青の騎士ベルゼルガ物語2
はま まさのり
はままさのり
本名・下河内ひさと。昭和38年生まれ。福岡県出身。法政大学中退。在学中からライターを志し、MBS系TVアニメ「超時空騎団サザンクロス」でシナリオライターとしてデビューする。ソノラマ文庫収録作品に「青の騎士ベルゼルガ物語」全2巻、「青の騎士ベルゼルガ物語「K’」」「青の騎士ベルゼルガ物語絶叫の騎士」がある。
幡池裕行(はたいけ・ひろゆき)
昭和36年生まれ。東京都出身。「デュアルマガジン」誌でデビュー。以後、みのり書房、東京創元杜等の刊行物でイラスト執筆中。
青の騎士 ベルゼルガ物語2
眼前に、俺が追い求めていた黒き炎が立ち尽くしている。あと一動作だ。トリガーにかけた指に力をこめれば、それですべてが終わる。だが、俺は撃てなかった。黒き炎が放射する凄まじい威圧感に圧倒されていたのだ。金縛りにあった俺に、ホイールドッグどもが電撃ロッドをふるって襲いかかってきた。機能の大半を停止させられたベルゼルガに、黒き炎が止《とど》めのアイアンクローを振り下ろす。
ミーマの部隊に辛じて救出されたものの、俺は重傷を負い、ベルゼルガは手ひどい打撃を蒙っていた。だが何よりも、俺は精神的に打ちのめされていた。黒き炎の威圧感の源を突き止め、対抗しうる武器を入手しないかぎり、復讐は成らない。焦り、のたうつ俺の前に、徐々にではあるが、黒き炎と異能結社の恐るべき謎が明らかになっていった。――『装甲騎兵ボトムズ』の世界に構築した衝撃のインサイド・ストーリー完結編。
[#地付き]日本サンライズ
[#地付き]絵・幡池裕行
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目次
CHASE 5 BLUE IN BLUE
CHASE 6 RESPITE
CHASE 7 POTENTIAL
CHASE 8 EXPLOSION
CHASE 9 BERSERGA
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アストラギウス暦7213年……停戦
暗く澱《よど》み、重苦しくのしかかる空気、
街には退廃という言葉がよく似合う。
アストラギウス銀河をふたつに割った百年戦争は決着のつかぬまま停戦した。
人の心はすさみ、
軍からあぶれた兵士達は、
戦うこと以外、生きるすべを持たない。
この俺、ケイン・マクドガルも
そんなボトムズ乗りの一人だった……。
闇、数条のスポットライト。
四方を囲む鋼鉄の壁。
数百名もの男の喰い入るような視線。
戦争は終わってはいない。
少なくともボトムズ乗りの中では……。
それがバトリング。
百年戦争の亡霊は、
今日も闘技場に血を求めて姿を見せる。
――シャ・バック――
そこで友は死んだ……。
虚脱感と復興。
雑踏。
数多くのエネルギーが渾然一体と化した都市。
名はアグ。
研ぎ澄ました感覚だけを頼りに歩く――。
そこには探し求める奴がいた。
――|黒き炎《シャドウ・フレア》
今は亡き友の仇敵《カタキ》、クリス・カーツ。
渦巻く殺意をみなぎらせ、
奴の銃口は俺を捉えた。
アストラギウス暦7215年、そして……
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CHASE 5 BLUE IN BLUE
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黒い機体が疾駆する
アイアンクローの一振りが鋼鉄を裂く
――閃光――
――爆煙――
――紅蓮の炎――
だが、聞こえるものは心臓の音だけ
兇悪な獣は、まだ息を潜めたまま――
[#ここで字下げ終わり]
あと一動作だ。トリガーに掛かった人差し指を絞り込みさえすれば、俺の目的は完遂される。
今、ベルゼルガの眼前には、俺が追い求めていた宿敵、|黒き炎《シャドウ・フレア》が立ち尽くしているのだ。いかにも無防備な姿で。
――撃て!
――撃つんだ!!
意識だけが先走る。だが、指先は頑《かたく》なに動作を拒む。まさに、肉食獣に睨みつけられた小動物の様相だ。俺の精神から独立して、肉体は|黒き炎《シャドウ・フレア》のみが持つ凶悪な威圧感の下にひれ伏せられているのだ。
金縛りに遭《あ》ったような感覚だ。
恐怖ではない。この俺、ケイン・マクドゥガルは、今まで幾度となく極悪非道なボトムズ乗りどもとのバトリングを繰り返してきた。生命を懸けた戦いも数多くこなした。そして、肉体はいつの時でも精神に忠実だった。
だが、今は違う。
黒き炎から発せられる威圧感は、人知を超越した……そう、神の領域に迫るほどのものなのだ――理性の範疇《はんちゅう》で最高に研ぎ澄まされていた知覚が、そう叫んだ。
呼応して、俺の内でどろどろと流れる怨念《おんねん》が喚《わめ》く。
〈奴はシャ・バックの仇敵《かたき》だ〉
それは、良く判っていた。硬直した指先を奴の呪縛《じゅばく》から解き放つ術さえあれば、復讐は可能だ。だが、醒《さ》めている全知覚を動員しても、勝機は見出せない。
鋭い視線が、ベルゼルガの四メートルはある人型の機体を舐《な》める。
鋼鉄の腕を――
鋼鉄の脚を――
そして、コクピットの内で数多くの計器類に包まれている俺を粉《こな》微《み》塵《じん》になれよとばかりに貫き通す。
「蛇の生殺し」という言葉が脳裡を横切る。そうだ、今俺の置かれた状況は、まさにそれなのだ。|黒き炎《シャドウ・フレア》を追って、メルキア星北部の階層都市アグ≠ノ辿りついた俺は、第三階層の闘技場で今は亡き友の仇敵の一人、オウラ・ニガッダを仕留めた。そこへ奴、黒き炎が現れたのだ。
だが、俺は愛機ベルゼルガを微動だにさせられない。
しかも、周囲には、対峙したベルゼルガと黒き炎を見守るように、人型戦闘兵器がたたずんでいる。軍警用|A・T《アーマード・トルーパー》、ホイールドッグどもだ。奴らは黒き炎の命令ひとつで、いともた易く、俺を殺しにかかることだろう。それが何秒後か、何分後になるのか、俺には判るはずはない。
「愚かな……愚かな男よ、貴様も」
突然、通信器の向こうから無表情な、それでいて張りのある声が入ってきた。黒き炎のパイロットの声であることは間違いがない。俺を縛りつけている呪縛と同等の威圧感を含んだ声なのだ。
奴の姿がゆらりと蠢《うごめ》いた。
モニターに映し出された画像には何も変化はない。奴の左腕に装備された、銀色に鈍く輝く大型の爪アイアン・クロー≠焉A頭部で発光を続ける縦長センサーも。そして、ベルゼルガをふた回りも大きくしたような、その漆黒の機体も、微動だにしていない。
コクピットの装甲板越しに奴の気配が感じられたのだ。殺気を遙かに超越した気配だ。
恐怖以外の何ものでもない悪寒が背筋を走る。
〈叩き殺してやる! 黒き炎ッ〉
そう叫びだしたかった。トリガーを引き絞りたかった。だが、絶叫は声にならない。
黒いA・Tの胸に、突然すっと淡い光の線が入った。それは、ゆっくりと面積を広げ、光の帯となった。計器類の光が黒い機体から溢れ出しているのだ。
奴がコクピットを開く。
擂《すり》鉢状の客席でオウン、オウンと呻《うめ》き声のような喊声を発していた観客が、一斉に口をつぐんだ。闘技場が静まり返る。この都市の観客どもにしても、黒き炎のパイロットを直《じか》に見るのは初めてのことなのだろう。
気をもたせながら黒いA・Tのコクピットが開いていく。軋み音ひとつ立たない。
コクピット・ハッチが天を指して開いた。
黒き炎のパイロットが立ち上がった。ヘルメットを静かに脱ぎ去ると、漆黒の直毛がさわと揺れた。
今、黒き炎の後方にある通路から射し込む光によって、パイロットの姿はシルエットにしか見えない。だが、その顔、体つき、そして雰囲気には憶えがある。あのコボトの街でシャ・バックを無残に撃ち殺した男、クリス・カーツだ。
奴はじっと俺を見据えたまま、眉ひとつ動かさない。
客席から、闘技場全体を包み込むような重苦しい嘆息が洩れた。
クリスの肩口で何かがびくっと脈動したのだ。それは、肩まで届いた長い髪を分かって首筋の辺りからA・Tのコンソール・パネルに伸びた一本のワイヤーコードだ。いや、肩口だけではない。奴の関節からコンソール・パネルに向かって伸びた何本ものワイヤーコードが、あたかも人間の血管のごとく脈打っているのだ。
「貴様は、ここで死ぬ」
計器類の淡い照り返しを受けて、奴の口許がかすかに動いた。
指先に精神を集中する。指先が滑り、トリガーから外れた。グローブの中でだ。いや、指先だけではない。操縦桿を握った掌そのものが、グローブの中で滑る。
ベルゼルガのコクピットに温度調節装置はない。だが、俺の全身を包んだカーキ色の耐熱耐圧服は、いかなる戦闘に際しても一滴の汗をも流させてはくれないはずだ。だが、重い汗が蛇のように絡みついてくる。それでいて、身体《からだ》の芯は凍《い》てつくように冷たい。
モニターの中でクリス・カーツが軽く右腕を上げた。うねり続ける肩口と後頭部からのワイヤーコードが、まさに意志があるかのように絡みつく寸前で相手をかわす。
髪が揺れ、クリス・カーツの顔の中央に黒子《ほくろ》が見えた。それこそが、俺を捕らえて放さない呪縛の元凶なのかもしれない。それを中心にして、異様な気配が渦巻いている。
クリス・カーツが、右腕を薙《な》ぎ払うように振った。
一斉に、ホイールドッグどもの頭部にある三連ターレットレンズのひとつ、赤外線センサーが不気味に発光した。
クリス・カーツの指先が、ベルゼルガを指す。あたりで、A・Tの走行用車輪《グライディングホイール》が金属を削り取って発する甲高い唸り声が聞こえた。
ホイールドッグどもが、急接近を始めた。
二〇機だ。手には一メートルほどの電撃ロッドが握られている。
戦意が走る。だが、俺の肉体はそれに導かれた動作をしようとはしない。
二〇機の電撃ロッドを一斉に叩き込まれようものなら、ベルゼルガの機器の耐性を越える。戦闘情報を記憶したミッションディスクも同様だ。すべてのデータが失せるだろう。
そして、俺の命も――!
――俺は黒いA・Tと戦わずして果てるのか――
悔恨が全身を駆け巡る。
足元からシートを伝って、振動がよじ登ってくる。ホイールドッグどもの接近する感触だ。ドウ、ドウと雪崩込んでくる、怒《ど》濤《とう》の如きA・Tの足音だ。
だが、それにもまして、自分の心臓の音が異様に高く聞こえる。
バラバラに聞こえていたグライディングホイールの咆哮がひとつにまとまった。
ベルゼルガの機体が振動し、衝撃が貫く。
機体が奴らの間で舞う。俺は腹部をしこたま操縦桿ユニットに叩きつけられた。
コンソールにスパークが走った。
コクピットの左右にあるケーブルがちぎれ、先端にスパークが散る。チカチカと閃光が舞う。
機体も放電を始めた。
モニターの映像が、瞬間的に機体チェックモードに切り換わる。そこに表示されたゲージの大半が支離滅裂に点滅を繰り返す。
機能の大半が死んでいた。
マッスル・シリンダー内の温度を示すバーグラフは、一〇〇度を越えた辺りで消失した。ポリマーリンゲル液の沸点は、とうに越えている。
今、ベルゼルガの機体は関節からオーバーヒートの白煙を噴き上げているに違いない。
俺もオーバーヒートだ。
全身が麻痺している。手足が痙攣《けいれん》したように震える。激しい嘔吐息とともに内臓が悲鳴をあげ、背筋が数度小刻みに反《そ》り返った。
そして、口から血塊が噴き出した。血の匂いがコクピットに充満する。
霞のかかったような視界に、モニターのなかで円陣にまとまったホイールドッグどもの映像が入る。
――止《とど》めを刺すつもりか……!?
渾然《こんぜん》一体となった殺気が俺を包んだ。
コクピットが、ガクッと右下方に傾いた。錆《さ》びついた蝶番《ちょうつがい》が軋むような音とともにだ。重く鈍い接地音が響く。ベルゼルガが自重に耐え切れずに膝を折った。
突然、その有り様を冷徹に見守っていたホイールドッグの円陣が分かれた。ベルゼルガの前方で二機のA・Tが、素早く退いた。
前方にクリス・カーツの青白い顔が見える。地上ではすでに太陽が沈んだのだろうか。階層都市の内側に外光を採り入れるためのファイバーケーブルを通して通路の向こうから射し込んでいた赤い光は、途絶えていた。ただ、闘技場のフェンスに立てられた数十基のスポットライトだけが俺たちの姿を照らしている。
薄暗闇の中で、機体の縁だけが白く輪郭《ディテール》を浮き上がらせている黒いA・T。そのコクピットに立つクリス・カーツが全身にまとった黒と紫紺の耐圧服は、スポットライトの中で奇妙に調和した光沢を見せる。
クリス・カーツが右腕を振り上げる。
右腕から伸びたワイヤーコードが大きく弧を描いていく。手首と肘に繋《つな》がったコードが、奴の肉体から放出される生体エネルギーを具象化するような二重の半円を形づくり、止まった。
闇の中に溶け込みそうな影の部分で、奴がニヤリと笑ったような気配がする。
黒いA・Tの左腕。その先端が、一瞬スポットライトの光を反射し、白く輝いた。アイアンクローが空気を切り裂いて鋭く開閉したのだ。
そして、蓄《た》め込んだエネルギーを少しも逃がさぬよう、ゆっくりと黒いA・Tの右腕がヘビィマシンガンを持ち上げていく。大型の――そうだ、スタンダードタイプの倍はバレル長があろうかという、ごついヘビィマシンガンを――だ。それは、ベルゼルガに銃口を向けると、ピタリと止まった。
俺にとって、何度目かの、そして初めて確実さを伴った死の瞬間が近づいていた。
ホイールドッグどもが、左右二隊に分かれて整列し、葬送の隊列を組む。
クリス・カーツの右手首から伸びたワイヤーコードがキンと震え、闇のなかで煌《きらめ》いた。
轟音とともに、奴のヘビィマシンガンが紅《ぐ》蓮《れん》の炎を噴き出した。火線が闇を切り裂いて伸びる――高速で!!
ズン――不確かな振動が右腕から伝わってきた。機体以外の個所に弾丸が命中したようだ。右腕に握ったヘビィマシンガンの薬室の辺りが、ごっそりと削《そ》ぎ取られている。
次の瞬間、ヘビィマシンガンが手の中で爆発した。閃光がコクピットの吸気口から侵入し、血のこびりついたコンソールを闇のなかに浮かび上がらせた。
そのショックでベルゼルガの右手首が引きちぎられるように爆発した。唯一砕け散らなかった手の甲は、高熱で焙《あぶ》られ、ささくれ立った。
いたぶりぬいて、その上で殺すつもりなのか。
――貴様の言いたいことは判っている。貴様の後を追い続けた者は皆、万死に値するというわけだ。それも極限にまで恐怖を味あわせてからの死だ。そうだ、これが貴様の処刑方法なのだ。
シャ・バックもそうだった。
シャ・バックは奴の手で亡骸《なきがら》も残らぬほど、銃撃を受けた。
脳裡に、血溜り――シャ・バックの残骸とも呼べぬ屍《しかばね》のイメージが浮かぶ。
「シャ・バック……」
口からかすかに言葉が洩れた。
その時、怨念が全身を支配した。怒りが体内を駆け巡る。瞬間、感覚の死んでいた指先が、わずかに動いた。
動けるのか……!?
動けるのならば、まだ戦う術《すべ》はある。
恐怖をなにかが覆い隠した。
戦えるならば死をも恐れない。それが俺たちボトムズ乗りだ。一握りの希望にでも生命を投げ打つ。
だが、それとは感覚が違う。戦うためではなく、生きるためでもなく、怨念によるものでもない。なにか別の目的のために、肉体が動き始めていた。
ゆっくりとだが、確実に、硬直していた右の指先が伸びていく。掌全体が開く。肘が軋みながら曲がっていく。
全身の力が右腕に集中する。それが、瞬間的に四散した。
黒いA・Tが発射した弾丸が左腕を貫通したのだ。内側の装甲板一枚を残して、左腕上部は抉《えぐ》り取られた。左肘から先がちぎれて落ち、地表で乾いた音を立てる。
黒いA・Tの銃口が、再び、わずかに移動した。
俺は構わず、自由を取り戻した右腕を、左の固く握り締めたままの左拳にやった。指先は掌に喰い込んでいる。親指を右手の指先でつまみ、引き剥がす。
冷たい――身体の芯《しん》にまで伝わる鈍い音とともに、指が開く。指先がびくんと震えた。
呻《うめ》き声がひとつ洩れる。
その時、轟音とともに眼前で何かが弾けた。次いでベルゼルガの右腰から振動が伝わってきた。銃弾が右膝にマウントされた増加装甲板を貫き、跳弾が右腰の装甲板を砕いたのだ。
次いで左腰の装甲板が根元から撃ち抜かれ、ゴソッと地表に落ちた。腰の一部が削り取られ、露出したマッスル・シリンダーから濁ったポリマーリンゲル液が血|飛沫《しぶき》のように噴き出す。
俺は残る四本の指を同様に引き剥がすと、左手首を強く握り、シートの左側に突き出しているパイルバンカーの作動レバーに向けた。だが、硬直したままの左肘はギシギシと音を立てるだけで伸びようとはしない。
まだ痺れの残っている身体をゆっくりと回転させ、左腕全体をレバーに寄せる。そのまま左手首をレバーの突端に被せる。指を一本一本折り、絡《から》みつかせる。そして、右手で掌を覆ってみる。
確かに人差し指はレバーの突端についたロック解除ボタンを押している。このまま引けば、パイルバンカーは作動する。
すでに今、ベルゼルガにはパイルバンカー以外の武器は残されていないのだ。
左脚部から鈍い振動が伝わってくる。ポリマーリンゲル液を噴き出したマッスル・シリンダーが動力を失ったのだ。金属の軋むもの悲しい音とともに、機体のバランスが左側へと崩れ、微妙なバランスを保って止まった。
鋭い視線が俺を貫いた。同時に幾千もの乾いた視線が集中した。
黒いA・Tのヘビィマシンガンが、ベルゼルガのコクピットに向いたのだ。銃口は確実にコクピットにいる俺を捉《とら》えている。
「死ね」
クリス・カーツの重い声が聞こえる。
「……、違う、貴様が……死ぬんだ」口から言葉が洩れた。「俺はまだ、シャ・バックヘ……借りを返していないッ」
絶叫が口をついて出る。
瞬間、ひときわ大きなスパークがコンソール・パネルの上を走った。
身体の芯に熱いものが湧き起こってくる。ひとつの言葉がイメージの形で脳裡に浮かぶ。
――破壊――
機体が振動を始める。機体の各部分から、ギシギシという稼動音が聞こえる。コクピットが上方へと動き始める。地表を踏みしめた両脚の感覚が、自分自身の感覚として感じられる。
そして、ベルゼルガは各関節から回路のショートする閃光を発しながら立ち上がった。両腕を開き、伸ばした左腕と平行に、パイルバンカーを構えた。
そうだ、ベルゼルガで今は亡きシャ・バック得意のファィテングポーズを取ったのだ。帯電のショックでミッションディスクの中にあった、シャ・バックの個人用戦闘プログラムが作動したものに違いない。ベルゼルガそのものがシャ・バックを忘れてはいないのだ。
「ベルゼルガ、破壊するんだ! 奴をッ」
頭の中でわだかまっていた、破壊という言葉が口をついて出る。身体の中で、怨念以外の情念が、蠢き始めていた。しかも、まだ中途半端な――。
その情念の赴《おもむ》くまま、俺は右手で操縦桿を握り、全体重を掛けてアクセルペダルを踏み下ろした。
足元でグライディングホイールが吼《ほ》えた。激しいGとともにベルゼルガの機体が黒いA・Tに向かって高速で移動する。
俺はベルゼルガの左腕を振り上げさせた。目標はただひとつ、黒いA・Tのコクピットだ。
だが、クリス・カーツはコクピット・ハッチを閉じようとはしない。眉ひとつ動かさずに俺を凝視している。
機体を大きく左に振り、パイルバンカーを構える。
黒いA・TをはじめとするA・Tどもは、微動だにしない。いや、俺を悪魔の罠《わな》に誘い込もうと待ち構えているようにも見える。
あと三メートル。
俺は左腕にあらん限りの怨念を込め、力をかける。左肩が大きく後方へ退いた。だが、腕は肘を支点として力なく伸びるだけで、レバーを引こうとはしない。
あと二メートルと迫った。
黒いA・Tがヘビィマシンガンを投げ捨てた! 両腕をベルゼルガの肩に叩きつける。
機体が止まった。
グライディングホイールが空転する。一歩も前へ進まない。
手も足も出せない俺を尻目に、クリス・カーツはゆっくりとシートに腰を下ろした。同時にコンソールの脇からドロドロとゲル状の液体が染み出してきた。徐々にコクピットを満たしていく。
クリス・カーツは、頭領部からワイヤーコードの伸びたヘルメットを被ると、軽く左にヘルメットを振る。固定したことを確認すると、ハッチを閉じた。
車のボンネットフードにも似た、分厚いコクピット・ハッチがベルゼルガの頭部カメラを舐《な》めるように閉じていく。異形の頭部は、五〇センチ程上から、ベルゼルガを見下ろしている。
シューという、空気の洩れる音とともに黒いA・Tの脇に設置された排気口から、緑色の蒸気が抜ける。頭部の縦長センサーが黒から緑へと変わった。
黒いA・Tが左腕を大きく振り上げた。頭上で拳が強く握り締められる。奴は、叩きつけるように上腕部から突出した巨大な鉤型《かぎがた》の爪――アイアンクローを振り下ろした。
ゴソッと頭部バイザーが失せる。ちょうどバイザーの裏側にあった覗き窓の上部がぐしゃっと崩れる。俺の鼻先で風が流れ、覗き穴の中央辺りの上端と下端が溶接されたように密着する。垣間見ると、アイアンクローはコクピットハッチの上にも大きく傷を入れている。
だが、今、恐怖はなかった。ただ破壊という何処《どこ》からか湧き上がってくる凶悪な本能の叫びに裏づけされた、強力な怒りだけがあった。
俺はヘルメットを投げ捨てると、右腕で左の操縦|桿《かん》を握った。右の操縦桿を押さえた右肘を支点に引き起こす。
素早く右手をレバーにやる。コンソール上でちぎれて踊っていたワイヤーのひとつが、右肩に絡みついた。肩口で放電《スパーク》が飛ぶ。
構わずレバーを引く。
肩の筋が嫌な音を立て、激痛が走った。
苦痛に歪んだ視界のなかから黒き炎の姿が失せた。電光の鋭さで突出したパイルバンカーは、むなしく空を切った。
だが、黒いA・Tが一歩、後方に退いた。わずかだが、奴が驚いたのだ。
どよめきが客席から起こった。客どもにとって、黒いA・Tは力が鋼鉄の鎧《よろい》をまとって姿を現したものであり、揺るぎない勝利を確信させるものであったのだ。リアルバトルにしか姿を見せず、そして、奴を相手に一〇分以上保った者はいないといわれる|黒き炎《シャドウ・フレア》。奴こそ無敵の象徴なのだ。その鉄壁にも似た威厳の一端に、俺は今、鉄槌の一撃を下したのだ。
客席から大コールが巻き起こる。
――奴を殺せ!
――|青の騎士《ブルーナイト》を叩き殺せ!
コクピットにわだかまる喊声を耳にしながら、俺は機体を翻らせた。ぎごちない動作で、ベルゼルガは黒いA・Tの方向を向く。
黒いA・Tが俺に向かって歩き始めた。
右腕を操縦桿へ戻そうとする。だが、動かない。激痛が肩の辺りから湧き上がってくるだけだ。左腕に続いて、右腕も死んでいた。
俺は操縦桿に噛みつくと顎でそれを押した。なにがここまで俺を衝《つ》き動かすのか? そんなことはわからない。だが、確かに復讐の執念があった。
金属のステーが顎の肉に喰い込んでくる。骨の付け根がギシギシと軋み、顎がぬるっと滑る。肉が弾け、血が流れ出しているようだ。歯茎にも血がにじみ、鉄臭い匂いが口の中で次々と弾ける。
奴を殺すんだ――
奴を破壊するんだ――
ふたつの意識が交錯するなか、俺は操縦桿を押し切った。ベルゼルガの機体がゆっくり歩き始める。
黒いA・Tがグライディングホイールを全開にして駆け出してくる。
奴が迫る。
俺は上半身をパイルバンカーのレバーに覆い被せ、身体を絡みつかせるようにしてレバーを引く。
視界が暗転し、背筋を上から下に貫く振動が走った。
手応えはあった。遂に俺のパイルバンカーは奴の機体を貫いたのだ。
俺は勝利を実感していた。しかし、背を伸ばし、覗き穴の向こうを見やった時、俺は驚愕した。命中したはずのパイルバンカーの先端が折れているのだ。奴のボディには傷がつき、あのゲル状の液体を流しているだけで致命傷に到ってはいない。
口から失望の嘆息が洩れた。
轟音とともに足元で疾風が巻き起こった。コクピット・ハッチの下半分がごそっと失せた。アイアンクローが削り取ったのだ。
ベルゼルガがガクリと膝をつく。
素通しの足元からグライディングホイールの金切り声が聞こえた。あたりのホイールドッグがベルゼルガに銃を向けた。
俺はこの矢尽き、刀折れたベルゼルガをどう操作すればよいのだ――!?
口に出したくはない、凄じい敗北感が全身を舐める。だが、頭の一部分で破壊の虫は喚き続けていた。それは、殺意を越えた破壊欲だ。それだけが、前方の黒いA・Tの姿を俺に見続けさせていた。
黒いA・Tがヘビィマシンガンを構えた。
重苦しい沈黙が俺の周辺で立ち込める。客席の観客どもはこぞって葬送行進曲を歌い始めた。
黒いA・Tの指先がギリギリとトリガーを絞り始める。その時だ。闘技場の上空でかすかな閃光が走った。五〇〇メートル上方から塵埃《じんあい》が雹《ひょう》のように降ってくる。都市構造材が崩壊したのではない。天蓋《てんがい》の一部が崩れたのだ。灰のように細かく砕かれた塵埃《じんあい》しか降らないところをみると、軍の破壊工作用高精度爆弾を使用したようだ。しかも、人為的に――!
ホイールドッグどもが、ざわついた。俺が動けぬことを確信しているのか、上空に向けてヘビィマシンガンを構える。途端に右側のホイールドッグが上方から鈍器で叩き潰されるようにへしゃぎ、爆発。次いで左側のA・Tも同じ有り様を経て爆発した。
爆煙にはかすかに鉄錆の匂いが混じっていた。
黒いA・Tが後方の通路へ向かって退いていく。追え、と脳の奥で破壊の虫が騒ぐ。だが、肉体は俊敏には反応しない。
スラスタージェットの重いターボファンが回転する音が聞こえ、それらを打ち消すように爆音が聞こえる。ヘリのローターが唸《うな》る音だ。大型運搬用ヘリが一機、闘技場に向かって降下しているのだ。
そして、ヘリを囲むように五機のA・Tが降下してくる。頭部として独立した三連スコープレンズを装甲板で被ったA・T、ライジングトータスだ。
流れ者の興行師《マッチメーカー》、いやギルガメス軍情報部中佐、ミーマ・センクァーターの率いるA・Tどもだ。
奴らは下半身に装備した推進機を全開にして降下してくる。ノズルは白く輝く噴射炎を吐き出している。明らかに従来までのA・T用浮用器バケツ≠ニは異なる装備だ。推進機はA・Tの両脚に独立して装備されている。
――何故、奴らがここに?
だが、問うているゆとりはない。黒いA・Tが視界から失せてしまう。俺は操縦桿にしがみついた。
一方、ホイールドッグどもは上空に向かって射撃を開始した。
轟々と銃口から火線が飛ぶ。だが、ライジングトータスは音を立てて迫る弾丸を左右にかわす。推進機の側面から赤いバーナー炎を噴き出しながらだ。従来のバケツにはない高機動性だ。
弾丸をかわして降下しながらライジングトータスはその腕に持った大型銃を撃つ。白熱した火線が伸び、凄じい衝撃とともにホイールドッグが叩き潰され、爆発する。
ソリッド・シューターだ。あの電磁誘導によって弾体を射出する大型火器をライジングトータスは使用しているのだ。
客席にもソリッド・シューターを撃ち込む。スポットライトのガラス面を弾き飛ばして四散、瞬時のうちに闘技場を闇が包んだ。天蓋に開いた爆破口から射し込む第二階層の薄明かりだけが唯一の光源だ。
客席は阿鼻《あび》叫喚《きょうかん》の地獄絵図と化した。観客は喚き、叫び、極光《オーロラ》のように閃光の揺れる中を狂ったように会場に跳び出してくる。
理事長がオーナーズ・シートからマイク片手に駆け出し、客を静めようと喚く。だが、ヘリの爆音にまぎれて客の耳に入りはしない。突然、理事長は俺の方へ向かって駆け出してきた。
「貴様がッ」
理事長が俺に向けて銃を構える。二四型アトミック・マグナムだ。
「この会場も、もう終わりだ。貴様は私の地位も名声も金も、すべてを奪ったのだ!」
狂ったように理事長が叫び、泣き言を言う。
「貴様がこの街に現れたから、こんな事になったのだ」
理事長の指先に力が込もる。
突然、理事長の頭が弾け飛んだ。破片が一瞬のうちに燃え尽きる。ライジングトータスから撃ち出されたソリッド・シューターが命中したのだ。
その弾体を射出したライジングトータスが、俺の後方に降下する。
「生きているのかッ――」
パイロットの声が、通信器から聞こえる。奴はベルゼルガの頭部から覗き込む。
「ひでえ……だが、まだ生きているな」
パイロットが洩らした声が聞こえた。
だが、俺の視線は通路の脇で立ち尽くす黒いA・Tの姿を捉えたままだった。
視野のなかに、次々とライジングトータスが降り立つ。ホイールドッグどもは跡形もなく爆裂し、失せていた。
着地と同時にライジングトータスの脛《すね》の装甲板が下方に開いた。その先端には一二インチ程度の車輪が設置されている。
補助車輪か――。
いや、それだけではない。脛の後方にジェットノズルがせり出してきた。陽炎《かげろう》のゆらめきとともに赤い炎が噴き出す。途端にライジングトータスは矢のように黒いA・Tに向かって突進を始めた。
「待て……そいつは俺が倒す……」
俺は重心を操縦桿にあずけて、ベルゼルガに作動命令を出す。左腕の盾を支えに、ベルゼルガは全身から白煙を噴き上げながら、立ち上がる。
その時だ、波長の短い衝撃がコクピットに走った。大型輸送ヘリから射出されたアンカーが、ベルゼルガのハッチに突き立ったのだ。
「逃げるんじゃ、ケイン」
第二階層のマッチメーカー、ネイル・コバーンのしわがれた声が通信器を通して入ってくる。
「なぜ、あんたがここに?」
かすれる声で俺は訊いた。
「そんなこと、後でいい。今は逃げるんじゃ」
「そうだ|青の騎士《ブルーナイト》、奴《シャドウ・フレア》がこの街にいることが判っただけでも、今は充分ではないか」
コバーンの声に次いでミーマの声が入ってくる。
「奴は俺の獲物だ。俺がやる」
衝撃的なライジングトータスの力を見せつけられたためだろうか、それとも目標を持った破壊衝動の故意なのか? 俺は敗北を確信しつつも、ろくすっぽ満足に動かぬ肉体をまだ戦わせようとしていた。
ライジングトータスどもがあと二〇メートルと迫る。それを待っていたかのように黒いA・Tの頭部センサーが緑から赤に変わった。鋭く発光する。
野獣の如き咆哮をあげ、黒いA・Tの機体が高速で移動した。足元で鋼鉄の地表が削り取られる。ライジングトータスが放ったソリッド・シューターの弾体が機体の上面に激突! だが、機体表面に光の波紋だけを残して弾き飛ばされる。
奴は左腕を脇に構えた。それに触れた厚さ二〇センチの鉄板でできた衝立がミキサーに巻き込まれたように砕け、高速で走行する奴の後ろに塵埃のマントを羽織らせる。
黒いA・Tは最も手前のライジングトータスに肉食獣の素早さで迫った。
半月形の光の弧を残してアイアンクローが振り下ろされる。
突然、ライジングトータスの動きが止まった。光の弧の縁で機体が上から下へひしゃげるように裂かれていく。ふたつの鉄塊と化した機体の間でパイロットの身体が舞う。そして、爆発!
黒いA・Tを包み込むように火炎が渦を巻いた。
その隙を突いて一機のA・Tが客席の脇から飛び出してきた。黒と黄に塗装された球を基調としたデザインのバララントA・T。ファッティトだ。
「ケイン、早く逃げるのッ」
ファッティーの女パイロット、ロニーの甲高い声が聞こえる。
ファッティーはベルゼルガの背部に両腕をかけ、背部のスラスターノズルを吹かして上昇する。ベルゼルガを抱えたまま、上方に大きく開いた大型ヘリのコンテナヘと入っていく。
同時にカラカラというワイヤーを巻き込む音がした。ウインチでベルゼルガを引き上げているのだ。
いつの間にか、頭のなかで小うるさく羽音を立てていた破壊の虫も息を潜め、俺は固《かた》唾《ず》を呑《の》んで遠ざかる黒いA・Tを見詰めていた。
奴は燃え上がる炎のなかで次の標的を探っていた。
「脱出するぞ!」
ミーマの叫び声が聞こえる。
だが、それはもう遅かった。黒いA・Tは炎をまとったまま腰の位置で水平に銃を構え、射撃を開始した。
まず、フェンスの一端に命中、衝撃で半径五メーター以内が塵芥に帰した。次いでライジングトータスが爆裂。まさに、爆裂という言葉がふさわしいだろう。命中と同時に機体はその姿を失い、隣の機体が姿を失うころ、飛び散った手脚が内側から噴き出すように爆発するのだ。
見る間にあれほどの高性能を誇ったライジングトータスが四機、跡形もなく消え失せた。
「ああ――」
ミーマの声にならない言葉が聞こえた。
その声を掻き消すようにローターの爆音が高まり、大型ヘリは上昇を始めた。
黒いA・Tの放った弾丸が闇の中に光跡を残して舞う。それを掻いくぐり、ヘリは天蓋の穴を抜けて上昇を続ける。
今は静かだ。上昇感覚の伝わるコクピットの中で、ふと疑問がよぎった。
――戦闘中、身体のなかで蠢いたあの破壊衝動は何だったのだろう?
