青の騎士ベルゼルガ物語1
はままさのり
はままさのり
本名・下河内ひさと。昭和38年生まれ。福岡県出身。法政大学中退。在学中からライターを志し、MBS系TVアニメ「超時空騎団サザンクロス」でシナリオライターとしてデビューする。ソノラマ文庫収録作品に「青の騎士ベルゼルガ物語」全2巻、「青の騎士ベルゼルガ物語「K’」」「青の騎士ベルゼルガ物語絶叫の騎士」がある。
幡池裕行(はたいけ・ひろゆき)
昭和36年生まれ。東京都出身。「デュアルマガジン」誌でデビュー。以後、みのり書房、東京創元杜等の刊行物でイラスト執筆中。
青の騎士 ベルゼルガ物語1
俺はケイン・マクドガル。ボトムズ=\―最低の野郎どもと世間で呼ばれる|A ・ T《アーマード・トルーパー》のパイロットだ。アストラギウス銀河を二つに割った百年戦争の終結後、戦うことしか知らぬ俺たちは、軍が放棄したA・Tに乗ってバトリングという格闘技の賭け試合をおこなって日々の糧を得ていた。戦争の傷痕も生々しい荒れた街に、血の臭いをまきちらす最低の商売である。A・T ベルゼルガ=@を駆って、街から街へ渡り歩く戦闘マシーンと化した俺を支えているのは、俺の唯一の友、シャ・バックを惨殺した|黒き炎《シャドウ・フレア》≠ノ対する限りない憎悪の念だった。俺の眼前で四肢をちぎられて殺されたシャ・バック――彼こそは、軍からあぶれた戦後の俺の人間的なもののすべてだったのだ。
〈シャ・バック。おまえの仇はとる!〉
人気アニメ『装甲騎兵ボトムズ』の世界に構築した衝撃のインサイド・ストーリー全2巻!
[#地付き]日本サンライズ
[#地付き]絵・幡池裕行
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目次
PROLOGUE
CHASE 1 BATTLING
CHASE 2 BLUE KNIGHT
CHASE 3 ARG
CHASE 4 SHADOW FLARE
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アストラギウス暦7110年……
人が死に、星が散った。
アストラギウス銀河をふたつに割って、ギルガメス星域軍、バララント星域軍は、凄絶な死闘を繰り返す。
長い戦い――
それがいつ始まり、なにが目的なのか?
憶えている者は誰ひとりとしていない。
――だが、
そこには間違いなく敵≠ェいた……
死神が重苦しい足音をたてて行進する。
――アーマード・トルーパー――
大戦後期に現れた装甲騎兵
死に損ねた者共に、命と引き換えで平穏を与える。
硝煙弾雨のなかで育まれた鋼鉄の悪魔。
人は奴らをこう呼んだ。
BOTOMS――『最低の野郎共』と。
おびただしい量の血を流し、百年の歳月を生贄にして、大戦は決着のつかぬまま停戦した。
街は荒廃し、人々の心はすさんだ。
軍からあぶれた兵士たちは、戦うことしか知らなかった。
この俺、ケイン・マクドゥガルも、そんなボトムズ乗りのひとりだった……
アストラギウス暦7213年……停戦
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CHASE 1 BATTLING
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あと一瞬で鋼鉄の肉体が動き始める
あと一瞬で意識は失せる
残るものは戦い≠セけ
それは百年戦争の残した幻影
ボトムズ乗りに染みついた血の匂い
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闘技場《リング》に入って小一時間が過ぎた頃、薄暗い控室《パドック》のなかに赤いランプが点《とも》った。
――試合開始《スタンバイ》五分前だ――
俺は腰までおろしていたカーキ色の耐圧服に袖を通した。意識したわけではないが、その作業は手早かった。これから始まる試合がほぼ戦闘と呼んで然《しか》るべきものだということは判っている。だが、俺は一刻も早くこの控室から解放されたかった。
何しろ、この控室は暑いのだ。換気扇《ベンチレーター》は低く唸りをあげ続けてはいるが、本来の役目を全く果たしてはいない。薄手のランニング・シャツ一枚でいてもまだ汁がしたたっていた。加えて四方を囲んだ壁はギラギラとした金属質の地肌を見せつけ、不快指数を急上昇させる。
煙草の一本も吸えるならば、それもさほど気にはならないだろう。だが、重く淀《よど》んだ空気のなかを漂う、使い古したマシンオイルの鼻を剌すような匂いがそれすら許してはくれない。火を点《つ》けたならば間違いなく引火。もし、運が良くとも喉《のど》をやられ、二、三時間は元通りの声に戻ることはないだろう。
この控室は、俺のように試合開始を待つ流れ者の神経を逆《さか》撫《な》でするためにあるのだ。
所詮、街の人間にとって流れ者は敵でしかない。彼らは敵の敗れる姿を見るため、闘技場にやって来る。そのために控室は流れ者から冷静な判断力を奪い自滅に追いこむよう細工されているのだ。
しかも、それはここ、ダラの街に限ったことではない。俺が巡り歩いたメルキア星の数《あま》多《た》の都市でも、同様な小賢しい悪知恵が施されていた。そのためだろうか、この街で初めての試合を控えた俺の神経は、思ったほど昂ぶってはいなかった。
所々欠損し、スムーズに動かない耐圧服のファスナーを力任せに引きあげた時だった。廊下側の扉から薄く光が洩れた。
向かって右側に取っ手のついた扉が重く錆《さ》びついた音をたてると、初老の小柄な男が現れた。
奴の名はダート・クラクトン。この闘技場で行われる賭《か》け試合――バトリング――の|仕切り《マネジメント》を生業とする興行師《マッチメーカー》だ。身なりは街を徘徊《はいかい》する浮浪者にも似てみすぼらしいが、テラテラと脂《あぶら》ぎった頬からは普段の贅沢三昧《ぜいたくざんまい》な生活ぶりが窺《うかが》えた。
クラクトンとはバトリングを契約する際に顔を合わせただけだが、俺を値踏みするような視線にひどく嫌悪感を抱いた憶えがある。できることなら、二度も顔を合わせたくはなかった。
「何の用だ」
俺は冷たく言い放った。試合を数分後に控えて、俺は他人の干渉を受けたくはない。
「なに、臆して逃げ出したんじゃねェかと思ってな」
奴が皮肉っぼく笑うと、自分ではよく整えたつもりであろうが、傍《はた》目《め》には無精髭《ぶしょうひげ》が密生したようにしか見えない口元から金歯が覗《のぞ》いた。
「いらん心配だな。それより――」と、俺は軽い口調で言った。「賭けの方はどうなった?」
「賭札《チケット》は全部売り切ったがな……」奴は手元の配当表に目を通し、続けた。「当然のこったろうが、流れ者のお前さんに張る奴ァ少ねえ。九対一でカール・プラナ、対戦相手の方だ」
「人気はあるようだな、その男」
「実力もこの街じゃ五本の指に入るぜ。お前さんの言った通り、儂《わし》の事務所で一得強ェ奴をみつくろったからな」
クラクトンが得意気に背筋を伸ばすと、眉からまとった薄汚いケープが乾いた音をたてて揺れた。
「俺が勝てば大穴って訳か」
「まあな。だが無謀なことだ。奴とお前さんじゃ格が違う。何しろ奴がバトリングで使う|A・T《アーマード・トルーパー》はフルチアーンナップしてある。ろくに整備もできねえ流れ者のたァ訳が違う。しかも――」
奴は昂奮し始めた口調を抑えて言った。「お前さん、A・Tも持たねェで契約に来ただろ。てェこたあ、そいつがどうしようもねェクズか、規定違反の小細工をしたヤツに違えねェな。奴ァ対反則用の準備も整えてあるんだぜ」
「そいつは面白そうだな」
俺が言うと、クラクトンは渋い顔をした。
「呆《あき》れた野郎だな、お前さん。まァ儂ァ賭札《チケット》が売れれば稼ぎになるんで、言う通りに試合を組んでやったが……」奴は憮《ぶ》然《ぜん》とした表情で君った。「今日はお前さんの負ける姿でも、見させてもらうとするか」
その時、選手入場を告げるけたたましいサイレンの音が響いた。
「早く闘技場《リング》に出な」
クラクトンが嫌味たらしい笑いを浮かべ、吐き出すように言った。
俺は無言で傍らにあるジープの荷台に掛けてあったシートを取り払った。すると、シートの下から青いペイントで染めあげられた鋼鉄の塊《かたまり》が姿を現した。
「そ……そのA・Tは、ベルゼルガ……」
クラクトンが低く呻《うめ》いた。
「それじゃ、ケイン・マクドゥガル。お前さんが、あの|青の騎士《ブルーナイト》≠ネのか。一年間で三百台のA・Tを破壊したという……」
「そんなリングネームで呼ばれてもいる」
俺はそう答えると、ジープの荷台をスライドさせ、ベルゼルガを床に下ろした。
A・T(装甲騎兵《アーマード・トルーパー》)ベルゼルガ。今はただの鉄塊にしか見えないが、紛《まぎ》れもなく身長四メートルの人型兵器だ。
パイロットの昇降を容易にするため、A・Tのコクピットは地上八〇センチ程度にまで近づけることができるようになっている。そのため、大腿部から伸びた支柱を介して、人体のバランスからいえば桁外《けたはず》れに大きな両脚を背部に逃がし、大腿部前面と腰部を接地させる降着≠ニ呼ばれる姿勢を保っている。
腰部の上、人間では胸から腹に相当する部分がコクピットだ。
クルマのボンネットのように緩《ゆる》いカーブを描くコクピットハッチの上には半球状の頭部があり、フェイスガードよろしく設けられた支持金具には三基のセンサーが装着され、顔面の雰囲気を作り出している。後頭部からはアンテナ兼用の羽根飾りが天に向かって大きく弧を描いている。
右肩には球状の装甲板がある。左肩のものは一枚板だ。その代わり巨大な盾が左肩から指先までを覆うように装着されている。これらは腰の両脇を包みこむように装備された五角形の装甲板とあいまって、ベルゼルガに太古の騎士を想起させるようなシルエットを与えている。
俺が青の騎士と呼ばれるようになったのも、そのためだ。だが、幾多の不敵なA・T乗りどもも数度の戦いのみでバトリングの世界から消えていく中、青の騎士というリングネームは確実に知られていったようだ。
「何故、今までこいつを隠しておった!? それに、何故手前のリングネームを名乗らなかった」
クラクトンが興奮気味に喚《わめ》いた。
「お前さんが青の騎士だと判りゃ、もっと客は呼べたはずだ!」
「かも知れんな。だが、賭けの配当は悪くなる。俺は有り金すべてを手前に張ってるんでな」
「確かにお前さんなら、流れ者でも配当も五分を越えろだろうぜ」クラクトンは顔をしかめて言った。「ボトムズ乗り……確かにお前さんちはその名の通り最低の野郎どもだ。手前の命張って、稼ごうってんだからな」
「悪いな。あんたの出す二千ギルダンの賞金程度じゃ、ベルゼルガの補修をしたら足が出る。こいつはカスタムタイプで値が張るんだ。改修ともなればなおさらだしな」
俺はベルゼルガのコクピット左端にあるレバーを握り、ハッチを開いた。厚さ二〇ミリの鋼板が静かに開く。
「ケイン・マクドゥガル、金が要るなら儂と組まねえか?」
背後からクラクトンが商人然とした声で言った。
「噂《うわさ》じゃ、お前さんかなりの腕らしいじゃねえか。いや、名前だけでも充分客は呼べる。金は五千出そう。どうでェ、この街に留まる気はねえか?」
「断る」
俺は突っぱねるように言うと、ベルゼルガのコクピットから肩当てと一体化したプロテクターを取り出し、首から掛けた。
こいつは軍の放出品を改造したものだが、胴体を覆うラバーの部分はよく身体に馴染《なじ》んでいる。何度か肋骨《ろっこつ》がバラバラに砕けそうな衝撃から救われたことがある。表面の三個所に突起を生やした肩当ては、厚さ五ミリの硬質プラスチック製で軽いが、銃弾から肩を守る程度の働きはする。
「それじゃどうでェ、どうせお前さん、この街でまだ二、三試合はやるんだろ。そいつの仕切りだけでも儂に任せてくれんか」
クラクトンが懇願するような声で言う。だが、俺は無言でシートの上に放り出してあるヘルメットを手に取り、被った。
「なあ、ケイン」
クラクトンが俺の腕を掴《つか》んだ。柔和な声とはうらはらに、掌には随分と力が込められている。
俺はクラクトンの手を振り払うと、ヘルメットの顎《あご》ベルトを締めながら言った。
「この試合が終われば、俺はこの街を出る」
「お、おい、ケイン」
クラクトンが慌《あわ》てた。
「儂あもう先のねェ年寄りだ。ちったあ儲《もう》けさせてくれや」
俺は構わず、ベルゼルガのコクピット前方に地を這《は》うような形で取り付けられたロールバーの三〇センチほど浮き上がった部分に足を掛け、シートに腰を下ろした。瞬間、染《し》みついた汗の匂いがした。
A・Tのコクピットは通常極めて狭い。身長一八〇センチの人間が、なんとか両肩をコンソールに当てずに済む程度だ。だが、ベルゼルガは平均身長二メートルを越すクエント人用の、しかも|H《ヘビィ》級A・Tだ。一七六センチしかない俺にとっては、広過ぎるほどの印象がある。
こいつに計器の棺桶《かんおけ》といった趣はない。
耐用服の心胸ポケットからミッションディスクを取り出す。直径八センチの円板が、コンピュータディスク同様、厚さ二ミリの硬質ケースに収められている。
右コンソールのミッションディスク・ドライバーを引き出す。七本のスリットの四本までにディスクが収まっている。基本動作、戦闘情報、戦闘動作をデータとして記憶したものだ。
残ったスリットの一つに、取り出したミッションディスクを放りこむ。こいつには個人情報《パーソナルデータ》が記憶されている。あとのスリットはコピー用だ。
ミッションディスクが確実に収納されたことを確認すると、ディスクドライバーを元の位置にまで押しこんだ。カチッという音とともにロックされる。
操縦桿の脇にある起動用スイッチを押すと、計器類に明かりが灯り、ジェネレーターが低く唸《うな》り始めた。これで電装系は作動を開始する。
可動式ゴーグルのついたヘルメットの右耳辺りから巻き取り式のケーブルを軽く引き、シートの横にあるコネクターと接触する。これでA・Tとゴーグルが連動し、戦闘情報はすべてゴーグルの中に映し出されるようになる。
右コンソールに点《とも》っていた赤い警告灯が消えた。マッスル・シリンダーが常用温度に達したことを告げているのだ。
A・Tの駆動は、全身に配置されたマッスル・シリンダーによって行われる。シリンダー内には化学繊維の束があり、電気信号によってシリンダー内に満たされたポリマーリンゲル液と化学反応を起こして伸縮を行う。このマッスル・シリンダーがパイロットの命令によって、基本的には人間と同じ動作を可能とするのだ。
いわばマッスル・シリンダーは人工筋肉とも言えるだろう。
約三〇秒でウォーミングアップは終わった。
「ドアを開けてくれ」
俺はそう言うと、操縦桿を手元まで引き起こした。と、同時に凝固していたマッスル・シリンダーがしなやかに伸び上がり、軽い身震いとともにベルゼルガは立ち上がった。足先だけで全身を支えるという、微妙なバランスを保ってだ。
同時に、クラクトンが床から伸びた長さ一メートルほどのレバーを倒すと、俺の正面にある壁が外に向かって倒れ始めた。
五メートル四方の空問から柔らかい、それでいて俺の目には眩《まばゆ》い光が射し込み、数百人の男たちが一斉に怒号をあげたような喚声《かんせい》が雪崩《なだ》れこんできた。
「クラクトン! 早く客席へ行け!」
俺はそう叫ぶと、ハッチを開いたままベルゼルガを闘技場へ向けて歩ませた。鉄板を敷き詰めた床の上を、増加装甲板の装着されたベルゼルガの脚が踏むたびに、重い金属音がコクピットの俺にまで伝わる。
眼前に広がるのは直径約二〇メートルの円形の闘技場《リング》だ。
擂鉢《すりばち》状の観客席では溢《あふ》れんばかりの観衆が賭札《チケット》片手に喰い入るような視線を注いでいる。軍服姿の男、一見して商人だと判るきらびやかな衣服を身にまとった男。だが、そんな連中は数少なく、大抵は薄汚れた服装の野郎どもだ。
フェンスによじ登った、賭けで身を持ち崩したように見えるランニングシャツ一枚の男は盛んに奇声を発しているようだ。だが、その声は観客どもが渾然一体となって吐き出した戦闘好きな悪鬼の呻き声のような喚声にかき消される。
正面に、今日の対戦相手、カール・プラナのA・Tが後方に三人の男を従えて立ち尽くしている。
スタンディング・トータスタイブのカスタムだ。ベルゼルガと同じ|H《ヘビィ》級で身長も同じようなものだが、奴の頭部は三連式スコープレンズを装甲板で囲っただけのものなので、頭部が独立しているベルゼルガよりも機体は一回り大きい。
トータスは生産台数が多く、|H《ヘビィ》級A・Tのスタンダード・タイプだといえる。俺がこれまでバトリングで手合わせしてきたのは、大半がこのタイプのバリエーションだ。コクピットの容積が大きいため前面装甲板を強化した奴もいた。勿論、装甲板を厚くすれば自重は増す。動きが鈍くなるのは考えものだが、要はパイロットの腕の問題だ。
俺自身、ベルゼルガに乗る前はデッドボディ・ケインというリングネームで、装甲を強化したトータスのカスタムタイプを使っていたこともある。操作性は極めて良好なA・Tだ。
俺は、奴が血を沸《わ》きたたせてくれる強敵であることを祈りながら、ベルゼルガをリング中央で止めた。
その俺が挑戦者であることを無言で示すかのように、トータスはゆっくりとリング中央へ歩いてきた。
トータスは俺の二メートルほど手前で止まった。
互いにハッチは開いたままだ。
だが、コクピットに収まっているカールの表情は見えない。宇宙服用の気密ヘルメットを被っているためだ。ブロンズ仕上げのバイザーの表面には、楕円に歪《ゆが》んだスポットライトの照り返しがあるだけだ。耐圧服の上から察するところ、鋼《はがね》のように鍛えられた筋肉を持つ男だ。でなければ袖は丸太のように突っ張りはしない。
「あんたが|青の騎士《ブルーナイト》だったのか。ケイン・マクドゥガル、何処《どこ》かで聞いた名前だと思っちゃいたがな」
通信器から、雑音混じりでカールの図太い声が入ってきた。
「確かにあんた、噂話には詳しいようだな」俺は口元のマイクに言った。「ワダの街で聞いた通りだ」
「ほォ……」
通信器から奴の声とともに、濁った口笛が聞こえた。
「俺の噂も、ここから二千キロ離れたワダにまで伝わっていたか」
トータスのコクピットで、奴は軽く肩を揺さぶった。そして威圧するような声で言った。
「青の騎士、あんたを倒して、名を上げさせてもらうぜ!」
いつの間にか観客席は静まり返っていた。対《たい》峙《じ》した二機のA・Tに、試合開始を悟ったのだろう。
その静けさを、突然、サイレンの音が切り裂いた。
俺は水平に開いていた操縦桿を立ててハッチを閉じるとともに、ゴーグルのスイッチを入れた。ゴーグル内のモニターに戦闘情報が浮かぶ。
バトリングの開始だ。
一瞬早くハッチを閉じた奴の足下で、甲高い金属音が響く。と、同時に奴の機体が沈み込むようにモニターの中から消えた。
――ローラーダッシュだ――
トータスは、脚の左右に装着された走行用の小型車輪《ホイール》を使ったのベ
モニターの中に鈍い金属質の照り返しがあったかと思うと、次の瞬間、地肌を剥《む》き出しにしたトータスの右腕が映った。A・Tは視覚情報をすべて頭部のスコープレンズから集めている。最初に狙われるのは決まってここだ。
俺は機体を右に流し、奴の攻撃を見切った――が、鈍い擦過音。
トータスの腕がスコープレンズを支えるバイザーの横をかすめたのだろう。軽い衝撃があった。計算では見切っているはずだ。奴の腕《リーチ》で届くわけがない。たとえ、肘《ひじ》から先を伸縮させるアームパンチ機構を使ったとしてもだ。
だが、理由はすぐに判った。奴はアームパンチの伸縮幅《ストローク》を基準より延長しているのだ。目立ちはしないが、明らかに反則行為である。
体が熱くなってきた。俺は反則を犯してまで勝とうとする奴が好きだ。その執念は、この時代に忘れ去られた人間性を感じさせてくれる。
金属川スキャニングセンサーに表示されたSTトータスは、俺の後方五メートルの所まで移動していた。
俺は機体を翻《ひるがえ》すと、モニターの画像を標準から広角へと切り換えた。じりじりとにじり寄ってくる奴の全身が映し出される。
俺はアクセルペダルを踏み込んだ。
ジェネレーターが発生したエネルギーを吸いこんで、脚の左右に組み込まれた直径一二インチの走行用車輪《グラィディングホイール》が唸りをあげる。いや、グラィディングホイールは車輪などというものではない。それ自体が|磁気を帯びた回転体《コア・レス・モーター》なのだ。それが地表に擦りつけられることによって、巨大な駆動力《トラクション》が発生し、ローラーダッシュと呼ばれる高速走行を、A・Tの脚を作動させずに行うのだ。
シートに押しつけられる感覚とともに、ベルゼルガがローラーダッシュした。
それを待っていたかのように、トータスの足下でも火花が散った。と、同時にモニターの中で迫る奴の速度が、急激に上がった。奴も限界に近い加速だ。
もう、鋼板の地肌を剥き出しにした胸の辺りしか映っていない。
俺は手早く操縦桿を操作した。その瞬間、重い振動とともに、速度計のバーグラフが0を指す。肩から突っ込んできた奴の機体に、ベルゼルガを組みつかせたのだ。
だが、奴のグライディングホイールは執拗に唸りつづけている。このままベルゼルガを押し倒そうというのか、二度、三度と蓄えられた力を一気に解放したような手応えがくる。グライディングホイールにもかなり手を入れているようだ。トルクは並の二倍はある。
ずるずると機体が後方へ滑り始めた。
俺はすかさず操縦桿のトリガーを叩き、左のアームパンチを作動させた。
ベルゼルガの肘《ひじ》に内蔵された液体火薬カートリッジが爆発。爆圧で左腕の肘から先がスライドする。それは稲妻の煌《きらめ》きにも似た鋭さで、トータスの腰に吊《つ》り下げられた装甲板を弾き飛ばした。
瞬間、グライディングホイールの咆哮がやみ、奴の機体から手応えが消えた。
「このままオーバーヒートするんだ」
剥《む》き出しになった脚の付け根に向けて、再びアームパンチの狙いを定める。脚の駆動力を失えば、A・Tはグライディングホイールで走行するしかない。それはマッスル・シリンダー内のポリマーリンゲル液を劣化させる。
だが、アームパンチを作動させた瞬間、俺は奇妙な感覚に捉われた。まるで、地に足がついていないようなもどかしさだ。
モニターのなかで、奴の姿が遠ざかる。俺は機体ごと放り投げられたのだ。
地表を削る耳障りな音が続き、観客の悲鳴とともに、衝撃が骨の髄まで響き渡る。観客席に飛びこんだのだ。コンクリートのフェンスを砕いた塵埃《じんあい》でモニターの中が曇っている。
俺はコンソールにしこたま肩をぶつけた。だが、ベルゼルガの下敷きになった観客の二、三人は即死だろう。これはバトリングの宿命だ。客もそれを覚悟で見に来ているのだ。俺の知ったことではない。
機体を立て直すため、操縦桿を操作し始めると、再び研《と》ぎ澄まされたを金属音が響く。かなり高速度のローラーダッシュで、トータスが急接近する。
「噂ほどじゃなかったな! あんたは」
通信器を通してカールの叫び声が入る。止《とど》めを刺すつもりだ。
――だが、そうはいかない。
モニター一杯に奴の機体が広がった瞬間、俺は右の親指で操縦桿の上にあるトリガーを叩いていた。
それは、兵士として鍛え込まれた反射神経のなせる業だった。俺の五感は確実に奴の姿を捉え、正確に操作を行ったのだ。
ベルゼルガの右腕から排出されたカートリッジが地に落ちるか細い音を聞いた時、モニターの中ではトータスが停止していた。俺が視線を動かすと同時に、モニターの画像も移動していき、はっきりベルゼルガのものと判る右腕がめり込んだ奴の頭部を映し出した。
スコープレンズは樽《たる》状にふくらんだ胴鏡部分から弾《はじ》け、反《そ》り返った装甲板の中で粉々に砕け散っていた。
「勝負あったようだな」と、俺は通信器を通してカールに言った。
「この程度で偉そうなことを言うんじゃねえ。お前には勝つ。必ずな」
怒りのこもったカールの声が聞こえた。
モニターの中で、視界を失ったトータスが、おぼつかない足取りで後退する。三角形の頭部をコクピットハッチ沿いにスライドさせながらだ。そこに開いた覗き窓から、ヘルメットを脱いだカールの顔が見えた。
カールがニヤリと笑った。
――瞬間、トータスの胸の辺りが閃光を発した。轟音が辺りに響き渡る。一一ミリマシンガン!? センサーで潰したように見えるのは擬装だ!
