もりたなるお
土俵に棲む鬼 相撲小説集
目 次
一瞬の栄光
蛇の目の柝
走 れ 幕 下
差 し 違 い
擦り足の秘密
タ ニ マ チ
恩讐の右腕
化粧まわし
[#改ページ]
一瞬の栄光
一
小結で十二勝三敗(準優勝)、関脇で十三勝二敗、同じく関脇で十五戦全勝(優勝)し、一月場所後の番付編成会議で、文句なしに大関昇進を決めた御前山《ごぜんやま》が、相撲協会からの正式通達がある前に、昇進を辞退する旨の意思表示をした。
前代未聞のできごとである。協会幹部は怒った。
「天才だなんだと騒がれて、図に乗りやがった。いつかの女性問題だって、将来があると思って大目に見てやったのだ。番付編成会議をなんだと思っておる。権威をないがしろにする奴は、かまうことはないから、即刻|馘《くび》にしてしまえ」
喚《わめ》き立てたが、力士が昇進を拒否することなど予想外であったから、こうしたケースに対するはっきりした懲罰規定などなかった。
急ぎ理事会を開いて鳩首《きゆうしゆ》協議したが、名案は出なかった。知性派といわれている某理事が、定款の第九十四条を持ち出し、その条項にある、
「協会所属員として相撲の本質をわきまえず、協会の信用もしくは名誉を毀損《きそん》するがごとき行動をなしたる者、あるいは品行不良で協会の秩序を乱し、勤務に不誠実のためしばしば注意するも改めざる者あるときは、役員、評議員、横綱大関の現在数の四分の三以上の特別決議により、これを除名することができる」
を適用して処置すべきという提案をした。この規定は、年寄、力士、行司、呼出し等協会所属員の、私生活|紊乱《びんらん》に対する罰則明記であった。
御前山の大関昇進辞退が、第九十四条のどれに該当するかで議論があった。
番付の地位が上がるのを拒否することは、相撲の本質をわきまえないことになるのか。あるいは、協会の信用もしくは名誉を毀損する行動なのか。大関昇進を断わることが、品行不良に該当するものか……理事たちは自信がなかった。
次にくる「協会の秩序を乱し」については、適用可能の考えを示す者が多数を占めた。
力士は番付という階級により組織化されている。そのランクづけは、相撲協会の経営者たる理事および番付編成会議員によって行われる。その決定を、力士の個人的意向で拒否するのは、明らかに協会の秩序を乱す行為である。
採決に入ろうとしたとき、御前山の師匠である笛吹《うずしき》親方が手を上げた。
「この一件は、ワシにお任せ願えんでしょうか」
切羽詰まった言い方だった。理事たちは一様に軽くうなずいた。親方が弟子の進退について任せてもらいたいという意味を、承知しているのである。それは破門の処置だった。
力士は相撲協会に所属するが、相撲部屋に預けられる形がとられていて、相撲部屋の経営者である師匠(部屋持ち親方)が、廃業届を提出すれば、その力士は協会員ではなくなる。笛吹親方が任せてくれと言ったのは、その処置をとるということだった。
「協会の秩序を乱し」たので、監督者である師匠の権限で、御前山を破門するのだという風に理解し、理事会は笛吹親方の申し出を諒承《りようしよう》して散会した。
しかし笛吹親方の考えはべつのところにあった。御前山にはもっとほかのことで、力士としての体面を汚すものがあったのである。それは盗癖である。盗癖がいままで問題にならなかったのは、行為が笛吹部屋だけに限られていたためである。
部屋の内部問題であるから、見て見ない振りもできた。親方の裁量で決着させることもできた。ところがここにきて、外にも手を伸ばす徴候が見えてきたのである。一度そういう風になると、盗癖は外部に向けてどんどんエスカレートする懸念があった。
御前山が大関に推薦されるのは、部屋にとってもありがたく名誉ではあるが、大関になった御前山が、もしも外部で盗癖が出た場合、こんどは親方もただではすまない。大相撲の面目を潰《つぶ》すことにもなる。
笛吹親方は、泣いて馬謖《ばしよく》を斬る思いで、御前山の破門を決意したのであった。
しかし事態はもっと進展していた。理事会が御前山の処置を協議し終えたころに、本人の御前山が、部屋に詰めていた報道陣に対して、廃業を表明し、裏口からふらりと部屋を出ていってしまったのである。
廃業の理由を報道陣に聞かれて、
「大関になると、大関の名を辱しめないように頑張りますと挨拶《あいさつ》をさせられる。俺はそんな責任を持たされるのが嫌いなんです。自分流にやって勝ちもし負けもするのが俺の相撲です。責任だの名誉だのを考えずに自由にやりたい。俺は大関、横綱を目ざして相撲取になったのではない。みんなとは考えが違います」
と御前山は答えた。それはどういう考えか……とわけを聞いたが、御前山は答えなかった。
「大関が嫌なら、二場所負け越して番付を落ちるという手もありますよ」
と一人の記者が冗談まじりに言うと、
「あんたは頭がいいね。さすがは大学出だ。でもね、俺はわざと負けることはしないから無理です」
そう言って、御前山は席を立った。笛吹親方がもどってきて、師弟が顔を揃《そろ》えての記者会見を予定する報道陣の裏をかき、御前山は姿を消してしまった。あっという間の出来ごとで天才といわれた力士の行動は、常識では考えられないものだった。
気がついた報道陣が、あわてて追跡を試みたが捕まらなかった。両国四丁目の部屋を忍び出た御前山は、本所警察署の近くで両国橋方向にいくタクシーを拾った。御前山は、洋服にオーバーを着てソフト帽を目深に被り、サングラスを掛けていた。タクシーは両国橋を渡って浅草国際通りの地下鉄田原町駅付近で御前山を降ろした。ここまではタクシー運転手の証言でわかったが、どこに潜んだのか、しばらくは消息が不明であった。
天才力士の行動は話題になり、惜しむ声は大きかったが、単なる天才の気まぐれと知れてしまうと、白けて世間はすぐそのことを忘れた。相撲関係者も、協会を離れた者のことは知らないという態度だった。自分勝手に振舞った男のことなど、早く忘れてしまおうということである
御前山の師匠である笛吹親方も、御前山の廃業を気にする様子は見えなかった。くるべきものがきたと受け取る風だった。
二
御前山の本名は佐々木|則夫《のりお》である。出身地は、東京都西多摩郡|檜原《ひのはら》村である。檜原村は東京都の最西端に位置し、山梨県北|都留《つる》郡に接している。
佐々木則夫は小学校五年生のとき、わんぱく相撲大会に出場し、東京地区大会で優勝した。全国大会出場が決定したが、則夫は出るのは嫌だと言った。世間は、両親がいないので偏屈なのだという風に考えたが、根はもっと深いところにあったのかも知れない。
小学生のときは太ってころころしていたが、中学に入ると肉が落ち、痩《や》せてひょろっとした少年になった。この頃に盗癖が芽生えた。家のものを盗むのである。金を盗んでそれを使うというわけではなかった。机の引出しに匿《かく》して置くだけだった。物もやはり仕舞い込んで置くだけであった。匿し置いた盗品をそっと取り出してもとへもどしても、気づく様子はなかった。
彼を育てた祖父母は、両親がいない寂しさからの、気まぐれな悪戯《いたずら》と考えて、ときどき起こる家庭内の盗難を、見て見ぬ振りをして過ごした。
中学二年になると、痩せた体に肉がつきはじめた。そして突然、相撲に関心を持ちはじめたのである。関心を持つといっても、相撲を取るのではなくて、テレビ観戦である。相撲雑誌を買って読んだ。そのうちに妙なことをぶつぶつとつぶやくようになった。
「コロセ、コロセ」
とつぶやくのである。体の大きな少年が、殺せ、殺せとつぶやくのを聞き、まわりは気味悪がった。
保護者の祖父母が、そんなことは言うものではない……と注意をしたが止《や》めなかった。担任の先生と生活指導担当教師が、
「君はなぜそういうことを、しょっちゅうつぶやくのだね」
と、聞くと、佐々木則夫は、
「相撲の極意を言っているのです」
と答えた。相撲雑誌などをよく読んでいるので、先生もなるほどそういうことなのかといくらかは納得した。しかし理由を知らない者は、
「殺せの佐々木がきたぞ。あいつは気がおかしいから近づくと危い。気をつけよう」
と敬遠した。
そのうちに、佐々木則夫の奇癖がもうひとつ増えた。
寺で暮六つの鐘を撞《つ》いていると、釣り鐘の下にきて中腰の姿勢をとり、例の「コロセ、コロセ」を言うのである。呪文《じゆもん》のように唱えるので、寺も困って住職が注意し、立入りを禁じた。則夫は中学三年になっていた。彼の心のなかには、プロの力士になって、あることを会得したいという願望が芽生えていた。
進学については、祖父母は先生によろしく頼むという態度であった。本人も、はっきりした目標は持っていなかった。
力士になりたい希望はあるのだが、高校を出てからのほうがいいのか、中学からすぐがいいのかわからず迷っていた。それを先生に聞こうと思ううちに、中学三年の冬休みがはじまっていた。
正月はじめの或る日、背の高い中年男が、中学校前のバス停に降りた。黒い皮ジャンパーを着て、同じ黒革のハンチングを被っていた。ズボンはコール天の茶である。底の厚い茶色の大きな靴をはいている。肩から吊した鞄も黒革である。大きな紙袋を持っていた。
バス停の先に文具雑貨の店があり、店頭で立ちばなしをしていた老女の一人が、
「おや、まあ、半鐘泥棒のような人がバスを降りて、中学のなかへ入っていくだよ。なにしにきたべ。プロレス方面の人のようだね」
と驚きの声を上げた。半鐘泥棒とは、この地方で図抜けて背の高い人を指して言うことばである。
中学校に入っていった背の高い男は、大相撲の笛吹親方だった。佐々木則夫をスカウトにきたのである。
笛吹親方の訪問は、前もって連絡がなされていたので、中学校には校長と担任の教師が待っていた。学校に生徒の姿はなく、校庭の隅にある花壇では、腰へ手拭《てぬぐい》を提げた用務員が、柵《さく》の修理をしていた。
則夫は呼ばれていて、教室で「大横綱双葉山」という本を読んで待機していた。
名刺交換と簡単な挨拶が済み、すぐに本題に入った。
「先日来御連絡させていただきましたように佐々木則夫君という生徒を、わたしの弟子に欲しいのですが、両先生にひとつ入門の御協力をお願い致します」
笛吹親方が、頬骨《ほおぼね》の張った細長い顔を小刻みに動かして言い、テーブルへ両|肘《ひじ》を張り具合にして頭を下げた。平家|蟹《がに》のような蹲《つくば》い方だった。それを見て校長と担任は、一瞬たじろぎを見せた。
「佐々木則夫君を入門させるにつきましては、笛吹部屋のほうでも、できる限りのことはします。条件がありましたら、ざっくばらんに言って下さい。できる限り応じたいと思います」
「………」
「こういう話は、なんといっても先生におすすめいただくのがいちばんです。なにとぞよろしくお願い致します」
「わたしどもがすすめなくても、本人がその気になっていますから大丈夫です」
「えっ。本当ですか。それは有難いことです。ついては、笛吹部屋へきてもらう条件をお聞かせいただいて、その上で本人に会いましょう。保護者にもお会いします」
「条件をどうのこうのというのは、わたしどもは教育者でございますからね。間に立ってお取次ぎはしますが、条件のことなどは保護者の方と御相談をしていただきたいです」
「わかりました。いろいろとお手数をおかけしました」
「それよりもですね。御連絡をいただいたときには申し上げませんでしたが、佐々木君にはちょっと妙な癖がありまして」
「癖……ですか」
「コロセ、コロセとつぶやくのです」
「なんですか、それは」
「聞いてみたら、相撲の極意を言っているのだそうです相撲には殺せ≠ニいう極意があるのですか」
校長が興味深げに聞いた。
「さてね。殺せですか。ううん、相撲用語に差し手を殺すというのがありますが、それですかね。相手が差した手を強く押しつけるなどして、自由を奪うことです」
笛吹親方が答えた。
「なるほど。そういうことでしたか」
「しかし、差し手を殺すのは、取り口のひとつであって、極意とはいえないな」
笛吹親方が首をかしげた。
「体は大人なみですが、まだ子供ですからね。極意と思っているのでしょう」
担任が言った。担任はことばをつづけた。
「コロセは解決しましたが、もうひとつおかしなことをしましてね」
「どんなことですか」
「寺の釣り鐘の下に入りまして、鐘を突くときにやはりコ口セ、コロセとやるそうです。釣り鐘の下にもぐってそういうことをするのが、相撲にはあるのですか」
「それはありません。ともかく本人に会ってみます。ワシ一人で会わせて下さい」
担任が案内して、笛吹親方と佐々木則夫は教室で対面した。
「相撲取になるね」
「はい。お願いします」
則夫は、直立不動して答えた。聞いてきたとおりいい体をしている。鼻すじがとおり、目も口も形がいい。こういう少年がスカウトされずにいたのを、笛吹親方は幸運に感じた。笑いがこぼれるのを押えた。と同時に、頭の奥でなにかがひっかかった。どこかで会ったことがあるような……。親方は首をふった。そんなことがあるわけがない。
「ところで聞くが、君はコロセ、コロセと言うそうだな」
「………」
「釣り鐘を撞く下にきて、コロセ、コロセと唱えたそうだが、それは差し手を殺すということなんだね」
「違います」
「………」
「僕は殺せなんて言ったことはないです」
「ではなんと言ったのだね」
「……と言ったのです」
則夫の言い方は早口過ぎたので、聞きとれなかった。
「もういちど言ってくれ」
笛吹親方が片耳を近づけた。
「……と言いました」
親方の顔に驚きの色が浮かんだ。
「うん、そうか」
「双葉山の極意です」
「そうだ。君は偉い。ワシが引き受けた。すぐに笛吹部屋にきなさい」
「僕はまだ中学を卒業してないです」
「かまわん。そんなことは親方のワシがなんとでもしてやる。それからな、いまお前が言ったことな」
「はい」
「これからは声を出して言うな。プロの力士は実行あるのみだ。心のなかで言って口には出すな。わかったな」
「はい」
「お前を立派な相撲取にしてやるぞ」
「よろしくお願いします」
「任せておけ」
笛吹親方は、佐々木則夫の両肩に手を掛け、前後に振り動かした。
笛吹親方と則夫が、校長室に挨拶をして校庭に出ると正午を知らせるチャイムが鳴り出した。役場で鳴らすのである。四囲の山なみに谺《こだま》する鐘の音は笛吹親方の心を弾ませた。
笛吹親方は手土産を用意してきた。菓子折と寿司の折詰である。菓子折一個は校長室に置いた。
則夫の家に着くと、菓子折を差し出し、寿司の折詰六個のうち、四個を皆で食べ、残った二個を祖父母の夕食分として置いた。すべて計画したことである。
笛吹親方は、今日のうちに則夫を連れていく考えであった。その談判をする前に、用意してきた札束を鞄《かばん》から出して、
「これはほんの気持ちです。則夫君が入門したらまた送ります」
そう言って差し出した。祖父母はあっけにとられた感じで、おろおろするばかりだった。
「善は急げと申します。入門と決めたからは一日でも早いほうがいい。校長先生も同じ考えです。すぐに支度をさせて下さい」
と笛吹親方は祖父母を説得して、佐々木則夫を連れて帰ることに成功した。
「親方さんに、ひとつだけ申し上げておきたいことがございます」
則夫が座をはずしているとき、祖母が小声で言った。
「どんなことですか」
「盗みの癖がありまして」
親方はおや、という顔をした。先ほどからの謎がとけたという表情だった。
「やはり……」
「親方さんは御存じでしたか」
「ええ、いや、はじめて聞きます」
笛吹親方は、妙な答え方で否定した。
「盗むといっても、家のなかのものに手をつけるだけで、他所《よそ》のものは盗みません」
「それならどうということはないです。ワシが気をつけます。安心して下さい」
佐々木則夫がもどったので、話は打ち切られた。
支度ができてタクシーが迎えにきた。村に個人タクシーが一台あり、それを呼んで東京まで走らせることにしたのである。笛吹親方は、則夫を金の卵と睨《にら》んでいる。両国までの料金は三万円まではかからないだろうと聞き、金の卵を運ぶのだから、それくらいの車賃は安いものだと思ったのである。
則夫は、手荷物のなかに寺が檀家《だんか》に配布した小冊子をしのばせていた。「ことわざばなし抄」というもので、寺院に材をとった俚諺《りげん》、格言集であった。
そのなかに、則夫が傍線を引いたことばがあり、
「鐘が鳴るのか撞木《しゆもく》が鳴るか。鐘と撞木の間《あい》が鳴る」
というものだった。則夫はそこへ「相撲の極意」と但し書きをしていた。
三
笛吹部屋に入門した佐々木則夫は、中学卒業を前提として、三月場所前の新弟子検査を受け合格した。
笛吹部屋に二十日間いるうちに、則夫は体重を五キロ増やした。身長が二センチ伸びた。一七九センチ、九十一キロの新弟子誕生である。
初場所の土俵に上がって、中日《なかび》までに規定の成績をおさめ、一番出世をした。出世披露には、笛吹親方が現役時代に使用した化粧まわしをつけた。
土俵上に勢揃いした一番出世力士のなかで、則夫の姿はひときわ目立った。
「笛吹さんは米櫃《こめびつ》捕えてきたな」
と他の親方たちは話し合った。米櫃は部屋のドル箱といった意味である。
「あれにはスター性というものがある。なんとなく輝いているだろう」
笛吹親方は、おかみさんに自慢をした。二度目のおかみさんで、親方とは二十歳下の三十で、しとやかな感じの色白美人である。先妻の子が二人いるが、男児は大学を出て地方公務員になり、女児は高校を卒業するとすぐに結婚した。後妻との間に子はない。
三月場所が終了したとき、笛吹親方は則夫を呼んで言った。
「お前も来場所から序ノ口だ。プロの相撲取だから四股名《しこな》をつけよう。自分でつけたい名前があれば言ってみろ」
「ゴゼンヤマとして下さい」
則夫は即座に答えた。素早い反応だったので、笛吹親方は驚いた様子だった。
「お前はその四股名を、前から考えておったのだな」
「はい」
「ゴゼンヤマといったが、どういう字を書くのだ」
「こう書きます」
則夫は、テーブルの上に字を書いた。
「これに書け」
笛吹親方が紙片《かみきれ》とボールペンを出した。それに「御前山」と書いた。
「これはどこの山だ。お前の村の山か」
「はい」
「高い山か。何メートルくらいある」
「千四百五メートルです。三頭山《みとうさん》についで二番目に高い山です」
「二番目かい」
笛吹親方は少し不満らしかった。
「そのかわり、奥多摩ではいちばんいい形をしているといわれています。雄大です」
「雄大か。それならよかろう。来場所からは御前山の四股名で番付にのる。しっかりやれ」
「はい」
「プロの力士になったのだから、それなりの覚悟で稽古《けいこ》に励むのだぞ」
「はい」
「お前が口癖にしとったあの精神、相撲の極意のことを忘れずにやることだ。ここには誰もおらんから、小さい声で言ってみろ」
「………」
「うん。よし、それだ」
御前山がつぶやくように言ったのは、後《ご》の先《せん》ということばである。
御前山がゴノセンを早口で言うと、コロセに聞こえた。彼が村でしきりにつぶやいた「後の先」は「殺せ」と聞き間違えられていたのである。佐々木則夫がつぶやいていたのは、コロセではなくゴノセンであった。
後の先とはなにか。相撲の立ち合いの極意である。相撲は立ち合いがすべてと言われる。立ち合いの一瞬に、勝負の分岐点があるという。
早く立ったほうが見た感じでは有利のようであるが、必ずしもそうではない。勢い込んで押し込むことはできるが、はたかれたりいなされたりする危険性があって、絶対有利とはいえない。
立ち遅れは不利である。しかし相手よりほんの一瞬遅れて立ち、鋭い踏み込みをすることができれば、充分な勝機をつかみ得る。完璧《かんぺき》な体勢に持ち込むことができる。
立ち合うときは、お互いの呼吸を合わせることが基本である。吸う息と吐く息がちぐはぐだと、立つ気が合わない。どちらかが先に立てば、短距離競走におけるスタートと同じで、フライングが起きる。相手の力士が待ったをしなければならない。待ったをせずに遅れて立つと、よほど機敏でない限り押し込まれて体勢は不利だ。はたきやいなしで勝つこともあるが、それはまれである。
では立ち合いでなにが理想的かというと、相手が立ってくるほんの一瞬遅く立ち、踏み込みを電光石火の速さで行うのである。そうすると、ぶつかり合うときに、一瞬早く立った力士より、腰が割れた低い体勢となる。相手より重心が低くなる。腰が割れて重心が低ければ、攻撃に有利である。守りは万全である。投げを打たれてもしのぐことができる。
相手が立ってくるのをよく見て立ち、一瞬の遅れを出足の鋭さでカバーするのを「後の先」をとるといって、相撲の極意とされる。
不世出の横綱双葉山は、後の先をとる立ち合いによって、無敵を誇り、六十九連勝の大記録を達成した。
後の先については、多くの力士が研究もし、心掛けもするのだが、天才でない限り会得するのは容易ではない。
御前山のように、入門する前から「後の先」を考えた者はまずいない。
「お前は後の先をとれる名力士の素質を持っている。しかし努力をせんと駄目だ。素質があるからといって稽古を怠けたら、後からきた者にどんどん追い抜かれるのがこの世界だということを忘れるな」
「はい」
「努力次第で後からきたものが先にいく。これも後の先だ。なあ、そうだろう。フフフ」
笛吹親方は、うまいことを言ったと思い、頬骨を震わせて笑った。
四
御前山は稽古熱心な力士ではなかった。他人の稽古を見ているほうが多かった。仕方なしに稽古をする感じだった。
厳しい稽古はしないのだが基本はすぐにマスターした。若者|頭《がしら》が笛吹親方に御前山の稽古振りを報告し、指導方針について聞いた。御前山に関しては、親方が特別に目を掛けているのを知っているので、お伺いを立てたのである。
「身を入れて稽古をしません。尻を叩かれてそこそこにやるだけです」
若者頭が訴えると、笛吹親方は戸惑いを見せたが、なにも言わなかった。
「股《また》割りや擦《す》り足はどうなんだ」
笛吹親方が聞いた。笛吹親方は協会役員としての仕事や後援者とのつき合いがあって、弟子の稽古を毎日見るというわけにはいかないのだ。
「それはすぐに覚えました。不思議なくらいです」
若者頭が首をかしげながら答えると、笛吹親方はニコッと笑って言った。
「やっぱりあいつは天才だな。ワシの狙《ねら》い目どおりだ」
「たしかに天才的なところがあります。たいして稽古をしないのに、三段目あたりと同格の相撲を取ります」
「そうかい。なんだかよく似ておるなあ」
「誰かに似ているのですか」
「いや、なんでもない。天才というのはそういうものだと思っただけだ。深い意味はない」
「………」
「御前山はいまのままでいいだろう。もうちょっと様子を見よう。御苦労さん」
そう言って若者頭を帰した。笛吹親方が「なんだかよく似ている」と言ったのを取り消したことを、若者頭は納得してはいなかった。
「御前山はなにかあるな。親方が隠したがることが……」
そういう風に若者頭は考えた。親方に言われたとおり、若者頭は御前山の稽古不熱心についてはなにも言わなかった。部屋つきの親方も、御前山の力を認めているので、注意はいちおうするが、叱るようなことはしなかった。兄弟子たちは自分のことで頭がいっぱいの者が多く、新弟子の御前山が稽古不熱心だといって、進んで可愛がる(厳しい稽古をつける)ことはしない。むしろ将来のライバルと見て、稽古を怠けてこければいいとさえ思う先輩もいた。
そんな御前山だったが、場所ごとに勝ち進んでいった。
序二段と三段目で優勝し、幕下を三場所で通過した。幕下でも優勝を一回経験した。
十両に昇進した場所は十二勝三敗で、優勝に準ずる成績だった。弱冠十七歳の新十両は、眉目秀麗で凛乎《りんこ》とした風貌《ふうぼう》を持ち、源義経を思わせる若武者振りだった。
身長一八七センチ、体重一三五キロ。肩の肉が盛り上がり、厚い胸は艶艶《つやつや》と照り輝いて、鳴り響いていた。腕にも腿《もも》にも必要な肉がつき、色白の体はギリシャ彫刻のような美事さであった。
相撲好きの歌人で大学教授の牧田|晃《あきら》は、某詩人の歌をもじり、
御前山は古代ギリシャの彫刻の
大理石のなかより生まれ出でたり
と詠《よ》んで、その英姿を称揚したほどである。
御前山の取口は理に適《かな》い、それは天賦のものというほかなかった。立ち合いの仕切りは、ぐっと腰が下りた。相手の目を見ながら呼吸を整えて、両手を同時に下ろした。立ち合ったときの姿勢は、腰が割れていて相手よりも重心が低かった。擦り足で出ていくので、叩きや投げを打たれても持ちこたえることができた。
御前山の立ち合う瞬間は、カチリとして四角張って見えた。まわしを引いて取り組んだときの格好も、安定した四角形であった。
相撲は角力と書き、角は競うとか争うを意味する。角力は力を競うことであるが、情景ないしは状態においては、角張るといった意味も持っている。争うことは角逐《かくちく》であり、鋭角であれ鈍角であれ、総体は角張る。
「古今の名力士、強豪力士は、取り組んだときはすべて角張っている」
と言う人もいるほどである。丸型の照国も、そして二代目朝潮も、自分の型にはまったときの体勢は四角であった。御前山は美事な体をしていたが、普段はゆったりとして雄大な感じであり、四角張るのは取り組むときだけだった。
右上手を素早く引き、相手の差し手を殺した。左は浅く差し、肘《ひじ》を内側に捩《ね》じり込むようにして絞った。腰が割れて重心が低い。完璧な体勢である。
新十両の場所で、巨漢の仁王山を破った一番は、相撲通の目を奪うものがあった。仁王山とは中日《なかび》八日目に顔が合った。
仁王山はハワイ出身の力士で、二メートル四センチ、二一五キロの巨漢力士である。突き押しを得意とし、そのパワーは恐るべきものがあった。しかし左膝の故障のために充分な威力を発揮できずにいた。この仁王山が、先場所から取口を変えた。突き押しだけではなく、ときにはまわしをとって引きつける相撲を見せるようになった。しかも左膝の故障が治ったのである。
こうなると強い。引きつけておいて、巨体をあおって寄り立てるのである。この巨漢の攻撃に対して、まともにぶつかっていった力士は、たちまちにして土俵を割った。突かれれば吹き飛び、捕まったら寄り切られた。
仁王山と御前山の初顔合わせは、十両の取組ながら好角家の注目する一番だった。仁王山七戦全勝、御前山五勝二敗。戦前の予想は、八対二で仁王山優勢だった。
御前山が新進気鋭の天才でも、仁王山の破壊的な突進力には敵《かな》わないと見られたのである。
両力士は息が合って制限時間前に立った。立ち合いは互角だった。仁王山が突いて出た。御前山は右肩から当たって出た。仁王山の突きが、出てくる御前山の顎《あご》をとらえた。御前山が顔をのけ反った。二発目が胸を突いた。御前山は上体を反らせて後退したが、腰は崩れなかった。腰を落としてしのいだ御前山は、仁王山が三発目にくり出した突きを、右肘をかち上げ具合にして撥《は》ね除けた。
勢いをはずされた仁王山が体勢を崩したところへ、腰を落とした低い体勢の御前山が、横から食いついた。御前山の体は四角形になった。
食いついた御前山は、まわしを取らなかった。相手の脇腹《わきばら》に両手を押しつけ、両肘を絞って押した。両手は双《もろ》はずである。仁王山が肩越しに上手を取りにきたが、まわしをつかんだときは土俵際へ追い詰められていた。こらえるすべもなく、仁王山は土俵を割り、もんどり打って土俵下に転落した。
十両では無敵とされていた仁王山を屠《ほふ》った御前山は、勝ち名乗りを受けて土俵を下り、次の力士に力水をつけると、一礼して花道を引き上げた。急ぎ足でもない。遅い歩きでもない。ちょうど頃合の、悠然とした歩き方で花道の先へ消えた御前山の姿は梨園《りえん》名門の御曹子の、引っ込みを彷彿《ほうふつ》させるものがあった。
御前山が帰り支度をして一歩外にでると、女性ファンが群がった。ギャルたちである。ギャルは、御前山に同世代の親しみを覚え、気軽に話しかけた。御前山も気易く応じて軽口の冗談をとばした。
御前山は女性ファンの囲みのなかに屹立《きつりつ》していた。若さが匂い立っていた。秀麗さが富嶽《ふがく》のように聳《そび》え立っていた。
御前山の活躍は、いままで幕内に集中するファンの目を十両にも向けさせるようになった。客の出足が早くなった。御前山はスターだった。
新十両の場所で十二勝三敗の好成績をあげた御前山は、次の場所、十両二枚目に躍進した。優勝候補の筆頭にあげられた。しかし五勝十敗の不調に終わった。女性問題が影響したのである。
五
御前山に早くから注目する婦人グループがいくつかあった。将来性のある若い力士の成長に関心を持ち、静かに観戦するという穏健グループで、相撲を趣味とした集まりだった。このグループは、御前山に注目はしても、接近してどうこうすることはなかった。
料亭などサービス業の女性経営者でつくる相撲好きグループも、御前山に注目した。この玄人《くろうと》すじグループは、相撲協会幹部などとも交流があり、力士に対する個人的な接触には節度をわきまえた人たちだった。したがって、御前山に対して特別な処遇をしたり、金品を贈るようなことはしなかった。
「それはわたしたちだって、あんないい男の若い相撲取なら、ひと晩でも二晩でも可愛がってやりたいと思うわよ。でも今は昔と違いますからね。マスコミがすぐに嗅《か》ぎつけて、大々的に報道するでしょう。あれは影響しますよ。わたしたちプロの人間は、その辺のことは心得ていないとね」
というグループである。同じ水商売のプロでも、違ったグループがあった。これは組織化されたものではないが、御前山をめぐって自然発生したグループである。
御前山は、銀座、赤坂、六本木などに行きつけのクラブやスナックがあった。また赤坂、神楽坂、向島の料亭にも知っているところがあった。
幕下になったばかりのときは、後援者に連れていかれるのが主で、自分から足を運ぶということはなかった。
ところが、|たにまち《ヽヽヽヽ》にそうしたところへなんどか連れていかれると、御前山の男前に惚《ほ》れるホステスや芸者が現われた。そうなると、ツケで遊ぶことができるようになった。彼女たちは力士の体力に興味がある。男性的な肌に関心を持っていた。
御前山は、そのうちの何人かと関係を持った。ただで飲み食いができ、いままで頭のなかでしか考えたことのない行為ができた。お小遣いや品物をもらうこともある。幕下でこれだけ待遇されるのだから、関取になればどんなに楽しく面白いことか。女たちの饗応《きようおう》と、性の耽溺《たんでき》は活力になった。相撲は天才で立派なものだが、世間に関しては未熟であった。御前山はノーガードで情事を行った。若者頭の注進で、笛吹親方が注意したときは、いくつかの週刊誌がデートの現場写真を手に入れていた。新十両の場所後のもので、相手の女性はみな違っていた。
御前山は、場所後に手当たり次第の情事を行っていたのである。それというのも、スターになった御前山を、女たちが競い合って誘ったからである。
御前山のデート現場が週刊誌にのった。
「土俵の勇者は夜も勇者」
「御前山足腰鍛えてネオン土俵」
「相撲協会も腰を抜かす。御前山の御乱行」
といった見出しが、紙面に躍る興味本位の記事だった。協会から口頭で注意があり、笛吹親方が監督不行き届きの表明をして、結果は単なるゴシップで終わった。
これで済むかと思ったら、第二弾が撃ち込まれた。御前山をめぐって傷害事件が起きたのである。その原因は、たわいのない痴話喧嘩《げんか》だった。
御前山と関係のあった女性同士が、口論の末にかっとなって、相手を果物ナイフで刺すという事件が、次の場所がはじまった初日の夜に起きた。
警察の発表によると、二人の口論は、どちらが御前山に対して熱心であるかがそもそもの発端だったという。相撲論議でもなければ、愛情論でもなく、どちらがより多く貢いでいるかが、熱心さのバロメーターで、貢ぎ高の少ない方が、かっとなっての傷害である。
被害者は肩と腕のつけ根を刺され、全治二十日間の傷を負った。こんどはスキャンダルゴシップというわけにはいかなかった。
御前山は二日目の取組に出場停止処分となり、笛吹親方は減給処分を受けた。御前山は笛吹親方に呼ばれた。
「お前な、女には気をつけんといかんぞ。気をつけないからこういうことになるのだ」
笛吹親方が細長い顔をだらけて、うんざりした風に言って注意をした。御前山は、親方の言う意味がよくわからないらしく、首をかしげて、出場停止が不満のようでもある。笛吹親方が重ねて言った。
「聞いているのか。ワシが言ったことをちゃんと聞いているのか」
「はい。聞いています」
「なんと言った」
「女には気をつけろと言われました」
「そうだ。だからこれからは気をつけろよ」
「いままでも気をつけていました」
「馬鹿なことを言うな。気をつけないから、こういう事が起きたのだぞ」
「気をつけていたんだけどな」
「ほんとうか。いったいどんな風に気をつけていたのだ」
「素人《しろうと》の女に気をつけていました」
「それはどういうことだい」
「素人だと結婚しなければならなくなるし、あと腐れがあって厄介ですから、ずいぶんチャンスはあったですが、気をつけて、関係はしませんでした」
「それでは、ホステスや芸者なら、問題はないと思ったのか」
「はい」
「なるほどな」
笛吹親方はあきれはててしまった。昔のことならばともかく、現在の水商売の女性には、職業としてのけじめをわきまえる人は少なくなっている。そのことを無菌状態の御前山はわからなかったのである。
「あのな、いまは玄人も素人も区別がつかなくなっているのだよ」
「そうですか」
「芸者にペラペラ喋《しやべ》られて、総理大臣が辞任をする時代だ。プロの女だからといって油断はできない」
「俺が勉強不足だったのですね」
「そうだ。女をかまっている時ではないぞ」
「俺がかまったわけではないです。向うが手を出してきたのです」
「そうかも知れんが、ごたごたが起きるとまずい」
御前山は不満そうな顔で、笛吹親方のことばにうなずいていた。
女の一件で、さすがの御前山も気が滅入《めい》ったらしい。取組に身が入らなかった。五勝十敗の不成績で場所を終えた。
「新鋭力士御前山、夜の土俵が崇《たた》って惨敗」
「角界のプリンス、女に攻められて腰砕け」
「天才に色欲の落とし穴」
などとスポーツ紙や週刊誌は面白おかしく書いた。御前山は悪性の病気をもらい、そのために相撲がおかしくなった……という噂《うわさ》がある云々と書いたところもあった。
御前山に接近していた女性たちが、申し合わせたように離れた。御前山を取り巻いて騒ぐギャルたちも、鳴りをひそめた。
御前山の急速な出世ぶりを妬《ねた》んだ同僚や兄弟子は、内心よろこんだ。部屋つき親方や若者頭は「自業自得だから仕方がないだろう」と話し合った。笛吹親方は頭を悩ました。
本人の御前山は、相撲記者からコメントを求められると、
「いろいろ騒がれたので、立ち合いに気が散ったのは事実です。身から出た錆《さび》ですから仕方がないです。負けて覚える相撲といいますから、これも経験です」
と答え、動揺する様子はなかった。
六
御前山は立ち合いに迷いが生じていた。いままでのように、相手が立ってくるほんの一瞬をとらえて立ち、鋭く踏み込んで低く当たることができなくなっていた。
先場所の後遺症があるのだ。いままでは天才の勘だけで立ち合い一瞬の機会をとらえたのだが、勘が狂うと同時に調子も狂った。
相手が立つ瞬間をとらえて立ち合ったつもりでも、タイミングがはずれる場合が多かった。立ち合いが早過ぎたり、遅かったりするのである。
早過ぎると腰高になり押し込まれた。遅いと相手の当たりに腰砕けになることもあった。体力はあるのだが、順調に昇進したためいったんつまずくと弱かった。挫折《ざせつ》の経験がないから踏ん張りがきかない。御前山は負けが込んで、ずるずると後退した。十両から幕下に落ちてしまった。
さしもの御前山も、意気消沈の気味であった。笛吹親方も心配した。御前山を呼び不調の原因を聞いた。立ち合いにあることは承知しているのだが、いちおう聞いた上で、善後策を話し合おうというわけである。
「立ち合いの失敗がすべてです」
御前山が答えた。
「後の先はどうした」
「わからなくなりました。後の先は頭のなかでわかっていただけの気がします」
「うん」
「はじめからわかっているものは駄目です。調子が狂い出すと、考えだけが先に立ちます。体は別の動きをします」
笛吹親方がなんどもうなずいた。
「もういちど一からやり直してみます。後の先を体で覚えたいです」
「そうか」
笛吹親方が安堵《あんど》の表情で深く息を吸った。
「俺は後の先をわかりたくて、相撲に興味を持ったですから。後の先をやってみたくて、それで親方の弟子になったですから」
「そうだったな」
「どうしてもわからなかったら諦《あきら》めますが、わかるかどうかもうひと踏ん張りやります」
御前山には後の先を会得したいだけで、幕下からの脱出や、幕内カムバックを考えている様子は感じられなかった。
「天才というやつは、ワシらとは波長が合わん。しかし普通の人間とは違うからしようがないな」
笛吹親方は、御前山を帰したあとでつぶやいた。
御前山は、場所がはじまる二週間前に五日間の休暇を申し出た。場所の二週間前は、番付が発表になる日である。御前山は幕下に張り出されるのである。
「あいつは天才だといわれていい気になっていたから、番付が恥ずかしくて逃げ出したのよ」
「それに違いない。女にも格好つけてばかりいやがったからな。みっともなくて東京にいられなくなったのだ。部屋を出たままもどっちゃこないよ」
笛吹部屋の関取たちは、そう言って笑った。
御前山はそんなつもりで休みをとったのではない。わけは笛吹親方だけが知っていた。
御前山は郷里の檜原村に帰った。東京からタクシーを利用し、隠密《おんみつ》行動で生家に着いた。御前山は懐中に「ことわざばなし抄」を忍ばせていた。村の寺が発行した俚諺、格言集である。相撲に入るとき持って出た冊子だ。
突然もどった御前山を迎えて、祖母が放った第一声は、
「お前、相撲取をやめて帰ってきたのかい」
だった。
「そうではない。事情があって休みをもらった。五日いたらまた相撲にもどる。わけはあとでわかるから黙って置いてくれ。近所にも内緒にしてもらいたい」
御前山はそう言うと、現金五十万円と手土産の菓子折を差し出した。そして、履《は》いてきた草履《ぞうり》と荷物を持って奥の一間に引っ込んだ。祖父母は顔を見合わせて、
「東京で悪いことでもしただんべか」
と心配顔であった。御前山は背戸口からそっと脱け出した。十二月二十八日の午後五時二十分過ぎだった。冬の日は暮れている。忍び出るには都合がよかった。裏手は山である。小径《こみち》が山裾を襷掛《たすきが》けする具合に通っていた。その径はひと山向う側にある寺の墓地に通じている。歩いて二十分ほどの道のりだった。
墓地を通り抜けた御前山は、鐘楼の近くへ来て住職が鐘を撞きにくるのを待った。
住職が庫裏《くり》のほうから歩いてくるのが見えた。御前山は住職が近づくのを待って、二、三歩前に出た。住職が認めて立ち止まった。
「誰だ」
住職が押し殺した声で言った。
「相撲取の御前山です」
「なに」
「突然で申しわけありません。お願いがあってきました。是非お聞き入れ下さい」
「どんなことだね」
「和尚さんが撞く鐘の下に入れてもらいたいのです」
「プロの相撲取になっても、まだ悪い癖が抜けないのか。清浄な鐘の下で、殺せ殺せと唱えさせるわけにはいかない。駄目だ。断わる。鐘を撞く時間だ。どかないと人を呼ぶぞ」
「俺は殺せ殺せと言ったのではないです。後の先、後の先と言ったのです。和尚さんは聞き違えたのです。後の先は相撲の立ち合いのことです」
「………」
「この本に書いてある鐘が鳴るのか撞木が鳴るか≠ニいうことばが、立ち合いの後の先に通じると思って、それで釣り鐘の下に入ったのです。くわしいことはあとでお話をします。相撲の立ち合いの修業です。このとおりです。お願いします」
御前山は必死だった。寺が発行した冊子を差し出し、地面に両膝をついて懇願した。断わられたら、後の先を会得できないのだと思いつめていた。ここはなんとしてでも、願いを聞いてもらわなくてはならなかった。
「もう時間だ。理由はあとでゆっくり聞こう。いいから鐘の下に入れ」
「ありがとうございます」
御前山は急いで着物を脱ぎ捨てた。猿股いっちょうの裸である。鐘楼へ駈《か》けのぼった。薄暗がりのなかに、逞《たくま》しい肉体が躍動していた。
御前山は、釣り鐘の空洞の真下にきて、膝を屈して腰を落とし、両手を膝頭に置く蹲踞《そんきよ》の姿勢をとった。土俵上の、仕切り線を距《へだ》てた間隔で住職の姿があった。
住職が撞木の引き綱を握り、足を開いて構えるのに合わせて、御前山は蹲踞から立ち合いの姿勢に移った。この寺は予告の捨て鐘は突かない。
