角川文庫
怪談・奇談
[#地から2字上げ]ラフカディオ・ハーン
[#地から2字上げ]訳 田代三千稔
目 次
怪 談
耳なし芳一のはなし
おしどり
お貞のはなし
乳母ざくら
はかりごと
鏡と鐘
食人鬼
むじな
ろくろ首
葬られた秘密
雪おんな
青柳のはなし
十六ざくら
安芸之助の夢
力ばか
奇 談
鳥取の蒲団のはなし
死人が帰って来たはなし
倩女のはなし
振 袖
因果ばなし
和 解
普賢菩薩のはなし
衝立の乙女
死骸に乗る者
鮫人の感謝
約 束
破 約
閻魔の庁にて
果心居士のはなし
梅津忠兵衛のはなし
興義和尚のはなし
幽霊滝の伝説
茶碗の中
常 識
生 霊
死 霊
おかめのはなし
蠅のはなし
雉子のはなし
忠五郎のはなし
いつもあること
鏡の乙女
解 説
ハーン小伝
怪 談
耳なし芳一のはなし
今から七百年あまり昔のこと、|下《しも》の|関《せき》海峡の|壇《だん》の|浦《うら》で、|平《へい》|家《け》と|源《げん》|氏《じ》とのあいだの、ひさしい争いの、最後の決戦が行われた。そこで平家は、一門の女も子供も、またこんにち|安《あん》|徳《とく》天皇と記憶されている幼い天子もろともに、まったく滅びてしまったのである。そして、この海や浜べは、七百年ものあいだ、平家の|怨霊《おんりょう》に悩まされてきた。……ほかのところで、わたしは、そこにいる|平《へい》|家《け》|蟹《がに》という、奇妙な蟹の話をしておいたが、その蟹の|甲《こう》|羅《ら》には人間の顔かたちがついていて、平家の武士たちの魂だと言われている。しかし、このあたりいったいの海べには、今でもいろいろふしぎなことが見聞きされるのである。|闇《やみ》の夜には、幾千とも知れぬ亡霊の火が、水ぎわをさまよったり、波のうえを飛びかったりする。――それは青白い光で、漁師たちは|鬼《おに》|火《び》と呼んでいる。そして、風の吹きすさぶときには、いつも海のほうから、戦陣のときのこえのような、すさまじい叫び声が聞えてくるのである。
以前には、平家の人たちの怨霊は、今よりはずっと落着きがなかった。夜なかに通りかかる船のまわりに現われて、それを沈めようとしたり、また泳ぐ者たちを、しじゅう待ちかまえていて、引きずりこもうとしたものである。|阿《あ》|弥《み》|陀《だ》|寺《じ》という寺が、|赤《あか》|間《ま》ガ|関《せき》に建てられたのは、そうした|亡《もう》|者《じゃ》たちの霊を、慰めるためだった。墓地もまた、寺のすぐそばの、浜べの近くに設けられ、そのなかに、|入《じゅ》|水《すい》した天子とその重臣たちとの、名前を刻みつけた墓碑がいくつか建てられ、かつこれらの人たちの霊を慰めるために、毎年きまって|法《ほう》|会《え》がいとなまれた。寺が建てられ、墓が設けられてからは、平家の人たちも、以前ほど|祟《たた》りをしなくなったが、それでもやはり、ときどき奇妙なことをした。――これは彼らが、十分な安息をえていない証拠であった。
何百年かまえに、赤間ガ関に、|芳《ほう》|一《いち》という盲人が住んでいたが、彼は|琵《び》|琶《わ》をうたったり、ひいたりするのが、なかなかうまいというので、世に知られていた。子供のじぶんから、琵琶を|弾唱《だんしょう》するわざを仕込まれたが、まだ年少のころから、すでに師匠たちをしのいでいた。本職の琵琶法師としては、おもに源平の物語をうたうので有名になった。そして、彼が壇の浦のいくさの段をうたうさいには、「|鬼《き》|神《じん》も涙をとどめえなかった」と言われている。
はじめて世にでた当座、芳一はたいへん貧しかったが、さいわい引き立ててくれるよい知己ができた。阿弥陀寺の|和尚《おしょう》は、詩歌や|音曲《おんぎょく》が好きだったので、たびたび芳一を寺にまねいて、琵琶を弾唱させたのである。のちに和尚は、この少年のすばらしい妙技にひどく感心して、寺へきて住むようにと言いだした。で、芳一は、ありがたくこの申し出をうけた。こうして彼は、寺のひと|間《ま》をあてがわれ、食事と寝泊りのお礼には、ほかに用のない晩に琵琶をひいて、和尚を喜ばせさえすればよかった。
ある夏の夜、和尚は不幸のあった|檀《だん》|家《か》の法事によばれたので、芳一だけを寺に残して、|小《こ》|僧《ぞう》をつれて出ていった。暑い晩だったから、盲の芳一は涼もうと思って、寝間のまえの縁側にでた。その縁側は、阿弥陀寺の裏手の小さな庭を見おろしていた。ここで芳一は、和尚の帰りを待ち、琵琶のけいこをしながら、|淋《さび》しさを紛らそうとした。夜半すぎたが、和尚は帰ってこなかった。けれども、あたりの空気は、まだなかなかむし暑くて、家のなかでは居苦しいので、芳一はなおも部屋のそとにいた。すると、ようやく、裏門のほうから、人の足音が近づいてくるのが、聞えてきた。だれかが庭をよこぎって縁側にすすみより、彼のまんまえに立ちどまった。――が、それは和尚ではなかった。低くておもおもしい声が、盲人の名をよんだ。――だしぬけで、ぶしつけで、侍が|目《め》|下《した》の者をよびつけるような調子だった。
「芳一!」
芳一は驚きのあまり、ちょっとのあいだ、返事ができなかった。すると、その声は、またもやあらあらしく、命令するような調子で呼んだ。
「芳一!」
「はい!」と盲人は、おどしつけるようなその声に、ぎょっとしながら答えた。「わたしは、盲でございます。どなたがお呼びかわかりません」
「何もこわがることはない」と見知らぬ男は、いくぶん声をやわらげて言った。「自分は、この寺の近くに|逗留《とうりゅう》している者だが、おまえに御用を伝えにつかわされたのだ。自分がいま仕えている御主君は、たいへん高貴なおかたで、りっぱな身分のお供をおおぜいつれて、ただいま赤間ガ関に、御逗留なされていられる。御主君は壇の浦の合戦の場所をごらんになりたいとのお望みで、今日そこを御見物なされた。ところで、おまえが合戦の物語をうたうのが、なかなかうまいとのことを、お耳にせられ、おまえの|琵《び》|琶《わ》|歌《うた》をお聞きになりたいとの|御《ご》|所《しょ》|望《もう》である。で、琵琶をもって、すぐさま自分といっしょに、高貴なかたがたのお待ちの|館《やかた》へ参るがよい」
その当時では、侍の命令といえば、かるがるしく|背《そむ》くわけにはいかなかった。それで芳一は、|草《ぞう》|履《り》をはき、琵琶をもって、その見も知らぬ侍といっしょに出かけた。すると、侍は、上手に手引きをしてくれたが、芳一は、大急ぎで歩かねばならなかった。引いてくれる手は鉄であるし、それに侍が|大《おお》|股《また》にふみだすごとに、がちゃがちゃいうので、この人が、|甲冑《かっちゅう》で、すっかり身をかためていることがわかった。――おそらく、当直の警固の武士であろう。最初のおどろきは、消えて、芳一は、わが身に幸運がむいてきたのではないかと、思いはじめた。というのは、この家来が、「たいへん高貴なおかた」と、はっきり言った言葉を思いうかべ、自分の琵琶を聞きたいと所望された殿さまは、きっとえらい大名にちがいないと、考えたからである。やがて、侍は立ちどまった。それで芳一は、大きな門のところへ来たのだと、感づいた。――が、彼はふしんに思った。というのは、阿弥陀寺の本門以外には、町のこのあたりには、大きな門のあることなど、思いあたらなかったからである。「開門!」と、侍が叫んだ。すると、|閂《かんぬき》をぬく音がした。そして、二人は通りぬけて行った。それから、庭の|空《あき》|地《ち》をよこぎって、ふたたび入口のまえでとまった。そこで家来は、大声で叫んだ。「おい、だれかうちの者はおらんか! 芳一を連れてきたぞ」すると、いそぎの足音や、|襖《ふすま》のあく音や、雨戸をくる音や、女たちの話し声などが、聞えてきた。その女たちの言葉づかいから、芳一には、それがどこかの高貴なお屋敷の女中たちであることがわかった。しかし、自分がどんなところに連れてこられたのか、いっこう見当がつかなかった。が、そんなことを、とやかく考えている暇など、ほとんどなかった。芳一は、助けられて幾段かの石段を登ると、そのいちばん上の段のところで、草履をぬげと言われ、それから女の手に導かれて、|磨《みが》きあげた|板《いた》|敷《じき》の、はてしもなく続いたところを渡り、覚えきれぬほどたくさんな柱の角をまがり、びっくりするほど広い畳敷の|間《ま》をとおって、ある大広間のなかほどへ案内された。そこには多くの高貴な人たちが、集まっているように思われた。絹ずれの音は、まるで森の木の葉の、ざわめきのようだった。また、小声で話しあう、おおぜいの人たちの、さざめく声も聞えた。そして、その言葉は、|御《ご》|殿《てん》でつかわれる言葉であった。
芳一は楽にするようにと言われ、気がついてみると、自分のために、|座《ざ》|蒲《ぶ》|団《とん》が出されていた。そのうえに|坐《すわ》って、|琵《び》|琶《わ》の調子をあわせると、ひとりの女――女中の取締りをする老女であろうと思われる女――の声が、芳一にむかって、こう言った。
「では、琵琶にあわせて、平家の物語をうたうようにとの御所望です」
ところで、それをすっかりうたうのには、幾晩もかかるのだった。それで、芳一は思いきって尋ねた。
「物語全部は、なかなか手短かにはうたいきれませんが、どのあたりをうたえとの、御所望でございましょうか」
女の声が答えた。
「壇の浦の合戦の物語をうたってください。それがいちばん、哀れの深いところですから」
そこで、芳一は声を張りあげ、いたましい海のいくさのくだりをうたった。――必死に|櫂《かい》をあやつる音、船のつきすすむ音、ぴゅうと|空《くう》をきる矢の音、人々のさけび声や足を踏みならす音、|冑《かぶと》にうち当る|刃《やいば》のひびき、討たれて海におちこむ音のさまなどを、いちいち驚くばかりたくみに、琵琶を弾じてあらわした。すると、うたの合間合間に、左のほうでも右のほうでも、小声でほめそやす声が聞えた。「なんという上手な琵琶師だろう」「わたしどもの国では、こんな琵琶は聞いたことがない」「国中のどこにも、芳一のような歌い手は、またとない」これを聞くと、あらたに勇気が|湧《わ》いてきて、芳一は、前よりもいっそう巧みに、弾きかつうたった。それで感嘆のあまり、彼のまわりは、ますますしんと静まりかえった。しかし最後に、美しい人々やか弱い者たちの運命――女や子供たちの哀れな最期――幼い天子を腕に抱いた、|二《に》|位《い》の|尼《あま》の|入《じゅ》|水《すい》のさまなど語りだすと、聞く者はみんな一様に、おののくような、長い悲痛な叫び声をだし、それからあとは、声をあげて泣き悲しんだが、それがあまり|烈《はげ》しく、物狂わしげなので、盲人は、自分が引きおこした悲しみのはげしさに、われながら驚いたくらいであった。長いあいだ、すすり泣きや悲しい泣声がつづいた。しかし、その悲嘆の声もしだいに消えた。そして、そのあと、ひっそり静まりかえったなかに、芳一はふたたび、老女らしく思われる女の声を聞いた。
女はこう言った。
「そなたが、琵琶のひじょうな名人で、うたうほうでも、並ぶ者はないということは、しかと聞いておりましたが、そなたが|今《こ》|宵《よい》しめしたほどの腕前をもった人が、世にあろうとは、思いませんでした。わが君さまにも御満足で、相応なお礼をする考えである、とのお言葉です。だが、これから六日のあいだ毎晩一度ずつ、御前で琵琶をひくようにとの|御《ぎょ》|意《い》です。そのあとで、たぶん御帰路におつきになりましょう。それゆえ、明晩もおなじ時刻に、ここへお出むきください。今晩案内した家来が、迎えに参りましょう。……それから、もう一つお伝えするよう、申しつけられたことがあります。それは、わが君さまが、赤間ガ関に|御逗留中《ごとうりゅうちゅう》に、そなたがこちらへ|伺《うかが》ったことは、だれにも口外してはならぬ、とのことです。わが君さまはお忍びの御旅行ゆえ、かようなことは口に出してはならぬ、とのお達しです。……では、もうお寺へ帰ってよろしいです」
芳一は、あつくお礼を述べたのち、女に手を引かれて、|館《やかた》の入口までくると、そこに先ほど案内してくれたのと同じ家来が待っていて、うちまで連れて行ってくれた。家来は、寺の裏手の縁側まで、芳一を手引きしてゆくと、別れを告げた。
芳一が帰ったのは、かれこれ夜明けがたであったが、寺をあけたことは、だれにも気づかれなかった。|和尚《おしょう》はたいへん遅くなってから帰ってきたので、芳一は寝ているものと思ったからである。昼のうちに、芳一は、すこしばかり休むことができた。そして、自分のふしぎな出来事については、ひとことも|洩《もら》さなかった。あくる晩も真夜中になると、またあの侍が迎えにきて、芳一を高貴なかたがたの集まりに連れて行ったが、その席で、彼はまた|琵《び》|琶《わ》|歌《うた》をうたって、前の晩と同じような成功を博した。しかし、この二度目に参上しているあいだに、彼が寺にいないことが、はからずも露見してしまった。それで、朝かえってくると、芳一は和尚のまえに呼びだされた。和尚は、やさしくたしなめるような口調で、こう言った。
「ねえ芳一や、わしどもは、たいそうおまえの身を案じていたのだよ。目の見えない者が、一人であんなに遅く出かけるなんて、あぶないことだ。どうして、わしどもに断りもせずに行ったのだ? そう言っといてくれたら、下男に供をさせることもできたのに。ところで、いったい、どこへ行っていたのだ?」
芳一は、言いぬけるように、こう答えた。
「和尚さま、ごめんください。ちょっと自分の用事がありまして、ほかのときに都合がつかなかったものですから」
芳一が口をつぐんで、隠しだてしているのに、和尚は心を痛めるよりは、むしろおどろいた。これはおかしいと感じ、何かよくないことがあるのではないかと思った。この盲目の少年が、なにかの|悪霊《あくりょう》にたぶらかされるか、だまされるかしたのだろう、と気づかった。和尚は、それ以上なにも聞かなかったが、寺の下男たちにこっそり言いふくめて、芳一の行動を見張らせ、暗くなってから、またもや寺から出てゆくような場合には、あとをつけるようにと、言いつけた。
ちょうど、その次の晩に、芳一が寺を出てゆくところを見つかった。そこで、下男たちは、すぐ|提灯《ちょうちん》をともして、そのあとをつけた。しかし、その晩は雨が降っていて、ひじょうに暗かった。それで、下男たちが道路に出ないうちに、芳一の姿はもう見えなくなっていた。よほど急いで歩いたことは、あきらかだったが、これは、彼の目が見えないことを思いあわせると、ずいぶん妙なことだった。というのは、道はひどくぬかっていたからである。下男たちは、いそいで街なかを通ってゆき、芳一が行きつけている家を、のこらず尋ね歩いたが、だれひとり、彼のゆくえを知っている者はなかった。とうとう、しまいに、下男たちが浜べづたいに、寺のほうへ引き返していると、阿弥陀寺の墓地のなかで、はげしくかきならす琵琶の音がするので、みんなびっくりしてしまった。墓のあたりは真暗で、|闇《やみ》の晩に、いつもそのあたりを飛びかっているような鬼火が、いくつか見えるばかりだった。しかし、下男たちは、すぐ墓地のほうへ急いで行った。そして、提灯の明りで、芳一を見つけだした。――雨のなかを、安徳天皇の|御陵《ごりょう》のまえに、ひとり|端《たん》|座《ざ》して、琵琶をかき鳴らしながら、壇の浦の合戦の歌を、高らかにうたっているのであった。そして、彼のうしろにもまわりにも、それからまた墓の上のいたるところに、亡者の火が、まるで|蝋《ろう》|燭《そく》のように燃えていた。かつて、これほどたくさんの鬼火が、この世の人の目に見えたためしはなかった。……
「芳一さん、芳一さん」と、下男たちは叫んだ。「あんたは、たぶらかされているのだ。……芳一さん」
しかし、盲人には、聞えぬらしかった。力をこめて、じゃんじゃん琵琶をかき鳴らしながら、ますます|烈《はげ》しく、壇の浦の合戦の歌をうたった。下男たちは、芳一をつかまえて、耳もとでわめきたてた。
「芳一さん、芳一さん、わたしたちといっしょに、すぐお帰り」
すると芳一は、|叱《しか》りつけるように、彼らに言った。
「この高貴なかたがたの前で、そんなふうに邪魔だてすると、|容《よう》|赦《しゃ》ならんぞ」
これを聞くと、下男たちは、|無《ぶ》|気《き》|味《み》ながらも、笑いださずにはいられなかった。芳一がたぶらかされているのは、紛れもないことなので、今度はみんなで、芳一をつかまえて引きおこし、力ずくで|急《せ》きたて、いそいで寺へ連れて帰った。寺では、|和尚《おしょう》の指図で、さっそく|濡《ぬ》れた着物をぬがせて、新しいのに着かえさせ、食べ物や飲み物をあたえた。それから和尚は、芳一のおどろきいった|振《ふる》|舞《まい》について、くわしく説明するようにせまった。
芳一は、長いこと、話すのをためらった。しかし、とうとう、自分のしたことが、善良な和尚さんをほんとにおどろかせ、かつ怒らせたことに気がついて、もう隠し立てをしまいと心にきめ、はじめて侍がやって来たときから起ったことを、なにもかも話した。
和尚は言った。
「芳一や、まあかわいそうに、おまえは今たいへん危い目におうているのだぞ。こんなことにならんうちに、すっかりわしに打ち明けなかったのは、なんとしても不運なことだった。あんまり|音曲《おんぎょく》がうまいばかりに、こんな思いもかけぬ難儀な目におうたのだ。もうわかったと思うが、おまえはてんで人の家などへまいっていたのじゃなくて、墓所内にある平家のお墓のなかで、夜を明かしていたのだ。そして、今晩、寺の者たちが雨の降るなかに、おまえが|坐《すわ》っているのを見つけたのは、安徳天皇の御陵の前だったのだよ。おまえが考えていたことは、|亡《もう》|者《じゃ》が呼びにきたことのほかは、みんな心のまよいだ。いちど亡者どもの言うことを聞いたんで、すっかりその手中におちたのだ。すでにこういうことのあったうえに、またしてもあの連中の言うなりになったら、おまえは八つ裂きにされてしまうぞ。しかし、いずれにしても、早晩おまえを取り殺すところだったのだ。……ところで、わしは今晩も、おまえといっしょにいるわけにはいかん。またひとつ法事に呼ばれているのだ。だが、出かけるまえに、おまえのからだにお経の文句を書いて、守ってやらねばなるまい」
日が沈まぬうちに、和尚と小僧とは芳一を裸にして、それから筆をとって、彼の胸や背中、頭や顔や|頸《くび》、四肢や手足から、足の裏までも、からだいちめんに、|般若心経《はんにゃしんぎょう》というお経の文句を書きつけた。それがすむと、和尚は、芳一にこう言って聞かせた。
「今晩わしが出かけたら、すぐ縁側にすわって、待っているんだよ。そうすると、呼びにくるだろう。だが、どんなことがあっても、返事をしたり、身動きをしたりしてはならんよ。口をきかずに、じっと坐っているのだ。――|坐《ざ》|禅《ぜん》でもやっているようにね。もし身動きをしたり、すこしでも音をたてたりしたら、八つ裂きにされてしまうぞ。こわがってもいけないし、助けを呼ぼうなどと考えてもいけない。――助けようにも、助けられないのだから。ちゃんとわしの言うとおりにやれば、危難は退散して、もうこわいものは、何もなくなるよ」
日が暮れてから、和尚と小僧とは出ていった。芳一は言いつけられたとおり、縁側に坐った。|琵《び》|琶《わ》をかたわらの板敷のうえにおき、坐禅の姿勢をとったまま、じっとしていた。――気をつけて|咳《せき》もせず、聞えるほど息もつかずに、幾時間もそうしていた。
やがて、道のほうから、足音が近づいてくるのが聞えてきた。それは門をすぎ、庭をよこぎり、縁側に近づいて、芳一のすぐ前にとまった。
「芳一!」と、低くておもおもしい声が呼んだ。けれども、盲人は息を殺して、身動きもせずに|坐《すわ》っていた。
「芳一!」と、またもやその声は、きびしく呼んだ。ついで、三たびあらあらしく呼んだ。
「芳一!」
芳一は、石のように、じっとしていた。すると、その声はこうつぶやいた。
「返事がない!――こりゃいかん!……|奴《やつ》がどこにおるか、見てみなくちゃならん」
縁側にあがる重い足音がした。足音はおもむろに近づいてきて、芳一のそばでとまった。それから、ややしばらく――そのあいだ芳一は、心臓の|鼓《こ》|動《どう》につれて、全身がぶるぶる震えるのを感じたが――あたりは、しんと静まりかえっていた。
とうとう、あらあらしい声が、彼のすぐそばで、つぶやいた。
「琵琶はここにある。が、琵琶法師は――耳が二つあるきりだ!……道理で、返事をしないはずだ。返事をしようにも、口がないのだ。耳のほかには、何も残っていない。……では、わが君に、この耳をもって行こう。――できるかぎり、|仰《おお》せのとおりにしたという証拠に」
その|刹《せつ》|那《な》、芳一は、自分の耳が鉄の指でひっつかまれて、もぎ取られるのを感じた。その痛さは、たいへんなものだったけれど、声はたてなかった。重い足音が、縁側づたいに遠ざかり――庭へおり――道路のほうへ出ていって――消えてしまった。盲人は、顔の両側から、温いどろどろしたものが、ぼとぼと落ちるのを感じたが、手をあげようともしなかった。……
日の出まえに、|和尚《おしょう》は帰ってきた。すぐ裏手の縁側へいそいで行くと、なんだかねばねばしたものを、ふみつけて|滑《すべ》り、ぞっとしながら、声をあげた。――|提灯《ちょうちん》の明りで、そのねばねばしたものは、血であることが、わかったからである。しかし、見れば、芳一は、そこに|坐《ざ》|禅《ぜん》の姿勢をとったまま、坐っていた。――傷口からは、なおも血がだらだら流れていた。
「まあ、かわいそうに、芳一!」と、和尚はびっくりして叫んだ。「これはまあ、なんということだ?……おまえは、|怪《け》|我《が》させられたんだな?」
和尚の声を聞くと、盲人は安心して、にわかに泣きだした。そして、涙ながらに、夜なかの出来事を語った。
「かわいそうに、かわいそうに、芳一!」と、和尚は大声で言った。「こりゃ、みんなわしの手落ちだ。わしのひどい手ぬかりだ!……おまえのからだじゅうに、くまなくお経の文句を書いたのだが、ただ耳だけが落ちていた。そこのところは、小僧に|任《まか》せたんだ。そして、あれがちゃんと書いたかどうか、確めなかったのは、重々わしが悪かった。……だが、それはもう、なんとも|致《いた》しかたがない。このうえは、ただ一刻も早く、傷をなおすことだ。……元気をだすんだよ、芳一! 危難はもう退散したぞ。もう二度と、あんな亡者どもに、悩まされることはないよ」
よい医者の手当で、芳一の傷は、ほどなくなおった。彼のふしぎな出来事の|噂《うわさ》は、あちこちへ広まり、芳一はたちまち有名になった。身分の高い人々がおおぜい、芳一の|琵《び》|琶《わ》|歌《うた》を聞きに、赤間ガ関までやってきた。そして、|莫《ばく》|大《だい》な金がおくられ、そのために、彼は裕福な身となった。……しかし、この出来事のあったときから、彼はもっぱら「耳なし芳一」という|綽《あだ》|名《な》で、知られるようになった。
[#地から2字上げ]――「怪談」より
おしどり
|陸《む》|奥《つ》の国の田村の|郷《ごう》というところに、|孫允《そんじょう》とよぶ|鷹匠《たかじょう》が住んでいた。ある日のこと、猟に出かけたが、なんの|獲《え》|物《もの》も見つからなかった。ところが、その帰りみちに、赤沼というところで、川を渡ろうとすると、ひとつがいのおしどりが、うちつれて泳いでいるのが、目にとまった。おしどりを殺すのはよくないが、あいにく、孫允は、たいそうお|腹《なか》がすいていたので、つがいのおしどり目がけて矢をはなった。すると、その矢は、雄のほうを射ぬいた。雌は、向う岸の、|藺《い》|草《ぐさ》のなかへ逃げこんで、見えなくなった。孫允は、死んだ鳥を家に持って帰って、それを料理した。
その晩、孫允は、うらがなしい夢をみた。なんでも、美しい女がひとり、部屋へはいってきて、|枕《まくら》もとに立って、泣きだしたようである。その泣きかたがあまりいたわしいので、孫允は聞いているまも、胸が張りさけそうな気がした。女は大声でこう言った。「どうして――ああ、どうして、あのひとを殺したのです? あのひとがどんな不都合なことをしたというのです?……赤沼で、わたしたちは、いっしょに、あれほど仕合せに暮していましたのに、――あなたは、あのひとを殺しておしまいになりました。……いったい、あのひとがあなたに、どんな悪いことをしたのでしょう? あなたは、御自分でどんなことをなすったか、御存じなのですか?――ああ、どんなにむごい、どんなに悪いことをなすったか、御存じなのですか?……あなたは、このわたしまでも、殺してしまったのです。――夫がいなくては、とてもわたし、生きてはいられません。……ただ、これだけのことを、申しあげにきたのです」……そう言って、女はまたもや、さめざめと泣いた。――あまりのいたわしさに、聞いている孫允には、その泣き声が、骨の髄までも|浸《し》みとおるように思われた。――やがて女は、涙にむせびながら、歌をよんだ。
[#ここから2字下げ]
日暮るれば
さそいしものを
赤沼の
|真《ま》|菰《こも》がくれの
ひとり寝ぞうき
[#ここで字下げ終わり]
こう歌をよみ終ると、女は叫んで言った。「ああ、あなたは御存じない――御自分がどんなことをなすったか、おわかりになれないのです! けれども、あした赤沼へおいでになれば、おわかりになります。――おわかりになります……」そう言って、女はたいへんあわれっぽく泣きながら、立ち去った。
朝になって目がさめると、この夢がありありと心に残っていたので、孫允はひどく気になった。「けれども、あした赤沼へおいでになれば、おわかりになります。――おわかりになります」と言った女の言葉を思いだした。そこで彼は、その夢が、ただの夢にすぎないかどうかを確めに、すぐ赤沼へ行ってみようと、心にきめた。
こうして、孫允は赤沼へ出かけて行った。そして、そこの川堤に着くと、雌のおしどりが、ただ一羽泳いでいるのが、目についた。と同時に、おしどりのほうも、孫允に気がついた。けれども、おしどりは逃げようとはせず、妙に目をすえて、じっと孫允を見つめたまま、まっすぐにこっちのほうへ泳いできた。それから、とつぜん、くちばしで自分のからだを突き|裂《さ》いて、|鷹匠《たかじょう》の目のまえで、死んでしまった。……
孫允は|剃《てい》|髪《はつ》して、僧となった。
[#地から2字上げ]――「怪談」より
お貞のはなし
ずっと以前のこと、|越《えち》|後《ご》の国の新潟の町に、|長尾長生《ながおちょうせい》という人が住んでいた。
長尾は医者の|息《むす》|子《こ》で、父の業をつぐように教育された。幼いころ、父の友人の娘で、お|貞《てい》という女の子と|許婚《いいなずけ》にされた。そして両家では、長尾の修業が終りしだい、婚礼をあげることに、相談ができていた。ところが、お貞のからだの|工《ぐ》|合《あい》が悪くなり、十五のときに、不治の肺患にかかった。とても助からぬことがわかると、お貞は、ながの別れに、長尾を呼んでもらった。
長尾が|枕《まくら》もとに|坐《すわ》ると、お貞はこう言った。
「長尾さま、わたしたちは子供のじぶんから、たがいに言いかわした仲でございます。そして今年の暮には、婚礼をあげることになっておりました。ところが、わたしは今もう死にかかっております。――これも神さまのおぼしめしでございます。たとい、わたしが、この先もう何年生きながらえたといたしましても、やはり人さまの御心配や悲しみのもとになるばかりでございましょう。こんなに弱いからだでは、とてもよい妻になれるわけはございません。ですから、あなたさまのために、生きていたいと思うことさえ、たいへん身勝手な願いでございましょう。わたしはもうすっかり、死ぬことを観念しております。それで、あなたもお|嘆《なげ》きにならぬと、約束してくださいませ。……それに、申しあげておきたいのは、わたしたちは、もう一度、会えるような気がするのでございます」
「そうだとも、わたしたちは、きっとまた会えるよ」と、長尾は熱意をこめて答えた。「そして、あの|極楽浄土《ごくらくじょうど》には、もう別離の苦しみはないからね」
「いえ、いえ」と、彼女はものしずかに答えた。「浄土のことを申したのではございません。わたしたちは、きっとこの世で、もう一度会える定めになっていると思います。――たとい、わたしが、あしたお|葬《とむら》いされるにいたしましても」
長尾はいぶかしげに、お貞をじっと見まもった。すると彼女は、長尾が|不《ふ》|審《しん》がるのに、ほほえんでいるのであった。お貞は、おだやかな、夢みるような声で、言葉をつづけた。
「そうです。わたしの申しますのは、この世――あなたが、現に生きていらっしゃる、この世でございますよ、長尾さま。……ほんとにあなたさまが、そう望んでくださるのでしたら。ただ、そうなるためには、わたしはもう一度、女の子に生れて、ひとりまえの女にならねばなりません。ですから、それまで待っていただかねばなりません。十五年――十六年、ずいぶん長いことでございます。……でも、長尾さま、あなたはまだやっと、十九でございますものね」
お貞の|臨終《りんじゅう》を慰めたい一心に、長尾はやさしく答えた。
「ねえ、おまえを待つのは、わたしの務めでもあり、また嬉しいことなんだよ。わたしたちは、たがいに|七生《しちしょう》を誓っているのだもの」
「でも、あなた、お疑いになりまして?」と彼女は、長尾の顔を見まもりながら尋ねた。
「それはねえ」と彼は答えた。「おまえが別なからだになり、べつな名前になっているのが、わかるかどうか気がかりだよ。――なにかのしるしか、証拠を教えてくれなくては」
「それは、わたしにはできません」と彼女は言った。「ただ神さまと仏さまだけが、わたしたちがどこでどうして会うか、御存じなのです。でも、わたしをお迎えになるのがおいやでなかったら、きっと――ほんとにきっと、あなたのおそばへ帰ってまいれますよ。……わたしのこの言葉を、覚えていてくださいませ」
彼女は話をやめた。そして目をとじた。死んだのである。
長尾は、心からお貞を慕っていた。それで、彼の悲しみは深かった。長尾は、彼女の|俗名《ぞくみょう》を書きつけた|位《い》|牌《はい》をつくらせた。そして、その位牌を仏壇に納めて、毎日そのまえに供え物をあげた。彼は、お貞が死ぬすぐまえに、自分に語ったふしぎなことを、いろいろと考えた。そして、彼女の霊を喜ばせてやりたいと思って、もし彼女がべつなからだで帰ってくることができたら夫婦になる、というおごそかな|誓《せい》|約《やく》を書いた。そして、この|誓《せい》|文《もん》に判をおして封じ、仏壇のなかの、お貞の位牌のそばにおいた。
しかしながら、長尾はひとり|息《むす》|子《こ》だったから、どうしても結婚せねばならなかった。まもなく、家族の者たちの希望にしたがって、父のえらんだ妻をよぎなく迎えさせられた。結婚してからも、彼はやはり、お貞の位牌のまえに、供え物をやめなかった。そして愛慕の情をこめて、彼女のことを思いださぬことはなかった。それでも、お貞の面影は、しだいに長尾の記憶のなかで、思いだしにくい夢のように、うすらいでいった。こうして、歳月はながれた。
その幾年かのあいだに、いろいろな不幸が、長尾の身にふりかかってきた。彼は両親に死に別れた。それから、妻やひとり子とも、死に別れた。そこで、この世の中で、ひとりぽっちになってしまった。彼はさびしい家を捨てて、悲しみを忘れようと、ながい旅にでた。
旅の途中のある日のこと、長尾は|伊《い》|香《か》|保《ほ》に着いた。――ここは、温泉とその付近の美しい景色とのために、今でもやはり有名な山村である。彼が泊った村の宿で、一人の若い女が給仕にでた。そしてその女の顔を一目見ると、長尾はこれまでかつて覚えたこともないほど、はげしく胸のときめきを感じた。まったくふしぎなくらい、その女がお|貞《てい》に似ているので、夢をみているのではないかと、自分の身をつねってみた。火や食べ物を運んだり、客間をととのえたりして、いったり来たりしているとき、その女の物腰や動作のひとつひとつが、彼が若いころ誓をたてた|乙《おと》|女《め》の、楽しい記憶を呼びおこした。長尾は女に言葉をかけた。すると彼女は、ものやわらかな澄んだ声で、返事をしたが、その声の美しさに、すぎた日の悲しみが思いだされて、長尾は心を曇らせた。
そこで彼は、あまりのふしぎさに、彼女にこう尋ねた。
「ねえさん、あんたは、ずっと以前にわたしが知っていた人に、あまりよく似ているので、あんたが最初この部屋にはいってきたときには、びっくりしたよ。で、失礼だが、おくにはどこで、名はなんというの?」
即座に――そして忘れもせぬ、あの亡くなった人の声で、彼女はこう答えた。
「わたしの名は、お|貞《てい》と申します。そして、あなたはわたしの|許婚《いいなずけ》の、越後の長尾長生さまでございますわね。十七年まえに、わたしは新潟で|亡《な》くなりました。そのときあなたは、わたしが女のからだでこの世にもどってこれたら、結婚してくださるという、誓約をお書きになりました。そして、あなたはその誓文に判をおして封じ、仏壇の、わたしの名を書きつけた|位《い》|牌《はい》のそばに、おいてくださいました。それで、わたしは帰ってまいりました」……
彼女はこう言いおわると、意識を失ってしまった。
長尾は、彼女と結婚した。そして、その結婚は幸福だった。けれども、その後お貞は、伊香保で彼の問になんと答えたか、まるで思い出せなかった。それにまた、前世についても、なにも覚えていなかった。前世の記憶――あのめぐりあいの|刹《せつ》|那《な》に、ふしぎにも燃えあがった前世の記憶は、ふたたびもうろうとなり、その後もそのままであった。
[#地から2字上げ]――「怪談」より
乳母ざくら
三百年のむかし、|伊《い》|予《よ》の国温泉郡の朝美という村に、|徳《とく》|兵《べ》|衛《え》という善良な人が住んでいた。この徳兵衛は、そのかいわいでも、いちばんの金持で、|村《むら》|長《おさ》を勤めていた。たいがいのことには不足のない身だったが、四十歳になっても、まだ父親になる喜びを知らなかった。そこで、徳兵衛と彼の妻とは、子供のないのを苦にやんで、朝美村の西方寺という、名高い寺のぬしである|不動明王《ふどうみょうおう》に、たびたび|願《がん》をかけた。
とうとう願がかなって、徳兵衛の妻は、一人の女の子を生んだ。その子はたいへんきれいで、|露《つゆ》という名がつけられた。母親の乳がたりないので、お|袖《そで》という女が、子供の|乳《う》|母《ば》にやとわれた。
お露は成長して、たいそう美しい娘になったが、十五の年に病気になって、医者たちも、とうてい助かるまいと思った。そのとき、ほんとうの母親のように、お露をかわいがっていた乳母のお袖は、西方寺にまいって、お露のために、心をこめて不動さまに祈願した。二十一日のあいだ、毎日おまいりして祈った。そして、その満願の日に、お露はきゅうに全快した。
それで、徳兵衛の家では、大喜びだった。娘の全快祝いに、知人をのこらず招いて、祝宴をひらいた。ところが、そのお祝いの晩、乳母のお袖がとつぜん病気になった。そして、その翌朝、お袖についていた医者は、|臨終《りんじゅう》がせまっていると知らせた。
そこで、家じゅうの者は悲嘆にくれながら、別れを告げに、お袖の床のまわりに集まった。ところが、お袖はみんなにこう言った。
「みなさまがたの御存じないことを、申しあげねばならぬ時がまいりました。じつは、わたくしの祈願が、聞きとどけられたのでございます。わたくしは、お露さまのお身代りに、死なしてくださいますよう、お不動さまにお願い申しました。そして、この特別のおなさけを、お授けくだされたのでございます。こういうわけでございますから、どうかみなさま、わたくしの死ぬのを、お嘆きくださいますな。……けれども、ひとつだけお願いがございます。じつはわたくし、お礼と記念のしるしに、桜の木を一本、西方寺の境内に奉納いたしますと、お不動さまにお誓い申しました。ところで、もうわたくしは、自分でその木を植えることはできません。それで、どうかわたくしに代って、この誓いを果していただきとうぞんじます。……それではみなさま、もうこれで、お別れでございます。どうかわたくしが、お露さまのお身代りに、よろこんで死んでいったのを、お忘れくださいますな」
お袖の葬式がすんでから、えり抜きの、りっぱな桜の若木が一本、お露の両親の手で、西方寺の境内に植えられた。その木は生長して生いしげり、翌年の二月十六日――ちょうどお袖の命日に、みごとに花をひらいた。こうして、二百五十四年のあいだ、いつも二月の十六日に、その木には、絶えることなく花がさいた。そして、その花は|石《せき》|竹《ちく》|色《いろ》と白とで、ちょうど乳でしめった女の乳房のようだった。それで人々は、その木を、乳母ざくらとよんだ。
[#地から2字上げ]――「怪談」より
はかりごと
屋敷の庭で、手討ちをとり行うようにと、命ぜられた。そこで、罪人が庭に引きだされた。そして、今でも日本風の庭造りに見うけられるような、飛び石が一列によこぎった広い砂地に、|坐《すわ》らせられた。両腕は、うしろにくくられていた。家来たちは、|手《て》|桶《おけ》の水と、小石をつめた俵を運んだ。そして、その俵を、坐っている罪人のまわりに、ぎっしり詰めこんで、身動きができないように|楔《くさび》どめにした。主人がやってきて、準備の様子を見た。べつに申し分がないので、なにも言わなかった。
ふいに、罪人が、主人にむかって叫びだした。
「殿さま、わたしがそのために、お手討ちをうけることになりました罪というのは、わざと犯したものではございません。こんな間違いを引きおこしましたのは、ひとえにわたしの、ひどい間抜けさからでございます。前世の宿縁で、愚か者に生れつきましたんで、いつも間違いを仕でかさずには、すみませんでした。しかし、愚かだからといって、人を殺すのは無法です。そんな無法な仕打ちには、|報《むく》いがあります。どうあっても、殿さまがわたしをお殺しなさるなら、わたしもきっと殿さまに仕返しします。――あなたが、人に|怨《うら》みをいだかせるようなことをなされるから、仕返しされるのです。悪には悪をもって、報いられるのです」……
どんな者でも、ひどい怨みをいだいているあいだに殺されると、その人の霊魂は、殺した者に仕返しすることができる。このことは、侍も知っていた。彼はたいへんおだやかに、――ほとんど、いたわるように答えた。
「おまえが死んだあとで、いくらでも好きなほど、われわれを驚かすがよかろう。だが、おまえが本気でそんなことを言っているとは、信じられん。ひどい怨みをいだいているという、何かの証拠を、首を|刎《は》ねられたあとで、見せられるか」
「きっと、お見せしましょう」と罪人は答えた。
「よし」と、侍は長い刀を引きぬきながら言った。「さあ、首を|刎《は》ねるぞ。おまえのまんまえに、飛び石がある。首を刎ねられてから、その飛び石に|噛《か》みついてみろ。おまえが、怒った魂の助けでそうやれたら、われわれのなかにも、|怖《おじ》|気《け》をふるう者があるかもしれん。……さあ、石に噛みついてみるか」
「噛みつきますとも」と、罪人はたいへん怒って叫んだ。「噛みつきますとも――噛みつき……」
刀がひらめき、シュウッと|空《くう》を切って鳴り、ガリガリ、ドサッという音がした。縛られたからだは俵のうえに、うつぶした。――二すじのながい血しぶきが、切られた首から、さっとばかりほとばしりでた。――そして、首は砂のうえにころげおち、おもおもしく、飛び石のほうへ転がっていったが、やがて、ふいに飛びあがって、石の上端に噛みつき、一瞬のあいだ死物狂いに食いついていたが、力なくがくりと落ちた。
だれひとり口をきく者もなく、家来たちはおののきながら、主人をじっと見た。ところが、彼はまるで気にとめていないようだった。ただ、いちばん近くにいる家来のほうに、刀をさしだしただけである。すると、その家来は、木の|柄杓《ひしゃく》で、|柄《つか》から|切《きっ》|先《さき》まで水をそそぎ、やわらかい紙で、幾度も念いりに刃をぬぐった。……こうして、手討ちの儀は、型どおり終ったのである。
それから数か月のあいだ、家来と召使たちは、|幽《ゆう》|霊《れい》が出はせぬかと、たえずおびえながら暮した。彼らのうち一人として、罪人が誓った仕返しをやりとおすことを、疑う者はなかった。そして、たえず恐怖にかられているために、ありもしない物を、あれこれと見たり聞いたりした。だれも、竹のあいだをわたる風の音をおそれ、庭の影の動きにさえ、おののくようになった。とうとう、みんなで相談したのち、執念ぶかい|怨霊《おんりょう》のために、|施《せ》|餓《が》|鬼《き》|供《く》|養《よう》をしてもらうよう、主人に願い出ることにきめた。
「まったく無用だ」おもだった家来が、みんなの願いを申し出たとき、侍は言った。「死にかけている者が|復讐《ふくしゅう》したいと願う最後の一念が、恐怖のもとになることは、わしも承知している。しかし、この場合は、なにも恐れることはないのだ」
家来は嘆願するように主人を見たが、このおどろきいった自信のわけを尋ねるのは、さすがに、ためらった。
「いや、そのわけは、きわめて簡単だ」と侍は、家来が口にだして言えずにいる疑念を察して、自分のほうから言った。「ただ、あいつの|断《だん》|末《まつ》|魔《ま》の|意《い》|趣《しゅ》だけが、まあ危険だったのだ。証拠を見せるように挑んだとき、じつはあいつの心を、復讐の念からそらしてしまったのだ。あいつは、飛び石に|噛《か》みつこうという一念を抱いたまま、死んだんだ。そして、その一念は|遂《と》げられたのだが、それでおしまいさ。そのほかのことは、すっかり忘れたに相違ない。……だから、このことについては、もうこれ以上、なにも心配するにはおよばないのだ」
――はたして、死んだ罪人は、それ以上なんの|祟《たた》りもしなかった。まったく、何事もおこらなかった。
[#地から2字上げ]――「怪談」より
鏡と鐘
八百年のむかし、|遠江《とおとうみ》の国の|無《む》|間《げん》|山《やま》の僧たちが、寺に|大《おお》|鐘《がね》をそなえたいと思って、鐘の|地《じ》|金《がね》にする|唐《から》|金《かね》の古い鏡を寄進してくれるよう、|檀《だん》|家《か》の婦人たちに力添えを|乞《こ》うた。
〔今日でも、日本のある寺の庭には、そういう目的で寄進された唐金の古い鏡が、うず高く積んであるのを見かけることがある。この種のもので、わたしがこれまで見たうちで、いちばんたくさん集めてあったのは、九州|博《はか》|多《た》の浄土宗のある寺の庭にあるものだったが、その鏡は、身のたけ三丈三尺におよぶ唐金の|阿《あ》|弥《み》|陀《だ》|像《ぞう》をつくるために、納められたものであった〕
そのころ、無間山に、ある百姓の妻の、若い女が住んでいて、鐘の地金に使うよう、寺に鏡を寄進したが、あとになって、その鏡がたいへん惜しくなってきた。彼女は、母親がその鏡のことを、いろいろ話してくれたのを思いだしたのである。その鏡は、母親の物であったばかりでなく、母の母親や母の祖母の持ち物であったことや、その鏡にうつした|嬉《うれ》しそうな笑顔などまで、思いうかべた。もちろん、その鏡のかわりに、なにがしかの金を僧にさしだせば、この祖先伝来の品を返してもらうよう、頼めたのであろうが、彼女には、それだけの金がなかった。寺へ行くたびに、庭の|柵《さく》のうしろに、みんないっしょに積み重ねてある何百という鏡のなかに、自分の鏡がまじっているのが見えた。その裏には、松竹梅が浮彫りになっているので、それとわかった。ところで、この松、竹、梅という、おめでたい三つのしるしは、母がはじめてその鏡を見せてくれたとき、彼女のおさない目を喜ばせたものであった。彼女は、なにかのおりにその鏡を盗んで、ゆくゆく家の宝として秘蔵できるように、隠しておきたいものと、しきりに願ったりした。しかし、その機会は来なかった。それで、彼女はたいへんみじめな気持になって、おろかにも、自分のいのちの一部を捨ててしまったように、感じたのである。鏡は女の魂という、古い|諺《ことわざ》のことをじっと考えた。(その諺は、多くの唐金の鏡の裏に、魂という漢字で、神秘的に書きあらわされている)すると、その諺が、これまで想像したよりは、もっとふしぎな意味で、真実であるように思えて、おそろしくなってきた。しかし、彼女は、自分の苦しい気持を、だれにも思いきって話すことができなかった。
さて、無間山の鐘のために寄進された鏡が、みんな鋳込み場へ送られたとき、鋳物師は、そのなかに、どうしても|鎔《と》けない鏡が、ひとつあるのを見つけた。何度もそれを鎔かそうとしたが、どうやってみても、だめだった。これは、あきらかに、その鏡を寺に納めた女が、それを悔いているのに違いなかった。つまり、心から献納したのではなかったので、彼女の執念がその鏡にとりついていて、炉のなかに入れても、鏡はかたく冷たいままで、鎔けなかったのである。
このことは、もちろん、みんなの耳にはいったし、また鎔けない鏡がだれのものであるかということも、ほどなくみんなに知れわたった。心のなかに秘めておいた|咎《とが》が、こうして世間に公然と知れわたったので、かわいそうに、この女は、たいそう恥じいり、またひどく腹をたてた。そして、この不面目にたえられずに、次のような書置をのこして、身を投げた。
「わたしが死んだら、鏡をとかして鐘をつくることは、わけなくなりましょう。けれども、その鐘をならして割った人には、わたしの霊魂の力で、大金をさずかりましょう」
だれでも怒って死ぬか、怒って自殺する人の、いまわのきわの願いや誓いは、超自然的な力があると、いっぱんに考えられているということを、承知していただきたい。で、死んだ女の鏡がとかされ、鐘が首尾よく|鋳《い》られると、世間の人たちは、あの書置の言葉を思いだした。その書置をした女の霊魂が、鐘をこわした者に、大金をさずけるということを、みんな信じた。それで、その鐘が寺の庭につるされるが早いか、みんなそれを鳴らそうと、おおぜいで押しかけた。彼らはありったけの力をだして、|撞《しゅ》|木《もく》をふったが、鐘はなかなかよくできていて、みんながいくら|撞《つ》きこわそうとしても、びくともしなかった。しかし、みんなもそうたやすく、思いとどまりはしなかった。くる日もくる日も、どんなときでも、はげしく鐘を鳴らしつづけた。坊さんたちの苦情など、まるで気にとめなかった。そこで、鐘の音が苦の種となり、坊さんたちは、とても我慢しきれなくなったので、とうとう鐘を山から沼のなかへ、ころがし落して、やっかい払いをした。その沼は深くて、鐘をすっかり|呑《の》んでしまった。――これが、この鐘の最後であった。あとには、ただ伝説だけが残っているが、この伝説では、その鐘を「|無《む》|間《げん》|鐘《かね》」と呼んでいる。
さて、日本には古くから、「なぞらえる」という動詞で、はっきりとではないにしろ、とにかく、それとなく示されている|或《あ》る精神作用の魔術的な効力にたいして、奇妙な信仰がある。ところで、この「なぞらえる」という言葉そのものは、英語には、どうも適当な訳語がない。それは、この言葉が、信仰にもとづくいろいろな宗教上の行事だけでなく、さまざまな魔法に類したことにも、連関して用いられるからである。「なぞらえる」という言葉の普通の意味は、辞書によると、「まねる」「たとえる」「にせる」であるが、その秘教的な意味は、「ある魔術的ないしは|奇《き》|蹟《せき》的な結果をもたらすように、物ないしは行動を、他の物ないしは行動に、想像のなかで、代用すること」である。
たとえば、諸君には寺を建てるだけの余裕はないが、もし建てられるほどの金持だったら、さっそく寺を建てようという、|敬《けい》|虔《けん》な気持になるだろうが、それとまったく同じ気持で、仏像のまえに小石をひとつ供えるのは、たやすくできることだ。ところで、そのようにして、小石を供える|功《く》|徳《どく》は、寺を建てる功徳と同等、あるいはほとんど同等なのである。……また、六千七百七十一巻の仏典を読むことはできないが、それを収めた回転書庫をつくって、それを|轆《ろく》|轤《ろ》のように押してまわすことはできるのだ。そして、もし六千七百七十一巻を読破するほどの熱誠をこめて、それを押すならば、仏典を読んだのと同じ功徳が得られるのである。……「なぞらえる」という言葉の宗教上の意味の説明は、まあこれくらいで十分であろう。
