もりたなるお
金  星 相撲小説集
目 次
金《きん》  星《ぼし》
し に た い
擦《す》 り 足《あし》
相撲の花道
相撲|梅《うめ》ガ香《か》部屋
十両十三枚目
相 撲 の 骨
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金  星
親方が大島《おおじま》九丁目の新大橋通りで、高校生のオートバイに撥《は》ねられ、救急車で病院に運ばれて、意識不明のまま二日目に亡くなってから、きょうで二タ月たちます。
親方……わたしの夫ですが、飛鳥野《あすかの》という相撲年寄でした。亡くなった日が誕生日というのは不思議なめぐり合わせで享年《きようねん》五十二でした。年寄定年は六十五ですので、定年までまだだいぶありました。
「俺は十三の年で相撲に入り、定年までつとめたら、この道五十三年だ。あと十三年みっちりつとめて、いい後継者を養成する」
とかねがね親方はいっていました。
親方は関脇が最高位でした。一七五センチ、一〇七キロの体は小兵《こひよう》の部類に入ります。得意技は蹴手繰《けたぐ》り、裾《すそ》払い、内掛け、外掛け、蹴返しといった足癖で、しばしば大物食いをしました。
また、滅多に見られない「居反《いぞ》り」という奇手を用いることもあって、これは話題になりました。
居反りというのは、しゃがみ込むようにして腰を落とし、相手がのしかかってくるところを、両手で相手の膝《ひざ》のあたりを抱えて反り返り、後ろへ落とす技です。相手がのしかかる勢いを利用するわけで、タイミングがはずれると、逆に押し潰《つぶ》されて怪我のもとになります。
相手を後ろへ反り落とすので、腰のバネが余程|強靭《きようじん》でないとできません。ですから、本場所の土俵では滅多に見られない技です。地方巡業の初切《しよつきり》などで披露され、意表をつく感じで面白がられるくらいですから、本物の取組で居反りが成功すると、観客は呆気《あつけ》にとられ、つづいて拍手|喝采《かつさい》をします。
親方は現役時代の四股名《しこな》を金平山《こんぴらやま》といい、幕に入ってからも、居反りで五個の白星をあげています。これは驚異的な記録だとスポーツ紙で特集が組まれたほどで、現役時代の親方は、異能力士の代表でした。
殊勲賞、敢闘賞、技能賞を合わせて十七個という成績も、親方が異能|曲者《くせもの》力士だったことを物語っています。
ひとつ間違うと、力士としての命取りになりかねない居反りなどという技を用いたにも拘《かかわ》らず、親方は不思議と体に故障を起こしませんで、入門以来二十三年間相撲を取り続け、三十五歳で引退しました。
わたしは親方が小結のとき、横綱審議委員会の委員をしておられた、日本画家の酒井霊峰先生の御媒酌で結婚しました。
婚約の運びになるまでの、金平山とわたしのことは、呼出しの多七さんがいろいろ骨折ってくれました。そのことはいまでも感謝をしております。
先代の飛鳥野親方が亡くなって、後継者問題が起きたことがあります。
飛鳥野部屋は江戸時代から続く名門とされていまして、その名跡は由緒あるものです。
先代にはお子さんがおりませんで、後継者問題は早くから取り沙汰《ざた》されていました。先ず元大関の大渡《おおわたり》親方を夫婦養子として迎え、後をつがせる話がありましたが、この方が突然株を売って廃業してしまいました。親方との間にトラブルがあったと聞いています。次の候補者だった大関天神山は、引退すると間もなく独立して緋縅《ひおどし》部屋を創設しました。
飛鳥野部屋には八人の部屋つき親方がおりましたが、三役経験のある方は一人もいませんで、ドングリの背くらべ……といういいかたは悪いですけど、そういう感じで……そのうちの誰が部屋持ち親方になってもおかしくないかわりに、一人が抜きん出てしまうとバランスが崩れる気配があったのだそうです。
先代の飛鳥野親方はそうした状況のなかで、後継者選びに苦心をしていたらしいのですが、はっきりした線を出せないまま、亡くなられたのです。
こうした事故の場合、後継者について最も強くタッチできるのは、先代未亡人です。
しかし先程もいいましたように、八人の部屋つき親方には、抜きん出た人がいないため、先代未亡人は決定を下せなかった模様です。
そうこうするうちに、外部の野心家……これは相場師上がりの事業家で養沢《ようざわ》喜八といいますが、この人が部屋つき親方の一人を取り込みまして、飛鳥野襲名を画策しはじめたのです。養沢という人は、土地会社とレジャー産業を経営しておりまして、悪徳政治家や広域暴力団の幹部ともつながりを持ち、黒い噂《うわさ》がときどき話題となります。
養沢は金の力にものをいわせ、先代未亡人をも懐柔しにかかったのです。
お相撲の世界に黒い手が伸びてきますと、八百長|賭博《とばく》の温床になりかねませんし、利権|漁《あさ》りの舞台にされる恐れがございます。
様子に気づいた力士たちが動揺し、部屋は妙な空気になりました。夫の金平山は、このとき関脇で部屋|頭《がしら》でしたから、とても心配していました。
協会役員の間でも、養沢の部屋乗っ取りは、憂慮すべき問題として討議されたのだそうですが、年寄名跡や相撲部屋の経営は、当事者間で処理すべきもの……という原則があり、成り行きを見るということになりました。そして、余程目に余る横暴があったり、事態が紛糾混乱した場合に、調停に乗り出すという態度を決めたのです。
その間にも養沢は着々と手を打ち、飛鳥野部屋の陰のオーナーとしての地歩を固めた模様でした。
部屋には頬《ほお》に切り創《きず》のあるような男が、なんの挨拶《あいさつ》もなく入り込んできたりして、これには力士たちも驚き、嫌気がさす者も出る始末でした。しかし後難を恐れて、誰も協会に訴えませんでした。
ある日、部屋頭の夫が夜遅くもどってきて、
「俺もとうとうおかしくなりそうだ。もう駄目だ」
といいました。わけを聞くと、養沢に担がれている親方に呼ばれてお酒を飲まされ、養沢の意向に従うよう、部屋頭のお前が力士たちを説得しろということだったそうです。
夫も他の力士も、養沢の動きを表立って反対しているわけではなかったのですが、要するに力士全員が歓迎しているという形にして、批判をかわす作戦だったようです。
「まずいことをしてしまった」
と夫の金平山は、がっくりと肩を落としていました。髷《まげ》がくずれて情ない風情でした。
夫は居反りなどという奇手を使って、無茶な相撲を取るくらいですから、気の強いほうです。小兵にありがちの虚勢のようなものも加わって、土俵に上がらない普段でも、人に噛《か》みつきそうな印象を与えるのですが、この日ばかりはナメクジに塩の有様でした。
「こんなものを懐ろへ捩《ね》じ込まれちまった」
そういって夫が取り出したのは、お札が入った白い封筒で、目分量で百万円は越すと思えました。夫も数えてはいないといいました。
わたしは動転しかかりましたが、気を取り直して考えたのです。
お金に手をつけていなければ、まだ後戻りすることはできます。
「俺は向うのいうことを、一から十まで納得して帰ってきたのではない」
と夫はいいました。それなら大丈夫です。
「でも……酒をごっつぁんになっちまったし、そのほかにも……」
とことばを濁すのでした。そのほかにもは、だいたい見当がつきます。酒を飲んでから、ソープランドかそれに類するところの女性を世話してもらったのでしょう。夫は鬼瓦みたいな面構えをしていて、異性など見向きもしない男に見えましたけれど、そちらのほうは相当なもので、わたしは見て見ない振りをしていたのです。
それがどうでしょう。はじめて悪所に連れていかれて後悔したみたいに、しおらし気にしているのです。だんだん落ち着いてきたわたしは、少しおかしくなりましたが、笑いをこらえていいました。
「お酒を御馳走《ごちそう》されたり、面白いところへ連れていかれたりは、向うの勝手とお思いなさったらいいのです。貴方《あなた》が要求したのなら別ですが、そうでないのでしたら、そんなに気にすることはありません。御馳走するというから、黙ってついていったまでといえばいいのです」
わたしがあまりはっきりいうものですから、夫は不思議そうにしていました。わたしは事情のある家庭で育ちましたので、他を差し置いてものをいったりしたことは、滅多にありませんでした。人を立てることが自分を立てることだと、教えられていましたから、自分の意見をいったことはありませんでした。金平山と一緒になってからはなおのことです。
夫が右を向いていろといえば、一日でも二日でもそうしていますし、黒いものでも夫が白だといったら、白と思い込んで、白であることを祈るという心構えです。
そうしたほうが、わたしのような女には、ものごとがうまく運ぶと考えていたからです。そして……事実良好な結果を見てきました。
わたしは「針にしたがう糸の道」を良妻のモットーにしておりましたから、はじめて意見をいうのを、夫は意外とも不思議とも思ったようです。
普段の夫でしたら、
「余計な差し出口をきくな」
といって、雷が落ちるところでしょうが、このときは養沢側に取り込まれかかったショックで、すっかり弱気になっていましたから、難しい顔をしているだけでした。
悄気《しよげ》返った夫を見ていると、もっと勇気づけてやらなくては……と思いました。
「このお金も、無理に懐へ入れられたのでしたら、手をつけないでお返しすればいいのです。悪いと気がついて、お金を返すという例はいくらもあります。貴方は相手にいわれたことを、まだ実行していないのですから、びくびくすることはありません。明日の朝、酒井先生に電話をして、ありのままをお話ししましょう。その上で、正々堂々とお金を返しにいくのです。ああした連中には、弱気を見せてはなりません。一度そうすると、骨までしゃぶられます。ここは土俵の一番以上に大事ですから、肚《はら》を据えて下さい」
わたしは自分でもびっくりするくらい、はっきりしたことをいいましたが、わたしの強気の発言とは逆に、夫はますます萎縮《いしゆく》してしまう感じでした。
翌朝、夫は床のなかで愚図愚図していました。ふん切りのつきそうにない夫を起こし、もう一度わたしの考えをいって、夫を納得させたのです。
そうなるとわたしが主役になった感じで「針をしたがえる糸」になりましたけれど、わたしが引っ込み思案になると、逆もどりして養沢の術中にはまってしまいます。
わたしも大決心でした。夫も心を固めて、酒井先生に事情をお話しし、お金は返しました。お金を返した時点で、夫は養沢一派に対立する態度を鮮明にしたわけですが、わたしの恐れたのは後難でした。夫の身辺が心配でした。でもそれは……酒井先生の御処置でことなきを得たのです。
酒井先生は、協会幹部の間を斡旋《あつせん》されて、わたしの夫である金平山に、飛鳥野の年寄名跡を継がせるよう働きかけました。先にも申しましたが、相撲年寄の名跡変更は、当事者間の問題として相撲協会はタッチしないことになっています。しかしそれはあくまで建て前です。
飛鳥野部屋の後継者問題に関しては、協会幹部の方々も内心困っておられた様子で、酒井先生の斡旋は歓迎するところがあった模様です。
協会幹部の諒解《りようかい》をとった酒井先生は、先代未亡人や部屋つき親方に根まわしをされ、夫のところにその話を持ってこられたのです。
こちらはまだ充分相撲が取れる現役力士で、大関も夢ではないという時ですから、年寄襲名のことなど考えてもみませんでした。夫は尻《しり》ごみしました。わたしも勿論《もちろん》反対でした。
飛鳥野を継ぎたいばっかりに、養沢一派の策謀を申し立てたと思われてはたまりません。
「そんなものを受けたら男が立ちません」
と夫はいい、わたしもその提案は白紙にもどして頂くように懇願したのですけれど、酒井先生はどうしても聞き入れて下さいません。
「金平山の男を立てるのはいいが、そのために後継者がいつまでも決らないで、飛鳥野部屋が立ち行かなくなったらどうする。黒い噂のある連中が部屋経営に嘴《くちばし》を入れるようになってしまったら、とんでもないことになるのだ。そうなったら、金平山の男が立つ立たないの問題ではなくなる。ここはどうあってもお前が飛鳥野をついで、丸く収めるよりない。お前たち夫婦が先代未亡人の夫婦養子になって、それで飛鳥野の名跡を襲名すれば、どこからも文句は出ない。飛鳥野部屋のごたごたを収拾するには、これがいちばんいい方法なのだ」
と説得されて、夫も心が動いたようでしたが、それでも首を縦に振りませんでした。わたしも同様です。
わたしたちがはっきりしないので、温厚な酒井先生は厳しいお顔をされました。
鬼瓦のような夫の難しい顔と違い、酒井先生のお顔は鋭いものがありました。殺気が感じられました。
「金平山の男が立つ立たないは、個人的なことだ。飛鳥野部屋の後継者問題は、相撲界全体の問題だ。自分のことだけ考えるというのなら、仕方がないだろう」
そういわれて、酒井先生はさっさと帰られましたが、夫もわたしも、相撲界から見放された気になりました。
夫はどうしてよいのかわからない様子で、放心状態になっていました。豪気に見える夫ですが、世間が狭いために、決断を迫られて小心になってしまったのです。
酒井先生にも怒られて、このままにしていると、養沢一派が止めを刺しに動くと思ったので、わたしは夫にはっきりいいました。
「こうなったからには、相撲界のためにも、酒井先生のおっしゃるとおりにしましょう。そうしませんと、金平山は自分の都合だけしか考えなかったといわれます。それでは男が廃《すた》ることになります」
夫はわたしのいったことをひどく気にした様子で、
「わかった。酒井先生のいわれたようにしよう」
と決心したのです。
そこへ飛鳥野部屋の親方が揃《そろ》ってまいりまして、酒井先生と同じことをいわれました。
養沢に担がれた春駒親方もいました。飛鳥野部屋から独立した、元大関天神山の緋縅親方も一緒でした。
「養沢に担がれた俺が、こんなことをいえた義理ではないが、相撲界全体のことを考えたら、金平山関に、飛鳥野さんの養子になってもらうのがいちばんいい。俺もそれに気がついたんで、皆さんと一緒にきたわけだ。いままでのことは水に流して、引き受けてくれ」
春駒親方もそういいました。
「こんどのことでは、酒井霊峰先生が非常に心配をされて、各方面を根まわしされたことは、金平山関も知っているだろう。ああいう芸術の偉い先生が、俗事に動きまわるというのは余程のことだ。そこをよく考えないといけない。われわれは協会へ呼ばれて、理事から懇懇といわれた。皆が一致協力して、いちばんいい形の後継者を選ぶようにとね」
「われわれはドングリの背くらべで、誰が立ってもしこりが残る。そこへいくと、金平山関が養子になって、飛鳥野をつぐのがいちばんいい」
「ごたごたするのは誰も望んではいない。酒井先生の出された案が理想的なことは、われわれも諒解したのだから、是非飛鳥野を襲名してくれ」
こもごもいわれて、夫も承知しました。
こうして、力士金平山と、親方飛鳥野の二枚鑑札になって、わたしたちは飛鳥野部屋へ越してきました。
以来、部屋のおかみさんとして、飛鳥野部屋の裏方をつとめてまいりました。数え切れないほどの相撲取を世話してまいりまして、それらの思い出は尽きません。
夫が部屋持ち親方になってからは、わたしは夫を立てることに心を配りました。
引退して親方稼業一本になった夫は、部屋経営も大過なく果たしましたし、相撲協会のほうも理事に選出されて、力量以上の貢献をしたと思います。関脇が最高位だった親方にしては、悔いのない相撲人生だったわけですが、ただひとつ……心残りは、先代同様子がなくて、しかも……後継者にする適当な弟子が見つからないまま、急死したことです。
親方は虫が知らせたのでしょうか。後継者のことをしきりにいうようになっていました。
「緋縅親方とも折り折り会って話をして、必ず決着をつける」
といっていたのですが、無軌道な暴走族に命を奪われるなど、思っても見ないことでした。
飛鳥野君が、折入って相談したいことがある……といってきたのは、一月場所が終わってすぐのことだったな。
ワシは先代飛鳥野の弟子だから、現飛鳥野君とは同門です。ワシは天神山という四股名で取っておって、金平山だったいまの飛鳥野の兄《あん》弟子だったが、後援者があって、引退後に独立して、緋縅部屋を創立したわけです。
飛鳥野部屋の分家ということになるが、ワシが先輩ということで、飛鳥野の後継者について相談にきた。
相談と同時に、悩みを訴えにきたふしがあった。飛鳥野君は衆望を担う形で部屋をつぎ、名門飛鳥野の経営もうまくやったと思う。弟子もいいのを養成した。横綱一人、大関二人を出した。本来ならこれらのうちから次の飛鳥野が出ていいわけだが、引退力士の独立というのが流行《はや》り出して、大関、横綱を張ったことのある相撲取は、挙《こぞ》って相撲部屋を開設する風潮が起きてね。
飛鳥野君が育てた一横綱、二大関も、後援者がついて独立したわけだが、こうした風潮が続くと、本家の部屋つき親方が減って、力関係が逆転しかねない。
相撲部屋の勢力というものは、力士数やいい力士を抱えているだけでは充分といえない。役員選挙の票となる年寄……つまり親方だが、その数の多いか少ないかも、大いに影響する。独立した弟子は同系統……一門に違いないのだが、みな一国一城の主《あるじ》だからね。本家のいうことを一から十まで聞くとは限らない。
その点、部屋を持たない部屋つきの親方は、確実な一票だ。そういう親方の多い部屋は、協会運営の面で発言力があるな。
飛鳥野君のところは名門だから、部屋つきの親方が五人いる。もとは八人もいた。それが独立したり、他所《よそ》の系統に持っていかれたりで、親方数は先細りの傾向にある。
そこへ持ってきて、後継者が見つからないとなると、これは心配のタネだな。
ワシのところは娘が三人おって、そのうちの一人が相撲取と結婚した。これに緋縅を襲名させて、相撲部屋を渡せば済む。
相撲部屋は年寄株とは別個の財産だから、子に相続させるのと、赤の他人に譲渡するのとでは、条件も違ってくるし、状況も違ってくる。
赤の他人の弟子なり、他の親方に譲った場合は、先代とその家族は、いままでいた相撲部屋から他所へ移らなくてはならないのだ。
折角自分が創設したり、自分の力で充実させた相撲部屋を、一代で他人の手に渡すのは、手続きもさることながら、情としても忍びないものがある。
相撲部屋の経営は、年寄株を取得した相撲親方しか認められないことになっている。関取(十両以上)としての本場所経験を、規定された回数持たなければ、年寄にはなれないのだから、相撲部屋の経営は、元力士に限られるのだね。
そういうことだから、相撲部屋の後継者をスムーズに決定するには、自分の娘と年寄株取得資格がある力士を結婚させるのがいちばんいい方法だ。ワシのところはそれができたわけだが、飛鳥野君には娘がおらん。
部屋つき親方を養子にする手があるのだが、ドングリの背くらべで、誰をもってきてもバランスが崩れる。状況としては先代のときと似たようになっている。
おかみさんとの間に子がないのも先代と似ているな。気の毒というよりない。
飛鳥野君のおかみさんは、出来過ぎるくらい出来た人です。飛鳥野君も悪い人間ではない。いい相撲取も育てたし、協会役員としても大過なく職務を果たした。ただ欠陥として粗暴な面があったな。独りよがりの強いところがときどき出て、弟子たちも苦労した筈《はず》だ。
呼出しに多七というのがいるが、彼なんぞは飛鳥野君の癇癪《かんしやく》に泣かされた組だ。それでも出入りしていたのは、おかみさんを慕っているからだろう。
いずれにせよ、飛鳥野君に急に逝かれてしまって、おかみさんも大変だ。ワシも同門だから、後継者のことでは力になるつもりだが……さて、どうしたらいいものか。
呼出しの多七は事情通だから、一度飯でも食わせて、話を聞いてみよう。
いまでこそ呼出しも組合ができ、協会に所属して、満六十三までは月給を頂ける身分になったが、あたしらが入りたての時分には、呼出し奴《やつこ》と蔑《さげす》まれてね。虫けら扱いだったな。当時の呼出しは、それぞれが縁のある相撲部屋に所属していて、食べものはそこで頂戴《ちようだい》をする。現金収入は、相撲場での物売り。お関取や親方の使い走りでもらうお駄賃。土俵|溜《だま》りの常連客が下さる花……つまり御祝儀。こういった不定期のものが、呼出しの懐ろに入ることになってました。
あたしは飛鳥野部屋に所属していた多十という人の弟子でこの道へ入って、多七の名前をもらったんです。
あたしは仲間うちから、オートバイに撥ねられて亡くなった飛鳥野親方の腰巾着《こしぎんちやく》のようにいわれてて、それは事実なんだが、どちらかというと、おかみさんを尊敬しますね。おかみさんの腰巾着になりたいくらいで。でも……そういうわけにはいきませんから、飛鳥野親方に密着する感じでつとめさせてもらってましたよ。
あたしは、飛鳥野御夫妻には因縁があるんです。縁結びといっては大袈裟《おおげさ》だが……二人が一緒になるについて、縁の下の力持ちのようなことをしたんです。おかみさんは初子さんといって、新橋の花乃家で雇女《やとな》をしていました。いまのことばでいうとコンパニオンですか。
東京会舘で、ある代議士を励ます会というのがあって、飛鳥野部屋の主な相撲取が招待されたことがある。普通こういうところへ呼ばれると、お祝いを持っていきますが、お相撲の場合は反対だね。向うが御祝儀を下さる。
力士が男芸者といわれた名残りでしょうかね。いずれにしても、お金は出すより頂くのがありがたいわけで。あたしもお供でいきましたよ。
あたしの場合はお関取と違って、芸をやらされた。相撲の太鼓を打って、お参集の皆さまにお聞かせするわけだ。
代議士さんの集まりだから、票を寄せるという縁起にひっかけて「寄せ太鼓」を打つのが習わしだね。
この会に初子さんが出張していて、当時前頭の筆頭だった金平山が一目惚《ひとめぼ》れしたんだな。
金平山は後に飛鳥野をつぐことになるが、女に騒がれるタイプじゃあない。顔は鱈場蟹《たらばがに》の背中みてえにゴツイし、短足でね。相撲の取口ときたら足癖専門だから、勝負に花というものがない。
居反りというサーカス相撲みてえな妙手を使って、名前は知られてたがスター力士というんではなかった。よくいえば異能だが、あたしから見たら珍奇な相撲ですよ。
顔がまずくて相撲振りもパッとしない男に、一目惚れされた初子さんこそいい迷惑だ。
あたしは金平山にいわれて、恋の使いという奴《やつ》を何遍もやらされたね。
初子さんは、目もとの涼やかな娘でね。色は真っ白けだった。肩も腰も、ちょうどいい具合の肉づきで、なんといったらいいか……羽根を広げた白鷺《しらさぎ》に、牡丹《ぼたん》の花をミックスした……おかしな喩《たと》えだが、そういう感じだったね。相撲社会じゃあこういう女性を金星といいます。
美女と野獣で、とても釣り合う相手じゃあなかった。
金平山は「早くかい出し(誘い出す)てこい」とせっついて、あたしに軍資金をくれるが、向うは金平山なんて、聞いたこともなければ見たこともないという感じでね。
金平山は「お前じゃあ埒《らち》があかねえから、俺が直接当ってみる」なんていい出したが、これはお止めした。
いくらコンパニオンの水商売といっても、初子さんは、羽根を広げた白鷺に牡丹の花を取り合わせたような娘さんだ。テレビドラマのヒロインにも見当らねえほどのいい女だ。いずれスカウトされて、そっちの方面へ出ていくだろうと、あたしは思ったんです。ですからそういう素敵な女《ひと》のところに、鱈場蟹の背中みてえな顔が近づいたら、卒倒して気絶しちまいますよ。
それでは初子さんが可哀相だから、金平山にはなんとかして諦《あきら》めさせようと、あたしは本気で考えたね。
ところが……女というのはわからない。初子さんからあたしのとこに電話があって、おりいって相談があるというんだ。会ってみると、母親が一緒で、
「金平山関のお話は、真面目にお聞き致しても宜《よろ》しいのでしょうね。たび重なるお誘いと娘からうかがっていますので、わたしどもも正式のお申し込みと受け取って、お話を進めて頂きたいと考えます。
ただひとつ条件というか……お願いがございまして、それは……わたしどもは事情があって、母一人娘一人の家庭です。この事情をあまり詮索《せんさく》されますと、迷惑のかかる方が出てまいります。それだけは伏せて頂くということで、いかがなものでしょうか」
ということでね。金平山にすれば、なにがなんでも初子さんをというのだから、無条件降服のようなもんだ。
あたしの報告を聞いて、顔の造作が散り散りばらばらになっちまうくらいだらしなかったね。
「すべて多七のいいように運んでくれ」
と金平山はいい、全権を任されたあたしは、根まわしにあっちこっち走りまわったね。いちばん苦心をしたのは、向うさんの家庭事情で、これはできる限り聞かないでもらいたいということだった。あっしはようござんすと引き受けましたよ。幸いといってはあれだが、金平山がスター力士でなかったから、結婚についてはマスコミも、ありきたりの記事にしかしなかったことだね。あっしも向うさんのことはほとんど知りませんでしたよ。
金平山は初子さんを嫁にできれば、ほかのことはどうでもよかったわけだし、あたしも話がまとまればそれでいいというのでね。どたばたとおっつけ細工をしたわけだ。
まあしかし、この結婚くらい上首尾だったのはないだろう。
ひとつ心配だったのは、初子さんのお母さんが、入り込んでくるのでは……ということだったが、家庭事情は伏せてくれといっただけあって、ついぞ表立って相撲部屋に顔を出すということはなかった。
初子さんが親方夫人になり、飛鳥野部屋のおかみさんになってからも、お母さんは部屋にきたことがなかった。飛鳥野親方の告別式には顔を見せたが、それも目立たないようにして、お棺を見送ると、あたしにだけそっと挨拶をして帰ってしまった。普通はしゃしゃり出てくるものだが、あたしは、このお母さんの態度も好もしいと思ったね。
金平山夫人から飛鳥野部屋のおかみさんになった初子さんは、理想的な親方夫人でね。あたしはいろいろ見ているが、あんなにできた人はいません。頭が下がります。
先ず感心するのは、夫を立てて、自分はあくまで裏方に徹したことです。
外に向かって、口では「うちの主人は」とか「うちの親方は」なんていって、さも夫唱婦随に見せかけるおかみさんが相撲社会にも多いが、それは亭主がいいときのことで、都合が悪けりゃあ亭主を虫けら扱いするのが多いんだ。あたしはこの目で見てるからいえるんで、向坂山《さきさかやま》親方のおかみさんなんぞは、
「新弟子のいいのが集まらないのは、お前がだらしないからだ。資金が乏しいのは、贔屓《ひいき》のいいのをつくらないからだ。それもお前がぼさっとしてるからだ。相撲年寄になっても、場内警備なんぞやっているようでは情ない。勝負審判にもなれないのは、お前が誰からも相手にされていない証拠だ。
こんなことなら相撲取の女房なんぞになるんではなかった。お前の口車にうっかり乗ったばっかりに、とんでもない貧乏|籤《くじ》を引いてしまった。親方夫人の懇親会にだって、お前がヒラ年寄ではみっともなくてみじめで、出席しても楽しくない。女房一人も楽しませられないような男は、土俵の角へ頭をぶっつけて死んでしまえ」
最後のくだりはいったかどうか確かではないが、だいたいそんな具合でね。丼《どんぶり》を投げつける、ポットはひっくり返すで、大荒れしているところへ、あたしは出食わしたんだ。
あそこの部屋は狭いからね。弟子にだって筒抜けだ。おまけに客もいたな。
どういういきさつのヒステリイか知らないが、ああいうのは愚の骨頂……おかみさんとしては最低だ。向坂山親方は、手も出さないでじっとしてたが、馬鹿らしくて情なくて、相手にならなかっただけと、あたしは感じたね。
たとえどんな口惜《くや》しいことがあっても、自分の亭主をお前呼ばわりはいけねえ。一対一のときでも絶対にいけねえ。
あたしは向坂山さんのおかみさんを押えにかかった。そうしたらどうだ。
「呼出し奴の虫けらなんかに、つべこべいわれる筋はない。わたしはこう見えても、相撲の親方夫人だよ」
ときたもんだ。あたしゃあ馬鹿らしくなって、向坂山親方に用件だけ伝えて、さっさと帰ってきちまった。
相撲親方もずいぶんと代替わりして、おかみさんも二十代、三十代が多くなった。その大半は普通の家庭の娘さんだから、気質も昔風ではなくなって、サラリーマン家庭化したのだろうかね。奥さんが自己主張をして、旦那《だんな》が黙っちまうケースが、相撲の社会にも出てきた。
その風潮がいいか悪いか、あたしらは批評をする立場じゃあないが、向坂山さんのとこみてえのは嫌いだね。
それと飛鳥野夫人は比較にゃあならねえけど、兎《と》に角《かく》、出来たお方です。
気配りという言葉が流行《はや》ったことがあったけど、飛鳥野さんのおかみさんが元祖じゃあねえかと思うくらいだ。
いつだったか、こういうことがあった。飛鳥野さんがゴルフで、ホール・イン・ワンちゅうものをやった。滅多にないことで、知人や関係者にお祝いを配ったり、一席設けるのが習慣だそうだ。
飛鳥野さんは、どちらかというとがさつな人だったから、そういう仕来りには無関心で、ただ有頂天になって自慢をするだけだった。そこをおかみさんがうまく取り仕切って、記念品としてライターを配り、一席設けて関係者を招待した。三百万円かかったが、それもおかみさんがちゃんと都合してね。あたしが全部任されて準備をしたんだが、
「親方のいいつけですから、よろしくお願いします」
と何度も念を押していうんだね。親方が世事にうといから、おかみさんがなにもかもやると思われないための気配りなんだ。親方を立てようという気持ちだ。会場へはおかみさんもきて、裏方の総指揮をとっていたが、誰かに引っ張り出されて、挨拶ということになった。
おかみさんの挨拶が振るっていたね。
「穴へ入れるお遊びも結構でございますが……一発で命中すると、あとがたいへんでございます。殿方の皆さま、くれぐれも御用心を」
とやったもんだ。大笑いでね。飛鳥野さんも頭の掻《か》きっぱなしだったよ。マスコミ関係者にも絶えず気を使われてた。金ばなれのいいのにも驚いた。あたしら呼出しにもわけへだてがなかった。台所のほうは火の車だったようだが、そんな気は少しも見せなかったからね。
高坪という幕下が女のことで不始末を仕出かしたことがある。三面記事のネタとしては面白いものだったんだが、記事にならずに済んだのは、おかみさんがもみ消しに動いたのではない。
「飛鳥野さんのおかみさんが、必死にやっている姿を思うと、とても書く気にはならなかった」
と十人が十人そういっていた。問題を起こした高坪は、円満な形で相撲を廃《や》めていったが、いまだっておかみさんには感謝をしている筈だ。
誰からも尊敬され親しまれて、大勢の弟子は皆自分のこどもみたいだ。親方の子は生めなかったが、弟子がこどもと思えば淋《さび》しくない……そういってたおかみさんだが、部屋の跡つぎということでは、人知れず心を痛めているようだね。
子ができない原因は親方のほうにあったんだね。飛鳥野さんは初子さんと一緒になる前、悪所通いが祟《たた》ってよくない病気に罹《かか》って、睾丸《こうがん》炎のひどいのをやった。それで子種が駄目になっちまった。
では……それ以前どうなのかというと、いまはあたしの口からいうわけにはいきません。幕下で廃業していった高坪あたりが、ぽろっと漏《も》らすんじゃあねえだろうか。
俺が女のことでしくじって、相撲社会をクビになるばかりでなく、世のなかからも葬り去られかかったときは、正直いって目の前が真っ暗になった。
そういうときは、誰かを道づれにして、共に堕《お》ちていこうという悪い気が起きるものだ。
俺はこの際、親方の秘密をバラしてやろうと思った。しかし……、
「高坪さん。少し顔色が良くないけど、どこか体の具合が悪いんじゃないの。心配ごとがあるなら、親方やアン弟子に内緒で、そっといっておいで」
とおかみさんにいわれてね。その気が挫《くじ》けてしまった。
女のことで相談をすると、おかみさんはどういう風に手を打ったか知らないけど、問題を処理してくれた。お陰で俺は、傷がつかずに相撲を廃めることができ、いまでは土建の解体屋をやって、一家を支える生活ができるわけだ。
考えてみると、相撲取になったはいいが、芽が出ないで廃業する者はどれだけいるか知れない。関取になって、最後まで残る者のほうが少ないのだ。
取的で廃めた俺が知ってる仲間だけでも、五十人はいるね。そいつらがいろんな仕事をして、なんとか生きている。
俺みたいに、古い家屋の屋根に登って、屋根をひっぺがしたり、柱を引き倒したりする解体屋もいれば、運送会社に入って深夜トラックを走らせてる奴もいる。ちゃんこ屋の板前もいれば、警備保障のガードマンもいる。砕石現場で働いているのもいる。漁船に乗ってうんと遠くにいく奴もいるし、いろんな仕事をして皆それぞれ生きているが、相撲上がりは地道だ。
相撲にいるときは、自分では一銭も出さず、他人の懐ろをあてにし、女性もセックスの対象とだけ考え、自分本位に要領よくし、嘘《うそ》もつき、粗暴にし、後輩をいたぶり……住む世界が閉鎖社会だから、非常識がまかり通った。
そういうことを多く経験していながら、廃業力士が悪事を働いた話を聞かないのは、われながら不思議な気がする。
元野球選手や元プロボクサー、競輪の選手上がりなどは、いろいろ不祥事件を起こして、新聞や週刊誌に写真まで出るが、元力士がそうしたことでマスコミに扱われたのを、俺はまだ見たことがない。
たまに廃業力士のことが出ると、それは、生活保護を受けている一人暮らしの元力士が、アパートの火事に逃げおくれて焼死……といったものだ。
相撲取は、相撲を廃めてしまうと、体が大きい割りに、気が小さくなるように思う。皆に遠慮をしながら生きているような気がする。俺もなぜかわからないが、少し世間に遠慮して生きているところがある。
相撲の社会はあまり思い出したくないが、おかみさんには一度会いたい。年賀状は毎年出して、おかみさんからももらうが、いつも遊びにいらっしゃいとか、体を大事にしなさいとか書いてある。
聞くところによると、おかみさんは、取的で廃めていった弟子全員に、年賀状を出すらしい。部屋の切り盛りや外部とのつき合いで寝る間もない感じのおかみさんが、いつ年賀状を書くのか、それが不思議なくらいだ。
俺は、おかみさんの年賀状一本で、その年のお正月の初日の出を拝んだ気になる。
相撲にいるときのことだが、親方が外出したときなど、取的のいる大部屋や、ちゃんこ場に、おかみさんはごく自然な感じで顔を出した。おかみさんは相撲界きっての金星だから、おかみさんが顔を見せただけで、春の陽が差したような感じになる。
おかみさんの顔を見ると、誰かが必ず、
「ごっつぁんです」
という。おかみさんは委細承知で、帯の間から用意したお金を出して渡してくれる。取的十数人が、ラーメンを腹いっぱい食べれるくらいの額だった。
飛鳥山親方はゴツイ顔で、おかみさんみたいな金星がよくついたと思う。親方は金星のおかみさんには頭が上がらないようだったが、俺たち弟子にはきつかった。相撲親方が弟子に厳しいのは当然だが、親方の個人的な感情で、弟子に鬱憤《うつぷん》晴らしをすることがあった。俺も稽古場《けいこば》でひどい目に何度もあった。
おかみさんは稽古場には絶対に出てこないが、そういうことをどこで知るのか、あとで必ずこっそり呼んで、
「これでゲン直ししていらっしゃい」
と小遣いをくれた。そういう経験は俺一人ではない。親方にガイにされた(こてんこてんにやっつけられた)とき、俺は何度か、親方の昔の女性関係をバラしてやろうかと思ったね。
親方には、おかみさんと結婚する以前に、女の子まで生ませた女がいるのだ。
なんで俺がそのことを知っているかというと、その女性は俺の中学のときの同級生の姉さんだからだ。その姉さんは私生児を生まされ、間もなく自殺した。飛鳥野親方……その頃は金平山だが、どうして生まれた女の子を引き取らなかったのか、その辺のことはわからない。金平山という力士の子だったことも、当時俺は知らなかった。
わかったのは、相撲に入ってからだ。
俺の郷里は静岡県の田方郡大仁町だ。あるとき呼出しの多七さんと二人きりで話をしていて、たまたま俺の出身地の話になった。このときは飛鳥野親方が荒れていて、多七さんに無理難題をいった後だった。多七さんは面白くない気分でいたようだ。
「大仁といえば、変った苗字があるだろう」
と多七さんがある姓をいった。
「あります」
と答えると、多七さんは頷《うなず》きながら次のようにいった。
「その苗字は二軒や三軒ではないだろうが、その家の娘を、うちの親方がたぶらかして、子供まで生ませて捨てた。金で済ませたんだが、母親が自殺をした。鬼瓦みたいな顔をしている親方だが、気はとがめるらしく、娘にはこっそりお金を送っている。東京のあしながおじさん……なんて変名を使って送りつづけている。短足のあしながおじさんもねえもんだ。送金の役目はあたしが頼まれてやっているんだ。腹立ちまぎれにうっかり喋《しやべ》っちまったが、内緒だぞ」
その苗字で、娘一人残して死んだ女といえば、俺の中学の同級生のお姉さんだ。
「義理を果たしている点はえらいと思うが、親方についちゃあ、ときどき腹に据えかねることがあってな。そういうときは、おかみさんにバラしてやろうかと思うこともある。しかし……おかみさんの心を乱しちゃあ悪いと思って、つい口をつぐんでしまうんだ」
と多七さんはいった。その後、俺もむかっとしたとき、バラしてやろうかと思うことがしばしばだったが、浪風を立てることは、おかみさんを苦しませる結果だと思って、多七さん同様に黙ってしまった。
小さな体で大きな男たちの面倒を見、気が安まることのないおかみさんだから、体をこわさなければよいがと、陰ながら思っていたが、親方のほうが先に逝ってしまったのを、新聞で読んでびっくりした。
親方の急逝《きゆうせい》で、後継者問題が持ち上がっているだろう。依怙《えこ》贔屓のできないおかみさんだから、悩みは深いと思う。久し振りで手紙を出そうかね。
高坪からきた手紙をいま読み終えて、わたしはちょっと涙ぐんでしまいました。
ぶっきら棒な文章で、書いてあることも、時候の挨拶と「お体を大切にして下さい」といった簡単なことですが、それでもジーンとくるのは、親方に死なれて、気が弱っているからでしょうか。
高坪のように、あちこちから昔の弟子が手紙をくれます。親方が死んだことを新聞などで知ったからでしょう。
最近になってその数が増えているのも、お相撲上がりのスローモーな感じで、思わず目を細めてしまいます。その後でホロリとするのです。
廃めていった若い者が、こうして手紙をくれるのは、飛鳥野部屋はこれからどうなるのだろう……と心配してくれているからだと思います。
わたしも悩んでいます。いちばんの悩みは、後継者のことで最も相談し易《やす》い酒井霊峰先生が、昨年秋に病没されたことです。酒井先生が御健在なら、すべてお任せすることができたものをと思うと、残念でなりません。
緋縅親方が一門の長老として、いろいろと動いてくれておりますが、いざとなるとなかなかまとまり難いようです。しかし、後継者を早く決めないと、力士たちが可哀相です。
幸い先代のときのように、外部の妙な勢力が動き出す、というようなことはないようです。
後継者問題も気がかりですが、もうひとつ困ったことが起きました。
呼出しの多七さんが廃めるといい出したのです。どうしてそういうことになったかと申しますと、ちょっとしたいきさつがあって、そのときの感情の高ぶりからだと思われます。もののはずみといってもよいでしょうね。
一時間ほど前でしたが、多七さんが女性問題のことで相談にきました。多七さんは五十五歳ですが、家庭は持っていません。美容師さんのところに住んで、内縁関係にありますが、最近多七さんに別の女性ができたのですね。その女性は、いま一緒にいる人よりも、ふたまわり近くも若いといいます。多七さんはいまのほうはそのままにして、若いほうを適当にと考えていたらしいのですが、発覚してもめごとが起きたのです。美容師さんから同居を拒否され、困ってわたしに相談というより、助け舟を求めにきたわけです。つまりは美容師さんと別れたくないのです。安定した生活を捨ててまで、若い女のところに走る気は毛頭ないのです。
美容師さんに追い出された格好の多七さんは、わたしの仲立ちでもどりたいわけでした。
「そういうことは、一度こっきりですよ」
といって引き受けまして、すぐに美容師さんに電話をしました。向うは威《おど》しのつもりだったようで、わたしの頼みを笑って受けてくれました。多七さんは案外小心で、美容師さんに怒られてびっくり仰天したようでした。
同棲《どうせい》のことは承知していましたが、聞いてみますと十五年にもなるのだそうです。子供は美容師さんと先夫の間に一人いて、もう独立しているとのことでした。二人の間には子がありません。
「この際、正式に結婚したらどうなの。その気があるのなら、はっきりしたほうがいいのではないですか。よかったらわたしが間に入って、ちゃんとした人を立てて」
といいましたら、多七さんは急に、
「おかみさん、済まない」
というんです。
「それくらいお安い御用よ」
といいましたら、
「そのことと違います。あたしはおかみさんに匿《かく》しごとをしてました。いおうかいうまいかと長年悩みつづけてきましたが、思い切って白状します。その上で責任をとります」
こういうのです。多七さんの匿しごとというのが、なんのことかさっぱりわかりませんで、わたしはなにかと聞きました。多七さんは身を震わせていましたが、親方に匿し子がいて、養育費のようなものを送りつづけていた。そのお使いは自分がしていた。親方のいいつけだからやらないわけにはいかなかった。おかみさんには悪いと思いながらつづけていた。いつも気になっていた。結果的にはおかみさんに匿しごとをしていたわけで、そのおかみさんに世話になってばかりいて、恩を仇《あだ》で返すことをしていた。この償いは呼出しを廃めて、相撲界から消えることだというのです。
廃めるのはいつでも廃められるのだから、そのことも含めてわたしにお任せなさいといって帰しました。呼出組合へ廃業届を出すようなことはしないと思うけど、ちょっと心配です。いきがるところがありますから、先走る恐れもあるのです。
親方に匿し子がいたという多七さんの告白ですが、わたしはそれほどショックは受けませんでした。むしろほっとした気分でした。
その子というのは、わたしと結婚をする以前に関係のあった女性との間に生まれたのですから、仕方がないことです。それを親方が匿すという気もわかります。この社会は親方絶対となっていますから、多七さんの行動も止むを得ません。
ただ……わたしは、多七さんの次のことばにはショックを受けました。
「お嬢さんがいることについて、親方はつねづねいってました。結婚したいばっかりに、前の女とのことはひた匿しにしたが、いつか折りを見ておかみさんに話すつもりでいた。そういうチャンスは、一緒に暮らしていれば、一度や二度は必ずあると思った。しかしなかった。一緒に暮らせば暮らすほど、おかみさんは、亭主を立てて控え目で、弟子たちに優しく、外部にはきめの細かい気配りを見せ、こんないい女房はいない。相撲部屋のおかみさん稼業に打ち込んでいる。
そういう立派なおかみさんを見ると、喉《のど》まで出かかった昔のことが、白状できなくなる。おかみさんに、嫌な思いをさせたくなくて、黙ってしまった。
これが反対に、いい加減な女房なら、こっちも気楽に、すうっとことばになって出た気がする。その点では、あたしも親方と同じ気持ちでした」
これにはわたしはまいってしまいました。親方は心を開いてくれなかったのですからね。
でも……こっそり養育費を送りつづけていた親方には、別の意味で感心します。多七さんがそのお使いをしてくれたことも、よかったと思います。多七さんは、親方とわたしの間に挟まって、人知れず悩んだことでしょう。多七さんは呼出しを廃める必要はありません。いままでどおり飛鳥野部屋へ出入りして、これからも働いてもらわなくてはならない人なのです。
相撲部屋ってたいへんなところなのね。大きな体の男ばかりが四十人もいて、朝早くからドスン、バタンとやるんです。
わたしはいままで、女性の多い職場で働いていたから、こんなに男臭いところへ連れてこられて、びっくりしちゃいました。
ひと月ほど前です。呼出しの多七さんという人がわたしをたずねてきて、
「あしながおじさんが死んでしまった。おじさんは貴女《あなた》を養女にと考えていた。それは奥さんも承知している。事情はおいおい話すが、取りあえず顔を出してくれないか」
といわれて、御礼もいわなくてはいけないし、送ってもらってたお金も、大きくなってからはなるべく手をつけないで貯金してたことも報告するため、飛鳥野部屋というところへきたのです。
そこでいままでのいきさつを聞かされました。
わたしは小さいときに母と死別したので、施設で育ったのです。親類が世話をする余裕がなかったのだと思います。ですから……あしながおじさんの名前で送ってくれたお金は、施設を出てアルバイトをしながら学校へいくとき、役立たせてもらいました。
わたしは、多七さんのお骨折りと、おかみさんの御好意で、あしながおじさんだった父のところへ、遅れ馳《ば》せながら養女として入籍しました。
飛鳥野部屋は、相撲界では由緒のある部屋だといいます。そこの娘になれたのですから、わたしは幸せです。もっとも、相撲部屋というのは、相撲の親方が経営するのだそうですから、正式には、死んだ父の姓である中津家の娘ということになります。
いま飛鳥野部屋は後継者が決らず、困っている様子ですが、その成りゆきは、この社会に疎《うと》いわたしにはわかりません。
おかみさん……わたしには義母になりますが……の話によると、緋縅親方という人が次の飛鳥野になって、ここを経営することになるようです。緋縅部屋のほうは、別の人がやるということですが、そういう人事面は、わたしには皆目わからないですね。
緋縅親方がきて飛鳥野部屋をついでも、わたしたち母子はこのままここへ残り、いままでどおりの仕事をするのだといいます。
「新しい飛鳥野さんは、通いの部屋持ち親方なんだ」
と多七さんがいいましたが、どうしてそうなのかもよくわかりません。
