「未来に向かって」
むぅ
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高橋 昇(たかはしのぼる)
本編の主人公。中月高校3年2組の普通の高校生。
未来を見ることの出来る謎の石を持っており、その運命に翻弄される。
心に思ったことを独り言として言ってしまう変な癖を持っている。
また自分のことを面倒くさがり屋だと思っているようだが、実はかなり面倒見が良い。
明と3ヶ月前から付き合い始めた。
松山 明(まつやまあかり)
主人公の彼女。中月高校3年4組に在籍。昇と昔から家族ぐるみの付き合いがある。
昇とは対照的に過去を見ることが出来るが、昇のように石を持っているところを見たものがいないため、
どうやら天性の素質らしい。いつも明るくしっかり者だが、過去にあった出来事のため、
あるいは悩み事のため時折顔に暗い影を落とす。
高橋美香(たかはし みか)
主人公の妹。中月高校1年3組に在籍。テニスを趣味としていて、
部活ももちろんテニス部。本人いわく腕には自身ありだとか。
かなりかわいいため、何人もの男が告白してきたそうだがそのたびにふったらしい(美香談)。
何も考えていないようで実は心の中ではいろいろ悩んでるようだ。
井上勇輝(いのうえゆうき)
昇の中学生以来の悪友。本人いわく親友らしいが、昇は否定している。
昇と同じクラスに在籍。それでも、昇が信頼する数少ない友達の中の一人。
身長175cm、容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能。昔、美香と劇的な出会いをしてしまい、
それ以来美香にぞっこんであるが、かなりの上がり症のためうまく美香と会話できないでいる。
東 雪奈(ひがし ゆきな)
昇の幼馴染にして、明の親友。中月高校3年2組在籍。
性格はいたって明るく、それが話し口調にかなり反映されている。
同じクラスの春日と1年前から付き合っている。
かなり頑固で一つのことしか目に入らないという難点も・・・。
昇の信頼できる友達のうちの一人。
春日 孝(かすが たかし)
東の彼氏。性格は普段のんびりしているが、
いざというときになったらかなり激しくなる。3年前に大阪からやってきて、今なお関西弁健在。
そのためかつっこみに回ることが多い。しかし、真剣なときには標準語になるらしい(東談)。
昇の信頼できる友達のひとり。
高橋 翔(たかはしかける)
昇の父親。3年前に突然倒れて、その1週間後に死んでしまった。
死因はガンらしいが本当に1週間で死んでしまうものなのか、昇は多少疑っている。
いつも休日は家におらず、何をしていたのかは不明・・。
高橋眞子(たかはし まこ)
昇の母親。元は関西出身であるが、関西弁はもうすっかり消えてしまっている。
翔が死んでから一生懸命働き始めているが、家計的にそんなに苦しくないはずなのに
働いていることに、昇は疑問を感じている。翔が死んでから、
たいていの休日は翔と同様に必ずどこかへ出かけていく。
松山信雄(まつやまのぶお)
明の父親。朝はなぜかかなりゆっくりしており、重役出勤。
そしてなぜか翔同様、休日は家にいないらしい。何をしているのか一切不明。
松山満子(まつやまみつこ)
明の母親。おっとりした性格だけれど、怒るとめちゃくちゃ怖い。
休日はちゃんと家にいる。明と同様、たまに顔に暗い影を落とす。
長谷啓子(はせ けいこ)
謎の少女。中月商店街の一角で占いをやっている。
どうやら中月高校1年3組で美香の友達のようだ。暗くあまりしゃべらないが、
占いの腕はぴか一らしい。連日長蛇の列が出来るほどだ。なぜか昇を敵視している。
謎の石 (なぞのいし)
昇が持っている謎の石。幾通りにも枝わかれしている未来を見ることが出来る。
いつこの石を手に入れたのか、どこで手に入れたのか、
なにでできているのかなどはまったく分かっていない。
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第1話 「日常」
第2話 「思い出」
第3話 「始まり」
第4話 「明の嘘」
第5話 「明後日」
第6話 「歯車」
第7話 「紛失」
第8話 「占い」
第9話 「事故」
第10話 「もう一人」
第11話 「病院」
第12話 「フォーチュン」
第13話 「災いの始まり」
第14話 「悲しみの始まり」
第15話 「崩落」
第16話 「真実」
第17話 「病」
第18話 「解呪」
第19話 「真実」
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第1話 「日常」
ほんといい天気だ。こんな日は早く家に帰るに限る。
だが、いつも待ち合わせをしているのに、どうも相手がなかなか来ない。
「帰れないではないか・・・。」
ふう、とため息をつく。
今、自分のいる下駄箱から外を見てみると、ほんとうにいい天気だ。
7月始めということもあってかなり暑さが増してきているが、それでも今日は 幾分まし。そんなに汗ばむこともない。
夕方になろうとしているのか、だんだん辺りに黄色みがかってきている。
「ふう・・・早く来ないかなあ。」
かばんを振り回していた。それしかすることがない。
ぶんぶん。
ぶんぶん。
・・・なんて俺は暇人なんだ・・・。
欧米人が「日本人の余暇の過ごし方は非常に下手だ」と言っていたのをふと思い出した。
「どうせ俺はヘタクソさ。」
などと考えていた、そんな時、
「のぼるー、おまたせー。」
そう言って女の子が俺のもとに必死に走ってくる。
この女の子は俺の彼女、松山明(あかり)。3ヶ月前から付き合い始めた。 昔から仲はよかったのだが、それほどお互いのことを意識することなく今まで過ごしてきた。
しかし、 今年の正月に明の相談にのったときからなんとなく気になり始め、気がついたら お互い好きになっていた・・・。
ほんと、よくある展開だなあ、とつくづく思ってしまう。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・。のぼる、待った?」
でも、あのころの明は本当に悩んでいたのでほうっておけなかったのだ。 面倒くさがりの自分が、なんであそこまでこいつにかまったのか・・・、自分でも よく分からない。
ただ、こう、笑顔が見たかったのかもしれない。
・・・な〜んてことを思っては、恥ずかしさで顔が崩れてしまう。
「・・・なに、にやついてるの?」
「い?!い、いやいや、別になにも。」
ああ、どうやらまた顔が崩れていたらしい。 恥ずかしいので話題を変えなくては。
「それにしても遅かったな。何をしてたんだ?」
二人で校門に向かって歩き出す。
「う〜ん、進路のことで担任の先生の呼ばれちゃって。」
「進路かあ。で、なんて言ってきたの?」
明の顔が「ぱあっ」と笑顔になる。この笑顔が見たいのだ。
「最近良い感じに成績も上がってきてるから、がんばれよ、だって。」
でもなぜか、もじもじしている明。なんなんだ、こいつは・・・。
「よかったじゃん!・・・で、まだほかに何かありそうだけど?」
勘の鋭い僕はわざと聞いてやる。大体こういう態度をするときというのは、 何か言いたいような言いたくないような感じだけど、自分から話すのは ちょっと気が引けるから聞いて欲しい、そういうときなのだ。
「!!・・・いや・・・あのね。」
とたんに明はうつむいて恥ずかしそうに言う。
「恋する女の子は強いんだね・・・だって。」
「・・・ははは。そ、そうかもしれないね。」
くそう、こっちまで照れてくるじゃないか。あの担任、いつか仕返ししてやる! 明は耳まで真っ赤だ。
「・・・」
「・・・」
ああ、お互い間が持たなくなってしまった。付き合って3ヶ月、 こんな状態が楽しめるのは今の初々しいときだけなのかもしれない。 そう思ってはみるけれども、やはりこの雰囲気を何とか打開しないと・・・。
あれこれ考えて、心の中でうんうんうなっているときだった。
「よっ、おふたりさん。いつも仲が良いねえ。」
後ろから声がしたので振り返ってみると、そこにいたのは井上勇輝(ゆうき)だった。
「あ、ゆうきくん!こんにちは!」
明が立ち止まって朗らかに返事をする。
こいつ、かなり性格が軽くて遊んでばかりいるのに、成績はトップクラス。 見た目もかなりかっこよく、スポーツも万能。身長は 俺より少し高めの175cm。天は二物を与え給うのか・・・。
「おーい、のぼるー、聞いてるかあ〜?」
こいつを見ると、心の底から人生について考え直したくなる。
でも、こいついわく、俺は無二の親友なんだとか。昔っから一緒に遊んでたし、 俺自身、こいつに一目おいてるのは事実である。こいつには昔、いろいろと守ってもらった。 だから、性格が軽いといっても ふざけたやつではない、というのは昔からの付き合いでよくわかっている。
分かってはいるのだが・・・
「おーい、俺の大親友、高橋昇(のぼる)君、聞いてるかー? 大事な話があるんだけど」
そういえば、俺の名前は高橋昇だった。中月高校3年2組。部活は無所属の平凡な 高校生だ。
ただ、あることを除けば・・・。
これは明にもいえることだな。
「なんだ?俺はお前の大親友ではないぞ。」
「そんな冷たいこと言わずに・・・。って、そんなところで反応するか、普通・・・。」
「まあ、細かいことはさておき、大事な話って、何?」
かしこまって、勇輝が話そうとする。あ、またいつものあれだ。
「美香さんを僕にください!」
「やらん」
きっぱり言ってやる。
こいつ、こんなに勉強・スポーツも出来てルックスもいいのに、なぜか俺の妹の美香に ぞっこんである。それは、初めてこいつが美香に会ったときが衝撃的だったからだろう。
まったく、疲れるやつだ。これがもう、僕らの挨拶代わりになってしまっているのは、 そこはかとなく悲しい。
「そんな、おとうさん!」
勇輝が足元になすりついてくる。くぅ〜っ、こいつなんでこんなに気持ち悪いんだ。
「お前にお父さんなどと言われる筋合いはない!」
がんがん、足蹴にしてやる。横で明がくすくす笑っていた。
「二人とも仲いいのねえ〜」
こらこら、明さん、あなた間違ってますよ。半ばいらいらして答える。
「そんなはずはない。」
「そのとおり!」
俺と勇輝の声がかぶる。そして、勇輝は立ち上がって力説する。
「おとうさんと仲良くするのは、娘さんと結ばれるための第一歩だからね」
こいつ、
1:本気で俺を親父代わりに思ってるのか
2:ふざけているのか
3:ついに頭がイカれたのか
・・・2に3000点(切に希望)。
俺の親父は3年前にガンで死んでしまった。死因として、「ガン」がどうも腑に落ちない点もあったが、 医者がそう言うのだから仕方ない。
そして、働きっぱなしだった父親は、まるで 自分が死ぬことを予想していたかのように自ら進んで保険に入っていたし、 貯金もしまくっていた。そのおかげで、俺は大学に進学することも出来そうである。 お金には困らないようになっているが、やはり父親がいない寂しさというのは お金では埋められないのである。
そんな話はともかく、とりあえず、今はこのややこしい勇輝を何とかしないと。 まあ、ちゃんと自分の立場は知っているやつだから、このままここにい続けるという 野暮なことはたぶんしないだろうからいいのだけれど。
俺が頭を抱えて困っている、そんななか、さらにややこしいやつがやってきた。
「おにぃちゃ〜ん!」
ガーン。今一番来て欲しくない、妹の美香である。「キーン!」という音を立てて、 粉塵をもくもくとあげながらやってきそうな、勢いだ。
美香は高校1年生。無所属の俺とは違って、テニスをバリバリやっている。そして、とてもうまい。 さらに兄の俺が言うのもなんだが、かなりかわいい方だと思う。まあ勇輝が惚れるのも分からなくも ないが・・・。
でも、こいつが来たおかげで、少し面白いものが見れそうだ。そう、勇輝の態度である。
美香の第一声で勇輝の体がびくん、と跳ねた。
「はあ、はあ。あ、明先輩!こんにちは!」
「こんにちは〜。美香ちゃんは今日も元気だね。」
「はい!元気いっぱいです!」
こいつの全身から、確かに「元気」というオーラが見える。 俺の体から出てくる「面倒くさい」というオーラとは正反対である。
「井上先輩、こんにちは!」
一方、勇輝はがちがちに固まっている。なんとか、声を絞り出したような感じで、こう言った。
「こ、こんにちはい、いやあ、美・・香ちゃんおひさし・・・ぶりげんきそうで、 なにより・・・だよ」
勇輝よ、もっとリラックスして、滑らかにしゃべりなさい。そして、文章に句点(。のこと)を 打ちなさい。
「おひさし・・・いやですね〜、もう〜、せんぱ〜い!昨日も会ったじゃないですか〜」
美香が明るく返す。えらいぞ、美香。こいつの気持ちになかなか気づかないお前もまた えらいぞ。もうかれこれこんな状態が1年ほど続いているように思うのだけれど・・・。
「そ、そうかもしれないかもね・・・。あ、あっはっはっは・・・・・・・・・・・・」
「そうですよ〜。あはははは〜〜!」
はあ、疲れる・・・。こいつらと一緒にいると、かげろう並みのスピードで老いていきそうだ。
帰ろうとする俺に気がついて美香が声をかけた。
「あ、おにぃちゃん帰るの?」
「ああ、帰るさ。もうこんな時間だし。」
そういって時計を見るともう4時だ。こんなやつらと時間を無駄に過ごしたのかと思うだけで がっかりしてくる。
「おにぃちゃんに頼みたいことがあったの!いいかな〜?」
「面倒くさくなければいいぞ。」
「ん〜とね、6時からテレビでアニメをやってるから録画しといて。私、今日 テニス部の部活が夜まであるのよ〜。」
「そんなの、母さんに電話しとけよ。」
「ほら、今日お母さん仕事で遅くなるって言ってたでしょ?」
そういえば、確かそんなことを俺が家を出るときに行っていたような気がしないでもない。 親父が死んでから、母さんは働き始めた。といっても、家計的には父の残したお金があるので 苦しくはないのだけれど、やはり家でじっとしているのが辛かったのだろう。働いていた方が 思い出さなくてすむというものだ。
「ああ、そうか。じゃあ、わかった。」
「前回の続きに録画しといてね。」
そういって、じゃあと挨拶したら、さっさと妹は走って消えてしまった。
「相変わらず、美香ちゃん元気ね〜。」
明が笑って言った。
「まったく、あれだけ元気ではこちらが疲れるよ。・・・で、勇輝、今日もお前は 変だったな」
ううう、と今にも泣き出しそうな顔になって勇輝は言った。
「ああ、どうして美香ちゃんの前ではこうなってしまうんだろう・・・。 体が思うように動かない・・・。」
困ったやつだ。ほかの女子にはかる〜く声をかけることができるのに。 でもまあ、それのおかげで、こいつが妹と仲良くできることは、まあないだろう。
・・・この時には、そう思っていた。
「ん!こんなに時間が経っていたとは!」
いまさらながら、勇輝が時計を見て驚いている。そういえば、美香がいるときにも こいつは時計を見ていたはずだけど・・・。きっと上の空だったのだろう。
「なにか、時間に追われているの?」
明が勇輝に聞く。ちょっと微妙に日本語がおかしいけど、まあいいだろう。
よく聞いてくれましたとばかりに、勇輝の顔が生き生きとする。
「実はこれからライブがあってな。日満市の方に行かなくちゃいけないんだ。」
今いる場所は中月市、中月高校。日満市は隣町である。中月市よりも大きな町だ。
「なるほど。で、早く行ったら?」
俺は、さらっと流すように冷たく言う。もちろん、こいつが絡んでくることは予測済み。
「そんなひどいなあ、もう。で、バスで行ったらいいのか、電車で行ったらいいのか 占ってほしいんよ。」
きた!・・・と思った。俺にはちょっとした力がある。 昔はこれでえらく大変な目にもあったのだが・・・。 いまでは、この力がみんなの役に立つようになるべく有効活用しようとがんばっている。
が!こんなやつに使う気にはなれない・・・。
「いや。今から行ったら間に合うんだろ?早く行けよ。どっちでもいいじゃないか。」
「いいや、それじゃあ良くない。やっぱり、座りたいしな。頼む! どちらに行ったら座れるか占ってくれ!」
「おいおい、お前が椅子に座れるかどうかを俺が『見』なくちゃいけないのか?」
はっきり言って、職権乱用・・・ならぬ、能力乱用。 無駄使いもいいところである。
「そう!時間がないんだ、早く頼む!」
向こうは必死だ。はあ・・・。なんでこんなやつに使わなくちゃいけないのか。 はっきり言って鬱だ。
でも、明らかな悪用以外は使ってあげるようにしているから仕方ない。それに、 いろいろ世間で騒がれたときにも真っ先に守ってくれたのはこいつだった。
「ふぅ。仕方ない。じゃあ、いくよ」
「おう、頼むぜ!」
俺はポケットに入っている「石」を取り出した。石は楕円形が 縦方向に半分に割れたような形をしている。 縦に2等分されたをラグビーボール想像してもらえるとありがたい。大きさは 家で測ったら、縦13.2cm、横6.4cm。この大きさなのに、重さは20グラムほどしかなく、 非常に不思議である。切り口は微妙にギザギザであった。 割れたもう一つがあったらぴったり合いそうな気がするけど、この広い世の中 そんなものにめぐり合えそうにない。
そもそもこの石がなんなのか、いまだに よく分からない。ただ、この石を握って目を閉じてその人のことを考えると その人の将来が見えるのだった。将来は幾通りにもわかれていて、 そのすべてを見ることが出来、そしてその占いがはずれることは一度もなかった。 思い描いたとおりの未来が数分・数時間・数日後にやってくるのだ。 あまりの怖さに、この石を割って捨てようとがんばったこともあったけど、 石は強情でキズ一つつかず、ほかの人に悪用されてしまわないように 僕が持ち続けよう、と幼心に決めたのをふっと思い出した。
石を両手で包むように握って目の高さまで持ってきて、目をつぶる。 不思議と、このときには目をつぶっているのに相手の姿、表情、背景までが見える。 そうしているうちに、ふっとその映像たちが消え真っ暗になり、数分・数時間・数日後の未来が くっきりと見える。いや、その世界へと旅立つ。
その感覚としては、テレビカメラの感覚といったらいいだろうか。テレビカメラで撮影した映像を 見ている気分だ。 自分はしっかりその未来をその場で見ているのだけれども、 未来にいる人々からはまったく自分のことが見えていないようだった。
しかし、自分自身を「見る」ことはこれまで一度も出来なかった。自分の未来だけ「未知」なのだ。 他人の未来の中に自分が登場することはあっても、「自分の」未来は決して見えないのだった。
一通り見終わって、目を開ける。で、勇輝に言う。
「電車で行くといい。買い物帰りのいかついおばさんの隣に座ったら、もたれかかられるから 注意しろよ。黒髪がきれいで長いねーちゃんの隣が空いてるぞ。あと、どうでもいいかもしれないが、 今日のお前の家の晩飯は肉じゃがらしい。」
僕はこのとき、こみ上げてくる笑いを抑えて、にやつく程度でなんとか耐えていた。
ふふふ、この後の勇輝が楽しみだ。きっと悲惨な目にあっているだろう。
しかし、おれのにやつきに勇輝は気がついていない模様。
「わかった!ありがとう!これで座っていけるわあ!・・・って、人の家の晩飯まで勝手に 見ないように。」
一応、注意してくる。が、そんなことはもはやどうでもよかった。 ただただ、これから勇輝に「必ず」訪れる不幸に、俺は今にもふきだしそうになっていた。
「いやいや。すまんすまん。そして、滅相もない。がんばれよ。」
「ん?変なこと言うなあ。」
明も口を挟む。
「そうよ〜。それが昨日の残り物なんて絶対に言っちゃダメなのよ、のぼる君!」
「何気にひどいな、松山も・・・。」
勇輝ががっかりする。
「お前ら変なカップルやで。昇は未来が見える、松山は過去が見える・・・。」
そう、明には過去が見えるという特技があった。俺のと似ているけれども、 俺は今まで明が俺と同じように石を持っているのを見たことがない。 もしかしたら、こいつは天性の才能なのかもしれない。こいつはこれで苦しんできたのだ。 今ではこんなに明るいけれど・・・。
明が続けた。
「ええ〜っとね、参考までに、おとといが・・・あ、井上君、ハンバーガーで済ましたね。 3日前が・・・ロールキャベツ。うわ!肉ばっかりじゃない。魚も食べなきゃダメよ、魚も。 4日前は・・・う〜ん、見えない・・。」
「はっはっは。まあ大丈夫。肉ばっかりでもこうやって生きてるし。ではまあ、教えてくれてサンキュ! じゃあな、お二人さん、ずっと幸せにな!」
「ああ、んじゃな。」
「うん・・・。」
なぜか、うんと答えた明の顔に暗い影が差し込んだような気がして、ちょっと気になる。
「・・・気のせいかな。」
そう俺がつぶやいたのを聞いて、明がこっちを向いた。その顔はいつもどおりの 明るい顔だった。
「何が気のせい?」
「いやいや、勇輝が少しはしゃぎすぎかなあ、と。 はしゃぎすぎというか、そんな座ることぐらいで俺に聞いてくるかなあ。」
とっさにごまかした。別にごまかさなくてもいいんだけど、条件反射的にそうしてしまった。
「う〜ん。たしかにそういわれてみれば、そうかも。ねえ、じゃあそれも占ってみれば?」
明の提案に俺は、
「面倒くさいからいいや。」
と、答えた。勇輝が「どうなろうと」関係ない。俺はちゃんと見てやったのだ。
なぜかドキドキしている。別に、明の顔が一瞬暗くなったことなど本人に言っても 何てことないのに。でも、ちょっとドキドキしている。これが秘密の楽しさというやつか?
俺の顔を覗き込んで、明が訊いてきた。
「何か隠してるわね〜。」
うっ、さすがにするどい!これが女のカンという、これまで幾億もの男を泣かしてきた 女の凶器か?!ううう、どうしよう。別に隠すほどのことでもないし・・・。別にいいかな、 言っても。うん、いいよな。
・・・とはいうものの、体中の汗腺がいっせいに開く。ああ、尋問を 受けている気分だ。浮気がばれそうな世の100万ものオヤジたちは、みんなこの恐ろしさに 足が震えるのであろう。
そして明が口を開く。
「さっき占った後、にやけてたでしょ?勇輝君、電車で行くと何かあるの?」
・・・へ?
「またロクなことじゃないんだろうけど。」
そういって、明はふふっ、と笑った。
なんだ、そのことか・・・。た、助かった・・・。
・・・って、別に俺は何一つ悪いことはしてないぞ!
「ああ、それはまた後で教えたげる。ふふっ、勇輝は今日ライブを見に行けるかなあ」
不敵に笑ってやった。
「まったく、ちゃんと教えてあげないとかわいそうでしょ〜?」
「大丈夫だ。教えることは教えてやった。『ちゃんと座れる』ということは教えてやったぞ。」
「もう・・・。」
明はふふっ、と笑った。やっぱり、さっきのは本当に気のせいみたいだ。
「帰ろうか」
「うん!」
二人並んで校門を出て、家に向かった。登下校は一緒にしているのだ。俺の家と あいつの家は歩いて5分ほどしか 離れていないので、いつも俺が明の家まで送り迎えしている状態だった。
帰り道、明が訊いてきた。
「そうそう、その石を拾ったときのことを聞いてなかったよね。」
夕方のため、二つ並んだ影が身長よりも長く伸びている。
「あ、そうだったっけ?」
「そうよ〜。教えてよ〜!教えて〜教えて〜!」
なぜか、ものすごく興味深そうだ。
「ん〜とね〜。」
・・・ちょっと俺の中で悪い心が見え隠れする。
「この石はね、拾ったんじゃないよ。」
「え?!じゃどうしたの?作ったの?もらったの?」
何でこいつはこんなに聞きたがるんだろう?ちょっと疑問になる。まじめに話をした方が いいのかもしれない。
・・・でも、俺のなかの悪魔は話を続ける。
「う〜ん、そうじゃないんだなあ、これが。」
「え〜、じゃあどうなの?教えてよ〜。」
「実はね、空から降ってきたの。」
「そ、空から?!」
「そう、あるときにね。で、それをペンダントにしてたんだけど」
「ぺ、ペンダント?のぼるが〜?」
「そう。で、それをしてたら落ちそうになっても浮かんだりして、で、空中海賊の 仲間になって、その石の示す方向に・・・」
明が訊いてきた。
「・・・・ねえ、その石ってさ」
「ん?」
「もしかしてのもしかして、飛行石っていわない?」
「そうそう!よく知ってるね!」
なんだか、明の肩が小刻みに震えているような気が。
「・・・で、その石の示す先には古代兵器を搭載した浮遊城があって・・・」
「そうそう!」
明の目が怖い・・・
「・・・で、こうやって呪文を唱えたら崩れるのよ・・・ね?!」
『バルス!!』
声がそろってしまった・・・。
そう思った瞬間・・・
「がはっ!」
俺はあまりの腹痛にその場にうずくまってしまう。明の燃える拳の跡が服のみぞおちの部分に くっきり残っていた。
「あ・・・あかり・・さま・・。い、痛すぎます・・・」
「ふん!なによ!真剣に驚いていた私がバカみたい!大体、飛行石持っているなら、 のぼるが女の子じゃない!おさげでもしてなさい!!」
ぷんぷん怒って先に行こうとする。い、痛い・・・。なんとか立ち上がって明の後を追う。
「そ、そんなに怒らないで・・・ね。それにこんなパンチを決められるんだったら、 十分、明は男の子の役でも・・・はうっ!!」
明のひじが再びおんなじところにめり込んだ。
あまりの痛さにのた打ち回る。
「ずっと痛がってなさい!」
ひ、ひどすぎ・・・。
なんとか、ご機嫌を取って、素直に話すことにした(これ以上やられたら、もう三途の川が見えそう)。
「実は、よく覚えてないんだ。」
そう俺が言うと、明が聞き返してきた。
「覚えてないって、どういうこと?」
「う〜ん、物心ついたときにはこれをもってたということ。家の中にあったのかもしれないし、 どっかで拾ってきたのかもしれない。」
「そうなんだ〜。」
「母さんが言うには、親父はこんなものもってなかったらしいから、どうやら 俺がどっかからか持ってきたみたいなんだけど。」
「・・・ふ〜ん。」
なんだか残念そうな明。何か壮大なスペクタクルでも求めていたんだろうか?
思わず訊いてしまう。
「もしかして、予想とは違った?もっとすごい物語を予想してた?」
明は俺の質問に少しびっくりしながら、
「え!・・・ううん、そうじゃなくてね、もっとはっきりしてるかなあ、と思ったの。 ほら、そんなにすごい力のある石じゃない?だからそういうのを手に入れたときには やっぱり感動したのかなあ・・・って。」
「う〜ん、そうではなかったなあ・・」
俺は答えた。
「この石の使い方が分かったのは、2年ほど前なんだ。それまでおもちゃ箱に入ってて。 おもちゃ箱に入ってることすら覚えてなかったんだけど・・・。2年前に掃除をしようとしたときに 美香が見つけてね。で、まあ美香とちょっとした勝負をすることになって、そのときに使用用途が分かったというわけ。 いや、もしかしたら、この使用用途は本来のものとは間違っているのかもしれないけれど・・・。」
「・・・なるほど〜。分かったわ〜。」
明は微妙に納得したようだった。やはりどこで手に入れたのか気になっているようだったけど これ以上は訊かないようにしているようにも見えた。どことなく明に違和感が漂うような気がした。 でもまあ、そんなことばかり気にしていても始まらないと思い、今度はお返しに俺が訊いてみる。
「じゃあ、明の方はどうなの?」
「え?!わたし?!」
少し驚いたようだったが、質問されるのが半ば予想できていたのか、明は迷うことなく答える。
「私はねえ、中学校2年のときだったかな?うん、そう、中2だった。・・・知ってるでしょ? 私が松山家と血がつながってないってこと。」
そうだった。明は松山家の人間じゃなくて、幼いときに預けられた養子だった。預けたのが 一体誰なのか、俺は訊いてはいけないような気がして今まで訊けなかった。 きっと明から話すときが来るだろう、そう思っていた。今もそう思っている。
「あのね、このことを知らされたのが中2だったの。本当に驚いちゃってね・・・。 で、やっぱり本当の両親が誰なのか知りたいでしょ?だから、心の中で祈ったの。 毎日毎日祈ったの。そしたら、だんだん昔のことを思い出せるようになってきたの。」
明の表情が鈍る。
「・・・それと同時に他人の過去までが、私が望んでもないのに見えるように・・・なってきたの。」
そうだった。こいつは誰の過去でも見えるんだった。俺とは違って、自然にイヤでも 見えてしまうんだ、目が合うと・・・。
「で、私怖くなっちゃってね。本当に。恐ろしい過去までが『ぶわっ』っとみえるようになるんだよ、 その人と目が合った瞬間・・・。」
次の言葉が出てくるまで、俺は待った。
ちょっとして明が言葉を続ける。
「思い出が、過去がいいものばかりじゃないんだよ。犯罪・・・。時には本当に恐ろしい 惨事が頭に見えるの。あんなに人のよさそうな人が、過去に放火をしていたりするんだよ。 ・・・誰も信じられなくなったの。」
「・・・そんなもの、見たくもないのに・・・。」
俺はだまって聞いていた。ちょっと明の声が震えているような気がした。
「でも、昔のことが知りたいのに、見えるのは最近のことばかりなの。昔のことなんてまったく見えなかった。 他人の記憶の中で、その他人が一体誰なのか分かるんだから、ね。あんまり若すぎたら 誰なのかわからないし、幼すぎたらもっとだし。たぶん、私の予想としては5〜6年が限度みたい。」
「だから・・・」
明の話は続く。
「昔のことなんてちっとも分からなかった。ただ見えるのは自分の、最近の『既知の』過去と、知りたくもない 他人の過去・・・。ある人に会うたびに、その人の記憶が流れ込んでくるの。目を見ないようにすれば まだましだけど、普段歩いているときでも目が合えばイヤでも過去が流れ込んでくる・・・。」
「そして、その中でも先生なんかは悲惨だった。もうこの人に教えてほしくない、と思うことだってたくさんあった。」
しゃべり続けて、ふう・・・と、明は息を整えた。
いまにも、あふれ出しそうなものが明の中にあったのだろう。必死に抑えていたのだろうか?
少しの空白。その後、明の口が言葉を紡ぐ。
「でも、こんな力でもね、役に立つときがあるの・・・。」
「だから、そのために今は生きよう、って、 思ってるの。前向きに生きなきゃね。それに・・・」
明が前に、たったっと走って、髪の毛を耳の上にかき上げながらこっちに振り返り、少し大きめの声で 叫んだ。
「こんな私を好きだって、守ってくれるって言ったのは、昇だもんね。 私も昇のために役に立ちたいよ!だから、前向きに生きるの!」
時が・・・止まったような気がした。気がついたら、明を力いっぱい抱きしめていた。 横を行き過ぎる学生、会社帰りのサラリーマン、犬の散歩をしているおばさん、 そんなものはまったく気にならなかった。ただそこには二人の世界があって、 その中で、かたく・・・かたく・・・抱きしめあった。
こいつには悩みがたくさんある。俺が、守ってやらなくちゃ・・・。そう心に誓った。
再び歩き出した俺に、明から恥ずかしそうに手をつないでくる。
「・・・。」
俺も恥ずかしいから視線が泳いでしまう。
「・・・。」
手をつないで帰るなんて初めてだ・・・。
その手を通して、明のぬくもりが 心まで伝わって来るようだった。
明の家に着いて、手を離す。まるで自分の一部が引き剥がされるかのようだ。 それでも、ずっと手をつないでいるわけにはいかない。仕方なく手を離して、
「バイバイ!また明日迎えに来るよ!」
「うん!待ってる」
そう言って、お互い笑顔で今日を締めくくった。家に帰る5分間、心がとってもほくほくしていて、 なんだか足取りが軽い自分にとっても驚き、そして、ちょっと照れくさかった。
「ははは・・ふふっ」
自然と頬が緩んでしまうのは仕方ない。
「ただいまー。」
家に帰ると5時。もちろん、誰からも返事はない。
「母さん仕事だったよなあ・・・」
などといいながら、郵便物のチェックをして、美香に頼まれていたテレビの予約をしようとする・・・。
その時、郵便物の中に父さんあてに手紙が来ていた。
「・・・ん?!そんなばかな・・・」
何度も宛先を確認してみても、やっぱりうちの住所だ。そして、父宛「高橋翔(かける)様」と なっている。3年前に死んだはずの父さんに手紙?父さんが死んでから今まで一度もなかったのに?
何かいやな予感がする。これは女のカン、ならぬ、男のカンだ。 野生の鼻が何かをかぎつけようとしてる。
開けたい。開けたいが・・・あけていいものだろうか?うんうん、うなって考える。
「別にたいした中身じゃない気がする。別に見たからといってそう怒られはしないだろう。 もうこの年齢なんだし。・・・いやいやしかし、何かいやな予感がするのも本当だ。 どうしよう・・・困った困った・・・。」
どうやら口に出して考えているようだ。われながら恥ずかしい・・・。
やはりこれは母に見せてからでないといけない気がする。父のものは母が管理することになっていたし。 むやみやたらと大人の話に首を突っ込んでも、余計に面倒くさくなりそうな気がした。
ちょっと心の中にその手紙のことを挟んでおいて、テレビの予約をする。ふぅ、これを忘れたら、美香は 学校で演じている明るくていい子から、おそろしい鬼(家バージョン)へと変貌してしまう。 この姿を見たら勇輝だってきっと諦めるだろう。
・・・いや、そうじゃなかった。勇輝は「本当の美香」の方に惚れたんだった。なんて奇妙なやつ。
まあ、ともかく今日はちゃんと録画予約もしたし、殺されずにすんだ。
それにしても、あんなアニメのどこがいいのか。まったく興味のない俺にとってはニュースの方が 100万倍ためになるというものである。まあ、いいけど・・・。
母さんが帰ってくるのが遅いから、今日の晩飯は俺が作ろう。親父が死んでから 自分で作るのには慣れていた。これも、母さんに楽をさせるためだ。 やっぱり親父が生きている間はなんとも思わなかったけれど、親父が死んで 母さんが一人になって仕事を始めてからから、母さんには楽をさせてあげたい、っと思うようになり、 家事はなるべく子供たちでしよう、と俺と美香で決めたのだった。
というわけで、今日の料理は何にしようか・・・。冷蔵庫の残り物炒めでいいかな。 「う〜ん、あ、鳥の胸肉がある、キャベツがある・・・。じゃあ、あれにしよう。」
そう思って調理開始。さすがは3年間やってきただけはある。大体の料理は出来るってもんだ。
明の事を思い出して、うれしはずかしの状態で料理する。鼻歌も出てくるってもんだ。
「ん〜〜〜♪〜〜♪♪〜〜ん〜〜んん〜」
こういう料理は楽しい。で、もう大体出来上がったころに時計を見ると、6時過ぎ。
「あ、テレビはちゃんと録画できてるんだろうか?」
そう思ってテレビをつけてみる。ちゃんとビデオも回ってるし、うんうん。いけてるよね。 テレビでは楽しそうな音楽が流れていた。
「ふん、こんなん見るやつの気が知れん」
そう思ってテレビを見ていた。
・・・30分後・・・
テレビに釘付けになっている自分に気がついた。
「あ・・・ああ〜〜〜〜!!全部見てしまったーーーーーーー!!!」
なぜか慌てる・・・。妹と同レベルになってしまったのが非常に痛い。鬱だ。
そんなときに、
「ただいまーーーー!」
ちょうど美香が帰ってくる。なんてタイミングのいいやつ・・・。
「おかえりーー。」
ちゃんと返事はしてあげるのが、うちの家族のいいところだ。
その後、美香と一緒に、再びあのアニメを見ながら晩御飯を食うことになってしまった。 一度ならず二度までも見ることになるとは、・・・最悪だ。
しかも、このやろう、俺が作った飯にさんざん文句をつけてくる。 「塩入れすぎ」「味がしない」・・・もうすっかり鬱である。
俺もいろいろ言ってやる。「高校1年にもなってこんなアニメを見てるやつがいるか!」 「お前もたまには料理しろ!」・・・でも、美香の耳にはまったく入っていない感じ。 はあ・・・兄としての威厳はもはや、地に堕ちてしまっているのか。
・・・そして俺は、なんだかんだと文句をいいながらも、またじっくりそのアニメを見てしまった。 ・・・もう俺はこういうアニメ向きの人生を送った方がいいのかもしれない。そう思い、天井を仰ぎながら、 頬を流れる熱いものを感じていた。
ご飯も食べ終わって、のんびりとテレビを見てしばらくすると、母さんが帰ってきた。
「あらあ、御飯も作ってくれたのね。ありがとう!」
こうやって喜んでくれると作り甲斐があるものだ。それに引き換え美香ときたら・・・。 まったく、こいつは。家と学校とに差がありすぎるのが問題であるなあ。 でもまあ、それを含めて好きというやつがいるのだから、世の中まだまだ捨てたもんじゃない。
俺ははっと思い出し、母さんに手紙のことを言っておく。やはり、あの後も開けなかった 自分が偉い。
「そうそう、今日父さんあてに手紙が来たよ」
「えっ?!」
場の雰囲気が一瞬で凍る。いや、凍ったのは母さんだけだ。 表情は驚きと、悲しみと、そして怒りのようなものに満ち溢れていた。 今まで見たこともないような母さんだった。
「・・・その手紙、見せてくれる?」
「あ、うん・・・。」
ものすごく強い意思を持った母さんの声。何かやはり秘密があるんだろうか、 あの手紙には。とたんにあの手紙が見たくなった。開けて見なかったことを後悔すると同時に、 見ていたら母さんの逆鱗に触れてしまったかもしれないような気がして、命拾いをしたと 多少喜ぶ。複雑な心境だ。
複雑なのは母さんも一緒だろう。どう考えても、死んでから一通も送られてくることのなかった父宛の手紙が 3年たった今送られてくるのである、異常ではないか?でも、母さんがあまり取り乱すこともなく、 そして驚くもそれはあらかじめ、まるで予想できていたものが起こったかのような驚きだった。 なにか、もしかしたら母さんにはこの手紙の存在を飲み込める、そんな情報を持っているのではないか?
母さんの表情一つでここまで考えられる俺もなかなかすごい、と自分で感心してしまう。
「これは、探偵にでもなった方が将来有望かもしれない。」
な〜んてことを考えてしまう。
そうこうしている間に、母さんは手紙を慌てることなく封筒から開け、取り出して一通り読んだ ようだ。
手紙を閉じて、一呼吸おく。
何か決心しているようにも見えた。そして、少しの沈黙の後、僕に向かって、まっすぐな強い目で俺を見ながらこう言った。
「昇も、もう18歳。本当のことを言ってもいい年齢だわ。・・・でも、今すぐにとは言わない。 今日からちょうど1週間後の7月9日、月曜日。お母さんは昇に大切なお話をするわ。そのとき、しっかりと受け止めてほしいの。 とっても、大事なお話だから・・・」
大事な話とは一体なんだろう?一生のうちに、まるで何かの物語のようなこんな場面に出くわすとは 思ってもみなかった。
「覚悟しておけ」ということなのだろう。一週間後でも今すぐに言われても、俺自身に起こるであろう 驚きとショックにさして 差は無いように思われたけど、どうやら覚悟しなくちゃいけないのは俺じゃなくて、 母さん自身なような気もした。母さんは自分自身にその言葉を投げかけているのか・・・。
・・・いろいろな考えが頭に浮かぶが、俺はその目に貫かれ、その場でただうなずくことしか出来なかった・・・。
・・・いやに、のどが渇いた。
第2話 「思い出」
「ああ・・・ここはどこだ。」
なんだかふわふわとして、自分ではないような感じだ。
そう・・・まるで未来を見に行ってる感じ。
自分は確かにその光景を見ているのだけれども、周りは自分のことに気づいていない。
そんな感じがする。
ふと気がついてみると、目の前に見たことがあるような光景が広がっている。
「中月神社じゃないか・・・。」
正月なのだろう、辺りにはうっすらと雪が積もっていて、神社の正面のほうにはたくさんの 出店と、参拝客とでごった返していた。そんな人ごみを避けるかのように、俺の足は 自然と神社の裏手へと回る。
もっと俺はいろんなものが見たいのに、なぜか体がいうことを聞かない。
すぐに神社の裏手へやってきた。そこでは正面の喧騒とはうって変わって、非常に物静かである。
昼時なのだろうか、太陽が「恥ずかしながらも」という感じで、高い位置の雲の隙間から顔を のぞかせていた。
日の光の暖かさを感じることも「出来ず」に、裏手の様子を伺うと、 そこに、高校生ぐらいのひと組の男女が神社の境内に腰をかけていた。
「なんだ、こんなところに男と女が・・・って」
俺は、そのとき、はっとする。
「・・・あれは、もしかして。」
女の子はどうやら泣いているようだ。
体はがちがちに緊張して震えている。
女の子の話を聞いてあげている男の子。その顔がくっきり見えたときに、俺は声を出していた。
「俺じゃないか・・・。」
その男の子は、俺のことになど気づかずに女の子の話を聞いてあげている。
そのとき、俺の中で思い当たる節があった。
「これは・・・。」
今年の正月じゃないか。
明に偶然神社で出会ったのだけれど、そのときの明の暗さに驚き、 それを異常に思った俺が 話を聞くためにそのまま神社の裏手に連れて行った・・・
はっきり言っておくが、この時にやましい気持ちなど断じてなかった。 ただただ、こいつのことが気になったのだ。
・・・といういきさつを思い出した。そのときの映像だ。ということは、
「これは夢か。」
そうつぶやいて俺は納得した。自然と足が動くのも、変な感じがするのも、 日の光を暖かく感じないのも、すべて夢だからだ。
でも、夢なのにどうやら夢の俺と明の会話は聞こえそうである。
いや、夢だからじゃない。俺の記憶どおりにこいつらがしゃべるだけだ。
「そうなんだ。過去が見えるんだ。」
「ぐしゅん・・・うん・・・。」
明は泣きじゃくっていた。
「実は俺は・・」
「未来が・・・見えるんでしょ?」
「え?」
明の言葉に素で驚く、過去の俺。 「・・・何で知ってるの?」
「有名だよ・・・。マスコミも頻繁に来てたし。・・・もう、1年ほど昔の話だけどね。」
「信じて・・・くれてるの?」
「だって、私・・・、過去が見えるんだよ?自分と同じような能力を持ってる人がいても 変じゃないよ・・・。」
そうだった。今思い出した。俺は一時、マスコミに引っ張りだこにされた。こんな、未来が見えるような 能力である。うわさになって当然だ。でも、なんでマスコミに話が広がったのか・・・非常に 謎である。
たしかに、この能力について知ったときにはいろんなやつの未来を、手当たり次第見て回ったものだ。 その人に頼まれようが、見てほしくなかろうが関係ない。あまりの面白さに 見て回り続けた。
でも、周りの人はあまり信用しなかった。だから、うわさになることもなかったと思うのだ。
しかし、マスコミにかぎつけられたときには、周りの目も変わった。今まで無関心だったやつが 今まで仲良かったかのように話しかけてくる。登下校時には、マスコミに後をつけられる。
始めはマスコミにも仲良くお話なんかをして、自分の能力を見せていた。自分の能力を信じてくれる、 奇特な存在だったから。
でも、次第に周りの状況が変化した。マスコミの数は増え、異様に友達が増えてくる。その一方で 仲良かった友達が騒ぎに巻き込まれないようにと、次第に自分から離れていく。
その恐ろしい変化に耐え切れなくなった俺は、その石をつぶそうと決心した。 幸い、マスコミに石を見せるということはしてなかったので、ただ単に「よくあたる占い少年」として マスコミは俺のことを騒ぎ立てていた。つまり、うその占いさえすればよかったのである。
しかし、今度は何かの拍子に石の存在がばれて、この石を手に入れようとするマスコミに追われるのが 非常に怖くなった。だから、石はつぶしてしまおうとしたのだ。
だが、石は・・・固かった。いや、かたいというよりも、頑固なのだ。きず一つつかない。
俺は途方にくれた。この石は一体なんなのか・・。恐怖さえ覚えるようになった。
そんな自分を励ましてくれたのが・・・
「そうは言っても、やっぱり未来が見えたり、過去が見えたりするのは変なんだよ。 信じられるわけないさ。」
「・・・ねえ、昇君がマスコミに騒がれていたとき、一体誰が味方してくれたの? 誰も信じられなくなったときに、一緒に戦ってくれたのは誰?」
「・・・あいつか。井上勇輝か・・・。」
そうだ。あのとき、 「うその占いをして、マスコミをどっかにやってしまえ!大丈夫、 占いなら俺が信じてやるから。マスコミはお前を信じて占いが見たいんじゃない。 その占いというネタが欲しいだけなのさ。いいか、誰が一番お前のことを信じているのか もっとよく周りを見たらどうだ!」
そういって、俺がうその占いをして、マスコミに「うそつき少年」と、手のひらを返したように さんざんたたかれたときにも、こいつは一人俺のことを信頼してマスコミから守ってくれたんだった。
こんな大事なことも忘れているようでは、あいつの親友失格だな。
・・・ん?!親友?!あいつが俺の?!
ははは・・・んなばかな。
自分で考えて笑ってしまう。
目の前では、明が話そうとしていた。
「そう、井上勇輝君・・・だよね。ちゃんと自分のことを守ってくれる友達がいたんじゃない。 でも、・・・私は・・・。」
明の肩が震える。
目の前にいる昔の明を見て思った。「こいつはずっと一人で悩んできたんだな、と。」
目の前にいる昔の俺は・・・やっぱり記憶どおりの言葉を言おうとしているようだ。
確か、次に言う言葉は・・・。
『じゃあ、わかったよ。俺がお前のそばにいてやる。なんでも相談してくれよ。 お互い、変な能力を備えた物同士なんだから。』
なんだか、恥ずかしい気もする。別に告白するわけじゃないから、自分が恥ずかしがる 必要はないんだけど。
いや、これは告白か?当時の俺にそんな気持ちはこれっぽっちもなかったはずだけど・・。
ただ、困ってる人を見たら、どうしても助けずにはいられなかったんだ。 面倒くささは多少あったけど、今はそんなことすら頭にはなかった気がする。
たぶん、俺もうれしかったのだろう。同じような境遇にいる人に出会えて。そりゃ、 このあと恋心が芽生えても仕方がない、と自分自身を考えてみる。
ははは、なんだか恥ずかしいなあ。
昔の俺は明の方にちゃんと向き直った。明は下を向いたままである。
明の肩の震えはおさまりそうにない。 昔の俺は何を思ったのかためらっているようである。いや、なかなか声をかけられないでいるだけか。
「・・・それにしても、なかなか言わないな、こいつ。」
過去の(夢の中の)自分にいらいらする。
「えーい!俺がはっぱかけてやる!」
そう思って、足を出した・・・・ら、
「え・・・ええーーーーーっ!!!」
なんと、足元には大穴があいていた。いや、確かそんなものはなかったはずなのに。
「ちくしょー!!だれじゃーー!!こんなところに穴を掘ったのはーー!!!」
穴に落ちていきながら叫んでいる・・。我ながらなかなか、器用ではないか。
目の前は一瞬にして真っ暗。ああ・・・どこまで落ちるのか。
「ああああああーーーー!!」
あ、そういえば、俺は高所恐怖症と落下恐怖症だった。
とたんに恐ろしさがこみ上げてくる!
そのとき!
がばっ!
布団から飛び起きる!
「はあ・・はあ・・・はあ・・・・・」
・・・どうやら夢から覚めたようだ。
時計を見ると、今は夜中の2時・・・
「くそう、母さんがあんな話をするからこんな夢を見るんだ。」
人のせいにするにもはなはだしいが、仕方ない。文句を言いながら再び眠る。
俺に出来るのは、ただただ願うことのみだ。
「今度は、へんな夢を見ませんように・・・」
「ピピピッ、ピピピッ」
気がついたら朝だった。
目覚ましに手を伸ばして、止める。
「ピピピッ、ピッ・・・」
ふうう、今の時刻は・・・7時か。
「う〜〜〜ん!」
伸びをする。くぅ〜〜〜っ、わけの分からん夢のせいでめちゃくちゃ眠いぞ!
夢うつつで着替えながら、リビングへ行く。
顔を洗ってテーブルの美香の前の席ににつくと、ふと美香の肩越しにカレンダーが目に入った。
今日は7月3日。もうすぐ念願の夏休みだ。
・・とはいっても、受験生に夏休みはないらしく、職員室では夏休みの課題をもう 少し増やすべきではないかという声が後を絶たないらしい。
「まったく、課題ばかり出しても、勉強しないやつはしないんだが・・・」
そうつぶやくとパンにかぶりつく。
それを聞いていたのか、美香が絡んでくる。
「ふふっ、それはおにーちゃんのことでしょ?ちゃんとする子はしてるのよ。」
「うるさいなあ。夏休みは遊ぶもんだ。だいたい、無理やり課題だされても、 いやいややったらまったく効果がないと思うんだ。」
「じゃあ、喜んでやったら?」
こいつめ・・・。けんか売ってるのか?
「誰が喜んでするか、あんなもの。」
そういえば、美香は頭がいいんだった。学年でも10番に入るほどの頭のよさとか。 世の中まちがってるよ、ほんとに。
「はいはい、ちゃんと食べて学校行ってね。そんなにのんびりしてたら遅れるよ〜。」
母さんがせかしてくる。今の時間は・・・
「げげっ!もう7時30分?!」
なんで、こんなに時間がたってるんだか・・・。急いで口の中に朝食一式を放り込む。
「げふっ・・・。」
朝から災難だ。というのも、朝は明を迎えに行くんだが、遅れると怒り出すので 急がないといけない。あいつの家に7時45分までに行けばいいのだが。
「まあ、何とか間に合うだろう。」
「そうね、でないと明ちゃん、怒っちゃうもんね。」
母さんがほほえましい笑顔でこっちを見てくる。くそう、朝からからかわれてるな・・・。
というより、また口に出してしまっていたようだ。最近は思っていることを口に出してしまう癖が ついてしまった。これはあまりよくない傾向なんだが・・・。
「そうは言っても勝手に出ちゃうんだよなあ・・・。」
「??」
また出てしまった俺の独り言を聞いて、美香は不思議そうにこっちを見ている。
ああ、どうせ俺は変なやつですよ・・・。
「よし、教科書類も持ったし、行こう!」
「そだね、もう7時40分だから早くしないと明先輩、ご立腹だよ〜?」
美香がうれしそうに俺の言葉に反応してくる。
「ああ、わかってる。」
もういちいち答えるのも面倒くさい。というより、急がないと時間がない。
「いってきまーす!」
「はーい、いってらっしゃ〜い。」
母さんの声が聞こえる。こういうふうに反応があるのは我が家のすばらしいところだ。
「私も行ってくる〜。」
どうやら、俺に続いて美香も出かけたようだ。
俺は明の家へ行く。歩いて5分の距離だから走れば3分。余裕だ。
無事着いて、明を怒らせることもなく、普通に登校する。
父さん宛の手紙とそれを見た母さんの反応を、横でいっしょに歩いている明に言おうかどうか 迷ったが、やめることにした。やはり、これは母さんから話を聞いてからでもいいだろう。重要な 話のような感じがするけど、こいつに関係があるとは思えないし。
・・・ただ、なんとなく、母さんの話はいろんな人を巻き込んだ、結構大変な内容のような 気がしていた。だから、話そうか迷ったんだけど。
「まあ、いっか。」
「ん?なにが?」
ああ!しまった〜〜〜〜!!また口に出していたか・・。
明は「なあに?」という感じで、微妙に首をかしげている。ううう、そんなしぐさは卑怯です。
「い、いや、べつに、なにも・・・。」
120%どもっている俺。なんて小心者・・・。心臓の鼓動がすごい。
「ふうん。」
なんて怖い「ふうん」なんだ・・・。「ザキ」に聞こえたのは俺だけか?
「・・・のぼるく〜ん、ねえ、教えてよ〜。」
の・・・のぼるくん?なぜ「くん」付け・・・?ううう、困った・・・。
「いや、ほ、本当に大したことじゃないんだ・・・。」
「・・・。」
なんだ、この沈黙は・・・。
「あ、あの・・・明?」 「あのね、のぼる・・・」
明がこっちを向いた。目には涙がたまっている。
・・・え?なみだぁ〜〜?!
「わたし、隠し事のないような関係にしたいんだ・・・。もっと昇のこと知りたいの。 昇は・・・私に隠し事しなきゃいけないの?」
ナキオトシデスカ・・・。もう、ギブアップです。男、高橋昇。女の涙には勝てませんでした。
がくっ・・・。もはや、尻に敷かれてるのか・・・。
「わ〜ったよ。話してやるから。」
「本当?!」
明の顔がぱあっとあかるくなる。こいつ、本当にさっきまで泣いていたのか・・?
「ああ。で、あのな・・・。」
俺は、父さん宛に手紙が来たこと、その手紙を見て母さんの顔つきが豹変したこと、 そして、1週間後に大事な話があるということ。
これらについて、明に話した。あと、俺がどう思ったのか、俺はどうするのか・・・、 といっても、ちゃんと受け止めるということだけど、それも話した。
それらを聞いた明は意外な反応を見せた。一字一句聞き逃すまいといった感じで俺の言葉に耳を傾けていた。 昨日から石のことについて異様に聞きたがっていたように、今日もまた話しに集中している。 なにかあるのだろうか?普段、そんなに何かに熱中するようなやつではないんだけど・・・。
「・・・とまあ、こんな感じだ。」
「・・・なるほど・・ね。
納得したようにうなずき、さらに明は話した。
「それ、絶対眞子おばさんの言うこと、受け止めてあげてね。」
眞子おばさんとは、俺の母さんのことだ。
「なにかとても大事な話のような気がする・・・。あのね、もしよかったら、 その眞子おばさんが月曜に話してくださる内容、私にも教えてくれない?」
「ああ、いいよ。」
ちょっとこいつを試してみることにした。
「・・・それがお前の探し物の役に立つのなら。」
「え?!う、うん・・・そうだね。」
やっぱり、何かおかしい。聞き出してやろう。
「・・・おい、その探しものってなんだ?」
「!!!」
明の顔が引きつる。しまった!と言わんばかりだ。
「べ、べつに・・・。あ、そうそう!!消しゴムを昨日なくしちゃって〜〜!!」
すごいごまかし方だ・・・。こいつ、人に尋問するのはうまいくせにされるのはめっぽう下手だな。
「そうなんか〜。消しゴムを見つけるのに、俺の話が役に立つんか〜。」
ビクリ、と明の体が少し飛び上がる。俺はもうちょっと言ってやることにした。
「あんな話がねえ・・・。おい!本当のことをいいなさい。今言ったら許してあげるから。 もし言わなかったら〜〜〜っ!!!!。」
「ひ〜〜〜っ!・・・ううう〜〜〜。」
もう観念したようだ。久しぶりに尻にしかれなかった気がする。はあ、情けない・・・。
「あのね・・。」
明の話はこういうことだった。
やはり、親探しは諦められない。今のお父さん、お母さんには感謝してる。でも、 やっぱり知りたい。でも、どうしても教えてくれないの。だから、あの石について もっと知りたい。そうすればきっともっと古い過去まではっきりと見えるようになるはず。
そういうことだった。だから、俺の親父と母さんなら何か石の秘密について知ってる かもと思い、真剣に聞いてきたのだった。
ここで疑問がわいた。なんで、こいつは石のことについて知りたがるんだろう? 石を持ってるのは俺なのに・・・。
それに、こいつなら俺の眼を見ただけで、昨日の話はすべて頭の中に流れ込んでくるはずだろうに。 なんでいちいち聞いてくる必要があったのか?
でも、もう校門もくぐって教室が目の前だったので、この質問は帰る途中にすることにした。
今あえて聞く必要もないだろう。
「別に、石も明も逃げていかないしな」
「ん?!」
「いや、独り言だ。」
また、言ってしまっていたのか・・・。
「あ、そうだ!」
突然叫ぶ明。ちょっとびっくりしてしまう。
「ど、どうした、いきなり叫んで・・・?」
「勇輝君、昨日帰るときに何かあったんでしょ?ねえねえ、一体なんだったの〜?」
「そ、それか。いやな、実は・・・」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「ひ、ひどいよ〜それ〜」
「じゃあな〜、明〜!」
「う、うん!」
俺は3年2組。明は4組。クラスが違うのだ。
バイバイして教室に入る。しばしのお別れである。
明は本気で勇輝の心配をしているようだったけど、大丈夫だ。
あいつなら何とかして抜けてくるさ。
「さて、今日も1日のんびりと過ごすか〜。」
そういいながら教室に入ると、知った顔の男と女のカップルが俺のところにやってくる。
「のぼるー。おはよ〜さん。」
「おはよー。のぼるくん!」
「ああ、たかちゃん、あずま、おはよう〜」
こいつらは春日孝(かすがたかし)と、東雪奈(あずまゆきな)。 この二人は1年ほど前から付き合っている。俺の力をずっと信じてくれている大事な友達だ。
「今日もあんたら二人は仲よさそうでいいよね〜。」
俺はわざとそういう言葉と視線を送ってみる。
すると・・・
「何言ってるのよ〜♪のぼるくんだって幸せそうなくせに〜〜!」
「ほんまその通りやで。昨日下校途中抱きあっとったくせに?」
・・・ん?!な、なに?!
「なぜそれを知ってる?!」
無意識のうちに声が大きくなる。クラス中の喧騒が止み、全員こっちを向いてしまった・・。、 恥ずかしさのあまり黙って自分の席へ行く。二人も俺の後をついて来ているようだ。
席に座ると、教室がまた騒がしくなり始めた。
「おい、なんで知ってる?」
小声で二人に聞いてみる。
「いや、抱き合ってる横を通り過ぎたのよ〜♪昨日。」
「あれはほんまにびっくりしたで。声かけよう・・・思たら、いきなり『がばっ!』やからな。 楽しんでくれ〜、というわけで俺たち二人は黙って横を通り過ぎた、というわけや。」
「こっちに気づくかとも思ったんだけどねえ・・・。う〜ん、完全に二人の世界だったから〜♪」
・・・はずかしい・・・。
自分の顔が真っ赤なのがよく分かる。こいつら二人に見つかってしまうとは・・・。でも、 こいつらで本当によかった。ほかのやつなら、大変な目にあうところだった・・・。
俺の信頼できる数少ない友達。あのマスコミの事件以来、俺は信頼できる友達としか しゃべらなくなった。あの時離れていったやつらとは、もうあれから口もきいていない。
この二人には、ものすごく信頼がおける。関西から3年前に引っ越してきた春日。 いつも人の心配をしてくれる。その彼女の東。ムードメーカーでこいつの話す言葉の語尾には 必ず「!」か「♪」がつきそうである。
そう、1年半前のマスコミのとき、こいつらも本当に俺のことをよく助けてくれた。
感謝してもしきれないほどの恩がある。
その恩返し・・・というわけじゃないけど、俺が未来を見てやったのだ。
そう、「二人の未来」を。
あの時はなかなか面白かった。あいつが相談にやってきて・・・ 「な〜に、ぼうっとしてる、のぼる?いや、おとうさん!」
・・・感慨にふけって、昔を思いだしていると、「やつ」が教室に入ってきて、俺の目の前にいた。
「教室間違えてるぞ、勇輝」
素で言ってやる。すると向こうも一瞬素になった。
「え?!ごめん、間違えてしまったか。・・・って、俺は昇と一緒のクラスだ!」
「・・はいはい。まったく、お前のせいでせっかくの思い出と朝の余韻がぶち壊しだ。」
不機嫌そうに言ってやる。まったく、こいつに感謝するなどありえん。
「『朝の独り言』と『思い出し笑い』の間違いじゃないのか?」
「・・・やかましい。」
・・・なんていいところをついてくるやつなんだ・・・。
「それにしても」
勇輝がこっちに向いた。目が怒っているような・・・。
あ、昨日のやつか・・・。
「おい!のぼる、見えてたんだろ、昨日の事件!」
「なんのことだ?」
わざと肩透かしを食らわせてやる。もちろん、そんなことでへこたれるはずもない。
「いいや、確実に見えてたはずだ。それなのにそれなのに・・・。おーいおいおい、おーいおいおい・・・」
制服のそでを目に当てているが・・・。
・・・なんて泣きまねだ。芸がないにもほどがある・・・。
「どうしたんや、一体?」
春日が訊いてきた瞬間、待ってましたとばかりに目をきらきらさせて喜ぶ勇輝。話を聞いて ほしかったのね・・・。
「昨日、俺は日満市へライブを聴きに行く予定やった。で、電車とバス、どちらが座れるか 昇に聞いてみると、昇が言うには電車らしいんだ。で、さらに黒髪の長くてきれいなおねーちゃんの隣がいいと 言うから、その通り黒髪の長くてきれいなおねーちゃんの隣に座ってみたんだ。 すると、何もしてないのに痴漢に間違われるわ駅の事務所へ連れて行かれるわ、 まるでドラマの取調べのようにがんがん攻め立てられるわ、挙句の果てには 泣き落としのカツ丼まで出されるわ・・・。でもなんとかがんばって 延々説明すること2時間30分!2時間30分だぜ!ようやく向こうも 分かってくれて解放された!・・・のはいいけど、ライブ会場へ 行ってみると、もうライブはほとんど終わりかけ・・・。もうやけくそで、暴れ狂う客と一緒に 服を脱いで暴れてたら服がなくなって、どうしようもなくなって、そこになぜか あったハムスターのマスコット人形のかぶり物を着て、帰ったんだ。」
「そ・・・そうか、ぷっ・・それは・・・大変・・くっ・・だったな。」
笑いを止めることができない・・・。
今にも大笑いしそうだ。
俺が予想したとおりの未来を歩んでくれるとはうれしい限りである。
「そりゃほんま、大変やったなあ・・・」
「よく帰ってこれたね〜♪」
春日と東は楽しそうに心配している。器用なやつら・・・。
「ほんとうに、大変だった・・・。」
がっくりと肩を落とす勇輝。
「のぼる〜、ちゃんと見たとおりのことは言ってくれよ〜。」
「ああ、わかった。今度から気をつけるよ。」
さすがに今回ばかりは少し面白すぎた。ちゃんと見てやらないとな。
「今度言ってくれなかったら、美香さんはいただくからな。」
「ああ、もって行ってくれ。」
「ああ、そうは言っても・・・って・・・えええ!!」
俺の言葉に驚いたようだ。どうせ、そんなときになったらカチカチに緊張するくせに。
今までは「ダメだ」一点張りだったから、こういう反応になるのも分かる気がする。
「・・・ま、まあ、そんなことはさておき・・・。」
勇輝は仕切りなおして、春日と東の方を向く。
「お前ら二人も仲ええよなあ。うらやましい限りで。」
「いやあ〜そんなあ♪」
「ははは。」
二人とも照れている。
「そう言えば、この二人が付き合うことのなったのは・・・」
俺を見て勇輝はしゃべった。
「昇、お前のおかげやったよなあ。」
「・・・ああ、そうだ。」
そうだ。俺が『見』たのだ。
1年前、春日から相談があった。
『東がすきなんやけどやけど、東の気持ち、お前の能力で分からんか?』と。
『あいにく、俺の能力は人の気持ちまでは分からないんだ』
そう春日に伝えると、
『じゃあ、将来あいつが俺の彼女になるのかどうか見てくれないか?』
そういってきた。
別に断る理由もない。
『わかった。見てやろう』
そういって『見』ようとする俺に、あいつは一つの注文をつけてきたのだった。
『もしあいつが俺の彼女になるのなら何も言わないでくれ。ならないのなら、ならないで 何もいわないでくれ。』
不思議なことをいうやつだ、そう思った。だから、訊いてみた。
『じゃあ、何のために俺は占うのか?未来が知りたいんじゃないのか?』と。
そしたら、春日はこう言ったんだ。
『俺は未来なんか知りたくない。未来はそんなもんに頼らなくてもどうにでもなるもんや。 俺はこのあとあいつに告白してくる。 ただ俺は、もし、お前の占いで俺とあいつが付き合うとも別れるとも、そういうどちらもが見えたら、 それで付き合うことが出来たのなら、よくやったと言ってほしいんや。』
『変なことをいうやつだな。営業妨害だぞ。』
二人で笑った。
そのあと、ちゃんと見てやった。見終わっても、俺は何一つ言わなかった。 眉毛一本すら動かさなかった。あいつはそんな俺を見て、
『ありがとう』と、一言言って俺の前から消えていった。
しばらくして、あいつは東と二人、手をつないで俺のところへやってきた。
『どうだい、がんばっただろ?』
あいつはこう言ってきたが俺は『よくやった』とは言わなかった。ただ、
『おめでとう』と笑顔で言った。
・・・きっとあいつには分かっていたんだ、必ず東と付き合えるということが。 そのときの俺が石を通して見たのは・・・どう転んでも春日が東と付き合えるということであった。
でも、それでも俺に訊いてきたんだ、付き合えるのかどうか、って。
俺の力を試したかったのかもしれない。本当は不安でいっぱいで、俺が見たあと、俺の表情を穴が開くほど 観察していたのかもしれない。
だた、俺にとってあいつは、俺の能力を認めながらもそんなものはなくても未来は 自分で切り開けると初めて教えてくれたやつだった。周りのやつは「そんな能力は信じない」、 あるいは「思う通りの未来へと進むために利用してやろう」というやつらばっかりだった。
でも、はじめて、俺の能力を認めた上で「そんなものはいらない」って言ってくれたやつだった。 俺は心底うれしかった。この能力をちゃんと見つめてくれるやつがいることに心から安心したのだった。
俺がこんな能力を心からほしがってはいないということに、こいつは何気なく気づいていた・・・のかも しれない。
「そんなこともあったなあ・・・。」
と、自分の思いで旅行に浸っていると、勇輝が、
「いやあ、なつかしい!俺もあのころから美香さんに・・・」
げげっ!そうだった、こいつが美香に惚れ始めたのもそのころからだった・・・。
そんなことは思い出したくもない・・・。
そんな時。
キーン♪コーン♪カーン♪コーン♪
チャイムが鳴った。
「さあて、みんな席に着こう」
俺が促して、みんなを席へと戻した。
さて、1時間目は現代文の授業か・・・。ああ、あの夢のせいであまり寝つきがよくなかったんだった。
う〜ん・・・眠くなってきた。
「ふああ〜、お休み〜〜〜」
おれはそうつぶやいて、体全体にやってくるけだるさに身を任せた。
「・・・ん?」
ふっと自然に目が覚めた。
「ふああ〜。ねたねた。で、ここはどこだっけ?」
あ、そうだ、現代文の授業が眠かったんだった。
いや、現代文の授業を1秒も受けてないからこの言い方はおかしいか・・・。
そんなことを言って目を覚ましていると、目の前に美香がいることに気がついた。
「・・・ん?・・・美香??」
あれ?なんで、こんなところに美香が・・。
「おにいちゃん」
「ん?なに?」
どうも、美香と焦点が合わない。なんだか美香の目線が気持ち悪い。
「この石・・・なにこれ?」
美香が石を空中に放り投げて遊んでいる。
「ん・・・ああ、その石ねえ。」
・・・ん?!
「・・・ってお前その石どうしたんだよ!!」
第3話 「始まり」
美香の持っている石は、確かに俺の持っているあの石だ。
未来が見えるという、世にも奇妙な「あれ」である。
でもなぜ、こいつが・・・。
『ねえ、おにいちゃんってば!』
美香がずんずんこっちに迫ってくる。
しかし、それにしてもどうもこいつとと焦点が合わないのが気になるが・・・。
そんなことはお構いなしに、どんどんどんどん美香はこちらにやってきて・・・。
「おいおい、近づきす・・・ぎ・・・?!」
ぶつかる!!・・・と思って目を閉じる!・・・が、美香は俺の体をすっと通り抜け、 もうすでに俺の後ろにいるようだ。一体どうなっているのか・・・。
背後で声がする。
『ねえ、これなに〜?』
『しらねえよ、そんな石。・・・でも、』
え?!美香の他に誰かいる?
「・・・この声はもしや・・・。美香といるのはもしかして・・・。」
振り返ろうとするも、なぜか振り返ることができない。
思うように体が動かない。
仕方なく周りをよく見てみた。・・・どうやらここは我が家の納戸のようである。
ん?納戸?!そんなバカな・・・。俺は授業を・・・。
ということは、これは・・・
「また夢か。」
そう口に出したとたん、体がふっと楽になった。
・・・自分の意思で動けるようだ。
ゆっくりと後ろを振り返る。
『おい、美香。その石よく見せてくれないか。』
もう一つの声の主は、やっぱり『俺』だった。この景色には見覚えがある。そう、初めて石と出合ったとき、 そして初めて石の力を知ったときの風景だ。
美香とおもちゃ箱やら、小学校・中学校のとき使った教科書、もらった賞状などの整理をしていた 時・・・このときに石を見つけたのだった。
そうこれは・・・
「2年前の景色だ。」
俺は自然と口から言葉が出ていた。
目の前では、美香がいそいそと整理をしている。目の前の俺は、美香から渡してもらった石を 眺めていた。
「そうそう、このあと俺はこう言ったんだよな。」
自分を見ながら、次の言葉を言い当てるのはなんとも複雑な気がするけど、 まるで勝ち馬の分かっている競馬をするような気分だ。絶対にあたるという 勝気が心に満ちてくる。
「この石、軽すぎないか?」
『この石、軽すぎないか?』
ふふっ、大当たりだ。まあ、自分が言ったのだから当たり前といえば当たり前だけれど。
美香が作業の手を休め、こっちにやってくる。
「え、言われてみればそんな気もするわね。」
『え、言われてみればそんな気もするわね。』
美香はそういって、その石を持ってみる。どうもその軽さを不審に思ったようだ。 石は小さめのリモコンぐらいはある。リモコンでも200グラムは下らないだろう。 それなのに、相手は石!しかも、リモコンより軽い。
・・・怪しいにおいがプンプンする代物だ。
当時の俺はそれが気になったのか、でも、片付けが途中だったので片付けなくちゃいけないと 思ったのか、美香にこう言ったのだった。
「それ、あとでよく見てみるから、今は片付けようぜ。」
『それ、あとでよく見てみるから、今は片付けようぜ。』
二人は黙々と片付けた。いや、俺の記憶では、俺はあの石のことが気になって仕方なかったはずだ。 もうちょっと調べてみたい、と思っていたはずである。なぜか不思議な魅力を感じたんだった。
作業は気がつけば終わっていた。さすがは夢!都合の悪いところは思い切って省略だ。
俺と美香は納戸を出て、リビングでその石とにらめっこ。
どう考えても、怪しいのだ。どこからどう見ても普通の石。しかし、ものすごく軽い。 なによりこんな一見普通の石がどうして母さんに捨てられることもなくこのときまでおもちゃ箱に入っていたのか。
「え?!そういえば、母さんはこの石のこと知ってるよな?」
とたんに疑問がわく。
「今なら確実に知っている。だってマスコミに騒がれたときにすべて話したんだから・・。」
「でも・・・昔は?・・・おもちゃ箱に入っているぐらいだから、やっぱり知っていた?」
「じゃあ、こんなただの石っころに見えるのを捨てなかった理由は?」
「・・・この石の能力を知ってて捨てなかった・・・?」
「いやいや、それならこんなおもちゃ箱に入れておく必要はないだろう。」
「この石の能力を母さんが知ったのはつい最近のことなんだろうか・・・。」
「そもそも、この石はいつからこの家にあるんだろうか・・・。」
いくら頭がウニになるほど考えてもさっぱり分からない。
延々と自問自答が続く。一人悩んでいる横で、昔の俺と美香も悩んでいた。
『この石どこで見つけたんだよ?』
『おもちゃ箱だよ』
美香が答えた。過去の俺は美香につっかかるように質問している。
『軽すぎるし・・・何よりこんな石があるのが不思議だ。そう思わないか?』
『うん・・・そうだよね。こんな石をおいておく必要はないもんね。』
そうそう、次に俺が質問したのは覚えているぞ。
「こんな石があるなんて知ってたか?」
『こんな石があるなんて知ってたか?』
で、次に美香が答えたのは確か・・・
「ううん、知らなかったよ。」
『うん、知ってたよ。』
え?!
俺の知ってる美香の答えと違うじゃないか!!
このとき、美香はこの石の存在を知らないはずだ!
この石が出てきたこのときには・・・。確か知らないと答えていたはずなのに・・・。
『私の小さいときから、私が物心ついたときにはすでにあったよ。でも、お父さんとお母さんが 大事な石だから大切にしまっておきなさい、って言ってたよ。』
俺は・・・間違って覚えていたのか・・・。どうやら心の奥底ではちゃんとしたことを覚えていたのだ けれど、どうやら思い出す記憶としては、非常にあやふやなものを本当の記憶として誤認していたのかも 知れない。
まさか、美香がこんな話をしていたとは。そのときの俺を見ると・・・
石ばっかりいじくっていて、全然美香の話を聞いていないではないか!
「何やってるんだ、昔の俺は・・・こんな大事な情報を・・・」
がっかりである。
しかし、これで一つ分かったことがある。どうやら、母さんはこの石のことについて 昔っから何か知っているようだ。それは俺の知っているこの石の能力かもしれないし、 この石の出身地かもしれない。あるいはこの石のほかの能力かも知れない。
「・・・とりあえず、俺の知っていない情報を握っていることは 確かなようだ。」
父さんが死んでいない今、話を聞けるのは母さんだけだ。・・・来週月曜大事な話があるといっていた から、このときに聞けばいいだろう。俺は俺でこの石についてもっとよく調べとかなくちゃ いけない。
・・・それが、明の不安解消にもつながるかもしれないし。
目の前の昔の俺は、その石を手で触ったり包んだり、いろいろしていた。
そのとき、 ふっと何かが見えたのだろうか。いや、見えたのだ、このとき初めて。
・・・それは美香が宿題を 忘れて怒られる姿だった。今でも、はっきり覚えている。
昔の俺はとってもびっくりしているようだった。
頭のいい美香が怒られるなんてありえない。しかも、必ず宿題はやるこいつである。 そう、宿題の存在を、この石に気をとられて忘れてしまっていたのだった。
それに気づいた俺は、というより明日怒られる美香の姿が見えてしまった昔の俺は、 美香に賭けを申しこんでいる。この賭けは、本当に未来が見えたのかを確かめるためでもあった。
『・・・なあ、美香』
『何?』
『賭けをしないか?俺が今からお前の忘れ物を当ててやる。』
『はあ?何言ってるの?いよいよ頭がおかしくなったの?』
なかなかきついことを言ってくれる・・・。
『お前なあ・・・』
『なによ。』
『まあ、別にそれでもかまわん。とりあえず、お前の忘れ物を当ててやろう。』
『で、当たったらどうなるの?』
『お前が晩御飯を作る。』
ますます、美香の顔が「はぁ?」になる。なんてむかつくやつ!
『絶対いや。大体そういう風に言うときには、自分に確証があるときじゃん。 絶対ヤだね。』
『いや、これは聞いといたほうがお前のためになるぞ。』
『またうそばっかり。』
『本当だ。』
『はいはい。まあ、このままだったらかわいそうだから、話ぐらい聞いてあげるわ。で、なに?』
な、なめられてる、俺・・・。
『おい、お前宿題があるのを忘れてるんじゃないか?』
『・・・あ〜っ!そうだった!!ありがとう!明日の先生怖いんだよ〜。やってなかったら 絶対怒られちゃう・・・』
そういい残して、美香はそそくさとリビングを出ていくのだった。
『あ、あんにゃろ・・・!!』
次の瞬間。
ぱたん。
美香の部屋の扉の閉まる音がした。
がーん!やられた・・・。
勉強しだすとなかなか出てこないこいつなら、夕食準備もあいまって確実に部屋から出てこないだろう。 チクショー!
・・・昔の俺は気を取り直して、石を見ている。
『もしかして、この石は・・・』
そうだ、お前の思うとおりだ。
と、言おうとしたところで、上の方から声がする。
「・・・し!・・・か・・・・・し!!」
え?!なに?!
思うまもなく、大きな声がする。
「た・・・し!た・・はし!!」
一体なんなんだ?!
声はますます大きくなる。
「・・かはし!!・・・たかはし!!」
・・・ん?・・・「たかはし」・・・って?
「そういえば・・・」
俺の名だ。
がばっ!と目を覚まして椅子から立ち上がると、現代文の先生がニヤニヤしていた。
教室中が爆笑の渦である。
「幸せボケは困りますねえ・・・。」
などとあの教師、俺に向かって前の教壇から言ってくる。
むかっ、とするけれどもどうやら爆睡していた俺に、反抗の余地はなさそうだ。
「・・・すみません。」
そう言って席に座る。
昨日、「恋する女の子は強いねえ」などと明に吹き込んでいた、3年4組の担任じゃないか。
まったく、教室でもすばらしいことを言ってくれる。
その後は寝ることなく、しっかり授業を受けることにした。
二回もいやみを言われたらたまったもんじゃない。
午前中の授業も何とか受けて、昼飯の時間になる。明は昼飯は友達と食べることにしているから 俺と食べることはない。おれはいつも、勇輝と食べていた。
「お〜っし、それじゃあ、のぼる〜、食堂行こう!」
「ああ、そうしよう。」
母さんの負担を少しでも減らすために、昼は食堂だ。
食堂に着いて、毎度のうどんを買って席につく。
勇輝とは向かい合わせの席だ。
「なんで・・・うどんばっかり・・・なんだ、お前は?」
勇輝が目の前で親子丼を口いっぱいにかき込みながら話してくる。 元気に食べているのは、それはそれはとても結構なことなんだが・・・。 御飯粒が飛んでくるのがどうも気になる。
「おい、飛ばすな。」
「わりぃわりぃ」
そういっている口からも飛んでくる。こいつ、けんか売ってるのか?
まあ、こんなやつに怒っていても無駄な体力を使うだけなので、諦めて話をする。
「なんで、うどんかってことだよな。」
「ああ、そうだ。お前はいっつもうどんだからな。」
そういえば、俺が食べるのは、きつねうどん、てんぷらうどん、山菜うどん、 カレーうどん、月見うどん・・・。なぜかうどんものを頼んでしまうのだ。
「う〜ん、なぜだろう。気がついたら食券のボタンを押しているというかなんと言うか・・・。」
「無意識とはなかなか面白い。夢遊病者みたいだな。」
「ほっといてくれ。」
まったく、失礼なこと言うやつだ。
あきれながらも俺は正直に言ってみることに。
「ただ、うどんを食べると、・・・とても懐かしい気がするんだ。」
「懐かしい?そりゃまた変わったことを言うやつだな。」
飛んでくる御飯粒はもう気にしないことにした。
「懐かしい・・・って言ったらいいのかなあ・・・。前世でうどん好きだったというか、 何か幼いころの味を思い出すというか・・・。」
「前世でうどん・・・。お前の前世はうどんだったのか?」
「それで俺がうどん好きだったら、共食いじゃないか」
あ!という顔をする勇輝。こいつ、本当に頭がいいのか?
「言われてみればそうだな・・・。」
真剣に悩んでいる勇輝。はあ・・・わけがわからない。
俺が肩を落としていると、勇輝が口を開いた。
「昔の思い出っていうことは、お前の母さんが作ってくれた味に似てるっていうのか、このうどん?」
「・・・いや、そうでもない。」
俺は続けた。
「俺の母さんは薄口のうどんを作るんだ。関西風味なんだよ。でも、このうどんを見てみろ、 濃い口だろ?だから母さんの味とは違うということさ。」
「う〜ん、でも、懐かしいんだろ?じゃあ、お前の親父さんが昔作ってくれたとか?」
勇輝は興味深そうに尋ねてくる。
「俺の親父は、全然料理はしなかった。というより、家事全般にはまったく手付かずだったな。 母さんにまかせっきりだし。」
俺の言葉を聞いて、謎な顔をする。
「じゃあますます、わからんではないか。」
「そうなんだ・・・。」
このままでは埒が明かない。それに、聞かなくてもいいことまで聞かれてしまいそうだ。
こいつに大事なことを話すというのを考えただけでも鬱になる。
俺は話題を変えることにした。
「それにしても、ここのうどんはうまい。学食にしては考えられない味だ。」
勇輝が尋ねてきた。こいつ、うどんは食ったことないのか?
