[#表紙(表紙.jpg)]
尼は笑う
麻生佳花
目 次
剃髪《ていはつ》人格改造論
お盆はトライアスロン
かぶりもの
ヨコミチ――四無量心
正座と匍匐《ほふく》前進
尼ふん
出家まで
ヨコミチ――四苦八苦
お山へ
入場式
おっさん的水遊び
ヨコミチ――生まれたものには、……
ルームメイト
平均的一日
夜の行《ぎよう》
ヨコミチ――心王
ハチを回せ
食堂《じきどう》は早食い道場
けんか花火
ヨコミチ――諸悪莫作、……
太古の音
地の果て結界地
山中かけめぐる
ヨコミチ――心所
出 場
現在信仰形
百五十人分の飯炊き
ヨコミチ――頭を剃りても……
ご合掌《がつしよう》
同窓会
えべっさん
ヨコミチ――人心の同じからざるは、……
花、花、花……
芥箱《あくたばこ》返上
エセ○○
ヨコミチ――心性蓮華
オレイ
[#改ページ]
剃髪《ていはつ》人格改造論
尼僧になると身支度《みじたく》で時間を要するのは頭を剃《そ》ることくらいです。
T字型|剃刀《かみそり》を使い、自分でぞりぞり剃る。なかには電気シェーバーで剃り上げている豪傑もいたりします。シェーバーもそんなことに使われるなんて思いもしなかったでしょう。頭は思いのほか面積が広く重労働なので、一年で故障するとか。
私は細々とT字型剃刀を使っています。あまり活躍していない頭ですが、よからぬ物がたっぷりと詰まっているらしく、ほんの少し切っただけでも驚くほど血が出ます。
修行のため道場にいたころのことです。
「あんた、血だらけたい」
そう言われて鏡を見ると湯煙の中、血|塗《まみ》れのゾンビの如き物体がぼんやりと映っています。流血の坊主頭は、かなり不気味なもの。こういう状況の時は笑うしかないでしょう。
「きゃー」
大袈裟《おおげさ》に驚いてみせ、失笑を買います。
どうやら、へまをしている人は、ほかにもいるようす。頭から血を流しながら、平気な顔で談笑しています。
もちろん慣れた人はナイフ型剃刀を使っても無傷のまま剃り上げます。まさに職人技。長年にわたり剃り磨きをかけた頭は、妙な存在感があり、ちょっと触ってみたくなります。そういった衝動は人間の本能として脳に入力されているのか、私も「触っていいですか」と、何度か女性に言われたことがあります。
男性はうら若き女性の黒髪に触れたがり、女性は尼僧の剃髪を触りたがる。黒髪は愛《いと》しそうに、剃髪はこわごわと触れられるという違いはありますが。
どの剃髪も見た目は一様につるつるですが、実際の感触は種々雑多です。若い人は生えかけの毛も元気|溌剌《はつらつ》なのか、ちくちくとした手触りがします。だからタオルなどを投げつけると、ぺたんと頭にくっつく。普段も糸屑《いとくず》がついていたりします。真剣にお経を唱えている頭に塵《ごみ》が張りついているのは妙なものです。
「髪は女の命」と言われるように、髪には何やら思いが詰まっているのかもしれません。頭を剃ると、雑念までも捨てやすくなるように思います。
一週間ほど髪を伸ばしていると、よからぬ考えがむくっと起こる。で、剃る。気分がすっきりして煩悩《ぼんのう》もやや治まります。単純なようですが、本当の話です。
人間が内面から変わるには、相当の努力がいるでしょう。手っ取り早く変化したい人には、スキンヘッドをお勧めします。
効能は、
・剃る度に、生まれ変わった新鮮な自分に会える。
・気分が、かつてないほどすっきりする。
・悪い感情が薄れる。
・やる気が出る。
・おおらかになる。
と、いいことずくめという次第。ただし、見た目はよくないのが難点です。が、格好なんか関係ないというご仁は、一度試してみる価値は充分ありますよ。
もっとも恐い系のスキンヘッドの方がどういう心理なのかは、よく分かりません。機会があれば、その筋の人の意見も聞いてみたいとも思うけれど……。
私は腰の辺りまで伸びた長髪から一気に剃髪になりました。
「どうせ切るのだったら、いろんな髪型を試したらよかったのに」
化粧品会社に勤める友人が言ってくれましたが、後の祭りです。
剃髪式はお相撲さんの断髪式のようなもので、式場で最初に形だけ剃刀を入れ、途中で退座して剃髪になり、また式場に戻るといった具合に進みます。
一つに束ねた髪を鋏《はさみ》で切り、三つ編み状の綱のような物が一つできました。結構な大きさです。
「その髪で筆を作りませんか」
と勧めてくれた方がいます。その方は書道の先生をしているのですが、髪の毛でできた筆があるそうです。赤ん坊の毛髪でも作るとか。かわいい赤ちゃんのものならいざ知らず、私の髪で作った異様な筆など誰も使ってくれないでしょう。
「飾っておくだけでも」
と、言ってくれますが、もっと勘弁してほしいと思います。ももんがの剥製《はくせい》やありませんから……。お気持ちだけで充分です。
それに、髪塚というのがあって、そこに埋めればいいそうです。なるほど、ではそうしましょうと思いながらも等閑《なおざり》にしているうちに、髪の存在を忘れてしまいました。
髪は箱に入れられたままどこかで眠っているはずですが、もう何年もたつので別の物質になっていそう。開けるのが恐い気がします。
ところで、女性にとって髪を剃るのは、覚悟のいることなのでしょうか。私はまったくと言っていいほど抵抗がなく、剃ったあとはすべての荷を降ろしたようなさっぱりとした心地でした。
「よく決心しましたね」
涙ぐみながら声をかけてくれた方がいて、そうか決心がいったんだ、と内心思ったくらいです。
考えてみれば、困ったことに改めて決意した覚えがありません。漠然と、一生僧のままだろうという思いはあるのですが。
それは嫌々ではなく嬉《うれ》しい意味合いですので、まんざらいいかげんな気持ちではありません。個人的には大真面目なつもりですが、的がはずれているのでしょうか。
髪を剃っても別段悲しくありませんでした。まったく何の感慨もないというわけでもありませんが、あまりの爽快《そうかい》感に感傷の出る幕がなかったのだと思います。
「すっきりした。どんなに髪を洗っても、こんなにいい気持ちにはならへんわ」
というあっけらかんとした感じでした。たとえると、美容院に行ったあとの七倍くらいの爽《さわ》やかさです。そうして、心持ちが高揚する。
たぶん、これから僧になることへの好奇心と、やる気が満々だったのでしょう。尼僧になる人達は、意外なことにみな嬉々《きき》として、ぞりぞりしていたに違いないと、勝手な解釈をして悦に入ったりしていました。
さて、剃髪初日、鏡の中の自分を見た感想は、
「いけてる」
というもの。遠い過去から、その姿だったような懐かしさがあり、穏やかな気分でした。
にもかかわらず、その夜、夢に出てきたのは長髪です。翌朝、髪の長い心象のまま目覚めて、鏡の横を素通りした時、「ぎえっ」と驚きました。
いかにも奇怪な生物がいると思ったら、自分なのです。
「そうそう、髪を剃ったんだった」
ころっと忘れていました。こんな風に、毎朝鏡で驚くという身体に悪いパターンは、一週間も続いたでしょうか。
「いつになったら夢の中でも剃髪になるのかしら」
ふと調べてみる気になりました。で、夢見を観察してみます。
剃ってから一か月たった頃、ようやく夢の中に、坊主頭で初登場を果たしました。その後、長髪、剃髪と入れ替わり立ち替わり登場し、ほぼ完全に坊主頭が主役になったのは、約半年後のこと。脳の中にある映写機は、約半年の間は残像を残すのが分かりました。
以上のことがあってから、人間が意識を変えるには、半年が目安になるのかも、と思っています。例えば禁酒、禁煙、あるいは失恋等、半年踏ん張れば大丈夫。強烈なる残像は薄らいでいるはずです。
[#改ページ]
お盆はトライアスロン
お盆の間は一日に四十軒前後の家を回ってお参りします。
盆棚経《ぼんたなぎよう》の時には、担当の家を書いた紙が手渡されると、まず寺の住所録で住所を調べ一軒ずつ地図で確認、最短の道順を探すという地道な作業から始めます。
あらかじめ順路を車で回り確認しておかなければいけません。とにかく道順だけはきちんと頭に入れていないと、当日迷えば大幅に遅れてしまいます。
朝六時過ぎに寺を出ますので、一軒めの家にうかがうのは七時前になります。その家は玄関に鍵《かぎ》がかかり、シーンとしたようす。
「さては寝ているな」
こういう時、なぜかウキウキした気分になります。「寝込みを襲ったった」という満足感のようなものが生じるのです。人の無防備な一面を垣間見られるのは、やはり楽しいもの。寝ぼけ顔がぬーと出てくるのを期待して、
「ごめんください」
声をかけましたが、返事はありません。どうやら留守のようです。ということは一軒行かずにすみそう。ますます嬉《うれ》しい展開になってきました。
「ラッキー」
心も軽く、その場を立ち去ろうとした時です。
犬を連れて散歩していた方が、
「この家の人なら、そのマンションに引越しましたよ」
すぐ近くにある建物を指差して教えてくれました。部屋の番号は101といいます。ご親切には感謝しますが、知らない方がよかったような……。とはいうものの聞いたからには、いちおう行った方がよさそうな気もします。
そこでわずかな距離ですがまた車に乗り、教えてもらったマンションに行きました。駐車場から部屋まで走ります。表札はかかっていませんが、とりあえずインターホンを押すと、間髪《かんはつ》をいれず戸が開き、
「ひゃー、ようここが分かったな」
というご主人の第一声に迎えられました。
受け取りようによっては、来てほしくないのに見つけられたともとれます。
そういえば、引越しを寺に知らせなかったのは、「来なくて結構です」との合図かもしれないと遅まきながら気づきました。
ここはいっそのこと、
「逃げても無駄やでぇ」
などと、すごむほうがふさわしいのでしょうか。
ところが、ご主人はまるでかくれんぼをしていて見つけられた子供のように、
「来た。お寺さん来た」
笑顔なのです。その様子はどうみても嬉しそう。
奥さんに至っては、
「ありがたい」
そう言って涙まで浮かべています。
仏壇を見ると線香と蝋燭《ろうそく》もちゃんと灯《とも》され準備万端というところ。やはり待っていたのでしょうか。
引越しの案内を出し忘れたのに気づいたけれど、縁があったら来てくれると信じていたと言っています。そんなことを信じていただいても……。
お経をすませ、二軒めへと猛ダッシュ。
時間短縮のために仏壇の前に座ると同時に、蝋燭や線香に灯をつけながら、読経を始めます。その家の方にとっては忙《せわ》しなく映ると思いますが、お盆ですからこんなものでしょう。
ある僧は、
「僕は玄関に入ってすぐに始める。終わりも玄関で仕上げたいくらいや」
と言っていました。
玄関からなにやら聞こえ、お坊さんの姿が現れる。そしてまた遠くに去っていくお経。活きたステレオ放送のようでそれもよさそうです。
僧の着る衣は透けた生地ですので、見た目は涼しそうに見えますが、黒の生地が熱を吸い込むせいか、とても暑いのです。おまけに車は照りつける陽射しに蒸し風呂となり、クーラーをつけても効く頃には、次の家に到着するという塩梅《あんばい》。
暑さと疲れからでしょうか、ぼぉっとして失敗をしました。
お経の仕上げともいえる回向《えこう》の時です。○○家先祖代々の霊位……と、おごそかに唱えていたつもりが、
「あのー、うちは□□ですけど」
○○さんは次の家でした。
いくら心を込めて唱えたと言いわけしたところで、違う家の回向をされては、やるせないと思います。まことに失礼をいたしました。
もひとつ無作法をしたことがあります。
仏壇の中が暗くて、位牌《いはい》の戒名が見えにくい。それでもなんとか読み進めていると、
「それは、ここにいるおばあちゃんのです……」
よく見れば位牌に一センチ四方の赤いリボンが貼ってあります。赤い文字で書かれているのは生前戒名、まだ生きている方を意味します。
ご主人が亡くなられた時、一緒に法名を授かったのですが、年月が過ぎたので赤い字が黒く変色してしまい、リボンを貼って代用していると、お嫁さんが申しわけなさそうに言っています。
ますますいけない感じになってきました。
でもご本人は、
「たくさん生きたからね」
あっけらかんと笑っています。
亡き者にしようとしたことも、リボンの代用もまったく気にとめてなさそうです。たくさん生きると、おおらかになれるのかもしれません。
尼僧になってから、年配の方と話をする機会が多くなりました。みなさんそれぞれに長い年月をかけて培《つちか》ったと思われる持ち味がありユニークです。長命は面白そうだという印象を受けるのですが、いかがなものでしょうか。実際のところは我が身で経験しないことには分からないのかもしれません。いつか試せるといいのですけど……。
後はお嫁さんにおまかせして、とり急ぎ次の家へと移動します。
時間の関係上、お経はいつもより速く読みますが、家の人達が一緒に唱える場合は、ゆっくりめにします。一人で唱えるより皆で唱えた方がよさそう。何事においてもそうなのでしょうけど、力を合わせてすると優しい気持ちになれるようです。
どの家でも、一軒一軒心を込めて読経するように心がけています。もっとも私が心を込めてお経を上げたところで、別段なんてことはないと思います。ただ、どうせなら楽しく、というのも変ですが、心を込めた方がけっこう嬉々《きき》として回れるのです。
乗り物に乗ったり、走ったり、お経を上げたり、スポーツにたとえるとトライアスロンでしょうか。三種あるからです。それに、体力、気力もいるものですから、終えるたびに逞《たくま》しくなる気がします。そして、お盆すぎには頭までも、こんがりと日焼けをしています。
[#改ページ]
かぶりもの
修行僧の持ち物の必須《ひつす》品目に天台笠《てんだいがさ》があります。竹で編んだ笠ですが、通常、尼僧の生活で、このような編笠をかぶる機会はありません。私が初めて使用したのは道場でした。
法衣《ほうえ》に袈裟《けさ》姿、頭に笠をのせると、それだけでいかにも厳しい修行をしている風に見えます。
以前こんなことがありました。行事のためにたくさんの僧が集まった時のことです。天台笠に草鞋《わらじ》ばきの僧がいました。ご丁寧に手甲脚半《てつこうきやはん》までつけています。そのようすからすると、その方は何十キロという距離を歩いて来たに違いありません。
皆は、
「やりますな」
と口々に褒めました。
そして、帰りも歩くのでは大変だろうから、車で送ろうという話になりました。しかし、なぜかその方は頑強に固辞します。
で、ますます、
「やるやないか」
となりました。
結局、天台笠の僧は皆に見送られ寺を出て行きました。ところが後で、そこから二百メートル離れた空き地に車を止めていた、という真相が露顕しました。何を思ったか、跡をつけた僧がいたのです。
どういう理由から、こんな演出をしたのでしょう。視覚的効果の実験でも思いついたのでしょうか。だとすれば大成功でした。旅の僧といういでたちに、皆が歩いて来たと思い込んだのですから。軽いちゃめっ気のつもりが予想外の賞賛を受け、種明かしをする機会を失ったのかもしれません。
何にせよ、必然性なく笠をかぶるのも尾行も、僧侶《そうりよ》らしくないと思われます。
はたして、
「あんなん坊主やない」
と暴言を吐く人まで現れました。
笠かむりが恥知らずで、尾行は許されるという意見、いや尾行こそがけしからんと言う人、どっちもどっち、お粗末さまとこきおろす人、という具合に、人それぞれ印象が違うのが興味深いところ。傾向として、自分に縁のなさそうな行為に対して厳しい意見が出たようです。
意外だったのは、皆がきつい口調だったこと。僧は穏やかな気性であり、人の悪口は言わないもの、という私の勝手な思い込みがあったから、そう感じたのでしょうか。
この話に限らず、一般的な僧侶像が崩れることは幾度かありました。でも、こういうのも人間らしくてよいのではないでしょうか。
その証拠に、おかげさまで「なんじゃそりゃ」なんて笑わさせていただいたことですし。
これに懲りませず、その突拍子もない思考回路を活かして、どんどん楽しませていただきたいと存じます。
見た目に惑わされるのは周りだけでなく、当事者も同様のようです。というより、本人こそ顕著に心裏まで変わるのでしょう。
例えば、京都の舞妓《まいこ》さん一日体験。近頃は街中で、にわか舞妓さんを見かけます。彼女達は明らかに即席っぽいのですが、観光客に写真を撮られたりしています。すると、だんだんその気になるのか、足は内股、喋《しやべ》り方まで、しとやかに。日本髪、だらりの帯、人の目と三拍子そろえばしゃなりとなれるらしい……。一時間前に見かけた時と顔つきまで変わっています。
このように人が変わる時、「その気効果」は絶大と考えられます。外見が内面に及ぼす影響はあなどれません。僧の衣も然《しか》り、私など心がけすらよくなるという単純さです。
もちろん環境や行動も影響大で、寺に漬かって生活していると、日を追うごとに仏法が浸透してくる気がします。それでもたまには、元来のええかげんが頭をもたげるのか、尼の自分から解放されたくなる時もあります。けれど法衣を脱いでも剃髪《ていはつ》。哀しいかな、素生がばれてしまいます。
その点、男性の僧は洋服を着れば、一見では判明しないのがうらやましい限り。
ホテルで会合があった時のこと。会場前の廊下に背広姿の僧達がたむろしていました。そう離れていないところに、まるで同じようすの集団がいます。
しかし、こちらはやーさん[#「やーさん」に傍点]の寄り合いだったのです。
「どっちかな」
と迷うくらい似通っていました。
第一に髪型が酷似しています。それに普段の反動からか、僧達は派手めのスーツの上、幾人かは真っ黒のサングラスまでしているのです。これでは間違うなと言う方が無理。ほんと、お見せしたいくらい鮮烈な映像でした。
このように、男性はある時は僧、また、かの時は……、と変化することが、いとも簡単に可能なようです。しかしながら、女性はそういきません。剃髪に洋服は奇異に見え、却《かえ》って目立ってしまうからです。
それならばと、鬘《かつら》をかぶり夜毎繁華街に繰り出す人もいると聞きます。そこまでしなくてもよさそうですが、きっと「遊びたい熱」が燃えたぎっているのでしょう。一概に「けしくりからん」とも思えません。私自身、単に火力が弱いだけで、遊興熱が皆無とは言い切れないからです。
それに実はヘアーウィッグも使ったことがあります。
尼になりたてで湯気がほかほか出ている頃、大阪で友人達と食事をする約束をしました。私はまだ一度も僧の姿で夜の町に外出したことがありません。それに、この日会う友人には尼になったことを言ってないのです。いきなり剃髪を晒《さら》すのも何かなと、長髪に変身することにしました。
それでも、さすがにスカートは気が引けます。人込みの中でウィッグが取れるという万一の時を考え、
「パンツスーツなら許されるでしょう」
人が聞いたら「なんでやねん」という不可思議な論理かもしれません。
ま、こうして衣装は決定。すると、やはり化粧もしなければなりません。
「こんなに面倒だったっけ」
しばらくぶりに女装[#「女装」に傍点]すると、いかに厄介であるかを痛感しました。
女に戻ったというよりは、にわかオカマの気分です。ヒールも歩きにくいことしきり。待ち合わせのホテルに、やっとのことでたどり着いた次第です。
久しぶりに友と再会し、夕飯を食べ、夜景を眺めながらカクテルを飲みました。
「いい気分やわ」
寺とはまるで別世界の環境ですが、昨日も来ていたような錯覚さえします。環境に順応することはなはだしく、自分が尼なのも脳から抜け落ちてしまいました。思い出すのは鏡の前に立った時くらい。ウィッグがかろうじて現実を呼び覚まします。そう、この下は坊主頭、と。
散々飲んだり食べたりした後は、友人の家に泊めてもらいました。部屋に入り、安心して鬘を無造作に剥《は》ぎ取る。
彼女達は、
「…………」
無言で固まったままです。驚いてくれたので、私は大いに気をよくしました。
実を言うと、鬘をかぶっていたのは、このためと言ってもよいぐらいですから。それなのに適当な言葉を思いつかず、
「こんなんです」
などと口走ります。
「ちょっとー、勘弁してよ」
「なんですってぇ」
わざとらしく騒ぎ立てるのも女の友情からです。持つべきものは友。こうして浪花《なにわ》の夜は更けていきました。
結局、洋装はそれでお終《しま》い。次の日は法衣を着ることにしました。
この方がやはり落ち着きます。かぶり物は人を楽しませてくれるのですが、面倒なもの。それに私自身、環境に左右されやすい性質なのも、よく分かりました。
一度試せば充分でしょう。以来、ウィッグは使わずじまい……。
[#改ページ]
ヨコミチ――四無量心《しむりようしん》
[#ここから3字下げ]
生きとし生けるものに楽を与え、苦を取り去り、他者の喜びを自分の喜びとし、何ものをも差別しない――これら慈・悲・喜・捨の四つを、はかり知れないほどの深さで思うことを四無量心と言います。
私たちは無量の慈悲喜捨を受けている身なので、たとえ少量でも慈悲喜捨を心がけるのがあらまほしいのでしょう。
他人にも、楽をあたえ苦をとりさることを心がけ、その幸せをうらやまずに心から喜び、好き嫌いによって差別なさらぬよう……。
