛の花 BERTHE LA REPENTIE
この一篇はバルザックの会心作のようで、「すべてのなかで最も美しいもの」(カロー夫人への手紙、一八三四年一月三日)とか、「コント・ドロラティクのなかで最も偉大なるモルソオ」(ハンスカ夫人への手紙、一八三七年十月十二日)などと自讃している。
男が女装して恋人に近づくというヒントは、直接には「フォブラス」あたりから得ているのだろうが、サケッテイ第二十八話、アリエンテイ第五十五話、「新百話」第四十五話などにも見受けられる。
年代からいうと一四五六年頃である。「仮初の咎」でもそうだが、年寄亭主が善良な武骨な好々爺に描かれているため、ますます全篇がパセチックとなっている。これが凡作家の筆なら徒らにいとわしい御人躰に書かれて嘲笑の的となるのを、バルザックは巧みに救っているが、「コント・ドロラティク」の近代性は、そうしたヒューマニズムから生ずるのである。
あなめど綺譚 COMMENT LA BELLE FILLE DE PORTILLON QUINAULDA SON IUGE
場所はトゥール、年代は兎に角ルイ十一世の時代だから、王が崩御になった一四八三年以前の筈である。「路易十一世飄逸記」(I)に出た人物の二三に、我々はここで接することができる。
ところがおかしいことに、この続篇ともいうべき「当意即妙」(I)で同じポルチョン小町の内助ぶりに、我々はお目にかかるが、その時代は「シュノンソオに女王様が行啓」の頃だから、カトリーヌ女王がシュノンソオを造営した一五五五年以降の話となって、七十六年以上もの時代錯誤がそこに生じてしまっている。
艶福冥加論 CY EST DEMONSTR? QUE LA FORTUNE EST TOUSIOURS FEMELLE
時代は十三、四、五世紀、すくなくも一四七〇年以前と、マルセル・ブートロンは推定しているが、モンソロオは「仮初の咎」に登場している同名の仁と同一人物とすれば、一二五〇年頃の話ときめた方がよさそうである。但し国王ルウフロワや女王は実在人物でなく、バルザックの創造である。
この物語にはちょっとスタンダールの「伊太利小説集」の面影があるが、あまり後味はよくない。
野良ん坊 D'UNG PAOUURE QUI AVOYT NOM LE VIEULX-PAR-CHEMINS
リシャアル大公とはユグ・カペーに味方し、カロランジャン王朝と抗争したノルマンディ大公リシャアル・サン・プール(九三三―九九六)である。事件は九四三年頃、すなわち「滑稽譚」に於ては最古の物語である。
絞首人が絞死直後に突兀となる咄は、「路易十一世飄逸記」(I)に既に記されてある。なお絞首台上にのぼってから、女をすすめられて断る話はモンテーニュの「エッセイ」第一巻第十四章にもある。
題名の「野良ん坊」のVieulx-Par-Cheminsには両義があって、「往還をほつき歩く老人」の原意の他に、「羊皮紙老人《パルシユマン》」という洒落も含まれているが、適当な訳語が見当らなかった。
巡礼浮世噺 DIRES INCONGREUS DE TROIS PELERINS
法王がアヴィニヨンから御遷都になったのは一三七七年ゆえ、その直後の七八、九年のミラノの旅宿に於ける食卓談叢である。初めバルザックは、「ざんげ咄」"DIRES"という同趣向の短篇を書いたが、男色などを扱ったので、あまり卑猥すぎると考えてこれを篋底に秘め、代って大急ぎでものしたものが本篇である。作の出来栄えからいって、本篇の方が優れている。なおヴィスコンチ家は伊太利屈指の名門で、当時のミラノの領主であった。本篇に出てくるノエル釈義は古来有名なもので、東洋から発祥したものらしく、"L'histoire de Barlaam et de Josaphat"にも記載されてある。やはりこうした食卓物語の形式をかりたものに「騎士軽口咄」(〓)がある。これもヴェルヴィルあたりの影響であろう。
天真爛漫 NAIFUET?