そういえば、必ず丼物を食べている気がする・・・。
「ああ。まあ、松山のおばさんが作るうどんにはかなわないけどな。」
「へえ、そんなにうまいのか?」
「ああ、濃い口でな。俺の舌にちょうどあうんだ。」
ふ〜ん、という顔をする勇輝。俺の話に聞き入っているという感じだ。
「ちょうど合うというか・・・とても美味しく感じるというか・・・。」
「・・・よかったなあ〜」
ニヤニヤしながら訊いてくる。よくないことを考えている率120%の顔だ。
「何が?」
「松山に作ってもらえるじゃないか〜!お母さんの味を受け継いで!!この幸せ物〜。」
また、こっち方面か・・・。いいかげん疲れた。
「ははは・・・。」
もう、返事するのもおっくうだ。好きにしてくれ。
「とまあ、冗談はさておき。」
とたんにまじめな顔になる勇輝。
そして、ゆっくりと口を開いた。声は周囲に聞こえないぐらいの小ささである。
「・・・のぼる、あの石について伝えておきたいことがあるんだ。」
「なんだ、そんなまじめ腐った顔して。」
「あのな、松山のことなんだが。」
「明?明かりがどうした?」
明がどうしたんだろう?
「のぼる、確か明は石を持っていないって言ってたよな?」
「ああ。う〜ん、というか、見たことがないんだな。」
「で、それなのに、松山は時間を飛び越えて過去が見えるのは不思議だって言ってたよな?」
「そうだ。石もなくて過去が見えるのは、もはや人知を超えたレベル・・・。ある意味、 お告げに近いといっていいかもしれないがな。」
俺は、ははっと茶化すように笑った。
しかし、勇輝の表情は変わらない。
「俺、さっき見たんだ。明を。」
「ああ。」
「そのとき、トイレに入ろうとしてるときでな、スカートのポケットから ハンカチを出そうとしてたみたいだ。そしたら、ハンカチを出したのと一緒に何かが引っかかって ぽろっと出てきたんだよ!」
「・・・ま、まさか・・・」
俺の顔から笑みは消えていた。次に来るであろう言葉のショックに何とか耐えようと自然に 体が反応しているのか・・・。
「そのまさかだ。・・・お前の持っている石にとてもよく似た石を落としたんだ。」
「・・・。」
俺は言葉を失った。何を言えばいいのか・・・。
いや、別に何も石を持っているぐらいなんてことないじゃないか。別に、これは 死の宣告でもなんでもない。ただただ石を持っているという事実。別にいいじゃないか・・。
何度自分に言い聞かせても、なぜか心にあふれてくる焦りと驚き。そして、手には、 自分でも驚くほどの汗・・・。
「い、いや、でも・・・」
俺はなんとか言葉を絞り出す。
「・・・明かりの持ってる石が俺の持ってるのと似ているからといって、そういう力を持っているとは 限らない・・・さ。ただの石かもしれないし。」
この期に及んでこの解釈はありえない。
自分でもよく分かる。
でも、こうであると信じたい。
別に持っていても何か悪いことがあるわけじゃない。
ただ、なぜかとてもいやな予感がするんだ。
そして、明はそれを俺には言ってこないこと・・・。
俺が石を持ってるのを知ってるんだ。「私も持ってるんだよ〜〜」と言ってきても、 いいはずである。別に隠すほどのことでもないだろう。
・・・ん?隠すほどの事?
そんなものがあるというのだろうか?
「・・・なぜ俺に石のことを隠す必要があるんだ・・・?」
頭の中がごっちゃごちゃだ。
「・・・のぼる、それは自分で聞くしかないんじゃないのか?」
・・・そうだ。その通りだ。そのために、こいつは自分で聞くことなく 俺にゆだねてきたのだ。
「・・・ああ、わかった。・・・ちょっと大変そうな気もするけど、帰りに訊いてくる。」
「ああ、これはお前の仕事だからな。それに・・・」
笑って勇輝はこう言った。
「お前じゃなきゃ出来ない仕事だ。」
「・・・。」
俺は何も答えられなかった。
ただ、肩にのしかかる微妙な使命感と、いやな不安感。これらを拭い去る方法は こいつの示すとおりしかないので、ただただ、やるしかなかった。
それでも、なにかあいつの求めていない領域に踏み込んでしまうような気がして、 とてもいたたまれない気持ちになる。
いや、こんなことを言ってたのでは、恋人失格だろう。
あいつが、石のことを知りたがっている以上、ちゃんと調べとかなきゃ。
「・・・ん?!石のことを知りたがってる?」
・・・頭の中で一つのパズルのピースが、かちっと当てはまったような気がした。
「だから、あいつは知りたがってたのか。」
多分それはあいつ自身、石に興味があったから。もしくは、
・・・石に苦しめられているから・・・。
どうやら事態は母さんの話の前に急展開を向かえそうだ。
まだあと6日もあるというのに・・・。
時計を見る。すると、もう昼休み終了10分前だった。
「のぼる、教室に帰るか?」
「ああ、そうだな。」
二人席を立って歩き出す。勇輝の顔とは対照的に、俺の顔はかなり暗い気がする。
まあ、自分の顔なんてさっぱり分からないからなんともいえないんだけど・・・。
「元気出せよ、のぼる。」
「ああ、分かってる。」
何を言えばいいのやら・・・。心の中はかなり鬱だ。でも、こんな状態では 明に聞くことも聞けないので、ちゃんとしないと。
「お前にはほんといつも感謝してる。」
「ははは、今頃身にしみたのかい、のぼるくん?」
なにが身にしみるのか謎だが、この際黙っておく。
どうせ、「こいつのありがたみ」だろう。
でも・・・いまはそれが本当にありがたかった。
この情報がなかったら永遠に明の「石」について知ることはなかったかもしれない。
俺は自分の未来については見えないのだ、どんなにがんばっても。なぜかは分からないが。
それに見ようとしなかったら、今日のことも見えないのだ。
事前に見ていたら、多少は気が楽だったかもしれないが・・・。でも、それでは 今日の朝のうちに訊いてしまうだろう。
それでは、どうして俺がこのことを知ったのかの説明が出来ない。未来を見たから・・・では どのようにも言えてしまうので、説得力がないのだ。
それに明の未来を見れば、今日俺が言うことすらすぐに分かってしま・・・
・・・あれ?
突然俺の足が止まった。
「俺、あいつの未来、見たことがない・・・。」
うそだ。
・・・いや、ほんとだ。
見たことがない。
「どうした、のぼる?」
「い、いや、なんでもない。」
また歩き出す。なにか、心にしこりが出来てきたような気がする。
こんなに近くにいる人の未来を見たことがない・・・。
逆に友達、少し離れた人、遠くにいる人の未来はよく見るのに。
ぎゃく・・・逆??
じゃあ、俺にとって逆である明の場合は?
そういえば、あいつに過去を見てもらったことがない・・・。
苦しんでいる方法を使って自分の過去を探らせるのは、とても悪いことのような気がしていて まったく頼んでいなかったんだった・・・。
またさらに、謎が増える・・・。
あいつは俺の過去を見てなんとも思わなかったんだろうか?
芋づる式に出てくる、謎、なぞ、ナゾ。それに伴って発生する、心のしこり、 不安、ためらい・・・。
「・・・おれは、身近にいる人のことを何にも知らないんじゃないのか?」
心に出てきたことを勇輝に訊いてみる。勇輝はなんでもないようにごく普通に答えた。
「だから、本人に訊いてみるんだろ?」
・・・ああ、こいつが親友で本当によかった。
「ほんとうに、そうだな。・・・ははは。」
なんだか、笑いすら出てきた。なんて自分はバカなんだか。訊けばいいだけなのだ。 深く考えずに。訊くしかなんだから。
ちょっと心がすっきりした。
「マスコミのときにも、助けてくれたな。そして今も。勇輝、ありがとよ。」
「・・・礼は、美香さんをいただくことにするか。」
「お前には絶対にやらん。」
「ははは!それだけいえれば十分だ!」
いつの間にか教室の前まで来ていた。
「それでは、昇、お前の健闘を心より祈る!」
「ああ。ありがと!」
勇輝と教室に入る。・・・すると、誰もいない。
「ん?なんで、誰もいないんだ?」
「さあな。みんなどっかいったんじゃないか・・・って!」
『ああ〜〜〜〜っ!!!』
二人の叫びが隣の教室まで響き渡る。
「つぎ、体育じゃないか!」
「どうする、昇?!」
二人で焦りまくる。というのも、体育の先生がかなり怖い。 遅れるなどとあったら、授業の一環としてしごかれてしまうだろう・・・。
「どうするって言っても!!」
「授業開始まであと4分!もう時間がないぞ!」
「勇輝のバカヤろう!あんなに話し込むからじゃないか!」
「悩んでいたのはお前だ!」
「うるさい!」
ただただ、慌てる・・・。
「・・・と、とりあえず!」
『急ごう!』
こんなときまで声があってしまうのは情けないが・・・。
それんしても、こんなやつのせいで授業に遅れてしまうのは鬱だ!
こんなやつに二度と感謝なんかしてやるもんか!と、猛ダッシュしながら思ってしまう。
「きりーつ。」
「れい!」
「・・・したー」
がっくりと肩を落として座る。もう体の節々から何から何まで痛い・・・。
ようやくこれで6時間目も終わり。今日1日の終了だ。
いつもどおり今日一日が終わってくれた。
ただ、体はかなりだるい。
・・・いつもより疲労が増している原因が、体育の時間にこってりしごかれてしまったことに よるのは言うまでもない。
これからが正念場だというのに、これでは困る・・・。
ホームルームも終わり、いつもどおりの待ち合わせ場所、下駄箱へと向かう。
付き合い始めは校門を待ち合わせ場所に していたのが、6月、雨が降って降って大変だったので下駄箱に変えたのだった。
下駄箱へ行くと、もうすでに明が待っていた。
いるのが分かった瞬間、「ドキッ」としてしまう。でも、このドキッはなんだか いやな感じのドキッである。恋する相手に会いたくて会いたくてなるドキッとは違うからだろうか?
そういえばこいつは、俺と違って人と目が会うだけでそいつの過去が流れ込んでくるのだった。 なるべく俺は目を合わせないようにすることにした。
いや、そんなことをすればむしろ不審か・・・。
とりあえず、待った?などの声をかけて、校門を出て歩く。
午後の授業中、体は体育のせいでボロボロになっていしまい休ませていたけど、 頭はフル活動させていた。
「何を言おう?」
「どうやって言おう?」
「どのタイミングで言おう?」
困りに困り果てた。どう考えても普通なことなのに、なぜか訊いてはいけないことのような気がして、 本当に腰が引ける。別に大丈夫だ!と、自分を奮い立たせてみるが・・・。
今日1日で一体何回奮い立たせたのだろう?もうどうやら、心の方は免疫が出来てしまったらしい。
「ねえ、そんな難しい顔してどうしたの?」
ひょい、と明が顔をのぞき込んでくる。
「い、いや、どうもしないよ。」
め、目があっちゃった〜〜〜!!
という心の叫びを悟られまい、「見られまい」として必死に作り笑顔をする。
・・・でも、こうなったら、訊かないと。
校門をくぐってゆっくりと帰路につく。
まっすぐ訊くほどの勇気もなさそうだし、こうなったらカマをかけて聞いてみることにした。
「ねえ、石のことなんだけどさ。」
「え?!何かわかったの?!!」
明が飛びついてくる。思ったとおりの行動だ。
「う〜ん、もうすぐ分かりそうなんだけど・・・。」
「ええー!そうなの?!」
「ああ。でも、もう少し資料がほしいんだ。どうも自分だけでは調べられなくて。」
「私が協力できることがあったらなんでも言って!!なんでもするから!!」
きた・・・。よし!
「ほんとに、助かるよすっごく!」
「のぼるー、私は何をすればいいの!教えて教えて!!」
「じゃあねえ・・・。」
「うんうん!!」
男・・いや、漢、のぼる、いきます!
「じゃあ、明の石を見せてくれる?」
「うん、わかった!石を渡せばいいの・・ね・・・・・って」
明の顔が急変する。俺はわざと訊いてやる。
「どうしたの?」
「ねえ・・・なんで知ってる・・・の?」
明は俺の「眼」を見ながらそう言った。
もうすぐ夏がやってくるのを予感させる、蒸し暑い風が二人の間を駆け抜けた・・・。
第4話 「明の嘘」
明は俺の眼をまっすぐに見ている。
そう、俺の過去を見るかのように・・・。
でも、明は俺にこう言った。
『ねえ・・・なんで知ってる・・・の?』と。
と言う事はつまり・・・
そう考えはじめていたところに明の声が聞こえる。
「ねえ、どうして・・・どうして知ってるの・・・? 昇にはまだ言ってないでしょ・・・?」
驚きとしまった!という感じがありありと汲み取れる言葉。
明には隠す理由があるのだ、きっと。
「今日、その石を落としたそうじゃないか、トイレの前で。」
「!!!」
明の顔がはっとした顔になる。その瞬間、やってしまった〜!と言わんばかりに 苦々しい顔に変わった。
「勇輝が教えてくれたんだ。お前が石を持ってないというふうにあいつも思っていたから かなり驚いて、俺に教えてくれたんだ。」
「・・・。」
明はうつむいてしまった。
やっぱり何かあるんだ。
「なあ、どうして隠すんだ?別にいいじゃないか、教えてくれても。」
この感じじゃ、なかなか教えてくれないような気がした。
よくドラマでも、こういうときには「だめ、これは教えられないの」って 言って、なかなか教えてくれないものである。
長期戦を俺は覚悟した。
「俺たち、付き合ってるんだろ?もっと信頼してくれよ。 もっと頼ってくれよ。俺はお前を守るって決めたんだから。」
なんて恥ずかしいことを俺は言ってるんだ・・・。
え〜い!いいんだ、別に!
明の顔は相変わらず伏せられたままだった。
ああ、どうすればいのだろう・・・。
子供のときなら、「泣〜かした〜泣〜かした〜」と周りに言われそうである。
え?!泣かしたのか?!
うつむいているからよく分からない・・・。
そんな泣くようなことを言ったはずはないんだが・・・。
俺は困り果ててしまった。
が、次の瞬間、うつむいていた明は意外とすんなり顔を上げた。
その顔に、さっきまでの驚きやしまった感はまったくなかった。こういうのを 吹っ切れるというのだろうか・・・。
「そだね。昇は私の彼氏だもんね!頼ってあげなきゃかわいそうだよね〜。」
わざとこういう言い方をしてるんだろう。
本当は言いたくないという感がひしひしと伝わってくる。
微妙に笑顔が痛い・・・。
でも、隠してばっかりではいけないんだ。
・・・たぶん。
「あのね・・・。」
明はしゃべりだした。顔は以外にも明るかった。
「昨日話したでしょ?中2のときから見え始めたって。でもあれうそなの。本当は もっと子供のときからなの。実はね、この石は過去が見えるんだ、昇のとは反対に。 ・・って、こんなことは知ってるかあ。う〜ん、何から言えばいいのか・・・。」
「・・・じゃあ、一体いつどこで手に入れたのか教えてくれないか?」
順を追って説明させなきゃ分からないし。
「ええっと、これを手に入れたのはねえ、小学校1年ぐらいだったかな? お母さんが大切に持ってたこの石を、私がこっそり盗み出したのよ。盗み出したっていうのも 変かなあ・・・。」
「・・・。」
俺は黙って聞いている。
「たんすの中に入ってたの、この石。で、毎日お母さんはこの石がなくなっていないか 確認してるみたいだった・・・。それを下から見てた私は、どうしてもこの石のことが気になっちゃって。 でも、お母さんは絶対に触っちゃダメ、って言ってたわ。だから、お母さんがいない時に 石に触ってみたの。」
明の話は続く。
「いすを持ってきて、それでも何とか届く状態でしかなくて、手を必死に伸ばしてようやく 手にすることが出来たの。・・・不思議な石だった。手にしてみるととっても軽くて、でも、 これといって何一つ変化はなかった。な〜んだ、と思った私はまた同じ場所にその石をもどして お母さんにも何も言わず何事もなかったかのような顔をしてたの。」
「・・・そして、石のことに気がついたのはお母さんが帰ってきて顔をあわせたときだった。 お母さんが買ってきた晩御飯の食材、それを買った順番、途中で会った近所のおばさん、 レジで小銭まできちんと出したこと・・・すべてがお母さんの目から流れ込んできたの。」
「私はそのとき、自分のすごさに感動しちゃった。だって、こんなこと夢の中のお話でしょ? 小学校1年の私にとってみれば空を飛ぶことだってかなわないことじゃなかったのよ。 だから、ありえない、とか、これは夢だ、とかまったく思わなかった・・・。」
「お母さんに、すべてを見透かしたように言ったの。今日の御飯はカレーでしょ? 山田さんのおばちゃんとお話してたでしょ?って。」
「そしたら、おかあさん、途端に顔色を変えて怒ったように訊いてきたの。」
「『一体どうやってそれを知ったの』って。」
「その顔があまりに怖くて、私泣いちゃった・・・。でも、お母さんは必死になって 私に訊いてきたわ。どうやってそれを知ったのか、って。」
「だから、私すべて話したの。ひっくひっく体が痙攣してうまくしゃべりたくても しゃべれなかった・・・。でも、しゃべらないとお母さんに怒られちゃうからがんばって しゃべったの。」
「それを聞いたお母さんはますます怒っちゃった・・・。」
「『触っちゃダメって言ったのにどうして触ったの?!』って。」
「でも、子供の私にしてみればああいうふうに、大人が毎日あるかどうか確認してるものなんて 気になるのは当然じゃない?ダメって言われれば言われるだけ触りたくなるでしょ?」
「だからお母さんは正直に話してくれたっていうことで、結局最後には許してくれたの。」
「ただ、怒られたことがあまりに怖くて、今でもこのことについてはトラウマなの。 こうやって話しているときに後ろにお母さんが立ってて、何で人にしゃべったの?!って 言って怒られそうな気がするから・・。」
だから、こいつは俺にうそをついてきたのか・・・。
明は後ろを振り返る。
・・・もちろん、後ろに明かりのお母さんの姿は、ない。
「でも、本当に苦しかったのはそれからだったよ・・・。友達と遊んでてその子と眼が合ったとき、 その子が別のグループの女の子と遊んでいて私の悪口を言っているのが 見えたの、はっきりと。」
「・・・友達なんて信じられなかった。女の子は特に・・・。口では 友達なんて言ってても、裏では悪口ばっかり言ってる・・・。女の子の付き合いって、 ほんと大変だったの。」
「ゆきちゃん以外に、特に友達も持つことが出来ず、一人悩み続けていたの。そして、お母さんに相談してみたわ。 すると驚きの答えが返ってきたのよ。」
ゆきちゃんとは東のことだ。
今までしゃべり通しだった明が少し間をおいた。
「・・・お母さんも苦しんでいるんだって・・・。私と同じように。」
さらに一呼吸・・・。
「あの石は、この能力とともに人のコミュニケーションをずたずたに引き裂くという 諸刃の刃だったの。」
「このとき、お母さんがどうして毎日石の存在を確認してるのかがよく分かっちゃった・・・。だって、 この石がなくなってしまったらもうどうしようもないもの。」
「昇のとは違い、私の石は一度触ってしまったら、たとえ石を手元から手放しても 効果がぬけないのよ。これは、石を持っていないお母さんが今でも人の過去を見ることが出来る から・・・間違いないと思うわ。 ・・・もしこの石がなくなってしまったら、この能力をなくす手立てがなくなっちゃう気がするし・・・。」
俺はようやく聞いてみた。
「・・・じゃあ、その石を砕こうとしたりした?」
明はすかさず答える。
「何度も試したよ・・・。というより、先にお母さんが試していたわ。 でも、やっぱりキズ一つつかないの。だから、せめてなくさないように、私が携帯することにしたの。 家に置いておいてごみなんかで出してしまったら・・・終わりでしょ?」
「でも・・・いっつも持ってたら・・・特に 学校なんかに持ってきたら余計になくしてしまわないか?」
俺の質問に対する答えはすでに用意済みのようだ。迷うことなく返事が返ってくる。
「そうかもしれない・・・。でも、なくしてしまったらと思うと、逆にいてもたってもいられなくなるの。 だから常に持っておくことで、少しでも不安をなくそうとしていたのかも・・・。 ううん、多分、私にはそういう力があるんだ、って常に認識しておきたかったからだと思う。 でないと、忘れちゃったらその力があるって再認識したときに、また傷ついちゃうから・・・。」
俺はふと疑問に思ったことを聞いてみた。
「・・・昔っから仲良かったけど、そのときから俺の過去を見てきたの?」
「うん。」
明はうなずいた。
「でもね、2年前から見えなくなったの、さっぱりと。」
2年前・・・?
そうだ・・・
「俺が石を見つけたのが・・・。」
「そう。だから、昇に相談したの、今年の正月、神社で・・・。」
「昇に相談するのが遅くなったのは、 どうしようかずっと迷ってたから・・・。もう人なんて信じられなかったし・・。」
なるほど、だからあの時こいつはがちがちに緊張していたのか・・・。
人に自分のことを打ち明けるということにはものすごい勇気と力が必要だったのだろう。
「・・・俺なら過去を見ることなく気楽に話せたから?昔のよしみもあるし・・・。」
「それもあったけど・・・唯一過去が見えない人だったから、きっと 私の能力の解決の糸口もきっとあなたが握ってるって思ったの。」
「・・・なるほど。」
「・・・私のするべきことは、この石の破壊・・・。 早く壊して、こんな能力取り払ってしまいたい・・・。」
明は続けた。
「それに・・・早くしないと・・・。」
ふっと、笑顔に影がさす。
でも、すぐに元に戻る。
明がたまに落とす暗い影。
影の色が今日はいつもより濃いような気がした。
俺には、それがなぜか痛々しかった・・・。
何を言ってやればいいのか・・・。
「・・・。」
「あのとき・・・神社でのとき・・・私にとって、あれは賭けだった・・・。 私の話を聞いてくれるのか、聞いても信じてくれるのか、 あっさり流されてしまったりしないだろうか・・・。本当に不安だった。でも、昇は ちゃんと私の話を信じてくれて、受けとめてくれた・・・。」
「・・・。」
俺はなんだかいらいらしていることに気がついた。
じゃあ、明は自分の悩みを解決するために俺と一緒にいるのだろうか?
俺はそのための道具でしかないのか?
こんな考えが浮かぶこと自体、自分のいやらしさ、卑小さを露呈しているようなものだ。でも、 そう考えたくもなる。
俺はこいつにとって何なのだろうか?
ふと気がついた疑問は、雪だるま現象的にどんどんふくらみ、それは俺の口を勝手に動かしていた。
「じゃあ、明はその悩みを解決するためだけに俺と一緒にいるのか?」
なんてことを俺は言ってるんだ。そんなわけないじゃないか・・・。
「ううん、そうじゃないよ。」
明は目をつぶってゆったりと首を振り、目を開けて俺をじっと見据えた。
俺を見上げたその目には俺の顔が映っている。
俺はなんていやな顔してるんだろう・・・。
明のきれいな眼に映っている自分の顔、そこからあふれる「負の感情」に自分自身で吐き気がする。
「あの相談にのってもらったとき、ちゃんと私の話をうけとめてくれたのが本当にうれしかった。 ・・・そのときから昇のことが好きになったの。 ちゃんと私のことを見てくれている人・・・私のそばにいてやるって言ってくれた人。 いつも石のことでいっぱいだったのに、昇のそばに行くと、昇のことしか考えられなくなるの。 ううん、そばじゃなくても家にいてもそう。悩みよりももっと大事なことで私の頭は いっぱいになって・・・。」
少しだけの沈黙。でも、明が言葉を選んでいるようには見えなかった。ただ、 言葉を理解するための「間」・・・そんな気がした。
「でも、話す話題なんて見つかりそうになかったから、わざと困っているふりまでしちゃった。 私が困っているように見せたら、本当に心配してくれるんだもん。・・・まさか 私がこんなことまでするとは思わなかったよ。」
明はふふふ、と笑った。
「もう、私のことを受け止めてくれる人がいて、悩みについてそんなに悩まなくなってきて・・・。 そんなとき、私は決心したの。告白しようって。・・・だいたい、昇のほうからしてくれそうになかったしね。」
微笑んだ顔のままこっちを向いて、明は再び俺の目を見た。
「私は昇のそばにいたいの。悩みとかが入り込む隙間なんてこれっぽっちもないのよ。 ・・・確かに、昇からみたら、私が悩みを解決するために一緒にいるように見えるかもしれない。 それは仕方ないよね・・・。でも、でもね、 私・・・昇と一緒にいられたら私・・・、それだけでどこまでも幸せだから・・・。」
明のまっすぐな眼と心。それを疑ってしまう自分・・・。
・・・俺はなんてちっぽけな人間だろう。
明が石のために自分と一緒にいるなんてことはない、って分かってるのに、そんなことを訊いてしまう自分。
自分のことを許せない気持ちでいっぱいになる。
「ごめん・・・ごめんな、明。変なこと言っちゃって・・・。」
明はくすっと笑った。
「ふふふ、ほんっと、そうよね〜。女の子にこんなこと言わせるなんて、この甲斐性なし〜!」
うぐっ、甲斐性なしですか・・・。
「・・・甲斐性なしで悪かったな。」
「もうしっかりしてくれないと、こま・・・あっ。」
今日は俺から手をつないでやる。
「♪〜」
ほくほくしている明。これがこいつの本当の気持ちだろう。疑う必要もないんだ。
今日は家までしゃべることなく送った。
でも、つないだ手から気持ちが伝わってくるようで、むしろ心は温かかった。
・・・ただ、一点の「影」を除いて・・・。
「ただいま〜。」
「おかえり〜。」
おかえり〜という美香と母さんの声がする。返事が返ってくるのはいいことだ。
体中の節々が悲鳴を上げていることに、家の中に入った今、気がつく。 くそう、あの体育教師!いつか俺がしごいてやる!
リビングに行くと美香がのんびりテレビを見ていた。
「お前、部活は?」
「ん〜、今日は休みだよ。」
「運動部に休みはあるのか・・・。」
運動部って言ったら、朝も昼も晩も体を動かしまくって、家に帰ったらバタンキューで 倒れるものだとばかり思い込んでる俺は、美香の発言にちょっと疑問すら感じる。
「まあ、いいけどね、どうでも。」
体が痛くて、そんなことはもうどうでもいい。
・・・ならはじめから訊かなくてもいいのだが・・。
悲鳴をあげる体をだましだまししながら、なんとか自分の部屋へ。
明日にまで痛みが残らないように、少しずつ体をほぐしていく。
そうしながら、今日一日の出来事の整理をした。
「ま〜ず、勇輝が石を見つけたんだよな・・・。」
声に出して考え事をするのは、もう俺の「癖」だ。
「で、明は昔のトラウマから、石についてしゃべることは避けていた、っと。」
「さらに、あいつが俺のそばにいるのは、悩み解決のためじゃない、・・・か。」
ふう。体をほぐすのはなかなかこれはこれで大変だ。
「う〜ん、この3点かなあ、ん〜〜、一応挙げるとすれば。」
挙げてどうするのだろう?
「ん〜〜、あいつが石を昔から持っていたということは少なくとも、ふぅ、あいつのお母さんが 手に入れたということだよな。いや、もっとご先祖様かも。」
「じゃあ、俺の石はどうなんだろう?くっ・・・母さんは知っていたような 知っていなかったような感じだし・・・。でも、・・・んしょ、美香に『大切な石』って言っていたところをみると きっと知っていたんだろう。」
「そもそも、おもちゃ箱に放置してあったのが気になる。ん〜〜〜、つかったらダメならダメで 子供の手の届かないところに置いておくはずだろうし・・・。」
「親父と母さんがこの石を使っているのを見たことがないところをみると、やはりこの石は 使ってはいけないものだったのかもしれない・・・。」
ふう、体ほぐし終了。
ベッドに横になる。寝ないように気をつけなくては。
「なおさら余計に気になるなぁ。確かに、俺がこの石を使っていることを母さんには はじめ、内緒にしていた。でも、内緒にしていたからとはいえ、その間母さんは 石がおもちゃ箱に入っているかどうかを普段から結構頻繁に確認しているだろうから、石がなくなっていることにすぐに 気がつくはずだよなぁ。・・・この石が本当に大事なものなら。」
「ということは、わざと俺にもたせたのか?」
「う〜ん、なんかそれも違う気がするなあ・・・。」
ベッドの上でごろごろ転がる。
「ま、いっか、考えてもわかりそうにないし。ただ・・・。」
これは、未来を「見た」のではない。予感だ。
「・・・母さんの話は石についてのような気がする。18になって初めて俺が受け止められる 真実って・・・。」
ナゾがなぞを呼ぶぜ〜〜!くそ〜!
母さん、わけ分かりませんよ!
「もうリビング行こうっと。」
あ!
リビングに行きかけて気づいた・・・。
「俺、明の未来を見ることが出来るのかどうか試すのた忘れた・・・。」
多分見えないんだろうけど・・・。
美香とリビングでソファーに座りながら、昨日とは違うテレビアニメを見ていた。
「こんな時間はこんな番組ばっかりやってるのか、毎日?!」
俺の質問に美香は、
「うん、そだね。」
と、味気ない返事。テレビに夢中だ。こいつは明日もあさってもこんなのを見るのだろうか?
ふと気になったので、こいつの未来をみて見ることにした。
幸い、こちらの動向に気づくほどの余裕はなさそうだ。
美香はテレビに向かって「いけいけ〜!」などと叫んでいる。
こいつ、何歳児だ?
まあ、そのおかげで俺は未来を見ることが出来るんだが・・・。
でないと、「人のぷらいばしーの侵害よ!」といって怒ってくるのだ。
まったく困ったやつだ。
さてさて、では見させていただこう!
ポケットから石を出してこっそり手に包んで、顔の前へと持ってきて、ひっそりと 目をつぶる。
目の前にいる美香の姿、その背景が「見える」。そうすると、ふっとあたりは真っ暗となり 未来の世界へと俺は旅立つ。まずは明日の風景だ。そこにあったものは・・・。
・・・俺は絶句した。
まさかそんなことが・・・。
いや、別にいいじゃないか。そんなにショックを受けることでもない。
しかし・・・
このショックは兄として、友達としてかなり大きいものがある。
「こいつ、実は・・・。」
何も考えてないようにテレビに釘付けになっているけど、それは不安をそらすための 無意識の行動だったのかもしれない。
人の心までは見えない、この力。今なにを考えているのか、「そのとき」一体なにを 思うのか・・・そこまでは俺の力で見ることは出来ないのだ。
「・・・おい」
俺は美香に言葉をかけることにした。
兄として「余計な」一言だ。
「ん、・・・なに?」
テレビの方に顔を向けたまま、こっちを向くことなく訊いてくる。
「・・・明日の分、録画しておこうか?」
その意味が分かったのかして、はっとこっちを向いてくる。
目がマジだ。
「どうしてそれを・・・あ!私の未来を見たのね!」
「さあな」
肩をすくめて俺はソファーから立ち上がった。
「プライバシーの侵害よ!!まったく・・・。」
「・・・。」
「これだから、超能力を持った兄を持つと・・・まったく。妹の気持ちにもなっ」
俺はリビングを出るドアの前で立ち止まって、しゃべっているのを無視して再び美香を呼んだ。
「おい」
「なによ!」
俺は一呼吸おいてこう言った。
「・・・がんばれよ。」
「・・・うん!」
兄貴としてはさびしいものを感じるときかもしれない。まあ、美香相手にそういう感じになっている時点で 俺はダメな人間かも。
夕食の間も特に普通だった。普通なのは美香の雰囲気だ。とても決戦前夜とは 思えない感じがする。
さすがはわが妹、といったところか。
母さんにもきっと悟られてはいまい。
母さんは今日も食事中、俺たちの話を聞いたり自分の仕事の話をしていたりしていた。
なにかと会話が途絶えないのが我が家のいいところだ。
「あのねえ〜、長谷ちゃんすごいんだよ〜。」
美香の話が始まる。
「ああ、あの長谷さんね。」
かあさんの相槌。
別に適当に母さんが相槌をうったのではない。長谷さんはここら辺りでは 知らない人はいないほどの有名人だ。
「消しゴムがどっかに飛んでいっちゃってなくなったのよ。で、長谷ちゃんに「見つけて!」って 頼んだらそれを長谷ちゃんがすぐに「見て」くれてね、であっというまに見つけてくれたの。」
長谷さんは占いの力を持っている。商店街の奥のほうにひっそりとこの歳で店を構えているのだが、 またそれがよくあたるのだ。占いの対象は何でもOKらしい・・・。
この歳、と書いたが、それは美香と同じ年齢だ。いや、同じはずである。高校1年なのだから。
・・・もしかしたら、人生経験豊富などこぞの婆さんが究極的に若作りして、店を構えたり 学校に通ったりしているのかもしれない・・・。
ぶるっ
身震いしてしまう。
そんなやつが妹の同級生とはなかなか恐ろしい、いや楽しい世界だ・・・。
・・・いやいや、これは俺の想像上の話だった・・・。
とりあえず、今度彼女に会って、手の甲にあるしわの数を数えてみなくては。
だがしかし・・・
「そういえば、おにいちゃん、長谷ちゃんに嫌われてるんだよね〜。」
「ああ・・・。」
「・・・もしかして、過去に手ぇだしちゃったり?明先輩に言っちゃおうっと!」
げしっ!
「はうっ!!!」
俺の蹴りが正面に座っている美香のスネにクリーンヒットする。
「ううう・・・冗談なのにぃ〜・・・。」
・・・そう、俺はなぜだか長谷さんに嫌われている。別に何かをしたというわけではない。 ただ、学校で偶然会ったときに話しかけると、
『・・・なんですか』
と、かなり冷たく言われる。
もともと暗い子だからそういうもんなのかなあと思っていたら、
『私にかまわないでください』
とあっさり言われてしまったことがある。
どうやら、何かの理由で嫌われているようだった。
「ま、別にいいけどね〜。」
・・・そんなこんなで夕食は終わっていく。
家中で気まずい雰囲気というのがないため、精神的にも健康的な生活がおくれるからいい。
最近の家庭には珍しいのかもしれないが、我が家では至ってごく普通だ。
もう風呂にも入って、後は寝るだけだ。ベッドでごろごろ思案中である。 今日一日、非常にいろんなことがあって長かった。 こんなにイベントてんこもりな日もまた珍しい。
「とりあえず、来週月曜日に母さんから話がある。そのときにすべてがはっきりするだろう。 ・・・たぶんだけど。」
これが、案外「母さん再婚するの」だったりしたら、なんとも肩透かしな気がするが・・・。
でも母さんが一体何を言ってくるのかについての未来を見る気はさらさらない。
そんなことをしてしまったら、母さんが話す価値はまるでない。
この力を俺は「役立てたい」。決して「悪用」は、したくないんだ。
母さんの決意と話す内容を無駄にはしたくないからな。
とりあえず、今いくら悩んでもしょーがないので、また新しい情報が入ってから悩むことにしよう。
今はやはり・・・
「美香のことだろう。」
あいつ、あんな風にしているのに、まさかそこまで考えていたとは・・・。
すべては明日のお楽しみ・・・といっても、未来が分かってしまっているだけになんとも 面白くない。
「あ〜あ、こんなことなら未来なんてみるんじゃなかった」
ごろごろする回数が一時的に増える。
未来を見るということは、とても楽しいことかもしれない。でもそれは、未来の楽しさをも 奪ってしまうということに他ならない。
確かにいいこともあるだろう。自分で番号を指名してあてる宝くじなんか、当選番号を将来 知る人の未来を見れば確実に当たる。もしくは、競馬・競輪・競艇・・・。赤鉛筆を持って 新聞に書きまくってうんうんうなっている隣のおっさんさえ見れば、確実に当てられる。
でも、そんなことをしても楽しいだろうか? 将来どうなるのか、たとえ自分自身を見ることが出来なくても、自分の将来は周りの人の未来を みることによって分かるのだ。ある程度決められた人生がそこには広がっているといっても 過言ではない。
なら、未知の方が面白いだろう。明日、どんなことが起こるのか、明後日、何を食べるのか、 1週間後、俺は何をしているのか・・・。分かってしまうとすれば、もはや僕は 台本に従った人生を歩むほかない。
確かに、僕の見る未来はたくさんの種類の未来を見る。このときどういう方向に進むかの 選択でもかなり違った人生を歩むことになる。だから、一概になんとも言えない。
でも、その人が「その分かれ道をどう進むのか」は始めから決まってしまっている。 これはそういうものなのだ。ただ、「そっちじゃなくてもう一方」に進んだとき、いったいどういう ことになるのかを見るのが僕の能力でもある。
決してまったく未知数の未来をただ漠然と眺めるのではないのだ。 ここが僕の能力の難しいところかもしれない。
かいつまんで言うと・・・そう、「運命にいたずらをするもの」というのが一番いい!
なんだか、われながらかわいいネーミングじゃないか。
「運命にいたずらをするもの・・・か。」
でも、運命にいたずらできない人がいる。
明だ。
あいつの未来はたぶん見えないだろう。きっと石の力だ。あいつが俺の過去を見ることが 出来ないように、俺もたぶん見えないだろう。
石の反作用というのか・・・なんというか。俺が未来であいつが過去。俺は念じなきゃ 見れないのにたいして、あいつは自然に見ることが出来る。・・・逆が多いのだ。 あいつの石のくわしいことについてはまったく知らないのでなんとも言えないが、 逆が多いといえるのではないか?
ただ唯一共通している点は、あいつも俺もこの石によって苦しめられているということである。
そして、できることなら割ってしまいたい。でも、どんなにがんばっても割れないこの石を どうやったら割れる・砕けると言うのか?方法は、今のところ皆無に等しい・・・。
「って、おいおい!石についてはもう悩まないんじゃなかったのか?」
まったく、自分で言っておきながらこれだから困る。
とりあえず、今日はもう寝よう。起きていても仕方がない。
「おやすみ〜〜。」
電気を消そうと立ち上がったときに、目の前にアルバムが見えた。
俺が子供のころの写真・・・。そのアルバムには、俺が生まれて間もないころの写真から 年月を追って中学生になるまでの写真がきれいにまとめられているのであった。
懐かしさのあまり手にとってしまう。生まれたときから順に見ていくことにした。
生まれたころの写真はなぜか一人で写しているのが多い。もしくは、 松山家と高橋家の合同写真が多い。実はこの2家、かなり仲がいい。 親父たちが旧来の仲らしい。そんななかでおれと明が付き合っているのは もはや偶然と呼んでいいものかどうかも分からない。案外必然のような気もする。
「俺は・・あ、いたいた。この隣にいるのが美香かあ。明は・・・あ、ここだな。 ・・・って。」
あれ?もう一枚似たような写真がある。
「へえ・・・ほとんど場所も変わらずに2枚も撮るとは物好きだな〜。」
じっくりと眺めてみる。
「うわあ、本当にこの2枚の写真、瓜二つ。え〜と、俺がここで・・・って、あ!」
瓜二つではなかった。
「違う・・・。」
さっきの写真で俺がいたところに、この写真では俺がいない。
「ここにいるのは・・・明・・・?」
じゃあ俺はどこだ?
「明の隣にいるのは・・・美香だから、俺は・・・ここか。」
さっきの写真で明がいた場所に俺はいた。
推定3歳ぐらいだろうか?このころは腕白盛りな気がする。明も同じだ。 となると美香は1歳ぐらいだろう。なんとか手をつないで立っているという感じだ。
あ、これを見て思い出した。そういえば、このころはよく一緒に遊んでいて お互いの家に遊びに行ってたりしてたから、もうどっちの子供もわが子!見たいな感じになってて、 「子供がえ」といっては、よく家族ぐちゃぐちゃに写真を撮ったものだった。
しかし、そんな交流も小学校に入ってクラスがバラバラになると、すっかりなくなってしまったのだった。
なつかしい・・・。でも、そんなことを忘れているなんて、いよいよ俺にも焼きが回ったかもしれない。
そんなことを思いつつ写真を見ていく。
やっぱり子供の時には、家族関係わけ隔てなくみんなごっちゃまぜで写真を撮っている。 なかなか見ていて楽しい写真ばっかりだ。
でも、なぜだろう・・・思い出せない。この写真の風景も、この写真の情景も どこかで見たことがあるような気がするのに、なぜかさっぱり思いだせない。
う〜〜〜ん・・・。
「あ!この写真は海に中月浜に遊びに行ったときの写真だ。」
「で、これは・・・。う〜ん、わからん。なんか、出てきそうな気もするけど、まあ、いいか。」
さらに見ていく。小学校のときの写真だ。
「あ、ここからは親父と母さんとの写真が多いな。・・・親父、若い・・・。」
運動会の写真なんかもある。きれいにまとめられている。
「走ったよなあ・・・。なつかしい。」
でも、いまいちピンとこない。走った・・・様な気がするんだが。
どうやら、ボケてきているようだ。気をつけないと、このちょうしだと受験も大変なことに なりそうな気が・・・。
まあ、何とかなるだろう。
それにしても、昔を思い出せないのは非常に痛い。普通、写真を見たらそのときの 風景が甦ったりするものだが・・・。
「まあ、別段深い思い出でもないのだろう。」
こんなことを天国の親父が聞いたら、泣くな、きっと。
「親父・・・あれ?」
親父のことがあんまり思い浮かばない。身長は、確かこれぐらいだったような・・・いや、 もっと高かったかな?いや、これぐらいだ。声は低めだった・・・はず。いつもいつもあればっかりやっていて・・・ って、何やってたんだっけ?ああ、そうそう、本ばっかり読んで何かの研究をしてたんだった。
「や、やばいぞ、これは・・・」
親父の記憶が少し消えている。最近の記憶はまだありそうだ。 でも、昔の親父はほとんど思い浮かばない。一体どうなってるんだ?
さっきの写真を急いで見てみる。
「ああ、確かにこれが親父だ。」
ちょっと安心。でも・・・
「いや、深くは考えないでおこう。」
・・・そんな事態でもない気がするけど、だいじょうぶだいじょうぶ、と自分に 言い聞かせる。
「疲れてるだけだ。早く寝よう。あの体育の教師のせいだ!」
なぜかここで体育の教師の登場。まったく、可哀想な役だ。
電気を消して寝る。なんだか今日は異様に暑い。クーラーを少しかけなきゃ眠れそうにない。
「ピッ!ウィィィィン」
さて、寝よう。
なんだか、今日も夢を見そうだ。いやだなあ・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・。
「ん〜〜〜!」
日の光がまぶしい・・・。もう朝か・・・。
時計を見たら・・・げっ!7時30分!こりゃあ・・・
「ヤバい・・」
明に殺される率がかなり高い!くそう、昨日目覚ましのセットを忘れてたか〜〜!
「急がないと!・・・って。」
ちょっと待て。また夢じゃないのか?最近、ヘンな夢が多いから・・・。
夢かどうか判別する手段は知っている。細かい文字あるいは、知らないものを見るのだ。 夢ならそういうものは決して見えない。
かばんから世界史の教科書を取り出して、最後の方のページを見てみる。
「・・・・・――――――!!!!!!」
くっきり見えました。
「うおおおおお!!!」
世界新記録を打ち立てるほどの勢いで、着替える。朝飯は漫画のように走りながら パンにかぶりつくことにする。
テーブルへと走ると、母さんが用意をしてくれていて、美香が文句をたれていた。
「おはよう!用意は出来てるよ〜。」
「おにぃちゃん、何回も起こしたのに全然起きないんだから!」
「すまん!とりあえず、急ぐわ、俺。」
パンだけ奪取して猛ダッシュ!!時間がない!
玄関を飛び出る!!
「いってらっしゃ〜い」
母さんの声を背にしながら、走って明かりの家まで向かった。
体が、めちゃくちゃいたいっす・・・。でも、明に撲殺されるよりはまだましだ!
出勤中の会社員も、学生も、おばあちゃんも、子供も、猫もみんなこっちを振り返らんばかりの勢いで 走り抜けた!
・・・・・・・・・・・・・・。
何とか、明かりの家に着いた!!今の時刻7時43分・・・。
「ぜえ・・・ぜえ・・・・。」
でも変だ。いつもこの時間なら家の前であいつは待っているのに。
仕方なしにインターホンを押す。
「ぴーんぽーん」
「はあ・・・・ひぃ・・・。」
「・・・はい!」
おばちゃんが出たようだ。
「はあ・・あ!・・・た、高橋ですけど・・・」
「あ、のぼるくん、入って入って!」
「あ・・・はあ・・・・。ではお邪魔します・・・ね。」
息も絶え絶えだ。
ガチャリとドアを開けて中に入った。
「お邪魔しまーす。」
「いらっしゃーい。実はね、あの子・・・今寝てるの。」
風邪でもひいたのかな?
「夏風邪ですか?」
「いや、ちょっと違うんだけど・・・。」
おばさんの顔が一瞬曇る。でもまた普通に戻る。
「あがってちょうだい!」
「あ、はい」
お言葉に甘えて上がらせてもらう。明の部屋へと行く。
「確かここだったはず・・・。」
おほん。
コンコンコン。
「あかり〜?入ってもいい?」
「あ、のぼる〜?うん、いいよ」
僕は明かりの部屋に入った。
・・・ちょっとだけドキドキしたけど、明の元気のなさにそんなことは吹っ飛んだ。
「どうしたの?」
「うん。疲れちゃったみたい。大丈夫!すぐよくなるから。」
・・・なぜだろう、明の声の調子から空元気だということがすぐに分かった。
雲が流れる。
確実にやってくる夏をのせて風が吹く。
風は雲を動かし、雲は太陽を隠す。
・・・部屋の中に一点の影を落とした。
第5話 「明後日」
雲はほんのひとかけらだったようだ。太陽をさえぎっていたため暗かった部屋も、 一瞬にしてまた明るさを取り戻した。
「大丈夫って言っても・・・」
昨日まであんなに元気だった明が突然病気になってしまうのがやはり信じられない。
「ほんとに大丈夫だから。ちょっとしんどくなっちゃっただけ。明日にはよくなるよ。」
「しんどいって・・・体がだるいのか?熱でもあるのか?」
明はゆっくりと答える。
「熱はないよ。ただ、体がちょっとだるいだけ・・。頭もなんとなく痛い・・・かな。」
やはり心配だ。声に張りがない。
今まで、こうやって病気になるということがなかったというわけではない。でも、 そんなときでも明はむりやりでも「押して」学校に行ってたりしたものだった。休むということは なかなかしないやつなのである。
「何か拾い食いでもしたのか?俺がいる前ではしてなかったけど・・・」
「あのねえ・・・。はあ、まったく昇は、発想が最低なんだから。」
そんなあきれられても困るが・・・。
「大丈夫よ。ちょっと頭が痛くて体がしんどいだけ。だから、学校行ってきて。」
「いや、でも・・・」
心配ではないか。
なんだか明は少し怒っているような・・。
「だ・か・ら、ちょっと頭が痛くて体がしんどいだけ!!だ・か・ら、学校行ってきて。」
「ああ、学校は行くさ。まさか、こんなところで油売ってても仕方ないし。」
「こ、こんなところ〜?!こんなところで悪かったわね!」
もう、いちいちつっかかって来ないでください。ますますややこしい・・・。
「わかったわかった。じゃあまあ、とりあえず行ってくる。」
「何もわかってないくせに!もう。」
ビバ頭痛といったところか?人を不機嫌にさせる力はすばらしい・・・。
俺は立ち上がって行こうとした。
「あ、・・・行っちゃうの?」
・・・どっちなんだ、こいつは?
要はさびしいんだな、きっと。かまってほしいんだ。
でもそんな時間はない。もう行かないと遅刻してしまう。
「・・・。」
俺は再びベッドのところへ戻って、眠っている明のそばに行き、立てひざをつく。 そしてゆっくりと顔を近づける。
「・・・ん・・・・・」
少しの間、時間が止まる。また雲が太陽を隠したのだろうか、部屋がふっと暗くなった気がしたけど そんなことはまったく気にならなかった。
しばらくして、顔を遠ざけると、ほのかに赤くなった顔をした明がこっちを見ている。
「もう・・・バカなんだから・・・。」
「・・・風邪、うつっちゃったかもな。」
「ふふふ、風邪じゃないから大丈夫だよ。」
え?!そうなの?
「じゃあ、一体・・・?」
「・・・女の子は大変なんだよ〜。」
あ・・・さいですか。そういうことだったんですね。
「あ・・・じゃ、じゃあ、行ってくるわ、俺。」
こういうとき、男としては何を言えばいいのやら。とりあえず、
「お大事にな。また、帰りにここに来るから。」
「うん!」
部屋を出て、玄関に向かった。早く行かないと!って、その前におばさんに挨拶しておかないと。
リビングへ行くと、明の親父さんもいた。のんびりコーヒーをすすっている。
かなりゆっくり出勤するんだなあ。まさか・・・
重役出勤?
って、これはあまりいい意味では使われないよな。うんうん。
こんなことを考える俺はよっぽどのバカだな。どうやら今回は珍しく 声に出してないようなので、助かった・・・。
「おや、昇くん!おはよう。・・・って何か言ったかい?」
「いえ、空耳ですね。」
やっば〜〜〜〜!!やっぱりまた口に出していたようだ・・・。
「どうだい、コーヒーでも飲むかい?」
今自分の飲んでいるカップを持ち上げて、誘ってくるのだが・・・。
「い、いや、もう学校行かないとさすがに間に合わないので・・・。」
そんなことをしている時間、まったくありません!
「おや、もうそんな時間かい?そうかい、残念だねえ・・・。」
この人だけ時間の流れが違うのか?なぜこんなに余裕でいられるのか、本当に不思議だ。
「あら、のぼるくん、学校へ行くのね。」
おばさんがキッチンからやってきた。
「はい、もう行ってきます。」
「毎日寄ってくれてありがとうねえ。明、本当に喜んでるのよ。 今日だって、家まで入ってきて心配してくれるかどうかって、かなり不安がってたんだから。」
「は、はあ・・・。」
う〜ん、なんて言えばいいのだろう?困った・・・。
「いつも迷惑かけてるかもしれないけど、ごめんね〜。」
「い、いえいえ、迷惑なんてそんな・・・。あ、俺もう行かなくちゃ!」
「そうね、時間とらせてごめんなさいね。」
「あ、また帰りに寄らせてもらってもいいでしょうか?」
「ええ、いいわよ。あの子も喜ぶしね。」
そんなこんなで俺は松山家を後にした。ダッシュしないと、間に合わない〜〜〜!
キーンコーンカーンコーン♪
「はあ・・・ひぃ・・・・んくっ・・・んはあ・・・。」
ぎ、ギリギリセーフだ。何で今日はこんなに走らなくちゃいけないのか。 もう体が痛い。体育のしごきの疲れもまだ抜けきってないみたいだし。って、 昨日の今日じゃなあ・・・。
とりあえず、何とか間に合った!これだけでもよしとするかあ。
授業は寝ないようにしないと。また、何を言われるか分かったもんじゃない。 幸い、昨日の晩はしっかり眠れたし。変な夢も見なかったし。
「1時間目は数学かあ。起きてられるな。」
・・・・・・・・・・・・・・・。
キーンコーンカーンコーン♪
これで、昼休みかあ〜!寝ることなく終わってよかった〜。まあ、今日は現代文の授業が ないからいいのだが・・・。
「うい〜っす、のぼる。飯食いに行こうぜ。」
「ああ、そうだな。」
いつもどおり、勇輝と飯を食いに行く。
俺が頼むのは、今日も・・・
「お前はやっぱりうどんか・・・。」
「うるさい。何でもいいだろ?」
「まあ、いいけどな。」
席にすわる。手ごろな席にいつも座れる・・ということはこの食堂あまり繁盛してないのか?
「で、だ・・・。」
「ツルツルツル・・・ん?」
勇輝が訊いてくる。訊いてくる内容は簡単に予測がつく。
「俺が昨日昇に言ったこと、松山に話したか?」
予想ずばり的中。
「ああ、言ったさ。」
で、どうだった?
「実はな・・・。」
昨日明と話したことをおおよそすべて話した。あいつの石との出会い、石の持つ力のこと。 まあ、俺と一緒にいることについては言わなかった。こんなやつに言っても仕方ないだろう。
明も、勇輝には話しても良いと、普段から言っている。俺と同じようにこいつのことをかなり 信頼しているのだ。
「なるほど・・・。やっぱりそうだったか。」
「ん?何が?」
「いや、おおよその内容が予測どおりだったということだ。」
「そうか。」
こいつのことだ。いろんなことを頭の中で想像していたのだろう。
「やはり、石を壊したいだろうな、松山は。いや、壊すというより、その 呪いみたいな能力を取り去ってしまいたいだろうな・・・。」
「そりゃ当たり前だろ?」
「当たり前といえば当たり前なんだが・・・。」
勇輝がしゃべる。
「でも、石をつぶしたからって、呪いが消えるとは限らない。そして、 なによりその石についての知識がなさすぎる。ちゃんとしたその石の出所も分からないで いろいろ調べても埒が明かないだろう。第一、お前の石との関連性も気になる。 お前のと松山のとではすべてがさかさまに作られているように見える。ということは その用途が必要だったということだ。もしくは、何かの反作用で生まれたとか・・・。」
「・・・よく分からん。」
「おい!昇!のんきに考えていても何も思いつかないぞ!ちゃんと考えるんだ。」
考えてるさ。でも、母さんの話があるまではこの少ない情報で考えても分からないんだって。
あ、そういえば母さんから月曜に何か大事な話があるということを言ってなかったっけ?
「いや、じつはな、石には関係ないのかもしれないが・・・。」
・・・・・・・・・・・・・・。
「なるほど、そんなビックエベントが待ってるのか?!」
「な、なんだ、そのビックエベントって?」
「まあ、気にするな。」
ますます、わけわからんぞ、こいつ。
「というわけだ。俺は母さんから話があるまではあまり考えないことにしたんだ。 もし母さんの話が石に関係なかったら俺が聞くまでだ。」
「なんだ、ちゃんとお前の頭の中では計画されているんじゃないか。」
「当たり前だ。」
まったく、俺はちゃんと生きてるぞ。
そんな時、ふっと昨日のことを思い出した。そう、美香のことだ。
気になったので、石をポケットから取り出す。
「何するんだ?」
「なにもない。ただの暇つぶし。」
「うそをつけ、うそを。」
別に勇輝は嫌がらない。見られてもいい人生を送っているということの表れか? それとも、そこまでプライバシーのある生活を送ってないということか?
とりあえず、見てみる。
目をつぶって、見えていた勇輝が一瞬で真っ暗となり、周りも真っ暗となり、 未来へと旅立つ。
・・・やっぱり同じだ。
「・・・ふう。」
見終わって勇輝が訊いてきた。
「で、何が見えた?」
「おまえ、・・・今日替えのパンツ持ってきたか?」
「は?!」
わけ分からずに固まる勇輝。この俺の発言は完全に電波受信系だ。
「何言ってるんだ?ついに見てはいけないものを見てしまったのか?」
「そうじゃない。まじめな話だ。」
替えのパンツでまじめな話・・・一体どんなだ?!
自分でつっこみそうになる。
「う〜ん、そんなの持ってくるはずないだろ。俺がこれから不測の事態に出会って しまい、その驚きのあまりちびってしまう・・・みたいな未来でも見えたのか?」
・・・な、なんて鋭いやつ!こいつ、俺より未来を見る天性の力があるのかもしれない。
「ほ〜。やるなお前。石もなくて未来を読むとは。」
「勘・・・だ。というより、それぐらいしか思い浮かばないんだが・・・。」
「いやいや、なかなか当たってるぞ。でも、いつどんな状況で、などは言わないからな。」
「ああ、そのほうがいい。お化け屋敷はいつ幽霊が出てくるのか分からないから面白いんだ。 今、お前に未来を言われたんじゃあ、面白くもなんともなくなっちまう。」
「・・・お前の人生、お化け屋敷なのか・・・?」
あっさりと答える勇輝。
「ああ、そんなもんだ。」
そうか・・・。お化け扱いされるあいつも可哀想だが、まあ仕方ない。
「じゃあ、ちびんなよ。」
「ふふふ、絶対大丈夫だ。何があっても替えのパンツが必要になるようなことにはならない!」
「・・・御武運を、大佐!」
「ああ、少佐。」
ぬぬぬ、俺の方がランク下なのか・・。まあどうでも良いけど。
さて、じゃあ、教室に戻るとするか〜。
・・・・・・・・・・・・・・。
「きりーつ」
「れい」
「・・・したー」
午後の授業も寝ることなくなんとか過ごす・・・いや、過ごしたつもり。 ノートに意味不明な言葉と文字が刻まれてるけど・・・まあいっか。
さて、帰ろう!
下駄箱へ行く。まだ、明は来てないみたいだ。
・・・って今日は来てないんだった。
「さて、それじゃあ松山家に向かいますかあ〜。」
今日4組で配られたプリントも取ってきたし。準備万端!
校門を出たところで、春日と東が前を歩いていることに気がついた。
「声をかけようか・・・でも邪魔しちゃ悪いし・・・う〜ん、う〜ん・・・。」
うなっていると、前から声がした。
「そんなところでなにやってるんや、昇?」
え?!向こうから声をかけられるとは・・・。孝の後頭部には目でもついてるのか?
「おっ!おふたりさん、どうもどうも」
何事もなかったように声をかけた。二人の間に入らないよう、右側にいる孝のさらに右側に並んで歩く。
「あれ〜?あかりちゃんは??」
さすがは明の親友、東だ。って、別に親友じゃなくても気がつくか・・・。
「ああ、今日ちょっと体調不良で休んでるんだ。」
「そうなんか。体大事にするように言っといてくれヘんか?」
「私も〜♪」
「わかった。伝えとく。」
「・・・っていう口調からすると、今から会いにいくんやな?」
「ああ。渡さなきゃいけないプリントもあるからな。」
「ほ〜♪」
「へえ♪」
何だこいつらの反応は?
それにしても、この二人はいつでも一緒にいる。片時も離れたくない・・・のだろうか? でも、昼御飯の時だけは違うのだ。東は明と御飯を食べている。春日は別の男子グループと 御飯を食べている。明と東が親友だからだろう・・・というより、唯一、明が心のそこから信頼している のが東だからだろう。
私が孝と御飯を食べたら、明ちゃんは一人になる・・・などと考えているのだろうか?
だったら、俺が進んで明かりと御飯を食べてやるべきなのかもしれない。そうすれば万事うまくいく。
勇輝は・・・まあ何とかなるだろう。あいつの友達は俺だけじゃないだろうし。 でも、そうすると逆に明が勇輝に気を使ってしまう。・・・難しい問題だ。
だから今のままでいいのかもしれない。いや、今が一番うまくはまっているだろう。 これ以上どうこうする必要もなさそうだ。
「あ、そうそう♪」
東が口を開いた。
「私たちの未来を見てくれない?」
「ん、別にそれはかまわないけど・・・でもどうして、いきなり?」
俺の質問に春日が答えた。
「いや実はな、今日の朝変な夢を見たって言うねん、こいつ。内容はよう覚えてないらしいんやけど とにかく不吉やったらしくてな。見てくれヘんか?」
そういうことなら、喜んで見ましょう!
「ああ、分かった。では見るぞ。二人いっぺんというのは無理かもしれないから、まずは 孝からいこう。」
「ああ、頼むで。」
ポケットから石を出して目の前に持ってくる。・・・一体この動作を、今まで何回やっただろう? 手馴れたもんだ。
すうっと未来の世界に引き込まれていく。
明日へ行っても、特に何もなかった。
次は、明後日・・・。
ゆっくりと眼を開ける。
目の前に広がるのは真っ白なリノリウム・・・とても清潔そうな空間。
「ん、ここは・・・病院?」
なんでこんなところに来るんだ?俺は2日後の未来にやってきたはずなのに・・。
そうしていると、病院の向こうからベッドをガラガラと押しながら数人の医者と 数人の家族と思われる人が走ってくる。
雪奈〜!と叫ぶ声が常に響いている。この声、聞いたことある声だ。
『血圧70、脈60、トラックとの衝突によって骨が2〜3本折れて、折れた骨肺が肺に刺さってます。』
『それと、頭蓋骨に損傷が見られます。』
わかった、というと医者らしき先生は患者に話しかけた。
患者は血まみれだ。早くしないと今にも死んでしまいそう・・。
『東さん、東さん、これからがんばりましょうね。』
『雪奈、雪奈を頼みます!!』
『分かりました、お母さん。』
『がんばるんやで!!雪奈!!!』
先生と看護婦さんとベッドは手術室へと消えていった。
途端に周りに満ちていく静けさと消えることのない緊張感。
そして、「手術中」のランプがカチカチとつく。その音すら耳にこびりつく・・・。 ぐったりと壁にもたれて、そのまま床に座り込む春日。
その場でじっとしてられないのか、行ったり来たり繰り返している東のお母さん。 俺は呆然とその光景を眺めていた。
やっぱりあれは・・・・
「東なのか・・・。」
俺はいたたまれなくなり、もうちょっと先の未来へ見てみることにした。
・・・・・・・・・手術室の前・・・。
そこに走ってくる男が一人。
「俺だ・・・・」
未来の俺が必死に走ってくる。
『んくっ・・・で・・・、はあはあ・・・どう・・・なんだ?』
未来の俺は息も絶え絶えな様子だ。孝に訊いている。
『ああ、もう手術室に入って1時間になる。中の様子や東の容態はまったく分からん・・・』
『ふう・・・そうか・・・はぁ』
明も先に来ているようだ。
『あかり・・・』
『わたし・・・わたし・・・』
明はかなり困惑している。何か自分に出来ないのか探しているようだ。
『大丈夫、助かるさ・・・』
未来の俺はこう言うのが精一杯のようだ。
俺は東のおばさんの方に向いた。
『東のおばさん・・・』
『あなたが高橋君ね・・・。いつも雪奈がお世話になってます。』
『こんなときに挨拶はよしましょう、おばさん。』
『でも、挨拶でもしてないともう私、気が気でなくて・・・』
東のお母さんはかなり錯乱しているのに、それを必死に隠そうとしているのが目に見えて分かる。 見ていて、かなり痛々しかった・・・。
その場にいたのは東のお母さん、孝、明、と未来の俺の3人だった。
しばらくして、孝が『ちょっと外に行かヘんか?』と誘ってきた。
『ああ、かまわないが・・・。』
未来の俺はそう答えると、二人で外へ行った。こんなとき、1秒でも手術室の前で無事を祈りたがるはずの 孝が未来の俺を呼ぶ・・・。何か、不思議な気がした。
屋上へと行くことにした。屋上に向かうまで、二人の会話はない。俺はゆっくり二人の後を ついていく。
・・・屋上に着いた。着いて、屋上の扉が閉まったとたん、孝は俺を壁に打ち付けた。
『ぐあっ!』
「あっ・・・」
未来の俺は孝の両手で肩を押さえられて、壁に貼り付けられた。
ここからでは見えないが孝の肩は震えている。
『どうして・・・どうして、おととい俺たち二人の未来を見たときに、お前は、何もないから 大丈夫だ、なんて言ったんだ!こうなることは見えていたんだろ?!』
未来の俺の心は分からない。一体どんな気持ちなのか・・・。
『それは・・・・それ・・・は・・・。』
未来の俺は何も言えてなかった。ただただ、泣いていた。
・・・未来の俺は、この二人に何も言わなかったんだろう。 この状況をおとといに見ていたのだ、きっと。
でも、未来の俺は東を助けようとはしなかった・・・のか。
しかし何かが違うような気がした。助けようとした・・・はずだ、 俺の性格なら。こういうことを黙って見過ごすことなど出来はしないのだから。
何か理由があるんだ、きっと。
『何とか言えよ!のぼるーーー!!』
『やめて、お願い!』
明が飛んできた。
『ねえ、やめてよ二人とも!』
『うるさい!こいつはなあ、友達が死ぬのを黙ってみていたような最悪なやつなんや!』
何でこんな言い方をされなくちゃいけないのか?何かあるはずだ。
『きっと何かあるのよ、昇にも。そうでしょ、昇!?ねえ、孝くんも話ぐらいは聞いてあげて!』
未来の俺はこくんとうなずくだけだった。
孝の手が俺の肩から落ちる。
『・・・話ぐらいは・・・聞こうやないか・・・。』
未来の俺は話し始めた・・・。
『すまない・・・おれが・・・俺が悪いんだ・・・・。』
話を俺も聞いた。
聞き終わった後、孝はその場にぺたっと座ってしまった。 ただ、『そうか・・・あいつは・・・おれのために・・・』とだけ 繰り返していた。それが精一杯だったのか・・・。
未来の俺は走って行ってしまった。あまりにいたたまれなかったのだろうか・・・。
明はそんな未来の俺を見て、『のぼる!』と叫びながら後を追って、屋上から姿を消した。
・・・俺は、時間を手術が終了した時の未来まで進めてみることにした。
・・・ここは別の部屋のようだ。
「・・・あれ?春日が泣いている・・・?」
ベッドに横から倒れこむようにして、声を上げながら・・・。
『雪奈・・・ゆき・・な・・・・・。なんで・・・おれの・・・おれの・・・・のために・・』
これ以上は声になっていない。声にならない悲しみと、嗚咽・・・。
ベッドに寝ているのは・・・!!!!
まさか・・・
「東!!!」
寝ているのではない。それは、完全に寝ているのではない静けさだった。
未来の世界で叫ぶ俺。
「そんな・・・そんな・・・。だってこれは2日後のことだぞ?!」
今の俺の叫び声は、誰にも聞こえない・・・。
よく見ると、未来の俺もそのベッドのそばでうつむいていた。目からは光るしずくがぽたぽたと 落ちている。
明は雪奈の体を揺らそうとして、看護婦さんに体を後ろから抱きかかえられて止められていた。
『ねえ・・どうしてよ・・・ねえ!どうしてよ!!!答えてよ、ゆきちゃん! 目を開けてよ!!』
『・・・来週の月曜日も今までみたいに御飯を一緒に食べられるんだよねえ・・・。ねえ・・・。 また、春日君との話を聞かせてくれるんでしょ?春日君の誕生日になにがあったのか教えてくれるんでしょ?! ねえ!何とか言ってよ!!』
『おい!あかり!』
未来の俺は泣きながら、明かりを抱きかかえた。
『だって・・・だって・・・・・。うわあああああああああ!!!!』
未来の俺のそばには、勇輝がただうつむいて立っていた。
しかし、壁を一発思いっきり殴って、部屋を駆け抜けるように出て行った。
決して顔を上げることはなかった。だた、廊下で、
『ちくしょーーー!!!!』という叫び声だけが、むなしく行くあてもなく響き渡っていた・・・。
やっぱり・・・・
「東は死んでしまうのか・・・。」
どうしようもない悲しみ・・・。
俺の力で何とかならないものか?
・・・とりあえず、落ち着こう。
今見ているのは、春日の未来だ。
東の未来を見てみよう。そうすればすべてが分かるはずだ。
・・・・・・ん、ここは・・・。
東と書かれた表札が張られた家だ。きっとここが東の家なのだろう。
そう思っていると東が家から飛び出してくる。
今は昼下がり。夕方になりかけだ。ということはきっとあさっての、東が家に帰ってすぐの 時間なのだろう。
俺は東についていくことにした。東は商店街の方へずんずん進んでいく。 さっきの春日の未来で、春日は『俺の・・俺の・・・のために・・・』と言っていた。きっと 春日のための何かなんだろう、今日出かけていくのは。
さらに、明が『春日君の誕生日になにがあったのか教えてくれるんでしょ?!』と言っていたことから 考えると、やはりこれから東が買いに行くのは・・・
そして未来の俺が屋上で話した通りであるなら・・・それは、
「春日の誕生日プレゼント・・・」
東はルンルン気分で商店街へ向かっている。そこへ・・・未来の俺がやってきた。
『おい、本当に気をつけなきゃダメだ。危ないぞ。』
『だ〜いじょうぶだって♪』
『あんなに電話で言っただろ?外に出るなって。』
『でも仕方ないでしょ〜?プレゼント今しか買えないんだから〜』
『当日本人と見ながら買ったらいいだろ?』
『それじゃ、意味ないの。それにそんなものじゃないし』
『死んじゃったら、意味なんてなくなるんだぞ?!』
『絶対に死なないから分かったって♪ちゃんと周りをよく見るから。』
『・・・信用ならん』
こんなやり取りをしながら商店街へ向かっている。
まあそのときになったら、未来の俺が守ってあげるつもりなのだろう。
・・・でも、春日の未来では、東は・・・。
『ところで東、一体何を買うんだ?』
未来の俺は話を続けている。
『ええとねえ♪』
『・・・。』
『小麦粉でしょ。卵でしょ。かつお節の削り粉に、てんかす。山芋とタコとイカと豚バラ肉。 あ、キャベツを忘れちゃダメ。あとは・・・タコ焼き器にヘラ!』
もしかして・・。
『お前まさか・・・。』
『そう!たこ焼きとお好み焼きを作ってあげるのよ♪百貨店まで行くの。でないと、 スーパーではタコ焼き器なんて売ってないでしょ〜?』
『・・・だったら、今買出しに行かなくてもいいだろ?!明日でもいいじゃないか!』
『ダメよ〜。今から練習しないと、明日の孝の誕生日に間に合わないじゃない♪』
『間に合わなくてかまわん!今死んでしまったら、もう二度とあいつにそんなもの食べさせて やれないんだぞ?!』
未来の俺の言葉を無視して、東の歩くスピードはだんだん速くなる。
『もう〜。いいんだって。ちゃんと周りを見てるからあ。』
『うそつけ。お前が死んだら孝が悲しむだろう?』
『うん。でも、死なないもん。』
『何で分かるんだよ?俺の能力を信じないのか?お前はあの2つ目の交差点でトラックにはねられてしまうんだぞ!』
『信じてるよ♪』
『だったらどうして?!』
『だから死なないんだよ。』
『は?お前何を言って・・・』
いいかげんいらいらしている未来の俺。それにしても、なんでこんなに東は強情なんだか。
・・・って、よく考えたら、こいつは昔っから、一度「こう」と決めたら絶対に曲げない やつだった。まったく、なんて個性だ・・・。
『気をつければいいんでしょ?だから死ななくてすむじゃん。周りを見てるから 大丈夫よ。ちゃんと忠告は耳に届いてるんだから。』
『いや、そうは言っても危険だから・・・。』
そういわれてしまうと何もいえない。確かにそうだ。ちゃんと気にしてるなら 死ぬこともないだろう。
でも・・・
『もう!!しつこい男は嫌われるんだぞ!』
そう言って東は、いきなり目の前にあったスーパーへと走りこんだ。
『く、くそっ・・・!』
あまりの一瞬の出来事のため、東にかなりの遅れをとってしまう。
スーパーの中は、買い物中のおばさんでごった返している。
『くそう!!見失った!!』
足には自信があるけど、さすがにこれでは足がどうこうという問題ではない。 どこに行ったのか、探しはじめる未来の俺。
『どこだ・・・。どこだ・・・・ええい!くそう!これではまずい!』
だんだんいらだってきている未来の俺。
魚コーナー・・・肉コーナー・・・野菜コーナー・・・アイスクリーム系コーナー・・・。
すべてを走り回って見るけどどこにもいない!
『はあ・・・はあ・・・。くそ!一体どこに・・・。』
はっと思い出した。
『(そう!たこ焼きとお好み焼きを作ってあげるのよ♪百貨店まで行くの。)』
あいつは百貨店に行く途中だった。こんなところにいつまでもいるはずがない!
未来の俺はスーパーを飛び出た。
出てみると、向こうに東がいる!
くるっと振り返った東は俺がそっちへ走っていることに気づき、東も走り出す!
『待て!!東!行っちゃダメだ!』
『はあ・・はあ・・・。・・・イヤ♪』
ダメだって!!!あの交差点でお前は・・・お前は・・!!!
思いっきり走るけど東にはまったく追いつきそうにない。
『あの交差点までに追いつかないと・・・。』
はあ・・・はあ・・・はあ・・・・・・・・・
さすがに女の子だ。走るのは遅い。でも、それでも始めに距離を開けられていたため 間に合いそうにない!
くそっ!
東がその交差点にさしかかる・・!
『だめだ!行っちゃダメだ!よく周りを見るんだ!その交差点でお前は・・・!』
『わかってる♪』
東が死ぬその交差点で、東は立ち止まろうとした。歩行者用信号は、 今は赤だけどもうすぐ青に変わろうとしている。
そんなとき、先走ってしまったおばあさんが横断歩道を渡ろうとしていた。
「あのおばあさん、どこかで見たことあるような・・。」
そこにギリギリ信号が変わるので猛スピードで迫ってくる一台のトラック! その直線上には・・・・
「おばあさん!!」
『危ない!!』
東はスピードを緩めることなく走る!
その「死」の交差点にいるおばあさんのもとへと 駆け寄り、抱えて行こうとした。
しかし、トラックとの距離があまりにも近すぎる!
東に迫るトラック!そして・・・・
『ひがしーーーーーーー!!!』
・・・・・・・・・・・・・。
ゴンッ!!!!! 聞いたこともないような鈍い音ともに、おばあさんをかばうようにして吹き飛ぶ東の体。
あまりに突然の出来事。
でも、あまりに予想できた出来事。
そして、止めることのできなかった出来事・・・・。
未来の俺は東のそばに駆け寄る。
『おい!おい!東!大丈夫か!!』
手に絡みつく、水とは明らかに違うねばっとした、「赤」。・・・その様子は、春日の未来とまったく同じだ・・・。
『誰か!!誰か救急車を呼んでください!』
そんな中、その喧騒を野次馬に来た男がひとり、叫びながら駆け寄ってくる。
『ゆ、雪奈〜〜〜!!!』
・・・孝だ。こんなときに会ってしまうとは・・・。
孝の手に伸びる雪奈の手・・・。どうやらまだ、意識はあるみたいだ。急がないと!
『おい!のぼる!いったいどうなってるんや!!』
『・・・すまない・・・。』
未来の俺はこう答えるしか出来ないようだ。
『すまない・・って!!おい!どういうことかって聞いてるんや!お前、2日前、何もない、 大丈夫や、って言ってたやろうが!』
『・・・。』
『何とか言えよ!』
そんな時、雪奈の孝の手を握る力が強くなる。かすかに口が動いた。
『の・・・・のぼ・・る・・・くん・・は・・・ね・・・、わるく・・・ない・・・ん・・・ だ・・・よ・・・。』
『おい、雪奈!ゆきな!』
『わ・・たし・・・なら・・・・・。へへ・・へ・・・、いうこ・・と・・・きか・・・ ない・・・・・から・・・、ば・・・ち・・が・・・あたっ・・・ちゃ・・・った・・の♪』
こんなときまでいつもどおりの明るさでしゃべろうとする雪奈・・・。
『もうええ!しゃべるな!』
『う・・うん・・・・・。』
雪奈はぐったりとした・・・。
・・・・・救急車がやってきた。
『おばあさんのほうはましですけど、お嬢さんの方はかなりひどいです。 送る病院が違ってきます。誰かおばあさんの関係者はいますか?一緒に行って倒れた状況などの 説明をしてほしいのですが・・・。』
『・・・。』
『・・・じゃあ、俺が乗ります。』
そう言ったのは、未来の俺だった。
そして未来の俺と孝は、別々の救急車に乗り込んだ。
・・・・・もうこれ以上見る必要もないだろう。
未来の俺は2日前、つまり今日・・・こうやって俺と同じように未来を見たのだろう。
それなのに、止めることはできないのだ、東の死を・・・。
・・・でも、俺の見る未来の能力は、少し違う。
ただただ、未来を見るのではない。
未来は変えられるのだ・・・俺の手で。
未来を変えられるのは・・・俺だけだ。
なんとか、東を助けてやれるはずだ。
何百、何千、何万という「俺の選べる」未来のなかで東の助かる方法を探そう・・・。
そう思い、俺は別の未来をみるために、再び意識を集中させていく。
深く深く・・・。
俺は、今この石に感謝している。
この、人を苦しめる、呪いの石に・・・。
第6話 「歯車」
俺以外の未来はもうすでに決められている。この石にはそういう力がある。
たとえば、勇輝が昼飯にカツ丼を食べるか親子丼を食べるかで迷い、その結果、勇輝は カツ丼を選んだとする。
俺たちは、これを人生の分岐点のように受け取るだろう。
一方では、カツ丼の食券を買って おばちゃんに頼むときに、偶然隣にいた女の子があまりにかわいくて一目ぼれしてしまう かもしれない。
またある一方では、親子丼を食べている途中でのどが詰まってしまい、そのまま窒息死 してしまうかもしれない。
このどちらかの人生を選択しているかのようだが、実はカツ丼か親子丼かで迷うことも、 そしてその後にカツ丼を選ぶこともすでに決められている。
さんざん悩んだ挙句の果てに「じゃあ、親子丼にする!」といって、親子丼を頼んでも、 またそれも決められているのだ。
つまり、何を選ぶか、何を食べるかなどはすべてあらかじめ決まっているのである。
しかし、石を持っている俺はそれを変えることが出来る。
俺の未来だけが見えないように、 俺が何をするかということによって未来は変わってしまうのだ。
いや・・・だからこそ俺自身の未来は直接見ることができないのだろう。
さっきの例を用いてみよう。
親子丼かカツ丼かで迷っている勇輝に、俺が「天丼にしたら?」と勧めてみる。で、 勇輝は天丼を選んだ。
この場合、新しい未来が生まれる。勇輝は天丼を頼むことによって、出来立ての てんぷらにかじりついて、舌をやけどしてしまうのだ。
こういう未来が何百通りとある。それらすべてを俺は見ることが出来る。
だから、その中でも一番いいやつを選べばいい。まあ、おれだったら、親子丼を勧めるが。
「東を助けなくちゃ!」
まず、ある一つの通りの未来で見てきた話を要点で整理しよう。俺はこの占いの後、 二人に「何もない。大丈夫だ。」と言うみたいである。で、明にこのことを相談することもなく、 一人で解決しようとしたようだ。さらに、どうやら東には電話で、死んでしまうことを 打ち明けていたようである。
これらすべての別の方法を取ればいいのだ。そうすれば、少なくとも、何かしら未来は変わる。
よおし!そういう未来を見てみよう!
・・・・・・・・・・・・。
完璧だ!こうすると、東は死ななくてすむ!
東は決して商店街に行くこともない。
これで万事安全だ。
ただ・・・・そうすると、おばあさんが轢かれてしまうような気が・・・。
おばあさんは目の前にいないからおばあさんの未来は見えない。 それは、東が商店街に行かないからだ。
おばあさんが轢かれてしまうのは、なんとしても避けなくちゃ・・・。 やっぱり、当日俺自身がそこに行って、おばあさんに忠告しよう。それが良い。
ただ、この方法には・・・一つの問題点があった。
それは・・・東の心を傷つけてしまうということ。
俺は・・・それでもいいのか?
