ハイネ/井上正蔵訳
ハイネ詩集
目 次
自由律
海へのあいさつ
告白
たそがれの薄明
夜の船室にて
回想
平和
難破者
疑問
落日
小曲《リート》
愛のあいさつ
つぼみひらく
なみだより
歌のつばさ
ぼくが熱心に
どこへあなたが
もしもおまえが
あなたがそばを
五月がおとずれた
待てよ お待ちよ
ローレライ
あなたの青い目で
幸福は浮気な
愛しちゃいないと
ある若者が
涙にぬれて
おまえの瞳を
わかれには
かれらはぼくを
ゆうべの森
同じこのような幸福の
爐《ろ》辺の古歌
しずかにわが胸を
蝶《ちょう》が薔薇に
白い樹の下に
世のならい
天国の楽土にも
どこが
物語詩《ロマンツェ》
あわれなペーター
ロバの選挙
慈善家
ランプセニート
とんぼ
十四行詩《ソネット》
ぼくは笑ってやる
ぼくの脳裡に
友よ 避《さ》けたまえ
ぼくはいつも昂然と
もの狂おしい情熱から
ぼくの昼は明るく
時事詩
傾向
ある変節者に
まあ待て
中国の皇帝
田舎《いなか》町の恐怖時代の思い出
シュレージエンの織工
人生航路
三月以後のミッヒェル
流浪《るろう》の鼠
涙の谷
雑詩
悲劇
異国にて
この岩の上に
ふかい溜息
遺言状
かっぱらいの夫婦
追憶
決死の哨兵《しょうへい》
解説
代表作品解題
自由律
海へのあいさつ
「海《タラッタ》よ 海《タラッタ》よ」
ごきげんよう 永遠の海よ
いくどでも ごきげんよう と
わきたつ心から あいさつしよう
そのむかし 幾千のギリシャのひとびとが
不幸にうちかち 故郷をあこがれた
世にも名高いギリシャのひとびとが
心からおまえにあいさつしたように
潮《しお》はなみだち
なみうち ざわめいた
陽《ひ》は かろやかな ばら色の光を
まきちらした
かりたてられた鴎《かもめ》のむれが
さけびつつ とび立った
馬があがき 楯《たて》がなった
とおくへひびく勝利のおたけびのようなこえ
「海《タラッタ》よ 海《タラッタ》よ」
ごきげんよう 永遠の海よ
故郷《ふるさと》のことばのようにおまえの水がざわつく
おさない日の夢のように おまえのゆれる
波のおもてに微光がかがよう
すると ふるい思い出がまたあたらしく語り出す
かわいらしいすばらしい玩具《がんぐ》のひとつひとつを
かがやかしいクリスマス・プレゼントのひとつひとつを
あかい珊瑚樹《さんごじゅ》や金魚や
真珠《しんじゅ》やいろんな貝がらのそれぞれを
それらの品をおまえはこっそりかくして
あかるいその底の水晶の家にしまいこんでいる
ああ ぼくは荒涼《こうりょう》とした異郷でやつれはてた
胸のなかにあるぼくの心臓は
植物学者のブリキの胴乱《どうらん》にある
しぼんだ一本の草花のようだ
ぼくは自分がくらい病室に冬中うずくまる
病人のような気がする
そしていま とつぜんその部屋をぬけだし
陽《ひ》をうけてかがやくエメラルドのような春のひかりに
ぼくはまぶしく目を射られる
しろい花さく木がざわめき
わかい草花は匂《にお》いをはなつ
いろとりどりのまなざしでぼくをみつめ
かおり うなり いぶき わらい
青空には小鳥がうたう
「海《タラッタ》よ 海《タラッタ》よ」
おお よくもしりぞいた けなげな心よ
なんと いくたびもはげしく
北方の蛮女《ばんじょ》らにくるしめられたことか
おおきな かちほこる目から
女らは もえる矢をはなった
よこしまな するどいことばで
ぼくの胸を裂こうとおびやかした
楔形《せっけい》文字の紙片をつきつけ
ぼくのあわれな しびれた頭をうちくだいた
ぼくは いたずらに楯《たて》でふせいだ
矢はとび剣は鳴った
こうして北方の蛮女《ばんじょ》から
水際《みぎわ》までおしつめられた
そしていま 自由に息をつきながら ぼくは 海に
愛する救いの海に あいさつする
「海《タラッタ》よ 海《タラッタ》よ」
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〔「海《タラッタ》よ 海《タラッタ》よ」というのは、クセノポーンの従軍記によるもので、敗残の一万のギリシャ兵が、苦難の峠《とうげ》から黒海を見て呼びかけた言葉《ことば》。最後の節に出てくる「北方の蛮女ら」というのは、ハイネの若き日の恋人アマーリエおよびその妹テレーゼを指すもの。海にたいして最後に「愛する救いの海」とよんでいるのは意味ふかい。この詩は、『歌の本』の「北海」の詩群の一篇である〕
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告白
夕闇が迫るにつれて
波はいよいよ荒れ狂う
ぼくは渚《なぎさ》にすわって
白い波がおどるのを見ていた
ぼくの胸も海のように湧きたち
せつない郷愁《きょうしゅう》に駆《か》られる
おお あなたよ いとしいひとよ
あなたの姿はどこにでも浮かび
どこででも ぼくを呼ぶ
どこにでも どこででも
風のざわめきに 海のひびきに
そして ぼくの胸の吐息《といき》に
細い蘆《あし》でぼくは砂にしるした
「アグネス あなたを愛す」
だが いじわるな波が流れてきて
この甘《あま》い告白の文字をひたし
あとかたもなく消し去った
蘆よ 砂よ 波よ もろくも砕け
散るものよ なんというはかなさ
空はますます暗く 心はいよいよはやる
いま ぼくは手に力をこめ
ノルウェーの森のいちばん高い樅《もみ》を引きぬき
エトナの山の煮えたぎる
火口にそれをひたし
火をふくむ巨大な筆にして
暗い空のおもてに書こう
「アグネス あなたを愛す」
そうすれば 不滅の火の文字は
夜ごと大空にかがやくのだ
未来の世のひとびとが歓呼《かんこ》して
空のこの文字を読むだろう
「アグネス あなたを愛す」
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〔『歌の本』の「北海」の詩群のなかでも、雄大な恋愛不滅の感情をうたった名作として知られている。作中の「アグネス」というのは、恋人テレーゼにたいしてハイネがそう呼んだもの。「エトナの山」はエトナ火山のことで、その火口に巨木をひたすという手法は、すでにローマの詩人もやっているが、ハイネによって大胆に、また効果的に活用されている〕
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たそがれの薄明
あおじろい海のなぎさにすわって
ものおもいにひとりしずんでいた
陽《ひ》はいよいよかたむいて
くれないの炎《ほのお》のすじを水になげた
するとひろい白いなみが
うねりにのって
あわだち はしり おしよせてきた
ふしぎなひびき ささやき うそぶき
わらい つぶやき ためいき さざめき
そして 子守歌のようななつかしいこえまでが
ああ とおい いろあせ消えた物語が
そうだ むかしこどものころ
近所の子らがはなしてくれた
ふるい昔のあどけないお伽話《とぎばなし》がきこえるじゃないか
あれは たしか夏のゆうべだった
みんなは玄関のきざはしにうずくまり
ちいさな心臓をどきどきさせ
どうなることかと目をかがやかせ
じいっと話にきき入っていた
あのとき おおきな少女たちは
むこうのまどべの匂《にお》やかな
草花の鉢のそばにすわっていた
ばらのようないくつかの顔が
ほほえんで月に照らされていた
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〔この二十四行の詩のリズムの動きは、前半は活発だが、後半は静かなものになる。前半の波の擬人化《ぎじんか》による音の生きいきした描写、それが子守歌となり、ロマンティックな幼年時代の思い出となる移り変わりは、絶妙である。ハイネの海の詩のロマンティックな秀作といわれる。『歌の本』の「北海」の詩群の一節である〕
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夜の船室にて
海には真珠《しんじゅ》
そらには星
わが胸 わが胸
されどわが胸には恋
ひろきかな 海とそら
はるかにひろきはわが胸
真珠より星よりうつくしく
かがやきひかるわが胸の恋
わがうらわかきおとめよ
わがひろき胸にきたれ
げに恋のあまりに
わが胸おとろえ 海もそらも消ゆ
うるわしき星のきらめく
あおぞらのとばりに
われくちびるをおしあて
はげしく いたく泣かまほしき
かの星こそ 恋びとのひとみなれ
いよよきらめき かがやきて
やさしくほほえむ
あおぞらのとばりより
われ あおぞらのとばりへ
恋びとのひとみへ
せつなくも腕をのべ
祈り またねがう
やさしきひとみよ めぐみの光よ
わが魂《たま》をよみしたまえ
われを死なしめ われに得《え》さしめよ
おん身と またそらのすべてを
そらにまたたくひとみより
金の火花ふるえつつおち
闇をつらぬきかがやけば
ああ わがこころ いま恋にふくる
おお そらにまたたくひとみよ
わがこころに涙そそげよ
そのひかる星のなみだを
わがこころにあふれしめよ
海のなみに
まどろみの思いにゆられて
われしずかに船室のかたすみの
おぐらき寝台にふす
ひらきたる小窓により
そらにきらめく星をあおぐ
そは わがなつかしき恋びとの
いとしき うつくしきひとみ
いとしき うつくしきひとみは
わが頭上をみつめ
あおぞらのとばりより
かがやきて会釈《えしゃく》す
あおぞらのとばりのかたを
ひたすらにわれは見|惚《ほ》る
しろき霧のうすぎぬに
いとしきひとみのおおわるるまで
まどろみのわがまくらべの
ふなばたの板壁をうち
波は 荒波はどよめく
波はざわめき
ひそかにわが耳にささやく
「おろかなるものよ
そらはたかくして汝《な》が腕はみじかし
星はかのそらたかく
金の鋲《びょう》もてとめられてあり
あこがれはむなし 吐息もむなし
ねむり入るこそいとよけれ」
しじまの白雪とざす
ひろき荒野をわれゆめみたり
その白雪にうずもれ
ひとりつめたき死のねむりに落つ
されど くらきそらよりわが墓を
見おろすは星のひとみ うつくしきまなこ
そのまなこ かちほこりてかがやきぬ
しずかに笑《え》みてなおも おもいこもれり
[#ここから2字下げ]
〔恋人テレーゼ〔アマーリエの妹〕について歌った、美しい大きな詩篇。必ずしも自由律の作とはいえないので文語調に訳したが、波打つようなリズムは短詩調とは異なる、自然のひびきを伝えている。各連ごとにあらわれる変調も、ハイネ独自のもの。最後の二節は、まさしくロマンティシズムの極致といえよう。『歌の本』の「北海」のなかの名作である〕
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回想
このなつかしい地上の厨《くりや》で
おれは匂《にお》いという匂いをすっかり嗅《か》いだ
この世で味わえるものは何でも
むかしの英雄のように味わった
コーヒーも飲み菓子も食べ
きれいなお人形さんもずいぶん持っていた
絹の胴着にすてきな燕尾服《えんびふく》
衣嚢《かくし》には金貨《ドゥカーテン》をちゃらつかせ
あのゲレルトばりにたいした馬にも乗った
家をもち館《やかた》をかまえた
幸福の緑の牧場に寝そべって
太陽の黄金色の眼差《まなざ》しに会釈《えしゃく》した
月桂冠《げっけいかん》がおれの額をとりまき
その香《かお》りが頭のなかに夢を
ばらや永遠の五月の夢を送ってくれた
薄明の憧憬《あこがれ》のような
えもいえぬ快い疲労にさそわれた
鳩の炙《あぶ》り肉が口に飛び入り
そして天使があらわれて衣嚢《かくし》から
シャンパンの壜《びん》を取り出してくれた
が それは幻覚《ヴィジョン》のシャボン玉だった
ぱちんと砕けて いまおれは湿《しめ》った芝生《しばふ》にいる
四肢はリューマチスのようにしびれ
心はふかく恥じらっている
ああ ありとある快楽と歓喜から
得たものは にがい嫌悪《けんお》ばかりだ
苦汁《くじゅう》を飲まされたあげく
南京虫におそろしく噛《か》まれた
忌《い》まわしい痛苦に悩まされた
おれは嘘《うそ》をつかずにはいられなかった
金持ちどもや金貸し婆から借金しなければならなかった
それどころか乞食《こじき》までやらねばならないのだ
もう世の中を駆《か》けまわることに疲れた
はやく墓のなかで息をつきたい
では クリスチャンのお歴々
いずれ あの天国でまたお会いしよう
[#ここから2字下げ]
〔『ロマンツェーロ』の「ラザロ詩篇」にはじめて発表された作品。「あのゲレルト」というのは、十八世紀中頃のドイツの感傷小説や寓話《ぐうわ》の代表的作家で、晩年、病気中にザクセン選帝侯から金の飾りつきの名馬を贈られ評判となったが、羊のようにおとなしい名馬に乗るのを恐がったという。これをハイネがあてこすったのである〕
[#ここで字下げ終わり]
平和
しろい雲につつまれて
陽《ひ》は空たかくかかり
海は凪《な》いでいた
舟の舵《かじ》のそばにねそべり
ゆめみつつ ものおもい なかばさめ
なかばまどろみ ぼくは見た キリストを
世界の救済者を
とほうもない巨《おお》きなその姿
ひるがえる白衣をまとい
陸や海のうえをさまよう
あたまは天にそびえ
陸や海のうえに
祝福の手をのべる
胸にいだいた心臓は
太陽 くれないにもえる
太陽だった
そして そのくれないにもえる太陽の心臓は
慈悲のひかりを
やさしいめぐみのかがやきを
あかるく あたたかく
陸や海にふりそそいだ
鐘の音がおごそかにひびくと
すべる舟がそこここで
ばらのくさりに曳《ひ》かれる白鳥のように
みどりの岸にかるくひきよせられた
そこは高く塔がそびえ 町が浮きでて
ひとびとが住んでいた
おお 平和の奇蹟《きせき》 しずかな町よ
うるさい むせかえる なりわいの
濁音はたえ
こだまする音もすがしい街路を
白衣まとうひとびとが
棕櫚《しゅろ》の枝を手にしてあるき
ゆきあえば めいめいが
こころからうちとけて目をかわす
そして 愛とこころよい諦《あきら》めに身ぶるいして
額をたがいに接吻し
ともどもに仰ぎみる
救世主の太陽の心臓を
よろこんでつぐないを与えるように
そのあかい血をしたたりおとす心臓を
そのとき ひとびとはいくたびも歓喜して言う
「イエス・キリストにさかえあれ」
[#ここから2字下げ]
〔救世主をうたったハイネにしては珍しい宗教的な作品。とほうもなく巨《おお》きなキリスト像の描写、そして最後の一行にハイネ独特の諷刺的あるいは嘲笑的《ちょうしょうてき》な意味を読みとることもできるかもしれないが、この作品の真意は、むしろ平和の喜びをすなおに讃美《さんび》しているものと解すべきであろう。『歌の本』の「北海」の詩群に入れられている〕
[#ここで字下げ終わり]
難破者
のぞみも恋も すべてはくだけた
そして おれ自身まるでむくろのように
海の怒濤《どとう》にうちあげられて
この浜べに
荒れはてた浜べに身を伏《ふ》している
おれのまえには水の砂漠《さばく》がうねり
うしろにはただ憂鬱《うれい》とみじめさ
そして おれのうえには雲が流れはしる
もやもやと湧きでた灰色の大気のむすめらが
霧のつるべで
海のなかから水を汲《く》みあげ
おもたげにひきずり
ふたたび水を海へとこぼす
はかない たいくつな仕事だ 無意味だ
思えば おれ自身のくらしそのままだ
波はつぶやき鴎《かもめ》はさけぶ
むかしのいろんな思い出が湧き
くるしいあまい忘れた夢や
消えた姿がうかび出る
女がひとり北国に住んでいる
うつくしい 近寄りがたくうつくしい女
すんなりとした糸杉のようなからだに
なやましげな白い衣をまとい
そのふさふさとした黒いまき毛が
歓楽《かんらく》の夜にくずれるように
たかくたばねた頭からこぼれ
きれいな青白い顔のあたりに
ほのぼのとあまくもつれている
きれいな青白い顔からは
大きくつよく目がひかる