その魔術的な意味は、いろいろさまざまな例をあげなくては、すっかり説明することはできないが、さしあたっての目的のためには、次にあげる例で、間にあうだろう。もし諸君が、シスター・ヘレンが小さな|蝋人形《ろうにんぎょう》をつくったのと同じ動機で、小さな|藁《わら》人形をつくり、五寸をくだらぬ長さの|釘《くぎ》で、|丑《うし》の|刻《とき》に寺の森のなかのある木に、釘づけにするとすれば、――そして、心の中でひそかにその小さな藁人形に仮定されている人が、その後ひどい|苦《く》|悶《もん》のうちに死ぬとすれば、それが「なぞらえる」の一つの意味を、例証することになるのである。……あるいはまた、夜間に、泥棒が諸君の家にはいって、貴重なものを持ち去ったとしよう。その場合、庭で泥棒の足跡を見つけて、すぐさま、その足跡のどちらにも、非常に大きなもぐさ[#「もぐさ」に傍点]をすえれば、泥棒の足の裏が焼けついてきて、すこしもじっとしてはいられず、ついには、自分からすすんで引き返してきて、諸君のあわれみを|乞《こ》うだろう。これもまた、「なぞらえる」という言葉であらわされた、魔法めいたことの一例である。そして、さらにもう一つの例が、無間鐘にかんするさまざまな伝説によって、明らかにされている。
鐘が沼のなかに転がしこまれてからは、もちろん、それを割るほど鳴らす機会は、もうなくなった。しかし、こうした機会のなくなったことを残念がる人たちは、想像で、その鐘に代るものを、よく打ちこわしたものだった。こうして、あれほどの騒ぎを引きおこした鏡の持ち主の霊魂を、慰めてやりたいと思ったのである。そうした人たちの一人に、|梅《うめ》ガ|枝《え》という女があった。この女は、|平《へい》|家《け》の武士|梶《かじ》|原《わら》|景《かげ》|季《すえ》との関係で、日本の伝説のなかで有名な女である。この二人が、いっしょに旅をしているうちに、梶原は、ある日のこと、金がなくてひどく困った。そこで梅ガ枝は、無間鐘の伝説を思いだして、|唐《から》|金《かね》の鉢をとりあげ、心のなかでそれを鐘と思いなして、割れるまでたたきつづけた。そうしながら、黄金三百両欲しいと、大きな声で叫んだ。すると、二人のいる宿に泊りあわせた客の一人が、鉢をたたきながら大声をだしているわけを尋ねて、金に困っている話をきくと、ほんとに黄金三百両を、梅ガ枝に出してやった。その後、梅ガ枝の唐金の鉢のことをうたった歌ができた。その歌は、今日にいたるまで、|芸《げい》|妓《ぎ》たちに歌われている。
[#ここから2字下げ]
梅ガ枝の|手水鉢《ちょうずばち》 たたいて
お金が出るならば
みなさん身うけを
そうれ頼みます
[#ここで字下げ終わり]
このことがあってから、無間鐘の評判が大きくなり、たくさんの人たちが、梅ガ枝の例にならって、彼女の幸運にあやかりたいと思った。こういう連中のなかに、無間山にほど近い大井川の岸に住んでいる、一人の|放《ほう》|蕩《とう》|者《もの》の百姓がいた。この男は、|放《ほう》|埒《らつ》な生活にすっかり財産を使いはたしてしまったので、自分で、庭の土から無間鐘の|雛《ひな》|形《がた》をつくり、大金が欲しいと叫びながら、粘土の鐘をたたいて割った。
すると、目のまえの地面から、|白装束《しろしょうぞく》の女の姿が、長い乱れ髪をすらりと垂らし、|蓋《ふた》をした|壺《つぼ》を手に持ってあらわれた。そして、その女はこう言った。「おまえの|祈《き》|祷《とう》はなかなか熱心なので、黙ってもいられず、わざわざ答えにやってきた。で、この壺を受け取るがよい」そう言いながら、女は壺を彼の手に渡すと、姿を消した。
幸運な男は、妻にこの吉報を知らせようと、家のなかへ|駈《か》けこんだ。そして、妻のまえに蓋のある壺をおいた。それは重かったので、二人で壺をあけた。見ると、その中にはいっぱい、ふちのところまでも……
だが、いけない! その壺に何がいっぱいはいっていたか、わたしもほんとに言いかねる。
[#地から2字上げ]――「怪談」より
食人鬼
むかし、禅宗の僧の|夢《む》|窓《そう》|国《こく》|師《し》が、ひとりで|美《み》|濃《の》の国を|行《あん》|脚《ぎゃ》しているとき、たれひとり案内してくれる者もない山の中で、道に迷った。ながいあいだ、よるべもなくさまよい歩いてから、その夜の宿も見つかるまいと、|諦《あきら》めかけているところへ、夕日の光に照らされた小山のいただきに、世を捨てた坊さんのために建ててある、|庵《あん》|室《じつ》とよばれる小さな隠れ家が一軒、目にとまった。その家は荒れはてているようであったが、しきりに急いで行ってみると、ひとりの老僧が住まっていたので、一夜の宿を乞うた。老僧はそれをすげなく断ったが、それでも、宿や食べ物のありそうな隣りの谷間の村を、夢窓に教えてくれた。
夢窓がその村にたどり着いてみると、農家が十二、三軒もないほどの村だったが、彼は|村《むら》|長《おさ》の家に、ねんごろに迎えられた。夢窓が着いたとき、かれこれ四、五十人の人たちが、いちばん大きな座敷に集まっていた。しかし、彼は小さな別室に通されて、すぐさま食事と寝床をあてがわれた。たいそう疲れていたので、夢窓は早くから横になって休んだ。ところが、真夜中すこしまえに、隣りの部屋で声をたてて泣く者があるので、目をさました。やがて、隔ての|襖《ふすま》がしずかにあけられ、ひとりの若い男が、灯のともった|行《あん》|燈《どん》をもって、部屋にはいってきて、うやうやしくお辞儀をしてから、こう言った。
「|御出家《ごしゅっけ》さま、心の痛むことながら、申しあげねばなりませんが、わたしは、今ではこの家のあるじでございます。昨日までは、ただの総領|息《むす》|子《こ》でございました。ところで、あなたさまがお出でなされたときには、だいぶんお疲れのようでございましたので、すこしでも御迷惑をおかけ申すようなことがあってはならぬと存じまして、申しあげずにおりましたが、じつは、わたしの父がつい二、三時間まえに亡くなったのでございます。次の|間《ま》でごらんになりました人たちは、この村の衆でして、みんな仏に別れを告げに、ここへ集まってきたのでございます。そして、これから一里ばかり離れたよその村へまいることになっております。と申しますのは、この土地のならわしで、村に死人がございましたあとは、その一晩中は、だれひとり、この村に残っていてはならぬことになっております。しかるべき供え物と|祈《き》|祷《とう》をあげますと、|遺《い》|骸《がい》だけを残して、みんな出かけることになっております。ところが、こうして遺骸の残された家には、いつも奇妙なことがおこります。それで、御出家さまも、わたしどもといっしょに、おいでなされたほうが、よろしいかとぞんじます。ほかの村でも、よい宿は見つかりましょう。しかし、あなたさまは御出家でいられますから、たぶん魔物でも、|悪霊《あくりょう》でも、ものの数ではございますまい。で、もし遺骸とお残りになるのを、べつに|御《ご》|懸《け》|念《ねん》なさいませんでしたら、むさくるしい家ながら、なにとぞ、御自由にお使いくださいませ。それにしても、申しあげておかねばなりませんのは、御出家ででもなければ、今夜ここに残ろうなどと思われるかたは、一人もないのでございます」
夢窓は答えて言った。
「御親切なお志と、手厚いもてなし、まことにかたじけのうぞんじます。しかし、わたしが参りましたおりに、御尊父の|逝《せい》|去《きょ》のことを知らしてくださらなかったのは、残念でした。と申しますのは、すこし疲れてはいましたが、出家としてのお勤めをしかねるほどには、くたびれてはおりませんでした。お話を伺っておきましたら、みなさんがたのお出かけのまえに、お経をおあげ申すところでしたのに。だが、そうはゆきませんでしたから、みなさんの出られたあとでお勤めして、朝まで御遺骸のそばに、残っておりましょう。ひとりでここにいるのはあぶない、と言われるわけがわかりませんが、わたしは幽霊も魔物も恐れはいたしません。それゆえ、どうかわたしのことは、御心配なさらんように」
若者は、この自信のある言葉を聞いて、いかにも|嬉《うれ》しそうに、しかるべき言葉でお礼を述べた。それから、家族のほかの者たちや、隣りの部屋に集まっていた人たちも、坊さんの親切な約束の言葉を伝え聞いて、お礼を述べにきた。そのあとで、この家のあるじはこう言った。
「では、御出家さま、あなたさまだけ、おひとり残してまいりますのは、まことに心残りではございますが、もうお|暇《いとま》申さねばなりません。村の|掟《おきて》によりまして、真夜中すぎには、一人もここに居残ることはできません。どうか、御出家さま、わたしどもがお側に付き添いできませんあいだ、くれぐれも御身にお気をつけくださいませ。そして、もし留守のあいだに、なにか変ったことを見聞きなさるようなことがございましたら、朝わたしどもが帰りましたときに、お聞かせくださいませ」
それから、みんな家から出てゆき、夢窓だけは、|遺《い》|骸《がい》のおいてある部屋に行った。型どおりの供え物が遺骸のまえにおかれ、小さな灯明が燃えていた。夢窓は、お経を読んで|葬《とむら》いの式をすませ、そのあとで黙想に入った。こうして黙想しながら、静まりかえったなかに、しばらくのあいだ、じっと|坐《すわ》っていた。|人《ひと》|気《げ》のない村には、物音ひとつしなかった。ところが、夜の静けさがこのうえなく深まったとき、もうろうとした大きな姿のものが、音もなくはいってきた。と同時に、夢窓は身動きができず、ものを言う力もなくなっていた。見ているうちに、その姿のものは、両手を使ってやるように、遺骸をもちあげて、猫が|鼠《ねずみ》を食べるよりもすばやく、それを|貪《むさぼ》り食った。――頭からはじめて、何もかも、髪の毛も、骨も|経帷子《きょうかたびら》までも食べた。そして、この怪物は、こうして遺骸を食べてしまうと、こんどは供え物のほうへむいて、それもみんな|平《たいら》げてしまった。それから、はいって来たときと同じように、いずこともなく姿を消した。
あくる朝、村の人たちが帰ってくると、夢窓は、|村《むら》|長《おさ》の屋敷の入口で、みんなを待っていた。一同の者はかわるがわる|挨《あい》|拶《さつ》をした。それから、中にはいって部屋じゅうを見まわしたとき、遺骸や供え物がなくなっているのを見ても、だれひとり、おどろいた様子もなかった。家のあるじは、夢窓にむかってこう言った。
「御出家さま、さだめしゆうべは、いやなものを御覧なされたことでございましょう。わたしどもはみんな、お案じ申しておりました。でも御無事で、なんのお障りもなく、たいへん|嬉《うれ》しくぞんじます。できますことなら、わたしどもも、ごいっしょにいたかったのでございます。しかし、ゆうべもお話しいたしましたとおり、この村の|掟《おきて》で、死人のあったのちには、みな家を去って、遺骸だけ残しておかねばなりません。これまで、この掟を破りましたさいには、いつもそのあとで、なにかしら、ひどい災厄がおこるのでございます。掟のとおりにいたしますと、かならず留守中に、遺骸も供え物も、なくなるのでございます。たぶん、あなたさまは、そのわけを御覧になったでございましょう」
そこで夢窓は、もうろうとした恐ろしい姿のものが、死人の部屋にはいってきて、遺骸と供え物とを貪り食ったことを話した。が、この話を聞いて、だれひとり、おどろいた様子は見えなかった。そして、家のあるじはこう言った。
「御出家さま、お話しくださいましたことは、この件について、ずっと昔から言い伝えられている話と、ぴったり合っております」
そこで、夢窓は尋ねた。
「あの山のうえの坊さんは、ときには、この村の死人の|葬《とむら》いは、してくれませんかな」
「どんな坊さんでございましょうか」と、若いあるじは尋ねた。
「ゆうべ、わたしにこの村を教えてくれた坊さんですよ」と夢窓は答えた。「わたしは、むこうの山のうえにある、その坊さんの|庵《あん》|室《じつ》をたずねたのです。すると坊さんは、宿はことわりましたが、こちらへ来る道を教えてくれましたよ」
聞いていた人たちは、びっくりしたように、たがいに顔を見合せた。そして、ちょっと黙っていたが、やがて家のあるじが言った。
「御出家さま、あの山のうえには、坊さんもいなければ、庵室もございません。もう何代にもわたって、このかいわいに住みついた坊さんなどは、一人もございません」
夢窓は、このことについては、もう何も言わなかった。親切にもてなしてくれた人たちが、自分がなにか化け物にでも|瞞《だま》されているように思っているらしい様子が、ありありと見えたからである。しかし、みんなに別れを告げ、行く先の道のことで、必要な事柄をすっかり聞くと、夢窓はもう一度あの山の草庵をたずねて、自分がほんとうに瞞されたかどうかを、確めようと心にきめた。庵室はなんの苦もなく見つかった。すると今度は、その年老いた主は、中にはいるように勧めた。夢窓が言われるままに中にはいると、|隠《いん》|者《じゃ》は彼の前にうやうやしく頭をさげて、「面目ない――ほんとうに面目ない――まったく、面目しだいもないことです」と、大きな声で言った。
「宿をお断りなされたのを、なにも恥じ入られることはありません」と夢窓は言った。「あなたは、むこうの村を教えてくだされたが、その村で、たいそう親切にもてなされました。むしろ御厚情をありがたく思っておりますよ」
「わしは、どんなかたにも、宿はお貸しできない身です」と隠者は答えた。「わしが面目なく思うのは、宿をお断りしたことではありません。ただ、あなたに、わしの正体を見られたのを、面目なく思うているのです。――と申すのは、ゆうべ、あなたの面前で、|遺《い》|骸《がい》や供え物を|貪《むさぼ》り食うたのは、このわしなのです。……御出家、わしは、人肉をくらう|食《じき》|人《にん》|鬼《き》なのです。わしを|憐《あわれ》んでください。そして、こんな境涯におちて、人知れず犯した罪を、|懺《ざん》|悔《げ》させてください。
「もう、だいぶん前のことですが、わしはこの|人《ひと》|気《げ》のない土地の僧でした。何里四方にもわたって、ほかに僧と名のつくものは一人もいないので、そのころには、亡くなった|山《やま》|家《が》の人たちの遺骸は――ときには、たいへん遠くから――葬いのお勤めをしてもらいに、ここまで運ばれる習わしでした。ところが、わしはただお役目だけに、勤めをくりかえし、儀式を行うだけで、このとうとい職から得られる衣食のことばかり、考えていたのです。そして、この|我《が》|利《り》|我《が》|利《り》の邪念のために、死ぬとすぐに、食人鬼の身に生れかわったのです。それからというものは、このかいわいで死ぬ人たちの遺骸を食って、生きてゆかねばならなくなったのです。どれもこれもみんな、ゆうべ御覧なされたようにして、貪り食わねばならなくなったのです。……ところで、御出家、わしのために、|施《せ》|餓《が》|鬼《き》をなすってください。お願いです。御出家の|祈《き》|祷《とう》の力で、この恐ろしい境涯から、すみやかに逃れられるよう、お救いください」……
こう嘆願するが早いか、隠者の姿は消えうせ、それと同時に、|庵《あん》|室《じつ》もまた消えてしまった。そして夢窓国師は、僧の墓らしく見える、五輪石とよばれる形の、ふるい|苔《こけ》むした墓のかたわらで、背のたかい草のなかに、ただひとり、ひざまずいているのであった。
[#地から2字上げ]――「怪談」より
むじな
東京の赤坂通りに、きのくにざか[#「きのくにざか」に傍点]という坂がある。――|紀《き》|伊《い》の国の坂という意味である。なぜ、この坂を紀の国坂と呼ぶのか、わたしは知らない。この坂の片側には、むかしから、深くてたいへん広い|濠《ほり》があって、そのうえには、青々とした|堤《つつみ》が高くもれあがって、ある屋敷の庭につづいている。そして、道の他の側には、御所の高い|塀《へい》が、ながながと連なっている。まだ街灯や人力車などのなかったころには、このあたりは、日が暮れると、たいへん|淋《さび》しかった。それで、帰りがおそくなった通行人たちは、日が沈んでからは、ひとりで紀の国坂を登るよりは、むしろ何町でも、まわり道をしたものであった。
それは、まったく、このあたりに、|貉《むじな》がうろつくからであった。
最後に、この貉を見た人は、京橋辺の年とった商人で、もう三十年ばかりまえに亡くなっている。これはその人が語ったとおりの話である。
ある晩のこと、だいぶん遅くなってから、この人が急いで紀の国坂を登っていると、女がたったひとり濠端にしゃがんで、さめざめと泣いているのが目にとまった。身投げでもするのではないかと心配になり、自分の力でおよぶことなら助けてもやり、慰めてもやりたいと思って、足をとめた。女はすらりとして上品に見え、身なりもきれいで、髪も良家の若い娘のように、きちんと結っていた。「お女中」と、彼は女に近づきながら声をかけた。「お女中、まあそんなにお泣きなさんな。……どんな心配事か、お話しなさい。もし何かお役にでも立つことがあるなら、喜んでお力になりましょう」(商人はたいへん親切な男だったので、本心からこう言ったのである)しかし、女は、片方の|振《ふり》|袖《そで》で顔を隠しながら、まだ泣きつづけた。「お女中」と、彼はふたたび、できるだけやさしく言った。「まあ、まあ、わたしの言うことを、お聞きなさい。……ここいらは、夜分に若い御婦人のいなさる所じゃない。お泣きなさんな、お願いだから。――どうしたら、いくらかでも力添えになれるか、ただそれだけ話しなさい」女はしずかに立ちあがったが、彼のほうに背をむけたまま、なおも袖の陰でしくしく泣きつづけた。彼は女の肩にかるく手をおいて、頼むように言った。「お女中――お女中――お女中……わたしの言うことを、お聞きなさい、まあちょっと……お女中――お女中」……すると、その女は、くるりと向きなおるなり、袖をおろして、片手でつるりと顔をなでた。――見ると、女の顔には、目も鼻も口もないのだ。――きゃっと叫んで、商人は逃げだした。
紀の国坂を上のほうへと、彼は一目散に|駈《か》けのぼった。前のほうはまっくらで、なにも見えなかった。うしろをふりむく勇気もなく、ひた走りに走りつづけた。するとようやく、はるかむこうに、蛍の光ほどの|提灯《ちょうちん》のあかりが、見えだしたので、それを目当てに急いで行くと、道端に屋台店をだしている、行商の|蕎《そ》|麦《ば》|屋《や》の提灯にすぎなかった。しかし、こんな恐ろしい目にあったあとでは、どんな明りでも、どんな仲間でも、ありがたかった。彼は蕎麦屋の足もとに転がりこんで、大声をだした。「ああ――ああ――ああ――」
「これ、これ」と、蕎麦屋はぞんざいに言った。「まあ――どうしたんです。だれかに、どうかされたんですかい」
「いや――だれも、どうも、しやしない」と彼は、あえぎあえぎ言った。「ただ……ああ!――ああ!」
「ただ、脅かされたんですかい」と蕎麦屋は、そっけなく尋ねた。「|追《おい》|剥《はぎ》にでも?」
「追剥じゃない――追剥じゃないんだ」と、おびえきった男は、なおもあえぎながら言った。「いたんだ……女がいたんだ――あの|濠《ほり》っぱたにね。ところが、その女が見せたんだ。……ああ――なにを見せたか、とても言えない」……
「へえ!……その女が見せたというのは、こんなもんじゃなかったんですかい」と大声で言いながら、蕎麦屋は、自分の顔をつるりと|撫《な》でた。――と、その顔は、まるで玉子のように、のっぺらぼうになった。……そして、そのとたんに、ふっと明りも消えた。
[#地から2字上げ]――「怪談」より
ろくろ首
今からおよそ五百年ばかり前のこと、九州の|菊《きく》|池《ち》侯の家臣に、|磯《いそ》|貝《がい》|平《へい》|太《だ》|左《ざ》|衛《え》|門《もん》|武《たけ》|連《つら》という侍があった。この磯貝は、代々武勇をたっとぶ祖先の血をうけて、生れながら武芸の素質があり、非凡な腕力をもっていた。まだ年少のころから、剣道のわざにも弓術にも、また|槍《やり》の操法にも、すでに師匠たちをしのぎ、豪胆練達の武人のもつ、あらゆる力量をあらわしていた。のちに、|永享《えいきょう》の|合《かっ》|戦《せん》のさいには、殊勲をたてて、高い栄誉をさずけられた。しかし、菊池家が没落するにおよんで、磯貝は主君を失ってしまった。当時、ほかの大名に仕えることは、たやすいことであったろうが、磯貝は、もともと一身の栄達ばかりを求めるようなことは、けっしてなかったし、なお心には、先君への忠誠をいだいていたので、むしろすすんで世を捨てようと思った。そこで、彼は髪を切って、|回竜《かいりょう》という法名をうけ、|行《あん》|脚《ぎゃ》の僧となったのである。
しかし、回竜は法衣のしたにも、つねに烈々とした武士の魂を蔵していた。かつては、危難をものともしなかったように、今はまた、困苦をあざ笑った。そして、どんな天候のときにも、どんな季節にさいしても、またほかの僧たちがあえて行こうとしなかったところへも、ありがたい仏の道を説きに、行脚したのであった。なにぶん当時は、暴力横行の乱脈な時代であったから、たとい僧の身であっても、街道のひとり旅は、けっして|安《あん》|穏《のん》なものではなかったのである。
最初のながい行脚のみちすがら、回竜はたまたま、|甲《か》|斐《い》の国をおとずれたことがあった。ある夕方のこと、その国の山中を旅しているとき、どの村からも数里はなれた、たいへん|淋《さび》しいところで、日が暮れてしまった。そこで彼は、星のしたで夜をあかそうと観念したが、ちょうど道ばたに、手ごろな草地があったので、そこへ身を横たえて、眠ろうとした。かねてから回竜は、不自由なことをむしろ喜んで迎えていた。それで、むきだしの岩でさえ、ほかにそれ以上のものが見つからぬときには、彼にとっては、りっぱな寝床であったし、松の木の根も、けっこうな|枕《まくら》となった。彼のからだは、鉄のように頑丈で、露にも、雨にも、|霜《しも》にも、また雪にも、けっして|頓着《とんちゃく》しないのであった。
回竜が横になるかならぬうちに、一人の男が、一ちょうの|斧《おの》と|薪《まき》の大きな束とをかついで、道をやってきた。この|木樵《きこり》は、回竜が寝ているのを見ると、足をとどめ、ほんのしばらくのあいだ、だまって見ていたが、ひどくおどろいたような言葉つきで、彼にむかってこう言った。
「まあ、こんなところに、ひとりで平気で寝ていられるなんて、あなたさまは、いったい、どういうかたですか。……このあたりには、化け物がでますよ。――それも、いろんな|奴《やつ》がです。お化けがこわくはないのですか」
回竜は機嫌よく答えた。「わしはただの行脚僧――つまり、世間でいう|雲《うん》|水《すい》です。化け物などというものは、ちっともこわくありませんよ。――あんたの言うのが、化け|狐《ぎつね》であれ化け|狸《だぬき》であれ、またそれに類した何であろうと、淋しい場所は、わしの好むところ、――なにしろ、ものを考えるのには、もってこいですからな。もともと、わしは野天で寝ることには|馴《な》れているし、それに自分のいのちのことなど気にかけぬように、修業してきていますからな」
「お坊さま、こんなところに、お休みになるなんて、あなたはほんとに|胆《きも》のすわったかたに違いございません」と、木樵は答えた。「でも、ここは、悪い|噂《うわさ》――はなはだ悪い噂のあるところです。それに|諺《ことわざ》にも、『君子|危《あやう》きに近よらず』と申しております。ほんとに、こんなところでお休みになるのは、たいへん物騒でございますよ。わたしの家は、みすぼらしい草ぶき小屋にすぎませんが、どうか、わたしといっしょに、すぐお出でください。食べ物と申しましても、さしあげるような物は何もありませんが、それでも屋根だけはございますから、その下でなら、安心して休まれます」
木樵がしきりに言うし、それに、その親切な言葉つきが気にいったので、回竜は、このつつましい申し出をうけいれた。木樵は、本道からそれて、山林のなかをぬけ、|爪《つま》|先《さき》あがりの狭い道を案内して行った。それは、でこぼこのあぶない小道で、ときには|崖《がけ》のふちをめぐり、ときには、網目になったすべっこい木の根のほかには、足がかりになるものがなかったり、ときには、|鋸《のこぎり》の歯のような岩の塊の上や間を、うねったりしていた。しかし、ようやく、回竜は、丘のいただきの、切りひらかれたところへ出た。頭上に、満月がかがやいていた。そして、目のまえには、ささやかな草ぶきの小家があって、そのなかには、灯があかあかとついていた。木樵は、家の裏手にある物置小屋に、回竜をつれて行ったが、そこには、どこか近くの流れから、竹の|筧《かけひ》で水がひいてあった。二人は足を洗った。物置小屋のむこうに野菜畑があり、さらに杉の木立と|竹《たけ》|藪《やぶ》とがあった。そして木立のむこうには、小滝がどこか高いところから落ちてきて、月の光に、長い白衣のように揺れているのが、ちらちら見えた。
回竜が、案内の|木樵《きこり》といっしょに、小家のなかにはいると、男や女が四人、広間の炉に燃えている少しばかりの火に、手をかざしていた。みんな回竜に低く頭をさげて、ひどくていねいに|挨《あい》|拶《さつ》した。こんなに貧しく、こんなに人里はなれたところに住んでいる人たちが、どうしてこうも、いんぎんな挨拶の仕方を心得ているのだろうかと、回竜はいぶかしく思った。「これは、りっぱな人たちだ」と、彼はひそかに思った。「だれか礼儀作法をよく心得ている人から、教わったにちがいない」それから回竜は、例の木樵――この男は、みんなから「あるじ」と呼ばれていた――のほうをむいて、こう言った。
「さきほどからの親切なお言葉や、また御一家の人たちの、たいそうていねいな御挨拶から察しまするに、あんたはもとからの木樵ではありますまい。たぶん、以前は身分の高いかただったのでしょう」
にっこり笑いながら、木樵は答えた。
「お坊さま、仰せのとおりでございます。ただいまは、御覧のとおりの暮しをいたしておりますが、もとはいささか名のある者でございました。わたしの身の上話は、おちぶれ者――つまり、自分のあやまちから身をほろぼした者の、身の上話でございます。わたしはもと、ある大名に仕えまして、|家中《かちゅう》での地位も低くはありませんでしたが、あまり女と酒に|溺《おぼ》れて、欲情のおもむくまま、ふらちなことをいたしました。こうした勝手気ままなふるまいのため、家の破滅をまねき、たくさんの人たちを死なせることにもなりました。そして、その報いがきて、ひさしいあいだ、こんなところで、世をはばかる身となったのでございます。今では、犯した悪事の罪ほろぼしをして、先祖代々の家を再興できるようにと、たびたび祈願をしているしだいでございますが、その|術《すべ》もおぼつかないのではないかと、案じております。それでも、心から悔いあらため、かつまた、ふしあわせな人たちを、力のおよぶかぎりお助け申して、それでわが身の|罪《ざい》|業《ごう》に打ち勝つようにいたしております」
回竜は、このように、りっぱな覚悟のほどを打ち明けられて、心うれしく、あるじにむかってこう言った。
「御主人、若いじぶんに、とかく身をもちくずした人たちが、後年たいへんまじめになって、ちゃんとした暮しをした例は、わしもよく見てきました。お経のなかにも、|悪行《あくぎょう》にひどく強い者が、しっかりした覚悟しだいで、善行にもいちばん強い人になれると、書いております。あんたが、りっぱな心を持っておられることは、もう疑いのないところで、わしは、あんたにもっとよい運がむいてくるように念じます。今晩、ひとつあんたのためにお経をあげて、これまでの罪業に打ち勝つ力を得られるように、祈ってあげましょう」
このように請けあってから、回竜はあるじに就寝のあいさつをした。すると、あるじは、ごく小さな|脇《わき》の間へ案内した。そこには床がのべてあった。やがて、家の者もみんな寝ついたが、回竜だけは起きていて、|行《あん》|燈《どん》のあかりで、お経を読みはじめた。そして、おそくまで|読経《どきょう》と|祈《き》|祷《とう》をつづけた。それから、床につくまえに、もう一度景色を眺めようと思って、小さな寝間の窓をあけた。美しい夜だった。空には雲ひとつなく、風も絶えて、あかるく冴えた月の光が、くっきりと木の葉の影をおとし、庭の露のうえに、きらきら光っていた。|蟋《こお》|蟀《ろぎ》や鈴虫の鳴き声はにぎやかに楽の音をかなで、近くの小滝の音は、夜がふけるにつれて高まってきた。その水の音に耳を傾けているうちに、回竜は渇きを覚えてきた。そして、家の裏手の竹の|筧《かけひ》を思いだし、そこへ行けば、眠っている家人を煩わさずに、水が飲めると思いついた。そこで回竜は、自分の部屋と広間との隔ての|襖《ふすま》をそっとあけた。すると、行燈のあかりで目にうつったのは、横になっている五つの胴体で、――どれにも首がない!
一瞬のあいだ、回竜は人殺しだと考えて、|呆《ぼう》|然《ぜん》と立ちすくんだ。が、つぎの瞬間には、べつに血の流れた形跡もなく、|頸《くび》が切られた様子もないことがわかった。そこで回竜は、心のなかでこう考えた。「これは、化け物のしわざの幻か、それとも、ろくろ首の住いにおびきこまれたのだ。……『|捜《そう》|神《じん》|記《き》』に、もし首のないろくろ首の胴体を見つけて、その胴体をほかの場所へ移しておけば、その首は、ふたたびもとの|頸《けい》|部《ぶ》にくっつくことはできない、と書いてある。また、首がもどってきて、自分の胴体が動かされているのを知ると、その首は、自分で床に三度ぶつかって、|毬《まり》のように跳ねかえりながら、たいへんこわそうに息をあえいで、やがて死んでしまう、とも書いてある。ところで、もしこれがろくろ首ならば、わしのために、ろくなことはあるまい。――で、書物の教えどおりにしても、さしつかえなかろう」……
回竜は、あるじの胴体の足をつかんで、窓へ引きずって行って、そとへ押しだした。それから、裏口へ行ってみると、戸には|閂《かんぬき》がかけてあった。そこで、首はあけっ放しになっている屋根の|煙《けむ》|出《だ》しから、抜け出たのだと推量した。回竜は、そっと戸の閂をはずして、庭に出てゆき、できるだけ用心しながら、むこうの木立のほうへ進んで行った。すると、木立のなかで、話し声が聞えるので、その声のするほうへ、回竜は、影から影へと忍んでゆき、とうとう手ごろな隠れ場所に行きついた。それから、一つの幹のうしろから伺うと、首が――みんなで五つ――飛びまわったり、飛びながら|喋《しゃべ》ったりしているのが、目にとまった。それらの首は、地面や木立のあいだで見つけた虫類を食べていた。やがて、あるじの首が、食べるのをやめて、こう言った。
「ああ、今夜きたあの旅の坊主め――なんとまあ、どこもよく肥ったからだなんだろう! あいつを食ってしまったら、さぞお腹がいっぱいになることだろう。……さっき、あんなふうに話したのは、おれが馬鹿だった。けっきょく、おれの魂のために、あいつにお経を読ませることになったまでだ。あいつがお経を読んでいるあいだは、近よることは難かしかろうし、|祈《き》|祷《とう》をしているうちは、あいつに触ることはできない。だが、もうほどなく朝だから、たぶんあいつも眠ったろう。……おまえたちのうち、だれかうちへ行って、あいつがどうしているか、見てこいよ」
ほかの首――若い女の首が、すぐ飛びあがって、|蝙蝠《こうもり》のように軽やかに、家のほうへ飛んで行った。二、三分すると、女の首がもどってきて、ひどくおどろいたふうに、しわがれ声でわめきたてた。
「あの旅の坊主は家におりません。行ってしまったんです。だけど、もっと悪いことがあるんです。あいつは、あるじのからだを持って行って、どこへおいたか、わかりません」
この知らせを聞くと、あるじの首は――月の光ではっきり見えたが――おそろしい形相になった。両眼を途方もなく見開き、髪の毛は逆だち、歯ぎしりをした。ついで、唇から叫び声がほとばしり出た。――そして、|憤《ふん》|怒《ぬ》の涙を流しながら、首は大声でこう言った。
「からだを動かされたからには、もとどおりになることなんか、できゃしない。そうなれば、死なねばならん。……みんな、あの坊主の|仕《し》|業《わざ》なんだ。死ぬまえに、あの坊主にくらいついてやる。あいつを引き裂いてやる。あいつをむさぼり食ってやる。……そら、あそこにいるぞ。あの木のうしろに――あの木のうしろに隠れている。あれを見ろ、あのふとっちょの|卑怯者《ひきょうもの》を!」
こう言うと同時に、あるじの首は、ほかの四つの首を従えて、回竜に飛びかかった。しかし、この力の強い僧は、それより先に、若木を一本引きぬいて|得《え》|物《もの》にし、かかってくる首を、その木でたたきつけ、すさまじい力で打ちまくって、近よせなかった。とうとう、四つの首は逃げ去ったが、あるじの首だけは、いくど打ちのめされても、なおも死物狂いにとびかかり、とうとう回竜の|衣《ころも》の左の|袖《そで》に食らいついた。しかし回竜は、すばやくその|髷《まげ》をひっつかんで、つづけざまに打ちのめした。首は食いついたまま離れなかったが、長いうめき声をあげ、それからあとは、じたばたしなくなった。首は死んだのである。けれども、その歯は、なおも袖に食いついたままだった。そして、回竜の大力をもってしても、その|顎《あご》をこじあけることはできなかった。
袖に首をぶらさげたまま、回竜が家に引き返してみると、ほかの四つのろくろ首は、傷ついて血の流れている首を、もとどおり胴にくっつけて、ひとかたまりに、うずくまっていた。しかし、裏口に回竜の姿があらわれたのを見ると、「坊主だ、坊主だ」と叫んで、みんなほかの戸口から、森のなかへ逃げていった。
東の空が白んで、夜が明けようとしていた。回竜は、化け物の力は、|闇《やみ》のあいだにかぎられていることを知っていた。袖に食いさがっている首をみると、その顔は、血と泡と泥とで、すっかり汚れていた。「いやはや、なんという|土産《みやげ》だろう――化け物の首なんて!」回竜は、ひとりこう考えて、たからかに笑った。それから、わずかばかりの持ち物をとりまとめて、旅をつづけるため、ゆうゆうと山をくだった。
回竜は、ひたすら旅をつづけて、とうとう|信濃《しなの》の|諏《す》|訪《わ》まできた。そして、|肘《ひじ》のところに生首をぶらさげたまま、どっしりした足どりで|闊《かっ》|歩《ぽ》しながら、諏訪の本通りに、はいって行った。これを見て、女たちは気をうしない、子供たちは悲鳴をあげて逃げだした。そして、たいへんな人だかりがして、騒がしくなってきたので、とうとう|捕《とり》|手《て》(当時は警察官のことを、そう呼んでいた)が回竜を捕えて、|牢《ろう》|屋《や》へ引き立てていった。というのは、その首は殺された男の首であって、殺された瞬間に、下手人である回竜の袖に|噛《か》みついたものだと、捕手の者たちは、考えたからである。ところが、回竜のほうは、尋問されても、ただにやにやするだけで、なにも言わなかった。そこで、一夜を牢屋であかしたのち、土地の奉行のまえに引きだされた。そして、出家の身でありながら、なにゆえ人の生首など袖にくっつけているのか、また、なんのわけがあって、人々の面前に、自分の罪悪を|臆《おく》|面《めん》もなく見せびらかすようなことをするのか、申したてよと命ぜられた。
回竜は、この尋問に、ながながと高笑いしてから、こう言った。
「みなのかた、この生首をわたしが袖につけているのではなくて、首のほうから勝手にくっついているのです。――まったく、迷惑せんばんな話です。それに、わたしはなんの罪も犯しはしません。と申すのは、これは人間の首ではなくて、化け物の首です。それに、化け物が死んだのは、わたしのせいだとしても、それは血を流したためではなくて、ただわたしの身の安全を図る必要から用心したのが、こうなったまでです」……そう言って、回竜は一部始終の出来事を語りだし、五つの首と格闘した話におよぶと、もういちど腹の底から笑いだした。
けれども、奉行たちは笑わなかった。彼らは、回竜をふてぶてしい罪人で、その話は、自分たちの明知を侮辱したものだ、と判断した。そこで、それ以上尋問しないで、ただちに死罪を申しつけることにきめた。ところが、みんなのうちで、ひどく年をとった役人だけが、ひとり反対した。この老奉行は、吟味中はひとことも言わなかったが、同役の意見をすっかり聞いてしまうと、立ちあがって、こう言った。
「まずその首をば入念に調べてみたら、いかがであろう。首の検分はまだ済んではいないようだから。もし出家の申し立がほんとうなら、首が何よりの証拠となろう。……その首をここへ持ってまいれ」
そこで、回竜の肩から|剥《は》ぎとられた衣に、まだ|噛《か》みついている首が、奉行たちの前におかれた。老奉行は、それをぐるぐるまわして、たんねんに調べたが、やがてその|頸《くび》|筋《すじ》に、いくつかの奇妙な赤いしるしがついているのを見つけた。老奉行は、このしるしに同役たちの注意をうながし、ついでまた、頸の切れ口のどこにも、刃物で切ったとおぼしい跡が見えないのにも、目をとめるように言った。よく見ると、頸の切り口は、それどころか、あたかも木の葉が、枝からひとりでに落ちた跡のように、すべすべしていた。……そこで、老奉行はこう言った。
「出家の申し立は、まったく偽りのないことがわかった。これはろくろ首である。『南方異物志』という書物に、ほんもののろくろ首の首筋には、つねに赤いしるしが見えると書いてあるが、この首には、ちゃんとそのしるしがある。それが、書きつけられたものでないことは、御覧のとおりである。そのうえに、このような化け物が、ずっと以前から、甲斐の国の山中に住んでいたこともよく知られている。……ところで、御出家」と、老奉行は回竜のほうをむきながら、大声で言った。「あなたは、ほんとに剛気な御出家でいられる。たしかに、出家にはめずらしい勇気を見せられた。出家というよりは、むしろ武人らしい風格をそなえていられる。おおかた、もとは武門のかただったのでしょう」
「お察しのとおりです」と回竜は答えた。「出家するまえには、ひさしく弓矢をとる身でございました。そのじぶんには、人間も魔物も、けっして恐れはいたしませんでした。わたしは、当時、九州の磯貝平太左衛門武連と名乗っておりました。みなさんのうちには、この名を御記憶のかたもございましょう」
回竜がこう言って名をあかすと、|白《しら》|州《す》のそこにも、ここにも、賛嘆のつぶやきがざわめいた。というのは、回竜の名を覚えているものが、おおぜい居合せたからである。こうして、回竜は、たちまちのうちに、奉行とはうってかわった親しい友――兄弟のようなやさしい心で、自分たちの感嘆の情を示そうとしている友人たちに、取りまかれたのである。彼らは、みんなで付添ってうやうやしく、回竜を大名のお屋敷へ案内していった。すると、大名も、よろこんで回竜を迎えたうえ、大いにもてなし、りっぱな贈物をしてから、退出をゆるした。そこで回竜は、諏訪を去るときには、このさだめない世で、出家の身として、このうえないほど、たいへん仕合せな気持になった。首はといえば、回竜は、それを|土産《みやげ》にするつもりだと、おどけて言い、そのままたずさえて行った。
さて、その首がどうなったか、という話が、残っているだけである。
諏訪を去って一両日後、回竜は|追《おい》|剥《はぎ》に出あった。その賊は、さびしいところに回竜を引きとめて、着物をぬげと言いつけた。回竜はすぐ衣をぬいで、それを追剥にさしだした。賊は、そのときはじめて、|袖《そで》にぶらさがっているものに気がついた。さすがにふてぶてしい追剥も、これにはびっくりして、衣をとり落して飛びのいた。そして、こう叫んだ。「おいこら、てめえはまあ、なんという坊主だ。いやはや、おれより一枚うわての悪党だ。なるほど、おれも人殺しをやったが、人間の生首を袖にぶらさげて歩きまわったことなんか、まだ一度もねえ。……なあ、坊さん、おれたちは、どうも同じ商売仲間らしいが、ほんとのところ、おめえさんには感心したね。……ところで、その首は、こちとらの役にたちそうだ。そいつで、人をおどかせそうだ。ひとつ、売ってはくれまいか。おめえの衣と取っかえに、おれの着物をやろう。それに、首代として、五両だそうよ」
回竜は答えた。
「おまえがぜひというなら、首も衣もくれてやろう。だが、ことわっておくが、これは人間の首じゃないんだ。化け物の首なんだぞ。そこで、わしからこの首を買うて、そのために面倒なことがおこっても、わしにいっぱい食わされたなどと、思わんでもらいたい」
「なんて、おもしれえ坊さんだ」と、追剥は大声で言った。「人を殺しておいて、それを茶化していやがる。……だが、おれはまったく本気だぜ。さあ、これが着物だ。それから、これが金だ。――その首をもらおう……冗談なんか言って何になる?」
「それを持って行くがいい」と、回竜は言った。「わしは冗談なんか言っちゃおらん。ただ冗談と言えば――いくらかでも、ふざけ気味があるとすりゃね、――大金をだして化け物の首を買うなんて、おまえはまったく馬鹿者だ、というくらいなもんだよ」こう言って、回竜はたからかに笑いながら、立ち去った。
このようにして、追剥は首と衣とを手に入れると、しばらくのあいだ、街道で化け物坊主になりすましていた。ところが、諏訪の近くまでやってきて、その首のほんとうの話を耳にすると、ろくろ首の亡霊にたたられはしないかと、おそろしくなってきた。そこで賊は、首をもとのところへ返して、胴体といっしょに葬ってやろうと決心した。こうして賊は、甲斐の山中のさびしい小家に、ようやくのことたどり着いたが、そこにはだれも住んでいず、胴体も見つからなかった。そこで賊は、首だけを小家のうしろの木立のなかに埋め、墓には墓石を建て、ろくろ首の霊のために、|施《せ》|餓《が》|鬼《き》をしてもらった。そして、その墓石――ろくろ首の碑として知られている――は、今日もなお見られる。(日本の物語作者は、ともかく、そう述べている)
[#地から2字上げ]――「怪談」より
葬られた秘密
ずっと以前のこと、|丹《たん》|波《ば》の国に、|稲《いな》|村《むら》|屋《や》|源《げん》|助《すけ》という金持の商人が住んでいた。お|園《その》という娘があったが、たいへん賢いうえに、きれいだったので、|田舎《いなか》の師匠にやれる程度のしつけだけで、ひとりまえの女に仕込むのは、かわいそうだと思った。それで、信用のおける付添人を幾人かつけて、娘を京都へやり、京都の婦人たちが習う上品な芸ごとを、仕込んでもらうようにしてやった。こうして仕込まれたのち、お園は父方の知合いの|長《なが》|良《ら》|屋《や》という商人のもとに、縁づけられた。そして、かれこれ四年ばかり、夫としあわせに暮した。夫婦のあいだには、男の子が一人できた。しかし、お園は、結婚してから四年目に、病気にかかって亡くなった。
お園の葬式がすんだ晩、小さな|息《むす》|子《こ》が、おかあさんが帰ってきて、二階の部屋にいると言った。おかあさんは坊やを見てにっこりしたが、ものを言おうとしないので、こわくなって逃げだした、というのである。そこで、家の者が幾人か、お園がもといた二階の部屋へ行ってみた。すると、居間の仏壇のまえに|点《とも》された小さな|灯明《とうみょう》の光で、死んだ母親の姿が見えたので、みんなびっくりした。お園は、自分の装身具や衣類が、まだはいっている|箪《たん》|笥《す》のまえに立っているように見えた。頭と肩とはひどく際だって見えたが、腰から下のほうは、しだいに薄れて見えなくなり、ぼんやりと鏡か何かにうつった姿のようであり、また水にうかんだ影のように透きとおっていた。
そこで、家の者たちはこわくなって、部屋を出た。|階《し》|下《た》でみんなして相談したところ、お園の|姑《しゅうとめ》がこう言った。「女というものは、自分のこまごましたものが好きなものだよ。お園も、自分の持ち物にひどく愛着をもっていたからね。たぶん、あの子も、それを見にもどって来たんだろう。亡くなった人がそうすることは、よくあるもんだよ。――そういう品を、|檀《だん》|那《な》|寺《でら》へ納めずにおくとね。うちでも、お園の着物や帯を、お寺に納めたら、あれの霊魂もたぶん休まるだろうよ」
できるだけ早くそうすることに、相談がまとまった。それで、あくる朝、引出しは空にされて、お園の装身具や衣類は、すっかり寺へ運ばれた。しかし、お園は、次の晩もかえってきて、これまでのように、箪笥をじっと見ていた。そして、その次の晩も、またその次の晩も……毎晩もどってきた。――こうして、家じゅうの者は、みんな|怖《おじ》|気《け》をふるった。
そこで、お園の姑は檀那寺へ行き、住職にことの次第をすっかり話して、坊さんの意見をもとめた。寺は禅宗で、住職は、|大玄和尚《だいげんおしょう》として知られた、学識のある老僧だった。和尚はこう言った。「その箪笥の中かその近くに、なにか仏の気にかかるものがあるに違いない」「でも、引出しはすっかり空にいたしましたので、箪笥のなかには何もございません」と、年老いた姑は答えた。「よろしい」と大玄和尚は言った。「今晩わしがお宅へあがり、その部屋で見張りをして、どうしたらよいか見とどけましょう。見張っているあいだ、わしのほうから呼ぶまでは、だれも部屋へはいらぬように、言いつけてもらいたい」
日が沈んでから、大玄和尚がその家に行くと、部屋はもう彼のために用意してあった。和尚はお経を読みながら、そこに一人きりでいた。|子《ね》の刻すぎまでは、何も現われなかった。が、やがて、お園の姿が、とつぜん|箪《たん》|笥《す》のまえに現われた。顔は物思わしげで、目はじっと箪笥のうえに注がれていた。
和尚は、このような場合に定められている|経文《きょうもん》を唱え、それからお園の|戒名《かいみょう》を呼んで、その姿に話しかけた。「わしは、あんたの力になりに、ここへやってきた。たぶん箪笥のなかには、何かあんたの気がかりのもとになる物があるのだろう。ひとつ、探してあげようか」お園の影は頭をすこし動かして、同意したようであった。それで、和尚は立ちあがって、いちばん上の引出しをあけた。それは空だった。つづいて二番目、三番目、四番目と、つぎつぎに引出しをあけてみた。そして、そのうしろ側や下を、気をつけて探し、箱のなかまでも、念いりに調べてみたが、なにも見つからなかった。けれども、お園の姿は前と同じように、なおも物思わしげに、じっと見つめていた。「いったい、どうしてもらいたいのかな?」と和尚は考えた。ふと、引出しのなかの敷紙のしたに、なにか隠されているかもしれない、という考が浮んだ。そこで、いちばん上の引出しの敷紙を、取りのけてみた。――が、何もなかった。二番目、三番目の引出しの敷紙も取りのけた。――が、やはり何もなかった。ところが、いちばん下の引出しの敷紙のしたに、一通の手紙が見つかった。「あんたが心を悩ましていたのは、これかな?」と和尚は尋ねた。彼女の影は、和尚のほうをむいた。よわよわしい眼差しで、じっと手紙を見つめた。「わしが焼いてあげようか」と和尚は尋ねた。その影は、和尚のまえに頭をさげた。「さっそく今朝、寺で焼いてあげよう」と和尚は約束した。「わしのほかは、だれにも読ませはせんよ」お園の姿は、にっこり笑って消え去った。
|和尚《おしょう》が|梯《はし》|子《ご》|段《だん》をおりたときには、夜が明けかけていたが、階下には家の者たちが、心配そうに待っていた。「案ずることはない」と、和尚はみんなに言った。「あの人は、もう二度と現われませんよ」はたして、お園は姿を現わさなかった。
手紙は焼かれた。それは、お園が京都で修業していた|頃《ころ》にもらった恋文だった。しかし、そのなかに書いてあったことを知っているのは和尚だけで、その秘密は、和尚が死ぬとともに、葬られてしまった。
[#地から2字上げ]――「怪談」より
雪おんな