東が生きていることにはかえられない。それは分かっているのだが・・・。
なんとも苦しい選択・・・いや、選ぶものは確実に分かっているから そう苦しむ必要もない。・・・が、やっぱりなかなか踏み出せそうにない。
でも、東が助かるのなら、一時の心の傷なんて仕方ない・・・。
「ただ・・・。」
もう一つ悩みがあった。
それは、本当にいいのだろうか・・・こんなことをして、ということ。
本当に、未来を変えてもいいのだろうか?ということ。
今、東が生き残ると、東がいつか子供を産むという、異なった未来がやってくる。そしてそれは さらに新しい子孫をもうけていくことによって、さらに変わっていく。
人が一人死なないということは、何百年後の未来に多大な影響をもたらすということだ。
本当にいいのだろうか・・。
俺はいつも悩んでしまう。それがいいことなのかどうか。
世界は首尾よく今日も回っているのに、俺がその歯車を恣意的に狂わせてしまう、 そういう存在ではないのか・・・。
未来は俺の恣意通りに作られていってしまう。
・・・いや、それも確かな未来の形なのだ。そう信じたい。
そうやって今までも自分に言い聞かせてきたのだ。これからもきっとそうだろう。
俺が見た未来はすべて実現可能なのだ、と。
・・・。
・・・・・。
・・・・・・・。
俺はゆっくりと目を開ける。俺の中ではかなり長い間未来を彷徨っていたように感じるが、 現実世界ではほんの一瞬しか時間が経っていない。目の前の孝と東が待ちくたびれる、という こともないのだ。
「で、どうやった?」
「何か不吉なことでも見えた〜?だ〜いじょ〜ぶだよね〜♪」
また歩き出した。
何も知らない二人はいたってのんきだ。俺は・・・言わなくちゃいけない。 東のため・・・そして孝のためにも。
「ふぅ・・・。」
一呼吸おいて、心の準備を一瞬のうちに片付けてしまう。
俺は・・・覚悟を決めた。
「・・・東。あさって、孝の誕生日プレゼントを買いに行くの、やめておけ。」
「えっ・・・」
東の顔が一瞬にして曇る。誕生日プレゼントは内緒にしておくもの。これをばらさなきゃいけない時点で かなり胸に響く・・・。
「お前はそれを買いに行く途中で、トラックにはねられて・・・。」
少しの沈黙。
「お前は・・・」
俺は言わなくちゃいけない。
「お前は・・・・・・」
言わなくちゃいけないんだ・・・。
「死ぬ。」
・・・・・・・歯車が・・・・・・・
・・・空気があっというまに凍りつく。孝の顔は固まってしまい動こうともしない。
それでも、何とか口を開いてこう言う。
「お・・・おい、冗談やろ、のぼる。」
俺はまじめな顔でゆっくりと首を振った。
「うそじゃない。もしこれを今ここで言わなければ、東は死んでしまう。商店街の青色矢印のある交差点で、 おばあさんをかばってトラックにはねられて、頭蓋骨損傷、肋骨骨折で肺に刺さって 死んでしまうんだ・・・。」
なんて悲惨な話だ・・・。
でも、これは明るくなるための一歩にすぎない。死が確定したんじゃなくて、 その予防法。別に悪いことじゃない。
・・そう思うのだが・・・。
「・・・。」
東は黙ったままだ。
そして・・・ゆっくりと口を開いた。
「うん・・・わかったよ。のぼる。私、買いに行かない♪」
「うそをつくな。」
「えっ?!」
俺の言葉に固まる東。
・・・・・・・世界の歯車が・・・・・・・
「お前は買いに行くんだ。俺がこうやって言っていても、大丈夫だと言ってな。明後日の金曜日、 学校終わってから一人で買いに行くんだよ。」
「それも見えたんか、のぼる?」
孝が訊いてきた。
「ああ、見えた。俺は東が買いに行くのを止めさせるために東の家の前で待ってるんだ。 で、出てきてからずっとやめるよう説得にあたるんだけど、どうしても言うことを聞かない。」
「・・・。」
「で、俺を振り切って逃げようとするんだ。そのとき交差点で おばあさんがはねられそうになるのを 助けようとして失敗し、その後は・・・。」
「そっか・・・。」
東は以外にも冷静に受け止めているようだ。
「そこで、だ。」
俺の言葉に二人ともこっちを向く。それまで下を向いていた二人が顔を上げた。
「東、あさって、・・・孝と二人で作ることにしないか?そのほうが楽しいんじゃないか? なにより・・・お前の身の安全のためだ。」
「作る・・・って、何がやねん?」
「何がって・・・そりゃ・・」
「ダメ!!」
「えっ・・・?」
「ゆ・・・ゆき・・・な?」
東の強い言葉にびっくりする俺と孝。
・・・・・・・このときから・・・・・・・
「絶対言っちゃダメ!これは私ががんばってやるんだから、絶対言っちゃダメ!」
「そうは言っても・・・。」
「せっかくいろいろ考えたんだよ。だから絶対にダメ!」
「でも、お前死んじゃうんだぞ!」
俺は、東との押し問答の中で自然と声が大きくなっていた。
「死んでもいいもん!私はほんとに孝のためを思っていろいろ考えた結果なんだもん。 私、孝のために作りたいの・・・。」
東はうつむいてしまった。・・・涙声になってきている。
「死んでしまったら二度と作れないんだぞ。いや、作って食べさせてあげる前に 死んでしまうんだから、一度も口に入ることはないんだぞ、たこ焼きとお好み焼き。」
「・・・どうして?」
東が顔を上げた。・・・そんな目をしないでくれ・・・。
辛い・・・こんなことを言わなくちゃならないなんて・・・。
東の悲痛な叫びが響き渡る。
「どうして・・・。どうして言っちゃうの?どうしてよ?!なんで私の努力を無駄にしようとするの?! 私はずっと真剣に考えてきたのに・・・。」
「・・・・。」
「この日のために私、ほんといろんなこと考えた・・・。何をしたら喜んでくれるんだろう? 何が一番孝にとってうれしいのか、って。ずっと、ずっと考えてた・・・。」
「・・・。」
俺は・・・何もいえなかった・・・。
「孝のためにやるんだったら死んでもかまわない! 喜ぶ顔が見れるんなら、わたし・・・わたし・・・・。・・・そんなこと、どうでもいいよっ!! 私の邪魔、しないでよっ!!!」
こいつ、たとえ死んでも自分が孝のためにやりたいことはやり通して見せたいんだ。 頑固・・・とかいう問題じゃない気がする。たとえ死んでもその人のために・・・ 自分のために・・・。
こんなに一途なやつに言わなくちゃいけないなんて・・・。
・・・・・・・再び・・・・・・・
・・・でも、それって、
間違ってるよ
そういう前に孝が東に言葉をかけていた。
「ありがとうな、雪奈。」
孝の優しい口調、言葉・・・。
「でもな、本当に俺のことを考えてくれるんなら、 死んでもいいとか言わないでくれよ。お前が死んでしまった後、どうやって俺は お前のいない世界で笑っていけって言うんだよ。そんな笑顔を俺に求めてるのか、お前は?」
東が孝の方を向いた。
泣きながら、首を精一杯ふっている。
光るしずくが、首を降るたびはじけた・・・。
「違うだろ?俺が笑っていられるのはお前がいるからだろ。 お前が本当に俺のことを考えてくれるのなら・・・二人で、たこ焼きとお好み焼き、 作ろう。俺が笑顔になれるのは・・・お前がおれのたこ焼きとお好み焼きを 食べて、おいしいって笑ってくれるその顔を見たときでもあるんだから・・・。」
「っく・・・ひっく・・・でも・・・でも・・・!」
「なあ、俺が死んだら雪奈はどうする?」
「―――――!!!」
「それとおんなじだよ。だから、二人で・・・作ろう。二人で、祝おう。」
東は目を何度も何度も手の甲でぬぐう。
「・・・ううう、ごめんね。ごめん・・・ね・・・。」
それでも・・・ぬぐってもぬぐっても、東の目からはぽろぽろと心の雫がこぼれた。
こいつは、頑固なんかじゃなかったんだな。一途すぎたんだ、きっと。
気がつくと、ここは見覚えのある場所だった。
「あ、ここは・・・。」
未来の俺が待ち伏せしていたところ。東の家の前だった。
もう、ここで待ち伏せする必要もないだろう。
俺は、二人には聞こえないぐらいの声で「じゃあな。」と言ってその場を去った。
・・・孝と東の「ありがと」って声が俺の背中にかけられた気がした。
・・・・・・・狂いはじめた・・・・・・・
俺は急いで明の家に向かった・・・。やべえ。ちょっと時間が経ってしまった。
あいつのことだから、
「何でこんなにおそいの!」
とか言って、枕を投げつけてきそうだ・・・。
急がなくちゃ!
はあ・・・はあ・・・はあ・・・。
もうすぐ明の家だ。もう見えている。
ん?!誰か出てきた。
えっ?!
「母さん・・・?」
なんで母さんが出てくるんだろう?
まあ、昔っから仲良かったから、明のお見舞いに来たのかもしれないな。
明のお母さんと挨拶してる。
俺は電信柱の陰に隠れる。
せっかくだしちょっと様子を見よう。
・・・と思ったら、何かを話した後、さっさとかえっちゃった・・・。
な〜んだ、面白くない。
何か重大な話でもしてるのかと思ったのに・・・。
しばらくして明の家のインターホンを押す。
ピーンポーン
「・・・はい?」
「あ、高橋ですけど・・・。」
「ああ、昇くんね、玄関開いてるから入って〜。」
「あ、はい。」
許しが出たので入ることにする。
「し〜つれ〜しま〜す。」
「いらっしゃ〜い。」
奥から明のお母さんがやってきた。
「あがってあがって。どうぞ〜。明は部屋にいるから。」
というわけで、部屋に向かう。
部屋の前に着いた。やっぱりノックぐらいはしないとねえ。
・・・コンコン。
「のぼる〜?」
中から声がする。眠っているわけではなさそうだ。
「ああ。はいるよ。」
「うん。」
部屋に入ると、明はベッドの上に起きあがった状態で座っていた。
「寝てなくて大丈夫なのか?」
俺は近くにかばんを下ろしながら訊いた。
「うん、別に熱もないし。頭の痛いのも治まったから、明日からはばっちりだよ!」
二の腕にこぶを作るポーズをする。別に朝に感じたしんどそうな気配もないし 大丈夫だろう。
明のお母さんがお茶とお茶菓子を持ってきてくれた。
部屋から出て行くときに明のお母さんは、
「うふふ、ごゆっくり」
といって、意味深な笑みを浮かべながら部屋を出て行った。
「ごゆっくり、だってさ。」
「まったく、おかあさんったら・・・。」
ああいうお母さんを持つと子供は困るのよ、と言わんばかりの顔をしている明。
俺は学校でもらってきたこいつのプリントを渡して、ちょっと真剣な顔で話を始めた。
「・・・あのな、聞いてほしいことがあるんだ。」
「ん、なに?かしこまっちゃって?」
俺は勉強用の椅子に座る。
東のことを話さなければいけない。東を助けるための第一歩だ。
「実はな・・・。」
真剣に聞いている明。
一通り聞き終わった後、
「そうなんだ〜。でも、ほんと助かってよかったね〜。雪ちゃん死んじゃったら、 私どうすればいいのやら・・・。」
「ああ、まだ確証はもてないんだがな。ただ、こうやってお前に話すことも あいつを助ける第一歩なんだ。」
「なるほど〜。」
大体分かってくれたようだ。いざとなったら、こいつも東を助けてくれるだろう。
・・・どんな風にかは、分からないけれど。
いろいろな話をしてもう夕方になってきたので、帰ることにした。
帰ろうと立ち上がると、
「くいくい」
と袖を引っ張ってくる。
何のことか分かったけど、ちょっと意地悪して、無視して帰ろうとすると、
「ああ〜!ひどい・・・。」
泣きそうになっている。
「何のこと?」
わざととぼけてみる。
「・・・ふん!じゃあいいもん!!」
ばさっ!と毛布をかぶる明。
いじけてしまった・・・。
はいはい、分かりましたよ。
別に面倒くさくもないのに、むしろドキドキしてるのに、なぜか面倒くさくしてしまう俺・・・。
「・・・明。」
「なによ!」
顔だけ毛布から出てくる。
そこに・・・ 「あっ・・・。」
明の顔が近づく。いや、俺の顔が明に近づく。
「ん・・・・。」
朝と同じようにしばらく時が止まる・・・。
しばらくして離れる。
「・・・へへっ、しあわせ〜。」
笑みがこぼれている明。
「充電かんりょ〜」
よほどうれしんだろうか。笑顔が途切れることはなかった。
・・・どうやらそれは自分もそのようだ。
俺は恥ずかしさから話すことにした。
「・・・お前の風邪、本当にうつんないんだろうな。」
「絶対だいじょ〜ぶだよ〜♪」
話し方が東に似てきているような気が・・・。
俺は立ち上がりかばんを持ちながら、こう言った。
「もしうつったら、今日我が家の晩御飯は赤飯だな。」
途端に真っ赤になる明。
・・・どちらかといえば怒ってるような・・・。
「なんでそういうこと言うのよ〜〜〜〜!!!」
枕がものすごいスピードで飛んでくる。・・・松坂も佐々木も腰を抜かすほどの勢いで。
・・・もちろん俺がよけることなどできるはずもなく、視界が一瞬で暗転し、その場に倒れる。
「うがっ・・・」
「もう、一生死んできなさい!!いい雰囲気だったのに〜〜!!バカバカ!」
叫んだ後、毛布をかぶって俺に聞こえないようにつぶやくのが聞こえた。
でも、俺の地獄耳は逃がさない。
「・・・そんなのじゃないもん・・・。」
なにが、そんなのじゃない、というのか?
・・・今聞いても教えてくれそうにないので 今日は訊かないことにした。
「ははは、まあ怒るなって。じゃあ、今日はもう帰るから。」
「あ・・・うん・・・。」
とたんにしおらしくなる明。
「・・・もっと充電するか?」
「・・・ううん。・・・過充電は故障の原因だよ♪」
「そうか。じゃあ、また明日迎えに来るから!」
「うん!」
そういって部屋を出た。
玄関で、
「お邪魔しました〜。」
というと、
「あら、もうお帰り〜?もっと『ゆっくり』していけばいいのに・・・。」
・・・なぜか、俺には「ゆっくり」の部分が大きくなっているような気がした。
なに考えてるんだ、この人は・・・?
「い、いえいえ・・・。と、とりあえず、お邪魔しました〜。」
そういって、俺は松山家を後にした。
ゆっくりしたら、一体どうなるのだろう・・・?あの、見た目にはまったくそうは思えない明のお母さんが実は 鉄人シェフで「俺」を料理したり・・・?
「ま・・・まさかな・・・。」
人は見かけによらない。
・・・なんて恐ろしい言葉なんだ。
「ただいま〜。」
「おかえり〜。」
時間は5時30分過ぎだった。
「おかえり」は母さんの声だった。
美香は・・・あ、そういえば、「あれ」だった。
まだ帰ってきそうにない、というか今日は当分帰ってこないので、今のうちに 録画の予約をしておかないと。
テレビのビデオへ向かうと、すでにビデオのパネルに「録画予約」の文字が・・・。
用意周到なやつ。
母さんは美香が遅くなるということを知ってるのだろうか?
伝えておかねば。
キッチンにいる母さんに伝える。
「今日、美香、帰りが遅くなるの知ってる?」
「うん、知ってるよ。」
「あ、そう。それならいい。」
なんだ、知ってたのか。
俺は特にすることもないので部屋にはいって着替える。今日は7月4日、水曜日。
月曜まではまだまだじゃないか・・・。
暇つぶしに石をポケットから取り出してみる。
目の前において、じ〜っと眺めてみた。
大きいくせに軽いため、持ち運びが楽なようで結構うっとうしい。
・・・ポケットに入っていなくても気づかない気がする。
などとわけのわからないことを思いながら、まったりと時間を過ごした。
7時ごろになって御飯を食べようとキッチンに行こうとしたときに、
「たっだいま〜!」
という、大きな声が聞こえる。いつもより11倍ほど(当社比)ハイテンションだ。
「おかえり〜・・・。」
一応返事はしてやる。
まあ、その声の調子からしてうまくいったのだろう。よかったよかった。 妹の旅立ちを見守るのは兄の使命・・・。くう〜〜〜っ!
・・・などと感慨に浸っている場合ではない。早く飯を食おう。
リビングに行くと食事の用意がもうすっかりなされていた。
で、席について食べる。
「いただきま〜す。」
・・・・・・・・・・・・・・・・。
御飯を食べ終えてくつろいでる美香に訊いてみた。
・・・答えは分かっていたけど・・・。
「で、どうだった?」
「ぐっ!」
っといいながら、美香はぐっと親指を立てた。
「・・・よかったな。」
さて、これで明日は見ものだ。
こいつにいくつか質問したかったけど・・・、まあよしとしよう。
片づけを終えた母さんがリビングにくつろぎにやってきたので、今日どうして 明の家に行ったのか訊いてみた。
「ねえ、母さん。どうして今日明の家に行ってたの?」
「え?!・・・ああ。」
少し慌てたような感じで、
「うん・・・今日は学校休んでるっていうのを電話で満子さんに聞いてね。 で、お見舞いに行ったのよ。」
満子さんとは明のおかあさんのことだ。
「ふうん。で、何か言ってたの、明のおばさん」
「何か・・・って。う〜ん、特に何も。」
「そうか・・・。」
明の言っていた『そんなのじゃないもん』発言が微妙に心に湧き上がってくる。
「って、私に聞かなくても、のぼる、あんたも今日行ったんでしょ?お見舞いに。 じゃあ、知ってるんでしょ?」
「ああ、まあ。でも、母親だけの秘密の話があるかもしれないし。」
「あっても、あんたには話さないわよ。だいたい、話したら 母親だけの秘密、にはならないからね。」
「あ、そっか。」
われながら情けない発言だった。
「・・・のぼる。」
「ん、なに?」
微妙に母さんの顔が暗くなる。
「・・・あの子のそばになるべくいてあげてほしいの。やっぱり病人は 心細いものだから。」
「ああ、わかってる・・・。」
母さんの発言には重みがあるような気がした。
こう、ずしりと「深い」言葉。
それに、どう答えてよいか分からず、適当に答えることしか出来なかった。
期末テストは先週に終わってしまい、今は普通の授業があるだけ。
しかも、3年生・・・。もうすぐ受験だ。
来週の月曜日のことがきになって勉強をする気にはなれないけどそうは言ってもやらなくちゃ いけない。
仕方なく、いやいや買った問題集をいやいややる。
いやいややると眠くなってくる。
い、いかん!眠ってしまっては!
「眠るということは勉強に負けた証拠だ。」
わけの分からないことをつぶやいてがんばる。
・・・そんなに、俺勉強熱心だったっけ?
はあ、まったく面倒くさい。どうしてこんなことをしなくちゃいけないのか。
答えは・・・7文字だ。
受験生だから。(句読点を含む)
はあ・・・。しんどい。勉強は不得意じゃないからまあ、やろうと思えばできるけど、 美香のこと、東のこと、明のこと、石のこと、そして来週月曜の話。
すべてがぐるぐる回って、頭の中で輪を描いて踊っている。
石・・・。今、机の上においてあるため目の前にある。
なんてややこしい石なんだ。
「はぁ・・・・・。」
また、眠くなってきた・・・。
って、いかんいかん!!目を覚まさなければ。
「眠るということは神経がたるんでる証拠だ。」
しかし、それにしてもどう考えても、たるむことの出来なそうにない神経状態だ。
そして、勉強するには程遠い神経状態だ。
「こんなことで・・・実力が・・・・つくはずない・・・っちゅう・・・・・の」
『まったくそのとおりだ!!』
という声が俺には聞こえる。
ん?!聞こえる・・・?
聞こえる。
確かに聞こえる。
玄関から聞こえる・・・。
・・・って、ここは!
気がつくと俺は部屋に立っていた。
目の前にいは着替えている俺・・・。
あ・・・もしかして・・・
「おれ、寝ちゃったの?」
あっさり勉強に負けてしまった・・・。
第7話 「紛失」
いつもの夢だ。思い通りに見ることが出来る自分の夢を「自覚夢」っていうらしい。 文字通りの意味で、自分で「これは夢だ」と自覚することによってなんでも思い通りに できるようになるらしい。
でも、俺の場合は多少違う。
俺の場合は一応なんでもできるようだけど、どうやら夢の中で俺は存在しないことになっている。
まるで俺が未来を見ているのと同じように過去を見ているみたいだ。
きっと明が過去を見るときにはこういう風に見えるんだろうなあ、と思う。
そして一ついえることは、どうやらおれが「夢だ!」と分かるものは過去の出来事らしい。 明との神社での出来事、美香と石を見つけたときのこと・・・。 過去のことばっかりだ。
「ということは今回も・・・。」
目の前では、過去と思われる俺が必死で学校に行く用意をしていた。
なるほど、遅刻しそうな朝なのか。
玄関からは、『そのとおりだ、はやくしろ〜!』という声が聞こえる。
「がんばれよ。」
俺は過去の俺に向かってそうつぶやいて、声のする玄関へと向かった。
まるで、昔見た映画を見せられているかのような感覚。 懐かしい光景、記憶の片隅にすっかり埋もれてしまった思い出、頭にしっかりとこびりついている あの言葉・・・。
玄関へ行ってみて声の主がわかった。
勇輝だ。
よく見ると、体操服姿の勇輝。
「ああ・・・。」
今日は体育祭の日なのか。ということは、今日は・・・まさか?!!
「勇輝が美香に惚れ始める日か?!」
うわぁ、こんなもの、見たくもない。さっさと眠りから覚めよう。
・・・自覚しているということには、こういういいこともあるんですなあ。
「・・・でも、待てよ。一体どうやって目をさますんだ?」
不思議だ。いま俺は夢の中で「起きてる」んだ。目を覚ますといっても 目はすでに覚めてるんだから目の覚めようがない。
しかし、何か方法があるはず!ボーっとしてても仕方ない。なんとか目を覚まして、 もっと良い夢を見ようではないか!
こんな夢を見ていても仕方がない。
そう自分に言い聞かせ、頬をつねってみる。
イタイ・・・。
でも、痛いだけ。
目が覚める気配はない。
しかたなく、今度はがんがん頭を振ってみる
ク・・・クラクラする・・・。
でも気分が悪くなっただけ。
え〜い!こうなったら、足の裏をこそばしてみよう。
こちょこちょこちょこちょ・・・
「わっはっはっは〜〜うひひひ〜〜ひぃ〜〜ひぃ〜〜〜」
・・・・・・。
だめでした。
誰も自分のことに気がつかない空間で、一人足の裏をこそばしている男・・・。
俺は少し赤面しながら立ち上がった。
「な・・・情けない・・・。」
もう仕方ない、諦めてこのまま夢を見よう。車にはねられたりしたら 目が覚めるかもしれないけれど、・・・痛そうだからやめとこう。
『そのとおりだ!早くしろ、のぼる!』
玄関で叫び続けている勇輝。その隣には俺の母さんがいた。
『のぼるー!早くしないと間にあわないわよ〜。美香も早く〜!』
『そのとおりだ!早くしろ、のぼる!』
・・・朝からさわがしい。
それにしても、部屋から出てくる気配がない。あんなに、急いで用意してたのに。
しばらくたっても来ない昔の俺に痺れを切らせた勇輝が、玄関から家の中へずんずん入ってきた。
あいつの目指すは、俺の部屋!
「勝手に玄関を越えて入ってくるとは、まったく礼儀を知らないやつめ。」
そうつぶやく俺を知ってか知らずか、ずんずん俺の部屋に向かって歩いていく。
俺もその後についていく。
で、部屋の前に立って荒々しいノック。
「・・・って、その部屋は?!!」
ゴンゴン!!
「その部屋は違うぞ、勇輝!!」
もちろん俺の声は届かない。
『おい、入るぞ!のぼる。』
ガチャリ
『のぼる、遅すぎるぞ・・・って、あ・・あれ?』
そこにいたのは・・・着替えている最中の美香・・・。
『あ・・・あ・・・、あのね、美香ちゃん!これは何かの手違いで・・その・・・』
目が点の美香。
『その・・・あ、そうそう!実はこのクマのぬいぐるみが欲しくて! これ、ラッキーちゃんっていうんだよねえ!!ラッキーちゃん、ラッキーちゃ・・・』
勇輝は手の届くところにあったクマのぬいぐるみを手にとって、抱きしめていた・・・。
なんて苦しい言い訳なんだ、勇輝!今のお前は最高に見苦しいぞ・・・。
『ラッキーちゃん・・・ラッキーちゃん・・・ラッキ・・・』
抱きしめている勇輝のところへ美香が胸元を体操服で押さえながらずんずんとやってきた。
目から炎が出てる。
こ、こわ〜・・・
『へぇ・・・そんなにそのクマが好きなんですか・・・井上先輩・・・』
『え゛?!ま・・・まあ、ね』
勇輝が一歩引いた。それにあわせて美香が一歩詰め寄る。
『じゃあ、そのクマ、あげます・・・。』
『え゛?!ほ、ほんとに・・・。いやあ、うれし・・い・・・なぁ・・・』
また一歩勇輝が後ずさりした。美香の全身から発する怒りのオーラが勇輝の血色を 奪っていく・・・。
『ですから・・せんぱい!!!』
『え゛?!』
バチイイイイィィィィィィン!!!!!!
お相撲さんですら吹き飛びそうなものすごいビンタが、肉のはじける音とともに 勇輝の顔をひしゃげさせた。
憐れに宙を舞う勇輝・・・。
「うわぁ・・・」
痛そう・・・。
スローモーションの動きで宙を舞った勇輝が、豪快な音とともに部屋から 飛び出して廊下にへばりつく。
ベチッ!!
『さっさと出て行ってください!!井上先輩のヘンタイ!!!この、ぬいぐるみフェチ!』
ぬ、ぬいぐるみフェチ?!そ、それは違うぞ、美香よ。
ばんっ!!
すごい音とともに部屋の扉が閉まった。
勇輝はピクリとも動かない。
そこに通りかかる、昔の俺。
『おい、じゅうたん。そんなところに寝てたら踏むぞ。早く行こうぜ。』
『お前を・・・待ってたんだ・・・。』
『おい、行くぞ。早くしないと間にあわないぞ』
『俺の・・・なきがらは・・・山に埋めてくれ・・・』
『・・・ごみの山か?』
『・・・。』
『・・・いくぞ、勇輝。』
よろよろと立ち上がる勇輝。見るからに瀕死の状態。
勇輝は玄関にいた俺の母さんに事の次第を涙ながらに説明していた。
あからさまにひいている母さん・・・。別に、母さんはそんなことでは怒らないけど・・・。
家を出て、学校に向かう途中で勇輝が過去の俺に話しかけている。
『実はさっき、お前の部屋と間違って美香ちゃんの部屋に入ってしまった・・・。』
『ああ、母さんに話しているのを聞いた。』
『そのときな、思いっきりビンタされた・・・。』
『ご愁傷様です。』
俺は勇輝に向かって手を合わせた。
『・・・危うく死にかけた。』
『ははは!そりゃ災難だな。』
『・・・でもな。』
『ん?なんだ?』
『おれ、ビンタされたの初めてだ。いや、ビンタだけじゃない。人に手を上げられたのは 初めてだった。親は俺のことをずっとほっといて過ごしてきたから・・・』
『ああ・・・。で、あいつのことを怒ってるのか?だったらすまん。兄として 一応謝らせてもら・・・』
『いいや、そうじゃない!』
過去の俺が話し終える前に、勇輝が叫ぶ。
『親にも手を上げられたことなんてなかった・・・。でも、美香ちゃんに 今回ビンタされて思った。』
『な・・・なにを?』
『ちゃんと人に怒られるということは大事なことなんだな』
『・・・。』
『それに・・・』
『それに??』
おれが訊き返すと勇輝ははっきりこう答えた。
『俺は、あのビンタに愛を感じた。』
『・・・は?!』
過去の俺の口が、あんぐりと開いた状態になっている。
『はじめて、ちゃんと怒られたんだ。親なんかよりも愛を感じるさ。』
『あ・・・そう・・・。』
こいつ、そういう趣味があるに違いない!美香の言うとおり絶対ヘンタイだ!! 間違いない!!!
『ん?なんか言ったか?』
『べ、別に・・何も・・・。空耳だろ?』
このあと、学校で体育祭中に勇輝に連れられて仕方なく美香に謝りに行ったんだった。
でもなんで、俺が一緒なんだか・・・。
このときから美香の前では上がってしまう性格が出てきてしまい、うまく謝れなくて 困っている様子を見て美香は、笑って許してくれたんだった。
・・・これから起こる事の次第を思い出しながら、過去の俺と勇輝の前を歩いていると、 ふと足元の地面がなくなっていることに気がついた。
・・・っとおもったら、落ちていく俺・・・。
「うわああぁぁぁ〜〜〜!また穴か〜〜〜?!」
夢から覚める方法は、これですか・・・・。
トホホ・・。
がばっ!!!
目が覚めると目覚まし時計の鳴る5分前だった。
ここは・・・机の前?
ああ、そうか、勉強してたらそのまま睡魔に襲われたんだった・・・。
机の上には勉強道具一式が昨日のそのままの状態であった。
どうやら突っ伏して寝てしまったようだ・・・。
目覚めは・・・もちろん最悪。
もう1回寝る気にもなれないので、目覚まし時計を止めて起きる・・・。
と思ったけど、昨日は目覚まし時計をセットしなかったから、時計をいじらないでおいた。
「この夢はなんなんだ、一体・・・。まるで過去を見せられているかのようだ・・・。」
そうつぶやいてはっとする。
過去を見る能力・・・それは明の石。今目の前の机の上にある石は未来を見る力。
何か関係があるのかもしれない。明の石には、「人にその人の過去を見せる能力」が あるのかもしれない。
・・・でも、俺がこの石を持っているおかげで明は俺の過去が見えないって言ってたし。
そう考えると俺の石が、あいつの石の放つ「過去を探る電波みたいなもの」の妨害電波を 発している、と考えられるだろう。
だとすれば、もしあいつの石に、人に過去を見せる力があるのだとしても俺はそれを見ることが 出来ないはずだ。
ということは、結論はただ一つ!!
あれは・・・単なる夢。
トホホ・・・。な〜んだ・・・。
学校に行く用意をして朝食を食べて、いつもよりちょっと早く家を出た。
明の家に行くともうすでに家の前で待っている明。
「もう大丈夫なのか?」
という俺の質問に、
「うんっ!!」
と、元気よく答える明。でも、まだ多少辛そうな感じがする。
「無理はするなよ。」
「だいじょ〜ぶ。」
学校に向かって歩き始めた。
もう7月頭ということもあって、日に日に暑くなってきている。
歩いていても、じんわりと汗ばむぐらいだ。
せみの鳴き声もちらほら聞こえ始めている・・・。
そんな中、俺は明に話し始めた。
「悪いけど、東からいろいろ話を聞いてやってくれ。春日の誕生日のこととか、 その誕生日プレゼントについて。用意は早くからしとけよ、とか。そうして 話しておくことが、少しでも事故から東を遠ざけられると思うんだ。」
「うん!わかった。お昼ごはんのときに雪ちゃんといろいろ話してみるね!」
よし、これでもう大丈夫なはずだ。クラスで東の未来を見てみよう。
「おはよう〜。」
「ういっす。」
教室には勇輝がいた。
おれは勇輝のもとへと向かう。
「よう!おめでとう、勇輝。」
俺の言葉に一瞬びっくりしたようだけれども、すぐに笑顔で、
「ああ、ありがとう!」
と返してきた。
「で・・・」
俺はこれを訊かなくちゃいけない。理由は・・・
「お前、替えのパンツ要ったのか?」
さっきよりさらにびっくりしたように飛び跳ねる勇輝。
今度は驚いた顔が泣きそうになっていた・・・。
理由は、そう。おもしろいから。
「うう・・・。替えのパンツ・・・な。そういうことだったのか、と思ったさ、昨日・・・。」
「で、要っただろ?」
「・・・それだったら教えてくれればよかったのに・・・。前もって 心づもりしてたら・・・。」
「そしたらお前、緊張のあまり、待ち合わせ場所に行けなかっただろ?」
「うっ・・・た・・・たしかに・・・。」
まさか美香も、相手が驚きのあまり実はちびってしまった、などとは夢にも思わないだろう・・・。
そうこうしている時に、孝と東がやってきて、4人でこの話題で大盛り上がりしてしまった。
終始勇輝は恥ずかしそうにしていたけど、最後はみんなに祝福されて喜んでいたのだった。
キーンコーンカーンコーン♪
気がつけば1時間目開始である。
・・・あ!
東の未来、見るのを忘れてた・・・。まあ、後で見ようっと。
昼食を勇輝と食べる。勇輝は美香とは昼食を一緒に食べないそうだ。 今までどおりがいいらしい。
そういえば、美香はこいつのどこが気にいったんだろう?
実に不思議だ。
さて、昼食を食べ終えて、東を探しに行った。
明の話だと確か中庭で食べてるとか・・・あ!いたいた。
「よし、話しかけるのもなんだし、後ろからこっそり見ようっと。 で、何もなく万事うまくいくのだったらそれでいいし。うんうん。」
・・・結構長い独り言だった気がする・・・。
ちょっと自分が赤面しているのが分かる。
まあ、それはともかく、俺は東の後ろから東の未来を見てみることにした。
東の座っているベンチの後ろで、ポケットに手を忍ばせて石を出・・・
そうとするけど、石がない。
「あれ?反対のポケットかな?」
手を伸ばして探ってみる。
でも、そっちにもない。
「う〜ん、じゃあ、教室においてきたのかなぁ?」
・・・いや、それはない。教室でポケットから石を出した記憶がない。
つまり・・・
「や・・・ば・・・い・・・!!!」
なくしてしまった!!!しかも、落としてしまったかもしれない!!
しゅるしゅると血の気が引いていく。
誰かが手にしたらどうしよう・・。その人が未来を見るのだろうか? 未来を見れたら、悪用する方法はいくらでもある。宝くじなんて モロに悪用できてしまう!
ほかに、うっとうしい人を間接的に抹殺したりも出来る。つまり、 その人が死んでしまう「未来」へと相手をいざないように話をすれば良い。
たとえば、東に「足らない材料は明日買いに行けばいいよ。」みたいな感じで。
「た、たいへんだ!!!」
でも、まてよ!
「おちつけ、落ち着け、俺・・・。」
誰も彼もが未来を見えるわけではない。 昔、勇輝が試したことがあったけど、まったく見えなかった。
つまり、拾った人が未来を見ることが出来る可能性は低いのだ。
そうは言っても、やはり安心は出来ない。なんとかしないと・・・。
「落ち着け・・・落ち着け・・・。」
「のぼる、何してるの?」
びくっ!!
「あ〜!昇くんじゃない♪」
「や、やあ。お嬢さん・・がた・・・、ど・・・どうしたのかな?い、一体?」
「それはこっちのせりふよ、のぼる。さっきからベンチの後ろで何ぶつぶつ言ってるのよ。」
「・・・気づいてた?」
「気づかない方が無理。」
座っているベンチの後ろで、途端に慌てふためき、「落ち着け、落ち着け」と 呪文のように唱えている男・・・。確かに、われながら怪しさ満点だ。
「で、どうしたの、のぼる?」
「い、いやあ・・・どうもしないよ!いい天気だなあ、と思って・・・ね。」
「確かにいい天気だよね〜♪」
「そ、そうだよね・・・。あ、あはははは・・・・。じゃ、じゃあ、俺はもう行かなくちゃ。」
とりあえず、石を探さなくちゃ・・・。
そう思って、背を向けて歩き出そうとしたとき・・・
「・・・の・ぼ・る・くん!一体どうしたのかなあ〜・・・?」
背後から明の、「いやに」かわいらしい声が・・・。
「い゛?!い・・・いやいや、どうもしないさ。はは、ははははは・・・。」
俺はその場からごくごく自然体で、しかも今出せる最高のスピードで「歩いて」その場を 後にした。
手と足がおんなじように出ているのはご愛嬌・・・。
石のことを知りたがっている明に、
「石、なくしちゃった。てへ!」
なんて言った日には、確実に瞬殺されてしまうだろう・・・。
・・・どうやら、俺の寿命は今日の帰りまでらしい。
はかない人生だった。とほほ・・・
いやいや、悲観するにはまだ早い!!探せばいいのだ。まだ間にあう!
「思い出せ・・・思い出せ、俺。
朝、机の上にあったよな。で、それを俺は学校に行く用意をしているときに ポケットに突っ込んだ。そうそう、そこまでは覚えてるんだけど・・・。」
あとが、出てこない。
「困った・・・。とりあえず、家を出てから、登校中、あるいは学校の中で落とした可能性が高い。」
・・・くそ!こんな結論、広すぎるぞ!とりあえず、ここの中庭から食道までの道のりと 食道から教室までの道のり、教室から校門までの道のりは調べておこう。
見て回る。
・・・・・・・・・・・。
・・・う〜ん・・・ない。
困ったなあ。・・・あ!!
「落し物として拾われてるかも!」
・・・落し物のある箱を見に行ったけどやっぱりない。
たしかに、見た目はただの石。そんなものを落し物にしてたら、 落し物入れの箱が確実に石だらけになるだろう・・・。
う〜ん、廊下にもない、食道にもない、教室にもない・・。
「となると、後は通学路かあ。・・・って。」
よくよく考えたら、通学路は絶望的だ。あんな手のひらサイズはある石ころを 道においてあるのはなかなか難しい・・・。捨てられたりしたら終りだ。
ん?これは学校にも言えるか・・・。ということは、ゴミ捨て場を見に行ってみよう。
・・・・・・。
がさごそがさごそ・・・・。
ない!まず、あの石自体、普通の石とさして変わりないために、 こうゴミだらけのところに置かれたとするなら、もう確実に見分けがつかないはずである。
「あうう・・・八方塞がりだ。」
しかたない。一度教室に戻ろう。
教室に戻ったところで、チャイムが鳴った。
「とほほ・・・。もうどうしようもないか・・。」
いや、まだ時間はある!少なくとも、掃除の時間に出てくるゴミがかなりキーだ。 これにまぎれてるかもしれない。あんな石だったら、このゴミ捨て場に持ってくる人もいるだろう。
・・・中庭の木陰にポイッと捨てられたらおわりだぁ・・・。
いや、悪いことは考えないでおこう。とりあえず、今はその掃除の時間にかけるしかない。
・・・でも、これでは明を待たせることになるので、ちゃんと明には言わないと。 ああ〜、結局明に言わなくちゃいけないのか・・・。
殺されるな、絶対。
明の恐ろしさにぶるっと震えながら授業を受けた。
残り少ないこの寿命・・・。ああ・・・。
授業が終わってすぐに俺は明のところへ行くために、かばんの整理を始めた。すぐに 行かなくちゃ。
そこへ勇輝がやってくる。
「おい、のぼる。わすれ・・・」
「ごめん!今いそがしんだ!」
勇輝の話も聞かず、俺は一目散にまずは明かりの教室4組へ。
明かりはのんびりと帰る用意をしていた。そこに俺はずんずん詰め寄り、 せかして一緒にゴミ捨て場へと向かう。
・・・・・・・・・。
「で、一体なんで私がゴミ捨て場にいるの?」
「さあて、どうしてでしょうか。」
「・・・の・ぼ・る!」
「はい・・・すみません・・・。」
怒られるのを覚悟で事の次第をすべて話した。
「そうなんだ〜。じゃあ、ここで待ってたら来るかもしれないね。」
明は怒らなかった。どうやら自分にも経験があるみたいで、 怒ったところで問題は解決しないということを知っていたのかもしれない・・・。
いや、見つけた後にこってり絞られるのかも・・・。
ぞ〜〜〜〜っ
早くしないと!
・・・そうこうしているうちに、掃除を終えてゴミを捨てに来る生徒がちらほら。
「よし、捨てていく中にあるかどうか見ないと。」
「うん、そうだね。」
二人で、捨てていくゴミを見ていく。
そんな時、明かりが話しかけてきた。
「・・・あのさあ、のぼる。」
「ん〜?」
「なんか・・・ものすごく・・・」
「ん〜?」
「惨めじゃない?」
「・・・。」
た・・・確かに・・・。どこぞのカップルが捨てていくゴミをじっと見たり、 あさったりしているのである。
もちろん、ゴミを捨てる生徒の視線は僕らに釘付け。
きっと周りからは、
『貧しい家の子なんだわ。』
と思われているに違いない・・・。
もしくは・・・
『最近この学校に出来たってうわさの考古学研究会の人たちよ、きっと』
などと思われているのかもしれない。
とほほ・・・。
そしてしばらくして気がつくと、大体のクラスがゴミを捨ててしまったようである。 もう捨てに来る生徒もいない。
「・・・のぼるー、ないね〜。」
「う〜ん、ないなあ・・・。」
二人とも探すのはもう諦めてしまい近くの階段にぐったりと腰を下ろした。
「困った・・・どうしようか・・・。」
「どうしようって・・・のぼる、何か心当たりないの?」
「残念ながら・・・」
「他の場所もしっかり探したの?」
「ああ、昼休みに。でもなかった。」
「う〜ん・・・他には?」
「ないんじゃない?」
「もうちょっと探してみる?」
「いや、もうないだろう・・・。」
「じゃあどうするの?」
「・・・どうしよう?」
「もう!しっかりしてよ!!」
明はプンプンに怒っている。
「すみません、俺がふがいないばっかりに・・。 うっうっ・・。」
「その通りっ!!」
ガーン!
言い切られてしまった・・・。
・・・でも、こんなことをしている場合じゃない。ちゃんと探さないと、 見つからなかったら大変なことになる・・・。
「明〜。あのさあ・・・。」
「なによっ!!」
こ、こわいです・・・。
「俺の過去を見ることは・・・出来ないんです・・・よね。」
「そんなことができたらこんな苦労はしないわよ!」
た、たしかにそうだ・・・。
「だいたい、のぼるがちゃんと石を持っておかないからいけないのよ。 あんな大事なものをなくすなんて信じられない!」
「じゃあ、明は今まで一度もなくしたことなかったのか?」
「ないわよ!」
「うっ・・・。そうですか・・・。」
だめだ。こんなことをしていても始まらない・・・。
思い出せ。何かあるはずだ。
「う〜ん・・・・・う〜ん・・・・。」
何か出てきそうなんだけど・・・。
今日、俺が家を出るとき、確か机の上に散らばっているシャーペン、消しゴムを集めて、 筆箱に入れて、教科書の類といっしょにかばんに詰め込んで、 机の上にあった石をポケットに入れて、行く用意したはず。
「・・・ん?」
そういえば、何か思い出しそう・・・。
シャーペン・・・消しゴム・・・
消しゴム!!
俺は、はっとした。
「そういえば、おとといの晩飯のとき・・・確か・・・美香・・・が!!」
そうだ!!
「おい!明!行くぞ!!」
「へ?ど、どこへ?!」
「石の場所が分かるかもしれないんだ!!」
「だからどこへ〜〜〜〜???」
俺と明は急いでゴミ捨て場を後にした。
・・・このあと、一騒動が待ってるとも知らずに・・・。
第8話 「占い」
「はあ・・・はぁ・・・。・・・ん??」
ゴミ捨て場から走ってきたのは良いけれども、校門辺りまで来てみると 明がそばにいないことに気づく。
「あ・・・。一体どこに行ったんだ・・・?」
振り返ってみると、そこには必死に走ってくる明かりの姿が。
「はぁ・・・はぁ・・・。のぼる・・・はやすぎ。」
そういえば明は病み上がりなのだった。
自分のことしか考えてなかった自分に多少いらつく。
「ごめん、明。まだ、あんまり体調すぐれないんだよな。勝手に走り出してすまん・・・。」
首を振る明。
「ううん。そうじゃないから大丈夫だよ。体調も良いし。気にしないで。」
ウソだ。
あからさまに、明の顔は辛そうだった。 いやに汗をたくさんかいてるような気もする。
そして何より・・・ 「無理すんなよ。足、がくがくしてるじゃないか。」
明の足はちょっと震えていた。
しかし、それをも笑って通そうとする明。
「だ〜いじょうぶだって。早く行こう!・・・どこか分からないけどね。」
「いや、ダメだ。もうちょっとお前の体調が落ち着いてからゆっくり行こう。 だいじょうぶ、目指すものは逃げていかないさ。」
「そうなの・・・?」
「ああ。」
たぶん・・・。そうだと願いたい・・・。
「・・・何か言った??」
「・・・空耳だろ?」
「そっか〜」
目の間にあった石垣に明と腰を下ろした。
「・・・で、のぼる、どこに行くの?」
「え〜っと、商店街の占い屋『フォーチュン』に行こうと思ってる。」
「なるほど〜!長谷さんのやってるお店ね〜。」
「ああ。」
やはり長谷さん知名度は抜群のようである。
「・・・でも。」
「ん?」
明が質問をしてきた。
「昇って長谷さんに嫌われてるんだよねえ・・。」
「・・・。」
「そんな人に答えてくれるかなあ・・・?」
「向こうも商売だろ?大丈夫だって。」
「う〜ん。そうだとは思うけど・・・。」
「今から心配しても仕方ないさ。とりあえず行ってみよう。」
だいぶん明の息も整ってきたようだ。
「で、昇?」
「ん?」
立ち上がった明が訊いてきた。
「そのお店ってどこにあるの?」
「・・・え?明、知らないの?」
「ううん。うわさで聞いたことしかなかったから。昇は・・・?」
「俺はてっきり、明が・・・。」
「・・・『明が』・・・どうしたのかな、の・ぼ・る??」
「うっ・・・。」
詰め寄る・・いや、にじり寄る明・・・。背後は・・って、俺座ってるんだった!
に、逃げられない・・・。
「あ、あはははは〜〜〜・・・」
「あははは・・・じゃないでしょ!!」
商店街に着いた俺たちは、まず「フォーチュン」を探すことから始まった。
「なんで、こんなことから始めなきゃいけないのよ!」
明はすっかりご立腹。
始めのうちは・・・一緒にゴミ捨て場を探してくれたときは、優しかったのに・・・。
俺がちょっとそれに甘えて優柔不断になってしまったばっかりに、これである。
めちゃくちゃほっぺた痛いんですけど・・・。
まったく、どうしてこんなことになるんだか。
・・・って、ヒトゴトみたいな言い方はよくないけど。
「何ぶつぶつ言ってるのよ!」
ま・・また独り言を言ってしまってるようだ。
これから独り言には気をつけないと。
道行く人に「変な人」って思われても困るし、もし大事な国家機密にかかわる 暗号とかをぶつぶつ言ってたら大変なことになるし、それに・・・。
「のぼる・・・もうすでにじゅうぶん『変な人』よ・・・。」
「・・・・・・。」
商店街を彷徨う僕の目に、一つの景色が目に入ってきた。
それは東が事故にあう交差点。
それは、血の惨劇・・・。
明にもそれを伝えておこうと思った。
「明・・・。」
「ん?どしたの?」
もうだいぶん機嫌のなおった明の目の前横切るように、俺は目の前の交差点を指さした。
「あそこで・・・明日、東は事故にあう・・ことになっていた」
「あっ・・・。」
車がたくさん往来している様子を、立ち止まって俺と明は眺めた。
もうすぐ歩行者用信号が青に変わろうというとき、またもやどこぞのおばあさんが先走って 飛び出す。
信号が変わる前に突っ切ろうとする乗用車が一台!
いや、突っ切ろうとしてるんじゃない。ここの信号機には、青の矢印信号がついてるんだ! それに間に合うように走ってきてる!
その直線状には・・・。
おばあさん! 「あっ!!」
「あっ!!」
声が重なる俺と明。
俺は思わず道路に飛び出した!
でも、おばあさんとは離れすぎてて、間に合いそうもない!
よく見たらあのおばあさん、明日轢かれるおばあさんじゃないか!!
「くそっ!」
だめだ、届きそうにない!
そのとき!!
キュキュキュキキキキーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!
ものすごい音を立てて、車が急ブレーキをする!
車は、それでも滑り続け・・・
キキキーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!
おばあさんの・・・10cmほど手前でなんとか止まった。
何事もなかったかのように青に変わる信号。
ピッポ、ピッポ・・・と何事もなかったかのように流れる電子音。
そして・・・
何事もなかったかのようにおばあさんは歩き出した。
「ええ〜〜〜〜っ??!!」
なんて、肝っ玉の据わった婆さんなんだ・・。
おれはその光景を唖然と見た。
青信号になったのに、周りの人も歩き出さない。
ただただ、その出来事があまりに突然やってきて、そして、わけのわからないまま 一瞬のうちの終わり、被害者であるおばあさんは何一つ驚かずに歩き出しているのだ。
異様な光景に、周囲の人々は息を飲み、安堵のため息を漏らした。
「・・・って!」
見てる場合じゃない。まさかこんなところで出会えるとは。 こんな好都合はない。今のうちに明日ここへ来ないよう言っておかないと!
固まっている明のもとへ駆け寄った。
「明、行くぞ!」
「・・・・。」
「だ、大丈夫か、しっかりしろ〜。」
「・・・もう!バカ!何回言ったら分かるのよ!」
そう明が言うと、明は俺を置いてスタスタとおばあさんのところまで行く。
「え・・・?俺・・・何かした?」
状況が飲み込めない俺は、明のあとをついていった。
おばあさんに追いついた明は、おばあさんの前にすっと割り入って、おばあさんと面と向かう。
「こら!おばあちゃん!ちゃんと信号は見てから歩かなきゃダメだって言ってるでしょ!」
え・・・?
明のおばあちゃん??
「ああ、そうか・・・。」
見覚えがあると思ったのは、明のおばあちゃんだったからか。
このおばあちゃん、ちょっとここからは離れた場所に住んでいるのだが、 その理由は、家のでかさにあった。はっきり言って、豪邸とかいう問題ではない。 どうやら、先祖がすごい人らしく、家には鯉やら蔵やらたくさんあって、 その昔の家のたたずまいから引っ越すことなど出来ないでいるのだ。
こうしてたまに中月市へと遊びにやってくるのである。 といっても、孫に会うことが理由の大半のようだが・・・。
「おお!明かぇ。いやあ、こんなところで会うとは、珍しいこともあるもんだねえ。」
「そんなことはどうでもいいの!あそこの交差点はねえ、青い矢印があるからすぐに 青信号に変わらないの。飛び出しちゃダメって何回も言ってるでしょ〜?!」
肝っ玉ばあさんはやはり、驚かない。
「大丈夫じゃよ。ちゃんと周りを見てから飛び出してるからのお。」
「ぜんっぜん!大丈夫じゃないよ!ちゃんと目の前の信号が青信号になってから、 歩き出してよね〜!」
「わかったわよ、明。今度からはちゃんと前を見て歩き出すからのぉ。」
「うん。・・・って、なんだか、分かってるような分かってないような 言い方だけど・・・まぁいいわ。とりあえず、気をつけなきゃダメよ、おばあちゃん!」
「ほっほっほ。わかったわい。・・・って、おお!」
そばにいる俺のことにようやく気がついた肝っ玉ばあさん。
「昇君ではないかえ!」
「久しぶりです、き・・・っく・・・。えー、おばあさん。」
あ、危うく肝っ玉ばあさんと言いかけた。あぶない、あぶない・・・。
「おばあさん・・・かぇ。」
なぜが寂しそうにするおばあさんの目。でも、それも一瞬。
また元に戻る。
「で、おばあちゃん、一体どうしてここにいるの?」
「いやぁのぉ、糸をきらしてしまって。ほれ、趣味の裁縫がこれでは出来んじゃろ? だから、買いにきたんじゃが・・・。」
「ん?買ったんでしょ?」
「それがここにある店でもきれとってのぉ。明日には入るというから、明日 また買いに来ようかと思ってのう。」
えっ?!
こりゃあ、まずいぞ!!たとえ東を救えたとしても、おばあさんが轢かれてしまったら よくないじゃないか!
「え〜っと、ですねえ、おばあさん。」
「どうしたんじゃ?」
俺は肝っ玉ばあさんに話しかけた。
「明日来ない方が良いですよ。」
「・・・ん?どうしてじゃ?」
俺はどうしようか迷った。
うそをつくべきか?真実を言うべきか?
明にまだこのことは言ってない。言ったら、明が取り乱すのは目に見えている。
しかし、うそを言ったところで信じてくれるとは限らない。中途半端なウソは 墓穴を掘るだけだ。
・・・この場合の墓穴は真の「墓穴」になってしまいそうな気がする。
やはりちゃんと言おう!
「おばあさん、明日この交差点で轢かれちゃうんですよ、止まりきれなかったトラックに。」
「えっ?!」
そう反応したのは明だった。
「・・・本当なの?」
「ああ。東はおばあさんをかばって轢かれ、死んじゃうんだ。」
「・・・。」
「・・・。」
おばあさんと明は無言であった。
それを打ち砕いたのは肝っ玉ばあさんだった。
「わしが死ぬのは、別にかまわんよ。」
「おばあちゃん!」
「じゃがな・・・」
明を無視するかのように、でも優しい瞳を明に一瞬向けてこっちを向いた。明は押し黙った。
「人に迷惑をかけるのは好きじゃないわぃ。わかった、昇君。明日は家でおとなしくしとるよ。」
よかった〜〜。本当に。
「はい。そうしてください。」
「うん、おばあちゃん、絶対家から出ちゃダメだからね。」
いや、そこまでしなくても・・・。
「あ!そうだ!」
明がパンッと手をたたいた。
「私たちが買ってくるよ、明日。だからじっとしててね。」
え゛?!私「たち」って・・。
そんな事故現場に行かなくてもいいのに・・。
あ、そうか、でないと本当に東が来るかどうか分からないもんな。念には念を入れたいのだろう。
「そうですよ、僕たちが買いに行きますから。」
「そうかえ、じゃあ、お願いするとしようかの。」
「うん!」
「はい。」
俺たちはこう答えて、軽く挨拶をして、「フォーチュン」探しを再スタートさせた。
ものすごく時間がかかるかに思われた探検作業も、案外すぐに見つけることが出来た。
それはものすごい人の行列だったからである。
「うわぁ・・・。すごい人の数だね・・・。」
「ああ・・・。」
ざっと20人は待ってるだろうか。隣の肉屋よりも儲かってそうだ。
こいつらは肉より占いが大事なのか?
と思ってしまうけれども、よくよく考えたら自分もその中にいるのだと気づく。
「なあ、明。」
「ん?どしたの?」
「俺は占いより肉の方が好きだぞ。」
「・・・??何をまたわけのわからないこと言ってるの・・・。」
もうすっかり呆れられているようであった。
とりあえず、この行列に並ぶことにした。
占いの店〜フォーチュン〜
そう書かれた看板が立っているだけの、特に何もない建物である。
・・・怪しさは十分あるが・・・。
入り口は普通の店・・・というより、これは病院だな、間違いなく。
このたたずまいは病院だ。
看板のところには「営業時間16時〜21時」と書いてある。
どうやら、長谷さん本人は病院とは思ってないらしい。「開院時間」と書いてあったら つっこんでしまうところだった。
時間帯については、うう〜む、まあ確かに学校終わってかえってくるのだからこの時間が 一番ベストかも。
「それにしても、長谷さん偉いよなあ。これって、一人で切り盛りしてるんだろう?」
明に訊いてみた。
「うん、そうみたいよね。ほんと偉いよね〜。自分で学費稼いでやってるんだから。」
「ほんとすごいな。」
親はいるのかどうか気になったけど、こんなことを訊いて良いのか分からなかったし、 何よりそんなことを訊きに今日やってきたわけではないので、長谷さんにはそのことは 訊かないでおこう。
今の時刻は・・・おお!もう3時56分。いよいよだな。
そう思ってると・・。
ぎぃ・・・
扉が開く。
長谷さんが開けたのだろう。ちゃんと人の体が見えたのでよかった。でも、顔は 見えなかった・・・。
並んでる人は、前から順番に入っていく。
「・・・って!!」
俺は明に耳打ちした。
「普通、こういうのって、一人ずつ入るものなんじゃないのか?!」
明も動揺を隠せないらしい。
「う・・・うん・・・。たしかに、そうだよねえ・・・。」
小声の会話は、周りの人にも聞こえてないだろう。というより、 なぜみんなそんなに落ち着いて対応できるのか、非常に気になった。
「みんな、人生に病んでるんだなあ・・・。」
「ははは・・・。」
俺の言いたいことを察知したのか、明が苦笑をもらした。
入り口までやってくると、そこには数字の書かれたカードがおいてある。 100近くまで綺麗に並んでいるが、20までのカードがない。
みんな一枚持っているところを見ると、きっとこれを数字の若い方から順に持っていくのだろう。
俺は21を、明は22をとった。
一体何に使うのか?
そう思ってると明かりが訊いてくる。
「これって、何に使うの?」
俺は首をかしげながらこう答えることしか出来なかった。
「なんだろね?」
「もしかして・・・。」
「ん?」
「案外これも占いのうちの一つだったりして・・・。」
「ま、まさか・・。『今日21のあなたは、これから1週間便秘に悩まされるでしょう!』とか?」
「・・・例えが汚いよ、昇。」
明の視線が刺さる。すみません、今日、こんなところに来るハメにあったのも全部僕のせいです・・・。
中に入ると、俺のさっきの思いは確実なものとなった。
そう、ここは病院なのだ。
着いたのは、待合室・・・。
雑誌も置いてあるけど、なんだかあやしいオカルト雑誌・・・。
室内は微妙に涼しかった。8畳ぐらいの待合室。そこに並んでいるごくごく普通のソファー。
そして、異様に暗く、それでもかつて病院だったことを彷彿とさせるリノリウムと 独特の雰囲気が、多少ここが現実世界であることを俺たちに認めさせていた。
「しかし、こんなに暗かったらオカルト雑誌なんて読めんぞ。」
俺のつぶやきは明には聞こえなかったらしい。
待合室には、いろんな人がいる。
俺たちのような高校生、年配の方々。頭の禿げ上がったサラリーマンに、 仲よさそうなカップル。
みんないろんな悩み相談事を抱えてるんだなあ・・・と思うと、なんだか ちょっと寒気がした。
「俺も、この仲間入りか・・・。」
トホホ・・。
待合室ということもあり、履いているのはスリッパ。
歩くたびに「ペッタンペッタン」と独特の音が鳴り、異様な世界はさらに異様な世界へと 変貌をとげる。
そんなこんなしているうちに、待合室は人でいっぱいになってしまった。
後のほうから来た俺たちには、もちろん座る場所はない。それでも人でいっぱいになってしまう。
「はあ〜〜〜。すごいね〜〜。満員御礼だね〜。」
明はひたすら感動していた。
そんなとき、ひときわ怪しい奥のドアから声がする。
「一番のカードをお持ちの方、どうぞ〜。」
別に普通の声。特に怖いわけでも、低いわけでもなかった。
・・・言うなれば、普通の女子高校生の声というべきだろうか。
しかし、この雰囲気で漂うその声は、逆に普通すぎて恐ろしく思えた。
待合室にある大きな振り子時計が4時を告げる。
「ボーン!」
びくっ!!
と、体をはねさせる待合室一同・・。
「なんだ・・・みんな普通に怖がってるじゃないか・・・。」
ちょっとだけ、俺は安心した。
みんなと一緒に、体をびくつかせながら・・。
そして、頭の禿げたサラリーマンがすくっと立ち上がり奥の扉へと向かう。
奥の部屋が開くと、もわ〜とドライアイスの煙が奥の部屋からこぼれて待合室へと入ってくる。
しかし、それは僕の足元に届くまもなく、すっと消えてしまう。
その様子があまりに怖く、ちょっとひいてしまった・・・。
何より怖いのが、「あの」奥の部屋であろう。どう考えても、この部屋よりはるかに 浮世離れしている。
なんだか、心配になってきた・・・。
そのとき、
「つんつん」と服のそでを引っ張る明の姿が目に付いた。
「ん?」
と訊いてみる。
「あの部屋・・・さ。」
「なに?」
「入ったら出てこられないんじゃないの?」
「・・・。」
「・・・。」
俺と明は固まった。
占いというのは、一人どれくらいかかるのだろうか? 3分と仮定しても自分の所に来る頃には1時間たっている。6分なら 2時間だ。
う〜ん、わからん・・・。
こんなことなら美香にいろいろ情報アドバイスを受けておけばよかった。
長谷さんと友達なのなら、いろいろと知っているだろうに。
でもまあ、こんなことになるとは昨日まで、いや、今日の昼休みまで分からなかったわけだし。
しかし、一体いくらぐらいかかるのだろう?
確か、美香は昔・・・
『一人の相場はおおよそ1000円だって。でもね、お客さんによって値段を釣り上げたりするらしいよ。』
って、おい!
長谷さんと仲の悪い(良くない)俺なら・・・
『(人差し指を一本高く上に向けながら)あなたは・・・1万円です!(←想像図)』
などと言われかねない・・・。
ぞ〜〜〜っ!!
急いで財布を取り出してみると・・・
「ええ〜っと・・・8211円かあ・・。」
とりあえず、もし人差し指を高く上にあげられたときには、ここに住み込みで働くしかないだろう。
「・・・もう、そうなったら俺は平和な日常生活には二度と戻れないかもな。」
「・・・何言ってるの、のぼる・・・?またわけのわかんないことを・・・。」
明もこういうつっこみは慣れたものだ。
そうこうしていると、あのドアからさっきのサラリーマンが出てきた。
「よかったね、のぼる!ちゃんと生きて出てこれるみたいだよ!」
「あ・・・ああ。」
あたりまえだ!とか言うことも出来ずにいた。
なぜなら俺も真剣にそう思ったから・・・。
しかし、もっと驚いたことがあった。それは・・・
「げっ!あのサラリーマン、泣いてるぜ・・おい・・・。」
「うわぁ・・・本当だねぇ・・・。」
す・・すごい占いなのかも・・・。もしかしてこれは・・・。
1:激痛を伴う、足裏マッサージ占い
2:涙が止まらなくなる目薬をさして、その様子を見て判断する目薬占い
3:実は長谷さんは尼さんで、ありがたいお説法に涙を禁じえない、お説法占い
「わたしは、3番だと思うな〜。」
「でも、3番はすでに占いじゃない・・・って、なんで人の選択肢を勝手に選んでるんだ!」
「だって、また昇、ぶつぶつ言ってたよ。」
「・・・。」
もう、絶対何もしゃべらない。(というか、思わない。)
さっきのサラリーマンは、入って1分ぐらいで出てきた。しかし、次の人は 5分ぐらいかかってた・・・。いったい、どんな占いなんだろう・・・。
でも、確か美香は、おととい・・・
『消しゴムがどっかに飛んでいっちゃってなくなったのよ。で、長谷ちゃんに「見つけて!」って 頼んだらそれを長谷ちゃんがすぐに「見て」くれてね、であっというまに見つけてくれたの。』
・・・ということはどうやら、1と2は違うようだ。
なら、可能性として一番高いのは・・・やっぱり・・・
「3番か・・・。」
「でしょ〜〜?」
「って、3番は説法だぞ!占いの入る余地すらない選択肢だぞ?」
「だから面白いんじゃない〜。」
「うっ・・・た・・確かに・・・。でも、1分もかからずに終わる説法なんて あるのか?」
「うっ・・・。それは・・たしかにそうよねぇ・・・。」
こんなバカな推測ばかりをしているうちに、気がつくと声は、
「次〜17番の方〜」になっていた。
時間は・・5時前であった。
「ああ、案外早かったなあ」
「うん、そだね。」
気がついたら、二人とも空いている席に座っているのだった。
「つぎ〜、21番の方〜。」
呼ばれた。
俺と明は同じ内容のため、一緒に奥の部屋に入る。
恐る恐る開けた「あの」ドア・・・。
後ろには明がぴったりとくっついている。
一体何度垣間見たことだろう、この部屋を・・・。
それも、あの扉の隙間から・・・。
しかし、見えるのはドライアイスの煙ばっかりだったのだった。
いま、その中にいる。
と、そのとき、後ろで、扉が閉まる。
「ぎぃ・・・がちゃっ」
びくっ!
ぴったりくっついている明から衝撃が伝わってきて、俺までびっくりしてしまう。
そのとき、
「どうぞこちらへ・・・。」
長谷さんの声にいざなわれるかのように、前に進み出た。
俺はとりあえず、周りをじろじろ見渡す。
まず、足裏マッサージ用の棒とベッドはないか。
・・・ない。
1番却下・・・。
つぎに、目薬と、それを嫌がったときのための、頭を固定する器具はないか。
・・・これもない。
2番却下・・・。
じゃあ・・・。
目の前に長谷さんが見えてきた。スモークが多少晴れてようやく姿かたちが見える。
長谷さんの前は大きな水晶があった。でもそれ以外は何もなかった・・・。
ベッドも目薬も、お経も・・である。
ちょっと振り返ってみた。
どうやら、スモークをたいているのはドアの上っ側らしい。つまり、スモークの滝が 待合室から診察室(?)を見えないようにしているのだった。
正面を向いた。
長谷さんは・・・
学校の制服のままだった。
そして・・・髪の毛が・・・
・・・ある。
3番却下。
どうやら、この3つのうちのどれでもないらしい。
明と1時間にも及ぶ邪推は、見事崩れ去った。
長谷さんと目が合う。どうやら、向こうも俺のことを認識できたみたいだ。
「あ・・・あなたは・・・!」
「よう。」
「こんにちは、長谷さん。」
「・・・一体なんの用ですか?」
ものすごい、つっけんどうな言い方である。
でも、なぜかわざとらしく感じたのは気のせいか・・・?
つっけんどうな言い方・・・、それは俺に対して。彼女の目線がそういっている。
冷たい・・・とかいう問題ではない。
相手にしたくないオーラが体中からあふれているのだ。
明に対しては、別に普通なのに。
「一体何の用って・・・。まぁいいや。とりあえず、探してほしいものがあるんだ。」
「・・・わかってます。」
「えっ?!」
俺の驚きを無視するかのように、長谷さんは話し始めた。
「なくした石についてどこにあるのか教えてほしい・・・のでしょう?」
「・・・それなら話が早い。ぜひ見てくれ、頼む。時間がないんだ。」
長谷さんは突然下を向いた。
「・・・お・・とり・だ・い」
「え?何って?」
「おひきとりください!」
そう叫ぶと、長谷さんは立ち上がって奥に消えていこうとした。
「・・・って、おい、ちょっと待ってくれよ!」
立ち止まる長谷さん。でも、こっちを決して向かない。
「どうして、何も言ってくれないんだ?これがお前の商売じゃないのか?」
商売をぶら下げて相手に話しかけるなんて、最悪だ・・・。
でも、今は仕方ない・・・。
俺の言葉に、ぴくっと動く長谷さんの体。
長谷さんは立ち止まったまま、ゆっくりとしゃべり始めた。
「・・・高橋先輩・・あなたは人生と占い、どちらを選びますか?」
「・・・は?」
一瞬、長谷さんの言葉に体が止まる。
質問の意味が分からない。
「何を言って・・。そりゃあ、人生を選ぶだろう・・・?」
「だから・・・私も同じなんです。」
そういうと、また、消えていこうとする。
「ちょっと待て!それじゃあ、意味がわからなさすぎる! もっとちゃんと説明してくれなきゃ、俺にはわからない!」
「お願い、長谷さん!友達の命が、おばあちゃんの命がかかってるの!お願い!」
明の叫びに長谷さんは立ち止まる。そして、こう言った。
「・・・もうあの石にかかわらないでください。」
また、長谷さんは歩きだした。
「・・・そうか、あの石に何か秘密があるんだな?」
俺の言葉に、ぴたっと、また長谷さんの足が止まった。
「・・・そうです。」
「・・・つまり、あの石はお前にとって面白くない、と?」
「・・・はい。・・・でも・・・」
長谷さんは振り返った。
「そういう問題じゃないんです。」
長谷さんの顔を初めて直視した。真っ白で、とても綺麗な肌・・・顔立ち・・・。
美しいというよりも、神秘的という言葉のほうが格段に似合いそうだった・・・。
「じゃあ、一体・・・。」
「・・・これ以上、あの石にかかわらないでください。」
「それじゃあ、わからない。ちゃんと説明してくれないと。」
「説明しても、たぶん信じないでしょう。それぐらいのことなら、 一度自分で身を持って体験した方がいいんですよ・・・。」
「・・・おい。『それぐらいのこと』って、言い方はなんだ?・・・いいかげんにしろよ。」
俺は、煮え切らない態度に腹を立ててしまった。
明日には、友達が死んでしまうのかもしれないのである。恋人のばあさんまでもが 下手をしたら死んでしまうかもしれないのだ。それなのに、この態度は許せなかった。
「おい!友達が明日死んじまうかも知れないってのに、なんだその言い草は! もっとお前も言うこと言えよ!でないと、わけわかんねえ! お前は、人が死んでしまうっていうのに、それを見殺しにできるのかよ!」
「・・・じゃあ、あなたが死なないようにしてあげたら良いじゃないですか。 誰が死んでしまうのか、わかってるんでしょ? だったら、張りつけてでもそうならないようにしてさしあげたら良いのではないですか?」
「・・・・・!!」
こ、こいつ・・・
「私は忙しいんです。終わったら、さっさと出て行ってください。」
「き・・貴様・・・!」
俺がつっかかろうとした瞬間、明の体が、いや、明の背中が目の前にあった。
そして・・・
パシィィッッッ!!!
目にいっぱい涙をためた明の手のひらが、真っ白な彼女の頬をとらえていた・・・。
「・・・。」
無言の長谷さん・・・。
でも、長谷さんの目からも涙があふれ出ていた・・・。
「いいかげんにしてよ!私達は、真剣にあの子の命を救いたいの! それなのにあなたの態度は何?!それがあなたのとるべき態度なの?!!」
明の悲痛な叫びに、こっちに向き直る長谷さん。
「私だって・・・・。」
少しの沈黙。一滴、こぼれた。
今まで無感情だった長谷さんが一気にまくし立ててくる。
「わ、私だって、こんなこと言いたくない!!でも・・・でも、こういう風にしか 言いようがないの!」
「こういう風にって・・・。」
明はちょっと戸惑った。あまりの変わりようにどう対応していいのかわからないといった感じだ。
「それに、あなた!分かってるの?!」
俺に向き直って彼女は話す。・・・いや、そんな「話す」などという穏やかなものではなかった。
「あなたのせいで、一体どれだけ多くの未来が変わったって思ってるのよ! 私だって・・・あなたが一体どんなことをするのかは見えない・・・。 あなただけは未知なのよ!だから、あなたがとる行動で、未来は大きく変わっちゃうのよ! 私の商売も、あなたのせいでめちゃくちゃなのよ!」
むかっ!
何てこと言うんだ、こいつ!
こんなことを言われるために今日は来たんじゃない!
「じゃあ、なんだ?お前は自分の商売のためだったら人をも見殺しにするってのか?」
「そんなこと言ってるんじゃない!あなた・・・自分が一体何をしているのか、 ぜんぜん分かってないのよ!」
「ああ、分からないさ。君が何も言ってくれないから・・・。」
「・・・。」
「・・・。」
「・・・。」
少しの沈黙。呼吸を整えた長谷さんがゆっくりと話し始めた。
「私が今、言えるのはあの石にはもうかかわらないで、っていうことだけ・・。」
「・・・おい、お前、まだ分からないようだな・・。」
「違うの!」
時折見せる長谷さんの感情。でもそれはさっきのドライアイスの煙のように、 見えてもまるで始めから何もなかったかのように消え去ってしまう。
「え?!」
「あなたは、だんだん気づいてきてるのよ・・そのことに。その石の秘密にについて・・・。」
「・・・なんだって?」
俺が訊くと同時に長谷さんは立ち上がってまた立ち去ろうとした。
「でもね・・・」
長谷さんは自分から立ち止まってこのように優しく冷たく言った。
「もう、遅いみたいなの・・・。もう、私の力じゃどうしようもない・・・。 たとえ私が今、すべてを話してもきっとあなたは石を使うのをやめない。 石と関わろうとしてしまう。あの悲劇の石に・・。だから、自分で気づいてほしいの・・・。」
「自分で・・って、おい!」
「・・・もう、遅いのよ・・・。」
そういって、歩き出した。
「あの石はね・・・。」
「おい!!」
今度は歩みを止めない。
「あなたの身近な人がちゃんと持っててくれてるわ。明日にはあなたの下に心配しなくても帰ってくる。 石に関わらないで、っていっても、自然にあなたのところへ戻っちゃうのよ、石が・・・。」
彼女は奥へと消えていく・・・。
「でもね、これだけは覚えておいて・・。その石を使い続けるとどうなるのか、 未来を変えるということがどういうことなのか・・・。あなたはそれをもう知ってるはずよ・・・」
「待ってくれよ!」
「『逃げちゃダメ』・・・・・」
もう姿が、闇にまぎれてしまった・・。
「おい!!!!」
返事はなかった・・・。
ただ、声だけが聞こえてきた・・・。
「お代は、さっきのビンタにしとくわ、松山先輩。久々に、目が覚めました。」
明は何も言わなかった・・・。
しばらくして、もう長谷さんが出てこないと確認すると、俺と明は「フォーチュン」を後にした。
・・・俺と明は店を出るまで一言もしゃべらなかった・・・。
俺たちが店を出た後の店内・・・。
「あれでよかったのですか・・・?」
「ああ・・・本当はもう石には関わってほしくなかったが・・・。仕方ない。 石が彼の元に戻るのが分かってしまった以上、そして、『歯車』が再び狂い始めた今、 石を取り上げてしまっても意味はないだろう・・・。」
長谷のそばに男が一人・・・。
「しかし・・・。」
「お前には辛い思いをさせてしまったな、長谷君。」
「いえ・・・。久々に目の覚めるビンタなんて受けましたから、良かったですよ。」
くすっと長谷は笑った。
「私から、注意しておこうか?・・・娘に。」
「いや、そんな。いいですよ。それに・・。」
長谷は居住まいを正した。
「あなたがここにいること、言ってもいいのですか?」
「そうだったな・・・。いや、すまない。」
「いえいえ。」
「・・・もう、時間がないようだな。」
「・・・はい。」
「では私はそろそろ、家に帰るとするよ。」
「分かりました。」
「君も商売の方を続けてくれたまえ。」
「はい・・・。」
「じゃあ。」
そういって男は奥へと姿を消した。
「ふぅ・・。つぎ〜!23番の方〜!」
第9話 「事故」
俺の目の前に広がるのは、商店街の風景。
でも、そんなものは目に入らなかった。
通り過ぎる店、犬と散歩しているおっさん、だいぶん傾いた太陽、そして辺りに漂う 赤い景色。
俺はただただ歩いていた。
ただただ、空虚な感情だけが心を満たす・・・。
なんなのだろう、この気持ち。
それは、隣にいる明だって同じことだろう。
・・・石は帰ってくるのだという。しかも、今それは身近な人が持っているのだとか。
『あなたの身近な人がちゃんと持っててくれてるわ。明日にはあなたの下に心配しなくても帰ってくる。』
この言葉を信じるなら・・・の話だが。
しかし、明日のいつだろう。早くしてくれないと、間に合わないのに・・・。
そして、何より気になるのが、そのちょっと前の言葉・・・
『あなたは、だんだん気づいてきてるのよ・・そのことに。その石の秘密にについて・・・。』
一体どういうことだ・・・?
俺は一体何を気づいているというのか?この石について何を気づくというのか?
『あなたがとる行動で、未来は大きく変わっちゃうのよ!』
『あなたのせいで、一体どれだけ多くの未来が変わったって思ってるのよ!』
・・・未来が変わる。
それは、俺がこの石を使うときにいつも必ず付きまとう不安材料だった。
「それで良いのか?」
「本来あるべき未来ではないのではないか?」
「俺はしてはならないことをしているのではないか?」
・・・しかし、未来が見えるといっても本当にあるべき未来というのは現実問題として 一つに定められない。
俺が何もしなかった場合のみ、それが「あるべき未来」と定義するのだとすれば 俺は余計なことをしていることになる。
それを長谷さんは怒っていたのだろう。
それはつまり、俺が「運命にいたずらをするもの」だから・・・。
でも、いたずらされた運命もまたそれはそれで一つの運命ではないのか?
俺が何もしなかった場合のみあるべき運命なのだとしたら、 俺はこの運命には組み込まれていないのかもしれない。
この石のもう一つの力・・・それは「俺を運命から解き放つ能力」・・・といえるだろう。
つまり俺は運命の外から運命を操り、本来あるべきもの・進むべき道を変えていくのだ。
この二つの能力が少なくとも俺の知っている、あの石の能力・・・。
・・・でも、これで何がいけないのだろう?
普通の人は、俺のとる行動などまったく普通と変わらないように思うはずである。
ということは、おれが運命をいじっていることなど気づくはずもない。
つまり、普通の人はどんな未来がやってきてもそれが始めから与えられている「運命」であり、 俺がいじろうがいじるまいが受け止める「運命」という形に何一つ変わりはないのだ。
・・・分からない。
なんで、
『・・・もうあの石にかかわらないでください。』
などと彼女は言ったのだろう・・。
きっと自分の商売があがったりになるだけではないはずだ。
でないと、彼女は泣いたりしないだろう。
「今は、まだ言えないのかなあ・・・。」
赤い空を見上げる。
もうすぐ夏のやってくる、赤い空・・・。
今の俺には、あまりにその「赤」は生々しかった。
今日一日が終わろうとしている。
それを告げるその赤さに恐ろしささえ感じられた・・・。
耐え切れすに前を向く。
釈然としないこの気持ちをどうすれば良いのか・・・。
「石は帰ってくるから良いといえば良いのだけれど・・・。」
そういえば、母さんの話まで今日が木曜だからあと4日。
・・・長い、この1週間長すぎる。
・・・明は一体、今何を思ってるんだろう・・?
明の表情を伺おうと、隣を見たら・・・
って、あれ??
「あ、明ーー??」
明は俺の後ろの方で、お散歩中のウエルシュコーギーとじゃれあっていた。
その光景は、すさんでいた俺の心を、なぜか優しく満たしてくれるようなほほえましい光景だった・・・。
「どこから来たの〜??へぇ〜〜!う〜〜ん♪かわいいねぇ〜〜きみぃ〜〜〜。そ〜!そ〜なんだ〜〜」
明はウエルシュコーギーが大好きである・・・というより、犬全般が好きらしい。
よくああやってしゃべっているのだが、実は本当に犬とお話できるのかもしれない・・・。
俺はいつも不思議だった・・・。
・・・・・・・。
「どこから来たの〜??」
『ちょいとそこからさ』
「へぇ〜!う〜〜ん♪かわいいねぇ〜〜きみぃ〜〜〜。」
『よく言われるよ。これでも、犬の世界では貴公子って呼ばれてるんだぜ』
「そ〜!そ〜なんだ〜〜」
・・・・・・・。
あ・・・ありえなくもない・・・。
わけの分からない妄想に浸ってると、明がその犬を連れていたおじさんに挨拶をして こっちにやってきた。
「ごめんね〜。待たせちゃって。」
「いや、いいよ。」
二人並んで歩き始めた。
「かわいかった〜〜!」
「・・・。」
「・・・ん?どしたの、のぼる?」
「・・・犬の貴公子は・・・どうやって犬の貴公子に選ばれたんだ?」
「う〜ん、『世界!犬の貴公子杯争奪決定戦!』なんてのがあるんじゃないのかな?」
「・・・え゛?!そ、争奪ッ?!」
「な〜んてね!じょ〜だんじょ〜だん!」
「まったく・・・。ふふふ・・・。」
「??どしたの、のぼる?」
「なんでもないさ。」
・・・自然に笑みがこぼれていた。
さっきまでの気持ちが、犬と明のじゃれあう優しい風景・・・何気ない明の冗談に すっかり癒されていた。
俺の気持ちをくみ取ってくれたのか・・・。
こいつには、感謝してもしきれそうにない。
「なあ、明。」
「ん〜?」
「ありがとな・・・。」
「ん?別に何もしてないけど・・・?」
「だからいいんだよ。」
「・・・??よく分からないけど・・・とりあえず、どういたしましてッ♪」
いやな気分で帰らずにすんでよかった・・・。
・・・でも、心の中は相変わらずぐちゃぐちゃだ。
根本的原因は何一つ解決していない。
俺は・・・また再び「フォーチュン」を訪れなくてはならないような、そんな気がしていた・・・。
明を家まで送る。なんといっても、こいつは体調があまりよくないのだ。
今日一日連れまわしてしまったことをちょっと後ろめたく思いながら、家まで送り届ける。
「ただいま〜。」
「お邪魔しま〜す。」
ちょっとだけ上がらせてもらった。まあ、別に明の家の前で「ばいばい」でもよかったんだけど・・・。
でも、玄関で帰るつもりだ。
長居は迷惑だし。
そう思っていると、
「あら〜、いらっしゃ〜い、昇君。上がって上がって〜。」
「いや、もう御飯時ですからご迷惑ですし、すぐに帰りますので。」
時計を見ると、もう6時を回っている。
そういうと満子おばさんはちょっと残念そうな顔をした。
「あらぁ、そうなの〜。別に気を使わなくても良いのに。」
「いえいえ。僕ももうすぐ家で晩御飯ですし。体調があまり優れないのにお嬢さんを 連れまわしてしまってすみません」
ちゃんとこういうことは言っておかないと。
「そんな気を使わないで良いわよ。この子はそんなことで倒れちゃうようなやわな子じゃないから。 ものすごく強いのよ〜。この間なんか・・・」
「おかあさん!」
「ふふふ、そうね、昇君の前だもんね。」
・・・い、一体何があったのだろう・・・。
明の顔は今日の夕暮れみたく真っ赤だし・・・。
気になるが・・・こういうときは聞かないほうが得策だろう。
相場はそうなっているもんだ。
・・・たぶん。
そうしていると奥から人影が・・・
「誰かお客さんかぇ?」
こ・・・この声は・・・
「おばあちゃん、帰ってたんだね。」
肝っ玉ばあさん!
「帰ってたよ。で・・。」
肝っ玉ばあさんがこちらに向き直る。
「む!昇君、何か言ったかぇ?」
「い゛?!・・・い、いや、空耳でしょう。」
「そうか・・・。いやあ、年をとるとどうもいかんねえ。」
「はっはっは・・・。そうですね・・・。」
「・・・そうですね、とはどういうことかぇ?」
「い゛?!・・・いやあ、おいてますます元気という意味で・・。」
「そうかえそうかぇ。」
一応に納得してくれたようだ。
危ない危ない・・・。
そんな様子を不思議そうに満子おばさんが見つめていた。
「あれ?おばあちゃんと昇君たち、もうすでにどこかで会ってきたの?」
明が答えた。
「うん。商店街でばったり出会ったの。」
「そうだったの〜。」
そうこうしているうちに他愛ない話が盛り上がってしまった。
「おっと!もう帰らなくちゃ。」
時計を見ると、もう6時30分。
「なんじゃ、昇君、今日はゆっくりしていけばいいじゃろうに。」
肝っ玉ばあさんは寂しそうにそう言った。
「でも、家に御飯がありますし。今日はこの辺でおいとまさせていただきます。」
「そうかぇ。それじゃあ、しかたないの。また来るがええぞ。」
「はい。また来させていただきます。」
俺が玄関のドアノブを押して帰ろうとしたそのとき、ドアが思いっきり引っ張られて ノブが一瞬のうちに向こうへ移動する。
「えっ!ええ〜〜〜〜っ!うわ〜〜〜!」
ドアに乗せようとしていた重心は行き場を失い、体を前につんのめさせる。
前には・・・ドアが開いたせいで、何も支えるものがない。
つまり・・・。
ビタッ!!!!