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
正座と匍匐《ほふく》前進
尼さんという人種は最初から正座に慣れていて、何時間座ろうとも涼しげな顔で立ち上がるという誤解があります。
ほとんどの方が平気なのは事実ですが、こちらはそういうわけにはいきません。同じ身体の構造をしているはず、何が違うのでしょう。
例えば太った人は正座しにくく、痩《や》せている方が正座に適しているとの意見もありますが、これも一概には言えないようです。少々ぽっちゃりしていても長時間座れる人もいるし、痩せていても苦手な人もいます。やはり年季がものをいうのかもしれません。
とにかくただ座るだけの正座ですが、かなりな行《ぎよう》にあたります。
一日平均十時間は、板の間に素足で正座する生活ですが、何とかいけるのは一時間くらい。その後は痛くなる一方です。
激痛を通り越すと感覚がなくなり、もはや誰の足かも分からない具合なのです。
道場では入場一日目で内出血をおこしました。
直径三センチ位ある紫色の水玉が幾つも両足に浮かんでいます。あまりに見事なまだら模様なので、
「牛みたいや思わへん?」
つい自慢げに披露してしまいます。
三日ほどで内出血は足全体に広がり、紫のストッキングを穿《は》いたようになりました。
「えらいことになってんねぇ」
心配そうに見てくれる人もいますが、いかにも苦しい行をしているみたいで、悪くない気分です。でも、本当は柔《やわ》な足の持ち主に過ぎません。
その後、一週間も経たないうちに、内出血は奇麗に治ってしまいました。と同時に座ることにも少し慣れてきたようです。
そう言ってはみましたが、立ち上がる時は内心ひやひやしているのが実状。一時間以上座った後では、足はすでに別人格を持っているので、言うことを聞いてくれるかどうかは、本人にもよく分からないのです。
「大丈夫かな」
不安はありますが、おくびにも出さず、平然と立ち上がるしかありません。
時には、ぐらつくこともありますが気にしない風をよそおいます。こんな時には皆で笑い飛ばす方が楽でしょう。けれど行事全体を考えると、その場は「厳かに」を努めるのが、賢明と思うからです。
施餓鬼《せがき》や葬儀の行事には一連の流れがあるので、そろそろ終わりと分かります。
三帰《さんき》や奉送《ぶそう》などの 声明《しようみよう》になったところで、正座から両足を爪立《つまだ》て、踵《かかと》の上に臀部《でんぶ》をのせる長跪《ちようき》にします。
これで一気に痺《しび》れを取るのです。そして声明を唱えながら、立ったり座ったり伏拝《ふくはい》したりして、足を我がものへと呼び戻します。この経過があるので、何とか転ばずにすんでいるのかもしれません。
いきなり立たねばならない時は悲惨です。
他寺の施餓鬼|会《え》に出た時のこと。何の前触れもなく行事が中断し、退座する運びとなりました。
その寺では伏拝もせず、さっさと立ち上がるのです。
「こんなの聞いてない」
内心焦っている私をよそに僧達は出て行きます。遅れてはならじと立ち上がろうとしますが、足の感覚はまだ戻っていません。
もうやけです。平気な顔をして座っていました。むろん頭の中は痺れを取ることで一杯。少々遅れはしたものの、そう時をおかず退座できました。
後で聞いたのですが、その寺では途中で休憩時間を挟むとのことでした。
「だったら教えて」
と言いたいけれど、それを口に出せるほど、甘えた環境ではありません。これ以上非難を浴びないように、まずは目立たないでおきましょう。
正座にまつわる失敗談はたまにあります。例をあげると寺での行事で焼香する時に、匍匐《ほふく》前進している人がいたりします。場が場だけに誰も笑いません。
お寺は皆の心を救ってくれる修行場所。ですから足が痺れた時だって恥じずに前進していただきたい。信仰心|溢《あふ》れる匍匐前進は美しく、見るものに感動をもたらすかもしれません。
しかし不謹慎だとは分かっていても、後で思い起こして笑ってしまう時があるのは事実です。それはそれで堪忍してください。
これは、ある地方の尼僧に聞いた話です。近県の僧侶《そうりよ》が総出の大がかりな行事で、荘厳な雰囲気の中、高僧が礼拝用の壇である礼盤《らいばん》から落下するという不慮の出来事が起きました。
降りる時に足が痺れていたのでしょうか、均衡を崩し、頭から弧を描いて落ちるという素晴らしい光景を繰り広げたとのこと。優雅な引っ繰り返り方で、時が緩《ゆる》やかに流れたと言います。
「あれは匠《たくみ》の技でした」
今は夢心地で語る尼さんですが、現場では度肝を抜かれ、何が起きたのか瞬時には理解できなかったそうです。
むろん、誰一人笑わなかったとか。
高僧はそのまま立ち上がり、まるで何事もなかった風に行事を進行したとのことでした。
自然体のあらまほしい姿。やはり只者《ただもの》ではなさそうです。
失敗した後の処理方法で、人間の出来不出来が分かると言った人がいます。やり損なうことは人として自然な姿であり、その後の処理が大切と言うのです。
「なるほど」
と深く納得《なつとく》できます。
私がそんな失態をやらかしたら、とても平然と立ち上がれそうもありません。そのまま脳震とうを起こしたふりでもして救急車で運び去られる、という大事を引き起こしかねないでしょう。
失敗を素直に認めるには、度量がいると思われます。小物ゆえ失態を隠そうと悪あがきをした挙げ句、余計に事を大きくしそうな気がするのです。
昔、バイクに乗っていて車に撥《は》ねられたことがありました。直線の大通りを景気よく走っていた時、車が方向指示器も出さずに突然左折してきたのです。
バイクは見事車にぶちあたり、私は宙を舞い道路に叩《たた》きつけられました。通行人の多い場所だったので、すぐに取り巻いた野次馬さん達が、
「こりゃあかん、助からんな」
などと無責任なことをわいわい言っています。
「目も開けられへん」
私はすっかり困ってしまいました。
撥ねられたとはいえ、事故を起こした後ろめたさもあります。それに皆さんの盛り上がりをぶち壊すのは申しわけない気もします。仕方なく意識のないふりを続けていました。
しばらくして病院に担ぎこまれ、診察の結果は、右肩打撲、|尾※[#「骨+低のつくり」、unicode9ab6]骨脱臼《びていこつだつきゆう》。いかさない病名ですが、このさい贅沢《ぜいたく》は言えません。とりあえず家に帰ることにします。
その頃、重体説が流れているなど知る由もありません。心配した友人知人達が病院へ駆けつけ、
「あの人なら歩いて帰りましたよ」
と看護婦さんから聞き、皆で呆《あき》れたそうです。
それ以後、
「人騒がせなやっちゃ」
という烙印《らくいん》をしっかりと捺《お》されました。
これも小物故の仕業だったのですね。失敗をした後処理のまずさ、この手のへまが人生を徐々に歪《ゆが》ませていくのかもしれません。
ああ、何が起きても冷静沈着に対処できる人が真にうらやましい。
礼盤の上から落ちた高僧の胸に、去来したものは何だったのか。
果てしなき修行を積まれた方は、どのような思考をするのでしょう。その大海のように広い心には、小波《さざなみ》すら起きないのでしょうか。それとも、
「皆によい土産話を作ってあげられたかな」
と喜ばれているかもしれません。
部屋に戻られて豪放|磊落《らいらく》に、
「はっはっはっ」
と笑っているのでは、と、あれこれ考えてはみたものの、凡人には想像がつきません。
何にしても、この話は勇気をくれた気がします。行を積み上げた優れた方でも失敗するのです。こちとら、しくじりまくっても仕方がありません。安心して転んでいい気がしてきました。
もしかして高僧の狙いは、これだったのかもしれません。正座に苦しんでいる人達を元気づけようとしたのではなかろうか。ああ、ありがたいなどと深読みまでするありさまです。
[#改ページ]
尼ふん
かつて女性として活動していた遠い昔、身支度《みじたく》といえば小一時間を要したものです。
でも、早朝鐘の音で一日が始まる道場では、約三分とカップ麺《めん》なみの記録を誇っています。
いまだ暗いなか、
「カンカンカンカン……どいつもこいつも早《はよ》起きんかい」
と鐘が響きます。
「うーん」
なんて蒲団《ふとん》の中で、もそもそしていたいところですが、そうはさせてくれません。
まるでパブロフの犬のように、鐘が鳴る、跳び起きる、という条件反射が求められるのです。
「低血圧だから……」
などとここうものなら、そのままアラスカ送りになりそうです。
さて、起きて寝具を押し入れにしまい、寝間着から作務衣《さむえ》にも着替えました。
「次は洗面所だ」
勇往邁進《ゆうおうまいしん》、歯磨きします。顔を洗うのに洗顔|石鹸《せつけん》なんて柔《やわ》な物は用いません。冷水だけで洗います。顔が突っ張ろうが、ゴワゴワになろうが、もはやお構いなしです。
道場生活がここまでのサバイバルとは知らず、洗顔石鹸や乳液ぐらいはと、持ち込んでいました。
勘違いはそれだけではありません。用意するものという一覧表に「水行《すいぎよう》用の下帯」と載っていました。道場用の品物はすべて通販でそろえます。そう、カタログショッピングです。
仏具店や法衣《ほうえ》店から送ってくるカタログには、七条袈裟《しちじようけさ》百万円と写真入りで載っていたりします。
「こんなの誰が身につけるんだろう」
などと呟《つぶや》きながらカタログをパラパラとめくります。しかし、買おうとする道場用の法衣や小物は写真入りでなく、ただ木蘭《もくらん》袈裟○○円と書いてあるだけ。どんな物かは分かりません。
一品なら電話で注文するのですが、さまざまな小物もあるので、その時は郵送でたのみました。注文用の葉書に必要なものを書き込みます。水行用の下帯、何のことか分からないけれど、これもいちおう書いておきましょう。
それから三週間ほどして法衣店から包みが届きました。法衣や袈裟に混じって下帯と書かれた物があります。
「もしかして……」
どうやら、それは褌《ふんどし》というものらしい。
「まさか、これを?」
いやしかし過酷な世界のこと、男女の違いなどないのかもしれない。
恐ろしいことに、その時はなぜか納得してしまいました。買う前に、下帯を知っていたら、
「ああ、これは男性向けの説明文ね」
と理解もできたでしょう。
しかしいかんせん、その現物はもう手元にあるのです。この時点で、すでに他人ではなく身内に近い感覚でした。誰でも自分に近しいものには、身《み》贔屓《びいき》しがちなもの。ご多分に漏れず、私もつい褌さん≠ノ好意的な見方をしてしまいました。念のためという但《ただ》し書きをつけながらも、道場用の宅配荷物に収めた次第です。
でも、当然ですが使用する場面などあろうはずがありません。誰にも分からないように、そのブツ[#「ブツ」に傍点]は道場の片隅で息を潜める破目になりました。考えてみれば顔に乳液を塗りながら、褌はないだろうと思いあたるのですが。おっちょこちょいは、かように心労を重ねたりします。
さて、秘密というのは、いつか露呈してしまうのではないでしょうか。
ならば自分から暴露した方がましかもしれません。私は結局黙り通した挙げ句、秘めごとを墓場まで持ち込むほど忍耐強くもありませんでした。
とはいうものの物が物だけに、清かろう尼僧達に話すのは気が引けます。
「えーいままよ」
意を決し下帯と書かれた包みを差し出すと、仲間の一人が、
「褌、持ってきんさったと?」
真ん丸の目をしながらも穏やかな優しい口調です。しかし、いくら抑えても驚きがにじみ出ています。案の定、神々が舞いおりたような静寂が辺りを包んでしまいました。この状況では内心の恥ずかしさを隠し、無邪気をよそおうしかなさそうです。
「ええ」
努めて軽やかに返答してみます。
やがて互いの目の奥が嬉《うれ》しそうに、キラッキラ輝いてくるのが分かりました。
「しめた」
こういう場合、原因を作った方から笑うのが礼儀でありましょう。お作法どおりに皆でひいひい涙を流し楽しんだのでした。これで未使用の下帯も浮かばれたのではないでしょうか。
「なにごとも無駄にせず活かす」
という教えも守れたように思います。
そうはいっても本来の役割で活かせたわけではありません。思いがけない副業を得たという感じでしょう。やはり本業に戻さないといけない気がします。それにいつまでも持っているのは、奇異なものでしょうし真っ平ごめん。どうにかしないと……。
そう思いながらも世間と隔離された道場では、なんともできません。毎夜、荷物の中に潜ませた褌と添い寝を繰り返すだけでした。処分は寺に戻ってからになります。
でも、どうしたものでしょうか。買ってから随分経っているので、返品はできそうもないし、たとえ返せたとしても、
「尼僧はん、褌返品してきたで」
なんて知らないところで笑われるのも癪《しやく》な気がします。一緒に笑えるのだとまだいいのですが、自分の関知しないところでは、できる限り恥は隠したいのです。
しかし友人達は店に返品しないのは、かえっておかしいと言います。
「あの尼さん、褌|使《つこ》うとんかな」
と番頭さん達が噂をしているのではないか、などと面白がっているのです。
さらに、
「ことの真偽を確かめるため、丁稚《でつち》どんがこちらに向かっているのでは」
なんて言いだすありさま。彼女達は酸素吸入が必要なくらい悶絶《もんぜつ》笑いをしています。
「たまらん」
「やめて」
と七転八倒なのです。
ほんまによう遊んでくれはるわ。人の褌で相撲を取るって、こういうことなのでしょうか。
ま、友はああ言っても法衣店は忙しく、どこへなにを配送したか覚えているはずがありません。そこへのこのこ一品だけ戻ってくれば、恥の上塗りです。
やはり返品はしないことに決めました。かといって塵箱《ごみばこ》に捨てるなどと寝覚めの悪いこともできません。
結局、男性の僧に押しつけることに落ち着きました。
黙って差し出すと頭がいかれたと誤解されそうなので、まず道場での褌話をして様子をみます。これはその場にいた男女三人ともに受け、なんなく乗り越えました。
「というわけで、これどうぞ」
と、手渡します。
いよいよおさらば。清々いたしました。
思えば心ならずも悪い男性に引っかかったような気のするおつきあいでした。いえ、むしろ自ら危険な男に飛び込んだ気まずさがあります。自分の阿呆《あほ》さが口惜《くや》しく自己嫌悪を感じた時もありました。
お腹がよじれるほどの享楽《きようらく》の数々を味わったけれど、抹殺したい哀しい過去に違いありません。ですから、あまり口外はなさらないでくださいね。
[#改ページ]
出家まで
女性が出家というと、よほどのわけがあったのでは、と思われるでしょうか。でも、世をはかなんだのではありません。
むしろ、反対のような気がします。
他の尼僧達からは「何の苦労もなかったでしょう」「能天気だものね」と言われたりしますが、それほどでもありません。人並みに、でこぼことした道のりでした。
そういえば、身体を引き裂く哀しみも経験したことがあります。でも、それも昔のことです。
きっかけは、坐禅《ざぜん》や瞑想《めいそう》がストレス解消によいと小耳にはさんだことでしょうか。半信半疑で、その手の本を読んでみました。種々の方法を書いた本があるので、偏らないようにそれぞれに目を通します。
それらは心によさそうなことが書いてある反面、うかつに実行すると変な妄想を起こしかねない未知の部分が潜んでいるように感じました。ストレス解消法を求めている私には少々重い。それで、特定のところには教わりに行かず、自分で試すことにしました。
ストレス解消ならジョギングや水泳など、ほかにもいろいろとよいものがあるのは知っていますが、怠け者としては、いつでもどこでもできて、大した労力もいらず、効果は絶大でなければ続きそうもありません。
その点、瞑想や坐禅は楽そう[#「楽そう」に傍点]に思えたのです。
さて、たくさんの類書の中から現実に即した方法や心構えなどを書いた数冊を熟読した後、
「とりあえず、やってみよう」
坐禅とも瞑想ともおぼつかないものを三十分してみました。
思いのほかリラックスでき、上々の成果に味をしめます。手足の感覚がなくなり、身体全体が温かい存在に包まれる心地よさです。
「これはストレス解消にいける」
と実感しました。
ところが、これは毎日続けてこそ効果を生むとのこと。
「ならば、一か月試してみよう」
軽いノリで、朝と夜の二回することに決めました。
お試し期間で、大した効果が得られなければ止めるつもりで。
最初の頃は、気持ちよい未知の体感が面白く、座るのが苦になりません。しかし、それにもある程度飽きてくると「面倒だな」という気が起きてきます。
どうも坐禅や瞑想は、自分が抱えているストレスが少ないほど、抵抗感なく臨めるのですが、精神的負担がたくさんある時は、座ることでさえ気が重くなるようです。
効果があるのは分かっていても、嫌々の気分を乗り越えて座るのは、軟弱派としては辛い……。
つい、お酒を飲んだり、友達とお喋《しやべ》りしたり、買い物で発散したりと、楽な解消法になだれ込みます。
むろん、それはそれで大好きなのですが、坐禅の爽快《そうかい》感には遠く及びません。
結局は渋々ながらも再び座ることになりました。
座ったときの心地よさを知っているから、やりたくない気分をおしてでもすると、案の定、気分一新。
日常のストレス解消という次元をこえて、無意識の心の傷が癒《いや》されるおまけまでついてきました。
坐禅をして数え切れないほどの涙を流しましたが、悲しくて泣くというよりも感動の涙がほとんどでしょうか。生きていることがありがたくてたまらなくなるのです。
感謝の気持ちが膨らんで、涙|滂沱《ぼうだ》の状態。「生きてる」から「生かされている」へと気持ちが自然に移行し、感涙してしまうのです。
その頃は無宗教、無信仰でしたが、それでも、
「酸素がなくては生きていけない。水や食物、いろいろなもののお陰で人は生きている。だから、感謝の心を持ちましょう」
ぐらいは知っていました。
頭で考え「そのとおりよね」と分かったつもりになっていましたが、本気で思ったわけでも、そして、思いたかったのでもありません。
道徳が少々苦手な者にとって、真面目すぎる話は照れるのです。
その時は、あまり興味のない話という思いでした。
わざわざ感謝の気持ちを味わいたくてするのではありませんけれど、頭でなく直接体感する感動だから防ぎようもありません。それに加えて、この上もなく安らいだ気分を伴うのです。
とはいえ、その喜びは持続性がなく、坐禅がすめばお終《しま》い。それでも座る度に、これでもかと何度も体感する具合です。
生を受け、生きるのに、どれだけ大きな力が働いているか、その大きな力を内臓で直接感じるとでも言えばよいのでしょうか……。
この世のさまざまな物を、そう成らしめている力を確かに感じるのです。
この「さまざまな物をそう成らしめている力」、宇宙エネルギー的なもののことを、仏教では「仏様」、キリスト教では「神様」と呼んでいるのかなと、ひょっと考えました。
かくいう弾みで仏教書を読んでみると、坐禅中に得た思いと同じようなことを言っている記述が所々にあるのです。現実感が希薄で、煙たい存在だった宗教が身近になりました。
仏教書の内容は、心の構造はこう、だからこういう方向で生きるとよいと、かなり現実的で説得力のあるものでした。納得する箇所も、難解なところも仰山《ぎようさん》あります。
「なんのこっちゃ」
意味は分からないながらも読んでいました。
ところが、坐禅や瞑想をしていると、
「あっ」
と突然に分かる時があります。その瞬間は、脳細胞の一部が裏返るような快感です。
そして、理解できたのは自分の力ではなく、別の力が働いたお陰だと、素直にありがたく思えてしまいます。
そんな風にして、初めて座った日から七年がたつと、いろいろなことに本気でありがたがるようになっていました。
この頃は、まさしく幸せ者であったと思います。嫌なこと、哀しい出来事も数多くありましたので、一般的に言う幸せとは違うかもしれません。いわゆる幸運ではないのですが、確かに幸せでした。満たされた思いで、普通の生活に満足する日々が続いていきます。
時宜《じぎ》を得たのか、
「お坊さんにならないか」
という話が知り合いの僧侶《そうりよ》から唐突に出ました。
「はい」
頭で考えるよりも先に、口から答えが出ていたのです。自分の返事に半ば驚きながらも、
「こういうことになっていたのか」
と得心もしていました。
「いちおう、いろいろ楽しんだことだし、幸せだし、尼さんになるのもよいかもしれない」
と頭で考えます。
心は本来の道に戻ったと思えるほど、自然とした受け止めようでした。
縁のある二つの宗派のうち、一方にします。
「いいかげんな」
と、お叱りを受けそうですが、仏教であれば何でもよかったのです。別にキリスト教でもよかったのかもしれません。さらに、無宗教でも……。行き着くところはどれも一緒という思いがあるからです。
山にたとえると、上る道が幾通りあっても頂上は同じ。
もちろん、私が頂上に行けるとは考えていません。麓《ふもと》を徘徊《はいかい》し、獣道に迷うのが落ちでしょう。
不惜身命《ふしやくしんみよう》という根性はなかったけれど、途中で止めるという発想もありませんでした。当然、一生を僧として終えるという思いがしていました。
