オマル・ハイヤーム/黒川恒男訳
ルバイヤート
目 次
はじめに
ルバイヤート
はじめに
ペルシア文学作品中、欧米において、またわが国においてももっとも広く知られているのはオマル・ハイヤームの『ルバイヤート』であると言っても過言ではなかろう。これは十九世紀のイギリス詩人フィツジェラルドのすぐれた英訳に起因することは周知で、この英訳に基づき、わが国でも明治四十一年蒲原有明氏により邦語訳がなされて以来、いろいろな訳がされてきた。昭和二十三年故小川亮作氏は従来の重語訳と異なり、ペルシア語から本格的な拡張高い名訳をなされ、かつきわめて秀れた解説をつけている。訳者も同氏の名訳に負うところ多大である。
オマル・ハイヤームは本名をアブー・ル・ファルジ・オマル・ビン・イブラーヒームといい、ハイヤーム(天幕作りの意)と号した。
彼は一〇四〇年ごろイランの東部にあるニーシャープールの邑《まち》に生まれ、科学史上オマル・ハイヤーム時代を築いたほどの大科学者で、天文学、数学、医学等に精通し、ときの王朝セルジューク朝の王マリク・シャー(一〇七二〜九二年在位)の命によりジャラーリー暦の制定に従事したことは有名である。彼が研究の余暇に詠んだのが『ルバイヤート』で、彼が詩人として令名を謳われるようになったのは死後相当な年数が経ってからである。彼の生涯は、二、三のことを除き詳しいことはほとんど判明しない。彼の没年は一一二三年で、墓は現在出生地ニーシャープールにある。
彼の『ルバイヤート』訳出に際し、従来最大の困難は作品の選定で、異版本が多く、彼の真作と偽作を区別する研究は十九世紀以来多くの東洋学者たちによりなされてきたが、喧々囂々《けんけんごうごう》で、ある学者のごときはオマル・ハイヤームは実際は何も書いてないから、彼の名をペルシア文学史から、抹殺すべきであると暴論をはいたほどである。従来最古の権威ある写本と目されてきたのはオックスフォード大学ボードレイ図書館所蔵の写本で一五八首が収められている。最古とは言え一四六〇〜六一年に書かれたこの写本はオマル・ハイヤーム没後すでに三三八年を経てから写されたものである。フィツジェラルドはこの写本から百余首を検出し、小川氏はこの写本から現代イランの詩人ヘダヤートが検出した一四三首を訳出した。この他に一八六七年パリでニコラが出版したテクストには四六四首、一九三一年テヘラーンでエティサーム・ザーデが出版したテクストには三八〇首が収められ、ルバイヤートの作品数はまったく渾沌状態にあった。
しかし第二次大戦後、この問題の完全な解決とまではいかなくても従来の論争を粉砕する画期的な写本が発見され、この問題はほとんど終止符を打たれた感がする。この写本についてもっとも早く発表したのはテヘラーン大学教授であった著名な大学者アッバース・イクバール(一九五五年没)で、彼は一九四六年イランの文学雑誌「ヤードガール」に論文を発表した。その後このテヘラーン写本は一九五〇年の夏にロンドンに現われ、ケンブリッジ大学図書館に売られた。この写本は一二〇七年すなわちオマル・ハイヤームの死後わずか七五年を経て書かれたもので、三三八年後に移されたボードレイ写本とは比較にならぬほど重要な価値を持っている。これはギヤース・ウッ・ディーン・ムハムマド・ビン・ユースフ・ビン・アリーという者が写した初期ペルシア詩人選集の一部で、この中にはオマル・ハイヤームのルバイヤート二五二首が収められている。しかしこれが彼の全作品ではない。というのは写本の末尾に、オマル・ハイヤームの詩より抜萃と記《しる》されているからである。この二五二首は彼の真作と断定してよいであろう。今後これ以上に古い写本が発見されぬかぎり、この写本はルバイヤートの決定的な写本となるだろう。
訳者はこの写本に基づいて一九五五年モスクワにおいて出版されたテクスト、及び同年テヘラーンで出版されたオマル・ハイヤーム全集に収められたテクスト、ならびにデンマークのペルシア語学者クリステンセンが当時知られた写本十八種を比較検討した結果一二一種を選出して一九二七年に発表したテクストから、特に従来人口に膾炙《かいしゃ》した作品を訳出した。
ルバイヤート
哲理に意味の宝石をちりばめたる人たち、神についてもろもろ語ったが、神秘の糸口だれにもつかめず、無駄口たたいて眠り込んだ。
世の精鋭といわれる人たち、天高く思索の天馬《ブラーク》〔預言者マホメットが天国へ夜旅するのに乗ったといわれる天馬〕にうちまたがり、神を識ろうと努めてみても空のように、心|揺《ゆ》らいで首を振るだけ。
昔いた人も、今いる人もみな次々に跡を追って行く。この世の天国に永久《とわ》に留まる人なく、来ては去り、また来ては去る。
ばらが得られぬなら、茨《いばら》でたくさん、天国の光がささぬなら、地獄の火でたくさん、外皮、庵《いおり》、教長がないのなら、鐘、協会、異教徒帯《ズンナール》〔中世に回教徒以外の異教徒がしめていた帯〕でたくさん。
おお、神よ、わが土を創ったのはそなた、わが衣服を紡いだのもまたそなた。わしが行なうすべての善悪は、そなたがわしに書いたもの。〔回教徒の信仰によると、人間は土で創られ、そのいっさいの行為、世のあらゆる現象は天命《カダル》の支配をうけ、神の書に書き記されているという〕
うるわしい人に微笑《えみ》の唇を授ける運命《さだめ》は、悩む人には苦痛を与える。歓びを授からなくても哀しむまい、千倍の悲しみをうけても楽しもう。
ああ、むなしく過ごしてきたものだ、逆にした大空の碗の中で挽《ひ》かれてきた。ああ、ああ、まばたきするうちに、思いかなわず、消え去ってゆく。
わが面《おも》と髪いかに美しかろうと、チューリップの頬、糸杉の姿のように。永遠の絵師はなぜにこのわたしを、時の花園に飾ったのかわからない。
酌人《サーキー》がわが類《ジンス》とその特異性《ハースセ》を知れば、各|種《ノウ》より百の差《フアスル》を列挙できよう。わが亡きあとも慣例《ラスム》で酒を酌《つ》いだら、わが定義《ハッド》を拡大してくれよう。〔論理学の術語を使用した詩〕
日々の糧、神の定めたものだから、減らしも増やしもすることできない。あるもので満足せねばならないし、ないものにも満足せねばならない。
一一
酌人《サーキー》〔宴席で酒を酌む者で、通常美少年がこの役を務めた〕よ、わが心が手から離れたら、大海原のように拡がろう。愚かさに満ちた狭い器《うつわ》の神秘主義者《スーフイー》は一杯の酒を飲んでも溺れよう。
一二
ああ、青春の書《ふみ》は閉じた、人生の愉しい春も過ぎてしまった。青春という歓びの鳥よ、ああ、いつ来て、いつ飛び去ったのか。
一三
運命《さだめ》の書《ふみ》が手に入るなら、思いのままに記してやろう。この世から一挙に悲しみ消してやり、大空に歓喜の頭をもたげよう。
一四
運《めぐ》る天輪の悪業を視よ、世の友もすべていまはいない。できるだけひとりでいるがよい、あすを求めず、きのうを視ずに今を見よ。
一五
春が来て、冬が去り、人生の頁《ページ》は繰られゆく。酒を飲め、悲しむな、賢者は言った、世を悲しむは毒、酒こそそれを解く薬。
一六