俺は玄関で漫画に描いたようにこけて、うつぶせに倒れてしまった。
「い・・・いた・・ひ・・・。」
「大丈夫?のぼる?!」
明が駆け寄ってくる。といっても、1mも距離はないが。
ゆっくりと立ち上がると、申し訳なさそうに覗き込んでくる顔があった。
それは・・・
「信雄おじさん・・・・痛いですよ・・・。」
たぶん、おでこは真っ赤だろう。
「すまない、昇君!まさか君がここにいるとは思わなかったんだよ・・・。 大丈夫かい?」
「・・・はい、一応・・・。」
かなり痛いけど・・・。
「いつものくせで、玄関のドアを思いっきり引っ張ってしまって・・・。 すまない、許してくれ。」
「別に怒ってないから、いいですよ、そんな・・・。」
「もう、お父さん!何度言ったらわかるのよ!玄関のドアはそんな速く開けるために 作られたものじゃないんだから!!昇がかわいそうじゃない!」
怒ってるのは、俺じゃなくて明だった・・・。
しゅんとなる信雄おじさん。
「いやあ、そんなに怒らないでくれ。ほら、このとおり、悪かったから、明。」
手を合わせて明に謝っていた。
いやあの、僕が被害者なんですけど・・・。
「・・・今度から気をつけてね。」
「わかったよ、明。」
いやあの、僕が・・・。
「って、急がなきゃ!」
もう6時40分だ。
「そう、じゃあ今日はすまなかったね。」
「いえいえ、おじさん。ではまた。」
ん?今日は?
・・・なぜかこの言葉が心に引っかかったような気がした。
急いで家に帰ったら、ちょうど御飯時だった。
「ふう。ただいま〜。」
「おかえり〜。」
どうやら、美香も母さんもいるようだ。
御飯を食べて、ちょっとくつろぐ。まだ、風呂に入る気にはなれない。
美香がそばにいたので、ちょっと長谷さんのことについて聞いてみることにした。
「なあ、美香。」
「ん?なに?」
美香はバラエティー番組に必死だ。
俺の質問なんて、上の空。
「長谷さんってさ、いつもどんな感じなんだ?」
「う〜ん、物静かだよぉ〜。」
「他には・・?」
「・・・。」
「おい。」
「・・・。」
「聞いてるか??」
「ちょっとお兄ちゃん、うるさい〜。あっち行ってて。今面白いんだから。」
「・・・はいはい。」
今何っても無駄のようだ。下手に怒らせたら何も言ってくれそうにないし。
「あ、そういえば・・・。」
「ん?」
「勇輝先輩がお兄ちゃんに用があるって言ってたよ。」
「・・・わかった。」
あいつが一体何の用だろう。まあ、ろくなもんではない気がする。
ま、いっか。
とりあえず今、長谷さんの事をこのまま無理に聞き出すのはよくないだろう。
今は引き下がるのが得策だと心得た。うんうん。
などと、一人でうなずきながら部屋に戻った。
風呂にも入ったし、後は勉強して寝るだけ。
「いよいよ明日は・・・あの日だ。」
そういえば、一応、東に電話しとくかな。やっぱり何があるか分からないし。
そう思って、電話をかける。
プルルル・・・プルルル・・・
ガチャッ
「はい、東ですけど♪」
どうやら、本人が出たようだ。
「ういっす。高橋です。」
「あ〜、昇〜♪どうしたの〜?」
昨日のことをもうあまり気にしてないようだ。ひどいことしちゃったもんなあ。 切られても仕方ないかなあ、と思ってたんだけど、これなら話しやすい。
「いや、な、明日だろ?だから、その最終確認さ。明日は家に帰ったら絶対に出ない。 それだけは守ってくれ。」
念には念をいれて、こうしておこう。これが一番良いと思われる。
「分かってるよ♪家から出ないから。それだけは守るよ〜。」
「・・・たのんだぞ。」
「はいはい♪」
「じゃあな。」
「うん。ありがとね〜。」
手短に電話を切って、勉強することにした。
あいつの感じだったら、大丈夫だろう。
きっとそれ以前に孝が何か手を打つに違いない。
・・・いや、純粋な東のことだ。孝を悲しませるようなことはしないだろうから、 孝が一言「家から出るなよ」って言うだけで、何があっても出ないだろう。
・・・どうせ孝のことだ。言ってるに違いない。
まあ大丈夫だろう。
それよりも勉強だ。
なんといっても俺は受験生なんだが・・・
今の俺の生活を見て受験生と思う人はほとんどいないだろう。
「勉強はしたいときにするもんである。」
などという妙な哲学を掲げてみたりもするけれど、結局そんなことをいってるやつは 落ちちゃう気がするので、いやいやながら勉強する。
勉強するときは環境を快適にしたきゃ。
ピッ!ウィィィィンン・・・
クーラーも付けてよし、がんばろう!
・・・・・・・。
どれくらい経っただろうか。
もう時間は12時30分だった。
じゃあ、寝るか・・・。
ん〜〜〜!!
っと、大きな背伸び。
そんな時、またあのアルバムが目に付いた。
おもむろに引っ張り出す・・・。
・・・。
・・・・・。
・・・・・・・。
写真を眺める。が、やっぱり、始めの方の写真がいくつか思い出せない。
「これ、いつ撮ったんだろう・・?」
「こんなところに行ったのかなあ・・・?」
「母さんも親父もやっぱり若いなあ・・・。」
親父・・・一体どうして死んでしまったんだろう?
3年前に思いをはせる。
それはものすごく突然の出来事だった。
避けようにも避けられなかったのだろうか?
前日まで、いつもどおり元気だった。
その日もいつもどおり朝食を食べて、会社に行くからと、それを見送る母さんとともに 親父は玄関まで歩いていた。
その時だった。
どんっっっ!!!
ものすごく重い荷物を崩れるように地面に放り出したらこんな音がするのだろうか。
聞いたこともない鈍い、重い音・・・。
その瞬間、
『きゃああーーーー!!!あなた、あなたーー!しっかりしてーーー!!!』
・・・・・・。
・・・・・・。
もう、そこからは無我夢中で覚えていない。
気がつくと、病院だった。
あまりに走ったのだろうか、重いものを抱えたのだろうか、精神的に疲れていたからだろうか、 そのときひざが今までにないほど笑っていた。
俺は、あのときの感覚が今でも忘れられない。
異様なまでの疲労感と、吐きそうになるほどの緊張感。
そして、親父が手術室から出てきてから母さんは容態の説明を受けて、それを俺たちに 説明してくれた。
一言『お父さんはガンなんだって・・・』。
かあさんの様子は俺たちが何か言うことを全く許さなかった。
ただ、「ガンなんだ」・・・。
その事実だけが突きつけられた。
ひどく頭にこびりついた・・・。
でも、俺はそんなことは信じられなかった。
・・・入院して1週間で父は死んでしまったから。
倒れてから二度と目を開かぬまま、親父は死んでしまった。
何一つ苦しむこともなく、ただ、ただ、安らかに、それはあまりに安らかに死んでいった。
あの、何一つ思い残すことのないような笑顔・・・死んでしまったときのあの笑顔が 忘れられない・・・。
だからこそ、俺は信じられなかったかも知れない。
『親父はガンで死んだんじゃない。』
そう思い込むことで、少しでも父親の死から目をそむけたかったのだろう。
とりあえず、俺は・・・そう信じてきたし、今も信じている。
でも、今は親父の死をしっかりと受け止めている。
それでもやはり、父親の死は疑わしかった・・・。
・・・・・・・。
・・・・・。
・・・。
そんな親父は、今なお俺の中で山ほどの疑問に満ち溢れている。
毎週日曜には必ずどこかへ出かけていた。
親父が日曜に遊んでくれることなど、一切なかったといっても良いぐらいである。
一体何をしていたのだろうか?
そして、親父が死んでしまったあと、同じような行動をとる母さん・・・。
なにを隠しているのだろうか。
俺には分かりそうもない・・・。
とりあえず、アルバムをもう一度ぱらぱらと眺めてみた。
・・・あれ?
「この写真、前は思い出せた気がするのに・・・どうなってるんだろう? 思い出せない・・。」
これも・・・
これも・・・。
「あれ?なんでだろ・・・?この似たような2枚の写真は確か・・どこに行ったときだったっけ?」
「なんで似たような2枚の写真があるんだろう・・・?」
う〜ん・・・思い出せない・・・。
「まあ、疲れてるんだろう・・。」
そう自分に言い聞かせて、漠然とした不安をこのアルバムと共にはさんで元の場所にしまった。
「さて、じゃあ寝るか・・・。」
電気を消して、ベッドに入る。
深く深く・・・意識が体と共にベッドに沈んでいくのが分かった・・・。
また・・・夢を見るのだろうか・・・?
寝ていながらこういうことを思う時点で、俺は100%夢を見ていると思う。
だんだん視界が明るくなってくる。
「ここは・・・。」
もう夢だと分かってるから、自由に動ける。
『ねえ、おにぃちゃんってば!』
美香がずんずんこっちに迫ってくる。
「おい、ぶつかる・・・ぞ・・・!って・・・」
前にもこんなことがあった気がする。俺は目をつぶる代わりに、横によけた。
美香は俺のいた場所を通って、もう一人のところへ行く。
それは・・・。
昔の俺だ。
『ねえ、これなに〜?』
『しらねえよ、そんな石。・・・でもおい、美香。その石よく見せてくれないか。』
いつか見たことのある夢。そう、あれは授業中の夢か・・・。
・・・・・。
この後過去の俺と美香が言う言葉は分かってるけど、もう俺は言わない。
「2回」も当てても仕方ないし。
そう、第一なんで「2回」も同じ夢を見なくちゃいけないのか・・・。はぁ。
どっかに穴、あいてないかなあ・・・。
飛び降りたら、目が覚めるのに・・。
『この石、軽すぎないか?』
『え、言われてみればそんな気もするわね。』
『それ、あとでよく見てみるから、今は片付けようぜ。』
片づけを再開する過去の俺と美香。で、ここはやっぱり省略されるらしい。
ふと気がつくとリビングにいた。
『この石どこで見つけたんだよ?』
『おもちゃ箱だよ』
『軽すぎるし・・・何よりこんな石があるのが不思議だ。そう思わないか?』
『うん・・・そうだよね。こんな石をおいておく必要はないもんね。』
『こんな石があるなんて知ってたか?』
『うん、知ってたよ。』
『私の小さいときから、私が物心ついたときにはすでにあったよ。でも、お父さんとお母さんが 大事な石だから大切にしまっておきなさい、って言ってたよ。』
そして、石をいじり始めて・・・美香に例の賭けをする過去の俺。
『・・・なあ、美香』
『何?』
『賭けをしないか?俺が今からお前の忘れ物を当ててやる。』
『はあ?何言ってるの?いよいよ頭がおかしくなったの?』
『お前なあ・・・』
『なによ。』
『まあ、別にそれでもかまわん。とりあえず、お前の忘れ物を当ててやろう。』
『で、当たったらどうなるの?』
『お前が晩御飯を作る。』
『絶対いや。大体そういう風に言うときには、自分に確証があるときじゃん。 絶対ヤだね。』
『いや、これは聞いといたほうがお前のためになるぞ。』
『またうそばっかり。』
『本当だ。』
『はいはい。まあ、このままだったらかわいそうだから、話ぐらい聞いてあげるわ。で、なに?』
『おい、お前宿題があるのを忘れてるんじゃないか?』
『・・・あ〜っ!そうだった!!ありがとう!明日の先生怖いんだよ〜。やってなかったら 絶対怒られちゃう・・・』
ドンドンドン・・・
美香は部屋へと急ぎ・・・
『あ、あんにゃろ・・・!!』
ぱたん。
・・・諦めた過去の俺は、再び石をいじりだす。
『もしかして、この石は・・・』
『未来が見えるのか・・・?』
えっ?!
こんなせりふ、前回の夢で見てないぞ!!
なんでだ・・・?
あ・・・そうか。あの現代文のヤローに起こされたからか・・・。
つまりここから先は・・・
俺の知らない・・・いや、知ってる、知ってるけど・・・知らないところ。
『そう考えるのが妥当だろうなあ・・・でも・・・』
『こんなこと、聞いたことないぞ、俺は。』
確かに・・・。未来が見えるなんて御伽噺もいいところである。
『・・・でも、美香ので実験して、自分でその力を体験してしまったわけだし・・・。』
そうなのだ。自分で体験してしまったことは否定しようがない。
『う〜〜ん。あっ、そうだ。』
『あの美香のせいで、俺が晩御飯を作らないと・・・。母さん遅くなるって言ってたし。』
いそいそと調理にかかる、過去の俺。
このときは、親父が死んで1年後のこと。料理もだいぶんできるようになっていた、はず。
・・・ちゃんと上手に作っていた。よかったよかった
美香と2人で晩御飯を食べる。
『で、あの石のことなんだけど、おにぃちゃん』
『ん?』
美香が切り出してきた。
『あの石ね、父さんたちが、大事なものだから、って言ってたのもあったんだけど、 ちょっと変なことがあって』
『なんなんだ、一体?』
『いや、あのね、あの石をよく父さんが持ち出してたの。』
え?!
『ふ〜ん。』
『で、それが毎週日曜だったの。』
おいおい・・・。
『何でそんなこと、お前が知ってるんだ?』
『おもちゃ箱をあさってる父さんを一回見ちゃって。で、何をしてるのかなあ〜って 思ったらあの石を取り出してたの。そういえば、おにぃちゃんはおもちゃ箱におもちゃをしまわなかった もんね。』
『ああ。あんなところにしまったら、どこに何があるか分からなくなるからな。』
『だからって、おもちゃを陳列しなくても・・・』
『ああすれば、一目瞭然だろ?』
『でも片付けなさい!ってよく怒られちゃってたよね・・・。』
『まあな。』
俺はどんな子供時代を送ったんだか・・・。
「それはともかく、父さんが毎週日曜日に持ち出してたとは・・・。」
父さんが一体何を日曜日にしていたのか、気になる・・・。
いまさら調べようもないけど。
いや、母さんなら知ってるだろう。
しかし今、母さんが日曜に石を持って出かけてないところを見るとそれもなんともいえない気がする。
とりあえず父さんと石の関係が見えてきた。
『あ、そうそう、さっきの宿題、ありがとうね』
『いや、別に。お前が晩飯を作らなかった以上、意味はないさ』
『うっ・・・。わかったわよ、明日の晩御飯は私が作るから・・・』
『よろしい。いい心がけだぞ、美香君』
『ぶー』
そんな話を横で聞きながら、俺はリビングに放置されていた石を見に行こうと 足を踏み出した・・・
そのとき!
「・・・えっ?!穴???」
ひゅぅぅぅぅううう〜〜〜〜
「とほほ・・・。こうやってしか目をさませられないのね。今度から、絶対 足元見て歩いてやるぅぅぅぅううう!!!」
落ちながら、俺は叫んだ・・。
がばっ!!
・・・・・・。
もう、この目覚めにもなれたものだ。
何も驚くことなく、普通に朝食を食べ、学校に行く用意をする。
・・・でも食欲がない。精神的になぜかかなりやられているのが自分でも分かる。
いつもの半分も食べずに、いつもより早く家を出て、いつもよりもゆったりと歩き、 いつもどおり明を迎えにいって、登校する。
「あ!おはよ〜〜〜!」
「ああ、おはよ。しんどくないか?」
自分もしんどいけれど、明の体調の方が心配である。
「だ〜いじょ〜ぶよ!」
そうはいうものの明はやはりしんどそうな感じだ・・・。
「無理すんなよ、絶対に。ダメだと思ったら、休むんだぞ。」
「分かってるって。」
どうも俺の周りには、人の忠告をあまり聞いてないやつらが多い気がする・・・。
これって気のせい?
いや、たぶん明は心配してほしくないんだろうな。
あんまり言いすぎないほうがいいかも。
「じゃあ、行くか」
「うん!」
俺たちは普通に登校した。
でも、俺の頭の中は一体誰が石を持ってるのか・・・本当に東は助かるのか・・・そして、 長谷さんの言った言葉の意味はなんなのか・・・。さらに長谷さんの言ってたことは本当なのか・・・。
それらでいっぱいだった・・・。
謎が謎を呼ぶ状態・・・。
混沌というのはこういう状態をいうのか・・・。
ますます食欲が失われていくのがよく分かる。
このときから俺は何かを予感していた・・・。
学校に着いて教室に入ると、勇輝がそばにやってくる。
「おおやっと来たか。おはよう。」
「ああ、おはよう。」
「そうそう、のぼる、お前に渡すものがある。」
「ん?」
そういうと、席にいったん戻りかばんをごそごそ探した後、服の中に「それ」を隠しながらやってきた。
「なんだ?そういう本なら要らんぞ」
「ちがう!!これ、これ。お前、昨日昼飯食べてるときに落としたみたいで、俺が拾っといたんだ。」
周りには見えないようにそっと渡してくる。
そうそれは・・・
「おまえ・・・これ・・・。」
そう、あの石だった。
「ちゃんと誰にも見つからないようにしておいたから、安心してくれよ。」
「・・・お・・・お前が持ってたのか〜〜〜!!」
「大きい声を出すな!!朝っぱらから!」
俺は思わず声を張り上げてしまい、教室中の注目の的になる。きっと2つ隣の4組、つまり 明のクラスまで聞こえてしまったに違いない・・・。
でもまあ、これで明も気づいただろう。うんうん。
「ああ・・・すまん。ずっと探しててな。大変だったんだ。」
小さめの声でしゃべる。
「昨日帰る時に渡そうと思ったんだけど、お前があまりに急いでるって言うんで 俺が大事に保管しといたんだ。」
そういえば・・・
『おい、のぼる。わすれ・・・』
『ごめん!今いそがしんだ!』
・・・・・・・・。
あ。
そうか、あのときの「わすれ・・・」は「忘れてるぞ、これ。」だったんだな、きっと。
「いや、本当にありがとう。これがなくなったら大変なことになっていた。 やっぱ石があると安心するなあ・・・。」
石を手で握ってみる。
ドクンッ!!
心臓が・・・はねた!
「―――――――!!!!!!!」
「んくっ・・・!な、なんだ、これ・・は・・・。」
意識が・・・薄れる・・・
目の前が真っ暗に・・・。
「――――――――――――――!!!!!!!!!」
情景がフィードバックする・・・。
・・・・。
・・・・・・。
・・・・・・・・。
『でも・・・いっつも持ってたら・・・特に 学校なんかに持ってきたら余計になくしてしまわないか?』
『そうかもしれない・・・。でも、なくしてしまったらと思うと、逆にいてもたってもいられなくなるの。 だから常に持っておくことで、少しでも不安をなくそうとしていたのかも・・・』
・・・・・・・。
・・・・・・・。
『もう、遅いみたいなの・・・。もう、私の力じゃどうしようもない・・・。 たとえ私が今、すべてを話してもきっとあなたは石を使うのをやめない。 石と関わろうとしてしまう。あの悲劇の石に・・。だから、自分で気づいてほしいの・・・。』
・・・・・・・。
・・・・・・・。
『あなたの身近な人がちゃんと持っててくれてるわ。明日にはあなたの下に心配しなくても帰ってくる。 石に関わらないで、っていっても、自然にあなたのところへ戻っちゃうのよ、石が・・・。』
・・・・・・・・。
・・・・・。
・・・。
目の前が・・・見えてきた。
「はぁ・・・はぁ・・・。」
ここは・・・どこだ・・・?
あ、学校・・・か。
でも、なんで天井が目の前に・・・?
「だ、大丈夫か、のぼる!」
「・・・へ?」
「お前、めまいみたいに一瞬で倒れちゃったんだぜ!」
「ああ・・・。」
俺は何とか立ち上がって、自分の席に座る。
周りのやつもみんなこっちを見てるようだ・・・。でも、 俺が無事と分かり、みんなまたいつもどおり騒ぎ出した。
「でも、一瞬で起き上がったけどな。」
「・・・つぅ。くらくらする・・・。」
そこへうわさを聞きつけた明が飛んできた。
「高橋くん!大丈夫?!」
かなり心配そうな明。
心配かけちゃ悪いな、これは。
「ん〜、ああ。なんとか生きてる・・・。」
「よかった〜。私より体調悪いじゃない。」
「そんなことはない・・・って、『より』??やっぱり、お前体調悪いんじゃないか!」
後ずさりする明・・・。
「あ・・・あうう。そ、それじゃね、のぼる!」
明は俺の無事を確認すると(質問されそうになると)一目散に逃げて行った。
それをみて、勇輝が一言。
「やるなあ、松山・・・。」
「感心するな・・・あいつは無理してるんだ。本当はしんどいのに・・・。」
「そうなのか?」
「ああ・・・。ふとした瞬間にあいつが見せる表情でな・・・わかるんだよ・・・。」
だいぶんましになってきた。・・・呼吸もほぼ整った。
そんなとき、東と春日がやってきた。
先に声をかけたのは勇輝だった。続いて俺もかける。
「ういっす。二人とも。」
「おはよう、東、孝。」
「あ、おはよう♪」
「おはようさん。・・・って、おいのぼる、お前めちゃくちゃ顔色悪いぞ!」
孝がすぐに気づく。
「ああ・・・ちょっと花畑に行ってきた。」
「は・・・?何ゆうてんねん・・・。花畑って・・・」
「ねぇねぇ♪そこ綺麗だった〜〜?」
まるでそこに行ってみたそうな言い方の東に勇輝が突っ込む。
「って、おいおい東、東がそこに行くのにはまだ早すぎるぞ。」
「・・・・。」
「・・・・。」
「・・・・。」
「・・・・ど、どうしたんだ、3人とも??」
勇輝の東に対するつっこみに、固まる3人・・・。
それをみて焦る勇輝。
「・・・おい、のぼる。まだ、勇輝には言ってないんか?」
「ああ。言ってない。っていうか、言うのを忘れてた。」
「さよか・・・。まぁ、ほな俺から言おか。あんな、勇輝。実はな・・・」
・・・・・・・・。
孝の説明に勇輝は納得したようだった。
で、
「ごめん、東!俺何も知らずに大変なことを言ってしまって・・・」
平謝り。
「いいよ〜。気にしないで♪別に、今日が私の命日だ〜、って決まったわけじゃないからね〜。」
「・・・・。」
「・・・・。」
「・・・・。」
「・・・あ、あれ?暗いなあ、みんな♪もう〜。」
この状態で明るく出来るような精神力があればなあと思うのは、俺だけではなさそうだった・・・。
「あ・・・。」
そうだった、思い出した。
「東、未来を見せてくれ。確認したいんだ。」
「うん、いいよぉ〜♪」
・・・・・・・・・・。
・・・・・・・。
・・・・。
『きっとあなたは石を使うのをやめない。石と関わろうとしてしまう。』
―――――――――――ドクンッ!!!
「っく・・・。」
『だから』
「・・・うるさい・・・やめろ」
『だから・・・』
「・・・ヤメロ・・・」
『だから・・・・・・』
「やめろぉぉぉおお!」
『自分で気づいてほしいの・・・。』
―――――――――――ドクンッ!!!
「・・・っく、はぁ・・・はぁ・・・」
大丈夫、ちゃんと心を落ち着けて・・・。
俺は・・・おれは・・・、東を、俺は見る!!
手に握られた石から、まるで何かの力が流れ込んでくるかのよう・・・。
目をつぶった中にはっきりと映る東が消えて・・・
・・・未来が見えた!
俺は、ゆっくり目を開けて現代世界へと帰ってくる。
「どうなんや、のぼる?」
「・・ああ。これで大丈夫だ。」
「本当♪よかった〜。それにしても、ものすごい汗かいてるねえ・・・。」
「あ?ああ、大丈夫、大丈夫だから・・・。」
いやな汗だった・・・。
授業も終わり、今日は明とばあさんの糸を買いに行かなくちゃいけない。
家にいったん帰って、明の家の前で待ち合わせることにした。
すぐに帰って、制服を着替えて明の家に向かう。
家の前で明は待ってくれていた。
「おまたせ、明。じゃあ行こっか。」
「うん、れっつごー!」
俺と明は商店街に歩き始めた。
「で、どの糸を買うか、分かってるのか?」
「うん。1本もらってきたから大丈夫だよ。これとおんなじ糸を探すの。」
目の前に、ぷらん、と一本の糸がたれる。
色はピンクとも赤ともいえないその中間の色。細さはなかなか細い。これはすぐに切れてしまいそうな 細さだ。
「なかなかこの細さの糸ってないんだって。これは、プロでも扱いが難しい シロモノらしいよ。」
「へえ。さすがはあのばあさん。やるなあ・・・。ん?待てよ。ということは 一般人はなかなか買わないよな。じゃあなんで売り切れになったりするんだ?」
「そのお店にずっと問い合わせてたんだって。で、ようやく入るというから取りに来たんだけど、 またちょっと延びちゃった、というわけらしいよ〜。」
「じゃあ、今日取りに行っても無い確率って・・・。」
「おばあちゃんは5分5分だって言ってた。」
肝っ玉ばあさん!ちゃんと連絡あってから取りに行かせてくれよ!!
「はあ・・・そうか。」
まあ、仕方ない、行こう。
そうこうしている間に商店街の中に入っていた。
3時30分ごろの買い物の時間帯ということもあり、かなりの人がいる。
それでも、休日で無いだけまだましだ。
休日となると大変なことになる。
「店は・・・こっちらしいよ。」
明の道案内について行く。
一応場所は聞いているようで助かった・・・。
そうしてると、赤信号で止まる。この交差点は・・・
「ねぇ、のぼる、ここって・・・。」
「・・・ああ、そうだ。」
東が事故にあうはずだった交差点だ。
「・・・。」
「・・・ねぇ、のぼる、いつ来るの、そのトラック?」
「わからない。正確な時間は知らないから。でも、東が家に帰ってすぐに出てきて、で、 轢かれるから・・・もうすぐだと思う。」
「そっか・・・。」
「ちょうどここから、東は飛び出したんだ。明のおばあさんをかばおうとして。 そしたら、あの右折する青色矢印信号に間に合わそうとして 走ってきたトラックに・・・。」
「・・・。」
明はちょっと首を出して目の前を横断する道路を覗き込んだ。
左からはそんなトラックはまだやって来そうに・・・。
「―――!!ねえ、もしかしてあれじゃない?」
俺も一緒に左側を覗き込んだ。
「あ・・あれだ・・・。」
俺は周りを見渡した。
東は・・いない。
肝っ玉ばあさんも・・・いない。
ほっと胸をなでおろす。
「よかった・・・いないな。」
「うん。これで大丈夫だね。」
そう思って喜んだ。
思いっきり交差点につっこんでくるトラック。
よくみると、荷台には鉄骨などが積んである。
交差点にはもちろん誰もいない・・・。
ほっと胸をなでおろした・・・。
・・・しかしそれはあまりにつかの間だった・・・
右折青色矢印信号にかろうじて間に合ったトラック。
目の前をすぎ、交差店内を右折しようとする。
・・・が!!
スピードを落とすにも距離がなくて落とせない!!
そのままのスピードで曲がる!!
そんなに大きくない交差点でそれは無理だ!!
「あっ!!!」
ぐらつく車体・・・タイヤがアスファルトから離れる!!
そして・・・
『あなたのせいで、一体どれだけ多くの未来が変わったって思ってるのよ!』
どがしゃゃゃぁぁぁぁあぁああああんん!!!!
聞いたこともない轟音と共に、まるでおもちゃのようにトラックが転がる!
曲がりきれず転がった先には信号待ちをする人たちが!!
鉄骨と車体がそこに突っ込んだ!!!
きゃぁぁあああああ!!
うわぁあっぁあああああああ!!!!
飛び散るガラス片。
散乱する鉄骨。
そしてそれによって無残にも潰されてしまう人々・・・。
一瞬にしてそこは血の海と化した・・・。
『た、たすけてくれぇええええ!!!』
『救急車だ!救急車を早く呼べ!!』
『ママ!!ママ!!!!!うわぁぁぁぁああああああ!!!!』
『ぐぼっ・・・じ・・じぐじょぉぉおおお・・・。』
俺は・・・見ていることしか出来なかった・・・。
トラックが突っ込むところも、人をなぎ倒し潰していくところも・・・。
「俺が・・・俺が・・・・。」
「のぼる!早く助けに行かなくちゃ!」
「・・・・・俺の・・・・・・だ・・」
「ねぇ!のぼるってば!!!」
俺は地面にひざからぐったり倒れて、四つんばいで必死に耐えた。
「のぼる・・・?のぼる!!しっかり!しっかりしてよ!!のぼる!!!」
「俺の・・・俺・・・の・・せいで・・・・。」
俺のせいなのか??
俺が東を助けたから・・・?
俺のせいでもっとたくさんの人が・・・?
東を見殺しにしておけばよかったのか・・・・・・??
『あなたがとる行動で、未来は大きく変わっちゃうのよ!』
「う、うわぁぁぁああああああ!!!!」
俺は、叫ぶことしか出来なかった・・・。
俺を抱きかかえる明・・・。
「のぼるのせいじゃないよ!のぼるの・・・せいじゃ・・・!!」
「わあああああああああ!!!!!!!俺の・・・・おれの・・・・・。」
明の俺を抱きしめる力が一層強くなる。
「ちがう!!!そうじゃないよ!のぼるの、のぼるのせいじゃないよ! ・・・そんなに自分を責めちゃダメだよ!!」
「あ゛あああ゛ぁぁぁああああぁぁあああああ!!!!!!!」
「のぼるっ!!!!!!」
『あなた・・・自分が一体何をしているのか、ぜんぜん分かってないのよ!』
少し・・・少しだけ・・・分かったような気がした。
でもそれを知るためにしては、あまりに大きく、あまりに辛い代償だった・・・。
まだ明るい世界・・・。
―――7月6日金曜日午後3時32分26秒―――
夕方には程遠かった・・・。
でも、そこだけは確実に・・・
「この世の終わり」という夕闇が近づいていた・・。
第10話 「もう一人」
どうなってるんだろう・・・。
いろんな音がする・・・。
とりあえず、救急車の音だけは耳から離れなかった。
俺は・・・。
俺は・・・何を・・・
俺は何をしてるんだろう・・・。
ただ、ぼうっと眺めていることしか出来なかった。
その光景を。
その惨事を。
あと、明の声が聞こえる。
でも何を言ってるんだろう・・・。
何か体を抱きしめられているようだ。
耳元で明の声がする・・・。
俺は・・・。
俺は・・・何を・・・
俺は何をしてるんだろう・・・。
「・・・る・・。」
え?何?
「・・・ぼ・・・・・る・・・・」
聞こえないよ。
「のぼ・・・る!」
俺を・・・呼んでるのか・・・?
「しっかりしてよ!のぼる!!!」
途端に現実へと引き戻される。
目の前にあったのは・・・
あの光景・・・。
あの惨事・・・。
たくさんの救急車・・・。
そして、明だった。
耳元で明の声がする。
「大丈夫!のぼるのせいじゃないよ!!落ち着いて、落ち着いて・・・。」
優しい・・・明の香り・・・。
頭を抱え込むように何度も何度もなでて、落ち着かせようとしてくれる。
俺は力いっぱい抱きしめていた。
そして自然と、叫ぶのはやめていた。
そのかわり・・・
涙が止まらなかった・・。
声も出さずにひたすら涙を流した。
いや、声が出なかった・・・。
「大丈夫・・・大丈夫・・・」
明の優しさに包まれて、次第に落ち着きを取り戻していくのがよく分かる。
「私が一緒にいるから・・・だから安心して・・・大丈夫だから・・・。」
しばらくこうしていよう・・・。
どれくらい時間が経っただろう?
それでも、救急車がまだまだやってきている。
・・・だんだん状況が頭の中で整理できてきた。
「あ・・・明・・・。」
声が出た。
「どうしたの?!のぼる?!」
「あ・・ありがとう・・・もう・・だいじょうぶ・・・。」
「・・・うん・・・。わかったよ・・・。」
明のぬくもりと香りがふっと消える。
それだけで取り乱してしまいそうにまで俺の心はずたずたに引き裂かれていた。
明は俺から離れ、目の前にいる・・・。
ようやく周りが見えてきたが、よくよく見てみると、こんな状況で女性に抱きかかえられ 叫ぶ男・・・、注目を集めないわけがなく、人垣とまではいかないにしても事故を 物見遊山しに来た人たちが遠巻きにこっちを見ていた。
明も恥ずかしかっただろう。それにもかかわらず、俺を抱きとめていてくれた明の優しさに 心がつぶれそうになるくらいうれしかった・・・。
「行って・・・みよう・・・。」
「大丈夫・・・?今は見ないほうが・・・。」
「いや、いいんだ・・・。逃げちゃダメだから・・・。」
なぜかこのとき、俺は石を持つことによる悲劇を素直に受け止められそうな気がしていた。
逃げちゃダメ。
自分に言い聞かせながら凄惨な現場へと一歩一歩近づく・・・。
心はズタズタだったが、体は大丈夫なようだ・・・。
足取りは重くても、何とか歩ける。
「見るも無残」とはこういう状況のことを言うのだろう。
救急車におおよその人が乗せられて、現場に被害者はほとんどいなかった。
ただ、足を少しすりむいたなどの軽症の人が最後に乗っていくところだった・・・。
しかし・・・
目の前の地面には、一面の赤・・・。
そして、ものすごい臭気・・・。
「うっ・・・っく・・・。」
この世のものとは思えないその状況に、俺は胃から上ってくる酸っぱい液体を 必死に飲み込むのが精一杯だった・・・。
「・・・。」
明も声を失って立ちすくんでいる・・。
そんな時、周囲の人の話し声がかすかに聞こえた。
「7人は救急車が来た時点で死んでたらしいわよ・・・。」
「なんでも、買い物途中の子供連れの親子が事故の犠牲者の大半だとか・・・」
「親が目の前で潰されてしまうところを目撃してしまった子もいるとか。」
「ひー、悲惨・・・。」
胸が締まる・・・。
心が苦しい・・・。
頭が二つに割れる・・・。
そうしていると、現場検証でも始めるのだろうか?
救急車と同じぐらい早く来ていた警察が、集まってくる人々を追い返し始めた。
ロープが張られ、ビニールシートが事故を覆いつくす・・・。
でも、そのせいで逆に俺の網膜にその光景が、 まるでカメラのように焼き付けられてしまうことになった。
あの色・・・あの臭気・・・。
二度と忘れられないに違いなかった・・・。
「のぼる・・・。」
「俺は・・・大丈夫だ・・・。」
「・・・。」
「取り乱してしまって・・・すまなかった・・・。」
「ううん・・・。いいよ・・。」
これからどうすればいいのか・・。
警察が追い返すなか、俺たちも一緒に追い返される。
マスコミも集まってきた。
ここにいては、事件について聞かれてしまい、あの状況を何度も克明に 思い出さなくてはいけなくなる。
それだけは避けたい・・・。
でも・・・。
まだ帰りたくなかった・・・。
「明・・・。」
「ん・・・?」
「ちょっと話をしないか・・・?」
「うん・・・。そうだね・・・。」
どこへともなく歩き始める。
「あ・・そうだ。その前に買っておかないと・・。」
「何を買うの、のぼる?」
「ばあさんに糸を買ってやらないと。」
「今はいいよ。」
「だめだ。頼まれたことはちゃんとしないと・・・。」
「・・・のぼるはいいの?」
「俺が買いに行こうって言ってるんだぜ?」
「そうだね。じゃあいこっか〜。」
俺たちは裁縫道具の店へと行き、無事糸を買った。
もう俺はしっかり歩ける。
逃げちゃダメ。
そう自分に言い聞かせながら・・・。
今は公園にきている。
ほとんど人気のない夕暮れ間近の公園で、ベンチに座る高校生二人。
「・・・。」
「・・・。」
何を話せばいいのだろう。
「ねぇ、のぼる・・・?」
「ん?」
「ここ、暑くない?」
「た・・確かに・・・。」
ベンチの上にある日よけは、この時間になるともはや何の意味もなさなかった。
「私の家で話そうよ。そのほうがゆっくりできるし、日に焼けなくてもすむし。」
「・・・迷惑じゃないか?」
「別にかまわないよ。」
公園に着いて、あっという間に公園を後にした。
「おじゃましま〜す。」
「ただいま〜。」
松山家の玄関を開ける。
「おかえり〜。あら、いらっしゃい、のぼるくん。・・・って、大丈夫、昇くん? 顔色悪いわよ?」
「ははは・・・。大丈夫ですよ。」
うぬぅ、満子おばさんに一発で見透かされてしまった・・・。
「じゃあ、お母さん、部屋に行ってるね。」
「はいはい。あ、それだったら、明。ちょっと・・・。」
「ん?わるいけど、のぼる、先に私の部屋に行っててくれる?」
「ああ、わかった。」
明は満子おばさんとリビングの方へ消えていった。
・・・俺は明の部屋の前までやって来た。
おとといも入ったこの部屋に入る。
がちゃり
ばたん
・・・入ったのはいいけれど、何をすればいいのだろう?
明が来るまで、何を話すのかあれこれ考えることにした。
・・・今なら、だいぶん落ち着いて話せる。
あれから時間も経った。
なにより明がそばにいてくれる。
「大丈夫だ」
・・・逃げちゃダメだ
今日何度目かのこの言葉を心の中で繰り返す。
この言葉をあいつが言ったのは、このためだったのか・・・。
・・・今は真剣に事件のことだけ考えよう。
とりあえず・・・
この出来事を直視して、やはりあれだけの事故が起こったのはどう考えても俺のせいだ。
いや、俺が直接的な原因を作り出したんじゃない。
俺がいじった運命がこのような結果を導き出したんだ。
これだけは疑いようもない。
もう、取り乱したりしないから大丈夫だ・・・。
現実を直視できる。
あの時、彼女が・・・長谷さんが言ってたことはこのことだったのか・・。
「言いたかったのは『未来を変えるということがどれだけ罪深いことなのか』ということ だろうな。」
『あなた・・・自分が一体何をしているのか、ぜんぜん分かってないのよ!』
この言葉が、何回も頭の中を回る・・・。
「でも・・・」
じゃあ、僕は東を見殺しに出来るだろうか?
このことを知って見殺しに出来ただろうか?
いや、それは無理だろう、どう考えても。
俺にそんなことは出来ない。
なら、こうなることを見ていても同じ結果が得られたはずである。
・・・ただ、ものすごく悩むだろうけど・・・。
なにはともあれ、情報が少ない。
今分かってるのは、「俺が運命をいじったせいで東は助かったが、他にたくさんの 人が死んでしまった」ということ。
そして、「こうやって運命を変え続けると、何かが起こる」ということ。
でないと、長谷さんは昨日あそこまで取り乱したりしないだろう。
それに、こんなことも言っていた。
『でもね、これだけは覚えておいて・・。その石を使い続けるとどうなるのか、 未来を変えるということがどういうことなのか・・・。あなたはそれをもう知ってるはずよ・・・』
・・・俺は何も知らない。
そんなことを知っているとは思えない。
だが、何かが起こるということは確かのようだ。
「もう一度、フォーチュンに行ってみるか・・・。」
彼女がまともに話してくれるとは思えない。でも、少しでも情報が得られるのなら 行ってみるべきだろう。
・・・母さんに訊いてみるのもいいかもしれない。こうなったら月曜まで待つ必要性も だんだんと薄れてくるような気がする。
が、まずは長谷さんの言ってる謎を解く方から始めるのがよさそうだ。
そうおもってると・・・
がちゃり
部屋のドアが開いて、明が入ってくる。
「おまたせ〜、のぼる〜。ちょっとおばあちゃんに糸渡してたりしたら時間かかっちゃって・・・。」
そういって、アイスティーとお茶菓子を持って入ってきた。
「いや、いいよ。考え事してたから・・・。」
「あ〜!!また自分だけで考えて・・。」
そう言いながらアイスティーとお茶菓子を載せたお盆を部屋にある丸机の上におく。
「・・・で、どんなこと考えたの、のぼる?」
俺の前に、丸机をはさむようにして座りながら明はそう言った。
「明との結婚生活について考えてた・・・。」
「ふーん・・・。って、え〜?!」
めちゃくちゃ驚く明。
・・・そ、そんなに驚かなくても・・・。
「冗談だ。」
「・・・なんだ・・・冗談かぁ。」
「ん?何か言ったか??」
「なんでもないよぉ〜。でも、そういう冗談が言えるようになったってことは だいぶん回復したんだね。」
「ああ、もう大丈夫だ。事故について、石について、直視してみた。」
「・・・辛くない?」
明の優しい言葉に、ものすごく甘えたくなる・・・。でも・・・
「辛いといったらウソになる。でも、そうばっかりも言ってられないような気がするんだ。」
「逃げちゃダメ・・でしょ?」
「えっ?」
ちょっと驚く。
「昨日、長谷さんが言ってたよね。これって、やっぱりこのために言ったんだよね。 彼女には分かってたんだよ、こうなることが。」
「やっぱり・・・こういうことが、『未来を変える』っていうことのしちゃいけない理由なんだろうな。」
「うん・・・。でも、悪いことばっかりじゃないでしょ? 良いことも起こせるんだよ。」
「・・・それはそうかもしれない。でも、なんかそれだけじゃないような気もするんだ。」
アイスティーに手を伸ばす
「何でそう思うの?」
ゴクッゴクッ
俺はアイスティーを勢いよく飲んだ。
・・・やけにのどが渇く。
「あいつがそう言ってたじゃないか。」
「『この石を使い続けたら〜〜〜』ってやつ?」
「ああ。」
「う〜ん、確かに・・・。」
「・・・とりあえず、俺、明日にでも行ってみるよ。」
「どこに?」
「フォーチュン、さ。」
「・・・。」
「ちゃんと口をきいてくれるかどうか微妙だけどな。」
明の目が真剣になった。
「私も行くよ。」
「いや、俺独りで行ってくる。お前は体調もあんまり優れないんだから・・・」
現に公園から帰ってくるとき、ふらふらしていた。
「ううん。行きたいの。」
「俺なら大丈夫だから。お前まで何かあったら、心配で仕方ないじゃないか・・・。」
一呼吸おいて、明がしゃべる。
「・・・あのね、のぼる。私ね、このうちの人間じゃないって言ったよね。」
「ああ・・・。」
「昨日長谷さんと目が合ったとき、見えちゃったの、長谷さんの過去が。」
「・・・。」
「長谷さんのそばにね、お父さんがいたの。」
「えっ?!」
俺は驚いて明を凝視してしまう。
明の目は澄みきっていた・・・。
俺の過去までは見えない、明の目に俺の顔が映る。
「お父さんだけじゃなかった・・・。昔は翔おじさんもいたんだよ。」
「お、親父が?!」
「その3人で何か話してるの。話してた内容は・・石についてだった・・・。 そして、そのとき石を持ってた私について・・・。」
「・・・。」
「だからね、あの子なら私の本当の親を知ってるかもしれないの。 訊いてみたいんだ・・・。」
真剣な明の目は、俺に否定を許さないほど強いものだった・・・。
「そうか・・。わかった・・。でも・・・、辛いことが待ってるかもしれないぞ。」
なぜこんなことを言ったのだろう?そんな確証もないのに。
でも、なぜかそんな気がして仕方なかったのだ。
「大丈夫だよ。私強いから、のぼるよりもね。」
「そうか。じゃあ、大丈夫だな。」
「うんうん!」
「でもな、体調だけは気をつけろよ。最近、お前しんどそうだから・・・。」
「わかってるよ。無理はしないから〜」
「といっても、お前は無理するからなあ・・・。」
「しないって言ってるで・・・あっ」
明の体を抱き寄せる。丸机をはさんでいても、小さな丸机だからちょっと横に体をずらせば なんてことはない。
「・・・もう少しこのままでいさせてくれないか?」
「うん・・・いいよ。」
明の顔が、俺の顔のすぐ横にあった。
明のいい香り・・・。
絶対俺はこいつを失わない。
そう堅く心に誓った・・・。
いい知れぬ不安を払拭するために・・・。
家に帰ったら、臨時ニュースをやっていた。
美香はそれに釘付けである。
「おにぃちゃん、おにぃちゃん!!あの中月商店街で死亡事故があったんだよ!! しかも8人死亡だって!!」
「・・・ああ、知ってる」
知ってるというか、実際に見てる・・・。
「な〜んだ、知ってるのか・・・。」
美香はつまらない、といった感じで再び視線をテレビに戻した。
それにしても・・・
「さらに一人亡くなったか・・。」
心で冥福を祈ることしかできない自分が歯がゆかった・・・。
御飯を言葉少なめに食べ終えて、自分の部屋に戻る。
母さんは心配していたが、俺が「大丈夫だ」と言ったらそれ以上心配することも なかった。
というより、何か見透かしたような感じで、
「ふぅん、わかったわ。」
って言ったのが、微妙にいらついた。
こっちは真剣に大変だってのに、一体あの言い草はなんだ?!
そう思ったけど、母さんは本当に俺の悩みすら見透かしてそうだから 何か言うのはやめておいた。
石についての造詣は確実に母さんの方が上のなのだから。
自分の部屋に戻っても何もする気が起きなかった・・。
ただ、寝ていることしかする気が起きない。
いくら「大丈夫だ」って言っても、やはり心のきずの大きいことを実感する。
あんな状況を目の前に見せられてしかもそれが自分の行為によるものだということを 分かっていながら、のうのうと暮らせるような精神の太さを俺は持ち合わせていない。
というより、そんなことの出来るやつは心が死んでしまってるといえるだろう。
俺は、本当にどうすべきだったのだろう・・・。
過去について悩んでも仕方ないけど、やっぱり悩む。
何度目かの悩み・・・。
そんな時・・・
プルルルル・・・プルルルル・・・
電話が鳴った。
「はい、もしもし高橋ですけど・・・。」
美香が出たようだ。
声が聞こえる・・・。
「はい・・はい・・。あ、おにぃちゃんですね。ちょっとお待ちください。」
呼ばれるな、こりゃ。
「おにぃちゃ〜ん!でんわ〜〜!」
「わかった、でる。」
部屋から出て、受話器を持ち上げる。
ガチャリ 「はい、もしもし。」
「の、のぼるか?!大変なんや!!!」
この大阪弁・・・孝か。
「大変って、ど、どうしたんだ?!」
孝の声は切羽詰ったものがある。俺の言葉も自然とその調子になっていた。
「今すぐ来てくれヘんかっ!?」
「来てくれ・・・ってどこに?!」
「公園や!中月商店街の近くにある公園や!!」
そこは・・・
今日俺と明が一瞬立ち寄った場所じゃないか・・・。
「わ、わかった・・・。すぐに行けばいいんだな。でも一体どうして・・・」
「用件は後や!はやく頼むで!!」
「あ、ああ・・。」
ツーツーツー
完全に孝に気圧されてしまった・・。とりあえず、あの調子だと尋常じゃないことが起きたのは 確からしい。早く行くに越したことはないな。
とりあえず、急いで家を出る。
「母さん、ちょっと出かけてくる。」
「どこ行くの?」
「公園!」
「すぐ帰ってくるの?」
「帰って・・・きたいなあ」
そう答えると、俺は自転車に乗って商店街の方に向かってぶっ飛ばした。
家から自転車に乗ったら商店街まで5〜6分。急げ・・・。
・・・・・・・。
公園に着いた。もう辺りは真っ暗だ。
それもそのはずである。時間は8時を回っていた。
「のぼる!ここや!」
公園の街頭に照らされて、ベンチから立ち上がった孝の姿が白く浮き立つ。
その隣には・・・
「東・・・」
俺はそこまで自転車を飛ばし、目の前で止めた。
うつむいている東・・・。その肩が大きく震えていた・・・。
「孝、一体・・・。」
「あんな、のぼる・・・」
という前にちょっと待て。
「おい、まて。今日は外に出るなって言ったよな。」
「ああ、でもな、雪奈が・・・。」
「・・・。」
東の震える肩を見ていたら、とてもじゃないが東から事情を聞くことはできそうにない。
「・・・まあ、いい。無事ならいいんだから・・・。」
「すまん、のぼる。」
「うそ!」
そういったのは東だった・・・。
「無事だからいいの?!うそ、うそよ!!そんなのうそよ!!」
「ど、どうしたんだ・・・、東・・・?」
まさかとは思うけど、こいつも俺と同じように責任を・・・
「私が無事だから、あんなにたくさんの人が・・・血が・・悲しみが・・・。」
「でもな、雪奈・・・。」
孝の声に東は耳を貸さない。
うつむいていた東は顔を上げた・・・。
目は・・・怒っているのだろうか?悲しんでいるのだろうか? 彼女自身ですら分からないようなぐちゃぐちゃに混ざりきった感情を止まることなく目から あふれさせ、その感情をどうしようもなく口から吐き出していた。
「でもじゃないよ!!私が・・私が事故にあってたら、あんなにたくさんの人は死なずに すんだんだよ!!私・・・怖くて・・・。」
東の叫びは続いた・・・。
「家のテレビで知ったの・・・。事故があったって。別になんとも思わなかった・・・。 だって、私のこととは何一つ関係ない事故なんだろうって思ってたから。」
「でもね、その事故が起こった時間や、トラックが横転したことなどを聞いてたら なんだかものすごい不安になったの・・・。もしかして・・・って。」
「・・・。」
俺は黙って聞いていた。
「だからね、孝と一緒に現場を見に行こうって思ったの。家でテレビを見てるだけじゃ あまりにも不安で・・・。」
「でね・・・。行ってみて、確信したの・・・。青の矢印信号のある交差点。 それに間に合うように走ってきたというトラック。ああ、そうなんだ・・・って 思ったわ。」
「・・・。」
孝も黙って聞いていた。
「そしたら、急に怖くなっちゃった・・・。そして申し訳なくなっちゃったの・・・。 私は死んでないよ。本当は死ぬはずだった人間がこうやって生きてるの。でもね・・・」
いきなり上がる雪奈の声の調子・・・。感情があふれたんだ・・・。
「死ななくてもいい人が、本当に死ななくちゃいけない人よりももっともっとたくさん 死んじゃったんだよ!!!私が生きたばっかりに、たくさんの人があっというまに死んじゃったんだよ!! 私どうしたらいいの・・・?ねぇ、本当は私、死ぬべきだったんでしょう?ねぇ、答えてよ! ねぇ、答えてよ!!!」
俺の胸に両手を挙げた東の拳が何度も何度もたたきつけられる。
弱々しい拳は全く痛くなかった・・・。でもそれは確実に俺の心をたたきつけた・・。
心が痛かった・・・。
「私、生きていけないよ・・・。申し訳なさすぎるよ・・。 これから生きていても、ずっとその人たちの影を背負って生きなきゃいけない。 その人たちの分まで生きなきゃ、なんて思えないよ!! どうやって生きていけばいいの・・・?辛すぎるよ、こんなの・・・。」
俺の胸に何度も何度もたたきつけられ当てられた東の拳が力なく垂れ下がる・・・。
純粋な東には、あまりに辛い出来事・・・。俺以上に責任を感じているんだろう・・・。 その姿に俺は・・・何もいえなかった・・。
そして、それをもたらした自分を、心から憎む・・・。
自分が、許せなかった・・・。
もっといい方法があったのではないか??
こいつが助かると分かった時点で未来を見るのをやめたのが早計だったのではないか??
おれは・・・どうすればいいんだろう・・・。
再び心がかき乱される・・・。
また・・・叫んでしまいそうだ・・・。
また・・・あいつの・・長谷さんの声が聞こえる・・・。
「やめろ・・」
「やめろ・・・そんなに・・・」
「そんなに俺を・・・責めないでくれ・・・・」
『だから・・・』
やめろぉぉぉおぉお!!!!!
「くっ・・・・・・。」
俺は、よろめき・・・
倒れた・・・。
「おい!のぼる、しっかりしろ!!!!」
孝の・・・声・・・?
「きゃ〜〜〜!のぼるくん!しっかりしてよ!!昇君まで死んじゃったら、わたし・・わたし!!」
え・・・?俺・・死ぬの・・・・?
まさ・か・・・・
そういえば・昨日と・・・きょう・・・で・・かなり・・の神けい・・・つかったもん・・・なあ。
ちょっと・ぐらい・・・やすませて・・・・
「おい!のぼる!昇!・・・の・・・ぼ・・・・・」
意識が遠く・・・深く・・・。
お・・や・・・す・み・・・・
「ねえ、だから運命を操るのは怖いんですよ」
え?長谷さん?
目の前に長谷さんがいる・・・。
「生きるべき人が、簡単に死んでいくんです。」
「でも・・・俺は友達を見殺しには出来ない!」
「優しいのね。そのために、もっとたくさんの人が死んでも、ですか?」
「・・・。」
「何か言ってくださいよ、先輩。」
「なあ、いいかげん・・。」
「なんですか?」
「いいかげん、命を数で計ろうとするの、やめないか?」
「えっ・・・?」
「どっちがたくさん死んだとか言うのはもうやめないか? 疲れたよ、ほんとに。俺は東を助けたかっただけなんだ・・・。」
不意に、目の前の長谷さんがグニャリと歪む・・・。そして、姿かたちが・・・ 俺になった・・・。
「な・・!長谷さんがなぜ俺に・・・。」
「あなたのせいで、一体どれだけ多くの未来が変わったって思ってるのよ!」
目の前の俺がしゃべる・・・。
声が・・・俺の声じゃない・・・。長谷さんの声だ・・・。
「あなたがとる行動で、未来は大きく変わっちゃうのよ!」
「そうか・・・そうだったのか・・・。俺の頭の中でずっとささやいてたのは・・・」
もう一人の俺だったんだ・・・。
もう一人の俺が、長谷さんの言ったことに心を奪われ・・・信じきってしまっていたんだ。
長谷さんの声が、せりふが聞こえ俺を苦しめていたのは・・俺の心の葛藤だったんだな。
おれは、目の前にいる俺の肩を思いっきりつかむ!
「おい!おれはなぁ、東を助けたくてやったんだ!そりゃなあ、あれだけ人が死ぬか どうかなんて分かってなかったさ。でもな、たとえ分かってても、俺はあいつをたすけたぞ! 命はなあ、数とかが大事なんじゃないんだよ!そんな『数』で判断できるようなもんじゃないんだよ!!!」
目の前にいる、俺がかすむ・・・。
俺は話を続けた。
「でもなあ、お前のいいたいことも分かる。だから、長谷さんの言うことも、 お前の言うこともしっかりと 聞いていくから。俺をこれ以上苦しめるなよ。もう一人の俺・・・お前だって 苦しいんだろ?」
こくん。
そういえば俺は長谷さんの言葉を半分拒絶してきた・・・。 信じようとしながらその言葉を受け入れようとはせずにいた・・・。そのくせ、 その言葉におびえていた・・・。だから、心の奥底ではもう一つ別の感情が 生まれて、それが俺にささやいていたんだろうな・・・。
「無視してきて悪かった。ちゃんと、前を見るから・・・。 逃げないからな。」
逃げちゃダメ・・。この言葉をうわべでしか使ってなかったのかもしれない。
俺の言葉を聞いた目の前の俺は、ふっと消えていった・・・。
突然、目の前がだんだん明るくなる・・・。
「うっ・・・!」
「うっ・・・・・・。」
「・・すぅ・・。すぅ・・・。ん?はっ!!き、気がついた、のぼる?!」
ここ・・・は?
意識がはっきりしない・・・。
見えるのは天井だけだった・・・。
いや、寝起き顔が横から視界に割り込んでくる。
「あ・・あかり・・・。」
何で俺、寝てるんだ?
あ、そうか・・・倒れたんだった・・・。
「こ・・こは、どこ・・・?」
「ここ?病院だよ。のぼる、昨日の晩、公園で倒れたんだよ。で、春日君とゆきちゃんが 救急車呼んでくれたの。始めは救急隊員の方が、あの事件の被害者か!って、びっくりしたらしいよ。」
「あ・・・ああ。」
何を言えばいいのか・・・。
だいぶん意識もはっきりしてきた。
って、
「なあ、明。いま、昨日、って言ったよな。」
「うん。もう昨日だよ。」
「今・・・何日何時??」
「7日。朝の7時ごろだよ〜。」
俺、そんなに寝てたのか・・・。
「なあ、あかり?」
「ん?のど渇いた?」
「いや・・・。あの、もしかして、昨日からそばにいてくれたの・・か?」
「うん。倒れた・・・って聞いて、いてもたってもいられなくって・・・。」
「・・・お前の方が体調悪いのに・・。」
「・・・入院してる人に言われたくないわよ。」
「はははっ、そうかもな。」
「もう元気そうでよかった・・・。ほんと、心配したんだから。」
「ごめん・・・。」
「なんかおとといから変な感じだったし・・・もしものときは・・・本当にどうしようって・・・。 わたし・・・わたし・・・うっ・・・。」
安心したのか途端に涙ぐむ明・・・。
「ごめん、心配かけたな。でももう大丈夫だ。」
「うくっ・・・。ひっ・・・。だめだよ・・その言葉、何回も聞いたもん・・・。 信じられないよぉ〜。」
「ううん。大丈夫なんだ。もう、仲直りしたから・・・。」
「そう・・・。じゃあ、もう大丈夫だね・・・って、あ、あれ?」
「ん?どうしたんだ?」
「誰と仲直りしたの??」
きょとんとする明。目が真っ赤だ・・・。
ちょっとからかいたくなってきた・・・。
怒るだろうなあ・・・。
でも、またそれがかわいいんだけど。
「いや、愛人と。」
「・・・。」
「・・・。」
「へ・・・へえ・・・。愛人と・・・ねぇ・・・。」
「う・・、うん・・・。」
「だ〜れなのかしらぁ〜、それって♪」
「うっ・・・。」
にじり寄る明・・・。ベッドをずり上がる俺・・・。
どうせ4人部屋だろうからそんなに大きな声も出せないだろうし、 下手なことも出来ないと思うんだけど・・・。
って思ったら、ここ一人部屋?!!
「いや、あれは、その、この場を和ませるための、その・・・」
「うっふっふ・・。の〜ぼ〜るぅ〜。まさか、この期に及んで『冗談』なんて 言わないよねぇ・・・。人の心配を逆手に取るような冗談は言わないよねえ・・・。」
先手必勝?!!
やられた・・・。
ベッドの上を少しずつ上がっていく俺・・。
「あはは〜〜。も、もし、万が一、いや億が一『冗談』だったら・・・。」
「許さない♪」
ひぃぃぃぃいいい!
「じょ、冗談じゃなかったら・・・」
「もっと許さない♪」
がーーーーーん!!!
上がっていく俺・・・って、もう後がない!
「あ・・あははははあ〜〜・・・・・」
「うっふっふっふ・・・。」
俺の乾いた笑いに対して、なんて明のどろどろとした笑い・・・。
もはや、追い詰められた獲物状態。狩られるだけです。
『つまらない冗談は死を招く』。
遺言にしたい・・・。
「ねぇ、のぼる・・・。」
「ど、どうしたのかな〜〜?」
一瞬にして間合いを詰めてくる!
そして・・
「朝っっっぱらから、なんって冗談言ってるのよ〜〜!!!!」
バチィィィィィィィイイイイイン!!
ガチャリ。
「おはようさん、のぼる。目ぇ、覚めたみたいやな。・・・って、 なんかほっぺた赤ぅなってないか??」
「たかしぃ〜〜〜。た・・たすけ・・・」
ギラッ!
そばにいた明の目が光る!
「うっ・・・。お、おはようたかし!今日もいい天気だね!がっはっは!」
「・・・おまえ、なんかしたんか・・・。」
「ううっ、それがな・・。」
ギラッ!
「ううん。なんでもないぜ!はっはっは・・・。」
「・・・おとなしく入院しとけ。」
「ぐはぁ・・・。」
「で、東は?」
俺はベッドに座りながら孝に聞いた。
「ああ、もう来ると思うわ。トイレにいくって行ってたから。いや、昨日お前が倒れる寸前 ああいう状態やったやろ?お前と顔合わせにくいんやで、きっと。・・って、 お前、倒れる寸前のこと覚えてるか?」
「ああ、覚えてる。」
「やったら、ええ。」
「明は知ってるのか?」
「うん、知ってるよ。」
「そうか。孝が話してくれたのか?」
首を降る孝。
「ううん。俺やない。雪奈や。あいつが責任感じたみたいでなあ・・・。 必死に松山にあやまっとった。」
「・・・ほ〜。」
「あんなに必死に謝られたの始めてだよ・・・。ちょっと収めるのが大変だったけど、 きっと本当に責任感じたんだろうね。」
「そんな、東が責任感じなくても良いのになあ。」
「しゃーない。あの状況ならな。で、のぼる、調子はどうや?」
「すこぶる健康さ!」
これは本当だ。自分との仲直りのおかげで、精神状態はかなり落ち着いている。
「なら、よかった。昨日はほんまにびっくりしたで。倒れて、どないしよか〜思てたら、 雪奈が救急車呼んでて。で、すぐに松山にも昇のおかんにも電話してな。かなり手際よかったで〜。 ほんで病院着いて、容態の説明を受けて安心した俺たちは、お前の世話をすると言う 松山とお前のおかんをおいて、先に帰らせてもろた、言うわけや。」
「で、昇のお母さんは家をそのままで来たからって言うから、私が世話をしますっていって、 美香ちゃんと帰ってもらったの。」
「ありがとうな、明、孝。」
「ううん、いいよ〜。でも、心配かけてくれた分は、高くつくけどねぇ〜」
「・・・なんちゅーこわいやっちゃ・・。」
ははは・・・と部屋に響く3人の笑い声。
「そういえば、俺の容態ってどんなんなんだ?」
「おまえ、自分のことも知らんのかいな・・・。まあ、医者が言うには、目立った外傷とかもないし、 血液検査も特に異常なし。まあ、松山の話とかを聞いて精神的なもんやろうと、言っとったで。」
「ふ〜ん。で、何日ぐらい入院?」
「容態がよければ、明日にでも退院らしいで。ただ、 今日は様子を見るため入院せなアカンけどな・・・。」
「そうか〜。まあ、たまには看護婦さんに囲まれるというのも・・・」
「おっ!やっぱりそう思うか、友よ!!思うよなぁ、絶対!!」
「――――――――!!!!!!!」
「あ゛・・・。」
ものすごい怒りのオーラがすぐそばに・・・。
ガチャリ。
「――――――――!!!!!!!」
「あ゛・・・。」
ものすごい怒りのオーラを放つ人が扉を開けた向こうに・・・。
あ、東・・・。
「あ、あんな、これは昇にはめられたんや!ご、誤解やねんって!」
こ、こいつ・・・。この期に及んで言い逃れするとは・・・。
しかも人のせいにまでしてるし・・・。
「うっふっふ・・・。の〜ぼ〜る〜。片方だけのほっぺたが腫れてたら不公平だもんね〜。」
ひっ!!
「た〜か〜し〜♪たかしってそういうのが好きだったんだね〜♪ね〜♪ね〜♪ね〜・・・」
うぐっ!!
にじり寄ってくる二人と後ずさりする二人・・・。
「あ、あははは・・・・・。」
「が、がはははは・・・。」
ざざっ・・
「のぼる・・・。」
「たかし・・・。」
ざざっ!
「いいかげんにしなさい!このヘンタイ!!」
ドバチィィィィィイイイイン!!!!
第11話 「病院」
いつつつつ・・・・。
「あ、あかり・・そんなに怒るなよ・・。」
「雪奈も・・・な。堪忍や〜!」
男二人は頭が上がらない・・・。
「・・・・。」
「・・・・。」
「な・・なぁ?あかり?」
「た、頼むわ・・この通りや!」
「・・・。」
「・・・。」
つんつん、とわき腹をつついてくる孝。
小声で話しかけてくる。
「お前が悪いんやからなあ・・。お前が先にあんなことを言うから。」
「こら。人のせいにするな・・・。おまえが話しに乗ってきたんじゃないか。」
「なにゆうてんねん!お前があんなこと言わんかったら今こんな風にならんですんだっちゅうのに・・・。」
「自分のとこを棚に上げておいてよく言うぜ・・・。」
「大体やな・・・!」
「のぼるっ!!」
「たかしくんッ!!!」
びくっとする、男二人・・・。なんて情けない言い争いなんだろう・・・。
「は、ハイッ!」
明も東も呆れ返っていた。
「ふぅ・・・。まあ、いいわ。そういうことが言えるようになっただけ、回復したってことよね。 って、このせりふ、前にも言ったような気がするけど・・・。今回は特別に許してあげましょう〜。」
「たかしも!馬鹿なこと言ってちゃダメだからね♪」
「はい・・・。」
情けない・・・。
それにしても・・・
「そういえば、東、お前・・・」
「あっ!」
そういうと東は思いっきり頭を下げる。
「ごめんなさい!」
いきなりの東の動きにびっくりしてしまう。
「あのときあんなこと言っちゃって・・・。 私怖くてどうしたら良いのかわからなかったの・・・。助けてくれた昇くんに八つ当たりまで しちゃうし、死ねばよかったみたいなことまで言っちゃって・・・。」
静まり返る室内。
「でもね、昇くんが倒れて私思ったの。友達がいなくなっちゃうのはこんなに怖いことなんだなあ って。だって死んじゃったんだと思ったし、昇くん・・・。そのときにようやく、 昇くんが私を助けようとしてくれた気持ちが分かったの。だからちゃんと謝ろうと思って・・・。 ごめんなさい!」
ぺこぺこする東。
「ごめんなさい!」
「そ、そんな謝らなくても・・。分かってくれたのなら良いから・・・。 それに俺は当然のことをしたまでで・・・」
「ええこと言うやないか!のぼる!」
「え、ええことって・・・。いや、別に・・・。」
「すまんけど、許してやってくれへんか?」
「許すも何も、始めから怒ってないし・・・。」
「本当?ありがとう♪」
ようやく頭を上げる東。
何か・・・何かへんだ・・・。
ここまで謝られることはしてないぞ・・。
「おい、ちょっと待て・・・。」
びくっとはねる、東と孝。
「なんか怪しいぞ、お前ら・・・。一体何をしたんだ?」
「べ、別に何も・・・。」
「そんな、まさかお前の言いつけを破って実はあのじ・・ふがもごふが・・・。」
孝の口を押さえる東・・・。
「あ、あはははは・・・。」
「・・・。」
聞かないほうがよさそうだ・・・。
そんな中、病室のドアが開く。
「おにぃちゃん〜。元気にしてる〜?」
「のぼる。どう、具合は?」
美香と母さんがやってきた。もう時間は朝の9時。
「あ、ああ、元気にしてるよ。もう大丈夫だ。」
「どうも、おばさん、美香ちゃん、おはようさんです。」
「おはようございます〜♪」
「おはようございます、春日君、東さん。」
「おはようございます!春日先輩、東先輩!」
なんで知ってるんだ?母さんも美香もこの二人のことを・・・。
って、あ、そうか。昨日の夜にここで会ってるんだ・・・。
「明ちゃん。ありがとうね、昇の面倒見てくれて。ほんと助かったわ・・・。」
「いえいえ。私がやりたかったので!」
「そういってくれるとうれしいわ。本当は母親である私がやらなくちゃいけないんだけど・・。 でも昇もきっと明ちゃんにそばにいてもらうほうが、私といるより楽しいでしょうし〜。 なにより、幸せそうだもんね〜。」
「か、かあさん!」
「ふふ・・・。冗談よ、冗談。」
明は顔を真っ赤にしてうつむいている。
こんなときも「朝っぱらからなんて冗談言うのよ〜!」って母さんに つっこんでくれたら良いのだが・・・。明にそんな力量は残念ながらないのである。
というか、そんなつっこみができるやつ、できても孝ぐらいと思うんだけど・・・。
「おばさん、聞いてくださいよ。僕たちがここに来たときには、のぼる、松山に 膝枕してもらってて・・・。」
た、たかし・・てめぇそっち側か!!
しかも、俺と微妙に距離をあけて話してやがる。
「ち、違います!おばさん!!」
「あらあら・・・。仲が良いのねぇ〜。」
明の否定をもまったく気にせず、ふふふ、と笑う母さん。
孝・・・あとで瞬殺決定。
朝食はとうの昔に食べ終わったしすることがない。病院というのは 暇なもんだ。
10時になる頃まで、こんなバカ話が続いたが、それもまた心地よかった。
その中に、更なるバカもやってくる。
「おいっ!のぼる!!お前倒れたんだって?!」
ドアを、
ガンッ!!!
っと開けて入ってくる男が一人・・。この騒々しさ、この声・・・。
「おい、勇輝!部屋間違えてるぞ。」
「えっ?!いやあ、悪いなあ・・・ここがてっきり昇の病室ではないかと・・・って、 本人のお前が言うなぁ!」
「病院では騒ぐな。」
俺のボケに真剣に考えるやつ・・・。はぁ、前にもこんなことがあったような・・・。 なんて単純なやつなんだ。
「いやあ、みなさんおそろいのようで。」
ドアを閉めて部屋に入ってくる。
「ういっす、勇輝。来たんかあ〜。」
「井上君、おはよう♪」
「お前ら二人、来るの早いなあ・・。」
「井上君、おはようございます。」
「勇輝先輩、おはようございます!」
「おばさん、美香ちゃん、おはようございます。 美香ちゃん、連絡ありがとうね。」
「いえいえ〜。」
「井上君、来てくれたんだね。」
「ああ、親友が倒れたとあっちゃあ、じっとしてられねえだろ?松山?」
「うん、確かに〜。」
めいめい挨拶をする。
今の話からすると、どうやら勇輝は美香から連絡を受けてきたようだ。
「それにしても、ひどいなあ、お前。俺にもお前から昨日のうちに連絡してくれよ。」
「どうやって、気絶してる俺がお前に連絡するんだ?」
「ま、確かにそうだな・・・。」
「ごめんなさい、勇輝先輩・・・。私が昨日のうちに連絡しておけば・・・。」
「いや、美香ちゃんは悪くないよ。悪いのはこの倒れたこいつ!」
俺を指差してくる。もちろん、俺はそれを払いのける。
「こいつが倒れる寸前に『た、助けてくれ・・・勇輝・・・。ぐふっ』って 連絡してくれればよかったのに・・・。」
なんてこというやつだ・・。
もう無視を決め込む。
俺は孝に話しかけた
「で、孝たち、なんで今日学校行ってないんだ?」
「今日は土曜やで〜。学校はあらへんぞ。寝ぼけてるんか?」
「あ・・・そうか。」
「しっかりせぇよ〜。」
「すまない。そういえばそうだったな・・・。」
「おい!俺を無視するな!」
横から何か聞こえるが・・気のせいだろう・・・。
「気のせいじゃないぞ!のぼる!お前、親友の言うことを無視するとは・・・」
なんで聞こえてるんだ??
「自分の癖を忘れてるな・・・。」
「あっ・・・。」
「まったく・・・。これだからお前の親友を勤めるのは大変・・・」
「おい、お前、部屋間違えてるぞ。」
「ええっ?!ここがてっきり昇の部屋だとばっかり・・・って、おい!2回もだますな!」
ははは、と部屋に笑いが広がる。
「まぁ、これやったら、明日にも退院できそうやな。あんまりここにいても悪いし、 今日は帰るか〜、雪奈。」
「うん、そだね♪」
「ほな、俺らは帰らせてもらうわ。また、月曜に学校で会おうぜ。」
「ああ、わかった。」
「昇くん・・・。」
東がそばにやってくる。
「本当にごめんね。わたし、もう大丈夫だから・・・。助かったこの命・・・、 ちゃんと役立てるよ。死んでいった人たちの命、背負って生きていくよ。 もう迷わないから。」
「ああ、・・・わかった。」
孝と同じ返事しか出来なかった・・・。
俺はこの女の子になんて重い物を背負わせてしまったんだろう。
胸が痛くなる。
でも、「すまない」とはいえなかった。東の目が・・・それを言わせなかった。
不意にあの言葉が、胸をつく。
それは自然に口を動かした・・・。
「『逃げちゃダメ』」
「えっ?!」
少しびっくりする東。
「これ、今の俺の『合言葉』なんだ。かけ声、といっても良いかもしれない・・・。」
「・・・良い言葉だね。ありがと♪」
部屋を出る、孝と東。
去り際、東は振り返って訊いてきた。
「合言葉・・・って、誰との?」
ちょっと言葉を選んで、俺は・・・
「・・・自分との。」
そう答えた。
何を満足したのか、東は笑顔でスカートを翻して、消えていった・・・。
あいつはもしかしたら自分の運命を悟ったのかもしれない。
もう、迷うこともないだろう。
「それじゃあ、お母さんは仕事に行ってくるから。」
「ああ。って、こんなに遅れてかい?」
今、10時である。
「遅れる、って会社には連絡してあるから大丈夫よ。仕事はちゃんとしないとね。」
「私も帰るよ、おにぃちゃん。」
「お前は家で家の手伝いでもしてやってくれ。」
「うん、分かってるよ。おにぃちゃんがいないなんて久しぶりだもんね。ゆっくり ハネをのばさせてもらうわ〜。」
「はいはい。存分にのばしてくれ。」
「明ちゃんはどうするの?」
母さんが明に訊いた。
「私は、ここにいます。」
「だって、昨日の晩もほとんど寝てないのでしょう?昇ならもう大丈夫そうだから 家に帰って寝たほうが良いんじゃないの?」
「いや、私なら大丈夫ですから。」
最近しんどかったのに付け加えて、昨日の晩からの睡眠不足。
明の体調があまりよくないのは目に見えていた。
「俺は大丈夫だから、明、いったん家に帰り。」
「私なら大丈夫だよ。」
「うそをつけ。顔がしんどいって言ってるじゃないか。病人は家に帰って 寝てなさい。」
「平気だって。」
「ダメだ。お前まで倒れたらどうするんだ。」
「ちゃんと昨日も寝たから大丈夫よ。」
「ここでベッドに伏せるようにして寝ただけだろ?そんなのじゃ、体持たないぞ。」
「いいって。元気だから。」
「うそをつけ・・。お前・・・」
「いいじゃない、のぼる。明ちゃんの言うとおりにさせてあげたら。」
「えっ・・・?」
母さんが笑っていた。
「そこまで自分のそばにいたいって言う子を、無下に追い返すような子に育てた覚えは ないですよ。」
「で、でも・・・。」
帰ったほうが良いって先に言ったのは母さんじゃないか。
そのとき、ふっと、この前母さんが言ったことを思い出した・・・。
確かあれは・・・。
「じゃあ、帰りましょう、美香。明ちゃん、ご両親には連絡しときますから安心してね。」
「はい!」
「じゃあね、おにぃちゃん〜」
「ああ。」
確か・・・。
「では、来て早々ではありまするが、我輩も帰りましょう。」
「・・・。」
確か・・・・・・。
あれ、なんだったかな?
この辺りまで出掛かってるんだけど・・・。
「おいこら!何か返事しろ〜!」
怒る勇輝。
「帰ってまえ。」
「うひゃあ、ひでぇ・・・。」
「冗談だ。とりあえず、今日はありがとな。また学校で会おう!」
「ああ、まってるぞ。」
3人は部屋を出て行こうとする。
そのとき、母さんがこっちを向いてこう言って消えていった・・。
「のぼる、明ちゃんのそばにいてあげるのよ。」
あ!
・・・これだ。
俺が返事する前にもう3人の姿は見えなくなっていた。
途端に静まり返る室内。
明はベッドに座っている俺の隣に腰を下ろした。
「・・・静かになっちゃったね。」
「・・・騒ごうか?」
「なにまた馬鹿なこと言ってるのよ・・・。」
「俺は本気だぜ?」
「病人は神妙にしてなさい。」
「お前もな・・・。」
「はぁい・・・。」
・・・この返事に俺は気づいてやれなかった。
この返事が意味するところのもの。それは・・・
「ねぇねぇ、そういえばさっきゆきちゃんに言ってた『合言葉』。 ・・・自分にな・・ってどういうこと?」
「ああ。俺、夢を見たんだ。」
「うん・・・うなされてたから分かるよ・・・。」
「そのときに・・」
俺は夢のことについて話した。
それと、もう大丈夫だろう、と。
もう苦しむこともないだろう・・・。
「・・・なるほどね。がんばったんだね、昇。」
「がんばったの・・・かなあ。」
「うん。自分と向き合えるなんてなかなか出来ないよ〜。」
「そうかも・・・な。」
「私だって・・・。」
突然口をつぐむ明・・。
「ん?どうしたんだ?」
「ううん、なんでもないよ。」
一瞬現れた影は、またいつもどおり影をひそめる。
「なあ・・・なにかあるんじゃ・・・」
「あ、あのさあ!」
俺の言葉はさえぎられる・・・。
やっぱり・・・。
「今日、フォーチュンに行くって言ってたでしょ?でも行けそうにないから・・・ 明日にしよっか?」
「ああ・・。明日退院できたら、の話だけど。」
これ以上こいつに訊くのは憚られた・・・。
でも、訊かなきゃわからない。
「もうすぐ、問診に来るって言ってたし。そのときに自分の健康を訴えれば大丈夫だよ。」
「・・・なあ、何を隠してるんだ?」
びくっ!とはねる明の体。
「あはは・・・。やっぱりばればれだよね。」
「ああ、俺はお前の恋人だからな。たいていの異状は見抜けるぞ。」
「ううう・・・。わかったよ。あのね、また?、って思うかもしれないけど 私の本当の親のことなの・・・。」
少しずつ明の体が俺のほうに傾いてくる。
「最近、少しずつ、より昔の過去が見えるようになってきたの・・・。 前は5年ぐらいが限度だって言ったでしょ?今はもうちょっと昔まで見えるんだ〜。 お母さんを見てると、小学校低学年の私が見えるから、8〜10年ぐらいの昔まで 見えるようになってきたの・・・。」
明は体を俺にもたれさせながら、話した。
「でも、なんでだろ?そうやって過去を見ようとするときは全神経を集中させて見るんだけど、 ものすごい疲れるんだぁ〜。もうぐったりしちゃうの・・・。学校休んだときあったでしょ? あの朝に初めてそれができたの。で、疲れちゃって、学校は休んだの・・。」
少しずつ、俺のほうに明の体重がかかってくる。
「その日、お父さんにどうして休むのかって聞かれてそれを話したら、 お父さんめちゃくちゃ怒って・・・。『二度としちゃだめだぞ!』って 言われたの。でも、それがなにか秘密を・・・隠そうとしているようにしか私には見えなくて・・・。 だから毎日こっそり・・と、お母さんの過去を・・・見続けたの。少しずつ、少しずつ見えてきたの・・・。 でも・・・。」
だんだん明の言葉が弱くなっていく・・・。
「まだ・昔のことは・・見えないんだぁ・・・・。 だから・・・がんばってる・・の・・。」
「あ、あれ・・・?なんだか、眠くなってきちゃ・・・った。ねぇ、のぼ・・る? このまま・・・寝ても・いい・・・かなあ・・・。」
「・・・・。」
「・・・すー・・すー・・・」
俺の返事を聞く前に寝てしまった。きっとあれこれ言ってたけど、うなされてる俺を 心配して結局寝てないのだろう。
このまま俺の肩で寝かせておいても、それはそれで幸せなんだが・・・。
でも、もうすぐ問診も来るって言ってたし。
俺はゆっくりと起こさないようにして、ベッドに寝かしつけた。
「更なる過去を見ると・・疲れるのか・・・。」
それだったら、明の両親が教えてあげれば良いのに・・。こんなに必死になっている 娘をほうっておくほど、明の両親は薄情じゃないはずだ。
ベッドのそばにある椅子に座り、明の穏やかな寝顔を見つめながらそう考えていた。
・・・・かわいいなあ。
先生が問診にやってきたのはそのすぐ後だった。
コンコン
「入りますよ」
がちゃり。
「高橋君、どうですか体調の方は・・・って。」
入ってきた先生は椅子に座っている俺と、その代わりに寝ている明を見て苦笑した。
「ははは。看病し疲れたんだね。昨日、君が運ばれてきてからずっと君の事を 心配そうにそばにいてたから。」
先生は明を起こさないように静かな声で話した。
「やっぱりそうだったんですか。」
「ええ。で、君の体調の方はどうですか?」
「僕はもう大丈夫です。胸のつかえも取れまして、元気になれました。」
「そう・・・よかったですね。ただ、今日一日は様子を見るということで 入院してくださいね。再度診察して何も問題なければ明日の午前中には 退院してもらってもかまいませんよ。」
「ありがとうございます。」
俺は座りながら深くお辞儀をした。
「いえいえ。もうケンカしてはだめですよ。」
何を勘違いしているのか、医者はそう言うと、静かに戸を閉め出て行った。
「でも、あながち間違いじゃないんだよなあ・・。」
ただ、けんかの相手が自分自身だっただけで・・・。
でももし、それをも見抜いての発言だったら・・・
「脱帽級だな・・・。」
俺はそうつぶやいて苦笑した。
明は寝てるし、このまま寝顔を見てても良いけど、そしたら起きたときに、
『人の寝顔を見てよろこぶなんて!!』
と言って殺されそうな気がするので、ちょっとばかし病院見学でもしようかな。
そう思って立ち上がろうとすると、上のパジャマが引っ張られる。
「ん?」
見てみると、いつの間にか明がつかんでいるのだった。
「ん〜〜・・・・・・。」
どうやら行かせてはくれないらしい。
・・・って、気がついてみると、俺パジャマなんだな。
・・・ん?誰が着替えさせてくれたんだろう?