|武《む》|蔵《さし》の国のある村に、|茂《も》|作《さく》と|巳《み》|之《の》|吉《きち》という、二人の|木樵《きこり》が住んでいた。この話のあったころ、茂作はもう老人で、奉公人の巳之吉は十八歳の若者だった。二人は毎日つれだって、村から二、三里離れた森へ、出かけていった。その森へゆく途中、大きな河を渡らねばならなかったが、そこには渡し舟があった。その渡しのあるところには、これまで何度も橋がかけられたけれど、そのたびごとに、大水で流されてしまった。河の水が増してくると、とても普通の橋では、そこの急な流れに持ちこたえることは、できなかったのである。
たいへん寒いある晩のこと、茂作と巳之吉とは家にかえる途中、ひどい|吹雪《ふぶき》におそわれた。渡し場につくと、|渡《わた》し|守《もり》は、舟を河の向う岸においたまま帰ってしまっていた。とても泳げるような日ではなかったので、二人の木樵は、渡し守の小屋のなかに逃げこんで、ともかく難を避ける所があってよかったと思った。ところが、小屋のなかには火鉢ひとつなく、また火をたく場所もなかった。わずか二畳敷の小屋で、入口がひとつあるきりで、窓はなかった。茂作と巳之吉とは、戸をしっかり締めると、|蓑《みの》をかぶり、ごろりと横になって休んだ。はじめのうちは、それほど寒いとも思わず、吹雪もすぐにやむだろうと思っていた。
老人はすぐ眠りこんだが、年のわかい巳之吉は、長いこと目をさましていて、おそろしい風の音や、たえ間なく戸にあたる雪の音に、耳をかたむけていた。河はごうごうと鳴り、小屋はまるで海上の小舟のように揺れて、ぎいぎい|軋《きし》んだ。ものすごい|嵐《あらし》で、あたりの空気は刻々と冷えてきた。それで、巳之吉は、蓑のしたで震えていたが、それほどの寒さにもかかわらず、とうとう彼も眠りこんでしまった。
顔に雪がさかんに降りかかるので、巳之吉は目をさました。小屋の戸はむりにこじ開けられて、小屋のなかに一人の女――すっかり白い装いをした女がいるのが、雪明りで見えた。女は茂作のうえに身をかがめて、息を吹っかけていた。――その息は、きらきらする白い煙のようであった。ほとんどそれと同時に、女は巳之吉のほうをふりむいて、彼のうえに身をかがめた。巳之吉は声を立てようとしたが、すこしも声が出なかった。白い女は、彼のうえに、だんだんかがみこんできて、とうとう、もうすこしで、女の顔が巳之吉に触れそうになった。見ると、その女は、目はこわかったが、たいへん美人だった。女は、しばらく巳之吉をじっと見つづけていたが、やがて、にっこりと笑って、ささやいた。「おまえも、あの人と同じような目にあわせてやろうと思ったんだが、どうもすこし、かわいそうになってきてね。――だって、まだとても若いんだから。……おまえはきれいな子だね、巳之吉。それで、今のところ、おまえを傷めるようなことはしないよ。だけど、おまえがもしだれかに――たといおまえの母親にでも――今夜見たことを話そうものなら、ちゃんとわたしにわかるのだから、そのときは、おまえを殺してしまうからね。……わたしの言ったことを、よく覚えておいで」
こう言うと、女はくるりと向こうをむいて、戸口から出ていった。すると巳之吉は、身動きができるようになった。それで、はね起きてそとを見た。しかし、女はもうどこにもいなかった。そして、雪がはげしく小屋のなかに吹きこんでいた。巳之吉は戸を締め、それに棒切れを幾本もしっかりと立てかけて、開かないようにした。もしかしたら、風に吹かれて戸があいたのではないか、と彼は思った。また、ただ夢をみていて、入口の雪明りがちらつくのを、白い女の姿と思い違いしたのかもしれない、とも思った。しかし、たしかにそうとも、言いきれなかった。巳之吉は、茂作に声をかけてみたが、老人が返事をしないので、ぎょっとした。暗がりに手をさしのばして、茂作の顔にさわってみると、まるで氷のように冷たかった。茂作は硬くなって、死んでいた。……
夜明けまでには、あらしはもう止んでいた。日が出てから少しのちに、|渡《わた》し|守《もり》が小屋へもどってみると、こごえ死んだ茂作のそばに、巳之吉が気をうしなって倒れていた。巳之吉は手早く介抱されて、まもなく正気にかえった。が、そのおそろしい一夜の寒さが身にこたえて、ながいあいだ、床についていた。彼は、茂作老人が死んだのにもひどくおどろいたが、白い女の幻のことについては、ひとことも言わなかった。ふたたび、からだがよくなると、巳之吉はすぐまた、もとの家業をはじめた。――毎朝ひとりで森へゆき、日暮れに|薪《まき》の束をもって家にかえると、母親が手伝って、それを売ってくれた。
翌年の冬の、ある夕暮のことであった。巳之吉が家にかえる途中、たまたま同じ道を歩いてゆく一人の娘に追いついた。背の高い、ほっそりした、たいへん器量のよい娘で、巳之吉が|挨《あい》|拶《さつ》すると、まるで小鳥の歌のように快い声で答えた。それから、彼は娘とならんで歩き、二人は話をしはじめた。娘の名はお|雪《ゆき》といい、つい先ごろ両親をなくしたので、これから|江《え》|戸《ど》へ出てゆき、そこにいる貧しい親類の人たちに、奉公口でも探してもらうつもりだ、と話した。巳之吉は、すぐこの見も知らぬ娘に、ひどく心をひかれて、見れば見るほど、ますます美しく見えてきた。で、巳之吉は、もう約束した人があるか、と娘に尋ねた。娘は笑いながら、そんなものはない、と答えた。そして今度は、娘のほうから巳之吉にむかって、もうお嫁さんをお持ちですか、それとも言いかわした人がありますか、と聞きかえした。そこで彼は、養うのは|寡婦《やもめ》の母親ひとりきりだけれど、自分はまだ若いので、べつに「お嫁」のことなど考えたことはない、と答えた。……こんな打明け話をしたのち、二人はながいあいだ、だまって歩いた。しかし、|諺《ことわざ》にも言うとおり、「気があれば目も口ほどに物を言い」で、二人は村に着くまでに、たがいに心から好きになっていた。それで、巳之吉は、自分の家でしばらく休んでゆくようにと、お雪に言った。お雪は、すこしはずかしそうに、ためらっていたが、彼といっしょに行った。すると、巳之吉の母親は、よろこんでお雪をむかえ、あたたかい食べ物の用意などした。お雪の|立《たち》|居《い》ふるまいが、なかなかりっぱなので、たちまち巳之吉の母親の気にいってしまい、江戸へゆくのを延ばすように、説きつけられた。そういうわけから、当然ながら、お雪は、けっきょく、江戸へはぜんぜん行かずに、そのまま「お嫁」として、この家にとどまったのである。
お雪は、やはり、たいへんよいお嫁だった。それから五年ばかりして、巳之吉の母親が亡くなるとき、その臨終の言葉は、|倅《せがれ》の嫁をいろいろと|慈《いつく》しみ、ほめそやしたものであった。そして、お雪は、巳之吉の子を、男女あわせて十人生んだ。みんな色の白い、きれいな子供ばかりだった。
村の人たちは、お雪は生れつき自分たちとは違う、ふしぎな人だと思った。農家の女は、たいてい早く|老《ふ》けるものであるが、お雪は十人の子供の母親となったのちでさえ、はじめて村へ来たときのように、若くてみずみずしく見えた。
ある晩のこと、子供たちが寝てしまってから、お雪は|行《あん》|燈《どん》の光で針仕事をしていた。すると、巳之吉は、つくづくお雪を見まもりながら、こう言った。
「おまえがそうやって、あかりを顔にうけて針仕事をしているのを見ると、わしがまだ十八の若者だったじぶんに出会った、ふしぎな出来事を思いだすよ。わしはそのとき、今のおまえのように、きれいで色の白い人を見たんだが、ほんとにその女は、おまえそっくりだったよ」……
仕事から目をはなさずに、お雪は答えた。
「そのひとのことを話してくださいな。……どこでお会いになったの?」
そこで巳之吉は、渡し守の小屋ですごした恐ろしい一夜のことや、にっこりして、ささやきながら、自分のうえに身をかがめた白い女のことや、茂作老人がひとことも言わずに死んだことなどを、お雪に話してきかせた。そして、彼はこう言った。
「夢にもうつつにも、おまえのように美しい女を見たのは、その時きりだよ。むろん、その女は、人間じゃなかったんだ。で、わしはその女がこわかった。ひどくこわかったが、しかし、えらく色の白い女だったよ。……じっさい、わしが見たのは夢だったのか、それともまた雪おんなだったのか、未だにはっきりわからんのだが」……
お雪は、いきなり縫い物を放りだして立ちあがり、すわっている巳之吉のうえに身をかがめて、彼の顔をまともに見つめながら叫んだ。
「その女こそ、わたし――わたし――わたしでした。このお雪だったのです! あのときわたしは、もしあの晩のことを、ひとことでも|洩《も》らしたら、あなたをとり殺してしまうと言ったでしょう。……そこに眠っている子供たちがいなかったら、今すぐにも、あなたのいのちを取るのですが。……このうえは、子供たちの面倒を、よくよく見てやってください。もしもあなたが、子供たちからとやかく言われるようでしたら、わたしもそれ相応なことをしますから」……
こう叫んでいるうちにも、お雪の声は、風の叫びのように細くなり、やがてその姿は、白くきらめく霧となって、屋根の|梁《はり》のほうへ昇ってゆき、おののき震えながら、|煙《けむ》|出《だ》しを抜けて消え去った。……それきり、お雪の姿は、もう二度と見られなかった。
[#地から2字上げ]――「怪談」より
青柳のはなし
文明年間(一四六九年―一四八七年)に、|能《の》|登《と》の|守《かみ》、|畠山義統《はたけやまよしむね》の家臣に、|友《とも》|忠《ただ》とよぶ若侍がいた。友忠は越前の生れであったが、幼少のころ、|小姓《こしょう》として能登の大名の屋敷に引きとられ、君侯の監督のもとに、弓矢をとる身の訓練をうけた。成長するにつれて、文武の道にひいで、つねに君侯の|寵《ちょう》をうけた。生れつき、気だてがやさしくて、物腰態度に人好きのするところがあり、それに|眉《び》|目《もく》も秀麗だったから、|朋《ほう》|輩《ばい》の侍たちから、ひどく敬愛されていた。
二十歳のころ、友忠は畠山義統の|親《しん》|戚《せき》にあたる京都の大名|細《ほそ》|川《かわ》|政《まさ》|元《もと》のもとへ、ある内密の使者として、つかわされた。旅の道筋は、|越《えち》|前《ぜん》をとれとの命だったから、この若者は願いでて、旅の途中、|寡婦《やもめ》ぐらしをしている母親をたずねる許しをえた。
出発したのは大寒のころで、そのあたりいちめん、雪におおわれていた。それで友忠は、屈強な馬にまたがっていたが、歩みはのろく、思うように進めなかった。たどる道は|深《み》|山《やま》にはいって、人家もまれで、あちこちに|疎《まば》らにあるばかりだった。旅の二日目には、幾時間もうんざりするほど馬に乗りつづけたのち、夜遅くまでかからぬと、目ざす宿場に着けないことがわかって、友忠はひどく当惑した。じっさい、彼が心を痛めたのも無理はなかった。――身を切るような寒風とともに、猛烈な|吹雪《ふぶき》がおそってきて、馬にも、疲れはてた様子が見えてきたからである。しかしその苦しいさなかに、思いがけなくも、友忠は、柳の木が生えている近くの丘のいただきに、一軒の小家の|藁《わら》|屋《や》|根《ね》を見つけた。疲れた馬を|急《せ》きたてて、彼はやっとのことで、その小家までたどりつき、風のはいらぬようにぴったり閉ざされた雨戸を、はげしくたたいた。一人の|老《ろう》|媼《おう》が戸をあけたが、この美しい旅人の姿を見ると、いたわしげに叫んだ。「まあ、お気の毒に。――お若いかたが、このような天気にひとり旅とは!……さあ若さま、どうぞ、おはいりくださいませ」
友忠は馬からおりた。そして、裏の|納《な》|屋《や》に馬をつれて行ってから、家のなかにはいった。見ると、一人の老人と若い娘とが、竹切れを|焚《た》きながら、暖まっていた。二人はうやうやしく、彼を炉のそばへ招じた。老人夫婦は、旅人のために酒をあたため、食事の用意をしはじめた。そして、旅のことなど、恐縮しながら尋ねた。そのあいだに、娘は|襖《ふすま》のかげに姿を消した。身なりはずいぶん見すぼらしく、長い髪の毛は|結《ゆ》わずに乱れていたけれど、娘がすばらしく美しいのに、友忠はおどろいた。そして、こんなに美しい娘が、こんなみすぼらしい、|淋《さび》しいところに住んでいるのを、ふしんに思った。
老人は、友忠にむかって、こう言った。
「お武家さま、隣村までは遠うございますし、雪もひどく降っております。風は肌をさすようで、道もたいそう悪うございます。それゆえ、今晩これからまた、お出かけなされるのは、お危うございましょう。このようなあばら屋で、お泊りなされるような所ではございませず、それに何のおもてなしもできませぬが、今晩は、このむさくるしい家に、おとまりなされたほうが、よろしゅうございましょう。……お馬は、わたくしどもが、ちゃんとお世話いたしますから」
友忠は、この|謙《けん》|遜《そん》な申し出をうけいれた。心のなかで、こうして、さらにもっとこの娘を見られる機会が与えられたのを、うれしく思った。やがて、粗末ながらも、たくさんな|御《ご》|馳《ち》|走《そう》が、彼のまえに並べられた。そして娘は、|襖《ふすま》のかげから出てきて、お|酌《しゃく》をした。彼女は、粗末ではあるが、小ざっぱりとした手織の|衣裳《いしょう》に、着かえていた。そして、結わずに垂らした長い髪にも、きれいに|櫛《くし》をいれて、滑らかになっていた。彼女が、お酒を|注《つ》ごうと、うつむいたとき、友忠は、この娘がこれまで見たどの女にも、くらべものにならぬほど美しいのに気がついて、びっくりした。それにまた、その立居ふるまいも、おどろくほど|淑《しと》やかだった。しかし老人たちは、娘のために言訳をしはじめた。「お武家さま、うちの娘の|青《あお》|柳《やぎ》は、この山の中で、ほとんどひとりで育ちましたもので、作法などまるで存じません。なにぶんにも愚かで、わけのわかりませぬところを、どうぞお許しくださいませ」友忠は、それを遮って、このような、かわいらしい|娘御《むすめご》にお給仕されるのは、わが身の仕合せと思うと言った。友忠は、自分が感じいって見つめるのに、娘が顔を赤らめるのに気がついたが、目をはなすことはできなかった。そして、自分のまえの酒にも|肴《さかな》にも、手をふれないでいた。で、母親はこう言った。「お武家さま、どうぞ、すこし召しあがってくださいませ。――|田舎《いなか》料理で、とてもお口に合いますまいけれど、肌をさすような寒い風で、さぞかしお冷えでございましょうから」そこで、老人たちを喜ばせようと、友忠はつとめて飲んだり食ったりした。が、顔を赤らめた娘の美しさに、ますます心をひかれていった。娘と言葉をかわしてみると、言葉も、その|容《よう》|貌《ぼう》におとらず美しかった。|山《やま》|家《が》|育《そだ》ちかは知らぬが、しかし、それにしても、娘の両親は、もとはいずれ由緒のある身分の人であったに相違ない。娘の物言いやふるまいは、|高《こう》|家《け》の姫君と思えたからである。ふと友忠は、心のなかの歓びにかられて、一首の和歌で、娘に話しかけた。が、これはまた、問いかけでもあった。
[#ここから2字下げ]
尋ねつる
花かとてこそ
日を暮らせ
明けぬになどか
あかねさすらん
[#ここで字下げ終わり]
すると娘は、すこしもためらわず、次のような返し歌をよんだ。
[#ここから2字下げ]
出づる日の
ほのめく色を
わが|袖《そで》に
つつまばあすも
君やとまらん
[#ここで字下げ終わり]
そこで友忠は、自分の景慕の情を、娘が受けいれてくれたことを知った。そして、この歌が伝えてくれた愛のたしかな証拠をひどく喜んだが、ほとんどそれに劣らず、歌にたくして思いを述べた彼女の技量にも、おどろいたのであった。彼は、自分の前にいるこの田舎娘よりも美しく賢い娘に、この世で会うことはとても望まれず、まして手に入れることなどは、いっそう望めないことが、今はっきりとわかった。そして、心のなかの声は、「おまえの行手に神さまがおいてくだされた|幸《さち》をとれ」と、しきりに叫んでいるように思われた。要するに、友忠は魅せられたのである。あまりにもひどく心をうばわれたので、なんの前置きもなく、いきなり老人夫婦にむかって、娘御を自分の妻にもらいたいと|乞《こ》うたのであった。と同時に、自分の姓名や血統、|能《の》|登《と》の|守《かみ》の家臣中での地位などを話した。
老人夫婦は、ありがたさに、幾度もおどろきの声をあげながら、友忠のまえに身をかがめた。しかし、ほんのしばらく、ためらうように口ごもったのちに、父親がこう答えた。
「お武家さま、あなたさまはお身分の高いかたで、このうえなおも御出世なされましょう。このお申し出は、あまりもったいのうございます。まったくのところ、わたくしどもが、いかほどありがたく思っているか、申しあげようもないほどでございます。けれども、てまえどものこの娘は、いやしい生れの愚かな田舎者、なんのしつけも教育もございませんゆえ、とうといお武家さまの奥方などには、不釣合でございます。このようなことを申しあげるのさえ、もってのほかでございます。……でも、娘がお気に召して、田舎じみたふるまいをお許しくだされ、ひどいぶしつけをお見のがしくださるうえは、侍女として、喜んでおあげ申します。それで、今後娘のことは、|御《ぎょ》|意《い》のままになされてくださいませ」
夜の明けぬうちに、|吹雪《ふぶき》はやんでいた。そして、雲ひとつない東のほうから、明るくなってきた。たとい青柳の|袖《そで》が、あかつきのばら色の赤らみを、愛人の目から隠したとしても、友忠はもはや、とどまってはいられなかった。しかし、このまま娘と別れるのは、忍びないことであった。そこで、旅の用意がすっかりできると、彼は両親にむかってこう言った。
「いろいろとお世話になりましたうえ、さらにお願い申しては、恩知らずと思われるかも知れませんが、娘御を妻にくださるよう、重ねてお願いいたします。今となっては、娘御と別れるのは|辛《つら》いことです。それに娘御も、お許しがあれば、わたしと同道を望まれていますから、このままいっしょにお連れしてよろしいです。もしも娘御をくださるならば、おふたかたを親御として、末ながくお仕え申します。……ともあれ、御親切なもてなしに、わずかばかりの志、なにとぞお納めくださいますよう」
そう言いながら、友忠は謙譲な主人のまえに、一包の|金《きん》|子《す》をおいた。しかし、老人はいくども平身低頭したのち、しずかにその贈物を押しかえして言った。
「お武家さま、金子はわたくしどもには、なんの使いみちもございません。あなたさまこそ、寒い長の道中、御入用でございましょう。ここでは、物を買うことなどはございません。たとい使いたいと思いましても、このような大金は、わたくしどもには使いきれませぬ。……娘はもう、御自由になさるようにさしあげましたもので、あなたさまのものでございます。それゆえ、お連れなさるのに、おことわりになる必要はございませぬ。娘もお供をいたして、御意に召すあいだは、おそばにお仕えしたいと申しております。娘をお引き取りくださるとの御意をうけたまわって、ただもう|嬉《うれ》しいのでございます。どうか、わたくしどものことは、けっして御心配くださいますな。このようなところでは、娘にひととおりの|衣裳《いしょう》も、ととのえてやれませぬ。――持参物などは、なおさらでございます。そのうえ、年寄のことゆえ、どのみち遠からず、娘とも別れねばなりませぬ。それゆえ、今あなたさまがお連れくださるのは、このうえない仕合せでございます」
友忠は、老人夫婦を説いて、贈物を受けさせようとしたが、無駄だった。二人は、金銭にはまるで無関心だった。ただ、娘の運命を友忠の手にゆだねることを、心から願っているのであった。そこで、彼は娘を連れてゆくことにきめた。友忠は、彼女を自分の馬にのせ、心からいろいろお礼の言葉を述べて、老人夫婦に、しばらくの別れを告げた。
「お武家さま」と、父親が答えて言った。「お礼を申さねばならぬのは、あなたさまではなくて、わたくしどものほうでございます。きっと、娘にやさしくしてくださることでございましょうから、娘のことは、いささかも心がかりはございませぬ」……
〔ここのところで、日本の原作では、物語の自然の進行に変な|破《は》|綻《たん》があり、そのあとが妙に|辻《つじ》|褄《つま》があっていない。友忠の母親のことも、青柳の両親のことも、|能《の》|登《と》の大名のことも、それ以上なにも語られていない。あきらかに、原作者はここで仕事に飽きてしまい、かなりぞんざいに、人々の意表にでた結末へ、話を急がせたものらしい。わたしは原作者が省略した箇所を補ったり、仕組の欠陥を繕ったりすることはできないが、しかし、すこしばかり細かい説明を加えなければならぬ。でないと、あとの話がまとまらないからである。……友忠は、軽率にも青柳をつれて京都へ行き、そのために面倒なことが起ったらしい。しかし、その後、二人がどこに住んだか、書いてない〕
……さて、侍というものは、君侯の承諾を得なければ、結婚は許されなかった。ところで、友忠は使者の役目をはたすまでは、その許可を得られる見込みはなかった。このような状態のもとで、青柳の|美《び》|貌《ぼう》が人の目について、あぶないことになりはしないか、また彼女を自分の手から奪いとるような企みが、行われはしないか、と心配したのも、無理はなかった。そこで京都では、物見高い人の目につかないように、彼女を隠すようにつとめた。ところが、ある日のこと、細川侯の家臣が、青柳の姿を見つけて、友忠との関係を聞きだし、そのことを君侯に知らせた。すると、この大名はまだ若くて、美人が好きだったので、その女を屋敷に連れて来るように命じた。そこで彼女は、なんの容赦もなく、すぐ屋敷へ連れて行かれた。
友忠は、言うに言われぬほど嘆き悲しんだ。しかし、自分の無力を知っていた。彼は、遠国の大名に仕えている、身分の低い使者にすぎず、しかも今のところは、ずっとはるかに勢力のある大名の意のままになる立場にあるので、その人の望むことを、かれこれ言うことはできなかった。そのうえ友忠は、自分が愚かなやり方をしたこと――つまり、武家の|法《はっ》|度《と》で厳禁されている内縁関係をむすんで、われとわが身に、不幸を招いたことを知った。いまや彼には、ただ一つの望み――すなわち、青柳がうまく抜けだして、自分といっしょに逃げてくれるだろうという、|一《いち》|縷《る》の望みがあるばかりだった。友忠はながいこと思案したのち、青柳に手紙をやろうと決心した。この企ては、むろん危険なことであろう。彼女にあてた手紙はどんなものでも、君侯の手にはいるかもしれない。それに、お屋敷にいる者に恋文をおくることは、許しがたい罪である。しかし、彼は、この危険をあえておかそうと決意した。そして、漢詩の形式で、彼女に伝えたいと思っていることを手紙にしたためた。その詩は、わずか二十八文字で書かれた。が、その二十八文字で、友忠は、ふかい思慕の情をあらわし、青柳をうしなった心痛を示すことができた。
公子王孫逐二後塵一。
緑珠垂レ涙滴二羅巾一。
侯門一入深如レ海。
従レ是蕭郎是路人。
この詩がおくられた翌日の晩、友忠は細川侯の御前に呼びだされた。若者はただちに、自分の秘密が|洩《も》れたのではないかと思った。もしあの手紙が君侯に見られたならば、厳罰をまぬかれる望みはなかった。「こうなれば死を賜わるだろう」と友忠は思った。「しかし、青柳が返されないなら、生きることなど、どうでもよいのだ。それに、死の宣告を申しわたされても、せめて細川侯を刺すことくらいはできよう」友忠は両刀を腰にはさんで、お屋敷へいそいだ。
謁見の間にはいると、細川侯は儀式の衣冠をつけた重臣たちに取りまかれて、上段の座についていた。みんな彫像のように黙っていた。友忠が礼をしようと進みでたとき、あたりの沈黙は、あらしのまえの静けさのように、気味悪く重苦しく思われた。しかし、細川侯は、つと上座からおりてきて、若者の腕をとり、「公子王孫逐後塵……」と、あの詩の文句を、そのまま口ずさみはじめた。……そして、友忠が顔をあげて見ると、侯の目には、情ぶかい涙がうかんでいた。
それから、細川侯はこう言った。
「そのほうたちがひどく慕いあっているゆえ、余が一族の|能《の》|登《と》の|守《かみ》にかわり、そのほうたちの婚姻を許すことにした。式はこれから、余の面前でとり行うことにする。客人はそろっている。引出物の用意もできているぞ」
侯の合図で、奥の|間《ま》との境の|襖《ふすま》が押しひらかれた。見ると、お屋敷の高位高官の人々が、式に居ならんで、青柳は花嫁姿で待っていた。……こうして、彼女は友忠に返された。結婚式は、楽しくて花やかだった。そして、高価な贈物が、侯や家中の人々から、この若夫婦に贈られた。
結婚してから五年のあいだ、友忠と青柳とは、いっしょに楽しくすごした。ところが、ある朝のこと、青柳はなにか家事向きのことを夫と話しているうちに、とつぜん苦しそうな声をだして、それからひどく青ざめて、黙りこんだ。ややしばらくすると、彼女はよわよわしい声で言った。「このように、無作法にも、大きな声をたてまして、すみません。でも、あまりとつぜん、痛みだしたものですから。……旦那さま、わたしたちの縁は、きっと前世からの因縁なのでございましょう。そして、このありがたい縁のため、また来世で一度ならず、ごいっしょになれましょう。けれども、この世での契りは、もう切れました。わたしたちのあいだは、引き離されようとしております。どうか、わたしのために、お念仏を唱えてくださいませ。わたしは、死にかかっております」
「なにを、とりとめないことを考えているのだ」と、夫はびっくりして叫んだ。「おまえは、すこしからだの工合が悪いだけなのだ。さあ、しばらく横になって休むがよい。そうすれば、加減もよくなるだろう」
「いえ、いえ」と青柳は答えた。「わたしはもう、死にかかっております。――気のせいなどではございません。――よく存じております。……旦那さま、このうえ隠しだてしても、仕方のないことでございます。――わたしは人間ではございません。木の魂がわたしの魂でございます。――木の心がわたしの心でございます。――あの柳の生気が、わたしのいのちでございます。そして、ちょうど今、むごたらしくも、だれやらが、わたしの木を切り倒しているのでございます。それがため、わたしは死なねばなりません。……もう泣くことさえできません。――はやく、はやく、お念仏を唱えてくださいませ。……はやく!……ああ!」……
またもや苦しそうに叫ぶとともに、彼女は美しい頭をわきへむけて、|袖《そで》の後ろに顔を隠そうとした。しかし、ほとんど同時に、彼女のからだ全体が、じつに異様なふうに崩れてゆき、下へ下へと沈んでいって、|床《ゆか》とおなじくらいに、低くなるように見えた。友忠は飛びついて、それを支えようとした。――が、支えるものは何もなかった。畳のうえには、美しい人のむなしい着物と、髪につけていた飾りとがあるばかりで、からだはもうなくなっていた。
友忠は頭をまるめ、仏に誓をたてて、|行《あん》|脚《ぎゃ》|僧《そう》となった。諸国を遍歴して、おとずれた霊地|霊廟《れいびょう》で、青柳の霊のために祈願をした。巡礼の途次、越前の国に入り、友忠は、いとしい人の両親の|住《すみ》|家《か》をさがした。が、その住家のあった山あいの、さびしい場所に行ってみると、そこにはもうあの小家はなかった。その家のあった場所をしるすものさえ何もなく、ただ三本の柳の切株があるばかりで、そのうちの二つは老木、一つは若木であるが、いずれも、彼がおとずれるずっと以前に、切り倒されたものだった。
友忠は、柳の切株のかたわらに、いくつかの|経文《きょうもん》を刻んだ石碑を建てて、そこで青柳とその両親の霊のために、ねんごろな供養をいとなんだ。
[#地から2字上げ]――「怪談」より
十六ざくら
うそのよな十六ざくら咲きにけり
|伊《い》|予《よ》の国の|和《わ》|気《け》郡に、「十六ざくら」と呼ばれる、たいへん有名な桜の古木があった。その名の由来は、この桜が、毎年、旧暦の一月十六日に――しかも、その日だけ、花を開くからである。桜の木の本来の習性からいえば、春の季節を待ってから花を開くわけであるが、この木が花を開くのは、このように大寒の候である。しかし、この「十六ざくら」は、自分のものでない――すくなくとも、もとは自分のものではなかった生命の力で、花を開くのである。この木のなかには、ある人間の魂が宿っているのである。
その人間というのは、伊予の侍だった。そして、この木は、その侍のうちの庭に生えていたもので、三月の終りか四月のはじめごろに、花を開くのが常だった。侍は子供のじぶんに、よくこの木の下で遊んだことがあり、両親や祖父母や祖先の人たちは、百年以上にわたって、春がくるごとに、この木を|褒《ほ》めたたえた歌を、美しい色の|短《たん》|冊《ざく》に書きつけて、それを、花の咲いた枝につるしたものであった。侍自身も、たいへん年をとって、子供たちには先立たれ、この世で愛するものといえば、この桜の木よりほかには何もなかった。ところが、これはまた、どうしたことであろう! ある年の夏、この木がしおれて、枯れてしまったのである。
老人は、この木のために、ひどく悲しんだ。それで、親切な近所の人たちが、老人を慰めてやりたいと思って、美しい桜の若木を見つけ、それを彼のうちの庭に植えてやった。老人はその人たちにお礼を述べて、いかにも|嬉《うれ》しそうな様子をした。しかし、ほんとは、ひどく心を痛めているのだった。というのは、老人はたいへんあの老木を愛していたので、どんなものも、それを失った悲しみを慰めることは、とうてい、できなかったのである。
とうとう、よい考えがうかんできた。老人は、枯れている木が助かりそうな方法を、思いついたのである。(それは、一月の十六日だった)老人はひとりで庭へ出て、枯れた木のまえにひざまずき、それにむかって、こう話しかけた。「お願いだ。どうかもう一度、花を咲かしてくれ。わしが、おまえの身代りになって死ぬからね」(なぜなら、人は、神さまのお恵みで、自分のいのちを、ほかの人や動物や、または木にすら、ほんとにやってしまえると、信じられているからである。そして、こうしていのちを譲りわたすことは、「身代りに立つ」という言葉で、言いあらわされている)それから、老人は、その木の下に白い布をひろげ、幾枚もの敷物をしいて、その上にすわり、武士の方式にしたがって、|切《せっ》|腹《ぷく》した。それで、老人の霊魂は木に乗りうつって、たちどころに花を咲かせた。
こうして、毎年、雪の季節の一月十六日に、今もなお、花が咲くのである。
[#地から2字上げ]――「怪談」より
安芸之助の夢
|大和《やまと》の国の|十《とお》|市《いち》郡と呼ばれるところに、むかし|宮《みや》|田《た》|安《あ》|芸《き》|之《の》|助《すけ》という|郷《ごう》|士《し》が住んでいた。……〔ここで、お話ししておかねばならぬのは、日本の封建時代には、イギリスでいう「ヨウマン」階級に相当する、農をかねた武士――自領所有者――の特権階級があって、それを郷士と呼んでいたのである〕
安芸之助のうちの庭には、大きな古い杉の木があって、暑苦しい日など、彼はよくその下で、休んだものであった。ある暑い日の午後のこと、安芸之助が郷士仲間の二人の|朋《ほう》|輩《ばい》と、この木のしたに|坐《すわ》って、談笑しながら酒をくみかわしていると、急にひどく眠気がさしてきた。どうにも眠くて仕方がないので、その場でうたた寝させてくれと言った。それから、木の根もとにごろりと横になると、こんな夢をみた。――
なんでも、自分のうちの庭先に横になっていると、そこへどこかのえらい大名の行列のような一行が、近くの丘をおりて来るので、それを見ようと、起きあがったように思った。見れば、なかなかりっぱな行列で、これまで見たこともないような、堂々としたものだった。それが彼の|住《すま》|居《い》のほうへ近づいてくるのである。行列の先頭には、花やかないでたちをした若侍が、幾人もいるのが目についたが、彼らは、あざやかな空色の絹をたらした大きな|漆塗《うるしぬ》りの|御所車《ごしょぐるま》を引いていた。家のすぐ近くへ来ると、行列はとまった。そして、一人のりっぱな服装をした――見るからに身分の高い人が、行列のなかから現われて、安芸之助に近づき、ていねいにお辞儀をして、こう言った。
「おそれながら、御前へまかり出でましたのは、|常《とこ》|世《よ》の国王の家臣でございます。わが君なる国王さまには、|御名代《ごみょうだい》として、わたくしから|御《ご》|挨《あい》|拶《さつ》申しあげ、何事もあなたさまの|思召《おぼしめ》しのままにせよとの、仰せでございます。また、御殿へお出ましを願いたいとのことでございます。どうか、お迎えにつかわされたこの御車に、すぐお召しになっていただきとうぞんじます」
こういう言葉を聞くと、安芸之助は、なにか適当な返答をしたいと思ったが、あまり驚きかつ当惑したため、言葉が出なかった。と同時に、なんだか自分の意志が、わが身から溶け去るように思われて、ただ家来の言うなりになるよりほかはなかった。安芸之助は車に乗りこんだ。家来も彼のそばに座をしめて、合図をした。|曳《ひ》き|手《て》たちは絹の綱をとって、大きな乗物を南のほうへむけた。――そして、旅は始まったのである。
ほんのしばらくすると、安芸之助がおどろいたことには、車はこれまで見たこともない支那風の大きな楼門の前にとまった。ここで、家来は車からおりて、「お着きを知らせに行ってまいります」と言って、姿を消した。しばらく待っていると、紫色の絹の服をつけ、高貴な位をしめす形の、高い冠をかぶった、|気《け》|高《だか》い様子の人が二人、門から現われた。そして、うやうやしく礼をしてから、安芸之助を乗物から助けおろし、先に立って、大きな楼門を通りぬけ、ひろい庭をよこぎって、正面が東西幾マイルにもわたると思われる御殿の入口へ出た。それから、安芸之助は、おどろくほど大きくて華麗な接待の|間《ま》へ通された。案内の者は、彼を上座に導き、かしこまって離れたところに座をしめた。すると、礼服をつけた侍女たちが、茶菓を運んできた。安芸之助がもてなしの茶菓をすませると、紫色の服を着た二人の侍者が、彼の前にうやうやしく頭をさげてから、宮中の礼儀にしたがって、かわるがわる口を開いて、次のように言った。
「さて、おそれながら申しあげますが、……ここへお招き申しましたわけは……わが君なる国王さまには、あなたさまに、お婿君になっていただきたいと、望んでいられます。……そして、今日これから、|内《ない》|親《しん》|王《のう》と御結婚あそばすようにとの、御上意でございます。すぐ謁見の間へ御案内申しあげます。……陛下はもうあちらで、お待ちかねになっていられます。……が、まずお定めの御式服をお着せいたさねばなりますまい」
こう言って、侍者は二人とも立ちあがって、|金《きん》|蒔《まき》|絵《え》の大きな|櫃《ひつ》のおいてある床の間へすすんだ。彼らは櫃をあけて、その中から、りっぱな織地でつくられた、さまざまな衣帯や冠をとりだした。これらのものを安芸之助に着せて、いかにも王者の婿にふさわしい装いにした。それから彼は、謁見の間に通された。見れば、そこには|常《とこ》|世《よ》の国王が、いかめしい黒い色の、高い冠をいただき、黄色い絹の服をつけて、玉座についていた。玉座のまえには、左右におおぜいの顕官が、まるで寺院の彫像のように身動きもせず、きらびやかに居並んでいた。で、安芸之助は中央に進みでて、国王にむかって、しきたりの三拝の礼をした。国王は丁重な言葉で|挨《あい》|拶《さつ》して、こう言った。
「そなたをここへ招いたわけは、すでに聞かれたとおりである。そなたを一人娘の婿にすることにきめた。――で、これから、婚儀をとり行うことにする」
国王の言葉が終ると、たのしい楽の音が聞え、美しい官女が長い列をなして、|帳《とばり》のかげから現われ、花嫁の待っている部屋へ、安芸之助を案内した。
その部屋はたいへん広かった。それでも、婚礼の式を見に集まってきた、おびただしい客は、そのなかに、はいりきれないほどだった。安芸之助が、王女とむかいあって、用意の|座《ざ》|蒲《ぶ》|団《とん》に|坐《すわ》ると、みんなは彼に一礼した。花嫁は天女のように見えた。その|衣裳《いしょう》は、夏の空のように美しかった。こうして、婚儀は非常な歓びのうちに、とり行われた。
式がすむと、二人は、御殿のほかの場所に設けられていた、一つづきの部屋に案内されて、そこで、たくさんの高貴な人たちの祝辞や、数知れぬお祝いの品をうけた。
数日のち、安芸之助は、ふたたび玉座の|間《ま》に呼ばれた。こんどは、前よりもさらにていねいに迎えられた。国王は彼にむかって、こう言った。
「わが領土の西南のほうに、|莱州《らいしゅう》という島がある。このたび、そなたを、その島の領主に任じた。島民は忠節で従順だが、島の|掟《おきて》は、まだこの常世の掟と一致しておらず、島民のならわしも、まだよろしく整えられてはおらぬ。そこで、ひとつ責任をもって、島民の風習を、できるだけ改善してもらいたいのだ。どうか、島の者たちを、徳と智とで治めてもらいたい。莱州への旅行に必要な用意は、すでにととのえてある」
そこで、安芸之助と花嫁とは常世の御殿を出発し、多数の高貴な人や役人たちに、海岸まで見送られて、国王の命で仕立てられたりっぱな御座船に乗りこんだ。そして順風をうけて、つつがなく莱州につくと、島の良民たちは、二人を迎えに、浜べに集まっていた。
安芸之助は、ただちに新しい仕事にとりかかったが、仕事は難しいものではなかった。島の統治に当ってから、はじめの三年間は、主として法律の立案と制定とに従事したが、補佐してくれる賢明な相談役がいたので、すこしもこの仕事をいやだとは思わなかった。それがすっかり済んでしまうと、昔からのしきたりで決められている、儀式や式典に列するほかには、積極的にすすんでやらねばならぬ仕事は、何もなかった。国はたいへん健康によく、地味は肥えていたので、病も飢えも知らず、それにまた島民はひどく善良で、法を破るような者は一人もいなかった。こうして、安芸之助は、さらに二十年間莱州にとどまって島を治め、あわせて二十三年間滞在していたが、そのあいだ、悲しみの影は、すこしも彼の生活にさしてこなかった。
しかし、安芸之助が島を治めはじめてから二十四年目に、大きな不幸が身にふりかかってきた。というのは、七人の子――五人の男の子と二人の女の子――を生んだ彼の|妃《きさき》が、病気になって死んだのである。彼女は、ひじょうに盛大な葬儀で、|t[#「t」は「郁」の「有」を「番」にしたもの "Unicode="#9131" DFパブリW5D外字="#F574"]菱江《はんりょうこう》の美しい丘のいただきに埋葬され、りっぱな碑が、その墓のうえに建てられた。しかし、安芸之助はいたく妻の死を悲しんで、もはやこの世に生きながらえるのが、いやになった。
さて、定めの喪があけると、|常《とこ》|世《よ》の御殿から莱州へ、国王の使者がきた。この使者は、安芸之助に|哀《あい》|悼《とう》の辞をつたえてから、彼にこう言った。
「わが君なる常世の国王から、あなたさまへ伝えよとの仰せのお言葉に、『ただいま、そなたを生国へ送りかえす。七人の子供は、みんな王孫であるから、しかるべく面倒を見させよう。それゆえ、子供のことについて案ずることはない』とのことでございます」
この命をうけて、安芸之助は言われるままに、出発の用意をした。ばんたんの事務も片づいて、相談役や信頼していた役人たちとの別れの式もすむと、安芸之助はたいへん丁重に、港まで見送られた。そこで、彼が迎えの船に乗ると、船は青い空のしたの青い海原に出ていった。そして、莱州の島が青くなり、灰色となって、とうとう永久に消えてしまった。……すると、安芸之助は、とつぜん目がさめた。――見ると、自分のうちの庭の、杉の木のしたにいるのである。
ほんのちょっとのあいだ、安芸之助は気がぼうっとなって、目がくらんだ。しかし、気がついてみると、二人の|朋《ほう》|輩《ばい》が相変らず自分のそばに|坐《すわ》って、楽しげに酒を飲みながら、談笑しているのであった。彼はあっけにとられたように、彼らを見つめて、大声で叫んだ。
「まったく、ふしぎだなあ」
「安芸之助さんは夢でも見ていたんだろう」と、一人が笑いながら言った。「ふしぎだなんて安芸之助さん、何を見ていたんだい?」
そこで、安芸之助は、自分の夢――常世の国の莱州島に|逗留《とうりゅう》していた、二十三年間の夢の話をした。すると、二人はおどろいた。なぜかというと、安芸之助がじっさいに眠ったのは、ほんの二、三分にすぎなかったからである。
一人の郷士が言った。
「いや、まったく、ふしぎな夢をみたもんだね。ところが、わしどもも、あんたがうたた寝をしているうちに、ふしぎなものを見たよ。小さな黄色い|蝶《ちょう》が一羽、あんたの顔のうえを、ほんのしばらくヒラヒラと舞ってたぞ。わしどもは、それをじっと見ておった。すると、蝶はあんたのそばの地面の、木のすぐ近くにとまったのだ。そして、蝶がとまるが早いか、たいそう大きな|蟻《あり》が一匹、穴から出てきて、蝶をつかまえ、穴のなかへ引きこんで行った。ところが、ちょうど、あんたが目をさますまえに、その同じ蝶が、またもや穴から出てきて、さっきのように、あんたの顔のうえを、ヒラヒラと舞っていたが、それからふいに消えてしまった。どこへ行ったのやら、まるでわからん」
「たぶん、そりゃ安芸之助さんの魂だろうよ」と、もう一人の郷士が言った。「たしかにわしは、あの蝶が、安芸之助さんの口のなかへ飛びこむところを、見たような気がした。……だが、その蝶が、安芸之助さんの魂だとしたところで、そのことから、夢のわけはわからんね」
「蟻なら、そのわけがわかるかもしれんぞ」と、最初の郷士が言った。「蟻は奇妙な生き物だからね。――ことによると、|妖《よう》|魔《ま》かもしれん。……とにかく、あの杉の木のしたには、大きな蟻の巣があるよ」
「ひとつ、見てやろうよ」朋輩の言葉にひどく心を動かされて、安芸之助はこう叫んだ。そして、|鍬《くわ》をとりに行った。
杉の木のまわりや下の土は、途方もない蟻の大群に、まったくおどろくばかり掘りぬかれていることがわかった。蟻は、さらにその掘りぬいた穴のなかに家を建てていて、|藁《わら》や粘土や茎でつくられたその小さな建物は、妙に小さな町に似ていた。そして、ほかよりもずっと大きな建物のまんなかに、黄色がかった羽に、長くて黒い頭をした一匹の、たいへん大きな蟻がいて、そのからだのまわりに、ふしぎなくらい、たくさんの小蟻が群がっていた。
「や、夢でみた王がいるぞ」と安芸之助は叫んだ。「それに|常《とこ》|世《よ》の御殿もある。……まったく、おどろくべきことだ。……莱州は、どこか、その西南のほうにあるはずだ。――あの大きな根の左側だ。……そうだ。ここが、そうなんだ。……なんとまあ、ふしぎなことだろう。では、|t[#「t」は「郁」の「有」を「番」にしたもの "Unicode="#9131" DFパブリW5D外字="#F574"]菱江の丘も、王女の墓も、きっと見つかるぞ」
安芸之助は、こわれた巣のなかを、あちこちと探しまわった。そして、とうとう小さな塚を見つけた。そのいただきには、石塔に似た形の、水で磨滅した小石がおいてあった。見ると、その下には――土にふかく埋もれて――一匹の|雌《めす》|蟻《あり》の|死《し》|骸《がい》があった。
[#地から2字上げ]――「怪談」より
力ばか
彼の名はりき[#「りき」に傍点]と言ったが、これは力という意味をもっている。しかし、世間の人は、彼のことを「|力《りき》ばか」と呼んだ。それは、生れつき、いつまでたっても、子供だったからである。それと同じ理由から、世間の人は、彼に親切だった。――力が、マッチで|蚊《か》|帳《や》に火をつけて、家を燃やし、その炎を見て、手をたたいて喜んでいるときでさえも、そうだった。十六歳のときには、背のたかい、丈夫な若者になっていたが、知能はいつも、二歳ぐらいの、がんぜない|年《とし》|頃《ごろ》のままで、だから、あいかわらず、ごく小さな子供たちと遊んでいた。四つから七つまでの、もっと大きな近所の子供たちは、力が、自分たちの歌や遊びを覚えられないので、いっしょに遊びたがらなかった。彼の気にいりの遊び道具は、|箒《ほうき》の柄で、いつもそれを竹馬のかわりにしていた。そして、幾時間も引きつづいて、その箒の柄にまたがり、びっくりするほど大きな声をたてて笑いながら、わたしの家のまえの坂道を、上ったり下ったりした。しかし、とうとう、その声が騒々しくて、うるさくなってきた。そこで、わたしは、どこかほかのところで遊ぶようにと、言わねばならなかった。力は、すなおに頭をさげて、悲しそうに箒の柄を引きずりながら、立ち去った。ふだんはおとなしくて、火遊びをする機会さえ与えなければ、すこしも害はないので、だれからも苦情を言われるようなことは、まずなかった。力が町内の人たちの生活にかかわりをもつ度合は、犬や|雛《ひな》|鳥《どり》のそれとあまり変らなかったので、ついに彼の姿が見えなくなったときにも、わたしは、べつに|淋《さび》しいとは思わなかった。それから幾月も幾月もたって、ふとしたことから、わたしは、力のことを思いだしたのである。
「力はどうしているかしら?」そのとき、わたしは、近所へ|薪《まき》を持ってくる年とった|木樵《きこり》に、こう尋ねた。力が、よくこの木樵の薪を運ぶ手伝いをしていたのを、思いだしたのである。
「力ばかですかい」と老人は答えた。「ああ、力は死にましたよ――かわいそうに。……はい、亡くなりましたのは、一年ばかり前のことで、まったく、とつぜんのことでした。お医者さんは、なにか脳の病だと、申しておられました。ところで、その力について、妙な話がございますよ。
「力が亡くなりましたときに、おふくろが力の左の手のひらに、『力ばか』と、名前を書いたんです。――『力』は漢字で、『ばか』は仮名でです。そして、何度もあの子のために、|御《ご》|祈《き》|祷《とう》を――もっと仕合せな身分に生れかわってきますようにと、御祈祷をくりかえしました。
「ところが、|三《み》|月《つき》ばかりまえに、|麹町《こうじまち》のなにがしさまのお屋敷で、左の手のひらに字の書いてある男のお子さんが生れました。しかも、その字が、はっきり『力ばか』と読めましたそうで。
「そこで、お屋敷の人たちは、これはきっと、だれかの祈願の|御《ご》|利《り》|益《やく》で、生れてきた子にちがいないと思って、ほうぼうを尋ねさせました。とうとう一人の八百屋が、|牛《うし》|込《ごめ》に『力ばか』という足りない子がいたが、去年の秋に死んだ、という話をしました。そこで、お屋敷では、二人の下男をやって、力のおふくろを探させました。
「その下男たちが、力のおふくろを見つけて、一部始終のことを話しますと、おふくろはたいへん喜びました。なにぶん、そのお屋敷というのが、たいそうな金持で、名の知れた家柄ですからね。ところが、下男たちは、坊ちゃまの手に『ばか』という字が書いてあるんで、なにがしさまの御一家ではひどく御立腹だと、言いました。そして、『力さんの墓はどこかね』と、尋ねました。『善導寺の墓地に埋めてあります』と、おふくろが言いましたんで、『どうか、お墓の土をすこしおくれ』と、下男たちが頼みました。
「そこで、おふくろが善導寺へいっしょに行って、力の墓を見せました。すると、下男たちはお墓の土をすこし取って、それを風呂敷に包んで、持って帰りました。……力のおふくろには、いくらかの金――十円やりましてね」……
「しかし、その土を何にするのかね」と、わたしは尋ねた。
「それはですね」と老人は答えた。「そんな名前が手に書いてあるままで、子供を育てるわけにはゆきませんからね。ところで、そんなふうに、子供のからだに出た字を消すのには、その子が生れかわってくる前のからだが埋めてある墓から取ってきた土で、肌をこするよりほか、手だてはないのでございますよ」
[#地から2字上げ]――「怪談」より
奇 談
鳥取の蒲団のはなし