腰を割り、両|掌《て》を下ろして地面につけた。息を大きく吸い込む。住職の体が動き、撞木が打ち込まれた。御前山の頭上で轟音《ごうおん》が起こる。鐘の音は反響し合い渦巻いた。御前山は両掌を地面につけたまま動かなかった。動くきっかけがつかめなかったのだ。
頭上で起きた轟音の渦巻きは、いつまでも尾を引き、耳鳴りのように釣り鐘の空洞にとどこおった。釣り鐘も鳴りつづけていた。
御前山は、仕切りの姿勢から再び蹲踞にもどった。住職の両足が僅《わず》かに動いた。それに合わせて、御前山が仕切りの姿勢に入り、両掌をついた。頭上の空洞は、余韻が渦巻いていた。御前山は深く息を吸って次の突き鐘を待った。
住職が撞木を突く気配が感じられた。頭上で轟音が起こった。御前山の体がひくっと僅かに動いたが、両手は地面につけたままである。立っていく間合いをつかもうとするのだが、体が逡巡《しゆんじゆん》するのである。そして立つ気の意識は、釣り鐘の空洞で渦巻く轟音に吸い取られた。
暮れ六つの鐘が撞き終わるまで、御前山は立ち合っていくタイミングをつかめなかった。釣り鐘の下から出た御前山は、荒い息をし、体はぐっしょりと汗に濡《ぬ》れていた。
「それではわけを聞かしてもらおう。庫裏にきなさい」
鐘楼を下りた住職が言った。
「ここでお話をします。誰にも知られたくないことですから」
「なぜかね」
「これは俺が考えたことですから。極意をつかむ方法ですから」
「うむ。それならここで聞く。極意と言ったが、それはどういうことだね」
住職は関心を示した。
「相撲の立ち合いは後の先といって、相手が立ってくるほんの一瞬遅れて立って、低い体勢で受けることですが、間合いをつかむのがむずかしいです。ちょっとでもタイミングがはずれると不利になります」
「うん」
「俺は後の先ということを相撲の本で読んでから、なんとかしてそれをわかろうとしました。そしてこの本に書いてある鐘が鳴るのか撞木が鳴るか。鐘と撞木の間《あい》が鳴る≠ニいうのが、それを説明していると思ったのです」
「なるほど」
住職は感心したようにうなずいた。薄闇《うすやみ》のなかで目が光った。
「相撲にたとえると、釣り鐘と撞木が対戦する力士です。一瞬早く立ってくるほうが撞木で、それを受ける格好で立つのが釣り鐘です。両方がぶつかって音が出ます。音を出すのは釣り鐘のほうですが、撞木も木の音を出しているはずです。両方が音を出し合っても、釣り鐘のほうが強く響いて、撞木の音をはね返してしまいます。しかし鳴っているのは釣り鐘と撞木であって、どちらか片方というのではないです。間が鳴って、しかも釣り鐘の音が撞木を制するのですから、これは後の先です」
「あんたはいくつになった」
「………」
「歳《とし》はいくつかな」
「十九です」
「わたしの孫の年齢で、そこまで考えるのはさすがだ。相撲のことはよくわからんが、そういう修業なら喜んで協力しよう」
「ありがとうございます」
「後の先といったかな」
「はい」
「それがわかるまで、毎晩きなさい。なにやら鐘の撞き甲斐《がい》が出てきた。近頃はこんな山村でもハイカラ風が流行《はや》ってな。寺が鐘を撞くなど、古臭い、田舎っぽいと批判する者もいるのだ。しかしなんだったな。あんたの後の先を、殺せ殺せと聞いておったのは、なんとも迂闊《うかつ》だった。早合点をして確かめなかったのは悪かった。殺せではなくて後の先か。ハッハッハ」
住職は上体を反らせ、掠《かす》れ声で笑った。寺の境内に人影はなく、誰も気づく者はいなかった。
翌晩も御前山は山裾の小径を寺に通った。住職は先にきて待っていた。御前山は前夜と同じ動作を繰り返した。後の先の立ち合いはつかめなかった。頭のなかががんがんといつまでも鳴り響いた。住職は結果を聞かず、
「ではまた明晩にな」
と言い、御前山にくるりと背を向けて去っていった。釣り鐘の空洞から受けた余韻は、家に帰ってからも御前山の頭のなかで鳴っていた。
三日目の晩も同じだった。受けて立つタイミングがつかめない。御前山は苛立った。苛苛《いらいら》するほど気持ちが鐘の響きに吸い取られていくだけであった。
鐘を撞き終えると住職が聞いた。
「どうだね」
「金縛りにあった具合です」
「ほう」
「鐘の響きが頭のなかにも体にも染み込んで、長い時間抜けません」
「なるほどな。そのうちに体が釣り鐘になるだろう」
「………」
「釣り鐘になったら、鐘楼にぶら下がってみるかな。ではまた明晩」
住職がいってしまっても、御前山は鐘楼の下に立っていた。前の晩は頭のなかだけに止まっていた余韻が、今夜は肩と両腕にも染み込んだ感じだった。
住職がしまいには釣り鐘になってしまう……と言った。冗談で言ったのだろうか。それとも坊さん特有の謎《なぞ》かけがあるのか。
御前山は、ミイラ捕りがミイラになることわざを思い出した。頭と肩と両腕で余韻を運び家に帰った。この調子では、後の先の立ち合いを会得できそうもなかった。五日間の休暇が無駄になったら、笛吹部屋に待っているのは、幕下転落を明記した番付と、周囲の冷い視線である。無言の侮辱だ。御前山は深夜まで考え込んだ。立ち会いに自信がもてなくなっていた。
四日目は大晦日。寺にいくのが億劫《おつくう》になった。頭上で轟《とどろ》く釣り鐘の音が、頭のなかだけでなく、肩、腕、胸、腹へと染み込んできたら、自分が自分でなくなってしまう。立ち合いのタイミングはますます悪くなり、幕下で負け越すかも知れない。そうなったら恥の上塗りである。
寺へ足を向けるのが躊躇《ためら》われたが、住職が待っていると思い、いつもどおりに背戸口から外に出た。
鐘楼に着いたのは、鐘を撞くギリギリの時間だった。住職は鐘楼に上がって、撞木の引き綱を後ろに引いていた。
御前山は、着物を脱ぎ捨てながら鐘楼に駈け上がった。住職が撞木の調子をとって、力をこめて鐘を撞くのと、御前山が釣り鐘の下へ飛び込むのと、ほとんど同時だった。
轟音が御前山の体を包んだ。身ぐるみ鐘の音の虜《とりこ》になった感じがした。鐘の音が殷殷《いんいん》と体に染み込み、御前山は金縛り状態となった。二打目の撞木が打ち込まれた。轟音の震動が御前山の体を揺り動かし、金縛りのままたたらを踏む具合によろけた。
三打、四打……五打目。ぐわん、ぐわんと鳴り響く御前山の体から、突然、音が消えた。幽《かす》かな余韻だけが残った。御前山は、はじめて蹲踞の姿勢をとった。すぐに両掌を下ろす仕切りの姿勢に移った。体が自然と楽に動く。不思議な気持ちだった。
体のなかで、鐘の余韻がぐおん、ぐおんと小さく鳴りつづけていた。余韻は足裏から砂利を敷いた鐘楼の地面に抜けていった。余韻が、御前山の体と地面を一体化する感じであった。御前山の足裏が躙《にじ》り具合になり、足もとの砂利がはじけ飛んだ。
鐘の音が轟いた。と同時に、御前山の体はさっと前進していた。鐘が鳴るより早くもなく遅くもないタイミングだった。御前山が進んだ跡が、砂利を分けて二本の直線を描いていた。完全な擦り足である。
御前山は、住職が撞いている撞木が、釣り鐘に当たる瞬間を、無意識のうちに感じとっていたのだ。撞木が釣り鐘に当たった瞬間に音の火花が散る。その火花と同時に、御前山は仕切りの姿勢からたち上がって前進した。
鐘と撞木の間《あい》に、御前山の体が前進したのである。前進した御前山の体は、腰の割れた安定した体勢で、住職の胸もとへ、ぴたりと吸いつくようにして止まっていた。
「後の先かな」
住職が聞いた。御前山が自分を納得さすようにうなずいた。
五日目、元旦の晩は、興奮と不安の入りまじる気持ちだった。釣り鐘の空洞の下に蹲踞をし、轟音を受けたら、前夜に会得した後の先の勘どころが、微塵《みじん》に打ち砕かれるのではないかと心配だった。
蹲踞から仕切りの姿勢に移った。両手を下ろし前方を睨む。体に幽かな鐘の余韻が広がっていた。それは釣り鐘の音から受けたものではなかった。御前山自身の体から生まれた響きであった。余韻は足裏から地面へ通じていった。足もとの砂利がはじけて飛んだ。躙《にじ》り足になっていた。不安が消えた。
御前山の気持ちは、澄み切っていた。体に力が漲《みなぎ》った。吐く息吸う息に乱れがない。
御前山がさっと立っていった。釣り鐘は鳴ったが、それは意識の外だった。擦り足が砂利をわけ、二すじの直線が描かれた。御前山の体は、低い体勢で住職の胸もとへ吸いついていた。
二打目の轟音も、御前山は意識の外に聞いた。頭のなかへ侵入してこなかった。御前山自身の体が生む余韻が、撞木の打ち込まれる瞬間に反応し、自然と立ち合い前進していった。
暮れ六つ六打とも、寸分違わぬタイミングで立ち上がることができた。御前山は、立ち合いにおける後の先を会得したのだ。
御前山は、撞き終わった釣り鐘の下にもどり、蹲踞の姿勢で瞑目《めいもく》した。自分の体が発する余韻に恍惚《こうこつ》となった。釣り鐘が国技館の吊り屋根に感じられた。
七
幕下の土俵に上がった御前山は、七戦全勝し、三者による同点決勝戦で、相手力士を一蹴《いつしゆう》、幕下優勝を決めた。翌場所は十両にカムバックした。十両を二場所で通過した。優勝(十四勝一敗)と優勝に準ずる成績(十三勝二敗)だった。
御前山は土俵に上がって仕切り直しを繰り返すうちに、体のなかに、ぐおん、ぐおんという余韻のようなものが生じるのだった。ぐおん、ぐおんの低音は、制限時間いっぱいの仕切りになると、御前山の体ぜんたいを満たした。体が鳴り響いた。体のなかに起こる響きと呼吸の波長がぴたりと合った。それはちょうど、余韻を内包する釣り鐘が、撞木の打ち込みを待つ状態に似ていた。
相手力士が立ってくる。彼は先に打ち込む撞木だった。御前山がそれを受けて立つ。我は余韻を内包し、力を漲らせる釣り鐘であった。気力の充満した釣り鐘は、僅かに揺れる動きで撞木の突きを受けると、双方は同時に異なる音を発する。間が鳴るのだが、確かな音を発するのは釣り鐘である。鐘の音は後の先≠セ。
受けて立つと見える御前山は、出あし鋭く前進し、両者が当たり合った瞬間には、御前山の体勢が、絶対有利の鳴り響きを発した。
当たったときの体勢が低いのである。腰がよく割れて、重心が低い。この体勢から攻めると、相手は体を押し上げられる格好で上体が伸びてしまう。後退を余儀なくされる。御前山の重心が低いために、投げも叩きも打棄《うつちや》ることもできずに土俵を割った。
こうして、後の先の立ち合いで取る御前山の相撲にも、取りこぼしの失敗はあった。勢いが余っての勇み足である。擦り足で出ていっても、勢いがついていると、足裏は土俵を擦って踏み越した。相手の足が土俵内に残っていた場合、踏み越しは勇み足として敗けとなる。
後の先を会得した天才力士だが、勇み足での取りこぼしはあった。天才といえども完璧はあり得ない。それが相撲の面白さであり、勝負の微妙さでもある。
再入幕の場所は十二勝三敗で、敢闘、技能の二賞を受賞した。次の場所は横綱、大関と対戦して、一横綱二大関を破り、殊勲賞と、技能賞を獲得した。成績は十三勝二敗だった。二つの取りこぼしがあったのだ。
この場所が終了した直後に、若者頭が笛吹親方のところに、御前山のことで相談にきた。それは部屋で盗難事件が起きるということだった。
「物がなくなります。金もなくなります。注意をしていたのですが、どうやら御前山の仕わざの気がします。誰も手もとを見てはいませんが、長年相撲部屋の指導をしているわたしの勘です」
若者頭が言うと、笛吹親方はなにか言いかけたが止めて、長い顔を左右に動かした。憮然《ぶぜん》とした表情だった。たいして驚いた様子もなかった。
「親方に相談ですが、御前山の留守のときに、部屋を点検することはできませんか」
若者頭に言われて、笛吹親方は考え込んだ。
「このまま放っておいて、次々と盗難が起きた場合、部屋の空気がおかしくなります」
「よしわかった。それではワシも立ち合うから、あれのいないときに調べてみよう。他の者にも気《け》どられないようにやってみよう」
二人が御前山の留守を見計らい、個室を点検すると、盗品と思われる金品が、机の引出しに無雑作に投げ込まれているのが見つかった。
笛吹親方はそれを若者頭に預け、
「御前山には取り出したことを黙っていろ。それから、盗まれた者を調べて返すこと。その場合、御前山の部屋から出てきたことを言ってはならない。部屋を整理していたら見つかったと、出どころはぼかしておけ。御前山の仕わざと知られたら、せっかくの天才力士も、土俵の外で負けてしまう。この問題は、ワシとお前だけの肚《はら》へおさめておくことにするからいいな」
と念を押した。笛吹親方は、御前山を呼んで注意をすべきかどうか悩んだ。御前山の盗癖については、予備知識を持っている。御前山をスカウトしたとき、祖母から聞いていた。盗み癖は持病のようなもので、完全な処方|箋《せん》はないのである。
「内部処理で済ませるよりないな」
笛吹親方の顔に困惑の表情が浮かんで消えた。
相撲に入ってからは、御前山の盗癖は影を潜めていた。相撲の生活が充実していたためだった。どんどん出世をしていき、張り合いがあった。生き甲斐を感じた。後の先を会得したと思った。人気力士になり騒がれて充実した日々がつづいた。盗癖という持病が顔を出す暇がなかった。
女性問題が起き、立ち合いの調子を崩してしまうと、いままで会得したと思ったものが、実は自得したものではなくて、持って生まれた資質に頼っていたことがわかった。
御前山はあわてた。必死になった。釣り鐘の下にいて仕切りをし、鐘と撞木の間が鳴る瞬間を、後の先と共通すると思い、故郷の寺の住職に頼んで実践した。それは特殊な発想であった。奇異な試みだった。常人の思いつくことではない。天才なればこその行動といえる。
御前山は、後の先を自得して、土俵へ上がり、立ち合いはそのとおりのものだった。
しかし神様にも手違いはある。天才といえども金甌無欠《きんおうむけつ》ではなかった。勝負には十にひとつくらいの、不測の陥穽《かんせい》というものがある。後の先で立ち合っても敗北を喫するときがあった。そんなとき、御前山は苛立つのだった。そして、入門以来眠っていた盗癖が頭をもたげた。密《ひそ》かに盗み取ると、不思議に苛苛《いらいら》が消え、落ち着いた気分になるのだった。
うちうちで済ませられる盗癖ならば……と笛吹親方がひと安心していると、御前山は盗み癖を勝った時にも、しかも外でも起こしたのである。それは十五戦全勝の成績で優勝し、大関昇進が一〇〇パーセント確実となった場所直後のことである。
それにしても、千秋楽の優勝決定戦で見せた御前山の相撲は、素晴しいものだった。目の覚めるような相撲振りとは、これを置いてはないと思われるものだった。
全勝同士の対戦となった。御前山の相手は、東の正横綱岩殿山である。岩殿山は山梨県大月市にある山で、武田信玄の出城跡である。桂川に沿って岩肌をむき出し屹然《きつぜん》とした山だ。岩殿山は大月で生まれたので、出身地の山を四股名《しこな》としたのである。
岩殿山は金剛力士の異名を持つ筋骨逞しい横綱だった。一八一センチ、一五六キロで、色浅黒く精悍《せいかん》な顔をしていた。丸太ん棒のような腕は毛むくじゃらで、突っ張りを得意とした。右上手を取ると、力まかせに打つ上手投げに威力があった。腿には針金のような毛が密生していた。
御前山の身長は一八七センチである。体重は一四五キロだった。身長は御前山が上だが、体重は岩殿山が一〇キロ多い。御前山は色白である。肩の筋肉が盛り上がり、もっこりとした体つきをしている。突兀崛起《とつこつくつき》する感じの岩殿山と、雄大な山容を思わす御前山は、剛と柔の好対照だった。
御前山と岩殿山は、過去二回対戦していた。成績は一勝一敗である。一回目は先先場所で、このときは御前山が負けた。後の先で立ち合ったつもりだったが、タイミングがはずれた。相手が強豪横綱であるのを意識しすぎたのだ。上手を取られ、強引な上手投げに屈した。二回目の対戦はうまく立ち合って、一気に攻めて勝った。このときは岩殿山が高熱を出し、無理をして土俵をつとめていた。岩殿山は翌日から休場している。
今場所の岩殿山は、体調を整えての出場だった。初日から破竹の勢いで勝ち進んできた。御前山も当たるべからざる勢いで白星を重ねてきた。両者の決戦に相撲ファンは興奮した。どちらが勝っても負けても、決しておかしくない大一番だった。
御前山の体は、仕切り直しごとに余韻が高潮していた。体に生じるぐおん、ぐおんという鳴り響きが、呼吸と調和して、リズミカルな波長となった。それは後の先に立ち合う秒読みの役目を果たすものでもある。
御前山は勝利を確信した。岩殿山が繰り出す突きは、釣り鐘を撞く撞木である。余韻の鳴り響きに充実する御前山の体は、岩殿山の突きを受ければ、瞬時にそれをはねのける間《あい》の轟音を発する。
御前山と岩殿山が、最後の仕切りに入った。場内を揺がしていた声援と喚声がぴたりと止んだ。嵐の前の静けさである。行司が腰を落とした姿勢で、両者の中間位置に軍配を返している。仕切り線に緊張が凝縮した瞬間、光芒一閃《こうぼういつせん》の殺気が走った。
「ハッキヨイ」
行司の甲高《かんだか》い声が谺《こだま》した。一瞬早く立った岩殿山が、猛烈な突っ張りを見せた。低く立って前進した御前山の左顔面に、岩殿山の突きが入った。御前山の顔が大きく傾いたが、次の瞬間は、脇を固めた御前山の体が、岩殿山の体を下から上に、がっしりと受け取めていた。電光石火の踏み込みである。後の先がぴたりと決まった立ち合いだった。
浅く両まわしを取った御前山の体は、肩から腰にかけて四角形になっていた。文字どおり角力である。一八七センチの長身の腰が割れて、重心を低くした体勢は、臼《うす》が取りついたようであった。岩殿山は御前山に懐へ入られ、上体が伸びてしまった。両手を伸ばして両上手まわしをつかんだが、引きつける力も出せず、吊り上げるのも無理だった。
御前山が両足を躙《にじ》って出た。出ながら拝み取りした前まわしを、ぐいぐいと絞り上げた。岩殿山の腰が浮いて、ずるずると後退していった。絶対有利の体勢になった御前山は、勢いを溜めながら攻めた。御前山の体はいよいよ四角形になった。
岩殿山は、ブルドーザーに押し出されるようにして土俵を割った。非の打ちどころのない御前山の攻めだった。理に適い型にはまった理想の取口である。御前山は大関昇進を確実にした。大関昇進は場所後三日目の番付編成会議で決定する。
御前山の大関昇進が確実となった笛吹部屋の、千秋楽打ち上げ式は盛況だった。
翌日は、笛吹親方と御前山が、後援者に挨拶めぐりをした。このときに盗癖が出たのである。
あるところでは、後援者が出てくるのを待つ応接間で、そこにあったダンヒルのライターに手が出た。御前山は煙草を吸わない。笛吹親方が制したのだが、御前山の手は素早かった。人間は意識外の動作をすることがあるが、御前山の手の出し様はそれに似ていた。しかも電光石火、飛鳥のような速さだった。ライターを懐に入れたところへ、お手伝いさんがウイスキーセットを運んできたので、そのままになってしまった。
ある家では、通された部屋で歓談中、後援者が用事で立った際に、テーブルの上に置いてある、金張りのシャープペンシルに手を出した。これは注意していた笛吹親方の手が伸び、御前山の手の甲を叩いてことなきを得た。御前山は手を引っ込めたが、苛立つ表情を見せた。
六カ所の後援者めぐりをしたが、ゆく先々で盗癖を発揮した。
親方は不気味さを感じた。いままでひそんでいたものが、一気にふき出した感じであった。
帰途に笛吹親方が注意をした。
「大関になる者が、後援者の家のものを盗むようでは困るな」
そういうと、
「これは手癖だからどうしようもないです」
と御前山は悪びれもせずに答えた。
「苛苛すると、気がつかないうちに手が出ます。こいつを切り取ってしまわないと治りません」
そう言って、両手をぶらぶら振って見せた。御前山は無意識に動く手をどうすることもできないのだった。
なぜ自分にはこういう癖があるのだろう。前世の因縁なのだろうか。そう思うと苛立ちはいよいよ増し、盗み癖はますます強くなっていく気がした。
「なんで苛苛するのだ」
笛吹親方が聞くと、
「大関昇進は苛苛します」
と答えた。行事が増えるので、それで気持ちが苛立っているのだろう、と笛吹親方は思った。それにしても、盗癖が外部に向かうのは困ったことである。
翌日、後援者の一人が、近くで会合があったからといって笛吹部屋に立ち寄った。近所の酒屋から手土産の酒とウイスキーが届けられた。歓談をしているうちに、後援者が急に話題を変えて、応接間に置いてあったスイス製の高級腕時計が紛失した話をした。
「ほんのちょっとの間でね。泥棒が入った形跡もないし、うちは女房と二人暮らしだし、実に不思議でなりません」
「お客さんはワシらのほかにきませんでしたか」
笛吹親方が聞いた。時計が紛失したと聞いたときに、笛吹親方は御前山の盗癖を思った。他に来客はなかったかを聞いたのも、それに関連して出たことばだった。来客は夜にあったが、そのときは既に時計はなかったと後援者は答えた。
「そうしますと、時計がなくなったのは、ワシらがお伺いした時間ということになりますか」
笛吹親方が言うと、後援者はあわてて、
「そういうことではありません。不思議なのでつい話をしただけです。どこからか出てくるでしょう。僕の勘違いということもあります」
と言った。後援者が御前山を一時間ほど連れ出したいというので承諾した。御前山が外出した留守に個室を調べた。机の引出しにその時計はあった。いつ掠《かす》め取ったのか笛吹親方にもわからなかった。時計を持ち出して、はいありましたと相手に渡すわけにはいかなかった。そんなことをしたら、いっぺんに信用を失ってしまう。盗癖が内に引っ込まないで、このまま外にも向かったら、えらいことになる。笛吹親方は不安でならなかった。
大関昇進が決定し、電話でその旨が伝えられた。使者を迎える準備を促すためである。
内通を受けて間もなく、御前山の意志として、大関昇進を辞退する旨の折り返し電話があった。協会幹部は耳を疑い仰天した。
御前山処断の強硬意見が理事会の大勢を制した。師匠の笛吹親方が、自分の責任で御前山の処分を行うことで、決着をつけた。笛吹親方は急ぎ部屋にもどった。御前山に自分の意志を伝え、その上で廃業届を提出するつもりであった。部屋へ帰ってみると、御前山の姿は消えていた。みずから廃業してしまったのだ。
御前山と問答をした記者が笛吹親方を取り囲み、御前山が残していったことばを伝えた。感想を聞いた。
「あれは天才だからな。常人にはない考えを持っているのだろう。こればかりは師匠のワシもどうにもならないことです。諦めるよりないでしょう」
と笛吹親方は答えた。
「天才は雲であるか。流れる雲ですか」
記者の一人が、啄木のことばを真似《まね》て言った。
「御前山という天才力士がいなくなって、大相撲は大きな財産を失いましたね」
ということばに、笛吹親方は、そんなことはありませんと答えた。なぜかという質問には、次のように言った。
「大相撲の財産としての力士は、はいはいと言うことを聞く者でないと駄目です。大関にするというのを嫌だといって断わる御前山では、客は呼べても運営上はお荷物でしょう。御前山はなるようになっただけです。ワシも諦めがつきました」
さばさばした感じの答え方だった。
八
数日後、笛吹部屋で、親方と曾我興一が酒を酌み交していた。
曾我は定年になった相撲記者で、笛吹親方とは幕下時代からのつきあいだった。なんでも話せる間柄である。
「だいぶ御無沙汰をしたが、元気でなによりだ。ところで御前山はいい相撲取だったが……惜しいことをしたね」
親方は静かにうなずいた。
「親方は御前山のことで、なにかを隠しているね」
曾我が探るような目で親方を見つめた。ほう、といった表情を親方はした。
「わかるかね」
「わかるさ、長い付き合いだもの。だいたい部屋の米櫃《こめびつ》だった力士が唐突《とうとつ》に常識では考えられない廃《や》め方をしたというのに、親方の顔をみているとさばさばしているもの」
「………」
「御前山には、ずっと前から人の知らないなにかがあった、天才特有の暗い秘密といったものが。本人や親方の名誉にかかわることでしたら、強《し》いて聞かないけど」
「さすがあんただ。あんたならなにか気がつくだろうと思っていた。実は今日はあんたにそのことを話そうと来てもらったわけなんだ。あんたに話してもう御前山のことをきれいさっぱり忘れようと考えてね」
「うむ」
「御前山の相撲をみていて、あんたは誰かを思い浮かべなかったかね。わたしはどうして誰もそのことを言わないのか、ずっと不思議でならなかったんだ」
曾我が、なにかなという風に首をかしげた。
「だいぶ前のことだから、世間ではすっかり忘れられてしまったが、あんたはおぼえているだろう、彗星のように現われて、あっという間に不名誉なことをしでかして消えていってしまった相模川《さがみがわ》という相撲取りを」
「あ……そういうことか」
「うん、ワシがあれをはじめて見たとき、どこかで会っているような気がしたんだ。すぐに気がついたんだ。顔つきやからだつきは似てないが、なにかこう相模川とおなじ匂いをもっているということを」
「なるほど、御前山は相模川か」
「相模川という相撲取はね、あんたも知ってのとおり神奈川県寒川の出身で、ワシが引退する頃に幕へ上がってきた。そのときワシと相模川は中日《なかび》に顔が合った。ワシのほうが一瞬早く立って有利と思ったが、ぶつかったときは相模川に懐へ入られた格好になっていた。ワシは当たりを止められ、前まわしを拝み取りにされて、一気に寄り切られてしまった。ワシはもう年をとっていたから、この場所を最後に引退した。相模川は天才力士だったね。姿もよかった。着流しで歩くところなどは、任侠《にんきよう》映画の主役を見るようだった。ただ彼は天才にありがちの気まぐれでね。自由に振る舞いたい性《たち》だった。稽古もあまりしなかった。それでいて、型にぴたりとはまる相撲を取った。上背のあるスマートな体形だったが、立ち合ってまわしを取ったときの体勢は、カチッと決まって四角張っていたね。体つきはずいぶんちがうのだが、御前山の四つの形と似てないかね」
「……いわれてみれば、本当にそうだな。親方のいうように、どうして誰もそのことに気がつかなかったのかな」
「型にはまったいい相撲を取った相模川だったが、相撲社会という組織にいるには欠陥があった。親方の言うことをきかなかった。兄弟子を無視した。盗み癖があった」
「うん」
「それも銭や品物だけではない。一盗二婢三妻というが、相模川は一盗、つまり人妻さえ盗んだ」
「そうだった。相撲は天才だが、人間的にはどうしようもない男だった。彼は部屋付き親方の女房と関係をもった。大関の奥さんとも深い仲になった。これがわかってしまって、結局は破門になったのだ。借金も相当なものだった。当時は大変なスキャンダルとして騒がれたが、人の噂も七十五日で、間もなく忘れられた。その後何年かして、心臓発作で死んだと聞いたが」
「ひどく落ちぶれてね」
「相模川には家族がいたのだろうか」
「男の子がいたという話を聞いたことがある」
「……まさか、それが御前山というのではないだろうな」
「第一、顔も体つきも似てない。そうでなければ、誰かが御前山を見て相模川を思い出してると思う。だけどね、御前山は、じつは捨て子同然の身の上で、親がわからないのだ。調べてみればなにかわかるかもしれないが、ワシにはその気がなかった……いや、なかったというと嘘になるかな」
「調べるのが恐かった」
「……とにかく、盗み癖があるといっても、この世界で上位にいけば自然に影をひそめると思ったのだが、結局ダメだった。本人も自分がどうにもならなくて、それでやめていったんだ」
「そういうことだったのか」
「天才型の人間は、組織のなかへ持ってくると、こちらの思いどおりにはいかないもんだ。そのことは最初から多少覚悟はしていたがね」
「やはり野に置け蓮華草ですか」
「蓮華草などよりみごとな大輪の花だったが……。だいたい中学生で後の先をきわめたいと考えること自体がふつうではなかったんだ」
そう言って笑った笛吹親方の長い顔は、屈託がない。曾我がしみじみとした顔でうなずいた。
笛吹親方は目をつむった。瞼《まぶた》のなかに天才力士が残していった、後の先の電光石火の立ち合いを思い浮かべていた。御前山の白い体が、一瞬の光芒となって走った。
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蛇《じや》の目《め》の柝《き》
荒木田《あらぎだ》の伝さん≠ニいわれて、土俵をつくらせたら当代随一の呼出し伝吉が急死し、天涯孤独のために、遺骨が回向院《えこういん》に預けられたのは、昭和五十年四月半ばのことであった。
相撲年寄も呼出したちも、伝吉の葬儀には冷淡で、形どおり、お義理のことしかしなかった。
多年、大相撲の下積みを働き、土俵づくりでは超一流の腕前と見識を有した伝吉が、死後を弊履《へいり》の如くに扱われた事情は、おいおい述べる。
寺に預けられた伝吉の遺骨は、四十九日を迎えると、寺内にある無縁の墓へ埋骨されることになっていた。
場所のはじまる五日前のこと。蔵前の相撲協会事務所に、回向院から伝吉の遺骨について通報があった。
預っていた骨壺《こつつぼ》が紛失したという。
「なに、奴《やつこ》の骨が消え失せた。そういうことは、呼出しのほうへいってくれ」
在京理事がそういい、知らせをうけた呼出しの頭株である儀助は、眉間へたて皺を寄せる表情を見せたが、愁眉《しゆうび》はゼスチャーだけであった。
寺から所轄署に届けがあったが、届け出るほうも受けつける側も、事務手続きの義務を果たすだけのつもりらしく、遺骨は行方不明のままだった。
一
昭和五十四年の九月場所を三日後に控えた蔵前国技館では、仕事師風に身ごしらえをした呼出しが、土俵へ取りついて、最後の仕上げに余念がない。
死んだ伝吉にかわって、土俵づくりの責任者になっている儀助は、つい先程、職員が呼びにきて事務所へいった。
速夫《はやお》は、儀助がいないとほっとする。
猫背で目つきの悪い儀助は、なにかにつけて速夫をいびるのだ。
師匠の伝吉が生きているときは、まだ遠慮があったのだが、死んでからは、目の仇《かたき》にして些細《ささい》なことにも目くじら立てて文句をいう。
叱ることばのなかに、
「呼出しの分際で、学問などしやあがるから、頭でっかちの生意気野郎になる」
というのが、必ず出てくる。
速夫は中学しか出ていないが、書物が好きである。相撲博物館へは暇をみつけて足を運ぶし、図書館にもいく。そうした勉強を、儀助は嫌がるのである。
「おーい。速夫」
もどってきた儀助が、正面左手の花道のところで呼んだ。
「はい」
|かき《ヽヽ》で土俵の土端《どは》を均《な》らしていた速夫が、不安気な顔を上げた。
「仕事はいいから、ちょっとこい」
儀助のあとについていくと、相撲博物館の入り口に、白いブラウスに紺のタイトスカートをはいた、若い女性が立っていた。
「あそこにいるお嬢さんだが、正風親方のタニマチの娘さんだ。呼出しに聞きたいことがあるそうだ。理屈はお前が一番だから、知っていることは教えてやれ。そのかわりちょっかいなんぞ出すんではないぞ。相手は、大事なお客さんの娘さんだからな」
儀助は歩きながら、小声で、しかもネチネチといった。
娘は湯浅順子と名乗った。
清潔な服装で、目のパッチリした顔の、白い頬が匂うようで、速夫はどぎまぎした。
「博物館のなかでお話をうかがいましょうかしら」
そういう声は、優しくやわらかく、風に飛んでいきそうな感じである。
二階の陳列室には、和服の老人が一人、陳列ケースをのぞき込んでいるだけで、他に見学者はいなかった。
速夫は自分の服装を考え、場違いなところにいると思い落着かなかった。泥のついた地下足袋の足もとは、安定を欠いた。美しい娘の前へ引き出されて、辱《はずか》しめられている気がした。
「あの……ご用件というのは」
「土俵についておたずねしたいのです」
「たいがいのことは、博物館の資料で、おわかりになると思いますが」
「資料や文献にないものを知りたいのです」
「………」
「卒論にね。お相撲の土俵史を書くことにして、資料その他で歴史は調べたのです。夏休みに書き上げて、担当の講師に読んでもらいました。そうしたら、よく調べてあるけど、発見がない論文といわれたのです。平板で突っ込みが足りないということです。それで土俵づくりの専門家の方に、土俵研究の盲点みたいなものがあったら、お聞きしたいと思ったのです」
「盲点ですか」
「土俵についていわれてきたことで、見方を変えると全然違うといったことがあれば、卒論につけ加えようと思うのです」
「急にいわれてもね」
「もし気がつかれたら、知らせていただけませんか」
「はい。わかりました」
「連絡は、わたくしの家に下さい。電話番号を書いておきます」
「それは、ちょっと」
「………」
湯浅順子は不思議そうに速夫の顔をのぞき込んだ。
「儀助さんを通してお知らせします。それがすじですから」
相手は、速夫のいっている意味を、よく汲みとれない様子だった。無理からぬことで、速夫の些細な行為にも、すぐに難くせをつける儀助のことなど、部外者にわかる筈はない。
場所がはじまる日の朝早く、速夫はアパートの自室の押入れから、鬱金《うこん》の布に包んだ。柝《き》≠取り出して、机の上に置いた。
この拍子木は、師匠の伝吉が愛用したもので、音色の良さは天下一品といわれたものである。
伝吉がまだ幕下格だった頃、兵庫県竜野市の巡業先で求めたという。火の番に使っていたもので、ある醤油《しようゆ》屋の納屋に放置されていたのを、ふと目をつけて譲り受けてきた。煤《すす》を払い落し、空拭《からぶ》きで磨き上げると、棚雲のような木目が見えてきた。材質は桜だった。
音色はやわらかく、澄んでいてよく透った。芝居の小道具を扱う店にもっていって見てもらうと、これは樹齢百年を越した桜の、芯《しん》の部分の赤身のところからとったものだろう、という鑑定を得た。
「落語の火焔《かえん》太鼓のような掘り出しものですね」
店主にそういわれたときから、竜野で求めた拍子木は伝吉の宝になった。伝吉はこの逸品を大切にしまっておき、後年、立て呼出しに出世したとき、はじめて使った。それも土俵祭りの日と、千秋楽のときにしか打たなかった。
それほど大事にした品が、速夫の手にあるのは、伝吉の遺言による。
遺品として与えられた柝≠ノは、
「行司は目なり、呼出しは耳。心すべし」
と書いた紙片が添えられている。
これは伝吉の自戒のことばだった。
「呼出しという仕事は、相撲取りや行司のように、目立ってはいけない。どちらかといえばひと目につかないくらいのほうがいい。澄んだ音のような存在が理想的です。太鼓を打つのも、柝を鳴らすのも、呼び上げも、みなそういう気持ちでやって、はじめて呼出しの存在意義が出てくる。土俵を築くにも、俺の作ったのはたいしたものだろう……といった自慢気があっては、心のこもった相撲場はつくれません。耳を澄まして、土俵になる土の声を聞くのです」
そういって、巡業地で寸暇を惜しみ、速夫を連れてその土地の窯元《かまもと》を訪ねてよい土を探したりする伝吉だった。
速夫は、師の教えを忘れないようにと、場所の初日に必ず取り出して、棚雲の木目が浮く遺品の柝を拝み、ひととき念ずるのを習わしとしている。
いつの日にか、この柝を鳴らして、土俵祭りの進行をつとめたい。そういう願いもこめて、じっと遺品を見つめるのである。
柝の手もとには、環の文様の焼判が押してある。竜野の醤油屋の家紋だろう。
いつもはそのまま柝をしまい込み、ほかのことに取りかかるのであるが、この日の朝にかぎって、速夫は家紋ということに心をとめた。
「この家紋は、なんと呼ぶのだろう」
そう思ったのだ。
速夫は紋章の出ている辞典を調べた。徳川の葵《あおい》の紋や、武田勝頼の割菱《わりびし》の紋章にまじって、環の紋が出ていた。
蛇の目≠ニ呼び名が出ている。
「すると……この柝は、蛇の目印の柝ということだ」
そういってから、速夫は、
「待てよ」
と思った。|蛇の目《ヽヽヽ》ということばがひっかかった。相撲用語に蛇の目の砂≠ニいうのがある。力士の踏み越し跡を確認するために、俵の外側に置く砂のことだ。蛇の目の砂については、次のように説明されている。
「土俵が二重だったときに、間へ砂を敷いて踏み越しを確認した。二重の間に砂を敷いた形が、蛇の目傘に似ていたので蛇の目の砂≠ニ呼ぶ」
「二重土俵の内側の俵が取りはずされ、土俵が一重になってからは、砂を俵の外側へ移した。現在それも蛇の目の砂と呼ぶのは、二重土俵当時の名残りである」
蛇の目の紋章と蛇の目の砂。
二つ並べて速夫は考え込んだ。蛇の目ということばの共通点が気にかかる。
辞典を引いてみた。
「蛇の目」という親項目があり、環の文様の俗称と出ている。またはその形の紋様の名と記されていた。環の文様は、大蛇の目を意匠化したものだという。
では……相撲用語の「蛇の目の砂」とはなんだろう。
それは出ていないが、蛇の目の追込項目に――(蛇の目)蝶、――(蛇の目)傘などが表記されている。これでみると蛇の目傘≠ヘ、蛇の目と傘との複合語だ。
とすれば、蛇の目の砂≠焉A蛇の目(文様)と砂との複合語と解釈するのが正しいのではないだろうか。
土俵が二重丸だった当時つけられた蛇の目の砂≠ニいう呼び名は、形が蛇の目傘に似ているためではなくて、蛇の目という環文様の間に置いた砂だから、そういったのだろう。
「二重土俵の間に置いた砂が、蛇の目傘に似ているので云々」
というのは、説明の孫引きになっている。
「蛇の目の砂は、蛇の目と砂の複合語なのだ」
速夫は自分の発見に満足だった。師匠の形見の拆にある焼判の環は、蛇の目文様を家紋にした家の所有だったに違いない。
速夫は、新解釈のヒントを与えてくれた遺品に合掌した。
場所入りして、このことを早速儀助に告げた。儀助は、速夫のこの説明を半分も聞かないうちに、頭を抱えてしまった。
「そんなややこしいことを、俺がなかつぎできるかい。故事来歴がどうだろうと、関係ない。お前が手紙を出すなりして、先様に知らせてやったらいいだろう」
と、口をひん曲げ、そっぽをむいた。
儀助にいわれたとおり、速夫は湯浅順子の住所を聞いて、手紙を書いた。
折り返しきた順子の手紙には、
「新しい解釈をお示し下さって、ありがとうございます。場所中はご多忙のことと思いますので、場所後の時間が空いたとき、いちど御礼を申し上げたいと思います」
と書いてあった。速夫はその手紙を手にして、妙に心がときめくのを覚えた。
二十五歳になる速夫に、女の経験がなくはなかったが、相手は気まぐれに通り過ぎるネオン街の女である。心にまで残るということはない。
順子という女子大生は、呼出し稼業の彼にとり、別の世界の高嶺《たかね》の花に違いなかったが、自分の発見を伝えたということで、淡い慕情を抱いた。
場所を通じて、行司差し違いの相撲が、幕内の取組に五番あった。
いずれも土俵際にもつれた相撲で、判定の決め手は蛇の目の砂≠ノついた足跡だったから、中継放送は、蛇の目の砂の説明をそのたびに行った。
「二重土俵の間に砂を敷いて、踏み越した足跡を見易くした形が、蛇の目傘に似ていたので」といういつもの説明が繰り返された。
その解説を耳にするたび、速夫は人知れず心を昂《たか》ぶらせていた。順子という女子大生が、その解説を聞いていたら、やはり同じ思いだろう。速夫は順子から連絡のあるのを心待ちし、土俵について、もっと新しい発見はないだろうかと、腕組みして考えるようになっていた。
二
速夫は思いつめる性《たち》である。
蛇の目の砂の新解釈で感謝されたのだから、もうひとつ、相手が驚くようなことを考えて、知らせてあげたいと思った。
速夫は、順子からきた手紙を机の上に置き、考えをまとめていた。
ヒントはやはり蛇の目の砂≠ノ関連している。
「昭和六年四月二十九日の天長節天覧相撲を機に、いままで二重であった土俵が、一重に改められた。即ち内側の俵を取り除き、外側を残し、二重の間にあった蛇の目の砂は、外側の土俵の外へ移し」
という記録は、相撲史をつたえる書物の、至るところに散見される。
そして、内側の俵を取りはずしたために、土俵が広く大きくなり、力士の動きが速くなり、技の変化も著しくなった、という説明が、申し合わせたようになされている。
それらのことを思い返していて、速夫の思考が一点へ釘づけになったのだ。
「なぜ二重土俵だったのだろう」
昭和六年以降、大相撲の土俵は二重丸から一重丸になった……という経緯は、記録であるからそれはそれでいい。
問題は、一重丸になっても、なんら不都合を覚えないものが、二重丸だったのはなぜかだ。
土俵が二重であったことには、それなりの存在理由がなければなるまい。それとも必然性などなかったのだろうか。
そこのところを知りたくて、速夫は土俵に関する記述を、手の届く限り目を通してみたが、疑問にこたえてくれるものは見つからなかった。