看護婦さん・・・だよな、たぶん。
母さんたちが家から着替えを持ってきてくれて。
「いや、もしかしたら明が夜に着替えさせてくれたのかも・・・って!」
急いで、下着を見る!
「・・・はぁ。」
大丈夫・・・。
昨日のままだった・・・。
結局、明が目覚めたのは昼ごはんのときだった。
ガラガラと運ばれてくる音で目が覚めたのは良いのだが、
「何で起こしてくれなかったのよ!」
という理不尽な責め立てによって俺はなぜか怒られてしまい、さらに俺が口をすべらせて、
「寝顔、かわいかったよ」
などと言ってしまったことによってさらに怒りと恥ずかしさ に油を注いでしまったようで、さんざん怒られるハメに会い、 それを料理を運んできた看護婦さんに思いっきり笑われるという恥ずかしい状況を 体験せねばならなかった・・・。
「はあ・・・。なんで俺がこんな目に・・・。」
ご飯を食べながら明につぶやく。
「自業自得。因果応報。」
「だって、俺のパジャマのすそをつかんでたの、お前だぜ?」
「うっ・・・。」
箸先を口に入れて固まる明。
「いいの別に。そんな細かいこと。」
なお、明も御飯を食べている。俺が頼んで、もう一つ用意してもらったのだった。
まぁ俺が怒られるのを見てかわいそうに思った看護婦さんが、「仲良くしてね」と渡してきたのだが・・・。
「とりあえず、ここで俺の病気、誤解されてるんだぞ。」
「もぐもぐ・・・何に?」
「お前とケンカして精神的ストレスから気絶。」
「え〜〜〜〜っ!!!!」
あまりの驚きに、明の手が止まる。
「それを後悔した女の子は自ら看病を名乗り出て、朝起きたときに患者は けんかした相手が夜を徹して看病してくれたことに気づき、見事仲直り成功。おしまい。ちゃんちゃん。 ・・・そう、カルテに書かれるだろうな。」
「うそよ、そんなの。」
「本当だ。」
ちゃんちゃん・・はウソだろうな。
「証拠は?」
「先生が問診のときに『いえいえ。もうケンカしてはだめですよ。』だって。」
「・・・。」
「・・・・・・・。」
「・・・な、仲良くしようね、のぼる〜♪」
「・・・。」
俺はもくもくと飯を食べた・・・。
急に明るくたくさんしゃべるようになった明をなるべく気づかないようにしながら・・・。
そんな時、病室の扉が開く。
「お、おかあさん!」
明が叫んだ。
「昇くん、大丈夫?明が迷惑かけてない?」
満子おばさんだった。
「いえいえ、そんな。明ちゃんにはほんとお世話になりっぱなしで。 彼女がいなかったら一体どうなっていたか・・・」
「のぼる・・・」
隣で感動している明。
「ふふふ、お上手なのね、昇くんは。」
満子おばさんはお見舞いのバスケットに入った果物を小さな棚の上においた。
お見舞いはみんながもって来てくれた。
中でも一番面白かったのは勇輝のだった。
なんと「どうせ暇だろうから」と漫画を20冊ほど持ってきてくれた。
「まあ、俺が読み終わったやつだし、返すのはいつでもいいから」という 何気ない友の気遣いに胸が熱くなったが・・・
「1冊1日10円で、合計200円ずつ徴収しに来るわ。」というせりふに 拳が熱くなった・・・。
そんなことはさておき、満子おばさんに礼を言う。
あ、後言わなくちゃいけないことが・・・。
「満子おばさん。明ちゃん、お借りしちゃってて、どうもすみません。」
「い〜え〜。逆に邪魔になってないか心配で。」
「そんなことあるはずないですよ。」
「のぼるぅ〜・・・。」
「でも、このままここにいてもらうのはさすがに悪いので、今日はお返しいたします。」
「いいよ!私はここにいるから。」
「別に良いのよ。明かりがここにいたいって言ってるなら私はそれで・・・。」
「いいえ。それはダメです。仮にも人様のかわいいお嬢さんをお借りしているのです。」
「のぼる、仮って何?仮って?!」
無視無視。
「そんな、何日も、なんて甘えたことは出来ません。それに彼女の体調の方も 心配ですし・・・。」
体調は、明がこの満子おばさんの過去を見ないようにすれば良いんだけど・・・。
って、言ってるそばから満子おばさんを凝視してる!!
おばさんは巧みに明から目をそむけていた・・。
「あ!明、あそこに500円玉が!」
「どこ!・・・ってのぼる、私そんなにお金にがめつくないよ。」
「ふふふ・・・。」
知ってか知らずか、満子おばさんはそんな状況を見て笑っている。
とりあえず、明の視線をそらすことに成功した。
どうやらこいつ、四六時中、スキがあれば過去を見ようとしてるようだ・・・。
でも、何でそんなにこだわるんだろう?
満子おばさんというこんなに良いお母さんがいるというのに・・・。
まぁ、これは当人しか分からないのかもしれないな・・。
「とりあえず、私は今日も泊まるよ。」
「だめだ。おまえ、風呂はどうするんだ?メシはどうするんだ? どこで寝るんだ?無茶を言うなよ。」
「お風呂だったら家で入るよ。御飯はここで食べられるし、また昨日みたいにベッドに 上半身だけ伏せるようにして寝ればそれで良いし。」
「そんなんで疲れが取れるわけないだろう?!」
・・・これは微妙だった。じゃあ、家に帰ったら取れるのか? ・・・この満子おばさんがそばにいる限り、家では余計に疲れてしまうかもしれない・・・。 なら、俺と一緒にいた方が良いというものではあるのだが・・・。
「ふふふ。仲が良いのね。私はどっちでもかまいません。 明のしたいようにさせてあげてください。」
「したいようにって言われまして・・・も・・・」
頭の中に母さんの言葉が響く。
・・・。
・・・・・・。
・・・・・・・・・。
『のぼる、明ちゃんのそばにいてあげるのよ。』
・・・・・・・・・。
・・・・・・。
・・・。
なぜだろう、この言葉がこんなにも力を持って聞こえるのは・・・。
「・・・明。これだけは約束してくれ。体調が少しでも悪くなったら 家に帰る、と。」
「うん、分かったよ。」
俺は明といることにした。
「さて、私はここにいても二人の邪魔だし、昇くんの体調も良いみたいだから帰るわね。」
「じゃあね、おかあさん。」
「はい。お見舞い、ありがとうございます。」
「いえいえ。」
そう言うと、やんわりと満子おばさんは部屋を出て行った。
やはり、部屋を去り際、こちらを向いて声を一言かけて出て行く。
その言葉に、俺は心底驚いた・・・。
『昇くんと、なるべく一緒にいてあげるのよ、明。』
・・・・・・・・・・。
「本当にいいのか、明?帰らなくても?」
「うん・・・。それに、本当に体調のことを考えてくれるのなら、家には帰らないほうが・・・。」
「それはお前が過去を見なければ良いだけの話だ。」
「無意識のうちに見ちゃうんだもん・・・。」
「あんなことしてたら体を壊して当然だ。」
「だって・・・。」
俺は訊いてみたかった事を訊いてみた。
「なあ、なんであんな良いお母さんがいるのに、本当のお母さんを知りたがるんだ?」
「・・・。」
黙る明・・・。
「なんで・・・かなあ・・・?言われてみると分からないよ。」
首をかしげながらそう言った。
「でも、知らなかったら、不安に思うもんなんだよ。うん。」
「そうか・・・。」
「それに早くしないと、時間が・・・」
また現れる、影・・・。
いつもどおりすぐに消える・・。
「ん?なにって?」
「なんでもないよ〜。とりあえず、のぼるも私と同じ状況になったらよく分かると思うよ。」
「ははは。ごめん被りたいね」
「ひっどーい!」
その後は誰も来なかった。明と二人でのんびりしゃべったり、石について 考えてることを言い合ったり、あした行くフォーチュンの待ち合わせ時間を決めたり、 今度いつ遊びに行くかを決めたりした。
「ねえ、のぼる?どこ行きたい?」
「どこいきたい・・・って、俺たち受験生なんだぞ、まがいなりにも。 一応勉強しないと。」
「別に毎日遊ぶわけじゃないでしょ?息抜きだよ、息抜き。どこに行く?」
「そうだなあ。やっぱ夏だし、海なんて良いんじゃない?」
「海かあ・・・。でも焼けるよ・・・。」
「俺がサンオイル塗るから・・・。ぐへへ・・・」
「・・・手がすべったら、私一生許さないから」
「じゃあ、どこにしようかなあ〜・・・。」
「こら〜のぼる!それが望みだったの?!」
「大きな声を出すと、また発病してしまう・・・。ああ、お医者様・・。」
「誤解を招くようなこと言わないの。もぅ・・・。」
ぷぅっと膨れる明。
「大体、サンオイルなんて、いまどき塗らないよ。それに、用途が違うし。」
「そうなのか・・・。うう〜む。」
「はぁ・・・。・・・別に海でもいいわよ。」
「えっ?!いいのか?!」
「ただし!サンオイルは無し。」
「どこに行こうかなあ・・・。」
「最っ低・・・。」
「冗談だよ冗談。怒るなって。よし、じゃあそうするか〜。」
ふくれっ面の明をおだてて、何とか機嫌を取り戻す。
「その様子だと、もう明日には退院できそうですね。」
開いているドアをコンコンとたたきながら医者はそう言った。
「先生!そうじゃないんです。ちがうんですよ!」
俺は必死に反論した。そんなカルテが残されたのではたまったもんじゃない!
「おや、違うんですか・・・。てっきり僕はケンカが原因だと・・。」
「違います、先生・・・。変なこと、カルテに書かないでくださいね・・・」
「まあ、いいでしょう。何はともあれ、そんなに元気なら良いです。 カルテには『精神的ストレス』とだけ書いておきますね。」
「は、はぁ・・・。」
人の気持ちを知ってか知らずか、その先生はそういうとにっこり笑って 「ケンカしてはダメですよ」と言って消えていった。
「な、あの先生誤解してるだろ?」
俺の問いに明は・・・
「うん・・・。ちょっとおとなしくしてる・・。」
反省したようだった。
結局、明は一旦着替えを家に取りに帰った。そのときに風呂にも入ったようだった。
病院に戻ってきて晩御飯も食べて、今は明かりの剥いてくれる果物を食べている。
もう時計の針は8時をさしていた。
「もう病院は寝る時間だよな?」
「う〜ん、そうなんだろうねえ、きっと。」
「まだ眠くないよなあ・・・。」
「うん。まだ眠くないよねえ・・・。どうしよう?」
どうやら消灯時間は9時のようだ。することもないのでそれまでに寝る準備は済ませておく。
・・・でも、あれこれやってるうちにもう9時になってしまった。
看護婦さんの巡回がやってきて「もう消灯時間です」と事務的な連絡だけを告げて 扉を閉めて消えていった。
ベッドに二人で腰をかけてしゃべる。
「明日には帰れるから、ほんと助かった・・・。」
「ほんとよかったよね、昇。『あなたは3ヶ月の長期入院です』、な〜んて言われなくて。」
「まったく。そうなってたらどうする?」
「わたし〜?そりゃ決まってるでしょ?」
「さすがにそれは、俺許さないぞ。」
先に言ってやる。
「ううう・・・。」
やはり困ってしまったようだ・・・。
「まあ・・・そばにいてくれるのはうれしいけどな。」
「本当?!」
「ああ、それはウソなもんか。」
「ん〜♪」
こうやって甘やかすからいけないんだろうなあ、と思う。
「・・・起きててもダメだたら、寝よっか。」
「ああ。」
そう言って、俺は立ち上がる。
「どこへ行くの?」
寂しそうな明の声・・・。
「男の俺がベッドで寝て、お前を座って寝させるわけにはいかないさ。俺がこのソファーで寝るから ベッドで寝てくれ。」
俺はソファーに腰をかけながらそういった。ソファーと言ってもそんな豪華なもんじゃなく ただの長いすである。
でも、寝るには十分だ。
「そんなのダメだよ。無理言って私がここにいるんだから、私がそこで寝るよ。」
「そんなことさせられるか!」
「だって、昇の入院でしょ?病人はベッドで寝る寝る!」
「俺はもう元気だ。」
「元気でもダメなの。退院するまでは患者なんだから。」
「大丈夫だって!そんなこと、絶対に出来ない!」
「もう!わがままなんだから〜〜〜!早くベッドで寝なさいよ!!」
「な、なんだその言い方は!人がせっかく譲ってやってるってのに!」
「そんなの、頼んでないわよ!」
『こら!』
「えっ?」
明と二人で声のするほうを見る。
ドアのところに看護婦さんが立っていた・・・。
「もう消灯時間は過ぎてますよ!早く寝てください!それに、あなた!」
「わ、わたし・・・?」
「面会時間はとうに過ぎてますよ。早く帰ってください。」
「あ、あの・・・。え・・・と・・。」
こりゃ、ややこしいことになりそうだ・・・。
ちょっと「誤解」を借りるか・・・。
「あ〜、この子には頼みごとがあって、ちょっといてもらってるんです。 先生にも『病気の回復のためです』と言ってくだされば分かると思いますよ。」
「は・・・はぁ・・・。まぁ、先生の許しが出ているようなら良いんですけど・・・。 とにかく寝てくださいね。」
そう言って看護婦さんは消えていった。
「・・・のぼる・・・。」
「はは・・。先生の勘違いを逆手に取ってしまった。ま、いいだろう。 とにかく寝よう。」
「でも、どうやって・・・。」
俺はベッドに入って布団を半分空ける。
「えっ・・・。」
「ほら、早くこいよ。」
「で、でも・・・。」
「大丈夫だ。絶対に怪しいことはしないから。」
こういうところは、明は真面目なのだ。
「・・・絶対?」
「ああ、絶対。」
「・・・手も滑らない?」
うっ・・・・・ 「あ、ああ、滑らない。」
「・・・うん。じゃあ入る・・・。」
そういって入ってくる。
ギッ・・・ギシ・・・・
ベッドがきしむけど・・・まあ、大丈夫だろう。
「あはは・・・。顔がちか〜い。」
「バカ、寄ってくるな。狭いんだからな。」
我ながらわけの分からない言葉だな。
シングルを二人で寝るんだから、あまり離れたり動くと落ちてしまう・・。
「おやすみ〜〜、のぼる・・・。」
「ああ、お休み・・。」
目の前に明の顔がある・・・。こ、こんなの、眠れないぞ・・・。
「あ、そうそう。」
「ん?」
「何かしたら許さないからね♪」
「うっ・・・。わ、分かってるよ・・。あ、あははは・・・」
俺は伸びかけた左手を右手で必死に抑えながら作り笑いを浮かべた。
・・・。
・・・・・・。
・・・・・・・・・。
昨日10時間ほど寝てしまった、と言っても昏睡状態だったけど、そういう男が 今日こういう状況で眠れるはずがなかった・・・。
ふとした瞬間に、手が伸びそうになるのを必死に抑えながら、目の前にあるその寝顔を見続ける・・・。
かわいい・・・。
手を伸ばして、そのほっぺたを軽く引っ張るのが、俺の最大限の勇気だった・・・。
ぷにぷに。
・・・・結局ほとんど眠れなかった・・・。
「ん〜〜〜!」
明は俺の横で気持ちよく伸びをした。
その一方・・・
「・・・げんなり・・・」
「何げんなりしてんのよ、のぼる。」
「・・・待った、の状態で飼い主が旅に出てしまったら、犬はこういう気分になるんだろうなあ。」
「・・・また、何わけのわかんないこと言ってんのよ・・・。」
別にそれだけじゃなかった。ただ、おとといあれだけ寝たのだからもう眠気なんて なかったし、その状態で起きておこうとしてもよくないことばかりが頭の中をよぎり、 ますます目は冴える一方だった・・。
でも、布団から出る気になれない。
明も出る気配はなかった。
そんな時・・・
「ほら、朝ですよ!おきてくだ・・・あ・・・。」
「あ・・・。」
「あ・・・。」
俺たちを起こしに来た看護婦さんと俺たち二人は固まった。
絶対よくない想像をしているに違いない!それは誤解だぁ〜!
「お・・・起きてらっしゃるのなら・・いいんですけどね・・。」
そう言って看護婦さんは急いで出て行った。
「誤解・・・されたぜきっと。」
「う〜ん・・・。あながち間違いじゃないかも♪」
「うそをつけ!俺の苦しみも知らないくせに・・・。」
「はいはい。じゃあこれで・・・」
「ん・・。」
顔が近づく・・・。
おはようのあいさつ・・・。
「おはよう、のぼる!」
「おはよう、あかり。」
その後、先生にはさっきの看護婦から余計な話を聞いたのか、 「ようやくこれで、病気も治りましたね」と、これで完全に誤解されてしまったが、 笑顔で退院許可をもらうことが出来、母さんが荷物を取りに来たので明を先に家に帰らせた。
「じゃあ、午後1時に明の家に迎えに行くから。」
「うん、まってるからね。」
そういって、わかれる。
・・・俺は覚悟を決めた。
いよいよ、核心に近づいてきたような気がする。
病院を出ると共に、腹をくくった・・・。
「フォーチュン」が・・・まずは第1決戦場だ!
波乱は・・・覚悟の上だった・・・。
第12話 「フォーチュン」
家に帰ると、久しぶりの我が家にちょと感動する。
久しぶりと言っても2日ぶりなのでそんな言うほどでもないのだが、やはり 多少懐かしいような気持ちはぬぐえないところである。
部屋に帰って時計を見ると、もう11時であった。
「早く用意をした方がよさそうだ・・・。」
そう思い、いつでも出かけられる準備をして、リビングへ行く。
日曜なので、普段仕事の母さんも家にいる・・・かと思いきや、 母さんは家にいなかった。
というより、親父が死んでから母さんは日曜に家にいることはほとんどない。
何をしているのか、親父が何をしていたのか、それはまったく分からないのであった。
訊けばいいのだが、どうも訊くのが憚られてしまい訊くに訊けない状態が続いているのである。
というわけで、リビングには母さんの用意した昼飯と暇そうにしている美香がいるだけであった。
面白いテレビがないのだろうか。
いつもはテレビに吸い込まれそうな勢いで見ている美香も、今日は注意力散漫で チャンネルをしきりに変えていたりしていた。
「おい、暇そうだな。」
俺の言葉に、顔だけこちらに向ける。
「ううう・・・。特にすることなくて・・。面白い番組もないし。」
心から暇そうであった。
俺は訊いてみたかったことを、こいつに訊くことにした。
「なあ、母さん、どこに行ったか知ってるか?」
俺じゃなくて、美香なら知ってるかもしれない。
「ううん。知らない。いつもどおり、仕事に行ってるんじゃないの?」
「あ・・・そう。」
こいつは仕事の延長と思ってるようだった。
どうやら親父が死んでから母さんが家を出るようになったことを気にも留めないらしい。
「あ・・・でもね。」
「ん?」
「何をしているのかは知らないけどね、」
美香の予想だにしなかった言葉・・・。
「日曜に明先輩のお父さんと図書館で本を探してるのは見たことあるよ。」
「な、なんだって・・・?」
なぜかびっくりしてしまう俺・・・。
「だからぁ、お母さんが日曜日に、明先輩のお父さんと・・・」
「じゃなくてだな。」
「ああ、不倫じゃないと思うよ。」
「でもないっ!!!」
な、何を言いだすんだこいつ。
「ううう。・・・一体何が言いたいの?」
「どんな本を持っていたのか、分かるか?!」
「そんなの分からないよ・・・。ただ、かなり古い本だったような気がする。 私、そのときちょっと急いでてそのときは話しかけずに帰っちゃったから・・・。」
「そうか・・・。」
ふぅ、とため息をつきながらソファーに座った。
「・・どしたの?」
「いや、別に。母さんどこに行ったのかなあ、と。」
「ふぅん・・・。ま、いつものことだから別に気にしなくてもいいと思うよ。」
「ああ・・・。」
美香はチャンネルを再びいじりだした。
「おまえ、そんなにころころかえたらどれが面白いか分からないだろ? もうちょっと見てからにしろよ。」
「うるさいなあ・・・。もう、べつにいいでしょ?」
不機嫌になってしまった美香。
あ、そうだ!もう一つ訊きたいことがあったんだった。
「なあ、美香。」
「なにぃ、もう。」
俺は前回訊けなかった長谷さんのことについて訊くことにした。
「長谷さんのことなんだけどな。」
「うん。長谷ちゃんがどうしたの?」
「いやあ、なあ普段の彼女は一体どんな感じなのかなあ、と。」
う〜ん、と悩み始める美香。
「ううう〜ん、実は私にもよく分からないのよねぇ・・。 一体何を考えてるのかよく分からないときもあるし。でも普段は一緒にしゃべって 楽しく笑ってるんだよ!長谷ちゃんの話すことは面白くてねえ・・・。 あ!面白いと言えば!!」
突然大声を出す美香にちょっとびっくりしてしまう。
「な・・なんだ・?」
「あのねえ、美香ちゃんには大好物があるんだよ〜。知ってた?」
「・・・俺が知ってたら逆に怖いと思わないか?」
ちょっと考えた後に「ああ、そうかも」と手を打つ美香・・・。
きっと俺と長谷さんの仲が悪い、ということでも思い出したのだろう。
そもそも、好きでもない娘の好きなものを知ってるのはなかなか怖い気がする。
俺はそんなマニアではない。
目の前であはは・・と笑っていた。
「そ、そうだよねえ、確かに・・・。じゃあ、この私が教えてあげよう!」
「そんな態度なら教えていらん」
美香の偉そうな口調に対抗して、出鼻をくじくようなことを言ってやると予想通り 絡んできた。
「うそうそ!冗談だって。もう、冷たいなあ・・。」
「とりあえず、聞いてやるから早く言え。」
「あ!そんなひどい言い方するなら別にもう言わないよ。」
「そうか・・・なら良い。」
立ち上がろうとすると・・・
「ああっ!!分かったから。まぁ、聞いてよ。今度フォーチュンに行くときがあったら これを参考にしたら、かなり良いこと教えてくれるよ!」
大好物で、買収か・・。なんて悪いことを考えるんだ、こいつ・・・。
というより、そんなもので動くような商売してるのか、長谷さんは??
そう思っていると、美香が話し始めた。
「あのね、一緒に遊んでたら分かるんだけど、パフェとかを一緒に食べに行っても・・・」
「ちょっと待て!」
「ん?なに?」
「・・・長谷さんって、パフェ食うのか?あの細い色白の体で??」
「・・・色白は関係ないと思うよ。まぁとりあえず、かなり食べるね〜。 いっつも『あむあむ』言いながら食べてるよ。」
「・・・。」
い、意外だった・・・。
あの、無愛想で、細くて、冷たくて、怪しい店をやっていて、おまけに色白!の彼女が パフェを『あむあむ』言いながら食べるなんて考えられない・・・。
「でねでね、いっつもパフェを食べにいくと、決まってどの店でもプリンの入ったやつを 頼むの。プリン入ってなかったら、プリン・ア・ラ・モードを頼むね〜、必ず。」
「ぷ、プリン?!!」
「うん。プリン食べてるときは、本当に幸せそうで・・・。『むふーっ』て、必ず 一口目は満面の笑みで言うんだから!これは絶対!!」
「ほ、本当か・・?」
「うん、マジマジ」
あ、ありえん・・・。あの無愛想で、細くて、冷たくて、怪しい店をやっていて、おまけに 色白!の彼女がプリンを『むふーっ』って満面の笑みで言いながら食べるなんて考えられない・・・。
「あ、あとねえ。」
「まだあるのか・・・。」
「うん、あるよ〜。っといっても、これで最後かな?う〜んとねえ、これは嫌いなものなんだけどね。 長谷さんが嫌うこと。それは、プリンを食べているのを邪魔されることなの。」
「・・・子供か、あいつは?」
「ははは。長谷ちゃんはねえ、へんに幼いところがあるからかわいいんだよ〜。 一緒にいても飽きないんだから〜。」
ま、まさか・・・!あの無愛想で、細くて、冷たくて、(以下略)の彼女がまさか・・・。
「わ、わかった。とりあえずはありがとう・・・。」
とりあえず、美香に礼を言っておく。
しかし、こんなものが役に立つ情報とは思えないのだが・・・。
その後、美香と昼ごはんを食べて、俺は明の家に向かった。
家を出るとき、ふと自転車が目に入った・・・。
「あ、あれは・・・。」
俺がおととい乗っていったやつだ・・・。
「きっと孝か東かが後で持って来てくれたんだな・・。」
俺は二人に感謝しながら、明の家へと向かった。
明の家のインターホンを押す。
ぴんぽーん
・・・・・・・。
「・・・はい!」
満子おばさんが出たようだ。
「あの、高橋ですけど・・・」
「昇くん!元気になってよかったね!鍵開いてるから、入って入って!」
「は、はあ・・・。」
俺は誘われるまま中へと入った。
「失礼しま〜す。」
「いらっしゃーい。」
満子おばさんがリビングから出てきた。
「すぐに治ってよかったね〜、昇くん!」
「はい。よかったです、ほんと。」
「一体、何が原因だったの??」
「う〜ん、なんでしょう?最近、ちょっと疲れがたまってまして・・・。 だから倒れちゃったんだと思いますよ。」
心配そうに顔を覗きこんできる・・・。
「う〜ん、気をつけないとダメよ〜。」
「は、はあ・・・。」
「のぼるー、おまたせっ!」
そんなとき、明がやってきた。
満子おばさんは明と目線をそらしながらしゃべる。
「あかり。のぼるくんに迷惑かけたらダメよ〜。」
「分かってるから大丈夫だって。」
明は満子おばさんの顔を・・・目を見ながらそう言った。
おいおい・・・なんか、めちゃくちゃヘンな雰囲気だぞ。これって・・・。
とりあえず・・・
「い、行こうか、あかり!」
「うん・・・そだね。」
俺と明は玄関から出た。
軽くよろめく、明。
「あかり・・大丈夫か?いいぞ、俺一人で行ってくるし・・・。 なにより俺が行きたいって言い出したことだから・・・。」
「ううん。ちょっとめまいがしただけだから。大丈夫だよ。」
力なく、もとの普通の姿勢に戻る。
どう考えても、その様子は普通ではなかった・・・。
でも、元気な声を出す明。
「行ってきま〜す」
そういう明に対して満子おばさんは、
「行ってらっしゃい!」
と、笑顔で返した。
別に普通の会話であるが・・・
やはり二人の視線はかみ合ってなかった・・。
家を出てすぐ、俺は明に問い詰めた。
「おい!家に帰ってまた満子おばさんの過去を見ようとしたんだろ?!」
「ううん・・・そ、そんなことないよ。」
どもった時点で、怪しさ満点である・・・。
「うそをつけ!!どう考えても病院のときよりもお前、弱ってるじゃないか!!」
「だいじょうぶだって・・・。」
なんで、こうヘンに頑固なんだ?
どう考えても東のがうつったとしか思えない・・・。
俺は、思いっきり気持ちのこもった言い方をした。
「・・・頼むから俺を心配させないでくれ・・・。好きな人が苦しむの、見たくないんだ・・・。」
俺はしっかり明の目を見る。
明も俺の目を見る。
今は、明が俺の過去を見えなくなってしまうという俺の石の能力に感謝した。
「うう・・・。分かった・・・よ。そんな言い方されたら、何もいえないじゃない・・・。 ・・・卑怯なんだからぁ〜」
ぷぅっと膨れる明。
「・・・一つ約束してくれ。今日、絶対長谷さんの過去を見ないということ、を・・・。」
「ええっ?!いやだよ、そんなの・・・」
「だめだ。・・・俺の願い、きいてくれないのか・・・。そうか・・・。 俺は愛する人の無事や健康をも祈れないんだな・・・。」
なんて俺は卑怯なんだろう・・・。でも、これ以上こいつが弱らなくても 良いように・・・。手段なんか選んでられない。
「ううううう・・・。わかったよ・・・。ほんとにずるいんだから・・・。 のぼるなんてきらいだよ!」
「いいよ。お前が無事でいてくれるのなら、喜んで嫌われるさ。」
「あううう・・・。」
つくづく卑怯な俺であった。
あ、そういえば、思い出した!
「あ、そうそう!」
俺の突然の、うって変わって大きな声にびっくりする、明。
「な、なに・・・?しかも、変わり身早いよ・・・。」
「いや、そんなことは気にするな。」
「気にするって。・・・のぼる、女の子をだますなんて最低だね〜。」
「今まで、同様の手口でやってきたのは、一体誰だ??」
「うっ・・・。」
珍しく・・・完全勝利!
・・・いや、きっとこいつ本当はしんどくてたまらないのだろう。
いつもの明の調子だったら、これくらい普通に切り返してくるのに・・・。
そこまで弱ってるということか・・・?
「で、な、何を、おもいだしたの??」
うまい具合に話をそらしてくる。
まぁ、これ以上やっては可哀想だし・・・。
「あのな、フォーチュン行く前にちょっと寄っておきたいところがあるんだ。」
「どこ??」
「それはな・・。」
・・・・・・・。
・・・・・。
・・・。
・・・目の前に、今、フォーチュンの入り口がある。
「じゃ、じゃあ、入るぞ。」
「う、うん・・・。でも、ちょっと待って・・・。」
「どうした・・・?」
隣の明を見る。
「・・・なんでプリンなんて買ってるの??」
俺の手には普通のプリンとプリン・ア・ラ・モードの入ったビニール袋が手に提げられていた・・・。
「カレーに福神漬けは必要だろ?それと一緒さ。」
「・・・意味わかんないよ・・・。」
そう、俺は買収することにした。
というか、買収とまでは行かなくてもかなり良い雰囲気になるはずである。
・・・美香の話によると、ではあるが。
あいつがもしうそ言ってたら、ボコボコにしてやる。
・・・そんなことをしたら勇輝に殺されそうな気もするけど・・・。
そういえばどこからか、『大好物で、買収か・・。なんて悪いことを考えるんだ』 なんて声が聞こえるが・・・気のせいだろう。
・・・俺は2時間ほど昔の自分を忘れ去った・・・。
「とりあえず、入ろう!」
「うん、そだね。・・・でもさあ・・・。」
扉に手をかけようとしたところで明が声をかけてくる。
俺はその手を寸前で止めた。
「ん?どうしたんだ?」
「いや、目の前見て・・・。」
そこには・・・
『本日休業』
の看板が・・・。
俺はそれを扉からはがすと地面に捨てた。
「う、うわ・・・のぼる、何てことするのよ・・・。」
「これで休みじゃない。」
「むちゃくちゃにもほどがあるよ・・。」
「じゃあ、どうするんだ。一体これから?」
う〜んと悩む明。その間に、俺は本日休業看板を拾っておいた。
扉にそれをかけるとき、明が「ああ!」と手をたたいて叫ぶ・・・。
俺は驚いて、看板を落としてしまった・・・。
「な・・・。ど、どうしたんだ、一体・・・?」
俺は再度拾いながら訊いた。今度は、ちゃんと落とさないように扉に掛ける。
「そうだ!それ食べようよ、二人で。」
「は・・・?」
明は喜んでいるが、俺は固まってしまった。
「だって、それ美味しいそうなんだもん。」
明が俺の持っているビニール袋を指さしながらそう言う。
はぁ・・・。
「これはな・・・。」
俺は多少居住まいを正して真剣に話しかけた。
「ほら、例えば魚を釣るとき、竿に何かするだろ?」
「何って・・・。う〜ん、糸をつける?」
「もっと後のほう・・・。」
「装飾を施す?」
「・・・そんなものにこだわらなくてよろしい」
「う〜ん、あ、そうか!」
「それだ!」
「針をつける!!」
「・・・いいよそれでも。」
悲しくなってきた・・・。ちょっと真剣になったり、予想通りの答えを期待した 自分が情けない・・・。
「とにかく、魚を釣るときには、エサ・・・じゃなくて針が必要だろ?」
「うんうん。」
真剣な明。
「で、これが、その針だ。」
「な〜るほど。これで釣るのね。」
「ああ、そうだ・・・。」
絶対分かってないな、こいつ・・・。
「今回、釣る魚というのが・・・。」
ギィィィ・・・
扉が開く・・・
「私・・・、魚じゃないですよ。」
「そうそう・・・って、ええっ?!!」
あまりの驚きに商店街の中で大声を出してしまう。
道行く人はもちろんこちらを振り返っているが、何もないと思ったのだろうか、 すぐにこちらへの視線はなくなった。
「いらっしゃい・・・。どうぞ、今日はあなた方が来るのが見えたので 休業にしておきました。」
「あ・・あ・・・、そ、それはどうも。」
「では・・・お邪魔します〜。」
俺と明は、フォーチュンの中に吸い込まれていった。
今日はスモークをたいてないらしい。
まあ、お客さんがこれだけと分かっているときにわざわざたく必要もないのであるが。
しかし、前回の神秘的な雰囲気は一転、ただのお化け屋敷へと変貌した。
「お化け屋敷とは・・・あんまりですね、先輩。」
また、口に出してしまったようだ。
自分のうかつさを反省しながら目の前に用意された2つの椅子に俺たちは座る。
長谷さんは前回と同様、水晶の向こうにある占い用の椅子と思われるものに座った。
「・・・と、とりあえず、まず、一つ訊きたいことがある。」
「いきなりですね・・・。でも良いですよ。」
前回のような冷たさがない。
神秘的な普通の女の子だ・・・。
「まず、どうして俺たちが来るのが分かった?俺のことは見えないんじゃないのか?」
「ええ。でも、松山先輩の姿が見えましたから。」
「あ、そう・・。」
俺はエサ・・・じゃなく、釣り針・・・を前に差し出した。
「これ、つまらないものだけど・・・。」
「・・・。」
何の反応も示さない・・・というより固まっているように見える長谷さん。
買収は失敗だったか・・・。
内心非常に焦る。
ここで、気分を害されては困るんだ。
今日は石について長谷さんの知ってることをすべて教えてもらおうとやってきたのだから。 あと、明の出生についても訊いてみよう。
隣に座っている明を見る。
・・・どうやら、長谷さんの顔を凝視してないところを見ると、ちゃんと俺の言うことを 守っているらしい。
ふう・・・。
「・・・・。」
「・・・・・。」
あまりの沈黙に耐え切れなくなった俺は、差し出したビニール袋を引っ込めた。
「いや、別に、いらないなら良いんだ・・・。こんなまねしてすまない。」
引っ込めようとする俺に向かって、ものすごい声が掛けられる。
「待って!!」
「えっ・・・?」
「・・・い・・・ます・・。」
「え・・?なんて、今・・・?」
「い・・ただきま・・す。」
きっとこのこともすでに見ていたのだろう。自分が受け取ってしまうということが・・・。
『対抗しようと心に決めていたけれども、あのビニール袋の隙間から見える、あの やわらかさ、あの色、あのつや・・・。や、やっぱり我慢できない・・。』
などと思ったのであろうか・・・。
と、とにかく俺から恥ずかしそうにプリンを受け取る長谷さん。
「あ、ありがとうございます・・・。」
その様子は完全に普通の女の子だった。
よ、よかった・・・。また、あんなふうに雰囲気悪かったら訊くものも訊けないよ。 そう思っていたところだったからだ。
「とりあえず、話しようか。」
笑顔の長谷さん。
「はい、いいですよ。」
プリン作戦、大成功といったところか。今日ばかりは美香に大感謝であった。
「とりあえず・・・。」
何から訊けば良いのか・・・。
まさかこんなにうまくいくとは思ってなかったので出鼻をくじかれた、といった方が良いかもしれない。
でも、この気分が良いときにいろいろ訊いておかないと。
「あの前回の話の後、石を使うことの恐ろしさみたいなのがなんとなく分かったよ。」
「そうですか・・・。」
いくら気分がよくても、口数は増えないらしい。
「で、一つ訊きたいんだが、この石って何だ?」
「・・・いきなりですね。」
「ああ。でも今の俺たちには情報があまり多くない。でも、君なら知ってそうだ。 頼む、教えてくれないか?」
「・・・あなたには、他に教えてくれる人がいるのではないですか?」
ん?誰だそれは・・・。ああ・・・
「母さんのことか。」
「ええ。」
「でも、母さんの話は明日なんだ。それに母さんの話が石のことについてとは限らないし、 なにより石のことにしても母さんの知らない情報を長谷さんが知ってるかもしれない。 頼む、教えてくれないか?」
隣の明も真剣だ。
「・・・私の知ってることはあまりに断片的です。聞き及んだ部分だけですから・・・。」
「・・・聞く?聞くって、一体誰に・・・?」
多少の間をおいて、長谷さんがしゃべりだす。
「それは、聞かないことにしてもらえませんか?なら話しても良いですよ。」
「・・・わかった。良いだろう。」
なんとなく、予感はしていたんだ。
一体誰に聞いていたのか・・・漠然とだけれど・・・。
「まず、あなたの持っている・・・いや、あなた方、お二人が持っている石の名前ですが・・。」
「いや、それは私が話そう」
奥の闇からどこかできいたことのある声がする。
コツ・・・コツ・・・
かつて病院だったということを、そのリノリウムを靴がはじく音が気づかせてくれる。
長谷さんの表情が見る見る変わっていく。
焦りというべきか・・・。
自然と彼女の声は大きくなっていた。
「だ、だめですよ、出てこられては!それに、このことは内緒だと・・・。」
「いや、もう良いんだ。『歯車』が再び大きく狂い始めた以上、時間がない・・・。」
そう言いながら現れたのは・・・
「お、おとうさん!!!」
「え・・?信雄・・・おじさん・・・??」
俺と明は固まった。
「ははは!驚いたようだね。・・・って、笑い事でもないか・・・。」
信雄おじさんはゆっくりとした足取りで確実にこちらへやってくる。
そして、長谷さんの後ろに立った・・・。
「僕が二人の前にこういう形で姿を見せるときは、もう後がない時だって、決めていたんだが・・・。 やはり、父親というのは黙っていることが出来ないものだよ。」
そして、ふふふ、と含み笑いをもらす・・。
俺は・・・というより、俺以上に明は、あまりの驚きに息をするのさえ忘れているかのようだ。
「ど・・・どうしてお父さんが・・・ここに・・??」
「不思議に思うだろうねえ。僕が休日、いつも家を空けていた理由がこれさ・・・。」
信雄おじさんは明ににっこりと微笑んだ。
明は・・・なお固まっていた。
俺はまさかと思い、すぐに訊く。
「じゃ、じゃあ、かつて父さんや・・・今の母さんも?!」
余裕の笑みで信雄おじさんは受け答えする。
「ああ、そうだね。ここに来たってわけじゃないんだが・・・。 眞子さんにはね、今違うところへ行ってもらってる。最終確認なのさ。」
「最終確認・・って、一体何の??」
「・・・それは、僕の話す内容を胸に留めて、家に帰って訊いてほしい。 何を見たのか、今ならすべて教えてくれるはずさ。」
「・・・。」
とりあえず、頭がうまく回らない。
何を質問しているのかさえ、自分ではよく分かっていなかった。
ただ、ようやくすべての謎を解くキーマンに出会えたような気がして、心の中で 焦っているばかりだった・・・。
「とりあえず、今はその石について教えよう。その石の持つ力と 謎について・・・。」
ゴクン・・・
俺たち二人は息を飲んだ。
長谷さんは・・・なぜか悲しそうな顔をしていた・・・。
おじさんの話が始まる・・・。
「その二つの石はね、それぞれ過去を見る能力と、未来を見る能力がある。 って、このことは知ってると思う。」
「ちょっと想像してもらいたいんだけど良いかな?」
頭の中で想像を膨らませる準備をする。
(c)minori (c)AZEL
「今、世の中は一定の歯車が回っているような状態で維持されているんだ。 明日もそのあくる日も、そのまたあくる日も・・・。 同じペースで回り続け、世界の運命を保っている。 そんな歯車を想像してほしい。・・・ってこれじゃわけが分からないかな?」
そういうとおじさんは、「はははっ」と自嘲気味に笑った。
「しかし・・・、石の力は、どうやらその歯車を狂わせてしまうらしいんだ。 狂わすのは未来を見る力・・・。それはねぇ、逆に未来を操れる力でもあったんだよ。」
おじさんは一つの場所にいるのが耐えられなくなったのか、そわそわと動き出しながら しゃべり続ける。
「未来を見るだけじゃなかったんだ・・・。いろんな未来が見えて そのうちの好きなものだけを自分で選べるんだ。・・・このことは 昇君のほうがよく知ってるだろうね。」
「ええ・・・。」
一応の返事をする。
それを聞いて、おじさんは納得したように続けた。
「未来を操って、変えても良いんだよ、自分の好きなように。 ・・・始めは私たちもそう思っていた。私たちが幸せになるようにって・・・。 でも、それではいけないことに気がついたんだ。」
私たちって、だれだ・・・?
「あ、あの・・・。」
俺はためらいがちに訊いた。
「私たちって、誰ですか・・・?」
おじさんは立ち止まってこちらを向いた。
「ふふっ、そうか。それは・・・いや、その話は眞子さんに聞くほうが、私が話すより 良いと思うよ。」
「そうですか・・・。」
ちょっと消化不良を感じて、むっとしてしまう。
「・・・でもそれでは君が良しとしないだろうねえ・・・。私たちというのは、 翔、僕、眞子さん、そして満子の4人さ。」
そう言って、多少付け加える。
「眞子さんはすべて、話してくれるはずさ。」
「は、はぁ・・・。」
結局他人任せじゃないか!そう思って、何も言う気がうせてしまった。
「話を続けようか。4人の中で翔がその未来を操れる石を持っていた。・・・いや、なぜか 翔しか使えなかったんだ、その石は。 もう一つの・・・今明が持っている石は残りの3人が使えたんだ。」
びっくりする明。
「じゃ、じゃあ、お父さんや眞子おばさんも・・・。」
「ああ、過去が見えるのさ・・・。」
知らなかった・・・。まさか母さんまでもが過去を見ることが出来るなんて・・・。
ということは、母さんの未来は見えないのか。
そういえば、今まで頼まれたこともなかったから母さんの未来を見ることがなかったんだった。 そりゃ、そのことに気づくはずもないか・・・。
「で、翔はどんどん変わっていく未来に逆に怯え始めたんだ。 あっというまに、翔の予想通りの未来がやってきたが、それは本来あるべき形とは 大きく変わってしまったんだよ・・・。」
「・・・・・・・。」
今の俺の悩みじゃないか・・。
「4人それぞれ結婚した後、翔は自分のやったことをなかったことにするため・・・ いや、どうやったら元に・・石を使う前に戻れるのかを考えた・・・。そして、あいつは間違った方向へと 進んでしまったんだ・・・。」
俺も・・・
「あいつは、悩みぬいた末、石の力を使ってかつてある未来を取り戻そうとしたんだ。 石の力を使って、ずれた歯車を元に戻そうとした・・・が、それがいけなかった・・・。」
「これらの石の名前はね、『子午石』って言うんだよ。 もともとは・・・もともとは一つの石でね・・・。それを子午石といったんだ。 今君たちが持ってるのは、二つに割れてしまった不完全な子午石さ。 でも・・・そこには、子午石にはもう一つ意味があったんだよ。」
信雄おじさんは大きく息を吸った。
「それは、その石を使った人が呪いを受けるいうこと・・・。 石には強烈な呪いがあったんだ・・・。それを知っていさえすれば、 あいつは死ななくてもすんだんだ・・・。」
そう、親父のことだ。
やっぱり・・・ガンじゃなかったんだ。
でも、呪いで死ぬなんて今のご時世に考えるのは非常にむずかしい。
・・・しかし今こうして俺はこんな石の能力に出会っている。 呪いというのも不思議ではない気もする・・・。
「子午石はねえ、特定の人だけが使えるんだが、使った人は死に近づくんだよ・・・。 未来を見ようとすると、未来を知ることが出来る代償として過去が失われる・・・。 過去を見ようとすると、その逆に未来が失われる・・・。 そして、その人の未来が失われたとき、その人は文字通り死んでしまう・・・。 過去が失われてしまったとき、その人はすべてを忘れ、生きてきた証をなくし 死んでいく・・・。」
じゃあ、親父が死んだ理由って・・・。
あのとき、やけに穏やかな顔して死んだ理由って・・。
「しかし、2つに割れてしまった子午石は、それぞれ半分だけの力を受け継いでしまった。 片方は未来が見え、片方は過去が見える。片方は意識しなきゃ使えず、片方は何も意識しないのに 使える。片方は人を選ぶのに、片方は誰でも使える・・・。」
・・・そういえば、俺と明の石は能力が対になってるのが多いんだった。
隣を見る。
明は平静を装っているようだったが、手がポケットの中にあると思われる石を 強く強く握っていた・・・。
「そう、それが君たちの持っている石の秘密だ。 僕たちは結婚する前からその石を潰そうとがんばっていてねえ。・・・でも、どうしても出来なかった。 だから持っておかなくちゃいけなくなったんだ。 しかし、片方の家庭に二つともの石を持たせておくのはあまりに負担が大きい・・・。 ということで一つずつ持つことにしたんだよ。 未来が見える翔のいる翔の家庭には未来の方の石を、私たちの家庭のほうには 過去の石を・・・そう決めたんだ。」
長谷さんは目の前で、どうしたら良いのか分からず固まっている・・・。 そんな感じだった。
「しかし、石を壊すといってもそのときの僕達は、今の君たちとおんなじさ。 情報がなかったんだよ・・・、石についての・・・ね。 よって、まずはこの石の情報を集めることにした。日曜になったら 男は情報収集、女は石が子供に見つからないように、って。」
またここで自嘲気味に「はははっ」と笑った。
「しかし・・・満子はすぐに失敗した。あまりに大きな不安材料でもあった その石をいつ何時でも確認しなきゃいけないという心配性が、このような 結果をもたらしたんだ・・・。」
「翔ものんびり構えていた。まぁ、いつか石についても分かるだろう、と。・・・でも、次第に時間だけが過ぎていく。」
「だんだんと焦り始めた翔は呪いについて詳しく知らなかった のに、その石の力を駆使して歯車を元に戻そうとさらに必死になった。 ・・・でも、その結果が・・・。」
親父・・・。
おじさんは目の前で歩みを止めた。
「僕たちが結婚するちょっと前にこの店のことについて知ったんだ。 その頃は、長谷さんのお父さんが店をやってらっしゃっててね。 で、歯車のことを教えてもらったんだよ。・・・それからだった。 翔が本当に必死になったのも・・。自分のやってきたことの 恐ろしさが身にしみたんだろう。」
そういって、長谷さんの後ろに立った。
「・・・でも。」
僕は思わず口を開いてしまっていた。
「その・・・歯車・・・でしたっけ? それを狂わすと本当にいけないんですか?未来を変えることの 恐ろしさが確かになんとなく分かるんですけど、決定的にこれだからいけない!というのが 僕にはわからないんです。」
横から明の視線を感じる。
それは痛い視線ではなく、同感といった感じの視線だ。
「ふむぅ。それはそうかもしれないねえ。」
おじさんはそういうと少し黙って考え始めた。
「・・・。」
「・・・。」
「・・・。」
「・・・。」
コツ・・コツ・・コツ・・コツ・・・。
おじさんの歩く音だけが響き渡る・・・。
しばらくして、おじさんはようやく口を開いた。
「・・・これは、長谷さんに訊いたほうがよさそうだね。 なんといっても、このことも長谷さんのお父さんに聞いたんだから。」
俺は、長谷さんを見た。
長谷さんはちょっと困っている風に見える・・・。
「なぁ、長谷さん、話してくれないか?」
「私からもお願い・・・。」
俺たち二人の頼みに、長谷さんは口を開き始めた。
「・・・わかりました。」
そういうと長谷さんは居住まいを正す。
「・・・世の中には、さっき信雄さんからお話があったように 運命の均衡を保つ・・・そういう働きをするものがあります。それを私の父は 歯車と呼んでいました。それは、未来永劫常に一定の速度でぶれることなく、 狂うことなく・・・動き続けるはずでした。」
「しかし、それを邪魔する存在が一つあったのです。 それが子午石でした。 それによって、本来あるべき未来は来なくなってしまいます。」
少しの沈黙・・・。
「いや・・・この2つの石は、始めは一個の物だって信雄さん、言いましたよね。 つまり・・・本当の子午石は未来だけではなく、過去をも変えられるのです。 ・・・しかし、過去を変えてしまうと、もちろん現在までもが大きく変わってしまいます。 そうして、昔から過去を不必要に変えてきたものたちは自分の存在自体をも 消すこととなり、そのたび持ち主が消えていくということを繰り返していきました。」
「・・・それと同時に、そのたびそのたび少しずつ歯車はゆがんできました。 時に激しく、時に軋み、時に伸び、時に空回る。それでも、今なお なんとか動き続けています。・・・しかし、もう限界も近いようなのです。 下手をすると、ちょっとしたことで壊れてしまうかもしれません。」
なんだか、のどが渇いてきた・・・。
自分のしていることだと思うだけで他人事ではなくなる恐ろしさが こみ上げてくる。
「人がこの大地に始めて降り立ったときから・・・いや、 この宇宙が生まれた時から動き続けてきた、誰も壊したことのない歯車・・・。 それを狂わし壊してしまうと一体何が起こるのか、私にも分からないんです。 ですから、未来を変えちゃだめなんですよ・・・。」
「・・・。」
俺は何を言うべきなんだろう・・・。言うことが思いつかなかった・・・。
でも、何とか訊いてみる。
「あ・・・ああ・・。じゃ、じゃあさ、もしそれを壊しちゃったら、 どんなことが予想されるの・・・かな?」
長谷さんは表情一つ変えずに答えた。
「わかりません。」
「あ・・そうですか・・・。」
確かに分からないってついさっき言ってたのに・・・。 まさかこんな質問をしてしまうとは、なさけない。
「・・・でも、たぶん、これはあくまでもの予想ですけど・・・。」
「え?」
思わぬことに、長谷さんは話した。
「歯車が完全に崩壊してしまって、それに基づく運命も崩壊・・・。 石による時間軸への強烈な影響もあいまって、時間そのものも崩壊。 たぶん、すべての時間・空間がバラバラに崩れ去って、この世の終わりを迎えるでしょう。」
「え゛?!」
な、なんてことだ・・・。
俺の普段やっていたことは、この世を崩壊させるほどの行為だったのか・・・。
・・・言葉も出ない・・・。
「・・・というのは冗談です。」
「・・・はっ?!!」
長谷さんのまさかの言葉にさらに固まる俺。
「そんな力をこの石が持っているとは思えません。 ですから、そんなことは起こらないと思います。」
「・・・おい、こら・・・。」
「・・・でも、起こらない、と断言も出来ないんですよ。 だからこのままにしておくしかないんです・・・。」
なぜ未来を変えてはいけないのかがよく分かった。
・・・でも、ずっと引っかかってることがある。
なんでそんなことが彼女には分かるのだろうか??
俺は訊いてみる事にした。
「なあ、長谷さん、話はよく分かったんだけどね。 ・・・どうして君にはそういうことが分かるのかな?石のこともそうだし・・・。」
「・・・それは、簡単なことですよ。」
そういうわりに、ちょっとだけ間をおいた。
「・・・その石は、私の先祖が作ったものだからです。」
「・・・は?」
「うそじゃないですよ。私の家系は代々天皇家に仕えていた、占い師・・・。 陰陽道を知ってますか?あれとはまた別の占いの方法なんですけれども・・・。 まあ言ってみれば呪術・・・ですね。」
長谷さんの話についていくのがやっとで、頭の中で整理しきれない・・・。
「・・・つまり、その子孫である長谷さんもまたその呪術を使える・・・と?」
「そうです。ですから、占いなんて職業に就いてるわけです。」
じゃあ・・・。
「なら、石を作ったのなら石を壊す方法も知ってるんじゃないか?」
俺の質問にゆっくりと首を振る長谷さん。
「いいえ・・・。私がこのことを知ったのは信雄さん、翔さんたちのおかげでしたから・・・。 占いの力は先祖から受け継がれていたんですけど、先祖がそんな石を作り出していたということは まったく知りませんでした。・・・父は知ってたようですけど・・・。」
信雄おじさんを見てみる。俺の視線を感じたのか、ゆっくりと口を開いた。
「古文書にね、そう書いてあったんだよ。何とか石を壊そうとしていたときに 見つけた古文書なんだ。・・・石の壊し方も書いてあったみたいなんだが、年月が経っていて もはや読めなくなってしまってるんだ。でも、石を作った経緯などは書いてあった。 その辺りは今、再度、君のお母さんが読みに行ってる。」
「そうですか・・・。」
俺は頭の中がごっちゃで、母さんがどこに読みに行ったか、などの質問も出来ないでいた・・・。
・・・・・・・・・。
沈黙とえもいわれぬ緊張が辺りを包む。
・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・。
・・・・グゥ〜〜
「・・・??」
何の音だ?
「あ、あのお・・・。」
長谷さんが、うつむき加減に口を開いた。
「ど、どうしたんだ・・・?」
「こ、これ・・・」
あ、そうか、目の前にあるビニール袋には自分で持ってきたプリンが入ってるんだった・・・。
グゥ〜〜〜
じゃあ、この音は・・・
真っ赤にうつむく長谷さん。
もう時間は・・・ちょうど3時過ぎか。
「じゃ、じゃあ、食べて良いよ。あ、もう俺、帰るから・・・。」
俺は椅子から立ち上がった。
そのとき、すそが引っ張られる。
「あ・・あかり?どうしたんだ?」
「だって、わたしの訊きたいこと・・・。」
あ、そうだった。こいつの本当の両親・・・。
「そうだったな。」
俺は再び椅子に座った。
「いったいどうしたんだい?」
不思議そうにこっちを見てくる信雄おじさん。
って、よく考えたらそんなこと長谷さんに聞かなくても、この人に訊けば良いのだ。
「信雄おじさん。訊きたいことがあります・・・。いや、これは明の訊きたいことです。 ・・・あかり、ちゃんと自分の口で言うんだ。」
「ええ〜っ・・・。話が違うよ・・・。」
あからさまにびっくりしている・・・そりゃそうだろう、育ててくれた親に直接 「私の本当の親は誰?」って訊かなくちゃいけないのだ。何より辛いだろう。
でも、いつまでもこうしているわけにもいかない。自分で訊いて 自分で真実を掴み取ってほしい。
「目の前に信雄おじさんがいるんだ。一緒のことさ。逃げちゃダメ・・・だろ?」
「それは、昇の中での合言葉でしょ・・・。」
そう言いながらも諦めたのか、決心がついたのか、
「でもそうよね、分かったわ。」
そう言っておじさんを見据える。
明は意を決して訊いた。
「おとうさん!一体私の本当の親は誰なの?!もう私も子供じゃないの。本当の こと教えて・・・。」
「・・・。」
信雄おじさんは少し悩む。
そしてしばらくしてこう言った。
「・・・わかった。そのほうがお前を苦しめないかもな。家に帰ってから話そう。 ただし、・・・ちゃんと受け止めるんだぞ。」
「うん・・・。」
とりあえず、明も俺も家に帰ることになりそうだ。
そんな中、一人・・・。
「むふ〜〜〜〜〜〜。」
という声を出しながら、プリン・ア・ラ・モードを食べている人がいた・・・。
「・・・あむあむ・・・。」
・・・・・・・。
緊張感がすべてふっとぶ・・・。
ちょっと時間が止まった・・・。
俺は家に帰ってきて、もう晩御飯も食べ、今は7時。
母さんの話を聞こうと思う。1日早いけど、今日が良いだろう。
というより、もうこれ以上待てないといった感じだ。
信雄おじさんも『今日、訊いてみなさい』と帰り際に言ってたし・・・。
家計簿をつけている母さんのところへと行く。
美香は自分の部屋にいるようだ。チャンス!
「母さん。話があるんだ。」
「なに〜?」
家計簿をつける手を休め、こっちを向いた。
「あの・・・明日話すことになっていた話。今、お願いできるかな?今日、フォーチュンに 行ってきたんだ。それでいろいろ訊いてきた。」
「フォーチュン・・・ということは、信雄さんにも?」
会ったの?が省略されているのだろう。
「ああ・・・。しっかり話も聞いてきた。石についても・・・。 まだまだ中途半端な内容だったけどね・・・。」
少し考える母さん。
「そう・・・。じゃあ、もう私が話しても大丈夫ね。」
そう言って、家計簿を片付けこちらに向き直った。
目が・・・今まで見たことないぐらい真剣である・・。
「・・・これから私は2つのことを話します。まずは石のこと。私とお父さんで必死に 調べてきたことのすべて・・・。それから、あなた自身のことについて・・・。 わかりましたか、のぼる・・・くん?」
・・・くん?
俺は軽くうなずいた・・・。
うなずくことしか出来なかった。
いよいよ母さんの話が始まる・・・。
この1週間、長かった・・・。
ようやくだ・・・。
「それはね、むかし、むかしのことなの・・・」
すべての空気が止まった・・・。
第13話 「災いの始まり」
「おい!八兵衛(はちべえ)!八兵衛はおるか?!」
「八兵衛どの!八兵衛どの!」
寺を探し回る男二人。
「う〜む、どこに行ったのか。」
「ここにはおられないのでしょうか・・・。」
「いや、そんなはずはない。八兵衛は動き回るのが好きな男ではないからな。 確実にこの寺の中にいる。」
「・・・しかし、この寺、広すぎますよ・・・。」
「・・・私も1年前にちょっと来たことがあるだけだから、詳しくは知らんのだよ・・・。」
さすがであった。
さすがは「裏世界」で繁栄を極めた呪術の総本山、慈運寺。
それは広く世間に親しまれた仏教の寺であったけれども、 一つ裏をめくれば人々には禁忌とされている「呪術」を扱う者の総本山、という 二つの顔を持ち合わせていた。
その呪術は、朝廷の政策運営に広く生かされている。
「ええい!寺のものに訊けば分かるであろう。だれか、誰かおらぬか?!」
観音菩薩が見守る、昼なのに薄暗い大広間で大声を上げる。
「・・・はい。誰でございますかな?」
奥からのっそりと一人の年老いた僧侶が現れる。
「おお。そなたは、久しいな。」
「は、お久しぶりであります、蔵人頭(くろうどのとう)。」
僧侶は深々と礼をした。
「いやいや、それよりも今までどおり名前で呼んでほしいものだ。」
「ははっ。では、通俊(みちとし)さま、と呼ばせていただきます。・・・そちらの方は?」
僧侶は、「通俊」と呼んだその男の隣にいる20歳ほどの若い男を見た。
「うむ、こいつはな、今日から蔵人になった仲実(なかざね)だ。」
「はじめまして。」
「はじめまして、仲実さま。」
仲実と呼ばれた男の礼に、また深々と頭を下げる僧侶。
「で・・・ここに来た訳なんだが。」
僧侶は通俊の言葉を聞いてすぐに反応した。
「分かっております。八兵衛ですな。・・・今連れてまいりますので。」
背を向けて行こうとする僧侶を、通俊が止める。
「いや、用があるのはこちらなのだ。こちらから出向くのが礼儀であろう。」
「いや、しかし・・・。蔵人頭であるあなた様にご足労願うのは・・・。」
「何を言う。ここまで京から来ておいて、多少の歩きなど何がご足労か。 それに、私のことは名前で呼んでほしいといったはずだが。」
多少不機嫌になる通俊に、何一つ変わらぬ対応をする僧侶。
「そうでございますか。ならば、ご足労願いましょう、通俊さま。」
「うむ・・・。」
満足そうな通俊をつれて僧侶は歩き出した。
仲実はただ、黙ってついてきていた。
「この中にいると思われます。」
立ち止まって僧侶が指差した先には、太い柱があった。
直径2メートルはあろうか。半分が壁に埋まっており、かなり太い。
しかし、驚くのはそれだけではなかった。なんと、その木が5本ほど横に連なっていたのだ。
こんなに柱が要るのかどうか、疑問になってくる。
「・・・御坊、私にはただの柱しか見えないのだが。ふざけているのか?」
通俊は驚きのあまり普通に聞き返した。
「いいえ。ここであっておりますよ。そこの柱の右から2つ目をよく調べてみてください。」
「・・・面倒な。」
そう言うと通俊はそこへ行く。仲実もついて見に行く。
「・・・何もないではないか。」
そう言うだけの通俊を横目に、仲実は柱を押してみた。すると・・・。
ゴゴゴゴゴッ
重く引きずる音がして柱が壁にめり込む。
・・・いや、違う。
柱にあらかじめ切り込みがあり、その部分だけを押しているのだ。
大きな柱に、人一人が通れるだけの長方形の穴が次第に奥へと沈んでいく。
「おおっ!こ、これは・・。」
通俊は仲実が押すのをみて、さらに驚いていた。
ズズズズッ
・・・そして。
ズドン!
という音とともに、押していった柱が向こうまで押しきられ、下に落ちる。
「・・では、参りましょうか。」
そう僧侶は言うと、その中に入っていった。
中は・・・結構広い。
6畳ほどのスペースがあった。
しかし、外から見ても中からみてもこんな部屋があるとはまったく気づかないほど 巧みに作られており、通俊はただただ驚き感心するばかりであった。
窓はなく、空気を入れるだけの小さな穴が壁にあいており、天井には うっすらとした光を入れるだけの桟がついている。
大広間も暗かったが、ここはさらに暗い。目が慣れるまでは ほとんど暗黒の世界の中であり、何もみえない。
そんな部屋の片隅の方で、何かが動いた。
「なにやつ!」
通俊が腰の刀に手を添える。
「・・・手をお納めください、通俊さま。あれが八兵衛ですぞ。」
「なに・・・?」
確かによく見ると人のかたちである。
僧侶がその動くものに近づいていった。
「ぐぅ〜〜〜。すぅ〜〜〜〜。」
「これ!八兵衛!いつまで寝てるんじゃ、起きんか!蔵人頭さまが来ておられるんじゃぞ! そんな姿で迎えて良いと思ってるのか?」
「すぅ〜〜・・・ん・・・んん?」
うっすらと目を覚ます、八兵衛。
「ふああ・・・。ああ、おはようございます、僧正。」
「おはようございます!などとのんきな返事をしておる場合ではないぞ! 京からおぬしに用があって蔵人様と蔵人頭様がおいでになられてるんじゃぞ!」
ゆっくり伸びをして、のんびりと立ち上がる八兵衛。
その男は・・・仲実と同じぐらいであろうか。20歳前後に見えた。
「ふああ〜〜〜。・・・あ!通俊さまではないですか!お久しぶりでございます。」
あくびから一転、うれしそうな顔になり、ゆっくりと頭を下げた。
「うむ、元気そうで何よりだな。八兵衛。」
「ありがとうございます。通俊さまもお元気そうで。」
「いやいや。私は少しずつ年老いてきたさ。」
「まだ30にもなられてないですのに?」
「はっはっは。そういえばそうであったな。」
そんな中、八兵衛は仲実に向き直り挨拶をした。
「はじめまして。私、慈運寺和尚(おしょう)、八兵衛と申します。」
仲実も多少驚きながら挨拶をした。
「はじめまして・・・。蔵人の仲実と申します」
八兵衛という者がこの寺の和尚であるということは仲実も聞き及んでいた。
しかし、まさか自分と見た目ほとんど同じ年齢とは・・・。
仲実はただただ驚くしかなかった。
「で・・・一体私に何の用ですかな?」
八兵衛は通俊に向き直った。
「単刀直入に言おう。帝がそなたに神祇官伯(じんぎかんはく)として宮中についていただきたいと おっしゃっている。」
「・・・。」
神祇官伯。それは、神祇の祭・神官を司る役所の中で最高の地位であった。
世間的には八兵衛は仏教の偉い和尚として知られている。
しかし、いきなりそんな役目にただの坊主が就くことなど、はたから見て異様なものであることは 間違いなかった。
「お返事をいただきたい。」
通俊は八兵衛に迫った。
「・・・、無理と私が言えば・・・?」
「それなりの覚悟が必要であろう。」
あっさりと通俊は答えた。
天皇の命は絶対である。逆らうことなどできるはずもない。
しかし、これはいくらなんでも急すぎる・・・そう八兵衛は思わずにいられなかった。
「多少お時間をください。」
「帝もそのおつもりである。私たちは一度京に帰るので、10日後にまた来よう。」
「・・・分かりました。」
そう八兵衛が答えると通俊と仲実は帰っていこうとした。
その背中に声がかけられる。
「それならば、泊まっていかれてはどうです?」
その声は僧正の声であった。
「いやしかし、それはさすがにご迷惑であろう・・・。」
「八兵衛、どうじゃ、そうした方がおぬしの決心も固まりそうにないか?」
八兵衛は考えた。確かにこのままこの2人を帰してしまうと、自分の決心も 鈍りそうである。後ろから押してもらえる人がいたほうが、より納得して 京へと行けるに違いない。
必ず京へと向かわなければならないのなら、より自分を納得させられる方を選んだ方が よいだろう。
「・・・そうですね、僧正。そうしてもらえたらありがたいです。」
「・・・かたじけない。それならばお言葉に甘えさせていただこう。なあ、仲実?」
仲実は黙ってうなずいた。
・・・自分とほぼ同じ年齢の者が裏の総本山の和尚を務めている・・・。
仲実は話をしてみたくて仕方がなかったのだった。
「はい。よろしくお願いいたします。」
こうして、八兵衛と仲実は出会った・・・。
歳が近かったこともあっただろうか・・・。
八兵衛と仲実は次第に打ち解けていき、無二の親友となっていった。
「なあ、八兵衛・・・。」
「どうしたのだ、仲実。」
「どうしてそんな若さで和尚を務めているのかだ?」
寺の二人は縁側でいつもの語り合いを始めていた。
「ああ・・・。これはな、ちょっと長くなるのだが・・・」
「かまわない。気になってたからな。」
「そうか。まず、私は拾われたんだ、僧正に。」
「・・・。」
「幼いころ、な。で、ここで育った。ここは・・・宮中のものしか知らないけれども、 この寺は呪術を志すものの総本山だ。外面上は単なる大きな仏教寺だけれど。」
「ああ・・・。それは通俊さまに聞いている。」
「なら、話は早い。私は生まれ持った力があるようで、呪術に対する力を どんどん目覚めさせていったんだ。」
「ああ・・・。」
「というわけで、その部分を買われ、あっというまに和尚になっていた、というわけなのだ。」
「・・・部分的に、非常に端折られている気がするのは気のせいか?」
「・・・気のせいだな。」
「むちゃくちゃ強引な説明じゃないか。どうして、その力があるというだけで 和尚になれるんだ?悟りや年月の経った思想なども必要なのではないのか?」
仲実の質問に、真剣になって答える八兵衛。
「実は・・・ここだけの話なんだが、呪術を仕えるという人はそうたくさんいない。 僧正でさえも、すべての呪術を使いこなせるわけではない・・・。 つまり、呪術を使える人が現れるということは必然的に和尚にされると言うことなのだ。 呪術の総本山の和尚ともあろうものが呪術を使えないようでは話にならないからな。」
「な・・なるほどな・・・。」
よく分かる説明だった・・。
仲実は一つ訊いてみた。
「呪術・・・というとどんな呪術が使えるんだ?」
「そうだなあ。たとえばその人の未来を見ることが出来る。あと、鬼を使って 雷を落としたり、天候を変えたり、人を動けなくしたり・・・。」
仲実はちょっとぞっとした。
「す・・すごいんだね。」
やってみせてよ!というつもりだったが、そんなことをしてしまっては ここら一帯に雷が降ったり皐月なのに雪が降ったり、金縛りになったり。 まともな経験は出来そうになかった。
「ちょっとやってみようか?」
八兵衛の提案に仲実は首をぶんぶん振り回した。
「い゛!?いや、いいよ・・・。」
「そう・・・?見せてあげたかったなあ。」
残念そうに八兵衛は下を向いたが、今度は八兵衛から仲実に質問してみた。
「そうそう、仲実は蔵人の位階に就いてるけど・・・実際蔵人ってどんなことするの?」
この二人、身分に差があったけど、二人の時には敬語はやめて仲良く話すようにしていた。
「う〜ん、そうだなあ・・・。」
ちょっと悩んでから仲実はこたえた。
「帝のお側にお仕えして、いろんな命令とか手紙とかを伝達するんだ。 まあ、詳しいことはさすがに言えないけどね・・・。」
「う〜ん、そうか。」
「お側にお仕えしてるせいもあるけどね、やっぱり帝の命は絶対だよ。 いきなりあんな、京に来いという命令を受けて困るのも分かるけど・・・ やっぱり来るべきだよ。」
「そうなんだけどね・・・。」
一応仏教の和尚が俗世間に戻るということで、八兵衛は非常に気が引けた。
そして和尚が抜けるのだ。後の和尚職交代の儀もある。
なにより、いきなり神祇官伯だ。そんなものに何の経歴も持たない八兵衛が 就くのは何が何でも怪しい。いじめにもあうだろう。
・・・とにかくいろいろとややこしいのだ。
「でも、確かに・・・ちょっと困っちゃうよね。う〜ん・・・。 神祇官伯に就くということに困ってるよね。」
「うん。いきなりそんな高位職に就くなんて出来ない・・・。」
「君の呪術の腕前は1年前の出来事で聞き及んでるよ。 帝もその力を用いて世の中を平和にしたいんだ・・・。そのためなら帝も 神祇官伯をさっぱりと君に任命すると思うよ」
「・・・帝がよくても、他の人がよくは思わないだろう。」
ふう・・・という八兵衛のため息に仲実も困る・・・。
「・・・。」
「・・・。」
しばらく無言で考えた。
そして・・・。
「そうだ!!」
「な、なんだ、仲実・・・。いきなりでびっくりするじゃないか・・・。」
いきなりの声にびっくりする八兵衛。
「こういうのはどうだろう?神祇官大副に就くというのは? 確か今この役は空いてるんだ。そしたらちょうど良いと思うぞ!」
「なるほど・・・。」
それならそんなに言うほど位も高くない。
「これなら仏教に造詣の深い八兵衛なら誰も怪しまないさ!」
「・・・ちょっと考えてみるよ。」
「ああ。」
とは言うものの、やはり即答は出来ないのであいまいな返事でその場はしのぐ。
官位のことだけが不安ではないのだ。
やはり、自分が和尚であるということがひどく心にのしかかる。
しかし行かないわけにはいかないだろう。
一つ気になったことがあった。
「なあ、仲実。」
「どうした?」
仲実に訊いてみた。
「お前は帝の言うことは何でもきくんだな」
「ああ、そうさ!」
胸を張って仲実は言った。
「それが蔵人のなすべきこと、蔵人の誇り、俺の信念さ!あのお方を俺は信じてるからな。」
すがすがしい仲実の顔は、八兵衛にある決心をさせた。
一緒に悩んでくれて、話も聞いてくれる友。
その真っ白な心が八兵衛の心を押した・・・。
そして、二人が来てから8日後・・・
「僧正、お話があります。」
それは、もうすぐ本格的な夏になろうかという、皐月のつごもり。月影の無き晩・・・。
「どうした、八兵衛よ。入りなさい。」
「はい・・・。失礼します。」
八兵衛は僧正の部屋に入り、僧正の前に正座した。
「八兵衛よ・・・。」
「僧正、私、明日には京へと旅立ちたいと思います。」
「そうか・・・。」
僧正は別段悲しそうな顔もしなかった。
「・・・俗世に戻るということがどれだけ卑しいことか、どれだけ罪深いことか分かっております。 しかし・・・帝の命、友の頼みとあらば・・・どうして断れましょう・・・。」
「・・・。」
「・・・私が呼ばれているのは禁断の呪術による政策顧問・・・。これは しっかり肝に銘じております。仏教目的では呼ばれていないのでしょう・・・。 思えば、去年、私が通俊さまに助言」
「八兵衛!」
八兵衛の話が終わる前に僧正は割って入った。
その言葉に、はっとして小さくなる八兵衛。
「・・・すみません。」
「・・・よい。そのことをいつまでも悔いていてはいかん。 仕方ないのだ。これも、お主の運命・・・。歯車がそういう風に回っておるのじゃよ」
「・・・はい。」
「・・・行くがよい。そして、世のため人のため、その呪術を生かしてこい、八兵衛。」
「ありがとうございます・・・。」
八兵衛は額が地に付くほど頭を下げた。
「ありがとうございます・・・ありがとうございます・・・。」
何回も何回も下げた・・・。
今までお世話になった恩が胸を締め付ける。
涙が頬を伝った。
一度俗世を捨てて仏門に入った人間が、再び政治という俗世にまみれる・・・。
いかに罪深いことか、それは口に出して語れるほどのものではなかった・・・。
「・・・もうよい、八兵衛よ。」
「はい・・・。」
ようやく八兵衛は頭を上げた。
「して・・・、どうするのじゃ?本当に神祇官伯に就くというのか?」
「・・・いいえ。神祇官大副ではだめでしょうか、と聞いてみるつもりです。」
「・・・昇殿の許される最下位の位階か・・・。」
「はい。」
神祇官大副とは伯の一つ下であるが、これでも清涼殿に上れる一番下の位であった。
「わかった。やってみなさい。」
「はい!・・・ただ、一つお頼みしたいことがあります。」
「言ってみなさい。」
それは八兵衛がずっと気になっていたことだった。
「私の代わりに誰か慈運寺和尚を任命ください。和尚がずっと不在では いろいろと困りますでしょう。なにとぞよろしくお願いいたします・・・。」
「・・・そうか。わかった・・・。」
そういうと僧正は立ち上がり八兵衛を見据えた。
「僧・・・正?」
「今ここに八兵衛の和尚の位を解くものとし、代わりに僧正の位を授ける。」
「――――――――!!!!!そ・・僧正!!」
「・・・今より八兵衛、お前は・・いやあなた様は僧正です・・・。」
「な、何を言ってるんですか!!!正式な着任の儀も行わずになんということを!!僧正!!」
僧侶は首を振った。
「いいえ。もう私は僧正ではありません。あなたが僧正なのです。私が 和尚を務めましょう。それに・・・そのほうが神祇官伯もしくは神祇官大副に就くときにも なんの問題もなくいくでしょう。僧正なのですよ、神祇官にはもってこいではないですか。」
僧正とは、僧官のなかの最高の位のこと・・・。
「・・・・。そう・・じょ・・・。いや、和尚・・・ありがとうございます・・・。」
僧侶は八兵衛のことを考えての行動だったのだ。
その優しさが八兵衛の心を後押しした。
「この・・・このご恩は一生忘れません・・・!お世話に、長い間お世話になりました・・・。」
「・・・・・。」
八兵衛は涙で僧侶の部屋を後にした。
翌日・・・
「本当にこれで良いんだな、僧正?」
「はい・・・。後は・・・和尚が何とかしてくれると思います。」
通俊の質問に八兵衛はこう答えた。
今は夜明け前。
ここは慈運寺が見渡せる丘の上・・・。
風が草原を揺らし、雲を散らし、八兵衛の惜別の情も流していった。
「・・・行ってきます。」
・・・八兵衛はきびすを返して歩き始めた・・・。
そのとき。
「・・・八兵衛。忘れ物じゃ。」
その声が前から聞こえた。
「そ・・・和尚!」
道行く先に和尚が立っていた。
「これをお前に授けよう。僧正となったときに渡そうと思っていたものじゃ。」
それは・・・呪術の巻物だった・・・。
「こ・・これは・・・。」
「お前にしか使えないような高度な呪術も載っている。 広く役立てよ。決して・・・使い道を誤ってはならんぞ。」
「はい!ありがとうございます!」
「では・・・行くのだ。」
「はい・・・」
和尚の声に押されて歩き出す八兵衛。
3人は和尚に背を向け歩き出した・・・。
その背後を見ながら、和尚はつぶやいた。
「・・・運輪(うんりん)を・・・頼む・・・、八兵衛よ・・・。決して誤ってはならんぞ。」
蔵人や蔵人頭がきているのだから、牛車で来ているのだと八兵衛は思っていた。
しかし、どうやら周囲に知られず来なければいけない命だったらしく、 徒歩で京まで行かねばならなかった。
慈運寺から京まで歩いて3日ほど。
そんなに遠くはなかった。
途中夜盗に襲われかけたこともあったが、それはすべて事前に八兵衛の呪術によって 見抜けていたし、別ルートを採るのが不可能だったりおっくうなときには、 八兵衛の呪術で夜盗を金縛りにあわせて何一つ問題なくすごした。
八兵衛の呪術を見るたび二人は驚き、感嘆の声を上げた・・・。
もう明日には京に着くであろうという晩。
「すごかったな、さっきの呪術!!」
「そんなことないですよ。」
仲実の興味津々の質問に普通に答える八兵衛。
本当はもっと二人で騒いだりしたかったが、通俊がいるため そんなことは八兵衛にはできなかった・・・。
「いやいや、さっきのはすごかったぞ。目の前をふさいだ盗賊5人を一瞬のうちに 動けなくしてしまったんだから。なあ、仲実?」
「はい!本当にすごかったです。・・・八兵衛、あれはなんて名前の呪術なんですか?」
「・・・名前ですか?私たちの使う呪術に特定の名前はほとんどないんです。 まぁ、言うなれば・・・『影縫い』でしょうか。」
「影縫いかあ〜。」
仲実は目をらんらんと輝かせて話を聞いていた。
「別に影を縫っているわけではありませんけどね。見えない鬼をつかって、動けないように 体を縛ってしまうんです。」
「じゃあ、一体あのものたちはいつ動き出すんだ?」
仲実の質問に丁寧に答えていく八兵衛。
「私が鬼たちに命令すればすぐに動けますよ。もしくは、ある一定時間経てば動き出せます。 まあ、一刻から二刻ぐらいが限度ではないでしょうか?一応、それぞれの呪術自体に効力の長さというものが 決まっています。こういう簡単な呪術なら早く解けてしまいますが、高位呪術になればなるほど 術者が死ぬまでとか、永遠に解けない、とかいう風になっていくのです。」
八兵衛の言葉に興味津々の仲実。
そこに、
「もう、今日は寝るぞ、二人とも。明日に響く。」
通俊の言葉。
「・・・はい、分かりました。」
仲実は多少不満げながらも了解した。
「はい。・・・ただ・・・。」
「ん?どうした、僧正?」
八兵衛の言葉に通俊は尋ねずにはいられなかった。
「・・・どうやら、今日の晩遅くに夜盗に襲われます。」
「またか!!」
「・・・はい。」
「どうする、僧正?」
「どうするんだ、八兵衛?」
すっかり八兵衛に頼りきりの仲実と通俊。
「先を急ぎましょう。しばらくすると川がありますから、そのほとりで休めば 大丈夫です。」
「わかった、そうしよう。行くぞ、仲実」
「はっ!」
3人は再び歩き出した。
しばらくすると本当に川が見える。
「・・この辺りで良いのかい、僧正?」
「はい。良いですよ。」
ふぅ、と3人は腰を下ろした。
「じゃあ、寝るか。」
「はい。」
そういうとすぐにまぶたが下りてきて、3人ともあっという間に眠ってしまった。
翌朝、起きて京を目指した。
予定通りすんなりと着き、目の前には羅城門が見える
「それでは行くぞ。」
という通俊の言葉に、
「ちょっと待ってください。」
という八兵衛の声。
「どうしたんだ、八兵衛?」
「私が今参内したところで、中には入れないのです。事前に連絡しておかなければ 無理なのでは?・・・と思ったんですけど、今未来を見てみたらもう連絡とってあるんですね。 なら行きましょう。」
「・・・忙しいやつだな、僧正。」
八兵衛は話しているときに呪術によって未来を見たのだろう。
八兵衛の見たとおりの未来がやってきた。
白河天皇に謁見し、神祇官伯の任はあまりに重いので神祇官大副の任にしてほしいということを伝えて 快諾を得、八兵衛は呪術による政策顧問となった。
「うむ。期待しておるぞ、八兵衛よ。分からないことがあったらここのものたちに聞いてくれ。 また、さまざまな政策を打ち出すときにおぬしに意見を求めることになるだろう。 よろしく頼む。期待しておるぞ。」
「はい、もったいなきお言葉・・・。」
「そしておぬしに名前をやろう。八兵衛という名はあまりにも僧正にはふさわしくない。 先日名前を占ってもらってな、今日からおぬしは『慈覚』と名乗るのはどうか? お主の寺の名前『慈運寺』から一字いただいておる。八兵衛という名が気に入っておるのなら 別にかまわんのだが。」
「身に余る光栄、感謝のほどもありません。」
そういうと、慈覚は深々と頭を下げた。
「そうかそうか。では、がんばってくれたまえ。」
「はっ。」
白河天皇は満足そうに笑った。
それからというもの慈覚は、 蔵人の仲実とお互い近況報告や悩みなどを話しながら宮中生活を平和に過ごし、 また、慈覚も仲実も帝に気に入られ、厚遇を受けた。
慈運寺を懐かしく思う慈覚はたまに帰ったりもしたが、それは「慈覚」としての 帰省でもあり、寺の皆の態度はどこかよそよそしく寂しさを覚えた。
慈覚としての人生が始まる・・・
それは1075年水無月四日からのことであった・・・。
その11年後、白河天皇は堀川天皇を立てて自分は上皇になるという、院政を開始した。
そして、このときから事件は起こり始める。
幸せな日々は一瞬にして崩れ去る・・・そういうものである。
白河院による院政開始から数年後・・・。
この日もまた、慈覚は白河院に呼ばれた。
「はっ、お呼びでございましょうか。」
このころには慈覚は神祇官伯となっており、また仲実も蔵人頭になっていた。
「うむ・・・。おぬしにしか頼めないことなのだが・・・。」
また来たか・・・そう慈覚は思った。
ここのところの白河院の命はヘンなものばかりであった。
『次の賽の目は何か?・・・占うのだ』
『集中豪雨をなくすよう術を使ってくれ』
・・・白河院は次第に慈覚の呪術を政治に使うのではなく、個人的な欲望を 満たすものに使い始めた。
『次に私のもとを女性が訪れるのはいつか?』
『あの堀川が私に敵意を抱いて、討ちに来るということはないだろうな?』
・・・そんなことばかりであった。
あの人のよさそうだった白河天皇はもういないのか・・・。
目の前にいるのは白河天皇ではく、白河院だった・・・。
「私にしか頼めないことと・・・申しますと?」
「そなたの使う呪術の中には、時を意のままに伸び縮みさせる術があるというではないか。」
「はっ・・・。」
なぜ・・・それを!!