ベルゼルガは何も答えない。計器の明かりも消えたベルゼルガのコクピットは、ただ俺を暗く包み込んでいた。
突然、剥き出しの知覚神経の塊《かたまり》と化していた俺は、右肩の辺りに戦慄をおぼえた。コクピット・ハッチの継ぎ目に尖った物が突っ込んできたのだ。鳥の嘴《くちばし》にも似たジャッキの先端だ。それが、かすかにたわみ上下に割れて開いていく。ギリリッ、ギリリッとギアの噛み合う音が不気味に聞こえる。
眼前のハッチがゆっくりと開いていく。その外にはふたつの人影があった。ネイル・コバーンとロニー・シャトレだ。
「ひでえな、こいつは……」
コバーンは、呻き声ともつかぬ声を発した。
「大丈夫か、ケイン」
「まだ……生きてるさ」
俺は口許を緩《ゆる》めながら一言一言を吐き出すように言った。
「このヘリはどこへ向かっている」
「まだやる気なのか? あいつと」
コバーンが皺だらけの口許を緩めて、ニヤリと笑った。
「俺は……生きていると言った」
そうだ、銃器を用いたリアルバトルの勝敗は、死をもって決められる。たとえ手足を引きちぎられたとしても、俺の心臓が動いている限り、奴との戦いは続いているのだ。
「まだ、やるつもりなの!」
ロニーが叫ぶ。
「あんな奴相手じゃ、勝ち目はないんだよ、ケイン。諦《あきら》めた方が身のためさ、それとも、負けたショックで気がどうにかなっちゃったの!?」
「やめときな、ロニー」
眉を吊《つ》り上げて喚くロニーをコバーンが手で制した。
「どうして!?」
「お前さんには、判らんじゃろうな」
コバーンはロニーに背を向けた。小柄だが俺の視界からロニーの姿を隠す程度はある。
「そんなの馬鹿よ、ケインは負けたのよ。殺されかけたのよ」
「その原因は、お前じゃろう。わけの判らん茶々など入れなければ、ケインは、きっと……」
「でもッ」
コバーンの薄いマントを羽織った肩口越しに、ロニーの固く握られた拳が小刻みに振り下ろされるのが見える。
「ただ、不敵なだけ。まだ、がむしゃらに戦おうって言うんでしょ。まるっきり馬鹿よ。そんなので、今の世の中、生きていけるわけないよ」
「そうかな?」
コバーンは軽くいなすと、おもむろにロニーの方へ向き直った。
「負けたことは、ケインが一番良く判っとるはずじゃ――が、男は地獄で歌うもの。ケインの目を見てみろ。身体はいくら傷ついとっても、あれは負けた男の目じゃない。ただ、自分の意志を表に出してくれんだけだ」
「あたいには、判んないよ」
「負けっ放しならば、その男はただのクズよ。勝ちは負けの始まり、負けは勝ちの始まり。じゃが、今のケインはただの敗者じゃない。ケインの中で何か――空恐ろしいもんが蠢き始めとる」
「そう……なの?」
ロニーがコバーンの肩口から顔を出して、恐る恐る覗き見る。
「そうじゃ、勘じゃない。長年、こんな世界におると、こういった男どもを見る目だけはできてくるもんじゃ」
そう言うとコバーンは向き直った。
「ケイン、ベルゼルガから降りな。このヘリは捨てて、一階層へ行く」
コバーンが手を差し伸べた。
「あんたの塒《ねぐら》は……二階層のはずじゃないのか」
俺はそう言いながら、コクピットの前方を床にこすりつけたベルゼルガから、尺取虫のように腰を折って這い出した。
「ケイン、肩貸すよ」
ロニーが駆け寄ってくる。
「どきな……」
俺はコンテナの壁面に肩をこすりつけるようにして、よろよろと立ち上がった。そのまま壁面に全体重を預けてもたれかかると、分厚いガラスのはめ込まれた窓の外を見た。
陽炎《かげろう》が立っている。都市中央の溶岩溜りの上空、ちょうど階層都市アグの中央を縦一直線に貫く空洞のなかを上昇しているのだ。
窓ガラスを舐め下ろすようにして二階層天蓋下部の鉄板が下降していく。テラテラと光る鋼板の間の、H鋼で組み上げられた構造材を呑み込んだ闇が沈んでいく。
そして、ヘリは天蓋の下端に高さを合わせると、上昇をやめ、浮揚状態《ホバリング》に移った。
「早くジープに移れッ」
コンテナの端にあった肩が開き、相変わらず神経質そうなミーマが駆け出してきた。チームのA・Tを失った割には、取り乱した様子を一切感じさせない。
「一分で再び上昇を始める。急げッ」
そう言うなりミーマは、右脇に立つと、腰を支えに俺の身体を軽く浮かせた。
「これで四千ギルダンの借りは帳消しにしてもらおうか」
ミーマが軽く笑った。
「このヘリをどうするつもりだ」
「囮《おとり》になってもらい、街から出す。その方が後の動きが取りやすいからな」
ミーマは俺を支えたまま、コンテナ前方にあるベルゼルガ用|輸送《トランスポート》ジープによろよろと歩み寄ると、俺を助手席に放り出し、自分は運転席に座った。コンソールの下をまさぐり、エンジンをかける。
その間に、ファッティーに乗り込んだロニーがベルゼルガをジープ後方に備えつけた。
「出せるぞッ」
コンテナのハッチを開けたコバーンが叫んだ。
「シートにしがみつけ」
ミーマはそう叫ぶとジープを発進させた。右のサスベンションがフル・ボトムするほど車体を傾《かし》がせ、ジープは走り出す。
九〇度回転すると、ジープはコンテナのハッチに向かって真一文字に直進を始めた。ハッチの付近で一瞬車体が軋んだ。コバーンが飛び乗ったのだ。
軽いギャップを越えると、ジープは一階層の地表に飛び出した。
腹にまで響く轟音とともにヘリが上昇を始めた。ファッティーが上昇し始めたハッチから飛び降り、バーニアを噴かして着地した。
ヘリは真一文字に上昇を続ける。だが、それが一階層の天蓋に接近した時だ、突然、大きく口を開けた風穴が重苦しい地響きを立てて閉じ始めたのだ。
ローターの先端が衝突し、弾かれる。次の瞬間、根元からもぎ取られるように折れた。ガクッと機首が下を向く。同時に尾翼の辺りが天蓋に激突した。ヘリは真っ二つに折れ、黒煙を噴き出して降下を始め、外板を剥ぎ取られるように爆発、炎上していった。
そして、俺たちは知った。アグの街に軍警の手による戒厳令が敷かれたことを……。
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CHASE 6 RESPITE
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扉が開く
ゆっくりと、確実に
不思議が目覚め、謎がまたたく
――ベルゼルガ――
動き始めた、お前は何者――?
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「まあ、そこで静かにしているんじゃな」
コバーンが薄汚い部屋の隅に、俺の身体を静かにすえた。狭苦しい部屋だ。眩《まば》ゆい光を放つ電球がひとつ天井から釣られているだけで、辺りを包む空気も濁っている。
「ここは?」
俺はかすれた声で訊いた。
「地理的にはアグの北西。第二階層でいうと過疎地帯の真上にあたる天蓋《てんがい》のなかにある。いわば儂《わし》らの隠れ家じゃ。黒い奴に虐《しいた》げられた者の集まる……な」
コバーンの声と同時に、部屋の奥にある扉が開き、ふたりの男がのそりと現れた。
「この男が、|青の騎士《ブルーナイト》か」
緩《ゆる》いウェーブのかかった髪の男が俺の側に歩み寄ってきた。
「重傷だな」
そう言うなり、男は短いケープをまとった肩口を揺すり、俺の腕を掴もうとごつい手を伸ばした。
俺はキッと男を睨みつけた。あからさまな拒否の態度をとる。
「心配するな、俺はトレーナーだ」
「トレーナー?」
「そうだ」
コバーンが温和な声で言った。
「お前さんは、今まで一匹狼じゃったから知らないかもしれねえが、チームにはボトムズ乗りの健康管理をしようって野郎も来るんじゃ。そいつはヴィルペグという。かつては従軍医師だったそうじゃ」
「A・Tを整備場に持ってきたロニーが、大騒ぎしていたから、取り急ぎあんたの容態を診《み》てやろうというんだ。しばらく黙って、任せな」
ヴィルペグは俺の左手首を掴み、動脈の上に親指をあてた。
「ケイン、ここにいる連中は皆、あの黒い奴に怨みを持っとるんじゃ。お前さんと同類よ。そこの男はバックエルという」
コバーンは扉の辺りに立ち尽くしていた大柄な男を、親指で差した。
バックエルと呼ばれた男は熊のようにびっしりと剛毛の生えた頬を、節の太いささくれ立った指先でポリポリと掻《か》いた。
「そいつは口数は少ないが、優秀なメカニックマンじゃ。どんなA・Tでも二日もあれば修理してくれる」
コバーンの話の間、脈を取っていたヴィルペグが、押しつけていた親指を放し、冷静な声で言った。
「脈拍が異様に乱れている。身体調節機能が随分といかれているようだ」
「治りそうか?」
コバーンが訊く。
「詳しく診てみなければ、なんとも言えん状態だな」
ヴィルペグは床に置いていたトランクを開き、計測機器を取り出した。そして、ふたりの会話をまるで他人事のように聞いていた俺の左肩にマイクに似た形状のセンサーをあてた。
「思った通りだ……」
重い声でそう言うと、ヴィルペグは俺の身体をチェックしてまわる。
「なぜ、あんたたちが、第三階層に来たんだ」
俺はコバーンに訊いた。
「それは、私が話そう」
部屋の中央の机で、肘をついてこめかみを押さえていたミーマが言った。今まで、今後の作戦展開でも考えていたのだろうか、四機のライジングトータスを失ったとは思えない冷静な態度で立ち上がり、歩み寄ってくる。
「君が行方不明になったと聞いて、私は今日の夕刻、コバーンと連絡をとったのだよ。ちょうど、君がラドルフとの試合を終えて小一時間が過ぎた頃だ。そこに、先の少女が……」
「ロニーか?」
「そうだ、彼女から連絡があった。君が黒いA・Tと戦っている――と、な。そこで、取りも直さず天蓋を突き破ったというわけだ」
ミーマが神経質そうに、ゴーグル型のサングラスを上下に揺すった。
「大掛かりな突入だったな……しかも、タイミングが良すぎる」
ゼエゼエと音を立てる息を押し殺して、俺は言った。
「なに、あのヘリにしろ、火器にしろ、流れ者のマッチメーカーにとっては当然の装備だ」
ミーマが平然と言う。
「そうかい? あんたはロニーから聞く前に、俺が三階層にいることは、判っていたんじゃないのか……ウッ」
俺は息を詰まらせながら続けた。
「そして、コバーンと連絡をとったのは、この隠れ家を利用したかった――そう、手前の隠れ蓑《みの》のためにな」
だが、ミーマは表情ひとつ変えずに言った。
「馬鹿なことを……一介のマッチメーカーにどうして君の……」
「マッチメーカーじゃないからさ」
俺はミーマの言葉を遮った。
「な……なにを君は……」
「黒いA・Tが待ってくれるという保障はない。話を急がせてもらう」
「なんの話なのだ。私がマッチメーカーでないなど……」
「あんた、情報部の中佐だろ」
声に力を込める。全身に痛みが走った。だが、ここでこの男を利用しておかねば黒き炎の情報は明らかにはならない。俺は苦痛を怺《こら》えて、吐き出すように言った。
「俺は……ケヴェックに会ったんだよ」
「ケヴェック!? ケヴェック・ヴォクトンにか?」
ミーマの顔色が変わった。
「そうさ、奴は三階層に捕らえられていた。そして、俺は奴からあんたの正体を聞いたのさ」
「なんだと……で、あいつは?」
「死んだよ。黒いA・Tのパートナー、オウラ・ニガッダの手によってな」
「なんという……」
一瞬、暗然としたが、ミーマは気を取り直したように言った。
「……そうなのか……」
「そこで……だ。ひとつ取引がある」
「取引だと?」
ミーマが乱れた髪を後ろの方に撫でつけた。
「代金はあんたがベルゼルガから取っていた戦闘情報で充分だろう。|黒き炎《シャドウ・フレア》との対戦データも今頃は解折中じゃないのか?」
「知っていたのか、あれを……」
「ああ、ベルゼルガの触覚センサーに、つまらん送信器が組み込まれていた。あんたの仕業だとは判っていたが、なにかの役に立つだろうと思ってな、今まで残しておいたのさ。さすがに情報部らしい姑《こ》息《そく》な手段だ。だが、戦時中の、軍から支給されるタイプのA・Tならいざ知らず、ワン・オーナーの、しかもベルゼルガじゃすぐに判る」
「取引に乗らなければ、情報は手に入らないというわけか」
「そうだ、新型A・Tの開発にも差し障りがあるんじゃないのか」
ミーマは口許を引きつらせて言った。
「それで、私になにをしろというんだ」
「利口だな」
俺は軽くいなすと、続けた。
「ケヴェックの残した、ミッションディスクを解析してもらいたい」
俺は震える手で胸のポケットから四角いディスクケースを二つ取り出すと、ミーマに差し出した。
「これが、ケヴェックの遺品か」
ミーマが低い声で呻《うめ》くように言った。
「そうだ、奴がアグで集めた黒いA・Tの情報が入っている。だが、おそらくは情報部なりの暗号でも使用してあるのだろう、黒いA・Tどもに解析できなかったぐらいだからな」
「黒いA・Tの情報か――良かろう」
ミーマはディスクを受け取ると、ポケットに丁寧《ていねい》に収めた。
「コバーン、ミーマを見張っておいてくれ」
俺は、コバーンに声をかけた。
「よかろう」
床に座り込み、丸く背を曲げていたコバーンが答える。
「心配はいらん。私は君を裏切りはしない」
ミーマが、落ち着いた声で言う。
「信じられんな、他人の言うことは」
「情報を諦め、貴様以下この場にいる人間を皆殺しにしても、私の正体と新型A・Tの情報を守ることができれば、私にとって不都合はない。だが、貴様には、まだ死ぬわけにはいかない理由があるだろう。私はそれに興味がある。だから協力するのだ」
「俺はあんたに殺される気はないがね」
「面白い男だな。こいつはケヴェックが命懸けで集めたデータだ。無駄にはしない」
ミーマが寂しげな表情で言った。しゃんと伸びた肩口が、今は心なしすぼまって見える。
「らしくないな」
「ケヴェックの本名は、イーマ・センクァーターと言う。私の弟だ」
そう言って、ミーマは言わなければよかったという顔をした。
「兄弟がいたのか、幸せな男だ」
「それ故、苦しまねばならん」
ミーマは立ち上がった。
「ケイン、ロニーでもつけておくか、その男」
なにもかも察したように、コバーンが言う。
「そうしてくれ」
俺が、そう言った時だった。
「あんた、二度とA・Tに乗れないかもしれないぞ」
計測器を右の肩口から放しながら、ヴィルペグが言った。
「そんなに悪いのか?」
コバーンが深刻な顔になる。
「足や身体は電流のショックによる麻痺がとれれば治癒《ちゆ》が始まる。内臓も破裂にまでは至ってはいない。右腕も悪性の肉離れだが、これらは効果的な治療をすれば二週間もすれば充分機能できるようになる。だが、問題は左腕だ」
「使いものにならないのか」
慌てたコバーンが、俺より一瞬早く口を開いた。
「そうだな……二度と使い物にならないかもしれない。神経がズタズタに裂けちまってる。よほど神経繊維が緊張している時に、無理な運動をさせたんだろうな」
ヴィルペグは、首筋を押さえながら言った。
「軍に連絡がとれれば、治療も早いのだが、この街は電波妨害が強力で、外へは通信も送れないからな……」
ミーマが無念そうに言う。
「ヘリを捨てなかったらよかったんじゃ」
コバーンが口を挾む。
「いや、死んでいたさ、今頃は」
俺はコバーンを制した。重い空気が部屋一杯にわだかまった。
「それよりもケイン、どんな戦い方をしたんじゃ。どうしてコクピットの中にいながら、身体の内側に影響が出る? 理由がはっきりすれば、黒い奴と戦う方法があるかもしれん」
コバーンが不思議そうな顔で訊いた。声は場の雰囲気を変えようとしているのか、心もち陽気さを装っていた。
「判らない、酷使していたのは右腕だ。左はその前に死んじまった」
「パイルバンカーを扱う左腕がか!?」
コバーンとミーマが同時に叫んだ。
「そうだ……」
頭のなかに、黒いA・Tの姿がリフレインする。ゆっくりと立ち上がったクリス・カーツの姿が浮かぶ。
奴の無表情な瞳から発せられる異様な気配は、常時、ベルゼルガの左腕――パイルバンカーに集中していた。
パイルバンカーは、ベルゼルガにしか装備されておらず、陸戦用兵器としては最大の威力を持つ。しかも、クエントの技術力でしか、生産できない合金を使用しているのだ。
パイルバンカーの威力を知っていたのか、それとも研ぎ澄まされた索敵センサーを有しているのか。奴はまず、ベルゼルガにとって最強の格闘用兵器を殺そうとしたのだ。恐るべき戦闘本能のみがなし得た仕業なのかもしれない。
「奴は俺の左腕を殺そうとしたんだ。物質的な武器以外の力で」
「そんなものがあるのか?」
コバーンが再び驚愕の声をあげた。
「物理的にはヴィルペグの言った通りだろう。だが、その原因は奴の持つ正体不明の威圧感だ」
「その正体は、ケヴェックのディスクから判るかも知れないな」
ミーマが落ち着きを取り戻した声で言う。
「急いだ方がよかろう。奴の正体を知ることが、貴様の活力に繋《つな》がるかも知れん」
「そうだな……そうしてくれ」
「ああ」
ミーマは答えると、鈍く光る扉に近づいた。
その時、ロニーが真っ青な顔で二人の男に肩を貸して駆け込んできた。男たちの服はボロボロであちこちから、うっすらと血が滲《にじ》んでいる。
「モンエテっ、アトドっ、どうした」
コバーンが駆け寄った。
「下は凄《すげ》え有り様だぜ」
モンエテが、血が固まりかけた口許から呻き声を発した。
「あちこちに軍警のA・Tどもがうろついていて、車じゃ動きがとれねえ。そのうえ、メイン・タワーのエレベーターは使用禁止、商工会が動かしてる軍用バスも運行停止だ。おそらく街の出入り通路も……」
太った身体をずるずると滑らせ、モンエテは床に座り込んだ。
「袋の鼠《ねずみ》か……ここを発見されるのも時間の問題だな」
俺はぐっと歯噛みした。
「どうやって、ここまで来たんだ」
コバーンが喚く。
「いつもの通路を通ったら、ここはすぐ発見されるから、壁面のハシゴを使って、何とかここまで辿りついたんだ」
アトドと呼ばれた細身の男が、ぜえぜえと荒い息を吐きながら答える。
「すまんが、即、作業に取り掛かってくれ。おい、ケイン」
ふたりにそう言うと、コバーンは俺に向き直った。
「――これでベルゼルガの改修ができるぞ。モンエテは、この街一の闇商人。アトドはコンピュータのセッティングに関してピカイチの腕を持っておる。お前さん、あとは儂《わし》らに任せて、休んでくれ」
「モンエテ……闇商人か……」
俺は立ち上がろうと両足に力を込めた。膝が情けなく笑う。
「やめな、ケイン。今は安静にすることじゃ。いつ奴らが、ここを突き止めるかわからんのじゃぞ」
コバーンが慌てふためいて喚く。
「黙ってろ」
「やめてくれ、ケイン。お前さんが今、バトリングのできない身体になっちまったら、なんのために助けたのか判らねえじゃねえか。お前さんじゃねえと、あの黒い奴は叩っ殺せねえ。儂らの怨《うら》みを晴らして欲しいんじゃ」
「退《ど》きな、俺には関係のないことだ」
「ケインッ」
コバーンが、両手を広げて立ち塞がる。
「コバーン、俺も奴を破壊したい。そのために、俺の言う通りにさせてくれ」
俺はよろよろと立ち上がった。
「ジープはどこだ?」
コバーンが両手を軽く広げ、肩をすくめた。
「肩を貸そう。目的が同じならば、儂らは仲間じゃ」
仲間――あのシャ・バックだけが俺に使った言葉だ。だが、今のコバーンの言葉は、シャ・バックの言った|それ《ヽヽ》と同程度の温かさを含んでいた。
「済まんな」
「無理するこたあねえ」
コバーンは、俺の右肩の下に入ると、俺に歩調を合わせて扉をくぐった。
隣の部屋は整備場だった。コバーンは壁の脇にあるジープまでゆっくりと移動すると、俺をジープの側に立たせた。
「こいつで助手席を倒してくれ」
俺はコバーンにジープの鍵を手渡した。
「錠が開いたら、その蓋《ふた》を開いて一三Fに合わせるんだ」
コバーンは俺の言う通り作業すると、シートの下端に手をかけ、前方に押し倒した。シートの後方に大型のトランクが口を開けた。助手席の裏を開口部として、荷台の下に、一杯に広がったトランクだ。
開口部から、ザイルで口を縛った袋がこぼれだすように現れた。
「そいつは全部で一三ある。全部引きずり出してくれ」
コバーンは袋に手をかけた。ジャラと、甲高い音がした。
「こいつは、百ギルダン金貨じゃねえか」
「そうだ、その袋すべてで二億四千万と幾らかの金がある」
「なんだって、こんな金を」
コバーンがしげしげと俺を見詰めた。
「今まで、俺が戦って手に入れてきた賞金だ」
俺は、呆《ほお》けた顔で金貨に見入っていたモンエテに向き直った。
「その金を使ってくれ。いくら使っても構わない。この街で最も精度の高いマッスル・シリンダーとポリマーリンゲル液を集めてくれ。並のバトリング用装備じゃ、|黒き炎《シャドウ・フレア》には勝てない」
言った途端に身体の奥から血塊が込み上げてくる。奥歯を噛みしめて、喉の辺りで止める。
「判った。だから、この場は儂らに任せて、お前さんは休みな。顔が真っ青じゃ」
「いや、これから直ちに、死んでしまった部分を解体する。あんたたちは装備を揃《そろ》えてくれるだけでいい」
たとえ、仲間であってもベルゼルガの改修を他人の手には任せられない。俺は強く言ったつもりだった。だが、コバーンの顔色が曇った。どうやら死ぬ間際の人間が発した呻き声にでも聞こえたのだろう。慌てて奴は手をバタつかせて制した。
「今のお前に何ができるってんだ」
日頃は柔和な口調のコバーンも、この時ばかりは違った。
「ベルゼルガの機体は、俺が一番良く知っている。いや、俺が修理せねばならないんだ」
コバーンの手を押しのけて、俺はベルゼルガに向かった。
「やめて、ケイン! じゃないと死んじゃうよ!」
端の方で一部始終を見守っていたロニーが駆け出してくる。
「貴様が……なにを言う」
俺は叫んだ。
その時だ、カッと口から血塊が飛び出した。
視界が鮮血に――染まった。
「――本当に大丈夫なの、ケインは? ピクリとも動かないじゃないか」
甲高いロニーの喚き声が、頭の中に刺し込んでくる。どうやら俺は血を吐いたまま倒れてしまったようだ。まだ、朦朧《もうろう》とした意識の淵をさ迷っている肉体のなかで、一本だけ明瞭な知覚神経が働いていた。
それだけを頼りにゆっくりと目を開く。薄暗い、それでいて眩しい光が目を刺激する。
それをロニーの頭が遮《さえぎ》った。
「う……動いたッ」
ロニーが喜びの声をあげる。
俺は起き上がろうと腹に力を入れた。痛みはない。
「駄目だよ、まだ起きちゃ」
ロニーが両腕で俺の肩口を押さえる。
「どけ」
恐る恐るロニーが身を引く。俺は右腕を支えにして、ゆっくりと上体を起こした。背筋、脚とも痛みはない。
俺はその場に胡座《あぐら》をかくと、頭に手をやり、掻きむしった。普段目覚めた時とは感覚が速う。少しも頭の中がはっきりしないのだ。
煙草を取り出そうと胸に手をやる。だが、耐圧服は腰の辺りまではだけられていた。上半身は裸だ。
右手だけで耐圧服のポケットを探り、ぐしゃぐしゃに折れ曲がった煙草の箱を取り出す。下方を叩き、煙草を一本押し上げると、口でくわえ、引き出した。
「どのぐらい、俺は倒れていた?」
「丸二日だよ、あれから」
ロニーが嬉しそうに答えた。
「だが、信じられない回復力だ。内臓や肩の腱はもう治癒し始めている。それも凄い速度でな」
ヴィルペグが、まるで化け物を見るような目で俺を見ていた。
「まるで手に取るように判るんだ。あんたの肉体が回復する様子がな――」
身体が変化を始めている……。
はたと、気づく言葉があった。
体に変化はないか……
シャ・バックが、半年前に言った言葉だ。
――これが、異能者……そうだ、あの機械を思うままに操ることのできる人間への、変化の兆《きざ》しなのだろうか。
「以前はそうではなかったのだがな……」
俺は自分の手足をまじまじと見詰めた。
「だが、左腕だけは駄目だ。まったくといっていいほど変化がない。まだ腐り始めていないから良いようなものの、このままの状態が続けば切断も考えねばならん」
「そうか――」
俺は溜息をついた。どうやら|あの《ヽヽ》破壊衝動に反応したところだけが、異様なほどの回復力を示しているようだ。
「右腕一本でベルゼルガを操り、パイルバンカーを作動させなければならないのか――何か手段を講じなければならんな」
俺は煙草の煙を吐きながら、ポツリとそう言った。
「まだ、やるつもりなの? コバーンは調子に乗って戦えって言ってるけど、もう、やめた方がいいに決まってるよ」
ロニーが慌てて、喚き始める。
「あんなに血を吐いて倒れたんだよ、あんなにひどい有り様って、なかったんだよ! 本当に凄かったんだから。耐圧服の襟元から胸まで、血をべっとりとつけて……唇だけが真っ青で」
「慣れたことだ。血は、いい。殊に真っ赤な鮮血は、いい」
「血が好き? どうしたの、ケイン?」
ロニーが驚いて訊き返す。
「血が流れてる物は、ブチ壊せるからな」
俺は無意識のうちに、そう言っていた。と、ともに意識が徐々に明瞭になっていく。
「ケイン、おかしくなっちゃったの!?」
ロニーが耳元で叫んだ。
「自分の身体の心配もしなよ」
俺が口元にくわえた煙草を奪い取ると、ロニーは、
「熱ッ」
と、喚きながら床に叩きつけた。床を鳴らして踏みつける。
「そんなんじゃ、まるっきりあたいが馬鹿みたいじゃないかッ! 何のために恥までかいて、コバーンにあんたのこと教えたと思ってんだい。あんたを殺したくないと思ったんだよ」
「金づるを殺したくない。それだけの事だろ」
俺は皮肉っぼく言った。
「判んないよ、そんなこと。でも、助かったんだからいいじゃない」
「俺を助けて、恩を売っておこうという魂胆《こんたん》だったのか?」
どこかで、ロニーに対して警戒心を抱いていた。
ロニーが髪を乱して首を振る。
「あたい、黒いA・Tが現れるなんて、本当に知らなかったんだから――だから、あんたのA・Tも持っていったし、コバーンにも連絡もした。本当は嫌だったんだよ。コバーンには、いつも子供扱いされてるからね。それがあるから、あたい三階層にあんたを連れて行った……」
「まあいい――」
俺はロニーの言葉を遮った。
「あんたのお陰で、黒いA・Tの居所もわかったんだ。ヴィルペグ、肩を貸してくれ」
俺は立ち上がると、ヴィルペグの肩にもたれかかり、よろよろと扉へ向かって歩き始めた。
「待って、ケイン。どこ行くの?」
ロニーが大声で呼び止めた。
「ベルゼルガを見に行く」
「ベルゼルガの改造が終わったら、黒いA・Tのこと忘れて、普通のバトリングしようよ、ケイン。もっと要領良くないと、駄目だよ」
ロニーが右腕にすがりつく。
「そう言う割には、要領の悪い女だな、あんたも」
俺はロニーを払いのけると、扉を開いた。
「馬鹿ッ、もうっ」
ロニーの喚く声を背中に感じながら、俺はベルゼルガの改修のことを考え続けていた。
「気がついたのか、ケイン」
密かに建築したにしては、かなり設備の整ったA・Tの整備場に着くと、顔じゅうにマシンオイルをべったりと塗りつけたコバーンが歩み寄ってきた。
「容体はどうなんだ、まだ安静にしとかねえと、いけねえんじゃねえか?」
「大丈夫だ」
俺は軽く笑ってみせた。
「本当か、ヴィルペグ。心なしか頼りなく見えるんじゃが」
コバーンは心配そうに問い直す。
「六割……いや七割かたは回復している。多分、今日のうちに、ほぼ完治するだろうぜ」
「それじゃ、まだ……」
「ベルゼルガの様子を見せてくれ」
俺は、慎重|居士《こじ》のコバーンの言葉を途中で遮った。
「あ……ああ」
コバーンは困惑しながら返事をした。目にはまだ不信の色が浮かんでいる。
「今、使い物にならないパーツを抜き終わった所だ」
「状態は?」
「全体の六〇パーセントは役に立たん。それに、装甲板もかなり作り直さにゃならん。一日、二日で直るもんじゃない」
コバーンは両腕を広げ、首を傾げた。
「この通りだ」
コバーンが指差した方に、ほぼ骨格だけと化した無残なベルゼルガの姿があった。マッスル・シリンダーは、すべて取り除かれ、腕、脚の先もない。今は、二本のワイヤーで宙に吊り上げられている。
その脇には、取り外されたパイルバンカーが、裏面を上に向けて転がされている。
「寂しいものだな、こんな姿を見るのは」
ボソッと俺は言った。
「そう、そうだろうな。こんなに無茶苦茶にやられたことはなかったんだろ、今まで」
コバーンが同情するように言った。
「ここまで改修するなら、新しい機体に乗り換えた方が安上がりじゃ。お前さんの金を使えば、バトリング用にフルチューンした新品同様のA・Tが買えるはずじゃが」
「悪い冗談だな」俺は軽く受け流した。「俺はこいつが少しでも生きている限り、こいつで戦う」
「こだわるな……なぜ、そんなにこだわる」
コバーンが半ば本気で訊いてくる。
「あんたに言うほどのことじゃない。それより――」俺は強引に話題を変えた。「改修用の装備は揃《そろ》ったのか?」
「動かす程度にはな、ほら、そこにある――」
コバーンは、整備場の端を指差した。
そこには一メートル立方の、プラスチック製パッケージが雑然と並べられていた。五〇センチ立方程度の小型パッケージは、蓋の閉じぬほど荷物を押し込んである。それが三箱、正面に放り出きれている。
その脇には、表面に水滴をつけた五〇リットルのジェリ缶が五個、投げ出されていた。
俺はヴィルペグの肩から離れ、パッケージのひとつに早足で歩み寄った。蓋を開くと、中にはふたつのマニピュレーターが無造作に放り込まれていた。A・Tの肘から先の部分だ。全長八〇センチはある。今は装甲もなく、内側が剥き出しになっているものの、それ故、内蔵された強力なエアー・サスペンションと、大型の薬室を持つアームパンチ機構が一目で判る。新しいものらしく、骨格を形作る金属のフレームも、まだギラギラと油っぽい光を浮き上がらせている。
「強力そうだな、こいつは」
「そうじゃ、カートリッジも従来の一・五倍の液体火薬を使う。じゃから今、モンエテが必死で探し回っとる。見つからん時はこっちで作る以外、手がないからな」
コバーンが皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「武器は強いに越したことはない」
俺はそう言うと、隣のパッケージを開けた。電子機器だ。これもまた、質の高い新品が収められている。
「ケイン、電子機器だけじゃねえ、センサーの類もいいもんが揃った。肩のクエント製センサーを除けば……な」
「あれが、ない?」
「それと、パイルバンカーの長槍じゃ。あれだけは、射出力に耐えられるものがないんじゃ。鉄骨を研《と》いで試してみたが、すぐに折れちまう。それに、元の先端ほどに鋭く研ぎ上げる技術は、この街にはない」
コバーンはすまなさそうな顔で俺を見た。
「クエント製センサーは、今もモンエテが探し回っとるがな」
「そうか……」
俺は次のバックを開けた。
「何だ、これは」
口から言葉が突いて出た。
パッケージの中には、汚れて錆びついたマッスル・シリンダーが、無造作に放り込まれていた。
ハッとして、脇にあるジェリ缶の蓋を開く。そこからは、練度の低いポリマーリンゲル液の嫌な匂いがした。揺すってみると、カスカスの音を立て、粘度も極めて低い。
「それが、この街で買える最も質の高いマッスル・シリンダーじゃ」
コバーンが虚しく言葉を吐いた。
「馬鹿なッ、アームパンチやセンサーに、あれだけのものがありながら」
俺は一|縷《る》の期待を込めて訊いた。
「あれは、ミーマのものだ」
「ミーマの?」
「そうだ、ミーマが街の商工会に取り寄せさせていたものが、あのどさくさで闇ルートに流れちまってたらしい。それを、モンエテが裏から手を回して、買い取ってきたんだ」
「それなら、マッスル・シリンダーも、あるんじゃないのか」
「いや、八方手を尽くしたが……」
コバーンが肩を落とした。
冷たい血が全身を駆け巡った。
「駄目だ……こんな装備じゃあの黒いA・Tに勝てるわけがない」
俺は、そう叫ぶと、やり場のない敗北感を叩きつけるように、マッスル・シリンダーの束を思い切り殴りつけた。
「身体が回復したそうだな、|青の騎士《ブルーナイト》」
鈍い音とともに扉が開き、ミーマが現れた。オールバックの髪が、あちこちで跳びはねたように乱れている。
「まるで異能者だな……その回復力は」
「異能者――? シャ・バックの言っていたその言葉を、なぜ、あんたが知っているんだ」
ミーマは一瞬、躊躇して言った。
「いや、かつて情報部に、|それ《ヽヽ》を追っている奴がいてな」
この男は、俺の過去を調べたに違いない。さもなくば、シャ・バックの過去をだ。
「異能者について、なにか知っているのか? もし、知っているなら教えてくれ」
俺はできる限り真《しん》摯《し》な態度で訊いた。もし、異能者のことが判れば、黒いA・Tとの戦闘中に頭の中で喚き回っていた、破壊の虫の正体をあばくことができるかもしれない。
「いや、そんな連中が、大昔、このアストラギウス銀河にいた……としか聞いていない」
「そうかい……」
俺はミーマがなにかを隠していることを感じながらも、それ以上の追及はしなかった。今は、異能者などよりも、黒いA・Tを倒すことが重要なのだ。
「もうひとつ、聞かせてもらう。マッスル・シリンダーはないのか? ベルゼルガ用に揃えられたアームパンチは、ライジングトータス用のものじゃないのか?」
「|青の騎士《ブルーナイト》――」
問いには答えず、ミーマが呼びかけた。
「ケヴェックの残した、あのデータだが、いまだに解析ができないのだ、手伝ってくれ」
ミーマは俺の腕を掴み、引っ張る。
「コバーン、しばらく青の騎士を借りる」
「あと一時間もすれば、バックエルの準備が整う。そうしたら、呼びに行かせろわい」
コバーンの声を聞きもせぬ様子で、ミーマは俺を引っ張って整備場を出た。
「なにを隠している」
薄暗く、長い廊下を歩きながら、俺はミーマに訊いた。今では、支えがなくとも歩けるほど身体は回復していた。
ミーマが訊き返してきた。
「ケヴェックから、なにを聞いた。殊にライジングトータスについて、聞きはしなかったか?」
足早に歩くミーマに追いつこうと歩調を速めながら、俺はケヴェックのことを思い浮かべていた。
「新型だそうだな。|F・X《フェックス》というA・Tを開発しているとも聞いた」
「よく喋ったものだ。軍人が」
ミーマが怒った口調で言った。
「奴は、感覚剥脱室に放り込まれていたらしい。俺が会った時にはガリガリに痩せて、落ち窪んだ眼だけが異様に鋭かったと記憶している」
「そうか……そんな状態で貴様に会ったのか」
ミーマは口をつぐんだ。そして、ややあって平静な声でこう言った。
「いずれ|F・X《フェックス》には貴様も乗ることになるかもしれないから、話しておく。F・X・A・Tは来るべき再戦に備えて、軍が開発中の次期主力装甲騎兵だ。武装や性能は現行のA・Tをはるかに上回る」
「ライジングトータスは、そのテスト機か――ATH‐16だと言っていたが」
「その通りだ。ケヴェックの型よりも、|黒き炎《シャドウ・フレア》と戦った型の方が、機能的には進歩している」
「だろうな……」
俺は、再戦の気配に陰鬱《いんうつ》なものを感じながら、軽く口先だけでそう言った。百年戦争の停戦は、両星域の軍備拡張のためだという噂は、どうやらデマではないらしい。
「そして、モンエテが手に入れた機材は|F・X《フェックス》用のものなのだ。どうやら軍警の連中に、輸送隊が襲われたらしい」
「|F・X《フェックス》の?」
「ATM‐FX1。俗に|M《ミッド》級と呼ばれるA・Tの後継機のものだ」
ミーマはゴーグル型のサアグラスを軽く上下に動かした。
「|M《ミッド》級のパーツが、|H《ヘビィ》級のベルゼルガに装備できるのか」
「|L《ライト》級のA・Tが完成している。|M《ミッド》級よりもひと回り小さく、機動性の高いA・Tだ。そのため、|M《ミッド》級A・Tは本来の役目を追われ、大武装、高出力のタイブヘと移行し始めたのだ」
「同時に大型化……か」
そこまでA・Tの体系化、そして開発が進んでいるのならば、軍が再戦に乗り出すのも、もう間もないことかもしれない。再戦と同時に俺たちは再び軍に徴集されることだろう。
――再戦までに、あの黒いA・Tを倒さねばならない――
気ばかりが焦る。だが、具体的に奴を倒す目算は一切立ってはいない。そればかりか、今は黒いA・Tと結託した軍警どもに追われる立場にあるのだ。
「ここで解析をしている」
ミーマに連れられ、俺はちょうど階層の天蓋を上下に貫くビルの端辺りに来た。そこは、ビルの地下ガレージのようになっていた。他の部屋の暗さにもまして、闇の似合う部屋だ。その中に、浮き上がるように一台のトレーラーの姿が見える。
ミーマはトレーラーの後部にある、観音開きになる扉を片方だけ開き、その中へと入った。俺も、排気口の脇に備えつけてあるハシゴを登り、あとに続いた。
トレーラーの中は眩しいほどに明るかった。幾つもの照明に照らされた奥の方に、整然とコンピュータが置かれている。
「今までに試みた解析パターンを見せよう」
ミーマはコンピュータに歩み寄り、キーボードを操作した。
ディスプレイにスケールが走り、文字や図形、そしてバーグラフを浮かび上がらせる。
「いかなる暗号や乱数表を駆使しても、解析できないのだ」
ミーマがキーのひとつに触れた。と、同時にディスブレイの文字が次々と上方に移動し、消えていく。すべてエラーと赤い文字で表示されている。
「コンピュータ言語との掛け合わせも、無駄だったよ」
ディスプレイから表示が失せると、ミーマがポツリと言った。
「ケヴェックは、このデータに関して、なにか言っていなかったか?」
ミーマは困惑した表情で言った。
「……確か、ミッションディスクの運動用プログラムに隠してあると言っていたが……」
「ミッションディスク……か」
考え込むように言ったミーマが、突然、キーボードを叩き始めた。
「ミッションディスクで使用している言語だ。あれならば、コンピュータディスクとはまったく違う方式を使わねばならない」
ミーマはコンピュータをミッションディスク解析用に切り換えると、データを打ち込み作動させる。
「きっと、これで……」
願いを込めて、ディスプレイを見詰める。
だが、寸刻をおいてディスプレイに表示されたのは、何の変哲もない、ただの行動用プログラムだった。
「解析は無理なのか……」
ミーマの口から、嘆息ともつかぬ声が洩れた。
「いや、待て。表示されている文字の下だ。ケィ線のように見えるが、跡切れとぎれにラインが入っている」
俺はディスプレイを凝視して言った。
「バーコードかもしれんな。適合する乱数表を呼び出して解読してみよう」
ミーマが息を弾ませながら言う。今まで、具体的な表示は一切出現しなかったのだ。俺もミーマの行う操作を、期待を持って見守った。
だが、いくら操作してもエラーの表示ばかり。それも、バーコードから情報への変換が不可能だという内容のものばかりだった。
「どうやら、この方法も違うようだな……」
ミーマは、指先で髪を掻きむしった。
あの言語にならないバーコードの裏に、どんな黒いA・Tの秘密が隠されているのか。
俺は今まで、二度あの黒いA・Tに負けた。奴の持つ異様な力の源泉がなんであるのか。それが判らない以上、残されているものは無残な死だけだ。