ずっと以前のこと、|鳥《とつ》|取《とり》の町にある、ごく小さな宿屋が、開業してからはじめての泊り客に、ひとりの旅商人を迎えた。この客は、なみならず親切にもてなされたが、それは宿屋の主人が、自分の小さな宿屋の評判を取りたいと、思っていたからである。新しい宿屋だったけれど、持ち主が貧しいので、その道具――家具や器物――は、たいてい古手屋から買ったものだった。それでも、どれも、みんな、清潔で気持がよく、それにきれいだった。お客は心ゆくまで食べ、あたたかくて、うまい酒もたくさん飲んだ。食事がすむと、畳のうえに寝床がのべられ、お客は横になって眠った。
さて、あたたかい酒をたくさん飲んだあとでは、殊にそれが寒い晩であって、寝床がとても気持のよい場合には、ぐっすり眠るのが、普通である。ところが、この客は、ほんのしばらくしか眠らないうちに、部屋のなかで、人声がするので、目をさました。――それは子供の声で、いつもたがいに、おなじことを尋ねあっているのであった。
「あにさん寒かろう?」
「おまえ寒かろう?」
自分の部屋に子供がいるのを、お客はうるさく思ったかもしれないが、べつにおどろきはしなかった。というのは、こうした日本の宿屋では、戸はなくて、部屋と部屋との仕切りには、ただ障子があるだけだからである。それで、どこかの子供たちが、暗がりに戸まどいして、自分の部屋へ迷いこんで来たのにちがいないと、お客には思われたのである。彼はやさしくたしなめた。すると、ほんのしばらくは静まったが、やがてまた、やさしい、弱々しい、うらがなしげな声が、お客の耳もとで、「あにさん寒かろう?」と尋ねた。すると、べつなやさしい声が、「おまえ寒かろう?」と、いたわるように答えた。
お客は起きあがって、もういちど|行《あん》|燈《どん》に明りをつけ、部屋のなかを見まわしたが、だれもいなかった。障子は、全部しまっていた。戸棚を調べてみたが、からっぽだった。ふしんに思いながら、明りをつけたまま、ふたたび横になった。すると、すぐさま|枕《まくら》もとで、またもや訴えるように、人声がした。
「あにさん寒かろう?」
「おまえ寒かろう?」
そこで、はじめてお客は、からだじゅうに、ぞっと寒けを感じたが、それは夜の寒さとはちがったものだった。話し声は、何度も何度も聞えてきた。そして、そのたびごとに、ますます怖くなってきた。というのは、その声が、|蒲《ふ》|団《とん》の中でしているのが、わかったからである。このように声をだしているのは、掛蒲団だったのである。
お客は、大いそぎで、わずかばかりな身のまわりの品をまとめると、階段をおりて行って、宿の主人をおこし、ことの次第を話した。すると主人は、たいそう腹をたてて答えた。「じっさいのところ、お客さんのお気に入るように、万事手をつくしているんです。ところが、お客さんはお酒をあまり召しあがったんで、悪い夢を見られたんですよ」それでもお客は、すぐ勘定をはらって、どこかほかのところに宿をさがす、と言ってきかなかった。
あくる日の晩、また一人のお客がきて、一夜の宿をもとめた。夜がふけると、主人はこの泊り客におこされて、またおなじ話を聞かされた。そして今度のお客は、ふしぎなことには、酒をすこしも飲んでいなかった。そこで主人は、これは何か自分をねたんで、商売をつぶそうと企らんだものと思って、はげしい語調で答えた。「お客さんのお気にめすように、万事手をつくしているんです。それなのに、お客さんは、|縁《えん》|起《ぎ》でもない、いまいましいことをおっしゃる。ところで、この宿屋が、てまえの暮しをたてる家業だということも、ちゃんと御存じのはずです。いったい、なんでこんなことを言われるのか、じつに|怪《け》しからん話です」そこでお客のほうも、かんしゃくを起して、もっとひどいことを、大声でどなりたてた。こうして双方とも、かんかんに怒ったまま別れた。
しかし、お客の立ち去ったあとで、主人はどうも変だと思い、二階のその空いた部屋へ行って、蒲団を調べてみた。すると、そこにいるうちに、あの人声が聞えてきた。そこで主人は、二人のお客の話が、まったくほんとうだったことが、わかったのである。声を立てたのは、一枚の――ただ一枚の掛蒲団だけだった。そのほかのものは、ひっそりしていた。主人は、その掛蒲団を自分の部屋に持っていって、それから夜が明けるまで、それを着て寝た。すると、その声は、「あにさん寒かろう?」「おまえ寒かろう?」と、夜明けのころまで言いつづけた。それで彼は、眠ることができなかった。
しかし、夜が明けると、主人は起きあがって、この|蒲《ふ》|団《とん》を買った古手屋の主人を、尋ねに出かけた。ところが、その商人は何も知らなかった。彼は、その蒲団をもっと小さな店から買ったのだった。そして、その小店の主人は、町のずっと場末に住んでいる、さらにもっと貧しい商人から買いうけたものだった。それで宿屋の主人は、次から次へと、尋ね歩いた。
こうして最後に、その蒲団は貧しい一家の物であったが、|町《まち》|外《はず》れの、その家族が住んでいた小さな家の家主から、買い取ったものであるということが、わかってきた。ところで、その蒲団の由来というのは、こうであった。
その小さな家の家賃は、一か月わずか六十銭にすぎなかったが、それでもこの貧しい人たちにとっては、たいした支出だった。父親は、一か月に二、三円の稼ぎしかなく、母親は病身で働けなかった。それから、子供が二人――六つと八つの、男の子がいた。それに、この一家は、鳥取では|余所《よそ》|者《もの》だった。
ある冬の日に、父親が病気になって、一週間わずらったのち、死んで埋葬された。それから、長いあいだ病気だった母親が、そのあとを追い、子供たちだけ残された。助けてもらえるような人は、一人も知らなかった。それで、生きるために、売れるものはなんでも、売りはじめた。
それも、たくさんはなかった。ただ亡くなった父や母の着物、自分たちの着物の大部分、幾枚かの木綿の夜具、それと、すこしばかりの粗末な世帯道具類――火鉢、どんぶり、|茶《ちゃ》|碗《わん》、その他のこざこざした物くらいだった。子供たちは毎日なにかを売って、とうとう一枚の蒲団のほかには、何もなくなってしまった。こうして、なにも食べ物のない日がやってきた。それに、家賃もはらってなかった。
おそろしい大寒がやってきた。そして、その日は、たいへん雪が高くつもって、子供たちは、小さな家から、遠くへ出て行かれなかった。それで二人は、一枚の蒲団のしたに寝て、いっしょに震えながら、子供らしいやりかたで、たがいに慰めあうよりほかなかった。
「あにさん寒かろう?」
「おまえ寒かろう?」
火はなく、燃やしつける物もなかった。やがて、暗くなってきた。そして、氷のような風が、この小さな家のなかに、ぴゅうぴゅう鳴りながら、吹きこんできた。
子供たちは風がおそろしかったが、それ以上に、家主がこわかった。というのは、家主はあらあらしく子供たちを起して、家賃を請求したのである。この家主は人相のよくない、冷酷な男だった。それで、家賃をはらう者がいないことがわかると、子供たちを雪のなかへ追いだし、たった一枚の|蒲《ふ》|団《とん》も取りあげて、家に錠をおろしてしまった。
子供たちは、それぞれ、紺の薄い着物を一枚しか、着ていなかった。ほかの着物はみんな、食べ物を買うために、売りはらっていたからである。それに二人は、どこへも行きどころがなかった。それほど遠くないところに観音堂があったが、あまり雪が深いので、そこまでは行けなかった。それで、家主が帰ったあと、二人はこそこそと家のうしろへ引き返した。寒さのために眠気がさしてきたので、兄弟は暖をとるため、抱きあって眠った。こうして、眠っているあいだに、神さまは二人に新しい蒲団を着せてくれた。――それは、この世のものと思えぬほど真白な、たいへん美しい蒲団だった。それで、二人はもう寒さを感じなかった。幾日も幾日も、そこに眠っていた。それから、ある人がこの兄弟を見つけて、|千《せん》|手《じゅ》|観《かん》|音《のん》|堂《どう》の墓場に、二人の寝床をつくってやった。
宿屋の主人は、一部始終を聞くと、その蒲団を、観音堂の坊さんに寄進して、小さい者たちの霊のために、お経をあげてもらった。それで蒲団は、その後はものを言わなくなった。
[#地から2字上げ]――「知られぬ日本の面影」より
死人が帰って来たはなし
ずっと以前のこと、名は忘れたが、ある大名の時代に、このふるい町に、たがいにひどく愛しあっている若い男と女とがいた。二人の名前は忘れられているが、その話はまだ残っている。二人は、幼いころから|許嫁《いいなずけ》にされていた。双方の両親がとなりあっていたので、子供のじぶんから、いっしょに遊んだ。そして、大きくなるにつれて、二人は、たがいにますます、好きになるばかりだった。
男がまだ一人前にならないうちに、両親がなくなった。しかし、彼は、家の者たちの知り合いで、位の高い役についている、富裕な武士に仕えることができた。ところで、この主君は、若者が礼儀が正しくて賢く、それに武芸にも秀でているのを見て、まもなく彼をひどく|寵愛《ちょうあい》するようになった。そこで、この若者も、やがて許嫁と婚礼をあげられるような地位にありつけそうだ、と思った。ところが、北と東にわたって、戦乱がおこったため、若者は急に呼びだされ、主君にしたがって、戦場へ出ることになった。しかし、出発するまえに、許嫁に会うことができた。そして、二人は、彼女の両親の面前で、誓いを取りかわし、もし生き残れたら、その日から一年以内に帰ってきて、許嫁と婚礼をあげようと約束した。
若者が行ってから、ずいぶん月日が経ったけれど、彼からは何のたよりもなかった。なにしろ、今日とちがって、そのじぶんには、郵便などはなかったからである。それで許嫁は、戦争がどうなるだろうかと考えて、ひどく心を痛め、そのためすっかり青ざめて、やせ衰えてしまった。その後ようやく、戦陣から大名のもとへ知らせをもたらすために送られた使いの者から、若者の消息を聞いたのと、もう一度、べつな使者が手紙をとどけてくれたことだけで、それからあとは、なんのたよりもなかった。待つ者の身には、一年は長いものである。こうして、その年もすぎたが、若者は帰ってこなかった。
さらに幾つかの季節がすぎ去ったが、それでも若者は帰ってこなかった。そこで彼女は、あのひとはもう死んだのだと思いこみ、そのために病気になって床につき、とうとう死んで埋葬された。すると、ほかに子供のない老いた両親は、いうに言われぬほど嘆き悲しんで、|淋《さび》しさのあまり、自分たちの|住家《うち》まで、ひどくいとわしく思うようになってきた。しばらくすると、老夫婦は、持ち物をすっかり売りはらって、|千《せん》|箇《が》|寺《じ》参りをする決心をした。――これは、|日蓮宗《にちれんしゅう》の寺を千箇所もお参りする大がかりな巡礼の旅で、これを果すのには、幾年もかかるのである。それで、老夫婦は、小さな家を、そのなかの屋財家財いっさいをふくめて、売りはらったが、ただ祖先の|位《い》|牌《はい》や、売ってはならぬ仏さまのものや、死んだ娘の位牌だけはべつにして、故郷を去ろうとする人たちの習わしにしたがって、|檀《だん》|那《な》|寺《でら》へ預けることにした。ところで、この一家は日蓮宗で、その檀那寺は、妙高寺だった。
老夫婦が旅に出てから、わずか四日ほどすると、娘の|許婚《いいなずけ》だった若者が、町へ帰ってきた。彼は主君の許しをえて、約束を果そうとしたのであるが、途中の国々は、どこもかしこも戦争で、どの道もこの路も、軍勢どもに固められていて、あれこれと難儀な目にあい、そのために帰国がおくれたのだった。それで、彼は自分の身にふりかかった不幸を耳にすると、悲しさのあまり病気になり、幾日も|瀕《ひん》|死《し》の病人のように、意識がぼんやりして、何もわからなかった。
しかし、ふたたび元気になりはじめると、いろいろ苦しい記憶がよみがえってきて、自分が死ななかったことを、残念がった。それで、許嫁の墓のまえで自害しようと決心し、人目につかずに出られるようになるとすぐ、刀をもって、娘が葬られている墓所へ行った。それは妙高寺の墓地で、淋しい場所だった。許嫁の墓を見つけると、その前にひざまずき、お祈りをして泣いた。そして、自分が決行しようとすることを、彼女にささやいた。すると、ふいに、「あなた」と呼びかける許嫁の声が聞こえ、彼女の手が、自分の手にふれるような気がした。そこで、ふりむいて見ると、許嫁が自分のそばに、にこにこしながら、ひざまずいているのだった。記憶にのこる面影とおなじように美しかったが、ただすこし青ざめていた。その瞬間、おどろきと、いぶかしさと|嬉《うれ》しさのあまり胸がおどって、若者は、ものが言えないほどだった。ところが、彼女はこう言った。「怪しまないでください。ほんとうにわたしです。わたしは死んだのではございません。みんな思いちがいです。家の人たちは、わたしが死んだものと思って、埋めたのです。――早まって埋めたのです。そして、両親もわたしが死んだものだと思って、巡礼に出たのです。でも、ごらんのとおり、わたしは死んではおりません。――幽霊ではありません。――ほんとうのわたしです。疑わないでください。それに、あなたのお心もよくわかりました。これで、ほんとに苦しんでお待ちしたかいがありました。……でも、このことが世間の人たちに知れて、うるさくされないように、これからすぐ二人で、どこかほかの町へ参りましょう。まだみんな、わたしが死んだものと思っていますから」
そこで、二人はだれにも気づかれずに、出かけて行った。こうして、二人は|甲《か》|斐《い》の国の|身《み》|延《のぶ》村まで行った。そこには、日蓮宗の有名な寺があるし、それに娘も、こう言っていたからである。「わたしの両親も、巡礼の途中、きっと身延へ|参《さん》|詣《けい》すると思います。それで、わたしたちがあそこへ住んでいれば、またみんないっしょになれますよ」そして、二人が身延へくると、彼女は言った。「小さな店を開きましょうね」こうして、二人は本堂に通ずる広い通りの途中に、小さな食べ物店をひらいて、子供むきの菓子や|玩具《おもちゃ》や、巡礼目あての食べ物を売った。二年のあいだ、二人はこうして暮し、店も繁昌した。そして、二人のあいだには、男の子が生れた。
ところが、子供が一年二か月になったとき、妻の両親が、巡礼の途中、身延へやってきて、食べ物を買いに、その小さな店に立ちよった。そして、娘の|許婚《いいなずけ》を見て、大声で呼び、涙を流していろいろ尋ねた。そこで、彼は両親を店のなかに通して、その前にていねいにお辞儀をしてから、次のように話したので、二人はびっくりしてしまった。「じつを申しますと、娘さんは、死んではおりません。わたしの家内になって、二人のあいだには男の子がいます。いま、むこうの部屋で、子供の添い寝をしております。どうか、すぐ行って、喜ばせてやってください。お会いするおりを、心からお待ちしておりましたから」
そこで、彼が両親をもてなす万端の用意に、いそがしく立ちまわっているうちに、母のほうが先にたって、二人はそっと、奥の部屋へはいって行った。
見ると、子供は眠っていたが、母親の姿は見えなかった。ほんのすこし前に、出ていった様子で、|枕《まくら》にはまだ、ぬくもりがあった。老夫婦はながいあいだ待っていた。それから、娘を探しはじめた。けれども、二度と娘の姿は見あたらなかった。
やがて、母親と子供とが着ていた掛け|蒲《ぶ》|団《とん》のしたに、数年前妙高寺にあずけてきた覚えのある死んだ娘の小さな|位《い》|牌《はい》を見つけたとき、両親には、はじめて事情がわかったのである。
[#地から2字上げ]――「知られぬ日本の面影」より
倩女のはなし
|漢《かん》|陽《よう》に|張鑑《ちょうかん》という男が住んでいたが、その小さな娘の|倩《せい》は、ならぶ者もないほど美しかった。張鑑には、また|王宙《おうちゅう》という|甥《おい》が一人いたが、たいへんきれいな少年だった。二人はいっしょに遊んで、おたがいに好きだった。あるとき、張鑑は甥にむかって、冗談にこう言った。「いつか、おまえとうちの娘とを夫婦にしようと思う」二人の子供は、この言葉を覚えていた。そして二人は、|許婚《いいなずけ》になったと思いこんでいた。
倩が大きくなったとき、ある高官の人が、結婚を申しこんできた。彼女の父は、その申し込みに応ずることにきめた。倩はこの取りきめに、ひどく|煩《はん》|悶《もん》した。王宙のほうでも、たいへん腹をたて、かつ嘆き悲しんだすえ、ふるさとを去って、ほかの国へゆく決心をした。あくる日、王宙は、旅につかう船を一そう用意しておいて、日が暮れると、だれにも別れを告げずに、河をさかのぼって行った。ところが、真夜中に、「待ってください、わたしです」と、自分に呼びかける声をきいて、びっくりした。見ると、一人の|乙《おと》|女《め》が、河岸づたいに、船のほうへ走ってきていた。それは倩だった。宙は、なんとも言えぬほど喜んだ。倩は船に飛び乗った。そして、二人の恋人は、ことなく|蜀《しょく》の国に着いた。
蜀の国で、二人は六年のあいだ幸福に暮らし、子供を二人もった。しかし、倩は両親のことが忘れられず、もう一度会いたいものと、たびたび思った。
とうとう、倩は夫にむかって、こう言った。「もう|先《せん》には、あなたとの約束を破るのに忍びませんでしたから、両親にひどく恩義を|蒙《こうむ》っているのを知りながら、あなたといっしょに家出をして、両親を見捨てました。もう両親のお許しを願ったほうが、よくはないでしょうか」「そのことなら、心配せんでもよろしい」と宙は言った。「二人で両親に会いに行こう」彼は船の用意を言いつけた。そして、数日のちには、妻といっしょに、漢陽にかえった。
このような場合の習わしにしたがって、倩をひとり船にのこし、夫がまず鑑の家へ行った。鑑は、いかにも|嬉《うれ》しそうに甥を迎えて、こう言った。
「どんなに、おまえに会いたかったことか。おまえの身に何かおこったのではないかと、おりにつけ心配していたよ」
宙はうやうやしく答えた。
「身にあまる御親切なお言葉に、痛みいります。わたしがまいりましたのは、じつは|伯《お》|父《じ》さんのお許しを願うためなんです」
しかし、鑑には、このわけがわからないようだった。彼はこう尋ねた。
「おまえは、なんのことを言っているのかい?」
「じつは」と宙は言った。「わたしが倩と|駈《かけ》|落《お》ちしたことで、伯父さんが怒っていられやしないかと、心配していたんです。わたしが、倩を蜀の国へつれて行ったのです」
「そりゃ、いったい、どこの倩のことなんだ?」と鑑は尋ねた。
「伯父さんとこの娘さんの倩ですよ」と宙は答えたが、|舅《しゅうと》がなにか悪だくみでもしているのではないかと、疑いはじめた。
「おまえは、いったい、なんのことを言ってるのだ?」と鑑は、いかにもおどろいた様子で叫んだ。「娘の倩は、この数年のあいだ――おまえが出て行ってからこのかた、ずっと病気で寝たきりなんだよ」
「娘さんの倩は」と、宙はむっとしながら、言いかえした。「病気じゃありませんよ。わたしの妻になってから、もう六年にもなるんです。それに子供が二人もありますよ。わたしたちが、二人でここへ帰ってまいりましたのも、ただ伯父さんのお許しを願うためだったんです。ですから、どうか、からかわないでください」
ほんのしばらくのあいだ、二人はだまって、たがいに顔を見合せた。それから、鑑は立ちあがって、|甥《おい》について来るように、身ぶりで相図し、病気の娘が休んでいる奥の部屋へ案内した。ところが宙は、まったくおどろいたことには、倩の顔――美しいけれど、妙にやせて青白い顔を、見たのであった。
「娘はものは言えんが、ひとの言うことはわかるんだよ」と老人は説明した。それから、笑いながら娘に言った。「宙の話では、おまえは宙と駈落ちして、二人の子供まで生んだということだが」
病気の娘は宙を見て、にっこり笑った。しかし、やはり口はきかなかった。
「では、わたしといっしょに河へ来てください」と、宙は当惑して舅に言った。「うけあって申しますが、わたしがこのうちで見たものが、どんなものであったにしましても、――娘さんの倩は、現にわたしの船のなかに、ちゃんといるんですからね」
彼らは河へ行った。すると、なるほど、そこに若い妻が待っていた。そして父親を見ると、そのまえに頭をさげて、許しを|乞《こ》うた。
鑑は、娘にむかって言った。
「ほんとに、おまえが、わしの娘であれば、そりゃもう|可愛《かわい》がってやるばかりだが、どうも、わしの娘のようにも思えるが、すこし|解《げ》せぬところもある。……わしどもといっしょに、家まで来てもらいたい」
そこで、三人は家のほうへ歩いて行った。家に近づくと、病気の娘――これまで幾年も病床を離れたことのないその娘が、いかにも|嬉《うれ》しそうにほほえみながら、三人を迎えにくるのが見えた。そして、二人の倩はたがいに近づいて行った。ところが、そのとき、――どうしてだか、だれにもわからなかったが――二人は、ふいに、たがいに|融《と》け合ってしまった。そして、一つのからだ、ひとりの人間、一人の倩になってしまった。――前よりもいっそう美しい、そして、病気や悲しみの様子さえ見えないような、姿となった。
鑑は、宙にむかって言った。
「おまえが家出をしたあの日以来、娘は唖になってしまったんだ。そして、たいていいつも、酒を飲みすぎた人間のように、ぼんやりしていた。いま考えると、娘の魂が留守になっていたんだね」
倩自身もこう言った。
「ほんとに、わたしは、うちにいたことは知りませんでした。宙が怒って口もきかずに出て行くのを見ました。そして、その晩、宙の船のあとを追って|駈《か》けだした夢を見たのです。……しかし、今でも、船に乗って家出したわたしが、ほんとうのわたしだったのか、それとも、家に残っていたわたしが、ほんとうのわたしだったのか、自分にもわかりません」
[#地から2字上げ]――「異国情趣と回顧」より
振 袖
二百五十年ばかり前のこと、将軍の都の、ある金持の商人の娘が、どこかの寺のお祭りに行ったとき、すばらしく美しい若侍を、人ごみのなかで見そめて、たちまち恋いしたうようになった。ところが、不幸にも、その侍がなんという人で、どこから来た人だか、|供《とも》の者から聞かないうちに、人ごみのなかへ、姿を消してしまった。しかし、侍のおもかげは、その|衣裳《いしょう》のこまごました点までも、娘の記憶に、はっきり残っていた。その当時、若侍たちが身につけていた晴着は、ほとんど若い女たちの晴着におとらず、派手なものであった。そして、このきれいな見知らぬ侍の上着は、恋になやむ|乙《おと》|女《め》にとっては、おどろくほど美しく見えたのであった。で、娘は、若侍とおなじ紋をつけ、おなじ地と色の衣裳を着ていたら、このさき、なにかのおりに、あの侍の注意を引くことができるかもしれない、と思った。
そこで娘は、当時の流行にしたがって、たいへん長い|振《ふり》|袖《そで》の、あの若侍のものと同じような衣裳をつくらせ、それをひどくたいせつにしていた。出かけるときには、いつもその衣裳を着て行き、家にいるときには、自分の部屋にかけて、そのなかに、見知らぬ愛人の姿をしのぼうとした。ときには、幾時間も、衣裳のまえで、夢想にふけったり、涙を流したりして、過すこともあった。そして、若侍の愛がえられるようにと、神や仏に祈りをささげ、よく|日蓮宗《にちれんしゅう》の題目である「|南無妙法蓮華経《なむみょうほうれんげきょう》」を、唱えたものであった。
けれども、娘は二度と、その若侍の姿を見かけることはなかった。そして、侍を恋いしたうあまり、やつれはてて病気となり、とうとう死んで葬られた。葬式がすむと、娘があれほど大切にしていた振袖の衣裳は、一家の|檀《だん》|那《な》|寺《でら》に納められた。死んだ人の着物をこのように処分するのは、昔からのしきたりである。
住職は、その衣裳を、よい値で売り払うことができた。というのは、それは高価な絹もので、おちた涙の跡ひとつ、とどめていなかったからである。その衣裳を買ったのは、死んだ女とほとんど同じ年ごろの娘だった。ところが、その娘は、ほんの一日それを着ただけで、やがて病気になり、妙なそぶりをしだして、自分は美しい若者のまぼろしにとりつかれ、それにこがれて死ぬのだ、と叫びだした。そして、しばらくするうち、死んでしまった。その振袖は、ふたたび寺へ納められた。
またもや、住職はそれを売り払ったが、また若い娘の持ち物になった。そして、それをたった一度着ただけで、やがてまた、この娘も病気になり、美しいまぼろしのことを口走って、とうとう死んで葬られた。それから、衣裳は三たび寺へ納められた。そこで、住職はおどろき、かつふしんに思った。
それでも、住職は思いきって、もう一度、その|縁《えん》|起《ぎ》のよくない|衣裳《いしょう》を売った。すると、またもや、それを女の子が買って、着たのであるが、その娘も、やせ細って死んでしまった。こうして、衣裳は四たび寺へ納められた。
そこで、住職は、これはきっと、なにかの|祟《たた》りのせいにちがいないと考え、小僧たちに言いつけて、寺の庭で火をたき、その衣裳を焼いてしまうことにした。
それで、小僧たちは火をたいて、そのなかへ衣裳を投げいれた。ところが、その絹の衣裳が燃えだすと、とつぜんそのうえに、目もくらむような炎の文字――「南無妙法蓮華経」という題目があらわれた。そして、これは一つ一つ、大きな火花のようになって、寺の屋根へ飛びあがり、寺に火が燃えついた。
燃えあがる寺から、燃えさしが、やがて近所の屋根におち、すぐさま街じゅうが火炎につつまれた。そこへ、海風がまきおこって、さらに遠くの街々までも、火炎を吹きつけ、猛火は街から街へ、区から区へとひろがっていって、ついには、ほとんど江戸の街全体が、焼けくずれてしまった。|明《めい》|暦《れき》元年(一六五五年[#訳者注 明暦三年(一六五七年)の誤記])一月十八日におこったこの大火は、「|振《ふり》|袖《そで》|火《か》|事《じ》」として、東京で今もなお、記憶されているのである。
[#地から2字上げ]――「霊の日本」より
因果ばなし
大名の奥方が危篤におちた。奥方は自分でもそのことを知っていた。|文《ぶん》|政《せい》十年の秋のはじめごろから、床を離れることができなかったのである。それは、文政十二年――西洋の数えかたでは一八二九年――の四月のことで、桜の花が咲いていた。奥方は、庭の桜の木のことや、春の楽しさのことを考えた。子供たちのことも考えた。それから、夫のかずかずの側室――とくに十九歳になる|雪《ゆき》|子《こ》のことを考えた。
「ねえ奥や」と大名は言った。「三年もの長いあいだ、そなたは、ずいぶん悩んできた。われらも、そなたに|快《よ》くなってもらおうと、できるだけのことはしてきた。――夜となく昼となく、そなたのそばで看病をし、そなたの平癒に祈願をこめ、またそなたのために、たびたび断食までもしてきた。けれども、われらの心づくしの看病のかいもなく、また名医たちの手当もむなしく、今はそなたの臨終もそう遠くないように思われる。仏さまがいみじくも仰せられた『この|三《さん》|界《がい》の|火《か》|宅《たく》』を、去らねばならぬ悲しみは、そなたよりも、われらのほうが、ひとしお深かろう。そなたの|後生《ごしょう》を願うのに役立つことなら、どんなに費用がかかろうと、どんな法要でもとり行うよう、申しつけよう。そして、そなたが|冥《めい》|土《ど》で迷わず、すみやかに極楽浄土に入って|成仏《じょうぶつ》するよう、みんなでたえず祈ってあげよう」
大名は、そのあいだも奥方をなでさすりながら、このうえなくやさしい言葉をかけた。すると、奥方は|瞼《まぶた》を閉じたまま、虫の音のように、かぼそい声で答えた。
「おやさしいお言葉、ありがとうぞんじます。ほんとにありがとうぞんじます。……仰せのとおり、まことに、三年にもわたる長のわずらいに、あらんかぎりの心づくしとお情けとを受けてまいりました。……ほんとに、いまわのきわとなりまして、どうして、ただ一筋のまことの道からそれて、迷いをおこしましょう?……今となっては、この世のことなど思いだすのは、よろしくないのでございましょうが、でも、最後のお願いがひとつ――ただひとつだけございます。……ここへ、雪子をお呼びくださいませ。御承知のとおり、わたくしは、あれを妹のようにかわいがっております。お家のことなど、申しておきたいとぞんじますので」
雪子は、|殿《との》のお召しでやってきた。そして、殿の手招きに応じて、床のそばにひざまずいた。奥方は目をひらき、雪子のほうを見て言った。
「ああ、雪子か。……よく来てくれた、雪子。……もっと近くへおより――わたしの言うことがよく聞えるように。大きな声が出せないんだからね。……雪子、わたしはもう死にます。これからそなたが万事、殿さまによく仕えてもらいたい。と申すのは、わたしが亡くなったあとは、そなたに、わたしの代りになってもらいたいからね。……そなたが、いつも殿さまから|御寵愛《ごちょうあい》をうけ、――そうです、わたしの百倍もかわいがっていただき、――すぐさま高い位にのぼせられて、殿の奥方になってもらいたい。……そして、どうか、いつも殿さまをたいせつにして、ほかの女に、殿の愛情を奪われないようにしておくれ。……それが、そなたに言いたいと思っていたことです、雪子。……おわかりか?」
「ああ、奥方さま」と、雪子はきっぱり言った。「お願いでございますから、そのような思いもよらぬことは、なにとぞ御仰せくださいますな。よく御存じのように、わたくしは、貧しくて|賤《いや》しい身分の者でございます。どうしてまた、殿さまの奥方になろうなどと、だいそれたことが望めましょう?」
「いや、いや」と、奥方はしわがれた声で答えた。「いまは他人行儀の言葉をつかうときではない。おたがいに、ほんとのことだけ言いましょう。わたしが亡くなったあとは、そなたがきっと高い地位にのぼるにちがいない。それで、いま、もう一度はっきり言っておきたいのだが、そなたに殿さまの奥方になってもらいたいのです。――そうです、雪子。わたしは、自分が成仏したい願いにも増して、このことを願っているのです。……ああ、うっかり忘れるところだった。――そなたにひとつ、してもらいたいことがある、雪子。そなたも知ってのとおり、お庭に、おととし|大和《やまと》の吉野山から、こちらへ持ってきた八重桜がある。いまが花盛りだと聞いているが、……その花をひどく見たかったのだよ。もうしばらくで、わたしは死んでしまうのだが、死ぬまえに、ぜひあの木が見たい。さあ、わたしをお庭へ連れていっておくれ。――いますぐに、雪子、――その桜の木が見えるようにね。……そうです、そなたの背中におぶってね、雪子……おぶっておくれ……」
こう言っているうちに、奥方の声は、しだいにはっきりとなり、強まってきて、あたかも、はげしい望みが、新しい力をあたえたようであった。それから奥方は、とつぜんわっと泣きだした。雪子は、どうしてよいかわからないので、じっとひざまずいていたが、大名はうなずいて、承諾の意をしめした。
「あれの、この世での最後の願いだ」と大名は言った。「あれは、かねがね桜の花が好きだった。で、あの大和桜が咲いているのを、ひどく見たがっているのだ。さあ、雪子、あれの望みどおりにしてやれ」
子供がすがりつけるよう、乳母が背をむけてやるように、雪子は、奥方のほうに肩を出しながら言った。
「奥方さま、さあ、どうぞ。どういたしたらよいか、おっしゃってくださいませ」
「では、こうして」と|瀕《ひん》|死《し》の奥方は、雪子の肩にすがりつき、ほとんど人間|業《わざ》とは思えぬ力をふりしぼって立ちあがりながら答えた。ところが、まっすぐに立つと、すばやく、そのやせた両手を、雪子の肩ごしに着物の下へさしこんで、雪子の乳房をつかんだ。そして、いやな声をたてて、どっと笑いだした。
「とうとう願いがかなった」と奥方は叫んだ。「桜の花への願いがかなった。――でも、それはお庭の桜の花への願いではなかった!……願いがかなわぬうちは、とても死にきれなかったが、いま、その願いがかなった。……ああ、ほんとにうれしい」
こう言うと奥方は、身をかがめている雪子のうえに、どっと倒れかかって死んだ。
侍者たちは、すぐ雪子の肩から死体を持ちあげて、寝床のうえに寝かそうとした。ところが、ふしぎなことには、見たところ何でもないようなこのことが、なかなかできなかった。冷たい両手は、なんとも訳のわからぬふうに、雪子の乳房にくっついていて、そのまま生きた肉となったようだった。雪子は、こわいのと痛みのために、気をうしなってしまった。
医者が呼ばれたが、どうしてこうなったのか、わからなかった。普通のやりかたでは、死んだ奥方の手を、そのいけにえになった雪子のからだから、引きはなすことはできなかった。――なにぶん、両手がしっかりくっついているので、むりに離そうとすると、血が出るのだった。これは指がつかんでいるためではなくて、手のひらの肉が、なんとも訳のわからぬ工合に、乳房の肉にくっついているためであった。
当時、|江《え》|戸《ど》でいちばん腕のある医者は、外人で――オランダの外科医だった。で、この医者を招くことになった。念入りに見たのち、医者は、どうもこんな病のたちは自分にはわからないが、即刻雪子を救うのには、死体から両手を切断するよりほかには、ほどこす|術《すべ》はないと言い、乳房から両手を離そうとするのは危険であると、断言した。医者の忠告はいれられて、両手は手首のところから切断された。しかし、手は乳房にくっついたままで、まもなく、それは死んでから久しくたった人の手のように、黒ずんで|乾《ひ》からびてしまった。
しかし、これは恐ろしいことの、はじまりにすぎなかった。
見かけたところ、この両手は、しなびて血の気がないようであったが、死んではいなかった。ときどき、そっと――大きな灰色の|蜘蛛《くも》のように動くのだった。そのあと毎晩――いつも|丑《うし》の|刻《とき》にはじまるのだが――その両手は乳房をひっつかみ、おしつけ、責めさいなむのだった。そして|寅《とら》の刻になって、ようやく痛みがやむのである。
雪子は髪を切って、|托《たく》|鉢《はつ》の|尼《に》|僧《そう》となり、法名を脱雪とあらためた。亡くなった奥方の|戒名《かいみょう》――「妙香院殿知山涼風大姉」と書いた|位《い》|牌《はい》をつくらせ、巡礼の旅には、どこにもそれを携えて行った。そして、毎日位牌のまえで、つつましやかに|亡《もう》|者《じゃ》の許しを|乞《こ》い、|嫉《しっ》|妬《と》の心がやすまるように供養をした。しかし、このような苦しみの種となっている|悪《あく》|因《いん》|縁《ねん》は、なかなか消滅しなかった。毎晩、丑の刻になると、両手はかならず脱雪を責めさいなんだ。――しかも、それが十七年以上にもおよんだということだが、それは脱雪が一夜、|下《しも》|野《つけ》の国|河《かわ》|内《ち》郡田中村の野口伝五左衛門の家に泊ったとき、最後に彼女から話を聞いた人たちの証言によるのである。これは、|弘《こう》|化《か》三年(一八四六年)のことであった。その後、脱雪の消息はまるでわからない。
[#地から2字上げ]――「霊の日本」より
和 解
京都に、一人の若侍がいたが、主君の没落のため貧乏になり、やむなく家をはなれて、遠国の国守に仕えることになった。都を去るまえに、この侍は妻を離別した。――善良で、美しい女だったが、侍は、べつな縁組によってもっと立身ができる、と信じたからである。こうして彼は、ある身分の高い家柄の娘を妻にむかえ、自分の任地へ連れて行った。
しかし、この侍が、愛情の価値などわからずに、こんなに無造作に捨て去ったのは、まだ若気の無分別な時代であり、貧乏のつらい経験をしている|頃《ころ》のことだった。彼の二度目の結婚は、幸福なものではなかった。新しい妻の性質は、かたくなでわがままだった。まもなく彼は、何かにつけて、京都時代のことを思いだし、悔恨の情にかられた。やがて彼は、自分がいまもなお、最初の妻を愛していること、――二度目の妻よりも、ずっと彼女を愛していることに気がついた。そして、自分がどんなに非道で、どんなに恩知らずであったかを、感ずるようになった。|遺《い》|憾《かん》の念はしだいに深まって、悔恨の情となり、心の休まるときはなかった。彼がつれなくした女の思い出――あのやさしい話しぶり、あの笑顔、上品で感じのよい物腰、このうえない辛抱強さなどが、たえず心につきまとって離れなかった。ときおり夢のなかで、あの幾年もの貧乏暮しのあいだ、夜も昼も働いて自分を助けてくれたときと同じように、|織機《はた》を織っている彼女の姿を見た。が、もっとしばしば見たのは、自分が捨ててきた|人《ひと》|気《げ》のない小さな部屋に、彼女がひとりしょんぼり|坐《すわ》って、あわれにも破れた|袖《そで》で、涙を隠している姿であった。おおやけの務めに出ているときでさえ、彼の思いは、つい彼女のもとにさまよってゆきがちで、そういうときには、よくあれはどうして暮し、何をしているだろうかと、われとわが胸に尋ねてみるのであった。しかし、心のなかでは、なんとはなしに、あれがほかに夫をもつはずはない、また、自分を許してくれないことは、けっしてなかろうと、思われてならなかった。それで彼は、京都に帰れるようになったら、すぐに彼女を探しだそう、――それから、彼女の許しを|乞《こ》うて連れもどし、罪滅しに、男としてできるだけのことをしてやろう、と心ひそかに決心した。しかし、幾年かは過ぎ去った。
とうとう、主君である国守の任期が満ちて、この侍も自由な身となった。「さあ、いとしいあれのところへ、帰ってゆくのだ」と、彼は自分に誓うように言った。「ああ、あれを離別したことは、なんという無情な――なんという愚かなことだったろう」彼は、二度目の妻(彼女には子供はなかった)を親元へ送りかえして、いそいで京都へ帰り、旅装をあらためる暇さえ惜しんで、すぐさま以前の連れ合いを探しにかかった。
彼女の住まっていた街に着いたときには、夜もふけていた。――九月十日の夜だった。そして都は、墓場のようにひっそりしていた。しかし、さえた月がいっさいのものを、はっきり照らしだしていたので、彼はなんの苦もなく、その家を見つけた。家は、住む者もなく荒れ果てているようで、屋根には丈の高い雑草が生えていた。雨戸をたたいたが、たれも答える者はなかった。やがて、内から戸締りがしてないことがわかったので、押しあけてはいった。とっつきの部屋には畳もなく、がらんとしていて、冷たい風が、板張りの|隙《すき》|間《ま》から吹きこんでいた。そして、月の光が、床の間の壁のぎざぎざの割れ目から、|射《さ》しこんでいた。ほかの部屋も、おなじように荒れ果てたさまを呈していた。どう見ても、この家に人が住んでいる様子はなかった。それでも侍は、住いのいちばん奥の、も一つの部屋――妻の気に入りの居間だった、ごく小さな部屋を、のぞいてみることにした。その部屋の仕切りの|襖《ふすま》に近づくと、内側に明りが見えるので、びっくりした。侍は襖をあけて、喜びのあまり声をたてた。というのは、そこに彼女が――|行《あん》|燈《どん》の光で縫い物をしているのが、目についたのだ。その瞬間、彼女の目が、彼の目とぴったり会った。そして|嬉《うれ》しそうにほほえみながら、彼に|会釈《えしゃく》した。――ただ、「いつ京都へお帰りになりまして? あんな暗い部屋を通って、どうしてこのわたしのところへ、お出でなさいましたの?」と尋ねた。歳月のために、彼女はすこしも変っていなかった。今もなお、いちばんなつかしい思い出のなかの彼女とすこしも変らず、美しく若く見えた。――しかし、どの思い出よりも快く、彼女のなんとも言えぬ美しい声が、うれしいおどろきのために震えをおびて、彼の耳にひびいたのであった。
そこで、侍は嬉しそうに彼女のそばに坐って、一部始終のことを話した。――どんなに深く、自分のわがままを悔いたか、彼女がいなくて、どんなに自分がみじめであったか、どんなに始終彼女と別れたことを残念に思ったことか、どんなに長いあいだ償いをしたいと思って、いろいろ工夫したことか。――こう話すあいだにも、彼女を|愛《あい》|撫《ぶ》して、何度も何度も彼女の許しを|乞《こ》うのであった。すると彼女は、彼が心で願ったとおり、愛情ぶかい優しい様子で彼に答えて、そんなにわが身を責めるのは、やめていただきたい、と頼んだ。わたしのために、苦しみなさるのはいけません。あなたの妻となるだけの資格がないと、かねがね感じていたのですから、と彼女は言った。それでも、あなたがわたしと別れたのは、ただ貧乏のためだったことは、知っておりました。それにいっしょに暮していたじぶん、あなたはいつも親切でした。それで、たえずあなたの幸福を祈ってきました。しかし、償いをすると言われるような理由が、かりにあるとしても、こうしてお訪ねくださったことが、ありあまるほどの償いです。――たとい、ほんの|束《つか》の|間《ま》であるにしても、こうしてふたたび会われることにもまさる仕合せが、ありましょうか、と彼女は言った。「ほんの束の間だって!」と彼は、うれしそうに笑いながら答えた。「いや、それどころか、まあ|七生《しちしょう》のあいだほどもだよ。ねえ、おまえがいやでないなら、もどって来て、いつまでも、いつまでも、おまえといっしょに暮そうと思うよ。どんなことがあっても、もう二度と別れはしないよ。今では、自分には、財産もあれば友もいる。貧乏なんか恐れるにはおよばん。あす、わしの持ち物をここへ運ぼう。また召使たちも来て、おまえの世話をするよ。そして、みんなでこの家をきれいにしよう。じつは今晩」と侍は、言訳をするように、つけ加えた。「こんなにおそく――着物も着かえずに来たのは、ただおまえと会ってこのことを話したい、とばかり思ったからだ」彼女はこれらの言葉を聞いて、たいそう喜んだようであった。そして今度は彼女のほうから、侍が立ち去ってから、京都におこったいろいろなことを、すっかり話してきかせた。――ただ、自分の悲しかったことだけは口にださず、その話はやさしく拒んだ。二人は、ずっと夜のふけるまで、語りあった。それから彼女は、南むきの、もっと暖い部屋――以前に彼らの婚礼の間だった一室に、彼を案内した。「この家には、手伝ってくれる者は、だれもいないのか」と、彼女が寝床をのべはじめると、彼は尋ねた。「はい」と、彼女は晴やかに笑いながら答えた。「召使はおけませんでした。――それで、まったく一人で暮しておりましたの」「あすになれば、召使がたくさん来るよ」と彼は言った。「よい召使がね。――それから、ほかにおまえの入用な物はなんでもだよ」二人は、横になって休んだ。が、眠るためではなかった。たがいに語りたいことが、山ほどあったのだ。――二人は、過ぎ去ったこと、現在のこと、行末のことを、夜がしらむまで語りあった。それから侍は、われ知らず目を閉じて眠った。
目をさますと、日の光が雨戸の|隙《すき》|間《ま》からさしこんでいた。そして、まったく驚いたことには、侍は|朽《く》ちかけた床の、むきだしの板のうえに横たわっているのだった。……自分は、ただ夢をみていたのだろうか? いや、彼女はそこにいる――眠っている。……彼は、彼女のうえに身をかがめて――見た。そして、きゃっと叫び声をあげた。――眠っている女には、顔がなかったのである!……彼のまえには、ただ|経帷子《きょうかたびら》につつまれた女の|死《し》|骸《がい》が――もうすっかり朽ちはてて、骨と乱れた長い黒髪のほかには、ほとんど何も残っていない死骸が、横たわっているだけだった。
ぞっと身をふるわせ、むかつくような|厭《いや》な気持で日の光のなかに立つと、氷のような|戦《せん》|慄《りつ》が、しだいに堪えがたい絶望、|烈《はげ》しい苦痛にかわってゆき、侍は、自分を|嘲笑《ちょうしょう》する疑惑の影をつかみたいと思った。そこで、この近辺のことは何も知らないふうをよそおって、妻が住んでいた家へゆく道を尋ねてみた。
「あの家には、だれもいませんよ」と、問われた人は言った。「もとは、数年まえに都を去ったお侍の、奥方のものでした。そのお侍は、出かけるまえに、ほかの女をめとるため、その奥方を離別したのです。それで、奥方はたいそう苦にされ、そのため病気になりました。京都には身寄りの人もなく、世話してくれる者もありませんでした。そして、その年の秋――九月十日に亡くなられました……」
[#地から2字上げ]――「影」より
普賢菩薩のはなし
むかし、|播《はり》|磨《ま》の国に、|性空上人《しょうくうしょうにん》という、たいへん信仰のあつい、学識のある僧が住んでいた。ながねんのあいだ、|法華経《ほけきょう》のなかの|普《ふ》|賢《げん》|菩《ぼ》|薩《さつ》のくだりに、毎日ふかく思いをひそめて、あの経文に述べてあるような姿のままの|現身《うつしみ》の普賢菩薩を、いつか拝めるようになりたいものだと、毎朝毎夕いつも祈っていた。
ある晩のこと、お経をあげていると、眠気をもよおしてきたので、そのまま|脇息《きょうそく》にもたれて眠った。やがて夢をみた。そして、夢のうちに声があって、普賢菩薩が見たければ、|神《かん》|崎《ざき》の町に住んでいる「遊女の長者」として知られている、ある遊女の家に行け、と彼に告げた。目がさめると、すぐさま彼は神崎へ行く決心をした。――そして、できるだけ道をいそいで、翌日の夕方には、その町に着いた。
その遊女の家にはいって行くと、すでにおおぜいの人たちが集まっていた。たいていは都の若者たちで、この女の美しいという評判をきいて、神崎へ引きよせられてきた者たちであった。彼らは酒宴の最中で、遊女は小鼓を打っていたが、なかなか上手で、それに合わせて歌をうたっていた。その歌は、むろずみの町にある名高い神社のことをうたった日本の古い歌で、その文句はこうであった。
[#ここから2字下げ]
|周《す》|防《おう》むろずみの中なるみたらいに
風は吹かねど
ささら波たつ
[#ここで字下げ終わり]
その声が美しいので、みんなおどろきかつ喜んだ。すこし離れたところにいた僧が、その歌に耳をかたむけて、ひどく感じいっていると、女はとつぜん僧に目をとめて、じっと見すえた。と同時に、女の姿が、宇宙のはてまでも貫くかと思われるばかりの光を|眉《み》|間《けん》から放ちながら、|六《ろく》|牙《が》の白象に乗った普賢菩薩の姿に変ったのが、僧の目にうつった。そして、なおも遊女は歌いつづけたが、その歌は先のとは変っていて、その文句は、僧の耳には、こんなふうに聞えた。
[#ここから2字下げ]
|実《じつ》|相《そう》|無《む》|漏《ろ》の大海に
|五《ご》|塵《じん》|六《ろく》|欲《よく》の風は吹かねど
|随《ずい》|縁《えん》|真《しん》|如《にょ》の浪たたぬ時なし
[#ここで字下げ終わり]
きよらかな光に目をくらまされて、僧は目をつぶったが、|目《ま》ぶたを通して、なおも菩薩の姿がはっきり見えた。が、ふたたび目をあけてみると、姿は消えて、小鼓をもった女の姿が見え、むろずみの水の歌が聞えるばかりだった。しかし、目をつぶるたびごとに、|六《ろく》|牙《が》の象に乗った普賢菩薩の像が見え、|実《じつ》|相《そう》|無《む》|漏《ろ》の大海をうたった神秘の歌が、聞えてくるのであった。そこに居合わせたほかの人たちには、ただ遊女が見えるだけで、そのようなまぼろしは見えなかったのである。
それから、歌い|女《め》はとつぜん宴席から見えなくなった。――いつどうして消えたのか、だれもわからなかった。その瞬間から、飲み騒ぎはやんだ。そして、歓楽は陰気なものに代った。女を待って探してみたが、むだだったので、一座の者たちは、ひどく残念がりながら散ってしまった。僧は、その晩の歓楽のさまに、心がまどって|呆《ぼう》|然《ぜん》としながら、いちばん後から立ち去った。ところが、門を出るか出ないうちに、遊女が彼のまえに現われて言った。「ねえ、今晩ごらんなさったことは、だれにも言ってはなりませんよ」こう言うと、女は消えうせた。――あとには、かんばしい香が、あたりに満ちていた。
以上の物語を書いた僧は、それに次のような|註釈《ちゅうしゃく》を加えている。欲望を満足させる遊女の身は、いやしくて惨めである。だから、こんな女が|菩《ぼ》|薩《さつ》の化身だなどと、だれが想像できよう。しかし、|仏《ぶつ》|陀《だ》や菩薩がこの世で数かぎりなく違った姿となって現われることを、忘れてはならぬ。人々を真実の道にみちびいて、迷妄の危険から救うために役立つ場合には、仏の慈悲の目的のために、どんなに下等な|賤《いや》しむべき姿でも選ぶものである。