コクピットの左右に軽い振動が五回続いた。右腕に一発と左脚に三発被弾したようだ。あとの一発はかすめただけだ。流れ弾がかなり観客席に飛びこんだようだが、それで何人が死んだだろうか。
銃器の使用を前提としたリアルバトルならいざ知らず、レギュラーゲームで火器を使うことは重大な違反行為だ。本来ならばここで試合は中止だ。だがこの試合、流れて欲しくはない。これほど勝利のために執念を燃やす男に出会ったのは、久し振りだ。
だが、案ずることはなかった。
殺っちめェ! リアルバトルだ
と、客はひときわ高い喚声をあげている。
さらに通信器からはクラクトンの声が入ってきた。
「ケイン、真剣勝負《セメント》だ。カールを叩ッ殺せ! 飼い犬がマッチメーカーの規約を破ったらどうなるか教えてやれ!」
その言葉には激怒が込められていた。
「判った。そうしよう」と、俺はマイクに吐いた。
「馬鹿野郎、死ぬのは手前だぜ!」
通信器からカールの声が入る。
同時に、トータスが胸から突き出したマシンガンの銃口を、ベルゼルガに向けた。
「手前を殺《や》れば、俺ァ青の騎士に勝った男として、メルキア全土に名が知れ渡るってわけだ」と、カールは陶酔し切った声で言った。「それも、もう夢の話じゃねェ」
「気に入ったよ……あんた」
俺はそう言うと、アクセルペダルを踏み込んだ。その瞬間、トータスがマシンガンを乱射した。轟音とともに、弾丸がベルゼルガの正面に集中する。
が、間一髪、俺はその弾丸をかわした。いや、俺ではない。肩のクエント製センサーがミッションディスクのプログラムと連動し、最適な回避動作を行ったのだ。
次の瞬間、ベルゼルガの機体が高速移動を始めた。回避行動の前に俺が踏み込んでいたアタセルペダルが、グライディングホイールを作動させたのだ。
ベルゼルガは奴の左側へと飛び出した。瞬間、操縦桿を前方に向けて倒し、機体の重心を前方に移すと同時に、アクセルペダルを床まで踏み込んだ。グライディングホイールがグリップを失って悲鳴をあげた。コクピットにいる俺を激しい横殴りのGが襲った。
「A・Tが横にローラーダッシュ!? そんな馬鹿な」
悲鳴にも似たカールの声が聞こえる。
確かにグライディングホイールはA・Tの脚部に固定されているため、脚の向き以上に走行方向を変えることはできない。俺は急加速とA・Tの重心移動によって横滑りさせたのだ。カールから見れば真横にダッシュしたように見える。
実際のところA・Tは腰から上を三六〇度回転させることができるが、それはせいぜい歩行中までのことだ。走行中上半身を四五度以上回転させれば機体はバランスを失い転倒する。
銃撃戦ならば胸部をうまく使えば真横から後方の敵を攻撃することは可能だ。だが、今は肉弾戦。真横へ高速で流れた敵を叩くにはこれしか方法がないのだ。勿論《もちろん》、A・Tのプログラムにはない。だが、手動《マニュアル》で微妙に機体のバランスを保つことができさえすれば決して不可能なことではない。
俺はベルゼルガの右腕を引き上げ、トータスの頭部に掛けた。その瞬間、軽い衝撃がコクピットの左側から伝わり、次に、足元から大きな地響きが伝わってきた。
トータスが、倒れたのだ。奴は正面を天に向けたまま立ち上がれないでいる。
俺はベルゼルガの左腕に装着された盾を、奴のコクピット正面に突き出した。
通信器からガチガチと歯の鳴る音が聞こえる。覗き窓から見ると、奴は金髪を情けなく乱し、目を吊りあげていた。
「さっきの勢いはどうした」
「パ………パイルバンカー、そいつを使うつもりなのか!?」
「そうだ。マッチメーカーにあんたを殺せと言われているからな」
俺は感情を殺して言った。
「そいつはレギュラーゲーム用に封印してあるはずだ。そのまま装甲板を突き破れると思ってるんじゃねえだろうな……」
一《いち》縷《る》の期待を込めたようなカールの言葉の端々に雑音が被さって聞き取りにくい。どうやらトータスの通信器は死にかかっているようだ。
ベルゼルガの頭部バイザーを開くと、俺はゴーグルの映像入力を切り、通信器のボリュームを落とした。バイザーの裏はちょうど覗き窓になっており、肉眼で敵の姿を確認できるようになっている。この距離ならば雑音をがなり続ける通信器を使うよりもてっとり早い。
「封印か。先端にこの程度の鉄板をくくりつけても、パイルバンカーの威力は変わりはしない」
俺は心持ち凄みをきかせて言った。
「噂話に詳しいあんたのことだ。こいつの破壊力も、こいつが血を吸った野郎どもの数も知っているだろう」
「二……二百人だと聞いている……」
二百人――つい先程クラクトンの言った三百人といい、ひどいデマだ。だが都合は良かった。
「あんた、二百一人目になりたいかい?」
カールは髪を狂おしく振り乱した。この街で五本の指に入るボトムズ乗りだとしても、所詮死を前にしては脆《もろ》いものだ。パイルバンカーは作動すれば間違いなく死をもたらす。奴にはそれが良く判っているのだ。
「話によっては生かしておいてやる」
恐怖からか、もうカールから言葉は返ってこない。
だが、俺は構わずに訊《き》いた。
「黒いA・Tの居所を知っているそうだな。あの左腕に鉄の爪、アイアンクローのついた奴のことだ」
「シ……|黒き炎《シャドウ・フレア》。あのリアルパトルにしか姿を見せないという奴か……」
カールの声は抑揚がなく、か細かった。
「ワダの街で聞いた。ダラの街のマッチメーカー、ダート・クラクトン子飼いのボトムズ乗りカール・プラナが黒いA・Tの居所を知っている≠ニな」
「ほ……本当に助けてくれるんだろうな」カールが必死な声で念をおす。
「本当だな」
その時、通信器からクラクトンの声が入ってきた。
「ケイン、何してやがる。早く殺《や》っちめえ」
「マッチメーカーは、ああ言っている。あとは俺の気持ちひとつだぜ」
俺は、握る操縦桿《スティック》に力を込めた。
鋭く尖《とが》った盾の先端がトータスのハッチに喰いこんでいく。同時に、甲高い金属音が響く。
「……アグだ!」カールは、必死でこわばった唇を開いた。「ここから二百キロ北のアグにいるはずだ……デ、デマじゃねえ。本当だ。信じてくれ!」
泣き叫ぶような声で、奴はまくしたてた。
「三ヵ月くらい前からだ。ずっと奴ァそこにいる」
奴に関する流言《りゅうげん》蜚語《ひご》は数限りない。俺も何度か騙《だま》されたことがある。こいつの話もどこまで信用して良いものかは判らない。だが、今の俺には、そんな嘘とも真《まこと》とも信じ難い話を頼りにする以外、奴の情報を得る術《すべ》はないのだ。
「アグ……か」
「お、おい、早えところ、パイルバンカーを外してくれ!」
カールが喚いた。
「そうだな。あんたのおかげで黒いA・Tの手掛かりも掴めたことだし、金も手に入る」俺は冷静な口調で言った。「あとは、あんたに死んでもらうだけだ」
「な、何だと、話が違う」
「俺はあんたみたいに規約を破りたくはない。マッチメーカーはあんたを殺せと言った。それだけのことだ」
俺は手元のレバーを引いた。重い手応えだった。
液体火薬カートリッジ三発が同時に爆裂する轟音とともに、盾に装着された長槍が時速九百キロで封印を突き破り、トータスのコクピットを貫いた。装甲板を貫く鋭い音につづいて、肉と骨を砕くおぞましい振動がレバーに伝わってきた。
「ぐふッ」
送信器の向こうからカールの呻《うめ》き声が聞こえたが、それもすぐに雑音にかき消された。元の位置へ戻った長槍の先端からは赤い血がしたたっている。
カール・プラナは死んだ。
俺はベルゼルガを控室の脇まで歩ませるとミッションディスクを抜き取り、胸と膝のロールバーに足を掛けてコクピットから地表におりた。
場内には、ただの紙切れと化し、引きちぎられた賭札《チケット》が舞っていた。
俺にとって、この街で最初で最後の試合が終わったのだ。あとは賞金を受け取り、街を出るだけだ。
だがその時、フェンスを乗り越えて十数人の男が俺を取り囲んだ。全員が手に小銃を構えている。どうやらこの闘技場の自警団らしい。全員が揃《そろ》いの白いジャケットを羽織っている。
「動くな。動くとぶっ殺すぞ!」
鍔《つば》広の帽子を被った男が怒鳴った。
「どういうことだ」
俺は低い声で応じた。本来ならば勝利者として祝福されて然るべきだ。自警団の世話になるような憶えはない。
「規約違反だ。貴様はレギュラーゲームでパイルバンカーを使用した。殺傷兵器の使用は認められてはいない」
「理不尽だな。俺はマッチメーカーの言う通り奴を殺しただけだ」
「黙れ。貴様はおとなしく我々と来ればよいのだ」
帽子の男は俺に銃を突きつけてきた。
俺は両手を軽く上げた。今、腰に銃を下げてはいるが、装弾数は三発。十数丁の自動小銃を相手に一か八かの勝負を仕掛ける気はない。
「そのままついてこい」
俺の腰から銃を抜き取ると、俺の脇腹を銃口でグイと押した。歩けという合図だ。
俺は渋々それに従った。
俺は銃を突きつけられたまま控室の中に連行された。そこではクラクトンが薄笑いを浮かべて立っていた。
「クラクトン、仕組んだな」
俺は憮然として声をかけた。
「青の騎士の名にゃあ、金の匂いがする。そいつも並じゃねえ、強烈なやつだ。お前さんにはこの街に死ぬまで留まってもらうさ」
クラクトンはニヤリと笑った。成り上がり者特有のいやらしい含み笑いだ。
「欲しい物は、力ずくで手に入れるって寸法か」
俺も負けずに笑い返す。
「そうじゃ。珍しいことではあるまい。お前さんなら事務所《うち》の稼ぎ頭と引き換えにしても釣りが来る。単純な話じゃ」
「それで、俺をどうするつもりだ。手足に枷《かせ》でもはめてバトリングをやらせるのか」
「お前さんの気持ち一つよ。お前さんが儂《わし》と組んでバトリングを続けるならよし。さもなけりゃ、留置場と闘技場《リング》を自動小銃の見送りつきで行ったり来たりよ」
「俺を雇うと言うのか」
「そうじゃ、一試合につき五千ギルダン出そう。それと食料は満足のいくまで出してやる。この街のボトムズ乗りとすりゃあ破格の条件だ」
「面白い男だな。銃を突きつけておいて、契約の交渉をするとはな」
「なに、捕まえたままじゃ脱走騒ぎが多くていけねえ。人を縛《しば》るにゃ金が一番よ」
クラクトンは髭《ひげ》を撫でながら言った。
「長ェことマッチメーカーをやってるとな、お前さんたちボトムズ乗りが判ってくるんだよ。お前さんらとは銃を突きつけでもしておかねえと、まともな話はできねえ」
「そうか……ならば八千だ。それだけ出せば契約しようじゃないか」
「八千!? お前さん、自分の立脚が判っていねえようだな」
クラクトンは顎《あご》をしゃくって自警団の連中に合同を送った。
グイッと、自動小銃の銃口が脇腹に喰い込んでくる。
「判った。五千で契約しよう。それでも額は悪くはない」
俺は呻くような声で言った。
「そうかい、そいつはいい」
そう言うと、クラクトンは皺《しわ》だらけの手で横に立っていた自警団の帽子男に小さな包みを手渡した。
「こいつが契約書類にサインするまで、もうしばらく見張っといてくれ」
「随分と軽いな、今日は」
幅子男が苦々しい表情で言う。
「いつもの金貨じゃねえ。紙幣じゃ。額は少々よくしてある」
「ほう、珍しいな」
帽子男は袋の中を確かめると、俺を囲んだ連中に合図を送った。ゆっくりと俺に突きつけられていた銃口が離れていく。
「ケイン、こっちへ来な。契約書にサインしてもらおう」
クラクトンはポケットからピシッと折り目のついた書類を取り出した。
俺はクラクトンに歩み寄り、書類を受け取った。一瞬クラクトンが契約の一方的な内容を想い出したかのように薄気味悪い笑みを浮かべる。
「良い紙質だな。薄く、しかも強度も相当なようだ」
俺は書類の端を持ってパンと引っ張った。
「あッ」
クラクトンが小さく叫んだ。と、同時に幾つもの銃口が俺を狙《ねら》う。書類を引きちぎり、少しでも反抗の意を見せれば、即座に射殺するという意味だ。
「驚かせるんじゃねえ」
グラクトンはそう言うと、自警団の連中に銃を下げさせた。
「早くそいつにサインしちまいな。そうすりゃあ、お前さんは儂の商品《モン》だ。そうなりゃ見張りに軍警をつけて……」
クラクトンはハッとして口をつぐんだ。
「随分と話が違うようだな」
俺は鼻先で笑うとクラクトンを睨《ね》めつけるように見た。
「やかましい!」
クラクトンはそう怒鳴ると、自警団の帽子男に叫んだ。
「こいつを押さえつけろ」
クラクトンがそう言うが早いか、俺の右側にいた帽子男が銃を左手に持ち換え、掴みかかってきた。
俺はその銃に喰らいつき、そのまま男の左腕を後ろに絞り上げた。
「手前ッ」と、帽子男が呻く。
「構わねえ、撃ち殺しちまえ」
クラクトンが叫んだ。だが、自警団の連中は微動だにしない。
「あんた、なかなか信望が厚いようだな。しばらく盾代わりになってもらおう」
俺は左手で帽子男の胸元を探り、銃を取り返すとそのままジープの側まで後ずさりし、シープの上に銃を放り投げた。キーを差しっ放しのスターターを素早く回す。
五〇〇〇CCのエンジンが目を覚まし、咆哮《ほうこう》をあげる。
その時、クラクトンが自警団員の一人から銃を奪い発砲した。一発目は帽子男の顔面に命中したが、二発目からは発射のショックで銃身が跳《は》ね、壁に傷跡を残すだけだ。
俺はとっさに帽子男を突き飛ばすと、ジープの運転席へ跳び込み、発進させた。
クラクトンが銃撃を続ける。が、そいつはジープの周りを掠《かす》め飛ぶだけで威力はない。
俺はジープをまだ観客のざわめきが残る闘技場へ乗り入れた。床は鉄板を敷きつめたもので、しかもあちこちがバトリングの後遺症でささくれ立っている。並のタイヤならイチコロだ。だが、深い刻み目を持つ大型のバルーンタイヤはグリップを失うこともなく車体を進める。
二〇メートルほど走ったところで、クラクトンからの銃声はやんだ。一旦車を止め、ギアをバックに入れると、ベルゼルガの足元にジーブ後部の低い位置にセットれたパンパーを激突させた。
鈍く軋みながら、ベルゼルガはバランスを崩して後ろ向きに倒れる。
車体が深く沈みこんだ。後部の荷台がベルゼルガを受け止めたのだ。この車は形状だけはジーブだが、軍用装甲車をA・T運搬用に改造したもので、三メートルという化け物じみた車軸幅《トレッド》を持つ。荷台も四メートル四方はある。
俺はベルゼルガが荷台に乗ったことを確認すると、ジープを発進させた。ベルゼルガの膝から下が荷台の縁に掛かったままだが、構ってはいられない。今はここから脱出することが先決だ。
足元でエンジンが重厚な唸りをあげた。
その時だ。どうやら自警団に正式な攻撃命令が下ったらしい。銃撃が開始された。
車体の後方から、自動小銃のバラ弾が跳《は》ねる振動が伝わってくる。俺は控室の反対側のフェンスに大きく口を開けているA・T用の通路にジープを突っ込ませた。
通り抜けると銃撃はやんだ。街中まで追ってくる気はないようだ。
俺はハンドルを黒いA・Tのいるというアグの街へ向けた。
――シャ・バック……お前の仇敵《かたき》はアグにいるらしい――
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CHASE 2 BLUE KNIGHT
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街は崩れ
人は死んだ
だが、奴はそこにいた
――シャ・バック――
「お前は仲間」と、奴は言った。
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俺がベルゼルガを駆り、黒いA・Tを追うようになったのは、今から半年前、ちょうどあの百年戦争が停戦して一年が過ぎた頃だ。
百年戦争――そう、このアストラギウス銀河をギルガメス、バララントと二つの星域に分断した戦いだ。約百年間、この銀河系のすべての人間が敵、味方に分かれて戦った。
俺も一六歳の時から参戦し、二年間をギルガメス軍の一兵卒として戦場で過ごした。
戦争は俺の生まれる前から続いており、俺と同じ境遇の兵士は幾らでもいた。だが、その中に、この戦争が何故始まったか、その理由を知っているものはひとりとしていなかった。俺も、一度として聞かされたことはない。
俺が聞いた命令はただひとつ。
――眼前の敵を殺せ! 敵国バララントを倒せ――
それだけだった。
ギルガメス星域の主星メルキアに設営された軍本部が戦争の詳細を発表したのは、停戦後のことだった。
内容をまとめると、こうなる。
百年戦争は、メルキア暦一三四〇年に勃発《ぼっぱつ》した第三次銀河大戦の俗称である。バララント軍艦の領空侵犯が原因で開戦に至ったらしいが、当事者であるその星が四〇年前に壊滅してしまったため、今となっては原因究明は不可能に近い。
しかも、開戦当初のデータは消失したものが多く、明確に開戦当時の有り様を示すものは残ってはいないのだ。何しろ、ギルガメス星域軍は三度主星を失っている。
主星の変遷と同様に戦略も変わっていった。
開戦当初は惑星間ミサイルという、停戦時の主力兵器A・Tからは想像もつかない兵器が使用されていたという。これに対抗するために、各惑星の上空には戦闘衛星が配置され、防衛に努めたらしい。現在でもその名残として、メルキア星上空には数多くの戦闘衛星の残骸が放置されている。
この敵惑星の壊滅を目的とした初期戦闘の時代は、惑星間ミサイルの保有数で勝るバララント星域軍が圧倒的に有利だった。だが、それも、四〇年ほどの間に保有していたミサイルが尽きたため、戦略は宇宙戦艦を用いた惑星攻撃へと移行した。
敵星の占領を目的とした戦いが行われるようになったのはこの頃からである。衛星軌道上の宇宙戦艦から揚陸艇で降下し、歩兵が銃器、爆薬の類を用いて戦うのだ。これにより、ギルガメス星城軍は勢力を盛り返し始めたのだ。そして停戦の二〇年ほど前、ギルガメスの一惑星、メルキアが|A・T《アーマード・トルーパー》の開発に成功し、これを実戦配備した。
A・Tは人型のワンマン・タンクともいうぺきもので、装甲騎兵と呼ばれている。二三一八年、原型となるマシン・トルーパーが開発され、A・Tとして実戦投入されたのは二三二八年だと聞く。
A・Tは、マニピュレーターを用いた兵器使用の汎用性と二脚歩行による悪路走破性の高さから、主に要塞攻撃や市街戦にその力を発揮し、従来の装甲車や戦車に取って代わる兵器となった。
このA・Tの大量導入によって、戦局は全く五分に引き戻されたのだ。
それから十数年間、戦況は膠着《こうちゃく》状態を続け、メルキア暦二三四三年、決着のつかぬまま停戦した。
だが、この戦いがアストラギウス銀河全土の人間から、喜び、怒り、そして涙すら奪い去った長く辛い戦いであったことは確かだ。停戦後も街には活気がなく、人の心はすさんだままだった。
そして、軍からあぶれた兵士たちが街に溢れた。
バトリングはこの時代に始まったものだ。
数多くの兵士たちは、戦うことしか知らず、引き揚げてきたとしても生活する術《すべ》を持たなかった。当然である。彼らは生まれた時から戦場にあり、それまでの人生のすべてを戦場で送ったのだ。
元来A・Tのパイロットをボトムズ乗りと呼ぶ。最低の野郎という意味だ。その連中が、軍が放棄したA・Tを引っぱり出し、最低の商売を始めた。
それがA・Tをネタにして賭け試合を見せる格闘技、バトリングだ。いわば現代に甦った剣闘といえる。
百年戦争の停戦から一年半が過ぎた今でこそ興行として成り立ってはいるが、始まった頃は街角で戦いを見せるストリート・ファイート形式のものだった。
例えばこんなものだ。
まず、術中で二人のボトムズ乗りが素手で取っ組み合いをする。喧《けん》嘩《か》となれば間違いなく見物し始める奴がいる。それが狙いだ。街の連中は常に刺激を求めている。
たちまち見物人の人垣ができる。
そこヘ一人の男が現れて、金を持っていそうな男に賭けを持ちかける。こいつはもともと喧嘩中のボトムズ乗りと組んでいるのだ。まず一人、うまく賭けに乗せると、その男は人垣の連中に誰かれ構わず賭けを持ちかけ始める。当然、その頃喧嘩は最高潮に達している。賭けに乗らない男の方が少ないのだ。
だが、この喧嘩、勝負はつかない。その代わりボトムズ乗り同士が、戦時中の因縁やら、親の仇敵などと言い始め、結局は何日か後にA・Tで勝負するというところまでエスカレートする。
そこで、件《くだん》の男は当日の賭けを唆《そそのか》して回るわけだ。日をおくのは金を持って来させるためである。
そして後日、所定の場所で一機のA・Tが相手を待ち受けているという段取りになる。その間に、現在、マッチメーカーと呼ばれている仕掛け人が賭札《チケット》を売ってまわるのだ。
だが、ここで一つ演出を加える。まだ来ていない方のA・Tが、実は敵国バララントの野郎だと流してまわるのだ。しかも、そいつは所定の時間になっても現れない。当然、客は荒れ始める。
そこへ、頃合いを見計らって一応バララントのものに擬装したA・Tが現れ、戦闘を始める。
初めはバララント側が有利に戦いを展開する。これも客を興奮させ、賭け金を集める演出だ。そして、しばらくするとギルガメスA・Tが逆転勝利する。
客は大喜びだ。だが、その頃にはたんまり金を集めたマッチメーカーはトンズラしているというわけだ。
バトリングの起こりは大抵そんな八百長試合だった。だが、これはどんな街でも多くの客を集めた。戦争によって、娯楽なんてものは忘れ去られていたからだ。
それに目をつけたのが、街の商工会の連中だった。奴らは人寄せのアトラクションとして、この賭け試合を利用した。勿論、今度は八百長などやらせはしない。どちらかのA・Tが破壊されるまで行い、一日に数人は死者が出る真剣勝負だ。そして、この賭け試合はバトリングと正式に呼ばれるようになった。
ストリート・ファイトに飽《あ》き始めていた連中は、即、この興行に飛びつき、エスカレートした。
それに応じて、バトリングは格闘戦のレギュラーゲームと、銃器を用いて実戦さながらの戦闘を見せるリアルバトルのふたつに分かれていった。
しかし、この時点でボトムズ乗りたちが反発し始めた。奴らは人を殺すことも死ぬことも、何とも思わない軍人あがりだ。だが、商工会の出す賞金《ファイトマネー》では割が合わないと騒ぎ始めたのだ。
ここで再登場するのがマッチメーカーどもだ。連中は稼ぎの何割かを商工会に上納するという形でバトリングの興行権を得た。
ボトムズ乗りはマッチメーカーに従い、現在のようなバトリングの形式が完成した。
百年戦争の停戦後、ウドの街で始まったといわれるバトリングは瞬《またた》く間にメルキア星のほぼ全土を席捲《せっけん》した。
俺がバトリングの存在を知ったのは、停戦後、約半年が過ぎた頃のことだった。
それには理由がある。俺は敵星域の一惑星で停戦を迎えたのだ。
惑星スロール――停戦の五カ月前に占領した可住惑星だ。鉱物資源もなく荒れ果ててはいるが、来るべき再戦に備えバララントの主星攻撃への足掛かりとしては申し分のない星だった。
だが、首都ラ≠ノ駐屯《ちゅうとん》する俺たち第三六メルキア方面軍機甲兵団≠ノ、引き揚げ命令が下った。
兵員のなかに、
どうやらこの星は、停戦条件の一つだったようだ
それで占領を急がせたのか
と、噂が広まった。
確かにそれが政治上の駆け引きだということは判っていた。だが、この惑星を占領するために多くの仲間が死んでいる。A・T乗りの俺自身、A・Tにパラシュートを装備して上空から降下作戦を行った最初の攻撃の際には、対空ミサイルのためにA・Tの右脚を失い、後の戦闘でも単独行動の際、二度ほど三〇機をこえる敵A・Tに包囲されて死を覚悟したことすらある。そうやすやすと納得できるものではなかった。
それでも、軍の決定は俺たち軍人にとっては絶対である。命令が下された当日の夕刻には慌ただしく引き揚げが開始された。
駐屯基地の脇にある宇宙港から、隊に唯一残されていた地上発進の可能な宇宙船がA・Tや主力の重火器、上官どもを載せて発進した。
俺たち下級兵士には、引き揚げ船到着までの地上待機が命ぜられた。
基本的にギルガメス軍の保有する宇宙船には、大気圏内からの発進能力を有するものは少ない。大抵は衛星軌道上から揚陸艇を用いて乗員、物資の運搬を行うのだ。
だが、何日間待っても迎えの揚陸艇は降下して来ない。
その代わり、バララントの一個師団が現れた。引き揚げまでの一時的な強制収容という名目でだ。つまり、停戦後、敵国の軍人を野放しにしてはおけないというのだ。
俺たちは皆、バララント軍に連行され、監獄と言っても然るべき収容所に入れられた。
それまで俺は戦いの中で数限りない裏切りや背信行為を見た。平然と味方を殺す男も数多くいた。軍人は信じられるものではない。だが、軍の機構自体は違った。与えられた任務を果たすべく戦えば、俺は必ず生き残った。俺にとって軍は絶対であった。そして留まることが、軍の命令だったのだ。
それ故、俺は黙ってバララント軍に連行されたのだった。
だが、収容所で待っていたのは、捕虜以下の扱いだった。
鉄骨を格子状に組み合わせただけの部屋――一応、壁らしきものはあるが、ほぼ牢《ろう》と言っても差し支えないだろう――に、四、五人ずつが放り込まれた。
隙間風は容赦《ようしゃ》なく吹き込んでくる。スロールの夜は気温が零下にまで下がることがあり、凍死する者も多かった。
食事として与えられるものも、三度を合わせてやっと一食分に足りるかどうかというわずかな量だけだ。それも石油から作り出した合成食料だと一口で判る固型食料だ。体力は減少の一途を辿る。
尋問にも遇う。強力な自白剤を使用されて発狂する者もいた。だが、A・T乗りの知っている情報はたかが知れている。すでに敵側が掴《つか》んでいるものばかりだ。
頃合いを見計らってバララント兵士は俺たちを殺しに来た。停戦したからといって奴らにとって俺たちは敵である。捕らえたギルガメス兵士の命は虫ケラほどの価値もないのだ。毎晩、一人か二人、確実に殺されていく。
まさにスロールは地獄だった。
だが、俺たちは耐えた。たとえ軍に見放されたとしても、敵兵の手に掛かって死にたくはない。生きてギルガメスの、軍本部のあるメルキア星へ帰るのだ。その望みだけを頼りに生き続けた。
そんな日が四カ月間程続いた頃のことだ。俺は軍の背信を知った。
スロール駐屯部隊は巧みな情報操作により、第一次攻撃時点で玉砕したことになっていたのだ。バララント側の要求によってスロールからはギルガメス軍の痕跡はすべて消されていたのだ。
つまり、スロールに収容されている俺たちは、ただの亡霊にしかすぎないのだ。
絶望的な怒りが、体内にこみ上げてくる。
その日の夜のことだった。
「貴様、ここから脱走する気はあるか?」
俺と同室で唯一生き残っていたディル・カームズが小声で言った。
時刻は午前二時。ちょうどその晩も気温が零下を割ったらしく、体感できる室温は三度前後だ。ここに連行されてから一度も陽に当てたことのない薄っぺらな毛布を頭から被っていても、歯がガチガチと鳴りつづけていた。
「脱走? 出来るのならば……しかし、どうやってギルガメスヘ戻る」
俺は声をひそめて訊《き》いた。
確かに警備兵から銃を奪い、この収容所を脱走した男がいたことは知っている。そいつは運よく宇宙港へと辿りつき、バララントの宇宙船を奪った。だが、ギルガメスヘと帰還することはできなかった。バララント型の宇宙船は俺たちのものと操作系が異なり、そいつはエンジンの始動すら出来ぬまま、再びこの収容所に連れ戻されたのだ。翌日、俺たちの前で射殺されたことは言うまでもない。
「警備兵から聞き出した話だが」
ディルはそう前置きして切り出した。
「三日前から宇宙港にギルガメス型の宇宙船が停泊しているらしい。今のままでは百年過ぎてもギルガメスヘ戻れる保障はない。バララントの野郎どもは俺たちをいたぶるために生かしているだけのことだしな。チャンスは今しかない」
「いつまで停泊しているんだ、そのギルガメス型は!?」
俺は素早く上体を起こした。
「やるのか?」
「得物はどうする。警備兵から手に入れられるのか」
「いや、こいつがある」
ディルはおもむろに上流を脱いだ。頬はげっそりと痩《や》せこけているのに、肩から首にかけての筋肉の盛り上がりは異様なほどだ。
奴は肩口に二つある傷口に自分の親指を突き刺した。だが、血は流れない。奴はそのままベリベリと皮を剥《は》いでいった。
「貴様、こいつは使えるな」
ディルは今剥いだばかりの長さ二〇センチぐらいの皮を見せた。いや、そいつは人間の皮膚ではなかった。裏側はビニールのようにツルツルとした光沢を持つ材質で、その上に親指大の装置が五つと白いラバーゴムのような塊が五つあった。
「プラスチック爆弾と、起爆装置だ」
ディルは一組取り出して言った。
「二つを組み合わせて、手榴弾的な使い方もできる。起爆装置には五秒のタイマーが入っているからな」
ディルは起爆装置に爆弾をなすりつけるように組み合わせた。
「赤いボタンがタイマーの方だ。間違えるなよ、組み合わせた場合、緑色を押しても作動はしない」
「あんた、特殊工作部隊の出か?」
俺は訊いた。
「一年前まではな。だが、こういったものは万一に備えて持ち合わせている。いざという時は自爆よ」
ディルを知ったのは、収容所で同じ部屋に入れられてからのことだ。それまで同一作戦に一緒に参加したこともなければ、名前すら聞いたこともない。収容所内でもおとなしく、暗い雰囲気を漂わせているだけの男だった。だが、今の軍にこれほど気骨のある男がいるのかと不思議に思えるほどの男だった。
ディルは、左肩からも同じ物を取り出し、俺に五組手渡した。それは大きさの割には重量があぅた。感触はフニャフニャと頼りないが、久し振りに武器らしい物に触れたのだ、精神的な充足感がありた。
俺はそれをそそくさとポケットにしまいこんだ。
「で、いつ決行する? ここからじゃ鋼鉄の扉を三枚突き破らなければ外へは出られない。今すぐというわけにはいくまい」
「明日の朝、食堂から脱出する。あそこは一階だし、車輛置き場に最も近い。そのためには壁を突き破る必要があるがな。まあ、五発程度は同時に作動させねばならんだろう」
その時だ。鉄格子の向こうの通路から足資が近づいてきた。巡回の時間には早すぎるが、明らかに警備兵のものだ。
俺とディルは毛布にくるまり、息をひそめた。
足音が止まると同時に、銃を構える金属音がした。
「ケイン・マクドゥガル、ディル・カームズ、起きろ」
怒鳴り声がした。標準アストラーダ語のバララント誂《なまり》だ。
「何の……用だ」
ディルはムッタリと起き上がると、低血圧の男が寝起きに発するのを真似た不機嫌そうな口調で言った。
「隣の男を起こして外へ出ろ」
「何だ、ご指名か」
ディルは、俺の肩を揺すって言った。
「ケイン、起きな。あの世に連れていってくれるそうだ」
俺がうっすらと目を開くと、ディルが小声で付け加えた。
「予定変更だ。他の連中を盾にしてでも……と思っていたが、そうはうまくいきそうにもない」
「そうだな」
俺は押し殺した声でそう言うと、ガバと起き上がり鉄格子の向こう側を見た。
髭面、細面、長髪と、三人のバララント兵士が自動ライフルを構えて立っている。首の周りに涎掛《よだれか》けのような襟《えり》がついた制服の男たちだ。
自動ライフルは、カムウェアという新型だ。丸みを帯びた本体から銃身が突き出している。確か停戦の一年前から使用されるようになり、俺も戦場でお目にかかった事がある。威力はかなりのもので、通常三〇連発の弾倉を装着しているが、単発で対A・T用の貫通弾を使用することもできる。俺はそいつに、搭乗していたドッグタイプA・Tの肩部装甲板を撃ち抜かれたこともある。
「この連中が、仲間を撃ち殺していたのか」
「そのようだな」
ディルが軽く受け応える。
「早く出ろ、二人ともだ!」
鉄格子越しに銃を構えた髭面が、凄みをきかせて怒嗚った。細面が鉄格子の錠部分にあるボタンを暗証番号通り叩く。こいつは鉄格子の内側からは決して見ることはできないし、指で触れることもできない。
科学的な機器が装備された扉が、不似合いな蝶番《ちょうつがい》の軋む音をたてて開いた。
ディルがまず、腰をかがめて扉をくぐった。俺はポケットに手を突っ込み、プラスチック爆弾が服の上から透けて見えないように相先でカバーすると、ディルの後に続き通路へ出た。
バララント兵は銃口を俺とディルに向けた。だが、お決まりの手を上げろ≠ニいう言葉は吐かない。俺たちが武器を持ってないと思い、安心し切っているのだ。
「歩け! ここを出ろ」
髭面のバララント兵が、血と殺戮《さつりく》に飢えた笑みを浮かべて言う。
俺とディルはそれに従い、一直線の通路を歩いた。通路の右手にはずらりと鉄格子が並び、中からはギルガメスの制服を着た兵士たちが、恨めしそうに俺の背後で銃を構えたバララント兵を睨みつけている。
「貴様らも死にてえかっ!」
髭面の男はライフルの銃身を鉄格子に叩きつけて脅す。
天井のあちこちで発光パネルが欠損している薄暗い通路を抜け、三枚の鋼鉄の扉をくぐると収容所の外へ出た。
空気が澄んでいるため、星明かりだけで充分辺りを見渡すことができる。収容所の表側だ。右前方五〇メートル付近で俺の身長の倍はあろうかというコンクリートのフェンスが途切れ、頑丈そうな鋼鉄の扉に変わっている。通用門だ。その脇には警備兵詰め所があり、煌々と明かりが点りている。