人生が刻一刻と過ぎるなら、楽しく過ごすようにしよう。心せよ、生命《いのち》こそこの世の資本《もとで》、過ぎゆくものは過ぎて行く。
一七
土を手にする壺作りたちよ、理性と知性があるならば、けっしてこねたり、たたいたりするな、亡き父の土だ、大切にせよ。
一八
シャバーン月に酒飲むな、許されない、ラヂャブ月もやめよ。神の月だと人は言う。その月が神と使徒の月ならば、ラマザーン月〔回教暦において、この三カ月は神聖な月とされ、特にサマザーンは断食の月で、日の出より日没まで水さえ飲むことを許されない〕に酒飲もう、われらの月だ。
一九
天輪は賤《いや》しい者にすべてを与える、風呂、水車、地下水にいたるまで。だが貴い者は質入れて夕餉《ゆうげ》のパンを買う、こんな天には放屁《ほうひ》してやれ。
二〇
無常な運命《さだめ》を悲しむな、逝《ゆ》きし人を想い嘆くな。心をよき人の巻髪《ズルフ》にのみ与え、酒なしで、人生をむなしくするな。
二十一
この世にて愛する友は少ないがよく、交わりから離れているがよい。心から信頼するにたる友も、一瞬にして敵になりかわる。〔親友があっけなく死んで悲しませること〕
二二
世の摂理を何も知らぬ者よ、おまえの基礎はむなしく風のよう。その存在は二つの虚無の境界で、おまえのまわりはすべて無だ。
二三
ああ、宝も掌《て》から消え失せた。死神の手でいくたの肺腑《はいふ》は血にまみれた。旅人たちはどうなったかと、知らせにあの世から帰った者はない。
二四
酒飲めば尊大な人もへりくだり、きつい結び目解けてくる。悪魔《イブリース》〔イブリースはアダムへの礼拝、尊敬を拒否して呪われたと言われる〕、一杯の酒を飲んだなら、アダムに二千度ひれ伏したろう。
二五
酌人《サーキー》の衣はジャムシード〔イランの大民族詩『王書』に現われる伝説的な王で、その酒盃には世のあらゆることが映じたと言われている。神話の第一王朝ピーシュダーディー朝の英主であった彼の治世は七百年に及んだ〕の酒盃にまさり、死は永遠《とわ》の生命にまさる。足に踏む土塊もわが目に輝き、その一粒は万《よろず》の陽にまさる。
二六
わしが来てこの世にどんな益もなかった、去ったとて、その栄光ますことない。わが耳はだれからも聞いたことがない、わしが来て去るのはなんのため。
二七
悦んで美酒《うまざけ》を飲めばかならず悲嘆にくれるわが心。わがパンに他人《ひと》の塩をつければ、かならず痛むわが心。
二八
酒甕《さけがめ》の蓋、ジャムシードの王国より楽しく、一杯の酒、マリアの糧〔聖母マリアが陣痛をおこしたとき、神より授かった糧(『コーラン』一九・マルヤムの章)〕より楽しい。酔いどれの胸よりいずる暁の溜め息は、ブー・サイード、アドハム〔二人とも中世イランの有名な神秘主義者《スーフイー》。ブー・サイード(一〇四九没)、アドハム(約七七七没)〕の嘆きより楽しい。
二九
おととい壺つくりのもとを通ると、土でたえず腕前をみせていた。盲《めくら》の人には見えなくても、私は壺作りの掌《て》に父祖の土を視た。
三〇
マギー〔イランにおいてイスラーム期以前の国教だった拝火教の僧侶〕の酒で酔ってるなら、そうだ。人を恋い、放縦で、偶像崇拝者というなら、そうだ。他人《ひと》がなんと思っていようが、わしは自分を知っている、あるがままだ。
三一
いつまで眉をひそめて悲しむのか、嘆いたとて、旅人は帰らない。われらのことは手にあまる、運命《さだめ》に従え、それが賢明。
三二
酌人《サーキー》よ、ばらや若草が盛りになった、愉《たの》しめよ、七日もすれば散ってゆく。さあ、酒を飲み、早く花を摘め、ばらが散り、若草の枯れぬ間に。
三三
わたしは去るのが怖くない、あの世はこの世より楽しかろう。わが命は神からの借りものだ、返すときがきたら、いさぎよく返そう。
三四
世とよばれるこの古い旅籠《はたご》は、朝と夕べの二色の憩いの場。いくたのジャムシードが子孫の宴《うたげ》の場、あまたのバハラーム〔イランのサーサーン朝の王朝の名〕が眠る奥津城《おくつき》。
三五
われらの去来《ゆきき》でなんの益があろうか、生命《いのち》の縦糸が横糸と交わるのはどこだ。あまたの浄い人、天輪の火により、焼かれて灰になる、煙はいずこ。
三六
久遠《くおん》の神秘はわれらにはわからない、運命の謎はわれらには解けない。幕のうしろでわれらの話し声がする、幕がおりたら、われらはもういない。
三七
つかの間の命だ、楽しみを追うな、一粒の土もケイコバード〔『王書』に現われるイランの伝説的な王者の名〕やジャム〔ジャムシードを縮めた名〕だ。世の様子《さま》も、いやこの宇宙でさえも、夢だ、幻だ、妄想だ、一瞬だ。
三八
ああ、憩いの場があればなあ、この遠い旅路にたどりつくとこあればなあ、十万年も経たあとで、土の下から、若草のよう、芽が出る希望あればなあ。
三九
美女がもし紅玉の唇をわれによせ、生命《いのち》の水が葡萄液のかわりにあり、ヴィーナスが楽《がく》を奏《かな》で、イエスを友としても、心に憂いあれば、どうして愉しかろう。
四〇
運命の打球棒で球のようにころがされ、左右にとんでも、何も言うな。おまえを競技に投げ込んだ者が、ただただ知っているだけだよ。
四一
生命《いのち》の書《ふみ》から占いをたててみた。突然神秘主義者が心から叫んだ。月のようなよき人といて、一夜を一年ほどに過ごす人は幸福だ。
四二
移り行く世の出来事を怖れるな、何が起ころうと、ただ一時《ひととき》、怖れるな。この千金の一瞬を愉しく過ごせ、過去を想わず、未来を怖れるな。
四三
二度とこの世に帰れずに、親友とふたたび会えぬのが恐ろしい。この一瞬を恵みと思おう、人生のこの一瞬はまたとあるまい。
四四
久遠《くおん》の飲物、酒をのめ、この世の栄華の源を飲め。酒は火のように燃えるけど、哀しみ癒《いや》す生命《いのち》の水。
四五
真実と確実がつかめないなら、生涯を憶測だけでは暮らせない。酒盃を手から離さずに、酔い、酔わずに楽しむがよい。
四六
愉しい心を哀しみで耗《へ》らせない、楽しいときを苦労の石で砕けない。何が起こるか、だれにわかろう、酒と恋人で安らごう。
四七
天と地の頭に埃《ほこり》をかけてやれ、酒を飲み、月の美女に心をよせよ。参拝の場がなんだ、祈りの場がなんだ、去った人、だれ一人として帰らない。
四八
万物創造の目標はわれら人間、理性よりみれば、われらはその精髄、この円い世界は指環に似て、それで押した印がわれらの姿。
四九
酒を飲むなら、賢者と飲むか、チューリップの頬した美少年と飲むがよい。度を過ごし、たびたび飲んで知られるな、少し飲め、ときおり人目忍んで飲むがよい。
五〇
花もはじらうよき人といて、離すなよ、手から酒盃とばらを。死の風が吹きまくり、花びらのよう、われらの命散らぬ間に。
五一
ばらの面《おもて》に|新春の玉《ノウルーズ》〔イランでは固有の太陽暦が中世より行なわれており、新春すなわち正月は春分の日にあたる〕の玉露は楽しい、花園にうるわしき乙女の顔は楽しい。過ぎたこと何を言っても楽しくない、さあ、過去を語るな、きょうこそ楽しい。
五二