速夫は、土俵に関する相撲絵の蒐集《しゆうしゆう》品を、もういちど丹念に検討した。それらは印刷物から切り抜いてスクラップブックに貼ったものだが、長年かかってこつこつ溜《た》めただけあり、貴重な資料になっている。
相撲絵に描かれている土俵は、時代を越えて、さまざまな形のものが錯綜《さくそう》していた。
それら煩雑な区分にはいちおう目をつむり、大別すると、平地に土俵が直接へばりつく直《じか》土俵≠ニ、土俵が地面から一段高くなっている土盛《つちも》り土俵≠ニになる。
直土俵は円形が主であるが、四角形のものも稀に見られた。そして……土俵はだいたい一重である。二重に見られる四角土俵は、井原西鶴の「本朝二十不孝」の挿絵に出ているが、二個の俵がくっつけて並べられ四角形になっているものであるから、正確には一重だろう。
問題は土俵が高くなった土盛り土俵だ。この形は江戸中期頃より見え出している。
勧進《かんじん》相撲の時代に入って、相撲が観客を集める景物になるのと時期を同じくして、土俵は平地から一段高いところに築かれるようになっている。それも一重土俵のまま、地上から盛り上がっている。
そして一重丸土盛り土俵の外側に、四隅を形成した四本柱が見えるが、これは節会《せちえ》相撲の故実が踏襲されたものと考えられた。松翁・二十代木村庄之助の著作にも、
「四本柱を青、黒、赤、白で巻くのは、四門すなわち、青竜、白虎《びやつこ》、朱雀《しゆじやく》、玄武の四神《しじん》をあらわす」
という意味のことが述べられていて、宮中行事の伝統が、四神を祀《まつ》る形で残されているのがわかる。後年、土盛り土俵が正方形を基調に築かれるのは、その辺の事情によるものであろう。
さて肝心の二重土俵の出現だが……徳川後期の天保、弘化、嘉永といった時代の錦絵に見えてくる。だが一重土盛りから二重土盛りに、なぜなってきたかの説明は見当らない。
説明がないとなれば、推理を働かせる以外にない、速夫は次のように考えた。
平地に描いた円形の直土俵が、見物の見易いように、土盛りをして、円形のまま高くなった。
土盛り円形の一重土俵は、相撲を見る側には見通しがよくなり、改革ではあったが、欠陥も生じた。
土俵際でもつれる勝負の判定が、困難になったのである。
円形一重の土俵は、平地に描いた一重である限り、吊りの場合の送り足、寄りのときの踏み越しなど、はっきりと見きわめられるが、土盛り一重土俵になると、土俵の外側に地面はなく、空間があるばかりだから、判定が難しくなる。
その不都合を改善するためには、土盛りした一重の俵の外側へ、送り足を可能とするような、地面の設定を必要とする。そのために……一重の外側へ、もうひとつの囲いをつけ、二重の土俵とし、その間へ足跡判定用の砂を置いた。円形二重丸土俵は、そうした必要性によって誕生した。しかし、昭和六年天長節の天覧相撲を契機として、故実による四角土俵の復活を見たために二重土俵成立の意味を失ってしまった。二重の外側にも地面が設定されれば、内外どちらかの囲いは不要になるのは当然……。
「これに違いない」
速夫は、ようやくまとまった考えを、ノートに記入した。
そして……場所後に、蛇の目の砂の新解釈を知らせてもらった御礼をしたい、といってきた手紙の主を思った。
三
順子から連絡があったので、速夫は儀助にそのことを告げた。
「お嬢さんがそうおっしゃるのなら、お断わりするわけにもいくまい。いくのはいいが、失礼の段があってはならない。早い時間で切り上げてこい。それから……二重土俵がどうしたこうしたの話だがな。先様の勉強のお役に立つのならいいが、そうでもないような、インチキ、トンチキを教えたら、俺が承知をしないぞ。その点は大丈夫なんだろうな」
儀助はくどくどと念を押した。
順子が指定したのは、赤坂のホテルにあるレストランで、晴れがましさと気恥ずかしさで、速夫はこめかみのあたりを痙攣《けいれん》させていた。
順子は先にきて、ロビーで待っていた。
薄紫色のスーツを着た彼女が、速夫の姿を見て椅子を立ったとき、隣りに坐っていた男が、一呼吸おくれて腰を上げた。
速夫は不思議な気がした。男が目礼をしたのだ。
順子は、先だっての礼をのべると、後に立った青年を紹介した。青年は高根といい、順子の婚約者だという。
「順子さんがお世話になったそうで、どうも有難う。僕は相撲に関心がないから、相談にのってやれなかった」
と高根がいった。
「本来ならこの人が協力してくれないといけなかったのです。ですから、きょうはご馳走して下さるのです。うんとおいしいものを食べましょう」
と順子は婚約者の顔を、いたずらっぽく見ていった。速夫は気持ちが凋《しぼ》んでしまった。
「僕が相撲に関心がないからといって、気落ちしないでもらいたいね。僕の父は高根組をやっているから、相撲協会とは関係があります」
「高根さんのお父さんは、高根組の社長をなさっていますのよ」
高根組は相撲協会の建築部門に関わる土建業者である。
本場所の櫓《やぐら》を組んだり、幟《のぼり》を立てたり、館内の営繕を請負っている。関東一円の巡業や、花相撲の資材運搬、相撲場設営も、高根組を通して行われた。組には園芸部門が併設されていて、最近では土俵を築く土も、一手に引き受けている。
頭上に落ちかかるのではないか、と思われる巨大なシャンデリアが吊り下ったレストランで、速夫は招かれざる客の思いがしていた。
順子と高根は、速夫が示した二重土俵に関するレポートを、頬を寄せ合うようにして読み、しきりに頷《うなず》き合っていた。
「推論というものを、僕はあまり好まないが、これはこれで論文に付記する形で利用できるだろうね」
と高根はいい、速夫の苦心を軽く一瞥《いちべつ》する態度だった。
順子は、二重土俵についての速夫の解釈を大いに喜び、
「これだけ突っ込みがあれば、バッチリよ。どうも有難う」
と何度も頭を下げ、そのたびに、薄紫のスーツの襟もとから浮き出る、白くか細いうなじが、速夫の目をうろたえさせた。
会食が終わって別れるとき、高根が背広の内ポケットから、祝儀袋を取り出し、
「では、これをどうぞ」
と速夫の胸もとへ差し出した。
「えっ」
速夫は匕首《あいくち》を突き出された気分だった。
「どうぞお受け取りになって」
と順子がいった。
「儀助さんにもご相談して、差し上げることにしたのですから、ご遠慮なさらないで」
「………」
速夫は返すことばがない。
「君がくれたヒントを、ただ取りするわけにはいかない。こちらは参考資料を買ったという認識なのだからね」
高根が突き飛ばすようなことをいい放った。
速夫は視点を浮かしたまま唇を一文字に結び、固く握りしめた拳《こぶし》を、両腿へ押しつけて、体を硬直させていた。
「こういうことは、相撲社会の常識ではないのかね」
高根は、速夫の内ポケットへ、水引きがぴんと髭《ひげ》を張った袋をねじ込んだ。そうされながら、速夫の体は自由を失ったように、震えて突っ立っているばかりだった。
速夫は、胸を締めつけられる気分で帰ってきた。悪寒《おかん》がともなった。
「呼出しは、目立ってはいけない」
と教えてくれた師匠伝吉のことばが、痛棒のように頭に響いて、その痛みを自戒にして、速夫は鬱屈に耐えた。
儀助のところへ直行し、ことの次第を報告して、
「これは皆さんで使って下さい」
と祝儀袋を差し出した。儀助はふっと鼻を鳴らして、
「そうかい。お前がそういうなら、これは俺が預っておくことにしよう」
祝儀袋を鷲掴《わしづか》みに取り上げた。
「お前の勉強がどんなことか俺は興味がないが、先様に金で買ってもらったのだからな。そこのところを、きちっとしておくことだ。相手がどういう風に利用なさろうと、お前が四の五のいう筋あいではない。わかっているだろうな」
儀助は、速夫の額を睨《にら》み据えていった。
四
速夫は、儀助が冷くするわけを知っている。
それは……師匠の伝吉と儀助の関係に遡《さかのぼ》るのだ。
呼出しの経験も年齢も、儀助のほうが上だったが、格は伝吉が儀助を凌《しの》いだのは理由がある。
儀助は勢力のある親方の腰|巾着《ぎんちやく》になり、札びらを切る客に幇間《ほうかん》同様のことをして顔を売ってきた男である。相撲協会の中枢に近い後援者にも、処世術の阿諛追従《あゆついしよう》で取り入った。
それだけしても、後輩の伝吉を抜くことができなかったのは、技倆《ぎりよう》と見識の差であった。
伝吉は生得律儀な職人風で、真面目いっぽうの人間だった。人間はその職分を弁《わきま》えなくてはいけないといい、また職分に関しては、寝食を忘れるくらい精進をしなくてはならない……と説いた。そして自ら実践し、呼出しの職分である、鳴き(呼上げ)、太鼓、土俵づくりなど、至芸といっていいくらい上達し、その力量は衆目の認めるところであった。
特に土俵づくりは、土の吟味に修練を積み、伝吉の鑑別によらないといい土俵をつくれないとまでいわれた。
評判が高いだけに、伝吉も名人|気質《かたぎ》の凝《こ》りようで、普通半日で済む仕事を、二倍の一日かけてするのは当り前といった具合だったから、それにつき合わされる呼出しのなかには、不満を抱く者も相当数あった。
「呼出しは奴《やつこ》≠ニいうくらいのものだから、親方衆、関取、それにご贔屓《ひいき》様から文句の出ないように気を使うのが、第一番の勤めだ。それなのに伝吉の野郎は、腕を褒められたいばっかりに、調子づいて、やらなくてもいい分の仕事までする」
対抗意識を持つ儀助は、陰で不平分子を煽《あお》った
荒木田と呼ばれる土俵用の土が、道路、住宅、工場団地などの開発で、採取が年ごと困難になっていた。
「採れなければ採れないで仕方がない。黒ボカでも用が足りるのだから、荒木田を血まなこで捜すことはない」
という一部の親方のことばに力を得た儀助が、伝吉に注文をつけたことがある。
「仕事熱心は結構だが、ものごとにはご時勢というものがある。机だってお盆だって、プラスチックで充分間に合う世のなかだ。園芸用の黒ボカで用が足りるなら、そのほうが手間が省けていいのではないか」
儀助の説は、怠け癖のつきはじめている呼出したちの支持を受けた。
場所が近づくと、あちこちを走りまわって、良い質の土を捜す伝吉に、呼出したちの多くは背を向け出している。
巡業地でも、とことん土捜しをしないと、土俵づくりに手をつけない伝吉流儀に、協力の骨惜しみをはじめた。
伝吉の土捜しに従うのは、弟子の速夫だけということも、しばしばあった。
そんなとき、師匠は弟子に極意を教え込もうとするのだった。
伝吉は土を採取する場所へくると、裸足《はだし》になった。土を踏んでじっと立つ。足裏で土の息吹きを聞き取るのだという。土は人間の足へ、声を伝えてくる。人間の体で、土に最も接し易く、長年親しんできたところは足だから、良質の荒木田を得ようとするには、足裏でその土の声を聞くのが大事……と伝吉はいうのであった。
更に掌に掬《すく》って、鼻を近づけ、舌にのせる。
それらは、口頭で伝えるには、いわくいい難いものであるから、伝吉の良しとした土を、速夫に与えて、師匠の行為を反芻《はんすう》させた。すべて体験による教育であるが、速夫が朧気《おぼろげ》ながらその勘どころを会得しかけたときに、反対勢力をバックにした儀助は、呼出しの会合を開き、土俵の土は荒木田を従とし、園芸用の黒ボカを主とするという決議を強行して、それを呼出しの意向として、理事会に提出した。
良い土を捜すのを面倒臭がっていた呼出しの数が圧倒的で、決議に反対したのは、伝吉、速夫の師弟と、もう一人……定年を間近に控えた嘉十郎という老呼出しだけだった。
実力者である在京理事の正風親方が、もともと黒ボカ使用の首唱者だったから、儀助たちの嘆願は、抵抗をうけることなく、理事会の承認事項となったのである。
この一件で、儀助は勢づいた。理事会も自分に味方した……という強気が出て、陰に陽に伝吉の土俵づくりに逆らうようになったのだ。
そのことがあってから、伝吉は急に気力を衰えさせていった。
まだ伝吉の意向が通っていた頃、彼は速夫に述懐したことがある。
「わたしは土俵づくりの仕事が面白くて、夢中になっているうち、いつの間にか五十に手が届く年になってしまった。ひとり身の気易さで、蓄《たくわ》えもしなかった。財産も子も残さない呼出し伝吉だが、心意気だけは、土俵のなかへ残していきたい。わたしを旧弊のわからず屋という者もいるが、主義は絶対に曲げない」
その気組みも、儀助たちの反抗で後退し、痩せ出して顔色がめっきり悪くなったと思ったら、速夫を置いて急ぎ足で逝ってしまったのである。
目の上の瘤《こぶ》がとれた儀助は、ひとり威勢を振るい出した。
伝吉に実力で押えられていた怨《うら》みを、弟子の速夫を粗略にすることで晴らそうとする感じで、些細なことでいちゃもんをつける。伝吉のことを、こと更に悪しざまにいう。
「自分の評判をいいことに、俺たちはいい道具にこき使われた。あれのいた頃に比べると、いまはなにをするにも気楽なものだろう」
呼出しのだれかれをつかまえては、そういった。
伝吉がいなくなった土俵づくりは、いい筈はなかったが、力士たちはすぐに馴《な》れて、だれからも文句は出なかった。
伝吉の弟子の故に、儀助からいわれのない誹《そし》りをうける速夫は、じっとこらえて、いつか師匠愛蔵の蛇の目の柝≠鳴らす機会を待った。
浅草へ足袋を買いにいった帰りに、駒形橋を渡る手前で、速夫は老人に声をかけられた。
昭和五十五年の一月場所が終わった月の末である。霙《みぞれ》が降ってきそうな雲の垂れ込めた寒い日で、声をかけてきた老人が、防寒頭巾をはずすまで、だれだかわからなかった。
「嘉十郎さんでしたか。お元気ですねえ」
「もう年だよ。たいして元気でもない」
前歯の欠けた口を開けて笑った。
「あんたは元気か。伝吉師匠のお骨は、失せてしまってそのままかね」
出し抜けにいわれて、速夫は吐胸《とむね》を突かれる思いになり、
「ええ。まあ……」
と口ごもってしまった。
伝吉の骨壺が回向院へ預けたまま、行方不明になって久しい。
いまでは、名人伝吉の名をいう者は殆んどなく、遺骨の行方を尋ねた人は、元呼出しの嘉十郎老人がはじめてだ。
「わたしもだんだん年をとって、妙に昔が懐かしく思えてきてね。あんたを見かけた途端に、伝吉さんのことを思った。お墓でもあれば、陽気のいい日にお参りができるが、お骨がないと、どうにもならないね」
「はい」
「わたしはね。伝吉さんのお骨を持っていったのは、伝吉さんを煙たがってた連中だと思っていますよ。連中は怠け癖の非人情だから、伝吉さんのお骨を、隅田川へ蹴飛ばして捨てたのだと思いますよ」
「………」
「あんたもそう思うだろう」
「はあ」
「自分に力量のないのを逆怨みをして、骨の髄までいたぶろうという人間は、どこの世界にもいる。悪い奴のお陰で、伝吉さんはいまだに川端をさ迷っているのだろう。お気の毒に」
嘉十郎老人は、ひとまわり小さくなった体を跳ねるようにして、地団駄《じだんだ》を踏んだ。
「あんたは、しっかりしなければいけないよ。あいつらの口を割らせて、伝吉さんのお骨の始末を、ちゃんと聞き糺《ただ》して下さい。隅田川へ捨てたというのなら、捨てた場所へ供養塔を建てればいい。わたしも生きていたら、いくらかのご寄付をさせてもらいます」
嘉十郎老人はそういって、電話番号を教えた。
番号を控える速夫の手もとをのぞき込んできた老人は、
「伝吉さんのお骨を盗み出して捨てたのは、儀助の一味に間違いない。わたしはそう睨んでいます」
と念を押すように言った。
五
速夫は、師匠の形見の蛇の目の柝を、まだ一度も鳴らしたことがない。
アパートの部屋で、密かに軽く打ってみようという誘惑にかられたことがあったけれど、こらえた。意味もなく打つのは、禁を破るような気もした。
「十両格に出世をしたら」
そう心に決して、昇進の機会をじっと待った。
昭和五十五年の五月場所を前に、定年で二人の呼出しが退職した。
辞めたのは十両格で、順送りに速夫の地位も上がるはずが、下位が速夫を飛び越した。
「呼出しも力量だ。お前の師匠が、先輩を飛び越したのを考えれば、追い越されたからといって、文句のつけようはないよなあ」
速夫が聞きもしないのに、儀助は皆の前でわざとそういった。
五月場所の土俵を築いているときだった。
国技館の土俵は、十年前に土台を築いた。伝吉の指図によってできたものだ。その基礎は十年間そのままである。場所ごとに、上皮を二十センチ剥《は》がしてつくり変えるのを常としていた。二十センチ分だけ、化粧直しをするのである。
速夫は、頭の上に落ちてくる儀助の嫌味を聞き流して、土俵を突き固める作業に、精神を集中するようにつとめた。
「ああ、そうだ。おい速夫」
踏み俵に片足をかけ、くわえたばこの儀助が、顎をしゃくっていった。
こんな無作法は、伝吉が差配をしていた頃には許されなかったことである。
いまは儀助のひとり天下で、だれもが目をつむっている。
「はい」
速夫が顔を上げると、ちょっとこいと、上向けた掌をあおった。
「あのな。お前は甚句をつくるのが得意だな」
「好きなだけで、得意ではありません」
「柄にもなく謙遜《けんそん》しやあがる。お前がいちばん文才があるんだ。ひとつつくれ」
「はい」
「祝いごとに出すやつだ。ほら、まえに会ったことがあるだろう。土俵のことを調べたいといってきたお嬢さんよ」
「はあ」
「目出度くご婚礼がお決りになった。そこでな。相撲協会としても、お祝いを言上しようということになってな。先様のご家柄とか、新郎新婦のお名前などを折り込んだ、相撲甚句を披露宴で歌ってお祝い申し上げるという趣向だ」
速夫は眉を寄せた。順子とその相手の高根という青年には、淋しい思いをさせられた。
他人の幸せに背を向ける気はなかったけれど、進んで祝う気持ちにはなれなかった。
「そのお役目は、できたらご勘弁を」
「なに」
「どなたかほかの人に」
「お前、嫌だというのかい。けっ」
儀助は、捨てたたばこを、足裏で捩《ねじ》り消した。
「ほかのことではないんだ。先様は正風親方のご贔屓《ひいき》さまのお嬢さんだ。お婿さんになられる方はな、いいか、高根組の息子さんだよ。高根組といえば、相撲協会と深い関係がある会社だくらい、お前も知っているだろう」
「………」
「本場所でも巡業でも、なにかとご便宜をはかっていただいている。早い話が……この土俵の土だって、高根組さんが持ってきて下さるのだぞ。わかっているだろう」
「はい」
「もっとも、お前の師匠の伝吉が達者の頃は、荒木田の、あれでなくてはいけない、これでなくては駄目だと、御託《ごたく》を並べられて、高根組さんも、土俵の土には手が出せなかった。高根組さんは、園芸部門もあって、盆栽用の黒ボカは余る程ある。それを協会へ捌《さば》こうとしても、お前の師匠が邪魔をしやあがって、相談はちっともまとまらなかった」
そんな裏工作のようなことが進んでいたのかと、速夫は土俵に目を注いで考えていた。
そんな会社の社長の息子に、お祝いの甚句などつくってやれるものか、と思う。
「いずれにしても、協会とは深い関係にあるご両家の縁組みだ。相撲協会の為と思って、甚句をつくれ」
「ご免こうむります」
「強情な野郎だな。これほどいってもつくらないというのか」
「お断わりします」
「どうしても嫌か」
「嫌です」
「この野郎。俺をなめやがって」
儀助は興奮し、速夫の襟首をつかむと、土俵下に引き据えた。
「お前は、いまだに伝吉を笠に着やあがって、俺のいうことを聞かないつもりか。嫌なら嫌でいいだろう」
ぐいっと襟首を持ち上げられたが、速夫は抵抗しなかった。なぜか悲しいだけだった。
「お前はそんなに師匠の伝吉が大事か。恋しいのか。いくら恋しがっても、伝吉はもういないのだ。俺たちにうるさいことばかりいった罰で、骨も盗まれて行方不明だ」
速夫はじっと耐え、眦《まなじり》を決して土端の斜面を見つめた。意外と冷静だった。高根組と儀助たちの癒着を知ったからである。
「荒木田の土だ荒木田の土だと、馬鹿のひとつ覚えで、まるで自分が土俵の土になるような騒ぎで、どうでもいいような細かいことまで指図をしやあがったのが、骨を盗まれたお前の師匠だ」
これからはじまるであろうリンチに、どこまで耐えられるだろうか……速夫は儀助の悪態を聞きながら考えた。爆発しそうな熱い玉が、胸もとにひょいひょいと現われていた。
襟首を持つ手に力が加わった。ごつんと土俵の斜面へ、顔を打ちつけられた。鼻柱がもろに当り、痛みが眉間から脳天に抜けた。たらたらと鼻血が落ちた。
「伝吉はな。お前の恋しがる伝吉は、土俵は自分の命だ、自分は土俵そのものだといっていた。覚えているだろう。伝吉流の理屈でいえば、お前の目の前にある土盛りは、伝吉そのものということになる。だからよ。こうやって、頬ずりでも鼻ずりでもすればいい」
頭を土俵へごつんごつんと打ちつけられ、顔をこすりつけられて、速夫は泥人形になった。
鼻へ土が詰って、息が苦しかった。目は塞がって見えなくなったが、それでも速夫は我慢した。怒りは突き上げかかって、いま一歩のところで止まっていた。
儀助の怒鳴る声よりも、亡き師匠の声が耳についた。
「速夫。土俵の土の声を聞け」
目を塞がれ、鼻を塞がれた速夫は、土俵へ押しつけられる顔全体を耳にした。
「荒木田に替えてくれ」
土俵の土台の部分から、そういう声が聞えていた。
高根組が納入した、園芸用の黒ボカに泥まみれとなり、速夫は、十年前に伝吉の築いた土俵の芯の声を聞いた。
「ちょっと持ち上げれば、蛇の目の砂はどうの、二重土俵のいわれがああだのと、利口振った口をききやあがって。暇を盗んで図書館へいったり、しち難しい本を、これ見よがしに読みやあがる。糞面白くない野郎だ」
それを聞いたとき、速夫はかっとなった。
貧しさ故に、高校にもいけなかったことの口惜しさが、溜りに溜って爆発した。
地面を蹴って立ち上る速夫の両手は、儀助の首をとらえた。即……殺意が生じた。
「呼出しが本を読んではいけないのか。図書館にいってなぜいけない。畜生。相撲博物館は、呼出しが入ってはいけないところなのか」
ど胆を抜かれた呼出したちは、一瞬、棒立ちになっていた。
「呼出しが勉強をして、なぜ悪い。わたしがだれに迷惑をかけた。いってみろ。仕事を怠けたことがあるか。師匠の悪口ばかりいいやがって、畜生、ぶっ殺してやる」
速夫は、相手の首っ玉に取りつき、泣き叫んだ。
六
裏正面行司溜りの、勝負審判が坐るすぐ後ろに、好角家で著名な山根教授の席があった。
呼出し速夫が、座布団の位置を直してまわっていたら、山根教授が、たっつけ袴の裾をそっとつかまえていった。
「君が速夫君だね」
「は、はい。そうです」
「僕を知っているな」
白髪の端正な顔が、じっと見つめている。
「存じております」
「打ち出しになって、仕事が終わったら、記者クラブへ顔を出しなさい」
「はい」
「僕がそこで待っている。飯をご馳走しよう」
「はあ」
「いや。飯をご馳走させてもらいたい」
速夫は、なんのことかわからなかった。
人が少くなり、がらんとした記者クラブに、山根教授が待っていて、速夫がお辞儀をしながら入っていくと、
「おう」
と気易い声で立ち上がり、
「さあ、いきましょう」
と速夫の肩を叩いた。
居残っていた何人かの記者が、怪訝《けげん》な顔で二人の背なかを見送った。
教授はハイヤーを用意していた。
車に乗り込む速夫を、赤ジャンパーの一色親方が、首をかしげて見ていた。一色親方は場内警備の平年寄で、正風親方の一門である。
車は蔵前通りを、秋葉原方向に走った。
「飯を食いながらいろいろ話すけど、君は死んだ伝吉さんの弟子だそうだね」
「はい」
「伝吉さんは堅い人で、僕と顔が合っても、ふたこと三こと喋るだけでね。いつも遠くのほうで控え目にしていたな」
呼出しはひと目につかないようにしろ、といった師匠を思い出して、速夫は胸がつまった。
「亡くなられて、お骨が紛失したと聞いたが、結局それきりなんだね」
「はい」
「あれ程の達人で、墓がないのは淋《さび》しいな。話は違うが、伝吉さんは素晴しい柝を持っていたが、あれはどうなったのだろう」
「わたしが形見にもらいました」
「君がもっているのか。こんど聞かせてもらいたいね。あれはいい音をしていた」
車は不忍《しのばず》通りをいき、池之端の料亭に停った。
玄関に待ち構えた仲居が、奥の小部屋に案内した。
料理の鉢が並び、酒が注がれて、仲居にかわって女将《おかみ》が酌に出てきた。
「君は土俵について、調べたことがあるそうだね」
「はい」
速夫は体を固くしていた。教授の口から、なにが飛び出すのか、不安だった。土俵づくりのときの乱暴を、とがめられるかも知れないと思う。非が速夫にだけあるのではないが、そうしたことは通らない社会である。
「蛇の目の砂とか、二重土俵成立の必然性とかを調べたろう」
「………」
「湯浅順子を知っているね」
「はい」
「結婚をするらしいが、それは関係ない。僕が名誉教授をしている大学の学生でね。彼女が」
「はあ」
「論文の出来がいいというので、担任がわざわざ僕に見せにきた。なかなかのものでね。しかし……蛇の目の砂のことでも、二重土俵成立の必然性のことも、問題を突っ込まないと出てこない疑問なのでね。これには相当な専門家が、後ろについているなと、僕は睨んだ。卒論で専門家の意見を徴することは、一向に差しつかえないが、後ろにいる人間に興味をもった。彼女に問いただすと、君の名前が出た。研究心はたいしたものです」
「はあ。どうも」
「努力は努力として、君を評価した上で申し上げるのだが、あれは、君独自の解釈、発見というものでもないのだね」
速夫は、さっと血の気が引いた。
「蛇の目の砂のことだが、たしかに君のいう説が、学理的ではある。だがものの呼び方というのは、自然発生的に起る場合もあります。蛇の目傘というものが、相撲関係者の頭のなかにあって、二重土俵の間に置いた砂の形が、蛇の目傘を連想させれば、文様としての蛇の目を知らなくても、呼び名として、蛇の目……つまり蛇の目傘のような砂と発案してもおかしくはない。僕の私見だが、現在でも、あれをそういう風に解釈しているのは、蛇の目傘に似ているから、蛇の目の砂だといったのがはじまりだろう。ただしことばを正確に選ぶとすれば蛇の目のなになに≠ナはなくて、蛇の目傘に似たなになに≠ナなくてはいけないだろう。しかし物の呼び名だから、つめていう場合もある。君の発案も、相撲協会で説明していることも、両立できるのではないか」
「そうですか」
「あとの……二重土俵だが、僕もこれにはちょっと目を見張ってね。僕流にいろいろ調べてみた。そうしたら、君と同じ視点で解釈をした人がいました」
「………」
「戦後すぐの僕のスクラップブックにあった。僕としたことが、迂闊《うかつ》にも失念していた」
「どういう人が研究したのですか」
「君の師匠だよ」
「えっ」
「すぐに潰れた雑誌だが各界新進随想≠ニいうのがあって、呼出し伝吉の名で、二重土俵のことを、君と同じ論法で書いている。驚くなかれだ」
速夫は耳鳴りを覚えた。
「そこで、これは下衆《げす》の勘ぐりになるが、君は師匠から、そのことを聞いたことがあるのではないか」
速夫は、怒りが体を走るのを覚えた。
「いまの質問は、君にとって心外かも知れない。また僕は君を疑っているのでもない」
それなら、なぜ余計なことをいうのか。
「君は純真生一本のようだ。それが悪いとはいいません。しかし世間は、裏をひっくり返し、またその裏を返して、ためつすがめつ、粗捜《あらさが》しをするもの……ということも心得ておかないといけない。それがいいたかったまでだ」
速夫は頭を下げて聞いた
「ここに君の師匠が書いた文章のコピーがあります。目を通すのも、勉強のひとつでしょう」
「新しいのをおつけしましょう」
黙って聞いていた女将が、思い出したように立ち上がった。
「僕はね。君のような、見識を求めようとする呼出しが、力を持つことを願っている相撲ファンなのだ。大相撲というのは、取組の勝ち負けだけがすべてではない。相撲に関わるあらゆるものが、醍醐味《だいごみ》を与える要素を持っていると思うのだ。君たちのつくる土俵もそうだ。それには本物が必要です。荒木田を捜すよりも、園芸用の黒ボカをという安易さは、どこかで伝統技を壊している筈だ。家具調度は合成樹脂製品で充分に用が足りる。したがって、土俵の土も代用品でかまわない、といった論法があるというが、間違いです。僕は古ければなんでもいいといっているのではないのだ。君の師匠のような、先人が懸命になって築いたものを、面倒臭がりで捨ててはいけないと考えているのです」
ひとことひとこと、速夫は頷いて聞いた。
「僕は大学生の頃からだから、かれこれ半世紀近く相撲に親しんできている。玉錦、双葉山の時代だ。以前は土俵祭りの見学にもよくいった。あのどっしりと底を踏まえた土盛りは、それだけで目を楽しませてくれるものと僕は思う。相撲見物にいって、まず僕の目に入るのは、きれいに築き上げられた土俵だ。全盛期の力士の肌を美しいというが、美事に築いた土俵の土肌も、力士のそれに劣らない。土俵を目の前にすると、心が騒ぐ。君の師匠の伝吉さんは、絶品をつくってくれた。土が良かったのと、伝吉さんの気組みだな」
速夫は山根教授に目を据えていた。山根教授は、女将の注ぐ酒を黙って受け、更に話をつづけた。
「彼がいなくなってから、土俵の格が落ちたと思う。苦労をしても、伝吉さんがやったように、荒木田を採ってこなくてはいかんのだ。間に合わせ、代用品という気持ちがあると、つくるものに必ず緩《ゆる》みが出てくるものでね」
たしかにそうだが、先生は学者だから、理想論をいっている、と速夫は思った。
実力者の正風親方が、黒ボカ使用を推進し、呼出しのボスである儀助も、黒ボカ使用を具申した人物だ。加えて、園芸用の黒ボカを納入する高根組が、両者と深く関わっている。
時間と手間を要する荒木田の採取を、だれがするのか。荒木田が採れる場所も、少くなっている。あっても家が建ったり、工場ができていたりで、運び出すのは不可能になっているのだ。
それを速夫がいうと、山根教授はニッコリ笑い、
「僕は退職したら農場でもやろうかと思ってね、だいぶ前に、草っ原の荒地を買っておいた。放りっぱなしにしていたが、先月、友人の車で見にいった。友人は地質学をやる男で、僕の草っ原を見て、沖積扇状地だという。土地は沖積土……つまり荒木田と呼ぶ土なのだね。その土地を見てきて、しばらくして、相撲の雑誌で座談会があった。相撲協会の理事長と、運営審議委員の沢村J大学長が同席してね、土俵の話になった。僕は荒木田を主張した。沢村学長も同じ意見だった。理事長は……できればそうしたいが、東京周辺で荒木田を採取する場所がないという。それでね。僕の草っ原の土を提供しましょうということになった」
「正風親方や儀助さんが、すんなり賛成するでしょうか」
「正風さんが昨夜僕のところに電話をしてきた。理事長や運営委員には逆らえませんよ。よろしくお願いしますといってきた」
「そうですか」
「東京場所は、当分の間、荒木田の土俵だ。君も気張って、胸にずしんとくるようなものを築いてくれよ」
「はい」
「伝吉さんが生きていたら、喜んだろうな」
「………」
「もっと早くに気がついていれば、生きているうちに間に合ったかも知れない。惜しいことをした。僕は考えていることがある。伝吉さんのお墓のことだ。お骨がなくなったからといって、そのままほったらかされていては、伝吉さんも浮ばれまい。伝吉さんが築いた土俵を見て、美しい土肌と、どっしりしたたたずまいに醍醐味を味わった僕としても、なにか供養をさせてもらわんと、義理が悪いのでね。草ぼうぼうのところだが、僕のもっている土地へ、荒木田でもって、土俵の形の塚をこしらえようと思う」
速夫はなんども生唾《なまつば》を飲んだ。
「その塚へ、伝吉さんの遺骨を密かに埋めたいと思うが、どこにいったかわからんでは仕方がない。君にも心当りはないのだろう」
「はあ」
「伝吉さんと確執があった者の仕業というのは、考え過ぎかね」
元呼出しの嘉十郎老人も、そんな風にいっていた。
七
呼出し伝吉が死んだ年の昭和五十年五月初旬のある晩。両国回向院境内の、墓の陰からゆっくりと腰を上げた男が、足音を忍ばせて、寺院の建物に近づいていった。
男は、余程下調べが出来ている様子で、建物のなかに滑るように消えた。
墓地で、樫《かし》の葉が夜半の風に騒いだ。両国駅で貨車を連結するらしい音がした。
二分とたたないで、忍び込んだ男は姿を現わした。
脇の下に、黒布に包んだ物を抱え込んでいた。黒布から、白いものがちらりとのぞいた。
男は背をかがめて境内を走り抜け、通りへ出ると、なにくわぬ顔をして、ぶらぶら歩きになった。人通りは絶えていて、車がときどき疾走した。男は呼出しの速夫だった。
アパートの部屋に戻ってきた速夫は、黒い包みをほどき、白い袋に入った骨壺を、机の上に置き合掌した。
「師匠のお骨を、無縁の墓に放り込むなんて、どう考えても納得ができません。上の者がその気になってくれれば、師匠のお墓のひとつくらいは、なんとかなる筈です」
速夫は涙声になった。
「だれも力を貸してくれないのなら、弟子のわたしが、なんとかしなくてはなりません。でもいまのわたしには力がないのです。だからといって、わたしは、師匠、ご免なさい。わたしは盗みをしてしまいました。お骨をどうするか、これから考えます。今夜は、この部屋でゆっくりお休み下さい」
湯呑み茶碗へ水を汲んで供え、速夫は長いこと合掌していた。
その夜……といっても、明け方に近い時刻。国技館へ忍び込んだ速夫は、土俵の真んなかへ穴を掘った。
土俵は、化粧直しのために、上皮二十センチが剥がされて、基礎となる土台がむき出されていた。
伝吉が精魂をこめて築いた土俵の芯は、かちんかちんに固まっていたが、速夫の一念が貫きとおり、穴があいた。
警備員も寝入ったらしい館内は、がらんとして暗い。
穴へ師匠伝吉の骨を埋めた速夫は、丁寧に土をかぶせ、握り拳で叩き、周囲の土を掻き集めて均《な》らした。
この朝、速夫は一番に出ていき、リヤカーで花道を運んでいった土を、勢いつけて土俵の土台の中心へあけた。
※[#歌記号]南無阿弥陀仏……
以来、伝吉の骨は、自ら差配して築いた土俵のなかに眠った。
山根教授が提供した荒木田は、良質のものだった。
師匠伝吉に叩き込まれた、土の吟味は、速夫のなかに生きている。裸足でその土を踏んでみたとき、速夫はたしかに土の声を聞いた。
それは、懐かしく、恋しい師匠の声でもあった。
「速夫よ。いい土があってよかったな」
師匠の声はそういっていた。
儀助は仏頂面だったが、速夫は意に介さなかった。
自分には、大きな目的があるのだ、と思う。
いい土俵を築くことから見れば、怨念などは芥《ごみ》のようなものだ。
他人を妬《ねた》み、怨み、保身に汲々《きゆうきゆう》とした儀助を、速夫は哀れと考えるようになっている。
理事長が、山根教授と一緒に、現場へ顔を出した。儀助は掌を返したように愛想笑いをし、ぺこぺこお辞儀のしっ放しである。
儀助が、取り持ちの度合いを濃くすればするほど、理事長も山根教授も、鼻白んだ顔でこたえていた。
その儀助も、今場所限りで定年退職となる。
「伝吉さんがおられたら、さぞ喜んだろうと思います」
と山根教授がいい、
「伝吉には気の毒をしました。骨さえあれば、なんとかしてやれるのだが」
と理事長が答えた。
速夫は喉もとまで出かかることばを、ぐっと押えて、必死に土俵を叩き均らした。
場所のはじまる前日。速夫は師匠譲りの拍子木を持って出た。
歩く先を、飛礫《つぶて》のようなものがかすめた。素早く目で追うと、ツバメの飛翔だった。
柳の青さが目に染み、速夫の心を爽《さわや》かに洗った。
土俵祭りは、立行司を祭主として行われる。
装いを新たにした土俵の周囲に、理事長、審判部長、審判部員、行司が居並ぶ。
山根教授も来賓として出席していた。
速夫は白房下に直立した。蛇の目の柝を膝頭のところにきちっと揃《そろ》えた。
速夫に進行係を命じたのは、理事長である。
「伝吉さん譲りの柝を打ってもらいたい」
と進言したのは、山根教授であった。儀助が渋々取りついできたが、速夫は二つ返事で承知をした。
この機会を遠慮することはないと思ったのだ。
速夫は捧げ持った柝を見つめた。館内はしわぶきひとつなかった。
桜の芯の赤身でできた蛇の目の柝≠ヘ、棚雲の木目を浮かび上がらせ、幽《かす》かに息づいていた。
速夫は、昂揚する血が、両腕をつたって拍子木に流れ込んでいくのを覚えた。
両手を開き、大きく息を吸った。
「チョーン」
万感の想いをこめて打った。
「チョーン」
土俵のなかへも、染みとおれと打った。
「チョーン、チョーン、チョーン」
早打ちの合図に、両の花道から神官装束の行司が登場してきた。
出席者全員起立。
「チョーン」
蛇の目の柝の音が、国技館を貫きとおす。
「かけまくもかしこく……」
参列者全員が頭《こうべ》を垂れて、祝詞《のりと》奏上を聞く。
速夫は、胸に秘めた師匠の墓≠ノ向って瞑目した。
相撲ファンに親しまれた蔵前国技館が、取り壊されることになった。相撲場が両国駅近くの、国鉄遊休地に移転するためである。
呼出し速夫は、理事長を通じて、土俵へ理めた師匠の骨のことを、所轄署に届け出た。
「年月も経っているし、遺骨の関係者にトラブルがなければ」
ということで、穏便に処理された。ことが荒立たずに済んだのは、運営審議委員の口添えによる。
掘り出された骨壺は、あらためて埋葬されることになり、山根教授の意をうけて奔走する速夫に、呼出しが、ひとり、二人と協力を申し出てきた。
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走 れ 幕 下
一
九月の東京場所を打ち上げた大相撲が、十月初旬に恒例の運動会を催した。
生憎《あいにく》の曇り日だったが、会場の両国中学は、お相撲さんと見物人が溢《あふ》れた。
「たいそうな人出になったな。いつもの倍は入った。入場料を取るんだった」
事業部長で在京理事の今熊親方が、なかば本気の冗談口を叩き、警備に出張してきている警官を笑わせた。
「取材陣も多いそうだね」
今熊親方と顔見知りの警部補がいった。
「テレビが二局くることになっているね」
「やはりマラソンレースが人気を呼んだんですか」
「そういうことだろう」
「お陰で警察は余計ひとを出さなくてはならない。コースの警備に非番も動員ですからね」
「毎度お世話さまで」
今熊親方は、肥満体を反っくり返していい、アッハッハと高笑いした。
彼は角界ナンバー2の実力者で、財界有力者や国家公安委員長とも親しい。所轄署の警部補などは、相撲の幕下くらいにしか思っていなかった。
だから、お世話さまといいながら頭を下げなかった。政界の大ものなどがする態度を真似ているのである。
「さてと……理事長はどこかいな」
今熊親方は、ゴリラに似た顔をめぐらせて会場を一瞥《いちべつ》すると、テントの張られた中央に、肥満体を運んでいった。
まるでスーツを着た犀《さい》のようだ。
花火が上がった。花火は曇り空にドカン、ドカンと響き、見物席から、何人ものこどもが運動場へ走り出て、はしゃぎまわった。
はしゃぎまわる子どもを連れもどしに出てきた大人のなかに、十両力士|大嶽山《おおだけやま》夫人の姿も見えた。彼女は今熊親方の妹で、大嶽山より十三も年上である。
「おとなにしないといけません。向うにいってフレー、フレーしましょ。パパちゃんも走るわよ」
そういって娘を抱え上げた大嶽山夫人は、兄の今熊親方に似て、四角い顔だった。美容に人一倍こころがけているから、さほどでもないが、化粧を落とすと、おかる(不美人)のきわめつきだと、付人の噂にもあるくらいだ。
美男力士で鳴らした大嶽山が、選《よ》りも選って、不美人でしかも十三歳も年上の女と一緒になったのは、今熊親方に押しつけられた結果であるが、大嶽山にも、そうしたほうが得だという計算が働いていた。
はしゃぎ出た子どもたちが、ビニールの布を敷いた見物席におさまると、再び曇り空を揺るがして打ち上げ花火が鳴った。
見物人が続々と詰めかけた。選手の力士たちは控え室の体育館に溢れた。テレビ中継車が二台、校庭の隅へ入り、係員がテストを繰り返していた。
力士運動会が例年にない熱気を見せているのは、警備の警官がいったように、競技種目にマラソンを加え、スポーツ紙などが書き立てたためである。
マラソンを考えついたのは、相撲教習所長の霧ヶ峰親方だ。
近年、力士の足腰が弱くなったという指摘が、各方面から起こっていた。相撲協会に関係するスポーツ医学者も、稽古に走り込みをより多く取り入れることを進言している。
そのために、相撲教習所も、早朝の駈け足を増やしていたし、若い部屋持ち親方のなかには、コーチを頼んできて、ランニングの指導にあたらせているところも出てきた。
たまたま、市民が多数参加してのマラソン大会の記事を読んだ霧ヶ峰親方が、運動会の下相談のときに発議した。
提案は、希望者だけ走らせるということだったが、マラソンブームということが、ちらっと頭に浮かんだ今熊親方は、事業部長らしい計算で、