ただわたしにいえるのは、相撲部屋というところは、とても興味があるということです。お相撲さんは強烈な男の匂《にお》いがします。でもそれは普通の人の男臭さと違います。なんといったらいいのかな、人臭くない男の匂いがします。毎日大量の汗を流すせいでしょうか、爽《さわ》やかな匂いがします。その匂いから、わたしは父の匂いを感じます。
飛鳥野部屋は、力士総数四十二名で、部屋頭……わたしもいつの間にか相撲用語を覚えたのね。部屋頭は大関宝山です。独身だから二階のいちばんいい部屋に一人で住んでいます。美男子ではないけど、意志の強そうな男らしい顔です。ほかに関取が六人いて、四人は外に家庭を持っています。部屋住みの関取二人には、それぞれ二階に個室が与えられています。
二階にはほかに大広間があって、幕下以下のお相撲さんが寝起きをします。大広間からはベランダが突き出ていて、寝具や洗濯物はそこに干します。
飛鳥野部屋は昭和三十年代に再築したものだそうで、二階建の和風建築です。がっちりして風格があります。
一階は玄関を入ってすぐが、上り座敷と稽古場です。上り座敷は親方や見学者が座ります。そこへお茶などを運ぶ役目はわたしです。上り座敷には床の間があり掛け軸が掛っています。軸は月毎に替えるのだそうで、いまは「桜花山を尽す」という詩の軸が掛けてあります。掛け軸の下に赤い胴の太鼓が置いてあって、そこだけが華やいだ感じです。
上り座敷の裏側に、ちゃんこ場があります。別棟にわたしたちが住むところがあります。わたしたちの住いと上り座敷は、渡り廊下でつながっています。
義母はわたしにいろんなことを教えてくれます。そしてなんでもわたしにさせます。相撲部屋のおかみさんの、楽しさ、苦しさを、経験をもとに話してくれます。
義母は全員から慕われています。義母の前では大男の親方や関取までが、まるで子供みたいに素直です。温和《おとな》しい象さんみたいです。義母のそうした力は、たぶんその犠牲的精神からきているものと思います。
そうでなければ、ときには粗暴になりそうな巨漢たちが懐《なつ》く筈はないのです。
義母の立ち居振る舞いには、しゃきっとした色香があります。わたしは、沼津の近くの梅の里といわれるところに、学生時代下宿したことがあるのですが、朝露を含んだ梅の花が、義母の感じなのです。男だったらその近くに筵《むしろ》を敷いて……そんな感じになるのではないかしら。
わたしは義母を尊敬しはじめているのです。きた当初は、なんて古い感じのおばさんか……と思いましたが、いまはまったく違いますね。義母は新鮮です。相撲ことばでいう金星です。
わたしが飛鳥野部屋を出て、きょうで丸五年になると、息子にいわれ、もうそんなになるのかと驚いております。
多七さんのお元気な姿は、相撲放送で拝見します。貴方様に比べますと、わたしはだいぶ老けましたよ。背中も丸くなりまして、その丸い背中には、いつも孫がおぶさっていて、その子の体温で暖められています。
多七さんと相談をして、親方の忘れ形見を中津の籍に入れ、飛鳥野部屋に住まわせる計画は上首尾でした。娘はやはり相撲取の子で、相撲社会の水にもすぐに馴染《なじ》みました。
大関の宝山と結ばれていくのが、手に取るようにわかって、わたしは胸をわくわくさせたものです。宝山が横綱になり、そのときは二人の仲は誰もが知っておりましたので、熟れた実が落ちるように、結婚が決りました。そして飛鳥野部屋を預っていた元緋縅は、自分が創設した緋縅部屋に戻って、宝山夫妻が二枚鑑札となり、飛鳥野をついだのはついこの間のような気がします。
宝山が引退して親方専業になりましたとき、わたしはいままで誰にもいわなかったことを、はじめて喋りました。
「実はわたしにも、息子がおります」
そのときの多七さんの驚きようといったらありませんでした。
わたしも、あのことばをいうのに、どれくらい思いあぐねたか知れません。いってしまってから、がっくりと体から力が抜けて、いっとき放心状態になったくらいです。
あのときにもお話ししましたが、親方と一緒になる以前に、わたしはある人と過ちを犯しました。相手とは結婚する約束……二人の口約束ですが……わたしはその人と一緒になれると思っていました。しかし相手は責任もとらずに逃げてしまい、わたしは捨てられたのです。わたしが私生児だったのが原因でした。男に捨てられた時点では、お腹《なか》の子は産むよりない状態にまでなっていました。
こどもを母に預けて、わたしは雇女《やとな》の仕事に出て、まだいくらもたたないとき、当時金平山だった親方から、結婚の申し込みがありました。お相撲さんの冗談と思いました。母もおもちゃにされてはおしまいだから相手にするなといいました。ところが度重なるお申し込みで、こちらも考えを変えました。真面目なお話ならお受けしてもいいと思ったのは、母は二号さんでしたし、わたしも父親のいない子を生み、日陰の侘《わび》しさが身に染みていたためです。わたしたちには心配がありました。わたしが私生児を持っているのを相手方が知ったら、こういう話はきっと破談になると思ったのです。
わたしたちは、わたしが未婚の母であるのをひた匿しにして、親方と結婚しました。
親方には係累というような者もなく、北海道に弟が一人いるだけでしたから、わたしたちの家庭事情に立ち入って調べることもなさいませんでした。母も慎重を期して、親方との交渉を絶ち、わたしが残してきた男児を育てていたのです。母の生活は後援者が見て下さいました。
わたしはいつか機会をみて、秘密を親方に打ち明けようと思っていたのです。
それは、わたしに親方の子ができたときと考えておりました。二人の間に子供ができないうちにそんな話をして、破局をまねく原因をつくるのを恐れました。親方の子ができればその子が嫡子となり、わたしが母に預けた子は、親方の家系をさして脅かす存在ではなくなるのでは……そうわたしは判断したのです。双方の子が成長したら、兄弟づきあいもできる……そんな将来も夢みましたが、世のなかというのは、思いどおりにいかないものです。
親方との間にとうとう子供ができませんで、わたしは母に育ててもらった子のことを、ついにいいそびれてしまったのです。
親方が急死し、わたしの匿しごとを告白する機会は失われてしまいましたが、多七さんが話してくれた……親方の匿し子のこと。あれを聞いて、わたしはほっとしたのです。
その後の措置については、多七さんのお力を借りました。
お陰で親方の忘れ形見が、いまでは飛鳥野部屋の立派なおかみさんになりました。子供も男児一人と女児が二人いて、近々また生まれるそうですね。
わたしの息子は、この土地で料理店をやっていて、よく繁昌しています。わたしを引き取って一緒に暮らしたいといってくれたのは息子夫婦でした。
いろいろありましたが、親方もわたしも、子供に恵まれたことになります。
多七さん。奥さんと御一緒に一度遊びにきて下さい。山が近くていい街ですよ。
いまも山の中腹でホトトギスが鳴いています。街のはずれを流れる川は、鮎で有名です。天然|遡上《そじよう》が主で、釣り上げたばかりの鮎は、メロンの香りがします。鼻を軽くつくすがすがしさは、匂いは違いますけれど、お相撲の鬢付《びんつけ》油を嗅《か》ぐのと感じが似ています。
とりとめのないことを書きました。御自愛をお祈り致します。
呼出し多七様
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し に た い
若木の桜が一斉に花開いた。
素足に雪駄《せつた》の相撲取が、ぱふぱふと体をゆすりながら歩いて行く。午後の陽盛りが歩道に温《ぬく》もり、春暖に生じたしじみ蝶《ちよう》が、着物の裾《すそ》にあおられて舞い上った。
行く道に染井吉野が満開だ。
祭りの雪洞《ぼんぼり》に似た開花へ、取的の盆のような顔が笑いかけた。微笑は、
「迷ってはいけない」
という決意のあらわれだ。
「押さば押せ」
そう思うと納得の笑いが浮ぶ。
右手にゴルフ練習場がある。緑の金網の中で、白いボールがひっきりなしに飛んでいた。別囲いの網の中で兄《あん》弟子が二人、パターの練習をしている。十両の十里木と幕下|幸神《さじかみ》だ。アンコの力山《りきざん》は、金網の外を歩きながら、兄弟子二人の颯爽《さつそう》たる姿を眺めた。アイボリーのスラックスに真っ白なゴルフシューズ。ゴルフウェアはオレンジ色の半袖だ。力山は金網の近くへ顔を寄せていき、目にも鮮かな兄弟子のフォームに見入った。
十里木の目が、金網へ寄っている力山を認めた。
「オッシ」
慌《あわ》ててお辞儀をした力山の額は、囲いの網目をもろにこする。金網は力山のおでこにこすられて、ざりざり音を立てた。
網の中の二人は、内尾部屋のホープである。兄弟子のすらっとカッコのいい姿を見ると、力山は羨《うらやま》しいと思う。
力山は自分の姿が嫌いなのだ。地面を起して出てきたような短躯《たんく》は、
「まるで芋虫かもぐら」
と思う。
死んだ父親も肥満短躯だった。
「押しでいけ」
と親方は言う。相手の体を下からむくむく押していくのは、相撲の本領であるが、若い力山には、そうした滋味|溢《あふ》れる取り口の妙味はまだ解っていない。
「兄弟子はイカスな」
力山は金網に体を寄せて、十里木と幸神の練習を眺めていた。
燦然《さんぜん》と降りそそぐ陽光がある。裸で寝転びたいような緑の芝生へ、
「あれ」
ボールが落ちたのかと思った。もっこりと芝生がめくれたのだ。芝生のめくれは、むくむくもくもくと地面を掘り起し、一線をあらわに残して進んでいった。土中の小動物は、一心不乱……むくむくと土を起し、もくもくと突き進んだ。もぐらは僅《わず》かに右へ向きを変えながら、もくもくと土中の進行を続けた。土むくれを凝視《ぎようし》する力山の体に力がこもる。
「う」
彼は両手を金網へ押し付けた。わっさと金網が揺れ動く。芝生を起すもぐらの進行は、むくむくもくもくと兄弟子の方へ進んでいった。押さば押せ、むくむくもくもく。
「おっ」
十里木と幸神が同時に声を上げた。もぐらの突進に気づいた二人は、大股《おおまた》に歩いてきてクラブを高々と振り上げた。やられる、と見た力山の体へ、不思議な震えがくる。あっと思う瞬間、打ち下した十里木のクラブが、土中の小動物を一撃で仕留めた。
金網にだらしなく取り付いた力山の足は、しじみ蝶の飛翔《ひしよう》のように幽《かす》かな震えを見せていた。胴体がちぎれかかった小動物の骸《むくろ》は、沈丁花《じんちようげ》の株の根方へ放り込まれた。
金網を離れた力山が、猪首《いくび》をごりごりと回しながら歩き出した。クラブの頭で一撃されたもぐらの骸《むくろ》が、力山の頭に鮮烈な印象を与えている。自分のくわい頭を、どこかへ揉《も》み込んでいきたい気分だ。
「押さば押せ」
符牒《ふちよう》のように呟《つぶや》く幕下力山の心へ、亡父の俤《おもかげ》が浮ぶ。大酒飲みの父親だ。押し相撲だった父親である。
父親を思うと、力山は酒が欲しくなる。
部屋へ戻ってなけなしの金を懐《ふところ》に入れた。
桜の季節である。
「上野へ行ってみよう」
花開いた山に紅白の幔幕《まんまく》を張った茶店へ、三千円の全財産を懐ろに入れて、もぐらのような力山が昼酒を飲みに出かけていく。押さば押せの取的は、酒のことと父親のことで頭がいっぱいである。
西郷さんの銅像へ鳩が舞っている。そぞろ歩くアベックの群れと、春風が運ぶおでんの匂い。その中をむくむくもくもくと、アンコの取的が歩いていって、とっかかりの茶店に入った。
「酒を五本」
給仕の少女は興深げに力山を見た。
「おつまみは」
「塩辛を呉《く》れ」
「塩辛はありません」
「それじゃ丸干しだ」
「そんなのメニューにないわ」
「何もないんだな」
「………」
「塩を呉れ」
「塩ですか。撒《ま》くんですか」
「嘗《な》めるんだ」
「おでんがありますけど」
「塩でいい」
彼は大酒を飲むから、酒のときに物を食わない。お銚子五本はすぐ空《から》になる。
「酒」
五本の数を示す平手を突き出す。給仕の少女は目を丸くして奥へ走った。コップヘなみなみと移した酒を、顔を上向けてぐいぐいと飲み、さも満足そうに太い息を吐く。
「結構、結構」
ゆらゆらと気持ちのいい酔いが、こめかみのあたりへもやってきた。力山の頭の中で、亡父の回想がはじまる。
子供の力山は、父親の肩の上である。力山の父親は、素人相撲の大関だった。シコ名は土地の山の名を取って力山を名乗った。押し相撲で押しまくり、いつも優勝した。相撲に熱中して家業は当然おろそかになる。貧苦の家計を助けたのは、母親がする賃機《ちんばた》の内職だった。賃機とは、機業家が下請けに出す手仕事である。そのお蔭《かげ》で一家は糊口を凌《しの》ぐことを得た訳であるが、それに安心した素人相撲の大関は、相撲大会と聞けば泊りがけでも出向いていった。この父親が頓死《とんし》したとき、一人息子は父親の肩に乗っていた。古びた盲縞《めくらじま》の着物の裾《すそ》を翻《ひるがえ》し、懐ろに賞品の手拭い三本と祝儀の袋。肩に五歳の子を乗せて「ハードッコイ、ドッコイ」と歩いていた。道すじを左に入りかけたなりのライトバンがあった。車は後部の片輪を溝に落し、白煙を吐いて喘《あえ》いでいた。「これは難儀なことで」素人相撲の大関は、押しの一手で勝ってきた帰りである。「しっかりと掴まっておれ」肩の子に言うと、溝へはまった車をくいっと持ち上げて一押しした。道へ車輪をもどしたライトバンは、一気|呵成《かせい》に駈《か》け去って、桑畑の向うに姿を消した。父親は肩の子の据《すわ》りを直すために、ひょいと上体をゆすった。ゆすりながらひょろっと後ずさった父と子を、フルスピードのトラックが、吠《ほ》え立てながら攫《さら》って過ぎた。子に空を舞った記憶がある。真白い雲と緑なす山なみが回転していった。父親は腰と背骨を折って即死。肩にいた子はくるくると空中を舞って、茶株へ落ちたが、かすり創《きず》一つ負わなかった。子の奇蹟を代償に、セミプロ大関の父は大酒飲みの相撲気違い≠ニいう名を残して他界した。撥《は》ねた車は米軍のトラックだった。犯人は基地の中に遁走《とんそう》し、結局手も足も出ないという時代だった。一家は一銭の補償も貰《もら》えなかった。むくむくもくもくと押していく野暮ったい取り口の素人大関は、すぐに人々の記憶から薄れた。手機《てばた》の内職で暮らす母親に育てられた子は、父親似のずんぐりむっくりの少年になる。中学の担任に将来を聞かれて「相撲取になる」と答えた。「本場の相撲取になるんだ」胸を張って答えたとき、クスリと笑った女生徒のことも記憶に残っている。少年は自ら進んで相撲取になった。口をきく人がいて、新興の内尾部屋に入門した。三段目に上ると本名の村山を改めて、力山を名乗った。シコ名も大酒もアンコ型の体型も、すべてが父親譲りの幕下力山だ。
茶店の葭簀《よしず》の内側で、幕下東三十枚目の力山が酔い出している。亡父の追思から覚めた力山は、ゴルフ練習場で見たもぐらの進行を思い出していた。金網へ取り付いて見据えたもぐらの進行は、彼の体内でむくむくと闘志を盛り立てた。
「芋虫むくむくだぞ。もぐらもちもくもくだ」
酔い出した力山が、もくもくと上体をゆすると、腰掛けた縁台がみしみしと軋《きし》む。割烹着《かつぽうぎ》の亭主がもみ手で近寄ってきた。
「まだ日中ですし、この辺で」
亭主としては、御手洗石《みたらしいし》のようにつくばった男が腰を据えて、塩を嘗《な》めての大酒は困るのだ。他の客の手前もある。花見のムードにそぐわない。何とか退散願いたいと思っている。
「いかがですか、一応しめまして、また出直しという……」
力山は返事をしない。
「酒は遅いな」
「実は、その」
「酒はまだか」
勢いがついたら止まらない酒だ。店にいる二人連れが、しきりと力山の方を窺《うかが》っていた。一人がすうっと腰を上げかけて、力山へ会釈をした。
「お相撲さんは押し相撲ですか」
「そうだ」
「押し相撲は最高だな。相撲は何たって押しと寄りだ」
「そう思うか」
「投げだのうっちゃりは邪道だな」
押し相撲を言われて、力山は嬉しくなった。
「あんた方、ワシと飲まんですか」
「結構ですね」
「冷《ひや》を注文してるけど、冷でいいかな」
「結構ですね」
「どんどん飲んでくれ」
二人連れは力山の縁台へ席を移した。
「おい、皆ワシの奢《おご》りだ」
怪訝《けげん》な顔の亭主は、暫《しばら》く脇《わき》に突っ立って動かなかった。
「あと十本」
力山の注文に背を向けていきながら、亭主が口を尖《とげ》らせて呟《つぶや》く。
「逆だな。相撲取がご馳走するのは逆だ」
夕方になった。
雪洞《ぼんぼり》に灯《ひ》が入る。茶店の片隅に、どてんと転がった力山が寝ている。縁台から転げ落ちた地面へそのまま、亭主がいくら起しても、へべれけに酔った力山は、地に埋もれた岩角のようで、ひくっともしない。相撲取に奢られた二人連れは、力山が縁台から転げるとすぐ店を出ていった。
「大丈夫かな」
亭主の心配は勘定のことだ。
「もしもし、お相撲さん。起きないかな。商売の邪魔だよ。弱ったな」
亭主が腹立ちまぎれに蹴《け》とばした。むくっと体が動く。上体が起きてひと唸りした力山は、着物の裾を払って歩き出した。
「ちょっと、お相撲さん」
「何だ」
力山が腫《は》れぼったい目で亭主を睨《にら》む。
「お代をまだ頂戴《ちようだい》してないんです」
「いくらだ」
「七千円です」
困惑で力山の顔が曇った。
「貸してくれないか。持ち合わせは三千円しかない」
勘定のことで下手《したて》になる相撲取を見て、茶店の亭主は態度を変えた。
「払ってもらえないんなら警察を呼びます」
人だかりがして、人垣を分けてパトロールの警官が現れた。力山は交番へ連行された。部屋を聞かれて「内尾部屋」を言い、電話番号を答えた。
「君は十九だな」
「そうです」
「未成年の飲酒は法律違反だよ」
「そうですか」
未成年だろうと何だろうと、相撲に酒はつきものだ。警官に言われても屁《へ》とも思わないから、力山の返事には誠意がない。
「そうですか」
とテーブルの埃《ほこり》を吹くような感じである。警官は、むかっとしたが、力山の岩乗《がんじよう》な体を見ると、言いたいことの半分は胸もとにつかえる。
迎えにきた若い者|頭《がしら》は、警官の目の前でいきなり力山を張りとばした。
「まあ、まあ」
警官が割って入る。
「話し合いはついたんですから、残金を払ってお引き取り下さい」
「お手数をかけまして」
帰りかける若い者頭へ、警官が問いかけた。
「相撲では未成年に酒を飲ませてるのかね」
「未成年」
不思議そうな顔で若い者頭が聞き返す。
「こちらのお相撲さんですよ。十九だそうじゃないですか」
「そうですか。お前十九か」
力山が頷《うなず》く。
「そうか、十九か」
十九がどうしたか、といった顔つきの若い者頭へ、再び警官が聞いた。
「相撲協会は未成年に酒を飲ませて、黙って見ているのかね」
「それは……その、あのです」
「その辺の指導はどうなっているのかね。法律違反にも目をつむっているのかね」
「いや、決してそんなルーズなことは」
「厳しくしているんですか」
「は、そのですね。口では言ってるんですが……」
若い者頭の答えは要領を得なかった。
帰る車の中で、さんざん意見をした若い者頭が、部屋の近くにきて言った。
「そういえばあれだな。相撲教習所の二階に貼《は》り紙がしてあるぞ。禁酒禁煙を守ることと出ていたな。覚えとるだろ」
「いえ」
「忘れちまったのか」
「はい」
「ハーたろ(馬鹿)。こんど相撲場(国技館)に行ったらよく見てこい。力士修業心得に書いてあるぞ。……酒は外で飲むな」
「はい」
「部屋でこっそり飲め」
「ごっつぁんです」
酒しか楽しみを持たない力山は、十九歳の未成年だが、体は壮年を凌《しの》ぐ。飲酒が絶対悪い訳はないのだろうが、危険は飲み過ぎの糖尿病にある。部屋で冷酒を楽しむ力山に、兄《あん》弟子の幸神が注意をした。押し相撲が糖尿病になったら致命傷、と言われて、力山は酒をひかえるつもりになった。つもりになっただけで決意はすぐに崩れてしまう。少しずつ量を減らして止めようと思うのだが、ついふらふらと手が出る。
稽古のあとで親方に呼ばれた。
「お前、酒は止められないのか」
親方は、上野の茶店の一件を、若い者頭から聞いたらしい。
「は」
「そんなにうまいか」
「いちばんうまいです」
正直に答えた。
「酒を止《よ》すか、相撲を止すかだな」
「はい」
「どっちにするか、今日一日考えておけ」
親方のことばには怒気が含まれていた。ちゃんこを終えて部屋にいると、若い者頭がきた。
「おう、力山。ちょっとこいや」
若い者頭は、二階に一室を持っている。幕下で終った若い者頭には、部屋に飾るべき現役時代の写真もない。洋服|箪笥《だんす》が一|棹《さお》とカラーテレビが一台。押し入れから出しっぱなしの布団をめくって、部屋の隅に押しつけてある。
「酒の好きなのは解る。しかし大酒はいけない。お前にはまだ解るまいが、関取までいくか、幕下で終るかは大変な違いだぞ。お前は押し相撲で十両へ上れる体だ。いまが肝心なときだぞ。酒を止めるか相撲取|廃《や》めるか……親方にいわれたろ」
「稽古のあとで言われました」
「どうする気だ」
「………」
「相撲廃めるかい」
「………」
「相撲取廃めて大酒食らって……破滅といくか」
若い者頭は口汚く言うが、親身なのだ。
「ワシみたいに、頭《かしら》(若い者頭)で残れるのはいいけど、幕下で廃業して世間へ出ていってどうなるというんだ」
頭を垂れて畳の表を睨む力山に、酒を止めようという決意が湧《わ》いてきた。
「好きな酒を一滴もやるなとはいわない。体に差し支えない程度に押えろ」
「止めます」
「全然止すことはないんだぞ」
「いえ、止めてしまいます」
「絶対飲まないか」
「はい」
「飲みたくなったら、何でもいいから腹いっぱい食って寝てしまえ」
「はい」
「押しを忘れるな。お前は押しで十両へいけるぞ」
「はい、ごっつぁんです」
若い者頭の部屋を出て、階下へ降りる。一段一段、踏みしめながら、
「押さば押せ、引かば押せ」
むっくむっくとアンコの力山は、十両を目ざす決意をかためた。幕下の三十枚目は、努力次第では四、五場所で十両へ行ける地位だ。
部屋へ戻って腕組みをする。
「よし、やるぞ」
という気構えだ。酒を止めるぞという決意の腕組。目をつむって……力山は郷里にひとり手機《てばた》を織る母親を思った。
「止めと決めたら絶対止めだ」
畳の表をじっと睨んで頑張っているうちに、苛《いら》いらしてきた。趣味が酒しかないから、じっと座っていると退屈してくる。気をまぎらわすものがないから、止める筈《はず》の酒が頭の片隅に浮かんでくる。力山は居たたまれなくなって、すっくと立ち上った。
散歩を思い立った力山に、ある期待が生じた。裏木戸を踏み出した足は、ためらうことなくゴルフ練習場の方角へ。桜並木に花びらが散る。頭上へ拡がる雪洞のたわわな枝は、小松川の堤防まで続いている。
「押さば押せ」
呪文《じゆもん》のように唱える力山が、桜並木の下を歩いていく。もぐらのようにむくむくと短躯を運ぶ。
「酒止めた。押さば押せ。酒止めた」
酒止めた、と唱えながら……彼は飲酒への渇望《かつぼう》を絶ち切れないで歩く。酒の習慣を今日限りで止めたと決意するとかえって、ないものねだりで、喉《のど》がひりひりと痛む。
行く手にゴルフ練習場の金網が見えた。
「押さば押せ。酒止めた」
金網目指して、力山の短躯がわっさわっさと急いでいる。彼の所望は、数日前目にした土中の小動物の、土掘り起す突進である。それを見たときの、一種いわれぬ興奮が、力山の心に燃え残っていた。もくもくと土を起して直進するもぐらの、一心不乱が……押し相撲に生きようとする取的を魅了する。
力山はゴルフ練習場の金網へ寄っていった。金網のすぐ際《きわ》に、ボケが一株、ピシッとした感じの朱を咲かせている。別囲いされた芝生には誰もいない。一条の軌道を印したもぐらの行跡は、きれいに修復されて跡形もない。
力山の期待は、緑の絨毯《じゆうたん》を突然掘り起して現れる隆起の進行である。桜の花びらが緑の芝に点々と置かれている。時々よるべない感じで花びらが舞い降りた。無性に酒が欲しい。喉の奥に亀裂を覚える。生唾《なまつば》を飲むと、喉仏のあたりがひりっと痛む。
「押さば押せ」
餓《う》えをこらえるつもりの声が洩《も》れる。土中を起して押し進むもぐらの突進を見れば、酒への渇望が押えられる気がするのだ。むくむくと芝を盛り上げて行くもぐらの進行は、押し相撲の力山の、体の中にまで入り込む感じがするのだ。力山は目を凝《こ》らしてもぐらの出現を待っていた。ひらひらと舞い降《お》ちる桜の花びらは、力山の緊迫した期待感をはぐらかしているようだ。金網へ取り付いて相当の時間がたった。力山の気持が次第にゆるんでいく。
「きょうは駄目か」
しぼんでいった期待の残り滓《かす》を、金網へひっかけたなり歩き出す。部屋へ戻っていく力山の、蹲《つくばい》のような体に生気が失《う》せている。桜花がしきりに降った。部屋に向いていた力山の足が、くるりと方向転換した。ふと思い付いて、荒川土手で昼寝をしようという考えだ。川風に吹かれて寝転んで、酒を忘れようと歩いていって、
「お」
思わず足を停《と》めた。棒杭《ぼうぐい》と有刺鉄線が囲った二十坪程の空地へ、鮮かに掘られていった一条のもぐらの跡。
「うーん」
力山は、行跡の起点と思える位置へ、正面を向けて両足を踏ん張った。腰を落してもぐらが起していった掘り跡を凝視する。
「う」
一条の行跡を睨んでする|いき張り《ヽヽヽヽ》は、どこかで力が抜けていく。首を埋めた肩を、もくもくと盛り上げ動かしてみるが、肝心の腰に力がこもらない。
「う」
力んでみて、息苦しさが胸を押えつける。土中を掘っていったもぐらの行跡は、いくら凝視してみても、そこには活力を誘い出すものがない。突進の骸《むくろ》と化した一線の隆起を見つめる力山の目が曇る。一線が死んでいては、見る側がいくら力を入れてみても、のれんに腕押しである。踏ん張りをゆるめた力山は、くわい頭をこりこりと振って、荒川土手へ歩いた。
酒を断った力山の相撲が駄目になった。擦《す》り足で出る押しに、むくむくと押し立てるしつこさがなくなった。上っ調子になってしまった。相撲は、なかなかもとに戻らない。禁断症状の苛いらが、力山の押し相撲をおかしくしてしまったのだ。内尾親方も若い者頭も、それを承知だが、禁酒をすすめた手前、原因の指摘はできないでいる。
力山は悩みだした。力士生命を考えての禁酒なのに、止めた途端に相撲が崩れてしまった。左ハズの型が双《もろ》ハズになりかかったりして、取り口も中途半端になった。
「酒を止すか、相撲を廃めるか」
といわれたが、これではどっちも駄目だ。
行き先を案じた青い顔で、散歩に出た。稽古場での不調が重なれば重なる程、彼はもぐらの掘り起しが見たくなる。
黙々と一心不乱に押し進む一条の隆起が……押しの本意をいっているように思うのだ。
「押さば押せ」
力山はゴルフ練習場の金網に取り付いて、もぐらの隆起が現われるのを待った。白球を飛ばす音がしきりに聞える。芝生へしじみ蝶が戯《たわむ》れている。蝶は散り敷いた花弁の変化に見えた。力山は長いこと芝に目を凝《こら》していたが、期待の小動物は、いっこうに所在を示さなかった。
禁酒して半月がたった。
五月の東京場所が近づいている。若木の桜は新緑の枝を張った。ゴルフ練習場の芝生にもぐらの痕跡は現われなかった。そして……力山の押し相撲は、型が崩れたなりである。
五月場所は不調だった。
千秋楽後の一週間は稽古がない。負け越しも勝ち越しも、等しく骨休めだ。
酒を止めた力山は、部屋にごろごろしていたが、手持|無沙汰《ぶさた》で淋《さび》しくなった。同僚は皆羽根を伸ばしに出払って誰もいない。ふらっと外へ出てみたが……酒を止めた彼の行くあてはない。若者には珍しい映画嫌いだ。麻雀もやらない。彼の日常は、酒を飲んで寝て、起きれば例の「押さば押せ」の押し相撲のことだけだった。
「えーと、どうするかな」
掌《てのひら》を組んで項《うなじ》を押え……お手上げの状態で行き先に迷う。
力山は、ふと母親を思った。目下の尾羽打ち枯したあんばいの彼が、安気に憩える場は生れ育った母のもとしかない。久し振りに帰って驚かしてやろう、と決めた。部屋へ引き返して、二、三日の外泊を届け出ようと思ったら、若い者頭が不在だった。親方の部屋へ行き、おかみさんにその旨を伝えた。おかみさんは一瞬居ずまいを直して、静かな目で力山を見つめた。おかみさんの頭の中に、外泊……戻らず……廃業届というパターンが浮んだらしい。おかみさんは立っていって、茶箪笥の小引き出しから紙入れを出した。
「これ持っていきな」
一万円札を二枚、力山の右手に握らせ、その手を両手でくるんで、左の袂《たもと》へ突っ込んだ。裏木戸へ下りていこうとしたら、廊下を小走りにきたおかみさんが、紙袋を差し出した。
「お裾分けだけどね。カステラだよ。お土産に持ってきな」
「ごっつぁんです」
「早く帰ってくんだよ」
「はい」
力山は、おかみさんに肩の埃《ほこり》を軽くはたかれて、じーんとなった。甘酸っぱい気分が胸もとにつんときて、帰心が風車のように回り出した。
力山の生家は、狭間《はざま》にある。電車を三つ乗りついでいってバスに乗る。所要時間は約三時間。バス停から歩く道は夜空の明りが頼りの山間《やまあい》である。山ひだのところどころに人家の灯が見える。そのうちの一軒へ、力山のもこもこした体が急ぎ足で登っていった。小径《こみち》の向うから、トンカラリ、トン、トンと梭《ひ》の音が聞えてきた。
上り框《かまち》のすぐへ手機の織機が置かれている。
「あ、お前、急に帰ってきて……まさか相撲|廃《や》めてきたんじゃないだろうね」
ぬっと立ち臼《うす》の姿を踏み込んだ息子を見て……母親はあれもこれもの驚きと疑念と喜びでごちゃまぜの声を出した。梭を両手で押えたまま穴の開く程力山を見つめていた母親は、はっと気づいたように、機台から腰をはずした。土間へ膝《ひざ》を折り出し、前掛けの糸屑《いとくず》を払う。
「丈夫でやってるかい」
「うん」
土産と二万円を渡す。目を見張る母親へ、
「おかんは丈夫か」
「この頃は……根《こん》が続かなくなった」
母親の落ちくぼんだ目が、老いた羊のまばたきを見せる。
母親の仕事は、伝統保存の手機織りである。山間の養蚕地として拓《ひら》けたこの地方は、古くから絹織物の生産地として発展した。H銘仙、M大島、O絣《がすり》等の産出がそれである。機業資本は、近在の零細農家へ手機の下請けを出した。下請けの農婦の技術が、素絹の民芸品を生んだ。貧農の女衆《おんなし》がする手機の技術は細々と伝統をつないできたが、つむぎの機械織が主流を占めていく風潮のなかで、織り手がいなくなっていった。村役場が保存策を講じはじめたとき、その技倆《ぎりよう》をつげるのは力山の母親だけになっていた。
「役場じゃ、民芸の本格派だなんちゅって督励してくれるけんども」
いまどき流行《はや》らない代《しろ》ものだ、と母親はいう。
「野暮《やぼ》ったいもんだろ」
力山は機台に寄って、織りかけの布に手を触れてみた。ざらざらとふしくれた表面は、蓑虫《みのむし》の袋のようだ。
「そんな見栄《みば》えのしないつむぎでも、専門家に云わせると本格派だと」
母親の説明を、力山は首をかしげて聞いていた。本格派ということばから、自分の取り口の押し相撲を連想した。
押しは相撲の本格派、と内尾親方がいった。力山の押し相撲も、母親がする手仕事も、等しく本格派と呼ばれて、同様に見栄えがしない。
「本格派は野暮か」
と力山は思う。
「役場には世話掛けたでな」
低賃金でも断われないのだという。大酒飲みの素人相撲の大関だった父親の死後、生活の保護を受けたそのことを母親はいっているのだ。
「本格派は効率悪しか」
と力山は思った。
翌朝|小綬鶏《こじゆけい》の鳴き声で目を覚した。母親は台所にいるらしく、味噌汁の香りが匂う。戸を開けると、庭いっぱいの朝陽がまぶしい。二泊二日を力山は安気に過した。
母親の織る手織の、トンカラリ、トン、トンという梭の音が、快いリズムを与え、終日力山は眠気の中で過した。
帰る日……母親が酒をつけた。力山の気づかぬ間に、どこからか都合をつけてきたらしい酒である。
「止めてるんだけど……」
そう言いながらも、つ、と盃《さかずき》に手が出た。禁酒を決めてから、頑《かたくな》に拒み続けた右手が、すうっと出ていったのは、惜別の情が溢れていたためである。折角の酒も口にしないでは、別れがつらいという思いが、ごく自然に盃を取り上げていた。
久し振りに喉を落ちていく酒は、せつなくほろ苦い。くくっと喉もとにきたせつなさは……胸中へ不安を拡げる。
相撲へ戻っても……という不安は、酒の酔いより先に全身へ回る。崩れてしまった押しの型が直らなければ、ずるずると転落するのは目に見えている。若《も》しこのまま序二段あたりまで落ちて……。
「嫌だな」
不安を掻《か》き消すつもりで、ものも食わずに酒を流し込んだ。大酒飲みの素地が次第に顔を出す。
「死んだおとっつぁんに似てきたな」
母親は、老いたる羊のまたたきをする。一升を平げた力山は、むっくと立つと、母親が包んだ鶏卵の土産を指先でつまみ、宵闇《よいやみ》の中へ歩き出した。
力山が再び大酒をはじめた。帰郷で口にした酒が、結局尾を引いたのだ。押しの型を崩してしまい、負けがこんだ場所への鬱屈《うつくつ》した気分も、酒に戻る原因でもあった。
一度逆戻りすると、大酒の癖は激しさを加えた。わずかな小遣いは酒に化けて、財布はすぐ空になる。行きつけの飲み屋に借金が嵩《かさ》む。飲み屋「花江戸」は、彼の飲み代が二十万円とどこおって、限度を越えたと部屋へ駈け込み訴えをした。
内尾親方は、力山ヘゲンコツを食わせ、借金だけは部屋の体面上払った。内尾親方は珍らしく不機嫌な顔をした。やがては部屋ヘオコメ(金)を運び入れるだろう、という算段があるからする、力士の養成だ。それが……借金はする、相撲は崩れるでは身も蓋《ふた》もない。
「この穀潰《ごくつぶ》し。こんど負け越しやがったら叩き出すぞ」
内尾親方のゲンコツは、頭上へ真っ直に落ちた。力山は神妙に頭を下げていたが、夕方になると足は自然と「花江戸」へ向いた。
カウンターにへばり付くと、一升はあけないと腰を上げない力山だ。「花江戸」は借りをきれいにしてもらっているから、飲ませない訳にはいかなかった。毎晩五千円から飲むと、すぐ十万円のツケが溜った。
「力山さん……少し……」
と催促したら、酔いの目を睨み据えて五百円払った。財布を逆に振っての五百円。
「花江戸」が十万円のツケを若い者頭へいってきた。親方に取りつぐ前に力山を呼んだ。
「借金はともかく……」
借金のことが問題なのに、若い者頭は払う責任も能力もないから、肝心のことをまたいで話す。
「親方の心証が悪いぞ。ゲンコツ食わされても、相撲がよけりゃ問題はない。その相撲が駄目となりゃ、かばってやる方法がない」
酒の入っていない力山は、首を竦《すく》めて聞いていた。
「十万円はどうして払うんだ」
「それは出世払いの……」
つもりだと蚊《か》の鳴く声で答えた。
「お前、このまま大酒|食《くら》っていて、出世ができると思っているのか。あきれ返った野郎だ」
若い者頭に言われるまでもない。力山は思い悩んでいるのだ。不安が結局彼を酒へ誘うのだ。どういう方策があるというのだろう。もとはといえば、酒を止めて狂ってしまった相撲勘である。相撲より好きな酒を止めて、おかしくなってしまった押しの型だ。禁酒して出世を決意したのに、逆に出世がおぼつかなくなってしまったのは、これはどういう訳なのか。再び酒をはじめたら、大酒の癖はすぐ元に戻った。しかし相撲勘は元に戻らない。どういう訳なのか。力山の頭は混乱するばかりだ。
酒をまた止そうか、と何度も思った。そして、暇さえあれば酒を飲むことを考えた。
「花江戸」の借金が二十万円を越えた。前の十万円は、若い者頭が握り潰していたのだ。
「この前の分も頂いてませんし、合わせると二十一万ちょっとになります」
「花江戸」の亭主に返済を迫られて、若い者頭は渋い顔を俯《うつむ》けた。
「借金も困るが……力山の相撲はどうなんだ」
若い者頭から話を聞いて、内尾親方も渋い顔をする。
「駄目ですね」
「弱った野郎だな」
「立ち直りにかなりの年月がかかるでしょう。酒はきりなしに飲むし、申し合いを見ても、押しの型が崩れちゃって、どうしようもないです」
「しようがないな」
「腰へ落さなければならない力が、どこかへ抜けてしまうんですね。土俵際でもつれて同体の場合、必ずといっていいくらい力山の足が先に返ってしまいます」
「|死に体《ヽヽヽ》になっちまうのか」
「そうです。相撲もいけませんが、困るのは借金までして飲む大酒です。取的の分際であんなことをされたんじゃ困ります」
「いうてもきかんのか」
「駄目ですね」
「廃めさせるか」
「………」
内尾親方は、力山の破門を決めた。勘の狂った押し相撲は、よほどの転機がないと復調は希《のぞ》めない。大酒が力士の体を蝕《むしば》んで……早晩糖尿病の廃人になることを、内尾親方は見越したのだ。
若い者頭は、親方の意向を事務的に伝えた。処分が決った以上、同情を示したところでどうにもならぬ。夢破れて廃めていく若者は多い。宣告を伝える若い者頭も部屋住みの身だ。追われる者を指針する余裕はないのだ。
「今晩中に持ち物を整理してな」
明日は出ていけ……と若い者頭は言う。ぽかんと聞いている力山は、身辺整理を言われたことの重大さに気がつかない。若い者頭が伝えた破門宣告を、ちょっとしたことづけ程度に聞き流した。そして……夕方、外出の足はやはり「花江戸」に向く。
「花江戸」は愛想がいい。ツケは嵩《かさ》むが、一度にぽんと親方が払って呉れる。力山は上客だ。
「すぐに名古屋ですね。馬力つけて頑張って下さいよ」
力山が廃めさせられるのを知らない亭主は、一杯目の酌をしながら言う。名古屋……と聞いて力山は、ふわふわと遠い景色を見る思いがしていた。名古屋場所、といっても、俺は相撲を廃めさせられるのだ。力山の頭の中に不確かな翳《かげ》りが宿る。不確かなものは燃えさしの紙片が舞うように、酔いの意識の中でいつまでも、ふわふわと飛び回っていた。力山はヘベれけになって部屋に帰った。
若い者頭が待ち構えていた。
「おい」
封筒を持って取りすがろうとする若い者頭へ、力山の猪首短躯がよろけていった。
「おい、お、おい、この野郎、ふらつきやがって」
力山に押された若い者頭が、廊下をよろけていき、二人は互いにもつれ合った。
「寄っかかるな、この野郎。庭へ落ちるじゃねえか」
開け広げた廊下の際に傾いた二人は、そのまま中庭へどてーんと同体に落ちた。力山は落ち込むと同時に足裏を返した俯せで、そのまま大鼾《おおいびき》をかき出した。浴衣の裾を払って立った若い者頭は、力山の肩へ手を掛けたが、すぐ引っ込めた。
「この親不孝野郎」
尻を蹴とばしておいて、封筒を力山の背中に載せた。
力山は朝がた目を覚した。酔い潰れたことに気が付いて、あたりを訝《いぶか》りながら起き上った。幽かな朝明りに浮んで白いものが落ちている。
「何だ、これは」
拾い上げると、宛名が内尾部屋所属、力山殿とあり、朱線を引いた速達である。差出人が村役場の産業課とあり、その脇へ括弧《かつこ》して小さく、村山サヨと母親の名があった。
頭の芯《しん》がずきずきと痛む。封書を持ったなりの右手を上げ、掌の付け根でこしこしと額を揉む。塀の外を行く新聞配達の、ブレーキの音が耳に突き刺る。土が付いた足裏を浴衣の袂《たもと》で拭う。
「何の手紙だ」
部屋へ入って封を切った。
「前略、貴殿御母堂の健康に就いて、お知らせを致します。実は先般村民の定期診断を行いました結果」
母親が癌《がん》の診断を受けた、というのである。手紙の主は、彼の母親に民芸保存の仕事を出している、役場の職員である。
精密検査の結果、肉腫《にくしゆ》癌の宣告を受けたこと。病名に就いては、本人に絶対|漏《も》らさないで欲しいこと。医師の意見によって、嫡男の貴殿には内々で通知をするということ。投薬による自宅加療が可能であること。病状悪化の場合は、その処置は役場がとるので安心されたい……と読んできて、力山は絶句した。
「診断は、御母堂の存命期間を一年六カ月と告げております。その点をおふくみおかれますよう」
力山の顔から血の気が引いた。放心の眼を襖《ふすま》の引き手に向けていた力山は、ぴくっとそそのかされたように背中を動かすと、便箋《びんせん》をわし掴《づか》みにして立ち上った。唇を噛《か》んで若い者頭の部屋へ。
「親方が起きるまで待っていろ。どこへも行くな。兎《と》に角《かく》じっとしていろ」
手紙を読み終えた若い者頭は、顔を左右に動かして落ち着かなかった。
取的たちが起き出した。
稽古場へ……つと立ちかけて、力山が部屋の中に立ち往生した。破門を云われたことを思い出したのだ。突っ立ったまま、動きのとれなくなった力山は、当面する危機を感じはじめていた。
手紙を見た内尾親方が、渋面をあらわにした。
「どうしましょうか」
このまま破門にして、追い払っていいものかどうか、と若い者頭が聞く。
「弱ったものだな」
天井に向けた渋面を、いつまでも戻さない内尾親方は、二転、三転させた考えをようやくまとめ上げた。
「いますぐ放り出す訳にもいくまい」
「見舞いにはすぐやらせましょうか」
「そうさせろ。そうして、すぐ帰ってくるようにいえ」
親方は紙入れから一万円札を出して渡した。
「見舞袋へ入れて渡してやれ」
母親の見舞に行く力山の顔色が悪い。破門は一応取り消しになったが、もっと暗い事態が生じた。母親の命が一年半しかもたぬという。切羽詰った思いは、嵐が叩く雨戸のように、激しく揺れる。
速達できた封書を手に、力山は先ず役場を訪ねた。職員が一斉に顔を向けた。部屋の片隅から初老の男が席を立った。
「どうぞこちらへ」
応接室を衝立《ついたて》で区切った奥へ案内された。
「お母さんの病気については、お手紙で申し上げた通りです」
「助かる方法は」
「見込みはないということです」
力山の膝に置く手が震えている。
「役場としては、できる限りの面倒は見ます。本人には過労がもとの内臓疾患と教えてあります。君も相撲の修業があるでしょうから、お母さんの件は役場に委せておいて下さい」
職員の話を聞きながら、力山はそうしてもらうより詮方《せんかた》なし、と考えた。家に戻って土方仕事という方法もあるが、それでは相撲での出世を、唯一の頼りに一人暮してきた母親の意にそむく。
「よろしくお願いします」
力山は椅子を立って頭を下げた。
「本人には病気の本当のことは絶対いわないで下さい」
職員は念を押した。職員の押し殺した声は、力山の心に黒い不吉な影を落した。一年半と区切られた母親の命が、見る見る縮んでいく感じがした。
力山は役場に寄ったことを内緒にした。
「来はじめると、ときどき顔が見たくなって……」
と笑って見せたが、目の下の筋肉が引きつり、もとにもどらない変な笑い顔になった。母親が酒をといったが、かぶりを振って断わった。若い者頭から渡された、見舞袋を出しかけて、はっとした。不用意に袂から出しかけて、どきっとした。便所に立っていって、御見舞、内尾部屋、と記した袋から一万円を抜き出して財布にしまった。
母親の不治の病を知らぬ振りだけが、非力の力山にできる唯一の気休めだった。一万円は翌日の日暮れがた、帰りしなに手渡した。
そう思って見るせいか、母親の顔には生気がない。絶えず息をついて大儀そうだった。力山はふと、母親は周囲の配慮を知っているのでは、と思った。
「ところで」
帰りぎわに母親が言った。力山はどきっとして、思わず短躯肥満の体を固くした。くっと息が詰って、動悸が胸を叩く。
「なんのことかな」
「ちょっと聞きたいと思ってね。聞かないほうがいいかな」
いいよどむ母親の、次のことばが不安である。
「親子の間柄だから、思い切って聞くけんど……」
「な、なんのことだい」
「お前の出世のことだけんど」
「………」
息をついた力山の体から、いっさんに力が抜けた。
「あとどれくらいで十両に出世できるのかね」
「あと一年くらいかな」
「そんなに早く」
「いや、確実には一年半だ」
送り出す母親の顔をまともに見て、力山は薄暮の中で二度、三度……大きく頷いた。
力山が懸命に四股を踏む。
「エッシ、エッシ」
どしん、と踏み下《おろ》すたび、稽古場の土に汗の雫《しずく》が飛び散った。皆が引き揚げてから三十分、力山の居残り稽古が毎日続く。
「稽古に身を入れるのはいいが、共同生活だからな。一応皆と歩調を合せなきゃ駄目だ」
若い者頭が注意したが、力山は聞えない振りだ。彼の頭の中は、皆と協調どころの騒ぎではないのだ。一年半が総《すべ》てだ。母親の命が一年半。それまでに十両へ。他のことは何一つ念頭になし。
力山はぴたりと酒を止めた。名古屋場所前の稽古に、死ぬ気の努力を続けたが、押しの勘はもどらない。一年半のうちになんとか十両へ、という焦慮が、力山の押しをせっかちな上滑りにしてしまうのだ。
「畜生」
思い通りにいかない申し合いに、力山は無念の唇を噛んだ。
死ぬ気の稽古を積んで臨んだ名古屋場所は、三勝に終った。兄《あん》弟子の十里木は十勝五敗。十両へ上った幸神は八勝を上げた。兄弟子の好調を上目使いに眺めて、負け越しの力山は、地底に落下する気分だったが……彼は酒に見向きもしなかった。
場所後、北陸を振り出しに、裏日本を行く巡業の旅に出た。力山のものにつかれたような猛稽古は、長い巡業の旅の、どこへ行っても続けられた。しかし懸命の努力も、辛うじて幕下中ほどの地位を持ちこたえるに過ぎなかった。東京に帰っての九月場所でも、三勝を上げただけである。
「エッシ、エッシ」
力山は馬鹿になったように、ひたすら稽古に熱中した。母親の寿命と歩調を合せた力山の焦燥は、稽古に狂い立てば立つ程、突進の構えは上ずる。申し合いの土俵で、もつれ込んで倒れる力山の足は、いつも相手より先に浮き上る。押し込んでいって、どうと同体に落ちながら、足の裏が先に返るのは力山だ。本場所の土俵で、この|死に体《ヽヽヽ》をとられて負けた相撲が、都合六番もある。
「うまくいかないな」
夜半、母親の危急を夢見て目を覚し、寝つかれずに思うことは、相撲の崩れだ。いっこうに戻らない押しの型だ。
「弱った」
冴《さ》えてしまった目を天井へ、力山は|死に体《ヽヽヽ》に終る、土俵際の詰めの悪さを思い悩んだ。理由は解っている。浮き腰のまま押していくからだ。肝心のところで足がついていかないのだ。むくむくと地を分けていく感じの押しが、どうしても戻ってこない。足の裏が地面の上を滑るだけの押しは、相手に変わられれば、たわいなく宙に浮いてしまうのだ。力山は己の足が土中にはまり込んでしまえばいいと思った。