徐々に全身の血が凍りつき始めていた。背筋がこわばってきた。無意識のうちに右の拳が握り締められ、指先が肉に喰い込む。左腕からはなんの反応もない。ただ氷の柱を抱えているように、冷たく、そして熱い。
だが、俺はとめどもない敗北感を味わいながらも、眼前に展開された黒いA・Tと、ライジングトータスの戦いを思い浮かべ、両機種の能力を比較していた。
速度は互角だが、パワー、装甲は圧倒的に黒いA・Tが勝る。だが、奴の装甲はパイルバンカーの強化で突き破ることができる。
突然、頭のなかでなにかが弾けた。
「ミーマ、ライジングトータスの予備パーツは残っているか?」
「どうするつもりだ。あんなものを」
ミーマが不審げに訊き返す。
「ベルゼルガを強化する」
「だが、規格が合わない。あれは|H《ヘビィ》級といってもベルゼルガよりひと回りは大きい。いうなれば|SH《スーパーヘビィ》級だ」
「そのまま使えなければ、参考にでもする。今、ベルゼルガを武装強化する以外、奴に勝つ可能性は見出せない」
狂気にも似た激しさで、俺は喚いた。
「なにか……そう、戦う上でもっと大切なものが欠けているのではないか」
そう言うとミーマは考え込んだ。
だが、ミーマがなんと言おうと、構いはしない。俺の精神は強力な兵器を渇望していた。一年前、シャ・バックからベルゼルガを奪おうとした時とは、また違った感覚で――だ。
ややあって、ミーマは薄い唇を開いた。
「ジェット・ローラーダッシュ機構と、ソリッド・シューターしか残っていないが、それで良ければ使ってくれ」
「それで充分だ」
俺はニヤリと笑った。
突然、トレーラー内の光量が落ちた。扉の辺りに、照り返しを受けて細い女の姿が浮き上がる。ロニーだ。
「ケイン……コバーンが来てくれって」
戸惑いながら、ロニーが言った。
「判った」
俺は軽く答えると、コンテナを出た。
「ケイン、ベルゼルガを強化して、どうするの」
すれ違いざまに、ロニーが訊いてきた。
「くどいな」
「だってケイン、恐いんだよ。あんた――死ぬことなんか恐がっていないし、なんだか死に急いでいるみたいで!」
ロニーが俺の右腕を固く握り締めた。
「どうして、|黒き炎《シャドウ・フレア》と戦おうとするの? ケイン」
「君のバトリングと、根本的に違うのだよ」
ミーマが言った。
「君がバトリングをやめるというほど、気楽ではないのだ、ケインは」
ロニーの指先から、力が抜けた。俺は、黙って、ロニーの手を振り払うとガレージを出た。
「奴は、男にしか判らない大きな借りを返そうとしているんだ……」
ロニーに言い聞かせるミーマの声が聞こえた。
整備場ではコバーン以下、ふたりの男が待っていた。バックエルとアトドだ。連中は、辺りに電子機器を整然と並べ、ベルゼルガを囲むように立っていた。
「どうも、おかしいところがある。このA・T」
バックエルが、たどたどしい口調で言い、ベルゼルガの脇の辺を形作るフレームに装着された、黒いコードを指差した。
「このコード、なんだか判るか。ちょうどコクピットまわりのフレームと、装甲板の隙間に隠れるようになってる」
俺はベルゼルガの脇に寄り、しげしげとそれを見詰めた。親指でL字型に曲がったフレームの角辺りに、半分埋め込まれたように装着された|それ《ヽヽ》を押してやる。ワイヤーのように芯のある固い手触りではなく、なにかこうブヨブヨとした頼りない感触だ。
「――判らん。見たこともないな。通常、分解整備を行ったとしても、コクピットまわりのフレームや装甲はX線でチェックするだけだ。それに、|これ《ヽヽ》が反応したことはない」
俺は、そのコードを指先でなぞりながら、機体の周辺をぐるりと回った。コードはベルゼルガのコクピットを上下、左右から囲むように装着されている。時折、フレームの内側に端が潜り込んだところがある。コードはそこで一旦跡切れ、一センチほど間隔をおいて、また伸びている。
その端は、ベルゼルガの背部から腰にかけて装備されたジェネレーターに向かっている。しかも、ジェネレーターからエネルギーを取り出す数本のコードと途中で合流するようにセッティングされている。
そして、フレームから突出した辺りからジェネレーターまでの間に、厚さ一センチ程度の小さな鉄板が取り付けられていた。左右一対だ。俺はそれを手に取った。
「それは、背部装甲板の裏側を掘り込んで装備されてあった。だが、これはA・Tを駆動させるには不必要なものだ」
アトドが丸い眼鏡を指先で押し上げながら言った。
「そして、このシステムは、腰のバランサーに直結されていた。初めはバランサーのサブセンサーかとも思ったのだが、ただそれだけではないようだ。なにしろフレームに融合するように装着されているんだ。不用意に取り外すわけにはいかない」
「一〇八だ……」
ベルゼルガには、まだ俺の知らない装備があるものだな――と、シャ・バックのことを思い出しつつボソッと言った。
「何が一〇八だというんだ?」
アトドが訊く。
「コードが機体に埋め込まれたポイントの数だ」
「一〇八――!!」
アトドがハッとして言った。
「そいつは感覚神経の集中点の数だ」
言うなり、アトドは調査器《チェッカー》を取り出し、俺の耐圧服に当てた。
「何をする」
「どうも、こいつに秘密が隠されていそうだ。ケイン、この耐征服はいつ頃から使っているんだ?」
「一年前――ちょうど、ベルゼルガの元のオーナーとともに、バトリングを始めた頃からだ」
「そうかい――」アトドは調査器のデータを見ながら言う。「――面白いことが判ったぜ。この耐圧服には、小型の端子が埋め込んである。それも、一〇八個だ。思った通り、手首やら、そういった感覚神経が集中した点の上におかれている」
俺は、腰に巻いてあった耐圧服の袖口をほどくと、手首の辺りの裏地を噛み切った。
フワッとした内布のなかに、ポツンと小指の先ほどのぐにゃぐにゃしたものが入っていた。
「これが端子なのか」
指先でほじってみる。だが頑強に接着されていて、剥ぎ取ることはできない。
「ケイン、耐圧服を着て、コクピットに座ってみな」
アトドは、コードとバランサーを直結し、ジェネレーターを始動させる。
ジュネレーターが重い唸り声をあげ始めるなか、俺はコバーンの手を借りて両腕を袖に通した。ファスナーを首元まで引き上げると、機体の脇からシートに座り込む。
「操縦桿を握ってくれ」
そのシステムの正体を知りたい一心の俺は、アトドの言うまま、左腕をまず右手で支えて操縦桿にやり、右腕も所定の位置へやる。
「作動したぞ!」
ベルゼルガの後方に回っていたアトドが計測器を片手に持ったまま、声をかける。
「そのまま、右にバランスを崩してくれ」
俺は右に身体を傾けた。
「凄いシステムだッ」
アトドが素っ頓狂な声をあげた。俺は、それに引かれるようにシートから飛び降りた。
左腕が不自由な分だけ、着地時のバランスは悪い。俺はぐいと床を踏みしめると、アトドに向き直った。
「ケイン、こいつは凄いぜ」
アトドがジェネレーターのスイッチを切りながら言う。
「あんたの動作、知覚神経に反応して、このシステムはバランサーを制御させるんだ。こんなもの初めて見るぜ」
「俺の動作――? どうしてそんなものが、A・Tに送り込めるんだ。A・Tのバランサーはミッションディスクに対応して……」
「そのためのセンサーが、これだ。つまり――」
熱中する子供のように目を輝かせて、アトドが言う。
「――耐圧服の端子であんたの反応をキャッチし、フレームまわりのコードにそれを伝える。それが、あの鉄板で電気信号に変換されバランサーに送られるというわけだ」
「俺が、ベルゼルガのバランサーになっているのか……」
「言うなれば、そうだ。そして、これにはA・T自体の持つ能力、戦闘情報をパイロットにフィードバックする機能もある。あんたが、このシステムを知らないとすれば、元のオーナーが、ボトムズ乗りとしての自己鍛練のために使っていたんだろう」
「A・Tからデータを送られることが、何の役に立つというんだ。パイロットは、ひとりで――」
「マン・マシーンの理想的な姿じゃないか。だが、このシステム、しばらくの間……そう半年ぐらいは使われていなかったようだな。この帯電の様子から見ると、あんたが|黒き炎《シャドウ・フレア》とやった時に、やっと目が覚めたようだな」
ぞくっと、身震いがした。黒いA・Tとの戦闘中、頭の中で蠢《うごめ》き始めた破壊衝動を引き起こしたものが、もし、ベルゼルガ自身だとしたら……新たな疑問がわだかまる。
俺はベルゼルガに操られたのか。シャ・バックの怨念がこびりついた、この機体に。いや、違う。A・Tにそんな力があるはずはない。
――さもなければ、俺の復讐は無意味だ。
「このシステムは、取り外す」
俺はアトドに言った。自分でも、嫌になるほどのこだわりようだった。
「そんな。このシステムがあれば、鬼に金棒じゃねえか」
コバーンが、オーバーなアクションをつけて言う。
「そうだ、せっかくあるものを、なぜ」
バックエル、アトドが続ける。
「こんなシステムは不要だ。そのかわり、別の装備を加える」
俺は、連中にベルゼルガ改修のブランを、こと細かに伝えた。
「す……凄え! そうすれば、ベルゼルガは旧式のマッスル・シリンダーを使っても、今の倍はパワーアップができる」
アトドが驚嘆の声をあげる。
「確かに、左腕なしでも、充分操作できる」
バックエルが納得したようにうなずく。
ひとり、コバーンだけが困惑した表情で俺を見ていた。
「そうと判れば、さっそく改修にかかろう。ケインはディスクドライバーのチェックをしてくれ。バックエルは、ミーマの所に材料を……」
アトドが、頬を紅潮させて張り切る。
俺は、床に座り込み、ミッションディスクのデータを読み取る装置、ディスクドライバーを小型電源と接続した。同時にチェックモニターが点灯する。
ディスクドライバーを単独で作動させる。だが、モニターには標準機能しか表示されない。
蓋を開けてみる。七本のスリットのうち、四本にしかディスクが挿入されていない。
俺は左胸のポケットから個人データの入ったディスク……とは言っても、一〇センチ角の薄いディスケットに包まれている……を、取り出すと、スリットに差し込んだ。
モニターに表示が浮かび上がる。俺特有の戦闘パターンだ。
その時、頭のなかでなにかが閃いた。
――ミッションディスクは何枚かのそれが連動して、効果的に作動するんだ。
ケヴェックは、黒いA・Tの情報を特殊なコードとともにディスクのなかに隠したと言っていた。と、すれば、それを作動させるには、なんらかのデータを掛け合わせてやればいいわけだ。
――ケヴェックのパーソナルデータか? いや、違う。軍情報部でも使用でき、しかも、軍しか持っていないもの。
俺はニヤリと笑うと立ち上がった。
「ケイン、どうした? まだ、装備品をゴテゴテとつけようってのか」
コバーンが嫌味な声で言う。
「黒いA・Tの情報を掴みに行ってくる。ディスクドライバーは充分機能している。使用して大丈夫だ」
俺はそう言いながら、ディスクドライバーから個人データディスクを抜き、電源を切ると、整備場をあとにした。
俺はミーマのいるトレーラーヘと急いだ。扉に駆け寄る。
突然、扉が観音開きに開け放たれた。なかからロニーが現れた。彼女は、俺を見るなり、こう言った。
「ごめんね、ケイン……」
俺が言葉を返す間もなく、ダッとロニーは駆け出していった。
「なにが、あったのか」
俺は、コンピュータに向かって黙々と作業を続けるミーマに訊いた。
「さて、知らんな」
ミーマはなにもなかったような顔をして言った。
「そんなことより、貴様はベルゼルガの改修に立ち会わなくていいのか」
「ケヴェックのディスク、解析できるかも知れない」
「何ッ、これだけ私が取り組んで、一切糸口がないのだぞ」
信じられないという顔つきで、ミーマが言った。
「あんたはボトムズ乗りじゃない。だから、判らないんだ。情報部の入手した黒いA・Tのデータはあるか? それも、ケヴェックが単独行動を取る前のものがいい」
「これだ」
ミーマはディスク立てから紅色に光る円板を取り出した。直径一〇センチ程度のものだ。
「コンピュータディスクだが……」
「そいつにミッンョンディスク用の言語を掛け合わせて、ケヴェックのデータにあったバーコードだけを取り出したものと、同調《シンクロ》させるんだ」
「よかろう――」
ミーマは相変わらず不審げな表情を続けたまま、コンピュータに向き直り、操作を始めた。
「だが、こんなことで、どうなるというんだ」
「ケヴェックは、ミッションディスクのシステムを暗号解読に利用したんだ。この方式ならば、決して奴らには解読できない。なにしろ、軍のディスクを基に言語を作成するのだからな」
ミーマは、キーボードの操作を終え、ディスブレイに見入った。まだ、なにも表示されてはいない。
「時間がかかりそうだな」
俺は不安を押し殺して言った。
「軍のディスクをミッションディスクに同調させるには、三つの言語を掛け合わさなければならないからな」
そう、ミーマが言った途端、青く輝いていたディスブレイの画面が、突然ブラックアウトした「これもまた、失敗か……」
絶望的にミーマが呟く。
寸刻おいて、ディスプレイには、ゆっくりと、だが確実に、標準ギルガメス文字と画像が打ち出されていく。
「おお……」
ミーマの口から感嘆の声が発せられた。
そして、軍が今までに集めた情報とともに、ケヴェックの入手したデータがディスプレイに鮮やかに浮かび上がった。内容をまとめると、こうなる。
|黒き炎《シャドウ・フレア》は、異能結社と呼ばれる武器商人の一団によって開発された新型のオリジナルA・Tである。現在、確認数は一機のみ、プロトタイプとされているが、戦闘能力は極めて高い。この量産型を用いて、結社はバララント軍と結託しているらしい。
異能結社の規模は不明である。だが、メルキア星の幾つかの都市に拠点を持つ。アグもそのひとつだ。そこでは、新型兵器が生産されている。A・T用の手持ち兵器に始まり、果ては拳銃、弾丸に至る。さらに量産型A・Tの開発も行われているらしく、そのため、|黒き炎《シャドウ・フレア》はバトリングによって数多くの戦闘データを集めている。
そのパイロット、クリス・カーツの経歴は明らかではないが、かつてメルキア軍に属していたことがあるという。
|黒き炎《シャドウ・フレア》は高性能を引き出すため、機体に、あるシステムを内蔵している。それが、パイロットの手足から伸びたコードなのだ。コードを伝って、パイロットはA・Tと知覚を共有することができるらしい。そして、これは全身の機能にフィードバックされているという。また、パイロットを包み込むゲル状の液体は、特殊な耐G液らしい。
このシステムは、新型のA・T――俗にポッドベリーと奴らの間で呼ばれている機体にも採り入れられているという。
さらに、データの最後には、アグに潜む|黒き炎《シャドウ・フレア》の本拠地、そして異能結社の本拠――どうやら内部でA・Tを始めとする大型兵器の開発が行える大型戦艦らしい――が、メルキアに向かって接近中とあり、このデータが|F・X《フェックス》の開発及び、ギルガメスの戦局に良い結果をもたらすように……と締めくくられていた。
「これだけか――情報部の力を持ってしても」
俺は呟いた。
「これだけでも貴重なものだ。あのパイロットが軍にいたとなれば、経歴は割り出せる。それに、奴らの本拠――あんな戦艦はこのギルガメスには一隻しかない」
「ミーマ、あんたにとっては、そうかもしれないな……」
絶望的な喝きが始まった。ケヴェックのデータではクリス・カーツの秘密は一切明らかにはされていなかった。とどのつまり、クリス・カーツ自身を倒すため、俺に残されているものは、武装の強化だけなのだ。
「あの、A・Tとパイロットが有機的に結合されるシステムが組み込めるのならば、|F・X《フェックス》の能力は飛躍的に上昇する。ケヴェックは本当に貴重なものを残してくれた」
ミーマが淡々とした口調で言う。
「もし、それがベルゼルガに内蔵されていたら、どうする」
俺は、重く沈んだ声で言った。
「どうして、そんなものが……!?」
ミーマは髪を後方に撫でつけた。
「俺にも判らない。だが……もし、それをシャ・バックが取り忖けたのだとしたら、俺は奴に裏切られたことになる……」
俺は、ポツリと言った……。
それから、黒いA・Tの来襲を恐れる陰鬱《いんうつ》な二日間が過ぎ、ベルゼルガの改修が終了した。
外観の変更はほぼないものの、機体は新品同様にまで甦った。
だが、俺の左腕は動こうとはしない。明日までに変化がない時は、切断もやむをえないというヴィルペグの言葉も意に介さず、俺はベルゼルガのテストのため、久し振りにコクピットに座っていた。
感触は良好だったが、不安もある。このベルゼルガが、どれだけの性能を秘めているのか、そして、黒いA・Tに通用するのかどうか――すべては、このテストにかかっている。
俺は、右のアクセルペダルを踏み込んだ。
一同が見守るなかで、ベルゼルガは一歩を踏み出す。機構の噛み合いがスムーズではない。不満が残る。
アクセルペダルの脇にあるサイドペダルを踏む。まず左側だ。同時に右腕だけで操縦桿を動かす。ベルゼルガの左腕が大きく振り上げられる。腕操作切り換え用のサイドペダルは、充分機能している。右の動作も問題はない。
両側のアクセルペダルを同時に踏み込む。足元でグライディングホイールが唸り、機体が滑走を始める。
俺は右コンソールのボタンを押した。
ゴウンと足元から重い音が響き、脛の装甲板が後ろに倒れた。先端に取り付けられた車輪が接地する。
重いターボファンの音が響き、矢のような加速感がコクピットを貫いた。脛の内側に仕込んだジェットエンジンが点火したのだ。
高速で機体が走行する。
七〇……八〇……一〇〇キロ毎時を超えた。だが、補助車輪のため安定性はいい。床面が傾《かし》いでいるのか、わずかに機体が左へそれていく。
俺は左のアクセルを踏み込んだ。轟と左脚の脇に枝分かれしたノズルからジェットエンジンの出力が放出され、機体が横殴りのGとともに右へ曲がっていく。
あらかじめ立てておいた、厚さ一五センチの鉄板が眼前に迫った。
すれ違いざま、アームパンチを作動させた。肘の辺りで信じられない爆発音が起こり、肘から先が激しく伸縮した。
手応えは重い。
ベルゼルガを停止させて、鉄板を振り返る。アームパンチの跡が、裏面に盛り上がり、そこだけテラテラとした虹色の光沢を浮かべていた。
俺は鉄板に向けてベルゼルガの左腕を構えた。折れたままの長槍をセットしてある。パイルバンカーの基部から盾の下方に突き出したグリップを、右腕で握る。
俺は操縦桿を引いた。連動してベルゼルガの右腕がグリップを引く。パイルバンカーの後端が、凄じい閃光を発した。
長槍が鋭く伸縮した。目にも止まらぬ素早さでーだ。ベルゼルガの左肩がかすかに振動した。
鉄板に直径一五センチ程度の風穴が開いた。周辺は高熱のため焼けただれている。
ソリッド・シューターの弾体射出装置をパイルバンカーに移植したのだ。威力は増したが、連続使用回数は、三度が限界のようだ。それ以上になると機体がもたない。
今、ベルゼルガは戦闘に際して充分な力を持っているはずだ。だが、なにが足りない気がする。これだけの武装では、勝利はおろか自分の身も守れないような不安感が、全身を駆け巡っていた。
俺はベルゼルガを降りた。ヴィルペグ、アトド、バックエルが駆け寄って来て、口々にベルゼルガの威力に驚嘆する。だが、俺は、ひとり陰鬱な気分でいた。
「武器はないのか、これ以上の武器だ!」
俺は叫んだ。
「まだ、そんなことを言っているのか」
ひとり、深刻な顔で俺を見詰めていたコバーンが、やっと口を開いた。
「どんなに武器を増やしても、今のお前さんじゃ、どのみち黒い奴には勝てやしねえよ。どうしたんじゃ? 奴に負けた時、丸腰になっても、なお戦おうと吼えとったお前さんは、どこに行ったんじゃ」
「コバーン、やめな。ケインは左腕が使えないんだ」
ヴィルペグがコバーンを制する。
「いや、こいつには言ってやらにゃならん。こいつは黒い奴が恐ろしいんじゃ。だから武器に頼ろうとしておる。そして、こいつに恐怖を植えつけているのは、その左腕だ。未だに回復しないし……な」
コバーンは皮肉っぽい笑いを浮かべた。
「そんな左腕、早えとこ切り落としちまえ」
ギシと音を立てて、神経が尖っていった。
「今のままなら、お前さんも殺されていったボトムズ乗りと同じじゃないか。知らず知らずのうちに奴の術中に陥り、自滅していくだけなんじゃねえのか? 自分の頼りにした武器だけを抱いて――な」
確かに俺が武器を欲したのは、黒いA・Tに対する恐怖からだ。だが、それを口にされて、俺は逆上した。
「野郎ッ」
俺はコバーンの襟元に掴みかかった。絞り上げる。
「まだ、それだけの元気があるなら、儂《わし》と戦ってもらおうか。ただし、武器やローラーダッシュは使わずにな」
「丸腰か」
「そうじゃ、儂はここへ持って来ておるクレバーキャメルを使う。新鋭装備なんぞ使われた日には、勝ち目はないからな。もし、それでお前さんが勝てたら、前言は取り消そう。望みなら、儂の有り金すべてやってもいい」
コバーンは俺の顔色を窺《うかが》った。
「やるのか」
「準愉しな」
俺は激情に駆られたまま、そう言った。
数分後、重く鈍い足音とともにコバーンのA・Tクレバーキャメル≠ェ姿を現した。機体の各所を錆びつかせた、旧型のA・Tだ。
のっぺりとした巨大な脚を踏み下ろし、キャメルは近づいてくる。コバーンは、その開いたままのコクピットに窮屈そうに収まっている。ヘッドレストがかなり後ろにあるのか、コバーンはシートに身を預けるようにして座っているのだ。
俺はコクピット地表近くまで降ろしたベルゼルガに跳び乗ると、立ち上がらせた。
コバーンがハッチを閉じる。
キャメル頭部のカメラアイが下方に落ちると、同時に頭部が開く。両翼型のセンサーが突出し、一、二度回転すると頭部は元の形へと戻った。
あらかじめこの整備場の地形をインプットしたのだ。
キャメルが、ベルゼルガに向かって走り始めた。
俺もハッチを閉じ、ベルゼルガを走らせた。脚部が不安定に傾ぐ。ベルゼルガの重さのせいか、それとも武装のためなのか。
キャメルが大きく腕を振り上げる。立方体が複雑に組み合わされ、人間の筋肉の形をとったような腕だ。奴は握り締めた拳を、叩きつけるように振り下ろす。
俺は左腕で機体をかばう――だが、キャメルの腕が振り下ろされる速度は速い。左腕から中途半端な衝突の感覚が伝わってくる。間一髪、盾の先端がキャメルの腕を止めたのだ。もう一瞬、動作が遅ければ、今ごろ頭部のカメラアイは吹き飛ばされていただろう。
間髪入れず、俺は右腕を繰り出した。キャメルの胸元めがけてだ。だが、一瞬早く繰り出された奴の左腕によって、それは弾かれた。
ズン。キャメルの左腕がコクピットを直撃した。同時に奴は右腕を振り払うと、弧を描くように回転させ、ベルゼルガの左肩を殴りつけた。
元来キャメルは武器の少ない時代のA・Tだ。白兵戦には向いている。
年齢を感じさせない、コバーンの積極的な攻撃が続く。機体の各所から、キャメルの拳が激突する重い音が聞こえる。
反射的にアームパンチの作動ボタンに指が伸びる。ハッとして、それを引く。この距離からアームパンチを作動させれば奴を破壊することができる。だが、そいつを使った瞬間、俺の負けだ。
俺は機体を数歩、後方に退かせた。
「どうした、ケイン。武器を使わにゃ手も足も出んのか?」
キャメルが、エッジの立った五角形の肩口から突っ込んでくる。奴に勝つには、奴より素早い動作をベルゼルガにさせるしかない。右腕一本でそこまでやれるものか――?
キャメルがあと三メートルと迫った。俺は右のサイドペダルを踏み込むと、操縦桿を引き上げる。
ベルゼルガの右腕が、キャメルの左肩口をすくい上げるように払う。奴は、その反動を利用して、右腕をアッパー気味に突き上げてくる。
俺は左のサイドペダルに踏み換えると、操縦桿を内側に薙《な》ぎ払った。
甲高い衝突音とともに、ベルゼルガは左肘の盾でキャメルの右腕を止めた。
すぐさま、キャメルは左脚で体勢を立て直し、右のストレートをふるう。
俺は奴の拳に対して、ベルゼルガの左肩を向けると、左のサイドペダルを踏み込んだ。
突入してくる拳を左腕が撥《は》ねのける。咆哮とともに、サイドペダルを踏み換え、アクセルペダルとともに踏み込む。
ベルゼルガが身を翻し、右拳を繰り出した。
「待て――っ!」
コバーンが叫んだ。
俺はベルゼルガの動作を止めた。キャメルの数センチ手前で、拳がピタと止まる。
「吼えたな、ケイン」
コバーンが嬉しそうな声で言う。
「それでいいんだ。ベルゼルガは|M《ミッド》級とは違って、どうしても重量がある。武装を強化すればなおのことじゃ。じゃが、黒い奴は、あの機体で|M《ミッド》級以上の素早さを持っとる。勝つにはパイロット自身の腕が必要なんじゃ」
「ああ、判った……いや、判っていたさ」
「こんなことで、お前さんに潰れられちまったら、儂の面目も立たねえ」
そう言うコバーンの声を耳にしながら、俺はベルゼルガを降りた。
「|青の騎士《ブルーナイト》、ようやく戦えるようになったな」
今まで黙りこくっていたミーマが、歩み寄って来て言った。
「少なくとも、ここ二、三日の貴様よりは、良くなった」
「判っていたのか」
「さあな――?」
ミーマはニヤリと笑った。
「私は情報の整理が残っているから、この場は去らせてもらうが、貴様はしばらくベルゼルガを慣らしていた方がよかろう」
そう告げて、ミーマはゆっくりと整備場から姿を消した。
「ミーマは、ああ言ったが、そうのんびりもしていられないな」
俺はコバーンに言った。
「センサーとパイルバンカーを探しに行こうってのか?」
コバーンが渋い顔をした。
「あたいが一緒に行くよ」
ロニーが、整備場の端で言った。
「モンエテの使ってる店でしょ、あたい場所知ってるよ」
「それじゃ、ケイン。そうしてくれ。どうせお前さんひとりじゃ行けねえだろ」
「奴と――?」
俺はあからさまに嫌な顔をした。
「奴はないでしょ。あたい、これでもデリケートなんだよ」
「なにを言う、このバリケード娘が」
コバーンがまぜっ返した。
「ふんッ――じゃ、待っててね、着替えてくる」
ロニーは整備場を出ていった。それを見届けると、コバーンが呟くように言った。
「ベルゼルガに内蔵されていた、あのシステムな、抜き取っちゃいねえ。ただ回路を切ってあるだけじゃ。あいつを使って、もう少し鍛練してみるんだな」
コバーンは、口許を緩めて笑った。
アグ北東部を上下に貫くビルの、一階層から二階層へと降りるエレベーターのなかで、俺は奇妙な感覚に捉えられていた。いや、ロニーが俺を連れに、整備場へ現れた時からだ。
奇妙なのはロニーの服装だ。小柄な男用の耐圧服を着込んでいる。肩にはパッドを入れ、固めのアンダーウェアで胸元を締めつけているのか、パッと見にはダブダブの服を着た男だ。そのうえ深々と、耳まで包み込むアンダーヘルメットを被っている。
そして、服自体は異様に汗臭い。それも男の体臭だ。
「あ……気になる? この格好」
ロニーが笑いながら言った。
「バトリングの時は女の方が稼ぎがいいけど、出歩くときは、こんな風に男の格好でもしてないと、アグじゃ女は半日で五人の男の子供をみごもることになっちまうからね」
心なしか男っぽい口調で答える。
「それより、ケイン。ミーマが街を出たよ」
「トレーラーは置きっ放しだったが」
「データだけを持っていくんだって。それとトレーラーのなかに、新型のマッスル・シリンダーがあるから、使ってほしいって言ってたよ? ただし、ポリマーリンゲル液は一〇時間分しかないってさ」
「ワン・チャンス――か。奴は、俺に一試合分の勝機を残してくれたんだな」
「うん。軍人ぽくなくて、いい人だったね、ミーマって」
そう言うとロニーは黙りこくった。そして、二階層の地表まで、二〇〇メートルと表示が灯った時だった。
「あのね……ケイン」
ロニーが、口ごもりながら言った。
「本当はあたい、謝ろうと思って、あんたと一緒に来たんだ」
俯《うつむ》いたまま、ロニーはか細い声で言う。
「あたい、馬鹿だよね……どうせ、あたいはバララントじゃ、独りぼっちだったんだ。でも、ギルガメスに来て、コバーンとかいろんな仲間ができたんだよ。だから、あんたには感謝しなくちゃいけないぐらいだったんだ……でも、そんなことも判んないで……コバーンに子供扱いされるのが嫌なだけで、あんたのやろうとしてること、無茶苦茶にしちゃって……」
ロニーが俺の胸に額を当てて、すすり泣き始めた。
「今考えるとね、コバーンに連絡したのも、あんたを本当に助けたいと思ったからなんだよ。こんな街でしょ、ひとりぐらい頼れる人間にいてほしかったんだ。でも、あんたは、そんな人、亡くしちゃったんだってね」
「ミーマに聞いたのか」
「うん」
ロニーが額をこすりつけるようにうなずいた。
「あたい、あんたが黒いA・Tを追ってるの……ただの賞金稼ぎだと思ってたんだ。仇討ちだなんて、思わなかったんだもん……ごめんね、ケイン。ミーマに教えられて、すぐ謝ろうって思ったんだけど、あの時のケイン、人間じゃないみたいだった。コバーンとやって、やっとらしくなったから、あたい……」
「今も人間じゃない、俺は」
「嘘だよ。ちゃんと心臓の音……する。それに近寄り難い雰囲気、ないよ」
「違うな――」
ストレートに感情を出すロニーに触発されたのだろうが、言葉が口からこぼれ出す。
「メルキアに戻った時の俺は、間違いなく何も知らない、ろくに感情を持たない、ただ命令されて動くだけの戦闘機だったさ。だが、シャ・バックに会って変わり始めた……そうだ。少しずつだが、感情を表に出すこともできるようになっていったんだ。笑うことも、仲間を信じることもだ……あいつは俺を人間に戻そうとしてくれていたんだ。だが、あいつは黒いA・Tに殺された……。その瞬間、すべてが失せていった。残っていたのは、元の殺人機だけなんだ」
「ううん、あたいの言ってるのは、そんなんじゃない。あの時のケインは、血に飢えていたってこと。――でも、ミーマが言ってたよ。あんたが一番人間らしいって。あれほど執念を持って、|黒き炎《シャドウ・フレア》を追った人はいないって。ごめんなさい、自分の言葉じゃなくて」
「それは、仇をとった時の話だ。今はまだ、その証がない」
「ケイン、これからあたい絶対に邪魔しない。ううん、手伝ってあげる……」
ロニーが、そう言った時だ、エレベーターが、地表についた。
バッと離れると、ロニーは俺に銃を差し出した。ラドルフとの試合で奪われた、アーマ・マグナムだ。
「これ、返しとくよ」
そう言うなり、ロニーは開いた扉から跳び出した。
ロニーに続いてビルから出ると、路地から軍用トラックが走り去る姿が目に入った。
「ケイン、バスが動いてる。きっと戒厳令が解けたんだ。あれ使おうよ」
ロニーが駆け出した。
「先回り、しちゃお」
ロニーが脇道へ入った。後に続いて五〇メートルほど走ると、大通りに出た。遠くから軍用トラックが走ってくる。
「ここは、大回りしてくるんだ」
そう言うと、ロニーは手を振り上げた。
トラックが眼前で止まる。幌《ほろ》を被せた荷台に、後方から跳び乗る。ロニーは、運転席の近くにある、金属性の箱に小銭を入れた。
「入れましたよー、ふたり分」
そう声を掛けると、トラックはゆっくりと走り始めた。二〇キロ毎時程度だ。
俺はバンダナの下に指を差し込み、汗を拭った。
「それ、癖なの、いつも親指なんだね」
「遅いな、このトラック」
俺がそう言うと、ロニーがクスッと笑った。
「もう少ししたら、判るよ」
ロニーは、お情け程度に備えつけられた椅子に、ちょこんと座った。
客は他にふたり。薄茶色の服の老人と、ボロボロのランニングを着た浮浪者風の男だ。
「あんな奴って、大抵偽コイン使うんだ。あたいもそうだけど」
ロニーが耳打ちする。
しばらくの間、トラックに揺られた。乗り心地は極めて悪い。だが、所々穴の開いた幌から射してくる光は、久し振りに心地良いものだった。
「ケイン、荷台の端に寄って。降りるよ」
幌の隙間から外を覗《のぞ》いていたロニーが、突然言った。
だが、トラックが止まる気配はない。
「今よッ、跳び降りて!」
俺を押し出すのと同時に、ロニーは荷台から跳び出した。
瞬時に受け身をとった。だが、不様な格好で地面に転がった。
「このバス、拾ってはくれるけど、降ろしてはくれないの。だから、ゆっくり走ってるんだ」
ロニーは、俺の左腕を掴み、引き起こした。
「冷たいね、この腕」
俺は反射的に左腕を押さえた。
「ごめん」
ロニーはチロッと舌を出して、首を傾げると、脇にある路地へと入っていった。
「ここだよ、モンエテの良く使う店って。割となんでも揃うんだ」
脇の方に設けられた小さな扉を開き、店の中へと入る。壁一面に、バトリング選手用の耐圧服が吊られている。オーダーメイドで、卸し立てのようだ。どれも派手な金装飾を施してあり、身体の左右が赤と青のツートンカラーのもの、虎縞模様のもの……どれも、ボトムズ乗りの自己顕示欲を満足させるにふさわしいものばかりだ。
「あたいの耐圧服、ここで作ったんだよ。生地がいいからね、ここのは」
ロニーは、臭の扉を開いた――瞬間、ヒッと息を詰まらせたような悲鳴をあげた。
扉の向こうでは、ラドルフ・ディスコーマが不敵な笑いを浮かべて待っていたのだ。
反射的に腰の銃に手をやる。
「待ちな――」
一瞬早く、ラドルフが腰のアーマ・マグナムを抜いていた。
「今、貴様を殺《や》る気はない。俺は貴様にこれを渡すために待っていたのだ」
ラドルフは、左手に持っていたバッグを投げた。
「クエント製センサー、その男が命懸けで買いつけたものだ」
ラドルフの視線の先には、ローブで全身をグルグルと巻かれた太目の男の姿があった。
「モンエテっ」
ロニーが金切り声をあげ、その場に崩れ落ちた。
「惜しかったな、つい今しがた息を引き取ったばかりだ」
平然とした顔つきで、ラドルフが言う。
「早く戻って、そいつをベルゼルガに取り付けるんだな。俺はベルゼルガに乗っていない貴様などに、用はない」
「ケイン、モンエテを連れて帰ろ」
ロニーが掠れた声で言う。
その時だ、ラドルフのアーマ・マグナムが火を噴いた。モンエテの頭が、一瞬の残像すら残さずに四散した。残ったものは血煙だけだ。
「ひ……ひどい」
ロニーが呻く。
「あと、ものの三〇分もすれば、|黒き炎《シャドウ・フレア》の雇い入れたボトムズ乗りが、貴様たちの隠れ家を襲撃する。今から急げば、ムザムザとA・Tを破壊されずにすむ」
「なぜ、そんなことを教える」
「俺も、それに参加するからだ。まだ決着はついていなかったはずだな。だが、装備が完全でないベルゼルガと戦ったとしても、腹の足しにもなりはしない」
ニヤリとラドルフは笑い、銃口を向ける。
「早く行けッ」
俺は上目づかいに奴を睨みながら、クエント製センサーを拾い上げると、ロニーを先に店から出した。
「貴様も早く行くんだ」
ラドルフが、業を煮やして喚く。
俺はラドルフの銃口を睨みつつ、そろりと背中から店を出て、素早く扉を閉じた。
「コバーン、大変ッ」
隠れ家の整備場に戻るなり、息を切らせながらロニーが叫んだ。
「|黒き炎《シャドウ・フレア》の手下どもが、あと三〇分……ううん、二〇分ぐらいで、ここを襲うって」
「そうか、準備を急がせにゃならんな」
そう言いつつも、コバーンには少しも慌てた様子はない。
「準備って……なんの?」
ロニーがきょとんとして訊いた。
「ムディ・ロッコルの居所が判った」
コバーンは、俺に向き直った。肩口から羽織ったケープがシャリと乾いた音を立てる。
「ケイン、ロニーとこの街を出てくれ。アグの衛星都市、ボウヘ行くんじゃ」
「俺は、ここで奴らを迎え撃つつもりだ」
俺はコバーンを黙らせようと、声のトーンを落として言った。
「いや、お前さんには、どうしても行ってもらわにゃならん。パイルバンカーを再生させるためにも――な」
「パイルバンカーを?」
「そうじゃ」
コバーンが言い聞かすように言った。
「ロッコルの駆る、グレーベルゼルガにもパイルバンカーが装備されておる。なんとかして、奴からパイルバンカーの長槍を譲り受けるしか手段はない」
コバーンが必死に言う。その口許は乾ききっていた。
「だが、奴らが現れるというのに、みすみす見逃す手はない。これが最後の機会になるかもしれん」
俺は決意をみなぎらせた。
「じゃがな、ケイン。武器に扱われるわけじゃなければ、万全の準備を整えて戦いに臨んだ方がいい。それに、もう時間もない。ミーマの残したマッスル・シリンダーも、センサーも、換装するには時間が必要じゃ」
俺は右拳に力を込めた。喉元まで込み上げてくる叫び声を呑み込んだ。
「間違いなく、その男はベルゼルガに乗っているんだろうな。メルキアにクエント製のA・Tが残っているとは信じられない」
「じゃが、いたんじゃよ」
コバーンが落ち着き払って答えた。
「ロッコルは、今から三カ月ほど前、この街に現れたんじゃ。ちょうど儂が三階層から追い出されたころの話じゃ。軍警に抵抗し、捕まりかけたところを救ってくれたのが奴じゃった」
「それで、奴の試合を仕切ったのか」
「いや……奴はこの街で試合はせんかった。じゃが形を憶えておいてくれと言われて、機体は見せてもろうとる。間違いなく、鋼鉄の地肌を剥き出しにしたままのベルゼルガじゃった」
コバーンはポケットから煙草を取り出し、火をつけた。
「奴がなぜ儂にA・Tを見せたか判るか? 奴はこう言ったんじゃ、グレーベルゼルガに似たA・Tに乗る男がいれば、戦わせてくれ――とな。奴とパイルバンカーを賭けて戦うんじゃ」
「何者なんだ、そのムディという男」
煙を吐きながら、コバーンが答えた。
「クエント人のボトムズ乗りだ。手前の損得には関係なく、バトリングをやる。相手は決まってベルゼルガと似た姿をしたA・Tじゃ」
「コバーン――」
整備場に、ヴィルペグが駆け込んできた。
「トレーラーの準備は終わった。二機ともコンテナに入ったよ」
「それより、黒い奴が来る。急いでケインらを脱出させるんじゃ」
アトド、バックエルが駆け込んできた。
「ガレージのあたりの雰囲気がおかしい。早く、出てくれ」
アトドが叫ぶ。
「こいつを持って行け、ケインたちの援護をするんじゃ」
コバーンが部屋の隅から、三丁のバズーカを引き摺り出してきた。
「――儂はキャメルを使う」
「あんたたちは、どうするつもりだ!?」
「儂らはこの街から離れん。黒い奴が、どこに移動してもお前さんに連絡できるよう、見張っておく。ロッコルの顔はロニーが知っておるはずじゃ」
コバーンは、脱《だっ》兎《と》のごとく整備場から駆け出した。俺たちも、後に続いた。
長い廊下を駆け抜けながらコバーンが言う。
「ケイン、パイルバンカーを手に入れたら、即、ここへ帰ってくるんじゃ。いつまでも、ここに立て籠っていられるほど、若かァねえんでな」
俺たちはガレージの入り口まで来た。その奥からは、何体かのA・Tが噴き上げる熱気が流れ込んできている。
「止まれっ、コバーン」
身を翻して、コバーンが通路の脇で止まる。
「奴らが来た」
俺が呟くように言うと、皆が息を潜め、通路の壁面に背を貼りつけた。五感を研ぎ澄まし、奴らの気配を探る。