[#地から2字上げ]――「影」より
衝立の乙女
ふるい日本の作者、|白《はく》|梅《ばい》|園《えん》|鷺《ろ》|水《すい》はいう。――
「支那と日本の書物には、絵があまり美しいので、観る人に魔術的な影響をあたえるという、古今にわたる話がたくさん載っている。そして、このような美しい絵について、――それが名高い画家のかいたものなら、|花鳥《かちょう》の絵であろうと、人物の絵であろうと、――画中の動物や人物の姿が、描かれている紙や絹地からはなれて、さまざまなことをする。――そこで絵が、じっさい自分の意志どおりに生きるようになるものだ、とさらに述べてある。むかしから、だれにも知られているこの種の話を、ここでまた繰りかえすことはしまい。しかし、いまの世でも、|菱《ひし》|川《かわ》吉兵衛のかいた絵――『菱川の絵姿』の評判は、この国ではずいぶん広まっている」
鷺水は、こう言ってから、すすんでそのいわゆる絵姿の一つについて、次のような話を述べている。
京都に、|篤《とつ》|敬《けい》という、若い書生がいた。彼は、|室《むろ》|町《まち》という通りに住んでいた。ある夕方のこと、篤敬は人をたずねて家にかえる途中、ある古道具屋の店先に売物にでている古い|衝《つい》|立《たて》に、ふと目をひかれた。それは紙張りの衝立にすぎなかったが、そのうえに描いてある若い女の全身像が、この若者の心をとらえたのであった。価をきいてみると、ひじょうに安かった。篤敬は、その衝立を買って、うちに持ってかえった。
自分の部屋で、ひとりでふたたび衝立を眺めてみると、その絵が前よりもずっと美しく見えるようであった。あきらかに、それはほんとうの似顔――十五、六の小娘の絵姿であった。そして、そこに描かれている髪や目やまつげや口の、細かいところまでがすべて、ほめる言葉もないほど、みごとにかつ真に迫るようにかいてあった。まなじりは「愛をもとめる|芙《ふ》|蓉《よう》のよう」であり、唇は「|丹《たん》|花《か》のほほえみのよう」であった。若い顔ぜんたいが、なんとも言えないほど美しかった。そこに描かれているもとの娘が、これと同じように美しかったら、その娘を見て思いをよせない者はないだろう。そして篤敬は、その娘はきっとこの絵のように美しかったにちがいないと思った。というのは、その絵姿は、だれでも話しかける人に、いまにも返事をするかと思われるくらい、生きているように見えたからであった。
その絵を眺めつづけていると、しだいにその絵の美しさに心を魅せられてゆくのを覚えた。「いったい、この世の中にこんなに美しい人が、ほんとにいるだろうか」と、篤敬はひとりつぶやいた。「ほんのしばらくでも(日本の作者は『露の間も』と言っている)自分の腕にこの娘を抱くことができたら、よろこんで自分のいのちを――いや、千年のいのちでも、ささげるのだが」つまり、彼はこの絵を恋するようになったのである。――その絵に描いてある人よりほかのどんな女にも、けっして思いをかけることなどできないと感ずるほど、恋したのであった。とはいうものの、その人がまだ生きているとしても、もうこの絵には似ていないだろう。おそらく、その女は、自分が生れるずっと以前に葬られているだろう。
それにもかかわらず、この望みのない恋ごころは、日にまし募るばかりだった。食べることも、眠ることもできなくなった。また、これまで興味をもっていた学問にも、心を打ちこむことができなかった。彼は、幾時間も絵のまえに|坐《すわ》りつづけて、ほかのことは何もかも放りっぱなしにするか、あるいはうち忘れて、その絵に話しかけるのだった。そして、とうとう病気になったが、自分でも、きっと死ぬだろうと思うほどの、大病だった。
さて、篤敬の知り合いのなかに、一人の尊敬すべき学者がいて、この人は、古い絵や若い人の心事について、いろいろめずらしいことを知っていた。この老学者が、篤敬の病気のことを聞いて、見舞にやってきた。そして、|衝《つい》|立《たて》を見ると、ことの起りを了解した。それから、篤敬は問われるままに、いっさいのことを老学者に打ちあけて、こう言った。「このような女が見つからねば、死んでしまいます」
老人は言った。
「この絵は、菱川吉兵衛が描いたものだ。――写生したものだ。そこに描いてある人は、もうこの世にはいない。しかし、菱川吉兵衛は、その女の姿ばかりでなく心もかいたそうで、女の魂はまだ絵のなかに生きていると言われている。それで、あんたはその女を手にいれることができると思うよ」
篤敬は床からなかば身をおこして、相手の顔をじっと見つめた。
「あんたは、その女に名をつけてやらねばならん」と、老人は言葉をつづけた。「そして、その絵のまえに毎日すわって、しょっちゅうその女のことばかり思いつづけ、あんたがつけた名前で、やさしくその女を呼んでみるのだよ。――女が返事をするまでね……」
「返事をしますか」思いこがれた若者は、息もつけぬほどおどろいて言った。
「そうとも」と助言者は答えた。「女はきっと返事をするよ。しかし、女が返事をしたら、わしがこれから言う品を贈るように、用意しておかねばならん」
「自分のいのちでも、女にやりますよ」と篤敬は叫んだ。
「いや」と老人は言った。「百軒のちがった酒屋で買った酒を一ぱい、女にさし出さねばならん。そうすると、女がその酒をうけに衝立から出てくる。それから先どうすればよいか、たぶん女が、自分であんたに言ってくれるだろう」
そう言って、老人は帰っていった。その助言で、篤敬は絶望から救われた。すぐさま、彼は絵の前にすわって、その娘の名(何という名であったか、日本の作者は言い忘れている)を呼んで、何度も何度も、たいへんやさしく繰りかえした。その日は、返事はなかった。その翌日も、さらに翌々日も返事がなかった。しかし、篤敬は信念も忍耐も失わなかった。それから、幾日もたったあとで、とつぜんある夕方のこと、絵の女が、呼ばれた名前に答えた。
「はい」
そこで、すばやく篤敬は、百軒のちがった酒屋から買ってきた酒を、小さな|盃《さかずき》についで、うやうやしくさし出した。すると、娘は|衝《つい》|立《たて》から出てきて、部屋の畳のうえを歩き、篤敬の手から盃をうけるためにひざまずいて、気持のよいほほえみを浮かべながら、こう尋ねた。
「どうして、そのようにわたしを慕ってくださいますの?」
日本の作者は言う。「彼女は、絵よりもはるかに美しかった。――|爪《つめ》の先までも美しく、心も気だてもまた美しく、この世のだれよりも美しかった」篤敬が、女の問にたいしてなんと答えたか、書いてない。それは想像にまかしてある。
「でも、じきにお飽きになるのではございませんの?」と彼女は尋ねた。
「生きているあいだは、けっして」と、彼はきっぱりと言った。
「それからあとは――?」と彼女は、かさねて尋ねた。――日本の花嫁は、一生のあいだの愛だけでは満足しないのである。
「おたがいに誓いましょう」と彼は懇願した。「|七生《しちしょう》のあいだ変らぬと」
「あなたが、つれなくなさるようなことがありますれば」と彼女は言った。「わたしはまた衝立へもどって行きますから」
彼らはたがいに誓った。わたしは、篤敬は善良な若者であったと思う。なぜかというと、花嫁は衝立へ帰らなかったからである。衝立のうえの、女のもといたところは、空白のままであった。
日本の作者は、声を大きくして言う。
「この世に、こんなことが起るのは、まったくめずらしいことである」
[#地から2字上げ]――「影」より
死骸に乗る者
からだは氷のように冷たく、心臓はずっと前から鼓動しなくなっていた。それでも、ほかに死んだという徴候は、すこしもなかった。だれ一人として、その女を埋葬しようという者はなかった。女は、離別されたのを、悲しみかつ怒って、死んだのだった。で、その女を埋葬しようとしても、むだであったろう。なぜかというと、死にかけている者が|復讐《ふくしゅう》したいと願う、いまわのきわの最後の一念は、いつまでも消えることはなく、どんな墓でも|微《み》|塵《じん》にし、どんなに重い墓石でも、割ってしまうからである。女が横たわっている家の近くに住んでいる人たちは、わが家から逃げ去った。自分を離別した人が帰ってくるのを、女がひたすら待っていることを、人々は知っていたのである。
女が死んだとき、男は旅に出ていた。帰ってきて、事の|顛《てん》|末《まつ》を聞かされると、男はぞっと|怖《おじ》|気《け》をふるった。「なんとかして、日暮まえに助けてもらえぬと」と彼はひとり思案した。「あの女に八つ裂きにされるだろう」まだ|辰《たつ》の刻だったが、一刻も猶予してはいられぬことを、男は知っていた。
男はすぐ|陰《おん》|陽《よう》|師《じ》のところへ行って、助けを|乞《こ》うた。陰陽師は、死んだ女の話を知っていた。そして、その|死《し》|骸《がい》も見ていた。彼は依頼の男に言った。「あんたの身には、たいへんな危難が迫っていますぞ。まあ、わしが、助かるようにやってみましょう。だが、なんでもわしの言うとおりにすると、約束してもらいたい。あんたの助かる|途《みち》はたった一つしかない。そりゃ恐ろしいやりかたです。しかし、あんたにそれをやろうという勇気がなけりゃ、女はあんたを八つ裂きにしてしまいますぞ。勇気があるなら、夕方、日の暮れぬうちに、もう一度、わしのところへお出でなさい」男はぞっと身ぶるいした。が、なんでも言われるままにすると約束した。
日暮になると、陰陽師は男とつれだって、死骸のおいてある家へ行った。陰陽師は雨戸を押しあけて、依頼の男に、はいるように言った。あたりは、刻々と暗くなっていた。「とてもだめです」と男は、頭から足の先まで、わなわな震わせながら、息をあえいで言った。「とても、女を見る勇気さえありません」「顔を見るどころか、それ以上のことをせねばならん」と、陰陽師はきっぱり言った。「あんたは、言うとおりにすると、約束されたんだ。さあ、おはいり」彼は、ふるえている男を、むりに家のなかへ入れて、死骸のそばに連れていった。
死んだ女はうつぶせに寝ていた。「さあ、女のうえにまたがりなさい」と陰陽師は言った。「そして馬に乗るように、背中にしっかりまたがるのです。……さあ、そうしなくちゃいかん」男はたいへん震えていたので、陰陽師は支えてやらねばならなかった。――ひどく震えたが、男はそのとおりにした。「さあ、髪の毛を手にもって」陰陽師は命じた。「半分は右手に、半分は左手に。……そうです!……手綱のように、しっかりつかむんです。髪を手に巻いて――両手に――しっかりと。そう、そのとおり!……よろしいか! 朝までそうしているのですぞ。夜中に恐ろしいことがおこる――きっと。だが、どんなことがおころうと、髪を放してはなりませんぞ。もし放したら、――ほんの|束《つか》の間でも――女はあんたを八つ裂きにしますぞ」
陰陽師は、それからなにか霊妙な文句を、|死《し》|骸《がい》の耳にささやいて、馬乗りになっている男に言った。「さあ、わしの都合で、あんた一人を、女のもとにおいて行かねばならん。……このままにしているんですぞ!……何はさておき、女の髪の毛を放さぬよう、気をつけねばなりませんぞ」そう言って、陰陽師は、うしろの戸を閉めて、出ていった。
幾時間も幾時間も、男は暗たんとした不安につつまれたまま、死骸のうえにまたがっていた。夜の静けさはあたりにだんだん深まっていって、とうとう男は叫び声をだして、その静けさを破った。するとたちまち、下の死骸は、男を振り落すように、おどりあがった。そして死んだ女は、大声でわめきだした。「おお、なんて重いんだろう! でも、あいつを今、ここへ連れて来てやろう!」
それから、女はすっとばかり立ちあがって、戸口へ飛んでゆき、あらあらしく戸をあけて、男を背負ったまま、|夜《よ》|闇《やみ》のなかへ走りでた。しかし、男は目を閉じ、うめき声すら立てられないほど恐怖におそわれながらも、両手に長い髪の毛を、固く固く巻きつけたままでいた。どれほど女が行ったか、男は知らなかった。男は何も見なかった。ただ|暗《くら》|闇《やみ》のなかに、女のはだしの足音がピチャピチャ、ピチャピチャいうのと、走りながらヒュウヒュウいう、女の息づかいとが、聞えるばかりだった。
とうとう女は引き返して、家のなかへ|駈《か》けこみ、まったく最初のとおりに床のうえに寝た。鶏が鳴きはじめるまで、男のしたで、あえいだり、うめいたりした。それからあとは、しずかに寝ていた。
しかし男は歯をがたがたさせながら、朝になって陰陽師が来るまで、女のうえにまたがっていた。「そのようにして、髪を放さなかったのだね」と、陰陽師はたいへん|嬉《うれ》しそうに言った。「それでよろしい。……さあ、立ちあがってよろしい」彼はまたもや、|死《し》|骸《がい》の耳のなかにささやいて、それから男にむかって言った。「さぞかし、恐ろしい晩を過されたことでしょう。だが、ほかには、あんたを救う|途《みち》はなかったのです。これからはもう、女の仕返しの心配はせんでもよろしい」
この話の結末は、道義的に言って、どうも満足なものとは思えない。死骸に乗った男が気が狂ったとも、髪の毛が白くなったとも記されていない。ただ、「男泣く泣く陰陽師を拝しけり」と語られているだけである。この物語につけてある|註《ちゅう》も、同様につまらぬものである。日本人の著者は言う。「その人〔死骸に乗った男〕の孫、今に世にあり。またその陰陽師の孫も、大宿直〔たぶんおおとのいむら[#「おおとのいむら」に傍点]というのであろう〕という所に、今に有なりとなむ、語り伝えたるとや」
この村の名は、今日のどの地名録にも見当らない。それは多くの町や村の名が、上の物語が書かれてから、変っているからである。
[#地から2字上げ]――「影」より
鮫人の感謝
|近江《おうみ》の国に、|俵《たわら》|屋《や》|藤《とう》|太《た》|郎《ろう》という人が住んでいた。家は|石《いし》|山《やま》|寺《でら》という名高い寺から、あまり遠くない|琵《び》|琶《わ》|湖《こ》の岸にあった。相当な財産があって、あんらくに暮していたが、二十九歳にもなって、まだ独身だった。彼のいちばん大きな望みは、ひじょうな美人をめとることだったが、まだ自分の気にかなった娘を、見つけ出せずにいたのである。
ある日のこと、藤太郎が|瀬《せ》|田《た》の長橋を渡っていると、奇妙な生き物が、欄干のかたわらに、うずくまっているのが、目にとまった。この生き物のからだは、人間に似ているが、まるで墨汁のように真黒で、顔は鬼神のようだった。目は|翠緑玉《エメラルド》のように緑色で、|鬚《ひげ》は竜の鬚に似ていた。藤太郎は、最初はひどくおどろいたが、自分を見るその緑色の目は、たいへん優しいので、ちょっとためらったあとで、思いきって、その生き物に尋ねてみた。すると、それはこう答えた。「わたしは|鮫《こう》|人《じん》でございます。つい先ごろまで、竜宮の小役人として、|八大竜王《はちだいりゅうおう》に仕えておりました。ところが、ついちょっとした過ちをいたしましたために、竜宮から解雇され、海からも放逐されました。それ以来、食べ物も手にいらず、また寝るところさえなく、このあたりを、うろついているのでございます。このわたしを、すこしでも|憐《あわ》れと|思召《おぼしめ》すなら、どうか身をよせるところを見つけ、なにか食べ物を恵んでくださいませ」
いかにも哀れな語調で、またひどくへりくだった様子で、このように懇願したので、藤太郎は心を動かされた。「わたしといっしょにおいで」と彼は言った。「庭に大きな深い池があるから、そこに好きなほどいたらよかろう。食べ物もどっさりあげるよ」
鮫人は藤太郎について家に行ったが、その池がひどく気に入ったらしかった。
それ以来、ほとんど半年ばかり、この奇妙な客は池にすんで、海の生き物が好みそうな食べ物を、藤太郎から毎日あてがってもらった。
〔もとの話では、この箇所から、鮫人は怪物ではなくて、情ぶかい男性の人にしてある〕
さて、同じ年の七月に、近くの|大《おお》|津《つ》の町にある|三《み》|井《い》|寺《でら》という大きな寺に、|女人詣《にょにんもうで》があった。そして、藤太郎も、この祭礼にまいろうと、大津に出かけた。そこに集まってきたおおぜいの女や、若い娘たちのなかに、彼は、並はずれて美しい人を見かけた。歳は十六ばかりで、顔は雪のようにきれいで、清らかだった。口もとのかわいらしさは、見る人に、そのひと声ひと声が、「梅の木に鳴いている|鶯《うぐいす》のように美しく」聞えるだろう、と思われた。ひと目見るなり、藤太郎は、すっかり|惚《ほ》れこんでしまった。その娘が寺を出ると、藤太郎は適当な距離をおいて、跡をつけて行った。すると、娘と母親とは、近くの瀬田村の、ある家に二、三日|逗留《とうりゅう》していることがわかった。村の人たちに聞きただしてみると、娘の名は|珠《たま》|名《な》ということ、まだ未婚であること、それから家族の者たちは、娘を普通の身分の者のところへは、嫁にやりたがらないこと、それは、一万の宝石をおさめた小箱を、|結《ゆい》|納《のう》として欲しがっているからだ、ということもわかった。
こうした事情を耳にすると、藤太郎はひどくがっかりして、家にかえった。娘の両親が要求する思いもよらぬ結納のことを考えれば考えるほど、あの娘を妻にすることは、ますます望まれないような気がした。たとい全国中に一万もの宝石があるとしても、えらい大名ででもなければ、それを手に入れることは、望まれないのであった。
しかし、ただの一刻も、藤太郎は、その美しい人の面影を、忘れることはできなかった。食べることも眠ることもできないほど、それに悩まされた。しかも、その面影は、日がたつにつれて、ますますはっきりしてくるように思われた。それで、とうとう彼は病気になり、なかなかひどくて、|枕《まくら》から頭があがらぬくらいだった。そこで、医者を呼びにやった。
念入りに診察してから、医者はおどろいて叫んだ。「たいてい、どんな種類の病気でも、適当な療法でなおせるもんだが、恋の病だけはべつだ。ところで、あんたの病気は、あきらかに恋わずらいで、どうにも直しようがない。ずっと昔のこと、|琅《ろう》|珎《や》|王《おう》|伯《はく》|与《よ》は、この病でなくなったのだが、あんたもあの人のように、死ぬ覚悟をせにゃならん」こう言って、医者は、藤太郎に薬もやらずに帰った。
このころ、庭の池にすんでいた|鮫《こう》|人《じん》は、主人の病気のことを聞いて、藤太郎の看護をしに、家にはいってきた。そして、昼も夜も、このうえない情愛をこめて、看病するのだった。しかし鮫人は、病気の原因も、たいへん重いことも、知らなかった。が、一週間ばかりすると、藤太郎は、自分の死期の迫ったことを感づいて、こう別れの言葉を述べた。
「こうして長いあいだ、おまえの世話をすることができたのも、たがいに前世で結ばれた、何かの縁だろうと思われる。だが、わたしの病気はたいそう重いうえに、日ごとに悪くなるばかりだ。わたしのいのちも、夕べを待たずに消えてゆく朝露のようなものだ。それで、おまえのために、心を悩ましているのだ。これまで、おまえの暮しの世話をしてきたが、わたしが死んだら、だれもおまえの世話をして、養ってくれる者はなかろうと思う。……かわいそうに……ああ、このうき世では、望むことや願うことが、いつも思いにまかせぬのだ」
藤太郎がこう言うが早いか、|鮫《こう》|人《じん》はいかにも苦しそうに、異様なはげしい声をあげて、いたいたしく泣きだした。そして、泣きだすとともに、大きな血の涙が緑色の目から流れだし、黒い|頬《ほお》をつたって、床のうえに滴りおちた。落ちているうちは血だったが、落ちてしまうと、堅くて、ぎらぎらして美しい――非常に高価な宝石、|深《しん》|紅《く》の炎のような、すばらしい|紅玉《ルビー》となった。海の者たちが泣くときには、その涙は宝石となるものなのである。
やがて、藤太郎は、このふしぎな有様を見ると、非常におどろきかつ狂喜して、すっかり元気をとりもどした。彼は、寝床から跳びおきて、鮫人の涙を拾って数えはじめ、数えながら、こう叫んだ。「病気はなおった! もう死なぬ! もう死なぬ!」
そこで鮫人は、ひどくおどろいて泣きやめ、藤太郎にむかって、こんなにふしぎにも病気がなおったわけを、聞かしてくれるようにと言った。それで藤太郎は、三井寺で見かけた若い娘のことや、その娘の家の者たちが、並はずれた|結《ゆい》|納《のう》を欲しがっていることなどを、話してきかせた。「まったくのところ」と、藤太郎はつけ加えて言った。「とても一万の宝石など、手に入れることはできまいと思ったので、自分の縁組の申し入れは、望みのないものと考えたんだ。それで、ひどくがっかりしてしまって、とうとう病気になったのだ。ところが、今おまえがよく泣いてくれたので、宝石をたくさん手に入れることができた。これでわたしも、あの娘をめとることができるだろうと思う。ただ、これだけでは、まだ宝石がたりない。それで、お願いだから、いるだけの数がすっかり|揃《そろ》うように、もうすこし泣いてもらいたいのだ」
しかし、この頼みに、|鮫《こう》|人《じん》は頭をふって、あきれたような、とがめるような語調で答えた。
「わたしが、|売《ばい》|女《た》みたように、いつでも好きなときに泣けると、お考えになりますか。いえいえ、そうはまいりません。売女は男をだますために、涙を流します。ところが、海の者は、ほんとに悲しいと思わないでは、泣くことはできません。わたしがさっき泣きましたのは、あなたさまが、やがて亡くなられると考えて、ほんとに心から悲しく思ったからです。しかし、病気がなおったと言われたので、もう泣くことはできません」
「それじゃ、どうすればよいのか」と、藤太郎は悲しそうに尋ねた。「一万の宝石が手にはいらねば、あの娘をめとることはできないのだ」
鮫人は考えごとでもするように、しばらく黙っていた。それからこう言った。
「まあ、お聞きください。きょうはこれ以上、どうしても泣けません。しかし、あした酒と|肴《さかな》とを持って、ごいっしょに瀬田の長橋にまいりましょう。しばらく橋のうえで休んで、酒を飲み肴を食べながら、そのあいだに、わたしは竜宮のほうをじっと眺めまして、あそこで過した楽しい日のことを思いだし、故郷を恋いしたう気持が|湧《わ》いてきて――泣けるようにいたしましょう」
藤太郎は、喜んで承諾した。
あくる朝、二人は酒と肴とをたくさん持って、瀬田の橋に出かけ、そこに腰をおろして、酒宴を張った。したたか酒を飲んでから、|鮫《こう》|人《じん》は竜宮国のほうを見つめて、昔のことを思い出しはじめた。すると酒の力で、しだいに心がやわらいできて、楽しかった日のことがしきりに思い出され、鮫人は悲しい気持で胸がいっぱいになった。そして、せつない望郷の念が急におそってきたので、彼はぞんぶんに泣くことができた。そして、彼が流した大きな赤い涙は、紅玉の雨となって、橋のうえに落ちた。そこで藤太郎は、紅玉が落ちてくるのを拾いあつめ、それを小箱のなかへ入れて数えたが、とうとう、その数が一万に達した。それで彼は、|嬉《うれ》しさのあまり、叫び声をあげた。
ほとんどそれと同時に、はるか湖上のかなたからたのしい楽の音が聞えてきた。そして、沖のほうには、なにか雲の楼閣のように、落日の色にそめられた宮殿が、湖水からゆっくり浮びあがってきた。
すぐさま鮫人は、橋の欄干のうえに飛びあがってそれを眺め、歓びのあまり声をあげて笑った。それから、藤太郎のほうをふりむきながらこう言った。
「きっと竜宮国で、大赦が布告されたに違いありません。王さまたちが、わたしをお呼びです。それで、ただいま、お別れいたさねばなりません。いくぶんなりとも、御高恩にむくいる機をえましたことを、うれしくぞんじます」
こう言うと、鮫人は橋から飛びおりた。それ以来、ふたたび彼の姿を見た者はなかった。けれども、藤太郎は、紅玉の小箱を珠名の両親におくって、彼女を妻にしたのであった。
[#地から2字上げ]――「影」より
約 束
「この秋早々には、帰ってくるよ」今から数百年も以前のことであるが、|赤《あか》|穴《な》|宗《そう》|右衛《え》|門《もん》が、義弟の|丈《はせ》|部《べ》|左《さ》|門《もん》に、別れをつげるときに、こう言った。時は春で、所は|播《はり》|磨《ま》の国の|加《か》|古《こ》村だった。赤穴は|出雲《いずも》の侍で、郷里を訪ねようと思っていたのである。
丈部はこう言った。
「兄上のお国の出雲――八雲立つ出雲の国は、たいそう遠うございます。それで、いつここへお帰りになるか、しかとした日取りを御約束なさるのは、むつかしゅうございましょう。しかし、もしその日がはっきり伺えますれば、たいへん仕合せにぞんじます。そうしますれば、お迎えの宴の用意もでき、また門口で、お帰りを待ちうけることもできましょうから」
「さあ、そのことなら」と赤穴は答えた。「わたしは、旅にはよく慣れているので、どこそこまで、どのくらいかかるかも、たいてい前もって言えるので、しかとした日にここへ帰ると約束しても、間違えはしない。|重陽《ちょうよう》のめでたい日にしたらどうだろう?」
「それは九月の九日ですね」と丈部は言った。「そのじぶんには、菊の花も咲いていましょうから、ごいっしょに菊見にも行けるわけですね。さぞかし、楽しいことでございましょう。……では、九月の九日にお帰りになることを、約束してくださいますね」
「そう、九月の九日にね」と、赤穴はくりかえして言い、ほほえみながら別れを告げた。それから、播磨の国の加古村をあとに、ゆうゆうと旅立った。――丈部左門と母親とは、目に涙をうかべながら、彼を見送った。
日本の古い|諺《ことわざ》に「月日に|関《せき》|守《もり》なし」という。早くも幾月かすぎ去って、秋がきて、菊の季節となった。そして、九月九日の朝早くから、丈部は義兄を迎える用意をした。いろいろな|御《ご》|馳《ち》|走《そう》をととのえ、酒を買い、座敷をかざり、そして、床の間の花瓶には、二色の菊の花をいけた。すると母は、そばからじっと眺めながら、こう言った。「ねえ、おまえ、出雲の国は、ここから百里のうえもあるのだよ。それに、あそこからは山越しの旅で、なかなか骨がおれて、容易ではないよ。で、赤穴がきょう来れるかどうか、あてにはならん。そんな手のかかる用意は、いっさい、あの人の帰りを待ってからにしては、どうかね?」「いいえ、母上」と丈部は答えた。「赤穴どのは、きょうここへ帰ってくると、約束されました。兄上が、約束を破られるはずはございません。それに、兄上がここへ着かれてから、用意しはじめるのを見られたら、わたしたちが兄上の言葉を疑っていたことが知れて、こちらの面目がつぶれてしまいます」
美しく晴れた日であった。空には一点の雲もなく、大気は澄みわたって、天地はいつもより、千里も広くなったように思われた。朝のうち、たくさんの旅人が村を通った。なかには、侍もまじっていた。丈部は、来る人ごとに目をくばっていたが、赤穴がやってきたと思ったことが、一再でなかった。しかし、寺の鐘が正午を報じても、赤穴は姿を現わさなかった。丈部は、午後もずっと、見張りながら待っていたが、むだであった。日は沈んだ。が、やはり、赤穴の来るような気配はなかった。それでも、丈部は門口に立ったまま、往来を眺めていた。それから、しばらくしてから、母が彼のそばへやってきて、こう言った。「ねえ、おまえ、男心というものは――諺にも言うとおり――秋の空のように、変りやすいものだからね。しかし、その菊の花は、あすもまだ、いきいきとしているよ。で、もう寝たほうがよい。そして、なんならまた、あすの朝、見張ればよいからね」「母上、ゆっくり、お休みください」と丈部は答えた。「でも、わたしは、まだ兄上が帰ってこられると思います」そこで、母は居間に去ったが、丈部はなおも門口を去りかねていた。
夜も、昼間と同じように、澄みわたっていた。空いちめんに星がまたたき、天の川はいつになくうるわしく輝いていた。そして、村は寝しずまって、静けさを破るものは、ただ小川のせせらぎと、農家の犬の|遠《とお》|吠《ぼ》えだけだった。丈部は、なおも待っていた。――ほそい月が、近くの小山のうしろに沈むまで、待ちつづけた。このときになって、ようやく彼は、|危《き》|惧《ぐ》の念をいだきはじめた。そして、彼がちょうど家にもどろうとしたとき、はるか|彼方《かなた》に、一人の背のたかい男が、いかにも身軽に、急ぎ足で近づいてくるのが目についた。そして次の瞬間には、それが赤穴であることがわかった。
「おお!」と叫んで、丈部は飛びつくようにして、兄を迎えた。「朝から今まで、お待ちしておりました。……で、やはり、ほんとに約束を守ってくださいましたね。……でも、兄上、さぞお疲れでございましょう。――さあ、おはいりください。――万事仕度ができております」彼は赤穴を座敷の上座へ案内し、衰えていた|灯火《ともしび》を、いそいでかき立てた。「母上は」と、丈部は言葉をつづけた。「今晩、すこし疲れ気味で、もう床についております。すぐに起しましょう」すると赤穴は、頭をふって、それにはおよばぬという様子をした。「では、兄上のよいようにいたしましょう」と丈部は言った。そして、温い食べ物や酒を、旅からかえった兄のまえに出した。赤穴は、食べ物にも酒にも手をふれないで、しばらく身じろぎもせず、黙っていた。それから、母の目をさますのを恐れるように、声をひそめて、こう言った。
「さて、どうしてこのように帰りがおくれたか、そのわけを話さねばならぬ。じつは、わたしが出雲へ帰ってみると、土地の者どもは、前の藩主|塩《えん》|冶《や》侯の恩義をほとんど忘れてしまって、さきに富田城を奪いとった|僭《せん》|取《しゅ》|者《しゃ》|経《つね》|久《ひさ》の歓心を求めているのだ。ところで、わたしは|従弟《いとこ》の|赤《あか》|穴《な》|丹《たん》|治《じ》を訪ねなければならなかったが、この従弟も経久に仕え、その家臣として城内に住んでいた。従弟はわたしを説きつけて、経久に目通りさせようとした。わたしはそれに応じたが、それはおもに、一面識もないこの新しい藩主の人物を、探ろうと思ったからだ。経久はなかなか老練な武士で、ひじょうに勇猛ではあるが、|狡《こう》|猾《かつ》で残忍な|奴《やつ》である。そこでわたしは、断じてこんな男に仕えられないことを、知らしておかねばならぬと思った。ところが、奴の面前をさがると、経久は、従弟の丹治に命じてわたしを引きとめ、邸内に押しこめさせたのだ。わたしは、九月の九日には、播磨へかえる約束のあることを申し立てたけれども、行くのを許してはくれなかった。それで、夜陰に乗じて、城から逃れようと思ったが、しょっちゅう見張りをされていた。そこで、とうとう今日まで、約束をはたす|術《すべ》がなかったのだ……」
「今日までですって!」と、丈部はあっけにとられて叫んだ。「城はここから、百里以上もあるじゃありませんか」
「いかにも、そのとおりだ」と赤穴は答えた。「生きている人間は、|徒《か》|歩《ち》で一日に、百里の道を行くことはできないのだ。しかし、この約束をはたさねば、おまえによく思われまいと考えた。そして、『|魂《たま》よく一日に千里を|往《ゆ》く』という古い|諺《ことわざ》を、思いだしたのだ。さいわいにも、わたしは帯刀を許されていた。――それで、やっとおまえのところへ来ることができたのだ。……では、くれぐれも母上を大切にしておくれ」
こう言って、赤穴は立ちあがったが、それと同時に、すっと消えてしまった。
そこで丈部は、赤穴が約束をはたすために、自刃したことを知った。
未明に、丈部左門は、|出雲《いずも》の国の富田城にむかって出発した。|松《まつ》|江《え》に着くと、九月九日の晩に、赤穴宗右衛門が、城内にある赤穴丹治の家で、切腹したことを知った。そこで丈部は、赤穴丹治の家におもむき、その不信をせめて、家族のただなかで丹治を殺し、自分は微傷も負わないで逃れた。ところで、経久侯はこの話をきくと、丈部に追手をかけないように命じた。というのは、経久侯みずからは、無法で残忍な人間ではあったが、真実を愛する人々の心をうやまい、丈部左門の友情と勇気とを、嘆称することができたからである。
[#地から2字上げ]――「日本雑録」より
破 約
一
「わたし、死ぬのはいといませぬ」と|臨終《りんじゅう》の妻が言った。「いま、ただ一つだけ、気にかかることがあります。わたしのかわりに、どなたがこの家に来られるのか、知りたいのです」
「ねえ、おまえ」と、悲嘆にくれて、夫は答えた。「だれもおまえのかわりなど、この家に入れはしないよ。わたしは、けっして再婚などはしないから」
こう述べたとき、夫は本心から話したのであった。死にかけている妻を愛していたからである。
「武士の信義にかけて?」と妻は、弱々しくほほえみながら尋ねた。
「武士の信義にかけてもだよ」と夫は、青白くやつれた顔を|撫《な》でてやりながら答えた。
「では、あなた」と妻は言った。「わたしを、お庭のなかに埋めてくださいますね。――よろしいでしょう?――あのむこうの隅に二人で植えた梅の木のそばにね。わたし、ずっと前から、このことをお願いしたかったのですけれど、また御祝言でもなさるようなことがあれば、そんな近くに墓があるのは、おいやだろうと思ったものですから。ところがいま、わたしのかわりに、だれもお迎えなさらないと、約束してくださいました。――それで、ためらわずに、お願い申してもよいと思うのです。……わたしをほんとに、お庭に埋めて下さいますね。そうすれば、ときどき、お声も聞かれましょうし、春になれば、花も見られましょうから」
「おまえの望みどおりにしてあげよう」と夫は答えた。「しかし、いま|葬《とむら》いのことなんか言うのは、よそうではないか。まったく望みがないというほど、病気が重いわけではないのだからね」
「いいえ、だめ」と彼女は答えた。「この朝のうちに死にます。……でも、お庭に埋めてくださいますわね?」
「よいとも」と夫は言った。「二人で植えた梅の|木《こ》|蔭《かげ》にね。――そして、りっぱな墓をたててあげよう」
「それから、小さな鈴を一つくださいません?」
「鈴だって?」
「ええ。小さな鈴を一つ、|棺《かん》のなかへ入れていただきたいのです。――巡礼が持っているような小さな鈴ですよ。そうしていただけます?」
「では、小さな鈴をあげよう。――それから、ほかになんでも欲しいものがあれば」
「ほかに、欲しいものはございません」と妻は言った。「ねえあなた、あなたは、いつもわたしに、たいへん|優《やさ》しくしてくださいましたわね。で、いま、わたし、幸福に死ねますわ」
こう言って、妻は目をつぶって死んだ。――疲れた子供が寝入るように、安らかだった。美しい死顔で、顔には微笑がうかんでいた。
妻は、庭のなかの、生前好きだった木の蔭に、埋められた。そして、小さな鈴も、いっしょに埋められた。墓のうえには、家の|定紋《じょうもん》のついたりっぱな墓石が建てられ、それには「慈海院梅花照影大姉」という|戒名《かいみょう》が刻まれた。
しかし、妻が死んでから一年とたたぬうちに、侍の|親《しん》|戚《せき》や|朋《ほう》|輩《ばい》たちが、しきりに再婚を勧めだした。「あんたはまだ若い」と彼らは言った。「それに|一人《ひとり》|息《むす》|子《こ》で、子供もない。妻を持つのは、侍の義務である。もし子供がなくて死んだら、だれが祖先を祭ったり、供え物をしたりするのか」
幾度もこのような忠告をうけたすえ、侍はとうとう再婚を納得した。花嫁はわずか十七歳だった。庭のなかの墓に、無言のうちに責められる思いはしたけれど、新しい妻を、心から愛することができた。
二
結婚してから七日目までは、若い妻の幸福をかき乱すようなことは、何もおこらなかったが、その日の夜、夫は城中に出仕せねばならぬある役目を、仰せつかった。夫が花嫁をひとりだけ残して行かねばならぬ最初の晩のこと、彼女は言いようのない不安な気持になって、理由はわからないけれど、なんとなく恐ろしかった。床についても、眠られなかった。あたりの空気が妙に重苦しく、あらしの前にときおりあるような、なんとも名状しがたい重苦しさがただよっていた。
|丑《うし》の|刻《とき》のじぶんに、そとの|夜《よ》|闇《やみ》のなかに、チリンチリンという鈴の音――巡礼の鈴の音が、聞えてきた。それで花嫁は、こんな時刻に、武家屋敷を、なんの巡礼が通るのかと、いぶかしく思った。やがて、しばらく途絶えたのち、鈴はずっと近くでひびいた。あきらかに巡礼は、家に近づいて来ているのであった。――それにしても、どうして道もない裏手から来るのであろうか。……とつぜん、犬がいつもとちがった恐ろしい声で、鳴いたり|吠《ほ》えたりした。そして花嫁は、夢のこわさに似たような、恐ろしい気持におそわれた。……その鈴の音は、たしかに庭のなかだった。……花嫁は召使を起そうと思って、立ちあがろうとした。しかし、起きあがれなかった。――身動きもできなければ、声も出なかった。……そして鈴の音は、だんだん近く、さらにずっと近くなってきた。――そして、ああ、その犬の吠えかたといったら!……やがて、忍びこむ影のように、一人の女が――どの戸もかたく閉ざされ、どの|襖《ふすま》も動かないのに――一人の女が、|経帷子《きょうかたびら》をまとい、巡礼の鈴をもって、すっと部屋のなかに、はいってきた。入ってきた女には、目がなかった。――死んでから、余程になるからである。それに、乱れた髪の毛は、顔のあたりにふりかかっていた。そして、この女は、乱れた髪のあいだから、目もないのに眺め、舌もないのにものを言った。
「この家のなかに、――この家のなかにいてはならぬ。ここでは、まだわたしが主婦なのだ。出て行っておくれ。だが、出てゆくわけは、だれにも話してはならぬ。もしあのひとに話したら、そなたを八つ裂きにしてしまうぞ!」
そう言って、幽霊は消えた。花嫁は恐ろしさのあまり、気を失ってしまった。そして、明けがたまで、花嫁はそのままになっていた。
にもかかわらず、うららかな日の光のなかでは、花嫁は自分が見たり聞いたりしたことが、はたして事実だったかどうか疑った。それでも、戒められたことの記憶は、なお重く心にのしかかっていたので、まぼろしのことは、夫にもそのほかのだれにも、思いきって話せなかった。しかし、自分では、ただいやな夢を見て、そのために気持が悪くなったのだと、どうにか納得できるようになった。
しかしながら、次の晩には、もはや疑うことはできなかった。またもや|丑《うし》の刻になると、犬が|吠《ほ》えたり、鳴いたりしはじめ、またしても鈴が鳴りひびき、ゆっくりと庭のほうから近づいてきた。――またもや、これを聞きつけた花嫁は起きあがって、声を立てようとしたが、だめだった。今度も、死人が部屋にはいってきて、シュウシュウいうかすれ声で言った。
「出て行っておくれ。だが、なぜ出てゆかねばならんか、だれにも話してはならぬ。たとい、そっとあのひとに話しても、そなたを八つ裂きにしてしまうぞ!」
こんどは、幽霊は、寝床のすぐそばまでやって来てかがみこみ、ぶつぶつ言って、しかめ顔をした。……
あくる朝、侍が城から帰ると、若い妻は、夫の前にひれふして嘆願した。
「お願いでございます」と妻は言った。「こんなことを申しあげるのは、恩知らずで失礼でございますが、里に帰りとうございます。すぐに、里に帰りたいとぞんじます」
「ここで、なにか面白くないことでもあるのか」と、夫は心からおどろいて尋ねた。「わしの留守のあいだに、だれかつらく当りでもしたのか」
「そんなことはございません――」と彼女は、すすり泣きながら答えた。「こちらでは、どなたも、このうえなく優しくしてくださいました。……でも、このまま、あなたの妻になってはいられません。――お別れせねばなりません。……」
「おまえ」と、夫はひどくおどろいて叫んだ。「この家のうちで、おまえが面白くないという、なにかのいわれがあるのは、まことに心苦しい。だが、なぜおまえが出てゆきたがるのか、想像さえできないのだ。――だれもおまえに、つらく当りもしないのに。まさか、離縁してもらいたい、というのではないだろうね」
若妻は身をふるわせて、泣きながら答えた。
「離縁してくださらなければ、命がなくなります」
夫は、しばらくのあいだ黙っていた。――どうしてこんな思いもかけぬことを言いだしたのだろうかと、そのわけを思いうかべてみようとしたが、わからなかった。そこで、なんの感情も顔に出さずに答えた。
「おまえのほうに、なんの落度もないのに、いま親元へかえしては、まことに不都合な仕打ちのように思われる。おまえのそうした願いのしかとしたわけ――わしがそのことをりっぱに弁明できるような理由を、話してくれるなら、離縁状も書けようが、しかし、おまえのほうに理由がなければ――はっきりとした理由がないのでは、離縁するわけにはゆかぬ。――うちの家名が、傷つけられないようにせねばならんからね」
そこで、若妻は、話さねばならぬという気持になった。そして、何もかも打ちあけ、恐ろしさのあまり、こうつけ加えて言った。
「あなたにお知らせした以上、あの人はわたしを殺します。――きっと、わたしを殺します……」
勇敢な男で、幽霊などほとんど信ずる気になれなかったが、侍は、一時はひどくおどろいた。けれども、この事柄をかんたんで自然に解決する方策が、すぐ心に浮んできた。
「ねえ、おまえ」と夫は言った。「おまえは今、たいそう神経がたかぶっているが、だれかに、つまらぬ話を聞かされたんだろう。ただ、この家で、悪い夢を見たからと言うだけで、離縁するわけにはゆかぬ。だが、わしの留守中に、そんなふうに苦しめられていたのは、ほんとに気の毒だった。今晩もまた、わしは城に詰めていなければならんが、おまえ一人にしてはおかないよ。家来二人に言いつけて、おまえの部屋を張り番させよう。そうすれば、おまえも安心して眠れるだろう。二人ともりっぱな人だから、できるだけ気をつけてくれるよ」
こうして、夫がひどく思いやりぶかく、やさしく言ってくれたので、新妻はこわがったのを恥ずかしく思い、家にとどまることにきめた。
三
若い妻を任されて、家にとどまった二人の家来は、勇敢で誠実な大男で、女や子供たちの保護者として、経験のある者たちだった。二人は、花嫁の気を引き立てようと思って、面白い話をしてきかせた。花嫁は、ながいあいだ彼らと話したり、陽気な冗談に笑ったりして、こわいことなど、ほとんど忘れてしまった。とうとう花嫁が横になって眠りにつくと、二人の武士は、その部屋の片隅の、|屏風《びょうぶ》のうしろに座をしめて、碁をうちはじめた。そして話も、花嫁の邪魔にならぬように、小声でした。花嫁は幼児のように眠った。
しかし、|丑《うし》の|刻《とき》になると、花嫁はまたもや、恐ろしさにうめき声を立てながら、目をさました。――鈴の音が聞えたからである。……それはもう近くにきていた。そして、だんだん近づいてきた。花嫁は跳ね起きて、悲鳴をあげた。しかし、部屋のなかには、何ひとつ動くものはなかった。――ただ死のような沈黙だけで、――沈黙は広がり、――沈黙は深まるばかりだった。――花嫁は武士のところへ飛んで行った。彼らは碁盤のまえに坐っていた。――身動きもしないで、たがいに、じっと目をすえて、見つめあっていた。花嫁は、大声で二人に呼びかけた。二人をゆすぶった。が、彼らは凍りついたように動かなかった。
あとで、二人の語るところによると、彼らは鈴の音を聞いた。――花嫁の叫び声も聞いた。――彼女が自分たちをゆり起そうとしたことさえも、わかっていた。――にもかかわらず、彼らは身動きもできなければ、口もきけなかった。その瞬間から、聞くことも、見ることもできなくなって、|妖《あや》しい眠りにとりつかれたのであった。
明けがたになって、侍が花嫁の部屋にはいってみると、消えかかった|灯火《ともしび》の光で、若妻の首のない死体が、|血《ち》|溜《だま》りのなかに横たわっているのが、目についた。二人の家来は、まだ打ちかけの碁のまえに|坐《すわ》ったまま、眠っていた。主人の叫び声に、二人は跳ね起き、|床《ゆか》のうえのむごたらしい光景に、|呆《ぼう》|然《ぜん》と目を見張った。……
首はどこにも見当らなかった。――そして、そのものすごい傷からみると、それは|斬《き》り取られたものではなくて、もぎ取られたことがわかった。血のしたたりは、その部屋から縁側の角までつづき、そこの雨戸は、引き|剥《は》がされたようになっていた。三人は血の跡をたどって庭へ出た。――いちめんの草地を越え――砂場を通って――まわりに|菖蒲《しょうぶ》を植えた池の岸にそって行き、――杉や竹の陰気な|木《こ》|蔭《かげ》のしたへ出た。そして、角を曲ると、ふいに、|蝙《こう》|蝠《もり》のような声をたてる魔物と、面とむかってまともにぶつかった。埋めて久しくなる女の姿で、墓のまえにつっ立ち、――一方の手には鈴をつかみ、もう一方の手には、血のしたたる首をつかんでいた。……ほんの、しばらくのあいだ、三人はしびれたように立ちすくんだ。やがて、家来の一人が、念仏を唱えながら、刀を引き抜き、その姿めがけて切りつけた。たちまち、それは地上に崩れおち、――ぼろぼろの|経帷子《きょうかたびら》と骨と髪の毛との、むなしい破片となった。――そして、その|残《ざん》|骸《がい》のなかから、鈴が鳴りながら転がり出た。しかし、肉のない骨ばかりの右手は、手首から斬り落されながら、なおものたうち、その指はまだ、血のしたたる首をつかんで、黄色い|蟹《かに》の|鋏《はさみ》が落ちた果物をつかんで放さないように、引きむしり、ずたずたにしていた。……
「これはひどい話だ」とわたしは、この話をしてくれた友人に言った。「その死人の|復讐《ふくしゅう》は、――いやしくも復讐するのなら――男にむかってやるべきだったと思います」
「男たちは、そう考えるのですが」と彼は答えた。「しかし、それは女の考えかたではありません。……」
友人の言うことは、正しかった。
[#地から2字上げ]――「日本雑録」より
閻魔の庁にて
高僧の|文覚上人[#訳者注 文覚上人は、親鸞上人の誤記]《もんがくしょうにん》は、その著「|教行信証《きょうぎょうしんしょう》」で、こう言っている。
「人の礼拝する神は多く邪神なり。ゆえに|三《さん》|宝《ぼう》に|帰《き》|依《え》する者はこれに仕えず。かかる神に祈りて恩恵を受けたる者も、後になりて、かかる恩恵は災厄を生ずることをつねに知る」
この真理は、「|日本霊異記《にほんりょういき》」のなかに書きとめられてある一つの物語が、よく例証している。
|聖武《しょうむ》天皇の御代に、|讃《さぬ》|岐《き》の国の山田郡というところに、|布《ふ》|敷《しき》の|臣《しん》という男が住んでいた。この人には、子供は、|衣《きぬ》|女《め》という娘ひとりしかなかった。衣女はきりょうのよい娘で、からだもなかなか丈夫だったが、十八歳になるとまもなく、その地方に危険な病気がはやりだして、彼女もそれにかかった。そこで、両親や知人たちは、衣女のために、ある|疫病神《やくびょうがみ》に供え物をあげ、その神のために、うやうやしく大苦行をおこなって、娘を救ってくださるようにと、祈願をこめたのであった。
数日のあいだ、|昏《こん》|睡《すい》状態のまま横たわっていたのち、ある晩のこと、この病の娘は正気づき、自分のみた夢を両親に話した。その夢に疫病神があらわれて、こう言ったというのである。「家の者たちが、おまえのために、熱心にわしに祈り、真心こめて拝みつづけているので、ほんとにおまえを助けてやりたいと思う。しかし、そうするのには、どうしても、だれかほかの人のいのちを取って、おまえに授けるしかない。おまえと同じ名前の、ほかの娘を知っていないか」「|鵜足郡《うたりごおり》にわたしと同じ名前の娘がいるのを、おぼえております」と衣女は答えた。「その娘を、わしにさし示すがよい」と疫病神は言って、眠っている娘にさわった。すると、娘は神といっしょに空中に浮びあがった。そして、一秒もたたないうちに、娘と神とは、鵜足郡の、もう一人の衣女の家のまえにいるのであった。夜だったが、うちの人たちは、まだ床についてはいず、娘は台所で何か洗っていた。「あれが、その娘です」と、山田郡の衣女が言った。疫病神は、帯につけていた|緋《ひ》の袋から、|鑿《のみ》のような形をした、長い鋭利な道具をとりだして、家のなかへはいってゆき、その鋭利な道具を、鵜足郡の衣女のひたいに突きさした。そこで、鵜足郡の衣女は、ひどく苦しみもだえながら、床のうえにぐったり倒れた。ここで、山田郡の衣女は目がさめ、この夢の話をしたのである。