まるで黒い太陽のように
おお 黒い太陽よ ああ いくたびか
恍惚《こうこつ》としていくたびか おれは おまえから
強烈な感動の炎《ほのお》を飲んで酔いしれ
歩みもならず よろめいたろう
そのとき いともおだやかな微笑のかげが
きりりとむすんだほこらしい唇《くち》にただよい
きりりとむすんだほこらしい唇《くち》から
月のひかりのようにあまく
ばらの匂《にお》いのようになごやかに ことばがもれた
すると おれの心はたかまり
鷲《わし》のように大空にとびあがった
波よ 鴎《かもめ》よ だまってくれ
すべては過ぎた 幸《さち》ものぞみも
のぞみも恋もいまはなく おれは地に横たわる
心の荒れた難破者だ
そして おれの熱した頬《ほお》を
しめった砂におしあてる
[#ここから2字下げ]
〔ハイネが自分の失恋をきわめて切実にうたった、『歌の本』の「北海」の詩群の一篇。第三節の「女がひとり北国に」の女は、かつての恋人テレーゼだといわれる。この節の最後の「黒い太陽」という詩語は、ハイネらしい独特の象徴的な表現といえよう〕
[#ここで字下げ終わり]
疑問
海べに 夜の荒れた海べに
わかものがひとりたたずんでいる
胸は悲しみに 頭は疑いに満たされ
くらく沈んだくちびるで波にたずねる
「生のなぞを解《と》け
太古《たいこ》よりなやましくも解きがたいなぞを
すでに幾多のひとびとの頭がかんがえあぐんだ
象形文字《しょうけいもじ》の僧帽をかぶった頭
頭巾《ターバン》をまいた頭 くろい縁無帽《ふちなしぼう》をかぶった頭
さてはかつらをつけた頭も そのほか数千の
あわれな汗のにじむ頭もかんがえあぐんだ
さあ おしえてくれ 人間の意味を
人間は どこからきて どこへゆくのか
あのそらの金いろの星にだれが住むのか」
波はたえまなくざわめき
風は吹き 雲はとび
星はつめたくいたずらにひかり
愚者《ぐしゃ》は こたえを待つ
[#ここから2字下げ]
〔『歌の本』の「北海」の詩群に入れられた一篇。第二節の「象形文字の僧帽をかぶった頭」というのは、エジプトの僧侶を意味する。人間の存在と本質を問う一種の思想詩であるが、最後の「愚者」という詩語はハイネらしい嘲笑的表現である〕
[#ここで字下げ終わり]
落日
とおくまで波立つ
いぶし銀の海へ
炎《も》えるあかい日がしずむ
淡いばらいろの大気の層が
そのうしろにただよい 見かえれば
秋めいたほのぐらい雲のヴェールから
月の面輪《おもわ》が
かなしげに褪《さ》めた死色の顔がうかびでる
その背後にとおくかすんで
星くずが火花のようにまたたく
そのむかし なかむつまじい夫婦《めおと》
月《ルーナ》の女神と日《ソール》の男神は
空にいっしょに照っていた
まわりにはちいさな無邪気なこどもらの
星がむらがりひかっていた
だが陰険《いんけん》な告げぐちのため ふたりの仲は
裂かれ けだかい光明の夫婦が
反撥《はんぱつ》してついにはなればなれになったのだ
だから日の神はひとり昼間に
孤独なかがやきをはなって天界をさまよい
その荘厳さのために
幸福をほこる冷酷《れいこく》な人間から
あがめられ たたえられる
しかし夜になれば
空を月《ルーナ》がさすらう
あわれな母親は
父のない星の子らをひきつれ
わびしい憂《うれい》いに照りひかる
そして恋する乙女や心やさしい詩人から
涙と詩とをささげられる
ああ 月《ルーナ》はかよわい 女らしい心ばえから
いまもなお りっぱな夫を愛している
日の暮れにふるえ青ざめつつ
うすい雲間からのぞき出て
わかれゆく日《ソール》の後をせつなげに見おくる
おそるおそる「かえりたまえ
かえりたまえ 子らは父上をしたう」とよびかけたげに
しかし かたくなな日の神は
妻のすがたを見かけると
怒りとかなしみのため
深紅のいろを二重にもやす
そして無情にも駈《か》けおりる
つめたい潮の男やもめのしとねへと
陰険な告げぐちにかかっては
不滅の神々でさえも
悲哀と不運をまぬがれない
こうしてあわれな神々は空のうえに
希望もなく ただ無限の軌道《きどう》を
なやましくも歩きつづける
しかも死ぬこともできず
ただ悲惨な光を
ひきずってゆくのだ
けれどもぼくは 地上にうえつけられた
死の幸運にめぐまれた人間だ
ああ もういつまでもなげくまい
[#ここから2字下げ]
〔この詩に出てくる「月《ルーナ》の女神」も「日《ソール》の男神」も、ともにローマ神話の神々。ハイネは、神を生きている人間のようにうたう。しかも、神々の運命と人間の運命を対比して、人間のほうにより多くの幸運を見出す。『歌の本』の「北海」の詩群の一篇である〕
[#ここで字下げ終わり]
小曲《リート》
愛のあいさつ
とてもきれいで清純な
とってもすてきなお嬢さん
ぼくは自分をささげたい
ただただあなたのためにだけ
やさしいあなたの瞳から
月のあかりが浮かび出る
赤いあなたの頬《ほお》からは
薔薇《ばら》のひかりが射《さ》している
かわいいあなたの唇《くち》からは
白い真珠《しんじゅ》がのぞいてる
いちばんきれいな宝石は
だけどあなたの胸のなか
ぼくがあなたを見たときに
ぼくの心に|じん《ヽヽ》ときた
あれがほんとの恋かしら
とってもすてきなお嬢さん
[#ここから2字下げ]
〔『歌の本』には組み入れられていない、ごく初期の詩。陳腐《ちんぷ》で古風なわざとらしさはあるが、ユーモアがただよっていて、いかにもハイネらしい一篇〕
[#ここで字下げ終わり]
つぼみひらく
つぼみひらく
妙《たえ》なる五月
こころにも
恋ほころびぬ
鳥うたう
妙なる五月
よきひとに
おもいかたりぬ
[#ここから2字下げ]
〔『歌の本』の「抒情挿曲」の冒頭を飾る作品。二節が整然として対応する簡潔無類の、きわめて技巧的な詩篇である。恋人アマーリエを念頭においてハイネが自分のロマン的空想を織りこんでつくったもの。シューマンの名曲によってよく歌われる。この一篇をゲーテの「五月のうた」と比較して鑑賞されたい〕
[#ここで字下げ終わり]
なみだより
なみだより
花は萌《も》えいで
ためいきも
しらべとぞなる
情《こころ》あらば
花をおくらん
まどべには
歌もうたわん
[#ここから2字下げ]
〔「つぼみひらく」と姉妹篇をなすとみられる作品。詩的構造も類似している。「なみだより/花は萌えいで」は、ドイツの民謡に依拠した表現。それが、「ためいきも/しらべとぞなる」とつづいてハイネ独特の美しさを発揮する。『歌の本』の「抒情挿曲」へ「つぼみひらく」につづいて入れられ、シューマンが美しい作曲をしている〕
[#ここで字下げ終わり]
歌のつばさ
歌のつばさにともにのり
いっしょに行こう恋びとよ
ガンジス河《がわ》の草原に
ふたりの憩《いこ》う場所がある
しずかに月ののぼるとき
あかく咲きでる花の園《その》
池にただよう蓮《はちす》らは
いとしいきみを待っている
すみれはたがいにほほえんで
星をあおいで語りあう
ばらはたがいにむつまじく
あまい話に頬《ほお》よせる
はねてあらわれ耳すます
かわいい羚羊《しか》のしたり顔
とおくさらさらひびくのは
きよい流れの波の音
その花園のしゅろの樹《き》の
かげにふたりはよこたわり
恋のうまざけくみかわし
たのしい夢をゆめみよう
[#ここから2字下げ]
〔メンデルスゾーンの曲でよく愛唱される作品。「歌のつばさ」というのは、『旧約聖書』の「詩篇」第一三九篇第九節などに見られる用法だが、ハイネによっていちだんと有名なものになっている。第二節の月と蓮《はす》の花との恋、第三節のすみれと星の慕情《ぼじょう》、それに、ばらの甘《あま》い語らいなど、インド伝説やドイツ・ロマン派の表現をたくみに使用しながら、恋愛の恍惚境《こうこつきょう》を美しくえがき出している。『歌の本』の「抒情挿曲」に入れられている〕
[#ここで字下げ終わり]
ぼくが熱心に
ぼくが熱心に求愛すると
あなたはおろおろして首を横にふる
では嫌《いや》なのかいと訊《たず》ねると
あなたは急に泣き出す
神よ ぼくはやたらにお祈りはしません
だからぼくの願いを聞いて下さい どうぞ
この女《ひと》のいじらしい涙を乾《ほ》して
そして頭をあかるく輝かして下さい
[#ここから2字下げ]
〔「どこへあなたが」と同じく一八三四年に発表された作品だが、成立年代は不詳。アマーリエにたいする恋の経験をかなりユーモラスに歌ったものと推定される。『新詩集』の「色とりどり」の「クラリッス1」にあたる〕
[#ここで字下げ終わり]
どこへあなたが
どこへあなたが行こうとも
どこまでもぼくはついて行く
あなたが薄情になればなるほど
ぼくはますますあなたに真心をつくす
他人《ひと》の好意は嫌《きら》いだが
好きな人の冷淡さにひかれるのがぼくだ
だからぼくからきっぱり離れたいなら
まずぼくに惚《ほ》れることだよ
[#ここから2字下げ]
〔「ぼくが熱心に」と同じように一八三四年に発表された作品だが、成立年代は不明。アマーリエへの愛情をうつしたものといわれる。『新詩集』の「色とりどり」の「クラリッス2」にあたる〕
[#ここで字下げ終わり]
もしもおまえが
もしもおまえが裏切られたら
いっそう信実《まこと》をつくすがよい
死ぬほど心が苦しくなったら
おまえは竪琴《たてごと》を取るがよい
絃《げん》は鳴る 炎《ほのお》と熱のみなぎる
勇者の歌がひびく
すると怒りも熔《と》けて
おまえの心はたのしく血を流す
[#ここから2字下げ]
〔『ロマンツェーロ』のの序詩としてかかげられている作品。一八四七年にこの詩だけが発表されたときは、「詩人」という表題であった〕
[#ここで字下げ終わり]
あなたがそばを
あなたがそばを通りすぎ
着物がぼくに触《ふ》れでもすれば
ぼくの心はときめいて
あなたのあとを追いかけてゆく
そのときあなたにふり向かれ
大きな瞳で見つめられると
ぼくの心はどきんとし
あなたについて行かれなくなる
[#ここから2字下げ]
〔一八二七年に発表。『新詩集』の「新しき春」に組み入れられた〕
[#ここで字下げ終わり]
五月がおとずれた
五月がおとずれた
草に木に花はひらき
ばらいろの雲が
青空のなかをゆく
しげる木々の梢《こずえ》から
うぐいすは歌をうたい
しろい仔羊《こひつじ》はやわらかな
緑のクローヴァにおどる
ぼくは歌えない踊《おど》れない
病《や》んで草によこたわり
はるかな音をきいて
あてもなく夢にふける
[#ここから2字下げ]
〔一八二二年の作であるが、『新詩集』の「新しき春」に組み入れられた。ドイツでもっとも美しい季節、同じ「五月」を歌っても、失恋のこの詩とゲーテの「五月のうた」〔本文庫の『ゲーテ詩集』四十四ページ参照〕とを比べてみると、おもしろい。ハイネには哀切が、ゲーテには歓喜《かんき》がよくあらわれている〕
[#ここで字下げ終わり]
待てよ お待ちよ
待てよ お待ちよ げんきな船乗り
ぼくも 港へ いっしょにゆくから
ふたりのむすめに わかれをつげて
処女エウロパと いとしい娘《ひと》に
血よ 流れ出よ ぼくの目から
血よ 流れ出よ ぼくの身から
あつい血汐《ちしお》で このくるしみの
おもいのかぎり 書きつづるため
おお 恋びとよ なぜいまさらに
ぼくの血をみて ふるえ出すのか
これまであなたは ぼくがあおざめ
血をながすのも 平気でしたよ
おぼえてますか むかしの歌を
あの楽園の 蛇《へび》の小唄《こうた》を
わるいりんごを 祖先にくれて
不幸におとした 蛇のはなしを
りんごがすべての わざわい生んだ
そのためエバは 死の種つくり
エリスがトロヤの 火の因《もと》をなし
あなたは 死と火を あたえたのです
[#ここから2字下げ]
〔従妹《いとこ》アマーリエにたいする恋に破れたハイネの、あつい血汐で書きつづったという悲痛な歌。第一節の「処女エウロパ」は、ギリシャ神話の女神、ユピテルにかどわかされてクレタ島に運ばれたが、そのとき歩きまわったのがヨーロッパだといわれる。最後の節の「エリス」は、トロヤを荒廃させた遠因をつくった不和の神。『歌の本』の「若き悩み」のなかの一篇である〕
[#ここで字下げ終わり]
ローレライ
わたしはわけがわからない
どうしてこんなに悲しいのか
遠いむかしのかたりぐさ
いつも心をはなれない
風はつめたく暗くなり
しずかに流れるライン河《がわ》
しずむ夕陽《ゆうひ》にあかあかと
山のいただき照り映えて
かなたの岩にえもいえぬ
きれいな乙女《おとめ》が腰おろし
金のかざりをかがやかせ
黄金《こがね》の髪を梳《す》いている
黄金の櫛《くし》で梳きながら
乙女は歌をくちずさむ
その旋律《メロディー》はすばらしい
はげしく胸をかきたてる
小舟をあやつる舟人は
かなしく心を乱されて
流れの暗礁《いわ》も目に入らず
ただ上ばかり仰ぎみる
ついには舟も舟人も
波に呑《の》まれてしまうだろう
それこそ妖《あや》しく歌うたう
ローレライの魔のしわざ
[#ここから2字下げ]
〔ローレライというのは、ライン河《がわ》の中流にある岩山で、ローレが妖魔《ようま》を、ライが岩を意味する。ローレライの名所は、ハイネの詩によって世界中に知られている。ハイネのこの詩は、ジルヒャーの名曲で国境も時代も越えて歌われているが、魔女の投げかける惑わしの愛による恍惚や悲痛は、ハイネ独特の恋愛体験に根ざすものである。最後の詩節の悪魔的な破壊力は圧倒的である。『歌の本』の「帰郷」のなかに組み入れられている〕
[#ここで字下げ終わり]
あなたの青い目で
あなたの青い目で
愛らしく見つめられると
ぼくはもううっとりとして
ものが言えない
あなたの青い目を
どこへ行っても思い出す
青い思いの大海《わだつみ》が
ぼくの心にみなぎっている
[#ここから2字下げ]
〔一八三一年に発表され、『新詩集』の「新しき春」に組み入れられた。第二節の最後の二行は、ロマンティックな表現で、とりわけ末尾がハイネらしい詩法といえる〕
[#ここで字下げ終わり]
幸福は浮気《うわき》な
幸福は浮気な娼婦《しょうふ》で
おなじ場所にいたがらない
きみの額の髪をなでて
すばやく接吻《キス》して飛んでゆく
不幸はそれと反対の奥方で
きみをつよく胸に抱きしめる
ここでゆっくりするわと言いながら
きみの寝台《ベッド》に腰かけて編み物をする
[#ここから2字下げ]
〔『ロマンツェーロ』の「悲痛篇」の題詩。みごとな擬人法による対照の鮮烈な詩篇である〕
[#ここで字下げ終わり]
愛しちゃいないと
愛しちゃいないとおっしゃるが
そんならそれでかまいませぬ
そなたの顔さえ見ていりゃあ
だれよりうれしくなるんです
憎《にく》んでいるともおっしゃるが
そういう赤いそのくちに
キッスをさせてくれるなら
そなたになにをのぞみましょう
[#ここから2字下げ]
〔民謡に依拠して書いたユーモラスな作品。恋人アマーリエを連想して歌ったものと思われる。『歌の本』の「抒情挿曲」のなかの一篇である〕
[#ここで字下げ終わり]
ある若者が
ある若者が娘に惚《ほ》れた
娘はほかの男に惚れた
そいつはほかの女に惚れて
そしていっしょになったとさ
娘はおこってやけになり
ただ気まぐれにふと会った
男の女房になったので
その若者は病みついたとさ
これはむかしのはなしじゃあるが
いつになってもよくあることだ
こんなはなしの身にでもなれば
だれでも胸は裂けるだろ
[#ここから2字下げ]
〔第三節の「これはむかしのはなしじゃあるが」というむかし話の内容の「ある若者」がハイネ、「娘」がアマーリエで、「気まぐれにふと会った男」というのは、アマーリエが結婚した相手のフリートレンダーを指すというふうに解せられる。ハイネらしい手のこんだ技巧詩である。『歌の本』の「抒情挿曲」に組み入れられている〕
[#ここで字下げ終わり]
涙にぬれて
涙にぬれて青ざめた
王妃を夢にみたのです