詰め所では常時一〇名以上の兵士が待機し、収容所のあちこちに同様の施設がある。警備の要《かなめ》になっているのは、収容所の隣にある監視タワーだ。高さ十五メートル程度の四角い鉄塔でA・Tはすべてここに収められている。
俺とディルは詰め所に連行された。
「こいつらが今日の獲物か」
「俺は右の小せェ方を殺《や》る」
「それじゃ俺は左だ」
詰め所の中を銃を突きつけられたまま通り抜ける俺たちの脇で、どっかと椅子に腰掛けていたバララント兵どもが、銃を手に立ち上がりながら喚《わめ》く。
詰め所の突き当たりでは、フェンスの外に通じる扉が開きっ放しになっている。
「そこから外に出な」
細面のバララント兵が言った。
俺とディルはそれに従い、扉をくぐった。
眼前に荒涼とした砂漠が広がった。深夜にも関わらず大変明るい。どうやら、フェンスの上に設置されたスポットライトを、すべてこの殺戮ゲームのために用いているようだ。
「ここで殺すのか? 俺たちを」
ディルがバララント兵に訊いた。
「いや、逃がしてやる。ただし、二分間だけだ」
髭面の声がする。
「人狩りか……」
ディルが苦虫を噛み潰したような顔をする。
「最近は、ただ撃ち殺すだけじゃ物足りなくてな」
長髪のバララント兵がサディスティックな笑いを浮かべて言った。
「車で轢《ひ》き殺すってのも面白ェけどよォ」
扉の脇では三台のジープがアイドリング状態で待機している。各々に運転手が乗っており、俺たちを追って即座に発進できる準備を整えている。
「馬鹿野郎、貴様らに殺されてたまるか」
俺は怒りをこめて怒鳴った。
「ほう、面白い。逃げられるものならば逃げてみるんだな」
細面のバララント兵が嘲りを含んだ声で言う。
「お前は、私が殺してやろう。まず足だ。次に腕を撃つ。最後に心臓だ」
「犬畜生めッ!」
俺はポケットからプラスチック爆弾を取り出すと、赤いスイッチを押した。
「待て、まだ早い」
ディルが喚く。
だが、俺はそいつを詰め所の中、細面のバララント兵の顔めがけて叩きつけていた。
「伏せろッ!」
俺はディルに叫ぶと同時に、扉の脇に跳び退《の》いた。
ディルが手に持ったプラスチック爆弾を一番手前のジープの運転手に向かって投げるや、身を伏せる。
詰め所の中とジープの運転席で、ほぼ同時に爆発が起こる。小型な分、殺傷力は小さいが、人ひとりくらい殺す力はある。
黒煙を運転席から上げながら、一番手前のジープが動き始めた。フロントガラスとステアリングの一部が欠けているが、エンジンに支障はないようだ。
早計な行動を取った――と、冷や汗が流れる。走り始めたジープに対して、急造の手榴弾では到底太刀討ちできない。
だが、そのジープのステアリングを握っているのはバララント兵ではなく、ディルだった。
ディルは動き始めた残り二台のジープに向かって爆弾を放り投げると、ジープの速度を上げた。
二台のジープの直前で爆発が起こり、運転手どもが一瞬、躊躇《ちゅうちょ》した。ボンネットの上で爆弾が破裂した一台は急停車し、もう一台は気を取り直したかのようにディルを追った。
――野郎、一人で脱出するつもりか――
俺は詰め所の中に四個のプラスチック爆弾を立て続けに放り込んだ。と、同時に想像を上回る爆発が起き、黒煙が扉口から凄まじい勢いで噴き出した。どうやら火薬類に引火したようだ。中の連中は即死に違いない。
その時だ、収容所のなかに非常警報が鳴り響いた。
俺は停止していたジープに駆け寄った。爆発のため、フロントガラスは粉々に砕け散っている。運転手は上半身が焼けただれ、呻《うめ》き続けていた。
男の腰から銃を抜き取ると、俺は男を運転席から引きずり下ろした。エンジンはまだ生きているようだ。俺はジープを発進させ、ディルを追った。
二〇〇メートルほど走らせると、ディルのジープが目に入った。その後方には追っ手がぴたりと喰いついている。どちらも砂塵をまきあげ爆走中だ。
俺のジープが、前方を行く二台にあと一〇メートルと迫った時だ。突然、爆音とともに、前方でなだらかな曲線を見せる砂丘の陰から、一機の小型ヘリが出現した。
ヘリは高度約三メートルでホバリングし、ディルのジープに向けて銃撃を開始する。
俺はブレーキペダルを思い切り踏み込み、ジープを停止させた。より効果的な攻撃を仕掛けねばヘリは墜《お》とせない。
前方でディルのジープがジグザグに走り始めた。だが、被弾する。フロント部分を根こそぎ失った。と、同時に流れ弾に当たったのか、ディルを追っていたジープが燃え上がった。燃料タンクに直撃を喰らったに違いない。
ヘリが銃口を俺の方へと向けた。銃身を回転できない旧型のもののようだ。機体の正面が一直線に俺に向く。
俺はそれを待っていた。奪った銃を両腕で構えると、ヘリのローター基部、やや丸みを持ったコクピットのすぐ上に大きく口を開けている吸気孔を狙った。
ヘリの銃口が轟音とともに火を噴き、ジープの周りを弾丸が掠《かす》め飛ぶ。車体が小刻みに揺れる。
だが、俺はシートに身体を突っぱらせて固定し、引き金を引いた。
突然ヘリからの銃撃がやんだ。次の瞬間、機体各所から火を噴き、爆発する。
俺の放った弾丸が、狙い違わずヘリの防塵フィルターを突き破って機体内部に侵入、吸気ローターを破壊したのだ。
ほう……と、一息ついた俺は、まだ生き残っていたディルを乗せ、ジープを宇宙港へ向けて走らせた。ヘッドライトは完全に壊れていたが、もともと砂漠では役に立ちはしない。
それから約半日、ジープのコンソールに設置されていたドライブガイドを頼りに走った。
だが、砂漠の真ん中でジープはガス欠に陥った。
俺とディルはドライブガイドと蓄電池をジープから取り外すと、自分の足を頼りに宇宙港を目指した。
太陽が三度頭上を往復する間、俺たちは歩きつづけた。食料の持ち合わせなどなく、わずかの時間も無駄にはできないのだ。
初めの二日間は一睡もせず、休憩すら取らなかった。この惑星スロールは、重力が小さく、自分の体重が七分の一程度にしか感じないのだ。だが、そんな自分の感覚を過信したのがまずかった。反動は三日目の夜になって現れた。激しい疲労と空腹が俺たちを襲った。サバイバルスーツは裂け、ズボンはほぼバミューダパンツといってもいいほどになっていた。足はくるぶしだけが異様に目立つ。
ドライブガイドも、蓄電池の電圧が下がり使用不能となった。あとは記憶だけを頼りに見渡す限り砂ばかりの荒野を歩いた。
そして四日目の夜も更けたころ、俺たちは宇宙港の見渡せる小高い砂丘に辿りついた。
サーチライトの中に浮き上がる宇宙港は、かつてのギルガメス軍駐屯基地をそのまま利用していた。全長約五キロはある二本の滑走路や、管制塔と一体化した兵舎、それに連なる各種倉庫と、何もかも五カ月前と変わってはいない。
滑走路の脇には四隻の宇宙船が停泊している。そのうち一隻は一見してギルガメス型だと判る運搬船だ。デザインの基調を直線にとってあり、円を基調とするバララントのもののような、ヌメヌメした嫌らしさがない。
その運搬船は全長が約一五〇メートル。先端の楔《くさび》型ブリッジと後方にある球を連ねたようなエンジン以外は、すべてコンテナという中型のものだ。
「まだ、停泊していたか」
ディルが安《あん》堵《ど》をこめて言った。
「だが、どうやって宇宙港に潜入するかだ。宇宙船の周辺はA・Tが四機かそこらで見張ってやがる」
俺は言った。
「貴様、この宇宙港がもともと俺たちの基地だったということを忘れてるんじゃないのか」
ディルが鼻先で笑った。
「パイロット用の非常通路か!?」
「そうだ」
「確かにあれならば……ギルガメス船のある三番ゲートの脇にも出られるな」
「ああ、あとはバララントの連中に発見されていないことを祈るだけだ」
「そうだな」
俺とディルは砂丘を下り、宇宙港の北側へと向かった。そこには廃棄場がある。A・Tや、武器のスクラップが雑然と並んでいる。そして、その一端からは間違いなく通路が延びているはずなのだ。
入り口は容易に見つけることができた。花《か》崗《こう》岩で組まれた焼却炉の脇に一つだけ喰い込んだマンホールがある。その焼却炉との隙間にキー・レス・エントリーシステムが組み込まれているのだ。
俺はそのボタンを右から三番目、五番目、二番目、そして八番目と押した。これはパイロットの緊急信号X‐三・八・Y≠ナある。
コール確認の音声信号が鳴ると、焼却炉の裏側の壁が開いた。
通路は人ひとりがやっと通り抜けられる程度のものだ。所々枝分かれした通路を俺たちは三番ゲートの方向指示機《ガイドライン》に沿って三キロほど走った。
突き当たりに三と表示された所まで来ると、そこから垂直に延びたハシゴを昇り、ギルガメス船のコンテナの脇に出た。
その時だ、一機の敵A・T、ファッティーが俺たちの存在に気づいた。
俺たちは開きっ放しになっていた運搬船の左舷ハッチのタラップを昇った。だが、ファッティーは脚元からエアを噴き出し、半ば宙に浮いた状態で急接近してくる。エンジンルームがすぐ傍にあるため銃撃はして来ないが、素早い動作でファッティーは俺たちを追い越すと、艦内に侵入した。ちょうど俺たちに立ち塞がる格好になる。
「畜生めッ」
ディルがまだ隠し持っていたプラスチック爆弾を投げた。ファッティーのコクピットハッチの辺りで爆発し、ファッティーは仰向けに倒れた。
俺たちは艦内へ侵入した。
そこは格納庫だった。いくつもの大型プラスチックパッケージがきちんと置かれている。ファッティーはそのパッケージの山に突っ込むような格好で、胸部の大部分を占めるコクピットハッチを開いて倒れている。中のパイロットは気絶していた。
俺はパイロットの胸元に銃弾を一発お見舞いしてやった。パイロットの腰から、ディルが銃を奪った。
その時だ、突然左舷ハッチが閉じると艦が振動を始めた。発進だ。どうやらブリッジは管制と交信を絶っているのか、コンテナの中には誰も現れない。
「ケイン、コンテナには気密性がないはずだ。ブリッジヘ行くぞ」
ディルが駆け出した。俺もそれに続いた。八〇メートルほどコンテナの内部を走り抜けた時、強烈なGが艦体に掛かった。
「発進したようだな」
ディルが言う。
「あとは、この船を奪ってメルキアヘ行くだけだ」
船体にGが掛かったのは一瞬だけのことだった。その後、振動も何もない。
「一G加速か、運が良かったようだな」
ディルはそう言うと、隔壁の扉に手を掛けた。二つある扉のうち、電磁ロックされているほうはブリッジに直接つながるものだろう。ディルはもう一つの太いハンドルのついた扉を開いた。
俺とディルは同時に扉の向こう側へと飛びこんだ。五メートル四方の気密室だ。端の方では二つの檻《おり》が置いてあり、中で何かが蠢《うごめ》いてはいるが気にもせず、ディルは壁の両端にあったモニターカメラを銃撃し、これを破壊した。
俺はブーツの踵《かかと》からコの字型のハーケンを抜き、入ってきた反対方向にある扉の閉じ合わさった部分めがけて右の靴底で蹴りつけた。
厚さ一センチ程度の扉は簡単に貫き通せた。これで扉の向こうの部屋、つまりブリッジにいる連中がこの部屋に入ってこれるのは、俺たちが入ってきたコンテナに通じる扉からだけだ。
それだけの作業を終えると、ドッと疲れが出た。と、同時に空腹にも気がついた。そうだ、考えてみれば五日間何も口に入れていない。
「ディル、早目に食料を確保する必要があるな」
俺は手足を投げ出して壁に背をもたれているディルに言った。
「食料? あるじゃないか、目の前に」
俺は檻の中で蠢くものに目をやった。それは頭に角を持つ肩高一・五メートル程度の動物だった。表面は両生類のようにヌメヌメとした皮膚で被われている。
ディルはそいつを銃で撃ち殺した。
「ズミイシだ。食えるぞ」ディルが言った。「この船が一G加速を続ける理由もこれだろうさ。どうやらこの船、密輸船のようだな」
そう言うと、ディルはズミイシの檻の錠を銃で撃った。奴はブーツの踵から刃渡り一〇センチ程度のジャックナイフを取り出すとズミイシの肉を切り取った。
「喰うか?」と、ディルが生肉を投げてよこす。
俺はそれを受け取ると口に頬ばった。まだそれは生温かく、口に含んだ瞬間血の匂いがした。ほとんど噛まずに飲みこんだ。だが、胃の中に収まったそれは俺の血を熱くさせ、この艦を乗っ取るだけの気力を与えてくれた。
俺たちが生肉をむさぼり喰っていると、突然、ハッチが開き、一人の男が顔を出した。丸眼鏡を掛けた小男だ。
俺は素早くそいつに銃を向けた。
「ちょ……ちょっと待て!」
男は両手をあげるとそう言った。
「あ、あんたら何者だ」
男が怯《おび》えた声で訊く。
「この船はどこへ行く?」
俺は男の質問に答えず言った。
「え……ギルガメス星域のワークト星だ……です」
「メルキアヘ行け!」
ディルが命令口調で言った。
「あんたら、バララントの軍人さんだろ。それがどうしてメルキアヘ?」
「ギルガメス軍人だ」
俺は誇りを持って答えた。
「ギルガメス? あの星の連中なら玉砕したって聞いてますぜ」
「生きていたんだよ、こうしてな」
ディルが凄みをきかせて言った。
「な……なら話が早ェ、ワークトヘ行って、そこからうまくメルキアヘ行けるように手配してやるからよォ。どうだ、一つ取引しねえか? 俺ァ正直者のヘルムって有名なんだ。絶対裏切りゃしねえよ」
しかし、男の視線は俺たちではなく、後方の扉の方に向いていた。
突然、轟音とともに、扉を止めたハーケンの辺りがそっくりそのまま消えてなくなった。銃弾を思い切り叩き込んだのだろう。寸刻おいて扉が荒々しく開き、ブリッジから二人の男が現れた。二人とも手に銃を持っている。
俺はヘルムの左腕を後ろにねじりあげ、盾にした。
大男の一人が部屋の有り様を見て怒鳴った。
「手前ら、よくも商売道具に手ェ出してくれたなッ」
と、銃を腰の高さで構えた。
ヘルムが叫んだ。
「あ、兄ィ、待ってくれ。この人たちはギルガメス軍人で……」
「やかましい。手前がドジ踏むからいけねえんだ。ギルガメス軍人だろうが何だろうが、商売道具に手を出した野郎、しかも密航者は生かしておけねえ」
大男はそう言うなり銃をぶっ放した。
「ヒッ」と呻いてヘルムが倒れた。即死だ。
俺は身を翻して檻の後方に身を隠した。
奴らが発砲したのは、ここが気密室だといってもエンジンルームから遠く離れているからだろう。だが、商売道具の後ろでは撃てはしまい。しかも、今の発砲でズミイシは狂ったように暴れまわっている。
俺は陰から、右側に立っている男を撃った。狙っている暇などありはしない。
轟音とともに弾丸は発射された。それは男の右腕を貫き、銃ごと後方へ吹き飛ばした。もう一人の男が銃を乱射する。もう商品など構わない様子だ。だが、そいつはディルが檻の後方から飛び出し、仕留めた。
「畜生!」
残った大男が左腕で銃を拾いあげる。瞬間、俺は銃を撃った。男の頭部を弾丸が貫いた。
俺はゆっくり立ち上がった。
俺とディルは大男どもの持っていた自動小銃に持ち換えて、ブリッジヘ入った。
そこは三人分のシートが置かれただけの狭苦しい部屋だった。前方の窓には宇宙空間が広がっている。窓の下端からブリッジ前方一杯に計器類がまとめられていた。
「まだ生き残りがいるかも知れない」
ディルが用心深げに言う。
「そうだな」
俺は銃を構えたままブリッジの左側にある扉を開いた。その瞬間、
「ひいいッ!」
という女の悲鳴が聞こえた。
そこは一応キャビンのようだった。薄汚い五つの椅子と、脚の一本折れたテーブル。センスのかけらもない調度品がほとんど散乱しているという配置で並べられている。
その部屋の奥で女が壁に背を押しつけていた。
女は後ろで二つに結《ゆ》わえた髪を乱し、絶望にうちひしがれた青い瞳で俺を睨んだ。短めのシャツに首を通しただけのような薄っぺらの上着と、肌に密着したロングパンツから浮き出た肉体は明らかに大人の女のそれだが、まだ膨らみを帯びた頬の柔らかな線は少女の面影を残していた。
「どうした、ケイン。まだ連中、残っているのか?」
ディルが駆け寄ってきた。
「ああ」俺は女から視線をそらさずに言った。
「あんたのほうはどうだ」
「こっちは大丈夫だ」ディルは俺の横に並ぶと、言った。「こんな船に女が乗ぅているとは珍しいな」
「何者だい……あんたたち」
女が怯えた声で訊いた。標準アストラーダ語だが、やや語尾が上ずっている。バララント訛《なまり》だ。
「ほう……」
ディルがニヤリと笑い、とっさに銃を構え直した俺を制した。
「やめろ、ケイン。バララントの女なら、ギルガメスヘ連れて行けば高く売れる。殺すことはない」
確かに、戦時中から闇ルートで人買いが行われていたという話は耳にしたことがある。
本来ならば敵国の女など戦場へ行けば幾らでも手に入る。だが、ギルガメス星域を離れたことのない政府の高官や軍本部の連中は金で買っていたらしい。そいつらの運命は大抵慰みものにされた挙げ句に殺されるか、良くても奴隷生活が待っている。どちらにせよ、敵への怒りを放出する材料でしかないのだ。
「なら、何かに縛りつけてでもおくんだな。バララントの女などにうろちょろされるのは目障りだ」
俺はディルに言った。
「ああ、そうするさ」
と、言うなりディルは、じりっと、女に歩み寄った。
「冗談じゃないよ、あんたらなんかに」
女は、足元に転がっていた金属パイプを取り上げた。
だが、勝負は目に見えている。俺はブリッジヘ戻ると、中央の主操縦席についた。正面のコンソールを操作し、進路を軍本部のあるメルキア星コボトヘ変更する。
船内を急激にGが貫いた。進路修正のため船が加速したのだ。その時、キャビンの方から銃声が聞こえた。
ディルめ、結局は撃ち殺したのか――と、鼻先で笑うと、敵がいなくなった安堵か、MH航法を用いて約一週間後にはギルガメスヘ戻れるという確信を得たためか、体が震えだしスッと力が抜けた。
俺は左手に持ち換えていた銃をコンツールに放り投げると、シートに身を投げ出した。
その時だ。
「船をスロールに戻しな。撃ち殺されたくないならね」
女の怒鳴り声がした。振り向くと、胸元をはだけ、髪を乱した女が、かつてディルが手にしていた銃を構えてなっていた。
「早く戻すんだ」
ヒステリックに女は叫び、歩み寄ってくる。
「威勢がいいな。この船のボスかい、あんた」
「冗談じゃないよ! あたいはこの船の連中にとっ捕まっただけなんだ。軍人が乗り込んできてくれて、やっと助かったと思ってたところさ」
人買いか。確かにルートは存在するようだ。この密輸船は人買いまで行《おこな》っていたのだ。
「あたいを降ろすだけでいいんだ。出来るだろ、そのぐらい。それとも、あんたの仲間みたいに撃ち殺されたい!?」
「そいつはごめんだな。女に鼻の下伸ばして殺されたとあっちゃ、死んでも死にきれない」
と、言いつつ俺はコンソールに放り出してあった銃を取ろうと、ゆるりと手を伸ばした。
「やめな! 無駄だよ」
気づいた女が叫ぶ。
「こいつはあたいがもらっとく。まあ、どっちにしろ見たところ、こいつを使う体力はなさそうだけどね」
つかつかと歩み寄り、女は銃を取り上げた。
「さあ、早く船を戻すんだ!」
女は二丁の銃を両腰に構えて喚く。
「さっさとしないと、本当に撃ち殺すよッ」
「撃ち殺せるかな。ここはブリッジだ。まず銃を使えば計器類がいかれる。しかも、俺を殺せばこの船を動かすことは出来まい。さっきから、船を戻せと喚いていることから察するにな」
「そんな……」女が口ごもった。「そんなことないさ。あたいだってこの船ぐらい動かせるさ」
困惑の表情を浮かべて女は言う。
「もし、あたいに操縦できなけりゃ、あんたも星には戻れないんだよ、それでもいいのかい」
「やってみるか?」
俺は嘲り笑うように言った。所詮相手はバララントの女である。ギルガメス型の船を扱えるはずがない。
「どうした。やらないのか?」
俺は問い詰めた。
女はキッと眉をつり上げ、ギリッと歯噛みすると、
「畜生ッ」
と叫ぶや否や、引き金を引き絞った。銃口から轟音とともに弾丸が射出された。
俺はのけぞるようにしてシートから転げ落ちた。弾丸はシートの二〇センチほど上をかすめ飛び、ブリッジの右端の扉に穴を開けた。
女は、俺の体力が失せていることを確めると、コンソールに向き直った。計器類を操作し始める。だが、初めて取り扱う機械に対する困惑の色は隠し切れない。計器類を睨みつけると、両手をコンソールの上に置き、それで体重を支えるという姿勢をとって思案し始めた。
俺は、床面を女の真後ろまで気配を殺して這《は》い寄ると、油を注入し過ぎた蝶番《ちょうつがい》のような膝で立ち上がった。
船窓に姿が一瞬映る。
女が気づいて振り返った。だが、間一髪、女が銃を構え直すのよりも、俺の拳が女の背部から腎臓の辺りに喰い込むのが早かった。
女は、グフッとむせ返り、コンソールの上を滑り落ちた。
俺は、女をシートに縛りつけると、計器類の再点検を行った。疲労のため、目は計器の数字を追ってはいるものの思考がついていかない。三度ほど、計器類を指差しながらチェックし直したころで女が意識を取り戻した。
「殺さ……なかったの?」
女が訊いてきた。少し上ずった調子のその声は、かすかに震えている。
「ああ」
俺は答えた。
「あんたがそのまま無低抗でいてくれるなら、殺しはしない」
「もう一人のほうと比べると、あんたいい人なんだね……」
女がこわばった笑みを浮かべた。
この女は確かにディルを殺した敵国の女だ。殺しても飽き足りはしない。だが、人一人殺すだけの気力は残っていなかったし、この女をメルキアで売り払う――そんな意識もあった。
「あんた、ケインって呼ばれてたね」と、女が訊いてくる。「あたいロニー・シャトレ。とりあえず、この船の行き先教えてよ。どっちにしろ、このまま連れて行かれるんでしょ」
「メルキアだ」
「ぞれで、今、スロールからどのくらい離れたの」
「もう、バララントの勢力圏は脱出した。これからバララントヘ引き返せば攻撃を受ける」
疲れ果てた五感に、ロニーの甲高い声は苦痛だった。
「黙っていろ」
声を押さえて言ったつもりだったが、自分の声も頭にキリキリと刺し込む。
「バララントには、もう戻れないんだね……」
ロニーは俺の言葉も聞こえぬ様子でポツリと言った。そして思案にくれた。
俺が朦朧《もうろう》とした意識のなかで、眠りにつこうとしていた時だった。
「ケイン! 繩ほどいてよ! もう銃で脅したりしないから」
ロニーが叫ぶ声が聞こえた。
「黙れ!」
俺は怒鳴り返した。
「あたい、決めたんだ。バララント捨てて、ギルガメスヘ行く。今度はそっちで生活するんだ」ロニーがまくしたてる。「それに、あんたひどく疲れてる。そのまんまじゃ死んじゃうよ。あたい、本当は目の前で人が死ぬのなんて見たくないんだからッ」
「黙っていろ! 聞こえないのか!」
俺はダッと立ち上がった。その瞬間、膝と腰から完全に力が失せた。
「馬鹿っ、あんたが死んじゃ、あたいが生きてギルガメスヘ行けなくなるじゃないか。折角決心したのにッ」
意識が薄れていく中で、ロニーの喚き声が聞こえた。
いつの問にローブから脱け出したのだろうか、それから六日間、ロニーはかいがいしく俺の身の回りの世話をしてくれた。
だが、航法装置のチェックだけは自分の手で行った。これにもロニーは肩を貸してくれた。俺に銃を撃つ体力のないうちに信用させてしまおうという魂胆《こんたん》のようだ。
ロニーは、熱があるといってはズミイシの生肉――生肉には熱を取る効果があるらしい――を俺の額に貼りつけ、艦内の倉庫から合成食料を山のように運び出し、俺の眼前に積み上げたりした。
ロニーは、俺が問いもしないのに、折にふれ自分の経歴を話した。
ロニーは戦火のため、七度星を移り住んでいた。そして、停戦後、人買いにさらわれたのだという。
最も興味をひかれたのは、彼女がかつてバララントのA・Tファッティー≠扱ったことがあることだった。ただし、ファッティーというのはギルガメス軍でのコードネームであり、バララントではフロッガー≠ニ言うらしい。シミュレーシーンから実機訓練まで、軍の予備隊として行ったという。A・T乗りに女はいないと知らされていた俺にとっては驚きであり、腹立たしいことでもあった。
七日目、船のコンピュータが合成音声でメルキア星に接近したことを告げた頃、俺の体力はほぼ元の状態にまで回復していた。
ブリッジヘ行くと、眼前に懐かしいメルキア星の姿があった。赤道付近にのみ緑が集まり、南北は焼け焦げたように赤黒い色をした惑星だ。船は航路設定と寸分違わずここまで来たのだ。
船は、メルキア北部の都市、コボト軍港の発する強力なビーコン波を確実に捉えていた。
主操縦席に座ると、コンソールに大気圏突入を告げるライトが点灯した。ロニーもシートの一つに座った。発進時のように一Gで減速はできないのだ。
大気圏突入からコボト接近までは何の問題もなかった。だが、コボト軍港の管制から通信が入ってからが大騒ぎだった。
この船は密輸船として、コボトであまりにも有名だったのだ。戦時中から数度にわたって現れ、ブラックリストにも載《の》っているという。スクリーンに現れた管制官は高度一〇〇〇メートル以下に到れば攻撃すると警告してきた。
俺は構わず軍港から少し離れた岩場に船を着陸させた。だが、地上には幾体もの陸戦用A・Tが待ち構えていた。
俺とロニーは砲撃の集中するブリッジから、格納庫の中へと移動した。
「ロニー、A・Tは扱えたはずだな。コンテナの奥にファァティーが一機転がっているはずだ。そいつを使って脱出しろ」
俺は隔壁の前で立ち止まると、そう君った。
「逃がしてくれるの?」
「そうだ」
「でも、あんたは」
「俺にはファッティーなど扱えない。早く行け」
「う……うん」
と、頼りなくうなずくと、ロニーは砲撃音が表側から伝わってくるコンテナの中を駆け出した。後ろ姿には自信が溢れている。A・T乗りはA・Tを待った瞬間、すべての危険を脱することができると思うものなのだ。
左舷のハッチが開き、ファッティーが飛び出していく。運が良ければロニーは助かるだろう。生き延びればそれで良し、最悪でも俺が脱出するまでの囮《おとり》にはなってくれるだろう。ギルガメスで金に代えるはずのものが、盾に変わっただけだ。悪い買い物ではない。
俺はロニーの脱出していった方向にA・Tどもが移動をし始めた事を確認すると、船を降り、ロニーとは反対のハッチから脱出した。
紛《まぎ》れ込んだコボトの街は変わり果てていた。
かつては軍の兵舎が立ち並び、軍人相手の商売で潤《うるお》っていたが、今では大半の建造物が内側の鉄骨を露出し、戦災の傷跡を生々しく晒《さら》していた。何しろ剥き出しになった鉄骨は、その表面に戦火によって生じた黒錆《くろさび》を浮かべているのだ。
この街に身を潜めて、もう一〇日になる。最初の二、三日は軍の連中が騒々しく街中を走り回っていたため身動きが取れなかったが、四日目からそれもなくなった。
街には俺と同じようにカーキ色の耐圧服を着込んだ軍人あがりが数多くいる。そいつらに紛れて街中へ出てみると、隊列を組んで現れる人狩りや、大口径の銃をチラチラと見せつける通り魔に出会う。迎え撃ちたいとは思うが、銃を持たない身では、ただ逃げるだけ。情けないが、それしか生き延びる方法はないのだ。
今にも朽《く》ち果てそうな飲み屋ではぼられる。靴の踵《かかと》に隠し持った金以外はすべて奪われた。
街を闊《かっ》歩《ぽ》する商人どものように小賢しい悪知恵でも持っていれば別の話だが、戦場で生まれ育った俺は、武器を失えば何の力も持たない。今までの人生で築きあげてきたものが音をたてて崩壊し始める。
俺は生き抜く術《すべ》を攻撃にのみ求めていた。敵よりも強い武器、素早い攻撃こそが、俺の身上だった。
軍人としてA・Tを駆っていた二年間は、それを俺の身に染《し》みこませるに充分すぎた。俺は軍の命令通りに逃げ惑う敵を殺した。たとえ無抵抗であったとしてもだ。
戦場では強者のみが勝利者となり得た。
だが状況は一変した。今は戦後だ。退廃した街で生き抜くには力以上に狡猾《こうかつ》さが要求されるのだ。
だが、俺はあいにくそんなものは持ち合わせてはいない。気力も体力も限界に近づいていた。
考えてみれば金を奪われてから二日間、何も喰ってはいなかった。
なけなしの金で何か喰っておくか……と、街外れの瓦《が》礫《れき》の下に鉄骨を組み合わせ、合成皮革を貼り合わせただけの塒《ねぐら》から這《は》い出すと、崩壊しかけたビルの間から弱々しい太陽光が差しこんでいた。
この街は極めて降水量が少ない。それだけが救いだった。もし、おかしな添加物でも混じった雨でも降るとたまらない。戦時中、このメルキア星でもかなりの量の化学兵器が使用されたと聞く。噂では酸の雨が降る都市もあるらしい。
ふらりと街に出てみる。
物色するほど喰い物はない。あったとしても鉄骨を組み合わせただけの店頭に、腐臭を漂わせる合成食料が放り出されているだけだ。
時折、動物性の自然食料を置いてある店もあるが、値段は目が飛び出るほど高い。自然食料は確かに合成食料とは違う、何か内側からあふれ出すエネルギーを与えてくれる。俺は、それを何度か口にしたことがある。ダボフィッシュと呼ばれるグロテスクな魚を焼いたものもあった。それはまだ軍人として惑星スロールに駐屯していた頃の話だ。
聞く所によれば、バララント星域にはまだ食肉用の生物が数多く、メルキアで販売されているのはほとんどが密輸品だという話だ。
珍しく湯気をたてている店が狭い路地の中程にあるので、行ってみる。
そこでは寸胴鍋《ずんどうなべ》で合成食料のゴッタ煮を売っている。いや、煮ているわけではない。茹《ゆ》でて雑菌を殺しているだけ――と、売り手の老婆がニヤリと笑う。
皺《しわ》深い醜悪な顔は悪鬼を連想させる。気分は悪いが食欲には勝てない。
目の王の飛び出るほどの金を払い、手渡されたのはほんの少量だった。どす黒い化学製品や、クロレラ系の固型食料がぶよぶよになって浮いている。
この辺りの戦場で死んだ軍人の|C《コンバット》・レーションから掻《か》っ払ったものだろう、匂いは極めて悪い。カビ臭い、鼻を剌すような匂いだ。
俺が、その一つをつまみ上げ口に運ぼうとした時だった。何やらズボンのポケットを探られているような感触がした。だが、感覚が鈍っているのではっきりはしない。
食料を指から放し、ポケットの上を引っぱたく。すると、
「痛ッ!」
と、声がした。子供の声だ。
俺は声の方向を見据えた。
そこには一〇歳くらいのガリガリに痩《や》せこけたガキがいた。裾のボロボロになったズボンと穴だらけのランニングシャツ一枚だ。だが、その目は子供のそれではなく、もう一〇年来あくどい商売を続けている男の澱《よど》み加減によく似ていた。
俺は、逃げようともせずふてぶてしい態度を取り続けるそのガキの腕を掴んだ。
だがガキは悪びれた様子もなく、「何にも入ってねェじゃんかよ」と、言う。
俺はそんなガキの手を後ろ手にねじった。
「ててッ!」と、奴はこれみよがしに大声をあげた「何しやがんでェ!」
辺りに助けを求めるつもりで叫んだのだ。だが、何人もの連中が楽しそうに俺とスリの子を見守るだけだ。咎《とが》める者などはいない。
俺はガキ相手に情けないと思いながらも、こう言った。
「元締めの所に案内しな。お前一人じゃあるまい」
そこにはわずかでも金があるだろう。
狭い路地を抜け、ガキが立ち止まったのはビルの鉄骨を利用して作った粗末な小屋だった。鉄骨の一部に木製の扉をうまくはめ込んで入り口にしている。
「入るんだ!」
と、俺はガキを先にやる。
扉がぎごちなく開き、中から黒ずくめの男が現れた。黒いズボンに、黒いシャツだ。その男は俺の顔を見るなり、素っ頓狂《とんきょう》な声をあげた。
「ケイン――ケイン・マクドゥガルじゃねェか」
男の顔には俺も見憶えがあった。今では髭《ひげ》を伸ばし放題にしてはいるが、切れ上がった目といい、右端が崩れたような口元といい、その男は間違いなく、かつて屍隊《しかばねたい》と呼ばれた掃討部隊の僚友、クウ・ライヤーだ。
屍隊とは、戦場に生き残った敵兵士を皆殺しにするため組織された部隊のことだ。
俺は第三六機甲兵団に転属させられる以前、一年間その屍隊でA・Tを扱っていたことがあった。
「あんた、生きていたのか。いつ、メルキアに帰って来た?」
と、声を掛けると、ライヤーは俺を部屋の中に招き入れた。殺風景な部屋だ。調度品一つ置かれていない。
「十日前、バララントから船を奪ってな。それよりあんた、何故スリの元締めを……」
「軍をあぶれちまってな」と、ライヤーが言う。「ガキならそう怪しまれやしねえだろ。こうでもしねえと、俺たちは喰っていけねえんだ。まァ、まっとうな仕事も最近始めたがな」
「まうとうな仕事?」
「マッチメーカーといってな、ちょっとした賭け試合を仕切るのよ」と、奴は言うと煙草の箱を差し出した。「サベンスタだ、吸うかい?」
「軍から支給されていた銘柄《ヤツ》か」
「ああ、あれと同じやつだ」
俺は軽く手に取ると、奴の差し出してくれた火に煙草を近づける。
一口目は吸いこまずに吐いた。火種の匂いが移って煙が本来の匂いが判らないからだ。これは俺の習慣でもあった。
とは言え、一年ぶりに吸う煙草だ。二口目は深く吸いこんだ。フィルター付きなので、どぎつくはないが明瞭な味が肺の奥まで染み渡る。
口から放すと先端から紫煙があがる。軽く吐き出すと、仄《ほの》かな苦さと心地良い陶酔感。そして久し振りのせいか頭がくらくらする。それだけではない。何だ、この手足の痺《しび》れは?