「横綱から新弟子まで全員参加させろ」
と発言し、総勢六百五十名の出場となったのである。
当日、病気、怪我《けが》などで不参加を申し出た者が五十数名いた。それでも六百人の力士が、清澄通りから浅草通りをいって蔵前通りに入り、荒川を渡って国道十四号線をもどってくるというのだから、これは壮観な筈である。
もっとも途中で脱落する者が大半とみて、運営委員会は、収容のための大型バスを、要所要所へ配置した。
呼びもののマラソンレースは、午前十一時半にスタートした。
平均百十キロの力士六百人が、どたどたと走り出し地響きを立てた。
浅草通りに入る前に、十五人ほどが脱落同然の歩きになり、浅草通りを亀戸にかかるあたりで、三分の一が落伍《らくご》した。
平井大橋を渡りきった者は、六百人中百五十人。完走して校庭に辿りついたのは、百人に満たなかった。
幕内、十両は四十六名が出場したが、完走者は僅《わず》かに二名。前頭上位と三役、横綱で、荒川を渡りきった者は一人もいない。
百人の完走者のほとんどが、十七、八歳の序二段、序ノ口クラスだったが、トップで入ったのは、二十六歳の万年幕下「玉聖《たまひじり》」だった。一七九センチ、七十六キロの玉聖は、二位以下を三キロも引き離し、馬のような長い顔を振り立て振り立てして、見物が待ち構える校庭へ躍り込んできた。
玉聖が姿を見せると、旗が振られ喚声が湧き、拍手が起こった。
花火がドカン、ドカンと打ち上げられて、力士にしては痩せぎすの幕下玉聖は、ゴールに飛び込むとき、歯を見せて笑ったようだったが、苦しまぎれの笑い顔に見えた。
テレビのインタビューをうけたときも、乱杭《らんぐい》歯を見せて照れ笑いをしたが、その笑いは、いかにも貧乏くさいものだった。
玉聖は普段あまり笑うということはなく、なにかのとき、たまに白い歯を見せたが、いつも半ベソの泣き笑いという感じだった。
「お前は痩せこけていて、不景気な面をしてやがって、ゲンの悪い野郎だ」
と兄デシたちはいった。
玉聖は、ほかの力士のように、楽しく愉快に笑うことができない。理由があるのだ。
玉聖は、もっと目方が欲しいと思う。せめて百キロは越したいと、祈るような気持ちでいるのだが、なにかというと下痢をする。
二
マラソン一等には、電機製品メーカーから景品が出た。
大型の洗濯機とカラーテレビをもらって、玉聖は始末に困った。
今熊部屋の大部屋に、取的仲間と雑居する玉聖には、自分のものとして洗濯機やカラーテレビを置く場所がなかったのだ。
洗濯機は大き過ぎるから無理だが、テレビは担いで電車に乗り、多摩の青梅の山のなかで、ひとり暮らしをしているおふくろに届けようかと考えた。
だが……それを実行する前に、もらい手が口をかけてきた。
「おい。テレビもらっても、置くところがないだろう。俺の家で預かってやるから持ってきな」
といったのは十両の大嶽山だった。
大嶽山は前頭筆頭までいった力士だが、二枚目俳優のようなマスクが禍《わざわ》いして、三役寸前のところでしくじった。女で身を持ちくずしたのである。
愛欲の深場へはまった大嶽山は、糖尿病に蝕《むしば》まれるというアクシデントが重なって、番付は下がる一方であった。
女にも捨てられかけ、意気消沈した大嶽山に、幸か不幸か、|おかる《ヽヽヽ》のきわめつきといわれる女が想いを寄せた。日露戦争時代の大砲玉のような今熊親方の妹で、いちど結婚して別れた十三歳も年上の女だった。気立てはいいが器量が悪いので、大嶽山は閉口した。
悪女の深情けというのだろうか。今熊親方の妹は巡業先にも顔を出し、大嶽山に豪勢な差し入れなどをした。
迷惑そうにしていた大嶽山だったが、突然、彼女と結婚して、周囲を唖然《あぜん》とさせた。
結婚の運びとなるについては、今熊親方が大嶽山に因果を含めていた。
「決して十両から幕下へ落ちるようなことはさせない。十両どまりで粘っていれば、必ず年寄株を買えるように、ごっちゃんのタニマチを紹介してやる。妹はブスでお前には気の毒だが、ひとつ目をつむって引き受けてくれ。もっともお前が相撲取を廃業して、田舎へ帰ってしまうというのなら、無理に引きとめはしない」
なかば押しつけるようにいわれた大嶽山だったが、二、三場所先には幕下転落も予想され、そうなったときのことを考え途方に暮れていたときだったので、今熊親方の甘言に胸もとをとられた。
この際、目をつむって結婚しておけば、将来、生活の安定を得られる。今熊親方は在京理事で事業担当だ。相撲協会の財布の紐《ひも》を握っている。次の理事長は、ほぼ間違いなしといわれている。義弟になって、相撲年寄の株を買い、協会に残れば、勝負審判部員くらいの役にはつけるだろう。
落ち目になって算盤《そろばん》をはじいた二枚目力士大嶽山は、名を捨てて実をとることにきめたのである。
今熊親方が約束したとおり、大嶽山は十両のしんがりへぶら下がりながらも、相撲を取り続けている。
玉聖は下っぱの取的だから、関取の大嶽山にひと睨みされると、竦《すく》み上がる習性ができていた。
「賞品のテレビは預かってやる」
といわれて、おふくろにプレゼントするのだとはいえなかった。
電気洗濯機のほうは、玉聖に断わりなく、さっさと今熊部屋の洗濯場へ運び込まれてしまった。そうするのが当然といった感じで、親方連中はなにもいわず、若者頭の野坂が、
「いいものをもらってくれた。賞をもらったのははじめてだろう」
といっただけである。
マラソンに優勝した玉聖は、嬉しさ半分、気恥ずかしさ半分だった。そしてなんとなく淋しく悲しい気分でもあった。
力士は相撲に勝たなければならない。
土俵上の白星、黒星が評価のすべてである。力士の人格や教養も、先ず勝負に勝ち、番付の地位が上がってのことだ。
玉聖は、十八歳で新弟子になり、八年も相撲の飯を食い、幕下の下位に低迷している。
母ひとり子ひとりの彼が角界に身を投じたのは、体が大きかったことが理由である。大きい体を生かし、二十代で会社の部長級の収入を得られると聞き入門した。
早くおふくろを楽にさせたい一念からだ。相撲界は、たしかに二十代で、部長はおろか社長に匹敵する収入を得られる社会ではあった。しかしそれは、大関、横綱になれての話で、幕下以下では月給はもらえず、場所中に出る手当てだけだった。
最低、衣、食、住が保証されるだけで、八年経ったいまも、彼のおふくろは、ひとり息子の出世に夢をかけて、縫いものなどの賃仕事で、細々と暮らしている。
玉聖は関取になりたかった。十両になれば月給がもらえる。月給袋をそっくりそのまま、おふくろに渡す夢を、なんど見たことだろう。
しかしそれは……夢で終わるかも知れないと思う。いや、完全に夢だと最近では信じ込むほどである。
「足が速いことは悪くないが、陸上の選手ではないからな。百メートルを十五秒きって走っても、土俵で転がったのでは、お話しにならないよ」
といつも若者頭にいわれるとおり、玉聖の足腰は丈夫だった。別に人一倍走り込んで鍛えたわけではない。小学生の頃からの天性のものだった。
新弟子の頃、使い走りをして、ほかの者の半分の時間で用を足したのも、自慢の駿足《しゆんそく》のためだった。
「玉聖を見習え。たばこを買いにやらせても、すぐもどってくる。お前たちときたら、なにをもたもたしているのか知らないが、玉聖の倍も時間がかかるじゃないか。でんでん虫の使いみたいで、まだるっこくてしようがない」
ほかの取的は、玉聖の足の速さとくらべられて、カタツムリや芋虫のようにいわれた。
「韋駄天《いだてん》の玉聖に頼め。あいつならひとっ走りだ。ほかの奴らでは、行って帰ってくれば日が暮れてしまう」
そういわれて重宝がられた。
三
玉聖が足腰の良さと駿足を利して、立ち合いに相手の機先を制し、順調に白星を稼いで幕下に上がったとき、今熊親方は彼を自分の付人にした。
部屋持ち親方や大関、横綱の付人になる幕下力士は、その部屋で評価されている者といわれている。将来性を買われるから、実権を持つ親方や立派な関取につけて、修業をさせるというのが主な目的だ。マンツーマンの指導をさせるという意味もある。
玉聖は親方付きをいわれて、ぱっと胸に明るい火が点《つ》いた気分だった。
「これで出世のメドがついた」
と思い、彼はおふくろあてに次のような手紙を書いた。
「拝啓。だいぶ暑くなりました。お母さんは暑気あたりをする性《たち》ですから、猛暑に向う折りから、体には十分気をつけて下さい。自分はこれから東北方面へ巡業にいきます。北海道にも渡ることになっています。名古屋場所に幕下になり、成績は四勝三敗でした。ひとつ勝ち越しですから、九月の東京場所はまた番付が上がります。それからこんど親方付きになるといわれました。今熊親方の付人です。今熊親方は相撲協会の理事で、事業部長ですから、国技館内の事務所に常駐します。地方場所には顔を出すことがありますが、巡業には出ません。自分は巡業にいきますが、それ以外は今熊親方に付いて、雑用をし、いろいろ教えていただきます。親方の付人になることは、出世の第一歩だと、相撲の世界ではいわれています。お母さんにも喜んでもらいたいので、この手紙を書きました。
いまでは、玉聖というシコ名はいいと感じています。玉聖は自分が相撲に入るとき、お母さんがこういう名前をつけるようにと、紙に書いてくれましたね。それを親方に相談し、序二段になったとき改めたのです。
改名したては、坊さんの名前みたいで、相撲取にはそぐわないように感じました。|玉いじり《ヽヽヽヽ》などと悪口をいわれたこともあります。しかしいまは違います。自分は多摩で生まれた相撲の聖《ひじり》になろうと決心をしています。上位に上がって、人格も身につけて、全力士の模範となるつもりで頑張ります。
お母さんも体に注意して、玉聖の出世を楽しみに長生きをして下さい。お母さんを東京に連れてきて、一緒に暮らせるように、きっとしますから待っていて下さい」
玉聖が巡業を終えて東京にもどり、大相撲秋場所のはじまる前の晩だった。
「お前な。山科《やましな》部屋の浜錦のところまで、ひとっ走りしてこい」
と今熊親方にいわれた。
「浜錦は住吉公園のそばのマンションに住んでいるが、わかるか」
「公園はわかりますが、マンションは知りません」
「そうか。説明する。それからな。これは|ごっつあん《ヽヽヽヽヽ》のことだから、ほかの者に知られては困る」
「………」
「これからはこういう仕事もやってもらうから要領をよく呑み込んでおけ。いいな」
「は、はい」
「今熊部屋の津田山ですが、明日の一番を宜しくお願いしますと、向うへいったらいえ。浜錦が出てきたら、なにげない振りで、小さい声でいうんだ。いいな」
「はい」
「そうするとな。向うは頷いて、片目をつむって見せる筈だ。それをよく見とどけて、その足で津田山のところにまわるんだ。津田山のほうは電話でもいいが、お前ははじめてだから、顔を見せたほうがいいだろう。今後のこともあるしな。津田山のところは知っているな」
「はい。いちど荷物を届けに兄デシと一緒にいきました」
「津田山に会ったら、オッシ、ごっちゃんですとだけいえ。それで通じる。これは小遣いだ」
「………」
「いいから取っておけ。早くしまえ」
「ごっちゃんです」
「それからな。人に気づかれないように用心しろ。こういうことは、親方や若者頭が動いたり、関取同士が交渉したりすると、はた目につきやすいから、お前みたいな取的に頼むのだ。お前は使いをやらせても身が軽いから、こういう連絡にはうってつけだ。これからもあることだから、練習のつもりで慎重にやってこい。そのうちに馴《な》れてきて、相手に顔を知られるようになれば、しめたものだ。そうなれば、走ってまわらなくても、電話一本で済ませることもできる。廃業した佐沢谷がそうだった。お前は佐沢谷の二代目になったつもりでな。しっかりやってこい」
草履《ぞうり》をつっかけて今熊部屋を出た玉聖は、宵闇をひたひたと歩きながら、変な気分に襲われていた。
今熊親方に命令された格好で出てきたが、これはいつもの使いとは違う。
小遣いだといって渡された一万円を、うっかり受け取って、帰りにうまいものでも食おうと考えていたが、今夜の使いは八百長を頼むための連絡である。親方はこんなことをやらせるために俺を付人にしたのだろうか。
八百長相撲そのことには、さして驚かないが、八百長工作の使いとなると……玉聖は、はっとして足が止まった。
住吉町にいく裏道は、人の通りが少なかった。
立ち止まって思案する玉聖の脇を、黒い犬が気を配る風にして、小走りに抜けていった。
「えらいことを頼まれてしまった」
玉聖はごくりと生唾《なまつば》を飲んだ。立ち止まっているとかえって落ち着かないので、ゆっくり歩きながら考えることにした。
八百長の橋渡しをする古参幕下の話は、なんどか聞いたことがある。それは半ば専門化していて、いい小遣い稼ぎになるという。
今熊部屋には、五月場所まで佐沢谷という古い幕下力士がいて、今熊親方に付いていたが、廃業して……たしか市川の方の魚屋へ婿に入った筈だ。先方は亭主が死んで、子供を二人抱えて、女手で魚屋を切りまわしている店で、佐沢谷は、|ちゃんこ《ヽヽヽヽ》番で覚えた庖丁の腕を土産に、入り婿をしたと聞いている。
今熊親方は、
「佐沢谷の二代目になったつもりでやれ」と玉聖にいった。
すると……佐沢谷は八百長の連絡係を専門にやっていたのだろうか。
佐沢谷が廃業して、担当者がいなくなったのでかわりに玉聖を親方付きにして、これから八百長工作の使い走りをさせられるのか。
玉聖はのろのろと歩いていった。
「嫌な用をいいつけられてしまった」
と思う。
「弱ったな」
と溜め息をついた。
「断わろう」
玉聖は、まわれ右をした。いまはっきりと断わらないと、ずるずるべったり深場へはまり込んでしまうだろう。
玉聖は今熊部屋の方向へ、きた道をすたすたともどった。
「危いところだったな」
と思う。
麻薬で身を持ちくずしたり、悪の道へ走るのも、こういうときなのだ……と思って、背すじがぞっとした。
もどりながら今熊親方の顔を思い浮かべた。いったん引きうけて出てきて、断わりをいったら親方は機嫌を悪くするだろう。いままでと違った目で見る筈だ。親方付きをはずされるだろう。
「お前のような奴は破門だ」
というかも知れない。
破門されそうになったら、これこれしかじかで親方は機嫌を悪くしたのだと、八百長工作のことを暴露してやろうか……と考えたが、すぐに、そんなことをしても親方に勝てっこないと悟った。
幕下の申し立てなど、今熊親方が捻《ひね》り潰《つぶ》すのは簡単なのだ。
さっさと廃業していく若い取的がいるが、玉聖にはそれができない。ようやく幕下まで上がり、理由はどうであれ協会ナンバー2である今熊親方の付人に抜擢《ばつてき》されたのだ。これからいい目が出そうだという望みがあるから、廃業は惜しい気がした。廃業してもすぐに使ってくれるところがあるかどうか……心もとない。
「………」
玉聖の足が竦《すく》んだ。さっきすれ違った黒犬が横道から出てきて、こんどは玉聖の足もとに寄り、胡散《うさん》臭そうに嗅ぎまわった。
「相撲取をつづけるなら、親方の機嫌を損じてはよくない」
そう思うと、玉聖の爪先は浜錦のマンションへ向きはじめた。心は既にまわれ右をしている。
「自分が八百長をやるわけではないのだから」
浜錦の部屋のブザーを押しながら、玉聖はしきりと自分にいいきかせていた。
四
浅草橋の駅から神田川を越えた馬喰町《ばくろちよう》二丁目にあるビルの地階に、ママがひとりでやっているスナックバーがある。
ママはむかし銀座のクラブにいて、いちど玩具《おもちや》問屋の後妻に入り、離婚して「銀」というこの店を開いたという。
目のぱっちりとした美人で、胸が豊かに脹《ふく》らんでいた。カウンターのなかに立ち、差し向かいになると、客はママの張りつめたバストに悩殺された。立てこんでいるときはさほどでもないが、一対一の場合は、客が圧倒され、落ち着きを失って、何杯もおかわりをするという具合だった。
場所が場所だけに、近くの住人が常連で、それも中年以上がほとんどである。
ひとりだけ、頭にちょん髷《まげ》をのせた男が通ってきた。
馬面で、いかにも胃腸が弱そうな相撲取は、今熊部屋の幕下玉聖だった。
彼は以前、酒はまったく飲まなかった。いまでも水割りのウイスキー五、六杯が適量である。
玉聖が少し酒を飲むようになったのは、関取たちの八百長工作に関わり出してからだ。
この店へくるようになったきっかけも、八百長に関係したためである。
ママは、むかし銀座のクラブに勤めていた頃、大嶽山の数多い女のひとりだったが、一時関係が切れて……また最近復活した間柄だ。そのことは玉聖以外に知っている者はいない。
幕下になったばかりのとき、今熊親方にいわれて、浜錦と津田山の八百長工作の使いをして以来、玉聖はずるずるとその方の役目を果たし、いまでは今熊部屋の「ごっつあん相撲係」になってしまった。
今熊部屋で、ごっつあん相撲(八百長)が最も多いのは、十両の大嶽山である。このプレイボーイ力士は、力の衰えを自覚すると、名を捨てて実を取り、今熊親方の妹と一緒になっている。本来ならもうとっくに幕下に落ちているか、廃業の憂き目を見なくてはならない相撲取が、辛うじて十枚目のどん尻にぶら下がり、四枚上がって三枚下がり、二枚上がって次は一枚下がるというエレベーターを繰り返しているのは、義兄の今熊親方の配慮による。白星を金で買う八百長工作で、十両の面目と体裁を辛うじて保っているのである。もう年寄株の目鼻はついているから、引退すれば相撲年寄で残されるのだが、大嶽山の夫人が、もう一場所、あと半年とハッパをかけ、雌鳥《めんどり》すすめて雄鳥《おんどり》時をつくる格好になっているのだ。
大嶽山夫人は、夫の相撲取姿を眺めて、目を潤ませて妙な興奮をするのだという。よる床のなかで、ちょん髷のなかへ鼻の頭を突っ込み、狂おし気に喘《あえ》ぐというのだから、まさしく悪女の深情けだ。
玉聖が使いに走る工作相撲によって、どうやら関取の地位を保つ大嶽山は、土俵はもううんざりなのだが、親方の実妹である夫人の意に逆らうわけにはいかなかった。
「あたしは相撲取と結婚したのよ。親方と結婚したのではないから、あたしを愛しているなら、なるべく長く現役でいて下さい」
という無理難題に、内心ベソをかきながら、大嶽山は髷を切れずにいるのである。
鬱屈している大嶽山は、むかしの女と縒《よ》りをもどし、玉聖を間に入れて、親方や夫人の目を誤魔化そうという作戦をとっていた。玉聖は親方だけでなく、誰にも便利に使われやすい男なのだ。
玉聖のスナックバー「銀」での飲み代はただである。
「玉聖に肩入れをする女の店へ、兄デシのワシが挨拶がわりに飲みにくる……そういう形にするからな。なにしろうちのアッパ(女房)は、凄いやきもちやきだからな」
はじめて連れてこられたとき、大嶽山はそういった。
玉聖は、ここで飲み、八百長工作でもらう小遣いは、すべてソープランドに使った。
彼は堕《お》ちてしまったのだ。
多摩の山村にひとり残すおふくろのことは、頭のなかから無理矢理もぎ取って、僅かな酒に気をまぎらせていた。
「腸のほうは、よくならないの」
とママが聞く。時間が早いので、客は玉聖ひとりだ。
「太らないと駄目よ。あんた女が過ぎるのではないの」
「そんなことはない」
玉聖は激しく首を振った。少しばかり酔いのきた目が、ママの胸の脹らみをとらえていた。
「お酒を止めたらどうかしらね」
ママはなにもわかってはいない……と玉聖は思った。
「せっかく幕下まできたんでしょう。十両に上がるように頑張りなさいよ」
頑張っても駄目なのだと、玉聖は黙然とグラスを傾けた。
「あんたを見ていると、相撲が好きではないように思うの。いつも浮かない顔でしょう。腸が悪いっていったけど、ほかに心配ごとがあるみたい」
それは当っている……と玉聖は思う。
「気晴らしにソープランドもいいけど、もっとほかに健康な遊びをしたら。相撲以外のスポーツでもいいからさ。あたしがそんなこというのも変だけど」
「ママは不健康なのか」
「まあね。夜の商売ですもの。ところでうちの関取、しばらく会わないけど、元気なのでしょう」
「はい」
「奥さんがうるさいのでしょう」
「そんなことは……」
「なくはないでしょう。実力者の妹をもらったんだからね。奥さんに頭が上がらないのよ。あまりご無沙汰をすると、あんたと浮気をするかも知れないって、いっといてよ」
「はい」
「あんた、あたしとこっそり浮気をする気がある」
「は、いや、そんな」
「あたしはあるわよ。大嶽山関はちゃんと奥さんがいるのだもの。あたしがつまみ食いしたって、文句がいえる筋合いではないからね」
ママの豊かな胸が目いっぱいに広がってきて、玉聖は頭のなかへ石ころが詰まったような気分になった。
五
十一月の九州場所が終わり、大相撲は十二月中旬まで九州から山陽地方を巡業してまわった。
今熊部屋の十両大嶽山は、九州場所西十両十三枚目にいて八勝七敗とひとつ勝ち越し、幕下転落をまぬがれた。今熊親方の指図で、玉聖が使いをした八百長が五番あった。五つも星を買わなければ、十両どん尻を保てないほど、大嶽山の力は落ちているのである。資金もかかる筈だが、バックに今熊親方がいるからつづくのだろう。
金をかけても、部屋に関取がひとりいるかいないかで、やはり部屋持ち親方としての重みに影響してくるから、多少の出費なら採算がとれるという計算なのだろう。
玉聖は二勝五敗だった。現在東幕下五十五枚目だから、下手をすると来年初場所は、三段目に落ちるかも知れなかった。
九州場所中、玉聖は下痢ばかりした。いつも場所がはじまるとそうだが、この場所は特にひどかった。理由があったのだ。
医者から神経性の腸カタルと診断されている玉聖の下痢は、本場所がはじまると、三日置きくらいに起こった。
八百長が気になるのだ。
今熊親方のいいつけで連絡をとった相手力士が、ほんとうに負けてくれるかどうか、相撲が終わるまで気になった。
いちど手違いがあったのか、星を譲ってくれる約束の相手に、今熊部屋の力士が負けたことがある。その力士は、一番の狂いで前頭から十両に落ちた。玉聖は今熊親方から油を絞られた。小遣い名目で与えられた金を巻き上げられた。そして当の力士に耳が裂けるほど殴られ、口のなかを切って血を出したことがある。そんなにされても、部屋を飛び出していけないほど、玉聖は八百長工作に手を汚してしまっていた。
入門して二、三カ月した新弟子が、稽古が辛いといい、さっさと廃業するのを見て、玉聖は羨《うらや》ましかった。
悪いことの手助けをしている自分は、もうどんな世界にも住めなくなってしまったと思い、余計腹の具合をおかしくした。
彼は、おふくろのことを、ちらっとでも考えると、気が狂ったようにして、その俤《おもかげ》を振り払った。
九州場所の初日に、相撲協会は、審判部長と相撲競技監察委員長連名で、各親方及び力士に対して「無気力相撲懲罰規定の徹底について」という通達を出した。
それによると、規定の第六条、第七条、第八条は、必ず実行さるべきものであるから、真剣な土俵をつとめるようにというものだった。
規定の第六条によると、懲罰は、除名、引退勧告、出場停止、減俸、譴責《けんせき》となっていた。師匠の連帯責任も第七条でうたっている。
そして、第八条は、故意の無気力相撲に関連したものは、力士と同等の懲罰を受けるものとするとあり、これは玉聖のような場合に該当した。
相撲協会は、無気力相撲と表現しているが、その内容の主なものは、ごっつあん相撲といわれる「八百長」のことだった。
玉聖はこの通達に真っ青になった。
親方ともどもだが、懲罰で相撲界から放り出されたら、行くところがない。震えている玉聖をつかまえて、今熊親方は、
「ガタガタせんでよろしい。こっちは、客に知れるようなごっちゃんを仕組んではいない。あの通達は、立ち合いの待った防止のためだ」
といい、少しも気にしない様子だった。そして相変わらず玉聖を工作の使いに走らせた。
玉聖は、場所中も場所後も、ひどい下痢に苦しんだ。そして目方が減った。目が落ち凹んで、長い顔は山芋のお化けのようになった。下痢だけではなく、吐くことがなんどかあった。怖《おび》えが怖えを呼び、額に深いたて皺を刻むようになった。
「意気地のない野郎だな。俺が大丈夫だといっているのにわからんのか」
今熊親方は、恐い顔で睨んだ。そして……義弟の大嶽山を呼び、
「玉聖の奴な。ごっちゃんのことで神経質になっている。気でも狂って、新聞記者にでも喋られたら厄介だからな。少し気をつけて見ていてくれ」
と申し渡した。
玉聖の下痢は巡業中におさまった。
十二月の半ばに東京にもどり、玉聖は放心状態でスナックバー「銀」へ出かけた。腹の具合はよくなっていたが、心のなかに病巣ができている。
それは、よくないことの仲介をし、親方から小遣いをもらっている……といううしろめたさからだった。自分が八百長相撲を取るわけではない。親方の命令で仕方がないのだ、という開き直りも、無気力相撲懲罰規定の第八条をきいてからは、それが神経に刺さって、ほかのことを考える余裕を失ってしまった。懲罰というひとつことに心をとられていると、頭は空洞になり、心がチクチク痛んだ。ソープランドへ直行するつもりで部屋を出たのだが、ママの大きなバストが急に見たくなって、足を「銀」へ向けた。
「帰ってきて十日も経つでしょう。それなのに大嶽山関はいちども連絡をくれないわよ。手紙もこないし、逃げ出す気かしらね」
とママがいった。気色ばんでいる様子だ。時間が早いので、まだ客はいない。
「関取はあたしからお金を持っていっているんだ」
玉聖は、へえーと思った。
「前にもそうだったけど、借りたものを返すことをしない人なのよ。もっとも返してもらえると思って渡したわけではないけど」
「………」
「なんとなくムシャクシャするから、あんたと浮気をしてやろうかな。あんた関取の女を寝取る勇気ある」
玉聖は生唾をごくんと飲み、うまく返事ができなかった。
そのうちに三人連れの客が入ってきて、ママはそちらにかかりっきりになった。玉聖が引き上げるときも、カウンターのなかで「どうもね」といつもの通りいうだけだった。玉聖はママが待ち合わせ場所を、こっそりいってくれるものと思っていたのだが、当てがはずれてしまった。
外へ出ると、足もとを風が吹き抜けていき、淋しい気分だった。ソープランドへいく気もなくなり、玉聖はすたすたと歩いて両国橋を渡り、今熊部屋に帰って寝た。
六
年が明けて一月の初場所がはじまるとき、今熊親方は玉聖を呼び、
「当分の間ごっちゃんは中止だ。いままでもああいう工作はなかったことにする。もし聞かれても知らぬ存ぜぬで押し通せ。いいな」
と念を押した。無気力相撲に対する批判はますます激しくなってきて、今熊親方の足もとにも火がつきそうな気配だったのだ。わかるようなヘマはしないといって、無気力相撲を禁止する通達を、無視していた今熊親方だったが、形勢危うしと見て用心したらしい。
それともうひとつは、やたらに八百長相撲を工作して、関取の余命を保っていた大嶽山が、一月場所を休場し、場所後に引退することになったためでもある。
八百長工作はやらないといわれて、玉聖はほっと胸を撫《な》で下ろした。もうそのことで気を使わずに済む。神経性の腸カタルも治るだろう。そうなったら、いっそう足腰を鍛え、目方を増やし、白星を増して十両に挑戦しようと決意を新たにした。
心機一転した玉聖は、仲間より三十分早起きして、隅田川べりの遊歩道をジョギングする日課をはじめていた。
玉聖は一月場所を負け越した。前場所の不調で、幕下どん尻に付けられていたが、こんどは確実に三段目に落ちる。
皮肉なことは、負けたある一番を、勝負審判から無気力相撲と注意をされたことである。玉聖本人は毛頭そんな気はなかったが、土俵下で見ていた審判員のうち三人までが、立ち合いから寄り切られるまで、玉聖が力を抜いていたと指摘をしたのである。
なぜそんな風な相撲になったのか。
玉聖は一月場所を迎えて、なんとなく気合が入らなかったのだ。他人にはいえなかったが、八百長工作の仕事がなくなり、手持ち無沙汰になったのだ。八百長の頼みに走りまわったときは、開き直ったつもりでいても、罪の意識に嘖《さいな》まれた。そのための神経性腸カタルだった。
今熊親方に、当分ごっつあん工作はやらないといわれ、悪い仲間から抜け出してほっとした気分になった玉聖だった。しかし不思議なことで、そうなったらなったで、張り合い抜けした気分になってしまったのである。
朝の暗いうちに川べりを走って、足腰を鍛えていても、心のどこかに空洞のようなものが生まれた。稽古を終え、親方の雑用を済ませ、取組のある日はまわしをつけて土俵へ上がる。そうした普通の取的がする日常が、玉聖にはなんとなく気怠《けだる》く感じられた。
いつもの場所なら、今熊親方が、いつ工作相撲を指示してくるかと、気を張りつめて待った。工作が成功するかどうか、心配だった。そうした緊張感が一月場所にはなかった。
緊張感のかわりに、悪いことを手伝わずに済むという安堵感が生じた。その心の弛緩《しかん》が取組に出て、一方的に土俵外へ持っていかれたのである。
審判部は、玉聖を無気力相撲の実行者として、懲罰規定を適用した。
譴責処分である。師匠の今熊親方にも注意がきた。今熊親方は、口から泡をとばして怒った。
「この野郎。今熊部屋の看板に泥を塗りゃあがった。名門の二字を傷つけやがった」
と、自分のしたことは棚に上げて頭から湯気を立てた。
「譴責なんて生ぬるい。お前は破門だ。クビにしてやる。荷物をまとめておけ」
玉聖は横っ面を張られ、よろけていきながら、なにがなんだかわからなくなっていた。
譴責をくった玉聖は、部屋ぢゅうから白い目で見られた。今熊部屋の面汚しだというのである。そんなことをいったら、前にやっていた親方ぐるみの八百長工作はどうなるのだ……と思い腹が立った。いっそのこと監察委員に告発してやろうかと考えた。
告発して、親方もろとも駄目になってやろう……そう考えてみたのだが、すぐに気勢を殺《そ》がれてしまった。
証拠があるかといわれたら、なにもないのだ。無気力相撲は、現場を押えられなければ、なんとでもいい逃れができる。
玉聖は青菜に塩の悲しい気分で、住みづらい部屋で日を送った。
「銀」のママのところへ飲みに行く気も起こらなかった。
早朝のジョギングも休みがちになった。いっそのこと、親方が廃業届を出してクビにしてくれたらいい……などと自棄《やけ》の気分になることもあった。
二月はじめのことである。
今熊部屋へ、伊勢崎部屋の若者頭がきて、野坂と話をして帰っていった。野坂は今熊部屋の取的を管理する若者頭だ。
伊勢崎部屋の若者頭が帰ると、野坂は今熊親方の部屋へいって相談をした。そしてこんどは自分のところに玉聖を呼んだ。
「お前は今朝早く起きたか」
「はい」
「起きてどこかへいったか」
「足腰を鍛えるために、ジョギングをしました」
「そうか。やっぱり外へ出たんだな」
「………」
「どこを駆けまわったのだ」
「隅田川べりの遊歩道です」
「あのな。嘘はいいっこなしだぞ。お前……伊勢崎部屋へいったろう」
「いいえ」
「嘘をいっても駄目だ。伊勢崎部屋へ入ったな」
「いきません」
「いったらいったで正直に認めれば、俺のほうで内密に処理してやる」
「どういうことなのですか」
「認めたくなければいってやろう。今朝早くな、伊勢崎部屋へ泥棒が入った」
「………」
「金が盗まれたそうだ」
「それと自分とどういう関係があるのですか」
「馬鹿だな、お前は。犯人を見た者がいるんだよ。お前だとよ」
「そんな……無茶な」
「無茶かどうかな。向うがいってきたことも一理あるぞ」
「………」
「犯人が逃げていく後姿は、ちょん髷でトレーニングウェアを着ていたそうだ」
「若い相撲取は、みんなトレパンです。そういう格好は自分だけではないです」
「それはそうだ。でもな。朝の暗いなかを逃げた相撲取は、足が速かったそうだ。伊勢崎部屋の若い者が追い駈けたが、みるみる引き離されてしまったらしい。あんなに足の速い相撲取は、お前しかいないといってきた。悪いことに、お前は他人より早く起きて、外へ出ていったという事実がある」
そんな難癖があるかと、玉聖は目が眩《くら》みそうになった。
「向うも話がわからなくはないのだ。犯人を突き出せとはいっていない。部屋同士がおかしくなってはいけないから穏便に済ませたいと、好意的だった。ただ……犯人に厳重注意をしてくれといってきた。だからお前が正直に認めれば、あとは親方と俺の胸三寸におさめて、なかったことにするからどうだ」
玉聖は返事をしなかった。やりもしないことを認めるわけにはいかない。
「お前だな」
「違います」
「どこまでもシラは切りとおせないぞ」
「やらないことはやらないです」
「強情を張っても、ロクなことはないぜ。お前が頭を下げないと、今熊部屋と伊勢崎部屋はおかしくなる」
「そんなことは知りません」
「馬鹿野郎」
野坂のげんこつが飛んだ。
「お前は、今熊部屋の面汚しだ」
その晩遅く、玉聖は荷物をまとめて部屋を出た。駅の待合室かどこかで夜を明かし、一番電車でひとまずおふくろのところに帰ろうと思った。
相撲取の夢が破れて帰る息子を、おふくろはがっかりして迎えるだろうが、帰っていく場所はそこしかない。
「銀」のママに、さようならをいっていこうと思い立ち、馬喰町に足を向けた。ママは店をしまうところだった。
玉聖が相撲を廃めて出てきたというと、しばらく黙って見つめていたが、
「あたしが送別会をして上げるから、一緒にいきましょう」
といって、急いで外に出てタクシーを拾った。
六本木に連れていかれ、朝を迎えたのは目黒にある立派なホテルの一室だった。
「一回こっきりよ。そうでないと、再出発の邪魔になるからね」
ママは、玉聖の馬面へ熱い唇を押し当てていった。あたりがやたらにまぶしくて、玉聖は泣き笑いの顔だった。
二月末の日曜日に行われた青梅マラソンに、異色のランナーが登場した。
元幕下力士「玉聖」こと木村峻市である。
玉聖は生家に帰って、取りあえず山仕事の作業員になった。彼のおふくろは、相撲取に失敗してもどった息子を、母鳥が雛子《ひよこ》を抱くようにして迎えた。
「世のなかは、全部がぜんぶ出世をするものではないよ。思いどおりにならなかったのも、人間の勉強のひとつだから、くよくよするのはよそうね」
といった。
「世間は当分、いろいろいうだろうけどね。お母さんはちっとも気にしないよ」
ともいった。
玉聖は髷に手をやり、これをしばらく切らずにおこうと思った。すぐに髷を切り落すことは、こそこそと世間を気にする証拠だと思う。
「取的上がりを堂々と主張して生きていこう」
そうすることが、人生再出発の決意でもあった。
彼はちょん髷をつけたまま、レースに参加した。
群れをなして移動するランナーのなかで、玉聖の姿はひときわ目立っていた。彼が着るトレーニングウェアは、両国隅田川のほとりを走ったときのものだ。
玉聖のまわりに、さまざまな人が駈け寄って声を掛けた。
「関取。最後まで頑張ろうな」
といって、握手を求める走る仲間たちは、ちょん髷をのっけて駈ける馬面の男が、相撲で苦汁を嘗《な》めた幕下力士とは知らなかった。名前すら聞いたことのない取的だが、皆が、
「よお、関取」
とか、
「関取、頑張ろう」
と声を掛けてくれた。玉聖は目のあたりがじんじんしていた。
皆が仲良く、せいいっぱいに走っている。
妬《ねた》みもなければ、|そねみ《ヽヽヽ》もないし、汚い工作もない。嬉しさが胸いっぱいにこみ上げ、涙と汗がいっぱいにまじり合って、生れ故郷の山々が視野に霞《かす》んだ。
「あんた頑張るね」
そういって、折り返し点付近で並んだ体格のいい中年のランナーは、復路を最後まで一緒に走った。
「少しゆっくり駈けないかね」
などといって、玉聖もそれに合わせた。
「完走すればいいのだから、少し休まないかね。僕につき合ってくれよ」
といって、玉聖の手を引き、沿道の土手へ寄りかかったりした。休んでいるとき、男は自己紹介をした。聞いて驚いたが、大相撲にいたことがあるという。
「三段目で廃めてしまった。辛かったな」
といった。
「君はどこの部屋だね」
「今熊部屋だったけど、廃業しました」
吉田と名乗った男は、ちらっと玉聖の頭を見た。
「廃業したばかりなのか」
「そうです」
「仕事は」
「いまのとこ、臨時に山仕事をしています」
目の前を一団が遅い足並みで駈けていった。
「僕のところにこないか」
「はあ」
「これでも小さな鉄工所の社長だ。定年で一人やめて、いま欠員がある。働かないか。工場は立川だ。君の家はどこだ」
「青梅です」
「それなら通えるではないか。僕のところで働けよ。面倒見るよ」
「ごっちゃんです」
二人は、いちにっさんで走り出した。
「髷はそのままにしておくわけではないのだろう」
「マラソンを走りきったら落すつもりです」
「それなら、僕のところに就職した日に、断髪式をやろう」
「はい」
「楽しくなってきたなあ」
「はい」
また汗と涙がまざってきて、沿道で振る小旗が、波頭を見るように霞んで、後へ後へととんでいった。
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差 し 違 い
一
相撲好きが贔屓《ひいき》にするのは、だいたい力士と相場が決まっているようですが、私は行司を贔屓にしております。
近所に木村|團直《だんなお》という行司の家がございまして、この男が、たまたま私と同郷という縁で、声援をしておったわけです。
私には親が残してくれた、なにがしかの資産がありまして、それを頼りにまあまあの暮らしができます。ですから……大学の方の勤めも四十半ばで辞《や》めまして、あとは書をやったり、私家版の著作をしたり……好事家《こうずか》の真似事を致す日常を送っております。
木村團直という名ですが、これは彼がまだ十両格の行司だったときに、改名したいといって私に頼みにまいりまして、つけて上げたものです。行司は軍配のことを団扇《うちわ》と申しておりますから、その団(團)の一字を取り、下に勁直《けいちよく》の直をつけて團直としたわけです。
團は大団円などといって、円くおさまることですし、勁直は強く正しいの意味ですから、土俵上の勝負を判定する行司に似合う名だと考えてつけました。
そのときに、団扇(軍配)を贈りました。そして、團圓勁直《ヽヽヽヽ》と団扇に揮毫《きごう》を致しました。このことはちょっと話題になりまして、相撲雑誌に紹介されたりしましたから、古い相撲ファンの方は、あるいは御記憶かと存じます。
木村團直は、実直な男でして、巡業先からもよく手紙をくれたり、ときには土地の名産を送ってくることもありました。行司として筋もいいらしく、相撲協会の役員からも、将来の立行司だと目を掛けていただいている様子でした。
木村團直は着実に出世をしていきまして、幕内格となり、近々、三役格に昇進するという噂も聞こえてまいりました。行司も三役格になれば、これは大層な出世です。幕内格は、土俵上で足袋《たび》をはくことはできますが草履《ぞうり》ははけません。三役格になりますと、足袋に草履。衣裳も綾錦《あやにしき》といった豪華なものになります。
木村團直が三役格行司になりましたら、私も奮発して祝儀を弾《はず》むつもりでおりました。
しかし、木村團直の昇進には、少しばかり障害がございました。と申しますのは、彼の上に、先輩が二人いまして、これを飛び越さなければなりません。木村團直の人柄と技倆《ぎりよう》を買っている協会首脳も、この処置には頭を痛めたらしいのですが、理事長の英断で、本村團直の三役格昇進が内定を致しました。
彼が飛び越すことになる先輩のうち、木村長次郎は気弱な男で問題はないのですが、もう一人の式守角太夫が、なかなかの野心家ということでした。式守角太夫は、幕内最古参の行司ですから、当然、自分が昇進するものと思っていたようです。
式守角太夫という行司は、話題の多い人です。軍配さばきに大きなゼスチャーを見せたりして、目立ちたがる傾向があります。五十過ぎていまだに独身ですが、なかなかの艶福《えんぷく》家といわれております。巧言令色の人物ですから、一般受けはするようで、テレビ番組などにも引っ張り出されます。しかし玄人《くろうと》が好む渋味や重厚さは、耳掻きで掬《すく》うほどもありません。そのために、協会首脳は彼の三役格昇進を躊躇《ちゆうちよ》したものと考えられます。
ともあれ、木村團直の昇進が内定しまして、私もほっと一息つき、神棚に柏手《かしわで》を打ったような次第でございます。
ところが、好事魔多しといいましょうか、木村團直の一家が不幸に見舞われたのです。彼の奥さんは丸々と太った陽気な人でしたが、心臓発作で急逝されたのです。あっという間のことだったそうで、木村團直は茫然自失の態《てい》でありました。
彼には十九歳の男の子がいまして、序二段格の行司をやっております。息子さんのことでは、木村團直も悩んだようです。中学生の頃から登校拒否がはじまり、高校受験もままならず、父親の弟子といった形で、行司の社会に入りました。