わしは病気で、心も不安、だが酒なしでは生命《いのち》がもたぬ。病気の中でも奇妙な症状、酒を飲まねば治らないとは。
五三
わが心が痛むと、百軒の家は荒れはて、嘆き悲しめば、さらに百軒その恐れある。両|瞼《まぶた》より流れ落ちるは血の涙、瞬《まばた》きすれば洪水がおころう。〔悲嘆を誇張した表現〕
五四
神はわが欲するものを欲せぬなら、わが欲するもの、どうして正しかろう。神が欲するものすべてが正しいなら、わが欲するものすべては邪《よこしま》。
五五
学芸に秀でた人たちは諸学の解明《あかし》に世人の燈《あかり》となったが、この闇の夜からぬけ出ることもなく物語をつぶやいて睡《ねむ》りこんだ。
五六
天と地と大空を創った者は哀しい心になんと焼印を押したことか。あまたの紅玉の唇、月のような顔を地の下の土の筐《こばこ》に入れたことか。
五七
あすのことはきょうわからない、あすのこと思うだけでも気がふさぐ。正気なら、この一瞬を空費するな、余命いくばくかわからない。
五八
一滴の水、大洋に注ぎ、一粒の土、大地に合す。おまえがこの世に来て去るとてなんだ、一匹の蝿が現われて、消えるだけ。
五九
いかほど罪に汚れていても、異教徒のように望みをすてぬ。明け方酔って死ぬとしても、ほしいのはただ酒と愛。寺院《マスジド》、火殿《ケネシユト》〔回教寺院と拝火教の神殿〕はいらぬ。
六〇
友よ、あすを悲しむのはやめよう、千金のこの一瞬を恵みと心得よう。あすこの古びた旅籠《はたご》を立ち去れば、七千年前の人たちに仲間入りしよう。
六一
世の秘密を識る人には、喜怒哀楽はみな同じだ。世の善悪も消え去るのなら、何が苦痛だ、何が薬だ。
六二
腰にたまる一滴の水だったわれら、欲情の炎によって外に出た。あした風がわが土吹き飛ばそう、楽しく酒で過ごそう、この一瞬。
六三
哀しみこらえて、酒盃を手にし、盃をかさねて、心豊かになろう。理性と信仰に三行《みくだ》り半《はん》を書き、葡萄樹の娘〔葡萄酒〕を妻にめとろう。
六四
生命《いのち》の隊商《カーフエラ》は不思議に過ぎ去る、この一瞬を楽しく過ごすがよい。酌人《サーキー》よ、あすをなぜ悲しむのか、酒盃をくれ、夜も更けてゆく。
六五
わが胸に美女への思いあればなあ、わが掌《てのひら》にいつも葡萄の液があればなあ、神が悔いさせようと言うけれど、後悔なんてするものか。
六六
陽《ひ》が高殿《たかどの》に曙《あけぼの》の輪なわを投げ、ケイホスロー〔イランの神話王朝カヤーニー朝の英主。東の空が赤くなるのを、盃に紅の酒をつぐと表現している〕は盃に酒を注ぐ。酒を飲め、暁に愛を告げる声〔回教の一日五回の礼拝の中で、暁の礼拝を告げる声〕は、飲めと叫ぶよ、つね日頃。
六七
おお、法官よ、われらはおまえより忙しい、酔ってはいても、おまえより正気だぞ。われらは葡萄の血、おまえは人の血を吸う、いずれが吸血鬼か裁いてくれ。
六八
いつまで偽りの世にあって、いつまで命の酌人《サーキー》はわしを苦しめるのか、その偽りの手から遁《の》がれ、余命を飲み滓《かす》のように土に棄てたい。
六九
わが心を嘆かせたよき人が、悲しみに捕われの身となった。わしは薬をどこに求めよう、われらの医師《くすし》が病に臥した。
七〇
ひと飲みの酒はカーウース〔イランの神話王朝カヤーニー朝の王者〕の王国にまさり、コバード〔カーウースの父王の名〕の王座、トゥース〔神話時代の英雄〕の領土にまさる。暁に恋する人がもらす嘆きの声は、偽善な隠者の叫びにもまさる。
七一
人生を六十以上と思うなよ、どこへ行くにも酔わずに行くな。頭《こうべ》で酒盃が作られぬうちは、放すなよ、肩より酒壺、手より酒盃。
七二
ときに身を焼かれぬうちに、きょうは互いに酒を酌み交わそう。天輪はわれらが去るときに、末期《まつご》の水を飲む暇《いとま》さえ与えてくれぬ。
七三
いくたの野山をめぐってきたが、めぐったところで、世はよくならなかった。わが生涯苦しかったが満足だ、愉しくなくても、うまく過ごした。
七四
日夜俗世に気をくばる者よ、審《さば》きの日を思わないのか。さあ、われに返り、この一瞬をとくと視よ、月日がかれらをどうするか。
七五
心に理性の文字を刻んだ者は、人生の一瞬たりとも無にしない。神のおぼしめし求めて励んでも、愉しみ選んで酒盃あげても。
七六
われらは浄く無から来て、汚れて去り、愉しくこの世に現われて、哀しく去る。目に涙、心は炎に燃えて、玉の緒むなしくこと切れて、土にかえる。
七七
愛は不滅の大空に輝く太陽、楽しくさえずる花園の鳥こそ愛。夜鶯《ブルブル》のように嘆くは愛でない、死んでも嘆かず、それが愛。
七八
清い酒がない日には、薬も喉《のど》には毒となる。世を哀しむは毒、それを解く薬は酒、酒を飲むなら、毒なぞ気にしない。
七九
ばらの頬に手を出す者は、時の茨《いばら》に心を痛める。櫛を視よ、百度《ももたび》けずられて、美女の巻髪《ズルフ》にたどりつく。
八〇
わたしを創ったあのかたが、天国に入れるか、地獄に落とすかわからない。野に酒盃と竪琴《たてごと》がほしい、この三つがわしの現金、君に天国の手形をやる。
八一
紅《くれない》の酒を二度と飲むまい、酒は葡萄の血、血汐《ちしお》は飲むまいと言うと、理性の翁《おきな》が本気かと尋ねた。冗談だ。飲まずにおれるかと答えたよ。
八二
おお、同心の友よ、酒でわしを元気づけよ、琥珀《こはく》の面《おもて》を紅玉にしてくれ。死んだら酒でわが身を清め、葡萄樹でわが柩《ひつぎ》を作ってくれ。
八三
小川のほとりで、美女と酒とばらが手に入るかぎり、心は躍ろう。うまれ、生きて、死ぬ日まで、飲んで飲んで飲みまくろう。
八四
微風《そよかぜ》でばらの袂《たもと》はほころび、夜鶯《ブルブル》はばらの美に心浮き立つ。花の蔭に来て坐れ、このばらも地上に散って、われらも土と化す。
八五
ハイヤーム、時はおまえに恥じている、日々嘆き悲しむその姿に。瑠璃《るり》から酒を飲め、竪琴の調べと共に、瑠璃が石に投げられぬうち。
八六
よき友よ、またともに会うことあれば、互いの美を喜んでくれ。酌人《サーキー》よ、マギーの酒を掌《て》にしたら、哀れなわたしをしのんでおくれ。
八七
酒場で君に秘密を打ち明けるほうが、君なきメヘラーブ〔回教寺院の中にあるメッカの方向を示す壁龕《へきがん》〕で祈るよりましだ。おお、万物の始めと終りよ、わしを焼こうと、愛《め》でようとごかってに。
八八
神よ、そなたはわが酒盃を砕き、愉しみの扉を閉ざして、紅《くれない》の酒を地にこぼした、酔っているのか、おお神よ。〔オマル・ハイヤームの最大の涜神《とくしん》的表現であろう〕
八九
頭《こうべ》で壺を作るあの壺作り師は、壺作りに妙《たえ》なる腕を振った。世という食卓に壺をさかさにおいて、その中に悲哀を満たした。
九〇
赦《ゆる》しあればわしは罪を怖れない、糧《かて》あればわしは旅路を怖れない。審きの日、慈悲で清まるこのからだ、自分の罪科《つみとが》を怖れない。
九一
天は大地より花を生やし、散らせて、ふたたび地にもどす。もし雲が蒸気のように土を吸い上げたら、審きの日まで、愛する人の血の雨を降らそう。
九二