ぼくと王妃は菩提樹《ぼだいじゅ》の
かげでしっかり抱きあいました
「自分はあえてのぞみませぬ
黄金の笏《しゃく》も王冠も
おん父君の御位も
のぞむのはただあなたの身」
「それはならぬ」と王妃言い
「すでにわらわの身はほろび
そなた慕うて夜な夜なを
墓より出《い》づるものなれば」
[#ここから2字下げ]
〔ドイツ・ロマン派好みの詩法によって、ハイネが自分の恋の体験をメルヘンふうにうたった作品。第一節の「菩提樹のかげで」若いふたりが抱き合うというのは、民謡の歌いぶりを応用したもの。『歌の本』の「抒情挿曲」に組み入れられている〕
[#ここで字下げ終わり]
おまえの瞳を
おまえの瞳を見ていると
なやみも痛みも消えてゆく
おまえの口に接吻《キス》すると
けろりと元気になれるのだ
おまえの胸に寄り添うと
天国へでも行ったよう
あなた好きよと言われると
もう泣かずにゃあいられない
[#ここから2字下げ]
〔『歌の本』の「抒情挿曲」に組み入れられた作。ハイネには現実にこのような経験は、少なくとも恋人アマーリエとのあいだにはなかっただろうが、詩人の心的形象の端的な表現である〕
[#ここで字下げ終わり]
わかれには
わかれにはおたがいに
こいびとは手をかわし
なきぬれてためいきは
いつまでもつきぬもの
わかれにはぼくたちは
なきもせずためいきも
出なかったそのあとで
なきぬれたせつなくて
[#ここから2字下げ]
〔恋人アマーリエとの離別が成立の背景をなしていたと考えられるが、たんにハイネの個人的経験をはみ出して歌われている。『歌の本』の「抒情挿曲」に組み入れられている〕
[#ここで字下げ終わり]
かれらはぼくを
かれらはぼくをくるしめた
青くなるまでおこらせた
あるものはその愛情で
あるものはその憎しみで
かれらはパンに毒を入れた
酒にも毒を盛ったのだ
あるものはその愛情で
あるものはその憎しみで
しかしいちばんくるしめて
おこらせ泣かせたあのひとは
ぼくを憎みもしなければ
ぼくを愛しもしなかった
[#ここから2字下げ]
〔ハンブルクの叔父《おじ》一家のものを指して、ハイネが「かれら」と呼んだ、といわれる作品。第三節の「あのひと」が恋人だった従妹《いとこ》アマーリエであることはいうまでもない。『歌の本』の「抒情挿曲」に組み入れられている〕
[#ここで字下げ終わり]
ゆうべの森
ゆうべの森を
うつつの森を さまようとき
いつも わが身に寄りそう
恋しいひとのすがた
あなたの白いヴェールなのか
やさしいあなたの面影《おもかげ》か
それとも樅《もみ》の木の間《ま》を洩《も》れる
淡い月の光なのか
かすかにきこえる水の音は
わたし自身の涙のながれか
それとも 恋人よ あなたも
わたしとともに 泣いているのか
[#ここから2字下げ]
〔一八二七年にすでにできていて、一八三三年に発表された詩篇。恋人テレーゼにかんして歌われたものと想像される。『新詩集』の「色とりどり」の「セラフィーヌ1」にあたる〕
[#ここで字下げ終わり]
同じこのような幸福の
同じこのような幸福のゆめを
ぼくは見たことがなかったろうか
樹《き》も 花も 接吻も 愛のまなざしも
同じものではなかったろうか
この川べりの円亭の
木の葉のなかに月が光ってはいなかったか
大理石の神々の像が
入口をしずかに見張っていなかったか
ああ ぼくはよく知っている
甘美《かんび》な夢はうつろいやすく
つめたい雲の衣に
心も樹《き》もおおわれることを
いま こんなにやさしく愛し合い
胸と胸とをこんなにやさしく抱き合う
ぼくたち二人《ふたり》も やがては冷やかになり
離れ去って たがいに忘れてしまうのを
[#ここから2字下げ]
〔一八三一年に発表された作品だが、一八二七年の体験にもとづいて作られたものといわれる。テレーゼへの愛の感情が織りこまれている。第一節から第三節までは、アマーリエにたいするハイネの過去の失恋の思い出が歌われているのである。『新詩集』の「新しき春」に編み入れられている〕
[#ここで字下げ終わり]
爐《ろ》辺の古歌
外の闇に白い雪が飛び
あらしが猛《たけ》る
この部屋は乾燥し
あたたかく静かで落ちついている
ぱちぱち燃える爐のそばで
ぼくは椅子《いす》にすわり物思いにふける
釜の湯はたぎり
忘れた昔の歌を口ずさむ
小猫がそばで丸くなり
火で足をあぶっている
焔《ほのお》がゆらゆら燃えて
ぼくは妙な気持ちになる
忘れ去った時代のいろんな姿が
はなやかな仮面《かめん》をつけ
色あせた栄光をおび
だんだんはっきり見えてくる
美女たちが賢《さか》しらの顔つきで
甘《あま》い意味ありげな眼差《まなざし》をおくる
そのあいだに道化《どうけ》たちが
飛んで笑って狂いまわる
大理石の神々の像が
はるかに会釈《えしゃく》をおくる
そのそばに立つ夢の花々の
葉が月の光にゆれている
いくつかのむかしの魔の城が
ゆらゆらと浮かび出る
その後から輝く騎士と
従者たちが馬を飛ばしてやってくる
そしてみんな通りすぎる
幻のようにすみやかに
あれ 釜の湯が吹きこぼれた
濡《ぬ》れた小猫が悲鳴をあげる
[#ここから2字下げ]
〔一八二四年に印刷に付された初期の作品だが、『新詩集』の「雑」に入れられている。ロマン派的幻想が突如として最後の二行によって破られるところは、ハイネ的手法の特徴である〕
[#ここで字下げ終わり]
しずかにわが胸を
しずかにわが胸を
よぎる愛のひびきよ
ひびけ さやかな春の歌
ひびけ はるけき彼方《かなた》へ
ひびけ 彼方の花のにおう
あの家のところまで
もし一輪の薔薇《ばら》に会ったら
どうかよろしく伝えて欲《ほ》しい
[#ここから2字下げ]
〔第二節の「もし一輪の薔薇《ばら》に会ったら」以下は、ドイツ民謡「使いの者に」のなかの「わたしの大事なひとのところへ行ったら/どうかよろしく言っておくれ」に依拠したものといわれる。この詩篇は、原詩の簡浄なリズムの流れと単純な詩語によって、愛読される。『新詩集』の「新しき春」のなかの佳作である〕
[#ここで字下げ終わり]
蝶《ちょう》が薔薇《ばら》に
蝶が薔薇に夢中になって
そのまわりをいつまでも飛びまわる
また その蝶の周囲へ 愛に燃える
日光が金色の光をやさしくそそいでいる
それにしても 薔薇は誰《だれ》に夢中なのか
ぼくはぜひそれを知りたい
あの歌っている鶯《うぐいす》だろうか
黙っている宵《よい》の明星だろうか
薔薇が誰に夢中なのか分らないが
ぼくはおまえたちみんなが好きだ
薔薇も 蝶も 日光も
宵の明星も 鶯も
[#ここから2字下げ]
〔ハイネらしい自然の有情化であり、擬人法による詩篇。「蝶」は、浮気者の意にも用いられるが、主要な「薔薇」を引き立てる役割をおびている。恋愛をたたえるハイネの感情が、あかるく第三節に表現されている。『新詩集』の「新しき春」のなかの詩である〕
[#ここで字下げ終わり]
白い樹《き》の下に
白い樹の下にすわって
おまえは はるかに 風の鋭い音を 聞き
空に 音もない雲が
霧のとばりに包まれるのを 見る
地に 森や野が枯れはて
すっかり裸《はだか》になっているのを 見る
おまえのまわりは冬 おまえの心も冬
そして おまえの心臓は 凍ってしまった
突然 おまえの頭に
白い雪片が降ってくる
おまえは いまいましげに考える
樹《き》が吹雪を吹きおろした と
だが 吹雪ではなかったのだ
まもなく分っておどろいたが
それは 匂《にお》う春の花だ
おまえをからかって降ったのは
なんというぞっとするほどの甘《あま》い魅力
冬が春に変わる
雪が花に変わる
そして おまえの心も 新しく愛に燃える
[#ここから2字下げ]
〔一八二八年ミュンヘン在住時代のボートマー伯夫人とのいきさつを歌った作品であるという。ともあれ、アマーリエやテレーゼにたいする恋愛から歌われたものではない。『新詩集』の「新しき春」に組み入れられている〕
[#ここで字下げ終わり]
世のならい
どっさりありゃすぐにまた
うんとどっさり殖《ふ》えるだろ
ちょっぴりしきゃ無《ね》えやつあ
そのちょっぴりも奪《と》られちゃう
無一文なら仕方《しかた》がねえ
墓でも掘るさルンペンさん
生きる権利があるなんざ
なにか持ってる奴《やつ》だけさ
[#ここから2字下げ]
〔『ロマンツェーロ』の「ラザロ詩篇」の冒頭に組み入れられたハイネの名作。第一節は、『新約聖書』ルカ伝の第十九章第二十六節を用いて、現実の階級関係を明らかにし、第二節は、「生きる権利」を主張しながら、皮肉に、所有するもののない無能な人間を批判している。もとの表題は、「痛切な悲嘆」というのであった〕
[#ここで字下げ終わり]
天国の楽土にも
天国の楽土にも
浄福《じょうふく》の沃野《よくや》にも わたしは心を惹《ひ》かれません
そこには こんな美しい女《ひと》はおりません
この地上で わたしがすでに見つけたような
どんな優美な翼の天使でも
妻の代わりにはなりません
雲の上に坐って讃美歌《さんびか》を歌うのでは
気ばらしにもならないでしょう
おお 主よ この世にわたしを残されるのが
一番よいことだと思われます
ただその前にわたしの病《やまい》をなおし
なおいくらかお金の心配もしてください
この世に罪悪や悪徳が
いっぱいなのは百も承知のことです
でも 涙の谷をとおって舗道《ほどう》をさまようのに
もうすっかり慣れました
わたしはほとんど外出しないので
世の喧騒《けんそう》に煩《わずら》わされません
寝衣《ねまき》を着てスリッパをはいて
妻のそばに落ちついていたいのです
ああ 妻のそばにいたい しゃべるのを聞くだけで
わたしの心は やさしい声の
音楽にうっとりするのです
おお 彼女《あれ》の眸《ひとみ》のすずしさ すなおさ
主よ わたしはただ健康とお金がほしいのです
ああ どうか現在のままで
妻とともに もっともっと楽しく
日々を過ごさせてください
[#ここから2字下げ]
〔「一八五三・四年詩篇」に入れられた作品。晩年の病詩人ハイネの内的生活がよくうつされている。とりわけ妻マティルドを思う切々たる愛情がにじみ出ている〕
[#ここで字下げ終わり]
どこが
どこが疲れた旅人の
終《つい》の栖家《すみか》になるだろう
南の国の椰子《やし》の木蔭か
ラインの岸の菩提樹《リンデ》の下か
わたしは見知らぬ人の手で
どこかの砂漠に埋められるか
それともわたしは海岸の
砂の中にでも眠るのか
どこであろうと変わりはない
空はわたしをとりかこみ
星が夜には洋灯《ランプ》となって
わたしのうえを照らすだろう
[#ここから2字下げ]
〔ハイネの遺稿詩《いこうし》。いわゆる『最後の詩集』〔一八六九年〕に入れられている。成立は、一八四〇年以前であろうと言われる。パリのモンマルトルにあるハイネの墓の台座には、この詩が刻まれてある〕
[#ここで字下げ終わり]
物語詩《ロマンツェ》
あわれなペーター
ハンスとグレーテ踊り舞い
うれしがって大声たてる
だまって見てるペーターは
いろつやのない蝋石《ろうせき》のよう
花嫁花|聟《むこ》ハンスとグレーテ
光りかがやく婚礼衣裳《こんれいいしょう》
いつにかわらぬふだん着《ぎ》の
あわれなペーター爪《つめ》をかむ
しょんぼりながめてペーターは
おもわず口につぶやいた
よっぽどしっかりしてないと
なにを自分にやらかすか
うずく痛みのこの胸は
やぶれそうだ 裂《さ》けそうだ
いてもたってもいられない
こうやってちゃあ たまらない
あのひとだけが なおしてくれると
ついグレーテのそばへくる
だけど その目を見つめると
逃げださずにゃあいられない
のぼろう 山のてっぺんへ
人間なんか見たかあない
あそこにひとりたたずんで
泣いて涙をながすんだ
うつむき青ざめよろめいて
あわれなペーターどこへゆく
ゆきあうひとは足をとめ
異様なすがたをながめやる
ひそひそささやく娘たち
あのひとまるで幽霊みたいね
いえいえ お嬢さん ちがいます
これから墓場へゆく男
もうやりきれぬ片想《かたおも》い
墓場がいちばん いいんです
そこなら どこより安らかに
この世のかぎり休めるから
[#ここから2字下げ]
〔一八二一年に書かれた作品で、『歌の本』の「若き悩み」に組み入れられている。ハイネが恋した従妹《いとこ》のアマーリエは、一八二〇年の末、金持ちの地主フリートレンダーと結婚してしまったのである。この詩のペーターがハイネ、グレーテがアマーリエ、ハンスがフリートレンダーとして読むことができる。内容は、もとより詩的フィクションによる〕
[#ここで字下げ終わり]
波がきらきらただよえば
春の心にそぞろ恋
川べりで羊飼いの娘が
心をこめて花輪を編む
萌《も》えてうるんで匂《にお》やかに
春の心にそぞろ恋
胸のそこから吐息《といき》して
だれに花輪をあげようかしら
川ぞいに来た騎手《きしゅ》ひとり
いと晴れやかに会釈《えしゃく》する
娘がおずおず眺《なが》めれば
帽子の羽毛はとび去った
泣いて娘は流れへと
きれいな花輪を投げてやる
うぐいすは歌うせつない恋
春の心にそぞろ恋
[#ここから2字下げ]
〔一八三九年に発表された作品。「春の心にそぞろ恋」といった意味の詩行のくりかえしの巧みさ、そのほか、相似の詩行、リズムの流れなど、絶品といえよう。『新詩集』の「物語詩」に組み入れられている〕
[#ここで字下げ終わり]
ふたりはとても惚《ほ》れあっていた
女は毒婦で男は泥棒《どろぼう》だった
男がひとかせぎやっているあいだ
女はベッドのなかで笑っていた
夜ごと女は男の胸に抱かれた
淫慾と歓楽の日はながれた
男が牢屋に引っぱられたとき
窓から女は笑って見ていた
男はことづけした「会いにきてくれ
おまえの顔が見たくてならぬ
名前を毎日よびつづけている」
女は頭をふって笑っていた
朝六時に男は首を絞《し》められた
そして七時に共同墓地におくられた
だが八時にはもう女は
赤い酒をあおって笑っていた
[#ここから2字下げ]
〔ここに歌われている「女」は、べつに特定のモデルがあるわけではないが、ハイネの親友であったマルクスは、この女はハイネの妻マティルドを思わすようだといった意味のことを述べている。マティルドはたしかに無学で奔放《ほんぽう》なフランス女ではあったけれども、けっして毒婦ではなかった。むしろ無邪気《むじゃき》な子供のような女だったといえる。一八三六年に発表され、後に『新詩集』の「物語詩」のなかに入れられた〕
[#ここで字下げ終わり]
ロバの選挙
とうとう自由にあきがきて
ケダモノ共和国では
たったひとりの王さまの
絶対支配をあこがれました
いろんな種類のケダモノがあつまり
選挙がはじまったのです
党派心がおそろしくかきたてられ
陰謀《いんぼう》がくわだてられました
ロバ党を牛耳《ぎゅうじ》る幹部は
年寄りの長耳たちでした
この連中は頭に黒・赤・金の
徽章《きしょう》をつけていたのです
少数のウマ党もありましたが
とても発言などできません
年寄りの長耳たちのものすごい
わめき声にこわくなったからです
それでも 誰《だれ》かがウマの候補の名を
あげると 年寄りの長耳は
言葉をさえぎってどなりつけ
叫んだのです「このむほんものめ
きさまは反逆者じゃ きさまのからだには
ロバの血は一滴も流れておらぬ
ロバじゃないぞ きさまは
きさまのおふくろはロマン系のウマじゃろう
おそらく きさまはシマウマの血をうけておる
シマウマそっくりの縞《しま》がある
きさまの鼻声をきくと
どうやらエジプト=ヘブライのなまりまであるわ
かりに きさまがこの国のものじゃとしても
つめたい理性のロバにすぎぬ
きさまには ロバのもつ本性の深みがわかりゃせぬ
その神秘な詩篇のひびきなど 耳にはいるものか
だが わしらは あの美しいしらべにうっとりと
たましいが吸《す》いよせられる