人間、いかに緊張していても気の緩《ゆる》むことはある。かつての戦友に気を許した俺が迂《う》闊《かつ》だった。
煙草には強力な麻酔薬が混入されていたのだ。
ライヤーが声高らかに笑い、こう言った。
「ケイン、あの運搬船のことは、俺も耳にしたことがある。あんたを軍警に突き出しゃ、俺はごっそり懸賞金がもらえるって寸法よ」
「軍警!?」と、俺は痺れる口でそうつぶやいた。
「あんた、どうせ奴らに捕まるんだ。その前に正体だけは教えといてやろう」奴は勝ち誇った声で言った。「軍からあぶれた連中が、独自に始めた警察みたいなもんだ。ただし、こいつは武装してやがる。どっちにしろ、あんたは逃げられねェよ」
そう言うと、奴は手下のガキに怒鳴った。
「もたもたしてねェで、早く軍警呼んでこねえかッ!」
その瞬間、奴に隙が出来た。俺はあらん限りの力で体当たりして奴を突き飛ばすと、震える足を扉へ向けた。だが、次の瞬間、急に足元の感覚が失せた。倒れたままのライヤーが、素早く俺の足を払ったのだ。
「馬鹿め、ろくに身体も動かねェくせに」と、ライヤーが嘲笑った。
「貴……貴様ァ」
俺はそう叫ぶなり、渾身《こんしん》の力を込めてライヤーに殴りかかった。こんな野郎に捕まって売られるくらいなら、全身の神経がズタズタになるまで殴りつづけ、果ててやる――そう思ったのだ。
だが、俺の繰り出した拳は、あえなくライヤーの掌に封じられた。
「そのくらいの力では、俺は倒せねえぜ」と、ライヤーはほくそ笑み、掌に力を込めた。
麻酔薬のためか、触感はない。だが、俺の拳はゆっくりと開き始めた。
「馬鹿な野郎だぜ。軍からあぶれたら、勘も狂っちまったのか」
ライヤーはそう言うと、俺の髪を掴み、そのまま顔を床に擦《す》りつけた。
口の中に血の匂いが広がった。
だが、俺はその時、勝機を見出した。ライヤーの尻ポケットから黒鉄色に光る銃身がはみ出していたのだ。異様に短い銃身だ。多分ミゼッタ型の護身用拳銃だろう。
俺はライヤーの高笑いを聞きながら、じりじりと右手を奴の腰へ這わせていった。
銃身に指先が触れた瞬間、ライヤーはびくっとして身をねじった。だが、もう遅い。俺は銃身を掴むと同時にポケットから引き抜いた。
「手前ッ」とライヤーが喚くが、もうこっちものだ。
俺は左手で、頭髪を掴んでいる奴の手を引き剥がすと、ガタガタと笑い始めた膝に力を込めて立ち上がった。
「動くんじゃない」
俺はあらん限りの声を出し、銃を構えた。少々指先が震えはしたが、照準は奴の身体からはみ出してはいない。
ライヤーの顔がひきつった。元来歪んでいた右の口元が直角に曲がっている。
そのままよろめきながら、俺は扉に背を当てた。本来なら威《い》嚇《かく》射撃の一発でも見舞ってやりたいところだが、もう指先に引き金を絞るほどの力は残っていないようだ。銃を握った感覚すら薄れ始めていた。
後ろ手に扉を押し開き、倒れるように身を乗り出した。だが時すでに遅く、眼前には三体の黒い影が立ちはだかっていた。四メートルクラスの人型兵器――どうやらライヤーがガキに呼びに行かせた軍警のA・Tらしい。
機体は青と白の二色に塗り分けられている。戦時中の|MP《ミリタリーポリス》仕様にも見えないことはない。だが、背部でチカチカと発光する赤い回転灯は明らかにそれとは異なっていた。
真ん中のA・Tがハッチを開き、俺の二メートル手前まで歩み寄ってきた。右腕にはバレルを短縮したヘビィマシンガンを持ち、左手には厚さ五〇ミリはあろうかという盾《シールド》を持つ。
「貴様か、あの船に乗っていたのは」
コクピットの中で、男が叫んだ。
俺は鉄骨の陰に身を隠した。ここから脱出するにはあのA・Tを奪うしかない。だが、もう腕に力は残っていない。まるで肩から先が抜けて飛んでいく……そんな感覚だ。
A・Tの重い足貸とともに寄りかかっていた鉄骨が振動する。その時、遂に膝が萎《な》えた。
ずるずると体が滑り出す。鉄骨に埋め込まれたリベットの感触を背に感じる。が、突然、肩の辺りに何かが引っ掛かった。見ると、鉄骨の一郎から直径二センチ程度の鉄棒が突き出ている。
――これだ! と、半覚醒状態を漂っていた知覚が叫んだ。
俺は、その命ずるままに行動した。鉄棒に銃の用心鉄を引っ掛けると、左手で銃身を掴み、狙いをA・Tのコクピットに合わせる。次に右の掌を銃の後部に当て、倒れ込むように体重をかけた。――瞬間、体全体が鈍い振動に包まれた。
ハンマー内蔵式の銃から、勢いよく弾丸が飛び出したのだ。それは狙いたがわず、A・Tのコクピットにいた男の額に、丸い穴を開けた。
男は、ビクッと痙攣《けいれん》すると、絶命した。
傍らの二機のA・Tは、何が起こったか、判らない様子だ。俺が鉄骨の裏から転がり出して初めて、銃を構え直した。
だが俺は、いち早く感覚の麻痺した手足でA・Tの機体を這い上がり、パイロットの頭からゴーグルを奪うと、死体を脇に追いやってコクピットに潜り込んだ。
と、同時に強い衝撃がコクピットに走った。左右の二機が激突してきたのだ。そのショックだろうか、操縦桿を立ててもハッチが閉じない。だが、A・Tの操作方法がさほど違わないことだけが救いだった。
俺は、死体が傍らに眠るコクピットからA・Tの両腕を広げさせ、肘の辺りで左右のA・Tを突き飛ばした。同時に操縦桿上部のボタンを親指で押す。
本来ならば重い射出音とともにA・Tの腕が肘からスライドし、止《とど》めを剌すはずだ。が、その代わりに聞こえたのは、肩の拡声器から流れ出すサイレンの音だった。
突き飛ばされたA・Tが、軋み音をたてながら立ち上がる。
俺はA・Tに踵《きびす》を返させた。そして、重い足をアクセルペダルの上に載せた。A・Tの足元でグライディングホイールが唸り、強烈なGとともに走行を開始した。
同時に、後方でヘビィマシンガンが轟音を発した。ゴーグルを目に当てていないのでセンサーからの情報は判らないが、間違いなく軍警のA・Tに追われているのだ。
上方に撥《は》ね上がったままのコクピットハッチがシュンという音とともに閃光を発した。マシンガンの弾丸がかすめたのだろう。機体の各部からも弾丸が喰い込む振動が伝わってくる。
それにもかかわらず、アクセルペダルを踏んでいる限りA・Tは加速を続ける。二〇秒ほど走ったろうか、眼前の広い十字路にある人だかりが目に入った。
その先には戦場で見慣れた青いA・Tの姿がある。屍隊でともに戦ったことのあるやつだ。陸戦用として最大の力を持っている。停戦からすでに半年がたつ。まさか|あれ《ヽヽ》がコボトにいるはずがない。あれはクエント人傭兵の専用A・Tだ。奴らは戦争が終われば母星クエントに帰るはずだ。
だが、左眉に装着された盾といい、パイルバンカー、そして頭部の斧《おの》状装飾といい、間違いなく、それはATH‐Q63、ベルゼルガだ。
奴はドッグ系のA・Tと戦闘の真っ最中だ。
奴の姿が急激に近づく。体感できる速度は時速五〇キロを超えている。A・Tの走行限界速度だ。だが、足はアクセルペダルに貼りついたまま離れようともしない。
俺の乗った機体はバランスを崩し、人だかりの中へ雪崩こんでいった。制御は不可能だ。次の瞬間、俺はコクピットから放り出されていた。
かすんだ視界のなかに、青いA・Tの姿が見える。突然、ハッチが開き身長二メートル三〇はあろうかという大男が姿を現した。ちぢれた黒い髪の男の顔にはゴーグルが掛けられており、表情は見えない。
「手入れだッ!」と、男は叫ぶと、俺の顔をじっと見、ゴーグルを外した。「ケイン……」
意識は失せかかっていたが、その声は聞き憶えのあるものだと判った。顔も見慣れたものだ。そう、奴は間違いなくクエント人傭兵、シャ・バックだ。
突然、青いA・Tの腕らしきものが眼前で動いた。掴みかかってくる。
――最悪だ。奴も売るつもりに違いない――
そう思った時だった。意識が途切れ、視界がブラック・アウトしていった。
耳元で物音がしている。敵が!?
俺は跳ね起きた。だが、それは意識だけのことだった。
麻酔薬のせいか、頭がギリギリと刺しこむ。まだ力の入らない手足はぐたっと投げだしたままだ。
辺りは薄暗い。部屋の中央にはそこだけ明るい電灯がある。
数本の鉄骨に支えられた天井は、今にも砕け落ちてきそうなほど、ヒビが走っている。
監獄か――と、俺は思った。
だが、違うようだ。監獄の内側にドアのノブがあるはずがない。どうやら俺は固いソファーの上に横たえられていろらしかった。
「大丈夫か」
と、抑揚《よくよう》のない声がした。声の方向に目をやると、シャ・バックが巨体を屈《かが》めてブーツの紐《ひも》を解いていた。
「ここは?」
口を開くと喉の奥に酸っぱい痛みが走った。
「俺の塒《ねぐら》だ」
シャ・バックは無表情な声で言い、ブーツを脱ぎ捨て裸足で立ちあがった。
巨大な体躯が光を遮《さえぎ》った。
シャ・バックらクエント人は、平均身長が二メートルを越すという巨人族で、人種的にも俺たちと異なる。
彼らの母星クエントはアストラギウス銀河のほぽ中央にあり、その一帯は不可侵宙域と呼ばれ、ギルガメス、バララントどちらの星域軍にも属してはいない。
だが、彼らは極めて戦闘能力が高い、殊にA・Tを用いた戦いにおいてそれを発揮する。しかも契約に対しては絶対忠実だ。それ故に彼らは優秀な傭兵としてクエント製A・T、ベルゼルガを駆り、百年戦争に参加していた。
シャ・バックもそのクエント人傭兵の一人だった。
だが、俺は屍隊で奴に出会うまでは、クエント人のことなど何一つ知らなかった。聞きかじったことがあるのは、クエント製センサーの優秀性くらいなものだ。そのため、奴の巨体を見て驚いた憶えがある。
シャ・バックは部屋の端にあるラックから酒瓶とグラスを取り出した。
「飲《や》るか? 気つけになる」
「いや、要《い》らん」
つい数時間前、欺されたばかりだ。恐怖感がある。
「助けてくれたのか」と俺は訊いた。
「そうだ」と、奴は低い声で言った。「あとは好きにしろ」
クエント人の喋《しゃべ》り方は大抵こんなものだ。無口で抑揚がない。彼らの倫理観ではむやみに感情を表面に出すことはタブーとされていた。
「済まんな」と、言いながら俺はソファーの上に座った。少しも力が入らない。傍《はた》目《め》に見ればだらしない格好だろう。背もたれのカーブに沿って背筋は曲がり、足は放り出したままだ。
「お前、どうしてまだメルキアにいるんだ」俺は訊いた。「クエント人傭兵は、戦争が終われば母星に帰るんだろ」
「ここで、まだ戦争続いている」とシャ・バックは言った。
「戦争?」俺は自分の耳を疑った。「百年戦争は停戦したはずだ。俺は軍からあぶれちまって、今じゃ喰いブチもないんだぜ」
「俺も、軍からはあぶれた」と、シャ・バックが表情一つ変えずに言う。「傭兵というわけではない。だが、契約はしている」
まわりくどい言い方だ。俺は戦時中からクエント人のもってまわった語り口が嫌いだった。たとえ助けられた今であってもだ。今、A・Tを扱って戦闘ができる所といえば、軍か軍警しかないではないか。
もし、こいつが軍か軍警の人間ならば、俺は助けられた訳じゃなく、捕まったことになる。
「何だ、その戦争ってのは」
俺は喚いた。
「お前を助けた時、俺、ベルゼルガに乗って戦っていた。あれだ」と、俺の態度を気にも止めず、シャ・バックが言う。「バトリングだ」
「バトリング?」
「知らないのか。お前、引き揚げてきたばかりか」と、シャ・バッグは相変わらず無表情に続けた。「A・Tを使った賭け試合だ」
「賭け試合? なんだそれは」
俺はソファーから身を乗り出した。
「マッチメーカーと契約して賞金《ファイトマネー》もらう。俺たち、A・Tで戦うことしか知らない。生活、これでたてる」
シャ・バックはそう言うと、グラスに酒を注いだ。
「お前、バトリングするため、軍警のA・T奪った、思っていた。何しろ、今俺たちの使えるA・T、軍が廃棄処分にしたものか、払い下げのA・Tばかりだ。マッスル・シリンダーやポリマーリンゲル液、軍で支給されるものより質、悪い。ベルゼルガも六〇パーセントぐらいの力しか出ない。でも軍警のA・Tなら、ほぼノーマルの力でる」
「だろうな」と、俺は呟いた。
確かにシャ・バックの言う通り、市販されているポリマーリンゲル液の質は軍で使われるものより悪い。何しろ停戦直前、軍の主力A・Tスコープドッグ≠ネどに用いられていたものは、現在でも軍事機密の一つになっている。市販されているものは、五年ほど前のタイプだ。俺もそれを使って手痛い目に遇《あ》ったことがある。
「いい話を聞かせてもらった」と、俺はグラスに口をつけたシャ・バックに言った。
「バトリング、やるのか」と、シャ・バックが目元を赤くして言う。クエント人は酒が弱いというのは本当らしい。「言っておくが、軍のレベルじゃ勝てない。何しろ、強者|揃《そろ》ってる。しかも、A・T、操縦にクセがある」
「そうかい」と俺は軽くあしらった。「一杯もらえるか」
シャ・バックは新しいグラスに酒を注いだ。俺はチビリチビリ、グラスを舐《な》めた。シャ・バックには酒を勧めながらだ。
シャ・バックが酔い漬れると、俺は部屋の扉を開けてまわった。一つ目の扉はそのまま外に通じる出口だった。そして、もう一つの扉を開くと、そこはガレージになっていた。
ガレージの中央には、青く塗装されたA・T、ベルゼルガが、両脚を後方にまわして降着している。
俺はベルゼルガの傍に駆け寄った。
シャ・バックが酔い潰れているうちに、こいつを奪うつもりだったのだ。こいつを手に入れれば、どの街に行っても勝てる。そんな確信があった。たとえ、パワーが六〇パーセントにダウンしているといっても、ベルゼルガは元来、並のA・Tの一・二倍の出力を持つ。
シャ・バックには助けられた恩がある。自分自身情けないとも思う。だが、強い武器が必要なのだ。
俺は、ベルゼルガのハッチに軽く手を掛けた。その時だった。
「ケイン!」と、言う声とともにシャ・バックが現れたのだ。
血が逆流した。
「ケイン、お前にベルゼルガ、扱えない」
「お前、酔った振りを……」
俺は歯噛みした。
「お前、本当にバトリングやりたいようだな。口先で言う奴、多い。だが、そんな奴、逃げ出すのが関の山。だから俺、酔ったふりした」
シャ・バックがニヤリと笑った。
「俺、仲間探している。お前、仲間なれるか」
と、奴が訊いた。
「俺にはA・Tがない」
「任せろ。試合も俺、組んでやる」口元をほころばせて奴は言った。「こっち、来い。飯喰おう」
「済まない……」
俺は心の底からそう言うと、元いた部屋に戻った。
「これ喰うか」と、シャ・バックが俺の眼の前に食い物を差し出した。烏という食用動物に似た姿をしている。表面はブツブツと毛穴が開いている。
俺はそれを奪い取るようにして、かぶりついた。何しろ二日間、何も喰っていないのだ。
「料理するとうまい……」
シャ・バックが何か言っていたが、聞こえはしなかった。俺は一匹丸ごとたいらげ、
「こんな物が食えるのも、お前に巡り会えたのも、運命の神のおかげだな」
と、生まれてこのかた使ったことのない言葉を口にした。
だが、それがまずかったのだろうか。肉に当たったのか、俺はそれからひどい下痢に悩まされた。
こうして俺はバトリングを始めるようになった。
コボトの街のバトリングはすべて、路上で行われた。と、言ってもバトリング初期の八百長形式《ストリート・ファイト》のものではない。会場は街の三カ所、周辺を高いビルが囲んだ十字路で主に開かれた。
俺とシャ・バッグは、最も東にあるクエーバー通りをテリトリーとしていた。
クエーバー通りの角に当たる所にウィンビィという飲み屋がある。マッチメーカーはここで賭札《チケット》を売り、賭けをやっていた。
A・Tを持たない俺は、主にシャ・バックが契約を結んでいるマイル・コムという女マッチメーカーから、STトータス系のノーマルなA・Tを借り出した。
使い慣れたドッグ系のA・Tの方が良かったが、マッチメーカーはあまりドッグ系を好まない。
ドッグ系は|M《ミッド》級、トータス系は|H《ヘビィ》級である。賭けは|H《ヘビィ》級の方が人気が高い。フィルの事務所には、一台もドッグ系のA・Tはなかった。
フィル・コムは、艶《つや》のある長い黒髪を後ろで束ねていた。年の頃は二六、七。色白で細目のプロポーションは傍《はた》目《め》にはいい女だという印象を与えるが、俺は人の内側を見透かすような彼女の視線が嫌いだった。
確かめたことがあるわけではないが、フィルとシャ・バックは、まあ深い関係にあったようだ。
本来ならば、クエント人が異星系の女と接することはない。彼らは極めて血の混合を恐れるからだ。シャ・バックはクエント人としては異端者と言えるだろう。だが、停戦しても故郷へ帰らないような男だ。異様だとは感じなかった。
そのシャ・バックと出会って一〇日目、俺は初のバトリングに挑んだ。
確かにクエーバー通りにトータスを駆って出るまでは緊張した。A・Tに乗るのも半年ぶりなので、戸惑いもある。だが、通りに着く頃には、俺は度胸を据えていた。
ともかく、俺にはA・Tという武器があるのだ。あとはあらん限りの技術を投入して勝つだけだった。
対戦相手は、これもまた|H《ヘビィ》級のA・Tだった。リングネームを、ラッキー・ストライクという。俺の機種と同じSTトータスだが、バトリングに合わせた改造を施してあった。外見が三角形の頭部装甲を三重にし、左右の肩の装甲板に二本ずつ先端を鋭く研いだ突起を装着しただけのものだが、問題は内部だ。
これは対戦してみて初めて判ったことだが、奴のA・Tは規定違反の改造を施してあったのだ。
バトリング、殊に格闘戦を行うレギュラーゲームでは、A・Tの基本装備以外の武装は禁止されている。つまり、STトータス系のA・Tならば、胸部の一一ミリマシンガンは取り外され、使用できる機構は左方の伸縮式の腕――アームパンチと、脚部に内蔵されたグライディングホイールのみだ。それ以外はすべて規定違反となる。
また、アームパンチの伸縮幅《ストローク》延長など、A・T自体のサイズアップを目諭んだ改造も禁止されている。
それでいて、グライディングホイールの出力アップや、アームパンチ射出用の液体カートリッジ装弾数を増やすことは、何ら問題はないとされていた。
だが、この街では違反は発覚しても、試合にストップが掛かることはなかった。所詮は客相手の試合である。要は客を楽しませればよいのだ。
規約違反のA・Tがいることを、シャ・バッグから聞いてはいたが、まさか、最初の試合からそんな奴と当たるとは思ってもいなかった。
試合開始と同時に、俺は反則攻撃を受けた。ラッキー・ストライクが、かつて一一ミリマシンガンを装備していた胸の部分――ちょうど二つ穴が開いたように見える部分から、鋼鉄の杭《くい》を撃ち出したのだ。
俺のA・Tは、射出された杭に爪先を貫かれ、そのまま地表に貼りつけられた。A・T自体が本来の出力を発揮できれば、それからはいともた易く脱出できたはずだ。だが、軍の放出品を整備しただけのA・Tでは歯がたたない。幾らアクセルペダルを踏み込んでも、事態は好転しなかった。
だが、奴の攻撃をかわしつつ、機体を沈めてA・Tに杭を抜かせた俺は反撃に移った。そして、セオリー通り、ローラーダッシュからアームバンチヘとつながる攻撃を仕掛けたが、一切それは通用しなかった。
奴は二度目の反則攻撃を行った。目潰しである。奴の右腕から射出されたペイントのため、俺は視界を失った。同時に五発のアームパンチを腰に受け、俺は地に伏したのだった。
俺にとって、コボトの街での第一試合目は惨敗でしかなかった。今でも、試合後にラッキー・ストライクのパイロットが吐いた捨て台詞《ぜりふ》は耳から離れない。
手前なんざ、カスだ。ガキが一人前にA・Tに乗るんじゃね
それと同じように忘れられない事がある。試合後、俺は三人の男に囲まれ殴る蹴るの暴行を受けたのだ。どうやら俺に賭けていた連中らしかった。
そのため顔を青アザだらけにした俺は、その三日後、ラッキー・ストライクに再び戦いを挑んだのだ。
今度は俺も規定違反の装備を準備した。目には目をである。
そして、俺は勝った。右腕の内部に装着した射出式のチェーンが功を奏したのだ。チェーンは奴の両足を搦《から》めとり、俺にアームパンチで止《とど》めを刺させたのだ。
反則を行ったとしても勝利に変わりはない。俺は最高の気分だった。
だが、その俺の行為にシャ・バックが激怒した。
奴はこう言った。バトリングは力だけの勝負ではない。高度な技術と、適確な判断力が勝利ををもたらすのだ――と。
それに俺は反駁《はんばく》した。バトリングは小賢しい商人どもがやる試合ではない。戦うことしか知らぬボトムズ乗りが命を張って勝負する戦闘だ。そうだ。バトリングが戦闘だと言ったのは当のシャ・バック本人ではないか。
俺にとっては戦闘とは力こそがすべてだった。
だが、俺が反則を使いつづけたのは、そう長い間のことではない。反則《チェーン》を使っても俺は敗れ始めたのだ。しかも、正統派のノーマルなA・Tにだ。二度、三度、と敗戦が続いた。A・Tの性能ではない。すべて、対戦相手が技術で勝っていたのだ。
腹立たしかった。そして、俺は落ち込んだ。俺の持っていた戦いの論理は粉々になるまで砕かれた。
そんな頃の話だ。俺はやめろというシャ・バックの制止も闘かずに、リアルバトルに出場した。
リアルバトルとは銃器を用いて実戦さながらの戦闘を見せるバトリングの一種目だ。
俺はトータス専用のヘビィマシンガンを使用する試合を選んだ。勿論、理由もなく出場することを決めたわけではない。実戦レベルの勘を取り戻すため選んだ手段だった。
対戦相手はブラッディ・ダンというリングネームのトータス系A・Tだった。機体はほぼノーマルで、全身を赤く塗装していることが最大の特徴だった。
だが、俺は奴の機体が本物の血を混合したペイントで塗装されているなど、考えてもみなかった。そうだ、奴は倒した相手を必ず殺し、その血を戦利品としていたのだ。
そして、この勝負にも俺は敗れた。
機体の両腕を奪われ、マッスル・シリンダーは完全にオーバーヒートした。俺の機体は微動だにできぬところまで追い詰められていた。
奴はそんな俺の機体、それもコクピットに銃口を向けた。間違いなく銃口はコクピットの中の俺を狙っていた。
その峙だった。シャ・バックのベルゼルガが乱入してきたのだ。ベルゼルガはダンのA・Tからヘビィマシンガンを叩き落とすと、ダンをパイルバンカーで貫いたのだ。
客は思わぬ飛び入りに狂喜した。だが、結局、俺たちは一万ギルダンという破格の違約金を支払うこととなった。勿論、負け続きの俺にそんな金はない。シャ・バックが全額を支払った。
そして、シャ・バックはこう言った。
「お前殺そうとする奴いれば、俺、そいつと戦う。お前殺されれば、俺、仇討つ」
「何故だ、何故俺にそんなにしてくれる」
俺は訊いた。今の時代、たとえ肉親であっても庇《かば》おうとする者はいない。だが、奴は俺に金を稼ぐ術を与え、その上、俺の身を守ろうとする。そんな奴の姿が、俺に戦争の始まる前、人がまっとうに生きていた時代を想起させてくれたことは確かだったが、常識で考えられることではなかった。
「お前、俺の仲間、そしてお前、何か感じさせる」
シャ・バックがポツリと言った。
「何を感じるというんだ」
「お前、ベルゼルガの名前、どうしてついたか知っているか?」
「いや、知らない」
「ベルゼルガ、クエントの伝承《むかしがたり》にある名前だ」
そう前置きすると、シャ・バックは淡々と語り始めた。
かつてクエント星には異能者と呼ばれる民族がいた。だが、この民族を大半のクエント人が忌《い》み嫌っていた。その連中をクエントから追い払ったのが、ベルゼルガなる者だった。
ベルゼルガは狂暴極まりない戦士だった。そして、すべての物を破壊へと導いた。それ故、破壊を目的とした兵器A・Tにベルゼルガの名がつけられるようになったという。
そして、ベルゼルガに追い払われた異能者たちはアストラギウス銀河の各地へと散り、滅んだといわれる。
だが、シャ・バックの調べた所によると、生体的に機械への順応速度の極めて早い異能者は、個体数は少ないながらもアストラギウス銀河の各地に点在しているという。
彼らは今では孤独な種族だった。
そして、シャ・バックもその一人だというのだ。シャ・バッグは、異能者の秘密を停戦直前に知り、自らその能力に目覚めたという。それも、元来持っていた能力が突然表面化したのだ。
シャ・バックは、それと同様の素質を俺に見たという。
このメルキア星に二人しかいない仲間は肉親以上の意味を持つ。それ故、俺を助け、異能者としての目覚めを待っているのだという。
「何故、俺が、そんな得体の知れない人間と判る?」
俺は反駁した。
「お前の認識票、見た。それと、俺の助だ」
確かに認識票には個人データが記憶されており、そいつを軍が、部隊や任務を決定する材料にしていろことは判っている。だが――
「お前、屍隊を除隊になった時のこと、憶えているか」
「あれか、あまり想い出したくはない」
「そうだろう。お前あの時、民間人も含めて二千人の人間皆殺しにした。だからお前、隊から外された。屍隊、本来、|兵士の掃討《ヽヽヽヽヽ》を目的とした部隊だ」
「そうだ。あの時は俺自身何が何だか判らなかった。原因はもう覚えていないが、自分の中に、もう一人人間がいるというんだろうか……そいつに支配されているという感覚だった」
「だが、その時のお前、異能者以上に機械を扱っていた。もし、今のお前がそうでないとしてもだ。もし、お前異能者ならば、凄い力、手に入れることができる」
「力? どうやれば手に入る」
「今のお前では無理だが、然るべき後、俺のベルゼルガに乗れ。それに、俺たちを狙っている、俺たちに似たグループがある。そいつらの秘密探ることで、俺も異能者の力、手に入れた」
「異能者に似たグループ?」
俺の問いには答えず、その時、シャ・バックは俺の手を掴み、涙を流した。
「お前ともかく、生きていてよかった」
俺の無事を喜ぶ心からの涙だった。
その頃からだ。俺にとってシャ・バックは最も信じられる友となっていた。
そして、五度目の敗戦を機会に、俺はシャ・バックに頭を下げた。俺にとって頼れる者は奴をおいて他になかった。
そんな俺に、シャ・バックは幾つもの技を教えてくれた。
直進しか出来ないローラーダッシュで、いかに進行方向を制御するか。機体の重心を移し、バランスを失って転倒する直前にグライディングホイールを空転させるのだ。機体は横滑りを起こすが、この際のバランスの取り方が最大の問題となる。姿勢制御はコンピューターに頼るな。自分の全知覚を充分活用しろ。
次々と俺はシャ・バックから技術を譲り受けた。そんなシャ・バックが常々言いつづけていた事がある。
A・Tと一体化しろ
ということだった。
そして、バトリングを始めて半年が過ぎた頃、俺は群を抜く実力を備えるようになっていた。
様々な相手と戦った。STトータスの胸に巨大な牙を装着し、それで噛み砕こうとする者もいれば、スコープドッグの肩を赤く染め、戦時中、一騎当千の強者と恐れられたレッド・ショルダー部隊の生き残りを名乗る者もいた。
だが、その中に俺を狂喜させるほど手強い奴はいなかった。
俺は徐々に精神的な乾きを感じるようになった。あの、煙草を吸い過ぎた時の様に、充分水を飲んでいて身体は満足しているのに、何故か口の中だけはカサつく。そんなもどかしさだ。
今の俺は相手の表情を見ただけで強さが判る≠ニいうレベルまで達していた。必ず勝てるという保障のある試合など味気なかった。
俺は強い敵を求めていた。
だが、それは幾度戦っても現れなかった。そうだ、あのシャ・バックを除いては一人もだ。
いつの間にか、俺の中に凄《すさ》まじいシャ・バックヘの闘争心が生まれ始めていた。
そんなある日、女マッチメーカーのフィル・コムが俺の前に現れ、こう言った。
「タッグマッチ、挑まれているんだけど……シャ・バックは嫌だっていうのよ」
小さめだが、肉の厚い唇が乾き切っていた。よほどシャ・バックと口論をつづけたのだろう。
「奴が嫌がる? そんなに強い奴なのか」
「そう、相手の名前を聞いたとたんに嫌だと……」
フィルが首をすくめると、黒い髪がサラサラと音をたてた。
「何て奴だ」
「|黒き炎《シャドウ・フレア》。見たこともない黒いA・Tに乗っていて、強いらしいわ。臆したのかしら、シャ・バック……」
俺の身体の内に、言い知れぬ興奮が湧き起こってきた。
「フィル、契約しちまえ。俺がシャ・バックには話をつける」
思わず、そう叫んでいた。シャ・バックが恐れるほどの強敵ならば相手にとって不足はない。
「判ったわ、すぐ話をつけてくる」
フィルはそう言うと、シャ・バックの塒を出ていった。
俺はガレージでベルゼルガの前にたたずむシャ・バックに説得を開始した。
「受けたぜ、あの勝負」
だが、奴は何も答えない。
「|黒き炎《シャドウ・フレア》……お前、そんなに恐ろしいのか」
「いや、そうではない」
シャ・バックが振り向いた。その顔には明らかに恐怖……と、いうよりも宿命と必死で戦おうとする者だけが持つ、悲憤な表情が浮かんでいた。
「ケイン……異能者のこと、憶えているか」
シャ・バックは柄にもなく弱々しい声で言った。
「そんな話を聞いたな」
「ところで、お前、何か身体に変わったこと、ないか」
シャ・バックがじっと俺の目を見た。感情を押し隠すことを美徳とするクエント人にしては、珍しくその目は鋭かった。
「何も……」俺はそんな奴の言葉を気にも留めずに言った。「それより、今俺が聞きたいのは、奴とやるかどうかだ」
「手《て》強《ごわ》いぞ、下手をすれば死ぬ。奴の噂知ってるか」
「いや、知らない」
「リアルバトルにしか奴は現れない。そして、戦った相手は皆死んでいる」
そうか、リアルバトルか。俺にとっては二度目の体験になるが、再びやる日が来ると思い、日々A・Tを用いた銃撃の訓練は絶やしたことがない。
「面白ェじゃないか」
俺は一人ほくそ笑んだ。
「判った。試合《や》ろう」
シャ・バックは渋々試合をのんだ。そしてこう呟いた。
「遂に奴とやることになったか……」
|黒き炎《シャドウ・フレア》とのリアルバトルの当日になった。
俺とシャ・バックは、例によってクエーバー通りの角にある、オレモダビールの看板の下にA・T運搬用のトレーラーを止め、試合開始を待っていた。
そこへ一人の男が現れた。
俺を陥れようとしたマッチメーカー兼スリの元締め、クウ・ライヤーである。
奴は俺を睨みつけると、こう言った。
「ケイン、半年前の借りは返すぜ」
「あんたが、|黒き炎《シャドウ・フレア》のマネージャーをやっていたのか」
「いや、呼び寄せたんだ。お前を殺《や》るためにな」
奴は歪んだ口元に薄気味悪い笑いを浮かべた。
反対側の通りから、A・Tの走行装置グライディングホイールの咆哮がふたつ聞こえた。
「来たようだな」と、ライヤーが言う。
俺とシャ・バックは、各々のA・Tに乗りこんだ。俺がノーマルのトータス。シャ・バックは言わずと知れたベルゼルガだ。
その時だった。
「ケイン」と、トータスのコクピットを開いた俺にシャ・バkックが声を掛けた。「こいつを持っていてくれ」
トータスの脇に立ったシャ・バックが一丁の銃を差し出した。それは、バレルの下部に弾倉を持った大型拳銃、アーマ・マグナムだった。
「今頃、何故こいつを持っているんだ。停戦前に廃止されたはずだろう」
「軍から放り出される時、持ってきた」と、シャ・バックは言った。「お前にやる」
「何故!?」と、問うたが、シャ・バックは何も答えずにベルゼルガに駆け戻った。
シャ・バックがベルゼルガに飛び乗った時だった。
わあっと言う喚声とともに辺りを囲んだ人垣の一角が崩れ、二機のA・Tが現れた。
どちらもともに黒い塗装を施している。一機は|M《ミッド》級A・Tのドッグタイブを改造したものだとすぐ判った。三連のターレットレンズをロールバーで囲んだだけだ。俗に|STR《ストロング》バックスと呼ばれているタイプだ。
もう一機の機体は初めて見る型だった。トータスのボディにドーム状の頭部が装着されている。だがその頭部にはA・Tの眼ともいえるスコープレンズはなく、ただ縦長のセンサーが一基装着されているだけだ。しかも左腕には銀色に輝く巨大な鉄の爪――確かアイアンクローと呼ばれる類の兵器だが、実際見るのは初めてだ――を装備している。
奴らは速度を緩《ゆる》めることもなく、突進してくる。
俺はアーマ・マグナムを懐にしまうと、トータスのコクピットにひらりと飛び込んだ。
俺とシャ・バックは、ほぼ同時にA・Tの操縦桿を立てた。滑らかな音を立ててハッチが閉じる。脚を後方に折り曲げた降着姿勢から立ち上がったのも、ほぼ同時だった。
だが、そこへ黒く塗装されたA・Tどもが急接近するグライディングホイールの金切り音が迫った。
ゴーグルを目に当てて確認すると、アイアンクローを装備した方が、俺の眼前で足元から火花を散らしている。
――衝突させるつもりか――
俺は黒いA・Tがギリギリまで迫るのを待ち、ホイールアクセルを思い切り踏み込んだ。充分機体のバランスを前方に傾けてだ。
グライディングホイールが足下で悲鳴をあげる。コクピットを横殴りのGが襲った。