一五四七年ランブィエ王宮に於ける一挿話である。ちょうどフランソワ一世の薨去の年の話だが、二童児のうちフランソワは一五四四年生れだから当時四歳、マルゴーは一五五二年誕生のため、未だその頃は生れていなかった。バルザックの時代錯誤の顕著な一例である。なお頭の鳥冠とか上沓とかは、説明するまでもないが、男女のもののことである。バルザックは「滑稽譚」の第四輯で、「続天真爛漫」を書く予定があったようである。
節婦インペリア LA BELLE IMP?RIA MARI?E
リラダンは巴里の北三十粁、時代は一四四三年頃、シャルル七世治下である。但し実際のインペリアは一五一一年、三十一歳で羅馬で死去しているから、この物語は実説でなく、バルザックの創作である。しかしテオドルの自殺の話は実際にあった話で、相手はペトリュキ枢機官で、一五二二年、すなわちインペリアの死後十二年目のことで、この点、この小説と違っている。なおバルザックはインペリアを、彼の好きな自作の人物の四女性の一人として挙げているが、第四輯には姉妹篇として「慈婦インペリア」を草している。
あとがき
『もし私のもので後世に残るものがあるとしたら、それは「風流滑稽譚」でしょう。』(一八三三年十月ハンスカ夫人への手紙)
『「風流滑稽譚」は玄人のために築いた文学的記念碑です。ラ・フォンテーヌやボッカチオのコントの嫌いな方、アリオストの面白さが解らぬ人には、この「本」は縁がありません。未来に於ける私の名声のもっとも輝かしい部分を占めるのが、この本でしょう。』(一八三三年八月ハンスカ夫人への手紙)
以上何れもバルザックの自讃だが、その予言の通り廿世紀に於ては、バルザックの諸作のなかでもこの「風流滑稽譚《コント・ドロラテイク》」が、やはり一番に愛読せられているようである。結局のところバルザックの代表作として、アーネスト・ボイド氏は「風流滑稽譚」と「ゴリオ爺さん」の二つをあげておられるが、至極天晴れな見識と申してよい。僕もその説に実は賛成である。
バルザックが「風流滑稽譚」に着手したのは一八三一年からで、一八三二年、三三年、三七年の三回にわたって、第一、二、三輯がそれぞれ刊行せられ、始めの予定は百篇執筆する意気込みであったようだが、三十篇きりで遂に筆を擱いてしまった。
バルザックの「風流滑稽譚」を従来はややもすると彼の余技か戯作のように目する人が多いが、それは「人間喜劇」の作者としての名声が、あまりにも偉大なるがためである。けれど百にあまるバルザックの作品のうち、天衣無縫の芸術作品と真に称し得るものの一つは、この「滑稽譚」なのである。それはその形式の芸術性、内容の健康性に基くといってよい。
「風流滑稽譚」は好色文学という「名誉ある」レッテルを附されている。だが世界の好色文学でこの「滑稽譚」より芸術的なもの、健康なもの、闊達なもの、ナイーヴなものといったら、他になにがあるだろう。
十九世紀フランス社会風俗史の全貌を、「人間喜劇」で描破しようとしたバルザックは、蕪雑な現代文でデリケートなテーマを駆ることを怖れ、「滑稽譚」に於て「性生活場景」を描いたと、アンドレ・モーロワは言っているが、バルザックは文学的な擬古文の形式を藉りて、「ラブレエの言葉」で十六世紀的作品を、近代的に芸術的に再現復活したのである。しかもラブレエにない二つの情感――感動と感傷を、おどけたおかしみのなかに漂わせている。いえばモリエール的な「喜劇のなかの悲劇味」を、光と影の明暗の微妙な陰翳を、「滑稽譚」独得の雰囲気のうちに、その用筆の妙は醸し出しているのである。よしんばその姿態に、あまりに官能的で猥らなものを、垣間見させているにせよ、「滑稽譚」は十六世紀文学の「ますらおぶり」に加えて、近代文学の「物のあわれ」を盛り、浪漫的な芳香を薫らすロマンチック時代の悒愁味をそこに立ちこめ、もろもろの世界好色文学よりその抒情味に於て遥に感覚的近代的で、また美学的形象に於ても、一段と芸術味を帯びている。かく擬古文的形式を用いて、芸術的に文学的に好色譚を昇華し、近代の感懐といにしえの行文との渾融が大調和したところに、「風流滑稽譚」の高いその芸術的気禀があるといえよう。
これが近代的な文体で書いたものなら、猥雑に陥るところを、バルザックは極めて風韻に富んだ雅致のある文体と、美しい素朴な古めかしい形式で、なまの物語を包んで、最も周到慎厚な韻文形式によるものよりも、遥に気品の高い典雅なものとした。ために官能礼讃とも見えるその物語も、渾然たる第一流の芸術作品にと昇華して、世界文学でもユニークなものとなっているのである。
「風流滑稽譚」は健康な文学である。人間としてのバルザックは愛すべき稚気と、傍若無人の言動と、磊落な奇行を謳われた人物であった。彼の生命力の横溢、活力の充満のりに芸術的浄化を施したものが、この「滑稽譚」である。フランスの貴重な伝統の一つである豪朗精神《ゴーロワズリイ》の現れが、何よりもこの「滑稽譚」の下地であって、それは罪のない天空海闊な笑い、裸の子供の笑いである。局部を露出しているからといって、咎める方に邪心があるのであって、裸の子供には、こっちもにこにこ笑えばよく、明けっぴらきの陽気な罪のない健康な笑い咄に哄笑するのは、「よくぞ男に生れける」一徳で、蓋し男子の本領ではないだろうか。バルザックの童心のあらわれが、この「滑稽譚」であり、さしあたり彼の童話とも云うべきものだが、但しこれは飽くまで大人の童話である。童心を失わぬ大人に、健やかな哄笑を与うるべく書かれたものが、この「風流滑稽譚」なのである。
なお今回「新潮文庫」に上梓するにあたって、専らコナール版をエディションとして校訂し、従来のガルニエ版、カルマン・レヴィ版に拠った前訳とはすこしく趣きを変えたことを一言しておきたい。
一九五一年一月三日
小西茂也
本作品中、今日の観点からみると差別的ととられかねない表現が散見しますが、作品自体のもつ文学性ならびに芸術性、また訳者がすでに故人であるという事情に鑑み、原文どおりとしました。
〈編集部〉
この作品は昭和二十六年二月新潮文庫版が刊行された。
表記は新字新かな遣いに改めた。
Shincho Online Books for T-Time
風流滑稽譚 第三輯
発行 2001年9月7日
著者 バルザック(小西 茂也 訳)
発行者 佐藤隆信
発行所 株式会社新潮社
〒162-8711 東京都新宿区矢来町71
e-mail: old-info@shinchosha.co.jp
URL: http://www.webshincho.com
ISBN4-10-861125-X C0897
(C)Kikuyo Konishi 1951, Coded in Japan