「一人っ子で甘やかして育てたのがいけませんでした。いつまでも親を頼っていて、どうも弱ったことです」
とこぼしていましたが、息子さん……木村豊次といいますが、行司のほうは親の血を引いたらしく、見込みがあるとのことでした。
私がそれをいって、喜ばせてやろうとしますと、木村團直は、
「いまのままではいけません。わたしが側にいるうちは一人前にはなれません。突き放す必要があるのですが、それができなくてね。いっそのことわたしがこの世からいなくなれば、あいつも甘えをなくして一生懸命になるのでしょうが」
などと物騒なことを申しました。母親を亡くして、息子さんもシャキッとするだろうと思いますと、どうもそうではないようで、
「その分、わたしに寄り掛ってきまして、一人っ子というのは、困ったものです」
と木村團直はいっておりました。突き放そうと思っても、なかなかできないところが、父子の情というものでしょうから、私はなにもいいませんでした。
いずれにせよ、三役格昇進も間近いのですから、不幸に見舞われた木村團直家にも、曙光《しよこう》は見えております。
一方の式守角太夫ですが、こちらは十一月場所で、差し違いを三度もしました。どれも微妙な勝負でしたから、取り直しにしてもおかしくなかったのですが、いずれも差し違いにされてしまいました。木村團直に先を越される気配に動揺したものなのか、目立ちたがりの悪乗りが禍《わざわ》いしたのか、二人の評価は逆転し、運命は定《き》まったかに見えました。
ところが……再逆転が起きたのです。
十二月下旬のことです。伊豆の狩野川《かのがわ》へ寒鮠《かんばや》釣に出かけた木村團直が、淵《ふち》に転落して気を失い、全般性健忘症になってしまったのです。自分がいままで何をしていたかわからなくなってしまいました。完全な記憶喪失です。
木村團直の事故については、最初関係者ありとされました。式守角太夫が同行したというのです。これには目撃者がおりました。
若い呼出しが、新幹線のホームにいる二人を確かに見たというのです。しかしこの証人は、間もなく、
「隣りのホームから見かけたので、自信はもてない」
と証言をトーンダウンしました。式守角太夫も、木村團直と狩野川に同行したことを否定しました。
ただし……東京駅の新幹線ホームで、木村團直と顔を合わせたことは否定しませんでした。式守角太夫のいい分はこうです。
「あの日の朝、確かに團直君と新幹線のホームで会った。しかし、彼と釣行を約束したわけではない。わたしは、箱根早川の下流に寒鮠釣にいった。だから……小田原で新幹線を降りて、箱根登山鉄道に乗り換え、箱根板橋で下車した。箱根早川は、冬場になると禁漁なのだが、河口に近いところだけは、十二月いっぱい釣ってもいいことになっている。わたしは箱根板橋駅で降りて、夕方まで釣って、登山電車で小田原まできて、それから新幹線で帰った」
式守角太夫の行動には証人がいました。箱根板橋駅の駅員です。駅員が次のように証言したのです。
「赤い毛糸のトンガリ帽を被《かぶ》って、サングラスをかけ、白黒まだらの襟巻《えりまき》をし、濃い緑色のアノラックでもって、赤いリュックを背負った釣師でしたら、よく覚えています。朝、電車を降りたとき、川の様子を聞いていきましたし、夕方、暗くなって帰るときも、釣果《ちようか》は思わしくなかった、と話しかけて改札を通っていきました。派手な格好でしたし、記憶に残っています」
川べりの住民の何人かが、式守角太夫の釣姿を目撃しておりました。
警察は事故現場付近をひと通り調べた模様ですが、事件に結びつくようなものは発見されなかったようです。木村團直以外の釣師の足跡にも、争ったりした形跡がなかったといいます。
結局、木村團直は一人で中伊豆にいき、狩野川で釣をしているうちに、足を滑らせたか、昏倒《こんとう》するかして、大きな淵に転落し、意識を失ったが、溺《おぼ》れ死ぬことなく一命を取り止めた……ということのようです。
命拾いはしたものの、記憶を失ったまま、修善寺の病院に収容されました。
本村團直がそんな具合ですので、三役格行司には、順送りの形で式守角太夫が昇進致しました。私にとっては、釈然としない話であります。
二
團直君は気の毒なことをしたな。釣好きの災難というほかないだろう。
あの事故についちゃ、俺もとばっちりを食って、痛くもねえ腹をさぐられたよ。
君も知っての通り、行司としちゃ俺のほうが先輩で、順序からいったら、次の三役格は当然俺が上がる筈のところを、二枚下の團直君がなるらしい噂があったもんだから、それを妬《ねた》んだ俺の仕業《しわざ》だろうなんて、つまらん勘ぐりをする奴もいた。
そりゃね。後からきた團直君に先を越されるってことは、気持ちのいいもんじゃない。俺にだって自尊心ちゅうものはあるから、畜生めとは思ったよ。君だから正直にいうんだが、面白くはなかった。
だからといって、團直君をどうこうしようなんて、思ったことはない。
行司の人事は協会のお偉いさんが決めることだ。
行司番付編成の第十三条に、行司の階級順位の昇降は、年功序列によることなく、成績評価基準に基づくというように記されている。
それについて、行司があれこれいってもはじまらないんだ。
理事会で決めることだから、潔《いさぎよ》く従うくらいのことは、俺だって心得ていらあな。
團直君の腕は、確かに悪かないよ。口惜しいが認めざるを得ない。彼が三役格に上がったら、俺が音頭を取って、仲間うちの昇進祝いをやろうと考えていたくらいだ。
團直君が邪魔だから消しちまおうなんて、俺はそんな了見の狭い男じゃない。
幸いなことに、俺の行動を知っていた証人がいてくれたんで助かった。箱根板橋駅の駅員が、あの日の俺を覚えていてくれなかったら、疑いをかけられたまま、不愉快な毎日を送らなきゃならなかっただろう。
その意味じゃ、あの駅員は恩人だな。こんだ早川へ釣にいくときは、国技館で売ってる団扇でも、土産《みやげ》に持ってってやるつもりだ。
俺が十一月の九州場所で、差し違いを三度もやったのは、團直君に先を越されるんで、苛立《いらだ》ってたからだという者がいた。それは少し違うんだな。
俺の平常心を掻きまわす人間がいたのよ。誰がそうしたかって。うーん。そのことはいいたくねえんだが……そうかといって黙ってたんじゃ、本当のことを匿《かく》すことになるし、思い切っていっちまおう。
実はな、俺の気持ちを苛々させた人間ちゅうのは、團直君なんだ。本当だよ。嘘じゃないよ。
世間は彼を円満で温和な男のようにいってるが、本当は違うぜ。外見はそのように見えても、なかなかどうして。上の者には弱いが下にゃ強い性格なんだ。そこんとこを見抜けない協会幹部もどうかと思うが、まあそれはいいや。
こんだの三役格昇進問題にしてもだな。表面は神妙に構えて控え目だったが、俺に対しちゃえらく高圧的なところがあった。まあ聞いてくれや。
九州場所がはじまる前のことだが、二人だけになったとき、
「来年の一月場所からは、俺があんたの上に立つ。俺は将来立行司を約束された。そういうことだから、これからは上の者に対する挨拶を、ちゃんとしてもらわないと困る。勝負はついたんだから、じたばたしないでもらいたい」
こういう高飛車ないい方だった。俺はカチンときたぜ。
團直君に先を越されるのは、決して愉快じゃないが、お偉いさんがそう決めたんなら、ちゃんと従うし、虚心|坦懐《たんかい》にお祝いもしようと思ってたところにだな、人の神経を逆撫でするようなことをいわれたら、動揺もするし、苛立ちもすらあな。
それが九州場所の裁きに出ちまったようなわけだ。
でもあれだよ。俺はそのことを恨んだりしたわけじゃない。自分の修養が足りなかったと反省してるんだ。俺はそういう男だよ。
ただしだな。事実は事実だからな。誰かにいっとかないと、誤解が大きくなると思うわけだ。
團直君が有頂天になった気持ちも、わからなくはない。俺が彼の立場だったとしても、やはり同じだったかも知れないな。
要するに、團直君は魔がさして、威丈高になったんだという風に理解してるよ。
俺は警察へ呼ばれて、あれこれ聞かれたけどよ。いまいったようなことは、ひとことも喋《しやべ》らなかった。團直君の人格を、公《おおやけ》の場で傷つけるようなことは、同じ釜の飯を食った者として、できるわけがない。そうだろう。
信用のおける友人の君だから、こうして喋るわけなんだよ。
親友にだけは知っといてもらいてえからなあ。もうひとつついでにいうとだね。團直君が川へはまり込んだのには、二つ原因があるだろうな。
ひとつは、かみさんを急に亡くしちまったことだろう。彼は朴念仁《ぼくねんじん》だから、女といやかみさんただ一人だ。三界に女なしというくらいのもんだ。そんなだから、この世でもあの世でも、たった一人きりの女であるかみさんに死なれて、腑抜けになってたんだ。
ぼやっとして、転《ころが》り落ちたというわけだな。
もうひとつの原因は、伜《せがれ》のことだ。行司の豊次だ。筋は悪くねえんだが、一人っ子でチヤホヤされて育ったもんだから、依頼心が強くてな。親父の團直君はそれを心配して、他人のところへ修業に出そうとしたんだが、当人がどうしても家を離れたがらねえんだよ。誰かに預けようとしても、親父にしがみついて巣離れしねえんだな。
そこをどんと突き放してやりゃいいわけだが、團直君も変に子煩悩《こぼんのう》のところがあって、そのままずるずるときちまったわけだ。
伜の豊次の処置には、彼も頭を悩ませていた筈で、かみさんのことと、伜のことと、ごちゃごちゃ考えていて、足を滑らせちまったと、まあそんなところだな。
いずれにしても、團直君はついてなかったんだ。でもよ。ちょっとだけでも、三役格に上がれる夢を見たんだから、よしとするよりねえだろう。
それによ。なにもかも忘れちまってるちゅうんだから、それも極楽かも知れねえぜ。俺はこうして、三役格行司に上がったけどよ。偉くなりゃなったで、責任があってな。端《はた》で見るほどいいもんじゃない。ほんとだよ。
きょうは、君が俺のことを祝って、御馳走してくれてるわけだが、この席は遠慮なしに|ごち《ヽヽ》になる。そのかわり……二次会は俺に持たせてくれや。
なに。例の女のところかって。へへへ……。面目ねえが、また新しいのができたんだよ。見せびらかすようで悪いけど、付き合ってくれ。君にもちゃんとあてがうからよ。エッヘッヘ……。いい心もちに酒がきいてきた。
三
私は先にもお話しました團直に関わりを持つ者ですが、一昨日、修善寺の病院に、木村團直を見舞ってまいりました。
記憶は失われたままですが、体力は回復して、付近を散歩したり、病院のちょっとした雑務を手伝ったりしているとのことでした。
修善寺に別荘を持つ、名古屋の事業家が見舞いにきていました。
この方は、木村團直と名古屋場所で知り合いになり、以来ずっと応援をしてくれているのだそうで、木村團直からお名前だけは聞いておりました。向こうも私のことを知っていて、初対面でしたが、思わず手を取り合いました。
「團直さんは、記憶を失っているだけで、目下の精神に異常をきたしているわけではありません。ですから、医師の許可が出次第、わたしが引き取って、別荘の留守番をしてもらおうと考えています」
名古屋の事業家の方は、そう申されました。修善寺は、気候も温暖で、温泉も湧《わ》きます。木村團直が療養を兼ねて生活をするには、格好の場所です。
たいへん有難いお話をうかがい、私は安堵してもどってまいりました。
狩野川での事故は、釣行の災難ですから諦《あきら》めるよりありません。木村團直の晩年を見て下さる方が現れたのは、不幸中の幸いです。
しかし、私には引っ掛るところがございました。木村團直の病気についてです。
これは私だけの勘なのですが、木村團直の記憶喪失は、回復しかかっているのでは……ということです。
具体的にどうかといわれますと、説明に窮するのですが、彼の表情と動作のはしはしに、それを感じるのです。しかしこれはあくまで素人《しろうと》考えです。
それはさておきまして、木村團直の事故に関して、私は重大な発見をしました。
三月末のことです。東京都内のターミナルデパートに買いものにいき、そこで催されている写真展を見ました。手シリーズ展≠ニいうものでした。なんの気なしに、暇潰《ひまつぶ》しのために覗《のぞ》いたのですが、二枚一組の写真の前で、私は足を止めました。
その写真には釣の手=i狩野川にて)とタイトルがついていました。釣竿を持った手だけをアップにした写真でした。
私の目を捕えたのは、釣竿《つりざお》を持つ手の形でした。一枚の写真は、拳《こぶし》を上に向けて釣竿を持ち、もう一枚は拳を下に向けて持っているのです。私がなぜそれに注目したかといいますと、この持ち方は、相撲の軍配を持つときの……木村家と式守家の違いを表わしていたからです。
力士を呼び上げるとき、木村家は握り拳を上に構えます。式守家は逆で、握り拳を下にします。
私が異常を感じましたのは、この釣師は普通の人ではないな……ということでした。普通、鮠を釣る釣師は、握り拳を横に向けた竿の持ち方をします。私も鮠やヤマベ釣をしますので知っております。拳を横にした握り方が自然なのです。更にいえば、握った手の人差指と親指を伸ばして、挟んで押さえつけるようにします。拳を上向けたり下向けたりする持ち方をする人も、たまにはいますが、数は限られております。
展示されている写真の手は、ゴルフのシャフトのように、人差指を曲げて握っているのです。それを見て、私の頭に浮かんだのは、二枚の写真の被写体は、相撲の行司ではないか……ことによると、木村團直と式守角太夫では……ということでした。軍配を握るときの習性が、釣竿を持つときにも出てしまうのではないだろうか……そう私は思ったのです。
私は早速この写真家に会い、撮影日時と撮影場所を聞いたのです。日時は木村團直が釣行をしたときと一致しました。場所も彼が転落した付近とわかりました。
更に大発見は、手の写真は全体像をトリミングしたもので、二人の釣師が、それぞれ離れた場所で竿を出している写真が、アトリエに残されていたことです。一人はまぎれもなく木村團直でした。もう一人のほうは、式守角太夫のようにも見えますが、彼が釣行したときの服装ではありません。
しかし、木村團直が事故にあった日の場所に、やはり行司と考えられる釣師がいたわけで、疑念は残ります。写真家のアトリエには、釣竿を持つ手の写真が沢山ありました。写真家は釣の素人でしたので、ただ単に対照の妙という見地から、正反対の二枚を選んで出品したのだといいました。
写真家は、車で移動しながら望遠レンズで撮影してまわり、一カ所に留まらなかったので、釣師の転落事故は知らないといいます。
私は、トリミングする前の写真を頒《わ》けてもらいました。そして、親しくしている所轄署の署長に見せ、相談をしたのです。署長は捜査畑から叩き上げた人です。写真を預らせてくれといいました。
結果は思いのほか早く出ました。片方の釣師の服装は、木村長次郎のものと判明したのです。木村長次郎は、三役格昇進で木村團直に先を越されかかった一人です。
ただし、写真の釣師は彼ではありませんでした。式守角太夫だったのです。そのからくりについて、木村長次郎は次のような陳述をしたそうです。
「團直さんを痛めつけてやるから、片棒を担《かつ》げといわれました。小田急で小田原駅に降りたら、歩いて箱根早川の下流にいっていろと、角太夫さんに命令されて、そのとおりにしました。釣っていると、箱根板橋駅から角太夫さんがきました。毛糸の赤いトンガリ帽に、白黒まだらの襟巻で、アノラックは濃い緑色でした。リュックは赤です。川釣の服装は、魚を驚かさないように、地味なものにするのが普通ですが、派手好みの角太夫さんは、いつもスキーにいくみたいな格好をして、それが得意のようでした。冬場のウィークデーですから、釣師は河口の方に一人いるだけでした。枯葦《かれあし》の茂みで一服する振りをして、服装を取り替えました。角太夫さんは、わたしの格好をして、小田原駅へ歩いていきました。釣場は小田原駅へも歩ける距離です。わたしは角太夫さんに成りすまして夕方まで釣り、いわれたとおり箱根板橋駅で東京行の切符を買い、駅員にわざと声を掛けて改札を入りました。駅員は、朝きた角太夫さんが、夕方帰ったと思った筈です。東京駅で待ち合わせて、タクシーで角太夫さんのマンションにいき、そこで、わたしは自分の服に着替えて家に帰りました。角太夫さんは一人住いですから、二人が服を取り替えたまま帰っても怪しむ人はいません。大きなマンションで、誰とも会いませんでした。わたしは、角太夫さんにいわれたとおりしただけで、團直さんを恨んでいたわけではないのです。角太夫さんのいうことをきかないと、あとでなにをされるか……恐かったのです。勘弁して下さい」
式守角太夫も犯行を自供しました。木村長次郎に成りすました角太夫は、小田原駅から三島へ出、伊豆箱根鉄道で修善寺にいき、木村團直のいる釣場に近づいたのです。現場は新幹線のホームで顔を合わせたときに、それとなく聞き出したそうです。また、木村團直が狩野川へ釣行する日時も、日頃から探りを入れていたといいます。
現場に到着した式守角太夫は、竿を振りながら、木村團直に近づいた模様です。式守角太夫が着替えた木村長次郎の服は、地味で目立たないものでしたから、木村團直は知らない釣師がいると思った筈です。式守角太夫が牙《きば》を匿《かく》して近づいているとは、夢にも思わなかったでしょう。
木村團直は、愛妻を失った傷心を癒《いや》すために、好きな川釣に出かけました。青みどろの淵に臨む大岩の上に立って、感懐があった筈です。
思いを亡妻に馳せたか、あるいはまた、巣離れしそうもない息子のことを考えたか……。釣りを経験された方はおわかりと思いますが、川の主が棲《す》むかと思われる大きな淵に向かって、釣糸を垂れておりますと、浮子《うき》に集中した神経が、別のところに浮遊することがあります。こし方ゆく先を思います。
木村團直にも、おそらくそうした間断があったと、私は想像致します。
その虚を衝《つ》くようにして、式守角太夫は木村團直を突き落としたのです。突き落とした彼は、さすがにその結果を確かめるのが恐くて、早々に現場を立ち去ったといいます。突き落とした相手が溺死《できし》しなかったのは、式守角太夫にとって千慮の一失でしたが、記憶喪失はもっけの幸いということだったようです。調子のいいことをいって、罪をのがれていました。しかし、結局はボロを出しました。
四
父があんなになってしまい、僕は困った。
父の記憶喪失は、式守角太夫さんに川へ突き落とされたためとわかり、角太夫さんは逮捕されてしまった。
この事件は、こちらが悪いわけではないけれど、僕が行司の世界に居づらくなったのは確かだ。
いろいろ考えた末、僕は行司を廃《や》めて、バーテンダーかなにかに転業する決心をした。
それで高橋先生のところへ相談にいった。高橋先生は、僕の家の近所で、父の名前……團直をつけてくれた人だ。僕も小さいときから可愛がってもらったし、後見人のような人だ。
高橋先生は、僕が行司を廃めるといったら、物凄《ものすご》い顔で怒った。いつもニコニコしている先生に怒鳴られて、僕はびっくりした。高橋先生は興奮して、
「お前が一人前の行司になるのが、お父さんの夢だったのだ。それを途中で投げ出すとは何事だ。ひとつことがやり通せないような人間は、なにをやっても駄目だ。廃めないで頑張りなさい。そうしないと、お父さんも、安心して記憶喪失になっていられない」
と妙ないい方をした。高橋先生があまり凄い見幕だったし、奥さんも頑張るようにいわれたので、僕は考え直した。そして、高橋先生の紹介で幕内格行司の木村盛一郎さんの弟子になり住み込んでいる。
僕の家は、僕が一人前の行司になり、世帯を持つまで、高橋先生が管理してくれることになっている。父はあんな風になってしまったから、修善寺の方でお世話になっている。
僕もこの頃は、頼れるのは先ず自分だと思うようになり、強くなった。父に負けない立派な行司になろうと思う。
五
木村團直の息子の豊次が、行司を廃めてバーテンになるといってきたときは、私も逆上の態で、いま考えると、おかしなことを口走ったと思います。
「そんなことでは、お父さんも安心して記憶喪失になっていられない」
などといったのですから、われながら驚き入ったことであります。もっともそれだけ豊次の将来を思ったわけなのですから、致し方ありません。
私が一喝したためもあって、豊次は行司の修業をつづけることになり、いまはこの道を真っ直に歩いていく決心を固めているようです。あの子は、父親の跡を継ぐのがいちばんいいのです。
行事の修行には、土俵上で行う交代の型∞名乗りの型∞ちり祓《はら》いの型∞立ち合いの型∞勝名乗りの型≠ニいった作法のほかに、勝負の見方や仕切りの合わせ方などがあります。
相撲故実の勉強も必要です。書記の役も兼ねますから、文字の修得と習字は必須課目となります。
実技は、私の深く知るところではありませんが、書道に関しては些《いささ》かの自信もごさいますので、その方面の指導を致しております。
豊次もやる気を起こしています。暇ができると私のところにきて勉強します。
習字のほかに、行司の精神ということを、教えていくつもりです。行司は土俵上の勝負を司《つかさ》どる役目でありますから、人格と権威を要求されます。それは人間修養によってのみ完成されるものと、私は信じております。行司の仕事が近頃では、相撲の進行係のみに堕した感がありますが、それではいけません。
進行係であると同時に、主宰者たる識見を有すること……これが行司の精神です。
立ち合いの乱れが喧《やかま》しくいわれますが、力士の呼吸がぴたりと合うように持っていけば、掛け引きで待った≠するような立ち合いはなくなります。その役目は行司が負わなくてはなりません。
これは、専門家でもない私が申すのではありませんで、歴《れき》とした教本がございます。
二十代木村庄之助が著《あらわ》しました。定本・国技勧進相撲≠ェそれです。これには、行司の作法や相撲道の奥儀《おうぎ》が、正確に記されてあります。
私はこの本を豊次に与えました。豊次がボロボロになるまで読み切って、その本義を血肉とすることを、私は念じています。
終わりに木村團直について申し上げます。
彼はいま、修善寺で別荘の管理人をつとめています。後援者だった名古屋の事業家の御好意によるものです。記憶喪失は続いているということですが、日常の業務には支障はないそうです。
私はせっせと木村團直に手紙を出しています。豊次の成長を逐一《ちくいち》報告しているわけです。記憶喪失者にそんなことをしても……といわれるかも知れませんが、私の考えは違うのです。
彼の記憶は回復しているかも知れない……というのが、私の認識です。
式守角太夫が廃めさせられた後に、帰るわけにいかなくなっているのではないでしょうか。非は自分になくても、潔く差し違えて、そのかわり……息子の豊次に独立心を植えつけること。木村團直の別荘管理人は、世を忍ぶ仮の姿……そのように私は思っているのです。
きょうも彼に手紙を書きました。投函《とうかん》してのもどり道で、教習所帰りの取的たちと行き交いました。今夜、豊次が書を習いにきます。
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擦り足の秘密
一
話題が人間の目のことになったのは、銀田が地方紙に視線≠ニいう連載企画を担当しているためだった。
連載は三十回の予定ではじまり、既に予定回数は出稿済みになっているが、読者の反響があり、社内の評判もよいために、連載回数を増やそうという声が出ていた。
視線のテーマは、人それぞれが対象に投げかける目をカメラで捕え、それに被写体のそのときどきの状況について解説風の文章を加え、人間の目は心の窓であり、それ故に複雑な光を発するということを、今日の時代相を背景に紹介するというものだった。
三十回のなかには、さまざまな人間が登場していた。県議会で、野党の質問に答えようと、席を立つ県知事の視線は、質問者に注がれているもので、そこには、政敵に対する闘魂と、それとは裏腹の、質問に関する困惑とが、微妙に絡《から》み合っている感じだった。写真に添えた銀田の文章は、権力者の表裏について解説していて、非常に適切なものだった。
校内暴力が起きたが、ひた隠しにしていた中学校長は、ことが漏れて、県教委に出頭してきたところを写されていた。校長の視線は、取材陣に向けられたものだが、取材記者にPTAの役員がいて、それと目が合った瞬間を捕えるといった芸の細かいものだった。驚きと戸惑いと悔恨の入り混じる目には、難を逃れることのみを考える管理者の、怯懦《きようだ》な精神が仄《ほの》見える……と銀田の文章は相当に手厳しかった。
土地成金の目は、厚化粧風の豪邸に向けられ、視線は懶惰《らんだ》と貪欲に満ちていた。
生涯を|こけし《ヽヽヽ》作りに送った、老木地師の視線は、原木採取の山に向けられていて、これには、素朴な造型神の光が宿る……と説明された。三里の道を、分教場に通う女児の目が写されていて、読者の心を捕えた。恋人に注がれる娘の視線には、願望と陶酔が入り混じっていた。
有名無名を折半した人間の目は、個性の陳列と世相の鏡にもなっていて、近来にない好企画という評価だった。
「僕らのほうでは、相手の目色《めいろ》を見るといいますが、これもなかなか難しいものです。取調べる場合、容疑者はたいがい俯《うつむ》いて、こちらを見ません。無理に向かせますと、構えてしまって、心情といったものが現われないですからね」
と岸本がいった。岸本はK警察署刑事課の巡査部長である。銀田とは親子ほどの年齢差があった。
銀田には、短大を出て市役所に勤めている二十二歳の長女がいる。母親似の色白で、プロポーションもいい。美貌ではないが、温和な顔立ちで、立ち居も穏やかである。性格が素直なところだけが取り柄だ……と父親の銀田が、岸本に誘い水をかけていた。しかし、知らぬはなんとかばかりのたとえで、二人の間には、もうある程度の交流がある。アプローチは岸本のほうからした。
目鼻立ちが整い、背が高くて、色の浅黒い岸本は、いかにも男性的だから、綾子のほうでも心を寄せていた。
「そうか。目の色ね。顔色という言葉はしょっちゅう使うが、目色とは、あまりいわない。連載回数が予定より多くなるらしいから、こんどは目線じゃなくて、目色という感じでやってみよう。いいことを聞いた」
銀田は、縁なしのメガネの奥で、目を細めた。そして、口を開けて楽しそうに笑ったので、顎《あご》が自然と伸び具合になった。長い顔がいっそう長くなった。
二人は、銀田の家の庭にある糸瓜《へちま》棚の下で、麦茶を飲みながら雑談をしていた。きょうは日曜日で、銀田は休みだった。
岸本は近くに聞き込みがあってきたといって、銀田の家に顔を出したのだが、聞き込みは口実で、綾子との今後のこともあるので、なるたけ銀田家と馴染《なじ》んでおこうという計算だった。綾子が不在なことは、前日の電話で本人から聞き知っていた。
岸本が帰ろうとして腰を上げかけたとき、遠くから太鼓の音が聞こえた。相撲がきていて、三日間興行の、きょうが打ち上げの日だった。
岸本が立ち上がったとき、垂れ下った糸瓜が頭にぶつかった。糸瓜は頼りなく揺れて、壊れそうな感じだった。
すぐに昼だから、|そうめん《ヽヽヽヽ》を食べていかないかといわれたが、ひる過ぎに人が訪ねてくることになっていたので、岸本は真っ直ぐに本署に帰った。
市内のホテルから、宝石を盗まれた……と通報があったのは、この日の夕方である。
二
通報してきたのはツー・マウンズ≠ニいうホテルだった。
一年前に建てられたもので、本館が日本旅館式で、別館は洋式のビジネスホテルになっていた。本館は経営者の趣味で造られたもので、周囲に濠《ほり》をめぐらし、白鳥を泳がせたり、鯉を放ったりした豪華なものだった。ただし経営者の悪趣味が反映し、豪華は通俗の代名詞で、正面玄関に出入りするための橋は、妓楼《ぎろう》か中華飯店の色彩を模した具合の朱塗りで、欄干の擬宝珠《ぎぼし》は金色に飾り立ててあった。勝手口に通じる裏手の橋も同様の作りになっていて、橋のたもとに番所のような小屋を設け、幕下あがりの相撲を住まわせていた。それはどうやら、台所のものを、使用人が持ち出すことを監視するためらしかった。
二棟を有するので、建物を塚に見立てて二つのマウンドという意味もあるが、名前の起こりは別にあった。経営者の元力士の四股名《しこな》が双ツ塚≠セったのである。
双ツ塚は十両止まりの力士だが、処世術に長《た》けていた。女性を籠絡《ろうらく》する技術にも長じていた。政商といわれる新興の財界人に取り入って後援者とし、現役時代に、ちゃんこの店を二軒も持った。十両クラスでは異例のことである。
兇暴な感じすら与える顔は、どう見ても女性を惹《ひ》きつけるものではなかったが、身辺に艶福の噂が絶えなかった。そのことについて、スポーツ紙などは、双ツ塚は精力で女性を手玉に取るのだと書いた。
双ツ塚は、政商から金を引きだし、一方ではファンの女性からも貢《みつ》がせて、次第に懐《ふところ》を肥やしていった。実利主義の彼は、莫大な遺産を相続した老女と結婚し、関係者を驚かした。そしてさっさと廃業していったのである。
顔に似合わず外に対して愛想がいい社交家だった双ツ塚は、内側つまり角界の同僚や下位の者には、獰猛《どうもう》な顔そのままの男だった。親方衆に諛《へつら》って、虎の威を借り、下位の力士を威《おど》した。そんな風だから、八百長の橋渡しなどは平気でやったし、自分の地位を保つためには、星をなんどでも買った。
双ツ塚は、角界の暗部に巣くう猛禽《もうきん》に似ていて、彼が広げる黒い翼の故に、前途の光明を失った力士が数多くいた。
双ツ塚は、相撲部屋のダニに間違いないのだが、なんらかの形で、彼に関わってしまった親方や兄デシたちは、内心迷惑がってはいたが、どうにもならなかった。それをいいことに、双ツ塚は、同僚や下位の者に暴威を振るったのである。
陰険な彼の目に射すくめられると、若いものは縮み上がってしまうのだった。その視線は氷のように冷く、刃《やいば》のような凄みを持ち、ネチネチと鳥黐《とりもち》のように絡みついた。
完全な二重人格者として、相撲部屋に君臨していた双ツ塚が、名を捨てて実を取り、資産家の老女と一緒になり、角界を去ったのは十五年前だった。
元双ツ塚は、ちゃんこ料理の店舗を増やし、スーパーマーケットを開いたりして事業を拡張していった。そして一年前に、出身地のここにホテル・ツー・マウンズを建てた。
品性の悪い元双ツ塚が建てたホテルの、本館の趣味の悪さは前述したとおりであるが、心ある者から身の程知らずと批判される置物が、正面玄関のとっかかりにあった。
それは、彼の現役時代を模した、高さ五十センチの力士像だった。ブロンズで作られた像は、右手に竹刀《しない》を持って、仁王立ちをしたスタイルで、これは双ツ塚が、稽古場で取的たちの稽古を叱咤《しつた》する姿だった。本場所の土俵ではなんの実績も残さない双ツ塚が、稽古場で威張り散らし、下位の者に暴威を振るった姿を、像に仕立て上げたのは、語るに落ちた話だが、それだけなら顰蹙《ひんしゆく》を買うほどのことはなかった。
彼はこの像に、玉眼《ぎよくがん》といわれる宝石の眼球を嵌《は》め込む工夫をしたのである。目玉に使用したのは、ダイヤと同等の価値があるといわれる、スターサファイア二個だった。サファイアは元双ツ塚の誕生石だった。
像は瞼《まぶた》を開閉できるように作らせてあり、玉眼の出し入れを自由にしたのは、元双ツ塚の用心深さからきていた。スターサファイアの玉眼を、像ごと盗まれたら困るというわけである。普段はガラス玉を入れておき、特別な客がきたときや、客が所望するときに、本物を嵌め込んで見せた。
玉眼の取りはずしは、勿体振《もつたいぶ》った風にも見えたし、ケチ臭い姑息《こそく》な手段とも受け取られて、顰蹙を買ったのだが、当人は気がつかなかった。
スターサファイアを嵌め込んだときの像は、外光を受けて六条の光を現わした。それはまことに異様な眼光だった。目玉が六条もの光線を見せて輝くということは、遊園地かなにかのこども騙《だま》しのようで、馬鹿馬鹿しい限りだったが、俗悪趣味の元双ツ塚にはそれがわからなかった。彼はかえって得意になり、
「このピカピカ光る目はどうだ。凄いものだろう。俺はこのようにして、稽古場を監督しておったのだぞ。親方衆からは絶対の信頼があってな。稽古場その他、相撲部屋のことは……一切合財任されていた。それで、後進の指導にばかり力を入れ過ぎたんでな。自分の相撲がおろそかになっちまったというわけだ。しかしだ。そういう犠牲的精神の持ち主も、相撲社会にゃ必要というこってす」
と、まるで自分が縁の下の力持ちだったようないい方をした。
目玉に宝石を嵌め込んだ自像を、臆面もなく飾る無神経さと、キンキラに飾り立てる悪趣味が禍《わざわ》いしたのだろう。開店当初は物珍しさできた客足は、半年たったあたりから遠退《とうの》きはじめた。ワンマン経営だから、悪趣味の非を上申する者はいなかった。強引に割り込んできたホテル経営なので、知恵を貸す者は勿論いない。元双ツ塚は、ひとりで苛苛《いらいら》し、八つ当りの状態になっていたが、ある日、大相撲の巡業がくるという話を聞き込んだ。
相撲取を泊めて、ホテルの人気を高めてやろうと考えた元双ツ塚は、横綱、大関のいる相撲部屋に狙《ねら》いをつけたが、そういう部屋には、ちゃんとした後援組織が出来上がっていて、宿舎は前から決定していた。ひとつだけ宿舎の決まらないところがあった。菱山部屋という小部屋で、これは元双ツ塚がかつて所属したところである。菱山部屋は、予約していた寺が火災を起こして半焼したために、別のところを物色中だったのだ。
小部屋でもなんでも、この際、大相撲の巡業に便乗して宣伝しようと決めていた元双ツ塚は、菱山部屋へ誘いをかけた。相撲取が泊まっていれば、相撲見物に出てくる客も吸収できると踏んだのである。菱山部屋が応じてきて、親方、力士、床山を合わせて十二名が、ツー・マウンズ本館に明荷《あけに》を置いた。
元双ツ塚の思惑は当たって、相撲見物の客が予約を申し込んできた。
力士たちが泊まっている本館の余った部屋は、特別料金を設定した。ビジネスホテル式の別館に泊まった客は、朱塗りの橋の前にきて、力士の出入りを見物した。宿泊客は一様に、大相撲の力士と同じ宿にいることに連帯感のようなものを持つらしく、満足の様子だった。
力士一行を迎えて、元双ツ塚が、ブロンズの自像にサファイアの玉眼を入れたのはいうまでもない。
盗難を警戒する彼は、三日間興行の初日に玉眼を入れ、自分だけがそう思っている栄光を自慢して見せ、夜になると、サファイアの玉眼を取り出して金庫にしまい、替わりにガラス玉を入れた。二日目はガラス玉のままにしておき、三日目の夕方、相撲一行が次の巡業地へ立つとき、送別の意味で本物を入れた。
この本物が、僅かな隙《すき》に抜き取られてしまったらしいのである。
三
菱山部屋の全員が足止めされていた。ほかに、もうひと晩泊まっていくという一般客が三名と、見送りのために本館へ入った特別のファンが五名、やはり足止めされた。
元双ツ塚が、ブロンズ像の目を、ガラス玉からサファイアに取り替えたのは、午後五時だった。目玉が抜き取られているのを、従業員が気づいたのが、午後五時二十分頃ということだった。
その時間帯に、本館にいた者は、従業員は当然であるが、菱山部屋の一行と、あとひと晩泊まる客と、見送りにきたファンだけであった。
従業員も含めて、これらの者が、朱塗りの橋を渡って、一旦表へ出たことはない……という確証も取れていた。表には別館に泊まった客がきていて、力士たちの出てくるのを待ち構えていた。裏手では元幕下の番人が、通行をチェックしている。それらの者は、その時間帯から現在まで、外へ出ていった人はいないと証言した。
「玉眼を抜き取った犯人は、このなかにいる筈だ。いつもは帳場で見張ってるんだが、相撲が引き上げるというから、いろいろ気を使って面倒みてやってたのがいけなかった。目を離したのがまずかった。なんとしても捜し出してもらう。畜生め」
と元双ツ塚が、足止め客に向かって喚《わめ》いていた。客は全員が迷惑顔をしていた。
宿のなかは、力士一行の出発を控えてごった返していたらしい。玄関近くを行ったり来たりした人間を、特定することは難しかった。
「全員の持ち物を調べりゃ、すぐにわかることだ。身体検査をしろ」
と元双ツ塚は青筋を立てて怒った。
「オーナーのいわれるとおりだと思います。そうしていただいて、一刻も早く疑いを晴らして、次の巡業先にいかないことには、明日の相撲に差し支えます。荷物の点検と、身体検査を、宜しくお願いします」
そういったのは、戸吹山親方だった。一行の総帥《そうすい》である菱山親方は、地方巡業担当の委員なので、既に目的地へ先乗りをしている。したがって、部屋つき親方である戸吹山が、いちおう責任者になっていた。
「ずいぶん自信あり気にいうじゃねえか」
元双ツ塚が、底意地の悪い目つきで、戸吹山親方を睨《にら》んだ。小柄な戸吹山親方は、元双ツ塚のきつい視線をさり気なくはずし、
「お願いします」
と岸本巡査部長に向かっていった。
「おい。えらく奇麗な口をきくけど、相撲取のなかに犯人がいねえと断言できるのかい」
元双ツ塚は、憎憎し気にいって、陰険な目つきで力士たちを睨みまわした。
「うちの部屋には、他人さまのものを取るような、そんな人間は一人もおりません」
「いたらどうする」
「わたしが全責任を負います」
「そいつは面白えや。どんな責任をとるんだ」
「相撲の親方を廃《や》めて御覧に入れましょう」
「そんな簡単なこって済むと思うのか」
「それでは、この首を差し上げましょうか」
「汚ねえ生首を貰ったって、糞《くそ》の役にも立たねえけど、呉《く》れるというなら貰ってやろうじゃねえか」
「わかりました。お約束しましょう」
「ケッ。糞ったれめ」
岸本巡査部長らは、足止めされている全員の荷物を調べた。玉眼は出てこなかった。足止め客の部屋を隈《くま》なく捜し、本館の庭や周辺を探索しても、やはり盗品は見つからなかった。身体検査でも現われなかった。従業員も調べたが、疑うようなものは出てこなかった。
元双ツ塚は苛立った。彼は、力士の髷《まげ》に指を突っ込んだりして、自分でも探索をし、警官に窘《たしな》められた。それでいよいよ苛立ちを強め、気忙《きぜわ》しく歩きまわり、明荷の角へ足をぶっつけた。それがまた腹立たしいらしく、
「こん畜生」
といって、その明荷を思い切り蹴《け》とばしたのはいいが、余計に足を痛めて、悲鳴に近い唸《うな》り声を上げた。
「どこにも見当たりませんね」
岸本がいった。元双ツ塚が首を横に振り、不満の様子を示した。
「お調べが済んだのでしたら、出発させていただきます」
戸吹山親方がいった。
「まだ全部済んじゃいねえぞ」
と元双ツ塚が喚いた。
「相撲取が口に入れて飲んだに違えねえ。間違いなくそうだ」
「サファイアの目玉が、力士の腹のなかにあるというのですか」
「そうですよ。それ以外に考えられねえことだ」
「しかし……腹のなかまではね。レントゲンをかければ発見できるかも知れないが」
もしそうした場合、人権問題が起きかねない……と岸本がいおうとしたら、
「そんなことをしなくったって、ちゃんとわかる方法がある」
と元双ツ塚がいった。
「相撲取の糞を調べりゃいい。玉眼は相撲取の糞と一緒に、明日の朝出てくる。それまで、留置場にぶち込んでおけばいい」
元双ツ塚は、犯人を力士と断定してしまっていた。岸本は全員の目色を注意して窺《うかが》ったのだが、怪しむような糸口はつかめなかった。
「容疑者が特定できない状況で、そういうことは不可能です。捜査は継続しますが、今夜はひとまずこれで」
足止めの軟禁状態にしておいて、どこからも盗品が発見されないのだから、取り調べはいちおう打ち切らざるを得なかった。元双ツ塚は渋渋承知した。
「あの、これは御相談ですが」
戸吹山親方が岸本にいった。
「なんでしょうか」
「つまり、その……盗品が力士の腹のなかに収まっているという疑いですが」
「そのことよ」
元双ツ塚が口を挟《はさ》んだ。
「あなたは黙っていて下さい」
岸本が押えた。
「わたしが、責任を持って、その、あの……」
「はっきりいえ。|うんこ《ヽヽヽ》のことだろう」
また元双ツ塚が叫ぶようにいった。
「それをですね。わたしをも含めて調べます。疑われた以上、こちらにも意地がありますからね」
「………」
「それで出てこなかった場合でも、潔白の証拠として、それをこちらさんに、お届けするというのはいかがでしょうか」
「そんなものはいらねえ」
元双ツ塚が、自棄《やけ》っぱちになって吠《ほ》えた。
「御遠慮なさらなくても、いいじゃないですか。味噌樽《みそだる》に詰めまして」
「汚ねえ話をするな。この糞ったれ野郎。うるせえ。もういい」