と、同時にモニターに映し出されたクエーバー通りの街並みが流れ、黒いA・Tの姿が後方へと通り過ぎた。
俺は機体を急旋回させ、突進をかわしたのだ。噂ほどじゃない。その機体もこけ脅しか――と思った時、「うわっ」と、いうシャ・バックの悲鳴が通信器から飛び出した。
「どうしたッ」
俺はマイクに向かって叫び、首をベルゼルガのある左側へとねじった。
モニターに映し出された画面が切り換わり、STRバックスの手の甲から伸びたワイヤーにからみつかれたベルゼルガの姿が映し出された。
「反則じゃねえか!」と、俺が叫んだ時だった。
「ケイン、後ろだッ」と、シャ・バックの声が入った。
「何ッ!?」
俺は振り向き、素早く操縦桿を限界まで操作する。がそれより一瞬早く、金属を切り裂く甲高い音とともに鋭い衝撃を背中に感じた。黒いA・Tのアイアンクローが炸裂したのだろう。
それに遅れること〇・五秒。機体が旋回すると、モニターに映ったものは黒いA・Tの赤く輝くセンサーだけだ。
「野郎ッ」と叫び、アクセルペダルを踏み込んだが、もう遅かった。真正面にあるコクピットハッチに閃光が走る。アイアンクローの一閃《いっせん》だ。
だが、機体はグライディングホイールの駆動力を受け、前方に移動を始めた。そのまま機体が激突する。そして、俺は信じられぬ光景を目にした。黒いA・Tの胸に配されたバンパーの辺りがハッチの裂け目からコクピットの中へめり込んでくるのだ。めきめきと音をたて、厚さ一八ミリの装甲板が盛り上がる。と、同時に辺りの歓声が流れこんできた。
次の瞬間、振動とともに身体が前に傾いた。眼前にあった黒いA・Tのバンパーを掴んでバランスをとる。俺の機体が黒いA・Tに覆い被さるように倒れたのだ。
この状態ならば、と、勝機を見出した俺は操縦桿を操作し、その上のトリガーを押した。
STトータスの右腕がヘビィマシンガンを黒いA・Tの脇に突きつけ、引き金を絞る様子がモニターに映る。が、それが突然、真っ白く輝いた。
轟音とともに、コクピットの右側、ちょうどSTトータスの肩のあたりがごっそりと失せた。
暴発だ。黒いA・Tはトータスが引き金を引く寸前、機体を銃口に押しつけたのだ。しかも、奴の機体には傷一つない。
黒いA・Tの右拳がモニターの中に映った途端に、モニターの映像が失せた。
俺はゴーグルを外した。モニターが死んだ今、もう用はない。
が、その時、俺の機体が軋み始めた。シートが水平に戻り始める。黒いA・Tが頭部を掴んだまま、俺の機体を反り返らせているのだ。俺は両手の操縦桿を押し倒し、必死で抵抗させる。
コクピットの中には、水蒸気が漂い始めていた。マッスル・シリンダー内のポリマーリンゲル液がオーパーヒートを始めたのだ。
それも構いはしなかった。たとえ俺が自滅したとしても、ここで俺が黒いA・Tを倒しておけば、シャ・バックの負担は小さくなる。いや、俺はそんなことよりも、この化け物じみた強敵と出会えたことを喜んでいた。
シートがほぼ水平に戻った。必死の抵抗も空《むな》しく機体が垂直に立てられたのだ。凄まじいパワーである。従来のA・Tにこれほどの能力差があるわけはない。
俺がSTトータスの左腕に最後の攻撃を命じた時だった。黒いA・Tがアイアンクローを装着した左腕を振り上げた。
アイアンクローが煌く。
俺はSTトータスの左腕に、アームパンチの作動を指示した。低い爆裂音とともに、肘から先が黒いA・Tの脇腹目指して伸びる。
その時、頭の辺りで風が流れた。炸裂音とともに、頭上を覆っていたコクピットハッチがむしり取られた。黒いA・Tのアイアングローが一掃したのだ。
奴は立て続けにアイアンクローを打ち下ろす。反撃に移る間などない。見る間にコクピットの外壁が切り刻まれ、失《う》せる。
恐怖とは今の事態を指す言葉に違いない。抵抗する術を失った俺は、ただ破壊される瞬間を待つだけだった。
奴がアイアンクローを真上にかざし、叩きつけるように振り下ろした。鋭角的に研ぎあげられた切っ先が鋭く空気を切り裂いて、眼前に迫った。その時だ。俺は横から飛び込んできた何かに突き飛ばされた。
ベルゼルガだ。シャ・バックのベルゼルガが、バックスの機体を引き摺りながら体当たりしてきたのだ。
俺はもんどり打って路上の観客の人垣の前に転がり落ちた。そして、その目でベルゼルガのハッチにアイアンクローが喰い込む瞬間を見た。
アイアンクローがハッチに突き立つと、一瞬、閃光を発して塗装の一部が燃えた。アイアンクローはそのまま機体の前方に二本の鋭い傷口を植えつけたのだ。それはまるでスローモーションのフィルムを見るかのように鮮明であった。
「シャ・バック!」
俺はそう叫ぶと腰のホルスターからアーマ・マグナムを抜き、駆け出し……は、しなかった。女マッチメーカーのフィルが、背中からしがみついていた。
「何をするッ」
「止《や》めなさいッ」と、フィルが背中で叫ぶ。「あなたのA・Tは負けたのよ。今、そんな物、持って出たら、規約違反になるわ」
「だが、奴らも反則を……」
「馬鹿ッ!」と、フィルの言葉が遮った。「あの人は規約違反を嫌うわ。あなたが出ていって勝利を掴んだとしても、あの人は喜びはしない」
「反則だけなら、何もこんなことはしない」俺は焦燥に駆られて叫んだ。「奴らは気違いみたいに強いんだ。いくらシャ・バックでも二体が相手じゃ手に負えない」
だが、フィルは毅《き》然《ぜん》とした態度でこう言った。
「それは判ってるわ。でも、シャ・バックは試合を放棄してはいないのよ。それは勝てる見込みがあるからでしょ。クエント人は無謀な戦いはしないわ。勝てないと思うのなら、間違いなくあなたのA・Tがやられた時点で放棄してるはずよ……それとも、あなたシャ・バッグが負けるとでも思っているの!?」
俺は言葉に詰まった。
「あの人は、あなたと比べれば桁外れに強いのよ。負けるはずがないわ」
そのフィルの言葉は、何やら自分自身を落ち着かせるために吐かれたもののような感じがした。
だが、案ずることはないようだった。シャ・バックのベルゼルガは全身に蛇のように絡みついたワイヤーを引きちぎり、立ち上がったのだ。
勇壮に両腕を左右に開き、腰の辺りで拳を鋭く震わせる。そのまま流れるような動作でヘビィマシンガンを構える。
しかも、A・Tの基本ブログラムに記憶された射撃姿勢ではない。左腕に装備されたパイルバンカーが銃身と平行になるようにだ。
ちょうど眼前の敵に対して機体は真横を向く。ローラーダッシュの出来ない横向きで敵と相対するのは、本来タブーとされている。だが、これはシャ・バック得意のファイティングポーズであり、一撃必殺を意味するものだった。
そこへ、黒い二体のA・Tが怯《ひる》みもせず突進した。パイルバンカーの真正面からだ。ベルゼルガのヘビィマシンガンの銃口が火を噴き、俺はシャ・バックの勝利を確信した。
その時だった。黒いA・Tの足元から火花が散ったかと思うと、奴の機体が並のA・Tの三倍の速度はあろうかという高速で移動し、ヘビィマシンガンを宙に払った。
素早い動作だった。並のA・Tの走行速度は四〇キロ、俺やシャ・バックがいかに巧みに機体を駆使しても六〇キロが限界だ。その倍以上のことを奴はやってのけたのだ。しかも驚くほどの急加速で。
フィルが、顔を俺の背に押しつけてきた。辺りに凄まじい軋み音が響いたのだ。それはまさにA・Tの悲鳴とも聞きとれた。
そうだ。あの黒いA・Tが、ベルゼルガのハッチに開いた傷跡にその鋼鉄の指を差し込み、無理矢理コクピットをこじ開けたのだ。
だが、コクピットの中に座ったシャ・バックは少しも怯《おび》えてはいなかった。シートに背を張りつかせ、不動の姿勢をとっていた。シャ・バックは運命を従容《しょうよう》と受け入れるかのように、コクピットの中に突き入れられたバックスの腕に捕らえられた。
バックスが、シャ・バックを掴んだ右腕を素早く、黒いA・Tの前に突き出す。黒いA・Tが、ゆっくりとその右腕に持った黒光りするヘビィマシンガンの銃口にシャ・バックを捕らえた。
それでも、シャ・バックの表情は変わらない。
バックスがシャ・バックから手を放し、黒いA・Tのヘビィマシンガンが咆《ほ》えた。
幾らクエント人が異人種だといっても、所詮は人間だ。一一ミリの弾丸が身体を通過すれば、その瞬間即死だ。だが、黒いA・Tのヘビィマシンガンから撃ち出された弾丸は、約一分間、シャ・バックの肉体を這いまわったのだ。その間、シャ・バックは悲鳴もあげず宙を舞いつづけた。大半の肉がちぎれ、手足が付け根からもぎ取られ、辺りには血煙が散った。
そして、ヘビィマシンガンの銃口から火が消えた時、シャ・バックは地に落ちた。二メートルを越す巨体が、五、六歳の子供のそれと同じほどしか残されていなかった。
地に落ちたシャ・バックの亡骸《なきがら》を、バックスが、太い鋼鉄の脚で踏みつけた。
瞬間、二度と耳にしたくない音がした。
シャ・バックの頭骸骨が砕ける音だ。
俺は喚いた。背中で嗚《お》咽《えつ》を洩らしているフィルを突きとばし、駆け出した。二体のA・T目指してだ。
俺は、思いA・Tの縦長なセンサーに向けて、握り締めたアーマ・マグナムを振り上げた。
その時だった。思いA・Tが突然ハッチを開き始めたのだ。俺は躊躇《ちゅうちょ》し、立ち止まった。
コクピットの中が次第にその全容を現す。そこには計器類の淡い照り返しを受け、男が座っていた。ヘルメットは付けられていない。
がっしりした肉体に漆黒の直毛。輪郭ははっきりしないが、両眉の間にある黒子《ほくろ》は奴の神秘性をいやがうえにも引きたてていた。そして、すべての感情を打ち消したような目。何人をも取り込んでしまえるほど、深い、漆黒の瞳だ。
その奴の目を見た瞬間だった。俺は身体が硬直したように動かなくなった。まさに金縛りにでも遇ったような感覚だ。
その黒いA・Tの横に、ハッチを開いたバックスが歩み寄ってきた。コクピットには憎々しい顔の黒人が座っていた。黒人は黒いA・Tのパイロットに、チラと目をやり、こう言った。
「おい、若ェの、死なずに済んでよかったな。この方と試合《や》って生き残ったのは、あんた一人だぜ。まあ、そこでくたばっている野郎によく礼を言うことだな」
低く、嘲《あざけ》りを含んだ声だった。
言い終わると、奴らはハッチを開いたままA・Tを歩かせ始めた。ゆっくりとだ。そして、黒いA・Tのパイロットが氷のような無表情さで俺の横を通り過ぎた時、俺は身体を硬直させていた呪縛《じゅばく》から解放された。
今ならばあの黒いA・Tを後方から狙い撃ち出来る――と、意識は叫んでいた。だが、俺は動くことは出来なかった。
眼前の路上に横たわるシャ・バックの遺体、それも今は原形を留めておらず、路面にこびりついた血溜まりにしか見えない亡骸が俺の目を捉えて放さないのだ。
「シャ・バック……」と、言葉が洩れた。
アーマ・マグナムを握りしめた腕がわなわなと震え始めた。俺はありったけの呪《のろ》いの言葉を吐き、|黒き炎《シャドウ・フレア》との勝負を受けて立った自分の迂《う》闊《かつ》さを嘆いた。
いつしか喉の奥から慟哭《どうこく》が溢れ始めていた。生まれて初めて目から流れ出す熱いものを感じた。親兄弟を失った時でさえ、こんなものを流した憶えはない。
凄まじい喪失態が体中を走った。血が爪の先からすべて流れだすような感覚だ。
シャ・バッグは俺にとって唯一信じられる友であり、最大の強敵だった。言い換えれば、戦後俺が身につけていった人間的なもののすべてだった。
それが一瞬のうちに消え失せたのだ。
目から流れ出したものが、すべて乾ききった頃、体の芯が熱くなり始めた。それは、唯一俺の中に残ったものなのかもしれなかった。
――そして、俺は咆えた。
それ以後、俺は復讐に燃える一匹のボトムズ乗りとなった。
俺は友の形見のベルゼルガを駆って街々を渡り歩いた。
黒いA・Tの消息を求めての旅だった。一つの街での滞在期間は約一週間ぐらいだ。俺はそこで二、三度バトリングをやる。レギュラーゲームでも、リアルバトルでもだ。勿論、日々の喰いぶちを求めるためでもあったし、黒いA・Tとの戦闘に備えてベルゼルガを改修するためでもあった。
そして、シャ・バックの死から半年の問、俺は勝ちつづけた。人は、そんな俺を青く染めあげられたベルゼルガの機体から|青の騎士《ブルーナイト》≠ニ呼ぶようになっていた。
[#改ページ]
CHASE 3 ARG
[#ここから3字下げ]
――雑踏――
或る者はしたたかに
或る者は古い時代を懐かしむかのように
そして、錆び付いた鉄骨の下に
奴の蠢く姿があった
アグ――
戦争に飼い慣らされた悪鬼共の巣喰う街
[#ここで字下げ終わり]
ダラの街で最後のバトリングを終えた俺は、その日の夕刻アグの街へと辿《たど》りついた。
ベルゼルガのミッションディスクが記憶したメルキア星の地形情報を頼りに、ジープを約半日走らせ続けたのである。
ベルゼルガは前オーナーのシャ・バックの手によってかつてこのメルキア星で戦闘行動を行ったことがあり、そのため、コボトを中心とした半径二万キロの地形情報を持っている。それ故に、俺も街々を巡り歩くことができるのだ。
ダラから北に約二百キロ。辿りついた頃には予備燃料として積みこんであった三リットル入りのジェリ罐五本のガソリンも空になっていた。
アグの街は辺りを砂と岩塊に囲まれた、巨大なクレーターの中にあった。
メルキア星はその表面、殊にかつて工業都市の集中していた北部に数多くのクレーターを持つ。
大半が百年戦争当時、バララント星域軍の攻撃によって作られたものである。
だが、データによるとこのクレーターは停戦の数年前、軍事施設が大事故を起こして誕生したものらしい。アグは、それを利用して停戦直前に作られた階層都市である。
階層都市とは、クレーターの開口部に蓋《ふた》をし、その内側を居住空間として利用したもので、メルキア星独自の都市構造だった。通常、居住空間を幾つかの階層に仕切り、その各《おのおの》を地表として建造物が立ち並ぶ。
アグはその階層都市のなかでも比較的規模が大きく、直径約一〇キロ、深さ三キロのクレーターの中に三階層の都市が含まれている。
このクレーターは外周の四カ所にだけ内側の都市に通じる通路がある。俺はその南側のゲートからアグの街へと入った。
岩肌を露出した長いトンネル状の通路を抜けると、眼前に整然としたアグの街並みが広がった。
街の中央から放射状に大通りが延び、その通りに沿って背の高い建造物が立ち並んでいる。それらは所々橋を架《か》けたように通路で繋《つな》がれ、まるで都市全体が一個の建造物のような印象を与えている。
だが、この街も百年戦争の傷跡をなまなましく残していた。
かつて天井部分にまで届いていたであろう建造物は、一様に鈍器で打ち砕かれたように上半分を失い、無残にも上端から折れ曲がった鉄骨をはみ出させている。その名残で、都市の天井からも下の建造物に手を差し伸べるかのように鉄骨が垂れ下がっている。中にはまだ原形を留め、必死で天井にしがみついているものもある。
今にも崩れ落ちそうな天井は、都市開発途中で中止にでもなったのだろうか、中央部分は完全に閉じられておらず、その隙間からは夕日に赤く染まったメルキア星の空が見えた。
ここはアグの街≠フ最上階に位置する都市なのだ。
俺はジープを南ゲートから街の中央に向かって真っ直ぐ延びる大通りに乗せた。
屈曲した鉄柱の先で錆びついている標示板によると、この大通りはレイトン通りというらしい。かつては街の主要幹線として栄えていたのだろうが、今では見る影もない。多分戦時中最も攻撃の激しかった地区なのだろう。辺りに人の気配はなく、路上には瓦《が》礫《れき》がうずたかく積もっている。
瓦礫の山を絶妙のハンドリングでかわしてレイトン通りを抜けると、突然、二〇メートルほど前方の路面が消えた。
とっさに急ブレーキを掛ける。ジープはタイヤの焼ける嫌な匂いをたてながら、その直前で停止した。
この第一階層の中央部分も、天井よろしく完全に閉じられてはおらず、直径約五〇〇メートル程度の風穴が開いているのだ。
その風穴を通して地下からはムッとくる熱気が立ち昇っていた。メルキア星北部には火山帯が数多く存在し、地熱を利用する都市も多いと聞いている。アグもそんな都市の一つなのだろう。
ゲートを抜けた所にあった検問所で訊いたところによると、この街の闘技場《リング》は第二階層にあるという。
俺は風穴の縁沿いにジープを走らせ、第一階層では唯一天井を支えるようにそびえ立ったメインタワーに入った。
メインタワーはアグの街を一直線に貫いており、各階層同士の往来には大半がこのメインタワーが用いられている。そのため、タワーの周辺には都市の政治、経済に関する主要施設が集まっている。
ジープごとメインタワーの脇にある大型荷物用エレベーターに乗り込み、第一階層の地表面から第二階層の地表面まで一気に降りる。エレベーターといっても、まさにゴンドラとでも言うべきもので四本の支柱と床板だけで構成されていた。
約三分間で一キロほど下降した。耳がツーンと痛くなる。そして、下降するに従って気温は上がっていき、第二階層の地表あたりはうすら寒い第一階層と比べると、五度ほどの気温差が体感できる。
エレベーターが第二階層の地表面で停止した。
俺はジープを降ろすと、メインタワーの脇に設営された商工会本部前で停車させた。キイを抜き取り、間口の広いガラス扉から本部へと入る。
アグの街は未だに商工会がとりしきっている古いタイプの街なのだ。バトリングを行うには、ここで選手として登録する必要がある。
カウンターで女子職員からアグの街の見取り図と、登録証を受け取る。登録証には身体を計測したデータと身体の特徴が記入されている。
ケイン・マクドゥガル。二〇歳。身長一七六センチ、体重六五キロ。髪はブラウン
「相変わらず、コンディションは良さそうですね」
一人の男が上品さを装った声を掛けてきた。髪をオールバックにし、細面の顔にゴーグル風の眼鏡をかけた男だ。渋茶けた耐圧服を細目の身体に着込んではいるが、一見してバトリングに携わる者とは異なった雰囲気が察知できる。
奴の名はミーマ・センクァーター。面識はある。自ら流れ者のマッチメーカーだと名乗り、俺をしつこく追っている。
「あんたも、この街へ来ていたのか」
俺は訊いた。
「青の騎士、君がこの街へ入ったという噂を聞いてね。ところで、マッチメーカーはもう決まったのかい」
ミーマは柔和な口調で言った。
「いや、まだだ。俺もついさっき、この街に着いた所なんでね。今、やっと登録票を受け取ったばかりだ」
「どうだ、まだウチのA・Tに乗ってみる気は起こらないか?」
「ライジング・トータス――あのトータス系のカスタムタイプにか」
「そうだ」
「あんたもしつこいな。何度も言うようだが、俺はベルゼルガ以外のA・Tに乗る気はないぜ」
俺はミーマにそう言うと、登録票を胸ポケットに放りこんだ。
「残念な話だ。君はあの巨人族クエント人$齬pのベルゼルガを自在に操る腕を持っている。ウチのチームに力を貸してもらえるとうれしいのだがな」
ミーマは仮面を被ったような無表情さで言う。
「ところで、いつもの方法でマッチメーカーと契約するのか」
「そんな所だ」
「まあ、気をつけることだ。この街は元締め連中の鼻息が随分と荒いようだからな。そうだ――」ミーマは付け加えた。「一つ面白い情報があるのだが」
「情報? 幾らで売るつもりだ?」
「そうだな――」ミーマは眼鏡に手を当て、「千ギルダンという所でどうだ」
「高いな」
「|黒いA・T《ヽヽヽヽヽ》に関することだ。それだけの価値はあると思うが」
「奴の噂か……」俺は呟いた。「ワダの街で五千ギルダンの貸しがあったな。そいつから引いておけ」
「よかろう」
ミーマはニヤリと笑った。
「この街にケヴェックという流れ者のボトムズ乗りがいるはずだ。そいつを捜してみろ、黒いA・Tの情報を持っているらしい」
「そうか、機会があればあたってみよう」
「まァ、黒いA・Tの情報が判ったなら俺にも伝えてくれ」
「その頃には、奴はスクラップになっているはずだ」
俺はミーマにそう告げると、商工会本部を出た。ジープをメインタワーの脇を通って街の外壁方向へ延びる一番街に乗せ、一キロほど走らせると、円形の建造物が視界に入った。
アグの闘技場である。
俺は闘技場の脇から街の東側へ向かう大繁華街、ローバー通りに入り、BHと店の名が看板に大きく描かれた飲み屋の脇にジープを停めた。
闘技場の近くにある飲み屋には、ボトムズ乗りが良く集まる。空腹を満たし、黒いA・Tの情報を聞き出すには最適の場所だった。
BHは第二階層のほぼ中央まで延びたビルの一階にあった。薄汚れた窓にはカーテンが掛かっており、内部《なか》の様子は見えない。
俺は木目の浮き出た扉を開き、その店に入った。
店の中は薄暗いが、割と広く感じられた。先客の一見してボトムズ乗りと判る連中が、一種異様な陽気さで騒いでいる。だが、誰もが視線だけは鋭かった。それは俺に連中の腕の確かさを直感させた。
「食い物をくれ」と、俺は構わずカウンターに腰掛け、バーテンにそう告げた。
「何にする?」
バーテンは愛想笑いを浮かべながら、メニューを開いた。
「何が旨《うま》い?」
「合成ベーコンのステーキって所だな、一二ギルダンと値が張るがな」
「それをもらおう」と、俺が言うと、バーテンは愛想笑いの口元をほころばせた。
「前金だぜ」
俺は耐圧服の腰ポケットから五〇ギルダンのコインを取り出し、バーテンの掌に置いた。
「釣りは要らん。その代わり、二、三聞きたいことがある」
「流れ者かい、あんた」バーテンはそそくさとポケットにコインを突っ込んだ。「いつこの街へ来たんだい」
「それじゃ、この街の事ァ全く判んないだろ、俺がよく教えてやるよ」
バーテンは両手を揉《も》み合わせて言った。
「飯を喰いながらにするかい、それとも……」と、バーテンが言った時だった。
「ヘェ、あんた流れ者かい」
ず太い声とともに後方のテーブルで騒いでいたボトムズ乗りが立ち上がった。
身長二メートルはあろうかという大男だ。しかも肥えている。首はほぼ胴体にめり込み、ぴったりと身体に貼りついた耐圧服は今にもはち切れんばかりだ。
男が近づいてきた。目のまわりはほんのり赤いが、足元はしっかりしている。その時バーテンが小声で言った。
「気をつけな、あの男、あんたみたいに若いのを見ると難癖つけてきて、リアルバトルの相手をさせるんだ。若くて弱そうな奴を見つけちゃ、そいつらをダシにして、あっしがこの街に来る前から生き続けてやがる……」
「何を話してやがる。手前ッ!?」
男がバーテンに凄みをきかせた。
「それじゃ、飯作ってくるからよォ……」
バーテンは男にもはっきり聞こえるように言うと、カウンターの奥へ引っ込んだ。
「あんたが流れ者のボトムズ乗りだと!?」と、男は隣の席に座ると、こう言った。「どう見てもボトムズ乗りの面じゃねェな。そんなバンダナなんぞしやがって、まるで女の腐ったような野郎だぜ」
男は俺の肩に手を掛けてきた。
「あんたもこの街の配当が良いって聞いて来たのか? だが、諦めるこったな。この街は異常にバトリングのレベルが高い。辺りの連中を見てみな、強面《こわもて》の連中ばっかりだろ。そこでだ、俺があんたの面倒を見てやろうと思ってな」
「面倒を見る?」
「そうよ、俺と組んでリアルバトルでもやりゃア、あんたが幾ら弱くても、他のボトムズ乗り以上に稼がしてやるぜ」
男はニヤリと笑った。
「八百長か」と、俺は訊いた。
「冗談は止めてくれ、商売《しょーべえ》よ、商売。何しろこんな街で生きていくにゃ頭が要るんだ。いつまでも戦争しか知らねェ軍人あがりじゃいけねえよ」
男はゆるんだ口元をひくつかせ、わずかに身を乗り出してきた。
カウンターの奥ではバーテンが、俺に向かって手を左右に振り、軽く受け流して逃げ出せ、そいつを断ったら男の思う壺《つぼ》だ≠ニいう身振りをする。だが、俺は、
「断る」
と、突っぱね、男の手を払い落とした。
「野郎、何てこと言いやがるんだ! 俺がせっかく親切心から言ってやったのによォ」
「要らんお節介だな」と、俺は奴を挑発した。
「手前ッ、勝負だ! どうせ金目当てでこの街へ来たんだろ。俺とリアルバトルやりやがれ」と、男は噴怒の形相で俺を見た。「お前は流れ者だ。――仕方がねェ、マッチメーカーは俺の方で用意してやら」
「ここまでは筋書き通りって訳だ」
俺は冷笑し、奴をさらに挑発した。
「何ィ!」男は歯茎を剥き出しにした。「面白ェこと言ってくれるじゃねェか。こうなったら、何としてでも勝負してもらわねェとな」
俺の三倍はあろうかという太い指を折り曲げた拳が、わなわなと震え始めた。
「勝負するのは構わん。だが、今すぐだ」俺は涼しい目で男の顔を見た。やや嘲りの表情を含ませてだ。「それとも、闘技場《リング》に何か小細工する時間でも欲しいのか」
「手前ッ、やってやろうじゃないか。表の通りに出な」男は耳朶《みみたぶ》まで真っ赤にして喚いた。「誰か俺のA・Tを持って来い」
それを聞いて、店の中にいた数人の男がダッと外へ駆け出した。
「賞金もなしにA・Tを使うんだ、俺が勝ったらお前の首をもらうぜ」
男が俺を睨《ね》めつける。
「俺が勝てば、俺の質問に答えてもらおう」
「構わねェぜ。ただ、もう少しすれば、お前は死体になってるだろうがな」
男がせせら笑った。
こういった単純な男は扱いやすい――と、俺はほくそ笑んだ。
ボトムズ乗りから情報を聞き出すのに、下手な脅しは通用しない。何しろ奴らは自分が死ぬとは考えていないのだ。だが、そんな奴らでもA・Tに対しては絶対的な信頼感を持っている。A・Tこそが奴らの力の源泉なのだ。それを破壊されて初めて奴らは恐怖を感じる。
俺がこの大男を挑発したのもそのためである。バーテンの話によれば、この男、随分とあくどいバトリングを続けていたようだ。様々な事情にも通じているだろう。あわよくば黒いA・Tの情報を聞き出せるかもしれない。
「どうやら、俺のA・Tが来たようだ。お前のA・Tを見せてもらおうか」
店の外からA・Tの重い足音が聞こえた時、男が威圧感のある声で言った。
「A・Tは使わん」俺は銃を腰から抜いて言った。「こいつを使う」
男の細い目が、一瞬ギラッと輝いた。
「アーマ・マグナム!? 今じゃ廃止されてる銃じゃねえか。小柄な手前にそんなもんが扱えるのか」
「あんたの相手ならばな、こいつで充分だ」
アーマ・マグナムはかつてのメルキア方面軍装甲騎兵の標準装備拳銃である。対A・T用としては最小の兵器であり、二〇ミリの装甲板を貫通する威力を持っている。
散弾を用いれば対人用のショットガンとしても使えるが、A・T用ヘビィマシンガンの炸薬《さくやく》に使われる液体火薬を使っているため、発射時の反動が大きいことと、装弾数が三発と少ないことなど欠点も多く、五年前には廃止されている。バレル下部に三連装の弾倉を持つ特異なスタイルは、一度見れば忘れられるものではない。
「どうやら、あんたのA・Tが来たようだ」
店の外でA・Tの足音が消えていた。
「手前ッ、踏み潰してやる。死んじまってから後悔するんじゃねえぞ」
男はそう言うなり、巨体を揺すって店の外へ跳び出していった。
俺が奴の後を追って扉の近くへ行った時だった。
「待ちな」
と、店の奥から声がした。俺が振り返ると、声の主はグラスを片手に近付いてきた。ボサボサの銀髪と深い皺《しわ》ばかりが目立つ男だ。肩からは金飾りのついたぶ厚いケープをまとっている。
「何の用だ」
「お前さん、そのアーマ・マグナム一丁で勝てると思ってるのか? 奴はああ見えても腕だけは確かだ。でなけりゃ幾ら八百長だと言ってもリアルバトルでそんなに勝ち続けることはできん。それはボトムズ乗りのお前さんが一番良く判ってることじゃないのか」
男の目は鋭かった。まるで俺を値踏みするような視線だった。
「マッチメーカーか? あんた」
俺は訊いた。
「その通り、ネイル・コバーンと言う者だ。ただし、あの男のチームじゃない」
「そうかい、それで俺にどうしろと言うんだ」
「逃げな」男はヤニ臭い息を発した。「お前さんみたいに手前ェの限界を知らねえ若い奴を見るとな、放っておけなくなる性分でな」
コバーンはニヤリと笑った。
「やってみるまで判らないさ、勝負はな」
俺はそう言うと、店を出た。
「遅えじゃねえか、何やってやがったんだ」
すでにA・Tのコクピットに窮屈そうに身体を押し込んでいる、あの大男が言った。
奴のA・Tはモスグリーンに塗装され、ボディ各部に赤いストライプが入っている。バトリング、しかもリアルバトルを専門とするA・Tにしては地味だ。頭部の形状が半円形のターレットに三連レンズのついたものであることから、|H《ヘビィ》級でもやや旧型のビートル系のA・Tであることが判る。
「どうでェ、俺のA・Tは。お前も無理しねえでA・Tに乗ったらどうでェ」
「構わん」と、俺は吐き出すように言った。
「なら死んでくれや」
奴はそう咆えると、コクピットハッチを閉じた。そのまま機体を三歩後退させ、右腕に待ったペンタトルーパーを、腰溜めに構えた。
ペンタトルーパーは正式名称をGAT‐45MinといいA・T用の万能カタパルトランチャーである。ロケット弾、散弾、マスカット弾まで、口径さえ合えば、どんな弾丸でも発射できる。本来は単発式だが、奴の待つミリタリータイプは六連装の標準マガジンを装備している。
ビートルの指がわずかに動くと、ペンタトルーパーの銃口が、轟音とともに火を噴いた。と同時に俺の足元から、三〇センチ程離れた地表が鋭い振動とともに削り取られた。
いい腕をしている。コバーンのいう通り、伊達にリアルバトルを専門にしているわけじゃなさそうだ――と、俺は思う。だが、俺は黒いA・Tの情報を得るためにこの男と勝負を始めたのだ。負けるわけにはいかない。
ビートルは、俺に向けてペンタトルーパーを構えた。
A・Tはもともと都市戦における対人掃討用に開発されたものである。対人センサーを備え、一度狙った相手をボロ雑巾に変えることなど訳もないはずだ。攻撃は正確かつ慎重にA・Tの弱点を狙う必要がある。
標的は装甲の薄い部分。つまり、頭部のカメラ、膝裏側の関節部分、両脇のエアインテータ、もしくは――
突然、ビートルの足元にあるグライディングホイールが高速回転し、ローラーダッシュの甲高い金属音がローバー通りに響き渡る。
ビートルの機体があと五メートルに迫る。
ペンタトルーパーの銃口が火を噴いた。轟音は一度きり。単射だ。
俺は身を翻し、ビートルの脚の外側へと転がり出た。ビートルの機体が豪快な滑走音とともに、俺の真横を通り過ぎる。
俺は銃把《じゅうは》に左手を添えてアーマ・マグナムを固定すると、ビートルの背部にランドセル型式で設置されたPRSPパックのやや下方に向けて照星を合わせた。引き金を引き絞る。
轟音とともに、俺は銃身が上方へと撥《は》ね上がろうとする衝撃を必死で押さえた。
それとほぼ同時に、ビートルのハッチが弾け飛び、開いたそこからは気化したポリマーリンゲル液が、パイロットの股間辺りから噴き出していた。アーマ・マグナムの徹甲弾は奴の背部から、機体に内蔵されたバリアブルコンプレッサーを破壊し、パイロットシートの辺りまでを貫き通したのだ。
地響きを立ててビートルが仰向けに倒れると、ハッチの縁から劣化して黒く汚れたポリマーリンゲル液が溢れ始めた。
「一撃か。凄えじゃないか」と、飲み屋の扉が開いてコバーンが駆け出してきた。「お前さん、見かけによらず凄腕じゃないか。その腕、五千ギルダンは下らないぜ」
コバーンは俺の傍まで駆け寄ってくると、ポンと俺の肩を叩いた。
「この儂が言うんだから間違いはねェぜ。どうだい、お前さん儂の所でやってみねえか」
「どきな」
俺はコバーンを制した。
俺はビートルの傍らへと駆け寄ると、ハッチを開いて身を乗り出したパイロットに言った。
「さァ、約束通り答えてもらおうか」
「約束? 知らねえな」と、パイロットは不貞《ふて》腐《くさ》れた顔で言う。「こいつはただの喧嘩勝負だ。お前と何か契約した訳じゃねえ」
「そうか……」俺は奴の眼前でアーマ・マグナムをちらつかせた。「あんたもボトムズ乗りなら、こいつの仕様は判っているはずだな。今の勝負で俺は一発しか弾丸は使っちゃいない」
俺は奴の胸元に銃を突きつけた。奴はヒッと悲鳴をあげた。この男、A・Tを破壊した拳銃に必要以上の恐怖を抱いたようだ。だが、それも俺にとっては都合の良いことだった。
「この街に黒いA・Tがいると聞いた。答えろ、|黒き炎《シャドウ・フレア》はどこにいる!?」
俺は命令口調で言った。
「黒いA・T!? お前も奴を倒して名を上げようって馬鹿な連中の一人か」
「あんたは俺の訊く事に答えればいいんだ。余計な事は言う必要はない。奴がこの街のどこにいるか、それと、あんたが奴について知っている事すべてを話せばそれで充分だ」
俺は奴の胸に銃口を押しつけた。グウッと呻《うめ》いて奴が口を開き始めた。
「シ……|黒き炎《シャドウ・フレア》は確かにこの街にいる……そして奴の居所は……」
奴がそう言った瞬間だった。鼓腹が破れんばかりの衝撃が走り、俺の眼前にあった男の顔の右半分が粉々に砕け散った。