突然、眩ゆい光が射し込んできた。奴らがサーチライトを点灯したのだ。光のなかで、巨大な影が立ち上がる。三機のA・Tだ。
「そこに隠れているのは判っている。出てこい、さもないと通路ごと生き埋めにしてやる!」
奴らが通路の上方に向けて、ヘビィマシンガンを構える。
「援護してくれ」
コバーンは、ヴィルペグにそう言うなり、ガレージヘ跳び出した。A・Tどもの銃口が一斉にコバーンに向けて動き始める。
その時、ヴィルペグの持ったバズーカが発射され、サーチライトを撃ち破った。
辺りが闇に包まれた。機械の軋む音だけが聞こえる、不気味な闇だ。
コバーンが、最も通路に近い側に置いてあった、クレバーキャメルに乗り込んだ。ハッチを閉じて立ち上がる。
キャメルの足元に火花が散った。グライディングホイールの高速回転によって、キャメルが軋みながら走り始める。
眼前の二機に向かって突進する。
両腕を頭部に巻きつけるように激突させると、キャメルはあっという間に敵を突き倒した。
倒れた二機にヴィルペグ、アトド、バックエルがバズーカを撃つ。その爆炎の立つなが、俺とロニーはトレーラーヘ向かった。
「運転は任せる」
俺がロニーにそう言った時、突然ガレージの壁に亀裂が走った。灼熱《しゃくねつ》すると微塵に崩れ、ガレージの内側に向かって爆発的に吹き込んできた。
灰煙のなかから、赤い丸いA・Tの肩が浮かび上がる。
ゆらめきながら、迫る。
スコープドッグ、レッドショルダーカスタムだ。
右肩に六連装ミサイルポッドを装着してはいるものの、それは間違いなくラドルフの機体だ。
奴は後方に数台のA・Tを引き連れて、歩み寄ってくる。
「|青の騎士《ブルーナイト》、ベルゼルガに乗れ」
ラドルフがマイク越しに言う。
「やめるんじゃ、ケイン! 早く脱出しろッ」
そのコバーンの声に反応するように、ラドルフの後方に控えていたA・Tどもが、ザッとふたつの隊に分かれ、トレーラーの前後を塞いだ。前方に三機、後方に四機だ。
「早くベルゼルガを出してもらおう」
ラドルフが威圧的な声で迫る。
俺はトレーラー後方の扉を開くと、中に跳び込んだ。扉を開いたまま、ベルゼルガのもとへ歩み寄る。
ベルゼルガのコクピットに跳び乗り、始動させる。
「ロニー、トレーラーを発進させろッ」
俺は通信器に向かって言う。同時にトレーラーのエンジンが唸り始めた。
その音に反応して、開いた扉の辺りにA・Tどもが集まり始める。四機ともだ。
俺はジープの荷台から、ベルゼルガ専用ヘビィマシンガンを掴み取ると、腰だめに構えて乱射した。
トレーラーのなかに大反響が起こる。どこかで、カラカラと薬莢《やっきょう》の落ちる音が聞こえる。その共鳴がやんだ時だ、四機のA・Tのコクピット・ハッチが、一斉に弾《はじ》け、四散した。パイロットは皆、首から上が血と骨と肉のぐじゃぐじゃになった、ただの物体と化していた。
四機のA・Tどもが地に伏した時だった。トレーラーの車体が横に揺れた。壁面を貫通して弾丸がトレーラーのなかで跳《は》ね回る。
――横かッ――
俺はアクセルペダルを踏み込んだ。ベルゼルガが、トレーラーから跳び降りる。
ギャンという走行音とともに、ラドルフの機体が眼前に現れた。
「決着をつけるとしよう、|青の騎士《ブルーナイト》――」
ラドルフが、そう言うと、奴の機体がベルゼルガにじりじりとにじり寄る。その機体に向かって、通路脇からの射撃が集中する。だが、奴はそれをものともせず、通路にヘビィマシンガンを撃ち込んだ。
轟音とともに、通路が崩れ落ちる。三人は即死だろう。
コバーンのキャメルが、ラドルフの機体に組みついた。だが、奴は微動だにしない。あっさりとキャメルを撥《は》ね飛ばす。
そして、俺に迫る。
その時だ! ガレージの上方から射撃音がした。慌てて機体を翻したが、もう遅かった。弾丸はコクピット・ハッチの継ぎ目に命中、四散した。だが、弾丸の内核がコクピットの中に侵入し、突然、弾けた。
その破片がコクピットの中を跳ね回り、或るものは俺の身体を掠《かす》り、また、喰い込むものもあった。
ガレージの出口辺りから、一機のA・Tが飛び込んできた。ファッティーに似た形状だが、ひと回り大きい。しかも、ギルガメス風の表面処理が施されている。
塗装も光沢のある黒だ。
ケヴェックのデータにあった――ポッドベリーか。
奴が上方から迫る。
俺はパイルバンカーを作動させた。衝撃波とともに、折れた長槍が突き出される。
だが、それは奴のハッチの辺りに命中し、機体を弾き飛ばしただけで、ダメージを与えるまでには到らなかった。
ポッドベリーがゆらりと立ち上がり、再び俺に迫る。
機体をわずかに宙に浮かし、突進してくる。その時、ラドルフのA・Tが六連装ミサイルを全弾発射した。
次々とミサイルが命中し、ボッドベリーは、紅《ぐ》蓮《れん》の炎に包まれて四散した。
「ラドルフ――なぜだ」
「貴様は俺が殺す。そう言ったはずだ」
通信器からラドルフの図太い声が聞こえる。
「見たところ、パイルバンカーは折れているではないか。貴様がアグを脱出しようとしているのは、パイルバンカーの改修のためか?」
「そうだ。それさえ済めば、俺はこの街に帰ってくる」
俺は不退転の決意をみなぎらせて言った。
「ならば、俺はここで貴様が来るのを待つとしよう」
「黒いA・Tを裏切って――か」
「俺は、俺の思った通りに戦う。そのためには、いずれ奴とも戦わねばならないとは思っていた――」
「ケイン、早く行けッ」
コバーンの声がラドルフの言葉を遮った。
ラドルフの突き破った空洞から、わらわらとA・Tどもが姿を現す。ラドルフは機体を翻すと、奴らに向かって突進していった。
「必ず帰ってこい」
ラドルフの声が聞こえる。俺はベルゼルガをトレーラーの中に入れた。
ロニーがトレーラーを発進させる。スロープを登り、一階層の地表に出ると、西の通用口に向かって、突っ走った。
そして、二〇分後、トレーラーは検問を突き破り、アグの街を出た。
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CHASE 7 POTENTIAL
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憤怒の狼
激情の虎
絶叫に支配された密林
血に染まった大河
そこに巨大な闇の脈動を見た
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ボウの街はアグの西通用口から延びた幹線道路を一直線に走った先にあった。辿りついたのは、アグを脱出して三時間後のことだ。
ロニーから聞いたところでは、この街は工業都市・アグに対し、その流通を受け持つ衛星都市だという。そのため、アグヘ行く者は必ず一度はこの街に立ち寄る。また、街の外縁には、わずかながら緑があるため、そのまま街に居着く人間も多く、その面積はアグの半分だが、人口は約三倍、五〇万の人間が街を徘徊《はいかい》しているのだ。街外れでも、様々なギルガメス星系人がうろついている。
眼前の木陰に、女がひとりいる。長い髪を幾条かの紐《ひも》のように束ねている。女は木の幹に背を寄せて座り、踵まではあるだろうスカートの裾を膝のあたりまで折っている。その内側から二、三丁の銃把《じゅうは》が見える。
そこへ男が来た。側頭から後頭部にかけての髪を剃《そ》り、残った髪を前方に集めてひさしのように張り出させている。男は女にチラと札束を見せた。女がスカートの中から一丁の銃を取り出し、札束とそれを交換する。
武器の密売人らしいふたりが去ると、俺とロニーはトレーラーから降りた。まばらに植わった灌木のなかに突き出した朽ち果てた水道管を見つけると、ロニーが駆け寄った。
思いきり蛇口の栓をひねる。だが、ビクともしない。
ロニーは腰に提《さ》げた小口径の銃を抜くと、水道管の根元あたりに狙いをつけて撃った。
乾いた音とともに水道管が折れた。じわっと水が湧き出す。泥とオイルに汚れ、赤茶けた水だ。
「これじゃ、傷の手当てできないね」
ロニーが嘆息混じりに言った。
「手当てなど必要はない。それよりも、早くロッコルを捜さなくては」
俺は平然と言った。
「でも、三時間も経つのに、まだ血が止まらないのよ」
「ただの掠《かす》り傷だ」
心配そうな目で見るロニーを、落ち着かせるように言った。
だが、確かに異様ではあった。
アグを出る際、ポッドベリーが放った弾丸によって負った傷は四つ。右手首と両足首の、鋭い刃物で皮一枚切られたような掠り傷と、左手首に破片が喰い込んだのだけだ。喰い込んだといっても、皮に引っ掛かったようなもので、とやかくいうほどのものではない。
俺は破片を抜き、血止めの応急処置として煙草の灰をなすりつけておいた。これは熱殺菌されており、ニコチンも抜いているため、害はなく、止血効果も高い。
だが、血は止まらない。紐できつく縛ってみた。だが、手足に残った血が流れ出すだけで効果はない。血液が凝固しないのだ。
今までこんな症状に陥ったことはない。思い当たる節は、ポッドベリーが放った弾丸だけだ。
「ケイン、お医者さんに診《み》てもらおうよ。その方が安心できるし、すぐ治るはずだよ」
ロニーが切なそうな声で言う。
「金はコバーンがトレーラーの中に放り込んでいた千ギルダンしかない。今は医者よりも食料だ」
俺は胸元に手をやり、その重みを確認した。
「でも……」
ロニーは一旦言葉を切ると、説教じみた調子で言った。
「ちょっとは、自分の身体のこと、心配したらどうなの? あたいの言うこと、ちっとも聞かないんだから」
「俺は、お前のことを信用していると言った覚えはない」
俺は冷たくそう言った。
「そんな……まだ」
「この街の闘技場はどこだ?」
「え?」
ロニーが呆れた顔をした。
「闘技場の近くは人が集まる。飯屋もあるだろう」
「でも、怪我は……」
「抜けた血は、飯を喰って補えばいい。お前も朝からなにも食ってないだろう」
「大丈夫だよッ。ほらっ」
ロニーは腹に軽く手を当てた。瞬間、顔を赤らめ、そっぼを向いた。腹が、ぐーっと音を立てたのだろう。
「行くぞ、案内してくれ」
俺は街の中央に向かって歩き始めた。
今、俺にとっては、掠り傷の完治よりも、グレーのベルゼルガを探すこと、そして、黒いA・Tに勝る抜を見出すことが必要なのだ。
ちょっとムクれた声をだして、ロニーがついてきた。
林を抜けて街中に入る。活気溢れる街並みを人々が濶《かっ》歩《ぽ》している。商人どもの客寄せの声が聞こえる。
背の低いテントの脇から、ひとりの商人風の男が駆け寄ってきた。
「兄さん、この薬、要《い》らねえか? バララント産で、よく効くぜ。バララントの兵士共ァこいつを使ってるんだ。それで何回やられても、立ち直ってくるんだぜ」
男は訳の判らないラベルの貼られた小瓶を取り出す。
「あんた、バララントの人間かい?」
ロニーが、懐かしいものを見るような目で男を見た。
男はロニーの口を塞いだ。そのまま俺たちをテントの脇に引き込む。
「困るな、大きな声で言われちゃ」
「でも、訛《なまり》があるよ、バララントの」
ロニーが語尾を軽くあげるように言った。
「あんたも、そうか?」
男はパッと顔を輝かせて、言う。
「うん。でも、バララントにそんな薬、ないよ」
「こうしておいた方が売れるんだ。だれでも敵の秘密は欲しがるものだからな」
男は鼻高々に、胸を張った。
「でも、その訛はやめた方がいいよ。軍人には、バララントにいた奴――」チラとロニーは俺を見て、言い直した。「バララントにいた人だって、いるんだから。それに、見つかったら叩き殺されるよ」
「だが、今偽物が横行しているから、リアリティのある方が売れるのさ」
「それは、いい」
俺はふたりの会話に口を挾んだ。
「それより、あんた。グレーのベルゼルガを知らないか? この街でバトリングをしていると聞いたのだが……」
男は潰れたような細い目をギョロリとさせた。
「ヘー、あんたらボトムズ乗りかい? もっといかつい連中がやるもんだと聞いていたがな」
青いタオルで広い額を拭いながら続けた。
「俺はバトリングは見ないからな、グレーのベルゼルガは知らねえ。だが、ひとつ教えといてやろう。この街じゃ、軍警に睨まれんようにするこったな。ここのバトリングは、軍警と組んでやる……」
「ゼルバップ! 貴様、またこんな所で商売してやがるなッ」
突然、男の声が言葉を遮った。
声の方向には、青い制服に白い制帽を被った、ひとりの軍警官がいた。
「あ、こりゃチャコルの旦那」
ゼルバップが、腰をかがめて、揉《も》み手した。
「今日のあがりは、どうなっている?」
「ヘイ……」
ゼルバップはチャコルに小銭を手渡した。
「貴様の正体を知りながら、商売させてやっているんだ。有り難く思って、キリキリ儲けよ――時に、そいつらはなんだ、貴様の仲間か?」
ヂャコルが、俺とロニーを見た。
「いえ、ボトムズ乗りだそうで……」
「新顔か?」
チャコルが、俺を値踏みするような目で見る。
「の、ようですが」
ゼルパッブが、太鼓持ち風に調子を合わせた。
「ほう……」チャコルが薄い髭《ひげ》に手をやった。「ならば、俺が面倒を見てやろう。この街で何試合していくつもりだ?」
俺は、ニッと笑って言った。
「一試合だ」
「一試合だと、ふざけた野郎だな」
チャコルが鼻先で笑った。嫌らしい笑いだ。
「女連れのボトムズ乗りだ。この街で、一番弱い奴とやらせてやろうか? その程度が似合いだろう」
嫌味な声で挑発する。それに耐えかねたように、ロニーが怒鳴った。
「この人は、あの|青の騎士《ブルーナイト》さ! 馬鹿にすんじゃないよッ」
「ロニー」
制したが、もう遅かった。
「|青の騎士《ブルーナイト》か……」
チャコルがニヤリと笑った。
「それはいい――上手く商売をさせてやる」
「グレーのベルゼルガと試合を組めるか?」
俺は奴を試すよう、穏やかな口調で訊いた。
「グレーのベルゼルガ……だと」
チャコルが口ごもった。
俺は素早く腰のアーマ・マグナムを抜くと、チャコルの胸元に突きつけた。
「き……貴様、軍警官にこんなことをして、ただで済むと思っているのか?」
「そうかい」
銃口をぐいと押しつける。
「あんたは、グレーのベルゼルガを知っているな、そいつと試合《やら》せてくれないか」
「奴は、俺に仕切れるレベルの男じゃねえ、それに、まだこの街にいるかどうかも……」
チャコルは震えながら言う。
「なら、失せな。そして、奴がこの街にいるなら伝えるんだ。俺が奴と試合《やり》たがってるということをな」
「貴様あーッ」
チャコルが唸る。
俺はアーマ・マグナムの安金鉄に掛けていた指先を、引き金に当てた。
「覚えてやがれッ」
チャコルが遁走《とんそう》した。逃げ足は早い。あっという間に、奴の姿は視界から消えた。
「いいのかい? あんなこと、しちまって」
心配げにゼルバップが訊いてくる。
「正体がパレたからな。奴が騒ぎ回って、俺のことがロッコルに伝われば、それでいい」
「そうだね、ロッコルは、ベルゼルガに乗ってる男を探してるんだったね」
ロニーが相槌を打った。
「この街に、ボトムズ乗りの集まる店はあるか?」
俺はゼルバップに訊いた。
「探すのか、そのグレーのベルゼルガを」
「そうだ、一刻も早く見つけなければならない」
俺は低く押し殺した声で言った。
「闘技場のヴィック・BEだ。噂に聞いたことがある」
ややあって、ゼルバップが口を開いた。
「情報屋なんてのも、いるらしい」
「済まんな……」
そう言うと、俺は闘技場へ向かって歩き始めた。ロニーが続く。
「待ってくれ、その姐《ねえ》さんもボトムズ乗りなのか? 耐圧服を着込んでいるが」
「そうだよ、フロッガーに乗ってる」
ロニーが振り返って答えた。
「フロッガーか、見たいな」
ゼルバップが、懐かしそうな顔で呟いた。
「もし、この街でバトリングをすることがあったら、教えてくれ。俺は、いつもこの辺りにいる」
「判ったよッ!」
ロニーは明るく答えると、小走りに俺を追ってきた。
「ケイン――変わったね」
闘技場に向かう通りを歩きながら、ロニーが肩を並べて言った。
「今まで人に物を訊いても、礼なんて言ったことなかったでしょ」
「あれは、形式だけのものだ」
無意識のうちに、そんな言葉が口から出た。
「本当?」
ロニーはちょろっと前方に回り込むと、顔を覗き込んだ。
「見るな」
俺は平静を装って言った。
「キャッ」
突然、ロニーが短い悲鳴をあげた。背中からなにかに衝突したのだ。俺の胸に倒れ込んでくる。
両肩を掴んでロニーの身体を止める。
「ごめんね」
ロニーが悪気ない調子で言った。
「女か――」
凄まじいダミ声を発し、眼前でふたりの男が振り返った。身長二・五メートルはあろうかという大男だ。ふたりとも、額の中央から頭頂にかけて髪を一直線に刈り込んでいる。どちらも、その顔面は、火《ひ》脹《ぶく》れを起こしたように、赤くただれている。
「二人連れか」
右側にいた男が、ガッと大木のような腕でロニーの肩口を掴み、天高く持ち上げた。
「グワラハハ……」
豪快な笑い声をあげる。
「この野郎ッ、何するんだいッ」
ロニーが罵声を飛ばすが、伝わる様子もない。大男どもは、悠然と俺を見下ろしている。
ロニーを持ち上げた男は、ニタリと笑った。
「貴様、ボトムズ乗りだな。もし、この街でバトリングをしようと思うなら、俺たちに逆らわねえ方が身のためだ。なあ、ボーグル」
「そうよ、ガニアル。それよりも、この女。アグの|陽気な悪魔《ファニー・デビル》≠セぜ」
「ほう、今までどんな野郎が喰い下がっても落ちなかったという、あの女か。だが、この街で俺様たちに出会ったのが、運の尽きよ」
ガニアルはロニーを肩口に移した。
「この女は、もらっておく」
「今は困る。置いていってもらおう」
俺は他人事のように平然と言った。
「ケイン、助けてくれるの?」
ロニーが、歓喜にも似た声をあげる。
「今、お前がいなくなれば、ロッコルを探せなくなるからな」
「フン」ロニーがむくれ、そっぽを向いた。「じゃ、いいよ、あたいひとりで逃げるから」
「頭の上で、ゴジャゴジャぬかしやがってっ」
ガニアルが、ロニーを抱えた腕に力を込める。かすかに傾ぎ、ロニーの背骨が軋み音を立て始める。
「チッ……キショッ」
ロニーは、腰の銃を取り出し、ガニアルの頭めがけて構える。その時、ボーグルの巨体が素早く動き、それを叩き落とした。
「ふんッ」
次に耐圧服の袖口から、鋭い針を取り出した。ガニアルの太い指が、ロニーの細い手首を掴んだ。指先だけで挟み込む。
「バ……バケモノめえッ」
ロニーの指先から、ポロリと針が落ちた。俺の目の前に、キラキラと光を放ちながら落ちてくる。俺は指先でそれをつまむと、弾いた。
ガニアルが呻いた。針は奴の右目のすぐ上に突き立ったのだ。ビリピリと筋肉が痙攣《けいれん》し、瞳がカッと開かれる。
「馬ッ鹿野郎ッ」
怒鳴ると同時に、ロニーはしなやかに身を反《そ》らし、その反動を利用してガニアルの顎に膝頭を叩き込んだ。
「グオッ」
ガニアルが咆える。手から力が緩《ゆる》んだ。ロニーが、ダッと脱け出す。
「カーッ」
奴は、手近な店の支柱に手を掛けて引いた。くの字に曲がったH鋼の支柱が軽く抜けた。
同時に店の屋根がぐらっと傾き、崩れ落ちる。煙幕を張ったように土煙が舞う。
「逃げよッ、ケイン」
ロニーが叫ぶ。ガニアルは土煙のなかで、鉄柱を高々と振り上げた。
「キャーッ」
気配を感じて、ロニーが振り返る。眼前に鉄柱が迫っていた。
ダッと、俺は鉄柱を掻いくぐり、ガニアルの懐へ跳び込んだ。鉄柱を掴んだ奴の左腕を、右手の甲で止める。
鉄柱はロニーの二センチ手前で止まった。へタリとロニーが座り込む。ガニアルの腕から、鉄柱が落ちた。
両腕を大きく開き、天に向かってガニアルが咆哮をあげる。両腕を組み合わせ、俺に向けて振り下ろす。
俺は身を翻し、奴の腕が描く弧の外に出た。目の前に突き出されたガニアルの顎に、爪先を叩っ込む。
ぐしゃ
なにかが弾ける感覚とともに、不気味な音が爪先から響いた。
崩れるように、ガニアルは地に伏した。
「手《て》前《めえ》ッ」
ボーグルが分厚い筋肉の塊《かたまり》に見える腕で殴りかかる。
「うあ――あ――」
ガニアルの口から、嫌な声が吐き出された。ボーグルが、ピタリと動きを止める。
陸に上がった魚のように喚きながら、ガニアルはなにやら咆え立てている。
「ケインッ」
ロニーが俺の手を引くと駆け出した。
そして一キロほど走ったろうか。奴らが追ってこないことを確認すると、人気のない脇道に入った。
「なぜ、逃げ出した。奴らからグレーベルゼルガの話を訊き出せたかもしれんじゃないか」
「馬鹿っ、自分の手を見てごらんよ」
俺はガニアルの腕を受けた右手の甲に目をやった。真っ青に腫れ上がり、各所で肉が弾け、血が流れ出している。
「また、血の止まらない傷だと困るよ。お医者さんに診《み》てもらお」
そう言うが早いか、ロニーは再び俺の腕を掴んで駆け出した。彼方の赤十字の看板が目に入ったようだ。俺に言葉をさし挟ませる隙を与えない。
看板の掛かっているプレハブの診療所の前までくると、ガラスの埋め込まれた木製の扉を開き、ロニーは俺を先に押し込む。
「なんじゃな……」
部屋の奥まった辺りから、しわがれた声がした。その声の主であろう、白衣を着たすだれ頭の男が現れた。
「あんた、お医者さん?」
ロニーが訊く。まだ息が荒い。
「でなけりゃ、こんな格好しとらんわい」
好々爺然とした容貌からは想像がつかぬほど、皮肉っぽい声がした。
「ごめん、この人、診て欲しいんだ」
「よかろう、来なさい」
細縁の眼鏡の奥で、目を細めて医者は言った。
診療室に入る。機材は少なく、椅子と、幾つかの|手持ち用医療機材《ハンディメディカル》が置かれているだけだ。
「で、容体は?」
「血が止まらないんです」
黙ったままの俺に代わって、ロニーが答えた。
「血か――!?」
医者は、額に皺を寄せた。
「耐圧服の上を脱いで、そこに横になりなさい」
俺は言われるまま、横たわった。ビニールシートの敷かれた、低い台のうえだ。
医者はハンディライトのような、幅の広い発光部を持つ医療機具を俺に当てた。赤い光が、体を照らす。
奴は右腕の傷口から少量の血をプレパラートに採ると、テレビモニターのような機材の上方から差し込んだ。
ディスプレイに文字が浮かび上がると、医者は言った。
「まず、その左腕じゃが、芯の方が腐り始めとるのう。処置した方がええ。それと、血の方じゃが、血友病みたいなもんじゃ。止血は不可能に近いのう。本来なら親からの遺伝によるんじゃが、そんな遺伝子は見つからん。その代わり、血液中にわけの判らん薬品が混じっとる。それが原因のようじゃな」
薬品だと――思い当たる節があった。そうだ、あのケヴェッグのデータの中にあった、血友弾と呼ばれるヤツだ。ポッドベリーは、血友弾を使ったのだ。戦争で用いることは無意味な兵器だ。だが、私刑用としては充分な威力を持つ。
黒いA・Tは、俺に死の恐怖を充分味わわせてから、殺そうというのだ。
「治しようは、ないの?」
ロニーが訊いた。
「方法はある。しかし――」
医者は淡々と語った。
「しかし、骨髄機能の一部が停止しとる。血液の生産は無理じゃ。それを同時に治療するとして、回復するまで血が足りるかどうか……」
ロニーが真っ青になった。
「輸血で持たないの?」
「無駄じゃな。どうせ流れ出す血じゃろ。早く治療する方がよい」
医者が諭《さと》すように答えた。
「そう……なら、そうして」
ロニーが納得したように言った。
「じゃが、金はかかるぞ。とりあえず、今日の診療代として千。全快までに、さらに五千ギルダンはかかろうな」
「そんなに!」
ロニーが仰天した。目を白黒させる。
「かかるんじゃよ、薬も手に入れんとな。なにしろ、この街は物価が高くてな」
医者は、丸く太い鼻の頭をポリポリと掻く。
「どうやって、治すつもりだ。方法を訊かせてもらおう」
俺は不審を抱いて訊いた。むくりとシートの上に起き上がる。
「一言で言えることじゃないし、あんたがたが聞いても、判りゃせん」
医者が平然と言う。
「そうかい」
俺は立ち上がった。
「何をするの、ケイン」
ロニーが、ガッと腕を掴んで引き止めた。
「ここを出る。医者などあてにならん」
「そんな……」
ロニーは手を緩めようとはしない。むしろ、痛いぐらいに締めつけてくる。
「どうするかね、儂《わし》には関係のないことじゃが……」
「治してください」
ロニーは、そうはっきりと言った。
「ケイン、五千ぐらいなら、バトリングをすれば手に入るわ。あんたはここで待ってて。あたい、試合の契約してくる」
ロニーは、いつの問に掠め取ったのか、千ギルダンの包みを医者に押しつけるように手渡した。
「お願いね」
「金を――いつの間に?」
俺は呆然として訊いた。
「街でぶつかったでしょ、あの時、あんたを医者にかからせようと思ってね」
悪びれずにロニーはそう言うと、ニッコリと笑った。
「それじゃ、痛み止めでも射っとくかな」
医者はトランクの中から、スティック型の注射器を取り出した。
「やめろ、痛みはない」
「ケイン、言う通りにしなきゃ駄目ッ」
ロニーが後方から、両肩をがっちりと抱え込んだ。
「やめろ。こいつは、あてにならない」
俺は身をよじって、注射器から逃れようとする。そのなかに、何が入っているか、判らないのだ。
だが、左腕だけは、どうしようもなかった。
――こんな時に――
医者は、不自由な俺の左腕を押さえつけると、注射器の先を突き立てた。
「もう大丈夫じゃ」
医者は、安堵を装ってロニーに言う。
「じゃ、よろしく」
ロニーは軽く礼をすると、診療所から出ていった。
「いい娘《こ》じゃの」
医者はそう言うと胸元に金の入った包みを押し込んだ。パタパタと医療用機器をトランクのなかへしまう。
「貴様っ……やはり」
俺は立ち上がろうとした。だが、手足だけが痺れて動かない。必死のロニーにはいくら言っても判らなかったが、やはり、この男はくわせ者だったのだ。
「違うんじゃよ。あんたの症状じゃ、あと一月もって限界じゃ。その間に治してやる自信もなけりゃ、そんな、わけの判らん薬に対抗する手段も持っとらん。ともかく、この金は有効に使わせてもらうよ」
俺はぐうっと歯噛みした。
「心配するこたあない。小一時間で、痺れはとれる。とりあえず、傷薬もおいていってやる」
奴はテーブルの上に小さな瓶を置くと、扉の外を覗いてロニーがいないことを確認すると、診療所を出ていった。
怒りが全身を駆け回った。
ロニーの行動は、久々に人間らしいものに触れた気がして嬉しかった。それを、いともた易く裏切った男が腹立たしい。
そして、なにより普段は役に立たず、こんな時にだけ、まだ生きていることを見せつける左腕に、もどかしさを感じていた。
怒りにまかせて腕を動かそうとしてみるが、まったく動作しない。無駄だと判っていても、俺は何度も繰り返した。
約一時間が過ぎたころ、ロニーが帰って来た。
「ケイン――あれ? お医者さんは?」
軽い口調でロニーが訊く。ロニーは医者を信じ切っているのだ。
「逃げたよ、奴は」
「なんですって!?」
ロニーは駆け寄ってくると、俺の上体を起こした。
「生身ならば追えもしたのだが、どうも、お前が協力して射った薬に、なにか仕込んであったらしい」
黙って聞いていたロニーの眉が吊り上がった。小さな肩が、わなわなと震え始める。それを隠そうとするのか、指先は、膝の辺りを強く握り締めている。
「うっ……く、畜生ッ」
唸《うな》り、癇癪《かんしゃく》を起こし始めた。ドンドンと床に八つ当たりを始める。
「ロニー、これが千ギルダンの薬だ」
俺はテーブルの上から、医者の残していった小瓶を取ると、蓋を開けた。
鼻をつくような異臭。そして、どこに潜んでいたのか、小さな羽虫どもが瓶目がけて集中し、びっしりと貼りついた。
「なにッ、これっ」
ロニーが仰天する。俺は瓶を床に叩きつけた。
「こんなもの、傷口につけてみろ。虫の運ぶ雑菌で、ひとたまりもない」
「畜生――ッ」
ロニーが駆け出す。
「待て、もうこの辺にはいない」
「でも……でも、あたい……」
「お前が出たのと同じ頃、奴は逃げたんだ。いるはずがない」
ぎゅっと、真一文字に唇を結んだロニーの口から、言葉が洩れた。
「ごめんね、ケイン……何やっても、あんたの足、引っ張ることになっちゃって……」
か細く、消え入りそうな声だ。
「どうして、バトリングで金を稼ぐなどと言った」
俺は話題を変えた。
「だってケイン、怪我してるもん」
ロニーが、俯いたまま答えた。
「お前がそんなことをやることはないんだ。こいつは、俺の問題だ」
ぐじゃぐじゃになり、血の滲み出す手の甲を振り払う。流れ出した血が、飛沫となって散る。
ロニーが上目づかいに俺の顔を見た。
「ありがとう、ケイン。慰めてくれるんだね」
「そんなつもりは、ない」
「いいよ、それでも――」
ロニーは立ち上がり、部屋の戸棚を開いて探しものを始める。
「バトリングの賭け金で、お金稼いだげる。明日、試合なんだ。そいでね、事務所で調べてもらったけど、グレーベルゼルガのこと、判んないって」
ロニーは戸棚のなかから二〇センチ立方の箱を取り出した。
「ケイン、手、出して。包帯あったよ」
取り出した白い包帯を手のひらで伸ばす。俺が差し出した手の甲に、包帯をゆっくりあてがうと、クルクルと巻きつける。そのまま、不器用ながらも手首の傷のあたりまで巻きつける。
「ねえケイン、千ギルダンで塒《ねぐら》を買ったって思おうよ……ね。何日分かの食料もあるみたいだしね」
ロニーが、手の動きを止めずに言う。
白い包帯を通して、手首のあたりからじわりと血が惨んでくる。凝固しないため、赤茶ける様子もなく、限りなく赤い。
包帯を巻きつけると、ロニーは立ち上がった。
「ケインは、ここで待ってて、あたい、トレーラー運んでくる」
いつもの天真爛漫さは失せていた。ロニーはわずかに俯き加減に、診療所を出ていった。
翌朝、俺はなにか重いものを胸の上に感じて目を覚ました。ここはトレーラーのなかだ。ベルゼルガの脇に横たわっている。
胸のあたりに手をやる。
さらさらした、髪の感触があった。
ロニーの髪だ。
昨夜、ロニーは診療所の方で休ませたはずだ。だが、彼女は俺の胸のうえで安らかな寝息を立てている。無邪気な寝顔だった。
そういえば、こいつとは|あれ《ヽヽ》から口を利いていなかったな――と、思いながら、俺は声を掛けた。
「ロニー、起きな」
「え……」
目をしばたたかせながら、ロニーは顔をあげた。
「ごめん、ここで寝ちゃったのか……」
ロニーが上半身を起き上がらせた。
開けっ放しになっている扉から射し込んでくる光によって、乱れた金髪の端々が白く輝き、浮き上がって見える。
ひと回りは大きいランニングシャツの裾は伸び切っている。光を孕《はら》んでロニーの身体のシルエットが浮かび上がっている。
細い。
あふーと、大きく欠伸《あくび》をすると、ロニーは髪を撫でつけた。
「たまにはいいでしょ、こんなのも」
ロニーは大人びた瞳で、肩越しに俺を見た。
「どういう意味だ」
俺は、戸惑った。
「若い女の子に、添い寝してもらうなんて、なかったでしょ。滅多に」
ロニーが小首を傾げて、クスと笑った。
「重いだけだ」
「もうッ、わっかんない人ね。ケイン、傷は大丈夫? これが心配で、夕べ見に来たんだ……それで、そのまま寝ちゃったみたい」
こいつが寄ってきても、気配を感じ取れなかったのか。感覚が狂いはじめたのかと、疑ってみる。
ロニーが俺の手をとり、血がべったりと染みこんだ包帯をとる。癒着《ゆちゃく》した感覚はない。
「まだだね、血が止まってないや……」
陰鬱《いんうつ》にロニーが呟く。
「とりあえず朝食にしよッ」空元気をだして、ロニーが言う。「そのあと、傷のことは考えよう……ね」
ロニーがトレーラーから駆け出した。
俺は立ち上がった。軽い目《め》眩《まい》がした。脳が頭から遊離していく感覚だ。
目頭を押さえ、それを無理矢理追い払うと、俺は診療所へ入った。
「あ、ケイン、いいものあったよ」
薄汚れたテーブルを片づけていたロニーが言った。
「手、出して。消毒液、かけたげる」
テーブルの上においてあった小瓶を差し出す。
「手、洗って」
ロニーは小瓶の蓋を取ると、傾げた。透明の液体が、床ヘドボドボ流れだす。俺は、その流れに手を突っ込み、手の甲や手首を洗った。傷口から、じわっと白い泡が立つ。右手から痺れるような痛みが走った。
「食事しよ」
流し終わると、ロニーは開けた缶詰をテーブルの上に置いた。
「血、ふやさなきゃ、駄目だからね。きっと大丈夫よ」
世話女房のように動き回るロニーに呆れ、俺は何も言わずに食事を始めた。固形燃料のような合成食料だ。味も香りもないに等しい。
それをつまんだ右手の甲から、ポタリと血がしたたった。
「まったく良くならないね。これじゃ、戦うのは無理ね」
ロニーが呟く。
「また、バトリングをやめろというのか?」
ロニーは首を振った。まだ束ねていない髪が、ふさふさと揺れる。
「――|黒き炎《シャドウ・フレア》とやるななんて言わない。でも、グレーベルゼルガとは、あたいがやる」
ロニーが、なんの気なしに言った。
「お前には無理だ。奴には、なにがあっても勝たなければならない」
俺は、ロニーをなだめるように言った。
「じゃ、今日の試合、見てよ。そこで戦えるかどうか、判断してよ」
ロニーがムキになって言い返す。
「こうしよう。あたいが闘技場でグレーベルゼルガに挑戦する。そこに、ケインが出てきてくれればいい。だから、試合を見に来てよ」
確かに俺は、ロニーがファッティーで戦っている姿を一度も見たことがない。それ故、自分の実力を見せようとロニーが躍起になるのも無理はない。
「よかろう」
ロニーが、ニコリと笑った。
だが、グレーベルゼルガを呼び出すには、闘技場で名乗りをあげた方が効果的だろう――俺は、そう考えていた……。
遅い朝食を終えると、ジープでファッティーを闘技場に運び、控室《パドック》に入った。控室は、前方を囲う壁がなく、直接闘技場の全景が見える。
ロニーが控室に入ると、途端に好奇の目が集中する。バララントのA・T、しかも、パイロットは女だ。
「今日の相手がどんな奴か、判っているのか?」
ゴーグルを掛けたボトムズ乗りが、これ以上はないような甘ったるい声を発して、ロニーに近寄った。
「さてね、聞かせてもらえるかい?」
少しばかりドスの利いた声で答えるロニーを、俺はジープの脇から黙って見ていた。
チラと俺の方を見ると、男は話し始めた。
「奴は、CAT‐08、オクトバだ」
聞くなり、ロニーは俺に視線を投げた。
「聞いたことがないな」
俺は、なにげなく答えた。
「当たり前だッ」
男が喚いた。
「百年戦争中に滅びた、クロア星のA・Tだ。機体数自体が少ないんで、見たことはないだろう。だがな、腕のたつA・Tだ。もし、ヤバくなったら、俺が乱入してやるぜ」
「そいつは、嬉しいね」
白けた雰囲気で、ロニーが答える。
「しかし、あんたのような人が、なぜバトリングを――」
男はロニーの表情を見て、話題を変えた。
「あんたに関係のない話だね」
あまり感情を込めずに、ロニーが言い返す。
「いや、もったいない」
男の手がロニーの髪に触れた。
「こん畜生っ、気安く触るんじゃないよ」
ロニーは男の手を払うと、ゴーグルを取った。その下には、精悍な顔つきからは思いもつかない、幼く丸い目があった。
「カスがッ、ふざけんじゃないよ。あたいはここに、遊びに来てんじゃないんだ」
ロニーが男の頬を弾いた。
「めげない――めげないぞ」
男はそう言うと、頬を両の手で押さえ、控室から駆け出した。
「フン、どうしてあんなボトムズ乗りが増えたのかねッ」
ロニーが振り返り、ぼやいた。
「でもね、あたい本当は今みたいな女じゃないんだよ。ギルガメスでは悪役《ヒール》はってるから、ああやんなきゃいけないんだ、ケイン……」
ロニーの甘えるような言葉を切り裂いて、選手入場を告げるサイレンが鳴った。
「行ってくる」
ロニーがファッティーに跳び乗った。ハッチを開いたまま、半径二〇メートル程度のリングに上がると、中央で立ち止まった。
向こう側から、オクトバが上がってくる。球形のボディから末端肥大症的な手脚が伸びている。そして、頭部はない。
オクトバはリング中央に止まった。客席からの声援に応えて手を振る。
「ふっざけるんじゃねえ!」
A・Tの通信器と接続した会場の拡声機を通して、ロニーの声が聞こえた。
コクピットに仁王立ちしたロニーが、ピタリとオクトバを指差した。
「手前は、ここに何をしに来た。答えてみな。客に媚《こび》を売りに来たんじゃあるまい」
オクトバのパイロットからは反応がない。
「答えられねえのか。じゃあ、あたいが言ってやる。あんたは、あたいに殺されに来たんだッ」
芝居気たっぷりにロニーが言う。オーバーなジェスチャーつきだ。だが客は、そうだとは思わない。むしろ、バララントヘの憎悪をつのらせるだけだ。
「バララントのクズ野郎が、なにをほざく」
オクトバのパイロットが怒鳴ると同時に、観客がブーイングを始める。
手前ッ! ここをどこだと思ってやがる
バララントなんか、叩っ殺しちまえ
客どもが手を振り上げて、喚く。
「ピーピー騒ぐんじゃねえ、ネズミどもっ」
ロニーが叫んだ。同時に、手にした円板を投げる。それは、客席手前のフェンスに突っ込むと、発光した。
闘技揚が水を打ったように静まった。
「今じゃおちぶれて、バトリングなんぞ、やっちゃあいるが、戦時中は何千というギルガメス人の血を、この機体に吸わせてやったもんさ」
闘技場に響き渡るロニーの声が昂揚していく。ほとんど本気《マジ》だ。
「死にてえなら、掛かって来なッ」
「このアマッ」
オクトバが駆け出した。脚部に走行用の車輛はない。数歩走ると、股間から青い火花が散った。赤い機体がかすかに浮き上がり、高速で進み始める。
奴は両手を前方に突き出して、突進する。ロニーがハッチを閉じた。オクトバが、そのファッティーの腰の辺りに組みついた。黄色いボディに黒いストライプの入ったファッティーの機体が控室に向かって押しまくられる。
迫る。あと三メートル。
ファッティー背部のスラスターノズルが火を噴いた。白い炎だ。オクトバを腰に絡みつかせたまま、上昇を始める。
控室の上方で、ファッティーはオクトバに覆い被さるように体勢を移した。
そのまま地表へと、降下を始める。
オクトバが、球形のコクピットから突出した腰だけを、下方向に向けて逆噴射する。おわん型のノズルから、炎を嘆き出す。推力が緩和され、二機のA・Tが宙を漂う。
ファッティーの肘が閃光を発した。肘から先が両脇の装甲板をスライドレールとして伸縮する。そのままオクトバのコクピットあたりに拳を叩き込んだ。
吊《つ》っていた糸がプツリと切れたように、二機のA・Tがもつれ合い、地に落ちた。
ファッティーが、オクトバの左腕を持って立ち上がる。脚を奴の、お情け程度に取り付けられた胴にあてがうと、左腕をひきちぎった。回線が、ぐーっと伸びてショートする。
左腕を失ったオクトバが、よろよろと立ち上がった。
そこに、ファッティーのラリアットが唸った。奴のボディめざして、ファッティーの左腕が迫る。まるで黒いA・Tのアイアンクローのように。
その時だ。オクトバはファッティーの腕を乗り越えるように跳んだ。飛び込むと、一回点して立ち上がった。
「あれだ!」
言葉が口を突いて出る。頭の中をなにかが走った。黒いA・Tと戦うためには、あの方法がある!