元双ツ塚は、プリプリしながら部屋を出ていってしまった。
「長いことお引き止めしまして。またなにかで、お話をうかがうことがあるかも知れませんが、そのときは宜しくお願いします」
岸本が、足止めされていた人たちに向かって一礼した。ざわめきが起きて、皆が普段の顔つきにもどった。
付け人が、相撲興行の出店で買ったクツワムシが、明荷のなかで鳴き出した。
四
相撲興行は、公園の広場に相撲場を仮設して行われた。その城山公園は、K城の本丸跡を中心に整備されていた。城の名残りは、崩れ欠けた石垣があるだけで、史跡案内の立て札を見ない限り、それとはわからないくらいに、完全な公園化がなされている。
テニスコートがあり、プールがあり、こどもたちがボール遊びのできる広場があった。
芝生が整備され、松と桜が植林され、夏は夜半まで市民の憩《いこ》う姿が見られた。
公園のほぼ中心に位置する松林の近くに、交番があって、園内と市街地の一部を受け持っていた。
岸本は初任の頃、その交番勤務を経験した。したがって、どこになにがあって、どの道を行けば市街地のどの辺に出られるか知っている。
「これを左にいけば、東北電力の支社の近くに出るから、そこで車を拾って、近くまで送ります」
と岸本がいった。
「わたし昼間になんどもきてるんですけどね。夜は方向音痴になって、駄目だわ」
岸本と腕を組み、上体を預け具合に寄り添って歩く綾子が、鼻にかかった声でいった。
岸本がツー・マウンズから本署へもどって、玉眼盗難事件に関する事務処理を終えたとき、友人の結婚披露宴にF市までいっていた綾子から電話があって、帰る汽車の時刻をいってきた。
駅で待ち合わせて、二人でなんどかいったことのある小料理屋で軽く飲み、そのあとで公園を散歩したのである。
F市内には、大相撲巡業の幟《のぼり》がたくさん立っていた……と綾子がいっていた。きょうK市を打ち上げた一行が、明日からF市で巡業を打つのである。
岸本は、綾子にツー・マウンズ本館の、玉眼盗難事件のことを話した。
「犯人のメドはついたの」
と綾子が聞いた。岸本が首を横に振った。
「ブロンズ像からも遺留指紋等は取れなかった。ハンカチかなんかを使って触ったんだろう」
「あんな野暮ったいものは、盗られて無くなっちゃったほうがいいわ。いけすかない成金趣味で、K市の恥さらしだって、市の観光課も困ってるという話よ」
サファイアの玉眼を嵌め込み式のブロンズ像は、悪名が知れわたっていたので、綾子は盗難をこれ幸いといった風であった。
「あんなくだらないものは、永久に出てこなければいいわ。そんなものを捜す暇があるのなら、警察はもっと汚職や暴力団の取り調べを強化すべきよ。わかった」
と岸本が相手なので、本心をいっていた。綾子のいったことは、おおかたの市民感情でもあり、岸本自身の本音もそれに近かった。
しかし、現職の警察官である岸本は、ことばに出すわけにはいかない。
「おいおい。穏やかならざることをいうね。いまはまだいいが、近い将来にそんなことをいってみろ。具合の悪いことになるぞ」
近い将来……といったことばに、結婚のニュアンスを感じ取った綾子が、首を竦《すく》めると、ちょこっと舌を出した。
そのあと、現役力士の実力評価や、年寄株とか、両国に出来た新国技館のことなどを話題にした。
二人とも大相撲ファンで、いちど新国技館へ相撲見物にいく約束が、前から交わされていたのである。
公園を出たところで、夜空に目を上げた綾子が、
「あっ。流れ星よ」
といった。すぐに目を上げた岸本も、それを認めることができた。
それはF市の方角に当たっていた。岸本は、
「うちの相撲取が玉眼を盗ったなら、首を差し出す」
と啖呵《たんか》を切っていた戸吹山親方を、星のまたたきのなかに、懐しく思い出した。
五
玉眼盗難事件のとばっちりを受けたので、菱山部屋だけが、一行より出発がだいぶ遅れてしまった。
そのため、中型バスを一台、特別に仕立ててF市へ向かった。部屋だけの家族旅行風になり、力士たちは寛《くつろ》いでいた。
大相撲は、巡業で移動するとき、自然と座学の時間を持つようになっている。
それは主として、先輩力士や親方や、場合によっては、同行の相撲記者などの座談によってなされることが多い。また一対一や数名の雑談によることもある。
閉鎖性の濃い社会にいる若い力士たちには、経験者たちからの耳学問が、重要なカリキュラムともなるのだった。
F市に向かって走るバスのなかでは、最初に、玉眼盗難のことがいわれた。
引率責任者の戸吹山親方は、力士たちがする犯人推理を、ニコニコしながら聞いていた。戸吹山親方は、力士たちの話のうちから、座学へ移る導入部分を、それとなく狙《ねら》ってもいた。
話題の流れを、自然とそちらに向けていくのが、戸吹山親方は得意であった。
「俺はだね。あれを盗んだ奴は、あそこの従業員と思うけどな。犯人は日頃からあれを狙っていたんだ。それで、俺たちみたいな旅まわりが泊まるのを待っていたんだ。相撲取なんかが泊まれば、いちばんごった返すだろう。明荷みたいな大荷物を持ち歩くしさ。俺たちが泊まったのが、犯人のチャンスだったんだ。彼等を徹底的に締め上げれば、必ず犯行を自供するね」
十両経験のある貴船山が、凹目《くぼめ》をひくつかせて力説していた。部屋頭で前頭の高嶺山が反論した。
「従業員のほうも調べて、それでも出てこなかったんだろう。その推理はどうかな。俺は足止めを食わされなかった者のなかに、真犯人がいると思うがなあ。警察が見落としてる盲点が、どっかにある気がする。外へ出ていった者がいるんじゃねえかな」
「それは兄《あん》デシ、違うんじゃないですか。従業員ですからね。匿《かく》すつもりになりゃ、警察にもわからない場所は、いくらでもあると思いますよ。たとえば」
「たとえばどこだい」
「植え込みの根っこの土のなかへ埋めるとか、それから……畳を上げて下へ匿してしまうとか、炊事場の人間なら、米のなかや、糠《ぬか》味噌に漬け込むとかね。匿す方法はいくらもあります」
「そういわれりゃ、そうだな」
高嶺山は口をつぐんでしまった。
「こういうのはどうかね」
床山の佐吉が、甲高い声でいった。
「僕のは、被害者が犯人という説だけど」
「元双ツ塚がかい」
「そうです」
「理由はなんだね」
「保険金の詐欺です」
「………」
「呼出し組合の古い人から聞いたんだけど、元双ツ塚はですね、人格のよくない人だったそうです」
そういって佐吉は、戸吹山親方をちらっと窺った。同意を求めたような仕草だったが、戸吹山親方は知らぬ振りをした。
「金銭に汚かったそうだから、欲に絡んで仕組んだものと思うね。目玉へ入れた宝石に、保険を掛けておいて、相撲が泊まったどさくさを利用してですね、自分で抜き取って、見つけ難いところへ匿したんじゃないですか。そうしておいて、保険金を騙《だま》し取る手口。これは考えられるでしょう」
「成程な。欲の深い奴ならやりそうなことだ。俺はあの男の顔を見たときから虫が好かなかった。部屋の先輩でもって、社会へ出て成功した人間だろう。それなのにお前、御祝儀も呉れないでよ。揚げ句の果ては、泥棒の嫌疑までかけやがった。先輩にあるまじき男だ。佐吉が考えたようなことを、やりかねねえな。お前はよく本を読むから、推理が働くんだよな。たいしたもんだぞ」
高嶺山が褒《ほ》めた。佐吉はヒッヒッヒと声を出して笑い、照れた。
「推理としては面白いが、その線はなしだね」
戸吹山親方がはじめて口をきいた。皆の視線が集中した。
「警察が調べたそうだがね。保険は掛けてなかったということだ」
戸吹山のひとことで、床山の推理は覆ってしまった。
「そうしますと、犯人は誰ということになるんですかね」
貴船山が思案顔で、戸吹山親方に聞いた。
「うーん。警察にもわからずじまいだろうね。犯人が盗品を質入れでもすれば別だが、そういうことがない限り、事件は藪《やぶ》のなか……そんなところではないかな。泥棒の話が出たついでだから話をするが、相撲取が泥棒に、相撲の基本を教わったという、昔ばなしを知ってるかね」
戸吹山親方は、話を座学の雰囲気にもっていった。
「泥棒に相撲のことがわかるのかね」
貴船山が、冗談でしょうという顔でいった。
「泥棒といっても、普通の泥棒ではない。相撲上がりの泥棒だ」
これでみんなの関心は、戸吹山親方に集まった。
「徳川時代の終わりというから古い話だ。相撲好きの御隠居さんのところへ泥棒が入った。御隠居さんは目を覚ましたが、強盗に早替わりされては厄介と思って、眠った振りをして、薄目をあけて様子を見ておった。普通泥棒というと、抜足、差足で歩くものとされているが、この泥棒は、擦《す》り足で歩いた。尚《なお》も注意して窺うというと、腰が落ちて安定しているんだな。どうもこれはただの泥棒ではない。相撲の動きの基本をやった男ではないだろうか……相撲好きの御隠居さんは、そう思った。そこで勇気を振るって、なるべく穏やかに声を掛けた。前身を見抜かれた泥棒は恐れ入って、御隠居さんに許しを乞うた。そして、博打《ばくち》と大酒で相撲をしくじったことを話した。泥棒に身を窶《やつ》し、年を取っていたが、修業の基本……つまり、腰を落とすことと、足は必ず地面につけて動く擦り足だな。これは体が覚えていたというわけだ。御隠居さんは、一人の若い相撲取を贔屓《ひいき》にしていたが、これがどうも体を運ぶ基本というのを会得しないので困っておった。うまく指導する者がいなかったんだな。そこでこの泥棒に頼んで、擦り足で、腰を落とす動きを、実地に訓練してもらった。お陰でその相撲取は、いままでの二倍の力を発揮するようになったという。むかし講釈で聞いた話なんだが、講釈だからと馬鹿にしてはいけない。たとえ相手が泥棒だろうとなんだろうと、学ぶべきものは学べという教訓だ」
一同が頷いた。
「近頃、擦り足ということがおろそかになっている。教習所でも稽古場でも、指導はしているが、本場所の土俵で実行されなくなってきた。スピードで引っ掻きまわして勝とうというので、駈け足、跳び足が多い。これでは基本になっていない。相撲取の足の裏は、地面を掴《つか》み取れるようでないといけない。足の裏が吸盤のようになって、土俵に吸い付いてこそ、相撲取の足といえる。そのためには、擦り足をいっときでも忘れてはいけない」
力士たちが、思い思いの顔で深く頷いていた。
「でもあれだぞ。擦り足を身につけたからといって、泥棒に転業することはないぞ」
「アッハッハ」
力士たちの笑い声を乗せて、バスは目的地のF市へ入っていった。
六
菱山部屋の宿舎は、川沿いの民宿だった。落ち鮎の簗漁《やなりよう》が行われる、大きな川があることは、あらかじめわかっていて、鮎料理を楽しみに力士たちが繰り込んできていた。
戸吹山親方たちを乗せたバスが、宿舎に到着したのは、午後十一時をまわっていた。月が中天に上って、すぐ側の川を照らしていた。八月初旬の夏の夜は、生暖かかった。
「いい川があるから、体を流してこようじゃないか」
バスを降りた戸吹山親方が、同行者を求めていった。戸吹山親方は、最初からそのつもりでいた風に見えた。強《し》いて同行者を求めるわけでもなく、浴衣《ゆかた》を脱ぎ捨て、下帯一本の裸になると、タオルを提げてさっさと一人で川に下りた。後から付人の中里川が追い駈けていった。
戸吹山親方は、抜き取ってきた玉眼を、川底へ沈めるつもりだった。
川に下りる径《みち》には、ところどころ夏草が生い茂り、そのなかで虫が鳴いた。下りていく先に浅瀬が見え、向う岸から黒々とした大岩が突き出ているのが、月光のもとに認められた。大岩の下は淵になっているらしく、そこへ月の姿が映っていた。
戸吹山親方は、十七年前の、ある夏の夜の出来事を思い出していた。名古屋場所中のことだった。戸吹山親方は、鷹ノ森という四股名で、幕下の上位に位置し、好成績のために、十両力士と合わされることになった。その十両は、負け越しが決まると幕下に転落する位置にいた。鷹ノ森に八百長の話が持ちかけられた。当時菱山部屋で幅をきかせていた双ツ塚にいわれたのである。双ツ塚は、蛇のような目をして、命令的だった。
鷹ノ森は諦《あきら》めて、八百長を受け入れたのだが、勝負は手筈どおりにいかなかった。どうしたことか、立ち合った瞬間に、相手の十両は足を滑らせてこけてしまった。相手が勝手に土俵へ落ちたのだが、結果として八百長相撲は成立しなかった。双ツ塚は不機嫌だった。
その晩のことである。鷹ノ森は双ツ塚に呼ばれた。双ツ塚は手酌で酒を飲んでいた。庭に面した障子があけ放たれていて、沓脱《くつぬぎ》石がキラキラと雲母のように光っていた。そこへ萩《はぎ》の株が被《かぶ》さるように迫っていた。
双ツ塚は、射るような目で鷹ノ森を見ると、
「てめえ、きょうの相撲は、ありゃなんだ」
と怒鳴った。鷹ノ森が、相手が勝手にこけたことを説明しかけると、
「うるせえ。いいわけなんぞ聞きたくねえ」
といいざま、盃を持った手を横に振った。盃が双ツ塚の手を離れて庭へ飛んだ。あとで思うと、これが策略だったのだ。
「ぼやっとしてねえで、拾ってこい」
蛇のような目が、鷹ノ森を睨んだ。その目に射すくめられながら、庭に下りようとして履物を捜していると、
「なにをもたもたしてやがる。馬鹿野郎」
と罵声《ばせい》が飛んできて、背中を突かれた。突き飛ばされた鷹ノ森は、沓脱石へ飛び下りた。焼け火箸《ひばし》を突き立てられたような痛みを覚えたが、双ツ塚の激怒におののく鷹ノ森は、夢中になって盃を捜した。捜し当てて沓脱石へ片足を掛けたとき、痛みは本当に自分のものとなった。両足裏にビール瓶の大きな破片が突き刺さり、血が流れ出ていた。
八百長がうまくいかなかった腹癒《はらい》せに、双ツ塚が、瓶の破片をまき散らして置いたに違いなかった。
破片を抜き取り、浴衣の裾《すそ》で血を拭《ぬぐ》い、縁側に上がろうとすると、
「汚れた足のまま上がってくる馬鹿があるか」
と、小皿が飛んできて額に当たった。鷹ノ森は庭づたいにもどって、同僚の手当てを受けた。するとそこへ双ツ塚が現われ、
「相撲取がそのくれえの怪我で、大騒ぎの治療なんぞするな。塩を塗って砂を詰めときゃ治っちまう。手当てなんぞすると承知しねえ」
と怒鳴り散らした。こっそり手当てをして寝たが、翌朝、鷹ノ森は双ツ塚に稽古土俵へ引き出され、徹底的にいたぶられた。足裏の創口《きずぐち》は広がった。いたぶりは連日続けられて、創口の塞《ふさ》がる暇がなかった。
双ツ塚の蛇のような目は、執拗にまとわりついて、鷹ノ森の気の休まることはなかった。鷹ノ森は涙をこらえて耐えた。双ツ塚の視線が、殺人光線に思えることがあった。それでも、ほかにいくところのない鷹ノ森は、じっとこらえた。そして幕下に低迷した。
鷹ノ森の気が晴れたのは、双ツ塚が角界を去った日からであった。気が晴れると同時に、鷹ノ森が身上とする擦り足の基本技が花開いた。十両になり、幕に入り、小結を都合三回つとめるまで出世をした。戸吹山親方になり、菱山部屋で後進の指導に当たる身となったが、夏の夜に双ツ塚から受けた足裏の傷は、心の傷にもなって残った。いつかは吹き出さねばおかない、恨みの創口であった。
K市の宿舎が、元双ツ塚の経営するホテルに変更されたとき、戸吹山親方はなんらかの報復処置のことを、ちらっと頭に浮かべたが、具体策は考えつかなかった。
復讐が具体化したのは、六条の光を現わす、像の目を見たときである。その目色は、十七年前に双ツ塚が発した、蛇のような目を思い出させた。
元双ツ塚は、ブロンズの自像に嵌め込んだ玉眼を、得意になってひけらかしている。資産家になった栄光を、宝石の光によって誇示しているのだ。宝石は、それを持つ人の心を映して光るともいわれる。
玉眼の放つ光は、戸吹山親方の胸にぐさりと刺さった。この目色によって、涙を飲み血を流し、挫折した者もいる。
戸吹山親方は、ゆっくりと川の流れに入っていった。頃合いの深みへきたとき、上体を沈めて腰を曲げた。川底へ尻を据えると、水中で両足を上げた。上げた足裏は、十七年前の創口が穴をあけたままになっていた。
そこに玉眼が詰まっている。
戸吹山親方は、玉眼を足裏の穴へ匿し持ったまま、ここへ移動してきた。警察は足の裏まで探りはしなかった。
過去の都合が悪いことには目をつむり、平気で忘れてしまっている元双ツ塚は、あのときの創口が穴になって残ったことなど、思いもつかぬことであったろう。
戸吹山親方は、水中で足裏の穴から玉眼を取り出した。足裏の穴に水が入った。この穴のお陰で、擦り足を踏ん張ったとき、吸盤の役目を果たし、地に足がしっかりついた相撲が取れたことなど、誰も知るまい。そうした過去の苦難を口外することなく、相撲に精進し、足裏の傷は誰にも見せずにきょうまできた。
大岩の下へ泳ぎついた戸吹山親方は、そこの深みに逆潜りしていった。水面に映った月の姿が砕け散り、やがてまた、もとの形にもどった。その真下の川底で大きな石を起こし、玉眼を下へ置いて押えつけた戸吹山親方が、浮上する姿勢をとった。
川面の月影がゆらめき、頭が浮いてきた。
宿舎の窓に力士たちの顔が集まっていた。月が明るいので、美事な抜き手を切って岸辺へ泳いでくる、戸吹山親方の姿を認めることができた。
いろんなことをいい合いながら、戸吹山親方の泳ぎを見る力士たちの目は、一様に輝いているようであった。
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タ ニ マ チ
一
さしさわりがあるといけないので、大関|某《なにがし》とする。風貌、取口、所属する相撲部屋などもいっさい伏せる。
大関某の評判は悪い。とことんよくない。
曰《いわ》く、
「素質だけで大関になり、精進ということがまるでない。大関としての自覚もない。好成績を残すより、いかにして大関転落をまぬがれようかと、そればっかり考えている。だからいつの場所もクンロクで、九つの勝ち星のなかには、八百長くさい取組が必ず一、二番ある。こうなってくると、彼は大相撲の癌だな」
次のようにいう相撲評論家がいる。
「大関に上がったとたんに、どうしたわけか覇気が感じられなくなりましたね。体はどこも悪くないそうだから、気力の問題と思います。師匠の○○さんもそれをわかっとるはずです。しかし大関までなった力士に、師匠がいくら気力をもてとゆうてもですな。こればかりは本人が奮い立たんことには、どうもならんでしょう。相撲っぷりも大関らしゅうない、デレンデレンですね。立ち合いの待ったも、幕内を通じていちばん多いのと違いますか。こんなにいうと失礼かも知れんが、わたしはこの人の相撲は見とうないですな。土俵をだらけさす元兇です」
評論家がここまで手厳しくいうのは、相撲ファンの大多数が、大関某に対して好感をもっていないのを、ちゃんと見越しているためだ。
その大多数の相撲ファンになると、もっとひどいことをいっている。
「あいつは相撲も汚いけどよ、金にも汚ねえらしいな。付人にラーメン一杯おごったこともねえというぜ。ケチして年寄株を買う金をためてるのかというと、そうではねえらしい。女遊びにはなんぼでも金を使うそうだ」
「そうだろうな。でなきゃあ、あれほどの恵まれた体でもってさ、二ケタの星も上げられねえなんて、絶対おかしいものな」
「一説によると、暴力団が関係してるっていうぜ。麻薬を打ってるって話だ。いまにきっとゲッソリ痩せちまってよ。ごっつぁんで地位を保つなんて真似はできなくなるな。そうなったら、見るまに番付は転落だ」
「人生からも転落だ。相撲ファンの期待を裏切ったんだから、自業自得だな。同情の余地なしだ」
「そのとおり」
「どこまで落ちて廃業するか、賭けようか」
「賭けてもいいけど、ああいう奴だからよ。いじきたなくしがみついてさ。幕下に落ちてもやめねえんじゃねえか」
「そうかもな。賭けはよすか」
「考えるだけでも腹が立つからね。ああいうのは黙殺したほうがいいよ。相手にしないことだ」
これほど悪評の大関某であるから、彼の師匠は、表向き渋面をつくり、
「精神的なものなんで、治療法がなかなかむずかしいです。あまりうるさくいうと、余計に消極的になる質《たち》で、それでたいへん困っているわけです。そのうち……なんとか吹っ切れるのではないかと、期待はしているんですが」
というコメントを、ときどき出す。出すことは出すが、大関某の消極相撲が、吹っ切れることがあるなどとは考えていない。
もうこいつに多くはのぞめない……というふうにきめていて、あとはできるだけいまの地位を保ってもらいたいと願っているのである。
理由はただひとつ。評判が悪かろうがどうだろうが、部屋に大関がいるかいないかで、入ってくるお金が違うということ。
そして、いくら駄目大関であっても、看板として通用すること。
それは……有能な代議士であっても、陣笠では低く見られるが、たとえ能力は乏しくても、ナントカ大臣のほうが選挙区に通りがいいのと同じことである。
クンロクであろうと、カド番脱出をくり返そうと、大関として長持ちしてくれればよろしいと、師匠である某親方は思っている。
三月場所後、近畿、四国、中国地方を巡業した力士たちが、四月の半ばに東京へもどってくる。
四月の末に靖国神社で奉納相撲大会が行われ、それが終わると、各部屋は五月場所に備えて力士の調整がはじまる。
この期間の稽古は、本場所に向けて徐々に体調を整えていくわけである。
三月場所に珍しく十勝を上げて、カド番を脱した大関某は、毎朝十時前後に稽古場へ出てきて、四股を踏み、鉄砲柱に向かい、幕下を相手に|あんま《ヽヽヽ》をして軽く体をほぐす。そして申し合いをして引きあげるという、どの関取がするのとも同じ手順を踏んで、場所に備えた。
稽古を見る限りでは、大関某が特別にいい加減にやっているようには思えなかった。
四股も念入りに踏むし、汗も流している。部屋|頭《がしら》として叱咤《しつた》激励の声もたまには出す。
それらのことを、相撲記者や相撲解説者、あるいは相撲評論家は、
「ゼスチャーに過ぎない。本場所の無気力相撲をカバーするために、さも熱心に稽古をやっているように、見せかけているだけだ」
とか、
「あの稽古がほんものなら、大関なんだから一場所くらいは優勝戦線に残ってもいいはずだ。一度も優勝戦線に顔を出さないということは、見せかけの稽古でお茶を濁している証拠だ」
というふうに、駄目大関の烙印《らくいん》を押す。このように、稽古場の相撲まで信用されなくなっている大関某であるが、相撲記者や解説者たちが見落としているものがひとつあった。
それは見落とすというよりも、感じ取っていないといったほうが当たっているだろう。
相撲部屋の稽古場は、だいたい玄関を入ったすぐにある。土間と上がり座敷になっていて、土間に土俵と鉄砲柱があって、これが力士たちの場所である。土間に面した座敷は、親方が座って監督をするところで、ここには、取材記者や見学者が入る。
稽古場は道路に面してつくられているものが多く、格子窓がついていて、そこから稽古場をのぞくことができる。
どこの相撲部屋も、朝の早いうちは幕下力士がリーダーになって、下位の力士の稽古を指導する。
四股、腕立て伏せ、兎《うさぎ》とび、擦り足といった基本からはじめるわけで、スロースロークイックといった調子で稽古場の空気を盛り上げていく。
八時から八時半ころになると、関取と呼ばれる十両以上の力士が、ぽつりぽつりと稽古場に下りてきて、相撲部屋というひとつの軍団が形を整える。
この時間には、上がり座敷に部屋持ち親方がきて、でんと腰をすえ睨《にら》みをきかせる。部屋つきの親方も自宅から出勤してきて、ある者は稽古場に立つ。
稽古場の空気は、はじめチョロチョロ、なかパッパのご飯炊きの要領に似ていて、八時半ころになると、いやが上にも盛り上がってくる。
熱気が熱気を呼ぶといった具合になって、その熱気にあおられた力士たちが、気負い立ってくるのだ。
親方も興奮してくる。意味もなく、
「この野郎」
などということばが飛び出す。
稽古場はなかパッパに燃えて、力士たちのぶつかり合う音と咆哮《ほうこう》が渦巻く。
いつの間にか、部屋頭の大関某が加わっている。時計の針は午前十時ちょっと前。
大関某は稽古場へ入ってきたときに、上がり座敷の親方に目礼をしたはずであるが、これは誰も気がつかない。礼をされた親方も気がつかないのだ。大関某は、稽古場の入口で、大勢の力士の陰に隠れた状態で目礼をするのである。
そして、ずっと前から稽古場へきているという感じで、力士たちの間にまぎれ込んでしまう。
稽古はだらだらやっているようには見えない。見てのとおりで、大関某は手抜きなどしてはいないのだ。
強《し》いていえば、無理をしないということになるだろう。気は抜かないけれど、土俵ぎわで踏ん張ってこらえるようなことは、避けているのである。
上位者の稽古は、本場所への調整が主な目的であるから、大関某のやり方は非難されるほどのことではない。
それが批判の対象になるのは、本場所の成績が、ほとんどコンスタントに九勝六敗であり、何場所目かにはきまってカド番を迎えるという、ていたらくだからであった。
大関某が稽古場へ現われる……あるいはまぎれ込むというと、取的たちに変化が起こる。
取的の心の奥で変化が起きるのだ。
それはほっとした気分とでもいうのだろうか。
苦労の真っ最中である取的にとって、首の皮一枚でつながっている感じの大関某は、与《くみ》し易い部屋頭なのである。
スポーツ紙などに、駄目大関と書かれたりする部屋頭は、ちっとも恐くない。恐くないどころか親しみのようなものさえ感じるが、相撲部屋の生活は階級制度であるから、親しみの感情は心の奥にしまって、表には出さない。
したがって、取的たちを含めて、稽古場に安らぎの感情を持ち込む大関某の一面については、相撲記者や相撲解説者にはわからないのである。
二
大関某は稽古のあとで一番風呂に入り、床山に髪を結わせた。
|ちゃんこ《ヽヽヽヽ》は食べずに、付人の幕下某を連れて外出した。
幕下某は廃業を決心していて、そのことは大関某に話してあった。幕下某は、相撲をやめたら警備保障会社に入って、ガードマンになるつもりである。
京葉道路でタクシー待ちをしているとき、大関某は付人の幕下某にいった。
「あちらさんで行事が終われば、ご馳走は食べきれないほどあるからな。腹が減ってるだろうが、ガマンせいよ」
化粧廻しを包んだ風呂敷を持った幕下某は、
「ごっちゃんです」
と答えて、空車を捜す目をキョロつかせていた。
ツバメが、商店の軒先を掬《すく》い取るようにして飛んだ。中天にきた太陽が翳《かげ》ったと思ったら、またすぐに光がさして、ツバメの白い腹が光って見えた。
「目黒駅の近くに長者丸駐在所というのがあるんだが、そこへやってくれないか」
大関某は、タクシーに乗り込むと行き先を告げた。
「長者丸というと、上大崎ですね」
と運転手がいった。町名地番の変更でそうなったのを、年輩の運転手は承知しているらしかった。
目的地には、長者丸一郎という旧地主で、いまは大手証券会社の相談役をしている人が、庭の隅に注連縄《しめなわ》を張って、大関某のくるのを待っている。
タクシーは大関某の指示にしたがい、大崎警察署長者丸駐在所前を通り過ぎて、約二十メートルいったところで停車した。
長者丸一郎の邸は、大谷石の高い塀をめぐらせ、欅《けやき》だの樫《かし》だのの大木が鬱蒼《うつそう》と茂っている。孟宗竹《もうそうちく》の林もあって、その梢《こずえ》が微風にゆっくり波打っていた。
町名地番変更による行政区分は、上大崎二丁目となっているが、それ以前は上大崎長者丸が地名で、昭和二十年代に発行された区分地図にはそう記されている。
普通は、上大崎をとって、単に長者丸と呼ばれた。その地名を姓とする長者丸家が、この地の豪族または大地主であったのは、知る人ぞ知るである。
当主の一郎は六十二歳である。大関某とは八年前からの知り合いで、大関某はそのころ前頭下位の力士だった。
知り合ったのは、ある会社のパーティで、大関某と出身地が同じ会社役員に紹介された。
その場の外交辞令で、遊びにくるようにいったら、ひと月ほどたって電話を掛けてきた。五月場所の番付を届けにいきたい……というのである。
長者丸一郎は、それまで相撲取との交渉は皆無だったが、年の功で、ははあこれは祝儀をもらいにくるのだなと思った。
いくら出せばいいのか見当がつかないので、紹介してくれた会社役員に問い合わせた。
「一本が常識でしょうな」
と役員はいった。更に、
「一本は両手です」
とつけ加えた。長者丸一郎は、番付一枚で祝儀を十万円も出すのは馬鹿らしい気がした。相撲がそれほど好きなわけでもないし、紹介された力士を後援しようなどと考えたこともなかった。だいいち顔も忘れてしまっていた。
十万円がくせになり、場所ごとにこられてはわずらわしいと思った長者丸一郎は、きたら三万円渡すことにきめた。金額が少なければ懲りて二度とこないだろうという計算だった。
そのころ長者丸一郎は、家庭内にいろいろとトラブルが起きていて鬱の状態だった。できることなら、好きでもない相撲取の来訪は断わりたかったが、紹介した会社役員の手前もあり、一回だけと思って迎えたのである。
あとでそれが紹介者の耳へ入ったら入ったでかまわないと思った。祝儀など相場があってないようなものである。
玄関で祝儀袋を渡して帰すわけにもいかないので、庭に面した部屋に招じ入れ酒を出した。
盃《さかずき》のやり取りをなんどかした後で、大関某……当時は前頭某であるが、悪霊を退治させて下さいといった。わけを聞くと、どこの家にも悪霊が地中にこもっているのだという。
家を建てるときに地鎮祭をするのは、その悪霊を鎮めるためだが、鎮まった悪霊も年数がたつと頭を持ち上げてきて、うわものにわざわいをもたらす。その頭を踏み砕くのが相撲の四股の本義だというのであった。
相撲取は、縁側から裸足《はだし》で庭へ下りると、着物の裾をたくし上げ、丸太ん棒のような足を持ち上げて、ドスン、バタンと地面を踏みならした。
そのとき、たぶん地響きに驚いたのであろう。ツツジの株の根方から大きなヒキガエルが這《は》い出してきた。ヒキガエルはどこを見るともなく目をむく格好で四つん這い、尻っぱしょりの相撲取よりも貫禄があった。
相撲取は三万円の祝儀袋を懐《ふところ》に入れて帰った。悪霊の頭を踏み潰《つぶ》したせいではないだろうが、長者丸一郎が悩んでいたトラブルは、それから間もなく解消した。
人間は縁起をかつぐ。ましてや長者丸一郎のように、祖先伝来の土地に住み、因習にとらわれ易い者は、あのときの相撲取の四股踏みは効力があったと思い込んだ。そして、またきたならやってもらおうと待ったが、一年目がめぐってきても相撲取は現われず、そのかわりに番付だけはきちんと郵送されてきた。
三万円の祝儀が崇《たた》ったのだなと長者丸一郎は、急に恥ずかしくなっていた。大地主の末裔《まつえい》たるものがなんたる銭惜しみをしたものかと、忸怩《じくじ》たる思いであった。
数年がたち、その相撲取は大関になった。
「あのときしっかりつかまえておけば」
長者丸一郎は、かえすがえすも残念に思った。相撲に関心はなく、ただ四股踏みをしてくれた相撲取の大関某だけが眼中にある長者丸一郎は、大関としての成績や、評判の悪いことなどもまったく知らなかった。
大関某は、長者丸邸の庭で、土中にこもる悪霊の頭を踏み潰してくれた相撲取として、長者丸一郎の心に棲《す》んでいるのだった。
長者丸一郎は心臓を悪くしていた。病院に通ってもはかばかしくないのは、年のせいと心労のせいなのだが、因習というものから逃れられない彼は、悪霊が蘇生して、またぞろわざわいを及ぼしはじめたのだと考えた。
長者丸一郎は、とうとうガマンがしきれなくなって、十日ほど前に大関某宛に手紙を書いて出した。
それを受けて、悪霊退治の訪問となったのである。
三
大関某は感激していた。
自分はたしかに駄目大関に違いない。無気力と見られても仕方のない相撲を取る。それは考えがあってのことであるが、理由にも弁解にもなるまい。
クンロクでカド番常習の駄目大関を、長者丸一郎さんという人が覚えていてくれた。前にいちどおたずねしたとき、祝儀の額が馬鹿に少なかったので、自分は嫌われたと思い、次からは番付を送るだけにとどめたのである。
だが何年かしてまた呼んでくれるということは、嫌われたわけではなかったのだ。十万円の相場が三万だったことなど、どうでもいい。それは忘れよう。
長者丸一郎さんは、心臓を悪くしているということである。土中の悪霊が崇っているのだと思っておられるようだ。それで駄目大関といわれるのも気にせずに、昔のよしみで呼んでくれた。これは感激だ。
よしわかりました。絶対お任せを。こんどというこんどは、悪霊の頭といわず尻尾の先まで、踏み潰し踏み砕き、こっぱみじんにしてやろう。
長者丸一郎さんの心臓に巣くった悪霊などは、たちどころに雲散霧消だ。今回は庭へ注連縄《しめなわ》を張って用意しているという。御神酒《おみき》も供えておくそうな。駄目大関といえども、このように期待されては、緊褌《きんこん》一番……大いにつとめなくてはならない。
そう考えた大関某は、酒肴《しゆこう》を接待される前に、幕下某に持たせた化粧廻しをつけると、注連縄を張った囲いのなかに踏み入った。屋敷林ともいうべき茂みが周囲を取り巻いていて、高層のマンションも建っていないお屋敷まちである。都会の騒音のかわりに、木々の梢に集まる鳥の声がしていた。
長者丸一郎も庭に下り、籐《とう》の杖で体を支え具合にして見学に及ぶ。病気のせいで頬がこけ、金ぶちのメガネがやけに目立った。タツノオトシゴみたいな顔である。
大関某は生気がみなぎっていた。自分のことを覚えていてくれて、世間の悪評にもかかわらず呼んでくれたことが、大関某を感激させているのである。こうなったら祝儀の額は問題外で、一意専心、悪霊踏み砕きの四股を踏むのみだ。
大関某は、注連縄の囲いから手をのばし、庭木の根をおおって生えるヤバネススキのひとむらを、むしり取った。さして貴重なものではないのだが、取りかたが乱暴だったので、長者丸一郎はうろたえたようである。
大関某は、むしり取った草を両手でぐりぐりと揉《も》み潰し、ぽいっともとのところへ捨てた。古式にのっとって、手を浄《きよ》めるためのチリを切ったのであるが、そういう所作は長者丸一郎には通じないのである。
大関某は、天を仰いでひと息入れると、次は地面を睨んで太く息を吐いた。それは野獣が猛《たけ》り立つ感じで、あたりの空気を震動させるものがあった。その激しい気息に、長者丸一郎は杖につかまった体をよろめかせた。
しかし長者丸一郎は、大いに納得し、大いに満足した様子で、大関某の仕草にうなずいていた。
そしていよいよ悪霊踏み砕きの四股踏みがはじまった。
ドシン、バタン、ドタン、ドスンと踏む四股は、地面をゆるがし、力の入ったものであった。
地響きはそのまま長者丸一郎の足もとにも及んだ。ズシンと震動が伝わり、駈けのぼって心臓にも響いた。痛い感じだが、痛みの持つ恍惚感があって、長者丸一郎は杖にすがりながら、えもいえぬ気分になっていた。
ズシンとくる響きが、五体から悪霊をはじき出す気がした。
長者丸一郎は、四股踏みの音に合わせて、自分でも力んだ。大関某と呼吸を合わせて、土中の悪霊と、身中に崇っている悪霊とを殲滅《せんめつ》している気分だった。阿吽《あうん》の呼吸である。
大関某の四股が終わると、長者丸一郎は、疲れてぐったりし、よろよろしながら縁側へたどりついた。それでもなんとなく悪霊が退散した気分であった。
「やあ……ご苦労さん、ご苦労さん」
長者丸一郎は縁側へ這《は》い上がり、膝をすりながら部屋にしつらえられた自分の席に着くと、ごろりと横になった。一緒になって力んだために、よほど疲れた様子だった。
大関某が化粧廻しをはずして着物を着て席についた。夫人がお酌をした。付人の幕下某も、ひと膝うしろにさがる形でお相伴をうけた。
「贔屓《ひいき》のことをタニマチというのはどういう意味ですかね」
夫人が誰に聞くともなくいうと、
「大阪の谷町《たにまち》というところに、相撲取を無料で診る医者がいて、それが語源ということになってますが、別の説もあるらしいです」
と大関某が答えた。
「それはどういうのですか」
「他人持ちがなまったという説です。つまり自分では一銭も出さないで、すべて他人持ちという。相撲取はむかし男芸者といわれていましたから。お客さんのおごりでもって済ませていたからでしょうか」
「なるほどね。タニンモチがタニンマチになまって、さらにンがつまってタニマチですか。面白いですわね」
夫人が声を立てて笑った。
「それはこじつけだろうな」
長者丸一郎は、面白くもなんともないという顔だった。
長者丸一郎は、大関某に十万円の祝儀を包んだ。物価が上がっているから、最初きたときの三万円と価値はたいして違わない気はしたのだが、長者丸一郎はある事業に手を出していて、下手をすると破産しかねない瀬戸ぎわに立っていた。心臓を悪くしたのも、その心労が原因である。
長者丸一郎は、大関某が帰るのを待ちかねたように、常備薬を飲み、横になった。枕もとに大関某が持ってきた五月場所の番付を置いた。
胸がつまる痛みを覚えたが、それは悪霊を追い出した時の震動が残っているのと、大関某が悪霊にかわって、自分の心に棲みはじめたからだと、長者丸一郎は思った。
自分も相撲取のタニマチになりつつあり、その手応えが、ズシン、ドシンの響きであるような気がしていた。
四
大関某は、幕下某を先に帰し、前に長者丸一郎を紹介した会社役員のところにまわった。
この家は、場所前には必ず番付を持ってたずねることにしていた。
大関某が横綱にならないばかりか、駄目大関といわれるていたらくに、会社役員は後援をしぶりはじめている。大関某を捨てようとしている。最近ますます逃げ腰なのがわかる。
「こっちは、さっきの家とは違うのだ」
大関某は、会社役員を正真正銘のタニマチと考えていた。タニマチ即ち|他人持ち《ヽヽヽヽ》である。徹底的に持ってもらうという考えだ。
なぜか。それは大関某に対して、旦那風を吹かせるからである。
昨日の相撲は、ありゃなんだ。取口を変えろ。早く横綱になって故郷に錦を飾れ。大関でモタモタしているようだと、年寄株の面倒はみれないぞ。ひとつ覚えの相撲甚句ばかりやらないで、たまには演歌をうたえ、などなど。
こういう旦那のところには、どんどん入り込んでいって、大あぐらかいて棲みついてやる。おんぶお化け式に、お荷物になって取りつくのだ。
年寄株など買ってもらわなくてもいい。自分のような者には、たとえお金があったとしても、年寄株は手に入りそうもない。大関を落ちたら廃業以外に道はなし。それまでは、丈夫で長持ちをさせなくてはならないのだ。
決して無理をしないこと。土俵ぎわで踏ん張って、腰や足首を痛めたら明日はない。
実をいうと……自分は大関になったとたんに、取口が慎重になってしまったのだ。大関は二た場所負け越すと落ちるという規則がある。自分のような人間は、いちど上がったところから落ちるというのは恐い。恥ずかしい。口惜しい。十両だって前頭だって、負け越しは落ちるときまっている。しかしあれは、一度で落ちるのだからあきらめがつく。
大関はいちど負け越しても落ちない。そのかわり二度目は落ちる。この状態が不安で嫌なのだ。転落ということが目立つようにできている。いちど大関を滑り落ちたら、再び上がるのは至難のわざである。なかには捲土《けんど》重来もあるが、だいたいはそれでおしまいである。
自分は落ちることが恐くてならなかった。そうかといって、大勝ちして横綱になる力もなかった。大関が精いっぱいの男が大関になってしまった悲痛は、自分みたいな者でないとわからないと思う。大関を落ちるのが恐さに、自分は慎重に取ってケガに気をつけた。
決して自慢にはならないが、カド番の場所で星を借りたり買ったことだってある。それは力士の精神にはずれることだが、大関を転落するきまり悪さを思ったら、さほどに心は痛まないものであった。
それならば、大関を落ちる前に引退すればいいではないか……というだろう。年寄株の手当てさえついていたら、そうしたかも知れないが、一○五ある年寄|名跡《みようせき》のうち、空株になりそうなものは、ことごとく手がまわっていた。相撲年寄絶望の自分が取る手段は、首の皮一枚でもかまわないから、大関につながっておくこと。
駄目のぐうたらのといわれても、大関は大関。落ちてしまえば、落選代議士同然である。落ちるのが恐さに、自分は悪評に耐えている。そして、旦那然とするタニマチの心のなかに、棲みついているのである。これは、世間の誹膀《ひぼう》中傷を補って余りある快味でもあるのだ。
それにしても、四股踏みをさせた長者丸一郎という人は、世間知らずかケチン坊なのか。あれだけの行事に大関を使っておいて、十万円ぽっきりとは驚いた。でもあの人は、相撲について、なんのかのといわないだけは人物だ。相撲取にとって、論語読みの論語知らずのような、土俵の取組批判をされるのはいちばん困る。祝儀も出さずにいう人が多いけれど、ああいうのはなんといったらいいのだろう。勝てば強かったで、負ければ弱かったで、それでいいのではないか。