もう一つ、私が出家することになった土台には、祖母の存在があると思います。
血の繋《つな》がりからは実の祖母の姉にあたるのですが。九十二歳で他界するまで同居していた祖母は、尼僧でした。
八歳で得度《とくど》をして以来、親元を離れて寺で修行し、一生を尼僧として過ごした人です。何の欲得もなく、四六時中喜んでいるかわいい尼僧で、仏さんのような人と言われていました。
常に幸せそうで、お経を上げる時でさえ、きりっとした面持ちでなく、微笑むというのか嬉《うれ》しそうな顔なのです。
中学生の頃、近所の幼なじみが家に来ました。その子の母親はわけあって家出をし、それ以来、夕飯を一緒に食べる日が続いていたのです。
いつものように食事が終わったあとで、祖母が泊まっていけと勧めます。寂しいだろうから皆で寝ればよいと言うのですが、友人は男の子。これくらい邪気がない人でした。
一緒に生活をしていて、悪口や人をけなすのを聞いたことがありません。
テレビで親が保険金目当ての子殺しをしたという痛ましいニュースが流れた時のこと、
「なんてかわいそうなことを、この親は鬼や!」
我こそは正義なりと皆が息巻いている横で、祖母は黙って涙を流しています。
亡くなった子どもに同情してのことと思い、問いかけると、
「子どもがかわいそう、けれどもそんなことをせんならん親もかわいそう……」
と泣いているのです。
「見ず知らずのそんな酷《むご》いことをする親にまで同情しなくても」
なぜそう思えるのか、私には理解できません。
でも、祖母が本気で哀しんでいるということだけは分かりました。
祖母はよく相談事をもちかけられていました。我がことのように聞いてもらえるので安心するのか、相談者も帰る時は明るい表情になっています。こうあらねばという思考のない人で、傍にいると心やすらぐ存在でした。別に無理をしている風でもなく、自然体だったように思います。
身内としては自分達だけにそうだったらありがたい存在なのでしょうが、素生のよく分からない人や捨て犬、捨て猫まで入り乱れていたのには閉口した覚えがあります。
亡くなった後で、お金を無期限で借りているという人が幾人か現れました。
そんな祖母を間近で見ていたものですから、
「僧にだけは絶対ならない」
堅い決意をしていました。
損な役回りを誰よりも幸せそうに生きる祖母は異人種であり、あんな心にはどうしてもなれないと知っていたからです。
以来、無宗教、無信仰の道を歩いてきました。でも祖母のお陰で、尼僧には、かなりよい心証がありました。おそらく、この人との縁がなければ、尼にはならなかったと思います。
坐禅を繰り返すうちに、あれほど理解できなかった「無私の心」が、ほんの少しですが分かるようになってきました。むろん相変わらず、実行はできませんけれど。
[#改ページ]
ヨコミチ――四苦八苦《しくはつく》
[#ここから3字下げ]
全部で八つの苦のことです。
生・老・病・死の四つの苦に、愛別離苦《あいべつりく》・怨憎会苦《おんぞうえく》・求不得苦《ぐふとくく》・五陰盛苦《ごおんじようく》を入れた八苦です。
生まれる苦・老いる苦・病気の苦・死の苦。
愛するものと別れる苦・憎い人、嫌いな人と会う苦・求めても得られない苦・迷いの世界として存在する一切は苦。
こう八つ並べますと、どうも苦ばかりで生きるのはツライ印象ですが、
「生きることには苦がともなう」
と割りきってしまえれば、苦もやわらぎそう。
「楽になりたい」
とばかり思っていると、かえって苦しみは憎すようです。 生きることには時に苦がともなうという事実を正視しましょう、そしてチャッチャと少しでも楽になりましょう……という仏様の教えです。
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
お山へ
空がきれいに晴れた日。列車を乗り継ぎ、山々に囲まれた小さな駅に降り立ちました。時に取り残されたような町並みが、長閑《のどか》に迎えてくれます。
というと聞こえはよさそうですが、ただ単に鄙《ひな》びているだけかもしれません。
昨年は試験、そして今年は道場に入るために訪れました。
格好はいつもの定番。
作務衣《さむえ》の上から黒の改良衣《かいりようえ》(普段身につける最も略式の法衣)、足元は靴下に運動靴です。
改良衣の下に白衣《はくえ》(着物)の時は草履を履きますが、作務衣の時は運動靴と決めています。見た目は別として、歩きやすく楽ですから。
ゆるやかな坂道を三十分ほど行くと、山門前にたどり着きます。
本山である寺や道場は、もう少し先ですが、入場は明日からなので、今宵は、この辺の旅館にお世話になります。
お参りに来た方たちが泊まるための宿で、こざっぱりしています。ここのよいところは、滲《にじ》み出るような笑顔での出迎えです。
案内された部屋は二階の六畳一間。コの字形の建物なので、窓を開けると各部屋の窓が見えます。今日は満室らしく、どの部屋もたくさんの人影。独りで一部屋を占領するのが申しわけない気がしてきます。
この宿に顔見知りの尼僧、法寿さんも泊まっています。彼女とは明日からの道場生活も一緒です。
「どんな生活かしら」
「何だか、わくわくしてくる」
互いに、ひとしきり浮かれまくったあとは、
「かなり厳しいらしい……」
という話に落ち着きます。
お寺の奥さんでもある法寿さんは情報通なのです。
去年も途中で逃げ出した人がいるらしい、どこそこの誰々が三日めで荷物を置いたまま戻らなかった、などと話しています。
そういえば、脱走話は以前にも聞いた覚えがあります。途中放棄した尼は、あまりにも強烈な人格ゆえ、逃げ出してくれて皆が喜んだというものです。
男性の僧達の間で、
「あんなの尼になられたらかなわん」
「がっはっはっはっ」
なんて大受けしていたっけ。
そこまで散々に言われても、幸せなことに当人には伝わらない習わし。
面と向かっては、
「ほほう、さぞや大変だったのでしょう」
などと宣《のたま》うおざなりぶりです。
当の本人は、悪評が耳に入らないせいか、止められない性《さが》か、寺のお庫裏《くり》さん(奥さん)をしながら、相変わらず嬉々《きき》として害をぶちまけているよし。
それはさておき、道場が厳しいのは本当です。
困ったことに、私は体力にまるで自信がありません。いや心身ともに軟弱です。
容赦ないだろう生活についていけるでしょうか。他の道場生の足手まといにならないか、殊勝な考えも浮かびはしましたが、結局、
「倒れたらそれまでのこと、どうせなら楽しんでこよう」
という、いつもの心構えに舞い戻りました。
法寿さんも一見元気そうですが、ドリンク剤が欠かせないとか。
なんでも普段の寺生活が多忙ゆえ、毎日飲むのが習慣化されたそうです。
なにごとも一生懸命に取り組むという姿勢の人ですから、手抜きなどできないのでしょう。
なにしろ、
「昔、お洒落《しやれ》したい時期もあったけど、信者さんよりいい服を着るのが申しわけない気がして、洋服に構わずじまい」
なんて気配りをするくらいだもの。
別に不満たらたらでなく、淡々とした調子なのです。
そんな健気《けなげ》な人だからこそ、お洒落を楽しんでもよかったのではと思うのですが。
イメルダ夫人化した寺の奥さんは少々いただけないでしょうが、どうやら彼女は気を遣いすぎのようです。身体も心もたくさん使っているのでしょう。栄養剤がいるのも無理はありません。
「道場にドリンク剤を持ち込んでもいいと思う?」
「入場の心得に常用薬はよいと書いてあったから、それもいいんじゃない?」
信仰心が篤《あつ》いのと体力は別問題だから、薬は許されるはずです。
「そうね、やっぱりユンケル持ってこう」
「なにぃ、ユンケル?」
コーテー液とかいうやつでしょうか。
別にそれが悪いというわけではないのです。が、世間知らずからくる偏見というか、ユンケルは体格立派、血気盛んなおっちゃんが、さらにギラギラとパワーアップするための飲み物という思い込みがありました。
そう、私のこぢんまりとした脳の中では、ユンケル黄帝液と蝮《まむし》ドリンクが相合傘に入っているのです。
しかし目の前にいる法寿さんは、細面の美人。
「尼さんが蝮ドリンク……いや、ユンケルをねぇ」
似つかわしくないのが嬉《うれ》しい気分です。
彼女は鞄《かばん》から何やら取り出し、
「いざ、という時にとても効くから」
と一本分けてくれました。
金色に光ったいかにも効きそうな箱です。
ありがたいお守りをいただいた心強い気持ちがしました。
「一本二千円するのだから強力よ」
さらに効能がありそうなことを言っています。
法寿さんの家では、これを毎日夫婦で愛飲しているので、かなり出費が嵩《かさ》むとのこと。ユンケル係数の高い家計なのでしょう。
翌日六時。朝も早くから食事をいただきます。
普段なら朝から寺の用事に明け暮れるけれど、今日はのんびりと食事ができます。
入場後も当分は、こんなぐうたらしたひとときは望めそうもありません。朝食後のくつろぎをたんのうします。
「極楽、極楽」
するめ烏賊《いか》のように横たわります。そのまま一晩置くと一夜干しになるところですが、あいにくそこまでの時間は残されていません。
さて気分一新、持参した道場用の衣に着替えることにします。
最初に白衣を纏《まと》い、その上から白の角帯を締め、さらに上から薄墨の居士衣《こじえ》(法衣の一種)に袈裟《けさ》である木蘭五条《もくらんごじよう》(木蘭色、くすんだ黄色のような五条袈裟。袈裟は他に七条・九条袈裟などがある)をつけます。
これで身体も気も引き締まり、準備万端ととのいました。
道場は山の中腹にあり、旅館から歩いて半時ほどかかります。
山には本山の寺を中心に十ほどの寺が散在していて、山全体が修行場という雰囲気です。その中を一歩一歩進みます。
集合場所は道場の前庭。
集合時間まで半時はあるはずなのに、尼僧約三十名がすでに集まっていました。
北海道から九州まで全国各地から来た方達で、年齢も二十歳から六十代までと、さまざまです。
入場前日に剃髪《ていはつ》する決まりですので、どの頭も一様にぴかぴかと輝いています。
午前八時。
「入場者以外は外に出てください」
道場生活の始まりを透き通る声が告げます。
ここまでは一緒にいられた身内の方は、とても名残惜しそう。
「どうか、うちのやつをよろしく」
私の手を取って涙ぐむ方もいます。
いかにも善良なご家族を安心させねばとの使命感に熱く燃え、
「大丈夫ですから、ご心配なさらないで」
力強く答えました。
一番危ういのが何を言うてんねん、と思いながら……。
事実、うちのやつと呼ばれた妙海さんは、信仰歴三十年。背筋の伸びた上品な方で、こちらの出番などあるはずもなく、むしろお世話になったのではと思うくらい。
あの時、涙目で手を握ってくれたご主人、申しわけないことです。
聞くところによると、食品会社の重役をしているらしい。妻が剃髪になり尼になるのを嫌がりもせず、
「わしは観音さんを嫁にもらった」
と喜んでいるよい方のようです。
ご家族が去り、道場前にとり残された尼達は、所在なさげに整列を始めます。先ほどの騒がしさは消え失せ、一瞬のうちに静寂がひろがりました。
いよいよ先生方のお出ましです。
まず「立派」をお結びにしてみます。そこへ「威風堂々《いふうどうどう》」の海苔《のり》を巻いたような素晴らしいお上人《しようにん》方です。登場までおもむろという風で格好いい。まさに煌《きら》びやかに後光が射しています。
途端に空気までもが緊張しました。吸い込む息もピシッという音がしそうなくらいです。
四角い赤鬼顔をした先生が話をしてくださいます。どんな厳しい言葉が出るのか息を潜め見守っていると、思いのほか人情味|溢《あふ》れる話で安堵《あんど》しました。
なにしろ道場生活は休みなしの厳しい予定なのです。体力、気力を使い果たすに違いありません。これで鬼教官では辛すぎます。優しいお上人で本当によかった。しげしげとお姿を拝みます。嬉し楽しい道場生活の予感がします。
[#改ページ]
入場式
「この場に十分で戻ること」
という先生の指示がありました。
真新しい下駄《げた》を脱ぎ、道場の前庭から建物の中に入ります。寝起きする部屋まで急ぎ足で進むと、各部屋の前に、班割を書いた紙が貼ってありました。
班は四班に分けられ、一班およそ八名からなります。これからは整列も当番も班ごと。部屋ももちろん同室です。
部屋を見つけ、とりあえず手荷物を投げ入れました。
それから入り口に戻って、玄関横にある鏡の前で天台笠《てんだいがさ》をかぶります。
私は初めてですので紐《ひも》の通し方を真似ていると、不慣れな手つきを見かねてか、手慣れた人が微笑みながら説明してくれます。集合時間も差し迫っているので、それぞれに自分のことで手一杯のはず。にもかかわらず、あちこちの手が伸びて来て、なんとか笠を頭にのせることができました。
入場したてで人の優しさに触れ、すてきな行《ぎよう》生活の予感がさらに深まります。
これから本山のお堂で入場式。
先生を先頭に、二列になり登り坂を歩いて行きます。
寺の日常生活で、お参り時に使うのは草履ですが、今は素足に下駄ばきです。
下駄を履いたのは、遠い日、夏祭りの浴衣《ゆかた》姿以来でしょうか。
あの時は黒い塗りに黄色い格子模様の鼻緒でした。
当然ながら、道場用の下駄は色気のかけらもありません。四角い板に白い鼻緒がふんぞり返っている代物です。
坂道を下駄で行くのは、不安定で歩きづらく、時につんのめり転がりそう。力を入れて踏ん張らなければなりません。
その上、天台笠が揺れる度、頭が擦《す》れてチクチクします。
ようやくお堂のある建物について、笠を取った時には赤く血が滲《にじ》んでいました。
後で知りましたが、笠が直接頭に触れる部分には、布を巻いたり手拭《てぬぐ》いを一枚かませるそうです。
いうなれば、保護してくれる毛がない剥《む》き出し頭ですものね。
お堂のある建物につくと、長く薄暗い廊下で整列し、出番を待ちます。
窓がないせいか、湿った洞窟《どうくつ》のよう。皆の緊張感から息詰まる雰囲気が漂います。ここを抜ければ新しいなにかが訪れる、そんな待ち遠しい思いでいました。
お堂近くへ来ると、ようやく外の景色が覗け、生い茂った木々が風に吹かれているのが見えます。
皆の心にも風が通ったのでしょう。緊張感は消えて、始まる喜びだけが満ちてきました。
さて、お堂に入り入場式です。
開式の辞や宣誓もありますが、読経など式は厳粛に進行しました。一時間ほど経ったでしょうか。式が終わって立ち上がる時、足の痺《しび》れからよろける人もいます。何しろ、じか座り始めですから……。
道場に戻り、講堂では初めてのお経を上げます。
先生からは、
「一生に一度の機会。悔いのない道場生活を送るように」
との話がありました。
目の前のことをこなすのが精一杯で、流れ作業のように押し流されていましたが、
「せっかくの機会だから、心して積極的に行をしたい」
と、改めて決意します。
次は荷物の整理です。
蒲団《ふとん》や着替えなどは、あらかじめ宅配便で送ってあります。大荷物ですので、互いに助け合い自室まで運びます。
この時点で、財布や腕時計など修行生活に不適当な物は、すべて預けねばなりません。
その後、部屋の清掃をすませて昼食です。これが極端に短い時間で、ほとんど食べられませんでした。
そして早速、課業の開始です。
待ったなしで、矢継ぎ早にことが流れていきます。
列を組んで、お経やお題目を唱えながら歩く行道《ぎようどう》の仕方、お堂への入り方、太鼓の叩《たた》き方、経文など節をつけて唱える声明《しようみよう》、床に額をつけ、伏して拝む伏拝《ふくはい》をはじめ基本的なことからおさらいです。
例えば、堂内に入るには必ず叉手《しやしゆ》より合掌に移り、左足より踏み入り、畳の縁を踏まないよう一間を六歩の歩幅にて歩む。叉手は左手を外にし、内側に右手の甲を重ね、両親指を交互に組み合わせて鳩尾《みぞおち》の辺りに置くこと。と、いうようにすべてが細かく決められているのです。
明朝から本山に出仕《しゆつし》するので、それに必要なことから練習が始まりました。全員が奇麗にそろうまで、延々と繰り返されます。
午後五時、夕食をすませた後、再び講堂で声明と所作の練習です。
それが終わってから、順番に入浴。
温かい湯が疲れた身体に染み込んでいくよう。自室に戻った時は放心状態です。気の遠くなるほど長い一日でした。
足は腫《は》れるし、鼻緒擦れのできた指の間からは血が出ています。持ち込んだ絆創膏《ばんそうこう》を貼っていると、思いがけず、やんわりと注意をいただきました。
「そういうのは恥よ」
サビオを貼るのがでしょうか。けがをしている軟弱さかしら。両方ともかもしれませんね。
この程度で恥ならば、これから一体どうなるのでしょうか。不名誉の上塗りを重ね倒すに違いありません。それとも存在自体が恥なのかも。先が思いやられます。
それに疲労|困憊《こんぱい》のうえ、空腹です。
もっとも初日なので、それも止むをえないでしょう。そのうち、身体も慣れて来ると思います。そうなれば、こちらのもの。晴れやかな心持ちで行をさせてもらえるかもしれません。皆とも交流を深められるでしょう。
とりあえず今日は終わりました。
身も心もくたびれていますが、明日になれば、新たな活力、気力が生まれていることを願います。明朝は三時半起き。今はただ眠りたいだけです。
[#改ページ]
おっさん的水遊び
毎朝三時半に水行《すいぎよう》場に水を溜《た》めることから道場の一日が始まります。
水行場は一×四メートルほどの四角く浅い浴槽のようで、高さは膝《ひざ》まででしょうか。お灯明と線香に火が灯《とも》されて、水行の準備は完了です。
四時きっかり、道場内に起床合図の半鐘が響くや否や、水行場は混雑し始めます。薄っぺらい白の帷子《かたびら》に着替えた順から五名ずつ、横並び一列で同時に行うのです。
まず合掌してから一礼。ひざまずいて片足を立てると、左手を高々と上に振りかざし、
「にゃくじほけきょー……」
大声をあげます。
ひとしきり叫んだ後、一斉に立ち上がり、柄のついた桶《おけ》を両手で持ちます。その桶は、開いた両足の間をくぐらせて弾みをつけ、
「そーれっ」
という風に振りあげます。で、頭上で水が勢いよく落ちるという仕組み。
このようにして水を浴びること七回。
その間、ずっと水行肝文《すいぎようかんもん》(水を浴びる時に唱えるもので、ここでは心身を清めるという内容の経文)を唱えたままです。
男性の水行は、何回か見たことがありましたが、女性のは目にするのも初めてでした。
かなり、すさまじい光景で心身ともに凝固ものです。
慣れた風に次々と繰り広げられる場面は、体育会系応援団というノリで抵抗があります。
「これが異次元ってやつか」
それでも郷に入っては郷に従えと言います。半泣きながらも、
「やってやろうじゃないの」
と、いなおるしかありません。
抵抗感という最大関門は踏みつけました。
次なる問題点は二つ、
@唱える水行肝文がやけに長い。実は覚えていません。
A桶を足にぶつけたりするとすごく痛そう。上手に振り回して水を頭に命中させることができるでしょうか。
「桶をああしてこうして、唱えるのはえーと……」
頭の中は浅漬けのごった煮のような状態です。しかし「案ずるより生むが易し」なんて言うように、始まってしまえばなんとかなるみたい。
へっぴり腰ながらも一日目の水行を突破することができました。
「参加することに意義がある」ではないでしょうが、やり終えたことにとりあえず安堵《あんど》を覚えます。
二、三日目になると、雄叫《おたけ》びにも徐々に力がこもってきて、我ながら気恥ずかしいもの。この中途半端な思いが困ります。
「戻るなら今のうちでっせ」
語りかける内なる声が聞こえるのです。
この分身は野次馬性格で、なりゆきを楽しんでいるようでもあり、格好つけの目で見おろしていたりもします。
でも、あの抜けきったノリの向こうには、未知の気分が潜んでいるはず。やはり興味津々、やる限りはとことんやってみたいではありませんか。前進あるのみです。
さらに一週間が過ぎると、もうほとんど焼けっぱち。渾身《こんしん》の力を「ぐぅおーっ」と込めた雄叫びへと成長しているていたらくです。
「今日はこれぐらいにしといたろか」
と肩で風を切る。
こうなるともう戻れない、止まらない。おっちゃん国の民のでき上がりです。
あれほど違和感のあったおらおら系の勢いも、自分がすっぽりはまってしまうと、どうということがなく爽快《そうかい》にさえ感じてしまいます。
でも客観的に見ると、すごいことになっている気もします。例えば友人達に見られたら絶縁ものかもしれません。
「ああ、あんたはそんな人だったのか、知らなんだ」
と遠巻きにされそうです。
ここが一般の方が入れない結界で本当によかった。安心して雄叫びまくろうっと。
思うに頭から水をかぶる時は、ごく自然に気合が入るようです。
「おっ、張り切ってますな」
傍目《はため》にはそう映るでしょうが、意気込まないと水をかぶれないだけかもしれません。冷水を浴びるうちに気合が入ってきて、終わる頃には「うっす!」という未知の気分も経験します。
いつもは大人しく上品とされる人までが別人のように逞《たくま》しい声音《こわね》に変化するようです。水行には隠れた一面を顕《あらわ》にする何かがある。