ファッティーの後方に回り込んだオクトバが、殴りかかる。
「あ」
「キャ」
「やん」
ロニーの悲鳴が、跡切れとぎれに聞こえてくる。
オクトバの拳が、ファッティーの背に衝突する度に、客どもが狂喜した。
おー∞おー
と、呻き声にも似た喊声《かんせい》をあげる。
「いつまでも、うかれてるんじゃないよッ」
ファッティーは、スラスターを吹かし、上空に跳ね上がった。だが、オクトバは後方にびったりと張りついて、離れない。
「嫌らしい奴だねッ」
ロニーはファッティーのスラスターを切った。推力はオクトバのバーニアだけだ。
ぐらっとバランスが前方に崩れる。
ファァティーは肩越しにオクトバを掴むと、スラスターを下方向に向けて噴射、地表に向かってオクトバを叩きつけた。
轟音と軋み音を立て、オクトバは地表にめり込んだ。コクピットが、バンと跳ね上がった。
――ゲームセットだ。
サイレンが会場に鳴り響く。それを包み込むように、圧倒的なブーイングが巻き起こる。バララントA・Tの勝利を喜ぶ者は誰もいない。
ファッティーは、まだ殺意をみなぎらせて、オクトバに歩み寄った。
「な……なにをしやがる」
オクトバのパイロットの悲痛な声が聞こえる。それはそうだ。たかだか女のパイロットに負けた――そう、これからは一人前のボトムズ乗りとして扱ってはもらえなくなるのだ。
ファッティーは、有無を言わさずアームパンチを速射した。オクトバの手脚を、見事に破壊する。
ウーッ
客のブーイングがボルテージをあげた。
「バーローッ」
客のひとりがリングヘと跳び込んだ。
「待ちなさいッ」
場内スピーカーから、威厳を持った声が発せられた。聞き憶えのある声――そうだ、軍警官チャコルの声だ。
「お客様方も、このままでは収まりがつかんでしょう。そこで、今ひとつ余興をつけましょう」
声と同時に、手足を縄で縛られたふたりの人間が会場内に放り込まれた。男と女だ。
「このふたりは、どちらも犯罪者。うちひとりは、バララント人だ。こいつらを撃ち殺せ」
ロニーに向かって、厳しい声が投げつけられる。
見たところ、男の方は薬売りのゼルバップ。女は、長い黒髪に隠されて顔は判らない。
「どうして、あたいが殺さなきゃならないの?」
ロニーが叫ぶ。
「殺せないというなら、闘技場の各所に配備した狙撃手が、貴様ら三人を撃つ。それでもいいのか」
「殺すなんて……そんな」
ロニーが呻くように言った。
観客席から、どっと笑い声があがった。人を蔑《さげす》む、いやらしい笑い声だ。
「くっ」
ロニーが歯噛みする。
「やめろッ、バララント人を笑うなッ」
突然、ゼルバップが叫び、駆け出してきた。瞬間的に奴の頭が、視界から消えた。
ゼルバップの首は、宙を舞いながら、目玉を噴き出し、脳漿《のうしょう》を地表にぶちまけた。
「ゼルバップ!」
ロニーが悲痛な叫び声をあげた。
ファッティーの膝が、小刻みに揺れる。コクピットでわなわなと震えるロニーの姿が、手にとるように判る。
ぴたりと、震えが止まった。
「なんてことを……」
ギシと、ファッティーが、客席の端でマイクを片手に立つチャコルに向かって歩き出す。
ファッティーの足元で土煙が立った。
「キャ」
ロニーの悲鳴とともに、ファッティーは立ち止まる。
「女、やめて欲しいか――もし、そうならば貴様の仲間に試合をさせろ」
「仲間?」
「そうだ、|青の騎士《ブルーナイト》だ」
チャコルがねちっこいいやらしさを発揮する。言葉には、蛇の息の生臭さが含まれていた。
。|青の騎士《ブルーナイト》……
客がざわついた。
「あの人を、戦わせるわけにはいかないね」
ロニーが決意のほどを見せた。
「そうか……狙撃隊、構えっ」
有無を言わさぬ、チャコルの声が飛んだ。
「てーッ」
轟音――そうだ、数百丁の長銃が一斉に火を噴いたような轟音とともに、ファッティーと生き残っている女の足元から土煙が湧き上がる。
その中からファッティーと女が立ち上がった。
女の黒い髪が、さわとなびき、見憶えのある顔が現れた。
――フィル・コムだ。
そうだ。かつてコボトの街で、俺やシャ・バックの試合を取り仕切っていた女マッチメーカー、フィル・コムだ。
「どうする。|青の騎士《ブルーナイト》を闘技場に出すか?」
チャコルがファッティーを睨《ね》めつける。
「銃撃隊、構えッ」
「待てッ」
俺は闘技場に駆け出した。
「ケイン、来ちゃ駄目ッ」
ロニーがハッチを開く。
俺はファッティーに駆け寄ると、ロニーのヘルメットを奪って叫んだ。
「試合はしよう。もし、その女の身柄を預かれるというのならばな」
「ケイン! なんてことを」
「お前は、黙っていろ」
俺はロニーを怒鳴りつけて黙らせる。
「よかろう。三日後の正午、ここへ来い」
チャコルの声が、会場全体にこだました。
俺は呆然と立ち尽くしている女の側に駆け寄った。
「フィル・コムだな」
「ケイン……なの」
フィルは乾いた唇からそう声を洩らすと、気を失った。
「ふんッ、なんなのよッ」
ファッティーのコクピットでロニーがムクれていた。
軽率だったか――俺は試合を受けたことを悔いていた。今は、一刻も早くグレーベルゼルガを見つけ出さねばならない時なのだ。だが、フィル・コムには、訊かねばならないことがあった。
半年前、シャ・バックの死に際して、フィルは俺の背で泣いた。だが、その時に俺は疑問を待ったのだ。
その時、フィルの体温は、異様に低かった。俺の手にかかった涙すら、尋常な温度ではなかったのだ。
――なにかを隠している。
脳裡を走るものがあった。フィルとシャ・バックのみが知るなにかが、そこにはある。
黒いA・Tは間違いなく、奴を殺すため俺たちの前に出現し、シャ・バックは従容《しょうよう》として死を迎え入れた。その理由を、この女は知っているのだ。
だが、それを訊く間もなく、この女は姿を消した。シャ・バックの死んだバトリング会場からだ。
今が、シャ・バックの死の秘密を知る絶好の機会だった。
「ケイン、あの人、寝かせておいたよ」
トレーラーの脇で、ジープにベルゼルガを乗せ換えていると、ロニーが診療所から出てきた。
「容体はどうだ」
「服がボロボロだったから、あたいのシャツ着せておいたよ。それに、小さな切り傷が全身にいっぱい。よっぽど悪いことしたんだね」
ロニーがうさん臭いものでも見るような表情で言った。
「いつ頃、気がつきそうなんだ」
ベルゼルガをジープの荷台に載せ、ロープで固定しながら言った。
「判んないよ、そんなこと。でも、どうしてあんな人、助けたの? 犯罪者でしょ」
俺は黙って、ロープの端を荷台の脇から突出したフックに縛りつけた。
「なによ。教えてくれたって、いいじゃない。わざわざ面倒見させといてさ。せめて、誰なのかぐらい、教えてくれてもいいでしょ」
ロニーが両拳を握り締めて喚く。
「彼女の名は、フィルだ。看病してやってくれ」
俺は、ジープの運転席に歩み寄った。
「優しいのね。あたいが困ってるときは、何もしてくれないのに」
「闘技場で、問題を起こしたくはなかった」
俺はポツリと言った。
「どうしてそうなの? そうやって、いつもはぐらかそうとするの? あたいの言ってるのは――」
ロニーは一瞬口ごもり、続けた。
「判った。怖いんでしょ。自分をさらけ出すのが」
「そうは出来ないだけだ」
ロニーが不思議そうな顔をした。
「それが、あたいでも? まだ、信用してくれないの?」
一瞬、温かいものが身体を流れる。信じてやりたいとも思う。だが、
「お前が知らなくていいこともある」
平静を装って、俺は言った。
「でも、余計な戦いをするハメになっても、あの人なら助けに来るんだから……軽率だよ」
俺はジープのエンジンをかけた。
「もしかして――」ハッとして、ロニーが言った。「いい人なの? 昔の」
「――友人のな。俺は、惚《ほ》れた女を助けるほど、命知らずな人間じゃない。助ける必要があっただけだ」
「本当に……そう?」
ロニーが、荷台の端に両腕で乗りかかって訊く。
「そうだ。後は任せる」
俺は、ロニーが荷台から手を放したことを確認すると、ジープを発進させた。
「よかった……」
エンジンの音に掻き消されるような、ロニーの声がした。
俺は、闘技場に向かって、人通りの減った道をジープを走らせた。闘技場のすぐ脇に、人目につきづらい工事現場があることを発見していたのだ。辺りを高い塀で囲まれ、一端は闘技場の外壁となっている。そのうえ、作業の気配はない。
ジープを工事現場に入れる。所々掘り起こされた土塊《つちくれ》の上に、放置された数台の建設車が長く影を落としている。半分は塀の影に入っている。
俺は建設車のうち、パワーショベルの車体先端にある運転席に跳び込むと、コンソールの下をまさぐった。剥き出しになったイグニッションの配線を引きちぎり、直結する。
高いモーターの唸り声とともに、エンジンが始動した。メーターを読むと、燃料はまだ充分にある。
車体上面から伸びた、大きなショベルのついたマニピュレーターを、真っ直ぐ前方に伸ばす。地表から、二・五メートルの所で水平になった。
マニピュレーターを水平に回転させた。頭上で、マニピュレーターが風を切り始める。
エンジンの回転数があがるにつれて、マニピュレーターの回転速度もあがる。エンジンから、|動力を抽出《パワー・テイク・オフ》して駆動しているのだ。
俺はアクセルペダルを床まで叩き込むと、石で重しをした。運転席から降り、ベルゼルガに歩み寄った。
ベルゼルガの背部のジェネレーター脇に設けられたメンテナンスハッチを開く。そこに一本だけ、切断され、先端にビニールテープをグルグルと巻きつけたコードがある。俺とベルゼルガの感覚を接続するコードだ。
つなごうと伸ばした指先が、無意識のうちに止まった。
これを接続すれば、あの黒いA・Tとの戦闘中に湧き起こった破壊衝動が騒ぎだすかもしれない。それは、俺を機械と一体化した完全|殺戮《さつりく》者に変えようとするだろう。ひょっとすると、俺の肉体はベルゼルガに乗っ取られるかもしれない。
だが、黒いA・Tに勝る技量を持たねばならない。そのためには、ベルゼルガからフィードバックしてくるデータを頼りに、同じ土俵に上がる必要がある。今、このシステムを作動させることは必要なのだ。
もし、これを用いたことによって復讐の目的すち忘れ、二度と人間に戻れなくなる可能性をはらんでいたとしてもだ。
――それが、俺を殺人機から、破壊に喜びを求める殺人鬼に変えるものだとしても。
――それが、シャ・バックの言った異能者、あの機械と肉体の機能適合の早い化け物に変わることだとしても。
俺はコードをたぐり寄せて接続した。
その瞬間から、破壊者への変貌を決意した。
メンテナンスハッチを閉じると、コクピットに跳び乗る。そのままベルゼルガを立ち上がらせた。
すーっと手足から、何かが抜けていく感じがする。いや、流れ出すというのが正しいだろう。それは心臓の脈動に合わせて、断続的に巻き起こる。血が噴きだしたときの感覚に似ている。
それに続いて、ほのかな温かさが広がった。初めは身体の各所に、点のように発生した。それは徐々に全身に広がっていく。ベルゼルガからフィードバックされている感覚なのか、流出感と交互に巻き起こる。そして、異様な熱さが身体の芯にともった。なにか、昇り詰めていく感触があった。
知覚が拡大していく有り様が、手に取るように判る。手足の感触が乾燥したものへと変わっていく。そして、金属の鎧をまとったように凝固した。
視界も変わっていく。目に写り込む画像はモニターを見たように、高い所から見下ろした感覚ではない。身長四メートルと化した俺が見た、生の映像に捉えられる。実際、モニターに見える画像は変わってはいないが、周囲の対象物に対して、視角を補正する必要はないようにも思える。俺の神経そのものが四メートルの巨体に、びっしりと埋め込まれていた。
〈クリス・カーツも、こんな感覚で戦っているのだろうか――そして、これが異能者の感覚か〉
俺はベルゼルガを歩ませた。俺の足はアクセルペダルを踏み込んでいるはずだ。だが、俺にはベルゼルガが歩き出したようにしか、感じられなかった。足の感触が知覚に忘れ去られているのだ。
感覚は完全に同化したはずだ。だが、そこに空気の壁が一枚あるように感じられる。知覚と異なり、動作はいまひとつしっくりこないのだ。俺の手足がイコール、ベルゼルガの手脚というわけではなかった。
しかも、芯の方から腐り始めているという左腕には何の変化もない。ただ、それだけが、存在の失せたコクピットの中に漂っていた。
〈こんな状態で、戦えるのか?〉
まだ、身体のなかに、破壊衝動は湧き上がってこない。
俺は、回転を続けるパワーショベルのマニピュレーターに、ベルゼルガを向かわせた。
轟々と、眼前で巨大なショペルが、風を切って回転する。
「いくぞ」
俺はベルゼルガを駆け出させた。黒いA・Tに勝つには、ファッティーとの試合でオクトバが使ったように、敵の攻撃をしなやかに受け流して、相手の内懐に飛び込み、攻撃を仕掛けるしかないのだ。
全身の力を脚部に集中させ、迫り来るマニピュレーターを跳び越えろと、機体を跳ね上げる。
瞬間――ベルゼルガの腹部に、ショベルの付け根付近が叩き込まれた。弾き飛ばされ、もんどりうって地に伏す。
振動で、肩をコクピットの内壁に叩きつけた。
「ぐうっ」
スピード、パワーとも申し分ない。ベルゼルガと俺の接続度を高めるには、いい材料だ。
俺はグラィディングホイールを逆回転させた。腰をついたまま、回転を続けるパワーショベルの届かぬ所まで機体を移動させると、立ち上がらせた。
これは訓練ではない。いかにマニピュレーターの攻撃を掻いくぐり、その運転席にパイルバンカーを叩き込むのか、それだけの勝負だ。
そう、奴を破壊するのだ――
無意識のうちに、自分自身に言い聞かせていた。
俺はグラィディングホイールを作動させた。アクセルペダルが床を叩く、乾いた音が聞こえる。ベルゼルガが滑走を始めた。
唸りをあげて、マニピュレーターが迫る。俺の頭を抉り取るように。
「行けッ」
――あのマニピュレーターをギリギリ跳び越えねば意味がない。隙を見せれば、すぐに黒いA・Tは二の太刀を振るう。
ジェット・ローラーダッシュを作動させる。脚から噴射炎が轟と唸る。同時に両脚を曲げ、機体を沈み込ませる。
跳ぶ!
左脚脇のノズルからも、噴射。機体を制御する。
ベルゼルガの腹を舐めるようにパワーショベルが通過していく。俺は、右肘を地について斜め前方に一回転させると、中腰で構えた。
再び、後方からパワーショベルが迫る。
沈み込ませた脚のマッスル・シリンダーが、エネルギーを爆発的に解放する。
機体が空中へ、しなやかに舞う。右手の甲から噴き出した血飛沫が頬にかかった。構わずカッと目を見開くと、視界にパワーショベルの運転席が入った。
そして、俺は野獣にも似た咆哮をあげた。
――今日も、見つからなかった。
ボウの街に辿りついて、三日が過ぎた。だが、目指すグレーベルゼルガの姿はどこにもない。
ボトムズ乗りを脅しても、なけなしの金をバラ撒いてメカニックマンどもを買収しても、その所在は霞の彼方だった。
「本当に、グレーのベルゼルガなど、いるのか」
その日の夕刻、聞き込みを諦めて診療所に戻ると、ロニーに訊いた。俺は、コバーンが街を脱出させるために、でっち上げた口実だと考えるようになっていた。
「ううん、あたいも見たことあるんだ。グレーのベルゼルガはいる。……この街かどうだか、判らないけどね」
俺の手足の包帯を取り換えながら、ロニーは言った。傷口は、ふやけて皮が伸び、腐り始めていた。右手の甲では、血管の上に開いた傷口から、絶え間なく血が流れ落ちていた。
「ふう……」
大きく嘆息を洩らした。
「コーヒーでもいれるよ」
ロニーが、部屋の端においてあった、古びたコンロに火をかけた。
「ねえ、ケイン。亡霊って、いると思う?」
ロニーが明るさを装って聞いてくる。
「言葉だけだ。人間は、死んでしまえば、それで終わりだからな」
「でも、この街に出るんですって」
気味悪そうに、ロニーが言う。
「で、どこにだ?」
俺は気晴らしに、ロニーの話に乗ってやった。このところ、ロニーと話していると、わずかに和《なご》んでくる自分の感情に気づいていた。
「はい、コーヒー」
ロニーが、赤銅色のマグカッブを、テーブルの上に置いた。
「そこで小耳に挟んだんだけど、闘技場の側に工事現場があるんだって。そこが昔、軍の兵器倉庫だったらしいの。ここのところ、毎晩、その倉庫跡でA・Tの動く音が聞こえるんだって」
ロニーが肩をすくめてコーヒーをすすった。
「そうか」
なに食わぬ顔で、俺は言った。カップを手に取り、口許に運ぶと、立ち昇る湯気が、前髪を湿らせる。口に含むと、コーヒーは苦かった。
「おいしい?」
ロニーが訊いてきた時だ。
ガタッと、隣の部屋から、物音がした。
扉に駆け寄る。だが、俺がドアのノブに手をかけるよりも早く、扉がギーと乾いた音を立てて開いた。
「フィル!」
扉に身をもたげて立つフィルに、ロニーが手にしたカップを投げ捨てて駆け寄った。
「まだ動いちゃ、駄目よ」
「ケイン……」
ロニーの言葉に耳も貸さず、フィルは漆黒の瞳で俺を見つめた。
「気がついたのなら、ちょうどいい。聞かせてもらいたいことがある」
ただ、疑問を解き明かそうとする確固とした意志だけを持って、俺は言った。
「ケイン、駄目よ、この人は二日間も昏睡《こんすい》してたのよ」
ロニーが喰ってかかる。
「そこに座らせろ」
「でもケイン」
「いいわ、構わない」
フィルが、かすかに掠れた声で言った。
「うん……」
ロニーが、フィルの肩を支え、椅子に座らせた。
「この人、あなたのマネージャー? それとも、マッチメーカー?」
ロニーを指差して、フィルが言った。
「いや、違う」
「言い切ることないでしょ、そんな風にッ」
ロニーがむくれた。
「今はあなた、黙っていた方が良さそうよ」
フィルが、ロニーをなだめるように言った。
「何よ、そのケインの性格を知り抜いたような言いぐさはッ」
「黙っていろ」
俺は心持ち凄みを利かした。
「うん」
ロニーは黙ると、ペタリとそこに座り込んだ。そのまま膝を両腕で抱えて、丸くなった。
「で、何が訊きたいの」
フィルは、こめかみを押さえて聞く。細く長い眉が、小刻みに震えていた。
「あんたの知ってること、すべてだ」
「私の知ってること?」
面長の顔を斜に構えて、フィルが表情をこわばらせた。
「シャ・バックの試合の後、あんたは金だけ残して、姿を消した。なんのためだ?」
「シャ・バック以上の男を見つけようとしていた――と、言うと嘘になるかしら。あのあと、私はいろんな街をうろついたわ。十カ所じゃきかないわね。でも、彼やあなたほどのボトムズ乗りはいなかった。そして、バカラ・シティーでこの街にベルゼルガがいるって聞いたのよ。ピンときたわ。このメルキアでベルゼルガを駆っているとしたら、あなたしかいないって。そこで、この街に来たのよ」
一気にそう言うと、フィルは溜息をついた。
「でも、会えてよかった……」
フィルが細い肩をすぼめた。身長はロニーよりあるが、ロニーの服を着ても、充分にゆとりがあるのだ。白いオーバーオールのジャケットは、肩のあたりでぐしゃと折れていた。
「そうかい。だが、それだけじゃあるまい」
「え……」
フィルは何を思ったのか、軽くうなずいた。
「少しばかりはね……知ってることもあるわ。でも訊きたいなら、私の言う通りなさい」
フィルは長い髪を掻きあげると、左肩から胸の方へと垂らした。
「なんだと!?」
俺はフィルに詰め寄った。だが、フィルは淡々と言葉を続けた。
「私と組み直して欲しいの。今まで、街を巡って思ったの。あなた以外に、バトリングで頼れる人はいないって」
「ちょっと、待ってよ」
ロニーが立ち上がった。
「――こんな男のどこがいいの。無神経で、直情馬鹿で、無軌道で……それに、女には無頓着なんだからッ」
「そうね――」フィルは、この時とばかりに俺を押し退けた。「でも、それだけじゃないわ。ケインはね――」
「また、そうやって、何でも知ってるようなことを言う! あたいだって、ケインと今まで頑張ってきたんだからッ」
ロニーが両拳を握り締めて、喚く。
「あなた、随分とお調子者のようね」
フィルが、ロニーを制するように言った。
「あなたのような人に、マッチメーカーをやらせるわけに、いかないわ。ケイン、どう? 私と組まない?」
「そうだな、本当にあんたが知っているならばな」
俺は、バンダナの下に親指を通し、汗を拭うと、次の言葉を待った。
「ひとつだけ教えてあげるわ。シャ・バックは、殺されるべくして殺されたの」
フィルが真意を汲《く》み取れない笑みを浮かべた。皮肉っぽい、笑いだ。
「何だとッ」俺はフィルの細く白い襟元《えりもと》に掴みかかった。「理由《わけ》を教えろッ。奴が、殺される理由などないはずだ」
「すべて知りたいのなら、私を守って。狙われているの」
「それで、あんたが教えてくれるのならばな」
俺は手に力を込めた。
「やめなよ、ケイン」
ロニーが掴みかかった。
「いくらなんでも、そこまですることはないよ」
「だが……いや、そうだな」
俺は軽く手を離すと、診療所を出て、ジープに跳び乗った。
――シャ・バックに殺される理由があった――だと。
そんなはずはない。だが、ベルゼルガのメカニック・システムと、黒いA・Tのシステムが一致していることを考えると、次から次へと疑問が湧いて出る。
それが、中途半端に甦りつつあった破壊衝動を突き動かしていた。
闘技場脇の工事現場につくなり、俺はベルゼルガに跳び乗った。闘技場の壁に向かってアームパンチを撃つ。
すべての疑問を振り払うため、アームパンチを撃ち続けた。
コクピットに伝わってくる震動が、心地よく、気分を和《なご》ませてくれる。
土煙をあげて、壁が崩れ落ちた。
「ケイン――」
突然、女の声がした。後方の街灯に女の姿が浮かび上がった。ロニーだ。
俺はベルゼルガから降りた。
「やっぱり、ここにいたの?」
ロニーが、怖いものに近寄るように、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「毎晩、いなくなるし、傷口は、擦れて悪化していく一方だし、血の流れる量も多いしね――気になってたんだ。でも、ここに現れる百年戦争の亡霊が、あんただったとはね。今、A・Tに乗ることが、どういうことだか判っているの?」
俺は何も答えなかった。その結果は、自分が一番良く知っている。
「フィルは、あたいを、あんたと一緒にいられないって言ったけど、あたい、あんたのこと、ちゃんと見ているつもりだよ」
ロニーが、俺の前に立って言う。
「今は、ベルゼルガと、一体化する必要がある。お前は黙っていてくれ」
「でも、そしたら黒いA・Tとやった時みたいに、おかしくなっちゃう。コバーンから、あたいもそのメカのこと聞いてるんだよ」
ロニーが困惑した顔で言う。
「いや、――破壊はいい」
俺は、自分自身を納得させる勢いで、そう言った。
「だが、まだ俺を衝き動かす破壊衝動は、中途半端すぎる。黒いA・Tに勝つには、これを完璧にする必要があるんだ」
俺はベルゼルガのハッチを握った。強くだ。
「なら、武器を使えばいいじゃない。まだ、ここには、いっぱい残ってるらしいよ。それを伝えようと思って、ここへ来たんだ」
「いや、これ以上武器はいらない」
立ち去ろうとしたロニーが、はっと立ち止まった。
「一時的に、異能者と同じ力を手に入れようとすることも、ベルゼルガも……クリス・カーツをA・Tから引き摺り出すためのものにすぎない」
口から言葉が洩れた。
「俺は、この手で奴を倒す。倒して人間に戻る」
そう言って、俺は顔をしかめた。ロニー相手だと、どうしても喋る必要のないことまで語ってしまう。
「そう」ロニーが寄り添ってくる。「なら、いいよ。でも今夜は休んで。明日の試合に負けたら、意味がないよ」
「そう……だな」
そうだ、謎は謎だ。悩んでいても仕方がない。俺はジープにベルゼルガを移した。
俺は診療所の内に、異様な気配を感じ、腰の銃に手をやった。
「どうしたの、ケイン」
ロニーが、ジープのエンジンを切りながら言う。
「なにか――いる。黒いA・Tの手下に、この場所を気づかれたかもしれない」
俺はジープから跳び降りると、扉を蹴破って診療所の中へ突入した。
「戻ったの?」
部屋の中央でテーブルに腰を当てていたフィルが振り返った。紙切れを手にしている。フィルが、それから目をあげた。その時だ。
銃声が部屋中を駆け抜けた。
フィルの左胸から血糊が噴き出した。金属の破片が散る。
「きゃあッ」
ロニーが悲鳴をあげ、フィルが、ドッと床に倒れる。
俺は銃撃の方向にアーマ・マグナムを撃ち放った。天井に向けてだ。
発射音とともに、天井の壁が直径一メートルの大穴を開け、吹き飛んだ。
「|青の騎士《ブルーナイト》だな――」
狙撃者の声がする。次いで銃声!