しかし、話をしてしまうと、すぐまた衣女は昏睡におちいった。それから、三日のあいだ、何もわからずにいたので、両親は、娘はとても持ち直すまいと、あきらめはじめた。すると、もう一度娘は目をあけて、ものを言った。しかし、ほとんどそれと同時に、寝床から起きあがって、物狂わしげに部屋を見まわし、「これは、わたしのうちじゃない。あなたがたはわたしの両親じゃない」と叫びながら、家から飛びだした。……
奇妙なことがおこっていた。
鵜足郡の衣女は、|疫病神《やくびょうがみ》に突きさされて、死んでいた。両親はひどく嘆き悲しみ、|檀《だん》|那《な》|寺《でら》の坊さんたちは、娘のために法要をいとなみ、|遺《い》|骸《がい》は村のそとの野原で焼かれた。それから、彼女の霊魂は、|亡《もう》|者《じゃ》の国である|冥《めい》|土《ど》へくだり、霊魂の王であり判官である|閻《えん》|魔《ま》大王の法廷に呼びだされた。しかし、大王はこの娘を見るが早いか、こう大声で言った。「この娘は鵜足郡の衣女だ。こんなに早く、ここへ連れて来るのじゃなかったんだ。すぐ|娑《しゃ》|婆《ば》へ送りかえせ。そして、もう一人の衣女――山田郡の娘を連れてこい」すると、鵜足郡の衣女の霊魂は、閻魔大王のまえに、泣きごとを言って訴えた。「大王さま、わたしが死にましてから、三日以上になります。もう今ごろは、わたしのからだは焼かれてしまったに相違ございません。それで、いまもし娑婆へ送りかえされましたら、どういたしましょう? わたしのからだは、もう灰と煙になっておりますので、――からだが、ぜんぜんございませんでしょう」「心配することはない」と、おそろしい大王は答えた。「おまえには、山田郡の衣女のからだをやろう。あの女の霊魂は、すぐここへ連れて来なければならぬのだ。おまえのからだが焼かれてしまったといって、なにも、やきもきすることはないのだ。もう一人の衣女のからだのほうが、ずっと増しなことがわかるよ」そして、こう大王が言い終るか終らぬうちに、鵜足郡の衣女の霊魂は、山田郡の衣女のからだのなかに、生き返ったのである。
さて、山田郡の衣女の両親は、病気の娘がはね起きて、「これはわたしの家ではない」と叫びながら、|駈《か》けだして行くのを見ると、娘が発狂したのだと思って、「衣女、どこへ行くのだ?――ねえ、ちょっとお待ち。病気が重いのだから、そんなに走ってはいけないよ」と叫びながら、あとを追っかけて行った。けれども、娘はみんなから逃がれ、とまらずに走りつづけて、とうとう|鵜足郡《うたりごおり》の、死んだ衣女の家まで行った。そのうちへはいると、老人たちがいた。それで、彼女はお|辞《じ》|儀《ぎ》をして、大声でこう言った。「ああ、ふたたびうちへ帰れて、ほんとにうれしい。……お父さんも、お母さんも、お変りございませんか」両親は、その女がだれだかわからなかったので、気違いだと思ったが、母親はやさしく尋ねた。「どこから来ましたか」「|冥《めい》|土《ど》からまいりました」と衣女は答えた。「わたしは娘の衣女ですよ。死んだ人たちのところから帰ってきたのです。でも、からだは前と変っているんですよ、お母さん」こう言って、娘は一部始終のことを話した。そこで、老人たちは、ひどくおどろいたけれど、どう信じてよいかわからなかった。やがて、山田郡の衣女の両親もまた、娘をさがして、この家にやって来た。そこで、二人の父親と二人の母親とが、いっしょになって相談し、その娘にもう一度話をさせ、何度もくりかえして質問した。しかし、どの質問にたいする答えぶりもしっかりしていて、彼女の話は、全くほんとうだとしか思えなかった。とうとう、山田郡の衣女の母が、病気の娘がみた奇妙な夢の話をしてから、鵜足郡の衣女の両親にむかってこう言った。「この娘の霊魂は、あなたのほうのお子さんの霊魂だということが、わかりました。しかし、御承知のように、からだはうちの子のものです。それで、この娘は両家のものとするのが、道理だと思います。で、これからは、両方の家の娘だということにしては、いかがなものでございましょう」この申し出に、鵜足郡の両親も、よろこんで賛成した。そして、その後、衣女は両家の財産を相続した、と書きしるされている。
「仏教百科全書」の日本人の著者はいう。「この話は、『日本霊異記』巻一の十二枚目の裏に書いてある」
[#地から2字上げ]――「日本雑録」より
果心居士のはなし
|天正《てんしょう》年間、京都の北のほうの街に、みんなから|果《か》|心《しん》|居《こ》|士《じ》と呼ばれている、一人の老人が住んでいた。ながい白い|顎《あご》|鬚《ひげ》をはやし、いつも神官のような身なりをしていたが、じつは仏画を見せ、仏の教を説いて、生計をたてていた。いつも天気のよい日には、|祇《ぎ》|園《おん》のやしろの境内に行って、いろいろな地獄の罰を描いた大きな掛物を、そこの木につるすのが常だった。この掛物は、じつにみごとに描いてあったので、画中のものはことごとく、生きているように見えた。そして老人は、それを見に集まってきた人たちにむかって説教をし、|因《いん》|果《が》|応《おう》|報《ほう》の理を説くのであった。――つねにたずさえている|如《にょ》|意《い》で、さまざまな責苦をいちいち細かにさし示して、すべての人が仏の教に従うように勧めた。おおぜいの人たちが集まってきてこの絵を眺め、老人の説教を聞いた。それで、ときには、喜捨を受けるために老人のまえに広げてある|茣《ご》|蓙《ざ》が、投げだされた銭の山に覆われて、見えなくなるようなこともあった。
|織《お》|田《だ》|信《のぶ》|長《なが》はその当時、京都とその付近の国々を治めていた。彼の家臣の一人の、|荒《あら》|川《かわ》という者が、祇園のやしろに|参《さん》|詣《けい》の途中、たまたまこの絵が広げられているのを見て、あとでそのことを御殿で話した。信長は、荒川の話に興味をおぼえ、人をやって、果心居士に、その掛物をたずさえてただちに御殿に参上するよう、命じさせた。
掛物を見ると、信長は、その絵がいきいきとして真に迫っているのに、驚嘆の色を隠すことができなかった。鬼や苦しめられている|亡《もう》|者《じゃ》が、目のまえでほんとうに動いているようであり、その叫び声が、絵のなかから聞えてくるような気がした。それに、そこに描いてある血も、じっさいに流れているようであった。それで彼は、その絵が|濡《ぬ》れているのではないかと、指をさし出して、さわってみないではいられなかった。しかし、指は汚れなかった。――紙はすっかり乾いていたからである。ますますおどろいて、信長は、だれがこんなすばらしい絵をかいたか、と尋ねた。果心居士は、これは有名な|小《お》|栗《ぐり》|宗《そう》|丹《たん》が、百日のあいだ、毎日|斎《さい》|戒《かい》の式をおこない、非常な|苦行《くぎょう》をつんで、霊感をさずかろうと|清《きよ》|水《みず》|寺《でら》の観音さまに一心に祈願をこめたのち、描いたものだ、と答えた。
信長が、いかにも、この掛物を手に入れたそうにしている様子を見てとって、荒川は、果心居士にむかって、この絵を贈り物として、信長公に「献上」してはどうかと言った。しかし、果心居士は、|臆《おく》するところもなく答えて言った。「この絵は、てまえが所持いたしておる|唯《ゆい》|一《いつ》の貴重な物でして、これを人さまのお目にかけて、すこしばかりの金を|儲《もう》けているのでございます。いま、これを公に献上するといたしますれば、てまえのたった一つの|糊《こ》|口《こう》の|途《みち》も、失ってしまうわけでございます。しかしながら、公がたってのお望みとあれば、これにたいして、黄金壱百両をいただくよう、お取計らいのほど、お願い申しあげます。それだけのお金があれば、なにか儲けのある商売でも、はじめられましょう。さもないと、この絵を手放すことは、おことわりいたさねばなりません」
信長は、この返答が気に入らないようで、黙っていた。やがて、荒川は公の耳に何かささやいたが、公はうなずいて、承諾の意をしめした。それから、果心居士は、すこしばかりの金をもらって、御前を引きさがった。
しかし、老人が御殿を立ち去ると、荒川はひそかに果心居士のあとをつけて行った。――よからぬ手段で、絵を奪いとる機会があるだろう、と思ったのである。やがて、その機会がきた。果心居士は、たまたま、町のむこうの高地へまっすぐに通じている道をとったからである。彼が、きゅうに道が曲った丘のふもとの、ある|淋《さび》しい場所にさしかかると、荒川につかまった。荒川は果心居士にむかって、こう言った。「どうして、貴様は、その絵に黄金百両を請求するような、欲ばったやつなのだ? 黄金百両のかわりに、この三尺の|秋水《しゅうすい》をくれてやろう」こう言って、荒川は刀を引き抜き、老人を殺して絵をうばった。
あくる日、荒川は、その掛物を、果心居士が御殿を去るまえに包んでいたそのままで、織田信長に献上した。すると信長は、ただちにそれを掛けるように命じた。ところが、広げてみると、絵はまったく消えて、ただ白紙だけなのに、信長も荒川もびっくりしてしまった。荒川は、どうしてもとの絵が消えうせたか、説明することができなかった。そして、故意であろうとなかろうと、主君をあざむく罪を犯したのであるから、処罰されることにきまった。そこで、かなり長いあいだ、幽閉を仰せつけられた。
荒川が幽閉の期を終えるか終えないうちに、果心居士が|北《きた》|野《の》神社の境内で、あの有名な絵を、人々に見せているという知らせが、彼のもとにとどいた。荒川は、ほとんど自分の耳を信ずることができなかったが、この知らせを聞くと、どうにかして掛物を手に入れ、それによって、さきほどの失策の埋め合せができるかもしれないという望みが、漠然と|湧《わ》いてきた。そこで、彼は、すばやく幾人かの手下の者を集めて、神社にいそいで行った。しかし、そこに着いたときには、果心居士はもうどこかへ行った、という話であった。
数日たってから、果心居士が、|清《きよ》|水《みず》|寺《でら》であの絵を見せながら、おびただしい群集にむかって説教をしているということが、荒川につたえられた。荒川は、大急ぎで清水寺に|駈《か》けつけたが、着いたときは、ちょうど、みんな散っているところだった。――果心居士は、またもや姿を消していたのである。
とうとう、ある日のこと、荒川は思いがけなく、ある酒屋で果心居士を見つけて、その場で捕えた。老人は、自分が捕まったのに気がつくと、ただ機嫌よく笑って、それからこう言った。
「いっしょに参りますが、すこしお酒をいただくまで、どうかお待ちください」この頼みに、荒川はなんの苦情も言わなかった。そこで、果心居士は、|大《たい》|盃《はい》で十二はいも酒を飲んで、あたりの者をおどろかした。十二はい目を飲みほすと、これで満足だと言った。それで荒川は、手下の者に果心居士を縄でしばらせて、信長のお屋敷に連れて行かせた。
御殿の取調所で、果心居士はただちに奉行から|詮《せん》|議《ぎ》され、きびしく|譴《けん》|責《せき》された。最後に奉行は、果心居士にむかってこう言った。「そのほうが、魔法で世人を|瞞着《まんちゃく》していたことは、あきらかだ。その罪だけでも、当然、重い罰をうくべきだ。しかしながら、今もしそのほうが、あの絵をつつしんで信長公に献上するならば、今度のところは、罪を大目に見てやろう。が、さもなければ、かならず厳罰に処するぞ」
このおどしに、果心居士は面くらったように笑い、大声でこう言った。「世人をあざむく罪を犯したのは、わたしじゃございません」それから、荒川のほうをふりむきながら叫んだ。「あんたこそ裏切り者だ。あんたは、その絵を献上して信長公にへつらおうとしたのだ。そして、それを盗むために、わしを殺そうとしたのだ。まったくのところ、もしこの世の中に罪というものがあるとしたら、これこそ、まさにその罪なんだ。さいわいにも、わしをうまく殺せなかったが、もし望みどおりにうまく殺せていたら、そんなひどい仕打ちに、なんと申し開きができたろう? とにかく、あんたは絵を盗んだんだ。わしがいま所持している絵は、その写しにすぎない。しかも、あんたは絵を盗んだあとで、それを信長公に献上するのがいやになって、自分の物にとっておこうと、計略をたくらんだのだ。それで、白紙の掛物を信長公にさしあげ、その秘密の行いや企みをおし隠さんがため、このわしが、本物の掛物を白紙の物とすりかえて、あんたを欺いたように見せかけたんだ。いま、本物の絵がどこにあるか、わしは知らない。おおかた、あんたは知ってるだろう」
この言葉を聞くと、荒川はひどく怒りだして、果心居士に飛びかかっていった。そして、もし見張り人に遮られなかったら、彼を殴りつけるところだった。ところで、荒川が、このようにとつぜんひどく怒りだしたため、かえって奉行に、荒川はぜんぜん罪がないわけではなかろう、と疑念をおこさせた。さしあたり果心居士を、|牢《ろう》に入れておくように命じてから、奉行は、荒川を厳重に尋問しはじめた。ところが、荒川は生来|訥《とつ》|弁《べん》であるうえに、このときは、ひどく興奮していたので、ろくにものが言えず、どもったり、つじつまの合わぬことを|喋《しゃべ》ったりして、どう見ても、罪を犯したと思われるような素振りをみせた。そこで奉行は、白状するまで、荒川を|鞭《むち》で打つように命じた。けれども、荒川は、ほんとうのことを言っているような様子さえもできず、竹で打たれて、とうとう正気をうしない、死人のようにぶっ倒れた。
果心居士は、牢屋のなかで、荒川の身におこったことを聞いて笑った。が、しばらくすると、牢番にむかってこう言った。「ねえ、あの荒川という奴は、ほんとに、ならず者みたいな振舞をしたんで、あいつの悪い心根をなおしてやろうと思って、わしが、故意にこんな罰をうけるようにしたのだよ。しかし、荒川は、事実はなにも知らなかったに違いない。それで、わしから、いっさいのことをよくわかるようにお話しすると、奉行に伝えてくれ」
そこで、果心居士は、ふたたび奉行のまえに連れだされ、次のように申したてた。「ほんとにすぐれた絵には、魂がこもっているに違いありません。またそのような絵には、それ自身の意志がありますので、自分に生命をあたえてくれた人から、いやそれどころか、その正しい持ち主からさえ、引き離されるのをいやがることがあります。ほんとにすぐれた絵には、魂があることを証明するような話が、たくさんあります。むかし、|法《ほう》|眼《げん》|元《もと》|信《のぶ》が|襖《ふすま》にかいた|雀《すずめ》が、幾羽か飛んでいって、その絵のあとが白紙になっていた話は、よく知られております。また、ある掛物にかいてあった馬が、夜分にはいつも、草をたべに出かけたことも、よく知られております。さて、このたびの場合も、真相はこうだと思います。つまり、信長公は、けっしてわたしの掛物の正しい持ち主になれなかったんで、絵が|公《こう》の面前で広げられたとき、ひとりでに消えうせたものだと信じます。しかし、わたしが最初にお願いした値段――すなわち、黄金百両をお出しになるようでしたら、そのときには、絵は自分から進んで、現在白紙になっているところへ、ふたたび現われるだろうと思います。とにかく、ためしにひとつ、やってごらんになっては、いかがです。あぶないことなぞ、すこしもございません。――と申しますのは、もし絵がふたたび現われないようでしたら、お金はすぐにお返しいたしますから」
このかわった申し立を聞くと、信長は百両支払うように命じ、その結果を見ようと、したしく臨席した。そこで、公の面前で、掛物が広げられた。すると、列座の者がみんなおどろいたことには、その絵はごく細かい点までも、すっかり元どおりになっていた。しかし、色がいくぶん|褪《あ》せているようで、それに|亡《もう》|者《じゃ》や鬼の姿も、前のように、ほんとうにいきいきとは見えなかった。この相違に気がついて、信長公は、果心居士にその理由を説明するように求めた。すると果心居士は、こう答えた。「はじめてごらんになりましたときの絵の値打は、まったくどんな値もつけられないほど、貴いものでございました。ところが、ただ今ごらんになっております絵の値打は、この絵の代価としてお払いになりました、ちょうどその金高――すなわち、黄金百両の値打を現わしているのでございます。……どうしても、こうならないわけには、ゆかないのでございます」この返答を聞くと、列座の人たちはみんな、これ以上すこしでもこの老人に反対するのは、有害無益であると感じた。果心居士はただちに放免された。そして荒川もまた釈放された。それまで受けた罰で、その罪を償ってなお余りがあったからである。
さて、荒川に|武《ぶ》|一《いち》という弟がいた。やはり、信長に仕えている家来だった。武一は、荒川が打たれて|牢《ろう》に入れられたので、たいへん怒って、果心居士を殺そうと決意した。果心居士は、ふたたび自由な身になると、すぐその足で酒屋へ行って、酒を命じた。武一は、そのあとを追って、店に飛びこみ、果心居士を打ち倒して、首を切りとった。それから、老人が支払いをうけて所持していた百両の金を奪うと、首と金とをいっしょに風呂敷に包みこみ、荒川に見せようと、いそいで家に帰った。しかし、その包をといて見ると、首のかわりに、ただ空っぽの|酒瓢箪《さかびょうたん》があり、黄金のかわりに、一塊りの汚物があるばかりだった。……それに、まもなく、果心居士の首のない死体が、いつどうしたのか、わからないけれど、酒屋から消えうせたという知らせがあったので、荒川兄弟は、ますますうろたえて、わけがわからなくなった。
それから一か月ばかりのちまで、果心居士については、なんの消息もなかったが、そのころのある晩のこと、信長公の御殿の入口で、遠雷のような|高鼾《たかいびき》をかきながら眠っている酔いどれがあった。一人の家来が、その酔いどれは果心居士であることを、つきとめた。この無礼な|咎《とが》のために、老人はすぐ召しとられて、牢にぶちこまれた。それでも、老人は目をさまさず、そのまま、牢のなかで、十日十晩も間断なく眠りつづけて、そのあいだ、たえず、遠くまで聞えるような高鼾をかいた。
このころ、信長公は、部将の一人の|明《あけ》|智《ち》|光《みつ》|秀《ひで》の|謀《む》|叛《ほん》のために命をおとすにいたり、光秀がただちに政権を奪いとった。しかし、光秀の権力は、わずか十二日間しかつづかなかった。
ところで、光秀が京都の主となったとき、果心居士の話を耳にすると、この囚人を、自分のまえに連れてくるように命じた。そこで果心居士は、新しい主君の面前に呼びだされた。しかし、光秀は、やさしく言葉をかけ、賓客として遇し、おおいに|御《ご》|馳《ち》|走《そう》してやるように命じた。老人が食べおわると、光秀は彼にむかって、こう言った。「聞くところによれば、あなたはたいそうお酒が好きなそうだが、一度にどれくらい飲みますか」果心居士は答えて言った。「どれほどか、よくぞんじませんが、酔がまわりかけたと思うじぶんに、やめるだけでございます」そこで、光秀公は、果心居士のまえに大きな|酒《しゅ》|盃《はい》をおき、侍臣に申しつけて、老人が望むままに、何度でも酒を注がせた。果心居士は、つづけざまに十たび大盃を飲みほして、さらにあとを求めたが、侍臣は、|酒《さか》|樽《だる》はもうすっかり空になったと答えた。列座の者はみんな、このみごとな飲みぶりに、舌を巻いてしまった。そこで、光秀公は尋ねた。「まだ足りませんか」「いえ、もう」と、果心居士は答えて言った。「いささか満足いたしました。ところで、御親切のお礼に、すこしばかり、わたしのわざをお目にかけましょう。どうかその|屏風《びょうぶ》をごらん願います」こう言って、彼は|近江《おうみ》|八《はっ》|景《けい》をかいた大きな八枚屏風をさした。それで、みんな屏風を見た。八景の一つに、湖上はるかに一人の男が舟を|漕《こ》いでいる図がかいてあったが、その小舟の長さは、屏風のうえでは、一寸にも足りなかった。やがて果心居士は、小舟のほうに手をふった。すると、舟はとつぜん向きをかえて、絵の前景のほうに動きだすのが、みんなの目についたが、それは、近づくにつれて、ずんずん大きくなり、やがて船頭の顔かたちが、はっきり認められるようになった。それから、なおも舟は近よってきて、たえず大きくなり、とうとう、ほんのわずかな距離にせまってきたように見えた。それから、とつぜん――絵から部屋のなかへ――湖水があふれてくるように思われて、部屋は水浸しになった。そして、水が|膝《ひざ》のうえまで達したので、見ている人たちは、いそいで|裾《すそ》をからげた。と同時に、舟が――ほんものの漁船が、屏風のなから滑りだしてくるようで、その|一丁艪《いっちょうろ》のぎいぎいいう音が聞えた。なおも部屋のなかの洪水は増すばかりで、とうとう見ている人たちは、帯のところまで水浸しになったまま、立っていた。やがて舟は、果心居士のすぐそばまで来た。すると、果心居士はそれに乗りこんだ。船頭はくるりと向きをかえ、ひじょうな早さで、むこうへ漕いで行きはじめた。そして、舟がだんだん遠のくにつれて、部屋のなかの水も急に減りはじめ、ふたたび屏風のなかへ、引いてゆくようであった。舟が絵の前景と思われるところを通りすぎるが早いか、部屋はふたたび乾いてしまった。しかし、絵のなかの舟は、なおも絵のなかの水のうえを滑るように進んでゆき、しだいに遠のきながら、たえず小さくなって、とうとうついには、湖の沖合で、一つの点のように小さくなった。それから、まったく見えなくなった。それとともに、果心居士も消えてしまった。彼の姿は、その後ふたたび、日本では見られなかった。
[#地から2字上げ]――「日本雑録」より
梅津忠兵衛のはなし
|梅津忠兵衛《うめづちゅうべえ》は、大力で剛胆な若侍だった。彼は|戸村十太夫《とむらじゅうだゆう》という国守に仕えていたが、この国守の居城は、|出《で》|羽《わ》の国の|横《よこ》|手《て》の近くにある。高い丘のうえにあった。国守の家来たちの家は、その丘のふもとに、小さい町をつくっていた。
梅津は、城門の夜勤にえらばれた一人であった。夜番には二通りあった。――第一のものは、日没にはじまって真夜中に終り、第二のものは、真夜中にはじまって、日の出に終るのだった。
あるとき、たまたま梅津が第二の夜番にあたっていると、ふしぎな出来事に出合わした。自分の夜番の場所につこうと思って、真夜中に丘を登っていると、城のほうに通じている曲りくねった道の、いちばん上の曲り角のところに、一人の女が立っているのが、目にとまった。その女は両腕に子供をかかえて、だれかを待っているようだった。こんなおそい時刻に、こんなに|淋《さび》しいところに、女が一人いるというのには、よほど特別な事情があるものとしか、思われなかった。それに梅津は、|妖《よう》|魔《ま》が人をだまして殺すために、暗くなってから、よく女の姿に化けるものだということを、思いだした。そこで彼は、目のまえにいるものも、女に見えはするけれど、はたしてほんとうの人間だろうか、と疑わしく思った。そして、女が話しかけるように、自分のほうに急いで来るのを見ると、ひとことも言わずに、女のわきを素通りしようと思った。しかし、女が彼の名をよんで、たいへんきれいな声で話しかけたときには、おどろきのあまり、そうはできなかった。「梅津さま、わたし、今晩たいそう困っております。ずいぶん苦しい務めをはたさねばなりません。どうか、ほんのしばらくのあいだ、この赤ん坊を預かっていただけませんでしょうか」こう言って、女は、彼のほうへ子供をさしだした。
梅津は、この女に見覚えはなかったが、たいへん若いようだった。彼は、その妙に心をひきつける声を怪しみ、|妖《よう》|怪《かい》|変《へん》|化《げ》のかけた|罠《わな》ではないかと疑い、なにもかも怪しく思った。けれども、梅津は生れつき親切な男だった。それで、妖魔が恐ろしいために、親切にしてやりたい気持を抑えてしまうのは、男らしくないと思った。それで、返事もしないで、子供を受けとった。「もどってまいりますまで、どうぞ預かってくださいませ。すぐにもどってまいりますから」と女は言った。「預かりましょう」と梅津は答えた。すると、女はすぐに|踵《くびす》をかえして道からはなれ、音もたてずに飛ぶようにして、丘をくだって行ったが、それがとても軽やかで、すばやいので、梅津はほとんど自分の目を信じかねたほどである。女はたちまちのうちに見えなくなった。
梅津は、そのとき、はじめて子供を見た。たいへん小さくて、生れたばかりのようだった。彼の手に抱かれたままじっとして、すこしも泣かなかった。
ところが、とつぜん、それが大きくなるように思われた。梅津は、もう一度子供を見た。……いや、それはやはり小さいままで、身動きひとつしなかった。どうしてまた、大きくなっているなどと、思ったのであろう?
すぐ、その理由がわかった。――そして梅津は、ぞっと身に寒気をおぼえた。子供が大きくなっているのではなく、重くなっているのだった。……はじめは、ほんの八、九百|匁《もんめ》にすぎないようであったが、その目方はしだいに増して、二倍となり――三倍となり――四倍となった。そしてもう、六貫目より軽いことはなかった。しかもなお、ますます重くなっていった。……十二貫――十八貫――二十四貫と。……梅津は、だまされたことに気がついた。――自分が言葉をかわしたのは、人間の女ではなかったこと、またこの子供も、人の子ではないことを知った。しかし、梅津はすでに約束したのであって、侍は約束を守らなければならなかった。それで彼は、赤ん坊をじっと腕にかかえていた。すると、それはなおも、ますます重くなっていった……三十貫――三十六貫――四十八貫と。……いったい、どうなるのか、見当がつかなかった。けれども、梅津は恐れず、力のつづくかぎり、子供を放すまいと心をきめた。……六十貫――六十六貫――七十二貫と、増していった。すべての筋肉は、緊張のあまり震えはじめた。それでもなお、重さは増してゆくばかりだった。……「|南《な》|無《む》|阿《あ》|弥《み》|陀《だ》|仏《ぶつ》!」と、梅津はうめくように言った。「南無阿弥陀仏! 南無阿弥陀仏!」ちょうど、この念仏を三度目に唱えたとき、子供の重さはさっとなくなり、梅津は、空の両手を広げたまま、|呆《ぼう》|然《ぜん》と立っていた。――奇妙なことには、子供の姿は消え去っていたからである。しかし、それとほとんど同時に、あのふしぎな女が、立ち去ったときと同じように、すばやく引き返してくるのが見えた。なおも息をあえぎながら、女は梅津のそばにやって来た。そのときはじめて、女がたいへん美しいのに気がついた。けれども、女のひたいには汗が流れ、今までけんめいに働いていたように、|袖《そで》はたすきでもって、うしろに縛ってあった。
「梅津さま」と女は言った。「たいへんなお力添えをしていただきまして、ほんとに助かりました。わたしは、この土地の氏神ですが、今晩氏子の一人が陣痛をおこして、わたしに助けを|乞《こ》いました。しかし、その陣痛はなかなかひどくて、とてもわたし一人の力では、その氏子を助けられないことが、すぐわかりました。それで、あなたのお力と勇気とをお借りしたいと思ったのです。ところで、あなたの手にお預けしたのは、まだ生れていない子だったのです。そして、その子供がだんだん重くなるのに、はじめてお気づきなされたじぶんには、たいそうあぶなかったのです。――お産の門が閉じていたものですから。それから子供がひどく重くなって、もうそれ以上、重さに堪えられないと、お考えなされた――ちょうどそのとき、母親は死んだようになりまして、一家の者は泣いていたのでした。すると、あなたは、「南無阿弥陀仏」の念仏を、三度くりかえされました。そして、この三度目の念仏で、仏さまのお力が助けに来られて、お産の門が開かれました。……で、この御尽力にたいしては、相応なお礼をいたしたいと思います。勇ましい侍にとって、力ほど役にたつ贈り物はありますまい。それで、あなたばかりでなく、あなたのお子さんやお孫さんたちにも、大力をお授けすることにいたしましょう」
こう約束すると、氏神の姿は消えた。
梅津忠兵衛は、ひどくふしぎに思いながら、ふたたび城のほうに歩いて行った。日の出に勤めを終えると、朝の|祈《き》|祷《とう》をするまえに、いつものように顔や手を洗いにかかった。ところが、使っていた|手《て》|拭《ぬぐ》いを絞ろうとすると、その丈夫な布地が、手のなかで、ぷっつり二つに切れたので、びっくりした。それから、その切れたのをいっしょにして絞ろうとすると、またもやその布地が、まるで|濡《ぬ》れた紙のように、ちぎれてしまった。さらに、それを四つ重ねて絞ろうとしたが、結果は同じだった。やがて、|唐《から》|金《かね》や鉄でできたいろいろな物をあつかってみると、さわったものが粘土のようにたわむので、梅津は、約束どおり、大力がすっかり自分のものになったことや、これからは物にさわる場合には、手のなかで|潰《つぶ》れないように、気をつけなければならないことがわかった。
うちに帰ると、夜のあいだにこの町で、子供が生れたかどうか、尋ねてみた。すると、出来事のあったちょうどその時刻に、じっさいに出産があったこと、そしてその事情は、まったく氏神から聞いたとおりであることがわかった。
梅津忠兵衛の子供たちは、父の大力をうけついだ。彼の子孫の幾人かは――みんなたいへん力の強い人々であるが――この物語が書かれた当時、まだ出羽の国に住んでいた。
[#地から2字上げ]――「日本雑録」より
興義和尚のはなし
千年ばかりまえに、|近江《おうみ》の国の|大《おお》|津《つ》にある|三《み》|井《い》|寺《でら》という有名な寺に、|興《こう》|義《ぎ》という博学な僧がいた。この|和尚《おしょう》はまた、絵の大家であった。そして、仏さまや|山《さん》|水《すい》や鳥獣の絵を、みなほとんど同じようにうまく描いたが、魚をかくのが、いちばん好きだった。天気がよくて、仏事の暇なときには、よく|琵《び》|琶《わ》|湖《こ》へ行って漁師をやとい、魚をつかまえさせたが、あとで大きなたらいに入れて、その泳ぎまわっている様子を写生できるように、魚をすこしも痛めないようにさせた。絵にかいてしまうと、手飼いの生きものみたように、魚に|餌《えさ》をやり、自分で湖水まで持って行って、ふたたび放してやるのが常だった。和尚がかいた魚の絵は、とうとうたいへんな評判になって、ずいぶん遠いところから、人々がはるばるそれを見にやって来るほどだった。しかし、和尚の魚のすべての絵のなかで、いちばん見事なのは、生きた実物をそのまま写したものではなくて、夢の記憶をたどって描いたものだった。ある日のこと、興義が湖の岸にすわって、魚が泳いでいるのを見守っていると、ついうとうとと、まどろんで、水のなかの魚と遊んでいる夢をみたのである。目をさましてからも、その夢の記憶がたいへんはっきり残っていたので、それを絵にかくことができた。そして、この絵を、寺の自分の部屋の床の間にかけて、「|夢《む》|応《おう》の|鯉《り》|魚《ぎょ》」とよんだ。
興義は、自分のかいた魚の絵は、どれひとつ売る気になれなかった。山水や鳥や花の絵なら、よろこんで手放したけれど、生きた魚の絵は、魚を殺したり食べたりするような残酷な者には、売りたくない、と言っていた。そして、和尚の絵を買いたがる人たちは、みんな魚を食べる人たちばかりだったので、いくら金をだしても、売る気になれなかったのである。
ある夏のこと、興義は病気になった。それから一週間ばかりわずらったのち、口をきくことも動くことも、ぜんぜんできなくなったので、もう死んだように見えた。しかし、葬式がすんだあと、弟子たちは彼のからだに、まだいくぶんぬくもりのあるのに気がついたので、しばらく埋葬を見合わせて、この一見死んだように見える和尚のからだのそばで、見張りをすることにした。すると、おなじ日の午後に、興義はとつぜん生き返って、付添っている者たちにこう尋ねた。
「わしが気をうしなってから、どのくらいになるかね?」
「三日以上になります」と一人の小僧が答えた。「ほんとに亡くなられたと思いました。それで、けさ、お|葬《とむら》いのために、お知り合いのかたがたや|檀《だん》|家《か》の人たちが、お寺に集まられました。式をすませましたが、あとで、おからだがすっかり冷たくなっておりませんので、埋葬は見合わせました。そしていま、そう取り計らったのを、たいそう喜んでおります」
興義は、わが意をえたというように、うなずいてから、こう言った。
「だれでもよいから、すぐ|平《たいら》の|助《すけ》のうちに行ってもらいたい。助の家では、いま若い者たちが酒盛りをやっている。(魚を食べたり酒を飲んだりしている)そうして、若い者たちにこう言ってくれ。『うちの和尚が、生き返りました。どうか酒盛りをやめて、すぐ来ていただきたい。めずらしい話がありますから』とね。……それと同時に」と、興義は言葉をつづけた。「助と兄弟たちとが何をしているか、見届けてくれ。――わしの言うとおり、酒盛りをしているかどうかをね?」
そこで、一人の小僧が、すぐ平の助の家に行った。すると、興義の言ったとおり、助と弟の十郎とが、家の子の|掃《か》|守《もり》といっしょに、酒盛りをしているので、おどろいた。けれども、使の用向きを聞くと、三人はすぐ|酒《しゅ》|肴《こう》をそのままにして、寺へいそいだ。興義は、すでに寝床に移されて横になっていたが、にこにこしながら三人を迎えた。そして、二こと三こと|挨《あい》|拶《さつ》を取りかわしたのち、和尚は助にこう言った。
「さて、これからわしが二、三お尋ねするから、どうか返答していただきたい。まず第一に、あんたは今日、漁師の文四から、魚を買いませんでしたかな?」
「ええ、買いましたよ」と助は答えた。「が、どうして御存じなんです?」
「ちょっとお待ちなさい」と和尚は言った。「その漁師の文四が今日、|籠《かご》のなかに長さ三尺ほどの魚を入れて、お宅の門へはいりましたな。それはまだ真昼をすぎたばかりのことで、あんたと十郎さんとが、ちょうど碁の勝負をはじめたところでした。そして、掃守は碁を見ておりましたな。桃を食べながらね。そうでしょう?」
「そのとおりです」と、助と掃守とはますます驚きながら、いっしょに叫んだ。
「ところで、掃守がその大きな魚を見ると」と興義は、言葉をつづけた。「すぐ買うことにしましたな。そして、魚の代をはらったうえ、皿のなかの桃をいくつか文四にやって、酒を三ばい飲ませました。それから、料理人が呼ばれたが、やって来てその魚を見ると、ほめそやしました。それから、あんたの言いつけで、薄切りにして、酒盛りの|肴《さかな》にしましたね。……みんな、わしの言ったとおりじゃありませんかな?」
「そうです」と助は答えた。「しかし今日、わたしのうちであったことを、|和尚《おしょう》さんがちゃんと知っていられるなんて、ほんとにおどろきます。どうしておわかりになったか、どうかお話しください」
「じゃ、これからひとつ、わしの話をしましょう」と和尚は言った。「御承知のように、たいていの人たちは、わしが死んだものと思いこんだのです。――あんたも、わしの葬式に来てくれましたな。しかし、三日まえには、自分がそんなに悪いなどとは、思っていませんでしたよ。ただ、からだが弱って、たいそう暑かったのと、だから、そとの空気にあたって、涼もうと思ったことを、覚えているだけです。そこで、ひどく骨折って寝床から起きあがり、|杖《つえ》にすがりながら出かけたように、思いました。……おそらく、これは想像だったかもしれません。しかし、やがてあんたがたは、自分でこの真偽がおわかりになりましょう。わしはただ何もかも、まったくありのままに話してゆこうと思います。……わしが家のそとに出て、明るい外気のなかにはいるが早いか、すっかり軽くなったような――まるで、閉じこめられていた網や籠から逃げだした小鳥のように、軽やかな気持になりました。わしはふらふらと歩いて行って、とうとう湖に着きました。水がたいそうきれいで青いので、泳いでみたくてなりませんでした。それで、着物をぬいで飛びこみ、その辺を泳ぎはじめました。ところが、病気まえには、泳ぎがひどく下手だったのに、たいそう早く上手に泳げるので、おどろきました。……あんたがたは、わしがばかげた夢の話でもしているのだと、お考えかもしれんが、まあお聞きなさい。……わしが、はじめてこんなにうまく泳げるようになったのを、いぶかしがっているうちに、きれいな魚がたくさん、わしの下やまわりに泳いでいるのが、目につきました。わしはふと、魚の幸福がうらやましくなってきました。――人間がどんなに泳ぎの達人になれたところで、水のなかでは、けっして魚のように楽しむことはできまい、と考えたのです。ちょうどそのとき、一匹のたいへん大きな魚が、わしのまえの水面に頭をあげて、人間の声で、こう話しかけました。『あなたのその願いは、わけなくかなえられますよ。ちょっとそこで、待っていてください』こう言って、その魚は下に沈んで、見えなくなりました。それで、わしは待っていました。二、三分すると、さっきわしに話しかけたあの大きな魚の背に乗って、王侯の冠と礼服とをつけた人が、湖の底から浮びあがってきて、わしにこう言いました。『しばらく魚の境遇になってみたいとの、あなたのお願いを耳にされた|海>若《わだつみ》からの、伝言を持ってまいりました。あなたは、たくさんな魚のいのちを救ってくだされ、いつも生き物にお情をよせられていますので、海若は今あなたに、水界の楽しみがえられるように、|金《きん》|鯉《り》ガ|服《ふく》をさずけられます。しかし、どんなによい|匂《におい》がしても、魚を食べたり、魚でつくった物を食べたりしないように、よく御注意なさらねばなりません。それからまた、漁師につかまらないよう、すこしでもからだを損わないように、よく気をつけられねばなりません』こう言って、使いの者と魚とは下に沈み、深い水のなかに消えうせました。自分をふりかえって見ると、からだじゅうは、黄金のようにぎらぎらする|鱗《うろこ》で包まれていました。|鰭《ひれ》もありました。――わしは、ほんとに金の鯉に変えられていることに、気がつきました。これで、どこへでも自分の好きなところへ、泳いで行けることがわかりました。
「それから、わしは泳いで行って、諸所方々の景色のよいところを、見物したようです。〔ここで、もとの話では、有名な近江八景を|叙《じょ》した歌が入れてある〕ときおり、わしは、青々とした水の上におどる日光を眺めたり、風のあたらない静かな水面にうつった山や木の美しい影を、賞したりするだけで、満足しました。……とりわけ、|沖《おき》|津《つ》|島《しま》であったか、|竹《ちく》|生《ぶ》|島《しま》であったか――ある島の岸が、赤い壁のように水にうつっていたのを、覚えています。……あるときは、通る人たちの顔が見えたり、声が聞えたりするくらい、岸に近づいたこともありますし、またあるときは、水面に眠っていて、近づいてくる|櫂《かい》の音におどろかされたこともあります。夜になると、月光の眺めがきれいでした。しかし、わしは|堅《かた》|田《だ》の漁船の|漁火《いさりび》が近づいてくるのには、一度ならず驚かされました。天気の悪い日には、よく下のほうへ――ずっと下のほうへ――千尺も下のほうへ沈んでいって、湖の底で遊んだものでした。しかし、こうして、二、三日楽しく遊びまわったすえ、たいそうお腹がすいてきました。それで、なにか食べ物を見つけようと思って、この近くへ引き返してきました。ちょうどそのとき、漁師の文四が、たまたま釣をしていたのです。で、わしは、水のなかに垂らしてある釣針に近づきました。それには魚で作ったよい|匂《におい》のする|餌《えさ》がつけてありました。と同時に、わしは、|海若《わだつみ》のいましめの言葉を思いだして、ひとりごとを言いながら、むこうへ泳いで行きました。『どうあっても、魚のはいっている物を食べてはならん。――わしは、仏さまの|弟《で》|子《し》なんだから』それでも、しばらくすると、お腹のすきかたが大変ひどくなってきて、どうにも誘惑に打ち勝てなくなりました。それで、わしは『たとい文四がわしをつかまえても、傷めつけることはあるまい。――古い知り合いなんだから』と考えながら、ふたたび釣針のところへ、泳いでもどりました。わしは、釣針から餌をはずせなかったけれど、餌の匂がたまらなくよいので、我慢できませんでした。それで、わしは、何もかもいっしょに、がぶりと|一《ひと》|呑《の》みにしました。そうするが早いか、文四は釣糸をたぐって、わしをつかまえました。わしは文四にむかって、大声でこう言いました。『何をするんだ? 痛いぞ!』しかし、わしの言うことは、聞えなかったらしく、文四は、すばやくわしの|顎《あご》に糸を通しました。それから|籠《かご》のなかへ放りこんで、あんたの家に持って行ったのです。そこで籠を開いたのですが、見ると、あんたと十郎さんとが南むきの部屋で碁をうち、それを掃守が、桃を食べながら、見物していました。やがて、あんたがたがみんな、縁側に出てきて、わしを見たが、ひどく大きな魚なので、喜びました。わしは、できるだけ大きな声で、『わしは魚じゃない。興義だ。――興義和尚だよ。どうか寺へかえしてくれ』と、あんたがたに呼びかけました。しかし、あんたがたは手をたたいて喜び、わしの言うことには、まるで耳をかたむけてはくれませんでした。それから、料理人は、わしを台所に運んでいって、あらあらしく|俎《まな》|板《いた》のうえに放りだしましたが、そのうえには、おそろしく研ぎすました|庖丁《ほうちょう》が、おいてありました。料理人は左手でわしを押えつけ、右手でその庖丁をとりあげました。そこで、わしは料理人にむかって、『なんでおまえは、そんなにむごたらしく、わしを殺すのだ! わしは仏さまの弟子だ! 助けて! 助けて!』と叫びました。しかし、同時にわしは、その庖丁で二つに割られるのを、身に感じました。――おそろしい痛さでした。それから、とつぜん目がさめると、この寺にいるのでした」
|和尚《おしょう》がこのように話し終ると、兄弟はふしぎがった。そして助は、和尚にむかってこう言った。
「なるほど、いま思いだしましたが、わたしたちが見ているあいだ、しょっちゅう魚の|両顎《りょうあご》が動いていましたよ。しかし、声はすこしも聞えませんでした。……さあ、これから使いの者を家にやって、あの魚の残りを、湖のなかへ捨てさせねばなりません」
興義の病気は、まもなくよくなった。それから生きながらえて、さらにたくさんの絵をかいた。亡くなってからずっと後のことであるが、興義がかいた魚の絵が幾枚か、あるとき何かの拍子で湖のなかに落ちた。すると、たちまち魚の絵姿が、描いてあった絹地か紙から抜けだして、どこかへ泳いで行った、と言われている。
[#地から2字上げ]――「日本雑録」より
幽霊滝の伝説
|伯《ほう》|耆《き》の国の黒坂村の近くに、「幽霊滝」と呼ばれる滝がある。どうして、そう呼ばれるのか、わたしは知らない。|滝《たき》|壺《つぼ》の近くに、氏神を祭った小さなやしろがあって、土地の人たちは、それを滝大明神と名づけている。このやしろのまえに、木でこしらえた小さな|賽《さい》|銭《せん》|箱《ばこ》がある。この賽銭箱について、ひとつの物語がある。
今から三十五年まえの、たいへん寒いある晩のこと、黒坂のある麻取場に雇われている女房や娘たちが、一日の仕事をすませたのち、麻取部屋の大きな火鉢のまわりに集まって、怪談にうち興じていた。かれこれ十あまりも話が出たときには、もうたいがいの者は、なんとなく気味が悪くなっていた。すると、一人の娘が、そのぞくぞくするような|恐《こわ》さから|湧《わ》く快感を、いっそう強めるつもりで、「今夜、これから幽霊滝まで、たったひとりで行ってみたらどう?」と大声で言いだした。この思いつきを聞いて、みんなわっと声をあげたが、そのあとすぐ、うわずった声で、どっと笑いだした。……「きょう、わたしが取った麻を、行った人にすっかりあげるよ」と、一座のうちの一人が、ふざけるように言った。すると、「わたしもあげるよ」と、ほかの一人が言った。「わたしも」と、また一人が言った。「みんな賛成」と、さらにほかの一人が、きっぱりと言いはなった。……すると、麻取りの女たちのなかから、|安《やす》|本《もと》お|勝《かつ》という、大工の女房が立ちあがった。お勝は、二歳になるひとり|息《むす》|子《こ》を、あたたかそうにねんねこ[#「ねんねこ」に傍点]にくるんで、背中に寝かしつけていた。「ねえ、みなさん」と、お勝は言った。「ほんとにあんたがたが、きょう取った麻をすっかりわたしにくれるんなら、これから幽霊滝に行ってくるよ」お勝のこの申し出を聞くと、一座の者たちは、おどろいたような、さげすむような声をだしたが、お勝がいくども繰りかえして言うので、とうとうみんな、それを本気に取りあげた。麻取りの女たちは、もしお勝が幽霊滝に行くようなら、きょう取ったぶんの麻はお勝にやると、ひとりひとり、つぎつぎに言った。「でも、お勝さんがほんとに幽霊滝に行ったかどうか、みんなに、どうしてわかるのさ?」と、かん高い声で、だれかが尋ねた。「そりゃね、氏神さまのお賽銭箱を、持ってきてもらうんだよ。それが何よりの証拠になるからね」と、麻取りの女たちから、おばあさんと呼ばれている年とった女が答えた。「持ってくるよ」と、お勝は大声で言った。そして、眠った子をおぶったまま、通りへ飛びだした。
その夜はひどく寒かったが、晴れていた。お勝は、人通りのない往来を、いそいで歩いて行った。身を切るような寒さに、どの家も表戸をかたく閉めていた。やがて、村から出て、お勝は、街道をひた走りに走っていった。両側とも|凍《い》てついた稲田で、ひっそりと静まりかえり、星明りがさしているだけだった。三十分ほど、ひろびろとした街道をたどってから、|崖《がけ》のしたで曲っている狭い道へ折れた。先に行くにつれて、道はますます暗く、ますますでこぼこ[#「でこぼこ」に傍点]がひどくなったが、お勝はよく勝手を心得ていた。まもなく、滝のかすかなひびきが聞えてきた。それから、さらに二、三分ばかりも歩くと、道は広まって峡谷となり、かすかなひびきが、急にごうごう鳴りわたるとどろきに変った。そして、目のまえの、いちめんの|暗《くら》|闇《やみ》のうちに、滝の細長く垂れた水あかりが、ぼおっと浮きだして見えた。小さなやしろもぼんやり見え、|賽《さい》|銭《せん》|箱《ばこ》も目にとまった。お勝はまえに飛びだして、手をさしのばした。……
「おい、お勝さん」と、水のくだける音を圧して、とつぜん、警告するような声が呼びかけた。
お勝は、恐ろしさに気も遠くなる思いで、その場に立ちすくんだ。
「おい、お勝さん」と、ふたたびその声がひびきわたったが、こんどは前よりもいっそう、おどすような語気をおびていた。
しかし、お勝はほんとうに大胆な女だった。すぐさま気を取りなおすと、賽銭箱をひっつかんで|駈《か》けだした。もうべつに、おどしつける声も聞えなければ、姿も見えず、ともかくも街道までたどり着いた。ここで、お勝はちょっと足をとどめて、ほっと息をついた。それから、しっかりした足どりで、ひた走りに走りつづけた。こうして、とうとう黒坂村に着くと、麻取場の戸をはげしくたたいた。
お勝が息をあえぎながら、賽銭箱を手に持って、はいって来たとき、女房や娘たちは、どんなに声をあげて、おどろいたことか! みんな息を殺して、お勝の話を聞いた。そして、幽霊滝のなかから、何者かが二度までも自分の名を呼んだという話を、お勝がしたときには、みんな同情するように、金切声をあげた。……まあ、なんという|女《ひと》だろう。ほんとに度胸のすわったお勝さんだ。麻をもらうだけの値打はあるよ。……そのとき、おばあさんが大声で言った。「でも、さぞ坊やは寒かったろう。さあ、この火のそばへ連れて来なさいよ」
「もうお腹がすいたろう」と、母親は言った。「すぐにお乳をやらなくちゃ」
「かわいそうに、お勝さん」と、おばあさんは、子供をくるんだねんねこ[#「ねんねこ」に傍点]の|紐《ひも》をとく手伝いをしてやりながら言った。「おや、背中がぐっしょりぬれてるよ」それから、おばあさんは、しわがれ声でわめいた。「あらっ! 血が……」