それは、呪術の中でも唯一と言って良いほどの存在である、名前のついた呪術であった。
その名は・・・
『子午重離』(しごちょうり)
これは子の刻(午前0時)と午の刻(午後0時)を重ねたり離したりするように、 時間を縮め未来に行ったり過去に行ったり、また時間を伸ばして1秒を1分のように感じることも できる。
しかし、これは非常にまずい呪法であった。
なぜなら本来あるべきものではない事が起こってしまう・・・。
運輪・・・つまり歯車をゆがめてしまうことになる。
これだけは避けなければならなかった。
「しかし・・・お言葉ですが白河院。あれは私たちの使う呪術の中でも禁忌として 恐れられているのです。この世が崩壊してしまうかもしれないほど危険な技なのです。」
「・・・それがどうかしたのか?この世なら崩壊してもよいのではないのか? こんな辛い世なのだ。別にかまわん。問題はそこではない。」
だめだ・・・。もはや院の心は腐りきっている・・・。
「しかし・・・。」
「まぁ、私の話を聞くがよい。そなたの手をいちいち煩わそうなどとは考えておらん。 今回の命はあるものを作ってほしいのじゃ。」
「あるもの、といいますと・・・?」
慈覚は最大限、いやな予感がした。
「過去や未来に起こる出来事を見て、それを変えられるようなものがほしいのじゃ。」
「・・それは・・・」
「ものは、何でもよい。木でも、鉄でも、そこらに落ちてる石でもかまわん。 おぬしが使う呪術と同じ効果をもたらすものを作ってまいれ!」
「・・・。」
慈覚には・・・
「どうした、返事は?」
慈覚には逆らう余地は、残っていなかった・・・。
「・・・はい。わかりました。」
慈覚は歩いて去っていく。
足取りは重かった・・・。
・・・そんな中、院の呟きが慈覚の耳に入った。
「ふふふ・・・これで、これですべては私の思うがままだ・・・。ふふふ・・・。」
・・・闇が慈覚の心を覆った。
いつもの部屋に戻り、慈覚は頭を抱えた。
「私は・・私はどうすればいいんだ・・・。」
「どうするんですか、僧正・・・。」
私は、自分ひとりではさすがに厳しいところもあったので10人ほど、 慈運寺から門下生を連れてきていた。
「どうしようもないのだ・・・。作るしか・・・作るしかないんだよ・・・。 誰にでも『子午重離』することのできるようになるもの・・・を・・・。」
「僧正は、それでもいいのですか?!あれは、決して使ってはいけない術として・・・。」
「・・・分かっている。しかし、帝の命は絶対だ・・・。」
「・・・。」
「・・・悩んでいても始まらん。作ろう・・・。作らなければ私だけではなくお前たちも 殺されてしまうだろう。それだけは避けなければならない・・・。」
「私たちのことを気にかけていらっしゃるのですか・・。 僧正!そんなことは気になさらないでください!たとえ殺されても、子午重離を黙認してしまうより はるかにましです!」
「いや・・・生きていればそれをも阻止する手段も見つかるであろう。 死に急ぐ必要はないのだ・・・。」
「し・・しかし・・・。」
「・・・作るぞ。」
「・・分かりました。僧正がそうおっしゃるのなら・・・。」
「すまない。」
門下生と慈覚は黙々と毎日作り続けた。
そう簡単に出来るものではない。できるかどうかも微妙なところである。 それほど子午重離という呪術は難しいものであった。
・・・はっきり言って、奥義の一種なのだ。
それは呪術に殊に長けている慈覚すら使いこなせるかどうか分からないほどの ものであった・・・。
「僧正・・・また失敗です。」
いつもの研究室とは別室で考え事をしていた僧正のもとへ門下生の一人がやってきてそう告げた。
「そうか・・・。」
「やはり、普通の鉄などでは呪術が強すぎてもたないのです。」
「・・・。」
「何か呪術で、子午重離に耐えられるようなものを作り出さないことには・・・。」
院から命を受けたあの日から、もうすでに8日経っていた。
ここ3日ほどは毎日呼ばれ、「まだか、まだか」と慈覚をせかしてくる。
そのたびに慈覚は、
「何度やっても失敗するのです。申し訳ありません。」
・・・そう答えることしか出来なかった。
そんな中、慈覚は院のところからいつもの研究室へ帰るとき ふと思い立ち、院の未来を見てみることにした。
こんなことをし続けて、一体院はどのようになってしまわれるのか、ずっと気になっていたのである。
目を閉じて呪文を唱える。
それは子午重離に似ている呪術ではあったけれども、ただただ未来や過去を見るだけという 「子午視聴」という簡単な呪術であった。
だんだんと見えてくる・・。
明日の院・・明後日の院・・・。
そして・・・
・・・その先を見て、慈覚は飛び上がった。
いや、ちょっと違う。
「なんで・・・見えないんだ・・・?」
慈覚には4日後以降の院の未来がまったく見えなかったのである。
こんなことは生まれて初めてだった。
「おかしい。こんなこと、あるはずがない!!」
何度も、何度も試してみた。
でも、まったく見えなかったのである。
ある瞬間からぷっつりと真っ暗になってしまうのだ。
「こ・・これはもしや・・・。」
いやな予感がして、慈覚は急いで研究室へと引き上げた。
「どうなっておる!!どうなっておる!!」
慈覚の声が研究室にこだまする。
「どう・・・と申されますと?」
門下生の一人が慈覚に尋ねた。
「子午重離のことだ。もしや・・・成功したのか?!」
「いえ・・・まだ・・・。」
「・・・そうか。」
まだ時間はある。ただそのせいかその時間がなくなっていくのを感じるたびに 慈覚は汗が止まらなかった。
「どうされたのですか、僧正?」
「いや・・・。なんでもない。とりあえず、この研究は止め・・・」
「えっ?!今なんと?!」
「・・・いや、続けてくれ・・。」
「・・・はい。」
慈覚には門下生たちを見殺しには出来なかった。
「・・それにしても、僧正。最近お疲れのようですね。」
確かに慈覚の顔色は、日を経つごとに悪くなってきている。
「・・そうか?」
「はい。毎日毎日試行錯誤の上、研究ばかりされているからでしょう。 たまに休まれてみてはどうです?」
「・・・そんな時間はない。」
「ですが、お言葉ですが、そんな真っ赤な目と真っ青な顔色では思いつくものも思いつきませんぞ。」
「・・・私はそんなことになっているのか?」
「はい。」
「・・・そうか。なら、散歩ぐらいしてこようかの。」
「そうですね。行ってらっしゃいませ。」
館を出たところで、ある男と目が合った。
「どうした、慈覚?」
「蔵人頭・・・。」
「ははっ。今は二人しかいないぞ。」
「そうか・・・。なら、仲実。」
「うむ。」
二人はゆったりと歩き始めた。
「仲実、どうしてここに?」
「この辺りを通りかかったときに『どうなっておる!!どうなっておる!!』という聞きなれた声が 聞こえたもんでね。」
「そうか・・・。」
「・・・一体どうしたんだ慈覚?・・って聞くまでもないが。」
蔵人頭の仕事は天皇の側つき。院に関するそういう情報が耳に入ってくるのは当然だ。
「なあ仲実、私はどうすれば良いのだろう?」
「どうすれば・・・って、命に逆らう気なのか!?」
急につっかかってくる仲実。
「いや・・・そんなことは言ってない。ただ、もし院があまり好ましくない使い方をされてしまうと・・・」
「どうなるんだ?」
「たぶん、この世界が崩壊する。」
「・・・よく分からんな・・。」
確かに自分で言っててもよく分からない。
「ちょっと想像してみてくれ。・・・自分がこの世からいなくなってしまうということを。」
「・・さらに分からないが・・・。」
「そうか・・。」
「慈覚・・・。疲れているんじゃないのか?」
「そうじゃない。院がもし過去に行って、院が幼いお前を殺してしまうとしよう。 するとその瞬間、今のお前は消えてしまう。」
「・・・。そうなのか・・・・?」
「それが、院のなさろうとしていることの概要だ。」
「・・・。」
「自分は蔵人頭だから大丈夫、とは思わないほうが良い。特に院の側にいればいるだけ、 院に何か失態を犯してしまったときに『消されて』しまう可能性は、高いんだ・・・。」
「・・・まさか、院に限ってそんなことをなさるはずがない。」
「そんなことは、わからな・・・」
「いいか!」
仲実は慈覚の方に向き直り、じっと見据えた。
「院に限ってそんなことをなさるはずがない!!院は賢明な、思いやりのあるお方だ!! その院をこれ以上侮辱すると、私が許さんぞ!!」
慈覚の心には昔の仲実の言葉が思い浮かぶ。
『それが蔵人のなすべきこと、蔵人の誇りさ!』
自分の信じるものを否定されて、侮辱されて黙ってはいられないのだろう。
院は仲実にとって自分の存在する意味を与えてくれる存在、自分の忠誠を誓う存在。
仲実もきっと心の隅では院のことを多少疑ったりしているに違いない。
どう考えても昔の白河天皇とは人が変わってしまったのだから・・・。
それでも自分を納得させて院にお仕えしているのであろう。そこを慈覚は突いてしまった。
・・・仲実がうろたえ、怒るのも仕方のないことだった。
「・・わかった。すまない。院のことを悪く言うつもりなんてまったくないんだ。 ただ、私は・・・。」
「・・・いい。分かっている。お前も・・・慈覚も、院のことを案じているんだよな。」
「ああ・・・。」
しかし、慈覚の案じるところと、仲実の案じるところは決定的に違っていたのだった・・・
「そうそう、そんなお前に良いものがあるんだ。」
「なんだ、一体?」
仲実は手に持っていた巾着の中から、一つの石を取り出した。
大きさは、手におさまるであろうか、ぐらいの割と大き目のものであった。
「この石は陰陽道使いからいただいた石なんだ。あげるよ。」
仲実はその石を慈覚に手渡した。
「な・・・なんだ、この石は・・・?不思議な力があふれてるぞ・・・。」
手に取った慈覚はその不思議な力に一瞬戸惑った。
「お前も分かるのか?!その陰陽道使いもその石には何かの力がある、そう言ってたんだが。」
慈覚は不思議と懐かしい感覚にとらわれた。
そう、その感覚は、呪術の気。この石からは呪術に用いられた「気」が感じられた。
「ああ・・・。なんて・・・強い気なんだ・・・。」
慈覚はあまりの気の強さに、めまいさえも覚えた。
「そうなのか。だったら、なおさらだな。お前がもっていた方が役に立つだろう。」
「ああ・・・。」
この石ならもしかして・・・。
慈覚はそんな気がしていた。
・・・複雑な気持ちになった・・・。
・・・。
・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・。
「・・・うまくいったか?」
「はい、院・・・。」
「おぬしには感謝しておるぞ。」
「・・・いえ・・・。」
「これであやつが作ってくれさえすれば、この世はわしの思うがままだ・・・。」
ふはは、と院は笑った。
「・・・院。」
「なんじゃ?」
「これで・・・慈覚に依頼をするのは最後にしてください。 これ以上慈覚をお苦しめにならないよう・・・、どうかよろしくお願いします。」
「わかっておる・・・。契約は守るからの。心配しなくてもよい」
「はい・・・。出すぎたまねを申し訳ありません。」
「よい。もう下がれ。」
「はっ・・・。」
仲実は歩いていった。
「すまない、慈覚・・・。お前を助けるためにはこれぐらいしか・・・。」
そして三日三晩かかってようやく完成する。
さすがは、石の持つ力がすごかったのだろうか・・・。
今回は決して壊れることなく完成した。
その石を、慈覚は「子午石」と名づけた。
「しかし・・・。」
これを渡してしまっては院の横暴が始まる・・・。
過去を変えられるなどの能力を欠如させてみようかと思ったが、そんなことをしたら 院の怒りに触れてしまう。
「どうしたのですか、僧正?」
「これを・・・院に渡してもよいと思うか?」
「・・・。いまさらですね・・・。」
そこにいるみんなが黙り込む。
どうしようもないのだ。確かに。
となると、運輪が緩み、ゆがみ、悲惨なことになってしまうのは言うまでもない。
下手をすると、慈覚たちが消されてしまうのもありえないことではなかった。
しかし、子午石は子午重離とは違い、石を通して見えた人の過去とそれにまつわる人しか変えられない。
聖徳太子を暗殺しようとしてもそれは不可能なのだ。
子午重離は近くにいない人の過去でも変えられる。
しかし、それでも子午石は現今生きている慈覚にとって、かなりの恐怖であった。
それは使い方を間違うと、一瞬のうちに消されてしまうという恐怖のシロモノなのである。
そんなものを「はいはい」と渡すわけにはいかない。
でも、命に逆らうと殺されてしまうのは言うまでもなかった。
今の院ならやりかねない。
何かうまい方法はないものか・・・。
「・・・そうだ!」
慈覚の言葉にびくっとする門下生たち。
「ど・・・どうしたのですか、僧正・・・?」
「こういうのはどうだろう?『作ったけれども、やはり失敗しました。』 というのは?」
慈覚の言葉にがっかりする門下生たち。
「そんなのでは無理だと思います。」
「じゃあ、今、私が子午重離を使って過去の院をどうにかしてくるというのは、どうか?」
新たな提案にも、門下生たちは・・・
「・・・運輪の崩壊は避けなくてはならないんですよ。」
「そうだったな・・・。」
自ら歯車を狂わしてはいけない・・・。
あっさりと否定した。
それからたくさんの方法が出たけれどもすべて無理だということになり、結局 最後には最初に提案した『作ったけれども、やはり失敗しました。』という やつが無難であろうということになった。
「じゃあ、これでいくか。」
「はい、僧正。」
「一つ言っておく。口外はもちろん許されるものではない。そうなったら、確実に ここにいるもの皆の首が飛ぶ・・そう考えておいてくれ。」
「わかってますよ、僧正。」
『・・・・・・・。』
ザッ・・・・
そんなとき、部屋の入り口辺りの廊下から一つの気配が消えた。
そのことに終始誰も気づきはしなかった・・・。
「よし。では、報告に行ってくる。その石は置いておいてくれ。決して誰にも渡しては ならんぞ。できることなら、呪術で封印しておいてくれ。」
「はい!分かりました、僧正!」
部屋を出て、館を出る。
もう日は傾き、世界が赤かった。
院の所につくと、院がニコニコしながら待っていた。
「で、どうじゃ?出来たであろう?」
「いや・・それが・・。」
院はすこぶる上機嫌だ。
「何も隠す必要はない。分かっておる、わしは分かっておるぞ。」
「いや、ですから、あの呪術はあまりに高度で・・・。」
『本当は成功したのに院が悪用するのを恐れて、失敗したとウソをつくのだな』
後ろから声がする!
振り向くとそこには・・・
「な・・仲実さま!!」
「どうして・・・。」
仲実の肩は震えていた。
「どうして・・・俺の行為を無にしたんだ・・・。」
「えっ?!どういうことです、これは!」
院が大声で笑った。
「はっはっは!面白い!仲間割れか!いいだろう、さらに教えてくれよう。 その仲実はな、お主の所に行って盗み聞きをしていたんじゃよ。それですべてを わしに教えてくれた・・・。仲実はなあ、わしの言うとおりに動く犬なんじゃよ。 がっはっはっは!!!!」
「な、仲実・・・!!」
「今頃はなあ、お前が置き忘れていったその石を参議が取りに行ってくれてるはずだ。 『・・・石さえ無事ならかまわん』、そう言っておいたぞ。どうなってることやら・・・。 くくくく・・・。もうすぐだ・・・。もうすぐ我が望みはかなう・・・。くくくく・・・。」
「くっ・・・・。」
仲実は下唇をかみ締める・・・。
真っ赤なしずくが垂れた・・・。
「な、仲実!!きさま!!!」
慈覚は立ち上がり仲実に駆け寄る。
「どういうことだ!これが貴様の忠誠か?信念か?!!そうなのか?!」
「・・・これ以上お前を苦しめないためには・・・これしか、これしかなかったんだ!!!」
そう叫ぶと仲実は慈覚を振り払い、後ろに飛んで体勢を整えた。
慈覚の背後からは院の笑い声が聞こえる。
「ふはははは!!!面白い・・・おもしろいぞ!さあ!!仲実!!!」
「・・・はい。」
「やつを!!」
急に院の声のトーンが落ちる・・・。
貫禄と恐怖が一瞬にして二人を襲う・・・。
「慈覚を・・・殺せ!!」
第14話 「悲しみの始まり」
「殺せ!」
という院の言葉に、慈覚だけでなく仲実も固まる。
「な・・・なぜです!院!それでは約束が違いまするぞ!」
「やくそくぅ〜?」
仲実の言葉に院はとぼけた顔をした。
それは完全に人を侮辱しきった顔だった・・・。
「約束は、ちゃんと守っておるぞ。『ちゃんとその呪術を完成させ、 その完成品は渡すから、慈覚をこれ以上苦しめない』・・・そうであろ?」
「そうでございます!しかし、これでは、話が・・・。」
それを聞いて慈覚が驚く。
「仲実!!お前、私に黙って裏でそんな駆け引きを・・・。」
「・・・、うるさい。黙っていなさい。これは私と院の問題です」
「何言ってんだよ!」
「おやおや、友情に亀裂ですか・・・。くくく、楽しいですね・・・。」
院の言葉に、仲実がキレる。
「い・・院!!これは一体どういうことですか!!」
「くっくっく、どういうこともこういうこともないさ。 慈覚を苦しめることはしないさ。・・・苦しむ前に死んでもらうからね・・・。」
「な、なんということを・・・。」
院は目を細めながら慈覚をじっと見据えてこう言った。
「わしは熱心な仏教徒で世間には知られててねえ。それなのに、裏では 世の中で禁忌とされている呪術によって世を治めている。 こんなことが知られてはまずいのだよ、分かるかい?慈覚よ。」
「・・・。」
慈覚は何も答えなかった。
自分もまた同じ立場であるということが心に響いた・・・。
「慈覚よ・・・おぬしになら分かるであろう。だから、君には消えてもらわなければ・・・。 そして、その呪術の存在もすべて、消さねばならないのだよ。 私の望むブツもようやくできたようだし・・・。これで、ほんとに用済みというわけさ。 くっくっく・・・。」
「・・・。」
「何か言い返したらどうかね、慈覚よ。」
「慈覚・・・おまえ・・・。」
ゆっくりと・・・事態を把握するかのようにゆっくりと、慈覚は口を開いた。
「そうですか・・・。残念です。」
「そうだろうそうだろう。わしも残念じゃよ。」
「いえ、院のことが残念なのです。」
院の顔が歪む。
「ん?・・・わしがどうかしたのか?それとも何か?最期の言葉でも残すのか?」
あっはっは!と院は高笑いした。
しかし、慈覚は表情を変えない。
そして慈覚の目が変わった。
「あの石を院に使っていただくことがなくて!!」
そう慈覚が言った瞬間、ものすごい風が吹き荒れる!
「覇っ!!!」
慈覚の声と同じぐらいの強さの「気」が前に突き出した手から発射される!!
ドフゥン!!!
ズザザザザ・・・
無様に吹き飛ぶ院・・・。
「ぐはっ・・・。」
吹き飛び転がる。
奥のふすまに体をぶつけ、そこでようやく止まる。
そして、院はよろめきながら立ち上がった。
周りにいた侍たちが一瞬にして集まってくる。
・・・院を守るように立ちはだかった。
背後からも兵がやってくる。
慈覚は取り囲まれるような形になった。
院はなお口を開く。
「はっはっは!!!お前、自分が何をしたのか分かってるのか?! 叛逆だぞ、これは!」
慈覚も黙ってはいない。
「・・・たとえこの場を逃げても、追われる身になることには代わりがない。 ・・・ならば、悪あがきするというものが世の常であろう。」
「そうか・・・。残念だ。君には潔く死んでいただきたかったがなあ。くっくっく。」
「それは俺の願いだ・・・。死ね、院・・・。」
慈覚は我を忘れた。
こんな人間の言う事を今まで聞いてきた自分が許せなかった。
そんなとき、突然院の声が響く。
「仲実!!」
「は・・はい!」
「やつを・・殺せ。こいつを殺せば、お前を右大臣にしてやろう・・・。」
仲実の声が揺らぐ・・・。
「い・・院・・・。わ、私は・・・。」
「なぁにぃぃいい?!貴様、逆らうというのか?今まで重用してやってきた 恩も忘れたのかぁぁあ?!」
「そ、そんな・・・。私は、ただ・・・」
仲実は下を向いた・・・。
「なら、・・・殺せ!!!」
「・・・。」
「・・・もしわしに逆らえば、・・・分かっておるな?」
「・・・はい。」
「やつを・・・殺せ!この世に始めから存在しなかったことにしてやるのだ!」
「くっ・・・。わ、わかり・・・ました。」
うつむいていた仲実が顔を上げる。
刀を抜いて慈覚の前に向けた。
「仲実・・・おぬしとはやりたくない・・・。その手を収めてくれ・・・。」
「・・・すまない、慈覚。許せ・・・。」
「・・・それがお前の忠誠なんだな。・・・俺はがっかりしたぞ」
「なんとでも・・・言ってくれ。」
院の声が合図となった!
「さあ、やれ!!」
「うおぉぉぉぉおおおおお!!!」
慈覚めがけて、仲実は切り込みにかかる!!
慈覚は、少し構えて、一声。
「・・・覇ッ!」
一瞬にして、仲実の動きが止まる。
周りの兵士の動きも止まる。
院の動きも止まる・・・。
「慈覚!この呪術は、あの時の!!!」
「仲実・・・自分で味わってみるのはどうだ。動けないだろう。」
「くっ・・・。卑怯だぞ!尋常に勝負せよ!」
「こんな多勢に無勢で、何が尋常か・・。」
「くっ・・・。」
慈覚は院のもとへと近づいた。
「ひっ!!」
「院・・・。覚悟の上ですね・・・。」
ダンッ!!と慈覚は院の前に立つ。
「ひっ!!わかった!分かったから、許して、許してくれぇぇぇええ!! 頼むから命だけは、命だけは!!!」
恐怖におびえ・・・
わめき懇願する院。
「・・・院、お覚悟。」
「わぁぁぁああ!!!・・・・・・ふっ。」
しかし、一瞬にして院の顔がいつもの人をなめた顔に変わる。
「・・・などとこのわしが言うとでも思ったか!!このクソ坊主!」
「・・遂に狂ったようだな。死んでもらおう・・・。」
慈覚は気をためて手から出し、首を跳ね飛ばそうとした瞬間・・・
ゴッ!!!
ものすごい音がして、慈覚は後ろに吹き飛ぶ!
「がはっ・・・。」
慈覚はよろめきながら立ち上がった。
「ど・・・どうして・・だ・・。」
院は余裕の笑みを浮かべる。
「くっくっく。占い師は君だけじゃないのさ・・・。」
院の側から、一人の男が現れる。
「陰陽道の使い手さ。」
真っ白な顔立ちの男だった。
「・・・貴様・・・。」
その男はしゃべらずに、院のそばにいた。無駄口をたたき続けているのは 院であった・・・。
「呪術は鬼を使うのだろう?陰陽道は式神を使うのだよ・・・。 式神は邪悪な鬼をも倒してくれるからねえ・・。くっくっく。」
そういうと、陰陽道使いの男は人差し指を立て、それを口の辺りまで持ってきて それに息を「ふっ」と吹きかける。
すると、周りにいた者たちの「影縫い」が解け、皆が動き始めた。
「き、きさま・・・。」
慈覚はその男をにらんだが、その男は慈覚を見ることもなく、ただ院の側に立っていた。
「くっくっく。たのしいねぇ・・・。慈覚くんよ。それにね、こんなところでもたもたしていても 良いのかねぇ。」
その言葉にふいに不安になる慈覚。
「・・どういうことだ?」
「簡単だよ。君がここに来るのを見計らって、君のあの部屋から 石を奪ってくるよう手配してあるのさ。 まあ、そのついでに呪術のあった痕跡もすべて消すように、と言ってるけどね。」
それはつまり・・・。
慈覚の額を一滴の汗が流れる。
「き・・・貴様・・・!どこまでも、人をなめたやつ!!」
「くっくっくっく・・・。あっはっはっは!!!」
院の笑いがこだました。
「どうだね、慈覚・・・。この世に何か言い収める言葉はないのかい?くっくっく・・・。」
「院・・・。」
「ほれ!遠慮せずに言うんじゃ、言うんじゃ!お主の言葉は、伝えていってやるからのぉ。 あ〜!でもすまない。君たちの記録は公文書からすべて消されるだろうから、残らないか。 くっくっく!!これは残念だ!!」
無駄に残念がる院・・・。
いやみに上機嫌な院・・・。
それに対して慈覚は笑顔で答えた。
「・・・院の先ほどの演技、すばらしかったです。」
「・・・なに?」
院の顔が歪む。
「今にも失禁しそうな、恐怖におびえた顔。演技とはまるで思えませんでした。」
「・・・。」
院の表情が見る見る変わっていく・・・。
「どこかで経験したことでもおありなのでしょうか?さすがですね!すっかりだまされてしまいましたよ!!」
院の目が変わった・・・。
「こいつを・・・殺せ!!!」
「世の者、皆に知らせてやりたいものです。院はそんなすばらしい技術を身につけてらっしゃるのだと。」
「・・・慈覚・・・。お前・・・。」
仲実は何も出来ないでいた。
一方、突然怒りに打ち震える院。
よほど悔しかったのだろうか・・・。
「殺せ!殺せ殺せ殺せ!!」
周りの兵たちがいっせいに慈覚めがけて斬りかかる!
・・・だが、仲実だけは動かないでいた・・・。
そのとき・・・
「覇っ!!!!」
慈覚の一声に、またみんな動けなくなる。
その隙に逃げ出す、慈覚!
しかし・・・
「ふっ・・・。」
また、あの陰陽道使いの一吹きで、いっせいに動けるようになる。
「く・・・くそ、あの陰陽道使い・・・。」
一応兵士たちからは抜け出せたものの、逃げる慈覚の後を必死に追ってくる・・・。
陰陽道使いもゆっくりとした動作で慈覚の後をおってくる。
「仕方ない!!」
慈覚は逃げるのを止めて、こっちに向かってくる兵士の方に振り向いた。
まだ・・・兵士たちが自覚のところへたどり着くまでには距離がある。
慈覚は目をつぶり、手を合わせて目の高さまで持ってくる。
「禍神(ムツリ)・・・災神(ドヌボ)・・・厄神(ヤツグ)・・・。我に力を・・・。」
「武」
「陣」
「隆」
「中」
「即」
「漸」
「・・・・・覇っ!!!」
慈覚の叫び声とともに、周りの空間がひずむ・・・。
ぐるぅぅうぁあああ
ぎにゃゃあああああ
聞いたこともないような雄たけびとともにそのひずみから次々と現れる、 この世のものとは思えない生き物たち。
「ひっ・・・。」
「と、とまれぇぇぇええええ!!」
走って追ってくる兵士たちが一斉に止まる。
その生き物たちとは・・・そう、呪術師が操る「鬼」である。
いつもは人の目には見えない。見えないようにしているからである。
しかし、今は違う。
人の目に見えるようにしている。
そして、慈覚は一言こう言い残して、先を急いだ。
「・・・やれ。」
その一言を合図に兵士めがけて飛んでいく鬼たち。
「くっ・・・。お、鬼になんかひるむな!行くぞ!!」
「お〜っ!!」
兵士たちは無理やり士気を上げて鬼に斬りかかっていく!!
・・・しかし。
「ぐはあああ!!!」
「な、なんだ、こいつら・・・。」
「剣で斬ってもまるで効かないじゃないか・・・。」
「う・・うわ・・。周りに寄ってきた・・・。く、くるなああ〜〜!!」
そして・・・。
「う・・・腕が喰われたぁぁあああ!」
バリボリ・・・ムシャ・・・バリ・・ボリ・・・
その恐ろしさに震え上がる兵士たち。
戦う気をなくした、兵士たちに襲いかかる無数の鬼、鬼、鬼!!!
「ひ、ひぎぃぃぃいいい!やめてくれええ!!」
「うがっ・・。ぐ、ぐぞ・・・。ぶはっ・・・。」
「あ、足がああああ!!!」
ドヒュッ!
ムシャムシャ・・ガリ・・バリ・・・・・
その惨事に、ゆったりと登場する陰陽道使い。
「・・・ふん。餓鬼か・・・。」
その陰陽道使いにも餓鬼たちは襲いかかる!!
しかし・・・
「ぴ、ぴぎゃあああ!!」
陰陽道使いに到達する前に、餓鬼はバラバラにされておぞましい声を上げ、空気中に 粉散する・・・。
「ふん・・・。餓鬼の分際でこの私に刃向かってくるとは・・。しかし・・・」
陰陽道使いは目の前に広がる光景、そして餓鬼が絶え間なく出てくる 空間のひずみを見た。
「ここまで出てこられると厄介だ・・・。まずはあのひずみを閉じよう。まあ、 餓鬼なら何匹こようが痛くも痒くもない・・。」
陰陽道使いは、呪文を唱え始めた・・・。そして・・・
「閉塞!」
轟音とともに、ひずみが閉じてゆく・・・。
「さて、あとは・・・こいつらを始末するだけか。」
動けなかった仲実は、ようやくわれを取り戻し・・・、それでも 呆然と立ち尽くしていた。
「おい!!仲実!!何をしておる!貴様も慈覚を追わんか!!」
仲実は院を見据えた。
「院・・・。」
「何をしておるのじゃ!!早く行かんか!!」
「・・・。」
「仲実よ・・・。」
院の声のトーンが下がる・・・。
「・・・それとも何か?このわしに逆らう気か??」
びくっとする仲実。
「・・・いえ。」
「なら、さっさと走れ!もし捕まえてこなければ・・・。」
「・・・。」
「あやつの友であるお前を代わりに殺し、口封じをしなければならないだろう。」
「・・・い、院?!」
「さて、分かったらさっさと行くのじゃな。まぁ、行ったところで 捕まえられなければここにいるのと同じだがな。くっくっく。」
「・・・分かりました。行ってまいります・・・。」
仲実はどうしようもなく、院の前を後にした。
そしてしばらく行くと、目の前に信じられない光景が広がっていた。
「な・・なんだ、この異様な物体たちは?!」
そして目の前には、空間に出来たひずみを今まさに陰陽道使いが消そうとしているところであった。
「はっ・・・はっ・・・」
慈覚は走って逃げた。
だんだん研究室のある館が近づいてくる・・・。
「はっ・・・はっ・・・な、なに!!」
館が見えた。
しかし、それは真っ赤に燃えていた・・・。
「な、なんということを・・・。」
門下生たちが戦ったのだろうか?
館の周りにはたくさんの兵士たちの亡骸が無様に転がっていた。
門下生たちの亡骸も数体見える。
そのとき
「ぐあああああ!!」
という断末魔の叫びが灼熱の館の中から聞こえてきた。
「まだ人がいる!!」
慈覚はその中に飛び込んだ。
「誰か!まだおるのか!!」
「その声は・・・僧正!僧正!!助け・・・ぐわあああ!!!」
「むっ!!大丈夫か!!!」
研究室に慈覚は飛び込んだ。
そこで見た光景は・・・
真っ赤に燃える部屋・・・
それ以上に一面真っ赤な床・・・。
「あと・・・二人・・いや、三人になったな・・・。」
そこにいたのは・・・
「き、貴様・・・。まさかとは思っていたが、参議とはお前のことだったんだな!!」
参議職にあった男は、真っ赤になった銀色の刀を門下生たちに向けながら慈覚のほうに振り向いた。
「やっと来たか・・。慈覚よ。待ちくたびれたぞ。」
「お前に用はない!通俊!!」
「呼び捨てとは・・・。偉くなったものだな。」
そう、そこにいたのは「蔵人」という出世コースを上りつめた通俊だった。
通俊は手に・・・石を持っていた。
「通俊!その石を返せ!!お前なんかが使って良い石じゃないんだぞ!」
「・・・これは院にお渡しするだけさ。石も手に入れたし、後はお前たちを 抹殺し、寺も破壊して書物も燃やしてしまえば・・・すべては終わる。」
「くっ・・・。ふざけたまねを。」
通俊は慈覚に向けて剣を構えた。
「いくぞ、慈覚!院に立ちはだかるものはすべて消える運命にあるのさ!!」
こいつ・・院の側にいたせいで頭の中が洗脳されている・・・。
慈覚はそう思った。
そのとき、通俊が斬りかかってくる!!
「おりゃああああ!!」
しかし・・・・慈覚に戦う気は毛頭なかった。
「覇ッ!」
ピタッと通俊の動きが止まる。
「く、くそっ!」
「すまない、通俊。あなたの相手をしている暇はないんだ。」
そう言うと、慈覚は通俊から石を奪い、部屋から呪術の本を探し出し、門下生二人と急いで逃げ出す。
「お、おい!!置いていくな!!」
焦る通俊。
「・・・焼けてしまうがいい。そこで、一体自分が何をしようとしたのか、反省することだな。 権力に目を奪われてしまった、お前自身を振り返れ・・・。」
振り向きざまに慈覚はそう言い、研究室から飛び出し、すぐに燃える館を後にした。
「ち、ちくしょう・・・。俺はただ・・・院のために・・・。」
そうつぶやく声を背中で聞きながら、慈覚は逃げた。
館の近くにある「郁芳門(ゆうほうもん)」へと向かう。
この門をぬければ、大内裏を出ることになる。
「早く逃げるぞ!早くしないと、あの陰陽道使いに見つかる。」
急いで三人は走った。
・・・が、
「く。くそ・・・。やはり門は固められているか・・。」
柱の陰に隠れて、三人は郁芳門を見た。
そこにはたくさんの陰陽道使いたちや兵士たちが待機しており、とてもじゃないが 抜けられそうにない。
「く、くそ・・・。」
そのとき、慈覚の体が後ろに引っ張られる!!
異様な光景を前に仲実は固まっていた。
「この異様な物体は・・・。」
目の前では陰陽道使いがなにやら呪文を唱え始めた。
そして・・・
「な、なに?!」
仲実は目を疑った。
目の前にいた陰陽道使いが「ふっ」と息を吐いたとたん、そこらじゅうで暴れていた 鬼たちの多くが一瞬のうちに空気中に霧散してしまったのだった・・・。
ぎゃあああああ!!
ぐにゅぅぅぉぉうううああ!
「あ・・・あ・・・。」
あまりの光景に声も出ない仲実。
一方陰陽道使いは、仲実のほうを見て、
「・・・いきますよ。」
と言い、すぐに歩き出した。
しかし、全滅したわけではない。
襲ってくるたびに、陰陽道使いは息を吹き、なぎ払い、鬼を倒していった。
そして、ようやく全滅したころ、慈覚の館に着いた。
だが、館は轟々と燃えている・・・。
そんな館に向かって、陰陽道使いはふっと息を吹き出した。
仲実は火が消えるのか?と思ったけれども、どうも火が消えそうな気配もない。
そうしていると、中から人が必死になって出てきた。
ところどころ、服に火がついている。
仲実は急いで駆け寄り火を消してあげると、それは通俊だった。
「通俊さま!一体これは・・・。」
通俊は服を脱ぎ捨て、地面にへたり込んだ。
「やつに・・・動きを止められてな・・・。もう少しでやつの門下生たちを皆殺しに出来たのに・・・。」
「えっ?!どういうことです、通俊さま?!」
仲実は必死になって訊いた。
「どういうこともこういうこともないさ。ただ、院のご命令に従っただけ。 呪術に関する記録存在はすべて抹消せよ、というご命令さ。」
「そう・・・ですか・・・。」
仲実は、どういうことか分かっていながらも「うそだ」と思いたかった・・・。
でも、どうやら本当らしい。
院は変わってしまわれたのだろうか・・・。
こんな院に私は付いていかなくてはならないのか・・・。
仲実は迷った。
迷っていた・・・。
自分のするべきことは何なのか?
自分の守るものは何なのか?
信念・・・
忠誠・・・
いろんな言葉が仲実の頭を駆け巡っては、その場で消えていく・・・。
・・・。
・・・・・・・・。
『お前は帝の言うことは何でもきくんだな』
『ああ、そうさ!』
『それが蔵人のなすべきこと、蔵人の誇り、俺の信念さ!あのお方を俺は信じてるからな。』
・・・・・・・・。
・・・。
自分の吐いた言葉すらひどく懐かしく、遠いものに思われる。
「・・・。」
・・・しばらくの沈黙の後、
「俺の信念は・・・これだ!」
仲実は決心した。
そして、猛然と走り出した。
向かう場所は・・・郁芳門。
ここが一番近いから。
そして、慈覚がまず始めに行くと思われる場所だったから・・・。
「行くな・・。行くなよ、慈覚!今、行ってもつかまるだけだ・・・。」
郁芳門は目の前だ。
でも、慈覚がいるとは仲実には思えなかった。
それは・・・あまりに静かだったからだ。
そんなとき、ふと見慣れた後姿が柱に微妙に隠れるようにして、 でもどの方角からも見つけられない位置に、あることに気がついた。
それに近づき、服を引っ張り、押し倒した!!
「いたたたた・・・。背後まで気を回していなかった・・・。む?!仲実!お前、まさか!」
「し〜っ!静かにするんだ、慈覚!」
後ろに倒して、声を出そうとする慈覚を仲実はやんわりと制する。
「どうしてここへ来たんだ、仲実?・・・それに私の命を狙うんじゃないのか?」
「・・・今は黙っていてくれ。・・・お前を無事、京から外へ逃がすから・・・。」
「な、なに?!そんなことをしたらお前、どうなるか・・・。」
「ふっ・・・分かってるさ。でもな、俺は自分の信念に従って生きるんだ。」
「・・・わかった。世話になろう。」
慈覚は仲実の目を見て、うそを言っていないことを一発で見抜いた。
仲実も覚悟を決めていたのであった・・・。
「これは側近の者しか知らない情報なのだが、大内裏の東南、郁芳門と美福門の間には 警護をつけないことになっている。そこが角だからだ。美福門の護衛と郁芳門の護衛が気づく だろうと思っているみたいだが、今この混乱状況だ。大丈夫。」
仲実に質問する慈覚。
「しかし、塀は高いぞ・・。登り越えられるとは到底思えない・・・。」
「それなら大丈夫だ。実は昨日、そこの部分に人が通れるほどの穴を空けたやつがおってな。 そいつはめでたくつかまったんだが、まだ穴はあきっぱなし。そして、この緊急事態だ。 みんな自分の持ち場にしかついてない。」
「その、穴が開いた場所には誰も配置されてないのか?」
「昨日の今日さ。そんなに早く配置されないからな。」
「わかった。・・・仲実、お前のこと、信じるぞ。」
「ああ。任せとけ。」
「じゃあ、行くか。」
仲実は小声で静止をかける。
「・・・まて。その前に・・・これを着ていけ。」
仲実が渡したものは、庶民が着る水干であった。
「そんな直衣姿で歩いていたら、確実に誰だか分かってしまうぞ。」
「そうだな・・・。かたじけない。・・・それにしても、こんなものをどこで?」
仲実は胸を張ってこう言った。
「ここに来るまでに数人の服をはいできた。」
「・・・犯罪だ。」
「それを着るお前もな。」
くすくすと二人は笑いあう。
慈覚と仲実と門下生二人は急いで服を着てその場所へと向かった。
「ここが・・・その穴か・・・。」
「ああ。そうだ。早く急いだほうが良い。いつ気づかれるか分からんからな。」
慈覚は周りを見た。
北を見ると郁芳門が、西を見ると美福門が遠くに見える。
しかし、誰一人として慈覚らに気づくものはおらず、逆に蔵人頭も一緒にいるということで あまり怪しくは見えないようであった。
神祇官伯ともなるのだから誰かに気づかれても良いのだが、そこは非常にみすぼらしい格好 をしていたので、一般庶民にしか見えないというのも助けているのであった。
「さて、じゃあな、慈覚。お前との日々は楽しかったよ。」
「仲実・・・。お前みたいな友に出会えてほんとよかった・・・。」
「ああ。俺もだ。」
ひとつ気になっていたことを慈覚は仲実に訊いた。
「なあ、このままお前、院のもとへ帰ったら殺されるんじゃないのか?」
「・・・ああ。そうかもな。」
それを聞いて、焦る慈覚。
「それじゃあ、お前は始めから死ぬ気で・・・。」
ふっ、と仲実は笑った。
「いいのさ。俺はどの道、友を殺すことなど出来ない。俺の忠誠は信頼できる相手に、信念は 友にあるのさ・・・。それに、あの院にはもう・・・。」
「なら、一緒に来ないか?」
慈覚の提案にゆっくりと首を振る仲実。
「それは無理だ。俺はどこまでいっても蔵人頭なんだよ。 お前にも迷惑をかけてしまうだろうしな・・・。それに、院の暴走を 止めるのもまた俺の仕事かも知れない・・・。」
なお突っかかる慈覚。
「でも、殺されたら終りじゃないか!」
そう、慈覚は未来が見えていた。
子午重離も子午視聴も使ったわけではなく、それは直感だった・・。
このまま帰ると確実に仲実は殺される・・・。
「また、来世で幸せになるさ。ちゃんと読経もするし、仏道修行もする。 俺はこういう運命なのさ。」
慈覚にはとても仲実を置いて行くことは出来なかった・・・。
そのとき!
「おや・・・やはり、ここでしたか・・・。」
振り向くと、あの陰陽道使いが一人で立っていた。
「き・・きさま・・・。邪魔をするのか?!」
慈覚は声を押し殺して叫んだ。声を上げて誰かに来られては困る。
それに対してその陰陽道使いは、驚くべき返事をした。
「・・・そんなことはいたしません。」
「・・・は?」
慈覚らは固まった・・・。
「今なんて?」
「・・・逃げるなら早くお逃げなさい。もうすぐ人がやってきます。」
「・・俺たちを捕まえないのか?」
陰陽道使いは眉毛一本動かさずにこう言った。
「捕まえたところで、私には何も良いことがありません。それよりも、私は 陰陽道の使い手としてあなたの使う呪術のほうがよっぽど興味があります。 ・・・今はお逃げなさい。」
「・・・ありがたくそうさせてもらおう。」
「いつか、その呪術、習ってみたいものですね・・・。」
そう言い残すと、陰陽道使いは北へ歩いていった。
そこへ兵が走ってくる。
「陰陽道使い殿〜!・・・そちらに先ほどの慈覚ら、いませんでしたか?」
それに対して陰陽道使いは、
「・・・いいえ。こちらにはおりませんでした。他をあたりなさい。」
「わかりました!」
そして、兵は北へと走っていった。
陰陽道使いは少しこちらを振り返って、またすぐに向こうへと歩いていった。
そのとき、思い出したかのように仲実の言葉が慈覚を呼ぶ。
「慈覚!!とにかく・・・早く逃げるんだ!」
「ああ・・・。わかった。」
でも、このまま自分は逃げて仲実を見殺しにする、なんてことは出来なかった。
よって、慈覚は一つの賭けに出る。
「仲実、お前に渡すものがある。」
「なんだ、いったい、こんなときに・・。」
「・・・これだ。」
そう言って慈覚は仲実にあの石を差し出した。
驚く仲実。
「こ・・これは!!ダメなんじゃないのか?!」
「ああ・・・。はっきり言ってよくない。でも、友を救う手段がこれぐらいしか 思いつかない・・・。これを院に渡してくれ。俺を仕留められなくても、 この石があれば許してくれるはずだ・・・。」
子午重離を使って未来を見てみたかった・・・。
でもどんなことがあっても運輪を狂わせてはいけないのだ。
運輪の崩壊は世界の崩壊・・・。慈覚は子供の時からそう教えられてきた・・・。
代わりに子午視聴を使ってみる。・・・でも、院を見ることができないので分からないのだ・・・。
でも、それはつまり院の手に石が行くということでもあった・・・。
「し・・しかし・・・。」
仲実は完全に遠慮していた。
「大丈夫だ。この門下生たちが封印をかけてある。ちょっとやそっとでは破れんさ。 あの陰陽師使いならやぶりそうだが・・・。ここは、あいつと共謀して 何とか院がこの石を悪用しないよう、がんばってみてくれ!この封印が解けるのは 封印をかけた者たちが死んだときだ。それまでは効くだろう。 ・・・まあ、石にかかった呪術自体は永遠に解けないだろうがな。 それにな、初めてこの石に触ったのは俺だ。始めて触った人が死ぬまで、 次の人は石を使えないようにしてある。」
慈覚の言葉を信用してか、恐る恐る手を伸ばし受け取る。
「・・・わかった。本当にありがとう。お前のことは一生忘れないからな、慈覚。」
「ああ、俺もだ、仲実。」
「・・・無事を祈る、慈覚。・・・。」
少し考えて、仲実は続けた。
「・・・いや・・・八兵衛、・・・かな。」
くすっと八兵衛は笑った。
「・・・ああ。俺は今日から再び八兵衛さ。」
「じゃ、もう行け。早くしないと誰に見つかるか分からないからな。」
「ああ。・・・達者で。」
そう言い残して、八兵衛は穴に消えた・・・。
それから何とか京から逃げ延びた八兵衛は、慈運寺を目指した。
京まで行くのに三日かかったのを、二日で帰った。
八兵衛はなんとかみんなの無事を祈りながら、必死になって帰った。
門下生二人も同じ気持ちであった・・・。
なのに・・・そこで見たものはあまりに残酷な光景。
そこは、全員虐殺され、寺には火が放たれているという悲惨な光景であった・・・。
八兵衛は涙も出さずに、ただ手だけを合わせて冥福と来世の幸福を祈った。
そして、寺から出てくる黒い煙が天まで昇るのを確認してきびすを返して歩き出す。
・・・ようやく八兵衛として戻ってきたのに・・。
本当に行くところがないのだと気づく。
その途端、涙があふれた・・・。
死んでいったものたちに、ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいだった・・・。
声を出して泣き叫び、その場に打ち崩れた・・・。
「子午重離」を使って何度過去の院を殺そうと思っただろう。
でも、運輪を潰すわけにはいかないのだ。
その板ばさみを感じれば感じるほど、呪術の無力・非力を感じ 泣き崩れるばかりであった・・・。
その後、八兵衛はこれで呪術を衰退させてしまってはいけないと思い、 書物を書き残すことにした。
院の話ではすべての文献から呪術のことが消されるようなので、その闇に葬られる 部分を残しておきたかった・・・。
後に呪術継承者が現れるかもしれない。そのためにも八兵衛は書きしたためた。 呪術に関すること、自分の生い立ち、そして京を追われたこと・・・。 最後には石の壊し方まで・・・。 子午石が後の世で悪用されないことを祈って・・・必死に書いた。
また、八兵衛は子孫を残すことにも必死になった。おかげで、たくさんの子が産まれ、 八兵衛という人物がいたという証は途切れることなく現代まで継承され続けている・・・。
時代は流れ・・・
近代・・・。
石は、白河院に悪用されることなく後の時代まで流れたが、そのたびいろんな人に 利用され、運輪はそのたび歪んでしまった。
その過程でその石は恐れられるようになり、「死神石」という俗称まで付けられた。
それを面白半分で買った地方豪族がいたが、やはりその力のすごさに恐れをなし、 蔵の奥深くへと半永久的に封印したのだった。
それから100年近くたった・・。人の記憶から石のことはとうの昔に忘れ去られ、 呪術のこともとうの昔に忘れられていた。
ただ・・・八兵衛の子孫だけが、かすかな記憶として呪術の名残の占いが出来る 能力を受け継いでいた・・・。
そして時間は流れ・・・
時代は移りゆき・・・
再び石は光を見る・・・
「ごほっごほっ・・・。こんなほこりっぽい蔵、入るの初めてだ・・。」
「文句言わないで入り、翔!」
「でもなあ眞子・・。まさか、信雄のお母さんがあそこまで怒るとは予想できなかったんだぜ。」
「・・・でも、家の中を猫と追いかけっこして、そん結果家中ぐちゃぐちゃになりました〜 ・・・てなったら、誰だって怒るんやない?」
「うっ・・・。」
眞子に言われて、言葉の詰まる翔。
翔は助け舟を要請することにした。
「な、なあ、信雄、あれは不可抗力だよ・・・なぁ?」
信雄は笑いながらこう言う。
「ミィを家中追い回して、30分もかかってようやく捕まえるのが、か?」
「うっ・・・。」
信雄の言葉に言葉が詰まる翔。
「くそう・・・俺の見方はいないのか・・・。」
そんな翔に天使の声が。
「ふふっ。私は見てて楽しかったよ。大学生が必死になって猫を追いかける姿なんて めったに見られないしね・・・。」
「・・・なにげにひどいこと言うね・・・。」
天使の声と思われた満子の声はかなり翔を責めたてることになった。
信雄がその場をしきる。
「まぁ、良いじゃないか。そのおかげでこの蔵に入れたわけだし。」
「えっ?お前入ったことないのか?」
翔の質問に信雄はのんびりと答えた。
「ああ。この蔵だけはどうも昔から開けられてなくてな。 考古学研究会に身を置いている人間としては、こんな面白い発掘作業はないだろう?」
「発掘作業ねぇ・・・。」
「それに、母さんには何か面白いものがあったら持って帰っても良いと言ってたしな。 考古学に興味のない母さんはどうでも良いみたいだけど、絶対この蔵には 何かお宝があるぜ・・・。」
信雄は体を震わせながら言った。
そう、4人は信雄の家に遊びに来ていた。
まだそれは彼らが学生のころ。
松山家という地方豪族の名残の家系のため、大きな蔵がたくさんあった・・・。
そのうちの一つの掃除を、家中をめちゃくちゃにした罰として与えられる。
そう、これが石との出会い・・・。
これが、悲しみの始まり・・・
第15話 「崩落」
四人は・・・いや、二人と二人は、いつも一緒に遊んでいた。
何か理由があったというわけではない。
ただ、仲がよかったのだ。
学部は違えど四人とも同じ大学。サークルも違えど休みの日には一緒に遊ぶ。
不思議な四人だった。
今日もその延長で、松山信雄の家に遊びに来ていた。
信雄の家は古来からの豪族の家系。家も大きく、集まったりするには最適の場所であった。
「ところで、松山くん。」
「どうしたんだ、水島?」
水島とは昇の母、眞子の旧姓である。
「一体、この蔵をどうすればいいん?」
そう、掃除をしろといわれていたが、この蔵、あまりにでかい・・・。
掃除なんかしてたら1週間経っても終わりそうになかった。
「そうだなあ・・・。ここにあるもので、まず必要そうなものを出して、あとは 適当にほこりでもはたけば良いんじゃないの?」
「その必要そうなもんっていうんは?」
眞子の質問に信雄は、
「自分が欲しいもの。」
と答えただけだった。
「あ・・・そですか。」
「じゃ、じゃあ、始めるか。」
「うん、はじめよぉ〜」
残りの3人はそれにしたがってやることになった。
信雄は考古学を多少かじっているせいか、いや・・・鑑定学を多少かじっているのかもしれない。 とりあえず、目を輝かせて、いろんなものを蔵の外へと運んでいた。
作業を始めて、2時間後、信雄は一つの箱を蔵の最奥から見つけ出す。
「・・・ん?何だこれは一体?」
側にいた翔は信雄の方に顔を覗かせた。
「どうしたんだ?」
その声を聞いた女性二人もやってくる。
「どうしたん?」
「何か面白いものでもあった?」
二人は信雄の方を見ると、信雄は一つの木箱を持っていた。
「この木箱なんだがな・・・。」
翔は口に出して木箱に書いてある文字を読む・・・。
「なになに・・・。『ゆめゆめ開けるべからず』・・・? なんだこりゃ?」
「さあな。」
満子が口を開いた。
「ゆめゆめっていうことは・・・決してっていうことだよね? じゃあ、『決して開けてはいけません』かあ・・・。」
満子に続き、眞子も口を開く。
「でも・・・そんなことを言われると逆に開けたくなるっていうのが世の常ってもんよね。」
「浦島太郎心理ってやつか?」
「・・・どんな心理よ。」
翔の言葉に突っ込む眞子。
「浦島太郎は開けちゃダメといわれてしまったばっかりに、どうしてもどうしても 開けたくなって・・・。で、その結果、ボン!」
「・・・爆弾やないよ。」
「とりあえず・・・。」
信雄、またその場をしめる。
「開けてみるか・・・。」
「で、でも、松山!煙が出てきたらどうする・・?」
ちょっと不安そうな翔に対して実に普通の信雄。
「そのときは、うちわででもあおいでくれれば良い。」
「あ・・・そですね。」
これ以上の話は無駄だ、と翔は一瞬で諦めた。
「とりあえず空けるぞ・・・。」
ゆっくりゆっくり開けてみた。
中から出てきたのは、ものすごい量の・・・
煙!!
・・・でもなくて、
金銀財宝!!
・・・でもなくて、
単なる石!!
・・・だった。
妙にがっかりの信雄。
「なんだ・・・。ただの石か。」
でも、信雄はその石の下に敷かれている紙に気づく。
「ん?この紙は一体・・・。」
翔はそれを取り出し広げて読んでみた。筆で書かれているので、読みにくい。
「ええ〜っと、なになに、『この石・・・しご・・せき・・といふ・・名なり・・。 ゆめゆめ・・・もちゐては・・なら・・ぬ。これ・・を・・もちゐし・・とき・・・、 そなた・・・消えなむ・・・』・・・か。」
眞子が訳す。
「訳すと・・・『この石は子午石という名前である決して使ってはならない。 これを使うとき、あなたは消えてしまうだろう』・・・ね。」
紙を信雄に渡し、石を取り出しながら眞子の言葉に首をかしげる翔。
「石を『使う』って書いてあるということは、何かに使うんだろう けど・・・。もしかして軽石かなにかかな?」
「じゃあ、この軽石を使って足の裏をこすったら消えちゃうとか、腐ってくるとか?」
「それはないだろ・・・。そんなに軽くないし・・・。」
眞子の言葉に苦笑しながら答える翔。
信雄は、多少がっかりしながら、でも興味深そうに翔の手にあるその石を眺めながら、
「まあ、他のものをまず片付けてしまおう。」
そう言って片づけを再開させた。
それから翔が石の能力に気づいたのは、片づけが終わり石に触って目を閉じたときだった。
信雄、満子、眞子・・・。
3人の未来と過去が見えたのだった・・・。
驚いて目を開けると辺りはほとんど時間が経っておらず、目の前にいる3人は 翔がそんな時間旅行をしていることなど、知る由もなかったのである。
その後、石の能力を知った4人は、なにをするにも石に頼った。 デートスポット、帰り道、どの講義を取ったらいいのか、や、果ては過去の出来事を見ての 暇つぶし。
ただ、なぜか石は翔しか使うことが出来ず、いつも3人はなにをするにしても翔に聞いていた。
翔も特に面倒くさくなかったので、ちゃんと答えていたのだが・・・。
そんなある日、そう、それは暇つぶしに4人が過去を見て遊んでいるときだった。
4人といっても、実際見ているのは翔だけ。
「ねぇねぇ、聞いてよ。信雄ったら、昨日転んで怪我してね・・・。で腕折っちゃって、 この通り・・・なのよ。」
満子は信雄を心配そうに見ながらそう言った。
信雄は腕にギブスをはめ、肩からつるした布にそれを置くという最もオーソドックスな 格好をしている。
「・・・松山くんって案外、体よわかったんやね・・・。」
眞子の言葉に食い下がる信雄。
「違う!別に体が弱いわけじゃないんだ。ただ、前から自転車で人がやってきて・・・。 俺が右によけようと思って右に行ったら向こうも右に行って、じゃあ左に行こうと思って行ったら 向こうも同じ方にやってきて・・・。お互いよけようとして右へ、左へ。で、あれよあれよという 間に、目の前に自転車が迫ってきてて、『危ない!』と思ったから、思わず身を翻して すんででかわした・・・と思ったら重心を失って、倒れてしまった。で、これ。」
信雄は自分の目の前に、ギブスで固められている左腕を持ってくる。
そんな信雄に翔は、
「まあ、運が悪かったんだな。」
の一言。
でも、翔はその様子が見てみたいと思い、信雄の方を見てポケットに入っている 石を手でつかみながら目をつぶった。
昨日の信雄が見える。
歩いていると・・・向こうから自転車に乗っておばさんがやってきた。
きっとあの人とぶつかるのだろう、そう思った翔はとっさに信雄に足をかけてその場で こけさせる。
面白いように信雄は引っかかって、無様にこける。
どてっ!
『あいたたたた・・・。こんな何にもないところでこけるなんて・・・。』
こけてしまった信雄はちょっと時間をかけて起き上がる。
翔は過去に行っても誰にも見られない。でも、そこに翔は存在するのである。 だからこういう行動が取れるのだ。
ただ、気をつけないと車に容赦なく轢かれてしまう・・・などの出来事があるのだが。
起き上がろうとする信雄の横をあの自転車に乗ったおばさんがちょっと笑いながら通り過ぎる。
『はぁ・・・手の皮痛ぇ・・・。くそっ、皮がむけてしまった・・・。』
起き上がった信雄はそうつぶやいて歩き出した。
翔は目を開けて、現代に戻ってくる。
すると、目の前では、
「で、昨日、何にもないところでこの人、こけちゃったんだって。で、手の皮すりむいて・・・。 なさけないわ、ほんとに。」
「松山くんって・・・前々から分かってたけど器用な人なんだね。」
「まったく、通りすがりの自転車のおばちゃんには笑われるし。悲惨だぜ・・・。」
まったく違う世界が広がっていた。
信雄は・・・骨折などしていない。
いつもこうだ。
翔以外は誰一人、その「もう一つの世界」を知らないのだ。
そして、事件が起こる。
この日は満子の入っていた「ピアノサークル」の発表会。
ちょっと前に占っていたのでは、満子はこの発表会で大成功を収めるというものであったが・・・
ピンッ・・・
「い・・痛ッ・・」
満子は発表会の前日、練習後に残って練習をしていたときに指がつってしまい、 筋を痛めてピアノを弾けなくなっていた。
本当ならば居残り練習などせずに、怪我が治りかけの信雄の身辺整理をしてあげるはずだったのだ。
でも、骨折がかすり傷になってしまったために信雄のところに行かずに済んでしまった。
・・・そしてその結果がこれだ・・・。
「昔見た未来が少しずつ変わってきている・・・。」
翔は微妙な不安感にさいなまれ始めた。
自分が運命を左右していることを本格的に案じ始めたのもこのときからだった。
でも、満子が苦しんでいるのを見殺しには出来ない。
翔は発表会前日に戻ってピアノの練習をさせないようピアノのふたをしてやった。
そして、現実に戻ってくる・・・。
すると目の前には、ひどく落ち込んでいる満子。
翔は驚きながら満子に尋ねる。
「ど、どうしたんだ?」
すると満子はゆっくりと口を開いた・・・。
「緊張して、間違えちゃったの・・・。しかも止まっちゃうし・・・。」
「・・・。」
「昨日、練習しようと思ったんだけどピアノのふたが開かなくて・・・。で、私ものすごく不安に なっちゃって。そのままの気分で本番迎えて・・・で、本番では・・・。」
翔は複雑な気分にさいなまれた。
自分のしたことは間違っていたのか?
もっと良い方法があったのか?
翔は再び過去に戻って、いろいろな方法を試した。
そして、なんとか満子の発表会が成功する過去を探り出し、その通りに。
何度も現実と過去を行き来する翔。
最良の現実を恣意的に選んだ今、目の前では演奏会を成功させた満子が目に涙を 浮かべて感動し、翔の手を取って、
「聴きに来てくれてありがとう!」
と喜んでいた。
でも・・・
「あ、ああ・・・。」
翔の心にはえもいわれぬ感情が渦巻いていた・・・。
その後も過去見た未来とは違った現在がやってきて、そのたび翔を苦しめた。
「ねえ、来週遊びに行く予定なんてないって高橋くん、言ってたけど、 信雄くんから遊びに行こうって誘われちゃった・・・」
「か〜け〜る〜?ちょっとおかしいんやけど、自転車なくなっちゃったのよ。 こんなの見えてたっけ?」
「お〜い、翔?どこに遊びに行ったら良いかなあ?」
・・・・・・・・・。
・・・・・・。
・・・。
翔はどうしたら良いのか分からなくなった。
「昔見た未来とは違う・・・。」
つまりそれは、自分が好き勝手やってきたために未来が変わっている証拠なのだ、と いうことは想像に難くなかった・・・。
そして遂に怖くなった翔は石を使うのをやめ、壊す決意を固める。
「あのな、聞いてくれ・・・。」
いつもにはない、翔の沈痛な話し口調。
そう、翔は悩みに悩みぬいており、精神的にも疲れていた。
思い通りに変えられる現在。
自分の思い通りになっていく未来。
でも、変わりはじめた現在。
不透明な未来。
そこを周りから言われるという中間管理職的なつらさを味わう。
・・・でも、良い方向へ持っていくために過去を変えても、 結局それをねぎらってくれる人は周りにいない。
なぜなら、良い現在にいるということはすなわち、「悪い現在」を知らないということである。 誰一人、翔の行動も悩みにも気がつかなかったのだ・・・。
だんだん食い違いを見せる現在を良い方向に直す気も失せ、もはや自分が未来を変えるという 行為にすら恐れをなすようになっていた・・・。
「今まで、好き勝手良いように未来を変えてきた。お前たち3人は気づいてない・・・というか 知らないと思うのだが、こううまくいってるのは実は俺がうまく未来を調節しているからなんだ。」
黙りこむ3人。
「今まで、たとえば信雄は骨折したり、水野は発表会を失敗したり、眞子は自転車なくしたり してるんだ。でも、そうならないように未来を操ってきてたんだ。・・・でも、 もうさすがにしんどい。」
翔の前にいる3人はみんないきなりの言葉に驚いている・・・。
「それに、こうやって自分で好き勝手変えてちゃいけない気がするんだ・・・。 何か背徳的な、そんな気さえする・・・。だから、もう俺はやめる。それに、この石も 潰してしまう。これ以上、苦しみたくないからな・・・。」
翔が手を出していた過去が、昨日今日の過去であり、それほど昔の過去には手を出していないことが 不幸中の幸いだった。
でなければ、下手をするととっくの昔に翔やここにいる4人の存在自体が消されて いたかもしれない。
過去における出来事を変えてしまうというのはちょっとしたことでも時間の経過にしたがって 破滅的な暴力を振るうものなのである。
それは石を持っているものも持っていないものも関係ない。
ふとした選択のミスで過去の自分を殺してしまうと、現代に戻ってきた瞬間その人は 消滅してしまう。
恐ろしい凶器に成りえるのだ。
「そう俺は思っている。いきなりですまないが、もう俺はさすがに限界だ・・・。 これ以上過去や現在を変えて未来を本来あるはずのないものにしてしまうのは何か いやな予感がするんだ。」
3人は翔の尋常ではない態度に驚きつつも、
「あ、ああ。お前がそこまで苦しんでいるなら・・・。」
「そ、そうやよ。そんなに思いつめてるんなら、ねぇ。」
「ごめんね、翔・・。気付いてあげられなくて・・・。」
一応納得した。
でも、翔にはその言葉が信じられなかった・・・。
この石の能力は麻薬のごとく、一度その味を知れば決してやめられない、 そういうものなのだ・・・。
『この3人がすぐにここで引き下がるはずがない・・・。』
・・・翔の心は友人や恋人すら信じてあげられないほど荒み、疲れ果てていた・・・。
そして、それを証明するかのごとく、やはり3人は石を壊すことに反対してきた。
「なあ、翔。別に石を使わなかったら良いんだから壊さなくても良いじゃないか?」
こんな言葉が1日に何回もかけられる・・・。
うんざりする翔。
翔の心はもはや人を信じられないほど、荒れ果ててしまっていた。
眞子とも距離を置き、信雄や満子などとも当然避けるように過ごして、なんとか やり過ごそうとする。
家に帰っては石を目の前において恨みを募らせる毎日。
でも、不思議と壊すことはためらわれた。
「俺もこの石の味を知ってしまった一人なのか・・・?」
自己嫌悪に陥る。
・・・・・・。
そんな日々にも耐え切れなくなり、ようやく行動に移した。
「こんな石があるからいけないんだ!」
石をつぶそうと、手に持ったかなづちで叩いた。
ゴン・・・
・・・でも、決して壊れない。
壊れないどころか傷一つすらつかない。
「硬い石なんだな・・・。」
そうつぶやいて、今度は強めにかなづちで叩く。
ゴンッ・・・
しかし、やはり先ほどと同様、まったく傷がつかない。
「くそ〜!」
どこまでも苦しめてくれる!!
躍起になった翔は家の前に出て、石を地面におき、そこに思いっきりかなづちを 振り下ろした!
ガキィィィイイイインン!!
・・・こんな光景見たことなかった。
翔はあまりの恐ろしさに瞬きすら忘れてしまう・・・。
石には・・・傷一つついてない。割るなんてありえない境地である。
振り下ろした瞬間すごい音がしたのは・・・そう、かなづちの金属部がひん曲がり、 折れ、先端の一部が飛んで行った音だった。
石のすごさに改めて辟易し、そして今時分が持っているそのことを心から 後悔した。
「こうなったら、この石の力で過去に戻り、俺が石を手にしないようにしようか・・・。」
でも、その方法はためらわれた。
そうなると、確実に今の自分は消えてしまうだろう。
そのとき一体どんな今を過ごしているのか?
もしかしたら死んでしまっているのではないか?
今まですべてを知ってきた男は、今最も「未知」を恐れる男へと成り下がっていたのだった・・・。
そして遂に、この日から4人の石に対する考えは変わる。
この日、サークルやレポート、研究や実験などで夜遅くになっていた4人は、 いつものように校門を出て歩いて駅に向かっていた。
こんな夜には、早く駅に着くため裏道を通っていく。
そんな時、酒に酔った若い少年ら4人が翔たちに絡んでくる。
「なぁなぁ、おまえらさあ、仲よさそうよね〜。入れてくれよ、なぁ・・・。」
4人とも無視して歩き始める。
カチンときたのだろうか、
「おい、無視すんなよ、コラ!」
いきなりスイッチが入ったらしく、満子の肩に手を置いて、体を引き寄せようとする。
「や、やめてくださ・・・。」
ガシッ!
満子の肩をつかむ腕を信雄の手が力強くつかんだ。
きりきりと力を入れて腕を握りつぶす。
「おい・・その汚い手を離せ・・・。」
信雄の低い声は少年4人らを多少ビビらせたようだった。
でも、向こうも意地があるのか決して引こうとしない。
「くっ・・・。う、うるせ〜!」
いきなり信雄に殴りかかってくる。
バキッ・・・
「つっ・・。」
後ろに倒れそうになる信雄。
でも、持ちこたえ、なんとか立った姿勢を維持する。
「の、信雄ーー!」
満子は向こうに捕まったままだった。
「・・・お・・・い。おまえら、これで最後の忠告だ。その汚い手を離しやがれ。」
「へへっ。離せといわれて話すやつがどこにいるか、バーカ。」
ぷちっ
信雄の頭の中で何かがはじけた。
かわいそうなのは、向こうの4人だ。信雄の恐ろしさを知らない。
考古学研究会というあまりに地味なサークルにも入っているが、考古学には体力と 精神力がいる。
それを培ってきたのが・・・
昔からやっていた柔道だった。
もちろん黒帯・・・。
「うおおおおおお!!!」
雄たけびとともに信雄が4人に突っ込む!
「お、おい・・。・・・へ?」
満子の肩に手を置いた男の胸倉をつかみ、思いっきり投げ飛ばす!
ドスーーーン!!
ずざざざ・・・・
無様に飛び、転げ、その後はピクリとも動かなくなった。
満子の手を引き、自分の後ろにいる眞子のいるところへと移動させる。
残り3人は恐怖におののいたが、仲間がやられたせいであろうか、
「く、くそ!やっちまえ!」
よく雑魚キャラが吐く、必死の鼓舞を表すお決まりの文句を本当に吐いて 信雄に飛びかかった。
「ふんっ!」
一番初めに飛び掛ってきた男のパンチをあっさりと避け、その伸びた腕の下に入り込み 体を滑らせて反対を向き、その男の体重を自分に乗せる。
そして、思いっきり腕を前に出して、相手の体を力いっぱい叩きおろす!
ドスン!!
すごい音がして男は地面にのびた。
あっけにとられていた翔も飛び出して参戦する。
翔は何も護身術を身につけていなかったが、普段から体だけは鍛えているので多少の自信はあった。
しかし、それより早く男2人は信雄に飛び掛る。
一人が前から蹴りを入れて防がれている間に、もう一人が後ろから信雄の背中に思いっきり パンチを決め込む。
「うぐっ・・・。」
さすがの信雄もこれにはこたえたらしく、前にいる男に蹴りを入れるも避けられ、後ろにいる 男に一発パンチをぶち込もうとするだけで精一杯だった。
しかし、後ろにいた男は信雄のいきなりの後ろ向きパンチにビビって後ろに3歩後ずさりする。
そこに、
「どこ見てんだ、バカヤロウ!」
声に振り向く男ののどをめがけて思いっきり手刀を決める。
「ぐぅうう!」
ものすごい悲鳴をあげた男の完全に開いた状態になっている腹に、思いっきり パンチをお見舞いする。
ドサッ!
男は声もなく倒れた。
・・・残るは一人。
翔は信雄のところに駆け寄った。
そのとき、
「りゃぁぁぁあああ!」
ものすごい声とともに信雄に襲い掛かる。
しかし、信雄はあっさりと避ける。
避けられた男はその勢いで翔の方に襲い掛かる!
そしてポケットをまさぐり、何かを手に持ち、ひらめかせる!
シュッ!
「あ、あぶねーーー」
すんでのところで翔は避けたが、避けてなかったら銀色の光が確実に翔の頬骨から鼻にかけてを すっぱりと切り裂いていたであろう。
翔が2歩後ろに下がったところで、今度は信雄が男に襲い掛かる!
しかし、男は避けることなく手に持つ銀色の光をまっすぐ信雄にむかって突き出す!
あぶない!
そう思った瞬間、信雄はひらりと身をかわし男の懐に入り込む。
が、男も予想していたのか、入り込んできた信雄をひざで蹴り上げる。
それがまともに信雄のあごに入り、信雄はその場でふらつき、男は手に持つ銀色を構える。
『このままでは信雄がやられる!』
そう思った翔は声もなく男に飛びついた!
男は気配を感じて飛びつく寸前にこちらに振り向き、銀色を構えた!
「ヤバイ!刺される!」
翔は本能によって左腕を体の前に出す!
・・・・・。
グサッ!!
翔の左腕に走る熱いような痛いような感覚・・・。
さすがにこの痛みに翔の足の力が抜けていく・・・。
そのとき、
「か、かけるーーーーー!!!」
横から眞子の声がした!
その声でなんとか力を振り絞った翔は完全にあいている顔面に右手を思いっきり握り締めて、 一撃をかましてやる。
ゴスッ・・・
鈍い衝撃音とともに男は後ろに吹っ飛んだ。
「う・・・うわぁああああ!!」
男は途端に怖くなったのか、大声を上げて逃げていった。
その声で目を覚ましたのか、残る3人も起き上がってほうほうの体で去っていく・・・。
「なんとか、助かった・・。」
翔はそう言って、ぺたんと地面に座りこんだ。
「か、かけるーーー!!!」
走りよってくる眞子。
「ああ、眞子・・。怪我はないな。」
「う、うちはなんもないよ!それより、翔!その腕を何とかしなきゃ!!」
腕・・・?
翔は左腕を見ると、そこにはサバイバルナイフが深々と突き刺さっていた。
そこから滴り落ちる緋色の液体。
「私、救急車呼んでくる!」
そう言って満子は走り出す。
信雄も脳震盪でも起こしたのだろうか?
座ってはいるが立ち上がる気配がない・・・。
「まってて、今止血するから・・・。」
眞子はハンカチを取り出して、左肩の少し下あたりでぎゅっと堅く結び、翔を横に寝かせて 腕を心臓より高い位置に置いた。
・・・・・・・・・・。
しばらくして、なんとか信雄が立ち上がりここまでやってくる。
「腕・・・大丈夫か?」
「ああ。動くから筋はやられてないらしい・・・。まあ、後は血が止まることを祈るだけ・・・。」
そこまで話すと、翔は今までたまっていた緊張を、ため息とともに吐き出す。
「信雄、お前も大丈夫なのか?」
「ああ・・・頭がくらくらするが・・・まぁ、命に別状はなさそな気が・・する。」
そのとき、満子が帰ってきた。
「はぁ・・・はぁ・・・すぐ来るって、救急車!」
「ああ・・・来てくれなかったら、失血死してしまう」
と言っても、腕ぐらいだからそこまで血が出るとは翔は思っていなかった。
左腕に刺さったままのサバイバルナイフを見つめる・・・。
「しかし、刺されるとは・・・不運だぜ・・・。」
翔の言葉に反応する眞子。
「もう、無茶したらアカンのに・・・。」
その言葉に翔はふふっと笑う。
「いや、まったく・・・こんな裏通りを通るからこういう目にあっちゃうんだなあ・・・。」
そして信雄が口を開いた。
「なぁ・・・、石の力で何とかならないのか?こういう目にあわないようにすること、できるだろ?」
その言葉に翔の表情は一変する。
穏やかだった顔が、いきなり真剣一色に塗りつぶされた。
「・・・そうやって今までやってきたんだ。もし俺がここで石を使うと、あの4人組は 別のやつを襲うかもしれない。今は腕を刺されるだけですんだけど、もしかしたら 他の人は腹や胸を刺されたりして死んでしまうかも知れない。本当は俺がそういう目に 会うはずなのに、そうやって本来とは違う人が死んだりしてしまうんだ。それって いいことかなあ?」
翔の言葉に反応したのは満子だった。
「でも、だからと言って高橋くんがこういう目にあう必要ないでしょ? そんな自分が不幸をかぶればいいみたいな言い方って・・・。」
翔はゆっくり首を振る。
「だから、石を壊そうと思うんだ。そうしたら、こんな気持ちにならなくてもすむ。 すべての不幸や災いを、運命として受け入れられるじゃないか。過去を変えて現在を良くしても、 俺は変える前の良くない現在というものを知っているんだ・・・。でも、他の人は 誰もそれを知らない。・・・俺は刺されず無事かもしれないけど、そういう体験は 一生心に残るんだ・・・。」
翔の言葉に皆が耳を傾ける。
「石がなければ、こんなことを考えなくても済んだんだ。 こうやって悩む必要もない。だから俺は壊してみた、 ・・・かなづちで。でも、まったくきず一つつかなかった・・・。」
少し皆が驚く。
「傷一つ・・・ってかなづちで叩いたのに、か??ちゃんと叩いたのか?」
信雄の言葉に、半ば自嘲気味に笑いながら話す翔。
「ああ・・・。びっくりしたさ。まさか、割れるのが、石じゃなくてかなづちの方だったなんてな。」
「そ、それホンマなん?」
「ああ。」
眞子も驚きを隠せない。
さすがにみんな恐怖を覚えているようだった・・・。
「頼みがある・・・。俺が入院したとしたら、その間に石について調べて欲しい。 どんな情報でもいい。俺も、退院次第、一緒に調べるから。」
「ああ、わかった・・・。」
信雄の返事と重なるように、救急車のサイレンの音が近づいてきたのだった・・。
信雄は軽い脳震盪と背中の打撲いうことで1日だけ入院したがすぐに退院した。
翔は刺された腕の傷がふさがるまでは入院ということで、2週間ほどは退院できそうにない。
その間に3人はさまざまなことを調べた。しかし、いっこうに情報がつかめない。 図書館に行くも、そんなものはない。広くうわさまで聞き集めても、そんなものは決して存在しなかった。
石というものが、いかに常識からかけ離れた存在であるのか、このときになって3人の身にしみる。
それを当たり前のように使っていた日々が懐かしくも、少し恐ろしく信雄は感じていた・・・。
そんなときに、翔は無事退院した。
・・・4人は途方に暮れたが最後の望みを捨てたわけではなかった。
まだ最後に残してあったのである。
そう、それはあの蔵であった。
松山家の蔵・・・。
今、4人はその前にいた。
初めて石を見つけてから一体どれくらいの月日が流れたのだろう。
4人はその中に入る。
悲惨な作業ということはあからさまに分かっていた。
この、物だらけの蔵の中であるかどうかも分からない、「石について何か少しでも書いてある書物」を 見つけるのはどう考えても効率が悪い。
でも、4人にはこれしか残されていなかった。
幾日も日数が流れる。
大学もあるから毎日というわけにはいかなかったが、日曜日には必ずここに来るのが 日課ならぬ週課になっていた。
石を使えばすぐにその探し物も見つかるかもしれないと4人は幾度となく思ったが、 それを止めることから始めるべきなのだと言い聞かせながら、探していく・・・。
そして石について何か分かったら報告しあうというのもまたその週課の一つでもあった・・・。
そんな日が流れ、蔵を探し始めて1ヵ月半経ったとき、翔は別の蔵の奥底から一つの古文書を見つける。
「え〜っと、なになに・・って、難しすぎて素人には読めないぜ・・・。」
翔は読み出してすぐに諦めて、ぱらぱらと中身をなんとなく見てみる。
いつもどおり、また後で信雄にでも見てもらおうと思って、本を閉じようとしたそのときだった。
よく見たことのある、実に精巧に描かれているページがふっと目に入った。
翔は驚き、いそいでそのページを開く!