反射的に瞼《まぶた》を閉じたため目に飛び込んでは来なかったが、舞い上がった血煙と、噴き出したおびただしい量の血液は、俺の顔面を真っ赤に染めた。生温かい血が、顔から首筋を伝わって耐圧服の襟元から流れこんできた時、さすがに戦慄に似たものが背筋を走った。
銃撃だ――と、俺は直感した。
血漿《けっしょう》の飛び散り具合から相手の位置を割り出し、倒れているビートルの陰に隠れた。ポケットから散弾を一発取り出し、アーマ・マグナムのマガジンに装填《そうてん》した。
俺は相手に銃を向けた。そこには一人の男が、まだ銃口から硝煙の立ち昇るアーマ・マグナムをまるで銃弾を発射した感覚を楽しむように肩口で構えて立ち尽くしていた。俺の向けた銃口など意に介していない。
黒い髪を短く切り揃え、精悍な顔つきをした二五歳前後の男だ。だが、その鋭い視線には何か邪悪なものの気配がある。
男は銃を腰のホルスターに戻すと、闘技場の歪んだ壁から突き出した三枚の鉄板で上と左右を囲っただけの正面ゲート附近から、俺の方へ向かってゆっくりと歩き始めた。
表層部の空洞から射し込んできた夕日を映した正面ゲートの鉄板が、男の後方でゆらゆらと揺れて見える。男はぴっちりと張り切った耐圧服の肩を振りながら近寄って来、俺の眼前で止まった。
身長は俺より一回り大きい程度。ボトムズ乗りとしては標準クラスだが、その倍はあるんじゃないかと思うほど、異様な迫力を全身から発している。
右手に持った銃から、今俺の眼前で横たわっている大男を殺《や》ったのは、間違いなくこの男であろう。
「何者だ? あんた」
俺はそう言いながら立ち上がった。言葉には怒りがこもっていた。当然のことだろう、この男の邪魔さえなければ黒いA・Tの居所を聞き出せていたところなのだ。
「黒いA・Tと試合《や》りたいなら、まず俺と戦ってもらおう」
男は引き締まった口元から、鋭い声を発した。
「どういうことだ」と、俺は訊き返した。
「儂が教えてやろう」と、いつの間にか近寄ってきたコバーンが話し始めた。「その男の名はラドルフ・ディスコーマ、見て判る通りのボトムズ乗りだ。だが、この野郎、儂ら第一層のマッチメーカーからは疫病神≠ニ呼ばれとる。こいつのために、やつと金を稼げるくらいに育ったボトムズ乗りどもが、次々と殺《や》られとるんだ」
「それが、どうしたというんだ」
と、俺は言った。コバーンの説明は何も要領を得ていないのだ。
「まあ、待て」と、コバーンが制した。「話はこれからだ。――勝ち負けは別として、あの野郎の目にとまったボトムズ乗りは、何日か後にあの黒いA・Tから挑戦されるってわけだ。後は言わずもがなよ。試合の翌日、この階層の闘技場でそのA・Tがさらし物にされとるだけだ。パイロットは殺されちまってな。儂んところの若い連中もついこないだ同じ手でやられたばかりだ。それに、どういうわけか、こっちから試合を挑むなんてこたあ、できねえ」
「そうか……」と、俺は向き直り、「ラドルフ、このおっさんの言った事は本当だな?」
「だいたいそんな所だ」と、ラドルフは不敵な笑いを浮かべた。
「まさか、お前さん、この男と試合《や》るつもりじゃ……」
コバーンが慌てた様子で言う。
「そのつもりだ」
俺はコバーンの言葉を遮った。黒いA・Tの居場所を聞き損なったが、逆に好機到来だ。
「そうかい」と、ラドルフがニヤリと笑い、言った。「もし、あんたが噂通りの力を持っているなら、黒いA・Tと試合《や》ることができるだろうぜ、青の騎士」
「青の騎士!?」と、コバーンが声を上げた。「あんた、あのベルゼルガに乗ってるという青の騎士か?」
コバーンが、俺を睨《ね》めつけるような視線で見た。
「そうだ」と、俺はコバーンに言うと、「何故俺の|通り名《リングネーム》を知っている。ベルゼルガを見た訳じゃないだろう」
俺はラドルフに訊いた。
「あんたの噂は色々と聞いている。人相までな。街中でリアルバトルまがいの大騒ぎをやらかしてる馬鹿がいると聞いて、覗いてみればあんたがいたって訳だ」
「何故、この男を殺した。何か知られてマズイことでもあるのか」
俺は足元に横たわった、頭の右半分が失せた大男の死体を指差した。
「俺は口より手の方が早いタイプでな。しかも俺はあの黒いA・Tのチームに金をもらって、ボトムズ乗りを見つくろっている。商売の邪魔はされたくない」
ラドルアは冷ややかな目で俺を見た。
「そうかい。戦争中、そんな連中が軍にいたって聞くぜ。確か、レッド・ショルダー」
「試合は儂が仕切ってやろう」と、コバーンが言った。「|青の騎士《ブルーナイト》とレッド・ショルダーの試合なら、賭札《チケット》も売れること間違いなしだ。久し振りに無くなってきたぜ」
「やはり、レッド・ショルダーか!?」と、俺はラドルフに訊いた。「停戦直前、サンサ星の戦闘で全滅したと聞いたが……」
「いや、こうやってここに生き残りがいる」
ラドルフは軽い口調で言った。
レッド・ショルダーは、正式名称をギルガメス星域軍第二四メルキア方面軍機甲兵団特殊任務班X‐I≠ニいい、通称吸血部隊≠ニも呼ばれ、敵、味方共に恐れられていたと聞く。
奴らは左肩を血の赤に染めた|M《ミッド》級のA・Tスコープドッグ≠使用していたため、俗にレッド・ショルダーとも呼ばれていた。噂話には聞いたことがあるが、一騎当千のパイロットどもの集団だったらしく、今でもレッド・ショルダーの名を口にする奴は多い。
「さて……」
コバーンは俺に向き直ると、落ち着いた声で言った。
「お前さん、この街に来たばっかりで、まだ宿も決めてねえんだろ。儂の事務所を使うといい。どのみち契約もしてもらわんといかんからな」
俺は飲み屋の脇に止めてあったジープにコバーンを乗せ、発進させた。
数分後、俺はコバーンの事務所にいた。
コバーンの事務所はシビリアン・ストリートを東に二キロほど走った所にあった。ちょうど、第二階層の中央あたりまで延びた建造物の一、二階を使っている。コバーンの話によると、辺りはジャンク屋街で、A・Tの改修や整備にはもってこいの立地条件らしい。
事務所につくと、コバーンがシャワーを浴びることを勧めた。
俺は有り難くその申し入れを受けた。何しろ、顔にべったりと貼りついた血のりが、カサカサに乾き始めていたのだ。しかも、耐圧服のなかに潜りこんだ血は、乾きもせずまだぬるぬると薄気味悪い感触を残していた。
コバーンに案内されて二階のシャワールームヘ行くと、むしり取るように上着を脱ぎ捨てた。まだ乾ききっていない血の匂いが吐き気を誘う。
その耐圧服の内側を、脱いだばかりの、所々血の染み込んだランニングシャツで拭いた。
シャンプーの香りが流れてきた。どうやら先客がいるらしい。三つ並んだシャワー室の窓にはめ込まれた曇りガラスのーつが、水蒸気の乱反射とあいまって真っ白に見える。
俺は気にも留めずに服を脱いでいった。その時、
「ぷッ……ぷはッ」と、女の吹き出すような声がした。
何故こんな所に女が?――と、俺は声の方を向いた。
と、突然、白い窓の扉が開き、濡れた金髪をぴったりと額に貼りつけた全裸の女が身を乗り出した。
「カ……換気セン……」
女は喘ぎ、腕を伸ばして壁をまさぐる。どうやらベンチレーターのスイッチを入れ忘れていたため、水蒸気でむせたらしい。
彼女がスイッチを入れようと上半身をねじった時、|こぶり《ヽヽヽ》だが充分発育した乳房が揺れた。
突然、「キャーッ」と、女が悲鳴をあげ、慌てて扉を閉じた。俺の血まみれの顔に驚いたのだろう。
だが、ドンと、扉に背をつく音とともに彼女の発した言葉はこうだった。
「み……見たわね!」
俺は苦笑した。
シャワーを浴び、やや小綺《こぎ》麗《れい》になった俺は、応接室へと戻った。
軽いスチール製の扉を開くと、何処《どこ》の街のマッチメーカーの事務所とも同じく、壁の所々に鉄骨がはみ出した部屋だった。奥の方にはヒビの入ったガラス窓があり、その向こうには鉄格子がはめられていた。
部屋の中央のソファーでは、ゆったりとした服に着替えたコバーンと、先ほどの女が待っていた。今はもう軽く活動的な服に着替えている。両肩の部分がやや外側に張り出したオーバーオールのジャケットだ。短く切った金髪を上で束ね、割ときつめの青い瞳が印象的だ。
彼女はつかつかと俺の方に歩み寄ってくると、怒鳴るように言った。
「見つけたよ、やっと! この薄情モン」
「え?」
俺は唖《あ》然《ぜん》とした。
「あんた、あたいの事、忘れたんじゃないでしょうね。この星に来る途中あんなに世話してやったってのに」
「お前……か」
思い出した――バララントから密輸船を奪ってこの星に帰還する際、船内に囚われていた女だ。上陸間際にファッティーに乗せ、囮《おとり》として追い出した女であった。髪型が変わっていただけじゃない。雰囲気そのものが、あの頃とは全然違っているのだ。
「そうか、生きていたのか。運は良かったようだな」
俺が、そう言った瞬間だった。ロニーの掌が、しなやかにムチのように鋭く、俺の頬を打った。「そんな口、きかせないよ。あれからあたいが、どれだけ辛い想いしたって思ってるんだ」
言うなりロニーの掌が、再び俺の頬に命中した。
「やっと気が済んだ……よ」
そう言うと、ロニーはドサッとソファーに腰を落とした。
呆然としている俺に、コバーンはテーブルを挟んだ向かい側にある、二、三個所穴が開き内側のバネがはみ出したお世辞にもソファーとは言い難いシロモノを勧めた。
「こいつと面識があったのか、青の騎士」
コバーンは親指を立て、隣に座った女を指差した。
「今、事務所じゃ唯一のボトムズ乗りだ。まだ一七歳だが腕は立つ」
「それより――」やっと気を取り直して、俺は切り出した。「バトリングの予定は組めたのか」
「そうだな」と、コバーンは言った。「闘技場の予定が空いとるのは、明日だと一三時と一六時。それ以外はもうつまっちまってる。どっちにする?」
「一六時だ」
夕闇が迫るほど客の入りは良くなるのだ。
「そうか」
と、コバーンが、厚さが元の倍くらいに脹《ふく》れあがった小汚い手帳にメモを取る。
「ラドルフはレギュラーゲーム専門だが、構わねえか? 賞金《ファイトマネー》はリアルバトル並みに五千出すが……そうだ、ベルゼルガのパイルバンカーは使えるように儂が交渉してやろう。二百人のボトムズ乗りを殺《や》ったというあれが使えにゃ、青の騎士とは言えんだろう」
立て続けにコバーンがまくし立てる。奴は言う端からすべて手帳に書き取り、念を押した。
「これで構わねえか」
「充分だ」と、俺は答えた。「どっちにしろ、変える気はないんだろ」
「そうか、そいつは話が早ェな」
コバーンはテーブルの上に置いてあった紙切れを裏返した。それは、もうすでに大半が書き込まれた契約書類だった。
「こいつにサインしてくれ」
コバーンは先が平らになったペンを差し出した。
俺はそれを受け取ると、空欄になっていた試合時間の項にギルガメス文字で一六時と書き込み、サインした。
「それじゃ……」と、コバーンは書類を持って立ち上がり、「儂ァこれから、闘技場のバトリング協会へ行って……」
「その前に、黒いA・Tに殺《や》られたって言うボトムズ乗りの事を聞かせてもらえんか」
俺はコバーンの言葉を遮った。
「よかろう。だが、その前に場所を移そう」
コバーンは先に立って部屋を出、斜めに傾いた階段を下った。慣れたものらしく、ロニーが軽い足取りで俺を追い抜いて行き、階段の先にある重そうな鉄の扉を開いた。
そこはA・Tの整備場だった。
天井に二本の鉄柱が渡され、滑車が掛けてある。重量部品を運ぶために用いる簡易クレーンのようだ。その鉄柱の間に三基の広角照明《シールドビーム》装置が設置されている。よくある整備場より、ひとまわり規模は小さいようだ。
だが、薄っぺらな鉄板で仕切られた一画に置かれたA・Tが目に入った瞬間、俺は腰のアーマ・マグナムに手を伸ばしていた。
鮮やかな黄色で塗装されたそのA・Tは全体に丸みを帯びたデザインで、肘、膝等に本来付属しているはずの可動式装甲がない。しかも背部には大型ブースターを背負っている。宇宙戦を想定して作られたものであることは明らかだった。しかも、本来なら二基以上ある頭部のスコープレンズが一基のみである。
そのA・Tは敵国バララント星域軍の主力兵器BATM‐03ファッティー≠ノ相違なかった。
「どうしたの?」と、そんな俺にロニーが声を掛けた。「あれ、あたいのフロッガーだよ」
「フロッガー? あの時のA・Tか?」
「うん」と、もう機嫌を直したらしく明るく答えたロニーに、コバーンが言った。
「ロニー、済まんがそいつのA・Tを整備場へ入れておいてくれねえか? ジープごとでいい」
「OK」
ロニーに俺はジープのキーを渡した。ロニーが整備場のシャァターを開けて出ていくと、
「こっちの部屋へ来な」
と、コバーンが整備場の一番奥まった所にある扉を開いた。
コバーンに続いてその扉をくぐると、そこは暗く、冷たい空気の漂う部屋だった。
「見な」
後ろ手に扉を閉じたコバーンが、照明のスイッチを入れた。
「これは……」
思わず言葉が口を突いて出た。薄暗い照明に照らし出されたものは、二機のA・T。しかも、残骸と呼んでも間違いなさそうなほど傷んでいる。
「こいつが、あの黒いA・Tに殺られた奴だ」と、コバーンが手前のA・Tを指差した。
それはかつて、スコープドックと呼ばれていたであろうA・Tの残骸であった。
だが、最大の特徴である頭部の三連ターレットレンズは砕け、全身の塗装が焼き尽くされたように剥げ、腰の装甲板を除いてはグリーンのペイントが残されている部分はない。両腕の先が溶け落ちたように爛《ただ》れ、機体の金属の地肌を剥き出しにした部分は、すべて黒錆が浮いている。かなりの高熱に焙《あぶ》られねばA・Tの機体表面はこれほどまでに変化を起こさないはずだ。
しかも、機体の各所には決して見違うことのない傷跡が残されている。鋭い爪で装甲板を削り取ったような傷跡、間違いなく黒いA・Tのアイアンクローが作ったものだ。
確かに奴はこの街にいる。それが確認できた。
「どんな戦いをしたんだ」と、俺は訊いた。「並のリアルバトルでは、こうはならんだろう」
「判らん……」
「判らんだと!?」俺は喚いた。「あんた、この男のマッチメーカーだったんだろ? 試合は見たんじゃないのか」
「いや、見ておらんのだ」コバーンは溜息混じりに言った。「こいつは、第二階層の闘技場以外で殺《や》られたんじゃ」
「この階層以外の?」
「そうか……」コバーンは胸ポケットから煙草を取り出し、それに火を点けた。「お前さん、まだアグのことを良く知らねえんだな……」
コバーンが口を開く度に、口元と鼻から紫煙が洩れた。
「この街はな、二、三階層が各々闘技場を持っとるんじゃ。しかも二つとも独自の興行形態を持っておる」
「それが試合を見られなかった理由か?」俺は言った。「まさか階層同士の交流がない訳じゃあるまい」
コバーンは煙草を叩きつけるように捨てた。床の上で火の粉を散らしたそれを踏みつけると、こう言った。
「その、まさか≠諱B半年ほど前まではアグも一つの街じゃった。が、急に階層ごとの往来が途絶えた。いや、そんなもんじゃない。軍警の連中が強制的に三階層への通路を閉鎖したんじゃ」
「軍警が? 何故?」
「判るもんか。それが判ってりゃ、儂ァ二階層なんぞにおらんわ」コバーンが喚いた。「いいか、儂ァ半年前までは第三階層でマッチメーカーどもの元締めをやっとったんだ。じゃがな、突然、街から放り出されて、今じゃこの体《てい》たらくよ。それと同じ頃からじゃ、バトリングに係わる連中は全く階層の間を往き来出来んようになったんじゃ。そして今から二カ月前、あの黒いA・Tがアグの街へ入ったという噂を聞いたんじゃ」
コバーンが二本目の煙草に火を点けた。
「今じゃラドルフやら、ごく一部のボトムズ乗りだけじゃ、街の間を往き来できるのは。そのせいかも知れんが、第二階層にたちの悪いボトムズ乗りどもが集まっていかん。まァ、その分、若い良いボトムズ乗りを短期間で育てることも出来るんだがな」
「そいつらが黒いA・Tから挑戦されている訳か」
俺はコバーンから煙草を一本もらうと、奴の差し出した火を点ける。
「若ェ奴らだけじゃねえ、年寄りでも腕の良い奴は皆だ」と、コバーンが言った。
「それで、ラドルフの目に適《かな》う奴ってのはどんな連中なんだ」
「そいつは皆目見当がつかねえ。反則を使う奴やら、戦略に長《た》けた奴やら千差万別でな」
「まるでバトリングの見本市だな」と、俺は呟いた。
「だがな、最後はどいつも同じ運命だ。機体を焼かれてスクラップよ――まァ、お前さんはまだラドルフと試合《や》らにゃどうとも言えんことだがな。ま、黒いA・Tからの挑戦てのは、この街じゃ処刑宣告と同じ意味さ」
そう言うとコバーンは煙草を投げ捨て、部屋を出ようとした。
「ちょっと待て、あの奥のA・Tは何だ」
「あれは、黒い奴にやられたモンじゃねえよ」
そうだろう、確かにそいつは手前のA・Tとは損傷の具合が違う。所々赤錆が浮き、破壊されたというよりも、自然に朽《く》ち呆てたようにも見える。
スケール的には現在の|M《ミッド》級A・Tと大差はないが、違いはその形状である。被弾係数を計算して現行のA・Tの肩装甲は球形に近いが、そいつのはまだ角ばったものだ。しかも、スコープレンズは胸の辺りから背中までこんもりと盛り上がったバルジの中にあり、センサーは装着されていない。
「ATM‐01クレバー・キャメル≠セ。その昔、儂が使っとったA・Tだ。まァ、若い頃の思い出じゃ」
コバーンは一瞬昔を懐かしむ表情をしたが、すぐに元通りのマッチメーカーの鋭い目に戻って言った。
「お前さんの試合、組んでこにゃならん。まァ、さっき言った通りに組めるたァ思うが、変更があったら勘弁しろや」
「構わんさ」
俺はコバーンの背をボンと叩き、襟の裏側に盗聴器を仕掛けた。だが、コバーンはそれに気づいた様子もなく、軽々とした足取りで部屋を出た。俺もそれに続いて、A・T整備場に戻った。
整備場の中央に、俺のジープが停めてあった。傍ではロニーが、降着姿勢のまま荷台に固定されたベルゼルガを見上げている。
「青の騎士か……。良く言ったもんだぜ」と、ベルゼルガを見てコバーンが言った。「なァ、青の騎士」
「青の騎士ってのは、ベルゼルガに乗った時の|通り名《リングネーム》だ。普段はケイン・マクドゥガルと呼んでくれ」と、俺は言った。「ケインでいい」
「判った、そう呼ばしてもらおう」と、コバーンは苦笑いした。「こだわる方だな」
「まあな……」と、俺は答えた。「すまんが、ついでにケヴェックという男を捜してくれんか」
「構わんさ。ロニー、しばらく事務所を頼んだぜ」
コバーンは、整備場を出て行った。ロニーも俺にジープの鍵を手渡すと、部屋を出た。
俺はジープの荷台に跳び乗り、ベルゼルガのハッチを開いた。そこに放り込んであったヘルメットを被り、俺はシートに腰を落とした。
右コンソールにミッションディスクを差し込み、ヘルメットの右側についた引き込み式のケーブルをシートサイドのソケットに接続すると、ヘルメットに内蔵されたスピーカーがコバーンの背に貼りつけた盗聴器が捉えた音を流し始めた。
しばらくは足音などしか聞こえなかったが、五分ほどすると、話し声が聞こえ始めた。どうやらコバーンは闘技場に着いたようだ。
二言《ふたこと》、三《み》言《こと》、儀礼的な言葉が続いた。相手はコバーンより格上の男らしい。それが途絶えると、コパトンが話を切り出す声が雑音混じりに聞こえた。
――コミッショナー、ラドルフの方から連絡は入っていると思うのじゃが――
――|青の騎士《ブルーナイト》がこの街に来たそうだな。試合をやらせるのは一向に構わん。なるべく時間を掛けて宣伝した方が良かろう――
――それが……奴は明日やりたいと言うとりまして――
――何ッ? 明日だと――
――ヘェ、明日の一六時、ちょうど闘技場の予定が空いとりましたんで――
――つまらん仕切りをやる男だな。あんたにしても、この闘技場にしても、稼ぎは悪いぞ――
――いえ、やはりバトリングはボトムズ乗りがやるもんじゃから、ここは一つ、奴の言う通り……。レッド・ショルダー上がりと|青の騎士《ブルーナイト》の対決じゃから、宣伝なんぞせんでも、賭札《チケット》は売れますぜ――
必死で説得しようとするコバーンの声が聞こえる。通常マッチメーカーは、目上の者に対しては日《ひ》和《より》見《み》で己《おのれ》の利益を優先する。コミッショナーを説得するなど決して有り得ぬ行為だ。珍しい男である。
――それと、パイルバンカーの使用を認めて欲しいんじゃ――
と、コバーンの声が聞こえた時だった。突然、視野の右側で何かが煌《きらめ》いた。
刃先が鋭く尖《とが》ったナイフだ。通信に雑音が多いためヘルメットのスピーカーから外部音声をカットしていたため、気配に気づかなかったのだろう。そいつは一直線に俺の胸元目指して襲いかかった――が、次の瞬間、俺はシートのスライド限界まで身を引き、ナイフを持った暗殺者の手首を掴んだ。
細い手首だった。女の手だ。
俺は左手でヘルメットの音声を切り換えると、そのまま手首をひねった。「キャッ」という声とともに、ナイフが落ちる。ロニーの声だった。
「何をしやがる!」
「ご……ごめん。ちょっとあんたの腕を見たくてサ」
少しも悪びれたところがない。俺が手を放すと、ロニーは手首を擦《さす》りながら、言った。
「あんたの噂を聞いたことはあるけどさ、実力なんて判んないじゃない」
「それで確かめに来たのか?」俺は呆れた。「女のくせに、俺を試そうとしたのか?」
「そうよォ!」ロニーが喚いた。「あたいだってボトムズ乗りさ、相手の実力ぐらい判るよッ! コバーンはねェ、馬鹿正直なマッチメーカーなんだよ。昔、三階層で元締めをやってたって言うけど、所詮、傀儡さ。それは一年前からコバーンに雇われてるあたいが一番良く知ってる。だからさ、黒いA・Tとやるなんて息まいている男の腕を試したって何もおかしくないだろッ」
固く握りしめたロニーの手が震えていた。
「それを何さッ、女のくせになんて、馬鹿にしないでよ」
「済まんな、前言は撤回する」
生まれてこのかた、人を欺くために言葉を巧みに操る商人どもや、感情などとうの昔に捨て去った軍人に囲まれた生活を続けていた俺は、ロニーのような感情をストレートに表現する人間に対処する術《すべ》を持たない。ただ、受け流すだけだ。
「まあ、いいよ」ロニーがしたり顔で言った。「ケイン、あんたが噂通り、金になりそうな男だって判ったからね」
その時だ。通信器の向こうからコミッショナーの声が聞こえた。
――判った。あんたの言う通り、試合をやらせよう――
俺はほくそ笑んだ。アグの街に入ってわずか数時間で、黒いA・Tと戦うための機会を得たのだ。ヘルメットをシートの上に置き、来るべき戦いに備え、ダラの街で傷ついたままのベルゼルガの修理を始めた。
翌日、俺は試合開始二時間前に、コバーン事務所のトラックを借り、ベルゼルガを闘技場へと運び込んだ。
控室は――マッチメーカー、コバーンの格の問題もあるのだろうが――街のタイガー・ボルツ≠ニいうバトリングチームと同室だった。
連中は俺の前の試合をやるらしく、A・Tの調整に必死だった。十数人のチームだ。A・Tの周辺を三人の技師らしい男が囲み、計器を使ってサスペンションのエア圧、ポリマーリンゲル液濃度などをチェックしている。
その黒と黄に色分けされた|M《ミッド》級のドッグタイブA・Tに乗るのは、どうもまだバトリングを始めたばかりといった顔つきの、若いボトムズ乗りだ。チームのオーナーらしき男に、しきりに声をかけられている。
心配など要らん。アームパンチのストロークは三〇ミリ延長してある。しかも、機体はそこらの放出品ではなく、軍から闇ルートを通して手に入れたものだ。性能からして違う
はッ、大尉殿ッ
軽く挙手をしながら答えているところをみると、どうやら戦時中は同じ部隊にいた連中が、バトリングチームを組んだようだ。大尉は多分、まだ軍籍を持っており、それ故A・Tの横流しも可能なのだろう。
「随分、大掛かりなチームだね」
と、ロニーが目を丸くしていた。
俺はタイガー・ボルツの連中の試合が始まると控室を出、闘技場の脇にある券売所へと向かった。闘技場の観客席でも売ってはいるが、大量に買い込むには、場外の方が手っ取り早いのだ。
俺が券売所に着くと、そこには人垣が出来ていた。そこへ入り込もうと駆け寄ると、
「兄さん、どうでェ。俺っちの賭けに乗らねえか」
と、一人の男が声を掛けて来る。右手に分厚い手帳、左手に短いペンを持った小柄な男だ。
「俺っちの賭けは配当がいいぜ、何しろ配当は五分だ。商工会みたいにレッド・ショルダー七なんてもんじゃない」
「そうかい、だが、興味はねえよ」
俺は男にそう言うと人混みの中に割って入った。どちらにせよ、俺は自分にしか賭け金を張る気はない。それ故、配当の低い方が稼ぎはいいのだ。
だが、俺が券売所のカウンターにまで辿りついた時、賭札《チケット》は完全に売り切れてしまっていた。商工会は配当を平均化するため賭札《チケット》の発売枚数を規制しているのだ。
俺は折角の儲《もう》けをフイにした気分で控室に戻ると、前の試合が終了したことを知った。
タイガー・ボルツの若いパイロットはがっくりと肩を落とし、ベンチの上に腰掛けていた。
A・Tは両腕を失い、黒と黄のストライブ塗装は白く浮きあがった傷跡を随所につけていた。
この野郎ッ、折角の新品をッ。手前なんざウチのチームから出て行け
と、大尉と呼ばれていた男が、パイロットを殴りつけている。よほど不様な敗れ方をしたらしい。
技師どもは、引き揚げる準備を始めていた。
そんな連中を横目に、俺はベルゼルガの最終調整を行った。
最終調整といっても大《おお》袈裟《げさ》なものではない。機体に配置された熱赤外線センサー、電子光学系センサー、金属探知センサー、静電容量センサー、そして個々の通信器が完全に作動し、有機的に連動することを情報処理ゴーグルの内に浮かび上がる戦闘データの中から確認する。次に脚部の走行装置グライディングホイールの作動を確認。両腕にある伸縮式アームパンチのスライドレールの歪みを調べ、左腕に装着された伸縮式長楯射出器パイルバンカー≠フ液体火薬カートリッジ装部数を調べた。装弾数は一五。この試合で五回の使用が可能だ。
そして、最後に背部パックの中に仕込まれたマッスル・シリンダー反応増幅装置《ハイパーチャージャー》内の触媒の水位を調べた。こいつはベルゼルガの駆動装置マッスル・シリンダー内を満たしたポリマーリンゲル液を触媒と瞬時に混合させ、マッスル・シリンダー内に詰められた化学繊維の伸縮速度を約六〇パーセント引きあげることができるのだ。
機体の修理及び調整は昨夜のうちに五時間を掛けてほぼ完全に終了させていた。ベルゼルガの傍で眠りについたのは今日三時のことだ。本来ならば体調も万全を期してラドルフとの試合に臨みたかったが、ダラの街で受けたダメージは想像以上に大きいものだった。
何しろ背部パックのフレームはひん曲がり、右腰の装甲板は取り付け部分のステーが折れていた。
ベルゼルガの修理に関して言えば、互換性のある内部の電装系にくらべて、外装の補修は困難である。
A・Tの機体内には、数十本のマッスル・シリンダーがほぼ人間の筋肉よろしく配置されている。それを包みこむ装甲板がわずかでも歪めば、A・Tの動作はそれだけ制限されることになる。
外装も、|M《ミッド》級のドッグ系、|H《ヘビィ》級のトータス系は交換用の予備パーツが出回っている。だがベルゼルガはクエント星人傭兵用の特殊なA・Tだ。このメルキア星全土を探しても同形のA・Tは二つとないだろう。そのため、機体の交換用の装甲パーツは一切なく、本来ならば型起こしした方がいいが、今はその時間もない。
かつて、ベルゼルガの原形になったと言われるDIVビートルの装甲板を流用した事があるが、歪みが大きすぎた失敗例もある。鋼板を打ち直す他に方法はなかった。
俺がベルゼルガの腹部分にあるメンテナンスハッチを開き、アクセルペダルの状態を確認していた時、呼び出しのアナウンスとともに、俺のテーマソング「バーサーカーの夜行」が鳴り渡った。
俺はメンテナンスハッチを閉じると、ベルゼルガの膝と胸に配されたロールバーに足を掛けて、コクピットヘ潜りこんだ。
コクピットハッチを開けたまま、控室を出ると、幅広い通路に出た。通路と言っても天井はない。闘技場の観客席を左右に割っただけのものだ。俺の頭上からは、観客席の端から身を乗り出した男どもの歓声が降ってくる。
俺がベルゼルガを直径約三〇メートル程度のリングの中へ踏み入れさせると、中央では、すでにラドルフ・ディスコーマのA・Tが待ち構えていた。レッド・ショルダーの名の通り、右肩の装甲板を赤い血の色に染めた|M《ミッド》級A・T、スコープドッグだ。
形状は従来のスコープドッグと変わらない。最も手を加えやすい腰から垂れた厚さ一五ミリの可動式装甲も五枚と規格通りだ。唯一の違いといえば、背部にミッションパックと呼ばれる長期作戦行動用のザックを装備していることだけだ。
ミッションパックは左右に張り出したポリマーリンゲル液タンクを持ち、機体内にあるマッスル・シリンダーの劣化速度を遅らせる役目を持つ。これによってA・Tの最長活動時間は約三倍と飛躍的に延長される。また、ザック本体に地形等の戦闘データを大量に積み、広域にわたる戦闘行動を可能としている。ベルゼルガのミッションディスク一枚ですら、半径約二万キロの地形情報を記憶しているのだ。その十倍の容量を持つといわれるミッションパックの情報量はおよそ見当がつかない。
こいつは百年戦争中は単一惑星上での長期行軍に用いられていた。俺も戦時中、一度ミッションパックを装備したA・Tを使用したことがある。一日の平均戦闘時間が五時間、巡航速度で一六時間走行して、約七日間無補給で行動することができた。
だが、バトリングは制限時間が三〇分と定められている。ミッションパックなど無用の長物に他ならないはずだ。
俺がベルゼルガをスコープドッグの前に歩み寄らせ、コクピットの中からラドルフの不敵な表情が見える辺りで停めた時だった。突然、四方の通路から四台の小型軍用車輛が侵入して来た。
それらは、二体のA・Tの傍まで接近すると、荷台から大型の武器らしい物を地表に降ろした。全部で四基だ。
「こいつらを使うのか」
俺はラドルフに訊いた。
「そうだ。並のレギュラーゲームじゃ、客は喜びはしない」
ラドルフはそう言うと、ドッグタイブA・Tのハッチを閉じた。と、同時にその金属の腕で足元に転がっていた武器の一つを取り上げた。
それは刃渡り二メートルはあろうかという巨大なチェーンソーだった。手元の基部からは二本のグリップが突き出している。それも、A・Tのマニピュレーターのサイズに合わせて直径約二〇センチと太い。
「始めるか」
通信器からラドルフの声が入る。同時に眼前でドッグが両手でグリップを握り締めたチェーンソーを始動させ、振り上げる。
それに応じて、俺は水平に開いた操縦桿を立て、ハッチを閉じた。
キーンと、甲高い作動音とともにチェーンソーが振り下ろされる。が、間一髪、俺は機体を翻してそれをよけた。
ゴオッと、音を立ててチェーンソーが空を切った。地表からコンクリートの破片が舞う。
「早いな。ハッチを閉じてから〇・二秒で次の動作に移れるのか」
「貴様、ベルゼルガのデータ採集を……」
俺は、足元に転がる巨大な斧《おの》――全長が二・五メートル、刃渡りだけでも一・五メートルを超えようかという柄の短い斧を、ベルゼルガに掴ませた。
「このデータ解析でな、貴様が黒いA・Tの求める力量を持ったボトムズ乗りとわかったら、奴から挑戦状……いや、死刑宣告が届くはずだ」
ラドルフがスピーカーの向こうで言う。無表情を装った声音だ。無表情さの仮面が取れた時こそ、奴はレッド・ショルダーの本性を剥き出しにして襲い掛かってくるのだろう。
「青の騎士、今度はこうだ!」
ラドルフの声とともにドッグの機体が素早く動き、チェーンソーを地表から抜いて横に構えると、そのまま水平に切り掛かってきた。
俺は機体を後方に退かせた。が、その瞬間、コクピットの足元で甲高い音があがった。チェーンソーが胸のロールバーを切り裂いたのだ。いや、ベルゼルガの胸の辺りにも喰い込んだかもしれない。
「機体剛性は……極めて高いな、装甲板は二〇ミリクラスか」
ラドルフが呟くように言う。ドッグは再び水平に切り掛かってきた。
瞬間、俺はアクセルペダルを踏み込んだ。グライディングホイールが唸りをあげ、ベルゼルガの機体はドッグに向かって急接近を始める。
「パイロットの腕は――まずいな。自滅するつもりか」と、ラドルフの声がする。「な、何ッ!」
キン、と澄んだ音とともにチェーンが吹き飛び、宙を舞った。
ドッグの手元ではチェーンソーが真っ二つに割れた。ベルゼルガが斧をチェーンソー基部に叩きつけたのだ。
「レッド・ショルダー上がりはその程度かッ」
俺は機体をドッグに体当たりさせた。機体が凄まじい衝撃とともに軋む。奴の機体は背部に大型ザックを背負っている。バランスは悪いはずだ。このまま押し倒そうと、アクセルペダルが床につくまで踏み込む。
奴の機体が傾いた!