それはロバだからじゃ わしのしっぽの
毛は一本一本すべてがロバじゃ
わしはローマにひざまずいたり仕えたりはせぬ
わしは わしの祖《おや》たちとおなじく
ドイツのロバじゃ 祖《おや》たちは
素朴で すなおで やさしかった
祖《おや》たちはけがらわしい悪魔のまねごとに
うつつを抜かしはしなかった
祖《おや》たちはいつでも元気《フリッシュ》・敬虔《フロム》・明朗《フレーリヒ》・自由《フライ》に
ふくろを水車小屋にはこんだのじゃ
祖《おや》たちは死んではおらぬわい 墓にあるのは
ただ たましいのない抜けがらだけじゃ
日ごろ 天からわしらを見おろして
よろこんでおられるのじゃ
栄光かがやける亡きロバたちよ
わしらはいつもあなたがたに倣《なら》い
義務のみちから一歩でも
足を踏《ふ》みはずすつもりはない
おお ロバたることのよろこばしさ
この長耳族の子孫たるうれしさ
わしは口をきわめて言いふらしたい
わしはロバの生まれなのじゃ
わしを生んでくれた大ロバは
ドイツ種の大ロバじゃ
ドイツのロバの乳をふくませ
母が おふくろが わしを育てた
わしはロバじゃ それで忠実に
わがむかしの祖《おや》たちのように
ふるい たっとい ロバのこころを
ロバだましいを かたくまもろう
わしはロバじゃから諸君にすすめる
ロバを国王にえらぶように
わしらはただロバのみが命令する
大ロバ帝国を建設しよう
わしらはみんなロバじゃ ヒーハウ ヒーハウ
わしらはウマの奴隷《どれい》じゃない
ウマは行っちまえ ばんざい ばんざあい
ロバ族の王様ばんざい」
愛国者はそう語りました
会場はロバの喝采《かっさい》にわきたちました
誰《だれ》もかれもが国粋的で
蹄《ひずめ》をふみ鳴らしました
みんなは演説者のあたまを
樫《かし》の葉の冠でかざりました
年寄りの長耳はだまって感謝して
おおよろこびで そのしっぽを振ったのです
[#ここから2字下げ]
〔ハイネは、よく動物を主人公とする諷刺《ふうし》詩をつくったが、この作品はロバを用いて、一八四八年のドイツのフランクフルト国民議会を嘲笑《ちょうしょう》したものである。第三節以下に出てくる「ロバ党」というのは、ゲルマン民族主義を強調する国粋党を指す。なお第十一節の「元気《フリッシュ》・敬虔《フロム》・明朗《フレーリヒ》・自由《フライ》」は、当時ドイツで流行していた愛国主義的体育運動の号令であった。この作品の成立年代は不明だが晩年の遺稿詩でドイツの国粋的復古主義にたいする痛烈な批判をふくむメルヘン風の政治詩である〕
[#ここで字下げ終わり]
舞妓《まいこ》ポマール
わたしの胸であらゆる愛の神々が
歓声《かんせい》をあげ ラッパを
吹き鳴らして叫ぶ 万歳
女王ポマール ばんざあい
オタハイチのポマールではない
あの女王は伝道になびいたが
わたしのいうポマールは自然のままの
なびかぬ美女
ジャルダン・マビーユで週に二度
観衆のまえに姿をあらわし
カンカンを踊ったり
ポルカも踊る
歩けば威厳《いげん》
かがめば優雅《ゆうが》と愛嬌《あいきょう》が
腰から脛《はぎ》まで
どこからどこまで女王のよう
女王のように踊るポマール
愛の神々は わたしの胸で
ラッパを吹いて叫ぶ 万歳
女王ポマール ばんざあい
踊るポマール ゆれる身体《からだ》のあどけなさ
たわむ四肢《てあし》のしなやかさ
舞い ひるがえり まるで
ひらひら宙にただよう
踊るポマール 片足で
ぐるぐるまわり しまいにぴたりと
腕をのばして立ちどまると
ああ わたしのあわれな理性はどこへやら
踊るポマール これぞまことに
そのむかし ユダヤの王ヘロデのまえで
ヘロデアスの娘がおどった舞踊
死の稲妻が目からきらめく
踊りまわるポマール 狂いそうになるわたし
申せよ 女 そなたに何をつかわすべき
そなたはほほえむのか こりゃ近侍のもの 行って
かの洗礼者の頭《こうべ》を斬《き》ってまいれ
ついきのうまではその日のパンのため
泥《どろ》まみれになって もだえていたのに
きょうはもうこの女は四頭立ての
馬車をさっそうと乗りまわしている
絹のクッションに
まき毛の頭をうずめて
歩いてゆくいろんな連中を
いかにも貴婦人のように見おろすのだ
車上のおまえを見ていると
わたしの心臓は痛くなる
ああ やがてこの同じ車が
おまえを療養院にはこぶだろう
そこで むごたらしい死が
おまえの苦しみを片づけてくれる
そして医学生《カラビン》どもが脂《あぶら》じみた
ぎこちない手で向学心をもやしながら
おまえのきれいな身体《からだ》を切りひらき
解剖学の実験に切りきざむ
おんなじように おまえの馬も
モンフォーコンで皮剥人《かわはぎにん》の手にわたる
おまえを脅《おびや》かした運命は
それよりましな風向きとなった
おまえは無事に死ねたのだ
おまえは無事に死んだのだ
貧しい老母の屋根裏部屋で
おまえは息を引きとった
おふくろさんは泣きながら
きれいなおまえの目をとじた
おまえのために上等の麻布《あさぬの》に
棺《ひつぎ》に おまけに墓まで買ってくれた
もとより葬儀は
貧弱でみすぼらしかったが
坊さんの読経《どきょう》の声もなかったし
弔《とむら》う鐘の音《ね》もなかった
おまえの棺のあとからは ただ
おまえの犬と髪結《かみゆい》さんがついてきた
髪結さんは溜息《ためいき》をついた
「ああ あのポマールさんがあっしのまえに
下着ひとつで坐りゃ いつも
あの長い黒髪を梳《す》いたっけが」
犬はといえば 犬のやつめは
墓地の門から逃げ去った
そののち この犬め
ローズ・ポンポンに飼われている
あのプロヴァンスの女 ローズ・ポンポンに
いつもおまえと張り合って
女王の名前をねたんでは
ひどい蔭口《かげぐち》をたたいたやつだ
泥の王冠をかぶった
あわれな物笑いの種の女王よ
もうおまえは神のとこしえの
恵みに救われて死んでしまった
おふくろさんとご同様 天なる父は
おまえに情《なさ》けを垂《た》れ給うた
思うに それはおまえだって
情けをさんざ恵んだからさ
[#ここから2字下げ]
〔ポマールは、パリの歓楽街《かんらくがい》ジャルダン・マビーユにいた有名な舞妓で、肺病のため早死にをした。1の第二節の「オタハイチ」は、タヒチ島のこと、この島の女王ポマールになぞらえて、彼女はポマールという芸名をえた。2の終わりの二節は、『新約聖書』の「マタイによる福音書」にあるサロメの話を参照。3の最後の行の「モンフォーコン」は、パリの近傍の有名な処刑地。4に出てくる「ローズ・ポンポン」は、有名なパリの舞妓で、浮かれ女であった〕
[#ここで字下げ終わり]
慈善家
ふたりの兄妹《きょうだい》ありました
貧乏人と金持ちと
妹が兄に言いました
「パンをひときれくださいな」
兄は妹に言いました
「いいかげんにしておくれ
年に一度の饗宴《きょうえん》に
議院の名士をまねく日だ
すっぽん汁の好きな方
パイナップルの好きな方
プリゴオル松露《しょうろ》をつめこんだ
雉《きじ》の料理の好きな方
海魚しか食べぬひと
鮭ならがつがつ食べるひと
なんでも食べてその上に
大酒くらうひとも来る」
あわれ貧しい妹は
腹をすかして引っかえし
藁《わら》のふとんにころがって
声もたてずに息たえた
だが人間は死ぬものだ
とうとう兄もくたばった
妹をさらった死の神は
兄のまえにもあらわれた
もう助からぬと金持ちの
兄は悟ったそのときに
公証人に人をやり
遺言状をつくらせた
遺産はしたたか寄付となり
その大半はお寺さん
つぎは学校それからは
博物館の造築費
たっとい金の寄進には
こまかく心がくばられて
ユダヤ改宗協会や
聾唖《ろうあ》院まではいってた
ステファン寺院は殊《こと》のほか
吊鐘《つりがね》までも寄贈した
鋳金はとびきり上等で
目方は五百ポンドある
それはでっかい吊鐘で
朝にゆうべに鳴らされる
大慈善家を讃《ほ》めたたえ
御恩御恩《ごおんごおん》とひびくのだ
いろんな宗旨の市民らに
町から町に鐘の音は
語りつづける 恩人の
忘れちゃならぬ大功徳《だいくどく》
ああ 人の世の徳行者
生時もとより死後にさえ
いかなる善事なしたかを
大|吊鐘《つりがね》は告げるのだ
はなばなしくもおごそかに
葬儀の次第すまされて
柩《ひつぎ》おがみに群衆は
なだれを打っておしよせた
黒い駝鳥《だちょう》の羽の環《わ》で
飾りをつけた天蓋《てんがい》の
車のうえにやすらかに
大慈善家は眠ってる
柩《ひつぎ》は銀で鍍金《メッキ》され
銀のレースで縁どられ
黒地に銀の色合いが
みごとな調和をみせていた
ひいてゆく馬六頭は
黒い衣をながながと
かなしい喪服《もふく》さながらに
蹄《ひずめ》の下に垂《た》らしてた
柩《ひつぎ》のあとにつづくのは
黒い燕尾《えんび》の召使
赤い目もとに真っ白な
すすりハンケチあてていた
町の名士はことごとく
黒い車にうち乗って
長い行列だらだらと
のろりのろりとやってきた
議院の名士諸公らも
この葬式にくわわって
列を組んだはむろんだが
全部の方は来なかった
松露《しょうろ》をつめた雉《きじ》料理
好きなお方はいなかった
この議員さん このあいだ
消化不良で死んだのだ
[#ここから2字下げ]
〔「一八五三・四年詩篇」に入れられた作品。晩年のハイネのユーモアたっぷりの現実批判の詩である。階級的な鋭い観察とともに、金持ちの偽善や俗物主義がみごとにあばき出されている〕
[#ここで字下げ終わり]
奴隷《どれい》船
船荷親方《スーパー・カルゴー》メネール・ヴァン・ケークが
自分の船室で勘定《かんじょう》している
積荷の総額と
たしかな儲《もう》けを計算している
「ゴムはよし 胡椒《こしょう》はよろし
三百俵に三百樽
砂金もあるし象牙《ぞうげ》もあると
黒い売物なおよろし
六百人もの黒ん坊をセネガル河《がわ》で
二束三文で手に入れた
筋肉はかたく張っている
まるでとびきりの鉄の鋳物《いもの》だ
かわりにこっちからやったのは火酒《ブランデー》と
ガラス玉と鉄具《かなぐ》だけさ
あいつらの半分が生き残りゃあ
それで儲《もう》けは八十割
リオ・ジャネイロの港に着いたとき
三百人の黒ん坊さえ生きてりゃあ
ゴンザレス・ペルレイロのところで
一匹 百ドゥカーテンは払ってくれると」
そのとたん メネール・ヴァン・ケークの
胸算用はやぶられた
船医が部屋へはいってきたからだ
ドクトル・ヴァン・デル・スミッセンが
骨と皮とのやせっぽっちで
鼻いちめんに赤い疣《いぼ》がある
「なあ 船医さん」とヴァン・ケークが呼びかける
「黒ん坊の様子はどうだい」
ドクトルはその問いにうなずいて言う
「それをお伝えしにきたんですが
どうも今夜は死人の数《かず》が
ちとばかりふえたんです
毎日死ぬのがふたり平均だったのに
きょうは七人も死にました
男が四人 女が三人 損害は
すぐ帳簿に書きこみましたが
屍体《したい》はよく検視《けんし》しました
あいつらは死んだふりまでしますからね
ずるくって ときどき
海へ投げこんでもらおうとして
死んだ黒ん坊から鉄具《かなぐ》をはずして
いつものように
屍体を海へ投げすてました
朝も早いうちに
すると すぐ波のなかから
鮫《さめ》の大群がおどり出ました
やつらは黒ん坊の肉が大好物です
まあ わたしどもの居候《いそうろう》のようなやつらです
鮫のやつらはわたしどもが出帆《しゅっぱん》してから
ずっと船のあとをつけてきたんですよ
あの動物はがつがつして鼻をならしながら
屍体《したい》の臭《にお》いをかぎつけるんです
やつらが死人にかみつくのは
こっけいな見ものですよ
頭をかむやつ 足をかむやつ
ぼろ布《きれ》にかみつくやつ
すっかりのみこんでしまうと 舷《ふなばた》のまわりを
よろこんでぐるぐるまわり
わたしをじっと見るんです 朝飯《あさめし》の
お礼でも言おうとするように」
だがヴァン・ケークは溜息《ためいき》ついて
話をさえぎる「この禍《わざわい》をなんとか
なくすことはできんかね 死人の数を
ふやさぬ方法はないかしらん」
ドクトルは答える「黒ん坊が
死ぬのは 大部分やつら自身のせいです
あいつらの不潔な息が
船艙《なか》の空気をすっかり腐《くさ》らしているんです
それにメランコリーで死ぬやつもずいぶんいますよ
死ぬほど退屈してますからね
すこし空気と音楽とダンスを
あたえてやればなおりますよ」
ヴァン・ケークは叫んだ「名案だ
さすがはわたしの船医さんだ
まるでアレキサンダー大王の先生
アリストテレスみたいに頭がいい
デルフトのチューリップ改良会の
会長さんもなかなか利口《りこう》な男だが
あんたの頭とくらべたら
その半分もありゃしまい
音楽 音楽 黒ん坊どもを
この甲板《デッキ》で踊らせてやろうよ
踊りに興じねえやつあ
鞭《むち》で打《ぶ》ちのめしてやる」
はるかな空の青いとばりから
数知れぬ星どもがのぞいている
あこがれに見ひらいてぴかぴか光る
美人の瞳のようだ
星は海を見おろす
燐光《りんこう》を放って紫色に
けぶる海の一帯を
波はたのしげにつぶやいている
奴隷船《どれいせん》の帆《ほ》ははためかず
ぐったりとおとろえて垂《た》れさがっている
しかし甲板《デッキ》にはランタンがかがやき
ダンスの音楽がにぎにぎしい
ヴァイオリンをひくのは舵取《かじと》りで
コックがフルートを吹いている
ボーイが太鼓《たいこ》をたたくと
ドクトルがラッパを吹きならす
百人あまりの黒ん坊が
男も女も大よろこびで跳《と》びあがり
狂ったように駆《か》けめぐる 跳ぶたびに
鉄具《かなぐ》の音が調子をあわせる
夢中でさわいで床《ゆか》を蹴立《けた》てる
やがて黒ん坊の美人|連《れん》は
裸の男をひしと抱く
しばしの間 むせぶ声
享楽指揮者《メートル・デ・プレジール》は番人で
鞭《むち》をふりあげ ふりおろし
のろまの踊り手を駆《か》りたてて
浮かれ気分へ いやがうえ
ぷうぷうどんどん たんたらたん
この大騒ぎに何事かと
眠りほおけていた
海の世界の怪物が顔を出す
寝呆《ねぼ》け面《づら》で数百の
鮫《さめ》のやつらが泳いでくる
船を見あげて茫然《ぼうぜん》と
どうしたことかとあきれている
まだ朝飯のときじゃないと
鮫どもは大口あいて
あくびする その顎《あご》には
鋸《のこぎり》の目のように歯がならんでいる
ぷうぷうどんどん たんたらたん
踊りはいつまでもきりがない
たまらなくなり 鮫《さめ》どもは
自分の尻尾《しっぽ》にくらいつく
やつらは音楽は嫌《きら》いらしい
ああいう輩《やから》はたいていそうだ
<音楽の嫌いな動物に気をゆるすな>と
アルビオンの大詩人も言っている
たんたらたんたん ぷうぷうどん
踊りはいつまでもつづいている
マストにメネール・ヴァン・ケークが立って
手を合わせてお祈りをする
「おお主よ ねがわくは キリストのために
黒い罪びとの命をゆるしたまえ
あれたちはきっとお気にさわることをいたしましょうが
ごぞんじのとおり牛みたいな愚《おろ》かものです
ねがわくは あれたちの命をゆるしたまえ
われらの罪を負うて十字架につけられたキリストのために
あの三百個の命が残りませぬと
わたしの商売はだいなしになりますから」
[#ここから2字下げ]
〔一見明るいユーモアを発散するメルヘンふうのこの作品は、奴隷売買をする白人にたいする作者の怒りと黒人にたいする同情とが、制作の要因になっている。しかも、ここにキリスト教的偽善と資本主義の搾取《さくしゅ》不正が徹底的に攻撃されているのである。「一八五三・四年詩篇」のなかに入れられている。なお、作中のアルビオンの大詩人とは、シェイクスピアのこと〕
[#ここで字下げ終わり]
ランプセニート
王さまのランプセニートが 王女《むすめ》の
金ぴかのお部屋へおはいりになると
王女さまがはしゃいで笑っていた
侍女《じじょ》たちみんなも笑っていた