そう、それはラグビーボール型の石。いろいろその横に説明書きがなされていたが まったく読めない。・・・でも、何のことかそれは言うまでもなかった。
ポケットから肌身離さず持っている石を取り出して見比べてみる。
「・・・お、同じだ・・・。や、やった〜〜〜〜!!!」
翔の叫びは他の蔵にいたみんなのところにまで響きわたった。
その古文書を解読してみると、それは昔の呪術について書いてあるものだということが 分かった。
書いた人は「八兵衛」という人物らしい。
その石のページについて解読してみた。
『この石は子午石という石である。子午重離という呪術がこめられている。 いや、本当は子午重離という呪術の亜流版がこめられている。本当はもっとたくさんの ことが出来るのだが、それだけは避けなければならなかった・・・。 この石を使うと時を越えて、過去や未来にも行くことが出来る。 私がこれを作った経緯は、白河院に頼まれたのがはじめであり・・・
〜中略〜
というわけで完成した子午石は院に取られたままである。封印が解けてしまった後 一体どのように悪用されてしまうのか、私はそれを思うたびただただ自分が成してしまった 行為を恥ずかしく思うばかりである。ただ、今私がこのように書いていることが出来て、 しかもそれを誰かが読むことが出来ているのなら、私の運命までは変えられていないようである。
石を使い続けると、運輪にゆがみが生じる。そのゆがみは使えば使うほど大きくなり いつの日か運輪は崩壊してしまうだろう。それはこの世の均衡を保つ運輪の崩壊。 何が起こるのか私にも分からない・・・。
それにこの石には呪いがある。子午重離自体には何も呪いはないのだが、 どうやらこの石自体に何か呪文がかけられているらしい。これを使い未来を見ると、 過去をなくし、過去を見ると、未来を失っていく・・・。どうしてこうなっているのか、 私にも分からなかった。もしかしたらあの陰陽道使いが、誰かが悪用してもそれが長続きしないように と思って、こういう石を仲実と院を通じて渡させたのかもしれない。あの陰陽道使い、 一体何を考えているのか最後までわからないやつだった・・・。
なにはともあれ、せめてもの私の罪滅ぼしとして、子午石の破壊方法を載せておこう。 自分が作っておきながら自分で破壊できないというのはなんとも心苦しい。 子午重離を使って石をつくらないようにしたいところであるが、自ら運輪をゆがめては 本末転倒だ。それに、子午石とは異なり、子午重離はもっと幅の広い呪術・・・。 目の前にいない人でも、また一万年昔でも一千年未来でも自由に行くことが出来る。 その分、多分に運輪を痛めることになる。それだけは避けなければならなかったのだ。 子午重離を使うぐらいなら子午石などかわいいものなのである。・・・しかし、 運輪をゆがめることはしてはならない。
では、子午石を潰す方法を載せておこう。多少の呪術を必要とする。 だが、呪術に詳しくない者でも可能であろう。まずはろうそくを三本用意する。 それで三角形を作り、その真ん中辺りに石を置く。石に水を垂らし、鬼や邪神の好む、 生肉と女性の髪数本を石の上に載せ、呪文を何度も唱えながら3つとものろうそくの火を持って、 それぞれの方向から一斉に石に火をつける。呪文は、「禍神ムツリ、災神ドヌボ、厄神ヤツグ」。 そうすると石は勢いよく燃え、そしてそれが』
なんと、ここで古文書は終わっていた。いや、時間が経ってしまっているせいか、 字がぼやけたり見えなくなっていたり虫に食われたりしていてそれから後は読めなかったのだ。
とりあえず、4人はそれにしたがって、やってみることにした。
・・・はっきり言って、暗黒宗教だ。
暗いとかそういう問題ではない雰囲気が漂う。
呪文を唱えながら3つのろうそくで、3方向から同時に石に火をつける。
そしたらなんと、本当に石は轟々とありえないほどの火を噴き、燃え続けた・・。
時間が経ち、火が収まってくる。
更にしばらくして火が完全に収まり、石が冷めてくると石に縦方向のひびが一本入り・・・
パキィィィィイインン!!!
金属がはじけるような音がして、それは二つに割れた・・・。
片方を手に取る翔・・・。もう片方を信雄が手に取った。
まだ多少熱いけれど、そんなに気にならない。
翔は試しにそれを強く握ってみた。
しかし・・・未来や、過去はまったく見えない。
「やったーーー!!!」
あまりのうれしさに大声を上げて叫ぶ翔。
だが、その横で信雄はしきりに首をひねっていた。
そして、信雄は不意にこんなことを口にする。
それは新たな悲劇の始まりの言葉でもあった。
「満子・・・昨日、どうしてサークルに出なかったのか、分かったよ。」
「えっ・・・?」
それから、いろんなことが分かってきた。石が二つに割れて、片方は 未来が見え、片方は過去が見える・・。
片方は目をつぶってしっかり見ようとしないと未来が見えないが、 片方は何もしないでも過去が見える。
片方はなぜかものすごく軽く、片方は普通の重さ。
片方は特定の人しか使えないのに、片方はだれでも使える。
片方は現在で違う選択肢を採ることによって未来を変えられるのに、片方は過去を見ることしか出来ない。
相反することが多かった。なぜかは分からない。でも、 一つの石が二つに割れて、それぞれの特徴を片方ずつに受け継いだのだろうという、勝手な 予想をして4人は納得していた。
それしか考えようがなかったのである・・・。
・・・そんな中で共通すること、それは、4人が皆、石の力に苦しめられるということであった。
その後4人はそのまま結婚することになる。
そして、結婚を控えた少し前に、翔と信雄はある店の前にいた。
この店はよく当たる占いとして有名になっていたのだった・・・。
そう、この二人、結婚運・・・というか将来を占ってもらいにきたのである。
一人で来るというのも恥ずかしいので、気心知れた二人なら・・・ということでやってきた。
こういうときはパートナーと来るもんだが、結婚を控えた段階で占うという、なんとも おかしな行動を満子や眞子に見せると一体なんと言われるか・・・。
そう思った二人は女性グループには黙って来ていたのだった。
「さ、入ろう。」
そう、あのどこからどう見ても病院という、なんとも怪しいたたずまいの、あの店だった。
入ってしばらくすると・・・
「13番の方〜。」
怪しい奥の扉から翔たちの番号を呼ぶ声がする。
それに誘われて入っていくと、自分たちよりも多少年上だろうか、それぐらいの おじさんというには多少憚りのある男性がいた。
男性は翔たちを見た瞬間、目つきが変わる。
そして、
「き・・・君たちが・・・子午石を持っているのか・・・?」
なんだか口をパクパクさせながら慌てふためき、いきなり凄んできた。
「ちょっと危ない人なのかもしれない」と翔たちは思い、信雄は思わず 投げ飛ばしてしまう・・・。
それから誤解を解き、翔たちはこの男性、長谷さんのお父さんにいろいろお話をした。
石のこと、石を見つけたときのこと、長谷さんのご先祖の話、そして運輪と呼ばれる 歯車のこと。
これを聞いた翔は、顔色が変わった・・・。
自分のしてしまったことを心から後悔した・・・。
そして、結婚し子供が産まれ・・・今に至る・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「こういうわけなのよ・・・。」
母の話がようやく終わった。
「な・・・長すぎてよくわかんないよ。」
「まぁ、そうでしょうね・・・。」
頭の中がもうわけのわからないぐらい混乱していた・・・。
「でも、昔、平安時代のところでの会話の部分とか、よく古文書に載ってたね。」
そう俺が言うと、母さんは「ああ!」と言わんばかりに手を叩いた。
「ところどころはフィクションよ。」
「な、なにぃ〜〜〜?!」
「だってこの方が盛り上がるでしょ?白河院がそんなに悪い人だったのかも分からないしね。」
なんということを語る人だ・・・。
俺は母さんのすごさにちょっと辟易した。
「で、とりあえず、先週翔さん宛に手紙が届いたでしょ?あれは信雄さんからの 手紙なの。石の壊し方が誰かが分かったらお互いの家にそうやって知らせようって 決めてたの。手紙なら、残るからね。書いてあることを忘れても、また見たら良いだけだから。」
「あ・・、そう・・・。」
まだよく状況が把握できない・・・。
「とりあえず、石の壊し方を教えておくわ。簡単なことだったのよ。 その二つに割れた石を一つにあわせて、あの呪文を唱えるのよ。 それで壊れるらしいわ。二つに割れた時点でそれらは相反する能力を持ち合わすことになった。 まあ、陰と陽、冷と温、みたいな感じね。だからそれをあわせることによって お互いの能力が相殺され、消えてしまうらしいわ。」
「わ・・・わかった・・・。」
なんだかよく分からないけど、とりあえず合わせて、あの呪文を唱えれば良いらしい・・・。
これは、この話を消化しきるのにはかなりの時間がかかりそうな気がした・・・。
母さんの話は続く。
「で、もう一つ、家族について・・・だったっけ?これについてだけど」
プルルルル・・・・
プルルルル・・・・
そこまで言ったときに電話が鳴った。
出に行く母さん。
「はい、高橋です。」
その間に俺は考えをまとめておこうと思った。
しかし、それはまさかの形で打ち切られることになる・・・。
「ええっ?!明が・・・明が倒れたですって?!!」
俺は母さんの叫びに飛び上がった・・・。
第16話 「真実」
必死になってここまでやってきた。
ここは病院・・・。
いや、気がついたら病院だった。
そんな気がする。
必死になってここまでやってきたかどうかも記憶にない。
ただ、疲労と緊張によってがくがくと震えるひざが、すべての状況を露呈しているように思えた。
俺は母さんたちを置いて、自転車で思いっきり走ってきていた・・・。
「はぁ・・・はぁ・・・。」
緊急用の入り口から入り、明のことを尋ねる。
「あの・・・すみません!松山・・・松山明は大丈夫なんでしょうか?!!」
夜だというのに、声を荒げてしまう。
「松山・・明・・さんですか。ちょっと待ってくださいね・・・。ええ〜っと・・・。」
そう言って、救急名簿なるものを見始める看護婦さん。
その動作がひどくゆっくりに見え、抑えようもない苛立ちを感じる。
・・・・・・・・・・。
母さんが受け取った電話はどうやら満子おばさんかららしかった。
電話を置いた母さんは俺の方を向いて、ひどく動揺した眼をこちらに向けた・・・。
「あ、明が・・・倒れたんですって!」
「で、今はどこに?!」
「今は中月病院・・・昇が入院したところよ。そこに搬送されたらしいわ。早く行かないと・・・。」
「どうして倒れたんだ?!」
「・・・・・・。」
「・・ん?母さん?」
「早く・・・行ってあげないと・・・。」
ぶつぶつとつぶやき始める母さん。
さっきまでの威勢はどこにもなかった。
顔が真っ青で・・・目がうつろ・・・。
「おい、母さん!一体どんな状態なんだ、明は?!!」
「早く・・・、早く・・・・。」
「くそっ!」
とりあえずあたふたしている母さんを置いて、俺は急いで家を飛び出した。
母さんには悪いが、そのときは母さんの異常なまでの動揺ぶりにかまってやることなど 出来なかった。
ただ、俺が母さんの横を通り過ぎた辺りで、
「あの子には・・・なんて謝れば・・・いいの?・・・」
そうつぶやいている声がひどく耳にまとわりつくのを感じた・・・。
・・・・・・・・・・。
「ええ〜っと、松山明・・さんですね。」
「はい。」
「今は3階の集中治療室ですね。」
「分かりました。ありがとうございます!」
そう急いで言うと、俺は3階を目指した。
「はぁ・・はぁ・・・。」
さすがにひざが多少限界を訴え始めているような気がする。
自転車で家からここまで15分。走り続けた。
でも、とりあえずはあいつの顔を見ないことには・・・
そう思って、走ってはいけない病院の廊下を全力疾走する。
「はぁ・・はぁ・・・っく・・・。」
集中治療室はどこにあるんだろう・・・?
よくよく考えてみると、俺はそんな部屋になど行ったことがない。
病院内案内図を見つけて、確認する。
「はぁ・・はぁ・・ええ〜っと・・エレベーターホールの東っ側だな!」
また走った。
そして、ようやく見つける。
部屋の前には、満子おばさんと信雄おじさんがいた。
ドアに「面会謝絶」という札が張ってある・・・。
「やぁ、昇くん・・・。来てくれたんだね。」
俺の姿を見てまず反応したのは信雄おじさんだった。
「はぁ・・はぁ・・・。あ、明の容態は?!」
俺の質問に答える満子おばさん。
「どうやら、かなり衰弱が激しいようなのよ・・・。命に別状はないらしいんだけどね。 でも、原因はそれだけでもないわけだし・・・。」
なんだか、歯切れの悪い言葉。
「とりあえず、・・・大丈夫ということなんですね?!」
俺の言葉に信雄おじさんが、
「ああ・・・。今のところは。」
と、また微妙な発言。
さすがにいらいらしてくる。
こんなに必死になって俺が走ってきたというのに、一体・・なんて態度だ・・・。
それに、本当に娘のことを心配しているのか、それすらも微妙な気がする。
なるだけ落ち着いて、俺は二人に尋ねた。
「あの・・・いったい、どうして倒れたんですか?」
そうすると、二人は次のように言った。
「明の本当の親について教えてあげたときだった・・・。
『そんなのは信じられない!!自分で・・・自分の「眼」で確かめるから!!!』
そう言い放ってね。で、その直後だった・・・。 僕の目を見てきたんだ。目を合わしてはいけない!と思ったときには、もう遅かった・・・。 すべての力を使い果たすかのごとく明は過去を見たんだと思う。」
「そして、ひざから倒れながらね、
『ウソ・・・ウソよ・・・。こんな・・・』
そう言い残して、あの子・・・。普段は私の目を見てたから私自身は警戒してたけど、 まさか信雄さんの目を見るなんて・・・。」
ということは、明はあの石の能力を使ったのか・・・。
さっきのフォーチュンでの話でも分かっているように、過去を見ようとすると未来を 失うんだぞ、この石は・・・。それほどまでに明をかきたてるものって一体なんなんだ?
そもそも、どうして目の前の二人は明に隠す必要があったのか?!
本当の親のことなど教えてやれば良いじゃないか?!
明が石を使ったということにも、この目の前の二人が今まで本当の両親を教えてこなかったということにも 腹が立つ。
むかむかむかむか・・・。
そんな中、俺は二人に訊いた。
「・・・いったい、明の両親は誰なんですか?!」
多少言葉がぶっきらぼうになる・・・。
俺の言葉に多少驚きながら、信雄おじさんは次のように言った。
「・・・ということは、君はまだ満子さんからその話を聞いてないんだね・・・。」
「はい・・・何も。」
そうか・・・と言わんばかりで信雄おじさんは軽く目を閉じた。
そして、目をゆっくりと開け、俺を見据える。
「今から僕の話すことを君はどんなことがあっても真実と受け止められるか?」
その目はウソを言う目ではなかった・・・。
頭の中のむかむかが一瞬のうちに嚥下されてしまうような、そんな感覚が俺を襲う。
信雄おじさんは俺の過去を見ることは出来ないけれども、その目は確実に 俺の心を見抜いているようなきがした・・・。
「・・・はい。」
冷ややかに醒めていく心と頭。
どんなことがあっても受け止められるよう、空っぽにした・・・。
俺の返事の後、すぐに信雄おじさんは話を始めたはずだろう。
でも、俺の中では心の準備をしていたため、その時間が非常に長く感じられた。
そして、信雄おじさんの口が動く。
「明の本当の両親はね・・・高橋翔・眞子夫妻なんだよ・・。」
「・・・・・・。」
・・・・え?
なんだって?
聞き間違いか?
そうだろう、聞き間違いに違いない。
「あの、それって・・・。」
「そう・・・君のお父さんとお母さんだ。」
聞き間違いじゃ・・・
ないのか?
じゃあ、俺と明は・・・
「う・・・ウソ・・ですよね・・・?」
「・・・明と同じ反応をするのだな・・・。だが、これは事実だ・・・」
う、ウソだ・・・。
じゃあ、俺と明は・・・
「・・・。」
俺は愕然とした・・・。
目の前が真っ白になる・・・。
さすがにこれは・・キツすぎるよ・・・。
信雄おじさんは続けた。
「明は、僕からこれを聞いた後に信じられないと言って、僕の眼を見て、倒れたんだ・・・。」
そうか・・・。
今なら分かる気がするよ、明・・・。
でも、どうして今まで言ってこなかったんだろう?
昔のうちに言っておけばそれでよかったんじゃないのか・・・?
そしたら、今になって苦しまなくても済んだのに・・・。
そんな、いまさらどうしようもないようなことばかり頭に思い浮かぶ。
そのとき、
「昇〜!はぁ・・はぁ・・あかり・・・は?」
母さんが走ってきた・・。
俺は母さんの言葉のなかで「あかり」と呼び捨てになっていることに気づかずにはいられなかった。
思わず、目ではなく耳をそむける・・・。
「今のところ、命に別状はないらしい・・。でも、ほら、面会謝絶だってさ。」
俺はドアのところにかかっている面会謝絶の札を指差しながら言うと母さんは多少落ち着いたように 見えた。
信雄おじさん、満子おばさんにも話を聞いている。
「何か詳しいことは分かったの?」
「いや、それがどうにも・・・。石の力による衰弱が激しいみたいで・・・。」
信雄おじさんの言葉に母さんの顔が曇る。
「・・・いよいよなの?」
「ああ・・・。どうやらもう近いらしい。」
そんなことを言っていた。何を言っているのか俺にはわからなかった。
満子おばさんが口を開いた。
「ねえ・・・眞子?昇くんには・・・まだ話してないんでしょ?」
「・・・石のことは話したんだけど、その後は・・・。」
「そっか・・・。分かったわ。私から話をする。」
そう満子おばさんは言うと、俺の目の前にやってきて、次のように言った。
「大事なお話があるの。明は・・・本当のお母さんに任せておくから、一旦帰らない?」
何を言い出すんだこの人?
本当のお母さん・・・って、生みの親より育ての親なんじゃないのか?
目が覚めたとき、いて欲しい人はやっぱり育ててくれた母親じゃないのか?
つくづくいらいらさせてくれる・・・。
「ダメです。明のことを真剣に考えてあげてるなら、側にいてあげてください。 僕もそばにいますから。だから帰りません。」
そう俺がいらだちながら言うと満子おばさんはちょっときつめに話した。
「今は面会謝絶でいつ会えるかどうか分からないのよ。衰弱が激しいと言ってるんだから 会ったところでそんなに元気がないのは目に見えてるわ。だったらなおさら本当に会いたい 本当のお母さんに会わせてあげる方が良いじゃないの?」
「本当のお母さんに会うのが彼女にとって一番落ち着くと思いますか? いきなりお母さんだよ、などといわれてどうやってそれを受け止めろって言うんですか? 余計に気を使うだけ決まってますよ。・・・真剣に考えてるんですか?」
さすがにこの俺の言葉にはカチンと来たのかもしれない。 俺もそれを目的でいやらしく言ってやっただけに、ちょっとすっきりした。
だが、向こうが黙っていなかった。
すごい剣幕で怒ってくる。
「何を言ってるのよ!会いたいって言ってる人に会わせてあげるのが一番良いに決まってるじゃない! 私たちじゃダメなのよ!!私たち・・・松山家の・・・人間じゃ・・・。」
そこまでしゃべってうつむく。
最後は涙が出てきたのだろう。声がかすれた・・・。
ああ、そうか・・。
育ててくれた親がいるのに、その人たちよりも明は実の親を追い求めてたものな・・・。 やっぱり辛かったり苦しかったりしたんだろう・・・。
またその相手が旧友だけに、なんともいえない感覚が満子おばさんを締め付け続けていたのは 容易に想像できた。
でも、だからと言ってこれは間違ってる。
俺は思い切って声を荒げた。
優しいことばっかり言ってても、この人には通じない気がする。
「今まで本当の親を教えてもらえず、教えるとなったらいきなりで・・・。 明がかわいそ過ぎますよ!あなたたちに弄ばれているだけだ!! どういう理由で明が松山家に移ったのか知りませんけど・・・、本当に明のことを考えて あげるならもうちょっと違うことが出来たのではないですか?!そんなのだから、 明が本当の親を探したがるんですよ!!」
さすがにこの言葉は効いたのかもしれない・・・。
満子おばさんは完全に下を向いてしまった・・・。
そこに母さんが割り込んできた。
「昇・・・ちょっと言いすぎよ。」
俺は母さんをもにらむ。
「言いたくもなるさ!あいつが疲れて苦しんでいる姿を見てたら、こうも言いたくなるのが 当たり前じゃないのか?!!」
あいつが日に日に弱っていくのは目に見えて分かった。
それなら、その原因が分かってるならそれを止めてあげるために、本当の親を教えてあげれば よかったんだ!
なんだかいろんな怒りが突然湧いて出てくる。
・・・もしかして俺に気を使ってたのか、この3人は?
明と付き合ってるということを壊してあげたくはなかったけど、でも兄弟だからいつかは 言わないといけない。
そんな狭間にいて結局、言い出すことができなかったのか??
・・・なら、なおさら許せない・・・。
そんな風に気を使われても、結局後で苦しむだけじゃないか。
好きになってしまったのなら・・・どうしようもないじゃないか。
くそっ・・・
くそっ・・・・・・
くっ・・・
「ちくしょーーー!!」
俺はそう叫んで走り出した。
「ま、待ってくれ、昇!まだ話は終わってないんだ!!」
「聞きたくない!」
信雄おじさんの言葉を振り切って俺はたまらず走り出した・・・。
「・・・はぁ・・・はぁ・・・。」
ここは、・・・どこだろう?
自転車で病院にやってきたのに、今気がついたら足で走ってるじゃないか・・・。
「ははは・・・。」
俺は自嘲するしかなかった。
何やってんだ、俺?
逃げてどうするんだ・・・?
『逃げちゃダメ』
じゃなかったのか?
・・・どんな話でも受け入れるって、覚悟を決めたんじゃないのか?
心を空っぽにしたんじゃなかったのか・・・?
なんてウソツキ・・・
なんて脆弱な人間・・・
なんて・・・俺はバカなんだ・・・
「くそ!!」
地面にある空き缶を蹴飛ばす。
カン!!・・・カン・・カン・・カンカン・・・
夜だけあって、音が周りに響き渡るが、俺にはそれぐらいのほうが気持ちよかった。
・・・俺はどうしたらいいんだ・・・。
明と兄弟だなんて・・・
ありえないにも程がある展開じゃないか・・・。
もう石のことなんてどうでも良いさ。
未来が見えようが、歯車が狂おうが、もうどうでもいい・・・。
今は、このやるせなさに身をゆだねるしかなかった・・・。
・・・・。
しばらく歩くと、ちょっとした土手のある中月川にまでやってきた。
病院にまで急いで行ったのに付け加えて、今こうやって走ってきたので 足がもういいかげん限界を訴え始めている・・・。
俺はその土手に座った。
もう、ほとんど夏であるせいかして、夜になっても寒くないし、むしろちょうど良いぐらいの 気候。
さらさら、ちょろちょろと川の流れる音がやけに大きく聞こえる。
が、聞こえるもそんなことは気にもならない。
夜になると、こんなにも景色や雰囲気が変わるものなのかと驚く心の余裕すらない 自分が更にばかばかしく思える。
その土手に大の字に横になる。
服が汚れるとかそういうものも、さっぱり気にならなかった。
「俺はどうしたらいいんだろう。」
何度目かのこの質問を自分に問いかける。
自分・・・俺の中にいる、もう一人の自分。
おととい出会ったばっかりの俺自身だ。
そいつに訊いてみた。
・・・・・・・・・・・・。
俺の中のもう一人の自分はしっかり答えを持っているようだった。
言っていることも分かる。
俺がどうするべきなのか、それはそいつの言うとおりだろう。
あいつはいつでも冷静だ。
でも、俺はそれが出来るのか・・・。
「はぁ・・・。」
ため息が漏れる・・・。
だいぶん時間が経ったような気がする。
月がかなり動いたように思うからだ。
さっきまではあそこだったのに、もう、あんな下のほうまで行っている。
そこで俺は気づいた。
「あ・・・そっか。」
そんなことに気がつけるほどには心に余裕が出てきたようだ・・・。
俺はむくっと起き上がる。
考えなんてまとまってない・・・
いや、とっくの昔にまとまっていたんだった。
もう一人の俺もずっと同じことばっかり言ってるし。
『逃げちゃダメ』
また言うこと聞いてやらないと、俺を苦しめだすもんなあ・・。
・・・なら、そろそろ行くか・・・。
そう思って立ち上がろうとしたそのときだった。
「のぼる!!こんなとこにいたのか!!」
声が後ろから聞こえた。
首だけ振り向くとそこには、・・・自転車の乗った信雄おじさんがいた。
「ああ・・・おじさん・・。」
俺はおじさんの方に向き直った。
あの自転車・・・ああ、俺が病院に忘れてきたやつだ・・・。
おじさんは自転車から降りて、俺のところまで歩いてやってきた。
「となり・・・いいかい?」
「・・・はい、どうぞ。」
そして、隣に座る。
目の前を川が流れている。
川をじーっと見つめていた・・・。
表面上は何も変わらない・・・でも、絶えず流れている水・・・そして川。
1秒として同じ顔を持たない。
そんな、何かの象徴のような存在をじっと見つめる。
・・・しばらく無言が続いた。
俺は何を話せば良いのか、分からない・・・。
何を言ってもいい気もするし、だめな気もする。
そんな時、向こうから不意に口を開いてきた。
「そう、あれは・・・僕や翔が結婚する前のことだったよ。 ・・・長谷さんのお父さんに出会ったのは。」
一体何の話かと思い、おじさんの顔を見た。
川の辺りには大きな街灯はなく、月明かりだけが光源である。
その光源にほんのりと照らされたおじさんの顔は、川の方のみを見ていてこちらには 見向きもしない。
声だけが俺のほうに流れてくる。
「僕と翔が結婚を占ってもらいにいったんだ。満子や眞子さんには内緒でね・・・。」
それは・・・
「それは・・・母さんから聞きました。」
「そうか・・・やけに詳しいところまで眞子さんは話をしたんだな。」
ふっと笑って一呼吸おく、信雄おじさん。
「とりあえず当時有名になっていた占いの店、フォーチュンで 結婚のことを相談しようと思ったんだ。なんと言っても初めての経験だろ? しかも相手はかなり仲良くしてきただけに、結婚とのギャップとか、そういうのを ひどく意識してしまってな・・・。」
親父と一緒に行ったということは、きっと親父も気にしていたに違いない。 そのころは石は使わないようにしようと思っていたに違いないから、 石の力になるべく頼らず比較的しっかりとした未来を見つけたかったのだろう。
それに、親父は他の3人の未来が見えなかったはずだから、 3人以外の他の人の未来を見たところで詳しくは分からなかったに違いない。
「店に入って番号札を取った。・・・昔からあの雰囲気だったよ。 くら〜い、そして、なぜか病院のリノリウム。ぺったんぺったんと鳴るスリッパ。」
思い出したかのようにおじさんはふふっと笑った。
俺も思い出してふっと笑ってしまう。
俺とおじさんの笑顔が月光に照らされて暗闇に白く浮かび上がる。
川のせせらぎが幾分穏やかになったように感じた。
「順番を呼ばれて奥の、スモークだらけの部屋に二人で入った。 ・・・そして長谷さんのお父さんと面と向かいあったんだ。 そしたらいきなりで本当にびっくりした。」
「・・・何があったんですか?」
思わず訊いてしまった・・・。
「・・・長谷さんのお父さん、椅子から立ち上がってきてね、『石はお前らが持ってるのか〜〜?!』 って突っかかってきたんだ。」
「・・・。」
「あれにはびっくりしたさ・・・。あまりに驚いたので、俺はその場で投げ飛ばしてやったんだ。」
この信雄おじさん、無茶苦茶する人なんだな・・・。
「ドスン!とすごい音がしてね。あ、やってしまった・・と激しく後悔したさ。 なんと言っても、向こうの体は驚くほど貧相でねえ。」
ははっと笑って話を続けた。
「投げるときにポキポキ音がしたような気がしたからちょっとやばいかもって思ったんだけど、 何とか起き上がって来てくれてね。・・・立ち上がってゆっくりと椅子に座って、余裕の一言。 ・・・『取り乱してすまなかった』」
す、すごい人だな・・・やっぱり、あの長谷さんのお父さんだけはありそうだ。
「その後、実に普通に水晶を使って占いをしてもらったんだ。結果は、結婚運は二人とも ○。子供にも恵まれ良好。・・・ただし、突然の出来事に気をつけよ、というものだった。」
「実に・・・実に普通の占いなんですね。」
俺の言葉に、
「ああ、僕も思ったさ。これが当たるとうわさの占いか・・・ってね。 ぼったくりじゃないかと、ひどく心の中で疑ったさ。・・・でも、 そのあとの、石についての話になったときに僕と翔は顔面が真っ青になるぐらいびっくりしたね。」
と答えた。
だんだん、おじさんの話に吸い込まれていく自分が分かる。
「何が・・・あったんですか?」
「うん。」
おじさんは一度うなづいて、話す内容を心の中でまとめているように見えた。
「まず、石を持ってることなど話したことがないのに、石を持っていることを見抜いたこと。 それから、石の存在を知っているということ。・・・そして、石の呪いと、歯車についてだったよ。」
「・・・。」
「長谷さんのお父さんはね、自分の先祖が石を作り、それを壊すために自分の家系は存在している ということを知っていたんだ。・・・ああ、別に石を壊すだけが目的じゃないさ。 呪術を後世に残すということも含めてね。」
「後世に、残す・・・ですか?」
「ああ、そうだ。これは後から分かったことなんだが、その御先祖様、八兵衛の書いた 古文書と、京都に残っていた陰陽道使いの日記によると、どうやら院が呪術に関するものを すべて燃やし消滅させてしまったらしい。石だけは院が持っていたそうだが、 封印がかけられていてね、陰陽道使いは院に『この封印は絶対に解けません』と言って だまし、院からその石をもらって研究したんだそうだ。」
母さんの言っていた、あの話か・・・。
部分的にフィクションなどと言っていたが100%信じられないものでもないらしい。
「その研究日記をよんでいろいろ分かったこともある。まぁ、それを読んだのは、 実は1週間ほど前の話なんだけどね・・・。でも、そこには石の壊し方まで書いてあったんだよ。」
「えっ・・・?一週間前って言ったら・・・?」
「そう、君の家に手紙が来ただろ?翔あてでね。」
なるほど・・・そういうことだったのか・・・。
謎が一つ解けたような気がした・・・。
「陰陽道使いは何とかその日記を院に見つからないように隠したんだそうだ。 見つかると燃やされてしまうし、何より自分の命も危なかったからね。 後世に伝えるため、しっかり日記の管理はさせていったらしい。 きれいな形で残ってたよ。・・・でも、石は夜盗か何かに盗まれたらしく、世間へと いってしまった・・・。でもね、いや、だからこそかな、一つ気になってることがあるんだ。」
おじさんはのんびりとした中にも、強い感情を込めて話し始める。
「一体どうして陰陽道使いは石の壊し方を見つけたその時点で石を壊さなかったのか・・ってね。 後々どうしても問題を起こしてしまいそうな石じゃないか。 その場で壊しておけばよかったんだ・・・。そしたら、今こうやって苦しむことも・・・」
おじさんも過去が見えるということで苦しんできたに違いない・・・。 感情がこもってしまうのは仕方がないのか。
ふっと、おじさんの言葉が軽くなる。
「・・・おっと、話がずれたね、すまない。戻すよ。」
「・・・。」
俺は何も答えられなかった。
相変わらず、川は静かに流れている。
「未来が変わる、そして過去を知るということだけの漠然とした悩み、不安。そういうもの だけに僕たちは苦しめられてきたんだ。・・・長谷さんのお父さんに出会うまではね。 でも、そこで石の呪いと歯車について聞いたときには、さすがに寒気が走ったよ。」
石の呪い、それは・・・
「今日話したよね。それについて。」
そう、確か・・・
『子午石はねえ、特定の人だけが使えるんだが、使った人は死に近づくんだよ・・・。 未来を見ようとすると、未来を知ることが出来る代償として過去が失われる・・・。 過去を見ようとすると、その逆に未来が失われる・・・。 そして、その人の未来が失われたとき、その人は文字通り死んでしまう・・・。 過去が失われてしまったとき、その人はすべてを忘れ、生きてきた証をなくし 死んでいく・・・。』
「思い・・出したようだね。」
「はい・・・。」
さすがに、今思い出して寒気が走った。
俺も使い続けると、父さんのように・・・
「あ、あれ・・・?」
「ん?どうしたんだい?」
何か思い出せそう・・・
そうあれは・・・
長谷さんが・・・
『でもね、これだけは覚えておいて・・。その石を使い続けるとどうなるのか、
未来を変えるということがどういうことなのか・・・。あなたはそれをもう知ってるはずよ・・・』
お、俺・・・
「知ってた・・・。」
「ん?何がだい?」
俺は思わずおじさんのほうを向いた。
「俺・・・石を使い続けるとどうなるのかって・・・と、父さんがああやって死んでしまって・・・。 でも・・・でも・・・ガンだって・・・」
言葉がうまくまとまらない・・・。
何をしゃべってるんだ、俺?
何でこんなに興奮してるんだ?
それでもおじさんは察してくれたようだ。
「そうか・・。翔がああやって死んでしまったのを、君は不思議に思ってたんだね。 眞子さんと満子と話しあってね、子供にはガンで死んだという風にしておこうと決めたんだ。 詳しく石のことを説明してもよく分からないだろうから・・・。明は石のことを 知っていたけど、君や美香ちゃんは知らなかったからね。情報が食い違ってしまうのは 誤解や不審を招いてしまうからさ・・・。」
だからガンなんてウソをついたんだ。
「明が石に触ってしまったのは予想外だった・・・。君もなんとか石から遠ざけて おきたかったさ。でも、眞子さん、石がどこに行ったのか分からなくなってしまってね・・・。 翔はどうやら誰にも迷惑をかけないために、一人でおもちゃ箱から持ち出していたみたいだ。 まさかおもちゃ箱に入っているとは思わなかったよ・・・。」
「・・・。」
で、美香が見つけたのか。
「でも、びっくりしたよ。君の持っている石、持つだけでその力を手にいれらるのかと思ってたよ。 明の石とは違って他の誰にも使えないだろ?」
「はい。」
「僕はね、持つだけで使えるようになる、その人しか使えないようになるのかと思ってたけど そうじゃないんだね。だって、始めは美香ちゃんが手にしたんだろ?でも、君が石を使えている。」
「・・・。」
「・・・まぁ、それは良いさ。とりあえず、君が使えているということさ。 また話がずれてしまったね。」
再度おじさんは話を戻す。
「長谷さんのお父さんから石の呪いと歯車について聞いたあと、翔は必死になったんだよ。 常にこう言ってたな、『俺のせいだ』ってね。始めは落ち込んでるだけだった。 ・・・でもだんだんだんだん前向きになってきてね。」
親父の生前の話・・・変な感じだ。
「気がつけば、あいつは『歪んだなら元に戻そう!』そう言ってたよ。 まったくその通りだと思ったさ。どうやったら良いのか分からなかったんだけどね。 そして、結婚して子供が生まれた。占いどおり、幸せな生活だった・・。」
だった・・・。
この語尾が意味するもの・・・。
「・・・ここからは帰りながら話をしないか?ここにいつまでもいるつもりかい?」
おじさんの質問に、
「いえ、ちょうど帰ろうとしていたとこでしたから・・・。」
そう答えた。
俺の答えがうれしかったのか、
「そうか、それは良かった。」
そう言って破顔した。
「明はとりあえず明日まで面会謝絶だそうだ。一旦家に帰ろう。」
「・・・はい。」
おじさんと一緒に歩き出す。
自転車をおじさんは押しながら・・・俺は心の中に何かを引きずりながら・・・。
川のせせらぎが、少し大きくなった。
「さっきは、すまなかった・・。いきなり明が翔と眞子さんの娘だなんて言ってしまって。 事実だとは言え、やはりこれはきつすぎたな。もうちょと言い方を考えるべきだったね。」
「いえ・・・。どう言っても真実は一つですから・・・。だから、ああやって はっきり言ってくださったほうがうれしいです。」
そう俺がいうと、
「ありがとう・・・。」
そう言っておじさんは続けた。
「まだ話しておかなければならないことがあるんだ。」
一呼吸おいて・・・
「いきなりで悪いのだけれど・・・そういう関係になっても明のことは好きでいてくれるのかい?」
いきなりの質問にかなりびっくりびっくり、びっくりしてしまう。
「え・・・あ・・・。」
「ふふふ、さすがにいきなりでびっくりしたかな?別に思うように答えてくれればいいんだよ。」
思うように・・・
つまり正直に・・・。
俺は目をつぶる。
もう一人の俺に問いかけてみる。
『なぁ・・・これでいいかな・・・。俺の気持ちって・・・』
もう一人の俺は微笑みかけてきた。
そして、一言。
『自分にウソはつけないぞ』
俺は答えた。
『ああ・・・そうだな。』
それは、もう一人の俺がさっきからずっと言ってる言葉。
俺は目を開いた。
「俺は・・・。」
「ん?」
「俺は、好きです・・・。」
おじさんは満足そうに笑った。
「ははは。そう答えると思ったよ。なら、君に真実を話そう。」
真実?
俺はおじさんの顔を凝視した。
「まずは、さっきの話の続きだ。結婚して、子供が生まれた。その将来などを占いに行ったんだ。 ・・・もちろんフォーチュンにね。僕たちは結婚前に始めて行った時からなにかと占いに行くようになったよ。 長谷さんのおじさんと仲が良かったというのも一つだけどね。」
おじさんの顔がいきなり真剣になった。
「長谷さんのお父さんのところに子供をつれて占ってもらいに行ったんだよ。 子供はかなり小さかったよ。多分生後4〜5ヶ月ぐらいじゃなかったかな? 子供が生まれてからは初めてだったかな?かなり久しぶりな気がした。 で、フォーチュンに入って長谷さんのお父さんと会うよね。そしたらいきなり また突っかかってきてね・・・。」
おじさんはははっと笑った。
「さすがにあの時は笑ったよ。覚えてるはずなのにね・・・。 でも、また僕に投げられて・・・で、投げられた後に一言。 『誰じゃ?』・・・。まったく、無茶苦茶な 人だったよ。」
「・・・。」
今の長谷さんから微妙に想像できるような想像できないような人だな・・・。
「そしたら、次の瞬間言うには、どうやらこの子はめぐり合わせが悪そうだ、とね。」
「めぐり合わせ・・・?」
横を歩くおじさんの顔を俺は見続けていた。
「ああ・・・。でも、意味分からないだろ?」
「はい・・・。」
「だから、僕も聞いたんだよ、その『めぐり合わせ』っていうのは何か?ってね。」
「・・・長谷さんのお父さんはなんて答えたんですか?」
急に真面目な顔つきになるおじさん。
「・・・石とのめぐり合わせだ、って言った。」
「石との・・・めぐり合わせ・・・?」
「それも意味が分からないよね?」
僕の返事を聞く前に話し始めた。
「さっぱり分からなかったから、僕は言ったんだ。もっとはっきり言ってくれってね。 ・・・そしたら、こう言ったんだ。
『子供と石の組み合わせが悪い・・・。きっと将来、用途を間違い、歯車を崩壊させることに なるだろう・・・その子供がな・・・。』
とね。」
「・・・。」
ど、どういうことだ?
「更に、こう言ってきたんだ・・・。
『一番良い方法は・・・君たちが石を破壊することだろう。しかし、そうはなかなか行かないのが 現状だと思う。だから、将来のためにも、その次に一番良い方法を教えよう。それは・・・』」
「・・・そ、それは・・・?」
俺はおじさんの話に吸い込まれる・・・
「『それは・・・君たちの子供を交換することだ。』」
「・・・えっ?!」
おじさんは足を止めた・・・。
ある家の前で・・・。
そして、優しく話し始めた。
「おかえり、昇・・・。ここが君の・・・君の本当の家なんだ・・・。」
その家の玄関には、ある表札がかかっていた・・・。
第17話 「病」
「・・・ど、どういうことなんですか!」
俺の声が、深夜の町並みに響き渡る。
「つまりは・・そういうことだよ。僕と満子の子供は・・・松山昇、 翔と眞子さんの子供が高橋明だったんだ。」
し・・・信じられない・・・。
信じられるわけがない。
いろんなことがいっぺんに起こりすぎで、頭がパンクしてしまいそうになる。
あ!これは夢か!
一瞬そう思ったが、夢にしては感覚も内容も、あまりにリアルすぎる。
夢であって欲しいという願いは、一瞬のうちに脆くも崩れ去る。
「ま、まさか・・・。」
またしてもこの場から逃げてしまいそうだ・・・。
ショックというか、混乱が激しい。
足が逃げようとするのを、もう一人の俺が必死に止めている。
『逃げちゃダメ・・・』。
でも、辛いよ・・・。
母さんが母さんじゃない?父さんが父さんじゃ・・・ない?
本当の両親は・・・明の・・ではなく、松山信雄と満子夫妻・・・。
い、一日でこんなたくさんのことが・・・
あ、頭がいたい・・・
「だから・・・昇と明ちゃんは他人同士なんだよ。」
「そ、そんなこと言ってるんじゃ!」
「・・君の言いたいこともわかるさ。」
おじさんは自転車をその場で駐輪した。
め、目の前がくらくらする・・・
別に俺は明と他人とか、親戚とかそういうことは関係ない・・・わけじゃないけど、 でも今の今まで両親と思った人は、実は両親の昔からの旧友で、で、僕の彼女の育ての親が 実は本当の僕の両親で、彼女の探していた本当の両親は、実は僕がずっと18年間 両親だと思い続けてきた人達で、でもでも俺が今言いたいのはそんなことじゃなくて、 いきなりたくさんの情報がこう、いっぺんに来たから受け止めるのが大変というか、 でもなんとなく分かっていた様な気もしないでもないけど、でもそれでもやっぱり 分かんないし・・あ、あうあう・・・。
頭の中にいろんな景色が・・・
『「昇君ではないかえ!」
「久しぶりです、き・・・っく・・・。えー、おばあさん。」
あ、危うく肝っ玉ばあさんと言いかけた。あぶない、あぶない・・・。
「おばあさん・・・かぇ。」
なぜが寂しそうにするおばあさんの目。』
『「・・・これから私は2つのことを話します。まずは石のこと。私とお父さんで必死に 調べてきたことのすべて・・・。それから、あなた自身のことについて・・・。 わかりましたか、のぼる・・・くん?」』
『「昇〜!はぁ・・はぁ・・あかり・・・は?」
母さんが走ってきた・・。
俺は母さんの言葉のなかで「あかり」と呼び捨てになっていることに気づかずにはいられなかった。』
『「ま、待ってくれ、昇!まだ話は終わってないんだ!!」
「聞きたくない!」
信雄おじさんの言葉を振り切って俺はたまらず走り出した・・・。』
あれも・・これも・・・全部それを示していたって言うのか・・?
いろんな景色が頭の中でフラッシュバックしていっては、いろんなものが 今の状況とドッキングしていく。
あれもこれもどれもそれも、みんなみんな、何かしら関係があるように思える。
今、一つのピースがかちっと音を立てて頭の中ではまった・・・。
でも・・・でも・・・
頭の中は、再びぐちゃぐちゃだ・・・。
なんとか俺は言葉を口に出す。
しかも、それは今の俺にとって、どうでもいいような質問に思えた。
「で、でも・・・なんでそれをすることによってめぐり合わせがよくなって・・その・・。」
口がうまく回らない。
でも、何か話してないと不安で不安で死んでしまいそうだ。
少しでも・・・この言いようもない不安と混乱を紛らわせたい。
おじさんが答えた。
「・・・未来を操る石と明、過去を見る石と昇。この組み合わせはなんとしても避けなければ ならない。・・・そう、長谷さんのお父さんは言っていた。」
「で、でも!」
さすがに反論せずにはいられない。
不安が怒りに変わっていく・・・
「でも!そんなに簡単に子供を交換できるなんて・・・。仲が良いからと言って、あまりに ひどいじゃないですか!!それに、石とのめぐり合わせが悪いだけなら、 子供を交換するんじゃなくて、石を交換したらよかったんだ!そしたら、こんなに明も苦しまずに すんだのに・・・。まるで、僕らを物みたいに・・・」
怒りが・・・目の前にいるおじさんだけじゃなく、死んだ親父にまで向けられる。 満子おばさんにも、かあさんにも・・・。
この4人は一体何を考えているんだ!
誰も身内だなんて思えない。
おじさんは俺に向かって頭を下げた・・・。
深く深く・・・
「すまない・・・。」
そんなおじさんに俺はまだ言葉を浴びせかけた。
「・・・そんなに長谷さんのお父さんの言うことを信じたんですね。 子供達の不幸を考えようともせずに・・・。」
「・・・。」
「・・・僕達はそんな存在でしかなかったんですか? 交換しろって言われて、はいはいできちゃうような、そんな存在でしか・・・ないのですか?」
「・・・。」
「こんな状態で本当の親だなんて言われても、お父さん、なんて言えませんよ・・・。 ひどすぎますよ・・・。」
我ながら笑ってしまう。
こんなどうしようもない質問ぶつけて何になるというのか?
それでも今は、こんな言葉しか出てこなかった。
俺はこの問いに何を期待していたのだろう?
・・・いや、何も期待しなかっただろうな。
そう思うと、なんだか自分がひどく惨めで情けなく思えてくる。
おじさんはあげかけた頭を再び落とした。
そして、言葉を紡ぎだす。
「・・・すまない、としか言いようがない・・・。まだ君達が幼かったから、 いまなら悲しむのは親だけですむ・・・そう思ったんだ。」
おじさんはちょっと間をおいて頭を上げた。
「事実、僕達の目論みはほぼ成功していた。このままうまくいけば、苦しむのは 親だけですむ・・・。真の親と接してはいないけれども、それ以上の愛情を 注ぎ込めている・・・そう思った。だが、それは、まず明が子供のころに石を持ってしまったときから 崩れ始めた。そして、明が中2のときに何気なしに僕が口を滑って言ってしまった、 『真の親がいる』という事実・・・。」
更に話を続ける。
「色々な失敗が重なってしまったんだよ。長谷さんのお父さんの占いが 本当に正しかったのか、それは今となっては確かめるすべは・・・ないと思う。」
話をまとめるためか、おじさんは軽く深呼吸をした。
「・・・僕達は長谷さんのお父さんから話を聞いたあと、すぐに実行した。 お互いの子供を『養子』としてね。戸籍を見ればそんなものは一目瞭然なのに、僕達は そうやったんだ・・・。」
「・・・でも子供がいなくなって、淋しくて、そんなすぐに僕達だって適応できるわけじゃない。 ・・・だからせめて、2家族で一緒に遊ぶことにしたんだ。 記念撮影もした。子供もまぜこぜでね・・・。早く寂しさに慣れ、新しい子供を 愛さなきゃいけない中で、私達がたどってきた・・・誤ちの過程だ。」
一緒に撮った写真?
あ・・・あれは確か・・・。
アルバムに・・・あったはず。
「写真・・・?」
俺のよく分からない一言の質問にも答えてくれた。
「ああ・・・、写真だよ。みんなでよく撮ったものさ、家族を入れ替えて・・・ね。 本当に幼い子供のときの写真は、生みの親が持っておくことにしたんだ。 せめてもの・・・として。交換した後の写真は、その家庭が持っておくことにしたんだ。 ややこしくなるが・・・そうしておこうと。・・・なんだかんだと言っても、 僕達も・・・いやだったから・・・ね・・・。」
おじさんは涙を浮かべた。
「辛かったさ・・・。あんなにかわいかった子供と離れ、友達といってもやっぱり 赤の他人の子供を育てる・・・。本当に辛かった・・・。唯一の安らぎが、 この2家族が一緒に遊ぶ、そのときだったよ・・・。」
一粒・・・また一粒・・・
「だから僕達は必死になって石の壊し方を見つけようとしたさ。みんな血眼になって探したよ。 ・・・そんなときだった。翔がついにやってはいけないことをやり始めたのは・・・。 あいつは必死になりすぎたんだ。そして、自分ひとりで責任を取ろうとした。 『石を使っていたのは俺だ』・・・ってな。」
男の人がこうやって泣くのは初めて見た。
悲しいとかうれしいとかじゃなくて・・・ただただ思いつめた感情があふれてしまっただけ。
そんな涙・・・俺には重すぎた。
「・・・責任を取ろうとしたというのがつまり・・・」
俺の質問におじさんは大きくうなずいた。
「そうだ・・・。翔は石の力を使って・・・歪んだ歯車を一人で直そうとしていたんだ。 どうなるか・・・石を使えばどうなるか知っていたのに、あいつは・・・。」
父さんの死が今、解決した。
僕達に死因がいえなかったのは、僕達に迷惑がかかるだけじゃなくて、それは おじさんたちの申し訳なさをも表していたのではないだろうか?
みんなには黙って、たった一人で石を使って未来を元に戻そうとしていた親父。
・・・あ、だからか。
だから母さんはおもちゃ箱に石が入っているのを知らなかったんだ・・・。
すべては、親父一人での行動だったんだから・・・。
途端に親父のことを思い出そうとした。
なぜかとてもそうしたくなった。
途切れ途切れの記憶をかけらを全部集めて、頭の中でジグソーパズルを 完成させようと必死になる。
・・・でも、どうがんばってもピースが足りない・・・。
親父は・・・俺の中で欠落していた。
それは、間違いなく親父と同じ未来を歩んでいる自分の証拠だった。
「親父は・・・一人で・・・。」
おじさんの目からもう光はあふれていなかった。
「・・・翔が一人でがんばっているということに気づいたとき、翔は まったく返事の出来ない体になっていた・・・病院のベッドの上でね。 すべてを忘れたような顔して、安らかに眠るように・・・。そして、 ほんとにあいつは・・・。」
未来を知ろうとすると、その人の過去が消えてしまう。
そういうことだったのか・・・。
「すまない・・・また微妙に話がずれてしまったな・・・。 まっすぐ話しているつもりなのだが・・・。」
「・・・かまわないですよ。ただ・・。」
「ただ・・・なんだい?」
俺はしっかりと言う。
「理由はどうあれ・・・そんな風にして子供を手放すような人を、しかもいきなり 親だなんて・・・そんな風に思うのは無理です。」
「・・・分かってるさ。ただ君に知ってもらいたかっただけなんだ・・。 いまさら親の顔するつもりもない。でも、こうなってしまった以上、君には真実を 知ってもらいたかったんだ。」
「・・・。」
そんなとき、松山家の玄関の電気がついて、玄関が開く。
中から出てきたのは、満子おばさんだった。
「あらぁ!昇君、どこ行ってたの?!みんな心配してたんだよ!」
「・・・す、すミマせん。」
不思議な感じだ・・。微妙に言葉が・・・。
「・・・まあ、無事ならいいんだけどね。今、なんか外が騒がしかったから ちょっと見に来たのよ。ほんとこんなところにいるなんてびっくりしたわ〜」
うそだ。
直感でそう分かった。
なにより、目がうそを言っていた。
きっと玄関でずっと聞いていたのだろう。
その証拠に・・・
「ほら・・・もう遅いから、ちょうど今お夜食作ったの。・・・食べて・・・行かないかな?」
ひとしずく・・・。
俺の姿を見たからかもしれない。
18年にも及ぶ、いやそれ以上の苦しみが微妙に軽減され、あるいは加重されたからかもしれない。
もうひとしずく・・・。
ぽろぽろとあふれるそれは、本人は気づかないようにしているつもりかもしれないが、 明らかに本人では抑えきれないものの結晶だ。
そして・・・おじさんのとは異なり、それは悲しみ色に染まっているように感じた。
だから、おばさんの顔をまともに見れなかった。
そして・・・断る余地はないように思えた・・・。
「・・・はい。そうさせていただきます・・・。」
おばさんはそれでも僕の答えに満足そうに、悲しみ色した雫をぽろぽろと落とした。
松山家に入ると、そこはいつもとは違う空間のように感じた。
ついこの間も入った玄関。
「・・・おじゃまします。」
廊下。
そして、おじさんがコーヒーを傾けていたリビング。
あの時とはまるで雰囲気が違うように感じられた。
一緒におじさんとおばさんもリビングに入ってきた。
「すぐにできるから、そこで待っててね。」
満子おばさんはそう言うと振り返り、いそいそとキッチンへと向かう。
向こうに歩き出してから、初めておばさんは涙を拭いた。
「・・・はい。」
特に居場所のないここで、俺はソファーに座って待つことしか出来なかった。
もちろん、テレビもつけていない。
とてもじゃないが、そんな気分でもなかった。
おじさんがテーブルを挟んだ反対がわのソファーに腰をかけている。
・・・つまり向かい合わせなのだ。
おじさんは特に話そうという気配すら感じられない。
よってリビングは無音の空間となっており、なんだかものすごい気まずさを覚える。
どうしたらいいのか・・・
だが、そういう思いは長く続かずにすんだ。
「はい。できたわよ。」
そう言っておばさんはリビングから湯気の昇るどんぶりを3つ持ってきた。
た、助かった・・・。
内心そう思った。
これ以上沈黙が続いてはたまらない・・。
「お口に合うといいけれど・・・。」
おばさんはそう言いながら、食事用のテーブルに3つそのどんぶりを並べる。
俺はソファーから立ち上がりそのテーブルへと、まるでそのどんぶりの湯気に誘われるかの ように歩いた。
夏なのに熱い食べ物とは・・・。
しかし、家の中は冷房も効いているので熱い食べ物をイヤだと思うことはなかった。
・・・いや、むしろ今までいろんなことがありすぎて頭の中がパンクしちゃってる状態とでも 言うべきか・・・。
とりあえず、いろんなことを考えてはそれを頭の中で弄びながら席についた。
「ささ、食べて食べて〜。」
そうおばさんは言うと、飲み物を取りに行くのだろうか、キッチンへと再び姿を消す。
そしてすぐに帰ってきた。
目の前に氷の入った麦茶が置かれる。
俺は麦茶ではなく、その湯気の上がるどんぶりを覗き込んだ。
「・・・!!!」
無言で俺は固まった・・・。
「ささ、食べてくれたまえ」
おじさんの声が横から聞こえてくる。
「・・・いただきます・・・。」
別にその料理がいやとかいうわけじゃなかった。
ただ、なぜか不思議な気がしたのだ。
いま、この状態だからこそ感じるものがあるのかもしれない。
・・・でも、その不思議さは身に覚えのないものではなかった。
確実にもう一人の俺が何かを叫んでいた・・・。
俺は箸を取り、どんぶりの中に突っ込んで中身を口の中へと運ぶ。
つるつるつる・・・。
「・・・・・。」
無言の俺におばさんは尋ねてくる。
「どう・・・かな?」
不思議だ・・・。
こんな気持ちになったのは、生まれて初めてだった・・・。
懐かしい・・・
そう思った。
それはあまりに懐かしい味だった・・。
「・・この味だ・・・。」
それから俺は、必死になって食べた。
昔のすべてを思い出すかのように、今あるすべてを忘れようとするかのように・・・。
つるつるつる・・・。
何度も
何度も
つるつるつる・・・
「・・・良かったわ。」
俺の食べっぷりを見て、おばさんは満足したのだろう、そういうとおじさんとおばさんもともに 食事をし始めた。
俺はそんなことにも気づかず、必死で食べ続けた・・・。
食べれば食べるだけ、なんとなく頭の片隅に残っている懐かしさが現実味を帯びてくる。
「やっぱり・・・このうどん・・・。」
今はっきりと分かった。
そう、やっぱりそうだったんだ。
その途端、このうどんも、今ここに俺がいることも、・・・今までの一連の出来事も、みんなすべて すんなりと受け止めることができた・・・。
そのとき、なぜか突然目頭が熱くなる。
熱く熱く・・・。
どうしたんだ、俺?
それは涙にかわっていく。
ぽろっ・・・
一滴こぼれた・・・。
なんで泣いてるんだ、俺?
自分でも笑ってしまうように思った。
うどんを食べて泣くなんてばかげている。
「所詮は・・・うどんじゃ・・ないか・・・。」
つぶやいてみたりもした。
こらえてみようとした。
・・・必死に、抵抗した。
でも・・・俺は泣かずにはいられなかった・・・。
もう一人の俺が・・・泣いているんだ。
始めはぽとぽとこぼれる程度・・・。
でもそれは、あっという間にまるで決壊が壊れたようにあふれ出す。
「うっ・・・ううっ・・・。」
止めることなんてできない・・。
もう止めようとも思わなかった。
・・・うどんの多少塩味が増すのをほのかに感じながら、俺は食べ続ける。
うどん一本一本なんて見えない。
目がぐじぐじして、視界がぼやける。
「・・・スッ・・グスッ・・グスッ・・・・」
それでも、目をこすりながら、垂れてくる鼻水を必死にすすりながら、食べた。
食べずにはいられなかった・・・。
つるつるつる・・・
何度も・・・
何度も・・・
食べるたびに、
懐かしい・・・
そう思った。
その味が、そのだしの色が、その雰囲気が・・・
「・・・よかったわ・・・ほんとに・・・。」
おばさんは、そんな俺の姿を見て、うれし涙をつーっと流した・・。
気がつけば、食べ終わっていた。
汁の一滴まで残すことなく、どんぶりを傾けてまでして飲み干す。
その味を、忘れたくなかったのかもしれない。
その味は、紛れもなく「あの味」だった。
勇輝との会話が思い出される・・・
『「無意識とはなかなか面白い。夢遊病者みたいだな。」
「ただ、うどんを食べると、・・・とても懐かしい気がするんだ。」
「懐かしい?そりゃまた変わったことを言うやつだな。」
「懐かしい・・・って言ったらいいのかなあ・・・。前世でうどん好きだったというか、 何か幼いころの味を思い出すというか・・・。」』
『「昔の思い出っていうことは、お前の母さんが作ってくれた味に似てるっていうのか、このうどん?」
「・・・いや、そうでもない。俺の母さんは薄口のうどんを作るんだ。関西風味なんだよ。 でも、このうどんを見てみろ、 濃い口だろ?だから母さんの味とは違うということさ。」』
『「ああ。まあ、松山のおばさんが作るうどんにはかなわないけどな。」
「へえ、そんなにうまいのか?」
「ああ、濃い口でな。俺の舌にちょうどあうんだ。」』
そう、それは懐かしい記憶の味。
そう、それは本当の母の味・・・。
前々からおばさんのうどんは食べたことがあるのに・・・こんな状態だから 分かったのだろう。
満子おばさん・・・
この人は確実に俺の本当の母親だ。
理屈じゃない。
昔の記憶が、もう一人の俺がそう言ってるんだ。
でも・・・
それであっても僕は許せない。
自分達さえ苦しめばそれで良いという自虐的な精神も、子供達には迷惑がかからないと 決め付けていたことにも、明がかなり弱ってしまうまで本当の親を教えてあげなかったことも・・・
どれも許せるはずなかった。
涙を拭いて、俺は落ち着こうとする。
それとこれとは、別問題なのだ。
この人たちがやってきたことは、どうあっても許されるべきではないだろう。
箸を、どんぶりの上に置く。
「・・・ご馳走様でした。」
俺がそういうと、
「お粗末さまでした。」
そう、おばさんは返事をした。
もうおばさんは泣いていなかった。
それでも、目は赤かった・・・。
おじさんとおばさんも食べ終わっている。
俺はちゃんと言うことは言おうと思い、姿勢を正す。
「・・・ありがとうございました。これを食べて、分かりました。 僕が・・・ここの家の子だってことが。」
そう、それは幼いころの記憶。
きっと離乳食として母が与えてくれたうどんの味を俺が覚えていたのだろう。
いや、味を覚えているのかどうかは定かではない。
ただかすかな、ほんとにかすかなそういう記憶が、なんとなく残っているだけなのかもしれないと思う。
それでも今の錯乱中の俺にとって、大きな手がかりとなったことは言うまでもなかった。
「・・・・。」
「・・・・。」
おじさんとおばさんは黙って俺の話に聞き入っていた。
「この関東風の濃い口うどんの味・・・なぜかものすごく懐かしかったです。 それで分かったんですよ・・・。あ、そういうことか、ってね。」
壁にかけてあった時計が11回鳴って時間を知らせてくれる。
その間に俺は心の整理をし、そして鳴り終わると同時にさらに真剣に話し始めた。
「・・・でも、やっぱりそれとこれとは関係ありません。 やっぱり、僕はあなたたち4人を許すことは出来ません。 自虐的な立場で物事を考え、子供たちのことを考えているようなことを言っておきながら、 本当はあるはずのもっといい方法を探そうともせずに長谷さんのおとうさんの言うことを 鵜呑みにしてしまったあなた達を、・・・僕は許せません。」
僕のキツめの言葉に、
びくっ!
と、おばさんの体が跳ねた。
「それで本当に子供達が、僕達が、苦しまない、そう思ったんですか? それで本当に僕達が幸せでいられると思ったんですか?」
俺は自分でこう言いながら、「ウソをついた」・・・そう思った。
おじさんは黙って俺の顔を見ながら聞いている。
その表情は悲しみともなんともとれない微妙なものであった。
「・・・ごめんね。」
そう言ったのはおばさんだった。
「いまさら何を言ってももう遅いと思うんだけど・・・それでも、ごめんね。 あなた達が苦しまない・・・とは思わなかったよ。 何かしら必ず迷惑はかけることになっちゃうだろう・・・って思ってた。」
そういうと、さらにおばさんは続けた。
「・・・昔ね、4人で決めたの。必ず、石のことは解決しようって。 どんなことをしても・・・。そう決めたの。まるで、それが4人の仲の良さを表しているかの ような感じで・・・。だから、子供を交換するというときにも、悲しかったけど、辛かったけど、 子供達にも迷惑をかけるとは思ったけど・・・仕方なかったの。」
「・・・でも、こういうこと自体が子供達のことを一番に考えてない証拠なのよね。 ・・・ごめんなさいね、本当に・・・。ダメな・・・本当にダメな親なのよ・・・」
そういうと、おばさんは顔を伏せてしまった。
俺は・・・少し迷った。でも、やっぱり言っておこうと思う。
「・・・それと、もう一つ言うことがあります。」
「・・・なんだい?」
おじさんが返事をした。
「僕にとって・・・母親は母さんです。父親は死んでしまった父さんです。 それに変わりはありません。本当の両親が誰だか分かっても、僕にとっての親は 今の母さんと父さんです。」
この言葉は一番こたえるだろうと思う。
事実、二人は息をしてないかと思われるほどに固まっていた。
「だから、僕はあなた達をお父さんやお母さんと呼ぶことは出来ません。 ・・・ごめんなさい。」
そう言って俺は頭を下げた。
テーブルに額が付くぐらいにまで、深く深く・・・。
なぜかまた泣きそうになってしまった。
きっと自分の目は涙ぐんでいるのだろうと思う。
そう思うと、余計に頭を上げることが出来なかった・・。
「そんな・・・謝らなくてもいいんだよ。それで当たり前じゃないか。 僕達もそんなことは望んでないから・・・。」
おじさんはそういうのが精一杯のようだった。
「そ、そうよ・・・。だから、お願い・・・頭を上げて・・・?」
おばさんも途切れ途切れにそういうのが限界に感じられた。
俺はゆっくりと涙を飲み込みながら頭を上げて、息を整える。
「・・・ふぅ。」
一度大きな深呼吸。
次に言うことは決まっていた。
それは俺も、もう一人の俺も思っていたこと。
正直な俺の気持ちだった。
・・・俺はこう言って立ち上がった。
「でも・・・産んでくれて・・ありがとう・・・。」
そして、再び頭を下げた。
「本当に・・本当に・・・ありがとう・・ござ・い・・・ました!」
ばかみたいに涙があふれてくる。
最後は言葉にならなかった・・・。
こぼれてテーブルの上に水たまりを作っていく。
そんな俺の様子を見て、おばさんも耐え切れなくなったのだろう、
「ごめんね!!本当に・・・本当に、ごめんなさい・・・・・!!うっ・・・うぁあぁぁああああ!!」
ごめんね・・・ごめんね・・・
そう何度も何度も繰り返しながら、顔に両手を当て、激しく慟哭した・・・。
おじさんも、
「すまない・・・本当に、すまない・・。」
そう繰り返していた。
声には・・・なっていなかった。
ただ、そう言っているように俺には聞こえたのだ。
目の前の水たまりが大きくなっていく・・・。
俺はかすれる声で、もう一度言った・・・
「産んで・・・くれて・・・ありがとう・・ございました・・・!!」
声になってなかった・・・。
声になりそうもなかった・・・。
それでも、二人はうれしそうに、本当にうれしそうに何度もうなずいた。
まさか本当の息子からこんな言葉をかけてもらえるなんて・・・
二人は心の底から、喜び、涙した・・・。
そして俺は頭を上げて、その場を立ち去る。
立ち去りながらも頬に流れる涙を感じていた。
リビングを出るときに、俺は背中越しに声を出した。
きっとがらがらの涙声なんだろうなあと思う。
「おじさん・・・一ついいですか?」
案の定、自分はすごい声だった。
「・・・なんだい?」
俺はずっと聞きたかったことを訊いた。
「どうして・・明に本当のことを・・・本当の親のことを長い間教えてあげなかったんですか?」
おじさんはすぐに答えた。
それがまるで当たり前であるかのように・・・。
「決まってるじゃないか・・。明のことを・・・手放したくなかったんだよ・・・。 本当に自分の娘のように、いや、それ以上に愛していたからさ・・・。だから、 それを知ってどこかに・・いや、高橋家に、明が戻ってしまうのを避けたかったんだよ・・・。」
「・・・そうですか。」
俺はその答えに満足した。
この二人が明のことをしっかり愛してあげていたんだなあ、ということが分かったからだ。
俺は振り返って二人を見た。
「今日は・・ありがとうございました。また・・・うどん、食べさせてくれませんか?」
おばさんはうれしそうに声を上げた。
「ええ・・・。いつでも・・・いらっしゃい。とびきりおいしいのを、作ってあげるから・・・。 おかあさん・・・いや、おばさん、張り切るからね!」
そう言って、涙にぬれた顔に笑顔を咲かせた・・・。
「・・・ありがとうございます。」
俺は再び深く頭を下げて礼をし、松山家を後にした。
松山家を背にして町を歩く。
決して不快な気はしなかった。
不思議と心はすっきりしたような気もする。
家への足取りは軽かった。
だから、結構すいすい進む。
きっと心にあったおもりみたいなのが取れたおかげだろう。
取れた・・・とはっきり言って良いのかどうか微妙だけど、 でもだいぶんすっきりはした。
一応の問題解決もみた。
だから良しとしよう。
そう思っていると、
「あ!」
と思い出す。
そうだ、自転車があったんだ・・・。
松山家に取りに戻って、家へと急いだ。
「ただいまぁ〜〜〜」
「あっ、お帰り〜。」
美香が心配そうに玄関までやってくる。
「おにぃちゃん、大丈夫?病院から逃げ出しちゃった、ってお母さんから電話で聞いたんだけど・・・。」
母さんはそんなことを電話で話したのか・・・。
・・・って、そういえば美香は知ってるのだろうか?
俺が高橋家とは血がつながっていないということを・・・。
ということは、俺と美香は・・・あれ、どうなんだろ? 俺と美香の二人とも明と交換したのかな?う〜ん、その辺りは聞いてなかったな・・。
とりあえず、明の質問に答えておく。
「ああ、大丈夫だ。もう解決もしたしな・・・。」
「そう・・・よかった・・・。」
美香はようやく胸をなでおろした。
俺と一緒にリビングへと向かう。
美香が前を歩いていた。
その廊下で美香が口を開いた。
「あ、お兄ちゃん・・・。私ね・・・実は知ってるんだ。お兄ちゃんが 私とは血がつながってないっていうこと・・・。」
「えっ?!」
ということは、俺と明が交換されたのか・・・。
「なんだか変だなぁって思うところは昔から何回かあってね・・・。 ま、女の勘ってやつなんだけど。で、長谷ちゃんにね、見てもらったの。 ・・・誰にも言わない条件で。そう、長谷ちゃんが言ってきたから。」
「そう・・・だったのか・・。」
俺と明だけが知らなかったのか・・・。
リビングに入る。
松山家とは違い、テレビがついており、静けさは・・・ない。
「だからね・・・。」
ちょっと間を置いて美香は続けた。
「別に松山の方へ戻ってもいいんだよ。そうお母さんはずっと言ってた。 昇の好きな方にしなさいって。私もそう思うよ。だからおにぃちゃんの好きなように したら良いと思う・・・。ただ、それだけ。」
そういうと、美香はソファーに座った。
俺は、迷う必要もなく答えた。
「ああ・・・わかったよ。俺の家は・・・ここだから。」
そういうと俺はキッチンへ行って冷蔵庫から麦茶を出し、コップに注いで 一気に飲み干した。
そして、またリビングへと戻ってきた。
で、美香に話しかける。
「そういえば、さっきお前、長谷さんには誰にも話さないっていう条件で教えてもらったんだろ? じゃあ何で母さんとそれについての話が出来たんだよ?」
そういうと、美香はくすっと笑ってこう言った。
「だって、お母さんには話しておきたかったんだよ、やっぱり。信じられなかったし。 それに、長谷ちゃんだったらそれぐらいあっさりと見抜いていて、その上で『誰にも話さないように』って 言ってるんだろうしね。」
「・・・なるほどね。」
まぁ、確かにあの長谷さんならそうであってもおかしくないと思う。
そうこうしていると、玄関から、
「ただいまぁ〜」
という声が聞こえた。
母さんだ。
「おかえりぃ〜」
という返事をしてあげるのは、うちの家の良いところ。
母さんは俺の顔を見た途端、ずんずんと寄ってきて、一言、
「・・・で、昇はそれでいいのね?」
「・・・はっ?!」
いきなりなんだろう、とびっくりする。
でも、それがすべてを含めた上での「いいのね?」という言葉であるということを 理解するのに時間はかからなかった。
もう逃げる気もさらさらなかったので、俺は答えた。
「ああ・・・。いいさ、ここが俺の家だし・・・それに俺は石を壊すさ。 母さんや父さん、信雄おじさんや満子おばさんの悲しみを俺が断ち切ってやるから。」
「・・・ふふふ。いい目つきになったわね〜、昇。必死になったときの翔さんに そっくりだわ。」
そう言って母さんは話し続けた。
「なら、明の・・・いえ、明ちゃんのことについて教えてあげる。 よく聞きなさい。」
「あ、ああ・・・。」
俺は身構えた。
・・・本能的に。
いや、これまでの経験によって・・・かな?
「明ちゃんはね、・・・重度の病気なのよ。 昇には内緒にするように言われてたから黙ってたけど・・・。 ずっと薬で耐えてきたの・・・。それでも、あと、持って1年だと言われていたわ。」
「・・・!!!」
思い当たる節がない・・・わけではない。
「そんな状態だから、死ぬ前に本当の親を知っておきたい・・・そう思ったんだと思う。 で、石の力を最大限使って過去を見て・・・。普通に過ごしていて目に入ってくる他人の過去を 見てしまうのには、大して力はいらないの。寿命もほとんど縮まないのだと思う。でも、心の そこから祈るようにして昔々の過去を見てしまった・・・。よって寿命が縮まってしまった・・・。」
「あの子はね、あんたのことが本当に好きだったから、普通に接して欲しかったのよ。 だから薬を飲んでいるところも見られないようにがんばってきたし、昇の前では 普通でいるようにがんばってたのよ・・・。でも・・・」
その先は聞くまでもなかった。
明はやっぱり無理をしてたんだ・・・。
あれもこれも、全部やっぱりそうだったんだ・・・。
なんだか元気のないときも、ふらついていたときも・・・
すべて薬で耐えていたなんて・・・。
母さんの話は続いた。
「昇には辛いけど、石を壊したところで明ちゃんの寿命が延びるかどうかは分からないの。 もしかしたら、石は壊れても私達にかかった呪い自体は死ぬまで取れないのかもしれない。 それは古文書にも書いてなかったから分からないのよ・・・。」
そして、ここが肝心とばかりに強調した。
「いい?石を壊して明ちゃんの容態がかなりよくなったとしても、1年後ぐらいには 苦しんで死んでいってしまうと思う。いま、石の呪いを解かなければ、もうすぐ明ちゃんは 死んじゃうと思う。どうする・・・?どっちを選ぶ?」
・・・迷うことはなかった。
「俺は・・・石の呪いを解くさ。そして、明も助けてみせる。」
そういうと、母さんはふふっと笑った。
「ほんと、いい目をするようになったわね。もう迷うこともないのね。分かったわ。 なら、明日行きなさい。学校には休むように言っておくから。」
「・・・ああ。」
「がんばるのよ。」
「ああ。わかってる。」
いよいよだと思った。
これで石の呪いも、今まであった謎もすべて解ける。
これで一般人に戻れる!!
期待せずにはいられなかった。
そして、恐ろしく思わずにもいられなかった・・・。
明の病気のこと・・・。
考えれば考えるだけ恐ろしくなった・・・。
いつ死んでしまうのか、それははっきりとは分かりそうにない。
・・・ふと、思うことがあった。
俺は今までこういうときに石を使ってきたんだなぁと思う。
今使って看護婦さんとか医者とかを見ると、きっと明を助けられる未来が見えるんだろうと思う。
でも、そんなことはしない。
俺は初めて、自分で未来を切り開こうとしていた・・・。
たとえその先に待つものが・・・
―――絶望―――
しかなくても・・・
第18話 「解呪」
翌日、俺は朝から病院へ向かった。
時間は9時過ぎ。
面会謝絶かどうか分からないけれど行くことにした。
なにより、明が無事なのか、一体どうなのかが知りたい
それに、明はすべて知っているのか・・・
訊かなくちゃいけないこと、確認しなきゃいけないことだらけであった。
病院に着くと、昨日の晩のような静けさはない。
それでも夏の暑さを感じる外とはまったく違った雰囲気を醸しだしていた。
俺はずんずん歩いて、昨日の部屋に向かう。
集中治療室だ。
エレベーターに乗っていく。
あ・・・しまった・・・
「何かお見舞いを持って来るべきだった・・・。」
今になって気づいてしまった。
でも、いち早く明に会いたいので、仕方なしに急いだ。
・・・・・・。
「着いた・・。」
集中治療室前。
面会謝絶の札が・・・。
「あ・・・ある・・。」
仕方ない、出直そう・・・
そう思って面会謝絶の札を背にしたときだった。
ガチャリ
と、集中治療室の部屋の扉が開く。
俺は振り返って見てみた。
中から先生が出てくる。
この先生は・・・昨日、おとといと俺がお世話になった先生じゃないか。
俺は近づいていって礼をした。
「先生・・・。」
俺の顔を見て思い出したのだろう。
「ああ・・・君は確か・・・けんかをして・・・。」
「違います。」
きっぱりと言ってやった。
「まぁ、そんなことはいいのです。」
そういうと、先生はしっかりこっちを向いた。
「・・・学校はどうしたのです?」
「・・・自主休講です。」
「そうですか・・・。」
「・・・あの。」
「なら時間ありますよね?」
「え?・・は、はぁ・・・」
「とりあえず、高橋くん。君は松山さんの友達ですよね?」
「はい、そうですが・・・。」
「なら、松山さんのことも・・・知ってるんですね?」
松山さんのこと??
あ、病気のことか・・。
「・・・病気のことですか?」
「知ってるんですね・・・。」
俺の質問に対して先生はあいまいに答えた。
「ちょっとお話しましょうか・・・。」
先生と俺はエレベーターホールまで行った。
「お話しなければいけないことがあります・・。」
いきなり先生はエレベーターホールに着くや否や話し始める。
「・・・松山さんは重い病気を抱えています。」
それは昨日母さんから聞いた・・・。
「はい。知っています。」
「・・・でも、それは治せない病気ではないのです。」
「・・・え?」
「1年ほど前に新薬が開発されて・・・現状緩和と術後の発作を抑えることが できるようになり、もはや不治の病ではありません。」
「ほ、本当ですか?!」
「しかし・・・かなりの大手術のため、不治の病ではなくなったとはいえ命を落としてしまう危険はかなり高いのです。 しかも、今、松山さんはなぜかかなり体力を失っています。この状態で手術をやったとしたら、 きっと・・・。」
「・・・。」
「それに、手術をするべきかどうかの本人の承諾も必要です。・・・ですから、これは 医者としての忠告です。松山さんの側にて、彼女を元気付けてあげてください。」
「・・・分かりました。」
俺はそう言って頭を下げた。
「よろしくお願いします。」
そして、先生は不思議そうにしゃべった。
「でも、おかしいんですよ・・・。なぜか松山さん、かなり弱ってます。 ・・・その理由側からないんです。べつに、病気の発作のせいで 倒れたというわけでもなさそうで・・・。だから、もしかしたら他に何か原因があるのかもしれません。」
「・・・。」
「・・・何か心当たりはありませんか?」
ありすぎた・・・。
「あります・・。今日、僕はそれを何とかするためにもやってきたんですから・・・。」
先生は微妙に首をかしげながらも納得してくれた。
「そうですか・・・。なら、君だけ面会謝絶を許してあげましょう。 ・・・来なさい。」
先生に連れられて、俺は集中治療室に入っていった。
「明・・・。」
明が寝ている。
頭の中では、最悪、体中チューブだらけの様子を想像していた。
しかし、予想とはまったく違ってい、部屋には一本の点滴があるだけでどうして集中治療室に いるのかが分からないほどだ。
「松山さんは・・・きっともうすぐ目が覚めると思います。・・・よろしく頼みましたよ。」
そういうと、先生は部屋から出て行った。
寝ている明の側まで行く。
「明・・・。」
明の寝顔を見てびっくりした。
寝顔なのに、疲れの表情がありありとうかがえる。
昨日、おとといの表情からは想像もつかないほどだった。
きっと全体力を使い果たすつもりでおじさんの過去を見たのだろう・・・。
「何やってんだよ、ほんとに・・・。」
ベッドのそばにあった椅子に座る。
「ふぅ・・・。」
まったく、なんて無茶をするんだ・・・。
こんなに憔悴しきってしまうほど体力使って・・・
「お前のほうが心配かけてるじゃないか。」
そう言って笑ってしまう。
・・・お互い様だと思った。
きっと明もこうやって心配したんだなぁと思う。
このままボーっとしておくのもあれなので、目が覚めるまで何をはじめに言おうか考えた。
石の壊し方を言うべきか、俺と明の親族関係、ひいては高橋家と松山家について言うべきか・・・。
他にも、明の病気のこととか色々色々ありすぎて、どれから話すべきなのか分からない・・・。
とりあえず、もう一度明の顔を見てみる。
やっぱり何か苦しそうな、つらそうな表情だ。
・・・明の石は真剣に使うと体力を消耗してしまう。
・・・でもそれだけではない。
未来を失っていく。
つまりそれは、寿命が短くなっていくということ・・・。
「一体どれくらい短くなってしまったんだろう・・・。」
詳しくなんてさっぱり分からない。
でも・・もしかしたら・・・もう1年後ぐらいにまで来ているのかもしれない。
いや、実は目の前に来ているとか・・。
そしたら、明はこのまま目を覚ますことなく死んで・・・
背中に冷たいものが流れた。
そうだった・・・
先生は石のことなんか知らないんだ。
ということは、きっと明の病気が一瞬思いっきり悪化してこうなってしまったと考えていても 不思議ではない。
じゃあ、明がもうすぐ目を覚ますというのも本当か・・・どうか分からない?!
だって今寝ているのは、もしかしたら石の力によって縮められた寿命がもうすぐ尽きようとしている 副作用みたいなものかもしれないのだ。
手がびしょびしょに濡れてくる・・・
じゃ、じゃあ・・・
「もう二度と明とは・・・?」
う、うそだ!