その時、ドッグは信じられぬような身軽さで機体を翻した。そのまま一回転して立ち上がった時には、右腕に太さ五〇センチ程度の殴打兵器《トンファ》を持っていた。
ワッ、と観客が大喚声をあげる。
ドッグの足元でグライディングホイールが火花を散らした。奴は殴打兵器《トンファ》を振り上げて急速に迫る。
モニター一杯にドッグのターレット式三連スコープレンズが映る。
俺は機体を前傾させ、思いきりアクセルペダルを踏み込んだ。これで機体は横滑りを始めるはずだ――と、俺が思った瞬間だった。コクピットの左前方から衝撃が走り、俺はヘルメットごとコクピットハッチにしこたま頭をぶつけた。
それを合図にしたかのように、それから、立て続けに衝撃が機体を走った。
モニターの中には、ただドッグの無表情なスコープレンズが映っているだけだ。
俺はベルゼルガの腕を振り上げさせ、そのまま真正而へと、斧を叩きつけさせた。
モニターの中から奴の姿が消える。
だが、金属用スキャニングセンサーはドッグを捉えて放さなかった。奴は俺の機体の右側へと回りこんだのだ。
俺は、右側へ首を振った。
モニターの映像がそれに応じて移動する。
視野にドッグが入った。奴は膝から下を背中の方に回し――そうだ降着機構を用いて、足元に転がる三メートルほどの長槍を掴もうとしている。
俺はベルゼルガに斧を放らせた。それは轟音をあげ、高速で回転しながらドッグの足元を襲った。
だが、奴に傷を負わせることはできなかった。奴が左腕に持ち換えた殴打兵器《トンファ》でそれを叩き落としたのだ。しかも、微妙なバランス感覚を必要とする降着途中でだ。
レッド・ショルダー。そうだ、あの一騎当千の強者《つわもの》揃いと噂されていた部隊の生き残りだということはデマではなさそうだ。何しろ新米のボトムズ乗りは、降着途中で機体を倒してしまうこともあるのだ。
ドッグは両腕に武器を構えると、長槍を振り回しながら急接近する。ローラーダッシュだ。
モニターの中で奴の姿が迫る。あと一メートルと迫った時、奴は異様な行動に出た。
奴は長槍の尻を右腕で掴むと、ベルゼルガに向かって突き出し、アームパンチを作動させたのだ。
ドッグの右肘から先が液体火薬カートリッジの爆圧によって伸びた。と、その時だった。鋭い振動音がベルゼルガの右肩から響いた。右肩のクエント製センサーが吹っ飛んだのだ。モニターの中から金属用スキャニングセンサーの表示が消えた。
「パ……パイルバンカーじゃないか」
「そうよ、アームパンチしかなくとも、こうやれば殺傷兵器の破壊力を持つのさ」ラドルフの声が聞こえた。「長槍が使えるのはベルゼルガだけではない。伸縮幅《ストローク》の短い分、こっちはリーチでカバーできる」
ドッグが、長槍を突き出したまま、左手の殴打兵器《トンファ》を振り回し始めた。
「どうやら貴様、黒いA・Tとやるほどの力はなかったようだな」ラドルフが余裕に溢れた声で言う。「この場で死んでもらおう」
ラドルフが鋭い声を発した瞬間だった。ドッグの左腕が殴打兵器《トンファ》を鋭く投じた。
それはビュンと空気を切り裂いてベルゼルガに迫る。
俺はとっさに右コンソールの赤いボタンを押した。マッスル・シリンダー反応増幅装置のボタンだ。こいつは作動し始めるまで〇・三秒のタイムラグがある。――間に合うのか?
モニター一杯に唸りをあげて飛び掛かる殴打兵器《トンファ》の姿が映る。
俺は祈った。
その瞬間、低い唸り声とともにマッスル・シリンダーが普段の一六〇パーセントの力で動き、足元ではグラィディングホイールが悲鳴をあげた。
ベルゼルガは襲いくる殴打兵器《トンファ》を右腕で払うと、獲物を視界に捉えた獣のようにドッグに急接近した。
モニターの中で奴の機体が迫る。
奴は長槍を真ん中辺りに持ち換え、肩口に構えた。
――迫る。
「パイルバンカーだッ」
俺は左側の作動レバーを思い切り引いた。
ドッグの右眉に向けて、ベルゼルガの盾に組み込まれた長槍が、アームパンチ三発分の液体火薬カートリッジの爆圧で発射された。
ドッグが右腕から金属の棒を落とした。パイルバンカーが、狙い違《たが》わず奴の右肩を貫いたのだ。
球形の装甲板が砕け散った。
「どうだ、俺は黒いA・Tの挑戦を受けられるかね」と、俺は訊いた。
「最終的には奴が判断する」と、ラドルフが言う。「一つだけ教えておいてやろう。そのA・Tのデータは、黒いA・Tが戦った相手のリストに入っている。しかも、昔とまったく変わってはいない」
「シャ・バックのデータが?」
「そうだ、このスコープドッグのミッションパックには、黒いA・Tがやった奴のデータがすべて詰まっているのよ。貴様のA・Tは、前のオーナーの時から何も変わってはいない」
ラドルフは、一旦区切ってから言った。
「まだ貴様は、そのA・Tの力に頼り切ってるってことさ。|黒き炎《シャドウ・フレア》は滅多にデータの二重取りなどはしない。つまり、貴様があの黒いA・Tとやる確率は極めて低いということだ」
ラドルフが言った。
「何だとッ」
俺がそう怒鳴った時だった。
突然、辺りで爆発が起こった。それも一発なんてものじゃない。二、三〇発の爆弾が同時に爆発を起こしたのだ。
「貴、貴様ッ、小細工をッ」
ラドルフが通信器の向こうで喚く。だが、俺にもこの爆発の理由がさっぱり判らない。
「憶えていろよッ、破壊された右肩の礼は必ずする」
ラドルフの声が響き、消えていった。
その爆弾は爆破力よりも発煙性を重視したやつだった。あっという間に、闘技場の中は、悲鳴がこだまする客席まで立ち昇った黒煙に支配された。
俺のベルゼルガは元来陸戦用のA・Tだ。そのうえ機体のあちこちに傷がつき、気密性などあったものではない。たちまちコクピットの中に煙が侵入して来て、俺はむせ返った。
その時だ。赤外線センサーがベルゼルガの周囲から接近する八基の鉄塊を捉えた。と、同時にモニターの映像が|赤外線カメラ《ノクトビジョン》によるものに切り換わる。そこに映し出されたのは敵国バララントの、しかもコバーンの事務所で見たA・T、ファッティーだった。
「ロニーかッ」と、俺は通信器に向かって叫んだ。「どうしてここに?」
だが、返事はない。
眼前のファッティーは、足元からエアーを噴き出すと、機体を浮揚させた。ホバリングだ。
ファッティーはホバリングし、そのままベルゼルガに向かって突っ込んできた。
それを合図にしたかのように、辺りを取り囲んだA・Tも動き始めた。そいつらはモニターの画像で見ると、ツートンカラーに染め分けられ、頭部の前方にロールバーを配し、両腕に大型のシールドを持っている……軍警のA・Tだ。
ロニーと軍警が何故――と、思う間もなく、眼前からファッティーが跳び掛かってきた。
ゴオッとファッティーの右腕が唸るとともに、肘から先が伸びた。
まさか、ファッティーにアームパンチ機構があるわけがない。
その戸惑いが一瞬操作を遅らせた。ファッティーの機体がモニターから消えた瞬間、コクピットの上方で凄まじい音がし、コクピットハッチが跳ねるように開いた。
モニターの映像にアグの天井が映った。
俺は爆煙にむせ返りながらも。何度か操縦桿を水平になるまで開閉させた。だが、コクピットハッチは閉まらない。ラドルフとの試合で乱打された影響が今頃になって出た。
だが、周囲から輪をせばめるようににじり寄ってくる軍警のA・Tどもの位置は確認できる。奴らの装備はバレルを切り詰めたヘビィマシンガンだけのはずだ。奴らは今、三メートルの位置にまで接近している。接近戦ではヘビィマシンガンは有効な武器とは言えない。パイルバンカーでも勝負にはなる。
俺がベルゼルガにファイティングポーズを取らせた時だった。コクピットの外から甲高い金切り音が入るとともに、センサーに光点で表示された軍警用A・Tの姿が、一個所に固まった。瞬間、センサーの画像が拡散した。赤外線センサーは、敵が半径二メートル以内に接近しなければナロウレンジに切り換わらないのだ。
左手前から接近する軍警A・Tにパイルバンカーの狙いを合わせた時だった。後方から鈍い衝撃音とともに激しい電撃が走った。この街の軍警は電撃ロッドを装備していたのだ。
だが、判った時にはもう遅かった。ゴーグルの中でセンサーの光点は消え、モニターの映像すら失せた。そして、機体が停止した。
俺は急いでミッションディスクを抜いた。
後方から衝撃が走るとともに、機体が大きく揺れ、手足が電撃によって痺《しび》れた俺は、コクピットから放り出された。ヘルメットから延びたコードが音をたてて外れた。
ヘルメットをむしり取るようにして脱ぎ捨てた俺は、よろよろと立ち上がった。電撃ロッドの直撃を受けたわけじゃない。動くことくらいはできるのだ。
だが、そんな俺を取り囲むように、A・Tどもがロッドを構えて迫ってきた。
俺が腰の銃に手を伸ばした時だ。軍警A・Tのコクピットからパイロットが跳び出して来て俺にタックルを掛けた。
もんどりうって倒れた俺が、「手前ッ」と、喚いた時だった。眼前のファッティーのコクピットが開いた。中には女が座っている。防塵《ぼうじん》マスクをしてはいるが、間違いなくロニーだ。
タックルを仕掛けてきた男が、俺の腰からアーマ・マグナムを奪うと、ロニーがその男に言った。
「その男を例の所に」
「A・Tはどうする」
ロニーに俺のアーマ・マグナムを手渡しながら男が言った。
「あたいが処理する」と、だけロニーが答えた。
その後はもう言うまでもなく、お決まりのパターンだった。
軍警A・Tから降りてきた大男が、髪を鷲掴《わしづか》みにすると、俺を起こし、銃を突きつけた。
やっと爆煙が薄れ始めたころだった。
[#改ページ]
CHASE 4 SHADOW FLARE
[#ここから3字下げ]
怨念が呪いの言葉を吐き出させる
――貴様は友の仇敵《カタキ》だ――と
軋む機体の向こうでは
黒い炎がゆらめき始めた。
[#ここで字下げ終わり]
俺は軍警A・Tの手で、アグの第三階層へと連行された。
第二階層の闘技場を出るとメインタワーのエレベーターを使って第三階層へと下った。
第三階層地表のエレベーターの出口から一直線に延びた通りを進み、通りを三叉路に変える円形の建造物の前で軍警A・Tホイールドッグ≠ヘ停止した。
ゆるやかなスロープを持つその建造物は明らかに軍警本部ではなかった。大型の総ガラス張りの扉が開き、A・Tから降りた軍警官どもに銃を突きつけられたまま扉の中に入ると、廊下の鼻から慣れ親しんだマシン・オイルの匂いが漂ってきた。
――ここはバトリング場だ――
直感的に俺は理解した。
一直線の廊下を抜け、俺が銃を突きつけられたまま連行された部屋は、理事長室だった。
その部屋の内装はけばけばしいの一言で言い尽くせるだろう。ファブリック地の壁といい、天井から吊り下げられた直径一メートルはあろうかというシャンデリア――内包している電球は一〇〇を下らないだろう――といい、まさに成り上がり者が贅沢三昧《ぜいたくざんまい》の限りを尽くした、という印象を受ける。まさかこの部屋を見て仕事場だと思う者は一人としていないだろう。
部屋の突き当たりは幅広い曇りガラスになっており、その手前の木目調仕上げの机で太目の男が両手を顎のあたりで組んでいた。禿げ上がった頭には、まだ生毛が残っている。幾つもの勲章を額に入れて飾ってあることから、この理事長とおぼしい男が軍人あがりであろうことは間違いなかった。
そして、部屋のほぼ中央に置かれたボタン止めを施してある豪華なソファーには、ロニーが得意気な顔で座っている。
「ロニー、どういうことだ、これは」
俺はあくまで穏やかに言った。何しろ銃を突きつけられたままなのだ、むやみに喚くわけにはいかない。
「あたいね、あんたと組んでお金儲けしたくなったのさ」
ロニーが澄ました顔で言う。
「いい? ケイン」と、ロニーが立ち上がりながら続けた。「このアグで一番賞金がいいのって、この第三階層なんだよ。客の質もいいしね」
「コバーンは、どうするんだ?」と、俺は訊いた。「お前、コバーンを随分、気に入ってたようじゃないか」
ロニーは顔をしかめて言った。
「コバーン!? あの人、正直でいい人なんだけどね、どうもお金儲けが下手で駄目よ。時々無償でやっちゃうしね。馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。あんたの試合にだって、自腹切って賞金作ってたんだよ」
「悪い女だな……あんた」
俺が呟くと、ロニーはニコリと笑って言った。
「そのくらいじゃないとね、今は生きていけないんだ。何しろ、女一人でやっていくのって辛いんだよ、男のあんたには判んないだろうけど」
最後の一言は皮肉っぽく言った。
「だからさァー」と、ロニーが続けた。「あんたみたいな男《ひと》の助けが欲しいんだ。あたいの事務所でやっておくれよ。あんたこの星に来る時、あたいを利用したんだ。今度はあたいがいい目に合ってもいい番だよ」
だが俺は構いもせずに、こう言った。
「俺のA・Tをどこにやった」
「この会場にあるよ。あんたはあたいのボトムズ乗りとして、これからこの階層で戦うんだ」
ロニーが何くわぬ顔で言った。
「うまくはめられたってわけか……」
俺は呟いた。
「でもさ、ちゃんとこの階層で試合できるように約束してあるんだ」
その時だった。
「そうはいかんのだ、ロニー」
机の上で手を組んでいた理事長が立ち上がった。
「その男を商品として使うことはできない」
理事長は手元の書類から目をあげ、片目にかけていた眼鏡を外した。
「ちょ、ちょっと待ってよ」ロニーが喚いた。
「話が違うじゃない、理事長ッ! 上の階層から良さそうなボトムズ乗り連れてきたら、使ってやるって言ったじゃないか」
「確かに、そう言った」
理事長はあっさりと認めた。
「それに」ロニーが、まくしたてた。「良さそうなボトムズ乗り連れてきたら、あたいに仕切らせてくれるって言ったじゃない」
「確かに、そうも言った」
理事長は立ち上がり、机から離れた。肥えているのは顔だけではなかった。身体もそれに負けず劣らず膨らみ切っていた。
「だがな――」理事長はロニー、いやその後ろにいる俺を威圧的に見据えて言った。「ロニー、連れてきた男がまずかったようだな。そいつは青の騎士だ」
「だから、どうだっての」ロニーが訊いた。かなり棘《とげ》のある口調でだ。「だからって、強い男《ヤツ》なら良いんだろ。あんた、そうでもしないと三階層に売り者になるようなボトムズ乗りがいなくなるって大騒ぎしてたじゃないか」
ロニーは、右手の人差し指を突き立てて、理事長に迫った。
だが、理事長は平静だった。
「確かにこの階層は、お前のように要領の良い連中を使って、ボトムズ乗りを集めている。私も青の騎士の名には、お前と同じように金の匂いをかいだ。だが、その男をこの階層で使うことはできなくなったのだ」
「どうしてよ! 理由を言ってごらん」と、ロニーが、眉をつり上げて怒鳴った。「もし、まともな理由がないようだったら、その男を囲んだ軍警の連中を動かすよ、理事長《おっさん》ッ」
ロニーは自分では凄みをきかせたつもりだろうが、理事長には全く効果はなかった。
「軍警? その男たちが、お前の命令で動いていたのだと思っているのか?」
「何だって?」
「その男たちは、この闘技場の命令で動いていたのだ。二階層から腕のたつボトムズ乗りを連れて来い≠ニいう命令でな」
「理事長《おっさん》、騙《だま》したね」
ロニーが歯噛みした。
「いや、そうではない。その軍警どもも知らなかったはずだ。その男を使えんとはな」
「じゃあ、どういう訳なのさ」
「たった今のことだ。黒いA・Tから、その男を使うな≠ニ命令が来た」
理事長は諦《あきら》め切った顔で言うと、机の上にあった書類を見せた。
「黒いA・Tから?」
「そうだ」
「だって、理事長《おっさん》、きのうはラドルフとやったら、必ずケインは黒いA・Tとやることになる。そして殺されるだろう≠チて……だから、ラドルフとの試合の隙を見て、こっちの階層へ引っぱりこんだんじゃないか」
ロニーが逆襲した。
「この階層では、あの黒いA・Tの力は絶対だ。もし逆らうならぱ、この闘技場でバトリングも出来なくなる」
理事長が平静な声で言った。
「それでも嫌だッ」ロニーが怒鳴った。「絶対に嫌だ! あたいは青の騎士使ってマッチメーカーやる。黒いA・Tが何さッ」
「だが、こいつを生かしておけば、お前がマッチメーカーに転身しようとしてやって来た努力は、すべて無駄になる。ボトムズ乗りは探せばまだ幾らでもいる。今は自分自身の身の安全を考えるべきだ」
理事長は、ロニーを諭《さと》すように言った。
「それなら、こんな街出ていってやるさ。あたい、知ってるんだ。こいつは黒いA・Tと試合《や》れないってこと、通信で聞いたんだ」
ロニーが喚いた。
「そうでしょ、ケイン!」
「その女を連れていけッ!」
理事長の声が、ロニーの言葉を遮った。軍警官の一人がロニーに迫る。
「糞親父ッ。もし、あたいの商品に手を出してみろッ、たたじゃすまさないよッ」
喚き散らすロニーを捕まえると、軍警官はロニーを扉の外に放り出した。
ド、ド、ド、と、扉を蹴る音がしばらくつづき、そして消えた。
「さて……」
理事長は俺に向かって喋《しゃべ》り始めた。
「貴様が、あの青の騎士か」
ロニーと話していた時の温和な雰囲気はどこへ影をひそめたのか、理事長の口調は冷徹なものと変わっていた。
「第二階層ではラドルフを負かしたそうだな」
「いつ、それを聞いた」
俺は低い口調で訊いた。ラドルフと戦って、まだ一時間とたってはいないはずだ。
「それは、どうでもいい」理事長は軽くあしらった。「実力はたいしたもののようだな。だが、黒いA・Tから、お前を殺せと命令が下った」
俺はぐうッと歯噛みした。
眼前にいる理事長は、あの黒いA・Tと間違いなく何らかの関係があるのだ。跳び掛かり、それを白状させたい衝動が起こる。だが、周囲で銃を構えた連中は、俺にそうはさせてくれない。
「今、時間的にはちょうどいい。貴様には、ボトムズ乗りらしい死に場所を与えてやろう」
理事長は、そう言うと手元のインターフォンで部下を呼んだ。
扉を軽くノックする音とともに、二人の男が部屋の奥に備えつけられた扉を開いて現れた。俺は勝機を見出そうと全知覚を働かせた。だが、それは絶望的だった。男どもは軍警と入れ換わるように銃を突きつけたのだ。
「連れていけ」と、理事長がほぼ首と一体化した顎で命じると、二人の男は同時に銃口でぐいと突いてきた。
俺はそれに押し切られるような形で部屋を出ると、毛足の長い絨毯《じゅうたん》が敷きつめられた、照明灯の明るい廊下を連行された。
一五〇メートルほど歩き、右の脇道へ入ると、絨毯がぷつりと消えた。その通路は鉄鋼板を連ねた壁で囲まれていた。
そのまま一〇メートルほど歩くと、突き当たりにリベットが幾重にも打ち込まれた、重厚な感じを与える扉があった。男の一人が銀色の取っ手をゆっくりと回すと、それは鈍い音をたてて観音開きに開いた。
まだ真新しい部屋の中には一機のA・Tがあり、その脇で一人の男が座っていた。
男は軍用耐圧服のズボンをはいただけで、上半身は裸だ。胸元からは肋骨が浮き上がり、薄っぺらな胸の皮一枚を通して、心臓の鼓動が見透かせるようだ。それでいてぎょろっとした丸い目だけは、ギラギラと鋭い光を発している。
「こ……ここは!?」
口から言葉が突いて出る。
「控室だ。貴様はこれからバトリングをやるのだ。あの男とともに殺されるためのな」
銃を構えた男の一人が言う。
「貴様は横にある、ドッグタイブを使え」
言葉を言い終わらぬうちに、俺は後方からの強いショックで、つんのめるように倒れた。銃を突きつけていた男どもに背中を蹴り飛ばされたのだ。同時に後方で扉の閉じる重い音がした。
「あんた、何をして捕まったんだ」
座り込んでいた男が、ボソッと呟くような声で言った。乾き切り、掠《かす》れた声だ。
俺は男の方に振り向いた。だが、その視線は男ではなく、男の脇で降着姿勢をとっているA・Tに奪われた。
全体のシルエットはトータス系のA・Tと同様、柔らかな曲線を描く胸部ハッチを持つが、肩の装甲板など微妙に改修が加えられ、ややウェッジラインが強調されている。しかも頭部の三連レンズは機体から独立したクサビ型の頭部に組み込まれ、その左右にはコの宇型のロールバーを持つ。
「ライジングトータス……!? なぜ、あんたこのA・Tを」
俺は、驚いて男に訊いた。あのA・Tは、流れ者のマッチメーカーミーマ・センクァーター≠フチームのカスタムA・Tだ。そのミーマは数日前にこのアグヘと辿りついたばかりのはずだ。この第三階層にまでA・Tが降りてきているはずがない。
「あんた、このA・Tを知っているのか?」男も驚いた様子で訊いてくる。「どこで、このA・Tのことを知ったんだ」
「ああ、ミーマとかいう男に、そいつに乗ってやってみろと、しつこく言われている」
「ミーマ?」男はハッとした。「ミーマ中佐のことか?」
「中佐? 奴は現役なのか。いやにボトムズ乗りらしくはないと思ってはいたが……」
「そうか」と、男は喜色を浮かべた。「それじゃあんたが青の騎士<Pイン・マクドゥガルだな」
俺は懐疑の口で男を見た
「詳しいな」
「ミーマ中佐は、あんたを捜しまわっていたからな」と、男が言った。「俺の名はケヴェック。中佐の部下だ」
「部下? じゃあのA・Tは軍のものなのか」
「正式採用はまだだが……、仮呼称をATH‐16という。新型だ」
「そんなA・Tが、なぜバトリングを」と、俺は訊いた。
「実戦テストだ。今じゃ凄腕のボトムズ乗りは皆、バトリングに移ってしまった。そのため、白兵戦のデータはバトリングで取っているのだ」
「ほう……」
「これを、中佐に手渡して欲しい」
ケヴェックが、A・Tのディスクドライバーの脇から二枚のミッションディスクを取り出した。「ライジングトータスのデータと、黒いA・Tの秘密が記憶されている」
「黒いA・Tの秘密?」
俺は訊き返した。
「そうだ。俺はもともと黒いA・Tの秘密を探るため、この街に潜入したスパイだった。奴ら――我々が異能結社と呼んでいる連中はA・T開発に驚異的な技術を持っている。それを奪い、新型A・TF・X≠ノそいつを使うことが目的だからな。だが、俺は捕らえられて奴らに殺されかかっているわけだ。しかも、本部に連絡すらできない。そこで、あんたに頼みたいんだ」
「そうか、判った。こいつに奴の情報が入っているんだな。しかし、よくこんなものを隠しておけたな」
「一度は没収されたが、情報はミッションディスクの運動用プログラムに巧妙に隠してある。特殊コードとプログラム・ナンバーの組み合わせが判らん限り、奴らは知ることができない。今日の試合のために返してくれたわけだ」
俺は二枚のディスクを受け取ると右胸のポケットにねじ込んだ。
「A・Tがあれば、この闘技場から脱出することができるかもしれない。あんたはディスクを持たなくていいのか」
「コピーがある。だが、まず俺は脱出できないさ。俺の身体を見ろ、感覚剥脱室に飲まず喰わずで五日間放り込まれていたんだ」
ケヴェックは、乾ききった口元から、そう吐き出すように言った。
感覚剥脱室は、宇宙戦部隊の連中が百年戦争当時、宇宙空間での孤独に耐えるための訓練に用いていたものだ。人間は二、三日も無音の空間に閉じ込められると発狂するという。訓練を積んでも四日が限度だと聞く。ケヴェックはそれを五日問、乗り切ったのだ、恐るべき精神力といわざるをえない。
だが、ライジングトータスのコクピットに乗りこもうと立ち上がった足取りは、さすがにおぼつかない。
ケヴェックがA・Tを始動させた時だ。突然、選手入場を告げるブザーが鳴り響いた。
俺はライジングトータスの脇に降着したドッグ系A・Tのハッチを開いた。
ムッとした臭気とともに、コクピットの中から、マシンオイルの鼻を剌すような匂いが漂ってくる。見た目にも機体は極めて古い。
コクピットに乗りこみ、始動させる。
機体を動かそうとすると、機体の傷みが体感できた。歩行に際して奇妙な違和感がある。脚部バランサーの調子が悪いのか、機体が外側へ向かって倒れこもうとするのだ。しかも、ゴーグルに映し出されるはずの戦闘情報は表示されていない。
ディスクドライバーを開いてみる。ミッションディスクはスリットにすべて収まっている。モニター用のスコープレンズも正常に作動している。単に機体が古いだけなのだ。
ヘビィマシンガンは作動する――と、思ったのも、一射目だけだった。二射目からは空発ばかり。まさにこのA・Tは棺桶である。
だが、このバトリング、必ず勝ち、生きて脱出せねばならない。黒いA・Tの手下に殺されるのはたまらない。しかも、今、俺は黒いA・Tの秘密を収めたといわれるコンピュータディスクを手に入れた。これを利用すればラドルフなど関係なく黒いA・Tに勝負を挑ませる材料になるかもしれない。
突然、人間用の扉が開いて、銃を持った警備員が、駆け込んできた。
「早くリングヘ出やがれ!」
連中は叫び、そのうちの一人が壁にあったスイッチを押した。
壁の一部が鈍く音をたてて開き、眼前に闘技揚が現れた。楕《だ》円形のリングだ。長径は一〇〇メートルはある。しかも、リングのあちこちに金属製の衝立《ついたて》が立っている。
客席は外周から一段高くなった所にあり、格子状に設置されたフェンスがある。銃弾は防げないまでも、A・Tの激突からは身を守ることができるようになっているのだ。
しかも、そこからリングを覗き込んでいる連中は、やや上流階級の人間という雰囲気だ。喚声はあげているが、下品なヤジや罵《ば》声《せい》は飛んではこない。
俺はハッチを閉じると、周辺の雰囲気に注意しながら、リング中央へと機体を歩ませる。案の定リングの周辺には、青と白のツートンカラーに塗り分けられた軍警用A・Tホイールドッグ≠ェ、確認しただけでも八機は潜んでいる。
俺たちの脱走に備えたもの――いや、それだけではなかろう、威嚇攻撃の役目も持っているのだ。
同時に脱出口も確認する。
リングの長、短の径に合わせて四つのA・T用通路が、リングに向かって大きく口を開けている。通用口の上にはA、B、C、Dと四メートル四方の看板が掛けられている。
俺の真正面にある通用口がA、衝立がちょうど開口部全面を被っているようにも見える。隠れながら脱出するにはAが最適か。
一瞬のチャンスをつくのならば左斜め前方のDだろう。衝立が開口部から半径一〇メートル以内には一つもない。
脱出するには、AかD、どちらかの通路を用いることを決める。
また、脱出に関して最悪の状況を考えるならば、ケヴェックの乗ったライジングトータスを囮《おとり》として使うことも頭の中に残しておかねばならない。
何しろ敵は火器を用いる。だが、俺の機体はヘビィマシンガンに小細工が施されているうえに、古い。実際使用できる兵器は、両腕のアームパンチと、脚部の方向転換用ハーケンパイルガン≠セけだ。接近戦ならば腕次第では廃役寸前のA・Tが新型A・Tに勝つようなこともある。だが、こと銃撃戦ともなれば、センサー一つとっても性能差が勝負の大きな分かれ目ともなるのだ。
何にせよ、ここから生きて脱出することが先決問題だ。
だが、突如として脱出は俺にとって二次的なものと化した。そうだ、ちょうど俺とケヴェックのA・Tが、ほぼ同時にリングの中央へ着いた時だ。
俺は、リング中央でハッチを開けたまま試合開始を待つ三橋のA・Tのうち、唯一、機体全身からぬめぬめとした光沢を放っている、黒い|M《ミッド》級のドッグ型A・TSTR《ストロング》バックス≠フコクピットの中に、憎々しい笑いを顔全面に浮かべた黒人の姿を発見したのだ。
奴の名は、オウラ・ニガッダ。シャ・バックが殺された時、あの|黒き炎《シャドウ・フレア》のパートナーを務めていた男だ。奴はシャ・バックの機体をワイヤーで縛った。奴が、シャ・バッグをコクピットの中から引き摺り出しさえしなければ、シャ・バックも亡骸《なきがら》くらいは残っていたはずだ。
奴の顔を見た瞬間だ。身体の中を静かに流れていた血が、熱く燃え始めた。奴は黒いA・Tに傭われているだけの男だが、間違いなく俺が半年の間、追い続けてきたシャ・バックの仇敵なのだ。
「ニガッダ! 貴様、こんな所にいたのか」
俺は口元のマイクに向かって咆えた。
「あの時、俺は何と言った?」ニガッダが通信器の向こうで凄みをきかせる。「あの時殺さなかった恩を忘れちまったような野郎は、この手で止《とど》めを刺してやるぜ」
その時、ニガッダのA・Tが手にしたヘビィマシンから、轟音とともに銃弾が発射された。しかも、二秒間連続でだ。
それは、闘技場のフェンスの向こう側のビルでリングを覗き込んでいる連中の頭部を次々と吹き飛ばす。ビルの壁面に赤い血の帯が一直線に延びた。
「俺ァ、あーいう連中が大嫌えなんだ」
声高らかに笑いながら、ニガッダは怒鳴るように言った。
「お前もそんな野郎の一人だぜ」
ニガッダの声と同時にバックスがヘビィマシンガンの銃口を俺に向けた。銃口からはまだ硝煙を噴き上げている。
もう、ゴングなど関係のない様子だ。
ニガッダはニヤリと笑うとハッチを閉じた。重苦しい閉鎖音が響く。
俺がA・Tの手にしたヘビィマシンガンを、バックスに向けてぶっ放した時、バックスの銃口も火を噴いた。
轟音とともに、宙を舞うヘビィマシンガンが四散する。その刹那、俺はアクセルペダルを踏み込み、機体をバックスの左側方に向けてローラーダッシュさせた。
加速は極めて悪い。
バックスの上半身が腰の部分で回転し、俺の機体の行方を追ってくる。両腕でがっちりと構えられたヘビィマシンガンの銃身が、上半身の回転に合わせて移動する。
再び銃口から火を噴く。
だが、それよりも一瞬早く、俺はバックスの三メートルほど後方にあった衝立の裏側に隠れた。
衝立は厚さ五センチほどの金属製一枚板だ。幅は約二メートル、高さ三メートル以上。サイズはまちまちだが、俺が機体を隠したのは、縦、横、五メートルを越える大型のものだった。
俺の前方ではケヴエックのA・Tが、二機のA・T、|M《ミッド》級のドッグタイプと|H《ヘビィ》級のSTトータスを相手に戦闘を開始していた。
やや距離をおいての銃撃戦だ。
ケヴェックのA・Tが手にした大型三連バズーカが轟音とともに砲身の先端から火を噴くと、その衝撃波は五メートルほど離れた所にある衝立を震動させる。
その時、会場内にやっと試合開始を告げるけたたましいサイレンの音が鳴り響いた。
サイレンを切り裂いて、A・Tの走行用装置、グライディングホイールの甲高い金切り音が迫ってくる。
突然、バックスが二枚の衝立の間をすり抜けて、俺の機体の眼前に現れた。
瞬間――俺はアクセルペダルを踏み込んだ。機体をローラーダッシュさせる。
モニターの中で、バックスの機体が急速に迫った。
「馬鹿めッ」
俺はA・Tの右腕を素早く振り上げさせ、直前を通過するバックスの手元のヘビィマシンガンを目指して叩きつけた。
だが、その時、バックスは左拳を突き出した。
拳の上面が開き、ワイヤーが射出される。
グン――
下方向に引きこまれるような振動がコクピットの俺に伝わってくる。バックスの射出式ワイヤーが、俺のA・Tの頭部に絡みついたようだ。
バックスが停止し、左腕を胸元に引きつけると、A・Tの足元が滑り、バランスを失った。
アクセルペダルをあおってやっても、脚部は機能せず、踏んばろうとはしない。
俺のA・Tは完全に機体のバランスを失い、前のめりに倒れた。
コクピットを突き上げるような振動が襲った。
「馬鹿は貴様よ」
ニガッタが咆える。
「この街で捕まった――いや、俺と出会った時から貴様の運命は決まっていた。死ぬのさ」
ニガッダの不敵な笑い声が聞こえる。
俺は機体を起き上がらせた。
バックスは前方でヘビィマシンガンを構え直した。その銃口は、コクピットの中に座っていた俺を狙っている。
「これで終わりだな……」
ニガッダの自信に満ちた声が入ってきた時だった。
ガン! という鈍い衝撃音とともに、モニターの中から、ニガッダのバックスの姿が消えた。
ケヴェックのA・Tがバックスに体当たりをしたのだ。
「手を出すな、こいつは俺が倒す」
俺は通信器に向かって喚いた。
「だがな、貴様には生き延びてもらわねばならない」
通信器の向こうでケヴェックの声がした。力強さは感じられないが、気力だけは充分といった声だ。
その時、バックスが立ち上がり、ケヴェックのA・Tに組みついた。バックスはバズーカの砲身と、ライジングトータスの装甲板のついた左肩を掴み、上方へ押し上げる。
バズーカの砲身が真上を向き、暴発した。第三階層の天井構造材の一部が降ってくる。
スケールでいえば、トータスは|H《ヘビィ》級A・T、バックスは|M《ミッド》級でありながら、重量、出力から言えば軍配はバックスに上がるのか。
トータスの足元が、ずるずると滑り始めた。
「ケヴェック、そいつから離れろッ」
俺はそう叫ぶと、機体を立て直す。
その時、前方からヘビィマシンガンを腰溜めに構えたスコープドッグが急接近してきた。グライディングホイールの回転のためか、足元で火花が散っている。
あと一〇メートル――ヘビィマシンガンの銃口が火を噴いた。
俺はとっさに機体を横に翻らせた。
高速で走行するスコープドッグが、わずか五〇センチ前を通過する。俺は機体をスコープドッグの真横に組みつかせた。機体が大きく横揺れする。
スコープドッグは、ローラーダッシュ中に機体のバランスを失い、転倒し、そのドッグに導き込まれるような形で俺のA・Tも倒れた。
だが、その刹那、俺はA・Tの右腕に、ドッグの手からこぼれ落ちたヘビィマシンガンを奪わせると――どちらにせよ、パイロットは黒いA・Tの手下か、それに準ずる者だろう――ためらわずに操縦桿の上のトリガーを叩く。
同時に、A・Tの指がヘビィマンンガンの引き全を引き絞った。銃口から轟音を発して弾丸が発射され、スコープドッグのコクピットを蜂の巣にする。
ピタッと、ドッグの機体が震え、爆発する。俺はケヴェックのA・Tの方向へとモニターの視界を切り換えた。
モニターには、ケヴェックのA・Tが、バックスの両腕を振り払い、鋼鉄の左腕一振りで、バックスの機体を突き飛ばす有り様が映し出される。
次にケヴェックのA・Tは衝立の裏側に隠れているSTトータスを狙って三連装バズーカを斉射!