反射的に身を翻し、銃声方向を撃つ。だが、ロニーが背中にしがみついたままだ。
左|太腿《ふともも》を弾丸が掠めた。
「ケイン」
ロニーが叫んだ。
ドサッと、天井から赤黒い人間の身体と、数機のメカニック片が落ちてきた。
「フィルを診《み》てやれ」
「でも、ケインは?」
ロニーが心配そうに、眉間に皺をつくる。
「大丈夫だ」
ロニーが、その声を聞くと同時に、フィルに駆け寄った。
俺はガクリと左膝をついた。掠めただけだが衝撃は大きかった。痺れている。
「ケイン、フィルはまだ、息があるわ」
俺は左脚を引き摺りながら、フィルに歩み寄った。
「何だ、今の狙撃者は」
俺は、ロニーの腕のなかで荒い息を立てているフィルに訊いた。
「今、訊いちゃ駄目ッ」
「大丈夫よ、ロニー。今、ケインに話さなきゃ……もう」
フィルが口から血塊を噴き出した。
「ロニー、水もらえるかしら」
ロニーは、ゆっくりとフィルの頭を床に降ろした。
「待っててね」
そう言うと、ロニーは部屋の端へと駆け出した。
「ケイン……今のは、ラスト・バタリオンよ」
「ラスト・バタリオン?」
「そう……|黒き炎《シャドウ・フレア》の仲間よ……」
フィルは、ビク、ビクと背を反《そ》らしながら、言葉を続ける。
「機械を身体に埋め込んだ人間たち……融《ゆう》機《き》人《じん》よ……そして、私も……」
フィルは、手首の袖を折り返した。手の甲から、手首の内側にかけて伸びた傷口が現れた。
フィルは、その傷口に指先を突っ込んだ。血は流れない。内側の赤い筋肉を見せながら、傷口から、一本のワイヤーコードを引き摺り出した。
「これが、人体と機械を接続するコード。そして……この先、体の内には、また機械があるの」
「そうかい……あんたも、グルだったんだな」
憎悪が全身を走った。俺は、フィルの首に右手を伸ばした。
「待って、話を聞いて」
そして、フィルは話し始めた。
融機人の起源は、今から三千年以上前のクエント星に遡る。奴らは異能者のなかから生まれたのだ。その祖先は異能者のうち、機械と適合する能力が衰えたものだった。奴らは、自らの肉体にメカニックを埋め込むことによって、その欠陥を補った。
異能者たちは、彼らの存在を認めなかった。異端者として抹殺を開始したのだ。それが、種の限界に近づいていた、異能者たちが生き残る唯一の手段であることを知りながら……。
そして、一握りの融機人の祖先がクエントを脱出した。だが、その後も、奴らは異能者に制圧されたままだったという。
たしかに異能者は、今から三千年前に滅亡した。だが、彼らはその記憶を巨大な原形質保存装置《コンピューター》に移し換えたのだ。そして、自らをワイズマンと名乗り、アストラギウス銀河の支配を続けていたのだ。
ワイズマンは未知の通信システムを用いてコンピュータに直接干渉し、それを操作する。軍や、戦争をも同様の手段で操作していた。
融様人たちは、わずかばかりの生活空間を宇宙船の中に与えられ、三千年の時を生き続けていた。
フィルは停戦の一年半前、メカニックとの融合を受けたという。二四歳の時のことだ。
奴らの平均からいけば、遅い方だ。平常、メカニックを身体に埋め込むのは、第二次性徴の全過程が開始すると同時に行われる。だが、その時まで、フィルたちの世代は、長い艦内生活から生じた異常からか、皆、一様に遅かったらしい。
メカニックを融合する有り様は、奴ら自身儀式≠ニ呼んではいるが、あくまで手術だ。
それは、自ら語るには、おぞましすぎるものだった。
眩しい照明の下で全身を切開される。そして、不要臓器を捨て、人工臓器と交換する。さらに、感覚神経と機械を密着させる。後頭部は頭骸骨を切り取ると、髄膜を切開、脳幹部を露呈し、脊髄神経と、体内に埋め込まれたすべてのメカを接続する。この作業は、最も念入りに行われたという。
その作業を、痛みは感じず、感触だけは伝わってくる状況で続けられたのだ。
それから半年間、フィルはメカニックと同調できるよう、円筒のガラスハッチのなかで、全身から伸びたコードを、その内壁に接続していた。
奇妙な感覚だったという。コンピュータの端末機と化した感覚だ。艦の内外にあるすべての事柄が、次々と流れ込んでくる。しかも、データ処理されてだ。そこで、フィルは、ワイズマンに対する異常なほどの憎悪を植えつけられた。
そして、それからさらに、一日一度はメカと接続される日々が、一年間続いた。ワイズマンに、干渉を受けないためだ。
これこそ、コンピュータに介入した異能者の手から逃れる唯一の方法である。自らコンピュータと一体化し、制御するのだ。融機人は、今まで、その手段を用いて、ワイズマンからの抹殺を逸れていた。
そして、異能者の滅亡から三千年の後、クリス・カーツの出現を契機に、すべてが変わっていった。
ワイズマンの操作を受けたギルガメス部隊の奇襲を受け、母船を失った一族は、脱出船で宇宙を漂っていた。そこに、ギルガメス型の大型宇宙戦艦が出現したのだ。そして、味方だという内容の通信が入ってきた。その宇宙船はクリス・カーツが操っていたのだ。
クリス・カーツが、ワイズマン討伐の兵士としての基礎訓練に出てた同族の者だと判っていた連中は、喜んで奴と合流した。
そのとき奴の額の中央には、なかったはずの黒子《ほくろ》が浮かび上がっていたという。
クリス・カーツは、神がかり的な指揮力を見せ、融機人の機材をすべて大型戦艦に移すと、自分自身も改造を受けた。
フィルが改造を受ける一年前のことだ。
クリス・カーツが再び目覚めたのは、フィルの目覚めから一年の後のことだ。クリスは、二年の間、円筒のガラスケースの中でメカニックとの適合を進めていた。どうやら、その間に戦艦内に収められたすべてのコンピュータと連動し、それらを手中に収めていたらしい。
クリス・カーツが眠りについてから、戦艦は誰が操作するともなく、メルキアに向かっていた。
目覚めると同時に、クリス・カーツは、融機人の指導者、エリエル・ゼムを抱き込み、戦力の補強にかかった。
ワイズマンによるアストラギウス銀河支配への逆襲。そして、三千年の時を経て、再び銀河全土に巻き起こる、種の限界への警鐘……のため、メルキアの軍事力を奪うことを決意したのだ。
クリス・カーツ自身、これから自らの起こす戦いを、三千年の時を経てアストラギウス銀河の民を救うための義戦。そして、融機人の持つ技術のみが、種の限界を越える唯一の手段だと言い切っていた。
そのために、編成された一機関が異能結社であり、ラスト・バタリオンと呼ばれる戦闘部隊なのだ。
百年戦争の停戦と同時に、フィルはクリス・カーツに呼び出された。艦内の、政務センターの会議室へだ。数々の融機人指導者の見守るなかで、クリス・カーツは一言だけ言った。
「メルキアに、降りろ」
重く、威厳に満ちた声だった。誰をも、取り込む力を持っている。
フィルにとって、それは初めて聞くクリス・カーツの声だった。それまで、コンピュータと接続された時のみ、データとして入力されてくる奴の言葉を聞いたことはあった。それだけでも、誰もが畏怖した声である。
フィルは何も答えることができなかった。
そして、フィルは異能結社の幹部から、メルキアでの任務を伝えられた。
それは、シャ・バックに奪われた融機人の技術を奪回、ないしは、シャ・バックを亡き者としろ――と、いうものだった。奴らにとって、シャ・バックは技術を奪い去った犯罪者であった。
シャ・バックの死後、組織に戻らなかったため、フィルは、奴らの狙撃者に狙われていたのだという。
「なぜだ! なぜ、シャ・バックが貴様らの技術を奪えたんだ」
ベルゼルガに装備されていたシステムは、間違いなく、奴らのものと同じだ。だが、宇宙空間を漂っていた。接触する術《すべ》などありようがない。心のどこかで、シャ・バックを信じようと、何かが絶叫を続けていた。
「判らないわ。でも、彼は間違いなく、それを持っていた」
フィルが口許から顎にかけて、血糊をべったりとつけたまま、話し続ける。
「彼は、それを使って、異能者としての自己鍛練を続けていた。それにほぼ異能者として、完成されていた。それも、私たちと同じように、自分の身体を改造してね……」
全身から力が抜けていった。わずかな期待を込めて訊く。
「あの死体には……」
「|黒き炎《あのかた》が撃ち砕いたわ。情報を外に洩らさないようにね」
そう言うなり、フィルは口ごもった。俺も、頭の中が混乱を始めていた。もう、何ひとつ、言葉が出そうになかった。
沈黙があった。
「ケイン……」
ロニーが、水の入ったグラスを持ったまま、立ち尽くしていた。
「み……水。持ってきたよ」
「ありが……と」
フィルは、ロニーに肩を抱き起こされると、渇き切った喉を潤した。
「あなたは、知っているかしら? シャ・バックが異能者……ワイズマンとコンタタトを取ろうとしていたことを」
フィルがやや落ち着いた声で言った。
「仲間を集めていたことか?」
「違うわ。ワィズマンとよ。彼らはアストラギウス銀河を支配していたからね。彼らに受け入れられることは、この銀河を支配することになるのよ。でも、彼はワイズマンに受け入れてもらえなかった。当然ね。彼は私たちと同じだったのだから……そこで、あなたに受け継いでもらおうとしたの」
「なぜ、刺客であるあんたが、そんなことを……」
俺は呆然として聞いた。
「彼は、初めから私の正体を知っていたわ。知っていても愛してくれた。同じ身体をした人間同士の憐みかもしれない。肉体の交わりはなかったわ。そんな、シャ・バックが、|黒き炎《あのかた》との戦いの前に言ったの。ケインを見ていてくれ――と。彼はあなたに、異能者の資質を見ていたの。異能者を改造すれば、最強の兵士が誕生するわ。だから、彼は言った。あなたをラスト・バタリオンの兵士にしてくれって」
「貴様らの……」
「あの時、彼はワイズマンヘの憎悪に凝り固まっていたわ」
フィルが、過去を懐かしむように、遠い目をした。
「ならば、シャ・バックが貴様の仲間になればよかったんだ。俺の知ったことではない」
俺は中腰の姿勢から立ち上がった。
「シャ・バックの身体は死にかけていたのよ。体内のメカとの不適合……そして、拒否反応によってね。だから、生身のあなたの――あの頃のあなたなら、間違いなく仇討ちのために、ベルゼルガに乗ってくれるって……自分が、そう仕向けたのだから――と、言って、異能者への変化を促そうとしたのよ。だから、私は|黒き炎《あのかた》に連絡をした。
その意志を汲んで、|黒き炎《あのかた》は、あなたを殺さなかった。そして、いつになっても変化の兆しが見えないから、あなたを殺そうとしたの。あなたが邪魔になり始めていたのね」
拳がわなわなと震えた。全身から、血の気が失せていく。
「ふざけるなッ」
俺は憤怒の形相で叫んでいた。やり場のない、重苦しい怒りだ。
「俺は、初めから奴に操られていたのか? 俺の復讐は仕組まれていたというのか」
絶叫に近い言葉が口から突いて出る。
「そういうことに、……なるわね」
もう、身体のなかに、なにもなかった。黒いA・Tを追わせしめた、怨念にも似た怒りすら失せていた。
がくんと、肩を落とした。
「ケイン……」
今や虫の息のフィルが言った。
「私を、パイルバンカーで殺して。……こんな銃弾で死んだんじゃ……死にきれない」
「こいつを使いな、シャ・バックの形見だ」
俺は腰に下げたアーマ・マグナムを抜くと、フィルの目の前に放り投げた。そのまま、扉の方へと向かった。
「どこに行くの? ケイン?」
ロニーが訊く。
「そいつの、どす黒い血など見たくはない」
俺は診療所を出た。ジープのもとに肩を落として歩み寄ると、ベルゼルガを見上げた。
いくら見つめても、ベルゼルガは機械だ。何も答えてくれるはずがない。
なにも、なす術がなかった。
吐き出しようのない、混沌とした怒りが、俺の内にあった。
シャ・バックヘの、フィルヘの、黒いA・Tへの――そして、自分自身への怒りが、渦を巻いていた。
俺は、ただ利用しようと接近してきたシャ・バックに、うかれていただけなのか。
――ならば、何のために肉体をここまで、傷つけ、死に至る傷をも負ったのだ。
――なぜ、あの破壊衝動を手に入れようとしたのだ。
凄じい孤独感が、全身を締めつけ、心臓が刺し込むように痛い。
拳を握り締める。キリキリと傷口が裂けていき、激痛が走る。
がくと、膝をついた。
「ケイン……」
背中の方からロニーの声がした。
「これは使えないって。よほど、パイルバンカーに思い入れがあるのね」
ロニーが、アーマ・マグナムを差し出した。
俺は受け取ろうともしなかった。
「もう要らないの? この銃。それじゃ、ベルゼルガも?」
銃を投げ捨て、俺の背にロニーがすがりついた。
「ケイン、もう黒いA・T追わないの? さっき倉庫跡で言ったことは、何だったの? 黒いA・Tに勝って、人間に戻ってよ……」
ロニーが、嗚《お》咽《えつ》を洩らし始めた。耐圧服を伝って、熱い涙が手の甲に落ちる。
その時、一瞬、傷の痛みと、混沌とした怒りを、忘れた。
そして、何かを見つけたような気がした。ロニーこそ、俺を人間に戻してくれるのではないか――と。
「ケイン……奴と戦って……」
ロニーは祈るように言う。
「もし、戦えるようになるんだったら、あたいを抱いて……くれてもいい!」
細い指先が、耐圧服を握り締める。
「勝ってよ……お願いだから……あんたに、もう一度、笑えるようになって欲しい。人を信じられるようになって欲しい。ううん……そうさせてあげたいの」
ロニーの指先が、音を立てて滑り落ちる。
「だから――」
ロニーが、背中から抱きついた。暖かな感触が背中越しに伝わる。
「だから……ケイン」
額を擦りつけてくる。
「こいつは、持っておかないと……な」
俺は立ち上がると、アーマ・マグナムを腰のホルスターに戻した。
「A・Tに乗っていない時、狙われたら困る」
「ケイン……」
ロニーの声が震えていた。
「俺は奴らにマークされている。今さら、奴を追わないと言っても、奴らが見逃してくれはしない。もう戻り道はない」
俺は、自分にも言い聞かせるように言った。
「ケイン!」
ロニーがしゃくり上げた。
「大丈夫だ。迷うことはない。俺は奴を倒す。そして生き残る!」
貪欲なまでの人間回帰の執念が、俺に、そう言わせていた。だが、俺の内でうずうずしていた破壊への情念は、まだ完全ではなかった。
「それじゃ、さっそくひとつ教えたげる。フィルがさっき見てた明日の対戦表に、グレーベルゼルガの名前があるわ……」
ロニーが、目の周りをぐしゃぐしゃにして言った。
ニヤリと、俺は笑った。
翌日の正午、俺たちは今や虫の息のフィルを連れて、闘技場に入った。軍警官、チャコルに申し渡された四機のバトルロイヤルがあるのだ。だが、俺の目的は、次の試合にプログラムされている、あのグレーベルゼルガの試合だった。
乱入し、奴と勝負する。そのためにこの試合、力を温存したまま勝たねばならなかった。
そんな俺たちの控室の中に、ふたつの巨大な人影が入ってきた。街中で、ロニーを襲ったボーグルとガニアルだ。奴らは今日の対戦相手なのだ。
「ヘェ、今度は三人連れか……手前をブチのめして、その女どもを手に入れてやる」
ボーグルが殺意に満ちて喚く。
「いいか、この顎の礼はさせてもらうぜ」
赤くただれた顔に白いギブスをはめた、ガニアルが咆える。
「そうだ、虫けらみてえに、グチャグチャにしてやる」
ボーグルが赤い唇を突き出して、雄叫びをあげた。
「手前は知らねえだろうがよォ」
ガニアルが、ごつい手のひらで丸太のような腕を弾いた。
「俺たちの筋肉ァ、鋼鉄で出来てるんだ。血を流すのも、そのカムフラージュってわけよ。この腕で、手前の頭を砕いてやる」
そして、太い皮のサスペンダーだけをつけた分厚い胸を、何度も叩いた。中身の詰まった、鈍い音だけがする。
胸の筋肉が、激しく上下動を繰り返す。
「俺は、手前の腸《はらわた》を喰いちぎってやる」
ボーグルが、硬いマメがゴソゴソした指先で、俺を指す。
「人間は、腸《はらわた》が、一番うめえんだ」
「やかましいッ、失せろッ」
ロニーが、耐えかねて喚いた。
「威勢がいいな、え、姐ちゃん。だが、そのうち、俺の下でヒイヒイ喘《あえ》ぐことになるんだぜ」
ガニアルが赤い舌をだらりと垂らした。
「てやんでェ、バーロー」
ロニーが拳を振り回して、奴らを追い払おうとする。
「構うな、ロニー。試合開始だ――」
俺がそう言うと同時に、選手入場を告げるサイレンが鳴った。
「いいか、俺たちは一番だ! 手前は負けるんだ」
吐き捨てるように言うと、奴らは向こう側のパドックヘ戻る。客席から、奇声とともにガンガーンと物が投げ込まれる。
「馬ッ屁野郎ッ」
「死んじめーっ」
どうやら、悪役《ヒール》として売っているようだ。
「ガーッ」
奴らは、天高く客を威圧する雄叫びをあげた。客が、一斉に静まり返った。
「なんなの、あの連中? 自分で誉めてばっかり」
ロニーが目を丸くして言った。
「初めて見たよ、あんなの」
「あれでいいんだ、今は……」
俺は耐圧服のファスナーをあげながら言った。
「手前でほめちぎらなければ、誰が、ほめてくれるんだ」
「ケインまで、なによ」
ロニーがファッティーに乗り込みながら言った。
「あれぐらい派手なら、黒いA・Tをもっと早く見つけ出せたかもしれないと思ってな」
「あ……判ってるんだ、自分が地味だってこと」
ロニーがクスと笑った。
その時、一際高い喊声が、巻き起こった。
ガーグルとガニアルのA・Tがリングヘ上がったのだ。一機は手足に巨大な爪を装備した、赤いビートル。もう一機は両肩に大型機関銃を装備した緑のトータスだ。
奴らは、胸を天に向けて反らし、両腕を広げて雄叫びをあげる。会場を崩壊させんほどのだみ声だ。
それが、絶命の叫び声に変わった。血の匂いを含んだ声だ。奴らのA・Tを舐めるように疾風が走ったのだ。銀色の疾風。グレーのベルゼルガだ。
地肌の色を剥き出しにした機体は、ほぼ俺のベルゼルガと形状は変わらない。頭部のレンズが、三機単独になっていることや、後頭部から突き出した装飾が飛行機の尾翼のように垂直に立っていること、そして左腕の形状を除けばだ。
奴の左肩に装甲板はなく、四角い箱のような肩の駆動ユニットが露出している。そして、左|肘《ひじ》に装着された盾は、楕円をふたつに割ったような、細長いものだ。弧の頂点から中心線上に、長槍、パイルバンカーがセットされている。
奴は、俺のパドックの前で止まった。後方で二機のA・Tが爆発した。燃えあがる炎を背に、グレーベルゼルガは、俺を見下ろした。
「貴様が……|青の騎士《ブルーナイト》か……」
重くしわがれた声とともに、ハッチが開いた。中からヘルメットの両脇に、丸く前方に回り込む太い牙をつけた男の姿が現れた。
身長二メートルを優に越す、巨大な男だ。だが、巨人族、クエント人のなかでは、小柄な部類に入るだろう。先のボーグル、ガニアルと比べても、ひと回りは小柄だ。
「ムディ・ロッコルか」
俺は訊いた。
「そうだ」
男はヘルメットを脱いだ。骨ばった顔に落ち窪《くぼ》んだ目だけが、異様に目立つ。額には数本の深い刻み目を持つ皺があり、銀色の髪は、湿ってへたりついている。
年は四十ぐらいか、全身から落ち着いた雰囲気が発散されている。
「貴様らっ、どういうつもりだっ」
控室のなかに、軍警官チャコルが駆け込んできた。
「まあ、待て。儂、この男と勝負する。それで、この試合の違約金に、しよう」
ロッコルは、チャコルを睨みつけた。
「あんたが、そう言うならば……判った。賭け金を倍にし、試合を切り換えよう」
かしこまって、チャコルが言う。ロッコルを見下しているのは言葉の端々だけだ。
「三〇分後に開始する。いいなっ」
チャコルは、額から吹き出した汗を拭きながら、控室を出ていった。
「勝負するのか……俺と」
ややあって、俺は訊いた。
「そうだ、お前、儂と戦いたがっていると聞いた。儂、貴様が、本当にベルゼルガ乗っているか、確かめた。だから、ここに、来た」
ロッコルがクエント特有の、感情の起伏の少ない言葉で言った。
「不服か?」
「いや……願ったり叶《かな》ったりだ。ただし、条件がある。俺が勝ったら、あんたのパイルバンカーが欲しい」
俺は、不敵な笑いを浮かべて言った。こいつが条件を呑めば……。
「よかろう」
ロッコルは抑揚のない声で答えると、こう付け加えた。
「ただし、今から、貴様の身体を、調べさせてもらう。それでも、構わんか」
「ああ」
俺は答えた。もう、迷っている時間などないのだ。俺の体内の血は、徐々に涸れつつある。左腕はぶよぶよと腐り始め、異臭すら、漂うようになっていたのだ。
「女どもを、ここから出してくれ」
ロッコルは、そう言うと、A・Tから降りた。
ロニーが、心配そうな顔で俺を見ると、フィルの肩を抱えて、控室から出ていく。
それを確認すると、ロッコルは言った。
「このベルゼルガのオーナーは、シャ・バックだったな」
「なぜ、知っている」
俺は、けげんな目で奴を見た。
「儂は、奴を追い続けていた」
呟くように、ロッコルの口から言葉が出た。
「異能者だったからか」
俺は、断定した。それは、隠しようのない事実だ。
「奴から聞いたのか? ならば、クエント人が異能者を忌《い》み嫌い、彼らの象徴たる機械文明を捨てたことも知っているな」
「ああ」
「ならば、貴様にも死んでもらう」
ロッコルが、無表情に言う。
「――それ故、貴様にすべてを教えてやろう」
ロッコルは、他の者の侵入を許さぬ神聖な雰囲気を身にまとい、語り始めた。
「異能者は、機械との適合が異様に早い。そのうえ、肉体が強靭だった。今の人間の、一・五倍もの代謝機能を持っていた。シャ・バックは、その秘密を探ったのだ。停戦の二年前、一度、クエント星に帰ってきた時に。――奴は、その昔、在籍していた部隊の作戦で、異能者のなにかを掴んだのだ」
「馬鹿なっ、奴は、ずっと屍《しかばね》隊にいた。あれは掃討部隊だ。異能者にかかわるわけがない」
俺は懸命に言った。
「そうかな」
ロッコルは、悠然と構えていた。
「俺も、その隊にいたことがある。そこでは、異能者など一言も聞きはしなかった」
「だが、シャ・バックは異能者の力……そう、アストラギウス銀河を牛耳《ぎゅうじ》る力を手に入れようとした。それ故、儂はこうやってメルキアにいる」
「奴はもう、この世には、いない」
ロッコルに、そう言い放った。貴様は、パイルバンカーを残してこの星を去れ。言外に、そんな意味を込めたのだ。
「だが、貴様がいる。貴様は異能者のことを知り、しかも、異能者として変化しているかもしれぬ」
「それで、俺の身体を調べるのか?」
「そうだ。今から半年前、異能者の最後の砦《とりで》……」
「奴らの記憶を移し換えたコンピュータのことか?」
俺はフィルに聞いた通りを言った。
「そうだ。そのワイズマンとともにクエント星は崩壊した。だが、奴らの力は、計り知れない。どこかに、まだ、別の異能者の砦があるかもしれん、それと接触されて、銀河支配など行われてはたまったものではない」
「好きにしろ」
俺はニヤリと笑った。俺の身体はベルゼルガとの接続によって、異能者としての力を持ち始めているはずだ。だが、ロッコルが驚愕しようと、どうしようと、俺は構ったことではなかった。アストラギウス銀河の支配など知ったことではないのだ。
「そこに座ってくれ」
ロッコルの言う通り、小さな丸椅子に腰掛けると、奴はブツブツと呪文を唱え始めた。
幼児のような漆黒の瞳で俺を見詰めると、手を俺の身体にかざす。
手が通過した部分だけ、火照《ほて》ったような感覚がする。
ロッコルは、全身に隅《くま》なく手をかざすと、驚愕に顔を歪ませた。
「貴様は何者だ。間違いなく異能者ではない。だが、今のアストラギウスの人間でもない」
「どういうことだ?」
俺は、ガタッと立ち上がった。
「今、貴様の身体《からだ》、クエントに伝わる術法で探った。たしかに、異能者と同じように、身体の代謝機能は高まっている。しかも、異能者以上に。ところが、機械と適合した様子もない。徴候すらない。しかも、貴様自身は死んだと思っておるだろうその左腕も、かすかに生きておる」
ハッと、俺は左腕に手をやる。だが、奴の言うようには思えない。
「貴様の内に、異能者のように、洗練された意識の気配はない。原始の――それも野性の激しさに以たものが、貴様のなかに、巣喰っている。それは、三千年の長きにわたって繰り返された戦争によって、種の限界に近づいた、アストラギウスの民のものでもない――それは、なんだ」
ロッコルが、口調を荒らげて喚く。
「まさか――」
はたと、気がついたようにロッコルの口調が静まった。
「まさか、ベルゼルガ?」
「クエントA・Tの由来となった奴の名か」
「そうだ。クエントから異能者を追い払ったといわれる、伝説の人物だ。まだ中途半端だが、武器を失っても、なお、素手で異能者の兵器に立ち向かったという……あの完全破壊者の野性に近い」
フ……と、俺は苦笑いした。確かに破壊衝動はある。だが、とんだお門違いだ。
「異能者は、自滅したんじゃないのか?」
「確かに、そうではあるらしい。だが、異能者とて、クエントに発生したアストラギウス銀河の民の一部族にしかすぎない。その当時クエントに住んでいた人間のうち、異能者として変貌を遂げられなかった人々を、ベルゼルガと呼ぶという説もある。彼らは現在、全銀河の民の祖先だ。
ワイズマンは、彼らの野性と生命力を恐れた。それ故、ワイズマンは操作を行った。彼らを亡きものとし、また、自らの後継者を生みだそうとする操作……戦争だ。後継者が生まれたかどうかは、さだかではない。だがその操作が、人間を種の限界にまで到らしめたことは間違いがない。
きっと、貴様がシャ・バックと同じ部隊から外されたのも、ワイズマンが、貴様にベルゼルガと同じ力を見出したからに違いない。そして、何度も殺そうとした……」
思い当たる節はあった。突然の配置転換、最前線への投入、そして、バララントに封じ込められた半年間……。
そして、今、第二の異能者とも言うべき、ラスト・バタリオンが不気味に動き出している。
「今、儂が、貴様を殺そうとしているのも、今は亡きワイズマンの残したプログラムかもしれぬ」
奴がそう言ったとき、選手入場を告げるサイレンが鳴った。
「貴様が何者であれ、儂は貴様を殺す。それが儂の役目だ」
ロッコルは、グレーベルゼルガに乗り込んだ。
「意地でも、パイルバンカーをもらうさ」
俺もそう言い返すと、ベルゼルガに跳び乗った。立ち上がらせ、ロッコルの機体を追ってリングに上がる。
中央で、奴は振り返った。
「勝負だ」
ロッコルが叫んだ。だが、微動だにしない奴のファイティングボーズに隙はない。腰を低く落として、常にグライディングホイールを用いた戦闘に備えている。
両腕もそうだ。接近と同時に、アームパンチが炸裂するだろう。
互いに相手の出方を待った。
ピンと張った殺気のなか、観客どもが唸り始めた。だが、焦ってはならない。確実に奴を倒すのだ。
じりっと、ロッコルの機体がにじり寄り始めた。
俺はヘビィマシンガンを撃った。轟音を立て続けに発し、銃口から火線が迸る。
奴は機体をかわした。足元で火花が散る。反動を利用して、グラィディングホイールを空転させると、宙に浮いたように横に一回転し、迫ってくる。高速だ。
俺もグライディングホイールを始動させた。腰溜めに銃を構え、突進する。
ロッコルの機体が迫る。
――アームパンチだ。
俺はサイドペダルを踏み込んで、ベルゼルガに左腕を突き出させた。肘から先が、唸りを生じて奴の腹へと伸びる。
奴は軽やかにそれをかわした。ベルゼルガの左腕が空を切る。奴は、その内側を滑るように、俺の内懐に入り込んだ。
奴はそのまま左腕で、ベルゼルガの手からヘビィマシンガンを叩き落とした。
――まずい。
俺は二、三歩、後退し、ヘビィマシンガンに目をやった。奴は、足先でそれを蹴飛ばした。
ヘビィマシンガンがフェンスに激突した。
――これで、奴の銃の餌《え》食《じき》か。
だが、奴は自分のヘビィマシンガンも捨てた。
両腕をがっと左右に開くと、振り下ろすように掴みかかってくる。
俺は、それを受け止めようと腕を突き出した。だが、右腕だけだ。宙で奴の左手を捕まえる。
奴の鋲を打ちこんだ右腕がベルゼルガの左肩に激突した。動こうとしない左腕が悔しい。
操作系を左腕側に移し、奴の左腕を払う。そのまま、指先をがっちりと組む。
がっぷり四つに組む形となった。
グライディングホイールのパワーを利用して、奴を突き倒すには、体勢が悪い。今なら、間違いなく転倒する。
奴が、両腕に力を込めてくる。
両方のサイドペダルを踏み込んだまま、操縦桿を押す。ベルゼルガが、奴の両腕を押し返していく。
さらに、奴が押し返す。
「このまま、潰れてしまえ」
ロッコルの、平然とした声がする。
「貴様のような男は、力でねじ伏せられねば、何も後悔はしないだろう。異能者の秘密を知ったことを悔やんで死ね」
奴の腕が、まるで重量級戦車の重さにも似たパワーで、押し下げられてくる。
ベルゼルガの肘が、膝が軋み始めた。ぎーっと関節から折り曲げられていく。
「オーン」
観客の喊声に力が込もる。ロッコルの機体が力を増せば、増すほど、そのボルテージがあがっていく。
――ここで、負けるわけにはいかない。
俺は、アクセルペダルを床に叩き込むと、ベルゼルガの最大出力で押し返した。肘が白煙を噴き上げる。
ぎしっ、ぎしっと小刻みに機体を揺らしながら、ベルゼルガは、ロッコルの機体を押し上げていく。
一際高い喊声が起こった。手拍子が、それに混じる。それに力を注ぎ込まれるかのように、ベルゼルガはロッコルの機体を押し上げた。
力がバランスを保ち、二機のA・Tが見合った。機体はどちらも垂直に立つ。わずかばがり、体勢が変わっていた。
「オーッ」
場内にわれんばかりの喊声が起きた。
「まだるっこしいのはやめにしようぜ」
俺は、ジェット・ローラーダッシュを作動させた。右脛のノズルからだけ噴射炎を噴かし、詰め寄る。そのまま奴の右腕を押し込み、体勢を崩した。
ロッコルの機体が、かすかに傾いた。右腕を掴んだまま、ベルゼルガを一回転させると放り投げた。
奴は、背面からフェンスに向かって吹っ飛んだ。後を追ってローラーダッシュして機体を走行させる。
だが、奴は脚部の走行用車輛を回転させ、駆動力を得ると氷の上を滑るように回転しながら機体を停めた。右腕を繰り出してくる。
だが、俺の右腕の方が早い。パイルバンカーはもらった!
二機の右腕が、交差するように伸びる。
その時だ、轟音とともに地表から土煙が舞い上がった。
――銃撃だ!
俺は新たな敵の気配を感じて、ベルゼルガを停めた。ロッコルも、その繰り出した腕を引くと、ファィティングポーズを取る。
グレーベルゼルガのハッチが弾けた。
弾丸がハッチを突き破ったのだ。右腕を失い、肩のあたりをぐしゃぐしゃのミンチにしたロッコルの姿が現れた。
だが、奴は呻き声ひとつあげない。たいした老兵士だ。敵の気配を掴もうと、感覚を研ぎ澄まして、微動すらしない。
スラスターノズルが噴き出す噴射炎が、空気を切り裂く音がした。
――上空かッ。
俺はベルゼルガを地に伏せさせ、転がったヘビィマシンガンを拾い上げると、上空に視線を移した。
上空に一機の揚陸艇が浮かんでいた。台形の箱の四方に張り山した翼……いや支柱状のフレームの先に大型の推進装置を各々一機ずつ持つ、ギルガメス型によく以たシルエットをしている。だが、巨大だ。全長六〇メートルクラス。こんなに巨大なものは見たことがない。見慣れたものの三倍はある。
下方のハッチが左右に開いた。A・Tが降下してくる。ギルガメスのA・Tではない。黒い機体の、曲線を主体としたデザインのA・T、ラスト・バタリオンの量産A・T、ポッドベリーだ。
ケヴェックのデータにあった、あのA・Tが再び……いや、ついに、ラスト・バタリオンの本隊が大衆の面前に、その姿を現したのだ。
奴らはバレルが二本突き出したヘビィマシンガンを、緩く弧を描く左上腕に軽くのせ、乱射しながら降下してくる。
殺《や》れるものならば、殺ってみろ。今、ムザムザと貴様らの手に掛かりはしない。
俺は、ベルゼルガに奴らを狙わせた。ヘビィマシンガンを乱射する。ロッコルも、左腕で銃を拾い上げると、銃撃を開始した。
火線がポッドベリーに向かって伸びる。だが、奴は背部のスラスターを吹かして、嘲笑うようにかわすと、足元に土煙を舞いあげて着地した。七機だ。
奴らは着地のために折り曲げた脚を勢いよく伸ばすと、数センチだけ機体を跳ね上がらせた。背部の丸みを帯びたスラスターノズルから、勢いよく噴射炎を噴きだすと、空気を蹴って突進してくる。動きは滑らかで電光のように素早い。
三機がロッコル、四機が俺のベルゼルガに向かってくる。
俺は後方に滑走しながらヘビィマシンガンを乱射した。だが、奴らは平然と機体の表面でそれを弾き、迫ってくる。
背中が、フェンスにぶち当たった。もう後がない。
ポッドベリーの一機が突出した。頭部のカメラアイが不気味に発光した。
俺は、ジェット・ローラーダッシュを作動させた。脚の後方でフェンスが黒く焼け落ちる。コクピットを鋭いGが貫く。機体が爆発的なエネルギーを得て、眼前のポッドベリーに突進する。
左のアームパンチを、奴のカメラアイに向かって叩きつける。
ぐわしゃ。
カメラアイを叩き潰し、奴の頭部に左拳が喰い込んだ。同時に、奴が、左腕を叩きつけてきた。
かまわず、喰い込んだままの拳で、奴を頭部から地表に叩きつける。
地表に亀裂を作って、奴の機体がめり込んだ。
パイロットは、間違いなく即死だろう。俺は拳を抜くと、他の三機に向かってファイティングポーズを取った。
足下で地面にめり込んだポッドベリーが、ギシと動いた。両腕を地表に突き立てると、土塊《つちくれ》を払いながら、立ち上がった。
ポッドベリーは、カメラアイを失いながらも、俺に向かって歩み寄ってくる。
不死身か、このパイロットどもは!?
俺は、ベルゼルガを一歩、二歩と後退させた。これほどのA・Tを量産する、ラスト・パタリオンの力に驚愕していた。
それは、ロッコルにしても同じことだった。コクピットの中では平静を装ってはいるが、機体の動作は、驚きを隠し切れない。
グレーベルゼルガが、一瞬躊躇した隙を突いて、ポッドベリーが懐へ入り込んだ。
ポッドベリーのアームパンチが、グレーベルゼルガの右肩に命中した。右腕とともに、コクピットサイドの装甲板がちぎれて飛んだ。
ロッコルの右半身も、ごっそり挟られた。
「ぐふう」
ロッコルが呻いた。
グレーベルゼルガの機体が白煙を噴き出した。
「おーッ」
雄叫びとともに脇の辺りから内臓を噴き出し、ロッコルはパイルバンカーを発射した。
半楕円形の盾の中央に装備された長槍が、目にも止まらぬ速さで飛び出した。それは、ポッドベリーのコクピットを貫いて、会場のフェンスに突き剌さった。
「|青の騎士《ブルーナイト》、それは儂が戦場で一〇年間かかって鍛え上げたものだ。貴様にやる。使うがいい」
ロッコルが叫ぶとともに、奴の眼前でポッドベリーが爆発した。グレーベルゼルガが、誘爆する。炎に包まれたロッコルがコクピットに立ち上がった。めらめらと、全身を赤い炎の舌が舐め上げる。
奴の身体が灰になって崩れ落ちた。
俺は、グラィディングホイールを作動させた。眼前で五機のポッドベリーが立ち塞がった。残りの一機……頭部カメラを失った奴はフェンスに突き立った長槍に手を掛けた。
その時、控室の辺りから、一機のA・Tが飛び出してきた。黒と黄に塗り分けられた、ずんぐりとしたA・T、ロニーのファッティーだ。
「やめろ、ロニーお前に歯の立つ相手じゃない」
機体を今すぐにでも走らせたかった。だが辺りを囲んだA・Tどもがそうはさせてくれない。
ファッティーはスラスターを全開にすると、長槍を手にしたポッドベリーに跳び掛かった。腰のあたりに組みつくと、ヘビィマシンガンを奴の脇に押しつけた。
光の球が生まれた。凄じい爆裂音とともに。
暴発だ。ファッティーは、肩から先を失った。ちぎれたコードが、火花を散らしている。だが、ポッドベリーも、脇から腹にかけての装甲板を破られた。そこから、身体からちぎれたパイロットの足が、だらりと垂れている。膝のあたりが、ささくれ立った装甲板に突き剌さっていた。
ついで、ファッティーが左のアームパンチを放った。ポッドベリーの機体が小刻みに震え、奴の手から長槍が落ちた。ファッティーが、それに飛びつく。
その刹那、ポッドベリーの左腕が唸り、ファッティーの左肩に喰い込んだ。
ビタッと、ファッティーの動作が止まった。内側で爆発を起こしたかのように、左肩が弾け飛び、ハッチが開いた。
破片の幾つかが、ロニーの身体を刺し貫く。流れ出した血が、瞳に流れ込む。だが、ロニーは、赤く染まった視界のなかに、銀色に煌《きらめ》く長槍を捉えていた。
破片がキラキラと輝きながら舞い落ちるなか、ファッティーは左肘を支点に一回転し、地に落ちた長槍を拾った。ロニーは、俺に向かって、機体を歩ませ始める。
俺とロニーの間には二〇メートルの距離しかない。ジェット・ローラーダッシュを作動させれば、一瞬だ。だが、ベルゼルガを囲んだポッドベリーどもが、それを許してはくれない。奴らは二機一体で攻撃を仕掛けてくるのだ。
視界の左右から、奴らが迫る。両腕を前方に突き出した。俺は、操縦桿を引くと、右側のポッドベリーからのアームパンチを払った。瞬間、左側から衝撃が走った。シートがガタガタと音を立てて揺れる。
――この左腕さえ使えれば。
全身を怒りが走る。だが、一向に左腕は反応がない。
ファッティーの関節が、水蒸気を上げ始めた。コクピットの中で、ロニーが小刻みに震えながら喘いでいる。
俺の眼前に、ポッドベリーの頭部が迫った。
――失せろっ。
カメラアイを殴りつけると同時に、アームパンチを作動させる。奴の頭部がへしゃげ、後方に叩きつけられたように、倒れる。
だが、肘から排出されたカートリッジが、地に落ちて乾いた音を立てた時、奴は、むくりと立ち上がった。
ファッティーは、ゆっくりとだが確実に、そう、一歩一歩踏みしめて、歩み寄ろうとしていた。
「ケイン………ハイルバンカーがあれば……パイルバンカーは、黒い奴を倒せ……倒せるんでしょ……」
通信器からロニーの声がする。血痰が咽喉《のど》に絡んでいるのか、聞き取りにくい声だ。
「……渡さないよ……こんな奴らに……これで、あんたは……黒い奴に勝つんだ……」
「ロニー」
血が逆流する。俺の身体のなかで――
「雑魚《ざこ》ども、失せろ――ッ」
俺は叫んだ。だが、奴らは、死を恐れることもなく迫ってくる。
ファッティーの後方で、機体の右脇を砕かれたポッドベリーが銃を構えた。銃口がロニーを狙う。
眼前に、無傷のポッドベリーが両腕を大きく広げて迫っている。
――邪魔だッ!