いや、でもありえないことではないのではないか・・・
そのとき・・・
「う・・ううん〜〜〜」
「あ、あかり?!」
俺は椅子から飛び上がるようにして立ち上がり、急いでベッドを上から覗き込む。
「の・・・のぼる??・・・あ、あれ?わたし・・・」
「あ・・あかり・・・あかり・・・。」
よかった・・・生きてた・・・
俺は寝ている明を思いっきり抱きしめた。
「う・・・く、苦しいよぉ〜、のぼる〜。そんなに抱きしめちゃ・・。」
そう言いながらも、俺の身体には明の腕がしっかりと巻きつけられる・・・。
しばらくして、ようやく離れて、椅子に座る。
明は横になったままで俺と話をした。
「・・・大丈夫なのか?」
「うん・・・大丈夫って言ったらウソになるけどね。でも、もう平気よ。」
ウソばっかり・・・
どう見ても明の顔は憔悴しきっている。
「病気のこと・・・聞いたよ。」
そういうと、一瞬ばつの悪そうな顔になる明。
そして「たはは」と笑った。
「ははは・・・。な〜んだ、知っちゃったのね。」
「まったく・・・隠し続けるなんて・・・。」
「・・・でもそうしないと、昇、心配性だから迷惑かけちゃいけないと思って・・・。」
はぁ・・・
俺はため息をついて明を見据えて話す。
「いつ、一体誰が迷惑だなんて言った?」
俺の言葉にゆっくり首を振る明。
「そんなこと言ってもダメだよ・・・。心配ばっかりかけられない。 それに、私だって気を遣うし・・・。」
「お前な・・・。」
はぁ・・・・・
俺は大きなため息を再びついた。
「そうやってウソの元気で接してくれても、ちっともうれしくないぞ。 そんなの本当のお前じゃない。それに・・・日に日に弱っていくお前を見るのはさすがに 辛いし・・・。」
「うう・・・。でも・・・でも・・・。」
明はとにかく俺に心配をかけたくない一心で隠し通してきたんだろう。
「もう・・・いいじゃないか。なぁ、明。もう分かったんだから・・・。」
「うん・・・。ごめんね、ウソついてきちゃって。」
「いや、いいさ・・・。」
まあ、そうやってウソをつきたくなる気持ちも分かるもんな。
・・・でもひとつだけ、ずっと聞きたいことがあった・・・。
それを聞いてみる。
「・・・なぁ、明?」
「ん〜?」
「いつかは・・・病気であることが俺にバレちゃうだろ?一体どうするつもりだったんだ?」
明は当たり前のように話した。
「どうもしないよ。それまで黙っておくの・・・。で、発症したらそのときはそのとき。」
「・・・。」
「だって、昇のことだから、言ったらものすごく気を使っちゃうと思うの・・・。 何をするにも、『大丈夫か?大丈夫か?』って。」
「うっ・・・。」
当たってるだけに何もいえない・・・。
「それはさすがに・・・ね。だから黙っておくことにしたの。そしたら、少しでも長く 昇と普通に付き合えるでしょ?」
「・・・そうか・・・。」
「でも・・・あと1年ほど私が死ぬまで残ってるのに・・・。ちょっと早くバレすぎちゃった・・・。」
暗い顔で必死に笑う明。
疲労と悲しみが交じり合った複雑な顔であった。
「私、もうちょっと元気でいたかったなぁ・・・。」
泣きそうになってる・・
「・・・もっと長く、昇と・・・普通に・・・付き合いたかったぁ・・・」
・・・こいつは色々一人で抱え込んでたんだろうな。
「明。実は一つ朗報がある。」
「ん?どしたの?」
ちょっとだけ明の眼が輝く。
「実は、お前の病気、治るんだそうだ。」
「えっ・・・うそ・・・?!」
「ウソじゃないさ。新薬が開発されたらしくてな・・・。」
明の顔がぱーっとこれ以上ないほど明るくなる。
「じゃ、じゃあ・・・」
「ああ。そうだ。お前は助かる!」
自然と俺の声も興奮によって大きくなってしまっていた・・・。
明かりの目から涙がこぼれる。
ぽろぽろ・・・
よっぽど死が怖かったんだろう・・・。
いや、そんなの当たり前だよな。
ずっと俺にその恐怖を隠し続けてきた・・・
こいつの心中の苦労は考えるまでもないほどすさまじかったに違いない。
それでも、俺の前では笑って明るく振舞っていた。
・・・だからかな?
東や肝っ玉ばあさんが死んでしまうというときに、長谷さんにひときわ怒っていたのは・・。
自分の死と、その苦しみが交じり合って長谷さんを叩いたりしたんだろう。
そう思うと、いろいろこいつも感情を表していたんだなあ、といまさらながら身にしみる。
別に隠し続けてきたというわけではなかったんだ・・・。
「うう・・・。よかった・・・よかったよぉ・・・。」
ぽろぽろ・・・
「影」はこれが原因だったんだな・・・。
今まで明が見せてきた「影」がこれで消えてくることを祈ろう。
「よかったな、明。」
手を伸ばす。
「これで・・・ずっと一緒にいられるな・・・。」
「・・・ひっく・・・ひく・・・う・・うん・・・。」
「もう、怖がらなくてもいいんだぞ。」
「うん・・・ひっく・・・うん・・・」
何度も何度も、涙をこぼしながらうなずく明。
その姿は守ってやりたいという俺の心を強烈に高ぶらせるほど、愛らしく、また なぜか儚げでもあった・・・。
明の顔にもう影は浮かばない。
そこにあるのは、喜びの表情。
手を明の頭の上に置いた。
ゆっくりと・・・
優しく優しく、落ちつくように・・・。
俺は明の頭を優しくなで続けた・・・。
「・・ひっく・・・ひっ・・・。」
さらさらの肩ぐらいまでの髪の毛は、いくらなでても飽きないほどすばらしかった。
なでなで・・・
「・・・・・・・・。」
しばらくして、明の涙も収まる。
それでも、なぜか俺は頭をなで続けていた・・・。
それのおかげかして俺も明もものすごく落ち着いてきている。
相手に触れるということはかなりの安心感をもたらしてくれるんだなあと、 いまさらのように気がつく。
・・・俺は言わなくちゃいけないことを続ける。
「治るのは、治るんだが、やっぱり手術はしなくちゃいけないらしいし、 その分体力も使うらしい。だから、今みたいに疲れてたらダメなんだ。ちゃんと養生するんだぞ。」
「うん!絶対私、治してみせるから!」
俺になでられながら、まさか面会謝絶の病人とは思えないほど明るく元気な声を出す。
よかった・・・。
なぜか今、明の元気な声を聞いて懐かしさを覚えた。
最近、そういえば心から元気な声なんて聞いてなかったなぁ・・・そう思った。
時計を見ると時間は10時。
面会謝絶の札を取る気配もない。
きっとあの先生が気を遣ってくれているんだろう。
・・・まだまだ、話すことはたっぷりあるのだ。
俺は次の話題に移った。
次の話題・・・それは明と俺の親のことだった。
俺は明の頭をなでる手を引っ込めて、真剣に話し始める。
「あのな、明。俺とお前の親のことなんだけど・・・。」
そういうと、明の顔が吹っ切れたような表情になる。 「・・・バカだよね。」
「えっ?!」
明の言葉に、俺は明の顔をまじまじと見つめる。
「お父さんに本当の父親を教えて、って言っておきながら、教えてもらったら まったく信じずに、石の力に頼ろうとして・・・。親を信じないで、石だけを信じて。 それにはものすごい呪いがかかっているっていうの、知ってて使っちゃってるんだから・・・。 でも、そのときは何がなんだか無我夢中になっちゃって・・・。私って、ほんとにバカ・・・。」
「なら・・。」
俺は口を開いた。
「俺もバカだな・・・。」
「えっ・・・?」
今度は明が聞き返してくる。
「昨日、この部屋の前で聞いたんだ、信雄おじさんから。高橋翔と眞子はお前の両親ではない、 ってね・・・。」
真剣な顔でこちらをのぞきこんでる明。
・・・そういえば、俺の本当の両親のこと知ってるんだろうか? 片方だけを聞いてたら、俺達は兄弟ということになってしまう・・・。
「・・・そういえば、明は知ってるのか?俺の両親が・・・」
「私のお父さんとお母さんなんでしょ?」
「!!」
ちょっとびっくり。
「・・・知ってたのか。」
「うん。」
くすっと笑う明。
「昨日倒れる前に全部見えちゃったの。お父さんが私と遊ぶ前・・・私がものすごく小さいときに、 私と昇とを泣きながら交換してる姿や・・・お父さんの大学生の姿まで。」
「そ、そんなに昔まで・・・・?」
だから体力をめちゃくちゃ消費してしまったんだな・・・。
でも、そんなことをしたら体力だけじゃなくて寿命も・・・
「うん・・・。だからすべて、知ってる・・・。」
「そうか・・・。」
なら、母さんから聞いた話の中で、4人が大学生のときの話は特にしなくてもよさそうだ。
「それにね・・・。」
「うん?」
明の話が続いた。
「実は、昨日運ばれてきて私、面会謝絶になったでしょ?で、部屋の前が騒がしくて ちょっと目が覚めたの。・・・ぼんやりとだけど。そのときに話してるのを聞いちゃった。」
「なんだ・・・あのとき、起きてたのか。」
「うん・・・。起きてるっていっても、うっすら意識があるだけだけどね・・。」
「そうか。」
「あのとき、」
ふふっと笑う明。
「昇、逃げちゃったね。」
「!!!」
びくっ!
俺は椅子の上で跳ね上がった。
「お、お前そんなことまで・・・。」
「その直後の記憶はもうないから、多分そこでまた寝たんだと思うよ・・・。」
「そんな記憶は必要ないので忘れてしまいましょう。」
俺はそう言って明の頭を両手でつかみ、ゆらゆらと揺らした。
「うわわわわ〜〜〜〜」
で、手を離す。
手を離しても、しばらくゆれていた。
「の、のぼる・・・なんてことするのよ・・・。」
ようやくゆれなくなる。
「どうだ、忘れたか?」
「むしろあの記憶が永遠に刻まれることになりました。・・・こうやって頭を揺らされたことと ともに。」
「うっ・・・。」
「まったく、『病人』になんてことを・・・。」
「・・・ははは」
「何が面白いのよ。まったく・・・。」
「いやいやいいのさ。」
「よくないよ〜。」
俺は笑わずにはいられなかった。
それはうれしさからこみ上がってくる微笑だ。
・・・明が初めて病人だと自分で認めた瞬間だった。
「じゃあ、本当の親のことはもう知ってるんだな?」
「うん。そうだよ。」
「なら、聞くが・・・」
俺はちょっと間を置いて話し出す。
「・・・お前の親は誰だ?」
「そんなの決まってるじゃない。」
俺の質問に、さも当たり前のように答える明。
「お母さんはお母さん、お父さんはお父さんよ。」
「・・・だな。」
俺と意見は同じようだった。
つまり、今までと何も変わらないということだ。
「でも、びっくりした・・・というより、焦ったよ。私が翔おじさんと眞子おばさんの 子供だと聞いた時は。だって、それだけ聞いたら、私と昇は・・・。」
「・・・だもんな。」
「うん・・・。」
心臓に悪すぎる話だ。
付き合っている相手が、実は自分の兄弟だったとなったらさすがに驚きを 隠せないだろう・・・。
「ということは、昇。私と美香ちゃんは・・・」
「姉妹なんだ。で、俺と美香が・・・」
「義兄妹・・・。」
複雑すぎる・・・。
「と、とりあえず、そういうことだな。で、まだまだ話さなきゃいけないことが あるんだけど・・・。」
「うん・・・なに?」
俺は母さんから聞いた話を一部始終話した。
話とは・・・そう、石についてのことだ。
・・・かなりの長編だったと思う。
体力の消耗が激しくて入院している明にこんな長い話は酷かと思ったけど、 石を壊す前にやはり話しておかなくちゃいけない。
・・・話している最中、何度も、「琵琶」があれば朗詠できるような気がした・・・。
そう、それは苦しみの歴史。
歴史には決して語られぬ物語。
物語ではなく現実の悲劇・・・。
それは・・・悲劇の歴史。
30分近くかかって話し続けた。
ようやく話し終えたころ、明の顔には「?」が浮かんでいた。
「・・・難しいよ・・・。」
そういうのが精一杯のようであった。
当たり前である。
平安時代の話など想像もつかないし、何より位置関係とかもよく分からない・・・。
ただ、俺は母さんが話してくれたのを忠実に再現しただけだった。
「とりあえず、そういうことだ。」
「・・・お願い、整理させて。」
そういうと、明はう〜んう〜んとうなり始めた。
俺はその間に、カラカラに乾ききったのどをそばにあったお茶で潤した。
30分もしゃべりっぱなしというのは、ものすごく疲れるし、のどが渇く。
ごくっ・・ごくっ・・・
飲み終わったときに、明が声を出した。
「あ・・・なんとなく、分かったよ。」
「そうか・・・飲み込みが早いんだな。」
「う〜ん。そうでもないかも。」
そういうと明は話を続けた。
「つまり・・・昔、呪術を使えた人がいた。で、その人は長谷さんの御先祖様。 石を作ったその人が書いた古文書が今、あるのね。で、それをお父さん達が 読んで、そこに書いてあった石の壊し方の通りにやったら、途中までしか書いておらず、 石が二つに割れただけ。」
「うん。」
「で、過去の陰陽道使いが残した日記にはちゃんと壊し方まで書いてあった、というわけなのね。」
「そゆこと。・・・すごいな、明。この話をそんなに短くするなんて・・・。」
俺は真剣に感心してしまった。
それを照れくさそうに笑う明。
「いやあ・・。そんなことないよぉ〜。」
たはは・・
と笑っていた。
で、俺は真剣に話し始める。
「というわけなんだ。だから、石の壊し方も分かっている。今・・・ココにちゃんと石がある。 ・・・どうする?」
俺の真剣さにつられて、明も真剣になる。
「どうするって、・・・私は・・やるよ。」
「うん・・。その気持ちは分かるんだけど・・・。」
俺は明の体調が心配だった。
なんと言っても、倒れてからの起きぬけなのだ。
石を壊すのにどれだけの力がいるのか分からない。
あまり負担はかけたくはなかった・・・。
だから、今じゃなくてもいいような気がしていた。
「・・・私の体のことなら大丈夫だよ。」
「えっ・・・」
俺の気持ちを察したのだろうか、明はそう言ってきた。
「それに早くしたほうが良いと思うの。もし体力を使うんだとしたら、 手術前には出来ないし・・・。それに、今すぐやっておいたほうが石の呪いが 早く解けるから・・・。」
そうか、そうだった。
今の状態では寿命が縮まっていて、いつ死ぬか気をつけないといけないんだった・・・。
「いいんだな?」
俺の質問に、明は、
「うん。いいよ。大丈夫だから。」
そう答えた。
・・・このとき俺は内心「ふふっ」と笑った。
だって、ここまで「大丈夫」という言葉に信頼がおけない二人はそうそういないであろう。
俺と明はそれぞれ自分の石を持った。
明はベッドに横になり、俺はベッドに腰をかける。
別に俺が二つ持ってやってもいいんだけど・・・
『私だって一つ持つんだから!!これは、この石は・・・私のいわゆる「証」の一つなんだから・・・』
と、自分も持つと言っていうことを聞かなかった。
証・・・
それは、明にとって自分がこの18年間生きてきた証の一つなんだろう。
石に苦しめられ、あるときは助けられ・・・
そんな18年間が明の石には詰まっている。
石の重さとそれに込められた思いの重さはまったく違うものなのだ。
一方俺は・・・どうだろう?
俺はこの石をずっといい方向へと使ってきた。
石による弊害を感じたのは、ここ3日ほどの間のこと。
それまで2年間、石によって俺は助けられてきた。
・・・いや、そうじゃなかった。
危うく忘れてしまうところだった・・・。
この石のおかげで俺は、友達を失った。
マスコミにも叩かれた。
・・・今、目の前には明がいる。
「そうか・・・。」
・・・今頃になって気がつく俺はよっぽどのバカだ。
俺が石から得た、たった一つのすばらしいもの・・・
いや、最高のひと・・。
それが・・・
「ん?どしたの?」
こいつだ。
俺にとってこの石は・・・
明との思い出の「証」なのかもしれない。
・・・でも、俺にはそんな証など必要ないのだ。
証にすがる必要なんてない。
だって、目の前にその人はいるんだから・・・。
「昇・・・」
明がこちらをじーっと見ていた。
「いや、なんでもないさ。」
そういうと、俺は石を持っていないほうの手で頬をぽりぽりとかいた。
・・・なんて恥ずかしいことを考えているんだ、俺は・・・。
「・・・ほんと、聞いてるほうが恥ずかしいよ・・・」
真っ赤になっている明の顔。
「・・・・・えっ?!」
もしかして・・・
「いつもの・・・昇のクセ、だよ・・・。」
そういうと、真っ赤な明はガバッと布団を被ってしまった。
あ・・・
またやってしまったのか・・・
俺まで真っ赤になっているのがわかる。
「あ、あははは・・・」
幸せな俺の笑いが部屋を満たす。
面会謝絶の病人としゃべっているとは思えなかった・・・。
ひょいと明は顔だけを布団から出す。
「ねぇ、のぼるぅ・・・。」
「ん?」
幸せそうに笑いながら・・・
でも、目頭にはうっすらと光が・・・
「ずっと・・・そばにいてね・・・。」
はじめて・・・
「ああ。お前がイヤって言ってもいてやる。」
初めて・・・
「えへへ。でもそれじゃあ、ストーカーだよ〜。」
そう、ようやく・・・
「ははは。」
明が「ずっと」という言葉を笑顔で口にした・・・。
「よし・・・じゃあ、はじめるぞ。」
「うん・・・。」
「やり方は・・・わかってるよな?」
「だいじょうぶ・・・。」
「体力使うかもしれない。無理するなよ。」
「ありがと。私がんばるから・・・。なんか、緊張しちゃうね・・・」
「そ、そうか・・??」
「だって・・・こんなこと初めてだし・・・」
なんかこの言葉だけ聞いていると、まるで不純異性交遊のように思えるが・・・
「と、とりあえず、始めよう。」
そう俺が言うと、俺と明かりは手に持った石をちかづけていく。
そう、石はまるで二つに割れたかのような形をしている。
でもそれは間違いだった。
実際二つに割れたのだった。
その二つを、まるで元に戻すかのように合わせていく。
しかしある一定の距離から前に進まない。
およそ10cmぐらい離れているだろうか。
まるで磁石の同じ極を近づけて行くかのような感覚だ。
しかも二人がそれぞれの石を持っているのである。
右に左にとずれて、まったく引っ付こうとしない。
まさか、こんなことになっていたとは・・・
「呪文、唱えるぞ・・・。」
今度は二人で呪文を唱えながら近づけていく。
「禍神(ムツリ)・・・災神(ドヌボ)・・・厄神(ヤツグ)・・・。我に力を・・・。」
呪文を唱え始めた途端、向かい合わせている石の面が黄色に、いや金色に光りだす。
なんて不思議な色だろう。
吸い込まれてしまいそうな・・・
そんな不思議な色をしていた。
始めはほんのりと光っていたその光も、次第に強く、明るくなっていく・・・。
「禍神(ムツリ)・・・災神(ドヌボ)・・・厄神(ヤツグ)・・・。我に力を・・・。」
「禍神(ムツリ)・・・災神(ドヌボ)・・・厄神(ヤツグ)・・・。我に力を・・・。」
何度も何度も呪文を唱える。
そのたびだんだんと光が強くなり、その間が埋まっていく。
あと8cm・・・
押せば押すだけ反発する力がすごい。
次第に光の色が金色から紅色、そして赤色へと変色していく。
「ううっ・・・。」
「あ、明!」
「へへっ、だ、大丈夫だから・・。」
相当体力を使っているだろう。
この反発力は本当にすごい・・・
男の俺でも吹き飛ばされそうになる。
明は寝ながら俺に向かって押しているからまだましだけど・・・
でも、それは逆に逃げられないということを意味している。
俺は吹き飛べるけれども、明には後ろがないのだ。
つまり吹き飛んでいけない。
これが終わるときは、石が壊れるときか、あるいは・・・
明の体力が尽きるとき。
・・・無理はできない。
あと5cm・・・
「おい、もうやめ・・・」
そこまで言うと明が俺の声をさえぎるように話し始める。
「だめだよ!・・・私たちがやるんだよ・・・。お父さんやお母さん、眞子おばさんや・・・そう、 翔おじさんのためにもがんばらないと。」
「親父・・・?」
「そうでしょ?昇の、そして、私の・・・お父さん・・・」
そうか・・・。
親父はこの石に殺されたんだった。
じゃあこれは弔い合戦というわけか。
「・・・わかった。もう、手加減しないぞ。やっぱりやめるって言っても聞かないからな。」
俺は精一杯のうそをつく。
そんなこと、俺にできるはずもないのに・・・。
そんな俺を見て、明は、
「・・・ありがと。やさしいね、昇は。」
こいつには、かなわないのだ。
光が部屋を埋め尽くす。
・・・目をあけているのも多少つらいぐらいだ。
光は赤色から再び黄色へと変わり、さらにまた再び深紅色に部屋を染め上げる。
あと・・・
3cmぐらいじゃないだろうか。
「禍神(ムツリ)・・・災神(ドヌボ)・・・厄神(ヤツグ)・・・。我に力を・・・。」
手が・・震える・・・。
すごい力だ・・・。
「くっ・・・。」
呪文を唱え続ける声もだんだんと弱々しくなっていくのが自分でよくわかる。
明の声からも疲れが簡単に聞き取れた。
ものすごい光があふれ出す。
部屋の外にまできっと漏れているだろう。
誰かがやってくる前に終わらせてしまわないと・・。
2cm・・・
呪文を唱える声が・・弱まる。
「大丈夫か、明?」
「うん・・・。なんとか・・・。昇は?」
「ははは。なんとか生きてるさ。」
もう、二人ともあまりの明るさに、目を開けてはいなかった。
明の姿ももう見えない。
まぶたの奥の暗黒の中で、それでも光はまぶたを貫通して目の奥を明るく照らすかのように思われた、 そのまぶたの奥で、俺は明の姿を見るかのように目を凝らす。
・・・「見るかのよう」ではなかった。
確実に見えた。
明の苦しそうな顔。
辛そうな息遣い・・・。
まるで、未来を見ようとしているときのようにはっきりと、邪魔な石の光 は見えずに、ただくっきりと明が見えた。
でも、明の未来は見えなかった。
見るつもりもなかった。
「あはは。・・・昇が・・・見えるよ・・・。」
明の言葉にちょっと驚く。
「ああ、おれもだ。」
「これも石の力なんだね。」
「ああ・・・。」
きっとこの石の反発しあう力が弱くなってきている証拠だろう。
今まで見えなかったお互いの姿が見えてるんだ。
・・・石がもうすぐひとつになる。
1cm・・・
「もうすぐだ・・・。」
「うん、ラストスパートだよ、のぼる!」
最後とあって、二人で精一杯の力を出し切る。
・・・まぶたを閉じていてもまぶしいぐらいの光があふれる。
何色かはわからなかったけれど、多分赤色・・・しかも深紅。
いや、緋色。
これは俺の予想だけど、きっとこれまで石が流させてきた血の色・・・。
1000年分の呪いを解き放つ。
「くっ・・・。」
腕に精一杯の力を込める。
これが最後と思い、声を張り上げて呪文を唱えた。
「禍神(ムツリ)・・・災神(ドヌボ)・・・厄神(ヤツグ)・・・。我に力を・・・!!」
その瞬間、
キシィィィィィンンン!!!
まるで金属がはじけたような音がして、光がうそのように止む。
手にかかる反発力も一瞬のうちに消えうせ、俺は反動で明の上に倒れこんだ。
「うっ・・・・。」
あたりに静けさが漂う。
・・・といっても、もともと音は出てなかったので静かは静かだったのだ。
ただ、光が止み、そして明の上に倒れこみ・・・
あ、あれ・・・?
体が動かない・・・?
・・・俺は気を失った。
しばらくして、目を覚ます。
「じ、じかんは・・・?」
時計の針は12時前を指し示していた。
俺は確か・・
ここで明と石を・・・
あ・・あかり・・・
!!!
「あ、あかり!!」
俺は自分が明の上に斜め下から倒れこむように寝ていることに気がついた。
あわてて飛び起きる。
「だ、大丈夫か?重くなかったか・・・・?」
「・・・う・・・すぅ・・。」
明も気絶しているようだった。
「すぅ・・・すぅ・・・」
静かに寝ている・・・。
よかった・・・。
俺は2,3度明の頭をなでた。
「・・・ううん・・・ん・・・・?の・・・のぼる・・?」
「ああ・・・。」
明は状況がわからないといった感じでたずねてきた。
「ねぇ・・・石は・・・?」
俺は周りを見渡した。
そして、地面に落ちている石を見つけ、手に取る。
「ほら。見てみなよ。」
その石は・・・
まるでラグビーボールのように昔の形を整えていた。
それを明に手渡す。
「・・・一個になったんだね。」
「そうだな。」
明はそれを空中にかざしながら見る。
「でもね・・・」
「うん?」
「石を壊すはずだったんじゃないの?・・・ううん、石の呪いを解くはずだったよね。」
「・・・だよな。」
俺は明からその石を受け取る。
そして、目を閉じて明を「見た」。
・・・何も・・・
何も見えない!
「やったぞ、明!!呪いが解けてる!!もう未来も過去も見えないぞ!!」
「本当?!!やったじゃない、昇!」
二人で抱き合って喜ぶ。
といっても、明は寝たままだから俺が明を抱きかかえるようにと言ったほうがいいかもしれないが・・・。
そんな時、明がこんなことを口にした。
「・・・でも、私も石に触っちゃったから・・・。私じゃ確かめられないんじゃないの?。」
「うっ・・・。」
もしかして・・・?
俺は途端に不安になった。
明の体を離して、俺はいすに座った。
そんなとき、
コンコン
ノックがして、先生が入ってくる
やった!ナイスタイミング!
「どうですか、松山さん。気分のほうは?」
「はい、かなりいいです。」
「そうですか。」
そう言いながら明の脈を計っていく。
「・・・意識も戻られたようですし、様子を見て、 明日には一般の病室のほうへ移ってもらいましょう。」
「はい。」
明は元気に返事した。
俺はその間に先生のことを見てみる。
目をつぶり、先生の方を向く。
「・・・・・。」
お!!
何も見えない!!
先生の姿なんてまったく見えず、ただ真っ暗の暗闇が広がっているだけだ。
俺は目を開ける。
「高橋くん、ちゃんと仲直りできましたか?」
「え?!」
「ははは、冗談ですよ。」
目を開けたところへのいきなりの先生の質問にかなり戸惑う。
しかし、先生はすべてを見抜いているのか、あるいは何なのか、 笑いながらそのまま部屋を出て行ってしまった。
バタン・・・
部屋のドアが閉まる。
「・・・ほんとヘンな先生だよな。」
「うん・・・。」
二人の間に微妙な沈黙と「間」が訪れた。
「あ!そ、そうそう・・・。」
俺はその沈黙を打開すべく声を出す。
「な、なになに?」
明もそれに誘われるかのように声を出した。
「先生の未来や過去を見たんだけど・・・。」
「う、うん・・。」
微妙に緊張している明。
「・・・何も見えなかった。」
「・・・えっ?」
「何も見えなかったんだよ!!!目をつぶっても、ただただ真っ暗だったんだ!」
俺の言葉に、途端に明の顔が笑顔になる。
「じゃ、じゃあ・・・。」
「そうだ!解けたんだよ、石の呪いが!!」
「うそ・・・!!」
「うそじゃないよ!本当さ!!」
手を取り合ってぎゃんぎゃん騒いだ。
こんなにうれしい日はなかった。
「実はね・・・私も。」
「ん?」
「私も、さっき先生と目があったんだ。・・・でも、今までなら意識しなくても 過去が見えたのに、何も見えないの!」
「うんうん。」
「でね、じーっと見てみたの。でも、でも、見えなくなってた!!」
明はベッドの中で器用にもピョンピョンはねる。
「やったんだね、私達!」
「ああ・・・そうだ!がんばったな、明!」
「昇もご苦労様。」
俺達のテンションはいやおうなしに上がっていった・・・。
「じゃあ、あとは・・・手術だな。」
「そうだね。」
明はそれでもうれしそうにしていた。
「がんばれよ。」
「うん・・・。昇のためにも、がんばってあげるよ。」
「ははは。期待してますぜ、だんな。」
「おう、越後屋、がってんでい!」
鼻を手のひらですすり上げる。
「・・・。」
「・・・ぷっ。」
「あははは!」
「あはは!明、それ無茶苦茶になってるぞ〜。」
「いいんだよ〜〜〜。」
石の呪いの解けた今日、俺達はすべてを消化したかのように笑いあった。
輝かんばかりの笑顔。
・・・陽だまりのような、それでいて陽炎のようなこの笑いを、俺は深く深くかみ締める・・・。
第19話 「真実」
しばらくしてお昼を食べる。
そのあと、母さんや信雄おじさん、眞子おばさんもやってきた。
みんな明のことを気にかけていたが、明が元気だということが分かると みんな一様に安心したようだった。
そして、呪いを解いたことを説明すると、3人とも感動していた。
母さんは、
「ありがとう・・・。これで翔さんも喜んでるわ・・・」
と、涙ながらに語った。
そして3人とも俺や明の態度を見て、一体誰が親であるのかを感じ取ったようで、 母さんは話の中で次第に親父のことを「翔さん」から「お父さん」へと変えていった。
・・・その後の3人との話し合いの結果、石は記念品として俺が持っておくこととなった。
また、京都にあった陰陽道使いの日記や八兵衛の古文書などは一応目を通してもらう形で 長谷さんのところに一度渡しておくという。
石も長谷さんのところに渡そうかと思ったが、自分の先祖が作り出した、いわゆる 「負」の遺産である。
受け取りたがるかどうか微妙だ。
それなら、俺が持っておくほうがいいだろう。
・・・という俺の勝手な解釈だ。
そんなこんなで時間はもうすでに3時ごろになっていた。
3人はもうとっくに帰ってしまって、いない。
またしばらくすれば満子おばさんがいろいろと家から物を持ってくるという。
俺はあまり邪魔にならない程度に帰ろうと思った。
何より明は病人なのだ。無理は出来ない。
俺が入院したときとはまるで話が違う。
それに明の顔からやはりしんどさがぬぐいきれていないのは紛れもない事実だった。
ちゃんと休ませなくちゃいけない。
・・・とはいえ、「じゃあ、帰るから」・・・な〜んていってしまったら、 明はすねてもう二度と口をきいてくれない気がする・・・。
それに、俺のときはずっと側にいて看病してくれたんだ。 それなのに俺が帰ってしまうというのには思いっきり気が引けた。
どうしようか迷っていた、そんなとき・・・
コンコン
ノック音。
「失礼します・・・」
女の子の声。
・・・ってこの声は?
そう俺が思うまもなく、ドアが開く。
そして入ってくる人の数、3人・・・
「明ちゃん♪大丈夫〜〜?」
「松山、大丈夫かいな?」
「元気にしてるか〜?」
よく見慣れた顔ぶれがやってきた。
「あ!雪ちゃん、春日くん、井上くん、来てくれたんだね〜。」
「ういっす。」
明と俺は順に返事をした。
その直後、明に詰め寄っていく東。
「もうびっくりしたわよ!学校行ったら『松山さん入院した』って井上くんから聞いて・・。」
「ごめんね。心配かけちゃって・・・。」
「ほんと・・・。でも、元気そうでよかったわ・・・。」
「うん。」
勇輝から聞いた?
あ、そうか、美香経由だ・・・。
一応確認をば。
「おい、勇輝、お前美香から聞いたのか?」
そう言うと、勇輝は胸を張って言った。
「その通り!君達のことは筒抜け状態だから以後気をつけるんだね。」
なんでこんなに偉そうなんだか・・・。
「美香には、ウソの情報を流しておくよ。」
「ガーン!」
自分でガーンというやつも珍しい。
とりあえず、こんなやつは放っておいて、俺は孝に話しかけた。
「ほんと、きてくれてありがとうな。」
そうすると、孝はゆっくりと肩をすくめる。
「いやいや、気にすることないって。友達の見舞いに来るんは当たり前のことやろ? それに、俺らそんな忙しい連中とちゃうからな。何ぼでも来たるで〜。」
ははっと笑って見せる孝。
雪奈もそれに続いた。
「そうよ。明ちゃんの一大事とあったら、どこからでも駆けつけるからね♪」
「ありがとうね〜、雪ちゃん・・・。」
じ〜ん・・・となっている明。
明はそのまま話を続けた。
「これは聞いてないかな?・・・私ね、手術するの。」
「え・・・?!」
驚く3人。
「とっても・・・大きな手術。雪ちゃんなら知ってるよね、私の病気?」
「う・・うん・・・。」
東は目を伏せがちにうなずいた。
・・・治るとはまだ聞かされていないから、すなわち明の言葉の意味するものは 「死期が近い」・・・そう受け取っても仕方ないであろう。
そんなうなずき方であった。
「・・・新薬が開発されたらしくってね、なんとか治るんだって、私の病気。」
「えっ・・・?そうなの?!」
あからさまに驚く東。
「うん・・・。だから私手術を受けようと思うんだ・・・。かなり大変らしいけどね。」
笑ってみせる明。
でも、微妙にどこか力ない。
「そっか・・・。」
勇輝と孝はいささか話についていけず、顔に「?」を浮かべていた。
「じゃあ、がんばってね!・・・いつ手術とか詳しいことが分かったら 教えてね、昇君!」
「あ、ああ、わかった。」
そのあと、俺達は世間話や明の病気のこと、それから石を壊したことなど いろんなことを話した。
終始、笑いが絶えることはなかった。
明の回復を願うかのような笑いが部屋を埋め尽くしていた・・・。
あっという間に楽しい時間は過ぎ、もう5時すぎ・・・。
「ほんじゃ、俺達帰るわ。」
孝はそう言うと床においていたかばんを肩に下げる。
「私も帰るね、明ちゃん、昇君♪」
東はかばんを手に下げる。
「今日は来てくれてありがとね、雪ちゃん、春日くん。」
明は礼を言った。
友が来てくれるのはものすごくうれしいものだ。
病院とはそういう演出効果を持っている。
たった1日の入院でもその効果はてきめんである。
その証拠に明は寂しそうな顔をしていた。
いや・・・その寂しさを出さないように、必至に笑顔を作っているように見えた。
こんなところまで無理しなくてもいいのに・・・。
明の強さと無理している加減があからさまに見て取れた。
これじゃあ、病気のことを俺に隠してきたのと対して変わってないのに・・・。
「じゃあ、俺もそろそろ帰るわ。」
勇輝はかばんを持ってそう言った。
「・・・。」
孝が「じゃあな」と言う。
加えて、「またくるからな」とも言った。
「うん、ありがと〜。」
明はうれしそうに答えた。
「それじゃあな〜、孝、東〜。」
「雪ちゃん春日くん、またね〜!」
俺と明は元気よく声を出した。
そこへ・・・
「おい!いっつもいっつも俺を忘れるな!」
横からヘンな人が約一名。
「ヘンな人じゃないッ!!」
・・・彼はご立腹だった。
「何か言うことがあるだろ、俺にも?親友が帰っていくんだぜ?」
「帰ってまえ。」
「うひゃあ、ひでえ〜」
結局、前回と同じことを俺が言って、同じ反応をする勇輝。
「まったく、お前はいっつも俺をそんな無下に扱って・・・。こんな良い親友は いないっていっつもいってるのに、だいたいお前は」
「おい勇輝、お前部屋間違ってるぞ。」
「ええ〜っ?!てっきりここは集中治療室だとばっかり・・・って、おい!」
勇輝の「のりつっこみ」が入る。
「・・・確信犯だな?」
そう俺が言うと勇輝は、
「ふふっ、ばれたら仕方ないな。」
そういって一人なぜかあたふたしていた・・・。
・・・こいつ天然か・・・。
つっこむ気も失せてくる。
そんな状況を見て呆れた孝は、
「・・・とりあえず、もう帰るからな。」
そう言って、部屋を出て行った。
「ああ、ありがと。」
俺がそう言うと、孝は部屋のドアに腕だけを出して親指をぐっと上に立てた。
そして、ひょいっと腕は引っ込められ消えてしまう。
東もそれについていった。
「よし、じゃあな。」
「ああ。」
「ありがとうね、井上くん。」
そして、勇輝も出て行った。
途端に静かになる室内。
「・・・行っちゃったね。」
「ああ・・・。」
明の表情からふっと作り笑顔が消えて、顔を塗りつぶすものが寂しさ一色になる。
「・・・さびしい?」
俺の質問に、明は・・・
「・・・淋しくないって言ったらうそになっちゃうけどね。 ・・・昇がいるからだいじょうぶだよ。」
そう、元気を取り繕って言う。
この瞬間に、俺は毎日ここに来ようと決めた。
「何があっても毎日ここに来るよ。」
「あはは。学校終わった後、来てね。待ってるよ。」
・・・毎日は来なくていいから。
そうは言えない明の気持ちがにじみでていた・・・。
俺はその日はさすがに集中治療室ということも、また明の病気のこともあり、 医者の命令も重なってこの日は帰ることにした。
さすがに明の病気はそんなに甘く考えない方が良いらしく、 帰り際に先生に色々と教えてもらった。
・・・単刀直入に言うと100%、必ずしも成功する手術ではないらしい。
しかも、手術はかなりの長丁場になるそうだ。
だからこそ明の体力と気力がキーになると言われた。
俺は「分かりました」とうなずいて、その場を後にした。
そして、そのまま家に帰る。
・・・さすがに気が重くなった。
「100%成功するとは限らない・・・」
帰り道、ひとりごとのようにつぶやく。
・・・いや、実際ひとりごとだ。
まぁ、手術なんて100%成功するとは限らないものだとは思うけど、それでも それを面と向かって言われるのはきついものがある。
だって失敗すれば・・・。
「でもこれは負け戦ではないんだ。」
そう自分に言い聞かせる。
・・・このことは明に言うべきだろうか?
難しい・・・。
でも、下手に言って不安を増やすより黙っておいた方が良いだろう。
なにより明の体力と気力が大切なのだ。
・・・俺は隠し事をすることにした。
『隠し事をするのはよくない』
などと言っていたのは誰だったか・・・。
そんなことを思い出すのはやめておいた。
どうせ自分が情けなくなるだけだ。
俺は重い足取りで家に向かっていた。
100%成功するとは限らない・・・
自分でつぶやいた一言が耳にこびりつき、ひどく恐ろしく思えた。
次の日から、明の一般病室での闘病生活が始まった。
といっても、いつ何があるか分からないということで病室はなぜか個室だった。
この病院は個室しかないのか?
・・・そう思えてくる。
そんなに明の病気はひどいものなのだろうか?
・・・といっても本人はいたって元気で、それでもあまり動いてはいけないので、 俺が病院へいくとうれしさからベッドの中でピョンピョンはねるという器用な技を またもや毎日のように披露していた。
どこからどう見ても病人には見えないほど元気だ。
そしてそのしぐさがあまりにかわいいので、病院へ行ったときに寝ていたりすると 俺は微妙にがっかりする。
・・・そう、俺は自分で決めたとおり、毎日病院へ行った。
こんなこと決めるまでもないけど、それでも何か忙しかったり宿題が多く出たりしても、 行かない日はなかった。
寂しい思いはさせたくなかったのだ。
今まで山ほど助けてもらってきた。
これからは俺が助ける番。
どうせそう言うと、
『そんなぁ〜。私の方が毎日助けてもらってるよ〜』
などと絶対に言うので、これもまた自分の中で決めたことだ。
だから毎日俺は病院へ行った。
明のため、そして自分の中で立てた決め事のため。
・・・それに、あの先生の言葉が胸を締め付けていた。
病院へ行くと、明はすぐに病室には入れてくれない。
コンコン
「はぁい。」
「あ、俺だけど・・・。」
「の、のぼる?!ちょっとまって〜!!」
ガタン!
ドタン!
バタン!
「(いつもながらすごい音だな・・・)」
しばらくして・・・
・・・・しーん・・・。
「・・・も、もういいよ。入って。」
「あ、あ・・・うん。」
ガチャリ
「お邪魔しま・・・」
お邪魔しますなどという俺の言葉もつくづくヘンなのだが、それ以上に明の姿に毎回驚かされる。
「どうしたの、昇?」
「・・・今日はその服なのか・・・?」
「うん・・・。どう、似合う?」
必ず私服を着ていた・・・。
『だってはずかしいもん・・・』
私服であることを問いただすと必ずこう言うのだ。
『病人はそんなことを気にしなくても良いの』
『病人である前に女の子なんだよ。』
そう言ってきかない。
俺としては、パジャマも好きなのであるが・・・
しかし、こんなことを言っては殺されるのが目に見えているので黙っておく。
「あ・・・ああ、似合ってるが・・・。」
「ん?」
「病人はパジャマを着てなさい。」
「いや。」
「せめて俺の前だけでも。」
「・・・全然分かってないのね、昇は・・・。」
「何が?」
そんなの、あのドスンドスンというけたたましい轟音で分からない者はいないと思う。
・・・でも、着替えるのにあんな音がするとは・・・。
「もう!知らない!」
そう言って、毎回ふてくされてしまうのだった。
別に俺が悪いわけじゃない・・・と思っているのは俺だけだろう。
・・・そんななかで、明はあっという間に元気になっていった。
まぁ、もともと元気だったというものあるのだが、やはり自分で言うのもなんだが こうやって誰かが来てくれるというのは力強いものだろう。
それに俺だけじゃなかった。
母さん達や東、孝、勇輝、みんなよく行っていた。
俺が行くと、明は決まって「今日はね、雪ちゃんと孝君も来てくれたの」と 報告するのだった・・・。
そして何日か経ったある日、俺はいつものように明のお見舞いに行き、帰って来て 晩御飯を食べ風呂に入って、後は寝るだけという状態になった。
「ぅん〜〜。眠いし、もう寝るか・・・。」
今日も明の病院での話を聞いたり俺が学校での話をしたりしてあっという間に時間が過ぎた。
いつも登下校一緒にしていたのに、それが欠けてしまうというのはものすごく寂しさを 覚えるのだ。
・・・なんだ、結局寂しがってるのは俺のほうじゃないか。
俺は思わず苦笑した。
結局あいつに寂しい思いをさせないなどと自分で言っておきながら、内心では 俺自身が寂しいのであった。
もう一人の自分もうんうんとうなずく。
「はいはい・・・まったく・・・。」
病院に行くことを何よりの楽しみにしている自分をことさら感じずにはいられないのだった・・・。
「ふぁああ〜。寝るか・・・。」
なんだか、今日はやけに眠い。
そういえば、明も最近眠いと言っていた。
きっと明の点滴の中に、何かそういうのが入っているのだろうと思う。
体力を回復させるには寝るのが一番だし。
俺の眠気は・・・
ただの寝不足だろう。
そう思ってベッドに入ろうとしたとき、ふとあるものが目についた。
「あ・・・これ。」
それは昔のアルバムだった。
反射的に本棚から取りだす。
眠いながらも、俺はそのアルバムをめくった。
当たり前のことであるが、いつ見てもそのアルバムの中の親父は若かった。
適当に開いたページの写真に映っている親父を見て、俺は思い出したかのように昔の写真を見た。
そう、これは二家族で親と子供をバラバラに撮った写真。
それは俺の本当の親の問題を如実に表しているシロモノだった。
2枚ある写真。
松山家の親と高橋家の親と・・・。
「・・・ん?」
あれ、そういえばこれ、どこで撮ったんだっけ?
他の写真も見てみる。
「この運動会の写真・・・いつのだろう?俺、マラソンになんか出たのかなぁ・・・?」
よく思い出せない。
というか、よく頭が働かないような気がした。
「親父・・・若いよな・・。でも・・」
親父、一体どんな声してたっけ?
俺のこと、どんな風に呼んでたのかな。
そういえば、親父は今、何をしてるんだっけ?
あ、あれ・・・?
頭が上手く働かない・・・。
眠い・・・。
「もう・・・寝ようっと・・・。」
俺はアルバムを本棚にしまうと、そのまま寝た。
気にしないようにして、寝た・・・。
明が病院に運び込まれた日から5日経った13日。この日、先生が病室にやってきた。
そのとき部屋にいたのは明と俺だけだった・・・。
いつものように二人で話しをしていると、
コンコン
とノックをする音がある。
「はい。」
と明が答えると、
「入りますよ。」
という声とともに先生が入ってきた。
明のほうに近づいてくる。
「どうですか、松山さん、調子の方は?」
「いたって元気ですよ!」
明は元気いっぱいの声で答えた。
ここ4日ほどで明はものすごく元気になっていった。
・・・というのも、よく眠っているからだろう。
昼間にしているというあの点滴がかなり効いているのだった。
・・・今はしていないから起きているが。
「そうですか。なら・・・」
そこで一呼吸。
「手術の日程を決めましょうか。」
「えっ・・・。」
一瞬戸惑う明。
でも、すぐに、
「はい。いいですよ。早くして、元気になりたいです。」
と答えた。
微妙に声に恐怖が混じっているのは仕方のない話だ。
・・・俺は明に100%成功するかどうかは分からない手術だとは伝えていない。
伝える気もなかった。
この明の声を聞けば、もし俺がこいつに言ってしまったらどういう風に思うか、どういう行動をとるか・・・。
それは言うまでもないことに思えた。
「そうですか。でもこれは、あなただけに言って決められるものではありませんので、 ご家族の方にもちゃんと相談させていただいてからきめますけども。 一応本人の意思の確認ということで。」
そう言って、先生は脇に抱えていたカルテを取り出した。
「そうですね・・・。いつごろが良いでしょうか?・・・って、本人に聞くのは いくらなんでもあれですよね。」
先生は自分で言って自分で苦笑した。
「私達は19日を一応想定しております。まだこれは決定事項ではありませんので なんともいえませんが、この日が松山さんの体力の回復という点においても、心の準備という点においても 良いのではないかと。」
そう伝え終わると、明のほうを見た。
明は迷うことなく言った。
「はい。良いと思います。」
「そうですか。」
先生は再びカルテを脇に抱えなおす。
「一応本人の承諾は得たということにします。ただし、決定事項ではありません。 再度また訊きに来ますので、そのときに何かあったら言ってくださいね。」
そう先生は言うと、部屋を後にした。
俺と明は見つめあう。
「・・・だって。」
「うん・・・。いよいよなんだね・・・。」
明は自分の胸に手を置いた。
「がんばるよ、私。絶対治ってみせるから・・・。」
「ああ。治らなきゃ一生許さないからな。」
「たはは。」
それから多少世間話をしたが、やはり話は盛り上がらなかった。
手術が目の前に迫っているということを感じて、二人ともなぜか今から緊張してしまっていた・・・。
それから三日後の16日の学校からの帰り道、俺はふっと思い出す。
そういえば、2週間前に父さん宛の手紙が届いたんだよなぁ・・。
それからの1週間はあまりにいろんなことがありすぎた。
一つ一つを思い出すのにも苦労しそうだ。
でも、その次の1週間はあっという間だった。
本当にあっという間に終わった。
毎日学校が終わったらすぐに明のところへ行って・・・で、家に帰って来て御飯食べて風呂に入って 寝る。
ただこれだけの生活だった。
というより、病院へ行くことが一日の最大の楽しみとなってしまっていたために、 それ以外はどうでもよかったのかもしれない。
とにかく、あっという間の1週間だった。
今日もこの後病院に行く。
それだけが楽しみだった。
最近では、病院の部屋で話すことはあまりない。
というより、外に出る。
このたまらなく暑い7月中頃なのに、明は決まって外に出ようといった。
「病院の中は年中同じ感じがしていやだよ。」
そう言うのだ。
「おまえ、一年間も病院にいてないだろ?」
というと、
「ま、いいのいいの。」
と、はぐらかされてしまうのがオチであった。
・・・・・・。
病院の外と行っても、外に遊びに行くことは許されていない。
というより、外に遊びに行くこと自体があまり医者の喜ぶことではないのだが、 それでも「気晴らし」というなんともはやな名目であの先生をも納得させている明はやはりすごいと思う。
そんな明でもやはり外に遊びに行くことはできないので、よく屋上に来ていた。
日差しが暑く、まして地面よりもはるかに太陽に近いのでなおさら暑く感じるこの場所で、 俺と明はよくしゃべった。
ここなら病室よりもはるかに話も弾み、ちょっとしたマイナス思考なら軽くプラス思考へと 変貌を遂げていく。
暑さは最悪だったがちょうどよい日陰があり、そこにベンチがあり、決して悪い空間ではなかった。
人もほとんどいない。
そんなところに今日もやってきている。
3時を過ぎて世界は黄色くなってきていた。
「・・・あと、三日だな。」
外で話すため、いささか声が大きくなるのは仕方がない。
「うん。」
「怖くないか?」
「う〜ん、そうだねえ・・・。」
フェンス越しに遠くを見ながら少し考える明。
怖いって感情は考えるものではないと思うんだけど・・・
「多少怖いのかもね。」
そう言った。
「かもね・・・か。なるほど。」
俺は妙に納得してしまう。
日陰とはいえぬるい風が俺達の間を駆け抜けると、俺は汗が噴出すのを感じずにはいられなかった。
「昇は・・・怖い?」
「俺が・・?」
「うん。」
ヘンな質問だな。
俺は色々考えたが・・・
「・・・わかんない。」
「・・・そうだよね〜。」
俺の答えにそう答える明。
「でもな。」
「ん?」
「俺は・・・な、もしかしたらお前とも、もうこうやってお話できなくなっちゃうかもしれないし。 だから・・・。」
「ふふっ、だよね〜。」
今日も私服の明は、ん〜〜っと背伸びをする。
「そう言ってくれると思ったよ、昇は。」
明は座りながら、ぴしっと背筋を正す。
隣に座っている俺じゃなく、まっすぐ正面、あのフェンスの向こうの向こうの、そのまた向こうを明は見つめる。
「3日後、わたくし松山明は手術を受けてまいります!・・・怖くないわけではありません!」
「・・・あかり?」
誰に言ってるんだろう・・・?
それはまるで、運動会の選手宣誓のよう。
「でも、私はがんばってきます!大丈夫です!」
ものすごく強い声。
俺は明の顔を見るのではなく、明の見ている方向を見た。
遠く山々の更なる向こう側、見たこともない川や海や山が広がっているあの向こうを見る。
「絶対手術を成功させ、ここに帰ってきます!」
不思議だ・・・。
明の見ている先は、なぜかすべてを吸い込んでしまうような不思議な迫力があった。
そこに言った言葉も吸い込まれて、他の誰かのところへ届けてくれるような気がする。
「多少不安あります。でも、私には・・・側にいてくれる人がいるから。」
どこへ届けてくれるんだろう・・・
あの山の向こうへ行くんだろうか?
・・・そうじゃない気がした。
それが行き着く先は、そんなに遠くない。
「だから、だから・・・がんばれます!私、怖くないです。」
俺は耳を澄ます。
・・・確かに聞こえる。
隣の明からじゃなくて・・・
そう、後ろ。前。横。上。・・・そして、中。
「先生が言ってました。とっても難しい手術だって。」
・・・分かったよ、明。
お前の言葉は、あそこに吸い込まれた後、自分達の心の中に響いてたんだな。
聞こえるよ・・・。
おまえ自身にも・・・響いてるんだろ?
「・・・必ずしも成功する手術じゃないって・・・。」
「えっ・・・?」
俺はびっくりして明の顔を見た。
こいつ、先生から・・・。
「でも、私はそれでもいいんです。このままだといつか死んじゃうから。」
・・・・・。
俺は再び前を向いた。
心に響いてくる声を、心を澄まして聞く・・・。
「だから手術を受けます!・・・私、たくさんの人たちに支えられて・・・」
風が吹く。
静かに・・・とても静かに・・・。
「自分を見てくれる人もいて・・・。」
手が握られる。
今までにないぐらい強く握られた。
俺も握り返す。
今までにないぐらい、しっかりと。
「だから、わたし、怖くないです。怖く・・・」
手を握る明の力がさらに強くなる。
声が・・・震える。
途切れ途切れになる言葉。
「怖くなんか・・・怖く・・・なんか・・・」
光の粒が目からこぼれ落ちた。
一つ・・・また一つ・・・
声を震わせながら、必至に言う。
「こわ・・・く・・なんか・・うっ・・・・ひっく・・・・・・」
もう声にならない。
それでも、明は言い続ける。
とめどなくあふれ出てくる涙を何度も何度も拭きながら、必至になって言う。
「・・ひっく・・こ・・・わく・・・な・・・ひっ・・・」
それは誰に対してでもない自分に対しての言葉。
あの景色の向こうにいるもう一人の自分に向かって言っている言葉。
そしてその言葉は・・・自分を守る最後の防衛線。
・・・ほんと、バカなんだから。
俺は手をさらに強く握った。
・・・その瞬間、明の目から涙が溢れ出した。
「・・・こわく・・・こわ・・い・・よ・・。わたし・・」
最後の防衛線が壊れた・・・。
手がいっそう強く握られる。
下を向いてポロポロと涙を落とした。
涙をかみ締めるように、壊れた最後の防衛線をそれでも守るかのように・・・。
ポツリポツリと言葉を落とす。
「こわいよ・・・こわいよ・・・のぼる・・・!!!」
それは、18年分の苦しみ。
ずっと笑って、俺のために隠してきた恐怖心。
俺の前では絶対に病気であることを隠してきた・・・
本当に強い娘だな・・・。
俺ではお前にはかなわないよ。
ほんとそう思う。
でも、でもな、明・・・。
俺はそっと明の肩を抱き寄せる。
「・・・もういいよ、あかり。がんばりすぎだよ・・・。 いいじゃないか、怖くても。当たり前だよ。ずっと笑ってなくてもいいんだから・・・。」
「うっ・・・ひっく・・・。」
肩が震えている。
「大丈夫だ・・・。側にいるから・・・。それじゃ、ダメかな・・・?」
「うう・・ううん・・・。ううん・・・!」
涙をはじきながら必至に首を振る明。
「・・・本当に強いよ、あかりは。18年間もずっと隠してきたんだよな。 俺には出来ないよ・・・そんなこと。・・・でもな、あかり。 本当に強いこはね・・・ちゃんとそういうことも隠さず言える子だよ。 無理・・・しなくてもいいんだ。」
無理しなくてもいいんだ・・・
その言葉が一体どれだけ明の心を救っただろう。
隠し通してきた、今まで・・・。
でもこの人は・・・目の前の昇はすべてを受け止めてくれる。
明はついに抑えきれなくなって、好きな人の胸に飛び込んだ。
「うぁああ!のぼる!!のぼるっ!!怖いよ・・・すっごく怖いよおおお!!!」
「うん・・・。」
「もう、もう会えなくなるかもしれない!!それに、それに!!こうやって 抱きしめてもらえなくなるかもしれないッ!!!」
「・・うん・・・。」
なんでこんなに暖かいんだろう・・・。
明は抱きしめられて、なおさら泣き続けた。
「イヤだよ!ずっと・・・ずっと一緒にいたいよ、のぼる!!!!」
「・・・うん・・・。うん・・・。」
あれ・・・?
どうして俺泣いてるんだ・・・・?
俺は必至で鼻をすすった。
涙を拭こうにも、手は明の体を抱きしめていて動かせない。
・・・それに次から次からあふれてくる涙に、もはや拭く気はなかった。
「うわぁぁぁああああ!!のぼるっ・・・のぼるっ・・・!!!」
「うん・・・うん・・・・。」
ただただ、明を抱きしめ続けた。 幸せな風が吹き抜けた。
暑さは・・感じなかった。
・・・世界が黄色かった・・・・。
そして、19日。午後3時。
「がんばってこいよ。」
「うん、のぼる。私がんばってくる。」
「・・・怖いか?」
俺の質問に明はふふっと笑った。
「そんなの、怖いに決まってるでしょ?でも、大丈夫だから・・・。わたし、帰ってくるからね。」
「ああ。帰ってこなかったら許さないからな。」
そして、他のみんなも声をかけた。
俺の家族、明の家族、友達たち・・・みんな集まっていた。
・・・中に肝っ玉ばぁさんまでいたのにはさすがにびびった・・・。
明は病室を出て手術室へと吸い込まれていった。
「さて。」
俺はその姿を見送ると、歩き出す。
「ん?昇?どこ行くんや?」
「ちょっとな。」
明と約束の場所へ。
そう、俺は明に頼まれていた。
それは昨日のこと・・・。
・・・・。
「手術が始まったら、絶対屋上に上がって、そこで祈って・・・私の無事を。」
「なんで屋上なんだ?」
「屋上はね・・・空に一番近いんだよ。願い事も届きやすい、ってね。」
「なるほど・・・。」
「それに屋上に昇がいてくれたら私、戻って来れそうな気がするから・・・。」
「・・・お前、別に手術は異世界へと旅立つものじゃないぞ。」
「似たようなものだよ。」
・・・・・。
こんな会話があったのだ。
よって俺は屋上への階段を駆け上る。
・・・でもな、明。今日は・・・
屋上のドアを開ける。
ギィィィィイイ・・・
ザーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ・・・・・
今日は雨だった。
しかもかなり激しい。
けっして夕立でも台風でもない。
その雨を前にして、俺は靴と上に着ていたTシャツを脱いで、貴重品とともに足元に置いた。
そして、雨の中に入っていく。
・・・冷たくはない。むしろぬるい。
そんな中で俺は祈った。
明が無事に帰ってくることを、願わずにはいられなかった・・・。
「あかり・・・俺はここにいるからな。待ってるぞ・・・」
『うん』
そんな声が聞こえたような気がした。
「・・・・あかり・・・。」
雨の音はすべての音を消していく・・・。
そのおかげだろうか、いやきっとそうだろう。
4時間にも及ぶ大手術であった。
「手術中」のランプが消える瞬間の緊張はすごいものがあった・・・。
なかから先生が出てきて、にっこりと、
「よかったです。手術、成功しましたよ。」
の言葉。
その言葉を聞いて俺は泣いて喜んだ・・・。
手術終了から4時間後・・・
俺は明の側にいた。
目が覚めたらちゃんと手術が成功したということを教えてやらないと・・・。
そう思ってもはや4時間が経つ。
口には酸素吸入器が付けられ、横では心電図が一定のリズムを刻んでいた。
ピッ・・・ピッ・・・
その音を聞きながら俺は待ち続けた。
こういう全身麻酔では目が覚めるかどうかも大きな問題だそうだ。
二度と目が覚めないということもありうるらしい。
ひたすら俺は待ち続けた。
・・・きっと俺が入院してたとき、明はこんな気分だったんだろうなあと思う。
それは言い知れぬ不安。
俺の目が覚めたとき、明は泣いて喜んでいた・・・。
今の俺にはその気持ちがよくわかる。
目が覚めたら俺も泣くんだろうか?
「ははは・・・。最近泣きすぎだ、俺。」
そう言った直後、ベッドの上から声がした。
「う・・・んん〜〜〜。」
目が開く。
「あ・・・あかり?目が覚めたのか?」
「の・・・のぼる・・・?」
「よかった・・・。目が覚めたんだな・・・。」
「私・・・?」
「成功したんだよ、手術。」
「ほん・・・と・・・?」
「ああ、本当だ。」
「よかっ・・・た・・・。」
まだ上手くしゃべることが出来ないのか、あるいは眠いのか一言をしゃべるのにかなりの時間を 要していた。
俺はナースコールを押す。
「松山さん、どうしました?」
「目が覚めました。」
そう俺が言うと、
「分かりました。今から行きますので。」
そういって、ナースコールは切れた。
「今から来るって。」
「うん・・・。」
明を見つめる。
そして用意しておいた一言を口にする。
同時に熱いものがこみ上げてくるのがよく分かる。
「お帰り・・・あかり。」
「ただ・・いま・・。ふふ・・なんで・・泣いてる・・・の?」
「泣いてなんかないぞ。」
俺は目をこすった。
せめてもの照れ隠しで横を向いたのは言うまでもないことだ・・・。
そして、先生と看護婦さんが来た・・・。
それから5日が過ぎた。
学校の終業式が実は明の手術の日であり、それからずっと毎日ここに来ることが出来ている。
と言っても、やはりなんと言っても受験生。
俺と明の二人は病院で勉強する日が続いていた。
明の回復は順調で、この調子だと今月中にも退院は可能らしい。
というわけで、二人で退院予定日を7月31日と勝手に想定していた。
毎日が息抜きのようではあるが、ちゃんとどこかに遊びには行きたい・・・
それが明の今、一番のお願いらしい。
この前俺の入院中に話していた会話が思い出される。
そんな、暑い7月24日・・・。
なぜかこんなに暑いのに、やはり明は外へ出たがっていた。
病院の中にいるのが好きではないらしい。
・・・いつも病院内デートは屋上で、いつしかそれは病院でも有名な話になっていた。
それを明は嬉しそうにしていたが俺は一人恥ずかしがっていた。
明は病室から出て歩き回ることがないからいい。
俺はいろんな人に待合室とかで見られるのだ。
その視線は、
『あ、あの子よ・・・ひそひそ』
と言わんばかりのように感じられた。
はぁ・・・。
・・・でも、そんなことにも慣れ始めた今日この頃。
ここはあの屋上のベンチ・・・。
「う〜ん!」
隣に座っている明は大きな伸びをした。
もうすっかり元気である。
・・・とはいうものの、やはり無理はできないためあと一週間ほどはいないといけない。
決して無理強いは出来ないのだ。
それに、最近なんだかよく眠るようになってきた。
手術前は点滴のせいで眠くなっているのだと思っていたがどうもそうではないらしい。
やはり精神的に疲れていたのだろう。
今は・・・精神ではなく体力を回復させているのだろう。
大体、こんな暑いところにいる自体病人にとって無茶苦茶な話だと俺は思う。
・・・もちろん、明はそんなことお構いなしだが・・。
「暑いね。」
「あたりまえだ・・・。こんなときに外に出ようというのがおかしい。」
そう俺が言うと、
「ふふっ。だって外に出たほうが気持ちいいじゃない。病院の中は逆に不健康だよ。 知ってる?病院って世界で一番不健康なんだよ。」
などと言い返してくる。
「どうして病院が不健康なんだ?」
「それはね・・・」
「ん?」
「病院にはたくさんの患者さんがいるからだよ。」
あ、そう・・・。
「な、何でそんなに白けてるのよ!」
「・・・さぁ・・・。」
・・・朝や昼から点滴をしていることがあるので、基本的に俺と会うときでも着替えることはなくなった。
よって今も明はパジャマだ。
・・・こんな風にわいわいと話すときもあれば、
「・・・のぼるぅ。」
「ん?どうした?」
明の頭を俺の肩にのせ体で明の体重を支えながら、二人で夕暮れを見る。
「夕暮れは寂しいね。一日の終わりだよ・・・。」
「・・また明日がくるじゃないか。」
「ダメだよ・・・。今日一日を大事にしなきゃ。」
「だからこそ明日がくるのを楽しみに出来るんだろ?」
「まぁ、そうなんだけどね・・・。」
暮れ行く夕日。
「のぼる・・・。」
「ん?」
「・・・ううん。呼んでみただけ。」
「なんだよ、それ・・・。」
「・・・・。」
「・・・・。」
「・・・明?」
「・・・すぅ・・・すぅ・・・。」
「また寝ちゃったか・・・。」
こんなちょっとロマンチック?な日もあった。
すべてが輝いていた・・・。
気がつくと、もう明の退院まであと2日となっていた。
先生にも、7月31日までには退院しても大丈夫だというお墨付きをいただけた。
そう、今日は7月29日。
今日も突き抜けるような青空の下、いつもの場所にいる二人。
日陰とはいえ、二人ともさすがに日に焼けてきたような気がする。
健康的な入院患者と、毎日やってくる健康的なお見舞い人。
どう考えても場違いな二人だった。
「ねぇ・・・。昇・・・?」
「ん?」
「もうすぐ退院だね。」
「そうだな。」
俺は空を見上げた。
といっても日よけがあるので空は見えない。
ただ青い空をその奥に見てみる。
前を向くとフェンスの向こうに緑の山と青い空の境界線があまりにまぶしく映る。
「なんだかあっという間だったな。」
「そうだよね〜。気が付いたら退院だよ。」
「といっても、こっちとしてはずいぶん心配させていただいたんだけどな。」
俺の言葉に、たははと笑う明。
病院に来てから明は「たはは」と笑うようになった。
やっぱり俺に毎日こうやって来てもらってるのが申し訳ないのかもしれない。
それを象徴するかのような笑い方だった。
「ごめんね〜。いろいろ心配かけちゃって。」
「・・・ま、元気ならいいんだけどね。」
「うん・・・。私は元気だからもう心配しなくてもいいよ。」
「とは言ってもねぇ・・・。」
明とのいつもどおりののんびりとした会話が続いた。
「心配って、しようと思ってできるもんじゃないからな。」
「確かに・・・それはそうよね。」
汗が出てくる。
「それにしても、これから・・・どうする?」
「これからって?」
俺の質問に明は首をかしげた。
「退院してからだよ。どうしようかなって。」
「う〜ん。」
明はしばし考える。
「とりあえず・・・。」
「うん?」
「病院以外のところに行きたいよ。毎日毎日病院の中って・・・飽きちゃった。」
「ははは。それは選択肢が広いな。」
「そうだね〜。でも、どこでもいいんだよ。」
「前話していたところは?」
「・・・それは決定事項だよ。」
「そ、そうだったのか・・・。」
「うん。それ以外でどこか他のところに行きたいな。」
「・・・なぁ、俺たち一応受験生だぜ。」
「わかってるよ。だから息抜きだって〜。早くどこかに行きたいの〜!」
きっと明は一刻も早くこの病院から出て、どこかに遊びに行きたいんだろう。
何を慌てているんだか・・・。
俺は苦笑しながら答えた。
「ははは。わかったよ。ちゃんと考えるから。」
「・・・ってことは今までちゃんと考えてなかったのね?」
「いや、そんなことはないこともない可能性を俺は捨てきることができないということを 明言するのはいささか憚られるものがあるな。」
「・・・わけわからないよ。」
「うん・・俺も。」
「・・ぷっ。」
「あはははは」
「あははは!」
二人で笑いあう。
とっても楽しい時間。
でも、さすがに暑い。
日陰でも汗は出てくるのだ。
「・・・なぁ、そろそろ帰らない?」
「・・・そうだね、さすがに暑いね。」
そう言って、二人でベンチを立ち上がった。
その瞬間・・・
くらっ・・
「あ・・あれ?」
ふらっと俺のほうに倒れてくる明。
俺は中腰になって明を受け止めた。
「まったく、おとなしく寝ておかないからだ。」
「たはは・・・。」
明は力なく笑った・・・。
「ほら、大丈夫か?」
「うん・・・大丈夫だから。立ち上がるね。」
そう言う。
でも、次第に俺のほうに体重がかかってくる。
「ん?どうした?立ち上がれないのか?」
「ううん。・・・大丈夫だよ。」
なんとか力を入れて立ち上がろうとするけど、それでも次第に体重は俺の方にかかってくる。
「・・・あかり?」
「・・・たはは。ちょっとごめんね〜。」
そういうと、俺は明を抱きとめた状態で再びベンチに座った。
体と手で明の体をなんとか座った状態にするように保つ。
・・・明はほとんど俺にもたれている状態だった・・・。
肩に明の頭を乗せ、落ち着ける。
・・・別に呼吸が乱れているわけではなかった。
どっとした疲れに突然襲われた・・・
今の明の状態を例えるならそういったところか。
「・・・あかり、大丈夫か?おまえ・・・」
「ちょっとこうしてたら回復するから・・・。」
「・・・わかった。」
まるで明は寂しくなって甘えているかのように思えた。
・・・ちょっと聞いてみる。
「充電は必要?」
そうすると明は口元だけ笑いながら、
「うん・・・ものすごく。」
そう答えた。
俺は顔を横に向けて・・・
「ん・・・。」
「・・・。」
唇が触れ合う。
しばらくして唇を離す。
そして再び明の頭を肩の上に置いた。
「・・・ありがとぅ・・。」
さらに体重が俺のほうにかかってくる。
・・・でも、軽い。
軽すぎるぐらい軽い・・・。
こいつ、こんなに軽かったっけ?
「おい・・・。重いぞ。太ったんじゃないか?」
そういうと、
「そうかも・・・。私ずっと寝てばっかだったし・・・。」
うそだ・・・。
こいつこんなに軽いわけがない。
どんどん声に力がなくなっていく・・・・
こいつ・・・
弱ってきてる・・・?
「ねぇ・・・のぼ・・る・・?」
「なんだ、眠いのか?」
「うん・・。ちょっと・・・。」
「じゃあ、眠るか?」
「うん。・・でもね、言っておかなくちゃいけないことが・・・あるような気がするの。」
そういうと明は穏やかにしゃべり始めた。
「私ね・・・本当に楽しかった・・・」
「・・・どうしたんだ?」
「楽しかったよ・・・。」
「おいおい・・・何言ってんだよ。」
たはは、と力なく笑い、明は話を続けた。
「あのとき・・・、今年のお正月、昇に言ってよかった・・・。」
「お正月?」
「うん・・・私が・・勇気を出した日だよ。」
「・・・・。」
「あのときからほんと、あっという間だった・・・。 気がついたら、今・・・。そんな感じだったよ。」
「・・・あかり?」
「いろんなことしたよね・・・。でも、石を壊せなかったのが 残念だったなぁ・・・。」
「お前・・・何を言って・・・。」
はっ!!!
な、何か思い出せそう・・・。
あれは・・・。
母さんの話の中に出てきた、八兵衛とかいう人の石の壊し方について書いてあるところで、確か・・・
・・・・・・・。
・・・。
『それにこの石には呪いがある。子午重離自体には何も呪いはないのだが、 どうやらこの石自体に何か呪文がかけられているらしい。これを使い未来を見ると、 過去をなくし、過去を見ると、未来を失っていく・・・。どうしてこうなっているのか、 私にも分からなかった。もしかしたらあの陰陽道使いが、誰かが悪用してもそれが長続きしないように と思って・・・・』
・・・。
・・・・・・・。
さんさんと輝く太陽の下、俺は寒気が走った・・・。
どういう・・・ことだ?
子午重離自体には呪いが・・・ないだと?
じゃあ、俺達がやったのは呪術を解いただけなのか?
ということは石自体の呪いは・・・
そんなのとき、ポケットに入っていた石がぽろっと落ち、
ゴン
という音を立てて屋上の地面に転がった。
石は・・・まだあるんだ・・・。
・・・そうか、そういうことだったのか・・・。
・・・俺はその時すべてが分かった。
「おい!あかり!!しっかりするんだ!」
「・・・大丈夫だよ。私は・・・慌てないから・・・。」
「何言って、お前・・・!!はっ!お前、も、もしかして?!!」
うん・・・
ゆっくりうなずきながら明は話しを続けた。
「・・・知ってたよ、私。石が壊れなかったときに、 『あ、そうじゃないかな・・・』って、なんとなくそう思ったの・・・。」
「あ・・・あ・・・・・。」
何か話そうとしたけど言葉にならない。
それは、目を背けたくなるような真実。
それを明はすでに受け止めているという事実。
・・・それに俺が気づいてあげられなかったという現実・・・
なんだよ・・・
明がこの前倒れて、そのあと回復したのは呪いが解けたからじゃなかったのかよ・・・。
ただただ体力使っちゃっただけなのか・・・
「だからね・・・私少しでも多く・・・思い出が欲しかったんだぁ・・・。」
淡々としゃべる明。
その言葉は、まるですべてを受け止めきったかのように感じられた。
「思い出って・・・。」
「楽しかったよ・・・ここでのデート・・・。・・・デートは、場所じゃないんだね。 ・・・今頃になって分かっちゃったよ。」
「な、何いってるんだよ!」
ようやく声が出た・・・。
「お前な!そんな勝手なことばっかり言うなよ!」
「ごめんね・・・。」
「それだったら、俺・・・俺・・」
やっぱり、何を言っていいのか分からない・・・。
「ありがとうね、昇。・・・でも、昇は優しいから、きっと気を遣っちゃう・・・。 だから、このこと黙ってたの・・・。」
「そ、そんな。気を遣って何が悪いんだよ!!」
「・・・悪くはないよ。でも、悲しみをずっと引きずらなきゃいけない・・・。 最後の最期まで。そんな思いをさせたくないんだよ・・・」
完全に明の体は俺にもたれかかっていた。
もう、明は座っているのも無理のように思えた・・・。
会話すら微妙にかみ合っていないような気さえする。
「昇・・・私、本当に楽しかった・・・幸せだったよ。」
「やめろよ・・・」
幸せだった・・・
俺はその言葉を聞いて胸がいっぱいになる・・・
目が熱くなる・・・
こらえ・・・きれなくなる・・・
「もっと・・いろんなところに行きたかった・・・なぁ・・・。」
「もう・・・やめろよ・・・。」
「もっと・・・そばに・・・いたかったなぁ・・・」
明の声が震え始めた。
あっという間にその震えは大きくなる。
「やめろよ!!!」
俺は、涙を弾き飛ばしながら叫んだ。
「お前な!!過去形で、しゃべるなよ!!終わりみたいな・・・そんな、言い方するなよ!!」
バカみたいに涙があふれ出てくる。
「うん・・・ごめん・・・。でもね・・・最期は・・・。」
明もおんなじだった・・・。
「ここを出るんだろ?!海にだって行くんだろ!!約束したじゃねーか! 海に行くって!!二人で・・・二人で勉強の息抜きするって!!」
「・・・うん。」
「手も滑るかもしれないけど・・・でもそれでも行くって言ったじゃねーか!」
「・・・・・うん・・。」
「それだけじゃない!もっと・・もっといろんなところにも行って、二人で いろんなもん見て、美味しいもん食べて・・・。まだまだいろんなことするんだろっ!!」
「・・うん・・・・・。」
バカみたいに泣けてくる。
どうしようもなく泣けてくる・・・。
「絶対大丈夫だから・・・。どんなことがあっても助けるから・・・。 体が悪いならものすごい技術をもった医者を遠くから呼び寄せてでも、 呪いがかかってるならものすごい祈祷師を呼び寄せてお払いをしてもらってでも、 ぜったい・・・絶対!どんなことをしてでも・・・!!」
「うん・・・うん・・・。」
分かってた・・・。
たとえどんなことを俺が言っても・・・
こいつはこう言うんだ。
「ありがとう・・・昇。でも・・・私、分かってるから・・・もう・・・」
って・・・。
『分かってるから・・・』
何が・・・分かってるんだ!
思わずまた叫ぶ。
「なんで俺の予想通りに言うんだよ!!もっと・・・もっと・・・違う・・・こと・・」
いよいよ言葉にならない。
「ありがと・・・。私・・・こんないい人に愛されて・・・幸せもの・・だな・・・。」
それは明も同じだった。
弱く・・・
弱く・・・
次第に、ろうそくの炎が掻き消えるように・・・
「いま・・・分かったよ・・のぼる?」
「・・・・。」
答えられなかった。
辛すぎて・・・
苦しすぎて・・・
この一瞬すら思い出に変わっていく・・・
そんな残酷さを目の前に見せ付けられて、俺はどうしようもなく・・・泣いた。
「一生分の・・・ね、しあわせを・・・使っちゃったんだよ・・・わたし。 のぼるに・・・あげちゃった。」
たはは・・・と、明は笑う。
・・・今まで、一番力なく。
「わたし・・・最期は・・・笑顔で・・ね。お別れ・・・したい・・・。 だって・・・ドラマとか・・でさ?みんな・・・こう言う・・・でしょ。」
「・・・・。」
「最後には・・・君の笑顔で・・・って。」
「・・・・。」
「・・でも・・・でも・・・・。」
明は・・泣いた。
最後の力を振り絞るかのように・・・。
弱く・・・
弱く・・・
でも、心は俺なんか比べ物にならないほど強く・・・。
「無理・・・だよ。そんなこと・・・」
「あかりっ!!」
俺は今にも横で崩れそうになる明を思いっきり抱きしめる。
両手で強く、どこにも行かないように・・・
と、無理なお願いをしながら・・・
「やっぱり・・泣いちゃうね・・・。私が・・生きている最後の証・・・。 生きたいっていう・・・気持ち・・・。どうしても、あふれちゃうよ・・・。」
明は俺に抱きとめられながら俺の耳元でささやくように弱々しくそう言った。
俺の肩に暖かい染みが・・広がる。
「もういいよ、あかり・・・。しゃべらなくても・・・余計に体力使っちゃう。 ・・・助からなく、なっちゃう・・・。」
「・・・うん、そうだね。・・・ありがとぅ、気を・・・遣って・・そんなこと・・・言ってくれて・・・」
「・・あかり。」
「・・・ありがと・・・。私がし・・ゃっても、泣いてばかりじゃ・・・ダメだから・・・ね。 あたら・・・しい・・・人と・・・しあわ・・・せに・・な・・って・・・」
「・・・・なに言ってるんだよ・・・」
「・・好きなひとの・・・むねで・・・さい・・ご・・を・・ね・・・?」
「・・・あか・・り?」
ゆっくりと、明は下に垂れていた腕を上げて俺の背中まで持って行こうとする。
「ほんと・・・のぼ・・・る・・・」
背中にまで手がもうすぐ届く・・・
「・・・あり・・が・・・」
明の腕が巻きつけられようとしたところで・・・
ストン・・・
力なく下に・・・
決して重力に逆らうことなく。
「・・・・・・。」
「・・・あかり?」
「・・・・・・・・・・。」
「・・・あ・・・あか・・り?」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
「ううっ・・・う・・・・・・あ・・あか・・・り・・・・ううっ・・・。」
俺は・・・涙を押し殺した。
何も考えられない。
いつまでもいつまでも、俺は明を抱きしめ続けた。
・・・このぐったりした体を俺は離すことができなかった・・・。
涙が出てくる。
それでも俺は押し殺し続けた・・・。
でも・・・頬をつーっと伝うのを止めるのは・・・できなかった・・・。
「あ・・あかり・・・ううっ・・・うっ・・・。」
いつまでもそうしていることしか・・できなかった・・・。
しばらくして、なかなか帰ってこない俺達を心配した母さん達が俺達を見つけた。
母さん達は、
「そう・・・やっぱり・・・うっ・・・」
そう言って、泣き崩れた。
俺はその場に耐えられなくなり・・・明の病室に戻った。
そこにいるはずもないのに・・・
もう明は何処にも・・・
ガチャリ
『のぼる!来てくれたんだね!』
「・・・・・・。」
・・・ドアを開けるとそこには・・・誰もいなかった。
俺はベッドのところにまで行く。
静かな病室。
誰も寝てないベッド。
俺はそこにたどり着くと、懐かしいような感覚に襲われた。
ついさっきまでここにいたはずなのに。
途端に・・・何とか止めていたものがあふれ出す。
俺はついに耐え切れなくなり、大粒の涙を流した。
「ううっ・・・・・あか・・り・・・」
始めはぽろぽろとしたものだったが、一気にまるで滝のようにあふれ出てくる。
「うぁぁ・・・・。ううっ・・うっ・・・・・ぁぁぁ・・」
これ以上はこらえ切れなかった・・・。
そのまま崩れ落ちるようにベッドに顔をうずめて・・・泣き叫んだ・・・・。
「うわぁあああああああああああ!!!」
シーツを引っ張る。
・・・明のやわらかい匂いのするシーツ・・・。
その匂いに俺は、明がいなくなってしまったということをついに実感してしまった。
さらに、涙があふれてくる・・・
「うううっぁぁぁああああああ!」
しばらくして落ち着いたころ、俺はそのベッドに寝てみた。
「あかりは・・・こんな景色を見てたのか・・・。」
ふと横を見てみた。
すると、ちょうど枕の位置からしか見えないところの棚の部分に紙がおいてあるのが目に付いた。
おれはそれを取って見てみる。
二つ折りにされたその紙には、明の文字が書き込まれていた・・・。
みんなへ
こう言うのって、よくドラマであるよね。こんなことするのってウソだ、って
思ってたけど、自分がしてるとなんとなくそういう気持ちも分かってくるような
気がするよ。不思議だね。
石を壊すことができなかったから、きっと呪いは解けてない、そう思ったの。
だからこの手紙を残します。みんなが見ることなく、この手紙が使命を果たす必要なく
すべてがうまくいくといいんだけどなぁ。
いきなりだけど、みんな、本当に今までありがとう。私はすっごく幸せでした。
皆さんにもらえた分、いや以上の幸せをみんなに与えることができたのか、
ほんと不安。もらいっぱなしっていうのはよくないもんね。
私が死んでしまったあと・・・たまには私のこと、思い出してね。
でないと化けてみんなの前に出ちゃうから。別に毎日思い出して、なんて
贅沢は言わないよ。
忘れられるのがすっごく怖い。私が生きてきた証は何も残らずに
どんどん時代が流れていっちゃう。そんなのはいやだよ・・・。だから
お願いします。
あと、昇。死んだ彼女に操なんか立てずに、私よりもいい人見つけて幸せになってね。
・・・な〜んてこと言うはずないよ。私しか幸せにできない自信があるんだから。
って、こんなことここで書くことじゃないよね。たはは・・・
じゃあみんな、お父さんお母さん、眞子おばさん、おばあちゃん、美香ちゃん、雪ちゃん、
春日くん、井上くん、そして昇。みんな本当にありがとう。
これ以上ないほどいろんなものをもらえて、みんなには感謝しても感謝しきれません。
でも・・・もし叶うのなら・・・未来を知りたかった。どんな風になるのか、
みんなと同じ時間をもっとたくさん過ごしたかったよ。それにね、』
手紙はここで終わっていた。
俺はその手紙を胸に抱いてベッドの上で横になる。
仰向けになって、目を閉じる。
深く深く・・・もう思い出の中にしかいないあいつを思い出す。
笑っている姿、怒っている姿・・・
閉じた瞼からひとしずく、つーっとこぼれる。
・・・俺はそのままでいた。
いつまでも・・・
いつまでも・・・・・・
明のことを考えながら・・・
その手紙の先を予想しながら・・・
・・・いつか俺もこうなることを胸に抱きながら・・・
Fin?
出展「むぅのいえ」
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