大関某は、上大崎二丁目から中野|鷺宮《さぎのみや》へいく間じゅう、いろいろなことを考えた。
会社役員はゴルフにいって留守だった。恒例の訪問で、電話でいってあったので、応接間に招じ入れられた。そして手形を五十枚押させられた。サインはゴム判でつくってあり、色紙にあらかじめ押してある。
大関某は、義務的に事務的に、なんの感情ももたず、ペッタン、ペッタンと手形を押した。一枚押して一万円……帰るときに五十万円の祝儀袋をもらうことになっていた。
五十万円はそのまま手をつけずに預金をして、大関転落後の生活設計に役立てるのである。一年間で六回だから、合計三百万円になる。そのほかにもいろいろと手堅くお金はためてきたから、もういつやめても……ふとそう考えて、手形を押した手がぶれた。形の崩れたものになったが、大関某はそ知らぬ顔で次の一枚へ掌《てのひら》を押しつけた。
大関某が、そうした具合で手形を押し終えようとする時刻。
川奈のゴルフ場でプレイをする会社役員は、アウトの十番ホールで、どうした風の吹きまわしか、ホールインワンをきめていた。
会社役員は茫然自失し、失禁したがコースを引きあげるまで気がつかなかった。
興奮さめやらぬ会社役員は、グリーンで横綱土俵入りの真似をしてはしゃいだ。
同じ時刻に、長者丸一郎は主治医に脈をとられていた。
死が迫っているのを自覚しているらしい患者だったが、悪霊踏み砕きの四股で力んだこと、地響きが弱った心臓に影響したとは思っていない様子である。医者も四股踏みのことは聞いていない。
意識の混濁してきた長者丸一郎は、突然力を出して両手をはね上げると、胸のところで掌を揉むようにした。それは、大関某がやったチリを切る仕草を真似たものだった。
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恩讐の右腕
一
柳橋の釣船勘八丸の船長が、出漁準備のために桟橋から船へ乗り移りながら水面を見ると、船腹《ふなばら》に纏《まつわ》り付く物体があった。
ひたひたと寄せる川波に漂う黒い物体は、いつもの粗大ゴミと様子が違っていた。
船長は船腹を気にしながら、逆に空を仰いだ。
凍《い》てつく冬の夜空に、明けの明星が見えた。船長は夜空に向けて白い息を吐き、一旦息を吸い込んでから|しわぶき《ヽヽヽヽ》をした。
そして船腹を覗《のぞ》き込んだ。懐中電灯を照らした。
浅草橋の方から自転車の灯が揺れながら近づいてきた。
自転車には警邏《けいら》の巡査が乗っていた。巡査は勘八丸のところにきて、
「お早よう」
と声を掛け、自転車に跨《また》がったまま、船長が懐中電灯を照らしている船腹を覗き込んだ。
「勘八丸さん。どうかしましたか」
「変なものが浮いてやがるんです」
船長は、下を見たまま答えた。纏り付く物体の、およその見当がついている風だった。
「変なものというと何かな」
巡査は既に職業意識を発揮していて、自転車を下り、桟橋を渡っていた。
「人間ですよ。お巡りさん」
船長は振り向いて懐中電灯を巡査の顔へ向けた。
巡査は桟橋の上で立ち竦《すく》み、左|肘《ひじ》を上げて懐中電灯の光を遮った
「土左衛門だ。間違いねえや」
船長の懐中電灯は再び水面を照らした。水死体は船尾の船腹へ身を寄せて、軽い浮き沈みを繰り返していた。
「飛び込んだんでしょうかね。それとも投げ込まれたのかな。どっちでしょうね」
と船長がいうのへ、それはわからない……と巡査は答えて、携帯無線機で本署を呼び出していた。
船主仲間が何人か、勘八丸のところへ寄ってきた。
予約客の数人連れが、勘八丸のところに人だかりがしているのを見て、背伸びの格好で近づいてきた。
パトカーのサイレンが聞え、自転車を止めた新聞配達が、音のする方角へ首を伸ばし具合にした。
巡査は、勘八丸に入ってきた人たちを陸の上へ押しもどし、船腹と桟橋を等分に睨《にら》む姿勢をとった。
浅草橋のたもとを左折するパトカーの赤いランプが見えた。
二
「ひと月にもなるちゅうのに、犯人が捕まらねえのはどうしたことかね」
「うーん」
「あんたは刑事をやってたことがあるんだから、あの事件に関心はあるだろう」
「なくはないが、わたしゃもう過去の人間だからな。捜査がどうのこうのとは……いわねえことにしてたんだが……」
「してたんだが……どうなのかね。あとのことばを聞かせてもらいてえね」
ここは鳥越神社の境内で、立ち話をしているのは、幼な馴染《なじ》みの老人である。
ひと月にもなるのに、犯人が捕まらぬのは云々……といっているのは、浅草消防署裏に住む馬場辰郎である。郵便局員を勤め上げ、いまは俳句の同好会を組織して悠々自適の生活を送っている。和服にモンペばきで、裏に兎の毛皮をつけた袖無を羽織っている。臙脂《えんじ》の丸|頭巾《ずきん》を被っているのは、禿頭を保護|隠蔽《いんぺい》するのと、俳諧《はいかい》宗匠を気取ったのとの、双方の計算が働いてる。
警察にいたことがある……といわれている老人は、丸頭巾より背が高く、がっしりとした体格をしている。こちらは蔵前橋通りを挟んだ北側の鳥越二丁目に住んでいて、高島五右衛門という天下の大泥棒と同じ名を持つ老人だった。茶色のコール天ズボンにサンダルをはき、黒の半コートを引っ掛けている。
彼の家は代々が桶屋《おけや》で、父親の代に五右衛門風呂の製造に力を注ぎ、有名になった。父親は家業の宣伝を兼ねて、嫡子の彼に五右衛門の名をつけた。商売熱心のしからしむるところだったが、つけられてしまったほうは悲劇だった。悪童連は本名を呼ばずに、高島大泥棒といった。
高等小学校を卒業すると、五右衛門風呂を作る家業の桶屋を継いだが、仕方なしのところがあった。右肩から右腕にかけて竜の彫りものをした父親の目は、否応なしのところがあり、巡査になりたいという願望など、いい出すことはできなかった。桶屋になって家庭を持ったが、巡査志望は心の隅にいつまでも燻《くすぶ》っていた。
強突張《ごうつくばり》な父親がいまでいう心筋|梗塞《こうそく》だろうか、出先でポックリと死んだ。
昭和十四年夏。高島五右衛門三十四歳のときである。
五右衛門は、陸軍歩兵伍長の階級をもっていた。
戦火が拡大していて、いつ召集がきて、戦線へもっていかれるかわからなかった。
風呂桶など作っていては……と彼は母親や女房を説得しにかかった。
「警視庁の巡査になれば、これは公務だから召集令状は免がれる」
と説明すると、夫を亡くして気の弱っていた母親は、大事な息子まで失ってはたまらないと思うらしく、一も二もなく彼の巡査志願に賛成した。
「それだけどお前……お前の名前で、巡査に採ってくれるだろうか。年もいってることだしさ」
母親は世にも哀れな顔つきをしたのだが、みごと合格した。
軍歴がものをいったのだ。陸軍歩兵伍長の階級が、巡査としては相応《ふさわ》しくない五右衛門という名前を帳消しにしたのである。
巡査になっていたお陰ということではないのだろうが、高島五右衛門は、召集を受けずにすんだ。
戸塚、野方、東調布と、山ノ手方面の所轄署勤務を続けた高島五右衛門が、地元の蔵前警察署へ着任したのは、昭和二十五年十一月だった。
職名は、警視庁蔵前警察署刑事課捜査係巡査……つまり蔵前署の刑事である。
彼が転勤してきた蔵前警察署は、復活二年目だった。
空襲による焼失地区内の警察署の整理統合処置により、象潟《きさがた》、日本堤、蔵前、菊屋橋の各署が、浅草警察署に一本化されたのは、昭和二十年五月だった。
統合処置がはずされて、再び蔵前警察署として復活したのが、昭和二十三年十一月である。
高島五右衛門が、復活した蔵前警察署に刑事として着任した年は、署のはす向いに蔵前仮設国技館が出来て、はじめてここで大相撲興行が行われた。
場所開催中は、蔵前警察署から警備の警察官が派遣される。閉鎖中でも、事務所、相撲博物館、相撲教習所の業務が行われていて、所轄の蔵前警察署は、警戒のために、常時連絡をとっている。
刑事課の高島五右衛門は相撲好きだったので、暇ができると、蔵前通りの信号を渡ってふらりと国技館を訪ねた。
高島五右衛門は、十三年間蔵前警察署に在籍し、その間に巡査部長任用試験に合格した。
十三年間の在籍中に、国技館側と事件で関わりを持ったこともある。
一度は防犯について、相撲協会の職員に講演をしたことがある。
そんなこんなで、高島五右衛門は相撲界に詳しかった。
好きな力士もいた。
勝峰山《しようほうざん》といって関脇までいった力士も、高島五右衛門が好きなうちの一人だった。
彼は筋肉質のソップ型力士で、右上手投げを武器とした。上手投げのほかに、出し投げ、捻り技もよくし、右腕一本の力で関脇までつとめ上げ、三十三歳で引退した。
現役時代勝峰山は、黄金の右腕などといわれたことがある。
その彼が引退して、玉之内親方を襲名したのだが、現役時代の黄金の腕が、再び脚光を浴びることになるのは、その経理能力と能筆を買われて、役員待遇の委員に抜擢《ばつてき》されてからだった。
玉之内親方は、在京理事である事業部長の幸神《さじかみ》親方の右腕といわれ、協会の経理実務を担当した。また稀にみる能筆家なので、理事長祝辞や挨拶文なども代筆した。
玉之内親方は役員室に常駐して、協会運営にタッチし、有能な人物とされていた。
横綱、大関経験者がゴロゴロいるなかで、関脇在位たった二場所の玉之内親方が、協会中枢に位置しているのは、その事務能力によるわけであるが、栄達を妬《ねた》む者がないとはいえなかった。
「相撲取のときの黄金の右腕はしようがねえが、親方になってまで、右腕を振われたんじゃあかなわない」
「玉之内親方の右腕は、あいつにとっちゃあ黄金だろうが、俺たちには大迷惑の右腕だ」
「算盤《そろばん》勘定が上手だからといって、役員待遇になられたんでは、ワシらの出る幕がなくなる」
などと陰でいわれていたことも確かだった。
それらの陰口は、出る釘《くぎ》は打たれる式の、どこにでもある話として、早晩立ち消えるものであった。
角界のゴシップ種として、週刊誌などの片隅へ、ちょこっと載る程度のものだったのだが……玉之内親方の死体が、神田川の下流、浅草橋と柳橋の間で発見され、しかもその右腕が傷つけられていたとなると、問題は俄《にわか》に大きくなったのである。
三
「ひと月たっても、玉之内親方殺害の犯人が挙がらないのは、元刑事としてじれったくて見ちゃいられないというわけかい」
丸頭巾の馬場辰郎が、幼な馴染みの考えを先まわりするようにいった。
黒の半コートの高島五右衛門は、返事をするかわりに、無精|髭《ひげ》の生えた顎を突き出し、口を尖《とが》らせてみせた。これは肯定するときの癖だった。
「いいたかねえけどさ。俺は蔵前署に十三年も勤務したんだぜ。相撲場にゃ土地鑑《とちかん》がある。しかも蔵前署とは目と鼻の先に、こうしてピンピンして住んでいるんだ。それなのに、あの件について、誰一人俺の話を聞きにこなかった」
「聞きにくれば、教えてやることがあったというわけか」
「まあな」
「玉之内親方は、首を締められて殺された上で、神田川へ投げ込まれたということだったね。右腕に五寸釘が打ち込まれていたそうだ。目撃者はいなかったのかなあ」
「いまだに目撃者が出てこないところをみると、なし……の線が強そうだ」
「新聞記事によると、玉之内親方は柳橋の『秀香』で、後援者を送り出したあと、一人残って仮眠をしたそうだね」
「秀香は相撲親方たちのよく使う店だから、そういうこともできたんだろう。あすこの女将は、秀香という名でお座敷へ出ていた時分から、玉之内親方と親しかったんだ。玉之内親方が現役時代の頃だがね」
「彼のレコというわけか」
「それは違うだろう。彼女には有名な財界人の後援者がいたもの。それに……玉之内という親方は、勝峰山の現役時代から、女と金には堅いほうだったよ」
「仮眠をして酔を醒《さ》ました玉之内親方が、秀香を出たのが午前一時頃で、彼は柳橋を渡り、両国橋を渡って、両国三丁目の自宅へ歩いて帰るつもりだったんだろうね。その途中というより、神田川のへりへきたところで殺《や》られたのか」
「そういうことだろう」
「そこで犯人だが、顔見知りで、玉之内親方に恨みを持つ者……ということで」
「相撲協会の人事関係から犯人を洗いはじめた。だが……事情聴取をした関係者全員はシロだな」
「恨みを持つ者というから、相撲協会の人事に不満を持つ者……つまり親方連中に犯人がいると思ったんだけど、やはり素人考えかね」
「捜査の行き詰まりをみると、そういうことになるだろう」
「君は別の考えを持ってるのか」
馬場辰郎にいわれて、高島五右衛門は大きく頷いた。
「なんてったって元相撲取だ。その首を締めたとなると、素人じゃあるまい」
「いままで黙って見ていたが、そうもいかないというわけかね」
「まあな」
鳩が立ち話の老人二人の足もとへ寄ってきては、翼を半開して地面すれすれに飛び散り、また暫《しばら》くすると近づいてきた。
二人は境内の外へゆっくり歩き出した。一歩外へ出ると車の洪水である。
「うるせえ世のなかになっちまったなあ。馬糞の臭いが恋しいくれえだ」
「同感」
「それじゃまたな。元刑事の上首尾を待ってるよ」
幼な訓染みにいわれて、高島五右衛門は、顎を突き出し、口を尖らせていた。
四
玉之内親方殺害事件で、犯行の動機として考えられたのは、怨恨だった。
玉之内親方は、その事務能力によって、現役時代の実績を遥かに凌駕《りようが》する地位に就いていた。
役員待遇の委員として、役員室に常駐し、協会ナンバー2である幸神事業部長(理事代行職)の右腕といわれた。
彼は現役時代に右腕一本の力で関脇にまでなった男である。黄金の右腕は、勝峰山の代名詞でもあった。
そして、年寄玉之内≠襲名してからは役員待遇である。
その男が絞殺されたのであるから、つまり、玉之内親方の事務能力に対する妬みによる犯行ではないか……というわけである。現に、
「事業部長の右腕などといわれて、いい地位に座っているが、そのお陰で、俺たちの出番がない」
と陰口をいう者もいたくらいである。そうした情報を耳にした警察は、まず玉之内親方の役員待遇で不満を持つと考えられる者を、隈《くま》なく抽出《ぬきだ》して調べたが、事件当夜、全員にアリバイがあった。
またそれらの人には、他者を使嗾《しそう》して犯行に至らしめるようなものも見当らなかった。
相撲協会役員の間には、人脈をめぐっていくつかの対立はある模様だったが、こと玉之内親方に関しては、怨恨の根となるようなものは、まったくないといってもいいくらいであった。
協会の組織も、個々の役員も、玉之内親方の能吏的才覚に助けられていて、彼を排除すれば、逆に困るといった実情だった。
当夜料亭「秀香」で会食をした坂東開発興業株式会社会長とも、トラブルになるような関係はなかったし、女将の秀香との間も然《しか》りだった。
玉之内親方の自宅は、墨田区両国三丁目にあり、両親と一男二女の暮らしだが、経済的にも健康の面でも、心配は少しもなく恵まれた家庭だった。
玉之内親方に女性関係はなく、協会の経理にタッチする地位にいて、金銭上の問題もなかった。公的にも私的にも、この社会では稀な清潔人士だった。家庭的にも安心のできる家長であった。したがって……家族関係でのトラブルの原因は皆無である。姻戚関係も然り。
結局、警察の調べで明らかになったものは、部屋系統による多少の軋轢《あつれき》と、玉之内親方の存在の貴重性……即ち協会にとってなくてはならぬ人物ということ。更に……玉之内親方の、公私ともに清廉であることだった。
相撲協会役員待遇の委員として、玉之内親方が殺害される原因はどこにもないのだ。
この事件の捜査で、藪《やぶ》を突ついて蛇が出るケースがいくつもあった。
他の親方連中の女性関係及び金銭トラブルである。それらの問題には、現役力士の名前もチラホラしていた。
事件と直接関係のないことであったし、民事の問題なので、警察は素通りをしたが、捜査員は苦笑を禁じ得なかった。
目撃者捜しはいまも続けられているが、出てくる可能性は皆無のように思われた。
釣客から一時敬遠された格好の勘八丸も、早朝隅田川を下って東京湾に出漁し、夕刻柳橋の繋留《けいりゆう》地にもどる、釣船の日課を繰り返していた。
日がたつにしたがって、玉之内親方殺害事件は忘れかけられていた。神田川に柳の新芽が影を落とす季節になり、大相撲の主力は大阪で、三月場所の興行を打っていた。
浅草橋の上から神田川の流れを見ていた老人が、握り拳を口に軽く当てて咳《しわぶき》をすると、さっと思い立つ様子で、蔵前方向に歩き出した。
老人は長い顎に無精髭を生やしていた。コール天ズボンに黒の半コートを着ている。短く刈った胡麻塩《ごましお》頭を、軽く前後に振りながら歩く。
元刑事の高島五右衛門である。皮靴をはき、ちゃんと足ごしらえをしていた。
五
約十分後、高島五右衛門は蔵前警察署の前を歩いていた。
警察署の前には、ミニ・パトカーに乗り込もうとする婦人警察官が二人いて、高島五右衛門をチラッと見たが、勿論、単なる通行人としか感じなかったようである。もう一人、四十半ばと思える警部補が、誰かを待っている様子で立っていたが、これも高島五右衛門を知らない様子だ。
庁舎内には、まだ知った顔がいる筈だったが、退職するとなんとなく敷居は高くなる。
高島五右衛門は、いくらか急ぎ足になった。
前方に蔵前橋が見える。橋のたもとにあった「ホテル・マタイ」が潰《つぶ》れて廃屋の姿を曝《さら》している。
その手前の信号を渡り、高島五右衛門は国技館のなかへ入っていった。
蔵前国技館には、入口が二カ所あるが、鳥越寄りの一カ所は、相撲のないときは閉鎖されている。そこは茶屋と呼ばれる相撲サービス会社が軒を並べて、見物客を入れるときのみ使用する木戸である。
一月、五月、九月の東京場所開催期間及び花相撲が行われるときのみ開く。
そうでないときは、蔵前橋側の木戸から入ることになっていて、本来はここが正式の入口である。
相撲興行のないときに、この入口を出入りするのは、ごく限られた人間である。
協会職員、在京役員、相撲教習所生徒及び教員などが主であり、ほかに相撲博物館見学者がいるだけだ。見学者は稀にしかいない。
相撲博物館は、入口のすぐ右側にある。一階が事務所で、二階が陳列場になっている。
高島五右衛門は、一階事務所に入っていった。
「勝峰山の成績表を見せてもらいたいのですが」
「ショウホウザン……ですか」
若い女子職員が、考えながらいった。
「亡くなった玉之内親方の現役時代の成績ですよ」
「ああそうですか。わかりました」
女子職員が整理棚のファイルから、週刊誌大の紙をはずして、高島五右衛門の前へ差し出した。
勝峰山力吉(玉之内)全成績表≠ニ記されていた。
序ノ口から引退するまでの成績が記録されていた。
「決まり手はわかりませんか」
「はい。そこまでは……双葉山とか大鵬さんは別ですけど」
実は勝峰山が勝った相撲の、決まり手が知りたいのである。
博物館の資料には、勝敗と対戦相手が記録されているだけだった。
しかし、全然ないよりはましである。
高島五右衛門は、それをひとつひとつ書き写しはじめた。
コピーをとる手段があるのかも知れなかったが、彼はそれを聞こうとしなかった。
玉之内親方殺害の犯人捜しは、遠い遠い道のりである。
満天に散らばる星を、ひとつひとつ検討していくような作業である。
砂場にこぼした米の粒を、一個ずつ拾い上げ、そのなかの一粒から、あるものを探り出すような作業を、一念発起してはじめたわけである。
協力者なしである。一から十まで、十から百までと……老骨の退職刑事一人の手と足と目と耳が探り出そうというのだ。
他人の手も借りなければ、機械も使わない。
こつこつと時計の針が時刻を刻んでいくように、たった一人の努力を積み重ねていく。
それをひとつ、高島五右衛門という古いタイプの男の、この世への置き土産にしよう……そういう意地ではじめた犯人捜しである。
コピーなどという便利なものを使い出せば効果は上がっても、決意のほうが散漫になる。
高島五右衛門は、長時間をかけて、勝峰山の全成績を写しとった。
国技館を出ると薄暮で、車はライトを点けて走っていた。
久し振りで長い書きものをして肩が凝《こ》った。
歩道に立ち止まり、首をぐるぐるまわし、両肩を上下させていると、タクシーがきて止まった。
タクシー待ちの客と勘違いをしたらしい。
高島五右衛門は、運転手に向かって軽く会釈をし、違う……と手を左右に振った。
タクシーは機嫌を損じたように、大きな音を残して蔵前橋方向へ走り去っていった。
六
翌日、高島五右衛門はS新聞社の資料調査室にいた。
幼な馴染みの馬場辰郎の息子が、ここに勤めているのだ。
新聞記者ではないが、総務局の人事部長をやっていた。その口ききで、勝峰山の資料を見せてもらっているのである。
幸いなことに、ここには勝峰山の全勝敗と対戦相手並びに決まり手の記録があった。
高島五右衛門は、それを克明に写しとった。様子を見に九階の総務局室から、四階の資料調査室へ下りてきた人事部長は、高島五右衛門の手作業を見て呆《あき》れ返り、どうしてコピー機を使用しないのかといった。
「老人は文明の利器に弱いもんでね。それと……年寄の暇潰しには、このほうがいいんです」
と高島五右衛門は答えた。
人事部長は尚《なお》も解《げ》せない表情だったが、写し取りの作業が終わったら、連絡をしてくれ……といって自席へもどっていった。
高島五右衛門が書き写し作業を終えたのは、午後五時二十分過ぎだった。人事部長に連絡をすると、すぐに下りていくから待っていて下さいといわれた。
人事部長は帰り支度をして資料調査室にきて、
「軽く一杯やりましょう」
と誘った。最初からその予定でいたらしい。神田明神下の小料理屋にいくと、部屋がとってあった。
「会社でよく使うところですから、お気軽になさって下さい」
と人事部長はいった。
小粋な女将が挨拶にきたりして、人事部長は相当な顔の様子だった。
「いやあー、驚きました。あれだけの分量のものを、手書きで写しとるとはねえ。いまの若い連中は、二、三行のものでもコピーしますからね。書きとってもたいした手間ではないのにね」
「時代がそういうことですから、それも無理はないでしょう。わたしらの頃は、そんな便利な機械はなかったですから、どんなものでも書き写しでした」
「馴《な》れておられるわけですね」
「うーん。まあ、それもあるが……こんどの場合は」
「………」
「書きとりながら、いろいろと考えをめぐらせているんですよ。コピーでは、そういう余裕はありません」
「どんなことをお考えになられているのですか。あの記録でもって、実録小説でもお書きになりますか」
「そんなんじゃありません。あなただけには申し上げますが、ほかには御内分に願います。お父さんにも詳しいことは話していませんからね」
「承知しました」
「わたしはあの成績表の取組相手から、玉之内親方の殺害犯人を割り出そうと考えているんですよ」
「………」
「といっただけではおわかりにならないでしょうね。ヒントを申し上げましょう。つまり相撲の手ですよ」
「相撲の手……といいますと、四十八手のあれですか」
「そうです。玉之内親方は、勝峰山の現役時代に、黄金の右腕なんていわれた時期がありました。そのことは事件の報道にちょこっと出ましたがね」
「それは知りませんでした」
「彼は右上手投げ、右の上手捻り、右からの上手出し投げと、右腕一本で関脇までなった男です」
「成程」
「彼の右腕に痛い目にあった力士がいた筈です。痛い目というのは、彼の右腕の技で相撲人生を狂わされた者……という意味ですよ。相撲人生だけではなくて、人生そのものを目茶苦茶にされてしまった男……」
「そういうことがあるのですか」
「必ずあるとはいわないが、絶対にないともいえません」
「その対戦相手……要するに、勝峰山の右上手投げかなにかの、強烈な手で投げ飛ばされて、転び方が悪いか打ちどころが悪くて……」
「そうそう。廃業に追い込まれた者がいたとします。勝峰山に恨みを持つでしょう」
「それが玉之内親方殺害犯人ということですか」
「断定はしません。そういう悲劇の主がいるかいないかさえわかりません。もしいたとしても、犯行の動機を必ず持つとは限らないでしょう」
「雲を掴《つか》むようなことになりましたね」
「わたしには勘のようなものがあるんです。非科学的かも知れませんが、どうもそういうことで犯人がいる気がするんです。これはあくまでわたしの思い込みですからね。一人でコツコツとやってみようと考えてます」
「難事業ですねえ。勝峰山の対戦相手で、右腕の技で敗けて、しかも人生を狂わされた者を捜し出すわけでしょう。一人一人を追跡調査するだけでも大変ではないですか」
「何年かかって終わるやら、見当はつきません。しかしそういう勘が働いたからには、やらないわけにはいきませんね。それが古いタイプの人間の、悪い癖ですかね」
高島五右衛門は、無精髭の顎を突き出して、カラカラと笑った。
七
上野駅構内の食堂で、二人の老人がテーブルを挟んで座っていた。卓上にジュースの入ったコップが置いてある。
「お互いに長生きをしたもんだ」
と馬場辰郎がいった。高島五右衛門が静かに頷いている。
「君はよく生き伸びたと、つくづく思うよ」
そういって馬場辰郎は、飲み残したオレンジジュースのコップへ手を伸ばした。
玉之内親方殺害犯人の割り出しに腰を上げて以来、高島五右衛門は、事故と大病を経験したのである。
調べに歩きまわっているとき、過って駅の階段を踏みはずし、腰を打って怪我をした。
そのあとで二度病気になった。蜘蛛《くも》膜下出血と胃|潰瘍《かいよう》である。
助かったのは奇蹟……と誰もが思ったのだが、高島五右衛門は、執念だと信じた。
なんとかして、玉之内親方殺害犯人を突きとめよう……という執念が、余命を授けてくれたものと信じた。
怪我と大病に費した年月を差し引いた期間、高島五右衛門は、勝峰山の右手技に敗れた全対戦相手の追跡調査を、虱《しらみ》潰しに行った。
その作業はきつかった。訪問先での門前払いは数知れない。現職警察官でもなく、報道の取材に当る立場でもないから、接触をもつまでの手順も面倒であった。
しかし苦労が重なれば重なるほど、高島五右衛門の執念は確固とした意志を築き上げていった。
これを仕遂げて死なんとぞ思う……の心境だった。
そしていよいよ大詰がきた。
栃木県塩原温泉郷に住む男が、有力な容疑者として浮かび上がってきたのである。
高島五右衛門の調査メモには、次のように記入されている。
――水野良次郎(五十二歳)、独身、栃木県塩原温泉塩原古町一丁目、漁業。昭和二十五年三月、鳩乃巣部屋入門、四股名、水野川、昭和三十年五月、新十両。同場所八日目、勝峰山の右上手捻りにより横転した際、左足首|捻挫《ねんざ》。翌九日目より休場。公傷制度確立以前の怪我のため、幕下に転落す。足首捻挫治癒せざるまま、次の九月場所に出場し、二勝五敗。翌昭和三十一年一月場所休場。三月場所西幕下三十五枚目で一勝六敗。以来、幕下、三段目を往復すること五場所。体調回復し、昭和三十二年三月、再十両。昭和三十三年十一月、新入幕で九勝六敗、敢闘賞獲得。昭和三十四年一月、東前頭五枚目、三日目、小結勝峰山と対戦、右上手捻りに敗れる。そのとき左足首の古傷を痛め、翌日から休場。診断の結果は複雑骨折。翌場所を休場したが、回復が遅れて再起は見込み薄となる。年寄株取得もならず、昭和三十四年五月、西幕下二十枚目の地位で廃業。出身地の塩原温泉に帰り、温泉旅館の使用人となる。この頃より競輪と競艇に凝り出し、近県の開催地に足を運ぶ。戸田、江戸川、平和島や大宮、立川にも出張せる模様なり。勤務先に於て、しばしば不祥事件を起こす。ギャンブルによる経済不安定が主な原因なれども、そのほかに相撲で痛めた左足首の後遺症が、社会人としての生活を阻害せるものと考えられる。ために解雇さる。昭和四十三年十月のことなり。上京し浅草山谷に住む。昭和四十五年十二月に郷里に帰るが、その間の生活と行動は不明なれども、玉之内親方となんらかの関わりを持ったことが考えられる。塩原温泉に帰った水野良次郎は、箒川の漁協に加入し漁業権を取得。鮎漁及びウグイの付き場権利である。(注)山谷在住時代に水野良次郎を知る者あり。その者(複数)の証言によると、事件当時、彼は就寝中しばしば|うわごと《ヽヽヽヽ》をいい「あいつの右腕にやられた。俺は駄目になった。畜生、殺してやる」と声を上げたらしい。そのことは、勝峰山の右上手捻りによって相撲人生を狂わされた男が、廃業後の生活も荒れて、復讐《ふくしゆう》を試みた証拠と思われる――。
「そろそろ汽車の時間じゃないか」
馬場辰郎がいった。高島五右衛門が時計を見て、脇の椅子に置いたショルダーバッグを引き寄せた。
「もう年なんだからね。あまり無理はいけないよ」
「わかってるよ。相手をふん縛って連れてくるというわけじゃないんだから。この男が玉之内親方を殺《や》ったという確証さえ取れれば、それでいいんだ」
「罪を憎んで人を憎まずか」
「まあそういったところだ。なにもはっきりしないで、あの世へいくのは、面白くない」
「お土産を待ってるよ」
「干瓢《かんぴよう》でも買ってきてやろう」
「それは楽しみだ。干瓢をもらったら、婆さんにのり巻きをつくらせよう」
八
温泉街を縫うようにして流れる箒川で、網を打っている男がいた。
男は左足が不自由の様子である。
川瀬には三メートルほどの間隔をおいて、二本の竹の棒が立てられていた。白いビニールの紐《ひも》が張られていて、一般の人の入漁禁止の目印になっている。
川瀬の底を整備して、ウグイの産卵場所がつくってあるのだ。
付き場と呼ばれる産卵場所は、漁業権取得者の特定漁場である。
ウグイが蝟集《いしゆう》して真っ黒になっている。
ときどき金と赤のきらめきが見えるのは、婚姻色に染まった腹部を翻すためである。
ウグイの蝟集を見つめて、投網を構えた男は、手拭《てぬぐい》で頬被りをし、なかなかの偉丈夫である。
せせらぎの音を突き抜くように、鶯の谷渡りが聞こえた。
腰で調子をとった男が、間合いをはかって、さっと網を打った。付き場の水面に歪《ゆが》んだ楕円《だえん》のさざ波が立ち、驚いた魚が跳ね上がるのが見えた。
男がゆっくりと引き寄せる網のなかで、黒と赤と金との色がざわめいている。
「大漁ですなあ。凄いもんだ。一網打尽という奴だな」
男に声を掛けたのは、高島五右衛門である。いつの間に近づいたのか、杖がわりの青竹を川の流れの浅場に突き立てている。どこで借りてきたのか、腰まで入るバカ長靴をはいていた。
「獲《と》った魚はどうなさるんですか」
「旅館へ卸すよ」
「客に出すのだね」
「唐揚げにしたり、甘露煮にもするね。火で焙《あぶ》って化粧箱へ入れて、土産物に出すところもある」
「ほうわたしもそれを買って帰ろうかね。どこでも売っているのかね。あんたのとこにはないかね」
「俺のところにも干したのがあるけど、化粧箱に入れてねえな」
「友だちに持ってってやるんだから、格好なんかどうでもいい。ビニール袋で充分だ」
「でも……安くというわけにはいかないよ。旅館へ出してもかなりいい値になるんだから」
男は欲をかきはじめたようだった。次の投打のために網を手繰りながら、ちらっと高島五右衛門の顔を窺《うかが》っていた。
「爺さんはどこからきたんだね。宇都宮かね。それとも東京方面か」
「どこの人間に見えるかね」
「さあ、わからねえな」
男は腰をかがめて、付き場の水中を覗き込みながら答えた。そして腰で調子をとった。
「どういう人間に見えるかね。普通の年寄じゃないんだがな」
「偉い人ですか」
男は網に付いた錘《おもり》を、次第に大きく振っていった。
「偉くはない。下っ端だ」
「………」
「東京の蔵前警察でデカ長をやっていた」
高島五右衛門がいうと同時に男の手から投網が離れた。網は見当を大きくはずれて、付き場の下方に不規則な水音を立てて落ちた。高島五右衛門がすかさずいった。
「手元が狂ったのかね。どうして狂ったのかね」
男は背なかを震わせながら、的をはずした投網を手繰り寄せた。一尾だけ魚が入っていた。
「つかぬことを聞くようだが、あんたはむかし相撲にいたことがあるだろう」
「………」
「返事は聞かなくてもわかっている。水野川といって鳩乃巣部屋だ。入幕して敢闘賞まで獲得したが、怪我で駄目になった。間違いないね」
「そうだけど、なんでいま頃、そんなことを聞きにくるんだ」
「それを聞きにきたんではない。もっとほかのことだ」
「なにを聞きたいのだ」
「勝峰山という相撲取を知ってるだろう。あんたに怪我をさせた男だ。黄金の右腕といわれて、右手の技で関脇にまでなった。その右手技……右上手からの捻りで、水野川が二度怪我をした」
「ひどい目に会ったよ。あれで俺の人生は大狂いになっちまったね」
「あの怪我さえなければ、順当に土俵をつとめ上げて、いま頃は相撲の親方で安穏《あんのん》に暮らせた筈だ」
「それを今更考えたって仕方がないことだ」
「そういって諦め切れるのも、玉之内親方が死んでしまったからではないかね。生きていて、事業部長の右腕などといわれていたら、あんたは面白くないだろう」
「さあどうだか」
「玉之内親方は、殺されて川へ投げ込まれた」
「新聞にそう出ていたが俺には関係ないね」
「あの事件が起きた当時、あんたはこの塩原温泉にはいなかった」
「………」
「浅草の山谷に住んでいた。そこで知ってた人から、あんたのうわごとの話を聞いた」
「そんな奴らのいうのは出鱈目《でたらめ》だ」
水野良次郎は、流れに唾を吐き、そっぽを向いた。彼が顔を向けた方角に山裾が迫《せ》り出していて、岩肌を見せたところどころに、山|躑躅《つつじ》が咲いていた。
「そう向きになって否定しなくてもいいだろう。わたしはむかし刑事をやっていたけど、とっくにやめてしまった。いまではなんの権限もない、東京の下町の爺さんだ。あんたを捕えてどうこうする力もないし、あんたが犯人だとわかっても通報するつもりはない。確かめればそれでいいのだ」
「おかしないい方はしないでもらいたいね。俺は人殺しなんかしてはいない」
「殺してやりたいと思ったこともないかね」
「………」
「玉之内親方の右腕をもぎ取ってやりたい……といってた親方連中もいたくらいだ。彼の右手の技で怪我させられて、相撲人生を駄目にされた者なら、玉之内親方憎しと思うのは当然なんだがね」
そっぽを向いていた水野良次郎が、きっとなった感じで高島五右衛門に向き直った。薄笑いを浮かべている。
「相撲に怪我はつきものだから、そのことについては、俺は恨みや憎しみは持たなかった。不運と諦める以外にないことだからね。相手に怪我をさせて、いちいち命を狙《ねら》われたんでは、たまったもんではない」
「それはもっともだ」
「恨みを買うとすれば、玉之内親方の人間性だろう」
「わたしが調べたところでは、清潔で私欲のない人だったがね」
「それはどうか知らないけど、あの人には情というものがなかった」
「………」
「忘れもしない。あれは昭和四十九年の秋だったが、平和島のボートで儲《もう》かったときだ。こういうときは少し奢《おご》ってやろうと思ったもんだから、新橋へ出てきて柄にもなく、ちょっとした料理屋へ入ったんだ。そこで俺は玉之内親方に会った」
背黒|鶺鴒《せきれい》が近くの石の上にきて、ちょんちょんと尾を振っていた。
「店を出るとき玄関で一緒になった。たぶん間違いはねえと思ったが、仲居に聞いてみた。そうしたら、玉之内親方だといったんだ。七、八人できていたね。俺はただ懐かしいだけで、挨拶をしたんだ。すると玉之内親方は知らん顔だった。取り付く島がなかった。俺には目もくれねえで、さっさと帰っちまった。そんなのがあるかね、そうだろう、爺さんよ」
「うーん」
「元気でやってるかぐれえのことを、いってくれたっていい筈だ。俺は正直のところ、この野郎と思ったね。協会の役員待遇でもって、事務の仕事がどれだけできるか知らねえけど、人情なしは、俺は嫌いだ。ぶっ殺してやりてえくらいだった。それまでは、相撲の怪我は仕方がねえことだと諦めていたんだがね。あの態度でもって、俺は考えが変わったんだ。この野郎と思ったんだ。だからといって、俺はあいつを殺しちゃいない」
「人情なしか。玉之内親方に、そういう面があったとは知らなかった。わかった。お邪魔をしたね」
「帰っちまうのかね。ウグイの干したのはいらないのかね」
「旅館で買うよ」
「爺さんよ」
「なんだね」
「警察をやめてしまった人間が、事件を調べて歩いても無駄じゃねえのかね。見たところ相当な年寄なのに、なんでこんな酔興をして歩くんだね」
「そういわれても、うまく説明はできないが……ほら、そこにきている鶺鴒がいるだろう」
「こいつか。この鳥はいつも川のなかにある石の上を飛びまわっているんだ。水鳥の習性ちゅうやつだ」
「それと同じようなものでね。わたしがこうしてあんたを訪ねたのも、刑事を長いことやってた人間の習性かも知れない」
「ああ、そうだ。非人情の話をしたから、人情家のこともいっとこう。俺のところへ、匿名でずっと送金してくれる人がいるんだ」
「ほう」
「相撲社会の人間だと、俺は見当をつけているが、玉之内親方みてえな、捨てる神がいるかと思えば、こっそり金を送って下さる、拾う神様もいるということを、爺さんに知らせとくよ」
「有難う。いいお土産ができた」
鶺鴒か飛び立ち、付き場にウグイの蝟集が見られた。産卵期の魚は、捕られても捕られても、次から次へと集まるらしい。
九
玉之内親方の墓は上野寛永寺にあった。塩原温泉から東京へ帰ってきた高島五右衛門は、親方の墓参を思い立った。お詣りをしたら、犯人追跡は打ち切りにするつもりである。幼な馴染みの馬場辰郎には、塩原温泉行も無駄足だったと伝えてある。
高島五右衛門の勘によれば、塩原温泉の水野良次郎は、玉之内親方殺しの犯人だろうと思うのだが、決め手はない。
この男が犯人だ……という感触が得られれば、それでもういい。
水野良次郎の話によれば、玉之内親方は優しいことばを掛けてくれなかったという。それは確かに非人情だ。その人情のなさが、水野良次郎の心に殺鬼を住まわせたのかも知れないと思う。そうであるならば、犯人にも三分の理はある。
いずれにせよ、この一件の踏査は打ち切りである。高島五右衛門は心身ともに疲れていた。
墓地の上空で鳥が舞っていた。
額《ぬか》付いていた顔を上げたら、側に婦人が立っていた。地味な単衣《ひとえ》を着た五十がらみの女《ひと》だった。
「御丁寧に有難うございます。失礼ですがどちら様でございましょうか。あの、わたくし、玉之内の家内でございます」
「これはどうも。高島と申します。実は……親方の現役時代のファンでして、ここに友人のお墓があるものですから。ついでといっては申し訳ないのですが、お詣りさせていただきました」
そういって、高島五右衛門は早早に立ち去った。寛永寺は、友人の墓も勿論あるが、彼の菩提寺《ぼだいじ》だった。
家に帰ると高島五右衛門は疲れがどっと出て、寝込んでしまった。
床について二日目、幼な馴染みの馬場辰郎がお見舞にきて、ショッキングなことを喋った。
「きょうのスポーツ新聞を見たらさ、玉之内親方の未亡人のことが出ていたよ」
未亡人には、二日前にお墓の前で会ったばかりである。
「亡き親方の遺志をついで、送金をつづける未亡人……という風に出ていたね」
高島五右衛門は、思わず上体を起こしかけたが、もう自力では起きられなかった。
「玉之内親方は、対戦相手で怪我をして、そのために相撲人生を棒に振った数名の廃業力士に、こっそりと送金をつづけた。親方亡きあとは、未亡人がその遺志を受けついでいる。玉之内親方は、そのことが公になるのを恐れ、送金に関しては、いつも慎重に取り扱った。事務的な非人情家として振る舞った」
高島五右衛門は、|うっ《ヽヽ》と声を上げた。水野良次郎が挨拶をしたとき、そ知らぬ振りをしたのは、そのためだったのだ。
「未亡人もまた、このことが公になることを嫌っている。善意は密《ひそ》かにという考えである。しかし……これを漏れ聞いて、記者は黙することができない。なぜならば、玉之内親方は、事件による無惨な死を遂げていて、いまでも怨恨説が消えていない。記者は生前故人と親しくさせてもらい、公私にわたる彼の人格は疑う余地なしと信じている者だ。ここに敢《あ》えて、匿名送金のことを書く理由である。尚、故人の遺志は必ず尊重すべきものであるから、この記事によって、未亡人が行う継続行為は、そっと見守っていただくようお願いする……といったものでね。スポーツ紙にしては珍しい記事だが、なかなかよかったよ」
馬場辰郎は、三十分ほどいて帰ったが、家に着くと間もなく電話で呼びもどされた。
高島五右衛門の容態が急に悪化したのだ。
当日の夜半、高島五右衛門は、眠るように大往生した。享年八十。
通夜が行われる日の夕刊に、次のような記事が出た。