十一月の九州場所こそ、と意気込んだが、終ってみると二勝五敗と不調だった。
番付がまた下る。力山は母親の限られた命に追いつかない出世に、心を掻きむしって無念がった。
日南海岸から鹿児島へ、巡業を続けながら、力山はしばしば虚脱状態に陥った。いくら頑張っても、上っ調子の相撲が直らないのだ。
「えい、糞《くそ》」
と思うあとに、鼻毛を震わせて気落ちの溜息《ためいき》が出た。ふっと力なく吐き出す息のあとには、酒癖へ戻っていきそうな口が、無気力に開く。巡業中、何度盃に手を出しかけたか解らない。すぐそこに、自棄へ引きずり込む黒い手が忍び寄っていた。
「えい、糞」
と言いかけて、力山は思い止った。
「待て」
と母親のことを思った。命を縮めている母親の、衰えしぼんだ薄い胸を踏んづけるような気がして、盃に出かかる手を、きっと押えた。
十二月の末、巡業の大相撲は東京へ戻ってきた。母親の死期をいわれて、半歳が立つ。残り一年。
一月、三月、五月、七月、九月、十一月、……六場所のうちに十両へいけるかどうか。
「駄目かな」
力山の見通しは暗い。不安と焦燥で正月を迎えた。母親を見舞いに……と立ちかける腰がヘなへなと崩れる。名古屋、東京、九州と三場所の不出来な星を提げて、とても帰れる故郷ではない。二日から始まる稽古を、力山は怠けた。頭痛がすると申し出た。事実風邪でもないのに、ずきずきと眉間《みけん》のあたりが痛んだ。一日休むと怠け癖がつく。三日の稽古に嫌々ながら出た。四股を踏んでも、上体がだらけ落ちる感じで、嫌気が体じゅうにまとわり付いた。ちゃんこに食欲が出なかった。気が塞《ふさ》いでしまって、鍋《なべ》へ箸《はし》が出ない。力山はふと酒を思った。喉がごくりと鳴った。半年止めていた酒の匂いが、鼻の先へ漂ってきた。箸を置いて目をつむると……もう我慢ができなかった。あたりを取り巻く空気が、極限に膨張し、びりびり引き裂かれそうな気分になった。力山は部屋で苛いらしていたが、こらえきれなくなった。持ち物の底にしまっておいた金を、震えながら懐へ突っ込んだ。
「なるようになれだ」
最早とうてい叶《かな》わぬ十両昇進である。どうみても、崩れてしまった押し相撲では勝ち越しを続けるのは無理だ。母親の命があと一年。一年の猶予は……大勝ちに勝ち進んでこそ、十両昇進が可能になる。
「駄目なものは駄目」
力山がふて腐れて裏木戸を出る。
「駄目だ、駄目だ」
呪文《じゆもん》のように言いながら、力山が歩いていく。着物の裾をあおって、ひたひたと肥満短躯を運んでいく。いつか、
「押さば押せ」
と口ごもりながら行った散歩道だ。並木の枝が冬陽に光る。脇道に車体をかしげたセドリックが停っている。兄《あん》弟子の十里木と幸神が、停っている車の後部へかがみ込んでいた。後部の車輪が溝へ落ち込んでいるらしい。
「おう、ちょうどいいや」
力山を認めた十里木が手招く。
「どうしたんですか」
「バックしそこなってな。押し上げてくれ」
「は」
「押しの力山だろ。いい稽古になるぞ。腰を据えてしっかり押し上げろ」
十里木が運転席へ体をはすかいに入れ込む。ご丁寧に――幸神も乗り込んだ。
「あ、あ……兄弟子、それじゃ重たくて」
「何をいっとるかい。稽古のつもりでしっかりやれ」
「は」
返事をしたが、名状し難い憤怒《ふんぬ》がこもる。
車体の下端に右手を差し入れ、左手をハズに構える。十里木がエンジンをかけた。ぐっと力をこめた力山の腰が据わる。
「うっ」
と力をいれた両手が、車体をぐぐっと持ち上げて押し出す。車は大きく揺いだ。力余って傾いた車中で、兄弟子二人の体が横転しかかっている。泡を食って振り向く出世力士の二つの顔は間抜け面《づら》だ。車が正常に戻ると、ブレーキをかけた十里木が降りてきた。驚きのあとの不快感が、青白い面長の顔にあらわである。つかつかと寄ってきた兄弟子は、力山の顔へ平手打ちを食わした。
「この野郎、乱暴に扱いやがって」
もうひと張りきたが、力山はびくともしなかった。両足踏ん張った腰に鎹《かすがい》が打ち込まれたようだ。もうひと張り願いたいくらいだ。
「嚇《おど》かしやがって」
舌打ちをして十里木は車に乗り込んだ。走り去る兄弟子の車を、足踏ん張って見送った力山が、思案顔で腰をさすっていた。
飲もうか、飲むまいか。思案しながら力山は、ゴルフ練習場の脇を歩いていった。
枯芝の上に、灰色に汚れたボールが一個、拾い忘れて転っていた。その近くにこでまりの枯れ株がある。
「お」
力山の足が急に停った。急いで金網へ取り付く目の中に、いま土を掘り上げたばかりの、もぐらの進行が入った。
「む」
土むくれの進行を凝視したまま、力山の腰が割れた。
「よし」
金網へ取り付いた手が、矢ハズ型になる。季節をはぐれたもぐらの活動は、枯芝を起しながら、一心不乱にむくむくと進んでいく。
「む」
力山の取りすがった金網が、引き裂けんばかりに凹《へこ》んでいった。
もぐらは、一直線に進んでいき、つ、と停止して土埃《つちぼこり》を蹴上げると行跡をくらました。行跡の終点を凝視したまま、力山は荒い息を繰り返していた。仔犬を引いた老婦人が怪訝《けげん》な顔で、力山の脇を迂回する形に避けていった。酒のことは、すっかり頭から消えていた。
翌朝、一番に稽古場へ下りた。わさわさと体中に力が湧いていた。四股を踏む足裏へ、ひたっと地面が貼《は》り付く感じだ。腰椎《ようつい》がどっしりと食い込む感じだ。
「勘が戻った」
と力山は思った。連日の申し合いに、彼の腰は盤石《ばんじやく》の重みを加えていった。
「復調したな」
若い者頭に、ぴたっと背中を叩かれて、気分爽快。
「初場所六番は勝つぞ」
と意気込んだ本土俵は、惜しいところで星を落した。土俵際のもつれ合いで、両足が飛んでしまうのだ。足の運びに不用意な焦りがあるから、死に体になって落ちるのだ。
初場所三勝四敗。腰の備えが完全に復調していて負け越した。
「もぐらだな」
いつとはなしに力山はそう思うようになっていた。もぐらの地を起して進む着実さ、一心不乱の前進こそ、擦《す》り足の極意。
「押さば押せ」
以前の口ぐせが戻っていた。力山は空地や庭先を、暇さえあれば覗《のぞ》いて歩いた。しかし冬陽のもぐらは土中に潜んで、なかなか土起しの突進を見せてくれなかった。
「もぐらは出ないか」
ときどき寝呆《ねぼ》けてうわごとを言った。
二月のはじめに郷里の役場から、産業課の職員が訪ねてきた。母親からことづかったと、縞《しま》の風呂敷包を渡された。黒色がすすけて古びた廻しと、筵《むしろ》のようにざさっと毛羽立つ布が入っていた。廻しは素人相撲の大関だった亡父の遺品だ。
「この反物は」
着物に仕立てるには、花柄の朱は合点《がてん》できない。
「これはです」
吸いさしを灰皿にこじ入れた職員は、ぴしゃっと舌の根もとを音させて、
「なんといいましたかな、お相撲さんが腰に垂らして土俵入りをする……」
「化粧廻しのことかな」
「そういいますか。あ、そう、そう。お母さんは緞子《どんす》とかいってました」
「同じものです」
「そうですか。それをですね。この反物でこしらえて、君が十両に出世したとき、使って欲しいということです。つまりお母さんが君に残す出世の引き出もの……」
力山はきゅっと胸を締め付けられていた。
「それで、病気のその後は」
病状が気になる。
「急変するような様子はありません。ことしいっぱいは大丈夫と医者はいってます。それよりもなんです。この反物です。物産展に出せば優勝確実なものです」
産業課の職員は、母親の手織ったつむぎに、余程の執着があるらしい。
「実に出来栄えのいい品です。民芸としては一級品ですな。暇を見てこつこつと織ったものなんでしょうが……実に惜しいな。こんな逸品を君、相撲取の腰に下げるなんて」
「なに」
「あ、いや、勿体《もつたい》ないというか、その、いずれにしてもたいへんなもんですよ」
父親の使い古した廻しと、母親が手仕事で織った布は、力山の貴重な財産になった。
稽古場の力山は強かった。幕下の大頭《おおがしら》(筆頭)と申し合いをしても、十番に九番は押し込んだ。型の上では完璧《かんぺき》に見える押し相撲だが、大阪の三月場所で、やはり三勝しか上げられなかった。
「もぐらだ。押さば押せのもぐらだ」
もぐらのもくもくと土を起して行く、隆起の進行を見れば、擦り足の運びが会得できると考えた。
五月場所、初日晴天。相撲場正面に立てた櫓《やぐら》の幔幕《まんまく》へ、ひたひたと風が当る。場所入りした力山は、密かに祈る気分だった。この場所が不調だったら……絶望的である。
母親存命中と思った十両昇進は、根底から覆《くつがえ》る。去年六月後半、一年半と宣告された母親の命は、十二月で終る。幕下の下位に低迷する力山が、残る四場所で十両に上るためには、一場所で十枚以上跳び上る星を残さなくてはならない。五月のこの場所で、六勝は必要だ。六勝、六勝、七勝、六勝といけば、辛うじて十両へ這《は》い上がれる星勘定。
「何とか」
そう思って土俵へ上る。蹲踞《そんきよ》から仕切りへいって、ぐっと睨んだ土俵の砂へ……力山はふと妙なことを考えつく。目を落す一点へ、何かの現象が現われる気がするのだ。
「待ったなし」
行司の声にぶるっと胴震いがきた。立ち合いぴたっと相手の右脇へ、矢ハズ型の掌がはまる。ぐぐっと押し込んでいった力山と、剣ケ峰にこらえて回り込む相手が同体に落ちた。上体を這うようにして足の動きを追った行司が、思い切りよく軍配を西方へ上げた。力山の死に足(死に体)を認めての判定である。物言いはつかなかった。三日目、四日目と取って勝ち星ゼロ。五日日、六日目は取り組みなし。幕下は一場所七番取ればいい。七日目にようやく一勝した。これで一勝三敗。あと一つ負けたら、五月場所も負け越しとなる。
土俵に上る度、仕切りに入って落す土俵の砂へ、力山は或る期待を抱く。凝視する一点に、突然異変が出現するように思う。そう思って繰り返す仕切りだが、彼が期待する幻想のかけらも現れない。
十二日目がきて、二勝四敗。力山は五月場所を負け越した。
十三日目……最後の取り組へ、力山の足は重たい。五月場所の負け越しは、取り返しのつかない事態を招いた。十一月場所後の十両昇進は、夢の夢になってしまった。医師に宣告された母親の死期は十二月だ。十二月までに十両へ上って……という目算は狂った。母親の生前に、十両出世を……と願った力山の目標は崩れてしまった。
五月場所最後の土俵へ、力なく俯いた力山が行く。眼窩《がんか》にくぼんだ目だけは、狂気のように光っていた。彼は一つのことに凝り固っていた。それは、土俵に上って仕切りに入る一瞬の、砂へ落す目の先へ、何かが出現するように思えてならない、ということだ。その出現が、もぐらの掘り起しであることを、力山は信じはじめていた。
妄念《もうねん》である。
両足を左、右と開いてかがみ込む仕切りで、ひたっと据える目が、仕切り線手前の一点に落ちる。
力山は、仕切りを繰り返す度に、土俵の一点へ妄想を念じ込んだ。そこへむっくりと、もぐらの隆起が出現する、という妄念。
五月場所最後の土俵へ、力山の妄念をこめていく異様な眼光が落ちる。仕切り三回、制限時間だ。左膝へ置く腕をはずしながら、じっと土俵の一点を睨む。
……突然、力山の目にもぐらの起す隆起が現れた。
「む」
と思った瞬間、凝視した一点の土むくれは、もくもくと直進した。ぴたっと力山の左ハズが相手の右脇へ食い込む。右手を胸に貼り付けた力山の、石臼のような短躯は、もくもくと直進した。むくむくと押し立てながら、力山の体は地へ潜るかの如く、低く低く下っていった。完全なハズ押しの体勢。右脇から起されて腰を浮した相手は、こらえるすべがない。ひたっと押し付いた力山の体勢は、土俵へ埋もれるかのように万全だ。
ぐっと一押し、相手は腰砕けのまま、東だまりの赤房下に転げ落ちた。
力山の立ち臼のような体は、土俵際に踏み止って、根が生えたようにずっしりと動かなかった。
五月場所を三勝四敗と負け越した力山は、また番付が下る。しかし彼は、過去の星を気にしなかった。
最後の一番のみが脳裡にある。妄念によって土俵上に生じた、土むくれの幻影が、頭にこびり付いて離れないのだ。もぐらが起す土むくれの幻影につられて、むくむくと押していった擦り足。もぐらの起す隆起のように、一心不乱……もくもくと地に潜るように押し込んで勝った最後の一番。
「あれだ」
力山は稽古場の土俵を見据えて、仕切りの練習を繰り返した。
ねめつける稽古土俵に、むっくと土むくれする幻影が、出かかっては消えてしまう。つ、と立っていこうとする刹那《せつな》に消えてしまう。
立つ気と土むくれの進行が、ぴたっと合わないのだ。
「ちゃんこが終ってからも稽古か。消化に悪いぞ」
ステテコにダボシャツの若い者頭が、稽古場を覗いていう。
「なんでそんなに土俵を睨み付けてるんだ」
「は」
「一万円札でも落ちてるのか」
「は」
何を言われても、力山は簡単な返事をする。一万円どころか……睨み据える一点には、百万円にも相当する幻影が出てくるのだ。
「跡をちゃんと掃いておけ」
「は」
力山は飽くことなく仕切りを繰り返した。十回に三回、妄念が捉える現象が姿を現わしては、ぱっと消える。つ、と腰を上げかけると、掻き消えてしまう。
土俵上に起るもぐらの行跡を求めて、力山の仕切り練習は連日続いた。
六月の末だった。名古屋入りした場所前の稽古で、力山はもぐらの進行を捉《とら》えた。
申し合いで、ぐっと上体をかがめた仕切りで、目を据えた一点へ、むっくと土の盛り上りを見た。土むくれの幻影は、もくもくと走り出した。と同時に……力山の腰はぐっと下り、足裏が土中に潜る感触があった。
「む」
力山の左ハズが、相手の右脇を挟みつけていた。むくむくと体中に力が漲《みなぎ》る。足腰に地を掘り分けて行く感触があった。
一度確めた妄念の幻影は、ここぞと思う所に発見することができた。
「しめた」
力山は心中手を合せて喜んだ。土俵の一点を見据える眼光は、狂人のそれに似ていた。
力山は名古屋場所で、五勝を上げた。勝った相撲は総て、もぐらの幻影に誘われて、もくもくと押していったものである。
東京へ帰っての九月場所、六勝を上げた。二場所連続勝ち越しだ。場所後の計算で、新番付は東幕下二十二、三枚目と出た。
あと二、三場所で十両、と計算して、
「うっ」
と胸が詰る。診断された母親の命は――あと三カ月しかない。三カ月の間に場所は一回だ。一場所では全勝しても十両は無理である。もぐらの幻影を見るのが、も少し早かったらと、力山は無念でならなかった。
立ち合い一瞬の妄念に明け暮れて、つい疎遠にした母親の安否が気になった。結局十両昇進をいえずに終る。そう思うといかつい体からどっと力が抜けていった。
役場の産業課に、問い合せの手紙を出した。折り返しにきた返信に、母親の病状は一進一退で、この様子だと年内を持ち越すだろう、とあった。力山は胸を撫《な》でた。
まだ手機へ取り付いて仕事をしている、とも書いてあった。
「来年まで大丈夫か」
力山の目が異様に光る。
九州場所は六勝した。むくむくと土俵に出現する、もぐらの隆起進行に立つ気を誘われての六勝だ。同体に落ちた相撲が二番あったが、軍配は力山へ上った。同時に倒れ込みながら、力山の足は不思議と|死に足《ヽヽヽ》にならなかった。最後の最後まで、足裏は土俵に吸い付いていた。
場所後の巡業を終えて、東京へ帰ると、郷里の役場から手紙がきていた。
母親の病気は進行が止ったらしく、医師の話だと、四月の桜頃まで大丈夫、と手紙は伝えていた。力山は役場からきたその手紙を、毎日読み返した。
「死なんで待っとれ」
そう思って、手紙を懐ろに入れたり出したりした。正月場所こそチャンスだ、と思った。一月場所の番付は、幕下五枚目以下ということはあり得ない。
「よし、やるぞ」
二日の稽古はじめから気負い立つ。
「全勝優勝で一気に十両だ」
ぐっと睨んだ稽古土俵に、むくっともぐらの隆起が出る。土むくれはむくむくと前進する。それにつれて、力山の体がもくもくと土俵へめり込みながら押し立てていく。妄念をこめた瞳は、練達の域に入ったかのようだ。一心不乱に押し進むもぐら押しだ。
力山はもぐらになった。
正月場所。力山の押しは、もくもくと相手を押し詰めて、六連勝を飾った。
六戦全勝がもう一人いた。肥州部屋の土田である。長身|白皙《はくせき》、折り紙付きの金の卵だ。肥州親方が、大部屋の強大な後援会を後楯に、掘り出してきた逸材である。両者は当然顔が合う。
力山、幕下四枚目。土田幕下五枚目。両人にとって、この一番は十両昇進への剣ケ峰といえる。力山が勝てば、番付は一枚上だから文句なしに十両へ上る。土田が勝つと、番付編成は微妙になってくる。同時昇進か、両者見送りか。或いは優勝の成績を勘案しての――土田新十両か。
「勝てば、文句なし」
その通りで、力山が勝てば幕下全勝優勝。文句なしに十両昇進は決る。
「勝つぞ」
むっくりと、もぐらの力山が土俵へ上る。長身白皙、外人のような土田が西の二字口でチリを切る。仕切りにいく力山の目に、もぐらの掘り起しが現れる。むくむく、もくもく。
「絶対勝てる」
力山ははっきりそう思った。
「どうです。この両者」
「アンコの力山ね。何かむさくるしい感じだが」
「押しの型がしっかりしてますよ」
「そうだね。取的であれだけのハズ押しをマスターしているのも珍らしいね」
取材を兼ねて早目に場所入りした、放送記者と解説者が話し合う途中で、両者が立った。
力山の左ハズが、むくむくと押していく。長身土田の腰が浮き上って後退する。退《さが》りながら、土田の左が力山の上手廻しを一枚|掴《つか》まえた。左上手一枚を死にもの狂いに引きながら、反り身になった土田が懸命にこらえる。ぐっと押し付けた力山が、いかつい体をあずけての寄り倒し、二人の体は横転しながら、ほとんど同時に土俵下へ落ちた。
土俵際へかがみ込んだ行司は、ためらうことなく力山へ軍配を上げた。行司は、土田を死に体と見、力山の足を生き足と認めたのだ。この一瞬、力山の十両昇進は確定的になった。
上俵下にこけ落ちた体をそのまま、軍配の行方を見上げた力山の耳へ、勝負審判のいう物言いが聞えた。
「何で」
不安が――力山の荒い呼吸を止めにかかる。物言い協議は三十秒もかからなかった。行司の差し違い。
「何でだ」
いいたい文句は、喉もとに押えなければならない。勝負審判の合議は絶対である。審判全員が、主流の肥州部屋一統だったことが、行司の判定を覆してしまったのだ。肥州部屋のホープ土田に優勝を、と狙った一門のエゴ判定に力山は敗れた。
しかし力山の十両昇進が断たれた訳ではない。力山は四枚目で、番付は土田より一枚上だ。同時昇進の希みは充分ある。十両の星を見ると、下位で大きい負け越しが三人いた。準優勝の力山が入り込む余地はある。
場所終了後三日目。力山の心は朝から落ち着かなかった。胸騒ぎがしていた。母親が届けた亡父の廻しと、花柄の絹布を出して広げた。十両にいけたら、真っ先に知らせなければならない、母親の心尽しの品だ。十両昇進が決ったら……この締め込みで相撲を取ろう、と力山は思った。母親手織のこの布も、なんとか化粧廻しに仕立てたいもの、と思う。ざさっと筵《むしろ》の面を撫でるような、つむぎの感触が、命を縮めている母親の俤《おもかげ》を誘う。
「上りたいな」
祈る気持で十両昇進を思った。
番付編成会議は、相撲場で始められていた。一日がかりで決定した新番付は、協会の金庫に収められて、場所前の発表までは極秘である。ただし新十両は別だ。即日知らせがある。化粧廻しの作製、お祝いの準備等を考えてのことだ。
力山が十両に推薦されれば、即刻電話で知らせがある。
「どうなるか」
力山は落ち着かない。胸騒ぎはいっこうに静まらない。
午後一時を過ぎた。電話を受けた若い者頭が、廊下を踏みならして、力山を呼びにきた。
「おう、力山」
「はい」
力山が亡父の廻しと、母親手仕事の布の包を持ってすっくと立ち上った。
「お母さんが危篤《きとく》だ。すぐ行け」
内尾親方のくわえ煙草の先へ、いまにも落ちそうに灰がたまっている。
灰の付け根から、幽《かす》かに糸のような煙が上る。若い者頭は、膝の上に乗せた握り拳《こぶし》を震わせて、親方の返事を待った。
「コッホ」
軽いしわぶきが、くわえ煙草の灰を落した。若い者頭が、はすに立てた掌を箒《ほうき》に、畳にこぼれた灰を掬《すく》い上げる。
「力山には何といってあるんだい」
親方の口調は重たい。
「新十両の知らせがあったら白。見送られた場合は黒……と電報を打つといってあります」
「そうか」
またむずかしい顔の沈黙が続く。
番付編成会議からの内々の沙汰で、力山の十両昇進は見送られた、といってきた。
肥州部屋の土田が十両へ上った、と知らせる者があった。
「母親の病気は癌といったな」
「そうです」
「癌で危篤か」
「………」
「あいつも可哀相な奴だな」
「は」
「力山はもう向うへ着く頃か」
「まだ途中だと思います」
「電報は白≠ニ打っとけ」
「は……しかし白は」
白では嘘《うそ》の報告になる。
「あいつの星なら白だ」
「しかし決定は」
「いいから白≠ニ打て」
立ちかける若い者頭へ、待て、という内尾親方の手が動く。そしてすぐまた……行けと掌をしゃくり上げた。
廊下へ走り出す若い者頭へ、また親方の声が追いかけてきた。
「ちょっと待て。やっぱり黒≠ニ打て」
若い者頭が頷く。
「本当を知らされて、いまさらがっかりする男でもあるまい」
内尾親方はそう言って、くっと唇を噛み、座へ戻ると目を閉じた。
力山の母親は、病院に運ぶ余裕もなく、自宅に寝かされていた。
裸電球の下に数人の黒い影が見える。虚《うつ》ろに目を開いた母親の、激しく喘《あえ》ぐ苦痛の顔がある。
上り框《かまち》のすぐにある機場《はたば》には、昏倒《こんとう》するまで織り続けていたらしい梭《ひ》が、糸を垂して床上に落ちこぼれたなりだ。
暮色に染まる狭間を、吹きさらす風音が走る。わっさわっさと着物の裾をあおった取的は、心|急《せ》く短躯を運んで、山狭の小径を急いだ。力山は無心であった。一切は彼の脳裡から消えていた。ただひたすら、母親が幽明の境に臥《ふ》す狭間の、幽かに漏れこぼれた灯に向って歩く。一心不乱、むくむくともぐらの進行のように、ひたすら急ぐ。
力山の短躯は、わずかな星空の明りを頼りに、一心不乱、山峡の暗闇を掘り分けるようにして進んだ。
「まだ多少意識が残っているようです」
産業課の人が、力山に耳打ちをした。
「電報がきています」
力山が素早く電文を読む。
「うん」
大きく頷くと、電報を掌へまるめ込み、母親の枕辺《まくらべ》へ。
「お母さん。俺だ」
耳もとで呼ぶ声へ、虚空に視線を漂わせた母親が、口もとを痙攣《けいれん》させて何かを言おうとしていた。息子の到着を認めているのだ。
力山の左の掌へ黒≠ニきた電報が握り潰《つぶ》されている。
「十両へ上ったぞ。聞えるか。関取になれたぞ」
苦痛に喘ぎながら、母親の半開きした唇が、何かを伝えたそうにぴりぴりと痙攣する。力山の目いっぱいに涙が滲《にじ》み、ぼやっと霞んだ視野の中へ、柔和にほぐれる母親の顔が浮かび上った。
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擦《す》 り 足《あし》
運動部に相撲協会の平沼理事から電話があった。
「実は村善《むらぜん》さんのことで……」
村善は三カ月前にR新聞を定年退職した相撲記者木村善太郎のことである。その村善が部屋に入りびたって迷惑だという。
「折りを見て村善さんにそれとなく伝えてみましょう」
と言って高木部長は電話を切った。
「北山君」
部長に呼ばれた相撲担当の北山記者が席を立つ。
「村善さんに最近会うかい」
「ちょいちょい会いますよ。あのおっさん元気ですね。相変らず相撲記者気取りです。愉快だなあ」
「………」
「相撲部屋に現れて親方衆にハッパかけたりしてね。あの元気は見習うべきだ。新聞記者や雑誌記者は定年になるとふけ込むのが早い、なんていうでしょう。早死するなんて聞くと気分が悪いやね。そこへいくと村善先輩の元気は嬉しいニュースです」
「しかし村善先輩は相撲協会から嫌がられてるんだ。迷惑しているとたったいま電話があった。もし現役記者同様に振舞っているとしたら、注意してもらわんと困るな」
「………」
「平沼親方に会って、詳しい事情を聞いてきてもらいたいんだ」
北山記者は翌日はなしを聞いてきた。
「村善さんが部屋に出入りしないように、取り計って呉《く》れということです。これは協会の意向だそうです」
「村善さんはあちこちの部屋に顔を出しているのか」
「部屋だけじゃないらしいです。教習所にも足を運んでるそうです」
「相撲教習所へか。現役の記者もあまり行かんところじゃないか。何しに行くのかな」
「講師気取りらしいです。授業内容なんかにも口出しするそうです」
「行き過ぎだな」
「わが社が村善さんに注意しないんなら、記者クラブにいって処置してもらうそうです」
「厄介なことになったな」
高木部長は早晩村善と接触しなければならないと思う。
「いささか身につまされる問題だな」
運動部長が感懐をもらす。触れたくないものを遠のける感じで、たばこの煙をゆっくりと吹き上げた。村善こと木村善太郎が記者として大先輩であるだけに、できればこの問題にタッチしたくないのだ。
高木部長は二、三日気が重かった。村善に会わねばならないと思いながら億劫《おつくう》だった。
木村善太郎はきょうも早朝の電車に乗っていた。大学ノートを膝《ひざ》の上に開いて、本日のスケジュールを練っている。先ず取的の稽古を見ること。取的の部屋で雑談すること。そのとき擦《す》り足について説明をする……。
こうしているとき、村善は定年退職したことをすっかり忘れていた。彼の日常は退職後も現役時代同様、朝から晩まで相撲のことだけを追いかけていた。相撲がしみ付いてしまっているのだ。面白くてしようがない。村善は相撲界という樽《たる》につかった古漬だ。
両国駅から歩いて十数分。平沼部屋で若い者が四股《しこ》を踏む掛け声が聞える。老骨村善が少年のように心をときめかす。心の中に沸《わ》き立つ思いは、汗みどろの力士が発散させる、肌の匂《にお》いの懐かしさだ。
「やっとるな」
村善は親方気取りでもある。
「稽古の声を聞かんことには」
村善の朝はこない。玄関を通り過ぎて裏木戸に回るのは、取材記者の習慣だ。取的の部屋に入って鞄《かばん》を置き、上衣を脱ぎ、藁草履《わらぞうり》を勝手に突っかけて稽古場へ。現役時代からずっと続けた習慣を、村善は退職後の現在も踏襲している。
「さて、気合いを入れてやるか」
きょうの一日を村善は平沼部屋で過すつもりだ。稽古場に熱気がこもる。樺色《かばいろ》に焼けた人肌の群像が、四股を踏んで一斉に揺れている。
「オッシ、ご苦労さん」
四股の号令を掛ける若い者|頭《がしら》へ軽く会釈をした村善は、上り座敷の近くに歩いて、親方連に右手を上げて挨拶《あいさつ》をした。
「百一、百二」
村善は若い者頭の号令に合わせて数えながら、ぐるりと若い力士のまわりを歩く。及び腰の力士がいれば尻《しり》を蹴《け》とばす。現役記者だった三カ月前までは、村善が取材の範囲を越えて実技に口を出すのを、部屋の幹部は歓迎する様子さえ見せた。彼の指摘で開眼した力士もいる。ところがR新聞を退社したことが知れると、親方たちは態度を変えてきた。
報道に何の権限も持たない元記者では、付き合っていてもたいした得はない。若い者頭も親方も、腹の中で村善を敬遠しはじめていた。
「新聞記者だと思うからあがめ奉っていたんだ。それが何を勘違いしたか知れないが、新聞社やめてものさばってやがる」
というのが親方の腹の中だ。
幕下クラスが稽古場に下りてきた。初秋の午前六時半。
「オッシ!」
幕下たちは村善に挨拶をする。彼等は村善が稽古場にいるのを当然のことと思っている。彼等は村善を好いているのだ。ちゃんこをつつきながらする村善の昔語りは面白い。神格化された大横綱の飄逸《ひよういつ》な側面を、多少の尾鰭《おひれ》をつけて喋《しやべ》るから取的たちは面白がる。相撲技の要諦《ようてい》を心得ていることも、村善の人気の一つだ。兄《あん》弟子や親方は論理に弱い。相撲技を口で解り易く説明できない。
「顎《あご》を引け」
と親方は言うが、何故顎を引かなければならないかの理由はいわない。
「何でもいいから顎を引け。文句をいうな。この野郎」
と怒鳴る。村善はちゃんと説明をする。先ず本人をつかまえて顎を引かせる。
「どうだ、背筋がぴんとするだろう」
逆に顎を上げさせて言う。
「背筋がたるんで力が抜けちまうだろ」
この簡単な説明で、取的たちは顎を引くことの大事を納得するのだ。
午前八時。平沼部屋の稽古場へ関取が立った。村善は足を洗って上り座敷に座る。本来稽古を取材する記者の席は、稽古場をのぞむ上り座敷なのだ。部屋の総帥《そうすい》平沼親方を中心に、一門の親方五人が座の中央にどかりと胡座《あぐら》をかいている。そのまわりに後援会の見学者と取材記者がいる。解説者の顔も見える。
定年退職記者の村善も、見学者の中に混って、関取衆のぶつかり稽古と申し合いを見る。そして稽古場の力士に声を掛けるのだ。
「右肘《みぎひじ》。右肘」
村善の声にもっとも渋い顔を見せるのは平沼親方だ。村善の定年退職を知る記者たちも、この頃では迷惑顔である。
「それ見ろ。右肘を返さねえから上手《うわて》を取られちまう」
村善は申し合いを見ると興奮する。以前はそれでもよかった。いまは事情が変っている。相撲部屋の親方は、村善を普通の人間として見はじめているのだ。彼は既に退職した元記者である。国技館内の記者クラブにも席はない。肩書きなしの人物が勝手に相撲部屋に出入りをし、大声上げて稽古土俵へ叱声《しつせい》を飛ばすとあっては、もう黙認の限界だと平沼親方は考えていた。
「ン、腰が高いッ、擦り足、擦り足。擦り足で出ないから横にこけるんだ。それ見ろ」
村善の興奮癖はエスカレートする。煙草の煙を吐き捨てるように吹く平沼親方の顔が青ざめた。相手が村善でなければ一喝したいところだ。
「R新聞にいうてあるが、どうなっとるんだ」
平沼親方は苛立《いらだ》つ気分を押えるために、猪首《いくび》に載せた禿頭《はげあたま》を激しく振った。
稽古場は大関の雪乃嶺と前頭の新鋭越山が申し合いをはじめている。立ち合いの甘い雪乃嶺がはじかれて横に持っていかれた。
「雪乃嶺、跳び足の癖がまた出たな。擦り足で出ないから押し込まれるんだ。あっ、また足上げやがって。馬鹿野郎」
いくら記者歴の古い村善でも、天下の大関に向っての馬鹿呼ばわりは行き過ぎである。親方連が一斉に不快な顔を村善に向けた。白けきる上り座敷で、村善一人が興奮していた。彼は相撲に夢中なのだ。
「もういっちょういけ」
村善は親方が命令するようなことを叫んだ。
「限度だ」
平沼親方が立って村善の側《そば》にきた。
「ちょっと木村さん」
「ン」
「ちょっとこちらへ」
「用事なら後にして呉れ」
「何故です」
「いま稽古中だ」
平沼親方は一瞬息を呑《の》んだ。そして猛烈に腹が立ってきた。村善は部屋の親方気取りではないか。むっとしたが平沼親方は怒りを押えた。
「兎《と》に角《かく》こちらへ」
渋々腰を上げる村善を自室へ案内した。
「うちの大関どうも立ち合いが甘い。注意はするんだが一向に直らん」
「立ち合いの悪いのは擦り足が完全でないからだ。直そうと思えば直る。あんたの指導が甘いからいけないんだ」
「これはまたきつい。そういわれればたしかにそうだ。わしらのときは厳しかったね」
平沼親方は狡猾《こうかつ》だ。はなしを懐古談に持っていき、問題をそらせてしまう腹だ。案《あん》の定《じよう》村善は嬉しそうに昔のことを喋りはじめた。
「親方も知っての通り、昔は足の裏に穴があいて砂が詰ってたもんだ。例のボロ錦なんか……」
ボロ錦は玉錦のことである。さも感心した風に相槌《あいづち》を打つ平沼親方は、全く別のことを考えていた。いままでは現役記者だと思うから我慢もした。しかしいま目の前で昔語りに酔う初老の男は、新聞記者の肩書きをはずした単なる好角家に過ぎない。
「いまの若い者に聞かせたいね」
平沼親方は適当な返事をし、心中密かに村善対策を考えている。
「稽古も終るようだ。そのはなしをちゃんこでもつつきながら、若い者にはなしてやって下さい」
「そうするか」
村善は機嫌がいい。平沼親方が昔ばなしを熱心に聞いて呉れた。これから若い者とちゃんこ鍋を囲んで昔語りだ。夕方になったら取的を|かい出し《ヽヽヽヽ》(誘い出す)て、行きつけの飲み屋で奢《おご》ってやろう。好きな相撲のはなしを肴《さかな》に一杯やるのは最高である。
平沼親方の部屋を出る村善は、相撲のことだけで心が脹《ふく》れ上っていた。
村善が出ていった自室で、平沼親方の禿頭は、きょう一日でケリをつけてしまうつもりの……村善処置の方策を練り上げていた。
先ずR新聞運動部にダメ押しの電話を入れること。相撲協会の理事に村善対策を連絡すること。そして記者クラブに協力を求める。平沼親方は三段構えに考えた方策を反芻《はんすう》すると、平手で顎を撫《な》で回しながら立ち上った。彼は村善を相撲界から一気に押し出してしまうつもりだ。
「お宅でどうにもならないのでしたら、協会として断固たる処置をとります」
平沼親方の電話は強硬である。R新聞運動部の高木部長は当惑した。前回の抗議もまだうやむやにしてある。しかしこのままでは済まされそうもない。協会から正面切って問責されたからには、誰かが猫の首に鈴を付けねばならない。
平沼親方からの電話を切ると、高木部長はすぐに村善の家に電話をした。
「まあ、お懐《なつ》かしい」
奥さんの声は年齢を疑う程若々しい。
「先輩はお出かけですか」
「はーい。出かけております」
「どちらに行かれたかお解りでしょうか」
「はーい。ここに書いてございます。両国の平沼部屋ですわ。会社辞めても相撲部屋通いをしてるんですのよ。お相撲さん見ないと食欲も出なくなるんですって。変な人なのよ」
奥さんのあっけらかんとした返事に、高木部長はど胆《ぎも》を抜かれる思いだ。
「毎日お出かけなんですか」
「そうなのよ。両国駅まで定期買ってあるんですって。根っからの相撲好きっていうんでしょうね。しょぼしょぼして一日中家にいられるよりはいいと思っていますわ。相撲のことをはなしてれば機嫌がいいんです。一度はなしにきて下さいな。うちの人はいまでも現役記者のつもりなんですから大歓迎だわよ」
高木部長は答えようがない。奥さんも村善さんも、相撲好きで凝《こ》り固っている様子だ。
「うちは子がないでしょう。お相撲さんを養子に貰《もら》おうかなんていってるのよ」
高木部長はあっ気にとられて電話を切った。そしてすぐに平沼部屋へ電話をして、村善を呼び出した。
「高木君か。何か用かね」
「久し振りですから、どこかで食事でもと思いましてね」
「ほう。珍らしいことがあるもんだ。定年以来知らん振りの新聞社がね。珍らしいことだ」
「そういわないで下さい。都合つけて下さい」
「きょうは駄目だな。取的を|かい出し《ヽヽヽヽ》て擦り足の重要なことを教えるんだ。一杯やりながら説明してやるんだ。明日社へ寄ろうか」
翌日の午後村善がR新聞に高木部長を訪ねてきた。田浦部屋の稽古を見ての帰りだという。
「よお」
両手を差し出してくる村善へ、高木部長がまあまあと平手を伏せた。はなしは事務的に片付けようと彼は考えていた。
「実は木村さん。貴方《あなた》のことで相撲協会から苦情がきてるんです」
村善の顔色が変った。怒りへいく顔色だ。高木部長はかまわずにことばを続けた。
「定年退職した記者が、相撲部屋へ勝手に出入りするのは困るというんです。相撲部屋としては新聞記者であるということで、出入りを自由にさせているのだというんです。新聞社を退職した人……つまり普通一般の出入りは遠慮してもらいたいということです」
「普通一般とは俺のことかい」
村善は怒りに震えていた。
「俺を普通一般とは人を馬鹿にしたはなしだ。怪《け》しからん。相撲協会は俺を何だと思ってるんだ。それであれか……R新聞はそんなことをへいへいと聞いたのかね」
高木部長は村善の怒りを黙って聞いていた。
「そんなことをいいたくて俺を呼びつけたのか。よろしい。解った。R社頼みにならずだ。後輩あてにせずだ。協会の馬鹿親方の文句は俺一人で受けて立つわい。はなしはそれだけか。俺は帰るぞ」
「近くで食事でも。その予定なんですが」
「飯なんざ食いたくもない」
席を蹴って立った村善は、怒りに頬《ほお》を引きつらせて応接室を出ていった。熱《いき》り立つ強気だけが、使い捨てられた老記者の背骨を支えている感じだった。
爾後《じご》の相談には乗ろう、と高木部長は思った。村善が熱り立って出て行く後ろ姿は、他人ごとではないのだ。
R新聞社を出た村善は、頭から湯気の立つ程腹を立てていた。彼は相撲に夢中の記者馬鹿だから、自分の行動を客観視する余裕がない。相撲協会の処置もR新聞社の取り次ぎ方も、皆一方的で怪しからんと思った。村善は面白くないからレストランへ入ってビールを五本飲んだ。勢いのついたところで平沼親方へ電話をした。
「親方はいるかい。お前は誰だ。山口か、三段目の山口か。俺は村善だ。知ってるだろ。新聞記者の……元新聞記者の」
といってから村善はことばがつかえた。俺は元だと思ったら、気勢が一気に抜けてしまった。村善は後を言わずに電話を切った。
「そうか。俺は元なんだな」
そう思ったら三十年間張りつめていた気力が、すうすうと音立てて抜けた。
今朝も村善は暗いうちに目が覚めた。昨日R新聞で言われたことは、何かの間違いではないかと思う。去就のはっきりしない気分でもぞもぞしているのは嫌である。布団《ふとん》を蹴って起き上った。
「昨日は昨日きょうはきょうだ」
一時間後には両国駅の改札を出る村善の姿があった。足は自然と平沼部屋へ。平沼親方の意向を直接聞きたいと思う。
「昨日だって平沼親方は俺の昔ばなしに耳を傾けた。取的たちにもはなしを聞かせて呉れと頼んだ程だ」
村善は平沼親方の社交辞令を真に受けていた。
「はなせば解るんだ」
そう思って裏木戸をくぐり、取的の部屋に鞄を置いて稽古場の……。
「おっとっと。村善さんはちょっと待った」
入り口で押し止めたのは若い者頭だ。村善の来るのを待ち構えていたらしい。
「何をするんだ。平沼親方に会わせろ」
「その親方の命令でね」
「命令とは何だ」
「村善さんは稽古場に入れるなと」
「平沼親方がそういったのか」
背丈のばか高い若い者頭は、村善を見下して大きく頷《うなず》いた。
「兎《と》に角《かく》帰ってもらいます」
若い者頭の太い腕が村善の肩口を一押しした。村善はよろけていってブロック塀の内側へもたれ込んだ。
三十年通い続けた相撲記者のキャリアが、取的上りの一押しで崩れた。
「これはいったいどういうことだ」
村善は腹が立つより先に悲しくなった。掌《てのひら》を返したような若い者頭の態度に怒る気力もない。村善は取的の部屋にいって暫《しばら》く休んでいた。一人寝ている男がいる。
「どうしたんだい」
薄目を開けている取的は幕下の陸前だ。
「病気か」
「そうじゃないス。嫌なったです」
「お前は二十八だったかな」
「二十九です。もう廃業です」
以前の村善だったら、ここで枕《まくら》を蹴飛ばして一喝するところだ。しかし村善は腕組をして黙っていた。
「村善さんもおしまいですね」
「どうしてだ」
「頭《かしら》にいわれてんです。村善さんとは口をきくなって」
「何だと」
「親方の命令で相撲部屋へ出入り差し止めになったって」
村善は愕然《がくぜん》とした。村善には相撲部屋以外に居るところも行くところもない。
「どこへ行こう」
生半可な気分で部屋を出かかる村善へ、布団から半身起した陸前が、
「村善さん」
と呼びかけた。振り向くと半泣きのしおたれた万年取的の顔がある。
「ワシも相撲は廃《や》めです。廃めたらどこへいけばいいでしょうか」
「当てがないのか」
「全然ないス」
村善は何とも言いようがなかった。ふと相撲取を婿《むこ》養子に……という日頃の考えが頭をかすめた。しかし陸前ではどうしようもない。行き先見込みのない相撲取を養子にしても意味がない。
「お互いに弱ったな」
そういい捨てて平沼部屋を出た。陽が照り出した街をまばらに人が歩いている。若者の運転する車が白い煙を残して走っていった。人も車も皆仕事場へ向っている。平沼部屋で門前払いをされた村善は、気を取り直して近くの岩松部屋へ足を向けた。岩松は創設間もない小部屋である。稽古場へ顔を出したら、引退したばかりの岩松親方が、稽古廻しを付けたまま近づいてきた。そして言いにくそうに村善の退出を求めた。
「協会から通達があったもので、どうもすみません」
新人親方の岩松は直立して頭を下げた。新興の小部屋までが村善の出入りを拒否するようでは、どこの部屋へ行っても門前払いだろう。
「行くとこなしか」
相撲取材のメモ帳を入れた鞄を小脇《こわき》に抱えて、村善は両国の街をあてどもなく歩き回っていた。街に人と車が溢《あふ》れ出す。村善一人がはぐれ鳥の気分だ。
「はぐれ鳥は……」
村善が目を上げて呟《つぶや》く。
「もう一人おるな」
廃業を考えて寝込んでいる陸前を思った。職場へ急ぐ人々に歩調を合わせて、せかせかと歩いている村善の足は、廃業寸前の取的を思って遅くなった。そろりそろりと歩きながら、村善は相撲の運び足を考えていた。彼の頭の中にぽつんと小さな灯《ひ》が点《つ》きかかっている。明りは村善のそろりと行く擦り足と共に、次第に大きさを増した。
「擦り足か」
そう呟きながらゆっくりと動く村善の歩調が速くなる。
「そうだ、擦り足だ」
村善の足は躍り出した。
「あいつはまだ廃めることはない」
村善は平沼部屋へ向って駆け出していた。胸の中が激しく上下した。胸のときめきは特ダネを取りに走る気分だ。
「擦り足だ。陸前はまだ廃めることはない。どうせ廃めるんなら……一度擦り足を」
村善は蓬髪《ほうはつ》をなびかせて平沼部屋の裏木戸へ飛び込んだ。
「何すんですか」
陸前の肩口を掴《つか》んで引き立てる村善に、ふて寝の取的は目を丸くした。
「起きろ。はなしがある。廃業届は出してしまったのか」
「ゆうべ書いて今朝出しました」
「すぐ取りもどしてこい」
「そんなことはできません」
「できるもできないもあるか。すぐ取りもどしてこい。俺の命令だ」
村善は自分の発念に興奮していた。
「村善さんがワシに命令できるんですか」
「そうだ。命令だ。いやそうじゃないな。頼みだ。俺のお願いだ。早く取り返してきて呉れ。ただし俺の名は言うな。取り返してくれば何でも相談に乗ってやるぞ。仕事も世話する。女だって紹介してやる。俺に委せろ」
村善は支離滅裂なことを言い、言われた陸前も気迫に押されて、ふらふらと部屋を出ていった。
「返してもらいました」
「そうか。親方が何とか言ったか」
「廃業届を軽々しく出し入れするなって怒鳴られました」
「その通りだ。廃業なんざいつでも出来る。その前にやることがあるんだ」
「何をやるんですか」
「稽古だ」
「え」
「俺についてこい」
「外に出るんですか。稽古場じゃないんですか」
「稽古場は出入り差し止めだ。外へ行く。廻しを持ってこい」
「訳が解んないな」
「訳は行ってから話す」
村善と陸前は二十分歩いて蔵前三丁目にきた。バス通りを左へ入ると、蔵前神社と石柱が立っている。
「お参りをするんですか」
「稽古をするんだ」
「こんなとこでやるんですか」
陸前は不満をあらわにした。社務所の戸が開いて老人が顔を出した。じんべえ姿の老人は外に出てきて腰を伸した。
「お相撲さんか」
老人は感慨深げに首をひねる。
「ウーン。お相撲さんか」
老人は同じことを言って唸《うな》った。余程感じ入った様子である。
「ちょっと表通りに出れば、相撲取はいくらでも見るが、ここで見るのははじめてだ。これは奇縁だ。この神社が相撲に深い関係のあるのを知っててのお越しでしょうかな」
「そうです。暫くここをお貸し下さい」
村善が頭を下げた。陸前は解らない。こんな狭苦しい境内の小さな神社が、大相撲とどう関係があるのだろう。それを村善が説明した。
「ここは通称蔵前八幡というんだ。昔は浅草御蔵前八幡神社といってな。境内はずっと広かったんだ。宝暦七年というから江戸の中頃だ。いまから……えーと……約二百年前だ。この境内で江戸相撲の第一回興行が打たれているんだ。相撲興行発足の地だ。お前が踏んでいるこの土地で、第一回の相撲興行があったんだ」
村善の説明に陸前が耳を傾ける。陸前の足裏から二百年前の相撲の何かが這《は》い上ってくる気分だ。
「はなしは変るが俺は相撲部屋から出入り禁止にされてしまった。お前は廃業するつもりだった」
「そうス」
「どうせ廃めるんなら皆に一泡吹かせてから廃めろ」
村善は陸前に腰を割らせて擦り足の稽古をさせた。腰を落し右、左と突っ張りながら足裏で地面を擦って前進する稽古だ。
「この土は相撲興行発祥の歴史を吸い込んでいる。ここの土を踏んでお前は出直すんだ。俺も一念発起してお前に擦り足を叩き込むつもりだ。ここは俺とお前が新しく出発するところだぞ」
村善は自分の説明したことに些《いささ》か興奮していた。興奮すると持ち前の毒舌が出る。
「駄目だ。足は両方とも地面にへばり付けて前に出るんだ。蝮《まむし》が這ってきても片足上げちゃいかん。相撲は両足を地面に着けて取るものだ。片足上げてするのは犬の小便だ」
そろりそろりと練習して、次第に足の運びを速くさせる。この練習に数カ月はかかると村善はみている。そして擦り足が本物になるのは……一年先か二年先か。村善はふと陸前の年を考えた。二十九で幕下三十二枚目という。擦り足がものになるまで彼の体力は持つだろうか。
「こればっかりやるんですか」
陸前は既に擦り足の稽古に飽いていた。何ごとによらず基本練習は単調で面白くない。廃業するつもりのところを、急に引き止められて基本練習だから嫌になる。
通行人が立ち止って見ていく。陸前がそれを意識する。
「見物のことなんか気にするな。お前はプロの力士だ。しかも下っ端の取的だ。ひたすら稽古に熱中しろ。見物がいるからって格好つけるな。雪|掻《か》きの板になったつもりで地面を引っ掻いて歩け」
村善は熱中し口うるさかった。三十分で陸前は汗びっしょりになった。一時間で腰が砕けて尻餅《しりもち》をつく。
「やっぱりワシ廃めます。こんなこといくらやっても駄目です。疲れるだけです」
「廃めてどうする」