酒をもし山に注げば踊りだす、酒飲まぬ男子《おのこ》はつまらない。悔いることはない、酒こそは人格を磨く魂だもの。
九三
昨夜|彩《あや》なる壺を石に打ちつけた、酔ったあげくのこの乱暴。壺は身振りでこうつぶやいた、きょうのわが身はあすの君が身。
九五
人智ではかれぬ崇高な神は、わしの信心、不信心を気にしない。罪に酔っても希望《きぼう》はすてない、慈悲に期待をかけている。
九六
墓場に眠る人たちは埃と化して、みなばらばらになってしまった。ああ、どんな酒だろう、審きの日まで、われを忘れ、すべてを知らずにおれるとは。
九七
知の宴《うたげ》で、理が議論して、左右のギリシア人、アラブに語った。「酒許されぬと愚者は言う、どうして聴こうぞ、神は|酒よし《マイサレ》と宣《のたま》った」
九八
さあ、今できうるかぎり、愛する人の心から重荷を取り去れ。このうるわしい王国も永遠《とわ》に続かず、いつかは手から離れ去る。
九九
朝だ、起きよ、おお美少年、透ける酒盃に紅《くれない》の酒を酌んでくれ。この一瞬は浮き世の借りもの、いかに求めても、二度と得られない。
一〇〇
酒は液体の紅玉で、酒壺《しゅこ》はその鉱源、酒盃は肉体で、酒がその魂、酒に微笑《えみ》をうかべる瑠璃《るり》の盃も、なかに秘めるは葡萄樹の血の涙。
一〇一
見せかけだけの信仰の人たちは、魂と肉体とに区別《ファルク》をつける。そこで頭上《ファルク》に酒壺のせたら、わしを鶏と思って、|とさか《ファルク》に鋸《のこぎり》をかけよう。〔頭上の酒壺を鶏のとさかに、とさかを鋸にたとえて、酒のためなら死んでもよいと描いている〕
一〇二
わが悲哀のようにその齢《よわい》長かれと願うよき人、きょうはやさしくなりだした。通りすがりにわたしを一瞥《いちべつ》した、善をなし水に捨てよと言わんばかりに。
一〇三
酒を飲んでも、酔いはしない、酒盃だけにしか手をのばさない。酒をあがめるわしの目的を知れ、おまえのようにうぬぼれない。
一〇四
紅玉の唇《くちびる》もてる酌人《サーキー》は、心のなぐさめ、生命《いのち》の支え。悲哀の洪水で死なない人は、ノアの方舟《はこぶね》に乗る生ける屍。
一〇五
昨夜壺作りの仕事場に行った、二千の壺が喋《しゃべ》ったり、黙ったり。突然一つの壺がこう叫んだ、壺作り、買う人、売る人今いずこ。
一〇六
カーンの王冠、ケイ〔王の称号〕の宝冠、ターバンも売って葦笛《あしぶえ》に替えよう。偽善の徴《しるし》の数珠《じゅず》も売り、一杯の酒に替えよう、突然に。
一〇七
昨夜酔って酒場を通ると、酒壺を肩にした酔いどれの老人を見た。神に対して恥じないかと言ったら、神は寛大、まあ一杯と答えたよ。
一〇八
葡萄樹の無垢《むく》の花嫁、紅の水をこぼすな。汚れた悔悟者の心の血を流しても、二千の偽善者の血を土に流しても、酒だけは地にこぼしてくれるな。
一〇九
神秘の幕《とばり》はだれにもわからない、その仕組みを識る人もいない。われらの宿はただ暗い地のふところ、酒を飲め、この話つきることはない。
一一〇
おお酒よ、そなたはわが恋人。恥なぞ恐れず、わしは飲む。だれが見ようと、何を言おうと酒を飲め、おお酒甕《さかがめ》よ、そなたはどこから来たのだ。
一一一
名声を博するのは面目ない、天輪の無情を嘆くは恥ずかしい。葡萄液の芳香に酔うほうが、禁欲で名をあげるより楽しい。
一一二
そんなに酒を飲むなとか、深酒の口実はあるまいと言われても、よき人の顔と暁の美酒《うまざけ》、こんなに明白な口実があろうか。
一一三
飲んだり着たりする物を、世に求めるのなら赦されよう。残りはすべて価値なき物、心して貴い生命《いのち》をつまらぬ物に売り渡すな。
一一四
無と有の|顕われ《ザーヒル》を知っている、栄枯の密《バーテイン》もみな知っている。それなのに自分の知識が恥ずかしい、酔いの背後の境地を知れば。
一一五
知がほめそやすこの酒盃、愛して額に百度も接吻《くちづけ》をする。時の壺作り師はこの優美な酒盃を作っては、また地上に打ちつける。
一一六
悲しみに夜討ちをかけられぬうち、ばら色の酒を持って来い。愚か者よ、おまえは金ではないぞ、地中にねむり、掘られるような。
一一七
酌人《サーキー》よ、わが嘆きの声は高まり、わしの酔いは度を越した。白髪をいただいても酒は愉しい、頭髪《かみ》は老いても心は春に若返る。
一一八
天はわれらの疲れたからだを結ぶ帯、ジェイフーン〔中央アジアにあるオクサス河〕はわれらが流す涙の痕《あと》。地獄はつまらぬ溜め息の火花、天国は心安らぐこの一瞬。
一一九
酒と恋人わしがとり、寺院《マスジド》、火殿《ケネシュト》は君にやる、わしは地獄に落ちる身で、君は天国。わが欠陥は初発《はつ》の日に、絵師が運命の書にこう記《しる》したのだ。
一二〇
この永い旅路を去った人たち、尋ねたくても、帰って来た人どこにいる。気をつけよ、この貪欲な街道に、何も忘れるな、ふたたび戻ることはない。
一二一
体内に骨と血管あるかぎり、運命の館《やかた》から足を踏み出すな。敵がもしロスタム〔『王書』に現われるイランの伝統的な英雄〕だとて屈するな、友がもしハーディム〔回教期前のアラビアにおいて寛大で有名だった〕だとて物乞いするな。
一二二
早春に天女のような美女がもし、野のふちで、一杯の酒を酌《つ》いでくれたら、この言葉いかに耳に障《さわ》ろうとも、わしが天国を想うなら、犬にも劣る。〔回教において犬は豚と同様に穢れた動物として嫌われている〕
一二三
慈悲深い神に望みを失うな、君の罪いかに深かろうとも。きょう酔いしれて眠っても、あすは朽ちた骨を赦《ゆる》してくれよう。
一二四
酒のほかにはさけるがよい、酒は天幕で美女のお酌にかぎる。酔って彷徨《さまよ》い道に迷うのはよく、天と地で一献《いっこん》の酒ほどよいものはない。
一二五
小川のほとりに生えた若草、天女の唇《くちびる》から生えたよう。心なくその若草を踏みつけるな、それこそ美女の土から生えた若草。
一二六
素面《しらふ》でいれば、歓びは消え、酔えば、頭がおかしくなる。酔いと素面の中間の状態、ああ、それがほしい、それこそ人生。
一二七
酒壺の口に唇《くちびる》よせるのは、長寿をせつに願うため。壺もわたしに口づけしささやいた。われらは同じ身、共に過ごそうこの一瞬。
一二八
掌《て》に紅の酒、乙女の巻髪《ズルフ》に手をおいて、花園の片隅に楽しく坐り、酒を飲み、天の運《めぐ》りを想わない、歓喜《よろこび》の酒に酔いしれるまで。
一二九
悲しみのほかになにも増さぬ天は、連れて来ては、また奪い去って行く。まだ来ぬ人も、運命の仕打ちを知れば、この世になんか来ないだろう。
一三〇
この世でのびのびと生き、神の恵みに満足して暮らし、人生のこの一瞬を大切にして、自由に飲んで生きる人は幸福だ。
一三一
いつまで愚かさをさらしておれよう、自分の無能には愛想がつきた。これからは腰に異教徒帯《ズンナール》をしめよう、罪と回教徒であることを恥じて。
一三二
どうしてふたたび飛びまわれようか、新たな愛をどうして始められようか。一瞬涙で目がくもり、他人《ひと》の顔さえ見られない。
一三三