――栃木県塩原温泉の駐在所に、スポーツ紙の記事を読んで改心したという男が、東京都台東区柳橋で起きた殺人事件の犯人だと名乗り出た。男は水野良次郎といい、元大相撲の力士である。水野は、「親方の送金を競艇や競輪に使い、罰当りなことをした」と喚くようにいい、半ば放心状態の模様である云々――
馬場辰郎はお焼香を済ませると、服のポケットから夕刊の切り抜きを取り出し、高島五右衛門の遺影にそれを翳《かざ》して、
「おい、なんとかいってくれよ。これは一体どうなっているんだ」
と涙声になっていた。
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化粧まわし
一
大関若尾山は、名力士の誉れも高く、かつ美男だったので、金鳥《かなどり》親方の一人娘が心を奪われた。
娘の蘭子が、お嬢さま学校といわれる、東京山の手の実教女子短大を卒業と同時に、二人は婚約を発表した。
蘭子がせっついたのである。金鳥親方も、早いとこそうしたほうがよいという考えだった。
というのは……若尾山には緊密にしている直子という女性がいた。直子はレストランのレジ係をしていて若尾山と知り合った。働きながら美容と着つけを勉強し、いまはホテルNの美容室で働いている。さほどの美人でもない直子を、美男力士の若尾山が好いているのは、気立てがよいからだ。
日本中を捜しても、これほど素直で、相手の気持ちを理解してくれる女性は、滅多にいないと思われた。若尾山の後援会筋も、二人が一緒になれば申し分のないカップルが誕生すると話していたのである。それを金鳥親方が強引に仲を裂いたのだ。
蘭子との結婚を強制的に押しつけられた若尾山は、断わって廃業をする覚悟を固め、その旨を直子に告げた。
「それはいけませんわ。わたくしは最初から陰の女でもいいと思って、関取とおつき合いさせてもらってきたのです。あなたはわたくし一人のものではありません。横綱になり、国技の屋台骨を背負う人です。ここは親方のおっしゃるとおりになさって下さい」
年寄株も持っているし、それを売って商売をすれば、二人で生活するくらいなんでもない……と力んでいる若尾山を、直子は諭《さと》した。若尾山二十六歳。直子二十九歳で、年からいっても人生経験からいっても、直子のほうがずっと大人であった。
いっぽう蘭子のほうは美人だが、世間知らずの我が儘《まま》で、婚約するとすぐ若尾山を尻に敷いた。二人で外出をし、買いものをしても、荷物は若尾山に持たせたりする。タクシーでもエレベーターでも、さっさと乗り込んで、若尾山に先を譲るということを知らない。
親しい記者が、そうしたことを指摘すると、蘭子は機嫌を悪くし、江青夫人のように柳眉をさか立てるのだった。
短大時代のクラスメートにも、
「若尾山は金鳥家の婿なのよ。相撲に入って、パパのお世話になったお陰で大関になれたのだからね。それだけでもたいしたことなのに、わたくしという金星を射止めたために、金鳥部屋を継ぐことも約束されたわけでしょ。それも蘭子がOKしたからでしょ。あれは蘭子の家来みたいなものなのよ」
とひどいものであった。婚約早々から女帝振りを発揮する蘭子を、父親の金鳥親方は見て見ぬ振りだったから、蘭子の増長はひどくなるばかりだった。
若尾山は我慢ができなくなった。結婚したら動きはとれなくなると思った。
意を決し、金鳥親方に婚約解消を申し入れた。親方は激怒し、手もとにあったゴルフクラブを振って、若尾山を痛めつけた。お女将《かみ》さんがなかに入り、悶着は伏せられたが、蘭子がそれを小耳に挟んだ。
気の強い蘭子は、若尾山を問い詰め、若尾山が婚約解消の申し入れをしたことを認めると、独断で婚約破棄宣言をしてしまった。
金鳥親方は記者会見をし、
「米田(若尾山の本名)は天狗《てんぐ》になった。金鳥の跡継ぎでは不足ということだろう。あんな思い上がりに名跡を譲らなくてよかった。蘭子が可哀想でならない。いずれ蘭子にはもっと素性のいい男を捜してやるつもりだ」
とこれも娘同様に勝手放題であった。
逆恨みされた若尾山は、師匠である親方により、出世の道を閉された。
相撲はもちろん実力の世界で、力量《りきりよう》のある者は地位が上がる。しかし、その力量が発揮できない状態に置かれたら、どうにもならない。
若尾山は有形無形の圧力を掛けられて、ノイローゼになり、大関の座から転落した。
「あいつはもう駄目だ。面白いように落っこちるぜ」
金鳥親方はそういって喜んだ。そして若尾山の弟デシ若戸里を溺愛《できあい》し、期待をかけた。若戸里も若尾山に劣らぬ逸材だった。蘭子もこれに目をつけはじめている様子だった。
落ち目になると後援者も一人去り二人去りした。若尾山は大関のときに、年寄株「尾花」を手に入れていて、元幕内の荒巣に貸してあった。内弟子も三人持っていた。幕尻まで落ちたとき、若尾山は引退を決意。相撲年寄「尾花」として協会に残留したいので、そのように取り計らって欲しいと親方に申し入れた。
金鳥親方は、言を左右にして取り合わず、若尾山を廃業に追い込もうとした。若尾山は首を縦に振らなかった。彼にも意地があったし、僅かだが良識派の励ましもあった。若尾山に粘られて金鳥親方は、若尾山の引退と年寄尾花の襲名を、渋々理事会に申請したのである。
尾花親方は金鳥部屋の部屋つき親方になったが、干されて何も仕事がなかった。仕事も与えないで、金鳥親方は、
「俺のところには、でけえ穀潰《ごくつぶ》しが住みつきやあがった」
と嫌味をいった。針の筵《むしろ》に座らされている尾花親方に、こんどは直子が、
「そんなに虚仮《こけ》にされてまでしがみついていることはないわ。さっさと廃《や》めてしまいなさいよ。あなた一人くらい、わたしがなんとかしますから」
と強気になった。
「ここで引いたら負けになる。俺は意地でも廃めない。独立してお前と一緒になるのだ」
と尾花親方は肝《はら》を据えていた。そんな尾花親方に、ちょっぴりいい話が持ち込まれた。
高穂浪部屋の高穂浪親方が定年になり、年寄株を売るが、部屋の建物と弟子を譲りたいという相談がきたのである。高穂浪親方は金鳥親方の大先輩だが、金鳥親方のゼニゲバ的態度に批判的な立場をとっていた。尾花親方が冷や飯を食わされているのを承知していての、好意的な話だった。
「うちの部屋は三段目と序二段の弟子が三人しかいない。お前さんの弟子三人と、うちの弟子三人を合わせて、一から始めるつもりでやってみないか。お金は出世払いでいいから、うちの部屋を貸すということで、独立したらどうだね」
そういう高穂浪親方のことばの裏には、いい弟子を育てて、金鳥親方の鼻をあかして欲しい……という願望が感じられた。
好意に甘えて、尾花親方は独立した。直子は親方夫人になった。
金鳥親方は、
「どうせ二、三年でぶっ潰れる部屋だ。うちとしては厄介払いができて清々する」
と親しい者に語った。
それから二年が経ち、尾花部屋は十両にいけそうな力士が一人できていた。
二
金鳥《かなどり》親方は欲の深い男である。弟子でも後援会でも、絞れるだけ絞り取り、ゼニゲバ親方の名をほしいままにして、今日の地位を築いた。|かなどり《ヽヽヽヽ》とは誰もいわず|かねとり《ヽヽヽヽ》(金盗り)といっている。
高慢ちきな一人娘の蘭子は、取的たちを犬猫扱いにした。汚いものでも見る目つきだった。前の婚約者に逃げられたことなどケロリと忘れ、有望株の若戸里に色目を使い出している。
取的たちは、親方の目が届かない場所へ落書きをしている。
「乱子の○○○は穴《けつ》のあな」
「乱子○○○して死んじまえ」
などと書きつけて、鬱憤晴らしをしていた。乱子はいうまでもなく蘭子のことだ。
取的たちがどう思おうと、金鳥|父娘《おやこ》は権勢を誇って有頂天だった。相撲雑誌などは、金鳥親方の生家は豪農だった、などと提灯《ちようちん》記事を書いてペコペコしているが、豪農どころか年貢米も納められない貧農というのが、真実のようであった。食うや食わずから成り上がって、昔を忘れた者ほど手がつけられない。
金鳥親方は蛇蝎《だかつ》のように嫌われながらも、権勢を嵩《かさ》に横車を平気で押した。
五月場所後、幕下から三人の十両力士が誕生したが、そのうちの一人若三ツ葉(金鳥部屋)は、西幕下五枚目で四勝三敗、一つの勝ち越しだった。東幕下六枚目の川島山(尾花部屋)は六勝一敗、五つの勝ち越しである。この場合は、誰が見ても六勝を上げた川島山のほうが、四勝の若三ツ葉より、条件は有利だ。番付一枚の違いはあるが、白星の数が違う。
ところが金鳥親方は、番付編成に携わる審判部員に手をまわして、弟子の若三ツ葉を遮二無二新十両に押し上げてしまった。若三ツ葉には中京財界の大物が後援者になっていた。若三ツ葉の出身も名古屋だった。次の名古屋場所で、御当地出身の若三ツ葉を新十両で登場させて、興行成績をアップ。加えて、後援者からガッポリと絞り取る公利、私利の両面作戦だったのである。
あまりのエゲツなさに、スポーツジャーナリズムが批判をしたが、一回こっきりで終わったのは不思議であった。
川島山は東幕下一枚目に止め置かれた。
名古屋場所がはじまる前に、尾花親方は川島山を呼んでいった。
「先場所は俺の力が足りないばっかりに、えらい割りを食わせて済まなかった。お前も残念だったろう。今場所は正念場だ。一つの勝ち越しでも十両へ上がれる。だがそんなかすかすのことではなくて、大勝ちをして上がってくれよ」
川島山も勿論その決意だった。川島山は先場所にも増して体調が充実し、燃えていた。
尾花親方も燃えた。名古屋場所の成績次第で、部屋からはじめて関取が誕生する。大相撲は名古屋場所を打ち上げると、北陸、上信越、東北、北海道と巡業する。尾花親方の楽しみは、郷里の白石市にまわることだった。そこには、姉が一人で生家を守っていた。尾花親方は両親を亡くし、いまは姉と二人だけになっている。その姉は事情があって嫁にもいかず、婿も取らず、一人で白石紙の製造を続けていた。この姉がいる故郷での巡業に、はじめて育てた関取を連れていく。尾花親方はそれが楽しみだった。十両昇進は、番付発表の日と関係なく、場所後に行われる編成会議直後に公表されることになっている。化粧まわしなどの準備を必要とするためである。
また……新十両として正式に土俵に上がるのは、翌場所からとなっているが、巡業は顔見世興行であるから、時と場合により化粧まわしをつけての御披露も、座興として許される。
体調充分の川島山は、名古屋場所を七戦全勝の見事な星で飾った。幕下優勝である。
場所後の番付編成会議で、十両昇進が決定したことはいうまでもない。十両になると土俵入りのための化粧まわしが必要になる。これは後援者が寄贈してくれるのが慣例となっている。したがって、大きな部屋の力士や、いい後援者を持っている者ほど、贈られる化粧まわしの数は多い。横綱大鵬は十五日間、毎日化粧まわしを変えて話題になったことがある。当時の金で化粧まわしは一腰《ひとこし》(一本)百万円といわれた。横綱の場合は、太刀持ち、露払いの分と合わせて一組三腰を必要とする。十五日間、毎日変えると四十五腰の勘定になる。百万円の四十五倍で、四千五百万円分の化粧まわしを所有していたことになる。
これは威勢のいい力士の話であって、台所の苦しい力士の場合は、化粧まわしを作る金がなかなか集まらなくて、新十両の場所に間に合わないということもある。そういうときは、師匠が現役時代に使ったものを借用し、急場を凌ぐ。
尾花部屋は小部屋なので、後援会もまだ力が弱い。化粧まわし一腰を贈ってもらうのも気がひける状態だった。どうしたものかと思案投首でいると、尾花親方の郷里から寄贈の申し入れがあった。夏巡業で白石市にくるまでに間に合わせるという、嬉しい話だった。
三
川島山を巡業に送り出し、尾花親方は名古屋から一旦東京に帰った。金鳥親方に挨拶をするためだった。本家に挨拶をしておいたほうが、弟子のためにもいいと思ったのだ。
金鳥親方は在京理事だから、一年の大半を国技館の役員室で仕事をしている。地方場所には顔を出すが、十五日間居続けることはない。
役員室に電話をして、
「お陰さまで川島山が十両に上がりました。つきましては、御礼の御挨拶に参上したいと思います」
というと、挨拶は部屋にきてしろといった。
尾花親方は、金鳥部屋にいきたくなかった。理由は、蘭子と若戸里の結婚が決まったことである。いけば嫌味をいわれそうな予感がした。
尾花親方は、名古屋の銘酒と、現金三十万円を持って、東京山の手にある金鳥部屋をたずねた。
金鳥親方は、尾花親方が差し出した酒を、部屋に残留して相撲教習所に出向している幕下を呼んで呉れてやり、現金の袋は指先でつまんで、部屋の隅にぽいっと投げた。端金《はしたがね》を持ってきやがったといわぬばかりだった。
「化粧まわしをこしらえるのだろうが、本家への挨拶は一腰これが常識だ。わかってるだろうな」
と金鳥親方は指一本立てていった。百万円ということのようだった。川島山が化粧まわし一腰を作るたびに、百万円を用意して、本家の金鳥親方へ届けろというのである。そういう習慣が昔はあったらしいことを聞いてはいたが、いまは廃止されている。尾花親方は腰が抜けるほどびっくりした。
「ところでお前。蘭子が若戸里と一緒になるのは知っているだろう」
「はい。この度はお目出とう存じます」
「お前にお目出とうをいわれても、おかしな感じだ。しかし祝いごとだから、以前のことはこの際大目に見てやろう」
「有難うございます」
「御祝儀のほうは、うんと奮発してもらうぜ」
「はい」
「どのくらいくれるかい。会場はホテルニューオオタニだ。お前のほうのも予定に入れときてえからな」
「考えておきます」
「それでは困るんだよ」
「いますぐにといわれても、なにしろ貧乏世帯なものですから」
「そんなに苦しいのかい。蘭子を嫁にやらなくてよかったなあ」
金鳥親方は筋違いのことをいった。
「後学の為に蘭子の花嫁衣裳を拝ませてやる。こっちにこい」
金鳥親方の後について奥の間にいき、尾花親方は息を飲む思いだった。
花嫁衣裳の掛け下、帯、打掛《うちかけ》を中心に、贈り物が山と積まれている。桐|箪笥《だんす》が五|棹《さお》もあった。姿見が五台もある。電気製品は街の電器屋並みだ。夜具布団は金ピカの真っ赤っかで、目が眩《くら》むばかりである。これだけの品に、金鳥親方はビタ一文、自分の金は出していない筈である。
「どうだい」
金鳥親方は、大泥棒が盗品の山でも自慢するように、金歯を見せてニタッと笑った。
「お前のところからは、まだシャボン一箱も届いてねえが、まさか忘れているわけではないだろうな」
「はい。……早速……なんとか」
「この打掛を見ろよ。絞り繍《ぬい》で鶴亀の紋様には、ダイヤも入ってるという豪華版だ。よく拝んでおくがいい。ところでお前のとこは、結婚披露もやってねえようだな」
「………」
尾花親方は、何をいいやがる……と思った。直子と一緒になることは目をつむってやる。そのかわり、式だお披露目だと、派手なことはするなと押えたのは、金鳥親方なのである。仕方がないから二人は、明治神宮に参拝して結婚の誓いをたてたあと、原宿のレストランで、食事をして祝った。
「お前のお女将《かみ》さんは、花嫁衣裳も着せてもらえねえで、貧乏世帯を押しつけられて、男運の悪い可哀想な女だな。カレーの余ったのがあるから、タッパーにでも詰めて持って帰るかい」
四
尾花親方は駅の売店で三笠山を二箱買った。
一箱は巡業居残り組の幕下と新弟子への土産である。新弟子は相撲教習所で六カ月間勉強するために、その期間は巡業に参加しない。また実技指導のために、幕下力士の出向が各部屋に割り当てられる。これも巡業には参加しない。
あとの一箱は、あっぱ(女房)へのお土産である。
直子は千円の菓子折を押し戴いた。
尾花親方はビールを一本あけ、直子は日本茶でドラ焼を食べた。
直子は八人の相撲取の面倒を見ていて、もうすっかり相撲部屋のお女将さんになり切っている。貫禄も少しは出てきた。
「金鳥親方はいかがでしたか」
「うん。機嫌よくしてくれたよ」
茶いっぱい出してくれなかったが、尾花親方はそう答えた。蘭子の花嫁衣裳のことなど、おくびにも出したくない。
相撲部屋のお女将さんになった当時は、気苦労で七キロも痩せてしまった直子だったが、いまは前より目方も増えて、ふっくらとしている。ふっくらとした分、目が細くなったが、そのために余計穏やかで好人物らしく見える。まだ貧乏部屋だが、尾花親方は幸せだった。
金鳥親方は本家風を吹かせて、無理難題をいっているが、いちいち気にしていたのでは生きていけない。
新十両が誕生して、尾花部屋が折角つかみかけた隆盛の気運である。このチャンス逃すべからずだ。
「まずまずよかった」
「ほんとにお目出とうございます」
「これからは、うちの部屋もよくなるぞ。お前には肩身の狭い思いばかりさせたが、この社会は、強いいい弟子を育てれば報われることになっている。大丈夫だ」
「わたし、あなたの奥さんになってよかった」
「お前には花嫁衣裳を着せてやれなかったけど」
「そんなこと関係ありません。いわないで下さい。こんどおっしゃったら、わたしほんとにお暇をいただきます」
直子は豊頬《ほうきよう》をほころばせ、笑った目で尾花親方を睨《にら》んだ。
「ところで、赤ちゃんの便りはないかい」
「急にまた、なんでしょうか」
「つまり、俺たちの子はまだか……ということ」
「あら、こればかりは、わたし一人で張切ればいいというものではございませんでしょ」
いわれれば、尾花親方に返すことばがなかった。
金鳥親方から独立し、直子と夫婦になったものの、馴れぬ部屋経営に没頭し、閨事《ねやごと》は忘れ勝ちの歳月を過ごしている。
「いやはや。これはとんだ藪蛇《やぶへび》をいってしまった。ビールをもう一本あけてくれないか」
「もう一本が二本になって、日本酒にしてくれなどといわないでしょうね」
「………」
「酔い潰れて、バタン、キューンというのは、今夜は駄目ですからね」
「うん。わかりました」
翌日。尾花親方は巡業先に出発した。直子が晴ればれした顔で見送っていた。晴ればれとした表情に、羞《はじらい》が浮かんで消えた。
尾花親方は大宮駅から東北新幹線に乗り、仙台で降りた。仙台市のスポーツセンターで行われる興行に合流するためである。
仙台を打ち上げて、一関に移り、北海道に渡った。北海道は札幌を皮切りに七カ所でハネ立ち(一日興行で、その日のうちに次へ移動すること)興行をし、再び海を渡って青森に着いたのが八月半ばだった。
川島山は新十両というので、どこへいっても人気があった。本人も気をよくして、稽古に励むので体重が六キロ増えた。
力士にとり、巡業は体を鍛える絶好のチャンスである。
一カ所に留まらず、次から次と違う土地に移動するので、気持ちがダレるということがない。いつも新鮮な気分を保てるから、充実した稽古ができる。
食べるものも変化があり、しかも新鮮だから食欲をそそられる。その土地の名産をファンが差し入れてくれる。しっかり稽古をした後、エビスコ(腹いっぱい)で昼寝をするから、体重が増える。
青森、秋田、山形とまわり、翌日は再び宮城県に入ろうという或る日のこと。力石親方がきて、尾花親方を宿舎の外へそっと呼び出した。
「かいつまんで話をするがね」
と力石親方はいい、ことばをつづけた。
「お宅の新十両の川島山のことだが、狙《ねら》われているから気をつけたほうがいい。ここまでなにもなくてきたからよかったが、充分に気を配ったほうがよさそうだ」
尾花親方はなんのことかさっぱりわからなかった。
「いったいどういうことなのかね」
「元兇は金鳥親方だが、ヤクザを使って、なにかよからぬことを企んでいるという噂があるのだ」
「川島山に危害でも加えようというのかね」
「暴力は使わないと思う。もっと知能犯だろう」
「わからないね」
「明日、白石市に入るだろう。あんたの生まれ故郷で、なにか具合の悪くなるようなことを仕掛けて、大恥をかかせようとしているのかも知れない。これは俺の勘でいうわけだが、金鳥一派にどうもそういう臭いがするのだ。なにかあったらまた知らせる」
一門のうちでただ一人、尾花親方に同情的な力石親方は、背をこごめて帰っていった。
五
白石市に入ると尾花親方は生家をたずねた。
姉のヨシ江は涙を流して喜んだ。
「俺もどうにか関取を持つ親方になれた。姉さん一人養うくらいはできるから、いつでも東京に出てきて下さい」
というと、姉のヨシ江はニッコリ笑い、
「有難う。わたしはお前も知っているように、男に騙《だま》されて同棲して捨てられて家にもどった女だから、どこからもお嫁の貰い手がなかった。それでこの仕事を覚えて自活の道を求めたのです。いまでは、白石紙を漉《す》く仕事でなんとか暮らせます。わたしのことより、奥さんを大事にしてお上げなさい」
といった。見馴れない葛籠《つづら》が一個あった。相撲で使う明荷《あけに》に似せて作ったような葛籠だった。
「姉さん、あれはなんですか」
「わたしがこしらえた葛籠です。折角紙を漉《す》くことを覚えたのだから、利用することも考えたのです」
葛籠は竹を編み、和紙を貼り、渋を引き、漆を塗って仕上げる。白石紙は腰が強い。葛籠に貼るには格好の和紙だ。
「試作品を二つこしらえて、一つは県の物産展に出品したのよ。ここにあるのは、お前の奥さんに上げようと思っているのだけど、貰ってくれるだろうか」
「川島山の明荷に欲しいくらいです。これに四股名を書いたら、立派な明荷になる。そのなかへ地元が下さる化粧まわしを入れて、東京に持って帰るのも悪くないなあ」
「それは駄目ですよ。わたしはお前の奥さんに上げようと思ってこしらえたのです。皆さまから頂戴する化粧まわしは、風呂敷に包んで帰りなさい」
「はい。わかりました。それでは明朝にでも若い者を取りにこさせます」
「そうして下さい」
尾花親方は時計を見ながら立ち上がった。
午後七時から、歓迎会が予定されていた。そこで川島山に化粧まわしが贈られることになっている。
会場に当てられた料亭に、約三十名ほどの有力者が集っていた。姉のヨシ江に、和紙製造の指導をしてくれている元中学校長もきていて挨拶された。市長の顔も見える。
寄贈される化粧まわしが飾ってあった。紺地のつづれ織りに金色の縁どり、二羽の白鶴が舞う図柄が刺繍されていた。
拍手に迎えられて席につくと、市長が立って挨拶した。
「当地出身の名大関若尾山が年寄尾花を襲名しまして、このたび初の十両力士を育て上げました。大慶至極でございます。これを突破口にして、尾花部屋から続々と関取が生まれますことを、われら一同、祈願致すものであります。そうした願いもこめまして、新十両川島山関に化粧まわしをお贈り致します。実物は歓迎会場に色どりですから、あのまま飾らせてもらいまして、目録がございますので、これをお渡し致します。尚、蛇足ながら申し上げておきますが、化粧まわしの製造に要した費用は、すべて各人の負担でございます。公金の使用は、ただの一円もありません。では目録をお受け取り下さい。お目出とうございます」
祝宴は二時間続き、そのあと二次会に繰り出した。川島山は明日の取組があるので、宿舎まで車で送り帰した。尾花親方は付き合いだから二次会、三次会とまわった。
寄贈された化粧まわしは、歓迎会場の料亭にそのまま預け、翌日若い者が取りにいくことにした。川島山には目録だけ持たせて帰した。
三次会は深夜に及んだ。地元の有志も、二人減り三人減りして、残った六人のうち正体不明が三人出た。これを帰してしまうと、尾花親方を入れて四人になった。
四人でもう一軒というのでスナックへいったのがいけなかった。そこにヤクザがとぐろを巻いていて、ちょっとしたことで口論になり、一人がヤクザに殴られた。尾花親方は仲に入り、兎に角、丸くおさめようと必死だった。
こんなことが新聞沙汰にでもなったら、おおごとである。
尾花親方は平身低頭し、有金を全部はたいてことなきを得た。店を出るとき、一人のヤクザが、
「明日になって吠《ほ》え面をかくなよ」
と、刺《とげ》のあることばを投げつけてきた。尾花親方は不安な気持ちで宿舎に帰った。
六
翌日早朝。昨夜の歓迎会場だった料亭へ化粧まわしを取りにいった幕下が、真っ青になって帰ってきた。
「化粧まわしを盗まれたそうです」
「えっ」
尾花親方も青くなった。
「飾ったままにしておいたのだそうです。俺がいってはじめて気がついて、それで……警察へ知らせました」
「警察へ知らせた」
「はい」
どうも困ったことになりそうだと、尾花親方は渋い面をした。昨夜、最後に寄ったスナックで、ヤクザがいった台詞《せりふ》が気になる。化粧まわしを盗んだのは、あの連中かも知れない。警察に調べてもらう手はあるが、そのために、口論と喧嘩《けんか》が表面に出たらまずい。
「スナックで暴力団と客が喧嘩……巡業中の相撲親方も関係」などと書かれたら、尾花部屋はお先真っ暗である。新十両の川島山の人気にも響くし、姉が落胆するだろう。
その反対に金鳥親方は、してやったりと北叟笑《ほくそえ》む。
化粧まわしが午前中に出てこなかったら、どうしようと思った。
親方の出身地だから、川島山は十両土俵入りを特別に許されている。白石市の興行に限って、土俵へ上がってお披露目ということになっていた。興行の触れもそのことを宣伝している。
化粧まわしがなければ、川島山ひとりが諦め込みだけで土俵へ上がらなくてはならない。それでは|さま《ヽヽ》にならないし、化粧まわしを贈ってくれた人たちに顔向けができない。
「金鳥親方が、大恥をかかせようとしている……というのはこのことだったのか」
尾花親方は無念でならなかった。いずれにせよ、警察が捜し出してくれるのを待つ以外にない。
もし出てこないときはどうするか。いくつか方法はあった。弓取式をやる幕下のを借用すること。予備を持ってきている力士から借りること。十両と幕内の土俵入りは別だから、幕内のを借りる……だがこれは、よほど手際よくやらないと、受け渡しが時間的に間に合わない。他人のを借りるにしても、金鳥親方が邪魔をするだろう。
とにかく、なんとかしなければならない。尾花親方は弓取式力士金子錦の親方に電話をし、事情をいって化粧まわしの借用を申し入れた。一門だから助けてもらえると思ったのだ。
「盗まれたんだってな。気の毒なことをしたな。地元の後援者から贈ってもらったばっかりの奴を盗られるとは、えらい不注意だ。貸してやりたいのは山々だが、こういうことは本家の承諾を得ておいたほうがよさそうだ」
「それほど大袈裟《おおげさ》にしなくても」
「それではなにかね。金鳥親方に内緒でこそこそ処理してしまおうということか。そういうのは反対だ。一門は筋を通して、金鳥親方の下に打って一丸とならなくてはいけない。そうではないかな」
「では……金鳥親方のお許しを得て下さい」
「そう話がわかれば、文句はいわない。しかし、うまく連絡が取れるかどうかは保証の限りではないぞ。念の為に他所《よそ》へも当っておいたらどうかね」
ガチャンと電話が切れた。貸してくれるつもりはないのだ。
何人かの親方に電話をして頼んでみたが、どの親方も言を左右にした。尾花親方を困らせようという金鳥親方の考えが、以心伝心となっていて、皆が及び腰の様子である。
「地元の人々が、真心をこめてこしらえてくれた化粧まわしが盗まれたからといって、替わりを使うのは、少し安直過ぎやしねえかい。地元では、贈った化粧まわしをつけて土俵入り、というのを期待しているわけだろう。草の根を分けても捜すことだぜ。出てこなかったら、締め込みいっちょうでやるのが、仁義というもんだ。締め込みでやりなよ」
といった親方もいた。
巡業部長に頼んでみようかと思った。この人なら相談に乗ってくれる筈だった。派閥の犇《ひしめ》く角界で、中立的立場にいる唯一の人物である。白石市での十両土俵入りを許してくれたのも、この巡業部長が、骨を折ってくれたからだった。
尾花親方は、意を決して巡業部長の宿舎へ連絡した。相手は留守だった。急用ができて昨夜、東京へいき、昼までにはもどる予定ということだった。巡業部長がもどってきてからでも、間に合わなくはないのだが、それでは慌《あわただ》し過ぎる。
万策尽きてへばり込んでいたら、力石親方がたずねてきた。
力石親方には真っ先に電話をしたのだが、外出中だったのである。
「ここの警察署に知り合いがいるのだ。捜査係ではないがね。その人をたずねていって、事件捜査の進み具合を聞いてきた」
と力石親方はいった。
「先ずいえることは、いわくのある物件だが、警察は大事件とは見ていないね。被害届は料亭から出ているそうだ。問題は化粧まわしが出てこない場合なんだが。どこからか借りるよりないね」
「頼んでみたのだが、どこからもいい返事がもらえなかった」
「俺のところは十両一人しかいないし、それを貸したら本人の土俵入りができない。俺からも誰かに頼んでみよう」
そういって力石親方が帰って間もなく、刑事がたずねてきた。太ってずんぐりした男だった。目が小さくて愛嬌のある顔をしていた。年齢は五十歳前後と思える。
「久し振りで大相撲がきたというのに、人騒がせなことをしやあがった。犯人に心当りはないですかね」
と太った刑事はいった。心当りといえば、昨夜スナックにいたヤクザ風の男がいったことばが気になるのだが、それを刑事に喋ると、トラブルが表沙汰になってまずい。尾花親方は首をかしげて、
「まったくありません」
と答えた。どう見ても仕事熱心とは思えない刑事は、悠長に構えて煙草を何本も吸い、事件とは無関係な四方山《よもやま》ばなしをして帰った。帰りしなに刑事は、ちゃんこ料理というものを、まだ食べたことがないが、どんなものかと、御馳走になりたそうな素振りだった。
刑事の様子からも、事件の早期解決は望み薄に思われ、尾花親方は頭を抱え込むばかりだった。
七
「非人情な連中ばかりで、誰も化粧まわしを貸してはくれない。予備は持ってきていないとか、地元が贈ってくれた化粧まわしが盗まれたからといって、他人のもので間に合わせるのは礼を失するとかいって断わるが、つまりは後難を恐れてのことだ。金鳥親方に睨まれるのが恐いのだ」
力石親方が電話を掛けてきてそういった。こうなったら、巡業部長が帰ってくるのを待って、懇願する以外に方法はなかった。それとて、時間的に間に合うかどうかわからない。もし間に合わないときには、地元の人たちにお詫びをして、川島山の土俵入りは中止である。化粧まわしをつけた豪華|絢爛《けんらん》な土俵入りのなかへ、締め込みだけの川島山を登場させるわけにはいかない。
時間は刻々と迫る。巡業部長だけが頼みだった。時間を見て電話をすると、来客があり、取り込み中なので、あとで電話をして欲しいということだった。万事休すだ。
尾花親方は、川島山を呼び事情を話し、因果を含めた。土俵入りは川島山も楽しみにしていて、何回も練習をしていたのである。
「そういうことでしたら仕方がありません」
川島山が納得したところに、巡業部長から電話が掛ってきた。
「災難に遭《あ》ったそうだな。だが心配することはないぞ。いまとてもいい知らせを持った者がそちらにいく。きょうの十両土俵入りは、前代未聞の素晴らしいものになるぞ。ワシも楽しみにしている」
尾花親方がわけを聞こうとする前に、電話が切れた。
ほどなく宿舎の前に車が止まって、男女の客が降りてきた。一人は姉のヨシ江であり、もう一人は、ヨシ江に和紙製造の指導をする元中学校長だった。
二人は葛籠を運び入れてきた。なんのことやらわからず、呆然としている尾花親方の前に葛籠を置くと、元中学校長の老人は、白毛の山羊髭《やぎひげ》をしごき、さて……という風に口を開いた。
「このなかには、花嫁衣裳の打掛が入っている。なかなか美しいものです。この打掛は、お母さんがヨシ江さんのお嫁入りのときのために遺《のこ》してくれたのだそうです。ところで大事な化粧まわしが盗難に遭《あ》って、土俵入りに困難が生じました。他人のを借りれば用は足りるだろうが、それでは芸がない。打掛のことは、前に葛籠を制作したとき、ヨシ江さんから聞いていました。それでわたしの頭に閃《ひらめ》いたのは、この花嫁衣裳を化粧まわしにできないかということでした」
そう言って元中学校長は葛籠をあけ花嫁衣裳を取り出した。白紋|綸子《りんず》の裾のあたりに、印金で亀甲型が置いてあり、松を浅葱《あさぎ》、竹は萌黄《もえぎ》、梅には唐紅《からくれない》の配色で刺繍がされている。
色彩はあくまでも華美。作りは重厚。過去に幾多の名力士が、さまざまな意匠を凝らした化粧まわしで登場したが、これに及ぶものはなかったろう。化粧まわしは、幅67センチ、長さ約7メートルの布に1メートルだけ模様を入れ、それを前掛け部分とし、あとは折り畳んで帯の替わりにして腰に巻きつけるのである。
「相撲博物館に問い合わせて調べてもらいました。化粧まわしについての規定は特にないそうです。真珠やダイヤを仕込んだりするのはいまでもあります。豆ランプを取りつけて点滅させた人もいたらしい」
「………」
まだ納得できずにいる尾花親方を見て、元中学校長は、もう一つのことを説明した。
「実はね。先刻、当地興行の責任者である巡業部長に相談をして、許可を頂きました」
巡業部長に電話をしたときに、来客中で取り込んでいるといったのは、その相談中だったのだろう。また巡業部長が、いい知らせを持った者がいく……といった意味もわかった。
「なにからなにまで、御配慮を頂き、この通りです」
尾花親方は、ぴたりと両手をつき、深々と頭を下げた。姉のヨシ江は指先で目頭を押えた。
八
アー、ドスコイ、ドスコイ
※[#歌記号]やぐら太鼓にあのお関取ヨー
アー夢を抱いて上京して
辛い修業も なんのその ホイ
古郷へ錦の 土俵入り
化粧まわしに 嬉しい涙 ホイ
幕下の歌自慢が土俵に上がって、得意の喉《のど》を聞かせていた。白石城|趾《し》に仮設された相撲場から流れる甚句が、風に乗って遠く蔵王の山なみにまで渡るかのようであった。
土俵は幕下の取組が終了し、十両土俵入りを待つ間のアトラクションとして、しょっ切り相撲と相撲甚句の披露が行われていた。
葭簀《よしず》張りの一部へ幔幕《まんまく》を引きまわして支度部屋とした中では、十両力士が土俵入りの準備をしている。青白房の軍配を手にした行司が、力士を先導すべく、葭簀張りの外で待機していた。ファンが囲いの内側を覗こうとするのを、付人が出てきて態《てい》よく追い払った。甚句が止むと蝉《せみ》しぐれが満ちた。そして、赤トンボが低空を忙しく飛び交った。
みちのくは、夏の終わりと秋のはじめが交錯していた。
川島山が葛籠を運び込んだとき、力士たちは一様に怪訝《けげん》な顔つきをし、数人が寄ってきて、それはなにかと聞いた。葛籠だと答えると、そんなおかしな箱を持ち込まないでくれといわれた。十両たちは、先輩風を吹かせて横柄である。
「なにが入っているのだ。茣蓙《ござ》でも入れてあるのかい。ここへ茣蓙を敷いて寝ちまおうというのではないだろうな」
「いえ。そうではありません」
「ではなにをしようというのだ。独楽《こま》でもまわして皆に見せようというのか」
「このなかには、俺の化粧まわしが入っています」
「おちょくるのはいい加減にしろ。この野郎。お前の化粧まわしは、盗まれてしまって無い筈だ」
一人がゲンコツを振り上げ、もう一人が葛籠を脚蹴《あしげ》にしようとした。
「お関取衆。お待ち下さい」
元中学校長が、さっと割って入った。白い顎髭を生やした老人で、かつての気骨行司、髭の伊之助を連想させた。
「この葛篭は、新十両川島山関の、当座の明荷です。中には化粧まわしが入っていることは確かです。申し遅れましたが、わたしはこの土地の元中学校長です」
さすがは年の功で、意地悪をしかかった先輩十両たちを、ぴたりと押えた。川島山を囲んだ十両たちは、それぞれ自分の場所にもどった。
葛籠が開けられ、打掛が取り出された。ざわめきが起きていた。
「おかしな着物を持ち込みやあがったぜ」
「御《お》神楽《かぐら》でも踊るのか」
「派手なお|べべ《ヽヽ》をおっ広げたぞ。野郎、十両に上がって気が狂ったらしい。色気違いだ」
雑言《ぞうごん》が飛び交った。そのときである。一人の老人が飛び込んできた。つんのめるようにして川島山へ取りついた。
「関取、お待ち下さい。化粧まわしはあります」
「………」
「わたしはこの土地の神主ですが、わたしが仕えます神社に、当地出身で松乃山という関取が奉納した化粧まわしがございます。地元の有志が贈った化粧まわしが盗まれてお困りと聞きましたので、持ってまいりました。是非これをお使いなさって下さい」
呼び出しが柝《き》を打ち鳴らした。
十両格行司式守宮三郎に先導されて、土俵に向う力士の列に、新十両川島山の凛乎《りんこ》とした姿があった。
柝の音が冴え渡る。一瞬の静寂があり、呼び出しの力士紹介のアナウンスが、川島山の名を告げた。
わーっという歓声が、白石城趾をどよめかし、拍手が四辺に谺《こだま》した。
新十両川島山は、初陣の若武者さながらの意気を示して、眦《まなじり》を決して土俵に立っていた。観客の後方で、愛弟子《まなでし》の晴れ姿に注目していた尾花親方は、感極まって空を仰いだ。
尾花親方は、澄み渡る青空に、弧を描いて悠然と滑空する鳶《とんび》の大きな翼を見た。
拍手と歓声は、いつまでも止まなかった。
「姉は川島山の土俵入りを見にこなかったようですね」
と尾花親方が元中学校長にいった。
「見たら嬉しくて泣けてしまうといってね。いつものように家で紙を漉いています」
姉は以前のことがあるので、世間に遠慮をしているのだ……と尾花親方は思った。
大相撲は一日だけの白石市興行を打ち上げ、次の開催地である福島県郡山市へ|ハネ立ち《ヽヽヽヽ》した。
尾花親方は、慌しい出発の時間を割き、生家で姉のヨシ江と二人きりの別れを惜しんでいた。
家の周辺で蜩《ひぐらし》がしきりに鳴いた。
「花嫁衣裳の打掛を有難う。あれを呉れるというけど、ほんとうに頂いてもいいのですか」
「そのつもりで、お前がくるのを待っていたのです。奥さんに上げて下さい」
「直子は喜びます。俺は直子にあれを着せて、結婚の記念写真を撮るつもりです」
「それはいい考えです」
「おふくろが遺《のこ》したものというけれど、俺ははじめて聞いた」
「あの話は違うのよ」
「えっ」
「お前だから内緒で白状するけども」
そういうと、ヨシ江は大きく息をついた。肩が落ちて急にほっそりした感じになった。
「あれはわたしが人に隠れてこっそり買ったものなの」
「………」
「男のお前にはわからないかも知れないけど、女は一度は結婚の夢を持つものなのね。結婚そのことよりも、花嫁姿をしてみたいと思うのよ。両親に死なれ、お前は相撲取になって東京へ出ていってしまったでしょう。一人になって、わたしは淋しかった。或る日わたしは、闇雲に花嫁衣裳が欲しくなったの。わたしは親の反対を押し切って男と同棲し、捨てられた女だけど、それでももしかしたらまともな結婚ができるかも……と思って、結婚資金を僅かだけど貯金していたの。それを持って、仙台のデパートであの打掛を買ったのです」
尾花親方は、まばたきもせずに姉の目を見つめた。
「打掛を買ってしまったら、結婚の望みがぴたりと断ち切れて……皮肉なものね。それ以来わたしはあの打掛を密かに羽織って、姿見に写して自分を慰めていたのです。おかしいでしょう」
「おかしくなんかありません」
尾花親方は、周囲を闇に包まれた生家の一室で、あやなす衣裳をまとう姿を鏡に写して立つ姉を瞼に描き、胸を引き裂かれる思いだった。
「いまの話は、お前だけに明かすわたしの秘密ですからね。誰にもいわないで下さいね。わたしは充分に花嫁衣裳を楽しみましたから、次は直子さんの番です」
尾花親方は大きく二度頷いた。
時間をいって頼んでおいたタクシーが迎えにきた。
「いちど東京に出てきて下さい。東京場所のあるときにくるといいです。国技館を案内します」
「有難とう。わたしはまだ一度も本場所の相撲を見たことがなかったわね」
「では、また」
「体に気をつけてね。直子さんを幸せにするのですよ」
「お姉さんも元気でね」
タクシーは速度を増し、夕闇のなかへ消えていった。
半年後のことである。宮城県下を荒しまわった侵入窃盗犯が捕《つか》まった。
犯人は白石市で化粧まわしを盗んだことも吐いた。ヤクザに頼まれてやった仕事だといった。
盗品は間もなく、ヤクザの家の押入れから発見された。
ヤクザが関係する暴力組織を辿《たど》っていった警察が、金鳥親方を参考人として呼んだのは、二月はじめのひどく冷え込んだ日のことだった。
この日も、尾花親方の稽古場からは、熱気溢れる掛け声が響いていた。
[#地付き]〈了〉
初出誌
一瞬の栄光 書き下ろし
蛇の目の柝 小説新潮/昭和五十七年三月(「土俵祭り」改題)
走 れ 幕 下 小説推理/昭和五十七年六月号
差 し 違 い 小説新潮/昭和六十年四月号
擦り足の秘密 小説新潮/昭和六十年十月号(「相撲の目」改題)
タ ニ マ チ 小説新潮/昭和六十一年七月
恩讐の右腕 小説推理/昭和五十九年九月号(「相撲の手」改題)
化粧まわし 小説推理/昭和五十八年十一月
以上に加筆したものです。
〈底 本〉文春文庫 平成四年三月十日刊