黒ん坊や宦官《かんがん》どもも
いっしょになって笑い
ミイラやスフィンクスの奴《やつ》らまで
腹をかかえて大笑い
王女さまのおっしゃるには「たしかに
泥棒《どろぼう》をつかまえたと思ったのよ
そしたら あの男 死人の腕を一本
わたしの手に残したまま逃げちゃったの
お倉にはいろんな錠や閂《かんぬき》がかかってるのに
どうして泥棒がしのびこみ
宝物を盗《ぬす》んで行ったのか
やっと今わたしにわかったわ
そうよ あの男は魔法の鍵を持ってるんだわ
それでどこの扉だって開《あ》けられるのよ
どんなに頑丈《がんじょう》な門だって
とっても守れないわ
わたしは頑丈な門でもない女の身
どうしようもなかったのよ
それで 宝の番をしていながら ゆうべ
大事な宝を奪《と》られちゃったの」
王女さまは明るくそうおっしゃって
居間のなかを踊り歩いた
侍女や宦官《かんがん》たちはまた
声をあげて笑った
おなじ日 メンフィス市中の者が笑った
鰐《わに》の奴《やつ》でさえ笑ったのだ
黄色いナイル河《がわ》の
泥水から頭を出しながら
それというのも 太鼓《たいこ》の音を聞きつけて
みんなが河辺《かわべ》で
お布令《ふれ》の役人が読みあげる
以下の布告《ふこく》を聞いたからだ
「天佑《てんゆう》によってエジプトの
国王たるランプセニート
余《よ》はここに親しく
忠良なる余の国民に告ぐ
キリスト降誕《こうたん》前
一千三百二十四年
六月三日より四日に至る
夜中のこと
ひとりの盗賊《とうぞく》が余《よ》の宝庫より
数多《あまた》の宝物を掠《かす》め取れり
その後もひきつづき
かかる盗みをおこなえり
されば犯人を引っ捕えんため
余は宝物のかたわらに 姫を
就寝《やす》ませたり されど まことに巧妙に
盗賊は貴重なものを奪い取れり
かかる盗みを防止するため
かつは かの盗賊にたいして
温情を垂《た》れ
余の親愛と敬意を示さんがため
余《よ》は同人に余の唯《ただ》ひとりの女《むすめ》を
妻として与え
さらに同人を王族の列に加えて
王位を継承《けいしょう》せしめんと欲す
しかるに 余の女婿《じょせい》たるべき者の居所は
いまなお明らかならざるにより
ここに布告《ふこく》を発して
余の恩沢《おんたく》を知らしめんとす
キリスト降誕前
一千三百二十六年
一月三日
国王ランプセニート 自署」
ランプセニートは約束をお守りになった
そして盗賊《とうぞく》は婿《むこ》に迎えられた
やがて王さまが亡くなられたので
その盗賊がエジプトの王位を継いだ
盗賊は他の王さまに劣らぬ政治をとり
商業を保護し金銭を大切にした
伝えられるところでは その治世下には
泥棒《どろぼう》がほとんどいなかったということだ
[#ここから2字下げ]
〔ギリシャのヘロドトスの『歴史』に出ているランプセニートス物語の内容を、ハイネがハイネらしく詩的に改めて作った物語詩である。ユーモラスで、メルヘン風な作品を形づくりながら、身分制度や宮廷社会を嘲笑《ちょうしょう》する卓抜《たくばつ》な諷刺詩《ふうしし》になっている。第六節の王女の言葉、ランプセニート王の布告、さらに最後の節のふくむ意味内容など、注目すべき問題をはらんだ諷刺である。この作品は、『ロマンツェーロ』の「歴史調」の冒頭《ぼうとう》を飾っているものである〕
[#ここで字下げ終わり]
とんぼ
虫の国でいちばん美しいのは
とんぼです 青とんぼです
この美しいとんぼの女に
男の蝶《ちょう》たちはすっかり夢中になっています
とんぼは腰がほっそりしていて
紗《しゃ》の翼の衣をつけています
その動きはすべて均斉《きんせい》がとれていて
空中を快活に飛びまわります
いろんな男の虫たちがとんぼの
あとを追い 口々に言いました
「いっしょになってくれるなら
素敵《すてき》なものを差し上げます」
気ままなとんぼが答えるには
「素敵なものなどいりません
わたしが欲《ほ》しいのは 部屋を明るくする
ほんのちょっとの光だけよ」
この言葉《ことば》を聞くとたちまち
惚《ほ》れた男の虫たちは いそいで
美しいとんぼのために光を求めて
先をあらそって飛んでいきます
ひとりが蝋燭《ろうそく》のひかりを見つけて
一目散に狂ったように突きすすみます
すると焔《ほのお》はその虫を呑《の》みこみました
虫のからだも愛の心も
これは日本のおはなしなんだが
こうしたことはドイツにもあるよ
おんなじようなとんぼがいるんだ
とっても不実で魔性の女《やつ》が
[#ここから2字下げ]
〔この詩は、ハイネの死後一八五七年に発表された。この詩のような、いわゆる「飛んで火に入る夏の虫」の日本の民話なるものをハイネが、具体的に誰《だれ》から聞いたか、何から得たか、不明。しかし、このメルヘンふうの作品と似た愛の犠牲は、ゲーテも歌っている。「昇天のあこがれ」が、それである〕
[#ここで字下げ終わり]
十四行詩《ソネット》
ぼくは笑ってやる
ぼくは笑ってやる 山羊面《やぎづら》をしてぼくをじろじろ見ている
あの野暮《やぼ》な間抜けどもを
ぼくは笑ってやる 腹をすかして
陰険《いんけん》にぼくを嗅《か》ぎまわり ながめている狐どもを
ぼくは笑ってやる 高邁《こうまい》な精神界の審判者《しんぱんしゃ》のつもりで
いばっている博学の猿どもを
ぼくは笑ってやる 毒にひたした武器で
ぼくをおびやかす卑劣《ひれつ》な悪漢どもを
たとい幸福の美しい七つの道具が
運命の手でこわされて
ぼくらの足もとに投げだされても
たとい心臓が体内で引き裂かれ
引き裂かれ ずたずたに切られ突き破られても
うつくしい甲高《かんだか》い笑いはのこるのだ
[#ここから2字下げ]
〔この詩は、一八二一年、ある手紙のなかに書かれ、『歌の本』の「若き悩み」に入れられている。「クリスチャン・Sにおくる壁画風《へきがふう》のソネット」の3にあたる。若いハイネの笑いの実体を知る上での重要な作品〕
[#ここで字下げ終わり]
ぼくの脳裡《のうり》に
ぼくの脳裡に あるすばらしいお伽話《とぎばなし》がうかび出る
そのお伽話のなかで うつくしい歌がひびく
その歌のなかに 目のさめるようにきれいなかわいい少女が
生きて うごいて かがやく
そしてちいさな心臓がその少女のからだに宿っている
しかし心臓にはいささかの愛ももえていない
この愛のないつめたい心のなかに
ただ 高慢《こうまん》とうぬぼれがはいりこんだ
きみにはきこえるだろうか ぼくの頭のなかのお伽話のひびく音が
その歌が おごそかに また 気味わるくうなるのが
そして 少女がかすかにそっとしのび笑いをしているのが
ただ ぼくはおそれている 頭がはりさけはしないかと
ああ もしぼくが気でもふれたら
ほんとに どんなに悲しいことだろう
[#ここから2字下げ]
〔「ぼくは笑ってやる」と同じく、『歌の本』の「若き悩み」に入れられた「クリスチャン・Sにおくる壁画風のソネット」の4にあたる。この詩の成立の背景には、一八二一年にハンブルクを訪れ、恋人アマーリエに再会したときの体験がひそんでいる〕
[#ここで字下げ終わり]
友よ 避《さ》けたまえ
友よ 避けたまえ おこった悪魔の渋面《じゅうめん》を
だが なおさら悪いのは柔和《にゅうわ》な天使の笑顔だ
そんな顔が かつてぼくに 甘《あま》いあつい接吻を要求した
だが近づくとぼくはするどい爪を感じたのだ
友よ 避けたまえ 年をとった黒猫を
だが なおさら悪いのはちいさな白猫だ
そんな猫を かつてぼくは自分の恋びとにした
だが ぼくの恋びとがぼくの心臓をかきむしった
おおうつくしい笑顔よ 世にもうつくしい乙女《おとめ》よ
その澄んだ瞳で どうしてぼくをあざむけたのか
そのかわいい手で どうしてぼくの心を引き裂けたのか
おお ぼくの小猫のみるからに柔らかな手よ
ぼくは このもえる唇《くちびる》をおまえにおしつけることも
そしてそのあいだに この心臓の血をながして死ぬこともできようが
[#ここから2字下げ]
〔ハイネがかれ独特の、悪魔と天使、黒猫と白猫を対照的に歌って、後者に自分を棄てた恋人のシンボルを浮き彫りにして歌ったソネット。『歌の本』の「クリスチャン・Sにおくる壁画風のソネット」に入れられている〕
[#ここで字下げ終わり]
ぼくはいつも昂然《こうぜん》と
ぼくはいつも昂然と頭をもたげて歩きます
なかなか強情で人の言うことは聞きません
たとい王さまがぼくの顔をのぞかれても
おそらく目を伏せたりはしないでしょう
だがお母《かあ》さん うちあけて申しますが
いくらぼくが高慢不遜《こうまんふそん》でいばっていても
おやさしい なつかしいあなたのそばにいるとよく
ためらいがちな謙虚《けんきょ》な思いにひたるのでした
ぼくを人知れずおさえつける力 それがあなたの魂なのでしょうか
あらゆるものに思いきりしみこんで
あかるい天へきらめきあがるのが あなたのけだかい魂でしょうか
あんなにぼくを愛してくださったその美しいお心を
あなたのお心を悩ますかずかずの仕打ちをやった
あの思い出がぼくを苦しめるのでしょうか
[#ここから2字下げ]
〔一八二四年に書かれ、『歌の本』の「若き悩み」に組み入れられている。「ゲルデルン家に生まれた、わが母、B・ハイネに」の1にあたる。ハイネの母は、文字どおりの賢母《けんぼ》だったらしい。この詩は、若い自由奔放な詩人の、母にたいする真情がよくあらわれている〕
[#ここで字下げ終わり]
もの狂おしい情熱から
もの狂おしい情熱から ぼくはあなたを去りました
世界のはてまでいこうとしたのです
まごころから抱きしめられる愛を
その愛を見出せるかどうか 知りたかったのです
路地という路地をさがしてみました
一軒一軒戸口に両手をひろげて
わずかな愛のほどこしを乞《こ》いました
けれどあたえられたのは ただ あざ笑うつめたい憎しみだけでした
ぼくはたえず愛を求めてさまよいました
その愛をいつまで求めても見出せず
やつれはて悲しんで家にかえってきたのです
でもあなたは待っていて ぼくをむかえてくれました
そのとき ああ あなたの目に浮かんでいたもの
それこそ ながいあいだ求めてあるいた うつくしい愛でした
[#ここから2字下げ]
〔「ぼくはいつも昂然《こうぜん》と」と同じく一八二四年に書かれた「ゲルデルン家に生まれた、わが母、B・ハイネに」の2にあたる。母への愛が端的《たんてき》に歌われているソネットである〕
[#ここで字下げ終わり]
ぼくの昼は明るく
ぼくの昼は明るく ぼくの夜は幸《しあわ》せだった
ぼくが竪琴《たてごと》を片手に詩《うた》をうたえば
民衆はいつもぼくに歓声《かんせい》をあげた
ぼくの詩は歓喜《かんき》と火だ いろんな美しい焔《ほのお》を燃えたたせた
ぼくの夏はいまでは真盛《まっさか》り けれど早くも
ぼくは収穫を納屋へはこびはじめた
それなのに ぼくは棄てなければならないのか
世界がぼくにくれたこんなに高価な愛すべきものを
手から竪琴《たてごと》がすべり落ちる こなごなに
グラスがくだけ散る ぼくがあんなに愉快に
ぼくの有頂天《うちょうてん》になった唇《くちびる》に押しつけたグラスが
ああ 神よ なんとおそろしくいやなものだろう 死ぬということは
ああ 神よ なんと甘《あま》くていい気持ちだろう
こころよい甘いこの地上の巣に生きながらえることは
[#ここから2字下げ]
〔ハイネの死後一八五七年に発表された作品だが、つくられたのは一八四六年だといわれる。ハイネは、その生涯の後期にはソネットの形式では、詩的な内容をほとんど歌っていない。これは、まさに異例の作である。最後の三行には、病詩人の生への執着と明るい生活の憧憬《どうけい》がにじみ出ている〕
[#ここで字下げ終わり]
時事詩
傾向
ドイツの詩人よ うたいたたえよ
ドイツの自由を きみの歌こそ
われらの心をとらえ動かし
マルセイエーズの調べさながら
われらを行為へ駆《か》りたてよ
ロッテひとりに胸をもやした
ウェルテルのようにもはや嘆くな
合図の鐘がどうして鳴るか
それを民衆に告げねばならぬ
匕首《あいくち》を語れ 剣を語れ
もはや かよわい笛をやめよ
牧歌のこころを棄《す》て去れ
祖国の大ラッパとなれ
カノン砲となれ 臼砲《きゅうほう》となれ
吹け 鳴らせ とどろけ ころせ
吹け 鳴らせ とどろけ 日ごと
最後の圧制者が逃げうせるまで
ただ その方向でのみ歌え
だが きみの詩はできるだけ
だれにも通ずるようにせよ
[#ここから2字下げ]
〔マルクスを知る以前、すでに一八四二年はじめに出来たハイネの社会革命詩の代表作。第一節の「マルセイエーズ」はフランスの革命歌、第二節の「ロッテ」はゲーテの『若きウェルテルの悩み』に出てくる恋人ロッテ、「匕首《あいくち》を語れ」はシェイクスピアの『ハムレット』の第三幕第二場の終わりのハムレットのせりふにもとづく表現。第四節の最後の二行の諷刺《ふうし》は、教条主義的傾向詩人への痛棒である。この一篇は、『新詩集』の「時事詩」に組み入れられている〕
[#ここで字下げ終わり]
ある変節者に
ああ 神聖な 青年の意気込み
おおそれが なんと早く馴《な》らされてしまったか
それで おまえはすっかり熱を冷やして
天なる神と和解してしまった
おまえは 十字架のもとへ這《は》っていった
つい二三週間前まで おまえが
踏みにじろうと考えていた
あの軽蔑《けいべつ》していた十字架のもとへ
ああ おまえは本を読みすぎたのだ
あのシュレーゲルやハラーやバークのものを
昨日《きのう》までは英雄のようだった人間が
今日《きょう》はもう裏切り者になっている
[#ここから2字下げ]
〔遺稿詩。ユダヤ人の友人でキリスト教に改宗したエドゥアルト・ガンスのことを歌った作品と推定されている。「シュレーゲルやハラーやバーク」は、ハイネによれば、いずれも宗教的、政治的に反動的な存在であった。文学者シュレーゲルも、ベルンの歴史家ハラーも、カトリックに転心した。イギリスの政治家バークはフランス革命の反対者であった。しかし、この作品は、特定の人物を考えずに意味ふかく読める〕
[#ここで字下げ終わり]
まあ待て
おれが稲妻をあんまり凄く光らせるので
雷を落とせぬと きさまらは思っているのか
とんでもないまちがいだ このおれにゃあ
雷を打ち鳴らす腕もあるんだ
その日がいまにやってきたら
おそろしさを思い知らせてやろう
そのとき きさまらにおれの声を聞かせてやる
雷鳴の言葉《ことば》を 霹靂《へきれき》の打撃を
その日こそ 荒れ狂う嵐が
樫《かし》の木なんか引き裂くだろう
宮殿なんぞ 震《ふる》えるぞ
寺院の塔は 崩《くず》れるぞ
[#ここから2字下げ]
〔一八四四年マルクスとの交友時代に執筆、発表。第三節の「樫《かし》の木」は、オークのことだが、ゲルマン時代には雷神の木として神聖視され、力、頑丈《がんじょう》、自由のシンボルとなり、その葉は勝利の表章であった。いわばドイツの権威の象徴である。この詩は、ハイネの革命詩としてよく知られ、『新詩集』の「時事詩」に編み入れられている〕
[#ここで字下げ終わり]
中国の皇帝
わしの親父《おやじ》あ朴念仁《ぼくねんじん》で
いつも素面《しらふ》の偽善者じゃった
けれどもわしゃあ焼酎《しょうちゅう》飲むぞ
わしゃあお偉い皇帝さまじゃ
魔法の酒よこの酒こそは
わしが思案の霊薬じゃぞい
わしが焼酎一杯やりゃあ
支那《しな》の全土にすぐ花咲かあ
中華の国あ見ろたちまちに
花の牧場に変わっちまうぞ
わしゃあ立派《りっぱ》な丈夫《おとこ》になって
わしの奥さん子供をはらむ
いたるところが精気あふれて
病人どもも達者になるわ
抱え学者の孔子《こうし》のやつあ
ええ考えを思いつくのじゃ
兵卒どもの粗末な麺麭《パン》も
杏仁《マンデル》入りの|かおびん《ヽヽヽヽ》になる
この国に住む破落戸《ごろつき》どもは