この天輪はわしと君を滅ぼすため、われらの浄い魂をねらっている。草に坐り、酒を飲み愉しもう、やがてわれらの土から草が生えよう。
一三四
糸杉と百合の花は何ゆえに、自由《アーザード》の異名で知られるか。後者は十の舌〔葉を指す〕でも黙して語らず、前者は二百の舌でも口出さぬため。
一三五
合わせ造った美しい酒盃をこわすのは酔いどれとても許さない。うるわしき乙女の手や顔を、だれを愛して創り、だれを憎んでこわすのか。
一三六
生涯が終わるなら、ニーシャープール〔イラン東部にある昔の町で、オマル・ハイヤームの故郷〕でも、バルフ〔ラーサーン地方でかつて栄えた邑〕でも、酒盃が満ちるなら、甘くとも、辛《から》くとも、酒を飲め、われらの亡きあとに、月は無限にめぐってこよう。
一三七
一瞬でもわが秘密をあかす友はいずこ、太初《はじめ》から人はどうであったかと。哀しみの土で人は創られて、しばしこの世を彷徨《さすら》い、やがて消えて行く。
一三八
時は朝、おお幸運な若者よ、琴をかなでて歌え、酒を持て。数十万のジャムやケイは土の下、夏が来て、冬が去るうちに。
一三九
足すりへらして世をめぐり、真理を求め天地に旅をした人たち。かれらにわかっていたろうか、現実のまことのすがたが。
一四〇
寺院《マスジト》の燈《あかり》、火殿《ケネシュト》の煙はいつまで、地獄の損、天国の得がどれほど。運命《さだめ》の書《ふみ》を視よ、太初《はじめ》から筆の主〔神を指す〕は起こることすべてを書き記《しる》した。
一四一
新たな生命となるこの酒を、たとえ心痛んでも、酒盃に満たし、わが掌《て》においてくれ、世ははかない夢、さあ早く、命は刻々と過ぎて行く。
一四二
われらが去来するこの世には、終りも初めもないのは明らか。この謎を正しく解いた者はない、いずこから来て、いずこに去るのか。
一四三
新春《ノウルーズ》に雲はチューリップの面《おもて》を洗う、さあ起きてしっかり盃に酒をつげ。きょうおまえが眺めるこの若草、あすにはおまえの土から生えよう。
一四四
苦しみ悩むは愚かなこと、自分の分け前、増えるでもなし。太初《はじめ》から書かれたことが、おまえの分け前だ、減るでもなし。
一四五
友よ、すべての秘密を識るなら、なぜつまらぬ嘆きにひたるのか。なにごとも思いのままにならぬなら、せめて今この一瞬を愉しもう。
一四六
だれにも秘密をあかさぬ天輪は、無情にもあまたのマハムード〔ガズニー朝のスルターン〕やアヤーズ〔マハムードの気に入りの奴隷〕を殺めた。酒を飲め、長くもないこの生命《いのち》、この世から一度去ったら帰らない。
一四七
天女がいる天国は楽しいと人は言う、わたしには葡萄の液こそ実《げ》に楽しい。この現金を受け取って、あの手形に手を出すな、太鼓の音、遠くで聞いてこそ楽しい。
一四八
愉しめよ、悲哀は限りなく続き、大空には無数の星がきらめこう。おまえの土で焼かれる煉瓦は、いつか他人《ひと》の館の塀になろう。
一四九
この宿に永遠《とわ》に泊まる身ではない、酒なく恋人もいないのは大きな手落ち。賢者よ、いつまで新旧を語るのか、旅立てば世になんの新旧があろう。
一五〇
おお時よ、自分の非行を認め、無情の庵《いおり》に閉じこもり、悪人を祝福し、善人を罰する、いったいおまえは驢馬《ばか》か低脳か。
一五一
いつも欲情と闘って、自分の行為を悔いている。慈悲で赦してもらえても、したこと見られるは恥ずかしい。
一五二
新酒も古酒も購《あがな》うわれら、二粒の麦に替えて世界を売ろう。死んだらどこに行くかと言うが、酒を持て、すきな所に行くがよい。
一五三
心よ、世の真理が偶然ならば、なぜそんなに長く悲しむのか。運命にすべてを任せて諦めよ、天の筆の跡は消されない。
一五四
ああ、別離とは悲しいものよ、あの裾《すそ》にふたたび触れられたらなあ。君去って千の心は悲嘆にくれる、君帰れば千の生命を捧げよう。
一五五
秘密は人目を避けねばならぬ、愚者には神秘を隠さねばならぬ。おまえは創造物をどうするか視よ、他人《ひと》から報いを期さねばならぬ。
一五六
悲しみに捕われる心は幸福だ、地の下に眠る人は幸福だ。友〔運命〕が射る悲哀の矢に心痛めるな、友がくれるものに愉しめ。
一五七
きょう人を恋し、心を乱し、酒に酔い、乙女の館で酒をあがめて、自己の存在よりすっかり解かれ、神の御前に身を置いた。
一五八
ああ、むなしく人生は過ぎ去った。口にする食物はけがれ、吐《は》く息はよごれ、神の言いつけ守らず、顔をよごし、命ぜられないことばかりした。
一五九
帰依の白珠《しらたま》を爪繰《つまぐ》らなくても、罪汚れの顔をぬぐわなくても、神の恵みを諦めない、一つを二つと言わなかったから〔アッラーは唯一無比で、神を複数視することは最大の罪悪である〕
一六〇
天国に黒い瞳《ひとみ》の美女がおり、美酒《うまざけ》と蜜があると人は言う。この世で酒と恋の礼讃許されるなら、結局は天国もこんなものだろう。
一六一
一片の小麦のパンがあり、一瓠《いっこ》の酒、一切れの羊肉があり、荒野で月の乙女と共におれるなら、王者《スルターン》も及ばぬこの栄華。
一六二
われらの清い魂が身を離れると、われらの墓は他人《ひと》の土でつくられる。われらの骨が土と化すころ、それで他人《ひと》の墓の煉瓦がつくられる。
一六三
罪に汚れた人でさえ、死んだら同じように起きあがれるそうだ。酒と恋に身をやつすわれらを、復活の日には起こしてくれよう。
一六四
おお天輪よ、破滅はすべておまえの悪意、冷酷はおまえの古い生業《なりわい》。おお大地よ、おまえの胸を裂いたなら、いくたの宝が秘められていよう。
一六五
酒飲みは地獄に落ちると人は言う、信じられないばかげた言葉。恋をする人や酒飲みが地獄に行けば、あすを視よ、天国はわが掌《て》のようにむなしかろう。
一六六
みごとに仕上げたこの酒盃、砕いて道端に投げ捨てられた。心せよ、さげすんでそれを踏むな、この酒盃、かつては人の頭《こうべ》だよ。
一六七
知の仕事に努める者よ、無駄なこと、牡牛の乳をしぼるようなもの。愚者の衣をまとうがよい、今日、知では草でも買えぬから。
一六八
ハイヤームよ、どんな罪で嘆くのか、悲しんだとて、なんの甲斐《かい》があろう。罪を犯さぬなら、赦しはしない、赦しは罪のため、何を悲しむ。
一六九
時はあかつき、起きよ、好《よ》き人、静かに酒をくみ、琴を奏《かな》でよ。この世に長く留まる者はなく、去った者一人として戻らない。
一七〇
死神の足下にうなだれようとも、死の手で羽根むしられる鳥になるとも、どうかわが身の土で酒器をつくってくれ、酒の香をかいだら生き返ろう。
一七一
わしが死んだら酒で湯灌して、野辺の送りも美酒《うまざけ》でたのむ。審《さば》きの日にわしに会いたくなったら、酒場の戸口の土からわしを探してくれ。
一七二
酒飲むな、災ふりかかり、審判の日、劫火《ごうか》に焼かれると言う。そのとおり、だが二つの世界で価値あるは、酒で愉しむこの一瞬。
一七三
われらは傀儡《くぐつ》で天が傀儡師、これが真実で喩《たと》えではない。存在という舞台で演じたら、一人ずつ無の筐《こばこ》に落ちてゆく。
一七四