そう、水行って、やはり本性が現れるのかもしれません。
たしか、同室の妙昌《みようしよう》さんは日本舞踊の名取りとのこと。そのせいでしょうか、所作の一つ一つが決まっています。とても優しく温かい心根の独身女性ですが、TPOをわきまえているのか水行では男踊りを用いるよう。足元を見ると、どっしりとした仁王立ちではありませんか。その姿勢に相応《ふさわ》しく気合もどっこい入っています。
そこのけ声で山中にいる鳥も「きょーん」と泣き出し逃げてく迫力。
滅法《めつぽう》男らしすぎる感はありますが、水行の見本になりそうです。ただし結界内むけ。
見た人が凝固する率、八十二パーセントというところでしょうか。
いかにも女性らしい光斉《こうせい》さんは、雄叫びにもどこか嫋《たお》やかさが残り、高々と振りかざした左手も指の先がぴんと伸びて、きれいにそろっています。この人の場合は男らしいというより、少年っぽいという印象でしょうか。それでも普段の淑《しと》やかさからすると、格段の違いなのですが。
威圧するような気迫はなく、凜《りん》としていて、とても好感ものです。こんな奇麗な人が懸命に声を振り絞っている姿は、妙な艶《つや》っぽさがあります。たぶん皆様にお見せしても大丈夫でしょう。度肝を抜く方もそういないはずです。呆然《ぼうぜん》率十二パーセント。
二十歳の華千ちゃんは道場生一番の若手です。それでも一年前から、この地の寺で行をしているので手慣れた様子。とても凜々《りり》しく決まっています。終わった後、すぐに「きゃっきゃっ」笑い転げる変わり身のよさが鮮やかです。唖然《あぜん》率五十七パーセントくらいにしておきます。
一日の行のうちでも動から静とさまざま。
その度に男性、女性、僧と人格変化を遂げるので、めりはりがあって楽しいものです。
と言っても、いちびり(おどけたもの、嬉《うれ》しがりというような意味合いの関西弁)を芯《しん》に、あたふたしているという具合なのですが。
しかし、まわりの尼僧全部が変化しているわけではありません。常に僧侶《そうりよ》の心根でいられる人は輝かしく、あらまほしい存在なのです。ああいう風にならなくては、と、思いながらも目眩《めくるめ》くドタバタ世界から脱皮できずにいます。
[#改ページ]
ヨコミチ――生まれたものには、死をのがれる道はない
[#ここから3字下げ]
この世にポコンと生まれでた時が、すでに死への始まり。初期の仏教径典にある言葉です。
きつい現実をつきつける言葉ですね。でも、死ぬということは、生まれる前の場所に帰ることなので、自分のお家に帰るように考えるといいそうです。あちら側にいったときは「ただいま」と挨拶すると、よろしいのかもしれません。
このように死を恐れずに受け入れられれば理想的なのでしょうけれど、感情が言うことを聞いてくれない時は――、恐いままであちらに渡るのもよさそうです。聞くところによりますと、むこうの入り口では白っぽい光が待ちうけているらしいので(?)、ビビリながら、その光に身をゆだねましょう。
おだやかな世界が待っているハズです。
「おかえりなさい」
……と。
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
ルームメイト
道場は立派な瓦《かわら》ぶきの屋根が遠くからでも目立つ建物で、百五十人が楽々生活できそうな大きさです。
今は、約三十名の尼僧が修行の日々を送っています。一部屋に八人が寝起きをともにする共同生活です。
入場当日はさすがに部屋の中までも緊張した空気でしたが、すぐに和やかな雰囲気となりました。同室の人が同じ班でもあるので、八人は丸一日一緒。各班持ち回りの当番を四日に一回こなします。
水行《すいぎよう》場の水張りから起床等のさまざまな合図の鐘、線香やお灯明、お仏飯《ぶつぱん》や食事の配膳や片づけなどです。
班の中で、これは誰の役と決めるわけではありません。その場でできる人がすることになりますが、それでも不思議と役割を均一に消化しているようです。
こうして一緒に行動する分、連帯感が一層高まります。プライバシーはないけれど苦になりません。年齢も出身地もまちまちですが、温かい人ばかりで居心地がよく、和気藹々《わきあいあい》です。
その理由の一つとして考えられるのが、尼僧達の持つ特質です。自分に厳しく他人には優しい人が多いように思います。そのせいか、大抵のことはよい方に解釈してくれます。
同じものを見ても、いい面を見るか悪い面を見るかで、評価は大きく違ってきます。
彼女たちはすべてのことに対して、いい方を見る癖がついているのかもしれません。このような良心に囲まれているのは、大変居心地がよいものです。
道場での生活は確かに厳しく辛い、これで人間関係が乱れていたら、救いようがない気がします。しかし、この幸せ感は、外の世界にいるより強いのでは、と思うくらいです。かといって永久にとどまりたいかと訊《たず》ねられたら「いいえ」と答えるでしょうね。
蒲団《ふとん》を敷いて眠りにつく時、一日を無事に過ごせた感謝の気持ちとともに、しみじみとした達成感に包まれます。しかしながら、その至福の眠りは長く続きません。すぐに起床時間です。
眠りこけていると、耳元で誰かの囁《ささや》く声が……。
「そろそろ起きんと」
西郷隆盛に似た穏やかな顔が覗き込んでいます。
「えっ寝過ごした?」
跳ね起きて、転がるように準備します。私は焦った時に、吉本新喜劇的な動作になる関西体質です。目覚めと同時の混乱は、すぐには収まらないもの。見事なあたふたぶりになってしまいます。
全身で蒲団を押し入れに押し込め、朝靄《あさもや》の中に駆け出す勢い。
「慌てんでもよかよ、まだ時間あるから」
そう、頃合いを考えて起こしてくれているのです。ひやっとしました。
同室の人とは、髪の剃《そ》り残しがあるかどうか、点検し合ったりもします。備えつけの鏡は前面しか見えません。
自分で手探りで剃ってから、
「どう、変なところない?」
後ろを向いて訊ねます。
「そうね、少し変」
「どこ?」
「ここら辺」
「どこ剃り残してる?」
「…………」
「変なんでしょ?」
「うん……形が」
「…………」
振り返りざま、口をへの字にして睨《にら》むふりをします。
「そんなこと、聞いてるんじゃないんだけど」
なんて……。
確かに、天辺《てつぺん》と後ろが出っ張っているのは認めます。
でも、
「この世のものとは思えん」
まで、かぶせることはないでしょう。満面の笑みで。
「腰が怠《だる》かぁ」と、妙昌《みようしよう》さんが言うので、「揉《も》んだげる」ことにしました。うつぶせに寝かせ、彼女の腰に両手をあて力を入れます。
「効かんみたい、よか」
起き上がろうとするのを、
「待って待って」
と押さえつけ、横に座っていた姿勢から、彼女の上に馬乗りです。腰を浮かせて、全身の力を込めて押します。
「効いてきた……」
の言葉に、より一層張り切って必死になって揉む。
と、その時、先生が不意に顔を覗かせました。こんなことはめったにありません。何か用事があったようですけれど、
「明日でいいか」
と、引き返されました。見てはいけないものを見たかのようなそそくさぶりです。
改めて我が身を眺めれば、白衣《はくえ》を着ているだけ。その格好で馬乗りしていたわけで、お恥ずかしい限りです。
「もう、よかよ」
下で妙昌さんの声がします。
何? ここで止めれば、傷心のままで終わってしまう。それでは惨めすぎる。で、着物の上から作務のズボンを穿《は》いて、再度挑戦。
「じゃ立って踏んでくれる?」
「任しとき」
上に乗って足で踏み込みました。踏んで踏んで踏み込んだ甲斐《かい》あって妙昌さんは、「楽になった」と言っています。少しは役に立ったでしょうか。だとしたら恥も癒《い》えるのですが……。
「本山の祖師像だけど、初めて見た時、どう思った?」
実はずっと気になっていたことをある日、行修《ぎようしゆう》さんに訊ねてみました。
「最初見た時ねぇ。信者さんと朝までつきあっていたから、目がぐるんぐるん回ってたことしか覚えてない」
「朝まで話?」
「飲んでた……バスを借り切って、信者さんと一緒にここまで来たから」
「それ二日酔いってこと?」
「ええ、まぁ」
「あははっ、罰あたり」
「あはは」
と頭を掻《か》きながら、行修さんは話をそらすようにつけ加えました。
「で、お祖師さまがどうかした?」
「あのね、ちょっと言いにくいんだけど、頭大きすぎない?」
「えっ頭?」
「そう、頭でっかちで、福助人形みたいやない?」
「そんな罰あたりなこと、よう言うわ」
二日酔いぐるんぐるんでお参りした人に、罰あたりと言われてもあまり説得力がありません。
「最初、伏拝《ふくはい》して顔あげる時、さぞかし神々しいと期待してたのに、唖然《あぜん》やったもの」
「そうやね。言われれば、確かに頭が大きい……。遠くからでも見えるように頭を大きくしてるんじゃない?」
「ははぁ……なるほど、そうかも」
「そういえば、前に首から上が盗まれたっていう噂、聞いたことある」
「もしかしたら、盗難予防のために頭大きくしたのかな?」
「持って行けるもんなら持って行ってみい……なんて」
「それとも頭部を補充する時に、注文サイズを間違えたとか……」
これは、あくまでも部屋での話。本山に行った時は、そんな不謹慎なことは、微塵《みじん》も考えません。不惜身命《ふしやくしんみよう》で我が身を投げ出し、祈っております。
[#改ページ]
平均的一日
道場での一日は午前三時半より水行《すいぎよう》場に水を溜《た》めることから始まります。
起床の半鐘が鳴るのは四時。カンカンの音と同時に飛び起き、蒲団《ふとん》をあげ押し入れにしまいます。寝間着から作務衣《さむえ》に着替え、洗面所で顔を洗い、その後、水行場で順次水行をするのです。
ここまでは脳味噌《のうみそ》が眠った状態ですが、一日の雄叫《おたけ》び始めと申しましょうか、大声を出して水を頭からかぶることで、心身ともに目覚めます。
白のバスタオルで気合の入った身体を拭《ふ》き、また作務衣を着用し部屋に戻ると、すぐに法衣《ほうえ》と袈裟《けさ》に着替えて、前庭へと向かうのです。
四時三十五分、玄関出口にて天台笠《てんだいがさ》と下駄《げた》を身につけ、庭に整列して先生方を待ちます。
四時四十分、行列し太鼓を叩《たた》いて、大声で唱題しながら本山まで登詣《とけい》します。
五時二十分、本山祖師堂に到着。下駄を脱ぎ天台笠は廊下に積み上げて置き、体育館のように広々としたお堂に、尼僧三十名が行道《ぎようどう》し座ります。続いて、学生のお坊さん六十名ほどが行道。最後にお上人方や法主《ほつす》様が入堂して、五時三十分より朝勤《ちようごん》(朝の勤行)が始まります。
団体でのお参りが多いのですが、山深いことと朝早いせいでしょうか、少ない時は広々とした空間に十名の参拝者という日もあります。だいたい一時間から二時間で終了。
再び笠をかむり、太鼓叩いて唱題して、祖廟《そびよう》へ参拝に登ります。線香と蝋燭《ろうそく》を灯《とも》し、立ったまま笠を小脇に抱え、左手で拝み、大声で経を唱えます。
そして、またまた太鼓を叩いて唱題しつつ道場に戻るのです。この間、時間を短縮するため、山道を下駄ばきで走るという天狗《てんぐ》コースもあります。
今度は道場内での朝礼です。お仏飯《ぶつぱん》と水を供え、蝋燭と線香をつけ、道場|清規《しんぎ》を読みます。いうなれば社訓みたいなもので、皆で唱和するのです。
「弘通《ぐづう》中心の宗是《しゆうぜ》に則《のつと》り、死身弘法の行願に精進す」
「円の三学を修め、弘経《ぐきよう》の三軌《さんき》に順じ、大乗の菩薩《ぼさつ》たらんことを期す」
と、むずかしい項目が十ほど並んだ後、
「飲酒せず、喫煙せず、放歌高吟雑談せず……」
など分かりやすいものに移ります。
なぜか、
「浴場、水行場以外にて裸体とならず」
というのもあります。わざわざ朝から大声で唱和する内容でもないと思うのですが……。尼僧達は疑問に感じていないのか、爽《さわ》やかに声をそろえています。
道場内での朝勤もあり、経文を詠みます。最後に先生の説教で締め括《くく》り。お説教は人情物で泣かせたり、ある時は活を入れたりと変幻自在。道場生が健やかに信仰生活を送れるように、さまざまな話をしてくださるのです。
八時すぎに朝食。当番が配膳《はいぜん》をすませ、半鐘を鳴らします。食法《じきほう》を唱え、ごく短時間でいただくのです。その後、食堂《じきどう》の片づけや講堂、部屋、廊下、風呂場の掃除など、内外の清掃をします。
それが終わると法衣、袈裟に着替えて講堂に向かいます。ここまでは大抵、毎日同じ行動です。
午前九時、集合合図の大太鼓の音が響きます。集まった順から頭を床につけ、伏拝《ふくはい》。そして合掌し、「南無妙法蓮華経」を唱えるのです。一人また一人と増えるにつれ、声がお堂全体に響いてきます。
先生が現れ、携帯用のお鈴《りん》の引磬《いんきん》を鳴らし、最後に三回唱えて終わり。
ここから午前の課業が始まります。講義や実習ですが、この間は板の間で正座です。
正午 昼食と洗濯
午後一時より再び課業
午後四時半 夕勤
午後五時半 夕食
午後六時 夜の課業
午後八時 入浴、就寝用意
午後九時 消灯
という具合です。課業とあるのは、行道《ぎようどう》の仕方から声明《しようみよう》や写経。葬儀や施餓鬼《せがき》、地鎮祭の練習や実践。礼法の勉強。作務という労働などです。
課目がぎっしりと詰まっているので、教える方も大変だと思います。六人の常駐の先生が交代で講義をなさり、写経や読経、声明、礼法といったものは、他のお上人《しようにん》達が外部から教えにきてくださるのです。
さまざまな方の助けを借りて、行をさせていただける。不平、不満のあろうはずがありません。心は喜びで満ちていますが、身体は疲労漬け≠ニいう塩梅《あんばい》です。
厳しい生活なので、入場前に提出する必要書類の中に、医者の診断書があります。健康と書いてあればいいと思うのですが、私の先生は「修行をするに際して問題がない」と面白がって、書き加えました。
「こんなん保証できんけどな」
と微笑みながら。
事実、私は道場内で貧血を二度起こしました。中には倒れる人もいます。時間を置かず、復調する場合がほとんどですが、病院に運ばれる人もあります。
でも、道場に来る前よりは、皆驚くほど体力がついているのは事実です。精進食ですし、過酷な生活なのに、どんどん健康になってくる。さまざまな健康法や健康グッズを試すより効果があるかもしれません。
何といっても、あれこれ考えないのが、精神的によいように思います。ストレスの少ない生活だからこそ、体力が目一杯働けるのでしょう。次々とやることがあり、考えるよりも先に行動する毎日。言い換えれば、考える時間がないということです。
一日のうち、ほとんど頭が空っぽ状態と言えるのかもしれません。所詮《しよせん》人の頭で考えるのは、ろくでもないことが多いのでしょうか。
「それはあなただけでは……」
どこからか聞こえそうですが、確かに思いあたります。
「こんなことしていいのかしら」
心配する。
「あんな酷いことして」
非難する。
「変に思われないかな」
勘ぐる。落ち込む。果ては、うぬぼれる。という具合です。
あれこれ心配事を考えだした時、辛い時、ただ運動したり、歩き回ったり、とにかく頭を空にした方がよさそうです。
自分の頭が空っぽになった時(仏教では自力が働かなくなった時と言います)、よい考え(仏の働き)も訪れるとされています。で、今日も空っぽ、明日も空っぽ……。
[#改ページ]
夜の行《ぎよう》
夜、暗闇の山中を行列してどこかへ向かいます。何が始まるというのか、皆、押し黙ったまま。目的地に到着し、蝋燭《ろうそく》と線香が灯《とも》されます。
蝋燭の明かりが揺れて、尼たちの姿が浮かび上がっているのは、摩訶《まか》不思議な光景です。不気味ささえ感じます。
先生はここで正座せよとおっしゃるのですが、下は石畳。しかも足はいつもの素足です。
「本気?」
一瞬うろたえてしまいました。
でも、やるしかないでしょう。暗いので足元はよく見えませんが、とりあえず座りました。
これから大声で経を一心に唱え、祈り続ける行が始まるのです。
「ここまでする……か」
半ばあきれながらも周りをうかがうと、思いがけず皆は真剣な表情。心の準備よろしく、やる気が空中で炸裂《さくれつ》しています。私は取り残されたようです。
「何をさすねん」
などと、誰かと分かち合えれば、気もすむのですが、相手にしてくれる人がいません。
「こんな変わった場面、そうないのに」
高揚を抑え、喜んでいる場合やないと、気を引き締めました。
でも、心中はしゃぎすぎたせいか、容易には心が静まりません。それに足も非常に痛い。それもそのはず、石畳はでこぼこで、小石までたくさん散らばっています。正座した両足に小粒の石が食い込んでいるのが分かるほど。
「座った位置がアンラッキーだったのかも」
でも、近くにいる人は意に介していません。どうやらそういう問題ではないらしい。自らの心がけを締めるしかなさそうです。
「小石の十個や二十個、そんなことに神経がいくようでは、いかんいかん。それにこんな機会はそうないだろうから」
深く反省し没頭しようとしますが、うまくいきません。
そのうち痛みはなんとか忘れられたのですが、高揚はなかなかおさまってくれません。周りの気迫と、やりすぎとも思える場面に、たじろぎ、嬉《うれ》しがりすぎたせいなのでしょう。
ちらっと隣をうかがうと、皆は一心に祈っています。
それは心身からすべてを投げ出すような激しい様相です。まるで別人と化した尼達が、とても不思議な生き物に見えます。一心ゆえの真面目さが引き起こす美しさ、あどけなさ、すさまじさ。ただごとでないという雰囲気に、ますますついていけない思いが募ります。
そこで、ついていくのは諦め、自分の世界に没頭してみました。十分ほど過ぎたでしょうか、辛うじて雑念も消え、やがて不思議な共感がやってきました。
かくて長く遠い時が流れ、やっとのことで行は終了しました。さぁ、立ち上がろうとすると、忘れていた痛みがしっかり戻ってきています。皆も両足にびっしりと小石が減《め》り込んで石垣状態。それを手で払いながらも感激の様相です。
「ありがたかった」
尼達が顔を輝かせ、歓喜している光景は美しくないはずありません。つまらぬことをあれこれ考えていた身には、眩《まぶ》しく映りました。
唱題や坐禅《ざぜん》、瞑想《めいそう》らしきものをしていると不思議な感覚を味わうことがあります。その時々によっても違うので、どんな風かを的確には表現しにくいのですが、
・温かく優しいものに包まれている感覚。
・重力が斜めや上、左右にかかっている感覚。
・宙に浮いている気分。
・身体の中の細胞が入れ替わるような感覚。
・身体の存在が消えていく感覚。
・自分の存在が完全に消滅した感覚。
・あらゆるものが存在しない感覚。
・あらゆるものが融合している感覚。
いずれの感覚もほんの少しでも心に抵抗や雑念が生じると消えてしまうのですが、共通して言えるのは、ものすごくよい気持ちなのです。
そのために、図らずもその気分を求めてしまいがちになるけれど、それは本筋からはずれるそう。その感覚自体が魔という考えもあるくらいです。気持ちのよさはあくまでもおまけで、それに執着すると肝心なことがおろそかになってしまいます。
坐禅したら坐禅しっぱなし、考えたら考えっぱなし、体感したら体感しっぱなし……。
なにごとにもとらわれてはいけないらしいのです。そうはいっても特に最初の数年間は、どうかすると変な方向にいってしまいがちです。
新しい体感を経験した時は、つい、この世のいろいろなことが分かった気になり、かくして人生観や世界観が大幅に変化します。
感謝の気持ちが自然と湧いたりするのはよいにしても、問題は自分がなんとなく上等になったような錯覚まで起こしたりすること。
当然ですが、冷静に考えれば、自身は何一つ変わっていないのです。幾度何を体感しようが、人格はほとんど変化しないような気がします。とにかく人生観が変わったのは事実ですけれど、身に染み込むには長い年月を要しそうです。
「そんなことでは、瞑想なんかしていても仕方がないのでは」
という疑問が浮かぶかもしれませんが、そうでもないのです。
例えばストレス解消度で測ると、その効力は絶大。おそらく最高クラスだと思います。
事実、毎日坐禅や瞑想をなさっている方々の中には、愛あふれる崇高な方がたくさんいらっしゃいます。きっと、さまざまな素晴らしい効能があるに違いありません。でも効き目を求めてというよりも、生活の一部、ご飯を食べて眠るのと同じ線上にあるように思います。
[#改ページ]
ヨコミチ――心王《しんのう》
[#ここから3字下げ]
心王は心の本体、主となるもので、心の作用のおおもとです。
死ぬときに持っていかれるものを考えますと???
いろいろなもの(燃えるもの)をたくさんお棺に入れてもらっても、たぶん持っていかれないのだろうなと思います。残念ながら、家族もお金もこの体も何も持っていかれそうにありません。一般的に持っていかれるとされているのは唯一、この心だけです。
では、生きている間に一番大切なものは何でしょうか?