絹や天鵞絨《びろうど》着てふらつくわ
勲爵士《マンダリーン》の高官どもの
つるつる禿《は》げた頭でさえも
妙齢《みょうれい》の気をまた吹きかえし
その辮髪《べんぱつ》を振りまわすのじゃ
宗旨の結晶あの多宝塔《たほうとう》
五重の塔も竣工《しゅんこう》成って
猶太《ユダヤ》のやつらも法名《ほうみょう》を受け
蛟竜勲章《こうりょうくんしょう》授けらるるぞ
革命ごころ消えてなくなり
満人《まんじん》たちの貴族らも言う
「憲法などはもう要《い》りませぬ
刑具の笞《むち》と杖が要ります」
医生のやからや薬司《やくし》どもらは
わしに禁酒をすすめておるが
かまわずわしゃあ焼酎《しょうちゅう》あおる
わしの社稷《しゃしょく》を祝うがためじゃ
どんどん焼酎さあひっさげろ
まるですっかり満那《まんな》の味じゃわ
気は狂っても民は幸福
「恭喜恭喜《こんしこんし》」と嬉《うれ》しがるわい
[#ここから2字下げ]
〔一八四四年に発表。プロシャ皇帝フリードリヒ・ウィルヘルム四世を諷刺《ふうし》した作品である。この皇帝は、即位のはじめはやや開化的、文化的であったが、ロマンティックな独裁者で、やがて反動化した。第四節の「孔子」というのは、一八四〇年プロシャのお抱えの哲学者となったシェリングを諷したもの、第七節の「多宝塔」は、ケルンの大|伽藍《がらん》を意味する。『新詩集』の「時事詩」の一篇である〕
[#ここで字下げ終わり]
田舎《いなか》町の恐怖時代の思い出
われわれ 町長および町会議員は
町を代表して
次のような布告《ふこく》を
忠実な町民のあらゆる階層に発した
「われわれの間に革命精神を植えつける者は
主として外国人たちである
かかる犯罪者がわが同胞から
ほとんど出ないというのはありがたいことである
かれらは主として無神論者である
神にそむく者は
やがてわれわれの当局にもまた
そむくに至る
政府に従うということは
ユダヤ教徒およびキリスト教徒の第一の義務である
キリスト教徒およびユダヤ教徒よ
それぞれ日没とともにその店を閉ざせ
三人の者が集合すれば
解散せねばならぬ
夜は何びとも無灯で
路上に出ることは許されぬ
各人はその武器を
同業組合《ギルトハウス》に提出しなければならぬ
いかなる種類の軍需品も
同所に保管さるべきである
街頭で不平を言う者は
ただちに銃殺に処せられる
不平の態度を示す者も
同様厳罰に処せられる
忠誠にして賢明な処置により
うやうやしく国家を保護する
当局を信頼せよ
町民各位はつねに黙々としているがよい」
[#ここから2字下げ]
〔「一八五三・四年詩篇」のなかの一篇。反動時代にたいする痛烈な諷刺《ふうし》詩。民衆の自由圧殺を逆手に歌ったハイネ独自のもの〕
[#ここで字下げ終わり]
シュレージエンの織工
くらい眼《まなこ》に 涙もみせず
機《はた》にすわって 歯をくいしばる
「ドイツよ おまえの経帷子《きょうかたびら》を織ってやる
三重《みえ》の呪《のろ》いを織りこんで
織ってやる 織ってやる
ひとつの呪いは 神にやる
寒さと飢《う》えにおののいてすがったのに
たのめど待てど 無慈悲にも
さんざからかい なぶりものにしやがった
織ってやる 織ってやる
ひとつの呪《のろ》いは 金持ちどもの王にやる
おれたちの不幸に目もくれず
のこりの銭《ぜに》までしぼりとり
犬ころのように 射《う》ち殺しやがる
織ってやる 織ってやる
ひとつの呪いは いつわりの祖国にやる
はびこるものは 汚辱《おじょく》と冒涜《ぼうとく》ばかり
花という花は すぐくずれ
腐敗《ふはい》のなかに 蛆《うじ》がうごめく
織ってやる 織ってやる
筬《おさ》はとび 機台《はただい》はうなる
夜も日もやすまず 織りに織る
ふるいドイツよ おまえの経帷子《きょうかたびら》を織ってやる
三重の呪《のろ》いを織りこんで
織ってやる 織ってやる」
[#ここから2字下げ]
〔はじめ一八四四年に「貧しき織工」という表題で発表。マルクスとの交友の最盛期につくられた。一八四七年に加筆して今日のような表題となって再度発表。ドイツに起こった現実のシュレージエンの織工の暴動をテーマとしている。ハイネ自身がみじめな労働者になりきって、自分らの敵に対決して、歌いあげた代表的革命詩。生前、どの詩集にも入れられなかった〕
[#ここで字下げ終わり]
人生航路
笑いと歌 きらめきゆれる
陽《ひ》の光 波は歓喜《かんき》の
船をゆする 友だちとぼくは
その船に乗り 愉快だった
船は難破《なんぱ》して 打ち砕かれた
友だちは 泳ぎがへたで
祖国の海に沈んでしまった
嵐がぼくを打ちあげた セーヌの岸に
ぼくは あたらしい仲間と
あたらしい船に乗りこんだ
異国の波は ぼくをあちこちへ運ぶ
ああ とおい故郷 苦しいぼくの心
そしてまた 歌と笑い
風がうなり 舷《ふなばた》がきしむ
空には最後の星も消える
ああ 苦しいぼくの心 とおい故郷
[#ここから2字下げ]
〔一八四三年デンマークの童話作家アンデルセンに捧げた作品。一八三一年以来パリに滞在しているハイネが望郷の感情に駆《か》られながら、人民解放のためにたたかう同志たちとの共同行動を宣言した一種の社会詩とみなされる。『新詩集』の「時事詩」のなかの一篇である〕
[#ここで字下げ終わり]
三月以後のミッヒェル
ぼくが知るかぎり
ドイツのミッヒェルはのらくら者だった
三月にぼくは思った かれは男らしくなった
今後はきっと利口《りこう》にふるまうだろうと
君主たちの前でドイツのミッヒェルは
ブロンドの頭をどんなに誇らしげに擡《もた》げたことか
許されぬことを
けだかい反逆者のことをいかに語ったことか
それは童話ふうの物語のように
ぼくの耳にとても甘《あま》くひびいた
ぼくは若いお人好しのように
心がふたたび高鳴るのを感じた
だが旧《ふる》いドイツのぼろ屑《くず》の
黒・赤・金の旗がまた現われたとき
ぼくの幻想も そして
甘い童話の不思議も消えた
ぼくはこの旗の色が
示す前兆《ぜんちょう》を知っている
これはドイツの自由の
最悪の忍苦の知らせをもたらす
すでにぼくは見た アルントを 父《ファーター》ヤーンを
時代おくれの英雄たちが
墓からふたたび現われて
皇帝のために戦っている
ぼくの青年時代の
学生組合《ブルシェンシャフト》のメンバーは
残らず皇帝のために燃え立った
かれらが酔っぱらったときに
ぼくは見た 外交官や坊主の
腹黒い連中が
ローマ法の侍臣どもが
共同の神殿で働くのを
その間に忍耐づよい善良なミッヒェルは
眠っていびきをかきはじめた
そしてまた目を覚ました
三十四人の君主に保護されて
[#ここから2字下げ]
〔「三月」は一八四八年のドイツ三月革命をさす。この市民革命はやがて敗北し、ドイツは反動の制圧下におかれた。「ミッヒェル」はドイツ人のあだ名、ここではドイツ民衆をさす。第四節の「黒・赤・金」は、「三月」に認可されたドイツ国旗の色でもあり、当時の愛国的な学生組合の旗じるしでもあったが、ハイネは反動的中世の復興として排撃している。第六節の「アルント」はドイツ・ロマン派の愛国詩人、「父《ファーター》ヤーン」は体操の父とよばれる国粋主義者。第八節の「ローマ法」は反民主主義の立法を象徴し、第九節の「三十四人の君主」は当時のドイツの小国群の支配者たちを指す。この作品は、ハイネ晩年の遺作である〕
[#ここで字下げ終わり]
流浪《るろう》の鼠《ねずみ》
鼠がいるんだ 二種類《ふたしゅるい》
ひもじい奴《やつ》と食い過ぎと
食い過ぎどもは くつろぐが
ひもじい奴は 家を出る
何千マイルも旅をして
休みも泊まりもてんでせぬ
めくらめっぽう先急ぎ
雨にも風にもひるまない
山にぶつかりゃ よじ登り
湖水に出りゃあ 泳ぎ抜け
足を折っても 溺《おぼ》れても
生きていなけりゃ 置き去りだ
奇態なこいつら へんてこな
うす気味わるい髭《ひげ》がある
頭は全部|極端《ラジカル》に
鼠禿《ラッテンカール》に刈ってある
このラジカルな徒党らは
神さまなんぞ知りもせぬ
子どもに洗礼受けさせぬ
女はみんな共有だ
肉欲主義の鼠らは
食ったり飲んだり仕放題
飲んだり食ったりするだけで
霊魂不滅も考えぬ
こんな野蛮《やばん》な野鼠は
地獄も猫《ねこ》もおそれない
土地もなければ金もなく
新たに世界を分けたがる
流浪の鼠 わあ こわい
あいつらはもう近づいた
迫ってくるぞ チュウチュウと
おびただしいぞ その数は
おお ぞっとする もうだめだ
市《まち》の門までやってきた
市長も市会の偉方《えらがた》も
頭をふって処置なしだ
市民はそれぞれ武器をとり
坊主は鐘を打ち鳴らす
道義国家の保証たる
所有権さえ危いぞ
坊主の祈祷《きとう》も鐘の音《ね》も
市会の布令《ふれ》の名文も
百ポンドある大砲も
せいぜい蛙に小便《しょんべん》だ
雄弁術《ゆうべんじゅつ》の老《お》いぼれの
手管《てくだ》なんぞは利《き》きゃしない
三段論法《シロジズム》じゃ捕《つか》まんない
鼠は詭弁《きべん》を飛びこえる
ひもじい胃の腑《ふ》にはいるのは
団子《だんご》論拠の肉汁《ソップ》論理
ゲッティンゲンの腸詰《ちょうづめ》の
引証句《ツィターテン》付き焼肉《テキ》論証
このラジカルな徒党には
無言の干鱈《たら》のバタ揚げが
キケロ以来の弁士より
ミラボーよりも口に合う
[#ここから2字下げ]
〔ハイネの遺稿詩《いこうし》。成立年代は不明だが、いわゆる『最後の詩集』のなかの一篇である。ハイネの共産主義思想を知る上での貴重な作であるといわれているが、もちろん諷刺《ふうし》的なもの。第五節の「女はみんな共有だ」という詩行にハイネの共産主義理解の浅薄さが示されているなどと言われたりするけれども、ここにあらわれている鼠《ねずみ》は、科学的社会主義が確立する以前の俗流共産主義者の群れとみるべきである〕
[#ここで字下げ終わり]
涙の谷
夜風が天窓からぴゅうぴゅう吹きこむ
屋根裏のベッドに横になっている
ふたりの哀れな者たち
痩《や》せほそって蒼《あお》ざめた顔と顔
あわれな男がささやく
「わたしを抱いてくれ しっかり
キスしてくれ いつまでも
おまえのからだで温まりたい」
あわれな女がささやく
「あなたの眼《め》をじっと見ていると
不幸も飢《う》えも寒さも
この世のすべての苦しみが消えるわ」
ふたりは何度も接吻し 何度も何度も泣いた
溜息《ためいき》をつき 手をにぎり合い
何度か笑い 歌いさえした
そして とうとう黙ってしまった
あくる朝 警官がやってきた
りっぱな検察医もいっしょだった
検察医は ふたりの人間が
死んでいるのを確認した
検察医の説明によると
きびしい寒さと空腹と
この二つが重なったのが両名の死因である
少なくとも死を早めた原因である
検察医は所見を添えた
厳寒ともなれば何よりもまず
毛布でからだを保温しなければならぬ
同時にたっぷり栄養を摂《と》らねばならぬ
[#ここから2字下げ]
〔遺|稿《こう》の詩。おそらく晩年の作品である。「涙の谷」という表題は、『旧約聖書』の「詩篇」第八十四篇第七節に見られる、いわゆる「苦の沙婆《しゃば》」のことである。物語的社会詩だが、この詩の第六節以後の検察医の説明や所見は、ハイネのヒューマニティーから発したもので、最後の二行は、社会主義思想にもとづくといえるものである〕
[#ここで字下げ終わり]
雑詩
悲劇
逃げていっしょになってくれ
おれに抱かれてやすむんだ
見知らぬ土地へ行ったって
おれの胸こそ 故里《さと》だ 実家だ
逃げてくれなきゃおれは死ぬ
そしたらおまえはひとりっきり
たとえ実家にいたところで
見知らぬ土地で泣き暮らすよう
ライン河畔でふと聴いた
これはまことの民謡です
春の夜に霜が降ったよ
やわらかい青い花にも
その花は枯《か》れて死んだよ
若者が娘に惚《ほ》れて
親たちの知らないうちに
こっそりと駈落《かけお》ちしたよ
国々をさすらい歩き
幸《しあわ》せにめぐりあわずに
二人《ふたり》ともやつれ死んだよ
娘の墓場に一本の菩提樹《ぼだいじゅ》が立っている
小鳥がそこに囀《さえず》り 夕風がざわついている
木の下の青草のうえで
水車場の若者が恋人といっしょに坐る
風がしずかに気味わるく吹く
鳥が甘《あま》くかなしく歌う
しゃべっていたふたりは急に口をつぐみ
泣いてしまったがなぜかさっぱり解《わか》らない
[#ここから2字下げ]
〔民謡を愛し民謡の手法を自由自在に駆使《くし》したハイネの特徴を代表するともいえる作品である。簡潔無類で含蓄ふかい有名な第2詩は、もともとほとんど同じ内容の民謡があり、その一節を削《けず》って三行三節にしたものである。一八二九年発表され、のちに『新詩集』の「色とりどり」に組み入れられた〕
[#ここで字下げ終わり]
異国にて
あちらこちらとさすらいながら
さすらうわけがさっぱり分からない
風がやさしく言葉《ことば》をささやき
はっとして おまえはふりかえる
故郷にのこしてきたあのひとが
やさしい声でよびかける
「お帰りください ねえあなた
あなただけがあたしの幸《しあわ》せなの」
だが どこまでも休みなくさすらいつづけ
おまえは立ちどまることもできない
どんなに愛していたひとにも
おまえは二度と会えないのだ
いままで見たこともないような
きょうのおまえの悲しそうな顔
頬《ほお》には涙がしたたり
溜息《ためいき》がいよいよせつなくなる
霧のかなたに消えうせた
故郷のことをおまえは思っているのだろう
正直に言うがいい おまえはいつも
なつかしい故郷へ帰りたがっているのだ
あのひとのことを おまえは思っているのだろう
ちょっとすねて おまえに甘《あま》え
怒ると急にやさしくなり
しまいには笑い合ったあのひとのことを
あの友だちのことをおまえは思っているのだろう
感激するといつも抱きついてきた友だちを
胸にいろんな考えが荒れ狂っていたが
口はいつも黙ったままだった
母や妹のことをおまえは思っているのだろう
とても仲よしだった肉親のことを
あのふたりのことを思えば ああ
さわぐ心もきっとしずまるだろう
あの美しい庭園の鳥や樹《き》のことを
おまえは思っているのだろう
あそこで何度も恋の夢に酔いながら
おまえはためらったり期待を抱いたりした
ああ もうすっかり夜になった
外は雪あかりで白く淡白く光っている
いま急いで身支度して
会合に行かねばならぬ つらいことだ
むかし ぼくには美しい祖国があった
そこでは高々と樫《かし》の木がそびえ
やさしく菫《すみれ》がうなずいていた
ああ あれは夢だった
祖国はぼくにドイツ流に接吻し
ドイツ語で「|われ汝を愛す《イヒ・リーベ・ディヒ》」と言った
〔あの言葉《ことば》は何とすばらしい響きだったろう〕
ああ あれは夢だった
[#ここから2字下げ]
〔ハイネがフランスに自発的に亡命してから、祖国へ、故郷へといやます憧《あこが》れのもとに歌った作品。一八三三年の作で、第1詩は、はじめは「別離」という表題であった。第2詩の「あの美しい庭園」は、叔父《おじ》ザロモン・ハイネの庭園での、若いハイネが従妹《いとこ》にたいする愛の経験を、思い出してうたったもの。第3詩は、ハイネの祖国愛を端的にあらわすものとしてよく引用される。この作品は、『新詩集』の「色とりどり」のなかに組み入れられている〕
[#ここで字下げ終わり]
この岩の上に
この岩の上にわれらは建てよう
あたらしい教会を
第三のあたらしい聖書の教会を
悩みはもう済《す》んだ
われらを長いあいだ惑《まど》わしていた
霊肉二元は亡《ほろ》んだ
おろかしい肉体の苛責《かしゃく》は
ついに終わってしまった
聞こえないのか 暗い海の神の声が
無数の声で神は話しかける
見えないのか
無数にかがやく神の光が
聖なる神 神は光の中にもいる
闇の中にもいる