トゥースの城壁に一羽の鳥、ケイカーウスの頭《こうべ》を前におき、ああ、ああと啼いていた、鈴の音いずこ、太鼓の響きはどうしたか。
一七五
そこばくの酒が手にはいるなら、仲間と楽しく飲むがよい。この世を創ったあのかたは、われらのことなど気にかけない。
一七六
天輪よ、おまえはいつもわが心を嘆かせ、わが愉しみの衣を引き裂く。わがはく息を火に変えて、飲む水を口中で土に化す。
一七七
物に悩み、世を悲しんで何になる、永遠《とわ》に生きた人を見たことあるまい。体内の息吹きは借りものだ、借りものらしく生きねばなるまい。
一七八
右手《めて》に経典《コーラン》、左手《ゆんで》に酒盃、ときには如法《ハラール》、ときには不如法《ハラーム》、われらは紺碧の大空のもと、まったくの異教徒《カーフエル》でなし、回教徒《ムサルマーン》でなし。〔回教においては合法的な飲食物が如法《ハラール》、非合法的なのが不如法《ハラーム》で、酒はもちろん不如法である〕
一七九
われらの前にも昼と夜はあった、九重《ここのえ》の大空も運《めぐ》っていた。心して地にそっと足をおけ、その土もかつては乙女の瞳だった。
一八〇
なんの害もないあの酒壺から、盃についで飲め、私にもくれ。この旅路で時の壺作り師が、われらの土で壺を作らぬうち。
一八一
好《よ》き人よ、起きて琴をつまびこう、酒をのみ、名声、悪声にこだわらず、一杯の酒に替えて、拝敷〔回教徒が礼拝のときに使う敷物〕を売り、好評、悪評の器を石に投げつけよう。
一八二
おお友よ、無駄に世を悲しむな、つまらない世を嘆くなよ。あるものは過ぎ去り、何が起こるかわからない、さあ愉しめ、あるなしを悲しむな。
一八三
楽しめ、祭礼《イード》の月が昇ろう、饗宴の支度もみな整おう。やせこけ青ざめ腰をまげた月は、仕方なく悲しんで沈むだろう。
一八四
君を愛し、責められても恥ではない、愛を知らぬ者とはいさかいしない。この愛の飲物は万人を癒す霊薬、酒盃より逃げるのは臆病者。
一八五
この世をつくづく眺めると、すべてむなしいことばかり。わが目に映ることはみな、思いまかせぬことばかり。
一八六
両手を合わせてしまわぬうちは、歓びの足で悲しみを踏みつけよう。明け方まえに朝酒を酌《く》もう、朝はいくたびめぐっても、わが呼吸《いき》はない。
一八七
有名になれば性悪《しょうわる》だと言われ、閑居すればすねていると噂《うわさ》立つ。キザルやイルヤース〔ともに生命の水を発見して飲んだと言われる預言者〕になったとしても、他人《ひと》に識られず、識らぬがよい。
一八八
全智の主が自然の形を創ったのなら、なぜのちに破滅の淵に落とすのだろう。うまくいったなら、こわすのはなんのため、うまくなかったら、いったいだれの科《とが》。
一八九
日と生命《いのち》、増やしも減らしもできぬなら、そんなものに打ち沈んでなんになる。われらのなすこと、手の中の蝋のように、思いのままにはならぬもの。
一九〇
善悪は人間の天性で、哀楽は運命《さだめ》だ、天命だ。天輪にきせるな罪を、理性では天輪はそなたよりはるかに哀れ。
一九一
天空がさかさに伏せた碗ならば、中にいる賢者はすべて哀れな囚人《めしゅうど》。酒壺と盃の友情を視よ、唇がふれれば、紅の血〔葡萄酒〕がかよう。
一九二
さあ、世の楽しみをすべて味わおう、歓喜《よろこび》の園は青草に飾られているが、若草におりる夜露に似て、はかなく明け方消えてゆく。
一九三
世の中で、心はしっかりと、俗事に口を出さぬがよい。目と口と耳が達者であるかぎり、見ざる、言わざる、聞かざるにかぎる。
一九四
美女にかこまれ、酒を飲むのは、隠者の偽善をまねるより楽しい。酒飲みが地獄に落ちるなら、天国の顔を見るのはだれだろう。
一九五
若き日に酒にまさるものはない、うるわしい人と酌む美酒《うまざけ》にかぎる。この世ははかなく、夢のよう、酒に酔いつぶれるにかぎる。
一九六
いつまで色香に迷うのか、いつまで美醜にこだわるか。ザムザム〔聖地メッカにある井戸〕の井戸、生命《いのち》の水も、いつかは地のふところに消えてゆく。
一九七
一杯の酒、百の心と信仰に値し、ひと口の酒、支那の国に値する。紅の酒のほか、この世に何があろう、千の甘い生命《いのち》に値するこの苦《にが》さ。
一九八
チューリップは露にぬれ、花園の菫《すみれ》が頭をたれる朝、好ましいのはばらの蕾だ、裾をしっかりたばねてる。
一九九
老齢は不当な手段《てだて》をもっている、ばら色のわが頬も色はあせ、人生の屋根や扉や柱もみんな崩れて今や荒れ放題。
二〇〇
過ぎし日を想い起こすな、まだ来ぬあすを思い煩《わずら》うな。未来や過去に基礎《もと》おかず、今を愉しみ、人生を無にするな。
二〇一
一瞬たりとも酔わずにおれない、|天命の夜《シャブ・エ・カダル》〔回教暦ラマザーン月の二十七日で、この夜に『コーラン』が啓示されたと言われる〕であろうと酔っている。酒盃に口づけし、酒甕《さかがめ》をだきしめよう、酒壺の首にわが手のとどくかぎり。
二〇二
下戸《げこ》ならば、酒飲みを責めてくれるな、つまらぬ説教よしてくれ。君は美酒《うまざけ》を口にしないと誇るけど、君がする百の悪事に較べれば、酒は罪がない。
二〇三
酒飲めば、おのれを忘れさせ、心の敵も討ち取れよう。素面《しらふ》がなんの役にたつ、行く末案じて悩むだけ。
二〇四
耳をかせ、おお古きよき友よ、定めなき天に思い悩むな。世の片隅に満足してうずくまり、運命の演技を見物しよう。
二〇五
酒甕に禁酒の弊衣《へいい》をかけて、酒場の土で浄めたこの身。酒場でなくしたわが人生を、そこの土から取り戻せよう。
二〇六
世の秘密はわれらの書《ふみ》に記され、わからないのが頭痛の種だ。この世に賢者いないから、われらの胸中わかるまい。
二〇七
わが秘めた想いを君に打ち明けよう、ふた言だけで手短かに。君を愛して地の中に入り、恋しさに土から頭をもたげよう。
二〇八
欲をかかずに、愉しく生きよ、世の善悪の絆《きずな》を断ち切れ。掌《て》には酒、美女の巻髪《ズルフ》にすがれ、この世にいるのもあとわずか。
二〇九
世はおまえのために飾られているのなら、賢者の求めないものを求めるな。人はみな来てはまた去って行く、おのが分け前早く取れ、その身が奪《と》られぬうちに。
二一○
思いどおりにならぬなら、想い努めて何になる。いつまで悲しんでおれようか、おそく来て、早く去らねばならぬ身だ。
二一一
楽しい日だ、暑くなく、寒くない、雲は花の面《おも》からほこりを洗う。夜鶯《ブルブル》は黄色のばらに時の言葉で、酒を飲めとしきりに訴えている。
二一二
世の中で罪犯さぬ人がいるものか、そんな人いたら教えておくれ。わしは罪人《つみびと》、報いはうけよう、だがわしとおまえでどんな違いがあろう。
二一三
神よ、生きているのにあきあきた。悲哀や空虚はもうたくさんだ。無より有を生みだす神よ、有の聖域に無のわしを運んでくれ。〔オマル・ハイヤームの辞世の句と言われる〕
二一四
創造主、こんなわたしを創ったかた、酒と調《しら》べに心を奪われているわたし。太初《はつ》の日、わたしをこんなに創ったなら、なぜに落とすか、地獄の中へ。
二一五