「村善さんが仕事を世話して呉れるっていったでしょう。仕事を紹介して下さい。相撲は疲れるから駄目です。ああ苦しい」
陸前は地べたにへばり込んでしまった。鬢《びん》がほつれて敗残の雑兵である。
「ああ苦しい。もう嫌だ。仕事を世話して下さい。こうなりゃなんでもする。少しくらい体がきつくても我慢する」
「お前はまだ俺の考えが解っていないな。俺はお前を関取にしてやろうと思っているんだ」
陸前がびっくりした顔を上げた。
「嘘《うそ》ではない。この村善の決意だ」
「ワシは無理です」
陸前が虚《うつ》ろな目をそらして笑い出した。自嘲とはぐらかしの薄笑いだ。
「無理ではない。俺の言うことをよく聞け。いいか。擦り足を完全に自分のものにすれば十両は夢ではない。俺の長い相撲記者の経験から考えて、いま擦り足を自分のものにした力士は必ず勝つ。間違いない。同じ地位の者同士で取り組めば、勝率八割は堅いと俺はみる。相撲は立ち合いが総《すべ》てを決めるといっていいスポーツだ。立ち合い最大の武器は擦り足の突っ込みだ。ところがいまの相撲取はほとんどが跳び足だ。中途半端に腰を下し、あわてふためいて立ち上る。先手を取ろうとして気ばかり焦るから皆跳び足になる。跳び足でなければ鷺足《さぎあし》だ。重心が浮いているからずっこけたり撥《は》ね上ったりして、体勢が崩れる。取り口に落着きがない。いまの相撲はていのいい|しょっ切り相撲《ヽヽヽヽヽヽヽ》だ。上っ滑りの上っ調子だ。近代相撲などと体裁のいい呼び方をしているが、土俵に足が付いていない空中相撲だ。マンボ踊りかゴーゴー踊りだ。俺は親方に口を酸っぱくして言ったが、ふん、ふんと聞くだけでちっとも注意しなかった。俺は基本を言い過ぎてうるさがられて、相撲部屋から出入り禁止をくってしまった」
村善の熱弁に陸前が真剣な顔つきになった。
「俺はこのまま、はいそうですかと引き下るのは嫌だ。なんとしても業腹《ごうはら》だ。擦り足の基本をお前に仕込んで、それを置き土産に相撲の周辺から消えるつもりだ。陸前を擦り足の名人にしてやる」
「ごっちゃんです」
村善のはなしを聞いて、陸前も気が昂《たかぶ》ってきた。
「どうだ。頑張ってみるか」
「はい」
「基本からやり直しだからきついぞ」
「大丈夫です。このまま廃業はけたくそ悪い」
村善は夜になるのが待遠しい。昼間は家にいて夕方になると出かけていく。
「?」
奥さんが首をかしげた。村善が説明しないから奥さんは気になる。R新聞を退職後三カ月間、相撲部屋通いの習慣を止めない夫を、黙って見送っていた奥さんも、出かけるのが毎日夕方になると、やはり首をかしげた。
村善はきょうも夕方五時に家を出た。浅草橋まで一時間。陸前と待ち合わせるのが六時半。初秋の陽《ひ》はその頃ようやく暮れてくる。陸前は一日も休まずに蔵前神社にやってきた。境内の土の上につくばって三時間、びっしりと擦り足の稽古を続けた。
「オッシ」
いつも陸前の方が早くきている。村善を見ると羽織っていた浴衣《ゆかた》をぱらりと脱いだ。
「お前廻しを締めてきたのか」
廻しはいつもこの場で村善が手伝って締めていた。
「平田山に手伝って貰いました」
「部屋で締めたのか。そんなことをして俺とお前の関係がバレたら面倒だぞ」
「大丈夫です。平田山は村善さんに好意を持ってます。それにあいつもワシと同じ万年幕下です。誰にも喋りはしません」
「そうか。要するに理解者という訳だ」
村善は苦笑した。正当な相撲技を教えるのに、理解者が古参幕下ただ一人とは情ない。稽古をつけて貰う陸前も、泥棒猫のようにおどおどしながら平沼部屋を抜け出してくる。村善は奥さんに疑惑を持たれながら夕方家を出てくる。相撲の基本を叩《たた》き込むのに、こっそりとやらねばならないのだ。そのことに村善は失笑する。これが相撲界に名を馳《は》せた村善記者の姿か、と思うと口の端へこぼれる笑いはほろ苦い。
十日間ぶっ続けに稽古をして、陸前の擦り足は一応の型ができた。部屋に知れると問題になる、という危機感があるので陸前は真剣だ。擦り足は腰へ落した重心が、足裏を通して地面に食い込むというのが極意である。それには稽古を通して会得した技術が、日常の歩行にも習慣づけられるようにならなくてはいけない。
「草履を十日で擦り潰《つぶ》すくらい擦り足で歩かないと駄目だぞ。いつでも地面をこすって歩け。上体の力を抜いて腰に集めろ。腰の力を足の裏に落すようにして歩け」
村善の注文を陸前が必死になって実行する。村善は陸前の擦り足をものにするまでは、再就職をしないつもりだ。親方連中に嫌われたまま引き退《さが》ったのでは面目が立たない。
「絶対ものにして見せるぞ」
村善の期待は必死に擦り足の稽古を積む、ロートル幕下陸前たった一人である。村善の頭の中に、陸前の完璧《かんぺき》な立ち合いが描き出される。さっと地面を擦っていく磐石《ばんじやく》の出足は、立ち合った瞬間から相手の前進を撥ね返している。そうした情景を想像した村善の腹に力が入る。
「この立ち合いの擦り足で、俺をコケにした奴らは皆すっ飛んでしまえ」
村善は夢想しながら唸っていた。
「おい陸前。それと村善さんかな」
押し潰した声へ振り向くと、鳥居を背に巨大な黒い人影が立っている。
「陸前。お前、部屋に断りなしに何をやっとるんだ」
声の主は一門の鬼勢川親方だ。
「様子が変だと思ったら、こんなところでくだらんことをやっとったのか」
くだらんと言ったのは平沼部屋の若い者頭だ。
「くだらんとは何だ」
村善が黒い影を睨《にら》みつけた。
「俺は擦り足を教えてるんだ。擦り足は相撲の基本だ。何でくだらない」
「擦り足、擦り足と馬鹿の一つ覚えをいいなさんな」
そういったのは鬼勢川親方だ。
「相撲取ったことのない新聞屋上りが、理屈を言っても駄目だ、あんたにどれだけの見識があるのか知らんが、所詮《しよせん》見物人の素人じゃないか。陸前は相撲協会の人間だ。平沼部屋が責任を持って養成している力士だ。指導は一切部屋がする。一般人の口出しは余計なおせっかいというものだ。こういうことをされたんでは、部屋の稽古に裏でケチをつけられているようで面白くない」
「ケチをつけてる訳ではない。俺は堂々と部屋の稽古場で文句を言ってきた。それを追っ払ったのは、あんた方親方連中ではないか」
「村善さん。あんたも解らず屋だ。相撲取は相撲部屋が責任を持って預かっているんだ。新聞記者といえども口出しはまかりならんことだ。それにあんたはもう記者ではない」
脅えた陸前は廻しをはずして浴衣を着てしまった。
「こっちは筋を通してあんたの出入り禁止を申し出てある。相撲に口出しせんで貰いたいと伝えてある筈《はず》だ。陸前、帰るぞ。二度とこんな裏稽古はするな」
陸前はおどおどし、村善にお辞儀をして行きかける。
「礼なんざすることない。村善さんは唯の人だ。兄弟子でも親方でもない。タニマチでもなけりゃ新聞記者でもないんだ」
社《やしろ》の屋根に巣くうらしいキジ鳩が、くぐもった声で鳴いた。一人取り残された村善は、鳩の鳴く声を自身の苦吟と聞いた。掌を返すような親方たちの態度も、世間の冷たさと思えばそれまでだ。しかし村善は理解に苦しむ。相撲の正当を教えてどこが悪いのか。何故協会は俺を排斥《はいせき》するのか。相撲一途に凝り固まって生きてきた彼には、世間が常識という尺度で馴《な》れ合う意味が解らない。村善は鬱屈《うつくつ》した怒りの持っていく場所がなくて苛立っていた。
「糞《くそ》」
思わず蹴った地面の小石が飛んで、その方角から人影が動いてきた。
「あなた」
境内の隅の福徳稲荷の祠《ほこら》の陰から呼びかけたのは、村善の奥さんだ。
「ここがどうして解った」
「尾《つ》けてきたのよ」
「何でだ。まさか俺を」
疑っていたのでは……といいかけて口をぬぐった。村善は毎夜行き先も告げず出てくる日課を思った。疑われても仕方がない。
「すっかり様子が知れて安心したわ」
「やっぱり変な疑いを持ってたのか。馬鹿らしい」
「馬鹿らしいけど、あたしだって女ですからね」
来ないとは思っても、村善の足は自然と蔵前神社の境内に向う。二時間待ったが陸前は出てこなかった。村善は手中の玉をかすめ取られた淋《さび》しさで、ふらりふらりと夢遊病者のように家へ帰った。翌晩も翌々晩も村善は蔵前神社に出かけていったが、陸前は姿を現わさなかった。
傷心の村善を浮き立たせたのは、秋場所の開始である。村善の足は国技館へ向う。三十年来通い馴れた道だ。
「相撲場はいいな」
村善にとって相撲社会の雰囲気は定年後の不安を収める鎮静剤だ。鬢つけ油の匂いを嗅《か》ぐこと。わっさ、わっさと風を起して、行く相撲取の歩行。忙《せわ》しなく物を運ぶ茶屋の出方《でかた》。出を待って通路の入り口に佇《たたず》む行司のきらびやかな装束。花道を駈《か》け戻る取的の激しい息づかい。それらがごちゃごちゃ入り混るごった煮の匂いが、村善の心を陶酔させる。彼は十五日間を楽しみに、まるで子供のように心躍らせて相撲場にやってきた。手塩にかけた陸前に会えるかも知れない。何とかきっかけをつくって、擦り足の特訓も再開したいと思う。
「このまま引き退ってたまるか」
意気込んで報道陣入り口の木戸を入る。
「あ、ちょっと、通券は」
「何」
「通券かバッジ」
村善は一瞬たじろいだ。顔パスのつもりがもう通用しないのだ。木戸係は村善を知る元幕内の瀬の山だ。
「なければ当日券買って入ってね」
村善は冷汗をかいた。通券もバッジも持たなければ、当然入場券を買わなければならない。村善は二百円の当日売り一般スタンド席を買った。東側の通路を行くと、A社の佐々木記者が歩いてきた。記者クラブ担当の花山親方と一緒だ。佐々木記者はちょっとと言って、村善を通路の片側へ呼び込んだ。
「実は協会からやかましくいわれてるんです。ほとぼりのさめるまで記者クラブの方は……」
出入りを遠慮して欲しいと言う。
「すると俺はどこに落ち着けばいいんだ」
「さあ、それは」
村善は結局スタンド席へ行くより外に方法はなかった。天井|桟敷《さじき》へはじき飛ばされた気分で、終日小さく霞む土俵を見下していた。いつも座った砂かぶりの記者席が、物|凄《すご》く遠い所にあった。それは三十年の遥か彼方に思える。弓取式を終えた力士の背が、帰りかける人波に隠れて消えていった。村善は相撲の世界から、遠く引き離されている自分を発見して、目の霞む思いだった。相撲が彼の視野から消えて、再び戻ってこない気がする。村善はがっくりと肩を落して国技館を出た。何を考える気力もない。
翌日村善は昼になっても起きなかった。
「どこかお悪いんですか」
奥さんの問いに首を横に振った。次の日もまた次の日も村善は終日家にいて、ぼんやりと過した。外に出ていこうにも村善は動きがとれないのだ。血肉になってしまった相撲の世界が、一斉に門を閉じて村善を拒否している。村善は擦り足の未練を残したまま、相撲との関り合いを絶たれてしまった。三十年、あれ程親しみ続けた相撲の街が、遠く思い出の彼方に走り去ってしまった。
十月に入って村善は再就職した。前からはなしのあった職場である。親戚《しんせき》が関係する宗教団体の機関紙編集で、取材と編集を兼ねたが、スポーツとは無縁の仕事だった。再就職した村善は必死で相撲のことを忘れようとしていた。彼は無口になった。職場で相撲記者だったことを聞かれても、生返事で席をはずした。愛着を持つだけに、二度と帰ってこないだろう相撲との関り合いは、思うだけでもつらいのだ。
小春日の一日、村善は庭でスクラップと取材メモを焼いた。ちょうど九州場所の初日に当る日曜だったが、彼はテレビ中継も見なかった。村善の周辺から相撲の気配が一切消えた。彼はいよいよ寡黙《かもく》になっていった。現在の仕事を奥さんに聞かれると、面白いとも面白くないとも言わず、
「普通だ」
とぶっきら捧に答え、無表情に耳の裏を掻いた。
新しい年が明けた。村善は苦虫を噛《か》み潰したような顔で、職場と家とを往復した。彼はときどき何のために生きているのか解らないと思うことがあった。追っかけひっかけする記者生活を送った者にとって、週一回発行する機関紙の仕事は、実にまどろこしい退屈なものであった。その微温的な仕事の繰り返しに、緊張感を失った村善は急にふけ込んでしまった。
R新聞の高木運動部長から、初場所招待の電話があった。運動部長にしてみたら善意の招待だ。しかし村善にとっては苦汁の思いが残る相撲場である。
「相撲のことは忘れました。もうさしたる興味もありません」
そう答えて、村善の心はいよいよ沈んでいった。相撲といえばあれ程騒いだ心だったが、いまは苦汁の思いだけが残っていた。触れるとどっと噴き出る屈辱と憤怒がある。村善の苦虫噛んだ寡黙は、まだ残る相撲への未練を、必死に断ち切ろうとする難行の姿なのだ。
「相撲協会など糞くらえだ」
と思う心と裏腹に……ふと相撲へ目をつられている自分を発見して、村善はぞっとした。
「俺を最後にコケにした社会だ」
村善は唇を噛んでちらついてくる相撲への思いを振り返った。
かたくなに殻を閉じる村善の外側で、季節はどんどん過ぎていく。初場所が済み春の大阪場所も終った。月日の経過は村善の相撲ばなれを濃くしていった。夏の盛りになると村善は体が弱った。夏バテで目方が十キロも減った。頬の肉がたるみ肩の骨が出た。
「どこか悪いんじゃないかしら」
奥さんが気にしはじめた。老夫婦は日毎無気力になっていった。
「村善もおしまいか」
家に一人いて奥さんは嘆息する。こう尾羽打ち枯していては、養子の来手もないだろうと思う。相撲取を養子に貰うなどといったはなしは、遠い昔の夢になった。奥さんは溜息をつくたびに白髪が増えていった。
「もう出る幕なしだ」
機関紙のゲラ刷りに朱筆を入れながら、村善は密かに思う。人生が朽ち果てていく実感があった。
「何のために生き延びているのか訳が解らん」
と思う。彼はときどき自分の戒名を考えることがあった。わずか一年で村善はそれ程老いた。仕事振りも無気力だ。人生に張りがなければ力は出ない。村善は一年契約の採用が、一年でお払い箱になるだろうと思っている。
九月になった。一年ごとに契約変更になる彼の再雇用は十月である。再契約かどうかが匂ってくる時期だ。
「木村さん」
編集長が呼んだ。寡黙な村善に編集長は滅多に声を掛けない。村善は反射的に椅子を立っていた。編集長が右手を水平に伸して手招いている。村善は咄嗟《とつさ》に解雇を考えた。前傾姿勢でいくぶんよろけ気味に編集長の席へ寄っていきながら、村善はほっとした気分になっている。再就職したときからずっと……引導を渡されるのを待っていたような気がする。その日がいまきたのだと思う。朽ちかけている人生が、確実に朽ち果てるのは或る意味で爽快《そうかい》だと思った。
「お世話になりました」
契約解除を予告される前に頭を下げた。一層爽快な気分である。肩の力が抜け肺活量が倍になった気分だ。編集長は口に出しかけたことばを引っ込めていた。村善のいったことがよく解らないのだ。呼ばれてきてこちらが用件をいう前に、お世話になったと頭を下げたことの正体が解らない。編集長は暫く間をおいていった。
「実はここを辞めてもらわなければならないのだが」
「解っております」
「解ってる。どうして知ってるの」
「感じでうすうす解っていました」
「成程。そういえばあなたは北里理事の紹介でした。そうですか。ではご承知なさるんですね」
「承知するもしないも、わたしは一年契約の使用人です。上役の命令を嫌とは申せません。お世話様でした」
村善は一礼して自席に戻りかけた。
「木村さん」
「は」
「あなたは詳しいこともご存知なんですか」
「………」
「新しい仕事のことです」
「………」
「あなたは事情を勘違いしているらしい」
「契約解除と違うんですか」
「大違いですよ」
編集長は愉快そうに笑い出した。
「相撲のことですが、聞いてますか」
「相撲は忘れました。もう真っ平です」
「最後まで聞いて下さい。教団に新設される相撲クラブのことです。テニスクラブや囲碁クラブ同様の、相撲クラブを来春から創設するはなしです。ご存知でしたか」
「いえ」
「青年部と少年部の親睦《しんぼく》と体位向上を目的に、かねてから懸案だったのです。その相撲クラブを正式に発足させることになりました」
「初耳です」
「今回は会長が特に熱心なんです。当面あなたしか相撲界を知る者はいないんです。ここは木村さんの知識を生かして貰わねばなりません。運営も木村さんの自由です。プロに知り合いがいたら、コーチにスカウトすることもあなたに一任されます。やって呉れますね」
村善は頭が混乱していた。混乱する頭の中で一冊の大学ノートがふわふわと飛んでいた。それは克明に「擦り足」を記録した貴重な取材ノートだった。彼は他の一切の資料と共に、そのノートも焼き捨ててしまったのだ。いま村善の頭に甦《よみがえ》ってくるのは、未練を残したまま焼いてしまった「擦り足」をメモした一冊の大学ノートだ。
「最適任ということで明日にでも辞令が出る手筈《てはず》になっています。ひとつ腕を振るってみて下さい」
村善は諒解《りようかい》して自席へ戻った。心もち体が震えている。ひと掬《すく》いした地面の凹地《くぼち》へ泉が湧き出るように、村善の体全体へ相撲のことが染み渡っていった。動悸《どうき》が激しく胸を叩く。
「木村さん」
編集長が呼んでいる。村善が反射的に椅子《いす》を立つ。背筋がピーンと伸びた。
「企画部長のところへ行って下さい。例の件で下相談があるそうです」
企画部へ行きながら、村善がはっと思い出す。
「そうだ、陸前を呼ぼう」
村善の歩行が自然に擦り足の状態になった。
「そうだ。陸前だ。擦り足の陸前をコーチに呼ぼう。あいつどうしてるかな」
村善は多忙になった。
相撲道場の設営は村善の多年の経験知識がものをいう。指導員を地方に派遣しなければならない。村善の意中に陸前がある。
「あいつ喜ぶだろうな」
コーチに呼んでやって、教団になじんだら後継者にしようと思う。
「俺の後継ぎだ」
村善は以前相撲取を婿養子にと考えたことを思いだす。
「陸前を養子にするか。それも悪くないぞ」
村善の表情が日毎明るさを増していく。些《いささ》か気にかかることは、陸前がまだ平沼部屋にいるかどうか、ということだ。ことによると廃業してしまったかも知れない。
相撲クラブの準備は十一月の末に整った。村善こと木村善太郎は、教団の相撲部副部長の肩書がついた。陸前をコーチに迎えることは村善の一存で可能だ。彼には相撲クラブ運営の一切が任されていた。陸前に支度金を出すことも村善は考えている。
十二月の中旬に大相撲は巡業から帰ってくる。頃合いを見て村善は平沼部屋へ電話をした。
「そちらに陸前さんというお相撲さんはいますか」
「います」
「元気ですか」
「はい」
陸前は外出中だという。
「やっぱりいたか」
村善は胸を撫でた。廃業届を出し廃めて行く先を案じていた陸前を、相撲に引き止めたのは村善だ。あの時将来の面倒は必ず見てやる、とうまいことばで廃業を中止させた責任がある。いまその責任を果せると思うと、村善の心は湧き立つ。しかも相撲の仕事を世話してやれるのだ。
「あの野郎、どんな顔をして喜ぶかな」
陸前がまだ平沼部屋にいると聞いて、村善は嬉しくてしようがない。
「中途半端で止めてしまった擦り足を、こんどこそ徹底的に究明しよう」
陸前が蔵前神社で稽古した擦り足を、少しでも覚えていて呉れたらいいがと思う。陸前を呼び擦り足の稽古を復活させ、教団の相撲クラブに徹底させよう。村善の夢は脹れ上る。
「高木部長に連絡して貰おう」
R社の運動部長の名で、陸前を誘い出して貰うほうが順当にことが運ぶと思う。村善の名は伏せておいたほうが無難である。どこでケチがつくか解らない。
「最初の用心が大事だ。ずっと下っ端の陸前にとっては出世の糸口だからな」
村善はことを慎重に運ぶつもりだ。陸前に会う前の晩、村善は上機嫌でお銚子を五本飲んだ。いつもの晩酌の倍である。菜にちゃんこを作らせた。
「ちゃんこなんて一年振りですよ」
「一年以上だ」
村善にはその記憶が鮮かだ。相撲部屋に出入りを差し止められ、揚げ句の果に国技館の木戸でも、記者クラブでも疎外された。毎日のように好んで食膳へ載せたちゃんこ料理は、あの時を境に止めた。
その日を村善は決して忘れない。一昨年の九月十六日第二日曜日だ。その日が大相撲秋場所の初日に当る。
苦汁を飲む思い出のその日も、やがて村善の心の中で溶解する筈だ。彼にいま新しい相撲の世界が開けている。手塩にかけて途中で取り上げられた老骨幕下陸前と、一緒にする仕事が待っている。
「お相撲とは縁が切れませんね」
奥さんが小鉢で|タレ《ヽヽ》を溶かしている。ポン酢の替りに酒石酸を醤油で溶く。いまは流行《はや》らなくなったちゃんこの|タレ《ヽヽ》だ。便利なポン酢を断固排斥する頑固さを村善は苦笑した。その融通のきかない性格が、相撲の親方から敬遠された原因であることも彼は承知している。しかしいまは過去を一切問うまいと思う。目のふちを赤く染めた村善は、いい機嫌に酔っていた。
R新聞運動部長の手筈で、明日陸前と再会するのだ。陸前を驚かすつもりで、村善の名は伏せておいた。新聞の運動部が会わせたい人がいるとだけ伝えて、陸前を神田の焼肉屋へ呼ぶことになっていた。
高木運動部長が村善にメモを渡した。陸前に関する簡単なメモである。
「あいつ地位が下っちゃったのか」
陸前はいま幕下の五十二枚目だ。ここ二場所の成績も記されている。二場所とも負け越しだ。
「やっぱりな。途中で中止しちゃったからな。ものにならないんだな」
村善は擦り足のことを思って、いくらか気落ちした気分である。
「あいつ行き場がなかったんだな」
幕下にいて地位の下った陸前を思うと哀れである。行くあてもなく恥をさらしているに違いないと思う。コーチに引っ張るはなしを陸前は躍り上って喜ぶだろう。
「陸前が顔を見せれば解るんでしょうね」
高木部長が言う。
「勿論だ。向うだって俺の顔見りゃすぐ解る筈だ」
約束の時間に焼肉屋へ一人の若い取的が現れた。取的はくわい頭をめぐらせて人を捜していた。村善はちらっと取的に目をやったが、すぐ顔を戻した。
取的は鳥のように頭を回して店内を見渡していたが、訪ねる人が見当らないらしい。レジヘ行って何か話しかけた。
「R新聞の高木さんいらっしゃいますか」
レジの近くでボーイが叫んだ。
「もう電話だ。落ち着いて飯も食えない」
高木部長が立っていった。
「新聞はちょうど締切時間だ」
と村善は思う。
「村善さん。この人が陸前さんだよ」
「何」
高木部長の側へ一緒に立っているのは、先程から人を捜す様子の若い取的だ。
村善が首をかしげる。
「君はいくつだ」
「十九です」
「年が違うな。俺を知らんだろう」
「知りません」
「平沼部屋か」
「そうです」
ははあ……村善は思い当った。いまここにいる陸前は、二代目陸前だ。
「君、前の相撲取のシコ名を継いだのか」
「そうです」
「いつだ」
「去年の九月です」
「すると前の陸前は廃業しちゃったんだな」
若い取的は首を振って拒否した。
「まだいるのか。平沼部屋にいるのか」
「います」
「何をしてるんだ。床山《とこやま》の弟子にでもなったか。それとも雑役か」
「違います。兄《あん》弟子は相撲取ってます」
「何だと」
「兄弟子はいま十両です。シコ名を変えて軍扇山です。先場所十両へいったんです」
「本当か。それは知らなかったな」
村善の知る幕下陸前は、軍扇山と名を変えて十両に昇進しているという。
「擦り足の軍扇山といったら皆知ってます」
と若い取的は擦り足といった。
「そうか。ま、座れ。一杯飲め。ビールでも酒でもじゃんじゃんやれ。肉も沢山あるぞ。腹いっぱい食え」
「僕でいいんですか。二代目陸前でもいいんですか」
「おお、結構だ。どんどんやれ」
「兄弟子を呼ばなくてもいいんですか」
「呼ばんでもいい。お前が代りにじゃんじゃんやれ」
村善は嬉しくなった。一杯のビールで目のふちが赤く腫《は》れた。
「あの陸前が十両へいったか」
村善は何度も心の中で繰り返していた。今夜は泣き上戸《じようご》の酒になりそうである。
「村善さん。例のはなしはどうします」
運動部長がコーチ招聘《しようへい》のことを言った。
「あれはひとまずお預けとしよう。それより来場所の砂っかぶりを一枚取って呉れ。初日を頼む」
「何とかしましょう」
「ハズ(わきからご馳走になる)にかかっちゃったなあ」
若い取的は、まだ抜けない少年の顔をほころばせて満足した。それ以上に村善は満足だ。
運動部長は仕事が残っているので先に帰った。村善は二代目陸前を送って両国へ向った。大川を渡って相撲の街へ行くのも久し振りである。平沼部屋の前に車が停《とま》る。
「ごっちゃんでした」
二代目陸前が車を降りる。
「軍扇山関がいるかどうか見てきます」
「いや、止めといて呉れ。俺と会ったことも内緒だ」
「そんなんでいいんですか」
「いわんで呉れ。約束だぞ」
二代目陸前は怪訝《けげん》な顔で頷いた。
車を両国駅に返しながら、村善が大きく息をついていた。
「擦り足の軍扇山か」
ホームで上りを待ちながら、村善は自分でもあきれる程、何度も繰り返し呟いていた。
[#改ページ]
相撲の花道
角田は枡席《ますせき》を独占していた。
茶屋の出方《でかた》に案内され、四人入れる枡席に坐ったとき、角田は隅に寄った。
しばらくして、なにも隅っこにいる必要はないのだと気づいた。
角田の会社では、営業用に国技館の枡席を年間契約で確保していた。接待用のその席を、定年退職者に開放する慣例があった。
今回の該当者は三名いたが、二名は先月退職し、後追いの形で慣例が適用されたのだが、一人は新しい職場をウィークデーに休むわけにいかないといって断わってきた。もう一人は、相撲は好きではないから、ご好意だけをいただくと、欠席の返事がきた。
三人のうち二人がこないことになり、角田が枡席を独占する結果になった。枡席へ入ったとき隅に寄ったのは、会社でいつも片隅の机にいる習性がそうさせたようである。
角田は、そうした習い性が腹立たしくもあり、ここは俺一人の席なのだと気づくと、ややオーバーな動きで真んなかへにじり出た。
真んなかに出ると、四人席の空間が自分一人のものという認識ができ、豊かな心持ちになった。
定年退職まで、あと何日もない。送別会は大阪支社に転勤する課員とこみで済んだ。
永年皆勤勤続表彰というものももらった。永年勤続表彰はいくらもあるが、入社以来皆勤で定年になるのは、五十年の歴史をもつ会社で、角田がはじめてだった。創業社長である現会長から、じきじきに表彰状と副賞をもらった。出世コースをはずれたが、この表彰は勲一等に匹敵するものだった。
角田は片隅に机を与えられていたが、社員のすべてから畏敬《いけい》されていると思っていた。
きょうの相撲見物は、永年皆勤勤続表彰の俺のためにあるのだ。誰にはばかることがあろう。ゆったりした空間に胡座《あぐら》をかき、肘《ひじ》を突っ張って前方を睨《にら》んだ。
角田が坐っている枡席は、正面前列の西寄りにあった。白房と黒房を結ぶ延長線の位置である。
土俵は真正面からわずかに左へそれてあった。東西の花道は、東が左側に大きくずれていた。西の花道はほぼ正面に見えた。
十両最後の取組が終了し、東方の負け力士が、土俵に一礼して去るところだった。それは心のこもったお辞儀とは思えないもので、頭を上げかけたときは、もう体は斜めうしろ向きになっていた。負け力士は花道をさも先を急ぐといった感じで引きあげていった。敗北の場から一刻も早く遠ざかりたい気持ちが、うしろ姿いっぱいに漂っている風であった。
「いくら負けたからといって、ああいう引きあげ方はいかんな。勝敗は時の運だ」
角田はそんな風に思い、ふと自分のうしろ姿を考えた。俺はいったいどんなうしろ姿を見せるのだろうか……。
角田には自分のうしろ姿というものの認識がなかった。写真もないし、人から説明をされたこともない。三十数年の会社づとめの行き帰りに、いったい自分はどんなうしろ姿をして歩いたのか。
おそらく、毎日おなじ感じのうしろ姿ということはなかっただろう。人は角田のうしろ姿を見てきたはずだし、角田自身も、数えきれないほど知人のうしろ姿は目にしているが、鮮明に残っている印象はひとつもない。正面についてはいくらでも思い出すことができる。
角田は、花道を引きあげる負け力士の背中から、自分のうしろ姿について、執着気味になっていた。特に歩くときのうしろ姿が気になった。
うしろ姿のしぐれて行くか……種田山頭火の句を思い浮かべ、いまの自分の境地からいうと、数日後に迎える定年退職の日には、情緒のあるうしろ姿で去りたいもの……そんな風に思った。
角田は密《ひそ》かに応援する力士がいた。前頭十三枚目の青葉谷である。青葉谷は上背のある筋肉質の力士で相撲のルーツ≠ニいうニックネームがついている。風貌《ふうぼう》が北京原人風なのである。
さして相撲が好きでない角田が、会社がくれた切符に心をときめかせたのは、青葉谷が見られるというのが大きな理由だった。
青葉谷は、死んだ父親によく似た顔をしていた。力士の名前も顔もくわしく知らない角田が、青葉谷を知っているのは、父親の風貌がダブったからである。
青葉谷が亡父に似ていることは、家族からも親戚《しんせき》からも話が出たことはない。青葉谷が下位の力士で、十両と幕内を行ったりきたりする目立たない存在のためである。
角田は父親に多少似ていたが、父子の関係を説明しなければわからない程度のものだった。
角田は最近になって、青葉谷にもうひとつの関心を持つようになった。通算連続出場記録を、青葉谷が更新するということだった。
通算連続出場は初土俵以来無休ということで、この点は角田の永年皆勤勤続と共通していた。角田は青葉谷が父親そっくりの風貌であるのと、自分と同じに、その社会に入ってから無欠勤をつづけたことの二つの点で、連帯感を持った。
その青葉谷が、現在一位の力士を抜き、新記録を達成するのが、きょうの土俵というのも、奇《く》しき縁である。こうしたことは誰にもいっていなかった。雨にも負けず風にも負けずの堅実な歩みは、俺と青葉谷だけが共有できる誇りであり、他者には無縁のものだと思ったのである。
角田は枡席をひとり占めして、誇らかな気持ちである。国技館広しといえども、四人席に楽々と一人で坐るのは角田しかいないはずだ。ひるがえって、入社以来三十数年を無休でつとめた人間も、世間にそうざらにはいないだろう。悠久《ゆうきゆう》なるかなわが人生である。黄河の流れにも似たるかなだ。周囲はみな人が詰まっていた。荷物を置き飲食物を置いて、膝《ひざ》の持っていき場に窮しているではないか。
そこへいくとこの俺の状況はどうだ……と角田は誇らしげに思うのだった。手足は伸ばし放題である。会社が払ってくれる飲食物がある。土俵の俵のくくり目が見えるほど近くの場所である。別格の待遇だ。出方が側《そば》を通りながら、ちらっと視線を落としていく。こんな贅沢《ぜいたく》な客は、どこのどなたかと思っているのだろう。
周囲の客も、角田のゆとりのある枡席に注目している感じだ。
俺は注目されているぞ……そう思うとわくわくした。テレビがここを映すかも知れないなどと妄想までしたのは、視線を浴びているという思いが、体じゅうにめぐった酒気を、掻《か》き立てたためのようであった。
角田の悠然たる気持ちのなかに、気負いが加わった。俺は普通の人間とは違うのだ。選ばれてここにいる。角田はいっそう目を据《す》えて、土俵と、土俵の二隅から放射線状にのびた花道のあたりに、凝然《ぎようぜん》と顔を向けていた。
「あそこは凄《すご》いな。一人だよ。大企業の役員かなにかだぜ。いちどでいいからあんな風にしてみたいな」
「高い枡席に一人で坐ってるんだから、余程の人間だろう。豪勢なもんだ」
すっかりいい気分になった角田の耳へ、そんな声が聞こえてきたが、それは空耳だった。
お目当ての青葉谷が土俵に上がった。西方《にしがた》である。青葉谷の仕切りは、狛犬《こまいぬ》仕切りという独特のものだった。しゃがみ込むようにして腰を下ろし、両腕を膝頭の内側へ入れ込むようにする仕切りである。手を下ろしながら、足裏を土俵にこじりつけ、仕切り線へにじり寄っていくというものだ。
前こごみで突っかかる体勢の仕切りが多いなかで、青葉谷の狛犬仕切りは、特異な風格を角田に感じさせた。
なにごとによらず特異であることはよろしい。
立志は特異を尊ぶ、俗流はともに議し難し……角田は吉田松陰のことばを思い出した。
青葉谷も俺も、倦《う》まず弛《たゆ》まず無休であった点で、超俗的であるという考えだった。不思議なことに、立志との関連は考えなかった。
青葉谷は写真で見るのと同じで、角田の亡父に実によく似ている風貌だった。頬かぶりをさせて野良着を着せれば、百姓仕事をしていた父親とそっくりである。違うのは体格だけだ。角田は土俵上の青葉谷にいっそうの親近感を持った。青葉谷の仕切りごとに力が入り、自分では確認できないが、顔つきまで似てくる気がした。胡座《あぐら》の両膝へ置く手を内側へずらし、顔を斜め上方に突き出し具合にして、狛犬仕切りに合わせていた。
対戦相手は十両力士である。青葉谷より体格はずっと劣っている。十両上位で力があるから幕尻《まくじり》の青葉谷と取り組むわけだが、そういうことは角田にはわからない。どう見ても青葉谷が有利だと思った。
しゃがみ込むようにして両手を下ろし、足裏をこじってにじり出る青葉谷の仕切りには、じりじりと迫っていく気力が感じられた。
通算連続出場記録を更新する一番である。青葉谷はきっと勝つに違いないと思った。
「俺がついているぞ」
角田は心のなかでそう叫んでいた。永年皆勤勤続表彰を受けた俺がついている。国技館のなかでただ一人、四人分の枡席を悠々と占領し、周囲に注目されている俺がついている。俺は守護神だぞ。俺が乗り移ってやるから、記録更新は白星で飾れ。角田は次第に興奮し、心は土俵に上がっていた。
塩を取りにいった両力士に、呼出しが時間を告げた。青葉谷はタオルをとって顔を拭《ふ》いた。それから花道のほうへ顔を向けて、肩口から胸を拭《ぬぐ》った。角田も青葉谷にならい、西の花道へ視線を送った。花道の先に人垣ができていて、出を待つ力士の体が揺れているのが見えた。
青葉谷が土俵中央へ向き直った。そのとき視線が合った気が角田はした。上体に箍《たが》をはめられたように胸苦しさを覚え、手足が硬直していた。角田は全身を細かく震わせ、両力士が仕切るのを睨《にら》んだ。両手を胡座の内側へすぼめ、前こごみで顔を上げ、土俵上を食い入るように見る角田の姿勢は、枡席のなかで狛犬仕切りを真似ている風である。
角田は自分が仕切っている気分だった。青葉谷と一体になり、狛犬仕切りをしながら、角田の体は金縛りになった。
十両力士が突っかけてきた。青葉谷が待ったをした。二度目は十両力士が立つ気を見せなかった。三度目は両力士とも相手の出方をうかがっていて、出てきたら待ったをしようという気配の仕切りだった。角田も同じような気持ちになっていた。
立たない両力士に向って、背を見せている審判部長が注意をした。審判部長は嗄《しやが》れ声で叱《しか》った。青葉谷は審判部長に軽く頭を下げた。十両力士は不貞腐《ふてくさ》れた顔で天井を向いた。立ち合いが合わないのは相手のせいだといわんばかりだ。角田は十両力士を睨みつけた。大先輩を見習え。お前みたいな礼儀知らずは、青葉谷のひと突きで素っ飛んでしまえ……そんな気持ちで、まだ若いらしい十両力士を睨んだ。ここはどうしても、青葉谷に勝ってもらわなければいけない。十両力士は、大先輩の記録更新を祝して、勝ちを譲るべきだと思った。角田の胸中は、青葉谷大事のあれこれが駈けめぐった。胸が早鐘のように鳴った。
両力士が立ち上がった。審判部長が手を上げて制止した。上げた手を十両力士に向け、嗄れ声で喚《わめ》いた。十両力士が立ち合いに手をつかなかったといっているらしい。十両力士は、二度、三度と怒鳴られていた。角田はざまを見ろと思い、心のなかで快哉《かいさい》を叫んだ。青葉谷は、無欠勤記録の同志だ。角田は緊張感で金縛りになりながらも、青葉谷と一心同体の気持ちになっていた。
行司が大声で、
「待ったありません。手をついて」
というのが聞えた。青葉谷がしゃがみ込むように腰を落とした。十両力士は尻を持ち上げて仕切った。青葉谷は、膝頭の内側にすぼめた両手を、土俵にぴたっとつけた。足裏が土俵をこじり、仕切り線へにじり寄っている。
十両力士は、右手を下に左手をやや上にして、気をうかがっていた。青葉谷に先に両手を下ろされてしまい、後手《ごて》にまわった焦りが右手の震えに出ていた。土俵下で審判部長が怒鳴った。その声に触発されて、十両力士の右手が砂を掃《は》いた。
「ハッケヨイ」
腰高のまま突っかけた十両力士を、青葉谷が下から突き上げるようにして受けた。青葉谷の左手が相手の前褌《まえみつ》をつかんだ。十両力士の腰が浮いた。青葉谷は左で前褌を引きつけ、右をハズにあてがい、ぐいぐいと寄って出た。
「それいけっ」
角田は声を出して応援した。声援しながら自分が寄り立てている気分だった。
相手は土俵ぎわでこらえた。青葉谷が体《たい》を煽《あお》るようにして寄り立てた。角田の体は石の塊《かたま》りのようになっていた。塊りになった体を、枡席の中央でごりごり動かした。
一瞬、土俵上に変化があった。両力士の体勢が入れ替わった。寄り立てていた青葉谷が引いたのだ。それを相手が残して、腰へ食いついてきた。あっと思う間に青葉谷は土俵を割った。角田は呆気《あつけ》にとられていた。
こんな馬鹿なはなしがあるのか……という気分だった。相撲の取口にくわしくない角田には、立ち合いから勝負がつくまでの手順はわからなかった。土俵ぎわの引きも角田の目には入っていなかった。石のように体を固くしていた角田は、青葉谷の側で力んでいた。観る立場を失っていた。
角田は茫然《ぼうぜん》自失の有様で土俵上を見ていた。青葉谷の負けが理解できなかった。しかし負けたことは事実である。青葉谷が土俵を下り、行事が十両力士に勝ち名乗りを授けようとしていた。
青葉谷は土俵に向かって四十五度のお辞儀をした。異形だが真摯《しんし》な表情であった。角田はわれに返ってつくづくと青葉谷を見た。北京原人風の顔には、哀愁が漂っていた。ものごとを達観した感じの風情があった。土俵上では見られなかった顔である。
頭を上げ、視線をちゃんと土俵に据えて、青葉谷はくるりとうしろ向きになった。そして右肩を心もち下げながら、花道を引き上げた。ゆるくもなく、急ぐでもない歩き方には、年齢を感じさせる風情があった。
角田は青葉谷のうしろ姿を見送って、わが意を得た心持ちがした。心から通算連続出場記録達成お目出とうと思った。
角田は晴ればれした気分で手洗いに立っていった。枡席を出たとき、改めて自分が坐っていたところを見た。なんと広々とした場所であろう。角田は周囲の視線を感じながら枡席を離れた。
手を洗うときに見た鏡のなかの顔が、なんとなく青葉谷に似ているようだった。角田は父親を思い出し、それに近づける表情をしてみた。するといっそう青葉谷に似た顔になるようだった。鏡の前から離れるとき、もとの顔にもどそうとしたが、顔が強張《こわば》って思うようにならなかった。角田は生半可な気分で枡席へもどった。やはり周囲の視線が集中していると思った。
左隣りの枡席が騒がしくなっていた。相撲通らしいのがいて、その男が喋《しやべ》りまくっていた。
「記録といえばさっき負けた青葉谷だが、たしかきょうの一番で、初土俵以来連続出場の記録を更新したはずだ」
角田は聞き耳を立てた。これは嬉《うれ》しい話である。
「しかしぱっとした記録じゃないね。優勝回数とか三賞受賞記録にくらべたら、丈夫で長もちだけのことだ。いってみれば能力のないのが、なにが記録を残そうと思って、老醜《ろうしゆう》をさらして粘ったということだ」
「………」
角田はムッとした。隣席の男は青葉谷のことをいっているのだが、角田は図星をつかれた思いだった。永年皆勤勤続記録については、角田自身も、いまひとつ吹っ切れないものを持っていた。皆勤で定年は会社創立以来だといわれ、畏敬されたことは確かだと思うが、その顕彰には、愚劣さのようなものがつきまとっている気がした。気の遠くなる馬鹿らしさが潜んでいる。実はその点に角田は不安を抱いていた。
入社以来三十数年、一日も休むことなく通勤するということを、常識外と評する人間はきっといる。その数は案外に多いかも知れない。角田が受けた表彰は、栄光とは裏腹のものである。栄光は役員に出世をした同期入社が、遥か彼方に持っていった。角田に相撲の切符をくれる側の男がそれである。
「青葉谷は、通算連続出場の記録をのばすために、相撲を取っている男だ。一日でも長くへばりつこうという考えだ。恥も外聞もあらばこそだ。現役で残るためには、ごっちゃんもやるはずだ」
俺は違うぞ。なんの誤魔化しもしないで勤め上げた。そう反論がしたかったが、どうすることもできない。隣席の男は、青葉谷の更新した記録は、老害の一種だなどといってこき下ろした。角田は面白くなかった。角田も若い女子社員に老害といわれたことがある。ことば使いを注意したときだ。注意をした人間が、部長や課長なら、その女子社員は反撥しなかったはずである。角田は身の縮む思いになった。
広い枡席にいるのが不安になった。支えるものがなにもない空間に置かれて、孤立した感じである。片隅へ寄ろうと思ったが、いま更という気がした。目は上俵上にいっているのだが、気持ちはあらぬところを浮遊した。隣席の男のお喋りが耳障りでならなかった。
角田は見るともなく土俵上に目をやり、顔を強張らせていた。強張らせた顔は青葉谷に似てきたかなと思った。
全取組が終了すると、大半の客が立ち上がった。角田は腰を上げなかった。谷間に落ちた感じである。いちばん後から出るつもりだ。永年皆勤勤続の自分には、しんがりで引きあげるのが似合うと思ったのだ。
周囲に人の壁ができた。壁はどこまでも高く、壁の谷間から見上げるつもりで、なにげなく顔を上げると、左隣りの枡席から立ち上がった相撲通の男と目が合った。青葉谷をこき下ろした男である。
角田はこれ以上は似せられないというつもりで、青葉谷の顔をつくって見上げた。男はびっくりした様子で、二度お辞儀をした。顔をもどした角田は、青葉谷のために一矢《いつし》むくいた気分だった。角田は目を閉じて坐りつづけていた。
出方がきて角田を追い立てた。目をあけると土俵はシートが掛けられていた。紺色のジャンパーを着た、場内整備係の親方が三人、土俵の脇で腕組みをして、角田のほうを見ていた。
靴をはき、土産《みやげ》の紙袋を提《さ》げて、角田は西の花道へ足を向けた。
「出口はあっち」
親方の一人が正面の通路を指さした。太い声で命令口調だった。親方のことばを無視して、かまわずに西の花道へ歩いていった。
「そっちは遠まわりになります」
親方がいった。角田はわかっていますという風にうなずき、足は止めなかった。花道にかかった。青葉谷が引きあげていった通路である。
角田は右肩を下げ具合にして歩いた。花道の先にぽっかりと口があき、人影はなかった。角田は自分のうしろ姿がどんなものか見たいと思った。
家に帰り、土産についていた国技館の焼鳥を肴《さかな》に独酌《どくしやく》をした。焼鳥は亡妻の仏壇にそなえてから、食卓に下ろした。こうしたものを仏前に置くことは、仕来《しきた》りにかなうものかどうかわからなかったけれど、ひとり了見でそうしたのである。
仏壇にはヒトリシズカの花が供えてある。野草を好んだ亡妻が庭先に植えたものだ。
仏壇に目をやりながら、角田は盃《さかずき》を重ねた。
酔いがゆっくりとまわってきて、耳の奥でハッケヨイという行司の呼び声を聞いた。
焼鳥を口に入れると、国技館の情景が甦《よみがえ》った。回想場面はあれこれ駈けめぐり、青葉谷の風貌に落ち着いた。角田は青葉谷の顔をつくった。
「よし」
片膝を叩くと立ち上がり、仏壇に向かって狛犬仕切りを真似た。
淋しさをまぎらわすために、そんな冗談がしてみたかったのである。
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相撲|梅《うめ》ガ香《か》部屋
井上春子の嫁入り荷物のなかに、野梅系の鉢植えがあった。
梅は瀬戸引きの丸い鉢に植えられていて、苔《こけ》むした岩に似た根と、ひび割れた太くて短い幹を持ち、珊瑚《さんご》のような枝からは、細い小枝が刺《とげ》のような勁《つよ》さで突き出ていた。
剛直に枝を張る盆栽仕立ての梅は、大柄な春子の腕に抱え込まれると、典雅でしかも可憐に見えた。
その梅は、彼女の親がわりである篠原病院長篠原英一博士が、多年|愛玩《あいがん》している鉢で、嫁入りに際し、
「慈《いつく》しむように」
と渡してくれたものだ。彼女は博士のいいつけ通り、心を配って世話をした。
「篠原先生が呉《く》れたものだからといっても、たかが植木じゃあねえか。俺はそんなもなあ嫌《きれ》えだ。由緒《ゆいしよ》があるもんなら別だが、お前に呉れるくれえの代《しろ》ものだ。古びてるだけで、たいしたものじゃああるめえ」
と無風流な夫はいい、胡散《うさん》くさい目で見た。ときには、
「お前、そんなに梅が好きなら、それを持って出て、熱海の梅林にでもどこでもいって、帰ってこなくてもいいぜ」
と嫌味をいった。
春子は、夫の梅ガ香が、本家筋から疎《うと》まれていて、協会内でもたいした役職につけずにいるので、それで女房や盆栽に当り散らすのだ……と思った。
「根は決して悪い人ではない」
というのが、夫に対する彼女の気持ちだった。その気持ちは、死ぬまで変えまい……と心に決している。婚期を逸し、諦《あきら》めていた矢先に、降って湧《わ》いたような結婚だったから、たいがいのことには耐えていくつもりでいる。
そのためには、夫に辛《つら》く当られても、
「根は悪い人ではない」
と固く心に思い込むことであった。
梅ガ香親方が、女のところで酒を飲んでいる。女は三十を出たばかりの小柄で色白の美人だ。赤坂のクラブのホステスで、梅ガ香とは日乃出山で取っていた現役時代からの馴染《なじみ》である。時計は午前二時を指していた。九月場所が終わって間もない。二人とも酒が入っていて、テーブルヘだらしなく片肘《かたひじ》を突いた姿勢で、ブランデーグラスを口に運んでいた。
「今夜はどうするの」
と女が聞いた。舌足らずないいかたは、酔いがまわっている証拠だ。上目づかいの目が、梅ガ香へ、まとわりつくような視線を投げかけている。
梅ガ香の目つきも、先程から好色の度合を増していて、女の喉《のど》のあたりを、吸いつくように見ていた。