存在するすべてが神だ
神はわれわれの接吻の中にもいる
[#ここから2字下げ]
〔一八三四年発表。ハイネの汎神論《はんしんろん》的な世界観とともに、サン・シモン主義〔一種の空想的社会主義〕の思想の片鱗《へんりん》がうかがえる。『新詩集』の「色とりどり」に組み入れられている作〕
[#ここで字下げ終わり]
ふかい溜息《ためいき》
なんと不快な あたらしい信仰だ
やつらが おれたちから神を奪えば
呪《のろ》いだって無くなってしまう
まったく とんでもないことだ
おれたちには祈りなんかなくていい
だけど 呪いはなくてはならぬ
敵にぶつかっていくからには
まったく とんでもないことだ
おれたちに神を残しておいてくれ
愛すためでなく憎むためにだ
でなければ 呪《のろ》うことができなくなる
まったく とんでもないことだ
[#ここから2字下げ]
〔詩集には組み入れられず遺稿《いこう》として知られている作品。晩年の重病の床からハイネが歌った呪《のろ》いの詩である。一八五〇年の作と推定されており、第一行目の「あたらしい信仰」というのは無神論を指す。したがって、「やつら」というのは無神論者のこと〕
[#ここで字下げ終わり]
遺言状《ゆいごんじょう》
どうやら命も終わりにちかい
遺言状でも書いておこうか
これでもおれはキリスト教徒
おれの敵にも遺言をやろう
尊敬すべき徳望高い
敵の諸君に遺《おく》ってやろう
あらゆるおれの悪疾病毒
四百四病の長病《ながわずらい》を
遺産《かたみ》の品は 釘抜《くぎぬ》きみたいに
腹わたをよじりつける疝痛《せんつう》と
小便詰まりと 底意地わるい
プロシャもどきのこの痔疾《じしつ》
悪寒《おかん》の痙攣《けいれん》もくれてやる
だらだら涎《よだれ》と手足の痺《しび》れ
背骨の髄《ずい》の灼《や》けただれ
みんな素敵《すてき》な賜物《たまもの》ばかり
遺言状には添書きしよう
神のお慈悲で
てめえらの
悔みなんざあまっぴらだ
[#ここから2字下げ]
〔『ロマンツェーロ』の「悲痛篇」に組み入れられた作品。ハイネは実際の遺言状を四度も書いているが、この詩は、死後に残す、かれの敵にたいする一種の決闘状である。第三節の「プロシャもどき」というのは、ハイネが心から憎んでいたプロシャ、つまり「とてつもない悪質の」という意味である〕
[#ここで字下げ終わり]
かっぱらいの夫婦
寝椅子《ねいす》のうえでラウラの腕に
抱かれているまに 狐め
あいつの亭主が俺《おれ》のズボンから
札束をかすめとりやがった
畜生《ちくしょう》 もう俺のポケットは空《から》っぽだ
ラウラの接吻もただの手練手管だったか
「ああ 何が真実なのだ」 そう言って
ピラトは揉《も》み手をするのだった
こんなに腐《くさ》った悪い世の中は
もう諦《あきら》めた 悪い世の中だ
たしかに 金を持っていなければ
半分死んだようなものだ
光の国に住んでいる
汚れなき清浄《せいじょう》なたましいよ ひたすら
俺はあこがれる あそこでは何も要《い》らぬから
むろん盗《ぬす》む必要もありゃしない
[#ここから2字下げ]
〔「一八五三・四年詩篇」のなかに入れられている。晩年のハイネの病苦のなかから歌われた作品。第二節の「ああ 何が真実なのだ」は、『新約聖書』の「ヨハネによる福音書」第十八章第三十八節によったもの〕
[#ここで字下げ終わり]
追憶
ひとりは真珠を べつのひとりは棺桶《かんおけ》さ
ヴィルヘルム・ヴィゼツキイ きみは早く死んじゃった
けど 猫は 猫は あのとき助かったんだ
よじのぼった梁《はり》が折れた
それで きみは水に溺《おぼ》れちまった
けど 猫は 猫は あのとき助かったんだ
ぼくらは 最愛の友の亡骸《なきがら》についてった
みんなできみを きみかげ草の下に埋めた
けど 猫は 猫は あのとき助かったんだ
きみは りこうだったぜ 世の嵐をのがれて
とっくに安全なお宿にいるんだ
けど 猫は 猫は あのとき助かったんだ
はやく逃げのびて きみはりこうだったよ
病気にもならないうちに なおってるんだもの
けど 猫は 猫は あのとき助かったんだ
幼い日の友よ ながい年月《としつき》 なんど妬《ねた》んだり
悲しんだりして ぼくはきみを思い出したろう
けど 猫は 猫は あのとき助かったんだ
[#ここから2字下げ]
〔晩年のハイネが、少年時代の修道院の学友のことを追憶して作った詩。溺れかかった小猫を助けようとして、実際に死んでしまった少年があった。ハイネの心にいつまでもこの少年のことが残っており、人生における長命と短命、人間の運命をかえりみて歌ったもの。『ロマンツェーロ』の「ラザロ詩篇」に編み入れられている〕
[#ここで字下げ終わり]
決死の哨兵《しょうへい》
自由戦争の決死の最前哨《さいぜんしょう》を
三十年間 おれはずっと忠実に守ってきた
おれは勝つ見込みはないのに戦った
無事に帰国できようとは夢にも思わずに
おれはまんじりともせず 昼も夜も見張っていた
幕舎《ばくしゃ》のなかにいる仲間たちのようには眠れなかった
〔それに おれがすこし眠りかかるといつも
あの勇士たちの高いいびきで起こされた〕
そうした夜 しばしばおれは襲《おそ》われた
退屈に そして恐怖に〔こわいもの知らずは低能だけだ〕
退屈や恐怖を追っぱらうために おれは口ずさんで
諷刺《ふうし》詩の大胆な韻律《いんりつ》を鳴らした
そうだ おれは銃を片手に警戒し
だれかあやしげなやつが近づこうものなら
おれはねらいを定めて そいつのどてっ腹に
煮えくりかえるような熱い弾丸《たま》をぶちこんだ
ときには もちろんこうした曲者《くせもの》でも
おれみたいに射撃のうまいやつがないではなかった
ああ 何をかくそう このおれの
傷口が大きくあいた おれの血が流れた
歩哨《ほしょう》が欠ける 傷口がひらく
だれかが倒れれば 次の者がやってくる
だが おれは倒れても屈しない おれの武器はこわれない
おれの心臓はやぶれたが
[#ここから2字下げ]
〔『ロマンツェーロ』の「ラザロ詩篇」の末尾に配置された作品。ハイネの詩的遺言ともいわれている。詩人としての自己の歩みをかえりみて大胆に歌いあげた、真の前衛作家の面目を公示する一篇である〕
[#ここで字下げ終わり]
解説
愛の詩人の歩み
読者を親友に
「ハイネは、自分の読者を親友にしてしまう特性をもっている」――こんな意味のことを、デンマークの有名な文学者ブランデスは語っている。ドイツの抒情詩人のなかで、ハイネのように国境を超え時代を越えて、数かぎりなく読者を見いだしている詩人はほとんどないであろう。しかも、読者の多くを自分の親友にしてしまうことができるような特別な才能にめぐまれている詩人となると、ドイツはもとより他の国にも、めったにないであろう。
ハイネの詩の作曲は、二十世紀のはじめにすでに三千以上になったといわれている。おそらく、世界の抒情詩人のなかで、ハイネはもっとも多く作曲された詩人である。ゲーテもこの点ではハイネに到底《とうてい》およばない。ハイネの詩は、「ローレライ」をはじめとして、くりかえしくりかえし歌われ、とりわけ世界の若い人たちに愛されている。たしかにハイネの詩は、なによりも音楽的で、みずみずしく美しい。そして、わかりやすいのが特色である。
永遠のわかわかしさ
もっとも、ハイネは、自分が生まれた祖国ドイツで、いくたびか地獄に突き落とされた。かれは、たくさんのよい読者をもつことができた反面、いろいろな敵をもつくった。しかし、ハイネという詩人は、かれを悪しざまにののしる人間をも、その人間が詩に関心があるならば、しばしば心の底では好きにしてしまうという不思議な魅力をもっていた。それというのも、ハイネが永遠にわかわかしい純粋な詩精神の持ち主であったからにほかならない。たましいの若さがわたしたちから離れないかぎり、ハイネは、わたしたちの親しい友であり、理想をもとめてわたしたちが生きぬこうとするかぎり、ハイネは、おそらくほんとうに温かい手を差し出してくれるだろう。
全人ハイネ
ハイネは、じつはたんなる抒情詩人ではなかった。かれの仕事の分量からいえば、数多くの詩作も一部分のものにすぎなかった。かれは、小説、戯曲、評論、紀行などのさまざまのジャンルでおびただしい量の仕事を残している。ハイネは、芸術家であるばかりではなく、思想家であり、歴史家であり、評論家であり、文筆護民官であった。それらの業績をつらぬく一本の赤い線が詩であった。かれのどんな散文のなかにもゆたかな詩精神が脈打っている。ハイネは、一言でいえば、十九世紀前半のヨーロッパを根本的に生きぬいた詩人だったのである。その時代のすべての矛盾を体現して、全身的に動揺しながら、つねにより高いものをめざしてたたかった。ハイネは、ほぼ完成された美をおのれのものとしながらも腐敗《ふはい》し頽廃《たいはい》した貴族階級、新しく興隆して貴族とたたかう使命をおびながら、かぎりない俗物性をさらけ出して妥協していたブルジョアジー、はるかにあかるい未来をのぞみながらまだほとんど成熟してないプロレタリアート、この三つの階級のあいだに揺れ動きながら、歴史の進歩に正しく貢献したのである。
ハイネとゲーテ
だが、ここでは、そうしたハイネをくわしく語ることはできない。ただ、詩人としてのハイネ、誰もが知っていて、ほんとうにはよく知られていない恋愛の詩人ハイネについて、簡単なノートを書きしるそう。
「血よ 流れ出よ ぼくの目から/血よ 流れ出よ ぼくの身から/あつい血汐で このくるしみの/おもいのかぎり 書きつづるため」 このようにハイネの愛の詩は、作者の血そのもののなかから生まれた。かれほど切実に自己の体験を歌った詩人は少ない。かれほど愛することができ、また憎むことができた詩人は稀であろう。
ゲーテは多くの女性と交渉をもった。ハイネもゲーテに劣らずいろいろな女性と交渉があった。ゲーテの場合は、多くの女性がゲーテの犠牲になった。が、ハイネにあっては、かれがむしろ女性の犠牲になったのである。しかも、美しい処女に棄てられたのである。ハイネの生涯の生活の幅は、おびただしく広い。上流の貴婦人から下層の売笑婦にいたるまで、対婦人関係も多面多角的であるが、ほんとうに愛の対象としてハイネの前にあらわれた女性は、かならずしも多くはない。
愛のプレリュード
ハイネの作品に最初に形象化された女性は、死刑執行人の娘ヨゼファである。赤毛のゼフヒェンとも呼ばれた孤児だった。その一族は卑しい身分のものたちで、迫害と孤独のうちに育った彼女は、デュッセルドルフ市〔ハイネの出生地〕の親戚の寡婦のもとに身を寄せていた。ハイネはときどきその家へ出かけ、ヨゼファにえもいえぬ魅力を感じ、好きになってしまった。当時ハイネも娘もほぼ十六歳であった。ヨゼファはひどく痩せていたが、「ニオベの娘のひとりでもこんなに上品に形のととのった顔をもっていなかった」ような美しさだった。この娘は、いろんな古い民謡を知っており、少年詩人をことのほか喜ばせた。情熱をこめて歌うその声は、ハイネの声にそっくりだったという。あるときハイネの目の前で戯れに首斬刀を振りまわして、「……お言い、おまえは高い木にさがりたいのか? 青い湖水につかりたいのか? それとも神様の下さった輝く刃に接吻したいか?」と、民謡をうたった。すぐさまハイネは同じ節で、「輝く刃などに接吻しない。――ぼくは赤毛のゼフヒェンに接吻する!」といいながら、娘のきゃしゃな腰を抱いて思いきり接吻してしまった。――詩人はそれを追想しながら書いている。「この卑しい一族と接触した人間にきせられる不名誉など頓着せず、わたしはこの美しい死刑執行人の娘に接吻した。ただ惚れた情愛からだけでなく、古い社会とそのあらゆる暗い偏見にたいする嘲りからも、わたしは彼女に接吻したのである」〔「回想」〕さらにハイネは、この瞬間に、後年自分の生命を捧げた二つの情熱、女性にたいする愛と、革命にたいする愛がはじめて心に燃えあがった、といみじくも語っている。
しかし厳密にいえば、記録に残されているハイネのヨゼファ体験は、いささか伝説化されすぎていて、いわば詩人の一生の愛の悲劇に先立つひとつの序曲であったにすぎない。
第一の恋
一八一六年、ハイネは商人になるためハンブルクの叔父のもとで働かされた。叔父は巨万の富をもつ銀行家で、ここで、若い詩人はまず従妹アマーリエに熱烈な恋をしたのである。一八〇〇年生まれのアマーリエは、華やかな圧倒するような美しさでハイネを魅了した。この令嬢は、貧乏書生のような行員見習ハイネにかなり同情したともいわれ、ハイネから愛の詩をささげられたが冷たく笑ったともいわれている。
叔父一家に関する記録はいろいろ書いていたようだが、ハイネは後年やむをえぬ事情からその原稿を焼却しなければならなくなり、くわしいことはこんにちでは分らなくなってしまっている。一八一六年七月のハイネのある手紙には、アマーリエのつぶらな青い目について語った一文があり、「ぼくはその目がとっても好きなのに、その目は、ぼくにはただあまりにも冷たいように思えるのだ」と書いてある。おそらく、その冷たさがかえって詩人の心をつよくとらえたのかもしれない。
ハイネは、自分の気持ちを率直に詩に歌わずにはいられなかった。
なやみを胸にいだいて
ねもやらず夜をすごす
昼もゆめみごこちに
あてどなくさまよい歩く
ドイツのアポロといわれるほどの美青年で、たぐいまれな文学的才能にめぐまれたハイネの第一の真実の恋は、所詮は片想いにすぎず微塵に打ち砕かれた。アマーリエは、物質生活の上でなんの取りえもない詩人をかえりみることもなく、一八二一年に金持ちのフリートレンダー氏に嫁いでしまう。詩人の胸のなかから、悲しみや怒り、憎しみや嘲り、絶望や自嘲の声がほとばしり、かずかずの名作に結晶する。それらは、シューマンが作曲した「詩人の恋」、すなわち『歌の本』の「抒情挿曲」の諸篇にもなっている。
ばら ゆり はと 太陽
むかしはそれらにうっとりとした
だが もういまは おまえだけ
ちいさな かわいい きよらかな
愛のいずみよ ああ おまえこそ
ばら ゆり はと 太陽
こうした純情が、怨《うら》みから憤《いきどお》りとなり、やがて冷静な批判となる。
よくも堪《こら》えた つらい心よ
もう怨むまい その裏切りを
じっと忍んで許してやれよ
ばかな女のすることなんぞ
第二の恋
その後ハイネは大学に学び、やがて一八二三年、にがい思い出の都ハンブルクを訪れてアマーリエの妹テレーゼに会った。そのとき、彼女のうちに姉のおもかげを見出だして心を動かされた。そして、詩人はほどなくテレーゼにたいして新しい恋心をおぼえてしまうのである。テレーゼは当時まだ十六歳になるかならないかであったが、ひときわ優雅な美しさにかがやいていた。
花さながらのめぐし娘《ご》よ
ゆかしく きよく うるわしき
つくづく見れば 悲しみの
おもいぞ胸にしのぶなる
汝《なれ》がかしらに手をのせて
祈らんとこそ思うなれ
神の恵みにうるわしく
ゆかしく きよく とわにあれ
このテレーゼをうたった原詩は、ハイネの作品のなかでもいちばん数多く作曲された佳篇である。たしかにテレーゼはアマーリエよりもやさしい心の持ち主だったらしい。ハイネとの交渉のいきさつはほとんど伝えられていないが、しばらくは情熱の詩人とあたたかい内面の交流があったようである。しかし、詩人から恋を打ち明けられたのに、成熟していない娘の心ははげしく動揺しなかったともいわれている。けっきょく彼女も一八二八年、法学士ハレ氏と結婚した。詩と真実に織りなされている『歌の本』の「帰郷」や「北海」には、テレーゼをうたったと見られる秀作がいろいろある。そこには、詩的体験をのりこえて男女間の結ばれがたい愛の真実が、客観的におもしろく歌われているものもある。
たがいに惚れていたけれど