解いたねんねこ[#「ねんねこ」に傍点]のなかから、床のうえに落ちたものは、血にまみれた一くくりの、赤ん坊の着物だった。その着物からは、二本のごく小さな|鳶《とび》|色《いろ》の足と手とが、ぬっと出ているばかりだった。
子供の頭は、もぎ取られていた。……
[#地から2字上げ]――「骨董」より
茶碗の中
諸君はかつて、どこかの古い塔の、|暗《くら》|闇《やみ》のなかに|聳《そび》えたっている階段を登ろうとして、その暗闇のただなかで、|蜘《く》|蛛《も》の巣のほかには何もないような突端にいたことはないか。あるいはまた、|断《だん》|崖《がい》の面にそって切りひらかれた海辺の細道をたどっていって、ひとつ曲ると、いきなり|鋸《のこぎり》の歯のような絶壁のふちに出るよりほかなかったことはないか。このような経験の感情的価値というものは、文学上の見地から見れば、そのとき呼びおこされる感覚の強さと、その感覚が記憶される鮮明さとによって、立証されるのである。
さて、日本の古い物語集には、これとほとんど同様な、感情的経験をおこさせる小説の断片が、ふしぎにもいまだに保存されている。……あるいは、作者が無精だったのかもしれない。あるいは、出版元と衝突したのかもしれない。あるいは、とつぜんその小さな|文机《ふづくえ》から呼ばれたまま、帰って来なかったのか、または死んだために、ちょうどその文章のただなかで、筆をとめたものかもしれない。が、なぜこれらのものが、未完結のまま残されたかは、神ならぬ身には、だれにもはっきりわからないのである。……その代表的な例を一つあげよう。
|天《てん》|和《な》三年の一月四日――つまり、今から二百二十年ばかりまえのこと、|中《なか》|川《がわ》|佐《さ》|渡《どの》|守《かみ》が年始まわりの途中、従者たちをつれて、江戸の|本《ほん》|郷《ごう》|白《はく》|山《さん》の茶店に立ちよった。一行が休んでいるうち、佐渡守の従者の一人の|関《せき》|内《ない》という若党が、ひどく|喉《のど》が渇くので、大きな|茶《ちゃ》|碗《わん》に自分で茶をなみなみと|注《つ》いだ。そして、その茶碗を口にもってゆこうとすると、その透きとおった黄色な茶のなかに、自分とはちがう顔が映っているのに、ふと気がついた。ぎょっとしながらあたりを見まわしたが、そばには、だれもいなかった。お茶のなかに映った顔は、髪の|恰《かっ》|好《こう》からみると、どうやら若侍の顔らしかった。ふしぎなくらいはっきりしていて、なかなか美男で、まるで小娘の顔のようにやさしかった。しかもそれは、生きている顔が映っているように見えた。その証拠には、目や唇が動いたのである。このふしぎなまぼろしに、関内はすっかり当惑し、お茶をすてて、茶碗を念入りにしらべてみた。それは、べつになんの意匠もほどこしてない、ごく安物の茶碗だった。彼はほかの茶碗を見つけて、それにお茶をついだ。すると、やはりその顔が、お茶のなかに現われた。そこで、新しいお茶を持ってこさせて、茶碗につぎなおすと、またもや奇妙な顔が、こんどは|嘲《あざ》けるような微笑をうかべながら、現われた。しかし関内は、もうおどろきはしなかった。「貴様が何者であろうと」と彼はつぶやいた。「もうおれは|瞞《だま》されないぞ!」こう言って彼は、顔もろともにお茶を飲みほし、ひょっとしたら幽霊を|呑《の》みこんだかもしれない、と|懸《け》|念《ねん》しながら出かけた。
おなじ日の晩おそく、関内が中川侯のお屋敷に当直で詰めていると、見知らぬ男が、部屋のなかに音も立てずにはいってきたので、びっくりした。その男はりっぱな身なりの若侍で、関内の真正面にすわり、かるく|会釈《えしゃく》をしてから、こう言った。
「それがしは、|式《しき》|部《ぶ》|平《へい》|内《ない》と申す者。――今日はじめてお目にかかりました。……貴殿はそれがしを見覚えなさらんようですな」
ごく低いけれど、よく通る声だった。関内は、さっき自分が見て呑みこんでしまったのと同じ|不《ふ》|吉《きつ》な美しい顔――すなわち、|茶《ちゃ》|碗《わん》のなかの|妖《よう》|怪《かい》を、|目《ま》のあたりに見て、びっくりした。あのまぼろしが微笑したように、今この顔もほほえんでいるが、微笑している唇のうえの、じっと見すえた両眼は、挑むようでもあり、また|蔑《さげす》むようでもあった。
「いや見覚えはありません」関内はむっとしたが、ひややかに答えた。「それにしても、どうしてこの屋敷へはいる許しをえられたか、承りましょう」
〔封建時代には、大名の屋敷は、昼夜とも警戒が厳重で、警護の武士のほうに許しがたい怠慢でもないかぎり、だれでも案内なしにはいることは、できなかったのである〕
「ほほう、それがしを見覚えなさらぬと申されますか」と、客は皮肉な調子で叫び、こう言いながら、すこしにじり寄ってきた。「いや、それがしを見覚えなさらぬとね! だが、貴殿は今朝、それがしをひどく傷つけなされたのですぞ!」……
関内は、やにわに腰の短刀をつかむと、その男の|喉《のど》|元《もと》めがけて、はげしく突き刺した。けれども、なんの手ごたえもないようだった。と同時に、|闖入者《ちんにゅうしゃ》は、音もなく壁際まで横に飛びのいて、それからすっと壁をぬけて行ってしまった。……壁には、抜けでた跡すらなかった。まるで|蝋《ろう》|燭《そく》の灯が、|提灯《ちょうちん》の紙をすかして通るように、壁をぬけて行ったのである。
関内がこの出来事を知らせると、家来たちはおどろき、かつ当惑した。このことのあった時刻には、見知らぬ者がお屋敷に出入りするのを見た者はなく、また中川侯に仕えている者で、「式部平内」という名を、聞いた者はなかったからである。
あくる晩、関内は非番で、両親とともに家にいた。かなり夜もふけたころ、見知らぬ人たちが訪ねてきて、ちょっと話したいことがあると言った。刀をとって玄関に出ると、いかにも侍らしい者が、三人帯刀して、式台のまえに待っていた。三人の者は、関内にうやうやしく一礼すると、そのうちの一人が言った。
「わたくしどもは、松岡平蔵、土橋文蔵、ならびに岡村平六と申す者で、式部平内殿の家来でございます。主人がわざわざ昨夜お訪ね申したさい、貴殿は主人を刀でお突きになりました。主人はひどい傷をうけて、湯治に行かねばならず、目下温泉で治療をなされております。しかし、来月の十六日には帰られます。いずれ、そのさいには、貴殿のこの仕打ちにたいして、よろしく返報なされましょう……」
それ以上耳もかさず、関内は刀を手にしておどりいで、見知らぬ者どもを、右に左に|斬《き》りまくった。けれども、三人の男は、隣りの屋敷の塀に飛びつき、影のようにすっとその上へ飛びあがって、そのまま……
ここで、古い物語は切れている。そして、この話のつづきは、だれかの頭のなかにだけ閉じこめられていたのであるが、その頭の持ち主が土となってから、もう百年にもなる。
わたしは、この物語の結末がこうもあろうかと、いろいろ想像することはできるけれども、そのいずれもが、西洋人の想像を満足させることはないだろう。魂を|呑《の》みこんだらどんな結果になりそうであるか、読者みずから解決されたほうがよいと思う。
[#地から2字上げ]――「骨董」より
常 識
むかし、京都に近い|愛宕《あた》|宕《ご》|山《やま》のうえに、黙想と経典の研究とに余念のない、学識のふかい|和尚《おしょう》があった。この和尚が住まっている小さな寺は、どの村からも遠く離れていて、こんな|淋《さび》しいところでは、日常の生活に必要な物でも、人手を借りないでは、なかなか手に入れることはできなかったろう。が、幾人もの信心ぶかい村の人たちが、毎月きまって、米や野菜などの食べ物を持ってきて、和尚の暮しを助けてくれた。
このような善良な人たちのなかに、ときおり、この山へ|獲《え》|物《もの》を探しにくる一人の猟師がいた。ある日のこと、この猟師が、一袋の米をもって寺に来たとき、和尚は彼にむかってこう言った。
「ねえ、ひとつあんたに話があるのだが、このまえお目にかかってから、ここにふしぎなことが起りましてな。なんでまた、わしみたような|不《ふつ》|束《つか》|者《もの》の面前で、こんなことが起ったのか、しかと合点がゆかんのだが、あんたも知ってのとおり、わしは幾年ものあいだ、毎日黙想にふけり、お経を唱えてきました。それで、今度わしに授かったことも、そのようなお勤めでえた|功《く》|徳《どく》のおかげかも知れんが、これは確かでない。しかし、|普《ふ》|賢《げん》|菩《ぼ》|薩《さつ》が象に召されて、夜な夜なこの寺へお見えになるのは、まぎれもないことです。……あんた、今晩わしのところへお泊りなさい。そうすれば、仏さまが拝めますぞ」
「そんな尊い御姿が拝めますとは、まったく有難いことでございます」と、猟師は答えて言った。「よろこんで泊めていただき、ごいっしょに拝みましょう」
それで、猟師は寺にとまった。しかし、和尚がお|勤《つと》めをしているあいだに、猟師は、今夜あらわれると言われた|奇《き》|蹟《せき》のことを考えて、そんなことがありうるだろうかと、疑いはじめた。そして、考えれば考えるほど、不審の念はつのるばかりだった。この寺に小僧がいた。そこで、猟師はおりをみて、この少年に尋ねてみた。
「和尚さんのお話じゃ」と猟師は言った。「なんでも、普賢菩薩さまが毎晩、この寺へ見えるそうだが、あんたも拝みなすったか」
「ええ、もう六ぺんも、普賢菩薩さまをうやうやしく拝みました」と小僧は答えた。
猟師は、小僧の誠実さをいささかも疑わなかったけれど、この言葉は、かえって彼の疑念を増すばかりだった。しかしながら、小僧が見たものなら何にせよ、たぶん自分にも見られるだろうと思いかえして、約束の御姿のあらわれる時刻を一心に待った。
真夜中すこしまえに、和尚は、普賢菩薩のお出ましを迎える用意をする刻限だと告げた。小さな堂の戸は開けはなされ、和尚は東のほうをむいて、入口の敷居にひれ伏した。小僧はその左手にすわり、そして猟師は、うやうやしく坊さんのうしろに座をしめた。
九月二十日の夜だった。――わびしい、暗い、そしてひどく風の強い夜だった。三人は、ながいこと、普賢菩薩のお出ましを待っていた。するとようやく、白い一点の光が、星のように東のほうに現われた。そしてこの光は、ずんずん近づいてきた。――近づくにつれて、しだいに大きくなり、山の斜面いちめんを、明るく照らした。やがて、その光は、ある姿――六本の|牙《きば》のある雪のように白い象に召された、きよらかな御姿となった。そして次の瞬間には、象は光りかがやく|菩《ぼ》|薩《さつ》を乗せて、寺のまえに着き、ここで月光の山のように、ふしぎにも|物《もの》|凄《すご》く|聳《そび》えたった。
すると、和尚と小僧とはひれ伏したまま、普賢菩薩にむかって、一心不乱に念仏を唱えだした。ところが、猟師は弓を手にして、とつぜん二人のうしろに立ちあがり、その弓をいっぱいに引きしぼって、光りかがやく菩薩目がけて、ひゅっとばかり長い矢をはなった。すると、その矢は、菩薩の胸ふかく、羽根のところまで突きささった。
と、たちまちのうちに、雷鳴のようなとどろきとともに、白い光は消え去り、御姿は見えなくなった。そして寺のまえには、ただ風の吹きまくる|暗《くら》|闇《やみ》があるばかりだった。
「ああ情ないやつだ!」と和尚は、不面目と絶望の涙をうかべながら叫んだ。「この見さげはてた無法者! 何をしたのだ――何をしでかしたのだ?」
けれども猟師は、和尚の非難を受けながらも、べつに悔いたり怒ったりする様子もなかった。やがて彼は、ごくおだやかにこう言いだした。
「和尚さま、どうかお気をしずめて、わたしの申すことをお聞きください。あなたさまは、ながいあいだ、いつもかわらず黙想にふけり、お経を読んでこられた|功《く》|徳《どく》で、普賢菩薩が拝まれると、お考えになりました。ですが、もしそうでしたら、仏さまは、あなたさまにだけ拝まれるはずで、わたしはもとより、小僧さんにも拝まれるわけはございません。わたしは無学な猟師で、|殺生《せっしょう》が家業です。ところで、ものの命をとることは、仏さまの忌まれるところです。それで、どうして、わたしなどに普賢菩薩が拝めましょう? 仏さまは、わたしどものまわりのどこにでもおいでなさるが、無学で至らないゆえ、わたしどもには拝まれないのだと、承っております。あなたさまは、きよらかなお暮しをなされている、学問のある坊さんでいられますので、じっさい、仏さまを拝まれるような悟りも、開かれましょう。ですが、暮しのために生き物を殺しているような者に、どうして仏さまを拝む力がございましょう? ところが、わたしもこの小僧さんも、あなたさまが拝まれた物を、すっかり見ることができたのでございます。そこで、和尚さま、今きっぱり申しあげさしていただきますが、あなたさまのごらんなされたのは、普賢菩薩ではなくて、あなたさまを|瞞《だま》そうとし、――ことによると殺そうとした、化け物に相違ございません。どうか夜が明けるまで、心を落ちつけてくださいませ。そうしましたら、わたしの申しあげたことが間違いでない証拠を、お目にかけましょう」
日の出に、猟師と和尚とは、御姿が立っていた場所をしらべて、血のうすい跡を見つけた。その跡をたどって、数百歩離れた|窪《くぼ》|地《ち》まで行くと、そこに、猟師の矢に|射《い》|貫《ぬ》かれた大きな|狸《たぬき》の|死《し》|骸《がい》があった。
和尚は学問のある信心ぶかい人だったが、狸にやすやすと瞞されたのだった。ところが、猟師は無学で不信心な男だったが、しっかりした常識をもっていた。そして、この生来の才知だけで、あぶない迷妄を見抜くとともに、それを打ちこわすことができたのである。
[#地から2字上げ]――「骨董」より
生 霊
むかし、|江《え》|戸《ど》の|霊《れい》|岸《がん》|島《じま》に、|喜《き》|兵《へ》|衛《え》という金持が営んでいる瀬戸物屋があった。喜兵衛はながねんのあいだ、|六《ろく》|兵《べ》|衛《え》という番頭を使っていた。六兵衛のはたらきで、商売は繁昌した。こうして、とうとう、あきないがたいへん手広くなってきたので、人の手をかりずに、六兵衛ひとりで切りまわすのでは、どうにもやってゆけなくなった。そこで、六兵衛は、だれか経験のある|手《て》|代《だい》を雇ってもらいたい、と申しでた。すると、その許しがでたので、自分の|甥《おい》をやとった。――二十二歳ばかりの若者で、大阪で瀬戸物商を見習っていた。
この甥は、なかなか働きのある手代で、商売にかけては、経験をつんだ|叔《お》|父《じ》よりも、如才がなかった。彼の積極的な商才のために、家の商売はますます栄えたので、喜兵衛はひどく喜んだ。ところが雇われてから七か月ばかりすると、この若い男は、ひどくからだの具合が悪くなってきて、一命にかかわるように思われた。江戸中の名医たちをよんで、診てもらったけれど、どの医者にも、病気のたちがわからなかった。みんな薬の処方もしないで、こんな病気はなにか人知れぬ傷心から起ったものとしか考えられぬと、意見を述べた。
六兵衛は、恋わずらいかも知れないと思った。そこで、甥にむかってこう言った。
「なにぶん、おまえはまだたいそう若いんで、だれか人知れず思いをかけている女でもあって、それですっかり心を痛め、とうとう|煩《わずら》いついたのではないかと思うたのだ。ほんとにそうなら、その苦しい胸のうちを、わしにすっかり打ち明けるのが道理だ。なにぶん、おまえはふた親から遠くはなれている身だから、ここじゃ、わしがおまえの父親代りなんだ。それで、なにか心配ごとか、悲しいことがあったら、父親の務めとしてやるべきことはなんでも、このわしが、ちゃんとしてやるつもりでいる。もしお金がいるのなら、遠慮しないで、いくらでも言うがよい。なんとか工面してやれると思う。それに、喜兵衛さまにしても、おまえをもとどおり元気で仕合せにするためなら、きっとなんでも喜んでしてくださるよ」
病人の若者は、この親切な言葉に当惑したようであった。そして、しばらくのあいだ黙っていたが、ようやく答えて言った。
「いろいろとありがたい|唯《ただ》|今《いま》のお言葉は、死ぬまで忘れはいたしません。しかし、わたしには、ないない思いをよせている者はございません。――女を慕うなどいうことは、ぜんぜんありません。わたしのこの病気は、とてもお医者の手で、直せるものではございません。お金などでは、どうにもなりません。じつは、この|家《うち》で、責めさいなまれておりますので、生きてゆく気もしないほどでございます。どこでありましょうと――昼となく夜となく、お店におりましても、自分の部屋におりましても、ひとりでいますときも、人なかにおります場合も、わたしは、しょっちゅう女のまぼろしにつきまとわれて、苦しめられております。こうして、もうずいぶん前から、一晩もゆっくり休んだことはございません。なにしろ、目をつぶりますと、すぐその女のまぼろしが、わたしの|喉《のど》をつかんで、絞め殺そうとするのですから。そのため、とても眠れたものではございません……」
「じゃ、なぜもっと早く、わしに話さなかったのだ?」と六兵衛は尋ねた。
「お話ししたところで、とてもだめだと思ったものですから」と|甥《おい》は答えた。「そのまぼろしと申しますのは、死んだ人の亡霊ではございません。ちゃんと生きている人――|叔《お》|父《じ》さんもよく御存じのかたの、憎しみから出たものでございます」
「そりゃ、いったい、だれだい?」と、六兵衛はひどくおどろいて尋ねた。
「それがその、この店のおかみさんでして」と、若者は小声で言った。「喜兵衛さまのお|内《ない》|儀《ぎ》さんでございます。……お内儀さんは、わたしをとり殺したがっていられるのです」
六兵衛は、この告白を聞いて当惑した。甥の言ったことをすこしも疑いはしなかったが、どうしてそんなまぼろしが現われるかというわけは、まるで想像がつかなかった。いったい、|生霊《いきりょう》というものは、かなわぬ恋やはげしい憎しみから、その元になっている当人も知らないのに、現われることがある。ところが、この場合は、なにかの事情など、どうしても考えられなかった。喜兵衛の妻は、もう五十をかなり出ていたからである。では、もう一方からみて、この若い手代は、人から憎しみを受けるような――生霊をまねくほどの憎悪を受けるようなことを、したであろうか。いや、この若者は、非のうちどころがないくらい品行がよくて、どこまでも礼儀正しく、勤めにたいしても、ひどく忠実であった。このわけのわからぬ|謎《なぞ》に、六兵衛はすっかり困ってしまったが、よくよく考えぬいたすえ、いっさいのことを喜兵衛に打ち明けて、よく調べてもらおうと心をきめた。
喜兵衛は|肝《きも》をつぶした。しかし、四十年もの長いあいだ、かりにも六兵衛の言葉に、疑いをさしはさむようなことは、ひとつもなかった。それで、喜兵衛はすぐ妻をよんで、病人の手代の言ったことを話してきかせると同時に、用心ぶかく尋ねてみた。すると妻は、はじめのうちは顔色をかえて泣いたが、すこしためらってから、あからさまに答えた。
「その新来の手代の言った生霊のことは、ほんとうのことだと思います。じつは、あの手代が憎々しくてたまらない気持を、言葉や様子に出さないようにしたのですけれど。御存じのように、あの手代は、商売にかけてはなかなかの腕達者で、やることはなんでも抜け目がありません。それで、あなたも、あれにお店のたいした権限――|丁《でっ》|稚《ち》や召使を自由にする力までお任せになっています。ところが、この商売を受けつぐはずの、うちのひとり|息《むす》|子《こ》は、まったくのお人好しで、だまされやすいたちです。それで、この利口な手代が、うちの息子をたぶらかして、身代をすっかり横取りしてしまうかもしれないと、とうからわたしは考えておりました。まったくのところ、あの手代ときたら、なんどきでも、なんの造作もなく、また自分はちっともあぶない目をみずに、うちの商売をつぶし、息子をめちゃめちゃにしてしまいます。こう思いこんでいるものですから、あの男が恐ろしくて、憎々しくてなりません。あれが死んでくれたらと、何度も何度も思いました。自分の手で殺せたら、とさえ思いました。……それはもう、こんなふうに、人を憎むのがよくないことは、わかっているのですが、どうにもその気持は抑えきれず、夜も、昼も、あの手代を|呪《のろ》いつづけてきました。で、あの男が六兵衛に話したとおりのものが、ほんとに見えたにちがいありません」
「なんという馬鹿げたことだ、そんなに自分で苦しむなんて!」と、喜兵衛は大声で言った。「今日まで、あの手代は、かれこれ言われるようなことは、何ひとつしたことはないのだ。それだのに、おまえはあの男を、むごたらしく苦しめていた。……ところで、あれを|叔《お》|父《じ》といっしょにほかの町へやって支店を出させたら、あれにたいして、これまでよりもやさしい気持になれんものかね」
「そりゃ、あれの顔を見たり、声を聞いたりしなければですね」と妻は答えた。「あれをこの家から出してさえくださったら、憎い気持も抑えられると思います」
「じゃ、そうしてくれ」と喜兵衛が言った。「これまでのように憎みつづけていたんじゃ、あの男はきっと死んでしまうよ。そうなりゃ、おまえは、わしどものためにひたすら尽してくれた人を殺すような罪を犯したことになるぞ。とにかく、どうみても、あの男は、この上ないりっぱな手代だったよ」
それから、さっそく喜兵衛は、ほかの町に支店を設ける準備をした。そして、手代といっしょに、六兵衛をその店にやって、あきないをやらせた。すると、それからのちは、|生霊《いきりょう》はこの若者を苦しめなくなり、彼はやがて健康を回復した。
[#地から2字上げ]――「骨董」より
死 霊
|越《えち》|前《ぜん》の国の代官、|野《の》|本《もと》|弥《や》|治《じ》|右衛《え》|門《もん》が世を去ったとき、その下役の者どもが相謀って、亡くなった主人の遺族をだまして、金品をまきあげようとした。代官の負債をいくらか返済するという口実のもとに、主家の金や、貴重品や、家具などを、ことごとく押えたうえ、亡き主人が、無法にも自分の資産の価格以上の債務を契約したように見せかけた|偽《いつわ》りの報告書をととのえた。そしてこの偽りの報告書を|宰相《さいしょう》にとどけた。そこで、宰相は、野本の妻子を越前の国から追放する命令をだした。その当時、代官の家族は、当主の死んだあとでも、なにか主人の生前の非行があばかれた場合には、その罪をいくぶんか負わされることになっていたのである。
ところが、野本の未亡人に、追放の命令が公式に伝えられると、たちまちこの家の女中に、ふしぎなことが起った。というのは、女中は、なにかに取りつかれたように、からだが引きつって、震えだしたのである。そして、ひきつけが治ると、女中はすっと立ちあがって、宰相の下役たちと、亡き主人の下役どもにむかって、こう叫びだした。
「さあ、|拙《せっ》|者《しゃ》の言うことをよく承われ! なんじらに話しているのは、小娘ではなくて、拙者だ。弥治右衛門だ。あの世からかえってきた野本弥治右衛門だ。拙者は、やるかたない悲憤のため――生前おろかにも信頼していた|奴《やつ》ばらへの悲憤をはらさんため、もどってきたのだ。……おお、なんじら|破《は》|廉《れん》|恥《ち》な恩知らずの下役ども! なんで身にうけた恩義を忘れて、こうまで主人の財産をつぶし、こうまで主人の名を|辱《はずか》しめられるのだ。……さあ、この面前で、役所と拙者の家との勘定をしらべてみせよう。それから、|目《め》|付《つけ》のところへ、召使に帳簿を取りにやれ。そうすれば、見積りを照し合せてみせる」
女中がこんな言葉を口走ったので、居合せた者たちは、みんなおどろいてしまった。なにしろ、女中の声も態度も、野本弥治右衛門の声や態度そのままだったからである。身に覚えのある下役どもは青くなった。しかし、宰相の|名代《みょうだい》は、女中のいう願いを十分聞きとどけてやるようにと、すぐ言いつけた。役所の勘定の帳簿は、ただちに女中の前におかれ、目付の帳簿も持ちこまれた。そこで、女中は勘定をはじめた。一つの間違いもせず、全部の勘定をすっかりやってしまって、総計を書きつけ、いつわって記入されたところは、いちいち訂正した。ところで、女中の書いた|筆《ひつ》|蹟《せき》は、そのまま野本弥治右衛門の筆蹟であった。
さて、この勘定の再吟味で、この家になんの負債もなかった|証《あかし》がたてられたばかりでなく、代官が亡くなった当時、役所の|金《かね》|庫《ぐら》には、余剰の金があったことまでも明らかになった。こうして、下役どもの悪事は明白となったのである。
すっかり勘定がすむと、女中は、野本弥治右衛門そっくりの声で、こう言った。
「さあ、これで何もかもすんだ。これ以上のことは、|拙《せっ》|者《しゃ》の手にはあわぬ。では、もとのところへ帰ってゆこう」
そう言うと、女中はごろりと横になって、すぐさま眠ってしまった。こうして、二日二晩のあいだ、死人のように眠りつづけた。〔取りついていた霊魂がはなれると、取りつかれていた者は、ひどい疲れと深い眠りに、おそわれるものなのである〕ふたたび、目がさめたときには、女中の声も態度も、もとの若い女の声や態度になっていた。そして女中は、そのときも、またそれからのちにも、野本弥治右衛門に取りつかれていたあいだに起った出来事は、何ひとつ思い出すことはできなかった。
この出来事は、すぐさま宰相のもとへ上申された。その結果、宰相は、|流《る》|罪《ざい》の命令を取り消したばかりでなく、代官の遺族にりっぱな進物をさずけた。その後、野本弥治右衛門には、いろいろ死後の栄誉がおくられた。そして、その後も長い年月のあいだ、彼の家はお|上《かみ》の恩顧をうけたので、たいそう栄えた。ところが下役の者どもは、それぞれ身に応じた処罰をうけたのである。
[#地から2字上げ]――「骨董」より
おかめのはなし
|土《と》|佐《さ》の国の名越の長者、|権《ごん》|右衛《え》|門《もん》の娘おかめは、夫の|八《はち》|右衛《え》|門《もん》を、ひどく愛していた。彼女は二十二で、八右衛門は二十五だった。おかめがあまり夫をかわいがるものだから、世間の人は、あの女はやきもちやきだろうと、思ったくらいだった。しかし、夫は、|嫉《しっ》|妬《と》をおこさせるようなことは、何ひとつしたことはなかった。そして、じっさい、夫婦のあいだには、つれない言葉など、ひとことも交わされたことはなかった。
不仕合せなことには、おかめはからだが弱かった。連れそってから二年もたたないうちに、おかめは、そのころ土佐ではやっていた病気にかかった。そして、どんな名医も、おかめの病気を直すことはできなかった。この病気にかかった者は、食べることも飲むこともできず、病人は、たえずうとうとして、ものうく、妙な夢にうなされるのだった。そして、おかめも、日夜手あつい看護をうけながらも、日ましに弱ってゆき、とうとう自分でも助からぬことが、はっきりわかってきた。
それで、おかめは夫を呼んで言った。
「このなさけない病気のあいだ、どれほどやさしくしてくださったか、とても口では言えません。ほんとに、こんなにやさしくしてくださるかたは、どこにもありません。でも、それだけにいっそう、いま、あなたの側をはなれるのが、辛うございます。……まあ、考えてもみてください。わたしは、まだ二十五にもなりません。それに、世の中でいちばんよい夫をもっています。それなのに、死んでゆかねばなりません。……ああ、だめ、だめです。気休めなど言われても、むだでございます、どんなにりっぱな漢方のお医者さまでも、わたしの病気はどうにもなりません。もう二、三か月は、生きていられると思っておりましたが、けさほど鏡にうつった顔をみまして、きょう死ぬことがわかりました。――そうです、ほんとにきょうです。それで、あなたに、していただきたいことがございます。――わたしが、ほんとに仕合せに死んでゆけるようにと、願ってくださるようでしたら」
「まあ、なんのことかお話しよ」と八右衛門は答えた。「わたしの力でおよぶことなら、そりゃもう喜んでやるよ」
「いえ、いえ、――それが、あなたのお喜びになるようなことではありません」と、おかめは答えた。「あなたは、まだたいそう若いんですもの。こんなことをお願いしても、とても無理だと思います。でも、そのお願いは、わたしの胸のなかで、火のように燃えております。死ぬまえに、ぜひ申しあげておかねばなりません。……ねえ、あなた、わたしが亡くなったあと、おそかれ早かれ、家の人たちが、後妻をすすめましょう。で、約束してくださいましょうか――お約束できまして――二度と嫁はもらわないと?……」
「なんだ、それしきのことか」と、八右衛門は大きな声で言った。「まあ、それくらいの願いなら、わけなく聞いてあげるよ。おまえの|後《あと》|釜《がま》に、だれももらわないと、心をこめて約束するよ」
「ああ、うれしい」と、おかめは、寝床からなかば起きあがって叫んだ。「まあ、それをお聞きして、ほんとに安心いたしました」
こう言うと、おかめは、ぱったり倒れて死んだ。
さて、おかめが亡くなってから、八右衛門の健康が、だんだん衰えてゆくようであった。はじめのうちは、彼の様子が変ったのは、無理もない悲しみのせいだとされて、村の人たちも、「なにしろ、あのひとは、たいそう女房思いだったんだから」くらいにしか言わなかった。ところが、月日がたつにつれて、八右衛門は、ますます顔の色が青ざめ、からだも弱ってゆくばかりで、とうとう人間というよりは、むしろ幽霊のように見えるほど、やせ衰えてしまった。そこで、村の人たちも、ただ悲しみだけで、あんな若者が、こうも急にやせ衰えてゆくわけがわからないと、不審に思いだした。医者たちは、八右衛門の病気はありふれたものではない、どうもこの容態のわけがよくわからんが、なにかよほど並ならぬ心のわずらいから来ているように見受けられる、というのであった。八右衛門の両親も|息《むす》|子《こ》に聞きただしてみたけれど、なんのかいもなかった。当人の言うのには、お父さんやお母さんが、もう知っていられることのほかには、べつに悲しみのもとになるようなものはありません、とのことだった。両親は再婚をすすめたが、亡くなった妻との約束は、どうしても破る気にはなれない、と言ってきかなかった。
それからのちも、八右衛門は、日にまし目に見えて、弱ってゆくばかりだった。それで、家の者たちも、とても助かるまいと|諦《あきら》めていた。ところが、ある日のこと、母親は、何かきっと隠しだてしていることがあるにちがいないと思って、からだが衰えてゆくほんとうの原因を打ちあけてくれるようにと、しんけんに頼んだ。そして|倅《せがれ》のまえでさめざめと泣いたので、八右衛門も、母親の切なる頼みを、拒むことはできなかった。
「お母さん」と八右衛門は言った。「こんなことは、お母さんにも、だれにも、なかなか言いにくいことで、また何もかも申しあげてみたところで、とても本当になさりはしますまいが、じつは、おかめは、あの世で|成仏《じょうぶつ》できないでいるのです。そして、いくら供養をくりかえしてみても、なんのかいもありません。おおかた、わたしが、|冥《めい》|土《ど》の旅について行ってやりでもしないことには、とても成仏などできないかも知れません。と申しますのは、おかめは、毎晩のこと、ここへ帰ってきて、わたしのそばに寝るのです。葬式の日から、ずっと毎晩、帰ってきているのですよ。それで、わたしも、ときにはどうかすると、おかめはほんとに死んだのだろうかと、首をかしげることもあるくらいです。なにしろ、あれの顔付にしても、振舞にしても、生きていた時のとおりなんですからね。――ただ、話をするとき、声が小さいだけです。それに、おかめは、自分がここへ来ることは、だれにも|洩《も》らしてくれるなと、いつも頼みます。おおかた、わたしにも死んでもらいたいのでしょう。わたしも、自分のためだけなら、生きたくはありません。しかし、たしかに、お母さんも言われるように、わたしのからだは、ほんとに両親のもので、まずふた親に孝養をつくさねばなりません。それでいま、お母さん、ほんとのことをすっかり申しあげるのです。……そうです。おかめは、毎晩わたしがちょうど眠ろうとするときにやって来て、明けがたまでおります。そして、お寺の鐘が聞えると、すぐ帰ってゆきます」
八右衛門の母親は、これを聞くとたいへんおどろいた。そして、さっそく|檀《だん》|那《な》|寺《でら》へいそいで行って、住職に倅の言ったことをすっかり打ちあけ、仏の助けをもとめた。住職は、高齢で経験をつんだ坊さんで、べつにおどろきもせず、一部始終の話を聞いてから、母親にむかってこう言った。
「このようなことが起ったのは、わしの経験でも、はじめてのことじゃない。御子息は、わしの手で救ってあげられると思う。しかし、ほんとにあぶない瀬戸際におられる。わしの見たところ、御子息の顔には、死相があらわれておる。もし、おかめさんがもう一度でも帰ってきたら、御子息はまたと日の目は見られませんぞ。御子息のためにやれることはなんでも、早急にせねばならん。このことについては、御子息には何も言わぬようにして、できるだけ早く、両家の縁者のかたがたを集め、すぐさま寺へ来られるよう、お伝えください。御子息のために、おかめさんの墓をあけねばなりませんから」
そこで、|親《しん》|威《せき》の者たちは寺に集まった。住職は、墓をあける承諾をうると、みんなを墓地へ案内した。それから、住職のさしずで、おかめの墓石が取りのけられて、墓があけられ、|棺《かん》が持ちあげられた。そして、棺の|蓋《ふた》がとられたとき、居合せた者たちはみんなぎょっとしてしまった。というのは、おかめは、みんなのまえに、顔にえみをうかべながら正座して、病気になるまえと同じように美しく見え、死んだ形跡などすこしもなかったのである。しかし、住職が、おかめの遺骸を棺のなかから取りだすように、手伝いの者たちに言いつけたとき、一同のおどろきは恐怖にかわった。それは、あれほど長いあいだ、正座のままでいたにもかかわらず、おかめの|遺《い》|骸《がい》は、触ってみると、なまあたたかく、生きているように、まだしなやかだったからである。
遺骸は、安置堂に運ばれた。そこで、住職は筆をとって、遺骸の額や腕や手足に、なにか貴い|魔《ま》|除《よ》けの文句を|梵《ぼん》|字《じ》で書きつけた。そして、遺骸をもとの場所へ葬るまえに、おかめの霊魂のために、|施《せ》|餓《が》|鬼《き》をおこなった。
おかめは、二度と夫のところへ来なくなった。そして、八右衛門は、しだいに元どおり丈夫なからだになった。けれども、彼がいつまでも約束を守りつづけたかどうか、日本の物語作者は語っていない。
[#地から2字上げ]――「骨董」より
蠅のはなし
いまから二百年ばかり前のこと、京都に|飾《かざり》|屋《や》|久《きゅう》|兵《べ》|衛《え》という商人が住んでいた。店は、|島《しま》|原《ばら》道からすこし南によった|寺《てら》|町《まち》通りという街にあった。久兵衛は、|若《わか》|狭《さ》の国の生れの、たまという女中を使っていた。
たまは、久兵衛夫婦から、やさしく遇されていたので、主人夫婦には、心からなついているようだった。ところが、たまは、ほかの娘たちのように、美しく着飾ろうなどいう気持はまるでなく、幾枚もきれいな着物をもらっていながら、休みの日でも、いつも仕事着のままで出かけるのだった。たまが久兵衛のところへ奉公にきてから、五年ばかり経ったころの、ある日のこと、久兵衛はたまにむかって、どうしておまえは、身なりを小ざっぱりするように気をつけないのか、と尋ねてみた。
たまは、この小言がましい問に、顔をあからめながら、いんぎんに答えた。
「ふた親が亡くなりましたとき、わたしはまだ小さな子供でございました。そして、ほかに子供がありませんでしたから、ふた親の法事をするのは、わたしの務めとなったのでございます。そのじぶんには、まだ法事などするほどのお金を手にいれることはできませんでしたが、それだけのお金がいただけるようになりましたら、さっそく父母の|位《い》|牌《はい》を|常楽寺《じょうらくじ》というお寺へおさめ、法事をしていただこうと、心にきめたのでございます。そして、この決心をはたそうと思いまして、お金や着るものをつづめてまいったのでございます。自分のなりふりをかまわぬ女だと、旦那さまに気づかれたくらいですから、わたしも、あんまりつましくし過ぎたのかもしれません。でも、ただいま申しましたような目あてのお金を、もう銀百|匁《もんめ》ほども、貯めることができましたので、これからは身なりもすこしはきれいにして、旦那さまのまえに出るようにいたしましょう。そういうわけでございますので、これまでのだらしなさや、ぶざまなところは、どうかおゆるしくださいませ」
久兵衛は、この率直な打明け話に、心をうたれた。それで、彼はこの女中に言葉やさしく話しかけ、これからはどんな身なりでも思いどおりにやるがよいと、よく言いふくめ、かつその親孝行をほめてやった。
二人がこんな話をしてから間もなく、たまは両親の位牌を常楽寺におさめて、それ相応の法事を営んでもらうことができた。かねて蓄えておいた金のうちから、七十匁をこれに費した。そして、残りの三十匁を、たまは、おかみさんに預かってもらうように頼んだ。
ところが、その翌年の冬のはじめに、たまは急病になった。そして、わずかな|煩《わずら》いのあと、|元《げん》|禄《ろく》十五年(一七〇二年)一月十一日に、死んでしまった。久兵衛夫婦は、たまが死んだので、ひどく心をいためた。
さて、それから十日ばかりしたころのこと、たいへん大きな|蠅《はえ》が一匹、家のなかへ飛んできて、久兵衛の頭のうえを、ぐるぐる舞いはじめた。これを見ると、久兵衛はおどろいた。なぜかというと、いったい蠅というものは、どんな類のものでも、ふつう大寒のじぶんに出てくるものではないうえに、こんな大きな蠅は、あたたかい季節ででもなければ、めったに見られるものではないからである。久兵衛は、あんまりその蠅がしつこくつきまとって、うるさいので、わざわざそれをつかまえて、家のそとに出した。なにぶん信心家なので、そのさい、蠅をすこしも損わないように気をくばった。ところが、蠅はすぐまた、もどってきた。それで、またつかまえて、追いだした。しかし、またもや、はいってきた。久兵衛の女房も、これは妙なことだと思った。「もしかしたら、たまじゃないかしら」と女房は言った。〔というのは、|亡《もう》|者《じゃ》――ことに|餓《が》|鬼《き》|道《どう》におちる者は、どうかすると虫の姿になって、この世にかえってくることがあるからである〕久兵衛は笑って、「じゃ、目じるしをつけておいたら、わかるだろう」と答えた。そして、蠅をつかまえて、羽の両端をすこしばかり|鋏《はさみ》で切ってから、こんどは、家からずっと離れたところへ持っていって、放してやった。
次の日になると、その蠅は、またもどってきた。久兵衛は、蠅がこうたびたびもどってくることに、なにか霊的な意味があるのかどうか、まだはっきり、|納《なっ》|得《とく》がいかなかった。で、またもや蠅をつかまえて、羽とからだに|紅《べに》をぬりつけ、前よりもさらに、家からずっと遠いところへ持っていって、放してやった。ところが、それから二日たつと、蠅はすっかり紅をつけたまま、もどってきた。そこで久兵衛は、もう疑わなくなった。
「なるほど、これはたまにちがいない」と彼は言った。「あの子は、なにか欲しいものがあるんだな。――だが、いったい何が欲しいんだろう?」
女房はこう答えた。
「わたし、たまのためたお金を、まだ三十匁あずかっています。おおかた、あの子は、自分の霊魂の供養に、あの金をお寺へ納めてもらいたいのでしょうよ。たまは、ふだんからいつも、|後生《ごしょう》のことばかり気にしていましたから」
こう言うと、|蠅《はえ》はとまっていた障子窓から、ぽたりと落ちた。久兵衛が拾いあげてみると、その蠅は死んでいた。
そこで、夫婦はすぐ寺へ行って、たまの金を住職に納めることにした。夫婦は、蠅の|死《し》|骸《がい》を小さな箱にいれて、それをいっしょに持って行った。
寺の住職の|自空上人《じくうしょうにん》は、蠅のはなしを聞くと、久兵衛夫婦に、よいことをなされたと言った。それから、自空上人は、たまの霊のために|施《せ》|餓《が》|鬼《き》をおこない、蠅の遺骸に妙典八巻を|読《どく》|誦《じゅ》した。そして、蠅の遺骸をおさめた箱は、寺の境内に埋められ、そのうえに、しかるべき銘をしるした|卒《そ》|塔《と》|婆《ば》が建てられた。
[#地から2字上げ]――「骨董」より
雉子のはなし
|尾州《びしゅう》の国の遠山の里に、むかし若い百姓とその女房とが住んでいた。彼らの家は、山のあいだの|淋《さび》しいところにあった。
ある夜、女房は夢をみたが、その夢で、数年まえに亡くなった|舅《しゅうと》が、彼女のところへ来て、「あす、わしの身にたいそう危いことが起るから、できることなら助けてくれ」と言った。朝になって、女房はこのことを夫に話した。そして夫婦は、その夢のことを語りあった。二人とも、亡くなったおやじさんは何か用があるのだろうと思ったが、このまぼろしの言葉の意味が、なんのことやら、さっぱりわからなかった。
朝飯をすませると、夫は野良へ行ったが、女房は家にのこって、|機《はた》|織《おり》をした。やがて、戸外でやかましくわめき立てる声がするので、女房はびっくりして、戸口に出てみると、土地の|地《じ》|頭《とう》が狩の連中を引きつれて、こっちのほうへ来ていた。それを立ったまま眺めていると、一羽の|雉《き》|子《じ》が、女房のそばをぬけて、さっと家のなかへ飛びこんできた。そこで、女房はふと、ゆうべの夢を思いだした。「おおかた、これはお|舅《とう》さんだろう」と、女房はひそかに考えた。「助けてあげねばならぬ」そこで女房は、その鳥――りっぱな雄の雉子だった――のあとから、急いでうちへはいって、なんなくそれをつかまえ、からの|米《こめ》|櫃《びつ》のなかへ入れて、うえから|蓋《ふた》をしておいた。
すぐそのあとから、地頭の従者が幾人かはいってきて、女房にむかって、雉子を見かけなかったかと尋ねた。女房は度胸をすえて、そんなものは見なかったと答えた。けれども、猟師の一人が、たしかに雉子がこの家に飛びこむのを見たと、きっぱり言った。そこで、一行の者たちは、隅から隅までくまなく覗きこんで探したが、だれも米櫃のなかを|覗《のぞ》いてみることは、思いつかなかった。あちこちと残らず探してみたが、なんの手掛りもないので、雉子はどこかの穴からでも逃げたのだろうと思って、みんな引きあげた。
百姓が家に帰ってくると、女房は、夫に見せようと思って、米櫃のなかに隠しておいた雉子の話をして聞かせた。「わたしがつかまえても、ちっとも手向かいしないんです」と女房は言った。「それに、米櫃のなかでも、たいそうおとなしくしています。こりゃ、きっと、お|舅《とう》さんにちがいないですよ」百姓は米櫃のところへ行き、蓋をあけて、雉子を取りだした。鳥は、すっかり馴れているように、じっと百姓の手にとまって、いかにも見慣れているように、彼をしげしげと眺めた。片方の目がつぶれていた。「おやじは、片方の目が見えなかった」と百姓が言った。「右の目だったよ。この鳥も右のほうが盲だ。こりゃ、たしかにおやじだよ。ごらん、おやじがいつもしたような目付で、おれたちを見ている。……かわいそうに、おやじは、『わしはいま鳥だから、猟師なんかにつかまるよりも、|倅《せがれ》たちに食われたほうがいい』と、考えたにちがいないよ。……それで、おまえがゆうべみた夢のわけが、わかるのだ」こう言いそえて、百姓は、気味の悪いうす笑いを女房のほうへむけながら、いきなり雉子の首をねじあげた。
このむごたらしい仕業をみると、女房は悲鳴をあげ、大声でこう言った。
「まあ、あんたは|極《ごく》|道《どう》な人! 鬼です! 鬼みたような心の者でなけりゃ、とてもこんな真似はできるもんじゃない。……わたしゃ、こんな男の女房になっているくらいなら、いっそ死んだほうがましだ」
こう言うと、女房は|草《ぞう》|履《り》をはく暇もなく、戸口のほうへ飛んでいった。飛びだしたとき、夫が|袖《そで》をつかんだが、それを振りきって逃げだし、走りながらむせび泣いた。こうして女房は、はだしのまま走りつづけ、町へ着くと、すぐさま|地《じ》|頭《とう》の屋敷へいそいで行った。それから、涙をはらはらと流しながら、狩の前の晩にみた夢のこと、雉子を助けようと隠してやったこと、夫が自分をあざけって、雉子を殺したことなど、一部始終のことを地頭に話した。
地頭は、百姓の女房にやさしい言葉をかけてやったうえ、この女をいたわってやるように言いつけた。しかし、夫のほうは、召しとるようにと命じた。
あくる日、百姓は取調べをうけた。そして、雉子を殺した一件の真相を白状させられてから、申し渡しをうけた。地頭は、百姓にむかってこう言った。
「よほどの悪人でなければ、貴様のやったような仕業は、できるものではない。こんなふらちな|奴《やつ》がいるのはこの土地には災難だ。わが領地内の者たちは、みんな親孝行の心がけを重んずる連中だ。そのなかに、貴様のような奴を住まわせるわけにはいかん」
こうして、百姓はこの土地から追いだされ、もし帰ってきたら死罪に処せられることになった。しかし、地頭は、女房にたいしては土地をあたえ、のちによい夫をもたせてやった。
[#地から2字上げ]――「骨董」より
忠五郎のはなし
ずっと以前のこと、|江《え》|戸《ど》の|小《こ》|石《いし》|川《かわ》のほとりに、鈴木という旗本がいた。その屋敷は、中の橋という橋からあまり遠くない|江《え》|戸《ど》|川《がわ》の、川べりにあった。そして、この鈴木の家来のなかに、|忠五郎《ちゅうごろう》という足軽がいた。忠五郎は目鼻立ちのととのった若者で、なかなか愛想がよくて利口で、同役の者からも、たいへん好かれていた。
数年のあいだ、忠五郎は鈴木に仕えてきたが、なかなか身持がよくて、何ひとつ非のうちどころがなかった。それが、とうとう最近のこと、忠五郎が毎晩のように庭を通って抜けだし、夜の明けるすこし前まで、屋敷をあけがちだということを、ほかの足軽が見つけだしたのである。はじめのうちは、この妙な振舞について、当人にはひとことも言わなかった。それは、忠五郎が屋敷をあけるために、べつだん日常の勤めの妨げにはならなかったし、またその原因には、どうやら情事らしく思われるふしもあったからである。ところが、しばらく経つうちに、忠五郎の顔色がだんだん悪くなり、からだも弱ってきたので、同役の者たちも、なにかひどく馬鹿げた真似でも、しでかすようなことがあってはと思って、口出しすることにきめた。それで、ある晩のこと、忠五郎が屋敷を抜けだそうとするところを、相当年輩の家来がわきへ呼んで、こう言った。
「おい、忠五郎。おまえは毎晩のように出かけて行っては、明け方までお屋敷をあけるし、それに見たところ、気分もすぐれないようだ。おまえ、よからぬ連中とまじわって、からだを損っているのじゃないかと、みんな心配している。そこで、おまえのこの振舞に、ちゃんとした申し開きができんようじゃ、わしどもの務めとして、|役頭《やくがしら》までとどけ出ねばならんと思っている。だが、ともかくも、わしどもは仲間同志の間柄なんだから、おまえがお屋敷のしきたりにそむいて夜ぶんに外出するわけを知っておくのが、当をえたことだと思うのだが」
この言葉を聞くと、忠五郎はひどく当惑し、またおどろいたようでもあった。しかし、無言のままちょっと考えてから、忠五郎は庭へ出た。同役の足軽もそのあとからついて行った。二人がほかの者に立ち聞きされないところまで行くと、忠五郎は立ちどまってこう言った。
「もう、何もかもすっかり申しあげましょう。しかし、これはどうか、ないしょにしていただきたいのです。わたしの申すことを、他言でもされると、ひどい災難が身にふりかかってくるかもしれませんので。