マッスル・シリンダー反応増幅器のスイッチを入れる。こいつは、作動するまでに〇・三秒のタイムラグがある――間に合うのか? アクセルペダルを、床に叩きつける。
――動けッ。
グライディングホイールが悲鳴をあげた。脛のノズルから、噴射炎が一直線に噴き出される。
肩口からポッドベリーに激突させる。奴を突き倒すと、その上を乗り越える。ファッティーまで、あと五メートル。
瞬間、銃声が轟いた。
ファッティーの背部が、銃弾を受け、爆発した。黒煙を噴きあげ、ロニーの姿を包み隠す。そして、ファッティーをも。
人影が走った。
ポッドベリーの銃口が、再び火を噴いた。銃声が続いた。
ガシャッと、黒煙のなかから、ファッティーが地に伏す音がした。コクピットハッチが砕け散った。
ポッドベリーの銃口が、絶え間なく火を噴き続ける。
黒煙の中から、血《ち》飛沫《しぶき》が噴き出した。それが血煙へと変わっていく。引きちぎられた肉片が舞い、細く白い女の手首が、俺の眼前に落ちた。それは、ビクッと痙攣すると、地面に指先を突き立てた。
だが、ポッドベリーは、それすら撃ち砕いた。骨と肉が一瞬にして混じり合った。
銃声がやんだ。
まだ、ずぶずふと黒煙を噴きあげているファッティーの機体から、ロニーの肩当てが転がり出した。それは、ベルゼルガの足元まで来ると、バランスを失い――倒れた。
俺は拳を握り締めた。左腕さえ動いていれば、こんなことはなかった……
せつない怒りが込み上げてくる。
「……ロニー――ッ」
絶叫が口からついて出た。瞬間、びくりと左腕が動いた。
――動くのか、この左腕が。
指先が、火照《ほて》り始めた。手のひらが、じわりと温まる。空気中からエネルギーを掻き集めんとするかのように、指先が空を掴んだ。
全身からも、エネルギーが左腕の芯に流れ込む。
熱い。左腕が焼けつくように熱い。
はちきれんばかりの力が込み上げる。
――ちぎれようと、折れようと構わない。この左腕の動く限り、貴様らを粉微塵にしてやる。
唸りとともに、俺は左腕を操縦桿にやった。
がしっと掴む。
ベルゼルガの左腕が、力をみなぎらせて動いた。
機体を軋ませ、足元に転がった長槍を左腕で掴むと、俺は辺りのA・Tを薙《な》ぎ払い、ロニーを撃ったポッドベリーに迫った。
「殺してやる」
なにかが弾けた。俺は悪魔に取り憑《つ》かれたのかもしれない。
俺は手にした長槍を高く振りかざすと、ポッドベリーのコクピットを突き剌した。
鉄の砕ける音、人間の骨が折れる音、そして、断末魔の息づかいが伝わってくる。長槍を抜き去ると、金髪の生えた肉片がこびりついていた。
すべてが奪われ、ただ生きるために戦うことを決意した時、破壊の虫が完全破壊を喚きだしていた。あるものは破壊と殺戮だけだ。
そして、俺は血に飢えた、一匹のボトムズ乗りと化していた。
ポッドベリーが爆発した。
俺はベルゼルガを向き直らせ、五機のポッドベリーを見据えた。
奴らが怯えた。今、血を吸ったばかりの長槍に。そして、ベルゼルガの悪鬼のごとき姿に。奴らにとって、敗北という言葉はなかったのだろう。だが、今、眼前で仲間の機体が撃ち砕かれたのだ。
俺に向かって来る奴は、誰ひとりとしていなかった。ただ、後ずさりするだけだ。
俺はニヤリと笑った。倒れ、白旗を掲げ、無抵抗であったとしても、貴様らの運命は決まっている。
俺はベルゼルガを駆け出させた。一番手前のポッドベリーの肩を掴んだ。
奴は手にしたマシンガンを立て直そうとする。だが、もう遅い。俺はコクピットに長槍を叩き込んだ。
音を立てて装甲板に亀裂が入り、鮮血が噴き出す。ベルゼルガの機体が返り血を浴びる。ちょうど胸のあたりが赤く染まった。
それを見た、別のポッドベリーが恐怖のあまりベルゼルガに向けて突っ込んできた。スラスターは使ってはいない。駆けてくるのだ。
俺は長槍を抜き取ると、数センチの差で奴をかわした。通り過ぎる奴の背部から突き出たスラスターノズルを掴んだ。
パイロットの悲鳴が聞こえる。もう、死を覚悟したことだろう。
俺は背中から長槍を叩き込んだ。
ドロリと機体内部に仕組まれたプロペラントタンタから黒い推進剤が流れ出した。チチッと走った電子系のスパークと接触。真っ赤な炎を噴き上げ、奴は地に伏した。
だが、それよりも早く、俺は次の標的を発見していた。逃げ出そうと、身を翻したポッドベリーだ。
俺はジェット・ローラーダッシュを作動させ、そいつを追った。噴き続ける噴射炎に機体を焼かれながらも、俺は奴の後方に迫り、串刺しにした。
残る二機も、奴らと同じ運命を辿った。あっという間に五機のA・Tがパイロットごとただの鉄屑になり果てたのだ。
上空で、再び揚陸艇のハッチが開いた。
――ポッドベリーを投下するつもりなのか。
俺はダッとローラーダッシュし、リングから降りた。昨夜破壊した壁を抜けて、倉庫跡へとベルゼルガを跳び込ませた。
倉庫の中には、ロックガン、ミサイルポッドなど、種々のA・T用装備が散乱していた。
そして、アグヘの直結線とかかれたレールウェイが、その地下から延びていた。これを使えば、黒いA・Tのいるアグヘ行ける。
だが、目標を見出した破壊性は、それを許さなかった。俺は全長四メートルはある大型砲、ロックガンをベルゼルガに担《かつ》がせると、倉庫から跳び出した。
上空三〇メートル辺りにまで、揚陸艇が移動していた。ハッチからポッドベリーが、今や降下せんとしている。
――使えるのか。
俺はロックガンのエネルギーチャージを始めた。砲身内部で、弾体が形成され始める。俺は照準を揚陸艇のハッチに合わせると、安全装置を解除した。
ポッドベリーどもが、揚陸艇のハッチから跳び降りた。スラスターを全開にして、降下を始める。
その時、音声式インジケーターのモニター音が、出力がマキシマムに達したことを告げた。
俺はトリガーを引き絞った。
ロックガンの銃口から、凄じいエネルギーの束が伸びた。眩ゆいばかりの光だ。降下するボッドベリーが、光の中で灰と化す。
だが、ロックガンの銃口から吐き出されたエネルギーは衰えを知らない。獲物を発見した禿鷹《はげたか》のように揚陸艇の下部ハッチから船体を、一直線に貫いた。
揚陸艇は激しく膨張すると、開いたままのハッチから内にため込まれたエネルギーを一気に吐き出すように、炎を噴いた。
それは頼りなく揺れると、黒煙の尾を残して街外れの方へと降下していく。二、三の石油タンクを押し破って地表に激突すると、閃光を内側から噴きだし、四散した。
どうっとあたりに火が燃え移る。
紅蓮の炎が立ち昇り、建ち並んだ倉庫が連続的に爆発する。次々と三角形の屋根が上空に舞った。
地下のパイプラインに、火が燃え移ったのだろうか。炎は、瞬く間に街の半分を占める倉庫地帯を火の海と化していった。
破壊の実感があった。
今まで、人の死や物の崩壊に、これほど感慨を覚えたことはない。
だが、今は全身からふつふつと、快感が湧き上がってくる。
その昂揚感も収まらぬまま、俺は炎の照り返しを受ける闘技場へ戻った。今、客席に観客はひとりとしてなく、ただ無残にも鉄屑と化した、幾つかのA・Tの残骸があるだけだ。
ロニーのファッティーも、まだ背中の装甲板から脚にかけてを残しているものの、機体の表面に、びっしりと弾丸が喰い込み、ぴくりとも動きそうにない。
俺はトレーラーの脇にベルゼルガを据え、マッスル・シリンダーをミーマの残した|F・X《フェックス》のものに換装した。
パイルバンカーの長槍を抜くと、ロッコルの残した長槍を装着、空撃ちさせた。
軽く滑らかな音とともに、パイルバンカーが作動。長槍が一瞬帯電し、青白く光る。鋭くスライドした長槍が、元の位置へと引き戻されると、盾の下に隠れていた作動用グリップが起き上がり、パイルバンカーは一撃目の射出体勢に入った。
完璧だ――俺はひとり、ほくそ笑んだ。その時、
「……ケイン」
消え入るような、か細い女の声がした。全身を電流が貫いたように痺れた。
「ロニー……なのか?……生きていたのか……」
俺は自分の耳を疑った。
「なんとか……ね」
俺は、声の方向にゆっくりと視線をやった。そこには血まみれのロニーが、ふらつく足で立っていた。
「……フィルがね、直前にファッティーの下に叩き込んでくれたの。だから……」
ロニーがまだ荒い息で言う。
「何も……言うな」
ロニーが、ふらと倒れ込んできた。がっしりと両腕で、細い肩を抱き止める。
「ケイン……」
ロニーがニコリと笑った。
「……左腕、動くのね……それにベルゼルガも……」
「そうだ……お前のお陰だ……」
いつになく優しい口調になった。
「よかった……役に立てて」
フウッとロニーが長く息をつき、言った。
「処刑執行《エクスキュージョン》……このベルゼルガのグレード、エクスキュージョンがいいね」
「そうだな……」
俺はベルゼルガに、ロニーが名をつけることを拒みはしなかった。
「これで……アグに行けるね」
ロニーが決意を見せた。
「そうだ……だが、お前はここに残れ」
静かにそう言った。
「どうして? あたい……足手まとい?」
懇願するように、ロニーが訊いてくる。
「いや……」
そう言った、俺にも決意があった。
「アグに来れば、お前は死ぬ」
「それでも……いいよ」
ロニーがかすかに笑った。
「お前は生きていてくれ。俺は、必ずここへ戻ってくる。それまで――」
「でも……」
左右に軽く首を振る。
「ロニー、お前だけだ。俺を人間に戻してくれるのは……」
そうだ、狂戦士と変貌した俺を人間へ変えてくれるのは、ロニーしかいない。それが何故なのかは判らない。だが、それは間違いのないことだ。
「ケイン……まだるっこしい言い方、嫌だ。好きだと……言いなさい」
「そうだ……な」
俺はポツリと言うと、ベルゼルガに乗り込んだ。
「待って……フィルの想いを、遂《と》げさせてあげて」
「判った」
俺は、ベルゼルガに折れた長槍を拾わせると、立ち上がらせた。
しなやかに、新型マッスル・シリンダーが伸び上がる。駆動系に軋みひとつない。
俺は残骸と化したファァティーに歩み寄ると、左手の折れた長槍を叩きつけた。衝撃で、フィルの血に染まった地表が深さ一メートル程の擂鉢状に凹む。
|F・X《フェックス》・マッスル・シリンダーの威力は凄じいものだ。
――待っていろ、黒いA・T。
俺は、地下でレールウェイが眠っている倉庫へ、ベルゼルガを歩ませた。
「ケイン……待ってるね、この街で……」
ロニーの声が背中越しに聞こえていた……。
[#改ページ]
CHASE 8 EXPLOSION
[#ここから3字下げ]
灼熱の炎が身を焦がす
誰もが忌み嫌う死を懸けた戦い
だが、凶暴な野獣は
恐れることを忘れていた
――ファイア・キャスク――
煮えたぎる溶岩は鮮血の赤
[#ここで字下げ終わり]
アグの街、一階層は静まり返っていた。街を包む大気は、一切動こうとはしない。硝煙と爆薬の匂いだけが、重く沈殿している。
もともと戦災のため、都市としては崩壊しつつある。そのうえ、あたりに散乱した瓦礫の山には、真新しい戦いの傷跡がくっきり残されている。
焼け焦げたコンクリートの壁。
上端が溶け落ち、燃えさしの蝋燭《ろうそく》のように変形した鉄柱。
だが、それに対して、なんの感傷も感じられなかった。
――ここで戦いがあった。
それを認識したにすぎない。
ボウの街を出た俺は、破壊という本能的な情念に支配されている。人の感情など、持ち合わせてはいなかった。
うずたかく堆積した塵芥《じんかい》を後方に巻き上げながら、俺のジープは、コバーンの隠れ家目指して走る。静寂を切り裂いてエンジンが唸り続ける。
あたりに散乱したA・Tの残骸が、怨めしそうに俺を見下ろしている。眼前で、淡い光を浴びて一機、薄暗闇の中に溶け込んでいる。
まだ、原形を留めたままだ。
まるで水でも流れ落ちているかのように、機体の外形ラインだけが、白く浮き上がって見える。その肩が異様に赤い。
鮮血の赤だ。
その丸くカーブを描いた肩に、ジープのへッドライトが投じた光が下から上へ揺れながら走った。
スコープドッグの右肩だ。
俺はその前で車体を停めた。
「今、お帰りかい」
低く沈んだ、単調な声がした。弾倉を銃に取り付ける、重い音がする。
俺はそろりと腰の銃に手をやった。
「ラドルフか」
「そうだ」
ドッグの影から、ラドルフが立ち上がった。表情には憔悴《しょうすい》の色が浮かんでいる。
「やられたのか?」
「今しがたな……」
ラドルフは、銃を腰のホルスターに収めた。
「生き残ったのは、俺ひとりのようだ」
疲れ切った吐息を洩らす。
「待ちな」
しわがれた声が、凛《りん》と飛んだ。
「儂も……生きて……おる」
路上で灰を被っていたマンホールの蓋が開くと、血糊をべったりとつけたコバーンが顔を出した。渾身《こんしん》の力を込めて、マンホールから這《は》い出すと、おぼつかない足取りで歩み寄る。
「パイルバンカーは手に入ったのか」
「ああ。それより――」俺はうなずいた。「また襲撃を喰らったのか?」
「そうじゃ……」
コバーンがうなずく。袖で額の血を拭うと、煙草を取り出し、火を点けた。
苦そうに口許を歪ませ、煙草を地面に叩きつけると、話し始めた。
「あの後、街から上がってきたボトムズ乗りどもと立て籠ったんじゃ。前々から話をつけておった連中じゃ。なかには、金を積んで来てもろうた奴もおる。それが、一瞬のうちに、こうじゃ」
コバーンはパッと拳を拡げた。
「黒いA・Tから伝えられたことがある」
ラドルフが、すっくと立ち上がった。
「ファイア・キャスクヘ来い――奴は、そう言った」
「ファイア・キャスク!」
コバーンが悲鳴に近い叫び声をあげた。
「あの溶岩リングでの戦いを挑んできたのか、奴は――」
「なんだ、それは」
「まだ、儂が三階層におったころ開設されたリングじゃ。中央にマグマ溜りがある。破壊か――マグマ溜りで溶け落ちるか、どちらかの勝負じゃ」
落ち着きを取り戻して、コバーンが言う。
「ラドルフ……お前《めえ》、未だに|死の伝令《デス・メッセンジャー》じゃな」
「そのようだ……いや、本来ならば|青の騎士《ブルーナイト》をキャスクに行く前に、叩き殺しているところだ。だが……」
ラドルフが精悍《せいかん》な顔をしかめ、短く刈り揃えた髪を掻きむしった。
「武器も、マッスル・シリンダーも、いっちまったのか」
コバーンが付け加えるように言った。
「そうか……!」
俺は、ニヤリと笑った。
「俺は、奴とバトリングをやりに帰ったわけではない」
「なんじゃと?」
コバーンが驚愕した。
「俺は、ボウの街から、武器とマッスル・シリンダーを持ってきた。ラドルフ、そいつをやる。その代わり、まず、俺が黒いA・Tを倒すまで協力してくれ」
「協力だと?」
ラドルフが冷たい目で俺を見た。
「|黒き炎《シャドウ・フレア》に戦いを挑まれ、臆したのか?」
「いや――」
俺は首を振った。
「奴らをこの街から炙《あぶ》り出す。そう、拠点を攻撃する」
「よかろう」
ラドルフが苦虫を噛み潰したような顔をした。
「ところで――」
呆れ顔をしているコバーンに、俺は言った。
「この街で、戦えるボトムズ乗りは、どのくらい残っている?」
「さて……」
コバーンは首を傾げた。
「じゃが、ここに集まり損ねた連中もおるはずじゃ。そいつらを集めると……」
「急いで集めてくれ」
俺は言い放った。
「なんじゃと……どうやって奴らを……」
「武器を元手に、集められないか」
俺はコバーンを威圧するように見下ろした。
コバーンが、ぶるっと身震いした。
「わ……判った。やってみよう」
そういうと、奴は傷の手当てもせず、階層下へと消えた。
「ボトムズ乗りを集めて、どうするつもりだ」
ラドルフが声を低めて訊いてくる。
「知れたことだ……」
俺はニヤリと笑った。
「これが、精一杯じゃ」
ラドルフの機体の整備が終わったころ、コバーンがボトムズ乗りを連れて帰ってきた。五人――トータスが三機とビートルが二機だ。
「あんたが、|青の騎士《ブルーナイト》か。本当に武器を持っているんだろうな」
眉を剃《そ》り落とした、神経質そうな顔の男が訊いてきた。
「ああ!」
俺は軽く受け流した。
「物《ブツ》を見せてもらおうか」
「そこのジープの中にある」
俺は、もたれかかっていた、ベルゼルガの脇にあるジープを親指で示した。
無造作に男が荷台に掛かったシートを外す。
「ソリッド・シューター! ミサイルポッドもある」
男が歓喜の声をあげた。
「協力させてもらうぜ」
男が言った。
「俺はマクファーソン。愛機はトータスのバトリングカスタムだ。|汚ねえ狐《ダーティ・フォックス》≠ニ呼ばれている」
「俺は、ストロット」
マクファーソンの傍で、ふてぶてしく構えていた男が言った。
「ここんとこ一週間ぐれえ、バトリングはできねえわ、武器弾薬の類は手に入らねえわで、うずうずしてたんだ」
前髪に隠れた目が、殺意に溢れている。
「俺はリンク……|七ツ星《セブンスター》リンク≠ニ呼んでくれ」
切れ長の目をした、洗練された雰囲気を持つボトムズ乗りだ。
「儂は、シュボルト……|シュボルト将軍《サージェント・シュボルト》≠ニ仇名されている」
武骨な大男が言った。頭はテラテラと禿げ上がっている。そこに幾つもの傷跡がある。
「そして、こいつは|鋼鉄の烏《アイアン・クロウ》=A儂の相棒だ」
シュボルトが、隣でちぢこまっていた男を指差した。
「オレは……ケーファー」
奴はシュボルトの陰から跳び出すと、銃を構えた。
「貴様、なんのつもりじゃ」
コバーンが奴の前に立ち塞がった。とっさに奴は、コバーンの右手を後ろ手に絞り上げると、二、三歩後退した。
「動くんじゃねえ」
コバーンを盾にして、銃を俺に向ける。
「俺は、|青の騎士《ブルーナイト》を殺しに来た」
「なんじゃと!」
コバーンが喚いた。
「奴の首には、五千の賞金が賭かってるのよ。軍警からな」
ケーファーが悠然と言った。
「手前、ボトムズ乗りかッ。手前のショバぁ荒らされて、何とも思わねえのか」
コバーンが、激しく身体を揺らし、怒鳴る。
「黙れ、俺は金のためにバトリングをやってるんだ! 金のある奴が、俺の味方だ」
ケーファーも狂ったように喚く。
「やめな、ケーファー」
ケーファーを狙い撃ち出来る位置に回り込んだシュボルトが銃を抜いた。引き金を絞る。
だが、弾は出ない。撃鉄が虚しく音を立てるだけだ。
「馬鹿めっ、ここに来る前に、手前らの弾丸は抜いてある」
「貴様、コバーンに俺たちが受けた恩を忘れたのか。俺たちが、この街でバトリングをやれたのは、コバーンのお陰じゃねえか」
ストラットが叫んだ。
「知らねえな」
血走ったケーファーの目が、淡い色のサングラス越しに見える。
「貴様……」
ストラットが歯噛みした。
「|青の騎士《ブルーナイト》、銃を捨てて、こっちへ来い。手前を生きたまま連れて行きゃあ、賞金は倍の一万は出る」
ケーファーは、あたりの険悪な雰囲気を気にも留めず、高笑いする。
「手前、そんな小銭のために」
コバーンが、下から奴を睨《ね》めつける。
「貴様に殺られるぐらいなら、コバーンごと貴様を撃ち殺すだけだ」
俺は腰からアーマ・マグナムを抜くと、ケーファーの胸に銃口を合わせた。
「コバーンに死なれても、俺には関係はない。今の計画を邪魔するならば、撃つ」
凄味を利かせて俺は言った。
「俺もそうだ」
瓦礫の山にもたれかかっていたラドルフが、むくりと起き上がると、銃を構えた。
「て……手前らッ」
一瞬、ケーファーが躊躇《ちゅうちょ》した。
その期に乗じて、コバーンが掴まれていた手を払った。
ケーファーの上体が斜めに体勢を崩した。
奴は倒れながら、引き金に力を込める。
コバーンの後頭部に弾丸が命中した。大量の血とともに、目玉と舌が飛び出してくる。
轟音が響いた。
俺とラドルフが、同時にケーファーに向けて引き金を引いたのだ。
奴の身体が弾の衝撃で四散し、肉片と奴の腕が地に落ちた。
「急いだ方がいい――」
ラドルフが冷静に言う。
「そうだな――聞いてくれ」
俺は呆然としているボトムズ乗りどもを身近に集めた。
「まず、メインタワーに突入する。破壊工作を行った後、アグの都市機能を停止させる。そして、第三階層まで、一気に降りる」
「目標は?」
リンクが事務的に訊いてくる。
「闘技場の脇にあるドーム状の建造物だ。それと組み合わされて、天蓋に向かって伸びるビルが目印だ」
「あの、でっけえヤツか?」
マクファーソンがニヤニヤ笑いながら訊く。
「そうらしい。情報部のデータに、そうあった」
「面白え!」
ストラットは、そう叫ぶと自分の機体に駆け寄った。立ち上がらせ、ジープから、横に広がった銃身の上下に六基ずつのミサイルを装着したハンディ・ミサイルランチャーを持たせた。
「先に突っ込むぜ」
「馬鹿野郎! 先陣は俺だ!」
マクファーソンとシュボルトが、水を得た魚のように喚き、A・Tに跳び乗る。
どいつも、人殺しがしたくて仕方ない様子だ。
リンクもトータスに跳び乗ると、ジープの荷台から、大型のバズーカランチャーを取り出した。
「ジープも使ってくれ。メインタワーまでは、武器の補充ができる」
俺はリンクに叫んだ。
「よかろう」
リンクは、トータスをジープに乗せると、自らステアリングを握った。
「ラドルフ、あんたも先に行ってくれ」
「貴様はどうするつもりだ」
「コバーンを葬ってから行く」
「そうか――」
ニヤリと笑うと、ラドルフはドッグに駆け寄った。
奴らが街の中心に向かって走り去り、全機の姿が視界から失せると、俺はコバーンの死体に歩み寄った。
「コバーン。あんた、いいマッチメーカーだったよ」
そう呟くと俺はベルゼルガに跳び乗り、奴らと反対の――そう、街の外壁に向けて発進させた。
アグの街の外壁の岩肌を見ながら、俺は待っていた。都市中央部からは、かすかな爆発音が聞こえてくるだけで、都市全体に変化はない。メインタワーに向かった連中はまだ、それを制圧してはいないのだ。
「やはり、こんな所にいたのか」
通信器から、ラドルフの声が入った。後方に奴のドッグが姿を現した。
「武器を餌《えさ》に、手前の盾になる野郎どもを買おうとはな」
「黒いA・Tを倒すためには――な、どんな手でも使う」
突然、辺りの照明が消えた。
「奴ら、やったな」
ラドルフが無表情に言う。
「ようだな――」
ミーマの残したラスト・ワンチャンスが始まった。
俺は、赤外線カメラに切り換えると、眼前に口を開けた洞窟に入った。ラドルフも続く。
なかには、階層下に向かう、螺《ら》旋《せん》状の通路がある。幅五メートルはある。
「こんな所に、通路が……」
「ボウから帰って来たときに、発見した。地下ではレールウェイでボウとつながっている」
俺は、ベルゼルガをそれに乗せた。
「軍の秘密通路か――発見できないわけだ」
ラドルフが納得するように言った。
俺たちは、一気に通路を駆け降りる。傾斜は極めてきつい。バランスを保ちながら、約二千メートル地下に辿りつくと、壁面の亀裂から第三階層へと出た。
あたりは、まったくの闇だ。街の中央だけがぼんやり赤く燃えていた。
「あれが、ファイア・キャスクだ――」
ラドルフは、その光に向かって機体を走らせた。
「奴は、あそこにいるのか……」
俺は、グライディングホイールを作動させる。ベルゼルガは、息をひそめたように、か細い駆動音とともに、走行を開始した。
俺たちは、闘技場の側にあるドーム型建造物に辿りついた。扉の脇に身をひそめる。
巨大なドームだ。高さ五百メートルはある。
あたりには、蠢くものの姿はない。物音ひとつしないのだ。先行した奴らは、もうやられたのか、それとも、ここに辿りついていないのか――
「|青の騎士《ブルーナイト》、雑魚《ざこ》は任せろ、貴様は黒いA・Tだけを狙え」
ラドルフが小声で言う。
「だが――」
「俺は、心配はいらない」
ラドルフが、俺の言葉を遮った。
「貴様が奴を倒さないことには、俺との勝負は有り得ないからな。――行くぜッ」
奴と同時に扉を突き破った。だが、攻撃はない。先発した連中の残骸もなかった。どうやら、メインタワーに足止めを喰っているのか、そこで殺られたようだ。俺を怨んで死んだのだろう。だが構いはしなかった。
――充分、奴らを引きつけてくれたようだ。
それは早計だった。
ザッと、まるで音を立てるようにスポットライトの光が集まってくる。眩惑された視界のなかで、数十機のA・Tの姿がシルエットで浮かび上がった。ギルガメス型のA・Tどもだ。
奴らが動くとともに、光の帯が揺れる。
黒いA・Tは、この街にこれだけのボトムズ乗りを、手下に持っていたのだ。
「お――ッ」
ラドルフの絶叫とともに、ドッグがA・Tどもに向かって駆け出していく。ヘビィマシンガンを乱射する。
A・Tどもも、一斉に走行を始めた。闇の中で、奴らの足元から火花が散る。
その後方に、一機だけ微動だにしないA・Tがあった。黒い機体のA・Tだ。だが、|黒き炎《シャドウ・フレア》ではない。ポッドベリーだ。
俺は奴に向けてベルゼルガを走らせた。
眼前に頭部センサーがふたつしかないA・T――ベアータイプが迫った。
――邪魔だッ。
ベアーにアームパンチを叩き込む。
奴が仰向けに倒れた。俺は、奴の機体を跳び越えると、ポッドベリーに向かって迫った。
ポッドベリーが反転した。そのまま、後方の扉に跳び込む。
脚のノズルから噴射炎を噴き出して、とっさに俺はそれを追った。
機体が高速で扉を抜ける。
だが、そこには奴の姿がなかった。一直線に、その建造物から抜ける通路があるだけだった。
――この先で、罠《わな》を仕掛けて待っているのか。
それは、充分承知したことだった。だが、ベルゼルガが今のパワーを持続できるタイムリミットは、あと一〇時間足らずだ。
俺はアクセルペダルを踏み込んだ。ベルゼルガが走り始める。ドーム状の建造物の端から出ると、半円形の鉄骨を並べて作った通路を抜け、闘技場の中へと入っていった。
闘技場の中央には、異様なリングがあった。半円形のドームだ。天井にぽっかりと大きな穴が開いている。
数条のスポットライトが、辺りを照らしていた。
中央には直径一〇メートルのマグマ溜りがある。ぐつぐつと泡《あぶく》を噴き上げ、時折スポットライトの照り返しを受けて、白く光る。
その縁石は指先を載せただけで、崩れ落ちそうに朽ち果てている。そこから、約五メートルの幅を持った、ドーナツ状のリングが見える。周りは迷路状《ラビリンス》の衝立で仕切られている。
観客席らしきものは見当たらない。壁面の各所に穴が開いており、そこから試合経過を見るのだろう。
俺はドーナツ状のリングに機体を入れた。
だが、黒いA・Tはそこにはいない。
観客のいない闘技場の静けさは、一種異様なものだ。そこに漂う怨霊が、取り殺す者を求めてさ迷う――そんな感じだ。今にも、連中の呻き声が聞こえてきそうな静寂がそこにはあった。
溶岩溜りから湧き上がる熱気をはらんで上昇する重い空気を、グライディングホイールの咆哮が震わせた。
――奴か。
血が騒ぎ始めた。
グライディングホイールの咆哮が接近してくる。迷路状《ラビリンス》衝立に邪魔され、センサーに反応はない。だが、それは間違いなく後方の迷路から吐き出されている。
俺は機体を反転させた。
ベルゼルガの足元で、閃光が走り、爆音が轟いた。ミサイルだ。
凄じい威力だ。
足元で床面が軋み、ドーナツ状の外縁が左右で幅一メートルずつ分断され、溶岩がどうと流れ込んでくる。
飛び散った溶岩がベルゼルガの脚部にかかり、パシュッと閃光を発した。だが、塗装の一部が燃え上がっただけだ。
空を切って、なにかが肩口に叩きつけられた。黒光りするチェーンだ。そいつはベルゼルガの右肩と、ボディの間、ちょうど剥き出しになった駆動ギアボックスのあたりに巻きついた。
右腕でそいつを掴み、力任せに引く。
ビンと、チェーンが振動した。
A・Tの足音がした。それも、重量級……スーパーヘビィ級だ。
左斜め前に開いた迷路状《ラビリンス》衝立の出口に、黒いA・Tがその姿を現したのだ。
ベルゼルガの右腕が、チェーンを後方に引き上げる。
奴は、左腕でチェーンの先端を機体正面に構えたまま、引き絞る。
ギシ――チェーンが軋んだ。どちらのA・Tも微動だにしない。
――バワーは互角だ。
チェーン中央の鉄輪がちぎれた。左右から均等な力を受けて、ゆっくりと開いていく。
チェーンがぶっつりと切れた。勢い余って、機体に撥ね返ってきた。
ジャラ、と軽い金属音が連続して聞こえる。
それを合図に、黒いA・Tの足元から火花が散った。機体を斜めに傾げて、溶岩溜りの縁を滑走してくる。
足元後方の縁石を砕きながら、奴が急接近した。
俺は左手に持ちかえていたヘビィマシンガンを乱射した。
奴は素早く機体を左右に揺すり、弾丸をかわす。
奴の後方で、花崗岩製の衝立に約二メートルの高さを保って水平に弾孔が開く。次の瞬間、衝立は真っ二つに折れ、地表に落ちて砕け散った。
黒いA・Tが眼前に迫る。
奴は右手に持ったソリッド・シューターを速射した。二発だ。
ベルゼルガの足元で縁石が発光! 床から分断された。
機体のバランスが崩れる。
とっさに機体を翻させ、手前の縁石に跳び移る。
奴のボディが眼前にあった。
衝撃!