うち明けようとはしなかった
かえってつれない素振りして
恋に命をちぢめてた
しまいに逢えなくなっちまい
ただ夢にだけ出逢ってた
とっくにめいめい死んじゃって
それさえてんで知らなんだ
ハイネは、灼《や》けるような恋というよりは悲惨そのものの失恋の経験をしながら、個人的な悩みに沈湎《ちんめん》し、ただ憔悴《しょうすい》しておわることなく、詩に歌うことによってそれを克服し、真の人間的自由を求めるという方向へ進んだ。
「こうして北方の蛮女から/水際まで おしつめられた/そしていま 自由に息をつきながら ぼくは 海に/愛する救いの海に あいさつする『海《タラッタ》よ 海《タラッタ》よ』」
ハイネの恋愛詩を読んで、たんに恋に敗れたこと、傷ついたこと自体に共感し、これに溺れるだけでは仕方がないであろう。詩人が傷つきながらほんとうに闘った目的は何であったか、を考えねばなるまい。ハイネは、時代の夜明け、生活の春をもとめて、一八三一年フランスへ渡り、パリに住み、そこで死ぬまで自由のために、祖国のために闘った。
詩人の結婚
一八三四年秋、ハイネはパリの靴屋の売り子と知り合った。色はつややかに白く可愛らしい、声のいいフランス娘だった。そのころ詩人は壮年であり、『新詩集』の「色とりどり」に出てくるような裏街の各種の女たちとも交渉があったのだが、ふしぎに、この娘に心を奪われた。田舎出の私生児で、まったくの無学な娘だったが、おそるべき女性的魅力をもっていた。当時十九歳のこの娘が、のちにハイネの妻となったマティルドである。一八三五年四月のある手紙でハイネは「ぼくは首まで恋愛情事につかってそれから出られない。十月以来、それに無関係なものは、いっさいぼくにはどうでもいい」と述べている。ふたりの関係は、見方によっては一種のただれた恋であった。人生の表裏に通じている詩人が、しばしば娘から子供扱いされた。マティルドは気まぐれで、享楽的だった。喧嘩、和解、反撥、抱擁。だが、ハイネは彼女をほんとうに愛していた。教育しようともした。むろん無駄だった。一八四一年の一夏、詩人は彼女を連れて、ピレネー山間の大自然のふところに遊んだ。そのときが動機となって長篇諷刺詩『アッタ・トロル』が書かれたが、この作品で、ハイネはマティルドを次のように歌っている。
ジュリエット〔マティルドのこと〕の胸には
情《ゲミュート》などない
あれはフランス女だ
上《うわ》っ面《つら》だけで生きている
でも ちょっと見には魅力がある
あの眼差は あまい光の網だ
その網の目に引っかかって
みんなの心は小魚のように
心地よく跳ねまわるのだ
ふたりが正式に結婚したのは、その夏の旅行後まもなくだった。それは、ある決闘事件にかかわったハイネが、自分の命を失う場合を顧慮し、マティルドの物質的社会的立場をよくしたいからであった。ハイネは妻に完全な自由を与えた。が、家庭生活は、詩人にとって幸福ではなかった。
一八四三年秋、さらに四四年夏、ハイネは暫時ドイツへ帰った。『ドイツ 冬物語』は、この帰国の体験に関連する作品である。そのときハイネがドイツから妻マティルドに送った手紙は、切々たる愛情にあふれている。ハイネは、やさしいよい夫だった。一八四八年以後、詩人は業病のため、八年間の長きにわたって病床に伏す身となってしまう。妻の浪費や外出や気まぐれに悩まされつづけても、ハイネは彼女を愛し、晩年の『ロマンツェーロ』の「マティルドの記念帖に」「天使たちに」などや、とくに「わが命日」などには、自分の死後のやさしい心づかいまで示している。とはいえ、妻を歌った作品で傑出しているものはあまりない。
晩年の恋
一八五五年夏、それは詩人が世を去る八ヵ月前のことである。ひとりの若い女が病床のハイネの前にあらわれた。ウィーンのある作曲家から託されたハイネの詩の曲を持参したのであった。この女は、これを機会にハイネの家に出没する。詩人はムーシュ〔蝿〕と呼んだ。妖艶な女性で、晩年のハイネの心を異様にゆすり立てた。ムーシュは、病詩人のために仕事の手伝いをしたり、新聞雑誌を朗読してやったりした。ムーシュと妻マティルドの間はどうだったか、くわしくは解っていない。だが、ハイネは病床へ来る人びとに、ムーシュのことを感激して話している。ムーシュは本名をカミラ・セルダンといい、変化の多い過去をもつ謎の女性であるが、ドイツ生まれであることは間違いない。病床の詩人ハイネは、「ばからしいほどあなたに惚れている」とか、「挨拶と愛撫! わたしは苦しくなって笑い出す。わたしは歯ぎしりする。そのうえ分別を失う」とか、ムーシュに書き送っている。それにしても、絶えようとしているハイネの生命に、衰えはてた肉体に、なんという情熱の火が燃えただろう。ムーシュを歌った「受難の花」は、死の二週間前に書かれた絶筆の詩篇であるといわれる。
おお 夢の魔術よ ふしぎにも
硫黄色の受難の花は
女のすがたに変わってしまった
しかも ああ 最愛の女《ひと》にそのままだ
おまえがその花だった ねえ愛するものよ
いまの接吻でおまえだということがわかった
どんな花の唇にもこんなやさしい愛情はない
どんな花の涙にも こんなあつい情熱はない
……
わたしたちがどんな話をしたか ねえけっして聞いてくれるな
蛍に聞くがいい 草に光をちらつかす意味を
波に聞くがいい 川にせせらぎざわめくわけを
西風に聞くがいい 吹いてすすり泣く意味を
愛と革命
ハイネは、一生を愛でつらぬいた。しかし、ドイツの思想家メーリングもいうように、かれは清純な処女を犯したり、夫のある妻と姦通したりするような不倫なデカダンではなかった。ハイネの異性にたいする愛情は、かれのあたたかいヒューマニティーの奥底から生まれたものにほかならない、といっても過言ではない。ハイネが、女性への愛と革命への愛が最初の恋愛体験のとき早くも同時にきざしたと述べているのは、見のがすことのできぬ言葉である。ハイネの詩的作品をいちいちつぶさに読めば、愛と革命の深いつながりが読みとれるにちがいない。ともあれ、ハイネは凋落《ちょうらく》を知らぬ永遠の青春を、その血潮にたぎらせつづけた稀有の詩人だったのである。
代表作品解題
まずはじめに述べておかなければならないのは、ハイネの全集というものが、完全な意味では、まだドイツ本国でも出ていない、ということである。それは、ひとつには、かれの原稿がそのままの姿で陽の目をみられないことがあまりにも多かったからである。公的にはもちろん私的にも、ハイネの著作のように検閲の苛酷な被害を蒙ったものは、ないであろう。
それにしても、ハイネは、なによりも詩人ハイネとして世界的に知られているように、たしかにすぐれた抒情詩をたくさん書いている。その量からいっても、けっしてゲーテに劣らない仕事を残しているのである。だが、ほんとうは、ハイネはたんなる抒情詩人ではなかった。
かれは、おびただしい量の詩業を凌駕《りょうが》する何倍ものすばらしい散文を書いている。ハイネの散文活動は、小説、評論、紀行、通信などの多岐にわたり、そのうえ戯曲やパントマイムの脚本にまで筆を染めたのである。ハイネの散文の内容は、芸術はもとより、政治、宗教、哲学、歴史のみならず、神話から民間伝承にいたるまで、形而上学《けいじじょうがく》のほとんどすべての広汎《こうはん》な分野にまたがっている。
ここでは、ただハイネの代表的な詩集だけを簡単に解題しておこう。
「歌の本」
一八二七年に公刊され、ハイネの名声をドイツの詩人としてのみならず、世界的な詩人として決定的なものにした青春詩集である。若い詩人がこれまで雑誌や他の著作に発表していた抒情詩を集大成して公刊したもので、主としてハイネの大学時代を中心とする、ほぼ十年にわたるシュトゥルム・ウント・ドラング〔疾風怒濤〕のような生活のなかから歌われている。若々しい詩人の情熱や苦悩や悲痛がありのままに映されているが、大部分の作品は熱烈な恋愛体験にもとづくものである。
少年時代にハイネは故郷のデュッセルドルフで死刑執行人の娘ヨゼファと恋愛遊戯をやったことがあるが、このヨゼファ体験をプレリュードとして、従妹アマーリエ、さらにその妹テレーゼにたいする恋愛がこの詩集の基調をなしている。一八一六年、ハイネはハンブルクの叔父の銀行で働くことになり、ふたりの従妹をつぎつぎに恋した。文字どおり富豪の娘であるアマーリエはほとんどハイネを相手にせず、金持ちのフリートレンダー氏と結婚してしまった。心のやさしかったテレーゼも、ハイネの切々たる愛を受け入れることなく、やはり法学士ハレ氏と結婚してしまう。ハイネの失恋は、哀愁となり自嘲となって美しいリズムとともに歌われたのである。
この詩集は「若き悩み」「抒情挿曲」「帰郷」「ハルツの旅」「北海」の五部から構成されていて、圧縮の限りを示す数々の短詩から、波打つ律動の自由な長詩にいたるまで、すべてが読みやすい、歌いやすい、美しい抒情詩を形成している。ジルヒャー作曲の「ローレライ」をはじめ、シューマン、シューベルトなどの名曲によって世界中の人びとに愛唱されている詩篇も少なくない。
「アッタ・トロル」
一八四三年、雑誌「エレガンテ・ヴェルト」に十号にわたって連載され、一八四七年に単行本として出版された、ハイネの長篇叙事詩である。この長篇詩は、「夏の夜の夢」という副題をもち、作者自身が「ロマン派の最後の自由な歌」と呼んでいるように、豊かなロマンティックな感情を発散する作品であるが、ドイツ文学はもとより近代世界文学にもたぐい稀な、批判精神につらぬかれた長篇諷刺詩、動物物語詩にほかならない。
全篇は二十七章から成り、アッタ・トロルという名前の動物の王者である荒熊が主人公である。アッタ・トロルは熊使いにあやつられて人間の前で踊りをおどらされていたのであるが、鎖を断ち切って逃亡する。そしてピレネー山中の熊の洞穴に帰り、一族の熊たちにこれまで自分が経験した人間や社会の現実をいろいろ語り批判する。アッタ・トロルは、人間の特権、貴族主義独占支配、私有財産、私利私慾を痛烈に攻撃する。そして、動物の一致団結を、動物共和国の樹立を要望する。さらにアッタ・トロルは無神論をののしり、旧教的信仰を賛美する。ところが、作者たる人間がこの荒熊の跡を追って森をさまよい、ついに発見して射殺してしまう。
ところで、ハイネがアッタ・トロルによって象徴したものは、一八三〇年七月革命以後にドイツに現われた偏狭な俗流革命家や大言壮語するドイツ主義者の混沌とした傾向的存在にほかならぬ。これに対決して、作者は、なによりも自由な人間、豊かなヒューマニズムの勝利を高らかに歌ったのである。
作中のいたるところに痛快諷刺がみられ、作者の高らかな笑いがひびき出ている。ハイネは、この一作によって古今東西のもっとも機知に富んだ作者になった、とさえ言われている。
「新詩集」
一八四四年に、『ドイツ 冬物語』と合本で出たが、一八五一年単独の詩集となり、新しく「雑詩」が編み入れられた。収められている抒情詩は、一八二三年ごろから約二十年にわたって随時つくられ、大体は一度雑誌に発表されたものである。
一八三一年ハイネは自発的にドイツからフランスへ亡命して古い芸術時代と訣別し、現代の大きな政治のたたかいのなかに身を投じたため、美しい抒情詩を作る仕事に没頭できなかった。パリ移住後、いわゆる抒情詩人としてのハイネは影をうすくしていたのだが、この詩集の公刊によって、『歌の本』の詩人が長い亡命生活のなかから新しくよみがえったのである。
この詩集は、「新しい春」「色とりどり」「物語詩」「雑詩」「時事詩」の五部に分けて全作品が構成されている。「新しい春」にふくまれる諸篇は、『歌の本』の諸作の姉妹篇ともみられるようなものだが、そこには統一のある感情も事件の発展もなく、対象となっている女性もさまざまである。内容はそれだけ複雑になっている。そこには現世的なロマンティシズムがみられる。「色とりどり」にはパリの好色生活が大胆にうたわれ、「物語詩」にはハイネのもっとも得意な手法による秀作が集められている。しかし、この詩集の最大の特色を発揮しているのは、時事詩の諸篇である。これまでのハイネの作品にも類のない、ヨーロッパ文学にもほとんど前例のない社会傾向詩の各篇は、文字どおり政治と文学との高度な一致を示すものにほかならない。
「ドイツ 冬物語」
『アッタ・トロル』と双璧をなすハイネの長篇叙事詩である。ドイツの封建的絶対主義に挑戦する革命的民主主義を芸術的に表現している卓越した傾向詩として知られている。また、詩によって歌われた「旅の絵」〔ライゼビルダー〕とも言われる。
パリに移住してから満十二年ぶりに一八四三年十月、ハイネはドイツへの帰国の途につき、やがて母のいるハンブルクへ着いた。約二ヵ月あまり滞在して一八四四年一月パリに戻ってきた。このときのドイツ旅行が、『ドイツ 冬物語』制作の動機となった。この作品にはドイツの各地がさまざまの形象で歌われているが、それらはこの旅から得たハイネの内外の体験であるといってよい。
一八四四年、はじめ『新詩集』と合本で発表された。その後まもなく、新たに「序文」をつけて単行本として出版。全体は二十七章から成り、各章はドイツの風物誌ともなるような紀行詩であるとはいえ、ハイネがドイツで現実に見た祖国の悲惨さをその根底からとらえて、克服するために、もろもろの社会的要因を鋭く批判している。偏狭な国粋主義、プロイセン軍国主義、小市民的俗物主義などが徹底的に諷刺され嘲笑されているのである。さらに、民衆のあいだに伝承されてきた、さまざまの幻想的伝説が織りこまれ、形象的に描き出されてロマンティックな雰囲気をただよわす。が、その場合かならず歴史的政治的な解明が具体的になされて、そこに縦横の機知が働き、すばらしい批判を生み出している。反中世、反封建、反キリスト・ゲルマンの世界観が躍動しているのである。『ドイツ 冬物語』は、文字どおり「政治的・ロマン的」で、ヒューマニスティックな愛国主義につらぬかれた国民的革命文学といえる。
「ロマンツェーロ」
『歌の本』『新詩集』とともに、抒情詩人ハイネを代表する、一八五一年に公刊された詩集である。ハイネの晩年を飾る、もっとも豊かな、きわめて充実した詩的達成で、ゲーテの『西東詩集』にも匹敵するドイツ文学史上の一大収穫である。
一八四八年の二月革命のころからハイネは異郷の都パリで重病のためベッドに横たわる身となり、一八五六年没するまで、病床からほとんど離れられなくなってしまった。そのような、いわゆる「しとねの墓穴」のなかで、ハイネは不治の病という絶望のどん底にありながら、驚異的な詩神の働きにうながされて、つぎつぎに詩を書きつづった。しかも、できあがった詩篇は、ドイツではそれまで抒情詩の題材としてほとんど顧みられなかった各種の素材を、さまざまな技法や韻律や様式で歌いあげたものであって、まさしく陳腐なドイツ抒情詩を圧倒するようであった。
この詩集は、「歴史調」「悲痛調」「ヘブライ旋律」の三章に分類して構成されており、表題の『ロマンツェーロ』〔物語詩集〕が語っているように、この詩集の中軸をなしているのは、というよりも、その大多数のものは、物語詩なのである。低地ドイツ民話、アラビア物語、スペイン史話、キリスト教秘話、時事雑録、身辺の記録など、自由自在に美しい詩に織りこみ、哀傷、戦慄、悲壮、皮肉、溌剌《はつらつ》、滑稽など、さまざまの特色を発揮している。全詩篇のなかでも、「悲痛調」のうちの「ラザロ詩篇」の諸作は、その痛烈さ、その深刻さにおいて、他に類をみない。
この詩集は、重病の詩人がうたった、きわめて大胆な、健全な人間精神の発露であって、ハイネの詩的天才をあまねく示す、黄金の詩書といわれる。(訳者)
◆ハイネ詩集◆
ハイネ/井上正蔵訳
二〇〇六年三月二十五日 Ver1