「わたしが、色ごとのために、はじめて出歩きはじめたのは、この春のはじめごろ――たしか、五か月ばかり前のことでした。ある晩のこと、両親をたずねてから、お屋敷へ帰っておりますと、表門からあまり遠くない川岸に、一人の女が立っているのが、目にとまりました。その身なりは、身分の高い家の女のようでした。こんなにりっぱな身なりの女が、こんな時刻にこんなところにひとり立っているのは、どうも変だと思いました。しかし、わたしのほうから尋ねる筋合のものではないと思いましたんで、言葉もかけずに、そのままわきを通りすぎようとしたのですが、すると、女のほうからつと前に出てきて、わたしの|袖《そで》を引くのです。見ると、まだうら若い美人でした。
「『あの橋のところまで、お伴をさせていただけませんでしょうか』と、その女は言いました。『すこしお話し申したいことがございますんで』
「女の声は、たいへん物静かな、気持のよいものでした。それに、ものを言いながらにっこり笑いましたが、その笑顔がまた、なんともこたえられないものでした。そこで、わたしは女といっしょに、橋のほうへ歩いてゆきました。すると、そのみちみちで、女は、わたしがお屋敷へ出入りするのを、これまでたびたび見かけて、わたしを慕っていると言うのです。『わたくしの夫になっていただきたいのです』と、女は言いました。『わたくしがおいやでなければ、おたがいにとても仕合せになれますよ』わたしも、これにはどう答えてよいか、わかりませんでしたが、なかなか美しい女だと思いました。
「橋の近くまで来ますと、女は、またわたしの袖を引っぱって、土手をくだってゆき、川ぶちまでつれて行きました。『わたくしについていらっしゃい』と、女は小声で言って、わたしを水のほうへ、引っぱって行きました。御承知のように、あそこは|淵《ふち》になっております。で、わたしは急に女がこわくなり、引き返そうとしたのです。すると、女はにっこり笑って、わたしの手首をつかまえて、こう言いました。『あら、わたくしといっしょでしたら、なにもこわいことなどございませんわ』どうしたことか、この女の手にふれると、わたしは、子供よりもふがいなくなってしまいました。ちょうど夢のなかで|駈《か》けだそうとしても、手や足が動かせない人みたような感じでした。
「とうとう、女は淵のなかへ足を踏みこみ、わたしもいっしょに引きずりこみました。すると、わたしはもう見ることも、聞くことも、感ずることもできなくなりましたが、やがて気がついてみますと、なんだか明りがいっぱいついた大きな御殿みたようなところを、女とならんで、歩いているのでした。べつだん、水に|濡《ぬ》れてもいなければ、冷たくもありませんでした。あたりのものは何もかも、乾いてあたたかくて、きれいでした。自分はいったいどこにいるのやら、またどうしてこんなところへ来たのやら、さっぱりわかりませんでした。女はわたしの手を引っぱって行きました。わたしたちは、部屋から部屋へと――どれもがらんとして|人《ひと》|気《げ》はないが、たいへんりっぱな、ずいぶんたくさんの部屋を通りぬけて、とうとう、千畳敷の客間へはいりました。ずっとむこうの端にある床の間のまえには、灯がともっておりまして、酒盛りでもあるのか、|座《ざ》|蒲《ぶ》|団《とん》がならべてありましたが、お客は一人も見えませんでした。女は、わたしを床の間のそばの上座に案内し、自分はわたしのまえに坐って、こう言うのでした。『これが、わたくしの家でございます。ここでいっしょに暮したら、仕合せになれると、お考えになりません?』女はこう尋ねながら、にっこり笑いましたが、そのほほえみは、世の中の何物よりも美しいと思いました。そこで、わたしも『そのとおり……』と、心から答えたのでした。
「と同時に、ふと浦島の話を思いだしました。そして、ことによったら、この女は天女かもしれないと思いましたが、尋ねてみるのは、こわかったのです。……やがて、女中たちが、お酒とたくさんな|肴《さかな》を持って、はいって来て、それをわたしたちの前にすえました。すると、わたしの前にすわっていた女がこう言いました。『わたくしがお気に召したようですから、今晩わたくしたちの婚礼をいたしましょう。で、これがその婚礼の|御《ご》|馳《ち》|走《そう》でございます』こうして二人は、たがいに|七生《しちしょう》の契りをかわしました。そして、酒盛りがすむと、用意してあった婚礼の間へ案内されました。
「女にゆり起されたのは、夜もまだ明けきらぬころでしたが、女はこう言いました。『ねえ、あなた。あなたはもうほんとに、わたくしの夫でございます。けれど、わたくしの口から申しあげられず、またあなたもお尋ねになってはいけないわけがありまして、二人の祝言はないしょにしておかねばなりません。それに、夜明けまでここへおとめしていますと、わたくしたち二人のいのちにかかわるのでございます。そんなわけで、お願いですから、ただいま御主人さまのお屋敷へおかえし申しても、悪くおぼしめさないでくださいませ。今晩また、それから今後も毎晩、はじめてお目にかかったのと同じ時刻に、お出でくだすってよろしゅうございます。いつもあの橋のそばで、お待ちくださいませ。ながくはお待たせいたしませんから。でも、なによりも、わたくしどもの婚礼のことは、ぜひ内緒にしていただくことを、お忘れないように。もし、だれかにお|洩《も》らしなさるようなことがありますれば、一生お別れせねばならぬようになりましょう』
「わたしは浦島の宿命を思いだしながら、何ごともみんな女の言うままにしようと、約束しました。それから女は、いずれも|人《ひと》|気《げ》のない、美しい部屋をいくつも通りぬけて、わたしを玄関へ案内しました。玄関先で、女はふたたびわたしの手首を握りました。すると、たちまち、あたりがすっかり暗くなり、何もかもわからなくなりましたが、ふと気がついてみると、中の橋のすぐ近くの川ぶちに、ひとりぽつんと立っていました。お屋敷へ帰ってきたときは、まだお寺の鐘は鳴りだしてはいませんでした。
「夕方になって、女の言った時刻に、また橋のところまで行きますと、ちゃんと女が待っていました。前の晩とおなじように、わたしを|淵《ふち》のなかへつれてゆき、二人が新婚の夜をすごした、あのすばらしい部屋へ通しました。それからというものは、毎晩おなじように、その女と会っては別れているような次第です。今晩も、きっとわたしを待っていることでしょうが、あれを落胆させるくらいなら、いっそ死んだほうがよい、と思っております。で、どうしても行かねばなりません。……しかし、かさねてお願いしますが、ただいまの話は、けっしてだれにも洩らさないようにしてください」
年かさの足軽は、この話を聞いて、おどろきかつ心配した。彼は、忠五郎の言うことは、ほんとうだと思ったが、ほんとうのことだけに、なんとなく気味の悪いことが、おこりそうに思われた。おそらく、こんな目にあったというのは、まったく一つの迷い――それも、よからぬ目的で、なにか|魔性《ましょう》の力が引きおこした迷いであろう。それにしても、ほんとうにたぶらかされているとしたら、この若者は、とがめ立てなどするよりは、むしろふびんに思ってやらねばならぬ。それに無理に干渉などすると、かえって損うことになりそうである。そう思って、足軽はやさしく答えた。
「おまうの言ったことは、だれにも話さんよ。――すくなくとも、おまえが達者で生きているあいだは、どんなことがあってもね。じゃ、行って、その女に会ってくるがよい。だが、油断してはいけないよ。どうも、おまえが何かよからぬ魔物にだまされているのじゃないかと、気がかりなんだ」
忠五郎は、この老人の忠告に、ただほほえんだだけで、いそいそと立ち去った。が、それから数刻たつと、忠五郎は、妙にがっかりした様子で、屋敷に帰ってきた。「女に会えたかい?」と年かさの同役が小声で聞いた。「いいえ」と忠五郎は答えた。「いませんでした。あれがいないのは、今度がはじめてです。もう二度と、会ってはくれまいと思います。あなたにお話ししたのが、わたしの手落ちでした。約束を破ったのは、まことに愚かなことでした」相手の老人は、忠五郎を慰めようとしたが、なんのかいもなかった。忠五郎は、ごろりと横になったきり、ものを言わなかった。――まるで、悪寒にでもおそわれたように、頭から足の先までがたがた震えていた。
寺の鐘が夜明けの時刻を知らせるころ、忠五郎は起きあがろうとしたが、そのまま正体もなくぐったり倒れてしまった。あきらかに病気――それも死病だった。そこで、漢方医がよばれた。
「おや、この人には、まるで血がない」と医者は、念入りに見たのち、大声で言った。「血管のなかには、水しかはいっていない。こりゃ、一命をとりとめることは、むつかしかろう。……まあ、なんという|因《いん》|業《ごう》なことか」
百方手をつくして、忠五郎のいのちを取りとめようとしたが、なんのかいもなかった。日が沈むとともに、忠五郎は息を引きとった。そこで、年かさの同役が、一部始終の話をした。
「いや、わたしも、おおかた、そんなことじゃないかと思っていた」と医者は大声で言った。……「それじゃ、どんな力でも、お助けできなかったわけだ。あの女にいのちを取られたのは、この人がはじめてじゃなかった」
「いったい、それは何という女で――何をしている者なんです?」と足軽は尋ねた。「|狐女《きつねおんな》ですか」
「いや、むかしから、よくこの川に出るやつで、若い男の血が好きでね……」
「では、蛇姫ですか――それとも、竜女ですか」
「いや、いや、昼間、あの橋の下にいるところを見たら、いやはや、まったく胸の悪くなるような生き物でして」
「それは、どんな生き物で?」
「ただの|蟇《がま》です。――大きな、ぶざまな蟇ですよ!」
[#地から2字上げ]――「骨董」より
いつもあること
おりにふれて、わたしを訪ねてくる禅家のりっぱな老僧で、生花やその他の、古くからある芸ごとをよくする名人がある。この老僧は、昔ふうのいろんな信仰には反対の教えを説いて、|縁《えん》|起《ぎ》や夢合せなどには、いっさい耳をかさないようにし、ひたすら仏の教えばかりを信ずるようにと、人々をさとしているが、|檀《だん》|家《か》の評判はなかなかよい。禅宗の坊さんで、こんなに懐疑的な人も、ちょっとめずらしい。とはいうものの、このわたしの友人の懐疑も、絶対的なものだというわけではない。というのは、このまえ会ったとき、死人の話がでたが、なんだか気味の悪いことを聞かされたから。
「どうも、霊魂だとか幽霊とかいう話には、わたしは平生から疑いをもっていますよ」と、その老僧は言った。「ときおり、檀家の人がみえて、幽霊を見たとか、ふしぎな夢を見たとかいう話をされますが、よく聞きただしてみると、いつもちゃんと筋のとおった説明がつくものです。
「ところが、わたしも生涯にただ一度だけ、ちょっと説明のつきかねる、妙な目に会うたことがありますよ。そのころ、わたしはまだ年のゆかぬ見習い僧で、九州におりました。そして、|行《ぎょう》――つまり、見習い僧はだれでもみんなやらねばならん|托《たく》|鉢《はつ》――をやっておりました。ある晩のこと、山地を|行《あん》|脚《ぎゃ》しているうちに、ある小さな村に着きましたが、そこに一軒の禅寺がありました。わたしはその寺へ行って、行脚僧のしきたりどおり、一夜の宿を|乞《こ》いました。ところが、住職は、二、三里はなれた村へ葬式に行っていて、年とった|尼《あま》さんがひとり、寺を預かっておりました。その尼さんが言うのに、|和尚《おしょう》さんの留守中にお泊めするわけにはゆかぬ、和尚さんは七日のあいだお帰りになるまい、ということでした。……この地方では、檀家に不幸があると、住職はその家で、七日のあいだ毎日お経をあげて、仏事を行うならわしになっておりました。……そこで、わたしは、食べ物は何もいらぬ、ただ寝るところさえあれば結構だと言い、さらに、なにぶんくたくたに疲れているのだからと、しきりに頼みました。とうとう、尼さんも気の毒がって、本堂の|須《しゅ》|弥《み》|壇《だん》の近くに、|蒲《ふ》|団《とん》をしいてくれました。そこへ横になると、すぐ眠ってしまいました。ところが、真夜中ごろ――たいそう寒い晩でしたが――わたしの寝ているすぐそばで、|木《もく》|魚《ぎょ》をたたく音と、念仏をとなえる人声がするので、目がさめました。目をあけてみましたが、本堂はまっくらで、鼻をつままれてもわからぬほどでした。で、こんな暗がりのなかで、木魚をたたいたり、念仏をとなえたりするのは、いったい、だれだろうかと、いぶかしく思いました。ところが、その音は、はじめはすぐ近くのように思えたが、どうもはっきりしないようでもあるので、これは自分の思いちがいだろう。――住職が帰ってきて、寺のどこかでお勤めをしているのだろうと、わたしは、つとめてそう考えました。こうして、木魚の音も念仏の声も聞きながしながら、また寝こんでしまい、朝まで眠りました。それから、夜があけて、顔を洗い、着物をととのえると、すぐ、年とった尼さんのところへ行って会いました。親切に泊めてもらったお礼を述べてから、わたしは思いきって尋ねてみました。『和尚さんは、ゆうべお帰りになられたようですね?』すると、尼さんはひどく不きげんそうに、『いえ、帰られません。ゆうべ申しあげたとおり、七日のあいだは帰られませんよ』と言うのです。『こりゃ、失礼いたしました。じつは、ゆうべ、どなたか念仏をとなえて、木魚をたたいておられたので、和尚さんがお帰りになられたかと思いました』と、わたしは言いました。すると、尼さんは大きな声で、『ああ、あれは和尚さんではありません。檀家のかたですよ』と言いました。なんのことだか、尼さんの言うことが、さっぱりわからんので、『どなたです?』と尋ねますと、尼さんが答えて言うのには、『そりゃ、むろん死んだ人ですよ。檀家の人が亡くなると、いつもそういうことがあります。その仏が、木魚をたたき念仏をとなえに来るのです』……この尼さんは、もうながねん、こんなことには慣れっこになっているんで、わざわざ話すほどのものではない、といったような口ぶりでした」
[#地から2字上げ]――「骨董」より
鏡の乙女
|足《あし》|利《かが》将軍時代に、|南伊勢《みなみいせ》の|大《おお》|河内《こうち》大明神の社殿が、|朽《く》ちてしまった。ところが、この土地の大名|北畠《きたばたけ》侯は、戦争やその他の事情のために、みずから社殿の修理を図ることができなかった。そこで、神社の|宮《ぐう》|司《じ》|松《まつ》|村《むら》|兵庫《ひょうご》が、将軍に信望があると知られていた大名細川侯に助力をもとめに京都へのぼった。細川侯はこの宮司をねんごろに迎えて、大河内大明神の社殿|腐朽《ふきゅう》のありさまを、将軍に言上しようと約した。しかし、細川侯は、いずれにしても、社殿修理の許しは、しかるべき取調べをしたうえでなくては|下《さが》らぬのだから、|日《にっ》|子《し》も相当かかると思われると言って、事がまとまるあいだ都にとどまってはどうかと、松村にすすめた。そこで松村は、家族の者を京都へつれてきて、むかしの|京極《きょうごく》あたりに、家を一軒借りうけた。
この家は、きれいで広かったが、ながいあいだ空家になっていた。なんでも、不吉な家だという|噂《うわさ》だった。家の東北側に、井戸が一つあって、この井戸に、以前に住んでいた人たちが、これという|謂《い》われもないのに、幾人も身投げしていたのである。しかし、松村は神官だったから、|悪霊《あくりょう》などすこしも恐れはしなかった。そして、すぐ、この新居で、たいへん気持よく暮らすようになった。
その年の夏に、ひどい日照があった。幾月も、|五《ご》|畿《き》|内《ない》に、雨は一滴も降らなかったので、川床は|涸《か》れ、井戸はひあがり、都でさえ|水《みず》|飢《き》|饉《きん》になったのだった。ところが、松村の庭の井戸は、あいかわらず、水があふれるほどで、その水は、たいへん冷たくて澄みわたり、ほんのり青味をおびていて、泉からでも流れこんできたようだった。暑い季節のあいだ、都の諸所方々から、ずいぶんたくさんの人たちが、水をもらいにやってきたが、松村は、欲しいだけいくらでも|汲《く》ませてやった。それでも井戸水は、すこしも減る様子は見えなかった。
ところが、ある朝のこと、近所の家から水汲みにきた一人の若い下男が、死体となって井戸に浮んでいた。身投げの原因など、ひとつも考えられなかった。それで松村は、この井戸にまつわる気味の悪い話をいろいろ思いだしたすえ、これには何か目に見えない|怨《うら》みがひそんでいるのではないかと、疑いはじめた。そこで、彼はそのまわりに垣を作らせようと思って、井戸をしらべに行った。そして、一人でそこに立っているうちに、なにか生き物でもいるように、水の中がとつぜん動いたので、松村はびっくりした。まもなく、その動きがやんで、静かな水面に、見たところ十九か二十ばかりの若い女の姿が、くっきりと映っているのが見えた。しきりに化粧をしているらしく、唇に|紅《べに》をさすのがはっきり見えた。はじめは、横顔だけしか見えなかったが、ほどなく彼のほうを向いて、にっこり笑った。松村は、たちまち心に異様な衝動を感じ、酒に酔ったときのように目がくらくらした。そして、何もかも暗くなり、ただ女の笑顔だけが、月光のように白く美しく浮び、それがさらに、たえず美しさを増すように思われ、また自分を下へ下へと|暗《くら》|闇《やみ》のなかへ、引きずりおろそうとしているように思われた。しかし、松村は必死となって、自分の意力をとりもどして、目をつぶった。ふたたび目をあけてみると、女の顔は消えうせ、あたりは明るくなっていた。そして彼は、|井《い》|桁《げた》のうえに、うつ伏せによりかかっているのだった。あの目まいが、もうちょっと続いていたら――目のくらむようなあの誘惑が、もうちょっと続いていたら、彼は二度と日の目を見ることはなかったろう。……
家にもどると、松村は、どんなことがあっても井戸に近よらぬよう、まただれにも水を汲ませないようにと、家の者に言いつけた。そして、その翌日、頑丈な垣を井戸のまわりに作らせた。
垣ができてから、一週間ばかりすると、烈風と稲妻と雷鳴とをともなった大暴風雨がやってきて、ながい|日《ひ》|照《でり》もやんだ。その雷鳴はとてもすさまじいもので、都ぜんたいが、そのとどろきにつれて、まるで地震のようにふるえた。三日三晩、どしゃ降りと稲妻と雷鳴とがつづき、|鴨《かも》|川《がわ》はこれまでにないほど|水《みず》|嵩《かさ》を増し、たくさんの橋が流れた。あらしの三日目の夜、|丑《うし》の|刻《とき》に、宮司の家の戸をたたく音がして、うちへ入れてくれという女の声がきこえた。しかし、松村は、井戸で恐ろしい目にあっているので、用心して、その頼みに応じないように、召使に言いつけた。そして、自分で入口に行って尋ねた。
「だれだ?」
すると、女の声が答えた。
「ごめんください。わたくしです――|弥生《やよい》でございます。……松村さまに申しあげたい、ひじょうに大事なことがございます。どうぞ、開けてくださいませ」……
松村はひどく用心しながら、戸を半分あけた。すると、井戸のなかから自分にほほえみかけたのとおなじ、美しい顔が見えた。しかし、今度はにこにこしないで、ひどく悲しそうな顔をしていた。
「わしの家へは入れられん」と|宮《ぐう》|司《じ》は言った。「おまえは人間ではなくて、井戸の者だ。……なんで、あんなに無法に人々をだまして、殺そうとするのか」
井戸の者は、玉をころがすような美しい声で、答えて言った。
「わたくしの申しあげたいのは、じつは、そのことについてでございます。……わたくしは、けっして人間を損ねようなどとは、思っておりません。ところが、あの井戸には、むかしから毒竜が住んでおりました。それが、井戸の|主《ぬし》でございます。そして、あの井戸に、いつも水があふれていますのも、この毒竜のせいでございます。ずっと以前に、わたくしは、あの井戸の水のなかに落ちこみまして、それで毒竜に仕えるようになったのでございます。そして、この毒竜は、人間の血が飲めるように、わたくしに人間をおびきよせて殺させたのでございます。ところが、今後は信州の国の、鳥井の池という大池に|棲《す》むようにと、神さまがお言いつけになりました。そして、毒竜がけっしてこの都に帰らないように、おきめになったのでございます。それで今夜、あの毒竜が行ってしまいましたあと、お助けを願いに出てまいれたのでございます。毒竜が立ち去りましたので、井戸のなかには、もうほとんど水はございません。それで、井戸を探すように、だれかにお言いつけくだされば、わたくしのからだが見つかるでございましょう。どうか、御猶予なく、井戸から、わたくしのからだを救いだしてくださいませ。そうしますれば、きっと御恩返しはいたします」……
こう言って、その女は|夜《よ》|闇《やみ》のなかへ姿を消した。
夜明けまえに、あらしは過ぎ去った。そして日がのぼると、澄んだ青空には、雲の|名《な》|残《ご》りさえとどめていなかった。松村は、朝早く井戸さらえの者をよんで、井戸のなかを探させた。すると、だれもがおどろいたことには、井戸はほとんど水が|涸《か》れていた。それで、わけなくさらえられた。すると、井戸の底から、すこぶる古風な髪飾りと、めずらしい形をした金属の鏡とが出てきた。けれども、|死《し》|骸《がい》らしいものは、|獣《けもの》のものも人間のものも、あとかたさえなかった。
しかしながら、松村は、この鏡が、神秘をとく何かの手がかりになりはしないか、と考えた。というのは、このような鏡は、いずれもおのれの魂をもっているふしぎなもので、それに、鏡の魂というものは、つねに女性だからである。ところで、この鏡はよほど古いものとみえて、ひどく|錆《さび》がついていた。が、宮司の言いつけで、それをたんねんに磨きあげてみると、めずらしく高価な細工品であることがわかった。鏡の裏には、すばらしい模様がついていて、文字もいくつか刻みつけてあった。その文字のなかには、もう判別のつかぬものもあったが、日付の一部と、「三月三日」という意味の表意文字とは、なお読みとることができた。ところで、三月はむかし、「|弥生《やよい》」(いや増す月という意味)と言われたものであり、お祭りの日となっている三月の三日は、いまなお「弥生の節句」と呼ばれている。松村は、あの井戸の女が「弥生」と名乗ったことを思いだして、自分をたずねてきた亡霊は、たしかに鏡の魂にほかならぬと思った。
そこで松村は、すべて、霊魂にふさわしいような考慮をはらって、この鏡を取りあつかおうと心にきめた。そして、鏡をさらに念入りに磨かせ、銀を塗りなおさせたうえ、高価な木で、鏡をおさめる箱をつくらせ、それをしまっておく特別の部屋を、家のなかに用意させた。こうして、その部屋へ、鏡の箱をうやうやしく安置した。ちょうどその晩のこと、宮司がひとりで書斎にすわっていると、思いがけなくも、弥生が彼の面前に姿をあらわした。彼女は前よりも美しく見えたが、その明るい美しさは、清らかな白い雲を通してさしてくる夏の月の光のように、なごやかなものであった。弥生は、つつましやかに松村に|挨《あい》|拶《さつ》したのち、玉をころがすような美しい声で、こう言った。
「|淋《さび》しくて悲しい境涯から、わたくしをお救いくださいましたので、そのお礼にあがりました。……わたくしは、お察しのとおり、じつは鏡の魂なのでございます。わたくしが、|百済《くだら》からはじめてこちらへ連れて来られましたのは、|斉《さい》|明《めい》天皇の|御《み》|代《よ》でございました。そして、|嵯《さ》|峨《が》天皇の御代まで、御殿に住まっていたのでございますが、わたくしを皇居の|加《か》|茂《も》内親王におさずけになったのでございます。その後は、藤原家の家宝となりまして、|保《ほ》|元《げん》時代までそのままでいたのでございますが、そのときあの井戸へ落されたのでございます。あの大戦乱の幾年ものあいだ、わたくしはそこに打ち捨てられたまま、忘れられていたのでございます。その井戸の|主《ぬし》と申しますのは、もとこのあたり一帯にありました大池に|棲《す》んでいた毒竜でございました。その大池が、おかみの命令で、家を建てるために埋められましてからは、毒竜は、あの井戸をわがものにしたのでございます。そして、わたくしは、井戸に落ちましたときから、あの毒竜に仕える身となりまして、たくさんの人たちをおびきよせて殺すよう、毒竜に強いられたのでございます。ところが、神さまが、この毒竜を永久に追い払いになりました。……ところで、ひとつお願いがございます。どうか、わたくしのもとの御主人と血縁のおありになる将軍|義《よし》|政《まさ》公へ、わたくしをば献上していただきとうぞんじます。この最後のお情さえほどこしてくださいますれば、あなたさまに、よい運がむいてまいりましょう。……ですが、また、あなたさまの御身に、あぶないことが降りかかることも、申しあげておかねばなりません。この家には、明日からのち、おとどまりになってはいけません。この家は、こわされてしまいますから」……こう言って注意をうながすと、弥生は姿を消した。
こうして、あらかじめ警告してもらったおかげで、松村はひどい目を見ずにすんだ。あくる日、松村は、家族の者たちと持ち物とを、べつな町へうつした。すると、すぐそのあとで、最初のものよりも、もっと烈しいあらしがおこって洪水となり、そのために、彼が住んでいた家は押し流されてしまった。
その後しばらくしてから、松村は、細川侯の厚意で、将軍義政にお目どおりすることができて、そのふしぎな来歴を書きつけたものといっしょに、鏡を献上した。すると、鏡の魂の予言したことが、事実となってあらわれた。将軍はこのめずらしい贈り物をたいへん喜んで、松村へ高価なものを授けたばかりでなく、大河内大明神の神殿再建に、|莫《ばく》|大《だい》な金を寄進したのである。
[#地から2字上げ]――「天の河縁起そのほか」より
解 説
本訳書は、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)Lafcadio Hearn, 1850―1904. が、日本の伝説や民話などを素材にして書いた短篇物語を、彼の全作中からえらんで、あたらしく訳出、編集したものである。収録した作品は、総数四十二篇におよび、ハーンの有名な怪談と奇談とは、だいたいひととおり、ここに網羅されている。
本訳書におさめた諸作のうち、怪談の部は、ハーンの没後に出版された創作集「怪談」のなかの、怪奇物語でない数篇を除いたあとの作品全部をあつめ、奇談の部は、「知られぬ日本の面影」から「天の河縁起そのほか」にいたるまでの、日本にかんするすべての著作からえらんだもので、念のため、各作品の末尾に、その所属する著書の名を付記しておいた。
怪談と奇談とは、いうまでもなく、ハーンの文学の精髄であつて、これを除外して、彼の文学芸術を語るのは不可能だと言っても、過言ではなかろう。しかも、その大部分が、古くから日本に伝えられている物語を題材にしたものであるのは、偶然なことながら、すくなからず興味のあることである。ところで、ハーンが、文学の領域において、とくに怪奇で異様なものを好む傾向は、ずっと若いころから顕著で、すでにアメリカ時代の著作のなかにも現われていたのであるが、日本のいわゆる幽霊ばなしに興味をよせ、これを自分の創作の素材にしはじめたのは、この国に渡ってきて、|松《まつ》|江《え》で結婚してからまもなく、節子夫人から「鳥取の|蒲《ふ》|団《とん》のはなし」を聞いた|頃《ころ》からだと言われている。
このじぶんから、ハーンは、日本の怪奇物語によって、はじめて自分のほんとうの文学的鉱脈を発見したように、異常な熱意をもって、短篇の創作をはじめたのであった。まず節子夫人の助力のもとに、日本のさまざまな奇書珍籍をはじめ、|巷《こう》|間《かん》に|流《る》|布《ふ》した通俗文芸書や雑誌の類まで渉猟し、さらに出入りの商人や雇人の世間話や身の上話にまで耳をかたむけて、素材をあつめたうえ、そのなかから価値のあるものを採りあげて、長いあいだ構想したのち、おもむろに執筆にかかり、一字一句もおろそかにしないように入念に書いてから、さらに何度も添削し修正をかさねた。こうして、文字どおり粉骨砕身の努力をそそいで仕上げられたハーンの怪談・奇談は、自分では翻案などと|謙《けん》|遜《そん》しているけれど、日本のもとの話とはまるで違った創作となり、ひさしく|塵《ちり》にまみれていた陰惨な幽霊物語や、|抹《まつ》|香《こう》くさい因果ばなしに、新しい詩魂を注入して、何人の追従もゆるさぬ芸術味ゆたかな逸品にまで、仕上げたのである。じっさい、彼の怪奇物語を味読してみると、作品によって多少の差はあるけれど、総じて、端麗高雅なロマンティックな要素と、幽遠淡寂な情趣と、せつせつと胸に迫る哀感と、|凄《せい》|陰《いん》の鬼気ともいうべき怪談的分子と、水のように淡々としたなかに尽きない滋味をたたえた流麗な文体とをそなえていて、世界のゴウスト・ストーリーのなかでも、たしかにユニークなものであることが認められる。
のみならず、ハーンの怪談と奇談とは、たんなる怪奇物語ではなくて、その背後には、つねに深くてあたたかい人間味にあふれた誠実さと、うるわしい詩情とがこめられていて、ここにも、他に見られない特徴がある。すなわち、彼の作品の、一見非現実的な、ときには|荒《こう》|唐《とう》|無《む》|稽《けい》とおもわれる超自然的な話のなかに、いわゆるリアリズムの文学以上に、心魂にせまる人間的な真実さが見られ、すさまじい|妖《よう》|気《き》にみちた描写のかなたに、永遠に見果てぬ人の世の夢と、限りなくうるわしい詩趣とが感じられるのである。たとえば、壇の浦の合戦という日本のロマンティックな歴史的悲劇を背景に、盲目の一|琵《び》|琶《わ》|法《ほう》|師《し》のいたましいエピソードを浮彫りにした比類ない絶品「耳なし|芳《ほう》|一《いち》のはなし」をはじめ、絶体絶命の窮境に追いこまれながら、なお義弟との約束を果さずにはいられない止みがたい一念から、みずから「一日に千里を|往《ゆ》く」魂と化した武士の、悲痛きわまる誠実を、淡彩画風に描いた「約束」や、|陋《ろう》|巷《こう》に生きながら、つねに毅然として権勢に屈することなく、時の独裁者たる織田信長をすら子供扱いにして、芸術の尊厳と真価を説く奇怪な老人を|叙《じょ》した「果心居士」などが、その代表的なものであろう。
このように象徴化された人間的な真実と、夢と詩とが、じつはハーン文学の特性であり生命であって、これがあるがゆえにこそ、もともと古ぼけて陰気な幽霊ばなしを素材としながらも、彼の作品が、今日なおもその新鮮さをうしなわず、おとなのメルヘンとして、いつまでも人々の心を魅するのである。さらにまた、これらの要素をそなえているがゆえに、彼の怪談・奇談が、文学としての価値以外に「日本の魂の発見者」としての役割をも、みごとに果していると、考えられるのである。
ところで、ハーンが、このような特異な仕事をなしえた秘密は、どこにあるのであろうか。――これには、いろいろなことが考えられるのであるが、やはり彼の詩人的な素質に帰するのが、いちばん妥当であろう。何よりも、彼の|波《は》|瀾《らん》にみちた全生涯をふりかえってみると、ハーンはけっきょくのところ、生れながらの詩人であったことが首肯されるのである。形のうえでの詩というものは、あまり書かなかったようであるが、本質的には、たえず永遠の夢をおうロマンティックな放浪の詩人であり、美と真実とを求めてやまぬ人生探求の詩人であり、また万象の背後に不滅の生命を感ずる心霊の詩人でもあった。
ハーンが、ギリシアに生れて、アイルランドに育ち、フランスで学んだのちに、アメリカを放浪し、さらに西インドに遊んでから、ついに東海の孤島――日本に渡ってくるというように、|束《つか》の間も休むことなく、エキゾティックな風光や情緒を追いもとめ、その国々の|斬《ざん》|新《しん》な怪談奇話や、幽玄神秘な伝説口碑や、奇書珍籍のたぐいを渉猟したのも、しょせんは、こうした詩人的な資質の現われに、ほかならなかったのである。また、彼の日常生活にみられる宇宙のありとあらゆるものにたいする広大無辺の愛や、不正や虚偽への仮借することのない批判や、温容な|風《ふう》|貌《ぼう》のうちにひそむ直情径行の一徹な性向や、人や物にたいする甚だしい好悪の念なども、すべて彼の繊細鋭敏で、同時にまた小児のように純真|無《む》|垢《く》の、詩人的な性格にもとづくものであった。のみならず、彼が好んでものした随筆紀行の類も、前述の怪談や奇談と同様、つねにその基調には、あふれるばかりの詩情がただよっており、さらに、スペンサーの進化論に仏教の|輪《りん》|廻《ね》説をたくみに|渾《こん》|融《ゆう》させたところの、彼独特な哲学を、きわめて端的に|叙述《じょじゅつ》した幾多の論文ですらも、究極のところ、たえず彼の心魂に去来する永遠な夢の、|抒情詩《じょじょうし》的な表現にほかならなかったのである。
したがって、ハーンの日本にかんする|尨《ぼう》|大《だい》な著作にしても、彼のこのような詩人的な夢想を、この国の事物にたくしたところが多分にあって、たとえば彼が好んで描いた「旧日本」のさまざまな世態人情にしても、それがたまたま、彼の夢と真実とを芸術的に形象化するのに、好個の題材であったがゆえに選んだもので、かならずしも旧日本の究明のみが、目的ではなかったのである。それだから彼の日本観に、しばしば|贔《ひい》|屓《き》の引き倒しがあり、あきらかな思い過ぎや見当違いが見られ、ときには多少の移り気や気紛れさえ交えられているのも、やむを得ないところである。
要するに、ハーンの文学を鑑賞するうえにも、彼の思想や人物を理解するさいにも、こうした形のうえの詩をうたわぬ詩人たるハーンの本質を、いちおう見究めておくことが肝要であろう。
それから、もうひとつ、ハーンの作品や思想を理解する助けとなるものは、心霊的進化論ともいうべき、ハーン特有な世界観である。彼がまだアメリカを放浪していたじぶんのこと、たまたまハーバート・スペンサーの進化論にふれて、思想的に異常な影響をうけ、人生にたいして新しい目をひらかれたのであるが、その後日本に渡ってきて、この国の文化を研究するようになってからは、彼の進化論的思想は、さらに仏教の輪廻説および神道の祖先崇拝の精神と、微妙な融合をとげて、いちじるしく詩的な風韻と宗教的な神秘性とを帯びるようになり、彼の詩人的な感傷性を別にすれば、ロマンティックな色彩において、どこかニーチェやベルグソンの哲学と一味通ずるところがある、と言われた。
そうしたハーンの思想を、彼の幾多の著作から抽出要約してみると、だいたい次のように言えるだろう。……およそ森羅万象の背後には、一種不可思議な霊的活動が存在していて、この宇宙はけっして固定した物質の世界ではなく、永遠の過去から悠久の未来へと無限に転移する霊的進化の世界であって、つねに万物の奥底には、神秘的な進化の力が働いているのである。すなわち、この宇宙という一大幻像は、たんなる物質の発展と滅亡との交替ではなくて、無限の|輪《りん》|廻《ね》であり果しない転生なのである。したがって、われわれの肉体は、幾万億の生きた実体からつくられた形態であり、われわれの霊魂は、幾億兆の霊魂の複合物である。つまり、われわれは、一人のこらず、過去に生きていた生命の断片の、かぎりない混合体であって、いかなる人間の思想も感情も、|詮《せん》ずるところ、死滅した幾億兆の過去の人々の、感覚や観念や欲望の、集合ないしは再集合にすぎないのである。それゆえ、われわれの歓喜も恐怖も、そして恋愛の情熱すらも、すべて既往の人々の数限りない生活を通じて蓄積された記憶の再現であり、また美的感覚も芸術的技巧も、祖先伝来の経験の復活にほかならぬ、というのである。
こういう観念から、ハーンは、風のそよぎも、波の疾走も、影のきらめきも、日光の動きも、空と海との青色も、陸をおおう静寂も――すべて、自分と同一であると感じて、あらゆるものの背後に、精妙な心霊の働きを観る、という世にもうるわしい詩的な思想を抱くようになり、それが発展して、「万有は一なり」という|汎《はん》|神《しん》|論《ろん》的な世界観となったのである。そして、これが基となって、ハーンは実生活においても、人間はいうまでもなく、牛馬犬猫等の動物、|草《くさ》|雲雀《ひばり》、|蝉《せみ》、|蟻《あり》その他の昆虫類、朝顔や松杉等の草木にたいしても、広大無辺な愛を抱くようになり、また夢を好み、怪談を愛し、さらに美と真実との探求者として、幾多の比類ない物語、随筆、論文を書いたのであった。
こういう次第で、ハーンの心霊的進化論、ないしは進化論的輪廻説は、彼の怪談・奇談と、内面的にふかい連関をもつものであるからして、彼の文学を理解するうえに、前述の詩人的資質におとらず、重要なものである。
ハーンはよく、自分にはなんら天才らしいものは少しもない平凡人であると公言し、つねに好んで|市《し》|井《せい》|陋《ろう》|巷《こう》の人々のあいだに|伍《ご》して、|禽獣《きんじゅう》や昆虫などを心の友としながら、謙虚につつましく生きた。しかし、その見るからに貧弱な|痩《そう》|身《しん》|短《たん》|躯《く》のうちには、つねに不断の聖火のごとき清らかな情熱を蔵していて、たゆまない思索と探求とによって、この|塵《じん》|土《ど》のなかから|永《えい》|劫《ごう》の生命とうるわしい夢とをよびおこし、ひたすらそれらを作品のなかに具象化した。こうして文字どおり「歌わんがためにわれとわが身の心臓を食わねばならぬ人間の|蟋《こお》|蟀《ろぎ》」となって、文学の創造に|渾《こん》|身《しん》の力を傾けつくしたのち、狭心症のために世を去った。
この拙訳が、いくらかでもハーン文学への手引となれば幸甚である。
[#ここから3字下げ]
一九五六年九月
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]訳 者
ハーン小伝
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、一八五〇年六月二十七日に、ギリシアのイオニア諸島中の一つ、サンタ・マウラ島(古名リュカディア)に生れた。父のチャールズ・ブッシュ・ハーンはアイルランド人で、当時ギリシア駐在のイギリス陸軍の軍医であり、母はローザ・テシマといって、土地の娘であった。ラフカディオという名は、その生地のリュカディアにちなんでつけられたものである。
一八五一年に父が西インドに赴任することになったので、ラフカディオは母とともにパリを経て、父の故郷であるアイルランドのダブリンに帰った。しかし、南の国の明るい空と青い海とのあいだで育った母親のローザには、暗くてうそ寒く、それに言語も習慣もちがうアイルランドの生活はたえがたく、周囲の人々とも|馴《な》|染《じ》まなかった。ただ、ラフカディオの|大《おお》|叔《お》|母《ば》にあたるブリネイン夫人がローザに同情し、ことのほかラフカディオを|可《か》|愛《わい》がり、母子ともに自分の家に引きとった。ここで彼らは、しばらく幸福な日を送ることができたが、やがて一八五三年の秋に帰国した父は、いろいろな事情からとかく母と感情の疎隔をきたし、翌年さらに男の子が生れたにもかかわらず、ついに一八五六年に話し合いのうえ離婚して、母はふたたびギリシアに帰り、父はまもなく他の婦人と結婚した。これはラフカディオの性格に非常な影響をあたえ、母親にたいする限りなき同情となり、ひいては東洋への関心の基ともなった。
母親との不幸な生別のあと、ラフカディオは大叔母の家に養われた。そして一八六三年、十三歳のときに、イングランド北部の町のダーラムにあるローマ旧教のアッショー校に入学し、書を読み文を|綴《つづ》り、絵をかいて、楽しく勉学したが、あるとき遊戯の最中に、友人の放った縄の先が顔にあたって、左眼を失明した。
大叔母が親類の者に欺かれて財産を失ったため、一八六六年ごろ、ハーンはアッショー校を退かねばならなかった。その後まもなく、フランスのルーオンに近いイーヴトーにあるローマ旧教の学校に入ったが、学校の規則が|峻厳《しゅんげん》で不愉快をきわめ、二年たらずで退学した。しかし、このとき習得したフランス語のために、後年ゴーティエや、アナトール・フランスや、ロティなどのフランス文学者を、英米の文壇に紹介する先駆者となった。
一八六九年に、まだうら若いハーンは、単身ではるばるアメリカに渡航した。頼みにする大叔母は破産し、父親もすでに世を去っていたので、新大陸でみずから運命を開拓しようと志したのであるが、いくぶんは彼の放浪性にもよるのであった。
ハーンがアメリカで最初におちついた所は、シンシナーティであった。はじめのうちは大叔母からの送金もいくらかあったけれど、それもやがて途絶えてしまい、このころから、彼の生涯で最もみじめな放浪生活がはじまった。
行商人、電信局の配達人、ホテルのボーイなどしながら、辛うじて露命をつないだ。そのうちに、ヘンリー・ウォトキンというイギリス出の印刷業者に見出されて、そのうちの居候となり、働きながら勉強した。一八七四年のはじめに、『シンシナーティ・インクヮイアラー』という新聞の記者となり、これが新聞に関係する端緒となった。彼は主として探訪をやったが、職務に熱心だったので、しだいに重用された。そのころ金主を得て、画家とともに『イー・ジグラムプズ』という絵入日曜新聞を発行して、八号までつづけた。一八七六年には『シンシナーティ・コンマーシャル』に勤めた。こうした多忙な生活のあいだにも、つねに刻苦精励して、幾多の随筆や紀行やフランス文学の翻訳を発表して、しだいに名を知られるようになった。しかし、仕事があまり繁劇なのと、気候が不順なのとのために、ながくこの地にとどまることができず、一八七七年の十月、約八年間文字どおり悪戦苦闘したシンシナーティを去って、メキシコ湾にのぞむニュー・オーリアンズにおもむいた。
この南方の都市に移ったはじめは、当分『シンシナーティ・コンマーシャル』に通信を送って生活した。それから半年あまり経った一八七八年の六月に、日刊新聞『デイリー・アイテム』の記者となり、のちにその副主筆となって、さかんに社説や評論を書き、一時は漫画までも描いた。一八七九年には、生活の局面を打開するために、ある人と共同で「|不景気《ハード・タイムズ》」という五セント料理店をはじめてみたが、その名にそむかず不景気で、ただちに廃業した。かくて一八八一年には、土地の大新聞『タイムズ・デモクラット』に入社し、その文学部編集長となった。ニュー・オーリアンズ在住の約十年間に、『クレオパトラの一夜その他』をはじめとして、『異文学遺聞』、『ゴムボー・ゼベス』、『ラ・クジーヌ・クリオール』、『ニュー・オーリアンズの歴史的スケッチおよび案内記』および『支那怪談』など数冊におよぶ小説、随筆、紀行、翻訳をつぎつぎに|上梓《じょうし》して、文名はますます高くなった。一八八七年の六月にニュー・オーリアンズを去って、ニュー・ヨークにおもむいた。
やがて、七月には、ハーパー書店から雑誌の通信員を依頼され、西インドのマルティニーク島へ渡った。ここに彼は、前後十か月ちかく滞在していたが、熱帯の気候と虚偽のない自然の生活とが、これまで過したどこよりも彼の気にいった。一八八九年に出版した小説『チタ』、およびその翌年出版した小説『ユーマ』、紀行『仏領西インドの二年間』は、すべてこの地方に取材したものである。なお『チタ』は、一八八八年にアメリカ一流の大雑誌『ハーパーズ・マンスリー』に掲載されて、彼の文名を確立したものである。
かくて一八九〇年に、ハーンはハーパー書店とカナダ太平洋汽船会社とから、いくぶんの援助をえて、日本行きを思いたった。かねてから日本にかんする多くの書物を読み、相当の予備知識と|憧《どう》|憬《けい》とをもっていたので、この機に思いきって決意したものであった。そして三月に、彼の記事に挿画をかく一画家とともに、ニュー・ヨークを出発し、同年すなわち明治二十三年の四月に、横浜に到着した。彼が四十歳の時であった。ところが、ハーパー書店との契約にかんして、不快の念をいだくようになり、ただ一回だけ途中の航海日誌を送っただけで、解約してしまった。それから、一時身のふりかたに迷ったが、ちょうどそのとき、|出雲《いずも》の松江中学の英語教師になるように勧められたので、ただちに快諾して、八月のすえ岡山を経て同地に赴任し、九月の新学期から教壇に立った。
松江に落着いたハーンは、もの静かで純朴なこの城下町に、はじめて魂の安息所を見つけて、全生涯を通じて最も幸福な日を送った。彼は学校で楽しく教えるとともに、暇さえあれば松江や近在の神社仏閣等をおとずれて、宿望の日本研究に専念した。こうして、日本にかんする最初の著者である『知られぬ日本の面影』の素材の大部分が得られたのである。十月には、最初にいた材木町の宿屋を引きあげて、末次本町の借家に引越した。十二月二十三日には、土地の士族の娘小泉節子と結婚した。その後の日本にかんする著作は、この夫人に負うところが少なくなかった。翌年の五月には、北堀町塩見縄手の士族屋敷に転居して、ますますこの土地に愛着を感じ、永住の希望さえいだいた。
しかし、彼の健康は裏日本の寒気に堪えられそうもないので、いろいろ思案したすえ、熊本の第五高等中学校(今の熊本大学)に転任することにし、一八九一年(明治二十四年)十一月、土地の人々の熱誠のあふれた見送りを受けて、思い出多い松江を出発した。
熊本では、まず手取本町に住み、それから外坪井西堀端町に転じた。一八九三年(明治二十六年)の秋に長男が生れ、彼の喜びかたは非常なものであった。熊本には満三か年いたが、授業時間数は多く、それに土地の気風にもなじめず、とかく幻滅を感ずることが多かった。そこで、任期が満ちた一八九四年(明治二十七年)の十一月に、熊本を去って神戸におもむき、『神戸クロニクル』の記者となった。なおこの年には、日本研究の最初の著書である『知られぬ日本の面影』を出版した。神戸では、はじめ下山手通りに住み、のち中山手通りに移った。ふるい日本の片影すら見られない神戸の街は、熊本以上に彼の気にいるはずはなかったが、彼の日本文化研究の熱意は、かえってますます高まるばかりで、その結実の一部である『東の国より』および『こころ』を|上梓《じょうし》した。一八九五年(明治二十八年)の秋、かねてから希望していた帰化の手続きをすっかり済ませて日本人となり、小泉八雲と名乗った。小泉は節子夫人の生家の姓であり、八雲は思い出ふかい出雲にちなんでつけたものである。
一八九六年(明治二十九年)九月、東京帝国大学に|聘《へい》せられて、英文学を講ずるようになり、上京して市ガ谷|富久町《とみひさちょう》に居住した。学校の空気はかならずしも彼の好みにあわなかったけれど、教室での講義は熱誠をきわめ、学生の信望を一身にあつめた。なお多忙な教職のあいだにも、創作の筆をゆるめず、六年七か月の東大在職中、『仏土の落穂』、『異国情趣と回顧』、『影』、『日本雑録』、『日本お|伽噺《とぎばなし》』、『|骨《こっ》|董《とう》』などの労作をつぎつぎに出版した。一九〇二年(明治三十五年)の三月、西大久保に新築して居をさだめ、夏はたいてい|焼《やい》|津《づ》ですごした。
一九〇三年(明治三十六年)三月、任期が満ちて東京帝国大学を辞したが、その間多少感情のもつれもあって、学生その他の留任懇請も聞きいれなかった。翌年四月、早稲田大学からの招請に応じて、ふたたび教壇に立って英文学を講じた。このころハーンの文名は世界にあまねく、英米の大学から講演を依頼してきたものも幾つかあったが、健康が勝れないため謝絶した。
一九〇四年(明治三十七年)九月二十六日、彼はとつぜん狭心症にかかって、西大久保の自邸で長逝した。五十四歳であった。九月三十日仏式で葬儀が行われ、雑司ガ谷の墓地に埋葬された。
没後『怪談』、『神国日本』、『天の河縁起そのほか』等の著書を初めとして、書簡、講義、その他の書き物が、年をおうてぞくぞく出版され、ハーン文学にたいする世人の敬愛の念は、ますます深まっていった。
|怪《かい》|談《だん》・|奇《き》|談《だん》
ラフカディオ・ハーン
|田《た》|代《しろ》|三《み》|千《ち》|稔《とし》=訳
平成12年12月8日 発行
発行者 角川歴彦
発行所 株式会社角川書店
〒102-8177 東京都千代田区富士見2-13-3
shoseki@kadokawa.co.jp
本電子書籍は下記にもとづいて制作しました
角川文庫『怪談・奇談』昭和31年11月10日初版刊行
平成11年5月10日98版刊行