さあ起きよ、移り行く世を悲しむな、さあ坐して、この一瞬を楽しく過ごそう。時に信義があったとしても、順番がおまえまでなかなか廻ってこない。
二一六
嘆いたとてなんの役に立とうか、天輪はあまたの人を蒔《ま》いて刈る。酒盃を満たし、早く掌《て》においてくれ、友と飲もう、なるようにしかならぬ。
二一七
寛大な慈悲深い神よ、罪人《つみびと》をエデンの園よりなぜ追い出す。従う者を赦すのは慈悲ではない、叛《そむ》く者を赦すのが真の慈悲。
二一八
天輪は賢者の思いのままには運《めぐ》らない、天空をすきなよう七つ八つと数えよ。死んですべての願望《ねがい》が消えるなら、墓で蟻、野で狼に喰われてもよい。
二一九
酌人《サーキー》よ、わが心は死者より疲れた、地下の人、わたしより心安らかだ。血涙でいかに衣の裾をぬらしても、涙ではぬぐいきれないわが罪業。
二二〇
生命《いのち》の基を強くしたいなら、心の世界でしばし愁いをすてよ。酒も飲まずにぼんやりするな、人生の喜びを一瞬でもほしいなら。
二二一
世を嘆くは毒、それを解く薬は酒、毒を解く薬を飲んで、毒を怖れるな。若草に坐って、乙女と酒を酌め、その身の土から、草生えぬまに。
二二二
怠らず、宗教義務《つとめ》に励み、ひと口の食物でも他人《ひと》に施して、人の血を吸わず、富を奪うな、あの世はかならず保証されよう、酒をもて。
二二三
夜ごと乱れるわが心、わが頬につたわるは涙、狂える頭は充たされない、さかさの酒盃が満たされぬよう。
二二四
何を言おうと、憎しみからだ、いつもわしを異端、不信と責めている。君の言うこと認めるけれど、君がそんなこと言える身か。
二二五
土のけがれを知らぬ魂が、客としてやって来た、清い世界から。さあ、朝の酒盃でもてなそう、お休みなさいと言わぬうち。
二二六
雲がでて、また若草に涙を流す、紅《くれない》の酒なしで生きておれない。この若草はきょうわれらの楽しみ、わが身の土に生える若草はだれの楽しみ。
二二七
避けられぬことをなぜに悲しむ、つまらぬ考え、心を傷つけるだけ。ほがらかに愉しく世を過ごせ、太初《はじめ》から、おまえがたてた設計でなし。
二二八
神のように天空をわが手につかめたら、こんな天空は根こそぎにしてやろう。新たにこんな天空を創ろう、気楽で思いのままになるような。
二二九
おお、賢い老人よ、夜明けに起きて、はげしく土|篩《ふる》う童《わらべ》を見たら、ゆっくり篩えと戒めよ、ケイコバードの頭やパルヴィーズ〔サーサーン朝の王者〕の目を。
二三〇
いつでも美酒《うまざけ》あったらなあ、いつでも葦笛《ネイ》と三弦楽器《サバーブ》聴けたらなあ。亡きあとにわが土で酒壺がつくられたら、いつでもその中に酒が満ちたらなあ。
二三一
今の世で知はなんの役にも立たぬから、得するやつは愚か者だけ。わが知をとり去る薬をくれ、運命がわれらのほうも向いてくれよう。
二三二
ばらは言う、わたしはエジプトのヨセフ、貴い紅玉に輝き、口には黄金がいっぱい。ヨセフなら証拠を見せろと言ったら、わたしの襦袢《じゅばん》はほころびていると答えた〔『コーラン』の第十二章ユースフ(ヨセフ)の故事を、ばらに喩えて詠んだ詩〕
二三三
この廃屋の片隅で、酒と恋のため、去るを望まず、罰を恐れず、魂、からだ、盃、衣を質に入れて酒に替え、土、風、火、水〔自然の四元素〕を気にかけない。
二三四
在《あ》るものはみな幻の影にして、この真相を知らぬ者は学者でない。坐して酒をのみ楽しめ、幻の影にとらわれるな。
二三五
われらを型にはめこんで、いくたの不思議な形にした神よ。わしはこれ以上よくはなれない、こんなわしを創ったのはそなた。
二三六
一杯の古き酒、新たな王国にまさる、酒の道より足を踏み出さぬがよい。酒盃はファリードゥーン〔イランの神話時代のピーシュダーディー朝の王者〕の王国に百倍まさり、酒甕の蓋はケイホスローの王冠にまさる。
二三七
君知るや、夜が白むとき暁の鶏は、なぜいつもなき叫ぶかを。朝の鏡に映しだされても、君知らぬ間に夜の命が過ぎるため。
二三八
二、三のうつけ者たちは、愚かにも世を知るは自分らと思っている。驢馬《ばか》になれ、彼らは愚鈍のあまり、賢い人を邪教徒《カーフエル》と呼んでいるから。
二三九
この酒壺もわれに似て嘆きの恋をし、美女の巻髪《ズルフ》に捕われたものだ。壷の首に見える手は、そのむかし恋人《ヤール》の頚《くび》にかけた手だ。
二四〇
心はばらの面《おも》を慕い、手は酒盃に結びつく。自分の割当て受け取ろう、わが身が宇宙に没しないうち。
二四一
ハイヤームよ、酒に酔うなら喜べ、一瞬でも美女とおれるなら喜べ、万物の終りはすべて無だ、無を有と思って喜べ。
二四二
できるだけ、世を嘆き悲しむな、過去や未来に心を悩ますな、この仮の世で酒を飲み、愉しもう、宝の山あの世に持って行けるでなし。
二四三
世の運《めぐ》り、おのが分け前受け取って、歓びの席に坐り、酒盃をとれ。服従、反逆は神の知らぬこと、思いのままに暮らすがよい。
二四四
夢の中、一人の賢者がこう言った。眠りから喜びの花は開かない、死神に結びつくことなぜにする、酒を飲め、どうせ永遠《とわ》に眠る身だ。
二四五
いつまで有る無しを哀しむのか、この人生を楽しく過ごすに迷うのか、盃に酒を満たせ、わからないのだ、君が吸う息が出てくるかどうか。
二四六
神よ、日々の糧《かて》得る扉を開《あ》けてくれ、賤《いや》しき者の余り物は願わない。酒に酔うこんなわしでも守ってくれ、頭が痛いか知らないが。
二四七
野面《のもせ》に萌《も》えるチューリップ、王者の血汐より開いた花。大地に生える菫《すみれ》の葉、美女の頬にあった黒子《ほくろ》。
二四八
東の空に赤みさすころ、掌《て》に清らかな酒をもて。酒は苦いと言われるが、それこそ酒が真理の証拠。
二四九
心に悲哀の跡をつけられない、喜びの書《ふみ》をいつもひもとけ。酒をのみ、心の願いをかなえてやれ、この世にどれだけおれようか。
二五〇
心せよ、運命は意地悪だ、時の剣《つるぎ》は鋭いぞ、安心するな。運命がお菓子を口に入れてくれても、うっかり飲みこむな、毒がはいってる。
二五一
二つ扉の修道院〔この世の中〕で人の結末は、苦しみ悶えて、生命《いのち》をすてるだけ。この世にやって来ない者は幸福だ、母から生まれなかった者は安らかだ。
二五二
神よ、悲嘆に捕われるわが心に愍《あわ》れみを、哀《かな》しきわが胸を憐れみたまえ。足が酒場に向くのを赦しあれ、酒盃持つわが手にお恵みを。
二五三
あすの保証をだれもしてくれぬなら、今楽しまそう、哀れなこの心。この月の光で酒を飲もう、月はいくたびも輝くが、われらはいない。
二五四
バハラームが酒盃を持った宮殿は、狐が仔を生み、羚羊《かもしか》が憩う場と化した。バハラームは生涯|野驢馬《グール》を射たが、視よ、きょうは墓《グール》に捕われた。〔バハラームはサーサーン朝の王者で、野驢馬《グール》をよく狩りしたので、バハラーム・グールの異名で名高い。ここでは野驢馬と墓をかけている〕
二五五
酒飲めば、左右から人々が、酒飲むな、宗教の敵だと反対する。そんなことぐらいは知っている、敵の血を飲むのだったら許されよう。
二五六