梅ガ香は、ぐいっと手を伸ばし、向う側にいる女の小柄な躯《からだ》を、自分の脇《わき》へ引き寄せた。
「今夜はお前と寝ていく。そのかわり、朝早いうちに帰る」
梅ガ香が、露《あらわ》になった女の腿《もも》に手を伸ばしながらいった。
「あんなでっけえ|あっぱ《ヽヽヽ》(女房)は、顔を見るのも嫌だ」
「親方は、いつもそんなにいうけど、それならどうして一緒になったのさ。そう聞けば、返ってくるのは、年寄株を買うための持参金と、梅ガ香部屋をつくるための後援者引きとめ策で、背に腹は替えられなかった。大目に見てくれということばだけどね」
「わかってるんなら、同じことをなんども聞くことはねえだろう」
梅ガ香の片手は、女の太腿をさすっている。
「くすぼいわよ。変になっちゃうわよ」
女は躯《からだ》を寄せてきて、梅ガ香の胸に手を入れた。
「本当のところは、お前とこうやって、毎日でも一緒にいてえところだ。でもそんなことをしてた日にゃあ、相撲の親方を廃業しなけりゃあならねえ。だから俺は、嫌々ながらあのお化け女と、我慢して一緒になってるんだぜ。そこんとこを少しは汲んでもらわねえとな」
「それはわたしもわかっているわ。でも、親方が奥さんと仲良くしていると思うと、いい気持ちはしないのよ」
「仲良くなんかしちゃあいねえけど……ではどうしたらいい。あいつと別れて、相撲年寄を廃《や》めた俺が、お前んとこへ転り込んでもいいのか」
「………」
「俺みてえな男を一匹、食わせていくなあ、大変なこったぜ。それともあれかい。俺にガードマンの仕事でもやれっていうのか」
「そんなのではないわよ。もういわない」
「そうしてもらいてえな。こっちは、万止むを得ずああいうデカブツと一緒になったわけだが、心はいつもお前のほうだ」
「ほんとね。わたしは親方が忘れられないのよ」
「俺もそうだ。お前のこのちっちゃなぽってりした躯が、たまらなく好きだぜ。それに比べりゃあ、梅ガ香部屋の女将《おかみ》さんは、仁王様が女に生まれかわったようなもんでな。うんざりのしっ放しよ。俺がでけえ奴を嫌いだってことは、お前だってよく知ってる筈《はず》だろう」
「それはそうだけどさ」
女は梅ガ香の懐《ふところ》で、クシュンと鼻を鳴らした。
相撲年寄梅ガ香清治……元大関日乃出山は、一七二センチ、一一五キロの小兵《こひよう》力士だった。
体に恵まれない日乃出山は、長いこと十両に低迷したが、じわりじわりと昇進して、幕へ上がった。低迷時代に、いまの女と関係ができた。女は最初、相撲取という物珍らしさで、日乃出山とつき合ったのだが、その逞《たくま》しい精力の虜《とりこ》になってしまった。そうなると弱いもので、いつしか日乃出山は、彼女の半ばヒモ的存在になった。女は日乃出山のために女体を開眼されて、いくつかあった真面目な結婚話にも、乗り気になれず、夜の勤めに居つづける結果となった。
女との悦楽に耽《ふけ》るようになった日乃出山は、不思議と体調を崩すことがなく、逆に相撲が強くなった。
もともとしぶとい土俵で、じわじわと力をつけていくタイプだった。一歩ずつ着実な低成長を続けたから、一人の女との交渉くらいで、大きく崩れることはなかったのである。逆に益々粘り腰となり、闘志を燃え上がらせて、三十三歳の相撲年齢としては遅い時期に、大関に昇進し、世間をあっといわせた。
大関になってからも、十二場所を、三場所休場はしたが、まずまずの成績でつとめた。小兵でしかも高齢にもかかわらず、二年間の大関確保は、異能の名を冠せられた。
色が浅黒く、苦《にが》み走った風貌《ふうぼう》は、異能大関に相応《ふさわ》しく、敵役《かたきやく》としての役目を果たすのにうってつけだった。
異能大関日乃出山は、敵役らしい狷介《けんかい》な性格を持っていた。そのために、所属する竜ノ海部屋でも孤立の状態で、特に親しい同僚もいなければ、可愛がった後輩もいなかった。相撲は俺だけのもの……といった態度で、アン弟子に礼を尽すでもない。そんな風だから、竜ノ海をはじめとする部屋の親方たちのなかには、
「日乃出山は、足でも折って少し苦労をすればいいのだ。そうでないとあの野郎は、人情ということがわからずに終ってしまう」
という者もいた。
体躯《たいく》に恵まれず、狷介孤独の日乃出山が、大関にまで上りつめることのできたのは、その性状によるところが大であるのは、皮肉といえば皮肉だった。
彼の協調性のない性格は、体格の貧しさからきていた。相撲社会で体が小さいことは、特異とされる。巨人のなかの小人に属して、日乃出山に、ある種の劣等意識が芽生え、それが次第に被害者の意地≠ノ育った。
巨大さに対する意地だった。日乃出山の相撲の粘りは、そこからきていた。巨大さに対する意地は、抵抗精神を養い、敵意が生まれた。
土俵上で巨漢力士と対戦するときの日乃出山は、敵愾心《てきがいしん》むき出しになった。小さな体ぜんたいに怨念《おんねん》の炎が燃え上がる感じで、観客はそれを喜んだ。日乃出山は巨漢をしばしば破った。叩《はた》きや蹴《け》たぐりといった奇襲ではなく、腰へ食いついての寄切りだったりして、土俵を大いに沸かせた。小兵力士が姑息《こそく》な手で勝ったからといって、自慢にはならない。堂々と、小が大を制してこそ、はじめて相撲といえる……というのが日乃出山の持論だった。そこには、巨大さに対する敵意が溢《あふ》れていた。
彼は身辺の持ち物も、なるべく小型を好んだ。ライターなども、婦人用のコンパクトなものを、袂《たもと》に忍ばせたりした。動物園にいってきた新弟子が、象の話を面白がってしているのを聞き、
「ベラベラとうるせえ餓鬼《がき》だ」
といって、張りとばしたことがある。
小結のときの夏巡業で、勧進元から特大|西瓜《すいか》の差し入れがあった。日乃出山は、
「俺は馬鹿でかいものは大嫌いだ。こうしてやる」
といって、差し入れの西瓜を踏み潰《つぶ》してしまった。
好んで他を容《い》れない感じの日乃出山だったが、相撲に意地があるので、ファンもいたし、後援者もついた。後援者の一人に篠原病院長がいた。
大関を十二場所つとめた日乃出山が、限界を知って、そろそろ現役をやめたいと申し出たとき、親方の竜ノ海は、
「ああ、そうかい。ご苦労さんだったな」
とひとこといっただけだった。日乃出山にしてみれば、引退したいから、年寄株を買う相談にのってもらいたい……というつもりの申し出だった。小兵大関として、協会にも部屋にも貢献したのだから、貸し株でもなんでもいいから、世話をしてくれてもいい筈……そう甘く考えたのである。貯《たくわ》えは全くなかった。
「日乃出山が廃業する」
という話は、後援者の一人である篠原博士の耳にも入った。博士が日乃出山を呼び、本人の意志を確めると、
「わしは年寄で残りたい」
と答えた。
「わしはつき合いが悪いから、親方連中から憎まれている。それだから株の一時貸しの世話もしてくれない。ここは先生の力で、いっちょう面倒を見て下さい」
余程切羽詰ったらしい日乃出山は、はじめて弱気を見せ、篠原博士の前で頭を下げた。
篠原博士は、日乃出山に接してきて、その性格を理解していた。性状のよって来たるところもわかったし、それゆえの土俵の粘り強さも知っている。
理解者として、日乃出山の第二の人生に手を貸して上げよう……と考えた博士のところに持ち込まれた話は、年寄株取得と結婚がセットされたものだった。
篠原博士の友人が経営する病院に、婚期を逸した看護婦がいて、父親が死亡したので約三千万円の遺産分割をうけた。実家が上越新幹線工事で、莫大な立退料を取得していたのである。
「年は三十八で、薹《とう》が立っているけど、気だてのいい女です。体もがっしりして大きいから、相撲社会の女房には、打ってつけではないですか」
というのが、向うの推薦理由だった。篠原博士は日乃出山の性格を知っているので、女の体格に、向うの感覚とは逆に危惧を抱いた。しかし三千万円のお金を持っているというのは、なかなかに魅力があると博士は思い、ものは試しと話を進めた。取り持ちかたが、お金目当てで些《いささ》か不純……と紳士の篠原博士は苦笑したのだが、角界で嫌われものの日乃出山には、正攻法一本で年寄襲名や、結婚がまとまるわけはないと考え、うしろめたさには目をつむることにしたのだ。
「わしはこの際、相撲社会に残れればいいので、相手の女が大きかろうがどうだろうが、文句はいいません。年寄になったら独立して部屋を持って……」
日乃出山は神妙なことをいい、篠原博士にすべて一任した。
自分の贔屓《ひいき》力士が相撲部屋を持つということは、社会的に成功している人間にとり、胸騒ぎを覚える出来ごとだ。日乃出山の殊勝な決意を聞き、篠原博士は、少しばかり冷静さを失った。
結婚の話はとんとん拍子に進んだが、年寄株のほうは思いどおりにはいかなかった。第一、所属する竜ノ海部屋が、日乃出山を厄介払いしたがっているのだから始末が悪い。篠原博士が八方手を尽した結果、ようやく年寄株「梅ガ香」を手に入れることができた。乗りかかった船というのか、篠原博士の肩入れはエスカレートし、有志を募って資金を集め、東京・江戸川区北小岩に土地を捜して「梅ガ香部屋」設立の面倒まで見た。元大関というので、新弟子も五人集まった。
しかし、元日乃出山の梅ガ香親方が神妙だったのは、相撲部屋としての形が整うまでだった。
看護婦をしていた頃に比べると、春子の躯は丸味が出て豊かな感じがする。
やはり結婚というふし目を経て、躯にもゆとりのようなものが出たのだろう。
「ぶくぶくとアンコ型に太りゃあがって。俺がでけえ奴を嫌いなことぐれえ知ってるだろう。お前は目障りな女だ」
と夫の梅ガ香は相変わらずの悪態である。結婚をして五年もたてば、夫の性格もすっかり飲み込むことができた。
巨大さに対する敵意と憎悪も、現役時代と少しも変わらなかった。現役時代には、土俵の上に憎悪の対象があったが、いまはそういうものが、梅ガ香の手の届くところにない。あるとすれば、女房の春子と弟子の梅登である。
梅登は部屋創立以来の弟子で、いまは幕下の上位にいる。身長一八七センチ、体重一二五キロは関取並みだ。二十歳だからまだまだ大きくなる。
巨漢に対する敵意が、抜き難い性格となっている梅ガ香は、梅登に対して、意地の悪い鍛えかたをした。はたで見るとリンチとしか思えないいじめかたを稽古場《けいこば》でするが、それに耐え抜く梅登が、大怪我もせずに強くなるのだ。巨大さに対する親方の私怨《しえん》が、梅登の肥やしになり、どんどん大きく強くなるのは、最大の皮肉といってもよい。梅ガ香親方は痛し痒《かゆ》しのジレンマに陥り、その腹癒《はらい》せは、決って春子のところにくる。
暴力を振った揚げ句の果ては、有り金をひっ掴《つか》み酒を飲みにいく。そして女のところに泊って翌朝帰ってくるのだ。そういうことが何年も続いていた。社会的な制裁を受けるような不始末をし出かさないから、相撲年寄の地位を辛うじて保っているわけで、相撲場の場内警備もさせてもらえないヒラ年寄が、襲名以来ずっと続いている。
十二月の中旬。春子は鉢植えの梅に霧水を吹いていた。
篠原博士からこの盆栽を渡されるとき、正月に花を見たいときには、十二月上旬に、戸外から日当りがよい室内へ移して、一日に三回、時間をきって、蕾《つぼみ》へ軽く霧水を吹きかければよいと教えられていた。
時間はちょうど正午だった。十三人いる相撲取は、稽古を終えてちゃんこ鍋《なべ》を囲んでいた。梅ガ香部屋は関取がいず、部屋頭は幕下上位の梅登である。取的ばかりだし、人数も少いから、ちゃんこも差別なしで全員が一緒に食べた。親方は梅ガ香一人であるが、外泊が多く、稽古は梅登が中心になった。たまに梅ガ香が稽古場へ顔を見せると、稽古を監督指導するというより、体のいい梅登をいたぶる結果になった。
この日は梅ガ香が外泊していた。例の女のところであることは、春子も承知しているし、弟子たちも気づいている。
春子は、湯呑《ゆのみ》の水を口に含み、頬を脹《ふく》らませて梅の蕾に霧を吹きながら、部屋の将来を考えていた。
気になることがあるのだ。
人伝《ひとづて》に耳にした話だが、夫が梅ガ香の株を売りに出しているというのである。
梅ガ香の名跡は、夫の名義になっているから、誰に売ろうと夫の勝手だ。ああいう性格だから、出資元の春子や篠原博士に相談などする筈はない。年寄株の売買は、売り手と取得資格がある買い手との、当事者だけで行われ、金額も推定値段でしかわからない。
もし夫が梅ガ香の名跡を売るとして、それを買った新しい年寄が、部屋を引き継ぐとは限らない。相撲部屋は年寄株とは別の資産である。年寄株とセットで部屋の土地と建物を買うとなったら、巨額の資金を必要とする。セットで買い取られなかった場合、梅ガ香の株を買った親方は、梅ガ香部屋の経営は抛《ほう》り出し、どこかの部屋つき親方におさまるだろう。困るのは梅登以下の力士である。引き取ってくれる部屋がなければ、弟子たちは廃業しなければならない。
春子は固い小さな蕾に向って、ぷっと口中の水を吹いた。青い蕾の先端が、ほんの僅かだが紅色を帯びていて、霧を貯めて光っている。来年も一月一日に花を咲かせて、稽古場の上がり座敷へ飾ろうと思う。鏡餠《かがみもち》と並べて、花開く鉢植えの梅を飾れば、その年はいいことがあるように思うのだ。事実、梅ガ香部屋は、親方の不行跡を除けば、少しずつよくなってきている。部屋頭の梅登は、来年の三月場所か五月場所には、十両へ上がるかも知れない。こんな大事なとき、夫は梅ガ香の名跡を、他人手《ひとで》に売り渡そうとしているらしい。
ぷっと霧を吹いて、春子は心が虚《むな》しくなっていた。
「梅は無駄咲きになるのだろうか」
大きな躯とは反対に、春子の心は小さく痩《や》せた。
玄関の戸が荒々しく開き、どたどたと廊下を歩く足音が伝わってきた。梅ガ香は、小さい体を大きく見せようとするのか、現役時代から上体を反《そ》らせて、足音を高くして歩く癖がある。
春子が梅の鉢を片づけて、迎えに出ようとすると、夫は部屋のすぐ近くまできていた。
「お帰りなさいませ」
「………」
梅ガ香は、むすっとして春子の脇を通り抜けた。
「若い者はいつものとおり稽古を済ませて、いま食事をしております。そのほか変わったことはございません」
春子は夫の背に追いすがりながら報告した。ぷーんと酒が臭った。
茶の間にどかんと尻を落とした梅ガ香は、懐からたばこを出してテーブルの上へ放り投げ、それを乱暴に手もとへ引き寄せ、一本をつまみ出して、への字に曲げた口にくわえた。ライターを女のところへ忘れたらしく、火を捜してもぞもぞしているので、春子が茶箪笥《ちやだんす》からマッチを出して、火を差し出した。
「うるせえ。自分で点《つ》ける」
梅ガ香は、春子の腕を払いのけた。
「ぼやっとしてねえで、マッチをこっちへ寄越せ」
「はい」
「お前はいつから梅ガ香部屋の親方になった」
ふうっと煙を吐き出しながら、梅ガ香がいった。
「おい。返事も出来ねえのか」
「はい。あの……どういうことでしょうか」
「へっ。とぼけるな。図体《ずうたい》がでけえだけあって、神経も図太いな」
梅ガ香は、春子を憎々し気に睨《にら》んだ。春子は身を縮ませる思いで、親方用の湯呑に茶を注いで差し出した。
梅ガ香は、湯呑を鷲《わし》づかみすると、茶碗ごと投げつけた。茶碗は春子の胸に当り、熱いものが顔に跳ね上がった。
「お前が出しゃ張ったことをするから、折角まとまりかけた話が駄目になった。面白くねえ」
梅ガ香はそういって、テーブルを激しく叩《たた》いた。
「お前は、俺が売ろうとした梅ガ香の株が、他人の手に渡らねえように工作をしゃあがった。そうだろう」
「いいえ。そんな……」
「誤魔化したって駄目だ。篠原先生が動いたのは間違いない。お前が頼まなけりゃあ、篠原先生だって、裏で手をまわすようなこたあしねえ筈だ」
「………」
「梅ガ香の株を売る話は、内密に進めてたんだ。それがどうだ。あっちこっち広まっちまった。お前が篠原先生に頼み込んだに違いねえ。年寄株を売れねえように仕組んだのはお前だ。お前はいつから梅ガ香部屋の親方になった。お前のお陰で俺の計画は目茶苦茶だ。畜生め」
梅ガ香は立ち上がると、テーブルの脇をまわってきて、春子を足蹴《あしげ》にした。横倒しになった春子の横腹を蹴りつけた。
「男でも女でも、図体のでけえ奴は、皆俺の敵だ。でけえ奴は、どいつもこいつも、皆俺のすることを邪魔しゃあがる。糞《くそ》面白くねえ」
無抵抗の春子を、梅ガ香は蹴とばし殴りつけて気絶させた。暴力を振った梅ガ香は、逃げ出すようにして、またどこかに出かけていった。
病室の窓辺に、一輪の水仙が牛乳瓶に活《い》けて置いてあった。序二段の津田が持ってきて挿《さ》していったものである。親方に内緒で見舞いにきたらしい津田は、うまい口もきけず、おろおろしながら花一茎を活けると、倉皇《そうこう》として立ち去ったが、目は涙がこぼれ落ちそうだった。
この子たちのためにも、梅ガ香部屋を持ちこたえなくてはならない……と春子は思った。津田が見舞いにきた日は、夜半まで風がガラス戸を鳴らしていた。
打撲の創《きず》は、幸い骨まで痛めることなく、入院十日目には退院の許可が出た。
退院する前日、篠原博士は春子を病棟に隣接する自宅に呼び、退院祝いの小宴を催してくれた。院長夫人を交えての、三人だけの宴だった。
「春子さんもご苦労なさいますね」
と院長夫人が心をこめていうのに、篠原博士が静かに頷《うなず》いて、
「苦労を実らせて上げないとね」
といった。春子は胸のつまる思いがした。
「前にもいったが、梅ガ香という男はね、根はいい奴なのだ。力士として体に恵まれないための……負けず根性が、いいほうに出たのが、小よく大を制した彼の相撲だ。その性格が悪く出た面が、世のなかの人間関係を、はすっかいに見る僻《ひが》み根性というのだろうな」
「はい」
と春子は答え、心のなかで……根は悪い人ではないと唱えた。
「いじけた妙な根性を直すのは、なんといっても女将さんの春子さんに頼る以外にない。辛抱しなさいというのは酷かも知れないが、もう少し我慢をしてみて下さい」
「は、はい」
「どうにもならないということになったら、春子さんの将来は、わたしども夫婦が、なんとでも責任は持ちます。梅ガ香部屋の相撲取の身の処しかたも、わたしが知っている協会理事に相談をしてみます」
「有難うございます。お願いします」
「梅ガ香親方は、年寄株が売れないのを、春子さんのせいにしたらしいね」
「………」
「春子さんから聞かなくても、そんなことくらいわたしの耳にも入ります。とんでもないことをすると思ったので、手を打ちました。梅ガ香の株は勝手に買わないようにと徹底させるのに骨が折れました。竜ノ海部屋の後援会長をやっている、元大臣の国会議員にも動いてもらいました」
「済みません」
「わたしが勝手にやったことで、春子さんが疑われて怪我をしました。謝らなくてはならないのはわたしのほうです」
「いえ。そんな」
「退院して部屋へもどる春子さんに、この際、秘中の秘をお話ししておきましょう。これは家内にもいってなかったことで……遅ればせだが君にも聞いてもらいます」
院長夫人は怪訝《けげん》な顔をし、不自然な体の動かしかたをした。それを見て、篠原博士が、
「なにもそう警戒するような話ではありませんよ」
といった。院長夫人が心もち頬《ほお》を染めたようだった。
「春子さんに差し上げた鉢植えの梅のことですがね」
「はい」
「あれは出羽ヶ嶽というお相撲さんから譲ってもらったものです」
「出羽ヶ嶽……といいますと、あの巨人力士の、出羽ヶ嶽の文ちゃんですの」
院長夫人が驚きの声を上げた。春子は、相撲年寄に嫁いだが、その力士の名は知らない。
「出羽ヶ嶽文治郎といって、大正から昭和にかけて人気があった巨漢力士です。不況時代の相撲人気を一身に背負ったこともあるのだが、なにせ二・〇四メートル、二〇二・四キロという超大型人間で、異常に発達した体は栄養のバランスを失って、しまいには廃物同様の力士になってしまった。出羽ヶ嶽は、青山の脳病院で少年期を送って、歌人の斎藤茂吉とは義理の兄弟の関係にありました。だから斎藤茂吉は、ガタガタになってしまった出羽ヶ嶽に、田子ノ浦という年寄株を買ってやったりしています。引退して田子ノ浦親方になった出羽ヶ嶽ですが、一門に軽んじられて、たいした仕事も与えられずに、昭和二十三年に年寄名跡を売って廃業します」
話を進めるうちに、篠原博士の顔は秋霜烈日《しゆうそうれつじつ》といった感じの厳しさになった。
「出羽ヶ嶽というお相撲さんは、巨大さのために力士にさせられ、あまりの巨漢故に、力士としても相撲年寄としても、疎外される形で終わった人物です。彼には喜劇と悲劇が同居をしていたわけだが、わたしはそうした人間に興味を持っていました。わたしが出羽ヶ嶽文治郎という名のお相撲さんを知ったのは戦後のことで、彼はもう相撲界を引退していました。だからわたしは伝説中の人物として、或る種の魅力を感じていたわけです。ところが世のなかは不思議なものです。わたしは出羽ヶ嶽と、ある時期に交遊を持ったことがあります」
院長夫人は、まじまじと篠原博士の顔を見た。春子は、博士からもらった鉢植えの梅と、巨大だったという相撲取の話が、どこでどう関連するのかわからず、小首をかしげながら聞いた。
「わたしが出羽ヶ嶽と会ったのは、昭和二十三年の秋でね」
そういって篠原博士は、ちらっと夫人を見、すぐに視線を落とした。
「死んだ先妻と、小岩の小さな借家で世帯を持ったばかりのことです。そのときのことだから、君には何も喋《しやべ》らずにいました。話をしたからといって、別にどうということもないが……再婚以前のことなので、つまりいいそびれたわけです」
そういって篠原博士が話したことは、次のようなもので、春子の関心をひくに充分だった。
新世帯を持った篠原医師のところへ、背が彎曲《わんきよく》した大きな男がきて、小鳥を買ってくれといった。それが出羽ヶ嶽文治郎と知って、篠原医師は腰の抜けるほどびっくりした。聞けば小岩の駅の近くに借家をしていて、カナリヤを飼ったり、サツキの鉢植えをしているのだという。駅前へ焼きとり屋を出したいので、たくさん飼っている小鳥を売り、資金にするのだと、元出羽ヶ嶽は洞穴《ほらあな》のような口をあけて説明した。篠原医師は、つがいのカナリヤを買った。しばらくすると、出羽ヶ嶽の文ちゃんが、小岩駅前へ、焼きとりの屋台店文ちゃん≠開店したという新聞記事が出た。酒のあまり飲めない篠原医師は、新妻への土産に、文ちゃんの店の焼きとりを買うことが何度もあり、向うも常客と心得た様子で、篠原医師の顔を見ると、親しげに笑った。文ちゃんの店には、奥さんの登代さんも一緒に働いていて、亭主よりも奥さんが切りまわしている風に見えた。十二月に入った寒い日曜日に、文ちゃんが前ぶれもなくたずねてきて、旦那さん、これをひとつ買っておくれといい、盆栽仕立ての梅を玄関の上がり框《かまち》へ置いた。いわくがある。旦那さんなら口が固そうだから説明する。どうしても入用の金がほしい、是非買ってもらいたいと、膝づめ談判の格好だった。文ちゃんの説明はこうである。戦後の間もなく、出羽ヶ嶽文治郎こと田子ノ浦親方の所属した出羽海部屋から、鉢植えの梅が一鉢消えてなくなったことがある。この盆栽は、出羽海親方が大事にしていたもので、いつも稽古場の上がり座敷に飾られ、部屋のシンボルの役割を果たしていた。それがなにものかに持ち出されてしまったのである。犯人は内部説が強く、出羽ヶ嶽が疑われた。文ちゃんには盆栽の趣味があり、サツキを百鉢近くも持っていたのだ。文ちゃんは身に覚えはなかった。犯人不明のまま、約半年が過ぎたとき、消えた梅の鉢がもどってきた。誰が持ち帰ったのかもわからなかった。もどってきた梅は、小枝が一本切り取られていたが、誰も気がつかなかった。出羽海親方が、あるいは気づいたかも知れないが、持ち運びの途中で痛んだくらいに思った筈である。これは……と思ったのは出羽ヶ嶽の田子ノ浦だけだった。文ちゃんは盆栽をやるから、切り取られた小枝は、なんのために使われたのか、ぴんときた。それが図星だったことが、つい最近にわかったという。ある相撲取あがりが文ちゃんの家をたずねあててきて、一鉢の梅を置いていった。その男は十両を目前にして左肩を痛め、それが致命傷になり廃業したが、ある晩こっそり出羽海が大事にしている鉢植えの梅を持ち出した。彼には都電の運転手をしている伯父《おじ》がいて、園芸にくわしかったので、部屋から持ち出した梅を呼び接《つ》ぎ≠ノしてもらった。呼び接ぎというのは、接ぎ木の一種で、両方に根がある木の、片方の枝を活着させた後で切り取る方法である。接ぐほうの枝を穂木といい、接ぎ取るほうを、台木という。この方法だと、接ぐ枝は根のついた幹から生えたまま、台木へ縛りつけて活着させるので、普通の切り接ぎと違い、枝が枯れる心配がない。それと、双方が根のついたまま、一方の小枝が移されるから、婚姻による親戚関係の成立を思わせるところがある。あるいは分家にも似ていて、双方の緊密感がより濃厚になる。鉢植えの梅を持ち出した幕下が、なぜそうした呼び接ぎ≠したかというと、彼は将来、相撲年寄になり、本家から独立して、その系列の部屋持ち親方になりたかったのだという。怪我のために志を得られなかった幕下は、せめてもの想い出にと、危険を冒して鉢植えの梅を持ち出し、呼び接ぎをした後で、またこっそり元のところへ返したのである。その男は土建業の方面で可成《かな》りの成功をおさめているが、出羽ヶ嶽のことを新聞で知り、まさか年寄を廃業しているとは思わず、自分の意志をついでくれるようにといい、その鉢を置いていった。男は出羽ヶ嶽がサツキなどの盆栽をやっているのも知っていたのだ。実をいうと俺も相撲部屋を持つ夢を抱いたことがある……と文ちゃんは篠原医師に述懐した。だからなんとはなしに男からそれを受け取ったが、いまでは焼きとり屋の文ちゃんで、再び相撲の社会に復帰は希《のぞ》めない。自分で持っていても意味はないし、そうかといって、相撲関係者に来歴をいって渡すのもまずい。旦那さんなら口の固い紳士と見受けるから、買い取ってほしいという。文ちゃんのいうことが事実かどうかはわからなかったが、興味半分でそれを買った。追跡調査をしなかったのは一種のロマンで、以来、大事に手入れをしてきた。手もとに置いて世話をするうち、篠原医師の心のなかに、これを呼び接ぎした男と、それをもらって、ふと以前の願いを想い出したという出羽ヶ嶽の悲願を、かわりに遂げてみたいという願望が生じていた。贔屓にしていた日乃出山が引退して、できれば独立して相撲部屋を持ちたいという。話がまとまり春子が嫁にいくことに決まった。そのとき、永年夢を貯めていた鉢植えの梅を持たせて、梅ガ香部屋の創設に花を添えたのが、現在春子が世話をしている梅である。出羽ヶ嶽は、梅を置いていくとき、暖い部屋に入れ、蕾に毎日三回霧を吹けば、元日に花を咲かせることができると教えた。いわれたとおりに世話をしたら、出羽ヶ嶽が置いていった鉢植えの梅は、元日の朝に紅い小さな花を咲かせた。
「そういうことでね。あの梅には三者三様の夢が託されている。鉢の故事来歴をいわずに持たせたのは、日乃出山の梅ガ香親方が、あのように巨漢力士を快く思わない性《さが》だからです。事情を知れば、あの気性だからね。梅の鉢を足蹴にして踏み潰すかも知れない」
篠原博士はそういって、春子の顔をじっと見つめた。
「人間辛抱だというのは、二子山親方のことばだが、春子さんも、もうしばらく辛抱をしてみて下さい。あの男も、どこかで必ず僻み根性がとれるときがあります。わたしは人間の体を診《み》るほうの医者だが、患者の精神も少しは診断します。人間はなにかのきっかけさえあれば、目が覚めるというか、精神も変わるものです。頑張ってみて下さい」
「はい」
春子が退院して帰ったとき、梅ガ香親方は部屋にいなかった。入院中も病院には顔を見せず、しょっちゅう女のところに泊るらしかった。
春子の留守は弟子たちが守った感じで、鉢植えの梅の世話も、教えたとおりにちゃんとやり、暮れも押しつまったいま、蕾はふっくらと脹らみ、乙女の唇を思わせた。
「この分だと、いつもどおり、お正月には花を咲かせるわね」
そういって霧水を吹く春子のそばへ、何人かの取的が寄ってきた。水仙を持って見舞いにきた津田の顔もあった。
「だれかカメラを持っている者がいるでしょう」
と春子がいった。
「アン弟子が持っています」
「梅登はいるかい。カメラを持ってくるようにいっておいで」
津田が呼びに走り出した。
「部屋にいる者全員呼んでいらっしゃい。記念写真を撮りましょう」
「はーい」
津田の声は弾んでいた。
梅登は三脚をつけたカメラの、自動シャッター装置をセットした。梅の鉢を前に、春子と取的たちが並んだ。
「今夜はね。女将さんが皆にご馳走をして上げましょう。なんでも好きなものをいいなさい」
退院に際して、篠原夫妻からお金をもらってきていた。わっと歓声が上がったときに、シャッターが切れた。
「もう一枚撮っておきます」
梅登がカメラをセットし直していると、玄関の戸が荒々しく開いた。梅ガ香親方が帰ってきたのだ。竦《すく》んでしまった取的たちの動きは鈍く、もそもそしているうちに梅ガ香が近づいてきた。
「てめえたちはなにをやってんだ」
酒を飲んでいるうえに、怒りで血がのぼったらしい梅ガ香の顔は、湯気が立つようだった。
「写真機なんぞ持ち出しゃあがって、なにをやってる」
「女将さんが、無事退院なさったので、記念写真を撮りました」
部屋頭の梅登が答えた。
「そりゃあ結構なこったが、親方の俺を入れねえなあ、どういうわけかい。俺に面当てかい」
「………」
「ふざけるな。この野郎」
梅ガ香は、ゲンコツで梅登の顔を殴りつけた。
「親方。すみません。わたしがこの子たちを呼んだのです」
春子がいって手を突いた。
「違います。俺たちが写そうといったのです」
「いいえ。写真を撮るようにいったのはわたしです。親方の留守に勝手なことをして、申しわけありません」
「女将さんではありません。俺たちです」
取的たちは、口々に春子をかばった。
「へっ。なにを抜かしゃあがる。両方ともうまくつるみゃあがって、勝手なことをほざくない。この女は余計なことばかりしゃあがるんだ。糞でも喰らえだ。こん畜生」
梅ガ香は、かしこまって頭を下げている春子の顔を、思いきり蹴上げた。顔をのけ反らせた春子は、鼻血を流した。
取的たちは手当てをしたくてうずうずしたが、親方の手前それもならず、真っ青になって立ち尽していた。
その晩はさすがに気がひけたのか、梅ガ香は外出しなかった。そのかわり部屋で酒を呑み、酌をする春子を憎々し気にねめまわして、なんだかだと難くせをつけていじめた。
「お前は篠原先生のバックがあるのをいいことに、俺に反抗をしている。図体がでかいだけに、やることも図太い」
といって毒づき、盃《さかずき》を重ねるごと、酒の癖は悪くなった。
翌朝は弟子たちの稽古を見たが、昼過ぎにぷいっと出ていった。
そのあとで、協会の生活指導部長から電話が掛ってきた。生活指導部長は理事である。電話は、梅ガ香夫人の春子あてだった。
「親方は在宅していますか」
と相手は聞いた。不在だと答えると、
「それなら話をするが、しっかり耳に入れてほしい」
といった。
「梅ガ香さんのことは、後援者の篠原先生などの口添えもあって、穏便にすませていますが、どうもいろいろなことが、協会のほうにも伝わってきます。無役の年寄といっても、弟子を抱えている歴《れつき》とした相撲協会の親方ですから、女将さんに暴力を振ったりして、大怪我をさせるのなど、感心できません。弟子の稽古もあまり見ないそうではないですか。注意をしようにも、協会に寄りつきません。実に困っておるのです」
「どうも申しわけございません」
「あのねえ、奥さん。これはあなただけの耳に入れておくのですが、梅ガ香さんの素行が、いまのままで改まらないようだと、協会としても断を下さなければなりません」
「………」
「そういってはなんだが、あの男は駄目ですよ。思い切るということも、ときには大事ではないかね」
「いいえ。あの人は、そんな……」
「最悪のことになる場合も覚悟しておいて下さい。弟子のことは、協会で面倒を見ます」
「うちの親方は、あんなにしてますが……根は」
悪い人ではない……といいかけたら、電話が切れた。
その日の夜、春子は床にもつかないで、鉢植えの梅のそばに座りつづけていた。
「弟子たちのことは、協会で面倒を見る」
といった生活指導部長のことばが、万が一の場合の救いの神に思え、決断をしようかどうか、考えあぐねて眠る気になれなかった。
今夜もたぶん梅ガ香は女のところだろう。夫婦間の夜の交渉は、絶えて久しいが、子を生《な》さなかったのがいけなかったのだろうか……とも思った。根は悪い人ではないという思い入りにも、限度があるのかも知れないと考えた。弟子たちの行く末に心配がなければ、梅ガ香とは所詮縁がなかったものと諦めてもよい……と春子は思った。
そして……鉢植えの梅に目をやると、また考えはもどってくる。
幕下で廃業した男と、余りの巨大さ故に角界をはみ出た出羽ヶ嶽という力士と、春子を梅ガ香の嫁に世話してくれた篠原先生。この三人の男の夢が託されている梅を、離婚の荷物と一緒に持ち帰るのは、三人の男に対して済まない気がするのだ。さりとて、このままずるずると、夫のいい加減な生活態度に黙ってついていっても、結果はわかり切っていた。このままでは梅ガ香自身が、自分で自分の首を締め、自滅するだろう。あの性格が直らなければ、相撲年寄の生命は早晩尽きる。いずれ放り出されてしまう弟子なら、他所《よそ》の部屋に移すのは、一日も早いほうがいい。
「梅ガ香は、外で傷害事件でも起こして、協会を首になったほうが、いいかも知れない」
春子の気持ちのなかに、鬼が生まれかけていた。
廊下に足音を忍ばせてくる気配がした。足音はいくつもの軋《きし》み音をさせて、ゆっくりと近づいてくる。春子は思案を止めて、足音に耳を澄ませた。廊下を軋ませた音は、部屋の外にきて止まった。
「女将さん。起きておいででしたら、少し相談したいことがあります」
梅登の声である。
「なんの相談ですか。なかへお入りなさい」
障子を開けて、梅登のほかに三人の取的が部屋のなかへ入ってきた。緊張しているらしく、がたがた震えている者もいた。
「お前たちは、親方が留守なのを知ってきましたね」
「はい」
「それで、なんの相談ですか」
「この三人が廃業したいといっているのです」
梅登が答えた。
「なぜですか」
「あの……この部屋にいても、将来が心細いので、いまのうちに転業したいと……」
「それは親方への批判ですね」
「はい。いえ……そういうのではないけど」
「お前たちのいいたいことはわかっています。廃業をしたいのなら、自由にしたらいいでしょう。わたしは梅ガ香部屋の女将さんだけど、相撲協会の人間ではありません。廃業の相談を受ける立ち場にいません。そんなことくらい、部屋頭の梅登にはわかっている筈です」
「はい」
「部屋頭なら、若い者のそういう意見をまとめて、堂々と親方にいいなさい。こそこそとわたしのところにくることはないでしょう」
いつもとは違う春子の見幕に、勝手が違って、取的たちは狼狽《ろうばい》した。
「いまのうちに転業をしたいですって。そんなご都合主義は、親方のほうからご免こうむるというでしょう。廃めたらいい、ただし、こそこそと夜なかに出ていくようなことは止しておくれ。親方に断わって、堂々と廃業しなさい。ここの主人は、女将さんのわたしではありません。相撲年寄梅ガ香清治が責任者です。それに申し出て許可を受けなさい」
春子の声は、凛然《りんぜん》と響いた。取的たちは、背を丸めて縮こまった。
本当は違うことをいおうとしたのだが、どうしたことか、春子も自分でわからないくらい、別の激しいことばが口をついて出てしまった。もう少し辛抱していれば、お前たちの移籍がある……と説明するつもりが、急に別なことばになった。しかし春子はこれでよし……と思った。
取的たちが鼻を鳴らし、しおたれて部屋を出ていった。
春子は、梅の蕾にそっと指先を触れてみた。指先に快い破局を感じた。
梅ガ香の女のところで悶着《もんちやく》がはじまっていた。
梅ガ香は、女の部屋の合鍵を持っていて、留守に上がり込み、女が夜の勤めから帰るのを、ちびりちびりやりながら待っていた。
梅ガ香の年寄株を売り、二人でなにか事業をやるという計画でことを進めたが、この計画は篠原博士らの奔走で頓挫《とんざ》した。そのため梅ガ香は春子を疑い、夫婦の間はいっそうまずくなった。おかしくなったのは、春子との間だけではない。大金が入るのを当て込んでいた女との間も、いままでのようにはいかなくなっている。女の心が急に離れていく感じがした。泊り込む梅ガ香が、女の引き止め策のように、猛烈な挑戦をするのだが、女の体は前のように燃えてこなかった。それがわかる梅ガ香は、なお一層の大努力をするが、女はそれに作意を感じ取るらしく、梅ガ香の思いは空まわりに終った。
「なにをそんなにあがくのさ」
と、ことの最中で女がいったのは、前回の夜だった。今夜はそんな御託《ごたく》をいわせないくらい、くたくたにしてやるつもりで、梅ガ香は女の帰りを待った。
女はどこかに寄っていたらしく、遅くなって帰ってきた。
「ああ。やっぱりきていたわ」
と女はいった。後ろに黒いスーツの男がいて、それにいったのである。
サングラスをかけた若い男は、挨拶もしないで、梅ガ香の前にどっかりと腰を下ろした。頬に傷があった。梅ガ香を見てニヤッと笑い、すぐに精悍《せいかん》な顔つきにもどった。
「あんた。早く話をつけちゃってよ」
寝室で着替えをするらしい女が催促をした。
「そうだな」
男はテーブルの上で、指をポキポキ鳴らした。指先や節に胼胝《たこ》のような出っ張りがいくつもあった。梅ガ香はたじろいだが、
「君は誰かね」
と聞いた。梅ガ香の気持ちのなかには、ここは俺の女の部屋だという認識がまだ残っていた。
「俺は彼女が働いている店のマネージャーだよ」
と男は答えた。
「細かいことはいわない。あんたは今夜限りここにくるな」
「それはどうしてだ」
「細かいことはいわないといったろう。要するに彼女はあんたを必要としなくなったのだ。それだけいえばわかるだろう。帰りな」
「帰ってといったら帰ってよ」
着替えを済ませた女がきて追い立てた。
「あんたみたいな嘘つきは、二度と顔を見たくないわ」
「嘘つき……」
「そうではないか」
と男が梅ガ香を睨んでいった。
「あんたは年寄株を売って、八千万円がとこつくると彼女にいったろう」
「………」
「八千万はおろか百万もできないではないか。お陰で俺のほうも当てがはずれた」
「なんだって」
「勘の鈍い爺《じじい》だな。まだわからないのか」
男は拳《こぶし》でテーブルを叩き、梅ガ香の顔へぐっと突き出した。
「帰れ。金の出来ねえ爺に用はないのだ」
梅ガ香は抗する術《すべ》がなく腰を上げた。立ち上がると男も立った。防御体勢をとったのだ。背は梅ガ香より低い。どちらかといえば、小男の部類である。梅ガ香は一瞬……なんだ小さい奴がと思ったが、若い男の気迫に押された。男の目は情念に燃えて異様に光っていた。
「帰れ。この一文なし。合鍵を置いていけ」
梅ガ香は仕方なしに鍵を床へ落とした。足もとが覚束《おぼつか》なかった。
「あんたみたいな男は、もううんざりだわ」
女も嵩《かさ》にかかっていった。
「俺だってそうだ」
梅ガ香は捨て台詞《ぜりふ》をいい、逃げ腰になっていた。
「お前のように、こすっ辛くてチビの女は、もう飽きた」
と口から出まかせをいった。
「ああ、そうですか。これからは、お化けみたいな大女に抱かれて、腑《ふ》抜けになればいいのよ。あんたにはそれが似合いよ」
女が憎まれ口を追いかぶせてきた。
「大女だろうがなんだろうが、俺の正規の女将さんだ。お前らの知ったことか」
梅ガ香は、精いっぱいのことをいい、急いで表へ走り出た。
タクシーを止めて、
「小岩方面へ大急ぎでやってくれ」
といった。
梅ガ香部屋のあたりは、寝しずまってもの音が絶えていた。
耳を澄ますと、ミシ、ミシと大気が軋《きし》む音が幽《かす》かに聞こえた。路上は凍てつき、家々の屋根に霜が降りている。
先刻から、梅ガ香部屋の裏木戸付近を、行きつもどりつする男がいた。吐く息が、ぱっ、ぱっと白く凍って見える。梅ガ香部屋は、親方の帰りを待って、裏木戸も玄関も夜通し開けておく。
行きつもどりつする男は、次第に意を決する風だった。相撲年寄梅ガ香清治にとって、ここよりほかに帰るところはない筈だ。
春子は、寝もやらず鉢植えの蕾を見つめていた。春子の気持ちもふん切りがつかず、ひと晩中、行きつもどりつしていた。
もう朝が近い。取的たちが起き出す時刻だ。
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十両十三枚目
地下道はものの饐《す》えた臭いがする。コッペパン一個で春をひさぐ姐《ねえ》さんは、擦《す》り切れた軍隊毛布にくるまって寝てしまった。追い剥《は》ぎ稼ぎの哥《にい》さんが、何やら変な注射をはじめた。
縁《ふち》の欠けた焜炉《こんろ》と、踏み潰《つぶ》された鍋《なべ》が財産の女浮浪者は、どこで拾ってきたのか、訳の解らぬ食いものを煮ている。その饐えた臭いが、燻《くすぶ》る煙に乗ってうす暗い隧道《ずいどう》を這《は》う。
コンクリートの壁へ背をもたせた少年は、そわそわしていた。両手で抱え込んだ膝《ひざ》に、ときどきがくがくと震えがくる。少年の鼻は女浮浪者の炊《た》く変な煮ものの臭いを嗅《か》ぎとって、|ひくひく《ヽヽヽヽ》と動いた。膝頭《ひざがしら》もろとも抱え込んだ腹が、|キュウ《ヽヽヽ》、|キュウ《ヽヽヽ》鳴って痛い。少年は死ぬ程に腹を減らしている。食えるものならなんでも食いたい。新聞紙の煮たのでもいい。塩を付ければ藁《わら》しべだって食えそうだ。女浮浪者の炊くごった煮の饐えた臭いへ、少年の飢えが引きずられていく。
壁をこすってよろりと立った少年の目の先を、大きなものが動いていった。少年はハッと目を見張った。目の前を過《よぎ》った小山のような人は、トンネルを出口ヘ向って歩いていた。少年の目がその黒い大きな人影に貼《は》り付けられた。肉を全部|殺《そ》ぎ落したような脛《すね》が、手繰《たぐ》られるようにするすると動きはじめ、やがて地を蹴《け》る早足になった。
地下道を出ると燦然《さんぜん》と降りそそぐ秋の陽《ひ》がある。焼け残ったビルの肩へ、抜ける程の青空がかぶさって見える。少年は目をしばたたいて、登山帽の大男を追った。背中に米俵を突っ張らせたようなリュックが揺れている。
大男は稲荷町を真っ直ぐ行き、菊屋橋で右へ折れた。三筋町から蔵前へ、浅草橋を左に曲って橋へかかる。焼夷弾の嘗《な》め跡が斑《まだら》模様をつくった欄干《らんかん》から、川面を覗《のぞ》いた男がひと息つく。右手にとった登山帽で、胸元へ風をくれる。付いてきた少年が足を停めて、胸元に川風を入れる大男の頭を凝視した。
ちょん髷《まげ》……。男は|わっさ《ヽヽヽ》と大荷物を迫《せ》り上げて歩き出した。少年の足が後を追う。空腹の少年は、ここまで付いてきて、激しい吐息を繰り返している。
「何だろう」
首をかしげながら後を付ける。
「侍かな」
男の歩行につられながら、浮浪の少年は川島部屋の厨房《ちゆうぼう》へ入ってしまった。
「何だお前は」
リュックを下して腰を伸した小結の風駒は、野良犬でも見る目つきで少年を見下ろした。厨房に肉の匂いがしている。少年は土間へへたへたと腰を抜かして座り込んだ。
「何だ貴様」
胡散《うさん》臭そうに少年を見ていた風駒はくるっと背を向けると、大鍋に煮えた肉塊を手|掴《づか》みで口に入れた。
「お前も食うか」
少年の目の前に、香ばしい肉の匂いが運ばれてきた。少年の口辺を、湧《わ》き出た涎《よだれ》が濡《ぬ》らしている。
「赭犬《あかいぬ》の肉だぞ」
少年は氷柱《つらら》のように垂れ下った涎をすすり上げる。両手へ受けた肉塊はほんわかと暖い。香ばしい匂いが鼻をつく。口中に生唾《なまつば》が溢《あふ》れている。少年は口辺水浸しの餓鬼《がき》になっていた。
「まるで犬だな」
いつの間にか取的が三人、少年の前に突っ立っている。
「おい、食い終ったらさっさと出ていけ」
掌《てのひら》を上向けて、出て行けと追い払う格好をする。少年は虚《うつろ》な目で見上げていた。彼は相撲取りを生れてはじめて見たのだ。
「ここはどこですか」
少年がはじめて口をきいた。
「川島部屋だ」
「………」
「解んねえのか、相撲取の部屋だ」
「?……」
「ハーたろじゃねえか、この小僧」
取的三人、闖入者《ちんにゆうしや》を厨房に残したまま、鷹揚《おうよう》に外へ出て行った。リュックを背負ってきた大男の姿もない。少年は大鍋へ顔を突っ込むようにして、ちゃんこのごった煮を食えるだけ食って、ヒョーと鼻から息をつき、どてんと尻《しり》を落すと瞼《まぶた》を重くした。ヒョー、ヒョー鼻を鳴らして、そのまま眠り込んでしまった。
約一時間後、少年は道路へ放り出されて目を覚した。路上に転がされて何が何だか解らない。キョト、キョトしている顔に、草履《ぞうり》をはいた大きな足が迫ってきた。少年は踏み潰されると思った。
「ヒイー」
と上げた悲鳴に、誰かが呼び止める声が聞えた。迫ってきた大きな足が、くるっと向きを変える。
「どうしたい」
紋付きを着た白髪の太った人が聞いている。
「この小僧が、ちゃんこをあらかた食っちまやがったんで」
説明しているのは、少年が上野から後を付けてきた、リュックの大男。
「揚《あ》げ句《く》の果てが、ちゃんこ場《ば》で寝てやがったんで」
紋付きが近寄ってきた。殿様のような白足袋をはいている。
「浮浪児らしいんで」
リュックの男が吐き捨てるように言っている。
「蹴っ飛ばして隈田川へうっちゃちまいましょうか」
「乱暴はできまい」
と白足袋の人が言う。
「うちに置いて雑用させたらどうだ」
「こんな餓鬼をですか」
「何かの縁じゃねえか。そのうち親元も知れるだろう」
「何でここへきた」
白足袋紋服が聞いた。
「この人にくっついてきました」
リュックの大男を見上げて答える。
「どうしてだい」
「えーと……その……」
少年は本意を伝えることを知らない。大きな人がいた。あんな大きい人なら、食べものもうんと食っているのだろう。この人に付いていけば、食べ残しが貰《もら》えるだろう。食につられての追跡を、浮浪少年は表現できずにいた。
「ま、いいや。そのかわりうんと働け」