コンマ五秒の差を置きつつ、砲弾が、上、左、右の順に飛び出す。射出音は、三つで一まとめの、鼓膜を突き破りそうな轟音にしか聞こえない。
一瞬の間をおいて、三発の砲弾は衝立に命中した。STトータスは衝立に押し出され、三メートルほど吹っ飛ばされた。
ケヴェッグのA・Tがさらにバズーカを発射。砲弾は狙い違わずSTトータスの頭部、三連センサーに命中した。
STトータスは、頭部から火柱を噴き上げるかのように爆発した。それは頭部から胸部、下半身へと移動し、一瞬の閃光ののち、STトータスの姿は失せる。
その時、ケヴェックのA・Tの後方から、ニガッダのバックスがにじり寄った。
俺はバックスの足元を狙ってヘビィマシンガンを掃射させた。
弾丸がバックスの足元を削り取る。一瞬、バックスが躊躇し、立ち止まった。
「ニガッダ、あんたの相手は俺だッ」
俺は口元のマイクに向かって叫んだ。
その時だった。
突然、俺の持っていたヘビィマシンガンが爆発し、同時にケヴェックのA・Tの三連装バズーカも砲身が基部から引きちぎられて飛んだ。
どうやら、周辺に潜んだ軍警用A・Tからの狙撃のようだった。
小賢しい真似をッ――と、俺は歯噛みした。
モニターの中に、二つの映像が写った。一つは足元から火花を散らし、ローラーダッシュで急接近してくるニガッダのバックス。そして、もう一つは突然、ケヴェックのA・Tの後方に、B通路の辺りから出現した二体のトータス型A・Tの姿だった。
「ケヴェック、後ろだ!」
俺は叫んだ。
だが、ケヴェックには聞こえた様子もない。
モニターの中でケヴェックのA・Tが倒れた。後方から二体のA・Tの体当たりを喰らったのだ。
その時だ。俺は機体の上方から凄まじい衝撃を受けた。急接近したニガッダのバックスが、衝立を引き抜き、俺のA・Tに叩きつけたのだ。
「本当におしまいにしてやる」
ニガッダの声が入ってきた。
バックスが、再び衝立を振り上げた。今度は側面を正面に向けてだ。
長さ三メートル、幅二メートルと最も小さなタイプの衝立だが、基本的にはA・Tの装甲板と同じ金属で作られている。
瞬間、俺はアクセルペダルを踏み込んだ。グライディングホイールが高速で唸り、機体が滑走し始める。
「シャ・バックの仇めッ」
俺は咆え、右の操縦桿を前に倒した。右腕がバックスの方向を向く。
同時に、バックスが衝立を振り下ろして来た。
俺は操縦桿の上の赤いトリガーを親指で叩いた。
瞬間、コクピットの右側から衝撃が走った。アームパンチが作動した衝撃だ。
だが、操縦桿から伝わってきた手応えはなかった。アームパンチが衝立に命中し、弾き飛ばされたのだ。
その時だ。
全関節からオーバーヒートの水蒸気をあげ、ケヴェックのライジングトータスが足元から火花を散らしながら突進してきた。
「青の騎士! 逃げろ!」ケヴェックの声がスピーカーから入る。
ライジングトータスがバックスの肩口に突っ込んだ。と、ガラスの表面を引っかいたような身の毛もよだつ甲高い音が約二秒間続き、二体のA・Tはもつれるように観客席のフェンスに激突した。
「早く脱出してくれ、青の騎士ッ」
ライジングトータスのいた方向にモニターを回すと、敵のA・T二体が横転していた。それも二体とも頭部がごっそり引きちぎられている。間違いなくリアルバトルの高等テクニックヘッドアウト≠セ。
「あんた、こんないい腕を持ちながら、何故自分で脱出しないんだ。俺にはやらねばならないことがある。あんたこそ逃げてくれ!」
俺は通信器ごしに怒鳴った。
「腕がいいのはA・Tの性能のおかげだ」
バックスともみ合い、全身から水蒸気を噴き上げるトータスからケヴェックの声がした。
俺は右腕を失った機体を、二台のA・Tの側まで移動させた。
「ケヴェック、そのままA・Tから出ろ! そいつは俺の獲物だ!」
「ケイン、俺はこの連中に新型A・Tのデータを吐かされている。おめおめと軍には戻れん」
ケヴェックの悲痛な声が入る。
「手土産があるだろう。黒いA・Tの情報という」
「お前も元軍人ならば判るはずだ。おれに、これ以上恥をかかせんでくれ」
ケヴェックがスピーカーの向こうで不退転の決意を見せた。
その時だ。俺はスピーカーに割り込んできた声に戦慄を覚えた。ケヴェックも、ニガッダも同様のショックを受けたのであろう、俺の眼前の二体のA・Tも動作を一瞬止めた。
無表情だが、それでいて腹の底まで震えあがらせるような威圧惑のある声だ。声の主は間違いなくケヴェックでも、ニガッダでもない、第三の男だ!
「その二人を殺せ」
ただ一言だった。
「わ、判った、|黒き炎《シャドウ・フレア》」
|黒き炎《シャドウ・フレア》だと。ついに奴が出てきたのか!
「まず、スパイの方からだな」
ニガッダの声とともに、フェンスを背にしたバックスが右肘をライジングトータスの腹部にすべりこませた。だが、トータスは相手の動きに反応しない。マッスル・シリンダーが完全にオーバーヒートしたようだ。
「ケイン、中佐に必ずディスクをッ」
ケヴェックの叫びが響いた時、バックスの右腕が鋭く伸びた。
「グフッ……」
バックスのアームパンチがトータスの腹部の装甲板を突き破り、シートごとケヴェックの肉体をつぶした。
「ケヴェック!」
俺は叫んだ。
「殺せ、その男も殺すのだ」
また、ニガッダが|黒き炎《シャドウ・フレア》≠ニ呼んだ男の声が響いて来た。
同時に後方で爆発が起きた。ライジングトータスのオーバーヒートしたマッスル・シリンダーが周辺機器を誘爆させたのだろう。
バックスが、俺のA・Tに向かってヘビィマシンガンを構えた。
「今度こそ、本当に死んでもらおう」
ニガッダの声が通信器から入ってきた。
「死ぬ!? 貴様らを殺すまで、死なん。決してな」
「愚か者めが……」
ニガッダの声とともに、バックスの構えたヘビィマシンガンの銃口が火を噴いた。
轟音とともに、辺りの地表が砕け散った。
「脅しか?」
俺は、嘲笑うように訊いた。
「貴様は、我々のことを今まで今年にもわたって探りまわったという。その分に相当するだけ、あの世に行くまでの人生を楽しむんだな」
ニガッダが、バックスのコクピットでニヤリと笑った。そんな気がした。その言葉が終わるか終わらぬうちに、ヘビィマシンガンの銃口が火を噴いた。
コクピットの右側からガンガンと跳弾する衝撃が伝わってくる。反射的に俺は、衝立の裏側に機体を隠した。
またも威嚇攻撃だ。
「ほう、隠れるのか。一人前に復讐などにこだわる割にはな」
通信器の向こうで嫌味たっぷりに言うニガッタの顔が想像できる。口元をいやらしくひきつらせ、スカシ目をしていることであろう。
「出て来い、青の騎士」
ぐうっと、俺は歯噛みした。
出て来いといわれても、出て行けるはずがなかった。何しろこっちは丸腰である。まともに重火器装備のA・Tと戦っても勝ち目はない。
俺は、機体のモニターを操作し、ケヴェックが倒した二体のA・Tが残したはずの銃器を探した。だが、衝立に阻まれ、バックスに発見されずに取りに行くのは不可能に近い。
ニガッダが業を煮やして、送信器の向こうで咆え始めた。
「貴様ァ、その衝立から出てこい。俺の前に姿も出せねえで、仇討ちしようってのか」
バックスのヘビィマシンガンの銃口から、今度は天に向かって威嚇射撃が行われた。
「それとも、逃げ出す準備でもしているのか、この臆病者」
ニガッダの怒声がつづく。
「ならば、我々を追うのを止め、その小賢しいリングネームも変えろッ」
好き放題をほざきやがる。だが、奴を倒すためには、両腕のアームパンチ以上に確実性のある武器が必要なのだ。いやがうえにも昂揚する激情を必死で抑え、反撃に移る計画を練らねばならない。
だが、構わずニガッダはますます居《い》丈高《たけだか》に怒鳴る。
「青の騎士、貴様もあの異能者になり損なったクエント人と同様、腑抜《ふぬ》けなのか!? 奴はボトムズ乗りのくせに戦いを怖れた。俺たちと戦った時なんざ、奴は戦意すら持ち合わせちゃいなかったんだぜ」
その言葉が飛び込んで来た瞬間だった。
怒りが全身を走った。
男には許すことのできない一線がある。奴らは俺の友を穢《けが》し、停戦後の俺の存在自体を、すべて否定したのだ。
体内の血が咆哮をあげると同時に俺はアクセルペダルを踏み込み、機体を衝立の裏から跳び出させた。
そのままバックスの正面へと突進させる。
アクセルペダルは床についたままだ。最大量のエネルギーを吸いこんだグライディングホイールが、機体を加速させる。
眼前にバックスの姿が見える。あと一〇メートルと迫った。瞬間、奴のヘビィマシンガンが轟音とともに火を噴いた。
俺は、とっさに機体の両腕を振り上げ、頭部センサーを防御するように組み合わさせた。そして、そのまま機体をわずかに前傾させる。
コクピットの左右から激しい着弾の衝撃が伝わってくる。だが、前面からはない。
モニターの中には、鉄骨を組み合わせたようなA・Tの両腕と、わずかにその隙間からバックスの姿が見える。
「いつまでも、それで保《も》つと思っているのか!」
ニガッダが、自信に満ちた声で叫ぶ。
機体の脚に、前方に構えた左腕に、次々と弾丸が喰い込む。
グライディングホイールが空転を始め、機体がヘビィマシンガンの弾丸の圧力でずるずると滑り始める。
俺は、A・T脚部のパイルガンを地表に突き立てた。だが、それも地表を引っ掻くだけで意味を成さない。
バックスの銃口からは、無限と思われるほど弾丸が射出され続けている。
銃弾の雨の中、俺は機体をゆっくりと、一歩、また一歩とバックスににじり寄らせる。
ガンという衝撃がコクピットの右から伝わる。どうやら装甲板が砕けたらしい。だが、今の姿勢ではジェネレーターなどに直撃を喰らうはずがない。接近し、まだ生き残っている右腕のアームパンチを使うしか、勝利する手段はないのだ。
怒りが、全身を支配していた。眼前の敵を叩く=B俺の体内で、軍で聞かされた唯一の言葉が、繰り返し響く。
突然、コクピットの左コンソールが白煙を噴き始めた。機体の左側のマッスル・シリンダーがオーバーヒートしたのだろう。この機体は限界なのか――
「俺の復讐は、こんな形で終わってしまうのか」
俺はコクピットの中で唸った。
その時だ。
突然、銃撃が途絶えた。ヘビィマシンガンが、弾切れを起こしたのだ。モニターの中では、バックスが弾倉を取り外している。
「今だッ」
俺は、機体を猛然とダッシュさせた。
バックスも、ヘビィマシンガンを放り出し、ローラーダッシュする。機体が迫る。
俺は、操縦桿の赤いトリガーを叩いた。まだ生き残っていた右腕が、左腕をかいくぐって突き出される。と、同時に肘の辺りが閃光を発し、鋭くバックスの頭部を目指して伸びた。
コクピット右側から鈍い衝撃が伝わる。だが、それはアームパンチの命中した感覚ではなかった。バックスが身を翻して俺の機体の右腕を掴んだのだ。
「最後の抵抗も、無駄に終わったようだな」
ニガッダの声がする。と、同時にバックスは、俺の機体の右腕を引きちぎった。
錆びついた蝶番が軋むような音とともに、右腕が、コクピットの壁ごと失せた。
ドッと喚声がコクピットに雪崩れ込む。
バックスの頭部の三連スコープレンズがコクピットの中を覗きこんだ。レンズに、計器類のライトが照り返しを浮かべる。
その瞬間、バックスの機体が、何者かに弾かれたかのように、右側へとのけぞった。
銃撃だ――俺は反射的に銃弾の発射された方向に目をやった。そこは客席だ。客席の下段のあたりに設けられた通用口に、青い機体のA・Tがあった。
ベルゼルガだ。ドッグ用のヘビィマシンガンを手にしている。
ベルゼルガは客席からリングヘと跳び降りるように乱入すると、猛然とバックスに向かって五メートルほどローラーダッシュ! 立ち上がろうとするバックスに体当たりし、抱えこむように機体を倒した。
ベルゼルガのハッチが開いた。中のパイロットは、ヘルメットを脱ぎながらコクピットから跳び出してきた。
「早くこいつに乗って! ケイン」
パイロットは、ロニーだ。
俺は、ドッグの機体から跳び降りると、バックスの腕を足場にして、ベルゼルガのコクピットに駆け登った。
「このA・T、扱い難いのね」
と、ロニーがヘルメットを差し出しながら言う。
「何故ベルゼルガを」
俺は手短に問うた。
「言ったはずさ。あんたのマッチメーカーをやるって。そのためにはあんたを殺させはしない。それに、まだ試合は続いてるんだ。そいつに乗り換えたからって、誰も、何とも言いやしない。試合は面白くなるからね。早く準備しな!」
そう言うと、ロニーは客席へ向かって駆け出した。
その時だ。今まで潜んでいた軍警のA・Tどもが立ち上がった。各機がロニーを狙って銃を構える。
「待て! そんな女、殺したって、一銭の価値もねえ」
ニガッダの声が響いた。
「それに、その女の言う通りだ。バトリングはまだ終わっちゃいねえ」
機体が揺らぐと、ベルゼルガを押しのけて、ニガッダのバックスが立ち上がった。
「これからが本当の勝負だな。そのA・Tともども破壊してやる、青の騎士」
バックスが、不敵に機体を震わせる。
「面白い。だがな、地獄を覗くのはあんたの方だ」
俺は、ヘルメットを被ると、ハッチを閉じてベルゼルガを立ち上がらせた。
ロニーが客席へ跳び込むのと同時に、軍警用A・Tが踵《きびす》を返し、俺とニガッダの方向へと銃を構え直す。
だが、バックスはそれを手で制した。
「俺がこんな野郎にやられると思っているのか」
ニガッダが軍警の連中に言う。
「はッ、大尉」
という声が返ってくると同時に、軍警のA・Tが銃を下げた。ニガッダが軍警官の一人だということは考えられない。が、この組織、軍からあぶれた連中によって構成されている分だけ、昔のタテ関係には極めてシビアである。それ故、ニガッダの命令を受け入れられるのだろう。
「お前も、そのA・Tに乗りこんだことだ、一気に勝負といこうじゃねえか」
ニガッダが言う。
「そうだな」
俺は、ベルゼルガを後方に移動させ、バックスと一〇メートルほど距離をおいた。
「行くぜ!」
バックスが、銃を腰に構えたまま足元から火花を散らした。そのままベルゼルガに向けて突っ込んでくる。
俺もアクセルペダルを踏み込んだ。
グライディングホイールが唸り、機体が加速を始める。身を切るような加速感だ。先の中古ドッグとは格が違う。いや、それ以上に、俺の全身を使い慣れた兵器だけが与えてくれる信頼感が包みこんでいた。
「お前の死出への花道だ。なるだけ綺麗に爆裂してくれ」
ニガッダの声が聞こえる。
奴の機体が両腕を前方に突き出して、高速で迫る。
俺もアクセルペダルを床まで踏み込んだ。機体が僅《わず》かに軋み、急加速を始める。と、同時に軍警A・Tの様子を見るため広角側を用いていたモニターレンズを、標準側に切り換える。モニターにバックスの黒い機体だけが映し出された。レンズは標準の方が感覚的に敵の姿を捉えやすい。
モニターにバックスの頭部だけが映った。
――相対距離、約二メートル――
俺は機体のバランスを左前方に傾け、ホイールアクセルを思いきり踏み込んだ。
機体がバックスの右側へと大きく横滑りを起こす。それを追跡《トレース》するかのようにバックス頭部のスコープレンズが動く。いや、レンズだけではない。機体全体が同様に横滑りを起こしているのだ。
「馬鹿めッ、クエント人と同じ戦法を取りやがって!」
ニガッダが叫ぶ。
「ほざくなッ」
俺は叫び、左手元のレバーを思いきり引きあげた。降着レバーだ。コクピットが沈み込む感覚に包まれる。
同時にモニターの映像はバックスの機体を舐《な》め下ろすように変わっていく。
「ば、馬鹿な、手前、正気じゃねえ」
ニガッダが喚いた。
俺は、降着機構を用いて、横滑りしながら機体を沈み込ませたのだ。
機体の頭上でバックスのアームパンチが空を切った。
その瞬間、俺は引きつづけていたレバーを手放した。瞬時にそれは元のポジションまで復帰する――と、腹にかかる軽いGと機体の左腕部から伝わってくる衝撃を感じる。
ベルゼルガの必殺兵器、パイルバンカーがバックスの腹部を貫通したのだ。
だが低い位置から放ったため槍は装甲板にそって極めて浅く抜けている。A・Tにとって致命傷ではない。うまくすればパイロットを貫いているかもしれないが、そんなことを期待はできない。
パイルバンカーのレバーをふたたび引き、長槍を元のポジションに戻す。
串刺しにされ動きが停止していたバックスは呪縛を解かれたようにヨロヨロと動き出し、そのまま仰向けに倒れた。
俺はベルゼルガの脚でバックスのコクピットの下を蹴り上げた。衝撃でハッチが跳ね上がる。中にはニガッダが赤く染まった左肩をおさえ、呻《うめ》いていた。パイルバンカーが奴の肩をえぐっていたのだ。
「まだ死んではいないな」
俺はA・Tの左腕をバックスの剥き出しになったコクピットに突き入れ、ニガッダを掴み上げた。
「どうだ、貴様はこれから地獄を見るんだ」
俺は冷酷に言い放った。ニガッダはすでに極度の貧血状態を起こして、顔が土気色になって喘いでいる。
「シャ・バックの仇敵《かたき》め! 死ねッ!」
俺はニガッダを掴んだ左腕を衝立の壁面にアームパンチをつかってたたきつけた。
肉塊がはじける音がした。
奴の肉体は四散した。血煙が舞い散り、ベルゼルガの腕はもはや青の騎士とは呼べぬほど赤く染まった。
オウラ・ニガッダは死んだ。
だが、そんな奴の死も、俺にとってはシャ・バックの復讐という目的の十分の一にも達していないのだ。
俺はバックスの側にベルゼルガを寄せた。機体には、奴らの強さの秘密が隠されているに違いないのだ。ケヴェックから受け取ったミッションディスクと掛け合わせれば、黒いA・Tの実体が掴めてくるに違いない。
俺が、バックスのハッチにベルゼルガの腕を掛けた時だった。
バックスの機体が、凄まじい銃撃によって蜂の巣になった。両腕はちぎれ、ポリマーリンゲル液は飛び散り、コクピットハッチは形を失った。
とっさにベルゼルガを退かせ、俺は視線を移した。
瞬間、俺の目に、あの黒いA・Tの姿が飛び込んできた。縦長のカメラアイを持ち、左腕には、鋼鉄の爪アイアンクロー≠装着している。奴は大きくAと書かれた通路の出口付近で、大口径マシンガンを構えて立ち尽くしている。
「遂に現れたな、|黒き炎《シャドウ・フレア》」
俺は絶叫し、アクセルペダルを踏み込んだ。
だが、その瞬間だった。
俺の周りで数十台の軍勢用A・Tホイールドッグ≠ェ立ち上がった。
奴らは脚部から時折火花を散らせながら滑走してくる。かなり作動行動の訓練をつんだ部隊だ。俺が|黒き炎《シャドウ・フレア》に近づこうと動き出すより早く、彼らはベルゼルガの周囲を包囲した。黒いA・Tのそばにも二、三機ついている。
奴らの得物は、電撃ロッドか、ヘビィマシンガンだ。一斉射撃を受けたら勝負にならない。俺は徹底的に接近戦を挑むことにした。
ヘビィマシンガンを腰のアタッチメントに固定してダッシュした。
奴らの内、二機が眼前に迫る。両機ともにアームパンチの体勢をとった。
俺はベルゼルガの両腕を用いて迫り来る二機のパンチをはらい、返す両拳を奴らの頭部に向けた。同時に両腕のアームパンチを作動させた。狙い違《たが》わず目前の二機の頭部に両鉄拳が喰い込む。視界を失った両機体は頭部を失って退いていった。
後方警戒センサーが、別のA・Tの接近を伝える。頭部が一八〇度回転し、敵を捉えた。電撃ロッドを振り上げ、ローラーダッシュで迫ってくる。
俺は両脚のグライディングホイールを双方逆回転させ、機体をそいつに向けた。
ロッドが振り下ろされる。だが、以前のようにやられはしない。楯でロッドを受ける。電流は伝わってこない。右腕のアームパンチ一閃でそのA・Tを横転させる。
周囲を取り囲んでいたホイールドッグが散った。入れ替わりにヘビィマシンガンを装備した機体が前に出た。
まずい! 俺は左肩の楯を前方に構え、ローラーダッシュした。
俺の前方にいる三、四機が撃ち出した。
かなりの銃弾がベルゼルガに集中する。だが大半の弾着は楯と脚部の防弾板に集中し、他の部分も跳弾して致命傷にはなっていないはずだ。しかし、コクピット内は臓腑をえぐるような轟音に満ちている。
ローラーダッシュしたベルゼルガをそのままA・Tの一体に激突させる。九トン余りの鉄塊が時速四〇キロの慣性でぶつかったのだ。相手のパイロットにはとてつもない衝撃がかかっている。
数メートルほど飛ばされたホイールドッグはそのまま地面に叩きつけられた。ベルゼルガもローラーダッシュで得た慣性を失った。
倒れたA・Tを盾にすれば他の奴らは撃てないに違いないという考えは甘かった。撃ってきた! ベルゼルガに銃撃が集まる。倒れているA・Tにも流れ弾がいくつも当たっている。爆発! 味方のA・Tを犠牲にしても俺を倒そうというのか!
俺は腰のヘビィマシンガンを腕に持たせた。死にもの狂いで突進しないかぎり、|黒き炎《シャドウ・フレア》に辿りつくことはできない。
ヘビィマシンガンを乱射させる。小刻みに撃ち出される弾丸の感覚が操縦桿を通して伝わってくる。
轟音が約三秒続くと、眼前で蜂の巣になったホイールドッグ二機が銃弾孔から黒煙を吐き、次の瞬間、手脚を四散させ爆発した。
前方から一機が覆い被さるように迫る。
だが、瞬時にアクセルペダルを閉じてやると、機体は引き込まれるように反転する。
モニターの中で遠ざかるA・Tを背面から撃つ。そいつは上半身のみ爆発した。下半身はバランスを失うまで二〇メートルほど走行し、仰向けに倒れた。
眼前にA・Tがあと三〇メートルと迫った。
奴はヘビィマシンガンを乱れ撃ちする。いや、もう盲撃ちと言っていいほどだ。
俺は奴があと二〇メートルと迫った時、ベルゼルガにヘビィマシンガンの狙いをつけさせ、撃った。
弾丸は不動の直線の上を追跡《トレース》するかのようにホイールドッグの頭部――スコープレンズの部分だけを削り取った。
だが奴はそれでも迫ってくる。脚部のグライディングホイールは咆え続けている。
――実視界戦闘でやる気かッ――
奴が放った弾丸が機体の左右を掠め飛ぶ。接近するにつれて、弾丸が中央に集まり始めていた。
俺は奴の機体目掛けて再びゆっくりとベルゼルガにヘビィマシンガンを構えさせた。
狙う。奴が迫る。あと一〇メートル――
トリガーを引き絞る。
それは電気信号としてベルゼルガの鋼鉄の指に伝わった。
轟音とともに、ヘビィマシンガンの銃口が火を噴いた。
次の瞬間、ホイールドッグの上半身が四散、粉々に砕かれた破片が地に落ちる。
だが、破壊するにも限界はある。今の一撃でヘビィマシンガンの残弾数は三〇、あと一射分を残すのみとなった。
俺はヘビィマシンガンを腰溜めに構えさせると、アクセルペダルを踏み込んだ。まだ、黒いA・Tは通路の入り口から動いてはいない。
じっと、俺の戦いを見続けている。
その黒いA・Tの姿を垣間見せる二機のホイールドッグの間隙に俺は機体を突っ込ませた。
ホイールドッグが手にした電撃ロッドを天にかざし、脇を抜けようと突っ走るベルゼルガ向けて振り下ろす。
俺は機体を沈めてかいくぐった。ベルゼルガの頭部と、電撃ロッドの間にスパークが走る。コクピット上方から軽い風切音が聞こえる。
瞬間、モニターの左右からホイールドッグの脇腹が失せた。と、もう前方にホイールドッグの姿はない。包囲網は抜け切ったのだ。
後方センサーはホイールドッグどもがベルゼルガに向けて機体を反転させたことを告げていた。だが、銃撃はない。
そうだ、今、ベルゼルガの三〇メートルほど前方には、あの黒いA・Tが立ち尽くしているのだ。
奴は微動だにせずベルゼルガを見据えている。だが、それだけでベルゼルガの機体に、いや、コクピットの中の俺に、凄まじい威圧感が伝わってくる。
――奴はシャ・バックの仇だ――
それは良く判っている。だが、操縦桿を握った指は、一センチ上にある赤いトリガーを引き絞ろうとはしない。
怒りと焦燥が交互に全身を駆け巡る。
俺はアクセルペダルから足を離した。ベルゼルガはそのまま五メートルほど滑走すると、停止した。
黒いA・Tの一〇メートルほど手前だ。
ホイールドッグどもは、微動だにせず対峙した二体のA・Tを見守っている。
俺は黒いA・Tの呪縛から逃れようと、指先に神経を集中し、操縦桿を引き起こした。
ベルゼルガが黒いA・Tに向けてヘビィマシンガンを構える。銃口は間違いなく奴のコクピットを捉えているはずだ。
「貴様に、私は撃てん」
突然、通信器の向こうから先の試合で三人のボトムズ乗りを震憾《しんかん》させた声が入った。感情を押し殺した、それでいて張りのある威圧的な声だ。
「いや、撃てる!」
俺は自分に言い聞かせるように咆えた。
しかし、俺の意志とは逆に、人差し指はゆっくりとしか動かない。だが、わずかずつだがトリガーヘと近づいていることは確かだ。
――臆したのかッ、あの男にッ――
自分を罵倒する。
やっと指がトリガーに掛かった。
その時だ!
突然、黒いA・Tのコクピット・ハッチが開き始めた。軋み音一つたてず、ハッチは天を指して開く。
コクピットの中で一人の男が立ち上がった。通路の向こうから射し込む光によって、シルエットにしか見えないが、そいつは長い直毛の男、シャ・バックを無残に撃ち殺した男。
グリス・カーツに間違いがない。
奴の周辺では何本ものコードがあたかも血管のように脈打っている。
トリガーに指が掛かっていることは確かだ。だが、指先は硬直し動かない。いかに意識を集中してもだ。
「貴様は、ここで死ぬ」
計器板の淡い照り返しを受けた奴の口元が、かすかに動いた……。
[#改ページ]
本書はTVアニメ作品『装甲騎兵ボトムズ』(日本サンライズ制作、昭和58年4月〜昭和59年3月放映、全五十二話)の設定に基づいて描く、オリジナル・インサイド・ストーリーである。
〈青の騎士ベルゼルガ物語〉スタッフ
企画・制作/伸童舎
原案/勝又諄
文/はままさのり
イラスト/幡池裕行
コンピュータワーク/近藤雅俊
レイアウト/椎葉光男
ディレクター/干葉暁
デザイン協力/藤田一己
表紙撮影/中島秋則
ビデオ撮影/泉博道
プロデューサー/野崎欣宏
[#改ページ]
青の騎士 ベルゼルガ物語1
昭和60年6月29日 初版発行
昭和62年11月20日 20版発行
著 者 はままさのり
発行人 喜久村 繁
発行所 株式会社 朝日ソノラマ
注、発行日のデータは、表紙コメント・挿絵を使用した底本のデータです。