多くの人が幸せになりたい、安らぎを得たい、と望んでいます。
幸せあるいは安らぎを得るために何が大切かというと、やはり心そのもの。健康で家族のいるお金持ちでも、不幸だと思っている人はたくさんいます。たとえ、何もなくても幸せと思える心があれば幸せなのでしょう。
幸せも、不幸も、すべて心ひとつ。
生きている時も死ぬ時も心が大切……。
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
ハチを回せ
経文に節をつけて、間延びした調子で唱えます。
「我《が》ぁー此《し》ぃー道ぉー場ぅ……」
という具合。
声明《しようみよう》と呼ばれるもので、独特の音階があり、所作を伴います。踊って歌っての原形というところでしょうか。実際に日本音楽の源流とのこと。
嫋《たお》やかな人が唱しているのは聞いていて気分のよいものです。また青少年の声明もいいもの。なんとか合唱団ではないけれど、邪気のない声で懸命に唱えている姿は心打ちます。そして、酸いも甘いも知っている年配の方の声明は、風圧なく心に染みるのです。
要するに、誰が唱えているのを聞いてもよい感じがします。内容が経文だから、唱えている人の心を反映するのでしょうか。子守り歌のような心地よさです。
でも残念ながら私自身は唱えるのが苦手。第一に息が続きません。肺活量がないので、息も絶え絶え状態になってしまいます。
皆で唱える時は誤魔化しもできますが、一人で唱える時は、最後の部分まで発声しないとなりません。肺が潰《つぶ》れそうになりながらも声を絞り出します。
道場では、行事の練習時間が多いので、それでも声明に親しむことになります。
所作だけでなく、|鐃※[#「金+跋のつくり」、unicode9238]《にようはち》という音響仏具も使います。ニョウは銅ど鑼《ら》のこと。ハチはシンバルのような物です。このハチを両手に持ち、くるくると勢いよく回転させます。ハチとハチを僅《わず》かにくっつけ、五秒ほど回転音をさせた後、ジャーンと打ち鳴らすのです。
手の小さい女性にとっては荒業。できるようになるまで何度も練習します。施餓鬼《せがき》等では少なくても三十七回鳴らす勘定です。中には直径四十センチほどのハチもあり重くてたいへん、へとへとになります。繰り返し練習をしながら、
「肉体労働やね」
「手が痛くなってきた」
「こんな風に回すのは、他宗ではしてないらしいよ」
「そうそう、言われたことあるわ。ハチを回すんですか……ほぉー軽業師みたいですなって」
「誉められて、よかったやない」
「違うわよ。だって目が笑ってたもの」
「ハチはもともと打ち鳴らす楽器だから、回転さすのは変みたい……」
「ふーん」
「そういえば、大昔は回してなかったって聞いたことある」
「じゃ、いつから何のために?」
「知らんけど、誰かが面白がって回したのを見て『おおっすごい』てなことで、皆が真似したのかも……」
「そんないいかげんなことで、こんな苦労を?」
「たぶん……」
「あっはっはっ」
「うっふっふ」
力が抜けそうですが、本当のことは分かりません。でも、この説の通りだったら、何だか嬉《うれ》しい思いも一方ではあるのですが……。
軽業さんになれるよう、額に汗して回し続けます。
お写経は経本を書き写すことです。一字一句、書体を無心に模写します。
心を清浄にする働きがあり、でき上がりの上手《うま》い下手、書いた量ではなく、書く時の心持ちに重点が置かれます。
慣れると心地よいのですが、疲れた時は無理をせず休んだ方がいいと思います。違うことを考えながらのお写経は、あまり意味がないようですので。
そういえば、こんなことがありました。
運悪しく、その日は気分が優れませんでした。写経が始まって既に二時間は経過、夜の七時は過ぎていたでしょうか、軽い目眩《めまい》がします。そこへ「書き終わった人から部屋に戻ってもよい」という嬉しい情報が入りました。
このままの調子で書き進めば、あと三時間はかかるに違いない。とにかく苦しいのです。
「そうだ、早く書こう」
心持ちなど脇に退けておいて、急いで書き進みました。そんな心がけだからか、ますます辛くなるという悪循環。もはや一刻の猶予もならない体調です。なんとか、かろうじて書きあげました。それでも二時間近くかかったと思います。
「やっと部屋に戻れる」
そう安堵《あんど》していると、
「終わった者は前に出て、全員が終了するまで読経するように」
と言うのです。
「エーッ」
全身の血が、そのまま野山を一周駆け巡ったような衝撃が走りました。
この仕打ちは、あんまりではないでしょうか。写経している方がよほど楽でした。
因果応報、いけない心がけは、次の悲劇を連れてきてしまうのですね。自業自得《じごうじとく》ってことでしょうか。
仕方がありません。経を読むしかなさそうです。哀しい心を反映してか、声もうわずっています。変な経を聞かされる写経中の人たちは迷惑だったかもしれません。
速さに挑戦するような写経は、これっきりにしておきます。
[#改ページ]
食堂《じきどう》は早食い道場
食事はジキドウでいただきます。食堂と書いてジキドウと読むのです。しょくどうと読むよりも、行《ぎよう》ぽくっていい感じがすると思いませんか。ま、内容は、ごく普通の食堂に過ぎないのですが……。
約三十畳の和室に、細長い卓が五列ほど並んでいます。幅三十センチの卓に、向かいあって座るのです。肩と肩が触れ合う位ぎゅうぎゅう詰めなのですが、食卓に並ぶ皿が極端に少ないので食事ができます。
どんな物を食べているかというと、すべてが精進料理。
そういうと上品な食べ物に聞こえますが、基本型はご飯におかず一品と汁物です。いわゆる一汁一菜ですが、その言葉のもつ清貧のイメージとは少々違うようにも思います。白いプラスチックの器に盛られた丼飯には、あまり趣きはありません。貧窮した給食という感でありましょうか。
でも、心がけよろしい尼僧達のこと、ここでも感謝の心を溢《あふ》れさせています。
何しろ道場内には、感謝病という伝染病が蔓延《まんえん》しているのです。この心地よい病は、かかったもの勝ちであります。
その熱に浮かされると、この世のすべてが薔薇《ばら》色に映るのです。塵《ちり》一つ、石一つ動かすことなく、瞬時に世界が変わるのですから堪《こた》えられません。
対して、不満病もあります。こちらの伝染力は感謝病の比でなく強力です。
しかし、道場内では圧倒的に感謝病患者が多いので、私も病原菌を一杯もらって健やかに凌《しの》ぐことができています。
献立は、たまにはカレーなんてのもあったりします。もちろん肉なしですが、
「今日はカレー」
皆子供のように無邪気に喜んでいます。
また、マカロニサラダとご飯という取り合わせもあります。こういうサラダ類は普通つけ合わせですが、道場では立派な主役。最初は、
「これで食べるの?」
哀しからずや気分にもなりましたが、味つけが上手なせいか意外にいけるのです。ソースをかけておかずとして、もりもり食べています。
洋食は以上の二品。だいたいは、ひじきとか高野豆腐、野菜煮などの和食です。
「鉄分が不足している」
などと分析する人もいるそうですが、贅沢《ぜいたく》は言えません。
ありがたいことに、道場には食事を作ってくれる人達までいます。なぜかしら道場生は、台所に入ることが禁止されているのです。盗み食い、つまみ食いでもしかねないと思われているのでしょうか。
まぁ、他に理由があってのことでしょうが、いずれにしても三食作ってくださるのは、とてもありがたいことです。
寺の奥さんなど主婦の方は、誰かに食事を作ってもらうというのが感激らしく、
「献立や家事の心配しないで、毎日信仰のことだけを考えていられるなんて、最高の贅沢やわ」
幾度も呟《つぶや》いています。
女性の場合、食事を作る大変さが分かるだけに感謝の思いも増すようです。
道場では食事も行の一つ。食べるのも修行、こんな行なら喜んでと言いたいところですが、案外大変。とにかく食べられないのです。
まず当番が配膳《はいぜん》をすまし、鐘を鳴らします。と同時に、作務衣《さむえ》に着替えた面々が吸い込まれるように所定の位置につきます。チーンと引磬《いんきん》が鳴り、それを合図に合掌、食前の願文を唱え祈ります。
ここからが本番? 入場したての頃は、食事時間のあまりの短さに数口しかいただけません。時計がないので正確なことは分かりませんが、一、二分というところでしょうか。チーンと音がしたらお終《しま》い。ごちそうさまの食法へと続きます。
そう、もはやそこまでなのです。
残っているご飯達に、たっぷり未練を募らせつつも片づけに入らねばなりません。
お腹が空いているのに食べられないのは確かに辛い……。それにもまして、余すという行為が後ろめたくのしかかります。
「ばちあたり、ばちあたり……」
空耳が山彦《やまびこ》したりするのです。
残すのが嫌さに、次回は最初から量を減らしてみることにします。丼鉢の底にわずかの盛りつけにしてみました。
これなら大丈夫、時間内に食べられるに違いありません。
「よーし、絶対に食べてやる」
決意を新たにして挑みました。むせるほど慌てて食べるのに、やはり途中でチーンと鳴ります。
「あ……」
この「あ」には万感の思いがこもっています。今日も力及ばずという絶望感、勝てると信じていた勝負に敗れたような拍子抜けした気分、目一杯がっついている自分への愛《いと》しさと馬鹿馬鹿しさ。引磬を鳴らす先生の顔が嬉《うれ》しそうに見える僻《ひが》み心、それらの思いが離合集散するのです。
砂を噛《か》むような空しさをくり返すうち、次第に食べる速度、量ともにぐんぐん増え、早食い大食いへと逞《たくま》しく成長を遂げます。すべて平らげた日の達成感、満ち足りた安らぎとともに、お茶をしみじみといただきます。
その時、チーンが鳴っても「よしよし」という心地よいゆとりです。
この時、
「余裕ができてこそ、感謝が溢《あふ》れるというもの」
と、喜んでいたのですが、
「状況に左右されることなく、感謝の気持ちを持てるのが望ましいのでは」
との言葉を頂戴《ちようだい》しました。
まことに、おっしゃる通りでございます。
ここでは当然、好き嫌いも言っていられません。私は苦手な納豆も食べるようになりました。というのも、朝食はご飯と納豆のみという日が多くあり、この粘りと臭いが嫌いなどとは、言っていられないのです。練って練りまくって、頬張っています。
まずいと感じていたものも回を重ねるごとに、
「割といけるのでは」
と、味覚も譲歩してきます。苦手なものが、合格点になるのは嬉しいことです。
食べ物に限らずですが、年齢を重ねるにつれだんだんと、「何でもありかな」という気分になったりします。こうあらねば、という思い込みがポロッと剥《は》がれ落ちるのは、大きな喜びです。
時には、食堂でビデオが放映されることがあります。夜の課業としてですが、これは嬉しいもの。楽々だからです。
内容は「日蓮聖人」という映画。しかし内容ゆえか、ビデオ鑑賞という雰囲気ではありません。尼僧達は背筋を必要以上に伸ばし正座しています。ありがたい説法を一言でも聞き漏らすまい、という意気込みです。
この映画を作った方が、こんなにも真剣に観る人達がいると知ったら、感激するかもしれません。ですが正直なところ、少々金切り声の役者さんで違和感がありました。そのせいではないでしょうが、
「もうひとつ……」
という感想です。
壁に寄りかかって見ているうちに、少しずつ横になり、部屋が暗いのをいいことに、ほとんど横たわって見ていると、
「あっ、寝ている」
と見破られてしまいました。
天網恢々疎《てんもうかいかいそ》にして漏らさず。ばちあたり光線を身体一杯浴びます。
[#改ページ]
けんか花火
行《ぎよう》はみっちりした時間割でおこなわれます。
信仰心そのものを重視するのはもちろんですが、葬儀、施餓鬼《せがき》等の行事の練習、読経、写経、説教の仕方、声明《しようみよう》など身につけるべきことも多いのです。
もっとも、ここで教わるというよりは仕上げという意味合いが強く、入場前に修得しておくことという決まりになっています。ですから何年間か寺で学んだ後に、道場に来るというのが一般的なようです。
私は寺に在籍していても、実務や雑務に追われる毎日で、水行《すいぎよう》のように、ここに来て初めて経験するものもありました。寺生活もそれなりに厳しいのですが、道場ほどではありません。まったくの休みなしですから、身体が慣れるまでは大変でした。
入浴をすまし蒲団《ふとん》を敷いて消灯。寝る前のひとときが自由時間にあたります。ぐったりしている人、お喋《しやべ》りしてる人、勉強や日記をつけたりと思い思いに過ごします。一日を無事過ごせたことに安堵《あんど》するのか、皆の表情は明るく伸びやかです。
たまには消灯時間を一時間過ぎた頃に戻ってくる人もいます。
別に夜遊びをしているわけではなく、按摩《あんま》の奉仕に各部屋を回っているのです。年配の人の肩や腰を揉《も》んだり、法衣《ほうえ》や袈裟《けさ》を畳んであげたりと甲斐甲斐《かいがい》しい働きぶりです。
ところが、自分のことは各自でしないといけないので、世話を焼くのはよくないという思いの人もいたようです。特別の行だから、そんな馴《な》れ合いはいただけないと。
それに皆が寝静まった頃に、部屋に戻るのは迷惑だという意見もありました。
かといって表立って言うほどの問題でもないらしく、少し不穏な空気が流れただけで、そのままなにごともなく終わりました。
しかし、中には本当に喧嘩《けんか》する猛者《もさ》もいます。日中、体力と気力をあれだけ消耗しているはずなのに、いまだ戦闘力が残っているとは凄《すご》すぎです。離れた部屋から猛威をふるった声が木霊《こだま》してきます。
言い争っている内容こそ分かりませんが、無限大活力が恐いくらい伝わります。最初に聞いた時は、「なにごと?」と心底驚きました。
尼僧が大喧嘩をするという発想がなかったので、すわ事件かと各部屋から尼達が廊下に飛び出したのですが、仲裁が入りすぐに収まりました。
その後も頻繁《ひんぱん》に起きるので、間もなく皆慣れっこ。
「花火が上がってるみたいやねぇ」
「いつになく今回は派手やね」
さらりと流します。
折角、道場に来たのだから、喧嘩するのは勿体《もつたい》ないと思うのですが、当人達は楽しんでいると見受けられます。まるで遊戯気分。お互いに言いたいことを言ってストレスを発散しているのかもしれません。
「どないなっとんねん」
との不思議な生態です。
やり合った後、すりすりと仲直りをする。それでお終《しま》いと思いきや、またもやり合う。これを延々繰り返すわけです。
こうして習慣化されるところが女っぽい気がしませんか。喧嘩を娯楽化するのは女性的な気がします。男性の喧嘩はもっと真剣勝負なのではないでしょうか。やったら最後、とことんまでしそう。それに仲直りすれば、日をおかずやり合うなんてないと思うのですが。ま、昨今は男性も女性化しているらしいので、会社でもチネチネやっていたりするのでしょうか。
とにかく彼女達は幾度も果てしない意志の伝達を重ねた成果か、親密度が増しているようです。それに弱い相手を苛《いじ》めるのは最低でしょうが、彼女達は互角の強さを持っていて、どちらも負けていません。
「尼さんって物静かと思っていたけど、勇ましいもんやね」
そう感心していると、
「尼僧とは強烈な個性の集団」
と解説してくれた人がいます。
何でも強すぎるものがあるからこそ、僧になるのだと言うのです。
一見すると大人しそうな人が多いけれど、中身は男性顔負けの強さが潜んでいるとのこと。
「そうでなかったら尼になんかなれない」
きっぱりと言い放ちます。
「ほんまかいな」
己を省みて、その説にはどうも疑問が残ります。
そこで、何人かに意見を聞いてまわりました。すると回答者全員が「そのとおり」と同意をしたのです。
なかには見目麗《みめうるわ》しく所作も嫋《たお》やか、穏やかな人格で微笑みを絶やさず、どんな人に対しても同じように優しく接し、信仰心|篤《あつ》い楚々《そそ》とした高潔なる尼さんもいます。
尼僧強固説を問いかけると、
「そうかもしれないわね」
との返事で少々意外でした。
アンケートの結果は、「尼さんは強い」に決定しました。
だからといって、どうか粗末には扱わないで……。大切に保護していただけると、強烈なる物が成長するやもしれません。
[#改ページ]
ヨコミチ――諸悪莫作《しよあくまくさ》、衆善奉行《しゆぜんぶぎよう》、自浄其意《じじようごい》、是諸仏教《ぜしよぶつきよう》、七仏通戒偈《しちぶつつうかいげ》
[#ここから3字下げ]
何とも格好よい言葉ですね。それもそのはず、過去に七人の仏様がいて(お釈迦様もその中に入っているのですが)、その七人の仏様全員が説いたと言われる仏様の基本的な教えです。
「悪いことをせず、善いことを行い、自らの心を浄《きよ》めよ、これが諸仏の教えである」
善い事と言っても、大層なことをする必要はありません。たとえば町内の空き缶拾いや草むしりなども善い事とされています。ですがその時、心の中で、「こんなところに空き缶を捨てるなんて、ケシカラン」
「隣の奥さんは、なまけてでてこない、ケシカラン」
などと思いながらするのでは、善いことにならないようです。それは――心がきれいになってないからです。
私たちはどうしても外側だけの行為をとりつくろいがちですが、お腹のなかで何を考えているかが肝心ということです。また、こう考えることもできます。
「いろいろな悪い考えや、とらわれの心を流し、よい考え、感謝の心、慈悲の心を心がけ、心を浄めていきなさい」
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
太古の音
道場には時計がありません。代わりといってはなんですが、始まりや終わりの合図に鐘や太鼓が使われます。
少し大きめの鐘や小さな鈴があり、その場にあわせて使い分けるのです。
具体的にいうと、カンカンと鳴る半鐘や、チーンの引磬《いんきん》、ドンドンの太鼓があります。
起床時間や集合時間などを知らせるのは当番です。
課業の終了は、先生方が引磬とお題目三唱で締めます。澄んだ音は直接心に届き、気持ちのよいもの。時計で計る一日とは明らかに違います。
時計は便利でしょうが、文字盤は丸一日が見えます。一日の予定や、やるべきことを連想させるのではないでしょうか。何時には……あれもせねば、と思いを馳《は》せてしまいがちです。
その点、時計がないと時間そのものの観念が薄らぎます。先のことはあまり考えない習慣が身につき、現在にのみ意識が向くようです。時の流れが自然に心身と融合するのか、緩《ゆる》やかに感じられます。ですから行動は、きびきびでも心は安らかとなるわけです。長閑《のどか》すぎて鐘を鳴らすのを忘れるほど。
すでに全員が集まったあとに、「あれっ鐘鳴った?」ということもしばしばです。
体感時間は緩やかなのにさまざまなことができます。気持ちだけが焦り、その割には捗《はかど》らない時の反対なのです。
ここに来て、お陰様《かげさま》で私の怠け癖も矯正されました。
でも根絶したわけではありません。道場から半歩外に出ると、ぶり返すのでは、と残念な気がします。
生活に空き時間などほとんどありません。肉体的には負担ですが、その分精神的に楽ですので、均衡が取れているのでしょう。
一日中|淀《よど》みなく流れる読経や勉学、作務がそう苦もなくこなせます。また、自然環境も抜群ですので、精神面だけでなく健康にもよいようです。
道場では一日に十数回は着替えます。むろん、お洒落《しやれ》心からではありません。居士衣《こじえ》と作務衣《さむえ》、水行《すいぎよう》用|白衣《はくえ》、寝間着の四つを着分けるだけです。
しかも法衣《ほうえ》と作務衣は薄墨色、そう灰色なのです。外から見ると、どれも代わり映えのしない格好ですが、必要に応じて替えます。
まず三度ある食事の度、作務衣に着替えるので、それだけで脱ぎ着は計六回の勘定になります。
掃除や作務の時も作務衣。そしてお手洗いに行く度に袈裟《けさ》と法衣を脱ぐのです。念のため断っておきますが、全部脱ぐわけではありません。白衣を身につけていますから。
脱いだ衣類はすぐに畳む。着たり脱いだり畳んだりと一日中しているようなものです。
これが思いのほか、面倒です。着る、脱ぐはまだよいにしても、すぐ身につける物を、畳むのが少々厄介。いちいちしまう手間を無駄と感じるのです。
そして、畳まなければならぬところを、壁にそっとかけて置きます。
「これで一手間省ける」
ほくそ笑んでいると、
「着衣は、その場で畳みましょう」
との忠言を即座にいただくのです。
狡《ずる》い行為はたちどころに矯正されてしまいます。そのお陰で、いつしか自然に生活習慣となりました。すると身につける物一つにも、大切に思う心が確かに増してくるのです。
当然のことですが、衣類の洗濯は手洗いです。わずかな空き時間を捻出《ねんしゆつ》して洗います。ここではかように、やたらと労力を費やすことが多いのですが、無駄とも思うことを嫌々でなくこなしていると、物への愛情が湧いてきます。その結果、心が落ち着いてくるのも事実です。
「もっと能率よく」という考えは、それはそれで惹《ひ》かれるのですが、その欲求には限りありません。そのため、気分的疲れをもたらすのかもしれません。能率を念頭に置かない行動は、長閑で精神的によいようです。
肉体は少々疲れても、精神的に快い方が、結果として「楽」という感情を連れてきます。
実は道場内にも一台だけ洗濯機があります。特別の時用らしく、道場生が使えない場所に……。
まったくないのであれば諦めがつくでしょうが、一度|微《かす》かに洗濯機の音が聞こえました。
「あれを使えば楽々」
洗濯機が思い浮かびます。
そして、
「あるのだったら使いたい」
なまじの娑婆《しやば》風は、複雑な思いを連れてきます。
誘惑のない状態の方が、精神的には却《かえ》って楽です。道場は善意が溢《あふ》れ、望ましくないことへの誘惑が極端に少ないところ。その点では、大変暮らしやすい楽園とも言えるのです。
しかし、結界を一歩外に出ると、さまざまな誘惑や悪感情もあるでしょう。
その中でいかに生きて行くかが本当の修行と言います。確かに、その通りだと思います。
でも自身を振り返ると道場内でさえ、このありさま。どう考えても、清く正しく生きられそうもありません。
結界から出ればどうなるか。
ええ、道場を出てからこのかた、洗濯機とともに回り続けております。
[#改ページ]
地の果て結界地
剃《そ》りたての坊主頭に、茜《あかね》色の夕焼けが照り返る。ここ尼の道場は、微笑みに包まれています。
もちろん中では、かなり厳しい修行が行われているのですが、それは別として、なかなか楽しい生活なのです。
かといって、道場のことを「面白かった」なんて言うと、
「さては不真面目な生活なのであろう」
「なんの行《ぎよう》もしていないのでは」
との誤解を受けそうですので迂闊《うかつ》には申せませんが。
「さぞかし辛かったでしょう。ありがたい、ありがたい……」
と涙ぐむ檀家《だんか》さんに、楽しかったとは言いにくい。
で、
「行は厳しく辛かったけれど、仏様の傍にいられるのですから幸せでした」
とか、もっともらしい答えに切り替えます。
でも、ま、これも本音なのですけれども……。
ここでいう仏様は亡くなった方の意味ではなく、すべての事物を在らしめている大きな作用、如来《によらい》の力、宇宙エネルギー的なものを指します。
「それじゃ、どこにいても一緒やないの?」
と思われるでしょうか。その通りです。
行を積まれた人々は環境、状況にかかわらず、如来と自然同化されていることでしょう。しかし何分にも不出来人間は、環境に左右されること甚《はなは》だしいのです。
道場内は清々《すがすが》しく、二十四時間ありがたがっているのが自然な場所。取り巻いている大きな力に思いを馳《は》せやすい。そこで、「仏様の傍」という表現になるわけです。
さて一方、友人から道場に行く前にもらった激励は、
「頼むから立派なお坊さんにならないで」
「変わらないでね」
でした。
むろん頼まれるまでもなかったのですが……。
このような友から、
「道場はどうだった?」
嬉《うれ》しそうな顔で尋ねられると、
「すごく面白かったし楽しかったけれど、死にそうだった」
と答えたりします。
これも嘘ではありません。無宗教を満喫している彼女たちに「仏様の傍で幸せ」などとは言えません。照れもありますが、たとえ言ってみても、相手を困らせるだけでしょう。
彼女達は途方に暮れ、黒豆の眼差しを宙に浮かせるのでは?