少年は相撲部屋に居付いた。白足袋紋服は、部屋の総帥《そうすい》川島親方だった。この頃、川島部屋の隆盛は目を見張るものがあった。前頭に三人、十両四人、取的の数が二十いくつ。剛腹な川島親方に率いられて、角界を睥睨《へいげい》していた。
川島親方に拾われた少年、市柳民夫はくるくると仔犬のように動き回る。相撲部屋も食糧不足を訴える時代だったが、腹減らしのこども一人分くらいどうということはない。腹いっぱい食べられることが少年の生き甲斐《がい》だ。市柳民夫はよく食べよく働く。川島親方が後見人になって、近くの小学校に編入させた。取的たちと寝起きをし、ちゃんこをつついて育った。ずんぐりむっくりの若者になり、見よう見真似の相撲が本気になる。新弟子検査を受けたら、背丈に多少のお目こぼしがあって、いちおう合格。六年かかって幕下を通過。十両を二年と二場所つとめて入幕した。民夫の成長と逆行して、部屋の関取は次々と駄目になる。元小結だけが残って、いま年寄|武甲《ぶこう》を名乗っている。少年が居付いてから二十三年が経った。少年は高田龍を名乗って十両をつとめている。前頭から転落してきた老力士だが、衰退した川島部屋にとっては、これ一枚きりの看板である。
土俵下のたまり席が、六割がた埋り、出方《でかた》が桟敷《さじき》へ客を先導する回数がしげくなった。十両取り組を迎えて、相撲場は活気が溢れてきた。
西の二字口を上って、川島部屋の高田龍がチリを切っている。東へ新十両の浅黄山が上る。高田龍は、ノッシ、ノッシと太鼓腹突き出して塩を取りに歩くのだが、パッと降りそそぐ電光に、老いの肉体を曝《さら》されては、二十歳の新鋭にどうしても見劣りがする。
「ハッキョイ」
「ノコッタ、ノコッタ」
浅黄山に両廻し引き付けられ、動きのとれない高田龍は、力の入らぬ半ベソ顔で、ずるずるっと寄り切られた。
「ショウブアッタ」
要之助の軍配《ぐんばい》に、歓声もなければ拍手もない。勝つべき相撲取が勝ち、負けて当然の力士が負けた、という場内の雰囲気である。高田龍は初日から三連敗。西十両十三枚目だから、もう後がない。一つの負け越しでも、幕下転落の崖《がけ》っぷちにいる。
高田龍は、支度部屋の風呂に首までつかり、壁を睨《にら》んでじっとしていた。息をこらすようにして湯につかる時間を、彼は体中で、
「ああ、嫌だ、嫌だ」
と言っていた。風呂を上る。取的が二人、高田龍の体を拭《ふ》いていく。肩から背へ、タオルを拭き下すと、|ぶよ《ヽヽ》、|ぶよ《ヽヽ》とたるんだ肉が、腰のあたりに小山をつくった。
裾《すそ》のあたりが|よれっ《ヽヽヽ》としたコートを着て、負けた高田龍が帰って行く。西側通路の売店にいた婦人客が、ちらっと見て小首をかしげた。見たこともない、という思いをあからさまにした婦人客の顔だった。
高田龍は、短躯《たんく》を小走りに運んで木戸口ヘ急いだ。相撲場にいたたまれない気がするのだ。付人の山本が、安ものウールの着物の据をひらひらと、傷心の高田龍の後を追う。大川の上に垂れ込めてくる雨雲が、風花《かざばな》でも撒《ま》きそうな気配だ。
「寒いな。きょうは格別寒いな」
と蔵前橋を渡る高田龍がいう。背を丸めた付人の山本が、風をよける具合に顎《あご》を引き付けて頷《うなず》いた。橋上の埃《ほこり》をさらう風が肌を刺す。
高田龍は部屋へ寄って、川島親方に挨拶《あいさつ》をした。中気で寝たきりの川島親方は、高田龍を見上げて笑っている。頑迷一徹だった川島部屋の総帥は、高田龍にすがり付くような目で笑う。その弱々しい笑顔を見ると、高田龍はどうしようもない気持ちになる。相撲を廃《や》めようにも廃められない気分になるのだ。
「弱ったな」
自宅へ帰った高田龍は、溜息《ためいき》まじりのひとりごとだ。小さな飲み屋をやっているアッパ(女房)は、店へ出かけて留守。こどもは小学校からまだ帰らない。いつもは付人がきて、ごろごろしているのだが、先程小遣をやって映画に行かせた。
「なんとかならんものかな」
テーブルヘ頬杖《ほおづえ》ついて、所在なさそうに鼻毛を引っ張る。
高田龍は廃めたいと思う。幕(前頭)に四年と一場所いた。十両へ落ちてから五年だ。とっくに限界はきている。廃業を申し出るといつも引き止められた。
「頼む。もうひと踏ん張りしてくれ。せめてお前の跡をつぐ奴《やつ》のメドがつくまで、十枚目(十両)を確保していてくれ」
一門の武甲親方も、頼む、頼むの一点張りだ。
川島部屋は凋落《ちようらく》した。協会の中であるやなしやのしょぼくれ部屋になってしまった。親方二人、力士の数五人。十両高田龍、幕下一人、三段目二人……幕下から落ちてきて序二段という糖尿病患者が一人。取的のうちで十両へいける可能性のあるのは一人もいない。高田龍……三十五歳の老骨といえども、川島部屋でたった一人の関取だ。これが廃めてしまったら、あとはうだつの上らぬ取的が四人だ。先細りで、ことによったら川島部屋の灯が消えるかも知れぬ。御大《おんたい》の川島親方は、大酒と落ち目の労苦で、半身不随の病床にある。布団から顔半分出しての泣き笑いで、
「民坊たのむよオ」
そう言われると、二十数年の昔が俄《にわか》に甦《よみが》える。剛腹だった川島親方に、酒を注がれた華やいだ往事の回想が、古風な高田龍の感傷を呼び起す。
「この親方を見捨てて廃められる訳がない」
高田龍の義理堅さが、彼の心中でむんずと腕を組む。
親方の側にも、高田龍の老骨に是非とも踏ん張ってもらわねばならない事情がある。ひと吹きで掻《か》き消されてしまいそうな小部屋でも、関取がいるいないではたいへんな違いである。関取皆無では、世間も相手にしてくれない。
「民坊の跡をつぐのが出ねえかなア」
床擦れの体に顔をしかめて、川島親方が諦《あきら》めきれない長嘆息をすれば、武甲親方が、
「まったく……小部屋にゃ新弟子のなりてもこない」
と情ないことばのやりとりが重なる。
初日、二日、三日と負けてきた高田龍が、千秋楽を終って七勝を上げていた。誰が考えても予想外の勝ち星。一つの負け越しだが、幕下上位が皆こけていた。幕下の上位十人が負け越した。星の潰し合いで実に珍らしい場所だった。幕下優勝が東の三十五枚で六勝一敗という不出来の場所。この星では幕下優勝の十両昇進はない。武甲親方は幕下の星取りを睨みながら、うまい格好に工作をした。七番勝てば十両安泰。武甲親方の狙いは当って、高田龍は春の大阪でも十両だ。十両どん尻の十三枚目で取れる保証ができた。ということは、また来場所も廃められないという訳だ。
「なんとかせにゃしょうがないぜ。わしは一生相撲取を廃められないぞ」
冗談とも本気ともつかぬことを高田龍は考える。
「新弟子が必要なんだがな」
川島部屋へ足を向けながら、高田龍は考える。川島親方は座敷から縁側へ布団を引いてきて、日向《ひなた》の中に臥《ふせ》っていた。長年の病臥《びようが》で青白くなった手や顔が、冬陽《ふゆび》を受けてうす桃色に染っている。くるりと桃の皮をむいたような皮膚が痛ましい感じである。
「いいんですか、陽に曝《さら》されて……」
「い、い、いいも……悪いも、もうこれ以上、だ、だ、駄目ちゅうこたねえから」
弱々しい声だ。この|か細い《ヽヽヽ》声に高田龍は弱いのだ。この声に、いままで何度廃業を思い止ったか解らない。川島親方の取りすがってくる弱々しい声を聞くと、少時から面倒見てもらったことの一切合財《いつさいがつさい》が、高田龍の心にまとわり付く。鳥もちにくっ付いて離れられない状態だ。
「実は親方」
そう切り出すと、横枕《よこまくら》で高田龍を見上げている川島親方が、かぶりを振る。引退廃業を言いに来た、と思うのだ。
「違うです」
高田龍は親方の枕辺に顔を落していっていう。そうすると、ずうっと親身になっていく気分になるのだ。ガラス戸を透かして射す冬陽が、枕辺に暖かな陽だまりをつくっている。
「実は親方、大阪の場所がくるまで、わしひとつ新弟子捜しをしてみようと思うとるです」
「あ」
川島親方が解《げ》せないといった表情で、もう一度説明を求める。
「わしが新弟子捜してこようと思って」
「ほう、ほう」
親方が理解の頷《うなず》きをした。
「なんとかしなきゃしょうがないでしょう、ね、親方」
そうだ、と横枕の川島親方がしきりに顎を引く。
「新弟子のいいのが見つかったら……」
高田龍は本心を言いよどむ。親方が目をしばたいて後のことばを待っている。
「……有望な若いもんが見つかったら、わしの土俵は大阪でしまいにしてもいいでしょうか」
川島親方は、しょぼしょぼした目で高田龍を見上げている。目の切れふちへ目脂《めやに》が固っている。高田龍は懐ろの手拭《てぬぐ》いを出し、唾《つば》をしみ込ませて丁寧に拭き取ってやった。
「た、民坊にも無理の……いいつづけだったからなア。新弟子が……み、み……見つかったら……見つかったらお前、ま、髷切ってもいいよ」
川島親方がはじめて引退を喋《しやべ》った。目の下にたるむ蜜柑《みかん》の袋≠ヨいっぱいの涙をためて、もう廃めてもいいといった。
高田龍の胸中に、名状し難い嗚咽《おえつ》がこみ上げてきた。うっと息を吐けば、さっと涙のにじむ感懐だ。
「大阪がはじまるまでに、きっと……素質のあるのを見つけてきます」
「頼むよオ……お、お前にばかり苦労を、か、かけるなア」
高田龍は川島親方の手を取っていた。ふやふやと力の抜けた恩人の手だ。
川島部屋を出たその足を、武甲親方の家に向ける。諒解《りようかい》をとっておくつもりの訪問だ。
「おう、ま、上れよ。何か用か」
床の間の鴨居《かもい》に小結時代の揚額がある。武甲親方が座を占める頭上にその額がくる。
「川島親方に許しをいただいてきたところなんですが」
「なんのこと」
武甲親方の猪首《いくび》が心持ち伸びる。
「引退のことで……」
「廃める。大阪がすぐだよ。大阪取らねえんじゃ君、初場所そのつもりで根回ししたのがなんにもならないぜ」
武甲親方は、正月場所の七勝の……ひそかに工作した幕下陥落防止策≠ノ就いての苦労をいっている。
「大阪はつとめます。話というのは大阪までにわしが動き回って、素質のある新弟子見つけようということなんです」
「新弟子を。そりゃ君無理だろ」
「………」
「どこへ捜しにいくつもりだい。外国にでもいく気かい」
「いえ、東京を回ってみます。人がいちばん多いところですから」
「こりゃ驚いたな。人間はごろごろしてるだろうが、相撲取になろうなんて馬鹿はいやしまい。なんか君、勘違いしとるんじゃないか」
「……いまは田舎の若者が皆東京へ集ってきてますんで、かえって東京が穴だと思います」
「しかし君、素質のある奴は、こんな貧乏部屋へはこないよ。捜しても無駄だぞ」
武甲親方は頭から馬鹿にしてかかっている。高田龍は唇を噛む。
夫人が盆へ徳利を載せてきた。ハゼの小ぶりの佃煮が置かれる。
「ひとつどうだ」
「ごっつぁんです」
味気のない酒が喉《のど》にひっかかる。高田龍に新弟子発掘を止しにする気は毛頭ない。有望な後進をつくらないと、いつ土俵を廃められるか解らない。老骨に注がれる観客の、憐《あわれ》みと軽視が、高田龍の脳裏へ襲いかかる。もう土俵は嫌だ、と思って飲む酒だ。|びんびん《ヽヽヽヽ》と耳もとに呼び返ってくる巡業先の酔客の声がある。
「よッ、高田龍。お龍さん。年増芸者」
客の冷やかす声だ。
「おっとっと……すっ転んだぞ。高田龍、転び芸者」
老骨の足がもつれて、土俵下に突き転がされたとき、いっぱい機嫌の客が浴びせることばだ。嫌な思いを振り落すように、高田龍がぶるっと頭を振る。武甲親方の憮然《ぶぜん》とした顔が目の前にある。
「やるだけはやってみたいんですが」
「新弟子のスカウトをかい」
「はい」
「やるのは勝手だけどね。わしは手を貸せないぜ」
武甲親方は、くいっと盃《さかずき》を干し、心持ち顔をそむけた。
「スカウトの真似ごとも結構だが、高田龍は歴とした関取なんだからな。土俵をおろそかにしてもらっちゃ困るぜ」
武甲親方の言い草は、ズキン、ズキンと胸に響く。不快を押えて飲んだ酒が胸につかえている。スカウトの真似ごとか……武甲さん嫌なことを言うな。盃を受けながら、高田龍はぐつぐつとした憤怒をたぎらせる。なんとしても新弟子捜すぞ、という思いは、むらむらと鴨居の揚額にまで立ち昇っていった。
高田龍が一種の気負いで動き出した。相撲取の産地といえば地方と相場が決っている。その定説の裏をかこうというのが高田龍の狙《ねら》いだ。地方には地元の人が張りめぐらした網がある。縁者、後援者、有力者、半職業的な地方世話人とびっしりと張られたスカウト網に、こぼれてくる金の卵は先ずない。それならば人口流入の激しい東京を捜し歩けば、存外素材に突き当るかも知れぬ、というのが高田龍の考えだ。人が多ければ、いい玉が隠れている割合も多い筈《はず》、と彼は本気で思っている。他人があまりやらない方法……即ちそれが穴だ。
アッパは早々と店の仕入れに出て行った。板前一人置いての小料理屋をやっているのだが、その板前が大分前から店を移りたがっている。
「旦那が廃《や》めてくれりゃいうことなしなんだがね。あたしだって昔|気質《かたぎ》だから、おかみさんが男手に困るのを知ってて、他所《よそ》にいっちまう訳にもいかねえしさ」
と板前はいう。
「そうだよ。もういい加減にして店のほう手伝ってくれりゃいちばんなんだよ。お相撲廃めたからって暮していけない訳じゃないんだから」
アッパも板前も、老骨高田龍の廃業を心待ちにしているのだ。
「恍惚《こうこつ》相撲は恥かしくて嫌だよ。早く廃めちゃいなよ」
あからさまにいう小学三年の男児は学校に行っている。付人の中島は二日前からギックリ腰で、整骨院通いだ。
さて、さて……と気ばかりもめる高田龍が、誰もいない家の中を右往左往した揚句に、コートをひっかけて外に出た。暈《ぼや》けた冬陽の中をやたらと車が走っていく。高田龍の頭も呆《ほう》けている。
「さてと」
どう行ったらいいのか解らないのだ。新弟子捜しに東京は穴、と思い付いたその穴が何処《どこ》にあるのか、皆目見当がつかない。冬陽の暈ける街なかを、いくら歩いたってしようがない。さりとてじっとしていてもはじまらぬ。あてどのない高田龍は、心|急《せ》きながら街を歩いている。電車を乗りついで神田に出た。四ツ角に停った高田龍が、両手をクロスさせて互いの腕をさすっている。彼は新弟子を捜すつもりで家を出たが、新弟子、新弟子、新弟子と……ことばばかりが頭の中に充満し、判断力と考察力を追い出してしまった。
「さて」
腕をさすりながら、何がさてなのか解らなくなってしまった。
「さて……と。先ず飯だ」
思考を失っていても生理は正確だ。空腹は否応なしに、国電のガードを臨む中華そば屋へ……老骨の力士を運び入れた。
チャーシューメンと餃子《ぎようざ》を頼む。食いものを頼んでおいてから、酒を注文した。コップ酒二杯を立てつづけにあおった。ぐっと腹にしみていって、気力がかえってきた。餃子を運んだ女店員が、高田龍の頭の上で、新しく入ったらしい客に声を上げた。反射的に入り口をちらっと見る。高田龍の胸が躍り上った。疎外されていた思考が急速にもどる。四人入ってきた客のうちの一人が、並はずれた体格の若者なのだ。グレーの作業衣を着た四人連れは、高田龍とテーブル二つ離れたはす向いに席を占めた。高田龍は皿へ箸《はし》を持っていったが、胸の動悸《どうき》で思わず餃子を取りこぼした。
六尺豊かな若者は、仲間と屈託のない笑い声を交している。
「これはいけるぞ」
高田龍のスカウト精神が|うずうず《ヽヽヽヽ》してきた。チャーシューメンをすすりながら、上目使いで逞《たくま》しい若者を眺める。
「いい体してて、なんで作業員なんぞやってるのかな。宝の持ち腐れだ」
高田龍は獲物を狙う心境だ。話しかけるタイミングを狙って、彼の腰は椅子《いす》から浮き加減になっている。
四人組は丼《どんぶり》がくると一気に平げた。歩合の仕事でも済すような速さだ。彼等が一斉に席を立つ。図抜けた背丈の若者がレジにいって金を払っている。高田龍は魂が抜けたように立ち上った。既に物凄い新人を獲得したような気分になってしまったのだ。ごくりと生唾を飲んで声を掛ける。
「ちょっと……お話を」
若者は先刻から、高田龍を意識していたらしい。落ち着いた感じで会釈をした。先に行った連れが立ち停《どま》って見返している。高田龍はその連れへ、右手を上げて、ちょっと、と挨拶をしておく。
「にいさん、相撲取にならんか」
誘いは単刀直入でぶっきら棒。若者は飴玉《あめだま》のような目をむいている。
「どうだい。その気があるんなら、今夜どこかで落ち合って、詳しい相談に乗るが、どうだい。鍋でもつつきながらどうだい」
高田龍が畳みかけるのへ、頑丈な若者は照れ笑いをしている。
連れの一人が寄ってきた。高田龍の勧誘を小耳に挟む。
「関取さん」
連れがいう。
「この男はね」
「………」
「相撲にいたんですよ」
「なに」
「去年まで取ってたんですよ。内尾部屋で……な、そうだな」
若者は友だちを見下す格好で二つ頷《うなず》く。高田龍は声も出ない。
「三段目までいったんだけどね。腰を駄目にして廃業したんです」
「そうか、知らなかった。内尾さんのところか、もどる気なしか……」
若者は一礼して、六尺豊かな背を友だちに取り巻かれるようにして去った。
放心したように歩き出す高田龍に、中華そば屋の女店員が追いすがる。
「お客さん、お代を」
「あ、そうか、そうか」
立ち停って金を払い、釣り銭を取りに店の中に入る。高田龍のいたテーブルに、餃子が半分皿に残っている。チャーシューメンの丼に突っ込んだなりの割り箸。丼からかすかに湯気が上っている。高田龍がふとそちらへ行きかかると、女店員が、
「どうも有難うございます」
と釣り銭を渡す。レジの前に立って小銭入れへ釣り銭をしまい込む隙《すき》に、女店員は高田龍の食器から片づけ出した。口の両はしをくっと閉めて表へ出る。首を前に落して項《うなじ》をごりごりと捩《よじ》る。
「ちょっとまずかったな」
人知れず照れ笑いした高田龍の足へ、並木に繋《つな》がれた柴犬の小さいのが鼻づらを寄せてきた。
「ドウデスカ」
背を向けて櫛《くし》を入れているアッパがいう。白い襟足《えりあし》に脂が浮いている。
「新弟子捜しは順当にいってますか」
いくぶん冷かしの気味。
「耳よりの話があるのよ」
知らぬ振りの高田龍に、アッパは小手をかざして、軽くはたく真似をした。
「お相撲になりたい子がいるんだって」
「あ」
高田龍がテーブルヘついた頬杖をはずす。
「お前の知り合いか」
「弟のよ」
「………」
まさかと思う高田龍の顔へ、笑いかけるようにアッパの目が注がれている。アッパはかいつまんで要領を話した。高田龍の心は動いた。
「きょうにでも行って見ようかな」
近郊農家の義弟は金と暇を持て余している。いますぐでもいい、と電話で返事がきた。心急く高田龍は、おっとり刀で出ていった。高田龍が出かけて暫《しばら》くしてから、アッパが義弟に電話を入れた。
「うまくいくといいね。がっちり取りしきって頂戴《ちようだい》よ」
この件に就いては、相談が出来ているのだ。
「なんでもいいんだよ。新弟子の顔見せさえすりゃ、うちの人廃めさしてくれるんだろ」
高田龍のアッパは、そう思い込んでいるのだ。
義弟は駅前へ車を停めて迎えにきていた。
「姉さんからおよそ聞いてますが」
新興住宅の脇を、黒塗りのベンツが滑り過ぎて行く。高田龍は少年のように興奮している。
「十六だけど体はでかいよ」
「ほう、ほう」
「県立の職業高校を滑っちゃってね」
「うん」
「目下浪人中なんだ。いま流行の中学浪人だな」
そんなのもあるのか、と高田龍は不思議な思いで口をつぐむ。
「浪人してるうち進学が嫌になってしまったらしいね」
「成程」
車は右へ大きくカーブして橋を渡った。前方に山半分削り取った採石場が現れた。
「あすこの砂利屋の息子だ」
義弟がハンドルにかけた手の指先を軽く叩《たた》いていう。
高田龍の前に馬面の少年が出てきた。背丈は充分ある。目方を聞くと、七十一キロと母親が答えた。
「相撲取になりたいということですが」
「いえ、その……当人がというよりも、まわりでそうしたほうがいいと思って……」
その当人は、横に上向けた顔で笑っている。高田龍が首をかしげる。
「なにぶんにも宜《よろ》しくお願いします」
母親が丁重に頭を下げているのに、当の息子は、上向けた顔をそのまま、|ひょろ《ヽヽヽ》、|ひょろ《ヽヽヽ》と肌ひんむかれた山塊の方に歩いていってしまった。
義弟が車を自宅へ向けて走らせている。紹介した少年に就いて、高田龍の意見を求めようとしない。車は紡錘《ぼうすい》形に刈り込んだ檜葉《ひば》の並木へ入って行く。土地が高値で売れて、笑いの止まらぬ義弟の邸《やしき》だ。酒が出て、話は当然先刻の少年に触れる。高田龍が手を振っていう。
「ありゃ駄目だ」
「でもいい体格してるでしょう」
と義弟。
「力も強いべ。十八貫は優にあるべ。相撲取にゃもってこいだろ」
と義父。馬鹿力さえあればいいという考えらしい。
「兎《と》に角《かく》駄目です」
それ以上の説明は避けたい心境である。
「人情ちゅうこともあっからな。相撲で引き取ってやりゃ人助けにもなるべ」
義父のことばを、冗談じゃない、と高田龍は黙殺した。
その空向き少年が、三日後の午後、母親に連れられて高田龍の家にやってきた。区長と名乗る顎鬚《あごひげ》の初老も同道した。
「とんでもないことです」
相手の強行策に、高田龍は目を吊《つ》り上げた。
「でもありましょうが、私のこの鬚に免じまして是非」
「助けると思って……」
顎鬚と母親は頭の下げっぱなしだ。場所を変えたせいか、当の少年は馬鹿笑いを止めていた。そのかわり馬のような長面を絶えず|ゆらゆら《ヽヽヽヽ》と振っている。これじゃどうしようもない……高田龍は弱り果てている。
「ねえ、関取」
助け舟かと思った女房までが、
「暫くお預りしたらどうかしら、新弟子なんてことは考えないでさ」
このアッパは何ということを……。
「わざわざお出で下さったんですもの。追い返すようなことは失礼です」
誰でも構わない。新弟子捜せば高田龍が廃業の手筈、と義弟と女房が仕組んだ田舎芝居だ。当人の親も、毎日|空っぷいて《ヽヽヽヽヽ》ニタリ、ニタリの息子が、相撲に入ったとあれば格好の厄介払いができるのだ。高田龍はことの正体を知らないから、根負けをした。東京見物にきたつもりで、馬面少年を一週間預る約束をした。
高田龍が川島部屋へ出掛けようと玄関を出たら、預った少年が付いてきた。
「お前は家にいろ」
「俺も一緒にいくぞ」
ぞんざいなことば使いが気に食わない。
「ここにいろ」
「見にいくぞ。相撲を見にいくぞ」
ひどいのを預ったものだ。高田龍が辟易《へきえき》の舌打ちをする。
「いいじゃありませんか。当人が見たいっていうんですから。別に荷物になる訳じゃないしさ。連れてっておやんなさいよ」
何とかそのつもりにさせてしまおうというアッパだ。馬面少年伊東三郎は平然として付いてきた。
稽古場《けいこば》で取的たちが形式だけの申し合いをやっている。武甲親方が上り座敷に腰掛けて煙草を吸っている。高田龍が稽古場へ入っていくと、武甲親方が腰を上げた。
「オッシ」
取的たちが高田龍に挨拶を送りながら、後ろに立つ馬面少年に目をやる。
「新弟子か」
武甲親方が聞く。
「いや、ありゃ駄目です」
素っ気ない返事に、武甲親方は再び腰を下した。
「ここで見てろ」
そういい捨てて、高田龍は川島親方を見舞いに、中庭を突っ切る。掌程の池に金魚がじっと動かずにいる。池畔の紅梅がほころびかけている。中庭に面した縁におかみさんが座っている。万年青《おもと》の小鉢が二個……手入れをする顔を上げたおかみさんの笑い顔に、縁側にぬくもった冬陽が光った。川島親方は眠っているという。
「いましがたまで目エ開けてたんだけど」
「そうですか」
「関取には面倒ばかりで……済まないね」
おかみさんのことば一つにも、ジーンとしてくる高田龍だ。
「親方は頼りにしてるのよ。きょうもね、関取が新弟子捜してくれるってさ、ほんとに喜んでたわよ」
「は」
「新弟子のいいの入れて、関取に早く楽さしてやりたいって……」
「は、ごっつぁんです」
親方夫人の前で、高田龍は炬燵《こたつ》やぐらのようにしゃっちょこ張った。
「またきます」
おかみさんに一礼して、紅梅の枝へ背をかがめながら高田龍は考えた。何が何でも新弟子捜すぞ。恩義を受けた川島親方を安心させてから、わしは廃《や》める。そういう手順こそ男の生き方……。高田龍は淡く匂ってきた梅の香に一種の任侠《にんきよう》気取りだ。
「それにしてもこの重要なときに」
強引に預けられた形の、馬面少年伊東三郎には弱った、と思う。
稽古場を覗《のぞ》く。三段目が一人稽古土俵へ如露《じようろ》で水を打っている。
「関取の連れはちゃんこ場の方へいってます」
三段目に言われて調理場へ回る。ずーんとだだっ広い厨房《ちゆうぼう》は昔のまま。力士三十名を擁した当時そのままのちゃんこ場は、いま僅《わず》か五人の力士を養うがらん洞と化している。取的が屯《たむろ》する一隅に、図々しくも伊東が割り込んでちゃんこを囲んでいる。伊東は例によって、長い顔を横ぶりしながら食事に夢中だ。見ていると食うわ食うわ、いくらでもお替りをする。
「おう、いい加減にせんか。帰るぞ」
伊東は馬面の顔を激しく横に振った。
「俺は皆と暮すぞ。ここは面白いとこだ」
そういう口辺は飯粒だらけだ。勝手にしろ、と高田龍は思う。面倒見きれない。こんな大馬鹿にかかわり合っていては……新弟子捜しの大仕事もままならぬ。
「こいつを暫く頼むぞ」
言い置いて川島部屋の裏木戸を出た。
「馬鹿の大食いとはよくいったものだ」
高田龍がぶつくさいいながら歩いて行く。
「さてと」
そう言って目を落す路面に、冬陽《ふゆび》の侘《わび》しい陽だまりがある。
「何とかせにゃ……」
そういいながらも、確たる行き先の見通しが立たない。
「さて、と」
高田龍の足は両国駅に向う。新宿に知り合いの店がある。ときどき飯を食いに出掛ける鍋料理屋だ。そこの店主に新弟子捜しの話だけでもかけておこう、そう考えながら空いた座席へ|のっし《ヽヽヽ》と体をあずけた。車内の目が一斉に注がれる。小声で話し合って小首をかしげている連れがある。十両の下位を低迷し、テレビ中継に顔を出さない老力士の名を知らない……不思議そうな乗客の視線が、高田龍の胸を刺す。高田龍は身の縮む思いを、さりげなく|両 瞼《りようまぶた》の中へ閉じ込めた。
鍋料理「やぐら」は、前頭筆頭までいった琴平山が出している店。得意技のやぐら投げから取って、鍋料理「やぐら」と看板を出している。
「おっ……これはまた、お早いことで」
と元力士の店主。
「十三枚目さんのお越し」
高田龍の苦笑した顔が、どんづまりの席へ向かう。店主は三枚目を洒落《しやれ》たつもりで……十三枚目と呼んで高田龍を冷やかす。十両どん尻十三枚目を、高田龍は都合幾場所つとめたことか。落ちると見えて幕下へ落ちていかない工作を、「やぐら」の店主はご承知だ。時分どきを回っていて店内は閑散。店主がお銚子を運んできて、そのままテーブルに座った。高田龍が自身の進退をからめて、新弟子捜しの件を話す。
「あんたが廃めたい気は解るな。若さにまかせて取ってるときは何でもないけど、限界越したら考えちゃうものな」
店主も覚えがあるから同情的だ。
「川島親方の気持ちもややこしいだろな。以前は協会のヒグマなんて言われた大物だからね。関取一人の部屋じゃ……」
と声を落して後を続ける。
「……死んでも死にきれまい」
高田龍が厳しい目つきで大きく頷く。
「新弟子となると……そう言っちゃなんだが、川島部屋へは難しいだろうな」
店主の注ぐお銚子を、高田龍はもの憂げに受ける。
「わしにそういう話があっても……他《ほか》へ世話しちまうな。こりゃ正直な話だけどさ。小部屋は損だものな」
先輩に口をかけても望みなし。
「じゃまた」
日暮れ近くまでいて片手合掌をそのまま、麻裏草履をひっかけて「やぐら」を出た。盛り場にむくれ上る人波が動く。頭に髷《まげ》載せた名も知れぬ古参十両を、ちらっと見て小首をかしげ合う人々がいる。老骨の異形は……人混みを歩いて……何故か身の縮む思いだ。宵闇《よいやみ》におおわれた街の、道行く人々の頭上へ早々と月がかかった。白っぽくかすれた月影を仰ぐ高田龍の頭の中に、落胆が渦巻く。目を皿にして……と意を決する新弟子捜しが、宵の月影のように覚束なく思えるのだ。若《も》しこのまま当てどのない新弟子捜しを続けていたら、大阪はもちろん十一月の九州場所までも取らされるかも知れない。毎場所どうにかぶら下る十両のどん尻。老醜に近い|たぶたぶ《ヽヽヽヽ》の体へ……観客が投げつける侮蔑《ぶべつ》と憐憫《れんびん》のまなざし。ときには冷笑も起る土俵周辺。
「嫌だな」
と心底《しんそこ》思う。相撲から逃げ出したい心境だ。高田龍の歩く斜《ななめ》上方に、うすぼやけた宵の月がかかっている。心もとない月光が鋭い光を出している。川島親方の呆けかけた顔が、月影とダブって浮んできた。
「民坊」
という細く弱々しい声が……空耳に届く。
「頼むよ――」
と語尾を引っ張る恩人の声がする。
行く手の横断歩道の、赤信号に停止した人、人、人の波。八方|塞《ふさ》がって手も足も出ない思いの高田龍が、生酔いの頭をもどかしげに振っている。もどかしさは……義弟の口ききで連れてこられた、馬面少年に思い及ぶ。
「この重要な時期に……とんでもない荷厄介を」
高田龍は、馬面が馬鹿笑いするのを思って、路面へ唾を吐き捨てた。
高田龍の胸に、不思議なさざ波が立ちはじめていた。さざ波はときどき大きなうねりをともなって襲ってくる。
武甲親方に譲った形の、例の馬面少年伊東三郎が、相撲の性がいいらしいのだ。川島部屋に居付いてしまい、高田龍の家に戻らなくなった伊東を、
「わしに譲らんか」
と武甲親方が言ってきたとき、
「ありゃハーたろですよ」
と返事をした。間抜けだから止めろ、と答えながら心の片隅で、もし武甲親方が引き取ってくれたら万々歳の有難さだと思った。部屋再建にのらりくらりの武甲親方には、一再ならず心にさわることがある。この際あのハーたろを引き取るというなら実に結構な厄介払い、と高田龍は思う。
「ハーたろだろうと何だろうと構やしない。体はいいし、飯は十杯も食うし」
と武甲親方。
「字だって少しは書くし」
よければどうぞ、と伊東を武甲親方に譲ったのだ。それから暫くして、伊東の相撲は筋がいい、と武甲親方がいってきた。
「みっちり可愛がりゃ役へ行くぜ」
そう聞いて高田龍の心は妙に騒ぐのだ。胸騒ぎの正体は複雑だ。
「そんな筈が」
と思いながらも気になって仕方がない。優れた新人を……と毎朝の決意に腰を上げかけても、尻に鉛玉がぶら下った気分で、新弟子捜しへもういっちょうの意欲が出ない。
「あの馬面が……いい筈はないがな」
そう思いながらも気になって、足は自然と川島部屋の稽古場へ向く。
伊東は股割《またわ》りの最中だ。幕下のアン弟子が伊東にのしかかって、背中を押えつけている。三段目が二人がかりで、左右の足を押し拡げる。武甲親方がいつになく鋭い目つきで立っている。
「ウ、痛」
背中から攻め、二人がかりで股を裂く。やがて冷汗ぐっしょりの伊東が、四つん這《ば》いからよろよろと立ち上った。
高田龍を見て、
「コンチハ」
と変な挨拶をした。
「オッシでいいんだ」
武甲親方が怒鳴る。
「きついだろう」
高田龍が言う。伊東は面長の顔をゆすって答えない。
「辛くないのかい」
伊東はエヘラとうす笑いするだけである。
「おい、関取」
武甲親方が高田龍の肩を叩いた。
「何です」
「この若いもんに余計な口をきかんでくれ。一度譲ったもんに口出しは無用だ」
もっともだと高田龍は一礼した。申し合いがはじまる。見ていると伊東のは相撲の型になっていないが、四つに組んでの馬力がある。ハアハアと馬鹿口を開いて取り組む顔は、笑っているのか、力んでいるのか見当がつかない。終始|顎《あご》が上りっぱなしだ。
川島親方を見舞う。親方は布団から顔半分出してかすかに笑った。笑う目に涙がにじむ。霜ぶくれのように|ぶよん《ヽヽヽ》、|ぶよん《ヽヽヽ》した手が、布団の縁から抜き出される。一心に尽す高田龍に、握手を求めているのだ。むくんだ親方の手を高田龍の両掌がくるむ。
「あ、あのよオ……ぶ、武甲さんが譲り……う、う、受けた若いもんだ」
川島親方は伊東のことを言っている。
「かなりいけ、いけ、いけそうだっていうから……」
「はあ」
高田龍は生返事だ。
「民……坊もなア、こ、こんだは廃められる……なア。あーよかった」
衰弱する川島親方の、跡切《とぎ》れ勝ちな細い声が、高田龍の心にまとわり付く。親方に言われると、嫌々ながらつとめる土俵に、別れられる安堵《あんど》が込み上げてくる。よかった……と思う。しかしその反面で考え込んでしまう。果して武甲親方の評価が信用できるのか、という危惧がある。あの馬面をゆする少年が、ものになるのだろうか。高田龍は川島親方の右手を握りながら、とりもちがべたつく心境だ。
結局これといった新人の一人も見つからぬまま春になった。大阪へ……総勢四百五十二名の力士が乗り込んだ。馬面少年の伊東が新弟子検査に合格した。百七十八センチ、七十六キロ。体格は申し分ない。初日を迎える前の晩、川島部屋は宿舎の寺でささやかな祝宴を張った。寺の片側に新淀川の堤がある。|だぼん《ヽヽヽ》と川音が聞える春の宵だ。前夜祭の席に、大阪在住の後援者が一人連なった。川島部屋にしては珍らしいことだ。武甲親方が手筈した新しいタニマチである。盃を上げる前に一通りの紹介があった。
「この関取が高田龍で……えー……新弟子が出来て……ようやく土俵づとめが廃められるということで……えー……この大阪が最後の土俵であって……えー」
武甲親方の紹介挨拶は不得要領だ。
「つまりなんだすな。後継ぎができよったによって、廃業ちゅう訳でんな」
後援者の初老はスパッと了解する。
酒が回ってくると、武甲親方は言いたい放題だ。
「こいつはわしが育てとる有望力士でな」
伊東の頭をごしごし撫《な》でる。武甲親方の手の下で、馬面に伸びた伊東の顔が、馬鹿笑いをして揺れている。
「外の三ン下共はとうが立っちゃってどうしようもねえ。そこへいくとこの伊東は伸びるぜ。三役へいきますよ」
|れろ《ヽヽ》、|れろ《ヽヽ》と巻き舌の武甲親方が、こうして新入りを褒めても、皆の心は平静である。高田龍同様、心のうちで皆が皆、こんなハーたろが……と思っている。
「結構でおますな」
タニマチだけが調子を合せた。
「わしゃこれで楽ができますわ。高田龍のごっちゃん運動せんでもようなりますでな。あれにゃわしもさんざん苦労しました」
「言わんでもいいことを」
高田龍の胸中に酔がこもった。コップ酒を捧げた武甲親方が、胡座《あぐら》の尻を捻《ひね》りながらタニマチの方に向きを変える。
「恍惚《こうこつ》相撲の尻ぬぐいせんでも済みますわい。ウアッハッハ……」
「結構だすな。新弟子さん万歳だすな」
高田龍の胸元へ……ぐつぐつと煮えたぎってきたものがある。憤怒と捨て鉢のごった煮のようなものが、わっと湧いて一瞬の間にふくれ上った。高田龍の前かがみでいる姿勢がくっと起きかかる。座を立つための足が胡座をはずしにかかる。さっと立ち上りざま蹴上げるつもりの膳を、高田龍の足は見当がはずれて空を切る。どでんと仰向けに転ぶ一人相撲のもんどり打ちである。したたか背を打った高田龍は、衝撃で酒をもどした。空転した怒りが高田龍の胸中で、ヒョウヒョウと風を鳴らしてしぼんでいく。
「わし……ちょっと」
手刀を切る調子で高田龍は席をはずした。目に触れた下駄へ、|ぬっ《ヽヽ》と足を突っ込んで庭へ出た。憤怒が自嘲《じちよう》に変る。植込みを抜けていくと築地がある。そのすぐ向うで、|どろ《ヽヽ》、|どろ《ヽヽ》と海辺に近い川音がする。
「あの馬面がわしの跡目になる筈がない」
高田龍はそう思い込みたい一心だ。そう思う心の片隅に……武甲親方に功を成さしめたくないという気がある。
「しかし」
|どろ《ヽヽ》、|どろ《ヽヽ》と寄せる川音に耳を傾けながら、別の思いが走る。あの馬面少年が前相撲にこけてしまったら、折角廃められる条件はフイになる。川島親方の泣き出しそうな顔やアッパの顔。他所《よそ》の店に移りたがっている板前の顔、義弟の顔がかわるがわるに浮んでは消える。高田龍の心は、闇に打ち寄せる川波のように、|どろ《ヽヽ》、|どろ《ヽヽ》と遠く近くしていつまでも定まらなかった。
初日。高田龍が東から上った。相手は新十両の吉田、二十二歳。高田龍が肥満短躯を運んで仕切りを繰り返している。|ゆっさ《ヽヽヽ》、|ゆっさ《ヽヽヽ》と歩くたび、てんでんばらばらに揺れ動く贅肉《ぜいにく》。三十五歳の老骨は、どう贔屓《ひいき》目に見ても朽ち木の観をまぬがれない。赤房下へ塩にいく高田龍が考えている。
「工作なしの十五番だ」
と。高田龍の幕下陥落防止策に、専念してきた武甲親方の関心は、馬面の新弟子に移った。勝っても負けても、今場所はかけ値なしの星である。塩を掴《つか》んで土俵中央へ向き直る。相手の力んだ顔が目の前にある。極度の緊張が肩口ヘ這い上って、凍豆腐のようにカチカチだ。出てくるハナを素首落しにすれば、一遍で勝負はつく。最後の塩……赤房下にかがみ込む高田龍の心中を、さっと一抹の不安が走った。工作なしの土俵……負けが込んでも歯止め策のない土俵が十五日続く。抜き身が首すじをかすっていったような恐怖をそのまま、高田龍の蹲踞《そんきよ》は大きくゆらいだ。心の不安は足腰の不安定へと波及する。
「時間です。マッタアリマセン」
吉田が硬直した体をそのまま突っかけてくる。長身が背を丸めて直進してきた。首すじひとはたきで砂に這う突っ込みを、高田龍がまともに受ける。横に変る咄嗟《とつさ》の動きが出ないのだ。吉田の頭にマットレスをはじき飛ばした感覚が残り、短躯肥満の老力士が土俵際へ太鼓腹をひっくり返している。仰向いた高田龍の猪首が蛇の目の砂を越え、頭が溜りへ落ちかかっている。吉田が手を貸して起しにかかる。二度……三度……高田龍の上体は上ってこない。控えの力士が胡座を解いて、土俵の外にこぼれかかった頭を押し上げる。二人がかりで老残の力士はようやく二字口ヘ立ち直った。観客の失笑を受けて、高田龍が小走りに花道を逃げ戻る。
風呂へ。高田龍は壁に向って目をつむる。ガクッと崩れた髷が、老骨だけに痛ましい。目を閉じた眉間《みけん》へ、胡桃《くるみ》の殻を思わす皺《しわ》の蝟集《いしゆう》ができた。
「嫌だ」
という気を、眉間の皺へ挟みつけ、老骨は暫く湯舟を動かなかった。
二日目。昨日負けた高田龍の足が奇妙に弾んでいる。きょう取って負けたら、三日目から休場を考えているのだ。トンネル(黒星が続くこと)で十五日間を取るより、どうせ廃めるんなら休場のほうがいい。そう決めるとうじうじしていた心の痼《しこり》が落ちた。高田龍は落ち着き払っている。
「きょうの一番で一生の負け納め」
そう思うと、仕切り線へ目を落していく顔に安堵を含んだ笑いさえこみ上げてくる。相手は気鋭の青垣山、二十三歳。北国生れの白い肌をした力士だ。蹲踞から仕切りにいくとき、高田龍は相手のもこっとふくらみ出た太腿《ふともも》に目を射られた。塩へ行きながら高田龍は、
「ハハア」
と思う。霜が下りたような心中に、実に奇妙な思いがこもるのだ。睨み合いのうちに青垣山の白い肌が眼前にぼやけてきた。時間の経過が緩慢に思えてきた。
「生涯の負け納め」
という思いが、ゆっくりと頭を過《よ》ぎる。毀誉褒貶《きよほうへん》の一切合財《いつさいがつさい》を、この一番で土俵下へ体もろとも投げ捨てた。青垣山の体はいよいよ白く、妖精《ようせい》を見るようにぼやけてきた。時間を告げる呼び出しの声を、高田龍は意識の外で聞いていた。行司が軍扇を返したのも、皮膚が探知した。高田龍の視界の中に、おどろくほど緩慢な水母《くらげ》の漂いがあった。水母のように見える青垣山の白い体は、ゆら、ゆら、ゆらと寄ってきた。一瞬絹ごし豆腐を握り潰した感覚があった。そして、高田龍は、青垣山の女のような肌が、気恥しそうに立ち上るのを見た。脇腹へ砂をつけた気鋭の若手が、唇を噛んで土俵を下りる。
湯舟の中で、老雄高田龍の思いが二転三転している。負けて明日から休場、と考えて上った土俵で勝ってしまった。休場のきっかけを失った。
「どうしよう」
眉間に寄る皺は迷いの象徴だ。
「よし、明日負けたら休場」
そう決めて湯舟を立った。高田龍の体から思い切りよく湯が|ざわっ《ヽヽヽ》と流れ落ちた。たるみの多い肌だが、僅かに艶《つや》が甦っている。三日目の土俵も勝った。相手は幕から落ちてきた古参の木ノ里。低く当ってくる額のすぐ先で、高田龍が右へ変る。つっとのめる首をひと叩きで勝負がついた。一瞬の動きのようでもあるし、かなりゆっくりとした手順のようにも思える。
四日目は新十両を二、三発の突き合いから取ったりで仕留めた。工作なしの相撲に三連勝している。勝った相撲は皆相手の力が外れていく感じなのだ。床忠に髪を直させていると、支度部屋へ武甲親方がきた。
「馬鹿勝ちするじゃないか」
冗談のつもりの声高《こわだか》。
「ごっつぁんです」
高田龍の返事は突き返す感じだ。支度部屋を出ると、武甲親方が並ぶようにしてついてくる。通路を行きながら武甲親方が耳打ちをした。
「明日の対戦は美濃錦だよ」
「そうです」
「返しとけよ」
くるっと踵《きびす》を返す武甲親方。木戸を出た高田龍が、|はっ《ヽヽ》と思い出している。三連勝に張りつめた気持ちへ、くにゃくにゃと変な気分が混り込む。
「そうだったか」
苦笑の高田龍がひとりごちる。先場所……金で済ませなかった借りが二番あるのだ。この場所限りで廃めるとすれば、額が合ったら当然返さなければならぬ星だ。
「そうだったな」
再び苦笑する高田龍。
五日目の朝。高田龍の気分は沈み勝ちである。先場所貸してもらった星は返すのが当然と思うのだが……負けるのが惜しい気分。ちゃんこのとき武甲親方が顔を寄せてきて、
「いいな」
と念を押した。頷いて納得したつもりが、どうも釈然としない。せっかく虚心に取ってきた場所へ、泥を塗り散らすようで、弱ったと思う。最後になる場所だけでも、貸し借りなしで済ませたい。
「初場所のひっかかりがあるとはな」
気がつかなかった……と俯《うつぶ》せた布団へ溜息をつく。顔横向けると、取的が読み捨てたスポーツ紙がある。引き寄せた新聞の見開き片面が相撲欄だ。ぐるっと仰向きになって星取り表を見ていく。横綱二人が全勝ときれいな星が並んでいる。東西の大関がこれも四戦全勝。関脇にきて一人が三勝一敗だ。もう一人が、初日、二日と黒星で、あとや≠ニ出ている。大東山休場か……と次へ移っていって、すぐ戻した目にや≠ニいう字が釘《くぎ》づけになる。
「これだ」
休場という手があった。高田龍が休めば、相手は不戦勝。高田龍はにわかに腰痛を訴えて、休場を申し出た。
「これでよし」
仮病で先場所の借りを返した。高田龍は一日布団にもぐっていて、してやったりの気分だった。
「明日はどうですか」
武甲親方の使いで取的が聞きにきた。布団をかぶったまま、
「明日は出られるぞ」
と答えて顔を出すと、
「おう……伊東かい」
馬面が見下してコックリをしている。
「お前どうなんだ」
布団へ起き上って聞く。
「三番勝っちまった」
前相撲が五日目で三勝は凄い。信じられない、という顔で伊東を見る高田龍。唖然《あぜん》として次第に馬鹿口を開ける。
「アッハハ、アハハ」
伊東が高田龍の驚く顔を見て笑い出した。
「アハハハハ」
「アッハハ、アハア」
高田龍もつられて笑い出した。
三月の大阪は連日晴天が続いている。汗のにじむような日があったりする。
「土俵も馬鹿陽気だ」
などと言いながら、武甲親方は上機嫌。
六日目負けたら次からや∞や≠ナいくつもりで取った相撲にまた勝った。土がついたら千秋楽まで休場……と決めて取る相撲が嘘のように勝ててしまうのだ。突っかけてくる相手が皆いちように、高田龍の贅肉部分を殺ぐようにしてこけていく。組み手に持ち込んだ相手も、寄ってきながら足を滑らせている。十日取って八勝を上げた。馬面の新弟子伊東は、早々と一番出世をしてしまった。
十一日目の対戦相手は力石《ちからいし》とワリに出た。高田龍に次ぐ古参十両で三十一。先年アッパに死なれて、やもめ暮しと聞く。病気がちの子が一人いるとも聞いている。ワリを見て高田龍は即座に決心した。
「これはや≠ナいこう」
「どうも腰が痛い。急に動けなくなる」
そう言って休場した。一日布団にいて、高田龍の心は真綿にくるまれたように和《なご》んだ。皆が出払っていった宿舎の庫裏《くり》は静かである。寺に臥《ふせ》っていて、不幸な同業に功徳《くどく》をした気になっていた。彼の心は何十年振りの充実感を覚えていた。これで八勝一敗二日の休場となった。あと四番、ここまできてしまったら、勝っても負けても千秋楽まで土俵へ上るつもりになってきた。もう一日くらいや≠ェあってもいい、などと変な余裕で場所入りをする。
十二日目の土俵はあっけなく負けた。相手は二十歳の勢古洋だ。丸ぽちゃの顔、消えてなくなりそうな目、高田龍そっくりのゴム毬《まり》アンコ型だ。仕切りを繰り返しているうち、相手の青年が可愛くなった。頬ふくらませて、閉じてしまいそうな細い目を無理矢理見開く力みようは、いたずら盛りのこどものようだ。高田龍は実に虚心に、この育ち盛りの関取へ、星を呉れてやる気になった。成人式へのご祝儀のつもりである。|とっとっと《ヽヽヽヽヽ》……と土俵際へ追い込まれながら、高田龍は片八百長の恍惚に満足していた。
剣崎という長身力士は十両二場所目の新鋭だが、今場所不調の四勝九敗。これを外小股《そとこまた》の奇襲で破る。九勝を上げて支度部屋へ戻ると、どっと人が寄ってきた。
「楽に取ってますね」
メモ帳を構えた一人が言う。取り囲んだ記者の輪の外で、カメラマンがシャッターを切る。
「九勝は優勝圏内」
と言われて、急に心が掻《か》き乱される。困惑と興奮が高田龍の老骨をポキポキと鳴らす。
「とんでもないマグレだ」
高田龍の心中で困惑が走り回っている。空いた電車のシートに、鰐革《わにがわ》の財布を発見した気分だ。見過ごそうか、それとも一応手に取ろうか。優勝というまばゆい中身に、恐れと憧憬《どうけい》が入り混る。
「ずい分長い土俵生活ですが、優勝を意識したことは」
「全然ありません。思ったこともない」
インタビューに答える高田龍の声が上ずった。
武甲親方の態度が急変した。激励することばのはしで……ごっちゃん工作を匂わした。
「今場所は止しにして下さい」
きっぱり断る。積年の鬱屈《うつくつ》が一度に吹き上げ、余計興奮して、寝返りを打つたび目が冴《さ》えた。隣室で眠る取的たちの高鼾《たかいびき》に混って、寄せてくる川波の音がする。川鳴りは高田龍の胸中を、|どろん《ヽヽヽ》、|どろん《ヽヽヽ》と叩いた。