ベルゼルガが、どうと倒れた。奴の右拳が叩き込まれたのだ。
コクピットの右側で閃光が走った。右腕の塗装が、一瞬のうちに燃え上がったのだ。
引き上げると、右拳が失せていた。
眼前で黒いA・Tがソリッド・シューターを構えた。銃口は確実に、ベルゼルガのコクピット……その内にいる俺に向けられている。
「動けまい……」
クリス・カーツの余裕に満ちた声が聞こえる。
だが、一切の恐怖はなかった。
俺はベルゼルガの左腕を床に叩きつけた。
縁石を砕きながら、機体が右へ回転する。
その反動を利用して、左腕のアームパンチを作動させた。
左拳が奴のソリッド・シューターに喰い込んだ。閃光とスパークを散らして、ソリッド・シューターが爆発した。
奴が右拳を引いた。
そのとき、ベルゼルガの右腕に閃光が走った。右手の先から、腕内部の駆動器がごっそり吐き出された。
奴のアイアンクローが、右肩から腕の先までを抉《えぐ》り取ったのだ。
奴は勢いに乗って、俺の後方にある迷路出口に失せた。
その出口から、グライディングホイールの咆哮が響き続ける。まだ、ベルゼルガの後方だ。
俺はベルゼルガを立ち上がらせた。
奴がグライディングホイールの音とは、正反対の迷路出口から出現した。もう移動したのか。素早い――
脇にある衝立を叩き折るなり、奴はそれを溶岩溜りに投じた。同時に、縁石の端から跳んだ。
溶岩溜りに衝立が落ちる。閃光を発して燃え上がる。瞬間、黒いA・Tが高く跳躍した。
上空でアイアンクローを振り上げると、落下速度を利用して、俺に叩きつけてくる。
足元で縁石が崩れた。機体が傾く。
――ここで、殺《や》られるものか。
俺は脚を沈み込ませると、斜めに傾いた縁石を蹴って跳び上がった。
狙い違わぬ黒いA・Tのアイアンクローが、コクピットに迫る。
俺は脚のサイドノズルを作動させた。ベルゼルガはギリギリの所で奴の爪をかわした。右肩の脇をアイアンクローがすり抜ける。
奴が着地した。縁石に亀裂が走った。
――今だッ。
俺は左腕を突き出すと、右腕でパイルバンカーの作動レバーを握った。奴の背中に狙いを定める。
奴が振り向いた。
赤いカメラアイが、ベルゼルガを睨みつけた。
手足が金縛りにあった。ベルゼルガが力なく降下を始める。
――こんな時にッ。
奴は振り向きざまに右腕をふるった。ベルゼルガが弾かれ、溶岩溜りを挟んで反対側の衝立にめり込んだ。
抜け出そうと、両腕を動かす。だが、ベルゼルガの手脚には、いつの間にか枷《かせ》がはめられていた。
ぎりっと、俺は歯噛みした。
だが、全身を縛りつけている異様な感覚の正体が判り始めていた。それは、奴から直接伝わってくるものではなく、ベルゼルガと耐圧服を通して伝わってくるのだ。
奴はベルゼルガのメカ、とりわけコンピュータに直接干渉している。それは間違いのないことだった。
それがフィードバックシステムを通し、俺の身体に伝わってくるのだ。いや、耐圧服の端子を通して、直接流れ込んでいるのかもしれない。
機械に囲まれている時に感じる、あの重苦しい、冷たい感覚が肥大したようなものだ。
だが、それが判ったとしても、すべてはもう遅い。
奴はベルゼルガに歩み寄った。
左右の迷路状《ラビリンス》衝立の陰から、二機のポッドベリーが現れ、黒いA・Tの脇に控えた。
右側のポッドベリーのハッチが開いた。
「この方に逆らった者の運命を教えてやる」
左側のポッドベリーが、腕を高く差し上げた。ラドルフのドッグのものであろう椀《ボール》状の頭部が握られていた。
ポッドベリーの指先が喰い込み、アルミ箔を折り曲げるように潰していく。
「貴様に、唯一生き残る道を与えてやる。我々の技術をその肉体の中に受け入れ、我々とともに戦え。今までのデータによると、貴様にはそれだけの力がある」
ポッドベリーのパイロットが、俺を指差して叫ぶ。奴は後頭部からワイヤーコードで機体とつながれている。
――これは、クリス・カーツ自身の言葉なのだ。
「我々の力は種の限界を超越する。もはや、バララント全軍は我々の意志に従った。頑《かたく》なに抵抗を続けるギルガメス軍を叩き、種の限界に直面したアストラギウスの民を救うのだ」
パイロットが、クリスの言葉を単調に復唱する。
「断る!」
俺は言い放った。
「アストラギウス銀河の支配など、興味はない」
ポッドベリーが、ハッチを閉じた。俺に向かってギイッと歩み始める。
その時、激しい火線が走った。ボッドベリーが機体を翻し、黒いA・Tの前に立った。ポッドベリーの装甲板で弾丸は空しく撥ね返される。
「待ちやがれ――|青の騎士《ブルーナイト》は、俺が殺す。貴様らに手を出させねえ」
迷路を抜けて、コクピット・ハッチをもぎ取られたラドルフのドッグが現れた。今では、赤く塗られた肩の装甲板もなく、全身から白煙を噴き上げている。
ゼエゼエと荒いラドルフの息が聞こえる。
ポッドベリーどもが、背部のスライスターを吹かし、ラドルフ目指してダッシュした。
ドッグが右から迫るポッドベリーに左肩口のミサイルポッドからミサイルを発射した。四発――残弾すべてだ。
手脚を四散させてポッドベリーが爆発した。その爆煙の中から、もう一機が襲いかかる。
すかさず、その頭部に左のアームパンチを撃つ。拳が喰い込み、頭部のカメラアイが崩れた。
ぽっかり、小さな穴が開く。
そこへ、ささくれ立った指先を突っ込んだ。機体を軋ませて引き上げる。ボッドベリーのコクピットが、上下に引き裂かれた。
金属音が響き渡る。
ラドルフが、ポッドベリーのコクピットにヘビィマシンガンを叩き込んだ。パイロットがコクピットから投げ出され、ぶよぶよの肉塊になった。
ラドルフの機体が、黒いA・Tに向かって突進を始めた。
迎え撃つように、黒いA・Tの左腕が振り上げられた。剥き出しのコクピットにいるラドルフに向かって叩きつけられる。
ラドルフが機体のなかで身をよじる。だが、それはもう遅かった。
骨のへしゃげる音とともに、ラドルフの身体が三枚に切り落とされた。
黒いA・Tはドッグのコクピットを地に押しつけるように、胸から地表に叩きつけた。
その地表が崩れた。溶岩が噴き出してくる。ラドルフのドッグは閃光に包まれた。青白い炎が機体の表面を舐めると、ドロドロと崩れるように溶け落ちていく。
瞬間、ベルゼルガを抑えつけていた呪縛が跡切れた。俺は耐圧服の両肩を掴むと、渾身の力を込めて、引きちぎった。
奴の威圧感が失せた。
黒いA・Tが向き直った。左上腕から鋭く伸びたアイアンクローは、溶け落ちてはいない。いや、血を吸ったばかりで、以前にもました凄みを感じさせる。
「我々に従えぬのならば、貴様は死ね」
クリス・カーツが威厳に満ちた声で言う。だが、その声に感情はない。
「俺は、貴様のような化け物に、なり下がる気はないッ」
俺は全身の力を集中させ、ベルゼルガを操作した。A・Tの駆動機関のマッスル・シリンダーが、低い唸り声をあげると、右腕は衝立に叩き込まれたハーケン状の枷を引き抜いた。
黒いA・Tの脚部が火花を放って迫る。
俺もアクセルペダルを叩き込んだ。床に衝突し、乾いた音を立てる。
コクピットを強烈なGが貫くと同時に俺は両腕を操作させ、パイルバンカーを構えた。
奴が、左腕を振り上げた。
俺は右の操縦桿を引きつける。ベルゼルガの右腕が、パイルバンカーの作動レバーを引いた。
左腕に装備された盾の内側が、一瞬発光し、長槍がその下から伸び始める。
照り返しを受けて、奴のアイアンクローに光が走る。それを、奴は振り下ろす。
速い。
長槍が、奴のコクピットに向けて伸びた瞬間だ、奴が素早い動作で左腕を胸の前に持ってきた。長槍の先端を掴むようにアイアンクローが閉じる。
鋭い手応えがあった。
電光の速さで突出したパイルバンカーは、奴の威信たるアイアンクローを叩き折った。
奴がとっさに機体を退かせる。
長槍の先端が引き戻される。奴はパイルバンカーのストローク外に脱出した。
同時に、奴の後方にあたる会場のドームが崩れた。風穴が開く。その中を通って、一機のマシンが出現した。A・T運搬用ヘリ、A・Tフライ――いや、違う。先が尖った形の機体の左右に二基の推進装置が装備されている。A・Tキャリーだ。
空気を切り裂く、甲高いジェットエンジンの音が、ドームの中に籠る。
それは黒いA・Tを覆い隠すように降下すると、機体下面から伸びた鉤型の爪を、黒いA・Tの両肩からほぼ水平に伸びたフックに掛けた。
俺はA・Tキャリーに向けてヘビィマシンガンを撃った。だが、機体表面で空しく音を立てるだけで、充分な威力はない。
A・Tキャリーは、黒いA・Tをスリングすると上昇を始めた。俺が放った弾丸を全身で撥ね返し、ドーム頂点に開いた空洞を通して会場から出た。
ゴボッ
眼前で溶岩溜りが盛り上がった。同時に、ドームの壁に亀裂が走り、崩れ始める。
――こういった仕掛けかッ。
俺は迷路を突き破り、ドームの扉から出た。
後方で砂塵を巻き上げ、ドームが崩れていく。壁面が幾つかの塊に分かれて、一斉に地表に叩きつけられた。
それから、連鎖的に爆発が広がった。
――もう、この街に用はない。だから破壊するのか。だが、逃がしはしない。
俺はシートの下から、小型の発信器を取り出した。
――今頃、奴は一階層付近にいるはずだ。
俺は送信器のボタンを押した。
三階層の天蓋に開いた風穴から、閃光が走った。ややあって、アグを上下に貫くメインタワーに、鈍く光を発して亀裂が走った。
メインタワーが上から分断されるように、崩壊を始めた。ジープに隠してあった高精度爆弾を作動させたのだ。半径一キロは破壊できる強力なやつだ。
一階層の地表が落下した震動で、天蓋からバラバラと埃が舞う。
だが、黒いA・TをスリングしたA・Tキャリーのエンジン音は、まだ聞こえている。
――しくじったな。
足元の地表に亀裂が走った。遠方でビルが次々と斜めに傾き、倒れていく。土煙に包まれ、どこか階層壁なのか、見分けがつかない。
地表に噴き出した溶岩が、メラメラと街を焼き始めていた。
この街も、もう終わりだ。
――黒いA・T。必ず貴様を探し出し、この手で叩き殺してやる。
俺はベルゼルガをレールウェイのある洞窟に向けて、走らせた。そこには、地下を通って、アグを包んだクレーターの外へとつながる通路があるはずなのだ……。
[#改ページ]
CHASE 9 BERSERGA
[#ここから3字下げ]
2年もの長すぎた茶番
――停戦――
狂った歯車は
もう、元には戻らない
そして――
闇の中から再戦の足音が聞こえた……
[#ここで字下げ終わり]
「貴様、アグの生き残りか」
クレーターを抜けて、地表に出るなり、通信器から重いダミ声が入ってきた。
声とともに、一機の揚陸艇が降下してきた。機体の左右から、足のように伸びた推進機を持つ、ギルガメス型のものだ。
揚陸艇が砂塵を巻き上げて着陸すると、数機のA・Tが機体前方のハッチから出る。
「|青の騎士《ブルーナイト》か。揚陸艇へ乗れ」
ミーマの声がした。
俺は二機のA・Tに先導されて、ベルゼルガを揚陸艇の中へ入れた。
格納庫には、ミーマが待っていた。俺はベルゼルガから降りると、ヘルメットを外した。
「貴様だけか――」
ミーマが苦虫を噛み潰したような顔をした。
「判らん。だが、黒いA・Tは脱出した」
その時、揚陸艇の開いたハッチから閃光が侵入してきた。アグを内包したクレーターが、山頂から活火山のように黒煙を上げると、天まで貫く閃光と火炎を噴き上げた。
山頂から溶岩が流れ出す。
「艇を出せ!」
ミーマが叫ぶと同時に、ハッチが閉じ、揚陸艇が上昇を始めた。
「どうやら、貴様だけのようだな。バウントントで事情を聞かせてもらおう」
「バウントント? あの旧型の巨大戦艦で?」
「メルキア上空で情報部の拠点となっている」
ミーマが、ゴーグル状のサングラスを、上下に小刻みに揺すった。
「ところで、その傷は?」
ミーマは、俺の右手の甲を示して言った。
「奴らの血友弾にやられた」
俺は右手の甲を左手で隠した。
「出血はひどいのか?」
「気を確かに持っていないと、あの世に行っちまいそうな時がある。だが、大丈夫だ。奴を殺すまで、倒れるわけにはいかない」
俺は悠然と言った。
「そいつを治療してやろう」
ミーマがポツリと言った。
「その代わり、今、アグで貴様が戦ったデータをくれ。|F・X《フェックス》のテスト・データにしたい」
「血友弾の研究にもなるからな」
俺はニヤリと笑った。
「そうだ」
ミーマが深刻な顔で言った。
「最近、メルキアの政府高官が次々と原因不明の血友病で倒れている。貴様の喰らったものと同じ弾丸が原因のようだが……撃たれた形跡もない」
「そこまで奴らの技術が……」
「うむ。だが、奴らの開発意図は少々違うらしい。新しい情報にょると、あれはテスト弾だ。奴らは、あれに使用した薬品を大量殺人用として使用しようとしている」
「なぜ、そんな面倒なことを……」
「黒いA・Tの遣《や》り口だ。ネチネチと絞め上げるように殺す――恐怖を味わわせながらな」
俺は納得するようにうなずいた。
「しかも、今の人間はそのテの薬や細菌に対して、抵抗力が弱っている」
「弱る? 俺は、こうやって生きている」
俺は両腕を広げた。
「だが、今まで殺された連中は皆、傷を負って数日で絶命している。それだけではない。アストラギウス銀河の全域で奇形児の出産や駆逐されていた病原体の復活による病死……それも惑星全域にわたるものが確認されている」
「大規模な生物兵器や核兵器の実験が行われているのか」
「いや、判らん。だが、そう考えたい」
ミーマは、サングラスを外し、ハンカチで拭った。
「それを種の限界だと言う学者どももいる。人類発生以来の遺伝子の組み合わせが限界に達し、進化の袋小路に陥ったとな。つまり、人間がアストラギウス銀河で生き続けることは、不可能だということだ。確かに百年戦争の発端時と今を比べると、人間の代謝機能は著しく低下している」
「種の限界か……」
俺はポツリと言った。
「黒いA・Tどもも、同じことを言っていた」
「奴が――」
ミーマが訊いてきた。
俺は、今まで聞いたすべてをミーマに語って聞かせた。
「ラスト・バタリオンだと――」
ミーマが呻いた。
「ただの兵器商人ではないと思ってはいたが――」
「この話をどう受け取ってもらっても構わんし、どう使おうとあんたの自由だ。新型マッスル・シリンダーの礼だ」
俺は、笑ってミーマにそう言った。
バウントントに着くと、俺は医療ブロックに入れられた。だが、医師は診察を終えると、暗く俯《うゆむ》いたまま首を振った。
「遺伝的なものや、放射線ならば対処の仕様がある。だが、この薬品には……」
来る日も来る日も、医師どもは、そう繰り返した。
時折、面会に来るミーマも、
「戦える状況ではないか――」
暗然として俯くと、何も語ろうとはしない。
そして、二週間が過ぎた。
戦闘のない日々は、俺の身体を皺だらけの皮と骨の塊へと変えていった。一向に傷は完治せず、血も止まろうとはしない。
意識もふわふわと宙を漂うだけだ。
だがその日は違った。意識は身体のなかに定着していた。パウントントの内外に張り詰めた緊張感、そして、慌ただしさに、戦闘≠感じ取っていたのだ。
それは窓の外に停留された一隻の宇宙戦艦を見たからかもしれない。千メートルクラスの戦艦だ。それも、ゆるやかな流線形を描く、幅の狭い楔《くさび》にも似た形状で、今まで一度も目にしたことはない。
高く突き出した艦橋は、機体の上下面ともにあり、その周辺に無数の砲門とおぼしき穴が開いている。
俺は、病室を抜け出した。いても立ってもいられない気分とは、このことかもしれない。
長い廊下を抜け、医療ブロックの端まで行くと、ふたりの警備兵が呼び止めた。
「待て、どこへ行くつもりだ」
「ミーマに――ミーマ中佐に会わせろ」
警備兵は銃を背負ったままだ。
「ここで待っていろ」
警備兵のひとりが、壁に備えつけられたインターフォンのキーを叩く。その番号を、ちらと盗み見る。B‐7≠セ。ミーマは、そこにいる。
「作戦会議中で駄目だ」
「作戦?」
ピンときた。奴はラスト・バタリオンの本拠を叩こうとしている。
俺は、振り返った警備兵の腹に拳を叩き込んだ。
もうひとりが跳びかかってくる。それを軽くかわすと、俺は医療ブロックを抜け出した。
警報が鳴る。
俺は構わず駆けた。眼前の通路にBとある。今、通過した部屋がB‐3だ。そのまま、部屋伝いに走る。
B‐7という扉が目に入る。会議中だ。だが構わず扉を開いた。
そこには、一〇名近い兵士がいた。誰もが、ガッシリした身体の猛者《もさ》どもだ。奴らは一斉に振り返った。ごつい面に、幾つもの傷跡を残している。
奥に、ミーマがいた。
「|青の騎士《ブルーナイト》、嗅《か》ぎつけて来たか」
ミーマは軽く笑う。
「作戦は以上だ。これで解散」
兵士にそう伝えると、ミーマが駆け寄ってきた。
「外へ出ろ」
低い声で言う。
「今の会議は、何だ?」
「――|黒き炎《シャドウ・フレア》を叩く」
廊下を歩きながら、ミーマは喋る。あくまで押し殺した小声でだ。
「ケヴェックの情報にあった通り、遂に奴らの本陣が、メルキアに来た。それも、今から五年前に奪われた、戦艦|ギルガメスの栄光《ギ・グロリー》≠セ。ちょうどバウントントと、メルキアを挾んで反対の位置に静止している」
「黒いA・Tは?」
「多分、そこだろう」
ミーマは大きく咳払いし、廊下の脇で聞き耳を立てていた兵士どもを追い払った。
「――アグや、メルキアの幾つかの都市から、脱出したシャトルがある。アグの崩壊後にな。もう、新型A・Tの開発が終了したのだろう。そこで、奴らの本拠に仕掛ける。だが、傷を負った貴様には無理だ。いや――我々でも……」
ミーマが口ごもった。
「どういう意味だ?」
俺は多少の怒りを込めて訊いた。
「すべてが繋がった。異能者も、融機人も、クリス・カーツ、そしてシャ・バックもだ。それを見せてやる」
「新しい情報でも入ったのか」
「軍に、クリス・カーツの認識票が残されていた」
ミーマは、俺をある小部屋に連れて入った。雑然と正体不明の機械が積み上げられている。
「こいつで、認識票が記憶したデータを映像化し、貴様の脳に直接送り込む。少々荒っぽいが奴の体験したことがよく判るはずだ」
奴は、俺にコードが何本も伸びたヘルメットを被らせた。
「まず聞いてくれ。かつて、貴様がシャ・バックと出会った隊のことだ」
「屍隊か?」
「そうだ。あれは停戦の五年前に編成された隊だ。だが、編成当初の目的は、兵士の掃討などではなかった――」
ミーマは、昂揚しつつある口調を抑えて言った。
「ワイズマンへの攻撃だ」
「馬鹿な、全軍が異能者に操作されていたはずでは……」
ミーマが首を振った。
「コンピュータはな。だが、コンピュータの管理下からはぐれた部隊もあった。屍隊は、ワイズマンの秘密を知った者が、極秘のうちに作り上げたのだ。そして、パイロットの記憶を操作し、ある者の記憶は消し去り、ワイズマンに対する怒りを植えつけた」
「だが、俺は――」
何かに痺れたようにかぶりを振った。どこかに、まだシャ・バックを信じようとする気持ちが残っていた。
「貴様が入隊したのは、屍隊がただの部隊に変わってからだ。本来の屍隊は停戦の三年前に消えた。ワイズマンに操作され、隊はラスト・バタリオンの本拠をワイズマンの巣窟と思い込まされたのだ。そして、彼らは、攻撃をした。その時の隊員に――異能者に対して激しい怒りを持つ、シャ・バックとクリス・カーツがいた。かたや異能者を忌み嫌うクエント人。そして、奴らに追い払われた融機人だ。これほどの適役はない――」
ミーマは淡々と喋り続けた。
「その時のデータを見せてやろう」
奴が機械を操作したとき、突然、頭の中に別の視界が開けた。
眼前に、巨大な宇宙船があった。ひとつの惑星といってもいい。円柱の居住ブロックを束ねたような、船団国家とも言えるだろう。
そこへ、クリス・カーツと化した俺を乗せた揚陸艇が突入した。俺は最新鋭のスコープ・ドッグを駆って船内に侵入した。後方に数機のA・Tが続いた。一機の機体は青い。シャ・バックのベルゼルガだ。
俺たちは動力室に向かって突進した。攻撃はない。A・Tの機体から発した負荷が金縛りのように全身に襲いかかるだけだ。
だが、俺は、それをなにか懐かしいものに感じていた。
A・Tの力だけを頼りに、俺たちは動力室に辿りついた。突然、集中砲火を浴びる。あたりでA・Tが次々と爆発する。
だが、そこにはベルゼルガの姿はなかった。
奴は――どこに?
構ってはいられなかった。正確に狙ってくる砲火をかわし、動力炉に辿りついたのは、俺ひとりだった。ドッグのコクピット・ハッチは砕け、機体の損傷も激しかった。
ほとんど機能を失っていた。
仕方なくコクピットから出て、時限爆弾をセットする。
いつの間にか、砲撃はやんでいた。その代わり、凄じい威圧感が全身を包む。
それにめげることなく、震える指先で、三個の爆弾をセットした。
数名の男が迫ってきた。手に武器はない。
俺は腰のアーマ・マグナムを握り、引き金を絞った。だが、作動しない。
男どもが迫る。俺は素早い動作で奴らを振り払うと、動力室の扉に向かって駆け出した。
前方に回り込んだ男を殴った。鈍い感触とともに、鉄塊が男の体内で砕け散った。
奴らが身体に埋め込んだメカだ。
不気味な感触とともに、頭のなかで、なにかが弾けた。記憶のどこかに封じ込められていたなにかが蠢き始めた。かつて、この感触を味わったことがある。
――この男たちは、俺の同族だ。ただ、俺はここから離れていただけだ。異能者を叩くために。
だが、気づいた時にはもう遅かった。セットした爆弾は、動力炉の内側を貫くように爆発した。
炎が轟々と音を立てて、壁面を駆け抜けていた……。
艦を脱出したとき、生き残っていたのはシャ・バックと、俺だけだった。
揚陸艇から、遠ざかる宇宙船を呆然と見続ける。
連鎖的に爆発が広がると、巨大な宇宙船はブロックごとにちぎれていき、そのひとつひとつが虫ケラを潰すように爆発していく。
――俺はいま、なんということをしてしまったのだ――
絶叫が際限なく湧き上がってきた。
鮮血の入り混じった、魂の絶叫だ。
怒り――怨念――そして、凄じい喪失感が身体の芯を熱くして、頭へと駆け上がる。
パノラマのように展開される都市崩壊が、頭の中を叩き続ける。がなり続ける。
頭が杭を叩き込まれたようにキリキリと痛む。
宇宙船の最期の悲鳴とともに、痛みが一点に向かって集中を始めた。額の中央に向かってだ。
血管を突き破って、血が噴き出した。
精神が急激に昇りつめる。今まで戦った人間は皆、脆《もろ》かった。だが、俺は違う。
力がすべてだ。人は強者に支配される運命にある。
――そして、いつの間にか汗が引き、耳元で髪がサラサラと音を立てていた。
視界の片隅に脱出した小型艇の姿があった……。
俺は嘔吐した。腸《はらわた》を吐き出しても収まらないような嫌悪感があった。
「どうやら、クリス・カーツは屍隊でワイズマンの存在を知り、作戦中に奴らの力を手に入れたようだな」
ミーマが構わずに言った。
「このあと、奴はメルキアに戻り、軍の首脳を叩き殺した。そして、新造戦艦|ギルガメスの栄光《ギ・グロリー》≠奪い、脱出した。それ以来、首星メルキアは傀儡《かいらい》政府となった。だが、それが奴の目的だったのだ。奴はメルキアを脱出するにあたって、何と言ったと思う」
「さあ……」
俺は口元を拭いながら、頭を振った。
「奴は、自らアストラギウス銀河の支配者を名乗った」
忌々《いまいま》しそうに、ミーマが吐いた。
「奴が持っている、あの威圧感をカリスマ的と言うのは、言い得て妙だな。破壊によって人知を越えたというには、語弊があるが、奴はおのずと人を従わせる力を手に入れた。それは今まで救世主と呼ばれた連中にも匹敵する力――異能者の力なのかもしれない」
「違うな……奴が異能者ならば、過去の異能者が記憶を封じ込めた|コンピュータ《ワイズマン》と接触を取るはずだ。だが、奴はラスト・バタリオンにいる」
俺は軽い口調でこう付け加えた。
「奴が何者であれ、倒すべき相手でしかない」
「だが――、奴は今、メルキアのコンピュータに介入して再戦を巻き起こそうとしている。出所不明のデータが次々と積み重ねられ、メルキア本星のコンピュータを塗り替えようとしているのだ。大抵が、バララントの進入というデータだ。奴らはふたつの星域の再戦を利用し、すべてを手中に収めるつもりだ。バララントも同じ方法で臨戦状況に追いやったのだろう」
「この停戦が、ギルガメス軍にとって戦力補強のための期間だと言ったのは、あんたのはずだ」
「軍の上層に上申してはある。|黒き炎《シャドウ・フレア》の情報に惑わされるなとは……な。だが、コンピュータを切るわけにはいかない。これから行われるのは、奴らを叩くことによって、再戦後の戦局を有利にしようという向きもある……しかし」
ミーマは口ごもった。握った拳が震えていた。
「この戦い、俺も行かせてくれ」
俺はミーマの隙に付け入るように言った。
「ロニーはどうする。なんのために、ボウに残した?」
ミーマが呆れた顔で訊き返してくる。
「奴を倒さないことには、何も始まらない。奴らの正体を知ったとしてもだ」
俺は不退転の決意をもって、言い切った。
「―そうか、私の|F・X《フェックス》隊に加われ。ベルゼルガは積み込んでおこう。貴様は耐圧服に着替えて、戦艦バーフォールに乗れ」
ミーマの口調が、軍人らしい画一化されたものへと変わった。
「貴様の生きる場は、戦場にしかないのだな」
ミーマの呟く声が聞こえた。
「こいつが|F・X《フェックス》か」
戦艦バーフォールの格納庫に並んだ一〇数機のA・Tを見上げて、俺は嘆息を洩らした。
モスグリーンに塗られた機体だ。大型火器を肩から備え、腕部は四本に見える。頭部のカメラアイは、コクピット・ハッチにパワーバルジのように張り出した部分に埋め込まれている。全長五メートルはある。
「|H《ヘビィ》級のFX‐1だ。対艦、対要塞用のA・Tだ。こいつにはベルゼルガと同じフィードバック・システムが組み込まれているが――今回の作戦では切って使う」
「そうか――」
俺は無感情な声で答えた。
「そして、積み込んではあるが、|M《ミッド》級のFX‐1も使わないだろう」
ミーマがそう言った時、艦内にブザーが鳴り響いた。
「ギ・グロリー接近! 戦闘準備」
艦内にそう放送があると、異様な緊張が走った。しばらく味わったことのない実戦前の緊張だ。
FX・Hがザッと立ち上がり、格納庫の端に移動を始めた。直径三メートル程の小部屋に一機ずつ入る。
A・Tが部屋の中で停まると、左右から弾丸をふたつに切ったような形の金属板がせり出し、A・Tを左右から包み込んだ。さらに前後から包むと、全長七メートルの巨大な砲弾になる。
それは、部屋の上方へと吸い込まれていく。床の内に隠れた部分は五〇センチ程度の厚みがあり、数機のバーニアが取り付けてある。
「何だ? あれは」
「A・Tバックだ。あれごとA・Tを射出し、敵艦に突入させる」
ミーマが言う間に、次々とA・Tどもが砲弾へと変わっていく。
「ソリッド・シューターの射出機構と、惑星間ミサイルの技術をフィードバックしたものだ。揚陸艇を使わず、素早く艦内に突入ができる。艦は同時に弾幕を張り、カムフラージュする」
「命中した所が火の海ってことはないだろうな」
「そのためのバーニアだ。フェアリングの開閉も調節できる。そして、貴様には、これを用いて黒いA・Tを狙ってもらう」
ミーマが、命令口調で言った。
「ならばコンピュータ・ルームだ。奴はコンピュータを守るに違いない。ギ・グロリーの艦内があんたに聞いた通りなら、艦の前方だな」
「そこを狙おう」
ミーマがニヤリと笑った。
「頼む」
俺はベルゼルガに跳び乗った。部屋の奥にある小部屋に入ると、左右からせり出してきたフェアリングを両腕で掴んだ。
重い閉鎖音が二度続くと、A・Tバックが上昇を始めた。
鈍い音とともに停止する。気密性のある耐圧服を身にまとった俺は、射出を待った。
「対艦速、同調」
「距離二千キロ」
全身を包み込むような射出音が聞こえ始め、それは俺の番になって止まった。
「早く出せ!」
俺は通信器に叫んだ。
「待て! 貴様の力は尽きかけている。奴をいぶり出すまでは動くな」
ミーマの声がする。
だから、早く射出されたいんだ。この命が尽きる前に、奴を倒さねばならない。
だが、ミーマは俺のA・Tバックを射出しようとはしない。
一〇分がすぎた。
「ギ・グロリーの動力を停めた。|青の騎士《ブルーナイト》、行けっ」
ミーマの声とともに、ベルゼルガのコクピットを凄じいGが走った。上から叩き潰さんとするばかりの圧力がかかる。
同時にモニターが回復した。砲弾のモニターが作動したのだ。
バーフォールからの援護射撃も感じぬ間に、眼前に艦体の各所から火を噴くギ・グロリーが迫った、こんもりと盛り上がった艦首へと接近する。
突入! メキメキと音を立てて、ギ・グロリーの装甲板がささくれ立つ。モニターの映像が消えると同時に、機体が停止した。
俺はシールドを分かって、ベルゼルガを立ち上がらせた。そこは、コンピュータ・ルームと上甲板の間にある格納庫だ。
隔壁が完全に開き、遙か五千メートルの彼方にまで広がった巨大な格納庫は、火の海と化している。
燃え上がる炎の中で、ATH‐FX1が、バラバラと迫り来るポッドベリーをかわしつつ、床に向かってソリッド・シューターをぶっ放す。
床両に亀裂が走った。閃光が飛ぶ。
閃光に紛れて、A・Tが跳び出してきた。バララントのA・Tファッティー≠セ。奴は両腕を開き、上空から掴みかかってくる。
奴の腹に、砲弾型のフェアリングを突き立てた。コクピットが真っ二つに裂け、パイロットが投げ出される。その耐圧服に、あたりの炎が燃え移った。奴は、全身に炎をまとって仁王立ちになった。
――クリス・ガーツー貴様はどこにいる
俺は機体を反転させた。すでに右手のグローブの中は血まみれだ。ぬるぬると指先が滑る。
俺はベルゼルガをコンピュータ・ルーム脇の通路へと降ろした。
一隊の兵士と、二機のポッドベリーがいる。ポッドベリーの一機が、俺に向けてヘビィマシンガンを撃った。
俺は砲弾型のフェアリングで、それを受けると、奴を狙ってヘビィマシンガンを撃った。
ポッドベリーは銃弾を全身に受け、仰向けに倒れた。だが、死んではいない。
どうやら、ひとりの男をコンピュータ・ルームの隣にある脱出船に逃がそうとしているらしい。バララントの軍服を着た男だ。
「貴様か、我々を追っていた青いA・Tとは」
男が喚く。どうやら、ラスト・バタリオンの指導者、エリエル・ゼムらしい。だが、威厳もなにもない、ただ慌てふためいているだけだ。
「殺ってしまえ」
男が命令する。だが、奴らは微動だにしない。俺は、男にヘビィマシンガンの弾丸を叩き込んだ。
男の姿が血溜りと化した。
「|青の騎士《ブルーナイト》を殺せ」
どこからか、クリスの声がした。
それと同時に、手に対A・T用バズーカを持った歩兵どもがかかってくる。
ラスト・バタリオンの指揮系統が変わったのか――。
奴らが眼前でバズーカを構える。俺はアームパンチを作動させ、奴らを薙ぎ払った。
奴らの首が胴から離れて飛び、壁面にへばりついた。眼球がはみ出したまま、それはレリーフとなった。
胴はその場に崩れ落ち、かつて首のあった辺りから鮮血が迸った。
黒いA・Tが、視界の隅でコンピュータ・ルームから跳び出し、脱出船の格納庫へと突入した。扉が閉じる。
「待てっ」
俺は、格納庫の扉へと機体を走らせた。二機のポッドベリーがヘビィマシンガンを速射し、迫る。
奴らが眼前に回り込んだ。
――邪魔だ。
俺はベルゼルガを奴らに突っ込ませた。
そのまま扉に激突する。一瞬機体が停止した。グライディングホイールが低く唸る。次の瞬間、地力に負けた奴らの機体が破裂し、眼前に視界が開けた。
内に溜め込んだ力を爆発的に解放したグライディングホイールが叫ぶ。
身を切るような加速感とともに、ベルゼルガが、高速で格納庫の中に突入した。
眼前に、脱出船があった。脱出船といっても戦艦だ。エンジンノズルだけでも、見上げるほど巨大だ。
俺は、その側方の閉じかけているハッチにベルゼルガを駆け込ませる。ハッチが閉じると同時に船は発進した。
凄じいGと、轟音が走る。
だが俺は構わず、右端にある扉にベルゼルガを迫らせた。
鋼鉄の扉が閉じていた。
アームパンチを叩き込み、中央の制御回路を破壊する。両側に、大きく扉を開いた時だ。上方から、非常用扉が落下してきた。
グライディングホイールを作動させ、脚から突入させる。辺りで火花が散る。
あと三メートルで閉じる。
ざあっと滑り込んだ瞬間、非常用扉が閉じた。
俺は、ベルゼルガを立ち上がらせた。そこには、|黒き炎《シャドウ・フレア》が立ち尽くしていた。
「ここまで、来たのか」
クリスの無表情な声がした。
「もう一度言う。我々の力を受け入れよ。我々はこれからバララントヘ行き、聖戦を開始する。貴様の力は、我々とともにアストラギウス銀河を支配するに値する」
「言うことは、それだけか」
俺はベルゼルガをじりじりとにじり寄らせる。
クリスが右腕を突き出した。肘から伸びたコードが、カラカラと音を立てる。
「この肉体を見よ! 我々はメカニックと肉体を融合することによって、異能者を超越し、種の限界を克服した。この肉体こそ、科学文明を持つ人間の、究極的な姿なのだ。このコードを接続した瞬間、私の腕はA・Tの腕と化し、思考はすべてのコンピュータと同調し、アストラギウス銀河系最大の意識を形成する」
クリスは、関節から伸びたコードを、コクピットのコネクターに接続し始めた。次々と計器類に明かりが灯る。ハッチの内側からゲル状の耐G液が分泌され、奴の身体を包み込む。
「我々の総意だ、人の肉体を捨てるのだ」
クリスが言い放つ。
「断る」
俺は吼えた。
「俺は、この身体のまま生きる。そのために貴様を殺す」
艦体を揺るがす砲撃音が聞こえ始めた。バーフォールが、この脱出船に向かって砲撃を始めたのだ。
黒いA・Tの頭部の赤いセンサーが、光った。
――貴様の手には、かからない。
俺はミッションディスク・ドライバーから、ミッションディスクをすべて引き抜いた。これで、すべての機体動作は、手動《マニュアル》で行われることになる。
だが、これでいいのだ。
奴は、俺が|ベルゼルガを操作して《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》倒さなければならない。
突然、照明が消えた。寸刻おいて非常照明が点灯する。
そのわずかな間に、奴は俺の後方に回り込んだ。コクピットの右から衝撃が走った。
奴が右肩を殴りつけたのだ。右肩の装甲板が砕け散った。
俺は機体を反転させた。
黒いA・Tが右手を振りかざして、掴みかかってくる。
グライディングホイールを逆転させ、俺は退いた。
奴の右腕が、ぴたりと水平に止まった。足元で火花が散る。左腕で腰のあたりに銃を構え、奴が突進してくる。
左腕にアイアンクローはない、折れたままだ。
俺はソリッド・シューターを乱射した。赤く輝く弾体が奴の機体に命中する。びくともしない。だが、速度は衰えた。
奴が怒号とともに迫る。右腕を突き出した。
――今だッ。
俺は左のパイルバンカーを作動させた。奴の上腕を掠めて、左腕が伸び、パイルバンカーから長槍が突き出す。
その時だ、奴の右拳が折れた。手首のあたりに穴が開き、直径二〇センチの杭がせりだし、肘から爆発光が洩れた。
黒光りする杭が突出してくる。先端は鋭い。
――まだ、こんな武器がッ。
ベルゼルガの左腕に、振動が走る。抗が手首から肘に向かって、内側から突き立った。
パンと取り付けステーが折れ、パイルバンカーを装備した盾が宙に舞う。
俺はベルゼルガの左腕に奴の右肘を掴ませた。雄叫びとともに、操縦桿を引く。
奴の右肘から先が、鈍い音とともに折れ、弾け飛んだ。
コクピットの右側から、衝撃が走った。奴がヘビィマシンガンの銃身を叩きつけたのだ。ベルゼルガの機体が、もんどりうって倒れた。
奴はベルゼルガの足首を踏みつけた。足首の装甲板が樽《たる》状にたわむ。
俺はベルゼルガの上半身のみ起こし、奴のカメラアイにソリッド・シューターの銃把を叩き込んだ。
めきっ
銃把の先端が砕け、それから連なる弾倉が弾けた。
スパークが散る。
俺は銃身を投げつけた。だが、それは奴の装甲板で空しく弾かれ、後方に消えた。
自由になった右腕で床を叩きつけ、機体を反転させる。奴の足元の力が、わずかだけ失せた。
奴の膝に右脚を叩き込み、足裏に装備された走行用車輪《グライディングホイール》を作動させる。奴の膝から火花が散った。
右脚が奴の機体《ボディ》を駆け上がる。
ベルゼルガの機体が、ふわりと浮き上がった。右脚を奴の頭部に叩き込み、その反動を利用して着地する。
がくっと左側に傾いた。左膝の関節が死んだ。
グライディングホイールのみで、奴に立ち向かうしか手がない。
アクセルペダルを床に叩きつける。
奴の機体に真正面から接近する。だが、左脚のバランスが悪い。
左脚を引き摺って、機体が右に流れ始めた。
空を切って奴の左腕が動いた。
奴はベルゼルガの右脇にヘビィマシンガンを押し当てた。引き金を引く。
コクピットサイドの装甲板が、砕け散った。破片が俺の両脇を剌す。
耐圧服の裂け目から、血が噴き出した。
ドクン……ドクン……
心臓の音が、頭のなかで響く。
――いよいよ俺も……いや、俺は――
絶叫とともに、俺はアクセルペダルを踏み込んだ。
俺は両脛のノズルを全開にして、奴の機体に衝突させる勢いで走行させた。
足元から火花を散らし、奴の機体が真横に移動した。そのまま、壁面脇で反転し、再び急接近する。
一瞬の動作だ。
眼前に迫った奴は、ベルゼルガの左肘に、ヘビィマシンガンの銃尻を叩きつけた。
ベルゼルガの左腕が折れて飛んだ。
轟音とともに、艦の壁面を突き破って、炎が噴き込んでくる。炎が二機の機体を舐める。
炎の中を、黒いA・Tが迫ってくる。奴はベルゼルガの右腕を掴むと、壁面に向かって投げつけた。
横殴りのGがコクピットを貫く。俺はグライディングホイールを逆転させ、機体を停止させる。
奴がヘビィマシンガンを撃つ。足元から、弾着の音が駆け上がってくる。だが、その時、俺は床に落ちたパイルバンカーに目をやっていた。
俺はアクセルペダルを踏み込んだ。機体を沈み込ませてパイルバンカーを拾うと、鋭く尖った盾の尻をコクピットハッチに叩きつけて、固定した。右腕を作動レバーにやる。
銃撃を続ける奴に向かって、俺はダッシュした。
奴が銃撃を止め、左腕を高く振りかざして急接近する。
奴の機体があと三メートルと迫る。奴が左腕を振り下ろす。
俺は機体を反転させた。奴の右側へだ。奴のコクピットが、真横を向いた。
――今だ。
俺は全身に溜ったエネルギーを吐き出す勢いで、パイルバンカーを作動させる。
同時に黒いA・Tが振り返り、ベルゼルガに向かってヘビィマシンガンを振り下ろす。
パイルバンカーが、奴の機体を貫いた。コクピット・ハッチが跳ね、コードをちぎりながら、クリスが投げ出される。
ベルゼルガの背部に奴の銃把が叩き込まれた。爆発が起こり、俺は投げ出された。
耐圧服の裂け目から血がどろどろと噴き出した。
「貴様の命も、終わりだ」
クリス・カーツが、ゆらと立ち上がった。腰から銃を抜く。
俺は素早く銃把に手を掛けると、ホルスターにしまったまま、アーマ・マグナムを撃った。
奴の手から、銃が弾け飛ぶ。
「死ぬのは、貴様だ」
俺は渾身の力を込めて、奴に殴りかかる。脇から激痛が走り、思うように力は出ない。
軽いスエーバックでかわしたクリスの左拳が腹に喰い込んだ。
「ゲッ」
呻き声とともに、魚のエラのようにぽっくりと開いた脇の下から、血が噴き出す。
クリスの右拳が伸びる。左頬に喰い込んだ。瞬間、俺は、その右拳を両腕で掴んだ。
奴が、左腕で殴りつける。何度も繰り返し叩きつける。俺の額は、ざくろのように割れ、血が噴き出した。血が目に流れ込み、視界が赤く染まる。
だが、俺はクリスの右腕を這い上がるようにして、その喉元に迫った。
クリスが殴り続ける。
野獣のような咆哮をあげて、俺は奴の首筋を、干《ひ》涸《から》びた指先で掴んだ。
「貴様は――」
クリスの顔が、驚愕に歪んだ。
ぐいぐいと、指先に力を込めていく。
「貴様という奴は――」
クリスの顔が蒼ざめた。口から血塊を吐き出す。眼球がぐっと盛り上がり、顔から噴き出す。だが、俺は絞め続けた。
怖気が背中を駆け巡るような音とともに、なにかが砕けた。
奴の首筋の骨が――だ。
俺は、立ち上がると、首の辺りが巾着のようにすぼまった奴の身体を見下ろした。
クリス・カーツの最期だ。
俺は腰からアーマ・マグナムを抜くと、奴の身体に弾丸を叩き込んだ。
轟音とともに胸の辺りが弾け、空穴が開いた。手足がちぎれる。
衝撃で首から先が跳ね上がった。それに向かって、もう一発を撃つ。
クリスの頭は、空中で砕けて白い骨と、赤い血、そして、無機質に光るメカの破片を飛び散らせた。
破片のひとつが、クリスの怨念が乗り移ったように、右の頬を切り裂いた。
――終わったな。
だが、俺の命も、もう長くはあるまい。この傷では……。
それでも、何かが俺の中で蠢き続けていた。俺の手では、決して止めようのない、破壊の虫が――だ。
この艦も終わりだ。俺はどくどくと血が流れ出す両脇の傷口を押さえた。
どろっとした感触があった。右手の甲も、ざらざらとしていて、皮が突っ張ったような感覚があった。
傷が、治癒……血が固まり始めているのか、それとも……。
振り返ると、扉のあたりに、一機のA・Tがハッチを開いたまま立っていた。青い機体のA・Tだ。左腕には大型の盾が装備されている。奴はゆっくりと俺の元へと歩いてくる。
「終わったようだな……」
コクピットから、ミーマの声がした。
「ああ……」
俺は重く沈んだ声を出した。
「これから、どうするつもりだ」
青いA・Tから、ミーマが跳び降りた。
「ボウヘ戻る」
俺はポツリとそう言った。
「それはいい。ここに来た甲斐《かい》がある。このA・Tと、エアロックの向こうにある揚陸艇を使え」
ミーマが、ヘルメットを脱ぎ捨て、俺に差し出した。
「軍は、貴様を異能結社の重要参考人として、捕らえるつもりだ。そうなればこの後、貴様は戦場には行けない。バーフォールには戻ることはない。貴様は、ここで|黒き炎《シャドウ・フレア》と戦い、死んだのだ。そして、このA・T、|M《ミッド》級FX‐1も破壊きれた。それだけのことだ。これを持っていけ。こいつは、ATM‐FX‐1、ブルーパージョン、白兵戦仕様のA・Tで、ベルゼルガを参考に設計されている。貴様には一番合っているはずだ」
俺はヘルメットを受け取った。ミーマは、ポケットから小さな金属板を取り出した。
「軍の認識票だ。半年後に決定した再戦の時には必要になる。貴様には、戦場しがないからな」
「さあ……な」
俺は曖昧《あいまい》に答えた。
もう立っている余力はなかった。
認識票を受け取ると、|F・X《フェックス》に乗り込む。
「|青の騎士《ブルーナイト》、いつか、どこかの戦場で……」
そう言ったミーマの声を、ハッチの閉じる音が遮った。
|F・X《フェックス》を立ち上がらせる。
上昇感覚とともに、全身から血の気が失せた。濛眛《もうまい》とした意識のなかに、ロニーの姿が残像として浮かんだ。
「必ず……ボウヘ帰る……」
俺はそう呟くと、|F・X《フェックス》を扉に向かって歩ませた。
扉を抜けたころ、視界がかすれ始めた。
必死の形相で、揚陸艇に|F・X《フェックス》を入れる。そして、ずるずると揚陸艇のコクピットに移動した。
扉からシートまでは、三メートルほどしかないはずだ。それが無限の距離にも感じられる。俺は、荒い息を立てながら、操縦桿に手をやった。
揚陸艇が、ふわりと浮き上がった。
「待っていろ……ロニー」
揚陸艇はメルキアに吸い込まれるように降下を始めた……。
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アストラギウス暦7215年……再戦
半年の後、
バララント艦船の領空侵犯を契機に、
第三次銀河大戦は再開された。
戦火はまたたく間に拡大し、
再び幾千万の命が失せた。
もし、この戦争の後に生き残る者がいるならば……
ミーマ・センクァーター少将は、それ以上考えようとはしなかった。
だが、すべて崩壊へと向かうなか、
彼は聞いた。
壊滅する都市を包んだ炎の中に立ちつくす、
青いA・Tの姿を見た者がいる……と。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]青の騎士 ベルゼルガ物語 完[#「青の騎士 ベルゼルガ物語 完」はゴシック]
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本書はTVアニメ作品『装甲騎兵ボトムズ』(日本サンライズ制作、昭和58年4月〜昭和59年3月放映、全五十二話)の設定に基づいて描く、オリジナル・インサイド・ストーリーである。
〈青の騎士ベルゼルガ物語〉スタッフ
企画・制作/伸童舎
原案/勝又諄
文/はままさのり
イラスト/幡池裕行
コンピュータワーク/近藤雅俊
レイアウト/椎葉光男
ディレクター/干葉暁
デザイン協力/藤田一己
表紙撮影/中島秋則
ビデオ撮影/泉博道
プロデューサー/野崎欣宏
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青の騎士 ベルゼルガ物語2
昭和60年9月30日 初版発行
昭和61年10月3日 11版発行
著 者 はままさのり
発行人 喜久村 繁
発行所 株式会社 朝日ソノラマ
注、発行日のデータは、表紙コメント・挿絵を使用した底本のデータです。