どんな突っ込みをすべきか、頭はからからと回転し……。うっかりしたことは、と余計な懸念までさせた末、
「そう気張らんと……」
という一般的な結論に落ち着きそうです。
それでは余りにも忍びない。というわけで宗教の話はする気がないのです。
「周りの方に布教すべき」
という意見もいただくのですが、どうも、そんな傍迷惑《はためいわく》なことはできそうもありません。
それに宗教は求めるものであって、他人が押しつけるものではなさそうです。誰もが宗教を求めなくてもそれはそれでよいと思います。で、友人や知人相手には、聞かれたら答えるに止《とど》めている次第です。
そういえば、出家するずいぶん前の話ですが、宗教の押し売りに閉口したことがあります。
その人は教えを広めねばという義務感から、笑顔でどしつこく[#「どしつこく」に傍点]私に詰め寄るのです。
「お呼びじゃないんだけどな」
そう思いながらもきつい言葉は言いにくい。
知り合いであるという事情もありますが、何分にも相手は善意という黄金の旗を振っている。そんな無邪気な人をできれば傷つけたくない、という気持ちもあります。
これさえなければよい人なので、断るこちらが悪者のようにさえ感じます。
「興味ないの、ごめんね」
ぐらいの断りでは許してくれません。
これだけぐったりしているのを見たら、如何《いか》に嫌がっているか、分かりそうなもんだけど……。
何が彼女をこんなにも鈍感にしているのか。
不思議な思いで様子をうかがうと、教えることはよいこと、教えねばならぬ、という思い込みが顔面に印刷されているかのよう。脳工場では、「自分は正しい細胞」が活発化していることと推察できます。これは危険です。
「帰ってください」
振り切らないとお喋《しやべ》りが止まりそうもない気配に渋々と悪役を……。こんな経験ございませんか。
道場というと、辛く苦しいと想像されるでしょうか。
事実そうですし、その克己的なイメージに自ら酔ったりもしますが、「苦」だけではありません。そこには苦から生じるお釣りがあるのです。
外から眺めるとただ、「おいたわしや」に見えることも、幸せ気分で過ごしています。
多くの尼僧達が満面の笑みを浮かべているけれど、笑っている内容はたわいありません。それほどでもないことも楽しく感じるのです。
箸《はし》が転がるだけで可笑《おか》しい年頃に戻ったのでしょうか。青春が勢いを強めて来た感じです。生きているだけで充分幸せという塩梅《あんばい》なのです。感覚が研ぎ澄まされ、些細《ささい》な出来事の中に喜びを見出す術《すべ》が身につくのかもしれません。
そのせいか、次第に喜び悲しみに対する感覚も澄んできます。こうして、清く正しい尼僧が一丁あがると思われます。
事実、道場内には清々しい尼僧が溢《あふ》れています。ですが、長年親しんだ気質は い一朝一夕《つちよういつせき》には変化しないもの。
こちらは、とても清く正しい尼僧までたどり着けそうもありません。
どれくらい薄汚れているかというと、毎朝、道場から本山に出仕するのですが、そこにはクリクリ頭の愛らしいお坊様たちが、どっちゃりいらっしゃる。
なかには美少年系の学生僧もいたり……。
「持って帰りたい」
つい口がすべります。
それで止めておけばいいのになおも、
「右手に三人、左手に二人くらいは持てる」
こうして、と、ご丁寧にも身ぶり入りで話すものだから、周りも無視するわけにはいかなくなって、
「はいはい、はい」
息巻く馬をなだめるかの口ぶりです。
その気のなさが却《かえ》って可笑しくなり、また皆で笑いました。
思うに心の掃除がなされる時、清い力に対して、いけない力も負けじと抵抗するような気がします。
どっぷり「俗世漬」でも道場の毎日で少しは心が澄んでくるのか、とても爽《さわ》やかな心持ちになる時があります。
それは清らかな水が全身を通りぬけたような爽快《そうかい》感があって、はなはだ心地よいものです。
ところが、ひとしきり真面目ぶった後は、反動で不真面目へと振り子のように心が揺れてしまいます。
そして、少しいけないことを言いたくて、うずうずしてくるのです。
ここで理性でもあれば我慢するのでしょうが、元来の性格がそうはさせてくれません。
この振り子が清い方によればよいのですが、いつまでも同じところで揺れているのは、心の揺れを外に出すことが原因かもしれません。
とはいうものの内に溜《た》めておくと、ひょっとした瞬間に粘着化した物が暴発しそうな気もします。そうなっては周囲の方々に多大なる迷惑をかけかねません。だから小出しにした方がましと屁理屈《へりくつ》まで放《こ》く始末。
少々、場違いな自分を持て余してはみますが、
「変な人やねぇ」
温かい心の尼さん達は、微笑むのです。
結界の中にも、けったいなのが密《ひそ》やかですが、生息しています。
[#改ページ]
山中かけめぐる
太鼓|叩《たた》いて大声でお題目を唱えながら標高○○メートルの山道を練り歩きます。
天台笠《てんだいがさ》をかぶり法衣《ほうえ》に袈裟《けさ》、そして団扇《うちわ》太鼓に地下足袋《じかたび》という、向かうところ敵なしファッションでどこどこと進むのです。
「こんな団体さんが近づいてきたら、とりあえず道を譲るしかなさそう」
というわけか、皆さん道をあけてくれます。
私はまだ登り始めたばかりだというのに、息を切らしているありさま。歩くだけでもしんどいうえに、大声もあげないといけないので、疲れるのかも。と、声を小さめにしていると、
「お題目に助けられて登ることができる」
とのご注意をいただきました。
なんでも、ただ歩くだけよりも、大声で唱えることによって、意気揚々になり楽々登れると言うのです。
「そうかもしれない」
なんとのう納得したことと、しんどいので半分やけになっているせいもあり、早速どてらい大声を張りあげてみました。 そうしたところ、するすると登れてしまったのです。
先生がおっしゃるように、たぶん唱題に助けられたのが、一番の理由。
けれど、山中にあるお茶屋で饅頭《まんじゆう》やお茶をいただけたことも励みになった気がします。道場で口にすることのない菓子にひかれ、登りきったというのが第二の真相でしょう。
そういえば道場に入るまでは、和菓子が好物というわけでは、ありませんでした。
「お坊さん÷(お茶+饅頭)=お経…余り、帰ってくれる」という方程式でもあるのでしょうか、法事などで、どのご家庭におじゃましても、ありがたいことに和菓子を出してくださいます。毎日毎日いただくものですから饅頭苦手に陥ったりも……。
そんな罰あたり者でしたが、久々に再会を果たした饅頭は素直にありがたく味わいました。
そして、饅頭への愛は用意してくれた人達、さらには無事登らせていただけた謝意へと、連想ゲームのように繋《つな》がり広がっていきました。
その日は早朝に道場を出て、山頂に到着したのは夕方近くでした。楽々登れたというものの、ほぼ日中かかったことになります。
今夜は頂にある宿坊に泊まらせてもらう予定です。山上の寺にもかかわらず、大勢の上人《しようにん》方が常駐されて活気が溢《あふ》れています。夕勤に参列すると心が引き締まり、すごく新鮮な気分がしました。
夕食後は久々の自由時間が与えられるのでは、と、のんびり構えていましたが、やはりそう甘くはない。お札《ふだ》やお守りを作る手伝いが待っていました。
直径二センチほどに丸めた泥を乾燥させたものが、山積みにしてあります。なんでも山にある沼地の泥砂が、病気やけがに効くらしいのです。これを一つずつ袋に詰めます。
お札の方は上袋を折ったり、糊《のり》で貼り合わせたりという具合です。少々|歪《ゆが》んだりしても、ご愛嬌《あいきよう》。心を込めていそしみます。足は棒のようですし疲れているのですが、皆は嬉々《きき》として作業をしています。
「誰かの手にわたるお守りを、作らせてもらえるなんてありがたいね」
健気《けなげ》にも肯き合ったりしています。やがて徐々にですが、口も忙しくなるもの。
「出家する前はなにをしてたの?」
という話になりました。
「お茶の先生」「会社勤め」なかには、「姐御《あねご》」などという聞きなれない単語の方までいます。
普通なら好奇心も急上昇と思われるところですが、あにはからんや周りの尼僧は、さらりと流しています。
「そう、いろいろ大変だったのね」
それ以上は誰も尋ねません。本人が言いたいのなら聞く、そうでなければ詮索《せんさく》はしない、という暗黙のルールがあるかのようです。そしてこの話は惜しくも自然消滅を遂げました。
とはいうものの改めて「姐御」を見ると、なるほど親分と言っていい迫力ある風体。髪があれば姐御にも見えるのでしょうが、坊主頭の今は、まさに男気の人と言っていいくらい。
「ごめん、殴らんでね」
さしずめジロチョ[#「ジロチョ」に傍点]というとこでありましょうか。
いうまでもなく清水の次郎長《ジロチヨウ》からの発想ですが、足を洗っているので、最後のウは発音しないことにしてみました。
ま、過去はなんでも今は尼さん、一緒の仲間です。それに皆は気にもかけていません。
このジロチョは、さっぱりとした性格らしく、思ったことをそのまま口にします。
「あんたは処女やな」
などと、ぶちかましたりするのです。
そう言われた人は、
「何を言うか思ったら……」
と笑って誤魔化《ごまか》しているだけ。
そこで止めておけばいいのに、
「あたりやろう? 心も身体も汚れておらん」
またまたぶっぱなす。
もっとも彼女は悪気があって言っているのではないようです。
「ほれ、こんな立派な人がいる」
と御輿《みこし》に乗せ、担いでいるつもりらしい。たぶん最大級の賛辞なのでしょう。
しかし、乗せられた当人はたまったものではありません。清純なる人は、そんな話題は好まないと相場が決まっています。
ハーレーにまたがったジロチョが、清らかな花園を踏み散らしながら暴走しているという雰囲気。
ここは夜の繁華街やないっちゅうに、しようのないお方です。いらんことしいの血が、むずむずしてきます。そこで、自ら御輿によじ登ることにしました。
「私は?」と言ってみると、ジロチョは話の腰を折られたのが面白くないのか、問題外というように「色情が出てる」なんて言うのです。
案の定の落ちを、ありがとう。
「エーッ!」
と仰《の》け反《ぞ》り、どっと笑いがおきて、場が落ち着きました。
それにしても色情とは情けない。そこまでの下げは、いらなかった気がします。
いちおう言っておきますと、僧になってからは交際皆無。どういうものか恋愛する気が、自然消滅してしまいました。結婚している尼もいますし、それはそれでいいのですが、私は剃髪《ていはつ》で恋愛はできない性質らしいのです。実のところ、もはや異性の方でも私を相手にしてないという現実の前では、自然とそういう生活になってしまうだけなのですが……。
明日はご来光を拝んだ後、下山する予定になっています。気分は爽快《そうかい》かつ穏やかなのですが、いかんせん足がくたびれています。気休めかもしれませんが、マッサージをすることにしました。
自分で揉《も》んでいると、
「足さん、よう頑張ってくれはったねぇ」
心から愛《いと》しい思いがしてきます。
その昔、
「もう少し細ければよかったのに」
と不満たらたらだった足。
思えば何十年ずっと言うことをきいてくれている。手もそうです、じっと両手を見ます。試しに中指を意識的に動かすと、やはりちゃんと動いてくれます。手を閉じたり開いたり、意のままに動くではありませんか。
「これって、すごいことなのでは」
という気がしてきました。
思いが泡のようにふつふつと心に溜まってきて、「ありがたい」涙がぼろぼろと溢れてくるのです。
どっちらけ、なんて言わないでくださいね。
このように嬉《うれ》しさが身に染みて、涙することが割合にあります。
我ながら「おめでたいやっちゃ」と分かっているのですが、こういう時、とてつもない幸福を感じたりしますので、病みつきになるのです。できれば三百六十五日、常にこうありたいと切に願うのですが、残念なことにやがて冷めてしまいます。
与えられている物のありがたさを知ることは、大きな喜びをもたらします。
以前は、自分の身体なのだから「そんなの当たり前じゃない」と思っていた節があります。でも本当に肉体は自分の物と言えるのでしょうか。真に所有物ならば、あの世へ逝く時も持っていけそうなものです。置いていくところをみると、どうも借り物という意味合いが強いように思います。身体さえも死ぬ時が来れば、「ありがとさんでした」と、返すしかない現実。この世で生きるために借りているだけかもしれません。
また自分の物だったら何をしてもよいという理屈にもなりそうですが、借りていると解釈すれば、大切に使おうという殊勝な気もおきます。身体だけでなく、周りにあるもの全部に通じることなのでしょう。さらに、何も持っていないのは、悲しいことではなく心が軽くてよいとも思えます。
夜も更け、お待ちかねの就寝時間。それぞれの喜びや思いを抱いて蒲団《ふとん》に横たわります。といっても一人用の蒲団ではありません。丈は普通ですが、幅が五メートルもある巨大蒲団なのです。ダブルを通り越し、エイト蒲団というところでしょうか。そして、大きさに反比例するかのように薄っぺらい。この蒲団に幾人も等間隔に寝るのです。
いわゆる簀《す》巻きと呼ばれ、寝返りを打てば、隣の人を襲ってしまうという代物。これは早く寝たものが有利と考えられます。私はいつでもどこでも眠れるという病でもあり、いの一番に眠ってしまいました。
次の朝、身支度《みじたく》をすませた後、なお薄暗い中を行列して歩いていきます。
見晴らしのよいご来光地点で、経を唱えながら日の出を待つことひととき。山間から、まさに昇ろうとする陽光を拝みます。
陽は心の中のすべてを映し出す透明感があり、あらゆる感情をのみ込んだ無の表情をしていました。横で一心に祈っている人達の照らされた顔は、眼前にあるご来光と同じくらい美しく、不思議な光景に映ります。
その後、何の脈絡もなく、この光景が頭に浮かぶ時があります。
荘厳な朝日、経の響きと団扇《うちわ》太鼓の音、光を受けた喜びの顔……。それらは感動とともに、心の劇場に登場します。懐かしさと安らぎを感じる、とっておきの名場面として鮮明に蘇《よみがえ》るのです。
「あの光景は一生忘れない」
とは、こういうことを言うのでしょうか。
[#改ページ]
ヨコミチ――心所《しんじよ》
[#ここから3字下げ]
心の働きの主体である心体である心王に相応して生じるさまざまな心の作用のことです。
たとえ悪い考え方をしていても、自分で気づかなければ、心は改めにくいと思います。そこで、自分の心の状態を知ることが、まず第一。
たとえば、
「あ、今、自分は怒っているのだな」
と、自分の感情を知ることで、怒りのまっただ中にいるのではなく、自分を客観的に見つめることになります。そうすれば、怒りの感情も流していきやすくなるのではないでしょうか。
自分は喜んでいる。
自分は悲しんでいる。
それがどのような感情であっても、自分で意識して流していくことができれば、心もすっきりしてきます。
ところで、今、何を思っていらっしゃいますか?
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
出 場
道場を出る日の朝、喜びで満面の笑みを浮かべる人、もっと留まりたいと言う人。嬉《うれ》しいのでしょうが寂しさも、という複雑な思いがそれぞれの胸にあるようです。
最後の清掃は、時間もいつもより長く念入りにします。おそらく二度とは訪れないだろう道場を慈しむように「お世話になりました」という思いを込め、床を拭《ふ》き清めます。
廊下にこびりついた小さな染みを見つけ、しつこいくらい入念に拭く。長い年月をかけてついた汚れを取るのは楽しいものです。
「ほれ、こんなに奇麗にしてやりました」と誇らしげに恩を着せてみる。床は、「そうえばらんでも……ま、おおきに言うとくわ」なんて光っている気がして嬉しくなるのです。
「どう、もう少しここにおるか?」
先生はからかうように、おっしゃいます。
「もう堪忍してください」
と言えばいいのでしょうが、本当に残りたい気もあることですし、
「はい。できればお世話になりたいです」
愛想のない返事とは知りつつも、つい嬉しそうな顔で返してしまいます。
「そんなに居《お》られたら、こっちが敵《かな》わん」
先生はそう言ってから、あたたかく微笑まれました。もしかしたら道場の修了日を誰よりも心待ちにしているのは、先生方かもしれません。いろいろとご指導くださり、本当にありがとうございました。
結界が解かれる時がやってきました。
石段を降りて出迎えの方が待っている門まで降りていきます。列をなして、ゆっくりと一段一段くだっていくのです。言いようのない感激から涙を流す人もいて、いよいよ場は最高潮を迎えます。映画であれば、そろそろエンディングの音楽が流れだすところでしょうか。
しかし現実というのは、なかなか奇麗に終わらせていただけないようで……。
お迎えの側から、
「泣くなぁー!」
などと怒号する声が響いて、高揚感も盛り上がりもとりあえずお開きとなるのです。
「誰が叫んでるの?」
「いつもの尼僧さんですって」
「ああ、あの方……」
話題の尼僧はこれまでも神出鬼没。例えば本山に出仕していた際、道場生が渡り廊下で整列していると、
「きおつけーっ」
どこからともなく聞こえてくるのです。
少し離れた建物に、ぽつねんと立つ尼僧が見えます。
こちらで、
「あの人誰なの?」
ざわめいていると、
「だまれぇー」
再び叫ぶのです。
というように間隔を置いては、また現れ、
「静かにぃー」
などと号令する。
そのうち姿を見かけただけで、なにやら嬉しくなり、
「あっ来てはる」
「どこ? どこ?」
というように、道場生の間でちょっとした人気者になっていました。
ともすると変わり者に見えるこの尼僧も、よく知っている人が言うには、
「仏道に厳しいが心の温かい尼さん」とか。
娯楽のない道場生活をより楽しませてくれたことから考えるに、たぶんその通りなのでしょう。
肉親や檀家《だんか》さんと再会する道場生は、無事に終えたという安堵《あんど》感、達成感もあり、どの顔も爽《さわ》やかな顔をしています。出迎えの中には観光バスを借りきって来ている団体もいる盛大さです。一方こちらは迎えがないので気楽なもの。
迎えに行くというご好意はいただいたのですが、少し照れくさいし、のんびりと戻ってみたい気がありました。
さて、同じ方向に帰る尼僧達と途中までご一緒します。
帰り道のことです。どういうわけか、入場前とは景色からして違うように感じます。うまく言えませんが、眼球の見える角度が広がったとでもいうか、全体像は以前より見えるのですが、その分細かな部分に焦点があわない気がする。距離感がつかめないように感じるのです。
生まれてからこのかた、ずっと馴染《なじ》んでいる空気のはずですが、どうも勝手が違います。
ちょうど昼時でしたので駅前の食堂に入りました。座敷に座っても、やはり妙な気分です。メニューを見ても食べたいものが思い浮かびません。何も考えず定食を頼んでみます。それは精進食でなく普通の食事でした。
「美味《おい》しい?」
そのはずなのですが、味わうという感覚がにぶっているのか、よく分かりません。感覚器官が順応するには時間を要するのでしょうか。他の人もそれぞれの思いがあるようです。
「なんだか変な気分ね」
と言っている人がいます。
「浮いてるような気がしない?」
というのもありました。
未《いま》だどこか馴染めないというのが共通項でしょうか。とにかく列車に乗り込みます。入り口近くに立ち外の景色をぼんやりと眺めていました。何気なしに振り返ると、いっせいに顔を背ける方達がいます。
今までも剃髪《ていはつ》が珍しいのか、ちらっと見られたことはありますが、どうも様子が違っているようです。好奇心というのか、恐いもの見たさというか、吸い寄せられるように見ています。きっと道場の空気を持ち帰っていたのでしょう。
列車を乗り継いでも同じような視線がありました。じろじろと凝視されても、どういうわけか、なんとも感じません。見られているという事実は分かるのですが、感情本体が少し離れたところにいるようす。
入場する時は、
「帰りがけ何を考えているのだろう」
と楽しみにしていたのですが、特別なものは浮かびません。
というよりも常日頃、泡のように浮かぶつまらない考えすら出てこない……。ただ静かで穏やかな心でした。
列車を降り寺の近くまで来ると、知り合いが佇《たたず》んでいます。
「こんにちは」
挨拶《あいさつ》をしても、向こうは腑《ふ》に落ちない気配。
ようやくして、
「えっ、あなたでしたか」
自分では何も変わっていないつもりでしたが、まったく分からなかったと言っています。
「どこの立派なお坊さんがいらしたかと思ったものですから」
ふんふん、日頃なんと思われているか推して知るべしでしょう。
言われてみれば確かに、おっさんと言っていいほど、逞《たくま》しくなったのは認めます。なんにしても変わらないと言われるよりは道場帰りらしいでしょうし、やはり気をよくします。
だんだんその気になり、すっかりいつもの調子で、変わってきたぞと勇ましく意気揚々と寺に戻りました。まず、仏様に道場を無事修了できた報告をしましょう。懐かしい本堂でお経を上げていると、帰ってきた実感が徐々に湧いてくるのです。
[#改ページ]
現在信仰形
「辛くてたまらない。苦しくて、もうこんな思いは嫌だ。そういう経験を一度もしたことがない人、この中にいますか? いれば手を上げてください」
お堂には八十人ほどの人がいましたが一人の手も上がりませんでした。
このことから辛い経験が一度もない人はいないと結びつけるのは早計でしょうか。たまたまそういう結果になっただけかも。また、あまり辛い思いをしたことがない人がいたとしても、この場で手を上げるのはむずかしいでしょう。辛い思いをされている方の心情を考えれば、挙手するのは抵抗があると思います。
でも、この様子を横から見ていた限りでは、皆の顔が心底|安堵《あんど》したように見えました。
質問をされ、ざわめくように周りを見回す方々。誰も手を上げない。ということは、ここにいる人全員が苦しい思いをしたことがある、あるいはしている……、自分だけではなかったという実感を得たようでした。
それは単にその場の連帯意識でホッとしたというのでなく、もう少し普遍性のある捉え方。人間は時に苦しんだりもする生き物だと素直に受けいれた喜びとでも言いましょうか、そういう顔つきをしていたように思います。
こんな風に、すらりと感情で納得することもあれば、頭では分かっていても感情がついていかない場合も多くあります。
例えば辛い時は自分だけが苦しい思いをしているという考えにとらわれがちになったりします。八方|塞《ふさ》がりと思われる中、周りを見回すと皆が平穏にしているように感じてしまう。自分一人だけが違うという孤独感もあるようです。
「どうして私だけこんな思いを……」
と。そんな時、
「あなただけではありませんよ。時期や思いの強弱こそあれ、皆同じですよ」
そう言われたところで、
「はい、そのとおり」
とは、なかなか思えないでしょう。
頭では理解しても、感情が納得しません。心が言うことを聞いてくれれば、悩みも苦しみも軽減できるのでしょうが、本人の意向を無視し、あらぬ方に走りだしたりします。
気持ちが収まるまでに、ある程度の時間を要するようです。
人は変化に即座に馴染《なじ》めないようにできているのかもしれません。さまざまな価値観を鎧《よろい》にして生きている節があります。薄皮が剥《は》がれるのを待つのもよさそうです。
悩む方々を見ていますと「ひょんな拍子」に得心しています。苦しむことも哀しむことも自然なのだと受け入れる心境になるようです。現実を受け入れると却《かえ》って気が楽になるのでしょう。嫌だとあがいている時が一番辛い状況かもしれません。
といっても苦や哀しみに屈するのではなく、
「人間だものこういう時もある」
という感じでしょうか。