熟睡のできぬまま朝を迎えた。戸の隙間から一条の光が射している。こめかみのあたりへ|じんじん《ヽヽヽヽ》とくる痛みがある。その痛みは、色街に夜を明かした気鋭の頃を想い起させた。甦った若き日の悔恨に高田龍は思わず苦笑した。虚脱の苦笑をしながらも、何故か|わさわさ《ヽヽヽヽ》と騒いでくる気分に酔った。
胸騒ぎは土俵に上っても収まらなかった。塩にいくたび、蒸気機関車が近づくように、動悸が次第に激しくなる。十両に落ちてきて五年……いまだ覚えたことのない血の騒ぎの中で、時間を告げる時計係の小手が上る。勝負は一気についた。電車道にもっていく高田龍のハズ押しに、長身の栃ノ宮は西土俵を回り込みながら黒房下へ転落した。剣が峰に足先を揃《そろ》えて、棒のように倒れた栃ノ宮に、一瞬遅れて高田龍が土俵下へ飛び下りた。喚声が上る。どよめく声の波をわがものに聞くのは何年振りか。右手にさがりを引っこ抜き、蹲踞して行司の名乗りを待つ高田龍の巨腹が波打つ。息づく肩が、これ見よ、と激しく上下する。
と……青白房の軍配が|くくっ《ヽヽヽ》と動いて、式守種広の装束に隠れた。
「そんな筈が」
と中腰へ伸び上る高田龍の目へ、勝名乗りを受ける栃ノ宮の、右膝からはずしてさっと脇に伸す手の先が映った。
完全な勝ちにいきながらの、勝ち急ぎの黒星だ。相手を押して一気|呵成《かせい》、土俵へ追いつめた瞬間、栃ノ宮の回り込みで、押し込んだ高田龍の右足先が僅かに蛇の目を掃いたのだ。かがみ込んで足元を追った目にしか捉《とら》えられぬ勝敗の機微に、高田龍の老骨は、きしみを立てて怒っていた。ざんぶとつかった湯舟で、じっと壁を見つめる高田龍の肩が震えている。二週間前、
「嫌だ」
という思いをねめつけた同じ壁へ、いま全く別の思いを睨みつけている。
「畜生」
宿舎へ戻っていると、伊東が障子の外から声を掛けた。武甲親方のことづけか、と思って中へ入れた。
「オッシ」
挨拶はぎごちないが、一応相撲の卵になりかかっている。
「親方の用事か」
「違う。俺は……口惜《くや》しい」
ことばは相変らずぞんざいだ。ただ目つきが変ってきた。一途になりかかっているのだ。それを見てとって高田龍は|はっ《ヽヽ》とした。
「何のことだ」
「きょうの一番だ」
「わしのか」
「そうに決ってら。あれはもういっちょうが当り前だぞ」
もいいっちょうは取り直しの意味だ。
「軍配通りだよ。惜しかったけど間違いなく勇み足だ」
「本人がそんなこと言っちゃ、駄目じゃないスか」
ないスか、と誰かの喋りを真似る。伊東はノートを抱えている。
「その帳面は何だ」
「あ、これだ」
伊東は思い出したという顔つきで、馬面の大口を|かくん《ヽヽヽ》と開く。頁をめくると星取り表が書いてある。十両が四人並んで書いてある。下手な字だがきちんと書いてある。
「お前が書いたのか」
「うん」
伊東の指が星取り表を撫でていく。これが負ければこれが残る。九勝が四人いるが、取り組み相手から見ると、高田龍は有利という。九勝のうちの二人が千秋楽で合うワリになっている。一人は潰れるから……高田龍が勝ち残ると決定戦にもつれ込んで、チャンスありというわけだ。
「九勝の土肥に黒三角がついているが、こりゃなんだい」
「勝てば十勝でこいつも優勝争いにまざってくる。これは危険信号だ」
「すると三人残る勘定じゃないか」
「土肥関さんは負けると思うぞ」
「ほう。どうしてだ」
「対戦相手が力石だ」
ノートをめくると星取り表の切り抜きがある。伊東が指差した力石は、十両十二枚目だ。十四日目までの星が七勝七敗。高田龍が十一日目のワリでや≠決めこんで、同情の星を献上した三十一の古参十両だ。あと一番の勝ち負けで、幕下に落ちるか十両へ残れるかの瀬戸際にいる。アッパに死なれて、体の弱い子を抱えているという。
「幕下に落ちたら、力石さんどうするんだろう」
と高田龍は思う。年寄株なぞ買える筈はないだろう。
「わしが相手だったら、絶対負けてやる」
そう思う。出ていってもう一度星を献上したい心境だ。
「土肥関さんは消える可能性が強いぞ」
伊東がもっともらしい口振りでいう。高田龍は目を見張る。馬面のハーたろとばかり思った伊東少年は、いま相撲にとりつかれはじめている。他人のことでも、星勘定に夢中になればプロだ。
「だからガンバッテ下さい」
予想もしないことばに高田龍は、
「ごっつぁんです」
とつい言ってしまい、水を得て心の鰭《ひれ》を掻き立てはじめたらしい伊東の馬面を凝視した。高田龍が急に思い立って、東京へ電話を掛けに部屋を出る。病床の川島親方へことづてを……何か無性に喋りたい気分だ。
夜東京から電話が二本。一本は「やぐら」の店主から激励のそれだ。
「……これでなんだよ。十三枚目も栄光の花道ちゅうことだ。明日勝っても負けても、ここまで取りゃ、立派、立派」
もう一本はアッパから、
「いままでじっと我慢して電話しなかったんだけどさア。ガンバッテよ。お店のほうはどんと任しといてさ。九州場所までガンバリなさいよ。大丈夫よ、板さんもことしいっぱいいてくれるって約束してくれたのよ」
「そんなお前……話が全然違ってきてるじゃないか」
話の途中から板前が出る。
「いよオー、旦那さん。やってるねえ。明日も勝ってよ。優勝しないと承知しないよ。あたしゃこの店を当分止さないよ。なんたって面白くなってきた。万歳だ。実に結構な世の中だ。高田龍バンザーイ」
客も騒いでいるらしい。万歳の唱和が聞えた。
千秋楽の朝。戸を開けるとまばゆい朝陽が射し込んだ。熟睡した高田龍が、布団の上で伸びをしている。
初日前夜の宴席にきたタニマチが、早々と連れを二人案内して宿舎の山門をくぐる。
「十両優勝という……そないなことを別としてもやな。この部屋強うなりまっせ」
声高《こわだか》に喋るタニマチの声は、今夜の祝いの相談にきて、来場所新序になる伊東のことをいっているのだ。馬面少年伊東三郎をいくら賞揚されても、もはや高田龍の心にさざ波も立たない。
午後二時半に十両の大半が場所入りを済す。三時五十分土俵入りを終る。
高田龍がたたきへ降りて準備運動をはじめようとしたら、支度部屋へ伊東が飛び込んできた。息せき切った大口から、馬並みの白い歯がむき出している。
「アッ、ハア、ハア……土肥関さんが寄り切られた」
九勝の土肥が力石に負けて、優勝戦線から脱落した。それを知らせに花道をすっ飛んできた伊東の目が、ものにつかれたようにギラギラ光る。
「絶対チャンスだぞ」
相撲に入って日の浅い少年は、緊迫感に興奮しているのだ。見るとそわそわする伊東の両手は、さざえのように握り拳《こぶし》だ。
高田龍はこの馬面少年に、ひたむきの若さを見た。病床でニコッと笑う川島親方の顔が過《よぎ》る。
「年増芸者がさかりついてやがら」
その声は、支度部屋のどんづまりから起った。何人もの笑い声が後に続いた。
「なんだと」
伊東が|きっ《ヽヽ》とその方角へ向き直る。彼は、高田龍のことを「年増芸者」、「お龍さん」と冷かす声を聞き知っているらしい。
「おい」
関り合うな、という目を伊東に注ぐ。なおも飛びかかっていきそうな伊東を、すうっと右腕の中に抱え込み、支度部屋の出口に連れていく。高田龍の手の中で、伊東は肩をゆすってむずかった。
「いま大事なとこだ。うっちゃっとけ」
腕の輪に抱えた伊東へ小声で言う。
三番前を取った力士が駈け込んできた。
「出です」
花道の入り口で付人が手を上げている。
「オッス」
パーンと廻しをはたく。苦楽を共にした締め込みだ。伊東が興奮で震え出した。
「落ち着いていけ」
「いまさらそわそわする柄でもない」
そう思いながらも、高田龍の血はカッカと騒いでくる。
花道へかかって……胴腹の取り廻しへもうひとはたき。屈辱の過去を叩き落すつもりの音が、
「ポーン」
と一直線に花道を飛んでいった。
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相 撲 の 骨
力士出羽ヶ嶽文治郎のお骨を見学したのは、八月の終わりの午後で、夏休みのキャンパスは人影もまばらだった。日差がきつく、歩行者は木陰を辿《たど》るように移行していた。
出羽ヶ嶽文治郎のお骨を拝見することになったのは、某紙の企画で力士の墓≠取材してまわったのが発端である。
そのとき、出羽ヶ嶽のお墓を捜したが見つからなかった。
遺髪と爪が、両国・回向院《えこういん》の力塚に納められてあるだけだという。
出羽ヶ嶽文治郎は、昭和二十五年六月九日に死んだ。病名は脳|溢血《いつけつ》とされている。
二・〇四メートル、二〇二・四キロの巨大な体は、角界でも異形とされた。それ故に、学術研究資料として、東大医学部へ遺体が提供され、病理学教室に於て解剖に付されて、骨格は大学が整理保存することになった。
出羽ヶ嶽文治郎にお墓がないのは、墓へ埋める遺骨がなかったからだ。
遺体提供に関しては、故人に不名誉な巷説《こうせつ》が残されている。それは次のようなことである。
出羽ヶ嶽は昭和十四年に引退し、年寄田子ノ浦を襲名したが、戦後は、焼鳥屋「文ちゃん」を出すなどして市井《しせい》に生きた。桁《けた》はずれに巨大な文ちゃんは、体の故障も加わって困窮した。
窮余の策として、己の巨大な体を研究材料として提供すべく申し入れ、金五千円也を大学から前借した云々。
出羽ヶ嶽の遺骨の所在を知って間もなくのことである。
大相撲のスター力士が、テレビのゲーム番組に出演し、蹴躓《けつまず》いて転んで骨折するというお粗末な事故が起きた。失笑を禁じ得ない出来事で、面目を潰《つぶ》した関係者が、現今力士の骨格の脆《もろ》さについて、弁明とも反省ともつかない発言をした。
それによると、力士の食生活の変化が骨を脆くする原因で、これを改善する必要があるという説明だった。
力士の骨のことが二つ重なり、出羽ヶ嶽文治郎という巨大な男の骨格について、改めて関心を抱いた。お墓に納められたものでは、それを発《あば》くという抵抗があるが、研究資料として保存されているものなら、参考のために見学できるのではなかろうか。遺体提供に関する巷説《こうせつ》の真偽も確かめたい。そう思って関係筋に申し入れておいたのである。
大学当局から許可が出て、たずねていく道すがら、もうひとつの疑念が頭をかすめた。
出羽ヶ嶽文治郎の遺体は、学術研究のために提供されたという。然《しか》らば、その遺体は如何様《いかよう》な研究材料に供されたのか。遺骨の保存は研究成果を生んだものなのか。
もし何の研究もされないままだったら、提供を受けた側の怠慢ということになりはしないだろうか。
出羽ヶ嶽文治郎のお骨見学には、関心と疑念が入り混っていて、訪問の約束時間が近づくにつれ、じっとりとした重たい気分になっていった。
遺骨は、総合研究資料館六階の「人類医学標本資料室」に在った。
そこには、数千個の頭蓋骨《ずがいこつ》がガラス張りの陳列棚に納められていた。|曝 首《しやれこうべ》もこれだけ数が揃《そろ》うと、人骨というよりも、人造のサンプルといった感じがする。
係官が陳列ケースとは別の棚から、木箱を三個持ち出してきた。ニスを塗った頑丈で粗雑な箱の蓋《ふた》を取ると、巨大な人骨が現われた。頭蓋を手にして見た解剖学教室の教官が、
「これは凄《すご》い。普通成人の二倍は優にありますね」
といった。大腿骨《だいたいこつ》を取り上げて、
「これだけが独立して出てきたら、誰も人間の骨とは思わないでしょう」
ともいった。胸骨も常人の二倍以上もあるという。遺骨をはじめて見るという教官も、骨の巨大さを持て余し気味だった。
研究の有無と研究成果を質問してみた。二人とも首を捻《ひね》った。遺骨の保存管理者である係官の説明によると、つい最近、解剖学教官の前任者が、研究調査のために見学したという。おそらくそれが遺骨見学の最初ではないか、という口吻《くちぶり》である。
東大は、出羽ヶ嶽文治郎の遺骨を貰《もら》い受けはしたが、あまりの巨大さを持て余し、三十数年間研究をせず、徒《いたずら》に放置していたのだろうか。
「これはひどいなあ」
教官が遺骨の関節部分を、指で撫《な》でながらいう。
「カリエスでこうなったのでしょう。結核性のカリエスですね」
きれいに漂白され無機物に化した骨の関節は、ことごとくが、病んだ樹木に出来る瘤《こぶ》のように、茶色に変色して脹《ふく》らんでいた。その瘤は痛んでぽろぽろと欠けている。筋々を虫が食ったようになっている。
もっと痛々しいのは、腰椎《ようつい》が彎曲《わんきよく》し、骨と骨が癒着《ゆちやく》してしまっていることだった。胸椎にもその現象は見られる。癒着した個所は飴色《あめいろ》になっていて、傷ついた松の大木が脂《やに》を吹き出して凝結した様相を呈していた。
それら骨格の破損個所には、怨霊《おんりよう》が宿っていて、なにかを訴え続けているようにも思えた。
お骨を見学してから旬日を経たある日、解剖学教室の前任教官から、出羽ヶ嶽の遺体提供は、故人と関係の深かった人物の周旋《しゆうせん》によったものである旨の電話があった。
おそらくその話は、出羽ヶ嶽文治郎の生前に約束されていたものと推測される。
ともあれ、出羽ヶ嶽の生涯は、巨大な骨がらみに終始した模様である。
昼間も明りを点《つ》けないといけないような、陰気で薄暗い部屋に押し込められた、元関脇の出羽ヶ嶽は、膝《ひざ》を抱えてじっとしていた。
板の間へ薄縁《うすべり》を敷き、天井から十|燭《しよく》の裸電球がぶら下っているこの部屋は、関取たちが放棄した|がらくた《ヽヽヽヽ》が放り込まれていて、鼠《ねずみ》の巣になっていたところである。
そこを出羽海親方夫人が取的に命じて片づけさせ、ろくに掃除もしないで、出羽ヶ嶽の部屋にしたのだ。
出羽ヶ嶽は、内藤|誉吉《よきち》から貰ったトランク一個と明荷《あけに》を持って、いままで与えられていた二階の関取用個室から、老耄《おいぼれ》た犬が追い払われるように、一階の取的たちの住う大部屋の、そのまた奥の汚い部屋に移ってきた。
階下へ移るときに親方夫人から、
「お前はもう明荷を持つ身分じゃあないよ。それともあれかい。まだ幕内に上がれるつもりなのかね。三十六にもなって三段目に落っこちて、しかも休場してるんだろう。先の望みがない取的が、なんだって明荷にしがみついているんだね。未練たらしいじゃないか。みっともないからお止しってんだよ。お前は恥かしいってことを知らないようだ。どうしようもない馬鹿だねえ。部屋の恥っ曝《さら》しだよ。ほんとに」
とさんざんな嫌味をいわれた。親方夫人に阿《おもね》る関取たちも、最早御用済みとなってしまった出羽ヶ嶽に、遠慮会釈はなかった。
「文ちゃんよ。そんなものを側《そば》に置くよりゃあ、ひと思いに近くの隅田川へ打棄《うつちや》っちまいな。|褌 担《ふんどしかつ》ぎの文ちゃんが、未練たらしく明荷なんぞ持ってるのは、恥にこそなれ、決して自慢にゃあならねえよ」
と口々にいい、出羽ヶ嶽が関取時代に使った明荷を捨てさせようとしたのだが、出羽ヶ嶽文治郎は聞えない振りで、彎曲した体を伸し掛るようにして明荷を抱えると、エッチラオッチラと階下の暗い部屋に運んできた。
「こいつを手放しちまったら、オラはボロボロになった骨しか残らない」
そう思いながら、命に取りつくつもりで運んだ明荷には、化粧まわしや紋服などが入っている。それらはいまでは無用になった品だが、かつて出羽ヶ嶽が人気力士として騒がれた大正末期から、昭和初年の頃の思い出がいっぱい詰まっているのだ。
こまごました日用品などを入れたトランクは、内藤誉吉の養父がアメリカ旅行の折りに買い求めてきたもので、養父義市から女婿《むすめむこ》の誉吉に譲られ、更に出羽ヶ嶽へと手渡されたものだった。
そのトランクについても、関取たちは難癖をつけた。
「三役力士のときだったら格好はつくけど、いまとなっちゃあ、提灯《ちようちん》に釣り鐘だ。廃業寸前の文ちゃんには、一反風呂敷のほうが似合うぜ。トランクを売りとばして大風呂敷を買って、体ごと包んで世間に目立たねえようにするのが、恥隠しというもんだ」
そうくさされても出羽ヶ嶽は取り合わなかった。トランクを手放してしまうと、内藤家との縁が薄くなる気がして、老いたる駱駝《らくだ》が物を運ぶようにのろ臭い動きで、角《かど》が摩《す》れたトランクを薄暗い小部屋に移した。
二階の部屋は陽当りがよく、出羽ヶ嶽は趣味の盆栽を二十鉢ほど持っていたが、こればかりは陽の差さない小部屋では世話をすることができず、止むなく内藤誉吉の邸《やしき》に預けた。
出羽ヶ嶽は、部屋の親方たちから、
「番付も三段目に下っちまったことだし、体もおかしな具合に曲っちまってみっともねえから、あっちこっちをうろつかないでもらいたい」
といわれていた。そうしたいいつけを、出羽ヶ嶽は守って、終日湿っぽい部屋にじっと蹲《うずくま》って暮らすことが多かった。そして、自分が何者かわからなくなってしまうことがあり、そうしたときは、大きな口をあけて、底なしの空井戸のなかから聞えるような声で、ぼわんぼわんとことばにならない音を出した。
自分の存在がはっきりしなくなる出羽ヶ嶽だが、それだけははっきりわかっていることがあった。
「オラは人並みはずれてデカイ人間で、しかも人間ばなれをした顔だ」
ということであった。生まれ落ちたときからそうだった……という認識だけは、どんな状態のときでも失うことなく持ち続けている。ことによると、物心つく前から、そういう認識があった気さえするのだ。
出羽ヶ嶽は、菱《ひし》の実を何千倍もしたような異形を、両腕で抱え込んだ膝に乗せて、飯がくるのを待っている。
ちゃんこのいい匂いがしてきたのは、三時間も前だったろうか。
横綱武蔵山をはじめとする幕内力士たちが、親方衆と一緒に鍋《なべ》を囲み、風呂上がりのてかてかした顔で談笑する様子を、出羽ヶ嶽は生唾《なまつば》を飲みながら想像し、ぼわんぼわんと息とも声ともつかない音を出しながら、空腹に耐えていた。耐えて待つことにも慣れている。
ことに当って耐える性質も、異形に生まれついた日から一緒にくっ付いてきた気がする。
「腹も減ったが、体の節々《ふしぶし》が痛むなあ」
出羽ヶ嶽は溜息《ためいき》をついた。骨の髄が錐《きり》を刺したように痛み、関節は絶えずズキズキする。腰から胴が窮屈でならないが、コルセットをはずすと、腰の骨はいよいよ曲がって、体が蝦《えび》のようになってしまうと医者はいう。その医者にも最近は気楽にかかれなくなった。部屋全体が出羽ヶ嶽を疎外する雰囲気なので、無料で診察施療をしてくれる堀田整形医も、親方連中に遠慮して、十日に一度が二十日に一度となり、接触は遠退《とおの》くばかりである。仕方がないので市販の薬を無理して手に入れ、いろいろと試みるのだが、効果はさっぱりである。
巨大な隕石《いんせき》のように蹲っていた出羽ヶ嶽が、ひくっと体を動かし、長大菱形の顔を心もち上げるようにした。そして乱杙歯《らんぐいば》をのぞかせて笑った。
廊下を踏み鳴らす足音が近づいてきて、部屋の板戸の前で止まった。
「文ちゃん。飯だ」
そういって、前をはだけた幕下が、毛脛《けずね》の足で板戸を開けた。左手を懐ろに入れ、ぬっと突き出した右手に新聞紙が乗っていて、それに子供の頭ほどのオムスビが一個と、唐辛子味噌が包まれていた。関取の食べ残しを、ちゃんこ番の幕下が泥でも捏《こね》る具合に丸めたものだ。面倒臭げにこしらえた感じの握り飯は、ひしゃげて歪《いびつ》になっている。唐辛子味噌は、オムスビの横腹へ叩きつけるように塗ってあった。
「おう。ごっつぁんです」
出羽ヶ嶽は蹲ったまま両手を伸ばして、新聞紙ごと受け取ると、すぐに部厚い唇をもった口がそれを迎えに近づいた。
「相変らずガツガツしてるなあ」
幕下は、出羽ヶ嶽を見縊《みくび》っていて、ぞんざいな口をきいた。現在の地位は、出羽ヶ嶽が三段目で低い。しかし出羽ヶ嶽は元関脇である。しかもある時期には、大相撲の看板力士として角界を支えたことのある男だ。経歴からいって、幕下など物の数ではなかったが、出羽ヶ嶽は幕下のいうことを馬耳東風と聞き流して、残飯のオムスビにひたすらむしゃぶりついていた。
「へっ。人間は落ちぶれたくねえもんだ」
二十《はたち》を出たばかりの幕下は、小生意気な捨て台詞《ぜりふ》を吐き、わざと足音を荒げて立ち去った。
「フフフ……」
出羽ヶ嶽は、飯粒を新聞紙の上に吐き出して笑っていた。笑ってしまってから、誰に対して笑ったのかわからなくなった。なにもわかっていない幕下の空文句に対してか。元関脇力士を冷遇して、なんとも思わない部屋の親方連中に対してか。いい時にだけ騒いで、駄目になったら鼻もひっかけなくなったタニマチに対してか。それとも……座敷|牢《ろう》のような部屋に押し込められ、関取の残飯を食わされて、それでも相撲にしがみついている自分自身をも含めてのことなのだろうか。
「まあ、それらの全部だろうな。フフフ」
出羽ヶ嶽は、塵取《ちりと》りのような手に付いた御飯粒を嘗《な》めながら、低い声で笑っていた。
「まあ……そのうちにな」
と意味不明なこともいい、菱形長大な顔に洞《うつろ》な表情を浮かべ、ベコ人形のようにゆっくり首を振った。
出羽ヶ嶽は、握り飯が包んであった新聞紙を、富士額へ近づけて、幕下があけ放しにしたままの敷居際へ膝行っていった。そこは廊下のわずかな明るさが入ってきていて、新聞の字がどうやら読み取れた。
部屋には裸電球が吊《つ》り下がっているのだが、親方夫人が奥で操作しないと電気がこないように、電源を切られてしまっているのである。
新聞の一面は、中国戦線での日本軍の戦捷《せんしよう》が報じられていた。日本軍大勝を伝える記事に符合させて「皇軍正義の旗を運ぶ」と題した詩が掲載されていた。作詞は帝国芸術院会員・内藤誉吉で、顔写真まで添えてある。
「ほう、ほう……」
出羽ヶ嶽は内藤誉吉の写真をためつすがめつ見ていた。
「オラの兄貴もたいしたもんだねえ。華族さまと同格扱いだ。ほう……」
一面には総理大臣近衛文麿の写真も出ていた。
「なんだなんだ。変なものが食《は》み出してると思ったら、ぶっ毀《こわ》れの文ちゃんじゃあねえか。ここは通り道だぜ。邪魔だから引っ込んでろい」
廊下を通りかかった部屋付きの親方が、出羽ヶ嶽の体を足で押しまくった。出羽ヶ嶽の体は敷居の内側にあったのだが、図体《がかい》が大きいので廊下に食み出ている風に見えたのである。
出羽ヶ嶽は押されるままに動いた。そして板戸を閉めた。
「どうかしたのかね」
「邪魔ものが部屋の戸を開けて、廊下へ食み出てやあがったんだ」
「無用の長物の文ちゃんがかい」
「生意気に新聞なんぞ広げやあがってよ」
「あのぶっ毀れの化けものがかい。あきれたもんだなあ。この世に用がなくなった野郎が、世間の様子を知って、どうするつもりかな。さっぱりわからねえ」
「本人だってよくわかっちゃいねえよ。でなけりゃあ、いつまでも相撲を廃《や》めずに、愚図愚図と無駄飯を食って、生き恥は曝しちゃあいねえだろうよ」
出羽ヶ嶽の体を押しまくった親方が、廊下のとっかかりで他の親方と話していた。声が廊下を渡ってがんがん響くのは、聞えよがしの大声を出しているからだった。
出羽ヶ嶽文治郎は、洞穴《ほらあな》のような表情でトランクを開け、財布を出して懐ろに入れた。懐中時計の鎖《くさり》を帯に結びつけ、大きな手で顔をくるくると撫でまわし、小指を折り曲げて目尻に溜《たま》った目脂を削《そ》ぎ落とした。
「オラはちょっくら外出してくるだね」
ひとりごちて、出羽ヶ嶽は廊下へみしりと踏み出した。
障子をとおして春の午後の柔かな陽が差し込んでいた。
山桑を素木《しらき》のまま、木賊《とくさ》で磨き上げた机上に、上梓《じようし》したばかりの自著「詩集・皇国|燦《さん》」上下二巻が置かれている。違棚《ちがいだな》に飾られている小鼓は、当主の内藤誉吉が、つれづれの慰みにとき折り打つ。
床の間に観山の小品が掛けられ、画賛は「高千穂峰|黎明《れいめい》」と読める。連なる山上に明るさが差していて、前面の山の片方《かたえ》を、明烏《あけがらす》と思える鳥が飛ぶ図柄である。軸の下には香炉が置いてあり、これは会津の漆器である。
小柄な客がいて、机を挟んで内藤誉吉と対座している。
黒の三ツ揃《ぞろ》いを着用し、チョッキの胸に時計の銀鎖が垂れていた。銀縁のメガネを掛け、鼻下に白髭《しろひげ》を生やしている。頭髪は胡麻《ごま》塩である。顔をやや上向け具合にして端座したところは、内藤誉吉に対抗して気張っている風に見える。
内藤誉吉は着流しで客に対していたが、ゆとりのなかにも品格が現われていた。やはり鼻下に髭《ひげ》を蓄えているが、こちらは髭も髪も黒々としていて、五十九歳の同年とは思えない。鼈甲縁《べつこうぶち》のメガネは内藤誉吉の顔を穏かに見せているが、メガネの奥の目は、透徹した理知的な光を放っていた。中肉中背の引き締った体からは、一種の気韻《きいん》が感じられ、昭和の大伴家持《おおとものやかもち》といわれる風格があった。
二人は同時に軽い咳《しわぶき》をした。
「失礼致します」
静かにドアが開いて、年嵩《としかさ》の女中が茶菓を運んできて、二人の間へ置いた。
この邸は病院経営で一代を築いた義父の内藤義市が建てたものである。内藤義市には二女があって、女婿を得るために郷里から山内誉吉を呼んで邸内に住まわせ、大学を出した。これが長女と結婚した現在の当主内藤誉吉である。内藤家の婿養子となった誉吉は、最初岳父の業を継いだが、学生時代から親炙《しんしや》した文学者がいて、影響を受けた。文芸の道を諦めきれない誉吉は、義父を説得してこの道に入り、遂に大成したのである。
内藤誉吉が詩文の道へ大転換を試みた大正五年頃、岳父の義市は郷里から雲突く怪童を連れてきて、邸内の庭掃除をする老人の小屋に住ませた。内藤義市は、この怪童をゆくゆくは相撲取にさせる腹づもりで、親交のある先代出羽海(元横綱|常陸山《ひたちやま》)の内諾をとっていた。
誇大吹聴癖の内藤義市は、
「僕は日本一デカイ男を捕えてきましたよ」
といい、熊かゴリラでも捕獲したようにいい触らした。連れてこられた怪童は佐藤文次郎といい、極端な対人恐怖症だったから、庭掃除の老人の小屋へ籠《こも》りきりで、表に出たがらなかった。しかし老人とは親しみ、話もよくした。老人が将来の希望をたずねると、はにかんで俯《うつむ》いていたが、
「オラは学問を研究する者になりたいだね」
といった。そのためには上の学校にいき、
「最終は誉吉兄貴と同じ帝国大学を卒業するだ」
ともいって、庭掃除の老人を仰天させた。佐藤文次郎は、内藤家の女婿におさまった誉吉同様の扱いを受けられるものと思い込んでいたらしい。学者を希望する理由を問われると、次のように答えた。
「オラは生まれながらの馬鹿デカイ人間だで、こんな体を人前に曝すのは、死ぬほど辛いだ。だから人とあまり付き合わねえで済む仕事がいい。田舎で炭焼きがいちばんよかっただがねえ。オラは大飯喰いだもんで、こちらのお邸にお世話になることになった。でも一生涯飯だけ食って終るちゅうわけにもいかねえだでな。それにオラもゆくゆくは、誉吉兄貴と同じように、このお邸の人間になるだから、勉強もせねばなんねえ。東京で暮らして、しかも一人でやれることといえば、まんず学問の研究者になることだべ」
庭掃除の老人からこの話を聞いた内藤義市は、一見もさっとした巨大少年にしては、なかなか面白い気のきいたことをいうと思った。日本一デカイ帝大生というのも愉快だし、相撲取よりも大きい学者というのも傑作である。いずれにせよ、潰《つぶ》しは相撲できくから、というわけで、とりあえず私立中学に入れた。ところが、出羽海親方との約束があって、出羽海は是非とも弟子にくれと矢の催促で、根負けした内藤義市は、泣いて嫌がる佐藤文次郎を、半ば強制的に相撲界に入れてしまったのである。
それが出羽ヶ嶽文治郎だった。
その出羽ヶ嶽は、先刻のっそりと内藤邸の庭へ入ってきて、預けた鉢の世話をはじめていた。出羽ヶ嶽は自分の家に帰ったつもりでいるから、誰にも改まって挨拶はしない。盆栽の世話を終えたらお勝手にまわり、なにか御馳走になって帰ろうという算段である。
内藤誉吉も、出羽ヶ嶽がきているのをまだ知らないでいる。
来客の用件は、内藤誉吉に講演を頼むことで、それはすぐにまとまった。客は駿河興造といい、内藤誉吉と大学時代からの友人だった。やはり詩歌の道を志した者だが、一本立ちするには至らず、いまは某大学の教授におさまっている。その大学の創立記念日の講演に、高名な内藤誉吉を招聘《しようへい》するための使者の役目は、駿河興造にとって痛し痒《かゆ》しのものであった。誰一人知らぬ者がないほどの内藤誉吉と旧知であることは、多少の自慢ではあったが、二人の価値を秤《はかり》にかけて考えると、いい知れぬ屈辱が感じられた。それは内藤誉吉に対する嫉妬《しつと》になって、駿河興造の心のなかに隠れていた。逆に内藤誉吉には、なんとなく晴れ晴れとした優越感が湧《わ》いていた。
用談が済んで雑談になると、二人の会話には、ことばの末端で微妙な摩擦が生じていた。
「ところで、君の義弟の出羽ヶ嶽という力士だが、最近どうなってますか」
と駿河興造が聞いた。
「あれは違います。義弟というのは正確ではありません」
と内藤誉吉が答えた。駿河興造が出羽ヶ嶽の名をいったとき、内藤誉吉の表情に陽から陰に移る変化が見えた。蝿《はえ》や蚊をうるさがるような顔をした。
「ほう。左様でしたか。世間では君が義兄で出羽ヶ嶽が義弟という風になっているようだが、単なる評説なのか。ふむ」
「言論が面白おかしく捏造《ねつぞう》したのだな」
「成程。それで……出羽ヶ嶽のほうはなんと思っているのだろうか」
「うーん。彼の方は……」
内藤誉吉はことばを濁した。
「この邸に貰われてきて、一緒に住んだというのは事実なんだろう」
「一緒に住んだといっても、あれは小屋におったのだよ。内藤家の家族とは別です」
内藤誉吉はきっぱりといった。
「そういうことを世間はよく知らないからねえ。いまでも、君と出羽ヶ嶽は義理の兄弟で、出羽ヶ嶽の晩年に関しては、君が責任を持つというようにいわれている」
内藤誉吉は、無関心を装うような微笑を見せた。
「巷説なんだが、そういう噂《うわさ》は存外真実性を持ってくるからなあ」
駿河興造が内藤誉吉の反応を探る目つきをしていった。
「出羽ヶ嶽については、先代の道楽が高じて禍《わざわい》を残したということです。日本一のデカブツだといって山のなかから連れてきたんだからねえ。卑俗な|蒐集 癖《しゆうしゆうへき》です。連れてきた御当人は、巨大なだけのものを置き放しにして、あの世にいってしまったが、それを受けついだ形の僕らは、なんとも具合の悪いことになりました。あれは先代が落とした隕石《いんせき》のようなものです。大き過ぎて動かしようがない。話のついでに思い出したが、あれが田舎から連れてこられて、小屋に住んでおった頃、自由党の板垣退助が千円で買いにきたことがある」
「それは初耳だ。千円で買い取って、どうするつもりだったのだろう。やはり相撲に入れたかったのかね」
「違うらしい。朝鮮、シナなどを連れ歩いて、国威発揚の道具にする計画と聞いた」
「体の大きさで威すわけか。明治の人間が考えそうなことだ。虚仮威《こけおど》しか。ふん」
駿河興造が、渋面をつくった。
「あのとき板垣さんに譲っておいたら、面倒が残らずに済んだかも知れない。先代はとんだお荷物を残しました」
「そのお荷物ですが、これからどうなりますか」
「わからん。だいたいあれは何を考えているのか。部屋で関取の残飯を食わされているということだが、元関脇が文句もいわないでいるそうだ」
「麒麟《きりん》も老ゆればですか」
「麒麟だったかどうか。その辺のところは、僕も判断しかねます」
駿河興造がもっともらしい顔で頷《うなず》いた。
「可哀相といえば可哀相な男だが、自分の立場というものを考えないところがいけない。相撲が駄目になってしまって、番付は落ちる一方だ。大きな体で負けてばかりいて、世間のもの笑いにされている。それでも相撲を廃めようとしないのだから、困ったものです」
「再起は無理なのかね」
「再起もなにも。故障の体で、胴と腰にコルセットをはめている。年は三十六だ」
「老齢だ」
「老骨というほうがいいだろうね。堀田君が主治医ということで、ずっと診てきたのだが、匙《さじ》を投げてしまった」
「そんなにひどいのか」
「ひどいもなにも、骨軟化症というのでね。骨のボロボロになる病気です。大骨《おおぼね》が彎曲して、背骨が変形しているそうだ。このまま無理をして相撲など取っていると、しまいには這《は》って歩くようになる」
「どうして廃めさせないのかね」
「当人がまだ取るといって頑張っている。老骨で恥かしいということがわからないのだから始末が悪い。引退させて相撲親方にするのが、いちばんいい方法だが、出羽海部屋で、あれに年寄株を譲るという好意的な者がいない様子でね。実はそれで困っている」
出羽ヶ嶽文治郎は、書斎でこういう話が交わされているのを知らない。
預けてある鉢植を、ひたすらいとおしみながら手入れを終えると、腰を落としたまま、蟹《かに》の横這い式に移動し、松の幹を頼りに立ち上がった。長い時間しゃがみ込んでいたので、自力で立つのが難しかったのだ。
出羽ヶ嶽は、低い台の上に並べた自分の盆栽を、目を細め口を半開きにして満足そうに眺めた。
腰から上が甕《かめ》を抱えた具合に彎曲していた。
出羽ヶ嶽はなにかぼそぼそいいながら、草覆を引きずって勝手口の方へ歩きかけたが、ふと思い返したように、枯山水の庭に面した内藤誉吉の書斎へ足を向けた。
出羽ヶ嶽は縁側の近くに立つと、障子に向かって、
「えーと……文治郎ですが、誉吉先生はおいでですか」
と声を掛けた。突然なのですぐに返事はなかった。出羽ヶ嶽は無表情の顔で障子を見ていた。
「お前はいつきたのだ」
内藤誉吉がいった。
「だいぶ以前からきまして、オラの鉢を手入れしましただ。生き返りましたで、いっぺん見て下せえ」
「うん。後で見せてもらおう」
「オラは相撲の方は暇だで、これからはちょくちょくくるだ」
「ああ、そうか」
「ここを開けてもいいだかね」
「お客さまがお見えだから、台所へまわりなさい」
「お客さまなら、オラは御挨拶をするです」
「その必要はない。台所へいきなさい」
「台所へはこれからいきますが、その前に誉吉先生にひとことお断わりしたい儀がごぜえます」
「なんだね」
「部屋でもってオラのことを犬猫扱いにして……早晩お払い箱の仕儀となりそうで……オラは死んでも相撲は廃めねえつもりだども……力ずくで放り出されたら、ここしか寄るべはないで、それで、その……」
「そういう話は後日にしなさい。きょうは大事なお客さまがいらっしゃってる」
「だども……」
出羽ヶ嶽はぐずぐずとしていて、立ち去りかねている様子だった。
二人のやりとりを、駿河興造はテーブルの一角へ目を据えて聞いていた。彼の小さな胡麻塩頭は、内藤誉吉と出羽ヶ嶽の柵《しがらみ》について、執拗《しつよう》に考えをめぐらせていた。
「もういいから、お勝手へいきなさい」
と内藤誉吉が、少し言葉を強めた。温顔が曇っている。
テーブルの隅へ置いた視線を、相手の顔に移した駿河興造が体を乗り出して、
「どうだろう。彼をわたしに貸してもらえないかね」
といい、障子の外を指さした。内藤誉吉の表情に混乱が起きた。
「それは……どういうことですか」
「話をしてみたいのだ」
「うん」
「表でなにか御馳走をして……相撲の四方山《よもやま》ばなしがしてみたい。本物の相撲取と話をしたことがないから、興味があるんだよ」
「しかし……」
「わたしのような素人《しろうと》ではいけないかね」
「そうではないが……うーん」
内藤誉吉は、世間で義弟だといわれている出羽ヶ嶽を、駿河興造に会わせたくない気がしていた。老残の出羽ヶ嶽は、ただ単に大きいというだけで、巨大さが持つ威容がない。|がらくた《ヽヽヽヽ》を積み上げた感じの出羽ヶ嶽を、駿河興造に会わせることで、内藤誉吉自身が軽んじられる気がする。
またその一方で、この巨大な難物を、いっときでも駿河興造の側《そば》へ置くことで、厄介払いの清々した気分になれると思った。
内藤誉吉にはふたつの考えがあって、駿河興造の申し入れに迷っていた。そのために答えが優柔不断になった。
「家に帰る途中に行きつけの店があります。帰るついでだから、そこへ出羽ヶ嶽さんをお連れしようと思います」
と駿河興造がいった。駿河興造の目は、内藤誉吉へ執拗に絡みついていた。その視線を逸《そ》らすように障子へ目をやった内藤誉吉が、
「文治郎」
と呼びかけた。
「はい」
「お客さまがお前に御馳走して下さるそうだ」
「おう、おう」
「偉い先生だから、失礼のないようにしなくてはいけないよ」
「はい、はい」
「食事を頂くだけで充分と心得るのだよ。いいね。お小遣いをねだったりしてはいけません」
駿河興造は、ちらっと障子に視線を走らせ、懐ろを探る手つきになった。障子の外で大きなものが動く気配がしていた。
出羽ヶ嶽は出てきた料理を食べ残した。それも普通の客の一人前だった。
相当の出費を覚悟していた駿河興造は、何品かを残して箸を置き、彎曲した上体の懐ろへ駱駝の瘤《こぶ》のような顔を埋めてしまった出羽ヶ嶽を、怪訝《けげん》そうに見た。屈み込んで動かなくなってしまった出羽ヶ嶽は、内藤誉吉がいった「先代が落としていった隕石」そのもののようだった。
「どうしましたか。気分が悪いのかね。どこか骨が痛みますか」
内藤誉吉から、出羽ヶ嶽が骨軟化症という難病に冒されているのを聞いたばかりの駿河興造は、それが原因で出羽ヶ嶽は蹲ったのだと考えた。
「骨は寝ても起きてもずきずきするです。のべつに痛い」
と出羽ヶ嶽は答えた。箸をつけない揚げものへ蝿が何匹も止まっていた。どこからかラジオが聞えていて、日の丸行進曲のメロディーが流れていた。
「痛み止めのようなものはないのかね」
「痛み止めは、中毒になっちまったから、もう効かねえです」
「それは弱ったね」
「痛いのは馴《な》れっこだから、どうちゅうことはないだ。食いものが喉《のど》へ通らなくなったのは、嬉しいからです。有難いからだ」
そういうと出羽ヶ嶽は鼻を啜《すす》り上げた。
「オラのことを、皆が寄ってたかって相撲を廃めろ、いつ廃業するのだと、そればかりいう。オラは絶対廃める気はねえが、朝から晩までいわれてはうんざりです。兄貴の誉吉先生までもが、もうみっともないからよせといっている。そんななかで、もっと頑張れ、廃めるなといってくれたのは、あんただけです。はい」
出羽ヶ嶽にいわれて、駿河興造ははっとなった。駿河興造は意図があってそういったのだが、相手はまともに受け取っている。
「御食事まで御馳走してくれた。オラを飯に呼ばってくれる人なんかありゃあしませんだ。こういうお店でごっつぁんになるのは、かれこれ三年振りです。オラは昭和十一年に十両付出しにまで転落したですからね。つまり幕下だ。元関脇の幕下には、旦那様からお座敷はかかりません。お座敷がなけりゃあ御祝儀も貰えないだからね。オラは懐ろが淋しくて、体のほうは骨が駄目になっちまった。親方は、文治郎お前はもう相撲が取れる体じゃあねえから、廃業したらどうだといっただ。ボロボロの体でほっぽり出されて、どこへいけというのかね。いくところは誉吉先生のお邸しかねえだども、先生はオラが帰ることを喜ばねえふしがあるです」
出羽ヶ嶽は隕石の格好のまま、ぼそぼそと訴えた。
「こうなったら、オラは無様な見世物をいつまでも押し通してやるつもりだね。そういうオラを、あんたは励ましてくれた。情のある人がいたと思ったら、嬉しいのと有難いのとで気持ちが咽《む》せ返っちまって……」
それは違う……と駿河興造はいえなかった。出羽ヶ嶽の心情に忸怩《じくじ》たる思いだったが、自分の心底はひた隠すよりなかった。
駿河興造は、たしかに出羽ヶ嶽に相撲を取り続けなさいといった。力士というくらいだから、相撲取は士《さむらい》だともいった。これは受け売りだったが、出羽ヶ嶽は駿河興造のことばとして神妙に聞いていた。士は戦場で散るのを本分とする。力士も土俵上で斃《たお》れる覚悟でなければならない。廃めろという声があっても、出羽ヶ嶽さんが相撲を取るというなら、それはお節介というものだ。故障の体に鞭打《むちう》って土俵へ上がる姿を、この駿河興造は尊いとさえ思っている。他人にいわれて廃めたら、それは士ではありません。誰になんといわれても、あなたは相撲取でいるべきです。駿河興造はそういったのだ。
出羽ヶ嶽はこれを温い励ましと素直に受け取ったが、駿河興造は思惑があった。駿河興造には、旧友内藤誉吉の名声に対する嫉妬がある。資産家の女婿になり、順風満帆で詩文の名流となった内藤誉吉に比べると、駿河興造のそれは艱難《かんなん》の多いものであった。経済的にも恵まれなかったし、虚弱でもあった。体躯も劣り、眉《まゆ》秀でた内藤誉吉にはいつも先んじられた。内藤誉吉は志を遂げ、いまや時流に乗って雲を呼ぶ竜だ。国民詩人、昭和の大伴家持と奉られ、名声は遍《あまね》く知れ渡っている。
駿河興造は、文芸の稟質《ひんしつ》に於いて、内藤誉吉に劣るものではないと、いまもって自負していた。学殖に於いても、彼我の力量は互角……否、こちらが上と考えている。
にも拘わらず、彼が国民から畏敬《いけい》される大詩人であり、我は片々たる学究の地位に甘んじなければならないのは、彼に資産と幸運が伴い、我には困窮と不運が付き纏《まと》ったがためと考えている。だが……もうこうなってしまっては、隔絶があり過ぎた。駿河興造は、失意と羨望《せんぼう》と不満と妬《ねた》みの被害者意識を持っていた。そうした感情は、内藤誉吉と疎遠である限り、心底にチョロチョロと下火で燃えているだけだが、接近すると炎は大きくなる。
駿河興造は、内藤誉吉邸の門をくぐった瞬間から、屈辱が小躯を支配していた。講師要請の使者は、自分が旧知であり、同学の徒であるという理由からまわってきた役割だった。駿河興造にとって、それは嫌な因縁だった。駿河興造は殊更に虚勢を張って、内藤誉吉と対面したが、横綱と幕尻力士ほどの違いを意識せざるを得なかったのである。
いくら力んでみても勝負にならないと知りつつも、駿河興造は力んでいたが、そこへ出羽ヶ嶽という力士が介在してきて、少し展開があったのだ。
天下に名だたる大詩人も、骨がボロボロの出羽ヶ嶽だけは、些《いささ》か持て余している様子なのである。
出羽ヶ嶽が醜態を曝していることと、うかうかしていると、廃業して転り込んでくるかも知れない不安とで、内藤誉吉は二重の憂き目に会っている。駿河興造の嫉妬心はそこのところを捕えていた。出羽ヶ嶽文治郎を招待して、相撲を取り続けるようにいうのは、激励に見せかけた使嗾《しそう》である。
ボロボロの出羽ヶ嶽が、コルセットをつけた廃物力士として曝しものになり、あれは内藤誉吉の一族、義理の弟……と世間が冷笑すれば、それは即ち内藤誉吉の恥辱となる。
好都合なことに、この愚鈍な大男は、相撲を続ける意志を持っている。
駿河興造は出羽ヶ嶽をけしかけながら、快感を覚えていた。
「御免下さいませ」
襖《ふすま》の外で男の声がした。
「はい。どうぞ」
駿河興造が返事をすると、店主が襖を開けて部屋に入り畏《かしこ》まった。硯箱《すずりばこ》と色紙《しきし》を持っている。
「たいへん御無礼とは存じますが、出羽ヶ嶽さんに手形をお願いできませんでしょうか」
店主は皺《しわ》だらけの顔を緊張させ、恐る恐る駿河興造と出羽ヶ嶽を交互に窺《うかが》った。
「こちらの店主とは僕も親しい間柄です。御要望に応《こた》えて上げなさい」
駿河興造がいうと、出羽ヶ嶽は内懐ろへ沈めた顔をちょっと上げて、唸り声で頷いた。
手形を押してもらった店主は、部屋を下っていくと、祝儀袋を持ってすぐに引き返してきた。
出羽ヶ嶽は大きな手でそれを受け取ったが、人間放れした顔には含羞《がんしゆう》が漂っていた。
店主はそのまま座に加わり、話をはじめた。
「わたしゃ相撲取では栃木山ちゅうのが大好きでした」
「そうですか」
「大ノ里ちゅうお相撲もよかったです」
「詳しいのですな」
「これでも昔は、相撲見物とお女郎買いでは、町内に並ぶ者はございませんでしたよ」
「ほ、ほう」
「出羽ヶ嶽さんの土俵も、何度か拝見致しました。大正の晩年から昭和の初期にかけて、両国へよく出かけたもんですよ。出羽ヶ嶽さんは、馬鹿強かったですなあ」
出羽ヶ嶽は無表情だった。
「相撲見物に凝ってた時分に、道楽でこういうものをこしらえました」
店主は和綴《わと》じの雑記帳をテーブルヘ置いた。手製のようだった。表紙に「現今人気力士控え」と書いてある。なかなかの達筆だ。店主が表紙をめくって見せた。表題としてあり、記載した力士名が記されてある。
西ノ海、両国、大錦、栃木山、大ノ里、常陸岩、玉椿、玉錦、天龍、清水川、能代潟と並ぶなかに、出羽ヶ嶽の名が見えた。
「出羽ヶ嶽さんは……えーと、ここですね」
店主が開いた頁には、出羽ヶ嶽のメンコが貼《は》り付けてあった。出羽ヶ嶽が化粧まわしをつけた立ち姿の、長方形のメンコで、それが店主の趣向ということらしい。
記述は出羽ヶ嶽の力士経歴をメモした簡単なもので、
「大正五年出羽海部屋入門。大正八年一月初土俵(十六歳)。大正十年幕下。大正十一年十両。大正十四年一月前頭。大正十五年一月関脇。昭和三年三月小結。昭和四年一月前頭。昭和十年十両」
と記入されて終わっていた。
以後出羽ヶ嶽の地位は急転直下し、昭和十一年一月張出十両。昭和十二年一月幕下。昭和十三年三段目となるのである。いま蹲っているのが三段目出羽ヶ嶽文治郎だ。
「このあたりでは、出羽ヶ嶽さんの人気は、横綱、大関を凌《しの》ぎましたです。力も抜群でした。鯖折《さばお》りの強さは恐しいほどでした」
店主は出羽ヶ嶽に問いかけているのだが、出羽ヶ嶽はうんともすんともいわなかった。厚い唇を鯉のようにパクパクと動かしていて、目はなにも見ていないようだった。店主は仕方なく駿河興造に話しかけた。
「大正の末から昭和のはじめは、たいそうな不景気で、本来なら相撲は閑古鳥が鳴いてた筈《はず》です。それを救ったのは文ちゃん……いや失礼、出羽ヶ嶽さんですよ。出羽ヶ嶽さんを見たくて、大勢さんが集まったんです」
「うん。そういうことでしたな」
「怪我や病気がなけりゃあ。大関、横綱は間違いなしでしたでしょう」
店主の声は同情になっていた。駿河興造は別のことを考えていた。
出羽ヶ嶽は依然蹲ったなりで、なにを考えているのかわからなかった。