坐って酒を飲め、これこそマハムードの王国、竪琴《たてごと》を聴け、これこそダヴィデの調《しら》べ。来《こ》しかたや行く末を二度と想うな、楽しめ、これこそ生きる目的。
二五七
天高くそびえてたあの宮殿、諸王ひれ伏した謁見の間。今見れば、その頂きに一羽の野鳩、|どこどこ《クークークークー》と啼いている。〔ペルシア語でクーはどこを意味し、鳩の鳴き声にかけている〕
二五八
もろもろの学問より逃がれるがよい、心ひく巻髪《ズルフ》にすがるがよい。時がおまえの血を流さぬうちに、酒の血汐を酒盃に流すがよい。
二五九
きのう市場で壺作りを見た、新しい土をしきりにこねていた。その土は彼にこうささやいていた、わしもかつては人間だ、やさしくたのむ。
二六〇
酒を飲むのは快楽のためではない、堕落や無信仰のためでもない、一瞬おのれから逃がれたいためだ、酒を飲み、酔う理由はこれ。
二六一
酒を飲め、永遠《とわ》の眠りの土の下、友なく伴《つ》れなく、妻もない。心して解けぬ秘密を明かすなよ、チューリップしぼめば二度と開かない。
二六二
庵《いおり》、学林、僧院、寺院で、地獄を怖れ、天国に憧れる。神の秘密を識る者こそは、心にこんな種子《たね》を蒔かない。
二六三
いつまで大海の面《おもて》に瓦を積もう、偶像崇拝者や火殿《ケネシュト》には厭《あ》いた。ハイヤームが地獄に堕ちると言うのはだれだ、だれが地獄に行って、だれが天国から帰ったか。
二六四
壺作りの仕事場で考え込む、親方は足でろくろをまわし、壺の把手《て》や首をつくってる、かつての王の頭《こうべ》や乞食の足で。
二六五
知の天幕を縫ってたハイヤーム、悲哀の竈《かまど》に落ちて焼けたよ、突然に。死の大鎌は生命《いのち》の綱を断ち切り、希望《のぞみ》の仲買人はただで彼を売り渡した。
二六六
大空に天輪がめぐり始めてから、紅の酒ほどよいものは見られない。不思議なのは酒売りたちだ、これを売っていったい何を買うのだろう。
二六七
理性と分別に囚われた人たち、有無を嘆くうちにむなしくなった。愚か者よ、行って葡萄の液をくめ、うつけ者らは熟《う》れないでひからびた。
二六八
いつまで理性のとりこになろう、世にいるのが百年でも一日でも同じこと。さあ、壺作りの仕事場で壷にならぬうち。
二六九
至高の言葉と呼ばれるコーラン、常ならずともときおり読まれる。酒盃のまわりに刻まれた聖句、どこでもいつでも読まれてる。
二七〇
幸福の道を歩む理知の人、ある日|百度《ももたび》こうつぶやいた。この一瞬を逃がすなよ、摘まれたら、ふたたび生える草でなし。
二七一
天輪よ、おまえの運《めぐ》りに不満なわたし、戒めはもう聞きあきた。おまえが無知でろくでなしを好むなら、わたしこそまさにそのとおり。
二七二
ふたたびもどった酒色の道、五度の礼拝《いのり》はもうやめだ。酒盃のあるとこ、われらおり、細首の壺のよう、盃求めて頸《くび》のばす。
二七三
魂《たま》奪われて去り行くこの身、虚無の神秘な幕《とばり》に消え去るこの身、酒を飲め、どこから来たのかわからない。楽しめよ、どこに去るのかもわからない。
二七四
四方《よも》をはるかに見渡せば、園に流れるコゥサルの河〔回教徒が天国に流れていると信ずる河〕、砂漠も天国、地獄を語るな、さあ、天女と坐れ、この世の天国に。
二七五
はじめから自分の意志で来ないなら、意志なくて、去り行くこともまた確か。起きて早く用意せよ、おお酌人《サーキー》よ、世の憂さを酒で晴らそう。
二七六
酌人《サーキー》が大地にそそぐ酒はみな、燃える眼《まなこ》の悲哀の火を消す。ありがたや、酒は君の心から、百の痛みを流しさる水。
二七七
酒を飲め、心の憂さを晴らすもの、七十二派〔回教の七十二宗派〕の煩《わず》らいをぬぐうもの。不老不死の仙薬をさけるな、ひと口飲めば、千の病をいやすもの。
二七八
川の流れと荒野の風のよう、わが人生はまた一日過ぎ去った。けっして二日《ふたび》を嘆くまい、いまだ来ぬ日と過ぎし日を。
二七九
聖法《シヤリーア》〔回教法のこと〕で悪評だろうと酒は楽しい、美女や若者にお酌されると酒は楽しい。苦く、禁じられてもわしには楽しい、禁断のもの楽しいのが世の慣習《ならい》。
二八〇
心に愛と情けのある人は、拝敷の人〔回教徒〕であれ、|火殿の人《ケネシュト》〔拝火教徒〕であれ、愛の帳簿に名を記した人は、天国、地獄にこだわらない。
二八一
わしは叛《そむ》く子、神への服従はいずこ、わが闇の心に、神の清い光はいずこ、帰依《きえ》して天国をくれるなら、それは取引き、神の恩寵《おんちょう》はいずこ。
二八二
ああ、燃えさかる炎なき心よ、恋人の愛に悩みを知らぬ心よ、酒なしに一日を過ごしたら、その日ほど君にとって無駄な日はない。
二八三
酒場では酒でなくては浄められない〔回教徒は礼拝の前にかならず身を浄める〕、地に墜ちた名声は取り戻せない。愉しめ、慎しみのわれらがヴェール、ずたずたに裂かれて、今やつくろえない。
二八日
人生の書《ふみ》から消えねばならぬ、死の爪で死なねばならぬ。おお、うるわしき酌人《サーキー》よ、ぼんやりせずに、酒をくれ、いつかは土に返らねばならぬ。
二八五
酒は禁じられてるが、だれが飲み、いつ、だれと、どれほど飲むかが問題だ。四つの条件みなかなうとき、賢者飲まねば、だれが飲む。
二八六
ままになるなら来なかった、ままになるならどうして去ろう。この存在と破滅の世に、来ず去らず、留まらずなら、良かったろうに。
二八七
できるだけ酔いどれを介抱せよ、祈りと断食の基礎《もと》をこわせ、オマル・ハイヤームの至言を聴け、酒を飲み、追剥ぎになるとも善をなせ。
二八八
おお、四と七の結果よ、七と四にいつも胸を焦がす者よ、酒飲めと千度も言っておいたぞ、旅立てばふたたび帰ることはない。
二八九
太初《はじめ》からあることは定められ、運命の筆は休みなく善悪をつづる。起こることすべてが天命だから、悲しみ努めても無駄なこと。
二九〇
おお、心よ、おまえは謎の神秘に達しない、賢者の域にも達しえない。酒と盃でここに天国を築こう、天国に行けるかどうかわからない。
二九一
人生をいつまでうぬぼれて過ごすのか、有る無しを求めて過ごすのか。酒を飲め、悲哀に満ちたこの人生を眠りか酔いで過ごすがよい。
二九二
酒を飲め、永久《とわ》に魂を慰めるもの、傷ついた心を癒すもの。悲哀の洪水にかこまれたなら、酒に逃がれよ、ノアの方舟《はこぶね》はそれ。
二九三
視よ、世に閉じ込められて無だ、人生より何を得たろう、無だ、饗宴の燭《ひ》も消えたら、無だ、ジャムの酒盃も砕けたら、無だ。
二九四
世の中で何を見ようと無だ、何を言おうと、聞こうと無だ、地平の果てまで駆けようと無だ、家で横になろうと無だ。
二九五
土を褥《しとね》に眠っている人たち、大地の下に隠れている人たち。無の荒野を見回しても、まだ来ぬ人と去った人たち。
二九六
ばらのころ小川のほとり、野の縁《ふち》で、天女のような二、三の乙女と酒盃に朝の酒を酌もう、寺院《マスジー》、火殿《ケネシュト》をすっかり忘れて。
◆ルバイヤート◆
オマル・ハイヤーム/黒川恒男訳
二〇〇四年十二月二十日