そうなると、苦しくてたまらなかった気持ちが少しは軽くなってきます。心にゆとりが生じるようです。
すると不満だらけに見えた現実の中だって、まだ他に与えられているものがあることに気づけます。足らないもの、なくしたものに向けられていた全視線が、与えられているものにも向かうのでしょう。
家族や友人、仕事があるのはありがたいとか。たまたまそれがないとしても、考えてみれば、今、命があるだけで充分ではないか。いや、ありがたいと思えるのでしょう。
時間はかかりますが、こういう風な心の変化が信仰に多いようです。
宗教は幸せになるためではなく、今ある幸せを感じさせてくれるもの。
理想としては、ここで終わりたいのだけれど、現実的に先に進めます。
すると、今はこんな状況ですが哀しみが癒《い》える時、喜びの時だってあるはずと考えられます。抜け出せないと感じていた洞窟《どうくつ》に光を見出すこともできるのでしょう。実際、状況は必ず変化するもの。一つところで留まるのではなく流れているのですから、よい時もくると考えるのが自然です。
信じる思いが湧いてくれば、気持ちも明るくなります。苦しい状況からもいつかは抜け出せることでしょう。
脱出できれば「ありがたい」という思いが湧いてきます。というのも苦しい状況の中でさえ与えられているものに目を向けられる、感謝できるくらいですから、よくなればもっと素直に喜べます。
ただ、これは一つの型にすぎません。すべての心が個性的なように、苦しみへの取り組み方も違うのは当然だと思います。
とりあえず哀しみに埋没しきる人、泣き崩れ両脇を人に抱えられ、よろよろと歩くほどに弱る人もいます。でも、こういう人に立ちなおりの早い人が意外と多かったりするのは、なぜでしょう。周りに支えられる安心感、辛い時にそう表現できるほど周りに受け入れてもらえる恵まれた環境にいるのかもしれません。
ともすると傍迷惑《はためいわく》な行動になる時もあるでしょうが、つまるところ人は迷惑なものかもしれませんから、しんどい時は互いに甘えあっていければいいですよね。受け止めてもらえた後、それは自分への信頼感、人への感謝に繋《つな》がるのでしょうから。
また、すべてを自らの中に閉じ込めてしまう人や、閉じ込めざるを得ない状況の人もいます。おしなべてそうとは言えませんが、こういう人の苦悩の方が深いのでしょう。ただ、そこから抜け出せた時、得るものも多いようです。
「今は苦しくても、きっと楽になる。あんなこともあったね、なんていつか振り返ることさえできるようになる」
そう考えると気が晴れ、前に進む勇気がでるという自ら励まし型の人もいます。
ひたすら草むしりをしたという人。少し変わったところでは、ジグソーパズルをした人もあります。
「孫に勧められてね」
というその人は、ご主人に先立たれたのですが、夫婦仲がよかっただけに一時期、非常に落ち込みました。
仕事も手につかず、仏壇の前に座り続けます。息子や嫁も心配し、あれこれ気遣いますが本人の気は晴れません。
孫がパズルを持ってきて、
「おばあちゃん、一緒にしようよ」
そう言ったそうです。孫は心配して慰めてくれている。優しい心遣いが嬉《うれ》しかったと言っていました。でも内心はパズルどころではないのですから、そんなものする気になれません。お愛想で一つ手に取りはめようとすると意外にむずかしく、少しの間考えねばならなくなった。で、置く。
その僅《わず》かな間ですが哀しみを忘れていることに気づきました。かといって自分から進んでパズルをする気はしません。知ってか知らずか、孫はテーブルの上にそれを置きっぱなしにしていったそうです。
「好きな時にしてね」
と言い残して。
その日から約半年の間、テーブルにはパズルが置かれている生活が続いたそう。片づけてしまうとわざわざする気になれないけれど、テーブルにあるとつい動かしてしまう。根を詰めなければできないものだけに、知らぬ間に夢中になっていたということになります。
でき上がったパズルは三つ。絵画のように額に入れて並べてありました。
「こんなもので立ちなおったなんて、あまり人に言えない」
ご本人は照れるけれど、亡くなったご主人が見守っているとしたら、
「うちのやつらしいなぁ」
なんて目を細めて喜ばれていると思います。
[#改ページ]
百五十人分の飯炊き
毎月決まって行われる先祖供養や講《こう》の他に年間行事があります。ただ話をしたり、聞くだけよりも食べながらの方が浸透するからでしょうか。行事と食べ物は通常セットになっています。
十月十三日。お会式《えしき》(日蓮聖人の祥月《しようつき》命日)には、お斎《とき》を作ります。
前日から、檀家《だんか》さん達と境内にテントを張ったり幕や旗を立てたり。また男性の方でもお茶を入れたり、洗い物まで進んでされます。男女のこだわりがなく、その場でできることをする習わしになっているのです。
「他ではしないけれど、寺は別」
という男性が多いのですが、それでも熱心な方は毎月二回、寺に足を運ぶので、しだいに習慣化するのか家でも時々はするようになると言います。
「おとうさんの入れたお茶は美味《おい》しい」
などと家族の方に喜ばれ、まんざらでもないそうです。
寺の入り口にある山門をくぐる時に地位や名誉、社会的なしがらみを門の外においてから寺に入ることになっています。その方が心くつろげるのでしょう、皆さん屈託のない顔をされているように思います。ここで人間を超えた大きな存在に触れることによって、気分もさわやかに一新し、明日からの活力も湧いてくるようです。
さてと、飯炊きの話でした。
八升分のお米を研ぐことから始めます。量が多いので二回に分けて大釜《おおがま》で炊くのです。新聞紙を火種にして薪をくべます。簡単そうに見えますが、火かげんの調節が意外にむずかしい。
私もしてみましたが、なにしろ薪《まき》を使ったのは初めてです。火力が大きい方がいいような気がして、どんどん薪を放り込みます。これは燻《くすぶ》るだけの下手なやり方、初めての人がよくする失敗とのことです。
毎年、炊いていた方が老齢になられ、気がつくと次期飯炊き係りになっていました。だいたいが、やり始めるとそれなりに楽しくなるのが常。とりあえず誰にでもすぐできるよう、マニュアルを作ることにしました。
ベテランの方に教わりながらメモをとります。煮炊きの時間を計ったところ、いつもぴったりと同じ時間。その方は時計も持たず、勘をたよりにしているだけです。長年かかって得た勘の結晶を「七分二十秒」と単純に書いていきます。
火かげん、煮立ち具合は写真を撮ることにしました。年配の方なのでマニュアル作りなど馴染《なじ》めないのではと考えられますが、この方は、
「なるほど、そんな風にしておくと誰にでもできるな」
と、賛成してくれました。
こんにゃくや里芋は下茹《したゆ》でを前日にすませ、味つけは当日します。田舎風に濃いめの味つけ。次々と煮立てては、仕上げたものを弁当箱につめていく。こうして百五十人分のお弁当ができ上がりました。
甘い味噌汁《みそしる》も一緒に出します。出汁《だし》をとらず、お湯に味噌と砂糖をたっぷり、仕上げに豆腐を入れただけのものです。味は味噌汁というよりも善哉《ぜんざい》に近いかもしれません。初めての人が普通の味噌汁と思って口にすると、申し合わせたように、
「なんじゃこりゃー」
という顔をされます。
それを見るのがこちらの細《ささ》やかな楽しみ。まさかこんな味つけのものがあるとは思えないのでしょう。なにかの間違いでは、と隣の人に尋ねたりしています。
聞かれた人は、
「甘いでしょう」
なぜかしら勝ちほこり気味に答えています。
馴染みのない人にとっては、なんとも言えない味をしているのは事実。でも案外好評でお代わりもでたりします。
十一月、施餓鬼会《せがきえ》。
一月は新年|祝祷会《しゆくとうえ》。新しい年を迎えられたことに感謝しつつ、一年の無事を祈ります。この時は、お供えの鏡餅《かがみもち》を善哉にして食べるのです。
二月は節分|星祭《ほしまつり》。除災・招福を願って各自の星にもとづき、お札《ふだ》を作り奉《まつ》ります。そのあとで豆まき。餅や菓子も一緒にまきます。受け取る人達はこの時とばかり童心に戻るのでしょう。だいたいは笑ったように口をあけて「きゃーきゃー」歓声をあげながら我さきにとかき集めています。
お菓子や餅など、そう嬉《うれ》しくないでしょうが、物ではなく餅まきという行為そのものが楽しいのだと思います。それにお寺で出すものは、一味違うという人もいます。
そう言われれば、たしかにお供えしたご飯は線香の味が……。
でもこの方の言わんとするのは、そんなことではありません。
「仏様のおさがりや思うと美味しいし、なんだか元気になれる」
ということでした。
四月八日は花祭《はなまつり》。お釈迦《しやか》様の誕生祝いです。花で飾った小さな堂(花御堂《はなみどう》)の中に、水盤、その上に誕生仏を置きます。参詣《さんけい》者は柄杓《ひしやく》で甘茶を釈尊像にそそぎます。
この時、水盤に溜《た》まった甘茶で墨を磨《す》ると、書道が上達すると聞きました。そんな安易な方法があるなら、ぜひ試してみなければ……。
気のせいでしょうか、確かに書いている時はするすると調子よく書ける気がします。だけど、でき上がったものは、いつもと同じ下手な字のままでした。
当然のことながら一回で効果を狙おうなんて、浅はかというもの。では、地道に練習するかというと、それができません。年一回の書道で上達は不可能との冷笑をいただきつつ、だめもとで習慣化しています。
法会が終わると、境内の桜の下で弁当をひろげます。この日のお弁当は美味な仕出し屋のものです。おでんにビール、日本酒もあり、すっかり花見気分でカラオケまででる年もあります。その横では野点《のだて》をしていて、仕上げにお抹茶と和菓子もいただけます。
七月、盂蘭盆会《うらぼんえ》。
九月になると境内の木々が落葉を始めます。
はらはらと落ちるさまは風情があり、すてきなのですけれど、毎朝一、二時間は箒《ほうき》が手放せません。とりわけ桜の木は面白いくらい落葉し、風の強い時は塵《ごみ》袋十個にもなるのです。
毎回塵の収集に出すのも気がひけ、本堂の裏手で燃やすこともあります。
掃き集め、上から箒やちりとりを重石にして、乾くまでそのままにしておきます。新聞紙を火種にし燃やすのです。
そういえば、前日に薩摩《さつま》芋をたくさんいただいたところでした。これでお芋を焼いてみることにします。
落葉|焚《た》きの中にとりあえず、十ほどの芋を入れてみました。パチパチと音をだしながら、葉っぱが燃えています。生き物のように動く火を見ていると飽きないものです。このままぼんやりとでもしていたいのですが、そうもいきません。用事をすませて戻ってみると、落ち葉の中に古い塔婆《とうば》がどっさりと捨てられています。
「ありゃー」
やられてしまいました。
落ち葉だけの時よりも火種がよいのか、勢いよく燃えています。火力が大きくなったのは、芋にとって好都合かもしれません。
「巻いといてよかった」
均一に熱が通るようにアルミホイルで芋をくるんでいました。でも、本当はそんな問題ではないのでしょう。何となくこのままではいけない気もします。
「南無妙法蓮華経」
と三回唱えてみました。
「これでよし」
ひとりで納得します。
なぜそれでよいのかと聞かれると困るのですが、よしという気分になるのでよいことにしているだけです。予定通り、他の人にも焼芋を食べていただきます。
「落ち葉で焼いたのは、やっぱり美味しい」
とても喜んでいただけたので、
「塔婆で焼いたともとれる」
と言うのは黙っていましたが、いけなかったでしょうか。
[#改ページ]
ヨコミチ――頭を剃《そ》りても心を剃らず
[#ここから3字下げ]
私には痛い言葉なので、あまり紹介したくないのですけれど……、剃髪《ていはつ》して僧になっても、心は出家前と変らないことを言うそうです。
できるものなら、心もくりくりに剃りたいのですが、剃刀《かみそり》で剃るように簡単にはいきません。悪いことも当然たっぷりと考えています。ちょっとしたことで腹を立てたり、うぬぼれてみたりもします。
悪い考えをするな≠ニいうのはいろいろな悪い考えを流していく≠フとは少し違います。でも、悪い考えをするなと言われても、つい浮かんでくるので、悪い考えを流していけばよいのではと、都合よく解釈しています。
たとえば、腹を立てても気をとりなおせばいいのではないかと思います。
悪意にこだわることがよくないので、いつまでも怒りや、つまらない考えを体にためておかないようにしましょう……ト。
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
ご合掌《がつしよう》
「なんや嬉《うれ》しそうな顔してるで」
おおきにありがとうと、返事ができないのは場所柄ゆえです。
お葬式には向いていないのかもしれません。自分ではよく分からないのですが、お経を読む時、うっすらと笑っているらしいのです。
今日は寂《じやく》と聞けば、亡くなった方がいるということだから、当然寂しい思いがします。まして知っている方だとなおさらです。涙を流しもします。
しかしながら、お経が始まると……。
もちろん単なる癖のようなもので、他意はありませんが、それはかなり具合が悪いように思います。きりりとまではいかなくても、普通の顔をしなければと意識をしてみます。でも、またすぐにしまらない顔になっているらしいのです。
……すみません。
葬儀屋さんのなかにも、やはり私と同じく困った方がいらっしゃるようで……。
昔の演歌の司会といえば語弊があるでしょうか、哀しみを無理やりさそうかのようす。
「それでは皆さまッ、ご合掌ォォォ」
感情を込めているのか、真剣な顔でマイクを握りしめ、のけぞっています。
「今日は、ご合掌ォさんか」
などと僧たちの間では、なかなか人気がよろしいのですが、亡くなられた方の側としては、どうなのでしょう。
うつむき、涙を流していた参列者の方がポカンとした顔で、葬儀屋さんを見つめていたりします。肩を震わせて、笑うまいと我慢している方もいらっしゃる。仕事熱心な方で、真面目さのあまり、ついいきんでしまうとのことですが。
ある時、尼さんが棺桶《かんおけ》を前にして、
「私たちもいつかここに入るのよねぇ」
ごく当たり前のことを当たり前に言っているという響きに、その言葉が私の心にすとんと落ちました。棺桶に横たわっている自分が頭にパッと浮かびます。絵面としては、なかなかに心休まる光景のように思います。
「死んだらどうなるのか、そんなことは死んでみないと分からない」
とは、よく聞くことですが、
「だからこそ、その日が楽しみだ」
という僧がいます。そういうわけで、この方は長生きしたくないそうです。
また、死ぬことは恐くないけれど、どう生きるかの方が心を悩ますという尼もいます。
なかには、
「わしは嫌やな」
という僧もいらっしゃる。
せっかく生まれてきたのだから、生を味わいつくしたい。次の世界のことまで考えてられへん。
その時がきたら、
「嫌やぁー」
言うて逝《い》くつもりだそうです。これはこれで風流なような気もします。
私自身もたぶん、「嫌やぁ」組でしょうか。
ややもすると危なく聞こえる話かもしれませんが、瞑想《めいそう》をしている時に、自分の存在がなくなる感覚を味わったことがあります。それは頭の中の感覚、というより実体験と言えるほど本人にとってはリアルなものです。ですから、存在が消えていきそうになった時は抵抗感が生じたりします。何度か、その手前で引き返すことがあった後、腹を括《くく》れたのでしょうか、するっとその感覚にゆだねることができました。
それまで頭で考えて、自分の存在が消滅するのは、何もかもなくなること? と、なんだか寂しいことのように思っていましたが予想に反していました。そこにあったのは生まれてから一度も味わったことのない真に深い安らぎと言えると思います。
こういうことがあってから、もしかして死ぬ時って、こんな感覚かもしれないと考えたことがあります。安易には言えませんが、だとしたら、死もわりとよさそうな感じがします。
どちらかと言えば、どういう死を迎えるかよりも、どういう気持ちで死んでいけるかの方に関心があります。
極端な例でしょうが、ご存知のようにインド独立の父といわれるガンジーは、銃で撃たれ亡くなりました。悲惨な死と言われる場合もあるようですが、そんな風には思えません。傍目《はため》には悲惨であっても、きっと真に安らいだ気持ちで召されたに違いないでしょうから。ああいう方は、状況で心を右往左往されることはなさそうに感じます。
うらやましい限りですが、この境地はいかにもむずかしそう。状況に左右されっぱなしの身としては、安らかな気持ちで逝けるそこそこの場面があった方が楽なのはたしかです。
花の下で、皆に囲まれて……それでもやはり土壇場で「嫌やぁー」となるのも、悪くない気がします。
でも、それだと残される人は、やりきれないかもしれませんね。
案外、
「また、生まれかわって戻ってこいよー」
と元気よく送りだされたりして。
[#改ページ]
同窓会
道場を出てからも道場の仲間と会う機会があります。同窓会らしきものがあるのです。
「尼はんの同窓会?」
「なんやそれ?」
私の友人達は、どうも何かが「けったい」だと言います。
「どこがずれているか、尼さん皆で話し合う必要がある」
などとひやかすのですが、ほっといてんかという感じ。
道場以外の場所で会えるなんて、また違った雰囲気がして楽しそうです。
遊び気分で参加する私とは違い、
「信仰の励みになる」
と、遠いところからでも皆集まってくるのです。
集合場所のお寺にて、まずお経を上げます。それから、他の寺やちょっとした名所をめぐったりします。
場所によっては、尼の姿が似合わない雰囲気のところもあるようです。尼の団体が観光地でソフトクリームを食べているのは、あまり絵にならないとは思いますが、私たちは意に介さず楽しませていただいています。
宿泊先の旅館に着いて温泉に入ると、すっかり極楽気分。入浴後は浴衣《ゆかた》に着替えます。衣や作務衣《さむえ》を着ていると、尼と分かるのでしょうが、浴衣姿だと男性と間違えるようです。浴場の出口で他の女性客とすれ違いざま、
「えっ」
などと、女湯と書かれた暖簾《のれん》をすばやくチェックされます。
律義な光斉さんは、
「大丈夫、ここは女性用です」
ほかほか湯気がでている笑顔で言わずもがな。
「あ、すみません」
「いいえ、こちらのほうこそ」
赤い暖簾の前で、礼儀正しくお辞儀をかわしているのは、どこか妙でいいものです。
夕食時にはビールや日本酒もいただきます。あまり飲めない人が多いのですが、その気になれば飲めます、という人もいて座は宴会風。
でも、その間も皆さん正座にピシッとした背筋のままなのです。
同窓生と托鉢《たくはつ》に参加したこともあります。
大仏もあるし、近くには海も……と、ほとんど観光気分で出掛けたのですが、天台笠《てんだいがさ》に手甲脚半《てつこうきやはん》、太鼓を叩《たた》いて街中を歩くというものでした。道場にいた時も同じようなことをしましたが、町では初めてです。
ためらう思いもありますが、始まるとその気になるのは、この時も同じでした。
こころおだやかにドコドコと張りきります。朝九時半に集合して午後四時まで托鉢。といっても難民救済の募金をしていただくのです。
点在しているお寺を回るものでした。でも次のお寺まで太鼓を叩きながら街中を歩いているものですから、駆け寄って募金箱に入れてくださる方もいらっしゃいます。参加した尼僧や信者さん達も募金をしました。
いつものとりとめのない思いが戻ってきたのは、帰りがけに電車に乗ってからのことです。車窓から海が見えました。
そうそう、たしか若かりし頃、ここに遊びに来たことがあります。あの当時、海に来たからには、何か若者らしい雰囲気のことをしなければいけない気持ちに駆られたものです。そこでスケボーに挑戦しました。当然、技ができるわけでもなく、ただ坂道をコロロ……と滑っていくだけ。
すぐに飽きて、ボォーッとするしかなかったパッとしない思い出です。それでも青春のひとこまらしく、私の中ではセピア色に美化されています。
あの時、太鼓叩いて大声あげている現在の自分が見えたとしたら、お先真っ暗な気分になったことでしょう。なるほど、未来など知らない方がいいというはずです。
現在、真っ暗でもなく、わりに嬉々《きき》として生かさせていただいていることから考えますと、その時々に則した価値観が備わっていて、楽しめるらしいと分かります。
ということは、これから先も同じと考えられます。
なるほど、未来はそれなりに明るい! 気がしてきました。
遠い先、たとえば、どんなおばあちゃんになっていても、本人はわりあいに幸せなのでは……。
托鉢旅行? から帰って、そんな話を友達にしました。
「未来が明るいのは分かったけれど、おばあちゃんになるのは諦めた方がいいと思う」
たわいのない話に待ったがかかります。長生きできそうもないからでしょうか。たしかにタフからは、ほど遠い体質です。なれないなら別にそれもいいのではと思えます。
でも、あまり関係ないかもしれませんが、生命線は長いほうなのです。
占いは、いいことを言われた時だけ信じるという人が多いらしいけれど、私もそんなところです。十代の頃までは生命線が手の甲まで伸びていました。
見た人が、
「ほーっ」
と感心してくれるほど。
ただ、他に見るべきものが何もない単純な手相だったせいもあるかもしれません。というのは三本くっきりとあるだけで、後はつるんとしたものだったからです。
嘘か本当か知りませんが、猿は手のひらに線が二本しかないと教えていただきました。
「三本しかないから……かなりお猿に近いいうことやね」
からかわれただけでしょうけれど、どういうものか、誇らしい思いがしたのを覚えています。
しかし手相というのは変化するらしく、知らない間に皺《しわ》というか、細かい線がけっこう増えています。どうやら「限りなくお猿」から「やや人間」へと成長したようです。
生命線も短くなったものの、手のひらギリギリまでは残っています。
「ほらね」
友達に、手のひらを見せると、
「本当そこそこあるね。これだったら、ある程度いけるかも……でも、おばあちゃんはやはり無理」
「…………?」
「だって、おじいちゃんになる……のでは」
ふーん、そうきましたか。
ふだんから彼女には「おっさん」と呼ばれています。お坊さんの意味の「おっさん」ではなく、おやっさんの方の発音です。
ええ、ええ、うんと幸せもののおじいちゃんになってやる。
[#改ページ]
えべっさん
「ふっふっ、坊さん丸|儲《もう》け。えらい稼いではるんやねぇ」
なんだか嬉《うれ》しそうな声です。
お盆は忙しかったと話をしたら、こういう返事が返ってきました。まぁ、これは大阪人がよく言うとされる「もうかりまっか」という挨拶《あいさつ》のようなものと考えられます。友人にとって、お金儲けは一番すてきなことだそうですから。
そのせいか、事物《じぶつ》に対する反応は、聞く→お金→脳、そして脳→お金→話すというふうに、神経細胞の細部にまで商人魂《あきんどだましい》が入りこみがちのようです。
このような刺激的とも言える友人に、
「そんなわけないやん」
ふつうの返ししかできないのは、申しわけない気すらします。
でも、いちおう言っておきますが、お布施は寺に納めるものであって、こちらには関係ありません。
それでは決まった手当ては幾らぐらいという話になったので答えてみました。
「まさか、そんなので頭まで丸めるはずがない」
友人はそう言うのですが、……別にお金をもらったからスキンヘッドにしたと言った覚えはないのですけど。
どうしても、その金額では話が盛り上がらないらしく、
「もうちょっとで騙《だま》されるとこやったわ、そんなわけないもんね」
態勢を立てなおし、銭に走っている尼という設定に戻してくれます。それに私自身もそう思われている方が気に入ってもいるのです。
誰でもそうかもしれませんが、「しゃあないやつやな」と、そして全部込みでそれなりに認めてもらえる方が楽なのです。