外出の用意をしながら、内藤誉吉は気が重かった。相手が待っている場所が、柳橋の料亭だというのに、気分は湿りがちになる一方で、体に故障でもあるような表情になっていた。
玄関へ送りに出た夫人へ、軽く頷いて表へ踏み出した足もとが、覚束《おぼつか》なく二、三歩よろける格好になった。そのために体を支えた桜の杖が、地面を引っ掻き三筋の短い創跡《きずあと》がついた。
内藤誉吉の外出を認めた真向いの家の主婦が、馬鹿丁寧なお辞儀をした。
表に出れば、国民的英雄ともいうべき大詩人の内藤誉吉だが、家では婿養子の殻がいつまでもついていて、外とはだいぶ事情が違った。
いまも家を出るとき、外出の用向きについて、夫人からひとこといわれていた。夫人は次のようにいった。
「出羽ヶ嶽のことにいつまでも関わっていては、内藤家の恥になります。あの男は、たまたま家に仮住いしただけなのですから、こだわる必要なんかありません。相撲部屋からなにかいってくると、貴方がひょいひょい腰を上げるから、向うは甘えるのです。きっぱりと縁をお切りなさるのがよろしい。貴方がはっきりしないから、出羽ヶ嶽が性懲《しようこ》りもなく勝手口ヘ顔を出します。御近所の手前もあることですし。みっともなくて……」
夫人に限らず、内藤家の家族は全員が出羽ヶ嶽を嫌っていた。相撲で笑いものにされている男が親戚のようにいわれて、恥かしいというのである。
内藤誉吉は、出がけに夫人からいわれたことばを思いかえしていた。
家人たちがいうように、出羽ヶ嶽はたしかに困った存在である。あの老廃物は……内藤誉吉の名声に取りついて、大きな虫食いをつくりつつあるのだ。
それは内藤誉吉にとって奇妙な腐れ縁の関係にある。夫人のいうように、出羽ヶ嶽は先代の物好きのために、東京へ運ばれてきて、相撲に入る一時期、邸内の小屋に仮住いしただけの人間であることは確かだ。郷土の成功者を頼り、田舎の若者が上京して奇寓する例はいくらもある。かつて内藤家には、十指を越える食客がいて、出羽ヶ嶽もその一人に過ぎないと考えれば、夫人のいうことはもっともに思える。
「そうに違いないが……しかし」
内藤誉吉には、家人のように割り切ることのできない感情があった。出羽ヶ嶽文治郎という老残の力士を、いまになって無縁だと切り捨てたら、彼を内藤誉吉の義弟と認識する世間は、その非情を詰《なじ》るに違いない。世間から非難されることは、国民詩人としての恥辱である。では彼を身ぐるみ抱え込み、内藤邸に同居させたらどうか。物見高い世間は、その行為を決して美談と考えないだろう。
高邁《こうまい》な文芸の花に取りつく油虫の類と見て、茶飲みばなしや、酒の肴《さかな》にする筈だ。家人たちは、みっともないといって、出羽ヶ嶽を抱え込んだ内藤誉吉を指弾するのは目に見えている。こうしたトラブルの種はなんだろう。
「文治郎が大き過ぎるからだ」
と思った。だがそればかりではない。内藤誉吉が陋巷《ろうこう》に逼塞《ひつそく》する一文人なら、出羽ヶ嶽文治郎の巨大さは、さしたる影響も及ぼさないだろう。内藤誉吉は、己の名前の大きさが、出羽ヶ嶽の巨大さと対応して、おかしな結果をまねいているのに気づいていた。双方の大きさが等価値だったら問題はないのだが、出羽ヶ嶽という片方のものが……粗大なためにトラブルが起きるのだ。出羽ヶ嶽が粗大であればある程、内藤誉吉は立往生を余儀なくされる。
そのことは、恥辱として、自他共に認識されているようである。
「なんとかうまく処理せんことには……」
そう思いつつ、内藤誉吉は約束の料亭に、重い足を運んでいった。
料亭に待っていたのは、出羽海の部屋つき親方で、石臼《いしうす》のような体へ石ころのような顔を乗せていて、理知といったものなど求めようのない男だった。内藤誉吉は名を知っていたが、会うのははじめてで、向い合った途端に嫌悪を覚えた。
「出羽海の名代ということで、用向きをはっきり申し上げるのですが、文治郎を早い時期に廃めさせたいのです。あの状態で相撲に居据られたんでは、大相撲の権威に関わります。出羽海部屋は、文治郎を廃業させる方針です。どうしても聞き入れない場合は破門にします」
部屋つき親方は修飾なしでずけずけいった。
「破門は穏当でない。理由はなんですか」
「神聖な土俵に、無様な格好を曝したからです。文治郎は国技を辱しめている。これが理由です。問題は、相撲社会を離れた文治郎の身の置き場所です。それを先生にひとつ……」
「僕に引き取れということかね」
「そうしてもらわないと、文治郎は路頭に迷うでしょう。行き斃《だお》れになりましょう」
「それではあまりに無責任ではないか。あれは関脇までいった男です」
「関脇だったから困るんです。元関脇が三段目の|褌 担《ふんどしかつ》ぎに落ちて、恥も外聞もなく土俵へ上がってくる。文治郎は相撲を冒涜《ぼうとく》したから破門にするわけで、こちらに手落ちはありません」
内藤誉吉は困惑した。出羽ヶ嶽を引き取れといわれても、即答はできなかった。巨大な隕石の出羽ヶ嶽を抱え込めば、家のなかに悶着《もんちやく》が起きるのは目に見えている。
そうかといって、放置したり、無関係を宣言するわけにもいかないのだ。
「文治郎をここへ呼んであります。そろそろきますので、先生の口から廃業のことをはっきりいって下さい」
「うーん」
内藤誉吉は、目の前に現われるだろう出羽ヶ嶽の粗大さを思って嘆息した。巨大な恥の塊が近づいてくる予感に、身震いする思いだった。
出羽ヶ嶽文治郎は、上体を屈め、長大な顔をベコ人形のように振りながら、両国橋を柳橋の方へ渡ってきた。潮の匂いのするいい風が吹いてきて、出羽ヶ嶽の弾んだ気持ちを撫でていく。
「このところ、ごっつぁんづいているなあ、フフ」
出羽ヶ嶽は小声で呟《つぶや》き、両国橋を渡り切った。右へ折れると柳橋がある。出羽ヶ嶽は、内藤誉吉が御馳走をしてくれるものと思っていた。この前お邸へいったとき、もしかすると内藤家へ戻ってくるような、ちょっとした鎌をかけたので、それで気味悪くなり、親方と相談して宥《なだ》めようという寸法だろう……と一人|合点《がてん》をしていた。
「はい。お待たせを致しました」
出羽ヶ嶽が一礼して顔を上げると、難しい顔が二つ並んでいた。
「………」
様子が違う……と感じとった出羽ヶ嶽が、例の蹲った隕石になりかかった。
「おい。文治郎。もっとこっちへきて、先生のお話をよく聞くんだ」
「はい」
出羽ヶ嶽は、両手で畳を漕《こ》ぎながら前へ出てきた。俯けた顔を、胸骨が彎曲してできた内懐ろへ埋めている。
その格好に眉を顰《ひそ》めた内藤誉吉がいった。
「お前のことで、いまも話をしていたのだが、親方がいうには、お前の体はもう相撲が取れる状態ではないそうだよ。それは素人の僕が見てもわかるくらいだから、当人も知っているのだろう」
「………」
「体が駄目なものを、いつまで続けても仕方がないと思わないか」
「………」
「黙っていてはわからない。相撲取には力の限界というものがある。お前はそれを自覚しなければいけないな」
「はい。それは……」
「わかっているのだね。それなら、相撲を廃めることを考えなければいけない」
「オラは廃めないです」
「なんだ。この野郎」
親方が怒鳴った。
「まあ、まあ。僕に任せて下さい」
内藤誉吉が宥めた。
「どうしても廃めないのか」
「絶対に廃めないです」
「お前は充分大相撲に尽した。役目は終わったのだよ。三段目に落ちてまで相撲にしがみついていると、お前の栄光に傷がつく」
「オラは傷がついたってかまわない」
「なにをいうのだ。関脇にまでなって、日本全国に名前が轟《とどろ》いたお前がだね。ボロボロの体で曝《さら》しものになって……恥かしいと思わないか」
「思わない」
「ケッ。これだ。相撲の恥曝しだ。馬鹿野郎め」
「まあ、まあ。待って下さい。恥辱ということがわからんでは仕方がない。するとお前はいつまで相撲取をつづけるつもりだ」
「ずっとです」
「コルセットをはめなければならない体でもって土俵に上がっても、負けるだけだよ。番付は落ちる一方ではないか。しかもお前は三十六だ。年齢的にも限界だ」
「オラは四十になってもやってるだ」
「お前は僕に反抗しているのかね」
「………」
「それに違いないです。先生を嘗《な》めてかかってるんだ。こいつには、そういう図々しいとこがある。でなきゃあ、いつまでも恥曝しなんかするわけがないです。元関脇と思って扱ってりゃあ図に乗りゃあがって。先生がいらっしゃらなけりゃあ、ただじゃあ済まさねえところだ。畜生め」
なにをいわれても、出羽ヶ嶽は石のように押し黙っていた。
「仕方がない。折りを見ていま一度じっくり話してみよう」
と内藤誉吉がいった。親方は不満顔だった。ここで出羽ヶ嶽の進退に決着をつけたい様子だったが、天下に名だたる大詩人にいわれて、渋々納得して帰った。
親方が帰った後、出羽ヶ嶽は料理にむしゃぶりついた。親の仇《かたき》にでも会ったように、卓上を睨《ね》めまわし、あるもの全部平げた。
食べ終えて、再び隕石の格好になった出羽ヶ嶽を、不思議そうに見ていた内藤誉吉が、念を押すように聞いた。
「お前は本当に恥かしくはないのだね」
出羽ヶ嶽は、自分にも納得させる感じで大きく頷いていた。
「オラはちょっくら大森海岸のほうへ釣にいってくるだ」
出羽ヶ嶽はそういって、出羽海部屋を出た。部屋の幕下までもが、落魄《らくはく》の元関脇を馬鹿にして無視した状態だから、誰も返事はしない。なにをいっても出羽ヶ嶽のひとりごとになった。
「海にはまり込んで、いったきりになってくれりゃあ助かるんだがな」
そういう親方もいるくらいだ。
「お前はみっともないから、もう稽古場に下りるな」
という親方もいた。親方にいわれるまでもなく、出羽ヶ嶽は充分な稽古ができない体になっていた。序二段クラスの取的に、稽古場で転がされるのである。立ち合いに一突きできれば、相手はひとたまりもないが、もともと動きの鈍い出羽ヶ嶽は、体の故障と、力士としては老齢のために、いっそう動作は緩慢になっている。若手に懐ろへ飛び込まれたら、もうおしまいで、腰が砕けて朽木《くちき》が倒れるように脆い。そのたびに関取たちは笑った。稽古土俵を見学にくる部屋の後援者のなかには、手を叩いて面白がる者もいた。
長年、出羽ヶ嶽文治郎という巨漢力士の弱点をも、宣伝効果ありとして利用してきた相撲界だったが、本人がここまで落ち目になってしまうと、無様な負けっ振りを放置できなくなってきた。
見物の高笑いは、相撲協会への嘲笑《ちようしよう》と聞えるようになった。それに相乗りして身内の相撲取までが笑うようでは、冗談ごとで済まされない。
ただ廃めろ廃めろと嫌味をいっていた親方連中も、出羽ヶ嶽が曝す醜態が、自分の足もとにも及んでいるのに気づきはじめていた。
「あいつがいつまでも相撲にぶら下っていると、俺たちが笑われる」
何人もの親方や関取がそう思いはじめた。
「オラは誰がなんといったって、絶対に廃めないだ」
出羽ヶ嶽はそう呟きながら、両国の街を出て大森海岸へ向かった。品川で省線を降り、京浜急行に乗り替える。出羽ヶ嶽は東作《とうさく》の名竿《めいかん》を持っている。国技館の屋台骨を一人で支えた人気力士だった頃、後援者から贈られたものである。出羽ヶ嶽の趣味は盆栽と釣と玉突きだ。玉突きは時局柄自粛の傾向にあるので御無沙汰《ごぶさた》をしている。釣も普段の日にぶらぶらしているようなので、次第にやり難くなってきた。
冷遇されている相撲部屋にいてもつまらないので、気晴らしに出かけてきた釣行《ちようこう》だが、釣場までの道すがらは多少気がひける。電車に乗っても、出羽ヶ嶽の釣行姿は目立つのだ。立っても座っても、人々の視線を遮《さえぎ》るものがない。出羽ヶ嶽は顔の持っていき場がないから、胸骨が彎曲してつくる内懐ろへ、菱形長大な顔を埋めてしまうのである。
いまも座席にそうして蹲り、
「相撲は廃めないぞ」
と思っていた。廃めさせられてたまるか……といった心境である。
「利用するだけ利用して、ボロきれみたいに捨てられてたまるものか。大相撲の英雄と道化の一人二役を演じてきたオラには、相撲親方の株を貰える資格があるのだ。出羽海部屋は、オラに年寄株を渡して引退さすのが筋なのだ」
という考えが出羽ヶ嶽の深層心理にあるのだ。そこをはっきりさせずに廃めてしまえば、力士出羽ヶ嶽文治郎は、巨大な食み出し人間として、敗北の憂き目を見なければならない。それは死んでも嫌だ……と内懐ろに埋めた頭で、出羽ヶ嶽は考えていた。
釣場へ着いた出羽ヶ嶽は、器用な手つきで仕掛けを付け、反動をつけてポイントに振り込んだ。潮の加減で魚の食いが良かったり悪かったりする。どうかすると三時間も四時間も、引きのないこともあった。
出羽ヶ嶽は浮子《うき》を見ながら、相撲を廃めろ、いや廃めない……という掛け合いのことを思い出していた。沖で軍艦が煙を吐いていて、百メートルほど先の海面を、水兵がカッターを漕《こ》ぐのが見えた。出羽ヶ嶽は視線を再び浮子へもどすと、
「相撲を廃めろ、廃めないも、釣と同じで根くらべだ。フフフ」
と笑った。浮子は長いことぴくっともしなかった。竿《さお》を上げてみたが、餌は付けたときのままになっていた。鴎《かもめ》がすぐ近くへ飛んできて、ひらりと体を交わし、水面すれすれに滑空していった。
出羽ヶ嶽は浮子をじっと見たまま、いつの間にか隕石の格好になった。煙を吐いている軍艦は沖に出てゆき、水兵が漕ぐカッターは見えなくなっていた。工場が正午のサイレンを一斉に鳴らした。
内藤誉吉は講演を終えて、大学の理事長室で少憩《しようけい》した。講演以来の橋渡しをした駿河興造も同席している。ほかに文学部長と常務理事がいた。駿河興造は一教授だから陪席《ばいせき》の形である。
「明快な御講義を拝聴致しまして、後学の一学徒として非常な勉強をさせて頂きました」
と文学部長がいった。
「高邁な御高説を頂いて、今日の記念すべき日を、学生たちも生涯忘れないでしょう」
理事長がニコヤカに笑いながら、内藤誉吉に軽く頭を下げた。
「速記にとらせましたので、先生のお手元には後日お届け致します。お陰様で、本学の歴史に特筆すべき一頁を加えることができました」
常務理事がそういうのへ、内藤誉吉は穏かな微笑で応えた。
「国文学を基調とした詩文の分野では、先生ほどの碩学《せきがく》はもう現われますまい……そういう風に書かれたものを、先だっても読みまして、恐れ入っておりました」
と常務理事がいった。内藤誉吉は、ちらっと駿河興造に視線を送り、
「恐れ入るのは僕のほうです。そんな風にいわれるとまことに恥かしい。同学の駿河君もおられることで、汗顔《かんがん》の至りです」
と照れたようにいった。駿河興造は笑おうとしたようだったが、逆に顔を引きつらせた。
事務員が車のきたことを知らせにきた。大森の料亭に席が設けてあり、内藤誉吉をそこへ接待することになっていた。
駿河興造が三人を先導する形で玄関へ歩いた。職員が擦れ違いながらお辞儀をしたが、それは駿河興造にではなく、彼の後からくる人に対してだった。
車へ乗り込む前に、内藤誉吉は駿河興造に向かって、
「いろいろお世話様。どうも有難う」
といって握手を求めてきた。フロックコートの内藤誉吉は堂々としていて、普通の背広を着た小柄な駿河興造は貧弱に見えた。
三人を乗せた車が走り出すと、駿河興造は頭を下げた。大学の理事者に向かって礼をしたつもりだが、格好としては、内藤誉吉を見送る礼になった。
駿河興造は、後塵《こうじん》を拝した苦い思いで、自室へ引き返したが、胸のつかえはなかなか治まらなかった。
内藤誉吉らが乗った車は、馬込から大森山王を抜け、京浜国道へ向かった。
街は戦時色が次第に濃くなっていて、窓外は殺風景なものが目立った。目を楽しませるものには出合わなかったが、内藤誉吉は満ち足りた気分を味わっていた。講演に対する聴衆の手応えは、ずっしりと確実に内藤誉吉の胸に収まっていて、穏やかな表情に、冒し難い矜持《きようじ》の色が見られた。
車が京浜国道に入って間もなくだった。内藤誉吉が窓外へ目をやると、戦闘帽に作業服を着て、雑嚢《ざつのう》を肩からはすかいにした男が、海岸へ向かっていくのが見えた。巨大漢は出羽ヶ嶽だった。内藤はどきっとし、視線をもどして目をつむった。他の者はその姿を認めなかったのか。目にしてもそれが出羽ヶ嶽と思わなかったのか。誰もそれを口にしなかったので、内藤誉吉は胸を撫でた。そして……ボロボロの体でまた土俵へ上がってくる姿を想像し、これから御馳走になりにいくというのに、心が楽しまなくなっていた。
「文治郎のことですが。あの野郎、恥も外聞もなく夏場所に出ると強情を張りゃあがって、始末に負えません。お約束通り廃めるように説得をお願いします」
といつかの親方がいってきた。内藤誉吉は腕組みをして暫《しばら》く考えていたが、口を結んで頬を脹らますと軽く頷き、
「宜《よろ》しいでしょう。文治郎は部屋におりますかな」
と答えた。
「どこへも出掛けるなといってあります」
「それではこれから同道しましょう」
内藤誉吉はすぐに支度をして邸を出た。出羽海部屋に着くと、奥の部屋へ出羽ヶ嶽を呼んだ。部屋に入ってきた出羽ヶ嶽は隕石の形になって蹲った。
「お前は夏場所の土俵へ上がるそうだが、勝つ見込みがあるのかね」
と内藤誉吉が聞いた。
「勝つか負けるかは、取ってみなけりゃあわからねえだ。勝負というのは時の運だから」
「なんだ。ボロクソの取的に時の運も糞もあるか。恥知らずめ」
内藤誉吉を連れてきた親方が、声を荒らげた。内藤誉吉がそれを押えるようにしていった。
「なんどもいうようだが、お前には栄光の歴史があるのだよ。それを穢《けが》すことは恥かしいことだ。堀田先生もお前の体は相撲が取れる状態ではないといっている。親方も無理だといっている。当人のお前も駄目なのはわかっている筈だ。そんな状態で土俵へ上がって、ころころ負けたら、見物が大笑いするだけだよ。恥かしいと思わないか」
「………」
「お前が恥かしいだけではない。親方も僕もお前の弱い相撲を見るのは忍びないのだ。お前にも、親方や僕の恥辱の半分でいいから持ってもらいたいが、それは無理なのかね」
内藤誉吉が苛々《いらいら》していった。難しい顔で聞いていた出羽海親方が、はじめて重い口を開いた。
「ワシは先代からお前を譲られた。お前を内藤先生のお父さんから引き取ったのは、先代出羽海だ。内藤先生もワシも、先代から託された人間と思うから、お前の面倒をずっと見てきた。しかし……相撲界に恥を曝すようになっても、なおかつ面倒は見られない。人間は恥を知らなければいけない。お前は鳥か虫のように、恥を知らん人間か」
「………」
「文治郎。僕の顔をちゃんと見なさい」
内藤誉吉がいった。出羽ヶ嶽は隕石の体をもぞもぞと動かし、心もち顔を上げたが、目は空間を見ていた。
「お前は、本当に、恥かしくないのか」
「恥かしくはないだね」
「このどでかい虫けらめ」
「まあ、まあ。親方お待ち下さい。元関脇が三段目に落ちて、コロコロ負けて、笑われて、それでも恥かしくはないか」
「ないです。オラは勝っても負けても笑われてきただからね」
「………」
「オラは生まれたときから恥かしかっただからね。オラは馬鹿デカく生まれついて、それで恥かしかっただ。誉吉先生や親方の恥かしいのとはわけが違うですね」
出羽ヶ嶽文治郎は、胸に埋めた顔を次第に上げた。
「先生や親方は、オラに恥を知れと百万だらもいうですが、オラはずうっと恥かしく生きているですよ。先生や親方のように、ときと場合で恥かしかったり、そうでなかったりではないです」
親方がなにかいおうとするのを、内藤誉吉が手で押えた。
「生きているだけで恥かしいのに、恥を知れといわれても、オラには返事の仕様がねえです」
出羽ヶ嶽が|うっ《ヽヽ》と唸った。見ると大きな握り拳《こぶし》で目頭をこすっている。
「先生や親方が恥かしいのは、御自分の都合じゃあねえですか。オラは、自分の都合で恥かしいというわけにいかねえ体の持ち主だ。そういうオラを、恥だ恥だと苛《いじ》めねえでくれ」
出羽ヶ嶽は声を上げて泣いた。大男に泣かれては手の下しようがなかった。
「オラは先生や親方にお世話になった。一生懸命やるにはやったが、いまはこんな具合になっちまって、たしかに御迷惑はお掛けしているです。オラは誰が悪いでもねえと思ってるだ。悪いのは、オラの体がデカ過ぎたからです。これでもオラは身を竦《すく》めて生きているだからね。道端へ放り出すようなことだけは、しねえで下せえ。お願いするです」
「わかった。部屋に下って休んでいなさい。あとは親方と相談をするからね」
内藤誉吉が宥《なだ》めるようにいって、出羽ヶ嶽を立たせた。出羽ヶ嶽は体を痛そうに持ち上げると、柱によろけかかりながら出ていった。
「文治郎には年寄株を持たせて、引退させるのが、最も妥当《だとう》な方法と考えるのだが」
内藤誉吉が出羽海親方の顔色を窺《うかが》う感じでいった。出羽海は難しい顔をした。
「相撲の親方になれるといえば、あれも廃める気になるでしょう」
「しかし、いつかも申し上げたように、文治郎に譲る株は、うちにはありません」
「空株がないのですか」
「ないことはないが、文治郎には譲れません」
「なぜですか」
「一門の空気が反文治郎になっています。出羽海の看板に泥を塗ったという雰囲気があるからです」
「看板を支えたこともあるでしょう」
「それは差し引きゼロです。いや、マイナスのほうが大きい。それに空株を譲ったら、一門の結束が保てません」
「すると八方|塞《ふさ》がりかね」
「他所《よそ》を捜してみたらどうですか。ことによったら譲るところがあるかも知れませんよ」
「できるかどうか当ってみます。それまでは文治郎をそのままにして置いてもらいたいが」
「宜しゅうございます。しかしなるべく早くしませんと、本当に序ノ口ヘ落ちますよ」
内藤誉吉は追い詰められた気分で、いくつか主な部屋を当ってみた。どこも返事を渋った。場所を控えての時期の悪さのためばかりではなく、角界本流である出羽海一門に対する遠慮が窺えた。年寄株捜しは希望が持てないまま、昭和十三年夏場所がはじまり、三段目東十一枚目出羽ヶ嶽文治郎が、コルセットをはめて場所入りした。
「内藤先生はなにをしてるのかね。年寄株を捜してさえくれりゃあ、恥曝しをされずに済むんだがな」
そういって舌打ちをする親方もいた。内藤誉吉は頭を抱え、なるべく相撲のことを忘れようとした。
老残出羽ヶ嶽が出場したと聞き、駿河興造は、密かに舌なめずりをした。千秋楽が過ぎたなら、なにかにこと寄せて、内藤誉吉に接触しようと考えた。駿河興造は活気が溢れていた。
出羽ヶ嶽の土俵は、大方の予想を裏切った。天井桟敷の声援を受けて登場した出羽ヶ嶽は、七日間の土俵を、五勝二敗で乗り切ったのである。
結果を見て、駿河興造は放心状態になった。彼は自棄酒《やけざけ》を飲み、
「こんどの場所は八百長臭い。内藤が金を握らせたに違いない」
と品のないことを考えて納得していた。
内藤誉吉は痛し痒《かゆ》しの思いだった。勝ち越してくれたのは目出度いが、これに味をしめて、出羽ヶ嶽が変なやる気を出すのではないかと心配だった。今回のは予想外のことで、次はまた無様にコロコロ負けるに違いない……と内藤誉吉は思ったのだ。
案の定、文治郎が気をよくして、張り切り出して困る……と親方からいってきた。
「年寄株を至急捜していただかないと、文治郎の破門ということを、再検討せざるを得なくなります」
ともつけ加えてきた。幕下にもどったところで、先の保証は皆無に等しいのだから、愚図愚図していたら、威しではなくて本当に破門されるだろう……と内藤誉吉は感じた。
彼はつてを求めて、年寄株捜しを再び開始したが、なかなか思うようにいかなかった。
「先生のお頼みでも、こればかりはどうにもなりません。お相撲の社会は複雑でして、お素人衆の考えるようなわけにはまいりません」
といわれると、さしもの国民詩人もどうすることもできなかった。大臣か将軍級を動かすことも考えたが、たかだか相撲の年寄株のことで、天下の人士に依頼するのは、大詩人としての衿持が許さなかった。「これしきのことが解決できないでは、自分が笑われる」と内藤誉吉は思った。
内藤誉吉がそのことで走りまわっていて、事が思うに任せないというのを伝え聞いた駿河興造は、内心大いに喜んでいた。
出羽海部屋の薄暗い一室で、出羽ヶ嶽が蹲っている。コルセットをつけて、骨の曲がるのを防いでいるのだが、実に窮屈である。自分の体が骨から先に腐っていくのかと思うと、情ない気がする。大きく育ち過ぎた骨が出羽ヶ嶽を苦しめ、その骨がこんどは故障してまた自分の体を苛《さいな》んでいる。
「オラの骨はなんの遺恨があって、こんなにオラを苦しめるのだろう」
と隕石型に蹲った出羽ヶ嶽が、しみじみ考えていると、廊下に荒い足音がして、残飯の握り飯が運ばれてきた。ちゃんこ番が面倒臭げに突き出す握り飯が載った新聞紙を、蹲っている出羽ヶ嶽が、洞穴のなかで響くような声で、
「はい。ごっつぁんです」
といって受け取ると、幕下は汚いものから離れる感じで去っていった。
「畜生め」
握り飯にむしゃぶりつきながら、出羽ヶ嶽が呟いた。窪目《くぼめ》になってしまった目から、一すじ涙が流れていた。
出羽ヶ嶽は追い詰められているのだ。親方や内藤誉吉に向かって、老残を土俵に曝すことなど、一向に恥かしくはない……と開き直って見せはしたが、引き際については自分なりに苦慮しているのだ。老残無惨の恥辱は別として、骨の病気は辛い。ゆっくり温泉にでもつかって日が送れたら、どれほどいいだろう……といつも考えているのだ。
正直いって、もう相撲は取りたくない。体がきついのだ。それでも土俵へ上がるのは、相撲を廃めてからの不安がつきまとうからにほかならない。
出羽ヶ嶽が相撲を廃めて安住する方法は、ひとつしかない。相撲親方になることである。だが……その年寄株はなかなか手に入らない模様だ。
出羽一門は結託して、出羽ヶ嶽に年寄株を譲らないことにしているらしい。出羽ヶ嶽を老廃物扱いにして、部屋から追い出しにかかっているくらいだから、相撲親方にさせる考えなどあろう筈はなかった。
誉吉先生が奔走してくれているらしいが、主だった部屋は出羽一門に遠慮して、首を横に振るそうである。
年寄株が手に入らなかったら……出羽ヶ嶽は身震いする思いだった。序ノ口ヘ落ちても、相撲を取る覚悟はあるが、誉吉先生の話によるとその前に、大相撲の恥を曝したかどで、破門される危険性があるという。
出羽ヶ嶽は、釣に出かける気もなくなり、終日薄暗い部屋に蹲って過ごした。
そんな或る日、部屋つきの親方がきて、板戸越しにいった。
「おい、文治郎。まだ生きてるか。生きてるんなら少し手伝え」
「はい。なにをしたらいいだね」
「出羽湊関の付人をやれ」
「………」
出羽ヶ嶽は返事もできなかった。
「お前は恥というものを知らねえ人間だ。出羽湊の付人ぐれえ、軽いもんだろう」
付人は関取の身のまわりの世話をする役である。お風呂で背なかを流し、着物を着るのを手伝い、履物《はきもの》を揃える。飯をよそってやる。足腰を揉《も》む。煙草を買いに走る。日常生活の一切を面倒みて、ちょっとでもへまをすれば、ゲンコツがとんでくる。関取は付人を顎《あご》でこき使う。
そうした仕事を、出羽ヶ嶽にやれというのだ。出羽ヶ嶽がかつて面倒を見た後輩の出羽湊に、顎で使われろというのである。拒否すれば、命令違反で即刻破門とくるかも知れなかった。
「わかったな」
「はい」
出羽ヶ嶽は仕方なしに返事をした。コルセットで矯正《きようせい》している骨が、ずきずきと痛んだ。
握り飯を食べ終わると、いつものようにそれを包んだ新聞紙を広げて拾い読みをした。唐辛子味噌が染みついた新聞は読みづらかったが、そんなものでも時間をかけて見ないことには、体の故障の痛みから逃れられないのだ。
新聞には相撲記事が出ていて「老いぼれ文ちゃん惨敗を喫す」と、小さな活字が目に入った。それを読んだ途端に、出羽ヶ嶽の目に暈《かさ》がかかって朦朧《もうろう》となった。
「弱ったことです」
出羽ヶ嶽はひとりごとをいい、片手を腰に当てて顔を顰《しか》めた。
昭和十四年五月場所七番の全取組を終えて、出羽ヶ嶽の成績は二勝五敗だった。図体《がかい》の大きさだけで辛うじて二勝を上げることができたが、それも危機一髪の勝利だった。出羽ヶ嶽の衰退は誰の目にも明らかで、土俵姿は見るに忍びなかった。
彼を見て、もはや笑う者もいなかった。出羽ヶ嶽の痛々しさは、巨大なだけに一層の哀れを誘い、見る者の心を暗くした。
内藤誉吉は暗い気持ちで帰ってきた。
きょうも出羽ヶ嶽の年寄株を捜しにいったのだが、不首尾に終わった。
「先生。あんなぶっ毀れ人間を、なんで相撲親方なんぞにしようというんですか」
と聞かれて、内藤誉吉は返答に窮した。事情を説明すると、内藤誉吉や内藤家の都合が仄見《ほのみ》えてくる。それを気取られることは、天下の大詩人にとって、この上ない恥辱だった。
「あれも大相撲には随分と力を尽したこともあるのでね。相撲にしか住めない男だから、できれば親方にさせて、残して上げたいのです」
といって、事情を取り繕《つくろ》うのだが、内藤誉吉はすでに及び腰になっている。
それなら、所属部屋がどうして面倒を見ないのかと問われたら、二の句がつげなくなる。
「弱ったことですね」
内藤誉吉は、自邸の門をくぐりながらひとりごちた。最終的には、家人の不興を買って、出羽ヶ嶽を引き取ることになるかも知れないと思うと、気が重くなった。
出羽ヶ嶽という男が、宿命のように纒《まとわ》りつく粗大な恥辱の塊に思え、身震いを覚えた。
彼を迎えた夫人の顔にも、不機嫌が露《あらわ》に出ていた。
「先刻からお客さまが見えております。相撲の親方だそうです」
と夫人がいった。
「相撲の親方……なんという名前ですか」
「立浪さんと申しました」
「なんの用件だろう」
「出羽ヶ嶽のことではないですか」
「よくわからないね」
「わたくしには見当がつきます。出羽ヶ嶽の破門をいいにきたのです。きっとそうです。貴方はどうなさるおつもりですか」
「破門ならば、師匠の出羽海さんがいってくる筈だ」
「それが学者の世間知らずなのです」
「………」
「立浪さんを立ててよこすというのは、出羽ヶ嶽の処分は一相撲部屋の問題ではなくて、相撲界全体の意向という意味ですよ。そこを見極めなければいけません」
「そうだろうか。とにかく会ってみよう」
「出羽ヶ嶽を引き取るのだけは、お断わりして下さい」
「うん。まあな」
内藤誉吉は曖昧《あいまい》な返事をして、立浪親方を待たせてある応接間に入っていった。
「お待たせを致しました。内藤です」
「立浪です。本日は出羽ヶ嶽のことでおうかがいしました」
「そうですか。それで……どういうことでしょうか」
「出羽ヶ嶽の年寄株のことでお困りと聞きましたが、うちにある田子ノ浦を融通しましょう」
「えっ。あの……突然のお話で、なんですが……僕が文治郎の年寄株のことで、井筒系や高砂系を打診したのが、お耳に入りましたか。相撲社会のことですから、そういう話はすぐに広がるのでしょうな」
「ワシが聞いたのは、親方連中の口からではないです」
内藤誉吉は小首をかしげた。
「年寄株を譲っていただく件は、有難いお話ですが、僕がそのことで走りまわったことを、どなたから聞きましたか」
「酒の席でたまたま居合わせた人の話を、盗み聞きしたんです」
「ほう。世間でも噂になっているのですか」
「それはどうかわからんですが。三日ほど前に両国の|ももんじや《ヽヽヽヽヽ》で酒を飲みました。大部屋を衝立《ついたて》で仕切ってある店でして、隣の席にいる人が話しているのを聞きました」
「どんな風にいってましたか」
「先生を虚仮《こけ》にしたいい方でした」
「僕のことをねえ。僕は他人からとやかくいわれるようなことはしてない筈だがね」
「………」
「いわれなき中傷というのがあるのだな。それで……なんといってましたか」
「その人は、こういいました。内藤君は先代の遺産で悠々人生を送った幸運児だが、出羽ヶ嶽文治郎という馬鹿デカイ相撲取では、気の毒に苦労をしている。彼と出羽ヶ嶽とは義兄弟ということになっていて、内藤君は出羽ヶ嶽の転落を快しとせず、恥だからもう相撲は廃めろといっている。出羽ヶ嶽は相撲を廃めたら内藤家へ転り込むといい、そうされてはたまらないので、出羽ヶ嶽を相撲親方にして角界へ残すために、年寄株捜しに走りまわっているようだが、肝心の出羽海一門がそっぽを向いていて、思うようにことが運ばないで困っている。彼は天下に名を知られて、文芸の巨峰ということになっているが、出羽ヶ嶽という巨大な老廃物には、とことん苦しめられるだろう。そういう風にいってました」
立浪は歯に衣《きぬ》を着せないいいかたで、そのときのことを喋った。内藤誉吉は平静を装って聞いていた。
「またこうもいってましたね。内藤君の文芸のほうの学問は、それ程たいしたものではない。この前もうちの大学で講演を頼んだが、学生の評判はあまりよくなかった。ワシは荒削りの人間ですから、ありのままをお話するわけです。衝立越しに覗いてみましたが、体の小さい人でした。先生の御存知よりの人でしょうか」
「そういう人物に、心当りはないな」
その男が、駿河興造であることを、内藤誉吉はほぼ想像できたが、わざと知らない振りをした。
「ところで、立浪さんが出羽ヶ嶽に年寄株を都合して下さるのは……」
「そうですね。それを御説明しておくほうがいいでしょうね。ワシの義侠心という風にとっていただきたいところだが、本心は些《いささ》か違います」
「………」
「ワシは大正四年に緑島を名乗った現役を退いて、年寄立浪を襲名して、伊勢海部屋から独立しました。ワシは頑固者ですから、誰一人応援をしてくれなかった。両国駅前の古長屋に住んで、そこを根城に立浪部屋をつくったんですが、弟子なんか集まりはしません。仕方がないから浮浪者を寝泊りさせて、新弟子に見せかけてお茶を濁していました。そんなことで、ずいぶん馬鹿にされましたよ。名門意識のある親方連中からは、相撲界の恥曝しだから、年寄株を売って部屋を畳めとしつこくいわれましたし、伝統のある部屋の関取が通りがかりに、羽目板へ立小便をひっ掛けていったこともある。ワシは気が強いからそいつを追いかけていって、丸太ん棒でひっぱたいてやった。すると抗議がきて、天下の関取を打つとはけしからん。取的一人も出せないペエペエ親方の分際で、生意気だとね。謝罪文を書けというんだね。ワシは書かなかったですが、そんなことがあってから、いろいろと邪魔をされましたね。双葉山を出したいまでも、なにかといえば、立浪のことを成り上がり者扱いです。名門がそんなに偉いんですかね。どうなんです先生」
「ン、うん」
「相撲の屋台骨を支えてくれたことのある出羽ヶ嶽を、世間の冷い風のなかへ放り出そうというのなら、成り上がりの立浪が、面倒を見て上げましょう……ということで、つまりは出羽海一門の鼻を明かしてやろうという魂胆です。こういう考えは下品で、先生の好みには合いませんでしょうか」
「うーん。まあ……それは」
「下品だろうがなんだろうが、ワシはもともと古長屋から出発した相撲年寄です。なんといわれようが屁《へ》でもない。先生のお気に召さないかも知れませんが、田子ノ浦の株をお受け取り下さい」
「それはもう。ありがたくお譲り頂きます」
内藤誉吉は信じられない思いで、立浪親方に深々と頭を下げた。
「もうひとつ先生のお耳に入れておきたいことがあります」
「なんでしょうか」
「出羽ヶ嶽の嫁になりたいという娘がいます」
内藤誉吉は信じられないという顔になった。そんな内藤誉吉の気持ちなど忖度《そんたく》せずに、立浪親方は一方的に喋った。
「ワシの部屋に桐ノ花という十枚目がいましたが、いまは廃業して銀座に味噌醤油の店を出しています。この桐ノ花の嫁さんの妹に登代という娘がおって、これが出羽ヶ嶽の嫁になってもいいといっております。その娘は、いま出羽海部屋に住み込んで奥向きの用事をしていますが、出羽ヶ嶽が田子ノ浦を襲名すれば、こちらの話のほうもまとまるでしょう。お目出たいことが重なりますね」
「それは本当のことですか」
呆然《ぼうぜん》としている内藤誉吉に、立浪は自信たっぷりに頷くと、いかつい肩をゆすって帰っていった。
「ブンブンと毎日うるせえことだ」
防空壕のなかで出羽ヶ嶽がいった。ぼわんぼわんと響く出羽ヶ嶽の声は、B29の編隊の音に似て、壕《ごう》のなかの人々に暗い感じを与えた。
昭和二十年三月九日午後十一時三十分過ぎ。もうすぐに十日になる。警戒警報は一時間前に出た。
防空壕の外で警防団の役員が、上空を警戒しながら話している。
「出羽ヶ嶽の文ちゃんには困ってしまうなあ」
「この防空壕に避難しているのか」
「そうだ。彼が入ると五人分は場所をとるから、食み出る者がある。本当なら警防の仕事を手伝ってもらいたいんだが、腰骨が駄目だといってね。空襲警報が発令されると、真っ先に飛び込んでしまうんだ。体に似ず臆病なところがあるらしい」
「それで奥さんの登代さんが代わりに表で働いてくれているわけか」
出羽ヶ嶽文治郎こと田子ノ浦親方は、結婚して小岩に世帯を持ち、既に五年が経っていた。親方になっても出番はなく、相撲協会からは忘れられた存在だった。誰も田子ノ浦とはいわず、元の名の出羽ヶ嶽と呼んだ。登代さんと遅れてきた春を楽しむうちに五年の歳月が経ち、B29の爆音を聞く日々を過ごしていた。
「出羽ヶ嶽さんは、兵役のほうはどうでした」
壕のなかで、出羽ヶ嶽の巨体に押し潰されかかっている老人が聞いた。
「オラは丙種だで、兵隊は大丈夫だった」
「こんなデカイ体で丙種かね」
「軍隊に入っても、オラの体に合う軍服も鉄兜《てつかぶと》もねえだからね。オラのために、特別にデカイ軍靴をこしらえるわけにはいかねえ。それで丙種だ。フフフ」
「成程ね。そういうことかね」
老人は癇《かん》の強い声でいったが、出羽ヶ嶽はなにも感じない様子だった。
「出羽ヶ嶽さんは相撲の親方だそうだが、両国のほうに用はないのかね」
老人が明らかに皮肉ととれることをいった。
「ないだね」
「どうしてないのかね」
「オラは相撲で邪魔者にされてるだからね」
「邪魔者か。成程違えねえや」
老人の声は口惜《くや》しまぎれの感じだった。
「向うからこいといってきても、オラはいかねえがね」
「またどうしてだね」
「オラはひどく粗末にされただからな。犬猫のようにされただ。恥を知れ恥を知れと、百万だらもいわれて苛められた。骨はボロボロで、朝から晩まで痛みどおしでね。両国にはいい思い出はねえです」
老人はなんともいわなかった。ブオーン、ブオーンと爆音が壕のなかの空気をゆるがした。
壕の外でざわめきが起きていた。甲高い叫び声が聞えた。叫び声と話し声が入り混った。外の話し声は、壕の入り口近くにいる者の耳に入り、奥に陣取っている出羽ヶ嶽の耳にも達した。
「焼夷弾で両国は火の海らしいぞ」
入り口近くの話し声はそう聞えた。出羽ヶ嶽の体がもぞっと動いた。
「荒川から向こうは丸焼けになるらしい」
「それは本当か」
そういって出羽ヶ嶽が大きな手で人を押し除けた。
「はい、御免なさいよ」
入り口近くの者が何人か壕の外へ出て、出羽ヶ嶽に道を開けた。
空が真っ赤だった。熱い風が吹いた。出羽ヶ嶽は表通りへ歩いていった。警防団員が数人かたまって、なにかいい合っていた。そこへ近づいた出羽ヶ嶽が、西南へ手をかざし、
「おう、凄い火だ」
といった。
「出羽ヶ嶽さん。あんたはよく見えるかね」
「見えるね。オラの顔は庇《ひさし》の上にあるだからね」
「どんな具合ですか」
「どんどん燃えてるな。火の粉が舞い上がっている」
「国技館あたりはどうなってます」
「オラはいってくるです」
「どこへいくんですか」
「両国です」
「無理ですよ」
「無理でもいってくる」
出羽ヶ嶽は熱風の吹き募るなかを歩き出した。赤々と燃える空に浮き出た出羽ヶ嶽のシルエットは、巨大な焼棒杭《やけぼつくい》のようだった。
出羽ヶ嶽が、火の海の両国へ向かったと警防団員から聞いた登代が、心配でやきもきしていると、がっくりと項垂《うなだ》れた出羽ヶ嶽がもどってきた。顔は煤《すす》だらけだった。
「荒川を橋の途中までいったんだが、それから先は火の海で……両国が焼けて、大勢の人が死ぬのを、オラはどうすることもできねえで帰ってきた。お相撲の街は丸焼けになっちまって、なにもかもおしまいだ。ああ……背なかと腰の骨が痛い」
そういうと出羽ヶ嶽は、地べたへへたり込んでしまった。出羽ヶ嶽が蹲ったあたりへ、明け方の気配が差していた。
「焼鳥・文ちゃん」と看板が出ているバラック建ての小さな店で、割烹着《かつぽうぎ》の登代がカウンターを拭いていると、中折帽に黒いオーバーを着て、桜の木の太い杖を突いた老人が入ってきた。若い男の連れがいる。
「まだお店は……」
といいかけて、登代が布巾《ふきん》を手から離した。
「内藤先生。こんなむさ苦しいところへ、こちらから御挨拶にうかがわなければいけませんのに」
「いやいや。市川の知人のところにきたついでに寄ったんだ。小岩駅の近くへ店を出しているのを、新聞で見ていたからね。文治郎は元気かな」
「はい。裏で仕込みをしています。貴方。内藤先生がお見えです」
登代と入れ替りに、出羽ヶ嶽がノッソリと現われた。
「どうも先生御無沙汰で」
「無沙汰はお互いさまだ。商売はうまくいってるかね」
「はい。有難いもので、オラの名前を知ってる人が、懐しがってきてくれます。誉吉先生もお元気の御様子で」
「うん。こんどの戦争ではひどい目にあった。家は空襲で焼けて、目下建て直し中だ。しかしお互い命が助かっただけでもよかったね」
「はい」
「相撲の親方はやっていないのか」
「田子ノ浦の株は持ってます。ついこの間も出羽海部屋から人がきて、オラの株を手放さないかといってきた。きっぱり断わっただ。苦労して手に入れてもらった年寄株だからね。死んでも放さねえつもりです」
「うん」
「オラは歴《れつき》とした相撲年寄田子ノ浦だが、協会も出羽海部屋も仕事をくれねえです。だからこうして、食べもの屋なんぞやって暮らしてるわけですよ」
「相撲社会も新旧交替になる筈だ。田子ノ浦を必要とする日がくるかも知れない」
「そうだろうかね。先生」
「お前は大きくて、ノロマのように見えるけど、バ……」
「………」
「相撲としては、頭はいいほうだ」
「先生とオラの間で、お世辞はいらねえです」
「ところで、骨の病気はどうなんだ」
「痛みはなくなりました」
「それはよかった」
「オラみてえにデカイ骨だと、死んだとき、冗談でなしに焼き場の人が困るだろうね」
「縁起でもないことをいうなよ」
「手数料も普通の何倍かかかるだねえ。死んでからもそれじゃあ、かなわねえです。オラの体をうまく始末する方法はないですか」
「お前は特異体質だから、学問研究に役立たせる方法があるにはあるが……」
「どういう風にするですか」
「大学の医学部に提供する。あくまでたとえばの話だよ」
「誉吉先生が卒業した帝大へ、オラは死んでから入るだか。やっぱり先生とオラは縁があるだね。世のなかちゅうもんは面白いだねえ」
「うーん」
「たとえ死んでからでも、若い時分にいきたかった大学へ入るなんて、小っ恥かしい気がするです」
内藤誉吉は、「焼鳥・文ちゃん」の店に十分ほどいて帰った。
戦後四年が経過していて、かつての国民詩人は、復権のための多忙な日が続いていた。
それから一年半後の昭和二十五年六月九日。出羽ヶ嶽文治郎は脳|溢血《いつけつ》のため、小岩の陋屋《ろうおく》で死去した。遺体は東大へ運ばれて、病理学教室に於いて解剖に付された。執刀者は、三宅仁教官ほか二名。骨格が整理保存されたことは、冒頭に記したとおりである。
出羽ヶ嶽が死んでから三年後の昭和二十八年五月に、内藤誉吉が死んだ。こちらは文化勲章を受け、完全に復権を果たし、門下三千人と誇称された。青山斎場の告別式には、内閣総理大臣の顔も見えた。
内藤誉吉を意識し続けた駿河興造は、終戦後、相模湖の近くに居を移し、遅れ馳《ば》せながら文筆生活に入った。しかし、散策の途次過って湖水に転落、水死した。昭和二十六年十月下旬の、春を思わせる暖かな日のことだった。
駿河興造が変死した翌々日、文化勲章受賞者の発表が行われて、内藤誉吉の名があった。そのことを知らずに逝《い》った駿河興造の遺稿のなかから「内藤誉吉の詩文を駁《ばく》す」と題した未完の論文が発見された。それは相当長大なものにする意図がうかがえるものだったが、序論の段階で途絶したため、未亡人により焼却された。
出羽ヶ嶽の伴侶だった登代は、昭和三十三年に小岩を引き払い、新宿に移転した。そのときに田子ノ浦の年寄株を手放した。遺骨は東大に保存されたままなので「正覚院金剛日文居士」の戒名を胸のうちに収め、ひっそりと暮らして三十年近い歳月が流れた。
石井登代さんの住まいは東京の西新宿にある。モルタル式の古い家だ。付近は副都心の開発で、高層ビルの建設ラッシュである。
玄関の上がり框《かまち》近くへ正座した登代さんは、白髪の心優しいお婆さんだった。
「先日、出羽ヶ嶽のお骨を研究発表するという先生が見えました。三十三回忌が過ぎるまでは、そっとしておいて欲しいという遺族のお話しでしたが、それが済んだので、発表を諒解して下さい……とのことでした。わたしは三十三回忌が済むまでというようなことは申しておりません。学問研究の解剖は承知しましたが、大きいことを興味本位に発表されるのは困るといいました。死んでまでも……そんな風では、あの人が……」
登代さんは面を伏せてしまったが、気を取りなおして話をつづけた。
「学問のためでしたら、なにもいうことはないですから、承知しました。遺体を差し上げる約束で、前金を受け取っていたなどと書かれたことがありますが、あれは嘘です。昭和二十五年の十一月に谷中《やなか》の天王寺で、その年に解剖に付された者の慰霊祭がありまして、香典として千円を頂きました。それだけです。出羽ヶ嶽が亡くなってすぐに、大学から連絡がありまして、死後三時間以内に運びたいとのことでした。それでは枕経も上げられず可哀相ですからお断わりしたんです。それで翌日の十日に大学へ持っていかれましたが、わたしは解剖が済んだら、仏様は帰ってくるものと思っていたんです」
そういい終えた登代さんは、薄暗い玄関の板敷へ、化石のように蹲ってしまった。
初出誌
金  星    別冊文藝春秋168号 昭和五十九年八月
しにたい    小説現代 昭和五十年六月号
擦 り 足   小説現代 昭和五十一年一月号
相撲の花道   小説新潮 昭和六十三年四月号
相撲梅ガ香部屋 小説新潮 昭和五十八年四月号
十両十三枚目  小説現代 昭和五十年三月号
相撲の骨    小説新潮 昭和五十九年六月号
〈底 本〉文春文庫 平成二年十二月十日刊