「人のいいお年寄りをたぶらかすのだけはやめてね」
などと人聞きの悪いことをニタニタ顔で連発し、ようやく話もはずんできます。
この友人は夫婦で会社を作って以来、えべっさんをおんぶし続けているそう。商売繁盛の神様、戎《えびす》神社へのお参りが一番大切との信条のもと、年末近くになると正月そっちのけで、「もう幾つ寝るとえびすさん」なんて浮き足立っています。
参詣《さんけい》の折は、人込みでごった返すなか、
「えべっさぁーん、今年もたのんまっせぇー」
他人の迷惑考えず、鼓膜が裂けんばかりの大声で叫んだあと、
「商売繁盛で笹持ってこい」
などと浮かれている。
よくは分かりませんが、えべっさんは耳が遠いので、大声でないと願いを聞き入れてくれないそうです。
「最初の二年間はそのことを知らず、大損こいた」
なんて悔しがっていたこともありました。
ですが話を聞いてみると、会社はすこぶる順調だそう。それでも大声をあげていれば、さらに儲けられたはずだという空論でした。
この夫婦の面倒を見守られているだろう戎様は、きっとお優しい神様なのでしょう。
しかしたとえ、えべっさんの後押しがあっても、やはり仕事というのはたいへん。つい縁起をかつぎがちだとか。
ある日、道端でもらったティッシュで会社の床を拭《ふ》いていた時、
「ぷるるる……」
一本の電話がもたらしたのは、新規の受注話。
それ以来、ご主人が無料ティッシュで床を拭き続けるようになりました。来る日も来る日も拭き続けます。そして運よく、また別口の新規の受注話が来たものですから、もう止められません。いまや聖なる祈りとして日課になったそうです。
彼女はお人好しで、押しの強い人に弱かったりもします。
人からさんざん迷惑かけられ困りはてた折、「悪縁切ります。三万円」という貼紙に惹《ひ》かれ、ある神社に行こうとしました。
ところがその時、ご主人から、
「わしの大事な金をそんなことに使《つこ》うてくれるな」
と、哀願されたとか。
「お金は大切」
は言えても、
「わしの大事な金」
と、すんなり言える人は、そういないのではないでしょうか。
「さすがやわ」
私はつい心動かされてしまいました。ご主人の提案は続きます。
「そんなに縁切りたいんやったら、今度電話かかってきたら、わしが出るから」
「出て、どうするの?」
「二度と電話してくるな。ぼけ、かす! 言うたる」
……確かに縁は切れそうです。神社の霊験を疑うのではありませんが、確実性から考えると軍配はご主人に上がると思われます。
「それも一理あるわ」
彼女も納得しかけたらしいのですが、迷惑をかけられたとはいえ相手は女性、その上彼女の同窓生なのです。
結局は、
「そんなこと言われるくらいなら、自分でなんとか断るわ」
になったそうです。
長い間、ご主人は妻の困惑ぶりを聞いても知らぬふりをしていたのですが、お金が絡むと俄然《がぜん》はりきる。
「それが情けないわ」
友人は愚痴《ぐち》りますが、なんやかんや言っても、いい夫婦だと思うのですが……。
「それ、どういう意味やねん」
こっちまで、とばっちりが来てしまいました。というところで、おいておきます。
尼生活をするにつれ、お金に対する執着は確かに薄れてくるようです。
知り合いの僧を見渡しても欲のない人が多く、なかには私財をなげうっている尼僧達もたくさんいます。
一方、私は欲がないわけでなく、必要がないという程度です。着るものや食べ物、つきあいにも大してかかるわけではありません。これが自然となってしまえば馴染《なじ》むもの。むしろない方が楽と言えます。
もし小金でもつかんだら、どうなるでしょう。なにしろ消えた欲ではなく、仮眠している欲なのだから、元気に起き出し一目散に寺から脱出してしまうかもしれません。
よかったら、どなたか試しに大金をくださってもいいのですけど……。たぶんお返しはできないと思いますのでご了承のうえ。
[#改ページ]
ヨコミチ――人心の同じからざるは、その面《おもて》の如し
[#ここから3字下げ]
人の心がそれぞれ違っているのは、その顔が同一でないのと同じことだという意味です。人は違っていて、あたりまえ。
「私は死なねばならぬものは、すべて死を恐れると思います」
弟子がお釈迦《しやか》様に言った時、
「死を恐れるものもあれば、死を恐れないものもある」
と、お釈迦様は答えました。
この弟子は死を恐れていたのでしょう。自分が恐ろしいものだから、他の人みんなもそうだと決めつけました。
とらわれの心というのは、自分で思いこんで、決めつけて、執着することです。何かにとらわれると、自分が思っているよに、人も皆思っているに違いないと思いこむ、あるいは自分の考えあ正しいと思いこむようです。
学歴や地位や名誉など、ありとあらゆることについて同じことが言えます。自分がそれを大切に思っているだけだと冷静に知り、そして、一方では、まったく大切に思っていない人もいると理解すれば、気持ちも楽になるのではないでしょうか。
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
花、花、花……
寺の境内には、梅、椿、桜などの木があり、毎年美しい花を咲かせます。季節により水仙や紫陽花《あじさい》、杜鵑草《ほととぎす》も目を楽しませてくれるのです。
寺には花を活ける箇所もいくつかあります。仏様のお供えとして八つ、玄関や座敷に飾るのが五つほどでしょうか。行事や使用する部屋数によっても違います。そのほかに、歴代さんのお墓用として三十二束作ります。
まず、大小さまざまな花器を机の上や床にずらりと並べます。境内に咲いている花も使いますが、どなたかが、お供えに持ってきてくれる場合が多いのです。
「畑で作りました。曲がったり、横を向いてるのもありますが、よかったら使ってください」
また、
「育てた花が本堂に飾られているのを見ると嬉《うれ》しいものですから」
と言ってくださいます。
いただく花はよそいきでなく、ふだん着という具合で、それぞれ個性があるのが楽しいもの。面白いくらいねじれているのもあり、むしろ趣きを感じるのですが、どう活ければよいか戸惑う時があります。
自己主張の激しいねじれ花に、
「どうしてほしい?」
しかたなく問いかけたりもします。
ここで花の心が分かる人であれば、しっかりした答えが返ってくるのでしょうが、私の問いかけでは、
「そこそこでええわ」
という感じ。花との対話というには、あまりにもお粗末です。
昔ですが、わずか一年だけ生け花を習ったことがあります。
「習っている生徒の数が少なくて先生が困っているの」
友達からそんな誘いを受けました。
通う気になったのは、稽古《けいこ》帰りに喫茶店でピザを食べる習慣があると聞いたからです。
指導を受けながら活けてみますが、どうも見ばえがよくありません。案の定というか、先生は無造作に全部引き抜き鋏《はさみ》を入れ、活けなおしてくださいます。才能がないのでしょう、結局まるで上達しませんでした。
寺に入った時も、花を活けるのは苦手なまま。ところが、ここでは自由に活けてよいとのこと。不思議なことになんの取り決めも考えず、花と向かうのは楽しいのです。
花はいただき物ですから、量は多い時もあれば、少ない時もあります。バケツに山盛り三杯の時も最後の一輪まで残さずに使います。廊下など隅々にまで飾るのです。少ない時は、境内に咲いている花も用います。
時には調子にのって、露草までも飾っていると、
「こんなものまで、使っている」
なんて褒めて(貶《けな》された?)いただきました。
夏場は花が日持ちしません。枝物を多くして、花は少しにしてみます。それでも三日と持たず、頻繁に替えなくてはなりません。
これだけ花を活ける機会があるのだから、正式に習った方がいいかしらとも考えますが、あくまでも楽しみとしてとっておきたい気がします。
子供の頃、祖母が道端に落ちている一輪の花をたもとに入れて持ち帰るのを見ました。花は干からびて、どうみても塵《ごみ》のようです。もっとも塵でも懐紙にはさみ、持ち帰る時があるので、その時も捨てるのだろうと思っていました。
ところが、祖母はその萎《しな》びた花を大切そうに取りだし、水につけます。自力で立つこともできず、押し花のように横たわったままの花でしたが、しばらくすると、うそのように花は生き生きとしてきました。傷ついているように見えた花びらも元気にピンとしています。一輪挿しに活けたその花は本当にきれいでした。
「死んだ花が生きかえった」
子供の私には、そう思え、まるで魔法を見ているようで嬉しかったものです。
よく言われるように、植物にも心があるのでしょうか。愛《め》でてくれる人のもとだと生き生きと天寿をまっとうできるようです。
また、植物は人間の邪気をやわらげてくれるとも聞きます。それはありがたいというか、植物にお気の毒というか……。
私の部屋の中には、ミニ観葉植物があります。きっとたくさんの邪気を吸いこんでむせ返っているのでしょう。根がとぐろを巻いたようになってきました。部屋において五年ほどたつのですが、鉢が小さいままなので大きくなれないのだと思います。分かっているのなら鉢を替えればよいのでしょうが、なんとなくそのままにしてあります。
薄情な人のもとでも、植物は自力でかなり頑張れるみたい。
「こんなやつ当てにできん」
そう感じているのか、このミニ植物には自分の力で生き抜く頼もしさ、凜《りん》とした風格さえただよっています。これを見るたびに、
「生命力ってすごい」
と感心させられ、見ているこちらまで元気になる気がします。
[#改ページ]
芥箱《あくたばこ》返上
残念ながらと言いましょうか、悩みも苦しみも自分で乗り越えるのが自然なようです。もちろんいろいろな方の手助けが必要なのでしょうが、それを受け入れたり、消化したりするのは自分しかいません。外からの働きかけがすっと浸透する人、頑として自分の思い込み、悩みにしがみつく人もいるようです。
「分かっちゃいるけどやめられない」
というところでしょうか。
本人ですら自分の感情までは、なかなか動かせないのですから、他人ができることは知れているのかもしれません。
言う人、聞く人の人柄にもよるでしょうが、悩みの最中に、
「苦しむことも哀しむこともお与えなのですよ」
などと言われたらかえって腹が立つ可能性すらあります。
こういうものはあくまでも本人がそう思えれば楽になれるという話であって、他人に対して不用意に発した場合、思いやりに欠けるととられても仕方がありません。
自分用に調合された良薬でも他人に無理やり飲ませては毒になりかねないみたい。
こんなことを言ってはいけないのかもしれませんが、袈裟《けさ》と法衣《ほうえ》にはかなりの威力があるようです。身につけていると、話を真剣に聞いてもらえたりします。そうして、私などでも、なにやら導かなくてはいけない気分になったり。
たとえば、こう考えられると楽になるのにと、なんとか自分の思う方向に持っていこうとしたこともあります。当然ですが、私も同じ迷いの中で生きているのですから、すてきな場所へお連れできるわけがありません。脇道に案内してどうするんじゃ、というところでしょう。
でも、私自身は獣道で野遊びしていますが、上には空が広がっているようなものと思えます。一緒に空を眺めてみましょうか、と言うことならば許されそう。
そこで、できるだけ私意は入れないようにして、
「お釈迦《しやか》さんはこう説いています」
とお伝えします。
ところが、これが難しいのです。未熟が原因だとは思います。その上に自分専用の価値観を持っています。これを通じてしかすべての事柄を見ることができません。ですから、何かを伝達する時、自分で色付けしたものしか伝えられないのです。
よけいな彩色付きの伝達でも耳を傾けてくれる方々がいます。恐縮すると同時に、その真摯《しんし》な姿にこちらが学ばせていただく日々です。中には汚して渡した伝言をより奇麗にして返してくださる人達もいます。とても嬉《うれ》しい気分になる時です。こんなふうですから、いろいろな方にご迷惑をおかけしているとは思います。
一方、相談を受ける側もストレスの溜《た》まる時があります。
相談事が終わり廊下を歩いている僧が、
「俺はごみ箱じゃない」
ぶつぶつと独りごとを言っているのを見たことがあります。
「うぉー、がおー」
と言う奇声を発しているのを聞いたこともあります。
こう言うと心寒く感じるかもしれませんが、裏を返せば、それだけちゃんと他人の悩みに取り組んでいると言えるのではないでしょうか。もし人の悩みなど、所詮《しよせん》他人ごとと割り切ってしまえれば、
「ふんふんそうですか」
と、いいかげんに答えて、これが終わったらお供えのぼた餅《もち》を食べよう、などと心ここにあらずであれば気楽なもの。いえ、私がそうだと言っているわけでは……。
他人から見ると取るに足らない悩みも、本人にとっては切実な問題です。おろそかに受けてはいないのでしょう。哀しみの癒《い》えるよう本気で取り組むから、疲労|困憊《こんぱい》するのだと思います。
それに寺にいらっしゃる方の中には、悲惨な経験をしている方もいます。どうすればその方が少しでも楽になれるのか、あれこれ考えずにいられないほどです。
ところが、なぜか考えれば考えるほどわけが分からなくなってきます。こんな頭で何が分かるというのか、自分の無力を省みず少しでも何とかしたいと、うぬぼれていた自分が見えるくらいです。
でも、そんな自分でも何とか生かしていただいている、大きな力に受け止められているのは事実。当然ながら降り注がれる大きな力は個人的なものでなく、すべての人に降り注がれているもの。そう考えると、その方の哀しみも苦しみも必ず癒《いや》されるに違いないと確信する心、温かい思いが込み上げてくるのです。
どうすればその方が楽になれるのか方法は分かりません。どう応《こた》えればよいのか、何と言えばよいのかなどの小手先を使うのではなく、今込み上げる思いで接すること、大きな力にお任せするしかないのではと気づかされます。
しかし、実際は相手の気持ちがよく分からず、へまの連続に陥るのです。
例えば、向こうは気を軽くしたいがために言っているのに、私がやけに深刻に捉えて、相手をいっそう落ち込ませたり、相手が真剣に悩みと格闘している時に、気を軽くさせようとして憤慨させたりと散々です。
一般的に言われるように、悩んでいる人は悩みにたいしての解答も心の奥深くに持っているのでしょう。それと同じ答えを出したい、もしくは言ってもらいたいがために相談している場合が多いようです。
ですから、余計な結論や説教は言わずに、ただ受け入れてもらえればよいのでしょう。そうしているうちに心の奥にあった答えが浮かび上がってくるのだと思います。
そうは考えてみても、愚痴《ぐち》派の方になると、じっと聞くのはけっこうな難行です。
つい、こちらの価値観を押しつけてしまう。止めようと思いながらも、たえきれず言葉を発してしまうのです。
ここで深刻な例を挙げるのも悩んでいる方に悪い気がします。そこで、友達の差し支えなさそうなのを一つ。
彼女は社長が勝手だと憤慨しています。
新入の女子社員には鼻の下を伸ばして何も言わないのに、自分には言いたいことを言うとのこと。それだけ社長に信頼されているともとれるのですが、友人は、
「いーや、そんなん違う」
と言っています。
なんでも求人に百名応募してきた時から急に態度が変わったらしいのです。二年前には三名しか面接にこなかったため、
「誰か知り合いおらへんか」
「皆、会社辞めんように」
と言うほどだったのに、それが今では、
「いつ辞めてくれてもええで」
と、あからさまな態度。
「勝手や思へん?」
「ん、思う」
「怒ってくれる?」
「ん、怒る」
さらに勢いづいてきたのか、
「ほんま、むかつく。後ろから蹴《け》ったろか」
後ろからというのが、いじらしいというか悲しいというか。どうせなら前から蹴った方がいい気もしますが、
「あかんわ、やっぱりできへん」
早くも断念しています。
「ほんまにやる気やったんかい?」
どうせ話だけなのに、可能かどうかまで具体的に考えることはないのでは。とはいえ、暴力的思考に歯止めがかかったのは、よいことでしょう。
それはいいのですが、
「悪いけど代わりに蹴ってくれへん?」
と、話が変な具合です。
なんだか妙な現実感に引き込まれ、
「よし、蹴ったる」
とは言いにくくなってきました。
「膝《ひざ》かっくんでもいい?」
お調子ものと思われる社長にふさわしく、
「おおっ」
などと滑稽《こつけい》なことになりそうです。
でも彼女はしらけたのか、
「もうええわ。社長もなんでそんなことされるんや、思うやろうな」
などと憎いはずの人をかばう発言をしています。相手の身になるとあまり腹も立たなくなるということなのでしょうか。興ざめしたせいで、怒っているのが阿呆《あほ》らしくなったようです。
[#改ページ]
エセ○○
仏教とは何でしょう。分かりやすくて言い得ていると思うのが、
「人や動物、植物、すべてのものを慈しむ心を育てていくこと」
ダライ・ラマの言葉です。
「……を慈しむ」で終わってしまうと道徳になるのかもしれません。できない者に対する配慮がないし、正義を押しつける感があります。「慈しむ心を育てていくこと」現時点で慈しめない人でも、育てればよいことになります。そして、「育てる」と言い切ってないので、次第に進行していけばよいでしょう。常にやりなおしがきく寛容さがあります。
だいたい他の宗教も同じような意味のことを言っているようです。最終的段階で、この教えに当てはまらないのは、宗教ではなく別の代物かもしれません。
例えばですが、悩みや苦しみから救ってくれるのは途中段階。自分が苦しみの最中に「すべてのものを慈しむ心を育てていく」などという気になれないから、救ってくれるのではないでしょうか。
それに救ってくれるのは心です。病気を治してくれるのが宗教と思っている方もたまにいますが、病気のまま、状況は変わらないまま、心を救ってくれると捉えた方がよいようです。
もちろん、心が救われると病までも治ることがあるでしょうが、本来は「病気を治してください」よりも「心を救ってください」とお願いするところだと思います。
では、「あなたはそういう信仰をしているのか」と尋ねられますと、「そんなこと、できてるわけがありません」
それに苦しい人が「助けてください」と信仰するのは当然です。自らの非力、愚かさを知り大きな力に縋《すが》ることは、人間に許された唯一の賢明さかもしれません。
むろん、「すべてのものを慈しむ心を育てていく」などは疎《おろ》か、自分の心すら悩み苦しみの連続です。信仰や生き方に迷いが出た時、「すべての……」の言葉を思い出し、獣道に突入せぬようなんとか保っているだけです。言ってみれば、この教えは私にとって物差しに過ぎません。でもこれを知っているのと知らないのでは、やはり違うと思います。
こんなことを書いたのは、宗教と名乗っていても、その実、まったく異質な危ういところがあるらしく、迂闊《うかつ》に近づくと却《かえ》って心を乱されると聞くからです。そんな辛いことにならないように、「こんな物差しがありますが」と言いたかったのです。
騙《だま》される人が悪いとも聞きますが、すぐ信頼する無邪気さはすてきだと思います。もちろん、反省する点はあるのでしょうが。何にせよ騙した方が悪いに決まっています。でも、騙し組の人々に「そういうのは止めた方がよいのでは……」と言ったところで無視されるに違いありません。一発くらい拳骨《げんこつ》がくるかもしれませんね。
というわけで、純真な人が訝《いぶか》しい場所に紛れ込まないように、当たり前のことばかりですが、念のために書いてみます。ご存知でしょうから、退屈なさらないよう少々軽めにして。
変なところの見分け方
一、「私は神である」「仏である」などと聞こえたら……。
[#この行3字下げ]即座に退場し、家に戻って熱い緑茶で一息ついたのち、「そんな小汚い神がおるか」と突っ込みましょう。そこには二度と行かない、という決心で仕上げることをお勧めします。
二、「――しなければ不幸になる」
・お金を出さなければ不幸になる。
・――を買わなければ祟《たた》りがある。
[#この行3字下げ]その場は何とか誤魔化《ごまか》して脱出しましょう。安全な場所まで逃げおおせた後、「あんたが貧乏神やっちゅうねん」ぐらいでよいと思われます。そこへ行く道筋すら忘れ去りましょう。
三、「自分達の宗教だけが唯一正しい」
「自分達以外は皆、間違っている」
[#この行3字下げ]茫然《ぼうぜん》自失というふりで、そこを出るのはいかがでしょうか。 「試しによそも覗いてみまっさ」と、軽くあしらいたいものです。
四、「信仰するには、今すぐに家族を捨てなければならない」
[#この行3字下げ]ほうほうのていで逃げ帰ってください。入浴でもして気分をすっきりさせることが必要かもしれません。「なんでやねん」と、ご家族で突っ込むのもよいでしょう。
それでは一体、どこへ行けばよいのか。という方はとりあえず古くから在るお寺や教会を訪ねてはいかがでしょうか。たぶん入り口に行事のある日が書いてありますので、それに参加して自分に合うかどうか様子をみては。合う合わない、縁があるない、があるでしょうし、あちこちうかがうのもいいかもしれません。
ただし自分を救ってくれる人間を探すのではなく、心を救ってくれる神や仏を探しに行く気持ちで。寺や教会にいる人は、神や仏と縁が深くなるように助言したり、祈ってくれる存在であって、自分の心を救うのは、仏や神、そして自分しかいないのではないでしょうか。
苦しい時、悩みのある時、誰かに相談できれば気も軽くなります。一概には言えませんが、寺や教会にいる人達は、真面目に信仰と取り組み、他人に対しても優しい方が多いように感じます。いろんな方によいご縁がありますように。
また、宗教は特別なものではなく、「どう生きていけばいいのか」を説いているもの。ですから生きていることが宗教そのものと言えるのかもしれません。格別に縁を持たなくてもよいと思います。
人生は、すてきなことがあったからよい人生、という単純なものではないようです。与えられた人生が唯一無二だから素晴らしい。全く同じ経験を重ねた人は、この世の中で誰一人いません。 気の遠くなるような過去から未来までも、ただ唯一与えられた人生ですもの……ね。
[#改ページ]
ヨコミチ――心性蓮華《しんしようれんげ》
[#ここから3字下げ]
仏教では、「仏性」と言ってすべての人が本来仏心(慈悲)を持っている、もともと私たちは仏様からいただいた丸い心を持っているとしています。
ところが、いつの間にか心は傷ついたり、くもったりして、自分にも見えなくなっているので、悪意やとらわれを流し、丸い心に気づいていきましょう、感謝や慈悲などを、ほんの少しずつでも、心がけましょう……という教えです。
生きているということだけでも、いかに素晴らしいか気づかされたり、また、生きているのでなく生かされていると気づかされたり、自分も他の人も動物も木も物も、いとおしむ気持ちが増してきたり……。
ほんの少しずつでいいんです。ぼちぼち行きつ戻りつ……楽しみながら、もともといただいているはずの広くてマァルい心を大切にしていきましょう。
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
オレイ
お終いまで、読んでいただき、ありがとうございます(最初に後から読まれた方は、前も読んでいただければうれしいデス)。
文庫化にあたり、
「何か、尼さんのひとこと的なものを書き加えてみませんか」
という提案を、編集の陸田英子さんからいただき、ヨコミチを書いてみました。
いかがなものでしょうか。
ふだん自分の意志と関係なく、けもの道を歩かせていただいておりますので、そこから見た本道(仏道)はヨコミチ≠ニいうワケです。
ヨコミチに入れるように願いつつ、多くの方のおかげさまに感謝しつつ……。
[#地付き]合掌
本書は一九九八年一一月、小社より刊行の単行本を、一部加筆等を行ない文庫化したものです。
角川文庫『尼は笑う』平成14年7月25日初版発行